1 :
世界@名無史さん:
新スレ?
3 :
世界@名無史さん:03/05/04 13:56
新国家建設はもう無理なのか?
4 :
世界@名無史さん:03/05/04 13:57
はあ、またかふいうスレが立つたか。
ゴオルデンウイイクじやのう。
何が面白くて世界史板まで侵略してくるんじや。
>156 名前:日出づる処の名無し 投稿日:03/03/30 20:54 ID:atzQpA0b
>北京オリンピックの時に日本人はどうやって入場するのだろう?
>リーベングイズの旗を持って堂々と入場?
>
>そんなことは左翼と中国共産党が許さないだろう
>
> さて、どうする?
…なんというか、極東板の住人ってホンマモンの馬鹿なんじゃないだろうか。
7 :
世界@名無史さん:03/05/04 14:18
勝てば官軍。
今も満州国が残ってて繁栄してれば満州国に正統性なぞ与えられるさ。
滅びて残念でした。
9 :
世界@名無史さん:03/05/04 14:49
糞極右東板からリンクしないでくれよ
向こうの奴らはとにかくよその板に迷惑をかけたくて仕方ないんだろ
11 :
世界@名無史さん:03/05/04 16:11
世界史板もたいがいだろがヴォケ。
極東板住人は、マジで満州人が圧政に苦しんでいて、日本の傀儡だった時代は
天国だったと空想しているようです。
「どうやって独立させようかな」とかマジで悩んでる無邪気さに殺意すら覚えます
なんか学問の無力を感じるな
世界史板住人と極東板住人を争わせて
漁夫の利を得たい勢力がいるようですから
相手にしないほうがいいですよ。
滿洲國は五族協和の王道樂土。萬邦共榮、萬民共樂の夢を具現した理想國家である。
我が親邦としてその發展は實に逞しいものであった。何時の日か再興して東亞の安定に寄與して欲しいものだ。
17 :
世界@名無史さん:03/05/14 13:06
18 :
世界@名無史さん:03/05/17 15:52
19 :
世界@名無史さん:03/05/18 01:51
ウヨ板の極東板と
サヨ板の世界史板と
見解の相違を見たい気持ちはあるな
20 :
世界@名無史さん:03/05/21 11:57
語族協和はインチキ
だが五族協和は真実。
22 :
世界@名無史さん:03/05/21 16:50
ユン・チャン著「ワイルド・スワン」を読んでみると
五族協和は所詮口先ばっかりというのがよくわかる。
ただこの本の内容自体、真実かどうか疑わしい部分もあるが、、、。
23 :
世界@名無史さん:03/05/21 16:53
五族共和は嘘っぱちだったが
工業化が進んで生活水準が底上げされたのも事実。
これは他の植民地にも言えるけど。
24 :
世界@名無史さん:03/05/21 17:11
たしかに中学の地理で習った大慶(たーちん)油田、鞍山(あんしゃん)
等は滿洲國が日本の技術の粋を集めて開発したもの。
新京の下水施設もまたしかり。
26 :
世界@名無史さん:03/05/21 17:14
>生活水準が底上げされた
後から入っていった日本人のみに適用されるインフラな。
大多数の中国人には何ら関係なかった。
27 :
世界@名無史さん:03/05/21 17:24
張作霖の圧制から民衆を救ったのは確かだ
28 :
世界@名無史さん:03/05/21 17:28
五十歩百歩では?
29 :
世界@名無史さん:03/05/21 17:40
>>27 そんな張作霖に、初発から肩入れしていたのは日本軍。
飼い犬に手を噛まれて、逆ギレしたのが満州事変
>24 新京の下水施設もまたしかり。
マンホールの蓋に市京新と書いてあったな。(2年前の長春)
31 :
世界@名無史さん:03/05/21 18:38
満州国なんて世界史上最悪の国家!
32 :
世界@名無史さん:03/05/21 18:40
俺のじいちゃん、戦争で満州に行ったって言ってた。
33 :
世界@名無史さん:03/05/21 18:55
>>30 マンホールの蓋に市京新と書いてあったな。(2年前の長春)
写真撮りにいこっと。
35 :
世界@名無史さん:03/05/21 20:08
在満日本人ってどういう生活してたん?
やっぱ大農場で満人農夫をこき使って
リッチな生活してたん?
うちの祖父さん結構金もってたらいいんだけどな
今うち貧乏だよ
37 :
世界@名無史さん:03/05/21 20:56
>>35 現地でどういう生活をしてたかはわからないけど、みんな日本では
どうしようもなくなった人が多かったみたいだね。
大卒でも景気が悪くてなかなか就職できなくて満州国政府や満鉄は
日本の大卒のいい就職先だったらしい。灯台も高文試験で失敗した
ひとが就職してたらしいから。
満州国政府に勤務していた日本人で日本に帰ってこれたのは半数だけ。
あわれだよね。
38 :
世界@名無史さん:03/05/21 21:17
>>35 農場持ってた人なんてほとんどいないんじゃ?
みんな鍬一本持たされてで荒地に投入された開拓農民。
一部満人の農地を没収したものを支給されたとも言われるけど。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
40 :
世界@名無史さん:03/05/22 15:24
━―━―━―━―━―━―━―━―━[満鉄新京駅]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
41 :
世界@名無史さん:03/05/22 22:14
42 :
世界@名無史さん:03/05/22 22:25
石原莞爾の本で農地の収奪は「たかだか1・2割ではないか」とか言われて石原がキレてたな。
中国の扶桑社指摘でも一割が土地を奪われたとしていたから、おおむねこんなもんだろう。
民族差別をしない真性の大アジア主義者は少なかった。
永田鉄山が生きてても改革は無理だな。
43 :
世界@名無史さん:03/05/22 22:29
石原莞爾が言われて切れたって?
>>43 ピストルで脅して土地を奪う事自体が五族協和に反するという事ですな。
そういや工房の頃の資料集の満州国の「サカエユクマンシユウコク」って五民族の
子供が写ってる挿絵でなぜか朝鮮人がいなかった。代わりにロシア人が・・・w
45 :
世界@名無史さん:03/05/22 22:36
「日系法匪の跋扈」を罵倒していた。
46 :
世界@名無史さん:03/05/23 12:25
「法匪」とは妙な言葉だが満州、特に関東軍の文章にはよくでてくるな。
まあ中国人が日本人官僚の法的手続きを強調して仕事がはかどらないから
法律馬鹿という意味で使っていたみたいだが、最後には規則を強調する
満州国の官僚に対して関東軍の軍人たちが揶揄して使ったみたいだね。
47 :
世界@名無史さん:03/05/23 12:34
満州国に朝鮮人ってどのくらいいたんだ?
48 :
世界@名無史さん:03/05/23 15:18
二三百万じゃないの
49 :
世界@名無史さん:03/05/23 15:19
中国の朝鮮族はほとんど満州時代の移住者って聞いたが
50 :
世界@名無史さん:03/05/23 17:03
ウリナラの仲間ニダ
51 :
世界@名無史さん:03/05/23 21:42
1940年発行 満州地図帖(1984年復刻)によると
満州の現住民族と其分布
漢族 31,500,000(全満)
満州族 1,800,000(満州東半部)
蒙古族 700,000(興安四省及其隣接諸省)
日本内地人 600,000(関東州、主要都市)
半島人 900,000(間島省及東満、北満)
露西亜人 50,000(ハルビン市を中心に)
52 :
世界@名無史さん:03/05/24 15:09
このスレ右翼で盛り上がりすぎ
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/24 18:38
>>41 労工列車の話は初耳だ。本当どうか?何が事実か。本当に
悩ましい。「満州国の習俗」という本には、
「其の季節には、急行ならぬ場合の三等列車は宛然苦力列車で、同車
する日本人あたりを少なからぬ不快に陥れるものだが」というように
書いてある。この手の記載はよく読む。三等、四等に乗る日本人も
結構いるのだ。苦力は山東省から働きに来ている出稼ぎ労働者だ。
仮にあったとしても中国人専用列車ではない。一等、二等にのって
いる漢族はいくらでもいる。南アのアパルトヘイト政策のようなものではない。
日本人は、漢族の支配層にとってかわったのだ。最上層になるのは
仕方がないところだろう。そもそも日本人の数は非常に少ない。
労働コストが違うので、日本人が苦力たちが働く現場に入り込めるはずは
ない。どうしても最下層の労働者はそのままになってしまう。彼らは
漢族が支配していた時代でも、そのまま同じように労働し生活して
いたのだ。
一旗あげようとやってきた甘い考えの日本人たちが、中国人の商人との
競争に敗れてしまうということもよくあった。中国人は生活水準をぎりぎり
まで下げて働くので、日本人には勝てない。落ちぶれてしまった人は
内地に帰るしかなかった。中国人家主にぼられてしまうことを注意する
記事さえみかけるほどだ。一旗組がどんどんおしかけたので、足元を
みられて家賃がどんどんあがってしまったのだ。
日本の支配を過度に美化するのはどうかと思うが、しかし、過度に否定
するのもどうかと思う。張学良の支配していた時代よりは、はるかに
よかったのは間違いないな。
54 :
世界@名無史さん:03/05/24 18:40
>>50 朝鮮族は韓国人嫌ってるよ。逆も然りだが。
55 :
世界@名無史さん:03/05/25 15:50
韓国人は世界中で嫌われてるニダ
>>51 1940年発行 満州地図帖(1984年復刻)は何処の出版ですか、何処に売っておりますか。
58 :
世界@名無史さん:03/05/26 13:01
59 :
世界@名無史さん:03/05/26 21:04
>>57 満州地図帖 Atlas of Manchukuo -全18省・地誌-
●発行・地久館 ●発売・原書房 定価2,700円
ミニ・システムノートを縦方向に1・5倍にしたほどの小さな地図帖。(2,700円は高い!)
※このときだけの限定復刻。「地図ニュース」という雑誌に広告があったので注文購入。
>>55 韓国人、出身地の道とか、族譜の先頭が誰かとか、同じ出自でも何代目かとか
そこら辺で平気で差別するからなー
ソ連が満州から持ち去った工業設備などの資産価値は当時の金額で70億ドル以上に達するとか。
無論親ソ江沢民や中国共産党は黙視し、もっぱら「日本軍国主義の横暴」を強調しているが。
62 :
世界@名無史さん:03/05/27 02:59
中国の人たちに圧制を強いた軍国主義日本は絶対に許せない
このことをわれわれは忘れてはいけない
224 :発泡酒 ◆3SFXGhcdKM :03/05/03 06:33 ID:uaafeBri
俺の爺さん、若い頃満州工業学校ってとこにいた。
卒業写真が去年蔵から出てきたんで見たけど、
現代の卒業写真集のノリとあんまり変わらなかった。
ところどころに「五族共和」という垂れ幕がかかった校舎が写ってた。
写真集からは支那人が、朝鮮人が、日本人が、みんな仲良く青春を送って
いる様子が見て取れた。
卒業者名簿の多国籍(国籍というか民族か)ぶりにはビックリ
うちの爺さんの名前が普通に朝鮮人や支那人のなかに混ざっているって感じ
↑ ウヨの必死な捏造
共産党はソ連の悪口を言えない。赤軍の略奪・強姦が中国人にも及び、
スターリンは国民党を公認したが、中共はソ連の背信に憤りながらも、
文句を言えなかった。
65 :
世界@名無史さん:03/05/27 12:23
>>63 しょせん主観のエピーソードの断片に過ぎないね。ウヨはこれ一本で五族協和全肯定だし。
66 :
世界@名無史さん:03/05/27 15:20
>>63 >↑ ウヨの必死な捏造
その証拠を挙げよ。
もともと女真の地は漢人が住むことは禁じられていた。
清の崩壊とともに多くの漢人が軍閥支配から逃れて、満洲に
流れ込んできた。
日本軍は民にとっては一番マシな「軍閥」だった。
>>63 学校教育における差別がなかったのは事実では?
台湾でも中等学校からは内台共学だったし。
もちらん
>>65さんが言うようにそれが語族共和の実態を
語るものではないけど。
70 :
世界@名無史さん:03/05/27 21:59
台湾や朝鮮と一緒にしちゃいかんよ。五族っつても台湾人や朝鮮人は帝国の2等国民、
漢民族その他はまとめられて実際は日本人>朝鮮台湾人>>>>>中国人
の支配形態だったからね。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
72 :
世界@名無史さん:03/05/28 15:19
語族共和は女真族、漢族、日本民族、蒙古族、朝鮮族だから
台湾人は漢族に包括されるのでは?
74 :
世界@名無史さん:03/05/28 18:01
だいたいにおいて台湾出身者が満州へどれほど入植すると思ってるの?
75 :
世界@名無史さん:03/05/28 18:10
>>72 満州国に民族的ヒエラルヒーなどありませんw
76 :
世界@名無史さん:03/05/29 13:32
77 :
世界@名無史さん:03/05/30 15:48
78 :
世界@名無史さん:03/06/05 15:20
一ヶ月近くこのスレが存在してる事が凄い!
