1 :
世界@名無史さん :
03/10/09 22:59 騎士について語りましょう。
わたしはバーン・バニクスでは無い!
3 :
世界@名無史さん :03/10/09 23:04
騎士団でしょ
4 :
世界@名無史さん :03/10/09 23:06
ドイツ武士団
5 :
世界@名無史さん :03/10/09 23:09
氣志團でsho
アングロサクソン7王朝時代のイギリス! 統一者ユーゼル王が何者かに暗殺され、ログレス(イングランドね) は7王国時代の群雄割拠を迎えた! カンタベリー大聖院につたわるエクスガリバーを抜きし男が今 天下を目指す! 男の名は! アーサー! 選ばれし男だ!!
7 :
ppp002229.netwave.or.jp :03/10/09 23:11
とべーとべー 流れ星 とべーとべー 流れ星 剣とぅ剣とぅの火花が あの空にとんで♪輝く暁の星になる〜 夜の暗さを 切り裂く為に 銀の剣を ふるうのだ 朝が来れば 消える私〜 ラ ラ ラ・セーヌ ラセーヌの星
>>7 四国電力の子会社のプロパイダなんぞつかっておるのか。
みるからに四国人だな。
リボンの騎士もぇ〜 サファイア萌え萌えっ
クロスボウは発射速度が遅いから乗馬突撃で殲滅出来 短槍兵はランスで仕留められたかも知れぬが ロングボウやパイク兵・ハルバード兵の前に乗馬突撃は封じられたと 言う事だろうか
12 :
世界@名無史さん :03/10/09 23:20
騎士修道会だyo
13 :
世界@名無史さん :03/10/09 23:20
リボンの騎士のネタをふったら某研究者が来た−−−−! 某研究者の大好物だったなぁサファイアは・・・・。
ワールシュタットの戦いでサファイアがいたら無残に敗れ去った 重装騎士の捕虜として連行途中で剥かれて大変なことに!
パイク兵やハルバード兵の攻撃には 下馬重装騎兵も手を焼いただろうが 上から振り下ろされる攻撃は武器や盾・パスガードでも無いと 止まらないだろうが パスガードは腕の動きを拘束するかも知れぬし 歩兵の鎧に良く見られる傘状の物は兜には付けなかったのだろうか
16 :
世界@名無史さん :03/10/09 23:37
テンプル騎士団 聖ヨハネ騎士団 テュートン騎士団 カラトラバ騎士団 サンティアゴ騎士団
騎士団に入団するときは団長のアナルにキッスが基本☆
正義のキリスト教徒の巡礼を護衛するために テンプル騎士団が夷スラム狂徒を倒していくのが 格好イイッ イイイイイイイイイッ
19 :
世界@名無史さん :03/10/09 23:45
イベリア半島の騎士修道会はあんまり有名でないね。 やっぱり辺境でゴチャゴチャやってた集団、というイメージ なんだろうか。
狂精駄ー
sexualknights
性騎士団名簿
ttp://www17.tok2.com/home/climson/sexualknights.htm No Name Favorite Comments
0 K=キスク@元団長 全プレイ 団長きぼんぬ
1 紅純@元帥兼団長 ワカメ酒 世界性服。
2 Ω-X(おめがかい) 男同士でも良いと本気で思った。 ジンの股間にライジングインパクト
3 あおゆ ここで言ってもいいんですかね? 世界制服。
4 六合 凶 軸のずれたプラトニック路線ということで。 市街制服。
5 スッキリ塩味 普段勝気なあのコが実は×××で・・・ ※1
6 ねぎ(長ねぎ) 音楽家なのでソロプレイ。 じゃんけんはチョキ。
7 生タワシ やっぱ上で動いてもらうのがよろしいかと。 タワシに生も半生もないだろ!?
8 Guppy 女性がほどよく積極的にうっはぁ〜♪ 色物キャラ好き。
9 いんでぃーじょー痔 ボーイッシュ最高!一人称「ボク」 ウリコ萌え♪
10 アムリス 積極的な女性だったら殺されてもイィイ! オネェ様萌え!
11 終字 256P 幼女命!
12 いでおん とりあえずアニマルで♪ ロリ・スピリッツ!
13 二階堂みか ちゅーシテ♪ ひげだろ?おれヒゲだろぉ?
14 あつし マニアックれいぷですよぉ・・・ゥフフ。 幼少女魂!
22 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/10 01:29
>>16 の方の一覧を補完
金羊毛騎士団
山あらし騎士団
聖ゲオルギウス騎士団
聖霊騎士団
聖ペテロ騎士団
聖ミカエル宗教騎士団
聖ラザロ騎士団
赤枝の騎士団
緑の楯の白い貴婦人騎士団
イングランドのガーター騎士団を忘れてもらっては困る。
さてそろそろファティマと騎士の相互依存関係についてかたろうか
25 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/10 01:43
>>16 の方の一覧を補完(その2)
>>23 の方へごめんなさい(ひらがなー>カタカナの順番なので)。
アヴィシュ騎士団
アルカンターラ騎士団
エトワル騎士団
オーブラック修道騎士団
ガーター騎士団
キュリスト騎士団
サン・セピュルクス騎士団
バース騎士団
マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)
ロードス騎士団(テンプル騎士団)
26 :
世界@名無史さん :03/10/10 02:07
貴婦人のための青い靴下留め騎師団
>テンプル騎士団が夷スラム狂徒を倒していくのが テンプル騎士団が最後どうなったのかだろうし ヒッティーンで全滅し総長はサラディン自らに 処刑されたと言う事だろうか
知人で 聖シルベストロ騎士団長章という バチカンの勲章をもらった人がいるのですが
29 :
世界@名無史さん :03/10/10 06:03
騎士って貴族なの? 平民が騎士に叙任されることってあった?
膣内で暴れまわった称号として馬鹿珍の勲章ならもらいますた。
>29 下級貴族=騎士のはず
>>25 >ロードス騎士団(テンプル騎士団)
ロードス騎士団はテンプルではなく、
ヨハネ騎士団じゃなかったっけ?
聖ヨハネ騎士団はホスピタル騎士団(Knights Hospitalers)とかとも言う。 テンプル騎士団は、ナイト天ぷら。
34 :
世界@名無史さん :03/10/11 07:37
ファンタジーなんかだと、傭兵がホイホイ騎士に叙勲されちゃうけど、現実にそういうことってあったんだろうが。 騎士=貴族階級である以上、反発がすごいだろーねえ・・・・
上に挙がってたのでまともな軍事力を持ってたのってどれくらいあるの?
>>16 に上がってるやつぐらいじゃないの?
あと刀剣騎士団とか。
ガーターとか金羊毛騎士団なんかは社交クラブみたいなもんだし。
>>34 現実だと、海賊をホイホイ騎士に叙任していたりしまつね。
38 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/11 20:44
>>32 の方へ
すみません、間違えていました。メモ書きの写し間違えでした。
ロードス騎士団
↓(1309?)
聖ヨハネ騎士団(エルサレム洗礼者歓待騎士修道会)
Order of St.John of Jerusalem,Hospitallers,
Milites Hospitales Sancti Johannis
↓(1530)
マルタ騎士団
>>38 おや? 変遷は ヨハネ→ロードス→マルタ の順ではなかったですか?
40 :
世界@名無史さん :03/10/12 08:19
騎士と騎士団の違いがよーわからん。 騎士の身分と封地と爵位ってのはワンセットなんだろうけど、たとえば次男や三男なんかだと封地をつぐことができないだろうし。 そうなると生活の糧、あるいは騎士としての装備の維持なんてどうしてたんだろうと思う。 やっぱりどこぞの騎士団の入隊試験でも受けていたんだろうか。 騎士団ってのは、どう見ても砦にこもった騎士同士の自給自足集団にとか思えないが、それでいいんだろうか。 だいたい、騎士になる資格ってなんだろうって考えると混乱のきわみ。 貴族であれば一定年齢さえくれば(よっぽどの落ち度がない限り)だれでもなれるのか。 騎士になったときの特典ってなんだろう。 最初のうちは騎士の身分と封地と爵位ってのはワンセットだったらしいけど、時代が進むとそうでもなくなるらしい。前述されていたように海賊にも騎士階級を与えたりね。 つまり、騎士でも爵位なしとか、騎士でも領土なしとか、そういうのって多くでたんだろうなあ。 なんか考えるほどわかんなくなってくる(TT
>>39 の「例の170」さんへ
おっしゃる通りです。訂正の訂正です。
「嗚呼、メモだけでは、やはり危ないな、本でチェックしナイト」
42 :
世界@名無史さん :03/10/12 09:47
>>41 騎士修道会(騎士団)の場合、修道士兼騎士ですから、
封地を継ぐことのできない次男や三男の就職先(?)としては
ちょうどよかったのではないかと。
騎士修道会には信者からの寄進がいっぱい集まってきたし、
それを元手に銀行業まがいのことまでやっていたようですから、
金には不自由しなかったと思いますよ。
修道士はケコーンしないから、資産も相続その他で分散することはないし。
43 :
世界@名無史さん :03/10/12 09:55
>>41 入会資格についてですが、テンプル騎士団の場合、貴族出身ということのほかに、
(1)独身であること
(2)別の騎士団に属していないこと
(3)返却できない負債を抱えていないこと
(4)身体が健康であること
(5)騎士団に入るために誰かを買収していないこと
などの基準があったようです。
44 :
世界@名無史さん :03/10/12 10:53
回答ありがとう。参考にします。
45 :
世界@名無史さん :03/10/12 12:56
十字軍(特に初期の十字軍)はフランス人主体だった。 何かと肩身の狭い、ドイツ語を話す連中が集まって作られたのがドイツ騎士団。 当初は聖ヨハネ騎士団の傘下として出発したようだが、そうした「歴史」は早々に抹殺された。
>>40 騎士団の成立も念頭に置くといいかも
封建制度の徴集軍を主体とする短期軍役の十字軍をあてに出来ず,
巡礼の保護,天下の公道の公安,傷病者の看護(ヨハネ騎士団の場合)
の人手が必要だった。またイベリア半島のレコンキスタを支援する
ために半聖・半俗の組織が成立した。
つまり、
1.十字軍の支援
2.レコンキスタの支援
そして、その後も
13世紀に十字軍が終了
15世紀にレコンキスタ成立
ヨハネ騎士団がマルタ騎士団と改称して存続したが、のこりは
消滅するか慈善団体や貴族の名誉制度となった。
このスレに興味がある人は、これでしょうか 「十字軍騎士団」橋口倫介 講談社学術文庫 騎士団とは 騎士団を分類 テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団が主 テンプル騎士団の解体 が載っている
歴史小説ならば 「アイヴァンホー」ウォルター・スコット 岩波書店 リチャード1世の治政末期が舞台。 服装や武器の描写が細かい第1章。 訳が「御堂の騎士」というのが笑えます ドラクロワはこの作品を主題にして「レベッカの略奪」を描いています。
50 :
世界@名無史さん :03/11/08 01:02
塩野七生の「ロードス島攻防記」を忘れているよ。 私はこれで聖ヨハネ騎士団を知って、ローマに残っている本部に行った。 スペイン広場の近くだからローマ観光のときに寄ってみるといいよ。 今もバチカンのように独立国のようだが・・・
51 :
世界@名無史さん :03/11/08 01:22
聖ヨハネ騎士団ことマルタ騎士団ですな! マルタの首都バレッタは、騎士団長の名前らしいですね。
>>29 >>34 >>40 騎士団そのものを扱っているわけではないけれど、
ジャン・フロリ、新倉俊一訳『中世フランスの騎士』(白水社、文庫クセジュ、1998)
あたりも参考になるかと。
お前らはせいぜい後ろで鼻くそでもほじってな 手柄はやるからよ
うむ、ごくろう。 しっかり働くようにな。手柄は私が独り占めにするが。
55 :
ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :03/12/06 02:47
騎士団の性格破綻はすなわち世俗分離の傾向である。
56 :
世界@名無史さん :03/12/27 05:57
ライトファンタジーみたいに ○○国第○騎士団 のような存在はありえんですか
57 :
世界@名無史さん :03/12/27 14:48
ライトファンタジーのそれは騎士というより 「旗本」に近いような
刀剣騎士修道会(リヴォニアのキリスト騎士修道会) 1202年にアルベルトによって創設された修道会。1207年に リヴォニアの1/3を与えられる。修道会則はテンプル騎士団と同様に 貴族出身の騎士,聖職者,平民騎士・職人。初代総長はヴェンノー。 2代目はフォークウィン。
グルンヴァルドのようこそ。
60 :
世界@名無史さん :04/01/26 00:37
テンプル騎士団って冤罪なの? いや、有罪だと思うけどな。だってあれだけ偉い法王が間違うわけ無いしな
テンプル騎士団は、1311−12年のヴィエンヌ公会議で解散が決議された。 フランス王の圧力がヒシヒシ。
62 :
フィリップ4世 :04/01/26 08:07
いや、だってバフォメットだか悪魔崇拝してる噂だし涜聖の儀式してるって 、目撃者もいるし、いやそれどころかイスラム世界と聖地の巡礼権とバーターで なんか取引してたし。 おれだけじゃなくて、教皇のクレメンス5世だって、おれとまったく無関係に そういってるし。
63 :
クレメンス5世 :04/01/26 08:17
あれさ、そりゃ北フランスの王権がテンプル騎士団の金を欲しがったいう 話はあるよ。フランス全土からのユダヤ人追放令だしてその没収財産で 宮廷財源にあてたのも事実だよ。 でも1307年10月17日の騎士団5000人逮捕ってのは、騎士団が怨敵英国の エドワード1世に対仏戦費の融資をしたのが、直接の要因じゃないかな。 いや、おれはフィリップとはまったく政治的に無関係だけどさ。うん。 まじまじ。別に教皇庁のアヴィニョン移転や、そもそもオレ自身の教皇 選出もふくめてさっと
64 :
世界@名無史さん :04/01/26 09:15
ローゼンリッター
65 :
世界@名無史さん :04/01/26 22:11
der RosenKavalierいうのはネットでなんぼでもヒットするが der RosenRitterいうのは聞かぬなあ。日本人的には運搬車的なキャバリエより ドイツ聖騎士団風のリッターの方が受けがいいのかな。 der RosenKavalier「薔薇の騎士」の成功によってリヒャルト・シュトラウスは 「ウィーンの伝統的な音楽家」の名士の殿堂入りしたけど、台本を書いたホフマンスタールの 方向付けがなければ、シュトラウスはおそらく当時の前衛音楽家として消えていたろうね
66 :
世界@名無史さん :04/01/30 16:30
―――――、へ_、 ―――――彡(<》-――_∧三 ―――――ノ⌒ト(、-―_三〈○\ -――==(⌒二)>========> ――――_フ―〈n三、_/ _二三ス_ト彡〈l\、_ノ 二二⌒l`_ー`(`イ__ー\ はい、騎士
―――――、へ_、 ―――――彡(<》-――_∧三 ―――――ノ⌒ト(、-―_三〈○\ ((( ))) -――==(⌒二)>========> 〜 (; ´Д`) ――――_フ―〈n三、_/ ..〜 / つ1 _つ _二三ス_ト彡〈l\、_ノ 〜 人 Y 二二⌒l`_ー`(`イ__ー\ し'(_)
68 :
世界@名無史さん :04/01/31 12:01
英国人は他国の叙勲を好まないって本当? 勲章自体が国王への忠誠の証だから、他の国王の叙勲をうけないって 聞いたけど?
『テンプル騎士団有罪論』ルッグマン では、テンプル騎士団の異端性を肯定しているらしい。
70 :
世界@名無史さん :04/01/31 21:00
Gレッグマン『テンプル騎士団有罪論』って読んでみたいですね。 橋口倫介『十字軍騎士団』によれば、レッグマンの有罪の主旨は 「テンプル騎士団がキリスト教で禁じられてる金利をとっていたから」 言う事ですが・・・。 「汝の兄弟より利息を取るべからず」(申命記)の建前や トマス・アクイナス、第四回ラテラノ会議で利子を取るのは正義に反するいう 論法にも関わらず、現実にはキリスト教徒の金貸しも当時、多数居て、 「返済期日起算の延滞料金」の名目で実質利子をとってましたから、 それが有罪の中心と言われると弱いですね
71 :
世界@名無史さん :04/01/31 21:05
で、異端についてやはりレッグマンも大分、言及してるようですが。 ・・・お、NHKで聖地イェルサレム暴力の連鎖やってますな。テンプル騎士団 本拠地の200m北・神殿黄金門付近のイスラエル警察とパレスチナ人の衝突 みると、まるで700年前を見てるようです。むむむ
そういえば、こんな本もあるらしいのですが、 『テンプル騎士団文献目録』ドゥシュブレ 1200冊ほど関連資料・文献が収録
73 :
世界@名無史さん :04/01/31 21:19
ドゥシュブレ『テンプル騎士団文献目録』(1928)いうらしいですね。 橋口教授も講談社学術文庫のあれを執筆する時、参考にしたらしいですが?? 他にミシュレ『テンプル騎士団訴訟記録集』(1851)いうのが研究家たちの 主用参考書らしいです。 ただし、これは本当の原典・2次資料で、一般的には3次、4次の方が 入手しやすいようですね。前述のレッグマン『有罪論』(1966)はニューヨーク 出身の好事家で、南仏にテンプル騎士団ゆかりの城砦を買い求め、そこで同書を 執筆したとか。 エーコのテンプル騎士団万華鏡小説『フーコーの振り子』のどこかに レッグマンの引用が無いか、いま、ひっくり返してます
タンネンベルクにて ドイツ騎士修道会リヴォニア分団万歳。
75 :
世界@名無史さん :04/02/02 00:40
ドイツ騎士団いうのは、プロイセン(改宗前の)十字軍がやはりメインなんでしょうね。 パレスチナでの活躍はどうしても、ヨハネ、テンプルの二大騎士団の影に隠れて あまり目立ちませんが。 神聖ローマ帝国の東方領土拡大の尖兵ということで、十三世紀を通じてあんな 陰鬱な土地、よくぞ走り回ったと思いますが、その辺の歴史の繰り返しが、20世紀になって ドイツのインテリあたりに暗い情熱で回顧されたのでしょう。 そうか北の十字軍か。面白そうですね。 ところで、このチュートン騎士団に対する1308年の異端嫌疑について ご存知ありませんかね?
76 :
世界@名無史さん :04/02/02 02:07
修道騎士団いうのは、最終的に「法王」に対して責任を負う「キリストの兵士(Crusades?)」だから 14世紀末に「国王と絶対主義国家」が形成され始めると、忠誠心の問題で国王側にうとまれる。 テンプル騎士団の起訴・解体いうのはつまるところ、国王フィリップがパリに本拠地(タンプル城って どこかで聞いた思ったらルイ16世を幽閉したあそこだったのね)を置く同組織を、国家の中の国家と 排除しようとした結果、いう橋口教授の分析は、ごく妥当だと思うね。 その課程で異端嫌疑は有力な武器だし、実際に異教的な儀式も多少はあったと思う>テンプル騎士団、
北天騎士団
78 :
世界@名無史さん :04/02/25 17:31
>>74 タンネンベルクにて
ごめん、間に合いそうにないニャ〜
−−−−−リヴォニア分団より
>>31 平民の騎士もいたそうですよ。
ただ、騎士は貴族であるべきという規則が(後付けで)できて、
平民身分の騎士も貴族に編入されたということみたいです。
初期には不自由身分の騎士もいました。 当初は身分と、軍事上の階級(用語正しいかな?)である騎士とは関係ありませんでした。
81 :
世界@名無史さん :04/02/25 22:13
>>80 お、ミニステリアーレですニャ。
ドイツ騎士団だと、最初の四代の総長がみんなこれですニャ。
セイバー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! アーサー王
83 :
世界@名無史さん :04/02/28 18:24
アーサー、オウ! 円卓の騎士もええニャ。
84 :
世界@名無史さん :04/02/28 20:03
ブラド・ツェペシュの父が所属していたというドラゴン騎士団とはどんな組織 だったのですか?団長は神聖ローマ皇帝のジギスムントだったそうですが。
85 :
世界@名無史さん :04/02/28 21:33
ドラゴン騎士団はよく知らないニャ。 1408年にジギスムントが創設して、ドラゴンが尾を自分の首に巻き付けてる図が記章だそうニャ。 その図の後ろに聖ゲオルグの赤十字が書いてあるとか聞いたニャ。 記章の由来はヤン・フスがジギスムントをレッド・ドラゴンみたいだ、とか言ったからだってどっかの年代記に書いてあるとか、ないとか。 ジギスムントの護衛隊みたいなもんみたいだニャ。 これ以上は知らないニャ。もっと調べてみるかニャ?
86 :
世界@名無史さん :04/02/28 21:37
そうそうたる大貴族とかが叙任されてるところから見て護衛隊だとしたら名目だけでね?
