ナヴァール王国史

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1世界@名無史さん
マイナーだけど
おもしろいぞ
2世界@名無史さん:04/01/14 15:05
おまんこ女学院
3世界史@名無史さん:04/01/14 15:45
1593
 フランスに併合される。
 こうしてバスク人の政治的独立は奪われる
4世界@名無史さん:04/01/14 15:55
ブルボン王家、発祥の地の一つ
5世界@名無史さん:04/01/14 16:23
「ナヴァール」? 「ナヴァル」?
6世界@名無史さん:04/01/14 16:28
ナヴァラ
7世界@名無史さん:04/01/14 17:42
中世イベリア関連スレ大杉・・・
【中世スペイン・ポルトガル】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1031831813/
バスクの歴史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1065673885/
レコンキスタについて地道に語る
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1061491857/

>>5
フランス語ならナヴァール、スペイン語ならナバーラでいいんじゃねえの。
バスク語やカタラン語では知らないが。
8世界@名無史さん:04/01/15 08:09
ナヴァール副王。
9世界@名無史さん:04/01/21 01:40
ナバラと言われてやっとどこだが分かターヨ
10世界@名無史さん:04/01/22 01:43
スペインとフランスの国境沿いの地方。バスク地方の一部。
11世界@名無史さん:04/01/23 22:31
ブルボン家はここの出身。
12世界@名無史さん:04/01/24 04:49
ブルボンは新潟だろ。
13世界@名無史さん:04/01/24 11:06
フランスかスペインの微妙な位置。
14世界@名無史さん:04/01/25 19:15
ナバラと言えばアルベニスのピアノ曲だけど、何でイベリアに含まれなかった
のだろう。まあ、傑作には変わりないと思うけど。
15世界@名無史さん:04/01/25 19:28
ナヴァル女王ジャンヌ・ダルブレが1548年にアントワーヌ・ドゥ・ブルボンと
結婚し、子どものアンリ・ド・ナヴァルがのちのフランス王アンリ4世となったことで、
フランスとのつながりが強くなった。そして最終的にはフランスに併合されたでよかったけ?
16世界@名無史さん:04/01/25 20:05
>>15
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1074888147/28n
>中世にはナヴァラ王国という独立国があった。
>ナヴァラの南半分は1512年にアラゴン王国(のちスペイン王国)に征服され、北半分はのちブルボン家が王位を継承したため、ブルボン家のフランス王位継承に伴い、フランスに統合。
17世界@名無史さん:04/01/25 20:07
NHK教育でガイシュツ
18世界@名無史さん:04/01/25 20:08
ブルボン朝の王家は、正式には「フランスおよびナヴァラの王」という称号を名乗っているはず。
フランスとナヴァラの正式な統合はフランス革命後。
19世界@名無史さん:04/01/25 22:11
フランスとロレーヌの統合も正式にはフランス革命後だね。
20世界@名無史さん:04/01/26 10:28
>>563はすめし
21世界@名無史さん:04/01/26 10:33
ナヴァラの農家に監禁されていたフランス人の若い女性が、警察により解放された。

犯人は、コロンビア人1人を含む誘拐グループ7人。
22世界@名無史さん:04/01/26 15:31
ナタール州?
23あぼーん:あぼーん
あぼーん
24世界@名無史さん:04/03/14 13:33
いまこそ age
25世界@名無史さん:04/03/14 18:00
>>21
人質の体で親善ずみ
26世界@名無史さん:04/03/15 14:01
今のスペイン王家はブルボンだね
27世界@名無史さん
バスク人の歴史

新石器時代
 カフカス語族がヨーロッパにも分布?
 バスク人や古代イベリア人はその一部とも言われる。

古代  ローマ帝国の支配下に入るが、実質上は独立を保つ。

5世紀後半  西ゴート族のスペイン侵入に抵抗し、民族的独立を守る。

8世紀後半
 フランク王国のカール大帝はピレネー地方を征服するが、バスクを領土
化することは出来なかった。

9世紀
 イスラム勢力の侵入の時、スペイン辺境伯領の一部ナバラ (Navarra) を抵
抗の拠点として建てる。

905  スペイン辺境伯領の一部ナバラが、「ナバラ王国」として独立。
  イスラムに対するヨーロッパの防壁となる。

11世紀前半  サンチョ大王の治世
 サンチョ3世ガルセス(大王) (位1000〜1035) 治下にナバラ王国は最盛期を迎えた。
 アラゴン、カスティリャを支配下に置いて「イベリア王」と呼ばれ、イスラ
ムに攻勢に出ると共に、ピレネー以北との交流を進め、サンティアゴ巡礼
を保護するなど、内政にも手腕を発揮。

1035 大王の死後、アラゴン王国が独立。
 アラゴンが次第に強大化するにつれ、ナバラ王国は歴史の表舞台から退き、主役の座はアラゴン王国に渡される。
1076  ナバラ王国、アラゴン王国に併合される。
1134  ナバラ王国、アラゴン王国から再独立。