余である。
再び宮廷を開きたいと思う。
欧州の王侯、貴族の家系に関する質問・意見を諸卿にお願いする。
以前の反省を込めて簡潔なレスを心がけるゆえ
よろしくお願いしたい。
なお余は最近イングランドの封建貴族達の家系を
重点的に調べておるが分からぬことも多いゆえ
諸卿の知恵を拝借したいとも考えておるぞ。
2 :
世界@名無史さん:02/02/22 13:42
陛下・・・。おなつかしや・・・・。
3 :
世界@名無史さん:02/02/22 13:43
過去スレを探しておくぐらいの労力を惜しまず、また
溜まっていた嘆願書にもお目をお通して頂けると臣は無情の
幸福にございます・・・・。
4 :
世界@名無史さん:02/02/22 13:54
お久し振りで御座います、陛下。
上げ荒らしと呼ばれるの恐れ、夏の離宮を沈めてより早4ヶ月。
その間、王侯系スレが増えましたが、我々もまた、更なる発展
を遂げるべく、邁進する所存。以後よしなに・・・
カール大帝陛下
お久しぶりで御座います。
陛下のご帰国、本当にお待ちしておりました。
また愚問ばかりで
お手を煩わすことと思いますが
どうか宜しくお願い致します。
カール大帝陛下
早速ですが、寛大なお言葉に甘えてお尋ねしたいことがございます。
以前にブルボン・パルマ家についてお答えいただいた時に
あちこちの継承権を主張し、あまり評判が宜しくないとのことでしたが
ブルボン・パルマ家は一体、どれだけの王冠を要求しているのでしょうか?
なお、私が妥当と思うのは、パルマ公国とナバラ王国です。
(後者については、ブルボン・パルマ家がアンリ5世の女系相続人であることから
主張としては妥当かな?と思いまして。)
8 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/02/23 02:25
大帝陛下の宮殿に傭兵風情が参内するのは恐縮なのですが、お情けにすがりたき
儀がございます。
スコットランド貴族でドラモンド家・レスリー家はエドモンド剛勇王のご子息で
あらせらえますエドワード・エグザイル卿が亡命先のハンガリーからご帰国あそ
ばされた際に随伴されたマジャール人の末裔との噂を耳にいたしましたが、これ
は真実でございましょうや?
無知な私めにご教示くださいませ。
エドモンド剛勇王って在位一年で戦死した人だよね…
イングランド王の息子についてきた人がスコットランド貴族に
なるってちょっと不思議かも。
陛下、オーストリアの宰相であり陛下の寵臣であったカウニッツでございます。
宮廷の復活、心よりお祝い申し上げます。
陛下、かのシェークスピアが、
否定しておりますサリカ法典とは何でしょう?
英国王は、これによってフランスの王位継承ができないそうです。
12 :
世界@名無史さん:02/02/25 09:25
すげえ
殿下とカウ二ッツさんが、復活してる
お久しぶりですねー
陛下、このスレももう少し勢いが欲しいですね……
14 :
世界@名無史さん:02/02/25 18:21
ぉ
何だか懐かしい雰囲気ですね(^^)。
kiui 様
陛下が後ほどお答えくださると思いますが
サリカ法典は、そもそもはフランクのサリ族の継承法で
女子の土地相続を禁じているものだそうです。
フランスではカペー家断絶後に
この法典を根拠に女子及び女系男子による
王位継承を拒みヴァロア家に王位が継承されたのですが
当時としては、かなり強引な法解釈だったようで
英仏百年戦争の原因になってしまいました。
(そもそもサリカ法典で女子の王位継承権を否定できるのかという
根本的問題と女系とはいえ男子の継承まで否定できるのかという
疑問が少なからずあったようです。)
16 :
世界@名無史さん:02/02/26 23:46
かのフランシスコ・デ・ザビエルはナバラ王国
(教皇が認可した王号の「王」が居たのか?どうかは知りませんが)
の宰相の息子だったそうです。
彼はバスク民族なのに、
カール大帝陛下の血を引くと書いた本がありましたが、まことでしょうか?
カールよ。
やるならやれ。
やらないならやるな。
余である。
ドラモンド家の件でひっかかっておる。
もう少しまってくれい
19 :
世界@名無史さん:02/02/28 14:29
1・18は偽者であると思われ
20 :
世界@名無史さん:02/02/28 14:30
ドラモンドってアーノルド坊や(彼いまどうしとんぢゃろう?)
の里親。
余である。
ドラえもんの件で殺されかかっておる。
誰か助けてくれい
22 :
世界@名無史さん:02/03/04 21:03
21も偽者と思われ
23 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/03/05 23:14
カール大帝陛下
拙者がブダの王宮で耳にしたところでは、
ドラモンド家の方々は自らの祖先はハンガリーの王族
であると言っておられるそうです。
24 :
世界@名無史さん:02/03/06 19:34
カール崩御
25 :
世界@名無史さん:02/03/06 20:27
カウニッツ閣下か、るさんにでも引き継いでもらえないの?ここ?
もし、本物の大帝陛下がお戻りになったら御霊でご降臨頂くとして。
このままじゃせっかくの宮廷があんまりの状態だし。
私には無理でしょう……。「せっかくの宮廷」なんですけどね〜。
27 :
オトラント公:02/03/07 20:17
陛下御自ら宮廷を統べ給わぬ限り
小官のような氏素性の知れぬ成り上がり者が何時の間にか
宮廷を牛耳るようになりますぞ。
28 :
オトラント公:02/03/07 20:23
ほれ、ナポリ王ジョアシャンもといヨアキム、ヌシャテル大公ルイ、
ダルマティア公ニコラス、否自称ポルトガル王ニコラス1世・・・。
小官と似たような連中が続々とやって参りました。
「青い血」を持つ者の影が薄くなっても知りませぬぞ。
29 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/03/07 21:31
すでに拙者のような傭兵隊長風情が宮中に出入りしておるし・・・。
30 :
ロイヒテンベルク公ウジェーヌ:02/03/07 21:43
元々子爵だし、私の血は今や欧州各国の王家に伝わってるから
参内してもいいですな?
31 :
世界@名無史さん:02/03/08 19:20
貴族の称号と、実際に持っている領地は絶対に一致するのですか?
オルレアン公の子孫は パリ伯爵を名乗っているようですけど、
パリがフランス王以外の領地になった(ことがある)のですか?
パリいうのは市民が自治を持つ「都市」とは違ったのですか?
32 :
世界@名無史さん:02/03/17 20:38
柏書房の『レンヌ=ル=シャトーの謎』
この本はオカルトでしょうか?
これによると、フランスには今でも
(キリストの血をひき、テンプル騎士団ともつながると称する)
メロビング家に王位を奪還しようと企てている
秘密結社が存在するそうです。(藁)
>32さん
フィクションとして読めば面白い本でしたね(^^)。
(イエス〜現当主までの家系図が欲しいものです。)
34 :
世界@名無史さん:02/03/18 02:06
32です
件の本のなかでハプスブルグ家はメロビングの末裔であるかのように
書かれていますが、これは一般でも認められているのですか?
そもそもメロビングを称する貴族がまだ居るのでしょうか?
35 :
世界@名無史さん:02/04/24 00:43
age
36 :
世界@名無史さん:02/05/04 12:10
>31
近世では一致しない、ことが多い。
君主制が一度駄目になった以降に名乗った爵位はその傾向が強い。
(タイトルは与えることは簡単だが、領地は簡単にはできない)
パリ伯のタイトルは、単にフランス王家の子孫であることを主張するためのモン。
(かつてカペー家の先祖がパリ伯だったことによるものか)
UKの爵位と領地は必ずしも一致していない(どころかUKに住んでないとか借家にいる貴族もいる)。
ただ、古くから同一のタイトルを持つ家の爵位は、もともとの領地を示すことが多い。
余である。
ADSLを導入できたのでなかなか快適じゃ。
さて・・・なるべく簡潔な答えを心掛けるぞ。
>2〜6
まあ、色々あるが今後ともよしなに頼むぞ。
>7
まあ血統から言えばパルマもナヴァラも継承権を主張はできる。
しかしナヴァラについてはブルボン家の家長を主張している
スペインの系統の方が優先となるかの?
>8
遅くなってすまん。
結論から言うと・・・分からなかったのじゃ。
ドラモンド家もレスリー家もスコットランドの有力な家系ではあるが
余の記録室ではハンガリーにまで辿ることはできなんだ。
しかしイングランドやスコットランドでは
外来の者が土着民族が後の貴族になった例は珍しくない。
現リンスター公(アイルランドの公爵)で有名な
フィッツジェラルド家も、
サクソン王家統治時代に遡れば
イタリアのフローレンスから来たジェラルドという者に辿りつくのじゃ。
なお、ドラモンド家はスコットランド王妃も出しているし、
子孫は後にパース伯になっている。
レスリー家はローズ伯(読み方が違うかな?)になっているぞ。
>>9 国境の概念のない当時の方がロマンがあるの。
>>10 元気な姿を楽しみにしておるぞ
40 :
世界@名無史さん:02/05/05 01:09
?
>>11 ロイヤルプリテンダー殿のありがたい解説の通りじゃ。
まあ、サリカ法典そのものは
フランス王フィリップ五世が自身のために無理やり持ち出してきたものじゃ。
ルイ十世の娘ジャンヌはまだ幼かったため
多くの聖俗諸侯の支持を集めることができたのだと余は推測しておる。
>>12 参内するように。
>>13 卿の重責は重いと心得てもらいたいぞ。
>>14 参内せよ。
>>15 卿にもかねてから世話になっており余は感謝すておる。
今後も宮廷活動に励んでもらいたいと余は期待しているぞ。
>>16 かの有名なザビエルが余の子孫の一人とな?
余は寡聞にしてそうした記述の書物を知らぬ。
書名を教えてくれぬか。
可能性があるとすれば・・・
ナヴァラ王となったブロワ家の庶子の血筋が
入っているぐらいかとは思うが・・・
>>23 すまぬ、分からぬ。ハンガリーの王族というと・・・
>>24 不正解
>>25 余の不徳と致すところだった。許せ。
>>26 宮廷の門は常に開いておるぞ。
>>27 >>28 >>29 余は成り上がり者も大歓迎じゃ。
王侯といえど古に遡れば羊飼い。
さらに宮廷には昔から様々な人間が集うことから華やいだのじゃ。
誰でも集える宮廷にすることが余の目標じゃ。
>>30 ボーアルネ家の爵位は彼の祖父が海軍軍人であったことから
名乗ったものでありごく新しいものじゃ。
しかし現在の王族には多く血が入っておるのは驚嘆すべきことじゃ。
初代ロイヒテンベルク公は傑物だったと余は考えておる。
しかし余は封建時代以後の各国貴族の家系については
苦手なほうじゃ・・・
>>31 古はともかくとして現在は一致するものではない。
オルレアン家のパリ伯はカペー家の先祖が
パリ伯を称していたことに由来しておる。
古のパリは住民と聖俗諸侯の権利が入り混じっていたものであった。
特にパリは司教区でもあり修道院も多かったので
聖職者の権力は街の発達に大きな関わりを持っておる。
因みに現在貴族制度がしっかり残っている英国でも
タイトル(爵位)と領地は一致するものではない。
>>32 >>33 余はその書物を未だ読んでいないのだが
メロヴィング王家が現存しているというのはありえぬ。
オカルトというか、宗教というか・・・
そもそも「メロヴィング王家」を持ち出すあたりに
説得力のかけらもないと余は思う。
>>34 ハプスブルク家はメロヴィング家の子孫とは一般に認められていない。
そう一部の者が主張したことはあったらしいがの。
また現在メロヴィング家の血統の繋がりが認められる家系もない。
そもそもカロリング朝以来、どの王侯もメロヴィング王家には
目もくれていないといってよかろう。
>>35 参内するように。そして熱い想いをぶつけるように。
>>36 おお。ありがとう。その通りじゃ。
フランスなどではかつての有名な爵位が新しい貴族に与えられることも
しばしばあったようじゃ。
英国はまだ領地と爵位が一致することが多いほうじゃの。
特にスコットランドでは今も封建大貴族の家系が残っておる。
さて、夜も更けてきた。
余は明日も執務があるゆえ夜に宮廷に現れるであろう。
諸卿よ。
余の宮廷の扉は常に開かれておる。
熱い質問や想いをぶつけてくれるよう期待しておるぞ
50 :
世界@名無史さん:02/05/05 11:32
陛下。現在のイギリスに「領地」なるものが現存するのですか。
チャールズ皇太子が東京都の面積に匹敵する領地の領主なんてことも
聞いた事があるのですが…。あるとすればそこの住人は領主に税金を払ったり
など、領主の支配を受けてるのでしょうか。
>>50 「領地」というか「所有地」じゃの。
裁判権や徴税権はないので「支配」ということはないの。
しかし小作人というか土地を借りている者から地代は当然入る。
近代に入ってから多くの貴族が土地を売却したので
広大な領地を持っている領主は少なくなったが
大は公爵から小はジェントリ階級の末裔までまだ結構残っておる。
大きい所で有名なのはバクルー公爵やノーサンバーランド公爵、
ダービー伯爵などかの。
小さい所で言えば・・・アガサ・クリスティーの小説などには
第一次大戦後のそういった階級の苦悩がよく描かれておるの。
陛下が復活された!万歳!
>>52 早速参内してくれて嬉しいかぎりじゃ。
本物ゆえに宜しく頼むぞ。
>51
ありがとうございます。領主といっても一坪の耕地も所有してなかった
近世日本の大名とは異なるのですね。
復活おめでとう! カールよ!応援するぜ!
ファイト! 闘う君の歌をー 闘わない奴等が笑うだろー
陛下、無事のご帰国
おめでとうございます。
57 :
それにつけてもおやつは:02/05/07 23:06
>>51 陛下!
ドイツやフランス国内でも、現在も所有地なるものをお許しになっておられるのですか?
余である。
早速いくぞ。
>>54 土地所有の恩恵は近代に入ってからも」
都市の発展に伴う地価上昇という形で貴族に富をもたらしておる。
有名なダービー伯爵家の領地はマンチェスター市に領地を
多く持っていたため市の発展によってずいぶんと価値が高まったのじゃ。
その点、日本の大名などはそうした恩恵を受けることは出来なかったの。
>>55 うむ。勇気をしかと貰ったぞ。
>>56 おお!今後とも参内を頼むぞ。
>>57 もちろん一般の財産としての所有は認められておる。
ただし旧東ドイツは別だがの。
フランスでは中世よりの名門の殆どが姿を消しておるが
今も大土地所有者である場合は多少はあるようじゃの。
60 :
世界@名無史さん:02/05/10 22:23
どうして西南ドイツのバーデン・ビュルテンベルクに
ホーエンツォルレン家のプロイセンの領土の飛び地(ジークマリンゲン?)が
ナチス敗戦まで有ったのでしょうか?
スイスのヌーシャテル州もホーエンツォルレン家の領地だったそうです?
61 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/05/11 01:21
大帝陛下
傭兵風情に参内を許可いただき恐悦至極に存じます。
さて、かのドラモンド家の祖先の件ですが、小生が調べましたところ、
やはりその祖はハンガリー王のアンドラーシュ1世の息子でモーリス
なる御仁との伝承があるそうです。
閑話休題
ホーエンツォレルンという蒸気機関車のメーカーがかつてドイツに存
在しておりましたが、これはプロイセンの王家となんらかの関係があ
ったものとみてよろしいでしょうか?
余もだいぶ更けてきておるが
帝王たるもの弱音は吐かぬ。
元気よくいくぞ!
>>60 うむ。これは結論から言えば南西ドイツにこそ
ホーヘンツォレルン家の元々の所領があったからじゃ。
かの家系は南西ドイツシュヴァーベン地方にあった
ツォレルン城とその周囲の領主として歴史に出てきておる。
1201年に死んだフリードリヒまでは家系はまあ統一されていたが
このフリードリヒこそが1192年にフランケン地方の
ニュルンベルク城伯となったことが
そして家系が分裂、そして発展する源となるのじゃ。
長男のフリードリヒはシュヴァーベンの父祖伝来の所領を受けつぎ
ホーヘンツォレルン伯に、
次男のコンラートはニュルンベルク城伯となる。
後にプロイセン王となるのはこの後者の子孫じゃ。
そして前者は主にヘッチンゲン系とジグマリンゲン系に分かれていく。
ジグマリンゲン系は家系が断絶せず残り後に普仏戦争の引き金となる
ポルトガル王位継承問題の時に脚光を浴びることになる。
ちと分かりにくい文になってすまぬ。
ホーヘンツォレルン=ジグマリンゲン侯は同じ家系でも
プロイセン王とは別の領主だったというわけじゃ。
それとヌーシャテル(ノイフシャテル)の件は
ナチス敗戦時にホーヘンツォレルン家の領地であったのかは
余も良く知らぬ。
かの地は元々ブルグント自由伯領の中に位置し、
ヌーシャテル家と呼ばれる領主の家系が15世紀まで保持していた。
16世紀に嫡系が断絶した後は
姻戚関係に連なるフランス貴族の間を転々と渡った土地である。
>>61 ようこそ、傭兵隊長。ようこそ。
余は勇ましい者が大好きじゃ。
アドンラーシュ一世というとサロモン王の父王のことかな?
遺憾ながら余の記録室にはモーリスという名の王子が見当たらぬ。
是非とも確かめたいものじゃ。
それと蒸気機関車メーカーにそのような名前があるのか!
うーむ・・・
近代に入れば王家も当然投資をしているわけだから
ひょっとしたら関連はあるやもしれん。
またホーヘンツォレルン=ジグマリンゲン家の関連かもしれぬ。
宮廷に集う諸卿の中に分かるものはおらぬか?
いつもながら隊長の博識と興味の広さに
余は驚かされるぞ。
65 :
世界@名無史さん:02/05/13 11:53
ド・ゴール
マルキ・ド・サド
「ド」の付くフランス人は
全員貴族ですか?
66 :
世界@名無史さん:02/05/13 16:19
ウェールズも公国?
だから英国皇太子も
「ウェールズの王子」というより、
「ウェールズ公爵」と言うほうが正しいのでは?
67 :
世界@名無史さん:02/05/13 21:49
マクシミリアン・ド・ロベスピエールは貴族ではない。
68 :
世界@名無史さん:02/05/13 22:05
シモン・ド・モンフォール
69 :
世界@名無史さん:02/05/13 22:24
>60
正確にはプロイセン州の飛び地が西南ドイツに
ナチス敗戦の頃まで有ったということのはず。
敗戦後そのプロイセン飛び地とバーデンとビュルテンベルグを合併して
バーデン・ビュルテンベルグ州が成立、ということのはず。
スイスのヌーシャテル(ノイエンブルク)州は
(正確な年代は忘れてごめんなさい)
ヌーシャテル州を含むスイスが独立した後も
プロイセン王がヌーシャテル州の君主であったらしい。
しかし後に反プロイセン派が勝って、
プロイセン王は、ノイエンブルグの領主としての権利は
称号だけ残った、とのことらしい。
プロイセンには飛び地があちらこちらにあった。
70 :
世界@名無史さん:02/05/13 22:25
親父の方はフランス貴族、息子の方はイングランド貴族だろ?
71 :
世界@名無史さん:02/05/13 22:31
昔どっかで、ジャンヌ・ダルク貴族説読んだ時、
ジャンヌ・ド・ルク(確かこんなんだった)
とも読めるからとか何とか書いてあった。
あ、おうさまがもどられた
イングランド以外は駄目なの?
Jeanne d'Arcだなもし。
彼女は王族です。(おい
74 :
世界@名無史さん:02/05/14 00:58
ナンシーのドンレミの平民の少女でしたよね?
間違っていたらゴメン。
76 :
世界@名無史さん:02/05/15 02:16
カール崩御
余である。
崩御するにはまだ早いと余は思う。
それはそれとして始めるぞ。
>>65 「de」が付けば貴族というものではない。
中世においても貴族以外の者でも
「de」をつけていた者は多いぞ。
>>66 ウェイルズのネイティヴプリンスを王と訳すか
公または侯と訳すかは意見の分かれるところじゃ。
プリンスオブウェイルズがイングランド王太子の
称号となってからは
余は「親王」とお手製の系図には書き込んでおるぞ。
>>67 大正解。「de」の件じゃな。
>>68 イル・ド・フランス地方のモンフォール・ル・アモーリィ家は
シモンとアモーリィだらけじゃ。
最も有名なシモンはアルビジョワ十字軍の大将だった
シモン五世かその息子六世かの。
>>69 おお、卿は詳しいの。
ヌーシャテルはどのような経緯でプロイセンの飛び地になったのかのー?
西部ドイツとの繋がりといえばヘッチンゲン系かジグマリンゲン系、
そしてベルク家の遺産継承かの?
>>70 これはシモン・ド・モンフォールについてかの?
当てはまるはシモン五世じゃの。
父はシモン四世、母はイングランドでレスター伯に叙された
ボウモン家の出身じゃの。
しかしまあボウモン家もイングランド貴族というよりは
フランス貴族といえるのではないかな?
>>71 ジャンヌ・ダルクは貴族出身ではないと余も考えておる。
しかしこの時代、貴族といってもピンキリあったわけじゃ。
貴族出身でなくとも十分のしあがれた時代じゃの。
>>72 おお。深酒は体を壊すもとゆえほどほどにされよ。
勿論イングランド以外も大歓迎じゃ。
熱き魂をぶつけて欲しいぞ。
>>73 その語尾はなんであっただろうか?
>>74 余の宮廷は寛容である。
>>75 ドンレミ村はこの時代はロートリンゲン公の領地であったかの?
これは「る」殿が詳しいのではないかの?
ドンレミ村はナンシー市に所属してはいなかったような気がするの。
うろ覚えでスマソ・・・
>>76 まだ早い。
心を入れ替えて参内せよ。
諸卿の熱い想いを余は待っておるぞ!!
82 :
ハールーン・アッラシード:02/05/16 00:59
大帝陛下、お久しうございます。
早速ですが、陛下のご意見を賜りたい案件を持って参りました。
某私大の過去問らしいのですが、どの選択肢が正しいのかご説明をしていただけないでせうか?
設問:プロイセンに関する記述として適切なものを下記の中から一つ選べ。
@12世紀初めにポーランドのマゾビア(マゾフシェ)公は、プロイセン人を服属させるためにロシア騎士修道会を招致した。
A16世紀の領邦君主であったアルブレヒトは行政および財政を改革し、教会秩序を整えたが、ケーニヒスベルク大学創設に失敗した。
Bブランデンブルク選帝候フリードリヒ3世はスペイン継承戦争で皇帝を支援し、プロイセン公国を王国に昇格させることに成功した。
Cフリードリヒ=ビィルヘルム1世は華やかな宮廷文化を開花させ、文化面でもプロイセンをフランスやオーストリアという列強と並び立たせた。
83 :
世界@名無史さん:02/05/16 01:15
>82
これは簡単でしょう。Bですね。
>>82 詳しい説明は陛下にしていただきましょう!
86 :
世界@名無史さん:02/05/16 17:56
>>84 他の選択肢が誤りである理由をお願いします。
>>86 ×の所:@ロシア騎士修道会、Aケーニヒスベルク大学創設に失敗した
Cはフリードリヒ=ビィルヘルム1世ではなく、フリードリヒ2世(大王)が適当。
@→(1)
A→(2)
B→(3)
C→(4)
機種依存文字スマソ。文字バケしてました?
90 :
世界@名無史さん:02/05/16 23:14
>>87 「ロシア騎士修道会」「ケーニヒスベルク大学」はそれぞれ何であれば正しいですか?
>>90 受験生ですか?
教えてしまうのは簡単ですが、御自分で調べるのも勉強の一環では?
この時期にそう何度も質問されるのは何か事情がおありなのですか?