88 :
世界@名無史さん :04/02/29 01:48
そだね。名目だけかもニャ。護衛と言うより、飲み友達みたいなもんかもニャ。 団員に誰がいるかもちっと詳しく教えて欲しいニャ〜。 もちっと調べてみたら、記章のドラゴンは金色で正式名称は「Societatis draconistrarum」だニャ。ドラゴン団とでも訳すのかニャ? 詳しくは Windecke Eberhart の年代記を見ろだって。Windeckeはジギスムントの側近の一人で、商人なんだニャ。 手元の資料じゃこれ以上わからないニャ。
89 :
世界@名無史さん :04/02/29 23:10
テンプル騎士団は特に抵抗もせず逮捕されたんですか? 財力でフランス王を凌ぐってことは動員力も凄いと思うのですが・・・ このスレのおかげで宗教騎士団に興味持ったんですが結構面白いですね。 陰謀説付きなところが特にw
90 :
世界@名無史さん :04/03/01 01:18
抵抗はしてないニャ。フランス王の作戦勝ちニャ。 フランス王フィリップは逮捕の前日に騎士団長を義妹の葬儀に招いて歓待して、騎士団を油断させたニャ。 パリの騎士団員は寝込みを襲われてあっさりと捕まったニャ。 フランス各地の支部もほとんど同時に徹底的に襲われて、逃げ延びたのは二千人の内でたったの数十人足らずだニャ。 橋口倫介,十字軍,教育社歴史新書,1980 上の本に詳しい事が書いてあるニャ。
91 :
世界@名無史さん :04/03/01 05:47
それで、テンプル騎士団の残党がフリーメーソンになって フランス大革命起こして復讐したのですね
92 :
世界@名無史さん :04/03/01 09:08
そうそう。テンプル騎士団はその後の妄想系列が楽しいのですよ。 ウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」は、この一連のテンプル騎士団 妄想陰謀史観の一覧表だから、通しで読むと辛いが、ぱらぱら眺める分には 楽しいです
テンプル騎士団の繁栄ぶりを示す資料などないでしょうか 団員数/財産/支配領等の数値化されたものだとわかりやすいのですが・・・ 支配地も点在してるようでどの位すごかったのかイマイチ想像できません
94 :
世界@名無史さん :04/03/02 00:45
>>93 13世紀に一万五千の兵力を持っているって言ってたみたいニャ。実際はもっと少なかったみたいだニャ。
少なくてもフランスに約二千人、イギリスに百五十人いたみたいだニャ。
ドイツや、イベリア半島にも支部があって、主に聖地とイベリア半島で戦っていたみたいだニャ。
1291年に最後の十字軍国家が滅亡した時のアッコンの戦いでは400人の団員が戦っていてるニャ。
イベリア半島ではあんまり積極的に戦わなかったみたいだニャ。
1160年頃にカラトラバが危機に陥った時、ここに駐屯していたテンプル騎士団はカラトラバの城をカスティリア王に返却して勝手に撤退してるニャ。それでカラトラバ防衛の為に創設されたのがカラトラバ騎士団だニャ。
詳しくは 橋口倫介,十字軍騎士団,講談社,1994 だニャ。
イベリア半島の話は ローマックス,レコンキスタ,刀水書房,1996 だニャ。
そのにゃーにゃー言う言葉づかいはどうかと思う。
96 :
世界@名無史さん :04/03/02 01:19
>>95 うだつのあがらない中年のひそかな楽しみまで奪おうってのかいw
ごめんなさい。どうぞ使い続けてください。 どうせ名古屋あたりに行ったらみんなにゃーにゃー言ってるだろうし。
まあ、最初は橋口やクセジュのベルヌーの本を読むべきだろうけど、 次のステップとしては、Cambridge から出ているBarber,Malcolmの The New Knighthood:1994:0-521-55872-7とか The Trial of the Templars:1978:0-521-45727-0 あたりがいいんじゃないかな。ペーパーバックで凄く安いし。 特に前者は最後に、From Molay's curse to Foucault' Pendulum という一章があって、いわゆる妄想系にもぬかりなく目配りがされてる。 あと最近のものなら、Nicholson,Helenのものとか。 裁判関係に限って言うと、Brillとかから、生の裁判記録の 英訳なんかが出始めてる。こっちは通向けだね。
99 :
世界@名無史さん :04/03/02 01:45
>>84 聖龍騎士団は1444年のヴァルナ十字軍におけるベオグラードの戦いでムスリムに
敗れ、キリスト教連合軍の最高指揮官であったハンガリー摂政のフニャディ・ヤ
ノッシュがワラキアのヴラド2世に作戦失敗の責任をとらされたのを恨み、ワラ
キアのヴラド2世とその息子ミルチャを打倒した際に崩壊したものだと記憶して
いるが。
別に責任はとらされてないね。あげつらわれただけ。 自分でヴラド2世追い込んどいてその後亡命してきたヴラド3世に教育を施すんだからよくわからん爺さんだよね。
101 :
世界@名無史さん :04/03/02 12:27
>>100 モルダヴィアのシュテファン大公の仲介があったから上手くいったのだと思うよ。
それでなくてもワラキアはオスマントルコとの戦いにおいて重要な地。
一時トルコに囚われの身であった串刺し公を味方につけるのはあながち間違いではないと思う。
串刺し公の弟のラドゥ美男公がトルコの手先になっていたからなおさらのこと。
102 :
世界@名無史さん :04/03/02 12:53
>>93 中世異端(ローマ側から見ての)の醸成装置としてテンプル騎士団を
捉えるなら軽い読み物としては
「マグダラとヨハネのミステリー」(三交社)があります。
第4章…テンプル騎士団の隠された正体 30ページくらいの記述です。
103 :
世界@名無史さん :04/03/02 20:16
>>97 そうそう、うだつの上がらない中年のひそかな楽しみを取っちゃダメニャ。
104 :
世界@名無史さん :04/03/02 20:18
>>98 Barberって、リチャード・バーバーのことかニャ?
ブラックプリンスやアーサー王だけじゃなくて、テンプル騎士団の本まで出してたニャンて!
バーバーの本は The New Knighthood:1994 の方かニャ?
>>104 いや、Malcolmの方は別人の中世史家。なお98で挙げたのはどっちも彼の著書。
他にも、カタリ派に関する本とか、いろいろ書いている。
なお、挙げた本はアマゾンとかを見るといまでも売っているみたいだから
もう古典としての評価を受けてるんだろうけど(どっちも20ドルぐらい?)
昔は両方とも6ポンドぐらいだったからけっこう高くなった。
106 :
世界@名無史さん :04/03/03 01:33
>>105 ごめんニャ。間違えたニャ。Barberと、Malcolmの二人かと思ったニャ。
そうすると、Nicholson,Helenも一人だニャ。
これは helen nicholson, Templars Hospitallers Teutonic Knights, Leicester, 1993 かニャ。
ガッコの図書館で見た覚えがあるニャ。
>>106 まあ、それもそうだけれども、Nicholson(彼女はイギリスの中世軍事騎士団の専門家)
のなら、The Knights Templar:A New History:Sutton Pub.:2001:0-7509-2517-5
のような新しい本が良いだろう。やや入門的だけれども、聖地での戦闘よりも
経済、宗教面での日常活動に重点をおいて解説した特色のある本だと思う。
値段の割に版型も大きいし、カラー図版が多くきれいな本だから見てるだけでも楽しい。
なお未見だが、彼女は去年ヨハネ騎士団に関する本も出している。
108 :
世界@名無史さん :04/03/04 22:17
>>107 カラー図版たくさんというのがすごくいいニャ。
文章を追いかけるだけなのはあんがい疲れるから、図がたくさんというのは本当にいいニャ。
感謝するニャ。
今度ガッコの図書館で探してみるニャ。
109 :
世界@名無史さん :04/03/05 00:43
>>104-106 何で誤解されるような紛らわしい書き方をした方が偉そうにしてて
間違えた方が謝ってるんだ?
普通逆じゃないのか。
110 :
世界@名無史さん :04/03/05 01:16
中世騎士団スレって前にもあったよな 過去ログに収められているスレにはkrtさんのレスもあったりする(w
生まれ変わろうとしている例の170を暖かく見守ってやろう(w
騎士萌えってのは世界史じゃマイナーなのですか・・・ 三国志や封神の小説・ゲームが中国史入門であるのと同様に ファンタジー系から中世騎士にハマる人も少なくないと思ったのですが
113 :
世界@名無史さん :04/03/06 02:40
>>107 この本、ガッコの図書館になかったニャ。
残念ニャ。
114 :
世界@名無史さん :04/03/06 02:44
>>112 我が輩は騎士もえもえニャ。
入り込んだ原因はシェイクスピアの映画だったニャ。
「いいか、一瞬後には兵士達が血に汚れた手で、泣き叫ぶ娘達の髪を掴んで凌辱し、父親達の白髪を掴んで老いた頭を壁に叩き付け、赤子達を槍で串刺しにするだろう...
さあ、返答を聞こう、いさぎよく降伏してそのような災禍を避けるか、それとも防戦という罪を犯して破滅を招くか?」
「我々の希望は今日はかなく消え去りました...偉大なる王、当市と市民達の命を慈悲に委ねます。城門からお入りの上、われわれの生命、財産を自由に処分ください。我々には防戦する力はありません。」
って、ヘンリー五世のハーフラー攻防戦のこの場面に感動したニャ。
フォールスタッフ良いよねー。
>>109 まあ、書誌に関する記述の場合西洋人でも、ラストネーム(カンマ)ファーストネーム
という書き方が割と普通(そうでない書き方でももちろんOKだが)だということで
了承して頂きたい。
>>110 そうね、あのころは「る」氏なんかもこの問題に熱心で良く書いていたような。
肝臓悪くしてるというのをどこかに書いていたけれど、ちょっと心配。
>>113 猫氏は騎士制度とか軍事関係に興味があるみたいだから、Nicholsonの本は必ずしもツボでは
ないかもしれないな。むしろこの修道と戦闘の二つの性格を持つ騎士団の規則を翻訳、解説した
Upton-Ward,J.M.:The Rule of the Templars:Boydell & Brewer:1992:0-85115-701-1
とか、これは必ずしもアカデミックな本ではないので大学にはないだろうけれど
Robinson,John J.:Dungeon,Fire,and Sword:Evans & Company Inc.:1991:0-87131-657-9
みたいな、記述内容を聖地での出来事に特化した本の方が興味が湧くかもしれないね。
>>116 了承するとかしないとかじゃなく、
相手の誤解を招くような書き方をした事に関して一言
すいませんでしたって言えないの?
それに英語の本出されたって普通の名無しは誰も読めないよ。
橋口倫介以外の日本語本キボン
117態度でけえな。自分の無知を棚に上げて何言ってんだ?
119 :
世界@名無史さん :04/03/08 00:52
>>116 感謝するニャ。
実は我が輩は面白そうな本を読んでるだけの愛書家の類です。
いまはシェイクスピアとエイゼンシュテインのおかげで騎士に興味を抱いています。
120 :
世界@名無史さん :04/03/08 00:53
下の弓スレの話題の続きを書くニャ。
内容的にこちらに書いた方がいいように思いますので。
知らない人はごめんニャ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046634307/l50 ドイツ騎士団の戦い方について書かれた本があったニャ。
desmond seward, the monks of war, penguin books,1995,pp.101-102,pp.118-120
ドイツ騎士団は13世紀半ば頃まではプロイセン人相手に、それ以降はリトアニア人相手に戦争を行っていました。
しかし、どちらの時期にも戦いの主力は西から一時的に来訪する十字軍士達でした。
ドイツ騎士団員は主に後方支援と十字軍士の指揮に当たっていたようだニャ。
121 :
世界@名無史さん :04/03/08 00:54
プロイセン人に対する戦いでは、プロイセンの部族同士を戦わせて消耗される戦略が多用されているニャ。 友好的なプロイセン人は補助兵力として活用します。 プロイセン人の戦法は主に待ち伏せと、籠城ですが、籠城作戦はドイツ騎士団が西方の強力な攻城装置を活用していたのであまり成功しませんでした。 ドイツ騎士団もプロイセン人の戦い方に学んで、待ち伏せや奇襲、森林地帯での遊撃戦を盛んに行います。 特に冬には、馬も人も白いマントを羽織っていたので、これがカモフラージュになり、有利に戦いを進める事ができました。 それと、猛吹雪の時だろうと何だろうと、チャンスがあれば出陣を繰り返したいたみたいで、この本では騎士団員を評して「冬の亡霊」と表現しています。 このドイツ騎士団の遊撃戦をプロイセン人は恐れていたニャ。
122 :
世界@名無史さん :04/03/08 00:54
リトアニアに対する戦いではプロイセン人に対するのとまた違う戦い方が行われてるニャ。
この本ではリトアニアに対する戦いを「大狩猟大会」などと表現しています。
たいていは五百人くらいの兵士を乗せた大型帆船を用意してニーメン川を遡り、船を拠点として周辺を略奪するのです。
船から、或いは国境の要塞から馬で長躯して略奪に出る事もありました。
冬と夏に何度かの略奪行が行われます。
この略奪行には、西方から多くの諸候や騎士が参加していました。
リトアニア側も報復に騎士団領を襲撃しています。
どうも、敵の襲撃を防ぐより、報復攻撃を重視する傾向があるみたいでリトアニアの防備はいつも手薄でした。
この「大狩猟大会」については下の論分にも少し紹介があります。
http://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/ekdahl.htm ずいぶん軍馬の維持と補給に気を使っています。
略奪行の時には進軍ルート上に幾つかの補給基地を作り、補給部隊が用意されます。
ドイツ騎士団は軍事に力を入れているように見えない、と言った感じです。
大狩猟大会のプロモートやプロイセンでの貿易、神聖ローマ帝国内での商業に力を入れていたみたいで、軍事組織を効率よく構成する気も、必要もなかったんじゃないかと、感じたニャ。
123 :
世界@名無史さん :04/03/08 01:12
>>117 は雑談スレでKrt氏との論戦に負け犬ナポレオンなので相手にしては逝けない(w
騎士の有効性がよく分かりません。 ずっと大昔のファランクスとかの長槍の方が、強そうなイメージあるのですが・・・。 弓と槍と軽騎兵でいいんじゃないかと。 弓や弩なんかを気にせず加速度的に勢いをつけて、そのスピードのまま 騎上から武器(ソード?)を振り下ろす・・・みたいな攻撃でしょうか? 機動力で敵の陣をかき乱すっていうのはわかりやすいんですけど。
125 :
エドワード1世 :04/03/08 08:30
弓や弩の有効射程内だと、重騎兵が突撃をかければ再斉射が困難。 そこで敵の陣形を乱せば、陣形を保ったまま友軍歩兵や弓兵が接敵したとき 火力比(攻撃比)で勝り、徐々に敵の壊走がはじまるって聞いたけど?
>>124 >騎士の有効性がよく分かりません。
>ずっと大昔のファランクスとかの長槍の方が、強そうなイメージあるのですが・・・。
>弓と槍と軽騎兵でいいんじゃないかと。
戦術上のみ比較すると、そのとおり。
背景となる社会制度まで踏み込まないと中世の騎士の有効性が理解できない。
ファランクスを例にとると、単独もしくは少数の歩兵が槍をもっても
戦術上の有効性は乏しく、あくまで集団で槍歩兵が運用されることに意義がある。
また、個々人の勇気よりは集団の規律が要求される。
共同体社会の戦士や、
中央権力によりある程度長期に雇われる傭兵部隊ならそのような
集団の規律が達成できたであろうが、
農民兵をいきなりかき集めても鳥合の衆になるだけで、戦力として期待できない。
これに対し中世の騎士は大部隊のみならず、少数でも一応の戦力となっていた。
中世の騎士は、社会的には中小の封建領主もしくはその臣下であり、
中央権力弱体のため日常的に隣接の封建領主との間で小戦闘をくりかえし、
戦闘のプロであった。
中央権力が弱体で、また古代ゲルマン民族のような共同体が崩壊した状況では、
封建システムに軍事力の基盤をおくしかなかった。
>>124 スレ違いなので簡単に説明するが、そーいうのは無理な話だってことが553年の
ブスタ・ガロルム(タギネー)の会戦で示されている。
この戦いでトティラ率いる2000の東ゴート騎兵は敵陣に強襲を何度も繰り返したが、
4000の弓兵の斉射を受け、さらにはそれをかいくぐらんがために前進のスピードを
上げて結果歩兵を後陣に置き去りにして、ナルセスの東ローマ軍に各個撃破された。
>>125-127 レスありがとうございます。何となく分かりました。
弓・槍だけでは重騎士の突撃に耐えきれず、
さらに当時の時代背景では、十分なだけの槍歩兵の数をそろえることもできなかった
・・・ということみたいですね。
タギネーの会戦は、弓騎兵(東ローマ軍)vs重装歩兵(東ゴート軍)の戦いみたいですね。
長槍と装甲だけの歩兵では、騎兵の機動力に勝てないってことでしょうか。
結論からいうと、
(弱)重装歩兵<弓騎兵+槍歩兵≦重騎士突撃(少人数OK)<長弓や鉄砲(強)
・・・みたいなカンジだと、勝手に自己完結してみました。
騎士は長弓の登場で出番なくなったみたいですけど、
騎兵そのものは第一次大戦直前まで現役バリバリだったんですよね。
>>128 >タギネーの会戦は、弓騎兵(東ローマ軍)vs重装歩兵(東ゴート軍)の戦いみたいですね。
ちゃうねん。弓・槍兵(東ローマ軍)vs槍騎兵(東ゴート軍)。
>>128 >さらに当時の時代背景では、十分なだけの槍歩兵の数をそろえることもできなかった
数の問題ではなく、集団の規律もしくは団結力の問題です。
ヨーロッパの辺境で、封建制度の未発達な/共同体の団結力の強かった
スイス槍歩兵が、14世紀にラウペンの戦い、そして15世紀末には
ナンシーの戦いで重騎士を撃破していきましたので、
>(弱)重装歩兵<弓騎兵+槍歩兵≦重騎士突撃(少人数OK)<長弓や鉄砲(強)
という図式も成り立ちません。
>>129 訂正ありがとうございます。歩兵と騎兵が逆でしたか・・・。
>>130 最終的には貴族の重騎士よりも、平民から徴兵とかして訓練させた
槍歩兵の方が強かったってことになっちゃうんですかね。
そうなると、古代ローマに後戻りか、逆に時代を先送りして
ナポレオンになっちゃいますよね・・・。
132 :
世界@名無史さん :04/03/09 01:48
>例の170 長文レスしといて、どこが簡単な説明だぁ? 氏ね
133 :
世界@名無史さん :04/03/09 02:04
>>124 騎士団。騎士の集団に関する話と言う事にでもすれば、スレ違いじゃないと強弁できるかもニャ。
だからもう少し詳しく話して頂けません?
>>124-128 ところで、皆様。ヘースティングスの戦いにはどのような位置づけを与えます?
我が輩は今手元になにも資料がないからなにも言えないニャ。
134 :
世界@名無史さん :04/03/09 02:11
にゃあにゃあいってるのが例の170じゃないの?
じゃんけんみたいなもん。どれか一つの兵種だけでまとめてもたいした戦力にはならない。
136 :
世界@名無史さん :04/03/10 10:38
>>134 例の170はオカルト軍事ヲタなので、ズレまくりのコチコチレスしかできません(w
だから違うと思うぞ
>>133 >騎士団。騎士の集団に関する話と言う事にでもすれば、スレ違いじゃないと強弁できるかもニャ。
わーったよ、いい加減弓スレに出頭すりゃいいんだろ。んじゃほれ、帰るぞ。
138 :
世界@名無史さん :04/03/11 00:17
>>137 やニャ!
やニャ、やニャ、やニャ〜
帰るなんてやニャ!
もっとここで遊ぶんだニャ〜!
今、タギネーの戦いについて書かれた本を探してるニャ。
サー・オーマンの本には余り書いてないし、リデルハートも大まかにしかないし、プロコピウスまで行かなきゃダメかニャ?
何かニャイかな?
自演うぜえぞ、170=にゃあにゃあ(w
なんか一人粘着がいるっぽいね・・
139=ミルトンってこと? ありがとう出遅れアヌススレの粘着は酷かったからなあ。 あれやられたら敵わん
143 :
世界@名無史さん :04/03/12 16:47
>>142 は名無しの例の170 ◆vBOFA0jTOg
144 :
世界@名無史さん :04/03/12 17:11
ちょっと今更ですが、
>>133 Hastingsの戦いの位置づけですか?
この戦いは、
通常の中世における戦いとはかなり異なった様相のものと思える点が多いのですが。
145 :
例のにゃあにゃあ :04/03/15 21:42
>>140 感謝するニャ。
これに、タギネーの戦いの事がたくさん書いてあるとうれしいニャ。
>>144 解答に感謝するニャ
戦いの様相が他の戦いとどう違うかは我が輩には全くわからないニャ。
できるなら、どんな具合に違うのか、概略だけでもいいから教えて欲しいニャ。
ブラッドベリーの本みると、ヘースティングスの時は馬に乗って戦っていたノルマン貴族達が、それ以降は馬から下りて戦う事が多くなったように見えるニャ。
もっと他の戦いも調べてみないと分からないニャ。
ヘースティングスの戦いはブラッドベリーと、サー・オーマンの本に解説があったからいいけど、
他の戦いはどう調べたらいいのかニャ?
本の著者は自分の主張に都合のいい戦いばかり集めて本書くからどう調べたらいいか分からないニャ。
今のところ途中までだけど、この件に関して読んだ本は下だニャ。
sir sharles oman, a history of the art of war in the middle age,london, 1978(first ed.1898)
jim bradbury, the medieval archer, suffolk,1985
>>145 >sir sharles oman
Charles Oman?
