女戦士について

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101世界@名無史さん
日本女子バレーも「東洋の魔女」達のブルマー姿には萌えられたのになあ。
102世界@名無史さん:2001/07/30(月) 18:59
「女盗賊プーラン」の著者プーラン・デヴィ氏、先週何者かに暗殺されたらしいね。
下層カースト出身で、幼少頃にレイプを受けて盗賊団に誘拐され、そこの盗賊団の頭領と結婚。
その頭領が裏切りで殺され又もや暴行を受け、その後刑務所からの出所後は国会議員になったんだけども、
波乱に満ちすぎた人生を送った人ですね。
103世界@名無史さん:2001/08/01(水) 14:52
age
104世界@名無史さん:2001/08/01(水) 20:28
ぶす(毒の)の語源にもなった、アレクサンダー大王暗殺を狙ったインドのくのいち。彼女の名前が転じてぶす(毒の)になり、さらに、いわゆるセクハラ語の意味になる。
幼いころから毒に触れさせて育てられ、やがてその類まれなる美貌でアレクサンダー王に接近。毒を体につけて王を誘惑しようとしたが、果たせず殺される。
105世界@名無史さん:2001/08/01(水) 21:45
>>90 >>97
スパルタの女性が裸で生活していた事について詳しく教えて下さい。
(てっきりアテネと同じかそれ以上に息苦しい生活をさせられてた
と思ってたんで)
106大スキピオ:2001/08/01(水) 23:25
スパルタかどうかは知らんがラクシュミー・バーイーなんかもよいんでないかな?
107世界@名無史さん:2001/08/01(水) 23:45
>>22アマゾネスは実在したと思ってましたが・・・。
武器を操りやすくするために右の胸を切り落としてたってきいた。

実在してるよ。アマゾンにいた女戦士を見た探検家が「神話に出てくるアマゾネスのようだ。」という所からアマゾンという地名をつけたはず。
胸を切り落としたかどうかは知らん。
108世界@名無史さん:2001/08/06(月) 16:23
激萌えあげ
109世界@名無史さん:2001/08/06(月) 17:24
>>107

弓ですな。
110世界@名無史さん:2001/08/06(月) 18:48
ドイツ空軍のハンナ・ライチュ
111世界@名無史さん:2001/08/06(月) 22:17
>>110
ベルリンに来たやつだっけ?総統を脱出させるため。
112あやめ:2001/08/07(火) 22:36
御無沙汰してましたが今日から帰ってきました。
当分はこことか一部のスレに限定して書くことにします。
>>73
近代における薙刀の名人と謳われたのは園部秀雄です。
彼女は茨城の農家の出身で、本名は園部タリタと言います。妙な名ですが女児ばかり
続けて生れたので「もう女は足りた」というまじないで命名されたようです。
薙刀を志すようになったきっかけは十何歳だかのとき、近所に回ってきた剣術興行を見てからです。
当時は明治初年で家禄を失った侍は生活手段に苦しんでいましたが、多少とも剣技に自信ある者が
武士の表芸に活路を求めたのは当然の成り行きです。彼らは腕に覚えのある仲間と組み、各地を巡回し
武術の立会いを見世物にし、土地の腕自慢の飛び入りをも相手にして木戸銭を稼いでいました。
こうした剣術興行一座で最も有名だったのが榊原健吉ですが、このときタリタが見物したのは佐々木
某という武芸者の一座でした。彼の妻は男装して薙刀を使い久?雄とかいう男名を称していました。
タリタは彼女の凛々しい姿と腕前に魅せられ、家出をして弟子入りしてしまいました。女子プロレス
公演を見た女の子が入門を志願するようなものでしょう。
一座に入ったタリタは佐々木夫妻の厳しい稽古に応え、腕を上げ各地の興行で花形となりました。
更に各地の道場を訪ね他流試合を重ね武道界でも名を知られるようになりました。彼女の名を全国的に
轟かせたのは信州で天下無敵と謳われていた槍術道場を破ったことからです。薙刀は剣に対しては有利
とされていますが、槍に対してはそのような条件はありません。高弟を次々に打ち負かされた道場主は
已む無く自ら立ち会いましたが、最初のうちこそまともに稽古槍を繰って相手にしていたところ次第に
圧倒される形になり、逆上した末に振り回したり打ち下ろすというムチャクチャ試合になった挙句の果、
まだ小娘としか見えない彼女の前に完敗の姿を曝してしまいました。
彼女は師匠に倣い男名の秀雄を称することとし、名人といわれる男性の武術家と手合わせし勝利を続け、
殊に天覧試合では一度も敗れませんでした。吉田内閣で大臣に任じられていた大麻唯男という人の実父は
高名な剣道家でしたが、ある年の天覧試合で秀雄と立合うことになり、尋常な手段では勝てないと考えて
いきなり体当たりを食わせてきたそうです。後退するとまた体当たりという戦法で、見かねた審判が警告
して止めさせたので大麻は敗退することになりました。
続きます。
113あやめ:2001/08/07(火) 23:00
こうなってくると次の天覧試合の相手を誰とするかは難しくなりました。
苦慮した主事者は大物は外し気鋭の新進武道家を択びました。指名された
若手は先ず立ち会うや飛び込む勢いを見せておいて、わざと床を叩いて
間合いを外し、すかさず手元に付け込み小手を決めて勝を制することに
成功しました。知られている彼女の敗北はこの一度だけだそうです。
彼女は高等学校で剣術教師を勤めていた吉岡某と結婚しましたが、子を
儲けるに至らぬうち夫に先立たれてしまいました。戦前に女学校の薙刀
教科書を著していた男性薙刀家の園部繁八という人は多分秀雄の養子か
と思われます。
なお以上の話は高校生のとき(つまり30年ほど昔)読んだ村松梢風の
「近世名勝負物語」の記憶に基づくものなので、細部は極めて怪しいの
でそのつもりで受け止めください。
114T・S:2001/08/07(火) 23:33
 お帰りなさいあやめ様。

