スコットランド王国について

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1馬鹿太モン
どうやら他にスレが無いようなので、立てました。

私が知っている限りでは、
@.イングランド王エドワード一世がスコットランドを征服。
  その後、ウィリアム・ウォレスが独立を目指して反乱を起こすもの
  の、同士であったスコットランド貴族ロバート・ザ・ブルース伯爵
  の裏切りで鎮圧され、処刑。
  しかしエドワード一世の後を継いだエドワード二世の時にブルース
  伯爵が反逆して独立を回復し、ブルース伯はスコットランド王ロバ
  ート一世として即位。
A.エリザベス一世が死去すると、スコットランド王ジェームズ六世が
  イングランド王に迎えられ、ジェームズ一世として即位。
  ここでイングランドとスコットランドは同君連合となる。

こんなモンですが、それ以外については勉強不足で、例えば同君連合か
ら完全な統一国家となったのがいつか?その過程は?などについてはわ
かりません。
皆さんに教えを乞います。

ちなみに、私が立てた↓これらのスレも、興味がありましたらどおぞ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1012823256/l50
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1013412284/l50
2世界@名無史さん:02/03/03 15:43
2げっと、ずさーーーーーーーーーーー
で、へプターキーってなんれすか?
3世界@名無史さん:02/03/03 17:15
面白いスレッドになるといいですね。

>同士であったスコットランド貴族ロバート・ザ・ブルース伯爵の裏切りで鎮圧され、処刑
名誉回復。
ウォレスを「売った」のはJohn Menteithというステュワート一門の人物。(後に彼はロバートに帰順する)
かといってこの事件がステュワート家の総意だとか、
この人物が特別な極悪人だとか、というわけではないのでしょう、忠誠の基準がとても動揺した時代でしたから。
まあ、節を屈しなかったウォレスがそれだけ光るわけですが。

ちなみにロバートが犯した、世の非難を浴びた行為としては、政敵を教会で暗殺したことが挙げられます。

>エドワード一世の後を継いだエドワード二世の時にブルース伯爵が反逆して独立を回復し、
ロバートは1306年に挙兵、当初は惨敗しアウトローとして逃亡生活を送りますが、
1307年のラウドン(Loudon)・ヒルの戦いで局地的な勝利を収めます。
これに激怒したエドワード1世は自らの討伐を決断しますが、スコットランドへの途上で没します。

あと「ブルース」は家名で、代々キャリック(Carrick)伯を襲名していました。

>同君連合から完全な統一国家となったのがいつか?
議会や通商圏が統一されたのは1707年の連合法によってです。
ただし、教会・司法制度の統一はなされませんでした。
(背景には、アン女王に子供がいないため、予定されるハノーヴァー朝の支配を
 スコットランドでも確実にしようという考慮がありました。)
この結果大ブリテン王国が成立します。
4世界@名無史さん:02/03/03 17:17
ウィリアム・ウォーレスって、Age of Empire でしか知らなかったので、
最後に処刑されたとは知らなかったよ。
5世界@名無史さん:02/03/03 17:28
イングランド史観でケルト民族を侮辱するな!
6世界@名無史さん:02/03/03 17:41
遡ってアレクサンダー三世の頃に一応王国としての体裁は整った
のですが、諸侯の力は依然として強いものがありました。
ロウランドではケルト系民族とアングロノルマン、アングロサクソン系
民族が入り混じっいた一方で、ハイランド&島嶼地方ではケルト系と
スカンジナビア系が優勢でした。
よって純粋な「スコットランド王国」の意識というより諸侯・諸族の利益が
優先していたのです。

ちなみにロバート・ザ・ブルースはもともとアングロノルマンの家系出身で
スコットランド貴族になった人です。
7世界@名無史さん:02/03/03 17:46
2ですが、ヘプターキー(七王国)って
スコットランドの諸部族もからんでたりするんですか?
ヘプターキーって名前しか知らなくて、なんにも知らない・・・
8世界@名無史さん:02/03/03 17:50
七王国は全部イングランドのアングロサクソンでしょ

ジュートはどこへ行ったのかな?
ユトランド半島の語源らしいけど
9世界@名無史さん:02/03/03 17:53
?@?A
10世界@名無史さん:02/03/03 19:41
「ヘプターキー」は7世紀頃にイングランドに成立した情勢を述べる語で、
12世紀頃の人が言い始めた。(だからかなり時代錯誤な点もあり、実状はもっと複雑だったらしい。)

一応、中核となったのは
アングル人→イースト・アングリア、ノーザンブリア
サクソン人→ウェセックス・エセックス・サセックス
ジュート人→ケント
とされている。
(マーシアは西のブリトン(ケルト)人国家に対する「国境」(独語の「マルク」などと同語源)
 が名称の由来らしいが、どこ系かは失念。)

>スコットランドの諸部族もからんでたりするんですか?
伝説的なスコットランドの成立は9世紀頃にケネス・マクアルピンという人物が、
スコット人(アイルランド渡来のケルト系)とピクト人(在来のケルト系。ローマ人と戦った連中です。)
の王国を統合した時点に求められているが、
ヘプターキーの時代には、ノーサンブリアが
北からのピクト人、東からのデーン人の侵入に耐えてがんばっていたわけです。
11世界@名無史さん:02/03/03 20:21
歴代の王の名前から察するにサクソンっぽいです>マーシア
ウェセックスとの繋がりから見てもサクソン系じゃないかなと
思います(要確認)。
12世界@名無史さん:02/03/03 20:32
拝啓、ブレア首相…
この毒で死んでください。
敬具
スコットランド独立主義者

昨日こんな事件がありましたねえ
13世界@名無史さん:02/03/03 21:10
オイシンガス家の情報キボンヌ
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/oiscingas.html
14世界@名無史さん:02/03/03 21:18
アングロサクソンの侵略だ!ヽ(`Д´)ノ
15世界@名無史さん:02/03/03 21:32
       〜かんたん系図〜

      アレクサンダーV世
   ________|_______
  |       |       |
マーガレット アレクサンダー デイヴィッド
              ____|___
             |       |
ロバート・ザ・ブルース=イサベラ  マーガレット
       ____|___
      |       |
  デイヴィッド  マージョリー=ウォルター
                ↓
             (スチュワート家)

傍系で前王朝の血を引いていたわけですな。
16世界@名無史さん:02/03/03 21:36
Age of Empire って何???
あげ おぶ えんぱいあ って読んじまったよ鬱
17世界@名無史さん:02/03/03 21:40
V→?。
18世界@名無史さん:02/03/03 21:41
>>16
M$の出してるゲーム。
19世界@名無史さん:02/03/03 21:49
>>17
マカーかな? 窓だと「3」です。
20世界@名無史さん:02/03/03 21:58
>>19
>>17はMacユーザのための翻訳。

>>1といい>>15といい、IMEの欠陥のある仕様のせいで、Winの人は
機種依存文字を使いまくる傾向にある。
21世界@名無史さん:02/03/03 22:12
>>13
なんの情報キボンヌ?

>>20
マターリヽ(´ー`)ノ
223:02/03/04 21:05
>あと「ブルース」は家名で、代々キャリック(Carrick)伯を襲名していました。
間違いだった。キャリック伯はロバート1世の父親から襲位。
ブルース家は代々アナンデール(Annandale)の領主でした。

>>6氏の言うとおり、ブルース家はアングロノルマンの家系で、
いわゆる「名字の地」、Brus,Bruisはノルマンディーのシェルブール近郊にあるとのこと。

ちょうどウィリアム征服王の同時代人に、マルカム3世(マルカム・カンモー(canmore 大頭))という王がいて、
彼はアングロサクソンの力を借りて、対立する王統を滅ぼしスコットランドの統一王権を樹立した。
(彼に滅ぼされた王をモデルにしたのがシェイクスピアの「マクベス」)

彼の息子、デイヴィッド1世は王国を強化するため積極的なノルマン化を勧めた人物ですが、
そのノルマン化政策の一環として、イングランドのノルマン貴族を多く招聘しました。
・・というわけで某ロバート・ブルースなる人物がスコットランド南西部のアナンデールに封を受けたのですが、
彼を初代として5代目のアナンデール領主が、ロバート1世の祖父に当たる人物です。
23馬鹿太モン:02/03/05 20:50
どうも皆さん、返事が遅れてスミマセン。
昨日は仕事が忙しかったもので。

大変勉強になります。
私が>>1で挙げた「ブルース伯爵」についても、学校や本で知ったのではなく、
「ブレイブ・ハート」という映画によってです。
つまりその程度の知識なんです。

そうですか、ブルース伯の地位は「キャリック伯」なんですか。
一族はノルマンディーの出身なんですね。

まだまだ、知りたいことは沢山ありますので、今後も宜しくお願いしますm(__)m
24世界@名無史さん:02/03/05 21:43
話は少しずれますが、ノルマン人というのはスカンジナビア(主として
デンマークあたり)からフランス(フランク)に移住してフランス化した
人々を指します。勇猛果敢な彼らは先住のフランク族を圧倒して
優位に立ちました。しかし彼らは何故だかわかりませんが自らの言葉を
捨て、フランス(フランク)人化しました。
ノルマンディー地方を本拠地とした彼らは海峡を渡ってブリテン島に
やって来たわけですが、ブリテンに移住したノルマン人は、ノルマン人の
一部に過ぎませんでした。

>>13の質問にあったケント王国のオイシンガス家はユトランド〜
ラインラント出身と言われています。『アングロサクソン年代記』によれば、
ケント王国は最初のアングロサクソン王国だそうです。
ピクト人の侵攻を防ぐため、南ブリテンの王(どの地方を指すかは不明)
Vortigernによってユトランドからヘンギストとホルサの兄弟が招かれ、
首尾良くピクト人を撃退した後、彼らはそこに定住するようになりました。
25世界@名無史さん:02/03/05 22:08
若干気になる部分があるので

「忠誠」「裏切り」等の記述がありますが、これは私たちの感覚と
少々違うと思います。
当時のスコットランドは実力主義(たしか「タニスタリー」といった
と思います)の時代で、王位継承権を持つ者は実力で王位を手に入れる
ことが認められていたと聞いています。
2615:02/03/05 22:20
>>15 がすんげー間違っていたので修正 スマソ

          デイヴィッド1世
         (マルコム3世の子)
             |
           (2代略)
             |
 ロバート・ブルース = イサベラ
 (アナンデール卿) |
             |
             ●
             |
     マージョリー = ロバート・ブルース
 (キャリック女伯爵)|
             |
 エリザベス = ロバート・ザ・ブルース = イサベラ
        |              |
    デイヴィッド2世       マージョリー = ウォルター
                            ↓
                        スチュワート家
                   (後のスチュアート王朝へ続く)
2715:02/03/05 22:21
ずれた。。。
デイヴィッド1世の3代あとはイサベラです。。。
28世界@名無史さん:02/03/05 23:40
>24
フランク族だって、ゲルマン人だったのにラテン系の言語を話す
ようになったんだから、それほど変じゃないと思う>ノルマン人
293:02/03/05 23:51
>当時のスコットランドは実力主義(たしか「タニスタリー」といった
>と思います)の時代で、王位継承権を持つ者は実力で王位を手に入れる
>ことが認められていたと聞いています。

これはマルカム・カンモー以前の状況ではないでしょうか?

