>>1 は、衛の懿公様よりお褒めの言葉を賜りました。
_,,. -‐‐‐‐‐‐‐- 、
lヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
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ヽ::::::| |::::::::::. \/ ノ
「大儀であった。よきにはからえ。」
「周王室・姫姓のその後・・・」というスレに漢代における周室の子孫について
書きました。見にいってね。
前スレで1000とった人、三戦板の2番煎じじゃん。
まあある意味お約束だろ。
姓=柴犬
氏=佐藤
名=ゴン太
あやめ :04/04/29 20:27
>>990 そんな感じです。
ほっほう〜〜。
そうなると、柴犬ゴン太と書いてもおかしくないですねぇ。
柴犬・ゴン太を繋げて書くことが一般的でないにしろ、
柴犬ゴン太って書くことが規則に反してるとまでは言えませんよねぇ。
そんなにいけない事ですかねぇ。
おかしくないですかぁ?
黄金臭間スタート
これ以上やっても三戦板での「氏+名+字」論争みたいに不毛なだけだからだろ。
もうやめれ。
>>8 では、あなたは明日から日本某と名乗って下さい。姓〜民族ですから。
不思議な顔されるでしょうけど、別に禁止はされてないでしょ?
荒らし釣り師はスルー汁。
13 :
世界@名無史さん:04/04/30 06:27
弥生人は春秋戦国の中国からきたという説がありますが
どの国からきたんでしょうか?
14 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/04/30 08:11
>>1さん、有り難うございます。
皆さん、マターリと参りましょう。
15 :
おめでとうございます。:04/04/30 16:35
記念age・・・又きます。
1さんスレ立ておつかれ。
鶴でも腹一杯食ってくれ。
17 :
世界@名無史さん:04/05/01 20:22
「呉の太伯の末裔なり」と名乗ったのは636年に
日本から朝貢に訪れた使節ですね。
梁書の「倭者自云太伯之後俗皆文身」の一節です。
大化の改新の少し前だね
もしかすると山東半島からも少し来てるかもな
始皇帝が蜃気楼みたように他の人も見て東へ漕ぎ出してる可能性もないとは言えないし
越→越中、越前、越後
呉→呉
燕→燕
晋って同姓とケコーン(驪姫とか)したり同姓の国(虞とか)を滅ぼしたりで
姫姓じゃないんじゃないかっていう説があったような気がするんだけど、
それだと一体姓はなんなんでしょう?
あと、その場合は唐叔虞はでっち上げ?
燕も呉も怪しいって言われてるしなぁ。
>>22 戎だの狄だのが姫姓名乗ってる方がよほど怪しいと思いませんか?
同姓の国を滅ぼすといえば、例えば、鄭が東ガクを滅ぼしたとか(国語)
衛がケイを滅ぼしてます。(左氏伝僖公25年)
他の国の記録が乏しいだけで、珍しくなかったんじゃないかと。
晋に関しては封建時の命令書「唐コウ」が春秋時代まで残っていた事、
曲沃から三代武候から十一代文候までの墓が発見された事から、
姫姓の晋(唐)が滅んで別の姓に乗っ取られたとすると、
西周のごく初期でなければならず、かなり厳しいと思います。
ちなみに、十一代文候とは春秋五覇の文候ではなく、
周の東遷に活躍した君主で、この文候以降は史書で確認が取れます。
で、姫姓でないとしたら、唐は元々堯の国のはずなので祁姓、
でなければ、周囲の狄の姓である懐姓辺りでしょうか。
ちなみに、燕は_女吉_姓と言いますね。呉は怪しすぎなんですが、
周の勢力が呉の近くまで及んでいた時期もある模様なので、
ひょっとしたらという事はあるかもしれません。一応。
長文になってしまった。読めねーぞ、とかなじられるんだろうか(鬱
それと、春秋以前の話はよそでやれとか、また言われるのかな?
春秋以前の話といっても資料が重なるんでまとめて構わないと思うのだけど。
>>24 そういうことをグチグチいうから絡まれるんだよ。黙っとけ。
前スレで、岩波文庫の『春秋左氏伝』の復活を教えてくれた人ありがとう。
昨日、中・下を買いました。
上は書店になくて出版元でも在庫切れらしい。
ああああああああああああああああああああああああ
amazonにあったよ。
というか、今注文してきた。
ごめん、
>これらの商品の発送可能時期:
>2004/6/1
だった…良く読め俺…
岩波文庫の『春秋左氏伝』
どこにも売ってない・・・。
平凡社の黄表紙本ならあると思うが。
>>23 よくわかりました。thx!
歴代君主の墓まで発見されてたんですか・・・
今、宮城谷の重耳読んでる。
この作者って、自分の都合の良いように登場人物の性格や嗜好をいじくり倒すのが好きね。
物語の都合の良いように、人物が急激に成長したり、衰えたり・・・。
史書に現れない個人名は使用しないとか、分けのワカラン足枷をつけて自己満足に浸ったり。
そして必ず、
姫姓は赤い旗、嬴姓は黒い旗。おサルのようにそればっかり。
春秋戦国時代小説で面白いの教えてくだs
>史書に現れない個人名は使用しないとか、
そんな足枷あったっけ?
ない
宮城谷の欠点はオリジナルパートの展開がワンパターンすぎ
小説なんだから、作者の思うように性格付けされてても問題はないけど
上記の理由から、主要な登場人物のキャラクター設定までワンパターンになってるって所か。
みんな聖人君子だからねw
孟嘗君の虐殺話を薛にいやな思い出のあった司馬遷の仕返し捏造話で済ませた。ってのはホントか?
ま、ジョソプなんかの少年マンガの王道パターンと同じようなもんで
アレで良いっちゃあ良いんだよな。何打漢代って好きなんだが。
>>32 春秋左氏伝嫁。
>>33 何かの後書きに「この作品では使われていない」って書いてあったが、
全作品でそうなのかまでは知らん。
>>36 本当。
自分の小説に不都合な逸話はみんな削除。
それどころか司馬遷が悪意を持って挿入したかのような言い方。
晏子もそう。
あとがきで、自分の考える主人公の性格とは違うので省いたと説明。
史書に登場しない人名は使用しないってのは、
「子産」他、いくつかの小説がそう。作者自らが言ってる。
ある大夫とか、家宰(カサイ)とか書いて、不自然に名前を伏せてあるのは
人名が判らないのでムリヤリそうなってる。
どうにも成らないときは、
「おそらく何々と呼ばれたであろう」と言い訳してから仮名を付けてる。重耳がそう。
架空の名前使ったって良いから、読みやすい小説を書いて欲しい。
「奇貨居くべし」も、架空の人名は一切使わなかったと、自慢げに書いていたが
物語の大半が架空なわけで、名前ごときは全然自慢にならんと思うのだが・・・。
物語を好きなように、変えておきながら、
僕の小説に出てくる人物は全て記録に残ってる人なんだよ。凄いでしょ。
と誇らしげに語る宮城谷センセイ。
>>39 即レス多謝。
香乱記は新聞連載で読んでたんだが事あるごとに
田横マンセーと項劉韓批判を展開するのがうウザくて最後まで読めなかった。
普通に架空の人物を書いてる作品も多いし
深い意図はないんじゃねぇ?敏感すぎだろ。
ま、「奇貨居くべし」なんかは大半が創作なので
固有名詞ぐらいは実在のもんにしてみましたって感じか。
小説なんて読まないで史書だけ読んでればいいのに
43 :
世界@名無史さん:04/05/05 12:18
宮城谷にかかると子産も管仲レヴェルだからな・・・
つーか主人公の父とか祖父とか、無名の人物を過大評価するのは彼のポリシーなのか?
>>43 主人公周辺の人物を大きく見せて、主人公を飾ろうとしているんだろうな。
飾り方がいつも同じで無味無臭なのが小説家として技量のなさを感じさせる。
もっと血圧の高そうな人や血圧低すぎな人を描けないので本当につまらない作品ばかりだ。
宮城谷は主人公は面白くないが、敵役は好きになれる
どろどろした部分も書いた上で、宮城谷の職業病wで歴史上の功績も
それなりにきちんと書いてあるので矛盾した人間ぽい面が見えてくる
まあ史実とは違うんだろうがね
「青雲〜」の魏ゼンとか「孟嘗君」の公子緩、魏斉とかな
ところで「楽毅」は、名将ってことでいいのれすか?
いろいろたどっても、悪く言っているものにぶつからない。
>>47 前線にいるんだし、そこまで求めるのは酷だろう。
むしろ田単を褒めるべきでは?
昭王あぼーんは計算に入れてなかったんだろうな・・・
50 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/05/06 12:15
なんか、名将・名相って、太子と仲悪い人多いですよね。楽毅もそうだし、
呉起、商オウもそうだし…
君主の発言権を脅かすような人物が好まれなかったということでは?
その人物を登用した君主ならアメとムチをある程度使うことができるだろうけど、
その君主の子なら権勢は実績によって凌駕されてしまう。
52 :
世界@名無史さん:04/05/06 20:55
麻雀の代打ちみたいなものなんだから親分が死ねば仕事もなくなるよ
53 :
世界@名無史さん:04/05/06 23:42
既得権益を持っている勢力(太子など)とは
ある程度対立しないと大きな改革は出来ないということでしょうね。
>50
呉起は、太子に殺されていないのでは?
呉起を殺した者は、即位後、先王に矢を射た罪で全員処罰した記憶が。
>>54 太子ではないけど、魏の次代の、武侯とはしっくりいかなかった。
太子が(暗に呉起誅殺を)唆していたんじゃなかったっけ?
しかも更に殺害した者たちを・・・。
食えねえ香具師だが、その割りに・・・。
>55 それは、皇族を妻にするという策略に嵌められたのでは?
>56 そんな食えない話があるとは・・・初耳でした。
なんか、小説とかいろいろ読むと記憶が混ざって怪しくなるなぁ。
識者の方フォロー下さい。
日本人が華北より華南を好むのはやっぱり・・・
59 :
世界@名無史さん:04/05/07 22:15
大学でこの時代を専攻しようか迷っているんですが、
この時代について詳しい本ってありますでしょうか?
とりあえずちょっと上の書き込みとか読めば左伝の話が出てるわけだが
>59
こういう場合、自分が何を読んだ事があるのかを言っておくのも
必要じゃないかな。
大学生なのなら、世界歴史大系の中国史1くらいから始めるとよろしいかと・・・
>>59 論語とか左伝とか韓非子とかそのものじゃなくてその時代の解説ってことなのか?
春秋時代の呉の姓が姫ってのはわかるんだが氏はなんだったんだろう
それに諡号もないんだかなんだかよくわからんし
文化が少し違ったのかな
呉越は先祖が中華からきてるので姓はあるが
本人たちは南蛮だから氏はないのでは?
春秋戦国時代の諸侯にならうなら、そのまま呉氏と越氏になるのでは?
じゃあ呉夫差とか越勾践とか呼ぶの?
秦末に韓王信がいたな。漢の韓信と同名で紛らわしいからだが。
王族の子孫が呉氏や越氏を名乗るのかな?
そういえば伍子胥が斉に亡命させた息子に、自分の死後は王氏を名乗れと
言っていた筈だが、何か謂れがあるのかな?
士会が秦に亡命した後、晋に復帰する際に秦に残った一族が劉氏を名乗ったみたいに
>>63 諡号は周公タンの時代に出来たものでそ?
中国でない辺境の呉・越は採用しなかったのでわ。
(武王や成王は、生きてるときから既にそう呼ばれていた。)
左伝が復刊した訳だが・・・
73 :
世界@名無史さん:04/05/14 09:52
春秋左氏伝、上中下を手に入れました。
amazonで頼んだら2日後にきました。
74 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/05/14 18:12
>>73 おめでとうございます。私も買おうかなぁ…平凡社の黄表紙じゃ重たくって、
通勤の合間に読むって訳にも行かないし…
75 :
世界@名無史さん:04/05/14 18:56
岩波文庫も、平凡社・黄表紙本も、中華書局本も持っている私・・・
通勤の合間に左伝か・・・
左伝の夜・・・「サテンの夜」でも聞こうっと。
通勤途中に老子を読むと五月病になるのでご注意を
明治書院と平凡社は持ってる。
会社で読んでると同僚から奇異な目で見られるという諸刃の剣。
べつに奇異な目では見られないだろ。よほどのドキュンばかりの会社なんだろうな。
高校時代に論語や孟子を読んでいると「宗教に興味があるの?」と聞かれた。
普通にその辺を歩いている人を捕まえて
「論語や孟子ってどんなものか知っていますか?」って聞いてみたらほとんどの人が
「宗教の本」と答えるんじゃないか。
会社で漢書を読んでいると「漢文に興味があるの?」と聞かれた。
普通にその辺を歩いている人を捕まえて
論語や孟子や漢書や左氏伝のページを開いてみせれば
ほとんどの人が「漢文ですね」と答えるんじゃないか。
84 :
世界@名無史さん:04/05/17 03:58
俺の職場の場合だが
春秋左氏伝の岩波文庫版読んでたら上司には「お前まだそんな本も読んでなかったのか」
同僚には「お前その歳になってもまだ白文で読めないのか」
後輩からは「復習を欠かさないなんて先輩って勉強熱心なんですね」
後輩からの一言がもの凄く堪えた28歳会社員♂
ちなみにこの後輩は♀
85 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/05/17 08:25
前の職場で日本書紀を読んでいると「やっぱりお前右翼か?」と聞かれた。
普通にその辺を歩いている人を捕まえて
記紀万葉のページを開いてみせれば
ほとんどの人が「今忙しい」と答えるんじゃないか。
職場でサルスティウスの『カティリーナ騒動』を読んでいたら、
「英語ですね」と言われた。普通にその辺を歩いている人を
捕まえてキケローとかウェルギリウスとかオウィディウスの
ページを開いてみせればほとんどの人が「神は信じません。
仏教徒ですので」と答えるんじゃないか。
岩波の左伝の中を読んでいる。
誰か鄭と宋を助けてあげて
>>88 よし、わかった。
俺は今から武器をかき集める。あんたはタイムマシンを調達してくれ。
>>88 助けて欲しけりゃ、さっさと河南の五城二邑を割譲しな!
91 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/05/17 17:47
>>89 どのような武器をお持ちになる予定で?(w
水鉄砲
宋はけなげだよなぁ。楚にいぢめられながらも、晋に忠実で。
それに比べて鄭ときたら…(子産の時代を除く)
94 :
世界@名無史さん:04/05/17 18:37
春秋戦国(というかシナ史)なんて権謀術数ばっかでつまらないよ。
ローマ帝国の方が面白い。
オクタビアヌスなんか権謀術数の塊だと思うが
権謀術数がつまらんなんて半分以上損してるな
>>93 春秋戦国は小国が萌えるne。
でも宋は小国とはいえないような・・・
宋>中山>代>鄭=衛>魯>東周=西周
ぐらいでは?宋は面積だけでいうとかなりでかいよね、韓と同じくらい。
春秋戦国時代って「思想のために戦う」って高貴さがないんだよな。
漏れは礼のために戦う
ああ、なんて高貴なんだろう・・・
102 :
世界@名無史さん:04/05/17 20:56
>>99 たしかに日本の幕末のような清清しさと悲壮感はないけど、己の舌先三寸のみを信じて徒手空拳で
国家体制に挑んだ熱い漢ばかりです。
欲望の奴隷となった男どもがそれまでのルールを面白いぐらい木っ端微塵に崩していった中で、
人間としてのマナーはよく守られており、中国が一番輝いていた時代だと思うYO
>>98 そのイメージはもろに戦国期ですね。
春秋時代は鄭も侮れない存在だったと思うよ。
曹や蔡や許や陳や随や黄や杞や紀やケや虞にも注目して欲スィ。
IMEで変換表示不可な国のなんと多いことか・・・。
104 :
世界@名無史さん:04/05/17 22:21
春秋戦国に思想戦がないなんて逝ってるアホは
このスレでは「スルーの刑」が適切だなw
鄭も宋も一時は覇権を握りかけた国だけあって春秋時代前期は輝いてるぞ…
>>103 それはわかるが、春秋時代でも順番はあまりかわらないと思うよ。
あと「曹や蔡や許や陳や随や黄や杞や紀や?や虞」も大好きだよ
ただ1国1エピソ−ドくらいしか思い付かないので、わざわざ取り上げるのが
気が引けたんだよ。あと、「凡」も入れてくれ、「凡」をwww
>>104 儒墨の争い、道家と儒家、合従連衡etcetc...
全くだな
そういえば、春秋の書き出しが周公や伯禽から始まらないのはなぜだろう?
ローマ>>>シナ
驢馬厨はスルーに限る
111 :
世界@名無史さん:04/05/18 00:14
武霊王は林胡人。
趙は征服されたのだ。
>>108 孔子が魯公室や周朝の秘伝書を閲覧できる権限を持ってなかったから。
>>98 戦国時代ですね。春秋なら宋鄭魯衛は似たようなものだと思う。
ところで、春秋の周…内乱多すぎ。
そこそこ繁栄してた雰囲気あるのに、再興の機会はなかったんだろうか?
別に孔丘が春秋書いたわけでなし
孔子が書いたとされてたりする
まあ孟子の一言くらいしか根拠ないけどな
隠公以前の魯には簒奪や弑逆がなかったとしたら(隠公は異母弟の桓公に殺された)、
孔子が春秋の中で「乱賊」として懲らしめる必要はないだろうし、孔子が本当に
標的にしていたのは三桓と陽虎だろうから、隠公以前には余り関係がないのでは?
孔丘が春秋書くようなタイミングあったっけ?
春秋は斉の正統性を証明するため、左氏伝は韓の正統性を証明するため
に戦国時代に作られたとかいってなかったっけ?平勢が。
本なんかどこでも木簡と墨と筆があれば書けるんだからタイミングなんか関係ないだろ
あとそれなりに近い時代の孟子が孔子が書いたって言うんだからそれなりに信憑性はあるんでねーの?
120 :
世界@名無史さん:04/05/19 01:57
孔子と孟子が近い?
少なくともこの2人は同じ時代区分の中にいる って言うのは乱暴かね
122 :
世界@名無史さん:04/05/19 10:09
スレ違いですが・・・
殷末に殷王族の箕氏が朝鮮半島を支配して漢時代まで存続して
いたと別スレで見たのですが。。。
春秋期はどうだったんでしょうかね?
>>122 123で誘導されてるスレは荒れてるので臨時に回答。
史記に記載されてる箕氏が封じられた「朝鮮」は、現在の朝鮮半島とは無関係とのこと。
同定したところでは河北省南部あたりが有力と言われてるがハッキリしない。
春秋時代では既に消滅した可能性が高い。
鮮虞の鮮ということか
>>122 西周初期の燕の都城遺跡から箕氏の青銅器が出土してるとかで、
その段階で燕の近辺に箕氏の国があったのは確かの模様。
で、春秋時代ですが、燕ですら「本物の燕」か疑いたくなるくらい
記録が乏しいんで、まして箕氏朝鮮なんて…って状況ですね。
というか、燕って系譜が伝わってない時点で怪しすぎだよなぁ。
荒れてたのは以前のことでもう止まってるよ。
せっかく誘導したのになんでこっちで答えるんだよ・・・
遼寧省の大遼河上流の客刺沁左翼自治旗から「箕侯」の銘のある
西周期の青銅器が出ている。この地は秦漢代の右北平郡の域内で
わかりやすくいうと大雑把に満洲西南部。
(正確には「箕」の竹カンムリを[巳巳]にしてその下に[其])
これは燕の属国の都市国家だったが早くに滅亡して春秋時期まで
もたなかったらしい。東胡に滅ぼされたのか燕にお取り潰しにされたのか
はわからないが、戦国時期には燕の官僚の中に若干だが「箕○」という
名が数例散見される。
戦国時期(前323年)に遼東半島のさらに東に箕子朝鮮が存在して
燕と交渉をもったという話や、衛氏朝鮮の始祖衛満が箕子朝鮮に
謀叛したとかの話は、魏略が採録したが後世にできた伝説で、史実ではない。
燕は前284年以降、官僚を派遣して要塞を築き朝鮮を間接支配していた。
秦が滅亡してから衛氏朝鮮ができるまでの十年ほどは放置されて無主の地。
>>127の続き
しかしながら燕の官人だった箕氏の子孫が漢代以降、河北地域から
楽浪郡を通じて半島に移住した可能性はなくもない。
半島では後世、初代箕子から四十一世の箕丕、四十二世の箕準にいたる
系図まで作られている(「清州韓氏族譜」)
また日本では百済亡命貴族の答本氏が純粋な百済人ではなく
朝鮮王箕準の子孫と称し、麻田連(あさだのむらじ)を賜っている
>>125 鮮虞はとりあえず関係ないのだが・・・・
春秋時代の「鮮虞」は戦国時代には「中山」と名がかわる。
管子(実は戦国時代の作)に出てくる「朝鮮」とはこの「中山」を
鮮虞にひっかけて古雅めかした表現。(上古音では中山≒朝鮮)
しかしこれは管子だけの独特な用法なので、
河北省方面をアバウトにさすととらえられた。
司馬遷が「周の武王が箕子を朝鮮(この場合は満州西南部)に封じた」と書いた
のは原資料にこの流れでアバウトに北方をさす用法としてあったと思われ。
中山と満州西南部に間には燕があるが、同時代(戦国期)
の燕は自分たちが「朝鮮」だとは思わないから、最初から
より東の今の平壌付近を中心とする一帯を朝鮮とよんだ。
実際にここには[朝][鮮]と似た音の川(澄水?・汕水)が
あって、燕人がここを朝鮮とよぶのは自然な命名であった。
その文献上の初出は、管子と同時代の戦国策で、合従策を説く蘇秦の言葉に「朝鮮」の
地名がみえる。(この文脈での朝鮮を今の南満州などというのは考古学的に否定される)
なお「朝鮮」が川の名からでたとするのは史記三家註に考察がみえる。
史記集解「張晏曰、朝鮮有濕水、洌水、汕水。三水合爲洌水。疑樂浪、朝鮮取名於此也」
史記索隱「案、朝音潮、直驕反。鮮音仙。以有汕水、故名也。汕一音?」
史記正義「潮仙二音。括地志云、高驪都平壤城、本漢樂浪郡王險城。又古云朝鮮地也」
よかったら
>>123のスレがさびれてので
賑やかしに遊びにきてくださいm(__)m
白馬は馬か?