 やはり初雄ではなかったですか。資料を倉庫に封印しているので確認できなかった
のです(いい訳)。ちなみに彼女のもう一度の敗北は対乳切木使い戦。乳切木は棒の
先に鎖分銅を繋いだ武器で、その中でも棒の先に鎖を嵌め込ませて一見棒にしか見え
ない仕様のものを相手は使っていたそうです。それで相手が棒使いだと思っていたら
いきなり鎖が伸びて・・・・・・ってな感じで勝負は決まったそうです。ほとんど騙しうち
だったからか、あんまり世間では広がらなかったみたいです。
115あやめ:2001/08/09(木) 16:50
>>73
別式女に類した者は大奥のみならず諸家の奥向きにいたようで、三田村鳶魚の随筆で
読んだ記憶があります。その名称は色々と挙げられていましたが殆ど忘却、記憶に
残っているのは「帯刀女」というそのものずばりみたいなのだけです。その役目は
奥方などの寺社への参詣などのおりに警護に加わったものでしょう。男の供侍には
立ち入れない場所もありますから。
116宣伝。:2001/08/09(木) 17:12
http://isweb33.infoseek.co.jp/school/redhead/
私情は抜きにして、韓国について楽しく語り合いましょう
117あやめ:2001/08/09(木) 18:12
>>86
妙林尼の武勇談については昔のことですが誰かの小説で読んだことがあります。
その記憶では「大友明倫」という名になっていて、島津勢の豊後侵攻の際に夫の留守に城を守り、
落城に瀕したので寄せ手の大将に「明日は開城します、その前に一献差し上げたいと」と欺き、
城内で酒宴中これを討ち取ったうえ寄せ手を襲撃し、痛破してこれを退けたという筋でした。
細部が不確かな話なので検索してみたところ、次のような情報が判明しました。
彼女の名は「妙林」または「妙麟」です。「明倫」としたものはありませんでしたが、当時は
女性の名は仮名書されるのが普通ですから「めうりん」と書かれることが多かったのでしょう。
書物に表記されるときヴァリエーションが発生したと思われます。「麟」は大友宗麟から下賜
されたものでしょう。なお尼となる前の名はどこにも出てきませんでした。
彼女は林左京亮の女で豊後鶴崎城主の吉岡鎮興(掃部介)に嫁しました。鎮興は長増(宗歓)の子。
鎮興は天正六年の耳川の合戦で戦死しており、子の甚吉は天正十四五年の島津勢の侵攻の際は
丹生島城(臼杵)の防備に赴いていて、鶴崎城は妙林が防戦の指揮に当たることになったようです。
このとき「奇計」で討ち取ったとされる島津方の武将は白浜重政(周防守)とされておりますが、
伊集院久宣(美作守)としているサイトも見かけます。しかし久宣は丹生島攻めに参加していて
多分まちがいです。
これより前に久宣らは戸次川の合戦で長宗我部勢を主力とする豊臣方援軍を破り、大友氏の本拠
府内城を占拠して意気大いに揚がっていたのですが、秀吉親征軍の大挙出動の報を得て已む無く
撤退に転じます。天正十五年三月この退き口を絶つため大友方の城兵は一斉に島津勢を追撃し、
また所在の野伏も逃亡軍を掩襲したため、佐多常陸介・伊集院美作守・白浜周防守・長谷場出雲守
といった名のある将士も戦死したと或るサイトは述べています。鶴崎城も妙林の奇計というより
島津全軍の退却という形勢の中で、急遽放棄撤収となったところを城方からの攻撃を蒙り、遂に
大将の討ち死にとなったのが真相といったところかと想像します。小説では明倫が薙刀を振るって
血の雨を降らすシーンがあって、その方が面白いのは確かですが。
それから妙林の子の甚吉は大友氏が改易された後は細川忠利に仕え、椎原五郎右衛門と改名して
いたとのことですが諱が明確でありません。統増としたサイトがありますが恐らくは高橋紹運の
次子の高橋直次(立花内膳正)の別諱と取違えたものでしょう。一祐としたサイトもありましたが
その直ぐ後に吉田一祐という武将が出てきますので、これまた確実な情報ではありません。
118世界@名無史さん:2001/08/09(木) 19:01

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  |;;〆;:;;;i   ,,/,__   \   .ゝ  オッパイ     ` ヽ"~二ヽ  ~i;;::::::::;ヽ二"k,.,
  i;:;/::::ノ /~;^;;;:::::::~=--,, |-,~^-"~   見たかったん    | iヽ`    i;;i:;;::::/  ヽ,,.mn,,,,,/
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ノノソ/ii  ヽ彡jj::::;;;;;;;:::::::::::::::)i|ミ;:;:;::::::|   ./:::/ |                      ヾ, |
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119あやめ:2001/08/09(木) 19:44
雑書でむかし見かけた戦国時代の女武者について想い出すまま書きます。
記憶だけで出典が参照できないので話半分に読んでください。

越後の長尾為景の側室(名前失念)は常に夫に従い戦場に臨み、豪勇で屡
戦功を立てましたが、為景が越中の栴檀野で門徒衆と神保勢の連合軍に
敗れた際に戦死したそうです。