その背景として、一つには、おっしゃるとおり
王族中の有力者が君主の地位を継承するという、
長子相続制の未発達な時期には普遍的に見られる現象があります。

もう一つは、カンモー以前は「スコットランド」が成立していなかったわけですね。
つまり、北部にはマレー(Moray)の王国、中部にはスコット人の王国、
南西部にはストラスクライド(Strathclyde)の王国(←この王国は元来はブリトン=ウェールズ系)
が併存していた。
「マクベス」のマクベス(マレー系)vsダンカン1世・マルカム3世(ストラスクライド系)
の血みどろの対立もこのような極端な地域主義を背景にしていたわけです。
303:02/03/05 23:54
おそらくタニストリー原理の最後のはっきりとした現れは、
マルカム3世没後、の混乱でしょう。
(マルカム3世の死後、彼の息子を差し置いて、
 弟のドナルド・ベインが即位しますが、(←はっきりしたタニストリー)
 イングランドの支持を得たマルカム3世の息子ダンカン2世によって廃位される。
 さらにドナルド派の貴族によってダンカン2世が暗殺されるとドナルドは復位するが、
 ダンカン2世の弟エドガーがドナルドを引きずりおろして即位。)

デイヴィッド1世はこうした状況を打開するために
ノルマンの封建法を導入して長子相続制を確立しようとするわけです。
デイヴィッド1世没後に即位したのはまだ10歳の孫のマルカム4世でした。
(デイヴィッドの息子のヘンリーは既に死んでいた。)
この辺は持統天皇が草壁皇子の息子文武天皇を後継にしたのとちょっと似ています。
313:02/03/05 23:55
話がずれますが、
この時代の「イングランド化〜ノルマン化」の努力を象徴的に示しているのが、
マルカム・カンモーの息子たちの名前です。

ダンカン2世(マルカム・ドナルド等と同じくネイティヴの名前)
エドワード&エドガー(アングロサクソンの名前)
アレグザンダー1世&デイヴィッド1世(汎ヨーロッパ的な偉人の名前)
323:02/03/05 23:58
>>3で書いた、ウォレスの時代特有の「忠誠」の動揺とは次のようなものです。

1290年にマルカム・カンモーの直系が途絶えると、
共に女系を通じて継承権のある、
ジョン・ベイリオル(Balliol)と
ロバート・ブルース(ロバート1世の祖父)が王位を争いますが、
問題の解決は訴訟に委ねられ、英王エドワード1世の断によりジョン・ベイリオルが勝ちます。

問題はこの時、エドワードが新王及びスコットランドの身分議会に
エドワードのスコットランドに対する上位の王権を認めさせたことです。
(但し、イングランド王がスコットランド王に臣従礼を取らせることは歴史的に珍しくはなかった。)

以後の流れは
*傀儡王ジョン・ベイリオルに対するブルース一門の反発。
*エドワードの圧迫と臣下の不満の板挟みになるジョン・ベイリオル。
*ベイリオルの蜂起をエドワードは粉砕。自らスコットランド王に。
*ウォレスの蜂起〜ブルースの蜂起。
となるわけですが、

「結局のところエドワードは上位君主なんだし、ベイリオルから形式的にでも王位を譲られたし・・・」
と考える、決して少なからぬ新イングランド派もいれば、
「1290年の裁定は間違いだ」と考えるブルース派もいるし、
逆に、ウォレスのように「正統な手続きによって選ばれたジョン王を支持して
イングランド軍を追い払おう。」と考えるものもいたわけです。
333:02/03/06 00:01
細かい話ですが、
ジョン・ベイリオルとロバート・ブルース(the Competitor)
の訴訟が行われたのは1292年の間違いでした。
34世界@名無史さん:02/03/06 00:09
>>28
「変」と言うのもちょっと・・・ではありますが、支配者層が非支配者層の
言語を使うようになったのは何故なのか不思議に思ってます。
35世界@名無史さん:02/03/06 00:17
その国では、つまらない言い争いと激しい内輪もめが延々と続いていた。
その国の人々は私利私欲を優先し、指導者は生まれなかった。
その国は、国であることをあきらめた。
36世界@名無史さん:02/03/06 00:23
私利私欲っつーより部族や一族の勢力争いだわなあ
37世界@名無史さん:02/03/06 00:25
「ブレイブハート」が好きでウォレスがかなり好きなやつです。
でも、アレってかなり史実無視してたらしいんですが、
資料が見つからなくて苦労してたんですよ…。
なので、このスレに期待。
3837:02/03/06 00:28
そういえば、ブレイブ〜が終わった後、スコットランドで独立住民投票みたいなの、ありませんでしたっけ?
39世界@名無史さん:02/03/06 00:34
私は専門家でもなんでもないので、読んだ本の受け売り(^_^;なのですが
タニストリー(tanist)とは「指名された継承者」のことだと聞いております。
本来なら無用な争いを避けるために次の王をあらかじめ選んでいたわけ
ですが、Dubhが彼のtanaiseであった(だろう)Culenに殺された頃から
混乱が激しくなったようです。
(Dubhはケネス・マクアルピンの4代あと、Culenはマルカム・カンモーの子)
そして3さんがおっしゃるように、マルカム3世でタニストリーには終止符が
打たれたわけですね。
4028:02/03/06 01:02
>34
ノルマン朝のイングランド王も、まわりがみんな英語を
話しているから結局は英語を話すようになりましたよね
413:02/03/06 01:11
>タニストリー(tanist)とは「指名された継承者」のことだと聞いております。

あは(←照れ笑い)。すみません。憶測で書いてしまいました。おっしゃるとおりです。

>Culenはマルカム・カンモーの子
Culen(Cuilen)の父は手持ちの資料によるとIndulfの息子、となっていますが・・・
ケネス・マクアルピンの2人の息子の子孫が両統テツ立していたみたいですね。

私も専門家ではありません。
「ブレイブハート」を見て興味を引かれて・・・
・・ていうのは、このスレに来る人の共通パターンかな?
4239@いいかげん寝ます(笑):02/03/06 01:41
>Culen(Cuilen)の父は手持ちの資料によるとIndulfの息子

不安になったので再確認しました(笑)。
私の資料その1では>>39に書いたとおりでしたが、別の資料では
3さんの書かれていたとおりIndulfの息子になってました。
たぶんこっちが正しいんでしょう。

拾い読みしている資料にも「スコットランドは同名の人物が多くて
混同されやすい」みたいなことが書いてあるんですよ。困った。
4339@いいかげん寝ます(笑):02/03/06 01:44
すんません、両方の資料もIndulfの息子になってました。
Dubhがマルカム・カンモーの子ですね。

・・・全然ウォレスの話になってなくてすみませんです。。。
44世界@名無史さん:02/03/06 03:07
買収資金398.085ポンド10シリングです。
45世界@名無史さん:02/03/06 19:33
イングランドに分捕られたという、
スコットランドの玉座の石?というのが有ったはずですけど、
あれはどうなったのでしょう?
46世界@名無史さん:02/03/06 19:48
エジンバラに返されたんじゃなかったかな。
47馬鹿太モン:02/03/06 20:32
>>37>>41
スミマセン。
私も「ブレイブ・ハート」でスコットランドに興味を持った一人です。
それまでは、単に「滅ぼされた国」ぐらいにしか意識してませんでした。
しかしイギリスのことを知れば知る程、スコットランドの存在が大きいことに気づき
ました。

それにしても、やはりイングランドだけがスコットランドに関わっていたのでしょうか?
他の国(主に大陸)で、スコットランドと同盟を結んだりしてイングランドに対抗しよ
うとした国は無かったのでしょうか?
48世界@名無史さん:02/03/06 21:20
またもや資料の受け売りです。
ウォレス家は13世紀のAyrshireとRenfrewshireで最も勢力があった一族で、
記録に残っている最初の人物は12世紀のリチャード・ウォレスという人物でした。
彼はスコットランド王家の初代スチュワードであったウォルター・フィッツアラン
に仕えていました。>>26の系図のウォルターは8代目(6代目とも)のスチュワード
に当たります。
リチャード・ウォレスの曾孫がウィリアム・ウォレス(1274-1305)です。
ウィリアム・ウォレスがイングランドに対して蜂起した一因に、彼の妻が殺された
ことがあったそうです。

>>47
スコットランド/イングランドの関係をあらわす言葉にAuld Enemyというのが
ありますが、それに対してスコットランド/フランスの関係はAuld Allianceと
言われています。現代でもちょくちょく目にする言葉です。
ご存知のようにイングランドとフランスは領地の問題で敵対関係にあったため
「敵の敵は味方」というような論法で同盟を結んでいたのではと推測します。



49世界@名無史さん:02/03/06 22:48
>>35
スコットランド----タータンチェック、ウイスキー、ネッシーの国。
そんな素朴な顔の下にひそむ、ドロドロで、おかしくて、やがて哀しき歴史を、
しれっとしたユーモアにくるんで描く。イラスト多数。
50リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:02/03/06 23:10
で、ウォーレスの子孫て、今もいるのかねえ?
甲冑の「ウォレス=コレクション」のウォレス氏とは関係ないか?
51世界@名無史さん:02/03/06 23:13
>49
あと発明家の国だよね
天才がイングランド人より多いんじゃないかな?
52世界@名無史さん:02/03/06 23:55
>>45
>>46氏の言うとおり、1996年に返還されました。
>>32にあるように、1296年のジョン・ベイリオルの反抗を、
ベリック(Berwick)城攻略とダンバー(Dunbar)の合戦での勝利
(→イングランドの騎兵と長弓兵の前に、スコットランドの真似ッ子封建軍は手も足も出ず、
 ジョン・ベイリオルは捕虜になる)
によって粉砕した後、
エドワードは自らスコットランド王たることを称し、
レガリア(=3種の神器みたいなもの)としてのスクーン(Scone)の石を持ち去ったのでした。

つまり1996年はちょうど700年目でキリがいいし、ということで英政府は返還を決めたのでしょう。
(スコットランド「独立」の動きもうるさくなってきたし。)
53世界@名無史さん:02/03/06 23:58
>>50
直系かどうかはわかりませんがいるみたいですよ。ウォレスの父には
兄弟がいたのでそちらの家系は続いているのかもしれません。
甲冑コレクションの人と同じかどうかはちょっとわかりませんけど・・・。

スコットランド以外に住んでいる人も含め、氏族(クラン)の結びつきは
かなり強力で、スカイ島のマクロード一族(拠点はダンヴェイガン城)や
マクドナルド一族(同じくスカイ島にビジターセンターがあります)なんか
有名ですよね。その他、イーレン・ドナン城を拠点とするマクレー一族とか。
ウォレス一族の拠点は現在AyrshireのBusbieとCloncairdにあるそうです。
54世界@名無史さん:02/03/07 00:36
>>48
>ウォレス家は13世紀のAyrshireとRenfrewshireで最も勢力があった一族で
>>53
>ウォレス一族の拠点は現在AyrshireのBusbieとCloncairdにあるそうです。

なるほどなあ・・・
ウィリアム・ウォレス自身は、Paisleyの出身だと読んだことがあるんだけど、
(しかし、さすがスコットランドは、(というかイギリスは?)紳士(服)の国。
 ツイードとかインヴァネスとかペイズリーとかメン○ラで見かける用語が自然に地名として出てくる・・)
いずれにせよ、AyrshireとRenfrewshire一帯ですよね。

で、この辺り、クライド湾からソルウェイ湾の辺り、つまりスコットランドの南西部は
古くはストラスクライドという国があり、
住民の基幹はウェールズ系だったと言われていたように思います。

で、もう一つWallaceという名前はWelshと語源が同じだと言われていることを考えると、
ひょっとするとウォレス家はこの地方のかなり古い一門なのかな? と。
(もちろん、リチャードやウィリアムというのは非ケルト的な名前ですが。
 つまり、かなりノルマン化されていた可能性もある。
 ただウィリアムにはマルカムという兄がいたはずです。
 (子孫がいたかどうかは知りません。>>50
 これはスコットランド土着の名前ですね。
 ただし、というのが多いですが、
 ただし中世ヨーロッパの周辺地域では、
 土着名とラテン名・フランク名を使い分ける習慣があったそうですから
 (香港人のイングリッシュネームのように。)
 ウィリアム・ウォレスにもケルト名のようなものがあったのかもしれない。)
55世界@名無史さん:02/03/07 01:03
>>48
>スコットランド/フランスの関係はAuld Allianceと言われています。

これは古くはウィリアム1世「獅子王」、
時代を、1707年の「連合法」をずっと下って1746年まで、ほぼ一貫して続いた腐れ縁ですね。
「遠交近攻」論が背景にあるのはおっしゃるとおりだと思います。

で、またフランスを当てにしてorフランスに利用されて、
イングランドにちょっかいを出し、痛い目に合う、
というのもこの国の伝統ですね。
56世界@名無史さん:02/03/07 01:05
>>55の続き

以下は悲惨な挑戦と挫折の記録。

1.ウィリアム獅子王は1174年、英王ヘンリー2世が大陸にいる間に出兵し、
オールニック(Alnwick)で敗れて捕虜になる。

2.1295年、ジョン・ベイリオルは仏と同盟を結びエドワード1世に挑戦するが(以下略)。

3.1346年、クレシーの敗戦でパニックに陥ったフランスに要求されて、
デイヴィッド2世(ロバート1世の息子)は出兵するが、
ネヴィルズ・クロス(Neville's Cross)で敗れて捕虜になる。

4.1513年、ヘンリー8世の対仏戦争に乗じて、ジェームズ4世はまたまた出兵するが、
フロドン(Flodden)で敗れて戦死。(←同国史上最悪の敗戦だったらしい。)

5.続けて2人もフランスから王妃を迎えた親仏派のジェームズ5世は、
1542年、国境地帯に派兵するが、
ソルウェイ・モス(Solway Moss)における敗戦の知らせを聞いて頓死。

6.「小僭称者(the Young Pretender)」チャールズ・エドワード・ステュワート
(名誉革命で逐われた英王ジェームズ2世の孫)は、
オーストリア継承戦争のさなか、フランス政府の協力を得て、スコットランドに上陸するが、
1746年、カロドン(Culloden)で敗れ、ジャコバイトの勢力は霧散する。
57世界@名無史さん:02/03/07 01:11
ここの歴史、イギリスの教科書ではどう扱われているのだろうか?
58世界@名無史さん:02/03/07 01:11
>>56

