1 :
世界@名無史さん:
人気の三国時代から続くために有名な人の後裔が多くでます
大いに語ってください、後はよろしく
この板ではスレ即死判定があるのでしょうか?
そうならないよう協力願いたいトコロ
スレ立てが05:16だ。幸先良くなりますように・・・ナムナム
5 :
世界@名無史さん:04/09/07 08:24
漢族の歴史は面白くないけど他の民族の歴史は面白いね。
6 :
世界@名無史さん:04/09/07 09:07
>人気の三国時代から続くために有名な人の後裔が多くでます
誰よ?
司馬一族はともかく、甘寧の子孫のなんとかぐらいしか目だってないでしょ
それに華北は異民族国家に成り下がったからな
崔エンの子孫が魏書に伝が立てられているね。
満寵の子孫の満奮とか陸機、陸雲兄弟とかは?
9 :
世界@名無史さん:04/09/07 17:42
赫連勃勃とかくれんぼしたら、壁に生き埋めにされます。
殷周秦漢三国晋〜とかって歴代王朝覚えるやつで
五胡十六国がはいってないのはなぜ?
>10
単に語呂が良くないから
五代十国もスルーされているし
冉閔(゚A゚)イクナイ
石勒カコ(゚∀゚)イイ!!
石虎(゚A゚)イクナイ
−−−−−−−−−− 冉閔 −−−−−−−−−−−
>>6 劉弘とか温嶠とか郗鑒とかおりますやん。
あと呉の顧・陸氏、琅邪・太原の王氏、清河崔氏、潁川荀氏とかキリがないわな。
>>17 まあ潁川の荀氏だからってイクやユウの子孫とは限らないけどね
少なくとも荀顗や荀崧は直系だし、
荀勗は傍系だがそう遠く離れてるわけでもない。
あ、潁川荀氏の有名人ったらイクや攸以外にもたくさんいるってことか。
20 :
世界@名無史さん:04/09/08 10:29
劉禅の家系や、元帝の家系や、孫皓の家系はこの時代何やってたの?
>>20 劉禅
直系は永嘉の乱であぼーん。
孫盛は347年に成都で劉永の孫という劉玄に実際に会ったそうだ。
元帝
曹奐、というか陳留王家の系譜は前スレの887-891を見れ。
孫晧
310年に呉で起きた反乱で、孫晧の子の孫充がムリヤリ首領に祭り上げられ
呉王に立てられたが、間もなく殺されたという。
また同じく孫晧の子の孫キンが318年に謀反を起こして誅殺されたとある。
孫晧には他にも子がいたけどどうなったかは分からない。
22 :
世界@名無史さん:04/09/08 20:12
陳留王家って曹霊誕以降は記録が無いの?
宋とか染でどんな扱いを受けていたのか気になるところ
23 :
世界@名無史さん:04/09/08 20:38
三国志正史スレッドの惨状を見ると、ここがちょい羨ましい。
24 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/09/09 00:31
前スレに超亀レス。
---------------------------------------------------------
301 名前:276 投稿日:03/02/25 23:43
>292
いや、「目立って登場した」とは書きましたが、限定はしてませんよ。
田疇は「塢主攷」とか『桃源の夢想』(三省堂・刊)にも出てますけど、
三国時代で他に塢主と呼べそうな人物が魯粛くらいだったので、
勝手ながらこの時代は割愛しました。
---------------------------------------------------------
>三国時代で他に塢主と呼べそうな人物が魯粛くらいだった
三国時代の塢主と言えば、許褚もそうなんじゃない?
「漢末,聚少年及宗族數千家,共堅壁以禦寇.」
(漢末、若者や近所親戚数千家を集めて、皆で堅固
な砦を築いてそこに立て籠もり、賊の略奪を防いだ。)
と、《三国志 魏書》〈巻十八 許褚伝〉の冒頭にもあるし。
>>20 みんな戦乱のがれて日本に帰化したんだよっ!!!
(あ、劉禅の子孫ってのはきてないけど)
26 :
世界@名無史さん:04/09/09 10:58
>>25 それ、よく聞くんだけど信憑性あるの?
家系図とか……
27 :
世界@名無史さん:04/09/09 15:27
この時代、元帝という帝号が近い時期に二つもあるから分かりにくい…
魏と東晋の。
ちょっとスレ違いだけど、会話の流れでご勘弁を
子孫うんぬんで言ったら、平安初期の征夷大将軍で有名な
坂上田村麻呂は、東漢の献帝の子孫なんでしょ?
29 :
世界@名無史さん:04/09/09 20:10
東漢は、漢に住んでいた人という意味で単に中国人をさすので献帝とは関係ない
五胡とはいうけど羌族の影薄くない? 兄弟分のテイ族は結構頑張ってるのに。
五胡とは言うけれどその五胡が匈奴鮮卑羯テイキョウとは確定されていない。
この時期には他に高車や烏丸なども活動をしている。
五胡も十六国も数はいいかげん、という話は三崎本で
語り尽くされてるのに、今さらここで焼き直す必要はないでしょ
33 :
世界@名無史さん:04/09/09 23:22
越とか南蛮の南方系民族が入ってこなかったのはなんでだろうね
34 :
世界@名無史さん:04/09/09 23:39
しっかし、慰帝ってなさけねー帝号だな
こんな情け無い帝号じゃ、なまじもらわん方が司馬業の供養になるわ
36 :
世界@名無史さん:04/09/10 00:10
五胡の時代が無ければ、中国は今よりもっとマシな国に・・・
なってないか。
>>33 南北の国境付近では蛮と呼ばれる集団が活発に活動しているけどね
39 :
世界@名無史さん:04/09/11 07:31:46
−−−−−−−−−− 終了 −−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−− 冉閔 −−−−−−−−−−−
宇文部って匈奴なんですか?
北匈奴所属だけど、西遷しなかった奴らは鮮卑に組み込まれたっぽいんですが
42 :
世界@名無史さん:04/09/11 18:41:27
ところで匈奴の劉氏って、ボクトツ単于の血を引いているの?
あと、西匈奴や東匈奴、更に南匈奴の首領についての資料ってありませんか?
宇文部は鮮卑でしょ。
匈奴は、
沢田勲『匈奴−古代遊牧国家の興亡』(東方書店)でも取り寄せて読め。
それでも足りなければ、
『後漢書』南匈奴伝でも引け。
>>43 船木勝馬氏の「三国時代の鮮卑」では、鮮卑と匈奴どちらかわからないって書かれてる
あと、北史巻98宇文莫槐伝を引用して
匈奴宇文莫槐、出於遼東塞外、其先南単于之遠属也、世為頭部大人
て、書かかれてるから匈奴とも考えられたのかなーと思ったんだけど。
莫槐伝見てたら
其語與鮮卑頗異
とも書いてた
その辺どうなのよ?って事で
45 :
世界@名無史さん:04/09/11 21:58:36
ところで匈奴の劉氏って、ボクトツ単于の血を引いているの?
>>41 宇文部というのは昔は匈奴の一部族だったのが後に鮮卑に参加したもの。
先祖をたどれば匈奴だけど、それは昔のことだから
文化上の実態としては鮮卑の部族でいいんじゃないのかな。
ただ他の鮮卑の諸部族よりはいくらか特徴的だったんだろう。
>>42,
>>45 YES
>>46 thx
鮮卑化した匈奴って事ね
歴史としては確定事項?
>>47 それでいいと思うけど、隋末の宇文化及なんてのは別の系統らしいね。
49 :
世界@名無史さん:04/09/12 03:52:02
五胡の侵入で中国に対して何か有益だった事ってあるの?
>>48 それは皇室の宇文氏の家系とは繋がりがないというだけなのか、
宇文部との繋がりもないのか、どちらなんだろう?
宇文化及の祖父、宇文盛は北周の重臣で、
かつ皇室宇文家の勲貴粛清、独裁権確立にも寄与している。
(何て言うか、宇文護のスパイやってたんだったりして)
本籍も代郡武川で、もちろん武川鎮に定住してからの本籍だろうけど、
皇室宇文氏との付き合いは長いし、結構、密接な位置にいるのでは、とも思う。
宇文というのは部族名でもあるわけだから、全く無縁の臣下に皇室と同姓の
宇文を名乗ることを許すだろうか、とも思うし。
51 :
世界@名無史さん:04/09/12 09:05:38
>>49 新しい血、新しい文化が入る事により停滞気味だった中華世界が新しいステージに乗ることが出来た。
>>50 中央研究院からのコピペね。
宇文述字伯通,代郡武川人也.本姓破野頭,役屬鮮卑俟豆歸,後從其主為宇文氏
これは化及の父親、宇文述の列伝(隋書)の冒頭部分。
これによればこの宇分氏は本姓破野頭。鮮卑俟豆歸に役属したことにより、
その主の姓である宇分と姓を変えた、とあります。
北方の遊牧民が自分の属する集団の長の名を名乗るのは三国志烏丸鮮卑伝にも書かれています。
なお破野頭、費也頭というのはオルドスを中心にして北魏時代を通して強盛を誇った匈奴の集団です。
ヒヤトゥ、ハヤトゥ、ハヤト、隼人
破野頭氏は薩摩隼人が移住して遊牧民化したんだよ!
スルーでお願いします
前スレ消費し終わったね。
スレ立てから約2年か…
五日で50レスということは、十日で100レス。
このままのペースでいけば…
しまった
前スレのログがない
html化はいつになるのかな・・・
59 :
世界@名無史さん:04/09/12 18:45:52
−−−−−−−−−− 終了 −−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−− 冉閔 −−−−−−−−−−−
61 :
世界@名無史さん:04/09/12 20:55:25
−−−−−−−−−− 終了 −−−−−−−−−−−
>>58 2ちゃんでは去年からhtml化作業を止めたよ
理由は●の加入者を増やす為
●があれば未htmlのスレが読めるとかの売り文句でね
釣りか?●持って無くても簡単に過去ログが見れる方法を知らないのか?
少しは勉強しような
65 :
世界@名無史さん:04/09/13 14:27:55
−−−−−−−−−− 単于 −−−−−−−−−−−
>>52 しっかし、古代中国文化をほぼ完全破壊しちゃったのは損害大きすぎる…。
>>66 儒学道教といった中国文化の中核を為す思想は残されているし
南朝側はかなり濃厚に後漢から続く貴族文化を受け継いでいるよ
−−−−−−−−−− 晋 −−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−− 前趙 −−−−−−−−−−−
72 :
世界@名無史さん:04/09/13 22:09:00
−−−−−−−−−− 石虎 −−−−−−−−−−−
−−−−−−−−− 宇宙大将軍 −−−−−−−−−
おまいらそんな事やってて面白いの?
75 :
世界@名無史さん:04/09/14 10:07:57
−−−−−−−−− 都督六合諸軍事 −−−−−−−−−
77 :
世界@名無史さん:04/09/14 13:15:00
−−−−−−−−− 符堅 −−−−−−−−−
78 :
世界@名無史さん:04/09/14 13:17:07
中国の南北朝時代に、「この星が現れたらその時の帝は国を失って逃げ出すことになる」
とされるほうき星が現れ、南朝の皇帝が慌てて裸足になって城門から駆けだしたということがあった。
(これをやれば厄除けができるとされていた。)
が、その後しばらくして、北朝の皇帝が実際に国を失ったという情報が伝わってきた。
それを聞いた南朝の皇帝は、相手の不幸を喜ぶどころか嘆いているんだよな。
「ああ、天は我々ではなく(蛮族たちが建てた国である)北朝の方を正当な王朝と認めたのか」って。
この北朝とは、鮮卑族の北魏ですか?
79 :
世界@名無史さん:04/09/14 15:51:22
っていうか北魏の時代なら漢民族も糞もねえだろ
ただ異民族政権が乱立していたということを表すただのホラ話に過ぎない。
というわけで
−−−−−−−−−− 冉閔 −−−−−−−−−−−
>>78 534年4月に天象が現れてる。
上四行までは正解。
南朝の皇帝は梁の武帝で、北朝の皇帝は北魏の孝武帝。
孝武帝が高歓に敗れて、宇文泰の下に逃走した話を指してます。
「虜のくせに天象が応ずるのか?」ってこと言ってて、
嘆いたってより、不思議がってるというか、
北狄の分際で、って言ってるというか、
そんな感じのニュアンスの発言。
余談。ほうき星じゃなくて火星だな
82 :
世界@名無史さん:04/09/14 23:38:21
梁は非漢民族政権だろ…
確か劉宋の時代に、燕(どこの地方の種類か忘れた)から亡命してきた
鮮卑貴族の末裔だろ?
一応漢初の蕭何の末裔を自称してるけどね
84 :
世界@名無史さん:04/09/15 01:03:37
この時代のなんとかの子孫って、必ず中華を統治する名分を得るための
異民族の工作行為だよ。
匈奴の劉淵(匈奴が漢から嫁をもらっていた縁で)、隋の煬堅(漢の名族煬家の末裔を称する)
劉宋の劉裕(楚王の末裔を称する)しかり
ギリシア・ローマ文明を受け継いでるのはゲルマン人だし、
ペルシア・オリエント文明を受け継いでるのはアラブ人だし、
文明の後継者を名乗ることに何人だろうと気にはしないが
戦国の秀吉、家康が藤原、源姓を名乗ったような、大義名分を得るための詐称。
>>64 勉強したが全然わからん。どんな方法なん?
89 :
世界@名無史さん:04/09/15 18:41:41
楊堅は「天知る地知る」の楊震の子孫を自称してるんだっけ?
弘農楊氏か。
>>89 両晋演義の目録見た限りでは面白そうですね
>>89 文字化けしててなにがなにやらさっぱりわからん
ブラウザに中国繁体字をインストールすれば見られる>文字化け
h削るの忘れた。すまん
99 :
世界@名無史さん:04/09/24 03:38:49
いえいえどういたしまして
100 :
世界@名無史さん:04/09/24 03:57:59
100
101 :
99:04/09/24 04:27:37
しまった100取られた…orz
このスレでは*00を取った人が 冉 閔 になれます
竹林の七賢って東晋十六国にはいる?
時代区分として。
三国志物語の最後を飾るのが面白いか、新たな混乱の時代の序章とするのが面白いか。
六朝時代なんて時代区分もあるんだけど・・・・
>>107 全部大きな袋に投げ込んで、新たな混乱の時代と名付けました。てきとーw
魏晋南北朝っていえばいいじゃん。それで一つの時代区分だよ
単に小説とかの娯楽で、どっからはじめたら面白いかと思っただけなんですが
五胡十六国時代の専門サイトはあるが魏晋南北朝時代のはない
この時代が人気ある証拠
>>111 人気があるんじゃなくて年代の幅の違いだろ。
五胡十六国時代は魏晋南北朝に完全に包括される
>>110 曹氏の簒奪を新時代への序章として陳滅亡までをひとつの時代とした方がわかりやすい。
人気がある後漢末を敢えて外すなら漢と認める。
三皇五帝から中華人民共和国まで、大歴史スペクタクルをよろしく
117 :
世界@名無史さん:04/09/27 23:23:27
三皇五帝から中華人民共和国まで、大歴史スペクタクル
「中華伝」
むかし、むかし東洋のとある国に三皇五帝という、それはえらい
かみさんがおったそうな。
かみさんたちは労働力増加のために人間を造りました。
次第に神は人間に地上の政治をゆだねることにしました
それから数千年後、かみさんが作った人間たちは、隣のお国の寄生虫に
なりさがった汚い民族になってしまい、それは嘆き悲しんだとさ
完
やっぱ八王の乱からが無難か
119 :
世界@名無史さん:04/09/27 23:44:37
むかしむかし、晋の国に司馬炎とかいうそれはそれは
民をいじめて、美女をはべらせるわるいおうさまがおったそうな
司馬炎がしんだあと、いろいろあって司馬炎のおとうとやこどもがこぞってはんらんをおこしました。
これが八王の乱です。
ここで諸王はぐんじりょくのきょうかに、きたのくにのへいしをやといました。
しかし、きたのくにのへいしは、おとうとたちの国をつぎつぎうばっていきましたとさ
>>117 途中から神様が人間作りの手を抜いたのがそもそもの元凶
>>120 最初は一つ一つハンドメイドだったが
途中で大量生産方式に変えたんだっけ?
>>121 魯迅の小説によると、途中から縄?を泥に浸して振り回し
地面に落ちた滴一つ一つが人間になり一丁上がり
>女カ[女扁+渦の旁]伝説
123 :
世界@名無史さん:04/09/28 10:26:18
>>119 司馬炎の政治って民衆レベルから見たらどう評価されるの?
三国統一や地方軍の縮小は税負担減となって
マンセーなんじゃないの?
あくまで独立し一旗揚げたい人にとっては、
権力が遠く小さくなるのは万々歳。
「三代目のぼんぼんが会社を潰す」のいい例だな>司馬炎
126 :
世界@名無史さん:04/09/29 17:24:46
史学的にはシバイは初代と数えられていないので、
司馬炎を二代目と見るのが無難。
司馬炎の子供の司馬厨はもっとひどいぞ
師、昭、炎なんじゃ?
あと衷な
128 :
世界@名無史さん:04/09/29 18:35:53
129 :
世界@名無史さん:04/09/30 00:01:27
司馬炎時代はなんとか平穏だったから無能とまではいえないのでは?
後継者の無能さも判って一応後見役つけといたわけだし。
まー皇太子妃があそこまでかき回すとは思ってなかった点が減点対象ですが。
死せる孔明、逝ける厨房を走らす
唐の李世民といい、次代がぼんくらとわかりつつも
「平和になったから」「孫は期待できる」と無理やり理由をつけて
跡を継がせると必ず失敗しますな。
慢性司馬炎
レスを止めた
>>132は壁の中に埋めろ
ところで11月から刊行予定の講談社版『中国の歴史』
魏晋南北朝は第05巻の『中華の崩壊と拡大』に割り当てられていますが
著者が川本芳昭氏だし、五胡十六国や北朝にスポットの当たった記述を
期待しているのですが…
第04巻が『三国志の世界』(後漢・三国時代)で05巻と内容がかぶってないですか?
>>133 まあそれだけこの時代の重要さが多くの人に認識され始めたんだと思おう。
少なくともこの板でのレスの付き具合から言えば
五胡十六国>>>>>東晋
だな
136 :
世界@名無史さん:04/10/16 01:52:07
どっか八王〜永嘉の乱あたりを扱ったシミュレーション作らないかな。
ただ光栄は勘弁。
137 :
世界@名無史さん:04/10/16 21:10:24
>>131 明の永楽帝は孫に期待して成功した例だと思います。
唐の李世民は他の息子のほうが優秀だけど、
自分に似ているから(自分と同じように)
兄弟殺しまくられたらたまらんから
凡庸な高宗に譲ったんでしたっけ。
武則天が力を付けた点以外は高宗は成功しているほうだと
思いますけど。
(高句麗攻略とか)
優秀なように見せかけている(本当は才能ありすぎたのかもしれないけど)
隋の煬帝みたいなのもいますからねー。
138 :
世界@名無史さん:04/10/16 22:24:49
>>137 でも、武則天は有能だったから、力を付けても失策とは言えないな。
皇統を守るという点では失敗だが。
139 :
世界@名無史さん:04/10/16 22:32:44
>>139 秀忠は軍事的にはアレだが、政治面での業績はかなりのものがあるぞ。
外様大名を取り潰し、朝廷・寺社を締め付け、親藩を強化した。
娘を天皇に嫁がせてもいる。
病気がちで政務が執れず、武則天の傀儡と化していた高宗とは器が違う。
>>137 高宗に関しては、初期の成功についても、
太宗が地固めやってったこととか、
長孫無忌や李靖らが居残ってたし、体制を固めてたからってのもあるからなあ。
皇帝がいちいち出しゃばる隋と違って、効率的な政軍の運営運用もできたわけだし。
武則天が出てこなかったら無能とすら評価されないほどの地味な人と違うかな
143 :
世界@名無史さん:04/10/20 22:02:11
2代目=守成の人として一流なら、高評価されていいんでない?