そのうち、書評を書いてもらえると嬉しいです。
147 :
例のにゃあにゃあ :04/03/15 23:34
>>146 そう、そうニャ!
間違えたニャ!
訂正してくれてありがとうニャ。
書評はむずかしいニャ。
引用してるページ数見て貰えると分かるけど、我が輩は英文を読むのがとても遅いのだニャ。
たしか、以前どこかで日本人が書いた書評を見た覚えがあるから、代わりにそれを見つけてくる事にするニャ。
ヘイスティングズの戦いなら
Stephen Morillo,The Battle of Hastings:Sources and Interpretations,Boydell,1996
が詳しいで。
>>144 と違うけど、
まあ、政治的にも軍事的にも、あんだけdecisiveな会戦ちうのは中世には珍しいわな。
・・・なんかスレ違いみたいやけど。
149 :
例のにゃあにゃあ :04/03/18 18:26
>>148 解答感謝するニャ。
たしかに、サー・オーマンとかは騎士優位の始まりとしてヘースティングスの戦いを位置づけていたニャ。
この本も探してみるニャ。題名からすると史料集かニャ?
150 :
例のにゃあにゃあ :04/03/18 18:28
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046634307/l50 弓スレから移動してきたニャ。
弓スレの>525
我が輩は強い主張どころか、中世の戦争に関する本を読み進んでいく内に、
なんだかいよいよ分からなくなってきて、弱い主張すらできなくなってきたニャ。
だから、いまはロジャーズの論文の主張を追いかけながら検証してるだけだニャ。
ロジャーズの「The mobility ...」以降の部分は騎兵が歩兵に対して優位に立った理由を述べてるだけで、損害が小さい理由とまでいっていないように見えるニャ。
それと、その部分をもちっと上の方を見るとわかるけど、ロジャーズが騎兵優位の根拠として出した戦いの内二つが、ブーヴィーヌ、ファルカーク、なんだニャ。
だから、調べてみたニャ。タンシプレーはちょっと意味合いが異なるように見えるから下で出すニャ。
我が輩が書いた身代金の話はSocial Impact of the Infantry Revolution章の11から12世紀の戦いの損害について書いてあったデータと、理由を出しただけだニャ。
151 :
例のにゃあにゃあ :04/03/18 18:29
バノックバーンの戦いはロジャーズ論文の中で歩兵革命の過渡期、或いは革命後の戦いとして位置づけられているように見えるニャ。 スターリングブリッジとロウドン・ヒルの戦いはロジャーズ論文に出てきてないニャ。 我が輩も、ロジャーズがこの戦いを例として出さなかったか疑問だったので調べてみたニャ。 以前、弓スレの>459 で紹介してもらった kelly devries,infantry warfare in the early fourteenth century,suffolk,1996,pp.49-57 をガッコの図書館で見つけて読んだら、どうもロウドン・ヒルの戦いはロバート・ブルースの武勇を謳った詩の中にしか詳細が出てこなくて、 なにが起きてどのくらいの損害が出たのかあやふやみたいだニャ。 スターリングブリッジの戦いはプレストウィチの本にあったニャ。 michael prestwich, edward I,london,1988,p.478 こちらは橋を渡っている最中のイギリス軍にスコットランド軍が奇襲攻撃を掛けてその後直ぐに撤退してしまった戦いで、財務官が一人死んでとかいてあったけど他の具体的な損害は書いてないんだニャ。 サー・オーマンには百名の騎士と数千名の歩兵が溺れ死んだり、殺されたりしたと書いてあったニャ。 sir charles oman, a history of the art of war in the middle age vol.2,london, 1978(first ed.1898),p.77 両者の根拠史料を比べると、プレストウィチはスターリングブリッジの戦いの一時史料と呼ばれている同時代の年代記を使い、サー・オーマンは19世紀に書かれた研究書を使っていたニャ。 ここから想像できるのは、ロジャーズはどちらの戦いも持論の根拠として使うには弱いと思ったからじゃないかと、言うくらいだニャ。 ほんとうに問題だと思うなら、ロジャーズに直接聞くといいニャ。 我が輩はそこまでしなくても、とりあえずロジャーズの主張はこうだ、他の人はどう主張してるだろうと言うところを調べればいいと思ってるニャ。
152 :
例のにゃあにゃあ :04/03/18 18:30
だけど、サー・オーマンが騎兵優位の時代と位置づけ、ロジャーズが従った十一から十三世紀の戦いが本当に騎兵優位だったのかブラッドベリーの本を読むと疑問に思えてくるニャ。
ちなみに、サー・オーマンの発言はヘースティングス(1066)からクレシー(1346)までと捉えてことみたいだニャ。
ロジャーズはクールトレー(1302)からクレシー(1346)までを過渡期と捉えているように我が輩は理解したニャ。
ブラッドベリーの本によるとヘースティング以降のタンシブレー(1106)、アランソン(1118)、ブレムール(1119)、ブルグテンロール(1124)、スタンダート(1138)とイギリスやノルマンの騎士達の多くは下馬して戦い、
ブルグテンロールやブレムール、スタンダートの戦いでは騎馬隊を撃ち破ってるんだニャ。
ただし、タンシプレーの戦いはロジャーズも取り上げていて、騎兵隊による側面からの突撃が勝因だと見ているようだニャ。
タンシプレーの戦いは主に下馬した騎士同士の戦いで、騎兵隊は戦いの前に伏兵として側面に配置されていただけにも見えるニャ。
もし、ブラッドベリーの記述を重視するなら、騎兵の優位とか言う時代はなかったように見えるニャ。
たぶん、ロジャーズが騎兵優位の時代はなかったと主張する研究者がいるとかいってるのは、ブラッドベリーみたいな人がいるからだと思うニャ。
だけど、このスレの
>>145 にも書いたけど、どの本の著者も自分の主張に都合の良い戦いを集めたり、都合に合わせて戦いを解釈するみたいで、我が輩はどの本を信じていいのかわからないんだニャ。
だから、今はこの人はこういう主張をしている、この人はこういう主張をしていると、人の主張を並べて引用する以上のことはできないニャ。
>>152 私は元の文脈では中世騎士の戦闘での戦死者の少なさを問題にしていたんですがね。
それはそうと、
> だけど、サー・オーマンが騎兵優位の時代と位置づけ、
>ロジャーズが従った十一から十三世紀の戦いが本当に騎兵優位
>だったのかブラッドベリーの本を読むと疑問に思えてくるニャ。
うーん、下馬した騎士の集団は騎馬隊ではないけれども、
後の長弓兵士や、パイク兵と同じジャンルに分類するのはどうなのだろう?
もっと根本的には十一から十三世紀の戦いは、大規模な野戦ばかりでなく、
攻城戦(城ばかりでなく、要塞都市も)も多かったはずなのだが、
攻城戦では騎士は役に立たない。
弓兵、クロスボウ兵、工兵、(大きな)投石機の方が有用だったはず。
154 :
世界@名無史さん :04/03/25 01:03
中世の騎士の装備・戦術・軍律などお教えください。 国はどこでもいいです。できれば、イングランドの長弓のことも。
ま た イ ン グ ラ ン ド の 長 弓 か エンドレスだな
156 :
例のにゃあにゃあ :04/03/25 01:29
>>153 分かり難い書き方をしてごめんニャ。
我が輩も第一に中世騎士の戦闘での戦死者の少なさを問題にしているニャ。
そして、第二に弓スレの>525で引用されたロジャーズ論文の「The mobility ...」の部分について、
第三に弓スレの>525の下に答えてるニャ。
>その前後のスターリングブリッジの戦い(1297)、ロウドン・ヒルの戦い(1306)、
>バノックバーンの戦い(1314)が抜けているのが気になりますが?。
>>150-152 は、この三つの問題がまぜこぜになってるニャ。
わが輩が現段階で重要だと思うのは資料の理解というか、解釈というかの方で、
そこから先はもっと調べないと分からない、と感じてるニャ。
それと、その資料の理解もそれだけでは十分にできない、
と思ったから他の資料との比較をやってみたんだけど、
よけい分からなくなって困ってるんだニャ。
なにか、脱出口はないもんだかニャ?
まだ、説明不足だというのなら別の書き方を検討するニャ。
たとえば、結論だけ並べて断定調に書くとか。
弓スレの>525の引用と、その返答だけで構成するとか。
どう書いたらいいのだろうかニャ?
157 :
例のにゃあにゃあ :04/03/25 01:31
戦場で下馬した騎士の集団が、長弓兵士やパイク兵と同じジャンルに当てはめる事ができるかどうかは知らないけど、 下馬した騎士はロジャーズの言うところの騎兵の優位を、戦場では発揮できない状態にあるとは思ってるニャ。 できたとすれば戦場外だニャ。 それで、この下馬した騎兵の集団はどう位置づければいいか教えて欲しいニャ。 我が輩が読んだ限りでは重装歩兵、メン・アット・アームと位置づけられているように見えるニャ。 それと、攻城戦の話にまで範囲を広げるのかニャ? 面白そうだから、調べてみたいけど、他の雑談と身代金の事を調べてるから、今はそこまで手が回らないニャ。
158 :
例のにゃあにゃあ :04/03/25 01:34
159 :
世界@名無史さん :04/03/27 11:23
便所水みたいにエッジオブエンパイヤから世界史を学びはじめたようなDQN厨房増えたな 世界史板の将来は危うい
エッジ?
161 :
例のにゃあにゃあ :04/03/27 20:23
>>154 面白い論文の概要を見つけたニャ。
下だニャ。
ttp://www.sca.org.nz/collegium/cg36/medieval_war.php 中世ヨーロッパの戦争をもの凄く単純化して説明してるニャ。
この論文に「アマチュアは戦術を論じ、プロは補給を論じる」とあるから、我が輩は戦術の部分を語るニャ。
中世の兵科は重騎兵、軽騎兵、重歩兵、軽歩兵の4種で、
重と軽の違いは白兵戦を主にする部隊か、射撃戦を主にする部隊の差と読めるニャ。
重騎兵は騎士の事で装備はランス、剣、ヘルメット、鎖帷子。
軽騎兵は騎馬弓兵。
重歩兵はスピアやパイクで武装した、都市民兵など。
軽歩兵はクロスボウや弓兵。
中世ヨーロッパでは軽騎兵が殆どない。
重騎兵は下馬して重歩兵として活動する事もある。
重歩兵は重騎兵に勝ち、重騎兵は軽歩兵に勝ち、
軽歩兵は軽騎兵に勝ち、軽騎兵は重歩兵と重騎兵に勝ち。
なんか、戦争の捉え方が杓子定規で極端だけど分かり易いニャ。
>>161 >重歩兵は重騎兵に勝ち、重騎兵は軽歩兵に勝ち、
>軽歩兵は軽騎兵に勝ち、軽騎兵は重歩兵と重騎兵に勝ち。
元ネタはそこにも書いてあるけど、
Archer Jones, The Art of War in the Western World, Univ.of Ilinois Press,1987
やね。
重歩兵→(defense)→重騎兵
重騎兵→(attack)→軽歩兵
軽歩兵→(defense)→軽騎兵
軽歩兵→(attack)→重歩兵
軽騎兵→(attack)→重歩兵or重騎兵
・・・言う話やけど、
つっこみどころはあるわな。
スイス歩兵の場合、
重歩兵→(attack)→重歩兵or軽歩兵
と違うんか? とか、
長弓戦術の場合、
軽歩兵→(defence)→重騎兵
とはゆえへんのか? とか。
まあ、大まかな見取り図としては面白いんやけどね。
163 :
例のにゃあにゃあ :04/03/28 00:39
>>162 そう、そうニャ!
ヘースティングの戦いだと、重騎兵が重歩兵を撃破したぞとか、
ドリレウムの戦いだと、重騎兵が軽騎兵を撃破したぞとか、
概略だからどうしても、つっこみどころが増えちゃうニャ。
だけど、こんなことを言って突っ込んだら、著者から「それは例外です」と、返されちゃいそうだニャ。
この手の論文だと、持論に合わない例は例外になっちゃう傾向があるみたいだから。
まだ読んでる途中だけど、下と合わせて読むと少しはましかなと思ってるニャ。
ttp://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/mcglynn.htm 封建騎士軍はそれほどバカじゃなく、戦争のプロで、野戦を避ける傾向にあると、理解できるニャ。
>>162 軽騎兵は正面衝突というより、偵察、追撃、敵の補給部隊の襲撃に
有効と思う。
重騎兵はコスト高という他に、短距離はともかく長距離での機動性に
問題あるので。
>>161 中世ヨーロッパの戦争で、補給部隊の襲撃という場面が少なかったことで、
>中世ヨーロッパでは軽騎兵が殆どない。
の理由の一つになるのではないか?
で、中世ヨーロッパの戦争で、補給部隊がそれほど重要でなかった理由は、
10,11,12 世紀頃は動員された兵力が比較的小規模であり、また都市の包囲
など長期作戦もそう多くはなかった。
# 単純化しすぎ?
14,15 世紀になると国家権力の増大もあって、事情が変わる。
騎士でも封建騎士から雇兵騎士へと変化する。
動員兵力も大きく増大する。
>>145 >ブラッドベリーの本みると、ヘースティングスの時は馬に乗って戦っていたノルマン貴族達が、
>それ以降は馬から下りて戦う事が多くなったように見えるニャ。
それはそうだけれども、それ以前にアングロサクソンの戦士(? まだ騎士が確立してなかった)
は戦場まで馬で移動し、戦場では下馬して戦うと Delbrueck にあった。
乗馬したまま戦闘するには十分な訓練がいるが、それが不足していたためとのこと。
ノルマン貴族がアングロサクソンの戦士の慣習を採用した理由はわからない。
地形的に下馬して戦闘した方が有利な場合もあるけれども、各ケースを調べないと
何ともいえない。
166 :
例のにゃあにゃあ :04/03/31 00:10
167 :
世界@名無史さん :04/03/31 02:26
十字軍時代の騎士は文盲が多かったと聞いたことある
読み書き可能な坊主だって、そんなに多くはなかったんだからね。
169 :
世界@名無史さん :04/04/02 20:22
東ローマ帝国の帝都コンスタンティノープルに到着した十字軍兵は、 野蛮人扱いされていた
「扱い」では無い。
171 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 05:21
172 :
世界@名無史さん :04/04/05 18:38
173 :
世界@名無史さん :04/04/05 18:42
174 :
世界@名無史さん :04/04/12 02:22
175 :
世界@名無史さん :04/04/12 03:41
176 :
世界@名無史さん :04/04/12 04:35
177 :
世界@名無史さん :04/04/12 05:00
178 :
世界@名無史さん :04/04/12 05:01
179 :
例のにゃあにゃあ :04/04/13 00:00
180 :
世界@名無史さん :04/05/08 01:30
あげ
181 :
世界@名無史さん :04/05/25 02:27
age
182 :
世界@名無史さん :04/05/26 12:35
バノックバーンの戦いで騎兵突撃を行った騎兵は解散させられた テンプル騎士団の一員だったという説があるらしい。
>>79 騎士=準男爵じゃなかったですかね?騎士に任命されると、同時に準男爵の爵位
も与えられた気がしたなぁ。その辺ご存じないですか?それと、騎士+準男爵は、
爵位も含めてその人一代限りで、男爵になると継承権も認められた気がします。
平民の騎士の件ですが、有名な鎧職人の親方だとかも叙任されていてある時期からは
完全な名誉職になってますよね。これはたとえば、準男爵より上の爵位を持っている人
も騎士になりたがっていたようですから当然でしょうか。その人の勇敢さを示す証
だったのでしょうか。
184 :
世界@名無史さん :04/06/05 01:51
>>179 疾病史スレでラザロ騎士の話していたものです
こっちでもよろしくお願いします
ラザロやマルタみたいな現存する騎士団に興味が有ります
皆様もよろしくー
185 :
例のにゃあにゃあ :04/06/07 23:50
186 :
世界@名無史さん :04/06/10 01:14
>>185 どうも、ありがとうございます
ラザロ騎士団てあのページで見てみるとパリとマルタに分かれてるんですね
あれは単に地域分けなのか、分裂しているのかどっちなんでしょうね
暗黒騎士団 ロスローリアンは??
188 :
世界@名無史さん :04/06/10 13:33
タクティクスオウガか ゲームの話はよそでやってくれ
テンプルナイツ
190 :
名無的発言者 :04/06/10 22:31
件のラザロ騎士団と有名なマルタ騎士団あとドイツ騎士団ですか これ以外に現在まで残っている騎士団ってないんですか? 名前だけ騎士団ついているとかうさんくさいものは別にして
テンプル騎士団=フリーメイソン と、言ってみるテスト。
現代まで残ってると言うか近代に作られた騎士団ならあるね。 ガーター騎士団なんかがそう。 ちなみにガーター騎士団=フリーメイソン説なんてのもあるんだね。 投稿しようと思って念の為調べたら色々出てきて笑った。
193 :
世界@名無史さん :04/06/11 09:56
190です 名前が・・・・・・逝ってきまつ
>>191 フリーメイソン=テンプル騎士団末裔説ですねw
>>192 ガーター騎士団と言えば世俗的騎士団の勇ですね
確か昭和陛下も騎士叙勲されていたのでは?曖昧ですが(^^;;
>ちなみにガーター騎士団=フリーメイソン説なんてのもあるんだね。
うーんまぁイギリスはフリーメイソンの本場ですからw
まぁガーター騎士団員でフリーメンソリーっていう人はいそうですなw
まあ別にフリーメイソンというのは格別に怪しい組織じゃないからガーター騎士団の団員とかぶってる人はいそうね。
ところでおまいら「俺中世のヨーロッパ時代に生まれて騎士になりたかった」 なんて思ったことあるだろ? ははは、無理無理。おまいらじゃすぐ死ぬから。 俺みたいに剣道の全日本選手権出られるくらいじゃないとね。
196 :
世界@名無史さん :04/06/11 21:49
嘘つきは下を切られた都市もあったそうです。
>下を切られた 舌を切られたのか、ティムポを切られたのか・・・どっちも嫌だけどな・・・。
198 :
世界@名無史さん :04/06/11 22:16
中世ヨーロッパにティンポを切る刑罰はあったの?おせーて!
199 :
世界@名無史さん :04/06/11 23:06
誰かドイツ騎士団がプロイセン公国になった経緯をご存知ないですか?
>192 作られたのは14世紀ですが え、もう近代だって? >199 阿部謹也『ドイツ中世後期の世界』 山内進『北の十字軍』 あたりでも読め
201 :
世界@名無史さん :04/06/12 08:55
>195 そう言えば以前に「騎士になりたいんですが」っていうスレがあったな ちなみに俺は思ったこと無いな、一応武家の出だしね まぁなりたかったら今でもなれるだろ、称号だけならもらう方法はありそうだ 簡単ではないだろうが、それとも中世でと限定するのは あの格好で戦争がしたいって事かな?ちなみに西洋甲冑着込んで、 ロングソードを持った場合剣道なんて役にたたんに1票
>200 ガーター騎士団は世俗騎士団だからね。 中世の宗教騎士団に対しての世俗騎士団なのだから騎士団の歴史という観点からすれば 中世と近世をそこで切り分けるべきだと思うよ。
203 :
名無的発言者 :04/06/12 08:56
そう言えば、昔TRPGと言うゲームにはまっていた奴が マルタ騎士団に入ったら「ロードスの騎士」って名乗れるなぁ とか言っていたな・・パーンかYO!
205 :
世界@名無史さん :04/06/12 20:18
中国の宮刑は遊牧民の習慣?ヨーロッパのカストラートっていうのは刑罰?
206 :
世界@名無史さん :04/06/12 20:26
遊牧民は家畜を去勢しますね。 オスマントルコなどイスラム圏も宦官いたし。 カストラートは刑罰ではなく、イタリア貴族の芸術趣味と思われ。
207 :
世界@名無史さん :04/06/12 20:28
ヨーロッパに去勢刑はないの?
208 :
世界@名無史さん :04/06/12 20:30
日本語に訳すとき、何で武士にしなかったの?
209 :
世界@名無史さん :04/06/12 20:31
日本とヨーロッパは違うから。
210 :
世界@名無史さん :04/06/12 20:50
封建とか諸侯とか王とかって中国の春秋時代のイメージだよね。ついでに皇帝も。 日本以外はみんな中国って発想?
中国の兵士は騎士とかそういう呼び方があったの?
212 :
世界@名無史さん :04/06/12 21:23
士は士大夫の士。騎はどうかしら?ちなみに武士は文士の対で、これも儒者的観念。
ありがとう。
なぜ中国のお話に(^^; まぁ武士には徒侍も居るわけでして でも騎士は馬に乗ってる前提な訳で徒は兵士 な訳であって、騎士=武士とは訳せないでしょう と言うか騎乗専らなる士略して騎士と言うわけでは
215 :
世界@名無史さん :04/06/14 10:54
マルタにラザロにドイツにガーターか騎士団って、今でもたくさん残ってるんですね 日本人はこういうのに入団とかできないんですかね?
