古代中国から清王朝、現代の中国に至るまで中国についての疑問を総合的に語るスレです 伝説の王朝は本当に存在したのか? あれだけ栄えた中国がなぜ西洋に遅れを取り侵略を許してしまったのか? 昨今の劇的な成長の原動力は何か? その他ヨーロッパ、イスラムとの関わり等中国に関わる疑問でしたらなんでも結構です
2getして中国史おさらい 堯・舜・禹 伝説の王朝 夏 存在していたと言われるが詳細は不明 殷 前17C〜前11C 周 前11C前半〜前3C 春秋 前770〜前403 戦国時代 前403〜前221 秦 前221〜前206 漢・楚 前漢 前202〜後8 新 8〜23 後漢 25〜220 三国 220〜280 西晋 265〜316 五胡十六国 304〜439 隋 581〜618 唐 618〜907 五代十国 907〜979 宋 960〜1127 元 1271〜1368 明 1368〜1644 清 1636〜1912 中華民国 1912〜1949 中華人民共和国 1949〜
3 :
世界@名無史さん :04/03/20 18:53
なんだか、似たようなスレをみたような気がするなー
昨今の劇的な成長」なんて虚像だよ。
5 :
世界@名無史さん :04/03/20 18:57
>>1 >あれだけ栄えた中国がなぜ西洋に遅れを取り侵略を許してしまったのか?
これって実際にどうなんでしょうかね?
7世紀までは、常に北アジアの遊牧民族に脅かされて、
最も栄えたと思われる唐の時代には、タラス湖畔の戦いでアッバース朝に
大惨敗してるから、相対的に見るとさほどでもないんじゃないかって思うんですよね。
「あれだけ栄えた中国がなぜ西洋に遅れを取り侵略を許してしまったのか」 時代遅れの中華思想を誇り西洋の文物の吸収が遅れたからだろ。
思想や物語の数は多いですけど(日本人に親しみがあるだけかも) 対外的に中国が勝ったという例は少ないですね。
中華思想と西洋哲学 時代は全然違いますけどどっちの方が上なんでしょうか?
9 :
世界@名無史さん :04/03/20 19:27
中華思想と西洋哲学って比較になるんすか??
10 :
世界@名無史さん :04/03/20 19:29
中華思想じゃなくて 東洋哲学と西洋哲学のどっちが上と言うなら、 確実に西洋の方が上でしょう。
>>8 あなたは「中華思想」を古代中国思想の意味で用いているんですかね?
12 :
世界@名無史さん :04/03/20 19:34
東洋哲学自体が西洋の学問体系における哲学に比定して構想されている
13 :
世界@名無史さん :04/03/20 19:35
14 :
世界@名無史さん :04/03/20 19:36
中国を脅かした北方民族って後のモンゴルなんですか?
純粋な漢民族の王朝っていくつもないって聞きました。 魏や晋が騎馬民族とかいれちゃってそれ以来民族がごちゃまぜになってしまったと。 そう考えると諸葛亮は純粋な漢民族の中国を守ろうとした英雄なわけですね。
中国が西洋の侵略を許したということですけど 結果として西洋の進んだ文明を取り入れることができたということはないでしょうか? 香港も1999年までイギリス領だったわけですが喉元すぎればという感じで 今はそれが経済の発展につながっていると。
台湾っていつから中国ダタノ?
19 :
世界@名無史さん :04/03/20 20:31
>>17 西洋の侵略を許した結果ではないと思います。
中国でまともに文明化が始まったのは、1970年代以降ですし
19世紀に西洋の侵略を受けてもダラダラして、日清戦争に負けてから
ようやく気付き始めたけどまだダラダラして、米英の力で日本を撃退した後は
自国の力で発展するなどと慢心に浸って思いっきり勘違いした政策で最悪の失敗を
やらかして、その後にようやく学び始めたって感じですから。
始皇帝暗殺で見た宮殿って石壁に土の床でそれほど豪華って感じがしませんでした。 大きい感じはしましたが。 もっと宝石や装飾がちりばめられたイメージを持っていたんですが。
文化大革命って結局のところ過去の歴史と金持ちの否定なんですよね?
>>20 す、すいません。。。。
予算不足でセットの製作費を削らざる得なかったのです。。。
植民地化ってただ単に外資が入ってきただけなんじゃないかと思うんですよ。 そりゃ政治的に不利になる面はたくさんあるでしょうが。 清の頃の民衆って恐らく相当貧しかったのではと思うんですが。 それならイギリス人にでも雇われた方が生活は楽になるってものではないですか?
>>20 始皇帝の権威を再現するのは現代の技術でも難しいのでしょうな。
25 :
世界@名無史さん :04/03/25 02:08
華北の海岸に大きな貿易港があまりなかったのはなぜでしょう? 青島・大連は清末からですよね?
>25 大きな貿易港を支える相手が居ないからではないか? いや、国内輸送って事もあるか・・・
インド哲学なら西洋哲学といい勝負かもな。ただ、あまりにも現世に疎すぎたのか 全然科学技術は生まなかったようだが。 中国哲学はただの堂々巡りかと・・・特に朱子学以降。
>>27 儒学は過去を良いものとして重んじる学問だから堂々巡りも仕方ない。
ギリシア哲学にしても、インド哲学にしても、中世以降は廃れてしまい、新しいものは生んでいない。
30 :
世界@名無史さん :04/03/25 17:01
>29 それはおかしな理解ですよ。最近の欧米における思想史研究では中世後期から末期にギリシャ哲学を積極的に吸収して 、強い連続性を持ちながら近世への思想的状況を切り開いていったというのが学会の共通理解です。
>>30 それはギリシア哲学が新しい思想を生んだのではなくて、近世から近代にかけての西洋が新しい思想を生んだということだろ?
ギリシア哲学は基礎にあるかもしれないが、それがそのまま発展したわけではないだろう。
32 :
世界@名無史さん :04/03/25 19:31
>31 近世から近代にかけての西洋が新しい思想を生んだ そういった断絶意識を批判的に検討するために中世のギリシャ哲学やキリスト教思想を再評価しようという学問状況であるということです。 そのまま発展したわけではないというが、いきなりぱっと現れるもんだろうか思想というのは?
中世末期やルネサンスなんかだと、新しい思想を生み出すというよりは、 古代のギリシア哲学を復興すること自体が目的だったんでないのかなあ。 そうだとすると、中国の伝統主義的な学問姿勢とたいして変わらんような気はする。 ギリシア哲学の復興よりも、なぜ近代西洋に進歩主義的な思想の誕生したかのほうが重要だと思うのだが。
思想の「上下」を語る極端に厨なスレはここですか? しかも中華思想だって
中華思想に凝り固まっている内は枕を高くして寝られるね。
中華思想−政治 西洋哲学−自然科学 結局科学力に負けたということでは?
貧しい民衆をどう治めるかというような中華思想など現代にはあまり必要ないような・・・・・
>>15 モンゴル帝国以前はほとんど北西のトルコ系(匈奴や突厥など)か西のチベット系(羌や
タングート)、そして北東のツングース系(女真)。
まぁモンゴル系とトルコ系の区別は色んな意味でものすごく区別付きにくいんだが、一応
は区別されてる。モンゴル系の諸族はずっと分裂状態だった模様で、歴史に出てくるのは
チンギス・ハーンから。一応、鮮卑はモンゴルかトルコか意見が分かれているよう.だが…。
中国の古代思想。例えば諸子百家の説いたような政治思想。 「君主はどうあるべきか、国をどう治めるべきか」というようなことは広大な中国を治めることにとても役にたったと思う。 それらの思想の試行錯誤の繰り返しで民族入り乱れた人口10億人を超える中国ができあがった。 これをあたりまえのように思い過去の否定に走るのは間違いだ。 いまだに紛争や貧困を抱えて立ち直れない国はいくらでもある。 それらの国の過去に中国の歴史に出てきたような英雄が存在していたのならば現状は変わっていたかもしれない。
40 :
世界@名無史さん :04/03/28 02:02
「〜子」と称された思想家で時代的に一番新しいのは朱熹? そのうち「毛子」なんて神格化されたらヤだなw
一番怖いのは上子でその次が人子
中国って隣接していながらロシアとはあまり戦争をしなかったな。
中国って大虐殺がよくあるけど、あれって本当?項羽の秦兵20万虐殺、曹操の徐州虐殺 モンゴル人とかロシア人とか殺りまくりだけど、あれ本当にやってるの?誇張してるんじゃ・・・
>44 坑はかつて閉じこめるって意味もあったらしい。 必ずしも穴埋めにしたわけではないそうだ。
46 :
世界@名無史さん :04/04/14 21:11
華僑って西方や北方への移住はなかったのでしょうか? 最近になってシベリアやモンゴル、中央アジア諸国への出稼ぎも増えていますが。
>40 朱熹の後継者、南宋の真徳秀を「小朱子」と呼ぶ。 後、明の王陽明の事を「王子(おうし)」と呼ぶ時が有る。 一応「子」と尊称された有名どころの思想家を並べると二十二子ぐらいになるんじゃ無いかな。
>>46 移住しまくりです。西方や北方は併合してしまってる。
北方→南モンゴル・マンジュ
西方→東トルキスタン・ティベット
>>43 シベリアがシベリア鉄道できるまでは軍隊はほとんど通行不能だったからな
砂漠や農村で自給自足をしている中国人って今でもたくさんいそう
モンゴルも草原とタイガの境目がおおよそ自然と 歴代王朝の版図の北限になっている感がありますよね。 匈奴などは地図を見るとバイカル湖の北まで(丁零とか)版図にしていたようですが。
52 :
世界@名無史さん :04/05/13 23:32
沿海州のブナ林帯もたびたび領土になったね。 渤海・契丹あたりから、金以降の王朝はだいたいそうかな。
53 :
世界@名無史さん :04/05/20 03:24
なぜ中国は近代になるまでギリシャの思想を知ることがなかったのかが疑問 早い時期にギリシャ哲学を少しでも見ていたら今の中国はなかったと思う やっぱりアレクサンドロスがインドの西で引き返したのが大きかったのか・・・(勝手な想像
杜甫の詩だったか、唐が衰えて西域ににらみが効かなくなったことを憂いた 詩で、漢人の子供が胡人の言葉で唐の役人を罵る みたいなのがあったような。 西や北に出ても、勢力図が塗り変わると、同化されてしまって中国人の血を 引いていたことなんて忘れてしまった、みたいな人は沢山居るのではないかな?
なんであんなにデカイんですか? (かなり素朴な疑問)
>>55 黄文雄氏の各著作でそれを分析しています。(かなりの悪意を伴って・・・)
>>51 バイカル湖の北は山脈だからね。
日本でさえ冬は近寄れないのに北緯50度で日本アルプス級の山脈があったら
どういう状態になるか考えればわかるはず。
58 :
世界@名無史さん :04/06/12 21:46
>55 各地域が独立しないから。
59 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 16:20
6ヘヘヘヘヘ 、────────ヽ
||ニ回ニ||
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( `ハ´) / / ゙ミ /
ノメ⌒||⌒`< 日本鬼子に核撃ち込んだアルーーーーーー!!!!!!!!!!! /
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ゝ ヾ⌒ 丶 / C ,,/
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60 :
世界@名無史さん :04/08/08 00:02
/ヽ /ヽ / ヽ / ヽ ______ / ヽ__/ ヽ | ____ / :::::::::::::::\ | | / / \ :::::::::::::::| | |J3−1C | (● (● ::::::::::::::| よかった・・・・日本選手おめでとう。 | |日本優勝 | ∪ ∪ :::::::::::::| | | | (__人__丿 .....:::::::::::::::::::/ | |____ ヽ .....:::::::::::::::::::::::< └___/ ̄ ̄ :::::::::::::::::::::::::| |\ | :::::::::::::::::::::::|
61 :
世界@名無史さん :04/08/08 01:11
本当に無知な質問で申し訳ないのですが、よろしくお願いします。 清朝が衰退したのは、宦官や外戚による腐敗政治を列強諸国が上手く付け込んだからだと教わったのですが、 これは乾隆帝以降の皇帝が愚鈍だったために起きたことなんでしょうか? 僕が思うに、当時の清の体制であったら、例え乾隆帝のような名君が続いていても、 結局は列強諸国に(半植民地状態にまではされないまでも)遅れをとっていたことは間違いないと思うのですが・・・ 康熙帝だったらもっと分かりませんが・・・
62 :
世界@名無史さん :04/08/08 01:15
科挙が腐ってたんだよ!
>>61 逆に康熙・雍正と続いて名君が出て安定したのはよかったが、
乾隆帝が頑張り過ぎたおかげで政権が延命してしまったって考え方もあるようです。
もっと堕落した愚帝が出てくれれば、アヘン戦争を待つまでもなく、
白蓮教の乱などで崩壊して、多少近代化された政権が立ったかもしれない。
64 :
世界@名無史さん :04/08/20 23:43
話しを切って須磨ソであるが、 なんで北洋軍閥は北伐で脆くも負けたのか?
古代に江南は熱帯雨林だったというのは本当ですか。
67 :
世界@名無史さん :04/08/21 00:25
>>61 貧富の格差の拡大、重税、失政が重なって路頭に迷う農民が反乱を起こす。
↓
太平に慣れきった軍は腐敗しきっていて、鎮圧に手こずる。
↓
国内が混乱してまた反乱。
↓
ループ
農民の無産化は安定王朝には避けられない問題なので、
どんな名君が出てきても延命が精一杯。
根本的な解決策が打ち出せなければ、じわじわと傾いていったと思われる。
>>64 北洋軍閥は内部の派閥抗争が激しい上に、
各派内の実力者の自立性が強過ぎたために
一致団結して対抗することが出来なかった。
68 :
世界@名無史さん :04/09/04 03:40
中国の軍閥や蒋介石軍(米式以前)の装備について誰かキボン
69 :
世界@名無史さん :04/09/12 21:09:32
宮廷に仕えてた小姓ってチン子切られるのは知ってたけど目玉もとられるの?
70 :
打通さん :04/10/03 19:34:33
71 :
世界@名無史さん :04/10/03 19:49:01
72 :
世界@名無史さん :04/10/03 19:51:20
【イギリスは植民地のことを謝ったのに、日本は謝っていない】
http://www.asahi.com/column/aic/Thu/d_iwaki/20040930.html 大学院生の反応の中には「反省せず謝罪しない日本」と
「イギリス」とを比べているのがいくつかあった。
「中国を侵略したのは日本だけではない。イギリスなど欧米諸国もそうだが、
彼らは素直に歴史を認めて謝ったから、我々は許した」などとある。驚いた。
イギリスが侵略や植民地支配を謝罪したなんて、不勉強かもしれないが、
聞いたことがない。「エッ、イギリスがいつどんなふうに中国に謝ったの?」
と尋ねると、相手も少し困った顔をしている。やがて「謝ったような感じが
したものですから・・・」と、小さな声が返ってきた。
73 :
世界思想状況ニュース :04/10/03 19:52:43
サンカ文字は完全な日本のオリジナルで世界最古の文字。
75 :
世界@名無史さん :04/10/05 01:55:59
中華人民共和国は、漢人を蛮子と呼んだ征服王朝と同じ名の紙幣単位を使っていて何も思わないのか?
76 :
世界@名無史さん :04/10/05 11:36:16
え゙〜〜ん ・・・・
78 :
世界@名無史さん :04/10/05 12:01:58
西洋に侵略を許したのは科学技術に遅れをとったから。西洋ほど悪どくなかったということか。 今日の発展はあまりに圧政がひどかった反動か。
79 :
世界@名無史さん :04/10/11 01:29:10
古代文字・・・というか文字ができる前の時代に、紐を結んでそれを言葉代わりに用いてコミュニケーションをとっていた時代あったと思いますが、あの文字ようなものはなんと言うのでしたっけ?
80 :
世界@名無史さん :04/10/11 01:38:37
中国で食人が文化になった理由について 中国では昔から常に食料が 足らなかったとかいう説明が本にあったけど 食料以上になんで人が増えるのだろうか? そもそも中国って広大な割には資源も乏しいし、農業に適した 土地も少ないはず。そういう国がなぜ人口大国になったの? それが不思議。
82 :
:04/10/11 19:08:57 :04/10/11 19:41:26
売春を国を挙げてやってたのに今は何で辞めたの?
>>81 豊作の年が続けば人口は自然に増えるし、上限に達した瞬間に凶作が重なれば食人だって起ころう。
あと、水と根気さえあれば農業は大抵どこでもできる。
>>82 半島のどこかの国と間違えてはいまいか?
84 :
世界@名無史さん :04/10/12 08:08:06
>>81 日本人はそこに鯨がいたため鯨を食い、
西洋人はそこに牛がいたため牛を食い、
中国人はそこに人がいたため人を食う。
>>81 数千年間農業しすぎた所為で土地が枯れたんだよ。それが現在。
桑原隲蔵や魯迅をふまえても「食人が文化」などと安易にいえるものではな いだろ−に。 麦作や粟作は、稲作と比べるとだいぶ豊凶の差が大きいとは言われてるね。 さらに食糧生産の不安定な北方遊牧民族を養うことも潜在的負担として含ま れてたしね。
>>86 人肉料理店や市場がどうどうとあったなら文化だろ
人肉が食糧になるのは、飢餓に陥ったときがほとんど。 記録は多いけど、別にこれは中国独特のものではない。 畸人の人肉食嗜好はむしろ異常なこととして記録されてるんだけどね。 市場に出回るのは食糧としてではなく、漢方薬の材料として人体の一部が 使われてるんだよ。甲骨文字発見の経緯も想起せよ。 人肉料理店なんてのは、『水滸伝』が面白がって書いてるんだってば。 あんなものを普遍化して考えるほうがどうかしている。 前近代の中国の記録が量的にあまりに多すぎることが、 中国で食人が文化であると錯覚させてしまうんだろうね。 1750年以前の世界の文字文献の半分は漢籍といわれてるから。 中国人の記録魔ぶりが誤解を増幅させてると思う。
90 :
世界@名無史さん :04/10/14 09:00:28
宋の頃の銭湯で、人肉に関する話があったような・・・ あと、隋の頃の麻叔謀とか
>>87 降水量の少ないところを掘り返したものだから植生が復活しなくて荒野と化してしまうのだ
黄河の洪水がそれを補うはずなんだが、堤防を作るので水や栄養は補充されないまま。
93 :
世界@名無史さん :04/10/15 08:18:11
>>89 北宋の開封で、豚肉の20分の1で売られていたぞ!