親に妙な対抗意識持って政策全部ひっくり返したりして政権崩壊させる人もいるんだし
親の遺産食い潰さずに勢力伸ばしたんだし。
>143
李治は三代目だと思いますが…?
>>144 李世民による簒奪王朝の2代目ではないか
ここはいつから唐王朝スレになりましたか?
五胡十六国の混乱が最終的に収束したのは唐に入ってからですから
皇位継承権持ちクラスの皇族による簒奪は、簒奪と言ってもいいんだろうか…。
唐とか明とか…。
>>148 永楽帝のように皇帝存命の時に反乱を起こすのは簒奪といってもよいと思うが
>>148 清河王拓跋紹なんか簒奪以外の何者でもない
152 :
世界@名無史さん:04/10/27 00:57:22
川本芳昭センセに期待age
↑川本さん、最近また本でも出す予定あんの?
これかな?
>277 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/07/20 08:28
>中国の歴史 講談社 全12巻
>編集委員 礪波護・尾形勇・鶴間和幸・上田信
>1 神話から歴史へ(神話時代〜夏王朝) 宮本一夫
>2 都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国) 平勢隆郎
>3 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) 鶴間和幸
>4 三国志の世界(後漢 三国時代) 金文京
>5 中華の崩壊と再生(魏晋南北朝) 川本芳昭
>6 絢爛たる世界帝国(隋唐時代) 気賀澤保規
>7 中国思想と宗教の奔流(宋朝) 小島毅
>8 疾駆する草原の征服者(遼 西夏 金 元) 杉山正明
>9 海と帝国(明清時代) 上田信
>10 ラストエンペラーと近代中国(清末 中華民国) 菊池秀明
>11 巨龍の胎動(毛沢東VSケ小平) 天児慧
>12 日本にとって中国とは何か(環境・開発・人口の中国史 世界史の中の中国 他)
> 尾形勇・鶴間和幸・上田信
> 葛剣雄・王勇・礪波護
>2004年11月 3・11巻発売、以後05年1月より1巻ずつ配本
155 :
世界@名無史さん:04/10/31 12:44:00
唐代の華北地方は、大体異民族で占められていたよね?
江南地方に追いやられた漢民族はその後どうなったの?
156 :
世界@名無史さん:04/10/31 19:44:45
普通に漢族に同化。
江南が面積的に「漢人>諸南蛮族」の世界になったのは
唐代に徐々にすすんだことだって川本芳昭の本に書いてあったような気がする。
あまりにも話題がないのでage
慕容垂まんせー
慕容垂を好きな奴は多いな。
やっぱ苻堅とのエピソードはあの時代の白眉なのかね。俺も好きだけど。
石勒と並ぶ人気
いろいろあるけど苻堅が一番好きだな
勃勃タソも捨てがたい
王猛は?トップではないけど。
王鎮悪ってかっこいい名前だよな
おちんち…違った。王鎮悪って五胡ぢゃなくて劉宋の武将ぢゃなかった?
ベスト10はどうよ?
1位 慕容垂
2位
3位 石勒
4位
5位 苻堅
6位 王猛
7位 赫連勃勃
8位 王鎮悪(劉宋の武将)
9位 劉淵
10位 馮弘
↑叩いて修正よろ。
人気ベストテン?
>王鎮悪
この人は五胡時代の人でいいんじゃないかな?
五胡の動乱は北魏・太武帝の華北統一(439年)までだから、
劉宋もそこに入るっしょ。
能力なら石勒・苻堅のどちらかが一位だろうなあ。
ただ、どっちも晩年は…。
石勒は石虎に実権をどんどん奪われ、苻堅は少子を溺愛しすぎて長子に
捨てられちゃったし。
十六国の君主で晩年も良かったのは前燕・前涼の人たちくらいですかね?
四代目くらいまで。
前涼なら張軌・張寔・張茂・張駿までは良かったかと(張重華は微妙)。
この時代だけは、正統論展開しようとしても無理だな。
後付けでいえば、隋唐の統一につながる代→北魏とできなくも
ないけど、時代が下りすぎだし、熟蛮の北魏はともかく、野蛮人そのままの
代を正統にはできないだろうな。
172 :
世界@名無史さん:04/11/14 20:27:34
代って国としての実体ってあったんですかね。
ごめん。張寔は暗殺されてるね。
うわー恥ずかしー。
でも、張寔は結構有能だと思う。
あと、王猛には及ばないが、張賓とかはどうよ。
石勒の治世を支えた右腕ですよ?
>>171 この時代の正統はちゃんとした手続きの元国が交代した南朝でしょう。
前涼って辺境の国だからあまりスポット当たらないけど
「小さくてもキラリと光る国」(古いね)てな感じなんですか?
当時の人間が何を正統と見ていたか、というならともかく、
今の私らが何を正統とするか、ってのには意味がないと思うんだが。
南朝側にしてみれば、
漢王朝から受け継がれてきた漢人の国、という根拠を訴えるだろうし、
北朝側でいうなら、魏の国号には
「中華の枠組みに入って、まともに運営できる国が正統。漢人とか胡人とかどうでもいいじゃん」
という意志も込められてる。正統とか明言はしてないけど。
平行線だ。
記述的正統論
>>177 北魏はその始祖の神元皇帝の即位の年を曹丕の即位の年と合わせていたりと曹魏の後継者たるを意識していたようだね
まぁ華北は実力勝負でそ。
その中でトップが皇帝で二番手が天王。
拮抗してると皇帝や天王が二人になったり三人になったり。
庶民王なんてのもいたな
慕容儁がいいな
庶民王は「燕王」の誤写
>>183 おお、それは初耳。どのような根拠なのですか?
>>184 宮崎市定の説なのだが。
1)「庶民王」は、もとは「庶人王」とあったのだが、これは
書写者が「唐太宗李世民の避諱で字をかえたんだな」と余計な配慮をして
元にもどしたつもりで誤って「庶民王」とかきかえた。(と推測)。
2)燕の字は下のレッカ(点4つ)の部分が「大」のように書かれることがある。
字の大きさが不均等な崩し字だと「燕」が「庶人」のようにみえる。
つまり元は「燕」だったのが「燕→庶人→庶民」と二段階に誤ったもの。
3)「庶民王」では意味が不可解だが「燕王」だとそのまんまで通る。
しかし宇宙大将軍もいることだし、庶民王がいてもいいじゃないかと思うな。
平均大将軍
宇宙大将軍って車田正美並みのセンスだよな
昔から宇宙って宇宙って意味だったのかな?
まぁ「天下」を少し大げさにいった程度のニュアンスじゃないの? >宇宙
まあ侯景にはお似合いの称号だよ
たしか、時間や空間を超絶するor普遍する意味だと聞いた>宇宙
天地東西南北(空間)を宇といい
過去・現在・未来(時間)を宙という。
・・・・・でも、漢字の本来の意味はどっちも空間だと思うけど。
宇は「いえ」、宙は「そら」だもんな。
やっぱりスゴイや
宇宙大将軍マンセー
都督六合諸軍事の六合も天地東西南北を表してたな。
漢王・都督六合諸軍事・宇宙大将軍はやっぱりすごいな。
侯景が漢王が名乗ったのもなんか由来があるの?
天界から電波を受信
むしろ梁の武帝の方が電波系のような…
宗教って嵌ると怖いね
石虎は電波系な君主というかなんというか
石虎や赫連勃勃は乱暴者で加減知らずなだけだと
冉閔みたいのの方が怖え
むかむかしてやった。
羯族なら誰でもよかった。
今は反省している。
203 :
世界@名無史さん:04/12/05 10:55:18
中公よ、『侯景の乱始末記』をいい加減再販しろ。
204 :
世界@名無史さん:04/12/06 22:13:22
吉川忠夫ってなかなか読ませる文章を書くよな
中公文庫から出てる(元々は人物往来社だけど)『劉裕』も名著
『中国の歴史』川本センセの担当巻が出るまで保全
冉閔が戦い敗れて捕らえられると、慕容后がかれを責めて
「おまえのような奴僕の下才が、どうしてみだりに帝を称したりしたのです?」
といった。冉閔は
「天下は大乱で、おまえたち夷狄の禽獣の類でさえ帝を称しているのに、ましてや俺のような中土の英雄が、どうして帝を称さないことがあろうか!」
といった。
>>205 慕容后って慕容コウ[皇+光]ですよね?
まさに五胡十六国版「むしゃくしゃしてやった」ですね
慕容儁の間違いだな。
208 :
世界@名無史さん:04/12/19 01:21:07
念願の船木勝馬著『古代遊牧騎馬民の国』をこないだ
苦労して借りてきて、粗方コピったけど、やっぱり本で
欲しいなぁ。どこかの出版社で再版してくれないかなぁ。
学術文庫あたりで再刊してほしいところだね
>>205 冉閔の方がずっと禽獣に近いんじゃないかと言う突っ込みはしたらいけないんでしょうね。
乱世の姦雄 治世の宅○守
212 :
世界@名無史さん:04/12/21 13:27:44
ねー、異民族が皇帝に即位するときってどういう儀式を行うの?
漢式で?
>>212 この時代の例でいうといきなり中華式の皇帝になることはあまりないんじゃないの?
まず可汗とかに即位しといて勢力が拡大したら天王、さらに皇帝にと格上げしてく。
今年は台風とか地震があったから皇帝から天王に格下げしとくか。
この時代だと可汗じゃなくて単于だわな。
そうでもなかろう。ちょうど移行期じゃないか?
代国建国以前の拓跋氏に沙漠干っていたし、
他にも洛陽出土の墓誌なんか見ると先祖の名前が〜干ってのがいっぱい居るし。
名前に「干」が入ってることと君主の称号として「可汗」を名乗る事とは別でしょう。
この時代の大単于って皇太子とかにも与えられてなかったっけ?
このスレで大人気の冉閔も、子の冉胤を大単于としているね。
>>219 漢人の冉閔すら単于の号を使うとは・・・。
単于号の授与というのは副帝の肩書みたいな扱いなんだろうか?
>>217 官職名が名前とされているのでは?って話ね。
因みに奚智って人の墓誌の冒頭には
始與大魏同先、僕膾可汗之後裔
って有ったりする。
>>220 皇帝が全世界の民を統治、単于はその下で遊牧民を支配とかそんな話だったかと。
石季龍載記の冉閔附伝によると、
>閔率歩騎十萬攻石祗于襄國,署其子太原王胤為大單于、驃騎大將軍,以降胡一千配
>為麾下.
冉閔は歩兵・騎兵十万を率いて石祗を襄国に攻め、子である太原王の冉胤を大単于・驃騎
大将軍に任じ、降服した胡族一千を配してその麾下とした。
とあるから、降服異民族の統率のためでしょうな。
中国では今も昔も一国二制度が得意だったわけか
いい可汗に汁!
226 :
世界@名無史さん:04/12/22 10:36:28
−−−−−−−−−− 冉閔 −−−−−−−−−−−
時代は下るけど唐の太宗も河汗の位を贈られたんだっけ?
唐皇帝は天可汗として突厥を支配したんだよね。
どうせだったら突厥可汗の即位儀礼やれば面白かったのに
インド女帝ヴィクトリアみたいだな
>>228 まあ、清の皇帝もモンゴルのハーン兼ねてますし。
黄金氏族の末裔で、れっきとしたハーンだった人の息子から
譲り受けた由緒あるハーン位です。
最初に譲り受けた人(太宗ホンタイジ)はちゃんとハーンの即位式もしていたはず。
>>230 だから玄宗も首絞め儀式とかやってたら面白いかと思って。
想像したら笑えるよね。
李承乾が帝位に就いていればあるいは
233 :
世界@名無史さん:04/12/30 00:13:12
さすがに3スレ目に入って勢いが衰えたかage
234 :
世界@名無史さん:04/12/30 00:54:27
五胡十六国時代なら三代続けば立派ですよw
まだこのスレも3胡目だからなあ。
236 :
世界@名無史さん:04/12/30 16:58:56
次スレはタイトルに【4胡】と入れるべきかな?
あればの話だけど。
ところで『中国の歴史』の川本先生の担当巻は来年出るんでしょうか?
237 :
世界@名無史さん:05/01/02 20:30:58
石勒と劉曜って、まんま「項羽と劉邦」やってるような気がする
ともに「持たざる」状態からスタートとは言え、劉曜は屠各種の一員で曲りなりにも貴族
方や石勒は小部族の酋長の倅で、当の部族は飢饉で消滅
兵法や個人的武勇に優れ、養父劉淵に軍事的貢献をした劉曜
狡っからい詐術や騙し討ちで勢力を拡げた、盗賊上がりの石勒
奥さんは美人で夫婦仲睦まじい劉曜と羊皇后
石勒のカミさん劉氏は、ストレートに「呂后の風」って評価されてたな
個人的には、もっと劉曜は評価されても良いような気がするんだが
一般的なイメージは「アル中」なんだよなあ
石勒は素朴で単純な所が好感持てる
変に学を持ってる胡人はいけ好かない
238 :
世界@名無史さん:05/01/04 14:38:28
>狡っからい詐術や騙し討ちで勢力を拡げた、盗賊上がりの石勒
と、
>石勒は素朴で単純な所が好感持てる
が矛盾してる気がするんですが…。
「盗賊」と言っても、八王の乱やら飢饉やらが続いた明日をも知れない
時代なんだし、あまり額面どおりに捉えない方がよろしいかと。
横槍でスマソ。悪気はないです…。
そぼく 【素朴/素樸】
(名・形動)[文]ナリ
(1)飾り気がなく、ありのままな・こと(さま)。
全然矛盾してないと思う
>239
「単純」の意味は? 片方だけで「全然矛盾してない」とは
これ如何に。
いけないなァ 自分のミスを糊塗しては
>>237
たんじゅん 【単純】
(名・形動)[文]ナリ
(1)(ア)こみいった点がなく簡単な・こと(さま)。
⇔複雑
(イ)考え方などが一面的で行き届かない・こと(さま)。
「―な発想」「―な頭の働き」
(2)他種のものがまざっていない・こと(さま)。純一。
「―泉(せん)」「彼女の意味する通りの―さで津田の耳へは響かなかつた/明暗(漱石)」
(3)制限や条件のない・こと(さま)。
「―承認」
「こみいった点がなく簡単」
全然矛盾していないだろ。
ちなみに
>>237とは別人です。
横槍入れたら煽りを呼んじゃったみたいでスマソ。俺も悪気はなかったんだよ。
「単純」なやつが「狡っからい詐術や騙し討ち」はしないだろって話でしょ?
「素朴・単純」は純朴や馬鹿とは違うぞ
>242
俺もそう解釈した。
正直239の意見は牽強付会に見えるんだが・・・。238の意見は241の(イ)の意味で
書いてるんだろうな。
「(ア)(イ)両方の意味と矛盾してないだろ」
となっていれば、俺も納得なんだが。
・・243は釣り?
・・・・とりあえず、流れをもとに戻さなきゃ。
劉曜は「迂闊」ってイメージがある。敵に得物を奪われたり、洛陽攻防戦では
敗走中に落馬して石勒軍に捕まったり、肝心なところで失敗してる感じ。
「貴族」のイメージは劉聡の方が強いなあ。楽広・張華に認められるあたり、
相当なものだったろうと思う。
石勒はひたすら「苦労の人」ってイメージがある。
「腹を満たすには奴隷になるしか法がない」って極限状況を経験してるし、
辛酸をなめまくった点では劉邦以上だったのでは・・・・。
後年の寛大さ(酔って人種差別発言をした漢人の部下を許した)は、劉邦には
なかった美点かと。時代状況の差もあるし、単純比較は禁物だけどね・・・・。
以上が個人的な劉曜・石勒観。
他の方々の意見も求む。是非に。
245 :
世界@名無史さん:05/01/05 21:03:02
釣り師晒しage
┐(´∀`)┌ヤレヤレ
∧∧
(゚Д゚O =3
⊆⊂´ ̄ ソ ヤレヤレ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次で正常化 |
|_________|
∧∧ ||
.( ゚д゚)||
/ づΦ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次で中原移住 |
|_________|
∧∧ ||
.( ゚д゚)||
/ づΦ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次で洛陽遷都 |
|_________|
∧∧ ||
.( ゚д゚)||
/ づΦ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次で南征 |
|_________|
∧∧ ||
.( ゚д゚)||
/ づΦ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次で胡姓再行 |
|_________|
∧∧ ||
.( ゚д゚)||
/ づΦ
ぼようほう
う→
うぶんたい
い→
いろ(晋代王)
ろ→
しりとりイラネ
五胡はほとんどが仏教を信奉してたと見てOKでつか?
258 :
世界@名無史さん:05/01/14 18:12:06
そうだよ。
石勒って河北あたりで転戦してたイメージあったんだけど、
長江中流域あたりをうろついてたこともあるのね。
261 :
世界@名無史さん:05/01/19 00:02:07 0
来月『中国の歴史』川本芳昭センセの担当巻(魏晋南北朝)発売age
>>260 310年〜311年ごろの話。
石勒は襄陽を攻め、三十余カ所の塁壁を落としてる。
また南陽で王如らを攻めている。
石勒は長江と漢水の間で自立しようと考えていたらしい。
張賓が反対して北帰を勧めたけど、言うことを聞かなかった。
江夏を落としたり、新蔡・許昌を落としたりしている。
このとき食糧不足と疫病で士卒の多くを失っており、
この南征は成功とは言えなかったろうね。
江南の孫恩って、やっぱり呉の皇帝と関係ある人物?
皇帝の孫氏は呉の人、孫恩は瑯ヤの人だから関係ないんじゃないかな
赫連勃勃と劉淵は一族だって書いてあったけど
どういう関係なの?
百年くらい差があるよね?
赫連勃勃と劉淵は一族だって書いてあったけど
どういう関係なの?
百年くらい差があるよね?
赫連勃勃の曾祖父は劉虎。南匈奴右賢王(左賢王)の孫に当たり、
劉聡の時代には宗室の者として王に封ぜられている。晋書・魏書に記述有り。
この系譜の一族は鉄弗部を称している。
父の劉衛辰は苻堅から旧拓跋部の支配・監視を命ぜられていたが、
拓跋部の再起で鉄弗部は壊滅。赫連勃勃は薛干部に亡命。
なお当時は劉屈丐と名乗っている。屈丐は拓跋部から与えられた名(らしい)。
その後、赫連勃勃は後秦の傘下に入るが、後に独立。独立後に姓を赫連と改めている。
この際、自分たちの姓は元々[女似]だったが漢との婚姻で劉に改めた。
それを赫連に改める、と述べている。
[女似]は古代夏王朝の王姓で、匈奴は夏の末裔ということになっているので、
赫連勃勃の代に至っても、匈奴単于の末裔であることは自覚している。
ということです。
うわっ、なんだかカッコイイな!