216 :
世界@名無史さん :04/06/14 11:44
キリスト者なら可。ただし、かなり厳しい審査を 受けるとのこと。
217 :
世界@名無史さん :04/06/14 12:36
>216 キリスト教か、その時点でだめだな改宗なんざしたくねーし 厳しい審査というと家柄とかかな?
家柄よりも本人の業績とかの方が大きいでしょ。 ミック・ジャガーが最近ナイトになってたけど、普通に考えればナイトなんて柄じゃないよね。 クリスチャンかどうかは元々が宗教騎士団であったマルタやラザロ、ドイツは必須だろうけど ガーターは関係ないと思う。
219 :
世界@名無史さん :04/06/14 19:15
>>218 英国での騎士称号叙爵って自動的にガーター騎士団員になるのかな?
あれはガーター騎士勲章をもらわないと入れないのでは
あと、確かマルタ騎士団って何代前かまでが貴族か騎士でないと
入れないとか言ってなかったっけ?他のラザロとかドイツはどうなんだろう
騎士称号と騎士団にはいるのは別なのではと思われ、となると
日本人で騎士団にはいるのは難しそう、キリスト教徒はなれるとして
貴族や騎士の血筋って日本には無いでつ
まぁフランスの農事功労賞かなにかでシュバリエ(騎士)とかならなれるよ
現代のイギリスの騎士叙勲はガーター勲章の授与とイコールだと言う話を聞いた。 但し正規の騎士団員は26名なので名誉団員だけどね。 パパブッシュや歴代天皇陛下もそうだね。
>220 >現代のイギリスの騎士叙勲はガーター勲章の授与とイコールだと言う話を聞いた。 >但し正規の騎士団員は26名なので名誉団員だけどね。 イコールじゃないっしょ。ちょっと調べりゃわかるよ
222 :
世界@名無史さん :04/06/25 10:34
>219 貴族や騎士の血筋っていうのは確かにクリアできないなぁ しかも何代か前にさかのぼってだっけ、マルタ騎士団の史料には "16カルチェの貴族で無いと入れなかったが後に緩和されて 8カルチェの貴族でも入団することができるようになった" と書いてあるが、8カルチェって4代前までが貴族って事だよね 今ちまたで売ってる爵位なんかじゃ入れないわけか・・ でも、日本の武家や貴族の出で家系図とか有ったらどうなんだろう 一度メールして質問してみるかな
223 :
世界@名無史さん :04/07/03 23:24
>>215 聖ラザロ騎士団の日本会士の代表はHPにBaron〜とかいう名前が
あるが、こいつも貴族の末裔だから入団できたのか?
日本支部のページにメールアドレスが載ってたので、俺もメールしてみたい。
224 :
世界@名無史さん :04/07/05 23:31
>222 マルタ、入会に数百万要るらしいぞ あきらめた
そんな何百万円もかかるなんて何かただの宗教団体みたい。
貴族のクラブなんだからある意味当然だ
つまり血筋がよくても没落したら駄目。
228 :
世界@名無史さん :04/07/19 16:43
ディスカバリチャンネルで馬上槍試合の再現やってた 甲冑も新調して訓練してトーナメント 怪我続出,やっぱ危険なんだな
229 :
世界@名無史さん :04/08/08 00:34
あげ
>>228 そりゃ馬から落ちるだけでも大怪我するからな
231 :
世界@名無史さん :04/08/25 19:26
中世の騎士にも色々ある、んだけど、 少なくとも14世紀くらいからの鋼鉄に身を包んだ重装騎士はかなり弱かったらしい。 馬の体全部を鋼鉄で固められないから、馬に矢が当たって馬死亡。 徒歩になった騎士に歩兵が群がって、捕虜になりまくりだったらしい。 おまけに全身を覆った鋼鉄の鎧も、クロスボウの矢は貫通するからやられまくり。 騎士の威厳を保とうと、クロスボウ禁止の条例を出すも、傭兵達はそんなの無視したから騎士しにまくり、というのが実状だったらしい。 ちなみに、馬は臆病な動物だから、槍を立てられると、突撃は不可。 よって、重装歩兵にも勝てなかったようだ。 戦史上、鋼鉄に身を包んだ騎士が勝った例ってほとんどないんだよな。
>>231 スレとは全然関係ないけどさ、宇宙服着た人と甲冑着た人
戦わせたら面白いかもね。どっちが勝つんだろう?
甲冑。宇宙服は戦闘を想定して造られてないしやわい。あと動きにくい。 宇宙でやるんなら宇宙服が何もせずに勝てるだろうけど。
236 :
世界@名無史さん :04/08/28 15:46
所で、色々ある、現存する騎士団で正当性がたかい団体はどこかな?
>>236 たぶん、ガーター騎士団。
今も昔も貴族の社交クラブには変わりないし。
238 :
世界@名無史さん :04/08/30 23:10
国がだしているぶんじゃ無く、何やら騎士団とか何やら爵位とかではどれだろう?
239 :
世界@名無史さん :04/08/30 23:43
テンプル騎士団の団長ってどの程度の力(権力・財力)を持っていたの ですか?無茶な質問と思いますが、現代なら何に当たる存在でしょう?
240 :
世界@名無史さん :04/08/30 23:57
>>239 九千以上の城、修道院を持つ大諸侯並の権力。
ヨーロッパ中の王侯貴族に金を貸し付け、フランス国王よりも金持ちだったと言われる財力。
なおかつ独自の軍隊も持ってる。
こういうのが近代国家で存在認められるとは思えないので、例えようが無い。
>>240 ありがとうございます。
す、凄すぎ・・・( ゚д゚)。なんと言うか超国家的存在ですね。今だったら
軍隊を持ったロスチャイルド(例えが無理としても)?それがあっけなく
潰されるとは、歴史はどう動くか分からない。フランス王にしても、
他の諸侯にしても目障りだったんでしょうね。
ここのスレにも出てきたアイヴァンホーという小説で、団長の地位が
大変な権力を持つらしいので質問したのですが、こんな権力者とは
思いませんでした。
242 :
世界@名無史さん :04/08/31 01:30
>>241 別に超国家的存在ってわけでもない。
大諸侯とテンプル騎士団の違いは金持ちだったかどうかぐらいのもんだ。
あの頃の大諸侯は一つの国家と言って差し支えないぐらい自立性が高かったからな。
ブルゴーニュのように王国と呼んでも差し支えないレベルの実力があった公国もあったしな。
243 :
世界@名無史さん :04/08/31 06:16
各騎士団の一番強かった人教えてください。 やっぱり団長が一番強かったのでしょうか?
それはその国最強の騎士が国王かと言うのと同じだな。
245 :
世界@名無史さん :04/08/31 18:59
>>238 スコットランドに男爵の称号があるけど、これはかなりいいんじゃない。
>>236 正当性の意味の取り方によるけど、
現存する騎士団のほとんどは再建されたものばかりだから、中世からの連続性はないニャ。
だけど、騎士団が二つ以上再建されて互いに正当性を主張し合うなんてことはほとんどないみたい。
だから、中世から続いてきた騎士団じゃなく新たに作られたものだから、正当性はないととるか、
一時中断されていたものが再建されただけなんだから、正当性は高いととるか。
たしか、阿部謹也氏は前者をとって現在のドイツ騎士団と中世のドイツ騎士団は全く別物だと主張してるけど、
当のドイツ騎士団は後者をとって同じものだと主張している。
正当性って言葉は幾らでも意味を拡大変更できる曖昧な言葉だから、他の主張もできそう。
例えば、ドイツ騎士団やマルタ、ラザロ騎士団は社会的に宗教騎士団と認知されているから正当性は高いとか。
>>243 一騎打ちとか戦いに強いって意味なら。誰かわかんない。
ガーター騎士団の黒太子はトーナメントなんかでもメチャクチャ強かったって聞いたことがあるけど。
三大騎士団は戦闘に強いとか何とかというよりも金力と組織力が強くて、
騎士団員も武官であると同時に文官みたいな感じだったとか。
ドイツ騎士団最良の団長とか言われたヘルマン・フォン・ザルッツァなんかは戦闘はダメダメだけど、
最高に優秀な外交官って感じだし。
>>241-242 超国家的。この言葉の意味をどうとるかによるかも。これも曖昧な言葉だから。
ただ、王や公とは全く違うタイプの存在だったってことはいえる。
247 :
世界@名無史さん :04/09/01 10:03
246 有り難うございます。後、ナポレオンの鉄の王冠騎士団てのも、何処かで見かけたな〜そこでは、世襲騎士になれるとか書いてあった気がする。それとスコットランド男爵とは何ですか、(爵位売買?)詳しい事知っている人教えて下さい。
248 :
世界@名無史さん :04/09/05 06:08
249 :
世界@名無史さん :04/09/05 06:11
ハミルカル!名前だけならJrの方より好き
>>248 指摘しやすいのだけ指摘しただけニャ。
他はよく分からない。
馬に矢が効果があるかないかっていうのも、弓スレでKrt 様と話し合ったけど、
結論としてよく分からないって感じだった。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046634307/682-719 中世の戦術として弓で馬を狙ったというのは分かってるけど、
その効果は不明。
戦史上、鋼鉄に身を包んだ騎士が勝った例がほとんどないっていうのも分からない。
アザンクールの戦いなんかはプレートメールアーマーを付けた騎士同士の戦いと位置づけることもできる。
ロングボウはほとんど効果がなく、フランスを撃ち破ったのはイングランドの杭による防御陣と
下馬した騎士達の槍襖による、とか考えてる研究者もいるみたい。
イングランドの騎士は下馬していただけでアーマーをはずしたわけじゃないし、
フランスの騎士もほとんど下馬してたから。
とうぜん、ロングボウの効果をより大きなものと捉えて
プレートメールアーマーを付けたフランスの騎士はロングボウのせいで負けたと考える研究者もいる。
だから、どれが正しいかなんて我が輩には判断できない。
できるのはヘンだと思うところを指摘するくらい。
252 :
世界@名無史さん :04/09/11 22:11:23
鉄の王冠騎士団見てきたよ〜。けれど本当にこんな騎士団存在したのかな。
>252 単なるナポレオン愛好家の団体だったりして
254 :
世界@名無史さん :04/09/21 21:00:24
>252 というか、誰か入団申し込んで報告しる
255 :
世界@名無史さん :04/11/06 23:25:22
中世に起源を発し、近代になって再建された騎士団がほとんどのようですが 近代になってから新たに結成された騎士団について詳しいことをご存知の方いますか? 例えばOrder of Prince Edward Islandのような。
>255 詳しくはないが…。 >例えばOrder of Prince Edward Islandのような。 は、フランスのレジョン・ドヌール相当のもの。 ヨーロッパや旧植民地各国ならたいていOrder of 何ちゃらを 持っている。 "Order of Merit"でぐぐってみれば色々わかるかも。
聖ヨハネ騎士団について詳しいHPないでしょうか? 歴代団長の列伝が載っているところだと嬉しいです。
258 :
世界@名無史さん :04/12/24 17:06:23
マルタ島騎士団 @FOULQUES DE VILLARET フォルキエス・ド・ヴィラレー 初代(マルタ移転後) AHELION DE VILLENEUVE エリオン・ド・ヴィラヌーボ BDIEUDONNE DE GOZON ジュードン・ド・ゴゾン CPIERRE DE CORNEILLAN ピエール・ド・コルネリアン DROGER DES PINS ロジャー・デ・ピン ERAYMOND BERENGER レイモンド・ベレンジャー 合ってるかな?
259 :
世界@名無史さん :04/12/24 17:12:28
>>253 は、カタカナ標記の読み方があってるかってこと
>>258 ありがとうございます。マルタ騎士団については、私もHP等
で見つけたのですが、マルタ島移転前のパレスチナにいた頃
の情報ってないものでしょうか。もちろんググッて見ましたが、
歴代団長の情報がないです。文献等で、もしご存知でしたら
ご教示願えないでしょうか。
>>107 でKrt様が勧めていた本の著者が書いたヨハネ騎士団の本。
helen nicholson,the knights hospitaller,suffolk,2001
創設から現在に至るヨハネ騎士団の歴史。ページ数180頁程度の日本でいうと新書クラスの本。
(この著者は宗教騎士団の研究者としてはけっこう有名な人みたい)
この本によるとマルタ時代の団長は、
1521-1534 philippe villiers de l'isleadam
1534-1535 pierino del ponte
1535-1536 didiers de st jalle
1536-1553 juan de omedes
1553-1557 claude de la sengle
1557-1568 jean parisot de la valette
ここも落ちるところまで落ちてきたな。 もう少し、様子を見て上がりそうになければ乗っ取ろう。 (乗っ取り告知!!!)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | | ┃ | |.___________..| / ヽ l:::::::::. | |:::::::::::...ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ .| |::::::::::::::::: \___/ | ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ ハインリヒ・フォン・プラウエン: 言わずと知れたタンネンベルクの戦い直後に就任したドイツ騎士団長。 騎士団は圧倒的な危機を迎えているが、持ち前の暗さ(陰湿とも言う)と、 頑迷さで騎士団の雰囲気を暗くしている(多分)。 その陰湿なキャラクターから、そのキャラクターが皆から嫌われていることは、 各種AAが全く開発されていないとからも明らかである。 たまに団員の意見を聞くことがあり、その次の日は粛正祭りとなる。 /⌒~\:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: . . ... ..:|::::╋ .:|:::: :::::::::::: : ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: |:::::::.._:|し . . . .: : : ::: : :: ::::::::: ::::::::::::::::::::::::::::: /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: ::::::::::::::::::::::::::::::::: / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: / :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::  ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ドイツ騎士団員:ハインリヒ・フォン・プラウエンのピンボケ発言に絶望にくれながらも 騎士団を支えつづける献身的な団員。 だが、ハインリヒ・フォン・プラウエンのくりだす天然的なボケに発言に突っ込みを入れるのにも疲れているようだ。 「今日は会議だ」→「誰を粛正するのですか・・・」→「おまえだ」→(((;゚Д゚))) ガクガクブルブル… はお決まりの黄金パターン
参考文献 山田作男,プロイセン史研究序説,1982,pp.230-236 プラウエンの治世を日本語文献としては最も細かく解説している本。けど6頁。 阿部謹也,ドイツ中世後期の世界,未来社,1974 日本語のドイツ騎士団関連本では最高峰の本。プラウエンについてはあちこちに記述が散ってる。 山内進,北の十字軍,講談社,1997,pp.233-237 北方十字軍についての年代記みたいな概説だけど、 プラウエンについてはマリエンブルク攻防戦に関するものしかない。
にゃあにゃあ様キター! ジョン様とも一緒にいて!
プラウエンの履歴(某所で教えて貰った履歴) 1364から1372年のどこかで父が管理を委託されていた城で生まれた。 祖父の代にはそれなりに所領があったが、戦争に巻き込まれて所領を失い、 そのせいで父は所領を殆ど持たない貧乏貴族だったみたい。 1397年6月10日から1398年7月18日の間、 従兄弟で騎士団のダンツィヒ・コムトゥールをしていたシュヴァルツブルク伯アルブレヒトの補佐役。 1398年12月28日から1402年5月11日までダンツィヒのハウスコムトゥール。 1402年11月11日から1407年7月3日までナッサウのコムトゥール。 1407年7月7日から1410年11月9日までシュビィーツのコムトゥール。 1410年7月25日から9月19日の間、マリエンブルク防御の指揮を執り、ポーランドの攻撃をはねのける。 1410年11月9日に騎士団長就任。 1413年10月9日にクーデターにより解任。 以降、ロシェシュタットの管理人として騎士団に残り、1429年12月28日に死去。 わー、みつかったー。 だいじょうぶ、ジョン様とはいつも一緒だよ。
.。 。 。 | ヽ / ヽ ./ ヽ| |: V V | \ | | \ |______| \ | | `, ∧__T _ ,,,r -r-T‐-、 \ | ! , / \、─ 。r *o:*::f:::r:::..l \ __,-,,-、 ___ i~ヽ─( =・-)(=・-)" ::::::::*o;;;ro ot_f_ヽ丿 \ __/| | l |ヾ-"~ ( 6 `ー '( ) -'i,,..-v--'''''''"V"~~ ┴ l⌒ 二 -l ..uUU""l---- .| /"ヽエェェェヺ 騎士団弱いな。 └ l ( / __ | ヽニニソ .ト | // |● `ー/_ ヽ、i / .∠ / | / ヽ_ _/ ヽ、 / y'_/ / |/ "~ ヽ、 .ゝ-+-::i⌒ヽ / |- ヽ、 .__/::| | i / | ヽ ヽ / /:| | i / | | Poland │ i ::| | ) │ | l │ /i ::し// | / | | ::| (( l _ノ | │ │ 1410年7月ドイツ騎士団はタンネンベルクの戦いで ポーランド国王ウワディスワフ二世ヤギェヴォ率いるポーランド・リトアニア連合軍に大敗を喫した。
|: V V | / ヽ アラヨッ | | l:::::::. / \ | |______| |::::::::ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ .| これで | | `, |:::::::::: \___/ | 勘弁してくださいよ。 | ! , / \、 ヽ::::::::::::. \/ ノ / ニ- i~ヽ─( =・-)(=・-) あーっはっはっはー /ノl \ メ / ̄ ̄\ `ー '( ) -' 面白いよ、うん。 //| / \ \ | || | /"ヽエェェェヺ 君に免じて ___// | | \ヽ_ | || __ | lーrー、/ ∩_nm 賠償金で `ー-' | __ \ ー ヾ.\||||||||./● ヽニニソ ( `つ 勘弁してあげるよ。 | / \ ヽ メ .||/ \ー--/ \ / / | / 〉 ))) / ニ) ` ̄ ヽ ヽ / ll | / // l ニ) y Poland /⌒\ | | く_っ)) /`ーイ /、 ,,r-/ / `、ノヽ .| | || ヽ_ノ \ ' /~ヽ、 / | | \__ ノ_ノ `ー' ⊂ノ | / (( ○ )) コロコロ ポーランド軍は騎士団領奥深く侵攻してきたがプラウエンの活躍により撃退され、 その活躍を認められて団長となったプラウエンはポーランド王との交渉で 領土をほとんど失うことなく、賠償金だけで講和を結ぶことに成功した。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | | ┃ | 。 。 。 。 |.___________..| | ヽ / ヽ ./ ヽ / | / ヽ |: V V V .| l:::::::::. / \ | |: .| |:::::::::::...ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ .| 皇帝様皇帝様、 |________.|. |::::::::::::::::: \___/ | 救いの手を ( / \ ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ お願いします。 / ヽ | ⊃⊂/ l:::::::::. | アー、ソー、ネー ( ヽノ .|::::::::::iii(●) o o (●)!.| 金貸してくれたら、 ノ>ノ |::::::::::::::::= \=====/= | 考えてもいいよ。 しU ヽ:::::::::::::::::::. `====′ ノ ポーランド王と講和をすると同時に、 ポーランド王を牽制する為に神聖ローマ皇帝ジギスムントに援助を要請した。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | | ┃ | |.___________..| / ヽ l:::::::::. | 金がない! |:::::::::::...ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ .| 法律緩めてやるから、 |::::::::::::::::: \___/ | 金よこせ! ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ U θU / ̄ ̄T ̄ ̄\ |二二二二二二二| | | \ブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブーブー/ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿 ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿( )丿 皇帝やポーランド王に支払わなければならない金を工面する為に プラウエンはプロイセンの大都市代表や諸候はもとより、小都市の代表や騎士なども集め、 従来騎士団が持っていた特権や権限を大幅に譲渡することを条件に援助金の拠出を求めた。 代表達からは不満や要求が噴出したが、辛うじて援助金拠出の同意を取り付けることには成功した。
ヴワディスワフ・ヤギェウォの顔AAが笑えるw こんなのと結婚させられるとはヤドヴィガもかわいそうにw
そろそろヤン・ジシュカも頼むよ。 なんかヴワディスワフ側についてタンネンベルクに参加してたらしいけど。
273 :
世界@名無史さん :05/02/03 12:57:28 0
俺もきぼんぬ
/| チャキ /! | ! ! | -──|┼|─‐-. / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / -─┼|┼‐-、_ | ━╋━ | ./ .// ̄ ! ! |`ヽ .| ┃ | / . ! ! | | ┃ | r‐-、 |┴| |.___________..| あにき、 ト-イ /^Y´\ /::::::::: へ へ \ 邪魔者は全員始末したぜ。 |-‐!/o/´\o\ /:::::::::: ヽ ● ● ′ / 入 /o/ \o\ ヽ::::::::::::::::: \___/ / _( /\/\ 入o\ ヽ:::::::::::::::::. \/ ノ ( \__)/`ァ─‐' /\/__/|ヽ_______ノ | \__ (`ー-r'ヽ / r‐' ̄ ̄/ | ト、 \ ̄`\ `r‐‐' _/ / ト、 / ∧ \ \ /\ / ト、\ // ! `ヽ しかし、援助金徴収はダンツィヒ市議会などの抵抗により上手くいかなかった。 そこで、プラウエンはダンツィヒ・コムトゥールをしていた弟のハインリヒ・フォン・プラウエンに命じて 反対派の市長や議員を暗殺し、他の抵抗勢力の見せしめとした。
ふっふっふっ、おまえらのたくらみなど、お見通しだ。 ──────────────────── |:::::...ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ .| /⌒ヽ⌒、⌒、⌒、 ─────────────ヽノヽノヽノヽノ── ____ | † | 敵はマリエンブルクにあり! ミ,,゚Дメ彡 (ミ ミ⊃ ミ ミ し'`J \オーーーーーーーッ!!/ .|~ ̄ ̄|∩ .|~ ̄ ̄|∩..|~ ̄ ̄|∩ .|~ ̄ ̄|∩ ( )丿( )丿( )丿( )丿 .|~ ̄ ̄|∩ .|~ ̄ ̄|∩..|~ ̄ ̄|∩ .|~ ̄ ̄|∩ ( )丿( )丿( )丿( )丿 プラウエンの強引なやり方に反対する者はダンツィヒ市のような騎士団外だけでなく内部にも存在していた。 彼らはプラウエンに対してクーデターを画策したが、 クーデターは未然に発覚して反対派の団員は全員追放刑に処された。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | | ┃ | |.___________..| / ヽ もう一度言うぞ!!!! l:::::::::. | 金がない!!!! |:::::::::::...ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ .| 法律緩めてやるから、 |::::::::::::::::: \___/ | 金よこせ!!!! ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ U θU / ̄ ̄T ̄ ̄\ |二二二二二二二| | | \ はっ、払います。払います。払います。払います。払います。払います。払います。/ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ (((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))ガクブル ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ (((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))(((( ))))ガクブル 強攻策が功を奏し、更にはより広い階層に呼びかけたことで都市や諸候は従順になり、 騎士団の役人達もよく指示に従うようになり、援助金の徴収は軌道に乗り、 ポーランド王への賠償金と、皇帝への援助金支払いは順調に進んだ。