だから結局、戦争に関しては、
ウォレスと(→スターリング(Stirling)・ブリッジの戦い、1297年)
ロバート・ブルース(→バンノックバーン(Bannockburn)の戦い、1314年)
しかないわけですね。いい話は。
59世界@名無史さん:02/03/07 01:15
いったいこのスレ、何人が書きこんでいるんでしょ(笑)。

>>54
私もうろ覚え(^_^;ですが、ケルト語にはPケルト語とQケルト語があって
アイルランド・スコットランドはQケルト語族、ウェールズ、コーンウォール、
ブルターニュはPケルト語族に属しています。ストラスクライドは以前に
3さんが書かれていたとおりアイルランドからやってきたスコット族が
ダルリアダ王朝を建てた地ですが、この地方にはBritonが多かった
という話を私も読んだことがあります。
恐らくこのBritonとはブリテンからやってきたPケルト語を話す民族の
こと一般を指していると思われます。ですからウェールズ系というより
Pケルト語族という風に私は解釈しています。
60世界@名無史さん:02/03/07 01:16
>>58
アイリッシュと同じで「百敗の民」かもしれませんね(笑)。
61世界@名無史さん:02/03/07 01:28
>>57

どうなんだろう?
例えば日韓の間にあるような問題はあるかもしれませんね。

一般に、スコットランド側のサイトなんかは、やたらと「熱い」ですね。
ウォレス=愛国者の公式が出来上がっていたりして・・・

一方、森護(←紋章学専門の人で明らかにイングランド好き)の「スコットランド王国史話」なんかでは、
ロバート・ブルースは小狡い君主のように、しかもちょこっとだけ描かれていますね。

一説によると、ロバート・ブルースはハンセン氏病で死んだらしいんですが、
これにしてもイングランド側のプロパガンダかもしれないですね。
「あんな奴は、天罰を食らって欲しい、いや、食らうに決まっているぞ。」みたいな。
62通りすがり:02/03/07 03:16
<40さん
ノルマン朝の王が英語というと違うのでは。
彼らはノルマン=フレンチしか話せなかったでしょうから。
伝説ではヘンリ1世は話せたとされていますが、
最近では反証されてますし。

英語を話せるようになるのは、エドワード1世からだった気がします。

これだとイングランドネタなので、
ノルマン朝の時代には、
スコットランド王はEarl of Huntingdon and Northanmptonでした。
この時ののDavidがヘンリ1世の王妃Matilda(Maud)の弟で、
Englandの王宮で生活し、
Householdの一員として活躍したからだったからのようです。
ちなみに、MatildaはEdward the Confessorの孫で、
Malcolm III世の娘ですよね。

という感じで、
スコットランドのイングランド化の初期の状況を。
後は、どなたかにお任せ。


63馬鹿太モン:02/03/07 20:48
>>48
>>55-56
ご返答ありがとうございます。

それにしても、敗戦ばかりですね。
勝ち戦もあったとは思いますが、スコットランド史上に燦然と輝く大勝利って無い
のでしょうか?

>>50
「ブレイブ・ハート」のパンフレットには、今もフランスに子孫がいると書いてあ
りましたが・・・。
6440:02/03/07 23:29
>62
そうだったかも。ホウルトという人の本で、イングランド王
がある時点でフランス語ではなく英語を話すようになったときに
起きた宮廷内の文化的な変化は、オックスフォードやケンブリッジ
大学が戦後ラテン語・ギリシャ語を必修にしなくなったときに、
学生が途端に古典的教養に疎遠になったのと同じくらい速やかに
起きたのだとあったのが妙に印象に残っていたので、その曖昧な
記憶に頼って書いてしまいました。
65世界@名無史さん:02/03/08 00:11
>>51
ジェイムズ・ワット:ご存知W(ワット)の語源となった人
ジョン・ダンロップ:タイヤを発明した人
アレグサンダー・グラハム・ベル:とりあえず電話の発明者とされている人

発明家じゃないけどアレクサンダー・フレミング(ペニシリンを発見)、
チャールズ・レニー・マッキントッシュ(建築家・インテリアデザイナー)、
トーマス・リプトン(紅茶のアレ)も捨てがたい。

これまた発明家ではないけどコナン・ドイルも入れておきます(笑)。
66世界@名無史さん:02/03/08 00:21
「スコットランド啓蒙」と呼ばれる
D・ヒュームやアダム・スミスなんかもスコットランド人ですね。

>アレクサンダー・フレミング(ペニシリンを発見)
「007」のイアン・フレミングもその名前(Ian=Johnのスコットランド形)からして
スコットの可能性が大じゃないかな。

Fleming(=フランドル人)はスコットランドに比較的多い姓ですね。

フランドル地方は北ヨーロッパで最も早くから都市化・商業化が進んだ地域だったから、
中世スコットランドの王権は、フランドル人を
ベリック・エディンバラなどの都市部に多く招聘したという史実が背景にあるようです。
67世界@名無史さん:02/03/08 00:27
鉄鋼王カーネギー
68世界@名無史さん:02/03/08 00:28
人口が少ないのにあれだけの天才がでるのは脅威だな
69世界@名無史さん:02/03/08 00:30
>>62
>ちなみに、MatildaはEdward the Confessorの孫で、
>Malcolm III世の娘ですよね。

後半は合ってますけどエドワード証誓王には子供はいません。
イングランド王ヘンリー1世王妃Matildaはエドワード・アシリングの孫、
エドマンド2世の曾孫ですね。
チャチャ入れスマソ。
70世界@名無史さん:02/03/08 00:35
音楽も凄いぞ!
ジーザス&メリーチェイン
プライマル・スクリーム
ティーンエイジ・ファンクラブ
ベル&セバスチャン
などなど
71世界@名無史さん:02/03/08 01:01
>70
これも追加して
テキサス、アニ―・レノックス

自転車発明してんのもスコット人だよね
72通りすがり:02/03/08 01:29
>69さん
Thank youです。
うっかりしてました。

73世界@名無史さん:02/03/08 02:45
映画「ブレイブハート」では、ウォレスはイングランドの王妃と姦通してたね。
その子供が、エドワード3世ってことになるのかな?
だとしたら、スコットランドを痛めつけることになる王様だ。
74馬鹿太モン:02/03/08 22:23
そういえば、俳優のショーン・コネリーもスコットランド系でしたね。
ついこの前、「スコットランドに対する功績」で表彰されてましたね。
75世界@名無史さん:02/03/08 22:54
>>73
映画を1回しか見てないのでうろ覚えですが、その王妃ってエドワード1世の
2番目の王妃、マーガレット・オブ・フランスですか?
エドワード1世は前王妃、エリナー・オブ・カスティルとの間にエドワード2世を
儲けてますが、その息子が1333年にスコットランドを破ったエドワード3世ですね。

>>74
ユアン・マクレガーとロバート・カーライルも追加お願いします。
ところでコネリーは一部ではウザがられるほどの独立派です・・・。
76世界@名無史さん:02/03/08 23:22
>>73 >>75
マーガレット・オブ・フランス(フィリップ3世の娘)だとすると
子供はエドワード1世の息子となっている
ノーフォーク伯トマス(1300年生)かケント伯エドマンド(1301年生)
ということになる。

が、たしか映画では王太子エドワード2世妃イザベル・オブ・フランス(フィリップ4世の娘)
だったように記憶しています。
とすると子供はエドワード3世? ということになるが、
彼は1312年生まれです。(ウォレスの処刑は1305年)

むむ、数が合わない・・・・などと野暮なことを考えるより
ヘタレのエドワード2世よりウォレスの方が武人エドワード3世の父にふさわしい、
というファンタジーと見るべきなのでしょうか?
77世界@名無史さん:02/03/08 23:34
>>76
イザベル・オブ・フランスって「フランスの雌狼」なんてあだ名を貰っちゃたり
して評判悪いですよね。まあエドワード2世もアレだから割れ鍋に綴じ蓋と
いったとこでしょうか。
ちなみにウォレス処刑時イザベル13歳。

>むむ、数が合わない・・・・などと野暮なことを考えるより
>ヘタレのエドワード2世よりウォレスの方が武人エドワード3世の父にふさわしい、
>というファンタジーと見るべきなのでしょうか?

たとえば野に咲くアザミのように同意。
78世界@名無史さん:02/03/09 03:39
>アザミ

スコットランドの国花やね。
バラ(イングランドの国花)に比べると地味〜。

ちなみに、スコットランドには
アザミ騎士団(the Order of the Thistle)というのが今もある。
1480年頃の成立と言うから、ガーター騎士団や、ブルゴーニュの金羊毛騎士団の真似やろ。
79馬鹿太モン:02/03/09 21:36
>>78
こうした騎士団って、どういう役割を持っていたんでしょうか?
ただの名誉職ですか?
80世界@名無史さん:02/03/09 23:37
>79
勲章と考えるのが一番わかりやすいと思います。
81梵阿弥:02/03/18 15:14
>>78
どちらも棘があって素晴らしい。
82世界@名無史さん:02/03/18 20:12
「ブレイブハート」を見た。
公開時に比べて気づいたこと。

父と兄を失ったウォレスに、後に妻となるミュロンが花を渡すのだが、
これがアザミだった。
83炉部呂衣:02/03/21 16:31
前の書き込みの「スクーンの石」についての事なんだけど、ある書物じゃ
ローマ→アイルランド→スコットランド→イングランド
みたいな事書いてあったなぁ〜。しかもイングランドに持っていったのは偽物で
今もヘブリティーズ諸島のどこかの島に隠されてるって。
84世界@名無史さん:02/03/24 20:55
「運命の石」(スクーンの石)の伝説はいろいろありますね。
「運命の石」はもともと聖ヤコブが枕として使った石で、それがアイルランドの
タラの丘に運ばれ、後にスコット族がスコットランドにやって来た時に一緒に
持ち込んだという話です。
ちなみにタラの丘には今でも「運命の石」(リア・ファイル)が立っています。
といっても高さ2〜3mくらいで巨石ではなかったです。この「運命の石」は
真の王たるものがそれに触れる(上に乗るだったかも)とき咆哮すると伝説
では言われています。

それが1296年にエドワード1世により奪い去られて、ウェストミンスター寺院の
戴冠式の椅子の下にはめ込まれました。1950年に奪還事件がおき、一度は
アーブロウス寺院に安置されていたらしいですがその後またイングランドに
戻されました。返却されたのは実はすりかえられた石で、本物はヘブリディーズ
の洞窟に密かに運び込まれた?というのが>>83さんの書かれてたことですね。

ヘブリディーズに運ばれた…というところにボニー・プリンス・チャーリーとの
関わりを感じます。余談ですがボニー・プリンス・チャーリーの肖像画は
愛らしい少年のことが多いですが、実はかなり逞しい人物だったそうです。
85炉部呂衣:02/03/25 22:37
>>84さん
実はかなり逞しい人物だったそうです。

ってええ〜!?私の中のチャーリー様像がぁあぁ・・・じゃ・じゃあ、あの有名な間一髪の
逃亡劇フローラマクドナルド嬢がチャーリー様に施した女装って・・・ひえぇ〜(藁)
何故かクイーンの元Vo故フレディーマーキュリーの女装姿が目に浮かんでしまったYO”
・・・でもちょっと面白いかも・・・
 後、BBC製作(したと思う)のカローデンって映画(もしくはドキュメンタリー番組)が
見たいと切に思う今日この頃・・・
 ついでに群馬県に有るロックハート城(バブル期に某日本人俳優がスコットランドで売却
後日本に移築)はロバートブルースの臣下だったロカートの居城・・・で良いのかなぁ・・・
紋章に心臓の意匠を許されたのはダグラスとロカートと本にあるから多分・・・
86世界@名無史さん:02/03/26 22:09
>>85
ショックを与えてしまったみたいですみませんでした(^_^;。
でもフレディー@ブレイクフリーみたいなのではないと思いますのでご安心を。
ずっと前にイギリスの新聞でそういう記事を読んだだけなんです。
マッチョという表現ではなくて、堂々とした青年、みたいな表現でした。
87世界@名無史さん:02/03/26 22:35
昔は全身をすっぽり覆う衣装が多かったから
極端に背が高い人以外は女装しての違和感が今より少ないでしょ。
88炉部呂衣:02/03/28 16:42
>>86
 な〜んだ堂々としたって事ね”ホッとした反面ちょい残念な気も・・・(藁)
なにせ>>84のレス以降私の頭の中ではフレディー@ブレイクフリー=チャーリー様
で悪質な妄想劇が繰り広げられてましたから・・・(勿論モンティーパイソン風味付けで)