関ヶ原合戦の前哨戦として西軍は伊勢の東軍諸城を攻撃しました。中でも
安濃津城の富田信高は果敢に防戦しましたが、衆寡敵せず次第に後退する
折から、緋縅の若武者が現れ片鎌槍を振るって寄せ手を突き崩し、一時は
敗色を挽回しました。若武者が帰城してみると信高の奥方だったそうです。
この女性は宇喜田忠家の娘であの坂崎出羽守の妹だったと思います。

関ヶ原で石田方の大谷吉隆に合力した美濃垂井の城主である平塚為廣の
女を収容すべく、所司代は平塚の京邸に女乗物を差し向けました。
彼女は「女儀ゆえ何かと支度に手間取ります」と言い立て猶予を請い、
その間に小袖袴の上に腹巻を纏い打掛を羽織って筋金入りの棒を隠し、
立ち出るや矢庭に迎えの所司代役人を打ち据え即死手負いの数知れず、
その隙にいずれともしれず落ち延びてしまったということです。
120youityut7y:2001/08/09(木) 20:13
121世界@名無史さん:2001/08/10(金) 00:37
>>119
> 越後の長尾為景の側室(名前失念)は常に夫に従い戦場に臨み、豪勇で屡
> 戦功を立てましたが、為景が越中の栴檀野で門徒衆と神保勢の連合軍に
> 敗れた際に戦死したそうです。

 「天と地と(小説でも角川映画でもなくNHK大河ドラマですが)」に
出て来たあのキャラには、ちゃんとモデルが居たのですね。
122121:2001/08/10(金) 01:36
 ちょいと調べてみたところ、ドラマの中で長尾為景の側室として登場し、
越中勢との戦に従軍していた女性の名は、"松江"ということになってます
ね。為影の死後も、北条時輔の様にしぶとく生き延びてましたけど。

三十年以上前のドラマだから、演じていた有馬稲子も若くて綺麗だった(笑)。
123世界@名無史さん:2001/08/11(土) 23:46
巴御前って退場直前に素手で敵の首ねじ切ってる・・・
124あやめ:2001/08/13(月) 20:13
>>58
太平天国には「女営」というものがあって女兵が活躍したと伝えられています。
その中でも特に有名なのが洪宣嬌という女性です。彼女は天王洪秀全の実妹で
もともと縄妓であったといわれています。李自成の参謀と伝えられる李巌の彼女
の紅娘子も縄妓ということになってます。その方が話が面白くなりますものね。
太平軍の中核となっている客家は元来の風俗として纏足してませんから、軽業に
向いてるってわけでしょう。彼女は女営の将軍として赤馬に乗り双剣を振るって
指揮したそうです。広東の金鶏嶺という山には洪宣嬌の錬兵城というのもあって↓
http://203.161.229.88/OTA/china_attraction/cn_jingjiling/jingjiling.htm
御覧のように彼女の颯爽たる石像も立ってます。
太平軍の女英雄としては蘇三娘や胡九妹とかもいて、彼女等は小説・電影・電視の
好個のキャラとして持て囃されています。洪宣嬌は花木蘭・穆桂英・梁紅玉と共に
四大女英雄なんだそうです。
なお太平天国で実施されたとする女科挙では傅善祥が女状元として有名です。
ところが近時の研究では洪宣嬌や女営や女科というものには、概して否定的か
懐疑的です。
125世界@名無史さん:2001/08/13(月) 20:33
>>124
最近の研究では、李巌と紅娘子も、架空の人物らしいそうです。
126世界@名無史さん:2001/08/13(月) 20:51
小田原合戦で忍城を任された成田氏長の妻が石田三成の軍を撃破。
小田原合戦で唯一最後まで落城しなかった。
この合戦の影響で三成は戦下手の烙印を押されて名を落とし、
後々まで後を引くという大きな影響を与えた人物。
この女性の名前はなんていうのでしょうか?
127世界@名無史さん:2001/08/13(月) 20:51
枢斬暗屯子を忘れちゃいけないぜ!
128世界@名無史さん:2001/08/13(月) 21:15
全裸で闘う女戦士の画像希望。
129世界@名無史さん :2001/08/13(月) 22:23
名前は忘れたけど、何年前後藤久美子が年末の日テレで
やったいた、毛利水軍と戦った神官の娘さん。
某漫画では鶴姫となっていました。
歴史街道だったかな?カラーで特集もされていました。

あと、「ぎんちよ」については日本史板にちょこちょこ
のっています。
130アマノウヅメ:2001/08/14(火) 00:08
<<128
その全裸という注文が難しい。
半裸くらいなら、大きな書店にある美術全集なら時々ありますが。
131世界@名無史さん:2001/08/14(火) 00:20
>半裸くらいなら、

ブルマー姿のバレー選手とか、水泳競技とか・・・・
132世界@名無史さん:2001/08/14(火) 00:25
>>126
こないだ死んだ山田風太郎の小説にこれをネタにしたのがあったよ。
姫の名前は「真理姫」・・たぶんつくりだと思うけど。
彼女に惚れ込んだテキ屋軍団が、命がけで豊臣配下の忍軍と戦う、というスジ。
「真理姫」の祖父は、犬遣いの戦国武将・太田三楽、ということになっていたが、これは実話かも知れないな。
133 :2001/08/14(火) 03:21

