世界史の女傑について語ろう!
2 :
世界@名無史さん:02/04/27 22:04
2ゲット!!
女尻?
3 :
世界@名無史さん:02/04/27 22:09
高校の歴史教師がサヨだったのでよく話は聞いた。
ローザルクセンブルク、チュン姉妹辺りが定番。
4 :
世界@名無史さん:02/04/27 22:14
>>3
>ローザルクセンブルク、チュン姉妹
どんな女性なのでしょうか?
5 :
世界@名無史さん:02/04/27 22:25
ローザルクセンブルクはドイツ共産党の革命家ですわ。
日本の学生運動でも女性の活動家は「ローザ」って呼ばれていたとか。
チュン姉妹はベトナムの後漢支配に対する抵抗運動の指導者。
則天武后は、女傑にはいる?
>5
>チュン姉妹はベトナムの後漢支配に対する抵抗運動の指導者。
チュン姉妹は、女将軍なのでしょうか?
>>4 ちなみに故どんとが結成していたバンドの名前も
「ローザ・ルクセンブルグ」
中古CD屋で見かけたら買うべし・聴くべし
>6
>則天武后は、女傑にはいる?
今回は、入れません。
今回の女傑の意味は、女戦士や女将軍のことだよ。
10 :
世界@名無史さん:02/04/28 00:13
>>7 土豪の娘で、姉の方の夫が後漢の役人に殺されたため反乱を起したそうです。
王位についたけど結局負けて処刑。
後代のベトナム王朝には神にしてもらいました。
11 :
世界@名無史さん:02/04/28 00:23
明末期には、秦良玉という女将軍がいたよ。
12 :
世界@名無史さん:02/04/28 00:33
>11
>秦良玉
どんな女性なのでしょうか?
13 :
世界@名無史さん:02/04/28 00:46
>>11 明朝の官軍として、兵を率いて北方民族と戦った女将軍だよ。
彼女は、個人的な武勇だけでなくて指揮官としての軍事的才能
も持ち合わせていたそうです。
14 :
世界@名無史さん:02/04/28 00:47
>12
井上由美子だったか?が「女将軍伝」ってタイトルで小説書いてる
15 :
世界@名無史さん:02/04/28 00:49
秦良玉は、織田信長より優れた名将軍だと思うよ。
16 :
世界@名無史さん:02/04/28 02:21
イザベル1世
スペインの女王
17 :
世界@名無史さん:02/04/28 02:29
イサベルは戦場に出てないだろ
18 :
世界@名無史さん:02/04/28 02:29
ジャンヌダルク
19 :
世界@名無史さん:02/04/28 02:32
ロシアのエカテリーナ1世
20 :
世界@名無史さん:02/04/28 10:57
女海賊
アン・ボニー
メアリ・リード
21 :
世界@名無史さん:02/04/28 11:37
>17
>イサベルは戦場に出てないだろ
いいえ、イサベルは戦場に出ていたよ。
女スパイは女傑に入るの?
23 :
世界@名無史さん:02/04/28 17:30
>22
>戦場のスパイなら入るだろうね
24 :
世界@名無史さん:02/04/28 19:09
南宋の楊妙真
25 :
世界@名無史さん:02/04/28 20:02
まつ
26 :
世界@名無史さん:02/04/28 20:18
パルミュラ女王ゼノビア
27 :
世界@名無史さん:02/04/28 20:49
アジャコング
28 :
世界@名無史さん:02/04/28 20:54
ガラ・プラキディア
29 :
日本@名無史さん:02/04/28 22:26
マタ・ハリは?
31 :
世界@名無史さん:02/04/28 22:58
鶴姫
32 :
世界@名無史さん:02/04/28 23:07
木蘭も入るかな?
田中芳樹の小説とディズニーアニメ連続で見ると胃が痛くなるが。
33 :
世界@名無史さん :02/04/28 23:39
34 :
世界@名無史さん:02/04/28 23:44
>32
>木蘭も入るかな?
木蘭は、架空の人物だから駄目でしょう。
35 :
世界@名無史さん:02/04/28 23:47
ほんじゃあセミラミスはどうよ。
どこらへんまで史実なのかよく分からんが。
36 :
世界@名無史さん:02/04/29 00:31
だからおめーらアジャコングだっていってんだろ!
実在の人物だぞ
37 :
世界@名無史さん:02/04/29 01:21
>>35 アルテミスのことかい。
乳房何個もある女じゃ抜けない
38 :
世界@名無史さん:02/04/29 01:43
んー?
1.旦那を毒殺してアッシリアの女王になり
2.バビロンの空中庭園を建設して
3.インドにまで攻め込んだけど結局敗退した
セミラミスのことじゃねーのか。漏れもよくは知らん。
39 :
世界@名無史さん:02/04/29 01:58
ジャンヌ・ダルクはどうよ。
40 :
世界@名無史さん:02/04/29 02:12
女ケツについて
41 :
世界@名無史さん:02/04/29 02:13
女穴?
42 :
世界@名無史さん:02/04/29 08:55
>>38 ついでに、宦官を考案した人ということになってる。
43 :
世界@名無史さん:02/04/29 09:28
ラクシュミー・バーイー
45 :
世界@名無史さん:02/04/29 12:01
>43
>ラクシュミー・バーイー
どんな女性だったの?
47 :
世界@名無史さん:02/04/29 12:09
シャジャル・アッドゥッルはどうすか?
48 :
世界@名無史さん:02/04/29 12:21
>45
19世紀インドの小国ジャーンシー王国の女王。
14歳で王妃になる。王死去後イギリスは王国を奪う。
セポイの反乱に呼応し、ジャーンシーで反乱軍の女王となる。
女王の呼びかけに応え、市民ぐるみ勇敢に戦うが落城。
ラクシュミーは男装し城を脱出し戦うが、戦死。
イギリス軍から「反乱者の中で最も勇敢で、最も有能な指揮官」と評価される。
49 :
世界@名無史さん:02/04/29 14:47
>47
>シャジャル・アッドゥッル
どんな女性だったの?
50 :
世界@名無史さん:02/04/29 15:05
>49
13世紀のエジプトの女王(スルタナ)。
十字軍に追い込まれ王が死ぬが、王妃である彼女は王の死を隠し、
十字軍を破り、ルイ9世を捕虜にする。
この功績が認められ、女王に推戴される。
アイバクと結婚し、彼をスルタンにするが実権は握り続ける。
権力争いから夫を殺すが、彼女も夫の前妻に殺される。
51 :
世界@名無史さん:02/04/29 20:09
カタリーナ・エランツァオ
カリブ海の女海賊
イスパニア(スペイン)出身
時代は、大航海時代
52 :
世界@名無史さん:02/04/29 22:42
>51
>カタリーナ・エランツァオ
アン・ボニー
メアリ・リード
女海賊なら、この二人の方が上手だよ。
53 :
世界@名無史さん:02/04/29 23:25
祝融
>53
夫人を付けとけ
55 :
世界@名無史さん:02/04/29 23:38
>54
祝融が名前であって、祝融夫人という名前ではないよ。
ややこしいんだよ。
マニアにしか分からんし、
祝融は別のほうが有名だろ。
57 :
世界@名無史さん:02/04/30 00:02
58 :
世界@名無史さん:02/04/30 00:24
クレオパトラ
59 :
世界@名無史さん:02/04/30 00:27
黒老頭
19世紀の清で、現在の四川省で荒稼ぎした女盗賊
60 :
世界@名無史さん:02/04/30 09:34
マリア・テレジア。妊娠中にもかかわらず戦争を戦い抜いた。
61 :
世界@名無史さん:02/04/30 10:03
>60
>マリア・テレジア。
どんな女性だったの?
62 :
世界@名無史さん :02/04/30 14:03
戦場で指揮をとった女性なら、何人もいるよ。
19世紀インドのラクシュミー・バーイー
ローマ軍に反乱したブリテンのケルトの女王ボアディケイア
スコットランド軍を撃退したエドワード3世妃フィリッパ
バラ戦争時代のヘンリー6世妃マーガレット
漢の支配に反抗したベトナムのチュン姉妹
明末の女性武将、秦良玉
サラミスの海戦の時、ペルシア側で勇戦したアルテミシア
など。
63 :
世界@名無史さん:02/04/30 14:07
>>62 パルミラの女王ゼノビア
も加えて欲しいな。
64 :
世界@名無史さん:02/04/30 14:39
>>64 >ジャンヌ・ダルクは?
彼女は、残念ながら駄目だな。
67 :
63じゃないよ:02/04/30 21:09
>61
本当にこの板の住人か?
69 :
世界@名無史さん :02/04/30 22:38
>>48 インド人の中には、そのラクシュミーと神様のラクシュミーを混同してる人がいる
>>68 私は、頭悪いから知識が少ないんですよ。<笑>
>61
マリー・アントワネットの肝っ玉母さんでお調べ下さい。
72 :
オルテガ ◆RS05gDgk :02/05/01 01:19
勇婦シャールカ。
73 :
世界@名無史さん:02/05/01 02:36
青面獣の楊志。
74 :
世界@名無史さん:02/05/01 02:38
>72
>勇婦シャールカ。
どんな女性だったの?
75 :
世界@名無史さん:02/05/01 04:59
小野妹子
孫子
孟子
その他
おすぎ
ピーコ
幹次郎
77 :
世界@名無史さん:02/05/01 11:52
78 :
オルテガ ◆RS05gDgk :02/05/01 11:55
>>74 スメタナの交響曲「我が祖国」のモチーフの一つになってるチェコスロバキア
の伝説の女戦士。
恋人に裏切られて、男性に復習を誓い、女性だけで軍隊を作って
男性軍と戦ったそうだ。
79 :
オルテガ ◆RS05gDgk :02/05/01 11:58
ちなみにチェコには、その名が地名に残っていて、シャールカ川、シャールカの森
シャールカの谷があるそうだ。
80 :
世界@名無史さん:02/05/01 14:16
81 :
世界@名無史さん:02/05/01 21:02
イミル(本名はオルガナ)
モンゴル軍の女将軍
82 :
オルテガ ◆RS05gDgk :02/05/01 23:32
>>80 12世紀のラテン語の年代記を信じるなら実在の人物。
古代の伝承だから、確からしさもそういうものだと思ってくれ。
83 :
世界@名無史さん:02/05/01 23:57
>81
>イミル(本名はオルガナ)
どんな女性だったの?
84 :
世界@名無史さん:02/05/02 18:02
田中真紀子は・・・
傑じゃねえな
85 :
世界@名無史さん:02/05/02 22:14
藩宝珠
4世紀の中国(南北朝時代)の女将軍
86 :
世界@名無史さん:02/05/03 11:25
>>62 >サラミスの海戦の時、ペルシア側で勇戦したアルテミシア
どんな女性だったの?
87 :
世界@名無史さん:02/05/03 11:36
>>77 と言われてるけど、実はアンドロギュヌスだよ。
>>86 味方の船を撃沈して戦場から逃走したDQN。
ギリシア軍はペルシアから寝返った船だと勘違いして取り逃がしちゃうし、
ペルシア側は(なぜか)ギリシアの船を沈めたんだと思って
「女だてらに天晴れアルテミシア!」とか誉めちゃったの。
88 :
世界@名無史さん:02/05/03 11:50
>>62 >ローマ軍に反乱したブリテンのケルトの女王ボアディケイア
どんな女性だったの?
89 :
世界@名無史さん:02/05/03 18:22
90 :
世界@名無史さん:02/05/03 20:08
>>89 誰が言ったのか忘れたけど
「ラ・ピュセル(乙女=ジャンヌのこと)は乙女のままで居るしかないほど不細工だった」
彼女に好意を持つ人間でも、容姿を誉めてる人はあまりいない。多分ぶすだったのだろう。
>>88 見かけは怖かったらしい(ディオン・カシウス)
ボウディッカ最後の戦闘前の演説。たしか年代記。
「今私は、偉大な王家の子孫として、私の王家と富のために戦うのではない。
人民の一人として、奪われた自由と、鞭で打たれた体と、凌辱された娘の貞操のため復讐するのである。
ローマ人の情欲は、もう私の体はおろか、年寄りの女や処女までも、一人のこらず辱めずにはおかないまでに烈しくなった。
この戦いにどうしても勝たなければならない。でなかったら死ぬべきである。これが一人の女としての決心である。
男らは生き残って奴隷になろうと勝手である。」
93 :
世界@名無史さん:02/05/04 11:58
>>91 >見かけは怖かったらしい(ディオン・カシウス)
でも、それでも女なんでしょう?
94 :
世界@名無史さん:02/05/04 16:20
婦好
殷王朝時代の女将軍
95 :
世界@名無史さん:02/05/04 19:22
ナジェージダ・アンドレーエブナ・ドゥーロワ
ロシアの女騎兵
96 :
世界@名無史さん:02/05/04 19:27
>>62 >スコットランド軍を撃退したエドワード3世妃フィリッパ
>バラ戦争時代のヘンリー6世妃マーガレット
二人は、どんな女性だったの?
97 :
世界@名無史さん:02/05/04 22:40
既出かもしれんがベトナムの徴二姉妹も加えてくれい。
人妻の女将とその妹・・・(;´Д`)ハアハア
これほど萌えるシチュエーションもなかなかあるまい。
98 :
世界@名無史さん:02/05/04 22:51
>97
>人妻の女将
女将軍じゃないの? 細腕繁盛記?
でもそれもいいなあ(;´Д`)
女将=「おかみ」ではなく「じょしょう」と読んでくれYO!
まあ、女将軍のほうが正しい表記なんだけどさ。
それにしても、ベトナムって徴二姉妹以後も、趙嫗とかたくさん女将軍が出てる。
そういう女性が出やすい土地なのかなあ?
ああ、鎧をまとった女将軍・・・(;´Д`)ハアハア
100 :
世界@名無史さん:02/05/05 02:12
タイも三大女傑がいますね。
16世紀、象にまたがりビルマ軍と戦い戦死した王妃スリヨタイ・パゴタ。
19世紀、ラオス軍を追い払ったタオ。
(あと、もう一人誰だっけ?)。
マーガレット・アンジュー
サフォーク公ウィリアム・デ・ラ・ポールの愛人でヘンリー6世の妃
軟弱なヘンリー6世に代わってランカスター派を支えた
1471年のテュークスベリーの戦いで敗北して追放された
ヨーク家やウッドヴィル家の人たちに呪いをかけた人
102 :
世界@名無史さん:02/05/05 10:37
103 :
世界@名無史さん:02/05/05 16:51
>>99 >そういう女性が出やすい土地なのかなあ?
ベトナムやタイは、女性上位だよ。
104 :
世界@名無史さん:02/05/05 17:03
タイは基本的に女系社会で家督を継ぐのも通常娘。
働き者の割合も多分 女>>>>>>>>>>男。
騎乗位
106 :
世界@名無史さん:02/05/05 18:14
>>104 >タイは基本的に女系社会で家督を継ぐのも通常娘。
>働き者の割合も多分 女>>>>>>>>>>男。
じゃあ、女将軍が多いの?
それに、女兵士が多いの?
107 :
世界@名無史さん:02/05/05 23:36
>>106 >それに、女兵士が多いの?
さすがに、女兵士だけで軍隊は成立しないだろうね。
108 :
世界@名無史さん:02/05/06 00:17
ちょっと場所違うが、太平天国軍だったっけ?
女ばっかの軍隊があったのは。
109 :
世界@名無史さん:02/05/06 00:49
111 :
世界@名無史さん:02/05/06 11:19
>>109 >当時、ベトナムは呉に支配されていて、それに対する抵抗運動があちこちで起こっていた。
もし、曹操が赤壁の戦いに勝っていれば・・・
間違いなく、曹操が天下統一を達成したであろう。
そのときは、魏がベトナムを支配していたと思う。
でも、魏なら寛容な政策を採ったと思う。
>109
ありがとうございます。「四大」だったんですね。
>ハイ・バ・チュンに従って奮戦した三六名の女将軍
ってのもすごい。アマゾネスみたい。
113 :
世界@名無史さん:02/05/06 11:57
>>112 >ハイ・バ・チュンに従って奮戦した三六名の女将軍
兵士も女兵士ばかりだったの?
114 :
世界@名無史さん:02/05/06 11:59
>>96 フィリッパ・オヴ・エノーは、14世紀のイングランド王エドワード3世の王妃。
というより、英仏百年戦争の英雄エドワード黒太子の母と言った方がわかりや
すいかな? 故郷のフランドル(フランダース)からイングランドに商人を招
致して産業を発展させるなど、なかなか優れた王妃である。
夫エドワードや息子エドワード黒太子がクレシーの戦いでフランス軍に大勝し
た直後、彼らの留守を狙って北方からスコットランド軍がイングランドに侵攻、
これに対し、留守を預かるフィリッパは自ら出陣、ネヴィル・クロスの戦いで
スコットランド軍を撃破した。
エドワード3世が創立したガーター騎士団の騎士に、女性として名を連ねる。
115 :
世界@名無史さん:02/05/06 12:54
>>113 >兵士も女兵士ばかりだったの?
さすがに、女兵士だけで軍隊は成立しないだろうね。
116 :
ひとつおぼえ:02/05/06 13:23
今ネヴィル・クロスで検索かけたら、サッカーの話題ばっかhitしたぞ
ほんとにそんな戦いあったのか?
出典きぼーん
117 :
世界@名無史さん:02/05/06 13:24
デジャヴュ?と思ったら上の方に同じレスがあったのね。
この微妙に不気味な一行レスはなに?このスレの形式かいな。
118 :
世界@名無史さん:02/05/06 13:44
>>111 >でも、魏なら寛容な政策を採ったと思う。
激しく同意!
魏の異民族政策は寛容だったらしい。
119 :
世界@名無史さん:02/05/06 13:45
>>117 >デジャヴュ?と思ったら上の方に同じレスがあったのね。
そんなレスあった?
120 :
世界@名無史さん:02/05/06 14:47
114
>>116 失礼、「ネヴィル・クロス」ではなく「ネヴィルズ・クロス」だった。
出典としては、森護の『英国王室史話』『スコットランド王国史話』など。
あと、これはコミックだが蒲生総『ガーター騎士団』でも描かれている。
121 :
世界@名無史さん:02/05/06 15:02
>>109 >なお、彼女は乳房が3尺(五メートル(w もあったといわれ、いつもそれを背中に回して戦っていたとか。
さすがに、乳房が3尺(5メートル)はなかったと思うよ。
122 :
世界@名無史さん:02/05/06 15:11
>>115 ダホメー王国(大航海時代、西アフリカのベニンに存在)には
女兵士だけの部隊があった。非常に勇敢だったという。
123 :
世界@名無史さん:02/05/06 15:16
>>122 >ダホメー王国(大航海時代、西アフリカのベニンに存在)には
>女兵士だけの部隊があった。非常に勇敢だったという。
その部隊の指揮官は、誰だったの?
おっぱいスレとこのスレってかぶるなぁ
125 :
世界@名無史さん:02/05/06 15:19
>>124 >おっぱいスレとこのスレってかぶるなぁ
おっぱいスレは、どこにある?
127 :
世界@名無史さん:02/05/06 15:33
>>123 >その部隊の指揮官は、誰だったの?
誰かは知らんが、女性であるのは間違いないだろうね。
>>121 いや、伝承に文句つけられてもかなわんのだが・・・
しかしほんと、この一行レスはなんなのだ?
129 :
世界@名無史さん:02/05/06 16:30
孫尚香
呉の孫権の妹で、兄の孫権よりも武勇が高かったらしい。
駄スレに猛スピードで退化中。。。
131 :
ひとつおぼえ:02/05/06 16:44
132 :
世界@名無史さん:02/05/06 17:02
邪馬台国の卑弥呼
133 :
世界@名無史さん:02/05/06 17:20
>>129 ネタにツッコミ入れてわるいが、そりゃコーエーの某ゲームで勝手につけた名前だろ。
それ以外で、孫権の妹のその名を見たことがない。
134 :
世界@名無史さん:02/05/06 17:25
>>133 >それ以外で、孫権の妹のその名を見たことがない。
でも、孫権に妹がいたという記述はあるよ。
ただし、名前は孫仁だったと思う。
135 :
世界@名無史さん:02/05/06 17:29
>>134 >でも、孫権に妹がいたという記述はあるよ。
たしか、弓腰姫と呼ばれていたよ。
[物凄い勢いで三國志厨が駄レスをつけるスレ]
に改名でよろしいか?
ああ、なんか真面目にレスつけた俺が馬鹿みたいに思えてきた。
ひょっとしてここって、そういうネタ板だったんですか?
138 :
世界@名無史さん:02/05/06 17:41
古い時代の中国の女性はよほどのことがないと、フルネームが史書に
残ることはないからね。
せいぜい、孫夫人とか、そういう呼ばれ方でしか記載されてない。
「弓腰姫」ってのは、いつも腰に弓を装備している、つまりいつも
武装している勇ましい姫という意味のあだ名だね。
139 :
世界@名無史さん:02/05/06 18:14
>>136 >[物凄い勢いで三國志厨が駄レスをつけるスレ]
>に改名でよろしいか?
駄レスでは無いと思いますよ。
一応は、真面目に議論されてる筈ですよ。
>>137 >ああ、なんか真面目にレスつけた俺が馬鹿みたいに思えてきた。
>ひょっとしてここって、そういうネタ板だったんですか?
そんなこと無いと思いますよ。
君の発言は立派なものですよ。
孫尚香とか
孫仁とかは
ネタ中のネタでっせ。
いちど三戦板で聞いてみれば?
141 :
世界@名無史さん:02/05/06 18:29
>>140 孫仁は、どこかの記述に出てきたような・・・
でも、実在したかどうかは怪しいね。
142 :
世界@名無史さん:02/05/06 18:37
だからね仁ってのは朗のこと、
つまり男、お・と・う・と、じゃねーか!!
ってマジレスした俺は負けですか?
143 :
世界@名無史さん:02/05/06 18:41
>>142 >だからね仁ってのは朗のこと、
>つまり男、お・と・う・と、じゃねーか!!
たしかに、史実では男だった。
でも、どこかの記述では女性に変更されてた。
>マジレスした俺は負けですか?
いいえ、そんなことはないよ。
もっと、自分のレスに誇りを持っていいよ。
。・゚・(ノД`)・゚・。マケタヨ
145 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:00
巴御前
平安時代末期の女傑
木曽義仲に従軍していた女将
かなりの美女だったらしい
146 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:02
>>145 ならば、板額もいるよ。
ただし、彼女の方は醜女だったらしいよ。
147 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:16
中国の北西部に住んでる羌族は、女尊男卑の社会だよ。
だから、家督を継ぐのも長女だよ。
さらに、女性の方が男性よりもよく働くよ。
女性が強い羌族なら、女将軍がいてもおかしくないと思うよ。
148 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:19
異民族は、女性が強かったのかなあ?
羌族全体のことを言ってるの?
それともその中の特定部族?>147
150 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:28
>>148 異民族でも、中国西部に住んでる氐族は男尊女卑の社会だったと思う。
だから、家督を継ぐのは長男だろう。
それに、男が外で働き女は家を守る筈だよ。
つまり、女の立場が弱い氐族には女将軍はいないと思う。
151 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:34
152 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:35
母系氏族、女性が家督を継いでも
必ずしも女尊男卑とならない所もミソ。
153 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:40
羌族は基本的に父系家族制だぞ。
154 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:43
上杉謙信が女性だったという説があるよ。
155 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:45
156 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:45
>>154 伊達政宗も女性だったという説があるよ。
157 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:53
158 :
世界@名無史さん:02/05/06 19:57
淀殿は、女傑に入るでしょう?
だって、大阪夏の陣では鎧を着てたんだよ。
159 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:01
邦神演技の高蘭英
ただし、実在したかどうかは疑わしい。
160 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:04
鎧着ただけでいいの?
161 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:09
堕スレになっちゃった。。。
163 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:20
164 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:21
>>162 >堕スレになっちゃった。。。
そんなこと書いて荒らすから、余計に堕スレになるんだよ!<怒>
165 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:23
くノ一は、女傑に入るでしょうか?
スパイ行為とかで、一応は戦いに参加してるわけですからね。
みんなは、どう思いますか?
一応この板世界史なんだし
フィクションと脳内史実はナシにしない?
167 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:37
>>165 くノ一は、女傑に入らないよ。
女傑というのは、女将軍などの女性だよ。
なにやら凄まじい自演が横行してるような気がするのは俺だけかい?文体が…
169 :
世界@名無史さん:02/05/06 20:46
秦良玉
明代末期の女将軍
彼女は正史にも記述があるよ。
個人的武勇と戦闘指揮能力の両方に優れていたらしいよ。
170 :
世界@名無史さん:02/05/06 21:03
>>167 なぜ、スパイは女傑に入らないのだ?
敵国での情報収集や工作は生命がけの活動なのだし、有能なスパイは生半可な
将軍などよりよほど多くの兵士を殺す(スパイのもたらす情報が何万という敵
味方の兵士の生命を左右するという意味において)のだぞ。
マタ・ハリや川島芳子、マリアンヌ・シャボなどは十分、「女傑」の名に値す
る。
少し見ない間に定義変わってない?
戦場のスパイならOKだった気がする。
22
女スパイは女傑にはいるの?
23
>22
>戦場のスパイなら入るだろうね
で誰も否定していなかったぞ。
それにしても話が元に戻っている。
秦良玉なんて最初の頃に出ているし・・・
アホらしいからsage
172 :
世界@名無史さん:02/05/06 22:58
>>170 サッチャー元首相なんかは、女傑になるの?
政治的判断では、軍隊出動も決断できるよ。
将軍などよりよほど多くの兵士を殺す(政治的判断が何万という敵
味方の兵士の生命を左右するという意味において)ことが可能だよ。
>170
マタ・ハリ(ゲ-ルトライダ・マルガレータ・ツェレ)
ってスパイとしては、素人以下でだめだめじゃん。
可憐な女性で、生涯は伝記的な面で面白いけどネ。
女傑つうたら、ナイチン・ゲールなんぞどう?
174 :
世界@名無史さん:02/05/06 23:38
フローレンス・ナイチンゲールは「女傑」だと想う。
大臣を影武者にして、やりたいだけ改革を行った。
175 :
世界@名無史さん:02/05/06 23:44
170
>>172 もちろん、鉄の女サッチャーも女傑だ。
(どうも君と私では女傑の定義が違うようだが。)
176 :
世界@名無史さん:02/05/06 23:48
このスレの最初の定義は
「戦場に出た」
女戦士&女司令官でした。
177 :
世界@名無史さん:02/05/06 23:56
178 :
世界@名無史さん:02/05/06 23:57
じゃあ、このスレで過去に出ていたマリア・テレジアはどうなるんだ?
誰も反対してなかったようだが。
マリア・テレジアが女傑なら、フォークランド紛争を起こしたサッチャーは
直接戦場に出ていなくても女傑だろう。
179 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:05
>>178 >マリア・テレジアが女傑なら、フォークランド紛争を起こしたサッチャーは
>直接戦場に出ていなくても女傑だろう。
同意!
180 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:09
それだと今まで我慢してた人もなぁ。
ルール改正でいいの?
181 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:10
とりあえず1に出てきてもらおうよ
182 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:13
>>180 >ルール改正でいいの?
やはり、駄目だと思う。
183 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:15
アン・ボニー
メアリ・リード
カリブ海の女海賊だった筈
184 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:16
185 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:17
>>184 海賊軍を指揮した女性なら、一応は女傑なんじゃないの?