所で「ブレイブハート」では衣装は、ほぼ実際にあった格好を忠実に再現しているって
DVDでメルギブソンがブツブツ呟いてたけどもウォレスの着ていたキルトの柄は
ウォレスタータンて言って実際にあるのかな〜。
89世界@名無史さん:02/04/08 23:16
遅れ馳せながらエリザベス皇太后のご逝去を追悼してage
彼女はスコティッシュらしく丈夫で長持ちな人でした。
酒も好きだったしね^^;
90世界@名無史さん:02/04/12 00:13
[17] link 投稿者:nois 投稿日:2001/02/09(Fri) 00:07:08

http://www.choco-net.com/AV/danyuunikki/dyk-rosia02/index.html


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nois > http://www.cam.hi-ho.ne.jp/bonita-model/menu.htm (2001/02/09(Fri) 19:03:51)
nois > しかしボニータは、ヌードの公表を中止(禁止ということでしょう)しました。初期のヌード写真なら未だ公表していますが。 (2001/02/09(Fri) 19:10:08)
nois > http://www.amateurindex.com/ (2001/02/09(Fri) 19:12:46)
nois > http://www.amateurindex.com/showcase/index.html (2001/02/09(Fri) 19:17:05)
nois > http://www.flatech.com/beth/showcase.html (2001/02/09(Fri) 19:18:44)
nois > http://www.bi-int.co.jp/ (2001/02/09(Fri) 19:30:03)
nois > http://www.idol-lover.com/club-xxx/index3.html (2001/02/09(Fri) 19:39:33)
nois > http://www.findaceleb.com/list.html (2001/02/09(Fri) 19:42:15)
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nois > リンクをいろいろ集めて見ました (2001/02/09(Fri) 20:03:32)
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N > http://www.venusonline.com/icgi/bonus3.htm (2001/03/10(Sat) 00:45:10)
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nois > http://www.celebz4free.com/index.html (2001/03/22(Thu) 13:36:49)
マスター > noisさん、ここ↑最高っす。ありがとうございます。ゆっくり楽しませていただきます。 (2001/03/22(Thu) 18:41:55)
nois > http://personal2.redestb.es/gsb/ingrid.htm (2001/04/02(Mon) 12:20:31)
nois > 残念ながら、このHPには・・・どこから入っていけばいいのか?・・・映画のタイトルも・・・知りません(どこかで偶然見つけたHPなので) (2001/04/02(Mon) 12:24:11)
nois > http://theamateurlist.com/frames.html (2001/04/03(Tue) 14:00:36)
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マスター > noisさん、いつもありがとうございます。↑この中からブロンドが綺麗な美女を厳選して紹介させていただきます。イケてるのがたくさんいるぞー。 (2001/04/03(Tue) 16:11:56)
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nois > http://www.nn.iij4u.or.jp/~space09/ram/mira20.ram (2001/07/04(Wed) 13:30:58)
nois > http://210.236.188.120/world/oubei/ram/russia09.ram (2001/07/04(Wed) 13:40:30)
nois > http://210.236.188.120/world/oubei/ram/russia07.ram (2001/07/04(Wed) 13:56:19)
nois > http://210.236.188.120/world/oubei/ram/russia08.ram (2001/07/04(Wed) 14:01:24)
nois > http://www.kk.iij4u.or.jp/~space08/ram/mira19.ram (2001/07/04(Wed) 14:04:43)
マスター > 動画いいっすね、動画。noisさんに感謝! (2001/07/06(Fri) 19:37:42)
nois > http://www.kk.iij4u.or.jp/~world/top.html (2001/07/20(Fri) 16:15:12)
nois > http://www.venusonline.com/showcase/amateurs/rachel/rachel02.htm (2001/07/20(Fri) 16:18:38)


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91世界@名無史さん:02/04/14 00:28
スコットランドの魅力は
クランズマンのハイランドチャージの勇敢さだね。
武田の騎馬軍団みたいな、猪突猛進の勇ましい潔さ。
日本人の情緒を揺さぶるね。
スコットランド民謡と言い、日本人と通じる感性があるかも。
92世界@名無史さん:02/04/14 00:51
>>91
無駄に兵力をすりつぶすことに快感を覚えるところモナー
93世界@名無史さん:02/04/14 01:03
>>88
遅レスですが、当然クラン・ウォレスのタータンありますよ。
www.house-of-tartan.scotland.net/index.htm
で調べたところ3種類ありました。
94世界@名無史さん:02/04/14 02:20
スコットランド沖に北海油田が発見されてからにわかに独立運動が発生したとか.
民族主義なんて、所詮そんなモンですわ.
95世界@名無史さん:02/04/17 14:26
age
96世界@名無史さん:02/04/17 15:11
尖閣諸島沖で油徴が見つかってから
急に台湾が領有権を主張したり
中国が尖閣を含む領海法を定めたり
韓国の地図の記述が中国式の釣魚諸島に変わったり
まあ、そういうことやね。
97世界@名無史さん:02/04/18 01:07
「ブレイブハート」と史実の違い。

作品中、前半の山場、スターリングの戦い。
映画だと、
1.スコットランド(蘇)軍、両翼の騎兵部隊、びびって逃げた振りする。
2.蘇・歩兵部隊、英・長弓兵部隊の2回の一斉射撃を耐える。
3.蘇・歩兵部隊、チンコ&ケツ見せで挑発。
4.英・騎兵部隊のチャージを、蘇軍、隠していた槍ぶすまで撃退。
5.英・蘇・歩兵部隊の白兵戦。
6.退却したふりの蘇・騎兵部隊引き返して英軍の退路を断つ。蘇軍勝利。

それなりによく考えられた話なんだけど、実際は
1.英軍前衛が、馬2頭しか通れない橋を渡ってフォース川北岸に展開したところを
 ウォレス軍が急襲。
2.アンドリュー・マレイの別働隊が橋の出口を封鎖し、英軍中衛以降の増援を妨害する。
 (激戦の結果マレイは負傷→後に戦病死。)
3.英軍前衛はいいように殺戮され、南岸の英軍総帥サリー伯は増援をあせるが、
 兵の重みに耐えかねた橋が崩壊。英軍の敗北確定。
ということらしくて、ウォレスはまさに孫子の言う「敵の半渡に乗ずれば云々」を実践して勝利した。

映画では戦場はオープンスペースだったんだけど、史実は川を挟んだ、橋を巡る戦いだったわけで、
この戦い、普通は「スターリング・ブリッジの戦い」と言う。
98世界@名無史さん:02/04/29 21:11
>>97
詳すぃ〜! 軍事板の方ですか?
99炉部呂衣:02/04/30 19:09
>97
私も変だと思ってました”何で「スターリング・ブリッジの戦い」って言うのかが
なるほど実際に橋を巡る戦いだったわけですか〜納得。
しかしメル様はあの映画の後も別の映画で赤服のイングランド兵を八つ裂きにして
たけど(笑)何か因縁でもあるのかな〜。最近じゃベトナム戦争物の映画に出演
したらしいけども・・・。
100世界@名無史さん:02/04/30 23:52
―=≡ (・∀・) 100ゲット! イイ!
101世界@名無史さん:02/05/25 21:34
スコットランド史上、カロードンの戦いというのがありましたが・・・
一旦イングランドと合併したものの、ジャコバイト党がボニー・チャーリー
を担いで独立しようとした事件です。
ボニー・チャーリーが大陸からスコットランドにもどってきたあと、
スコットランド各地の勢力、さらにはイングランド内部の不満分子をも
取り込んで、一時はロンドンの北、わずか190キロのダービーまで
到達しました。
(結局は失敗に終わりましたが)
102世界@名無史さん:02/05/25 22:00
汝知らずや蘇国の野辺に、誇りも高き益荒男の
武き刀も矢も砕けよと、散るを惜しまぬカローデンムーア
さてここにはボニー・チャーリー、頼りとすべきは娘の情け
仮の女装に身をやつらせて、祖国に名残の髪をば引きつつ
北の海へと落ちぞ行く、
はても哀れを留めしは、敗者に唾きす英国の習い
酒場に繋がれし熊のごと、かくも剛勇蘇国の守り
忠勇無二のハイランダー、汚泥に花散るバラのごと
流るる血潮は市場を濡らしぬ、
いざや向かわん同朋の、恨み千載遺したる
血と血に飢えた英国を後に、船の舳先は西へ行く
自由の扉の傍らに、女神の侍る、かれかの国へ
103世界@名無史さん:02/05/25 23:08
>>102
カンバーランド公率いるイングランド軍に惨敗を喫したときの描写ですね。
スコットランドでもローランドの人たちはイングランドの陣営に加わって
いったとか。
ボニー・チャーリーはフローラ・マクドナルドという女性の助けを借りて、
その侍女に変装して落ち延びていったとか。
ちなみにインヴァネスの城の前にはフローラの像が立っているそうです。
104世界@名無史さん:02/05/28 21:42
スコットランド系カナダ人の、ジョン・プレブルという人が、『カロードン』
というタイトルの本を書いていて、敗北の原因を、
「内部対立、指導力の欠如、軍事的知識の欠如、食糧・物資の欠如」
という言葉で酷評しているらしい。
当時イングランドでは、大口径の火器が普及し始めていたが、こんな
何の遮蔽物もない場所で戦いを行ったら、それらの効果は火を見るより明らか。
105世界@名無史さん:02/06/01 21:57
スコットランド王国、バイエルン王国、ナバラ王国それぞれ
隣接する大国の前に苦悩して結果独立を維持できなかったの
だと思う。今でも独立運動は残っていますが。
106世界@名無史さん:02/06/01 22:35
>>101
ハイランダー・チャージが始めて敗れた戦いですね。
107世界@名無史さん:02/06/01 23:50
>>105
独立運動はナヴァーラよりバスクの方が盛んだよね。
スコットランドはdevolutionを果たした。
EUという枠組の中でバイエルンにも自治の意識が芽生えはじめてる。とすると
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/981129811/934
のカキコが説得力あるものに思えてくるね。
108世界@名無史さん:02/06/02 01:40
いつの日か百済も独立運動を起こすのだろうか。
109世界@名無史さん:02/06/02 07:56
琉球王国も。
110世界@名無史さん:02/06/02 15:06
カンバーランド公は、ボニー・チャーリーとは従兄弟の間柄だったんだけど、
戦後のスコットランドに対して抑圧政策をとって、タータンチェックの
使用禁止、民族衣装キルトの禁止などの政策をとったとか。
111世界@名無史さん:02/06/02 15:19
民族衣装とか、言語とか、民族のアイデンティティに関連するものを抑圧する政策を
取るの好きなのだなイングランドは。逆に自分たちにはネガティブなアイデンティティ
(「〜である」ではなく「〜ではない」で規定される)しかないので悩んでいる部分も
あるらしい。フーリガンもその一例とか。
19世紀後半のウェールズの話だけど、ウェールズ語をうっかり話したら、見せしめに
「Welsh Not」(ウェールズ語禁止)と書かれた札を首からぶら下げさせたりしたもんね。
112世界@名無史さん:02/06/02 18:46
パグパイプって、軍楽隊では今でも使われているんだってね。
エディンバラの郊外、グレンコースには、軍音楽学校があって、
各地の連隊から、少年兵を選抜して、2年間ここで伝統音楽の教育を
行うのだとか。
(ちなみに軍楽隊は歴史的に見て、最も消耗率の高い部門だった)
113世界@名無史さん:02/06/02 19:58
 カローデン古戦場にいったら,わんわん泣いている人達がいてかなり引いちゃったよ。
 数百年前の古戦場跡だよね・・・なんか認識間違っているかな?
114世界@名無史さん:02/06/02 20:29
>>113
ちょっと前だったらカローデンのドキュメンタリーを放送してたからその影響かも。
・・・NHKの大河ドラマか(w
「ドラマの舞台を旅しよう」なんてツアーが向こうにもしっかりあるんだよね〜。
115世界@名無史さん:02/06/02 20:48
カローデンの戦闘に参加した士官は、直後にその模様を故郷の妻に書き送って、
「戦場はまるで、新しい兵器の効果を確かめる実験場のようだった」
と記したそうです。

ちなみにハイランドとローランドの間には、複雑な感情のしこりがあるようで。
116113:02/06/02 21:06
 >>114 なるほど。氷解。ありがとう。
 観光気分でいったら慰霊碑にたくさんの蝋燭でビックラこいたんでね。
 屈斜路湖のくっしー饅頭に通じる観光土産ネッシーショートブレッドといい
 彼の地も我らが日本と変わらないんだね。

 対英では個人的にグレンコーの悲劇の方が心に響くもんがあるな・・・。 
117世界@名無史さん:02/06/02 23:53
>対英では個人的にグレンコーの悲劇の方が心に響くもんがあるな・・・。 