右賢王とか左賢王とかよく分からん。
部族間の位について説明されているサイトとかないもんかね
右は西方、左は東方に配置。ランクとしては左>右。
左右賢王は王室の中で最高ランク。特に左賢王は皇太子に当たる。
なお『漢書』匈奴伝によれば王室の就く位として賢王以下左右谷蠡王、左右大将、左右大都尉、左右大当戸があって、
左賢王が単于になるとみんな1ランクずつあがる、と。
271 :
世界@名無史さん:05/01/29 20:18:45 0
基本的に、東晋初期って南に乱あるとき、北でも紛争勃発
辛うじて南朝が滅ぼされずに済んでるって感じだなあ(王敦然り、蘇峻然り)
そういう意味では311年ごろの石勒の南征は結構大ピンチだったのかも
話は変わるが、王浚は八王の乱でも無傷だし、宇分、慕容も憚るほどの大勢力だったわけだが
これを食らった石勒はやっぱ凄え
飛龍山で敗北、緒陽で苦戦とあまり良い戦績ではなかった相手
これって官渡並みの大番狂わせだと思う……やり方は卑怯極まりないけど
確か、石勒って売り飛ばされる途中で誰かに
「王浚の所に行けば、お前さんなら偉くなれるぞ」
みたいなアドバイスもらってたなあ
やっぱ当時の一方の領袖ではあったわけだ
272 :
世界@名無史さん:05/01/30 20:00:08 0
自分で貨幣を発行した国は
西涼(涼造新泉)
成漢(漢興)
後趙(豊貨)
の三つだっけ?
そういえば、当時貨幣は何が流通していたの?
後漢が作った文銭をそのまま使って居たのか?
それとも砂金とか、等価交換?
西域と商売する時、貨幣は何を使うんだろう
まさかササン朝の貨幣では、と妄想してみる。
絹と交換でいいんじゃないの
たしか魏書の食貨志にそれについての記述があったような…
少なくとも北魏の時代の官僚の給与は絹で支払われていたらしい
278 :
世界@名無史さん:05/02/01 21:39:25 0
>>275 あながち妄想じゃないと思うぞ。
少なくとも唐代の西域ではササン朝の銀貨が流通していた。
279 :
世界@名無史さん:05/02/06 01:43:03 0
日本の「源氏」の「源」は北魏から来てるんだっけ?
なんかこんな話しを小耳に挟んだんだけど詳細キボンヌ
北魏は南北朝だし…orz
六朝スレがあったけど北朝ネタはこっちでいいんじゃないかい?
拓跋氏の本家は「元氏」で分家は「源氏」にしたんだっけ?
281 :
世界@名無史さん:05/02/06 02:38:29 0
王浚って司馬昭に曹髦の計画をちくった王沈の子なんだよね。
源氏の由来はたぶん北魏で合っていると思いまするが、「元氏の分家=源氏」
ではありませぬ。
南涼が滅ぼされたとき、一族の禿髪破羌が紆余曲折を経て北魏に逃れ、そののち
「禿髪と拓跋は同根」ということで「元」と同音の「源」をいただいたのが
始まりであったかと。
ちなみに、禿髪破羌が「(北)魏書」に名を残す源賀でございます。
失礼ながら、田中芳樹氏の小説に書かれてあることは、眉につばを付けて読むのが
よろしいと思われまする。
中国史版民明書房?
284 :
世界@名無史さん:05/02/07 22:46:21 0
>>282 へえー、そういう謂われがあったのか。知らんかった。
他にも源賀みたいに、十六国の子孫で北魏に登用された人っていないの?
教えて君でスマソ。
慕容も赫連も沮渠もいるんじゃないか?
確か赫連の子孫で、その姓じゃ居辛いだろうと別の姓を賜ったのも居たと思うが
赫連達がいるな。微妙にスレ違いな北周の人だけど。
「杜」姓を与えられてるが、後に赫連に戻してる。
北斉に赫連子悦がいます。
あと、文明太后馮氏は北燕の子孫ですね。
288 :
世界@名無史さん:05/02/09 23:19:13 0
慕容って、本当に慕容と名乗っていたのか?
部族名じゃなかったの?
北魏の慕容白雲なんかもそうですね。
あと、北魏の李冲は西涼李氏の血を引いてるとか。
(以上、「魏書」を参照しました)
東魏〜北齊の慕容紹宗は、前燕の慕容格の子孫だそうで。
…スレ違いな北朝の話題で申し訳ないんだけど、いわゆる漢人の「名族」
(たとえば清河郡の崔氏・太原郡の王氏・范陽郡の盧氏とか)って、
華北の動乱の中でどうやって一族を全うしたんでしょう?
十六国〜南北朝の動乱期、さらには隋唐期に至る数百年にわたり、「名族」と
しての地位を確保した力の源泉が何なのか、非常に不思議なんですが。
有力者間の通婚だけで可能なものなんですか?
長文乱文、見苦しくてごめんなさい。
北朝南朝で領土は大きくなったり小さくなったりですが
こういう時代の国境とその周辺の町ってどんな感じなんでしょうか?
殺伐としてるのか、もう軍一色なのか
>>289 まずその一族が広大な土地を所有して大きな実力を持っていただろうし、
さらに彼ら同士で婚姻などを通じて大きなネットワークを持っていたんでしょう。
それで、征服者側もこいつ等を叩き潰すよりはそのまま吸収して、
そのネットワークと官僚経験を国家に吸い上げたほうが特だと考えていたのではないかと思います。
>>290 それについては『東洋史苑』63号、北川一仁氏著の
「南北朝期国境地域社会の形成過程及びその実態」という論文が参考になると思います。
自分としては流民や異民族、亡命者や犯罪者なんかが混ざりこんで、いわば西部劇のように殺伐としていた感じかと。
>>289 谷川道雄先生の『隋唐帝国形成史論』が参考になるかと。
「北朝後期における新旧貴族制の抗争」
293 :
世界@名無史さん:05/02/10 18:39:52 0
東晋が起こったときに、漢族は民族大移動をしたと書いてあった気がしますが
本当にそんなことあったんですか?
294 :
世界@名無史さん:05/02/10 20:42:00 0
江南に避難したって事だろ。
民族大移動っていう表現が当てはまるかは知らないが・・・
>>290 こういうのは民国軍閥割拠時代の紀行読むと雰囲気つかめるよ
時代はかなり下がるが基本的には変わってないだろう
>>295 李長江?の『中国の西北角』ってのがむかし筑摩叢書から出てたな
>>293 王族や貴族の一部が移動しただけ。民族大移動なんてない。
298 :
世界@名無史さん:05/02/11 05:26:55 0
領主が逃げれば領民も逃げるんじゃないのけ?
華北中の漢人が丸ごと移動したわけじゃあもちろんないが、
江南への避難渡行は何も王族や貴族に限った話じゃないぞ。
小作人や召使い(含むその一家)も一緒に連れて行かないことには、
いくら金持ちや権力者だって、逃げた先で食ってく手段が無くなる。
後はそれら金持ちや権力者の関係者以外にも、一般の庶民の中で、
それぞれの一族や地域ごとにまとまって南渡する例が多々あった。
(それらの庶民による南渡グループを主宰・統率した地域の名士は、
「塢主」や「行主」と呼ばれた。代表例は、祖逖や郗鑑や蘇峻。)
僑州・僑県が成立したり、「土断」が行われるようになったのも
民衆レベルでの移動がそれなりの規模であったからでしょ?
講談社版『中国の歴史』魏晋南北朝時代の巻もう出てるみたいだけど見た人いますか?
もう出てるのねー
買いにいこう
>>301ですが関西の某大手書店で今日購入
これから読みます。ヤパーリ五胡・北朝に比重があるね
>>301 俺も読みました。
五胡・北朝の比重が大きいのが嬉しい。「理想に走ったバカ」的な扱いを
されやすい苻堅の民族融和政策、しっかりと考察されてるのがイイ!
ただ、(スレ違いになるんですが)蕭衍と南斉明帝の関係にもっと突っ込んで
欲しかったなあ。蕭衍が持つ権道家の一面、「皇帝菩薩」と呼ぶにはためらわれる
暗黒面を書いていただきたかった…。
苻堅の件って「隋唐帝国形成史論」で書かれた以上に語られているの?
ってごめん、著者は谷川さんじゃなくて川本さんだったね
仇池のイの字も出てこないような気がするのは気のせいですか?
310 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :05/02/19 05:22:11 0
川本さんの担当巻を昨日本屋で読んできた(立ち読みでスマン)。
『魏晋南北朝時代の民族問題』で書かれていた種々の事柄が一本の
線で纏められ、統一的に論じられていいて非常に良かったんだけど、
如何せん、川本さんの専門トピックである胡漢融合と中華論に紙幅
が割かれすぎていて、概説書としては少し具合が悪いように思えた。
(旧版と違った独自色を出すためには、仕方なかったんだろうけども。)
スタンダードな概説書としては△。六朝胡漢論の総纏めとしては◎。
せっかくなので五胡十六国における「あびる優」的存在を考えてみよう
「口は禍のもと」って点では北魏の崔浩か?
(あれは北朝だけど…)
>>314 付き合ってみるが、あれだけ重用されてれば隙を窺う奴も多いかと。
もうちっと十把一絡げ的な奴の方がお似合いだ。
目ン球に小便入れとけって言ってアボーンされた奴ってどうよ?
崔浩の失脚には、裏で宗教問題も絡んでそうだしなあ。
三武一宗の法難は、これが最初なんだっけか?
「口は災いの元」なら、王導と仲の悪かった東晋の周が当たるか?
王敦の乱で王導がピンチになったとき、元帝に「王氏を滅ぼしてはなりませぬ」
と上奏した人。
でも王導を宮門で見かけたら、つい脅してしまったせいで王導の恨みを買う。
おかげで王敦が建康に入城したあと、弁護もなく殺されるわけですが。
ちなみに、のちに王導が周の上奏文を見つけて、
「自分はこの人に救われたのに、自分はこの人を殺してしまった」
と深く悔やむエピソードが、「晋書」「資治通鑑」「世説新語」に載ってた
…と記憶してる(アイマイ
周について、もっと詳しい人の解説プリーズ。
史料が押し入れの中なもんで…。
周顗って酒絡みで評判を落としたらしいね。
「三日僕射」ってのもあったっけか。
>>317の王導へ暴言を吐いたのも酔っぱらってのことだし…
「酒は飲んでも飲まれるな」つうか周顗はもう飲むな、ってことか。
>>316 「目に小便」は後趙の崔約ですね。
馬鹿にされたのは羯族の孫珍で、石宣(石虎の子の中で一番濃い顔だったらしい)に
チクったため、激怒した石宣によって崔約は父子ごとあぼーん。
東晋の孝武帝なんかはどうだ?
寵愛していた張貴人をからかったために布団蒸しにされて殺されたというし。
東晋とか南朝の皇帝ってそんなの多いな
中国の歴史05
p.58の後ろから二行目
これってどうなんですか?
「懐帝の皇后羊氏が劉曜の妻に」ってとこですか?
「西晋の事実上の滅亡」ってとこですか?
そういや羊皇后って恵帝の皇后だよね?
気づかなかったよ。322さん、トンクス。
>>310 漏れもさっき読み終わったけど、ちょっと疑問が・・・
327 :
世界@名無史さん:05/02/28 19:45:08 0
川本先生の言う「胡」って何だろう?
>>327 P.298の年表に490年のこととして北魏が百済を攻撃したとあるが
あれは孤立した記事だし、なにかの間違いとされ、通常は史実とされてないんじゃないか?
北魏がわざわざ船団を仕立てて百済までいったのかな?
P.326-329のあたりで日本の部民制の「部」と高句麗・百済の五部制
の「部」がともに北魏の「八部制」からきてるようなことをいってるが
日本の「部」は地名的なものもあるが基本的には職能集団で、
高句麗や百済の五部制とはあんまり共通性がない。むしろ百済には
官司としての二十二部があって日本との関係でいうならそれを引き合い
に出せばいいのにと思った。それに百済の五部制は明らかに高句麗の
五部制からきてるのはわかるが、高句麗の五部制は3世紀の五部族制に
溯り、そこですでに「〜〜部」という表現が確立してるから、北魏の
影響でできたというのはまったく無理な話だと思うが、どうだろうか。
P.332では難民集団のリーダーが「[土烏]主」と呼ばれていた、
それが古代朝鮮では「村主(すぐり)」と呼ばれていたというが
ひじょうに疑問。出典はなに?
川本氏の担当巻購入。
うーん・・・
バランスも偏ってるし、初心者を置き去りにしてるなあ。
上でも誰か言ってたけど、通史としては問題ありだね。
331 :
世界@名無史さん:05/03/01 16:31:53 0
184 :世界@名無史さん :05/02/21 01:43:56 0
ここでいいのか分からないが、
川本芳昭の新刊(講談社中国の歴史)の、
孝文帝の生母が実はフウ皇太后という説は、どのていど学界で認められているのか
誰か教えてください。
↑ 誰か教えてください。
332 :
世界@名無史さん:05/03/01 17:34:05 0
五胡で一番ドキュソな民族はどれ?
>>331 学界ではあまり注目される話題ではない、って所かな?
334 :
世界@名無史さん:05/03/02 07:18:43 0
>>333 レスどうも。
あまり注目されないのか・・・
結構重要な問題だと思うが。
336 :
>335:05/03/12 04:31:37 0
その手紙、ソグド語で書かれていたものですか?
337 :
世界@名無史さん:05/03/12 04:38:13 0
テイはもともと商業に携わることも多かったと言われていますが、
前秦で王蒙が国外との通商を禁じたというのは本当ですか?
>>336 現在発見されてるソグド文字&ソグド語で書かれた書簡としては最古のもの。
そのため『古代書簡(Ancient Letters)』と呼び慣わされている。
あのA.スタインが敦煌の西にある漢代の望楼跡で発見した。
339 :
>338:05/03/12 16:40:23 0
ご教示、どうも。
340 :
世界@名無史さん:05/03/17 08:55:18 0
1700年以上前の書簡が残っている。
さすが中央アジアクオリティ
341 :
世界@名無史さん:05/03/17 18:40:33 0
ちなみに内容はどんなのですか?
342 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 21:10:05 0
このスレ限定で永嘉××年表示にしてほしかったなw
343 :
世界@名無史さん:2005/04/05(火) 23:16:06 0
五胡の会、会員に誘われた事があるんだけどね。
関尾さんと言えば、川本さんとの山越論争があったな。
何か「論争のための論争」といった感じがして、
読んでてワケワカメだったけど(特に川本さんの意見)。
346 :
世界@名無史さん:2005/04/16(土) 23:46:12 0
五胡十六国の夏には他の「夏」と区別する呼称があるのでしょうか。
西夏も当時は単に「夏」と号してたんでしたっけ。
うる覚えだがどっちも「大夏」じゃなかったっけ?
348 :
世界@名無史さん:2005/05/01(日) 16:18:50 0
age
349 :
世界@名無史さん:2005/05/05(木) 00:17:17 0
赫連ageage
350 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 20:44:56 0
通信高校講座ではほとんどスルーされてましたね(´・ω・`)
351 :
世界@名無史さん:2005/05/17(火) 08:33:53 0
ややこしい上に難しいと判断されたのかも>高校生対象
352 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 00:48:55 0
ゲルマン民族大移動はメインで取りあげられてるのにね
新しい学研の『歴史群像』で「春秋戦国時代」が取りあげられていますが
五胡十六国時代(南北朝時代も可)が出るのはいつですか?
354 :
世界@名無史さん:2005/06/02(木) 22:15:01 0
sage忘れage
五胡は出せないような気がする。
歴史群像の赤本は100p台の薄さだし、三分冊くらいしないと
まとめきれないでしょう。知名度の低い時代ということを考えれば、
ビジネスとしては足踏みせざるを得ないのでは…。
もし自分がまとめるとしたら、
上巻→「八王の乱〜石勒の華北(ほぼ)統一」
中巻→「華北混乱・前燕の台頭〜前秦の華北制覇」
下巻→「前秦崩壊〜北魏の華北統一・そして南北朝へ」
みたいな感じでしょうか。
で、五涼四燕三秦二趙等の各国史について、コラムページを挟んで
紹介する形かな。あと皇帝と天王とか禅譲とか豆知識を入れる。
>>355 それはものすごく贅沢な構成ですね。
分量からして概説書の域を超えていると思うw。
プレシデンテ!
晋民は飢えております。
食糧を増やすのです。
さっ、急いで!!
>357
何?米が無いの?肉食えば良いじゃん。
両脚羊ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
>>357-359 ワラタ。
『トロピコ』とはまた懐かしいね。五胡十六国バージョン作ったら
両脚羊の缶詰工場出てきそう。選挙はやっはり、士大夫からの支持率で
廃位されずにすむか否かが決まるのかな?
361 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 01:22:49 0
ついでにage
362 :
世界@名無史さん:2005/06/19(日) 04:09:51 O
もうこのへん研究し尽くされてんの?史料少ないし。
もうすぐゼミの発表、だめぽorz
鮮卑(北魏)中心主義の研究はもうかなり煮詰まってるようだけど、
視点を変えればまだまだ掘りがいがあるよ。
河西鮮卑の発展と消滅とか吐谷渾の役割なんてのは穴場だ。
あと「テイ(氏一)」については史料も少ないから手薄な分野。
仇池あたりの研究は誰かやってほしいね。
南北朝時代とあわせてむしろ研究は少なすぎな部類。
五胡時代は専門書出してる人は三崎先生しかいないし、北朝期なんて未だに胡漢二元論が幅きかせてる。
やりがいのある時代だと思うよ。
河東蜀の薛氏なんて扱うと面白いんじゃないかな。最近は出土墓誌を使った研究も流行ってるよ
>>363 一応「仇池国史」っていう専門書が一冊でてるみたいね。読んだこと無いから内容はわからないけど。
それと五胡諸国におけるソグド人研究なんかもいいんじゃないかな。
想像以上に広がっていたみたいだし。
ゼミ発表終わったら、差し支えなかったら内容教えてね
大河見てたら朝日将軍というのが出てきて、彼のこと思い出しました。
やっぱり中国はスケールが違いますね。
>>364 川本センセのことはスルーかい!w
でも、五胡〜北朝の研究者が少なすぎなのは激しく同意。
中世史と言えば、専ら東晋南朝の貴族制論か、じゃなけりゃ隋唐に
連なる北朝の均田制論ぐらいしか、従来は研究されてなかったから。
『戦後日本の中国史論争』の最後のあたり(シンポジウム
の書き起こし)でも指摘されてたけど、民族関連の研究は
魏晋南北朝史にとって新たな(最後の?)一大開拓地だと思う。
>>367 平たく言えば征服者の「胡」と被征服者の「漢」の関係を軸に北朝史を説明しようとする視点。
でもこの時代を見ていくと、征服者たる「胡」がてんでバラバラなんだよね。「漢」と並び立つようなものじゃなくて。
>>369 そこらへんがゲルマン民族大移動との違いですか?
と厨っぽい質問
>>369 なるほど。そうすると五胡+漢で、ごっちゃにして「六族時代」という観点がいいのかな。
>>370 ゲルマン族もバラバラな気がするが?
>>371 「五胡」って数字も特に意味が無いとか。 ※三崎センセの本参照。
漢人も一枚岩だったわけでなし、この時代はなんつうか、
どろどろのぐしゃぐしゃのびちょびちょのばらばらの時代だった、ってか?
>>372 >「五胡」って数字も特に意味が無いとか。※三崎センセの本参照。
匈奴の別部でマイナーな雑胡に過ぎない羯をわざわざ五胡の内に
数えるんならば、東晋領内ゆえ国を建てるまでには至らなかった蛮
や短期政権に終わった丁零はともかく、成漢を建てるに至った巴や
羯と同じく匈奴系の雑胡である盧水胡を、五胡の内に数えないって
のは道理が合わないんだよな。五胡の「五」はあくまで語呂合わせ。
修辞的な言葉でとくに深い意味はないと考えた方がいいのか>「五胡」と「十六国」
鮮卑・匈奴・ 羯・テイ・羌・漢・蛮・ 丁零・巴・盧水胡
で「十族時代」か?