186 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:22
唐の時代には、女傑が多かったらしいよ。
187 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:23
1の定義づけがいまいち甘かったと思われ。
女傑
「女子で傑出した者。男まさりの女。女丈夫。」
なのだから、一概に女将軍とはいえんだろ。
189 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:24
新ルール:
積極的に戦争を起こした女指導者
を追加しますか?
190 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:26
191 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:26
>>189 女将軍か女戦士だろうね。
積極的に戦争を起こした女指導者は疑問?
武則天タンについて語りたいなあ・・・
193 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:28
>>190 同意!
女傑の定義は、やはり実際に戦場で戦った女性に限ると思う。
194 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:40
>>192 このスレでは、武則天は女傑とは認められんだろうな?
195 :
世界@名無史さん:02/05/07 00:45
あう、そうなんだ・・・
文句なしに傑物だと思うんだけどなあ、しかも世界史クラスの・・・
197 :
世界@名無史さん:02/05/07 07:25
>>196 >文句なしに傑物だと思うんだけどなあ、しかも世界史クラスの・・・
このスレでは、駄目なんだね。
ところが、女海賊とかなら認められると思うよ。
198 :
世界@名無史さん:02/05/07 08:42
イスラエルだと女性も徴兵されてるよね。
ニュースで迷彩服を着た長髪のブロンドの美女が
自動小銃を脇に置いてお茶しているシーンとか見たことがある。
休暇で帰郷前にくつろいでいるって説明だったけど、武装は解かないのね。。
それにロングヘアが許されているのもスゴイと思った。
でも伝統的ユダヤ教徒は宗教上の理由で徴兵免除されるのというのなら
なおさら女性は戒律上兵役は許され無さそうにも思えるのだが?
199 :
世界@名無史さん:02/05/07 08:43
>>198 >なおさら女性は戒律上兵役は許され無さそうにも思えるのだが?
イスラエルは違うんだよ。
200 :
世界@名無史さん:02/05/07 08:52
政治指導者や、何らかの運動の指導者も女傑の名に値するよ。
たとえば、釈放されたアウン・サン・スー・チー女史。
戦場には出てないけど、民主化のために軍国政府の弾圧と「戦う」立派な女傑で
はないか。
あと、前に出たフローレンス・ナイチンゲールとか。
彼女が将軍や戦士ではないのは言うまでもない。
しかし当時の劣悪な野戦病院の環境や、周囲の無理解と「戦った」と言える。
女性の将軍や戦士についてしか語りたくないというなら、既存のスレが
あったのだから、これはただの重複スレということになる。
201 :
世界@名無史さん:02/05/07 08:54
>>175 >もちろん、鉄の女サッチャーも女傑だ。
社民党党首の土井たか子くらいでは、まだ女傑とはいえないの?
202 :
世界@名無史さん:02/05/07 08:58
>>200 >女性の将軍や戦士についてしか語りたくないというなら、既存のスレが
>あったのだから、これはただの重複スレということになる。
しかし、あの既存スレは荒れ果てて酷いものだよ。
203 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:00
>>201 残念ながら、土井たか子では女傑には至らないだろうな。
204 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:04
>>203 私も同意するわ!
土井たか子は社民党党首という程度で、戦争とは何の関係も無いわ。
それで女傑に入れてたら、ほんとにきりないわ。
205 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:07
>>203-204 いいえ、私は貴方たちの意見に賛同できません。
私は、土井たか子も女傑に入れたいです。
彼女だって、立派に社民党党首を務めています。
国会だって戦いの場です。
206 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:10
田中真紀子も女傑になるのかな?
でも、言い出したらきりないね。
しかし、私は彼女を女傑に入れたいわ。
207 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:11
>しかし、あの既存スレは荒れ果てて酷いものだよ。
単にレスが減ったってことに過ぎないんじゃないか
放置するから荒れるんだよ
1が既存スレに書き込めば復興の余地は十分あったのに
新スレ立てなくてもよかったんじゃないのか
第一「女傑」ってゆう言葉の本義は、女の将軍や戦士より
武則天やサッチャーの方を普通はイメージするんじゃないのか
208 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:14
>>207 私も、既存スレの住人だったが・・・
エロネタで酷く荒れ果ててるのを見て、私は完全に呆れました。
そこで、このスレにシフトしました。
209 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:15
>>202 >しかし、あの既存スレは荒れ果てて酷いものだよ。
だからこそ、女将軍や女戦士について語りたいなら、あのスレに
良レスつけるべきなんじゃないか。
>>203 私も同意。ただし、戦争と関係あるかどうかではなく、土井たか子は
女傑の名に値するほどの指導力を発揮していないというのが理由。
210 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:16
>>207 >第一「女傑」ってゆう言葉の本義は、女の将軍や戦士より
>武則天やサッチャーの方を普通はイメージするんじゃないのか
それは、解釈の違いだよ。
211 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:18
>>209 >だからこそ、女将軍や女戦士について語りたいなら、あのスレに
>良レスつけるべきなんじゃないか。
私は、あのスレを完全に見限りました。
212 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:20
>>212 同意!
あのスレに書き込んでも、またエロネタで荒らされて
真面目なレスは期待できないわ。
213 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:20
とりあえず
>>1が出てきて再定義しないと
どうにもならんぞ、と言ってみるテスト。
214 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:21
215 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:23
>>214 土井たか子が女傑に入らないのなら、田中真紀子も
女傑には入らないと思う。
そうでないと不公平だよ。
216 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:25
>>212 私も同じだな。
あのスレには、今更いくら良レスをつけても復興できんよ。
217 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:27
>>212 >あのスレに書き込んでも、またエロネタで荒らされて
>真面目なレスは期待できないわ。
世界史板住民は、「世界のオッパイ事件」などという駄スレでさえ
有効活用してるというのに、そんな弱気なことでどうする。
>>214 もちろん。私は世界史板で女傑というからには、世界史的意義のある
業績残した人を女傑と呼びたい。(その意味では、ただの一女海賊は
女傑とは呼べない。)
218 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:27
土井や真紀子が女傑と評価されるかどうかは意見が分かれるが
カテから言えば将軍でも戦士でもない。
しかし男性に立ち優った女性を語るのは、すぐれて歴史的テーマだ
歴史を動かしたという意味においては、戦闘現場よりも政治外交など統治の全般を指揮した女性にスポットが当てられるべきであろう
そういう意味での「女傑」を語るスレは存在してしかるべきだ
もし戦術や戦闘に強い女を語るのであれば「女戦士について」にレスを付ければよいのではないだろうか
1も単に「世界史の女傑について語ろう」と呼びかけているのだから、一般的意味での「女傑」を主体に取り上げるスレにしても差し支えないはずと思う
219 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:28
>>200 >女性の将軍や戦士についてしか語りたくないというなら、既存のスレが
>あったのだから、これはただの重複スレということになる。
しかし、良識者ならどちらのスレを選ぶか一目瞭然だ!
あの酷く荒れ果てたスレを選ぶ馬鹿はいない。
220 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:30
>>218 >1も単に「世界史の女傑について語ろう」と呼びかけているのだから、一般的意味での「女傑」を主体に取り上げるスレにしても差し支えないはずと思う
でも、それは自ら否定してるよ。
221 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:33
「世界史版の良スレを集めよう」の56で紹介されてる良スレだよ、
と言ってみるテスト。
222 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:33
ロシアの女パルチザンのヴァシリーサ・コージナ。
ナポレオン軍が退却するとき、自ら兵を率いて活躍、草刈鎌で
27人のフランス兵の頭をもぎ取ったという伝説がある。
223 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:35
221
失礼。51だった。
224 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:36
ここでの男勝りの女傑は
もっとも狭義に戦闘能力の話なんだろ?
暴力で強い女性という意味かと思われ。
225 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:37
>>224 >もっとも狭義に戦闘能力の話なんだろ?
そうだろうね。
>暴力で強い女性という意味かと思われ。
それだけじゃないよ。
226 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:38
何もスレッドを立ち上げた者の意向に縛られなくちゃならんということもないんじゃないか
放置するから荒れるんだよ
レス者の主体的参加がスレッドを盛り上げ、良質なものに変えていく所以なんじゃないのか
227 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:41
カタリーナ・エランツァオ
カリブ海の女海賊
イスパニア出身
大航海時代の女傑だろう。
228 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:41
よし、じゃあ、こうしてはどうだ。
今後は、向こうのスレで、政治指導者やナイチンゲールみたいな女傑を語る。
女将軍、女戦士についてはこっちで語る。
これでみんな円満に解決だ!
と提案してみるテスト。
229 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:42
>>228 >今後は、向こうのスレで、政治指導者やナイチンゲールみたいな女傑を語る。
それは違うと思う。
230 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:44
>226
いや曲がりなりにもガイドラインがあって良スレでやってきたんだよね。
で、ネタが切れたからハミ出すものがでてきた、さてどうするよ?
って展開だろ。
最初からの糞スレとは話が違う。
231 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:44
>>226 >放置するから荒れるんだよ
それは、このスレも同じだ!
232 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:48
233 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:50
みんなが女傑の定義と重複スレ問題でもめている間に1人マイペースで
スレ本来のレスをつけてる
>>227さん、頑張れ!
君みたいな人好きだぞ。
234 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:50
あ、新スレ立ったのね。
235 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:50
太平天国には「女営」というものがあって女兵が活躍したと伝えられています。
その中でも特に有名なのが洪宣嬌という女性です。彼女は天王洪秀全の実妹で
もともと縄妓であったといわれています。李自成の参謀と伝えられる李巌の彼女
の紅娘子も縄妓ということになってます。その方が話が面白くなりますものね。
太平軍の中核となっている客家は元来の風俗として纏足してませんから、軽業に
向いてるってわけでしょう。彼女は女営の将軍として赤馬に乗り双剣を振るって
指揮したそうです。広東の金鶏嶺という山には洪宣嬌の錬兵城というのもあって↓
http://203.161.229.88/OTA/china_attraction/cn_jingjiling/jingjiling.htm 御覧のように彼女の颯爽たる石像も立ってます。
太平軍の女英雄としては蘇三娘や胡九妹とかもいて、彼女等は小説・電影・電視の
好個のキャラとして持て囃されています。洪宣嬌は花木蘭・穆桂英・梁紅玉と共に
四大女英雄なんだそうです。
なお太平天国で実施されたとする女科挙では傅善祥が女状元として有名です。
ところが近時の研究では洪宣嬌や女営や女科というものには、概して否定的か
懐疑的です。
236 :
世界@名無史さん:02/05/07 09:53
>>235 >洪宣嬌は花木蘭・穆桂英・梁紅玉と共に四大女英雄なんだそうです。
四大女英雄は、花木蘭・穆桂英・梁紅玉と秦良玉だぞ!
237 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:03
>>236 四大女英雄といえば、確かに花木蘭・穆桂英・梁紅玉の3名は確定だが・・・
あと一人が迷うところ?
でも、普通は洪宣嬌ではなくて秦良玉を選ぶと思う。
238 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:05
>>237 同意!
私も、洪宣嬌よりは秦良玉を選ぶわ。
それと、花木蘭は架空の人物よ。
239 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:06
>>237 >でも、普通は洪宣嬌ではなくて秦良玉を選ぶと思う。
みんなは、洪宣嬌と秦良玉のどちらを選ぶ?
240 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:15
太平天国が男女の営を分けてたのって、要するにオ○ムのサティアン。
カルト教団の女を秦良玉と比較すること自体、間違ってるよ。
241 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:38
>>240 >カルト教団の女を秦良玉と比較すること自体、間違ってるよ。
じゃあ、カルト教団の女を四大女傑に入れる必要はないわね。
だから、君は四大女傑の最後の一人に秦良玉を選ぶんだね。
242 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:40
じゃあ、不公平の無いように・・・
花木蘭・穆桂英・梁紅玉・秦良玉・洪宣嬌で五大女傑にすればいいよ。
243 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:51
>>242 反対に、花木蘭・穆桂英・梁紅玉だけで三大女傑にすればいいよ。
244 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:52
っていうか木蘭は落選だろ
245 :
世界@名無史さん:02/05/07 10:57
>>244 >っていうか花木蘭は落選だろ
私も、花木蘭は入らないと思う。
花木蘭は架空の人物だよ。
架空の人物に資格は無いよ。
246 :
世界@名無史さん:02/05/07 11:56
呂母
史上名高い赤眉軍の開祖である女性!
この女性は、資産の全てで侠客・破落戸を養って海上に強大な海賊船団を結成した。
そして、女将軍として数千の軍勢を率いて海西県に総攻撃開始する。
この女将軍の死後、この海賊兵団が天下大乱に参加した時、
赤眉軍が生まれる。
247 :
世界@名無史さん:02/05/07 17:53
>>246 赤眉軍の開祖が女性だったとは、私も驚きだよ!
248 :
世界@名無史さん:02/05/07 18:00
近代史なら秋謹だろ?
249 :
世界@名無史さん:02/05/07 18:02
謹は玉へんだった。
250 :
世界@名無史さん:02/05/07 18:05
ちゅうか人名辞典に載ってないような女は女傑の資格がないぜ。
辛亥革命前夜光復会の兵士を指導し日本にも留学し
孫文にも黄興にもあって革命の競技をし、射撃を習い爆弾を製造し
実技で革命軍の指揮系統を確立。ここは中国近代史に無知な女が
多いんだな。
251 :
世界@名無史さん:02/05/07 18:43
252 :
世界@名無史さん:02/05/07 18:48
>>250 >ちゅうか人名辞典に載ってないような女は女傑の資格がないぜ。
私は、貴方の解釈に同意できません。
第一に、ちゅうか人名辞典に載っている女性は少なすぎます。
それと、ちゅうか人名辞典に載ってない女性でも女傑は多数いると思います。
253 :
世界@名無史さん:02/05/07 19:21
「ちゅうか人名辞典」(=「中華人名辞典」)なの?
250は、「ちゅうか、人名辞典に……」と言ったのだと私は解釈したが。
定義の是非は別として。
254 :
世界@名無史さん:02/05/07 20:24
255 :
世界@名無史さん:02/05/07 20:26
>>252 ホント馬鹿だなお前は。
中華じゃね〜よ。
256 :
世界@名無史さん:02/05/07 20:54
>>255 >ホント馬鹿だなお前は。
>>250も「ちゅうか、人名辞典」と点を打たなかったのが悪い!
私は、一方的に
>>252だけを責められないと思うぞ!
257 :
世界@名無史さん:02/05/07 20:56
258 :
世界@名無史さん:02/05/07 20:56
>>256 激しく同意!
>>250 読点(文章途中に打つ点のこと)は、非常に重要だよ。
気をつけてね。
荒れてないように見えて、微妙に荒れてるスレだな。
260 :
世界@名無史さん:02/05/07 21:13
261 :
世界@名無史さん:02/05/07 21:54
262 :
世界@名無史さん:02/05/07 21:56
>>261 女性指揮官ジッシリ スコモール陸軍大尉は、女傑になるのだろうか?
263 :
世界@名無史さん:02/05/07 21:59
>>262 女傑の解釈にもよるが、私は彼女を女傑に入れてもいいと思う。
なぜなら、彼女は戦場に赴くわけだからね。
ちなみに、私は女戦士や女将軍は全て女傑に入ると思います。
まあ、異論もあるとは思うが承知のうえで書き込みする。
264 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:03
>>263 彼女が選ばれた理由は、戦闘指揮能力ではなくて
語学能力が評価されたからだよ。
まあ、タイでは女性の地位が高いのは認めるよ。
265 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:05
>>264 それでも、戦場に赴く女将軍なんだから女傑の資格があると思う。
戦場に赴くこと自体が、それだけで男勝りなんだからね。
266 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:08
>>263-265 彼女を戦場に派遣することには、反対意見も根強いよ。
やはり、女性差別はあるんだね。
ちなみに、彼女は女傑に入ると思うよ。
267 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:16
穆桂英・秦良玉で二大女傑だと思う。
花木蘭は架空の人物だから落選だよ。
洪宣嬌はカルト教団だから落選だよ。
268 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:17
269 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:19
>>267 >穆桂英・秦良玉で二大女傑だと思う。
なぜ、貴方はそう思うの?
270 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:24
>>266 >やはり、女性差別はあるんだね。
男性社会のなかで活躍するからこそ女傑なんだと思うよ。
271 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:31
木蘭が架空の人物だからはずそうというのは賛成。
架空の人物がありなら、ワンダーウーマンや
スーパーガールもありになってしまう。
272 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:33
>>271 >木蘭が架空の人物だからはずそうというのは賛成。
同感!
それなら、極端に言えばセーラームーンもありになってしまう。
273 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:35
>>267 >穆桂英・秦良玉で二大女傑だと思う。
穆桂英や秦良玉は、実在の人物なの?
274 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:38
私も、花木蘭は架空の人物だから女傑とは認められないと思う。
やはり、女傑の資格があるのは実在の人物であることが条件だと思う。
275 :
世界@名無史さん:02/05/07 22:38
276 :
世界@名無史さん:02/05/08 00:35
チェーザレ・ボルジアにやられちゃったの誰でしたっけ?
詳しい方教えて。
277 :
世界@名無史さん:02/05/08 00:45
>276
イタリア最高の女 カテリーナ・スフォルツァ。
子供を人質にとった敵に対し、スカートをめくり
「馬鹿ものども、これで子供くらいこれであといくらでも作れるのを
知らないのか」と啖呵を切った。
イタリア史に詳しい方、お後をよろしく。
278 :
世界@名無史さん:02/05/08 01:06
>>256=258
自作自演のお馬鹿女に(w
秋 瑾【しゅう きん/チュ・ジン】
(1875―1908)
字=□卿(センケイ),号=競雄,鑑湖女侠
【職】革命家,婦人解放運動家【生】浙江省山陰県(現・紹興県)
【歴】19歳で結婚。1900年列強の非道な行為に、救国を志す。
1904年単身来日し、実践女学校に学ぶ。
1905年中国革命同盟会に加入し、浙江分会の会長に。
1906年帰国、上海に中国公学を創設する一方、
『中国女報』を創刊し、革命思想を宣伝。同年紹興に帰郷し、
徐錫麟・陶成章らと光復軍を組織。
反清蜂起を準備したが、1907年徐の安徽巡撫暗殺事件に、
連座して捕われ、処刑された。
秋瑾伝に武田泰淳の『秋風秋雨、人を愁殺す』がある。
279 :
世界@名無史さん:02/05/08 01:09
>>256 自分が馬鹿で無知だからってそう荒れんなよ。
秋 瑾の銅像の中国の西湖にある。
中国人&台湾人&香港人なら中学生でも知ってる
救国の英雄だよ。
知らないお前が馬鹿なだけ。(w
280 :
世界@名無史さん:02/05/08 01:15
秋 瑾の場合革命家としての名声もさることながら、
中国史上初の近代戦の戦闘家でもあったことだ。
女性だけで構成された近代女兵士を作った事でも型破りだな。
ちなみに幼いころから拳法や体操、幅とびなど母親の実家で
従兄弟とともに訓練していたそうだから、彼女の母親も
並みの母ではなかったわけだ。
281 :
世界@名無史さん:02/05/08 01:38
秋瑾は魯迅の小説「薬」のモデルになった女性革命家ね。
秋瑾と同郷だった魯迅は光復会の会員でもあったから。
282 :
世界@名無史さん:02/05/08 06:44
穆桂英・秦良玉を知ってて秋瑾を知らないって変じゃないここの女?
中国歴史音痴の武侠小説マニア?
283 :
世界@名無史さん:02/05/08 06:48
辛亥革命にしろ共産党にしろ近代中国は女傑の宝庫。
実際戦場で戦った女性が何千、何万といる。
女傑を論じたいならもっと勉強しなさい。
ここは世界史スレなんだから。
284 :
世界@名無史さん:02/05/08 10:45
285 :
世界@名無史さん:02/05/08 10:48
>>282 >中国歴史音痴の武侠小説マニア?
少しだけ、同意!
私も、その通りだと思う。
でも、武侠小説マニアでも別にいいんじゃないの?
286 :
世界@名無史さん:02/05/08 10:52
>>283 >女傑を論じたいならもっと勉強しなさい。
質問したい奴は、好きに質問すればいいんじゃ!
答えたい奴だけが、勝手に答えれたらいいんじゃ!
他の奴が干渉することないわ!
287 :
世界@名無史さん:02/05/08 10:54
>>279 >自分が馬鹿で無知だからってそう荒れんなよ。
でも・・・
>>250も悪いのは事実だ!
やはり、読点の打ち忘れはイカン!
288 :
世界@名無史さん:02/05/08 10:56
>>285 >でも、武侠小説マニアでも別にいいんじゃないの?
激しく同意!
人の趣味に関して、他人が余計な干渉するな!
289 :
世界@名無史さん:02/05/08 10:58
>>283 >辛亥革命にしろ共産党にしろ近代中国は女傑の宝庫。
そうだね。
290 :
世界@名無史さん:02/05/08 11:16
近代中国の女傑しか語ってない人が、よく武侠小説マニアを非難できた
もんだ。似たようなもんじゃん。
違うというなら、欧米やイスラム圏やアジア諸国の女傑も語ってくれよ。
292 :
世界@名無史さん:02/05/08 11:57
>>291 激しく同意!
ついでに、日本の女傑も語ってくれよ。
293 :
世界@名無史さん:02/05/08 13:29
立花銀千代
294 :
世界@名無史さん:02/05/08 13:32
295 :
世界@名無史さん:02/05/08 13:43
296 :
世界@名無史さん:02/05/08 13:45
297 :
世界@名無史さん:02/05/08 13:46
>>293 立花銀千代は、戦国時代の女城主だよ。
博多あたりだったかな?
298 :
世界@名無史さん:02/05/08 14:15
パクリはけっこ皆やってると思うが、しっぽ出さんように工夫がなくちゃな。
あとエチケット的には<あやめさんがかいてたけど>と一言いれときゃ、
引用ということで問題はない。厨房な人は心しましょう。
299 :
世界@名無史さん:02/05/08 14:17
>>298 >パクリはけっこ皆やってると思うが、しっぽ出さんように工夫がなくちゃな。
自分なりに要約すればいい。
300 :
世界@名無史さん:02/05/08 14:21
300get
301 :
世界@名無史さん:02/05/08 16:47
ヴァレリア・ホミヤコヴァ
ソヴィエト第586女子戦闘機連隊
ソヴィエト 世界で始めて空中戦で敵機を撃墜した女性。
302 :
世界@名無史さん:02/05/08 16:49
アリエノール・ダキテーヌ
フランス王妃
303 :
世界@名無史さん:02/05/08 16:51
ジャンヌ・ド・ベルヴィル
フランス
304 :
世界@名無史さん:02/05/08 16:51
ジャンヌ・ド・モンフォール
イギリス
305 :
世界@名無史さん:02/05/08 16:53
夏三姑
黒旗軍の頭領
306 :
世界@名無史さん:02/05/08 16:54
王聡児
白蓮教徒の乱の指導者
307 :
世界@名無史さん:02/05/08 16:58
>>301 ソ連軍には、女性パイロットが多かったらしいね。
308 :
世界@名無史さん:02/05/08 17:05
ソ連の社会主義体制は、男女を差別しないことが建前だった。
スターリンの掲げたスローガンでもあった。
309 :
世界@名無史さん:02/05/08 17:06
310 :
世界@名無史さん:02/05/08 17:18
>>290 彼女は、社会主義者ならソ連軍に入った方が良かったと思う。
311 :
世界@名無史さん:02/05/08 17:21
312 :
世界@名無史さん:02/05/08 18:02
>>311 戦争でもチェーザレ・ボルジアと渡り合ってたと思うが。
313 :
世界@名無史さん:02/05/08 18:52
314 :
世界@名無史さん:02/05/08 18:53
>>303 >ジャンヌ・ド・ベルヴィル
>>304 >ジャンヌ・ド・モンフォール
ジャンヌ・ダルクには及ばないね。
315 :
世界@名無史さん:02/05/08 18:55
316 :
世界@名無史さん:02/05/08 18:56
317 :
世界@名無史さん:02/05/08 18:58
>>314 >ジャンヌ・ド・ベルヴィル
>ジャンヌ・ド・モンフォール
二人とも、女傑には変わりないよ。
318 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:05
>スターリンの掲げたスローガンでもあった。
スターリンの方が、ヒトラーよりは女性の実力を認めてたんだね。
319 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:06
320 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:08
ベトナムやタイは、女性上位だよ。
321 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:09
フェミニズムなら、アメリカの方が盛んだよ。
322 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:13
実在の女性将領は、数が少ないと思う。
323 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:14
324 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:14
325 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:53
326 :
世界@名無史さん:02/05/08 21:55
エステル
先住民武装組織の女性司令官
327 :
世界@名無史さん:02/05/08 22:21
女傑の血液型には、何型が多いんだろう?
328 :
世界@名無史さん:02/05/08 22:25
329 :
世界@名無史さん:02/05/08 22:29
A型にもAAとAOがあるし、B型にもBBとBOがあるよ。
女傑の多さは、BB>BO>AB>O>AA>AOだと思う。
保守的なAOだけは、6タイプで唯一女傑が少ないと思う。
330 :
世界@名無史さん:02/05/08 23:01
ディアヌ
331 :
世界@名無史さん:02/05/08 23:01
332 :
世界@名無史さん:02/05/08 23:02
ド
333 :
世界@名無史さん:02/05/08 23:03
334 :
世界@名無史さん:02/05/08 23:03
(・∀・)ポワチエェェェェェィ!
335 :
世界@名無史さん:02/05/08 23:12
女将軍や女戦士なら、立ちションできるよね?
336 :
世界@名無史さん:02/05/08 23:37
337 :
世界@名無史さん:02/05/09 06:58
なんだよ、結局、女戦士スレとかわらないじゃん。
やっぱ重複スレだ。
338 :
世界@名無史さん:02/05/09 08:10
マリア・カラスしか思いつきません。
339 :
世界@名無史さん:02/05/09 09:06
>>312 チェーザレ・ボルジアにいちころで負けて、
国を滅ぼされるは自分は捕虜になるは、
だからなあ。
340 :
世界@名無史さん:02/05/09 09:10
341 :
世界@名無史さん:02/05/09 10:46
>>337 >なんだよ、結局、女戦士スレとかわらないじゃん。
女戦士スレよりはマシ!
一緒にするな!
342 :
世界@名無史さん:02/05/09 10:48
>>338 >マリア・カラス
どんな女性だったの?
343 :
世界@名無史さん:02/05/09 11:06
344 :
世界@名無史さん:02/05/09 11:24
337
>>341 200〜231あたりの論争で、女戦士・女将軍以外の女傑を語らないなら
重複スレだと言われた時に、このスレの諸君はどう反応した?
女戦士スレは荒れてるからヤダ、とわがまま言って、非戦士系女傑派を
追い出した。
そのあげくが、335。女戦士スレはエロネタで荒らされたから見捨てたと
いっといて、なぜこのスレは見捨てないわけ? このスレを見捨てない
なら、なぜ女戦士スレは見捨てたわけ? まだこっちは「マシ」だから?