94 :
世界@名無史さん :04/10/15 08:51:47
中国は国にあらずという説がある。 これはどういうことかというと、 中国とは人種的・言語的な集まりではなく、文化的あつまりだということ。 中国=ヨーロッパ、ドイツ・フランス=上海・広東 というような…わかる? 中華民族とはゲルマン民族というよりはヨーロッパ民族に対する言葉だ。
95 :
世界@名無史さん :04/10/15 09:46:26
>>94 そういう考えでいうと国家とはなんだ?民族とはなんだという根本的な疑問になる。
まあ、国連や多くの国に承認されてるんだから現実的には中国は国家なんだけど。
「シナ」が人種的・言語的な集まりではなく、文化的あつまりだというなら、 そうかなと思う。 中国ということばの多義性・曖昧さだね。 中華人民共和国を指すこともあるし、漢民族をさすこともあるし、もっと大きく 「シナ」とか「中華」いうくくりをさすこともある。
諸葛亮の故郷《徐州琅邪国》って、今で言えば江蘇省の何処ですか?
自己解決しました
99 :
世界@名無史さん :04/11/21 12:36:16
素朴な疑問→自己解決 理想的ですな
100 :
世界@名無史さん :04/11/21 13:06:59
中国史=ヨーロッパ史 支那史=中原史 北京史=パリ史 洛陽史=ローマ史
>>81 中国の人口が爆発的に増えたのは、荒れ地でも栽培できるサツマイモやトウモロコシなど中南米原産の作物が入った清朝から。
それ以前は農業技術や耕作地の拡大による漸進的なもの。
漢時代あたりまでは中国は全土を温帯林の大森林におおわれ、象もいれば犀もいる大自然的世界だった。
黄河も当時は澄み切りただ「河」と呼ばれていた。それが森林の伐採のしすぎで土地が露出し、どんどん削られて現在の状態に。
もっとも黄河下流域では堆積により領土拡張になったが(藁
>>96 「中国」という言葉が使われ始めるのは前漢からで、魏晋以降から使われ始める「中華」より古いんだよね。
シナ・チャイナの由来である秦、漢民族・漢字・漢語の由来である漢は、「中国」と同じような使い方だけど
王朝名&地方名だからなあ。「中華」はうざいし、中国しかないんじゃない?
>>67 歴史がループするのは干支思想と陰陽五行思想にもあるかもね。
ループから抜けて先に進めたのは始皇帝一人ぐらいしかいない。
>>101 やたら詳しいな。だが、技術革新と耕地拡大の時期(元ころまでか)が「漸進的」
で、荒地・山地に玉米が入ると「爆発的」になるのか?
101さんに聞きたいが、中国以外で、南米産作物が人口爆発につながった地域
というのはありますか?
アイルランドとかジャガイモに頼りすぎて大変だったじゃん
105 :
世界@名無史さん :04/11/22 15:34:47
>103 技術革新と耕地拡大の時期(元ころまでか)が「漸進的」 で、荒地・山地に玉米が入ると「爆発的」になるのか これが、中国史のひとつの研究領域をなすホットな部分なので、私も明確に回答できませんが。 明清交代期を画期として中国は新たな段階へと突入したと考えられます。 おおよそ、それまで6000万〜7000万を上限として、王朝の盛衰に対応して増減していた人口は清朝治下で二億。三億、道光末年には四億の大台に乗ることになります。 王朝の盛衰に対応するというのは、旧王朝の滅亡期と新王朝勃興期には戦乱で実質的に人口が減少、また、王朝の行政能力の強弱で把握可能人口の多少が考えられるが、それでも上記のとおり、7000万が上限でしょう。 しかしながら、清代では四億にまで増加したということは「爆発的」といえましょう。 教科書的には康熙帝の盛世滋生人丁の結果、隠匿されていた人口が明るみに出たという説明がまかり通っていますが、はたしてどれだけの信憑性があるか。 やはり、実質的に従来の制限が何らかの要因で解消したため増加したと考えられ、ひとつの回答として、従来植民不可能であった荒地でも栽培可能な玉蜀黍などの新大陸作物の移入が考えられるのです。
106 :
世界@名無史さん :04/11/22 22:41:09
>105 ご説明、どうもありがとうございました。ご専門の方なんですね。 ただわからないのは、16世紀(くらいですか、南米穀物が入るのは)より前に、 多く見積もっても1億数千万とすると、それが在来の麦や高粱や米の人口扶養力の上限。 それが新大陸穀物で清朝末までに4億になったとすると、増加分の2億数千万以上 の人口は、玉蜀黍やジャガイモ食って生きていた。 それは極端にしても、主食に限って考えれば、 マーケットに乗って移出されたるなら、中国全体の 食い物の約2/3が、在来穀物ではなく、玉蜀黍やジャガイモになった。 (清末の全土平均の主食の半分以上は米や麦ではなく、玉蜀黍etc.ということ) そう考えてよろしいんでしょうか。
107 :
世界@名無史さん :04/11/22 22:59:07
>106 これは私の意見なのですが、新大陸からの新作物が主食に取って代わることは洋の東西を問わず難しいのではないかと思います。 荒蕪地を切り開いた移住民は玉蜀黍等を食していたことは確かですが、オンリーというわけではありません。 少なくとも従来から主食としていた米・麦を主食としていたと思います。移住民は食えなくなるから、新開地を目指すわけですが、そこで食生活までまったく変えた生活をしたとは思えないです。 そこで推測されることは、ひとつには、玉蜀黍を携えた移民者によって、新たな商業ルートが開発され、彼らも米・麦を獲得したこと。 もうひとつには、総体的に人民の生活レヴェルが下がったということ。つまり、一人当たりの穀物消費量を下げるわけですね。俗に生存ラインぎりぎりで、首まで水に使って生活するというたとえで表現されます。 以上、二つが要因となって人口の増加という現象が引き起こされたと思います。 まぁ、衛生観念の普及によることが、生物学的には大きいでしょうが。
108 :
世界@名無史さん :04/11/22 23:05:23
4大文明が栄えたところはどこも衰退してる。もう2度と栄えることはないだろう。
109 :
世界@名無史さん :04/11/22 23:22:20
>>108 そりゃそうよ。破壊的に資源をつかっちゃうからね。
メソポタミアも、ギリシアも。
エジプトは比較的うまいことやっているほうじゃないかな。
>101 "中国"と言う語は既に『尚書』、『詩経』、『礼記』、『春秋』など先秦の書物に出てきています。 >106,107 華北では小麦のほか、粟やコーリャンを主食としていましたし、『春秋』などには粟の記述が多く出てきます。 また、大根の改良品種を主食にしている地域も華北や内陸にはあります。 粟やコーリャンを実際に食べてみると分かりますが、非常に味が良くない。 玉蜀黍は粉にすれば色々加工できますし、芋は味が遥かに良いのでそれほど抵抗はないのではないかと思います。 逆に江南〜華南にかけては米の一大産地ですし、土の中で育つ芋類を食べると言うことに抵抗を持つ人は今でも 多く、新大陸作物による人口増加は主に華北や東北で起こったものと考えられます。
回族について知るための適当な読み物はどんなものがありますか。 以下のようなことに興味があります。 回族は回族としての一つの纏まりを持っているんですかね? 中国中に分散しているみたいだし、その由来も様々でしょう。 イスラム教徒と回族の線引きがどうなっているのかも気になる。 回鶻と言うぐらいだし、寧夏の回族なんかは元々ウイグルではないんですかね?
112 :
世界@名無史さん :04/11/23 11:21:36
>110 玉蜀黍・サツマイモは所詮急場をしのぐ程度のものだったと思います。 しかし、中国社会が慢性的飢餓状況であったので、その意味では重要でしょうが。 後もう一点、玉蜀黍の保存性は味の悪いといわれる、粟・高粱に到底及びません。
うぉっ! 俺より遙かに詳しい人が登場したので座を譲ります。
>>110 >中国"と言う語は既に『尚書』、『詩経』、『礼記』、『春秋』など先秦の書物に出てきています。
そうみたいだね。もう一度調べたら前漢どころじゃなかった。
>111 絶版かも知れないけれど、中公新書『回教から見た中国』と言うのが良くまとまって いた。中国語が読めるのであれば、少数民族叢書の『回族』だとか『回族文化』と 言うのが初心者には分かりやすい。『回族研究』と言う雑誌も出ている。 回族は言語や人種は基本的に漢族と同じだけど、宗教と風俗や習慣が違う。 回族の多くはウイグル語なんて全く知りませんし、ウイグル族とは見た目も全然違う。 >112 玉蜀黍と言うと、日本で食べられている糖度の高い種類を想像しがちだが、糖度の低い 種類は乾燥させると保存はかなりききます。更に粉にすると保存も携帯も遥かに便利。 玉蜀黍自体は玉蜀黍として食べると言うより、パンや饅頭の増量として用いられている ことが多い。玉蜀黍のパンは酸っぱくて不味いよ。 それから、玉蜀黍の中で馬歯種と呼ばれる種は味は悪いが、粒が大きく病気に強く収量が多い。 そのため、家畜の飼料として多く用いられていて、中国東北部はその一大産地となっている。
115 :
世界@名無史さん :04/11/23 15:10:54
>114 かなり、お詳しいようですが、東北部が広く開発されるようになったのは、清末特に鉄道が建設されてからです。 あなたが言っておられるのはそれ以降の利用法なり状況でしょう。 私が、地方志なんかで見る限りでは、玉蜀黍を粉にして保存するよりは、醸造用にするほうが圧倒的です。 つまり、早い時期では、長期の保存は想定していなかったと思います。
116 :
世界@名無史さん :04/11/23 15:39:35
>>115 あれだけ寒ければ「長期の保存」は想定しなくてもできるんじゃない?
117 :
世界@名無史さん :04/11/23 15:57:16
>>114 前世紀前半まで一般の中国人は、どのような文字を書き、話していたのでしょうか?
発音などは、どうやって記録していたのでしょうか?
教えてくださいませんでしょうか?
>115 無論、東北部の大規模な玉蜀黍栽培は20世紀に入ってから。 醸造と言うのもいわば長期保存の手段の一つ。醸造に使う澱粉を玉蜀黍から得る ことによって、従来の米、麦、コーリャン、粟などが食糧として供給できるよう になったと言うのも充分に可能な推理ですな。 >116 収穫後、充分に乾燥していなければ低温下では実が破裂し変質してしまいます。 >117 文字は漢字です。勿論、正体字と呼ばれる画数の多い漢字です。 清末からさまざまな表音文字が考案されましたがほとんど実用化されませんでした。 方言では福建の一部で教会ローマ字というラテン文字が使われキリスト教徒を中心にかなり普及していました。 話し言葉は今のように普通話が普及しておらず、それこそ町々で言葉が違うと言う状況でした。 そのため、大学の講義などでは"講義"と言う原稿があらかじめ作られ学生に渡してから、講義をしています。 発音は同音の漢字を当てるか、反切と言う漢字2字で漢字1字の発音を表す方法が古くから用いられていました。
>>118 ありがとうございます。
読むことと、書くことはまったく別のことだったのですね。
そして文字というものは、生活にあまり密着したものではなかったと。
120 :
世界@名無史さん :04/12/04 04:09:40
「魯迅先生東北大学留学100周年記念事業」
http://www.istu.jp/movienews/movienews_no4.html 2004年。中国の著名な文豪、魯迅が東北大学の前身である仙台医学専門学校に留学してから100周年をむかえる年になります。
本学では、このことを記念するとともに、日本と中国との教育学術交流のより一層の振興を目的として今回の記念事業を10月22日、23日に開催いたしました。
魯迅に関する特別展示を実施するとともに、東北大学との学術交流協定締結関係者を招き、仙台の財界人とのパネルディスカッションや今後の学術交流について協議する学術セミナー等を開催いたしました。
121 :
世界@名無史さん :05/01/04 22:13:26
ちっと良刷れ
122 :
世界@名無史さん :05/01/04 22:16:53
支那人の主食はなんですか?禁止レス:人肉
123 :
世界@名無史さん :05/01/04 22:17:32
人糞
124 :
世界@名無史さん :05/01/04 22:37:00
なぜ中国史には学ぶ価値がないのですか ?
125 :
世界@名無史さん :05/01/05 11:36:47
火薬や羅針盤の発明者って、名前は確認できてるのですか? 中国人の発明だという証拠はあるのですか?
>>126 明初もあると思うけど。
鄭和なんかは面白いし。
128 :
世界@名無史さん :05/01/06 18:53:35
俺は今の支那が楽しい
真に学ぶなら春秋〜戦国〜秦・漢初だろうな
130 :
世界@名無史さん :05/01/07 12:01:53
↑なぜ?
春秋戦国期 諸子百家が花ひらき、思想的にもっとも自由闊達な時代。また政治学的にも唯一進歩した時代だと思われる。 秦 政治体制論を集大成させた韓非子の理論を現実レベルで実現させた初めての国家。 漢初 秦が実現しそこねた事(皇帝と法の矛盾の解決)を宰相権の確立で実現。 武帝は漢初の遺産で華やかな業績をあげたが、統治機構をいじりすぎて後に禍根を残す。 後の中国史は時代によってはドラマとしては面白い。 しかし、どの時代も進歩の跡がほとんどなく、同じ事の繰り返しのように見える。
>>125 発見者の名前は確認できない。中国人の発明だということには異論が少ないというだけ。
疑問に思ったなら、自分で研究しろ。
火薬:七世紀、孫思邈が硝石と硫黄の混合物がはげしく燃えることに言及。
おそらく唐代に黒色火薬が作り出された。
1044年、曾公亮『武経総要』。
十二世紀、火薬が戦場で使用されはじめる。
羅針盤:先秦時代からあった?司南。
宋の沈括『夢渓筆談』の磁針。
朱ケ『萍州可談』の指南針。
>>131 おまい、宮崎市定すら読んでないだろ。
>131 あー、情けない。中国史の認識が司馬遼で止まってるんじゃないの?
「発展」の意味にも依るけど、滋賀秀三的枠組みは、ぱっと見
>>131 にかなり近かったりする。
136 :
世界@名無史さん :05/01/09 19:43:22
清代の移民実辺政策についてどなたか解説をお願いできませんか?
滋賀先生を2ちゃんの厨房と同じだっていうのもなんだかなー。 全然違うだろう、しかもそれは中国法に限定した話しだ! 韓非の確立した中国法の精神は唐律以降ずっと受け継がれていくが、 他の分野は変動が激しいだろ。儒家なんか孔子と朱子と王陽明では いってることが全然違うじゃないか。
中国史を政治学的にひもとけば、漢以降は発展してなきに等しい。 漢代以降の王朝を見ると、政治的に秦・漢の制度を超えて、真に発展したという王朝はあっただろうか? 全ての王朝が、秦・漢の枠を超えてないと思われ。 西洋史では絶対王政の時代を経て議会制民主主義がうまれたり、資本主義や共産主義などめまぐるしい発展をとげている。 当然、思想面での進歩がそのバックボーンにあるわけだが、儒家はそんな歴史作れんでしょう?
140 :
世界@名無史さん :05/01/11 17:09:54
>>139 >西洋史では絶対王政の時代を経て議会制民主主義がうまれたり、資本主義や共産主義などめまぐるしい発展
鋼鉄艦に乗って世界各地で銃砲による殺戮と
強奪を繰り返して得た経済的繁栄だけが本質だよ。
何一つとして社会システムでの進化など無い。
幻想だし、妄想だ。目を覚まして自分の目で歴史を見ろ。
>>139 「発展」を政治学的に限定しちゃうわけね。その点は諒解。
でもそれこそ唐宋変革がでかいんだけどな。
中国の科挙史や政治を担った階層の大変化を全く見逃してるわけね。
繰り返すけど、せめて宮崎市定『東洋的近世』くらい読め。
あんたの蒙を開いてくれること請け合いだよ。
142 :
世界@名無史さん :05/01/11 17:54:57
>>139 >西洋史では絶対王政の時代を経て議会制民主主義がうまれたり、
意外に知られていないのが、ヨーロッパにおいては議会制度そのものは
有史以前から存在する古いものだということ。
>>140 西洋すら社会システムが進化していないと言い切ってしまうと、中国は一層進化していないと言い切れますが?
経済的には極端な重農主義で、アヘン戦争以前には対等な外交という概念すらなく。
>>141 では読んでみます。
しかし科挙は制度の上では一つの進歩と言えるかも知れませんが、あくまで官僚への入り口が整備されたにすぎないと思います。
政策決定プロセスにおいて、皇帝−外朝、皇帝−内廷という2軸が存在して、それぞれの権力分配(利益分配)がうまくいけば安定、
利害が対立し権力闘争にあけくれると統治機能の低下−滅亡 という図式は唐・宋においても逃れ得なかったと認識しています。
また経済的発展をとげた唐・宋においても、統治側は伝統的な重農主義的発想から脱却できたでしょうか?