いや馬ではない
しかし馬と付くからには馬であろう
馬は白馬か?
白馬は白か?
白は白馬か?
白馬は(゚д゚)ウマーか?
【^▽^】【▽^ 】【^ 】【 】【 ゚】【 ゚Д】【 ゚Д゚】ハァ?
白馬がいるから馬がいるというのなら、馬がいるのを見て黄馬がいると言えるのか?
鹿は馬ではありません。
\ 河は馬ではありましぇん。
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
⊂二 ̄⌒\ ノ)
)\ ( ∧_∧ / \
/__ ) ´Д`) _ / /^\)
//// / ⌒ ̄_/
/ / / // ̄\ | ̄ ̄
/ / / (/ \ \___
((/ ( _ )
/ / ̄ ̄/ /
/ / / /
/ / ( /
/ / ) /
/ / し′
( /
) /
し′
144 :
世界@名無史さん:04/05/23 05:42
海馬は脳ではありません。
社長です
・・・いつの間にかスレが進んでいると思えば・・・
馬鹿はお前か?
お前は馬鹿か?
荘周と恵施のやりとりってこんなんだったんだろうか…
150 :
田単 ◆k6l5BVbXAA :04/05/24 19:00
何かむなしいっすね。
馬鹿を連れて関所を通ってみればわかるだろ。
税金をかけられれば馬、そうでなければ馬鹿だ。
152 :
世界@名無史さん:04/05/25 11:21
児説の実例か
153 :
世界@名無史さん:04/05/25 20:12
韓非子を読み始めた今日この頃
韓非子を読んで青臭い書物だと思った今日この頃。
歳は取りたくないもんじゃな。
amazonで左氏の上を頼み今日届きました。
何とか3冊揃いました。
もうすぐ下を読み終えるので上を最後に読むという変則的な形になったけど。
ちょっと残念だった事。
7時ごろに郵便受けを確認した時に宅配便の不在連絡表が入っていた。
アマゾンからの荷物だったので「おお、頼んで3日で来るなんて早いな」と
思い連絡表にのっていた携帯電話の番号に電話した。
私「不在連絡表が入っていたのですが」
相手「誰?」
私「不在連絡表を頂いていた○○といいます」
相手「あ?○○?…ああ、不在のやつか?」
私「…」
相手「後で持っていくから」
私「今晩ですか?」
相手「そう」
私「わかりました。お待ちしています」
相手「はい」
私「お願いします」
ガチャ…
君子の評。
仕事の道の廃れる事甚だしい。
宅配業者は無礼な対応で客に不快を与え、
アマゾンは無礼なる業者を使い続けることで客を不信に陥らせる。
宅配業者とアマゾンの経営不振も納得のいくところである。
わきまえねばなるまい、2業者とも。
>>155 自分が君子だと?で、直接文句が言えずにこんなところで陰口叩くと・・・。
恥ずかしいなぁ。
平勢説の言う吾子あたりに相当しそう。
「きみこ」さんじゃないの?
アマゾンが宅配業者をペリカンから佐川に替えてしまったのは痛いぞ。
ネット通販での佐川は、いい話聞いたことが無いな。
漏れだけかも知れんが。
うちに来る宅配業者はヤマトも佐川もまともだぞ。
162 :
世界@名無史さん:04/05/27 20:20
甲骨に「周公」の文字=初発見、識別可能は350字−中国
【北京26日時事】
中国陝西省岐山県で、同国古代の西周時代(紀元前11世紀〜同770年)に占い用として使われた甲骨が700片以上見つかり、識別できる文字が350字に上ることが26日分かった。
このうち、周王朝の安定を築いた実力政治家「周公」(周公旦)という文字が初めて確認され、考古学者の大きな注目を集めている。
国営新華社通信が26日、陝西省文物考古研究所と北京大学が共同で、岐山県の「周公廟(びょう)」遺跡付近を調査した結果として伝えた。
(時事通信)
[5月26日21時5分更新]
163 :
世界@名無史さん:04/05/28 07:39
甲骨文字なの?
秦・漢時代は隷書(体ってついたか?)だったと記憶しているが、
戦国・戦国時代はどんな書体だったのだろうか?
166 :
田単 ◆k6l5BVbXAA :04/06/04 17:48
>>162のニュースですが、その後何か進展というか、新発見は
あったんですかね?
アマゾンはインリン並のユニフォームの女性配達員にすべきだ。
でないと「アマゾン」の名称に似つかわしくない。
・・・って言っても、種だけもらおうなんて、ヤメテーッ、アッ。
系図作るってよ
世本も知らんようじゃお先真っ暗な気もするけど。
板間抗争の火種になるからやめれ
あっちにいるもとぷらは三戦ではかなり有名な荒らしだぞ
世本で逸書になってるのって何巻ですか?
>>170 失礼な。世界史板では至って謙譲な一名無しだよ。
たまにクッキー抜き忘れるだけで。
173 :
春秋と左伝を呼んで頭が痛くなった人:04/06/11 20:03
ヒラセセンセーには「江戸・明・古代プロジェクト」の「我が国江戸期 『左傳』『史記』の世界」の方を
さっさとなんとかしていただきたいですな。
それにしても各国言葉も字も違うのに、
遊説家はよくあちこち回って各国君主を説き伏せたものだなあ。
>>175 言葉や字が違うって言っても、多少の学があれば通じたんだろ。
出なければ外交も通商もできんだろうが。
ましてや他国の君主を説き伏せようという説客や行人が
相手の国の言葉もできんようでは話にならん。
>>175 当時の所謂諸国の情勢というのは言語も含めてのものだったんだろうね
178 :
世界@名無史さん:04/06/13 20:32
ヨーロッパでのラテン語のように、知識層の共通言語とか方言・字体と
いうべきものがあった可能性はないですかね?
地元の言語プラス周の言葉をを覚えていて、他国人との間では
そっちを使ったとか。
周の礼法が七雄に行き届いてはいなかったならばいざ知らず、
楚以外の国で言語が通じないなんてことがあるだろうか
方言程度の差しかなかったと考えるのが自然じゃないですか?
言葉は通じなかったろ。でも通訳がいたろうから問題ないだろ。
ある程度の人はみな学問があって、学問の祖は孔子。
孔子は雅言したから、それが共通語になったんではなかろうか。
>>181 この時代はそこまで儒家の地位は高くないんでは?
>>182 師から弟子へという教育法はそれ以前には見られない、ような気がする。
で、荘子や墨子等に孔子が登場していることから、一度は孔子の弟子の私塾かなんかで学んだ者が、
その思想に賛成するなり反対するなりして、新たな学派を作っていったんではないかと。
儒家にしても記録係か教育係くらいしかなれないとしても、
それが教育法が広がるきっかけになったのではないかと。
知識人の共通語が雅言だったらの話。
184 :
田単 ◆k6l5BVbXAA :04/06/14 12:10
雅言というか、詩の応酬だったんじゃなかったでしたっけ?
185 :
世界@名無史さん:04/06/14 12:36
当時の知識人なら儒家と言うより、卿大夫階層の共通語に近いものはあったと考えてもいいのでは?
というのも、今でも北方中国語の異なる方言官では意思疎通が難しいみたいだし。普通話が制定される以前にも北方官話というのがあって、官僚間あるいは官僚ショリ間はそれで話していたとか。
186 :
世界@名無史さん:04/06/14 13:55
>>184 鄭の子産以前は、貴族は詩のやり取りで会話しています。
詩だけじゃ会話にならなくない?盟約とか、遊びとかならともかく、普通の会話があってこそ詩の応酬もあり得るような気がします。
過去ログが見れないのでお聞きします。
オウスイの戦い?(自信無)で、宋と楚が対戦しましたが・・・
当時の兵隊諸氏はどの様に渡河したんですか?筏?
それに、、、敵前で渡河を開始するなんて楚の将領はアホかも???
>>187 でも、平安貴族たちは特に男女の間では直接の対話なんぞはせず、
和歌でやりとりしていたわけで。それを考えれば詩での会話も
ありえるのではないかと。
>>189 漏れのようなヒキの掲示板マニアには理想的な時代(というか身分)
孔子は普段は魯の方言で話をし、儀式や礼を行う時は
周の言葉で話した。っていうのを論語か何かで見た気がする。
周の言葉が普通語みたいな感じだったのでは?
海音寺潮五郎が、この頃は場合によって
その状況に合った古詩を歌って相手に意志を表現するのが、
当時の紳士のたしなみだったと書いていた。
例として挙がっているのが、呉越春秋での
呉の申包胥が、秦に救援を求めた時の秦の哀公の「無衣の詩」あたりなど。
なんかインド映画みたいだが。
193 :
世界@名無史さん:04/06/14 21:38
194 :
世界@名無史さん:04/06/14 21:49
だからって、日常会話に詩をやりとりしてたって?
だいたい詩の定義って何?韻を踏むとか?日常会話で?たしなみ?冗談だろ!!!
195 :
世界@名無史さん:04/06/14 22:47
>>194 どういう時にどういう詩を使うかは決まっていて(礼の一部)、
それを補佐・教育する係として貴族の家には史官がいた。
196 :
世界@名無史さん:04/06/14 22:54
>195
それは日常会話に詩をやりとりしたという事実の根拠にはなりません。
礼とは結構なお話ですが、こんにちは、ありがとう、さようなら、って詩が詩経にでも乗っていると言うことですか?
197 :
世界@名無史さん:04/06/14 22:57
187,191,196に賛成!
詩だの礼だのは重要で、強調しすぎるということはないが、
詩の引用だけで会話したり、まして外交の場で国益を盾に
細かい利害をつめたり論争したりすることは不可能。
史記の外交の場の描写でも、詩の引用部分とそれを引用する
者の発言(発言の中の地の文)とがある。
雅言(周の標準語)を共通語にしようと運動したのは儒者たち。
儒者がメジャーになる前はただの通訳がいたと思われ。
199 :
世界@名無史さん:04/06/15 03:38
それほどお分かりなら学会へでもどうぞ。
それほど無知なら学校へでもどうぞ
公孫無知!
諸侯や卿・太夫クラスの上流階級同士で通じる共通語は
あったのでは?
諸侯は原則として他姓の諸侯と通婚しているし
春秋中期には他国の太夫間での通婚も増えている
言葉も通じないんじゃ夜の営みの時とかやりにくいでしょ
あと左伝には戦闘中にも言辞のやりとりをしている場合も
多々あるので、いちいち通訳しているというのも考えにくいと
思うんですけど
203 :
世界@名無史さん:04/06/15 17:33
太夫ってなんだ?遊郭か?
夜の営みには言葉なんぞいらないと思いますが・・・
それこそ、全く異言語間でも問題ないでしょ・・・
それより、当時の口語は我々が思うよりも詩に近かったのでは?
口語と詩がかけ離れているに違いないという前提は果たして絶対なのか?
なんだ・・・夏商スレの太夫クンがやってきたのか?
ハッキリ言ってアレは迷惑な存在なんだが
春秋時代はまだ雅言=標準語があった。
戦国は地域文化ができて言葉は通じなくなったけど
儒家の活動で雅言が維持された。
話は変わりますが
子産と子皮って、結局のところ、どちらが偉いのかな?
結論でないような気もするけど
この前初めて春秋左氏伝を読んでみたんだけど、なんか話の流れが
良くつかめなかった。
>>207 子産は偉人
子皮は賢人
って感じかな。
>>208 初めてだと結構きついかも
学術本とか読んでから、更にもう一回読めば、かなり理解できるようになるよ
史記の世家なら国ごとの歴史がまとまってるので読みやすいかな。
ちなみに列伝は人物ごと。
同じような質問が多いので、次のスレからはテンプレ作っておくかい?
212 :
世良田二郎三郎:04/06/30 18:36
>>211 良いかも知れませんね。
公務員さん、ボーナスでたんですね。平均で63万かぁ、うらやますぃ。
新釈漢文大系が気兼ねなく買えるような懐具合になってみたいもんだ…
213 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/07/01 11:26
ボーナスか。ウチの会社で、その名に値する金額が出てたのは
何年前くらいまでだったろう(遠い目…
「新釈…」は古本でも高いですもんね。
岩波で文庫にでもしてくれると嬉しいですけどね。
214 :
世界@名無史さん:04/07/01 11:43
天問!
某姫とかって、もとは姫姓出身の女性を指したものだとか。
ダッキは姫姓、婦好は子姓、孟姜女は姜姓。
上代中国の女性の名前は他にどんなものがあるの?
なぜ妲己が姫姓?
>>214 >>215もツッコミ入れてるけど、妲己は姫姓じゃないな。
古代中国の女性の名前というと、周の幽王の后の褒[女似](笑わない人)とか
晋の献公の后の驪姫とか。
あと、夏の桀王の后はなんていうんだっけ?漢字が分からん。
217 :
世界@名無史さん:04/07/01 12:29
>>215-216 ダッキの己は妃の字と関係あるかな?妃って言う姓はあったの?
ホージのジも姓かしら。
妹嬉
確かに春秋戦国とは関係ないが、自分で調べような
筑摩書房「史記」全八巻って読んだ人いる?
今日本屋で見かけたんだけど、買おうかどうか迷ってる。
岩波文庫のなら全部読んだけど。面白かったよ。
>>221 筑摩のは正直あまりお勧めできない。
注釈がまったくついてないし、難しい言葉はほとんど言い換えられちゃってるから
己姓なら殷代にあったような気がする
>>222 岩波も選択肢の内の一つなんだよな。安いし。
>>223 そうだったのか・・・岩波にしようかな。
でも岩波のヤツは本紀も書も表もないんだよね・・・
漏れが持ってるのは岩波の列伝&世家+筑摩の本紀&書&表だなぁ。
岩波は詳細な訳註がついてて良いよ。本紀がないのが残念。お金があれば新釈漢文大系。
表は岩波もちくまも抄訳だし、新釈〜は未刊行だからあきらめて原文で読むべし。
史記なら岩波文庫がだんぜんイチオシだよ。
1、訳文がうまいし組版が読みやすい
2、注釈が豊富な上、本文では年代がでると()で西暦表示がある
世家&列伝はちくまで補うという226のやり方が一番正解だと思う。
(漏れはちくまはもってないが)
皆さんレスサンクス!
岩波を買うことにします。
>>214 当時の女性の呼び方は基本は「○+姓」
なので姓の部分は姫・[女以]・姜・嬴・羋といったのがはいる
○の部分はいろいろあって
A.姉妹の序列-----孟・仲・叔・季など
B.出生地の国名---斉・陳・晋・驪など
C.夫の邑名や氏---孔・棠・夏など
D.夫の諡---------桓・敬・文など
大きく分けるとこんな感じになる
哀姜
>>230 Dについては「夫の」がいらないでしょ。
簫同叔子の場合はどれにあたるんだろう?
>>232 確かに哀姜のように女性に諡がつけられる場合もあるけど
調べた限りそっちのほうが稀なケースで、
秦の穆姫、晋の懐嬴、衛の荘姜のように夫の諡を使ったのが一般的だったらしい。
今、夏姫に中だししてきますた
>>234 そうなんだ。父のの方が一般的かとおもたよ。
235 君は長生き出来ないかもよ。
>>233 蕭出身で三女ってのは想像できるが子姓かどうかはわかんないな
同はなんだろうか、本によっては桐って書く場合もあるけど氏か字かな?
春秋戦国新聞なる書物があることを知り、早速ネットで注文してみました。
絶版でしたorz
240 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/07/12 17:40
>>235 風を感じませんでしたか?
>>239 姉妹版で「三国志新聞」ってのがあって、それなら持ってます。
そちらの方は、正史より演義ベースで、お笑いネタですけどね。
「
>>235はまもなく死ぬだろう。中だしとは子孫を増やすための大切な儀式であるのに、
己の邪な感情のままに
>>235は夏姫に中だしした。
これは礼に反している。とても無事には終わるまい」(→平十六3)
(岩波風に)
245 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/07/15 12:11
>>244 可能性は低いかもしれませんが、「日本の古本屋」で検索をかけてみられては?
エン師商城が成湯の都で確定。
と、讀賣に出てたんですが、二里岡文化が商で二里頭文化が夏
って言うのは、ずいぶん前から言われてたよーな。
何か重大な証拠でも出てきたんですかね?
247 :
世界@名無史さん:04/07/21 20:03
滅国age
248 :
世界@名無史さん:04/07/25 18:24
質問です。『史記』の商君列伝の記述(商君の事績)は実は真偽のほどは
わからない、とか最近読んだのですが、本当ですか?
250 :
世界@名無史さん:04/07/30 22:57
竹書紀年の落ち穂拾い本(『輯校』とか『輯證』)が
一度も翻訳されたことないのってなぜなの?
最近の先秦研究では竹書紀年に言及してないものはないのに。
だから平勢先生に煙に巻かれてしまうのだw。
最初に出すのは平凡社か明治書院か明徳か?
逸周書も翻訳本ないね
やっぱり一般に需要がないからかな
252 :
世界@名無史さん:04/08/01 17:02
で、おまいら、春秋戦国で一番好きなキャラは誰なの?
漏れはNo1は越の范蠡で、No2は秦の范雎、No3は楽毅
253 :
どうでもいいことだけど:04/08/01 18:35
そういえば消防の頃、春秋戦国時代っていうの知って、中国には日本より2000年も前に戦国時代があったのかと驚いたものだな。
254 :
世界@名無史さん:04/08/01 18:45
あと南北朝時代もね。
>>252 こんな感じ。3番はなかなか決めきれない
楚好きなので孫叔敖はやっぱり別格。。。
1.楚の孫叔敖
2.秦の商鞅
3.晋の先軫、魯の臧孫達、楚の爲賈・・・
診療君
資産
五指所
キャラって…
258 :
世界@名無史さん:04/08/02 00:17
春秋時代に限定すれば
君主編 衛の懿公 曹の共公 斉の景公
宰相編 斉の管仲 宋の華元 晋の趙簡子
将軍編 魯の曹沫 斉の晏弱 楚の申包ショ
その他 陽虎
>>255 驚いた。
俺と同じ様に孫叔敖がいちばん好きな人間がいたとは……。
温厚篤実で清廉な大臣が人気なんだな〜。孫叔敖とか子産とか
ところで
>>258の晏弱って晏嬰の父親ですよね?
ワタシ、この人の事跡としては、莱(?)を攻め落としたことと、
晋(これもあやふや)かどこかに使者として行って、監禁されたことぐらいしかしらないですけど、
なにか他にありますか?
後世、宮城谷の小説の実質的主人公になったという大きな事績が…
>>261 そうだったんですか・・・調べて見たら納得しました。
宮城谷さんの小説は「猛将君」二巻までを読んだだけなので・・・
5死所が2chにいれば、きっと優秀な荒らしになったね。
264 :
世界@名無史さん:04/08/03 13:48
>>261「重耳」を読めば武公を
「晏子」を読めば晏弱を
「子産」を読めば子国を
「孟嘗君」を読めば白圭をとなってしまいますw
いっぱいいるけど、あえて3人だけ選ぶとしたら
子産 趙盾 屈原
ってところかな
文人に魅力的な人が多い良い時代だな
でも肉食うやつらは頭が悪いらしいぞ
267 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/08/04 08:02
なんか春秋の人間が人気高いですな。
とかいいつつ自分も孫武・晏嬰・藺相如ですが。
炉国に逝きたい
春秋なら士会、韓欠、陽虎
戦国だと秦に固まっちゃうな…
商君、穣公、呂不韋で
>>267 265じゃないけど趙盾ってのは分かるような気もする
自分の悪名に頓着せずに(自分の価値観での)正義を貫くと言うのかな
一歩間違えれば独善で、実際独善だったわけだが
ただし崔杼とかと違って濡れ衣なのに、史官による弑君記述にも誅殺で
報いたりしなかったし、それなりに筋の通った人物のようにも思える
穣公好きってのも珍しい気がするね
272 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/08/04 14:35
え、陽虎いいじゃん
漏れも陽虎すき。人気あると思ってたけど…
陽虎ってどうしても悪人っていうイメージがついちゃってるからね
でもおれも嫌いじゃないな
魯の実権握ろうとしたときも、当時は三桓が力持ってて
魯公なんて飾りだったしな。やってることは三桓と大して変わらん。
今までやりたい放題だった三桓をぼこぼこにしてるところに逆にスッキリした。
あと趙鞅の下についてからもいい働きしてるしね。
自分のやりたいように行動した自由人って感じだな
呉智英によると孔子と陽虎はじつは仲が良かった説いってなかった?