。 。 。 。 .| ヽ / ヽ ./ ヽ / | |: V V V .| .|: .| |________.| r、r.r 、 | | /' '\ :| r |_,|_,|_,| ', .| ,---、 , ---、| _./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ |_,|_,|_,|/⌒ --─i-=・=.|-|=・=-| _| ━╋━ | |_,|_,|_人そ(^i ヽ、..__ノ ゝ__ノ _| ┃ | | ) ヽノ | ,, /(、_,)ヽ、 i はぁ〜 _| ┃ |領土は .| `".`´ ノ ( 'トェエエェイ / 何のことを言ってるんだい。 _|.___________..| 取らない 人 入_ノ´'. 、ヽェェェソ / あそこは / ヽ約束では/ヽ / ,,,ハ、, 、_,_,,ィ/ ポーランド固有の領土だよ。 l:::::::::. | / `ー- /'~ ̄ || ●` ` ー'´|`-..,_ |:::::::::::...ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ .| / / lヽ` ー-、 __,r'"/ ''-.., |::::::::::::::::: \___/ | / / ヽ`ー ー'"ノ ヽ, ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ | ノ /  ̄  ̄ | しかし、騎士団とポーランドは国境確定問題で対立し、両者の間に険悪な雰囲気が漂い始めた。 ポーランド王は追い打ちをかけるように騎士団が講和条件を守っていないと プロイセン諸都市や皇帝に向けて宣伝を打った。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | | ┃ | r、r.r 、__________..| 全軍出動 全軍出動 全軍出動 r |_,|_,|_,| ,! ノ( ブチ ヽ 全軍出動 |_,|_,|_,|_,|/:: ^ \,, ,,/ .| 全軍出動 全軍出動 |_,|_,|_人 (^i::ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′| 全軍出動 | ) ヽノ::: \___/ | 全軍出動 全軍出動 | `".`´ :!::::::::. \/ ノ 全軍出動 人 入_ノ、 / \ \ \ メ / )`) ) 全軍出動 / \_/\:ヽ / \\ . \ メ ////ノ 全軍出動 / ヽ、:..、 // ヽヽ メ /ノ )´`´/彡 全軍出動 / ` ー┬─ '"´ i i / ノゝ / 全軍出動 / | Y | |/| 、_,,ィ '__/,;'"´``';,._ / y | ヽ_/ \_/ |ニニニニ| カチャカチャカチャ /\/ | / . / | ̄ ̄ ̄| ポーランドの態度に激怒したプラウエンは 騎士団の最高意志決定機関たる幹部会に計ることなく軍の出動を命じてしまう。
. / ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | いーかげんにしろーーーー!!! |!.______| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ /⌒) ミ \\ | ━╋━ | / / ‘ ’ ミ \\\ | ┃ | .( ヽ (_人_) ミ \\\\| ┃ | \ ヽノ \ \\\ |.___________..| \ ヽl⌒)OOo\/ ヽ ,ゝ { ) )\l:::::::::. | / ___ | ::::::/\|:::::::::::. ..::::::ノ ヽ-=・=-′ | おっ! ヽ__ | \ ノ ::::| \|::::::::::::::::: \___/ | `ー′ `ゝ_ノ ヽ:::::::::::::::::::. \/ (;;;;;;; ノ バキ /、//|  ̄ ̄ヽ / // |//ド 〉 プラウエンの暴走に危機感を強めた幹部会はクーデターを起こしてプラウエンを更迭した。 後任には穏健派として人望厚い マレシャンでケーニヒスベルク・コムトゥールのミカエル・キュヒマイスターが就任した。
./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | よきにはからえ。 |._______!| /,| ̄|\ ミ ミ /,| ̄|\ |二 二| ミ ‘ ’ ミ |二 二| | | ,| | ミ (_人_) ミ;;,r-| | ,| | \,|_|,/ |リ/^l ヾ,r'´ \,|_|,/ ___________ 〈_`;ノ へ、~,|´_____________  ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l~ {゚iニi゚}`l⌒iノ_,)ニi゚} ~l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄  ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l`|i;;;;r‐|_,.,|‐、;;|´ ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄l ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ,|i;;| し' |;;|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (i@j i,@ 新団長ミカエル・キュヒマイスターは調和と平和をモットーとして プラウエンが始めたポーランドとの戦争を終わらせ、 プラウエンの治世に悪化したプロイセンの諸都市や諸候との関係を改善した。 プラウエンが追放した団員も呼び戻して団内に渦巻く対立に宥和をもたらし、 タンネンベルクの戦いで傾いた騎士団を立て直したが、 それは抜本的改革と言うほどのものではなかった。 騎士団の延命に貢献したって程度のものだった。 完
プラウエンの物語はとりあえず終わり。
>>271-273 感想感謝 ♥
実はヤドヴィガ姫は余り知らなかったりするんです。
ヤン・ジシュカも余り知らないんです。
フス戦争の英雄で片目の人ですよね。
なので、参考文献プリーズ。
今後もAAを落としまくっていいのかな。
カキコを止めれば直ぐ落ちるからいいだろうと思ってやってたんですが。
ただ、ヤン・ジシュカとかに余り深く入り込むとスレ違いになりそうで怖いような。
ヤン・ジシュカとフニャディ・ヤーノシュで戦術つながり、フニャディとヴラド3世で師弟つながり、 3世と2世で親子つながり、2世はドラゴン騎士団所属。ほら、ヤン・ジシュカと騎士団がつながったじゃないか。 ヤン・ジシュカに関する日本語の文献ってのはあんま聞いた事ないね。
283 :
世界@名無史さん :05/02/23 19:15:27 O
どなたかテンプル騎士団のラテン語会則が載ってるサイトを知ってたら教えて下さいm(__)m 少一時間探しても見つかりませんでした。
./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ━╋━ | | ┃ | |._______!| .ミ ミ プラウエン、やりすぎだぞ。 ミ ‘ ’ ミ . ミ (_人_) ミ モキュモキュ ドイツ騎士団長のミカエル・キュヒマイスターが華麗に保守
285 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 15:18:21 0
あげ
286 :
世界@名無史さん :2005/03/30(水) 16:32:03 0
フルプレートを着た騎士が戦場から消えたのは何世紀頃ですか。 30年戦争あたり?
銃のとうじょーが廃れた原因でしょうがね
三十年戦争より前だろ、十六世紀じゃないかな。 銃に対抗するため鎧が重くなりすぎたの原因なのは確か。 重量が25kgを超えた辺りから嫌われるようになっていったらしい。
289 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 13:29:45 0
17世紀のイギリス革命(1642年〜)において、 ルーパート王子(1619-1682)が率いる王党派騎士党は、 スリークォーター型鎧(40kg超)を着た重装騎兵による スェーデン式騎馬突撃で華々しい戦果を挙げてるから、 重装甲鎧の消滅は17世紀じゃないかな。 イギリスの騎士階級は15世紀ごろには没落してるけど。
291 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 17:29:41 0
292 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 18:05:31 O
295 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 20:28:42 0
>>291 中世で、鍛冶屋が騎士になることなんてできたのか?
それから、イェルサレム王国のボードワン4世は無能な君主じゃ
なかったっけ?
298 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 20:02:12 0
天麩羅騎士団と病院騎士団が完膚なきまでに敗北する映画まんせー
>>295 騎士身分は当初は出生条件を必要としませんでした。
十字軍によって、『神の戦士』という概念が教会以外にも定着するまでは
そもそも騎士という職業はそれほどプレステージも高くなかったので。
実在のイブラン家はラマラやナーブルスの城主を務めた家系なのに、 こんな史実を無視した脚本だったら、主人公のバリアン・ディブランの子孫いたら抗議来るぞ。
ハリウッド映画が史実に沿うわけないだろ
302 :
世界@名無史さん :2005/05/10(火) 06:35:48 0
史実では、ボードワン4世は十字軍が持ち込んだハンセン病で死去。 特に大した業績はあげていないと思う。
303 :
世界@名無史さん :2005/05/10(火) 06:43:35 0
304 :
世界@名無史さん :2005/05/10(火) 06:45:08 0
305 :
世界@名無史さん :2005/05/12(木) 14:35:17 0
819 :UK在住 :2005/05/12(木) 03:12:37 ID:DID8Rya2 ネタバレなしで感想。 個人的にはほぼ満足。リドリー・スコットの映画は好きなので今回も大量のリドリー節が 炸裂していたのは良かった。フィルター掛かった画面とか、焚きまくりのスモーク(埃)を 利用した光と影の対比とか。攻城戦もロード・オブ・ザ・リングにならぶスケールで、中世・ 歴史オタとしては大満足。 あと、ストーリーがびっくりするくらいイスラム寄りっていうか史実に忠実に作ってあるよな。 これだとアメ公びっくりするでしょ。正義の十字軍が悪のイスラム軍と戦う映画だと思って 見にいったのに、お間抜けなキリスト教徒が暴発して自業自得で攻め立てられる映画 なんだから。そりゃアメリカでの興行は悪いはずじゃないか?あと、せっかくエヴァ・グリーン が出てるのに出番少なすぎ、ベッドシーンなんかほぼ10秒程度? やっぱ主役、オーランド・ブルームには荷が重すぎ。今最高の Eye Candy であることには 疑いはないけれども、後半ほぼ一人でストーリーを背負うのは無理のような。彼が輝いて た映画って、大体回りに芸達者なベテラン俳優が常にいてこそ。グラディエーター引きずる つもりはないけど、演技が出来て押し出しもあるホアキン・フェニックスの主演とかで見た かったな。いくらヒゲ面にしても子供っぽい印象が抜けない。上でも出てたけど、UKとかの 批評だとやっぱこの弱点は結構指摘されてるね(ちなみに英国の高級紙、雑誌の批評は 日本と違ってレベルが高いし、比較的信用できる。タイアップとか素人に毛が生えたような 奴にさせないし)。 ていうか何でネタバレスレ立ってんの、公開直前になってから。ほぼ意味なしじゃんか、 週末から日本でも公開するんじゃないの?
306 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 14:06:39 0
307 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 20:36:16 0
>>306 >But Professor Riley-Smith says that the film has taken real people
>and simply re-manufactured them. There was no silver mask and
>the real Balian was known to be harsh to his Muslim tenants.
ボードワン4世は銀のマスクなんか被っていなかったし、
実際のバリアンはムスリムに対して過酷だった。
>>307 なんていうかその教授は映画が分かってないというか…。映画偏差値が低いわ。
形にとらわれて内容見てないね。
309 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 21:11:30 0
史実のギー・ド・リュジニャンは人格は下劣だが、容姿は秀麗だった。 ハッティンの戦いの後、サラディンの天幕へつれてこられると、 恐怖と渇きで失神。
310 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 22:22:48 0
史実では、シビラは最初にヤッファ伯グリエルモと結婚して彼との間に (後の)ボードワン5世を儲けている。 その後ギー・ド・リュジニャンと再婚。
サラディンもハッティーンの戦勝後、ギ・ド・リュジニャンを ルノー・ド・シャティヨンみたいに処刑しておけばキプロスに逃げた あやつの子孫にエジプトやムスリムの船を襲撃されずに済んだものを。
312 :
世界@名無史さん :2005/05/16(月) 10:27:56 0
映画の中に出てくる、ボードワン4世の軍事顧問ティベリアスは架空の 人物ですか?
314 :
世界@名無史さん :2005/05/16(月) 13:23:43 0
トリポリ伯はティベリアス(地名)を保有していたから、そこからとった 名前かも。 ちなみにティベリアスはハッティン(ハッティンの戦いで有名)の別名。
>313-314 どちらも正解。KOH公式ガイドブックに載ってました。
316 :
世界@名無史さん :2005/05/16(月) 18:36:30 0
史実では、シビラ(シビーユ)の息子のボードワン5世は不可解な死(おそらく 毒殺)を遂げている。
317 :
世界@名無史さん :2005/05/17(火) 13:53:45 0
>>291 >>292 劇場で売ってたパンフレットに、十字軍の解説を書いていたのが
山内進センセーでした。
318 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 13:04:01 0
とりあえずこのスレ内容に関心ある人はKOHは早いとこ観に行ったほうがいいな。 客入りも地域によってはイマイチらしいし大画面で見ないのは勿体ない。 できるなら「吹き替え版」がいいよ・・・マジで・・・・上映館少ないけど
319 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 14:23:03 0
>>318 KOHは、中世イスラームに興味がある人も見に行って損はない。
320 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 14:29:30 0
>>318 高校の恩師(世界史担当)が歴史ものの映画で授業に使ったりしてるので
さっそくお勧めということでメール送りました。
321 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 15:35:22 0
322 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 17:42:01 0
エルサレムの岩のドームやアクサー・モスクを破壊し、 ムスリムの捕虜五千人を全員殺害すると言って サラディンを恫喝したという男がどれほど美化されているのか興味ある。
323 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 18:17:58 0
女王シビラ(シビーユ)の夫ギー・ド・リュジニャンがエルサレム王になった とき、彼の実の兄弟であるジョフロワは、 「彼らが彼を国王に選んだとあれば、今度は俺が神に選ばれる番だ」 と叫んだと伝えられている。
324 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 20:23:00 0
>>321 下に台車があるからその分高くなってるんだよ。
台車の高さは120センチくらいっぽい。
325 :
世界@名無史さん :2005/05/19(木) 12:47:57 0
327 :
世界@名無史さん :2005/05/23(月) 14:47:15 0
>>292 この映画に出てくるゴッドフリーのモデルはボードワン4世の教育係だった
ギヨーム・ド・ティルだと思う。
他の子供たちと遊んでいる王を見てギヨームは、ボードワン4世が引っかき傷を
つけても手や腕に何の痛みも感じていないことに気がついた。
ギヨームはボードワン4世のことを
「非常な美少年で、利発で率直、父王よりも騎行が上手だった(中略)それに
記憶力が大変よく文芸に優れ、歴史の知識もあって人々に喜んで歴史を
きかせていた」
と記録している。
328 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 21:55:00 0
age
329 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 21:59:52 0
史実のディブラン家は、フランスのどこの出身なんですか?
多くの騎士が貴族出身という話はよく聞くが 農民出身の叩き上げ、という経歴の騎士は 現実にいたのかな?
333 :
331 :2005/05/28(土) 01:42:06 0
>332 こんなスレがあるとは知らなかった。 サンクス!
334 :
世界@名無史さん :2005/06/22(水) 21:18:59 0
猛暑だ。サラディン下賜のシャーベット食べタイ・・・
駐屯騎士団
336 :
世界@名無史さん :2005/07/15(金) 11:46:53 0
本拠地フランスだしロードスが襲われたからってどうでもいいよ、と言ってたら 異端審問で拷問されて解散にまで追い込まれたテンプル騎士団萌え!!
>>331 フランク王国では馬、鎧など騎馬兵装備一式を購入管理しとくのが高いから
120ヘクタール以上の領地がある人は騎兵で、それ以下は歩兵だったような。
339 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 14:07:19 0
三大宗教騎士団で言えば最大動員兵力を誇るのはやはりチュートン騎士団かな? ついでにage
13〜14世紀のドイツ騎士団は1国家としての勢力を持ってたからな
341 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 13:01:04 O
テンプル騎士団の詳細がわかるようなHPないですか?
342 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 13:06:52 0
尻の穴をベロベロ舐める女は良いよ!
344 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 05:54:15 0
345 :
世界@名無史さん :2005/08/09(火) 12:38:38 O
346 :
世界@名無史さん :2005/08/09(火) 12:45:08 0
348 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 13:08:00 0
349 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 20:04:17 0
テンプル 猪突猛進 ヨハネ 堅忍不抜 ドイツ 竜頭蛇尾 金羊毛 豪華絢爛 ガーター 意味不明 星 役者不足
上のフィギュア見てオモタ。チュートン騎士の角は一体何の為なんだ…牛?聖ヨハネって二種類居るのだろうか? 教えて、エロい人!
突っ込んで串刺し<チュートン
装備はそれぞれの騎士が持参するものだが?
353 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 23:46:29 0
354 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 19:14:46 O
騎士団員って誰がどうやってなるんですか? 出家するような感覚なのかな
>>354 主に王侯の次男以下の男子が、父親の推薦か既に騎士である身内(叔父や従兄弟)の
推薦で入団する。公家や皇室の末弟が仏門に入るのに若干似てるけど、
日本で仏門に入るほど「世を捨てる」色合いは濃くない。
356 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 02:21:06 O
>>355 そんな高位の騎士ばかりじゃなく一般の騎士はどんな身分の出身なので
?
357 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 05:27:49 0
王侯ってか貴族な
軍馬と甲冑の維持費が賄えなくても装備貸し与えてくれる宗教騎士団が素敵
359 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 17:10:12 O
金持ちの子弟が危ない職に就くんだな これがヨーロッパの伝統か
360 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 19:32:00 0
騎士でなくとも貴族の男子は僧職に就かない限り将校なんだから、 騎士になっても同じでしょ? 日本の武家だって同じだし。
361 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 21:26:10 O
騎士団員も兵を率いる将校なのか? むしろ一兵卒的な感じがするけど
>>361 従士みたいなの付くでしょ。見習いみたいなのとか。
363 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 22:24:44 0
>>361 騎士団員は騎士のみで、一般兵卒は騎士に仕えてはいるが
騎士団員ではない。
世俗騎士団 教会の権威をバックにした宗教騎士団は、偉ぶった連中と思われることもあった。 しかし聖なる護教の戦士として、理想的騎士のイメージがあったことも確かだろう。 十四世紀以降、ヨーロッパ各国の君主は宗教騎士団にあやかった団体を設立していく。 イギリスのガーター騎士団やフランスの聖霊騎士団、ブルゴーニュ侯国の金羊毛騎士団などだが、 そのメンバーは非常に少なかった。例えばガーター騎士団の設立時のメンバーはたった二十六名に限られていた。 これでは騎士団が戦闘部隊として役に立つはずがないが、そもそも世俗騎士団は戦うことなど期待されていなかった。 王様の権威に箔をつけるための名誉クラブだったのである。国王の言うことを聞かない貴族たちの虚栄心をくすぐり、 宮廷に縛りつけるための餌なのだ。騎士団の団員に任命されて喜ぶ貴族たちからは「誰がお前を王にしてやったのだ」と うそぶいた封建領主の独立心は失われ、王様のご機嫌取りと優雅な社交に日々を送る廷臣になっていった。 そして物語に騎士団なるものが公然と語られるようになるのも、騎士道物語自体が優雅な宮廷人の娯楽になってからのことなのである。 世俗騎士団は騎士階級が没落したからこそ生み出されたものだ。それはとうに過ぎ去った騎士の栄光を幻として利用した儀礼制度だったのだ。 近代ヨーロッパの勲章制度は、こういう世俗騎士団の会員資格に端を発している。イギリスの代表的な勲章のひとつガーター勲章は、 まさしくガーター騎士団の団員であることを示す身分章である。現在も高位のガーター勲爵士は各国の王族に限られているが、 我が国の天皇陛下もエリザベス女王のガーター騎士団員である。
つまり いささかでも現実の歴史を踏まえて騎士団を設定するなら、それは下記のようになる。 騎士のいる王国に騎士団はない。 騎士団のある王国に騎士はいない。 騎士のいる騎士団は王国のものではない 何とも味気ないが、そういうことなのである。
龍騎兵も騎士団の一種?
>>366 銃を持った騎兵のことでしょ、龍騎兵。身分でなく兵種。
ドラグーンだっけ?
ドイツは諸侯がミニステリアーレンの騎兵部隊を有していたから ファンタジーなどにある領地を持たず軍隊として王侯に仕える騎士団イメージにぴったりじゃない?