age
134世界@名無史さん:2001/08/14(火) 03:33
おれが女装して半裸になる、ってのはダメか?
135世界@名無史さん:2001/08/14(火) 10:05
現在の所、朝鮮人民軍偵察局隷下の女子コマンド部隊が
世界最強の女たちだ。
136あやめ:2001/08/14(火) 12:46
>>129
これは伊予河野氏の一門で大三島神社の神官である大祝安用の姫です。地元では
鶴姫といっています。大祝はオホハフリと読み信州諏訪神社も神官を大祝と称し、
このような大きな神社の神主は戦国領主化しています。
鶴姫は父兄と共に河野水軍を指揮して戦闘に参加し、天文十年の海戦では大内方の
小原隆言を討ちとっているそうです。
大三島神社にはたくさんの甲冑が保存されていますが、中で腰周りが絞れた小振り
鎧があり鶴姫の着用したものとされています。
137世界@名無史さん:2001/08/14(火) 17:23
>>126
しかしあれって水攻めにしようと三成が作らせた堤防が
逆に決壊して包囲軍側に流れたんじゃなかったっけ?
だとしたら算術上手の三成にしてはとんだヘマだが(まあ土木の専門家ではないけど)
138129:2001/08/14(火) 22:35
あやめさん、どうもありがとうございます。
そういえば、大三島神社には国宝に指定されている
甲冑がたくさんありますね。今思い出しました。
この地方のお祭りでは、武者行列の中に鶴姫率いる
娘子軍もあるそうです。
139梵阿弥:2001/08/17(金) 14:36
立花 ぎんちよ(字がでぬ)は道雪のひとり子で男装していた事もある。娘士軍を率いていた。
美濃岩村城の遠山氏の後家は攻め手の大将の秋山信友と結婚して落城。城に居た織田信長の息子は甲府に送られた。
サラミス海戦にフェニキアのアルテミシオンが艦隊を率いて闘った。
140沙羅 ◆tE.WP6n.:2001/08/17(金) 15:22
>>139
> サラミス海戦にフェニキアのアルテミシオンが艦隊を率いて闘った。

えーと、アルテミシオンは地名で、サラミスの海戦に出てくる女将は、
ハリカルナッソスのアルテミシア1世じゃありませんでしたっけ。

勘違いだったらスマソ。
141あやめ:2001/08/17(金) 22:46
>>19,21
さっきNHKの22時のニュースでやってたけど、タイ國では王室も後援して
大型歴史映画「スリョータイ」を完成し今日から絶賛公開中なんだって。
アメリカや日本でも上映するつもりらしく、かってモンゴル映画「マンドハイ」
日本公開の際は本牧マイカルのマイナー館まで観に行ったあやめとしては、絶対に
見逃さないようにしたいと今から楽しみ♪
142あやめ:2001/08/17(金) 22:50
>140
「ヒストリアイ」に出てたと思います。手元に今ないけど「女は男に
なり、男が女になった」と評されたと書いてあったと記憶します。
143梵阿弥:2001/08/20(月) 13:28
>140
サラミスの前にアルテミシオン(テルモピュライの側)でも海戦があったので
間違えてしまった。
1世というからには国王か何かで、2世などもいるはずなので、
ハリカルナッソスは女王が多かったのだろうか。
144沙羅 ◆tE.WP6n.:2001/08/21(火) 21:17
アルテミシア2世も居ますが、前4世紀中頃の人です。
兄にして夫でもある(良いのかな)マウソロスの跡を継ぎ、七不思議の一つ
であるマウソレイオン(マウソロス廟)を建設させた人として知られてます
ね。侵攻して来たロードス島の軍を撃退し、逆にロードス島を占領してし
まうなど、軍事的な功績も上げているようですが、夫の死後2年ほどで亡
くなられてます。

 彼女の妹についてもアレクサンドロス大王と結んで弟からハリカルナッ
ソスの実権を取り戻したとかいう話があるので、女性が権力を握ることに
対して、抵抗が少ない土地柄だったのかもしれませんね。
145沙羅 ◆tE.WP6n.:2001/08/21(火) 21:38
>>142
目も当てられない負け戦の中、奮戦したアルテミシア1世を
称えてクセルクセス王が発したとされる言葉ですね。

でも、彼女が撃沈した船は……‥。
146梵阿弥:01/08/30 16:52 ID:J8MdxFKs
仮装巡洋艦というのがあって武装商船みたいなものだが、軍艦がくると商船のふりをして
貨物船を見つけると攻撃するというものがある。戦闘直前に自国旗を掲げればよいらしい。
第二次大戦に日本海軍は愛国丸と報国丸2隻をインド洋で作戦させた。
客船に見えるように出来ていたのだが男ばかりでは怪しまれるので水兵の女装用
の装備を積み込んだ。被服関係の企業は海軍から女物の注文が来て驚いたそうな。
…女が戦ったのとは違うが。
147世界@名無史さん:01/09/11 11:19
延命
148世界@名無史さん:01/09/29 03:13
延命2
149世界@名無史さん:01/09/29 03:17
>>146
なんかみんなが言うほど、難解なこといってないじゃない。梵阿弥さん
150世界@名無史さん:01/10/10 17:27
age
151世界@名無史さん:01/10/10 22:45
サカイ族の女王ザリナってのはどうでしょう。
>>137さん
本当は秀吉が悪いんです。
北条に対するプロパガンダの意味合いもあったようです。
当の三成は、忍城の地形を見て、水攻めは無意味とわかっていましたが
秀吉の命令は絶対。
やむなく強行した挙句、あんなことに…
そのときの憂慮を綴った書状が残っています。
詳しくは学研「石田三成」見てクロ!
153名無し:01/10/13 23:59
この間ローマのコロッセオ(円形闘技場)のBBCのTV放送を見た。
ここで行われた剣奴の戦いは宗教的なものであったらしい。
生贄だった。300年間で死者は総計70万人という。
ローマでは墓の前で決闘させて流された血が死者を慰めると言う慣習だった。