>>275 >あと趙鞅の下についてから
左氏伝の中の、趙鞅、カイガイ、陽虎が対中行氏&范氏&斉の戦いの後で
武功争いしてるトコが好きだなあ
>>276 なんか風貌がそっくりだったとかってちょっと前になんかの番組で見たなあ
それがほんとなら、血縁があったのかな?
そうでなくても対三桓で、一時的に組んでた時期があったのかもね
ようこそ陽虎
>>278 徹夜あけでハイになってるせいか面白すぎて笑いが止まらない
元ネタが「アイドル天使ようこそよう子」だって知っているともっと笑えるよん。
陽虎の陽は太陽の陽!
いや笑えないから
陽虎といえば、『陋巷に在り』の続編でまた登場して欲しいものだ
>>280 知ってるよ。でも知らない奴も多そうだから解説ありが屯。
陽貨って、陽虎と同じだよね。なんで名前ちがってんの?
>>283 論語や孟子には陽貨で載ってるらしい
正確な理由はわからないけど、推測すると
1.虎と貨の韻が同じ
2.改名した
3.名が間違って伝わった
4.どちらかが字
中国語わからんから1については確証がもてない
2あたりが正解に近い気がする
もしかしたら陽虎の名は孔門の間ではタブーだったんじゃ?
だから論語ではごまかしたとか
286 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/08/10 08:04
しかし、好きなキャラBest3って、なかなか難しいですね。
私も皆さんみたいにやってみようと思ったけれど、絞り切れない…
>>259で既に書いてるけど、孫叔敖の他では、士燮と胥臣が好き。
たぶん「国語」と「左伝」の影響なんだろうけど。
288 :
世界@名無史さん:04/08/16 21:49
>>287 晋の貴族は個性的で人気ありますよね。
特に士氏は士会・士燮の清廉さと士カイ・士鞅のやりたい放題がなかなか人気あるようです
個人的には小悪党―君子―タフガイ+任侠とつづく郤氏が好きなんですけどね。
あとは「孟夏の太陽」の影響あってか趙氏にも特別な思い入れがあります。「孟夏の太陽」の
趙武保護コンビと趙鞅はカッコよかった。男としての生き方では先軫。
あとは智氏に韓欠韓起、咎犯、魏氏、胥臣、叔向なんか人気じゃないでしょうか。
ってなわけで、自分は晋貴族のBEST3選びます。ズバリ
@趙武(人柄と生きる姿勢の高潔さは随一)
A士会(オールラウンドの神)
B郤克(激烈な自我に猛烈な復讐心は無敵)
それにしても、晋は貴族間の栄枯盛衰が激しかったから、自然と人生観や洞察力磨かれてる
卿が多いですよね。趙武が卿たちのところに挨拶回りに行ったときの話なんかそのまま現代
の教訓にもなると思うんですけれども…
>>288 趙武を首位にしたあなたは、『左伝』を読まない方がいいと思われ。
この時代も、三國志の「演義」と「正史」よろしく
「宮城谷本」と「原本」がごっちゃになってるような・・・
しかも三國志のような正史支持者もあまりいないので、
小説の話なのか史書に書かれた話なのか全く分からないことがある。
宮城谷小説のことはネットで調べればうじゃうじゃでてくるから想像つくけど、
宮城谷を読んでない(というか、一冊読んで止めた)私のような人間からすると
「華元みたいなおっとりとした宰相がいいよね」とか「子国と晏弱はどっちが名将だろう」
みたいな会話がでると頭の中に「!?」が飛び回ります
>>290 あなたの言いたい事、ひじょうによくわかる。
俺は両方を経験した人間だけど、それでも
>「華元みたいなおっとりとした宰相がいいよね」とか「子国と晏弱はどっちが名将だろう」
>みたいな会話がでると頭の中に「!?」が飛び回ります
に関しては同意する。
あくまでも小説と割りきっておかないとね。
しかもここ世界史板じゃねえか・・・
三戦のほうがマシな話題してるぞ
管仲は斉と燕と楚の三つを陰王の国としているらしいが、
斉と楚はともかく、ツバメは激しくしょぼいな。
目立ったのと言えば楽毅と荊軻ぐらいか。
田舎過ぎたのかねえ、今は首都所在地なのだが。
294 :
世界@名無史さん:04/08/18 01:51
教えてエラオイ人。
杵臼と鄭嬰の逸話って、史記には載ってるけど左伝には出てないよね。
司馬遷はどっから引用したのでそう?
趙文子って左伝読んでも、イイ人だよなあ。
>>286 おまいは黙って楽毅と書いておきなさい。
@秦の趙高
A楚の費無忌
B楚の李園
>>290 「子国と晏弱はどっちが名将だろう」ってのは
2人を比較してどちらが優れてるかってことだから別にいいんでないか?
曹仁と曹洪どっちが名将?みたいなもんだし
どんな質問でも、答える人が世界史板らしく史書をもとに考察して答えてあげればいいんでないかな
さすがに「春秋戦国期一の名将は子国と晏弱のどちらかだ!」っていうんだったらやばいけどね
でも「華元みたいなおっとりとした宰相がいいよね」っていうのが
場に合わないというのは同意
>>297 子国と晏弱が史書にどれくらい載っているか調べてから書きやがれ
>>299 なんでこう噛み付くことしかできないやつが多いんだろうか
子国と晏弱を例にとってたからたまたまそれを引用しただけ
2人についてどれだけ資料があるとか、どういう人だっていう
ことに関しては今回まったく触れていないし、それを問題にしているわけでもない
ようはどんな質問であっても学術的に答えを返してあげるのが
世界史板ってことをいいたかったんだがな
書経読んだけど難しいね。いまいちおれにはあわなかった
次は淮南子読んでみるっす。
>>301 そんなYOUは絶対易経には触れてはいけません
>>293 燕は国そのものがしょぼいとは思わないけど
たしかに人物は少ないね
易経読むなら、50本ほど細長い棒を用意して、
いろいろ占ってみながら読んでみるなんていいんじゃないかい。
3枚の貨幣でやる擲銭法もある。
305 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/08/19 12:21
易経は読まなくてもいいでしょ・・・
>>306 春秋戦国以降〜秦漢帝国成立の理論となった易姓革命の理論の原点を知らずして何を語るかっ!
ってそんな事書いてあったかな。
易が転じるから王朝交代って理論は『孟子』の創作だっけ?
え?
易姓革命ってのは単に
(王家の)姓を易(か)え、(天)命が革(あらた)まる
の意味じゃないのか?
易経は訳分からん
でも後漢の士大夫層では、易は七歳で学ぶものなんだよね、たしか。
七穆と夏姫
312 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/08/27 08:10
何やら下がってきているので、埋め草のつもりで私のベスト3を。
管仲、孔丘、呉起、でいかがでしょうか?
いかがでしょうといわれても・・・
まあ、各自の好き好きだからねぇ。
314 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/09/01 18:26
>>313 ごもっとも!
しかし、孔子って、人気ないんですかね?
今までには名前が出て来なかったですね。
孔丘よりも後宮の方が好きだから
漏れも後宮の方が好きだなぁ。
自宮しようかな。
今まで、史記、左伝、論語、韓非子と読んで来ました。
戦国策を読んでみたいのですが、文庫本は出てますか?
あと国内で手に入るものとしては他になにがありますか?
>>317 戦国策なら平凡社東洋文庫のヤツがオンデマンド版で入手可能だったはず。
3570円×3冊だけど。
戦国策、お茶の水の湯島聖堂で売ってるよ。
322 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/09/02 18:23
>>315 >孔丘よりも後宮の方が好きだから
ワロタが漏れも同じだ
電探=スケベ
『陋巷に在り』の孔丘なら好きだけど・・・
まあ、他の人物の好き嫌いも
○○の小説のなかの伍子胥が好き
というようなのが多いんでしょうが・・・
平凡社の戦国策なら、中国古典文学大系の端本、
古本で探せば1000円くらいで買えるがね
『国語』の完全版は明治書院の高い奴しかないのが残念
平凡社のは抜粋
孔子は日頃、子路を馬鹿にしてるくせに
肝心なときには軽率さを子路にたしなめられて
ショボボーンとなるのがマヌケでよい
いいコンビだったんだろうな
329 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/09/03 08:06
私も孔子と子路の関係が好きなんですよ。
孔子が可愛がった二人、顔回と子路は孔子の静と動を切り抜いた感じだな。
331 :
世界@名無史さん:04/09/04 16:15
新釈漢文大系なら図書館で借りられるよ
332 :
世界@名無史さん:04/09/07 00:52
楚の官職名って、やけにカッコ良いのだが、(令尹とか)
誰か、楚と他の国の官職名を対応させて教えてください。
あと、どっかの国は官職名が鳥の名になってる国もあったよね。
そういうのって、どこで調べられますか?
鳥の名になってるのは金天氏だっけ?
↑
弐本でしょ。
蔵造りの鳥とか街道一の弓鳥とか
あと鳥取ってのもあったな。
335 :
世界@名無史さん:04/09/07 14:53
ちょいと質問があります。なぜ城僕の戦いで楚の成王は自分だけ退却して子玉に晋軍と
戦わせたのでしょうか?数的には不利であったのに、勝つ打算があったのだろうか?
いきなりの質問でしゅいません
336 :
世界@名無史さん:04/09/07 19:59
テスト
>>332 > あと、どっかの国は官職名が鳥の名になってる国もあったよね。
> そういうのって、どこで調べられますか?
『春秋左氏伝』昭公十七年を見よ
それは魯の属国・郯(たん)。正確には、郯国の先祖である少皥の治世時には、
鳥名をもって官職名としたが、顓頊以降はこの命名スタイルはすたれた。
春秋時代に、郯国でもこのような官職名が適用されていたわけではなかろう。
その由来などはわからなくなっていたが、郯国にのみそれが伝わっていて、
これを聞いて孔子が感心した、という話。
>>335 成王は晋とは戦うべきではないと後退したけど
子玉が命令に従わず戦いたいと言ったから
成王が怒って勝手に行かせた
338に追記
なぜ子玉は進軍にこだわったかというのは
重耳が楚に来てたとき、重耳が「三舎退く」って言ったことが気に入らなく
前々から重耳を殺したかったっていうことと
爲賈に「子玉は将の器じゃない」って言われたのを気にしてたから
どうしても結果をだしたかった
>>337 少昊だったら、やっぱり金天氏で合ってたじゃん。…でいいんだっけ???
341 :
世界@名無史さん:04/09/08 05:20
韓国建国の2000年以上も前の話題が中心のスレで韓国持ち出すなよ・・・。
344 :
世界@名無史さん:04/09/10 04:06
で、誰か楚と他の国の官職名一覧表を教えてよ。
楚の莫劫ってのは、他国では何の位にあたるんだ?
『春秋大事表』読め。
顧棟高
347 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/09/15 17:54:27
>>345 『春秋大事表』で調べると、次のように出てきますた。
清の顧棟高の編。春秋三伝を経書としてではなく、史料として用いる場合、
本書の助けなしには読めない。『春秋左氏傳』を中心に、春秋時代の事迹を
表や志の体例を用い、項目別に記事を整理したもので、精密をもって知られる。
例えば、「春秋朔閏表」「春秋列國爵姓及存滅表」「春秋列國地形犬牙相錯表」
等である。中華書局から索引つきの標点本が出版され利用しやすくなった。
ちなみに、列国の存滅に関しては、金文資料をふんだんに用いて地名考証も
詳しい陳槃『春秋大事表列國爵姓及存滅表譔異(三訂本)』(中央研究院歴史
語言研究所)、『不見于春秋大事表之春秋方國稿』(同)がある。また、
陳槃『左氏春秋義例辨(重訂再版本)』(中央研究院歴史語言研究所)も
參考になる。なお、先秦の人名に關しては、周法高『周秦名字解詁彙釋』・
『周秦名字解詁彙釋補編』(中華叢書委員會)、程發軔『春秋人譜』
(臺灣商務印書館)がある。
漏れには読めそうにない…
348 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/09/22 17:47:35
えらく沈んでいますので、ageときます。
趙の武霊王が騎馬隊を作ったってのは有名だけど
戦車はいつごろ誰が使ったのが最初なんでしょうか?
また、戦車が普及するまえの戦闘は歩兵だけで
騎乗兵はいなかったのでしょうか?
>>349 中華と言われる範囲では馬に直接乗る習慣は一般的じゃなかったんでしょ。
馬や牛はあくまで「エンジン」だった。
351 :
世界@名無史さん:04/09/30 11:34:33
>>349 伝説上だと黄帝の時代から戦車ありましたよね?
敵が霧を出してきたので磁石つけた指南車で方向探って戦ったってやつ。
あれ?戦車と指南車って厳密には違うのでしょうか
352 :
世界@名無史さん:04/09/30 13:21:10
漢の武帝は「我は商王朝の末裔である」って公言したらしいね。
どうやら劉氏は宋の君主の一族がハイの国に逃げて土民になった宋の国主を
祖としているらしいね
>>352 漢の高祖劉邦の祖先が春秋期の士会だから祁姓。
宋は子姓だから、漢の武帝と商は関係ないと思うんだけど
おれの勘違いかな?その話の出典はなにか教えて。
354 :
世界@名無史さん:04/10/01 00:23:26
えええ、劉氏の祖先って士会なの?
それもまた聞いた事がない
355 :
世界@名無史さん:04/10/01 00:37:31
>>349 今日ブックオフで横山光輝の史記立ち読みしたんだけど、
斉桓晋文のころから中国人は馬に乗ってたらしいよ。
范氏の出だとはあるが、
士会の直系子孫とは無いな。
士会が秦から晋に戻ったとき、晋にもどらず秦にとどまった一族がいて
その人たちが劉氏を名乗った。
劉邦はその人たちの末裔ということになってたはず
>>355 横山光輝氏の漫画では殷周伝説でも馬に乗ってるね・・・。
当時の服装は男でもスカート状だったから騎乗には向かなかった
戦車に立ち乗りが一般的だったみたい
359 :
世界@名無史さん:04/10/01 01:24:42
殷代の服装装具って弥生時代の日本の衣服みたいなもんだろ。
布を縫い合わせるだけの
逆に
>>352がどこでその話をみつけてきたのか気になる・・・
363 :
世界@名無史さん:04/10/01 14:33:32
因みに
>>362のサイトは安陽市のもので、婦好墓出土の玉器であることが
明記されている。
366 :
世界@名無史さん:04/10/01 15:43:10
つーか青銅の鋳造技術が優れていただけの殷が
まともな衣類を精製できるはずがない
殷代には既に装飾を施した絹織物があったことが、出土品に
付着していた布から知られている。煽りも程々に。
>>362 その写真だと確かに着物みたいなタイプの服で
それを帯で留めてる様にみえるね。深衣ってやつかな?
それとは別に上衣下衣分かれてて、上は着物タイプで前を重ね合わせて着て
下はスカートみたいなものを穿くっていう服装もある。もちろん帯も使う。
他にもいろいろあるけど、士大夫層はそれらを重ね着してたようだ
殷の時代なら既に蜀絹が入ってきていたらしいしな
370 :
世界@名無史さん:04/10/01 20:43:09
殷周伝説は後世の成立した小説でしょうから
馬に乗る風俗があったとしても実際にもあったとはいえませんね?
>斉桓晋文のころから中国人は馬に乗ってたらしいよ。
そういや管仲が矢を射て敵方の王子(桓公)のベルトに当たったときは
騎馬だったのか戦車に乗ってたのか、どっちでしょう?
(なんかビジュアル的には騎馬のイメージで記憶してる。)
兵車に乗ってたんじゃないの?
馬だったら落馬してやばやば。
372 :
世界@名無史さん:04/10/01 21:38:13
当然ながら戦車である
373 :
世界@名無史さん:04/10/01 21:54:31
桓公の時代に帯の留め金などなかったから、本当は御者に当たったのを
遠目で桓公に当たったものと勘違いしたらしい。
斉公紀より
374 :
世界@名無史さん:04/10/02 23:48:36
>>373 これだと、車に乗った複数人のうち、目標人物にあたったかどうか
当然確認すべきことをやってない管仲はすんげー間抜けじゃないですか?
桓公が死んだふりしても車上に2人死んでれば不審に思わないのかな?
(1発打っただけじゃなくて雨あられと射たんですかね?
だとしたら桓公の運はすごいな。)
素人の唐突な質問なんですが……
『史記』と『竹書紀年』と『資治通鑑』をベースに魏の年表を洗おうとしたんですけど、
文侯・武侯の時代でえらい混乱してくる。
これって、やっぱり『竹書紀年』の方が正しいんでしょうか?
にしてもわけわからんです。どなたか詳しい人、救いの手を……
古本竹書ね
そこで平勢タンの登場です。
> 魏の年表を洗おうとしたんですけど、
そんなマニアックな試みしてるくせに平勢隆郎も知らないのか・・・・。
無謀じゃない?
>>378 いえ、平勢氏は知ってますし著作も読んだ事はあるのですが、それでも……
とりあえず「新編史記東周年表」は見ておくべきなんじゃないの。
国によって刀銭、布銭、円銭と異なる貨幣が使われてたけど
他国の人が異なる貨幣の国に来たとき買い物はどうしたんだろ
商人は他国とも取引できるからそのまま違う貨幣でも取引を行ったのかな
それとも両替みたいなのがあったのかな
あと、貨幣の価値って国々で差はなかったのだろうか
古代の貨幣経済って金属の重さで物と物々交換ってことなんでそのままでも通じるでしょ
383 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/10/14 17:40:03
保守age
384 :
世界@名無史さん:04/10/15 13:58:11
なんとなく昔香港で買った『東周列国史』読んでます。
なかなかおもしろいですが左伝はいまだに読んだことがありません。
385 :
世界@名無史さん:04/10/25 01:07:18
田単さん今月、宮城谷さんが戦国名臣列伝であなたのことを書いていますよ。
386 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/10/25 18:40:57
>>385 お、そうですか。
しかし、それってハードカバーですよね。だったら立ち読みどまりですな。
最近は文庫しか買えない懐具合なもので(泣
389 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/10/27 08:06:06
>>387 昨日、本屋で読んできました。
ま、あんなもんなんでしょうが、やはり斉の回復で終わってしまうんですね。
氏の小説のパターンでもあるのですが、もうちょっとその後のことにも触れて
欲しい気が…。
今、氏の「三国志」がでてますが、誰を軸にするかにもよりますが、この調子
だと、たとえば劉備が蜀にはいったところで終わりとか、そんな展開になる
悪寒します。
>>389 赤壁もやらない内にいきなり泰山の封禅で終わったり、黄巾賊との決着早々
終了したりする三国志漫画も有りますし、贅沢を言ってはイケナイと思いますよ
>>389 あのあたりで終えた方が田単の名誉のためかも。
他にも、襄王が田単の名声を妬んで軽んじるのを余人が諌めた話はあるけど、
趙奢に時勢眼無しと論破される話とか、あの後の事績は見栄えがしないし。
小説なら、田単と楽毅のライバル物仕立てにするのがよいと思ウヨ。
これなら晩年の対比もそれなりに作り込めそうな気がする。
393 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/10/27 18:39:27
>>392 「楽毅」では、その辺は軽く流してましたからね。
田単と楽毅のライバル物かぁ。屈指の名作になりそうで萌え萌えー
395 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/10/28 08:04:36
ところで、上記の読み物の文中に、楽毅が騎兵で長躯攻め寄せたように
記載されていますが、この時期って騎兵は一般的だったのですかね?
ちょうど武霊王の胡服騎射の前後ですよね。
異民族との抗争のある燕であれば、中原の諸国よりも騎兵の導入には前向きかも。
秦開のような将もいることだし。
397 :
世界@名無史さん:04/10/28 21:43:01
そういえば秦開が燕の長城を築いたって話を聞いたのですが本当でしょうか?
燕の長城を築いたのは燕の昭王。
秦開の功績は東胡を侵略して北へ千里しりぞかせたこと。
(そして得た新領地に昭王は右北平から遼東までの五郡を設置した。)
しかし、右北平から遼東までの五郡、東西二千里の地は
郡制が敷かれてなかっただけで、実はずっと前から燕の勢力圏だったらしい。
したがって秦開の功績は、一時的に侵攻してきた東胡を撃退しただけ。
399 :
世界@名無史さん:04/11/01 22:30:55
>>398説明あんがと、つまり秦開の功績は反乱や斉の侵略を受けて燕が弱まってる時に東胡に奪われた土地を取り返したってわけですね
>>399 秦開の功績について少し訂正。
1)東胡を撃退し北へ千里しりぞかせた
2)造陽から襄平に至る二千里の長城を築いた
3)満潘汗(平安北道の博川)に至り(朝鮮との)境界線とした
4)長城の南側の領土を上谷・漁陽・右北平・遼西・遼東の五郡に再編
このうち1)は新領土ではなく奪回だったらしいことは
>>398のとおり。
2)3)4)は燕の昭王のやったことだが直接の現地指揮官は秦開だったので
秦開の功績といってもいいんじゃないかと思う。
(ちなみに「魏略」は2)3)について秦開のやったこととしている)
>>397-399 たびたび訂正すんまそん
史記は1)2)4)を秦開の功績としている。
3)は魏略による追加。
(ただし史記は長城の長さを二千里とはしていない。二千里というのは魏略による補足)
402 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/11/09 08:17:43
スレ違いですが、宮城谷氏の「三国志」第2巻が出てましたが、まだ
一般の三国志の時代じゃない。この調子で晋の統一まで書いたら、
一体どれだけの量になるのか…
しかし、氏はもう春秋戦国は書かないのですかね?