ローカルに対立しつつも何とか共存していた2つのヤクザ組織。
ついにある時その地方にも広域組織が勢力を伸ばし「ワシらの盃を受けんかい!」と強制。
すんなり恭順した側は勝ち組となり、流れに乗り遅れたものを虎の威を借りて追い込む。
・・・なんか「その後の仁義なき戦い」に似てますな。

マクドナルド一門とキャンベル一門・ウィリアム3世のイングランドの関係は
日本だと、奥州安倍氏と清原氏・清和源氏、九戸氏と南部氏・豊臣政権の関係にそっくり。
というか、東北=スコットランドという類比はかなり通用するようで。
118世界@名無史さん:02/06/03 21:15
>東北=スコットランドという類比

どっちも歴史上、そんな役回りを引き受けさせられてきた、という点では似ている。
119世界@名無史さん:02/06/08 21:10
16世紀以降、アイルランドに入植したのは、スコットランド系の人たちが
多かったのですか?
120世界@名無史さん:02/06/08 21:33
>「ワシらの盃を受けんかい!」
ワラタ
121ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/06/08 21:37
スコットランドはケルト人的傾向が強い。
しかし、彼等の内部には依然として、イングランドとの対立が見られるね。
日本も同じ様に思える。
122世界@名無史さん:02/06/08 21:57
>>119
そうです。

>>121
1行目と2行目の関連が意味不明。
123世界@名無史さん:02/06/09 11:37
>>119
>>122
スコットランドはイングランドに比べて貧乏だったから?
オーストラリアやニュージーランドにもスコットランドからの移民が
多いらしいけど。
124世界@名無史さん:02/06/09 12:38
なんでこのスレに便厨がいるんだよ…、最悪...。
125世界@名無史さん:02/06/09 13:58
アイルランドに入植したのはロンドン周辺の「自称」イングランド人です。
北アイルランドには今でもロンドンデリーという街がありますね。
スコットランドがイングランドに比べて貧乏だったのは確かで、
有名なのは土地囲い込みによる住民の追出し、また機械化が進み、
不況の波が押し寄せる度ごとに、真っ先に田舎のスコットランドが、
レイオフの被害を受け、新天地を求めて海外に渡って行きました。
スコットランドからの移民が多いのはニュージーランドです。
オーストラリアや北アメリカは元々凶悪犯の流刑地でした。
アボリジニやネイティブアメリカンに対して何が為されたか、
なおかつ今に至るまで自己正当化の開き直りはあっても、
反省の色が全く無いのは何故か。それで納得できると思います。
126世界@名無史さん:02/06/09 14:39
ここはスコットランドスレなのでアイルランドの話はできるだけ別スレを
立ててやってもらいたいが。。。
127世界@名無史さん:02/06/09 22:10
>>125
そうか、NZに羊が多いのは彼らが故郷から連れて行ったのか・・・
128世界@名無史さん:02/06/09 23:17
スコットランド人は自国のことを「虹の国」と呼ぶそうですね。
やっぱり雨が多いからなのかな?
129世界@名無史さん:02/06/09 23:25
>>128
それは初耳ですだ。虹の国の由来はなんなんでしょう?
フットボールのナショナルチームのサポーターは「タータン・アーミー」だけど。
世界中どこにでも行くタータン・アーミー。それが親善試合でも。

スコッツは国外に出ることを厭わない民族なので移民した人が多いのかも。
このへんアントニー・グリンの「イギリス人」て本にイギリスの4つの民族の
性質の違いが書いてあって面白かったっす。
130世界@名無史さん:02/06/09 23:29
アーミーで思い出したけど、北アイルランドでゴタゴタが起きると
派遣されるのはいつもスコットランドの部隊ばかりだったそうな。
そういうとこが、良くも悪くもイングランドだなーって思う。
131世界@名無史さん:02/06/10 08:54
>>130
いわゆる「分割して統治せよ」かな?
それとも損な役回りは他の民族にやらせようということかな?
132世界@名無史さん:02/06/10 12:42
もともとスコティッシュ・ハイランダース師団は英国でも最強の誉れが高いし、
かって植民地戦争で手を焼いたグルカ兵なども紛争地域によく派遣されている。
危険区域に英国の部隊としてまず第一にイングランド以外の軍隊に任せることで、
彼らの自尊心をくすぐらせ、より本国へ忠誠を仕向けるようにしてるのかもしれない。

(WWU中ドイツアフリカ軍団に最も奮戦したのは、オーストラリア、ニュージーランド、
南アフリカ人らと、スコットランドやインド人といった歩兵部隊だった。
イングランド人の師団は機械化された戦車や装甲兵員車に乗って戦った。)
133世界@名無史さん:02/06/10 18:48
 エディンバラ城の展示だと敵国がWW2の日本なので非常にばつの悪い思いをしたよ。 
134世界@名無史さん:02/06/10 20:24
>>133
まわりの人々に、にらみつけられたりしましたか?
135世界@名無史さん:02/06/10 22:07
>>133
 極少数のおやじさんから冷たい視線を向けられた以外は,あまり関心を払われませんでした。
 でも,その極少数の視線が痛いことこの上ないのですけどね・・・。
136世界@名無史さん:02/06/10 22:18
http://www.honya.co.jp/contents/khirose/London/9907/990701.html
↑スコットランド議会は、日本と同じで馬蹄型の議席の並び方を
 しているのですね。(一番上の写真)
137世界@名無史さん:02/06/11 21:59
>102
これは日本後の歌ですね?ポーランド懐古のような?
題名はどういうのですか?
曲はあるのですか?
138世界@名無史さん:02/06/16 11:15
>>117
ガイ・リッチーの「ロック、ストック〜」シリーズ、
「ロック、ストック、ツー・ブロック」を見てたら、グレンコーネタが出てきた。

主人公がム所に入ると同房にスコットランド人がいる。
「このイングランド野郎!」と、おっかないので、
「オレ、実はスッコットランド系なんスよ。
 母方の名字はキャンベルと言って・・・・」とご機嫌取りすると、
「何? イングランドより最悪だ。 このグレンコーの裏切り野郎!」
と、ますます火に油を注ぐ、というようなネタ。
139ete:02/06/16 12:22
朝日投稿6月4日

『2点は入れすぎ 専守防衛精神で
(宇津田 史郎 岩手県79歳 無職)

待ちに待ったW杯日本戦がはじまり、私も中学生の孫とワイドテレビで観戦していた。
感動したのは日本選手の試合ぶりの見事さで、遠いヨーロッパから来た、
平和とワッフルを愛する国・ベルギーを相手に、
勝つことも負けることもなく試合を終えることができた。
戦争放棄を憲法に高らかに唄ってある日本の専守防衛サッカーは、
確かに見かけは派手ではないが、国際平和に貢献していることが世界中の人間に分かったことだろう。
それにも増してすばらしかったのは、
軍隊のない国・コスタリカからはるばる来られた名前も知らない審判で、
日本の特攻精神を諫めるかのような「そのシュートは誤射」という見事なジャッジ。
彼の勇気をもっと褒めてもいいのではないだろうか。

有事法制案で国会が賑やかな昨今、もしその法案が通るようなことになれば、
日本選手はサッカー・シューズを軍靴にはきかえ、威風堂々と3点、
さらに4点と攻めまくり、近隣諸国の反感を買うことだろう。

140世界@名無史さん:02/06/23 22:16
ワールドカップ開催中と言うこともあって「どうして英国は4つ出場枠があるの?」
という質問があちこちで見うけられます。
もともとサッカーsoccerはAssociation Footballの省略形であり(なので昔の
日本ではア式蹴球とも呼ばれていました)、ラグビー・フットボールと区別する
ためにこの名称がつけられました。
やがて、Football Associationがまずイングランドで1863年に、次いでスコットランドで
1873年に設立されました。ちなみにWalesは1876年、北アイルランドが1890年です。
ヨーロッパの主要国のFAは1890年代に設立されたところが多いです。
FIFAの設立は1904年ですが、当時は特に1国1FAという決まりは無く、そのため
英国の4協会は別々に加盟して現在に至っています。
141世界@名無史さん:02/06/23 22:19
追加。

それぞれの国はFootball Associationの前に国名を入れますが
(Scottish Football Association; SFAという風に)イングランドだけは
何も形容詞をつけずにFootball Association; FAです。
142梵阿弥:02/06/23 23:54
先の塩湖市五輪で女のカーリングではブリテンが優勝。選手は補欠を含め全員が
同競技発祥の地スコットランド出身。カレドニア万歳。
>>140
1890年は北アイルランドではなくてアイルランド協会でしょう。その後(1930年代)に
アイルランド島南部が独立(ブリテン王国は未だに認めていないらしい)し、「アイルランド協会」
の本部がカーディフからブリテン領に留まった北部8州(アルスター)のベルファストに移った為、
共和国の方がカーディフに「アイルランド協会」を設立し、ベルファストのほうが
「北アイルランド協会となったらしい。
ラグビーは貴族の嗜みであって両国のしこりが少なく協会本部がカーディフに留まった為、
分裂しませんでした。個人競技なので目立ちませんがやはり上流階級の競技だった
ゴルフとテニスも分裂していません。
>>141
The Football Association では無かったでしょうか。
因みにかつては五輪にブリテンとして参加し、1908、12年には優勝しています。
143世界@名無史さん:02/06/24 00:16
>>142
当時はアイルランドは併合されてましたから、「北」はなかったでしょうね。
しかしながら、UEFAでは北アイルランドの設立を1890年としてますので
その通りに表記しました。

カーディフに留まったというのは、アイルランドのラグビー協会がでしょうか?
それともラグビー全体の協会ということでしょうか?
ラグビーも協会が独立してますね。六カ国対抗戦ではサッカーと同じ
イングランド・スコットランド・フランス・ウエールズ・アイルランド
(ラグビーは北・南一緒ですね)・イタリアとなってますし。
五ヶ国対抗の最後の年、スコットランドが優勝したんですよねぇ。
前年のていたらくを見ていた私としては信じられませんでした(笑)。

FAに定冠詞をつけるかどうか迷いましたが、一般的な日本語表記では
つけないので省略しました。
144梵阿弥:02/06/24 00:55
カーディフに留まったのはアイルランドのラグビー協会です。全体の機構は
「インターナショナルラグビーボード」、I.R.B.(国際ラグビー機構)と言いますが、
多分昔からイングランド(ロンドン?)に在ると思います。因みにラグビーでは
「ロンドン・アイリッシュ」「ロンドン・スコティッシュ」と言ったクラブがあり、勿論ロンドンに
在るのですがそれぞれアイルランドやスコットランドの選手権に参加しています。
私はフィンレイ・コールダー、ジョン・ジェフリーといった選手の白髪、灰瞳が忘れられません。
145世界@名無史さん:02/06/24 01:03
アメリカン・フットボールはそれぞれ
別々のチームなのですか?
146梵阿弥:02/06/24 01:20
WFL(ワールドフットボールリーグ)と言うのは在ります。以前ロンドン・モナークスと言うのが在り
ましたが一度WFL事体が休止して復活したときには消えています。その代わり再開時に
スコティッシュ・クレイモアズが生まれました。只メリケン蹴球は地域的地盤を持っておらず、主力
選手はNFL(米国のメリケン蹴球リーグ)予備軍です。元々米国の文化では球団が下部組織を持たず
(野球は例外)若手育成は学校に頼っています。WFLではそれが極端な形で出ていると言えます。
地域的基盤が無いのは日本も同じ事で学校で覚えた選手が企業の余興みたいな大人の球団に入る。
シルバースタークラブのような例外はありますが、しかしあそこも子供や青年クラブは無くて、
日本大学と日本体育大学卒業生が中心でしたし、近年アサヒビールの資金援助を受けると共に選手が
同社に入る傾向が出ています。これはかつてフットボールの「横浜スポーツ」が全日空社の、当初は
航空移動の割引くらいの援助だったのが徐々に依存が強まり、同社勤務の選手の割合が高くなり、
ついには同社の都合で吸収合併という名の消滅と言う不幸な出来事を思い出すのですが、どうなんで
しょうか。とはいえ日本アメリカンフットボール協会はありますから、ブリテン王国内にも何らかの
協会はあるのかもしれません。只聞いたことがありませんね。シチリア島パレルモで行われ日本ガ
優勝した第1回ワールドカップにも出てたでしょうか。出てれば判るのですが。
147世界@名無史さん:02/06/24 02:17
ヨーロッパのアマチュアのアメリカンフットボールは
イギリス・ドイツ・フィンランドが3強だよ。
イギリスにはアメリカ帰りが多いし、
ドイツは米軍基地が多くて基地との交流で強くなった。
フィンランドはアメフト好きの個人がシャカリキで広めた。