この中に女剣奴がいたという。女同士の殺し合いも観客は喜んだと言う。
おそらくアマゾネスの伝説だろう。

訓練場はあのコロッセオの周辺に4ヶ所あり、地下トンネルでつながっていた。
剣奴は練習では木の剣しか使えず、本身は駄目。
教師は3年生き残った剣奴だったという。
コロッセオが完成したときは、絹のカーテンが競技場の空に張り出すように
出来ており、5万人の観客が5分で外に出られるような安全設計など、七不思議の上をゆく
素晴らしいものだったらしい。

政策はBBCで流石にすばらしかった。
日本の下等放送局は爪のあかをせんじて飲むべし。
と言うより、免許を取り上げるべきだ。
154世界@名無史さん:01/10/14 01:16
ヘタレ王弟ガストン・ドルレアンの娘にして貴族のフロンドで活躍したグラン・マドモワゼルについて語ろう!
155世界@名無史さん:01/10/19 01:49
hage
156梵阿弥:01/10/19 10:11
ブルガル人は女も伴に戦ったそうです。
157世界@名無史さん:01/10/19 10:35
>>114
遅スレで申し訳ないです。
あやめ酸にお聞きしたいんですが、
園部女史は鎖鎌だか鎖棒だかに敗れたという話を聞いたことがあります。
事実ですかね?

秦良玉ってどんな人?
158世界@名無史さん:01/10/30 02:39
mage
159T・S:01/10/30 20:47
 >157
 それ私が書いたレスに・・・・・・って、それが本当かって質問なんですか。
 あやめ様えの質問に私が答えるのもあれだけど、自分のレスも噛んでるからとりあえず
一言。
「何年か前の『秘伝』に載ってたんです」
 私が答えられるのはそれだけ。後はあやめ様の答えを待ちますか。
160あやめ:01/10/31 19:02
>157
このスレとっても下がってたので気が付かなくて御免なさい
園部秀雄が異種闘技で負けたって話は聞いてません。前に書いたネタは村松梢風の
「近世名勝負物語」って昔よんだ本の記憶(酸化してボロボロ)に基づいたもので、
そこでは彼女は生涯にただ一度だけ天覧試合で若手の剣道家に負けたということに
なってました。

秦良玉については貴州人民出版社あたりから出た「秦良玉傳記研究」とかいう本が
あったと思って、探してみたんだけど見つからなくて...。もうちょっと待っていた
だけるかしら? 出てこなければ手近にある本で書くことにしますけど。
161世界@名無史さん:01/10/31 19:13
タニア・チェルノヴァ、WW2のソ連の女性狙撃兵士。
スターリングラードでドイツ兵を24人を殺した。
その後ドイツ軍司令部に爆薬をセットしに行き、消音ライフルで歩哨を
倒したが近接戦になり、武装SS隊員に射殺されたと記録がある。
162世界@名無史さん:01/11/01 08:31
くノ一っていうのは本当に活躍してたのかね?
巴御前は最後の数名まで生き残ったというだけでも半端じゃないな。
163世界@名無史さん:01/11/01 09:02
巴御前が素晴らしいのはただ強いだけでなくて美貌の持ち主だったことね。
本当かどうかは知らないですが。
164世界@名無史さん:01/11/01 10:12
女海賊のメアリー・リード&アン・ボニ−萌えーしかし男装だったけど。
最後つかまったときに、妊娠してたから処刑は免れた。
165世界@名無史さん :01/11/01 10:13
>>164
アン・ボニーの方はね。>>妊娠で死刑免除
166157:01/11/01 10:44
>>あやめ殿
いや、どうもありがとうございます。
まことに申し訳ないです、ハイ
でも、お忙しいようでしたら結構ですので、
無理せんで下さい
167世界@名無史さん:01/11/01 13:22
>>165
出産後の死刑執行にはならなかったの?
168:01/11/01 14:44
なんかあまり美人ではなかったそうですね>アンボニー
アンボニーは下っ端だったんじゃなかったっけ
169世界@名無史さん:01/11/02 00:31
讃岐では女桃太郎の昔話があるそうな
170強い女に憧れる弱い男:01/11/13 18:21
第二次十字軍の際
名だたる美貌と鍛えぬかれたパワフルボディで
従軍した辺境伯夫人イダ・ドートリッシュに
激萌え!どこかでの敗戦の際、行方不明になったそうだが?
どなたか彼女の情報について詳しい人
漏れと同様萌えている人いない?
171Krt:01/11/15 01:09
 正確には第一次十字軍成功直後の、いわゆる「1101年の十字軍」においての出来事だが
当時未亡人となっていたイダ・ドートリシュはアキテーヌ公ギョーム九世とバイエルン公
ヴェルフ四世に率いられた軍勢の将の一人としてアナトリア半島を南下していた。
この「1101年の十字軍」は第一次十字軍の教訓から装備資金には配慮していたとはいえ
元々がエルサレムの奪還と、かの地におけるキリスト教王国の成立によって必要になった
聖地への移民の輸送という性格を兼ねていた関係で陣中に多くの女子供を抱えており、
こと食料補給面においては苦労が絶えなかった。既にレーモン・ド・サン・ジルに
率いられたロンバルディア人先行部隊は(進軍途中で急遽トルコ人の捕虜となっていた
アンティオキア公ボエモンを救出するというばかげた目標を掲げ正規のコースを逸脱した
ことも災いして)イスラム側によって殆ど全滅させられるという憂き目にあっており、
アナトリア東南縦断の正規のコースを辿ったギョームらの部隊もトルコ人のゲリラ攻撃と
経路の街の井戸を塞ぎ食料を残さぬことで敵を補給面で追いつめるというイスラム側の
戦略によって、次第に飢えと渇きに悩まされるようになっていった。半島南東部の
ヘラクレイア付近で攻勢に出たキリジ・アルスラン率いるトルコ軍騎馬隊に痛めつけ
られた十字軍側は、それでも何とか九月始めにヘラクレイアに到達したが、既にこの街も
イスラム側によって放棄され、補給も不可能な状態だった。喉の渇きで半狂乱になった
十字軍部隊は近辺を流れる川へと向かったが、実はこれこそが巧妙な罠だったのである。
トルコ側はここに密かに軍勢を伏せており、水を求めるあまり秩序を失った十字軍側は
彼らによる包囲殲滅攻撃の餌食となった。幸運な少数の者だけはこの地を逃れ得たものの
十字軍側の部隊はここで事実上壊滅した。ギョームをはじめ何人かの将軍は逃れ得たが
彼らの内にも致命傷を負ったり捕らえられて殉教する者が出るという有様だったのである。