つまり程度の差? ならここがもっと荒れたら、諸君はまたここを見捨
てて重複新スレ立てて同じことくり返すんだ。
重複スレができれば、その分、何かのスレがおちるんだから、既存スレ
は有効に使いなよね。
345 :
世界@名無史さん:02/05/09 12:40
346 :
世界@名無史さん:02/05/09 12:48
ヒステリーなフェミ女のたてたスレだからしかたないよ。
こいつ教養ないしさ。(w
347 :
世界@名無史さん:02/05/09 23:03
それを言うならヒステリックだろ?(ププ
なんか、リア厨臭さ全開だな。
煽りかたも、煽られかたもそれっぽくない?
350 :
世界@名無史さん:02/05/10 22:01
中国の女将軍たちは纏足で活躍したのでしょうか?
それとも纏足ではなかったんでしょうか?
オバカな質問ですいません。
351 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:01
352 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:15
353 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:29
お前さあ、中国語も出来ないくせになんでそんなに
エラソーなわけ?(w
ホイ
1.秋瑾とは
秋瑾−清朝末期の民族主義者、美貌の革命家。その情念を詩歌に託した。満洲民族の王朝・清朝を打倒し、
漢民族の国家を再興しようとした。
しかし、事敗れ、刑死する。時に、三十一歳であった。
古い伝統に抗した、女性解放の闘士でもあった。
巾幗の英雄・鑑湖女侠とも云われたように、英豪の気概溢れる才媛である。
彼女は短い生涯で多くの詩文を残しており、その生命の凝結した詩詞を味わっていきたいので取り上げた。
2.秋瑾の略歴
秋瑾、本来の名は閨瑾だが日本留学時代に閨字を取って秋瑾とし、
以降、これで通す。字は卿。時に競雄とも号し、鑑湖女侠とも呼ばれた。
彼女は、光緒元年(一八七五年)十一月八日(陰暦十月十一日:異説五種あり。)
福建省侯県の官吏の家に生まれた。
秋氏の本籍は、陸游と同じ浙江山陰(現紹興)。四人兄妹の二番目で、
父は専門の家庭教師を子供達に付け、秋瑾の成績は、兄妹中で最も聡明であったという。
そのため、父は彼女をとりわけ可愛がり、自ら唐詩、宋詞を教えた。
結果、十一歳で詩を作ったという。
一六,七歳の頃、故郷の紹興へ帰ったが、そこで彼女は学業の余暇に
親戚の者より、拳法、棒術、剣術、短い棒術、騎馬等を積極的に修得していった。
これも彼女らしさの萌芽であろう。
一八九六年、四月(異説三種あり)、二十二歳の時、王家に嫁いだ。
しかし、秋瑾は婚家と夫・王廷鈞が吝嗇であるばかりか、薄情でもあり、
守銭奴の様相を呈していたという。もっとも、夫が実際にその通りだったか、
どうかは別として、秋瑾は、そのように感じていたことは事実である。
彼女の結婚生活は、不満と鬱屈と憤りの日々であった。
その日々の情景を詩・梅(本是瑶臺第一枝)では、よく表している。
恐らく価値観に大きな差異があったのだろう。
日清戦争を経て、一九〇〇年、北清事変(義和団事件)で列強への宣戦布告。
それに伴う八ヶ国連合軍の北京占領と、秋瑾は、自分の祖国へも
目を向けることとなった。
このころ、夫との間も冷え、夫の古い因習的な女性観にも反撥を感じていた秋瑾は、
先ず叛逆の第一歩として、三寸金蓮と呼んで、世の男が尊んでいた纏足からの解放であった。
纏足からの解放は、自分だけではなく、「天足会」(自然の足の会=反纏足の会)を通じて、
外の女性へも働きかけていった。そればかりではなく、女の装いをする事を嫌い、
男装して背広、革靴、鳥打ち帽という姿をし出した。男装の麗人の出現である。
この頃、自ら競雄と号しているが、その思想と行動がよく理解できる号である(
競雄:男と雄(雄々しさ)を競う)。
やがて、秋瑾は常に男装をして過ごすようになったが、
その一年ほど後、夫との結婚生活も終局を迎えた。
354 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:35
>>350 辛亥革命の女性志士のみならず、共産党の中でも
幼児に纏足をさせられながらその後それをとき
長征や軍事訓練に携わった女性は多くいます。
「纏足物語」 岡本隆三 東方書店
に
纏足を解いた跡、少林寺拳法の達人になった女性の話が
詳しく載っているので参考までに。
355 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:41
356 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:41
腐れフェミは死んでねっ♪
357 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:42
>>351 無知で教養もないのにエラソーにしてたら恥かくだけだよん。(藁
358 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:47
ありがとうございます。
纏足後でも結構活動できるんですね。
「纏足物語」は図書館に聞いてみます。
360 :
世界@名無史さん:02/05/10 23:57
頭の悪いフェミ女ほどみっともないものはないな。(w
不毛なスレ
>>351 何様だ、お前は?
しかも間違った答えを人に教えてるYO!
馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿
>>354,350
新すれでマターリとやりましょう。
ここは知識もないヒス女がいるので。
フェミ女は頭イイと思ってた
366 :
世界@名無史さん:02/05/11 10:43
穆桂英や秦良玉などは纏足なんかしていなかった筈だ!
君たちが言ってるのは、女将軍ではないだろ!
367 :
世界@名無史さん:02/05/11 11:41
>>366 350は名前出してないのと纏足でも戦場に出れるかと
聞いているので別に的外れな答えじゃないだろう?
それより馬鹿の1つ覚えみたいに穆桂英や秦良玉しか
出さないのは 恥ずかしくないか?
368 :
世界@名無史さん:02/05/11 11:54
>>367 私は
>>366など擁護してやる義理は無いが、一部の興味ある
人物しか知らんことが悪いとは思わないよ。
それに
>>350の文章には確かに女将軍と書いているよ。
369 :
世界@名無史さん:02/05/11 12:01
>>368 おいおい穆桂英や秦良玉意外に女将軍はいないのか?(爆笑
370 :
世界@名無史さん:02/05/11 12:02
371 :
世界@名無史さん:02/05/11 12:04
>>366,368
それを言うなら聞いた350本人が納得して
感謝してるだろ?
みっともないなあ、もう。
>>351 人に理不尽な怒りをぶつけてちゃ
誰も来なくなるよ
私は、何も
>>366の奴に味方してやる気など毛頭ないよ!
ただ、
>>350の文章の書き方が気になっただけだよ。
>>350は、「纏足でも戦場に出れるか?」と書けば良かったんだよ。
ちなみに、穆桂英や秦良玉以外にも女将軍は多数いるよ。
その意味で、私は
>>366の言い方にも共感しないよ。
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秋瑾しか知らない人が、穆桂英や秦良玉しか知らない人を攻撃するスレはここですか?
377 :
世界@名無史さん:02/05/11 15:42
>>376 激しく同意!
どっちも似たようなものじゃ!
_人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)_ 糞 でかい AA
\_―― ̄ ̄::::::::::\
\ ノ ̄ ::::::::::::::::::::::) /
\( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人/
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( ● \__/::●:::::::::::::)
\__::::::::::\/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
>>377 う〜ん、構造が某作家は歴史をしってるか?スレに似てるよな
粘着っぷりとか
フェミ女はみんなそうだな(藁
381 :
世界@名無史さん:02/05/11 15:59
新スレは無視して、こちらの既存スレで引き続き論議しよう!
>>380 女上司にリストラされた失業者とみた!!(ワラ
>381
なんで?戦士、将軍以外はあっちだろ?
384 :
世界@名無史さん:02/05/11 16:05
385 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:12
中世ヨーロッパには、女騎士もいたのでしょうか?
386 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:18
>>385 女騎士なら、堂々と立ちションしてそうだね。<笑>
387 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:19
>>385 いても不思議ではないが・・・
私は、知らないよ。
388 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:22
389 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:27
>>385 ここのスレ主は教養と知識がないから聞いても無駄だよ。
390 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:33
このスレにも、もっと良スレをつけてやれば盛り上がるのに・・・?
誰か、このスレを復活させてくれる奴はいないのか?
放置するから荒れるんだ!
391 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:34
>>390 女戦士は数が限られるから、ネタ切れになるのは仕方がない。
392 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:36
>>391 ならば、過去に出てきた人でも再論議する値打ちのある人もいるよ。
393 :
世界@名無史さん:02/05/11 17:45
>>392 ならば、ベトナムのチュン姉妹などについて再論議しよう!
350 :世界@名無史さん :02/05/10 22:01
中国の女将軍たちは纏足で活躍したのでしょうか?
それとも纏足ではなかったんでしょうか?
オバカな質問ですいません。
351 :世界@名無史さん :02/05/10 23:01
>>350 纏足なわけ無いでしょう!
これが致命的だったな
みんなひいちゃったよ
>>385 英国のガーター騎士団には、例外的に女性が名を連ねることもある。
ただし、名誉職なもので、実戦に出るかどうかは別。
396 :
世界@名無史さん:02/05/11 18:59
>>395 >英国のガーター騎士団には、例外的に女性が名を連ねることもある。
どんな女性が名を連ねてるの?
>>396 ほとんどが王妃とか王族。
ちなみに、女性は正規の団員ではなく、正確には客員扱い。
一番最初の例は、ガーター騎士団の創設者エドワード3世の妃フィリッパ。
なお、男性は脚にガーター勲章をつけるが、なぜか女性は腕につけるのだ
そうだ。
398 :
世界@名無史さん:02/05/11 19:56
399 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:01
こんなクソスレには、削除依頼でも出そうかな!
==========終了==========
401 :
世界@名無史さん :02/05/11 20:04
>>400 今さら何言ってるんだ?
今後このスレはあちらのスレの重複スレになりますって言ってるようなものだぞ。
403 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:07
404 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:08
>>403 新スレが立った当時、女戦士・女将軍以外の女傑をこの旧スレで語るな
と言って新スレに追い出したのは他ならぬこの旧スレの連中だぞ。
今さらそれはこっちで語るからこっちが既存スレだなんて、虫がいいに
もほどがある。
406 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:24
>>405 あの頃の連中のことを、私たちに言われても知りませんよ。
文句は彼らに言ってくれ!
私たちは、全ての女傑について語りたいんだよ。
だから、重複スレを廃止して統合してほしいんだよ。
407 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:27
>>400 どうしても女戦士・女将軍以外の女傑もこのスレで取り上げたくなった
のなら、新スレに出ていった者に対しては辞を低くして、「あの時はす
みませんでした、戻ってきてください」と頼むのがスジってものだろう。
それをなんだ?
新スレ「如き」?
「如き」ってなんだよ、「ごとき」って。
そうやって、人のことを見下して、その見下してる人がやってることを
とりあげるのか?
409 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:32
>>406 >重複スレを廃止して統合してほしいんだよ。
ならば、このスレではなく「女戦士について」スレこそが既存スレだろう。
あのスレも、女戦士・女将軍以外の女傑を語ろうと提案されていたはずだ。
すでに400と170にも達しているスレをわざわざ統合する必要があるのか?
こっちは戦史中心でやればいいじゃん。
あっちは歴史総合でやってるんだからさ。
あと、女戦士スレはもう死に体だから、話題に出してもしょうがないだろ。
あれはこのまま沈めちまえ。
第一、
>>1が戦士限定ってやったんだから、最後までそれで行けよ。
あっちのがまともなレスつきだしたから、それに迎合しようなんてもう見てらんない。
あんたが
>>9みたいな事言い出したからおかしくなったってこと気づいてる?
まあ、
>>1は秦良玉たん(;´Д`)ハアハアでもしてなさいってこった。
412 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:52
>>411 >あと、女戦士スレはもう死に体だから、話題に出してもしょうがないだろ。
なら、このスレも死に体だよ。
413 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:53
削除人が見たらどちらに非があるかは明らか
414 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:56
>>412 ひょっとして
>>1は、スレ自体が死に体になるのを嫌い始めたのではないか?
415 :
世界@名無史さん:02/05/11 20:58
>>414 一応は同意?
>>1も、現実に気付き始めたのだよ。
・・・たぶんね。
女戦士スレと同じ道を歩んでることに気づいた1が、起死回生の策と
して、新スレに出ていって健闘している人たちを呼び戻そうと必死に
もがいてるスレはここですか?
418 :
世界@名無史さん:02/05/11 21:14
>>416 今となっては
>>1も手遅れの可能性が高いが・・・
ちなみに、戦国時代にも良い例があるよ。
織田信長が強硬戦術をとった結果、本能寺の変が起こったよね。
それに気づいた豊臣秀吉が、一転して懐柔策をとったわけだよ。
つまり
>>1は、信長的戦術に不安を抱き始めたのだよ。
そこで
>>1は、秀吉的戦術に転換したんだよ。
でも
>>1の作戦変更も、今となっては効果の程は疑問だけどね。
419 :
世界@名無史さん:02/05/11 21:14
>>1は今更出てきてぐだぐだいってんじゃない。
上のほうで
>>1出て来いって言ってたろ?
あのときが最後の選択だった。
>>411に禿げ同!!
420 :
世界@名無史さん:02/05/11 21:19
>>419 >上のほうで
>>1出て来いって言ってたろ?
>あのときが最後の選択だった。
あの頃の
>>1は、まだ強気だったんじゃないの?
421 :
世界@名無史さん:02/05/11 21:28
っていうか
>>400の1は本人なのか?
どーでもいいが
422 :
世界@名無史さん:02/05/11 22:24
>>421 本人でないとするならば・・・
誰がわざわざそんなことを書く???
423 :
世界@名無史さん:02/05/11 22:27
424 :
世界@名無史さん:02/05/11 22:55
始めから
>>1が女戦士・女将軍だけに限定するというような縛り
を加えなければ、現在の新スレについてるレスは本来このスレ
についていた筈なんだよね。
ただし
>>416が言う通り
>>1も女戦士スレと同じ道を歩んでるこ
とに気づいて、やむを得ず女戦士・女将軍だけに限定するという
ような縛りを外したんだと思うよ。
もはや手遅れ>1
426 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:03
久しぶりに来たらなんかややこしいことになってるな。
ずっと読んだけどここ面白いレスがたくさんついてるじゃ
ないか?
427 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:04
>>426 あれ、「新女傑について」に書いたつもりが・・・。
あっちに行きます
428 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:07
>>426 >ずっと読んだけどここ面白いレスがたくさんついてるじゃ
>ないか?
だったら、君が良レスをつけてこのスレを復活させたら・・・?
ちなみに、このスレの女将軍・女戦士だけという縛りは無くなっ
たよ。
女傑スレなんだから、自由に女傑を論じて良いんだよ。
>>428 違います
あっちにいかせてもらいます。
430 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:11
>>429 だから
>>428が言う通りこのスレの女将軍・女戦士だけという縛りは無く
なったのだから、今後はこのスレでも自由に女傑を論じて良いんだよ。
本来は、ここも女傑スレなのだから自由に女傑を論じて良い筈だよ。
431 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:13
>>1の方針転換・・・
つまり
>>1が妥協策に転じた真意は、何だと思われますか?
皆様のご意見を求めます。
432 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:30
433 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:32
みなさんにお尋ねします。
クリントン前大統領の妻・ヒラリー夫人は、女傑に入ると思いますか?
434 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:35
フィリピンのアロヨ現大統領も立派な女傑だよ。
435 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:36
インドネシアのメガワティー現大統領も間違いなく女傑だよ。
436 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:38
>>435 メガワティー女史は、故スカルノ初代大統領の娘だよ。
437 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:40
マリー・アントワネット(フランス王妃)
ルイ16世の夫人で、フランス革命により処刑された。
438 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:41
ナポレオンの妻であるジョセフィーヌも女傑だよ。
439 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:43
>>436 >メガワティー女史は、故スカルノ初代大統領の娘だよ。
知ってるよ。
ちなみに、デビィ夫人も故スカルノ初代大統領の妻だったんだよね。
まあ、デビィ夫人まで女傑にいれるかどうかは別だけどね。
440 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:48
古代日本にも、卑弥呼という立派な女傑がいたよ。
441 :
世界@名無史さん:02/05/11 23:54
私は、北条政子も十分に女傑の条件を満たしてると思うよ。
443 :
世界@名無史さん :02/05/12 02:04
444 :
世界@名無史さん:02/05/12 17:52
類似スレへの対抗age
445 :
世界@名無史さん:02/05/12 18:05
濃姫
織田信長の正室
彼女が信長に嫁ぐとき父の道三は彼女に短刀を渡し信長が愚か者ならこれで刺せと諭したが、
彼女は反対に父上を刺すことになるかも知れないと返答したそうです。
つまらんなあ、ここは
447 :
世界@名無史さん:02/05/12 18:12
448 :
世界@名無史さん:02/05/12 18:14
450 :
世界@名無史さん :02/05/12 18:18
>>440 卑弥呼は、邪馬台国の女王だよね。
魏に使者を送った話は有名だよ。
451 :
世界@名無史さん:02/05/13 23:33
新スレがすっかり勝ちムードになったので、改めてこの旧スレ読み返して
みたが、新スレでみんなに批判されているほどには、ひどいスレとは思え
ない。確かに、非難されるべき部分もあるが、中には、このまま消えてい
くには惜しい、よいレスだってたくさんある。
というわけで、ひねくれ者の私は、今あえてこのスレを上げる。
なお、私をこのスレの1だろうと言う者がたぶんいるだろうが、違うとい
うことは明言しておこう。
>>451 >なお、私をこのスレの1だろうと言う者がたぶんいるだろうが、違うとい
うことは明言しておこう。
この書き方で誰かすぐにわかることを自覚しとらんな?(藁
>>1 あなた知識なさすぎ!
今までのレスで散々バレてるのにまだ恥かく気?
455 :
世界@名無史さん:02/05/14 17:35
451だけど、前にも言ったように、私はこのスレの1じゃないよ。
>>9で戦士・将軍以外を女傑と認めなかったくせに、
>>400で変節してる1は
私もあまり好きではない。
ではなぜ、こっちを上げているかというと、自分たちこそ正義と言わんばかり
の新スレによる旧スレ叩き(そのかなりの人が、もともとはこっちのスレで書
いてた人だろ?)が、ここの1よりも気にくわなかったから。新スレが勝利し
た今、旧スレを哀れに思ったからさ。私はひねくれ者なんで。
まあ、どうせこう書いても、人のことを「知識なさすぎ」なんて言ってるよう
な人は信じないのだろうけどね。
それと、新スレはいつの間にか、世界史上の女性なら女傑っぽくない人でもな
んでもあり、みたいになってきたように思うので(楊貴妃も女傑? 彼女何か
男まさりのことした?)もっと女傑らしい女傑についてこっちで語らせてもら
うよ。
と、いうわけで。
テロワーニュ・ド・メリクール
ベルギー生まれ。フランス大革命に感銘を受け、それまでの生活(高級娼婦だっ
た)に決別。乗馬服で男装し、腰にはサーベル、ベルトに2丁の拳銃、鍔広帽
子といういでたちでパリの街を歩いた。そして、革命のために女性も戦おうと
呼びかける。1792年8月10日のチュイルリー宮殿襲撃には、実際に彼女自身も
参加した。
しかし結局は、革命後も男性社会であり、女性の武装化を主張する彼女は周囲
に受け入れられず、そのため彼女は精神病となり、精神病院に収容されて、そ
のまま正気に戻ることなく没した。
456 :
世界@名無史さん:02/05/14 17:44
451より、追伸
それにしても、
>>452-454は、私の予想通りの反応。
昔、『JoJoの奇妙な冒険』というマンガがあって、その第2部の主
人公が「きさまは次に○○と言う」と予言すると、そう言われた相手はそ
の通りのことを発言するというマヌケぶりをさらしていたもんだ。
あれはマンガだから許されることだと思っていたけど、現実に似たよう
なことがあるもんなんだねえ。
457 :
世界@名無史さん:02/05/14 18:04
458 :
世界@名無史さん:02/05/14 18:13
>>455 1の変節は、ある意味で卑怯ではある。
しかし、これが現実社会の要領でもあるのだぞ!
私も、感情的には1を好きにはなれない。
だが、私の信念としては1だけが責められるのは不適切だと思うぞ!
それに、自分たちこそ正義と言わんばかりの旧スレ叩きを続けている
新スレの連中も1と似たり寄ったりの卑屈者だと言わざるを得ない。
459 :
世界@名無史さん:02/05/14 18:15
>>458 たたくと言うより単に女戦士のネタがなくなっただけなので。
<1の変節は、ある意味で卑怯ではある。
それがすべてだね
461 :
世界@名無史さん:02/05/14 18:23
451
>>457 おやおや、全部私が書いた455、456のどこがコピペ?
コピペだと言うなら、その元をぜひ教えてほしいもんだね。
根拠もなく人を誹謗するもんじゃないよ。
さて、フランス革命というのは、かなり女性が参加していた革命で、
前述のメリクール以外にも、名もない民衆の女性たちが多数参加して
いる。フランス革命が後の時代に与えた影響を考えると、この、名も
ない女性戦士たちこそ、世界史上最大の女傑と言えよう。
>>462 昨日、旧スレが倉庫行きだと言うのを見てから
今、来たばかりなので事情がわからなかったのですが・・。
・・・あのね、荒らしが新スレの人か、タダの行きずりの煽り厨房の
ものなのかわからないでしょう? 厨房が来やすい時間帯であるし
その時間に新スレには何も書き込みがないし・・・。(苦笑)
あなたの方こそ勝手に根拠もなく人を誹謗していませんか?
私は旧スレも新スレもあればいいと思うし
それだけ知識が増えると思っていたのですが
こういうところで「勝った」の「負けた」のということは
ないでしょうう?
異常に負けず嫌いなところがみんなに嫌われるし
厨房の煽りを呼んでいるのではありませんか?
カッカと怒っている人は、厨房の格好のターゲットだから。
勝負がしたかったのなら、そういうところに行ってください。
463 :
世界@名無史さん:02/05/14 20:39
451(=455、456、461)
>>462 >・・・あのね、荒らしが新スレの人か、タダの行きずりの煽り厨房の
>ものなのかわからないでしょう?
なんか誤解してない?
私は新スレの人がここを荒らしたとは言ってない。
「叩いた」と言っている。新スレをよく読んでごらん。
323とか、371とか。十分な根拠だと思うけどね。
>私は旧スレも新スレもあればいいと思うし
>それだけ知識が増えると思っていたのですが
賛成だね。
だからこそ、私はこの旧スレを全面否定してる人に反発しているんだよ。
>こういうところで「勝った」の「負けた」のということは
>ないでしょうう?
別にこだわってないよ。「新スレが勝ちムードだ」とは言ったけど、
それはそういうムードだと指摘しただけだしね。
464 :
世界@名無史さん:02/05/14 21:09
451だが、
ついでに、もう1人、革命期フランスの女性を紹介。
クレール・ラコンブ。女優出身。
女性だけを会員とする「革命的共和主義女性協会」を組織した。
舞台で鍛えた度胸のせいか演説もうまかったらしい。
革命の幹部たちを、その鋭い舌鋒でさんざんやりこめたという。
あんまり「女戦士」タイプとは言えないが、1793年10月28日に
この協会の女性と市場の女たちが大乱闘をしたというから、一応、
戦ったことのある女ということでこっちのスレで語っていいだろう。
こういうタイプの女性が邪魔になった革命政府は、この乱闘事件を
よいきっかけにして彼女を逮捕、投獄してしまった。
>>463 455 :世界@名無史さん :02/05/14 17:35
451だけど、前にも言ったように、私はこのスレの1じゃないよ。
>>9で戦士・将軍以外を女傑と認めなかったくせに、
>>400で変節してる1は
私もあまり好きではない。
ではなぜ、こっちを上げているかというと、自分たちこそ正義と言わんばかり
の新スレによる旧スレ叩き(そのかなりの人が、もともとはこっちのスレで書
いてた人だろ?)が、ここの1よりも気にくわなかったから。新スレが勝利し
た今、旧スレを哀れに思ったからさ。私はひねくれ者なんで。
まあ、どうせこう書いても、人のことを「知識なさすぎ」なんて言ってるよう
な人は信じないのだろうけどね。
それと、新スレはいつの間にか、世界史上の女性なら女傑っぽくない人でもな
んでもあり、みたいになってきたように思うので(楊貴妃も女傑? 彼女何か
男まさりのことした?)もっと女傑らしい女傑についてこっちで語らせてもら
うよ。
と、いうわけで。
ちゃんと書いてるダロ?(ワラ
えっ、455と私は別人だって?
まあ、いいけど。(ワラワラワラ
466 :
世界@名無史さん:02/05/14 23:18
451=455
>>465 「新スレが勝利した今」のことかね?
新スレが勝利したと認めてやってることが、なぜ勝ち負けにこだわってることに
なるんだ?
勝ち負けにこだわる人なら、「まだこのスレは負けたわけじゃない」と主張して
るだろうよ。
私はそうじゃないという意味で、「別にこだわってないよ」と言ったんだけど。
まさか、勝利という言葉を使っただけで、勝ち負けにこだわってることにされる
とは思わなかったよ。なんて短絡的なんだろうな。
そんな短絡的な論理が通るなら、たった一言、「別人」って言葉を使ってる人な
んかは、きっと、451が455と別人であると主張するという自分の予測に、ものす
ごいこだわりがあるんだろうね。
ぜひ今後もそう主張してくれたまえ。
でも451と455は同一人物なんだよ。
1でないと主張している私が、どのレスが自分のレスかを意図的にごまかしたこ
とはこれまでにもなかったし、今後もない。(意図せずに番号を書き間違うこと
はあるかもしれんが。)
さて、フランスの話題を続けたので、今度は中国。
義和団の乱の時の指導者の一人に、黄蓮聖母と名乗る女性がいた。
天津を中心に活動。
天津陥落後、イギリス軍に捕らえられて、殺されている。
467 :
世界@名無史さん :02/05/15 00:29
唐賽児
明初に生まれ。
弥勒菩薩を熱心に信仰し、夫の死後、夫の墓参りに行った帰りに、
石の箱に入った宝書と神剣を得て、鬼神を使役するなどの奇跡を起こす。
彼女の信者はかなりの地域に広まった。
永楽18年、山東を襲った災害が引き金となり、浜県の農民数千人が放棄し、
この反乱軍を指揮したといわれる。
朝廷は高鳳を派遣し、鎮圧をはかるも逆に撃退され、高鳳は戦死。
唐賽児の同志である董彦杲らも蜂起し、筥、即墨を攻め落とし、安丘を包囲した。
事を深刻に受け止めた朝廷は、安遠侯、柳升を総司令官とする精鋭部隊を投入、
唐賽児の拠点を包囲した。
唐賽児は偽りの投降をして官軍を油断させ、寝入ったところを急襲し、
混乱に陥った官軍は、副司令官、劉忠を流れ矢で失う。
柳升は夜が明けてから事態に気づき、あわてて反乱軍を追うも、
男女あわせて100人あまりを捕獲しただけであった。
その後も、反乱軍は安丘を攻撃するも城は落ちず、
筥、即墨の民衆を集め1万の兵を編成し、安丘を再度攻撃した。
されど、山東海上で倭寇に備えてた衛青が安丘を救援するため、、
1000騎の率いて昼夜を問わず走らせ駆けつけ、
2度に渡る戦いのあと、反乱軍を撃退。
王真も150人の兵を率いて諸県の反乱軍を掃討し、ついに平定された。
朝廷は唐賽児を捕獲しようと、全国をくまなく探すも見つからなかった。
朝廷は唐賽児を妖婦と呼んだが、唐賽児は仏母と称してたという。
俺は、このスレの1の態度が気にくわない。
女傑スレをかってに女将軍限定にしたり、やれ海賊はダメだとか、
カルトはチョットとか抜かして、スレをもり立てようとする書き込みを排除するかのような事を
やっていた。
ハッキリ言って最悪だ。
これは新・女傑スレに書き込もうとしたヤツだが、いちおう向こうは
女将軍等以外のスレとなっているため、こちらに書き込んだ。
1が「私は被害者でござい」みたいな事を思っていたら不愉快なので、
書き込んでおいてやる。
早く向こうがパート2になって、世界の偉人(女性のみ)を語り合えるスレになって貰いたい。
スレを盛り上げようとしなかった、スレを盛り上げようとする事を阻害し、
新・女傑スレがたった時点で、このスレの役目は終わったと思っている。
ただ、このスレの1に反感を持ってるヤツの全てが荒らしだなんて思われたら、
他のヤツも不愉快だろうから、書き込んだやった。
以上
>>466 勝利
しょうり 1 しよう― 【勝利】/ せふ― 【▼捷利】
(名)スル
戦い・競技などに勝つこと。
「大辞林」より
勝ち負けのことを言ったからだろ? バ〜カ!