良スレである。版を重ねられたい。
80 :
世界@名無史さん:03/06/06 15:11
・・・・・今日でちょうど一ヶ月
>78-79
それ以前にこれは重複スレ。削除されなかったのが不思議だ。
82 :
世界@名無史さん:03/06/13 09:19
せめて滿洲事變記念日までは続けたい。
83 :
世界@名無史さん:03/06/13 10:34
>82 せめて滿洲事變記念日迄は續けたい。
84 :
世界@名無史さん:03/06/24 08:41
age
85 :
世界@名無史さん:03/06/24 11:16
第二次大戦ではドイツの領土喪失ぶりばかりが話題になりますが、
日本も実は大量に失っています。
本州と同じくらいの尋津がある朝鮮半島に九州と同じくらいの台湾に南樺太、
千島列島に国連信託領のマリアナ諸島。そして、何と言っても広大な満州です
86 :
世界@名無史さん:03/06/24 11:19
広大な満州こそ わが日本の生命線です
87 :
世界@名無史さん:03/06/24 12:25
満州国〜満州帝国は日本の領土ではありません。独立国家です。
※関東軍による傀儡国家で、政府首脳に大勢の日本人がいることは確かですが・・・
>85
信託領ではない、委任統治領だ。それと国連と言うと国際連合の略称になってしまう。
國際聯盟の略称としては正しく聯盟(連盟でもよいが)を使用されたい。
更に言えば、マリアナは委任統治領の一部、正しく南洋群島と称すべし。
この名称ならば、ヤップ、ポナペ、トラック、サイパン、ヤルート、パラオの各支庁の総称となる。
面積こそ小さいが、新南群島も我が領土であった。
89 :
世界@名無史さん:03/06/24 13:23
90 :
世界@名無史さん:03/06/24 13:27
91 :
世界@名無史さん:03/06/24 15:00
満洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ
中華民國ニ返還スルコトニ在リ
なんでstealなのだ?日本はコソ泥なのか?委任統治領は成る程松岡洋介が
脱退した時点で聯盟に返却すべき、と思うがズルズルべったりでそのまま保有。
遼東半島は租借権99年で来年まで租借できるのだが。
このスレまだ続いてるし・・・
93 :
世界@名無史さん:03/06/24 15:05
○=洋右
×=洋介
94 :
世界@名無史さん:03/06/24 15:52
>>53 「労工専用車」というのは鉄道の列車のことではなく都市の市内電車の
ことだろう。
それならたしかにあった。「労工専用車」とは書いてなかったが車体前後の
標識に「労工」と書いてあった。普通の電車より小さく、古く、汚かった。
いまにして思えば「労工」というのは現在の中国語で農村出稼ぎ労働者を
意味するのと同じ言葉で、いわゆる「クリー、苦力」を意味したのだろう。
つまり中国人一般を差別したのでなく苦力を差別したのだ。
実際、普通の電車に一般の中国人市民は乗れたが「苦力」のかっこうを
した人は乗れなかった。乗ろうとすると朝鮮人の車掌が腕尽くで
乗せなかった。
95 :
世界@名無史さん:03/06/24 18:19
>>94 訂正。電車の標識は「労工」ではなく「労工車」だった。
96 :
世界@名無史さん:03/06/25 22:31
私の父は昭和12年ごろ、安東(現・丹東)の近くの寛甸の副県長を
やっていた。寛甸は現在は満洲族自治県になっているところだから、当時も
満洲族が多かっただろう。
灰色の煉瓦作り、オンドルつきの2軒長屋の官舎に住んでいた。官舎は簡素
だったが庭は2軒共通で1000坪くらいあった。その庭に蜜蜂の箱を置いて
あって、季節には蜜がとれた。あるとき満人の猟師がノロ鹿の子供を贈ってくれた。
たぶん母鹿を撃ったのだろう。その子鹿はおとなしくて利口で、茶殻やリンゴの皮を
喜んで食べて大きくなった。冬も外で平気だった。4歳の私はその鹿と庭を走り
まわって遊んだ。母との外出にもついて来たが、なにかの理由で「城内」には
連れていかないようにしていた。城門まで来ると母が鹿に「お前はもうお帰り」
と言った。すると鹿は廻れ右して、一人でとことこと帰っていった。
父はこの地方に煙草産業を育成した。煙草はよく育ち、農民たちは
潤った。父は多くの満人のポン友を作った。満人は恩義を大切にする。
安東などで八路軍の日本人弾圧が始まり、ある地方官が八路軍に
つかまったとき、父の名前を言ったところ八路兵は「◯◯(父の名前)
のポン友なら殺さない」と言って命を助けた。その八路兵が父の
ポン友だったのだろう。
満洲国にはたしかに上記のような一面もあった。日中戦争が起こらなければ
満洲国は正常に発展し、それが中華民国にとっては最大の「平和的脅威」
になっただろう。惜しいことだった。
97 :
世界@名無史さん:03/06/25 22:33
>満洲国にはたしかに上記のような一面もあった。日中戦争が起こらなければ
>満洲国は正常に発展し、それが中華民国にとっては最大の「平和的脅威」
どこにそんな根拠が?日本人官吏8割なのに?
うちの祖父は満州鉄道員だったの。いまだに満鉄同窓会てかあって犬食べた話とかしてる。もしも あのまま、満州国として残ってたら ちょっと前の香港みたいだったかな。そこだけ戦後から民主主義で大発展してたかも。でも歴史を変える事を考えると恐いわ!
99 :
世界@名無史さん:03/06/26 07:07
>>97 >どこにそんな根拠が?日本人官吏8割なのに?
それがどうした?
その8割の日本人官吏が廉潔で熱意があればそれでよいではないか。
蒋介石は「最も恐るべき敵は満州国の日本人参事官である」と
言っている。彼は満洲国の平和的建設を恐れたのだ。
101 :
世界@名無史さん:03/06/26 07:53
>日本人官吏が廉潔で熱意があればそれでよい
そんなやついたか?
102 :
世界@名無史さん:03/06/26 09:12
>>日本人官吏が廉潔で熱意があればそれでよい
>そんなやついたか?
日本人官吏以外にそんなやついたか?
103 :
世界@名無史さん:03/06/26 16:50
満洲国の参事官グループは関東軍に対する「抵抗勢力」だった。
私の父も一度、官舎を訪れた副官クラスの将校と言い合いになり、
双方が日本刀を抜いたことがあった。
さいわい抜いただけで済んだけど。
>>97 残念ながら当時の大陸では満洲国が治安・民生・経済・軍事ともに
安定した地域だったわけで。
他の軍閥支配地域で満州国を越えるものはなかった。
これすなわち行政官の力だよ。
105 :
世界@名無史さん:03/06/26 18:18
101 は当時の日本人官吏が、今の中国や日本の官吏と同じように
私腹を肥やすのに熱心だったと思っているらしい。
日本の官吏が今のようになったのは戦後教育を受けた連中が
中堅を占めるようになってからだ。
蒋介石は満洲国の参事官たちが「寸毫の私心も有せず」ということに
最も危機感を持っていたのだ。
106 :
世界@名無史さん:03/06/26 19:16
>105
>日本の官吏が今のようになったのは戦後教育を受けた連中が
>中堅を占めるようになってからだ。
チョト違う。
戦前は官は勿論のこと、吏でも相当な額の給料だった。定年後の恩給も同様である。
官のクラスはその給料・恩給で下男、女中を楽に雇えた。
戦後は、巨大インフレの最中に一般会社の給与上昇に取り残されて、逆に低い水準になってしまった。
恩給も廃止されて、低レベルの年金になってしまった。
狂乱物価(トイレットペーパー騒ぎの時)が一息ついた頃にようやく世間並みになった。
その職務権限は相変わらず大きいにもかかわらず、公務員はその日暮らし同様になっているところで、
ついつ誘惑に目が眩んでしまうひとが目立ったということです。
まあ戦後教育ってのはその親の世代が施したもんだから
責任は親の世代にあるんだけどな
108 :
世界@名無史さん:03/06/26 21:11
日本人官吏と現地人官吏の間に2倍も収入の差があって、それを指摘したら
「何を言ってるんだ君は。満州国は日本人がつくったんだぞ!」と逆切れされたという話。
いくらウヨが都合のいい部分だけを切り出しても当の建国者の石原莞爾自体が植民地と化した
満州国に失望している。
109 :
世界@名無史さん:03/06/26 23:24
>>106 満洲国の官吏の俸給が高かったのは事実。
しかしそれなら今の官吏に高い給料を払えばたちまち清廉潔白、職務熱心、理想に
燃えるかと言えばチョト違うと思う。
>>107 >まあ戦後教育ってのはその親の世代が施したもんだから
>責任は親の世代にあるんだけどな
そうやって辺りを見回して「大人が悪い」「社会が悪い」と
言うのが戦後世代の特徴のようで。
まあ植民地に派遣される官僚の俸給が高いというのはどこの国も共通なんだけどね。
イギリスもインドに赴任する官僚には内地の数倍の俸給を払っていたし。
ていうか満州国を語ろうなんて香具師がうかつに「戦後」なんて言葉を使っちゃいかんぞ。
日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、ハルハ河戦争、第二次世界大戦を踏まえての
満州であり満州国なんだから、どの戦争の後を指すかでぜんぜん意味合いが違ってくる。
111 :
世界@名無史さん:03/06/26 23:53
日本人は本当に酷いことをしてきたんだね
>>111 酷い政治が行われている国になんで中国人が流入してくるんだろうねえ(w
今だって中国に進出している企業でも現地採用の社員の給与は安いし、
昔だって日本はお雇い外国人に莫大な俸給を支払っていた。
残念ながら当時の中国に近代国家を運営できる人材は欠乏していた。
113 :
世界@名無史さん:03/06/27 05:45
>>110 意味なし。
一般に戦後と言えば1945年8月15日以後と決まっている。
114 :
世界@名無史さん:03/06/27 07:31
>>113 >一般に戦後と言えば1945年8月15日以後と決まっている。
プ
現代日本で脈絡なく戦後と言えば昭和二十年八月十五日以降である。
>113,115
一般的にはそれでいいかもしれないが、世界史板でそういうのはちょっとまずいと思ふ。
現在、日本に中国から輸入されるもののうち最大のものは「犯罪」です
118 :
世界@名無史さん:03/06/27 10:35
>>112 >残念ながら当時の中国に近代国家を運営できる人材は欠乏していた。
ある意味、今も欠乏状態であることは変わらない。
119 :
世界@名無史さん:03/06/27 13:21
ウイグルやチベットの独立運動は海外でも組織されているが、
満州のそれについては聞いたことがないな。
米軍軍政下の沖縄には本土復帰運動があったが、
台湾や朝鮮のそれについては聞いたことがないな。
>>112 満州を本音だけでなく建前でも保護国として扱い、
将来の中華民国への合併計画を
タイムスケジュールとして公式発表していたら、
国民党も納得したかもしれないな。
北海道取られて日本人ならぬ「アイヌ人」を育成してもらっても、
北海道在住者はともかく日本政府が歓迎する訳はないし。
まあ土台無理な話だろうけど。
120 :
世界@名無史さん:03/06/27 13:51
>将来の中華民国への合併計画を
>タイムスケジュールとして公式発表していたら、
ありえかっただろう。
現在の北京政府が「中国固有の領土」と言い出すまで、
長城以北=満州、蒙古は中国本部とは別の地域という認識があったんだから。
>>119 結局満州国の興亡で満洲の分離独立派や清の復興も
無くなってしまった。毛沢東が日本に感謝するくらいだからな・・・。
まあ朝鮮でも王政は復活しなかったし。
>>120 >現在の北京政府が「中国固有の領土」と言い出すまで、
>長城以北=満州、蒙古は中国本部とは別の地域という認識があったんだから。
別に今の北京政府からの話じゃないし、当時の民国政府にだってそんな認識は無い。
建国当初の「中華民国臨時約法」の第三条で、
「中国固有の領土は、ニニ行省(注;当然東三省含む)、内外蒙古、チべット、青海」
と宣言してるし、
1931年の「中華民国訓政時期約法」でも、
「中華民国の領土は、各省(注;東三省含む)およびモンゴル、チベット」(第一条)
と言ってる。
>112
東北三省への移民流入自体は満洲国建国以前からあったこと。
別に満州国が建国されたから、とかいうものでもない。
満洲国は建国して暫くは移民流入を制限していて、その後解禁したけ
ど、インフレが原因で流入が減少したから、「労働者緊急就労規則」
で労働者を強制動員しなければならなくなった。
この辺の事情は、塚瀬進「満洲国」などを読めば分かる。
124 :
世界@名無史さん:03/06/28 21:56
塚瀬 進の「満洲国」は好著だが、その塚瀬も名称満洲論では
インチキをやっている。
引用すると:
「中華民国以後では東北という呼称が使われ、満洲はほとんど使われ
なかった。例外として興味深いのは、中国共産党によって設立された
「中国共産党満洲委員会」である。中国共産党の文書から類推すると、
地域を指す時には東北・東三省が使われ、党組織を指す時には満洲が
用いられていたようである。」(22頁)
つまり「中国共産党満洲委員会」の「満洲」は組織名であって地名では
ない、という印象を与えようとしているのだが、ここにインチキがある。
なぜならこの名称は正しくは「中国共産党満洲省委員会」なのだ。
「省」がつくと「満洲」が「地名ではない」と言いにくいものだから
塚瀬は故意に「省」を落としているのだ。
(もっとも、この本の終わりのほうの抵抗運動史にはどうしようもなくて
「中共満洲省委」がなんども出てくるけどね。)
問題は満洲本の著者がなぜこのようなインチキをやらなくてはならないか、
あるいは誰がやらせているのか、だ。
125 :
世界@名無史さん:03/06/28 22:27
__
/_☆|__
Σ/)゚ー゚) <偽称「アジア・太平洋戦争」と言う糞サヨ逝ってよし!
ヽ____/|〆
〜|,,,T,,,|
じ'`J
126 :
世界@名無史さん:03/06/28 22:29
「五族協和」を掲げても、日本人は満州国籍を取ろうとしなかった時点で、満州国はいかがわしい存在
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/china/kantosyu.html >満州国は国籍法を制定しなかった。そもそも国家というものは国土と国民があって初めて成り立つものだが、
>満州国は「誰が満州国民か」を明確にすることができなかったのである。もし満州国が国籍法を作ると、
>満州在住の日本人は日本の法律が禁じている二重国籍になり、日本国籍を捨てなければならなくなる。
>そうすると、政府がいくら宣伝をしても満州へ移民しようとする日本人はいなくなり、せっかく送り込んだ
>開拓移民も「満州人になれなんて、話が違うべ!」と逃げ出しかねない。
>そのため満州国は国民の定義を最後までウヤムヤにし続けたのだ。
>>124 俺の持ってるやつは第二刷なんだが、22頁のその部分は「中国共産党満洲省委員会」
になってるぞ?
でも、直せば直したで「党組織を指す時には満洲が用いられた」なんて言
い方は変な気もするが・・・?
128 :
世界@名無史さん:03/06/29 00:08
まあ当時の内地の学校でも満洲が日本の領土として赤く塗られてたから外地扱いだったと思われ。
それより右も左も、五族協和は本物だったとか独立国だったとか
または中華民国は満洲を領土と認識し日本はそれを侵略して迷惑かけたとか、もうやめにしねえ?
日本は満洲を征服した。それは誇るべき歴史だった。それでいいじゃん。
「弱者の視点」とか言うサヨは「強者の視点」は完全無視して
逆差別による弱者権力増長のお先棒担ぎしてるだけで。
だから日本が負けてこんどは中国が満洲を征服し、その地名も葬った。
面白いのは建設中だった帝冠様式の建築物を、
中共が国府を放逐してから継続して完成させてることだね。
それだけじゃなくて北京でも新しく帝冠様式風の建築物をつくってる。
地名は抹殺したけど帝冠様式を継承したり、満鉄の技術者を高待遇で抑留して技術を吸収したり。
朝鮮総督府を破壊した韓国とは態度がだいぶ違う。
すべて毛主席の方針だったみたいだけどね。満洲という地名だけは許せなかったみたい。
129 :
世界@名無史さん:03/06/29 00:11
>>128 >日本は満洲を征服した。それは誇るべき歴史だった。それでいいじゃん。
日本は満洲を征服した。それは恥ずべき歴史だった。こっちの方がいいよ。
反省ができてこそ人間だ。
130 :
世界@名無史さん:03/06/29 00:16
>>126 >かくして満州在住の日本人は、日本国籍のままで満州国の官僚や国策会社の幹部に就き、
>その他「満州国民」としてのさまざまな権利を享受したにもかかわらず、義務に関しては
>「日本国民」としての治外法権を利用して、満州国の警察や裁判所に従おうとせず、
>都市部では税金が安い満鉄付属地に住んでいた。企業も関東州や満鉄付属地で登記して
>「日本企業」として税制特権を利用した。
やはり日本民族の汚点。
131 :
世界@名無史さん:03/06/29 00:17
あんなインチキ国家作ったのを「誇るべき歴史」と言ってるようじゃな・・・(w
つか、なんで反省という言葉が出てくるのか分からん。
敗戦を反省するのならわかるが、成功を反省?
133 :
世界@名無史さん:03/06/29 02:40
>>132 >つか、なんで反省という言葉が出てくるのか分からん。
>敗戦を反省するのならわかるが、成功を反省?