アイスホッケーも野球と同じ下部球団システム。
アメフト・バスケットはもともと大学スポーツとして発展した。
プロも昔からあるけどメジャーになったのはここ40年。
日本のアメフトは大学・社会人とも全米大学体育協会
1部校(約120校)でのプレー経験者は加入できない。
148とりあえず:02/06/24 03:24
フリーダアアアアアアアム!
149世界@名無史さん:02/06/25 21:24
ウィリアム・ウォーレス万歳!
150世界@名無史さん:02/06/25 22:29
現在のスコットランド準国歌はThe Flower of Scotlandですが、この曲は元々
1970年にロイ・ウィリアムソン(コリーズ)によって書かれたものです。曲の
人気は年を追うごとに高まり、1970年代半ばにはラグビーのナショナルチームの
国歌(正式ではありませんが)として歌われるようになりました。
一方、フットボールのナショナルチームは1990年のワールドカップまで
Scotland the Braveを国歌として歌っていましたが、次年からはラグビーと同じく
The Flower of Scotlandを国歌として歌うようになりました。

という訳で今やThe Flower of Scotlandがスコットランドの国歌としてほぼ
定着しつつありますが、以前はScotland the Braveともうひとつ、Scots Wa' Hae
という曲がありました。この詩はロバート・バーンズの手によるもので、
バノックバーンの戦い当時のウィリアム・ウォレスとロバート・ザ・ブルースに
ついて書かれています。
が、この曲はあまりにも「愛国的」過ぎるという理由で一般の人の受けは
悪かったようです(笑)。

と、やっとウォレスに戻ったぞ、と。
151世界@名無史さん:02/07/01 04:15
ハギス(モツで作ったハンバーグのようなスコットランド料理)
を食べれるレストラン(スコットランド料理店)は日本に無いですか?
152世界@名無史さん:02/07/01 16:31
>>151
そんなことを言ってしまうと田中信者が創竜伝で
書かれたハギスネタを書き込んでくるよ。
153世界@名無史さん:02/07/01 23:30
154世界@名無史さん:02/07/03 05:48
ハギスはジャガイモ(べいくど・ぽてと)と絡めて食べるとうまいよね。
何故,ジャガイモとあんなにあうんだろ?
155世界@名無史さん:02/07/03 06:55
パースニップとでもんまいぞ。
156世界@名無史さん:02/07/03 19:53
スカイ島からフォートウィリアムへ抜ける途中のなんのへんてつもない
ドライブインで食べたハギスがうまかった。
そーいやなぜASDAの軽食コーナーにハギスないのだろ?
肉コーナーには売ってるのにね。
157世界@名無史さん:02/07/03 22:21
なんか世界史から離れてスコットランドLOVEなスレと化してきているような・・・。
158世界@名無史さん:02/07/03 22:46
それもまた良し(良くないか)>>157

スコットランドの歴史小ネタならあるけどねぇ。一方的に書き殴るのってあり?
それもなんかさみスィ...
159世界@名無史さん:02/07/04 18:04
マターリ いくべ。
ハギスはスコッチって良く言うけど,俺的にはビールの方が合う気がする。
ビターかシュタウトで,パブで食うの。
160梵阿弥:02/07/07 23:56
訂正がございます。>>142>>144のカーディフは全てダブリンの誤りです。またアルスターは北部の8州
でした。南は分裂当時26州でした。アイルランドやウェルズの関係する皆様に深くお詫びいたします。
>>147
フィンランド(スオミ)は米国との交換留学生が根付かせたと聞きました。その個人というのは留学生で
しょうかね。イタリアもなかなか強いらしいですよ。

161 :02/07/08 02:59
質問です。

アイルランドの独立運動は非常に激しく独立を勝ち取ったのに対し、
スコットランドの独立運動がアイルランドのそれよりも下火で、いまだ
独立できない(していない)のは何故なんでしょう??
162世界@名無史さん:02/07/08 18:35
完全独立する必要がスコットランドにはないから。
163世界@名無史さん:02/07/09 01:02
スコットランド=舎弟
アイルランド=パシリ
の違いっていうこと?
164世界@名無史さん:02/07/09 02:34
アイルランドはカトリック。
イギリス国教からすれば許せない宗教だからそういう扱いを受けて来た。
165世界@名無史さん:02/07/09 02:56
でも、スコットランドって英国国教バリバリってわけじゃないっしょ。
166世界@名無史さん:02/07/09 03:12
だからイングランドから見たら
イングランド>スコットランド>アイルランド
って図式ができたのでは?
167世界@名無史さん:02/07/09 05:48
宗教的な論点も重要だが、アイルランドは実質的には植民地同然だった。
悪名高いイングランド人による不在地主制というやつ。
スコットランドはそこまで極端な経済的支配を受けていない。

168世界@名無史さん:02/07/09 15:49
スレの主題とかけ離れますが、クロムウェルがアイルランドを征服した時に使った
「鉄騎隊」って、どういうの?
鎧で身を固めた騎士軍団と、どう違うの?
169世界@名無史さん:02/07/09 19:10
>>168
Ironsides のこと?

Ironsides なら、イギリス内乱勃発時にクロムウェルが徴募した騎兵の義勇兵部隊。
このあだ名は、マーストン・ムーアの戦いでの奮戦振りを敵将ルパート公子に賞賛されたことに由来する。
つまり「鉄壁」ということ。
全員がピューリタンだから士気がむちゃくちゃ高かった。

頭からつま先まで甲冑に身を固めた中世騎士と違って、彼らは上半身だけ武装する胸甲騎兵だった。
つまり、防御力を犠牲にして衝力・突進力を優先させたわけ。
(これには、火器の発達によってプレートメールの効果が怪しくなったことが背景にある。
 どうせ弾が当たるんだから、せめてスピードを優先させようということ。)
170世界@名無史さん:02/07/09 21:29
>>167
そうだね。スコットランドとイングランドは名目上は「対等」だったからね。
議員数とかは不平等だったけど。
そういやスコットランドも悪名高いHighland Clearanceてのがありました。
171世界@名無史さん:02/07/13 19:25
スコットランドの宗教ですけど・・・
一応、プロテスタントの長老会派(プレスビテリアン)が多数派ですか?
172世界@名無史さん:02/07/24 21:16
規制解除だ・・・やっと書きこめる・・・。

>>171
教会を見る限りではChurch of Scotlandが多いです。
これもプロテスタントです。

アウター・ヘブリディーズのハリス島は、昔のクラン支配の名残か
島の半分ずつカソリックとプロテスタントに分かれてます。
173世界@名無史さん:02/07/25 16:21
>>172
ありがとうございます。
スコットランドといえば、宗教改革の時代にジョン・ノックスが出たこと
くらいしか知らないので。
確か、フランスから帰ってきたメアリ・ステュアートと軋轢があったような・・・
174世界@名無史さん:02/08/18 01:13
保守。
175世界@名無史さん:02/08/18 21:00
ヘイミッシュ=ボンドage
176世界@名無史さん:02/08/18 23:09
スコットランドが将来連合王国から独立することはあるのでしょうか?
いちおうSNP(スコットランド国民党)というのがありますが。
177世界@名無史さん:02/08/19 00:43
↑ありえないんじゃない?
もうイングランドなしじゃやっていけないでしょう。
178梵阿弥:02/08/19 20:46
連合王国の当代元首の、イングランド国王エリザベス2世としての戴冠では長いローブを羽織り荘重だった
のに対し、スコットランド国王エリザベス1世としての戴冠では(エディンバラでやったのでしょうか)簡素な
服装で、憤慨したスコティッシュも少なくなかったとか。
179世界@名無史さん:02/08/24 20:59
>>176
スコティッシュは割と現実的なので、完全独立は考えてないでしょう。
自治権の拡大は考えていると思いますが。
税制の自由裁量権をもらってアイルランドみたいに企業を誘致するとかね。
180世界@名無史さん:02/09/06 20:46
よくイングランド人がスコットランド人のことを「ケチ」といいますが、
これは何か根拠があってのことですか?
スコットランドは貧乏だったから、必然的にそうなったのかなあ。
181世界@名無史さん:02/09/06 21:28
>>180
その手の話だと、アイリッシュは「バカ」ってことになってますね。

どれくらい「バカ」かというと、船に乗っているときに水が入ってきたら、
船の底に穴をあけて水を出そうとするぐらいに「バカ」とか…。
182世界@名無史さん:02/09/07 23:16
>>180
そうだと思います。
昔はともかく、今じゃイングランドだろうがスコットランドだろうがみんなケチですけど。

現女王の後は順当に行けばチャールズが次の国王になって、その次は
ウィリアムになる訳。ウィリアムが王になったら王室の人気も回復するかもね。
故エリザベス皇太后はスコットランド人、現女王の夫はギリシャ人(だったっけ?)、
故ダイアナ前皇太子妃はイングランド人。ヴィクトリア女王時代に殆どドイツ人化した
血がだんだんイギリス化してきている。
ちなみに故ダイアナ前皇太子妃がチャールズ2世の傍系から出た家系の生まれ
であるのはかなり有名な話。
183 :02/09/26 23:15
保守
184梵阿弥:02/09/29 23:05
酒の話しませんか
185世界@名無史さん:02/09/29 23:11
すみません下戸なんです(´Д`;)
ブナハーベンというモルトはとっても良い香りがしてて「おいしそー」と思いましたが
いかんせんアルコール分解酵素が少なくて。
でもハイランドの水はおいしかったです。

・・・全然歴史の話になってませんね(苦笑)
186世界@名無史さん:02/10/01 20:04
>>185
ショーン・コネリーって、日本でウィスキーのコマーシャルにでて、母国で
抗議されたんだっけw)
187世界@名無史さん:02/10/01 20:11
「スクーン」は今も特別な想いの対象なのかな。
188世界@名無史さん:02/10/01 20:12
ウィスキーの蒸留技術はスコットランドにいつから有ったのだろうか?
(どこから伝わったのか?)
189世界@名無史さん:02/10/01 20:21
>>188
中世にアイルランドから製法が伝わったとか。
190世界@名無史さん:02/10/05 07:21
春にスコットランドの蒸留所めぐりしたけど楽しかったなあ。
幸せですた・・・
191世界@名無史さん:02/10/13 17:57
スコットランドとイングランドの国境が現在の線に画定されたのはいつでしょう?
国境地帯のバーイック?(ベリクと発音か?)の町がイングランドに取られたのはいつだろうか?
国境の変遷についての情報ギボン
192世界@名無史さん:02/10/14 00:06
>191
>バーイック
Berwick=ベリック

英語が読めるなら
ttp://www.scottish-border.co.uk/battles.htm
なんか面白いかも
193世界@名無史さん:02/10/15 23:22
スコットランドの湖はロッホ、山はベン、谷はグレン
194世界@名無史さん:02/10/15 23:25
  話は全然、変わるが、私は、スコットランドと聞くと、どうしても、

      キルトの下は、すっぽんぽん。

と言う事が、気になって、気になって、仕方がないんだが・・・・。
195世界@名無史さん:02/10/16 02:47
>>194
風でめくれた瞬間の画像がどこかに転がってるはずだ・・・・・
196世界@名無史さん:02/10/16 02:57
女性は?
197世界@名無史さん:02/10/16 04:18
ああ。指抜き大のコップでシングルモルト・ウィスキーの香りを楽しみながら
惜しみつつ琥珀の一滴一滴を呑む。

ま、邪道ですがピッチャーの水代わりにアールグレイの紅茶を飲みながら。
でもって、ペンギン業書のリア王を苦労して読む。
深夜の楽しみだて
198世界@名無史さん:02/10/17 00:44
>>193
スコットランドはQケルト語なので「ベン」でなく「キァン」になるはずなんだけど
(マルカム=カンモーの「カン」と同じ。「大きい」「偉大な」という意味)
Pケルト語が混ざってるのが面白いね。
199世界@名無史さん:02/10/17 00:46
>>194-196
たまーに穿いている人もいます>キルトの下
女性のキルトはロングスカートだから普通じゃないかな。
200世界@名無史さん:02/10/17 10:19
密やかに200ゲット・・・・。
201世界@名無史さん:02/10/20 19:09
スコットランドは全員長老派?
202梵阿弥:02/10/20 20:34
スコットランドにもイングランドの酒税を適用し、結果50倍だか百倍だかになった。事実上のイングランド
との一体化、かも知れないがむしろ税率の高い方に合わせただけかも。小売価格の暴騰を防ごうと、
高地では密造が盛んになり、監視のきつい低地では材料や手間を惜しんだ。ゆえに低地の製品には
見るべきものがない。高地でも、イングランドに輸入シェリーの樽が溢れていたのを貯蔵・熟成用に利用し、
麦芽乾燥に廉価な泥炭(ピート)を用いるなど工夫した。
それ以前のスコットランドのウィスキー(アスキ・ボー=命の水)は、或いはアイリッシュ・ウィスキーの
様な物だったのではないでしょうか。あちらは乾燥にターフ炭(ピートより炭化度が高い)を用い、3回蒸留。
>>198
ケルト語にもPとQとあるんですか。因みに最高峰の名をとった酒がベン・ネビスと呼ばれてますが。
203世界@名無史さん:02/10/22 22:31
オークニーとシェトランドは
スコットランドではなかった?
204世界@名無史さん:02/10/22 22:40
スコットランド王国の初期、ブルース、トマス・スタンリーやデイビッド
など珍しい王名がみうけられるがやがてスチュアート王朝に至ってジェイ
ムスやチャールズなどイングランド風の普通の王名になったのは本当に残
念に思う。
205世界@名無史さん:02/10/23 00:43
>204
うーん、でもイングランド王ジェームズ1世=スコットランド王
ジェームズ6世なんだから、必ずしもイングランド風の普通の王名とは
言えないような…
チャールズ1世はイングランドでもスコットランドでも1世だけど。