>>466 なんでこのスレを
>新スレでみんなに批判されているほどには、ひどいスレとは思えない。
っていうのか分からない。
スレを盛り上げようとしなかった、スレを盛り上げる努力をしなかった1を
どうやっても弁護できない。
向こうのスレを読めば分かるけど、必ずしも女傑だけを話題にしてるわけではない。
関連する話なら、男の話ですらしてる。
仮に横道にそれても話が盛り上がればイイじゃん。自分のしたい話でなくたってイイじゃん。
なんでスレの流れを阻害する?なんで話を限定する?
俺的には向こうでの批判ですら生ぬるいと思っている。俺が削除人なら
このスレ確実に削除しているよ。
向こうのスレのパート2が立ったら女将軍でもokになると思うから
(それまでこのスレが保つと思わないし。仮に保っても死に体だから向こうを本家扱いするのが妥当だと思う)
俺自身は削除依頼出さない、出すまでもないと思ってるけど。
471 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:12
472 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:14
>>1 ホントに嫌なやつだよここの1は。
最低女だな。
自分でよ〜くわかってんだろ?
自分意外はほとんどレスつけてないってことが!
473 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:17
>>471 >これ書いたのだ〜れだ?(w
間違いなく1だろ!
向こうのスレの住人のほとんどが、このスレを落とそうとしてると思われるから、
ここに書き込むのは、本意じゃないけど、
スレを盛り上げようとしなかった1を、なんで擁護するのか分からない。
datに落とすにはもったいないと思うならレスをコペピして向こうに書き込んだら?
そしたら、このスレ落ちても文句ないだろ?
475 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:24
476 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:26
このスレも、結局は女戦士スレの二の舞になったね。
477 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:28
451=466
>>469 466の論旨わかってる? もう一度よく読んでみなさい。
誰も、勝利は勝つことでないなんてことは言ってないの。
だから、わざわざ辞書引っ張り出して、勝利の定義を調べる必要なんて
ないんだよ。勝利が勝つことだなんて、誰だって知ってるんだから。
(ひょっとして、君はわざわざ辞書引っ張り出さないと知らなかったの
かな?)
私はね、勝利すること、勝つことに対して、こだわりを持ってないって
言ってるんだよ。
こだわりを持ってる人なら、「俺は絶対負けないぞ」って思うはず。
そういう人が、どうして、「新スレが勝利した」って書くのかなあ?
こうして、かんで含めるように言わないとわからないとは、やれやれ。
それとも、曲解?
だとしても最後の一言はまるで幼児の反応だね。煽りとしても低級だよ。
そんなに人を見下げるほど自分がお利口だと思ってるのなら、もうちょ
い、気の効いた一言でしめてみなよ。
このスレがさびれたのは、1の責任ももちろんあるけど、こういう人た
ちのつまらん煽りのせいだと私は思うね。
さて、黄蓮聖母についてちょっと手元の本を見直してみたのだが、ある
ページでは英国軍に殺されたと書いてあったが、巻末の関連人名事典に
は、行方不明となっていた。どっちが正しいんだろ?
478 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:42
451
>>474 >スレを盛り上げようとしなかった1を、なんで擁護するのか分からない。
別に私は1を擁護する気はないよ。
400における1の変節ぶりには、私も「なんだこいつ?」と思った。
だからといって、みんなでよってたかってこのスレの1を叩いて、しかも
スレそのものを否定しているのが気に入らないので、そういう人に反発し
てるわけ。
強いていうなら、1が盛り上げようとしなかったから、俺が盛り上げて
やろうと思ってるのさ。まあ、今となっては、どこまでできるかわから
ないけどね。
479 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:45
451
>>467 そうそう、順番が前後になっちゃったけど、467のカキコミ、
ありがとう!
480 :
通りすがりの見物人:02/05/15 01:48
>>1 俺。私。
男を装うのか。女を装うのか?(w
481 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:56
451=478
ああ、ちゃんと推敲しないでアップいたから、一人称が混乱してたな。
何度も言うが、私は1じゃないよ。
別に装ってるわけでもなんでもなく、私は男性。
478の、俺が盛り上げてやろう、の部分には、「」をつけるべきだった
な。日常では「俺」を使ってるもんでね。
それにしても、一人称に「私」を使うと、それだけで女を装ってること
になるとは知らなかったよ。
482 :
世界@名無史さん:02/05/15 01:59
それにしても、「通りすがり」程度の見物人がなんで、私を1だと
思ってるんだろ。不思議だねえ。
さて、私はそろそろ寝るよ。
これ以降の、反論、煽り、その他へのレスはまた明日。おやすみ。
ここにネタを書き込んだ本人が言うのもなんだけど、ここにまともな書き込みすることを
俺は「擁護」と言ってるの。
俺の主張は
「datに落とすにはもったいないと思うならレスをコペピして向こうに書き込んだら?
そしたら、このスレ落ちても文句ないだろ?」
向こうの住人は人間ができてるから、かりに女将軍がらみの書き込みしても
許してくれると思うぞ。
俺みたいに「1が明らかに悪いのに、被害者面してるとしたら不愉快だから書き込んでやる」
っていうなら別だけど。
ここを無理してまで盛り上げようとするから1だと思われtるんだよ。
ここは死に体だから、女将軍がらみも向こうに書き込んで良いと思うぞ。
ここを放置して「dat落ち、きぼーん」している向こうのスレの住人に悪いが
分からず屋のために、もう少しだけレスするよ。
.
485 :
世界@名無史さん:02/05/15 18:38
451
>>483 >ここにまともな書き込みすることを俺は「擁護」と言ってるの。
私はそうは思わないな。
あるスレッドにまともな書き込みをすること、その板の1を擁護、支持するか
どうかはまったく別のことだと思っている。
極端な話、私がこうして書き込みをしている結果、1のしてきたことのまずさ
がみんなに蒸し返されているぐらいだしね。
>「datに落とすにはもったいないと思うならレスをコペピして向こうに書き込んだら?
>そしたら、このスレ落ちても文句ないだろ?」
そういう問題じゃないよ。
仮に、私が、あるスレの1をものすごく嫌っていて、そのスレのdat落ちを望んで
いるとしよう。そんな私が、そのスレの人に対して、
「もったいないレスは、ぜんぶ別スレにコピペして、このスレは落とそう」と
そのスレの住人に呼びかけたとする。
なんなら、そのスレというのが、新女傑スレだとしてもいい。どうせ仮定の話
なんだから。
どうだい? そんなことをもし私が言ったら「なんて身勝手な主張をするヤツだ」
って思わないかい?
すぐに勘違いして揚げ足を取る煽り君もいるから何度も強調しておくが、今の
はあくまでたとえ話だ。
私は、
>>463で、明言しているように、新旧女傑スレが両立することに賛成だ。
新女傑スレが盛り上がっていることは、喜ばしいことだと思っている。
それはそれとして、旧女傑スレも再びまともなレスで盛り上ってほしいと思っ
ているのだよ。
すべての元凶ということになっている(それについても、私には疑問があるの
だが……それは別の話)1がやっていたような形ではなく、ちゃんとした戦場
の女傑を語る場として、このスレに生まれ変わってほしいと思っている。
(私1人でそれができるかどうかはわからない。いや、1人じゃ無理だろう。
はっきり言って、私の持ってるネタはすぐにつきる。)
だが、そう願うことが、そんなにいけないことなのか?
なにも、私を応援しろとは言っていない。
このスレがそんなに嫌いならば、私がこのスレで何をしようと無視していれば
いいだけのことじゃないか。
過去に問題はあったとはいえ、まがりなりにもよいレスもあったスレを、みん
なでよってたかってdat落ちさせようとしているなんて、心が狭すぎないか?
新スレの住人は「人間ができてる」のだろう?
なら、私のやってることぐらい許してくれてもいいんじゃないか?
486 :
世界@名無史さん:02/05/15 18:44
451だ。485は長文で失礼した。
主張したいことを全部書いてたら、つい長くなってしまってね。
とりあえず、今日はこの2人を紹介しよう。これもちょっと長いよ。
マティルダ
1102〜1167
英国王ヘンリー1世の娘。神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ5世皇后。
マティルダ・オヴ・ブーローニュ
1103〜1152
英国王スティーヴンの王妃。
この同名の2人の女性が抗争したので話はややこしい。
ここでは便宜上、前者を「皇后マティルダ」、後者を「王妃マティルダ」と
表記して区別する。
ヘンリー1世は、最初自分の娘の皇后マティルダに王位を継承させようと思
い、わざわざ帰国させた(その時点で皇后マティルダは未亡人だった)が、
後に気を変えて、結局、甥のスティーヴンを後継者として没した。
腹を立てた皇后マティルダは、自分にこそ王位継承権があると主張。グロー
スター伯らの貴族に挙兵させ、スティーヴン王を捕虜とする。
これに対し、王妃マティルダは、最初は王位を譲歩してでも夫を釈放させよ
うとしたが、交渉は決裂。そこで王妃はケントで軍を起こした。
1141年、女王を自称していた(周囲には認められていなかったが)皇后マティ
ルダは、王妃マティルダ軍が迫るとロンドンを脱出。
皇后マティルダは、グロースター伯と共にストックブリッジに立てこもる。
王妃マティルダはそれを包囲した。そして、皇后を取り逃がしたものの、グ
ロースター伯を捕虜とすることに成功。彼との捕虜交換で夫スティーヴンを
みごと奪回した。
皇后マティルダは、なおもオックスフォードなどで転戦するが、この頃には
もう勝ち目もなくなっていた。ついに1148年には大陸に撤退、武力抗争と自
分自身の王位継承をあきらめた。その代わり、自分の息子ヘンリーへの王位
継承を求めるようになり、やがてそれは実現する。
皇后マティルダの子ヘンリーはスティーヴンの後を継ぎ、プランタジネット
朝の開祖ヘンリー2世となるのである。
これが最後の説得。
まず
>>485に対しての反論。
コピペしても現時点では反感は出てないようだ。ハッキリいってやる。気の回しすぎだ。
俺がここのスレを見捨てようと思った理由は前に書いたよな。
その象徴的な事件が
>>350に対して
>>351みたいなレスしか出来なかったこと。
ふつう、
>>354-355みたいなレスしないか?
馬鹿にされたせいか1は、
>>366や
>>368みたいなレスするんだよ。
もし俺なら、纏足がいつ頃から始まって、いつ頃に「女はみんな纏足」状態になったのかを言及し、
穆桂英や秦良玉が纏足をしていた可能性が低いから、あんな感じのレスをしてしまった
みたいなこと書くよ。1行で全否定はあまりにも言葉が足りなすぎる。
俺もこのスレは向こうのスレとココが共存することは可能だったと思う。
女戦士の数なんてたかがしれている。逆に女性の偉人は女戦士より多いだろう。
だからこそ向こうのスレは広く浅くならざる得なく、こっちは狭く深い話が出来たと思う。
俺自身、女将軍、女戦士列伝をしたいなら女戦士スレを活用するべきだと思ってる。
俺は、なぜ彼女(女将軍、女戦士)は戦ったのかを、その時代背景からめて話をしたかったし、
女将軍の元で戦った兵士達は、彼女をどう見ていたのかも知りたかった。
そういう話がこのスレの存在する理由になると思っていた。それが女戦士スレとの差別化になっると思ってた。
でも、1にはそういう意識はなかったんだろ?
ただ単に「女戦士スレ」が荒らされたから避難のためだけにこのスレを立てたんだろ?
それなら削除されるべきだと思うよ。
私は1じゃないっていうなら「女戦士、女将軍 総合スレ〜なぜ彼女たちは戦場に立ったのか〜」みたいな
新しいスレを立てて、しきり直しをしたらどうだろう?
このスレの1の態度は問題ありすぎだし、1への反感は俺も含めて根深いと思う。
列伝を書き込みたいなら向こうのスレを活用しようよ、似たようなスレを乱立させる必要はないだろ?
そんなヤツはいないだろうけど、1は馬鹿なので俺の書き込みを曲解する恐れがあるので、
みっともないけど言い訳。
>>467の書き込みをした理由は
>>468の通り。
ただ、言葉が足りないから付け足し。
@このスレは死に対なので、で主張したような、
「なぜ彼女(女将軍、女戦士)は戦ったのかを、その時代背景からめた話」
をしても、まともな反応がないと判断した。
A1は単なる列伝をしたかっただけのようなので、あのような感じのスレをするのが
最適だと考えた。
嗚呼みっともない。1がまともに日本語を理解できることを期待するよ。
ココまで書いても俺の主張が分からなきゃ、救いようがない。
489 :
世界@名無史さん:02/05/16 09:07
451
>>487 >コピペしても現時点では反感は出てないようだ。ハッキリいってやる。
>気の回しすぎだ。
おいおい。コピペって、こっちのレスを新スレにコピペしたってことだろ。
私が485で出したたとえた話は、逆。
もしも私が新スレの1を憎んでいて、そのあまりに「惜しいスレは他スレに移
してこの新スレは落とそう」、と提案したら、という場合の話。
新スレの住人はそんなことを言われても反感を持たず、新スレ落としに協力し
てくれるというのか?
私は君のことをもっと頭のいいヤツだと思っていたのだが、それは買いかぶり
だったのか?
490 :
世界@名無史さん:02/05/16 09:26
451
>>487 ……と君をけなした直後でなんだが、
>女戦士の数なんてたかがしれている。逆に女性の偉人は女戦士より多いだろう。
>だからこそ向こうのスレは広く浅くならざる得なく、こっちは狭く深い話が出来たと思う。
や
>俺は、なぜ彼女(女将軍、女戦士)は戦ったのかを、その時代背景からめて話をしたかったし、
>女将軍の元で戦った兵士達は、彼女をどう見ていたのかも知りたかった。
>そういう話がこのスレの存在する理由になると思っていた。それが女戦士スレとの差別化になっると思ってた。
という君の意見には大賛成だ。
だからこそ、このスレは今後ぜひそうなってもらいたいものだと思う。
私では力不足なので、私自身、とりあえずこれまでは列伝程度のことしかやって
なかったわけだが。
そうだ、なんなら、手始めに、
>>486で私が紹介した2人のマティルダがなぜ戦
わねばならなかったかを語らないか?
「纏足がいつ頃から始まって、いつ頃に「女はみんな纏足」状態になったのかを
言及」できるほど世界史に造詣の深い君の意見をぜひ聞いてみたい。
351のいい加減さに腹を立てている君のことだから、さぞ的確な意見を聞かせて
くれるものと期待するが。
>私は1じゃないっていうなら「女戦士、女将軍 総合スレ〜なぜ彼女たちは戦場に立ったのか〜」みたいな
>新しいスレを立てて、しきり直しをしたらどうだろう?
似たようなスレを乱立させる必要はないだろ?
491 :
世界@名無史さん:02/05/16 09:48
451
>>487 君の一連の文を読んで感じることは、君がこの旧「女傑」スレと1とを同一視
しているということだ。
まるで、このスレが1の所有物であるとでも思っているかのようだ(1自身も、
何か勘違いしていたようなふしはあるが)。
だが、ひとたび世界史板にスレが立った以上、そのスレは1のものじゃない。
世界史板住人みんなのものだ。
そのスレの趣旨の範囲で、好きなことを書き込む権利、そのスレを活用する
権利は誰にでもある。私にもある。違うかい?
いろんな人がいれば、中には、351のように知ったかぶりをして醜態をさら
す者もいるだろう。
だが、その間違いを指摘した354もまたこのスレの住人だ。(少なくとも、
住人だった。)
君は、このスレのすべてに「1のもの」というレッテルを貼り、全否定する
のかい? それこそ、1以上の横暴だとは思わないかい?
492 :
世界@名無史さん:02/05/16 10:03
>491
>それこそ、1以上の横暴だとは思わないかい?
激しく同意!
1の態度にも問題があるのと同様、このスレを1の所有物という
レッテルを貼って全否定する連中の態度にも問題がある!
私に言わせれば、両者とも同じくらい横暴だ!
493 :
世界@名無史さん:02/05/16 12:16
451だ。
さて、前述の皇后マティルダだが、もう1人の王妃マティルダと区別する
便宜上、私は「皇后マティルダ」と繰り返し表記してきたわけだが、考え
てみたら、これはこれで誤解を招く表記だったかもしれない。
イングランド王位を巡る戦いをしている時点で、すでにマティルダは最初
の夫神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世に死なれて、アーンジュ伯ジョアフ
リーと再婚していたからである。
彼女の戦いは、神聖ローマ帝国皇后としての戦いではなく、イングランド
王室・フランス貴族に連なる者としての戦いだったのである。
彼女の2度目の夫のジョアフリーは、好んでエニシダの小枝(プランタ・
ジェニスタ)を帽子に刺していた伊達者で、彼のこのトレードマークから
家系の家名が「プランタジネット」になる。
有名な獅子心王リチャードやジョン欠地王は、このジョアフリーとマティ
ルダ夫妻の子ヘンリー2世の子、つまりマティルダの孫だ。
また、確かこのスレでも既出だったと思うが、十字軍にも参加したアリエ
ノール・ダキテーヌ(英語ではエリナー・オヴ・アキテーヌ)という女傑
がいたが、彼女はヘンリー2世の妃となり、リチャードやジョンの母とな
るのである。
この家系は、マティルダ、アリエノールと、2代にわたって女傑の血を入
れてきたわけだ。
そのことを考慮に入れてリチャードやジョンの性格形成を考察してみるの
も一興だろう。
>>491 全否定するね。
ここの1も(自称1も)最低だ!
お前なあ、人に甘えるのもいい加減にしろ!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!
人の好意を当てにする前にまず人に親切に礼儀正しく
振る前や!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
495 :
世界@名無史さん:02/05/16 19:50
うっとおしい1&自称1じゃない氏が書き込んだ人に
どんな仕打ちをしたか
見てほしいので
さらしage
496 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:26
451だ。
なんか、未だに私を1だと疑ってる人がいるようだね。
これまで言われてきた、ここの1を嫌っている人たちの持つ、ここの1のイメー
ジをまとめると、だいたい次のようなものになると思う。
A 勝手にスレのルールを主張し、勝手にそれを変える。
B 秦良玉などの中国武侠小説系の女将軍しか知らない。
C ヒステリックなフェミ女。逆ギレする。
どうして私が、これらに該当するというのだう?
まあ、Aは見方によってはそう受け取る人もいるかもしれないけど、私として
は絶対こうしろと主張してるんじゃなく、提案してるだけのつもりだよ。
Bなんかは明らかに違うと思うんだがねえ?
私が上げてる、女傑の紹介読んでくれてないのかね。
C、ヒステリックになった覚えもない。
くだらない煽りには皮肉を、悪意には悪意を返してはいるけどね。
そして、467君のように意見を言ってくる者に対してはこちらもこちらの意見を
返させてもらっている。
>>491なんて、完全な正論だと自負しているが。
これを否定する
>>494の方が、よっぽど感情的でヒステリックで見苦しい。
>ここの1も(自称1も)
などと、書いてるぐらいだし。
( )の中は、「自称1じゃない氏」って言いたいんだろ?
もっと落ち着きなよ。
497 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:29
嫌だねお前なんか氏ね死ね氏ね死ね!!!!!!!!!!!!!!!
498 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:31
これだけ嫌われたら本望だろう?
俺はここの住人じゃないけど、さっきから「新女傑」スレに
あんたの書いたえらそうなコピペを張りまくってるやつがいるんで
見に来た
なんて書いてもあんたは行きずりの人間とは認めなんだよな?(w
本当に嫌なやつだよ!
住人じゃない俺もそう思う
499 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:32
なんだ?
えらく狂信的なフェミ嫌いだな。
落ち着けよ。
500 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:35
フェミじゃね〜よ!
お前が嫌いなだけだ!
501 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:38
レス付けたら
”お前”もしくは1扱いかよ
おめでてーな(藁
502 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:38
何やってんだあ〜?お前ら?
よそから入ってきたもんまで罵られるから来なかったけど、好い加減に
しろ!
1なんか自称1じゃない人か知らないが、これだけ嫌われてるのにまだやるか?
503 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:40
どっちもウザイよ
504 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:50
>503
そうだ!
旧スレの1は、すごく厄介な奴だ!
しかし、新スレの一部の住人にも厄介な奴がいるぞ!
505 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:51
506 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:51
どうだ?
自分がしたことがどんなに人に嫌われてるかわかったかい?
削除依頼出しました
508 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:56
510 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:58
451だ。
>>498は私に対する文かな?
私を嫌うなら、別に嫌ってもかまわん。
君が私を嫌ったところで、私は痛くもかゆくもない。
それにしても、書いてる人が感情的なせいか、論旨をつかみにくい文章だな。
>なんて書いてもあんたは行きずりの人間とは認めなんだよな?
はあ?
>>480のことを>>私が482で、
「通りすがり」程度の見物人がなんで、私を1だと
思ってるんだろ。不思議だねえ。
と書いたことを言ってるのかな?
480は明らかに私の一人称の混乱を指摘しており、私は何度も自分は1でないと
明言していたのに、「1」に対して呼びかけていたよ。通りすがりのはずの人が、
なんでそんな間違いをするの? だから不思議だねえって言ったんだよ。
かように、私は根拠のあることを論理的に発言している。
そんなに私のことが嫌いで、私をへこませたかったら、感情ではなく、理路整然
とした正論をもって私に立ち向かいなさい。
君にそれができたらの話だけどね。
511 :
世界@名無史さん:02/05/16 21:59
>>509 はじめから削除狙いで暴れていたのでは?
512 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:00
どうやら、旧スレと新スレは引き分けになりそうだ!
>>511 旧スレと新スレを両方とも潰すのが目的??
訳わかんねー
515 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:06
>513
これは、どうやら・・・
旧スレの1というよりは・・・
旧スレと新スレを両方とも潰す目的の奴が
暴れてた可能性がありますね。
516 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:08
451だ。
>>542 >これだけ嫌われてるのにまだやるか?
「まだやるか?」とは、このスレで女傑を語ることを、という意味かな。
そうだとすれば、答えは「まだやる」だ。
ここで女傑を語ることは間違ったことではないはずだからだ。
前にも書いたが、スレの趣旨に反しない範囲内でスレを活用する権利は誰にで
もあるはずだ。私はその権利を行使する。
不毛な論争をまだやるのか、という意味だとしたら、それは私につっかかって
来る連中に聞いてくれ。
前にも書いたが、私は悪意には悪意を、意見には意見を返す。
517 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:10
まだやってんのかよ(プ
518 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:13
>516
>前にも書いたが、私は悪意には悪意を、意見には意見を返す。
悪意には悪意、意見には意見か・・・
それは、まあ筋が通ってるよ。
でも、単純な荒らしなら無視してしまった方が無難だよ。
519 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:14
>515
そいつが真犯人か?
520 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:20
507が真犯人だった可能性もありますね。
521 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:22
>520
だとすると・・・
真犯人の意図は、一体なんなのだ?
522 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:24
>516
>ここで女傑を語ることは間違ったことではないはずだからだ。
>前にも書いたが、スレの趣旨に反しない範囲内でスレを活用する権利は誰にで
>もあるはずだ。私はその権利を行使する。
君の意見には、たしかに一理あるよ!
>>520 お、買いかぶってくれましたね。
レス付けたら罵倒された、ただの通りすがりですよ。
524 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:26
ここのスレも荒れてるな〜
少なくとも新スレまで潰そうとする意図が
まったく理解できないんですけど。
526 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:28
527 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:30
真犯人=女戦士スレの1?
528 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:31
529 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:31
>527
同感です!
その可能性が高いですね。
530 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:36
スピリドーノワ(マリヤ・アレクサンドロヴナ)1884-1941
美しき隻眼の女性テロリスト。
15歳にして小学児童保護教会の会合に出たという理由で逮捕歴を持つ。
1905年タムボフ県の農民一揆鎮圧を指揮した副知事ルジェノフスキーを、
翌年1月16日銃で暗殺。当時21歳。自殺を企てたが憲兵によって阻止された。
コサック士官アブラモフとジュダーノフは彼女の衣服を剥ぎ殴打し、
皮膚を焼いて共犯者を自白させようとしたが、
マリヤは一言も発しなかった。
半死の態でタムボフ監獄に移された時は拷問のため
すっかり人相が変わっていたという。
その後軍法会議の場で「私を殺せ。だが、諸君は人民の自由と幸福、
正義と廉直の勝利、そして友愛、平等、自由の理想がもはや虚しい響きではなく、
真の生活に具体化された時代が到来する私の信念を、決して殺せない。
かかる未来のために、個人の生命を犠牲とすることこそ幸福なのである」と叫んだ。
死刑の判決を受けるも、フランスの婦人が新聞に抗議文を寄せたほか、
知名人の署名による抗議で終身懲役に減刑された。
シベリアのアカトゥイ監獄に送られたマリアは
沿道いたるところで赤旗と革命家の示威運動で歓迎され、
監獄では看守や兵士までが歓迎の大示威行進を行ったという。
17年、2月革命によって解放、11月の第1回左派エスエル党大会で
指導的役割を果たし最高幹部の一人となる。
18年ボリシェヴィキ批判、エスエル反乱後逮捕され禁錮刑。
地下活動の後、25年以降は辺境へ追放された。
531 :
世界@名無史さん:02/05/16 22:50
451だ。
さて、2人のマティルダによる女の戦いの後、イングランド王スティーヴンは
たまたま嫡子を失い、結局王妃じゃない方のマティルダの子を後継者とするこ
とで和解が成立した。
そして即位したのが、ヘンリー2世である。
そのヘンリー2世が結婚した相手が、エリナー(エレアノール)だ。
エリナー・オヴ・アキテーヌ
1122?〜1204
アキテーヌ公ギョーム5世の娘で、その広大な領地を継承していた。
彼女も、マティルダと同じく、プランタジネット家に嫁いだのは2度目の結婚
である。最初の夫は、フランス王ルイ7世。
彼女は、このルイ7世と共に、第2回十字軍遠征に出たのだ。
そして、ルイと離婚した彼女が、ヘンリーと結婚したことによって、広大な
アキテーヌの領地がイングランド王家にもたらされたことが、ずっと後の英仏
百年戦争への伏線となるのである。
532 :
世界@名無史さん:02/05/16 23:35
451だ。
>>518 ご忠告ありがとう。
センスのない煽り連中をからかうのも、ほどほどにしておくよ。
>>522 わかってもらえて嬉しい。ありがとう。
>>527、
>>529 自分の立てたスレにすら出てこず、荒れてきた時期に呼びかけられても答えず
放置しっぱなしだった女戦士スレの1が今さら暴れているという可能性は、な
いとは言わないが、そんなに高くはないのではなかろうか。
今日、両スレの削除依頼出したのは、よほど双方のスレが嫌いな者なのだろう。
自分がこのスレで過去に書いたことや、それについて言及している新スレをな
かったことにしたいと望んでいる者という可能性もあるな。
533 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:23
>>530 それ、新女傑スレにもあったね。(向こうでもそう指摘されていた。)
向こうに書いたのと、同じ人?