じゃあ公民館でそう演説してこいウヨ坊。
勝ち負けで何でも決まるなら、全ての道徳的価値観は無意味だな。
糞みたいなお前を守ってる人権は要らないとは俺も思うよ。
134 :
世界@名無史さん:03/06/29 05:22
>>129 >>130 >>131 >>133 糞はサヨだと思うけどねえ・・・。
俺も過去の侵略を反省しよう、みたいな考えを持っていた。
お互いが自分の欠点に目を向けることが平和につながると思ってたから。
でも、護憲平和人権環境とか言ってる連中、
>>129 >>130 >>131 >>133 て
実は平和とか人権擁護なんか望んでないような気がするんだよね。
北朝鮮の犯罪なんか証拠明白でもデッチ上げとか擁護してて
アメリカの帝国主義的対外工作には証拠希薄でも叩くわけでしょ。
ここには明らかなダブルスタンダードがある。
判官びいきとも思えず、共産主義国家マンセー資本主義(親分はアメリカ)反対でしかないと。
あと
>>129 >>130 >>131 >>133 みたいな人は
韓国あたりの狂信的民族主義や歴史捏造にはなにもいわないんだよね。
国力で圧倒的な差があるからそれをハンデとして認めてきたわけだが、
最近では在日韓国・朝鮮人の多い暴力団や右翼団体が日本経済に実害を与えている。
暴力団や右翼団体には反対しても相手が在日とわかると不問にするのもサヨの特徴。
結局あんたの「道徳的価値観」て、日本が中韓朝に侮られつづける半植民地になればってことだろ。
あんたアメリカと同一基準で中国や北朝鮮や韓国の暴力的言動に反対したことってある?
そうならあんたはエセ平和主義者・エセ人権主義者の赤化願望者にすぎないね。
135 :
世界@名無史さん:03/06/29 05:22
「侵略の歴史を反省」するのをやめたのは、それを言う連中がみんな上記のような赤化願望者ばかりだから。
謙虚の美徳を発揮して反省の気をみせれば向こうも譲るかなと思ってたら
必ず笑って大声で付け上がるばっかだったからね。
東方儀礼の邦だから、謝れば水に流すといわれて終戦50周年のときに謝ったら、もっと無茶苦茶言われてる。
あいつらは自分らの言い分ばかりで屁理屈でも大声で言ったもん勝ちだという価値観だとわかったから
戦前の皇国史観レベルのこと言ったくらいで丁度いいと「反省」したんだよ。
ちなみに中韓朝の歴史観も自己美化の歴史で「反省」などない。
しかしそれはあくまで彼らに固有の権利だと思って尊重したい。反省しない糞だから人権いらんなんてね。
ただし他国(日本)の価値観にあることないことわめいて因縁つけることには敢然と反撃するべきだね。
仕事で中国の地方の役人に「日本には日本の言い分があります」と言ったらそれでもう終わりだったよ。
最近なんか靖国問題でなにも言ってこなくなっただろ? 逆効果だとわかってきてるんだ。
俺も、東南アジアの人に、いきなり「日本は大東亜戦争でアジアを解放しました」とはいわない。
それはあまりに相手の主体性を軽んじているからね。
ただ、反日野郎が出てきたら、その程度に応じてこちらも応酬する。
そのほうがお互いにいいと経験上思うよ。
137 :
世界@名無史さん:03/06/29 05:41
>>135 論理的にズレまくりだな(w
現在の韓国や中国、北朝鮮を批判するのはもっともだが、
だからといって、過去の日本の侵略行為が正当化できるわけないじゃん。
「昔の日本は不当なことをした。いま、中国はチベットで不当なことをしている」でいいんだよ。
>それを言う連中がみんな上記のような赤化願望者ばかりだから。
俺は現代の共産主義も過去の日本の軍国主義も嫌いだけどね。自由がないからね。
>あいつらは自分らの言い分ばかりで屁理屈でも大声で言ったもん勝ちだという価値観だとわかったから
>戦前の皇国史観レベルのこと言ったくらいで丁度いいと「反省」したんだよ。
屁理屈に屁理屈で対抗したところで、何の意味もない。
まぁ、キミは韓国人や中国人相手にDQN同士の罵り合いを続けていなさい(w
138 :
世界@名無史さん:03/06/29 05:45
>>127 >俺の持ってるやつは第二刷なんだが、22頁のその部分は「中国共産党満洲省委員会」
になってるぞ?
それはたぶん、私が出版社に電話で注意したからだろう。
>>124 >でも、直せば直したで「党組織を指す時には満洲が用いられた」なんて言
>い方は変な気もするが・・・?
当たり前だ。インチキを直したから今度は文意が通じなくなったのさ。
139 :
世界@名無史さん:03/06/29 05:52
>>128 >まあ当時の内地の学校でも満洲が日本の領土として赤く塗られてたから外地扱いだったと思われ。
主旨はともかく事実だけは正確にしよう。
赤く塗られていたのは「関東州」(遼東半島の一部)。
満洲国はピンクとか薄緑とか、別の色に塗られていた。
「友邦」「独立国」と教えるのだから当然だ。
ソ連の外蒙古と日本の満州は名が独立国だっただけ。
>>137 それならそれでいいし、日本人同士なら別にかまわないと思う。
でもねえ、この類の話、反日サヨが韓国人や中国人引き込んでグチャグチャにするじゃん。
いつも。
そうすっと真面目に反省しようなんてリラックスできないよ。
韓国人や中国人つれてきて、DQN同士の罵り合いにされちまうわけだから。
143 :
世界@名無史さん:03/06/29 10:07
>>137 134-135の類の人間は、ゴー宣の与えるカタルシスから抜け出せないので、しょうがないんで諸々の歴史を無効化できる
『勝ち・負け』に基づく「国益史観」なるものを考え付いた。これ見て分かるとおり、↓
>結局あんたの「道徳的価値観」て、日本が中韓朝に侮られつづける半植民地になればってことだろ。
「いつまで僕達は罪人の子孫なの」という愚痴から生まれる反発でしかない。それが暴走してアジア解放戦争だの
なんだのという珍歴史観・珍翼にはなりたくないものだね。
>韓国あたりの狂信的民族主義や歴史捏造にはなにもいわないんだよね。
と思うのなら、最初から「僕ちゃんが教える正しい真実の歴史」一本で勝負すればいいのだ。
なにも「国益史観」という道徳も何も無いクズ史観に逃げる必要はない。
144 :
世界@名無史さん:03/06/29 10:50
歴史にはあまり詳しくないのですが、満州人っていまも民族としているのですか?
どのくらいの人口?というのもエルサレムの安宿で中国からの出稼ぎの人たちと一緒になって、
どこからきたか聞いたらチーリン(吉林)ていったあと、日本人はマンジョウって
いうだろうって苦笑いして言われました。その人たちが満州人かわからないけど普通の中国人だった。
>>144 今でも少数民族として存在してはいる。
いまの満洲はもう支那人の植民地になってます。
>>138 その部分に続けて、コミンテルンが中共に「満洲」という名称を採用させた
のだろう、というのが引用元の論文を書いた人物(N氏)の考えだ、とい
う言い方をしている。
要は「満洲」はコミンテルンの地域認識だ、ということにしてるんだが、た
だ、第一刷でそんな重大なミス(俺は武士の情けでそういうことにしてお
く)をやってるようではダメだよなあ・・・。苦しい言い訳としか思えん。
147 :
世界@名無史さん:03/06/29 12:35
>>144 ちょっと専門的に答えるね。
「満州人」は満州に住んでいる中国人(少数民族を含む)のことなので、そういう民族は存在しません。
日本で言う「関西人」「九州人」と同じようなニュアンス。
いま、中国では満州を「東北」地方と言ってるので、現在では「東北人」と言う。
それとは別に、満族(日本では満州族という)という少数民族がいる。
もともと満州語を話し清朝を打ち立てた民族だが、清朝末期の頃から中国語を話すようになり、
すっかり漢民族に同化されて、現在では満州語を話す満州族はいない。
少数民族とはいえ1000万人近くいるが、
いま満州に住んでいるのは大部分が漢民族。
言語を失い、同化され、人口でも少数派になり・・・で、北海道におけるアイヌ人みたいなもの。
新彊あたりにシボ族とかいう元屯田兵がいるが、彼らはまだ満州語を話しているらしい。
148 :
世界@名無史さん:03/06/29 20:01
「国益史観」と「正しい真実の歴史」は両立すると思うんだけどね。
前者が歴史教育の前提、後者が歴史研究の前提だね。
裁判を考えてごらんよ。
よかれと思って自分に都合の悪い事実を認めると、逆に不利になってしまう。
日本だと先にぜんぶ認めて情状酌量を得るというテクニックもあるが、
海外ではそれがない。
「正しい真実の歴史」は高等教育以上で「裏面史」「秘史」として教えていくべきだろう。
都合のいいことしか知らない人間は指導的立場にたつと道を誤るだろうから。
俺は言ってるよな。場合に応じて、段階を踏んで強く出るときには出るべきだと。
「僕ちゃんが教える正しい真実の歴史」1本でも、都合の悪い部分に触れ出したら
連中は「それ見たことか!」と、そこしか聞かないんですよ。
あんた本当に話の通じない朝鮮人とかとやりあったことある? 日本人中にも隠れ朝鮮人とかいるんだよ。
ヤクザも人の子だから優しさ・道徳は通じると思ったらまちがいだね。
道徳なき相手に接して避けようがない場合は、道徳を示してはいけないね。
相手を選べ。
149 :
世界@名無史さん:03/06/29 20:35
>>148 >よかれと思って自分に都合の悪い事実を認めると、逆に不利になってしまう。
>相手を選べ。
だから揉み消しても許されるんか?「相手を選べ」とは、嫌な奴だったら反省しなくてもいいということか。
>連中は「それ見たことか!」と、そこしか聞かないんですよ。
頑なに満州国を美化しようとしてるお前も同類だろ。↓これにツッコまない時点で異常だよ。
>つか、なんで反省という言葉が出てくるのか分からん。
>敗戦を反省するのならわかるが、成功を反省?
オメーは小林・西尾の「アジア解放のカタルシス」が忘れられなくて、ただ責任から逃げてるだけだろうが。
「愛国心」などと主張する右翼なら、過去の国家の行為に対しても責任持てよ
150 :
世界@名無史さん:03/06/29 20:55
>「国益史観」と「正しい真実の歴史」
こんなイタイ単語がボコスカ出てくる時点で話にならない 反論の価値もにゃい。
以下放置
151 :
世界@名無史さん:03/06/29 21:45
>>133 完全に思考停止状態だな。
国家の行動と、個人の行動を同一視している。
つか馬鹿じゃないアンタ?
152 :
世界@名無史さん:03/06/29 21:47
そもそも罪人とかいう言葉が出ている段階で終っている。
153 :
世界@名無史さん:03/06/29 23:07
> 「相手を選べ」とは、嫌な奴だったら反省しなくてもいいということか。
ヤクザまがいの相手には議論のレベルを下げることが必要だということ。
俺は
>>135で「日本には日本の言い分があります」と言っている、と書いたな。
それでたいていの中国人は納得してくれてるんですよ。漏れよく中国に行くんで。
こっちは「満洲帝国」といい向こうは「偽満(ウェイマン)」といいお互いに譲らないが、
別に外交交渉にきてるわけじゃないしもうそれで終わり。
日本と違い中国では自分の言い分を最大限主張することがマナーだからそれでよし。
>>148で俺は「道徳なき相手」と書いたが、これは筆の走りすぎで文化の違いだと思う。
まじで道徳なき相手、ヤクザまがいの相手なのは韓国・北朝鮮。
シカトするのが一番なんだろうけど、無理やり相手にさせられる。
こっちが大人であっちが子供なら
>>149のような態度で接してもいいのだけれど、
実際は対等、どころか向こうが「道徳的優越」を示してぎゃーぎゃー騒ぐ。
>>149は、中国が韓国があなたのいう「反省もせず自己カタルシスにあけくれるDQNなクズ」の歴史観を持ち
それを変えるつもりがないこと、日本が反省したらますます彼らは暴走したこと、
「こっちが大人であっちが子供」でも一応対等の相手であり、今までの態度ではますます付け込まれたこと。
逆に日本で右傾化が始まってしまい、中国は急に抗議せずビジネスライクになってきたこと。
俺は中国や韓国のナショナリズムを「カタルシス」「無道徳」「DQN」とは見なさず民族固有の権利として尊重したいのよ。
「人のことはどうでもいいから、まず自分が反省するべきだ」これは大きな間違いだったのさ。
「中国人・韓国人には絶対に謝るな。日本と同じ感覚でふるまうな」これ中韓の営業では鉄則だよ。
何度もいう。日本人同士なら過去の反省はしてかまわない。
しかし中韓に対して脇が甘く付け込まれると判断したらスイッチを切り替えるべし。
責任とか反省とかいう概念のない相手に、責任を示す必要はない。
責任をとるべきなのは、責任感や反省の概念を持つ自国民だけに対してでいい。
154 :
世界@名無史さん:03/06/29 23:15
>>153 すいませんが
「正しい真実の歴史」「裏面史」「秘史」などという言葉が出てくる時点でアウトです
>>153 そもそも間違った歴史に汚染され、自分の事を棚に上げた中国韓国の言い分を聞く段階で間違っているかと。
友人付き合いするなら兎も角、歴史事実を検証するわけだから、議論になるわけもなし。
特に韓国人に理屈は通用しません、
(中国人は話せば分かるし、見解の違いかなと双方納得出来る人が多いのですが)
>>149 これにレスするのを忘れてた。
>オメーは小林・西尾の「アジア解放のカタルシス」が忘れられなくて、ただ責任から逃げてるだけだろうが。
>「愛国心」などと主張する右翼なら、過去の国家の行為に対しても責任持てよ
責任を感じているからこそ、誇りに思っているわけですよ。
満州を占領し、あの偉大な中国を終始圧倒したことをね。
だから反省などという、珍妙な意見は馬鹿じゃねーのこいつ?
としか見れないわけですよ。
韓国朝鮮人は主張はできて議論は出来ない傾向があるような。
>155-157
いい加減スレ違いどころか板違いなんで、政治思想板やゴー宣板あた
りのどこか適当な板へ逝ってくれ。
>>150の言うとおり、以後放置でよろしくALL。
反省とか電波飛ばした香具師に言ってやれよ。
歴史に主観を持ってきている段階でドキュソ決定だ。
160 :
世界@名無史さん:03/06/30 01:28
国家の行動に個人の道徳を適用して考える時点で馬鹿決定。
どっちもバカって事か。
当時の列強が定めた社会通念に従った行動を破る行動を日本がしていた部分が有るなら反省する部分だろう。
しかし、それ以外のルール内の中での外交手段としての武力は何の問題も無いのは当たり前。
此処は世界史版上っ面の言葉遊びでしか反論できないなら帰れ、今回は明らかにクソサヨって言われる奴の
<<「昔の日本は不当なことをした。いま、中国はチベットで不当なことをしている」でいいんだよ。>>
完璧にアウト。 君は国際法も時系列も無視しているだけの感情論。
163 :
世界@名無史さん:03/06/30 11:03
歴史的な事実を扱っているのに、
感情的に反省などという、個人の感情を押しつける馬鹿や、
歴史的な結果を善悪で語りたい馬鹿は、
政治思想板にでも逝って、世界史板に戻ってくるんじゃねえ!
いずれ侵略者ビスマルクやナポレオンを生み出した事を反省しろ。
とかいうのかしらね?