五胡十六国と五代十国でゴロがいいから
五代十国も結構いいかげんだよな
五代十国のネーミングは五胡十六国の朴李
五は陰陽五行でちょうどいいからじゃないか?
380 :
世界@名無史さん:2005/07/03(日) 03:32:53 0
age
島夷桓玄,字敬道,本譙國龍亢楚也.
島夷劉裕,字コ輿,晉陵丹徒人也.
島夷蕭道成,字紹伯,晉陵武進楚也.
島夷蕭衍,字叔達,亦晉陵武進楚也.
「楚」ってなに?
劉裕だけが人であとの3人は人じゃないのか。
>>383 〜人は漢人、それ以外は非漢人ってことだよ
385 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 08:54:07 0
「楚」って漢人じゃないのか?
>>385 昔楚の支配者が、「俺たちゃ漢人じゃないから礼儀なんて知らんもんね」てって王号を称したじゃないか
387 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 13:21:24 0
楚の漢化はいつ始まっていつ完了したの?
初めて接触したときから開始して、まだ終わってないだろ。
ただ
>>381の記述は、彼らを非漢民族とすることで正統性を貶めるのが目的であって、
彼らが実際に楚人であったか、当時まだ楚人なんてのが実際にいたかなんてのは関係なし。
389 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 15:49:52 0
馬鹿いうなよ。湖北人や湖南人は漢族だろうが。
背の高さ、食事、言葉の違いなんかを見ても南北の完全な融合は達成できてないぞ。本人たちの意識は兎も角
>>390 太平天国の時も北方の兵が南に行ったとき
米食えなくて飢えたってぐらいだからな
392 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 16:58:34 0
江南人も海外に出れば立派な華人だと思うけどな
>>392 むしろ海外に出てるのは圧倒的に江南人だわな
ナンファレン
395 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 22:46:56 0
ソグド人あげ
396 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 02:00:38 0
石勒は奴隷として売られた後、
買主が只者で無いと思い、解放されたらしいですが、
非常に嘘臭いですね。
397 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 03:22:38 0
じゃあ、真相はどうだと思うの?
398 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 03:16:14 0
解放された後はどうしたっけ?
たしか詳しい記載がなかったような…>石勒
混乱の極みにあったから逃亡してもおかしくないよね
下手すると殺して逃げたくらいまであってもおかしくないんじゃないかね
買主は後に登用されているよね、たしか
奴隷狩りにあって、郭陽のもとに。師懽に売られる。
ということは、師懽と郭陽は知り合い?
郭陽は郭敬の族兄。郭敬は石勒と仲良し。
つまり、裏社会のコネは強い。
402 :
世界@名無史さん:2005/08/02(火) 05:09:58 0
>>402 上古と明清では、発掘史料と新出文字史料の豊富さから来る地の利で中国に、
宋元では、唐宋変革論に関する東西論争が時代の変化でうやむやになって、
主題喪失で日本の学界がもたつく中、新たな視点(両宋画期論)を提起し得た
アメリカに、研究の覇権がそれぞれ移行しつつある。そんな中で、今でも唯一
日本が何とか(?)一線を張っていけているのが、六朝隋唐史だと思う。
豊臣秀吉と松下之綱のエピソードは石勒のパクリ?
>>400
>>403 六朝隋唐も最近は新出史料(墓誌なんか)がバンバン出てて、国内にいるとちょっともどかしいね
406 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 12:46:01 0
age
407 :
世界@名無史さん:2005/08/21(日) 23:17:26 0
李雄の時代の成漢は五胡十六国の中で最も安定したいたらしいね
前涼とかはどうなの?
ほとんど無風地帯って扱いだけど
409 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :2005/08/23(火) 22:25:48 0
>>381 陳寅恪の「魏書司馬叡傳江東民族條釋證及推論」(『金明館叢稿初編』所収)によると、
元々この時代の「楚」とは、徐州から江北〜淮南にかけての地域を指す言葉とのこと。
(例えば、廬江出身の王敦には「楚訛り」があったという『世説新語』豪爽篇の逸話など。)
そして、両晋代の混乱期で江南に流入してきた北方人にはこの地域の出身者が多かったため、
そこから転じて、南朝の領域内にいる北方人のことを主に北朝側で(半ば侮蔑の意味を込めて)
「楚」と呼ぶようになったという。(それに対して、土着南方人による流入北方人への蔑称は「傖」。
『世説新語』なんかを読んでると、よく見かける単語である。)
>>383 桓玄・蕭道成・梁武帝の3人は「楚」で、なぜ劉裕だけが「楚」じゃないのかと言うと、同じく
上記の陳寅恪論文によれば、「島夷劉裕,字コ輿,晉陵丹徒人也」に続く文がミソらしい。
「其先不知所出,自云本彭城彭城人。或云本姓項,改為劉氏,然亦莫可尋也。故其與叢亭、
安上諸劉了無宗次。」(訳:先祖の出身地は不明。自らは彭城郡彭城県の出だと称している。
あるいは元々の姓は項であり、後に劉姓に改めたともいうが、よく判らない。ただしかし、叢亭
や安上の彭城劉氏諸家は、故より既に無嗣断絶しているわけなのだが……。)※訳は適当。
と続くのだが、つまり『魏書』の著者たる魏収的には、「どこの馬の骨とも付かぬ劉裕ごときは
“楚”ですらない」と主張したいわけだ。これが、劉裕だけ「楚」扱いされていない理由とのこと。
個人的には、劉裕自身は自分が漢の皇族の血を引くなんざ端からさらさら思っていないのに、
むしろ北朝側が躍起になって否定にかかるというのが、漢朝と劉氏に対する南北の温度差を
読み取れて面白い。漢族(南朝)側は、曹魏成立の時点で既に、漢朝に対して士大夫連中が
かなり冷めてたような印象があるが、対して北族側は、漢(前趙)が後漢-蜀漢の後継王朝を
一時期自称してたりと、漢に対して意外と思い入れがあるようだ。これも広義の王昭君効果?
侯景が宇宙大将軍、都督六合諸軍事を名乗ったとき、
簡文帝は「宇宙」の称号に驚愕したそうだ。
そりゃそうだろうな。
「宇宙」と「大将軍」の微妙なギャップさが凄いと思ってる
都督六合諸軍事も凄いけどね・・・
>宇宙大将軍・都督六合諸軍事
どこが管轄なんだよ、っていう。
・・・ふと思ったが、スレ違いじゃね?
南北朝スレで閑古鳥が鳴いてるんで、
そっちに書き込んでやってくれや。
>>409 「ニンベンに倉」か。どういう語源(字源?)なんだろう?
傖人亦稱「傖子」、「荒人」,是東晉南朝江東士人對僻遠之民及北人之鄙稱。
呉人謂中州人曰傖,亦以北朝領地爲異國荒中,故稱北人爲荒中傖人。
東晉南朝時期,一些南渡較晩的士族也被視爲傖人。
415 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 05:47:20 0
それ何からの引用?
417 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 18:30:59 0
11月に創元社から『図説中国文明史』第5巻で『融合する文明』(魏晋南北朝)が
発売されますよ。
418 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:56:30 0
実際はほぼ青州だけの版図だったのに、自国の領土を
青、徐、兗、并、幽の5州に区分していた南燕はスゲェw
東晋や前燕と違って、僑民も大して流入してなかっただろうに。
>>418 いや、桓玄VS劉裕の混乱時に結構流民を吸収してる。
最終的に劉裕に滅ぼされたとき、人口は二百万くらいあったような。
宋書の武帝紀と晋書の載記(後秦・南燕)にこの辺の丁々発止が
書かれてた気がする。
しかし慕容皝(晃)の息子たちって有能なのが多いね。
慕容儁に慕容恪に慕容垂に慕容徳…。
まあ、慕容皝の孫になるとサッパリ駄目だけどw
慕容暐に慕容宝に慕容超…w
慕容恪の子孫は慕容紹宗だけど、武将だしなあ。
そういえば1年くらい前にNHKの「その時歴史が動いた」
に符堅を取り上げてくれるようリクエストメール送ったが
駄目だったみたい
>>420 符堅だったらコメンテーター誰になるかな。
やっぱり陳舜臣か
>>420 本日のそのときはヒ水の戦いか
いいなそれ
それ以前に符堅じゃマイナーすぎて視聴者ついていけないでしょ。
余程の中国史マニアじゃないと。
でも割と日本人受けしそうなキャラなのに
惜しい
この時代で日本人受けしそうな人物て誰だ?
悲劇の最期とか受けそうだね。
慕容垂もそうだし(北魏を押し返したところで病死、その後、後燕はボロボロって辺)、
冉閔の「俺は漢人なんだ。胡人になめられてたまるか。うえーん」ってのも描写次第で。
沮渠兄弟も後三年の役の清原兄弟みたいに描ければ。
あと、時代は違うけど宇文護・宇文憲も判官贔屓ができそうだ
故宮では北魏の孝文帝が取り上げられたな。
この皇帝も符堅以上の理想主義者。
だけど本人は若死にして、その後王朝は分裂崩壊,..
思うけど、この時代ハッピーエンドを迎える皇帝・武将が居ない。
だから見てても鬱になる。
自作自演かと思うような、スピードでびびった。
苻堅の苻の字を間違ってるから、余計にそう思えてしまう。
紛らわしい漢字だからな。勘弁。
>>427 孝文帝のあれは理想主義って言えるのかなぁ?
胡姓禁止胡服禁止胡語禁止のバリバリ中華主義者に見えるけど
漢文化&仏教で諸民族を融和させようとしたんだから理想主義でしょ。
まあ、北方民族の極端な漢化の悪例となったが。
抱合王朝って言うんでしたっけ?
今さらながらに川本センセの世界史リブレットを購入し読んでみる
まあ面白かった
434 :
420:2005/09/16(金) 13:04:18 0
一応、リクエストメールに
「現在、世界中で民族紛争が絶えない中、符堅は民族融和を目指し・・」
みたいな事を書きました
自分は陳瞬臣先生の本も読みましたが
詳しくは「資治通鑑」の訳をされてる方のHPで読んだのですが
訳の最後にはその方の私見もあって読むと、なるほどなぁと思いました
以下↓
>>苻堅は、その前半生を聖人ならんと努力し、
後半生は凡人を以て自ら許した。
人は皆、彼を評して「理想故に国を滅ぼした」と言うが、
そうではない。理想の悪弊で衰退こそしたものの、
その理想を捨て去ったが故に滅んだのである。
435 :
420:2005/09/16(金) 13:11:58 0
陳瞬臣先生の本でも南朝の記述で
皇帝が猜疑心から一族を殺したり、簒奪者が前王朝の一族を殺しつくす
事が多く
読んでいて気が滅入るって書いてありましたよ
437 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 16:21:11 0
当時の南朝は皇族に強大な軍権を持たせていたから
自然と警戒、時には粛清も有り得たが、それにしても異常な皇帝の猜疑心も
かなり影響しただろう。
NHKが取り上げそうなこの時代の人物は蘭陵王くらいな気がするが
南北朝だったら木蘭もありだろう
ってこっちは伝説だけど
期待薄だけど、苻堅やってほしいよ。
441 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 23:59:39 0
この時代、武将ばかりが際立つが(というか武将ばかり・・・)
文化人などで著名な人って登場してましたっけ?
明日をも知れぬ時世だったのは分かりますが・・・
442 :
世界@名無史さん:2005/10/11(火) 00:03:08 0
443 :
世界@名無史さん:2005/10/11(火) 00:04:39 0
>>441 それは平凡社東洋文庫が『魏晋南北朝通史 外編』
を出さないのが悪いw
444 :
朱由檢:2005/10/11(火) 00:24:28 0
南朝宋の天文学者“何承天”(370-447)とかかな。
叔父とともに観測を続け、“元嘉暦”を考案。
元嘉暦は百済、日本でも採用。
『日本書紀』に690年に採用されたと記述があるよ。
445 :
朱由檢:2005/10/11(火) 00:38:47 0
あと、有名どころでは、“祖冲之”(429-500)
一年を365.24日とする“大明暦”を考案。
また、円周率は約7分の22であり、
正確には113分の355(3.1415…)であると導き出した。
磁力を利用した指南車や、水力製粉機の一種である水碓磨も発明。
南朝を含めると一杯いるだろうが、
五胡連中に限定すると殆ど居ないのでは無いか。
447 :
朱由檢:2005/10/11(火) 21:01:02 0
449 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:09:56 0
>>443 東北大の六朝担当者(安田氏あたり?)への物凄いプレッシャーだなや。
450 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 22:09:20 0
俺が漫画家だったら絶対この時代のマンガを描くのに・・・。
1国1主人公を目安に、10話程度
主人公だけで22人以上 (,,゚∀゚)!
>>450 16国のほかに、東晋、代、前後仇池、テキ魏、ゼン魏?
あと西燕か。
東晋だと1主人公じゃ少なくね?
燕をメインで高句麗勢力も絡めましょう
おまいら西晋は無視ですか・・・・
そうですか・・・(´・ω・`)。
第一回「米がなければ肉粥をくえ!」
457 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 21:02:16 0
第二回「餅を食ったら腹を壊した!」
>>451 西晋・東晋を忘れてた・・・。(,,゚∀゚)ヽ( ゚∀゚)ノ
あと宋もいるかも ( ´-`)
成漢 李雄か李寿かなぁ
前趙 劉淵と劉曜
後趙 石勒と石虎
冉魏 冉閔
前燕 慕容カイ? 慕容儁?
前仇池 楊難敵 2〜3話で終わりそう・・
前涼 張駿
代 拓跋什翼ケン
前秦 苻堅と苻登
西燕 慕容沖
後燕 慕容垂
南燕 慕容超
北燕 高雲?馮跋
テキ魏 テキ遼
後秦 姚萇だと苻堅と被るから姚興
後仇池 楊盛
西秦 乞伏乾帰
夏 赫連勃勃
後涼 呂光
南涼 禿髪ジョク檀
西涼 李ロ
北涼 沮渠牧ケン
北魏 拓跋珪と拓跋Z
北魏太武帝も入れるのなら、蓋呉も主人公にしてやって
東晋と北魏は主人公いっぱいっぽいね
461 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 10:48:56 0
なんか十六国の君主の名前並べてるだけと違う?
では前涼は謝艾、前燕は慕容翰を推してみよう。
後趙では張賓や孔萇とかかな?
前燕は慕容恪の方がいいな
>>461 つうかこの時代、君主以外なかなか主人公人ならなくね?
春秋戦国や漢だと多少暗君でもなんとかなるけど、この時代は・・・・。
史書にほとんど載せられてないからなあ。
仕方ない気がする。
主人公じゃなくて、1国づつのストーリーにすればいいのかも。
王猛か崔浩は主人公になるんで内科医
祖逖と劉琨と段匹磾とか
>>468 段部なんて、16国に入っていないだけで、実際には慕容なんかと匹敵してるもんなァ
470 :
段部:2005/11/12(土) 19:41:58 0
慕容部と石虎の挟み撃ちなんて・・・
卑怯ナリョ。( ´Д⊂ヽ
宇文部は?
472 :
段遼:2005/11/13(日) 21:54:29 0
(;゚д゚)....! 宇文部もウチを攻撃してたのか!!
宇文部とウチは割りと仲が良かったはず・・・
平州刺史のなんとかってい人や扶余族と一緒に
慕容部と戦ってたんじゃ・・・。
宇文部の勢力はどれくらいだったのかなぁと
>>471を書いただけですが。
474 :
世界@名無史さん:2005/11/16(水) 00:46:25 0
図説中国文明史第5巻『魏晋南北朝・融合する文明』まだぁ〜?
アホか、氏ねよお前。
>>475 だれに云ってるんだか知らんが、そっくりお返ししよう。
477 :
世界@名無史さん:2005/11/18(金) 00:35:04 0
この時代って、孝文帝が大胆な漢化政策を実行するまでは
人々の髪型は辮髪で、民俗は後世の清のような感じだったの?
キョウドにせよ鮮卑にせよ、北方民族は基本的に辮髪だよね。
478 :
世界@名無史さん:2005/11/18(金) 15:59:39 0
ここで、質問があります。
あるスレで、匈奴やフン族について語るスレがありまして、
そのスレにいた住人の一人が、「匈奴の支配層はコーカソイドである」という説を
唱えていましたが、これって本当なのでしょうか?
さらに、私が見たあるサイトによると、(漢字に変換できませんが)ケツ族は印欧系の民族出身であると
されていましたが、これも本当の話なのでしょうか?にわかには信じにくい事柄なのですが。
他にも西晋の明帝が黄色い髭をしていたと言う話がありますし、
いずれにしろ、匈奴の支配層やケツ族が白人系の民族であったとしても、今のモンゴル人や中国人に
それらしき痕跡が全く見当たらないのですが。実際に、東アジア・東南アジアの諸民族は
白人特有の遺伝子を持ち合わせていない事が遺伝子学的に証明されていますし。
その辺を詳しく教えてくれませんか。
>>478 今更1500年以上前の民族名だか政権名だかも判明していない集団の人種なんて判らんわな。
一ついえるのは羯の身体的特徴として顔の彫りが深かった事。
そしてタクラマカンにはかなり古くからコーカソイドがいたらしい。
物語をつくるなら、石勒はやっぱソグド人だろう。燃えるぜ。
タシケント出身ってかw
西晋の明帝が黄色い髭をしてたというのはよく引用されるけど、それって裏返せば
髭以外の髪の毛や体毛は黒かった訳だよね。
単に体毛の一部だけ色が薄くなる色素異常なだけで、その原因を異族混血に求めるのは
間違いであり、ただのロマンじゃないかと思うんだが。
羯族石虎の息子の石宣は、ホリの深いことを
からかった漢人の崔約を家族ともども皆殺しにした
>>477 髪型のことが載ってたのは白鳥博士の本だったかな?
タクバツは辮髪で、宇文か慕容が禿髪だとか書いてた。
史料は後漢書?これも忘れた。
曹操の息子の曹彰も”黄髭児”と呼ばれてましたね。
当時どういう髭の色を黄髭と呼んでいたのかわかりませんが。
486 :
世界@名無史さん:2005/11/20(日) 09:29:04 0
孫権も碧眼であったと有名ですが、実はこれは三国志演義に出てくる孫権の話であって、全くの創作だったらしいですよ。
恐らく、曹彰や明帝のそれも単なる創作の一つではなかったんでしょうか。
487 :
485:2005/11/20(日) 10:04:14 0
>>486 え、曹彰の”黄髭児”て正史のエピソードじゃないの?
と思ってざっと調べてみたところ見つからない。
やっぱり演義の創作ですかねー、失礼しました。
>>487 裴松之の引く魏略に「黄髭」だと書いてあります。
しまった「黄鬚」だった。
490 :
世界@名無史さん:2005/11/20(日) 12:30:06 0
しかし、曹彰がもし本当に黄色い鬚をしていたのなら、その父親の曹操も黄色い鬚をしていた筈なのだが。
考えてみれば見るほど不思議だな。
【黄童】こども。幼児。頭髪がまだ黄色であるのでいう。
【黄髪】@老人の髪の毛。白髪がさらに黄色になるのでいう。A転じて、老人
492 :
世界@名無史さん:2005/11/20(日) 14:05:15 0
>>491 謎が解けました。ありがとうございます。
それにしても、中国史ってややこしー(′A`)
「黄」ってのは限りなく茶色に近いからな。「黄土高原」とか見ればわかる。
日本人にだって毛の色が薄い人だっているだろ?