それとも違う人がコピペしたの?
どちらなのか、一言言ってくれるとよかったんだけど。
同じ人だとしたら、こっちのスレを盛り上げようとしている私としては
こちらにもアップしてくれてありがとうと言いたい。
534 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:25
>533
たとえ違う人がコピペしたとしても、やはり感謝すべきだよ。
535 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:25
失礼、名乗るのを忘れた。533は、451。
536 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:36
支那で最初の実在の女将軍は殷の婦好です。彼女の存在は最近になって
知られたものです。1975A.D.に殷墟で大規模な墓が発見され755件の玉
器や47件の宝石器と共に、468件の青銅器が出土し銘文により墓主が判
明ました。それが婦好で廟号を妣辛という女性で他の甲骨卜辞により商
王の武丁の寵妃であり、しかも一万三千の軍旅を統率して四方を征伐し
た武人であることが解明されました。彼女の軍事権力を象徴するものと
して2件の銅鉞も出土しており、いずれも「婦好」の銘を持ち1件は重
さ9kgもあるものでした。彼女はまた商王の命により祭祀を主宰してい
ることも卜辞に見えています。
序でながら伝説上の最初の女剣豪は「越絶書」に出てくる越處女です。
彼女は今日の華人社会でもてはやされている剣侠小説で活躍している女
侠の開祖です。
537 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:38
451
>>534 それが複雑なところでね。
嬉しいことは嬉しいんだけど、人の文だという断りもなく勝手にコピペ
してると、またこっちのスレを叩く口実にされそう。
私としては、あまり奨励したくない。
他人の文をコピペするなら、それがどこからのコピペかを一言言って
ほしいと思う。
538 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:43
>537
新スレの連中も、ここのスレから幾つかコピペしてるよ。
お互い様だよ。
539 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:45
>538
そうだね。
540 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:48
>538
>新スレの連中も、ここのスレから幾つかコピペしてるよ。
もし、このスレが新スレからのコピペで叩かれるなら・・・
反対に、これを口実に新スレを叩くことだってできるよ。
541 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:56
あ〜、あ〜、削除依頼が出てるからあまり争わないようにと
新スレの人が忠告してたのに
アンタがたそんなことしてたら本当に削除人にあきれられて
削除されちゃうよ、
542 :
世界@名無史さん:02/05/17 01:42
>>536 >一万三千の軍旅を統率して四方を征伐し
>た武人であることが解明されました
確かに婦好像が軍装しており、墓から軍権の象徴の斧鉞が出土したそうですが、
実際に婦好は「一軍」、周代での一万二千五百の兵を「統率」した事が「解明」されてるの?
殷代の王婦は征旅に従軍したそうですが、従軍する巫女の長としてではなく
司令官として戦闘指揮をしていたのですか?
ソース教えてプリーズ。
543 :
世界@名無史さん:02/05/17 02:12
>>540 削除依頼が出てるのに、まだそんな底意地の悪いこと
言ってるのかい
あちらは荒らしが去った後は黙々とまた女傑の話しに
戻ってるのに。。。。。
今回の荒らしで、今まで興味のなかった女傑関連のレス見たけど
お前らのあくどさには厭きれ返らされる。。
544 :
世界@名無史さん:02/05/17 10:15
>542
婦好については、田中芳樹が著作した花木蘭を主人公とした本の後
書きに名前だけ紹介されてました。
ただし、私はこれ以上のことは知りません。
でも、彼女が実際に司令官として戦闘指揮をしていたのかどうかに
ついては私も是非とも知りたいと思っています。
545 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:11
546 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:36
ここのヤツ前から全角の。使ってるじゃん。
547 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:37
21 :世界@名無史さん :02/04/28 11:37
>17
>イサベルは戦場に出てないだろ
いいえ、イサベルは戦場に出ていたよ。
22 :世界@名無史さん :02/04/28 16:06
女スパイは女傑に入るの?
23 :世界@名無史さん :02/04/28 17:30
>22
>戦場のスパイなら入るだろうね
548 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:37
83 :世界@名無史さん :02/05/01 23:57
>81
>イミル(本名はオルガナ)
どんな女性だったの?
84 :世界@名無史さん :02/05/02 18:02
田中真紀子は・・・
傑じゃねえな
85 :世界@名無史さん :02/05/02 22:14
藩宝珠
4世紀の中国(南北朝時代)の女将軍
86 :世界@名無史さん :02/05/03 11:25
>>62 >サラミスの海戦の時、ペルシア側で勇戦したアルテミシア
どんな女性だったの?
549 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:38
315 :世界@名無史さん :02/05/08 18:55
>>305 >夏三姑
詳しく解説してよ。
316 :世界@名無史さん :02/05/08 18:56
>>306 >王聡児
どんな女性だったの?
317 :世界@名無史さん :02/05/08 18:58
>>314 >ジャンヌ・ド・ベルヴィル
>ジャンヌ・ド・モンフォール
二人とも、女傑には変わりないよ。
550 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:39
>>545 ジサクジエエン見っとも無い!
削除人にはバレバレだぜ。
551 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:55
さっさと削除しろや!
552 :
世界@名無史さん:02/05/17 11:55
旧スレと新スレを両方とも削除することで決着しようぜ!
553 :
世界@名無史さん:02/05/17 12:00
>>552 ふ〜ん、新スレを巻き込みたがってるんだね。
マジ性格悪いな、お前ら(藁
554 :
世界@名無史さん:02/05/17 12:01
両方なくなっても、どってことないが、ここの
ひねくれて傲慢な奴等はもう来てほしくナイ。
555 :
世界@名無史さん:02/05/17 12:02
>>552 だからって、他のぜんぜん違うスレを荒さんでくれよ!
何するかわかんないからね、ここの住人は!
あっ、自作自演どうか2ちゃんねるサイドじゃちゃんと
わかってるよ、(w
ワロタ
モットヤレ
ゲラゲラ
557 :
世界@名無史さん:02/05/17 12:47
まさか ここが完全に匿名掲示板だなんて おめでてーこと
思ってないよな?(ワラ
558 :
世界@名無史さん:02/05/17 17:03
毎度おなじみの451だ。
結局、昨日は467君は来なかったな。
確かに、最後の説得だとか言ってたようだけど。こっちが彼に489〜491で言った
ことや、呼びかけたことに対する返事ぐらい聞きたかったよ。
昨日は荒れてたから来るのをやめたのか、それとも単に忙しかったのかもしれな
いけどさ。
あるいは、467と名乗らずに来てたのだろうか?
>>544 >>522に訪ねても、たぶん返答はないと思うよ。
なぜなら、522は、女戦士スレの6ぐらいであやめさんの書いてるもののコピペだ
から。
婦好は、何しろ時代が古いので、本当に軍を指揮したのか、それともお飾りの将
軍にすぎなかったのかなんて、誰にもわからないし、証明のしようもないのでは
ないかな。
559 :
世界@名無史さん:02/05/17 17:10
451だ。
さて、エリナー・オヴ・アキテーヌである。
いや、とりあえず今回はフランス王妃時代の彼女について語るので、アリエ
ノール・ダキテーヌと呼ぼう。
アリエノールは、第2回十字軍に一も二もなく賛成した。彼女自身が、領地
アキテーヌで家臣に参加を呼びかけたと言われる。
もっとも、女傑のイメージに反して、この十字軍での彼女はろくなことをし
ていない。彼女が本当に活躍するのは、英国王妃になってからのことだ。
それはさておき。
彼女は、大量の衣服、装身具、食器、化粧用具などを運ばせた。これは、十
字軍遠征に参加する貴婦人の常で、何もアリエノールだけが非難されること
ではないのだが、それにしても年代記の作者が特筆するほどのものだった。
夫ルイ7世が敬虔に贖罪のための遠征を考えていたのに対し、アリエノール
は物見遊山気分だったのだ。
最初のアリエノールの失策は、夫に陸路を選択させたこと。ルイは、シチリ
ア王から海路を勧められ、その場合の援助の申し出を受けていた。
だが、アリエノールの叔父アンティオキア公ボヘモンは、ビザンティン帝国
とよい関係にあったため、陸路を勧めてくる。結局、ルイとアリエノールは
陸路を選んだ。海路は船の手配が高くつくというのも、その理由だったかも
しれないが。
しかし小アジアを突破せねばならない陸路は危険であった。事実、ルイ7世
より先行していたドイツ王コンラート3世が、さっそく惨敗する。
その報せを受けたルイは、本隊が大量の荷車をかかえていることもあって、
あわててルートを変更。王自身は後衛を守り、大胆なアリエノールは、前衛
隊に加わった。
ピシティアまで来た一行は、案の定、隘路でトルコ人の襲撃を受る。
敵の待ち伏せを発見できなかったアリエノールら前衛隊の責任だ。
惨敗したルイはいまさらながら陸路選択が失敗だったことに気づき、ビザン
ティン帝国に船を要請し、海路で聖地に向かう。
ルイにとっては念願の聖地巡礼だったが、この遠征で、性格の合わないこの
夫婦は決定的に決裂することになる。
560 :
世界@名無史さん:02/05/17 20:52
451だ。
559で一箇所、訂正。
アリエノールの叔父のアンティオキア公は、ボヘモンではなく、レイモンだった。
間違ったことを書いて失礼した。
561 :
世界@名無史さん:02/05/17 21:51
451だ。アリエノールの続き。
ようやくアンティオキアに着いたアリエノールとルイ7世を待っていたのは、アリ
エノールの叔父レイモン・ド・ポワティエであった。
彼は、この機会にエデッサを奪回しようと主張する。そもそも、第2回十字軍はエ
デッサ伯領が陥落したことをきっかけに起こったはずではないか。
が、ルイ7世はとにかくエルサレムへ巡礼したいという一心である。北東のエデッ
サは方角が違う。
レイモンは、姪のアリエノールにルイを説得するよう、働きかけた。これがルイ7
世の嫉妬を買った。レイモンはかなり美男子だったらしい。
海路の件といい、前衛部隊の失態といい、いいかげんアリエノールに腹を立ててい
たところに、美形の男との接近である。
アリエノールは実際に浮気していたかもしれない。なにしろ、この時代、宮廷の貴
婦人たちが遊び感覚で平然と恋愛を楽しむのはよくあることだ。まして自由奔放な
アリエノールのことである。おそらく、していただろう。
怒ったルイはアリエノールを引き連れてさっさとエルサレムに行ってしまう。
そして、ドイツ軍の残存勢力などと、今後の方針を協議した。
その結果、最悪の方針が決定された。彼らが攻撃目標としたのは、ダマスカスだっ
たが、そこは、十字軍国家に対して友好的な勢力だったのである。
結局、攻撃は失敗して友好勢力さえ失い、第2回十字軍はさんざんな失敗に終わる。
その帰路、アリエノールはシチリアの船団に乗っていたためシチリアとビザンティ
ン帝国の抗争に巻き込まれ、あやうく捕虜にされそうになるという一幕もあったが、
どうにか帰国した。
夫婦仲は、相変わらず悪い。ルイは苦悩するが、アリエノールは気楽なものだ。ア
キテーヌという豊かな土地の領主だから、離婚されても困らない。むしろ離婚は彼
女の望むところだ。
そして、ある日、フランス王の封臣アーンジュ伯が、伯位継承者の息子を連れて王
家を表敬してくる。アリエノールは11歳年下の青年に異様に惹かれてしまう。
その青年こそ後の英国王ヘンリー2世である。
ルイとアリエノールは、ついにローマ法王から離婚を認められた。
するとアリエノールは、なんと離婚の2ヶ月後にヘンリーと結婚したのだった。
562 :
世界@名無史さん:02/05/18 00:42
婦好が実際に軍を指揮したという証拠はないよ。
だから、何とも言えないのは実情だよ。
それに、現在では実証のしようがないよ。
563 :
世界@名無史さん:02/05/18 14:14
451だ。続き。
1154年、ヘンリー2世はイングランド王に即位。これにともない、アリエノール・
ダキテーヌも英国王妃となる。英仏二カ国の王妃を経験した女性は、後にも先にも
彼女1人である。
以降、ここでは彼女をエリナーと呼ぶ。
結婚して最初の10年ぐらいは、ヘンリーとエリナーの関係は実に良好であった。
広大な彼らの領地をエリナーの前夫ルイ7世が虎視眈々と狙っていたが、エリナー
とヘンリーはがっちりと協力し、お互いに留守を預けては大陸の自分の領地を巡回
して、行政と防衛に力を尽くしていたので、ルイもつけ込む隙がなかったのである。
エリナーはルイとの間には女児しか産まなかった。イングランドと違い、フランス
では女性は国王になれない。法典でそう定められていた。世継ぎの男子を得られな
かったことも、ルイにとっては離婚の動機のひとつだったろう。
だがルイにとって腹の立つことに、エリナーはヘンリーとの間には次々と男子を出
産した。長男ウィリアムは早世するが、ヘンリー、リチャード、ジョアフリー、そ
して末子ジョン・ラックランド。
最初は良好だったエリナーとヘンリーも、やはり11歳の年齢差が致命的だった。結
婚当時は31歳でも、末子ジョンを産んだころともなると、エリナーももう40代のオ
バサンである。かつての容色は衰えていることは言うまでもない。
ヘンリー2世は愛人を作るようになり、2人の間に亀裂が入る。
そして、息子たちの領地相続問題やら、ルイ7世の娘アレとリチャードとの婚約問
題やらがからんで、夫婦、親子、兄弟、元夫婦の間に、ワイドショー的な骨肉の争
いが始まることになる。
564 :
世界@名無史さん:02/05/19 23:52
なんとなくage
565 :
世界@名無史さん:02/05/20 01:08
451だ。さらに続き。
ヘンリー2世とエリナーの次男ヘンリーには、プランタジネット家の所領アンジュー
とノルマンディーが与えられ、三男リチャードはエリナーの領地であるアキテーヌ
を相続。これに対し、四男ジョアフリーは結婚後に妻の所領のブルターニュを得る
だけ。最後に生まれたジョンに至っては相続すべき土地がない。
余談だが、彼のあだ名ラックランドを、英国の大陸領土を失ったためと思っている
人がいるが、これは誤りだ。それ以前から彼は、父ヘンリー2世にそう呼ばれてい
た。ジョン・ラックランドは「土地なしのジョン」ぐらいのニュアンスである。
この4兄弟のなかでエリナーが最も愛したのは、リチャードだった。彼女は自分の
領地アキテーヌに強い執着を持ち、それを相続したのがリチャードだからである。
そのリチャードと、ルイ7世の娘アレ(エリナーではなく、後妻との間の娘)との
婚約が決まり、アレがイングランドにやってきた。が、ヘンリー2世は自分がこの
アレに手を出して、リチャードとアレの結婚を認めなかったのだ。
また、ヘンリー2世は、自分の死後の王位相続に混乱がないよう王太子として次男
ヘンリーの戴冠式を挙行した。これが裏目に出た。
次男ヘンリーは強気になり「身分にふさわしく、もっと領地をくれよ」と要求し、
父に反抗しはじめたのである。これを煽ったのが、かつてのエリナーの夫、フラン
スのルイ7世だ。
しかしヘンリー2世にはジョンに与える領地さえないのだから、与えるとすれば、
リチャードの領地を削るしかない。リチャードは最初は兄と共に父に立ち向かうが
すぐに兄とも仲が悪くなる。
エリナーは当然リチャードに味方し、アキテーヌに立てこもろうと画策。男装して
脱出をはかるが、見破られてヘンリー2世に捕らえられ、ウィンチェスターに軟禁
されてしまう。その期間、実に15〜16年。
その間にも関係者たちの抗争がだらだら続く。やがて、ルイ7世や、世継ぎのヘン
リー、ジョアフリーが次々に没し、1189年、ついにヘンリー2世も没し、リチャー
ド2世の時代となって、ようやくエリナーは開放される。
566 :
世界@名無史さん:02/05/21 00:33
451だ。しつこくエリナーの話は続く。
活力あふれるエリナーは、軟禁ぐらいでくじけなかった。老いてなお男まさりの
女傑ぶりは健在である。
ご存じの通り、リチャード獅子心王は十字軍遠征とその帰路での捕虜生活とその
後の戦争で留守ばかり、イングランド本国にはのべ半年程度しか滞在しなかった。
その留守の間、弟ジョン・ラックランドがイングランドの政治を壟断したかのよ
うなイメージがあるが、実際には、その間、イングランドの政治を担当していた
のは母エリナーである。
とんでもない息子がいなくてやれやれと思ったら、もっと猛烈なババァが控えて
いる、というイメージだろうか。
とにかく、この元気なエリナー婆さんは、愛する息子のために自らナヴァル国に
出向いた。そして、結局アレとの結婚をとりやめたリチャードと、ナヴァルの王
女ベレンガリアとの結婚をまとめ上げた。もちろん、新フランス王フィリップ2
世尊厳王への牽制である。
そして、リチャードが捕虜となった時には、娘たちの嫁ぎ先の国々に働きかけて
釈放のために動いてもらい、身代金の金策を行った。
かつて十字軍遠征の頃には世間知らずの愚かな王妃だったエリナーも、すっかり
老獪な政治家となり、優れた外交能力を身につけていたのである。
しかしそんなエリナーも、そうやって釈放させた最愛のリチャードがつまらぬ戦
争で思わぬ戦死をとげると、気力を失ったのだろう。ジョン王の時代には政治の
表舞台から引退した。エリナーという邪魔者のいなくなったジョンは、やがて無
軌道ぶりを発揮して、貴族たちからマグナ・カルタを突きつけられることになる。
1204年、エリナーは波乱の生涯を閉じた。82歳であった。
というわけで、エリナーの話は終了。次は誰を語ろうか。
まあ、あんまりネタはないんだけどね。
あ、そうそう、次からは、特に必用のある場合以外、451だと名乗らずにカキコ
ミするけど、私に話や意見のある人はいつでも指名してくれ。
「冬のライオン」って映画があったねぇ。
>>565 ×リチャード2世
○リチャード1世(獅子心王)
ですよね。今まで年号下2桁で見逃してしまった
よくよく考えたら200年もずれてる
569 :
世界@名無史さん:02/05/21 14:22
>>568 しまった。
おっしゃる通り、そこは2世ではなく1世の間違い。単純なミスだ。
ご指摘感謝。
ちなみに、エリナーの父についてはギョーム10世という本もあったけど、
とりあえず森護の著書に従って5世とした。
570 :
世界@名無史さん:02/05/21 15:38
ボアディケア
本によってボーデッカとか、ブーディッカとか、いろいろな表記をされて
いるが、同じ人物だ。ここではボアディケアと呼ぼう。
ローマ帝国がブリタニアに目を向けたのは、かのシーザーの頃であるが、
彼の死後はしばらくは忘れさられていた。
ローマ人が本格的にこの島に乗り込むのは43年、クラウディウス帝が5万
の軍勢を上陸させた時である。この地にいたケルト人やブリトン人の力で
は、強力なローマの軍にかなうはずもなく、ブリタニアの南部はローマの
支配下に入った。62年に、その支配に反抗して立ち上がり、反乱を指導し
たのが、ボアディケアである。
彼女は、現在のノーフォーク地方にいたケルト人の一派イケニ族の王プラ
スタグスの未亡人であった。
そもそもの発端は彼女の夫プラスタグスが没した時に、ローマが領土を接
収しようとしたことであった。プラスタグスには男子がなく、2人の娘が
いたので、彼女たちに領土を継がせようとした。が、ローマは女子の相続
権を認めなかった。もっとも、これは単に口実で、他の土着豪族からも財
産を没収している。おそらく現地のローマ人たちが私腹を肥やそうとして
の政策だろう。
ボアディケアはこの理不尽な政策に猛然と抗議するのだが……。
571 :
世界@名無史さん:02/05/22 16:42
ボアディケア 続き
ローマ人たちは先住民の女の訴えなどに耳を貸そうとはしなかった。
それどころか「ローマの決定に従わないけしからんやつだ、みせしめにし
てやれ」とばかりに彼女を捕らえると、公衆の面前での鞭打ちの刑に処す。
ローマ側の理不尽さはそれだけにとどまらなかった。ボアディケアの宮廷
(と言うほどたいそうな物ではないだろうが)に乗り込んだローマ兵たち
は、役得とばかりにボアディケアの2人の娘を犯したのである。
自分たちの王族をここまでコケにされては、イケニ族が反乱しない方がお
かしい。それまでにもいろいろと搾取されてローマへの不満が高まってい
たこともあって、あっという間に反乱の火の手が上がる。
ボアディケアは、その反乱軍を率いローマ軍に立ち向かうことになった。
この時の戦いのことではないが、ケルト人の戦いぶりについてはタキトゥ
スがこんな文章を書いている。
「武器と男でぎっしりつまった戦列。その間をぬって走り廻っている女。
さながら復讐の女神のごとく、喪服をまとい髪を乱し松明を振りかざして
いる」
ケルトの社会では女が戦場に出て男の兵士たちを支援することは珍しいこ
とではなかったのだ。ボアディケアはまさに「復讐の女神」と化してロー
マ軍に襲いかかった。
572 :
世界@名無史さん:02/05/23 16:43
ボアディケア 続き
ちょうど、この頃、ローマ側にとって不吉な前兆が相次いだという。勝利の女神像
が倒れたとか、川の水面に破壊された町が映ったとか、北海が血の色に染まったと
か、どこまで本当かわからないが、そういう噂が流れた。
その噂に力を得たのか、イケニ族のお隣さんのトリノヴァント族も呼応して立ち上
がる。
最初の標的は、コルチェスター。
なぜかというと、ここには皇帝クラウディウスを神格化した神殿が築かれていたか
らである。その建設は当然地元民の税と労役によってなされており、いわば、ロー
マ圧政の象徴ともいうべき神殿だったからだ。
ボアディケア率いる反乱軍はローマ軍守備隊を倒し、コルチェスターに火を放った。
急を聞いてリンカーンからローマ軍精鋭部隊があわてて駆けつけたが、反乱軍はこ
れも撃破する。
ボアディケアの次なる標的は、早くも一大商業都市として成長しつつあったローマ
人の街ロンディニウム、すなわちロンドンだった。
ロンディニウムという都市名は「沼地の砦」という意味に由来するらしいが、その
名に反して要塞都市ではない。街を守る街壁はない。
そこは陸路の集中し、かつタメサ川(テムズ川)の水路で海ともつながる交通の要
衝に立地しており、ブリタニアの交通、物流、商業の中心地であった。要塞都市で
はないとはいえ、食料などローマ軍の軍需物資が大量に備蓄されていることは想像
にかたくない。
ボアディケアはロンディニウムにも火を放った。
573 :
世界@名無史さん:02/05/23 23:37
続きまってるよ
574 :
世界@名無史さん:02/05/24 16:49
>>573 ありがとう。でも、ご期待に添えるかどうか。
ではボアディケアの続き。
この時、ボアディケアたち反乱軍にとって幸いなことに、ローマ軍の主力部隊はた
またまウェールズ方面に遠征中であった。残っていた少数の兵力では、街壁すらな
いロンディニウムを防衛することは不可能である。
そう判断した総督スエトニウス・パウリヌスは、ロンディニウム防衛をあきらめ、
なけなしの兵力を温存して撤収、軍事都市ウェルラミウムへと退却した。余談だが、
この街は、もっと後の304年にアルバヌスというキリスト教徒が殉教し、それにち
なんでセント・オールバンズと呼ばれるようになる。
ともあれ、反乱軍から見ればたいした抵抗もなく、ロンディニウムは炎に焼き尽く
された。その時の火勢の激しさを示す証拠として、高温で溶けてくっついた金貨が
発見されている。
ボアディケアも得意の絶頂であったろう。
が、反乱軍の優越も長くは続かなかった。
結局のところ、ローマ軍は、急に発生した反乱に対応が遅れていただけだったので
ある。ウェルラミウムに退いたパウリヌスは、軍指揮官としては無能ではなかった
(こういう事態を招いたという点で総督としては失格だが)。彼は主力部隊の帰還
を待って兵力を再編する。
最後の決戦の時が近づいていた。
575 :
世界@名無史さん:02/05/24 19:40
長々と何回も書いてないで
1回で書いてよ
577 :
世界@名無史さん:02/05/24 20:33
>>575 何回も分けて書かれるとうざいんだよ、
1回でコピペして。
578 :
世界@名無史さん:02/05/25 00:20
>>575 >>577 はいはい、何回にも分けて書いてる451だよ。
この分量を1回で出すと、すごい長文になって、よけいうざいと思うのだが?
こういう分割形式は、ここだけでなくいくつかのスレで使われてる手法だよ。
今さら、私だけが批判されるいわれはないと思うのだがな。
それと、577の「コピペして」というのはどういう意味かな?
私の文章は、もともとコピペではないので、コピペしろと言われてもねえ。
>578
チャントヨンデルンデキニシナイデ
580 :
世界@名無史さん:02/05/25 18:30
ありがと。ちゃんと読んでる人いたんだね。
ボアディケアは今回がラスト
ボアディケアは2人の娘と共に自らチャリオットに乗って軍を率いた。
一方、パウリヌスは正規軍1万を率いて出撃。ウェルラミウム近くで両軍は激突
する。
ボアディケアは戦いに望んで演説した。
「ブリタニア人は、昔からよく女の指揮の下に戦争をしてきた。しかし今は、偉
大な王家の子孫としての私と、王家の富のために戦うのではない。人民のひとり
として、奪われた自由と、鞭で打たれた体と、陵辱された娘の貞操のため、復讐
するのである。(中略)どうしてもこの戦いに勝たねばならぬ。でなければ死ぬ
べきである。これがひとりの女としての決意である」
屈辱を味わった女性ならでは士気高揚であり、その主張には現代にも通じるもの
がある。もっとも、これを記録したタキトゥスはクラウディウス帝やネロ帝の圧
政に批判的だったので彼女の口を借りて自己の主張を行ったのかもしれない。
パウリヌスも演説した。
「野蛮人の喧嘩やこけおどしを恐れてはならない。見たところ敵は若者よりも女
が多い。彼らは武器のない非戦闘員だ」
反乱軍は数こそ多かったが、多くの非戦闘員を含む雑多な集団だったのである。
したがって、訓練された精鋭の正規軍の敵ではなかった。
ローマ軍の投げ槍はブリタニアの兵と女たちを次々と倒していった。周囲を森に
囲まれた地形のため、多くの車を抱えたブリタニア側は脱出もままならず、ロー
マ軍に撃滅された。その死者は、誇張もあるだろうが8万と伝えられる。ローマ
軍の死者はわずかに4百だった。
敗戦の中、ボアディケアはこれ以上の屈辱を受けぬためか、服毒自殺した。
今日、ロンドンのウェストミンスター橋には彼女の像がある。その台座には「侵
略者に対して民衆を率いて戦った」と記されている。
581 :
世界@名無史さん:02/05/25 22:58
質問。
二人の娘はどうなったの?自殺?
