952 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 18:00:35 0
>スカート丈はドレスによっては短いものもあったようです
それはロココの常識。知らない西洋史オタはいないだろ。
953 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 21:16:28 0
>>946 あの時代のハプスブルグ家は特にアットホームだったみたいだね。
マリアテレジアは気丈夫で子沢山だし父ちゃんはのん気だし。
兄弟達も仲良し。フランスのように陰謀渦巻く宮廷ではないし。
家族の末子で甘やかし放題に育った子供にとって
ベルサイユはさぞかし窮屈であっただろう。
しかしもう少しおつむがあったなら・・・と思わずにはいられない。
954 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 21:27:29 0
もう兄弟仲がいいのと家族仲がいいのは
ハプスブルク特有だね。
西洋の権力者には珍しい。
マリアテレジアおかん
偉大やな
しかし19世紀になると兄弟仲も家族仲も・・・
>>956 19世紀を待つまでもなく、
フランツ皇帝は叔母のアントワネットを助けようともしなかった薄情者だがな。
いくらこの時点ではマリア・テレジアもアントワネットの兄達も、彼女を助けられる立場に
ある人間はみんな死んでたとはいえ、あんまりだよな。
958 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 11:44:48 0
マリー・アントワネットは母を相当恐れていたようだ。嫁入り前まではさほど
親密な親子ではなかったようだし。それと彼女と旦那さんを比べたらどちらが
より家庭的かと。実家でどんな教育受けたんだと言いたい。そんなにシェーン
ブルンは理想的だったのだろうか?
悲劇の王妃マリー・アントワネットは革命によって殺されてしまったワケだが
皮肉にもアントワネットを引きたてたのも革命だった
960 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 23:14:47 0
>>956 ナポレオン妃になるマリーテレーズのころはまだ仲良いほほえましい家族。
>>958 ハプスブルクは決して自由ではない。
英才教育をして規則正しく、家族愛のある王家のイメージ。
まあ日中教育時間だし、大勢の兄弟の一人にすぎなかったアントワネット
だからちやほやされるフランスではじけちゃったんだろう。
アントワネットはテレジアを尊敬してるよ。
兄弟多いと一人ひとりに手が回らないものだし、ましてや公務に忙しいテレジアなんだから
ひっつきもっつきの親密親子になるほうが不自然だ。
961 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 23:38:13 0
とついだばかりの頃アントワネットの書簡の字、もおひどいよ〜。
962 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 01:14:18 0
アントワネットとテレジアの書簡とか読むと
母は本当に心配してたんだなーと思う。
テレジアの不安がことごとく的中しているのも不気味。
母や兄が忠告してくれている時に目覚めていれば良かったのに。
馬鹿な程、女は可愛いってやつですか
そこに「王妃」が付くと大変なことになりますなぁ
964 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 02:17:28 0
>>963 時代が悪かっただけ。
もっと前なら只の浪費家の王妃として記録にしか残らなかっただろう。
ルイ14世や15世の寵妃だって同じくらい金使ってた。
16世は愛人とか持たなかったから余計王妃1人が
憎悪の的になったんだな。
965 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 02:33:17 0
賭博はテレジアもやってるんだよな。
ほんと時代が悪い。
時代を読むしたたかさに欠けるのも
天然馬鹿っちゅ気もするが
悲劇なのは生まれた時代と運次第か?
967 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 03:31:03 0
フランスが以前から快楽主義だったのもな。
王侯貴族の浪費の激しさは権力者の威厳を保つ最低限浪費
はるかに超えてる。
まあ文化面ではよかったが。
>>957 確かにね。いくら兄貴のヨーゼフやレオポルトが亡くなっていたとは言え、レオポルトの倅のフランツは薄情すぎる。
さらにフランツの娘のマリア・ルイーザ(マリー・ルイーズ)がナポレオンの皇后だというのも気に入らない。
ところで質問だけど、何で国王の裁判の時ルイ16世の事をルイ・カペーって呼ぶの?
ブルボン家だからルイ・ブルボンじゃないの?
まあブルボン家もカペー家の血を引いているんだろうけどさ。
969 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 14:47:51 0
さかのぼって王族になるまえの先祖はカペーだから。
970 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 15:04:36 0
王権そのものの罪を裁くという象徴性を強調したのでしょうな。
971 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 15:18:51 0
在位1年足らずでフランス国民を全部敵にする
大業を果たせたとは思えんな。フランツ2世。
そのかわりナポレオンを「こいつは鬼で悪魔でおまえの大叔母を
殺したひとり」みたいなことを娘に言ってたよな。
>>968-969 初代のフランス王ユーグ・カペー以来、王家の家名は本来カペー。
ブルボン家もカペー家に連なる支族で、先祖がブルボン公だったことからこの名で呼ばれた。
姓が源でも足利とか新田とか武田とか佐竹とか苗字を名乗ったのと同じようなもの。
あるいは親藩徳川家が水戸家とか一橋家とか呼ばれるのと同じ。
974 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 15:43:09 0
いや、同じ血筋でも違う苗字の
直系の王族ならその苗字が本当。
アントワネットはハプスブルク家ではあるが
ハプスブルク・ロートリンゲンが本当の苗字。
975 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 15:52:30 0
しかしそう呼ばれたルイ16世自身は、「それは私の名ではない、先祖の
一人にそういう人物がいたが」と言っております。突拍子もない呼び名
だったことは間違いない。
976 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 15:57:41 0
もしカペーが本名でも「ド」がつかないのは変と思わないか?