165 :
世界@名無史さん:03/06/30 11:57
アッシリア帝国を生み出したイラク、シリアの現在の人々に反省せよと?
166 :
世界@名無史さん:03/06/30 12:30
ヴェトナム人も南下して土着のチャム人の地・チャムパを征服していったが
共産党政権下でもそれを反省しているわけではなく、むしろ自画自賛している。
彼らは抗仏、抗日、抗米、抗中の歴史を賛美して、以上のとおり。
さてこれを「コーチシナ征服のカタルシス」が忘れられなくて、ただ責任から逃げてるだけ。
と糾弾する人がいたら? 障害者扱いだね。
現在進行形で他国に攻撃してるとかでないかぎり、これくらいの歴史認識はお互い許してるんだよ。
また日本が満州征服の準備でも始めたら中国も反撃すればいいだけのこと。
現実に国際安全保障を担保しているのは力の論理。 その典型が安保理常任理事国の制度だよ。
あのフランスがアメリカにさんざん噛み付いてしっぺ返しがあの程度なのも
軍事力がフランスの発言力を担保しているからなのよ。
必死なヤツらがいるが、いずれ飽きるだろうから、放置よろしく〉ALL
>>168 オッケー。サヨとバカは死ななきゃ治(ry
>>169 ま、病気みたいなものだからね。
後十年もしたら、過去の自分を恥ずかしがるんじゃないかな?
満洲国(今度は共和制)の復興運動や
せめて満洲の分離独立運動が存在するなら、
「失われた大義」を語る現在的意義もありそうけど。
今となっては満洲国の興亡について
民衆レベルとか国家レベルで
その時点における日本や中国にとっての得失を
推し量るだけの話だろうな。
172 :
世界@名無史さん:03/06/30 16:05
>>148 >要は「満洲」はコミンテルンの地域認識だ、ということにしてるんだが、
私もその可能性はあると思う。しかし問題はもっと根が深い。
なぜなら塚瀬はその前のページで「すでに述べたように、満洲は国名・民族名
であり、地名ではなかった。」と述べており、この「満洲は地名ではない」を
裏付けるための一節だからだ。
そこで彼は例の「満洲組織名説」を出すのだが、もともとこれは「日本共産党
埼玉(県)支部」の「埼玉」は組織名であって地名ではない、というような
もので、「省」をはずそうがはずすまいが無理な話だ。
彼もこれだけでは心許ないのだろう、次に出してくるのがおきまりの
「地名・満洲外国由来説」だ。外国人が発明したものは地名ではないという
理屈だ。
しかしここにも無理がある。コミンテルンの地域認識によろうとよるまいと、
中国人が公式に行政区画の名称として用いた名称は即ち中国語の地名/地域名
だからだ。
(現に「現代漢語詞典」は「満洲」の第二義として「旧指我國東北一帯」と
書いて、昔は地域名だったことを認めている。)
塚瀬も上記のことは意識していると見えて、彼の文章は随所に逃げ道を設けたり、
表現を和らげたりしている。要するに彼はなんらかの事情によって、学者の
良心に反して「満洲非地名説」を述べていることが文章から垣間見えるのだ。
もっとも彼ばかりでなく「満洲本」の著者はほとんどそうだけどね。
173 :
世界@名無史さん:03/06/30 18:50
>>134-135とかが典型だけど、
ウヨの本音がわかりやすく読むことが出来る良スレだな
他の国とは無条件に仲良くするべきだっていうヤシと
他の国とは無条件に敵だと思って接しないと自分がヤられるってヤシとの対立が
ウヨサヨ論争の本質だってよくわかる
>>173 他の国とは無条件に言う事聞くべきだっていうヤシと
他の国とは無条件に交渉相手だと思って接しないと自分がヤられるってヤシとの対立。
すぐにこうやって改変コピペして悦にいるのもウヨの特徴だよな
おれはウヨですごめんなさい。
>>172 そうなると、塚瀬がなぜこんな書き方をしたかについては、中共満洲
省委の成立過程について調べないといけないだろうな。
本来ならば「中共東三省委」などになるところが、なぜ「満洲省委」
になってしまったのか?名称について、中ソ間あるいは中共内部で
対立があったのかどうか。
塚瀬が引用した論文によれば、コミンテルンの影響が強かったため、
「満洲省委」となったが結論らしいけど、果たしてすんなりとそれ
で決まったのかねえ?中共側はこの名称に相当抵抗したと思うが。
178 :
世界@名無史さん:03/06/30 21:21
>>177 >そうなると、塚瀬がなぜこんな書き方をしたかについては、中共満洲
>省委の成立過程について調べないといけないだろうな。
事情はもっと単純だと思う。要するに出版社からの圧力なのだ。
私は他の「満洲本」で出版社に電話して担当者の話を聞いたことがある。
編集者が「そのような断り書きを入れるのが編集方針です」と言った。
その人は女性だったから、正直に言ってしまったのだろう。
著者の方では「満洲は地名ではありません」の一節をいれないと本が
出せないと思うから、良心を曲げて書く。しかし本心ではないから
つじつま合わせや矛盾が出る、ということだと思う。
>塚瀬が引用した論文によれば、コミンテルンの影響が強かったため、
>「満洲省委」となったが結論らしいけど、果たしてすんなりとそれ
>で決まったのかねえ?中共側はこの名称に相当抵抗したと思うが。
そうは思わない。「満洲」は満洲国以前には、ごく一般的に中国人の
間で用いられた地名だったと思う。
日露戦争の時、上海の新聞が「満洲」という地名で記事を書いている。
また辛亥革命の前に、上海の革命派が東北の同志に向けて「向在満洲同志檄」
というのを送っている。
中共も、終戦後しばらく後までは「北満」「南満」という言葉を組織名や
大会名称に使っている。
「満洲省委」を採用したのも、国民党系の「東北三省」に対抗する、
くらいの気持ちだったのではないか?
>>178 なるほどなあ・・・。
俺も少し調べてみたけど、陶成章が1904年に書いた「中国民族権力消長
史」では、「満洲」を明らかに地域概念としても用いていたよ。
出版社に限らず、「満洲は民族名で地域名ではない」というのは常識とされ
ているけど、一つ一つ事例を積み重ねていけば、そのように断言するのは全
くおかしいことが分かってくるね。もし、出版業界の「常識」や「慣例」で
そのような縛りをかけているのが事実としたら、問題だな。
だけど、それでも「満洲省委」の名称決定は単純なものでは無かったと思う
けどね。満洲は地域名であると同時に民族とも関連する名でもあるし、現地
党組織の複雑な構成を考えると、そこで対立が起こりえたと思うけどな。
もちろん、これは俺の邪推に過ぎないが。
181 :
世界@名無史さん:03/07/01 02:30
反省云々以前に満州国のようなヘボ国家作ったのが間違いだって。
満州へ移民した日系人が誰も満州の国籍取ろうとしなかった時点で先が見えてた。
182 :
世界@名無史さん:03/07/01 02:35
>>180 「満洲は民族名で地域名ではない」というのは常識とされているけど
洲(州)=landの意味なんだから、地名に決まってるじゃん。
中国語で五大洲→五大陸でしょ。
だいたい民族名は「満洲族」じゃなくて「満族」だし〜
183 :
世界@名無史さん:03/07/01 10:53
>>181 満洲帝国には国籍法がなかった。開拓団を誘致するための苦肉の策だったんだな。
ところでもともとは東三省=関東州=満洲だった。
関東州とは山海関の東という意味だったが、
ロシアが三国干渉後に租借した遼東半島南部を関東州と命名し
日露戦争後その租借権を引き継いだ日本はその呼称を引き継いだ。
そして日本でも関東州が遼東半島南部の租借地に限定された地名として定着し
満洲とは区別されるようになった。
満洲は Manju(部族) の音訳が発祥なのはみんな知ってるだろうから省略。
東三省=関東州=満洲、どれも漢族が地名として使った歴史がある。
184 :
世界@名無史さん:03/07/01 11:01
要は日本人が満州って語に、色々な意味を含ませたことによる混乱なんでしょ。
185 :
世界@名無史さん:03/07/01 11:55
とらうまれす。支那も満洲も自分らが使い出すた言葉なのに
186 :
世界@名無史さん:03/07/01 16:58
>>183 『シリーズ 世界史への問い』8<歴史の中の地域>岩波書店、1990
細谷良夫「マンジュ・グルンと<満洲国>」p105〜35
括弧内発音表記は原文ルビに代わるもの
p107〜8から引用
軍事力を背景にして成立した「満洲国」に対して、
その当時から、東北は「満州」ではないと主張しているのは
金毓黻(きんいくふつ)である。
彼によれば、「満洲国」の領域である「満洲」を中国では
遼東・盛京・東三省・関東などと共に古くから東北と呼んできた。
満洲の名称の由来には諸説があるが、満洲は部族名であり地名ではない。
部族名の満洲が東北をさして「満洲」と称するようになった経過は、
一八九八年のロシアの東清(東省)鉄道敷設権の獲得で
旅順港に至る南部を「南満洲」鉄路と称したことに始まり、
一九〇五年の長春〜大連間鉄道の日本割譲の結果、
長春以南が「南満洲」、長春以北が「北満洲」となり、
その結果、旅順から黒龍江に及ぶ地域が「満洲」と総称されたことにある。
「満洲」に加えて、当初は「満洲」に含まれなかった遼河以西の地域や内モンゴルの一部も、
一九一三年の満鉄の「満蒙五鉄路敷設権」の獲得、同一五年の二一ヵ条要求による条約で
「南満洲と東部内蒙古」と称された結果、「満洲」の他に「満蒙」の語が成立したと言う。
金は地域名の「満洲」が「満蒙」と共に中国侵略の意図に基づき使用されてきたことを指摘し、
東北史は中国の地方志(史)であると主張して、著者名も『東北通史』と称している。
誤>旅順港に至る南部を
正>旅順口に至る南部を
188 :
世界@名無史さん:03/07/01 21:26
>>180 >俺も少し調べてみたけど、陶成章が1904年に書いた「中国民族権力消長
>史」では、「満洲」を明らかに地域概念としても用いていたよ。
事例を教えてくれて有り難う。
こちらでも出すと、雑誌掲載の論文題名として次のようなのがある。
屈維它 「現在的満洲経済」 1924年2月「前鋒」三期
>出版社に限らず、「満洲は民族名で地域名ではない」というのは常識とされ
>ているけど、
いちばん困るのはその「常識」が教育によっていることだ。
ほとんどの世界史教科書には「満洲は民族名であって地名ではない」
「地名・満洲はヨーロッパ人が使い始めたのを日本人が倣った」という
二つのことが書いてある。このどちらも事実ではない。
189 :
世界@名無史さん:03/07/01 22:04
>>186 >満洲の名称の由来には諸説があるが、満洲は部族名であり地名ではない。
由来が部族名だから地名でないというなら、蒙古(モンゴル)の由来も
部族名だが、蒙古は地名ではないのかな?