ああ、俺は頭髪そのものが薄いさ。
495 :
世界@名無史さん:2005/11/20(日) 23:00:29 0
>>474では無いですが、図説中国文明史出てましたね。
予想に反して仏教美術はそれほど取上げてませんね。
そもそも美術的に優れた物があんまり伝わって無い印象を受けました。
兵馬俑や青銅器の出土がある蓁とかと較べては駄目なんでしょうが。
高句麗のトピックが有ったのは、意外で面白かったかな。
496 :
世界@名無史さん:2005/11/21(月) 22:50:23 0
ハゲくらい気にするな
俺は気にするが
497 :
世界@名無史さん:2005/11/23(水) 22:56:05 0
禿髪部に乗っ取られたスレはここですか?
498 :
世界@名無史さん:2005/11/23(水) 23:27:41 0
>>495 仏教美術にはかなりページ割いてるように思えるが…
三国志オタには期待を裏切る内容だろうね。
といっても、やっぱり仏教芸術がメインになる時代だしなぁ
三国時代ってなにか有名な美術品あったっけ?
そういえばmiho美術館でやってる展示は面白いから、いける人は見に行った方がいいよ
まだやってたかは定かではないが…
501 :
世界@名無史さん:2005/11/24(木) 16:57:27 0
五胡十六国の面白い小説はありますか?
502 :
世界@名無史さん:2005/11/24(木) 17:15:31 0
>>502 ゜☆,。・:*:・゜★o(´▽`*)/♪Thanks♪\(*´▽`)o゜★,。・:*:・☆゜
図書館行きます
中国には「信長の野望」の五胡十六国バージョンみたいなゲームソフトはないの?
昔、何かで隋唐革命期のゲームの写真は見たことがある。
まんま一昔前の光栄のゲームだったが。
後、画像欲しくてぐぐってたら、台湾のゲームで[シ肥]水の戦い辺りのがあった
時代背景に取ってるだけで、歴史を題材としたものじゃないようだけど。
晋と大書された軍旗が立ち並ぶ絵(今風というか)が一枚があって、
魏とか漢とかは著作権に関わらない使い方するなら手に入れやすいけど、
他のはレアなんで、あんな感じのを誰か書いてくれないかと他力本願
そういや禿髪部イコール拓跋部って確定なの?
>>498 六朝貴族の生活を図解してくれてる章が初心者にはとても分かりやすかった。
>>500 MIHO行ったよー。前燕の副葬品とかあったね。
年明けからは九博に巡回するみたい。
昔フリーだった、戦国史っていうゲームに
五胡十六国と隋唐のシナリオがあった。
後趙と東晋で中国統一した (,,゚∀゚)
510 :
世界@名無史さん:2005/11/26(土) 01:54:42 0
MIHO美術館って信楽の山奥にあるんだよね?
大阪からだとだいぶ気合がいるな。
>>512 新しいのもフリー版があるよ。
いくつか機能制限があるが。
>>510 石山の駅からバスで50分だった。
大阪からなら片道二時間かからない程度かな?(俺関東人だからよくわからんが。)
ただバスは一時間に一本しか無いから気をつけないとね。
でもこの時代好きならいく価値あると思うよ。
てっても、五胡時代はあんまり多くなくて、北朝〜唐がメインになってるけどね。
>>513 信楽は昔トラックで配送した事あるから興味を持って調べてみたが、田代の奥か!
大阪から車で行くなら奈良盆地を過ぎたあたりから物凄い山間地で奥へ行くほど
道路が狭くなり、時々崖へ転落した車を見かける難所だったよ。
五胡的で言うなら、成漢が建国した蜀の地みたいな険所。景観はかなり良し。
日本の成都・信楽にようこそ!
信楽か、小さい頃あのタヌキやらが大量に並んでる様が凄く好きだったなあ
テーマパーク気分でよく親に連れて行ってもらった
517 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 16:02:39 0
五胡って中国文化を破壊してDQN国家への道筋を開いた奴ら
ということでOK?
518 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 17:14:47 0
>>517 中国が今みたいな人格障害国家になったのは明からだろ。
>>517 何を言うか。春秋・戦国の頃から何も変わっとらんわ。
520 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 10:55:53 0
王室の退廃に限っていえば南朝の方がひどい気がするが。
皇族28人殺しとかいるし。
>>520 民衆に対する暴虐という点では北の方がうえいくね。
石虎とか赫連勃勃とか、まんま北斗の拳にでてきても
不思議はない。
中国を貶めようとして蛮族に征服されたとか、いろいろ言ってるけど、
北方遊牧民を蛮族とするのは中華思想に染まってるんじゃまいか。
というわけで、石勒まんせー
そういえば前にヤフーで、三国志の人物と一緒に酒を飲むなら誰がいいかって
中国人にアンケートしたニュースがあったけど、
五胡十六国の人物だったら誰と一緒に飲みたい?
自分は慕容垂。いろいろ本音が聞きたい。勃勃はいきなり埋められそうで嫌。
石虎だけはいやだな
例の「おちょことカニ爪を持って酒の中でプカプカ浮かんでいたい」
って言ってた人。……って、こりゃ五胡十六国じゃなくて東晋か(汗
酔っ払って石虎に「窪んだ目に酒を注いで消毒してみてはいかが?」と言っちゃってウボァー
528 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 15:36:04 0
石勒となら酒を酌み交わしながら古今の英雄を語り合えそう。
529 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 16:12:31 0
符堅かな。
あえて冉閔
>>528 曹操マンセーとか言っちゃうとやばいけどね
532 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 20:51:36 0
漢の高祖に会えば家来になって奉仕する。
光武帝なら相手になって争う。
曹操や司馬懿は問題にならぬ。
劉総・石虎・苻生・冉閔・勃勃に囲まれて飲む酒は…、
駄目だ。酒が自分の血で真っ赤に染まる図しか思い浮かばないorz
地獄の獄卒に取り囲まれるのと、果たしてどっちがマシなのか…。
534 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 23:58:04 0
地獄の獄卒のほうがいいに決まってる。
彼らは正直者には無体なことはしないだろ・・・
うっさい禿髪
537 :
世界@名無史さん:2005/12/09(金) 21:58:41 0
苻堅と王猛と王導を招待して
現代日本の移民問題や、移民政策などについての
議論を展開したい。
んで最後は拓跋Zに議論をまとめてもらうもらうw
ダメだ!
石勒と飲んだら俺は絶対泣きながら
「あんた元奴隷だもんなー苦労したんだよなー」
ってからんじゃいそう・・・・・
>527
それ石宣。
首になって親父の石虎の酒の肴になった人のエピソード
>>539 石宣が親父にチくったんじゃなかったっけ?うろ覚えスマヌ
541 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 21:21:18 0
崔約(漢人)が孫珍(羯人)を「彫りが深いから」と馬鹿にする。
→立腹した孫珍が石宣にチクリ。
→石宣が激怒し崔約父子をあぼーん。
と川勝氏の『魏晋南北朝』に書いてあった。
元ネタは晋書の載記らしい。
>541
「彫りが深いから」つうか・・・
眼を患っていた孫珍(羯人)が崔約(漢人)に眼病を治すにはどーすればいいのか?って聞いたら・・・
崔約 m9(^Д^) 眼に小便いれたらなおるんじゃねーwwwww
孫珍 (゚Д゚)ハァ?入るわけねーだろ!!
崔約 m9(^Д^) だってお前の眼はガボガボだしーwwww
孫珍 ヽ(`Д´)ノウワーン
みたいな
胡人に対する漢人のあからさまな差別意識がよく出ているエピソードだよなぁ。
「大吉」なら島夷征服
545 :
劉裕 【凶】 【1826円】 :2006/01/01(日) 14:50:24 0
「大吉」なら長安奪還
546 :
劉裕:2006/01/01(日) 14:50:54 0
今年のこのスレの課題は、五胡十六国と五代十国の転生表を作ること。
549 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 00:10:25 0
>>547 このスレネタ切れ気味なので出来てるだけでもうpキボンヌ
550 :
世界@名無史さん:2006/01/23(月) 00:19:13 0
この時代の初心者向けの本ないですか?
小説でも学術書でもなんでもいいです。
一応陳舜臣氏の小説十八史略でちらっとは読んでます
初心者向けか…
どの程度初心者かわからないけど、大学生レベルなら三崎先生の『五胡十六国』は読み易いと思うよ。
ってか専門書はこれしかないしねw
講談社中国の歴史シリーズ5『中華の崩壊と拡大』も読み易いけど、この時代に関しては薄いんだよな
>>551 ありがとうございます。
春秋戦国〜三国志までは結構学術書とか史書とか読んでるんで
中国史は読みなれてはいます。なので多少難しめでもOKです。
とりあえず紹介していただいた本よんでみます。
そのレベルだったら、谷川道雄の『隋唐帝国形成史論』もいいかも。
諸燕朝と前秦についての論考が一見の価値あり
>>550 ◆概説書
宮崎市定 『大唐帝国』 中公文庫 1988
川勝義雄 『魏晋南北朝』 講談社学術文庫 2003
岡崎文夫 『魏晋南北朝通史〈内編〉』 平凡社東洋文庫 1989
三崎良章 『五胡十六国』 東方書店 2002
福原啓郎 『西晋の武帝 司馬炎』 白帝社 1995
吉川忠夫 『劉裕』 中公文庫 1989
吉川忠夫 『王羲之』 清水新書 1984
◆専門書
川勝義雄 『六朝貴族制社会の研究』 岩波書店 1982
田村実造 『中国史上の民族移動期』 創文社 1985
谷川道雄 『隋唐帝国形成史論 増補版』 筑摩書房 1998
ここらへんがオススメ。
概説書と言っても、『魏晋南北朝通史〈内編〉』は原著が70年以上前
の物なので読みづらい文体だし、逆に『中国史上の民族移動期』は、
こりゃ文庫化しても構わないんじゃないか?ってぐらい読みやすい。
>>554 概説書には↓を入れてもいいのでは?
森鹿三(編)『中国文明の歴史4:分裂の時代 魏晋南北朝』中公文庫 2000
(人物往来社版の文庫化。ただし川勝氏執筆部分が学術文庫と若干重複)
劉イ(編)『図説中国文明史5:分裂する文明 魏晋南北朝』創元社 2005
(イ=火+韋)
557 :
テスト:2006/01/30(月) 16:56:51 0
あれ?&hearts:
こうか?
♥
559 :
テスト:2006/01/30(月) 17:39:25 0
560 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 23:27:12 0
戦国史で五胡十六国〜隋くらいまでのシナリオ作ろうと思います。
時代を絞り込んで何とかシナリオ3つくらいに収めたいので
希望の年代を言ってくださいな。
司馬睿が安東将軍・都督揚州諸軍事となって長江を渡った307年
あんま詳しくないんだが
307年って
華北は匈奴・石ロク・王弥・王凌・劉コンとかいたっけ?
洛陽に司馬越もいるのかな
蜀は成漢?北方に段部とかもいたらマジおもしろそう
563 :
562:2006/02/06(月) 16:46:34 0
あと、
六鎮の乱で北魏の皇室が力を失った後の爾朱氏VS高歓あたりと
唐建国あたりの群雄割拠状態がおもろいんでは
ヒ水の戦い後のシナリオはどうだろう
>>563 高祖長安入城あたりは面白そうだ。
煬帝で逆襲なるか?とかできそうだし。
>>565 隋までってあったわ^^;
誰かくわしい人、劉混・王凌の位置をカンタンに教えて下さいませんか?
>>556で読んだだけだがイマイチ位置関係がわからん。
前燕
前涼 王凌
匈奴劉氏 劉混
石ロク
司馬越(洛陽)
成漢 司馬睿
こんな感じかな
やっぱ赫連勃勃、工人を城壁に埋め込むの巻なイベントは欲しいな
569 :
566:2006/02/07(火) 01:24:16 0
>>568 サンクス
地図見ると前秦滅んだ後も割拠状態だね。
570 :
560:2006/02/07(火) 01:41:50 0
おっ結構好感触。
早速取り掛かりたいところですが今忙しいとこなんで、
完成は早くて夏くらいになりそうです…
個人的には石勒、劉裕、高歓・宇文泰の時代の3つがいいかなと思ってます。
571 :
568:2006/02/07(火) 02:05:28 0
>>560 戦国史的には群雄割拠の状態が楽しいよ。
弱小勢力でも寝返りをバンバン使えば、大勢力になれるからね。
そう考えると、西魏、東魏の対立よりは隋唐の頃がよいかな。
地味に八王の乱を再現してみたり
>>566-568 あとは、兗州に石勒のライバル兼曹嶷の親分格のご存知王弥、
そして荊州には王如とか杜弢とかの漢人反乱勢力がいそう。
あと307年だと、司馬模配下に陳安もいるんだよね。意外と勢力充実してる。
ついでに仇池って、この時点で国家の体は成してたっけか。どうだっけ。
>>574 まさに群雄割拠状態だね。ゲームでしたいもんです。
(`・д・´)チッ、バカコーエーが・・
>>575 今の無双商法が行き詰って、本来の歴史路線に回帰せざるを得なくなった時には、
是非とも光栄にはこの時代を舞台としたゲームを作ってもらいたいもんだけど……。
売れないだろうけどなw
ううう、この時代を舞台とした漫画なり小説なりが登場すれば、あるいは……。
最終的に統一するまでの時間が長すぎるから
結構通史で物語にするのは大変だよな。
やっぱり個人にスポットを当てるしかないか。
>>576 仇池は296年に楊茂捜が輔国将軍・右賢王を自称して成立している。
むしろ、光栄に汚されないことを喜ぼう。
まあゲームにするなら、劉淵・石勒が暴れたころか、
もしくは苻堅が淝水で敗戦して前秦が解体されていくあたりからがいいんじゃない?
基本的に群雄割拠なほうがおもろいから。
この時代を小説化した作品は陳舜臣の小説十八史略以外思い当たらない。
劉淵・石勒・苻堅が出てるけど
そして哀しいくらいにスルーされる劉裕>小説十八史略
>>584 まあ分量的にあのぐらいの描写してもらえれば御の字だ
_、_
( ,_ノ` ) < 司馬叡!
_、_
( ,_ノ` ) < 劉裕!
_、_
( ,_ノ` ) < 蕭道成!
_、_
( ,_ノ` ) < 蕭衍!
_、_
( ,_ノ` ) < 陳覇先!
み ん な 揃 っ て ――
南 朝 建 国 隊 !!!!
rっ _、_
_、_ / /ニ二∩( ,_ノ` )二二二⊃
( ,_ノ` )/ / _、_ .|ヽ ノ
∠ヽ / ∠( ,_ノ` )| | (⌒)
_、_ | _、_ | | |.∨
( ,_ノ` ) /( ,_ノ`.)\ \|
ι=∪ //(⌒) ノ\\ \
∠/⌒⊂/ | | \ 丶⊃ ⊃
∠ノ  ̄
劉裕と蕭道成と陳覇先も忘れないでくださいヽ(`Д´)ノ ウワァァァン
井上祐美子の『柳絮』(中公文庫)ってのが東晋後期が舞台になってるねえ。
主人公(謝道ウン←王凝之の妻)の回想で時代が多少前後して語られるけど、
自分としてはなかなか楽しんで読めた。
鮮卑段部がスルーされてる件
589 :
560:2006/02/13(月) 02:21:08 0
NAGAICHI Naoto氏作の306年シナリオ発見しました。
かなり完成度高いですよ。晋の外交関係とか工夫があっていい感じです。
かぶったなあー俺の石勒シナリオ…
めげずに作りますわ…
前秦・前燕・東晋の三国時代とかどう?
王導と王猛が三国志(ゲームの)の諸葛亮並の能力値になりそうだな
592 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 19:36:13 0
何で張賓が過小評価されてるんだよ!
石勒の生涯を誰かに小説化してほしい。
奴隷から皇帝(正確には天王だけど)なんて絶好の題材じゃないか。
594 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:01:08 0
皇帝から虜囚って人もいるしね。
ネタには困らない時代だ。
西晋の懐帝・愍帝の最後は中華の歴代皇帝の中でも
飛び抜けて悲惨だな。
596 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:25:18 0
東魏の静帝はなかなか立派な人格者だったのに
生まれた時節が悪かったので
北斉の高洋に禅譲させられ
あげくの果てに毒殺されてしまった気の毒な人
劉宋と南斉は同族殺しだけで大長編小説が書けそうだ
598 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:29:43 0
599 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:30:10 0
すまんそれは梁だな
今更ながら、宇宙大将軍という官名(自称だが)も凄い物があるな。
名乗っていた本人はどう思っていたのか
うっかり冗談言っただけで布団蒸しにされた東晋の孝武帝もある意味悲惨だ
この時代では間違っても王族には生まれたくないな。
特に南朝。
逆に梁までなら貴族のボンボンで中途半端に政治に関与しなければ最高。
>591 謝安かな〜、とか思ってた…
個人的に、桓温が総合値でトップレベル。 謝安が知・政、謝玄が戦闘。
人格はこの際、関係なし。
数年前に小説書くとか宣言しながらなにもしてない('A`)
(#゚Д゚)C<´A`)
天 地 激 突
宇宙大将軍 vs. 率土大将軍
coming soon
宮崎市定『大唐帝国−中国の中世』では、
謝安の下駄の話と朱序の淝水で「敗けだ」と叫んだ話を例示して、
「当時の貴族のあいだには、こんな愚にもつかぬ話ばかりがもてはやされて、ほんとうに働いた軍人たちは、いっこうに話題にものぼされなかったのである。」
と一刀両断。
まあ、そこまでは言うつもりはないが、
>>604の謝安の評価は高すぎだろ。
>609 宮崎本は読んでないから知らないけど、個人の能力というより倫理観というか、お貴族様というか…
東晋後期では、ポスト王導は謝安だと思ったし、あの桓温の西府軍に好き勝手させなかったところが、政治的に評価できるかな〜、と。
それ以外の人物に適当なのが思いつかない、というか知らないからでもあるけど。
ちなみに、桓温はかなり高評価してしまってます。
訂正お願いします。
宇宙って、今の日本語の宇宙を想像するからインパクトが強いだけでないかい?
>>609 宋の文帝が北魏討伐を計画したとき貴族とばかり協議していて
肝腎の軍人の意見を聞かなかったので根っからの軍人である沈慶之に
「敵国を討とうとするのになぜ白面書生どもと事を図るのか」と
猛反対されてますね。もちろん北伐は大失敗し文帝は皇太子に殺害。
宇宙大将軍
vs.
使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東太将軍倭王
天策上将もこうしてみるとインパクト薄いな
テングリカガンは?
四方上下曰宇,古往今來曰宙,以喻天地。
宇宙のほうがでかいようだな。
相国・宇宙大将軍・都督六合諸軍事たる侯景閣下に敬礼!
これだ!!!
宇宙大将軍
vs.
第六天魔王
信長のソレは彼一流のジョークだったんじゃないの?
侯さまはともかく本気。。。
やっぱり今の感覚で想像するよな、宇宙大将軍(コスモジェネラル)…
>>619 信長は叡山燃やした時につけられたあだ名だろ?
自称してた侯景とはまた違う。
>620
ああ、そうか。 信玄への返信のときに使った名前だと思ってた。すまん。
しかしその言い方、よいしょしてるのはどっちだろう…
宇宙大将軍の参謀が、WBCで上原からHRを打ちましたよ?