又、この場ではイニシアティヴは私個人の掌握するところではありませんので、
陛下にご登場願いましょう。
92 :
世界@名無史さん:02/05/17 00:39
>>91 受験生に教える側です。
あまり時間がないので、相手を納得させられるような解説を早急にお願いしたく存じます。
大帝!一緒にモアイになりましょう。
???
95 :
世界@名無史さん:02/05/17 16:25
大帝陛下、早く出て来なはれ!
96 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/05/18 01:29
カール大帝陛下
モラビアの傭兵隊長ギシュクラ、参内いたしました。
モーリス王子の件でありますが、我が手元にある、
アールパード家の家計図でもその存在は確認できま
せん。
かの御仁はエドモンド剛勇王の子息でハンガリーの
イシュトヴァーン王の宮廷に亡命しておられたエド
マンド、エドワードの2王子のうちのエドワード王
子がご帰郷あそばす際に遠く英国へ付き従ったと伝
え聞いております。このエドワード王子とご結婚さ
れたのがアガサさまで伝説ではイシュトヴァーン王
の娘と言われております。
近年のハンガリーでの研究では残念ながらイシュト
ヴァーン王の娘ではないらしいのですが、ご一族の
どなたかの姫様であろうとのことでございます。
かの姫君が持ち帰った十字架が今日もエジンバラ城
に伝わっているとのことであります。
余である。
宮廷が盛況で嬉しい限りじゃ。
しかし余は水曜日まで撮影のため
マンガ喫茶からの接続を余儀なくされておる。
ちと待たれよ。
今日は雨で憂鬱じゃ…
98 :
世界@名無史さん:02/05/18 10:05
>>91 それ、完全に一般の受験生が判るレベルを逸脱してるよ。
99 :
世界@名無史さん:02/05/18 19:50
100 :
世界@名無史さん:02/05/18 20:53
>>99 大帝の御真影を帝国臣民の全ての家に頒布するためである
100ゲット
101 :
世界@名無史さん:02/05/18 23:12
>98
全くだ。すげえ駄問(?)だと思う。
103 :
世界@名無史さん:02/05/18 23:31
>>102 激しく同意。
これを「簡単だ」とか「自分で調べろ」などという言葉で一蹴する奴の神経がわからない。
はっきり言って、瀋陽の公使館員と対応が同レベルだな。
104 :
世界@名無史さん:02/05/19 01:07
105 :
カール大帝:02/05/19 22:57
余である。
マンガ喫茶なるところは狭くて落ち着かんの。
さて。
>>82 卿も大変な仕事をしておるの。
それにしても最近の私大はこんな問題を出しておるのか・・・
まあ余は日本史受験だったのだが。
記録室の文献を見なければわからぬが
まあカウニッツ卿の答えで当たっているのではないかな。
1・ロシア騎士修道会ってあったかの?
2・これは文献を見ぬとわからん
3・正解だと思う。
4・フリードリヒ・ヴィルヘルム一世は軍隊大好きな王ではなかったかの?
・・・余も受験したら「サクラチル」じゃの
106 :
カール大帝:02/05/19 23:06
>>83 うむ。なかなか興味深いスレじゃ。
近代に入ってからの主要国の系譜に関しては
余は殆ど余すところなくわかっておあるので
どんどん質問するように。
それにしてもデンマークのホルシュタイン・グリュックスブルク家は
人気が高いようじゃの。
近代に入ってからは新教派の国のほうが優勢じゃな。
>>84〜
>>90 カウニッツ卿はまことに博識じゃの。
余は文献を調べぬとここらへんはすぐには出てこぬ。
>>90〜
>>91 うう・・・すまぬ。
しかし受験生には「まだ5月だ!」と言っとけばよいのではないかの。
とりあえず受験勉強は9月からというのが
一年浪人を経験した余からのアドバイスじゃ。
107 :
カール大帝:02/05/19 23:11
93
ラックランドかの?
>>94 ははは。簡潔でよいの。
>>95 出てはきたがあまり役に立ってないのー。
>>96 モーリス王子の件すまんの。
アールパド家の最初のほうはあまりよくは判明しておらぬ。
しかし十字架の件は余はこれまで知らなんだ。
また一つ賢くなったぞ。
それぞれの知識を出し合えばみなが賢くなれるというものだ。
108 :
カール大帝:02/05/19 23:21
>>98 余もそう思う。
このところ学力低下が叫ばれてはいるが・・・
>>99 余の執務の一部である。
>>100 それもある。見事な答えじゃ。
キリ番とゲトーとあわせて褒美を遣わすゆえ申すがよいぞ。
>>101 そうかの?
>>102 駄問の部類とも言えるの。
ちなみに余が某大学某学部を受験した時の日本史の問題に
「今川義元の父は誰か?」というような問題があってたまげた覚えがある。
余は分かってしまってちとブルーになったぞ。
>>102 自分で調べることも大切なことじゃ。
それでも分からぬ時は他人に教えをこう。
誰でもこれが一生続くものだと余は思うぞ。
瀋陽の公使館員の対応は常人には理解できぬ。
しかし似たような光景を見ることは多いの。
>>104 余は「粘着」という言葉があまり好きではないのー。
なんというか・・・言葉の響きがのー・・・
109 :
ハールーン・アッラシード :02/05/20 01:10
ご意見、ありがたうございます。
やはり、2の選擇肢が問題となるわけですね。
わたくしもこれに就いて調べてみようと思ふのですが、有效な資料すら見つかりませぬ。
何卒、大帝陛下のご助力を賜りたう存じます。
なほ、今川義元の父・氏親に就いてですが、彼は今川假名目録の制定者でありますので、一應教科書等にも名前くらゐは載ってゐたかと思ひます。
ちなみに、瀋陽の事件に出てくるのは「公使館」ではなく「領事館」ですね。
まあ、これは
>>103がそもそも間違へてゐるのですが。
王様へ
義元の父ちゃんは普通の問題だと思うよん。
111 :
ハウクヴィッツ:02/05/21 00:15
こちらへ参上するのは始めてでございます。
グリュックスブルク家を通して英国とロシアは結びついていたのですね。
そういえば18世紀末以降のロマノフ家は必ずといっていいほど新教国との縁組みがほとんどです。
一人だけロシアからオーストリアへ嫁いだ大公女がいたようですが。
112 :
カウニッツ:02/05/21 00:19
ハウクヴィッツ伯、マリア・テレジア女帝に仕えた者同士、
今世ではカール大帝に仕えましょうぞ!
113 :
ロイヤル・プリタンダー:02/05/21 00:27
陛下
お尋ねしたいことがあるのですが
グリュックスブルク家がデンマーク王位を継承した根拠とは
何だったのでしょうか?
クリスチャン9世には兄がいましたし
オルデンブルク家最後の国王の最近親と言われる王妃にも
兄弟がいましたので
血統による王位継承というには無理があるように思うのですが。
114 :
ハールーン・アッラシード :02/05/21 01:12
115 :
世界@名無史さん:02/05/21 12:21
>>86-90 @はロシア騎士修道会ではなく、ドイツ騎士修道会ならいいんじゃない?
Aは全く意味不明だけど。
116 :
ハウクヴィッツ:02/05/21 23:55
>>112 これから時折顔を出すことになるでしょう。
改めてよろしくお願いいたします。
117 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/05/22 00:01
>115
ベーラ4世の御世にトランシルバニアから追い出された俗に言うドイツ
騎士修道士会(ドイツ騎士団)でござるな。
1は我等がフス派の軍事指導者、ヤン・ジシュカが干戈を交えた相手で
ござるから知ってもおりまするが、大学ともなるととんと存ぜぬ。
コルビナ文庫に集っておる学者先生にでも聞かぬことにはわかり申さん。
118 :
世界@名無史さん:02/05/22 01:59
残念!絶版でした!!
写真集
『ヨーロッパの貴族と令嬢たち』 南川三治郎/著
河出書房新社
1993年9月発行
118P 23cm
ISBN: 4-309-26192-2
価格: 2,913円(税別)
取寄せ不可 :在庫切れ、絶版、重版未定
>>82 このアルブレヒトの代にドイツ騎士団は世俗化(1525年)しプロイセン公国になるわけですが、
彼は、領地内のルター派化を進め、併せて新公国の官僚等々を養成するために
ケーニヒスベルクに大学を創設する(1544年)、
というのが正解だと思われます。
「北方十字軍時代の終焉→ルター主義化・領邦国家の成立→イデオロギー制度としての大学の成立」
という筋道で理解すれば難しくないのかもしれませんが・・・・
・・・・やっぱり難問だわな。
ちなみにこの大学は後に哲学者カントを擁する・・・というだけでも作った元が取れています。
120 :
ハールーン・アッラシード:02/05/22 12:18
>>119 なるほど。
では、Aの選擇肢は「大學創設失敗」といふ部分が間違ひなのですね。
121 :
ふとっちょマックス:02/05/22 17:18
かねてより心惹かれるスレッドでございましたが、オレごときのものがと参内を
躊躇いたしておりました。此の度は、親愛なるヴェンツェルことカウニッツ伯爵
並びにヴェンツェルと共にママ女帝に献身的にお仕え頂いたハウクヴィッツ伯爵も
陛下の宮廷に参内しておられるので、遅まきながら、参内を決意致した次第であり
ます。
ハプスブルク家マリア・テレジア女帝の末っ子にして最後のケルン選帝侯、マクシ
ミリアン・フランツでございます。ふとっちょマックスとお呼び下さい。
カール大帝陛下、並びに宮廷人の皆々様、くれぐれもよろしく御願い申し上げます。
122 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/05/22 23:56
>117
傭兵風情がなれぬことを書くものではござらん。
ベーラ王の御世ではなく、先代のアンドラーシュ2世王の
御世でござった。許されよ。
123 :
世界@名無史さん:02/05/24 00:22
124 :
世界@名無史さん:02/05/24 00:49
ふとっちょマックスage!
125 :
世界@名無史さん:02/05/24 23:18
デンマークの王様が「ヨーロッパの父」と
呼ばれるのはなにゆえでございましょうや?
126 :
世界@名無史さん:02/05/25 00:07
>>125 現在の欧州で王家として存続している家系の中で、もっとも長く続いている(血が繋がっている)からじゃない?
127 :
ハールーン・アッラシード :02/05/25 00:21
128 :
ロイヤル・プリテンダー:02/05/25 00:46
>125
お子様方が欧州の名門王家と縁組した結果ではないでしょうか?
私が知っているだけでも王女達はイギリス王妃、ロシア皇后、元ハノーバー王家当主夫人となり
王子達はデンマーク王(妃はスウェーデン王女)、ギリシャ王(妃はロシア大公女)
末息子のヴァルデマール王子はブルガリア侯の候補となりオルレアン家の公女と結婚とし
国家としては、イギリス、ロシア、デンマーク、ノルウェー、ギリシャ、ルーマニア、
ユーゴスラビア、スペインにその血脈を広げていきました。
129 :
カール大帝:02/05/25 04:18
余である。
執務で目がまわりそうじゃ。
一段落つくのは来週の中ごろであろうか。
それまで諸卿に宮廷の留守をお任せする次第である。
よろしくお頼み申しますぞ。
130 :
世界@名無史さん:02/05/25 19:29
英国にはもう
サクソン貴族の系統の貴族は居ないのでしょうか?
ノルマン・コンクエストで皆殺し?
131 :
世界@名無史さん:02/05/25 22:15
カール大帝
王子様はお元気ですか?
132 :
世界@名無史さん:02/05/25 23:29
133 :
世界@名無史さん:02/05/29 01:08
そろそろあげておくぞ!
134 :
世界@名無史さん:02/05/30 00:02
英国女王の旦那様のエディンバラ公とロシア最後の皇帝の血縁関係を詳しく教えて
下さると嬉しいなぁ陛下。
ついでにブッシュ大統領の親父とエリザベス女王の血縁も教えてくださいませ。
135 :
カール大帝:02/05/30 17:35
余である。
誰かに執務を代わってほしいくらいじゃ。
連日深夜まで画面を見たり文章をひねったりするのには
ほとほと疲れたわい。
今ちらっと見て思ったのだが
>>134 エディンバラ公とニコライニ世はまあ分かるが
ブッシュ父とエリザベスニ世は近い血縁関係があったかの?
まあ果てしなく辿ればあるかもしれないとは思うが…
諸卿よ。
余が宮廷の太陽となるまでに暫し辛抱されよ。
136 :
ルイ14世:02/05/30 23:07
朕がこの宮廷の太陽である!!
137 :
世界@名無史さん:02/05/30 23:41
カール様
ブッシュ元大統領はエリザベス女王の又従兄弟にあたられるのですわ
カール様、くれぐれもご自愛くださいませね。
138 :
世界@名無史さん:02/05/31 21:11
>137ブッシュ元大統領はエリザベス女王の又従兄弟
そこまで近い親類ではないだろ。又いとこなら6親等だぞ。
139 :
世界@名無史さん:02/06/01 00:57
140 :
世界@名無史さん:02/06/02 13:07
大帝
今日もいらっしゃらないの?
寂しいよう
141 :
世界@名無史さん:02/06/02 14:43
カール崩御
142 :
世界@名無史さん:02/06/02 14:44
>134
>英国女王の旦那様のエディンバラ公とロシア最後の皇帝の血縁関係
ニコライ2世とフィリップ殿下の血縁は
ニコライ1世を共通の祖先とする関係にあります。
ニコライ1世-アレクサンドル2世-アレクサンドル3世-ニコライ2世
ニコライ1世-コンスタンチン大公-ギリシャ王妃オルガ-アンドレアス王子-フィリップ殿下
ちなみにニコライ2世皇后アレクサンドラとフィリップ殿下の血縁は
ヴィクトリア女王の次女アリス(ヘッセン・ダルムシュタッド大公妃)を共通の祖先とする関係です。
アリス大公妃-ヴィクトリア(バッテンベルク公妃)-アリス(ギリシャ王子アンドレアス妃)-フィリップ殿下
アリス大公妃-アレクサンドラ皇后
>ブッシュ大統領の親父とエリザベス女王の血縁も教えてくださいませ。
ものずごい遠縁だということですが系図は?です。
144 :
世界@名無史さん:02/06/04 23:32
>143
親父ブッシュが大統領に当選した時のお家自慢で
『一族200人中離婚者ゼロ』っていうのと
『エリザベス女王と血縁関係』ってのを米国の
雑誌だったかTVだかで見た記憶あり。
家系図を見たときは「へー、なるほど」と納得
したもんですが、何分小学生高学年だったので
家系図の内容は覚えていません
鳩子くらいの血縁関係だったと思います
カール大帝ばんざーい
カール大帝!
税金を納めるのが困難です
147 :
カウニッツ:02/06/07 00:16
陛下…。そろそろ現れませんと、陛下の求心力が低下しますぞ。。。
148 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/06/07 00:58
カウニッツ卿
まことにそのとおりでござる。
ところで、聞き及ぶところでは卿の家系はボヘミアのプシェミシュル王家
の時代にまで遡るそうでござるな。
拙者の家など訳のわからぬボヘミアの貴族の分家がモラビアに移住したも
のだそうで、参内するには気が引けてなりませぬ・・・。
149 :
世界@名無史さん:02/06/07 01:07
age
150 :
カウニッツ:02/06/07 01:59
>ギシュクラ・ヤーノシュ殿
陛下の宮廷はあらゆる人々に開かれて居ります。堂々と参内されなされ!
私(ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯)の家系はヤーノシュ様の
仰るようにプシュミスル家とも関係があるそうなのです…。
しかも主家(ハプスブルク家)が歴史の桧舞台に登場して来た時には
既に大貴族であったと言うほどの名門だったのです。(ちょっと自慢…(てへ))
151 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/06/08 00:58
カウニッッツ卿
ありがたきお言葉、痛み入りまする。
卿の家系はかの「鉄と黄金の王」プシェミシュル・オットカル2世王につかえた
家柄とお聞きいたしておりましたが、誠でござったか。
ウイーンのホーフブルク宮のスイス門の付近はオットカル王がウイーンに作られ
た城だそうでござるな。
152 :
世界@名無史さん:02/06/09 21:40
age
153 :
世界@名無史さん:02/06/10 00:43
age
154 :
ルートヴィヒ敬虔王:02/06/10 23:39
父上は崩御あそばされたので、朕が後を継ぐ!
155 :
世界@名無史さん:02/06/11 22:14
わぁい!
ルー様だ!
156 :
世界@名無史さん:02/06/12 14:07
カール崩御
157 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/06/13 23:52
カウニッツ卿
これは謀反ではござらぬか??
大帝陛下はいずこにおわす!!
158 :
世界@名無史さん:02/06/14 12:21
【ワショーイ! ワショーイ!】 カウニッツ卿を皇帝に! 【ワショーイ! ワショーイ!】
159 :
カウニッツ:02/06/16 20:15
私は宰相で十分ですよ!それより大帝陛下に復位なさって戴きたく存じます。
ルートヴィヒ様の出番にはまだ早いかと…。話しは変わりますが、
ギシュクラ・ヤーノシュ殿はハンガリー貴族ですか?
とにかく陛下に早く宮廷に現れて戴きませんと求心力が失われてしまいますです。。。
160 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/06/16 22:29
カウニッツ卿
大帝陛下にお出ましいただかぬと宮廷の混乱は納まりませぬ。
拙者についてお尋ねですが、元はボヘミアの小貴族でブランダイズ
に所領を持っておりました。
史上に名が現れるのはハンガリー王であらせられたハプスブルク家
のアルベルト様が若くして流行り病にてお隠れになったあと、赤子
であったラディスラウス様を母上であるエルジェベート様が王位に
つけようとされまして、フニャディ・ヤーノシュ殿らが推される、
ポーランドのヤゲヴォ家のウラースロー王と争われました。私めは
王妃に招かれまして、ボヘミアを追われたフス派を率い、北部ハン
ガリーを占領したのでござる。今はスロバキアとよばれておるよう
でござるな。ヤノシュ殿は大いに怒って4度拙者を攻めてこられた
が、一度たりとも遅れをとったことはござらぬ。
ヤノシュ殿の死後、ご子息のマーチャーシュ殿が王になられたのち
の戦いでは遅れをとり、ついに落城寸前まで追い込まれ申した。
拙者はもはやこれまでと覚悟いたした。ヤノシュ殿と干戈をいくども
交え、さらに主君ラディスラウス王の命とはいえ、兄君であるラース
ロー殿の逮捕、処刑にも荷担いたした。マーチャーシュ殿は拙者を許
すはずがない、そう思いもうした・・・。
ところが、年若いかの王は拙者を殺すどころか、高い禄をもって召抱
えると仰せであった。
で、拙者は後半生をマーチャーシュ王の将軍として働きとおしたので
ござる。
思い出話はこれまででござるが、一応、こんな拙者でもハンガリー貴族
の端くれと名乗ってよいものでござろうか?
161 :
カウニッツ:02/06/16 22:53
>ギシュクラ・ヤーノシュ殿
武門の誉れ高き家系みたいですね。立派なハンガリー貴族ではないですか!
またベーメン貴族でもありますね。しかも、マティアス・コルヴィーヌス王の
将軍であったとは!堂々とこの宮殿、いやいや私が宰相を務めさせて頂いている
ハプスブルク・スレにもお越し下さい。お待ちしております。
162 :
カウニッツ:02/06/16 22:58
ヤーノシュ様、大帝陛下が現れるまで、この宮殿の不満分子を平定して戴きたいのですが…。
一昨日など私を担ぎ出す方も現れましたし…、嬉しいのと陛下に申し訳無いのと、ちと複雑でした…。
163 :
世界@名無史さん:02/06/17 21:10
カール崩御
164 :
ふとっちょマックス:02/06/17 21:45
親愛なるヴェンツェル&ギシュクラ将軍、カール大帝陛下の御留守の間の宮廷維持
の御尽力に感謝いたします。
オレの聞き及びましたところでは、陛下は只今都アーヘンの温泉にて、多忙な執務
と養生の日々を送っておられるとか。
アーヘンの温泉は、日本の硫黄泉のような泉質で、泉温も程良くぬるめの名湯です。
陛下が宮廷にお戻りになる日を心待ちにしております。
165 :
ルートヴィヒ敬虔王:02/06/18 02:42
あgえ!
166 :
世界@名無史さん:02/06/18 12:16
カール→欲求不満→援助交際→逮捕→服役中
167 :
世界@名無史さん:02/06/18 16:39
マジ?
初めまして
大帝がお戻りになられるまではそれぞれの領主君主が
しっかりと自己の領土を支配すべし。
てか基本的に西洋史なんですか?
程度は大学受験以上と考えてよろしいか?
これから毎日来ようっと
169 :
世界@名無史さん:02/06/18 19:33
「欧州王侯の家系」ってくらいだから西洋史だよ。
レベルは大学で履修すること以上だね。
でも「失地王」は来ちゃダメ!
いわゆるラックランドlack landの意味は失地、
もしくは欠地。
私は末っ子だったために封土がもらえんかったのよ
大陸領も失っちゃったし、破門にされるわで
挙句の果てには大憲章。
そんないいとこなしの私でもここで歴史を学ぼうと思います。
171 :
世界@名無史さん:02/06/19 18:35
172 :
世界@名無史さん:02/06/19 18:45
173 :
世界@名無史さん:02/06/19 21:25
age
174 :
世界@名無史さん:02/06/19 23:13
ジョン様
歓迎うえるかむ
175 :
世界@名無史さん:02/06/21 00:33
カール様は何処に?
176 :
ピピン3世:02/06/21 12:37
息子の代わりに余が質問に答えよう!
177 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/06/22 01:38
>カウニッツ卿
私ごときが戯れに武を用いるなどということはそれこそ
宮廷の乱れの元でござろう。
大帝陛下がお出ましあらば、宮廷に平穏が戻るでござろう。
>ジョン王陛下
ハンガリーでもアンドラーシュ2世王が貴国のマグナ・カル
タに類するような金印勅書というものをお出しになられてお
ります。これが元で国王陛下に対し貴族連中が抵抗権を主張
するようになりもうした。
わが主君もこれに悩まされた一人でござる。
178 :
世界@名無史さん:02/06/23 20:43
跳梁跋扈
179 :
カール大帝:02/06/24 00:11
余である。
もちろん本物である。
長きに渡って留守にしておりすまなんだ。
しかしマックス殿の慧眼は恐ろしいばかりじゃ。
余は確かに温泉地に行っておったのじゃ。
「天下の険」と歌われたところじゃな。
しかし、安穏と湯につかっていたわけではない。
それどころか早朝から深夜までの執務。
温泉どころかシャワーすら浴びれない日もあったほどじゃ。
しかもネット環境すら望めないみじめな状況だったのじゃ。
さらに…
2ヶ月以上休みがないのじゃ!
余に1日休みをくれる者があれば1国を遣わしたいくらいじゃ。
週末にはなんとしても宮廷に出るぞ。組合問題じゃ。
諸卿よ。しばし待たれよ。
謀反もほどほどにな。
180 :
カウニッツ:02/06/24 00:44
陛下だ!万歳!
181 :
世界@名無史さん:02/06/24 01:05
カノッサの屈辱
182 :
カウニッツ:02/06/25 17:50
ジョン王様、毎日来られているのなら、レスの1つでも……。
183 :
世界@名無史さん:02/06/25 20:53
陛下!!
スペイン=ハプスブルク家最後の王女でベラスケスの肖像画でも名高い
マルガリータさまの御子孫について
教えていただきとう存じます
184 :
世界@名無史さん:02/06/25 21:23
カロリング家断絶
185 :
カウニッツ:02/06/25 23:58
>>183さん、
マルガリータ・テレサはオーストリア・ハプスブルク家のレオポルト1世と結婚しましたが、
この恐ろしい近親結婚からは子供は出来ず、彼女は他界しました。…で、良いんでしたっけ、諸卿?