>しかし科挙は制度の上では一つの進歩と言えるかも知れませんが、あくまで官僚への入り口が整備されたにすぎないと思います。 …過ぎないって、あなた随分科挙という制度を軽く考えておられますねえ。 金もなく名門でもない、粉屋のせがれ(王禹称)や服屋のせがれ (蘇軾)が宰相に駆け上がり得るという、12世紀の世界では空前にして 絶後の制度なんだけどなあ。六朝の貴族制(ヨーロッパや日本では12世紀 ごろまで普通)と科挙制度を比べると、摂関家の政治と織田信長の政治くらいの 差は十分に有ると思うんですが。まあ、宮崎市定『九品官人法の研究』中公文庫 を見て見てくださいよ。 >当然、思想面での進歩がそのバックボーンにあるわけだが、儒家はそんな歴史作れんでしょう? 完顏氏の金朝で正統の儒学とされた蘇軾の蘇学は進歩史観でしたし、 陽明学者の多くは商売の隆盛を肯定しているのですが… そうでなければ渋沢青淵のような「論語と算盤論」や、黄宗羲のような 東洋のルソーと言われた人は出て居ません。儒教に対する理解は 一面的過ぎるのではないかと思います。
欧米における民主主義というのは、建前だよなあ。 実態を見ると、エリートによるエリートのための政治。
>>144 科挙そのものを軽視しているわけではないのですが、科挙の成立以前から中国では伝統的に厳密な階級差別はなく、
階級間を自由に移動する通路自体はありました。実力本位の時代であった戦国時代は言うに及ばず。
後宮の選美や宦官の存在は、科挙とは違った意味で一般民衆が支配階級に登る通路があった事を意味します。
中国の歴史を王朝の興亡史と捉えるならば、中国史では王朝の興隆と衰亡はある一定のパターンを描いています。
その興亡史の中で科挙が担った役割とは、優秀な官僚群を安定供給し王朝の安定に一翼を担った。そう思います。
しかし中国の伝統的政治モデル、皇帝制度を根本から覆すことができず、優秀な官僚が活躍できたのもひとえに皇帝の資質による。
権力のバランサーたる皇帝が機能しなくなると、外戚でなければ宦官が跋扈し、士大夫の力が発揮できなくなる。
そして衰亡のサイクルを描く。そんな歴史を繰り返したと思われます。
私が中国史に進歩・発展がないといったのは、各王朝が同じような原因で滅びていった為にそう主張するわけです。
黄宗羲に関しては、むしろ異端の儒者だと認識しております。彼は中国史においては数少ない進歩派でしょうか。
>>137 だから「ぱっとみ」って言ってるじゃん。
とはいえ、財政もI先生によれば…。
「発展がない」といえばなんだかマイナスイメージだが「連続性を保っている」とか
「安定している」とか言えばなんだかプラスイメージってだけだと思うが。
儒教資本主義とか。
148 :
世界@名無史さん :05/01/12 13:16:22
多分素朴と思うが、宋の軍制を知ってる人教えてくれ。 本には殿前司、侍衛親軍ニ司の3つが皇帝に直属し、地方には都総管、兵馬都監とかがいると書かれてるが、基本的な編制がわからん。 清だと提督、総兵〜外委把総、額外外委と1直線になってるのでわかりやすいが、宋にはこのようなものはないの?
149 :
世界@名無史さん :05/01/13 01:11:26
>>145 >欧米における民主主義というのは、建前だよなあ。
>実態を見ると、エリートによるエリートのための政治。
ギリシャ、ローマの時代から美辞麗句の強権専制政治
西洋の王朝に、科挙のような上下流動制度が無かったからこそ 王朝より下層からの人材の流入が激しい教会(教皇庁)が 中世とその後しばらくの間あるていど現実的な権力を持ちえる事が出来たと思うんだがどうだ?
それのどこが中国史の素朴な質問なのかね。
と引き篭もりが申しておりますが、皆さん一言どうぞ
>…過ぎないって、あなた随分科挙という制度を軽く考えておられますねえ。 あんなもんある意味軽いだろう。広い視野で見たらどうだ? 科挙の特筆すべき利点の一つは、下からの人材の吸収を制度によって整備し、 政権内での人材の流動を確実に引きおこすことは、あなたも十分すぎるほど理解しているようだが。 だが、所詮それが皇帝制度内でおこる階層変動という極狭い範囲のでの、 しかも単なる文字通りの流動運動に過ぎないんだよ。 皇帝制を抜本的に改革、又は皇帝制にとって変わるような 新たな社会制度を生み出せるような「革新性は一切持ち合わせていない」といっても過言ではないだよ。 だから、131氏が言ってるように社会システムが進化していないってのは間違いじゃないんだがな。 さらに王朝が長く続けば続くほど出てくる王族・親族・大貴族などの無能な穀潰し・寄生虫その物の既特権者が増え、 科挙ごときの下層人材吸収制度ではそれをチャラに出来ないのは、中国史の示すところだな。
>利害が対立し権力闘争にあけくれると統治機能の低下−滅亡 という図式は唐・宋においても >また経済的発展をとげた唐・宋においても、統治側は伝統的な重農主義的発想から脱却 確かに上記の事柄は皇帝制の限界を示す一例ではあるが、根本的な欠陥原因ではないな。 皇帝制の限界は、近代化に不可欠な政教分離が不可能であった点にあるんだよ。 つまり皇帝制は、強力な中央集権制度が儒教の存在無しには維持し得なかったところにあるため。 儒教の理想的とする各人の身分認識・従順その他儀礼他諸々・・・ 皇帝制と儒教は一蓮托生、一心同体。儒教の害を三国時代辺りから史書は声高々と叫びだすが、儒教が政治から結局排除されなかったのは何故だ? それは、儒教を排除すると厳格な身分制を必要とする皇帝制自体が立ち行かなくなる。このため排除出来なかったんだよ。 結論的に、所詮宗教である儒教は極めて保守的な思考にならざるおえず、世俗行政つまり政治に全く向かないのは言わずもがな。 その儒教にベッタリの皇帝制が政教分離を実現できるはずも無く、近代化は夢のまた夢。 さらに、儒教思想が支配する限り社会制度として皇帝制以外の選択肢が生まれない。所詮、儒教では、易姓革命はおきても市民革命はおきえないんだよ。
始皇帝が作った皇帝制は、ある一定時期に一寸した手を加えるだけで長い間もつ高度な中央集権制度ではあったが、 所詮秦・漢時代に完成されてしまっていた制度。 完成されているだけに改良の余地も少なく、その皇帝制以外に社会制度が頭に浮かばなかった 中華社会は、各王朝が繰り返し単調な興亡運動を長い間行っていただけであったとなるな。 さらに、儒教の限界を明確にするなら、どんな学派も頂点の絶対権利者を皇帝に置き、 その皇帝・王朝が交代することは当然であっても、皇帝を頂点とする社会制度を問題にもせず。 それに対して疑問すら思い浮かばなかった点だな。 確かに、中国内で易姓革命始め経済システムやその他の変化はあるが、 あくまで現象としては皇帝制度内での狭い範囲の変化であって、 社会制度自体を変えうるような物ではないく、社会システムが進化していたとは言えない。 孔子以来儒教は朱子だろうが王陽明だろうが、 皇帝制を社会形成の制度として疑問すら思い浮かばない素晴らしい姿勢は、 社会システムが進化していないどころか妨げていた以外の何物でもないな? つまり結果、早熟な皇帝制と儒教が中華社会の近代化を妨げていたと結論されるわけだ。
さらに、皇帝制に必要だった儒教の要素は、その身分に対する考え方と姿勢。 道徳観は、それを維持するための手段に過ぎない。 孔子様の道徳観と理念が優れて採用したわけではないといえるのが悲しいところだな。 哲学・学問としても、皇帝制無しの儒学の隆盛は考えにくく、 所詮は、忠だの義だの明確かつ合理的な理由を大きく欠いた上で 人間一匹に使えて幸せ・往生と、個人のエゴ以外の何物でもない戯言ほざいて 賽の目以下の王様に命なげうって使えて是と来た日にゃあ… 結局は、皇帝様がいなきゃあ成り立たない学問ってのがせつないな…。 まあ、宗教は儒教に限らずどれもそんなもんだからな。かなり難癖に過ぎんが。
>>154 儒教を宗教と捉える点については、異議があります。儒教は私の理解では広範な意味での政治学であり、儒教集団はむしろ政党に近いイメージを持っています。
そもそも儒教が長い年月をかけて様々な学派を輩出せしえたのは、大本である孔子が政治倫理と政治システムをごっちゃにして説いたため、あらゆる分派を生み出す素地があったのだと考えます。
そして中央集権制自体は儒教なしでも成立しえますし、現に秦・漢初は儒教は重んじられなかったかと。
しかし、皇帝制と儒教の癒着は皇帝の権威確立の過程で不可分になっていったと考えます。
漢書盾吏伝「経術以潤色吏事」は、一言にして行政機構と儒教(経術)の関係を言い表してるかと思います。
158 :
世界@名無史さん :05/01/13 10:54:11
徳川こそがその儒教を自分の一族を永く続かせるために士族の間で普及し、本家よりもより経典に似た封建制を確立したということか。
儒教は宗教だろ。明らかに。 政治システムや政治倫理を説いたら宗教じゃない、なんてのはどこの定義だ?
>138 レ、レスがついていたとは…気づきませんでした。すいません。 遅ればせながら、ありがとうございます。
いいから福井重雅よめ
>>159 そもそも怪力乱神を語らずですし。
というか、儒教を学問とみるか宗教とみるかは諸説あって定義は定まってないかと。
>>154 は儒教=宗教と断定しているので、あえて異議を唱えたまでです。
宗教には「超自然的人格(神、精霊等)」の存在が必須なんだが、 儒教の場合は「天」がそれに当たるのかな? でも「天は民なり」って言葉もあるしなぁ
>>131 流石2ちゃん。儒教は宗教でないっすと来たか・・・議論するにも値せんな・・・
>>164 むしろ何の疑問も持たずに儒教=宗教と言い切れる方が不思議なんですが。
>>163 のように、他の宗教と比較した場合、当然のようにわきあがる疑問だと思うのですが。
166 :
世界@名無史さん :05/01/13 14:43:59
むしろ何の疑問も持たずに儒教≠宗教と言い切れる方が不思議なんですが。 中国や韓国の政治や生活を見た場合、当然のようにわきあがる疑問だと思うのですが。
153-6を書いた人
>>131 氏
儒教を宗教と見ないのは儒教信奉者の幻想だな、かつ一般的ではないが。
明確に宗教ではないという点を是非上げてみてもらいたいな。
とりあえず、改行後に書いてあることが儒教が宗教だという事を否定する物になったいないが?
秦・漢初に儒教が重んじられていなかったからといって、
儒教と皇帝制度の関係を否定することは出来ないが?
むしろ秦・漢の期間が皇帝制度が確立した制度となった時期なんだから当然だろう。
武帝が儒教を董仲舒採用したことで皇帝制度の確立と見るべきなんだよ。
あなた自身、皇帝制が秦・漢の期間で確立されたと書いてるじゃないか。
それに中央集権制度が儒教無しでは確立しないなんていう暴論書いていな。
どんな宗教も社会の救済を説いてるわけだから、実際に社会救済を行う現実的な方法として政治思想をもち、実際に政治に参加する段階で政治学を持つのは儒教でなくとも必然だがな。
政治学があるからといって宗教ではないとはとてもじゃないが言いがたいぞ。
>皇帝制と儒教の癒着は皇帝の権威確立の過程で不可分になっていったと考えます。
何を今更。それは常識以前に皇帝制度を考察する上で基本知識だろ。
それに、すでに書いてあるが?
>儒教を学問とみるか宗教とみるかは諸説あって定義は定まってないかと。
それは、儒教を学問として捉えたい儒教信奉者の妄言が現在でも強く、
儒教=宗教の定義に明確な理論性を欠いた上で感情的に反論しているに過ぎないがな。
さらに、儒教は隆盛期を完全に過ぎ去り世論としてもどうでもいい課題だから、
結論を先送りにして放置しているに過ぎないんだよ。
え〜と、まず儒教が宗教であるか否かについて論じるには、 まず「宗教とは何か」を明確に提示する必要があると思うのですが如何? まず叩き台として。 1:超自然的人格の存在を前提 2:死後の世界を説く こんなところでいかが?
>>164 むしろ何の疑問も持たずに儒教≠宗教と言い切れる方が不思議なんですがね?
それに俺が何の疑問も持たずに儒教=宗教と定義したと良く言い切れるな。
その、妄想力には参ったアルヨ。
「超自然的人格(神、精霊等)」=人力では如何ともし難い力。奇跡的現象。ですがね。
怪力乱神と偉いこといった割には、儒教はこの要素(天・天命など)が他宗教と同じく恐ろしく強いがな?
153-6を書いた人
>>168 そんなことを提示しないとお話も出来ないダメなスレなんでつか・・・
>>170 同じものについて「あれは宗教だ」「いや違う」って議論をする際には、
「宗教」という物に対して双方が一致した理解を持っていないとダメでしょう?
その確認作業は必須と思いますが?
まあ、いいじゃん。よくいるだろ? 熱くなるあまり、最初に提示してしまった自分の意見の間違いに気づかない、 間違いを認めたくないってのは、2ちゃんの常識だろオマイラ。 とにかく儒教は宗教で無いって思いたい夢見がちな人が、まだまだ居るって事でいいともうがな〜
153-6を書いた人
>>171 いや、もうちょっとレベルの高い人の集まりだと思ってた…勘違いしちゃったアルヨ
ま、儒教が宗教で無いと言い出した時点で、この議論は終わったってこったな
175 :
世界@名無史さん :05/01/13 15:19:56
儒教って哲学っぽいイメージ 哲学は宗教だっけ
>>173 とりあえず貴方にとっての宗教とは、を提示してもらわないと
>>165 確かに儒教は他宗教と比較すると、宗教らしくない宗教だが
単に、他宗教と比較してのことに過ぎないからな〜しかも、その他との違いが単に儒教の特色ってだけなんだよな
結局どっちかに明確に分けるとしたら間違いなく宗教に入るだろ。分類は。
>>176 貴方にとってじゃ不味いだろ?
そんな一個人の一般的ではない解釈で定義したら、
何とでも好き放題言いたい放題とまでは言わんが、益々混乱を観るぞ。
つまり、「俺がこう思ってんだからお前ら文句言うな」という極めて低い決着しか見ないぞ?それでは。
この場合は極一般的な宗教定義を提示すべきだろ
>>179 わかったよ。
お前の儒教の定義がおまえ自身整理がついていなく。
かつ極めて曖昧で、一般性を欠くということが。
181 :
世界@名無史さん :05/01/13 15:34:52
なぜ第三国人は犯罪者なのですか?
153-6を書いた人
>>131 氏
なるほど皇帝制度のもろもろについては、致命的な認識の違いはないようですね。
儒教の定義についてはあなた自身整理がついていないようですし、
このまま平行線をたどり極めて不毛な気がするので、もう何でもいいです。
とりあえず久々に楽しかったッス。また、どっかで合うだろうけど、そん時は宜しく〜
ま、同じスレにいたとしても、お互いわかんないだろうけど…
>>178 つまり、それが即定義出来ないってことは
このスレの住人が宗教に対して知識を欠き、かつ宗教に対して興味も薄いって事だな
>>182 儒教について整理ついてないのは事実ですし、本来は儒教の持つ政治学的側面(むしろ政治倫理)から歴史に与えた影響・その他を語りたかったので、私も儒教が宗教か否かについてはこれ以上深追いはやめます。
しかし何気なく書いたレスがこの過疎スレでここまで反響出るとは思わなかったw
153-6を書いた人
ちょっと補足、
>>179 を読む限り
私は儒教を宗教と言い切り、131氏は=宗教とは安直過ぎて疑問って事なんでしょう。
>>184 153-6を書いた人
なるほど、お互い(俺も貴方も)本来問題にしたい議題から大きくそれていた事に気づいたわけね…w
取り合えず
>>130 だいに戻るとって考えてみると
政治システムの変化=社会システムの変化(進化)とは言えるが
経済システムの変化(政治システムの変化以外諸々含む)≠社会システムの変化(進化)だな。
一つだけリクエスト。 「>153-6を書いた人」 これを名前の所に入れてくれないか? 「>153〜」を書いた人「の」レスなのか 「>153〜」を書いた人「への」レスなのか分かりづらい。 ついでに適当なトリップ付けてくれるとなおうれしい。
あほか。 なんだよ「神なき宗教」って。藻前のいう神はなんだ、アブラハム宗教の神か? じゃヒンズー教も道教も仏教も神道も「神なき宗教」だな。 その神とはGodのことではない、というのなら儒教も立派に「神ある宗教」なのだがな。
>>189 儒教が宗教かどうかはホントどうでもいいんです。ごめんなさい。
儒教を宗教と断定して、儒教≠学問という事に抵抗があっただけなので。
あと誤解ないように言っておくと、儒教の学問的成果を褒め称えたいわけでもなく、
むしろ儒教国教化以降、中国の歴史が進歩の歩みを止めたと言いたかったんです。
191 :
世界@名無史さん :05/01/15 13:52:25
栄光に包まれる 中国と惨めな小日本
>>190 藻前のいう進歩とはなんだ?
進歩ある歴史ってたとえばどこだ?ヨーロッパ以外で。
>>190 儒教が宗教であるかないかと中国史に進歩があるかないかとの
二つの問題のつながりがわからん。言い訳としては最低。
195 :
世界@名無史さん :05/02/27 00:09:31 0
たいへんだ
なんで中国は、毎回簡単に統一できちゃうの?
197 :
世界@名無史さん :05/02/27 08:23:56 0
なんで196は、毎回簡単に思考を単純化できちゃうの?
198 :
世界@名無史さん :05/02/28 00:14:43 0
インドや欧州は一回も統一できなかったのにな。 イランやロシアといった強国が、周辺にいなかったからかな?