>>974 その名字はハプスブルク家のマリア・テレジア女帝と
ロレーヌ(ロートリンゲン)公だった皇帝フランツ1世の結婚以後のもの
その後もハプスブルク家と通称されることが多かったが。
979 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 16:06:01 0
>>977 それが何か?
そこから王朝かわってるよ。一応。
980 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 16:08:25 0
カペー朝の元祖パリ伯の名前はユーグ・ド・カペー
知る限りでは「ド」は入らない。
>>979 となると、ロマノフ家などはとても1つの王朝とは呼べない。
983 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 16:27:57 0
985 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 16:34:47 0
>>972-973 じゃあ紀州家の吉宗が徳川吉宗と呼ばれるのと同じか。
それとマリー・アントワネットの本名だけど、
マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ
なんだけど、何で苗字が「ロレーヌ・オートリッシュ」なんだろう?「ハプスブルグ・ロートリンゲン」でいいような気がする。
ドイツ語とフランス語の違いと言われても、ハプスブルグとオートリッシュじゃなんか違いすぎる気もするしなあ…。
>>986 ロレーヌ(仏語)=ロートリンゲン(独語)
オートリッシュ(仏語)=ウスターライヒ(独語)つまりオーストリア
ってこと。
988 :
986:2005/09/24(土) 12:41:56 0
989 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 12:45:54 0
裁判中、マリー・アントワネットも「ドートリッシュ」をあげつらわれて、
「出身国の名は冠されねばならないものだからです」と答えている。
出身家系ではなく一国(一帝国)を代表した公女(皇女)として扱われるからでしょう。
(一般の貴族出身なら所領の名を冠する)
王太子妃だったルイ16世の母はマリー・ジョゼファ・ド・サックス(ザクセンのマリー・ジョゼファ)
娘はマリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス。
マリー・アントワネットの本名全体をドイツ語にするとどうなるんだろう?
マリー・アントワネットはマリア・アントニア、ロレーヌ・オートリッシュはロートリンゲン・ウスターライヒなんだろうけど、
ジョゼファ・ジャンヌはどうなんだろう?
ヨーゼファ・ヨハンナ?違ってたらスマソ。
991 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 23:28:10 0
青、白、赤のフランス国旗は何を象徴するのか。こんなクイズが出されれば、
我々はフランス革命の精神である自由、平等、博愛だと答えるだろう。
本当にそうなのか。
著者である金ウンジョン忠南(チュンナム)大史学科教授はこれを、根拠の弱い西欧礼賛の発露にすぎないと批判する。
三色旗が初めて登場したのは、フランス革命勃発3日後の1789年7月17日だ。
国民防衛隊司令官であるラファイエットが、パリを象徴する赤と青の2色の徽章に、
フランス国王旗の色である白を入れて作ったのだ。
それは、国王と革命パリが手を握ったという意味だった。
また、3大精神はフランス革命の標語ではなかった。1848年、第2共和国憲法に規定された標語だった。
三色旗と3大精神をつなぐ根拠は、1958年、第5共和国憲法第2条で、三色旗を国家象徴物として規定しながら、
共和国の標語として3大精神を一緒に規定したにすぎない。
特に、3大精神の中で、博愛に翻訳される「fraternit′e(兄弟愛)」は、博愛という高潔な意味とは距離があった。
この単語は、「兄弟愛を、しからずんば死を」という掛け声に表れるように、国内外の同志と敵を区別する暴力的意味を帯びていた。
そのような点で、自由が自由主義、平等が社会主義を生んだなら、兄弟愛は民族主義を生んだ、と著者は説明する。
中略
西洋史学者として膨大な史料を提示しながら西洋史の神話化を批判し、民族主義の克服を主張する彼の論理は明快だ。
しかし、中国の東北工程を批判する文章を3編しか読まなかったという著者が、
「韓国の学者たちが、高句麗(コグリョ)史がなぜ韓国史なのかについての証拠を提示していない」と批判する部分では、
明快さの対価として、東西の均衡性を失ったのではないかという憂慮が残る。
ttp://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005092473228
992 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 01:32:05 0
>>990 マリア・アントニア・ヨゼファ・ヨハンナ・
フォン・ハプスブルク・ロートリンゲン
993 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 01:40:14 0
マリー・アントワネット・ヨゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ
は通称だったと思う。
マリーテレーズ・ドートリッシュ(オーストリアのマリーテレーズ)
アンヌ・ドートリッシュ(オーストリアのアンヌ)
も通称。
分家スペイン・ハプスブルクもオーストリアと呼ばれた。
994 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 01:44:13 0
>>986 >じゃあ紀州家の吉宗が徳川吉宗と呼ばれるのと同じか。
西洋と日本の文化が同じならね。
995 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 02:20:11 0
1000 :
世界@名無史さん:2005/09/26(月) 22:35:26 0
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