バイエルンがどうのこうのという話しも有った気が…。
186 :
世界@名無史さん:02/06/26 01:27
age増す
187 :
世界@名無史さん:02/06/26 18:46
マルガリータ・テレサは20そこそこで他界してしまったものの、マリア・アント二アという娘を残しました。
彼女はバイエルン選帝侯マクシミリアン2世と結婚。で子供は
夭折したヨーゼフ・フェルディナント・レオポルトと、後ハプスブルクから帝冠を奪ったものの
すぐマリア・テレジアに反撃されて死んだカール7世
の2人しか確認できてません・・・。他にもいるのだろうか。
188 :
世界@名無史さん:02/06/26 18:55
187続き
カール7世はヨーゼフ1世の娘マリア・アマーリエを娶り
娘はヨーゼフ2世の後妻となったマリア・ヨーゼファです
が!彼女は夫に愛されなかった挙句天然痘に冒され、子供を残しませんでした。
マリア・ヨーゼファの他にも子供がいたかも分からないです・・・。
189 :
しまった!違った:02/06/26 20:08
カール7世はマクシミリアン2世選帝侯の「後妻の」子でしたわ!
マルガリータ・テレサ−マリア・アント二ア−夭折した息子3人
マリア・アント二アも短命で、30くらいでお亡くなり。
よってマルガリータ・テレサの末裔はいないです。後にのこるは肖像のみ・・
カウニッツ卿、朕のことを呼んだか?
この地ではまだ新参者故なかなか出にくくての。
今は失われた大陸領をどうやって取り戻そうか画策中じゃて。
なかなか家臣貴族たちが出征に賛同してくれなくてほとほと困っとるわい。
191 :
世界@名無史さん:02/06/27 00:34
ジョン王=カール大帝(w
192 :
ふとっちょマックス:02/06/27 10:08
>カール大帝陛下
お待ち申し上げておりました。天下の険の名湯は、アーヘンの湯と比べ、いささか
泉質、泉温ともにがきつうございますが、お変わりございませんでしょうか。
相変わらず執務でお忙しそうなご様子。及ばずながら、最後のケルン選帝侯ふとっちょ
マックス、足繁くとは参りませんが、今後とも折りにつけ、参内致したく存じます。
193 :
ふとっちょマックス:02/06/27 10:17
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
>187〜189さん
申し訳ありません、ヴィッテルスバッハ家にお詳しいようで、お尋ね致したく思います。
神聖ローマ皇帝カール7世陛下、ママ女帝を一時苦しめた方ですが、カール7世陛下の
御嬢様について、何か御存知ありませんでしょうか? あと、カール7世陛下からマン
ハイムのカール・テオドール選帝侯に至るまでの経緯を御存知の方、レスをお待ちして
おります。
194 :
カウニッツ:02/06/27 19:02
ジョン王様はプランタジネット家の人でしたっけ?一行レスでスマソ。
朕は正確にはアンジュー家の人間である。
父のヘンリや兄のリチャードもしかり。
ただ後の世になって歴史家が我が家の紋章だかなんだかをもとに
プランタジネットと言い出した。
そっちの方がうけがいいときがあるみたい。
詳しいことは朕にもわからんが、今はそれどころではなくての。
特に北部貴族の連中が言うことを聞いてくれんのじゃ。
奴ら出兵どころか軍役代納金すら出さんと言い出してもう朕にはどうして良いのやら・・・
196 :
ハウクヴィッツ:02/06/27 20:04
>193 マックス殿下
187さんに代わって申し上げます。
カール7世陛下のご息女には、マリア・ヨーゼファ様の上にザクセンのヴェッティン家へ嫁いだマリア・アントニア様、バーデン=バーデン辺境伯の元へ嫁いだマリア・アンナ・ヨーゼファ様が居りました。
他の方々は夭折なさっているようです。
>194 カウニッツ殿
仰るとおりでございますね。
197 :
ふとっちょマックス:02/06/27 21:43
>196 ハウクヴィッツ伯爵
さすが、その時代を生きられた方。どうも有り難うございました。
ヴィッテルスバッハ家の御嬢様にふさわしい嫁ぎ先ですね。
幸せな人生を送られたのでしょうか? ちょっと心配。
ヴェッティン家は、わがオーストリア家とプロイセンのはざま、
バーデン辺境伯領は、すぐ目の前がフランスのアルザスですから...
ママ女帝とそれなりに交流があったのは、マリア・アントニア妃殿下の方
だったかな。
199 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/06/28 00:21
ジョン王陛下
アンジュー家のご出身でいらっしゃいましたか。
ハンガリーでもアールパード王家の断絶後、イタリアから
カーロイ・ローベルト王をお迎えしております。
そのご子息はポーランド王を兼ね大王と呼ばれるラヨシュ
1世王でござる。
残念ながら王には男子のお子様が無く、長女のマーリアさま
がルクセンブルク家のジギスムントさまとご結婚なされて、
ハンガリー王に、次女のヤドヴィガさまはポーランド王位を
御継ぎになりました。
200 :
187-189:02/06/28 03:08
>ふとっちょマックスさん
どぅわっっ遅レスですみません!;
>ハウクヴィッツ伯爵さん
ありがとうございますです;;尻拭いを・・・・・・(汗)
201 :
世界@名無史さん:02/06/28 09:41
カロリング家断絶!
202 :
世界@名無史さん:02/06/28 17:17
俺はついに、このスレの202をゲットをした。
感無量だ。5年間、このスレの202をゲットする為だけに耐えてきた。
雨の日も、風の日も、雪の日も、サボらず地道にこのスレの202をゲットするためだけに
修行してきた。
やめたい日もあった。くじけそうになった時もあった。自分に負けそうになった日もあった。
そして「なんで俺は、202をゲットしたいのだろう。」と疑問に思った日も、あった。
だが、俺は5年間頑張りとおした。そして、そしてついにこのスレの202をゲットしたのだ。
何をやっても中途半端だった今までの俺。 勉強も、部活も、恋愛も・・・。
本当に何をやっても中途半端だった。だが、俺はこのスレの202をゲットした今、
変われたような気がする。堂々と胸をはって生きているような、すがすがしい気持ちだ。
ありがとう、202をゲットさせてくれてありがとう。
俺は今から叫ぶ。修行に耐え抜く事が出来た、やり遂げる事が出来た俺自身に向かって叫ぶ。
「202ゲット」と。
本当にカールよありがとう!
203 :
世界@名無史さん:02/06/28 22:18
奔馬性肺結核
204 :
カウニッツ:02/06/29 01:27
ぁ、荒れてるな〜。。。
205 :
世界@名無史さん:02/06/29 19:42
あげ
206 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/06/29 20:23
カウニッツ卿
困ったものでござる。
大帝陛下に早くお出ましいただかぬと・・・。
しかし、浮世の義理は欠かせぬのは我らとて同じ事。
つろうござるなぁ・・・。
207 :
世界@名無史さん:02/06/29 22:23
カロリング家断絶!
208 :
世界@名無史さん:02/06/30 12:55
モナコ公家断絶の危機!!
209 :
世界@名無史さん:02/06/30 12:59
モナコ公国の家系って?
210 :
世界@名無史さん:02/06/30 13:00
211 :
世界@名無史さん:02/06/30 16:07
グレース・ケリーが嫁いだとこだよ。男が絶えたら
お仏蘭西に併合されちゃうんだって。
でも今の王子子供がいない。てか結婚してたっけ?
212 :
世界@名無史さん:02/07/02 22:46
>211
まだ独身だったはず。王女もまだ独身。
213 :
世界@名無史さん:02/07/04 02:51
アンドラは?
214 :
世界@名無史さん:02/07/04 03:20
アンドラは公国だけど公はいない。
フランス共和国大統領及びスペインのウルヘル司教が共同元首とされる。
215 :
世界@名無史さん:02/07/05 21:07
>214
変わった国だね。
何故にそのような国をつくったのだろうか?
つくったというより成り行きでそうなったという気が
217 :
世界@名無史さん:02/07/06 22:43
ブネッサ伯爵領というのが、
飛び地として南フランスのフランス王国領内にあった。
フランス革命の時、
盗られたらしいけど、教皇領だったみたい。
どうして教皇領だったのに、伯爵領でしょうか?
218 :
世界@名無史さん:02/07/09 00:57
だらしがないぞ、カール!
219 :
世界@名無史さん:02/07/09 20:13
カール薨去
220 :
カウニッツ:02/07/10 20:00
陛下、もう宮中は限界にきておりますぞ…。
221 :
世界@名無史さん:02/07/11 02:36
カぺー王朝になった
222 :
世界@名無史さん:02/07/11 22:41
ブルボン王家の姓もカぺーですか?
ルイ16世紀が処刑されるときルイ・カペーいう名前にされてました
223 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/07/11 23:57
カウニッツ卿、摂政になってこの難局を治めてくだされ。
225 :
世界@名無史さん:02/07/12 10:48
モナコは一番上の王女はケコーンしてる。
余の宮廷はせっかちな奴等ばかりで困ったものじゃ。
一ヶ月くらい書き込みなくてもいーじゃねーかYO!
227 :
世界@名無史さん:02/07/12 18:30
>225
結婚したんだ、一体何処の王子様と結婚したの?
228 :
世界@名無史さん:02/07/13 23:06
>227
いつ結婚したかは?ですが
初婚は離婚(夫・?、子供なし)
再婚は死別(夫・?、子供あり〜アルベール公太子と母に次ぐモナコ継承者)
再々婚は現役(夫・ハノーヴァー元王家当主、子供あり〜異父兄姉に次ぐモナコ継承者)
現在のモナコ公位継承順位
(フランス政府と協定を結んだとかで
現在は男子がなくても大丈夫のようです。)
アルベール公太子
カロリーヌ王女
カロリーヌ王女の子供達
ステファニー王女
ステファニー王女の子供達
以下?
(現公爵の子孫が断絶した場合が不明なんですが
ご存知の方いらっしゃいますか?)
229 :
世界@名無史さん:02/07/13 23:32
モナコ公国って波乱万丈の歴史を刻んできたんだねぇ。
何となく国の起源が知りたくなってちょっと調べてみたら驚きました。
>228
あ、いまは男系じゃなくてもいいんだ。てきとうなこといってスマソ・・・
231 :
カール大帝:02/07/15 13:27
諸卿よ元気であろうか?余はもう夏バテしてしまった。
余の国では一夫多妻制なので下半身の酷使からそうなってしまったのじゃ。
一ヵ月後には宮中に顔を見せる故、諸卿よ宜しく頼む!
232 :
世界@名無史さん:02/07/15 22:05
(謀反)
もとはジェノヴァの都市貴族だよね?<グリマルディ家
てことは、もともとの家業は商売になるんかな
234 :
世界@名無史さん:02/07/16 20:26
ageageageageageageageageageage
ageageageageageageageageageage
ageageageageageageageageageage
235 :
世界@名無史さん:02/07/17 00:24
メアリー・オブ・ギーズとアンジュー公の関係って、
おばと甥の関係なんですか?
娘の夫の弟って関係はわかるんですけど。
236 :
世界@名無史さん:02/07/18 21:53
フランスのブルボン本家はシャンボール伯の死亡で以って断絶したのですか?
237 :
カウニッツ:02/07/24 17:03
>>236 本当ですか?と、さりげなくageておきます。
238 :
from d:02/07/27 00:05
>>236 そうみたいです。
ただ、いわゆる正統派っていうか、非オルレアン派は、スペイン王家の流れを汲む誰かを担ぎ出してはいるみたいですが。
スペイン王家はブルボン家ですから。でも、王室の直系に移ったのではないと思います。
昔、フランス王を兼ねてはならないとの諸外国との約束で、ルイ14世の子供がスペイン王になったので、いまでも、それは有効で、スペイン王家の本流に衣鉢を継がせるわけにはいかなかったのだと思います。
因みに、あちらではボンボンっていうの?
英語ではバーボンだって。何か妙に親近感が沸くな。
239 :
カウニッツ:02/07/27 17:37
陛下、偽者が増えて困っております。
240 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/07/30 23:58
>カウニッツ卿
摂政になって宮廷をお治めくだされ。
大帝陛下はいずこにおわす。
241 :
世界@名無史さん:02/08/19 16:22
ばら戦争期の英国王室ってややこしい
243 :
世界@名無史さん:02/09/01 04:40
>>243 >バルボンじゃないか?
阪急にいた奴か
245 :
世界@名無史さん:02/09/18 19:53
オーストリア貴族グーデンホーフ家が日本人女性と結婚したというのは本当?
クーデンホーフでわ
247 :
世界@名無史さん:02/09/24 22:51
陛下〜
早く来て〜
248 :
世界@名無史さん:02/09/25 00:41
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249 :
世界@名無史さん:02/09/26 08:44
ポルトガルの王室はどうなったのでしょう?
ブラジルに行ったポルトガル貴族は皆帰国したの?
あとで皇帝になったらしいよ
光子って人
>245
ブラサンガ王家 国王は帰国 王太子がポルトガル皇帝として即位
>249
253 :
世界@名無史さん:02/09/27 13:17
254 :
世界@名無史さん:02/10/01 20:55
ユダヤ教徒はロスチャイルド男爵が出るまで貴族に成れなかったの?
イスラム教徒のままでは貴族に成れないのだろうか?
>254
どこの国を対象に話しているのかさっぱりわからん
ディズレリが首相んなったあの国でしょ。文脈から見て。
257 :
世界@名無史さん:02/10/02 21:02
>>255 そりゃキリスト教が国教だったヨーロッパのことでしょ
キリスト教に改宗していないとあぼーーんと思われ
258 :
世界@名無史さん:02/10/04 00:04
英国のナイトの名跡は金で売買されていると言う噂を聞いた。
で〜卿という名跡を買った日本人も居るとか。
国籍は関係ないのだろうか。
卿=Lordは、少なくとも英国のは金で買えるものではないと思うが。
ナイトもどうやって売買しているのか不思議。
インチキ系の騎士団とかそういうんじゃないの?
英国貴族は功績さえあれば誰でもなれたんでしょ。
なら金銭的な面で貢献したヤツだって居たんちゃう?
261 :
世界@名無史さん:02/10/04 18:40
形式的に養子縁組とか結んで届けるんじゃないの?
貴族の法的認定・登録というものが英国にはあるの?
>260,261
・ナイト
国王から授爵というか叙勲されてなれるもので一代限り。
譲ったり売買できるものではない。
・貴族
国王から授爵されるか261が書いた方法をとるか。
日本人が単に英国に貢献したからといって貴族に授爵されるなんてことは
まずない(ナイトなら時々新聞に出る)。
ちなみにサッチャーは一代限りの男爵に授爵された。サッチャーでさえ
そんなもんだ。
261の書いた方法はイギリス人同士ならまあありえるかも。しかし
イギリス貴族が日本人と養子縁組…?? そんなことせんでも
爵位ほしがるイギリス人がいそうなもんだが…。
263 :
カール大帝:02/10/09 10:24
余である。
最近は「北」の国関係での急務がたてこんでいたため
宮廷から遠ざかっておった。許せ。
まだ「北」関連は終わっておらぬが
ぼちぼちみなの質問に答えていくぞ。
ただし一点のみ勅令をくだす。
この宮廷は権威あるものゆえ
「北」関連のアラーシだけは許さぬぞ。
264 :
世界@名無史さん:02/10/09 12:14
大帝陛下!久々の出御、恐悦に存じます
そう言えば「北の家族」(飲み屋チェーンじゃなく倉本ドラマの方)
遂に終了しちゃいましたね
265 :
カール大帝:02/10/09 17:42
大変じゃ。
今日も「北」の国関連の大発表が勃発したぞ!
深夜まで宮廷には出れそうにないのー。
>>264 余も幼少のみぎりには楽しみにしていたものじゃ
月日の流れゆくのを感じるのー
266 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/09 18:10
イギリスのナイトは、政治家、軍人、文化功労者(日本の文化勲章みたいなものらしい)や
高額納税者で、候補者に対して受けるかどうか通達がいくそうです。
発表してから断られるとみっともないからでしょう。
バートランド・ラッセルやサマセット・モームは内意で断ったらしい。
文化人以外で断る人はまずいないでしょうが。
ちなみに、アガサ・クリスティはないとの女性版の「デイム」をもらってますが
ご亭主は考古学者で「ナイト」をもらっています。夫婦そろって貰うのは珍しいようです。
>>266 バートランド・ラッセルって第三代ラッセル伯でしょう?
(初代伯・ジョン・ラッセル首相の孫)
ナイト贈位の話ってあったんですか?
268 :
カール大帝:02/10/09 23:04
>>266 バートランド・ラッセルは偉大な人物として知られているが
襲爵前には収監されたこともあったの。
余もナイト贈位の話は知らなんだ。
どのナイトの内意だったのか、興味あるところじゃの。
にしても267の卿も詳しいのー
シャルル・カン (Charles V)の呼び方は仏語のようですが、
陛下は何語で読まれますか?
グレート・ブリテンの場合
ナイト:敬称Sir、一代限り。
ガーター、聖パトリック、バースなど勲位(といっていいのか)に属すナイトもあれば、
属さない最下級のkinght's bachelorてのもある。指摘どおり勲章みたいなもん。
外国の王室など(日本の天皇とか)は一応もらえることになってる(客員か)。
無論、爵位をもってて勲位をもらうのもあり。
英国に本社がある国際的大企業の社長なんてのも、なったりする。外国人ももらえるか?
准男爵(バロネット):敬称Sir、世襲。
公・侯・伯・子・男:敬称Your grace(公)、Lord。世襲。
その国において何らかの功績があったもの、だから初代はその国の人間でないと無理か。
ただし、子孫が海外在住したままってのは、いる。
’功績’は別に広大な領地/財産をもってるってそれだけでもOKだった時代もある。
税金たくさん払った=功績。実質カネで買ったと言うか…。
養子相続は不可。基本は初代以降で男系でつながっていること。
UKの場合、女系相続は君主の特免状が要る。
金で買うというと誰かが既に持っている爵位を購入するのを
イメージするんだが…
まあバロネットの場合は、そもそもは国王が収入増やすために
創設したんだから実質金で買うとも言えるのかも
>271
日本の江戸時代みたいに?>誰かが既に持っている爵位を購入する
ヨーロッパは養子的な考え方があまりないからなー、
名跡を継いだって、血縁がなかったらしゃーないということなんだろう。
それよりは、過去の先祖に貴族らしい人を「探し出してきて」(ここは日本と共通)、
その人に関連したタイトルを「復活」させようと努めるとか、
自分が初代になるとかそのほうが、好みみたいね。
>270
>無論、爵位をもってて勲位をもらうのもあり。
サンクス。
ナイトって言っても色々あるんですね。
エライ人にあげるのはかえって失礼かと思ってたけど、そうじゃないのね。
UKのガーター・ナイトなんてのは、UK貴族の垂涎の的でしょう。
なんてったって、創設14世紀、終身、定員26名だからして。
創設当初から公爵、伯爵、有名な貴族が名を連ねております。
もらっちゃったら、ガーター・ベルト着用で肖像画を書いてもらい、
公式行事にも、着用。
紋章にも、堂々とガーター・ベルト(女王の紋章にも描かれている)を描き込む、と。
そこは日本の勲章とはチョット毛色が異なるね。
マア、日本の勲章のほうが平民でももらいやすいから平等といえばいえるかも。
>275
あ、誤解の生じそうな書きかたしてしまった。スマソ。フォローさんくす。
ガーターも当初は>275の言うとおりの感じだったかな。Sirが7割くらいか。
(Sirといっても、よく見ると伯爵家の分家とか、王家の縁戚ってのもいるが)
それは、騎士団というもののその時代における価値とか、アンティーク化した価値とか、
そんなんで変わってくるからね。ま、現在からみると、ってことで。
復活バース勲章なんてのはどうなんだろう?
>大使をつとめた日本人でももらえたり…、たしかにそんな事聞いたかも。
その辺の近世由来のは日本の勲章と一緒だね。
それでも貴族はもらえば別の意味で嬉しいのかな。
>276
バース勲章は、当初は定員35名だったが19世紀に、やはり組織(?)が
改められて最下級のCompanionは定員なしになった。といっても
格はすごく上だが。
それから騎士団は会合とか催しをやったりするから、そういう場で
団員同士顔をあわせて、社交の機会が増えるのは貴族でも
メリットはある…のかも。
278 :
世界@名無史さん:02/10/13 05:01
1946年に王制が廃止されるまで約100年にわたってイタリア国王として君臨したサボイア旧王家が、後継を
巡る“お家騒動”で揺れている。
同家の私的諮問機関である「王家のための元老審議会」がこのほど、最後の国王ウンベルト2世(1983年死去)
の長男であるビットリオ・エマヌエレ氏から「王位継承権」をはく奪、同氏の遠縁の男性に与えると決定したからだ。
ジュネーブ在住のビットリオ氏は、ウンベルト2世の直系男子子孫の入国を禁じた憲法の改正を受け、今月末にも
半世紀ぶりに帰国する見通しとなっているだけに、騒動が今後、どのような展開を見せるのかイタリア国民は興味
津々で見守っている。
元老審議会と共に活動する「イタリア王制支持者連合」のセルジオ・ボスキエロ事務局長が本紙に説明したところで
は、審議会の決定の背景には、「ビットリオ氏が、帰国実現のための憲法改正に焦るあまり、イタリア政府の要請に
応じて共和国に忠誠を誓ったこと」があるという。まがりなりにも、君主制復活を掲げ、長年活動してきた同審議会や
同連合には、この宣言が共和制を認める「裏切り」と映っているのだという。
審議会は、ビットリオ氏と曽祖父同士が兄弟のアメデオ・ディ・サボイア氏(イタリア北部在住)を新たな「王位継承者」に
指名した。
審議会の決定にはもちろん、法的拘束力はなく、「王位継承者」も現在では意味はないが、指名されたアメデオ氏は、
イタリア各紙にこれを受け入れる考えを示している。さらには、元国王ながら首相として返り咲いたブルガリアのシメオン
2世の例を引きつつ、政界進出への意欲さえ語っている。
今のところ静観の構えのビットリオ氏が帰国後、反撃するのか、第2幕に注目が集まっている。
引用元
http://www.yomiuri.co.jp/00/20021012i412.htm
279 :
カール大帝:02/10/15 18:38
公務で忙しいのでボチボチゆくぞ。
>>269 やはり…
日本語かのー…
あまり背伸びはしないことにしておる。
しかし余の身分からして
皇帝位は他の国王位の上位に輝くものと心得ておる。
その後に続いておる
英国のナイトについての話題は余も興味深々じゃ。
英国諸侯の家系を調べる時には
やはりガーターはざくざく出て来るからの。
創設時より始まり以降もガーターだけは
きらびやかな家系が並んで見た目も楽しい限りじゃ。
280 :
世界@名無史さん:02/10/15 23:20
まともや偽帝と思われ
281 :
カール大帝:02/10/16 15:48
>>280 余は偽物にあらず。
といっても宮廷に現われる回数が以前に比べて減っているゆえ
説得力がないの。
しかし余も時間に追われる生活の中で
コツコツと家系に関する研究を続けておる。
最近は英国諸侯の家系についてが中心であるが
以前のように仏・独も継続中じゃ。
諸卿にも質問・意見をどんどん寄せてもらいたい。
宮廷は常に開かれておるぞ。
282 :
世界@名無史さん:02/10/17 01:53
最近のスレを診たらこういうことですか?
カーナボン「卿」などの「ナイト」の称号は一代限りで世襲できない?
>278
アメデオさん、、、名前から察するにアオスタ公家の当主?
284 :
世界@名無史さん:02/10/17 15:57
サボア家は、その名のとおり、
祖先の地・サボアをなぜフランスに割譲したのだろうか?