>部族名の満洲が東北をさして「満洲」と称するようになった経過は、
>一八九八年のロシアの東清(東省)鉄道敷設権の獲得で
>旅順港に至る南部を「南満洲」鉄路と称したことに始まり、
そんな後のことを持ち出す必要はない。ホンタイジは遼東の地に清帝国の
前身である「大清国」を建てたが、この大清国の別名は「大満洲国」だった。
国名は地名と表裏の関係だ。(韓国人が現在でも「満洲」を地名として
使うのも、おそらくこの時に始まるだろう。)
また日本人のことを言うなら、間宮林蔵は19世紀初頭の報告書で、
沿海州のことを「満洲」、いわゆる東北のことを「満洲本国」、中国本土
のことを「唐土」と呼んで区別している。
>一九〇五年の長春〜大連間鉄道の日本割譲の結果、
>長春以南が「南満洲」、長春以北が「北満洲」となり、
>その結果、旅順から黒龍江に及ぶ地域が「満洲」と総称されたことにある。
百歩譲ってそれが「始まり」であったとしても、その後中国人じしんが
「満洲」を地名として使ったではないか。起源がなんであれ、地名として
使われた言葉はすなわち地名だ。
190 :
世界@名無史さん:03/07/02 00:28
>>186 >>満洲の名称の由来には諸説があるが、満洲は部族名であり地名ではない。
部族名の音訳が起源になったにしろ、
中国語で「×洲」の字を充てた時点で地名になったんだよ。
191 :
世界@名無史さん:03/07/02 13:38
>>190 「洲」がつく、というだけの理由で地名だと言うのはいかがなものか。
それだと西郷南洲も地名だということになってしまう。
192 :
世界@名無史さん:03/07/02 17:06
193 :
世界@名無史さん:03/07/02 17:17
露探とはロシアに雇われたスパイとか馬賊 匪賊の連中です。
張サク林 馬占山 なんかもこのタグイです。
なお独探とは1wwでドイツのスパイの事でマタハリ X27号
などの美女がオイロケで活躍しました。
194 :
世界@名無史さん:03/07/02 18:58
張作リン
1900年頃、20余名を集めて趙家廟一帯にて「保険隊」頭目となる。
195 :
世界@名無史さん:03/07/02 19:29
乃木の満州で現地民を「試し切り」したのを、斬るな
【繰り上げ当選、繰り上げ前は落選】
共産党は「クリ−ン」が売りのはずですよね
表は政治資金の半分は党に渡して、党として党員が全員均等に使用すると
言っているが、単なるネズミ講式の『上納金式』の資金集めじゃないか。
今回の共産党党本部のビル新築、募金活動が全て。
○○十万寄付で共産党の記念品??。
無利息で共産党へ貸付
すべて『上納』じゃないか。・・・・・・
こんな事が大きく報道されたら、
繰り上げ当選の大門なんか,,,『ただの爺−!』 ・・・・・・・・・
198 :
世界@名無史さん:03/07/02 20:41
張景恵は、日本によるシナ系住民の権利侵害には断固抵抗した剛直な人物でし
たが、典型的な日露戦争世代の親日家でした。張は、ロシアの暴虐とこれを潰
滅(かいめつ)させた日本軍の武勇を目のあたりにして讃嘆(さんたん)していま
した
199 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:21
そうです。乃木大将は、今は神様です。初めは、村村に軍医を派遣し病人を救って
くれました。軍医もまた、非常に親切でした。それから、道路と排水路をつくる
ことを教えてくれました。今、その辺にある水田は、その時に出来ました。
それよりも農民が一番喜んだのは、日本軍の軍紀が厳粛であったことです。
兵隊は卵一つ鶏一羽、無料で奪る者がありません。もとより婦女子に手を出す
者なんか、ありません。神兵だと村人は崇めました。日本軍のおかげで匪賊は
寄りつきません。盗人も出ません。官吏も悪いことは出来ません。全く平和で安全
な王道楽土でした。私の想像は当たりました。私は、今でも神様だと信じております。
ですから、こうして朝夕拝んでいるのです。これは私ばかりではありません。
この辺一帯の古老は皆、こうしております。
私は日本を信じておりますから、日本のために尽くします。ところが、私が親日だ
漢奸だと言って、張作霖政府は私を二年間監獄に入れました。税は五倍に増した上に
紙幣を濫発して大豆を農民から取り上げる。ロシア人よりもまだ性質が悪い。
日本がロシア人を追い払ったように、張作霖や胡子どもを追い払って、あの時の
ような王道楽土にしてくれないかと、乃木の神様にお祈りしています。
山口重次『満州建国と民族協和思想の原点』
200 :
世界@名無史さん:03/07/03 10:35
>>189-190 『アジアから考える[1] 交錯するアジア』東京大学出版会、1993
中見立夫「11 地域概念の政治性」p273〜95
原注略、?は特殊発音記号で略
p276〜77
ところで、ここで検討しなければならないのは、
「満洲」という地域名とその範囲である。
「満洲」は満洲語の「マンジュ\Manju」の漢語音写であり、
もともとは満洲民族によってつくり出された民族名あるいは国家名であった。
しかし、満洲民族がいわゆる「満洲地方」を「マンジュ」と呼んだことはまずないのである。
満洲語の語彙のなかには、「満洲地方」を意味する地域名は本来的には存在しない。
満洲民族もふくまれる北方ユーラシア諸民族にとって、民族名、部族名、そして国家名は一義的な意味を持っていた。
そして、個々の地名、地方名は存在するが、それをこえたもう少し広域的な地域名が、
民族名あるいは部族名とは別個に、形成されることは一般的にまれである。
たとえば、モンゴル民族の場合、「モンゴル\Mong?ol」とは、
もともと部族名であり、ついで民族名となり、そしてモンゴル族の生活空間を「モンゴル」と呼ぶのである。
==========中途略==========
このような北方ユーラシア諸民族における用例を考慮するならば、
満洲民族が自己の歴史的生活空間を、「マンジュ」つまり「満洲」と呼んでもよさそうなのだが、実例はまずない。
ひとつの背景として、満洲民族は清朝成立とともに、大挙して中国本土へ移動したということがあげられよう。
みずからの発祥の地という意識はあったとしても、すでに自分たちの本来的な生活空間というにしては、
遠い存在となってしまったのかもしれない。
清朝時代にもしも満洲民族が「満洲」を地域名としても使うのであれば、
それは大清帝国全体を意味するはずであった。
201 :
200の続き:03/07/03 10:37
p292
本稿では、近代日本の対外進出の展開にともなって、
日本人の対外観のなかに形成された地域概念を追ってみた。
最隣国であり民族である朝鮮をのぞき、「満鮮」「満洲」「満蒙」「蒙疆」、
そして最終局面にあらわれ、それらを包括すべき「東亜」さらには「大東亜」、
すべてが、それらの地域のうちから自生した概念ではなく、外部から設定されたものであった。
しかも日本のおかれた状況によって、その地域概念の示す範囲は微妙に変化しているのである。
満洲人はいわゆる「満洲」を決して「満洲」とは呼ばなかったし、
この世の中に「満洲」などという地域はもともと存在していなかった。
モンゴル人はなぜに「満洲」と一緒にさせられて「満蒙」とならねばならないのかわからなかった。
また「蒙疆」にいたっては、モンゴル人の耳にはなはだ奇妙に響いたし、
漢人は「モンゴルと新疆」と誤解する危険もあった。
[引用終わり]
外国の用法の影響を受けた地名としての「満洲」が
漢族の反満民族主義の高揚と清朝の統治能力漸減に伴い
中国人社会でも用いられるようになったが、
中国からの分離独立工作という明確な政治的含意を伴った国名の「満洲国」採用とその派生概念(「満洲語」その他」)の使用によって、
強力な忌避感情を引き起こすものともなっていった。
そして「満州国」の崩壊が歴史的に新しい用法に対する
公的場面からの排斥政策の契機となった。
202 :
世界@名無史さん:03/07/03 23:01
>>200 >満洲人はいわゆる「満洲」を決して「満洲」とは呼ばなかったし、
>この世の中に「満洲」などという地域はもともと存在していなかった。
それでは、「満洲人」の政府、つまり清国政府が使った地域名・満洲の例を見せて
あげよう。
「商務官報 庚戌第二期 宣統2年2月5日
因此高梁桿之燃料不免欠乏、而以石炭代之、石炭之需要非常増加、民間高梁
食糧不足、米穀之需要亦受影響、生活上之変更不免加劇、日本商家乗此機会、
遂輸入外貨於満洲、以図利益矣。」
「中国近代東北地域史研究」(西村成雄)より
>清朝時代にもしも満洲民族が「満洲」を地域名としても使うのであれば、
>それは大清帝国全体を意味するはずであった。
理論的にはそのとおり。
しかし「大清帝国全体を意味するはず」というのはもう一つの側面を無視して
いる。それは地域名が「発祥の地」と「統一後の版図」の二義を帯びる例は多い、
ということだ。
例えば「大和(奈良地方と日本)」「ローマ(ローマ市国とローマ帝国)」
「蒙古(モンゴル地方と元帝国)」「中国(中原とチャイナ)」など。
だから「満洲」が「遼東を除く、或いは含む東北」と「清帝国の版図」の二義
を帯びてもすこしも不思議ではない。
現に「満洲封禁」「満洲駐防」などの清国の用語をどう解釈する?
>強力な忌避感情を引き起こすものともなっていった。
それには条件がつく。つまり、日本人が使用した場合だけなのだ。
韓国の歴史教科書は現在でも歴史的地名としては「中国東北」を決して使用
せず、一貫して「満洲」で通しているが、これに対して中国が文句を言った
というのを聞いたことがない。
203 :
世界@名無史さん:03/07/05 22:40
>>200 「中国近代東北地域史研究」西村成雄 法律文化堂 1984
をもうすこし見てみよう。この本によれば;
1947年はじめ、すなわち東北における国共内戦が激しさを増していたころ、
中共は「中共中央東北局南満分局」というのを設立し、陳雲が書記に就任した。
同じ年、尚勁光という人が「南満軍区司令官」に就任した。尚は1984年に
「在南満的戦闘歳月裡」という回顧文を書いている。
上記からわかるように、満洲国が滅亡した後も国共内戦の頃までは、「東北」と
「北満」「南満」という地域概念が併存していた。「北満」「南満」は「満洲」
そのものではないが、このような部分的な使い方も、今日では考えられないことだろう。
つまり、
>強力な忌避感情を引き起こすものともなっていった。
と言っても、それは内戦の時代までは地域名称としての「満洲」に及んでいなかった
のである。
したがって今日、「満洲国」に留まらず地域名・満洲に対する「強力な忌避感情」がある
とすれば、それは新中国成立後の政策と教育によるものなのだ。
その理由はいろいろ考えられるが、そのいちばん深いところには、清国以来の満洲族
に対する漢族の恨みの感情があり、それが満洲族の存在が日本に利用されたことに
よって増幅されたのであろう。
日本人による「満洲」の用法が「政治的」であるとすれば、中共による地域名・満洲
の抹殺もまた「政治的」なのである。(ついでに民族名・満洲族を満族と歪曲したのも)
中共が勝手にやっている政策に対して、日本人が理論的裏付けを与えようと苦慮して
「満洲は民族名であって地域名ではありません」などと浅薄な理屈を考える必要は
まったくない。
204 :
世界@名無史さん:03/07/06 17:53
>>202-203 『歴史教育』4巻11号
川久保悌郎「清代満州の内地化についての一考察(上)――雍正、乾隆期を中心としての覚書――」より引用
原文仮名遣いのまま
p38〜39
満州が蒙古、支那トルキスタン、西蔵とひとしく支那の辺疆地帯に属することは喋々を要しないところであるが、
しかも他の三地域が清朝治下に於て藩部を以て遇せられたのに反して、満州の地帯のみは、清朝発祥の地であるという特殊事情から特別重視せられ、
かくて支那内省とは趣きを異にする制度の下に置かれたことは周知の通りである。
この点については後で折に触れその都度言及したいが、兎も角、清代に於て満州が支那内省とは別の特別地域をなし、
またかくの如きものとして考えられ、取り扱われていたということは、紛れもない事実である。
併しそれにも拘わらず、雍正、乾隆の交より何時とはなしに「東三省」の名を以て呼ばれるようになり、爾後次第にそれが習わしとなったのである。
満州の奉天(盛京)、吉林、黒竜江の三地域がかくの如く支那内省同様の行政区画名である省名を以て支那流に「東三省」と総称されるに至ったということは、
少なくとも満州支那化乃至内地化の過程を問題とする場合、軽軽に看過し能わざるところであろう。
というのは、満州内地化の事態を恰も象徴しているが如き「東三省」なる呼称が通用し始めたということの裏には、
当然満州の状態の実質上の諸変化が予想されるからに外ならない。
さてそこで、満州の地域が何時頃から「東三省」と総称されるようになったか、二、三の例証を挙げて検討を試みることとする。
[以下、本文の記述から一部の情報を、必要事項として抜粋し年代順にリスト化]
◎雍正十三(一七三五)年、十一月乙丑の上諭(皇帝が発した公式命令書)「若東三省兵亦如帰化城兵。」from『大清実録』高宗巻八
◎乾隆七(一七四二)年、十月丁酉の兵部(国防省)が地方からの要請に対応した議覆(協議答申)「(上略)又如東三省恭進表戔。」from 同高宗巻一七六
etc
...
◎乾隆末年(十八世紀末)以降、「東三省」なる単語は「東三省為根本之重地」等々の表現で上諭の中に頻出し、殆んど枚挙に遑(いとま)なし
[引用終わり]
[レス続く]
205 :
世界@名無史さん:03/07/06 18:21
>>202-203 皇帝をはじめとした清朝支配層にとって本来、「満州」は種族名でこそあれ、地名ではありえなかった。
清朝支配下の社会全般においても「満洲」を地名として使用する習慣は元々存在しなかった。
それゆえに「東三省」が代わりに用いられたのだ。
地名としての用法は究極的に支配者集団の中国人性を否定しかねない点で謀反にも通ずる表現ではなかったろうか。
>だから「満洲」が「遼東を除く、或いは含む東北」と「清帝国の版図」の二義
を帯びてもすこしも不思議ではない。
現に「満洲封禁」「満洲駐防」などの清国の用語をどう解釈する?
実際に元々使われた例が無かったのだから仕方が無い。
「満洲封禁」「満洲駐防」は初出やその後の使用状況に疑問がある。
研究者の用語か、外国語起源の用法の影響を受けた後での用語ではないかと思われ。教示されたし。
>それでは、「満洲人」の政府、つまり清国政府が使った地域名・満洲の例を見せて
あげよう。
清朝が国民国家への道を選び、一九〇七年、「東三省」が行政区画として公式採用されるに至った後か。
たとえ外国語起源の用法ではあっても中国からの分離を意味する政治的意味合いを込めてなければ、
世間の影響も受けて用いられるようになったのだろう。
清朝の支配層だって時代の子であろうし。
[レス続く]
206 :
世界@名無史さん:03/07/06 18:30
>>202-203 >1947年はじめ、すなわち東北における国共内戦が激しさを増していたころ、
中共は「中共中央東北局南満分局」というのを設立し、陳雲が書記に就任した。
同じ年、尚勁光という人が「南満軍区司令官」に就任した。尚は1984年に
「在南満的戦闘歳月裡」という回顧文を書いている。
上記からわかるように、満洲国が滅亡した後も国共内戦の頃までは、「東北」と
「北満」「南満」という地域概念が併存していた。「北満」「南満」は「満洲」
そのものではないが、このような部分的な使い方も、今日では考えられないことだろう。
冷静になって考えて欲しい。
内戦の時代までは地名変更が中共の為政者の意識に上るような心理的余裕もなかっただけの話だろう。
「東北」や「東三省」と並んで、それなりに使用が定着した地名だったのだから。
時期を追って>>強力な忌避感情を引き起こすものともなっていった。
のであって、特定の地域概念やそこから派生した各種概念が分離独立工作に利用されるような事態を
新しく成立した中華人民共和国の為政者たちが遂に決意したのだろう。
中華人民共和国そのものは民国時代の「排満」をはじめとした少数民族への抑圧政策に対するアンチテーゼとして「大中華主義」批判を行い、
満洲族への差別解消のため、国務院通達も出されたりしている。
文革の際には他の少数民族と同様、固有の民族性を非常に抑圧されたが。
[追伸]
ネット環境から暫し離脱するので、
一週間は他の人たちと遊んでくれたし。
207 :
世界@名無史さん:03/07/07 13:18
オマエラ、ウヨな発言ばかりしやがって!←ウヨ認定
ウヨ=軍国主義なんだぜ?
オマエラは戦争を好む悪いヤツニダ!
勝ったな。(藁←勝利宣言 ニダー達って悪いことしてるヨね・・・
∧ ∧ ∧__∧∧_∧ アレとかコレとか・・・
<=( ´∀`) (・∀・( )
( つ つ ( つ ( )
.) ) ) . | |. | | |
〈_フ__フ (__)(_(__)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
右も左も関係ないYO。
オマエラいけないニダ〜! 自分の国が崩れかかっている原因が
それはウヨ思想ニダ〜! 右にあれば右を非難するし、左にあれば左を非難する。
ウヨじゃなきゃ困るニダ゙〜! 是々非々と言ってるだけ。それが普通の感覚だYOネ。
ウヨだってさ、ゲラゲラ 反論になってない、ゲラゲラ
∧ ∧ ! ∧_∧ ∧_∧ 型にハメて意見を封じたいだけだナ、ゲラゲラ
<#;`Д´>ミ (・∀・ ) ( ・∀・)
( つ つ =( ´∀`) ⊂ つ ⊂ つ
.) ) ) 人 Y 人 Y
〈_フ__フ し(_) し(_)
208 :
世界@名無史さん:03/07/08 22:53
>>204 > 満州が蒙古、支那トルキスタン、西蔵とひとしく支那の辺疆地帯に属する
>ことは喋々を要しないところであるが、 (以下略)
この引用は満洲が盛京、吉林、黒竜江の三将軍による軍政であった時代から
すでに本土の省制を擬した「東三省」という地域名が用いられた、という
ことを述べているだけだ。(それはそれで面白い事実だが)
満洲の起源が部族名(部族国家名)であることが、「満洲は地域名ではない」
ことの理由にはなり得ないのと同様に、
「東三省」という地域名称が用いられたことが直ちに「満洲という地域名が
用いられなかった」ということの証明にはなり得ない。
>たとえ外国語起源の用法ではあっても中国からの分離を意味する政治的
>意味合いを込めてなければ、世間の影響も受けて用いられるようになった
>のだろう。
>清朝の支配層だって時代の子であろうし。
その通り、清朝も人の子、時代の子、「東三省」の他に通称「満洲」も
併用したのだ。それを認めた以上;
>満洲人はいわゆる「満洲」を決して「満洲」とは呼ばなかった
とは最早言えないね。
209 :
世界@名無史さん:03/07/08 22:55
>「東北」や「東三省」と並んで、(満洲も)それなりに使用が定着した地名
>だったのだから。
それこそが私の言いたいことだ。
その通り、「満洲」は中国人の間で「それなりに使用が定着した地名だった」。
だから物書き達が言う「満洲は民族名であって地名ではありません」という
のは「ウソ」なのだ。
>特定の地域概念やそこから派生した各種概念が分離独立工作に利用されるよう
>な事態を新しく成立した中華人民共和国の為政者たちが遂に決意したのだろう。
その通り。地域名「満洲」の抹殺は「中華人民共和国の為政者たちが遂に決意」
しなければならぬ人為的・政治的なものだった。決して自然発生的なものでは
なかったのだ。
それを元々の言葉の性質であるかのように物書き達が言うのが「ウソ」なのだ。
>>209 じゃあとりあえずヤポネシア列島も、倭と呼称するのがいいんでないかな。
「日本」という地名は7世紀頃のヤポネシアの酋長が決意したらしいし。
211 :
世界@名無史さん:03/07/10 03:17
発売中の『歴史街道』誌が満州国特集をやってる。
212 :
世界@名無史さん:03/07/10 05:15
>>210 別に現在の地域名として「満洲」を使え、と言っているのではない。
「満洲は民族名であって地名ではありません」
というのが「ウソ」だ、と言っているのだ。
「北海道」の代わりに「蝦夷」を使おうとは思わなくても
「蝦夷は民族名であって地名ではありません」
と言って歴史的地域名を否定されればむかつくだろう。
満洲は満洲じゃないか。
言葉狩りイクナイ。
滿洲、滿洲國、滿洲帝國、満蒙、北満、南滿洲鐵道、滿鮮、日滿支、蘇滿國境、
滿洲里、滿清、渡滿、滿人、滿洲事變、滿洲馬賊、滿洲お菊、滿鐵、滿語、
嗚呼、滿洲と聞いただけで血湧き肉躍る。♪北滿洲の大平野〜
ソ連でさえ認めた満州国。認めないアメリカと中国こそどうにかしてた。
国防上の理由であったにせよ、承認したものは承認した。満州国を認め
さえすれば、ナチスだろうがソ連だろうが日本にとっては味方になるのだ。
中国なんて、あんなもの国家とはいわん。打通作戦が完遂されて、
あの親中ルーズベルト大統領でさえも晩年はそれを認めてる。
217 :
世界@名無史さん:03/07/11 12:19
>あの親中ルーズベルト大統領でさえも晩年はそれを認めてる。
晩年というと、耄碌する前?後?