582 :
世界@名無史さん:02/05/26 01:56
>>581 残念ながら、私の手元の資料には2人の娘の末路は書かれていなかった。
ローマの捕虜となっていたらそう記されていると思うので、乱戦の中で
死んだか、自殺したかのいずれかだと思う。
仮にこの時死ななかったとしても、その後、政治の表舞台には出て来な
かったのは間違いない。
583 :
世界@名無史さん:02/05/26 20:04
それじゃ、今回は1回で。
(実は、詳しいことがわからなくて、書くことが少ないからなんだけどね。)
謝寡婦
1859年10月、清末の雲南省で李永和と藍朝鼎が率いる民衆反乱が発生した。まだ
太平天国が片づいていないこともあって清はこれをすぐには鎮圧できず、蜂起軍
は「打富済貧、徐暴安良」のスローガンのもとに勢力を拡大しつつ北上して四川
省に入る。
この藍朝鼎軍の一武将として活躍したのが、謝寡婦である。寡婦はもちろん名前
ではなく、未亡人の意。蜂起軍の幹部の謝徳という人物の妻だったが、その死後、
一軍を率いて戦った。本名は不明。中国や日本の前近代の女性は本名が記されて
いないことが少なくないのだ。ただ、女性の身で奮戦し軍を指揮する彼女に、清
軍は「謝花妖」というあだ名をつけたという。
翌60年、清は駱秉章にこの反乱の鎮圧を命じた。61年、綿州で藍朝鼎は惨敗する
が、9月に、謝寡婦ら配下の軍を集結させて一時、勢力を持ち直す。
しかし結局、12月、藍朝鼎は丹りょう城(「りょう」は木へんに、稜のつくり)
にこもり奮戦したものの敗死。
62年10月には、もう1人の指導者李永和も捕らえられて処刑され、蜂起軍は壊滅
した。
あいにく私の本には謝寡婦がその後どうなったか書かれていない。おそらくは戦
死したか、捕らえられて処刑されたか、その前に自決したかのいずれかだろう。
584 :
世界@名無史さん:02/05/27 21:27
age
カラミティー・ジェーン
1852?〜1903年。
ご存じ、19世紀アメリカのガンマン(ガンウーマン?)。
本名マーサ・ジェーン・キャメリー。誰が呼んだか、ついたあだ名がカラミ
ティー(疫病、不幸な)。
生まれたのはイリノイ州かミズーリ州で、やがてモンタナ州に移住してから、
両親に死なれ、天涯孤独となる。一説には家出したのだともいう。生年や生
地がはっきりしないなど、幼少の頃のことは謎に包まれている。いずれにせ
よ、そんな女性が一人で生きていくのはたいへんな時代だった。おそらく、
一時期は娼婦もしただろう。
しかしやがて彼女は男装し、ガンベルトをまいて、男の世界に飛び込んだ。
ラバの御者をしたり、カウボーイ(カウガール?)もやった。
アリゾナ州のツーソンという街で、言い寄ってきた男に銃をぶっぱなす事件
を起こすなど、とにかく乱暴な女だったようだ。
1870年頃にワイルド・ビル・ヒコックことジェームズ・バトラー・ヒコック
と結婚、73年には娘ジーンを出産する。が、ジェーンには今さら主婦として
の生活などできず、娘は養子に出し、アウトローの生活に戻る。
75年、合衆国陸軍に勤務したこともあったが、女性だったのですぐに除隊さ
せられた。
彼女はワイルド・ビル・ヒコックとは離婚したが、愛人関係は続けていた。
76年、その彼が賭博中に殺されると、ジェーンは犯人たちを捕らえたという。
そうこうするうちに、次第にアウトローたちの西部開拓時代も去っていき、
ジェーンもこの頃のガンマンの例に漏れず、晩年はジョービジネスの世界に
入っていくようになる。西部開拓時代末期の有名なガンマンの伝説の多くは、
ショーで自らの(おそらく尾ひれのついた)冒険談を語ったことによって生
まれている。ジェーンの場合もそのたぐいだろう。
そんな生活に嫌気がさしたか、彼女は酒に溺れた。酒癖は悪く、警官を殴っ
たり、銃を乱射したりという事件を起こしている。
1903年8月2日、肺炎で死亡。1852年生まれとすれば51歳。
ちなみに、西部劇映画では美人女優が演じることになっているカラミティー・
ジェーンだが、実はそれほどの美人ではなかった。
586 :
世界@名無史さん:02/05/28 01:32
いけね。せっかく書いたのに、sageにしちまった。ageとく。
>>585 火浦功のジェーン・ブラックモアは美人なのにねえ
とはいうものの、やっぱ開拓地の女ってたくましいねえ
588 :
世界@名無史さん:02/05/28 08:18
>カラミティー・ジェーン
実在したんダ
589 :
世界@名無史さん:02/05/28 21:52
またまたイングランドの王妃。中世のイングランド王妃は女傑の宝庫だ。
イザベル・オヴ・フランス
1292〜1358
英国王エドワード2世妃。「オヴ・フランス」というところからわかる通り、出身
はフランス王家で、フィリップ4世の娘である。彼女が4歳の時、すでにこの婚約
は定まっていた。
この頃は英仏関係も、比較的安定しており、エドワード2世の父エドワード1世の
2人目の妃もフランス王家出身のマーガレット・オヴ・フランスである。イザベル
はマーガレットの姪にあたる。
若い頃のイザベルは美貌の噂も高く、佳人イザベルと呼ばれていたという。
それが後には、「フランスの雌狼」の異名をとるようになる。
ともかく、1308年、エドワードとイザベルの結婚式が挙行される。イングランド、
フランス王家はもとより、カスティリア(エドワードの母の生国)やナヴァル(イ
ザベルの母の生国)の国王、王妃までが参列する豪華な式であった。
しかし肝心の夫エドワードがろくでもない人間だったのがイザベルの不幸であった。
続く
590 :
世界@名無史さん:02/05/28 23:18
美貌で知られた女将軍が
野戦指揮官でこれから出て欲しいが
なかなか難しそうだなあ。
591 :
世界@名無史さん:02/05/28 23:56
>590
高麗のジャンヌ・ダルク 雪竹花(ソルチュクファ)はどう。
軍人の父を契丹軍に殺された少女 雪竹花は、母を師に武術の訓練に励む。
ある時高麗の将軍に一人の美少年が「戦わせてくれ」と直訴にやってくる。
武術に感心した将軍は美少年に少年先鋒隊の隊長を任じる。
白馬に乗った美少年の指揮のもと、少年先鋒隊は契丹軍に勝利する。
戦いの終盤、瀕死の契丹軍人が撃った矢が美少年の胸を貫く。
戦死した勇敢な美少年こそ父の復讐を遂げた雪竹花だった。
592 :
世界@名無史さん:02/05/29 05:41
イザベル・オヴ・フランスの続き
スコットランドの愛国者ウィリアム・ウォリスを描いた映画「ブレイブハート」を
ご存じだろうか。あの映画に、強圧的なイングランドの国王と、情けないその息子
が登場した。その情けない人物に描かれた王子こそ、エドワード2世。イザベルの
夫である。(ついでに言うと、映画ではその王子の妃、つまりイザベルが、ウォリ
スといい仲になったりする。もちろんこれはフィクションだが。)
結婚でイザベルは大量の嫁入り道具を持ち込んだ。当時はイングランドはまだまだ
田舎の国で、彼らから見れば、フランスの文物は豪華な物。その中の指輪を、エド
ワード2世の側近ピエール・ドゥ・ギャヴスタンが欲しいと言い出した。するとエ
ドワード2世は、イザベルに断りもなく、それをギャヴスタンに下賜してしまう。
このギャヴスタンというのは何者か、というと、エドワード2世の幼い頃からの遊
び友達であり、そして男色の相手だ。
指輪のことで、イザベルがギャヴスタンに悪感情を抱くと、ギャヴスタンも陰険に
彼女をからかい、嫌がらせする。ギャヴスタンは戴冠式の式次第を司っていたが、
戴冠式当日にイザベルの叔父たちの貴賓席を用意しないという具合。
エドワード2世もイザベルをかばうどころかギャヴスタンに味方するのだから、こ
れではイザベルでなくても怒るというものだ。
もともと王の寵愛をよいことにやりたい放題のギャヴスタンには、反感を持つ貴族
たちも多かった。王妃に対するギャヴスタンの露骨な嫌がらせは、結果的に、イザ
ベルを彼ら反ギャヴスタン派貴族たちの旗印的な存在にしていくことになる。
続く
593 :
世界@名無史さん:02/05/29 07:43
走る爆弾娘とかは女傑でしょうか?
594 :
世界@名無史さん:02/05/29 22:00
>>593 女傑の定義の話になると、また荒れそうだね。
このスレの1に批判的な
>>468君によると
>俺は、このスレの1の態度が気にくわない。
>女傑スレをかってに女将軍限定にしたり、やれ海賊はダメだとか、
>カルトはチョットとか抜かして、スレをもり立てようとする書き込みを排除するかのような事を
>やっていた。
なのだそうだ。
爆弾娘もカルト系だが、君が女傑だと思い、彼女について書くことがスレをもり
立てると思うのなら、女傑なんじゃない?
今頃気づいたが、海賊やカルトの人物を女傑として扱えば、私(451)が1でな
いという証明になるわけだな。
今やってるイザベルが終わったら、次は、そういう人物をとりあげるとするか。
595 :
世界@名無史さん:02/05/29 22:23
で、とりあえず、イザベル・オヴ・フランスの続き
王妃イザベルを味方に引き込んだ反ギャヴスタン派貴族は力を得て、議会でギャヴ
スタン追放を要求する。一度はアイルランドへの左遷という形で妥協がなったが、
エドワード2世はほとぼりが冷めるとすぐにギャヴスタンを呼び戻す。
すると再び反ギャヴスタン派が態度を強硬化させると言った具合。とうとうギャヴ
スタンは逮捕され、ランカスター伯らによって勝手に処刑される。これはこれで、
エドワード2世を怒らせたのはもちろん、護送役の貴族の面子も潰すことになり、
イングランドは一触即発、内乱寸前になる。
それに目をつけたのが、イングランドの先王エドワード1世にいためつけられてい
た北の隣国スコットランド。バノックバーンの戦いでイングランド軍を大敗させ、
勢力を盛り返した。イングランドでは、この戦いへの出陣を拒否した貴族と参戦貴
族がまた反目。騒然とした空気となった。
そんな中、イザベルはカンタベリー寺院に詣でる途中、自分の所領のリーズ城に
泊まろうとした。この時、城代が留守だったこともあって、城側が城門を開けよう
としない。王妃の命令を拒絶するのか、と怒ったイザベルは強行突破しようとする
が、矢を浴びせられて従者が6人も死ぬ始末。やむなく引き返したイザベルは、王
家の威厳を示せという論法で、仲の悪い夫の尻を叩いて軍を動かしリーズ城を攻略
させ、復讐を果たした。
さて、これでイザベルの天下になったかと思うとそうではなく、イザベル派、反国
王派の中心人物ランカスター伯は処刑された。そして、今度はエドワード2世は、
ウィンチェスター伯ヒュー・ル・デスペンサーを重用するようになる。
続く。
596 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:28
>>594 おいおい、そのために「新女傑」スレを作ったんだろ>
重複すれでこっちが削除されるぞ。
597 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:32
598 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:36
599 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:42
>>596 たしかに、新女傑スレが女傑スレの重複スレでないのは認める!
でも、新女傑スレを既存スレとは認めないよ!
600 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:44
>>599 女戦士・女将軍など戦場で活躍した女性はここ。
一般の政治家・芸術家・科学者など他の世界で活躍した
女性は「新女傑」スレでいいのでは?
どっちも女性の活躍を書いてるのだし面白いと思いますが
何故荒れてるんでしょうか?
601 :
世界@名無史さん:02/05/29 23:45
>>599 「新女傑」スレは既存スレではなく新しいスレだと思いますが?
>>601 >「新女傑」スレは既存スレではなく新しいスレだと思いますが?
その通り!
603 :
世界@名無史さん :02/05/29 23:52
>>594 >今頃気づいたが、海賊やカルトの人物を女傑として扱えば、私(451)が1でな
>いという証明になるわけだな。
>今やってるイザベルが終わったら、次は、そういう人物をとりあげるとするか。
なら、アン・ボニーとメアリ・リードをとりあげてくれるかな?
604 :
世界@名無史さん:02/05/30 17:53
イザベル・オヴ・フランス続き
ギャヴスタンはまだ子供っぽい愚かな寵臣だったが、新たな寵臣デスペンサーは
なかなかの切れ者だ。彼はイザベルを牽制し、政治の実権を握る。
新たな敵に苦々しい思いをしていたイザベルは、ある時、ロンドン塔に送られて
きたマーチ伯ロジャー・ドゥ・モーティマーを見かける。デスペンサーに対抗し
て敗れ、処刑の決まった人物だ。イザベルはなんとか彼を終身刑に減刑させ、さ
らに番人を毒殺してモーティマーを脱獄させ、フランスに亡命させた。
フランスではイザベルの父フィリップ4世が没した後、ルイ10世、ジャン1世、
フィリップ5世と短期間に王がめまぐるしく変わり、1322年にはイザベルの兄の
シャルル4世が即位していた。
シャルルは、イングランドの混乱とエドワード2世の惰弱に目をつける。
エドワード2世はイングランドでは王だが、大陸領土の領主としてはフランス王
の臣下なのだから、臣従の礼をとるように要求してきたのだ。エドワード2世に
は拒否する力もないが、かといって本国を留守にする余裕もない。
そこでイザベルが、絶好のチャンスとばかり「では自分が代理としてまいりましょ
う」とフランスに渡る。1325年のことだ。最初から反乱を期しての渡仏であった。
その証拠に、息子エドワード(後の3世)もすぐにフランスに呼び寄せている。
イザベルは、先に脱出させたモーティマーと接触。エドワード2世の廃位と奸臣
デスペンサー追放のために計画を練った。
さらに続く。
605 :
世界@名無史さん:02/05/31 03:20
イザベル・オヴ・フランス 続き
王妃の動きに対し、エドワード2世はローマ法王に泣きついて事態の収拾をは
かる。ローマ法王までしゃしゃり出てきては話がややこしくなるので、フラン
ス王シャルル4世は妹イザベルとモーティマーを積極的に支援せず、むしろ国
外退去を命じた。
が、それであきらめる雌狼イザベルではない。イザベルはエノー伯ヴィレムを
頼る。今のオランダの貴族で、この辺りは早くから毛織物工業、染色業などが
発達している、ヨーロッパの中では商工業先進地域だった。そういう地の領主
エノー伯は金持ちだ。
イザベルは、息子エドワードとエノー伯の娘フィリッパの婚約を条件に、その
エノー伯の全面的な資金援助を受けた。フィリッパ・ド・エノーは後に約束通
りエドワード3世妃となる。
イザベルがエノー伯の資金で傭兵を集める一方、モーティマーはイングランド
の反デスペンサー派の者たちと連絡を取りあった。
こうしてイザベルの反攻の準備は整った。
1326年9月24日、イザベルはイングランド東部のサフォークに上陸する。
続く
606 :
世界@名無史さん:02/05/31 20:58
イザベル・オヴ・フランス 続き
フランスの雌狼イザベルの率いる傭兵部隊が接近するのに呼応して、ロンドン
の騎士、貴族たちも反デスペンサーに立ち上がる。モーティマーの工作が成功
したのだ。もともと、政治を壟断して私欲をむさぼっていたデスペンサー一族
への反感が高く、彼らに味方する者はなかった。
エドワード2世とデスペンサーはロンドンを脱出したが、デスペンサーはブリ
ストルで捕らえられて処刑。デスペンサーの息子とエドワード2世もまもなく
グラモーガンで逮捕された。
1326年11月20日、エドワード2世は正式に降伏。
翌27年1月、議会はエドワード2世の廃位を決定。
この展開に驚いたのは、次の国王に指名された王子エドワード(エドワード2世
とイザベルの子、当時15歳)である。騎士道にかぶれたこの少年は、自分の父親
を蹴落として王位を得るようなことは耐えられなかった。デスペンサー一族さえ
倒せばよいと思っていたのである。彼は父からの直接の譲位がなければ王位につ
かぬと、母に反抗した。
が、イザベルたちはすでにエドワード2世を屈服させている。譲位宣言書を書か
せるぐらいのことはたやすかった。譲位が行われ、エドワード3世が即位する。
少年王はただのお飾りで、実権を握ったのは母イザベルとその愛人モーティマー
であった。もはや前王エドワード2世に用はない。イザベルは長年の屈辱に対す
る復讐とばかりに、夫エドワード2世を、肛門から焼け火箸を突っ込むという残
虐な方法で殺害させたという。
だが皮肉にも、夫に背いた彼女には、息子に背かれるという運命が待っていた。
続く
607 :
世界@名無史さん:02/06/01 09:51
イザベル・オヴ・フランス 続き。今回がラスト。
政治を壟断していた奸臣デスペンサーを倒したイザベルであったが、他の貴族
たちから見れば、結局、新たな奸臣モーティマーがこれに代わっただけである。
イザベルの愛人、そしてマーチ伯となったモーティマーは、王族系の貴族を政
治の場から遠ざけて早くも政治を壟断し始めた。
中でも評判が悪かったのが、1329年、8歳の王妹ジョアンと5歳のスコットラ
ンド王子デイヴィッドを結婚させての外交政策である。エドワード1世時代に
はイングランドに臣従させていたスコットランドに和平を求めたことは、屈辱
的な外交として貴族や国民の反感を買った。
同年、エドワード3世は渡仏した。かつて父エドワード2世が臣従を要求され
たように、大陸領土アキテーヌの領主としてはフランス王の家臣なので、臣従
の礼をとらねばならなかったのだ。この時、エドワード3世は、本国で彼に秘
密にされていたことを聞かされる。父エドワード2世が、イザベルとモーティ
マーによっていかに残酷に殺されたか、をである。
モーティマーへの貴族たちの反感や、彼と母の関係については、彼もうすうす
知っていたろうが、この情報はショックであった。ここに、エドワード3世は
母への反抗を決意、密かに計画を練り始める。
そうこうするうちに、自分への反対派が多いことを自覚していたモーティマー
が、反対派王族の切り崩しにかかり、ケント伯エドマンドを処刑する。
王に無断で王族を処刑したことが直接のきっかけとなり、ついにエドワード3
世は計画を決行。1330年11月、モーティマーとイザベルが共に行動する時を狙
い、2人がノッチンガム城に入ったという情報を得て急襲させ、寝室で彼らを
逮捕させた。
モーティマーは、貴族としての扱いではなく平民の犯罪者扱いで処刑される。
イザベルの方はというと、エドワード3世もさすがに実の母を殺す気にはなれ
なかったのか、終生幽閉の処分とされた。
イザベル助命の理由のひとつは、エドワード3世が、イザベルの血筋を根拠と
してフランス王位を主張するためだともいう。フランスのカペー朝はイザベル
の兄シャルル4世で断絶し、ヴァロア朝のフィリップ6世が即位した。だが、
シャルル4世の甥である自分の方が継承権がある、というわけだ。そう主張す
るには、母を殺すわけにいかない。実際、彼はフランス王位を要求して戦争を
起こす。その戦争が、まさか百年も続くとは思わなかっただろうが。
イザベルは、幽閉場所を何度か変えられ、外界との接触を断たれ、時には精神
異常に陥りながらも、1358年、63歳まで生きた。夫エドワード2世の心臓を一
緒に埋葬してほしいと遺言したが、それは実現されなかった。
608 :
世界@名無史さん:02/06/02 01:31
では、予告通り、海賊をとりあげよう。
>>603のリクエストに答えて、アン・ボニーとメアリ・リード
この2人が活躍したのは、1719〜1720年頃のカリブ海である。
カリブ海では、スペイン継承戦争でスペインに対する有効な攻撃として、私掠
船が活躍してきた。が、1713年にスペイン継承戦争が終結し、私掠船はお払い
箱。しかし、それまで私掠船で暴れていた者たちが、急に海賊家業をやめられ
るわけもなく、カリブ海にはバッカニアと呼ばれる海賊があふれていた。
さて、アン・ボニーは、アイルランドで弁護士の私生児として生まれた。この
父親は、正妻の目を欺くために、アンを男装させ、親戚の子を引き取って助手
として育てるとごまかしていた。が、そのウソもばれて、アンの父はアンとそ
の母を連れて新大陸に逃げる。世の中、何が幸いするかわからない。アンの父
はキャロライナで成功し、大農園主となった。
やがて成長したアンは、ジョン・ボニーなる元海賊と結婚し、アン・ボニーと
なって家を出る。
一方、メアリ・リードはイングランドに生まれる。
彼女も私生児で、後に相棒となるアンとは、周囲をごまかすために男として育
てられたという共通点がある。メアリの母は、船乗りとの間にできたメアリを
正規の夫との間にできた長男(死んでいた)ということにして義母をごまかし、
そのためにメアリを男装させ男として育てた。
アンの方は、渡米後には良家の子女として生活できたが、メアリは男装し、女
性であることを隠したまま社会に出ていくことになる。
彼女は、ボーイの仕事をすれば退屈な仕事にあきて辞め、軍艦に勤務すれば脱
走するという具合で、けっこう飽きっぽい性格だったようだ。
やがて、メアリは、歩兵としてアウグスブルグ同盟戦争に参加する。
続く
609 :
世界@名無史さん:02/06/02 10:53
アン・ボニー&メアリ・リード 続き
アウグスブルク同盟戦争(1689〜1697)というのは、有名なフランスの太陽王
ルイ14世が、ファルツ選帝侯の相続問題に首を突っ込み、これに対して、オラ
ンダ、イギリスなど多くのヨーロッパ諸国がフランスの敵に回った戦いである。
メアリはこの戦争で戦ううちに、戦友の1人に恋をしてしまった。彼女は、女
であることを明かし、その戦友と結婚。除隊して夫婦で居酒屋を経営する。
が、その夫が死んでしまい、メアリはまた男装し軍隊に戻った。
しかし戦争は終わり、軍隊に戻っても昇進の見込みもない。運命を切り開こう
としてか、メアリはカリブ海方面に旅立った。
一方。家を飛び出したアン・ボニーは、奔放な生活を送って夫ジョンともほと
んど絶縁状態となっていたが、そんな彼女は、バハマ諸島のニュー・プロヴィ
デンス島で、キャリコ・ジャックことジャック・ラカム船長と出会う。
1713年にスペイン継承戦争が終わりユトレヒト条約が締結されると、英国は不
法な海賊をなんとかせねばならなくなった。海賊たちはスペイン船や植民地は
もとより、自国の船や植民地まで襲う始末となっていたのだ。
海賊に手を焼いた英国王ジョージ1世は、1717年、帰順する者は罪はとわない
と布告した。そしてバハマ総督としてウッズ・ロジャーズを、海賊たちの拠点
ニュー・プロヴィデンスに派遣し、海賊たちの鎮撫を図った。ちなみにこのロ
ジャーズ自身も元私掠船船長であり、海賊たちからも一目置かれる存在だった。
海賊を治めるには海賊を、というわけである。
ラカム船長も、そのロジャーズ総督から特赦状を得て海賊家業から足を洗おう
とニュー・プロヴィデンスにやってきた海賊の1人だった。そこで彼はアン・
ボニーと出会う。1719年のことである。
続く
>>608-609 書き込みありがとうございます。
このスレが盛り上がることに期待いたしております。
私も、アン・ボニーとメアリ・リードには多少の興味があります。
是非、この続きを書いて下さるようお願いいたします。
611 :
世界@名無史さん:02/06/03 04:08
アン・ボニー&メアリ・リード 続き
どういうわけか海賊ラカムは、アン・ボニーにすっかり惚れ込んでしまった。
彼は金品をせっせとアンに貢ぐ。アンの方も現金なもので、そうなると、夫
ジョンと正式に離婚してラカムと再婚しようと考える。が、おせっかいな人
がアンの不貞、不品行を総督ロジャーズの耳に入れたものだから、離婚の話
がすんなり進まない。
ラカムはアンと駆け落ちすることになったが、海賊家業をやめようとしてい
た彼には、昔の仲間を集めることはできても、もう船がない。
そこでラカムとアンと仲間たちは、港に停泊していた船を乗っ取る。アン自
身、この計画に深く関わり、まず女性として乗り込んで偵察しておき、いざ
決行の時には当直の船員をピストルで脅す役をこなしたという。
盗んだ船で出港した彼らは、当然海賊となる。とりあえず手始めに、彼らは
ジョンとの離婚を邪魔した告げ口男への復讐を果たした。
さて、話は少し過去に戻る。オランダ船でカリブ海にやってきたメアリは、
いきなり船を海賊に襲われたが、この時、船で唯一のイギリス人だった彼女
は、海賊の仲間に加えられる。海賊が襲った船から仲間を補充するというの
は、別に珍しいことではなかった。ちなみにこの時代、下っ端の水夫の待遇
は、正規の軍艦や商船よりも海賊の方がはるかによかったのだ。
かくしてメアリ・リードもカリブの海賊の仲間入りをする。
やがて、メアリも巡り巡って、ラカム船長の船に乗り込むことになった。ア
ンとラカムが会った時よりは後らしい。
続く
612 :
世界@名無史さん:02/06/04 01:26
アン・ボニー&メアリ・リード 続き
さて、いささか物語的というか、私のようなひねくれ者は本当なのかと疑っ
てしまうのだが、アン・ボニーとメアリ・リードは、同じ船に乗りながら、
相手が女であることにしばらく気がつかなかった。
2人とも男装して女であることを他の船員たちに隠していたからと言えばそ
れまでだが、それにしても、狭い船内、男たちが共同生活している中に女が
紛れ込んでいて、そんなにバレないものなのだろうか?