>284
イタリア統一戦争時、サルディニア援助の代償としてサヴォイ・ニースを
譲渡することを約束したから by ナポレオン3世。
ナポレオン1世がイタリア遠征して一度占領したことがあったから、
フランスはずっと狙ってたと見た。
きっとサルディニア手に入れて「サルディニア国王」になってから、
サヴォイよりサルディニアのほうが(イタリア統一のために)大事になっちゃったのね。
サルディニアのほうが大きいけどさ、確かに。
287 :
世界@名無史さん:02/10/18 00:45
正直言って、サヴォイ家の王は。。。あまり見栄えのいい人はいないように思える。
>282
ナイトは世襲できない
しかしナイトって「卿」かな?
むしろLordが「卿」だと思っていたが。
でもドイルの「ナイジェル卿の冒険」は原題では
サー・ナイジェルだったか…。
>288
Sirも日本語では訳すと「卿」になるみたい。
でもこれって、訳本読むときいつも考えてしまう。
>287
「王」はイマイチだが、伯・公時代の人物にはちょっと興味アリ。
でも史料がない…。
290 :
カール大帝:02/10/18 23:24
余である。
>>283〜
>>287 サヴォイ家は歴史いい勢力といいまさに欧州屈指の名族じゃの。
サヴォイ家揺籃の地であるサヴォイを始め
古のユーラ・ブルグント王国の諸領地はフランスとは
関係も深かった土地じゃの。
その地から出たサヴォイ家はドイツの諸侯とも
フランスとの諸侯とも姻戚関係を深く持っておった。
まぁ風見鶏的なところもあったわけじゃが。
サヴォイ家の家系を見れば
西欧のあらゆる地域の王家、諸侯家の名があり
華麗このうえないの。
291 :
カール大帝:02/10/18 23:28
>>282 288殿が仰るように日本語ではよい訳語がないようじゃの。
ところでカーナヴォン卿といえば、
ドーマー家、そしてハーバート家が
タイトルを持っていたカーナヴォン伯爵家があるの。
ちと忘れたが後に侯爵になったのだっかな…
292 :
世界@名無史さん:02/10/18 23:40
カーナヴォン卿といっても、複数の家があったのですか?
エジプトで遺跡発掘して祟られて死んだカーナヴォン卿はどこの家ですか?
>292
調べさせていただきました。
年代からするに、
George Edward Stanhope Molyneux Herbert, 5th Earl of Carnarvon (d1923)
ではないかと思われます。
大帝の仰せのうちのハーバート家でございます。
294 :
世界@名無史さん:02/10/20 18:56
貴族には当然「取り潰し」があるはずです。
取り潰された貴族の称号はどうなるのですか?
英国の国王が、取り潰しになった(攻め滅ぼしたスコットランド貴族)貴族の称号のどれかを
持っていると聞いたこと有ります。
295 :
象使いの少年:02/10/20 19:40
陛下!
東方におけるローマ皇帝の後継者パライオロゴス家の家系が今なお存続していると聞きました!
コンスタンティノポリスが陥落してからも続いてるとか何とか。
西方におけるパライオロゴス家の格式の評価って現代ではどんなもんなんでしょ?
たとえばサヴォワ家とかとくらべて。
296 :
カウニッツ:02/10/20 21:32
>>295さん、マジですか?
大帝陛下、臣も知りとうございます。
297 :
ヘラルド見習 (=283):02/10/20 22:50
>294
国王/女王が果たして自国の貴族の称号を名乗るかというと?なのでございますが、
UKの王太子は、スコットランド貴族の称号である、
Duke of Rothsey, Earl of Carrick, Baron of Renfrew
の3つの称号はお持ちのようです。
いずれも、スコットランド王族が最終的にお持ちであったものかと。
Earl of Carrickはスコットランド王家が婚姻経由で相続したのですが、
あとの2つがどこからでたか、私めは記憶がないのですが…。
ちなみに、取り潰された(取り上げられた)称号は、別の人にあげたり、
王族が所有したり、廃止したり、様々です。
別の人にあげた例としては、ノーサンバーランド伯を一度パーシー家から
取り上げて、ジョン・ダドリーにあげたり(のちパーシー家に返される)、
古くは、王族に与えられていたコーンウォール伯を寵臣ピエール・ドゥ・ギャヴスタンに
与えたりしております。
その後、コーンウォール伯位は、公位に昇格して、王太子に与えられるようになりました。
298 :
日本@名無史さん:02/10/21 01:11
そもそもプリンス・オブ・ウェールズの称号自体が「ウェールズ王」の称号なの
では。
チャールズ現英国王太子の正式称号
His Royal Highness Prince Charles Philip Arthur George,
Prince of Wales and Earl of Chester, Duke of Cornwall in the Peerage of England,
Duke of Rothesay, Earl of Carrick and Baron of Renfrew in the Peerage of Scotland,
Lord of the Isles and Great Steward of Scotland
イングランドにおけるウェールズ藩王にしてチェスター伯爵、コーンウォール公爵
スコットランドにおけるロスシー公爵、キャリック伯爵、レンフリュー男爵
スコットランドの島嶼の統治者にして大ステュワードたる
チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ王子殿下
300 :
カール大帝:02/10/22 16:35
余である。
忙しくてなかなか以前のレスまで目が通せぬ。許してくれ。
>>293 卿は博識じゃの。
余はツタンカーメン王の呪いの話しは幼少の頃のマンガでしか
知らないのでハーバート家の5代伯爵とは知らなかったぞ。
名前に「スタナップ」と「モリニュー」が入っているが
これは17世紀頃から激増した、
家名を名前に付ける流行の一端であるの。
カーナヴォン伯のハーバート家は
ペンブルック伯のハーバート家の分家筋にあたるわけだが
ハーバート家は英国でもよく知られた名門じゃ。
シェイクスピアの「リチャード三世」に出ててくる
サー・ウォルター・ハーバートの末裔じゃの。
301 :
カール大帝:02/10/22 16:44
>>294 297殿がレスしてくれておるの。
だが国王・女王も自国の爵位を名乗るのはあることじゃ。
299殿のレスにあるようにの。
これは中世ヨーロッパでは爵位が
そもそも領地を主体にしていたことに理由がある。
国王である以前に領主であったため、
フランス王も様々な爵位を名乗っていたのじゃ。
また姻戚関係により領地を相続した場合なども
その爵位も継承することが多かったのじゃ。
また、断絶した家系の持っていた爵位も王家が
保有した例も多い。
現在のチャールズ王太子が名乗る爵位も殆どは
最後のパターンじゃの。
302 :
カール大帝:02/10/22 17:01
続きである。
取り上げられた爵位、断絶した爵位がどうなるか?
ということだが297殿の仰るように様々じゃ。
だが最も多いのはやはり別の家が名乗るということが
英国では多いの。
これも元々爵位は領地に付随するものだったことが
根底にはあるが、
近世以降は「見栄え」という面も大きいの。
中世以来、名門のタイトルとして有名な爵位の多くは
別の家が名乗ることが多いの。
例えばウォーリック伯やレスター伯などは幾つもの
家系が名乗ってきたタイトルじゃの。
303 :
カール大帝:02/10/22 19:13
>>295 パレオロゴス家の末裔の話はデヴィ夫人の
パーティーでも話題になっておったの。
パレオロゴス家の末裔は英国とフランスに在住らしいの。
で、その評価であるが…
王族という認識は殆どないといってよかろう。
サヴォイア家とは比較の対象にならぬ存在であるの。
件の騒ぎもまぁ貴族ごっこというか芸能ニュースというか…
同じビザンチン皇帝の系譜はルネッサンス紀にイタリアの
モンフェラート侯に引き継がれた例はあるが
それ以降、王族として西欧で尊ばれたことはない。
そもそも王や諸侯が崇められるのは国・領地などがあるのが前提じゃ。
カペー系クルトネ家がよい例じゃの。
この家系はフランス王ルイ六世から男系で続き、
ラテン皇帝位についたクルトネ家の男系は断絶したが
傍系は後々まで続いた家系じゃ。
例えばルイ十四世治世の頃、血筋でいえば
ブルボン王家、オルレアン公、ブルボン・コンデ家に次ぐ家系だったが
王族とは見なされていなかったのじゃ。
血筋というのはある意味かように儚いものじゃ。
304 :
世界@名無史さん:02/10/22 22:28
モンテ・クリスト伯爵
305 :
世界@名無史さん:02/10/23 18:03
130 名前:右や左の名無し様 投稿日:02/10/22 23:47 ID:F/Fs1QzN
ただ単に気分的に嫌韓なだけの毒にも薬にもならんフラフラしたやつは
ボウフラのようにどうでもいい存在である。
中曽根と瀬島龍三・その陸士の後輩の全斗喚や、そのセマウル資金を日本で
ロンダリングしていたという許永中やKBSの福田etctcの関係やら何やらを問題にする
んだったら大いに応援してやる。
原理嫌いでもまあ同士である。
従軍慰安婦問題とサッカーとキムチと犬食いだけが問題で、パチンコは
一生やらないかまたはパチンコ屋を首になったか・・ という奴は
宗教ウヨ生長・でなければその外郭の似非同和系ウヨ団体員であろうと想定せざるをえない(w
306 :
ハウクヴィッツ:02/10/23 18:26
ロイヒテンベルク(ボーアルネ)家のこともここで扱えますよね。
307 :
ハウクヴィッツ:02/10/23 18:28
>>303 大帝陛下
パーティーに登場したアンリ・パレオロゴス氏は実は前科持ちだという記事を見かけたことがございます。
308 :
世界@名無史さん:02/10/23 21:49
サンジェルマン伯爵はどうなんでしょうか?
309 :
世界@名無史さん:02/10/26 19:34
サンジェルマン伯爵は詐欺師でしょ
全会一致で怠け者カールから帝位を剥奪しる。
しかしながら、カールの功績は多大であり卿の
称号を与える事とした。
すなわち格下げである。
以後、空位となるが宮廷は存続しる。
カウニッツ卿に承諾を得た事も伏せてここに報
告しる。
−問答無用−
近衛兵!皇帝をお守りせい!
−クーデター鎮圧−
>>311 おい。
速攻に鎮圧するでない。
盛り上がらないではないか。
313 :
ヘラルド見習:02/10/26 23:07
>>312 諸侯からの伝言にございます。
空位にするなら、不在がちな皇帝を据えておくも、同じこと。
無計画な空位は、諸侯の力のバランスが崩れる、とのことでございます。
また、我々紋章官といたしましても、
正統な継承主張者、もしくは、現皇帝と同等クラスの方をお迎えする予定がない限り、
クーデターには賛同しかねる、と考えておりまする。
314 :
カウニッツ:02/10/26 23:29
310殿、臣は承諾など与えた覚えはありませんぞ。
315 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/10/27 00:57
>カウニッツ卿
わが主、マーチャーシュは不逞の輩を速やかに鎮定せよと申しております。
黒衛軍を宮廷の門に配備いたしましょうか?
316 :
カール大帝:02/10/27 01:31
余である。
怠けがちではあるが毎日宮廷活動は
ちと難しい状況じゃ。
が、しかし週に3度であれば十分可能な範囲と考えておる。
なのでクーデターは今暫く待つがよい。
それでも不穏な場合は
カウニッツ殿を大法官に、ヤーノシュ殿を大元帥に
任じて宮廷の守護にあたらせなければならん。
317 :
カール大帝:02/10/27 01:36
そして余はイングランド諸侯の系図を
現在かなりな勢いで作成しておる。
この国の諸侯は領地がしっかりしておるゆえ、
タイトルもはっきりしておるゆえになかなか楽しいものじゃ。
また、フランスと共通するところであるが、
男爵や領主クラスの家系でも充分作りがいのあるものじゃ。
英国諸侯の家系を知ってからだとと森護氏の著作なども
また違った読み方ができると思うのー。
318 :
ヘラルド見習:02/10/27 10:30
おお、陛下!無事でなによりでございます。
イングランド諸侯でございますか、じつにうらやましきことです。
私めもぜひ、知りたい分野でございます。
有用な資料がございましたら、ぜひお教えいただきとうございます。
森護殿の本は非常におもしろうございますな。
ああいう本のフランス王家バージョンなどもあって欲しいとおもいまする。
ただし、たまーに細かいところで、’あれ?’ということもございますが。
319 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/10/28 00:23
カール大帝陛下
拙者は今はマーチャーシュ王の禄を食む身でござる。
大元帥などというお戯れは仰られぬように。
ヘラルド殿
拙者としては東欧関係でそのような本がないものかと
思っているしだいでござるが、何か良き本をご存知な
らご教示賜りたく存ずる。
森護は(中世では)「当時一般人の旅行など極めて危険かつ
困難であった」などと書いていていまいち歴史理解が
甘い気がする。
321 :
ヘラルド見習:02/10/28 20:28
>ギシュクラ・ヤーノシュ 殿
私めも、東欧は探しておりますが、なかなかござりませぬ。
そこがいまだ見習たる所以でございまして…。
ハンガリー史、ポーランド史は、恒文社あたりからでておりましたが…。
所謂、系図学という意味では、すでにご存知やもしれませぬが、
・世界帝王系図集
・Lines of Succession (Heraldry of the royal families of Europe)
・
ttp://www.dcs.hull.ac.uk/public/genealogy/royal/ をベースにしておりまする。
正直いって、東欧まで手がまわってないでつ…。
322 :
世界@名無史さん:02/10/31 01:12
近代になって成立した王国、
ユーゴスラビア、ブルガリア、ギリシャにも貴族は居るのですか?
324 :
世界@名無史さん:02/10/31 04:16
戦前のアルバニアは?
325 :
カール大帝:02/10/31 09:19
余である。
>>304 名作である。
>>305 誤爆?瀬島は余は大嫌い。
>>306 ロイヒテンベルク公の話題は歓迎するぞ。
バイエルン王の婿になったことが一族にとっての幸運じゃったの。
>>307 余は知らなんだ。やはり信用ならんの。
だが余も危く前科がつくところだったこともある。
朝、起きたらトラ箱の中だったのじゃ。
>>308 >>309 サンジェルマンなんて爵位は余だったら選ばぬの。
フランス中にあって区別がつかん。
326 :
カール大帝:02/10/31 09:30
>>310 元気がよいのが何よりじゃ。
>>311 功績により准将より昇格を検討するぞ。
>>312 面白い。余は噴き出してしまったぞ。
>>313 余はまだ帝位に未練タップリじゃ。
>>314 卿のハプスブルクスレ、楽しく拝見しておる。
余の偽者も出現したことを許してほしい。
>>315 マーチャーシュ王から鞍替えする気はないのか?
>>318 余が今の執務から解放されれば書きたいくらいじゃ。
森氏は一応余の先輩にもあたるしの。
>>319 東欧関係…余の記録室にもロクな資料がないのー。
エステルハージー家と一部の諸侯の系図ならあるが…
>>320 いかにも。その他にも??という記述が多々あるの。
しかし読みやすい本で人々の興味を惹いた彼の功績は無視できん。
327 :
カール大帝:02/10/31 09:35
>>321 以前から思うのだが
世界帝王系図集の値段はなんとかならぬものだろうか。
>>322 制度としてはなかったかもしれんが、
自称はいたはずじゃ。
それが貴族といえるかどうかはわからぬが。
クーデンホーフ=カレルギ家のカレルギ家は
ギリシアの一族だったはずじゃ。
>>323 こんなのあったのか!
>>324 むぅー。わからん。
諸卿の中に分かる者はおらぬか?
328 :
カール大帝:02/10/31 09:37
簡潔なレスを心掛けてみたがいかがであろうか?
余は執務の〆切前の現実逃避中じゃ。
浮世はつらいのー
329 :
ヘラルド見習:02/10/31 18:23
>>324 古代 ギリシア領、BC2C ローマ領、4C 東ローマ領
7C- セルビア、ブルガリア、東ローマ、ノルマン、ベネチアに争奪
15C-1912 トルコ領(トルコ化、70%イスラム教徒に)
1912 独立
WWI イタリア・セルビア・オーストリア・ハンガリー等に占領
1920 独立
1925 Armet Bey Zogu (1895.10.8-1961.4.9) 首相に
1928 Zogu -> ゾグー1世として国王に (-1939 廃位・追放)
1939 イタリアへ、1943 ドイツへ
1944 共産党による国土解放
1946 共産主義国家成立
欧州で考えられるところの貴族は、、、成立する余地があったかどうか、
と、思われまするが…。
しかし、アルバニア人というアルバニア語を話す1つの民族がこれほどまで、
多くの国々に占領され続けてきたのは、日本人から見ると大変なことであったかと、
想像されまする。1443-68にSkanderbegの反乱があったようでござりますが。
こういう独立した資料の少ない国の歴史は、実は百科事典が一番詳しかったり…。
明日から私めは、宮廷を1週間ほど留守させていただきまする。
330 :
世界@名無史さん:02/10/31 19:32
モンテネグロも王国だったのでは?
貴族らしきものはいたのだろうか?
331 :
世界@名無史さん:02/10/31 19:37
戦前のユーゴスラビア王国では、
クロアチアやスロベニアにはハプスブルグ家より
認められた貴族が居たはず
セルビア王国やモンテネグロ王国はわからぬ。
ボスニアはイスラム教徒の支配層が残ったが、
トルコからオーストリアに奪われたとき、
どういう風に扱われたのだろうか?
332 :
カウニッツ:02/11/01 00:53
ワーイ!陛下が一杯だー!
333 :
ルートヴィヒ敬虔王:02/11/01 11:57
父帝は崩御されました。
334 :
カール大帝:02/11/01 13:31
>>329 イスラム化時代が続いたことを考えてもいわゆる「貴族」というのは
成立しにくそうじゃの。それ以前であれば中世的な領主はいたであろうが、
封建制度がどのように機能していたのか、余には分からぬ。
余もアルバニアというとスカンデルベグぐらいしか思いつかぬ。
>>330 モンテネグロモ西欧的な「貴族」は独立までいなかったのではないかの・
>>331 クロアチアは古くからハンガリーとの関係があったために
いわゆる貴族たちがいた。
また、クロアチア公(?)を名乗る土着の王家もあったと思ったの。
>>332 先ほど卿のハプスブルクスレにお邪魔させて頂いた。
今後とも宮廷への参内を頼むぞ。
>>333 我が子であればこそ真っ先に宮廷活動にいそしむよう命じるぞ。
335 :
カール大帝:02/11/01 13:43
余である。
宮廷に集う諸卿に尋ねたい。
系図の書き方についてじゃ。
余は神聖ローマ帝国→フランス王国→イングランドと
王・諸侯の系図を少しずつ書いておるのだが、
書式を揃えたいと考えておる。
なにぶん最初は手書きで始めてワープロ、PCと続いたため
書式はバラバラじゃ。
余の念願として欧文の系図は諸国にあれど、
日本語表記の詳しい諸侯の家系図はないため、
人名・タイトル等については日本語表記にしたいと考えておる。
より多くの人に興味を持ってもらうことが目的でもあるしの。
また、人物に関して記録も全てを記載すれば
かなり見にくく膨大な量になってしまう。
そこで問う。
記載事項は
男性(タイトルホルダーの場合は女性も)の没年と主なタイトル
日本語表記の系図に諸卿は興味をそそられるであろうか。
また、家名ではなく、タイトルごとに分類する形式にするのでは
どうであろうか?
積極的な意見を聞かせて欲しい。
待っておるぞ
336 :
カール大帝:02/11/01 13:47
補足であるが
タイトルごとの分類というのは
イングランドのノーフォーク伯・公を例にとればこういうことじゃ。
@ビゴット家のノーフォーク伯で一つ。
Aモウブレイ家のノーフォーク公で一つ。
Bハワード(後にフィッツアラン=ハワード)で一つの
系図を作っていくことじゃ。
ハワード家には多くの分家があるが、
それらはノーフォーク公の系図では親子関係しか記載せず、
別にサッフォーク伯、カーライル伯など、
タイトルごとに別の系図となる。
337 :
世界@名無史さん:02/11/02 21:05
阪神にいたカーライル投手は伯爵ですか?
んじゃ、バート・ランカスターは…
339 :
カール大帝:02/11/04 15:30
余である。
>>337 タイガースには来年期待したい。
>>338 主演をしたヘンリー五世はなかなか楽しめる。
340 :
世界@名無史さん:02/11/05 20:46
着たい上げ
あれ、カール大帝どのご健在でござったか
342 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/11/06 00:15
カール大帝陛下
クロアチア公(後には王)は1089年にズヴォニミル王陛下が殺害さ
れ無念にも絶えてしまい、王の未亡人が実の兄君であるハンガリー王ラ
ースロー1世陛下に助力を頼のみまれ申した。ラースロー王陛下はそれ
に答えてクロアチアに軍を進め、王国を制圧しまい申した。
その後にラースロー王陛下の後継であらせられるカールマン王陛下の御世
にハンガリー王がクロアチア王位につくという協定をクロアチアの12の
部族と結んでおり申す。
クロアチアの貴族で有名な方というと、拙者の知る所ではハンガリー南部
のシゲト・ヴァール城にオスマントルコのスレイマン1世の大軍を迎え撃
って勇戦奮闘の末、全軍玉砕して果て申したニコラ・ジュービッチ・ズリ
ンスキー殿、あぁ、ハンガリーではズリーニ・ミクラーシュ殿でござるな。
その孫にあたられる同名の詩人・軍人のズリーニ・ミクラーシュ殿、ムンカ
ーチ城に篭城した女傑ズリーニ・イロナ殿といった勇ましき方々を数多出さ
れた高名なズリーニ家、あるいはフランコパン家の方々をなどを覚えており
申す。
343 :
ヘラルド見習:02/11/06 22:59
陛下、
系図作成でござりまするか!
より多くの普通の民に興味を持ってもらうきっかけとするのであれば、
日本語表記、タイトルごとがよろしいかと。
少し欧州系図を知る者には、
’世界帝王系図集’(+生没年)形式がなじみがあってよろしいかもしれませぬ。
344 :
象使いの少年:02/11/07 00:25
そういえば昔、スタインバックの「ピピン4世三日天下」なんて小説を読んだなぁ。
345 :
世界@名無史さん:02/11/08 11:58
http://japanese.joins.com/html/2002/1107/20021107122245400.html ドイツ人男性「生涯最後の同床女性を募集」
72歳のドイツ人男性が「美しい女性の懐の中で生涯を終えたい」とし、25万ユーロ(約3000万円)をかけて「最後に一緒に寝る女性」を募集した。
ベルリンでナイトクラブ4店を経営するロルフ・エデンさんは今年8月、遺産の相当部分を最後に同衾した女性に提供するという遺言に署名した。ただ、これには性関係中または直後の「腹上死」でなければならないという条件が付いている。
これに関する記事がロイター通信により報道されると、ドイツのほか米国、ブラジル、ロシアなど世界各国から志願女性が殺到した。エデンさんは現在、応募者の写真をチェックしながら「審査」を行っている。
これまで7人の女性との間に一人ずつの子どもを持つエデンさんは「プレイボーイに最もふさわしい死に方をしたいと思い、この方法を決定した」とし「最後の女性は私と一緒に寝る女性の代表として遺産を受けることになる」と語った。
346 :
世界@名無史さん:02/11/10 23:50
ポルトガルには貴族居るの?
347 :
世界@名無史さん:02/11/11 00:26
ポルトガルは共和国
348 :
世界@名無史さん:02/11/11 00:32
貴族の末裔ならいるけど
ポルトガルは共和国だけど王家はありますから
貴族もいるでしょうね。
(法的にという意味ではないにしても)
陛下、系図を作成されるとのことですが
HPを開設なされるのでしょうか?
私は系図といいますと世界帝王系図集のように
家系図をメインにして、爵位等のタイトルは索引で
調べれれば便利だと思うのですが、いかがでしょうか?