「抗日戦争」なんて、私利私欲に凝り固まったゴロツキの群れが、
自分らの醜さをカムフラージュするためのゴマカシ笑いにすぎん。
大陸打通作戦でみんな証明済みだ。満州奪回どころか、現にある国土さえ
守る気概もなかった、いや中国人には最初から「国土」なぞ無かったのだ。
219 :
世界@名無史さん:03/07/12 16:38
満州国立大学哈爾濱(ハルビン)学院という学校があったのだが、
終戦と同時に閉校した。終戦と同時に学院長が校庭で校旗を燃や
した後自死した。その校旗の燃え残りを学生が大切に持ち帰った。
帰国した学生の有志をを中心に同窓会がつくられて、事務局にそ
の校旗の残塵は大切に保存された。会員の高齢化により、同窓会
の出席もままならなくなり、2000年を期に同窓会の幕引きを決定、
高尾霊園に記念碑を建立、その地下に小室をつくり、校旗の残塵
や希望者の分骨や遺品を収納している。
毎年4月16日に会員、遺族が全国から集まり、記念碑祭を楽しんで
いる。今年も160名が参集して、寮歌を歌い歓談した。
東京八王子市の高尾霊園に行けば、立派な記念碑を見る事が出来、
そこにはハルビン学院生の心情が刻まれており読む事ができる。
221 :
世界@名無史さん:03/07/13 04:59
ハルビン学院は上海同文書院のロシヤ語版、のようなものじゃなかったかな。
222 :
世界@名無史さん:03/07/13 09:42
ハルビン学院の同窓会は幕引きしたけど、その後の会員遺族の繋がりと、
連絡をとりあい、連絡所が会報「アウ゛ローラ」を現在も出している。
カラー印刷の立派なものです。
223 :
世界@名無史さん:03/07/13 10:23
日本の侵略を肯定しようとしているひとたちがいますね
許せません
224 :
世界@名無史さん:03/07/13 14:26
日本の功績を否定しようとしているひとたちがいますね
許せません
日本の侵略を肯定しようとし、日本の功績を否定しようとしているひとたちがいますね
許せません。
226 :
世界@名無史さん:03/07/16 06:59
もうすぐ半島北部の「後朝鮮」王朝が崩壊し、
「後満州」が建国されるわけだが。
227 :
世界@名無史さん:03/07/16 09:05
「満州帝国」自体がいわば「後清」なのだが。
「後清」だと思わせないよう、滿洲國は「清」の復辟に非ずと再三念を押していたのだか。
満州民族自体がもうほとんど存在しないわけだが。
230 :
世界@名無史さん:03/07/23 16:52
231 :
世界@名無史さん:03/08/01 14:18
甘ちゃんの溥儀が
関東軍に騙されたってことか。
232 :
世界@名無史さん:03/08/01 14:43
祖父が関東軍将校から満鉄に天下りしたらしい。
昔から構造は変わらん脳。
やはり、天下り先確保のための植民支配だったのか。
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
235 :
世界@名無史さん:03/08/29 10:07
満洲国時代の日本人は
中国板には滅多にいないような人格者を除いたら、
肌合いも合わない傲慢な連中として内心は「満人」に嫌われていました。
本国が近代化を成し遂げた「日本軍閥」と異なり
財源を地元満洲にしか求め得ない張学良軍閥の課す重税から解放されるという、
日本人支配による経済的メリットは当初、存在しました。
しかし日中戦争を大きな契機として満洲が戦時総動員体制に組み込まれ、
物価上昇やそれにもまして物資の強制供出が「満人」の大半を貧困化させます。
重化学工業化による経済規模拡大は
当時の住民の生活水準向上に役立つものではないか、
あるいは上述のデメリットに掻き消されたのでしょう。
ソ連の五カ年計画とかと似通った面があるかもしれません。
農地強制安値買い上げの被害者は人数の点では「満人」の中の少数派ですが、
いろいろな不運がスパイラルのように襲った挙句(あるいは一つだけでも)、
悲惨な最期を遂げた「満人」たちは反体制派以外にも大勢いました。
ただ人間という生き物は昔、辛い目にあった記憶も
その後で酷い目にあったことで相殺されシリアスなものではなくなるし、
同時に、幾星霜の流れによって、時には美化されていくものです。
まあ台湾人の日本支配、国民党支配経験と似通った面があるのかもしれません。
既に亡くなった私の親戚で
シベリア抑留された人がいたけど、
辛い思い出より強制労働の配属先で
現地の住民とロシア民謡を歌った思い出が一番印象に残っていると
楽しげに昔話を何度か聞かされましたし。
あと日本人は資本と技術に恵まれているという発想から、
いろいろ近づいてくる人も特に満洲には多いのでは。
>>235 日本は強権的な支配を実は戦争末期には緩めていたのです。
汪精衛政権に対米宣戦させるために、様々な譲歩を行い、
治外法権の放棄もおこないました。満州国内においても、
支配をソフトにみせるために、「妥協」がはかられました。
五族協和を単なる建前から現実のものにしようとする
動きです。もっとも限界はあるわけですが。
物資についていうのであれば、大陸にきた日本人は
国内とは違い、物資が豊かであることに気づいています。
国内の窮乏化がひどすぎたこともあるのですが、それ
だけではありません。
強制買い上げといっても、もともとの払い下げ価格を
考えてみれば、十分すぎるほどの補償です。もともと
蒙古族や満州族からすればこれらは漢族が奪った土地
なのです。蒙古族からすれば、牧畜用の土地を勝手に
農地にかえてしまうわけですから、我慢ならない
わけです。漢族の父祖伝来の土地ではないのです。
それに日本人が潅漑施設をととのえた結果、
周辺にすむ漢族もその恩恵をうけたのです。
豊かになっていきました。
日本人がものすごく好かれていたということはありませんが、
しかし残虐な支配とはいえないこともあきらかです。
天地内有了新満洲
新満洲便是新天地
頂天立地無苦無憂
造成我國家
只有親愛並無怨仇
人民三千萬人民三千萬
縦加十倍也得自由
重仁義尚禮譲
使我身修
家已齊國已治
此外何求
近之則與世界同化
遠之則與天地同流
238 :
世界@名無史さん:03/08/30 14:24
239 :
世界@名無史さん:03/09/01 12:54
>>236 >強制買い上げといっても、もともとの払い下げ価格を
考えてみれば、十分すぎるほどの補償です。もともと
蒙古族や満州族からすればこれらは漢族が奪った土地
なのです。蒙古族からすれば、牧畜用の土地を勝手に
農地にかえてしまうわけですから、我慢ならない
わけです。漢族の父祖伝来の土地ではないのです。
それに日本人が潅漑施設をととのえた結果、
周辺にすむ漢族もその恩恵をうけたのです。
豊かになっていきました。
払い下げ価格も何も、もともと近代的排他的な所有権者の居なかった地所へ
漢族の開拓民がただ入植開墾していただけの話。
そして元手の無い連中から時価相場の十分の一の額で
土地を買い叩けばどうなるかも分かった話。
そもそも清朝だって満州入植を承認するようになってから、
中華民国時代を通じて土地所有権が公権力に否定された事は一度もない。
そして満州国政府は「漢族が奪った土地」の登記を日本人の名義に移しただけだから、
「父祖伝来の地」がどうのこうの言える立場ではない。
だいたい、心身一体の関係にある「本国」がアップアップしていたのだから
戦争末期に戦時協力で満州の住民が貧困化してしまうのも、当然の義務であっただけの話。
様々な要因のおかげで満州国には復興運動が内外において全く存在しないまま。
満州国の豊かさに目を開いた日本人は同時に地元住民の極度の貧しさに驚いてるよ。
憲兵とか満蒙開拓団民とか満鉄関係者とか色々な証言や報告があるからね。
240 :
世界@名無史さん:03/09/06 10:42
満州国は陸軍統制派幕僚(英機タン)や革新官僚(信介タン)にとってこそ、
王道楽土の土地ですた。
内地と違って議会も政党もない点でソ連ともドイツともイタリアとも異なる、
先祖がえりを潜在意識で志向する人たちのパラダイス。
241 :
世界@名無史さん:03/09/08 16:27
>240
実は統制派幕僚たちは
ドイツ人贔屓が多かったけど
「ファシスト」呼ばわりは不当なんだよな。
党の代わりに天皇がいたからな。
242 :
世界@名無史さん:03/10/20 09:49
あげ
243 :
世界@名無史さん:03/10/20 10:21
戦後の彼の地を中国有数の重工業地帯にしたのは、日本だと。
244 :
世界@名無史さん:03/10/27 18:01
満州国の失敗は戸籍と言葉が無かった事。
満州戸籍と日本語を応用した言葉を作れば良かった。
245 :
(○∀○)<大満洲帝國萬歳!:03/10/27 20:54
満洲航空空の覇者 五族協和の旗風になびけ亜欧の空の雲
極東厨も本土に転進してくれよ。キモいから
247 :
世界@名無史さん:03/11/04 12:29
↓これが真実↓
元満蒙移民は中国人や朝鮮人が苦労して開拓した土地をあらかじめ見つけておいてもらって、
そこへ入植した。当然、中国人や朝鮮人は土地を取りあげられ、追い払われる。
農民から土地を奪うことは死ねというに等しい。
たてまえとして「開拓用地ノ整備ニ関シテハ、原則トシテ未利用地開発主義
ニヨル」ことになっていた。しかし現実には、満州拓殖公社が日本人開拓団のため
に「整備」した土地は、中国の農民たちが現に耕作し、村落をなして住んでいた
「既利用地」が圧倒的に多かった.
『ああ満州拓殖義勇隊東海浪始末記』によるならば、寧安訓練所第四次の成沢中隊
は昭和19年の2月に、入植地と決めた牡丹江省寧安県の東海村へ先遣隊を派遣
したが、そこで先遣隊は、満州拓殖公社の社員が中国農民から土地と家屋を買収
するありさまを目撃した。買収の対象――ということは、換言すれば成沢中隊の
入植するところということだが――は、「海浪村の中心部落で村公署や学校、
警察等もある」海浪屯で、満拓公社員は、日本の権力にものを言わせて強圧的に
買収をすすめていった。
彼らは中国農民たちを、「一ヶ月の期限を附して立ちのきをさせるというので、
一人々々調印させた。村長の家へあつめて書類に捺印させ、代金を渡した。
しかもその価格がバカに安い。三間房子(ファンズ)二千円の要求なのに対し、
せいぜい六百円しか払わない」のである。多くの農民たちが「泣きながら金を受け」取り、
そのうしろ、「薄暗いオンドルのアンペラの上には、手を合わせアイゴーと
泣訴哀願する病臥の老婆や、抱き合って泣き叫ぶ子供の姿があった」のであった。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sengo15.htm
248 :
萌国主義者:03/11/04 21:37
王道楽土万歳!
249 :
祝 大東亜会議六十周年:03/11/05 06:50
[●]目覚めよ亜細亜
__∧_∧_
|( ○m○| <起きた(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| ~ ̄ ̄ ̄ ̄
反日をあおる安易な宣伝に乗せられるな!!
>>247 また嘘を書いてますね。(正確にいうと本当の部分もあるのですが)
朝鮮人の移民も募集されてどんどん満州に入ってます。当時の新聞を
読むと、このことがわかります。ただ朝鮮人の
「村々」は南満にあったのです。日本人の開拓村は北満にありました。
日本人が朝鮮人から土地をとりあげたという事実はありません。
大体、地主は中国人で朝鮮人は小作だったんです。開拓村といっても
中国人を駆逐したわけではありません。混在して生活しているところが多かったのです。日本人が
潅漑水路を整備したので、周辺の中国人も勿論、その恩恵をうけたのです。
満州族や蒙古族はこれらの土地を漢族が奪ったものとみていました。蒙古族は
牧畜用の土地を勝手に漢族が開拓してしまうので、これを阻止しようとしまし
たが暴力的に弾圧されるだけでした。満州族は勝手に安価で払い下げられた土地
に怒っていました。その代価をしかも漢族の官僚が満州族に払わなかったのです。
つまりは無償で強奪したわけです。二千円の要求は高すぎます。六百円も
払っているのは、当時としては非常に良心的といえます。イギリスがどういう
やり方で土地を奪ったかを調べてみればわかります。一円も払わずにね。
南満州の方が土地は肥えていたわけです。この部分を朝鮮人に
与えているのです。この地域でおこなわれていたことも勿論、
北満でおこなわれていたことと同じはずです。つまり買収
の成果は朝鮮人も享受していたはずです。朝鮮人には日本を
非難する資格がないといえます。
252 :
世界@名無史さん:03/11/05 13:34
朝鮮族は今も稲作 を指導してるニダ
253 :
世界@名無史さん:03/11/05 14:14
朝鮮族は今も稲作 を指導されてるノダ
254 :
世界@名無史さん:04/01/01 01:54
あけおめage
>>250-251 仮にその論理が正しいなら、満州の土地は満州族や蒙古族に返還されるべきだろ。
満州の土地が日本人のものになることを正当化する論理が、全く見えてこないが。
256 :
世界@名無史さん:04/01/10 09:02
>>255 対価を払って購入したならば、その土地の所有は出来るのでは?(日本人に限らず)
ましてや日本と、満州国との間は交戦状態ではなく、ソ連と、シナの各軍閥によって
侵略され、各戸別の所有物や土地を収奪されたことを言っているのでは?
