銃・火砲の世界史

このエントリーをはてなブックマークに追加
133世界@名無史さん
>>113
遅レスで申し訳ない。著者の主張をまとめるとこうなる。
歴史上、定住民と遊牧民の戦争は、遊牧民の農耕地帯への略奪行、または定住民側が
それに対抗して行うステップや砂漠への遠征という形でなされた。
遊牧民の戦争スタイルは軽騎兵の機動性を生かしたもので、優勢な敵に対しては
戦わずに退却し、劣勢と見れば即座に襲いかかる。追撃してきた敵をふりまわして
疲労と混乱で弱体化したところへ奇襲をしかけるなど、変幻自在だった。
そのため、重装騎兵や歩兵による軍隊が正面からぶつかれば撃破するのは可能だったが、
自軍に有利な状態で捕捉することができない。遊牧民の本拠地に侵攻しても、遊牧民は
広大な空間の中で移動して生活しているので条件は変わらず、かえってロジスティクスの
問題から危地におちいることが多かった。
華北、東欧、中近東、インドの定住農耕文明は地理的な理由から、つねに遊牧民の脅威
または支配を受けており、それゆえ上述した理由から騎兵中心の戦闘スタイルの影響が
強かった。
それに対して西欧で行われていたのは定住民と定住民による戦争で、歩兵中心の軍隊で
城壁で囲まれた都市や城を奪い合うものであり、騎兵は比較的少数のエリート部隊として
用いられる傾向にあった。