いずれにしても日本語でというのは嬉しいですね。
(原語は…自分が不勉強なのが悪いのでしょうが辛いです。)
351 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/11/11 00:49
>345
なんとも酔狂な御仁でござるな。
しかし、かのゲーテ殿やら老いてなお盛んだった御仁は数多おりますぞ。
352 :
カール大帝:02/11/11 22:43
余である。
>>340 うむ。だが期待されると照れるの。
>>341 る殿も健勝でなによりじゃ。フランス国王スレなどで姿を拝見しておるぞ。
だが深酒には注意することじゃ。
>>342 卿は博識じゃ。クロアチア王位についての協定など
余は恥ずかしながら初めて知ったぞ。多いに勉強になった。
ところで卿の言うズリーニ家やフランコバン家の末裔は
どうなったのであろうか?
是非教えてほしいものじゃ。
353 :
カール大帝:02/11/11 22:50
>>343 それよ。余も生没年を考えたのじゃが…
婚姻関係も含めるととかかう膨大な量になってしまうのが
系図作りの悩みの種じゃ。
子女が多く、その婚姻関係まで含めるとなると横書きが望ましいが
文字数に限界があるのが実状じゃ。
「世界帝王系図集」ほどであればイケルが、
余が作成を思い立ったのはあれを卒業した諸卿に
もちっと詳しいものを…と思ったゆえにの〜。
悩ましいがとりあえず始めておる。
>>344 寡聞にしてその書を知らなんだ。
「三日天下」にならぬよう余も頑張るぞ。
354 :
カール大帝:02/11/11 22:53
>>345 これはある意味ロマンのある話じゃ。
しかし女性にとってはイヤな話しでもあると思うぞ。
余が女性だったならば…
>>346〜
>>348 349殿の通りじゃ。
名乗るのはいるが特権はないということじゃな。
355 :
カール大帝:02/11/11 23:20
>>350 HPの予定は…
余はPCが不得手でHPの作成方法を知らんのじゃ。
系図作成も執務で慣れた一太郎を使用しているくらいじゃ。
アレが一番罫線を引きやすいと考えてのじゃが…
家系別にすることも検討したのじゃが
タイトルごとにしたほうが家系を区別しやすいと考えておる。
例えばフランスのクルトネ家の場合。
家系ごとにすると英仏両国に跨ってしまううえに
フランスのクルトネ家は早くに女系を通じて
カペー家の分流が「クルトネ家」を名乗るようになる。
一方で英国のクルトネ家(コートーニー家)は
イングランド貴族として続いていく。
こうした場合一緒にするのは無理があるうえに
表記の点でも難解になってしまう恐れがある。
系図の分け方についてはもう少し作成した時点で
再度検討してみよう。
356 :
カール大帝:02/11/11 23:22
>>351 何事もほどほどにとは思うが…
まぁ子沢山の余が言う言葉ではないがの。
357 :
カール大帝:02/11/11 23:24
ところで余は現在英国諸侯の系図を鋭意作成中であるが
足掛け3年以上は独(神聖ローマ帝国)とフランスの諸侯の
作成をしておったのじゃ。
余はHPの作成方法を知らぬがどこかに出す方法はあるであろうか?
一太郎なら最近のバージョンはHTML形式で保存できるけど…。
罫線はどうなるのかな。本来の罫線の使い方とは全く違うから
あまりうまくいかなさそう。
お初にお目にかかります陛下、御機嫌麗しゅうございます。
歴史的御偉業、待ちどおしゅう存じます。
さて、そこででございます。
日本語訳をなさるにつき、PrinceとDukeの訳しわけはいかがなさる御所存でございましょうや。
299殿が「藩王」と訳しておいででございますが、やはり何らかの区別は必要かと存じます。
299殿の「藩王」や、「大公」「君」などが考えられましょうが、
日本語としてどう体裁を取り繕うべきか…。
Grand Duke 大公 → ルクセンブルク大公を考慮
Prince 藩王 君爵
Duke 公爵
・
・
・
続きでございます
中国の爵位は六等爵で、「公」の上に「王」がございますが、
文章中で「国王」との区別が難しく、Kingに対する○○王といった用法を制限してしまいます。
「藩王」といたしますれば区別は明らかでございますが、「藩」という文字の持つ
意味を「Prince」という語に正確に込められますかどうか。
「君」ならば「○○君」と申して王族や上級諸侯の爵位としたようでもございますので
Prince に近い意味を体すことができますのでは…
日本古代の氏姓制度にも「公」とならんで「君」がございます。
臣の愚考いたします限りにおきましては、「君」あたりが適当ではないかと謹んで奏上仕ります。
>>358 PDFで出力できるのならそれでもいいんだろうけどね。
データベース化しちゃうってのはどうでしょ?
必要ならば出来る人を探しますが。
系図は必要に応じてリアルタイム生成。
>359
Archdukeはどうするのさ
あれはハプスブルク家専用でしょ?今じゃ史学上の存在だし。
イギリス諸侯の系図に…やっぱり絡んでくるんだろうか。
詳しくないからアレだけど、ハプスブルク家の成員専用だとしたら
「親王」でもいいんじゃない?
あと、むつかしい言葉遣いやめるよ。俺にはあわん。陛下ゴメソ
365 :
ヘラルド見習:02/11/13 21:09
>359
Princeに対しては、「親王」を使ってたのを見たことがござりまする。
日本の親王とは意味が異なりますが。
Arch DukeもGrand Dukeも「大公」でよろしいかと。359殿のおっしゃられるとおり、
ADは特殊でござりますゆえ。親王というのもよいかとは存知まするが。
いずれにしても、系図集卒業程度であらば、無理に日本語にせず、
系図集にのっとった記号をつかってもよろしいのではござりませぬか?
(ただし、ドイツ以外はHg,F,Gfなどではなく、D,M,Eなどのほうがよいかと思いますが)
HPにて系図を作成するのはやや難しいワザでござりまするな…。
かくいう私めも何度も企画したことはござりまするが、
なかなか簡便にわかりやすいものが私めには出来ず、挫折した次第で。
HPはプロバイダからの提供もしくはYahooなどでただで借りることが出来まする。
英王室HPでは確か系図はPDFであったかと。
系図をメインに、系図の名前をクリックするとその人物の詳細が、
表示されるパターンを私めは目指しておりましたが。
366 :
世界@名無史さん:02/11/13 23:56
まずは既存の系図サイトで、一番目的にあったものを選んで見てはどうでしょう。
そのサイトの真似してプロトタイプを作り、そのプロトタイプをたたき台にした方が
いいものができると思いますが。
陛下、わーども、html保存の機能があり、
系線を含む図表を画像に変換して、html化できます。
偉業達成こころからお祈り致します。
ちょとプロトタイプ作ってみようかな
>>365 ヘラルド見習いさま、ごきげんよう。(w
貴族にもPrinceと称する人がいるようで、この場合「親王」では齟齬が生じるかと。
あと、
>Hg,F,GfとかD,M,Eとはなんでございましょう?お教えを。
うろ覚えでございますが、陛下は「是非日本語にて」との思し召しでございますようで、
なんとか適切に翻訳いたしたいものでございます。
皆様のお力があわさって、素晴らしい系図が完成されますことを
陰ながら念願いたしております。
(再び言葉遣いの変わる節操無し>儂)
370 :
カール大帝:02/11/15 03:49
余である。
執務の関係で深夜に宮廷にコソーリ来ることとなった。
さて。
>>358 やはり本来の罫線の使い方とは違うのか〜。
すると残る方法は…
>>359 うむ。参内を大歓迎するぞ。ぜひ気軽に来られるように。
称号の件は後のレスにもするつもりなので簡単に。
余の使い方の結論を申せば
Dukeは公爵(実際に系図に使う場合は○○公、または○○公爵家)
Princeは場合によって
親王・侯爵(系図上は○○侯)・さらに土侯を使いわけておる。
Princeは卿が後に述べているように
国・地域によって使い方が異なるからじゃ。
371 :
カール大帝:02/11/15 03:57
>>360 確かに西欧においては王号はかなり難しいものがあるの。
藩についても然り。
また君についてじゃがPrinceは王族を指す場合と
独立の領主としての称号、さらに一部の貴族に与えられた場合と
バラバラなのじゃ。
そこで統一した表記は避けることにしたいと余は考えておる。
372 :
カール大帝:02/11/15 04:04
>>361 PDFというと、余が役所の文章をWEBで見る時に使うアレかの?
全然知らなくて恥ずかしいが一太郎の文書も
PDFでまとめる&出力できるのかの?
>>362 それは[(・∀・)イイ!!
しかし、データベースのような難解なものに余が書きこめるだろうか…
>>363>>364 Archdukeはハプスブルク家専用なので「大公」じゃ。
親王とするとルドルフWに恨まれそうじゃしの。
373 :
カール大帝:02/11/15 04:17
>>365 うむ。「無理に日本語表記にせず」という卿の言う点はもっともじゃ。
しかし悩ましい点があるのじゃ。
それはHg,F,Gfなどを使うと必然的にvon,vor,de,desなどを
使わなければならなくなってしまうのじゃ。
タイトル名も欧文にすれば良いのじゃがそうすると
どんどん難解になってしまう…
「帝王系図」より詳細で分かり易いものを求める余は
帝王ならではの欲張りなのであろうか…
やはりHPで系図を作成するのはかなり困難なのであろうか。
余もプロバイダーには二つも入っておったと思うが
HP制作のイロハも知らんのだ。
英王室は噂のPDF形式か…
だが人物の詳細まで作るとなると…(・∀・)
余が墓に入るまでに終わらぬ〜
374 :
カール大帝:02/11/15 04:25
>>366 それじゃ!
しかし残念ながら余はこれまで「これは!!」というサイトに
出会ったことがないのじゃ。
どこか良い所を知らぬかの。
それと最大の難関は余に真似する技術力がないことじゃ。
「技術」…余には悲しい言葉じゃ…
>>367 余も最近wordを使うようになってきた。
しかし罫線の引き方がイマイチ…
なかなか自由に引けぬのじゃ。
縦横自由に引くことは可能なのだろうか?
>>368 断酒をしても作成してくれることを祈っておるぞ!!
375 :
カール大帝:02/11/15 04:34
>>369 例えばフランスではヴァロア王朝末期に入り
Princeの称号が与えられだしておる。
これにも大きく2種類あるのじゃ。
一つはいわゆる王家の血を引く者に与えられる場合じゃ。
例をあげればコンデ家やクルトネ家などじゃの。
もう一つは大貴族に与えられる場合である。
こちらの代表例はロアン家やトレムイユ家、ブイヨン家などじゃ。
いずれの場合も公との上下は明確にはない。
但し貴族に与えられる場合は権門揃いであったために
王族に準ずる格式と見なされたようじゃの。
その意味で余はこれらには「親王」訳をあてておる。
376 :
カール大帝:02/11/15 04:51
続きじゃ。
Hg,F,Gfは
それぞれドイツの
Herzog(公爵),Furst(侯爵),Graf(伯爵)の略じゃ。
それとPrinceについてじゃが
ドイツのPrinzはアンハルトなど諸侯の場合、
余は「侯爵」訳をあてておる。
それと言葉づかいなどに対する遠慮は余の宮廷では無用じゃ。
なにせ余を「ヘイ カール」呼ばわりする者もいたのじゃから。
D,M,Eは
Duke(公爵),Marquess(侯爵),Earl(英国の伯爵)の略である。
377 :
カール大帝:02/11/15 04:54
すっかり夜も更けてしまったの。
ところでプロバイダーが二つもあるのは
至極無駄だと気付いたぞ。
忘れていたほうを解約せねば。
3Dでぐりぐり動く系図なぞ見てみたいものです。
ごきげんよう、陛下。
丁重なる御返事、ありがとうございます。
>ドイツのPrinzはアンハルトなど諸侯の場合、余は「侯爵」訳を
日本の大名諸侯がPrinceと訳されたおりました事と似ておりますね。
諸「侯爵」という感じでございましょうか。
>>378 同意でございます。
>王族に準ずる格式と見なされたようじゃの。
その意味で余はこれらには「親王」訳を
「親王」は王族内の称号にて、大貴族にも訳をあてる件はご再考のほどを…
権門とはいえ親王はいただけませぬ
381 :
カール大帝:02/11/15 22:52
余である。
全くもって余が宮廷に出る時間は定まらぬ。
さて。
>>378 非常に楽しそうじゃ。想像してしまったぞ。
縦軸が立体感を持つと随分と壮大なものになりそうじゃの
>>379 うむ。
ドイツでは侯爵位は歴史が浅いので使うのに迷った時期もあるが
数が非常に多いので諸侯として使うのも良いであろうと思ったのじゃ。
382 :
カール大帝:02/11/15 23:00
>>380 これは実は結構難しい問題だったりもするのじゃ。
まず、西欧では実は王族と大貴族の差は微妙なものと
余は考えておる。
例えばナヴァール王位を持っておったアルブレ家も
南仏の領主貴族であったわけじゃ。
元々強力な一族ではあったがタイトルでいえば「領主」。
爵位は持っていなかったわけだがわずか数代で王位を獲得したのじゃ。
勿論婚姻によって得た王位であったが
背景に大貴族としての財力、武力があってのものだったのじゃ。
このアルブレ家を王族とみなすか大貴族とみなすか…
フランスにおいてPrinceの称号を持ったのは
こうした王族との血縁関係もあり、
王位にかなり近い(王位を狙ったことさえある)
大貴族であったわけじゃ。
383 :
カール大帝:02/11/15 23:00
執務の打ちあわせに行かねばならぬ。
すぐに戻るぞ!!
384 :
カール大帝:02/11/15 23:29
戻ったぞ。
369殿の言う点も尤もである。
日本でいえば親王は天皇家にのみ認められているじゃからの。
余もこの島国で生まれ育った身。
親王を大諸侯にあてはめるのに抵抗はあったのじゃ。
しかし
フランスではオルレアン公のような有力王族が
Princeを名乗らなかったように
フランスではどうしてもPrinceは王族の称号という気がしないのじゃ。
ルイ六世の系譜を引くクルトネ家の末裔も
Princeの称号を帯びていたがどうにも王族とは…
しかし血統の上ではカペー家の血を引いておるゆえ
他の訳語を当てはめるのも…
なんか書いていて訳分からなくなってきたぞ。
卿の言う通りもう一度検討してみよう。
385 :
世界@名無史さん:02/11/15 23:33
>おそれいります、陛下。369でございます。
日本語訳をなさるにつき、漢字圏にて「王族」にも「大貴族」にも
使用の例がある言葉として「君」を先に挙げさせて戴きました。御検討下さいませ。
Princeは以前から適当な日本語訳のない語としてしばしば議論されておりますね。
外務省の儀典官や国語審議会はなにをしておりますやら…
387 :
カウニッツ:02/11/16 00:31
ルドルフWとは若くして亡くなられたルドルフ建設公の事ですね。
388 :
カール大帝:02/11/16 11:18
余である。
>>385 いかにも。
コンデ家やコンチ家の場合は「親王」がしっくりするの。
>>386 「君」を使うとすると
ブイヨン君、ロアン君となるの。
うーむ…
大諸侯の場合は公のほうが慣れた感じがするの。
とりわけロアン家の場合はHighnessであるしの…
>>387 いかにも。
卿のスレにも先ほどおじゃまさせて頂いたぞ。
389 :
ヘラルド見習:02/11/16 21:28
陛下、
以上の議論、いずれも私めには、もっともに思えまする。
最終的にどの日本語訳を採用しても、注釈が必要かと。
Princeの訳、むずかしゅうござりますな。
アンハルトは言われてみると侯というのが汎用されておりますし、
されど、オランイェは、公だったり親王だったりということで。
>>378 3D、系図が3Dで描けたらどんなによろしいかと、思っておりました、同意でござります。
>公のほうが慣れた感じ
「君」でまた慣れればよろしいではございませんか(w
それと陛下、わたくしめに名をくださいませ。(w
お初にお目にかかります
たしかハンガリーの貴族でエステルハーツィ候という候がおりますたがなにせ遠い異国,どのような家は是非お教えいただいたく思います.
なの者なのでしょうか?
作曲家のハイドンがそこの宮廷楽団を振ってたんじゃなかったっけ
そうです.強いて言えばたしか楽長だか副学長になったことがあったはずです.
ついでにリストのパトロンとかやってますた.
しかしながら,将官の聞きたいのは家柄でしてその辺はどうなんでしょうか?
395 :
世界@名無史さん:02/11/17 23:09
イングランドを統一したエグバートの妃はカール大帝の妹ですか?
396 :
世界@名無史さん:02/11/17 23:38
エステルハーツィってのはドレフュス事件にも出てきますが。
何か関係があるんでしょうかね。
真犯人だったそうですけど。
>とりわけロアン家の場合はHighnessであるし
Princeは通常Graceなのでございましょうか。
Highness/Royal Highness/Serene Highness/Serenity はいづれも
「殿下」かと存じますが、それぞれどのような方が帯びる敬称なのでしょう。
(それと、名は369で通そうと存じます。猛烈にサガってしまったので 雅笑)
398 :
ヘラルド見習:02/11/18 20:25
>395
一般にフランク王の姉妹、と言われていて、
カール大帝の姉妹ではないかという説もありますな。
ただ、年齢からすると、もう一世代あとのようにも感じまするが、
大帝の皇女方はほとんど正式なご結婚をなさっておいでではなかったと伺っておりますし…。
陛下、本当のところはどうなのでござりましょうか?
>カール閣下
369卿に名前を授け給え。
御多忙の事と存じます。
しかしながら、宮廷内における妙な間は、運営上宜しくない事ではありませぬか。
迅速かつ的確なる措置を希望致す。
拙者、冬の夜風に身を任す、取るに足らぬほろ酔いサラリーマンに過ぎず、
わきまえを過ぎた真似であるこの無礼なる行為、何卒お許し願いたい。
399殿… (ホロリ
陛下に無理なお願いをしたあの夜、私も貴殿と同じくほろ酔いサラリーマンで
した。酔った勢いとはいえ、後悔いたしております。(泣笑
もう一つ陛下や諸侯の皆々様にお聞きしたいのだが,ザルツブルクのハフナー家の情報をお持ちの方はおられますかな?
是非お聞きしたいのですが!!
402 :
カール大帝:02/11/19 01:04
余である。
今日の執務が終わったぞ!
さて。
>>389 うむ。オランジュ家の場合はとりわけ難しいの。
称号そのものは南仏のオランジュ家から継承したものじゃが
一族はドイツの古くからのもので
低地諸国の総督として力を振るったわけじゃからな…
>>390 まぁフランス諸侯の系図作成は現在中断しているので
もうちと考えよう。
>>391 これはまた難題じゃ!!
余も自分の子女以外の名をつけたことはないのじゃ。
403 :
世界@名無史さん:02/11/19 01:07
404 :
カール大帝:02/11/19 01:09
>>392 エステルハーツィ候はハンガリーの大貴族で
ハプスブルク家の仕えたことで広く知られていた一族じゃ。
リヒテンシュタインやらリーニュやらハプスブルク家に仕えていた
家々と姻戚関係を多く結んでおる。
余の記録室にはかなり詳細な系譜があるが
幾筋にも枝分かれして読むのだけでもそれはそれは大変じゃ。
>>393 ハイドンちと可哀想な存在じゃな。
>>394 家柄ということで言えばハプスブルク支配化のハンガリーで
一、二を争う名門といえよう。
405 :
カール大帝:02/11/19 01:21
>>396 余は件の事件について余り知らなんだ。
真犯人として名があがっているのかの?
>>397 卿の申すように皆「殿下」であるの。
英語であるから区別としては
(Royal)Highnessは本来は英国、さらには
欧州各国の王族に対して用いられ、
Serene Highnessは
大陸の(王号がなかった)王侯に使うものとされておる。
例をあげれば
バイエルン王の子孫のバイエルン公はRoyal Highness
ロアン家はSreren Highnessである。
そしてロアン家がHighnessとされるのに対して
ロアン=シャボ家がこうした敬称がないように
Princeを名乗る一族に対してHighnessが用いられるようじゃ。
但し、これらは欧州全てにあてはまるわけではないのじゃ。
例えばリーニュ家はただのHighnessを用いているようじゃし
そもそも英語をあてはめるというのが無理なのかもしれぬ。
406 :
カール大帝:02/11/19 01:31
むぅ。順番を間違えたぞ。
>>395>>398 余の妹も娘もまともに結婚が確認できているのは
殆どいないのじゃ。
なにせ男尊女卑社会だったからの。
女系で余の血筋を誇りにするのはもうちと後の世を待たねばならん。
結論から言うと…伝説に過ぎぬと余は思うの。
407 :
カール大帝:02/11/19 01:38
>>399 卿の気持は痛いほど分かるぞ。
かくいう余も宮仕えというものを経験中だからの。
明日からはまた全国的に冷え込むというが
酒量には気をつけることじゃぞ。
>>400 369殿…
しかし本当に余が名をつけて良いものであろうか?
もしも…仮に…
余が
「これからは『ぃぃ』と名乗るように」。
など変な名をつけてしもうたら…
それが余は怖いのじゃ。
欧州の諸侯たちも、まず自ら名乗る者が多かったのじゃ。
勇気を出して名乗る日を待っておるぞ。
408 :
カール大帝:02/11/19 01:41
>>401 件の家系についての情報は余には持ち合わせがない。
403殿のあげてくれたサイトは外国の家系サイトだが
調べてみるのはいかがかな?
それと掾という字は日本史を思いだすの。
>>403 thx!!かように皆で学ぼうではないか。
ごきげんよう、陛下。369でございます。
>Princeを名乗る一族に対してHighnessが用いられる
なるほど。
バイエルン王のからみでございますが、ドイツ帝国内に入ったあと、
この王家の称号はそのまま王号を保持し、陛下と呼ばれたのでしょうか?
皇帝と同じ敬称で呼ばれるというのは違和感を覚えます。
>勇気を出して名乗る日を待っておる
では私のことは以後、異族の王とお呼び下さい。
410 :
世界@名無史さん:02/11/19 21:09
そういえば、エジプトが英国の保護領になるときの条約を日本語で読んだこと
がありますが、エジプト国王殿下となってたのを思い出しました。関係ないけど。
411 :
カール大帝:02/11/19 22:19
余である。
さて。
>>409 うむ。
「異族の王」とはなかなか良い名じゃ。
文字の響きからは逞しさを感じるの。
バイエルン王も含めてドイツ帝国成立後も王号は残った。
ゆえに敬称は陛下じゃ。
このへんがドイツ帝国の特殊なところじゃの。
>>410 余はその条約を日本語でも英語でも読んだことがないのだが
英国王はエジプトの主権者となったのかの?
ヴィクトリア女王以降、インド皇帝ではあったわけだが。
陛下!ありがたき幸せ!
やはりハフナー家はマイナーすぎてありませぬか.
陛下や403殿がおおせになったサイトを早速まいらせていただきます.
将官は駿河の国の国司の次次官をしておりまする.どうぞお見知り置きを.