日本人の所有する土地であるからといって、日本国領土とゆう話ではない。
257 :
関東軍軍歌:04/01/10 10:22
松田 俊 作詞
松下 哲 作曲
暁雲の下見よはるか起伏果てなき幾山河
わが精鋭がその威武に盟邦の民いま安し
栄光に満つ関東軍
興安嶺下見よ曠野父祖が護国の霊ねむり
いま同胞が生命を正義にたくす新天地
前衛に立つ関東軍
烈々の士気見よ歩武を野ゆき山ゆき土に臥し
寒熱何ぞ死を越えて挺身血湧く 真男児
風雲に侍す関東軍
北斗の星座見よ使命暗雲天をとざすとも
神与の剣ひらめけば妖魔散じて かげ空し
東亜のまもり関東軍
旭日の下見よ瑞気 八紘一宇 共栄の
大道ここに拓かれてさんさんたりや大稜威
皇軍の華 関東軍
朝鮮人は、昔の事忘れて何でもかんでも日本にせいにしてくれたから、
風向きが変わったらおぼえておけよ、だよね。
259 :
世界@名無史さん:04/01/10 14:51
何かな、今のアメリカのやってることって日本の満州国作ったのとスゲーにてると思うんだが。
やっぱ大国がやれば良しとされますよ(アメリカが没落したらかわるだろうけど)
260 :
世界@名無史さん:04/01/10 15:03
>>259 安全保障の問題があるのは一緒だけど、それ以外はかなり違いますが、なにか?
>>256 それだと、せいぜい「漢族よりマシ」という反論にしかならんだろ。
日本人も元々は満州族や蒙古族のものだった土地を金で巻き上げてる、という結論には変わりない。
「満系」扱いされてた満州族や蒙古族は、事実上、日本人とマトモに自由競争できる権利を奪われていたわけだしな。
262 :
世界@名無史さん:04/01/14 16:56
>>261 金銭で購入することを「金で巻き上げてる」とゆうのは悪意ある解釈だな。
当時のシナの軍閥や馬賊が開拓地に侵入、略奪や強姦を働いていた話は
たくさんある訳だが(だから治安の確保と居留民保護のため各国は軍隊を
駐屯させている)
まず満族が権利を奪われていたとゆうソースを出してくれ。
ほんとうにそうなら満族の間に反日感情が高まり、敗戦後の引き上げの際
復讐をされ、多くの日本人が殺されたりしただろうが、実際には、日本人を
襲ったのはソ連兵、シナの各軍閥と子飼い強盗集団が多かったのでは。
引き上げの悲劇を書いた本や記録集はそれこそたくさんあるが、おおむね
満人に対しては、ソ連兵に見つからないようかくまってくれたり、食料を分けて
くれたりといった思い出をつづられているものが多いわけだが。
なぜ日本人開拓民は満人に復讐されなかったの?
263 :
世界@名無史さん:04/01/14 18:06
>>262 されてただろ。現に満州国軍が反乱を起こして日本人を
襲ってたわけだし。
264 :
大陸の野蛮人は:04/01/14 18:19
所詮は「義理人情」が解らない「人非人」だね。
265 :
世界@名無史さん:04/01/14 22:51
>>263 満州国軍も終戦で武装解除されましたがなにか?
>>262 >まず満族が権利を奪われていたとゆうソースを出してくれ。
まず、満系=漢族・満族・蒙古族ということは分かってるだろうな?
満系が日本人と比較してどれほど待遇面で差別を受けたかは、当時ですら石原莞爾や安藤彦太郎など多数の人間が指摘しているし、
『満洲労働年鑑』などの統計でも、その格差は明らかになっている。
それと、満州族出身で満州国の有力者だった煕洽ですら、
満州族・蒙古族の派閥を作って日本人や漢族の派閥と対抗し、そのために冷遇されたんだが、その事実は知らんのか?
少なくとも、オマエが山室信一や臼井勝美、塚瀬進などの基本的な著作すら読んでないことだけは、ハッキリ分かるよ。
補足しておくと、煕洽が日本人や漢族の派閥に対抗した主な理由は、もちろん満系に対する待遇の不満な。
>262
>なぜ日本人開拓民は満人に復讐されなかったの?
東北抗日聯軍など反日、反満州国のゲリラに満州族が参加してたことも知らんのか?
269 :
世界@名無史さん:04/01/15 07:44
>>266 なんかこのスレの初めの頃と同じような内容が繰り返されていると思うが。
漢族を満系に入れるのは事後法的発想ではないか。
漏れの婆さんのような女学校は出ているが政治には興味ないのも満人と
シナ人(漢人)は区別していたしお互いすげえ仲が悪かったと話していたけどね。
それに満族で反日がいたとゆうが、じゃ、南京政権みたく、日本に協力していた
漢人がいたから漢人=親日になるのか(w
ステレオタイプの発想はブサヨの伝統だな(プ
270 :
世界@名無史さん:04/01/15 08:52
漏れの婆さんは引き上げを(爺さんはすでに戦死していて、婆さんは入植者ではなく、現地に進出した工場に
期間を区切って現地人に技術を指導する仕事をしていて大陸で終戦を迎えた)経験しているが、
一番恐怖だったのは、シナの軍閥(含む国民党軍)が襲ってくることだったそうだ。
現地の日本人の間では、通州事件を始め、シナ兵は規律がなく、略奪は当然のことだと思われていた
らしい。その次はソ連兵。
だから引き上げの際は強姦や(婆さんはまだ若かったしね(w)殺戮から逃れるため、高級な絹の織物
(婆さんが勤めていたのは絹織物の織元だった)を体にグルグル巻きにして、いざとなったらつれていた
子供共々命乞いをするつもりだったらしい。
逆に、満人や朝鮮人は「仲間」との意識があったようで、同僚の朝鮮人からハングルを教えてもらったり
キムチのつけ方習ったり(婆さんは死ぬまで朝鮮漬とゆう言い方だった)したことを懐かしく話していたよ。
それだけに戦後のずいぶん後になって「日本は朝鮮民族にハングルを使うことを禁止した」とか「慰安婦」
問題には裏切りだ激しく怒っていたな。
満州国を日本人が語る際は、石原莞爾のような武官、満州国官僚のような文官、と日々の労働に追われ
挙句の果てに全てを失い日本に帰った民間入植者の立場では著しく異なると思うのだがどうだろう
271 :
世界@名無史さん:04/01/15 09:02
いぜん、満州地域の対日感情は想像以上に良好であると、何かで読んだ記憶があり
ます(今では東北地方ですが)。
いまだに、上下水道とか送電とか鉄道とかのインフラがいちばん先進的(たとえば
停電に対応するためのグリッドが統一されているのは、中国広しといえども旧満州
だけ)な地域は、戦前日本の遺産がある東北地方なのだそうな。
優れた近代的都市計画が花咲いた、新京をはじめとする旧満州のインフラの素晴らしさ、
日本人技術者たちの「夢の跡」が観光地としてすばらしい遺産になっているのを写真
でみるたびに、ため息をついてしまいます。福田和也先生が慨嘆するのもわかります。
日本国内ではできなかったような、美しい都市…日本人の、新天地たる大陸での可能性、
という点では、ウヨでなくても評価せざるをえません。
ただ、サヨでなくても考えさせられる問題として、日本人植民者が定着できなかったこと、
とりわけ農場主として定着しえなかったあたりに、日本人の「海外雄飛の限界」を
感じるのも確かです。
この点では、そもそも明治日本のフロンティアとなった北海道で、いやそれ以前に
江戸時代の東北で、日本人は「植民地建設に失敗した」ということが言えますね。
いまだに北海道は、経済面では東京のお荷物です。コメ経済に特化した農民の意識は、
ついに大陸の粗放農業をシステムまるごと受け入れいるのに失敗した、というほかあり
ません。
ようするに、日本人が「人口希薄な北方の大陸」にあらたな兄弟国家を建設するため
には、まず、東南アジア起源の集約的稲作農業と別離することこそが、最大のポイント
だったと思います。日本の高温多湿な水田世界からやってきた開拓農民たちが、自分
たちの過去の経験やシステムときっぱり別離できなかった時点で、満州開拓は失敗し
ていたのだ、と感じざるを得ません。
入植者の多くは国内の貧民対策とかで、当然無知も多かったろう、
そしてなんて言っても多分に政治に誘導されて入植し、確か100-200万人の予定が数十万にしか達しなかったはずだな。
で最大多数が軍人だったりしたわけだよ。これじゃあしょうがねーよな。官僚主導計画経済の失敗みたいなものだな。
貧乏現地人と貧乏移民と軍人なんて金掛かるやつらばかりだろ。どでかい独立行政法人つくっちゃったようなもんだ。
お荷物だな、どえ考えても。税金垂れ流してインフラボランティアでもしたかったのなら別だけどな。
ただし一部だけは儲けちゃったのだよな。
その1つは満鉄がらみの連中だろ。
これらの利権に満漢全席的民族問題がからんできた時点で終わっているな。
更には15世紀から続いた植民地建設とやらにも18世紀以来限界と終焉の時代は始まっていたわけだから
どうにもタイムリーじゃなかったな。
時代を見ぬく目とは重要だな。
>269
>漢族を満系に入れるのは事後法的発想ではないか。
意味不明。「漢族が満系とされたのは、満州国の国策でしかない」という意味で言っているのならば正しいが、何が言いたい?
それ以前に、満系の差別待遇についての反論では無いな。
>それに満族で反日がいたとゆうが、じゃ、南京政権みたく、日本に協力していた
>漢人がいたから漢人=親日になるのか(w
いつ誰が、全漢人=親日、全満族=反日と言った?
>268から、なぜそんな飛躍した解釈が出てくる?
>ステレオタイプの発想はブサヨの伝統だな(プ
「ブサヨ」とレッテルを貼る輩に、そんなことを言われる筋合いは無いが。
だけど今時、文末に(プ、をつけて恥ずかしくないのか?
まあ、まともにレスを返す意思が無いようだから、あとはどうぞ御勝手に。
貴重な時間の無駄だ。
274 :
世界@名無史さん:04/01/15 21:02
俺がスターリンだったら、満州国は解体しないでそのまま
日本に代わって支配するけどな。あの強欲なソ連がなぜ
大人しく中国に返したんだろ?後になって中ソ紛争とかも起こったし。
275 :
世界@名無史さん:04/01/15 23:35
>>274 旧満州をソ連が領有したた、数千万人の漢族や朝鮮族や蒙古に満州族をソビエト
の人口に加えなければいけない。それにロシア人口比で一気に最大民族になって
しまう。それが一番のネックだった。それに対中国蜜月時代だったことも忘れては
いけないね。ロシアのアジア系ってのは、トナカイの飼育でもしてる少数民族の
ような存在でなければならず、けしてロシア民族の競争相手となることは許しがたい
ことなんだよ。
276 :
世界@名無史さん:04/01/15 23:37
>>275 いや、併合じゃなくて、満州国という独立国のままにして
溥儀も満州国の元首として、日本と同じように実行支配する
ということ。
277 :
世界@名無史さん:04/01/15 23:42
帝政存続は無理でも
モンゴルみたいな衛星国家にするのはアリかも。
278 :
世界@名無史さん:04/01/15 23:42
しかし、満州は清朝時代に漢族が入植することを禁止され、17世紀にロシアと
ネルチンスクで国境を制定する際も両国人の無居住地帯とすることで合意した地域
だ。清朝が当時漢族の入植を奨励していれば、沿海州がロシア人の割譲されることも
なく、日ロ戦争も起こらず、日本が北境防衛のために満州に進出したり朝鮮を植民地
にしてロシア南下を阻止する必要もなかった。
日本の北東アジア進出は対ロシア南下防止という側面が大変強かったんですよ。
この場を借りて、石川亜沙美の魅力について語り合おう!!
身長178センチ、股下88センチ
>>278 日本の朝鮮半島進出は不満武士対策だろ。征韓論が原因だろ。
だからこの頃から今話題の年金の起源たる軍人恩給も始まる。
シベリア鉄道もできていない19世紀当時にロシアの脅威は誇張しすぎだよ。
だいたい維新後に台湾出兵の方が半島進出より先だった説明もつかない。
ロシアの沿海州併合は1860年の北京条約だろ。
防衛の為にしては日露戦争まで半世紀弱も掛かるってのも少しばかり変じゃああーりませんか?
1875年に朝鮮よりサハリンを軽視したと言う説明も難しいね。
江華島事件と千島樺太交換はともに1875年。台湾出兵1874年。沖縄併合1871年。
対ロシア防衛上なら北を重視するはずだが、どう考えても維新初期の軍事や外交は南に向いているよ。
結局対バルチック艦隊にしても、第二次大戦にしても南向きなんだよな、その後のわが海軍も。
で、結局北方四島をスタ−リンにパクられる。
どう考えると対ロシア北方防衛なんだろうか?
日本にしてもロシアにしてもより南に先に行きたかっただけで、防衛じゃねーだろ。
言わば植民地争奪戦。日露戦、シベリア出兵、ノモンハン、どれもロシアとの戦争は意外や意外
淡白で比較的短期間で終わっている。妥協と外交と短期戦のみ。日露戦争なんか1年半程度だろ。
だが、日本の南進は半島、満州、中国そして沖縄、台湾、と
南進の意欲見え見えで戦闘が泥沼になっても継続していた。執着心を示しているでねーかい?
ロシアとは対立するよりも植民地獲得をシェア−していたと解釈できるよ。
やっぱ、みんな南が好きなのさ。
281 :
世界@名無史さん:04/01/20 20:31
Open the door !
282 :
[☆]|`▲´b) 偉大な人民の父:04/01/20 20:40
南下妖怪?
283 :
世界@名無史さん:04/01/21 08:32
>>280 >>やっぱ、みんな南が好きなのさ。
この一言が言いたいため無理な理屈をコネるのか?
と、マジレすしてみる
284 :
世界@名無史さん:04/01/21 09:07
>>280 >>日本の朝鮮半島進出は不満武士対策だろ。征韓論が原因だろ。
その通り!と言いたいが、それもあるが、安全保障上の問題も相当ある。日本は明治に改元直後真っ先に実質鎖国状態
にあった朝鮮国に使節を送って国交を迫っている。少なくとも「まず征韓論ありき」ではないのは史実だ。
実際にはそれ以前から日本に黒船来航とほぼ同時期に欧米各国から開港交易を迫られている。当時の朝鮮は外交権を
中華帝国にゆだねていたからてんでヘタレな対応しか出来ない(ってゆうか対応法を知らない)。
それだけなら幕末の日本も同程度だがその後の動きが日本とは大違いだった。いわゆる「あの国の法則」ってやつかも(w
>>シベリア鉄道もできていない19世紀当時にロシアの脅威は誇張しすぎだよ。
建設は進んでいたわけだが....。まあ露の南下政策はすでに100年以上に渡っているし、清が国土(それも日本海側)を
明け渡しつつあるとゆう情報は既にキャッチしていたわけで、当時世界第2位の海軍大国が海を隔てた向こう側に基地
を構えたとゆう事実が、当時開国したばかりの幕末〜明治にかけての弱小国家日本にとってどうゆう脅威だったか想像出来
ると思うが。十分以上にガクガクブルブル(AA略)
>>だいたい維新後に台湾出兵の方が半島進出より先だった説明もつかない。
台湾出兵は、遭難した漁民保護が目的で、大陸進出とは、直接関係はないと思うが。
285 :
世界@名無史さん:04/01/21 09:23
>>ロシアの沿海州併合は1860年の北京条約だろ。
>>防衛の為にしては日露戦争まで半世紀弱も掛かるってのも少しばかり変じゃああーりませんか?