どうせならゴシショかいて欲しかった
404 :
世界@名無史さん:04/11/10 00:23:26
やっぱり宮城谷さんは中国古代書いてなんぼってかんじがするからねぇ
>>404 しかも聖人君子系キャラね。清濁併せ呑むタイプはイマイチ映えない。
昔はまだ箕子みたいな、ひねくれた君子も書けてたのにな
太公望を読むと、もう駄目だ。しか出なかったね
宮城谷は最初よかったけどだんだんダメになって太公望がドン底の駄作。
しかしその後、楽毅でものすごく持ち直したと思う。
楽毅なんてただのヒーローものじゃん
完璧すぎて人間味がない。
そうかぁ?漏れは宮城谷のいいところが出てて面白いと思ったけどなあ。
410 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/11/11 08:08:10
>>409同意
管仲、楚の荘王、孔子、呉越の攻防、信陵君あたりを書いてほしいんですけどねぇ。
>>410 管仲はこないだ出たじゃないの。読んでねえけど。
宮城谷は重耳で賞を取るまでの作品が好きだ
413 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/11/11 17:52:03
>>411 出てますね。
ハードカバーは注意深く見てないもんで…(汗
田単の野望(発売元光栄)
コーエーは項劉記をリメイクして、春秋中期から漢楚鼎立までのシナリオを用意すべきだと思う
多分、礼とか仁も能力値化されちゃうんだろうが…
>>416 今のコーエーに何を期待しても無駄。
ユーザーを舐めてるし、無双以降の腐れっぷりはどうにもならん。
スレ違いでもうしわけないけど。
申し訳ないと思うなら
いちいち書き込むんじゃねーよ。
この腐れゲーオタが( ゚д゚)、ペッ
コーエーは項劉記と三国志シリーズとのぶやぼのシステムをリメイクして、
殷周革命から呉楚七国の乱までのシナリオを用意すべきだと思う
多分、礼とか仁とかも能力値化されちゃうんだろうが…
>礼とか仁とかも能力値化されちゃうんだろうが…
少なくとも、
>>418を数値化しても、そのあたりの数値ははげしく0に近そう
421 :
世界@名無史さん:04/11/16 21:49:40
春秋戦国のゲーム何でももいいから出してほしいよ
422 :
世界@名無史さん:04/11/17 01:22:28
中島敦の『弟子』に出てくる子路に萌え萌え。
>>421 禿銅。
「孫子」とか昔は一時、名作と言われてたんで、
そのうちゲーム機に移植されるかと思ってたんだが・・・・・・
維新の嵐の説得システムの流用で、遊説家が主人公のゲームを光栄が・・・
koeiに新規素材の開発はもう期待しても無駄
なんか光栄の話になると必死に出てくるのがいるな
それより早くチン5開発しやがれ
429 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/11/18 08:07:35
ゲームの話はちょっとスレ違いなような気がしますが。
430 :
世界@名無史さん:04/11/19 00:27:59
いきなり質問ですが、 士会の作った法とはどのようなものだったのでしょうか?宮城谷氏の小説で興味を持ったので・・
431 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/11/25 08:00:51
{管仲」第1巻読んだ方いらっしゃいます?
寒中と裸寒中ってなんか関係あるの?
433 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/12/01 17:50:14
宮城谷氏の今月の「オール読物」は屈原でしたね。
私、屈原って何となく好きになれないんですよね。
436 :
世界@名無史さん:04/12/06 01:12:37
433>>屈原の話より藍田の戦いとかの秦と楚の戦いの方が面白かった。
437 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/12/06 12:08:23
>>434 まぁ、端的にいえば
>>435に近い表現になるんでしょうがw
楚n高官として、他に手段はなかったの?って感じでしょうか?
>>436読んでみます。
438 :
世界@名無史さん:04/12/09 13:01:23
「太子」と「大子」どっちが正しいの?
なんか誤植でもめてる雑誌もあるみたいだけど、春秋左氏伝の岩波版では
王位継承者のことは「大子」って表記されてるよね。
太子
440 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/12/13 18:46:15
オール読物読んできました。
「ベンチがアホやから、野球できない」って感じですね>楚の懐王
禿しくスレ違いだが、エゲレス「女王」の愚息がなんで「皇」太子なのかよー分からん。
442 :
世界@名無史さん:04/12/14 17:49:34
「大英帝国」だったころの名残では?実際インド帝国の皇帝でもあったわけだし、
戦前の新聞などではイギリス王のことを「英国皇帝陛下」と記述していた時期も
あるようだしね。イギリスとの関係が悪くなり出した頃から、意図的に
「王」の呼称を使い始めたという説もある(天皇より格下だという意味で)。
そのころ英国の太子をどう呼んでいたかは知らないが、「王太子」という言葉は
馴染みがないし、そのままにされたんじゃないかな。
443 :
世界@名無史さん:04/12/14 19:34:19
士イがなった大司空って何?
444 :
世界@名無史さん:04/12/14 21:26:26
>>441 序列的に 皇>帝>王>覇 なので、
日本の皇位継承者が「皇太子」なのに英国の継承者を「王太子」と言うと見下げることになるから。
>>444 それをいうなら太子だけではなく「王」号も見下下手いることになりますが?
これからはエリザベス女王のことも女「王」と呼ぶことは出来ませんねw
447 :
世界@名無史さん:04/12/15 22:45:22
>>445 覇者という意味では。(春秋の五覇)
王の権力が弱いときに、代わりに諸侯を集め会議(会盟)を主催するだけの力を持った人
448 :
世界@名無史さん:04/12/15 23:10:15
>>443 御史大夫(官職名)のこと。
漢代の一時期「大司空」と変更した。
449 :
世界@名無史さん:04/12/15 23:19:25
>>448(自己レス)
ん?そういやここは春秋時代だな。
春秋時代には「大司空」はないはずだ。
「司空」は周代以来の官職名だが。
>>443 司空は開拓事業や工事といった土地に関することや
国民に関することを管理してた職だけど、大がつくと何が変わるかはわからん
451 :
世界@名無史さん:04/12/16 01:20:51
なんで司「空」なんだろう?
お空と関係ないのに。
>451
「空いてるところ」を司る かも?
建設大臣みたいな職種だし
>>444 漏れはずっと、覇>王、だと思ってた。
「覇」は何人かいる王の中で一番エロい王のことだと思ってたYO。
春秋の覇者のイメージあるからなぁ
俺も覇>王って思ってたけど、よく考えたら、蛮地除いて他の奴ら王じゃあないな
455 :
世界@名無史さん:04/12/17 04:42:04
>英国の皇太子
近代以後は、君主の称号が「王」だろうと「皇帝」だろうと
国民国家の元首という線で対等ということにしたので
英国の王は「王」なのに殿下じゃなくて「陛下」だし
世継ぎも「皇太子」というんだよ。漢文の筋からいえば誤訳も甚だしいけど
まぁあくまで「現代語」ということで。
>覇と王
春秋時代の王と覇の関係は、日本でいう天皇と将軍みたいな感じ。
>司空
司空の「空」の字は穴カンムリとった「工」の部分が本義。後世の工部尚書。
実際、西周期の青銅器には「司工」という名で出てなかったかな。
456 :
世界@名無史さん:04/12/19 02:11:07
>>453 それと同じ考え方をしたのが項羽だね。
もともと「覇」は「伯」と同じ意味。「諸侯の長」って感じだ。
でも項羽は「覇」って言葉が強そうだしどうしても使いたかった。
しかしそのまま使うと、諸侯クラスの称号になってしまう。「皇帝」を倒した自分には相応しくない。
そこで彼は、王の長という意味で「覇王」という称号を作った。
>>456 いや「覇王」の初出は、越王句践が最初だったと思うよ。
458 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/12/22 18:28:56
保守あげしときます。
白起さんが立てた初代「春秋戦国の名将」の頃は保守上げの必要なんて
なかったのにね…
教えて。
狐毛に子供コシンだっけ?いたと思うけど最後どうなったんだろ?
狐偃の息子が逃走したとき一緒ににげたのかな?
460 :
世界@名無史さん:04/12/23 13:37:00
春秋左氏伝あまりにも中途半端な終わり方に・・・・・。左丘明どうせなら趙無ジュが知ヨウを滅ぼすとこまで書いてくれよ(ToT)
>>趙無ジュ
無恤では?
462 :
460:04/12/24 13:04:29
すんません漢字がでませんでした
463 :
世界@名無史さん:04/12/24 16:05:42
左氏伝をまだ左丘明が書いたと思ってるヤツがいるの(w
とか書いたが、実は俺もよくわからん。
左伝は韓のプロパガンダですよ。
byひらせ
文官A 「孔子の書いた春秋って簡潔すぎてわかりづらいよね
文官B 「そうだね。誰か注釈書でも作ってくれないかな。
文官A 「よしわかった!おれが作ろう
文官B 「いや、おれが作るよ!
左丘明 「いやいや、おれが作るよ
文官A・B 「どうぞどうぞ
・・・こうして春秋左氏伝は作られた
466 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :04/12/28 16:34:41
今月のオール読物の宮城谷氏は蘭相如でしたが、「刎頚の交わり」が
書かれていないのはどんなもんでしょうか?
さて、スレ主の白起さんからスレの運営を依頼されている私ですが、本日より
正月休みに入ってしまいますのでレスの保全ができません。
常連・新規の別は問いませんので、保全をお願い致します。
467 :
世界@名無史さん:05/01/03 22:33:40
ほしゅ
468 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/01/05 18:03:59
な、なんと…
年末の私のレス以降、1つしかレスがついていないとは。
このスレも寂れてしまいましたなぁ(泣
ネタが少ない上に既出ばかりだから…
新発見がそうそうある分野でもないしね
470 :
世界@名無史さん:05/01/05 22:10:01
じゃネタをふってみようということで孫武は実際したかどうか?
レスが少ないので無理矢理レス
>459
死んでだんじゃないかな?
狐射姑が族員の狐鞫居に命じて陽処父を暗殺させた、という
記述があるからその時点では狐射姑が狐の族員の棟梁になって
いたんじゃないかな。
狐偃は狐毛より上には立とうとしなかったし普通に行けば
狐+[さんずい]秦が族長になるはずだけど、早死にして
息子が幼かったかもしくはいなかったため射姑が棟梁に
なったと予測してみる
472 :
世界@名無史さん:05/01/06 02:31:49
狐毛はな宮城谷重耳で父の狐突に「お前才能ないから重耳様の盾となれ」みたいなこと言われてたな(笑)
>>468-470 過去の経験からすると「春秋戦国の列国を現代にたとえると」って奴をやれば
盛り上がるんじゃない? 厨が漏れ以外にも2、3人いないとダメかな。
475 :
世界@名無史さん:05/01/06 13:59:15
>>473 同じ厨ならガンダムにでも例えてしまうとか
476 :
世界@名無史さん:05/01/06 15:53:47
俺らで春秋五覇を決めようぜ
>>475 1st=晋
Ζ=斉
ΖΖ=燕
0083=魏
0080=韓
08小隊=趙
F91=鄭
V=魯
G=楚
X=中山
∀=秦
Seed=呉
SeedDestiny=越
>>476 おもしろそうですね^^
とりあえず、晋の文公を・・・w
479 :
世界@名無史さん:05/01/07 00:12:38
晋のトン公って晋の覇権を取り戻したのになんで春秋五覇の一人に挙げられることがないんだろうね
Wはどこだ
Wは凡でどうだ。楚に滅ぼされた国であったろ、凡。
ああ、W忘れてたな
婦女子人気でしぶとく生き残りそうな辺り、衛でどうか
Wは宋かな
宋=商の祖先は、簡狄が玄鳥の生み落とした卵を丸のみして
生まれた契、ということで鳥つながり
春秋五覇になれるのはその国に最初に覇権をもたらした国君のみ
とかなんじゃなかろうかね
続く者は前の人間の残した道とかがわずかばかりでもあるわけだし
呉王は2人いるけど併記されてる文献は知らん
486 :
世界@名無史さん:05/01/11 02:02:29
苗墳皇
487 :
始祥帝:05/01/11 03:09:44
春秋五覇は力を合わせても朕に敵わぬ
公だの王だの小ざかしい。朕のように皇帝になれや
488 :
世界@名無史さん:05/01/11 06:54:38
文公も放浪時代の私的な義理怨恨に駆られて、
自国にとって無益な戦に派兵したり、
晋分裂の伏線をつくっているし
あまり名君とはいえないんじゃない?
放浪生活自体が認められてるってのがでかいとは感じるな
490 :
世界@名無史さん:05/01/11 10:09:57
晋分裂の伏線って何?
そんなこといったら六卿六氏並立の頃から分裂してんじゃん。
文公は嫡子以外の子供を全部国外に置いたんだっけ?
それに士蔿の公族大粛清と、成公くらいから始まった公族大夫の制度ガあいまった感じか。
ところで、子産以降の鄭の七穆の動向がよくわからん。
結局鄭の滅亡まで七穆が実権を握っていたのか?
495 :
世界@名無史さん:05/01/12 02:26:45
>>488
晋の文公は恨みだけで軍を動かした事はない、衛、曹、鄭を攻めたのは楚に味方したから、そして覇者になるには評判が大事であるから恩ある国を助ける事は悪い事ではない
496 :
495:05/01/12 02:43:49
(続き)
自分の息子達を国外に後継者以外出す事はお家騒動を無くそうとする意図があったと思われるし元々晋は公族が弱かったので文公に晋分裂の責任を責めるのはちょっと酷かなと思う
>>490 遠く溯れば、献公が晋公子たちを大量粛清したため公室に人員が乏しくなり
士大夫を多用したのが伏線といえば伏線かな。
>>494 史記の鄭本家正史の滅亡 糸需公という人が宰相の子陽を殺して
その一党が糸需公を弑殺て乙を立てたとある。
この乙の時に韓が鄭を滅ぼしたみたい。
子揚という人物の先祖が誰か分からないが、子を名のってるから、
七穆の一人の可能性はあると思う。
連投すまそ
>>471 教えてくれてありがとう。俺の予想では
宮城谷小説の中で重耳がコシンに領地をあげた記憶があったから、
荀子みたいに別々に家を構えたと想像をしてた。
狐射姑が賈氏を名乗ってたから、コシンも別の性をなのり、
代々受け継いでたと思いたかった。
500 :
世界@名無史さん:05/01/17 00:01:49
保守かねて。
>>496 コシンは春秋に名前でてきてるか?
宮城谷小説でしか見た事がない。
実在した人物か疑問に残る。
自治厨に三戦板のスレがやられた・・・
>>500 左伝僖公二十五年に温大夫に任命されている。
>>500 僖公25年に記述されてるし、その折には狐溱に温が与えられてる。
(ただしそれ以外の記述がないけど)
ただ温といえば黄河北岸の要衝といってもいい邑だし、その後も郤氏をはじめ
所有者が入れ替わる地。
狐氏は文公にとって股肱の氏族といってもいいし、狐溱に温が与えられたのも
狐氏が信頼されてた証とみれなくもないんじゃないかと。
>>502さんとかぶった
規制されてるし、リロードしてなかったし……
>>502-503 ありがとう。恥ずかしながら知らなかった。
温と言えば、昭公3年にもラン氏が滅亡した時に州県の領土の取り合いの時の趙氏の言葉に
温は趙氏の属県だとあるから、
郤氏の後は趙氏のものになったのかな?
今、春秋読み直してるけどやっぱ面白いわ。
506 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/01/19 17:36:19 0
春秋は平凡社の黄色い表紙のヤツ買ったんですけど、大きいと通勤途中で
読むって訳にもいかず…
岩波文庫のにすれば良かったなぁ。
岩波と平凡社の中身は同じなの?
ちなみに俺は岩波。
平凡社のは持ってないけど、大きい本にしては、文字が細かいから買うの辞めた。
検討じゃないけど、春秋戦国で誰が好きで理由とかある?
俺は狐偃が好きかな
特に城僕の戦いの前の「戦えば諸侯がついてくる」から始まる言葉には体がしびれた。
508 :
世界@名無史さん:05/01/19 21:20:21 O
俺は晋なら先シンかな、宮城谷氏の読んで好きになった、それと最後敵に突っ込む死に方が良い!
509 :
世界@名無史さん:05/01/19 21:21:40 O
三戦版の兄弟スレが潰されてしまった・・・・・
510 :
世界@名無史さん:05/01/19 22:41:48 0
鄭を韓が滅ぼした状況が知りたい
>>507 この手の質問は定期的にでるな
岩波版 関連のある出来事がリンクされていて読みやすい!
索引、系図も充実!文庫サイズで持ち運び楽々!
通勤通学の合間にぜひこの一冊!
平凡社版 サイズは大きいがその分岩波版よりも中身は充実!
初級者から上級者まで納得の読み応え!
値段もお手頃、一家に一冊必需品!
明治書院 高い!でもその価値は充分、絶対損はさせません!
原文、訳、詳しい注釈と期待に応えるこの一冊!
本棚に4巻並んだその壮観さは、お部屋に知的な印象を与えます!
とまあこんな感じだ。
513 :
世界@名無史さん:05/01/19 23:10:02 O
みんな読んでるのって春秋左氏伝?それとも孔子の春秋?
>>512 ループの話題なんだ ここに流れてきて日が浅くてスマソ。
明治書院は手が届かないけど、岩波より内容が充実してるなら一度買ってみようかな。
>>508 先軫いいよね。重耳に信頼厚く、君主に唾をかけて処罰されなかったとか理由で
自らで処分を与えるというのは死に方はすごいと思う。
>>511 楽毅は同じくいいよね。
でも何で斉の2城を攻め落とせなかった(落とさなかったのか)が疑問だけど。
>>513 孔子の春秋って売ってるの?
クヨウ伝は薄い本ででてるのを見た事あるけど、日本語であれば読んでみたいな。
515 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/01/20 15:07:29 0
>>512 素晴らしい説明ですね。
簡潔な文書の中にそれぞれの長所をわかりやすく説明しておられます。
しかし、この説明を読んでると、全部欲しくなる諸刃の剣w
明治書院版を気軽に買える懐具合になりたいものです・・・
516 :
世界@名無史さん:05/01/20 15:11:01 0
くようでん とか、こくりょうデンは、中央研究院にある漢籍を訳せばイイのレス
明治書院は古本でも高いくて買えない。
でもやっぱ新品でほしい。でも買えない。
古本なら四冊一万円くらいであるぞ。
519 :
世界@名無史さん:05/01/20 19:34:32 O
そういえば最近、呂氏春秋が文庫で発売したって聞いたんだけど買った人いる?
>>519 講談社学術文庫のやつがそうなのかな?
ぜひ買わねば
俺は明治書院版を新書で買ってる人間だけど、たしかに
>>512の言うとおり
買って損する事は絶対にないと感じますた。
他にも「戦国策」とか「呂氏春秋」、他にも「礼記」や「大戴礼記」あたりも明治
書院版で買ってるけど、ひとつとして損した気分にはならないし、むしろ高い
だけの事はあるなと納得できたよ。
友人からは「そんなの二十代の趣味じゃない……」と揶揄されたけど……
>>507 俺が一番好きな人物は孫叔敖。
岩波しか持ってないんだけど、そんなに違うの?
>>512さんのを読むと
岩波でかけてる所を平凡社が補っていて
さらに注釈を加えたのが、明治書院ということ?
>>507 俺は叔向
楚が叔向が補佐してる限りと言わしめたのがすごい。
そもそも底本としたテキストと拠った注釈が違う。
このころの中国は良かった・・・
>>522 >岩波でかけてる所を平凡社が補っていて
>さらに注釈を加えたのが、明治書院ということ?
更にたいていの人物や、語句ひとつひとつに解説がついてて、春秋時代特有の
難解な語句も直ぐに感得しつつ読み進めていける。
>>519-520 学術にしては安いほうだから買ってきた
呂氏春秋は読んだ事は、これが初めてだけど面白い。
漢文・古語・現訳すべてのってる。
たぶん呂氏春秋の一部抜粋だと思うのが残念。
呂氏春秋いいね。
ところでたびたび登場する子華子や鄭の子陽って何者だろう?
子華子は晋出身で孔子と同時代に生きた人とあるね。
2巻程本を残してるというから、その当時では有名な人なんだろね。
鄭の子陽はまだでてこないけど、注釈かいてないの?