413 :
カウニッツ:02/11/20 00:14
>>412さん。
モーツァルトの「ハフナー交響曲」は、ザルツブルクの市長ハフナーが貴族に列せられたのを
祝うために書かれました。もし貴方様が仰るハフナー家がこのハフナーの事ならば、貴族としては
新しい家柄ですし、領地等を持たない都市貴族と言う事になりますね。
414 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/11/20 00:16
駿河掾どの
エステルハージ家についてでござるが、かの家が史上に登場するのはミクラーシュ殿の
代からでござるな。時代でいうと1600年代のころであったように思う。
かの家は家伝では確かフン族のアッチラ大王にまで遡るとかいう話もあるそうでござる
が、拙者も詳しくは知りもうさぬ。出身はポジョニ、今はブラチスラバというそうでご
ざるな。
ミクラーシュ殿はもとはプロテスタントを信仰したおられたのじゃが、カトリックに
改宗し、反宗教改革の立場で当時ハンガリー王位にあったハプスブルク家に接近し、
その信頼を得て大貴族たる地盤を築いていったのでござる。
旧来のハンガリー貴族の諸家が反ハプスブルク家の立場でトランシルバニア公国と
結んで戦ったおりにはハプスブルク家の側で戦っており申す。
そのような功で伯爵の称号とハンガリー副王の位を得られた御仁でござる。
ミクローシュ殿のご子息パールどのはオスマン軍のウイーン包囲の際とブダ奪還戦
で活躍され、公爵の称号を得ておられる。
このお二方がこの家の基礎を作られたと申しても過言ではありますまい。
この家は一族の多くかのルイ16世の側近にも一族がおり申すし、先般にその名の
出たドレフュス事件に関与したものも一門の者でござる。
今のご当主は作家をされておいでじゃが、前衛というかなんというか拙者の如き者
には理解しにくい作品をお書きになる方でござる。
弟君は確か以前は蹴球の選手をしておられたと記憶いたしており申す。
つたない記憶で申し訳ござらぬが、お役に立てば幸いでござる。
カール大帝陛下
ズリーニ家とフランコパン家でござるがハプスブルク家への反逆容疑で
ご当主が処刑されて後のことは拙者も分かり申さぬ。古き家柄ゆえ、一族
の方々は続いたものとは思い申すが・・・。
ごきげんよう、みなさん。
殿下と訳される称号の序列は
Imperial Highness
Royal Highness
Serene Highness
Highness
Serenity といった感じでしょうか。
それぞれどのような身位の方々が称されるのか御存知の方、御一報を。
ごきげんよう、陛下。
>なかなか良い名じゃ。文字の響きからは逞しさを感じるの。
おそれいります。
417 :
カール大帝:02/11/20 01:55
>>412 すまんの。余の手持ちの資料にはあらなんだ。
>>413 さすがにカウニッツ卿は博識じゃ。
ドイツやフランスの都市貴族は英国に比べて
系譜を集めにくいきらいがあるの。
>>414 ヤーノシュ殿。待っておったぞ。
ハンガリー関連はヤーノシュ殿の出番じゃ。
しかし蹴球選手とは知らなかった。
有名な選手なのかの?
418 :
カール大帝:02/11/20 02:00
>>415 ここのサイトは有名じゃな。
それぞれのご先祖様を調べておるから
数が膨大じゃの。
>>416 余がすぐさま思いつくのでいえば
IHはオーストリアの大公達とロシアの大公の一部。
RHは旧王国の子孫たち。
SHはロアン家やラッツヴィルなどのPrince。
HとSereneは・・・すぐには思いつかん。すまん。
陛下、お尋ねするばかりでもうしわけございません。
どうぞご無理をなさらぬよう、御自愛ください。
おやすみなさいませ。
420 :
カール大帝:02/11/20 21:50
>>419 何を言う。
余も諸卿に尋ねることはしばしばあるのじゃ。
質問こそ知識習得の第一歩である。
諸卿も宮廷活動とは
質問と解説であると心得てもらいたい。
ははっ。さすがは大帝と呼ばるる御方。
Prince は、やはり 大公ではないかと、
日本では、皇族としての親王と「王」(天皇の曾孫以下)は、
Princeで、「HIH」ですね。
「王」はいらっしゃいませんが。
儀典では、王公、貴族の称号は、当該国の言語のまま
表記するのが習わしかと。
>>413 カウニッツ殿,たぶんその者かと存じまする.忝ない.
出来れば爵位なんぞもお教えいただきたい.
>>414 為に成りまする.忝ない!
>>417 陛下,お気を使っていただきありがたき幸せ!
424 :
カウニッツ:02/11/21 15:28
>>423さん。
多分、爵位を持たない貴族か、持っていても男爵ではないかと…。
ところで、御名前はするが何とお読みすれば良いのでしょうか?
425 :
世界@名無史さん:02/11/21 17:21
流石、大帝陛下が宮中に顔を出されると活気づくな〜。
426 :
ハウクヴィッツ:02/11/21 23:20
うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
>>424 ”するがのじょう”と読みます.
以後お見知り置きを!忝ない!!
禿げない!
430 :
カール大帝:02/11/24 02:41
余である。
英国諸侯の系図作成に励んでおるが
時間が限られておるのでなかなか進まぬ。
とりあえず今はイングランド貴族に的を絞っているのだが
男爵のタイトルまで含めると膨大で気が遠くなりそうじゃ。
とりわけセントジョン家やウェントワース家ときたら
分家が膨大で・・・
さて。
>>421 うむうむ。
>>422 しかしいわゆる王族ではないPrinceたちにも「大公」を
当てはめることができるかどうか。
以前のスレにも出たクロワ家などは
大公と訳するには抵抗があるの。
現地語を使えば問題は解消されるが
日本語表記の系図が余の念願であるしの。
431 :
カール大帝:02/11/24 02:44
>>423 酒は余も嗜むがほどほどが良いぞ。
>>424 近代に入ってからのドイツ貴族は数が多すぎて追いきれぬのー。
>>425 照れるのー。ほめ殺しではあるまいの
432 :
カール大帝:02/11/24 02:49
>>426 おお。久しいの。
ロシアの帝位継承権を持つという意味でのHIHじゃな。
ロヒテンベルク家はロシア帝国崩壊まで
ロシア皇帝に仕えた者が多いことで知られておるの。
なんといっても収入が魅力だったわけじゃの。
>>427 はて。春にはまだ遠いぞ。
>>428 大掾と小掾があったのだったかな?
余も受験は日本史であった。
433 :
カール大帝:02/11/24 02:51
>>429 卿の存在には謎が多いの。
ところで余は昨日、卿のパトロンとも本人とも言われる
サウサンプトン伯のライアスリー家の系図を作成したぞ。
陛下、もしや427殿は(時間的にも)高円宮殿下薨去に衝撃を受けて
心に傷を負ったのでは。人気のある宮でございましたゆえ。
当日の他板他スレでは、まま見受けられた言動でございます。
まことに惜しいことでございました。
435 :
カール大帝:02/11/24 04:17
>>434 うむ。
宮倒れるとの一報を執務中に聞いた時は
余も衝撃を受けたものじゃ。
436 :
世界@名無史さん:02/11/24 04:33
>受けたものじゃ
学芸会みたいでワロタ
保守
>>430 王族ではなくても「大公」は使えるのでは
逆に 王子に使うのに抵抗感があります。
Loi、Prince 、Dukeに関しては、外務省は「大公」を用いております。
439 :
世界@名無史さん:02/11/24 12:25
フォーサイスの「イコン」という小説だと現代ロシアに
イギリス王家からロマノフ朝の血を引く殿下を帝政復古させていました。
>433
発音はライズレーが原音に近いと思うが…
>438 ごきげんよう、法務総裁どの。
Dukeは「公」でよいと思いますが、なぜ外務省は大公を使用するのでしょう。
逆に外務省は「公」を何と英訳しているのでしょうか。
あと、Loiてなに?
442 :
世界@名無史さん:02/11/24 17:57
欧州の王族は爵位を持っていますが、何代たつとただの貴族になるんですか?
どこまでが王族の範囲なのか教えて下さい。
443 :
世界@名無史さん:02/11/24 18:05
仏loi <羅lex
仏roi <羅rex
444 :
デービスランニングホームラン:02/11/24 20:37
むこうの女子は、ケコーンし損ねたら天皇家みたいに
尼さんになるケースは多いのかね?
445 :
世界@名無史さん:02/11/24 20:45
ルイ15世の未婚の王女たちは一人のみ修道女。あとは行かず後家。
446 :
デービスヘッドスライディング:02/11/24 20:59
もっと昔の話もキボーン
>>441 よろしく御教示をお願い申し上げます。
さて、例えば、Principality of Monacoのレーニエ三世は大公で、
宮内庁もモナコ公国大公殿下と表記しています。
宮内庁の陛下の会見記録で、ルクセンブルグも大公ジャン殿下と表記されています。
リヒテンシュタイン公国については、宮内庁の発表では
ハンス・アダム二世殿下もフランツヨゼーフ二世の薨去のときに、
天皇陛下が弔電を打っていますが、そのときも大公逝去として発表されています。
なお、Princeの領地 Principality は一律に「公国」ですね。
アンドラ公国 Principality of Andorra
リヒテンシュタイン公国 Principality of Liechtenstein
モナコ公国 Principality of Monaco
理由等仔細は調査し、後刻御報告しますので暫くお待ちを。
448 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/11/24 22:47
大公というとハンガリーのアールパード家のイシュトヴァーン1世の父君ゲーザ
どのも大公と邦訳では言われておりまするな。
ゲーザどのの場合、異教の族長といった存在であったわけで、神聖ローマ帝国の
側として認めた称号とも思えませぬ。
どのような使い分けがなされているのか拙者も知りたいところでござる。
カール大帝陛下
お褒めにあずかり恐縮でござる。拙者よりも詳しい方など山とおられる
と思いますが、つたなき知識でもお役に立てば幸いでござる。
>441
「国王(King)」や「皇帝(Emperor)」の称号をもたない諸侯であった「お殿様」
の国が独立国を営んでいる場合に「国家元首」として大公Princeと呼称しているのでは。
リヒテンシュタインの元首は爵位は「侯爵」ですし。厳密には大公ではありません。
ルクセンブルク大公はGrand Duke です。「グランドなデューク」で「大公」なのでしょう。
王族公の場合は王族であることが重要視されて「大公」なのでは?
貴族のDukeは大公でなく公爵でいいと思いますが。
450 :
ハールーン・アッラシード:02/11/25 02:09
451 :
世界@名無史さん:02/11/25 04:31
452 :
世界@名無史さん:02/11/25 04:47
453 :
ヘラルド見習:02/11/25 11:12
>>450 Catherine of Braganza (Catarina) (1638-1705)
a daughter of Joao IV, King of Portugal 1640-1656
Marriage:May/21/1662
449まちがえた。正しくは法務総裁殿の447へのレスです。失礼。
455 :
カール大帝:02/11/25 17:08
余である。
そろそろ外の風も冷えてきたゆえ
諸卿も風邪なひかぬよう気をつけるように。
さて。
>>436 ボールが殿下の頭を飛び越えた直後のことらしいの。
>>437 保守とはスレを保つという意味かの?
456 :
カール大帝:02/11/25 17:12
>>438 卿の御名は法律に詳しそうじゃの。
ところで外務省は独立国の元首に「大公」を
当てはめているのではないかな?
あとRoiも「大公」としてるのかの?
だとしたら驚きじゃ。
>>439 ロシアに限ってはそれは実現不可能だと思うの。
457 :
カール大帝:02/11/25 17:33
>>440 Wriothesleyはライズリーと発音するのかの?
余は知らなんだ。
Wriothesleyはスタフォードシャーの領地であるが
やはりライズリーなのかの?
458 :
カール大帝:02/11/25 17:43
>>441 うむ。余も知りたいの。
>>442 各国、それぞれの家によって違うようじゃな。
例えばハプスブルク家は認められた結婚の子孫であれば
どこまでいっても大公を名乗っておる。
いわゆる近代まで残った王家の場合は
爵位を持たぬ(自称しない)者は皆無といってよかろう。
どこまでが王族という問いは非常に難しいものじゃ。
英国の場合、ケント公やグロースター公の子孫が
永遠に王族でいられる可能性は
費用の問題からも低いといえるの。
が、逆に国を持たぬ王族の場合はあくまで自称すれば
永遠に王族じゃ。
459 :
カール大帝:02/11/25 18:12
>>443 うむ。
>>444,
>>446 中世では行かず後家(失礼な言葉じゃの)ではなくとも
修道女になる例は多かった。
権勢ある者は修道院を建立することが一つの義務ともされ、
またステイタスともなっていたのじゃ。
そして建立した修道院に未亡人が入ったり
娘が入ったりすることは信仰上からも多かったと言えるの。
有名な例でいえば
神聖ローマ帝国皇帝のオットー一世の娘、
マティルデはQuedlingburgの修道院長であった。
そして彼女が摂政を務めたように
修道院に入った後も世俗の権力と密接な関係を持った者も
多かったのじゃ。
460 :
カール大帝:02/11/25 18:18
>>445 とかく評判の悪い王女たちじゃな。
>>447 モナコのレーニエ公もやはりDucであることを考えれば
宮内庁も一般の公爵と区別するうえで
元首を「大公」としているのではなかろうか。
>>448 ゲーザ殿の大公訳は余も無理があると思うの。
当時の神聖ローマ帝国の大公は
後の大公たちとは違ったものであったわけであるからの。
461 :
世界@名無史さん:02/11/25 19:29
462 :
カール大帝:02/11/25 20:51
レスの途中であったが執務で呼び出しを受けてしまった。
今宵はちと忙しくなりそうじゃ。
そうそう、
モナコのレーニエ公は先週体調を崩されたと報じられた
記憶があるぞ。
>457
スタッフォードシャー?
私が知っているのは
・初代サザンプトン伯トマスの曾祖父は、サマーセット公に仕え下院議員だった
William Wrythe (of Cricklade, co. Wilts←おそらく)
・上記ウィリアム・ライズの孫の代に姓をライズレーにあらため、ついでに
そういう名前の由緒正しい家柄があるかのように家系図をねつ造
ってことだ。
元々、重々しく聞こえるようにいじくりまわした結果妙ちくりんな
綴りになっているので読めないのは仕方ないという話もある。
464 :
カール大帝:02/11/26 22:54
余である。
今宵はちと忙しいゆえ宮廷には来れぬかもしれん。
>>463殿の指摘は尤もである。
余のノートが誤っている可能性があるゆえに記録室にも行かねば。
諸卿よ。
夜更かしのしすぎには注意されよ。
465 :
アッティラ@フン:02/11/27 09:32
カール皇帝陛下、お初にお目通りいたしまする。アッティラ@フンと申します。
オーストリア、ウィーンから南に約50km。
ハンガリーとの国境近くにあるアイゼンシュタット・ベルク教会には、音楽家、ハイドンの遺体が安置されております。
先日そこへ行っておりまして、管理の者のに命じて扉の中に入れてもらい、棺を間近で見ることができました。
その者が申すにはハイドンの遺体には次のような由来があるそうでございます。
長文申し訳ございませぬ!!
ハイドンはアイゼンシュタットの領主、エステルハージ侯ニコラス1世に30年ものあいだ雇われていた。
つまり「宮仕え」である。交響曲、オペラ、室内楽曲、ダンス音楽などの作曲、生演奏の指揮、歌手の指導、楽器や楽譜の管理から、部下の音楽家達の争いの仲裁までを一手に引き受ける大変な激務であったようだ。
とは言っても、エステルハージ城にはハイドンのために演奏会場(現在のハイドン・ザール)が造られるわ、そこの石造り床もハイドンの鶴の一声で木製に変更されるわ、極めつけは領主のために作曲した曲の楽譜を売る権利さえも認められており、すいぶん優遇されてもいた。
ハイドンは侯の「お気に入り」だったわけだ。だが、1790年、ニコラス1世が亡くなるとその子のアントン二世は楽団を解散させるなど城内の音楽組織を一挙に縮小してしまった。
潮時だと思ったのだろう、それを機にハイドンはウィーンに移り、音楽家として独立。
今風に言えば脱サラして、ハイドン音楽事務所の社長になったわけである。そして77年の生涯を閉じるまでウィーンで活躍した。
晩年は著名な音楽家には珍しく経済的に恵まれていたが、経営者としての苦労も多かったのではないだろうか。
忙しくも充実した30年のエステルハージ城時代を懐かしみ、アイゼンシュタットに埋葬されるのを望んでいたという。
466 :
アッティラ@フン:02/11/27 09:33
続きでございます。
ハイドンが死んで11年後の1820年、当時のエステルハージ侯ニコラス2世はある会合でそれを知って感銘を受け、生前のハイドンの希望を何とかかなえてやりたいと思った。
そこで彼はハイドンをアイゼンシュタットに移すべく遺体を掘り起こさせた。ところが、何と遺体からは首が盗み出されていたのである。
犯人の男は、天才の頭蓋骨を調査し、常人と違った部分を見つけようという研究をしていたのであった。その成果がどのように上がったかは不明だが、調査終了後、首はかつてエステルハージ家の書記をしていてハイドンの大ファンだったローゼンバウムという男の手に渡った。
ニコラス2世は莫大な金額でローゼンバウムから首を買い取り、体と一緒にエステルハージ城近くのベルク教会に埋葬した・・・はずだったが、この首は名もない老人のもので、つまりニセモノだった。
お人好しのニコラス2世はだまされてしまったのである。ローゼンバウムは死ぬまで本物の首を隠し持っていたらしい。
首は彼の死後、いろいろなところを転々とし、1895年、ウィーンの楽友協会のものとなる。
さらに悶着があったあげくの1954年、ハイドンの首はやっとのことでベルク教会に運ばれ、150年ぶりに本物の頭と体が一緒の棺に収められたのである。
・・・と、これは、わたくしが現地で聞いた内容にインターネットで調査、さらに若干の脚色を加えたものでございますが、ニコラス2世がアントン2世の子なのか弟なのか孫なのかが、まだ、明らかになっておりません。
陛下! エステルハージ家の系図についてご教授賜りたいと存じまする!
467 :
アッティラ@フン:02/11/27 09:37
陛下は「皇帝」ではなく、「大帝」であらせられましたな。御無礼の段、ひらに!
468 :
カール大帝:02/11/28 12:57
余である。
こんな昼間に宮廷に現われると
暇を持て余しているようじゃが現実は異なり、
激務のため居城に戻れぬ日が続いておる。
アッティラ@フン殿よ(勇ましい名じゃ)。
余が居城に戻るまでちと待たれよ。
469 :
テオドリック@東ゴート:02/11/28 20:05
アゲ!
470 :
アッティラ@フン :02/11/28 20:50
陛下! もったいないお言葉にございます。
どうかご公務でお体をおこわしになられませんよう!
わたくし全く急いでおりませぬ!!
471 :
アラリック@西ゴート:02/11/29 05:13
アラ?
472 :
世界@名無史さん:02/11/29 06:03
大星紘由企
473 :
おじゃる@蛮族:02/11/29 22:56
陛下、まろはおじゃると申す。
蛮族ゆえ、言葉が不自由にておじゃるが、ゆるしてたもれ。
>>458 >英国の場合、ケント公やグロースター公の子孫が
>永遠に王族でいられる可能性は
>費用の問題からも低いといえるの。
Who's Who 2002によれば、ジョージ5世の曾孫にあたる、
ケント公の長男セントアンドリュ−伯爵と、グロースター公の長男アルスター伯爵には、
Princeの称号がないでおじゃるが、厳密な意味での王族でないということかの?
また、この両名は父親の死後、公爵位を受け継ぐのかの?
教えてたもれ。
474 :
ハウクヴィッツ:02/11/30 00:53
475 :
世界@名無史さん:02/12/03 19:05
フランスの エステルハージは ドレヒュスにスパイの罪着せた
476 :
世界@名無史さん:02/12/05 01:04
なんかいい本ない?もち歴史で!
477 :
カール大帝:02/12/05 02:15
余である。
草木も眠る夜更けであるが余はまだ執務が終わらぬ。
諸卿との活発な交流を楽しみたいのじゃが
執務が終わるまではそれもできぬ相談じゃ。
(急かす不届き者がいぱーいおるのじゃ)。
宮廷の扉は何時でも開いておるゆえ、
諸卿には暫しの歓談を願いたい。
さて、余は日本列島の周辺の海流と風向を調べねばならぬ。
中学生の時に習って以来じゃから覚えておらぬわ。
478 :
世界@名無史さん:02/12/06 19:30
質問スレのほうで質問したのですが、返答がなかったので、
詳しい方が多そうなこちらで質問します。
質問です。
ハノーヴァー選帝侯の選帝侯位はプファルツ選帝侯家の娘ゾフィアを迎えたことによってもたらされたものだと思いますが、
女系相続はドイツではサリカ法に触れるのではないでしょうか。
この辺りの事情を教えてください。
サリカ法ってフランスでは?ドイツにもあるの?
>>479 サリカ法は、もともとゲルマン族のサリ族の法律。
>478
ハノーヴァー選帝侯の選帝侯位は
プファルツ選帝侯家とは直接関係ありません。
イギリス王位継承権を持つゾフィーの存在が
ハノーヴァー選帝侯の選帝侯位獲得に役立ったということは
あるでしょうが、これは女系相続とは別の問題ですので。
>480
ほえー、そうなんだ。ありがと。
483 :
ヴェンツェル・アントン・カウニッツ=リートベルク伯爵:02/12/07 18:02
マイン・カイザー。7年戦争中のロイテンの会戦は1757年の5月ではないのですか?
マイン・ファーター。魔王が僕にこっそりささやいてくるよ。
陛下ならびに諸卿には大変ご無礼仕りました。
>>484につきましては私が責任を持ちまして連れ去らせていただきますので、平に御容赦の程を。
>>410 >そういえば、エジプトが英国の保護領になるときの条約を
>日本語で読んだことがありますが、エジプト国王殿下とな
>ってたのを思い出しました。関係ないけど。
と以前書きましたが、「スエズ運河の自由航行に関する条約」
の記憶違いのようですた。いいかげんでスマソでござります。
同条約は1888年コンスタンティノープルで締結。
前文「オーストリア皇帝陛下は、(中略)エジプト国王殿下の
特許を裁可したトルコ帝国皇帝陛下の命令に基づく運河
航行制度完成を希望し、全権委員を任命した。」との大意。
条文には”トルコ皇帝陛下”と”エジプト国王殿下”が
何度も登場し、エジプト政府がトルコ皇帝の命令の範囲内で
運河管理の権限を持つような内容です。
君主制マニアにはとってもステキな、今日も有効な条約です。
487 :
世界@名無史さん:02/12/17 01:23
当時は、大日本帝国外務省は
皇帝は「陛下」、国王は「殿下」としてました。
まあ 陛下majesty 殿下 highnessとの違いは
外交問題までになりかけたことがあるので、
以降 君主は「皇帝陛下」で統一していたのでは
まぁ、失礼な!
いいじゃん。
490 :
世界@名無史さん:02/12/20 23:00
kinglet:小王 小国の王
gooで調べるとこんなのがあるのですが、一体どういう感じで使われたのでしょうか。
491 :
世界@名無史さん:02/12/21 22:18
492 :
世界@名無史さん:02/12/21 22:40
>>486 実際1914年にイギリスが保護国化するまでエジプトは
(1882年以来実質的にイギリスの保護国であったけれども名目的には)
オスマン帝国の宗主権を奉ずる属国だったんだから、そうでしょうな。
493 :
世界@名無史さん:02/12/22 11:05
貴族の名前って家名かシノンかよくわからないのが多いんですが。
494 :
ヘラルド見習:02/12/22 14:28
>491
Anna Laurie (1682.12.16-1764 Friar's Carse)
father: Sir Robert Laurie
mother: Jean Riddell, a daughter of Walter Riddell of Minto (second wife)
married: Alexander Fergusson of Craigdarroch, a kinsman of William's
495 :
世界@名無史さん:02/12/23 21:29
↑爵位は記録されてないの?William'sの親戚って何でしょう?