369 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 19:33:27 0
むしろロシアの「ドルジーナ」がイメージに近いかもしれない。
すれ違いですよ
宗教騎士団以外にまともに戦う中世騎士団ないの?
372 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 18:47:36 0
>>371 ドラゴン騎士団
メンバーはヴラド・ツェペシュとか
373 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 19:04:24 0
>>372 王侯貴族を称号で釣り、ハンガリー王室を守ってもらい、教会の敵には立ち向かうと媚びも売る一石三鳥の竜騎士団だね。
つくった時にはジギスムントはまだハンガリー王で、ドイツ皇帝でもボヘミア王でも神聖ローマ皇帝でもなかったし。
まぁ教会に尻尾振ろうとして、やりすぎたから戦争まで起きる始末だったけど。
5回もフス派にやられる異端撲滅十字軍ダメぽ。
375 :
世界@名無史さん :2005/10/01(土) 19:55:53 0
ハンガリーだとカーロイ1世が聖ジェルジュ騎士団とかいうのを作ってたな。
ヴィシェグラード国際王宮競技祭(International Palace Game in Visegrad)
ttp://www.szagami.com/cities/al-visegrad.html ハンガリーで最大の中世の祭で、王様の行列が町の中心街を練り歩くほか、
騎士の騎馬試合や歩兵の戦い、宮廷の女官達による馬術ショーなどが繰り広げられます。
騎馬試合には、祭のホスト役である聖ジェルジュ騎士団のメンバーのほかに、ハンガリー以
外の民族の騎士団も参加します。祭の期間中、青空市や職人の実演会、コンサート、道化
役者のパーフォーマンスなど楽しい催しでいっぱいです。
377 :
朱由檢 :2005/10/01(土) 23:53:59 0
>>371 ハルカ騎士団とかは?
アイユーブ朝におけるクルド系自由人で構成された騎士団。
エジプトではサラーフ=アッディーン(位1169−93)が騎士によって、
それまでマグリブ地方で主力だった黒人重装歩兵を破って以来、
重装騎兵が軍の主力となり、マムルーク朝もこれを引き継いだの。
また、彼はイクター制度も同時に導入したことも補足ね。
マムルークの息子たちは父と違って生まれながらのムスリム自由人であるので
マムルーク軍団に編入されることはなく、自由人からなるハルカ騎士団に編入された。
ハルカ騎士団はアイユーブ朝におけるクルド人自由人からなるエリート軍団に由来す
るが、奴隷出身のマムルークが政権の中枢に移ったマムルーク朝では次第に冷遇され、
授与されるイクターもマムルークに比べて少ないものであった。
このため、マムルークの子孫は軍人としての出世を諦めてウラマーになるなどし、
次第にエジプトのアラブ社会に同化してゆく運命であった。
逆にいえば、マムルーク体制は絶えず新しいマムルークを迎え入れる必要があったのである。
ttp://www.memomsg.com/dictionary/D1127/077.html
マグリブだとベルベル人の重装歩兵ちゃう? ファーティマ朝の軍隊でしょ?
380 :
朱由檢 :2005/10/02(日) 21:56:33 0
>>379 サラーフ=アッディーンの時代には東アフリカ出身の黒人奴隷、
ザンジュ若しくはザンジが重装歩兵の中心になってた。
武田騎馬軍団
マムルーク朝時代にもスーダン人の銃兵隊がいた。
383 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 18:46:52 0
ケネディ騎士団
384 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 20:38:48 O
ロードス島攻防記を読んだよ かっこいいじゃん
ロードス島戦記
387 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 21:41:24 0
ウホ
388 :
世界@名無史さん :2005/11/02(水) 01:09:46 O
まじ勃起した
マルタ島の攻防と言えばwikiのマルタ共和国の項に載ってる歴史の記述おかしくない? >1565年にマルタ騎士団は、オスマン帝国からの攻撃を受けるが、34ヶ月の攻防が行われた後、 >オスマン帝国スルタン・スレイマン1世の死によって撤退している。
>>389 5月18日包囲→6月23日陥落→9月7日奪回らしいから3〜4ヶ月の攻防の間違い?
マルタ遠征軍が撤退したときには まだスレイマンって生きていたような
撤回から1年後の1966年9月5日死亡だな。
1966じゃない1566
394 :
世界@名無史さん :2005/12/04(日) 00:32:38 0
395 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 22:24:35 0
age
396 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 06:58:51 0
ロードス島戦記を読んだがあまりにひどい漫画だった…orz
>>396 「ロードス島攻防記」の書き間違えじゃなきゃ、そりゃあたりまえだw
>>396 小さな頃に読んだきりだな。大人になってもあんなのをマンセーしてる連中の気が知れないな。
漫画喫茶でロードス島という名前に惹かれて手に取ってみたんだよ…。 なんなんだあれは…。
ミスリルの甲冑に身を包んだエルフ騎士団が脳内をよぎった。
コミックなんてなかったことも同然
.
403 :
世界@名無史さん :2006/02/11(土) 13:03:15 0
404 :
世界@名無史さん :2006/02/16(木) 20:44:44 0
騎士になる前に、騎士の従者として働く行儀見習いの期間があった。
少年騎士アーサーがお勧め。
406 :
世界@名無史さん :2006/02/18(土) 04:10:53 0
>364 我が国の天皇陛下もエリザベス女王のガーター騎士団員である。 まじで?
まじです
408 :
世界@名無史さん :2006/02/19(日) 21:28:29 0
>>406 正確に言うと、外国人だから「客員団員」。
409 :
世界@名無史さん :2006/02/19(日) 22:17:11 O
今すごい自演を見た
全然すごくない
>>397 戦記でなくて外伝の伝説はけっこう面白いぞ。
あの頃はラノベ黎明期だったから、あんなんでも良かったんだよな……。
413 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 21:28:57 0
盗賊騎士団なんてのもいたみたいだな。盗賊で騎士とはいかがなものかと思うが。
十字軍なんてまさにど真ん中だね。 「戦旅」なんて略奪のために参加してたようなもんだし。
キングダム・オブ・ヘヴンをいまさら観たんだが、なにかっつーと「神」をだしに ブイブイ言い出す騎士団員に剥げワラ。今のアラブ人そっくり。・・・わざとやってんだろうけど。
十字軍で数少ない頼れる武装集団だったから発言力が増していたのだろうな。 神輿担いで強訴する僧兵みたいだなw
417 :
世界@名無史さん :2006/03/14(火) 10:09:46 0
>>413 騎士団と盗賊の違いは、身分という一点だけじゃないのか?
ウェセックス国王イネの法典によると 13・1 余は、七名までを「窃盗」、七名から三五名までを「盗賊団」、それを超えるものを「軍隊」と呼ぶ。
419 :
世界@名無史さん :2006/03/14(火) 11:13:46 0
呼べば?
ほんとに呼んじゃうんだから!あとで後悔しても知らないんだからね! イネ
やーいやーいイネくじ無しー くやしかったら呼んでみろー
うぇえええーん! 窃盗!窃盗!窃盗窃盗窃盗!せっとうー! あんたたちなんかせっとうなんだ! せっとうなんてー! ……えぐっ、えぐっ
パックス・デイ!
何それ?
425 :
世界@名無史さん :2006/03/27(月) 09:20:55 0
age
426 :
世界@名無史さん :2006/04/22(土) 23:42:29 0
月例保守に上がりました。
テンプル騎士団解散後もイベリア半島のテンプル系の騎士団(カラトラーバ騎士団とか)は 存続したのかな?それとも聖ヨハネ(チュートン)騎士団に人員を吸収されたのだろうか。
428 :
DJ☆OZMA :2006/05/09(火) 18:21:36 0
ナーナーナナナ
429 :
世界@名無史さん :2006/05/11(木) 18:45:26 O
騎士道カコイイ
430 :
世界@名無史さん :2006/05/19(金) 10:30:50 0
431 :
世界@名無史さん :2006/05/21(日) 19:53:47 0
テンプル騎士団の団員の子孫とかエレサレム王のゴドフロワの子孫もいるんでしょうか?
どこに?
てdt
434 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 16:47:03 0
誰か、騎士団のレコンキスタでの活動についてのお勧め文献おしえてけれ。
435 :
世界@名無史さん :2006/07/21(金) 13:15:50 0
436 :
世界@名無史さん :2006/07/21(金) 13:27:15 0
冬の軍旅に参加して、異教徒どもぶち殺し競技に参加だ! 競技者よ、集え、プロイセンへ!
>>435 バロンていうのは武士の事です
家紋持ちの事です(昔の平民は持てなかった)
岡部氏はつい最近まで平民だったのでしょう
439 :
世界@名無史さん :2006/08/28(月) 19:38:38 0
あげ
なんじゃその似非棋士団
>>417 末期の騎士はただのハッタリ野郎な雑魚で弓兵に手も足も出なかったらしいですな。
近代戦なら、さらに圧倒的に差がついてただのカスでしょう。
442 :
世界@名無史さん :2006/09/20(水) 12:14:15 0
>>441 おまえだって相手が弓うってきたら逃げるだろw
見てきたような断定口調で語る奴は大抵生半可な知識しかない人間
見てきた僧侶が生半可な知識で騎士の軟弱さを批判してる文献ならあるよ
いじめられっ子がいじめっ子について書いた作文なら俺も読んだ記憶がある。
騎士を戦場の主役から追い落としたのはスイス傭兵で、 トドメを刺したのは鉄砲じゃなかったか? まあ、それ以前から弓に対抗するために重装甲化しては機動力落としてさらに的になる悪循環はあったようだが。
448 :
世界@名無史さん :2006/09/23(土) 13:12:21 0
449 :
よけいなお世話 :2006/09/24(日) 01:33:25 0
橋本倫介の「テンプル騎士団」著者を忘れたけれど「北の十字軍」もおもしろいよ。 「北の十字軍」は、ドイツ騎士団の東方植民をあつっかた本。 ドイツ騎士団の東方進出は、タンネンべルグの戦いで頓挫する。 勝者はロシアの英雄 アレキサンドル・ネフスキー。 しかし歴史の偶然か、ロシアとドイツは第一次世界大戦の初戦でまたタンネンべルグの森で戦う 装備も訓練も不十分なロシア軍は、バラバラに潰走、ロシア革命の一つ引き金になってしまう。
>449 いや、ネフスキーが勝ったのは現在のエストニア国境での「氷上の戦い」 タンネンベルクはドイツ騎士団対ポーランド・リトアニア
>>450 WWIに於いて東プロイセンほぼ全域を舞台とする包囲殲滅戦を、
決戦地はタンネンベルク村からは離れていたもんもの、
グルンヴァルトの雪辱の意を込めて、
わざわざ「タンネンベルクの戦い」と命名した。
けどWW1の頃にはすでに民族としてのプロイセン族は消えうせてんだよなあ。
453 :
世界@名無史さん :2006/10/06(金) 17:48:42 0
( ´∀` )<ほすほす! _(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ /
質問させて下さい。 歴史フィギュアセットで中世ロボニアン騎士団というフィギュアを買ったのですが ググってもどんな人達でどんな歴史を歩んだのかがちっとも解りません。 どうか詳しくお教えください。
そのフィギュアのパッケージにLIVONIANとあるので いわゆる帯剣騎士団のことだろう
リヴォニア騎士団 帯剣騎士団 剣の兄弟
457 :
454 :2006/10/13(金) 10:01:22 0
ググって見つけることができました。ありがとうございました。
458 :
世界@名無史さん :2006/10/17(火) 20:11:16 0
あげ
459 :
世界@名無史さん :2006/10/19(木) 07:50:58 0
騎士団ってメッカへの巡礼をする人を 保護するって名目で立ち上げたんだよね?
メッカ?
マッカだろ。 メッカと呼ぶのは西欧史観に毒された香具師。
違うよ 伊勢参りを護衛したのがテンプル騎士団の始まりだ
メディチスレでも書いたが『メディチ君主国と地中海』でサント・ステファノ騎士団が 分量の半分程度占めている。 レパントの海戦の秘話などもあるので騎士団好きはお読みあれ。 ちなみに著者は40過ぎまで定職に付けなかった、 苦労人?趣味人?ブルジョア?の模様。
464 :
世界@名無史さん :2006/11/10(金) 18:28:13 0
ttp://www.rbbtoday.com/news/20061110/35752.html テンプル騎士団の謎に迫る!GyaOドキュメンタリーで特別企画
無料ブロードバンド放送のGyaOは10日、ナショナル ジオグラフィック チャンネル(NGC)で放映された
ドキュメンタリー映像を配信する特集企画を開始する。
今月は「キリスト教の歴史」をメインテーマに、ダ・ヴィンチ・コードにも登場した
テンプル騎士団の謎に迫る「禁断の聖書:テンプル騎士団」、
キリストのライバルとして挙げられていた複数のメシア達を紹介しつつ
イエスが生き残った背景を探る「キリストのライバル」、地球の終わりを予言した文献を
科学的根拠から検証する「ヨハネの黙示録」を、ほかに、目に見えない病原菌はいかにして人々に感染していくのか、
そのメカニズムをシリーズで追った「マイクロ・キラーズ:脅威の殺人ウイルス」など全10タイトルを配信。
順次、新タイトルを公開していくという。
NGCは、世界164か国の2億9千万世帯以上で視聴されている総合ドキュメンタリーチャンネル。
番組では、冒険家や探検家たちの「場所・モノ・コト」に対する探究心の足跡を貴重な記録映像で伝える。
>>459 キリスト教徒なんだから、メッカへはないだろう。
エルサレムとかアンティオキアとか、イスラム教徒の支配下にあった諸聖地へじゃないか?
467 :
世界@名無史さん :2006/12/08(金) 20:00:33 0
あげ
テンプラ騎士団美味そ
ゲイシャ騎士団、フジヤマ騎士団
ウホッいい騎士団
471 :
世界@名無史さん :2007/02/13(火) 14:41:06 0
あげ
472 :
世界@名無史さん :2007/02/26(月) 15:00:58 0
どうやったらマルタの団員になれんの? ざっと過去読みしたが、うん百万お布施しなきゃ無理ポて本当か?
金さえあれば騎士の名誉が買えると思っている田舎者ハッケソ。
金で買えるのは騎士と言う称号だけ。 名誉は己の行動で勝ち取れ。
シーランドだともっと安いぞ。 具体的には30ポンドくらい。
理想は立派な功績をあげてナイトの称号をもらうってやつだよな。
武田騎馬軍団とどっちが強い?
馬が鎧着てる騎士の方が強いんじゃね? 平原か山道かにもよるけど
480 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 22:13:16 0
聖杯騎士団
馬甲は飛び道具に対する耐性はついても騎馬本来の長所である機動力を著しく殺ぐから良し悪しだと思うが。 まあ、そもそも武田騎馬軍団なんて本当に全部が騎馬だったわけじゃないらしいが
482 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 04:55:53 O
日本の馬じゃギャロップできんよ 日本の馬は今のポニーと同じくらい 戦国の日本人の身長は今の小学生高学年ぐらい 小学生が甲冑来てポニーに乗ってトボトボと突撃 想像しただけで笑える
別に小さいから弱いってことにはならんと思うがね 日本の中では皆同じ背丈ってことなら歩兵も小学生なんだから十分脅威だろう
484 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 15:09:11 O
蹄鉄、ハミなどの馬具、去勢をしない日本の騎馬 馬の乗りかたすら日本は日本以外の全ての世界と正反対 明らかに日本の騎馬は騎兵の集団戦法に全く向かない 武田騎馬軍団なぞ存在しない あったのは一騎の騎馬武者つき、数人の徒(かち)兵が随伴する混成部隊 従って長篠では降雨後の泥ねい化した水田で随伴する徒兵が泥で足を取られ、騎 馬武者が突出孤立する そこへ鉄砲衆で集中射撃すれば壊滅するのは当然 例え信玄が生きていたとしても結果は絶対に変わらない
大昔に行けば百戦錬磨の小学生に瞬殺される雑魚の
>>482 小学生が現代に来ればやはり時節柄にあった発育を遂げ中身の差で何もかも叶わない
>>482 惰弱な人間性のアホが地位も仕事も命も奪われる様は
想像しただけで笑える
あのね、ポニーってそんなに小さくないんだよ。 大帝国を作ったモンゴル人の乗ってたモンゴル馬だってポニーだし。 長篠も突撃を繰り返す羽目になったのは兵站を押さえられたからだし 徳川軍がいなければ織田だけでは馬防柵を突破されてますよ。 真田昌幸の兄二人はいいところまで攻め込めてるし。
487 :
世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:57:07 O
そりゃほとんど後世での作り話の甲陽〜の話 甲陽〜は武功夜話と並ぶ悪書 史料的価値ないよ
史料も読んだことのない素人が研究者ぶった口ぶりで話すスレはここですか?
489 :
世界@名無史さん :2007/03/27(火) 18:38:10 0
ホースとポニーの境は体高4フィート9インチ、約145センチ。 日本の馬はドサンコも木曽馬も130〜140センチだからポニー。 しかし身長が平均155センチ程度だった日本男子には最も向いてる。 ホースの体高は160センチくらいあるが 白人の身長も平均180センチはあることを忘れちゃならん。 そして日本馬も日本人も残された骨から察するに 南北朝時代に体格上のピークを迎え幕末頃に最低となる。 戦国時代だとまだかなり大きい。ポニーではあるけど。
中世の白人はそんなに大きくなかったような・・・
491 :
世界@名無史さん :2007/03/27(火) 19:39:54 O
第一、馬の去勢知らん日本では騎兵“部隊”など組織できない 発情期の牡馬はいな泣いたりして敵に居場所を知られたり 同じく発情した牡馬が騎手のいうことを聞かずに敵の牝馬を追いかけたりする ローマや十字軍騎士団は当初、去勢法を知らず苦労したことが文献に残っている 馬の世界史でも読んだ方がいいんじゃないか
ポニーと聞くと体高100cmくらいのシェトランドポニーとか想像する人が多いよね
日本でもヨーロッパでも貴族階級は栄養状態が良くて体格もいいらしいけどね
495 :
世界@名無史さん :2007/04/03(火) 16:02:41 0
けどナポレオン3世は背が低かったらしい。
まぁ今でも2割くらいチビ居るしたまたまとも言える
ナポレオン3世がチビだったと言われている、ということはつまり当時の感覚からして平均より低かった、ということだ。
498 :
世界@名無史さん :2007/04/04(水) 19:18:26 O
南イタリアにノルマン人が現れた時、当時南イタリアの多くを支配下に入れてい ランゴバルト人はノルマン人より顔ひとつ背が低かったそうだ おそらくローマ人やギリシア人などとの混血はかなり進んでいたと見られる 先住民はランゴバルト人より更に背が低く、彼等から見るとノルマン人は巨人に 見えたというのはわかる アラブ人も先住民とさほど変わらぬ背丈であったらしい 当時のノルマン人はだいたい167cmぐらいだったらしい 16Cの日本人は戦国で肉食が一時的に黙認されていたからだろう 江戸時代になると再び貧弱化していった
生類哀れみの令が普及して肉食が衰退しただけで、それ以前は結構喰ってたのでは
肉食といっても色んな動物が含まれるからなあ。 鳥やウサギは普通に食ってたんじゃないの?
少なくとも猟師という職業が成り立つ程度には鳥獣肉も食われてたんじゃないか? むしろ牛馬に関しては労働力として重要だったんで、それを食うなんてもったいないという感覚だった、という話じゃなかったか。
502 :
世界@名無史さん :2007/04/05(木) 08:37:22 0
鹿肉うめぇ
503 :
世界@名無史さん :2007/04/05(木) 09:03:39 O
江戸時代、猪→ムササビ?→鳥?→4つ足じゃない という奇怪なこじつけで猪を食っていたらしい
騎士に重宝されたのは鍛冶屋だよん。
長野県のあたりなんか鹿の頭を神様に供える祭りが古くからあって 残った鹿肉は食っていいという許可証を神社が発行してる。
結構理由つけて肉食ってたんだろうね。
まあウニとか河豚とか食べるくらい食に対してチャレンジャーな国だしね。
最も偉大なチャレンジはナマコだな
干物にして食ってたのを、チャレンジャーが生食に挑戦したんだろうな。
>>491 すると、ヨーロッパが去勢法を知ったのはいつごろ、どこからだろう。
フン族かアヴァール人か、それともアラビア人からだろうか?
>>491 お前、結局「馬の世界史」しか読んだことないんじゃないのか?
514 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 21:45:02 0
騎士ってチェインメイル着てたんですか? それともプレートメイルですか
国や時代による。いってみれば両方。
516 :
世界@名無史さん :2007/07/14(土) 15:04:56 0
>>491 欧州でウマの去勢が普及したのは相当遅いってこと?
ローマ時代や十字軍の時代、牡馬がいなないて敵に居場所を知られてしまったり したとか文献に残っているから遊牧民、イスラム経由で去勢方を知ったのだろう
あんまり古い世代のこと勉強して来なかったんだけど 軽騎兵、重騎兵ってのは相対的な呼び方で、時代や文化でものすごく差があるんだねぇ 自分の無知を思い知ったよ
519 :
世界@名無史さん :2007/07/24(火) 09:10:05 0
>>517 たしか十字軍は雌馬に乗っててムスリムは雄馬に乗ってたのでは?(逆だったかもしれない)
そのせいでどっちかの乗馬が勝手に敵陣に突入してめった斬りにされたという
話があったような。
521 :
世界@名無史さん :2007/09/01(土) 04:00:33 O
あげ
522 :
世界@名無史さん :2007/09/13(木) 18:05:14 O
マルタの騎士になるにはどうすればいいんですか?