晋のキゴが解狐や息子を推挙した話あったと思うけど、
春秋左氏伝ではトウ公になってるのに、呂氏では平公の時代の話になってる。
530 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/01/24 18:37:56 0
>>527 ちくま学芸か岩波あたりで完全版を出してくれるとよいんですけどね。
話がわきに逸れるけど、講談社学術文庫ってなんでああも
中途半端なんだろう。学術を名乗りながら原本にあった参
考文献や初出やらを平気で削除したりする。
>>531 何よりも売れないと直ぐに絶版にする。
「学術」というのは嘘っぱちなのさ。
別にいいじゃん。
一般人が「学術」をかじってみるための「文庫」なんだもん。
っていうか、お手ごろで非常いいと思うよ。
非ヲタの一般人には。
まぁ買う人がいるからいいと言えばいいだろうけど。
高い割りに内容が薄いという気はするね。
岩波やちくまあたりが頑張ってくれると嬉しい。
535 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/01/27 18:52:16 0
しかしちくま学芸は高いですな。もう少し値段が下がっry
今月の「オール読物」はもう出たのかな。宮城谷氏は誰を書いてるんでしょうね。
536 :
世界@名無史さん:05/01/27 19:07:51 O
レンパだよ
537 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/01/27 20:00:32 0
>>536 レスさんくすです。
と言うことは、今回「刎頚の交わり」が出てるんでしょうね。
さあ、君も四書五経を読破してみよう!
もしかしたら呂蒙みたいな名将になれる…かもしれないよと
539 :
世界@名無史さん:05/01/30 22:04:51 O
けっきょく春秋左氏伝の信憑性ってどれぐらいのものなんだろうか?
差出んって何?
541 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/01/31 12:11:46 0
>>538 呉下の阿蒙にあらず、ですか。
男子たるもの、3日も顔を合わせないと、目を見開かれるくらい進歩して
いたいおのですね。
>>541 会社の同期はは3年会わない間にすっかり禿げてたりするんだけどね
で、次に3日会わなかったらフサフサに変わっている、と。
目を見開かれるくらい進歩して・・・いる?
544 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/02 08:18:58 0
>>542.543
そういうこともありますなぁ。
カワイイ女の子が変な男にひっかかって、あっという間にケバく
なってしまうこともありますが・・・
545 :
世界@名無史さん:05/02/03 15:58:28 0
某作家はネタがつきたのか、B酷使にスライドしましたな。
困った時のB国司は北方サン同様に便利な逃げ道
三国志→水滸伝→売れなくなって酔虎伝で飲んだ暮れ
漢の時代、それの更に以前の時代の550年間って
なんかもう恐れ多いな
548 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/04 18:22:41 0
オール読物の宮城谷氏が「レンバ」なので・・・
長平で彼が更迭されなかったとしたら、趙に勝機はあったでしょうか?
549 :
世界@名無史さん:05/02/04 19:17:18 0
白起が相手なんだよ
工作してレンバの出陣を防いで戦後、20万人を穴埋したわけだが、
白起にすれば元々ダメモトで工作していたと思うので、
レンバが出たら出たで激戦になっていたと思われ。
もっとも、レンバなら敗北しても撤退も鮮やかであったろうし
趙は秦に対して容易ならざる相手でありつづけたかもわからんな
俺としては、
あのまま、防備を固めてれば、どうしても食糧問題で士気はおちる。
白起はそれこそ連戦連勝の将軍でも、敗戦を知らない。
撤退する時に追い討ちをかければ、何らかの勝算はあったと思うけどなぁ。
趙と秦は国力の差があり、廉頗にすれば、白起が撤退しただけでも大勝利だから、
激戦にはならなかったと思うけどなぁ。
趙は君主がもう少し利口ならなぁ。
廉頗・藺相如・李牧 もったいない。
551 :
世界@名無史さん:05/02/04 19:46:12 0
李牧はほんともったいないね。
李牧の人望を趙王が恐れて濡れ衣を着せて
処刑するとはなぁ。
趙の将軍にはなっちゃいけないなんていわせるようじゃ、君主失格もいいところだ罠
武霊王にもう少し頑張ってほしかった。
単身秦に乗り込む勇気、騎馬を取り入れた斬新な発想。
子煩悩パパじゃなかったらよかったのに。
春秋時代は趙一族に魅力あったけど、戦国時代は配下に魅力がある。
残念な国だよ。
趙って何気に人材豊富だよなー
楚以外はだいたいどこも人材豊富なイメージはあるが…。
(ないところも真面目に人材探しやって、という上での話だけど)
春秋戦国時代自体が英雄がキラ星のごとくいるからな
鄭 子産、子皮、子大叔
晋 叔向 趙武 韓起
斉 陳無字 晏嬰 子尾 子雅
宋 楽喜
楚 子木
衛 キョエン 史魚
呉 季札
この時代は特に優れた人が多かったので、読んでてもおもしろい。
最も人材豊富な国は実は魏だよ。
呉起、孫月賓、商君、楽毅、応侯。これだけの人材を輩出しているんだから。
楽毅はともかくとして、いったい何人の天才に恨みを抱かせて他所へ追い払えば気が済むんだ?
ハンショも元は魏出身。
しかし魏は有為な人材を使いこなせてない感じ。
武霊王の時代にリンショウジョ、廉頗、趙奢、(亡命してきた)楽毅、多少早く生まれた李牧
こんだけ揃ってたら最強だった
やりようしだいでは秦をも食えたかもなー
失礼。応侯=ハンショだな・・・
船頭多くして船山に上る
>>561 武霊王=諸将の統率
リンショウジョ=外交
廉頗、李牧=防御の要
楽毅=攻略戦
一応役割分担はできてるつもりで書いた
563 :
世界@名無史さん:05/02/07 20:31:12 0
そういや共叔段って叛乱起こした後どうなったんかな?
安能版や東周英雄伝では自害だったけど。
某サイトでは衛へ逃げて州吁や石厚とつるんでたけど。
亡命したまま歴史の表舞台からフェードアウト。
後漢の後期に異民族討伐で活躍した段ケイは彼の子孫らしいけど。
565 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/08 12:57:38 0
>>549 長平での秦将ははじめから白起でしたっけ?
廉頗が抜けなくて出てきたのが白起だったような
王コツ
今日アレキサンダーの映画見に行ったんだけどさぁ、
まぁインド越えてとか323年に死ななかったりとか、
色々壁はあるけど、もし中国に攻めてきてたらどうなってただろうねぇ
紀元前320〜330ぐらいなら、斉の威王とかもう少しあとなら、趙の武霊王などが
活躍した時代だからちょっと面白かっただろうなぁ
安禄山
このスレには初めて来た者なんですが、李牧って評価高いんですね。
「奇貨おくべし」を読んで知った人間なもので、李牧は凡庸のラインから
ちょっと抜け出た程度の将帥というイメージがありました。
・・・・色々な本を読まなきゃ・・・・(羞恥
鉄壁の李牧
>>568 アレキサンダー来ても秦にすら勝てないんじゃない?
いざってときにうん十万単位で動員し、大挙連合して攻撃することもある
戦国各国に比べて、主力は引き連れていたギリシャ人のアレキサンダーの
遠征軍はいかにも数が少ないからね。
後世の遊牧民の遠征のように、征服地からもガシガシ動員するような
軍勢だと勢いに押しつぶされかねないけど。
んまぁ、なんにせよ、大軍で中央アジアの乾燥地帯を抜けて中原に遠征する
のは不可能だけどね。
前270〜230年代あたりの秦VS同時期のローマが見てぇ
>>565-566 初めから白起だったけど廉頗が手ごわくてなかなか抜けないので
策略使って廉頗を引き下がらせて趙奢の息子のボンクラに出てこさせた
>>570 李牧は名将だよ。漢の文帝が李牧や廉頗の戦いぶりについて聞いて大喜びしたというエピソードもある。
史記の廉頗・藺相如列伝に併せて李牧の伝記があるから読んでみるといいよ。
李牧は匈奴との戦いで活躍した人だからね。
中原でこれからと言う時に・・・・
趙よ。廉頗の時と言い、何度同じ作戦に引っかかれば気がすむんだ。
長城を最大限に活用した戦い方が得意な印象があるな>李牧
579 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/15 12:59:24 0
まあしかし、もう少し国の勢いがある時代に登場させたかったですね>李牧
だから60年前ですよ。
581 :
世界@名無史さん:05/02/15 18:58:16 0
左氏伝の訳本で、鎌田氏と竹内氏と貝塚氏のではどれが一番いい?
家には新釈漢文大系鎌田訳と岩波小倉訳と汲古岩本訳しかないのでなんとも。
583 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/16 17:39:35 0
584 :
世界@名無史さん:05/02/16 19:22:04 0
鄭荘公って、在位時期B・C743〜701で、
742年だったかに弟を京に封じて、722年に叛乱が起きたんだよね。
その空白の20年間、何があったんでしょう。
(どのサイトで探しても見つからなかった)
つか弟、20年も待っていたのか…!!
時空間がゆがんでいない限り、おかしいと思うが。
「春秋」以前に歴史書がなかったのか?
え? 別におかしいとは思わんけど。長く時間を置いて反乱起こした例なんて
それこそ枚挙に暇がないぞ。あと、春秋以前にも歴史書はあった。なかったら
何を参考にして孔子が春秋を書いたっていうんだ(w
586 :
世界@名無史さん:05/02/16 21:42:26 0
>585さん
584です。浅学ですみませんでした。もっと勉強してから出直します。
空白の20年間(何があったかは知らないけれど)そんな静かな確執を
…私だったら気が狂いそう。
実母と実弟と戦うはめになって。かわいそ。
>>586 細やかな事はわからないけど、全くの空白ではないよ。
春秋左氏伝や史記の鄭世家には少し書いてるよ。(史記では22年後の反乱とある)
京を着任後、城壁の整備、武具の強化。西郊と北郊を服属後
さらに川を越えてリンエンまで領土の支配を伸ばしたとある。
反乱のための独自勢力をきづいてたんだろうね。
ただ荘公が謀反を知り、京を攻めた時には、
京がすぐに降伏したみたいだから、20年かけても期間が短かったと思うよ。
>>585 春秋は当時あった歴史書をもとにつくられたのではなく
史官の記録をもとに作られたんだよ
>>586 各国には自分の国でなにがあったか
他国からどういう通達があったかを記録する史官がいたの
孔子は魯国の記録を筆削して春秋をつくったんだよ
ところで、何故中国では、歴史や王侯の言行を記録するという仕事が
他の文明と比較して発達したんでしょうね。
史官の一族も真実を記録することに命を掛けていたようなエピソードもあるし。
エジプトで暦や記録が発達したのは、ナイル川の定期的な氾濫時期をつかみ、農業に利用するため
だったと思うのですが、
黄河その他の川の氾濫が定期的だったとは考えづらいですし(河道自体が変動して農業には利用しづらそう)
春秋戦国の諸国全てに記録を重視しなければならないようなどんな事情があったのでしょうか。
先祖崇拝が強烈だったので、先祖の行いを記録しておきたいという欲求が
強かったとかいうのは?
>>589 素人意見で申し訳ないんですが…。
四大文明(マスターキートンのファンに怒られそう)の中で黄河文明が
温帯に位置しているのも要因のひとつかも。四季の変化があって季節の
変動が大きい分、「これは後代に伝え残しておきたい」と思えるような
事件が多かったとか…。
あ、でも、かつての華北は亜熱帯に近かったんでしたっけ?
あと、このスレッドの皆さんに質問があります。
「天下」の概念について、「統一すべきもの」として捉えられるようになったのは
いつ頃なんでしょう? 春秋時代には国を滅ぼしても再興したり、国家の連合体を
崩さないようにしてるケースが大多数だと思うんですが、戦国前期あたりになると
そういうものが激減しますよね。
最終的には、秦が天下統一のスローガンを掲げるようになるわけですけど、なぜ
「天下は統一すべきもの」という考えが生まれるに至ったか、そういう思想上の
変化の事情を教えていただけるとありがたいです。
教えて君ですいません。
>>591 秦のは、明らかに始皇帝の個人的嗜好によるものだろうね。
そしてそれによって文字や車輪が統一されてしまったから、
今度は逆にそれが推進力となって統一へ統一へと
導くようになったとかさ。
するってぇと、隋の天下統一に関しての疑問が別途出てくる。
後漢末の乱から数百年経ってるから、そこで何故統一へと
向かったのかよく分からん。
「統一すべきもの」という観念が確定したのは宋になってからじゃないの?
孟子も「いずれは」天下はひとつに落ち着く」と言ってるし、戦国初期には漠然とした
イメージながらも『統一』される意識はあったんじゃないの?
もっとも、孟子の言う統一とは西周のような形だったんだろうけど。
時代が下って荀子の頃になると、より具体的な統一後のイメージが語られるように
なっている。長く続く戦乱から人民を解放する、というのが喫緊の課題となったからじゃ
ないかな。
595 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/18 17:56:56 0
商王朝、周王朝っていうのは、統一の概念に合致しないのでしょうか?
商は都市国家の連合、周は封建諸侯の連合という感じであり、
しかも秦以降の中国本土全体をカバーしてなかったからということ?
597 :
世界@名無史さん:05/02/21 19:30:20 0
ドラマ化して欲しい春秋戦国の人は?
これやればこのスレ、また活性化すると思うんだけど。
宮城谷氏や陳氏などの小説でドラマ化してほしい小説などもOK。
キャスティング、期間などは任意。(3ヶ月1クール、昼ドラ、N●K大河など)
時間帯も任意。(日9、木10など)
ちなみに漏れは宮城谷氏の晏子を一年ぐらいかけてやってもらいたい。
3ヶ月1クールの民放大河で。1クール1巻ぐらいで。10時台がいいな。
9時台は風呂なんで。
ジャニーズの晏子・・・
民放大河なんてやるわけない・・・
600 :
597:05/02/21 20:23:26 0
>598さん
三谷大河みたいになるんでしょうか。
>599さん
はい…やるわけないのは分かっていますが。
昔フジで2クール半年かけたドラマがあったじゃないですか。
私の地元ではそれを「民放大河二分の一」と呼んでいました。
陳舜臣の中国任侠伝なら短いから単発ドラマでも可能だ。
602 :
世界@名無史さん:05/02/22 05:35:39 0
孫子・呉子とかの逸話って史記以前の原典は何なの?
603 :
世界@名無史さん:05/02/22 17:04:59 0
一般には楽毅がヒーローとして受け入れられそう?
それにしても皆すごい記憶力ですな。
何度も読み返してるのかな。
宮城谷小説に出会ってから春秋戦国時代の読み物を漁っているが、
次を読むと前を忘れる・・・。ある程度は覚えているが。
もう少し早く出会いたかったなぁ。
もう24か・・・春秋左氏伝を頑張って読んでる。
そこそこメジャーな作家で春秋戦国もの扱ってるって、宮城谷以前は
陳舜臣や海音寺が少し書いているぐらいしか思いつかないなあ。
駒田、中島あたりも少し書いてたとおもう。井上靖はそんなに多くないか。
>>602 呉起の事跡については『史記』以前の書物に断片的な記録が残されていたと思う。
たとえば魏で失脚して際に涙を流しながら「魏は西河を保ち得ないだろう」と言うシーンや、
楚で暗殺される直前に楚王の亡骸に身を伏せるエピソードなどが『呂氏春秋』に収録されている。
呉起は政治家としても活躍しているし、もともとは儒者だったから多くの逸話が記録に残されたんだと思う。
逆に孫武の方は謎に包まれている部分が多い。春秋左氏伝にも出てこないし、司馬遷はいったいどこから
採録したのだろう?
>>606 ラスト2行
確かに孫子は存在自体否定されてたからなぁ。
曹操が孫子説があったぐらいだし。
白川氏あたりがその辺詳しくかいてなかったっけ?
なんかの本で読んだ事する(間違いならスマソ)
当時の兵家に伝承されていたんじゃない?
609 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/24 18:03:01 0
中島敦の「弟子」すきなんですよね。
これなら登場人物もたくさんいないし、2〜3時間の単発ドラマで成立しそうな
気がしますが。
いっそ月9で孟嘗君でもしますか?キムタクあたり主演で。
「ぶっちゃけ、出自なんてどーでもいいんだよな。人物がおもしろけりゃ〜」
なんてうそぶく感じ?
>>609 >いっそ月9で孟嘗君でもしますか?キムタクあたり主演で。
>「ぶっちゃけ、出自なんてどーでもいいんだよな。人物がおもしろけりゃ〜」
>なんてうそぶく感じ?
1票!
連ドラ界では斬新じゃない?
ぜひ観たいなぁ。
611 :
世界@名無史さん:05/02/25 02:59:33 0
妄想くん・・・
現代孟嘗君・・・
いや、なんでもない
少し言ってみただけだ
613 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/25 08:15:47 0
ま、後半は妄想として、「弟子」は作って欲しいですね。
時代考証難しげな気がする。
「ジャーン!ジャーン!」の人による漫画化とかでもいいんだけど、
死んじゃったしなあ…
615 :
597:05/02/26 22:19:38 0
私の「宮城谷晏子フ●木10案」
あ、あと「崔杼はミッチー?」などとほざいときます。
崔杼の個人的テーマソングは
謀略陰謀全開!時代は「安良城紅/Here alone(←綴り合っているかな?)」
東郭姜との出会い〜破滅は「ミッチー/愛のメモリー(←アイタタ!)」
いずれにしろテ●朝木9ドラマの主題歌です。
いずれにしろ一番のネックは
晏 嬰 の 身 長(130cm程度?) だ な
616 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/02/28 17:34:37 0
>>614 「魔法使いサリー」の原作者の方のことですね。
ジャーン!ジャーン!の人はさいとうたかをと同じような生産方式なので
本人いなくてもコマ割りとプロットできる人いればまたあの画風が楽しめる
おまいらちゃんと横光って言ってやれよw
昔紅林警部補を演ってた俳優だな
今は社民党の議員の
620 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/03/01 17:35:19 0
621 :
世界@名無史さん:05/03/01 23:35:49 O
春秋戦国の話をしようよw
>>621 そうおもうなら何かネタおいていってくれよ。
過去に話題?なってた呂氏春秋読んだ。
初めて読んだけどこれ結構おもしろいな。
春秋左氏伝にはない話があったり、たくさんの人物の話がのっていておもしろい。
こないだトリビアの泉で取り上げられた包丁の話もすこしのっていた。
宮城谷小説との連携にもなるけど、
呂氏春秋では魏義は邪臣で中山の尚王は染悪臣に染まったから国は滅んだとある。
宮城谷さんは楽毅で尚を名君と言う書き方をしたのだろう?
中山の滅亡に関しては尚にあまり責任がないと思ったからじゃないの?
詐術に等しいやり方で王号を称して外交的孤立を招いたのは先代以前の
出来事だし。
おなじく呂氏春秋の中で公孫雄を呉王扶差の悪臣としているのも無理があるし、
こういうのってよくあることなんでしょ。
624 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/03/03 17:48:44 0
今月のオール読物の宮城谷氏は趙奢ですね。
これで趙の3連発となりますが、この時代のこの国は「人物」を排出させて
いますね。使いこなせているかどうかはともかく。
625 :
世界@名無史さん:05/03/03 23:15:35 O
そういえば趙には楽毅や田単が亡命してきたりしてるし、この国には人がよく集まるね、何が原因でこうも集まるのだろうか
イラクにテロリストが集まるのと似た理由
だいたい真ん中
そこそこ強い
趙の首都・邯鄲はオサレの都。今で言うパリのような感覚。だから憧れてる香具師も多く
「どうせ亡命するなら華の都・邯鄲とでもしゃれこむか!」みたいな感覚で人が集まった
と予想
邯鄲って晋の時代にはそんなに目立ってなかったよな
この時代の華の都は臨諸だろ
臨シはニューヨーク的な存在。
経済センターだよな
街中歩くと汗が飛んで来るからイヤ
戦国中期の臨淄はすごそう。
>>628 そこそこの国力でそこそこ田舎(人材不足)だからでは?
斉・魏あたりだと人材多くて埋没しそうだし、
燕・楚・秦あたりだと辺境過ぎ。
韓はちとマイナー(失礼)だし。
邯鄲といえば、春秋期では趙夙の子孫が治める邑だったような。
折りしも趙鞅の時代には邯鄲は趙午が預かっていて、他の六卿を
巻き込んでの争いの場のひとつになってたような。
上党を巡っての長平の戦いで秦に大敗北を喫するまでの趙は軍事大国だからじゃないの?
岩波の春秋を全巻買ってきた。
初学者には読みやすい本だね。
639 :
世界@名無史さん:05/03/08 12:02:51 0
斉=秦>趙>楚>魏>燕>韓ぐらいだったんだよ。
燕から樂毅が趙に亡命したのは単純に隣国だからだろ
>>641 あの当時の燕だと、魏や楚も同様に隣国だったわけだが
643 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/03/10 15:36:10 0
しかし、オール読物の次回は誰を取り上げるんでしょうか。
ここまで趙できたら、今度は李牧にいってほしい気もしますね。
趙の4連発。
645 :
世界@名無史さん:05/03/14 22:34:42 0
えと…『エヴァ風に世界史を語るスレ』で『晏子』のパロをやった
奴です。(事実)
パリ…ニューヨーク…国ではなく首都に比較したらどうでしょう?