199 :
世界@名無史さん :05/02/28 00:36:26 0
>>131-193 のまとめ
・政治的特色
欧州:議会制度
欧州貴族社会における伝統的制度。
長所は、時代の変化に機敏な対応ができる点。
短所は、権力が分散する点。
中国:科挙制度
隋以降、元以外の王朝で採用
長所は、身分に関わらず優秀な人間を発掘できる点。
・権威的特色
欧州:ローマ教皇(カトリック)
教皇との勢力争いの結果、当然の如く政教分離。
中国:皇帝(儒教)
200
201 :
世界@名無史さん :05/02/28 00:41:58 0
今の共産党は、 共産党入党→役人→主席 だから世襲の皇帝がいないだけで、昔の科挙制度と同じだな。 選挙は無いし、議会は全人代だけだし。 中央政府に限って言えば、中央集権という点では何処よりも上で効率が良いかな?
>>199 153-6を書いた人
中国:科挙制度
隋以降、元以外の王朝で採用
長所は、身分に関わらず優秀な人間を発掘できる点。
短所は、
極保守に政治理念が偏向しやすい。
儒教至上主義で、その理念に反するものは排除される。
文重武蔑主義となる。
「身分にかかわらず」と言ってもその難しい試験を突破するためには、
ばか金がかかるため。結局は幼少期から上質な教育を施せる一部の裕福な階級の独占物となる。
結局科挙と言っても異常に儒教に偏ってるわけだからな〜 儒教内での改革は起きても革新性を全く持ち合わせない点が致命的だ・・・
205 :
世界@名無史さん :05/02/28 00:52:39 0
>>196 確かに謎。ローマが滅びてから一度も欧州は統一されなかったのに、
中国は、隋以降、7回も統一されてる。
207 :
世界@名無史さん :05/02/28 01:01:49 0
>>199 議会制と言うより都市国家の存在が重要な気がするが
208 :
世界@名無史さん :05/02/28 01:05:28 0
>>205 ローマと言うより「フランク王国が分裂した後」だろこの場合は
つーか昔から人いすぎ お前ら細胞分裂か土から生えてくるんかい
4000万突破したのは清代にジャガイモ入ってからだろう。
>>210 「4億突破したのは…」だよね?
漢代にすでに6000万いたし。
213 :
世界@名無史さん :05/03/04 21:02:02 0
>>196 中国は、ゲルマン系やアーリア系のような大量の異民族流入が無かったから、
毎回、漢族が吸収してしまった。そのためかと。
215 :
世界@名無史さん :05/03/04 21:09:14 0
>>215 中国が経験したのは、少数異民族による支配。
217 :
世界@名無史さん :05/03/04 21:50:10 0
実際、ラテン系とゲルマン系、 ドラヴィダ系とアーリア系の言語は未だに融合してないが、 中国では、言語におけるそのような根本的相違が存在しない。 おかげで情報や意識が共有され、何度も統一が可能であった。
218 :
世界@名無史さん :05/03/04 22:25:48 0
>>217 統一が崩れたときの中国は悲惨だけどな。
>>212 のリンク先より
戦国末期〜秦の始皇帝による中国統一 約2000万人
漢の時代に人口は急増し前漢末には 約6000万人
前漢から後漢までの動乱で短期間に激減 約2000万人
後漢末(西暦157年)には回復し 約5600万人
黄巾の乱から魏・呉・蜀の三国時代の動乱期 約1000万人
三国を統一した西晋(西暦265−316年) 1600万人
混乱期
隋の戸籍登録人口(西暦609年) 4600万人
唐の玄宗皇帝の時代でも 5300万人
さて時代は下って明の永楽帝の時代 6600万人
史上空前の人口爆発
康熙帝 (在位1661〜1722) 二千四百万人
乾隆帝 (在位1735〜1795) 一億七千七百万人
道光帝 (在位1820〜1850) 四億千三百万人
>>218 平和な時代に、高度で大規模な流通を確立するから、
崩れたら目も当てられなくなるのでは?
>>219 全てがそうだかはわからんが、そういった人口統計の多くは単に各国が把握していた
戸籍上の人口であって、生活していた人間の数とは関係ないとさえ言える
戦乱になると人口が移動したり、各地で小〜大豪族が独立状態になって徴税体系から
外れたりで、見かけ上極端な人口減少が発生する
>>221 そういうことをいう椰子が絶えないが
後漢末から三国時代にかけて人口減少があったのは今では通説だな。
戸籍上の数字が実態そのものではないにしろ
「関係ないとさえいえる」はいいすぎ。多少は関係あるだろう。
223 :
世界@名無史さん :05/03/05 19:07:49 0
こちらも活用ヨロシコ!
224 :
世界@名無史さん :05/03/05 19:22:49 0
モンゴル帝国による元朝を駆逐して新たな支配者となった明 朝は1644年に滅亡するが、その原因の一つになったのがやはり 疫病の大流行であった。明朝末期の万歴・崇禎(1573年〜1644 年)に、華北地方ではペストや天然痘が猛威を振るい、少なく とも1千万人の死者が出たという。同時に飢饉が続き、民衆が 共食いをしたという記録が残っている。各地で農民が反乱を起 こし、流民・流賊の移動がさらに疫病を広げる結果となった。 その混乱をついて満洲族王朝・清が1644年に中国本土に侵入 して征服したが、順治18(1661)年の人口はわずか2460余万人 だったという。明王朝最盛期の三分の一でしかない。
225 :
世界@名無史さん :05/03/05 19:23:12 0
モンゴル帝国は1200年から1350年に最盛期を迎えたが、その 後、弱体化し分裂していく。中国においては1368年、朱元璋が 中国華南地域を統一し、明王朝を建てた。モンゴル帝国が衰退 した理由の一つに異常気象とそれに伴う飢饉、ペストの大流行 が挙げられている。1200年には1億3千万人だった中国大陸の 人口は、1393年には6千万人と半分以下になってしまった。
226 :
世界@名無史さん :05/03/05 19:24:00 0
■2.中世ヨーロッパを襲ったペスト■ 8世紀頃に約2700万人だったヨーロッパの人口は、その後、 順調に増大して1300年には7300万人にまで膨れあがった。しか し1348年にペストが大流行し、わずか3年間で人口の三分の一 を失うにいたる。健康な人間が伝染病で次々と倒れていく様を 見た人びとは、今まで信じていた神に懐疑的となり、これが宗 教改革のきっかけとなった。 この時のペストがどこで発生したかについては諸説あるが、 もっとも有力な説は中国の南宋王朝で流行し、南宋と戦ってい たモンゴル軍へと伝染したというものだ。チンギス・カーンの 孫で南宋征討を行っていたモンケ・カーンはその途上でペスト により病死している。
明の滅亡を早めたのは巨額の財政赤字とそれに伴う重税
228 :
世界@名無史さん :05/03/05 19:29:00 0
地球史探訪: 疫病が変えた地球史
229 :
世界@名無史さん :05/03/05 19:30:27 0
ペストの推定感染経路
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history12.html アメリカの歴史家マクニールは、モンゴル軍が中国の雲南地方に侵攻した際にペストに
感染したことが14世紀の大流行を引きおこしたとしているが、確かではない。ただし、
この時代中国がすさまじい疫病の嵐にみまわれているのは事実である。その背景には気
候の悪化にともなう食糧難のほか、病原菌の巣である華南の湿地帯の開発が進んだこと
もあると考えられる。
ペストについては、確実に感染源をたどることができるのは中央アジアであり、ここを
起点として交易路沿いに拡大、各地で人口の1/4〜1/3を奪うほどの被害をもたらした。
世界を同時に襲った異常気象と疫病は、ひとつの時代の終わりを告げるに十分すぎる
ほどの衝撃であった。
もっともすさまじい災厄にみまわれた中国では農民の蜂起が相次ぎ、大元が北へ撤退
した。そのときの中国の人口は6100万で、大元の最盛期から3割減、12世紀(宋の時
代)から比べると半減(!)という惨状だった。その中で成立した明(みん)王朝は
強制移住をとおして徹底的に農民を編成・管理することをめざしたので、商業はしば
らく復活しなかった。貿易も、臣下の礼をとって入貢する国にのみ認めるという極端
な管理体制をとったため、外洋から中国船が姿を消した。
230 :
世界@名無史さん :05/03/05 19:39:11 0
>>221 中国の人口が2000万以下ってのは誇張だろうね。
6000万〜4000万のあたりを変動していたと思う。
漢 約6000万人
晋 約4000万人
隋 約4600万人
唐 約5300万人
宋 約1億3千万人
元 約9000万
明 約6100万
清 4000万人〜4億1300万人
こんな感じかな?
231 :
世界@名無史さん :05/03/05 21:09:11 0
>>231 議会だよ。日本の国会に相当。
(司法と行政を従属させるから厳密には違うけど)
党や中央官庁の方が力を持つから、なんちゃって議会でもある
235 :
世界@名無史さん :05/03/06 00:46:25 0
>>232 西晋と隋は、人口統計を残してない。(戸数統計だけ)
しかも司隷(洛陽)近辺だけは、後漢の七割まで人口を把握しているが、
他は二割しか計上できていない。
つまり、晋は人口把握能力が低かった。
236 :
世界@名無史さん :05/03/06 01:17:09 0
>>234 通過しない議題なんて無いんじゃないの?
>>236 役人腐敗防止法みたいのには反対票が相当でるらしいよw
239 :
世界@名無史さん :05/03/06 20:03:05 0
240 :
世界@名無史さん :05/03/10 15:05:29 0
中国の思想か韓非子の話
くつを買おうとした鄭の男の話
この男は、足の寸法を計ってひかえておいたのに、くつを買いに行くとき、持っていく
のを忘れてしまった。くつを買う段になってこの男
「寸法書きを忘れてきたから」
といって、家に取りにもどった。
寸法書きを持って来たときには、店はもうしまっていて、くつは買えなかった。
「その場で足に合わせてみれぱいいのに」
だれかがそうきくと、男の答え
「足なんか信用できない。寸法書きの方がたしかだよ」
http://www.geocities.jp/sousou7jp/index.html
中国では劉邦が「漢中王」になると中国大陸を統一しても国号を「漢」 「唐公」李淵が皇帝になっても国号は「唐」 曹操は「魏公」「魏王」を経て息子が「魏王朝」を建国 最初に「公」や「王」に封じられた地の名称を皇帝になった後も王朝の名にしています 今NHKで三国志を見ていて疑問に思ったんですが 「魏呉蜀」っておかしいんじゃないかな 何で「漢中王」劉備は「蜀」皇帝なの、劉邦と同じ「漢中王」を経て皇帝になったなら 「漢」皇帝で有るべきじゃないのかな テレビを見ていて素朴な疑問が・・ バカな自分に世界史板の皆さん、お願いします
>>241 蜀はあくまで通称で正式名称は「漢」
ところで六朝最後の陳朝はやはり陳公などから出世したのかな?
>>242-243 レスありがとう
当時蜀の人は自分達の王朝を「漢」と呼んでいたということですか
もし「蜀」が天下統一していたら
劉邦の「前漢」劉秀の「中漢」劉備の「後漢」と後世の教科書に書かれていたんでしょうね
中国でも昔から普通に「西漢」→「東漢」→「蜀漢」でセットにする見方もあったよ。
蜀漢の歴史を記した書物に「季漢書」ってのがあったと思う。 季=最後の、って意味ね。
>>244 >もし「蜀」が天下統一していたら
そうなると劉備が献帝をどうしたかが気になる
演技クオリティなら献帝に返上して引退しそうだが
>>247 献帝が皇位復帰→即退位→劉備に禅譲
だったりね これは仮想スレ向きか
劉備が即位したのは「献帝が魏で殺害された」との報告があったため「劉氏の生き残りは自分だけだ」との名目で即位した。 「献帝の殺害」が誤報だったのは言うまでもないが、「意図的な誤報(劉備が即位するためのアリバイ工作)」との見方もある。 劉備即位後に蜀漢が天下統一して、それから献帝がノコノコ出てきたら「先帝の名を騙る不届者!」と成敗されてしまうかも? 演義のイメージからはかなり離れてしまうが・・・。
250 :
世界@名無史さん :05/03/18 22:42:36 0
>>249 蜀漢が統一できたなら、
劉備「あ、生きてたんですか。 あ・な・た・の・た・め・に 頑張って曹魏倒しました」
↓
帝「マジ感謝してます。私より貴方のほうが皇帝に相応しいので、貴方に帝位を譲りたいと思います。」
↓
備「いえいえそんな」協「どうぞどうぞ遠慮なさらず」×3
↓
備「そこまで言われて断るのは不忠だと思うので、マジで本心ではありませんが帝位に就きたいと思います」
↓
劉備即位
で、丸く納まると思うよ。
てか、劉協が曹魏を倒して天下統一してきた劉備に反発できるとは思えん。
251 :
250 :05/03/18 22:44:22 0
すまんちょっと
>>249 を読み間違えしてたわ。
最後の行は無視して
252 :
250 :05/03/18 22:46:24 0
あと、 「劉備即位」は、「再即位」とか「後漢劉協の後継者として正式即位」という意味です。
253 :
世界@名無史さん :05/03/18 22:54:00 0
西洋の近代兵器に勝てなかったから?
254 :
世界@名無史さん :05/03/19 01:40:02 0
中国史では袁世凱は中華帝国の皇帝として認められているの?
>>254 認められてない。
皇帝としての袁世凱は、
「独裁者になったので、いい気になって皇帝即位してみたら、
国内は反乱祭り、外国も一斉に不支持を表明したので、
三か月で泣く泣く即位取り消したアフォ」扱い。
256 :
世界@名無史さん :05/03/19 03:43:20 0
どなたか「日本は中国に何をしたの(映画「侵略」上映委員会編)【明石書店】」 と「ハルビンからの手紙(早乙女勝元編)【草の根出版会】」 という本の内容の真偽を教えてくれませんか。 学校の英語教師が(半強制的に)貸してくれた本なのですが、 あまりに酷い内容だったので、本の内容に対する反論を添えて先生にお返ししたいと思っています。 しかし、私程度の知識では先生を納得させるほどの反論を作ることはできません。 そこで、皆様のお力をお借りすることはできないかと思い、ここに書き込んでいます。 それと、「日本は中国に何をしたの」の本文の一部を抜粋しておきます。 >南京大虐殺はなぜ起こったか? >@天皇が統帥する(ひきいる)日本の軍隊では、上 > 官の命令には絶対に服従しなければならず、一人 > 一人の兵士の人間性が認められていなかったこと。 >A大義名分のない戦争のため、兵士の心がすさんで > いったこと。 >B中国人を人間と見ない差別感があったこと。 > などが考えられます。
257 :
世界@名無史さん :05/03/19 04:00:54 0
>>256 そんなもん、そうに違いないと思い込んでる相手を論破なんか出来るか。
1は軍隊として当然のこと。2と3は、もぅ論証とかそういうレベルじゃない。
>>256 何をどうひどいと思ったのか、あなた自身の言葉と思想で伝えてください。
勧めた本の内容からして、その先生の戦争に関する考えは、
一時の迷いや一朝一夕に培われた考えではなく、
長年暖め続けてきた考えであろうと思います。
長年暖め続けて、思想が固まってしまった人物に対して反論し、
納得させるのはほぼ不可能と考えてください。
プロの学者が数字や資料を示して議論を行ってすら、不可能です。
あなたにできることは、何がどうひどいと思ったのかを、
あなた自身の言葉と考えで、その先生に伝えて、
「自分はこの本の内容にどうしても納得できなかった」と言う事だけを伝えれば、十分であると思います。
思想が絡む問題で、相手を納得させるだけの反論を用意するのは、
自分自身が強固な別の思想を持っていないと不可能です。
強固な思想を持った人は、理屈だけでは絶対に納得しません。
私がここで提供できるのも理屈の部分だけですので、お力になれません。
>>256 >@天皇が統帥する(ひきいる)日本の軍隊では、上
> 官の命令には絶対に服従しなければならず、一人
> 一人の兵士の人間性が認められていなかったこと。
兵士一人一人の人間性を認めていたら、戦争は出来ません。
隊形を維持し、長い距離を行軍し、敵を破るためには、強固な規律が必要です。
兵士が規律でなく、人間性に従って行動したら、軍隊は成り立たなくなります。
兵士を上官の命令と、軍隊の規律に絶対服従するロボットに鍛え上げて初めて、
軍隊は成り立つのです。
近年の先進国の軍隊はだいぶ緩くなり、ロボットと言うほどのことも無くなったのですが、
(ハイテク兵器発達による専門化のため、兵士には高度な知的訓練が求められるようになった)
それでも上官命令と、規律への絶対服従は基本です。
つまり、この文は純軍事的には当たり前のことを、
平和な時代の人間が「なんて非人間的なんだ」と言っているに過ぎません。
260 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/03/19 04:34:04 0
>A大義名分のない戦争のため、兵士の心がすさんで > いったこと。 大義名分がある戦争でも、中国戦線のように戦争が長引いたら、兵の心はすさみます。 誰だって、外国で長い間兵士をやって戦っていたくなんかありません。 ある程度勤め上げたら、さっさと祖国に帰りたくなるものです。 つまり、この文は「戦争が長期化したら、兵士の心はすさんでいく」と言うごく当たり前の事を、 平和な時代の人間が「大義が無いから、心がすさんでいったのか」と言っているに過ぎません。 >B中国人を人間と見ない差別感があったこと。 > などが考えられます。 当時の連合軍は日本人を「野獣」扱いしていました。 どこの国でも、敵の国民は人間ではなく、獣や鬼みたいな野蛮人と蔑んでいました。 自由と人権の国を自称するアメリカですら、 ある海軍提督が「日系アメリカ人弾圧は不当だ」とコメントすると、 その発言はマスコミの猛攻撃を受けるほどでした。 ロクでもないことですが、みんなやっていたことです。 日本人が中国人を人間として見なかったのも、 交戦中の憎しみあっている国同士のことなので、おそらくは事実でしょう。 中国人も日本人を人間と思っていなかったでしょうが。 つまり、この文はこの時代の世界中の人々があたりまえにやっていたことを、 平和な時代の人間が日本の例だけ取り上げて「日本人はなんて差別的なんだ」と言っているに過ぎません。
>>254 大和殿の満字をとっぱらった額は袁皇帝によるものとして
後世に受け継がれてます。
>>257 さん、
>>258 =259=260さん
ご意見ありがとうございました。
明日、先生に本の感想を言いに行くことにします。
お二人のおかげで少し救われたような気がします。
263 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 18:23:35 0
>>255 袁世凱が皇帝に即位した時の王朝名って何?