そう、王偉(同姓同名)が…。
同姓同名じゃないけど、姚某だの段某だの人名をみかけた時、
もしや子孫かと思ってしまうよ。
劉や李はありがちだけど、北方系の変わった名字って今もある?
>>624 そこから真っ先に「赫連」でぐぐった自分orz
ちなみに人名っぽいのは発見した
赫連はまだしも、禿髪はいやだな。字面が。
赫連「勃勃」ってのが男らしくて好きだ
禿髪で検索したら、五胡とハゲとが混在していたよ
「禿髪」からイメージされるのは「北斗の拳」のスキンヘッド頃されキャラって感じだな
タクティクスオウガあたりに出てきそうな二つ名だな
下愚バパール
吃音のブレッゼン
障碍のジルドア
禿髪のシュジノン
>>627 勃勃たんは立ち居振る舞いもなかなかマッチョだからな
利鹿孤は名前がかわいくて好きだー。
天辺が禿げた鹿が「乞伏家はみんな狼でしょ、そうでしょ」って言ってるの?
はげあげ
/ ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ || <卿ら、なにか申したか?
636 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 01:21:53 0
玉虫厨子作った司馬鞍作止利は司馬氏の子孫?
司馬なんて役名だから良くありそうだ
西/東晋の司馬氏の始祖は西周時代の程伯休父とされている。
この血統が司馬氏の主流らしい。
それ以外でも楚の司馬子期、斉の司馬穰苴などを祖とする司馬氏がある。
641 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 01:16:00 0
新シルクロード総集編で呂光が登場していたが、なかなかエグイ人間だったんだな。
642 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 02:35:40 0
kwsk
鳩摩羅什(なぜか一発変換できた)に対する扱いとか?
>>642 呂光が西域遠征でやりたい放題
↓
天才と名高い鳩摩羅什を女と一緒に密室に閉じ込める
↓
鳩摩羅什我慢できずに女犯してしまう
↓
呂光「うはっwwwwwww鳩摩羅什wwwwwwwワロスwwwwwっうぇwwwww」
>>643 そう。鳩摩羅什の女犯に関しては異説も多いそうだが。
鳩摩羅什の女犯は陳先生の小説十八史略で知ったなあ。
つか、呂光って武将としてはともかく君主としては駄目臭い気が。
西秦には十万の兵を挙げながら弟を戦死させられ、北涼と南涼には
独立され…。
使ってくれる人間がいて初めて、実力を発揮できるタイプとか?
646 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 22:36:55 0
顔氏家訓ってよく引用されるけど、そんなに重要な書籍なの?
調べたら東洋文庫から出ているみたいだけど、読むとしたらこれですか?
乞伏氏の西秦って小さい国だったけど、歴史は面白いね。
特に乞伏乾帰時代。
>>646 なんと言っても、第一次・同時代資料だし、当時の士大夫の意識がよく表れているからね
>>646 顔氏家訓は、貴族層の一般とは乖離した生活を語ったり、北斉の政治状況を
同時代史的に論評したものなので、訳注を読むだけでも楽しいと思います。
著者の顔之推自身が、物凄い人生を送ってますが…。
<顔之推の後半生・略歴>
梁元帝の元で江陵陥落の当事者→捕虜の一人として西魏が治める関中へ
→梁の皇族がいると聞いて北斉へ命がけの脱出行→北斉滅んでまた関中へ
→北周では不遇をかこつ→最後は隋の皇太子(廃太子の楊勇)の教育係
→そして文帝時代に天寿を全う…。
自分は文学大系版のでかい奴をもってたりするんですけど、こちらは
いつの間にか在庫切れのようです。勿体ない。
>>646 顔之推のぼやき万歳調がいいですね。大系本は名訳だと思います。
昔読んだけど「新時代にはヤパーリ家柄だけよくても学問してなきゃダメなんだよな」
てな感じのくだりが印象に残っています。
651 :
世界@名無史さん:2006/04/03(月) 19:52:30 0
なんか宇宙大将軍のことをもっと知りたくなってきた。
この名前に惚れた。
侯景の乱始末記が最良の資料だが、絶版で入手が極めて困難なのがネック。
侯景の乱始末記は復刊でとうの昔に100票超えてるのに全然進展してない。
書店で買うのは今んとこ絶望的だが、図書館へ行けば結構置いてあるよ
読むだけなら図書館がお勧め>侯景の乱始末記
何で中公文庫とか講談社学術文庫で出ないのか謎だな。>侯景の乱始末記
656 :
世界@名無史さん:2006/04/05(水) 18:52:31 0
侯景と梁武帝の時代が限りなくマイナーだから復刊は見込めないな。
誰か若手の専門家が南北朝史書いて、その中の一節で入れるとか。
三國志11という傑作があるKOEIがゲームにすればいいと思います。
658 :
世界@名無史さん:2006/04/05(水) 19:00:57 0
その前に宋書〜陳書までの南朝史と
魏書北史などの北朝史を日本語訳して文庫化して発刊して
世間的知名度を出さないと。
じゃないと全中国を統治するに足る史実武将がゲームに出せない。
この時代をえがいた演義小説ってありましたっけ
演義ものは一応全時代でてたと思う。共産党演義まで。
おもしろいかどうかは別としてね。
>>659 田中芳樹「奔流」
北魏と梁の戦いが舞台。
主役級が陳慶之というところが如何にもマイナーな時代ということを物語っている。
>>660 蔡東藩まんまんせー!
>>661 おまいは「演義小説」の意味が分かっているのかと、小一時間問いつめたい…。
田中の小説が演義?p(w
>>661 それ読んでないんだが、北魏と梁の戦いなのに陳慶之なのか?
もう北魏 死に体の頃じゃん。
>>656 「宇宙大将軍と皇帝」ってタイトルにすれば
何か勘違いした人が買ってくれそうな気が。
>>664 アシモフのファウンデーションシリーズにありそうだなw
>>658 いきなり正史訳だしてもマニアしか買わないよw
「奔流」は確かにその時代入るにはいい足がかりだけど。
三国志に対抗したい氏の意図が見えて、あまり賞賛する気になれないという。
そもそも陳慶之はその戦いで一軍率いていn(ry
>>657 三國志11ってどこがすごいんですか?それまでの三国志と比べて。
晋書はそれなりに需要ありそうだけど、訳出ないのかなぁ。
三国志末期に興味がある人とこのスレの住人の両方をカバーできる。
晋書は李世民と唐の主観が丸出しだからな。
三国志ヲタはせいぜい宣帝紀くらいしか読まないだろ。
晋書陳壽伝の訳注ならでたな。
ネットで訳が少し。
俺は途中で投げ出したが
そっか、解体晋書があったな。
ここで有志募って載記に参加するかw
最強議論は収集つかないからな
個人レベルでなのかそれとも国家レベルまで行くのか
やはり地味なところで晋書載記の完全訳から出して欲しいものだ
678 :
673:2006/04/07(金) 08:38:22 0
留年したことだし、ぼちぼちやってみるかな。
魏書の五胡関係あたりとか
>675 人様のHPを勝手に転載していいのだろうか…
それ、転載もとの記事は、光武帝を扱ってるサイトですよ。
>>675 笑いをありがと。
中国にもやはり演義厨いるのな。
李元覇やら宇文成都やらの隋唐猛将は実在しないって、つっこむのも野暮か。
>>679 引用のマナー逸脱してるけど、
転載元の人、個人的に知ってるからいうけど、笑って許すと思うよ。たぶん。
むかしの中国人の歴史知識は京劇や地方劇だとなにかで見たぞ。
京劇にすれば人気が出るに違いない。
この時代の演目はないのかな。思い浮かばない。
おお!蘭陵王!!
…北魏が北を統一して終わってる俺にはなにがなんだかおrz
>>675 「白起が好き」「クレイジーだ、虐殺魔が好きとは」のくだりも2ちゃん的。
>680 そっか。 何年か前に別のサイトまるまる盗作したあちらのサイトがあった(今も?)ので、ちょっと思い出してしまった。
本人でもないのに怒るのは筋違いでしたね。
686 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 21:49:48 0
ここの住人の人は、三崎良章先生って知ってる?
五胡十六国に関しては有名、とのことで気になったんだけど。
今、その人の東洋史の授業受けてるが、面白い。
うわ、ageスマソ
688 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 22:28:55 0
何故この時代の統治者は、ドキュソが多いのでありましょうか?
>>688 ドキュソじゃないと、こんな時代に
トップに立ちたがらないんじゃないか?
この時代にかぎったことでもないが
691 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 00:38:25 O
三崎良章先生の授業受けてるの?
うらやましいな
東方選書から「五胡十六国」出されてる先生だよね
やっぱ中国史は五胡十六国だよ、一番動きが激しくエピソードも面白いは
個人的には華北統一した北魏の太武帝が一番好きだが
セックス教団のような孫恩の教団が東晋を滅ぼすきっかけつくったり
なかなか話が面白いよ
この時代は
>>686 あのセンセ大学の方は非常勤なんだっけ?
裏山しいですね。漏れも受講してみたい。
693 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 02:58:55 O
前燕を破った前秦の符堅が前燕の戸籍を入手したところ
前燕の人口は998万7935人だったそうだが
いくらなんでも多すぎだよね
実際は10分の1ぐらいかな?
べつに多すぎとは思わんけどな。
前燕の支配地域って、中国で最も人口が集中している地域だろ
>>691-692 うちの高校の常勤の先生だと思う。
ただ、流石に高校二年では、東洋史がガチで好きなやつはあんまいないからねぇー
すごいセンパイは三崎先生を崇拝してたらしいが。
696 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 21:26:53 O
自分も崇拝してるよ
公開講座でもやらないかな
前燕の人口の件はそう思う?
この時代は人口が江南に移りはじめた時代だと思ったのだけど
先日三崎先生に「研究がんばれ」と激励されてしまったw
なんだかんだ言って、五胡時代はまだ華北優勢だと思うよ。
三国志の頃からそう変わらないでしょう。
で、華北でも、関東は人口稠密地帯だからね。当時の中国人口の半分ぐらいはいてもおかしくないんじゃないかな?
698 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 01:43:42 O
あと驚くのは北魏帝室の歴代皇帝の早熟さ
拓跋濬(文成帝)の嫡男弘(献文帝)は濬が14歳のときの子
弘の嫡男宏(孝文帝)は弘13歳のときの子
あくまで嫡男でもしかするともっと若い時代に女の子を産ませていたかもしれない
それに関しては趙翼も書いているよね。「だからみんな早死になんだ」って
700 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 09:51:22 O
この風習?鮮卑拓跋部以外の騎馬遊牧民もそうなのかな
江南の湿地帯を開発するのは、たいへんだった。人手が常時たりなかったので、六朝はよく人狩り(拉致ともいう)してた。
702 :
世界@名無史さん:2006/05/02(火) 13:58:33 O
孝文帝は鮮卑の人間というよりは漢人だよね
漢人の血の方が濃いし
だから鮮卑をはじめとする北族軍人を蔑ろにする政策を矢継ぎ早に出して
北族軍人たちのフラストレーションをためさせ滅亡へのきっかけをつくった
703 :
世界@名無史さん:2006/05/02(火) 14:29:22 0
>701
東晋時代は大分華北から人が移ってきたんでなかったっけ?
宋の時代になって、逆に南から北に行く人が増えたから
人狩りやるようになったはずでなかった?
>>702 孝文帝は間違っても漢人とは言えないだろ。多種混雑児というべきか…
鮮卑、漢人といった二分法で考えるべきではないと思うがなァ
705 :
世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:13:39 O
だって北魏の歴代皇帝は皇后が全て漢人だから漢人の血が濃くなっていったと思われるし
取り巻きも漢人官僚や漢人貴族の娘と婚姻した漢化した鮮卑の上級貴族
皇帝が漢化しない方がおかしいし
洛陽に遷都したのは華北統一に貢献した北族軍人に対する重大な裏切りだと思うのだが
>だって北魏の歴代皇帝は皇后が全て漢人だから
嘘つけ!賀氏とか郁久閭氏とかが漢人かよ。
>>705 >漢人貴族の娘と婚姻した漢化した鮮卑の上級貴族
北族系貴族が漢人貴族と通婚するようになるのはもっと後だろ
ていうかDNAだけで文明が変質すると考えるな。
言語はどうなってるんだろ?
当時の宮廷や城市と村落で異なる言語が交わされてた筈なんだが
漢字文献だけじゃいまいち判りにくい。
アメリカへ養子に出された朝鮮人は、教わらないのにキムチを漬けだしたという伝説が(笑)
下らない与太話だな。それで喜ぶ人間の質がわかるよ。
712 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 06:18:20 O
五胡の人間はそれぞれの民族名をなんて称していたのだろうか
例えば鮮卑人は自ら鮮卑人とは称さないと思うのだが
鮮卑はサビ。匈奴はフンナ。
714 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 20:38:58 0
715 :
712:2006/05/09(火) 21:13:19 O
サンクス
716 :
世界@名無史さん:2006/05/10(水) 01:38:30 O
717 :
世界@名無史さん:2006/05/10(水) 22:37:16 O
上のサイト見るとやはり北魏は漢や宋と違って北方の騎馬遊牧民と戦っても大敗したことない
北魏のときの騎馬遊牧民は柔然だが
北魏は騎兵中心の軍編成であったのがうかがいしれる
何日間の食糧を携行して、し重を捨て身軽にして追撃を継続する
歩兵中心の漢族国家軍では鈍重で急速な追撃は無理だったろう
「南風競わず」
>>717 言う通り、漠北に逃げ込むという遊牧民の切り札が使えなかったことで、
(あと、包囲網として五胡諸国があんまり頼りにならんかったし)
社崙も大檀も柔然国家崩壊寸前にまで追い込まれてる。
漢の高闕〜居延の要塞陣跡の偏執狂ぶりとは大違いで、
北魏の騎馬軍の戦力は相当なもんだったんだろう。
以前、何か書こうとして北魏vs.柔然の一覧表作ったんだが、
北魏の対柔然大遠征は献文帝(退位前)末年を最後に行われず、
以後は国境付近では勝利するものの、追撃にかかると遭難したりして
むしろ北魏軍が壊滅してたりする。
その頃がターニングポイントかなとか思ってる。
>>718 とか言うけど、南朝って単に内ゲバが激しすぎて国力を外に向けられなかっただけだよなあ。
内ゲバが収まってた宋文帝や梁武帝の時代はガチでやる気だったよ、この子たち
宋の文帝は、けっきょく外征成功してないし。
梁の武帝は、北魏の六鎮の乱の隙をついただけ。
劉裕のときを最大として、南朝の版図は基本的に減るいっぽう。
もちろん劉裕のときの北伐成功も、華北が分裂してたからこそです。
南朝の軍隊はやっぱ弱いと言わざるをえない。
721 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 15:20:57 O
やはり対遊牧民戦はひとつの戦いに戦勝したら
間髪入れずに機動力のある部隊で追撃して
敵を休ませずに遊牧民の集落を次々襲い再編成の機会を与えないのが常套手段かもしれない
神聖ローマ皇帝のオットー大帝もこの戦術でマジャール人を屈伏させているし
後漢の光武帝のように直接争わず内部分裂を図るようにするのが一番かと。
723 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 17:42:05 O
南朝の中でも劉裕は別格
武将としてはかなり優秀
ただ慈悲深くはない
724 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 20:54:50 0
この時代で下手に慈悲深いと逆に寝首かかれて早死にすると思うが
禅譲の君、終わりを全うできたのは無し。
>>720 相手が分裂してるから攻めるのは戦略でだと思う
北の兵隊が常勝なのは強いのもあるが、南を破れると思うだけの要因があるからだろう
726 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 22:05:23 O
東晋時代の劉裕配下の将、朱超石が来襲した北魏の将、長孫嵩(太武帝時代にも活躍)率いる3万の騎兵軍団を破った戦いでは
3.4尺もある超バリスタ?のようなもので1本の矢で3、4人貫いて北魏軍は敗走した
遭遇戦だったらわかなかったが、北魏はそれ以来劉裕に一目置いていたらしいね
南朝が弱いのは致し方ない。華南の開発と同時進行で国家体制を
ととのえてたんだし。だから、開発済みの華北と違って、
土地を開発→在地領主の台頭→門閥への不満→皇族を担いで叛乱
のコンボが劉宋時代から炸裂していたわけで。
ただ、開発が一段落した梁代からは、南北の軍事力は拮抗してる。
というか、大戦の戦績なら南朝が勝るようになってる。
第一次・第二次の鐘離戦役、漢中争奪戦、朐【月句】山の役といった
十万人単位の会戦では、いずれも梁が勝利を収めてたりする。
だから、
>>720が指摘するように、「南朝弱兵」とは一概には言えない。
728 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 23:57:47 0
美麗はどこだ
かゆい
魏書をぐぐると、三国志関係が大量に引っかかり、「-三国志」を付けても効果無しorz
北魏書でぐぐると、書道関係が引っかかるorz
ところで、魏書は翻訳計画とかあるんだろうか。
暇つぶしにてきとーにやろうと思ってるんだが、
いくら暇つぶしでも同じところ訳してたら無駄っぽい
731 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 17:33:13 0
史記・漢書・三国志あたりは大勢の人が訳してるよね、意味ないと思うけど。
魏書はやってる人いなさそう。
何せ、この時代を専門にしている中国史研究者が稀少な上に
仮に翻訳→発刊しても売れる見込みが立たないと出版社も訳者も困る。
『魏書語彙索引』は汲古書院から出てるから、翻訳の動き
くらいはあるのかもね(これ便利だよ)。
商売するつもりじゃないんなら、やりゃいいじゃんとか思うのだが。
どうせ三国志以外は商売にならないんだから。
他に訳してる人がいても、そいつの間違いやあんたの間違いを
比較・検出できるかもしれないし
むしろやって言語がよめない俺みたいな奴が参考になるから是非してほしい。
>>733 39,900円か・・・
大学の研究室でもない限り拝めそうにねえなあ
正史翻訳・発刊が無理なら、せめてこの時代を舞台に小説を書いて欲しい。
石勒なんかいい題材になると思うのだがな。
信頼性・確実性に関しては多少劣るけど、『魏書』だけなら中央研究院と寒泉でどうにか凌げるかなあ。
研究成果を否定するわけじゃないけどね
個人的には同時代に関する記録で
"官職・法・儀礼などの制度に関わる用語、政治や社会経済に係わる重要な用語"
を網羅した索引集とかあると凄く便利だと思うけど、それは凄く大変なことになるな。
注釈が充実してる史記〜三国志と違って、用語は独特だわ、
時代や王朝で意味や制度が違うわで、裏付け取るのも大変で。
今のとこ、通鑑の胡注や通典、太平御覧がメインで頼みなんだけど、それでもきつい。
魏書の日本語訳は東洋文庫の『釈老志』だけ?
中国語訳なら一通りあるけどね。
741 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 10:02:06 O
日本語で読める北魏史(単独で)は何がお薦めですか?
文化史とかに限定せずに
何を言っているのかよくわからんのだが、俺だけ?