さらに、ここまで来ると物語的というよりマンガ的になってくるが、ラカム
船長の愛人のアン・ボニーは、浮気癖が出て、メアリ・リードを誘惑しよう
として言い寄った。そして初めて互いが女と気がついたという。
同じ船に乗る女海賊2人は、すっかり意気投合。すると、ラカム船長は、自
分の愛人のアンが浮気したと思って(実際、浮気しようとしたわけだが)嫉
妬し、メアリは彼にも自分が女であることを明かしたそうだ。
男たちに混じって、勇敢に戦ったアンとメアリの2人だが、このコンビが活
躍した時期は実は長くはない。アンがラカムと出会ったのが、1719年5月頃。
その翌年、1720年11月に彼らの一党は逮捕されてしまうのだ。
続く
613 :
世界@名無史さん:02/06/04 15:40
アン・ボニー&メアリ・リード 続き
ジャマイカ島西端のネグリル岬で、ラカム一党の船は植民地総督側の船に襲
われた。この時、海賊船の男たちはラム・パンチの飲み過ぎでろくに戦えな
かったともいう。その中で、アンとメアリは最後まで戦うが、その抵抗もむ
なしく、ついに降伏。逮捕された一同はポートロイヤルに連行された。
海事法廷で海賊たちは有罪となり、ラカム船長は絞首刑となった。
問題は、アンとメアリが女性であったこと、しかもこの時、2人とも妊娠し
ていたことである。アンはラカムの子を、メアリは海賊船に乗り込んでから
恋をした相手(最後までそれが誰かは明かさなかった)の子を身ごもってい
た。このため、2人に同情的な空気もあったが、当の本人たちが法廷で不敵
な発言をして反感を買い、有罪判決が下る。
が、妊娠中なので執行は猶予された。メアリは、結局、1721年に熱病で死亡。
アンはなぜか執行が何度も猶予され(有力者である父親がコネを使って助け
たという説もある)、結局処刑はされなかった。
アン・ボニーやメアリ・リード、そしてこの時代の有名な海賊たちについて
は、1724年、ロンドンで出版された『悪名この上なく高き海賊たちの略奪と
殺人の全いきさつ』という長いタイトルの本に列伝がまとめられた。チャー
ルズ・ジョンソン船長の筆名でこの本を書いた著者は、ダニエル・デフォー
だと言われている。あの、ロビンソン・クルーソーの生みの親である。
余談だが、ロビンソン・クルーソーのモデルと言われる、無人島で4年半を
過ごした人物アレグザンダー・セルカークを1709年に孤島から助け出したの
は、当時海賊で、後にバハマ総督となってアン・ボニーとジョンの離婚問題
にかかわることになるウッズ・ロジャーズであった。
614 :
世界@名無史さん:02/06/05 10:35
再び、イングランド王妃から。
>>114などで既出ではあるが、エドワード3世妃フィリッパ・オヴ・エノー
1314〜1369
イザベル・オヴ・フランスについて語った
>>605をちょっと思い出していた
だこう。フランスの雌狼、エドワード2世妃イザベルは、王やその寵臣と戦
うための軍資金を、エノー伯ヴィレムに提供された。
むろん、いくらエノー伯が金持ちでも、何の見返りもなく出資はしない。
その際の条件が、この計画が成功すれば確実に時期イングランド国王となる
はずの太子エドワードと、ヴィレムの娘フィリッパとの婚約だった。エノー
伯にしてみれば、娘が王妃となり、さらにその子や孫がイングランド王位を
継いでいくであろうから、悪い投資ではない。
そういうわけで、1327年にエドワード3世が即位し、翌年の1328年、フィ
リッパは典型的な政略結婚で(この時代の貴族・王族は政略結婚が当たり前
だが)、エドワード3世とヨーク・ミンスターで結婚式を挙げた。
そんないきさつの結婚であったが、結果的に「イングランド王家が逆に万金
を積んででも王妃として迎える価値があった」とまで言われることになる。
続く
615 :
世界@名無史さん:02/06/05 22:04
フィリッパ・オヴ・エノー 続き
義母イザベルの場合と違い、フィリッパの夫エドワード3世は英傑であり、
フィリッパのことをよく愛していた。彼女の存命中は、エドワード3世もあ
まりおおっぴらには浮気をしていない。勇猛な王なのであまり恐妻家という
イメージでもないのだが、女傑的なフィリッパには案外本気で頭が上がらな
かったのかもしれない。
いずれにせよ、子宝に恵まれたことは、夫婦仲のよかったことのひとつの証
明ではあろう。1330年に長男エドワード(黒太子と呼ばれることになる)が
生まれたのをはじめ、2人の間には7男5女が生まれる。
さて、国王としてのエドワード3世の最初の戦争の相手は、スコットランド
であった。イングランドは、まだデスペンサーが権力を握っていた1329年に、
幼い王妹ジョアンをスコットランドの王子に嫁がせて和平を結んでいた。し
かしそれは屈辱的外交として不評であった。エドワード3世は、祖父のエド
ワード1世の頃のようにスコットランドを屈服させることを望み、軍を進め
る。1333年、ハリドン・ヒルの戦いは、イングランドの完勝であった。
敗走したデイヴィッド2世(エドワードの妹ジョアンの夫)はフランスに亡
命し、エドワードはスコットランドに傀儡の王を立てる。
ともかく、これを皮切りに、エドワード3世はたびたび親征する。そして、
フィリッパもまた、よく戦場に同行したという。
続く
616 :
世界@名無史さん:02/06/06 10:21
フィリッパ・オヴ・エノー 続き
スコットランドの少年王デイヴィッド2世の亡命先、フランスは、1328年に
シャルル4世の代でカペー朝が断絶、フィリップ6世が王位を継いでヴァロ
ア朝を創始していた。
フィリップ6世の対イングランド政策もカペー朝時代より強硬なものとなっ
ていた。1329年にエドワード3世に臣従の礼をとらせるめにフランスに呼び
つけたのもその一例である。
その時はまだ少年で母イザベルとデスペンサーに牛耳られていたためフラン
スに来たエドワードだが、その屈辱を忘れはしなかった。
1337年、フィリップ6世がアキテーヌ領の没収を宣言すると、エドワード3
世も、イザベルの血統から自分がフランス王位を継ぐべきだとしてフランス
に宣戦布告。ここに英仏百年戦争が始まる。
と言うと、すぐにも戦闘が始まったかのような印象があるが、そうではない。
景気よく宣戦布告はしたものの、エドワードには戦闘の前にしておかねばな
らないことがあった。フランドルの商人たちを味方につけることである。
当時のイギリスの主な輸出品は羊毛である。羊毛しかなかったと言ってもよ
い。その輸出先が、毛織物工業地域のフランドル。児童文学とそのアニメ化
作品のために、日本では英語読みのフランダースの方が有名かもしれない。
今日のベルギーだ。この時代には、フランスの影響力が強い地域であった。
この地域を味方につけないことには、英国は羊毛の出荷で金を稼げない。金
がなければ戦いはできない。軍事行動の前に経済戦を行う必用があったのだ。
エドワード3世は、この工作にもたついて、なかなか本格的な戦闘に入れな
かった。
この、フランドル工作に最終的に力を発揮したのが、エノー伯の娘である王
妃フィリッパの人脈だったのである。彼女がいなければ、百年戦争はありえ
なかった。
続く
617 :
世界@名無史さん:02/06/07 02:33
フィリッパ・オヴ・エノー 続き
フィリッパの優れたところは、羊毛の輸出ができるようにしただけでよしと
はしなかったところである。イングランド国内に、毛織物工業が興っていれ
ば、なにも苦労してフランドルを味方にする必用はない。
フィリッパは、商工業者をイングランドに招致した。イングランドの毛織物
工業の発展は、実に、フィリッパのこの殖産興業政策に始まる。織物業だけ
ではない。鉱業技術者も招き、炭坑採掘の新技術も導入した。ずっと後の時
代にイギリスがいち早く産業革命を達成する基礎は、まさにこの時代、フィ
リッパの慧眼によって築かれていたのである。
フィリッパが招いた、といえば、フロアサールという学者も彼女によってイ
ングランドに招かれていた。学問、教養にも力を入れていた女性であること
がわかる。
さて、エドワード3世がフランドル工作でもたついている間、戦闘らしい戦
闘は1340年のスロイス沖海戦と、ブルゴーニュでの小競り合いぐらいだった
英仏の戦争だが、1346年、準備万端整ったエドワード3世がようやく、本格
的な侵攻を開始する。ノルマンディーから上陸した部隊は北上し、クレシー
においてフランス軍と激突。イングランド軍は自慢のロングボウ戦術によっ
てフランス軍をたたきのめす。エドワード黒太子が初陣を飾ったのも、この
クレシーだ。
この時、フィリッパはイングランドで留守を守っていた。
続く
618 :
世界@名無史さん:02/06/08 02:43
フィリッパ・オヴ・エノー 続き
フランスとスコットランドは、当時、伝統的な同盟国だった。スコットラン
ドがイングランドと戦う時にはフランスが兵力や資金を支援するし、フラン
スがイングランドと戦う時にはスコットランドが北からイングランドを牽制
する。それがいつもの戦略だ。フィリップ6世も当然この戦略を考え、フラ
ンスに亡命していたスコットランドの少年王デイヴィッド2世を言いくるめ
て帰国させていた。もっともディヴッド2世には君主としてたいした力量は
なく、亡命中と同様の怠惰な日々を送っていたのだが。
そんな状況の時に、1346年8月26日にクレシーの戦いがあり、エドワード3
世は勝利の余勢でカレーを包囲する。今ならイングランド本国は手薄と判断
したのか、デイヴィッド2世は10月、3万の軍を率いて南下した。
それをくい止めたのが、留守を預かっていた王妃フィリッパである。
10月17日、彼女自ら陣頭に立ち、全軍に激励の演説を行って、ネヴィルズ・
クロスの戦いを指揮した。戦いはイングランド軍の完勝で、デイヴィッド2
世は重傷を負い捕虜となる。フィリッパの配慮でデイヴィッドはしばらく傷
の治療に専念させられた。その後は11年ほど、ロンドンで賓客同然の扱いの
捕囚生活を送る。この後もイングランドとスコットランドには紆余曲折があ
るのだが、その辺はフィリッパとはあまり関係ないので省略しよう。
さて、以前、エドワード3世は、あまりおおっぴらには浮気をしなかったと
書いたが、実は噂になった女性はいた。フェア・メイド・オヴ・ケントと呼
ばれたジョアン。エドワード1世のひ孫で、フィリッパにとってはお気に入
りの女官である。
1347年、伝説によれば、カレーを陥落させた祝いにエドワード3世は舞踏会
を開くが、ここでジョアンが思わぬハプニングを起こす。
続く
619 :
世界@名無史さん:02/06/08 12:51
フィリッパ・オヴ・エノー 続き 今回がラスト
ジョアンは満座の中で、ガーターすなわち靴下留めを落としてしまった。現代
の感覚で言うなら、はいていた下着が落ちた、それぐらいの大珍事であった。
舞踏会場は静まりかえり、人々は好奇の目をジョアンに向け、ジョアンは羞恥
のあまり立ちすくむ。
騎士道かぶれのエドワード3世は、困っている貴婦人を見たら助けずにはいら
れない。彼は問題のガーターを拾い上げると、自分の左脚に巻き付け、人々を
見据えて言った。
「それを悪しと思う者に災いあれ」
王のこの言動でジョアンは救われた。
そして、翌1348年、エドワード3世はガーター騎士団を創設する。騎士団の創
設自体は以前から構想していたらしいが、ガーター騎士団という名前、そして
左脚につけるガーター勲章はこの事件に由来するという。
ガーター騎士団は女子禁制というわけではなく、女性の受爵者もいる。その第
1号が、王妃フィリッパ・オヴ・エノーであることは言うまでもない。
なお、事件の当事者ジョアンは、後に黒太子エドワードと結婚する。仮に噂通
りエドワード3世の愛人だったとしても、その関係は長くは続けられなかった
わけである。
1369年、女傑にして賢妃、そしてガーター騎士団の女性騎士フィリッパもつい
に他界する。1314年生まれだから、55歳前後。
王妃を失ったエドワード3世は、これがあの英傑で騎士道好きだった王かと思
うぐらい堕落した。アリス・ペラーズという物欲の強い女を愛人にし、政治も
対仏戦も投げ出して彼女に溺れ、この女に政治にまで口出しさせる有様。王の
死因もアリス・ペラーズから感染した淋病だったともいう。
王ににらみをきかせている存在としても、フィリッパはイングランドにとって
かけがえのない王妃だったのである。
620 :
世界@名無史さん:02/06/08 13:13
>>610 私(451)がレスすると、また私を1だと思ってる者が自作自演だの
何だの言ってくると思ってずっと黙っていたが。
やっぱり、これだけは言わせてもらおう。(本当は、1には言いたい
ことは山ほどあるが……全部書くとまた荒れそうだし、このスレを全
部読んでいたら、私が1をどう思ってるかは知っているね?)
このスレが盛り上がってほしいと本当に思ってるのなら、他力本願に
ならずに、自分でも女傑について何か書いてくれ。必ずしも、列伝的
なことでなくてもいい。何か女傑に関連した話題をふるとか。
このところ、ここに書いてるのは私だけじゃないか。
私1人がいくら頑張っても、1人では盛り上げるのは限界があるよ。
621 :
世界@名無史さん:02/06/09 16:16
イングランド王妃シリーズも、これがラスト
マーガレット・オヴ・アーンジュ
1430?〜1482
ヘンリー6世の妃である。ついたあだ名は「赤いバラの女王」。
実際には女王ではなく王妃なのだが、まるで女王そのもののように振る舞っ
ていたのである。
これまで何人か、イングランド王妃の女傑を紹介してきたが、彼女たちが戦
場に出たのは、王の留守中に代役として国を守ったり、王に反抗して権力を
得るための一時的な手段だった。短期間だけのことである。
マーガレットの場合は、そういうのとはわけが違う。
彼女は何度も何度も、そして何年も戦場を駆けめぐった。なぜそんなことに
なったのか。それを見ていくことにしよう。
マーガレットは、フランス王家と血縁のあるアーンジュ公ルネの次女として
1430年頃に生まれた。
エドワード3世が始めた英仏百年戦争も、いよいよ末期にきていた。
1415年のアジャンクール(アジンコート)の戦いに圧勝し、一時は優勢だっ
たイングランド軍も、この頃には劣勢に追い込まれていた。流れを変えたの
は言うまでもなく、1人の少女……ジャンヌ・ダルクである。
時のイングランド王ヘンリー6世は、1421年生まれ。1422年に即位した時、
わずか1歳の幼王であった。むろん、政治や外交をできるはずもなく、実権
を握っていたのは、周囲の大人、王族たちである。
対仏戦をめぐってその実力者たちが次第に和平派と主戦派とに分かれて争う
ようになり、ヘンリー6世が成人する頃には、戦況悪化のために和平派が力
を持つようになっていた。
和平派の有力者サフォーク公ウィリアム・ドゥ・ラ・ポールは、フランス王
シャルル7世の王女とヘンリーを結婚させ休戦に持ち込もうと渡仏し折衝す
る。シャルル7世は自分の王女の婚姻は拒絶したが、その代わり王妃マリー
の姪にあたるマーガレットをヘンリーと結婚させることにした。
続く
622 :
世界@名無史さん:02/06/09 16:39
エリザベス1世の母は、たしかアンだったと思うよ
でも、アンは流産も経験してるんだよね
しかし、その流産した胎児の性別は判明してるのかな?
ちなみに、流産したのはエリザベスを出産した後らしいよ
623 :
世界@名無史さん:02/06/09 16:58
>>622 新・女傑スレにレスするつもりで間違えてこっちにカキコミしたのかな?
エリザベス1世の母はアン・ブリーン(本によっては、アン・ブーリン
とか、アン・ボレインとか、いろいろな訳され方してるけど)。
新・女傑スレで話題になっている女王アンとは別人だよ。
624 :
世界@名無史さん:02/06/09 18:11
>>623 >新・女傑スレにレスするつもりで間違えてこっちにカキコミしたのかな?
私は622だが、女傑スレで女傑を論じて悪い理由はないと思ってるよ!
625 :
世界@名無史さん:02/06/09 19:07
626 :
世界@名無史さん:02/06/09 19:08
>>625 そっちのが後発だから、重複スレはそっちだろ
627 :
世界@名無史さん:02/06/09 19:13
>>622 >しかし、その流産した胎児の性別は判明してるのかな?
たぶん、男子だったらしい
628 :
世界@名無史さん:02/06/09 19:15
623
>>624 >悪い理由はないと思ってるよ!
別に悪いとは言ってないよ。
>たしかアンだったと思うよ
という言い方から、何らかのカキコミに対するレスのような印象を受け
たので。
エリザベスやアンについてはこれまでここで語られていないから、向こ
う(新・女傑スレ)でちょうどアン女王について語られているし、本来、
そちらへのコメントではないのかと判断しただけ。他意はない。
629 :
世界@名無史さん:02/06/09 19:19
マリア・テレジア万歳!
630 :
世界@名無史さん:02/06/09 19:27
451
>>625 >>626 このスレと新スレを全部読んでもらえば事情がわかると思うのだが。
簡単に言うと。
もともとこのスレが、女傑を戦場で活躍した女性に限定されていたた
め、それ以外の政治家などの女傑を語る場として新・女傑スレが立て
られた。
双方のスレにそれぞれの意義がある。重複スレと単純に断じて欲しく
はない。
631 :
世界@名無史さん:02/06/09 19:31
630=451だ。
急いで書いたから、文章が変になっていた。
×女傑を戦場で活躍した女性に限定されていた
○女傑を戦場で活躍した女性に限定していた
632 :
世界@名無史さん:02/06/10 09:43
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
ヘンリー6世の母キャサリン・オヴ・ヴァロアは、やはりフランス出身。フ
ランス王シャルル6世の王女である。彼女が嫁いだ当時はイングランドが優
勢だったため、フランスはこの結婚に莫大な持参金をつけ、屈辱的な講和を
結ばねばならなかった。それが1420年のことである。
それから25年後。英仏の立場は逆転していた。
マーガレットの結婚には、持参金はない。それどころか、イングランドは、
メーヌの主権を放棄せねばならなかった。
和平派のサフォーク公は、この条件を飲んで講和と結婚をまとめる。主戦派
貴族たちに対して講和の条件は極秘にされた。そして、1445年、マーガレッ
トが到着すると、ヘンリー6世との結婚式が電撃的に挙行される。
ヘンリー23歳、マーガレット15歳前後のことである。
英仏両国の和平のために嫁いできた彼女が、イングランドをひっかき回すこ
とになるのも歴史の皮肉というべきか。
もっとも、和平と言うと聞こえはいいが、その裏にあるのはドロドロした宮
廷権力闘争である。
これまで王家のために、戦争に参加してきた諸侯にしてみれば、何らうると
ころがない講和は許せない。彼らは戦いを継続し、勝つことを望んでいる。
そういう一派の者と権力を争う者は、対抗上、スローガンとして和平を叫ぶ
という構図である。
ヘンリー6世は、そんな両派の人々に囲まれて成長した。マーガレットと結
婚した時点で23歳の成人だが、彼には両派の人々を押さえる力もなければ、
その意志もなかった。おそらく、ろくな帝王教育も受けられなかったのだろ
う。ヘンリー6世は、傀儡として操るのに都合のよい愚王に成長していた。
そんなところに乗り込んできたのが、当時ティーンエイジャーながら強固な
意志を持つ女傑マーガレットだったのである。
続く
633 :
世界@名無史さん:02/06/11 02:47
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
フランス王室に連なるマーガレットは、むろん和平派と接近し、主戦派を退
ける方向に動く。
主戦派のグロースター公ハンフリー(ヘンリー5世の弟、ヘンリー6世の叔
父)やヨーク公リチャードは、ヘンリー6世を操縦するマーガレットによっ
て、王への目通りを禁止された。
さらにヨーク公リチャードはアイルランドへ左遷。グロースター公は、反逆
の罪をきせて逮捕させる。逮捕の5日後、彼は獄中で、卒中により死んだこ
とにされた。自然死でないことはあきらかだったが、検死に立ち会った議員
もマーガレットとサフォーク公に威圧され、異議を唱えることはできなかっ
たという。
しかし、これは後々禍根になる。というのも、事態が次第に、和平派対主戦
派から、ランカスター王家対ヨーク家の対決へと推移していくことになるか
らである。王の叔父グロースター公は、ランカスター家の重鎮であり、マー
ガレットが自ら排除したことによって、アイルランドに左遷されたヨーク公
リチャードに王位奪取の野心が目覚めることになる。
少し回り道になるが、ランカスター家とヨーク家について説明しよう。
エドワード3世とフィリッパには多くの子があった。
実際には非常に複雑な血縁関係でややこしいのだが、あえてごく単純に言う
なら、その中の4男ジョン・オヴ・ゴーントの家系がランカスター家。5男
エドマンド・オヴ・ラングリーと3男ライオネルの血を引く家系がヨーク家
である。
エドワード3世が没した時、有名な黒太子エドワードはすでに故人だったた
め後を次いだのは黒太子の子リチャード2世。このリチャード2世から王位
を奪取したのが、ジョン・オヴ・ゴーントの子、つまりランカスター家のヘ
ンリー4世だった。ヘンリー6世の祖父である。
そもそも、このヘンリー4世の簒奪が正当でない、とヨーク公リチャードは
主張したのだ。
続く
634 :
世界@名無史さん:02/06/12 07:23
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
1447年、主戦派でランカスター家の巨魁グロースター公が謀殺された年、和
平派の大物ヘンリー・ボーフォート司教も他界した。
これでしばらくの間は、王妃マーガレットと、彼女の腹心となったサフォー
ク公ウィリアムの天下が続く。
1448年には、マーガレットは後にクイーンズ・カレッジと呼ばれることにな
る大学を創建している。彼女の唯一の、文化事業だ。
しかしながら、フランスに対し妥協するマーガレットらが実権を握ったこと
で、英国の大陸領土は(戦争ではなく外交で)どんどん失われた。
1449年にはフランス北西のフージャーを、1450年にはノルマンディーが放棄
される。さすがにこうなると非難の声も高まった。
マーガレットはトカゲのしっぽ切りで、サフォーク公を追放処分にし、代わり
にサマーセット公エドマンドを登用するが、さすがにそれぐらいでごまかせる
ものではない。
1450年7月、主戦派のヨーク公を支持するジョン・ケイドの反乱が発生。群衆
を率いてロンドンに攻め込んだ。ヘンリー6世らがケニルワース城に逃げ出す
ほどの大反乱だった。これに呼応して、アイルランドからヨーク公リチャード
も帰還。王位継承権を主張した。
マーガレットは一時しのぎに、ヨーク公リチャードの主張を認めないわけには
いかなかった。1453年には議会で反ヨーク公の勢力を結集しようと試みるが、
これも失敗。ヨーク公の王位継承権は正式に承認されてしまう。
さらにやっかいなことに、この年、マーガレットの夫ヘンリー6世が精神異常
に陥る。もともと彼にはその気があった。彼の母方の祖父・仏王フィリップ6
世からの遺伝だろう。
王の精神病に乗じて、ヨーク公リチャードは自分を摂政にするよう要求する。
この時マーガレットは、ヘンリー6世の子を身ごもっていた。そして、10月に
男子エドワードを出産。この慶事によって、摂政問題を棚上げして時間を稼い
だものの、ヘンリー6世の病気はいっこうに回復しない。
1454年2月、王子エドワードが成人するかヘンリー6世の病気回復までの間、
という条件で、ヨーク公は保護卿に指名された。同年、王妃派のサマーセット
公エドマンドが逮捕投獄される。このままでは、ヨーク公の天下になるかと思
われたが、1455年1月、突然、ヘンリー6世が回復する。ヨーク公は保護卿か
ら解任され、サマーセット公は釈放された。
あてのはずれたヨーク公リチャードは、ついに実力行使を決意する。
続く
635 :
世界@名無史さん:02/06/12 09:20
634 訂正。
×母方の祖父・仏王フィリップ6世
○母方の祖父・仏王シャルル6世
636 :
世界@名無史さん:02/06/12 10:48
だめおやじの嫁
637 :
世界@名無史さん:02/06/13 10:14
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
1455年、ヨーク公リチャードはロンドンを去り、妻シシリーの実家で北部の
実力者であるネヴィル家の財力・軍事力によって兵を挙げる。
5月22日、ヨーク公軍は、セント・オールバンズでサマーセット公の率いる
王軍と激突した。赤いバラを記章とするランカスター家と、白いバラの記章
のヨーク家、バラとバラの激突したバラ戦争の勃発である。
サマーセット公は戦死し、ヨーク公軍は大勝した。本来ならこの勝利でヨー
ク公の政権が確立し、内戦はこの戦いだけで終わったはずであった。当事者
のほとんどはそう思っていたし、その後3年ぐらいは確かに平和だった。
それが30年も続く大内戦となってしまうのは、マーガレットの執念がその平
和を覆したからである。
このままヨーク公の権力が確立し、彼がヘンリー6世から王位を受け継いで
しまったら、マーガレットの息子エドワードは王位を継げなくなってしまう。
おそらくそれが彼女の動機だろう。
1459年4月、マーガレットは公然と兵を集め、ヨーク公とその一党を撃滅す
ると公言した。相変わらず正気と精神異常をいったりきたりの国王ヘンリー
6世は正気の時も頼りにならないし、腹心サマーセット公も戦死した今、頼
りになるのは自分自身だけだった。彼女の戦場での活躍が始まる。
同年9月、マーガレットの指揮する軍はラッドロウでヨーク軍と戦闘。見事
これを破る。ヨーク公リチャードはアイルランドへ逃亡、ネヴィル一族や、
ヨーク公の長男エドワードはフランスのカレーに逃れた。
だが今度は、ヨーク公とネヴィル家が執念深く反撃してくる。翌1460年6月、
ウォーリック伯リチャード・ネヴィルはイングランドに舞い戻り、兵を集め
る。そして7月10日、ノーサンプトンの戦い。これはネヴィル側が勝利する。
ヘンリー6世は捕虜となった。
今度は王妃マーガレットが逃げる番だった。彼女は6歳の王子エドワードを
連れて、北部の別の有力者、パーシー一族を頼る。
王を確保したヨーク派は「ヘンリー6世の王位は終身とし、その間ヨーク公
リチャードが保護卿となる。王没後は彼が王位を継ぐ」ことを議会で議決さ
せた。
だが、そんなことであきらめるマーガレットではなかった。彼女はその年の
うちに巻き返しを図る。
内戦はどんどん泥沼化していった。
続く
638 :
世界@名無史さん:02/06/14 08:35
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
マーガレットはノーザンバーランド伯ヘンリー・パーシーの協力を得てヨー
ク軍に戦いを挑む。1460年12月29〜30日、ウェイクフィールドにおける戦い
にマーガレットは勝った。
マーガレットの宿敵ヨーク公リチャードは、ついに念願の王となることなく、
この戦いで戦死した。マーガレットはわざわざその死体をヨーク市に運び、
紙製の王冠をかぶせて愚弄するというおまけ付きで、ヨークの城壁にさらし
首にした。この辺り、マーガレットの執念深く恨みを忘れない性格がよくあ
らわれている。
しかし、死体相手に復讐にうつつをぬかしている場合ではなかった。ヨーク
公リチャードの息子エドワードがヨーク公位を継いだし、ヨーク派の実力者
ウォーリック伯リチャード・ネヴィルも健在なのだ。
翌1461年2月2日、ヨーク公エドワードはモーティマーズ・クロスの戦いで
ランカスター軍に大勝利。
しかしマーガレットはくじけない。わずかその17日後の2月19日、敗残兵を
率いて、守りの手薄なセント・オールバンズのヨーク陣営を奇襲。リチャー
ド・ネヴィルを敗走させ、夫ヘンリー6世を見事奪回してしまう。
とはいえ、さすがにそれ以上の戦闘は無理と判断し、マーガレットはいった
ん北に逃れた。
なまじヘンリー6世がいなくなったので、3月4日、ヨーク公エドワードは、
エドワード4世として戴冠。ついにヨーク家の宿願であるイングランド王位
を手にする。
3月24日、マーガレット率いるランカスター軍と、エドワード4世のヨーク
軍はタウトンで決戦を行う。が、先のモーティマーズ・クロスの敗戦からま
だ日も浅く、その痛手から立ち直っていないマーガレットに勝ち目はなかっ
た。
ランカスター軍は壊滅的な打撃を受けた。マーガレットやヘンリー6世は逃
げたものの、エドワード4世はこれで覇権を確立。バラ戦争も終結したかと
思われた。だが、実はまだ、この内戦は前半戦を終えただけであった。
続く。
639 :
世界@名無史さん:02/06/14 18:42
まだ歴史になっていないからダメ?