524 :
世界@名無史さん :2007/09/18(火) 19:37:35 O
フィレンツェのジョン・ホークウッドの白軍団て騎士団なの?白き兄弟団とか白兵団とか呼ばれるけど傭兵団なのか?
傭兵です。
ロードス→マルタ騎士団って実戦じゃ馬に乗らない騎士のイメージでok?
>>524 White Companyですね
騎士団だとorder
>>526 たしか船や城で戦ってる方が多いんでしたっけ
528 :
世界@名無史さん :2007/10/17(水) 09:01:38 0
バチカン法王庁、テンプル騎士団の宗教裁判の史料を700年ぶりに公開
バチカン法王庁は12日、1307年のフランス王フィリップ4世によるテンプル騎士団迫害に関連して
1312年に行われたヴィエンヌ公会議におけるテンプル騎士団禁止を命じた宗教裁判の資料
「Processus Contra Templarios」を700年ぶりに公開することを決定した。
テンプル騎士団は中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。起源は11世紀の第一回十字軍遠征に
まで遡ることができ、十字軍遠征では聖地エルサレム奪還に貢献をしたことで知られている。
しかし、12世紀後半になってからエルサレムがイスラム教徒の支配下に落ちた以降は、影響力を
失い、14世紀に入ってからはフランス王フィリップ4世の陰謀によって壊滅された。
今回、バチカン法王庁が公開した文書はヴィエンヌ公会議の公文書で、1628年にバチカン法王庁の
書庫目録に記載されたことを最後に、歴史上から存在が消されていた文書となる。
公開された文書は300ページで、799部の限定で、バチカン法王庁の御用達のScrinium出版社から
1部、8377ドル(約96万円)で販売の予定。
テンプル騎士団は聖杯伝説とも密接な関係を持つなど中世キリスト教史上、最大の謎ともされて
きただけに、今回の公開された文書は中世キリスト教史を解きほぐす上で、重要な史料となりそうだ。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200710161919&page=2
529 :
◆.dZGrsR71s :2007/11/06(火) 23:10:53 O
あけましておめ騎士団
531 :
世界@名無史さん :2008/02/10(日) 01:45:20 0
今でも活動してる騎士団って、マルタの他にもあるの?
ガーターも金羊毛も普通に新規団員入れてるだろ
>>533 ああいう騎士団の皆さんは普段どういう活動をしているのだろ?
布教活動?
535 :
世界@名無史さん :2008/02/10(日) 15:35:03 0
そもそも騎士なんて存在しないだろ、騎士団なんての漫画の話 貴族とかも土地を支配するだけで 実際の戦闘は傭兵の役割
ただ派手な負け戦のときに逃げ遅れてつかまった騎士は結構居る たいてい身代金払って戻ったりできるけど(相手側としても捕虜にして金ぶんどったほうが得) それ知らない相手に頃されまくったのが金拍車の戦い
>>535 じゃあ、クレシーの戦いで死んだボヘミア王ヨハンをはじめとする貴族はなんだったんだ?
土地を持ってない騎士なんてのもいたみたいだし、戦闘にも色々あるしな。 神判色の強い騎士同士の小細工なし突撃対決、 頻繁に起こるものではないだろうが民兵や非騎士傭兵が大多数を占めるカオスな野戦、 騎士の出番はあまりない攻城戦。 まぁ一般的な騎士の戦闘に比べれば地味なもんだろうけど。
539 :
538 :2008/02/10(日) 19:12:20 0
↑最後 一般的な騎士「のイメージ」に比べれば〜、だった。
ヨーロッパで傭兵が主戦力になったのはフランスのルイ11世の時の、 ブルゴーニュ戦争(1474)からだろうが。 それまではあくまで封建騎士団が宣所の主役だ。
身分は騎士貴族ではあっても、参戦理由が封建契約による義務ではなく、金銭契約によるものも傭兵と呼ばれたリスしたわけだが。
一応『名誉』のためです。。。 しかし封建契約といっても実際に土地のやり取りのあったものだけを騎士に限定すると 数の上では圧倒的大多数を占めていた郎党連中も傭兵になっちまう。 最も典型的な傭兵は、依頼主が傭兵隊長に大金を払って、その傭兵隊長の裁量で 武器調達や兵士の募集を行うものだけど、これと郎党の間は結構難しいんじゃね。 ベルセルクの鷹の団みたいに傭兵から騎士になった香具師も多いだろうし。
543 :
世界@名無史さん :2008/02/12(火) 08:50:36 0
そもそも暗黒時代には貨幣経済も未発達で 配下の軍人には土地でも与えるしかなかった ↑ツッコミ待つ
よーしおじさん突っ込んじゃうぞ 土地を与えんでも物を与えればいいじゃん 実際、土地持ちではなく給金、というか扶持をもらっている騎士もいる。 代官をやったりしてな。 それはさておき、馬を始めとした騎士の武具一式をそろえ いつでも使えるようにしておくには莫大な費用がかかるんだ。 現代の感覚だと、たしか戦車一台維持するのと同じだけのコストがかかるという話を聞いたことがある。 土地持ちでなければ費用を捻出するのが難しいんだな。 騎士が相手を殺さずに捕まえて、身代金を要求するのは、この費用をいくらかでも手に入れるためでもあったわけ。 敗北して、身代金が払えず身包み剥されて破産する騎士もいたりするわけだ。 で、山賊に身を落としたり。
545 :
世界@名無史さん :2008/02/12(火) 10:47:11 0
騎士が好きな人には、PCゲーム「トータルウォー・メディーバル2」がお勧めです。 リアルな騎士の突撃と当時のカオスぶりがよく再現されている、シュミレーションゲームです。 騎士の好きな人は絶対とりこになります。 コニコ動画でプレイ画面が見られます。 絶対ーこのレスの人たちは気に入ると思います!
つーかこの時代で言う「土地」は、そこに居住する「領民」も含まれているわけだからな。 その領民によって生産される物を所有管理できる権利も含めての土地所有な訳だから。
時代や地域によって騎士の定義はずいぶんと違うからなあ 成功した商人が金で騎士身分を買ってってのが横行して何度も禁令が出された神聖ローマみたいなところもあるし
古代ローマじゃ「貴族ではないが戦争に自前の馬に乗って参加出来る金持ち=騎士身分」だったしな。
549 :
世界@名無史さん :2008/02/13(水) 09:18:20 0
金で身分を買って、というのとは別に都市民の軍事義務として 富裕なものは武器・鎧具足一式と馬を自弁して装甲騎兵として 戦わなきゃならなかったというのもあるみたい。
戦士(騎士)に土地を与えて封建するってのは、ゲルマンの風習だったのかな
ゲルマン従士制+ローマ恩貸地制=封建制
>>550 「金銀だとぉ?はぁ?食い物いつでも買えるわけでもないのに意味ねーだろ」
が合理的な状況で命がけで戦ってもらうには土地分けるしか無いのはどこでも一緒
教会とかはちゃんと叙任された騎士のリストか何かを持ってたりしたのかな? 情報網が今とは比較にならないから、例え騎士じゃなくても 騎士の格好をして自分がそう言えば、色々な所で騎士扱いされたんだろうか。
騎士の身なりをできるだけの財力と、相応の言葉づかいを身に付けられる人は、ごく一握りに限られていたと思われ
紋章学というのがあってだな・・・
>>551 従士団(ドルジーナ)はあったけど後者の恩貸地制がなかったのがロシアかな。
紋章で思い出した。 特定領主下の騎士は、戦いの時には主人の紋章をつけて戦うんだよな? そういう騎士ってのは、個人の紋章と主人の紋章の二つを使ってたって解釈で合ってる?
そしたら国王以外は全員紋章を二つ使うことになるな
紋章は基本的に個人を特定するために使用するので つけるのは1つだけ。 また、同じ家から複数の騎士が出ている場合は 当主は家の紋章 それ以外の人は家の紋章にアレンジを加えたものをつける 婚姻や戦争による領地の併合で複数の紋章を受け継いだ場合は クォータリングといってそれらを組み合わせて1つの紋章を作る。
560 :
世界@名無史さん :2008/03/21(金) 16:15:15 0
>>560 どの説明のことを言ってるの?うpした人がつけてる字幕?
俺はその元のゲーム持ってるけど、
ゲーム自体はよく研究されてると思うよ。
もちろんゲームだからアレンジや調整もされてるけど。
百パーセント完璧とは思えない粗もあるけど ゲームとして許容できる範囲内
絶版となっている山内進『北の十字軍』のネタ本とされているのは The Northern Crusades (ペーパーバック)Eric Christiansen (著) ですか?
564 :
世界@名無史さん :2008/04/01(火) 23:18:41 0
>>264 > 阿部謹也,ドイツ中世後期の世界,未来社,1974
> 日本語のドイツ騎士団関連本では最高峰の本。プラウエンについてはあちこちに記述が散ってる。
この本読みたいけど高すぎる。なぜ文庫化しないのか。
つ図書館 俺は全ページコピーしてある
全頁コピーって・・・・
>>563 両方読んだけど。
両方ともバルト海十字軍の本だから重複してる部分も多いけど
クリスチャンセンのほうが細かい部分が詳しい印象を受けたなあ。
でもチュートン騎士団が大敗したグリュンバルトの戦いの記述は
「北の十字軍」のほうが詳しかったけど。
高いったってティラン・ロ・ブランに比べりゃまだしも…
>>568 >ティラン・ロ・ブラン
訳者の田澤耕が「物語カタルーニャの歴史」で
「現代でもエアポートノベルとして読まれている」
と書いてたけど、それって日本で言うと
キオスクで売ってるトレインミステリとかと
同じって事だよな。それを超豪華版でw
>>567 サンクス。とりあえず北の十字軍を探してみるか。
一つ質問したいんだけど 片膝つく忠誠のポーズってどっちの膝を付くのが正しいんだろう? スレチだったらスマソ
手元にある資料見る限り、左右どっちもある。 時代や地域はバラバラだから、もしかしたら決まりはあるのかも知れないが。
>>572 回答thx
数十分ググってもどっちが正解とは出なくて俺涙目だったw
>>574 知りたかったのは絵を描くためだが絵描きではないぜ
576 :
世界@名無史さん :2008/04/22(火) 07:21:34 0
577 :
576 :2008/04/22(火) 07:23:30 0
578 :
世界@名無史さん :2008/04/24(木) 16:16:10 0
よく儀式?で剣で肩を叩くとかやってるけどあれなに? 裏切ったら首をいつでも切り落とせるぞって意味か?
>>1 馬鹿じゃね?
騎士団と騎士は全然別物だろうが
580 :
世界@名無史さん :2008/04/24(木) 16:41:35 0
>>264 講談社選書メチエ『北の十字軍』、Penguin Books『北方十字軍』とかいった、チュートン騎士団を扱ったポーランド関連の書籍はたくさんあるだろ
日本のドイツ関係者の書くものはショボイしバイアスが強すぎて信用できない
阿部謹也ってバイアス強いか? あまり中世ドイツに詳しくないまま読んでるのでよく分からん
というか「チュートン騎士団を扱ったポーランド関連の書籍」ってのもマニアックだな・・・邦文献で思いつかん 北方十字軍全般なら既述のとおり山内進が書いてるが
>>578 「歯を食いしばれ!根性入れてやる!!」
>>582 そういう書籍がないってことは日本人がそれだけドイツ史観に偏ってるってことだよ。
こういうのいくらか知ってる人でもその大半はいまだ民族闘争史だと思ってるだろう。ぜんぜんちがうんだが。
バイアスってなんだろう。阿部先生はドイツ的な史観とか国家史観などに反発するタイプの人でしたけど。 このなんとか史観というものの正体が掴みずらいのですけど、阿部先生はドイツの史学会をよく批判なさっていましたね。 山内先生は専門違いだし、せいぜい山田先生くらいでしょうかね。 山田先生は単純な歴史好きのような感じに見えます。論文の大半は史料の要約と翻訳ばかりです。 比較的、歴史観とか私見の入り込む余地の少ないジャンルですね。 ~~~~~~~ 民族闘争史的な見方はむしろ共産圏の方が好きなテーマだったような。 阿部先生の本はプロイセンのみに縛られてきたチュートン騎士団の歴史をより広い視野でとらえなおすことを目指した本ですから、民族闘争史的な見方には陥っていませんよ。 ポーランドの研究者の資料のみでチュートン騎士団に関して書いた邦書ですと、酒井先生の『ドイツ中世後期経済史研究序説』でしょうね。 トルン大学のビスクップ先生のプロシア関連論文の要約が掲載されています。 あとフランスのイグネ先生の『ドイツ植民と東欧世界の形成』でしょう。ベースはポーランドとドイツの資料ですね。史料も積極的に取り込んでいました。 騎士団研究でポーランド研究者を無視する人はいませんよ。それに騎士団研究においては両国の研究者の交流は活発なようですからね。
これは失敗。勘違いしますね。 ここだけ抜き出しますよ。 山田先生は単純な歴史好きのような感じに見えます。 論文の大半は史料の要約と翻訳ばかりで、 比較的、歴史観とか私見の入り込む余地の少ないタイプの論文ですね。 ~~~~~~~
>酒井先生の『ドイツ中世後期経済史研究序説』 近所の大学図書館にないかなーと思ってWebcatで検索したら 全国どこにもないってそんな・・・
589 :
世界@名無史さん :2008/07/13(日) 01:32:18 O
頭にきたんでハゲます
>>585 >ベースはポーランドとドイツの資料ですね。史料も積極的に取り込んでいました。
>騎士団研究でポーランド研究者を無視する人はいませんよ。
騎士団研究ではそうかもしれんが、あの地域史全体で見ると日本は圧倒的にドイツ史観の後追いであることは否定できまい
共産圏が消滅してもう20年になるのに、いまだにポーランド=共産圏と捉えてその時代の研究をあげつらい、だから共産圏はという
論調を構成するのは大問題だろう
最近のものでしたら、山川の世界各国史のポーランド・ウクライナ・バルトを読むといいでしょうね。 特に参考文献のところを。 最近はその国の歴史はその国の資料を使い、読みもその国の読みに合わせるのが流行りのようですね。 戦後すぐですとポーランド、リトアニア史辺りはロシア史の範疇に入っていたようですね。 第二次世界大戦前、東欧北部の歴史はポーランドの歴史観が日本はもとより、欧米で主流を占めていたそうです。 ポーランドによる東欧の文明開化の流れが基本なのだそうですよ。 この歴史観が欧米で主流を占めた原因にはポーランド独立とかロシア革命などがあるそうですね。 大戦後はロシアやポーランドの学者によりこの歴史観が否定されていったそうです。 それで戦後、日本ではロシアの資料をもとに研究が始まったようですね。 この辺りは鳥山成人先生の著作などが参考になると思いますよ。 近現代史の方は存じませんが、中世史辺りはこのような流れでしたね。 共産圏の歴史観はソビエト科学アカデミーの通史を読んだ印象ですね。 だから断定的な言い方はしていないのですよ。
>大戦後はロシアやポーランドの学者によりこの歴史観が否定されていったそうです。 その学者たちはコミュニストの御用学者であって、 白系ロシアや自由ポーランド系といった、共産主義から逃げて在外で研究していた人々は、もとの歴史観を維持していた その典型例が、ポーランド人でありながら、カーター米国大統領の安全保障担当補佐官を勤めたズビグニュー・ブレジンスキー
亡命ポーランド人がその人にとって一番バラ色な歴史観を持つは不思議ではないでしょう。 例えば、知り合いにフランス好きの方がいるのですが、 その方はポーランドもハンガリーも、中世にはフランスの属国だったと主張していましたよ。 それでこの両国がフランスの高度な文化を摂取できたおかげで東欧の文明開化がなされたとか。。。 フランスが全ヨーロッパを教育したのかよと、頭痛くなってきましたよ。 これはフランス好きの思い描くバラ色の中世の歴史観というわけですね。 問題は文明開化云々というのはつまるところ西欧化というところですね。 ポーランドはドイツの文化を摂取して西欧化し、それを東欧に教えて云々という流れがこの歴史観には隠れているのですよ。 第一次世界大戦直後のポーランドはロシアに対抗するためにドイツなど西の諸国の支援を必要としていましたので、 我々はロシアなど東欧の仲間ではなく、西欧の一員ですと宣伝する必要から生まれた歴史観でもあるそうですよ。
ニーベルンゲンの歌が騎士道とか騎士の序列とか理解するのに良いって聞いたんだけども、 実際のところどんなもんか、読んだ人いたら教えてくれませんかね? 同じ騎士道物語のパルチヴァールは読んだんですが、序章に出てきた馬上槍試合とかの再限度ってどの程度の信憑性があるものなんでしょうか。 著者は名門出身で十字軍遠征にも参加したガチガチの騎士みたいですが、誇張とか美化はあるでしょうし。
596 :
世界@名無史さん :2008/08/02(土) 22:25:30 0
ニーベルンゲンとかは読んでないけど、そういう同時代性のある文学ってのは 書き手にとってのリアリティというか、どういう部分を「当然のこと」と思っているのか 読み取るのが面白いですよね。 最近カタロニアの騎士道文学「ティラン・ロ・ブラン」の邦訳をちらっと読んだけど 老騎士がモーロ人(イスラム教徒)の捕虜を連れてきて騎士見習いの若者に 剣で斬り殺させる。すると老騎士は若者をつかんで無理やり血まみれの 死体になすりつけて「今日からお前も一人前の騎士だ!」 こういう「異教徒の血による戦場での騎士叙任」とかスペインあたりでは ガチでやってそうで怖い。
>>594 >第一次世界大戦直後のポーランドはロシアに対抗するために
全然違うね
この歴史観が根付いたのは、17世紀だ
598 :
世界@名無史さん :2008/08/04(月) 23:23:07 0
テンプル騎士団協会、700年前の騎士団解散令の却下を要請
マドリッドに正式登録されたテンプル騎士団協会は、ローマ教皇に対し、1307年に時の教皇、
クレメンテ5世によって解散させられたテンプル騎士団の復活を求めると同時に、同騎士団の解散時に
押収された財産についての認知を要請する訴えを起こした。
これは、スペインの教皇大使を通じて、マドリッドの裁判所に提出されたが、バチカン代表としての教皇にではなく、
当時の判断を下したクレメンテ5世の後継者としての現ローマ教皇ベネディクト16世に向けられたもの。
テンプル騎士団の後継者であると称するテンプル騎士団協会によると、当時のテンプル騎士団は、土地の所有権、
牧畜財産、粉引き風車、港の権利、運搬用船、戦争用船などを除いても、全ヨーロッパにおよそ9000の
不動産物件を有していたと言う。
解散させられた14世紀には、スペイン、フランス、イギリス、ポルトガル、ドイツ、イタリア、ベルギー、
ルクセンブルグ、ポーランドなどに不動産物件を持ち、全ヨーロッパに約15000人の騎士団網が広げられていた。
当時、クレメンテ5世により没収されたその財産は、今の金額にしておよそ1千億ユーロに上ると言う。
協会は、これらの財産の返還を求めるものでも、また、ローマカトリック教会に経済的ダメージを与えるのが
目的でもなく、かつて彼等の騎士団が受けた不当な扱いと、それに伴って、どれだけの財産が没収されたかなど、
歴史的な事実を知らしめるのが目的であるとしている。
マドリッド自治州裁判所では、この訴えについて「内容が700年前の出来事であるため、これは歴史家達の
範疇であり、当裁判所の管轄外である」として、その受理を拒絶した。
これに対し、協会側は繰り返し申請中で、今後の動きが注目される。
http://www.spainnews.com/news/
くだらん
卒論で騎士について書こうと思ってるんですが、テーマが決まりません。 戦いについて書きたいと思ってるんだけど…
601 :
世界@名無史さん :2008/08/23(土) 09:37:50 0
602 :
世界@名無史さん :2008/08/23(土) 22:27:27 0
>>600 >卒論で騎士について書こうと思ってるんですが、テーマが決まりません。
>戦いについて書きたいと思ってるんだけど…
オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズでも読んでみれ
絶版だが、俺は図書館で読んだ。
薄い本だが、騎士についてその武装、戦闘能力、戦術について事細かに書いてある。
おそらく、騎士について180度考え方が変わるはず。
603 :
世界@名無史さん :2008/08/24(日) 01:22:31 O
中世騎士になりてええええええええええええええええええええええ ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ だけど、、、現実は、、、黄色い猿民族 どおぁぁすりゃいいのよ
別に騎士になるのに民族は関係ない。 中世でもな。 しかし603はその心性において無理。
>その心性において無理。
同意。もっと自分を受け入れて自信持てYO!