あとブルースって家の名前では…?
206世界@名無史さん:02/10/25 19:59
ロバート=ブルースだっけ?ロバートってまったくイングランド名だよね。
アンガスとかあからさまなスコットランド名の王様っていないよね。
ドナルド一世とかいてもいいのに。
207ユカリ:02/10/25 20:10
208世界@名無史さん:02/10/25 20:22
>>206 アルピン王家でドナルド一世っていたはず。9世紀頃ね。
ダンカン王もスコティッシュな名前だよね。
209世界@名無史さん:02/10/25 20:50
12世紀のマルカム四世が最後のスコティッシュらしい名前の王様のような気がします。
個人的にはエイ王とかダフ王,インダルフ王が響き的にはいいよね。
210世界@名無史さん:02/10/26 07:26
全然関係ないが、以前K-1にダンカン・ジェームズって選手が出てたね。
211世界@名無史さん:02/10/28 20:50
↑ビートたけしの弟死だった人
212 :02/10/29 00:30
>>203
15世紀にノルウェーの王女様が嫁してきた際の持参金がオークニーとシェトランド諸島でした。
それまでは外国だったんです。住んでた住民がどう思ったかは知りませんが^^;

>>204
ブルースはノルマン系の名前です。上の方にどなたかが書いて下さってたと思います。
ジェイムズは逆にイングランドでは珍しい名前だったのではないでしょうか。
チャールズもノルマン人によってもたらされた名前ですが、イングランドではスチュアート王朝に
なるまで大して一般的ではなかったそうです。

>>202
密造を防ぐためにポットスチルの大きさを制限したって話もありましたね。

アイリッシュとゲーリックは同じQケルト語なので読んだ感じも聞いた感じも似ている
と思います。少し勉強しようと思って2日で挫折しましたが、いずれも美しい言葉です。
ちなみに言語学上のスコティッシュとはゲーリックの影響を受けた英語だそうですが、
私は門外漢なので詳しい方にお任せします。

スコティッシュな名前とは違いますが私はアレクサンダー2世と3世が好きです。
あとケネス・マクアルピンとか・・・。
213世界@名無史さん:02/10/29 05:58
Macって“の子”って言う意味で良かっただろうか?
マクラウドとかマッケンジーだと,
ラウドとかケンジーというスコティッシュな名前があると
考えて良いのだろうか?

マクドナルドやマッカンガスだとドナルドとアンガスだから
分かりいいんだけどね。
214世界@名無史さん:02/10/29 23:30
頭にOがつくのはアイルランド系だったけ?(例:オブライエン等)
215世界@名無史さん:02/10/29 23:35
メアリー・オブ・ギースがでてこないな・・・
216 :02/10/30 00:00
>>213
Mc、O'、Fitz、-sonは「〜の息子」と解釈されてます。Fitzは「子孫」だったかもしれません。
またMcLeod、McKenzieともに英語化された形です。
McLeodはそのまま"son of Leod"という意味で、Leodは北欧(ノース系)の名前です。
マクロード一族の勢力範囲は外ヘブリディーズとスカイ島であることからもその辺が伺えます。
McKenzieはゲール語のMac Coinnich (=son of 'Coinneach' または Kenneth)から来ています。

>>214
O' がつくのはアイルランド系が多いようです。でもこれも英語化された形だそうです。
アイリッシュでは"i"になる筈ですが、これも詳しい方のフォローをお願いしたいですね。

>>215
マリー・ド・ギースはジェイムズ5世の妃でメアリ・スチュアートの母ですね。
彼女にこれといった印象はないのですが、215さんが注目する理由はなんでしょうか?
217215:02/10/30 00:06
>>216
エリザベスの軍隊を何回か撃退してるから
女だてらにつよいんだよねこのおばさん
218215:02/10/30 00:07
あと死に方も謎がおおい
219世界@名無史さん:02/10/30 00:35
1707年の連合後(Kingdom of Great Britainの成立後)、
ロンドン政府はスコットランドの名称をやめて、
North Britainと呼ぼうと試みた形跡があるが、
見事に失敗した。
ジャコバイトはまだ動いていたし、
奴らにすれば、ケルト臭くてどこかうざったいスコットランドを、
名実ともにただの一地方へと貶めたかったんだろう。
イングランドを、South Britainなんて呼ぶ気は、
さらさらなかったくせに。
220世界@名無史さん:02/10/30 00:43
それでもスコットランドの大貴族どもは、
イングランドにべったり。媚びへつらいに一生懸命。
Duke of Brandon, Duke of Dover, Duke of Greenwich
「イングランド風」の爵位をもらって大はしゃぎ。
ロンドンは都会だしねえ。

スコットランドの上流におけるステータスとしての復活は、
19世紀中葉を待たねばならない。
221 :02/10/30 00:51
> Duke of Brandon, Duke of Dover, Duke of Greenwich

どの公爵家も今はもうないですね。
222世界@名無史さん:02/10/30 00:56
>>221
いいえ、Dukedom of Brandonは、
現在もDuke of Hamiltonが継承しています。
今の第15代ハミルトン公爵は、第12代ブランドン公爵でもあります。
223補足:02/10/30 01:03
>>221
「公爵家」というのなら、
ドーヴァー公爵位はクイーンズベリー公爵が、
グリニッジ公爵位はアーガイル公爵が持っていましたから、
「家」はどちらも続いています。
クイーンズベリー公爵位は、
女系子孫のバクルー公爵家へ移り現在に至り、
また男系の傍流が継承したクイーンズベリー侯爵家もあります。
(カタカナで書くと、かなりヘンですね)
224213:02/10/30 05:34
>>216 ありがとう。Leodは北欧系だったんだ。
なんか少し賢くなったなった気がする。
225世界@名無史さん:02/10/31 20:13
マン島はスコットランドだったの?アイルランドだったの?
ケルト文化の島だが
いつから英国になったのだろうか?
226世界@名無史さん:02/10/31 20:21
>>219,220
なんでこうイレこむ馬鹿がいるんだろう・・。
世界史板のレベルの低さを物語ってるな
227世界@名無史さん:02/10/31 20:30
スコットランド独立問題はいったいどうなったんだ?
228世界@名無史さん:02/10/31 22:19
>>226
はぁ?
229219:02/11/01 01:19
>228
おれが>219本人だ。
おれより先に「はぁ?」は謹んでほしい。


ところで>226
君の意見の詳細を聞きたい。
続きがあるなら書くように。
230世界@名無史さん:02/11/01 01:49
>225
マン島は今も「イギリス」ではないですよ。
ガーンジーやジャージー同様、いちおう独自の議会を持ち、
Stateという体裁を持ってます(マン島のみTynwaldという名称)。
イギリス「本国」政府からは、
Lieutenant-Governor いわば総督が派遣されてます。
でもThe Commonwealth(いわゆる英連邦)の一員というわけではない、
不思議な位置づけです。

ちなみに18世紀のこと、
マン島の統治権 Sovereignty を所有していた、
第3代アサル公爵(スコットランド貴族)が、
その統治権を7万ポンドで英国政府に売却したんだそうです。
アサル公爵は、母系の先祖であるイングランドのダービー伯爵家から、
マン島の統治権を相続したといいます。
Sovereignty と言うほどだから、「王国」だったんでしょうか。
231世界@名無史さん:02/11/01 01:54
>>226
ぜひあなたの力で、この板のレベルアップを図ってほしいと期待します。
232世界@名無史さん:02/11/02 17:41
ピクト人の子孫を自称する人って今いるのかな?
233世界@名無史さん:02/11/04 23:23
スコットランドでゴールドラッシュとニュース23で報じていたけど詳細知っている人いる?
234世界@名無史さん:02/11/06 00:45
>>232
系図上、ピクト人の血をひくとされる貴族はいるけど、
自称するほどの人がいるどうか。
日本において、「おれは縄文人の子孫だ」と、
ことさら自称する人がいないのと一緒じゃないか?
「ケルト人」を自称するのと違い、
人に訴えかけるほど、現代にも通じる具体的な背景がない。
観光目的なら別か。
235 :02/11/06 01:46
そもそもピクト人とは何か?という話になってしまうわけで・・・。
現在のスコットランド人にピクト人の血が流れているのも確かだけど、それと同じか
それ以上にノルマン系やアングロサクソン系の血も流れているわけで。
オークニーやルイス島にあるストーンサークルを作った民族と比較すると、ピクト人と
現在のスコットランド人は、人種的にも文化的にもほぼ同一とみなして構わないのでは。
236世界@名無史さん:02/11/11 19:58
保守
237世界@名無史さん:02/11/17 00:50
ピクト人はケルト民族ではなかったの?
238世界@名無史さん:02/11/17 00:54
むしろバスク人に近かったんじゃないか?
239世界@名無史さん:02/11/17 16:16
スコットランド貴族って上院に議席を持っていなかったそうですが、
今でもイングランド貴族とは別扱いなんですか?
240世界@名無史さん:02/11/17 17:24
織物職人の手首を切り落とした連中だろ?
241世界@名無史さん:02/11/17 18:34
>>238
逆。バスク系がケルト系。
242世界@名無史さん:02/11/17 18:37
ピクト人とはローマ人がそう呼んでいただけで、文化的にはケルトと考えて
差し支えないと思う。ただ先住ケルトをピクトとしている場合もある。
ケルト人の定義はあるようでない。
243世界@名無史さん:02/11/17 20:01
>239
スコットランド貴族の代表がロンドンの上院に
送られていたんじゃなかったっけか?(1707年以後)
244世界@名無史さん:02/11/17 21:21
>>239
1963年以来、すべてのスコットランド貴族が、
上院に議席を持つことができるようになりました。

それ以前は、Representative Peerと呼ばれる、
スコットランド貴族の互選による代表16名が、
議席を持っていました。

ただし、スコットランド貴族であっても、
連合以降に創設されたPeerage of Great Britainや
Peerage of the United Kingdomの爵位を別に得たり、
また相続したりすることによって(Peerage of Englandを含む)、
互選でなくても上院議員としての資格を持つ場合が多くありました。
つまり互選で出てくるスコットランド貴族は、
Peerage of Scotlandの爵位のみしか持っていない場合に限られました。
有力なスコットランド貴族のほとんどは、
なにがしかの功績でGreat BritainやUKの爵位を得ており、
すでに上院入りを果たしていました。
245雪だるま:02/11/19 22:27
宗教改革について教えて下さい。
246雪だるま:02/11/19 22:35
やっぱり宗教改革者ジョン・ノックスが大きな役割を果たしたのでしょうか?
247雪だるま:02/11/19 22:44
宗教改革の年は1560年という見方が一般的で、女王メアリの帰国でまた一悶着あるのですが。
一方で宗教改革はそれまでの親フランス反イングランド政策が逆転した外交革命でもあったようです。
248世界@名無史さん:02/11/19 23:05
ホントにケチン坊なの?
249世界@名無史さん:02/11/30 00:39
スコティッシュが特にケチという訳ではないです。
250世界@名無史さん:02/11/30 00:39
>>248
ケチというならフランス人やオランダ人も・・・
251世界@名無史さん:02/11/30 10:19
スコティッシュはケチ
アイリッシュはバカ
イングリッシュとウェーリッシュはなんだっけ?
252世界@名無史さん:02/12/01 23:02
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1038638883/l50
【国際】民族衣装キルトの下には下着も何も着用しない スコットランド調査
253世界@名無史さん:02/12/02 20:02
>>252
穿いてるのもいるよ(確認済)