>>1875年に朝鮮よりサハリンを軽視したと言う説明も難しいね。
世界第二位のの海軍国家、正真正銘の列強だぞロシアは。ちょんまげ結ってたのがいきなりロシアに戦争しかけられるか、
よく考えれ。
それにその間で起きた大津事件とかを無視するな。日本は露と戦争出来るような国じゃなかったってのがわからんのか?
日本が対等な立場で列強と外交交渉出来るようになったのは、日露戦争に勝ったあたりから。
鹿鳴館じゃないが、それまではまともに相手すらされていない
現在の外交交渉と同じ物差しで考えてもだめよ。
>対ロシア防衛上なら北を重視するはずだが、どう考えても維新初期の軍事や外交は南に向いているよ。
>結局対バルチック艦隊にしても、第二次大戦にしても南向きなんだよな、その後のわが海軍も。
>で、結局北方四島をスタ−リンにパクられる。
>どう考えると対ロシア北方防衛なんだろうか?
千島樺太返還といい、十分北も向いていたと思うが。確かに歴史本の記述のバランスは南側重視だとは漏れも思う。
バルチック艦隊は南側から来たのだから南向きと言われても困るぞ(w
北方四島については、確かにパクられたとゆう表現には同意だ。その後の対応も無様なものがあるな。
冷戦時代に入り核の恐怖で及び腰外交になっていた部分もあるだろうけど。
286 :
世界@名無史さん:04/01/21 09:36
>日本にしてもロシアにしてもより南に先に行きたかっただけで、防衛じゃねーだろ。
>言わば植民地争奪戦。日露戦、シベリア出兵、ノモンハン、どれもロシアとの戦争は意外や意外
>淡白で比較的短期間で終わっている。妥協と外交と短期戦のみ。日露戦争なんか1年半程度だろ。
>だが、日本の南進は半島、満州、中国そして沖縄、台湾、と
>南進の意欲見え見えで戦闘が泥沼になっても継続していた。執着心を示しているでねーかい?
>ロシアとは対立するよりも植民地獲得をシェア−していたと解釈できるよ。
ロシアとシェアーすることに注力していれば歴史は確かに変わっていたかもしれない。
しかしロシアは極東の弱小国に遠慮する必要はない。ヨーロッパ内ですら、一等国と
それ以外では確実に格差があったわけでヨーロッパ内で併合離散が繰り返されていたし。
だから、現在の目線で国対国の外交関係は対等とゆう前提で考えると理解できないことだらけ
だろう。
それとそれ以前に、アフリカ、アジアの列強割譲はほぼ完了していて、まとまって土地があるのは
満州、シナ位。シナは既に列強に蝕まれつつあった。満州は「眠れる獅子」清のホームグラウンド
だとゆう情勢も考える必要はある。
日露戦争が短期ってゆうけど、第一第二次大戦が長期なだけで、戦争ってのはあれくらいが普通
いわゆる、国家存亡を賭けた総力戦ってのはすでにやりにくい状況だった。この辺は軍板の方が
詳しい連中が多いと思うけど。
287 :
世界@名無史さん:04/01/21 09:39
288 :
世界@名無史さん:04/01/21 09:42
>それにその間で起きた大津事件とかを無視するな。
三国干渉にすごすごと引き下がったのも。
289 :
世界@名無史さん:04/01/21 09:42
日本の大陸政策でシベリア出兵こそがその本質を表す出来事だと思うが、
あまり取り上げられないね。
290 :
世界@名無史さん:04/01/21 10:19
「その本質」とは?
291 :
世界@名無史さん:04/01/21 20:09
どうせ、侵略体質だの軍国主義だの言い出すんだろうよ。
サヨの論調って、ヒキーやメンヘラの、生まれてきてごめんなさい的つぶやきに似ているよな。
293 :
世界@名無史さん:04/02/01 20:25
現在の東北にロシア人は居ないの?
294 :
世界@名無史さん:04/02/01 20:42
ま、俺たちに直接関係してこなければ、海外派兵も大いにけっこう。
295 :
世界@名無史さん:04/03/07 10:14
age
296 :
世界@名無史さん:04/03/18 16:45
>>250 以前は、「在日朝鮮人は強制連行されてきた」とデマが信じられていたけど、
それが嘘とバレ出すと、「土地を奪われてやむなく日本へ」と言われ出した。
だけど、それも嘘で、単に日本の善政で人口が激増し、食えなくなった半島南部の
農民が日本に流入してきたりしたものだった。
それと同じことだね。
297 :
世界@名無史さん:04/03/18 16:58
>>296 半島は寒い。暖かい日本に来たかったのだろう。
298 :
[○]国粋主義は正義なり:04/03/18 17:26
頭山満の政治的軌跡には、はじめも終りもよくはみえない。それは政治的に頭山満の軌跡ではなくて、
他の人たちの実績として記録実証の歴史にのこされている事に頭山のそれが重なっているからである。
299 :
世界@名無史さん:04/03/18 17:46
>>296 毛沢東時代の中国も人口が激増しているけど、
善政のおかげとは思われない。
また朝鮮の場合、むしろ戸籍制度が整ったため、
見かけの人口が増えたというのが正しい。
300 :
世界@名無史さん:04/03/18 18:00
善悪の問題は別にして、日本が進出していた所、韓国、台湾と
現在発展している。日本のつくった教育システムとかインフラ
整備が役立っている。中国東北地方も戦後一時期かなり好景気
だったのに、中国政府のまずい干渉で衰えましたね。
301 :
世界@名無史さん:04/03/18 18:14
>>250>>296 >ただ朝鮮人の「村々」は南満にあったのです。日本人の開拓村は北満
>にありました。日本人が朝鮮人から土地をとりあげたという事実はありません。
鮮満拓殖公社の話と日本人移民との話がごっちゃになっている。
関東庁の文書を読むと、日本側が把握していた南満にかぎって在満朝鮮人調査が
行われていたのであって、北満にも朝鮮人は多く入り込んでいた。
黒竜江沿岸で米作を始めたのも朝鮮人。
そういう土地を満州開拓公社が接収して、「無人の既墾地」として移民に宣伝して
いたのは有名な話だが。
>開拓村といっても中国人を駆逐したわけではありません。混在して生
>活しているところが多かったのです。
この件については、何よりも同時代人の報告によって当時から実情を知られている。
土地を接収された中国人が行くあてもないので、元の自分の土地の周囲に小屋住まい
をしており、しかも広大な面積の耕作が手に余る日本人移民が、そういう元の土地主
の中国人を日雇いで雇って農業経営を営んでいたことは有名な話。
言いたいことが先に立つのはいいんだが、嘘はいかんね嘘は。
>>301 その「中国人」も「漢族」でいいのかな?
303 :
世界@名無史さん:04/03/19 07:40
>>301 摂取されたんではなくて、元々不法に居座っていただけ....。
しかも退去したときにそれなりの金銭も受け取っている。
合法的に金だして土地を購入した日本人のみがなぜ悪者になるの?
そりゃ戦争には負けたけどさ。
>303
土地には先取権っつーもんがありますから。
不法か合法か以前に、権利関係がえーかげんである以上
「いまそこで営まれている生活の権利」のほうが、実効性を無くした紙の上の権利関係より上、っつーのが
土地の権利関係を語るときに何より大事な原則、なワケでして。
まぁ、それ以前に戦争に負けたことが何より大きな条件なんだがね。
負けたら何も言えない、歴史を記述する権利は勝者のみ……
このオールオアナッシングの法則に反したことを期待しても、無駄だよ。
>>304 その通りだわな。だけど日本人の引揚者はそのことで文句たれた香具師は殆どいないだろ。
漏れの祖母も大陸引き上げ者(満州じゃないが)なんだけど、サヨががった偉い人が
テレビで、大陸に出て行った人たち全てが、シナ、満州、朝鮮といったところで
現地の土地や物を奪って自分のものにしたような言い方をすると、ずっと文句
言っていたよ。幸い家族(漏れの叔父や叔母)はつれて帰れたけど、財産(といっても
社員として行っていたのでたいしたもんはなかったが)は全て放棄してきている。
現地人とも良好な関係が築けたのに、全て失った上に泥棒呼ばわりされて、さぞ悔しい
だろうなと子供の頃から思っていたよ。
>>304 今の駅前周辺土地が朝鮮人のものでほとんど締められているのを
どう思いますか?
307 :
石原莞爾サイコ-!!(・∀・):04/03/21 14:51
「東亜連盟」は正義!
石原莞爾はアジア解放のために、まずソ連軍の南下を抑える砦を北満に築
きたかった。しかもその時期は、ソ連の第一次産業五ヵ年計画が完成する
前でなければならなかった。
国民党も共産党も中国にとっては迷惑千万!
「連戦」連敗は天の声!
台湾総統選挙は、民主進歩党の陳水扁氏が再選され、かの国民党は支那事
変の当時を彷彿とさせる「連戦」連敗の記録を更新したのである。(w
308 :
世界@名無史さん:04/03/21 16:23
>>306 半島に帰る際に土地を持ち帰ることは不可能ですが何か。
309 :
世界@名無史さん:04/04/08 23:34
満州事変なんだけど、もうちょっとうまくやれば自救行為として正当化できたんじゃ?
まず、中国側の排日侮日行動を諸外国に訴え、9ヶ国条約の締結国+中国の会議を
要請する。会議で中国の革命外交の非を訴えれば、中国に多くの利権を持つイギリス
は日本に同情するだろう。アメリカも中国の行為はワシントン体制を揺るがすものとして
日本に賛成するだろう。会議で中国に排日行動を改めるよう勧告を出し、中国がそれに
従わない場合は、日本は最後通牒を突きつけて軍事行動に出ればいい。
鉄道爆破なんて稚拙な自作自演をしたことと、中国の排日活動の宣伝不足のせいで、
日本は随分と損をしてるよ。
>309
別に、満州事変そのものに対しては列強はかなり融和的な対応を見せてるよ。
「リットン報告書」では、日本側の主張した「満州国」の成立正当性は否認されてる
(そりゃあそうだ、満州の独立運動なんて無かったんだから…)けど、
その後の連盟の勧告では満州における特殊権益の行き先に関しては
中国と日本の二国間協議に全て委ねるべきだ、という結論になっている。
結局、陸軍のメンツという内政問題を解決できない日本(石原の読み通りだが…)が、
連盟の融和的対応をこっちから手ぇ払ってしまったのが、満州事変の結末。
そして日中戦争ではだーれも日本を支持してくれなくなり、自爆戦争に至る…と。
例によって小異に拘り大同につけない馬鹿が
表れたわけやね。
日本の歴史はずーとこんな感じ。
312 :
世界@名無史さん:04/04/09 12:24
日中戦争だってそれ単体だけ取り出してみれば、日本の侵略とは
言い難い。実際、英米も第二次上海事変は蒋介石がしかけたもの
だって分かってる。
その前の満州事変、華北分離工作や、ドキュソ近衛の「国民政府相手にせず」、汪兆銘政権
樹立で、日本は田中上奏文の通り中国を征服しようとしてるってイメージになっちゃったんだよな・・・
中国ロビーの宣伝がうまかったのもあるが。
313 :
匪賊《サラヤ・アル・ムジャヘディン》:04/04/09 12:54
《サラヤ・アル・ムジャヘディン》に捕われた諸君を救助するためにも、増援派遣は必要だ。
これは第二の通州事件である。どうか諸君!生きて虜囚の辱めを受けず…日本人として潔く散ってくれ!
君達だって靖国神社に合祀して欲しいだろう?
といいたいが…無理ぽ
まあ、血に飢えた戦士たちのイケニエとなって食われるのも悪くないだろ。さらば!
314 :
世界@名無史さん:04/04/09 21:11
日本の満州権益
1:旅順、大連を含む関東州租借権(1997年まで)
2:長春以南の南満州鉄道(満鉄)経営権(付属地及び並行線並びに利益を害する支線敷設禁止を含む。2002年まで)
3:安奉鉄道経営権(2007年まで)
4:満蒙五鉄道の合併敷設権および関連二鉄道の受託経営権。
5:鉱山採掘および森林伐採権。
6:土地商租権、自由往来居住権および商工営業権。
7:鉄道守備兵駐屯権(鉄道1kmにつき15名。総計1万6665名以内)
そもそも満鉄平行線って条約違反じゃないか!
なんで、誰も言わないんだろ・・・
秦郁彦に至っては平行線は儲かってなかったから問題ない
とか言い出すし・・・
満州国の政治犯ってどういう扱いを受けていたのですか?
匪賊認定されると拷問の末、死刑ですか?
316 :
世界@名無史さん:04/05/17 04:20
317 :
世界@名無史さん:04/06/10 19:02
満州国の元号「大同」と「康徳」制定の由来について詳しい方おられますか?
318 :
世界@名無史さん:04/06/25 18:38
愛新覺羅 溥儀
「私の日常生活は、食うことと寝ることを除けば、次の言葉で概括できた。すなわち、なぐりどなる、占う、薬を飲む、おそれる」
319 :
秦と半藤は:04/06/25 20:52
左翼を追い詰めず自説に丸め込みたいヤシだな。ナーンかバナナの叩き売りっぽいね。
東京裁判と戦後民主主義の代弁者って感じ。
>85>86
満州って日本の領土だったの?
321 :
世界@名無史さん:04/07/20 01:46
三笠宮がハルビンでシナゴーグに足繁く通ってラビと親交があったというのは本当ですかいな?
322 :
世界@名無史さん:04/08/03 22:42
オリエント史専攻だったから?
323 :
今度は満洲《支那大陸は暗黒》:04/08/04 00:36
わが国のチャイナスクールは血ベット、ウイグルでの暴徒鎮圧は、国家建設過程での措置。
「台湾は中国の一部である」という主張を尊重するといっています。
今年は8.15の靖国神社が熱くなりそうで我々も予想以上に萌え萌えだ!
今からでも遅くない、夏休みの計画を変えて15日には、靖国神社に行こう!
\(○m○)/[萬●歳]
君達が頼りだ!頼むゾ。
324 :
世界@名無史さん:04/08/28 00:16
だが、1939年8月のモロトフ=リッペントロップ協定成立をみて、国民党親独派の朱家華は
喜び、ドイツに独中ソ経済同盟の樹立を提案している。さらに1940年7月、フランス戦が
一段落すると、ドイツに「満州国承認」「日本の上海・平津地区以外からの撤兵」「華北経済
権益の確認」を条件に再度、日本との和平仲介を依頼した。
この時、陸軍は参謀本部次長沢田茂を中心として「桐工作」に取り組んでいた。外務省から
参謀本部に、この仲介依頼の連絡があったか否かについて、沢田はその回想録に記録して
いない。ちなみに、朱家華の条件は沢田の桐工作における条件と同じである。更に、
「ハルノート」は満州を除く撤兵を要求しているので、朱家華の条件より厳しい。役所の
セクショナリズムが日本を追いつめていったのだ。
http://ww1.m78.com/topix-2/hapro%20treaty.html
325 :
\(^■^ ラ 余も滿洲に行きたかったゾ!:
\(@▲@-b 【卍】
キタ━━━ヽ( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚≡゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )ノ━━━ !!!!!!!!!!!