743 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 00:25:40 0
『「五胡十六国」時代に関する史料の収集・整理とそれを用いた歴史研究』
研究代表者 關尾史郎/新潟大学人文学部/2004
という研究成果報告書があるらしいが、一般には全く出回らない
ものらしく残念。
744 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 22:44:01 0
国会図書館行け。
>>730 > 魏書をぐぐると、三国志関係が大量に引っかかり、
> 「-三国志」を付けても効果無しorz
そういうときは「魏収」をつければいいだけ。
それでもかなり落ちてしまうが、良質なサイトだけ残る、
という利点がある。
「假」は至急の時などに、仮に任命すること。
状況が変われば假された官ははずされる。
ところで、気になった点がいくつか
1、「本出於遼西」は就六眷ではなくて、段氏の、そもそもの出身の事を言っているのではないか
2、「願使主君之知慧禄相盡移入我腹中」は「こいつの持ち物が全部俺の腹の中に入りますように」と言うより、
もう少し敬意が含まれていないか
3、「拠有遼西之地」は「拠りて遼西の地を有(たも)ち」で、「遼西を領有して」とした方がいいかも
4、「部族民を取り込んで上谷を確保し、軍都の要害で末波らをふせいだ」の句には「欲」がかかるので、
「〜〜しようとしたが、平文帝がこれを聞き〜」とした方が良いのではないか
なんか偉そうになってしまってすまそ
ってあっちでコメントした方が良かったかなorz
>>747 748さんに追加しておくと、
「仮」の用法は、官号の接頭字である場合と動詞である場合があるけど、
意味はどっちも同じ。
>>748-750 ありがとうございますた
なんだか魏書では段匹テイが悪者みたいに書かれてる。
Δαν ΙττειとΡυ Κονの話が面白いのに。
しょせん「穢史」ですから。
「仮」は単に任命するの意味で特別になにかはないんじゃないの?
季龍軍四面解馬羅披自鄣
わからん。
「解馬羅」がひとつのかたまりなのか。
通鑑胡注に「馬羅披,意即障泥也.」とある。あとは自分で辞書引きや。
759 :
世界@名無史さん:2006/07/08(土) 16:46:45 0
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
___
./ \
.| ^ ^ |
| .>ノ(、_, )ヽ、.|
! ! -=ニ=- ノ! <なあ、正史板作った方がいい
/´⌒´ \`ニニ´/´^ヽ⌒ヽ
/ ィ , ̄ ヽ , )` `ヽ
/ ノ^ ー '` ー 'ヽ ゙i
ノ ,,,ノ Y´゙ )
( < | ⌒ ! /
ヽ_ \ ノ_/
ヽ、__ ヽ.ー ,,,@,,, ノ ソ、
〈J .〉 ヾ、.::;;;;;;::.ノ |ヽ-´
/"" ;ミシミッ |
レ イミ.ニニ⊃リ
,ゝ ,ノ `ー−' ヽ ノ
/ ` レリ i´ リ
i / `、 i
〉 イ 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
762 :
世界@名無史さん:2006/08/16(水) 23:04:59 0
保守
763 :
世界@名無史さん:2006/08/18(金) 21:46:09 0
漢(前趙)の[革斤]準って漢人?それとも匈奴?
宮崎定一の大唐帝国では漢人って書いてあるけど、他の書物では匈奴って書いてあるんだけど。
764 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 15:03:42 O
ほしゅ
靳準は匈奴屠各部の人だろ。
王延が靳準を指して「屠各逆奴」とか罵ってるじゃないの。
『晋書』巻101戴記2参照。
766 :
763:2006/09/09(土) 01:18:53 0
>>765 おっと、やっと反応があったな。サンキュー。
宮崎定一の大唐帝国の「民族大移動」の「大混乱」って所に、
「劉粲は側近の漢人[革斤]準を信用し、」
「[革斤]準は漢人なので、劉氏が中国の天子をとらえて殺したのをこころよく思わない。」
「みずからは大将軍、漢天王を称し、中国人を糾合して民族国家を作るつもりであった」
って、きっかり書いてあるから、何かそういう話でもあるのかと思って。
細かいようだが宮崎市定な
宮崎市定先生の大唐帝国とか、中公文庫に収録されているものは
学術論文として身構えず、肩の力を抜きながら読むものだと思う。
例えば西魏・尉遅迥の蜀攻略、
「待ってましたとばかりに奪い取ってしまった」
とあっさりな記述だけど、史料にあたってみると艱難辛苦の末に
成功したものな訳で…。
あくまで個人的な意見だけどね。
769 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 14:02:53 O
ホシュ
770 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 23:11:21 0
771 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 15:57:44 0
朝鮮人はなぜか攻め入ってないんだね
772 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 18:37:22 0
どこに?
773 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 19:31:59 0
華北に
774 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:40:03 0
つ高雲
775 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 00:13:40 0
高句麗が遼東を奪っているけどね。
777 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 07:20:29 0
>>774 高雲は、朝鮮人じゃないだろ。
それに国として攻め入ったわけではなくて
個人的に燕に帰化してただけじゃないの?
778 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 20:11:47 0
高句麗は満州人だろ
朝鮮人じゃないない
というか、この時代、朝鮮人と呼ぶべき者自体が存在しない。
西晋以前の胡人や越人を指して、中国人とか呼ぶのも如何なように
780 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 21:34:39 0
西晋以前だろうが以後だろうが
胡人や越人をなんらの注釈もなく
しゃぁしゃぁと中国人と呼んで平気な学者は
知的良心のカケラもない、よほど腐りきった学匪だろうな。
宇宙から地球を見ても国境なんて見えません><
あっそ。
じゃ中国人とよぶのもやめて地球人とでもよべばいいんじゃないですか。
さぞかしうるわしい人類史が叙述できることでしょうよw
>>778 チョンは人類未満だから
朝鮮人は過去にも未来にも居ない。
784 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 21:08:18 O
まあ縄文人もアイヌ・琉球人の祖先であって日本人の祖先でないからな
日本人の祖先は前漢時代に倭とよばれた朝鮮半島南部の住人で日本では弥生人と一般には称されるらしいが
好戦的なわりには農耕技術は低次元(有名な登呂遺跡も収容人口の1.5ヶ月分しか米を生産できなかったらしいが)
鉄器もまともに作れず本国の加羅から輸入していた
中国の南朝の梁で描かれた「職貢図」の倭の使節を見るとこれが外交使節かと言えるぐらい裸足に布を一枚巻いただけの服、ホームレスかと思える
百済の使節の中国風の服装に比べると歴然
さぞかし梁はもちろん、他国の使節からも倭の使節は笑い物にされたことだろう
その国が百年も立たぬうちに日出る国とかのたまうのだから隋の皇帝が激怒するのも無理もない
785 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:25:45 0
でもな、ハニワの武人像や貴人像、古墳から出土した甲冑などの遺物を考えると、
梁の「職貢図」の倭人像は史実どおりではないだろ。
786 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:54:46 O
写実的な絵画より
抽象的なはにわが
真実ねぇ
倭人的発想だな
職貢図は実物をみて描いたのではなく
魏志倭人伝などの記述に基づいた想像図というのが通説。
788 :
世界@名無史さん:2006/10/13(金) 19:44:28 0
>>784 キミが必死で言いたい事はよくわかるんだけど、意味のある話をしようよ。君の発想は整形大統領的でとても素敵。
789 :
世界@名無史さん:2006/10/13(金) 19:45:20 0
>>786 古墳から出土した甲冑、をあえて記憶から消去するところが整形酋長w
つまらないスレに成り下がってしまったな
791 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 00:35:11 0
この時代の高句麗って漢人の亡命先だったり
朝貢してたり、天下(この時代の観念の)に入ってたのかな?
792 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 09:37:46 O
大笑いwww
古墳から出土した甲冑なんていくつ出たんよ
どうせ加羅からの輸入品で身分の高い奴しか装備出来んのだろうがね
ちなみに同時期のユトランド半島あたりの小村の遺跡からも7、80人分ぐらいの鉄製武器、防具が出てきますがねww
793 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 10:00:31 0
>>791 そういや、楽浪郡ってどういう位置づけだったのかな?
辺境の緩衝地帯かな、やっぱ。
794 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 12:04:34 0
まあ、土民は古墳時代でもフンドシ一丁だろうな。
でも、中国に使節として派遣されるような奴はマトモな格好してるだろ。
雄略紀でも中国に派遣された使者は渡来系の奴だったから、中国風の格好くらいしてる。
795 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 14:51:57 0
まあ、海の向こうに船を出すくらいの財力があるわけだからな。
みんな揃って乞食の格好で船に乗ってたんだとしたら、それはそれでイヤミだよなw
796 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 16:44:40 O
木と“石器”があればなんぼでも船は作れるわなw
ポリネシア人なんかハワイまで行ってるくらいだから船を作ったところで高い文化水準にあったかどうか分からんし
船の規模だって北欧のヴァイキングの船のように出土するならともかく、怪しいはにわしか出てこんようではたかが知れている
北欧より人口密度も高く、土木工事の多い日本で船が出土しないということはさぞくち果て易い粗末な船だったんだろうなw
>>796 へえー
気候の違いを無視しているのは無知としてほっておくとして
で?
798 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 18:50:53 O
はいはい無知でございますぅよぉ・・ってか?
ポトゾルの北欧も木製遺物は腐り易いと思われますが
なにか?
五胡十六国のスレはドコですか?
放置できないやつは氏ね
んで、チョンも氏ね
>>802 バカやろう。おまい、あのノム整形酋長がいなくなった時の事を考えてみろ。
漏れたちの貴重な笑いの種が消えてしまうんだぞ!
一国の元首になって、夫婦揃って整形なんて、そんな笑いのネタ、人類の歴史において未来永劫出てこないよゲラゲラ
>>793 この時代はって、五胡十六国の時代?
東晋は五胡の乱以後は華北の支配権を失ったから
自動的に楽浪郡は滅亡したろ。
>>803 そう長くは無いんだし
居なくなっても大差ない。
>>805 アホさでは似た系統が続くかも知れんが、あそこまで笑えるヤツはもう出てこないんじゃないかな。
ある意味偉大なアホ大統領だよ。なんかさ、突き抜けてアホじゃん。
>>806 任期の残りは少ないし、退陣すれば逮捕されるだろう。
どのみち、笑いものにできる期間は短い。
まあ、そうだな。
思えば、金泳三、ノーベル金と比べ、整形酋長にはずいぶん笑わせてもらった。
このスレもチョン大好きっ子に潰されたか。頼むから隔離施設から出てこないでくれよ。
812 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 00:34:23 O
南北朝時代の騎兵は重装騎兵(鉄騎)だとある本に書いてあったけど
北魏の太武帝が長孫道生、娥清、渓斤らを伴い424、425年に行った対柔然戦では輜重を捨ててまで徹底した追撃をして柔然を屈服させたが
これは北方騎馬遊牧民である柔然も騎兵が重装騎兵であったということですかね
阿那瓌にわざわざ「細明光人馬鎧二具」、「鐵人馬鎧六具」を賜ったってことは、蠕蠕は馬鎧持ってなかったんでねえの?
815 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 04:56:12 O
要はイメージ的に北方騎馬遊牧民は軽装騎兵で騎乗弓兵によるアウトレンジからの集団一斉射撃が強く
白兵戦が主流の鉄騎による追撃では相手が軽装騎兵ならいくら追っても追い付けないはずという疑問が思い浮かんだんで
まあ北魏ももとは北方騎馬遊牧民の鮮卑族なんですが
”輜重を捨てて追撃スピードを上げた重騎兵”の行軍速度が”自国の領土内で守るべき家族やら財産がある軽騎兵”の
それを上回ったってことでは?
普通に軽騎兵に切り替えたとかは?
先鋒隊や急襲部隊が軽騎兵を率いる例が多少なりともあるし。
後、軽装の馬を副馬としてる記述もある。
重装騎兵の鎧を外してやればボソッ
キリコやXXが出てくる。
ちょっと時代はずれるけど、北朝の墓誌をぱらぱら見てたら、呂布の子孫の墓誌なんて出てるんだな
すげーうさんくさいけど、どうせ騙るならもっといい呂氏もいるだろうし、気になってしょうがないw
ラッキーボーイの呂公(劉表配下)?
慕容垂のところの翻訳ある?
>>820 北方の騎馬民族からすると呂布はいいイメージがあるんじゃないか?
昔は頭がいいという価値観のほかにも、強ければそれでいい、という価値観があった。
あ、今でもあるかな。
825 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 22:45:51 0
三崎センセの新刊『五胡十六国時代の基本的研究』
高すぎるんですが…orz
十六国春秋の相場価格って幾らぐらいなんでしょう?
書虫で影印本が7000円くらいでしたが、できれば活字本で欲しいところです。
1万前後なら近場の輸入書店に頼もうかと思ってるところです。
>>825 博論の書籍化かな?
まあああいうのは軽く一万越えるからな…
晋書の段匹磾のところの「北依邵續」の「北」って、「南」の間違いかな。
なんか、のが多い。
829 :
世界@名無史さん:2006/11/16(木) 01:12:24 0
五胡十六国時代、胡人が立てた後趙国の二代目王、石虎の話。
石虎は若いころから残酷で、従わない部下は必ず殺した。
城を攻略するや、たとえ降伏したとしても女子供にいたるまで皆殺しにした。
しかし武勇に優れていたため、叔父は彼を高く買っていた。のちに叔父が後趙国を興せたのも、
彼の働きゆえである。
さて叔父が没するや、叔父の子や孫を皆殺しにして二代目皇帝に即位した。しかし即位の儀式の最中に
巨大な灯明台から油が漏れて20人が焼死した。石虎は責任者を腰斬に処した。
石虎の太子、石邃は武勇に優れ、石虎は深く愛していたが彼は残虐無道であった。
彼の趣味は美女に盛装をさせてから首を刎ね、それを盆に載せて客に見せること。
そのあとで遺体を煮込み、客に振舞った。
石邃は国政を父から任されていたため父石虎に重要事項を奏上すれば
「そんなつまらぬことをいちいち言うな!」と鞭打たれ、逆に何も言わなければ
「何故なにも報告せぬ!」と鞭打たれた。このようなことが毎月繰り返され、彼は父を恨んだ。
ついに反乱をたくらむものの露見し、妻子26人ともども父に皆殺しにされた。
>>829 うわー。どこまでホントなんだかな話ですな。
でも、古代は親殺し子殺し当たり前だったか。
石虎は太子の死後、次男と三男に一日交代で国政をまかせた。
石虎は長安と洛陽の宮殿を修築させた。動員された民は40万人。
さらに南の東晋、東の前燕、西の前涼の平定を画策し、西暦342年、全国に「三五動員令」を発布した。
家に男子が三人いれば二人、五人いれば三人を徴用するという非道である。
全国で重用された男は50万以上。この三分の一が溺死や野獣に食われて死んだ。
さらに下った令では「兵士は五人ごとに戦車1両、牛二頭、米十五石を納めよ。守れなければ斬首。
収められない者たちは絶望し、次つぎに街路樹で首を吊った。遠くから見れば木にはいくつモノ巨大な実が
生っているようだった。さすがに無道と悟ったのか、三国の平定は中止された。
しかし洛陽城の工事は続き、完成の暁には全国から無理やり集められた美女が三万人、後宮に住まわされた。
石虎は数少ない胡人であったため、絶対的多数の漢人を恐れていたようだ。
度重なる非道な法は、漢人を弱めるための作であったようだ。
347年、石虎は僧侶の進言を受け、漢人の力を削ぐべく男女16万を挑発し、都の城壁の修理をさせた。
重い泥を運ぶ作業に民は困憊し、死者は数万にも達した。
石虎の次男、石宣は大規模な狩を好んだ。幾万もの勢子を使い、獣を囲んでジリジリ追い詰める。
そして追い込まれた囲みの中の獣を思うままに刺殺する。もし獲物が人垣を破って逃げ出した際、
逃がしたものは爵位があれば一日走り回らされ、無位無官のものは百回鞭打たれた。
山東省や河南省の備蓄は使い果たされ、一万もの士卒が疲れて死んだ。
石虎は、三男の石韜を溺愛していた。位を彼に譲りたがっていたが、兄である石宣は
それが面白くない。石韜は父の愛をいいことに思い上がるばかりだった。
そこで機会をうかがい、寵臣を使って弟を殺害した。事態を聞きつけた石虎はショックのあまり卒倒した。
石宣は弟の葬儀に参列こそしたものの涙一粒流さず、あまつさえ棺を開いてあざ笑った。
石虎は石宣の行いに不信感を持ち、石宣の寵臣を捕らえて白状させた。事態を聞いた石虎は怒り狂い、
石宣を捕らえて下あごに穴を開け、鉄輪を通して繋いだ。彼の絶叫は宮殿に響く。
僧が石虎をいさめたが聞き入れず、処刑を始めた。
石韜の家臣たちが石宣の髪をむしりとり、舌を引き抜く。まだ息のある石宣にはしごを上らせ、
首を吊らせたあげく四肢を切断、目と内臓を引きずりだし、大量の薪とともに焼いた。
燃え上がる炎を、石虎は後宮三千の美女とともに眺めていた。
残った灰は街の街路に捨てられた。
石虎の怒りはまだ収まらず、石宣の妻子九人を殺した。末っ子はまだ九歳でかわいい盛りだったので、
さすがの石虎もその子を助命しようとした。しかし大臣たちは成長してから復讐されるのを恐れ、
末っ子を石虎の懐から無理やり引き剥がした。石虎はついに病を得た。
しかし石宣の部下たちへの殺戮は続いた。親衛隊300名、宦官50名は全員車裂き、警護兵50万人は辺境に追放された。
翌年349年石虎は死んだ。幼い末っ子が即位したものの異母兄弟たちが権力をめぐって殺し合い、
最後に残ったのは漢人の養子だった石閔が権力を握った。
しかし時すでに遅く、石氏はじめ胡人と漢人との軋轢は頂点に達していた。
石氏は石閔たち漢人を皆殺しにしようとするが失敗。石閔は城門を開け、
「わしと同じ考えのものは入れ。違う考えのものは出て行け!」と呼ばわった。
たちまち胡人たちは非難をはじめ、城内は漢人で満ちる。期は熟した。
「胡人の首ひとつ持参すれば、文官は三階級昇進、武官は親衛隊にするぞ!」
たちまちのうちに殺戮の嵐となった。一日に四万人もの胡人が斬られた。老若男女、
貴賎問わず皆殺しにされ、20万もの胡人の死体が転がった。さらに地方にも通達がいきわたり、
漢人の役人は担当地の胡人を殺した。髭が濃く顔の掘りが深かったため、間違って殺された漢人も
多かった。
石一族が皆殺しにされたのは言うまでもない。
石閔はこれに飽き足らず、石一族の出身部族である羯族の皆殺しにした。
ひとつの部族が完全に滅亡したのである。石閔は新たに魏国を起こしたが、
無政府状態は治まらない。石虎がかつて強制移住させた数百万人が、勝手に帰り始めたのである。
彼らは道で行き会い、相手が違う部族だと知ると殺しあう。故郷に帰れたのは
そのうちの二、三割のみだった。
さらに華北は大飢饉に襲われ、人々は人肉を喰らいあった。首都の後宮には
かつて石虎に集められた美女三万人がいまだに住んでいたが、彼女たちは飢えた近衛兵たちに
文字通り食われ、骨も残らなかった。
魏国も混乱の中で滅んだが、暴君は後の世にもまたあらわれるのであった。
なんでいちいちこっちにコピペするかな
836 :
世界@名無史さん:2006/11/16(木) 20:51:52 O
南朝の皇族も変わらんでしょ
一族根絶やしは
837 :
世界@名無史さん:2006/11/16(木) 20:55:36 0
何でこの時代って、ドキュソ暴君が多いかねぇ。
838 :
世界@名無史さん:2006/11/16(木) 21:05:03 O
でも中国史では俺的には一番面白い
流動的で生々しいから
北魏の歴代皇帝は孝文帝まではみんなローティーンで世継生ませているのも興味を引く
女子はカウントされていないから11歳でもう子供生ませていたかも知れん
11歳の父?