 ところでイダはどうなったのだろうか?正確には不明である。しかしある記録は彼女が
地面に投げ出され馬に踏みつけられて死んだ、と記しているし、端的に殺された、とある
記録も存在する。だがどれも憶測に過ぎない。一番有名でもありロマンティックな伝説は、
彼女は捕らえられた後ハレムに入れられて生涯を終えたが、そこで彼女が産んだ男児こそが
後にエデッサを最初に陥落させ、第二次十字軍結成の契機を作ったイスラム側の英雄ザンギ
だったというものである。このレスのネタ元である A History of the Crusades Vol.2 の
著者ランシマンにより「当代随一の美貌の持ち主の一人、されどその若さは既に終わり云々」
と書かれてもいた彼女にとって、この伝説こそその最後の浮き名だったのかもしれない。
172あやめ:01/11/15 12:10
Krtさん詳細な情報ありがとう♪
イダ-ドートリッシュのことはNHKラジオで前に放送してた「中世ヨーロッパを
変えた女たち」という歴史講座物で、十字軍に従軍した女性の話を福本秀子さんが
なさってましたが、その中でマルグリット-ド-プロヴァンスやアリエノール-ダキ
テーヌらと共に語られていました。ハレムで生涯を終え生まれた子がゼンギーだと
いうことも出てきましたが、もう少し具体的な情報を得たく気になっていました。
173梵阿弥:01/11/15 14:27
>>162
巴は実在が疑われているようです。同時代の越後の城氏に板額という女武者がいたそうです。
174Krt:01/11/15 15:37
>>172 あやめさん
調べていて気づいたのですがイダについての情報は思ったよりずっと少ないのですね。
手元の邦語文献でイダに触れていたのは、あやめさん御指摘の福本秀子さんが訳された
レジーヌ・ベルヌー「十字軍の女たち」パピルス1992 ISBN 4-938165-09-0ぐらいのもの。
一応、Googleで検索もしてみたのですが、the Dowager Margravine Ida of Austria だと
大したものがヒットせず、Margravine 以下だけ入れてみると同名の別人が大量に釣れる、
という状態で、検索道初心者の私はすっかり嫌になって止めてしまいました(笑)。
で、専ら頼りにしたのは Runciman,Steven: A History of the Crusades 3Vols.:Penguin
の Vol.2 p.27-29 あたりですが、良く読むと、どうやらこの記述のソースの内容自体が
あまり豊かなものではないらしいのです。一応根本資料を挙げておくと、

事件の唯一の full source が、Albert of Aix (Albertus Aquensis): Liber Christianae
Expeditionis pro Ereptione,Emundatione et Restitutione Sanctae Hierosolymitanae
Ecclesiae [,31-40,pp.579-82: in Recueil des historiens des croisades: Historiens
occidentaux. 5Vols.(RHC Oc.) Paris,Imprimerie Nationale,1844-95 「踏みつぶされ説」

そしてイダの定かならぬ運命を記述した問題の部分は、Historia Welforum Weingartensis
: in Monumenta Germaniae Historica,Scriptores, ed.G.H.Pertz et al 32Vols.(MGHSS)
Hannover,Weimar,Stuttgart & Cologne,1826-1934):の Vol.XXI p.462 にあるとか。

なお単に殺された、としか記述していないのは Ekkehard of Aura という人の記録だそうです。
175あやめ:01/11/16 19:46
>Krtさん
イダがザンギーの生母である可能性についてチェックしてみました。
ザンギーの実父はアクスンコル(白い鷹)と仇名されたカシーム-ウッ-ダウラで、彼は
セルジューク朝のスルタンのマリク-シャーのマムルークであったところ、取り立てら
れてアレッポに封じられていました。マリク-シャーが1092A.D.に死去すると彼の弟の
トゥトゥシュがシリアの支配者になりましたが、アクスンコルはトゥトゥシュに背いて
殺されてしまいました。
イダがザンギーを生むためにはアクスンコル殺害の年次より以前でなければならないわ
けですが、残念ながら手元で利用できる資料からは明確にできません。そこで間接手段
としてトゥトゥシュの在位年から推定すると、彼は1095A.D.に死去していることが判明
しています。つまり1092−95の間にアクスンコルは殺されたもののようです。ところで
アクスンコルが死去した際に遺児のザンギーは10歳だったと伝えられています(14歳
とした本もあります)。ザンギーは晩くとも1086くらいには誕生してなければならない
わけです。
一方イダは1101に行方不明になったと伝えられていることからすると、彼女がザンギー
の生母であったとする話はロマン以上のものではないようです。