264 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 20:16:28 0
中華帝国
え?中華は王朝の名前じゃないだろ。漢とか唐とか明とかの王朝名ないの?
洪憲なんて年号を設定したので、中国最後の年号は宣統じゃないのかなあ、と今思った なんというか、どうしても袁術を思い出す人物だよな
267 :
世界@名無史さん :2005/04/09(土) 12:49:44 0
康徳・大同は最後の年号に入らない?
268 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 19:51:38 0
>>265 無いんじゃない、日本だって大日本帝国で既に滅んだとは言え朝鮮も大韓帝国を名乗ったのだから、今更王朝名に拘ってなかったのでは?
今は赤朝の時代です。
270 :
世界@名無史さん :2005/05/12(木) 19:46:17 0
273 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/25(土) 16:44:01 0
>>265 前近代の支那は中華の皇帝が支配の範囲を、世界=天下に無定限に拡張しうるものとの理念に
基づいて規定していました。そこでは中華の王朝と同じ資格で領域を接する国家は存在しえず、
特定の王朝が相対的イメージで意識するのは時間的に接続する他者としてしか存在しません。
即ち前代の王朝です。従がって新しく中華に建設された政権は、自己を前代と異なるものとして
命名すればよく、その王朝名は天下を覆うものであって空間的限定を意図したものではありません。
現代の国際関係においては諸国家は対等に並存する空間的相対性イメージで認知されており、
特定国家が絶対優越の地位を占めることはありません。万国公法が支配する時代に成立した
「中華民國」もそうした状況を背景にした自己認識から、他の諸国と等質の国号を採用せざるを
得なかったのです。日本が「支那共和國」の呼称を敢えてしたのも、支那にこうした自覚を更に
促す底意があったからではないでしょうか。
275 :
よろずこ :2005/06/25(土) 20:24:42 0
>>273 中華を名乗る国が二つもあるのは、
中華の矛盾だな。
276 :
世界@名無史さん :2005/06/28(火) 23:42:18 0
>273 前近代の支那は中華の皇帝が支配の範囲を、世界=天下に無定限に拡張しうるものとの理念に 基づいて規定していました。 これこれ、いい加減な知識を伝えるの感心できませんよ。 歴代王朝における天下とは自己の支配領域を言うものであって、世界ましてや無限定な空間などでは決してありません。 一部の研究者でも間違った概念理解をもっておられるので、あやめ大先生を責められませんがね。
277 :
世界@名無史さん :2005/06/28(火) 23:55:31 O
中国人とは何をさすんですか?中国に住んでいる人というなら確かに中国は何千年もの中国人によって治められたと納得できます。しかし漢人統治国家でない北魏や元や清などが征服王朝とみなされるなら、何度か中国人は被支配人民であった側面もあります。
278 :
世界@名無史さん :2005/06/30(木) 22:03:23 0
中国大連市の大連日本人学校(那花国男校長、生徒数=小中学合わせ百五十九人)で、
日本から取り寄せた社会科などの副教材十種百二十八点が、内容に問題があるとして
大連税関に差し押さえられたことが二十七日分かった。
学校側は一部没収や罰金の処分を受け入れ決着したが、税関側は尖閣諸島を日本領に
表記した地図など、主権にかかわる部分も問題にしており、教科書にも検閲が及ばな
いか、関係者は神経をとがらせている。
関係者の話を総合すると、大連日本人学校は四月の新学期前に副教材を発注、その
うち小学用「社会」や中学用「歴史」「地理」「公民」など八種類の問題集や資料集
などとCD二種類が六月になっても届かなかった。運輸業者が調べた結果、大連税関
の検閲で、差し押さえられていたことが判明した。
税関側は、教材中の地図が、中国と台湾を色分けしていることを、台湾を独立した
存在に扱っており「一つの中国」の原則に反すると主張。さらに中国が自国領と主張
している尖閣諸島を日本領にしていることや、「台湾政府」としている記述などを
問題視、「国内法違反」として没収する方針を示した。
今回の大連の事件に、中国の中央政府が関与しているか明らかではないが、今後、
日本人学校で使用する教科書も、検閲で差し止められることもあり得るため、関係者
は中国側の出方を注視している。
全文はこちら。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/28iti001.htm
279 :
265 :2005/07/02(土) 10:15:09 0
_, -─‐- - 、,, _ , -‐~ _,/'^‐、 ,-、,. ~' ‐、, , ‐'_,-‐';^ _,, -‐ '‐‐ ヽ-‐ヽ、 '‐、 ,.' ,.' _‐'^, ',, ,, 、 ヽヾ、_''.、 ,‐',_‐'^/ , ', ' , -‐' , ヽ ヽ ヽヾ、u ', ,' ~_,-‐' ,, / ,,;:'^ / , ノ^ヽヾ, 丶'、! i,.ヽ, ,' イ リ !"/' / ,;‐ //'/ ! i }ヾ, ! i~^!ヽ,'、 ,i' /‐ ト' ./ ./ // /'/ リ\y.| ! .iイ' ,! ,i '‐! '! / // ///// i !リ i ヽ、/ / | Y /,;' ,//_ /// -─‐ト、 !ノi イ' l;;;;,,,.! i ;'' / /‐''ノ'~ノ "/''‐-、_,|リ , i "''! | 、/ / ,,-‐、, '.、:::;;;;:ト、!/ : i | !、 ヽ/ イ、,,;;;::i ヽ-" .ノ/ i i | !、 ヽ ハ;;;;;;;ノ :::::::: // / i ! ヽ、 iヽ、 :::::: 丶 ./ / イ .リ ! \ ト‐ヽ、 ヽニ~'、./ / // | いやんえっち!見ないでよ! ! !;;'、 |~^‐-'‐-、 ⊂ニ'‐、j i / /;;/ j___ ! '.i;;ヽy / /- ,⊂ニヽ‐ヽi/ /;;/ .! 'ヽ, ! ヽ ヾ;;;;| | < <7 ゝ-、ヽ / /;;/ ノ 'i イ; ヾ !;;;;;|.| ゝy i ,.| /_/;;;/ /! ,,,, '! ノ;;;ヽ |;;'、ヾ;|.| <//,!、,-‐y'リ !;;;/ ,;;'/ ノ;;;'' '、 ! ;;;;;', |;;;ヽ゛i‐ヽ、,_ \_ヾ、,_,-‐イ/ ;;;/ ./;;'' ! イ ;;;;ヽ|;;;;',リ、‐、^ ^'Y‐ 〈^''_,,,, -‐、,;;;/ ./;' ,,. '! ./ ! ';;;;;;;|;;;;;;;| '‐^‐-''''‐、//'7 ,'/i 「、> > !'!,,;;''' ,,,, 〉 ヽ!. ;;'、;;!;;;;;;|| // ヽ ヽvj |~、!ノ !'',,,;;;;;;;;;;;;,,/
支那ってWW2で何やったの? 何もやってないのに→戦勝国→常任理事国 なイメージがある。
283 :
よろずこ :2005/08/15(月) 23:33:45 0
>>282 中華民国は日本と戦った。
そのころ、中華人民共和国は、まだ無い。
284 :
世界@名無史さん :2005/08/17(水) 18:41:35 O
戦勝国なのが納得できないなぁ
戦術や戦闘では日本軍優位な局面が多かったが、政略・戦略的には日本は中国に敗北してる。 まっ、泥沼の持久戦にひきずりこまれ、外交的にも失敗したんだ。すなおに認めたほうが、次につながるぜ。
286 :
よろずこ :2005/08/18(木) 06:37:55 0
>>283 でも調べてみたら、国民党・共産党とも戦っていた。
軍閥っていのもあって、その当時の中国は混乱のきわみ。
日本が「支那」と呼ばざるを得なかったのもしょうがないと思う。
287 :
世界史@名無史さん :2005/08/18(木) 07:33:15 0
>286 支那はもともと中国を指す語だから「呼ばざるを得なかった」ということはないだろう。
289 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 22:27:21 0
清は中華帝国であると同時に空前の世界帝国であるけれど、 これは元がもたらした中華帝国の変質ということなんですかね。
290 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 22:46:27 0
中国史でいう『中原』ってどのあたりでしょうか?
やっぱ黄河中下流域なんじゃねえの。
河南省河北省ってあたりか…
洛水の流域+黄河中流域でそ。
294 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:57:11 0
戸畑と小倉の間
武術に関しての質問です。 1、何故、中国の拳法は実践的でない(弱い)のですか?太極拳などを見るに、 体の動かし方という意味ではかなりのものだと思うのですが、日本の空手、 柔道などに比べ明らかに実践的でない理由がわかりません。戦争の経験も 多くあるし、もっと実践的であってもいいように感じるのですが・・ 2、ブルース・リーが創始したという「ジークンドー」の「ドー」は 柔道、空手道の「道」だと思うのですが、中国の歴史の中で、武術は 「法(拳法)」「術(剣術)」「拳(太極拳など)」がほとんどで ブルース・リーが何故「道」を使ったのか、その意図が理解が出来ません。 彼の映画を見るとかなり日本の柔道、空手を意識したものがありますが、 その辺りから「道」をもってきたんですかね?
>>296 中国の武術は実践的でないのは単純に文明が進んでいたから。
そのかわり「兵法・兵学」は進んでいた。
現代人だって「空手習うより鉄砲撃った方が早いじゃん」
っていう奴がいるのと同じこと。
沖縄の空手とかブラジルの黒人とか
辺境の抑圧された地域でこそ実践的な武術は発達する。
>>297 >
>>296 >中国の武術は実践的でないのは単純に文明が進んでいたから。
>そのかわり「兵法・兵学」は進んでいた。
296がいう武術が発展した時期の中国と空手の発展した時期の日本だったら
日本の方が遥かに文明が進んでいた訳だが
>沖縄の空手とかブラジルの黒人とか
>辺境の抑圧された地域でこそ実践的な武術は発達する。
沖縄の空手はともかく、ブラジルの黒人ってなんだよ。それが武術なのか?
ブラジルで武術がはやったのは最近の話。それも日本人移民の影響が大きい
推測にすぎないが、中国の拳法が実用的でないのは平和が続いた清朝末期で
中華思想のお国柄から形式主義が強かったせいじゃないかな
実用的な拳法を高めるには対打が必要不可欠だけど、対打は実力差がもろに見えるからな
淘汰を避けるには型重視だの功夫だの言って格式をあげるのに専念する方が都合がいい
>>296 太極拳はちょっと違うだろ。
できた頃どうだったかは知らんけど、ありゃ武術じゃないでしょ。
>>299 カポエラがブラジルではダンスとして扱われていることを
知らないってことはないよな
まさか実践的な武術なんて思っちゃいないよな
まさかな
>>301 バカかテメーは
カポエラは最初武術だったんだよ
ダンスに見せているのは訓練してるように思わせないため
だったんだが本当にそのままダンスになった
>>302 ま、つまり実践的な武術だと思ってるわけか
さすが歴史板
本格派の馬鹿には事欠かないな
『史記・項羽本紀』より
籍曰:劍一人敵,不足學,學萬人敵。於是項梁乃教籍兵法,籍大喜。
武術なんて物は古代中国においてはつまり歩兵が学ぶ術。
または
>>297 の言うように抑圧された農民、奴隷の術。
いかに効率よく殺傷するかって観点から見ればとっくに歴史の遺物、近現代では娯楽の分野。
>>304 その部分を以て歩兵が学ぶ術と判断できるのか?
その逸話は書も剣(武術)も投出し、兵法を学んだがちょっと要点をつかむと
結局投げ出したというもので、天才肌だが大成したものはなかったという
解釈だったと思うが。
武術が農民奴隷の術というのも変だな。
一般にはむしろ貴族、武士、富裕層などのたしなみだ
貧農や下級奴隷に武術など学んでいる余裕はない(ようにさせられてる)
そういう意味では昔から武術は娯楽の分野だ
>>305 そりゃお前の思い込みだ
項羽が兵学を投げ出したって記述は全くない
なので若い内から野心とそれを達成するための手段を探している項羽って図式にしかならないな
結局兵法では大成し戦術的勝利のみを積み重ねて覇王になるって事もな
農民奴隷の術とするのは確かに変だが富裕層の物とも言い切れない
中国には村や一族丸ごとで武術に取り組んでいる連中もいる訳で階層を問わず武術は広まっていたんではないかな
>>307 >項羽が兵学を投げ出したって記述は全くない
これはまあその通りな訳だが、
>なので若い内から野心とそれを達成するための手段を探している項羽って図式にしかならないな
これはどうだろうな?
>結局兵法では大成し戦術的勝利のみを積み重ねて覇王になるって事もな
項羽が生まれた時点で既に兵法では戦って勝つのは下策とされている
(まあ、孫子が兵法の全てではないとも言えるけど)
また、兵站、外交戦略、首都の選択、論功行賞などのお粗末さの一方で
あまりの戦術に偏った強さから305のような解釈が生まれている訳で
>中国には村や一族丸ごとで武術に取り組んでいる連中もいる訳で階層を問わず武術は広まっていたんではないかな
村や一族丸ごとでやるような連中の多くはむしろ外に広めようとしない
そもそもこんな特殊な少数例を以て階層を問わずというのは無理があると思うが
そんなこといったらどんな階層だろうと武術の心得あるだけで その階層の中での「特殊な少数」ないわけだが。
>>308 孫子が広く人口に膾炙するのは漢代だぞ
また、春秋戦国の頃の兵法は家伝、一子相伝みたいなのが結構多いので
子孫が斉にいってしまった孫子の兵法は楚人の項羽には読めなかった可能性もあるな
楚だと呉子がある、との意見も出るかも知れんが呉子は後世の偽作疑惑があるのでやはり除外
現存してる有名な兵法で当時の楚人が読める可能性の高いものはない
となると消えてしまった兵法を勉強したんだろうと考えられるのだが
それに外交関係の事が書いてなかったのかもしれないな
311 :
世界@名無史さん :2005/10/16(日) 12:43:57 0
武術って義和拳みたいに貧しいもの、ならずものがやるイメージがあった。 宗教結社と結びついて、そういう被抑圧者を集めていたんじゃないの? 商人とか士大夫みたいなのは、そういうのに近寄るイメージは無いな。 職業軍人とか貴族階級なんて、中国じゃあ滅んでたんじゃないの。 文に秀でた奴が趣味でやってた、とかならあるのかな?
312 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 02:05:46 0
中国史で一番マイナーな王朝はどこ?
つ戦国時代の中山国。
314 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 05:39:36 0
大越羅平国
315 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 23:54:11 0
とかく中央から切り離されがちな敦煌あたりにしょっちゅう独立小政権が成立していたらしいが。
316 :
世界@名無史さん :2005/11/10(木) 01:15:09 0
統一王朝なら新か西晋かな
317 :
世界@名無史さん :2005/11/19(土) 16:02:51 0
楊貴妃の陰毛 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>311 まぁ、太極拳なんぞは清朝貴族の庇護を受けて発達したんだが。
早い動きが苦手な貴族階級にあわせて型、套路を改良していった
ために、今日のように武術としては異様にゆっくりとした動きをする
ようになった。
もともとの陳家溝の武術は特にスローモーションのようなものでは
なかったんだが、今日では太極拳のイメージに引きずられてそれ
なりに遅くなってる(w
319 :
世界@名無史さん :2005/11/21(月) 22:36:29 0
朝鮮は論外として、中国ではどのくらい格闘技が盛んだったの? それから武は日本のように尊ばれていたの?
320 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 20:08:45 0
age
321 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 20:23:35 0
>>319 一般的に「崇文軽武」というのが中国の(朝鮮も)伝統だったので、
格闘技が「盛ん」というよりは、軍人など、それが必要な人だけが習ったようです。
とくに清代には実戦的な拳法は弾圧の対象とされたため、秘伝とされていました。
少林寺も二度焼き討ちされました。
太極拳は拳法というより一種の健康法として認められていました。
322 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 23:12:02 0
「中国四千年の歴史」と言いますが・・・ 漢民族独自の歴史は二千年を切るか、切らないかでしょう? 残りの二千年くらいは他民族に征服されてましたよね?
>>322 まず漢民族の定義をする事。
それから、他民族に征服されている間は、その民族にとって歴史がないのか考える事。
金国民としての歴史、元国民としての歴史、清国民としての歴史。。。
326 :
大唐宋元明清中華神州国 :2006/01/11(水) 00:11:41 0
>>322 に逆に聞きたい
中華帝国はさまざまな民族の歴史で構成されており
今の「王朝」中華人民共和国がたまたま漢民族の支配という形を取っているに過ぎないのに
中国の歴史=漢民族の歴史だとどうして思うのだろうか
327 :
世界@名無史さん :2006/01/11(水) 08:41:49 0
>>321 北斗神拳宗家が日本にやってきた理由付けになりそうな史実だな
328 :
世界@名無史さん :2006/01/11(水) 22:30:11 0
慕華ァしあわせだなァ
なぜシナ厨は必死になりやすいのか聞きたい。
330 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 08:34:34 0
レポート提出があり検索をかけているのですがどうしてもわかりません。 次の用語の内容について簡単に回答して頂ければ幸いです。 1834年 ミッシェル報告書
_ , '⌒ ⌒\ \\ ノノレノ ))) (○) |||ノ ',へ゛゛ーノ ‖ (  ̄ ̄ ̄《目 | ===《目 |__| ‖ || | | | ‖ || | | | ‖ . ∠|_|_|_|_ゝ .‖ |__|__| ‖ | \\ 皿皿 マルチうざい。
332 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 11:41:35 0
辛亥革命を神聖化し過ぎじゃ もって図ったような革命ではない 偶発性の要素が大きい もっともそう言えばロシアもだがな それから腹が立つのは “辛亥革命”時にあった日本の旅順大連を含め 欧米の利権のある領域が“革命”によって軍閥政府のものになっているのはどういう訳?