646 :
世界@名無史さん:05/03/16 11:22:22 0
ニューヨークは首都ではry
647 :
世界@名無史さん:05/03/16 12:46:18 O
アメリカの首都はニューヨークになりますた
>1776年、アメリカ合衆国独立。
>ニューヨーク市が首都およびニューヨーク州の州都となるが、
>首都は1790年にフィラデルフィアに移転、州都も1797年にオルバニーに移転。
651 :
645:05/03/16 19:02:45 0
あの、えと、650さんとは別人です。
そうだった…ニューヨークは違う…。(恥)
頭から抜け落ちていました。ワシントンの存在が。
↑
頭から抜け落ちるのは髪だけにしてくれ。
653 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/03/17 12:08:12 0
あの、そろそろ春秋戦国の話に戻っていただけませんでしょうか?
宮城谷厨ですみませんが、オール読物の次回ネタは何だと思います?
戦国名臣列伝
[一]越の范蠡
[二]呉の呉起
[三]斉の孫臏
[四]秦の商鞅
[五]燕の蘇秦
[六]秦の魏冄
[七]燕の樂毅
[八]斉の田単
[九]楚の屈原
[十]趙の藺相如
[十一]趙の廉頗
[十二]趙の趙奢
とりあえず、ここまできますたね。
呉起は魏ですた……失敬
王遷・李牧・信陵君あたりとみた。やはり軍略家が占める割合が多いね。
657 :
世界@名無史さん:05/03/18 00:41:51 O
ハンショじゃないかな
李牧は読んでみたいな。
悲劇の武将と具体的な活躍が曖昧な部分を
どう表現するのか気になるね。
その辺はいつもの超展開で
残っている名臣で可能性のありそうなのって、范雎、虞卿、蔡択、王箭、李牧、
あとは四君くらいなのかな。
なんか有名どころすぎて少し不満だけど。
白起は?
662 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :05/03/18 17:54:21 0
秦で「蜀をとるか、韓をとるか」で蜀攻略を唱えたのって司馬錯でしたっけ?
この人なんかも書いて欲しいですね。時代が逆戻りしてしまいますけど。
まあ、最初が范蠡だからねー。
>>654 これ読んでないけど、面白いの? カバー本で出れば買うんだけどね。
もう中国もの書かないとかという話してなかったっけ?。
書いてくれるのは嬉しいけど。
俺としては、宮城谷小説で出てきてない人物がいいな。
例えば、ケイカとか。風飄々としてというのは泣ける。
>>662 司馬錯で会ってるよ。確か韓を攻めろといってたのが張儀。
>>660 韓唯一の有名人、申不害も入れてやってください・・・。
小説での扱いを見ると、李牧とか信陵君は出ないかなあ。
書くとしたら、范雎と虞卿、平原君と孟嘗君あたり…かな?
李カイとかも書いてほしいなあ。
668 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/03/22(火) 17:32:40 0
白起キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
670 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 21:08:16 O
あらためて白起の凄さがわかった気がする
白起は白公勝の末裔ってやつ?
オール讀物四月号ってまだ読んでないけど、白起って名将だけど
けして名臣じゃないよな……
戦国時代随一の名将って気はするけど、政略・戦略は職掌にない、
あくまでも前線司令官だと思うし。
『戦国策』なんかを読むと、彼の不敗の所以がよくわかる。
白起は戦場で叩き上げて将軍にまで登りつめているから戦争のなんたるかがよくわかっているんだろ
>戦国時代随一の名将って気はするけど、政略・戦略は職掌にない、
>あくまでも前線司令官だと思うし。
穣侯時代と応侯時代じゃ輝きが違いますからねー…。
白起を前者は部下として遇し、後者は政敵として扱った差異は
ありますが。
675 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/03/28(月) 12:58:04 0
宮城谷氏の「青雲はるかに」では、人を活用しようとせず、すぐ殺してしまう
使えない香具師って描き方してましたね>白起
突然失礼します。
最近宮城谷の管仲を読もうかな?と思って管仲について考えていたんですけど、
仮に斉の桓公が夭折してたらどんなカンジだったんでしょうね?
さぁ、でも鄭の祭足みたいに、利用される可能性はあっただろうが、
無難に孝公の下で政権を振るったと思うよ。まだこの時代は国・高の2卿の意見も強かったと思うし。
それより、管仲が長生きして、重耳が斉に来たときどういう対応したのかはみたかった。
俺も聞きたいんだが、
孟夏の太陽の隼の城読んで思ったんだけど、
襄公の後は伯魯の孫が次いだと書いてあったけど、武霊王は伯魯の子孫ということ?
戦国時代は、いまいちわからん。
679 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/03/31(木) 18:02:17 0
管仲が長生きして、桓公の方が先に死んだ方が、斉の混乱はなかったような
気がしますね。
春秋戦国時代をテーマにした新井秀作の色歌ってマンガを購入
歴史的にはちょっとなんだかなって感じだったけど物語としてはこうだったら面白いって感じ
もし今後もこの時代のことをこの作者が引き続き書いてくれるなら嬉しいと思った
>>679 管仲の方が長生きしてた場合はすんなりと公位継承は終わるだろうけどその後新君主に粛清されるだろうな
それで結局歴史の通り
または管仲暗殺
どっちにしても斉の弱体化は避けられないんじゃね?
祭足て誰?
682 :
世界@名無史さん:2005/03/31(木) 22:54:37 0
衛はその後どうなったの?
なにげに長生きした国だよね
>>682 何故か前209年まで残っていたらしい衛ですね。
史記の年代矛盾を解消(平勢氏)すると前221年(秦の統一の年)になるそうという話があったような・・・
>>678 Thx。そこすごいな。そんな長い系図はじめてみたよ。
でも、趙夙の孫が趙衰?ちょっとおかしいけど、すごい量ですごいわ。
>>680 亀レスだけど、管仲は国・高の2卿をたててたから、案外上手いことやったと思う。
孝公も大人しそうな人だったし。問題はあの3宦官ががそのまま大人しくしたがってたかどうかによるけど。
でも桓公あっての管仲だからね。
呉起も公孫鞅も伍子胥、君主が変わると終わりよかった人がいない。
>>681 あまり春秋戦国の本読んでないなら、案能務の春秋戦国お勧め
かなり独自の見解強いけど、小説(物語)として読むには面白い。
管鮑の交わりについてかなり長く語ってる。初めて呼んだ時はなぜか泣けた。
祭足は斉の桓公(管仲)より少し前の鄭の荘公の臣下。
荘公の死後、後継者問題が発生し、、時には脅迫され、時には暗殺されかけた。
>>684 >呉起も公孫鞅も伍子胥、君主が変わると終わりよかった人がいない。
そうなんですよね。
桓公が先に死ぬと管仲の評価がガラッと変わってしまったんじゃないかと。
例の3人がいたので…
君主が大人しいと唆されそうだしw
お答え下さった皆さんどもでした。
686 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 09:54:05 0
なんであんな簡単に乗っ取られたの?>斉
今の年号は?
>>686 一代や二代で成したわけでもないし、簡単でもないと思うが?
あ、エジプト暦だ
晏嬰と叔向はすごいわと思うわ。
特に叔向は鄭が滅ぶのも予期してるもんなぁ。
692 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:09:50 0
田氏になってから元の斉公はどうなったんだっけ?
693 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:09:15 0
斉王から公爵を与えられたんじゃなかったか?
694 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:20:22 O
ここでのみなさんの祭仲の評価はどのようですか?
>>692 東海の浜辺に移された。そこで子孫断絶。
696 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:39:56 0
そういや周って、秦からの圧力で死に掛けてるときでも東西に分裂しているね。
この経緯と周の直系はどうなったか知ってる人居る?
>>695 え?朝鮮半島に移されたの?
まるでキシみたいですね。
>>696 周の孝王が天子を補佐した周公の職を復興するために弟(だったかな?)
河南(地名)に冊封して西周公(初代は武公)と号したのが西周の始まり。
(この段階では周王朝=本家=東周だった)
ずっと後になって顕王の時、趙韓の二国が連合して周を攻めた時、
鞏(地名)に新しく東周公(確か西周の分家)を冊封させ
洛陽は西周に与えて周を分割した。この結果、東西二周が成立したが、
周王の直轄地は消滅して以後、天子(周王)は西周に居候することなった。
>>697 朝鮮半島じゃないでしょう。たぶん山東半島のどこか。
個人的には遼東半島の先っちょくらいは
斉の勢力だった可能性はありかと。
699 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 08:26:13 0
漢楚時代に武王の子孫っていなかったっけ?
確か魯王とか結構姫姓の一族多いよね
武王って周の武王のことか?そんならいっぱいいたろ。
んなもん漢代に劉姓が一気に増えたのと一緒だろ
702 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 16:27:38 O
戦国時代の縦横家蘇秦を敬愛する者ですが、やはり、ここでは蘇秦多人数説や架空人物説が有力ですか?
蘇秦についての話題で盛り上がっていないのでまだどっちの説が有力とか不明
蘇秦はもれも好き。つーか好きなやつ結構いるんでない?
705 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 20:29:00 O
俺はなんとなく蘇秦より蘇代の方が好きだな
蘇秦に関しては長兄説や末弟説などもあるし
707 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/04/05(火) 19:08:38 0
むしろ鶏口となるも牛後になるなかれって好きですね。
最近春秋戦国ものの本販売されてないの?
宮城谷管仲依頼、本読んでない
709 :
世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:38:58 0
秦が王を僭称するようになったのはいつ頃から?
>708
塚本御大の作品があるよ。
「呉越舷舷(ごえつげんげん)」→呉越の戦い
「裂果(れっか)」→晋末期、知氏滅亡に至る話
どちらもハードカバーだが、一読の価値はあるよ。
>>709 史記によると恵文王から。孝公の息子。
>>710 Thx。
ただ、塚本氏の本がちょっと苦手なんだよね。
項羽や、霍去病の本読んだんだけど、かなり時間がかかった。
知氏は結構好きなんで、裂果読んでみたいだけど、おもしろかった?
>>710 漢初になるけど、季布、劇孟、郭解らの連続短編形式の『一諾』もでてるね。
>>711 『裂果』はあまりお薦めできないかも。
史料に親しんで当時の概念や風習、制度なんかを知ってると、首をかしげたく
なる場面が多いと思う。
その点で、『田釐子・成子』も自分は馴染めなかった。
713 :
世界@名無史さん:2005/04/06(水) 12:40:41 0
漢の武帝の時に、周の末裔が召しだされて侯に封じられたよね?
あれはどの系統なんだろ?
秦に滅ぼされた西周?それとも、衛や魯とか?
714 :
ntt2-ppp24.osaka.sannet.ne.jp:2005/04/06(水) 12:54:58 0
715 :
世界@名無史さん:2005/04/06(水) 14:05:03 0
周王室じゃなくて周公の子孫だったと思う。
魯侯か周公かまでは知らない。
断続的かもしれないけど魏までは続いていたはず。
王莽とか光武帝とかも封じているから。
周王の子孫じゃない?周の子南君のことだよね?
717 :
世界@名無史さん:2005/04/06(水) 18:06:04 0
孔子の子孫はなぜか商の祭祀を継いでることになってるんだよな……
なぜだ!?
あと、五胡・南北朝以降にも時の権力者に爵位を封じられた古代名家ってある?
718 :
世界@名無史さん:2005/04/06(水) 18:16:56 0
武帝の元鼎4年に周の後裔姫嘉を周子南君(史記周本紀によると三十里で列侯同等)に
封じた。その後元帝が初元元年に延年を周承休侯に進めて諸侯王に継ぐ席次とした。と漢
書の各本紀に有ります。
その後成帝は綏和2年、殷の子孫の内孔吉を正統なものとして殷紹嘉侯とし、更に翌月周承休侯とともに公とし、領地は方百里となっています。
平帝の元始元年には、周公の子孫(魯公の系統?)公孫相如を褒魯侯、孔子の子孫孔均
を褒成侯に封じています。また同時に孔子を褒成宣尼公に追封しています。
この後孔子の子孫は、中断があったり爵は変化したりしますが、概ね清末に至るまで爵
位を継いでいくことになります。
その後元始4年正月には殷紹嘉公を宋公、周承休公を鄭公(漢書王莽伝では衛公になっ
ています。変更があったのでしょうか?)に改められました。
王莽の新では、衛公姫党は章平公、宋公孔弘は章昭侯に改められ、褒魯子(褒魯侯?)
姫就、褒成子(褒成侯?)孔鈞も見られます。他にも真偽のほどは定かではありませんが、
夏の子孫や三皇五帝等の子孫とされる人達等も公侯伯子に封じられています。
後漢では、光武帝の建武2年には周の後裔姫常を周承休侯に封じ、同5年には殷の後裔
孔安を殷紹嘉侯に封じました。その後13年に、周承休侯を衛公、殷紹嘉侯を宋公に改め、
三公の上としました。(後漢書百官志)
魏の文帝は黄初二年、後嗣絶えていたの孔子の子孫褒成侯に代り孔子の祭祀を継続させ
る為に、議郎孔羨を宗聖侯(百戸)に封じています。(三国志文帝紀)
晋朝に置いても、周の子孫は衛公、孔子の子孫も魏に引き続き宗聖侯です。
ところで史記周本紀によると、周王は最後の王の死亡に伴う自然消滅、分家の西周公家、
又分家の東周公家は秦に滅ぼされたように読めます。
跡継は誰も居なかったんでしょうか?仮に居なかったとして、どうして西周公なり東周
公が跡を継がなかったんでしょう?やはり無意味だからでしょうか?
719 :
世界@名無史さん:2005/04/06(水) 18:51:26 0
なんで周の末裔(?)はちゃんと姫姓なのに、殷の子孫は微子姓じゃなくて孔姓なの?
721 :
世界@名無史さん:2005/04/06(水) 19:12:29 0
漢儒の運動のおかげでしょう。孔子が宋の孔父嘉の子孫だという
かなり怪しい伝承のもとに無理矢理孔家を殷の正統にしたのでは?
孔子生魯昌平郷陬邑.其先宋人也
>>718 王の死による自然消滅じゃなくて、西周が秦に滅ぼされた時に廃位されたんじゃないの?
725 :
世界@名無史さん:2005/04/06(水) 23:04:16 0
十八史略では、西周が韓・魏とともに秦にケンカを売って大敗し、
周王は跪いて無条件降伏したというような記述があるから
西周の滅亡と共に周王も廃されたというところじゃないかな。
または、秦のご機嫌を取って保身をはかるために自ら王号を放棄したとか。
誰も後をつがなかったのは、東周もその他の残党も、みすみす秦にケンカをうるような
マネをしたくなかったんじゃないか。それこそ皆殺しは確実だろうし。
特に殺されたりしたとの記述もないよな。
なんで一行も史書にのってないんだろう?
秦末の動乱時期に周王の復興を目指す動きはありました?
動きがあったのが戦国七雄の国ばかりだったので不思議に思った。
ないない、秦・斉・燕・魏・趙・韓・楚がみんな
王を称していたのに、なんで棺おけに入ってる王様を
引っ張りださなけれりゃいけないのよ?
周は秦統一以前の正統なる支配者だからこそ価値があったわけで秦に滅ぼされたらそんな権威もなにもあったもんじゃない と
>>727-929 戦国七雄は面積も大きく人口もそれなりに多い。
独自の文化や同国人としてのまとまったアイディンティティーも
それなりに育まれていたから秦末の動乱で復興したんでしょう。
東周・西周は都市国家に毛が生えたような狭小な国だから
人口もそれなりに少ない。で、復興運動を支える人材人脈の結集
と意欲が致命的に弱かったんじゃないか?それで経済基盤・総合国力
が不足したと。
洛邑などは天下の大都会だけど、地方と往復してる商人とかの
コスモポリタンな連中や、へたれな都市民が多かったんじゃないか。
日本でいえば京都みたいな。世界帝国の首都というプライドはあっても
あまり「排他的な周人のナショナリズム」は育たなかったと。
731 :
世界@名無史さん:2005/04/07(木) 17:47:20 O
だいいち、周の故地は秦の本国だしね。
732 :
世界@名無史さん:2005/04/07(木) 22:42:51 0
『会盟・会合等から推定される諸侯の全般的序列』春秋左史伝より
王世子
周公(格上?)ー尹子・単子(伯?)・劉子(ほぼ同格?)=天王直属の重臣
晋侯ー斉侯(常にこの順で記載)=覇者級大国
宋公ー衛侯・蔡侯・陳侯(ほぼ同格?)ー随侯ー鄭伯ー許男=中小国?
ケイ侯ー曹伯ーキョ子ーチュ子ー滕子(頓子・胡子とほぼ同格?)=小国?
薛伯ー杞伯ー小チュ子=極小国?あるいは附傭?
その他
僖公21年の条では、楚子は宋公の下になっているが?晋侯・斉侯クラス?
秦伯は他との関係が出てこず不明?晋侯・斉侯クラス?
魯侯は衛侯クラスか?
衛侯・蔡侯・陳侯は記載順が良く変わり、ほぼ同格なのか?ただし楚のもとで
は常に蔡侯・陳侯の順で記載され、楚は蔡を優遇?
呉子は定公の4年の条では蔡侯の下位?唐侯より上。哀公の13年の条では晋侯
の下。位置づけは全く不明?
昭公4年の条では許男・徐子・滕子・頓子・胡子・沈子・小チュ子の順、定公
4年の条ではキョ子・チュ子・頓子・胡子・滕子・薛伯・杞伯・小チュ子の順。
徐子とキョ子・チュ子の上位関係が不明?滕子は頓子・胡子とほぼ同格?沈子は
滕子クラス?それとも小チュ子クラス?
どうも爵位の順以上に重視される格付けがあり、爵位は格内部の補助的格付けに
すぎないのだろうか?
まあ本当に五等爵が存在していてのはなしだが。
蛮族と呼ばれ小国扱いされていた国の中には、実際には大国が多い
734 :
世界@名無史さん:2005/04/08(金) 13:31:03 0
疑問があるんですが?田斉と韓魏趙の爵位ってなんでしょう?
田斉は斉の後だから侯でしょうか?
周王朝が正式に諸侯と認めたということになっているようですが、
それだと正式な爵位もあったように思えるんですが。
あと左伝に出てくる曲沃伯って正式な爵位でしょうか?
もちろん爵位制度があったとしての話ですけどね。
>>734 三晋と田斉が諸侯になった時に周王朝から賜った爵位は侯爵だったと思うけど
記憶が曖昧であまり自信なし。
曲沃は周王朝から封じられたんじゃなくて
晋の国内での分封だから、周王朝の爵位はもってないんじゃ・・・?
736 :
世界@名無史さん:2005/04/08(金) 17:27:06 0
>>735 え?侯って、自分で伯などに封爵することができたの?
737 :
世界@名無史さん:2005/04/08(金) 20:16:43 0
>>735 まずは回答ありがとう。
>>735&
>>736 >晋の国内での分封だから、周王朝の爵位はもってないんじゃ・・・?
>え?侯って、自分で伯などに封爵することができたの?
それで不思議なんですよね。本来的には大夫だと思うんだけど、曲沃伯ってなんでしょう?
それと別の場所では曲沃君とも書かれていますね。本家晋侯の方は翼侯とも。
一応、朝廷の許可はもらった上でのことかも。
晋の領内でのことなので朝廷も不許可にする理由がなかったとか。
739 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 02:28:55 0
春秋左氏伝によると
>>735-738 「壮公16年(BC678)周の僖王は虢公を派して、
曲沃伯に策名して、一軍を率いて晋候たらしめた。」
740 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 12:56:31 0
劉漢は祁姓
741 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 19:03:24 0
ところで左氏伝はいろいろ邦訳があるけど公羊伝や穀梁伝って邦訳ないんですか?
侯が伯に封じるのは、自分で封じるというより推薦するということかな?
信長が秀吉を筑前守に推薦したように
晋が翼と曲沃に分裂していた時の名残じゃないのかな?
統一後の晋公は両者を兼ねていたけど、ある時期に改めて分封したとか
744 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 20:56:48 0
>>743 つまり曲沃が伯に封じられた事により、晋国内には邑地ができたので
後年、その邑地に誰かを封じたってこと?
>>743-744 なんか勘違いしてない?
曲沃伯が分封されたのは周王朝が関係してるかどうか不明という話だよ。
>>739のことは、曲沃が翼(晋の本家)を滅ぼして併合(つまり再統一)した後の話。
滅亡した翼の晋侯にかわって曲沃を新しい晋侯だと周王朝が認めたという話。
746 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 08:41:35 O
そういえば楚って征服王朝ってなんで言われないんだろ
747 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 09:07:52 0
それを言うならむしろ秦が。
漢晋までの時代は楚だった地域出身のヤツが大活躍だな
749 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 09:17:55 0
ええ?そう?
曹操も劉備も孫堅も長江の上の出身だが
上って何
シ市って劉邦の出身地だろ
楚の領域だぞ
沛って元々は宋の領域じゃない?
もちろん楚・魏・斉の三国に滅ぼされるわけだけど、あまり楚人という認識は持ってなさそう。
でも楚人として対秦の反乱起こしてるわけだが…
ついでに曹操一族も沛出身だな
さりげなく人材の宝庫か?