ところで戦前に訳されたアミール-アリ著「回教史」(原題"A Short History of The
Saracens.by Ameer Ali"善隣社刊)という本には、第2十字軍ではルイ7世がギエンヌ
のエリ−ナを軍中に同伴したのが悪例となって、当時は独仏軍には槍と楯に身を固めた
多数の婦人部隊が従軍していたとのことです。これは戦闘上も風紀上も遠征軍にとって
甚だ好ましくない問題を孕んでいたことは想像に難くないところです。
176 :01/11/17 00:31
ツェザレ・ボルジアの初陣で
苦しめた美女将軍がいなかったっけ?
最後までしつこく抵抗したっていう
177    :01/11/17 01:23
>>176
カタリーナ・スフォルツァだろ
178 :01/11/17 02:21
女戦士よか姫将軍のほうが萌える
179世界@名無史さん:01/11/17 02:22
そう言えば千葉周作の娘だったか姪だったか、
北辰一刀流の免許皆伝持ってるのが複数いたらしい。
坂本龍馬の婚約者だったっての以外にも。
180Krt:01/11/17 17:36
>>175
うーん見事な推理ですね。慌てて岩波西洋人名辞典を調べてみたら1085年生まれだそうです。
だからこの話は全くの伝説という事ですね。しかしそれにしても、ランシマンやベルヌー女史
のような大家が一言「伝説では」と付け加えるだけで、はっきり虚偽としないのは何故なんで
しょうね。英雄や美女の定かならぬ死については、こういった控えめな叙述の仕方をするのが
古き良き西洋史学の伝統なのかもしれない、と思ったりもするのですが。
 とはいえ本当に外国人の名前の表記というのは難しい。当該の人物も、ザンギ、ザンギー、
ゼンギ、ゼンギーと一定しないわけで、私などは中公文庫の堀米庸三氏の巻でこの人物を知った
人間なのでついザンギと書いてしまいますが、岩波の事典ではゼンギーだし、素直に Zengi は
ゼンギ、ないしゼンギーと表記すべきなのかもしれません(フランス読みしないで)。

もっともエレオノール・ダキテーヌ(ギエンヌのエリーナ)についても同じ事が言えるかも(笑)。
十字軍史的にはこの第二次十字軍というのは、これから暫く続く宗教的熱狂に基づいた民衆十字軍
としての性格を強く持つと同時に、その限界を示した最初の戦役でもありました。即ちルイ七世が
後で述べたように、絶えず同伴していた精強かつ現地を知悉したテンプル騎士団の助けなくしては
ルイ自身の生命すらも危ないほどだったわけで、戦闘のプロである彼らが聖地における常備軍の
主力として、聖地及び欧州域内での地位を築いていくきっかけとなった戦役でもあったわけです。

ただこの行軍で部隊の足を引っ張ったのが民衆レベルの婦人部隊だったのか、それともベルヌーに
「これら重い荷物のほとんどは、同行の婦人たちのコート、衣服、ベールを入れた金具の付いた
トランクで(中略)、つまり絶対に必要なものである水差しとか鉢、食器のほかに大量の下着類、
化粧用具(洗面器、石鹸、鏡、くし、ブラシ、白粉入れ、それに最も上質の豚脂である豚の足の脂
から作ったクリーム)がつめ込まれていて、これらは夫とともに従事軍参加を決めた夫人たちに
とっては、お着きの者に監視させている宝石類、ブレスレット、首かざり、留め金、髪飾りなどと
同じように遠出の時には必要と見なされる品物であった」(十字軍の女たち p.113)と皮肉られる
輜重隊(?)の編成を余儀なくさせた貴婦人部隊のせいなのかは議論の分かれる所でしょうが(笑)。
181:01/11/17 17:44

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182あやめ:01/11/17 20:21
>>169
何年か前に台湾で制作した桃太郎の電影では若い(子供?)の女優さんが桃太郎の役を
やってましたよ
>>173
説話性の濃厚な「平家物語」にしか出てこず実は雑仕女であって側室ではなかったとも
伝えられる巴と異なり、板額は「吾妻鏡」に明記され筋目から言っても城九郎資國の娘
で、その奮戦振りも目覚しく当時随一の勇婦と評してよいでしょう。
建仁元年に資國の子の四郎永茂は平家再興を期して突如として小山朝政の東洞院の邸を
急襲し、鎌倉追討の宣旨を申請して得られず敗亡の末に斬られてしまいました。城氏の
本拠の越後の鳥坂城に拠った永茂の甥の小太郎資盛に対し、越後の守護の佐々木盛綱が
討手として差し向けられました。この城攻めに当って一の曲輪を守っていたのが永茂の
妹の板額御前でした。彼女の本来の通称は「飯角(いいずみ)御前」であったようですが
「飯角」を「ハンカク」と音読みして「板額」と表記されてしまったと言われています。
彼女は髪を童形に束ね腹巻を着し櫓の上に立って矢戦に従事していました。彼女の射る
矢は百発百中で強弓であったので中った者は即死したそうです。寄せ手の中で藤沢四郎
清親は正面からでは危険と慮り、背後の山から狙いすまして放った矢は彼女の左右の腿
を射通したので、たまらず倒れるところを櫓に登った清親の郎等に組み付かれ捕らえら
れてしまいました。城方は総崩れとなり資盛も落去し越後の乱は終息しました。
捕虜となった板額は鎌倉に送られ将軍頼家の見分に据えられましたが、居並ぶ諸将の座
の中央で将軍から尋問を受け、その臆せぬ態度に鎌倉御家人衆も感銘したと伝えられて
います。その後の処分として本来なら配流となるべきところでしたが、浅利余一義遠が
身柄を請い受け妻として生国の甲斐に伴い帰ったとされています。浅利は彼女のような
健婦を娶って逞しい男子を挙げ家を継がすことを期待したのです。これは巴についても
和田義盛が貰受けた末に朝比奈義秀を儲けたという伝説と揆を一にした話です。しかし
板額の場合に結果が期待に対応したのかどうかは伝えられていません。
183あやめ:01/11/17 20:31
師走も迫り本業の方が多忙になって参りました。心残りですが年内は
御無沙汰つかまつることになります。「世界史板」の中でもここは
最も関心を催されるスレなので、年が明けましたらまたお目にかかり
ます。それまでは皆様お元気でスレの維持をお願いいたします。m(__)m
184あやめ:01/11/19 11:42
書き漏れがありました
>>157 >>166
「秦良玉史料集成」(四川大学出版社刊)が出てきましたので、年明け早々に書きます
185世界@名無史さん:01/11/27 22:16
以前の月刊Gunに載ってたんだけど、
アニー・オークレーってどうよ?
186世界@名無史さん:01/12/10 23:47
>129、136
あ、オレその河野水軍(三島水軍?)の越智家の末裔だよ。
昔爺さんが「ご先祖様は瀬戸内海の海賊だった」って言ってた。
187世界@名無史さん:01/12/11 23:36
スペイン出身の海賊カタリーナ・デ・エランツォって出てきてないけど、実在?
手元の本にはこう書いてあるんだが。