333 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 11:47:22 0
334 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 11:52:30 0
1834+ミッシェルでぐぐったが該当項目にヒットしない。 ミッシェル報告書でやってみたら1件も返ってこなかった。 あんたの苦労も察するに余りあり。 回答えられる有効な質問するには、関連する情報も書いとかないとダメポ。
335 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 11:55:17 0
スレ違いでは?西洋史の質問スレがあるはず。
336 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 14:13:30 0
337 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 14:14:44 0
義和団が潰されたので 実用的な「ホンモノの中国拳法」は絶滅した。
338 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 14:19:17 0
毛沢東が最終的に中国拳法を潰したのだと思う。
339 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 14:23:07 0
鉄砲の弾にも素手で向かってくるような連中は、 人民解放軍といえども恐れて潰す必要があった。
340 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 16:41:07 O
中国の王朝で、臣下を大切にしたのは、宋だと思いますが(一番ひどいのは明かな)この時代、世界のなかでも間違いなく一番の文明国(戦争は負けてばかりでしたが)だったと思うのですが、どなたかご意見を。
そうじゃないだろうか。
世界一の”文明国”なんて決めれる人がいるだろうか? アメリカは現在の世界で一番の”文明国”なんて言う様なものだ。 関係ないけど、中文のwikiは繁体と簡体が混ざりすぎ。 読みにくいから統一すれ。
344 :
世界@名無史さん :2006/01/31(火) 17:15:11 0
現在、中国最古の確認されている王朝はなんですか? 「夏」でいいんですよね?
345 :
世界@名無史さん :2006/01/31(火) 17:35:37 0
学問的にはどうなんだろ? 日本を始め世界ではまだ認定されていないんじゃない? 中国は昔から主張してるし、 最近遺跡が発見されたとか言っているけど・・・ イデオロギー色がなあ・・・ 老古学的には検証を待たないと。
>>345 夏の宮殿跡とされる二里頭遺跡が発見されたのは、1950年代であって最近ではない罠。
347 :
世界@名無史さん :2006/01/31(火) 22:51:08 0
>>346 二里頭を夏王朝の遺跡と認定するかどうかで異論があるんだろ。
ただし、推論を許さないがちがちの立場(遺跡から夏王朝を示す文字なり、史記に対応する系譜
を記した文字史料が出ない限り、「夏王朝とは確定できないという立場」)を採ると夏王朝の実在
証明はほぼ不可能だと思う。
「夏王朝」について言及している史料って『史記』以上に古い記録ってあったっけ? 『論語』や『荘子』とかだと堯舜については色々触れられているけど湯王以降の 王統について述べているようなものはどうだったか。 殷周時代の金石資料とかで何かしら「夏」について触れているのがあれば比較検討 のしようがあるけど、当時の金石資料の性格からするとまずあり得ない話か。 あっても「夏王朝」伝承の古さが分る程度で、直接の証明にはならないだろうけど。
349 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 18:25:08 0
中国の農民反乱は何で宗教を背景にしたものが多いの?
一番まとめ上げやすいから
351 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 18:58:41 0
>>350 それは指導者が農民たちをってこと?
じゃあ指導者たちは蜂起するにあたって宗教をこしらえるかどっかから引っ張ってくるってこと?
どこでも前近代の反乱は宗教がかったのが多いと思う。
353 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 19:32:22 0
中国で(易姓革命的な意味で)革命と呼ばれるものは何があるんでしょうか。 王朝の交代=革命がおきたからじゃないですよね。だから安史の乱や紅巾党の乱は革命という感じがしないです。 革命と反乱の差はなんですか?
安史は知らんが、紅巾党は天命に従って革命しようとしていたと思うが??
なぜそう思う
>>353
355 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 20:07:20 0
>>353 ごめんなさい。高校の世界史レベルの知識しかないので・・・。完全な主観です。
一般的に、紅巾党の乱の他に革命と呼ばれているものは何があるんでしょうか。
revolutionとゴッチャにしてない? 殷周革命から辛亥革命まで王朝交代はすべて革命 韓林児は革命してない、朱元璋が革命した
357 :
353 :2006/02/02(木) 00:20:28 0
>>356 そうなんですか。だとすると革命には農民反乱が関わっているのが多い気がしますねー。
思いっきりピントがずれてるように思うのだが、
>>353 =
>>355 は、「易姓革命」の意味をしっかり理解してるのか?
「易姓革命」は、天子の「姓」が「易(か)」わることが前提。
暴力的な「放伐」のほかに平和的な「禅譲」によるものも含む。
魏晋革命(魏の曹氏から晋の司馬氏への政権交代)なども「革命」と称される。
それから「反乱」は鎮圧され、失敗することもある(というか失敗したほうが史上多い)。
しかし「革命」は鎮圧されたり失敗したりしたら、革命と史称されないから。
「辛亥革命」はrevolutionであって易姓革命ではないと思う。
360 :
世界@名無史さん :2006/02/06(月) 13:16:24 0
中華はいっつも北から侵略されている。なぜ北方民族はあんなに凶暴なのでしょう? 食料が乏しかったから?でもそれと凶悪性は結びつかない。素人の質問。
>>361 おそレスごめん。つまり凶暴な民族はどこにでもいたが、遊牧民は他民族に脅威を与える戦闘能力を持っていたんだね。
「凶暴」ってあーた。 相対的な問題だけど、不必要に凶暴なことはそんな多くないよ。 逆にいや衛青や霍去病の北伐だって凶暴ともいえるだろう。 遊牧ってのは農耕以上に生産が不安定だったんだよ。 寒波で家畜が激減なんてことがよくあるし、 歴代中国の政策で交易の道が閉ざされたりすると、 あとはもう掠奪経済しかないわけで。 まあ遊牧民と農耕民をともに食わせていく政治ってのが考えられてこなかったのが、 むしろ問題。
364 :
世界@名無史さん :2006/02/07(火) 18:04:14 0
中国史じゃないけど、 王朝(国家)の発生を考えれば日本とイギリスの歴史は どっちの方が古いんだ?
マルチうざい
366 :
世界@名無史さん :2006/02/07(火) 18:16:50 0
マルチって何?
HMX−12
368 :
360 :2006/02/09(木) 07:03:04 0
>>363 すまない。変な質問して。でもたとえ国立の大学生でも理系ならこの程度です。世界史やらなくてもいい大学いっぱいあるから。
まずは何をもって凶暴かが曖昧で理論にならないな。ただ元とか清とか残酷な性格のイメージがあるのです。
369 :
世界@名無史さん :2006/02/12(日) 19:28:20 0
あげ
370 :
世界@名無史さん :2006/02/16(木) 15:16:49 0
五胡十六国の時代に、「諸葛亮が作った、強力な矢でも防ぐことができる甲冑」 を着ていて、結局矢に当たって戦死した将軍がいたと思うんですが誰でしょう?
>「諸葛亮が作った、強力な矢でも防ぐことができる甲冑」 初耳だな。 「諸葛亮が作った強力な矢」なら連弩のことか、とも思うんだが。
372 :
世界@名無史さん :2006/02/19(日) 23:15:25 0
盾と矛の故事を思い出してしまったぞw
魏も蜀も砕け散ったしなw
孔明が作った甲冑って筒袖鎧のことでは?
376 :
世界@名無史さん :2006/03/02(木) 16:06:50 0
勲階・散階って何ですか?
377 :
世界@名無史さん :2006/03/17(金) 16:27:25 0
379 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 12:06:00 0
380 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 12:25:02 0
★「歴史を基礎にするな」中国政府系元所長が対日転換論
・中国が歴史問題で対日圧力を強める中、政府系研究機関・中国社会科学院の元日本
研究所長で国際問題専門家の何方氏が、「歴史問題を日中関係の基礎にしてはならない」
との見解を、中国の専門誌「社会科学論壇」(3月上期号)に発表した。
何氏は歴史偏重の対日政策を批判し、事実上、歴史カードの放棄を主張。中国で
「対日新思考」が封殺されて以降、対日政策の大胆な転換を訴える意見が公開される
のは極めて異例で、論議を呼びそうだ。
何氏は外務省弁公庁副主任、国務院国際問題研究センター副総幹事も務めた
元政府幹部。同誌に掲載した自らのインタビュー記事の中で持論を表明した。
何氏は「歴史問題を国家関係の基礎とするのは非現実的で不適当。歴史に決着を
つけようとすれば、どんな国家と隣国の関係も大国同士の関係もうまくいかない」と
指摘した。
さらに、「日中関係の基礎を歴史問題での共通認識に置いても、実現は難しいだろう。
歴史の決着を最優先すれば、両国関係は絶え間ない悪循環に陥る。それはわが国の
戦略的利益にかなうのか」と疑問を呈し、歴史カードを切り続けることは中国の国益を
損なうとの見方を示した。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060328id01.htm
演義の影響だが、三兄弟や孔明や司馬懿とかの血を現代中国人がひいてるとはとても思えない。 挙げた人物の家系が残ってるかは知らないが。
>>381 で、実際の現代中国人を何人知っての発言?
孔子の子孫が普通に存続している国の話だからなあ。
>>382 何人っていうかな、イタイイタイ病だか水俣病だかが今更発生してる時点でダメすぎだろ。
国民の健康を無視してわざとやってるなら別の意味でダメ。
春ですなあ。
>>384 結局、中国の一部を知って中国人を知ったつもりになっているだけね。もっと勉強しな
387 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 12:54:50 0
■弥生人中国説の容疑を厳しく追及するスレ■
1 :出土地不明 :2006/02/15(水) 22:30:31 ID:nevCGQAC
江南説にしろ華北説にしろ、弥生人が本当に中国から来たのなら、
何で当時の中国の主流だった灰釉陶や印文硬陶が伝わってないのかね?
最低でも何で粗悪な灰陶くらい伝わっていないのかね?
何で漢字の前身である金石文も伝わっていないのかね?
何で青銅貨などの金属貨幣くらい伝わっていないのかね?
何で木製車輪のような便利な良いものが伝わっていないのかね?
何で当時の中国で主流だった土とん墓が主流にならないのかね?
何で弥生文化は紅陶文化と支石墓文化なのかね?
これらは当時の朝鮮から満州にかけての文化ですよ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1140010231/
1の疑問点は結局、いわゆる「西洋史観」が正しいかどうかに行き着く。 職業中国史研究家は変化していると主張して飯を食う。
389 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 19:37:40 0
マルクスの唯物史観が正しければ、中国は永遠にアジア的停滞の中にあるはずだった。 変化していると主張する中国史研究家はすべてウヨであるという真実がここから導き出される。
>>389 はあ?マルは「アジア的専制」とは言ってるが、「停滞」とは言ってないだろ。停滞論信者乙。
391 :
世界@名無史さん :2006/04/09(日) 15:46:55 0
なぜ中世以前の中国は黄河を北の国境にしなかったのでしょうか? 膨大な労力をかけて万里の長城なんか築かなくても、 黄河を天然の国境にして(ときどき氾濫で流れが変わるのは別にして) 長江流域の農耕地帯の維持に力を注いで、黄河以北の土地を放棄してしまえば 国防も楽になったのではないでしょうか。
遊牧民が農地を接収して強大化するよ。 南宋とか見ても全然国防が楽になってないし。
>>391 中世以前って事は、五代より前って事か?
宋以前という意味で書きました。 宋VS遼・金・元の場合は宋のほうからちょっかいを出して相手を怒らせてるので 最初から華中より南に籠もって専守防衛に徹してれば…と思ったのですが。 実際、元は江華島に立て篭もった三別抄との戦いで苦戦したようですし、 黄河の南に防衛ラインを敷くことは出来なかったのでしょうか。
あのころだと、中流域でも黄河が冬に凍結してなかったっけ? 華北の山西以東はそもそも、安史の乱以降、中央の統制を離れてたんだから、 防衛ラインもへったくれもない。
396 :
世界@名無史さん :2006/04/10(月) 01:35:20 0
秦の始皇帝が統一した領域が「中国」として認識されるようになったから。 始皇帝は貨幣・文字・度量衡を統一し、秦の領域をベースに「中国」という まとまった国としての概念が形成されたのです。 南北朝時代でも、南朝は北半分を放棄して南朝の部分だけで「中国」としよう、 ということにはならず、隋の統一が行われました。 ついでに、万里の長城は戦国時代から北方の国々がバラバラに自国の北辺に 防壁を築いており、始皇帝はそれをつなげたのです。始皇帝が始めから 作ったのではありません。
黄河は洪水で時代ごとに、しょっちゅう流れが変わってしまうという罠。
398 :
世界@名無史さん :2006/04/10(月) 23:07:33 0
>>391 それは現代日本人に京都を捨てて箱根の山を防衛線にしろとか言うようなもの。
>>390 めんどくさいからコピペで
マルクスは,中国が開港すると「密閉された棺に保存されたミイラが外気に触れて解体するように」
中国社会は解体し,人々は職を失ってプロレタリアートと化し,世界革命の狼煙をあげると期待したが,
現実はそうならなかった.いぶかったマルクスは,この報告書を読んで、その理由を発見したと信じるに至った.
つまり,中国では,「農業と家内工業との結合」があり,分業が欠落していた.
それほど中国は後進的なのだと理解したわけです.この中国論が後に「アジア的生産様式」という用語を生み,
アジア停滞論が社会科学者の間で根強く信じられるきっかけとなりました.
ttp://www.bunsei.co.jp/bpp/intro-j.htm
400 :
世界@名無史さん :2006/04/11(火) 15:08:27 0
400ゲット
>>1 あれだけ栄えたっていっても元以降は何にも発展せずに宣教師だの貿易仲買人だのから
知識を得てるじゃん。明清なんてもっと早くに潰されていてもおかしくなかったのでは?
402 :
世界@名無史さん :2006/04/13(木) 00:29:12 0
元以降も発展はしています。 明代には鄭和の航海に見られるように造船技術や羅針盤と航海図を利用した 航海技術は西洋を遥かに越えていました。また工業技術も発達しすぐれた 製品がたくさん作られました。ただそれは手工業にとどまり、産業革命を 行った西洋に追い越されてしまうのですが。 また清は康熙帝の時代は西洋人を招いて数学・天文学・地理学を学び 大砲を製造させ、西洋の科学技術を学びました。 乾隆帝までは良かったのですが、19世紀に入って即位した皇帝は その姿勢を学ばず、西洋列強に食い物にされていくのを座視するだけでした。
403 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 01:41:08 0
アジア停滞論者はすべてブサヨであるという私の主張は寸毫たりとも揺るがなかったな。 変わりゆく激動のチャイナを認める人士はすべて憂国の烈士なのだってことだ。 中国って同じことの繰り返しだねとかほざく輩はすべて非国民のきもいアカ。
烈士ってのは故人に対する言葉だよ。 政治思想を語る前にまず言葉を学ぶべきだと思うのだが
406 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 16:19:35 0
>>404 と決め付けられるわけでもないぞ
根拠を述べよ
407 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 19:56:57 0
宋代で文化が、元代で勢力が、最も大きくなりあとは衰退するのみ=支那
>>404 「現代中国は刻一刻と変化してる」などとのたまう輩は棺桶に片足突っ込んでるということが言いたいのでは?
409 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 18:48:40 0
=「残された日はわずかだ」
410 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 19:22:17 0
_,,. -‐‐‐‐‐- 、
lヽ ヽ ヽヽヽ ヽ
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V
ハ::::‐-、_"''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 曰く、
>>1-409 うるせーバカ
411 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 23:56:49 0
なんか世界史を通史でざっと読んでみると、支那って案外大した事ないなと思いました。 国債国家だったという唐代も戦争にはからきし弱いわ、 明代から鎖国をした途端に進化が止まって次の代で簡単にイギリスフランスに負けるわ、 騎馬民族には昔から負けまくりだわで、どう考えてもペルシアやインド・エーゲ海方が 優れている。 実際、彼らが威張れるのは朝鮮や日本などの儒教文化圏だけじゃん。しかもガキみたいな 幼稚な虚勢だし。
412 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 01:04:33 0
>>411 軍事的な面についての話ですよね?
中国と比較すると、ペルシアやインドは駄目駄目でしょう。
ペルシアなんて11世紀のセルジューク族の侵入以来、近代まで遊牧部族の支配下でしたから。
そのせいで政治も非常に不安定だった。元の部族政治が千年近く続くようなイメージ。
インドも遊牧民の侵入を阻止できたことはほとんどない。
唐って弱かったんですか?
明の海禁まで続いていた「進化」というのも何を指すのかよく分からない。
大木がある。 その根に相当するのはアフリカ その幹はメソポタミア、瘤に当たるのはエジプト、 そこから二つに枝が分かれて、一つはギリシア、もう一つはインド、 それから更に枝分かれしてギリシアからはラテン、インドからは支那、 そして最後に花を咲かせたのはゲルマン国家と日本であり、 実を結んだのはアメリカ。
414 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 01:23:05 0
唐はササンに負けてるじゃん。それで製紙法がペルシアに伝わったなんてはなし。 進化ってのは簡単に言えば「他国の侵略を許さず、出来るならこちらから侵略できる国力を 維持、発展させる過程」のことで、鎖国して敵国をなくしてしまった支那はその必要がなくなり、 もっぱら同列の儒教文化圏の地域や周辺弱小民族を討伐するくらいで自己満足、 そこから発展せずにアヘン戦争でぼこにされたのは有名じゃあないか。
415 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 01:25:06 0
それと鄭和は中東まで航海したから進化している、なんていうなよ。キールも発明してないような 宋代と同じ構造の船を大きくしただけだし。そういうのを進化とはいわないだろ?