宗教改革というより政治的なバランスの問題じゃないの?
その辺は不得手だスマソ
254世界@名無史さん:02/12/03 19:06
女性もキルト着ているの?
255世界@名無史さん:02/12/03 19:37
>>254
女性の場合、「キルトスカート」というのをはくそうです。
256世界@名無史さん:02/12/04 15:42
スコットランド女性もノーパンではいてるの?
257世界@名無史さん:02/12/09 13:05
ttp://www.yomiuri.co.jp/00/20021209i203.htm
世界遺産の英エディンバラ、歴史的建造物十数棟全焼【ロンドン9日=土生修一】

英国北部スコットランドのエディンバラ市旧市街で、7日夜、火災が発生、
強風の影響で消火活動が難航、8日夕になってようやくほぼ鎮火した。
旧市街は、中世に建造されたレンガ造りの建物が並び、国連教育・科学・
文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている。今回の火災で、
喜劇専用劇場など歴史的建造物を含む十数棟が全焼したが、エディンバラ城や
聖ジャイルズ大聖堂などは無事だった。住民にも死傷者は出ていない。

258世界@名無史さん:02/12/10 23:00
>>252-256
  東浦義雄氏著「スコットランドXIの謎」大修館書店刊 によると、キルトの下に
下着を着ける様になったのは、基本的には、第二次世界大戦後との由。が、現在でも、
旧来の慣習を頑なに守り、下着を着けない人も散見されるとの事。
  すると、第一次世界大戦に参戦した、スコットランド高地連隊の兵士達は、皆、
ノーパンで戦争したのですね・・・・(;

  あと、>>255-256で、男はノーパンで、女は、ちゃんと下着を着けているって
言うのに、なんだか、とっても、萌え〜♪ ・・・・って、変ですか?
259世界@名無史さん:02/12/14 04:15
260世界@名無史さん:02/12/19 20:45
スコットランド、ブレア城のアトール公爵は、現在英国で、私兵を持つことを
許されているただひとつの貴族なのだそうです。
261世界@名無史さん:02/12/19 22:29
>>260
それはまたいかなる理由で?
262世界@名無史さん:02/12/19 23:42
ハリポタ
263世界@名無史さん:02/12/19 23:43
タータンキルト、バグパイプ マンセー!
264世界@名無史さん:02/12/19 23:44
ハイランド・ダンス モエ〜!
265世界@名無史さん:02/12/24 21:14
どこから北がハイランドなのですか?
266九弐八               :02/12/24 22:22
267世界@名無史さん:02/12/27 12:59
>>260
たしかに理屈のうえでは、
私兵を持つことを許されている唯一の貴族にちがいないけど、
そう書いてしまうと大げさじゃないだろうか。
そのAtholl Highlandersは、
1777年に77th Regiment of Footとして、
創設された正規軍の連隊だったが、1783年には廃止された。
(そのころの英国における正規軍という定義はあいまいだが)
19世紀に入って、スコットランドに親密になった王室をもてなすため、
公爵家が a ceremonial unit として1839年に「再創設」したもの。
実戦にはもちろん対応できない。
そのへんは、The Royal Company of Archers (Queen's Body Guard for Scotland)と同様。

あと、カタカナ表記するとしたら、アトールじゃなくて、
アサルかアソルのほうがよかったんじゃないか?
268世界@名無史さん:02/12/30 02:07
スコットランド王国の話より、
ただ単にスコットランドのよもやま話ばかりになっちゃったこのスレ。
漱石の倫敦塔を読むと面白い。
270 :02/12/30 02:43
キモイ
271世界@名無史さん:03/01/01 19:29
イングランドって第2次世界大戦でいうならばナチみたい!!
悪役だぽ
そういえば今夜テレビでブレイブハートが流れるぽ 見るぽ!!
しかしスターリンブリッジの戦いって映画と全く違うようですね
それも仕方ないか?
272世界@名無史さん:03/01/02 08:58
大晦日にロブ・ロイとブレイブハートをDVDで購入。
2本続けてみてたら年が明けていますた。
273世界@名無史さん:03/01/02 12:53
ギブソンの「ブレイブ・ハート」、昨日TVでやってたので見ますた。
何か切ないよね、ウォレスの最後って、処刑のシーン、前に見たドパル
デューの「ダンカン」思い出しちゃったよ。西洋史やってて指導教授が
英国中世史だったのにこの時代だけ何故か飛んじゃっていたよ(俺自身
は中世ドイツ史だったけど) 映画見た後史実を検証するためスコット
ランドに関する本読んだけど、ロバート・ド・ブルースって卑怯な奴だ
な。敵のエドワード1世についてみたり、王位を争っていたジョン・カ
ミンなる人物を教会で口論の末殺害してみたり、権謀術数の塊みたいな
奴だ。挙句の果てには映画では「ウォレスの意思をついで闘う」だと?
愛国者売っておいてそんなことよく言えたもんだ、それを知ったおかげ
で最後のシーンは正直萎えたよ。あとこの映画で印象にあったのはソフ
ィ−マルソー演ずる皇太子妃イザベル・ド・フランスだね。いやはや何
とも怖い女だね、彼女ものちエドワード2世の皇后になるんだけど、お
つむの足りない国王を側近と謀って幽閉し廃位してしまうんだよね。
そして、ウォレスの間に産まれた赤ちゃん(?)がのちフランスとの百年
戦争をおっぱじめるエドワード3世だっていうんだから笑っちゃうよね。
それにしてもメル・ギブソンは格好良すぎ。
274世界@名無史さん:03/01/03 13:29
ロバート・ブルースって、アッサム茶の発見者も同じ名前ですね。
どうでもいい話でした。
275世界@名無史さん:03/01/03 19:38
ウォレスという姓は現在の英国に多い
276世界@名無史さん:03/01/03 20:03
>>273
>ロバート・ド・ブルースって卑怯な奴だな。
>敵のエドワード1世についてみたり、王位を争っていたジョン・カミンなる人物を教会で口論の末殺害してみたり、
>権謀術数の塊みたいな奴だ。

ジョン・カミンには王位継承権無く、姻戚関係にあったジョン・ベイリオルの支持者ですた。
当時はブルース一門とベイリオル一門が王位を争っており、
ロバートにも「ベイリオルには頭を下げられない」という譲れない一線があったのです。
あと、当時は明確な「国」の概念がないので、スコットランド貴族がイングランド王に臣従するのも希ではありませんでした。
ジョン・カミンもジョン・ベイリオルもエドワードに頭を下げた点では同類です。

「権謀術数の塊」というのはそうだと思うけど、ブルース家は独立戦争でロバートの弟全てを失っています。
ユダヤのマカベウス家やオランダのオランィエ家みたいなものです。
ロバートには彼なりの大義があって、単純なオポチュニストとしては括れないように思うのですが。

>スコットランドに関する本読んだけど、
もしかして森護「スコットランド王国史話」?
277ひよっこ:03/01/03 22:11
エドワード二世に傀儡として王位につけてられ、それに怒ってイングランドへの忠誠を止め廃位にされちゃった人がいるっていうのをみたことが有るんですけど
その資料にはベイリオルとしかかれてなかったんですよ。だから私ベイリオルっていう気概のある人物がいると思ってたんですけど、ベイリオルって名字なんですね。
この「ベイリオル」はウィリアム・ウォレスが支持していたというジョン・ベイリオルなんでしょうか?(この話曖昧で申し訳ないのですが)
278ひよっこ:03/01/03 22:18
>>277
ごめんなさい
エドワード二世→エドワード一世の間違いです。
279  :03/01/03 22:28
あのですね、顔を青く塗るウォーペイントは、ケルトの伝統でしたっけ?
280世界@名無史さん:03/01/04 18:46
ウィリアム・ウォレスとウィリアム・テル、ガチンコで勝負したらどっちが強い?
281世界@名無史さん:03/01/04 22:03
>>277
>この「ベイリオル」はウィリアム・ウォレスが支持していたというジョン・ベイリオルなんでしょうか?
そうですね。

1290年に前王朝の最後の君主・マーガレット(「ノルウェイの乙女」Maid of Norway)が死ぬと、
90〜92年のGreat Causeと呼ばれる訴訟において、英王エドワード1世の裁定によりジョン・ベイリオルが王位に就きます。
(この時敗訴したのが、ロバートの祖父・同名ロバート・ブルース。
 ちなみに「ブレイブ・ハート」ではロバートの父・同名ロバートは権謀術数に長けた悪辣な人物として描かれていましたが、
 史実では父と息子に挟まれた影の薄い人物で息子の挙兵前にイングランドで病没している。)

即位後のジョン・ベイリオルは、エドワードを上位君主として認めさせられます。
(エドワードへの臣従礼の強要。裁判の上訴権の英王への集中。封建的義務としての対仏戦争への従軍。)
それに対する一部スコットランド貴族の暴発に引きずられる形で、1295年にジョン・ベイリオルは挙兵。
翌96年、ダンバー(Dunbar)の戦いで敗北・幽閉され王権をエドワードに譲渡することを余儀なくされます。
(ちなみにその後は数年各地をたらい回しにされたあと、ピカルディの本貫地で一貴族として病没。)

ウィリアム・ウォレスの実質的な活躍期間は1297年の挙兵から98年のフォルカークの敗戦までで、
この間、彼はジョン・ベイリオルを代理する、スコットランドのGurdianとして支配しました。
(ウォレスは1305年に逮捕・処刑。ロバートの挙兵・即位は1306年です。)

気概ある人物だったかどうかはわかりませんが、
私欲もあったにせよ善意で行ったことが裏目に出た人物(王兆銘やペタンに似ている)、
見通しの甘さゆえに時代に翻弄された人物、のように思われます。
(ちなみに息子のエドワード・ベイリオルも英王エドワード3世のコマとして、全く同じ様な傀儡人生を送りました。悲惨。)
282ひよっこ:03/01/05 15:46
見通しの甘い人かぁ・・・そういう人だからエドワードもジョンさんを選んだんでしょうか。
そんな他国の王に決定させるなッて感じなんですけど、王族がいなくて貴族同士が争ってたんだから仕方がないんですね。
それにしても何時からそんなことに?何が原因なんでしょう?建国当初からって事はないと思うんですけど・・・
敗因は欲に任せてイギリスの土地貰っちゃったことなのかなぁ。そもそも国の概念に乏しかったというし。
初代の王様はケニス・マックアルピンって人だと思ってたんですけど、このとき建国したのピクド人との連合国・・・独立の重要性ってわからないです・・
何か無理言わずに平和的にやっちゃえばあんまり文句なさそうだし文化は自然に消えちゃうのはしょうがないにしても
ある程度守ってあげれば支配者が変わるだけのような。・・これが国の概念のない古代の考え方ですかね?
近代だったら文化が消えちゃうのが嫌で独立を保とうとする?
(子供なぜなに教室みたいになってしまった・・ごめんなさい)
>>279
 青いウォーペイントはピクド人の文化だったらしいです。
・・・ピクド人てケルトとは別です?(無知)
283世界@名無史さん:03/01/05 17:01
スチュアート家はいつ歴史の表舞台に登場してくるのですか?
284山崎渉:03/01/11 13:05
(^^)
285世界@名無史さん:03/01/13 11:25
カナダのノバスコシア(新スコットランドという意味)とスコットランドの関係は?
スコットランドが独自に植民地を持っていたの?
286世界@名無史さん:03/01/15 20:51
フォイヤーズの滝について詳しく教えてください。
歴史的なことを知りたいのですが、文献がなくて困ってます。
287世界@名無史さん:03/01/22 23:33
>>283
スチュアート家はもともとはスコットランド王家と血縁関係があり、
スコットランドの宮宰(スチュアード)の地位にあったためここから家名が生まれたらしい。
スチュアート家最初の国王はロバート2世(在位1371〜1390)
288世界@名無史さん:03/01/23 22:36
>>39>>45でガイシュツだが、フランク・レンウィック著の「とびきり哀しいスコットランド史」
は実におもしろかった。
スコットランドの悲惨な歴史を淡々と綴っているのだが、決して卑屈になっていないところがいい。
289世界@名無史さん:03/01/23 23:57
ちなみに、スチュアート家の男系の先祖はブリトン人。
スコットランドへブリテン島の南のほうから移ってきた。
290世界@名無史さん:03/01/24 01:03
>>289
>ブリトン人
なんでも開化政策をとったデイヴィッド1世がウォルター・フィッツアラン(アランというのはブルターニュにありがちな名前)を招聘し、
これにハイ・ステュワード職を授けたのが1158年頃ということらしいですね。

フィッツアラン家はブルターニュでもDolの司教の下で家宰職についていたそうですから、
「オレ、地元じゃスッチーでブイブイ言わせてたんスよ。ここでもそう呼んでください。」とかなんとか言って
ハイ・スチュアード職を貰ったのではないだろうか・・・
291世界@名無史さん
保守