>>603
誇りが無い騎士って惨めじゃん もっと考えろよ603
ムーア人の騎士とか地中海側では珍しくなかったしな。 人種で拒んでたらスペインもシチリアもまだイスラムだったかもな。
いや時代的に中世の騎士はきついのでは? むしろ卑しい街を行く孤高の騎士を目指すべき。
アーサー王伝説にもサラセン人の騎士が出てくるね。 そういやグラナダ王がカスティリャに臣従したとき西欧式の紋章とかもらったらしい。
人種の壁より時間の壁を気にしたらどうなんだ
611 :
世界@名無史さん :2008/08/31(日) 11:06:23 O
いやいや、騎士は厳密に言えば欧州白人だけですよ。 サラセンやら中東は確かに騎士ではないが、騎士になりたきゃなれる クルセーダーズの時代、黒人騎士もいたはずですよね? しかし当時はそれらを騎士扱いはしていないが待遇は同じ キリスト信者なら騎士になれるとあなたたちは考えてるのだろうが、 例えば東洋人が 代表で今熱い男マシオカがタイムリーぷし、英語べらべーらで騎士になりすまし、十字軍に参加したところで騎士扱いされるわけないでしょ 猿みたいな面でチビが格好付けたところで笑いものだよ
.| | | | | | | | | | || | | .| | | レ | | | | | J || | | ∩___∩ | | | J | | | し || | | | ノ\ ,_ ヽ .| レ | | レ| || J | / ●゛ ● | .J し | | || J | ∪ ( _●_) ミ .| し J| 彡、 |∪| | .J レ / ∩ノ ⊃ ヽ ( \ / _ノ | | \ " / | | \ / ̄ ̄ ̄ /  ̄ ̄ ̄ ̄
十字軍の時代に英語なんて田舎の言葉をしゃべる騎士がいたのだろうか。
>>611 歴史系の板で釣るには基礎知識なさ過ぎ。
突っ込みどころだらけで説明するのも面倒だ。
もっと本読め。
615 :
世界@名無史さん :2008/08/31(日) 16:09:38 O
知識ないのは誤ります が、仮に中世に東洋人が騎士の格好で十字軍に参加しても、誰も突っ込まないんですか?
616 :
世界@名無史さん :2008/08/31(日) 16:21:48 O
一番の勝ち組騎士団は聖ヨハネ騎士団でいいの?
とりあえずハンガリー王国の騎士は別に白人じゃないだろうな。
>>615 人種についてどれだけ知ってるのか。
トルコ人は白人なのかそうじゃないのか。
ロマは白人なのかそうじゃないのか。
そもそも人種という言葉が生まれたのは何時か。
あまりにも論外なんだよ。
教会で儀式を挙げて初めて騎士になれるんだかから 人種や民族はともかくカトリックでないと騎士として認証されないでしょ。
620 :
世界@名無史さん :2008/08/31(日) 19:46:06 O
>>618 確かに厳密に言えばイスラムやラテンは白人じゃありませんが、髭剃って、日焼けしたと言えばただの白人でしょ
きずかれない可能性大
しかしどれだけ東洋人が工作しても昼間じゃなくても即ばれでしょ顔立ちが。
絶対つっこまれるでしょ冗談じゃなく。
「なんだその顔?猿人か? 糞猿か?
て。
障害者で生まれました!
とか
超不細工なんでスイマセン
と言わない限り会うたびクルセーダーズからつっこまれるでしょ
しかも 当時の狂信的カソリック教会がTHE YELLOW MONKEYをクルセーダーズの騎士に任命してくれるなんて思えない
夏の海とか冬の街とか 思い出だけが性感帯♪
622 :
世界@名無史さん :2008/08/31(日) 20:11:20 0
白人とか黒人って言葉じたいが学術用語としてはお粗末のきわみ あえて言おう、幼児語であると!!
623 :
世界@名無史さん :2008/08/31(日) 20:44:31 O
厳密な白人黒人の意味はどうでもいいのです 当時東洋人がカソリック信者としても騎士になれたかということ かならず当時の親父やらにも、 「どした?そのツラは? とつっこまれるはず またエルサレム向かう途中 諸侯や騎士に必ず 「なんだこの汚らしい猿人は?どうしたんだ?もしや魔女の男版か? と噂になるとおもいます いくら寛容といっても 東洋人がクルセーダーズの格好してたんじゃ。。。
>>623 どう?僕って気持ち悪いでしょ。
まで読んだ
自分が出した前提に自分で突っ込んで興奮してりゃ世話ない
626 :
世界@名無史さん :2008/08/31(日) 21:14:38 O
なにを興奮しているということなんですか? 僕は聞きたいだけです あなたがたと同じで 猛烈な騎士への憧れを持っています 毎日妄想は騎士になってエルサレムで戦うです ですが、アイリッシュやスラブならまだしも 東洋人は致命的ではないかと冷めてしまいます だから仮に当時カソリックとして東洋人が十字軍に参加できる可能性はあるのかききたい そして騎士としてみとめられるのだろうかということ 要はカソリックならなれるという根拠では具体性にかけますよね? 親父の前や エルサレム途上で、東洋人のような類人猿が はたして本当に騎士になれるのか だれでもききたいことだとおもいます
親父…?ああ、神父か 妄想なら類人猿(笑)なんかやめてイケメン白人になればいいだろ 他にも「プレスター・ジョンの国から来たとか謎の男」とか 「一人だけ顔つきの違うメチャ強い騎士の噂」とか そういう妄想をする努力をしなさい
シラミだらけの薄汚い血色不良のチビの田舎者になんてなりたくねーな ふすまでも食ってろって感じ
>>619 そんな決まりは無い。
例えば東ゴート王国はキリスト教化したゲルマン人王国だがアリウス派。
カタリ派だって騎士である事自体を否定はされていない。
更に宗教改革以後は新教徒の騎士だって生まれた。
イギリスは国教以降非カソリックだが騎士は騎士だ。
キリスト教徒である事すら問題ではない。
フン族はキリスト教を敵視していたし、イスラム騎士は当然イスラム教だが、
どちらもキリスト教国側から見ても騎士は騎士である。
宗教騎士団に入りたいならカソリック限定だが。
>>626 いい加減荒らすな。
勝手にありえないと決め付けて騒いで居たければ
どこかで脳内騎士団スレでも立てて勝手にやってろ。
ここは学問スレだから歴史上の事実を語る場だ。
事実は蒙古斑のある騎士は珍しい存在ではなかった、だ。
お前がどんな奇形だか知らんが大黒屋光太夫はずいぶんもてたぞ。
>>629 >宗教騎士団に入りたいならカソリック限定だが。
ドイツ騎士団も途中からプロテスタントに改宗
631 :
横レス :2008/09/01(月) 12:07:35 0
>>630 ドイツ騎士団って最後の騎士団長が
「もう限界だから騎士団解散ね、後はおれ改宗して世俗諸侯になるからついてきたい香具師はどうぞ。」
じゃなかったっけ?
しかもドイツ騎士団は解散はせず、カトリックの修道会として今でも残っている
改宗って勝手にやったんじゃなくて ポーランド王の許可があったんだな
プロテスタントの宗教騎士団ってあったっけ?
635 :
世界@名無史さん :2008/09/02(火) 18:55:25 0
あるわけないだろ
ガーター騎士団なら昭和天皇も入ってたじゃん。 頑張ってなれるように精進すればいいにゃり。
sage
638 :
世界@名無史さん :2008/09/11(木) 20:03:35 0
騎士団とか庶民の画像資料あるところ知りませんか? 具具ってもなかなかないんです。
639 :
世界@名無史さん :2008/11/05(水) 23:42:14 0
ttp://www.nikkei.co.jp/news/main/20081105AT2M0504N05112008.html ロシア大統領、新型ミサイル配備を言明 米MDに対抗
ロシアのメドベージェフ大統領は5日、年次教書演説し、米国のミサイル防衛(MD)の東欧配備に対抗するため
ロシア西端の飛び地でドイツに近いカリーニングラード州に新型ミサイルを配備することを明らかにした。
欧州での安全保障を揺るがし、軍拡競争に拍車が掛かる可能性が出てきた。
大統領は「米MDに対抗するにはカリーニングラードにロケットシステム『イスカンデル』を配備することが不可欠だ」と言明した。
イスカンデルは射程280キロメートルの通常弾頭搭載の地対地ミサイル。
さらに、MDをかく乱するための妨害電波装置を同地に配備することも言明した。配備の時期については言及しなかった。
さらに、大統領は2010年までに予定していたロシア西部にある3カ所の戦略ミサイル基地の解体を当面見送ることを発表した。
核軍縮の流れにも逆行するもので西側諸国の反発を招きそうだ。
(20:33)
突っ込むって当然ランスチャージのことだよな? そりゃ突っ込むんじゃね? 己が騎士ならよ
641 :
世界@名無史さん :2008/11/12(水) 13:24:39 0
>>638 騎士の晴れ姿や騎士団修道会の戦闘場面なら、つべにたくさんあるだろ
騎士団つーかジョン・ホークウッドの傭兵隊じゃね?
644 :
世界@名無史さん :2008/12/07(日) 10:12:36 0
日本語では「フィレンツェの傭兵隊長ジョン・ホークウッド」って本が出てるよ。 あとコナン・ドイルの小説「白衣の騎士団(原題White Company)」ってのもあるが こっちは百年戦争が舞台。面白いけど。
645 :
642 :2008/12/07(日) 10:21:40 0
>>643 /644
親切にどうもありがとうございますm(_ _)m
今、過去レスもあわせて読ませてもらいましたが
orderではないので、騎士団ではなく、傭兵隊なのですね(´д`)
ちょっとWikiを引いたら、なんでも
ルネサンス・イタリア期最強の傭兵隊なのだとか
格好良いですね、急に感情移入できるようになりましたよ
ところで、
http://www.pegasomodels.com/productdetails_en.asp?id=470 ↑このフィギュア、アクート本人という設定にして問題はないでしょうか?
それともアクートの紋章とか、適した模様があるでしょうか?
ご存知の方、監修をお願いしますm(_ _)m
647 :
642 :2008/12/07(日) 10:51:19 0
>>646 さん
速攻でありがとうございますm(_ _)m
楯の紋章をその紋章に変更すれば、
このフィギュアをアクート本人という設定にしても
大丈夫、という理解でよろしいでしょうか?
あとコートの獅子柄も
646のエンブレムに変えたほうが良いのでしょうか?
648 :
世界@名無史さん :2008/12/07(日) 10:55:42 0
騎士なんて身分で戦ってたのは傭兵だろ
>あとコートの獅子柄も >646のエンブレムに変えたほうが良いのでしょうか? たぶん・・・ サーコートってよく分からんのですが(^^ ;
650 :
642 :2008/12/10(水) 15:56:21 0
649さん… 俺、期待してたんですよ… 頼りにしてたのに… 楽しみにしてレスを見にきたのに… 失礼します…m(_ _)m
指揮官にしては、いい鎧を着ていないような気がする 板金鎧を着てそうだ
中世の戦争ってどうやって戦ってたの?
つまんねえ釣りすんなや と一応レス
中世から近世の騎士が主役の小説でお勧めってありますか
上でも挙げたけどコナン・ドイルの「白衣の騎士団」「ナイジェル卿の冒険」
657 :
世界@名無史さん :2009/01/21(水) 07:56:57 0
アーサー王は架空の人物なんだから好きな格好させてかまわんが。 というぶっちゃけ話はともかく、モデルになった人物はブリタニアからローマが撤退して一世紀後ぐらいに活躍した人物だそうだから、まあローマ風の武装が自然だろう。
659 :
世界@名無史さん :2009/01/21(水) 20:03:16 0
661 :
世界@名無史さん :2009/01/21(水) 23:58:06 0
ありがとうございます。 どうもアーサー王はローマ風の衣装でいいみたいですね。 アーサー王専スレで答えが出ました。 最近の解釈ではアーサー王をローマの傭兵的立場と理解する立場があり、 それを再現したのではないか、とのことです。 ありがとうございました\(^o^)/
ローマの傭兵というか強制移住させられた騎馬民族みたいな・・・ でもイアジュゲス族軍団ってサクソン人が来る頃までアイデンティティ保ってたんかね?
>>657 一枚目の画像は、ブラッカイマー製作でクライヴ・オーウェン主演の映画のやつだよ。
この映画だと既にサルマートはローマに下ってて、そこの王子のアーサーはローマの聖職者(のち異端として処刑)に教育を受けて成人
いろいろあったのちブリテンに派遣されてる。ローマはなんかワヤになってるんだけどアーサーはローマの代官に使えてる。
そこにサクソンがワラワラと来襲!! アーサーは地元民を抑圧してたローマの悪代官を倒のだが、ピクト人とともにサクソンの野望を食い止められるか!?
二枚目のフィギュアもその映画を基にしてると思う。ライセンス取らずに「冒険好きの考古学者」として
ハリソンフォードそっくりのフィギュア出してるし。
664 :
世界@名無史さん :2009/01/23(金) 18:37:03 0
>>663 例のアーサー王新解釈とアングロサクソン襲来は使いようによってはかなり面白い話ができると思うんだけど
「キング・アーサー」みたいな低予算映画になってしまって残念だ
このネタしばらく使われないだろうなー
665 :
世界@名無史さん :2009/01/23(金) 20:48:31 0
騎士なんて傭兵雇える身分なだけ
>>665 身分だけあっても金がなく自分が傭兵になってる騎士も多かったらしいが
667 :
世界@名無史さん :2009/01/24(土) 00:16:30 0
668 :
世界@名無史さん :2009/01/24(土) 00:19:59 0
それとみんなに尋ねたいんだけど 世界史で気に入った人物とか、騎士とか そういうののミニチュア、欲しくならないの? 満州国を建国した石原莞爾なんかでさえ ナポレオンのバストモデルを飾ってたくらいなんだよ
アクションフィギュアなら欲しい 百年戦争頃のメンアットアームズとか
食玩なら手軽でいいね というか何でそのラインナップにラメセス2世w
675 :
世界@名無史さん :2009/01/25(日) 20:27:13 0
ここは「学問・文系」カテゴリで「趣味」カテゴリじゃないんだよ、坊や。
ミニチュアに興味を持つのは良いしそういう人もいるだろうけど それを他人に押し付けるとうっとおしがられるので注意したほうが良いですよ
ハンニバルなら片目にして欲しかった。
679 :
世界@名無史さん :2009/01/26(月) 01:33:50 O
>>675 俺はむしろイラストで描く派だから。
機会があったらこのスレにもうpするわ
>>675 専門書も読まない心理って
いったいなんなんだろう
知識欲が足りないのだろうか
681 :
世界@名無史さん :2009/03/01(日) 15:21:01 0
騎士は戦争の時にどう戦ったの?
>>681 百年戦争とかだと、騎士は戦闘が始まると馬から降りて歩兵として戦ったんだよ。
683 :
世界@名無史さん :2009/03/05(木) 02:28:14 O
>>683 そうやれば過疎スレを盛り上げられるとか勘違いしないでください。
685 :
世界@名無史さん :2009/04/01(水) 21:53:44 0
う〜ん…
686 :
世界@名無史さん :2009/04/16(木) 17:40:38 0
フィリップ4世はイスラームだったんだよ!
俺も前からあいつはムスリムじゃないかと思ってたよ。
そういえばパリを改修したのもオスマンだったな!
ゾーリンゲンとかでも昔はアラブ人の刀鍛冶連れて来て作らせてたとか
692 :
カラカラ帝 :2009/07/19(日) 00:21:30 0
私は自室にマクシミリアン型の西洋甲冑と日本の大鎧を対で 飾っています無論、実物大のレプレカですが。
まじかよwwwすげぇw
うーむ15世紀のヨハネ騎士団の財政状況ってどうだったんだろう…
695 :
世界@名無史さん :2009/11/19(木) 14:49:25 O
保守
>>694 かなり潤沢だったと思う。
オスマンの火砲に対応するべく、城砦を大改築してるし。
697 :
世界@名無史さん :2010/01/11(月) 23:25:20 0
ヒトラー内閣で副首相だったパーペンがマルタ騎士団員だったとは意外
ヨハネ騎士団が欧州各地に持ってた所領の一覧(特にフランス王国内の)ってどっかにないかな… 某歴史SLGでヨハネ騎士団シナリオ作ってるんだけど、妄想のネタが尽きた… ハイタースハイム侯領ぐらいしか分からん…
699 :
世界@名無史さん :2010/06/12(土) 13:32:13 0
保守
700 :
世界@名無史さん :2010/08/06(金) 15:06:10 0
>>698 なんてゲーム?
ドイツ騎士団がでてくるなら買いたい。
698ではないが、歴史ゲームでドイツ騎士団が出てきて
プレイヤーがMod作れるというと、ヨーロッパ・ユニバーサリスじゃないかな。
UとVがあるが最新作はUのMODバージョンであるフォーザグローリーというややこしい状態。
基本的にUは歴史に忠実。Vはその為歴史を知ってればイベントが判っちゃうと言う欠点に対応する為に改良されたバージョン。
拡張版が色々出てどっちも今は1399年から1820年までの範囲で世界中の国で遊べる。
古いバージョンだが4亀でチュートン騎士団でのプレイを載せてるので感じだけ。
ttp://www.4gamer.net/games/040/G004028/20080310023/
クルセイダーキングスというゲームの日本語版では 「チュートン族のオーダー」という名前で出てくるw>ドイツ騎士団
703 :
世界@名無史さん :2010/08/08(日) 21:56:22 0
704 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 07:59:32 0
キリシタン大名を集めて密かに聖ジパング騎士団を創設。
705 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 12:30:30 0
>>703 ポーランド人とリトアニア人が喧嘩してる?
706 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 12:33:46 0
>>703 13世紀の話に18世紀のバロック音楽をBGMにつける阿呆
>>705 20世紀初頭にドイツへ引き揚げるドイツ人が
リトアニアへの置き土産として反ポーランド主義的リトアニア民族史観を
リトアニア人にインセプションしていった
それ以来、リトアニア人はポーランド人を蛇蝎のように嫌い、ドイツ人を神として崇拝する
なんでスイスの高級時計産業ってカラトラバ騎士団とかマルタ騎士団をシンボルにするんだろう? スイス自体は新教国でカトリック騎士団に関係無さそうだし マルタ騎士団を使ってるバセロンなんて、一時期サウジのヤマニ石油相に買収されてるのに恥ずかしくないのかね?
いや、スイスの半分はカルヴァン派の中心地だが、残り半分はカトリックだぞ。 まあ、スイスの時計産業は亡命ユグノーに起源があった気がするが
リトアニアが反ポーランドになったのは ドイツのプロパガンタのせいなんて 単純な見方をしてるのは日本だけだ
>>703 ざっと見た感じ
お前らリトアニア人を文明的に教化してやったのは
俺達ポーランド人だの
タンネベルクはどっちのほうが多くの手柄があっただの
そういう話をしてるな。
>>710 ポーランド厨の見解を日本の一般的見解にされても・・・
まあすくなからず衝突もあったし 独立後の経緯も含めて リトアニアが反ポーランドになるのも 仕方ない気もするな
>>708-709 おいおい、スイス最高つまり世界最高の時計屋は創業者がポーランド人だぜ?
しかも彼らは対ロシア戦争で戦った戦士たち
パテック・フィリップな
>>710 国際派日本人養成講座の記事と
某フラッシュをみてポーランド信者になった
日本人だけだ
ポーランド=日本 ドイツ=シナ リトアニア=朝鮮 と考えるとスッキリ。
大ドイツ=中国 ポーランド=朝鮮 リトアニア=日本 こうだろう 神聖ローマ(マーリア&ジギスムント)を嫌って リトアニア大公を王にしたり(ヤゲロー朝成立) ブランデンブルク(フリードリヒ2世)に尻を振ったり あっちへふらふらこっちへふらふら そりゃあ周りから嫌われるだろう
719 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 15:41:19 0
リトアニアは精神までも遅れた国だったのか ヤバすぎるな
ポーランドはリトアニアに併合されたみたいな物だからな 今頃になってポーランドがリトアニアを併合したニダとか言い出してる
首都がクラクフやワルシャワだったというのに リトアニアの公用語が正教スラブ語ののちポーランド語だったのに
722 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 21:48:11 0
>>709 フランスがナントの勅令を廃止したことで新教徒の技術者たちが大量流出した時に、
スイスにも時計工が亡命して時計産業が発展したんだっけ。
ポーランドの外国人への好き嫌いみたいな調査では、
リトアニア人は順位は真ん中程度で嫌いが結構あったのに驚いた。
西欧や北欧、アメリカの方が上だった。
流石にロシアやドイツよりは上だったけど。
723 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 22:18:56 0
>>707 20世紀ならポーランドが何度かリトアニアに侵攻したせいもあるんじゃね?
>>722 日本人が韓国人を嫌う理由(韓国人が歴史のことなどで
理不尽な理屈を用いて日本人を敵視するから)
と同じだろうと思う。
>>723 それ以前からリトアニア人はポーランド人を嫌うように教育されたそうだ。
そういった状態が当時の帝国主義のドイツやロシアにとって都合がよいから。
リトアニアの貴族はほとんど全部がポーランド化してしまったんだろ? ポーランド化せずにのこったのは農民だけで、そこへ反ポーランド史観を植えつけたのがドイツ人 ロシア人もそういう教育をリトアニア人にやったと聞いたが、ソ連時代かな
ソ連時代に民族対立煽るような教育する訳無いだろう 逆に2民族が仲良くやってましたという教育をしてた ソ連もそうだが共産圏はチェコスロバキアやユーゴスラビア、バルカンなど、 民族対立が起きたら困るところだらけだったからな