416 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 02:14:19 0
>唐はササンに負けてるじゃん。それで製紙法がペルシアに伝わったなんてはなし。 ササン朝は唐が西域へ進出する以前にアラブに滅ぼされてますけど? >進化ってのは簡単に言えば「他国の侵略を許さず、出来るならこちらから侵略できる国力を >維持、発展させる過程」のことで ああ、やはり軍事面の話なんですね。 明代の軍事的な発展といえば、元代の軍戸制度の発展(衛所制)、元代からの火器技術の洗練(前期)、 西洋やトルコの火器の取り入れ(後期)、それに何といっても北方のディフェンスシステムの洗練ですね。 満州族も政治的な混乱に付け込まなければ中原に覇を唱えることはできなかった。 >鎖国して敵国をなくしてしまった支那はその必要がなくなり、 >もっぱら同列の儒教文化圏の地域や周辺弱小民族を討伐するくらいで自己満足、 >そこから発展せずにアヘン戦争でぼこにされたのは有名じゃあないか。 「鎖国して敵国をなくしてしまった」ってのが意味不明なんですが、鎖国していようといまいと 現実に北虜南倭はあったしイギリスやロシアは攻めてくる訳です。 中国が欧州型の軍事システムに対応できなくなったのは、自己満足してたからというより 伝統的な騎兵戦術で戦うモンゴル人しか深刻な脅威がなかったからじゃないかと思う。 鄭和艦隊はねー、進歩してる点があるとしたら火器を積んでるぐらいじゃないですかね。
417 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 02:32:14 0
国力=軍事ってわけでもあるまい。国力のみ突出していても、それを維持できるだけの軍事力の裏づけがなければ 他国の侵略にあっさり負けてしまう訳だし。 それとイギリスの火力に負けたのが「騎馬民族しかいなかったから」ってのは贔屓の引き倒しだろ。 清のすぐ上にはロシア帝国が、明の時には欧州からやってくる宣教師の科学力に舌を巻いている。 知ろうとすればいくらでも外を知ることができた。 あれ?唐ってササンに負けたんだっけ?
418 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 02:38:45 0
うお。勘違いしてた。唐が大敗したのはアッバース朝じゃないかwごめんww で、当時の唐の周辺領域の地図を見てみたけど、大帝国という割には西は甘粛省から 少し伸びた程度で、東は朝鮮半島すら制覇できていない。そして西南には後に首都を奪われる ことになる吐蕃がでかでかと存在している。 そんなに栄えた国だったのかなあ?
太宗、玄宗時代の華やかな期間だけ強調して「栄えた栄えた」 というけど、玄武門の変、則天武后、安史の乱、吐蕃の長安占領、 朱[シ比]の乱、末期はグダグダ、という具合で、安定していたのは ホントに貞観・開元時代だけ、といってもいい。
420 :
414 :2006/05/01(月) 02:59:27 0
なんか隣に日本の歴史教科書にナンクセつける極右民族主義国家があるもんで、 そいつらがいう「我が中国は古来からずーっと大帝国だったアルヨ!!」っていう 話が胡散臭く思えてならないんだよね。
421 :
A REAL CHINA :2006/05/01(月) 05:39:22 0
422 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 21:12:14 0
大唐帝国もアジアでは大きいほうだったのかも試練が、同時代の帝国を世界的に見ればそんなにたいしたものじゃなかったのかも。 「万里の長城は宇宙からでも見える」とか(実際は見えないw)、「サッカーの起源は蹴鞠」とか。 なんか韓国人の「世界はウリナラ起源」と同じ気がするんだよね。
423 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 21:20:51 0
>>420 それにしては、言ってることが頭悪すぎだぞ。
極右民族主義国家の奴等と何ら変わらん。
424 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 21:27:10 0
Pieceful scenes of Nanjing after Japanese Occupation
The Truth of The Nanjing of 1937.12 - 1938.2 (1)
http://www.youtube.com/watch?v=uq1ZEdp9-VM What really happened in Nanjing after Japan's
occupation in December 1937? "Massacre of 300 thousand
Chinese" as the Chinese Government claims?
You can watch some scenes in the following web page;
lives of Chinese people, including children having food,
as well as Japanese soldiers restoring the city.
Can these scenes possible if the "massacre of 300
thousand" actually took place?
The Truth of The Nanjing of 1937.12 - 1938.2 (1)
http://www.youtube.com/watch?v=uq1ZEdp9-VM
>>420 「我が中国は古来からずーっと大帝国だったアルヨ!!」
そんなもんフツーに年表見れば嘘だとわかるやろ。
春秋戦国、三国、南北、五胡十六国、五代十国、遼・金・南宋、軍閥割拠に国共内戦。
オマエらずっと大帝国どころか、何度分裂すれば気が済むんやねんと。
少なくとも唐の時代は唐とイスラム帝国が先進国で、 ヨーロッパはずっと遅れていた。 また、あれだけ何度も分裂しても統一王朝が出てきて ひとまとまりの国としての概念は持ち続けた。 その基盤を作ったのは秦の始皇帝。 文字や度量衡や貨幣を統一し、意志の疎通や流通がスムーズに 行われるようにしたから。 それから日本人の考えるような単一民族、単一国家、みたいな 考えで世界史を考えないように。 「他国の侵略を許さない」と言っても、どこからが「自国」でどこからが 「他国」かなんて、その時代によって大きく変わる。 大陸では多民族が入り混じったり勢力範囲が変化するのは当たり前。 国が滅んだり興ったりするのは、完全に「やっつけてしまう」のではなく 支配者が入れ替わること。その地域の支配を認めさせたものが勝ち。 「タラスの戦い」で唐がイスラム帝国に負けたのは、文字通り「タラス」という ところで勝負に負けたわけで、イスラム帝国の支配地域がそこまで及ぶことが 確定したということ。唐は負けても滅んではいない。
427 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 01:18:38 0
アヘン戦争で清は負けたが、滅んでいない。内部分裂で滅亡しただけ、ってくらい我田引水なような気が・・ やっぱアジアって戦争に弱い、ってイメージがある。元代抜かして。
428 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 12:58:02 0
そんなこたーない
429 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 13:22:26 0
ほんとにそうかどうかやってみよう
アジア最強はアフガニスタンだな。イギリスもソ連もアメリカも勝てなかった。
431 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 20:14:13 0
モンゴル帝国の盟主が大元ウルスになったのも中国の経済規模の大きさ故。 清にしてもアヘン戦争の時点では債務を払うことが可能だった。 にっちもさっちも行かなくなったのは日清戦争で多額の債務を抱えてからだ。 昔から中国の経済規模は恐るべきものが有った。 と言ってしまって良いかな?
>にっちもさっちも行かなくなったのは日清戦争で多額の債務を抱えてからだ。 清朝さえ存続していればもう少し押せたと思う。
>>417 大砲と蒸気船が目の前に来て見ないと分からないんじゃないですか。
広州でそれに直面してた林則徐はまともな防衛システムを整備しました。
まあ広州だけ防備を固めても英軍にスルーされて終わりだったんですけど。
ロシアがシベリアまで来てたといっても、満州に攻め込んだ「羅刹」は
所詮コサックの略奪部隊ですからね。既存の軍事力でもそれなりに対応できてしまった。
ピョートル大帝が大北方戦争に投入したような軍隊とは訳が違う。
>>418 中国が甘粛あたりから西域に進出しようとするとモンゴル高原の勢力から攻撃を受けますからね。
唐が一時的にせよ進出できたのは突厥の内紛につけこんだからじゃないですか。
元や清があれだけ領土を広げられたのはモンゴルを政治的に統合してたからでしょう。
半島は遼、元、清など北方系の勢力が攻め込むと簡単に劫略されてますよね。
逆に隋・唐が中国で兵を徴発して遠征すると失敗。
ロジスティクスの問題じゃないですかね。中国の軍隊は歩兵や輜重で足が遅いし。
>>420 まあそれなりの地域大国ではあったんじゃないですか。
意外と今の支那人民共和国も歴代皇朝の中では大きいほうだよな
「中華人民共和国」です。(と煽ってみる) 私は国名は自称を優先すべきだと思っていますので。 ビルマが「ミャンマー」にしてくれと言ったらそのとおりにするのと同じ。 本当は「エスターライヒ」とか「マジャロルサーク」とか言いたいけど 通じないのでそのときは仕方なく英語の名称使いますけど。 で、唐代は甘粛以西は都護を置いて一応「勢力範囲内」ということには なってますが、実際の統治は現地民まかせ。中華人民共和国もそのころの やり方を見習えばいいのに、チベットやウイグルを弾圧してるのは 困りもの。
436 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:07:39 0
イギリスやアメリカに「中国」呼称を要求してない件について
437 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:11:35 0
世界で最後の社会主義国家の砦として、支那はまさに日教組の心の支えになっているのだから、 彼らが支那を中国と意訳するのも故なきことではないな。 まあ呼び方なんてどっちでもいいんだけどね。
英語圏には漢字がないからねえw
439 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:17:26 0
>私は国名は自称を優先すべきだと思っていますので 中華人民共和国はこれが適用できるが、「中国」は違うからね。
「中国」も自称ですが?
441 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:23:53 0
>>438 英語圏はチンク国に対する呼び方がちゃんとあるからでしょ。
それを日本の外務省のように理屈抜きで支那の主張する美称を徹底させる方がおかしい。
442 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:24:59 0
>>440 おまえさあ中華人民共和国の略称と「中国」の違いくらい知ってから書き込めよ
443 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:29:12 0
>>440 違うんだよ。
「俺は大物という苗字だから大物さんと呼んでくれ」は通用するが、
「俺は自分のこと俺と呼んでるんだから、お前も俺のことを俺と呼べ」なんて
通用するか。
444 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:29:43 0
まあなんだ。仮に青森辺りが「首長民族の都」とでも名乗って独立、それを略称にしたら 「首都」になるのと、それとはまた別に本来の意味での「首都」に違いがあると言いたいんだろ
445 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:59:14 0
アヘン戦争で負けた大きな理由が官僚の腐敗。 林則徐も足を引っ張られなければもっとがんばれたとか。 あと軍事費に回さないで巨大な庭園造ってた馬鹿西太后とか。 でもイギリスの要求が香港島だけとか小さかったので認めたって言うのもあるらしいんだけどね。
446 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 02:00:51 0
第二次大戦で日本が負けたのは勝手に兵站を広げた陸軍と東条英機のせい。 他に原因は何もなかった。
447 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 02:05:40 0
>>445 支那は本当はもっと早くに欧州の科学重視による強力な火器に負けてたんじゃないの?
明末あたりにもし欧州が隣にあったら、清じゃなくて英になってたんじゃね?
>>443 「俺のことを俺と呼べ」なんていう奴、いるか?
>>446 アメリカは原爆のおかげだと思っています。
「原爆のおかげで戦争が早く終わり、たくさんの人命が助かった」
誰でも自国を過大評価したいもの。
もう何度も既出だがキタイ(契丹)と呼んでいるロシア人には何もいわない件で。
>>447 以前別のスレでも書いたけど、イギリスはヘンリー8世の時代になってもまだ
「長弓と銃はどっちが有利か」なんて論争をやってた。
日本でいうと本能寺の変の頃にようやく軍制改革が始まってマスケット銃や
パイクを大々的に取り入れることになる。
明の火器は青銅砲や指火式銅銃など元末レベルのまま停滞していたが
ポルトガル人や倭寇を通じて入手した火縄銃やフランキ砲を取り入れ
明末の北辺防衛には大量の小銃や野戦砲を使用している。
(ちなみに近接兵器として日本刀がよく使われたらしい)
ただ朝鮮の役以前の明軍の銃は銃身が鋳銅製で5、6発も撃てば
熱を帯びて破裂する危険なものだったという。
その反省から戦後には鍛鉄の銃に切り替えられたそうだ。
451 :
世界@名無史さん :2006/05/04(木) 06:30:29 0
共産主義のみなさん、旧ソが中国と呼んでいなかったのは走資派の仕業なのですか?
452 :
世界@名無史さん :2006/05/04(木) 18:44:56 0
支那王朝がずーっと大国だと思ってるのは儒者と共産主義者だけ。元代抜かして実際はそんなに大したことはない
>452 元のどこがどう凄いのか聞かせてくれ。
大元ウルスにとって華北華南は飽くまでも第二級的領土で 本国はモンゴリア。これが建前。
>>451 毛沢東がスターリンに「中国」呼称を強硬に主張したため、
中ソの蜜月は終わりを告げ、ダマンスキー島周辺などで散発的な戦闘状態に入りました。
ソ連は援助のため中国に派遣していた技術者を全員帰国させ、
中国は長く苦しい「自力更生」時代に突入、
日本が戦後賠償の一環として宝山製鉄所を建設するまで中国の鎖国経済は続いたのです。
>>455 「ダマンスキー島」ではなく「チンポ島」とよぶアル!
清は大したことあると思うが
元が凄いとかいってる香具師はモンゴル帝国と混同してると思う。
459 :
世界@名無史さん :2006/05/07(日) 16:28:11 0
KWSK
父方がチムールで母方がチンギス・ハーンとかいう詐称民族のことか。
大元王朝(ウルス)はモンゴル帝国の宗主国(建前上)
>>460 バーブルか?
462 :
世界@名無史さん :2006/05/11(木) 02:10:15 0
ムガル帝国も自称チンギスハーンの子孫だったような
>462 自称してない。
464 :
世界@名無史さん :2006/05/11(木) 13:04:25 0
ムガールってモンゴル人の国って意味なんだろ
いや、モンゴル人ていうカーストの意味だよ。
466 :
世界@名無史さん :2006/05/12(金) 01:59:08 0
467 :
世界@名無史さん :2006/05/12(金) 08:45:12 0
そもそもティムールがチンギス裔じゃないし バーブルはモンゴル人を忌み嫌っていた。
バーブル自身はフェルガーナを領有していたティムール家の有力王族ウマル・シャイフ・ミールザーの 嫡長子で、母はチャガタイ・ウルスの後裔モグーリスターン・ハン家の当主ユーヌス・ハンの娘 クトルグ・ニガール・ハーニム。これは問題ない。 ただし、本来のモンゴル社会では「〜家の一族、子孫」といった場合、男系の子孫のみを指した。 だからティムールの一族は一応モンゴル族の末裔とはいえ、どんなにチンギス・ハン家の王女を 多く娶っても、飽くまでもあまたいる「キュレゲン」の家系の域を出ることはない。 他にも大勢自分と同じ出自の王族がいたが、それでもバーブルは父方のティムールの家系と 母方のチンギス・ハンの家系の血筋だということを意識していたようだが。
469 :
世界@名無史さん :2006/05/12(金) 22:06:00 0
モンゴルが大陸を席巻していた頃は今の白人第一主義のように、かなり人気があったんじゃないか?
470 :
世界@名無史さん :2006/05/19(金) 23:03:16 0
あまり大した質問ではないのですが・・・ @古代中国において騎兵が出現するのはいつですか?(胡服騎射以前にも騎兵は存在したのですか?) Aよく、三国志等で古代中国の兵士はスカーフのようなマントのようなものを着けた姿で描かれますが 実際の兵士は着けていたのですか? B兵馬俑の兵士はかぶとを着けていませんが、秦兵はかぶっていなかったのですか?
471 :
世界@名無史さん :2006/05/20(土) 00:27:10 0
中国王朝の国名って、基本的に漢字一文字なんですか?
>>471 元は「大元」が正式名称だったとする説があります。
陳舜臣の受け売りなのでsage
元以降は「大元」「大明」「大清」では
474 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 08:31:22 0
李自成の大順も短命だが、含めてイイかも。 初めて4文字になったのは太平天国ということになるか
475 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 08:43:04 0
476 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 11:48:16 0
呉三桂の大周もあるし、袁世凱の洪憲もある(国号は中華帝国) 呉三桂はちょっとアレだが、混沌とした時代の境目には、こういう潰され役の 人が出てきてくれないと分別が分からなくなるのよね。
大唐帝国は?
479 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 00:56:44 0
あるHPでこんな記載↓がありましたが… 「アジアの雄・中国でさえ内紛のスキをつかれ、阿片戦争で植民地同然になりました。」 内紛のスキってなんのことですか? その頃、内紛なんてあったんですか? 素人ですみません。一応、調べたのですがわからなかったのでお願いします。
19世紀の清朝の歴史をおさらいしなさい。
支那のいつもの「内紛」だろ。ちょっとつつけば内から呼応する腐敗官僚が勝手に中華を滅ぼしてくれるっていう、いつものパターン。 現在の共産党政権も阿片戦争直前の状態とほとんど一緒。もんだいは誰が阿片戦争時のときのイギリスのような汚れ役を務めるかってところ。
482 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 23:06:29 0
483 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 06:30:20 0
全然具体性の無い、回答だなあ。 せめて、誰と誰の対立による内紛とか説明したら?