496 :
世界@名無史さん:02/12/24 13:32
今日のニュースで、イタリア王家の子孫が、スイスよりイタリアに
里帰りしたようです。ローマ法王に謁見した様子が流れてました。
若い王子がかっこよかった。憲法改正により実現されたのだとか。
497 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:02/12/25 23:39
アッチラ大王殿
やっとエステルハージ家の家系が分かり申した。
ハイドン殿のご主君の家系は
パール殿→ミハーイ殿(パール殿の八男)→ヨーゼフ・シモン・アンタル殿
(パール殿の十五男)→パール・アンタル殿(ヨーゼフ・シモン・アンタル
殿の長男)→ミクラーシュ・ヨ−ゼフ殿(ヨーゼフ・シモン・アンタル殿の
次男)→アンタル殿(ミクラーシュ・ヨーゼフ殿の長子)→ミクラーシュ・
フェルディナンド殿(アンタル殿の長子)→パール・アンタル殿(ミクラー
シュ・フェルディナンド殿の長男)以下省略。
と続いており申す。1820年と言えばミクラーシュ・フェルディナンド殿の
代でござる。
また1790年といえばアンタル殿の代でござる。
このお二方がおっしゃっておられる方々であるならば親子ということになり申す。
ハイドン殿の二人目のご主君はミクラーシュ・ヨーゼフ殿でござるからおそらく
間違いないとはずでござる。
カール大帝陛下
傭兵風情の調べ故、自信が持てませぬ。
陛下の書庫の資料と照合していただければ幸いでござる。
498 :
世界@名無史さん:02/12/25 23:54
>496
イタリアに王家って存在したの?
日本やドイツみたいに殿様が支配してたのではないの?
教えてキボンヌ
500 :
世界@名無史さん:02/12/26 07:50
>>498 1861年から1946年までイタリア王国というのがあったでしょう。
サルディニア王家が国王になって全イタリアを統一したアレですよアレ。
501 :
世界@名無史さん:02/12/26 15:05
サルディニア国王という称号はイタリア統一後亡くなったの??
サルディニアに宮廷が置かれたことはなさそうですが?
サボイ公の称号は?
本来の都はトリノだから、ピエモンテ王の称号もあったのですか?
502 :
アッティラ@フン:02/12/26 16:33
ギシュクラ・ヤーノシュ殿、かたじけなくございます。
エステルハージ家「ハイドンの首」関係者の当主の皆様、ミクラーシュ=ニコラス、アンタル=アントン、ということでございましょうか?
ドイツ語(ハンガリー語?)読みと英語読みの違いということか・・・当方、力だけが取り柄の無骨者ゆえ、この辺の解釈もままなりませぬ。
いずれにせよギシュクラ・ヤーノシュ殿のご教示がオリジナルの発音に近いような気がいたしますので、当方の配下の者にもしかと伝え置きます。
しかし、当宮殿におかれましては、大帝陛下に限らず諸侯の皆様の博学でいらっしゃるのには感じ入るばかりでございます。
504 :
世界@名無史さん:02/12/26 17:33
サルディニア王家といえば
ロミオの青い空
黒い兄弟と言ってほしい
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
O 。
, ─ヽ
________ /,/\ヾ\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|__|__|__|_ __((´∀`\ )< というお話だったのヨ
|_|__|__|__ /ノへゝ/''' )ヽ \_________
||__| | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从 | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\ / ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/ =完 =
507 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/01/01 01:24
新年を寿ぐべく取り急ぎ参内いたした。
本年も大帝陛下の威と徳をもってこの宮廷がいよいよ栄えんことを、
心より祈念いたし申す。
>495
あけましておめでとうござりまする。
失礼いたしました。メモを適当に貼っていたら、変なとこでつながってしまいました。
Williamとは、William Douglas of Finglandのことで、
アニー・ローリーと恋仲にあったのですが、アニーの親の反対で、悲恋に終わった、
相手とのことでございます。
アニー・ローリーのオリジナル版の歌を作った人物とのことでございます。
509 :
世界@名無史さん:03/01/01 14:28
510 :
世界@名無史さん:03/01/05 20:02
アニ−・ローリーの肖像画残ってないの?
子孫は居ないの?
(^^)
512 :
世界@名無史さん:03/01/12 02:37
ギシュクラ殿
506・509・511のような不埒な輩を討伐してくだされ!
513 :
世界@名無史さん:03/01/17 00:02
中世は枢機卿・司教・大司教は貴族しかなれなかった?
514 :
カール・マルテル:03/01/20 21:24
あげ!
515 :
世界@名無史さん:03/01/20 21:25
age!
カール大帝、欧州大統領なるモノが創設される機運が見えます。どうしましょう。
どうせ儀礼的なものなんだろうし、ハクづけのためにも
エンペラーにすればいいのにね。
518 :
世界@名無史さん:03/01/24 22:08
ローマ帝国の復活か
519 :
世界@名無史さん:03/01/28 00:25
陛下。ロシアの女帝エリザベータの無くなった婚約者
カール・アウグスト・ホルシュタイン・ゴットルプさんと
女帝エカチェリーナの母親ヨハンナ・フォン・アンハルト・ツェルプストさん
そして、女帝エカチェリーナの旦那のピョートル・ウルリックさんの
血縁関係を噛み砕いて教えてください
520 :
世界@名無史さん:03/01/28 00:37
>>513 ルネサンス期に、平民出身の枢機卿は結構いなかった?
>>513 15世紀のニコラス・クザーヌスって確か漁師の息子だったと思うよ。
test
523 :
ハウクヴィッツ:03/01/30 00:36
>>519 僭越ながら陛下に代わってお答え致します。
カール・アウグストとヨハンナは実の兄妹です。
兄妹の従兄に当たるホルシュタイン・ゴットルプ公カール・フリードリヒの息子がペーター(ピョートル)です。
524 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/02/08 01:55
クザーヌス殿は確かに平民のご出身でありましたな。その学才を認めたご領主
に引き立てられたと聞いておりますぞ。不勉強で詳しいことは知りもうさぬの
で何方かご教示いただければ幸いでござる。
525 :
カウニッツ:03/02/08 04:19
陛下も御忙しいみたいだ。。。
526 :
世界@名無史さん:03/02/15 21:07
まさか崩御なされたのでは
527 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/02/16 00:51
クザーヌス殿は水運業者のご子息だそうです。
聖職の道というのはある種、階級の抜け道といった観がござるな。
528 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/01 22:13
大帝陛下、他スレで陛下がお隠れになられたのではないかという
報がございましたぞ!!
お姿をお見せいただけねば、帝国内の不安は治まりませぬ。
529 :
アッティラ@フン :03/03/02 23:53
まさか! もし事実なら、わたくし殉職する所存にございまする!
530 :
フェラーラ侯爵:03/03/10 19:50
531 :
アッティラ@フン:03/03/10 20:45
(^^)
ほっしゅ
534 :
世界@名無史さん:03/03/15 01:27
帝国は不滅です
535 :
世界@名無史さん:03/03/15 01:33
ロマノフ朝age
ハプスブルク朝age
536 :
世界@名無史さん:03/03/15 02:19
女性の名前について、教えてください。皆さんに較べたら、参考にした資料
が圧倒的に少ないので、的外れな質問になるかもしれませんが・・・。
ある程度有名な歴史に名を残した王族・貴族階級の女性の名前は、大体一定
のパターンに決まっているような気がします。
例えばイタリア語名だったらカテリナ、ベアトリーチェ、イザベラ、アンナ
とか。特に王族ではキャサリンとエリザベスの出現頻度が圧倒的に高い気が
するのです。
でも有名人の愛人だった程度の平民クラス女性だと、結構珍しい名前が散見
されることもある。でもこんな名前、王族ではまず見掛けない。
これは母から娘、孫娘へ名前が継がれて行く結果なのか、それとも少なくとも
昔は「キャサリン、エリザベス」は、平民のための名前ではなかったのか。
自分自身、何を質問しているのかわからなくなってきましたが、ご意見をお聞
かせください。
537 :
世界@名無史さん:03/03/15 18:04
538 :
世界@名無史さん:03/03/15 21:37
ブルガリアのサクスコブルクゴツキ首相というのは、
ひょっとして、ザクセン・コーブルク・ゴータ家のことでしょうか?
539 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/16 14:55
>536
大体、聖人の名前をいただいている結果ではありますまいか。
拙者の最初の雇い主はハプスブルク家出身のハンガリー王アル
ベルト殿のお妃でエルジェーベトさまでござったが、このエル
ジェーベト、英語でいうところのエリザベスという名前の方は
非常に多うござるな。ハンガリーの歴史なぞを見ていると、こ
のお名前のお妃は何人もおいでになるので、拙者のような武弁
では混乱してしまうこともしばしばでござる。
恐らくはハンガリーのアールパード王家のベーラ4世陛下のご
兄弟で列聖された聖女エルジェーベト様にあやかってのことと
ではないかと思うしだいでござる。
540 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/03/16 15:01
541 :
世界@名無史さん:03/03/17 22:34
↑ってことは、現英王室の親戚ですか?
ブルガリア政府が対イラク攻撃で、英国と同様、米国に賛成しているのもそのため?
542 :
世界@名無史さん:03/03/17 23:05
シメオンage
543 :
世界@名無史さん:03/03/31 17:29
余所のスレでブッシュ家は女系を介してチンギス・カンの系譜を引いているという書き込みがあるのですが。
チンギス・カン→ジュチ家→モスクワ公家→ロマノフ家→ドイツ諸侯→イギリス王家→ブッシュ家
本当でしょうか?
544 :
ハウクヴィッツ:03/04/04 21:41
545 :
ショーシャンク:03/04/04 22:15
どなたかご存知の方がいらしたら、メロビング朝フランク王家と
マグダラのマリアの関係の真偽について教えてください。
546 :
世界@名無史さん:03/04/04 23:03
ロマノフ家の分家って帝政時代にいなかったのですか?
547 :
ハウクヴィッツ:03/04/04 23:51
分家というか、アレクサンドル2世の愛人エカチェリーナ・ドルゴルカヤの子どもたちはユーリエフスキー公爵と名乗っています。
マリヤ皇后の没後、1880年にエカチェリーナはユーリエフスカヤ公爵号を与えられました。
548 :
世界@名無史さん:03/04/08 23:09
崩御した大帝には跡継ぎがいなかったのか
549 :
世界@名無史さん:03/04/16 01:23
>>543 ビザンツ帝国のマケドニア朝の系譜もある。
アルメニア農家→ビザンツ皇家→キエフ公家→フランス王家→ブッシュ家
550 :
世界@名無史さん:03/04/16 13:09
ニコライ1世の兄でポーランド総督になったコンスタンチン大公の子孫はいないのだろうか?
(^^)
552 :
世界@名無史さん:03/04/18 01:08
>549
それって、本当?
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
554 :
世界@名無史さん:03/05/13 10:48
ジョセフィーヌ=ボアルネ子爵夫人の夫だった?ボアルネ子爵ってどんな人だったの?
仏革命で貴族は皆あぼーんされたの?
555 :
世界@名無史さん:03/05/13 15:46
余である。
執務の山に遠征していたゆえ長らく宮廷を留守にしていたが
ようやく復帰できそうじゃ。
諸卿よ、宜しくお願いするぞ。
と、こう書くと「偽者」「僭称皇帝」呼ばわりされそうじゃが
はっきりさせておこう。
■
本
物
じ
ゃ
■
556 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/17 00:35
大帝陛下
やっとご帰還下さいましたか。
宮廷の門を守りて数ヶ月・・・長ごうございましたぞ・・・。
557 :
世界@名無史さん:03/05/18 00:35
>555
大帝陛下のご署名がござらぬぞ!
ギシュクラ卿、だまされてはなりませんぞ。
558 :
アッティラ@フン :03/05/18 06:08
大帝陛下のご署名と申されますと? どのようなものでございましょう?
560 :
世界@名無史さん:03/05/19 23:39
ここは現代イギリス貴族についての質問もうけつけてられますか
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
562 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/24 22:23
大帝陛下のおでましがない・・・。
さてはたばかられたか???
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
>>558 Jean Mabillon "De re diplomatica"の宮松浩憲の訳書(九州大学出版会刊)によると
シャルルマーニュの皇帝としての正式な称号は下記のようなものだそうです。
In nomine Patris et Filii et Spiritus sancti,(父と子と精霊の御名において)
Carolus serenissims Augustus,(清亮なる尊厳者カロルス) a Deo coronatus
magnus et pacificus Imperator,(神に戴冠せられし偉大にして治平なる皇帝)
Romanorum gubernans imperium,(ローマ人の帝国を統治し)qui et per misericordiam
Dei Rex Francorum et Langobarudorum(神寵によりフランク人とロンバルディア人の
王たる)
文書末尾の署名の文句は
Signum Caroli serenissimi Imperatoris (清亮なる皇帝カロルのサイン)
なお当時の君主のSignum(サイン)は必ずしもmanual scriptionではありません。
signet ring の押捺が普通でした。シャールマーニュの勅書にはかれの横顔を刻した
印影が顕出されています。
フランク王権において花押の使用を定着させたのはシャールマーニュとされ、菱形の
中に"K"または"C"が署されているそうです。
565 :
世界@名無史さん:03/06/01 16:53
ブルボン朝とお菓子のブルボンの関係を教えて
567 :
世界@名無史さん:03/06/01 22:10
568 :
世界@名無史さん:03/06/01 22:21
>>565 前社長が名づけたが、その本人が亡くなったため、
命名の由来は誰も分らないらしい。
大帝、大王などの名称に、基準はあるのでしょうか?
日本だと、明治帝は海外ではMeiji the Greatと言われることもあるようですが、
国内では明治大帝とは言いませんよね?
どうなんだろ。ググると明治帝より明治大帝の方が多いけど。
571 :
世界@名無史さん:03/06/29 22:07
大帝とか大王とかいうのは正式の称号ではないのでは?
572 :
世界@名無史さん:03/06/29 23:38
獅子心王とか赤髭帝というのと同じくあだ名でしょう。
明治大帝とよぶのはヨーロッパの真似でしょう。
573 :
世界@名無史さん:03/06/30 01:16
綽名というより事績を称えての尊称でしょう。
大王・大帝と呼ばれる方というのは何人ぐらいおられるのかな?
こちらのカール大帝陛下はもちろんですが。
574 :
アッティラ@フン :03/07/01 06:03
獅子心王というのはどういう意味でございますか? 勇敢なのでしょうか?
当方の配下の者に「ライオンハート・リチャード」のことを言いましたところ、不届き千万ではございますが「スマップ」のことしか知り申しませんでした。
>>574 名前だけならハーラル青歯王よりは勇敢そうだ。
昔の北欧では何世といわなかったので、
あだ名で区別したと聞いたのですが本当ですか?
577 :
”ヘ( ̄- ̄ ):03/07/01 20:38
アッチラ大王どの
恐らくは勇猛故の異名でござろうな。
英国王は剛勇王とか敬虔王とかいろいろな異名をお持ちの方が多うござる。
これがワラキア公あたりになると串刺し公だの溺死公だの悪徳公だのあま
りな綽名が多数ござるぞ。
が
579 :
アッティラ@フン:03/07/05 06:11
575殿、ギシュクラ・ヤーノシュ殿、お返しをいただき、ありがとうございます。
出廷が遅れまして失礼いたしました。
獅子心王殿、やはり勇猛ゆえのあだ名でございましたか。
しかし当方の私見では、もうちょっと別のあだ名をつけてもよいような気もいたします。
かの獅子心王殿、十字軍でさんざん狼藉をはたらいたあげく、同じく従軍していたオーストリアの
レオポルド5世殿とトラブルになり、オーストリアを通過して帰国する途中に捕まって幽閉され、
馬車5台分の銀でしたか、とにかく莫大な身代金を払って解放された、という経緯もございます。
「失金王」というのはどうでございましょうか(断じて失禁王ではございません)。
「失金王」と「失地王」ならば語呂的にも、うつけ兄弟、という感じがして面白いように思います。
>串刺し公だの溺死公だの悪徳公だの
確かにあまりでございますな。しかし、もっとあまりなあだ名はないだろうかと
探してみたくなるのは当方だけでございましょうか?
アッチラ大王どの
あとは身体的特徴を揶揄するようなものが多うこざる。
流石に拙者もそのような文言を記するのは憚るような内容でござる。
獅子心王どのは勇敢ではござろうが、短慮の人という気がいたしもうす。
そういえば、拙者と同時代のブルゴーニュにシャルル突進公という綽名
の御仁もおいででした。無茶な戦で痛ましい最期を遂げられもうしたが・・・。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
582 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/15 22:56
>581
宮廷を荒らす者、すべからく死罪
皇妃エリザベートの直系の玄孫の、マクシミリアンロートリンゲン君
ネットで画像は無いけど、テレビで見たら超美形だった 去年では16歳だった
影のある目の潤んだ薄幸の美男子で、エリザベートの自殺した長男に
そっくりでした。長男の写真と自画像見たけどそっくりだね。
100年経ってもあんなに似てるのはすごい
叶姉妹の妹がおっぱい丸出しの衣装で挑発してたけど、マクシミリアン君は
眼中に無くて、必死にエリザベートの後を継ぐという大事な任務を
誇り高く喋っておられました
あーーー、もう一回顔見たい
きっと、いいなづけがいるんだろうなー
でも背は低かったよ そこはエリザベートに似なかったんだね
584 :
世界@名無史さん:03/07/18 11:30
激動の17世紀を生きたトマス・ホッブスは主著『リヴァイアサン』の中で
「社会契約説」をブチ上げ、国家が成立する前は暴力が弱者を支配する混沌とした時代であったと仮定している。
この「万人の万人に対する闘争」状態に終止符を打つ為に絶対的な力を持った他者に民衆を管理させ治安を維持させようとして国家が成立したと説明されている。
そして国家は民衆が自分達の為に作ったのだから、国が国民に不利益しかもたらさないのなら政府に従わなくても良いと、革命権を認めているのが社会契約説の最大の特徴だろう。
天命を革める、誰もがその権利を持つというのには何も異議は無いが、
果たして本当に国が成立する前は暗黒の時代で、人々が任意で国に自分達の権利を制限させたりしたのだろうか?
自ら自由を捨て去ろうとする人間がいるとは思えない。
むしろ万人の万人に対する闘争の結果、勝ち残った奴が支配者として君臨し、国家を打ち立てたと考えるほうが自然な気もするが・・・
いずれにせよ社会契約説がその後の世界に与えたインパクトは計り知れない程大きい、理念事体も根本的には正しい。
>584
エリザベートの末娘マリア・ヴァレリーの子孫のようです。
(つまりトスカーナ家の傍系になるのですが、彼の両親は貴賎結婚らしく
彼自身は「大公」ではないようです。)
587 :
ブラジル王家:03/07/18 22:32
おいらは参加できへんのか?わてかてハプスブルクの血引いてるんやで
>585
>自ら自由を捨て去ろうとする人間がいるとは思えない。
そうかな? 殺伐としてて生命の安全におびえつつ暮らすよりは、
多少自由がなくても安穏と生きられるほうを選ぶ人も多いと思うが。
狼が群れるのと同じ。
おっと、こんなページがあったんだべか。
えっと、ワスは、チューリンゲンの片田舎の
ロイス・シュライツ候国の主ですだ。
え?ハインリッヒは75世まで?
ま、カタイことはヌキにすべ(笑
ところで、ウチのご先祖はその昔神聖ローマ帝国の
ハイッリッヒ六世とかいう人からVogtに任ぜられて、
それ以来、ウチのオメデタイ先祖が男衆はみな
ハインリッヒって名づけるべとか傍迷惑な家訓
つくったんだども、Vogtってなんだべ?
>傍迷惑な家訓
んだども、この家訓のおかげで、ウチの家がギネスブックに
載ったって、こないだ城でもえれぇ騒ぎだったべ。
自慢じゃねぇけど、ギネスブックに載った王侯って、
在位最長記録のアフリカのスワジランドのなんたらいう
酋長とウチくらいでねえのけ?(w
>「世界帝王系図集」
ありゃとんでもねえだよ。ウチが載ってねえもん
となりのシュワルツブルクとか載せたくせしてb(--+)
噂じゃ、著者がウチの系図のハインリッヒの羅列のせいで
頭痛になってやめたとかなんとか聞いたべ(w
ま、ウチでも後で調べたら24世が二人いたとか
わけわかんねぇことになってたとか気付いたけんどね(w
(その二人は、誕生日が一月違いだったんで、
うっかり同じ番号つけちったんだなぁ。きっと)
593 :
ロイス候ハインリッヒLXXVII世:03/08/14 17:51
てか、もすかすて、ここって閑散スレだったべか。
じゃ、上げてみるべ。よっこらしょ(w
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
595 :
世界@名無史さん:03/08/24 08:09
agetaru
596 :
シャルルマーニュ:03/09/01 17:40
カール大帝として世界史板に君臨してきた余ももう歳じゃ…。
宰相のカウニッツ伯に後任を推挙されたい。他の者も自由に議論すべし。
カール大帝が崩御されましたか。
598 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/09/05 22:15
カウニッツ卿の館にも大帝陛下を名乗る書き込みがござったが・・・?
どうも腑に落ちぬことばかりでござる。
何者かが謀反を企てておるのではありますまいな・・・。
599 :
カウニッツ:03/09/06 00:28
謀反かも知れませんな。御手数ですが、ギシュクラ殿は武門の出、
不届き者を成敗して下さりませ。
600 :
カウニッツ:03/09/06 00:30
ついでに、600get!!