アウンサンスーチー
<某所よりコピペ>
1945年ビルマ、ラング−ン生まれ。「ビルマ独立の父」アウンサン将軍の娘。
60年母キン・チ−のインド大使着任に伴いインドへ。高校卒業後一時ニュ−デリ−の
レディ・シュリ・ラム・カレッジに在籍した後、イギリスへ渡りオックスフォ−ド大学に進む。
大学卒業後69年から71年までニュ−ヨ−クの国連本部で働く。
72年ヒマラヤ文化研究家で、大学時代の知己、マイケル・アリスと結婚する。
結婚後はブ−タン、ネパ−ルにも滞在。
73年に長男アレクサンダ−、77年次男キムが誕生。
85年から86年にかけては京都大学東南アジア研究所の客員研究員として
日本に滞在。
88年3月母の看病のため、民主化運動の燃え盛るビルマへ帰国。
7月20日国営新聞は前日におこなわれた政府主催のアウンサン将軍追悼式に参加した
アウンサンスーチーの写真を大きく掲載した。「建国の父」の娘として伝説的ですらあった
彼女がビルマに戻っていることを知った民衆は、民主化運動への合流をアウンサンスーチーに要請、
8月26日シュエダゴンパゴタで約50万人の民衆を前に初めて政治的な演説を行う。
9月27日、「国民民主連盟」(National League for Democracy)を結成。
90年5月総選挙でNLDは80%を越える議席を獲得したが、軍事政権はこの結果を無視し、
現在も国会を開催していない。
91年にノ−ベル平和賞を受賞。しかし1989年から国家防御法により自宅軟禁を受けていたため
授賞式に出席できなかった。
一時の中断を経て、移動や外部との接触禁止など実質的軟禁状態が続く、激しい弾圧の下
におかれている。
(うーん少女漫画ネタ向きの波乱万丈の人生だと思うけど、
まだ見かけたことないなあ)
>>639 自分で見つけてきた、内容のあるスレしないと
こちらには誰も来ないよ。(ワラ
641 :
世界@名無史さん:02/06/14 23:27
>>640 こっちが既存スレなのに・・・
なぜ、こっちには誰も来ないの?
642 :
世界@名無史さん:02/06/15 07:49
451だ。
なんか、未だに、新・女傑スレを荒らしてる奴(向こうのスレの906、907)が
いるみたいだな。たぶん単に煽りたいだけの奴なんだろうけど。
もし仮にこっちのスレが好きなら、荒らしなんてアホな行為に走るんじゃなく、
私のようにこっちのスレで女傑を語ってみせろ。
>>639 アウンサンスーチー女史は確かにすごい。現代人で尊敬できる>>女性の一人
だね。
>>640 まあ、せっかく来た人をそう冷たく突き放すこともなかろう。
>>641 一時期、このスレに傲慢な者がいて、せっかくレスしている人に「ああいうの
は女傑ではない」とコメントして盛り下げたり、間違いを指摘されて逆ギレし
た発言をカキコミしたり、ということがあって、多くの者があきれて新スレに
流れたのだ。
このスレを嫌う者たちによると、それらはすべてこのスレの1の所行らしい。
そして、さらにある者によると、このスレに真面目なカキコミをすることは、
そんな1を支持することとイコールであるらしい。(なんでそうなるのか、そ
の理屈が私にはさっぱりわからないのだが。)
が、実のところ、1が1と自ら名乗っている発言は少なく、本当に問題のカキ
コミすべてが1のものという確証はない。(そうでないという証拠もないが。)
ただ、数少ない、間違いなく1によるカキコミは、最初、戦場で活躍した女性
のみを女傑としていて、そのために新・女傑スレができたというのに、その後
に、それ以外も女傑とする、というように態度を変えたことも事実で、確かに
1にも問題はある。
まあ、とにかくそんなわけで、こちらのスレは人気がない。最近は、真面目に
女傑のことを書いてるのは、ほとんど私1人という状態が続いている。
643 :
世界@名無史さん:02/06/15 08:37
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
執念深いマーガレットは、この期に及んでもなおあきらめてはいなかった。
もはや彼女が頼るのは、故国フランスである。軍資金調達のため、彼女は父
のアーンジュ公ルネや、フランス王ルイ11世に金を借りまくる。が、運は彼
女を見放したのか、帰りの船が嵐にあい、せっかくの軍資金もなくなった。
さらに、各地を転々としていたヘンリー6世が、またしてもヨーク派に捕まっ
てしまう。
マーガレットは戦法を切り替えた。
ヨーク派内部の不満分子と連絡を取り合い始めたのだ。
エドワード4世の弟で野心家のクラーランス公ジョージや、エドワード4世を
王位につけた最大の功労者であり、かつてマーガレットも戦場で敵として戦っ
たウォーリック伯リチャード・ネヴィルらと接触を図る。
ちょうど、リチャード・ネヴィルとエドワード4世の仲は、あることがきっか
けで悪化していた。
そのあることというのは、エドワード4世の結婚問題である。
ここで、また少し回り道になる。
まだマーガレットが王妃としてロンドンにいた1450年頃、彼女の女官にエリザ
ベスという女性がいた。父はランカスター派の騎士である。エリザベスはヨー
ク派の騎士に恋をしたが、父もランカスター派、自分もマーガレットに仕える
身であり、その恋はかなわず、彼女はランカスター派の騎士ジョン・グレイと
結婚させられる。おそらく、ヨーク派騎士との結婚を妨害するためマーガレッ
トが強制したのだろうと言われている。が、その夫ジョン・グレイはセント・
オールバンズの戦いで戦死し、エリザベスは未亡人となった。その原因である
主人のマーガレットは戦場を駆けめぐっていて頼ることもできない。
さらにエドワード4世が即位すると夫の残したわずかな所領も、ランカスター
派騎士の所領没収ということで取り上げられ、生活も苦しくなった。
そこで、エリザベスは所領の回復を求め、女の色香を武器にエドワード4世に
接近する。効果は予想以上だった。エドワード4世は年上の未亡人にすっかり
惚れ込んでしまう。
そして1464年5月1日、2人は電撃的に結婚した。王の結婚はそれ自体が政治
であり、外交の武器であるというのに、あまりにも軽々しい結婚であった。こ
の結婚が周囲に波紋を呼び、エドワード4世とリチャード・ネヴィルの仲を決
定的に引き裂くことになる。
続く
644 :
世界@名無史さん:02/06/15 13:40
>>641 >こっちが既存スレなのに・・・
べつに、こっちが特に既存スレということでもないよ!
>>642 >まあ、せっかく来た人をそう冷たく突き放すこともなかろう。
甘ったれんなよ、婆あ!
646 :
世界@名無史さん:02/06/15 17:28
647 :
世界@名無史さん:02/06/15 17:34
>>642 >一時期、このスレに傲慢な者がいて、せっかくレスしている人に「ああいうの
>は女傑ではない」とコメントして盛り下げたり、間違いを指摘されて逆ギレし
>た発言をカキコミしたり、ということがあって、多くの者があきれて新スレに
>流れたのだ。
もし、その傲慢な者さえいなかったら?
このスレは、どうなっていたと思う?
このスレが盛り上がっていたとは、一概に言えないと思うけど?
648 :
世界@名無史さん:02/06/15 17:54
>>647 >このスレが盛り上がっていたとは、一概に言えないと思うけど?
当たり前じゃ!
こんなスレが盛り上がるわけないだろ!
649 :
世界@名無史さん:02/06/15 18:26
ムーランは?
650 :
世界@名無史さん:02/06/15 18:30
女戦士・女将軍の数なんてしれてるじゃん。
そろそろネタ切れかな?
651 :
世界@名無史さん:02/06/15 18:38
>>650 だから、さすがの1も女戦士・女将軍以外の女傑に注目したのだろうね
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/16 14:12
>>651 1も強かな奴だな!
でも、そんな1の本心は皆に見透かされてるけどね。
653 :
世界@名無史さん:02/06/16 16:44
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
表向きの権力者の首を思いのままにすげかえられる影の実力者のことを、
俗に「キングメーカー」と呼ぶ。この言葉の元祖になった人間こそ、エ
ドワード4世を国王の座につけてやったウォーリック伯リチャード・ネ
ヴィルである。
彼はその功績で、エドワード4世の宮廷ですでに重鎮となり、自分の一
族で宮廷の要職を固めていた。そして、エドワード4世の政権をさらに
強固なものにしようとフランスに渡り、エドワード4世とフランス王ル
イ11世の義妹との婚姻の交渉をまとめかけていた。
そこに、エドワード4世が勝手にエリザベスと結婚したという報せが届
く。フランスでの彼の面目が丸つぶれとなった。
そんな状況だったので、マーガレットの接近にリチャード・ネヴィルは
乗ってきた。ただし、ネヴィルは一枚上手だ。
執念深いマーガレットにしてみれば、かつての敵ネヴィルと手を組むの
はあくまで一時的な手段であって、これまでの恨みは忘れていない。そ
のことをリチャード・ネヴィルはよくわかっている。
味方をしてやってもよい、ただし、それにはヘンリー6世とマーガレッ
トの子エドワードと、自分の娘アンとを結婚させることが条件だ。それ
が彼の回答だった。マーガレットは迷ったようだが、背に腹はかえられ
ない。エドワードとアンの婚約が結ばれた。
一方、リチャード・ネヴィルの別の娘イザベルとクラーランス公ジョー
ジも1469年に結婚している。クラーランス公は、エドワード4世の3弟
であり、王位を狙う野心家で、この反乱の仲間だった。
リチャード・ネヴィルとクラーランス公ジョージの軍勢はイングランド
に上陸。7月26日、エッジコートでエドワード4世の軍を撃破した。
翌1470年、前述のアンとエドワードの婚約が結ばれ、形勢不利とみたエ
ドワード4世は、ロンドンを脱出。
ロンドン塔に幽閉されていたヘンリー6世が復位する。
続く
654 :
世界@名無史さん :02/06/17 12:31
中国四大女傑といえば・・・
まず、花木蘭・穆桂英・梁紅玉の3名は確定ですね。
あと1名は、秦良玉と洪宣嬌のどちらを入れてどちらを外しますか?
451の答えは、どちらですか?
655 :
世界@名無史さん:02/06/17 16:20
>>654 451だ。
まず、最初に断っておくが、名前の挙がった5人のうち、穆桂英、洪宣嬌の2人
については、私はよく知らない。(もしよかったら、教えてほしい。)
だから単純に、秦良玉か洪宣嬌のどちらがより中国四大女傑にふさわしいかと言
われれば、正史の列伝にも伝のたてられている秦良玉ははずせないだろう、と答
えるしかないな。
でも、その5人のうち、花木蘭は、民族的な英雄とはいっても、伝説上の架空の
人物だろう。
このスレで以前に指摘されていることだが、架空の人物もありだとすると、スー
パーガールやワンダーウーマン(ある意味、アメリカの国民的英雄の女傑ではあ
る)もありってことにならないか?
656 :
世界@名無史さん:02/06/17 17:11
マーガレット・オヴ・アーンジュ 続き
マーガレットの望み通り、夫ヘンリー6世は復位した。しかし、ただでさ
え精神病の彼は、幽閉中にさらに体力も衰え、生きる屍も同然、王位も名
目だけのものにすぎなかった。もしこのまま事態が推移したなら、マーガ
レットとリチャード・ネヴィルの間で、激しい権力闘争が繰り広げられた
ことだろう。
しかし、その前に、不屈のエドワード4世が反撃してきた。
1471年4月、ヘンリー6世は、またしてもヨーク派の捕虜となる。これで
3度目だ。そして彼は、おそらく戦場で死ぬことを期待されて、そのまま
次の戦場へと連れていかれる。
4月14日、バーネットで決戦が行われた。
奇妙なことにヘンリー6世は無傷のままだった。誰も彼を相手にしなかっ
たらしい。そして、この戦いでリチャード・ネヴィルは戦死する。
マーガレットは、僧院の庇護を利用して逃れ、なおも抵抗を続けようとし
たが、5月4日、テュークスベリーの戦いでついに捕捉され、捕らえられ
た。
息子エドワードは殺された。そして、夫ヘンリー6世も、5月21日にロン
ドン塔でなくなる。エドワード4世の末弟グロースター公リチャード(後
のリチャード3世)に殺害されたとする説が有力だが真相は不明である。
さすがのマーガレットも、もはやこれまでだった。
しばらく幽閉された後、1475年、英仏間にピキニーの休戦協定が結ばれる
と、マーガレットは故国フランスに送り返される。
フランスには、父親のアーンジュ公ルネから受け継ぐはずの領地があった
が、その継承権は、借金のかたにルイ11世に奪われ、晩年の彼女は不遇で
あった。
1482年8月、マーガレットは波乱の生涯を閉じる。享年52歳。
ちなみに、ライバルのエドワード4世は1483年に没し、その子エドワード
5世は在位75日にしておそらく殺され、リチャード3世の時代となる。
1485年、リチャード3世に対してランカスター家とヨーク家は手を握った。
自身はランカスターの血を引くヘンリー・テューダーが、リチャード3世
をボズワースの戦いで破る。ヘンリー・テューダーはヘンリー7世として
即位し、テューダー朝を建て、ヨーク家のエドワード4世の娘エリザベス
を王妃とすることになる。
それが、マーガレットが執念で戦い続けたバラ戦争の終結であった。
657 :
世界@名無史さん:02/06/18 01:25
私は、中国四大女傑に穆桂英・梁紅玉・秦良玉・洪宣嬌の四名を選びます。
花木蘭は、架空に人物なので外します。
658 :
世界@名無史さん:02/06/18 12:23
こっちもまだ残ってる。
659 :
世界@名無史さん:02/06/18 12:38
スティーヴン妃マティルダ、ヘンリー2世妃エリナー、エドワード2世妃
イザベル、エドワード3世妃フィリッパ、そして、ヘンリー6世妃マーガ
レット。長々と、中世イングランドの王妃から女傑を紹介してきたわけだ
が。
この5人のうち3人(エリナー、イザベル、マーガレット)までがフラン
ス出身である。
フランス人というのは、女傑を生みやすい国民なのだろうか?
一番詳しかった(というか、手元にそれについての本があった)中世英国
ネタを使い尽くしたので、そろそろ私(451)もネタ切れだ。私生活の方で
もちょっと忙しくなってきたので、これまでほど頻繁には書き込めなくな
るかもしれないので、あしからず。
660 :
世界@名無史さん:02/06/18 12:48
>>654 ネタがないからっておんなじレスを繰り返すな、不毛でしかも
見苦しい。
住人の無教養が露にされるだけだ。
661 :
世界@名無史さん:02/06/18 18:25
人が来ないからってここを捨てて人のふんどし借りて
「新女傑スレ2」たてたのかよ、フェミ女?(ワラ
お前がたてたってバレバレなんだよ。(ワラ
お前頭悪いし教養がないから同じ人物ばかり書いてるだろ?
高卒いきおくれ婆は引っ込んでな!(ワラ
662 :
世界@名無史さん:02/06/18 20:13
663 :
世界@名無史さん:02/06/18 20:16
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664 :
世界@名無史さん:02/06/18 20:18
>>662 >こちらに呼び寄せようね!
全く同感!
こちらが既存スレだぞ!
665 :
世界@名無史さん:02/06/18 22:39
類似スレへの対抗あげ
日本史の女武者では駄目でしょうか。マイナーでも結構面白いと思うのですが。
>666
いいと思います。
>>666 >日本史の女武者では駄目でしょうか。
もちろん、いいですよ。
>マイナーでも結構面白いと思うのですが。
是非とも、お願いいたします。
>667
有難う御座います。それでは
三島鶴 (みしま・つる)
大永4年(1524年)、伊予国越智郡大三島に生まれた。家は河野氏の縁
戚に当り、代々三島神社の神主と三島水軍の大将を務めていた。
彼女が16歳になった天文10年6月。瀬戸内支配を狙って周防の大内氏の
水軍が大三島に来襲。大将を務めていた鶴姫の兄安房は戦死した。
兄の死を聞いた鶴姫は愛用の女鎧を着込み、新たな水軍大将として一族の越
智安成と協力して敵を撃退。同年10月の攻撃も跳ね除けた。
この頃には鶴姫と2歳年上の安成との間にほのかな愛情が生まれていた。
が、2年後の天文12年に陶晴賢率いる大軍が侵攻。多勢に無勢で安成は討
ち死にを遂げてしまう。
鶴姫はそれを聞いて自ら夜襲をかけて敵を敗走させたが、最早勝敗は明らか
なものとなってしまっていた。
その夜の内に宮の浜に小舟を漕ぎ出した鶴姫は恋人の後を追い、翌朝になっ
て主の無い小舟が横島の磯で見つかった。鶴姫、享年18歳。
大内氏が大三島に進駐したのは、その翌天文13年の事であった。
鶴姫の甲冑は現存する唯一の女鎧として大山祇神社に保管されている。
670 :
世界@名無史さん:02/06/19 00:30
>669
あっ、なんか漫画で読んだような気が(少女漫画)。
戦国期からもう二人。
三木城主別所長治の一族吉親の妻。
白の大口直垂に赤糸おどしの鎧を着て奮戦。篠原源八郎なる豪傑の左腕を切
り落として落馬させ、引き摺り下ろそうとする者は逆にひっつかんで首を掻
き切った。倒した敵の数、実に二十余名。
三木城開城の時には、真っ先に自害して果てた。享年28歳。
諏訪勝右衛門の妻。
武田家滅亡の際、信濃高遠城で刀を振るって奮戦して果てた。
>>669 >>671 どうも書き込みありがとうございます。
これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。
>672
分かりました。他に甲冑を着ていたといえば本多忠勝の娘が関が原の合戦前
に夫真田信幸の留守を護った時でしょうか。
淀殿の篭城時のものはパフォーマンス臭い。
女城主なら立花宗茂の妻ギン千代、女大名(中継ぎ)なら江戸初期に遠野三
万石を治めていた南部ねね。
>山野野衾さん
今後とも、是非ご協力お願いいたします。
675 :
世界@名無史さん:02/06/19 19:03
日本の女傑では、津城城主富田信高(とだのぶたか)の妻がいる。
1600年8月23日、西軍に攻撃された津城で、漆黒の鎧をまとい、槍を
ふるって夫を助けたそうだ。
名前や経歴が伝わっていないのが残念。
>>669 少女漫画ではないけど、森秀樹が彼女を主人公に『海鶴』という漫画を
描いているよ。
藤原薬子(?〜810)
平安時代初期に平城天皇の寵愛を受けた女性。元々自分の娘が平城天皇に入
内して居たのだが、やがて彼女の方が天皇に気に入られるようになった。
(楊貴妃・武則天とは逆のパターン。)
その為桓武天皇生存中は両者は遠ざけられていたのだが、桓武天皇の死と共
に関係が復活。兄の仲成と権勢を振るった。
しかし平城天皇は病弱という理由から3年で弟の嵯峨天皇に譲位してしまう。
だが政治に対する夢を諦め切れず藤原兄妹の奨めもあって大同五年にクーデ
ターを起こし都を平城京に戻す事を画策。
ところが計画はあっけなく露見。兄は捕らえられて処刑され、平城天皇には
弟嵯峨天皇の命を受けた坂上田村麻呂の軍勢が派遣された。
計画の頓挫を知って絶望した薬子は毒をあおって自殺したが、これが日本史
上初の服毒自殺であったという。
享年は不明。ただ30代の半ばには達していなかったと思われる。
>山野野衾さん
いつも、誠に御苦労様です。
私も、貴方様の書き込みには感謝しています。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。
>677
はい、それではまたまた日本史ネタですみませんが、一つ。
斎藤帰蝶 (さいとう・きちょう) (1535〜1612)
本名不明。濃姫とも呼ばれるが、いずれにせよ江戸期の史料にあるもので信
憑性は薄い。斎藤道三の娘で、政略結婚で織田信長に嫁いだ。
嫁いだ後の行動は不祥。ただ山科言継は1569年7月の事として以下の事
を記している。
美濃攻略後、信長が斎藤義竜(濃姫の兄)の後家に彼女が所蔵していた名物
の壷を差し出すよう命じたが彼女は戦乱の中で紛失したと言い、これ以上追
及されるのなら自害するしか無いと答えた。
この時「信長本妻」ら親類縁者数十名が彼女をかばい、このまま殺すのなら
自分達も死ぬしかないと答えこれには流石の信長も引き下がった。
彼女が嫁ぐ際に父に渡された懐剣で父を刺す事になるやも知れぬと言ったと
いう逸話は有名であるが、実際気が強い女性であったのだろう。
本能寺の変の時には安土城に居て難を逃れ、安土殿(それ以前は鷺山殿か)
と呼ばれて30年後78歳で死んだ。
墓所は京都大徳寺総見院。
679 :
世界@名無史さん:02/06/19 22:14
>>678 日本史板に行ってください。
完全に板違いです。
>679
私もそう思ったのですが、これまでにも日本史ネタが何度か出ておりましたので。
それに楽しめれば良いかと。日本史板は荒れやすいですし。
>678
面白いからイイです。
682 :
世界@名無史さん:02/06/19 22:21
「日本史板」にも女戦士スレあったんだけどね。
どこいったんだろ?
しかし日本史板よりここの女傑関連スレのほうが荒れてるような(w
683 :
世界@名無史さん:02/06/20 16:43
684 :
世界@名無史さん:02/06/20 17:45
>>683 >第三勢力出現!
>戦場にも出ていない、政治家でもない女傑募集中。
新スレは、一体どうなったの?
>>684 >新スレは、一体どうなったの?
新スレは900越えたので、新・女傑スレPart2ができたのだが、その
Part2の1が、「ここは政治家以外は女傑と認めない」とわけのわか
らないことを言い出した。
準女傑スレという第3勢力が出てきたのはそのせいと思われる。
686 :
世界@名無史さん:02/06/20 17:53
>>685 旧スレと新スレ
どちらが嫌われてるの?
687 :
世界@名無史さん:02/06/20 18:33
>>683 それ「新女傑スレ」でもやってたじゃん。
芸術家とか作家とか女性運動家とか・・・。
688 :
世界@名無史さん:02/06/20 18:36
>>685 「新女傑スレ2」の1が「女傑スレ」の1。
ここのあまりにも人が来ないのと自分のネタが切れたので
自分も「新女傑スレ」に参加したくなっただけ。
でも女性政治家主のスレなんか成り立つわけないじゃん。
ここの1って本当に学歴も教養もないんだなってわかる、
高卒でオールドミス、40すぎの洋裁学校の教師だってよ。
他のスレでみたよ。
689 :
世界@名無史さん:02/06/20 18:46
>>688 >「新女傑スレ2」の1が「女傑スレ」の1。
でも、旧スレ1は新スレPart2の削除依頼を出してるよ
690 :
世界@名無史さん:02/06/20 19:42
>>689 2ちゃんねるで個人が特定できると?(ワラ
691 :
世界@名無史さん:02/06/20 19:44
>>690 >2ちゃんねるで個人が特定できると?(ワラ
でも、旧スレ1以外の奴が旧スレ1を自称することは考えられないよ!
692 :
世界@名無史さん:02/06/20 20:28
>>691 なぜ?
メリットあるだろ?
1になりすまして、いろんなことをする
たとえば1のふりして削除依頼を出し、さも私がたてた
スレじゃありませんから、というフリをする、と。
693 :
世界@名無史さん:02/06/20 20:29
>>691 いやいや、間違った。
自分がたてておきながら、人がこなかったり攻撃されるので
自分で削除依頼をする、というのもあり、だな。
694 :
世界@名無史さん:02/06/20 20:35
>>693 「新女傑スレ2」の1=「新女傑スレ」の1
この可能性も十分にありえるよ
451だ。
なんか、妙なことになっているな。
ここではこういう者だけしか女傑と認めないだの、旧女傑スレの1への恨みを
忘れないだの(いつまでひきずってるんだ?)、アホなこと言ってるから、女
傑系のスレ全体が荒れていく一方だ。
彼らにとって気にくわないカキコミは、すべて旧スレの1の仕業とされてしま
うのにはおそれいるね。旧スレの1を嫌う者のそういうところに、私は反発す
るのだ。
さて、日本の女傑の話が続いていたから、また目を西洋に転じよう。
十字軍には多くの女性も同行していたことは周知の通り。
名前こそ残っていないが、自ら戦った女性も少なくない。
サラディンの友人のベハ・エッディーンが「緑色のマント」の女性のことを書
き記している。1191年7月3日、アッカの包囲戦の最中、緑色のマントの女性
が、城内から休むことなく弓を引き続け、イスラム側の兵士を射殺したという。
最終的には、イスラム側はアッカを攻略。彼女も当然その戦闘で殺された。彼
女の弓はサラディンに献じられた。
また、やはりサラディンがシリアのブルゼイ城を攻撃した時。城側の女性が投
石機で実に正確な投射を行い、イスラム側の投石機の多くが使用不能にされて
しまったという。
もう少し間接的な戦い方ではあるが、やはり危険に身をさらした女性もいた。
リチャード獅子心王に同行したアンブロワースは、敵の城壁に近づくために石
材を運んだ女性の話を記録している。彼女の働きがあまりに目立っていたのか、
イスラム側に目をつけられて、ついには弓矢で射殺されてしまった。彼女の夫
が駆け寄った時にはすでに絶命しており、死体を回収するのがやっとだったと
いう。
696 :
日本@名無史さん:02/06/22 20:54
こちらのスレもあげ
697 :
日本@名無史さん:02/06/23 00:25
698 :
日本@名無史さん:02/06/23 00:33
>451
新・女傑について(Part2)にも書き込まないと不公平だよ!
699 :
世界@名無史さん:02/06/23 01:00
451だ。
>>697 >貴方は、こちらのスレには書き込まないの?
旧スレの451だと名乗ってはいないけど、書き込んでるよ。
>>698 >新・女傑について(Part2)にも書き込まないと不公平だよ!
なんで公平にカキコミしなきゃいけないのかな?
女傑関係スレがこれだけあるんだから、私にかぎらず、自分に一番
合っているところにカキコミすればいい。
700 :
世界@名無史さん:02/07/15 20:50
これもあげ
701 :
世界@名無史さん:02/08/04 22:41
age
せっかく上がったので、書き込ませて戴きます。日本史なのでさげ。
安養尼(願証) 平安時代中期
「往生要集」で同時代の宋でもその名を知られた源信僧頭の姉、ないしは妹。その
道心堅固な事は源信をも上回ると言われる程であった。
平日に地蔵盆をやっていたのを見た源信が「おかしな事を。」と言ったところ「普
段から信仰しているのですから、日にちを選ぶ事などありません。」と答えたとい
う話は常識に囚われない意志の強さを示しているようである。
また盗人に入られた際、盗んだ小袖の内一枚を落としていったので召使いに命じて
盗人を追わせ、わざわざ渡させた事があった。
感激する前に仰天した盗人は盗んだものを全てその場に置いて逃げていったという。
この他にも火事に遭っても経典が焼けなかった、彼女の経で人の病が平癒したなど
の逸話が多く残されている。
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世界@名無史さん:
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