劉邦自身は信陵君ヲタだったりして、魏人という意識が強かったらしいと
何かで読みましたが
>>754 >ついでに曹操一族も沛出身だな
>>751が沛を出してきたのは曹操の出身だからじゃないの?
全然ついでにじゃない。
757 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 19:30:57 0
要するに楚はスローガンだから、
明の洪武帝が紅巾に属したようなものでは。
とりあえず身近な反乱軍に所属しただけ。
758 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 21:23:38 0
斉→田氏斉
は易姓革命ではないの?
当時そういう概念はなかったの?
陳にすればよかったのに……
759 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 21:50:46 0
田斉は王位簒奪を正当化するために
黄帝(田氏の祖先)が炎帝(姜姓)を倒したという
神話をでっちあげた。
760 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 22:03:57 0
いや、それならなんで斉のまんまだったんでしょう?
斉は単なる地名だからそれでいいの
762 :
世界@名無史さん:2005/04/22(金) 02:19:33 O
ほしゅ
763 :
世界@名無史さん:2005/04/25(月) 20:32:33 0
五覇上げ
764 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 01:08:52 O
このスレ的に講談社 中国の歴史 新刊ってどう?
765 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 04:48:14 0
>>755 そのとおりですよ。劉邦自身、自分は中原の人間という意識があった。なにせ氏の由来となってる劉自体中原のど真ん中ですから
766 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 06:39:37 0
>>764 読んでる最中。今のところ平勢ブシ全開って感じ。読み終わったら報告しまつ。
767 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 12:36:29 0
戦国七雄それぞれの最盛期の領土ってどのくらいだったんだろう?
768 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/04/28(木) 17:38:39 0
オール読物の宮城谷氏は、今月はハンショでしたね。
この人の「遠交近攻」って、大きな転換点だったように思うのですが、
意外とこの人って地味ですよね。
>>767 とりあえず俺が知ってる一国だけ
秦=全土
770 :
世界@名無史さん:2005/04/29(金) 06:07:04 0
>>767 韓=さぁ?小さくなる一方では。
魏=河西の地がかなりでかかったような。秦にとられる前と後じゃ国土の全体の形がぜんぜんちがう。
趙=あんまり変わりないんじゃないか?よくわからんが。
斉=北は燕を一時期併合(属国化?)。南は魯を囲んで宋に迫り、東は海を越えて遼東の先端?
秦=
>>769 楚=西は巴蜀、東は呉越。中国の南半分。北は宋の大部分を取得?
燕=斉を3城のぞく全土を瞬間風速的に併合。それと雲中・九原までとって趙の北に位置していたことが?
韓は応侯の南北分断作戦がなければ結構でかかったぞ
>>767 安能本の下巻だけ読めばなんとなくつかめる。
韓の最大版図は新鄭遷都あたりか。
でもなんで韓は鄭を目の敵にしていたんだろうか?
775 :
世界@名無史さん:2005/04/29(金) 14:52:13 0
>>772 それでも6位じゃない?(弱小期の燕よりは大きいから)
>>768 遠交近攻よりは応侯個人の謀略戦略の方が大きな転換点かと
これ以前と以後じゃ秦の情報戦の強さが格段に違う
>>774 手近なところで領土を広げようと思ったら、鄭を滅ぼすしかないからとか?
778 :
世界@名無史さん:2005/04/29(金) 19:50:05 0
正直韓と宋ってどっちが上なの?
韓じゃねぇ
>>777 多分そうなんだろうね。
さすがに韓だけで秦には勝てないか。
>>778 製鉄技術が発達した戦国時代は山林藪沢を王室が家産化した国が有利になったようだ。
で、斉一国の生産高に匹敵するとされた宋の孟諸沢は王偃のときに家産化したようなので、
そのころは宋>韓であったかと。
七雄はたまたま合従連衡で問題になった国々を列挙しただけで
滅亡前には宋や中山の方が韓なんかより強大だったろ。
>>781 逆に言うと、宋や中山は遊説家の方々に相手にされなかったともいえる。
まぁ、宋の末期は侮れないけど。
つうても宋王偃は宋の最後の君主な訳だし。文化水準の高さは荘子を産んだことで
わかるけど、どーなんだろ。評価は色々だけど襄公のときと曹を併合した景公のと
きが宋の絶頂ではなかろうか?景公は左伝でも史記でも評価が高い。
784 :
世界@名無史さん:2005/04/30(土) 08:40:58 0
>>782 相手にされなかったっていうんじゃなくて、たまたま滅亡したのが
早かったから、相手にしたくてもしようがなかったんではないのか。
785 :
世界@名無史さん:2005/04/30(土) 13:51:01 0
時に衛はなんで最後まで生き延びたんだろう?
春秋前期ならともかく、戦国期には国を滅ぼすなんて日常茶飯事、
って言うほど国は残ってないけど、まあ別にたいしたことじゃなかったのに。
国家間の外交力学でしょ
787 :
世界@名無史さん:2005/04/30(土) 22:08:42 0
衛は早くから秦につき、東方における秦の拠点だったから。
その割には魏に虐められっぱなしだね。
790 :
世界@名無史さん:2005/05/02(月) 20:14:20 0
>>546さん
その前に宮城谷センセ今いくつなんですか?
あのペースで赤壁までとしても…寿命が心配…
まさかこれがセンセの絶筆…なんてことには…ガクブル。
546じゃないがたしか終戦の年生まれだよ。1945年。
あと10年書き続けられるとは思うが、今の調子では・・・。
東大教授平勢隆郎先生は、ネ申!!
講談中国の歴史2巻は、全2ちゃんねらに読ませたい名著。
勿論、このスレの人間は全員読んでるよな。
紂師皆倒兵以戦以開武王 - 紂はすでに倒れた兵をもって戦い、武王と開戦した
アマゾンのレビューだね。なんかスゲェこと書いてあるな。
中央公論社の世界の歴史は著者間違えてるよなと思った。
796 :
世界@名無史さん:2005/05/05(木) 06:15:48 0
797 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 22:59:53 0
>>792,
>>796 現代新書の「中国の予言書」出してた頃は、古文漢文板のセンセイ方は
かなり冷ややかな反応だったけど。「春秋平勢伝」とか言われてネタにされてた。
冷ややかです
799 :
世界@名無史さん:2005/05/11(水) 21:27:52 0
素朴な質問ですが、秦の国土って見ると、今の中国よりもだいぶ国土が狭いですよね?
何を基準に中国統一って言うのでしょうか?
>>799 中国東北部が中国化したのは近代だし、
新彊・チベット・内モンゴル今でも異民族の地域。
漢民族の勢力圏は本来あんなもの。
秦以降で漢民族が確保した地域は河西回廊ぐらいなものか。
西漢の高祖が即位した当時の国土が最低限に思える>中国統一の条件
秦の最盛期よりかなり狭いが、高祖自身が著名なので後世の規範になりえる
統一したと言っちまえば統一だ
交州(広東省)あたりも異民族の地。
>>804 あの辺、〜族自治区とかってやたらとあるしな
まあでも春秋時代の楚なんて、それこそ異民族扱いといえないかな。
黄河中下流域だけが中原の扱いで。
秦も異民族
秦は西戎だからねぇ。
秦は戎じゃなくて狄。
晋は戎でも狄でもないでそ。
晋は姜とか
なんで姜なんだよw
次々にいい加減なレスつけりゃいいってもんじゃないだろw
斉は朝鮮民族だよ
平勢隆郎先生の講談中国の歴史2巻って面白かったけど、
通史シリーズの一冊としてはどうなの?
一応初歩的な基礎知識がある人は目からうろこかもしれないけど、
初心者が読んだらわけわからんような。
816 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/05/17(火) 17:56:10 0
817 :
世界@名無史さん:2005/05/17(火) 17:58:35 0
劉邦の先祖が左伝にでてくるらしいね
818 :
世界@名無史さん:2005/05/17(火) 18:12:22 0
中原=西欧
楚=ロシア
的なイメージだったんじゃなかろうか。
>>815 アマゾンやbk1見たけど、書評すごいね・・・。
>>819 専門の人たちがどういう評価をするのか、ちょっと楽しみ。
あれだけの内容だから多分誰かが書評を書きそうな気がします。
821 :
世界@名無史さん:2005/05/19(木) 12:46:10 0
これって後付けで言い訳しただけにしか見えないなぁ。会話形式にして話を
オブラートに包みまくっているのは気持ち悪い。
にしても、ここまで見苦しいとは…
東帝、西帝とかの関係で宋が帝を称した可能性が指摘されていたけど、
その場合燕の北帝、趙の中帝に対抗して、魏・韓・楚が帝を称さなかった理由って
なんでしょう?
楚、伝統ある王としての誇りがあり、あほらしくて相手にしなかった。
韓、弱小だし周りを強国に囲まれていて袋叩きが怖かった。
魏、韓に准ずる。
って感じなんでしょうか?
>>823 燕斉趙の三帝同盟なんだから他の国が関係ないのは当たり前でそ。
うわ…平勢必死だな。
「こういう訳がありますが…」と指摘してくれたのは
編集じゃなくて、Amazonの評(あるいはその人からの直メール?)
じゃないの?と邪推されても仕方ない内容だなあ。
これだとかえって評判落とすような気も・・・平勢ピンチか?
評判落とすって・・・その前にそもそも評判よかったのか???
学者として致命的ってわけでもないけど、大きな不手際なのは確か。
大げさにとらえれば、以後、丸投げ部分があったり、まともに校正されて
いない可能性があるということを考慮しないと平勢本や平勢論文を読めなく
なってしまうとエスカレートできちゃうお話だもの。
さすがに平勢氏が中高生レベルの初歩的漢文すら知らないというところ
まではいかないけどさ(w
>さすがに平勢氏が中高生レベルの初歩的漢文すら知らないというところ
>まではいかないけどさ(w
ははぁーん、だからあんな独創的な解釈できたのねw
>「兵(武器)を倒して」という戦い方が、いまひとつイメージがわかないんだよね。
普通は「たおして」ではなく「さかしまにして」だよなあ。まさか「さかしまにして」の訓を知らない
とか?東大の教授様が?
なんか、物凄く興味が沸いてきたんだけど、
漢文ド素人の俺が読むには害ですか?
ところでこの人、左伝の本書いてなかったっけ?
>>830によると、左伝の訳もダメダメっぽいんですが。
平勢先生はヒジョーに独創的な御説を唱えていらっしゃるので、始めから平勢本ってのはお勧めしないな。
なんかあれだな。
ラテン語で挫折してエリートになれなかった西欧の哲学者がオカルトに凝ったり
英語で挫折した日本人が超古代史にハマったりするのと同じようなもんかな。
漢文よめないから突拍子もない珍説で売るしかないという・・・
そんな人を教授にした東大や、執筆者の一人に選んだ「中国の歴史」の編集委員はいったい?
最近なんか本でた?
>>835 いや、編集者はえらいだろ。ちゃんと最近うれてる奴を起用したんだから。
838 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/05/24(火) 08:13:23 0
オール読物の今月号は呂不韋でしたね。
ここまで来ると大詰めって感じですな。
学研の歴史群像シリーズから春秋戦国がもうすぐ出版されるはずだけど
期待できそう?
>>839 そのシリーズまだ続いてるのか?
それが驚きじゃ
学研懐かしいなw。
吉川三国志の魅力に取り付かれた後に三国志の奴を買ったことがある。
それでいつ
>>839よいつ発売するんだ?
>>841 たぶん今日か明後日か明々後日ぐらいじゃないかな。
よくわからないけど。
質問です。
時代を経て同じ号の国が出てくることがありますが、
何らかの繋がりがあるのでしょうか?
例えば、戦国期の「魏」と三国期の「魏」など。
戦国期の「韓」と「韓」国も関係あるの?
>>842 よく分からないのかよw。近所の本屋行ってみたけどなかったorz。
資料としては期待してないが、写真とかが学研は豊富だからちょっとみてみたい。
>>843 劉姓は2,3人除いては「漢」の字を使用してる。
後は地名から引用してるケースがあったりするぐらいかな?
よくわからないけど。
基本は封地
>>843 基本は封地の地名。三国の魏は、曹操が魏郡を封地とした「魏公」から魏王になり
魏王を継いだ曹丕が皇帝になったから。
後漢の魏郡ってのは戦国の魏の跡地だからそういう名前のついた郡。
847 :
世界@名無史さん:2005/05/31(火) 10:37:24 O
ほしゅ
848 :
世界@名無史さん:2005/05/31(火) 13:19:30 0
849 :
839・842:2005/05/31(火) 22:16:09 0
学研の『争覇 春秋戦国 〜五覇七雄、興亡の五百年〜』今日、書店に並んでました。
851 :
世界@名無史さん:2005/06/01(水) 14:51:32 0
楊寛 戦國史...
ん?
>>850 まだ全部読んでいないけど
孔子のことボロクソに解説してる
855 :
世界@名無史さん:2005/06/01(水) 22:57:08 0
春秋本だすならコンセプトにすべきは「春秋五覇」ではなく「春秋十二列国」ではないかと。
五覇メインだとありきたりのメジャーなネタばかりで
マニアには物足りないだろうな。
いきなりマニア向けだしてどうすんだよ
857 :
世界@名無史さん:2005/06/01(水) 23:37:22 0
楊寛「戦國史」は3回くらい改訂版を出してるので注意しましょう。
858 :
世界@名無史さん:2005/06/02(木) 15:22:48 0
皆さまお詳しいと思われるので、ちょっくらお尋ねしたいんですが、、
「鼎の軽重をとう」の楚の荘王が立ち寄った「エン」という地が
掲載されている地図をご存知ありませんか?
エンと言われても漢字で示してもらえないとどうにもならない気が。
宛、鄢、郔、など、複数あるけど……
文字化けしてる。
三つ目は[延阝]で。
862 :
850:2005/06/03(金) 00:57:34 0
だめだ。近所の書店おいてない。土曜日にまで待ちだな。
>>854 Thx。孔子をボロクソというのがきになるが、写真とか多ければかいなんだけどな。
狐偃とか鮑叔の墓とかのってたら嬉しいのだが。
楽しみに待っとくか。
エンのテストをば。
郔
864 :
世界@名無史さん:2005/06/03(金) 20:32:30 0
>>863 ウィンドゥズ98、表示されませんでしたー。
>>864 UNICODEがきちんと扱えるOS&ブラウザを使いませう
XP、Jane、ついでにATOK2005。
同じく表示されず。
XP sp2+かちゅ〜しゃ。
表示されず。
>>866 Janeの派生品なら大抵表示される。(うちはXPsp2。他でも大丈夫かはシラネ)
869 :
世界@名無史さん:2005/06/04(土) 02:43:05 0
今日たちよみしたけど買う気にならん。
値段考えると、こんなものだろ。
イラストが多かったが、写真もっとほしかった。
それより、広告で入ってた、竹簡の孫子の兵法あれほしいな。
>>870 あれかっこいいよな。おれも韋編三絶やってみてぇww
でも高くて買えません。
呉楚之君自称王 結局なんて読めばいいのかわっかんないや
>>872 いや、いくらなんでもそれを読めないのはかなり問題が……
うちゅぢじゅんづちぇんわん
875 :
世界@名無史さん:2005/06/05(日) 18:24:13 0
OSやブラウザもあるが、フォントに依存してることもある。フォントを変えてみれ。
じゃ、MSゴシック体で、失礼します。
郔
呉楚のきみみずから王と称す
878 :
世界@名無史さん:2005/06/09(木) 20:31:44 O
878
879 :
世界@名無史さん:2005/06/13(月) 08:54:03 O
ほしゅ
880 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/06/13(月) 17:35:03 0
あれ、最近書き込みが少ないですね。
なにか面白いネタはありませんか?
ネタ。アメリカの大学のサイトで楚の言語(於菟が虎の類)に
ついて書いたものを読んだことがあるけど、出土資料にはこ
うした単語は出てこないのかな。楊雄の『方言』にはどのく
らい出てるんだろ。代々楚王の名前につく「熊」も気になる。
なんだろ、これ?なにか説を知ってる人いますか?
882 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 01:07:33 0
学研の『春秋戦国」、人物中心の編集で物足りない。
国別の特徴がもっとみえるような記事が欲しかった。
朝日新聞朝刊に夏王朝時代の遺物発見の記事が出てたよ。
トルコ石をならべて龍の姿を作ったものだった。
去年ぐらいも夏王朝時代のモノが出土したというニュースがあったけど
もう夏王朝はあったということでもう決まってるの?
まだそこまではわかってないんじゃないの?
商についてもまだ分からないことも多いみたいだし。
遺跡調査は100年ぐらいすると、調査結果がわかるらしい。
俺いきてられるかな?
夏王朝の文字が出てきて解読の結果
伝説が証明されれば実在が確認されるんだろ
時代があうから箸墓古墳は卑弥呼の墓
とかいうのと同じ推定レベルの話
先商文明とでもいうべき文明があったことは確か。
あと、以前は東周時代に作られた伝説と思われていたことが、実際に発掘される
例が多数あるのも確か。
だからといってそれが夏の実在性の証明にはならないわけだけど。
ただし、二里頭が夏であるという仮説に対し、まともな反論がないのも事実。
実証しようの無い仮説に、まともに反論する意味がないのも事実。
商以前の時代についての仮説はいくつもあったのだけどね。
二里頭=夏仮説にほとんど淘汰されました。
卑弥呼の実在は証明されていないって話をしている段階で
邪馬台国は九州にあったといわれても( ´_ゝ`)フーンっていう話
そもそも
商が先商文明の影響を受けていたこと自体は
先商文明が夏という名称であることを証明はしない
二里頭=夏仮説も
三星堆=崑崙山仮説
なんていうのと根本的には変わらない訳だし
邪馬台国の時代に有力な遺跡が出てくる大和に対して
北部九州にこれといった遺跡が出てこないそーだ。
日本でも中国でも考古学は着実に成果を挙げてるよ。
双頭の蛇が発見されたってニュースを観た。
思わず『烈女伝』の孫叔敖の話を思い出した。
894 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 14:34:54 O
烈女伝の信憑性ってどうなんだろう・・・
895 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 14:55:33 0
姫姓諸候で最後に滅びたのは燕ということになってるけど、史記によると
衛が完全に滅んだのは秦の二世皇帝の時になってる。それこそ名ばかりに
しても、始皇帝はなんで衛を残しておいたんだろう?
896 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 15:01:53 0
「姫」を姓にするなんて、現代に生きていたら確実に
萌えオタクだったでしょうね。
姫川あゆみさんをばかにするな!
姫家の姫。
>>895 その問題に関しては、最近「漢文が読めないのでは?」との
疑惑が浮上している平勢隆郎先生が、一応謎を解いていますから
ご一読あれ。内容が正しいかどうか、判断は自分でしてくれ。
900 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 16:41:06 0
春秋戦国時代というと優秀な人物を登用して改革、いったん成功するものの
優秀な人物失脚、改革の成果がパーというパターンを繰り返している印象があるが
戦国時代後半の秦だけが何故、改革の成果を次世代に引き継ぐことが出来たのかがよくわからん
秦だけが改革者が失脚しても国力の低下に結びついていないような
>>899 平勢さんのやつ、タイトルを教えてくだされ。
>>900 法家思想と結び付いた法治主義の成果、という説はどうでしょうか?
903 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 17:21:57 0
>>900 ボク公からの殉死が、ケガの功名みたいになったのかもしれない。
代替わりの度に重臣が死ぬと、その家門の勢力も後退するから
また新しい実力ある貴族が台頭して、自然と支配者層の動脈硬化が
避けられる様になる。(後に殉死は禁止になったけど)
そんな感じだから、改革者の成果がパーになり難かったのではないか?
904 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 17:23:57 0
>>902 成功したとされる内政改革はどの国でもほとんど法家だと思うが
秦だけが持続した言う印象があってそこが不思議なんですよね
春秋期は君主や内政・外交を担当する文官が権力を握っていたけど、
戦国期には戦争が増え武官が権力を握り内政・外交までも牛耳るようになった。
君主が力をもった武官に依存する度合いが高まれば高まる程、
「このまま俺やられてしまうんじゃないの?」と危機感を持つようになった。
秦の将軍で王に危機感を持たれまいとした将軍が何をしたか。
史記なんかも読んでても春秋期の君臣関係は比較的のんびりした印象があるけど、
戦国期の君臣関係には強い緊張感がある。
906 :
世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:00:58 0
それにしても「姫」なんて魅力的な姓ですね。
周の先祖は、ハァハァ好きだったのかもしれませんね。
ワタクシがもし古代中国に生まれてたら、「姫」姓にしてます。
皆さんはどうですか?
つか、今の中国でも姫って所謂王女皇女公女の意味があるのかね?