484 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 07:04:01 0
林則徐の解任のことじゃねーの。 林則徐がそのまま戦争継続してたら勝てたかもしれないとか言うアレ
アヘン政策をめぐる弛禁論と厳禁論の対立を指しているんじゃないかと思います。 清朝の「内紛」といえば「内紛」ですが、この場合はイメージ的にしっくり来ないですね。 479のいう「あるHP」の書き方が悪いんだと思います。
487 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 20:11:25 0
>>485 林ひとりが優秀でもイギリスの大砲にはかなわない。林はイギリス海軍に負けたとき道光帝に勝った、と虚偽報告をした。
これは皇帝がパニックを起こさないための方便だが、それがばれて林は左遷される。だがこのまま林が奮闘したとしてもまあ無理だろうな。
支那には先代支那人が開発した内陸への水路が発達していたから、これをイギリスが利用すればまさに支那全土にイギリス国旗が
たなびいていただろう。ラッキーだったのは欧州の海洋騎馬民族が支那のジューシィーなマンコに誰が先に乗るか?ということを巡って
大乱を起こし、支那の内陸への侵略が送れたことだろう。
>>487 インド他の植民地を支配しつつ、中国内陸制圧は無理だよ。
持久戦をやられていれば、イギリスは何も得られなかっただろう。
489 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 20:44:03 0
インドから兵を連れて来ればいいこと。 モンゴル帝国も指揮官はモンゴル人で兵隊は土民を利用した。 そして幸運なことにどの地域も民族紛争の火種をもっているので、 それを煽れば簡単に義勇兵が募る、ってところよ。
>支那のジューシィーなマンコに誰が先に乗るか? らぶらぶ聖体号みたいな書き方だねっ
491 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 20:50:34 0
第一次欧州大戦なんてまさに海外領土を巡っての内乱だしな
492 :
世界@名無史さん :2006/05/29(月) 06:49:03 0
「内乱」って?
493 :
世界@名無史さん :2006/05/29(月) 21:31:32 0
欧州を一つの勢力とみれば内乱だろう
494 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 21:27:36 O
呉三桂←ごさんけいはなにした人?
>>494 _______ __
// ̄~`i ゝ `l |
/ / ,______ ,_____ ________ | | ____ TM
| | ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄)) | | // ̄_>>
\ヽ、 |l | | | | | | | | ``( (. .| | | | ~~
`、二===-' ` ===' ' ` ===' ' // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
ヽヽ___// 日本
______________ __
|呉三桂 | |検索|←をクリック!!
ぐぐって5秒で分かるようなことは聞くな!ってことかね。
497 :
世界@名無史さん :2006/08/06(日) 12:04:36 0
うほ
498 :
世界@名無史さん :2006/08/15(火) 00:05:33 0
質問があります 陳舜臣さんの「十八史略」か「中国の歴史」の どちらかを読もうと思っているのですが どちらがオススメでしょうか? 前者は小説らしいので後者の方が歴史を勉強するには 良いのかもしれませんが よろしくお願いします
太宰治の人間失格でも読めば・・・
「歴史の勉強」なら「中国の歴史」がいいのでは。
もったいぶらずに両方読め・・・
502 :
498 :2006/08/15(火) 00:20:39 0
申し訳ありませんが 陳舜臣さんのスレッドがあったので あらためてそちらにカキコさせて頂きました 親切な御レスどうもありがとうございました
>>493 百年戦争を単一国家の世継ぎ争いと見る説もあるしな
だいたい欧州は王族間の結婚・主従の契りが多すぎて、どこまでがひとつの国か分からん
逆にいえば、なぜ支那では満足に契約社会が発達しなかったのか、ということでもあるな。
契約社会が発達しなかったchinaってどこの世界の話?
つか、「契約社会」って何
>>504
社会契約説関係?
507 :
世界@名無史さん :2006/09/23(土) 04:35:17 0
すみません、初心者です。。。 堯・舜・禹って何て読むのでしょうか??
ぎょう・しゅん・う
511 :
世界@名無史さん :2006/10/10(火) 23:51:11 0
512 :
世界@名無史さん :2006/10/30(月) 18:23:03 0
こいつマルチ
514 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 21:16:15 O
中国って時代が新しくなるにつれて、周りを吸収してデカくなってるって、本当ですか?
515 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 21:38:30 0
歴史上清朝が最大版図。 今の中華人民共和国の領土は清朝より狭いから 必ずしも前代に比べてでかくなるという訳ではない。
516 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 21:40:54 0
モンゴル帝国は中国という範疇では括り切れないので 敢えて含めてはいない。
中共による清史はいつごろ完成しますか。 というか、正式なものを編纂しようという動きはありますか。
「清史稿」をどこまで「正式」とみなすか… 中国では正史はすでに「二十五史」となっている
中華民国史は作らないの? 台湾を滅ぼした後に作るのかな。
sdkl;skf rwe:]r;w fsd:fsdf:; rer:wer; fsdfsdfl; rwe:rwe;r dfsd;:fsf
>>519 今現在、『清史』作ってるところだから、やるとしてもその後でしょ。
蒋介石親子に勝手に諡号与えたりしそうだがw
南京落とした東夷皇軍はちゃんと登場するのかね? 東夷天皇裕仁伝とか是非読みたいなぁ。
全身鱗に覆われていて、身長3mとか、 その程度の脚色は覚悟すべし
普通に「外国伝 巻○× 日本」とかになりそうだが。
中華民国本紀 太祖(蒋介石) 太宗(蒋経国 成祖(李登輝) 仁宗(陳水扁)
526 :
世界@名無史さん :2006/12/28(木) 00:04:21 0
中華人民共和国本紀 高祖 毛沢東 世祖 ケ小平 ○○ 江沢民 今上 胡錦濤
527 :
世界@名無史さん :2006/12/28(木) 09:00:39 0
「○祖」というのは通常1名なのだ
528 :
世界@名無史さん :2006/12/28(木) 19:02:13 0
太祖ヌルハチ 世祖フーリン 聖祖ゲンヨプ
529 :
世界@名無史さん :2006/12/28(木) 23:06:56 0
シナはただの宗族社会。過大評価すべきでない。
530 :
世界@名無史さん :2006/12/28(木) 23:14:28 0
支那は単なる「サル山のサル統治」だ。 人間なら、サルと違う統治方法をとるものなのだ(選挙や預言者の戒律に従う統治など)。 しかし、支那は今でも「サル山のボス猿(αオス)」の統治方法で治めている。 人間はサルではないはずなのに、未だ支那はサルと同じ統治方法なのだ。
531 :
世界@名無史さん :2006/12/30(土) 23:29:35 0
山川出版社のブルーカバーの中国の歴史という本は大学教養レベルはありますか?
532 :
世界@名無史さん :2006/12/30(土) 23:48:08 0
シナ、シナ言うヤツが出ると品位が落ちるな。 死語を使ってまで、他国を叩くヤツはいらない。
533 :
世界@名無史さん :2006/12/30(土) 23:50:38 0
中華民国史を作るにしても、編年体の民国史と著名人の列伝だけになりそうな。 皇帝を否定した民国に本紀はないだろう。
535 :
世界@名無史さん :2006/12/31(日) 01:05:56 0
>>530 支那のサル山は、郷鎮の数だけ存在するからな。
それを県城レベルで科挙官僚がコントロールというか、あがりをいくらかとって目こぼししているわけだ。
そのあたりのバランスが狂うと、イナゴのような流民が発生したり、匪賊が跳梁したりするわけだ。
今は科挙官僚の代わりを共産党幹部が勤めているだけだから、なかなか伝統は崩れないね。
インフラ整備で道路作ると勝手に通行料徴収したり、まさに江湖の世界。
536 :
世界@名無史さん :2006/12/31(日) 01:35:28 0
シナとかサルとか書いてるレイシストの言うことなど、何の説得力もない。
人間より毛が三本足りないくらいで、くよくよするなよ。
538 :
世界@名無史さん :2006/12/31(日) 02:09:29 0
吉良の農民乙
539 :
世界@名無史さん :2007/01/09(火) 20:30:55 0
亀レスだけど
>>38 > モンゴル系の諸族はずっと分裂状態だった模様で、歴史に出てくるのはチンギス・ハーンから。
柔然・高車は確かモンゴル系じゃなかった?
540 :
世界@名無史さん :2007/01/13(土) 12:24:49 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
541 :
世界@名無史さん :2007/01/14(日) 00:26:54 0
>>535 清朝時代、県知事は父母のように民衆の面倒を見るというので、
「父母官」の異称を以って民衆から讃えられていました。
実際の徴税や徴糧は保甲長と呼ばれる土地の有力者や地主が行い、
向上心のない怠け者、負け組、ニートからは多く徴収し、
颯爽で溌剌とした清潔な勝ち組とその縁者からは彼らの負担に
なるような税の取り立ては慎むこととされてきました。
『説文解字』だろ。で、なに四行もリピートしてるんだ?
昔4本だったのに、神様が一本を動物に上げたんだよな?>3足土器
544 :
世界@名無史さん :2007/01/26(金) 14:20:09 O
太平天国が旧式農民戦争の最高峰だって表現はどういう意味なんですかね?
545 :
世界@名無史さん :2007/01/26(金) 15:37:36 0
「偉大な毛主席のお言葉ですから、そのとおりなんです。」
546 :
世界@名無史さん :2007/01/28(日) 17:41:00 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
547 :
世界@名無史さん :2007/02/09(金) 22:03:06 O
本気で質問なんですが、中国はなんで人口があんなに多いんですか?
548 :
世界@名無史さん :2007/02/09(金) 22:33:25 0
非常食用
子作り以外に娯楽がないから。
大学の正誤問題で、元の時代に科挙は廃止され後に復活したが、漢人や南人には不利なものであった というものがあったんだけど、wiki等で調べたら復活したのは事実だけど 漢人や南人〜という部分に対する記述は見つからなかった。この文は誤りと判断しておkでしょうか?
>>550 それは出題者の程度と出題年度による。
ちゃんと勉強している人なら、この分野は評価が変わりつつある
と言うことを知っているので、入試問題でそういう問題を出したり
しないが、過去問ならあながち不勉強と罵るわけにもいかない。
552 :
世界@名無史さん :2007/02/12(月) 00:03:31 0
文科省認定の「世界史」とここで言う世界史は違うからな
553 :
世界@名無史さん :2007/03/22(木) 00:58:17 0
祝三周年、慶賀!
554 :
世界@名無史さん :2007/03/22(木) 12:26:01 0
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、 支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、 北京守備隊 支那国民党軍第29軍に潜入していた共産党地下党員 『吉星文』『張克侠』 『何基?』らが引き起こし、 まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。 ちなみに人民解放軍総政治部発行ポケット版『戦士政治課本』には、 「七七事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って 党中央の指令を実行したもの」との記述があったとされるが、 この 『戦士政治課本』の存在は確認されたものの上記の内容は確認されていない。 また、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、 当時共産党副主席だった 劉少奇が「七・七事件の仕掛人は中国共産党で、 現地責任者はこの俺だった」 と連合国側の記者団に語ったとされるが、 その証拠やそれに関する報道は未だ 発見されていない。 しかしながら自慢したくてしょうがない気質の支那人の事。 『政治課本』や劉少奇が自信満々に語ったとしてもちっとも不思議はない。 この盧溝橋事件共産党陰謀説をまたも支那自身である北京電視台が自慢げに語り 裏付けた形だ。 盧溝橋事件は、国際法や慣習に則ってちっとも侵略しようとしない日本に対し、 痺れを切らした支那共産党による謀略だったとはっきりした。 またその後(同年7月29日)に起こった人類史上稀に見る日本人居留民 (朝鮮人含む)への未曾有の大虐殺通州事件も、廬溝橋事件で引っ掛けても尚、 支那不拡大方針を表明し、国民党軍と停戦協定を結んでしまった日本に対し、 先の盧溝橋事件謀略をまんまと成功させた国民党軍に潜入していた 共産党地下党員によるものだと容易に想像できよう。
●日本側要因● 1満州事変 2華北分離工作 5廬溝橋停戦日に大軍派兵発表 7北京占領 10追撃戦(南京〜重慶) *パリ不戦条約、九カ国条約軽視* ●中国側要因● 3西安事件 6廬溝橋停戦後の散発的攻撃 9上海租界攻撃 *廬溝橋停戦協定、上海停戦協定軽視* ●偶発か謀略か真相不明● 4廬溝橋事件 ●日本の傀儡所属による寝返り事件● 8通州事件
556 :
名無し募集中。。。 :2007/03/22(木) 12:48:44 O
547 そんだけパワフルなんじゃないかなー 日本も狭小な面積のわりに1億2千万人以上もいて多いと思うよ
557 :
世界@名無史さん :2007/03/23(金) 01:12:38 0
確かに中国は何であんなに人口多いんだろう。 インドも多いけど。 農業を基盤とした社会は多産ですよね。
558 :
世界@名無史さん :2007/03/23(金) 01:15:03 0
ところで、一つ質問です。 中国の古代や中世で、日本の日記のような個人的記録ってあるんですかね? 正史が充実してるのは当然ですが、 芸術や遊芸などに個人がどう関わったのかと興味あります。
559 :
世界@名無史さん :2007/03/23(金) 01:29:48 0
江戸の人口など異様だからな
>>558 一応ある『味水軒日記』とか。
日本の公家の日記も、刊行こそされなかったが、個人の記録と言うよりも
見せることを前提とした記録だったり、家の記録としての色彩が強かった
と記憶しているが。
562 :
世界@名無史さん :2007/03/23(金) 08:13:44 0
よく朝貢は傲慢とかいわれっけど そんなに悪いか 日本にもメリットあるし宿泊費とかもただだったんだろ しかもイヤなら断ればいい 欧米諸国みたいに植民地化しようとはしてないし
朝鮮やヴェトナムみたいに「近すぎる」と結構切実な問題に
564 :
世界@名無史さん :2007/03/23(金) 16:05:57 0
>>561 ありがとうございます。
よく、中国の歴史物って日本でも良く読まれているけど、
何かしら道徳めいた説話だったり、思想書だったり、官僚による正史だったり、
何か個人の日常がリアルに感じ取れる資料ってあるのかなと疑問でした。
日本では豊富にありますよね。
確か、宋の時代にそういう記録があるというのを少し聞いたことがあります。
実際はどうでしょうか。
個人の記録が残っている日本史ってすごい気がするけど、
世界的には、(特に中国と比べて)どうなんでしょう?
>>561 > 確か、宋の時代にそういう記録があるというのを少し聞いたことがあります。
平田茂樹先生が最近使ってる史料とかのこと?
詳しく知らんけど、『小右記』みたいなのとはちょっと違ってたはず。
あとは実際に読んでくれ。
> よく朝貢は傲慢とかいわれっけど 初耳だなあ。どこの誰がそんなことを?
567 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 03:51:06 0
>>565 ありがとうございます。
例えば、中国の貴族の生活の日常などはあまり知られてないんでしょうね。
中国に貴族階級ってあったのかな?
貴族っていうよりも官僚というべきでしょうか。
「士大夫」と呼ばれている
>>568 魏晋南北朝や隋唐の「貴族」と宋代以降の「士大夫」は、中国史では別物として扱われている。
「貴族」と「士大夫」の間にはほとんど連続性がない。科挙制度への依存の度合もまるで違う。
初心者騙しの一言レスはやめてくれ。
570 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 06:05:54 0
日本人がラテン文字を使用する事はよくあるが、 中国人が漢字以外の文字を使用する事って基本的にあるの?
571 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 06:08:45 0
元明清といった主要帝国における識字率ってどれ位のものなんですか? 特に漢唐やローマといった古代の世界における識字率を比較した場合、 高い部類に位置しているのでしょうか?
572 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 11:25:15 0
香港に行くと「の」の字が「的」のかわりに使われてる 日本関係の内容とかでは
573 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 12:21:36 0
識字率なんて低かったろ。農村が大部分なんだから
574 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 13:52:54 0
「的」は「〜の」の意味を持ってるんだが
広告等で日本語「の」が流行し始めたのは 10年くらい前からだったかと。自分の知る限り
576 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 01:17:44 0
>>569 貴族と士大夫とに連続性が無いというのは興味深いですね。
間に異民族支配があったからでしょうか?
それにしても、「貴族文化」や「士大夫文化」というものは無いんでしょうかね。
日本の平安貴族に匹敵するような貴族文化って、中国には無かったのでは?
だとしたら、日本もすごいですね。
やはり、「日記文化」があったというのも一因ですかね。
>>576 中国の貴族は、諸説有るけどおおよそ唐代末期には没落し、五代の混乱期に壊滅した。
宋代の士大夫層はそのあとに勃興した、主に地主層を中心とした知識人。
ちなみにいわゆる「六朝文化」は純然たる貴族文化だぞ
578 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 04:45:50 0
>>577 六朝文化の影響は日本にも及んでいるんですね。
間接的かもしれないですが。
ただ、日本の貴族の日記のように、
何月何日、誰それと何をした、
というような資料って無いのでは?
とくに「何月何日」という具体的な日時まであるのは日本独特ではないでしょうか?
皇帝と自分の名前の漢字が同じになっちゃったら、 当然、改名したり、漢字の画数を変えたりするわけですか? 姓の場合、明が成立して朱氏の王朝が出来たら、 他の「朱」さんは、朱熹の子孫みたいな例外は除いて改姓したわけですか?
580 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 17:21:35 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
>山川出版社のブルーカバーの中国の歴史という本は大学教養レベルはありますか? ない。 あれほどひどい本はない。
劉邦の皇后の呂后ってなんで小帝恭の生母を殺したのかね? 恵帝はいないし、太皇太后の権力をもってしたら、いくら皇帝の生母といえど、 魯元公主の娘、つまり呂后の孫である張皇后の身分を脅かすこともなかったと 思うんだけど。 自分だったら、むしろ生母とその一族を厚遇して呂氏の味方にすることを 考えると思うんだけどなあ
583 :
世界@名無史さん :2007/04/03(火) 11:58:21 0
584 :
世界@名無史さん :2007/04/03(火) 13:32:39 0
585 :
世界@名無史さん :
2007/04/03(火) 15:01:31 O 三国時代