裕福な船主の家に生まれ、乗馬・射撃・剣術・航海術等に秀でており、
その実力は仕込んだ兄すら凌ぐほどだったと言う。
父親の後妻によって修道院に入れられるが、厳しい束縛に耐えられず逃亡。
男装して山賊に加わるが、女である事を見破られたため皆殺しにして再び逃亡。
ブラジル行きの船が難破し、上陸したペルーで彼女をからかった兵士2人を殺害。
投獄されるものの、牢番の"娘"といい仲になり、結婚する事に。
披露宴の最中に逃亡、その後、偶然にも歩兵大尉となっていた兄ミカエルと再開する。
が、逃亡した手前、名乗り出るわけにもいかないので、軍に入って見守る事にする。
その後、ある将校と決闘し刺殺した帰途、その将校の親友であった兄に襲われ、返り討ちに。
軍を脱走した彼女は海賊戦の航海士となる。
その船長が死後、代わりに彼女が指揮を取り、中南米で活躍した。
彼女は決してスペインの船には手を出さず、むしろ救援に駆け付けたほどだったという。
捕らえられて死刑が宣告された後にこの事実が発覚し、礼金と領土が与えられた。
188世界@名無史さん:01/12/11 23:53
「女海賊ビアンカ」みたい(by「ガラスの仮面」)。
189世界@名無史さん:01/12/12 12:16
光栄の大航海時代にいなかったか?
190世界@名無史さん:01/12/14 03:41
あなたが好きな(尊敬する)女戦士は?
191世界@名無史さん :01/12/18 15:00
関東軍の川島芳子閣下に決まっとろうが
>>191
芳子タンや婉容タン(溥儀がホモでなかったらの話だが)が牛耳る
新中国を漏れは見てみたかったよ…
介石も沢東も恩来も小平も全部あぼーんね。
でも兆銘の志の高さが好きだから彼は助命ね。
それでも溥儀のダディの命を狙った彼は死を選んじゃうかもね。
まあ芳子タンも婉容タンも組んだ相手が
日本帝国主義者では飼い殺しにされちゃうのも当然ね。
第一スレの趣旨からずれちゃったのでsageね。
193世界@名無史さん:02/01/07 11:10
>>28
>ローマ帝国衰亡史に書いてあるのですが、
 第一回(だったかな? 初期の方です)十字軍に
 女性ばかりからなる騎士隊がコンスタンチノープルに到着したそうです。
 鎧はフル・プレートではなくメール・ホーバークでしょうが。
 その隊長は身につけていた拍車などから「黄金靴の婦人」とあだ名されたそうな。
 本名は書いてませんでした。(ギボンもわからんかったのか……?)

手元の筑摩書房、中野好之訳『ローマ帝国衰亡史第]巻(第10巻)』1993年の
コピーから引用してみますと
P132〜133
「女兵士の一隊はコンクラートの軍旗のもとで鎧をつけて男の格好で馬に跨り、
 この娘子軍(ルビでアマゾネス)の隊長は金を被せた彼女の拍車と編上靴から
 黄金足の奥方なる綽名を得た。」

第二次十字軍の参加者だそうです。
過去ログの1101年十字軍に参加した
イダ・ドートリッシュさんとは別人ですね。
この隊長さんについての情報をご存知の方がレスを下されば幸いです。
194193:02/01/07 11:13
>>193
下から8行目の
誤>コンクラート
正>コンラート

すいません(^^;
195nanasi:02/01/07 11:55
アマゾネスってオッパイ切っちゃうの?
もったいなー
196世界@名無史さん:02/01/07 12:49
弓を引く方のオッパイだけね。つっかえて邪魔らしい。
197世界@名無史さん:02/01/08 13:08
>>192
黄金靴よりも黄金仮面の方が萌えるね。
ご面相はさしおいて萌えられる所が良し。
もちろん口元は開いているということで。
抱きしめてフレンチキスを妄想している漏れって一体‥
198世界@名無史さん:02/01/08 22:36
アフリカのダホメ王国には実際に女だけの戦士集団がいた。
彼女たちはその土地に侵攻したフランス軍から
「アフリカのアマゾネス」と呼ばれていた。
199んが:02/01/08 23:12
プーラン・デヴィかな。
200世界@名無史さん:02/01/08 23:29
>>187
手元の本とありますが、著作名と著者名(できれば出版名も)を教えてほしいです。
>>189
光栄というゲーム会社が発売した「大航海時代2」の主人公の一人です。