周代〜春秋戦国時代における姫姓の隆盛
↓
王や諸侯同士の婚姻によって後宮に〜姫が増える
↓
文書にも同様に〜姫という記述が増える
↓
後代の日本では大陸から書物を輸入して漢字表記もそこから広まる
↓
勘違いした「姫」の用法が一般名詞化
↓
現在に至る
という疑惑を抱いているのだが
実際中国では公主って言い方とかの方が後代では一般化しているようで、
〜姫という呼び方は殆ど見られないように思うし
本朝でも藤原氏全盛期辺りだと貴族の息女だと〜子という呼び方が一般化しているようだが、
これも商代に子姓が隆盛を極めた影響だとも考えられるし
専門書とかの資料は精々史記や左氏伝止まりで、殆ど読んだ事は無いんだが
どうなんだろうか
史記、左伝あたりでも「寵姫」だとか、人名で晋の献公夫人の
「驪姫」だとかは出てくるでしょう。「公主」は娘の方。
秦の改革は、中央集権化とそれにともなう組織の整備に成功した(他の
国に比べて、相対的にだけど)ことが大きいような気がする。
「天才的な個人が国家を動かす大活躍をする」って、裏を返せば国の
組織力がスカスカってことでもあるから。
他の六国は、集権的な支配力がスカスカな組織機構から、結局は抜け出せ
なかったように思える。
「天才的な個人」の例としては、呉起とか李悝あたりが当てはまる…かな?
だから近現代に近づくにつれて、個人のダイナミックな活躍が消えていき
…古代史に比べて個人の持つ迫力が失われていくような気がするんだが。
個人的な意見なんで、ツッコミはお手柔らかにプリーズ。
>>909 「驪姫」は驪戎が姫姓を名乗ってたからじゃなかったっけ?
「寵姫」という単語は確かに史記にでてきますね。
912 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/25(土) 21:06:45 0
>>895 >>899 平勢さんは例によって即位の年次を「立年」と「踰年」の記載の相違にして、在位期間を
短縮するという手品で説明していますので、平勢ワールドの信者以外には受容れられて
いないみたいです。しかしそんなカラクリとは別に衛が秦代まで存続していた事情は
十分に理解可能です。「史記」の「衛康叔世家」には昭公の時代には三晉が強大だったので、
衛は小侯のようになっていてこれに属していたとあります。「史記正義」の説では趙に
服属していたとあります。その後になると聲公の次に公子の遬(不逝というのが正確な
名であるという説もあります)が立つと、公族中の有望分子であった公孫鞅が見切りを
つけて秦に逃げてしまいます。更に「公」という爵号を維持できなくなり、自ら貶して
「侯」と号するようになります。成侯遬の次が平侯で次の代になると「侯」の称号も遂に
持ちこたえられず、更に降って「君」と称するようになってしまいます。この時点では
衛の領土は僅かに濮陽だけになってしまっていました。次に立った懷君は魏に朝した
折に囚えられた末に殺されます。魏はその叔父に当たる元君を立てます。これは衛が
完全に魏の附庸国になりきってしまったことを意味します。そうするうちに秦が魏を
侵略し、その東辺を奪ったので濮陽も秦領に組み込まれ、衛君は野王(縣名)に徙され
命脈を保ちます。元君の次の衛君の角の時代に魏は滅ぼされ、数年後には秦が天下を
統一します。衛の親会社が吸収合併で魏から秦に替わったと思えば判りよいでしょう。
913 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/25(土) 21:07:40 0
秦の天下統一以後も衛は引き続き野王の領地に存続しますが、その実態はイタリアの
国土に囲まれて独立を維持したサンマリノとは違い、秦の小封建君主のようなもので
江戸時代の諸侯となった室町大名と変りません。吉良上野介みたいなところでしょう。
秦も他の六國も自国の領内で有力な臣下に封地を与えていました。衛の庶公子から秦の
重臣となり法治体制を推進した公孫鞅も、功績によって商と於の両邑に封ぜられたので
「商君」と号しています。戦国時代末期に活躍した孟嘗君(齊)信陵君(魏)春申君(楚)平原君
(趙)の四君がこうした雄國内の封君の代表です。秦の統一後もこうした封建領主は郡縣と
共存していたのです。粟散の小邑ばかりで漢代の封建諸侯とは比較にならない規模ですが、
天下統一の邪魔にならない程度で生き延びており、その一つとして衛君の領邑が存続して
いたのです。何等の不思議もない歴史現象なのです。
914 :
世界@名無史さん:2005/06/25(土) 21:14:59 0
あやめたん・・・・
915 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/25(土) 21:16:36 0
>>908 >〜姫という呼び方は殆ど見られないように思うし
実は宋の徽宗が「公主」を「帝姫」に改称したことはあります。
>>912-913 なるほど、と言いたいところだけど、何の説明にもなってない気がする。
わざわざ諸候と周を滅ぼして名目上の封建制度に終止符を打ち強力な中央
集権国家体制を築こうとした始皇帝にとって功績のあった自らの臣下なら
ともかく、春秋諸候の家系を存続させようとするのはやはり疑問。少なく
とも「何等の不思議もない」というようなものではないと思うよ。誰か将
軍にでも領地を下賜してやる方が自然でしょう。
まあ、あやめ氏の説(というかどっかからの孫引き?)も
「平勢説を使わなくても説明可能だ」と言ってるだけで、
平勢説の不備を指摘するものではないから、まだ議論の入口に
立っただけって感じ。立場は理解できましたよ。
平勢説を批判した論文があったら教えて下さい。
魏が滅びた段階で秦が衛を存続させる意味が全くわからない。
>>916に同意。
むしろ滅ぼす理由が無いのでは
祭祀を失った家系は祟るだろ。始皇帝が超絶な合理主義者
だからといって、当時の迷信の枠を超えられたとも思えんが。
、、、といいつつ、そういうのを無視したがために短期日に滅びた
という理屈も成り立つ。
>>920 >祭祀を失った家系は祟るだろ。
そんなことを気にする国は春秋時代の時点で全て滅びて、
戦国時代まで残ってる国はそんなこと気にしなさそうだが・・・
かなり早い段階から秦は衛を東方への橋頭堡・拠点として使い
重視していたというのを読んだことがあるが・・・。
もしそうなら衛が秦に対して「なんの功績もない」ってことは
ありえないのじゃないか?
内政改革が挫折したのは楚だけで
他はそれなりに成功したといえるんじゃないかな。
>>925 なんで?魏の改革っていつの誰による改革?
魏の改革っつーと文侯武侯の頃の魏全盛期の事かなあ
呉起を逐った時点でおじゃんになったけど
孟嘗君を招いたり、身内から信陵君が出て来たり、その後も改革の
チャンスはあったんだが、結局活かせずに終わった感じ
秦は孝公の改革
燕は昭王の改革
三晋と田斉は改革しなくても最初から郡県制。
929 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 19:19:53 0
あやめ氏や諸氏ほど博識でないので恐縮だが→衛の件
エイセイが衛を残したのは事物は完全になるといずれ崩壊するという感じの
思想(上手く説明できん)が元で、わざと全統一しないで秦が永久に続きますように、
つーことだよ、と。
俺は↑信じてたんだけど、もしや沢山ある説の一つにすぎないの?
何か古典にでも書いてあるのかと思っていたがそうではないのか・・・orz
その説は知らないが、それもあやめ氏の旧説と同じで憶測の類と思う。
衛の謎を称元法に由来するとし、史記の年号の混乱も説明できる、
とした点はやはり白眉だと思う。でも、春秋平勢学は…知らん。
931 :
929:2005/07/02(土) 22:52:31 0
>>930 うほ。やはりそうでしたか。学術書ではなくて陳さんや鄭さんのように
本場の人か学研の歴郡かなんかだったと思うのですが思い出せない・・・。
平勢氏の「お前らこうイメージしてるだろ」的な
文の進め方は鼻持ちにならないけど、非常に刺激的で面白い。
俺も平勢氏マンセーになりそうですw
平勢氏の主張はおもしろいし説得力もあるけど(本当は自分で
史書の暦を当たって検証しなくちゃ妥当かどうかわからんのだけど)、
どの本を読んでも、きっちり整理されていない作業過程を
延々見せるのは勘弁してほしい。
中公や講談社の全集ではもうちょっとましかと思いきや、やっぱり
同じ手法でだらだらやってる。自分の単独著作ならまあ我慢するけど、
こういった全集本の読者は平勢説をマスターしたいわけじゃなくて、
それを踏まえた上で描き出される歴史が読みたいわけで。
そういった需要も見えないんじゃ、学者としての能力はさておき、
文筆業者としては零点だな。
>>932 なんせ、漢文和訳を学生に丸投げして、それを校正せずに本に載せる方ですから…
934 :
中華@名無史さん:2005/07/03(日) 21:50:06 0
>>930 俺も
>>929氏の説は知って居ます。
ソースは、新人物王来社刊行の、別冊歴史読本「史記百人の群像」
と言う本内の、”特別記事-未完の帝国「秦」”に書かれて居ます。
著者は、中国史研究家 徳田隆 氏です。
これに拠ると、当時流行思想である五行説に有る思想で意図的に存続させた。
と言う様な事が書かれて居ます。
929氏も、この本がソースだったのかは定かでは無いですが、
一応、書籍物では出ている説だ、と言う事で、登場しました。
秦が水徳を採用したというのは司馬遷の意見であって
実際には秦は五行説そのものを採用していないという説に賛同するがなぁ。
やはり衛を残したのは秦に対する長年の功績じゃないのかと。
説苑に秦王時代の始皇帝に迫って、主君の領土を安堵させた唐且という人物の逸話が
あるらしいんだが、この主君の安陵君というのがどういう国(?)なのかがよくわからない。
他の戦国六国が滅ぼされても存続したらしいのだが・・・。
937 :
世界@名無史さん:2005/07/04(月) 22:33:28 0
>>936 魏。すぐに検索に掛かったぞい。
>他の戦国六国が滅ぼされても存続したらしいのだが・・・。
これが不明だが・・・。
938 :
世界@名無史さん:2005/07/04(月) 22:41:18 0
補足で「国」というより、信陵君や春申君のように領地を与えられた臣下・諸侯と考えれば
いいでしょ。存続したというのはただ単に魏から秦へ鞍替えしただけかと。
939 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/07/08(金) 08:09:28 0
宮城谷氏のオール読物の連載が最終回ですね。ちょっと寂しいです。
940 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 21:36:59 0
何か、平勢が漢文読めないとか初学者とかレビューしてる
香具師がいるが、んなわけねーだろ。出来なきゃ教授などに
端からなれん。それに江戸時代などに定着した漢文の和訳(読み)が
全て正しい分けでもない。
定説に従った本なんぞ当然読んでるし、ごまんと所持してるわ。
その上で新解釈を披瀝してるだけ。逆に「教科書通り」の解釈を
ただコピーしている香具師より数段頭は上出来だわな。
>>940 とりあえず、平勢の本とそれに対する指摘と、さらにそれに対しての平勢の言い訳を
見てからモノを言うようにしろ。
A:紂王の兵が総崩れになった、という部分(「紂兵、皆、崩れて紂に畔<反>く」)でさ。
なんで崩れたんだろう、と思ったのね。主力が崩れて大混乱になり、反乱者が出る、
ということかな、と思ってさ。そうすると前の方も「紂王の軍はみな倒兵(兵隊)であってそれで戦ったのだ。
そして武王に「開いた」のだ」と読んでおけばいいかなと思った。
B:ふんふん。
A:そしたら、編集から、「兵は武器のことだと訳している本があります」とコメントをくれたのね。
そこで、あらためて考えなおして、一度は「武器」に変更したんだけどさ。
そして「開く」もそのとき編集からの訳にしたんだけど、そうすると、やっぱり「崩れた」が気になってね。
おちつかないんだよね。先に降伏しちゃうような儀式にするとね。それで、もとにもどしたんだよ。
B:「武器」の方がいい、というご意見の人も出てくるでしょうね。
A:そうだろうね。まあ、『史記』を引用して述べる主旨からすると、どうでもいい、
という人も出てくるかもしれない(というより、どうでもよくはないが、話題は一つそれてしまうので、
私の文章について言えば前後の文脈をたどる上では関わってこない)けど、少々悩んだ部分なんだよね。
B:で、どちらがいいと、今は思うんですか。
A:「兵(武器)を倒して」という戦い方が、いまひとつイメージがわかないんだよね。
「崩れる」に対応する戦い方だけどね。武王の徳になびくんだったら、最初から戦うそぶりも見せなかっただろうし。
かといって、「倒兵(兵隊)」という読みも、決して感心しないんんだよね。
B:で、どちらに。
A:ペンディングだね。
943 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 22:28:00 0
>>941 レビュアーか?w んなもん読んでるよ。
だから、定説をコピーしてるだけでしょ、レビューは。
別に漢文の解釈なんぞ、和訳するときは非常に曖昧だし、
一定の理論はあるが、全てそれでは解決できない。
現代中国語とは違うんだよ。
944 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 22:32:28 0
少なくとも、初歩的な漢文の問題はない=学会でも通用してるんだし、
そうじゃなきゃ教授昇進など、論文の時点で×。
新説自体で対立があるだけでしょ。
おう、学界ね。
あんまりにもあほらしくてつける薬すらないな、こいつ…
>>946 アホはお前。平勢は原文から入れるほどの頭脳がある。
お前は漢文オタなだけ。
反論できないなら、消えろ。東大入試、院進学、院卒、助、教授の過程を
得てきている人間が漢文素人の訳がない。学界にも入れない。
師匠の西嶋だっけか?にも破門されとるわw
>>947 徹底的にわけがわかっていないアレが出現したな。包茎手術して出直して来い。
949 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:16:03 O
東大は漢文読めない、は定説じゃ
読める読めないは別にして、ピラセのHPでの反論(言い訳)は厨くさい
いまひとつイメージがわかないんだよね。
「原文から入れる」
めちゃめちゃレベル低いじゃないすか平勢先生
○○○学者の偏執的傾向
@彼は自分を天才と考える。
A彼は自分のなかまたちを、例外なしに無学な愚か者みなす。彼以外の人はすべてピント外れである。
自分の敵をまぬけ、不正直、あるいは他のいやしい動機をもっていると非難し、侮辱する。もし敵が彼を
無視するなら、それは彼の議論に反論できないからだと思う。
B彼は自分が不当に迫害され、差別待遇を受けていると信じる。公認の学会は彼に講演させることを拒む。
雑誌は彼の論文を拒否し、彼の本を無視するか、「敵」にわたしてひどい書評を書かせる。
ほんとに卑劣なやり方である。こういう反対の原因が、彼の仕事がまちがっていることにあるとは、
奇人には全く思い浮かばない。
平勢のバイト学生が発狂中〜
レビュー男が反論できずに罵詈雑言して発狂してるのが真実。
学者としての実績&知能、平勢タン>>>>>>>>>>>>(天地)>レビュー男
955 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 01:28:20 O
まあ実際に訳した学生は、出来が悪いということでピラセに怒られただろうから、
指摘した奴らを怨んでるんだろうなぁ
学者としての実績??????
>>954 東大だから間違ってないと言い張るオバカサンが何を言ってもねぇ。
とりあえず、さっさと自殺すること。これは命令。
>ドラゴン桜 「バカとブスは東大に行け!」TBSドラマ7月8日スタート!!
960 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 01:36:46 O
ラジカルな論としても、浅野っちの方が面白いしぃ
漢文の素養は言うに及ばない
そろそろ次スレ?
>>960 浅野っちって誰?
ラジカルな論ってどんな論?
浅野裕一のことぢゃないの?
久々にのびてるから何があったかと思えば、付ける薬のない人が湧いただけか。
衛の件に話を戻すけど、潰す理由がなかったって事じゃないかなぁ。
来歴が特殊だけど、ひとつの邑の問題でしかないし潰されるような落ち度がないのに潰すのは周囲に対する
問題があるし。信賞必罰を旨とする秦において「罪」がないところに、「罰」に類することは起こしようがなかった
とかそんな感じが。
>久々にのびてるから何があったかと思えば、付ける薬のない人が湧いただけか。
そんなに自分を卑下するなよ。自虐趣味でもあるのかw
A彼は自分のなかまたちを、例外なしに無学な愚か者みなす。彼以外の人はすべてピント外れである。
自分の敵をまぬけ、不正直、あるいは他のいやしい動機をもっていると非難し、侮辱する。もし敵が彼を
無視するなら、それは彼の議論に反論できないからだと思う。
みなさんこんばんわ
浅学ですが宜しくお願いします
さて、エイセイは中央集権へのこだわりを見せ、郡県制を施行したわけですが
衛の扱いは中央集権路線から外れますね
匈奴問題など他に優先する課題が山積しており、衛の処理は一時的に後回しにした
だけではないでしょうか
>>969 徹底的にわけがわかっていないアレが出現したな。包茎手術して出直して来い。
>>970 またお前か。自論書けないでチャチャ入れしてるだけなら消えろよ。
972 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 23:29:15 O
次スレは
「孔子は麻原ばりのカルト教祖か否か」
から始めよう
あんまりにもあほらしくてつける薬すらないな、こいつ…
またお前か。自論書けないでチャチャ入れしてるだけなら消えろよ。
禿同。消えろ。チャチャ入れ野郎。
946 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/08(金) 23:01:42 0
あんまりにもあほらしくてつける薬すらないな、こいつ…
948 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/08(金) 23:12:57 0
>>947 徹底的にわけがわかっていないアレが出現したな。包茎手術して出直して来い。
949 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/08(金) 23:16:03 O
東大は漢文読めない、は定説じゃ 読める読めないは別にして、ピラセのHPでの反論(言い訳)は厨くさい
951 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/08(金) 23:23:57 O
「原文から入れる」 めちゃめちゃレベル低いじゃないすか平勢先生
952 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/08(金) 23:27:53 0
○○○学者の偏執的傾向 @彼は自分を天才と考える。
A彼は自分のなかまたちを、例外なしに無学な愚か者みなす。彼以外の人はすべてピント外れである。
自分の敵をまぬけ、不正直、あるいは他のいやしい動機をもっていると非難し、侮辱する。もし敵が彼を
無視するなら、それは彼の議論に反論できないからだと思う。
B彼は自分が不当に迫害され、差別待遇を受けていると信じる。公認の学会は彼に講演させることを拒む。
雑誌は彼の論文を拒否し、彼の本を無視するか、「敵」にわたしてひどい書評を書かせる。
ほんとに卑劣なやり方である。こういう反対の原因が、彼の仕事がまちがっていることにあるとは、 奇人には全く思い浮かばない。
953 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:2005/07/09(土) 00:20:48 0
平勢のバイト学生が発狂中〜
956 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:2005/07/09(土) 01:30:22 0
>>954 よぉ、公害男元気か?
958 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:2005/07/09(土) 01:31:51 0
>>954 東大だから間違ってないと言い張るオバカサンが何を言ってもねぇ。
とりあえず、さっさと自殺すること。これは命令。
960 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:2005/07/09(土) 01:36:46 O
ラジカルな論としても、浅野っちの方が面白いしぃ 漢文の素養は言うに及ばない
967 名前:世界@名無史さん 本日のレス 投稿日:2005/07/09(土) 20:14:44 0
>>965 まだ自殺してないの?
そろそろ次スレ立てる?
いいんじゃない。
>>946=948=970=973のような奴は厳重に注意の旨、
明らかにしてね。テンプレに追加ヨロ。
>>978 ”厳重”注意といっても、なんて書けばいい?
どうせ書いても馬鹿はやめないだろうし・・・
とりあえず、
>>1案。ツッコミよろ。
<<<春秋戦国検討委員会4>>>
前スレに引き続き、春秋戦国時代についてどんなテーマでも良いので、
皆さんの知識や思いをぶちまけて下さい。
また、時代については、商〜西周時代についてもOKとします。
なお、本スレのスレ主は白起氏ですが、現在海外赴任中のため、氏の
委嘱を受けて田単が進行係を努めております。
煽りのみの書き込みはご遠慮ください。見かけた場合は放置推奨。
過去ログ及び関連スレは
>>2をご参考に。
前スレ
<<<春秋戦国検討委員会3>>>
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1083228028/
>>979 >煽りのみの書き込みはご遠慮ください。見かけた場合は放置推奨。
これに荒らしを追加して
>煽り、荒らしのみの書き込みはご遠慮ください。見かけた場合は放置推奨。
でオケですたい。
どうやら、「包茎」と「つける薬がない」がスイッチだったようで。
984 :
中華@名無史さん:2005/07/11(月) 03:45:08 0
>なお、本スレのスレ主は白起氏ですが、現在海外赴任中のため、氏の
>委嘱を受けて田単が進行係を努めております。
この部分は、もう要らないんじゃないかな?
白起氏も正直もうこのスレの事忘れている可能性大だと思うし、
田単氏も、正直いつまでも帰って来ない人の為に
何時までも任されているって状況は、余り嬉しく無いと思うよ。
田単氏は誠実そうだから否定するかも知れないが、
事実最近は進行係って程登場されないし、氏が登場されなくても
他の人だけでも回転は速く無いが、普通に進行しているのだし、
もう削除しても良いと思います。
ってもう立ててたんだね…
二つ上のレスすら確認しなかったよ俺…(汗
sage
986 :
711:2005/07/12(火) 00:50:41 0
新スレが孔子とか封禅の話題でてるから梅ついでに質問。
きょう学術の戦国策を(立ち)読んだんだけど、安陵君て何者?
信陵君との絡みもあったけど、優れた人物みたいだけど今日はじめて知った。
安陵君について少し教えてほしい。
ごめん上の711とかまったく関係ないです。
スマソ orz