>>837 >何でこの時代って、ドキュソ暴君が多いかねぇ。
家臣が力を持ってなくて(南朝の皇帝は成り上がりで貴族を信用せず側近を取り立てた。北朝は部族社会で漢人を重用しない傾向が強い)
皇帝が独裁権力を行使できたからでは?
後世では、皇帝の独裁権力が比較的強い明朝も、暴君・暗君が多いですし。
一族が軍事力を持っていて、身内同士で殺し合うって、この時代のパターンだな。
先人や自分がそうしたように、自分も兵権を握った誰かに殺されるんじゃないかと不安になる。
猜疑心から殺しまくる。
精神を安定させるため、権力を行使して、自分に権力があることを確認する。
そして、建築・浪費ブーム。
よーし、朕、出家しちゃうぞー
841 :
世界@名無史さん:2006/11/17(金) 00:48:17 O
鮮卑拓跋部の建国した代〜北魏〜東・西魏〜北斉・北周〜隋は
西方人にタブガチュと呼ばれていたそうだが
西方人ってどこ辺りの人?
ソグド人?
>>839 でも成り上がり軍人が王朝を作るときには門閥貴族が連合して担ぎ上げる訳だから
「独裁権力」と言っても後代と比べてそんなに安定したもんじゃないですよね?
843 :
世界@名無史さん:2006/11/17(金) 03:06:30 0
>841
ギリシャ人
>>842 地位が安定してないから「やられる前にやる」「楽しめるときに楽しむ」
という傾向が顕著に現れることもあるんではないだろうか
どれもこれも数十年で滅んだ王朝なんだから、実際以上に後継王朝の史官が悪く書いたって面もあるでしょ
北魏の拓跋氏、北周の宇文氏にはある程度までの団結力があったが、
宋・南斉・北斉の皇帝にとっては一族すら明白に敵だったわけで、
貴族や権臣からも、身内からも身を守らねばならんというのは
どんな針のムシロよ? とか思うな。陳の内情はいまいちよーわからんが。
梁は侯景の乱後、膿が噴出したし、
北魏も六鎮の乱後、皇族が権力を握ってたら
南朝のように悲惨なことになったかもしれん萌芽が宣武帝の頃から見られるな。
848 :
世界@名無史さん:2006/11/18(土) 20:29:31 0
この時代は、北方の野蛮人が支配したので酒飲んで暴力振るうキチガイばかりの不毛時代。
849 :
世界@名無史さん:2006/11/19(日) 01:08:55 0
冉閔はすごいなぁぁ
朱竜だっけ?
赤兎
馬の色は何を表してるんだろうか。
火徳とか
人inee
吐谷渾はこのスレかな?
前に誰か書いてたけどなかなか面白いよ
当時の交通路における役割とか北魏との関係とか
仏教がらみの話とか
855 :
世界@名無史さん:2006/12/10(日) 11:02:30 0
ageとく。
まあ慕容吐谷渾だからな。五胡の範疇かもしれん。
前半は中国史、後半はチベット史で扱われる
場合が多いから、通史では把握しにくいんだよね>吐谷渾史
858 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 01:33:40 0
チベッタンはなんでビルマに行き着いたんだろ?
気候だって大きく違うのに。
ビルマのチベット人は、メンパとかロパだろ。
もともとヒマラヤ南に住んでた連中がちょっと南に
移っただけで、延々はるか遠くから来たわけじゃないよ。
それならもともとカムにいて、ツァンに移って
さらにヒマラヤを越えたシェルパの方がすごい。
だから「シャルパ=東の人」といわれる。
>858
五胡十六国と何の関係があるんだか・・・
吐谷渾関係だと思うが、チベット語がわからん俺にはさっぱりだぜ!
>>860 五胡の中にはチベット系民族も含まれているから
あながち無関係ではないという判断?
西山朝来
とりあえず三崎先生の本入手。
正月休みにがっつり読むか
865 :
世界@名無史さん:2007/01/09(火) 23:42:10 0
西晋〜五湖十六国〜南北朝は中国で一番人気がない?
日本だと室町時代みたい感じかな
このスレがあったことを思い出した。
全然進んでねえええ。
五代スレよりは進んでいるぞ
この時代の英雄を三人ほど教えてください
俺とお前と慕容垂
>>871 衛雄
鮮卑族拓跋部の分裂時代の指導者の一人、諡号は桓帝の
筆頭幕僚だった衛操の甥。匈奴の漢との戦闘では将軍として
功績を立てた。拓跋部を親晋の方向に動かした漢人勢力の
要人であると思われる。
なら俺は宇文部
段部Car
拓跋部の漏れこそが勝ち組
>>871 石勒、苻堅、慕容垂、このろ人は外せない。
じゃあ私はWebデザイナーになるわ
勃勃たんは英雄には入らないんですね(´・ω・`)
赫連勃勃は一人で暴れてただけだなあ。北魏も柔然>夏的に見てるし。
放浪王子属性持ってるのに惜しい。
このまま分裂したままだったら良かったのに
ほっといてもいつか分裂するから問題ない
次に分裂するときは
五胡(満蒙回蔵壮)+七軍管区時代、なんてなるのかなw
マジでいつ分裂してもおかしくないから困る
出でよ!21世紀の赫連勃勃!
中国が分裂したら日本も大打撃だろうな
>>891 いや、工場を設置する場所がより取りになるし、それぞれが競争してディスカウント合戦になるから大もうけできるんじゃない?
西北行程がおじゃん、投資回収が不可能になって経済的に大打撃、これだけで
片足突っ込んでた会社が軒並み業績悪化で大恐慌に突入するかと。
さらには混乱から逃れようとボートポープル大量出荷、朝鮮系も玉突きであぼん。東アジアはもうだめかもわからんね
五胡の時の様に難民問題で政府が頭を抱え、
難民を取り込んだ勢力が発言権を増していく、
ということが予想できるな。
未だに軍閥が残ってるらしいな。
ミサイルの時代に難民が戦力になるかよ。
「国と国との関係」において人口が発言権を左右するならば、分裂してもすぐに合併がすすむだろうが。
中国の場合は、分裂してもなんだかんだ合併に向かうからな
宗族意識のなせるわざか
どっちかっていうと鎌倉時代みたいなものかもな。
鎌倉殿のもとに一応主従の関係を結んではいるが基本は独立。
強力な外敵との戦争のときだけ一致団結する、みたいな。
日本がいるから中国は分裂しない
903 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 01:13:42 0
この時代の五胡は何語を話していたの?
五胡語
905 :
世界@名無史さん:2007/05/06(日) 00:46:28 0
>>903 ツングース系の言葉を話していたけど、
文字は漢字を使っていた。
906 :
世界@名無史さん:2007/05/06(日) 10:40:03 0
五胡っていっても匈奴と?、羌では違うだろ。
匈奴はトルコ系、?や羌はチベット系なのだから。
907 :
世界@名無史さん:2007/05/06(日) 13:34:20 0
匈奴と鮮卑はモンゴル系言語を話していたという説も根強い。
羯も形質的にはどうあれ、匈奴と同系の言語を話してたかも。
テイ・羌は、チベット系。
五胡じゃないけどテキ魏を建国した丁零はトルコ系。
同じく北涼を建国した盧水胡は匈奴と同系とされている。
あれ?うんこ流し忘れてたかな^^;
910 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 21:39:07 0
911 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 01:37:52 O
興味深い本だが、高っ
だいたい五胡の争いに最終的に勝利した北魏のことば=鮮卑語
ですら、いまだにろくすっぽわかってないんだから、その他の
連中の言語なんて集団名あたりから類推するしかない。
大筋では、匈奴=テュルクorモンゴル系、羯は謎、鮮卑はテュルク
orモンゴルorツングース系、氐・羌はチベット・ビルマ系、という
ところだろうが、残っている単語が少なすぎて断定できるような
レベルじゃない。
今の羌と当時の羌ってどのぐらい共通性あるのやろ。
914 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 18:54:17 0
遊牧ウイグル帝国と現代のウイグル族くらいの関係はあるんじゃない?
915 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 20:59:45 0
オセット人の先祖はアラン人だとか、シボ人の先祖は鮮卑だとか共通性つってもあれだけど
ユダヤ人やギリシア人然り、彼等が御先祖様だと思っているのならそれはそれで関係はある
思慕人ってどこの人?
異邦人
>915
といっても限度があるけどな。
いくらなんでも「日本人はユダヤの末裔」まで行くと電波。
>>918 大阪で「朝鮮人はユダヤの末裔」ていうビラ配ってるのはいたよ。
921 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 15:57:36 O
北魏
明元帝17歳→長子太武帝生
太武帝14〜18歳?→長子晃生
晃14〜18歳?→長子文成帝生
文成帝14歳→長子献文帝生
献文帝13歳→長子孝文帝生
孝文帝15歳→長子恂生(廃位)
16歳→次子宣武帝生
娘の生誕年はわからないから11、12歳で既に子を産ませていた?
別に妃が年下とは限らないでしょ
923 :
世界@名無史さん:2007/07/03(火) 10:05:08 O
当然、妃は成人女性だろうね
でも11歳で子作り
う、うらやましぃ〜っ
餓鬼が成人女性に種付けっておいしすぎるネタだな。
かの銭大キンが言うに、北魏の皇帝はがきんちょのうちからがきんちょ製造したからみんな早死になんだ、と。
実際大抵30代であぼーんしてる
北魏の皇帝は暗殺される者が多く、自然死が少ないから寿命が短いと思ったが
自然死・病死>文成帝・孝文帝・宣武帝(明元帝はヤク中になったから微妙)
確かに2〜30代で死んでるが、銭大マの説を立証するにはサンプル数が少ないと思う
力微はあんなに長生きだったのにね。
まあデマカセだろうけど
孝文帝は一説によると
献文帝と献文帝の義母である太后の子であるらしい
となると献文帝13歳、太后33歳のとき、孝文帝が生まれたことになる
日本でも皇族が伯母から性教育の手ほどきを実地でされた話はいくつかあるが
930 :
世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12:18:10 O
太后って文明太后?
931 :
世界@名無史さん:2007/07/23(月) 12:44:10 O
ageとくか
sageましょう
文明馮太后・孝文帝母子説
川本芳昭『中国の歴史05 中華の崩壊と拡大』(講談社)P231〜
蘇哲『魏晋南北朝壁画墓の世界−絵に描かれた群雄割拠と民族移動の時代』(白帝社)P94〜
ほとんど真反対の結論提示してるけど読み合わせると面白いぞ。
934 :
世界@名無史さん:2007/10/05(金) 08:35:47 0
保守
13歳の男と33歳の女なら十二分に子作りは可能だ
そういや最近、日本でも16歳の少年と42歳の女性が逃避行したな
昔、奈良でも30代の女性が14歳の少年を囲っていた事件があったが
>>魏晋南北朝壁画墓の世界
まだ絶版になってないし、そんなに高くないので買うことをお勧めしますよ
>>13歳の男と33歳の女なら十二分に子作りは可能だ
機能的には十分なんだけど、孝文帝と馮太后が母子である根拠って
孝文帝の「孝心」の現れ以外に何かあるのかなあと。
一方で孝文帝は馮一族に冷淡な処分を下すようになってくんだよね。
孝心だけだと、その後の処分と相殺されるようで、根拠としては薄弱にも思う。
この時代に、大仏とか文化的な成熟を思わせるものがいくつか作られてるけど、
やっぱ漢人の職人確保してたのかなあ?
モンゴルも一般人は皆殺しにしても職人は生かしておいたから
そうじゃない?
また極端な・・・
働かせて上前はねなきゃ(貢納、掠奪)なんないんだから、皆殺しにはせんだろ
相手の指導者層や職人なんかを連行して、自分の本拠地に住まわせるってのは遊牧民族はよくやるけどね。
自分の足元の経済力を高めて、相手を弱めることができる。
一般人皆殺しってのは、裏切ったり見せしめとか、味方の重要人物が戦死した仕返しとかでやる例はあるけど
普通にやることではない。
反乱を起こすと見せしめのために皆殺しにしたという話は聞いたことがある
943 :
世界@名無史さん:2007/10/19(金) 22:32:42 O
>>933 すまん
後者の本、某大書店にありました
なかなか面白そうだね
でも金なくて買ってないけど
944 :
世界@名無史さん:2007/10/25(木) 06:21:51 O
北周の宣帝の父は13歳の時19歳の妃になる女性を見染め宣帝を産ませた
宣帝は12歳で25歳の朱満月を見染め静帝を産ませた
北魏〜北周の帝室は早熟だな
当時の12〜13歳って現在の体くで言えば10〜11歳ぐらい
小学4、5年生の男児が大人の女性に欲情して子を産ませる
凄すぎ
945 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 22:15:59 0
>>944 鮮卑族の流れ汲む野蛮人だからな
その辺の皇帝
銭大キン先生が「そんなんだから早死にすんだよ!」って突っ込みをいれていらっしゃる
この漢奸めが!
948 :
世界@名無史さん:2007/11/26(月) 23:56:00 O
唐突ですが「北魏胡族体制論」という本をお持ちの方、簡単にレビューお願いし
ます
自分の近辺の書店にはなく、高価なのでネット購入も内容を知らずに手に入れる
かどうか迷っています
どちらかというと孝文帝支配以前の北魏における北族と中央帝権の関係とか詳し
いといいのですが
1〜2章が部族解散と領民酋長に関しての研究史と論考。
3章が文成帝南巡碑に見える北魏の胡族性に関して。
4章が孝文帝洛陽遷都と「漢化政策」・帝権拡大政策のからみ。
5章は「代・魏」の国号問題。従来の代=胡族的、魏=漢族的という見方の否定。
6章が「代人」集団に対する論考。
内容は面白いと思うけど200ページちょいでこの値段はちょっと高すぎかなぁ。
松下氏の論文全コピーすればそっちのほうが得かなとも思う
あ〜んまり北族と中央帝権の関係は詳しくないかな。
それだと『史滴』のちょっと前の北朝史特集とかどうだろう?
950 :
948:2007/11/27(火) 09:14:09 O
>>949 ありがとうございました
参考になりました
951 :
世界@名無史さん:2007/12/12(水) 16:32:52 O
古本屋やネットで東洋文庫の『魏晋南北朝通史内編』岡崎文夫著捜してるけど
なかなか見つかりませんね
ところでこの本見た方におうかがいしますが
この本は南朝に比重がかかった書き方されてますか?
購入したところで北朝や五胡の記述が本の4分の1にもページ数が満たなかった
ら悲しいですから
てゆうか何で外篇が出ないのかと。
北朝と五胡合わせたら三分の一くらいはあるんじゃね?
参考までに東洋文庫初版第3版(1997年)の目次から。
末尾の数字は頁数。
第一章 魏晋時代 3
(節省略)
第二章 東晋五胡時代 121
第一節 秦漢以来、漢蛮関係の梗概 122
第二節 北中国における匈奴興亡始末 133
第三節 東晋、江南に復活す 155
第四節 前燕、前秦の始末ならびに北中国における諸群国 173
第五節 東晋の衰亡 200
第三章 南北朝時代―南朝(上) 221
第一節 劉宋の全盛期 222
第二節 宋の衰運 240
第三節 南斉の興亡 250
第四節 梁武帝の治 271
第五節 北魏と斉梁との交渉ならびに侯景の乱 284
第六節 陳の興亡 303
第四章 南北朝時代―北朝(下) 317
第一節 鮮卑拓跋部の遷移 318
第二節 北魏の興隆 324
第三節 北魏の全盛 338
第四節 北魏の衰亡 358
第五節 新勢力の興起 373
第六節 北斉北周の興亡 386
(編輯付記) 407
五胡の分量が少なくてがっかりした記憶あり。
955 :
951:2008/01/22(火) 18:28:44 O
十六国春秋を読んだんだけど、載記とは色々と違うんだなー(当然だけど)。
張軌が杜預から易の注釈本をもらっていたとか、かなり面白かった。
だから張軌が占いをやれたのか…。
957 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 20:17:11 0
魏晋南北朝通史は古い本だし、歴史地図とかないから
個人的には他の本のほうがおもしろかったな。
958 :
955:2008/01/27(日) 14:18:09 O
>>954 先程、神保町で昼食ついでに立ち寄った古書店で奇跡的に見つかり手に入れまし
た(ほとんど新品同様)
情報ありがとうございました
959 :
世界@名無史さん:2008/02/17(日) 15:27:13 0
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ
|┃ | あげ |
|┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃ ( ___)│ サッ
|┃= (_》 ^ω^)E)
|┃ ≡⊂ ノ
960 :
世界@名無史さん:2008/02/19(火) 01:00:21 O
『五胡十六国の基礎的研究』三崎良章著によると
前秦時代の護軍治下の12種の民族の中に「粟特」という民族があったと書かれ
てます
この「粟特」は同書によるとソグド人のことで『宋書』や『魏書』にも記述があるそうです
もう既にこの時代にソグド人が華北に定住していたとは驚き
羯族との関係は書かれていなかったので残念
ソグド人の手紙で、
「永嘉の乱で都が焼けちゃって商売どころじゃねーよ、困ったな〜」
みたいなのなかったっけ。
962 :
960:2008/02/19(火) 23:41:33 O
964 :
960:2008/02/20(水) 22:44:02 O
>>963 すみません
言葉が足りませんでした
>>960で紹介した“本の中で”なかったという意味です
965 :
世界@名無史さん:2008/03/29(土) 21:40:43 0
拓跋什翼ケンの庶長子の拓跋寔君の拓跋珪の父の拓跋寔君は同一人物なのか?
拓跋什翼ケンは庶長子に殺されたらしいが、拓跋珪の父は拓跋什翼ケンより先に戦死したらしいし、矛盾してる。
親父の名前は寔だろ。寔君じゃないよ
967 :
世界@名無史さん:2008/05/29(木) 22:14:45 0
禿髪部ってただの当て字?弁髪の習慣でもあったの?
割とループしてる話題のような。
私は中国史は三国時代までしか知らなかった
今、Wikipediaでサラっと五胡十六国を学んで頭が大混乱に陥った
大量に出てくる国号と即位、滅亡のオンパレード
ええ加減にせい!
なんていうか漢の時代まで懸命に防いできた異民族に荒らされていくのが哀しい
>>969 さぁ、早く隋末唐初と五代十国を読む作業に戻るんだ
このスレの住民は逆にそこに惹かれるんだと思うがなwww >>異民族に荒らされる
それに漢民族は単なる被害者でもなく、胡漢が徐々に協調し、北魏の北鎮民みたいに
融合していく過程も面白い
今のエコブームに乗るわけじゃないけど、
異民族にやられ倒したのって、異常寒冷化による中原人口の大幅減少も
原因の一つとか言われてるね。
温暖化よりは寒冷化の方が1000倍怖いからなー。
>>970 日本の戦国大名を覚えるのと、どっちが難しいかな?
この時代を吟味するなら、二十四史のうちどれが一番良い?
沢山あって訳分からん。
魏書とか晋書とか?
熱帯の風土病が蔓延するってこと?
ってスレ違いの話題はさておき五胡十六国時代には
あまり南方系の民族は(中国本土に建国するという意味では)活動してないよね。
そういう民族はむしろインドシナ方面に向かったんでしょうか。
>>977 海面上昇による可住領域の縮小が怖すぎる
979 :
世界@名無史さん:2008/08/18(月) 05:58:53 0
あげ
>>969 厳密に言えば異民族を防いでいたのは漢の時代だけ。
981 :
世界@名無史さん:2008/08/18(月) 21:10:40 0