602 :
カウニッツ:03/09/14 01:19
陛下に敬意を表してageときます。
カウニッツ殿
我が主マーチャーシュにフェケテシェレグの出撃を要請いたしたが、
軽はずみなことをして大帝陛下の名を汚すようなことをするでないと
叱責されてしまいもうした・・・。
それにしても大帝陛下はいずこにおわすのか・・・。
ロイス候国(弟系)の系図を描いてみたべ
名前はみなHeinrichなんで省略。
数字は「*世」で後ろの”・”は
”・”が17世紀生まれの一巡目
”・・”が18世紀生まれの二巡目
”・・・”が19世紀生まれの三巡目
ホントは早死にした子供とか、傍系の子孫とか
たくさんいるんだけど省略。
1・ Herr zu Schleiz,Graf Reuss von Schleiz 1639-1692
└11・ Graf Reuss von Schleiz 1669-1726
├1・・ Graf Reuss von Schleiz 1695-1744
└12・・ Graf Reuss von Schleiz 1716-1784
└42・・ Graf Reuss von Schleiz,Fst Reuss zu Schleiz 1752-1818
├62・・ Fst Reuss zu Schleiz 1785-1854
└67・・ Fst Reuss zu Schleiz 1789-1867
└14・・・ Fst Reuss zu Schleiz 1832-1913
└27・・・ Fst Reuss zu Schleiz 1858-1923
└45・・・ 1895-1945
ロイス候国(兄系)の系図も描いてみたべ
名前はこれまたみなHeinrichなんで省略。
こっちは、Heinlich1世(1693-1714)(2世の兄)
以降は算用数字で、それ以前はローマ数字にした。
Y Gf Reuss von Ober-Greiz 1649-1697
└2 Graf Reuss von Ober-Greiz 1696-1722
└11 Graf Reuss von Ober-Greiz 1722-1800
└13 Furst Reuss zu Greiz 1747-1817
├19 Furst Reuss zu Greiz 1790-1836
└20 Furst Reuss zu Greiz 1794-1856
└22 Furst Reuss zu Greiz 1846-1902
└24 Furst Reuss zu Greiz 1878-1927
606 :
平民マール:03/09/23 19:50
平民に過ぎませんので、宮中のそばの酒場で夜を越そうと思います。
さて、陛下の記録所にはハンガリーのフニャディ家の系図がないとのことですが、
そもそも彼は、こともあろうに
中世近世の欧州王家の本流のひとつハプスブルクを攻めた、
しかも、トルコの兵力も活用した。
ところがこれ幸いかれは、欧州の名門家とはあまりつながりがなく、
また、その後消えてしまった。
それゆえ、意図的に無視されたのでしょうか。
しかも、その後ハンガリーのイシュトバーン王冠はハプスブルクに入ります。
ハンガリー王室の記録でも表からはずされたかもしれません。
彼とて、少なくとも、マジャールの豪族か何かの出くらいではと思いますが、
諸侯も土着郷紳も遠慮して、結局闇に消えてしまったのではないかと。
陛下の記録所、秘密の小部屋とかございませんか、
そこに何かあるかもしれません。
607 :
世界@名無史さん:03/09/23 19:53
カウニッツ閣下、
ご子孫のことですが、数年前の日本経済新聞で、
全面広告でインタビュー記事がありました。
日本の何か慈善団体の役員が、欧州の慈善団体の役員にインタビューする。
そんなきじでした。(ただしいつのことか覚えていません)
なんとカウニッツ伯とメッテルニヒ候の子孫だとのことでした。
欧州の慈善団体の役員名簿を片端から集めれば、
名門の子孫の消息のあたりはつけれるかもしれないですね。
(日本でも宮様とか、地方では元お殿様とか、そういう職位に就かれていますよね)
それと、
ハプスブルクの現当主とか、リーデンホーフ家の跡取りとかも
同じようなインタビュー記事で取上げられやすい人ですよね。
カルロ、出てこんかい
陛下、質問させてください。
伯とか候とか授爵することができるのは、どういう人でしょうか。
皇帝陛下は、その皇帝領のどこかの封土を「なんとか王」とか、
「何とか方伯・城伯」とか授けると理解しています。
何とか王も、その封臣に、何とか伯領とか授けます(時代にもよるでしょうけど)
英国では、王様が、英国領のどこかの封土を、何とか伯領とか、
何とか公領とか呼んで授けると思います。
神聖ローマ帝国でも、各王様や大公は自国の部下に爵位とか与えます。
皇帝が与えると、それは皇帝の直臣になってしまうかと思います。
(長くなったので、少し分けました)
この場合、皇帝も英国王も主権者なのか、
主権者ということばで整理できればと思いますけど、
また、この主権者とはどう意味かちょっと自分でも整理できていません。
連合王国のダービー伯爵とかスコットランドのアサル公爵が、
自分の家の家令とか兵隊の長とかに、領地の一部を割いて何とか男爵とかしても、
しっくり来ません。爵位を売るのも、領地ごとにせよ、しっくり来ません。
でも、次男坊に自家の有する爵位のひとつをあてがったり、
婚姻とかでどこかの爵位を相続するのは普通だと思われます。
この辺の仕切りはどこかにあるのでしょうか。与える権利とか、源泉とかは、
皇帝と王様限り、それと大公国のようなところの大公限りとか
あるのでしょうか。
なんとなく、主権者か否かのポイントは
「神の恩寵によりどこどこの王様」と何とかいえるならOKであって、
「○○王様から取り立てて貰って公です」では苦しいのかなと思いました。
どうでしょうか。
お歴々のかたがたのご意見でも結構です。
612 :
マールにございます:03/09/23 20:41
平民風情がと、起こらないでね。
副伯なんですが、これは今でいえば子爵のことですけど、
この任命は、伯の任命権者でしょうか。
伯の代理なので、伯が任命することも考えられますし、
やっぱり王様(皇帝)という気もします。
それと、神聖ローマ帝国初期は、伯区があってとか聞きました。
その後、分国ができてヘルツォークが任じられ、これは世襲のような色彩が強く。
でも伯だけはやっぱりそうでもないような、でもその後世襲になってとか聞いています。
すると、伯領は皇帝の直轄地で分国(公領=ヘルツォーク領)は、藩王国みたいな。
あるいはそれとも、ヘルツオーク領に伯とかも無理やりおいて牽制したのかな、
鎌倉幕府が、守護とかを各国に(守とかいるのに)、おいたみたいに。
このあたり、どうなっていたのでしょうか。
それから宮中伯について質問です。伯なんだけど席次が高いという意味でしょうか。
なんで宮中なのかと思ってしまいます。
そしてプファルツというのは宮中伯の領土として決まってたということでしょうか。
ちょうど、(乱暴ですが)、ドイツ第二帝国の皇帝は、プロシア国王に
決まってた見たいに。
道に迷って、英国貴族の現状に言ってきました。
さて、ずいぶん前ですが、紋章の話で庶子には斜め線が就くとか、
イスパニアでは庶子が多いとかあった出すね。
そのとき、初夜権のことが出てました。
庶子って、領地の召使なり農奴なりが母親のケースが多いのでしょうか。
そのとき、母親とか実家はどうなったのかな。
そういえば、フィガロの結婚の舞台もイスパニアでした。
イスパニアの庶子の話でした。
母親は、でもどこかのそこそこの家のお姫様とか
そういうケースはないのかな。
でないとロマンスとかの香りがないもの。
ご存知のかた教えてほしいです。
あるいは政治権力欲の話でもいいけど。
モールバラ公爵の出世の糸口もそんな感じかな。
それにフランスでは寵姫(英語フランス語でなんというのかな)が居て、
子供は生まれなかったのかな。やっぱり庶子になっちゃうはずだよね。
カトリック国で寵姫の制度があるのは驚くけども。
ロシアではエカテリナ2世が愛人と作った子供が次々に公爵さまに
なったような記憶もあります。
さて、イスパニアついでですが。
皇帝とは本来、
といってもインペラトールは本来軍指令官とかいう話ではなくて、
ローマを継ぐようなイメージかと思います。
教皇と皇帝が居てというような。
それで、西では
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝とが居てというイメージかな、
でも、後世になると、
皇帝の普遍的な概念が、国家の枠組みだとか国民とかに
リンクするように変貌してしまった。
いわく「フランス人民の皇帝」とか「オーストリア皇帝」とか、
1870年成立のドイツ皇帝とか。また、一方では大英帝国とか呼んだりして。
要は、帝国・皇帝の意味が変貌したという解釈表現によく出会う、
そのように思いますが、皆さん、この理解でよいでしょうか。
でも、だいぶ昔にイスパニアで、いくつかの王国を併せて
「イスパニア皇帝」という名乗りがあったそうです。
「イスパニアの」ですから普遍的でないです。
カトリックに忠実?な国なのに。
それではマールは旅に出ます。ご機嫌よろしゅう。
マール殿
拙者の主、マーチャーシュ王の家系のことでござるが、マーチャーシュ王の
3代前以前は記録にござらん。ワラキアから逃れてきた豪族とも言われてお
るようでござるが、拙者も定かなことは知りもうさぬ。
はっきりしているのはショルブという御仁がハンガリー王からフネドワラの
城を賜った時点からでござる。この時から「フニャドの」ということで姓も
フニャディを名乗られたのでござろう。
その子はマゴシュ・ヴォイク・ラドゥルの三人兄弟で次男のヴォイクの長男
が著名なヤーノシュ・フニャディどのでござる。拙者は幾度となく干戈を交え
申したが卓越した武将でござった。因みにヤノシュ殿の弟君も同名のヤノシュ
どのでござる。この御仁はトルコとの戦で戦死されておられもうす。
そしてヤノシュ・フニャディ殿の長男が悲劇的な最期を遂げられたラースロー
殿、次男が我が主マーチャーシュ王でござる。
我が主は嫡出子が無く、庶子のコルヴィン・ヤーノシュ殿がおられるだけで
ござった。この方も子供が夭折されてしまい、フニャディ家の直系はここで
絶えたとのことでござる。
さて、我が主がトルコの兵を使ったとのことでござるが、亡命王子が
身をよせていたことは知っておりもうすが、トルコの兵を率いてウイ
ーンへ攻めて来たとかいう説は真実でござろうか?
トルコと和した上でフリードリッヒ殿と事を構えたのは事実でござる
が・・・。
傭兵隊長閣下、お返事ありがとうございます。
あの偉大な王が厳密には民族王朝ではないとは、マジャール人にとっては痛恨なことではないでしょうか。
出自がワラキアならば、元は正教徒かとも思われますが、いかがでしょうか。
それにしても、ショルブ様はどのような経緯で城を賜ったのか、大変興味があります。
マーチャーシュ王の直系の子孫については、おられないとのことですが、直系以外は不明なのでしょうか。
ジョルブ様とそのご子孫が異郷の地で地歩を固めるにあたり、歴代の当主の時も婚姻政策はなんらかのものがあったと思われまするが。
さて、マーチャーシュ王が、ハプスブルクのフリードリヒ3世と事を構えた話ですが、、、
隊長閣下、これのソースは、江村先生の講談社現代新書のハプスブルク本です。
古い記憶ですが、王の兵はいろんな兵の混成でトルコ兵も混ざっていたとの叙述がありました。
また、後ろ盾はスルタンであったとの記載もありました。
実際、トルコ兵が混じるとは、スルタンの暗黙の了解か何かがないとだめだと思います。
イエニチェリということはありえないかもしれませんが、
トルコの武将は、王権が弱体なヨーロッパのどこかの国とは違いますし、
そもそも、封建諸侯というのはいないと思いますし。
お役に立てたでしょうか。
マール殿
フニャディ家については以前よりハンガリーとルーマニアの間で
その出自についていろいろ言われて参り申した。どちらかと言えば
ルーマニアサイドの方が人種について拘りがあるように思いもうす。
大王と呼ばれるラヨシュ1世もイタリアはナポリのアンジュー家の
血筋でござるし、往時には民族についての拘りは希薄であったので
ござろうな。
ショルブ殿が城を賜った経緯はよくわからないようでござる。恐ら
くはなんらかの武功を立てたのでござろうが・・・。
直系以外のフニャディ家でござるがこれも良くはわかりもうさぬ。
フニャディを名乗る家は後代にもござるが、これは別の家系がフニ
ャドを領有するようになって名乗ったものと聞いておりもうす。
有名なエリザベート皇妃の侍従にその名がござるし、オーストリア
のスピードスケートの女子選手にもフニャディ姓の御仁がおり申す。
この方々が後代にフニャディを名乗った方の子孫なのか、あるいは
ヤノシュ・フニャディ殿の血筋につながる方々なのか拙者にはわかり
もうさぬ。
同家の結婚政策と申すと、かくいう拙者もヤノシュ殿から妹君との
縁談を持ち込まれたことがござるぞ。
我が主をトルコの傀儡と江村先生が書いておられるのは拙者も存じて
おりもうす。他にかの先生の本を参照したと思しき「ハプスブルク家
かく戦えり」とか「ハプスブルク家の食卓」にも同様の記述がありも
うす。しかし、この記述に関して他の方の本でこれに関する記述をま
だ見たことがござらぬ。
主が西方作戦に集中するため、トルコと和そうとしたのは事実でござ
る。拙者はその使者に任じられたこともござる。また、あくまで戦闘
を継続しようとするワラキアのブラド殿の逮捕を命ぜられたのもその
動きの一つでござる。
しかし、トルコ軍を率いてウイーンに攻め寄せたりはしておらぬと思
い申す。主の究極の目的は神聖ローマ皇帝の位であったと思い申すが、
トルコなぞ引き込んだ日にはその目的は果たせぬどころか、異端のかど
で十字軍を派遣されたボヘミアのフス派王のボディエプラディ家のイジ
ー殿どころの騒ぎではなくなり申すし、使徒王国の聖王冠を戴く資格は
無くなることは必定でござろう。
我が主は不可解な人物ではあり申すが、そこまで愚かしい行為を為すと
は思えぬのでござるが・・・。
江村先生の本には参考資料の記載がござらぬ故、その出典が確認できぬ
のが残念でござる。
622 :
世界@名無史さん:03/11/09 12:32
age
623 :
世界@名無史さん:03/11/11 20:28
使途王国の聖王冠とか、イシュトバーン王冠ってなんですか。
使徒王国ってなんですか。
ポーランド王位、ボヘミア王冠とは格が違うのですか。
624 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :03/11/15 00:05
>623
ハンガリー王冠の呼称でござる。
初代国王のイシュトヴァーン1世陛下がローマカトリックに帰依するに際
し、教皇シルウェステル2世がその使者に対し「汝らの首長は真の使徒な
り」という言葉とともに王冠を授けたという伝説があるのでハンガリー王
国は「使徒王国」と呼ばれておるのでござる。
因みにイシュトバーン1世陛下は後に列聖されているため聖イシュトヴァ
ーン王冠と呼ばれており申す。
夢の無い話を申すとこの時に授けられた王冠はイシュトヴァーン1世陛下
の逝去後の混乱の中で失われ現在に伝わる王冠はビザンツで作られた王冠
にラテン冠と呼ばれる十字部分を組み合わせて後に作られたものなのだそ
うでござる。
現在は国会議事堂のホールに展示されており申すので機会があれば是非
ご覧くだされ。
王冠の格式というものは拙者にはわかり申さぬがボヘミア王冠も聖ヴァー
ツラフ王冠と呼ばれるものと記憶いたしており申す。
625 :
二重帝国の予感???:03/11/15 17:27
最近、皇帝は来ないね。
その代わり、ハンガリーの話で持ち切り。
僕も乗っかろう。
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー
隊長殿、マー茶ー主王が、
皇帝位を狙ってたとの話、本当でしょうか。
何か、史料が残っているんでしょうか。
大帝陛下はいずこにおわすのでござろうな。
ハンガリー関係の話題でござれば専用のスレもあるのでござるが・・。
閑古鳥が巣食っておる故、ご来訪賜れば幸いでござる。
さて、我が主の野望に関してでござるな。
少なくともボヘミア王位は要求し、フス派貴族出身のイジー王に対し
て戦端を開いておりもうす。また、オーストリアに対しても攻撃をし
かけウイーンを陥落させ、ティロル上オーストリア以外は主の軍の支
配下に入り申した。
残念ながら、拙者は我が主が皇帝位を狙うと明言しているような史料
は存知申さぬ。当時の主の行いから考えて、行き着く先は皇帝位かと
思った次第でござるよ。もっとも、あまり強大な者が好まれるのはオ
ットカル2世殿の先例の示すとおりで、主が長命であってもどうなっ
たかはわかり申さぬ。
史料に関しては傭兵風情の手には負えぬ故、専門の学者の方におすが
りする他ござらぬ。トルコの傀儡の件も含めご教示願えれば幸いでござる。
お久しぶりでございます。
隊長閣下。
ご無沙汰いたしまして申し訳ありません。
さて、イジー殿は確かに戦略を誤ったかも知れません。ボヘミア王位の話がでたので、
お伺いいたしますが、
ボヘミア王位とハンガリー王位がペアで、
同一の王に引き継がれる慣習というものが、どこかで生じたのでしょうか。
既出の江村先生の本にそのようなくだりがあり、そのような慣習なりルールなりがどこかで
できたのかと思い、お伺いいたすしだいです。
628 :
ハンガリー王国の成立の事情:03/11/15 21:33
ボヘミア王(プシュミル家)は、神聖ローマの枠内にできたのに、
なぜ、ハンガリーは外なんでしょう。
ハンガリーとしては、あるいはカールパート家としては、
@政治的思惑:諸侯たちの干渉をえたくない。
A皇帝からの干渉(軍役含む)など面倒である。
Bそもそも、独立を保ちたい。
Cレッヒフェルトの戦いとかのワダカマリ(英霊に申し訳ない)
D文化的な影響をなるべく排除(騎馬民族の伝統を維持し武力を保つ)
Eローマ教皇の政治的思惑
など、
ドイツとしては、
@政治的思惑 アジアから来た異民族の影響を排除。
内部的にはいまだキリスト強国といえないし。
Aレッヒフェルトとかのワダカマリ。
Bローマ教皇の政治的思惑
Cドイツの諸侯がこれ以上増えては、皇帝として、コントロールしにくい。
Dドイツ有力諸侯として、これ以上、国内に有力諸侯が増えては迷惑kだ。
Eマジャール人は姿形がヨーロッパ人でなく、異様であり仲間ではない(アジア人の風貌をまだ、残していた)
Fハンガリーの東側の国境の守りなど、引き受けたくない(東から異民族がまたやってきた場合)。
どうでしょうか。
それと「王」となったのはなぜですが、強かったからですか。
なりきりスレか?
630 :
オットカル2世の件:03/11/21 23:32
この人って、プシュミル朝のオトカル王のことでしょうか。
ハプスブルク伯が皇帝に決まったと聞いて、
オトカル王は、寝耳に水で大変怒ったそうですが、
彼は、ボヘミア王なのに、選挙に参加していなかったんですか。
すごい不思議です。
最近だれもこない。
あやめさんも来ない。
さて、神聖ローマ定刻の正式名称は、「ドイツ人の・・・・・」と紹介してくらたのは
あやめさんだったかと。
神聖ローマ皇帝というのは、まず、諸侯が(選帝侯が)ローマ王を決めて、
かれが、教皇に聖別されて戴冠して皇帝となると聞いています。
まず、ローマ王なんですね。
最近気づきましたが、
ナポレオンが、息子の二世を、ローマ王に任じたのは、
ナポレオン王朝が、神聖ローマ帝国の衣鉢を継ぐいう意味だったんですね。きっと。
ナポレオン2世は、母はハプスブルク皇帝の娘マリールイズでその意味でも、神聖ローマを継ぐ正統性がある。
こういう意味は、欧州の学校での世界史とかの授業では言わずもがなでしょうが、
日本人にはピンと来ないですよね。
マールさま
ボヘミア王位とハンガリー王位でござるか?
恐らくはモハーチの戦でラヨシュ2世陛下がみまかってハプスブルグ家へ
王位が移ってからでござろうな。
ハンガリー王位と重要な関係があるのはクロアチアの王位でござる。
ハンガリー王はクロアチア王を兼ねることに古よりなっておるのでござる。
>628
アールパード家としてはドイツ側から攻め込まれたくないし、ハンガリー
王国の内政に干渉されたくないという立場でありもうした。
一方、帝国側はハンガリーを取り込もうと幾度も試みて失敗してござる。
王となったのはキリスト教に帰依しローマ教皇から王冠を授かって、ヨー
ロッパ世界で王として後任されたからでござろう。
>630
プシェミシュル家の「黄金と黒金の王」と呼ばれたオットカル2世(オタ
カル)陛下のことでござる。かの王はあまりにも強すぎたのでござるな。
他の選帝公からその強大な力と野望を警戒されてしまったのでござろう。
選挙の場にかの王が出向いていたのかどうか拙者は存ぜぬが、まさかルド
ルフ殿のような著名でない御仁が選ばれたので怒ったのではござらぬか?
詳しい方にご教示願いたいものでござる。
オットカル2世陛下については拙者も興味をもっておる故、ぜひご教示願い
たいと願っておりもうす。
レスをありがとうございます。
たしかにハプスブルク家が継いから、
そうなったのかもしれませんね。
634 :
世界@名無史さん:03/11/30 21:47
(これって、別スレかな)
>632
クロアチアの王位ですか。
これは、一応は独立の王国だったのですか。
オスマントルコとかいろいろありましたが、その間も一応、独立の王冠があったのでしょうか。
オスマンが退いたあと、一応、オーストリア領になりますが、直轄地とはなく、
一応はハンガリー王兼クロアチア王の領域だったんでしょうか。
ベルサイユ体制では、セルボクロアート王国は、セルビア王が、このクロアチア王位を、ハプスブルクから貰うという形だったんのかなぁ。
セルビアの王様は、これを、それぞれ別々の王冠として兼任したのかな(ほかに、モンテネグロの王位もあるみたいですが)。
635 :
平民マール:03/12/07 19:42
ここは、まるで眠りの森の美女のいる城のようですね。
もっとも、眠れる姫君を見つけても、僕は平民だかね。
さて、マーチャーチュ王の件、私がトルコとの関係を持ち出したので、
責任を感じています。
実は、菊池先生の本(また、講談社現代新書の神聖ローマ帝国)を見ました。毎度ながら、専門書ではないのですが。
トルコの脅威(ビザンチンの滅亡から約30年)を防ぐ英邁な指導者は彼しかおらず、
彼は、オーストリアをも下し、力を固めてから、トルコに当たるような、そういう位置づけや役である。
といった記述がありました。
皆さんいろんなことおっしゃいますね。いろんな風に解釈されるのでしょうが。
結局、王の心、王のみが知るのでしょうか。
隊長閣下、いろいろご迷惑をおかけしました。
636 :
世界@名無史さん:03/12/30 23:23
閑散age
>632
マールさま
ずいぶんご無沙汰してしまいもうした。大帝陛下はまだお戻りでないようで
ござるな。
さて、クロアチア王位でござるが、これはクロアチア王国という独立の王国
がござった。王位継承をめぐる争いにラースロー1世が介入したのを皮切り
として、その後、カールマン(コロマン)1世(文人王)の時代にハンガリー
王がクロアチア王を兼任するという形になり申した。
とはいえクロアチア貴族の力は相当に強く、アンジュー家のラヨシュ1世の
没後の混乱ではマリア女王の即位に反対するクロアチア貴族の一派が女王を
幽閉してナポリ・アンジュー家からハンガリー王を即位させようとしたりし
たこともござったし、その後もクロアチア太守であるズリーニ家・フランコ
パン家は強大な力を持っており申した。
オスマン時代にもクロアチアの北部はオスマン帝国の占領下にはおかれてお
りもうさず、ハンガリー王が兼務するクロアチア王国だったと思い申す。
ただ、軍政地帯という直轄領が帯状に存在しておりもうした。
ベルサイユ体制時は拙者はわかり申さぬが、クロアチア王位となると二重
帝国の崩壊まではハプスブルク家の保持するところであったはずでござる。
>635
マールさま
貴殿がお気に病むことはござらぬ。
我々配下におるものでさえ、主の考えは理解しがたいことがござる。
現に我が主マーチャーシュの教師であったヴィテーズ・ヤーノシュ
殿でさえ、ボヘミア・ポーランド・オーストリアに対する侵攻に反対
して王を除こうとする陰謀を企てたほどじゃ・・・。
マール殿の言われるとおりでござるな・・・。
639 :
アッティラ@フン:04/01/26 22:59
陛下は何処におわすのでございましょうなあ・・・・取りあえずage入廷でございます。
さて寡聞な私めにして、先日マキャベリ殿の著作を通じましてチェーザレ・ボルジア殿・一連の武勇を初めて知るに至りました。
聖職をなげうって、その後の狼藉・生臭ぶりはまさにわが意を得たりでございました。それだけに、志半ばの病はさぞかし無念なことだったろうとお悔やみ申し上げました。
このような痛快な御仁は他にもおわすのでしょうか?
640 :
カール大帝:04/02/03 04:31
余である。
宮廷を長らく離れ、諸卿には迷惑のかけ通し、
帝王といえど頭を垂れて寛恕を願うばかりである。
そして突然余が参ったのにはワケがある。
今月半ば以降、余は暫く留守にしていた故国に行って参る。
さらに国境を越え東の諸国にも足を伸ばす予定である。
なにぶん執務第一ゆえ古の書籍探しも儘ならぬかもしれぬが
諸卿より
「これを調べてきなさいあ」等、要望があれば
可能な限り努力したいと考えておる。
諸卿よ
知識の泉はかの地に今なお在るやも知れぬ。
余に力を与えて欲しい
641 :
カール大帝:04/02/03 04:33
ちなみにネット事情如何によっては
余がこの東の島国に戻るのは
5月になるやもしれぬ。
5月…
そう、あれが一区切りついてからじゃ
642 :
カウニッツ:04/02/04 22:46
おお、陛下!お久しぶりでございまする!今月の半ばまでですな。
陛下に宿題を出す所存、御覚悟なされますよう……。冗談ですが。
643 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/05 00:23
陛下、お久しゅうございます。
宮殿の門を守りて半年以上、もはやお出ましいただけぬのかと心を痛めて
おり申した。
東の方と申さば、拙者の故郷のボヘミアやハンガリーにも行幸していだだ
けるのでございましょうや?
644 :
カール大帝:04/02/07 17:36
余である。
慌ただしく宮廷に寄ることしかできなくて済まぬ。
カウニッツ卿よ。
遠慮などいらぬ。
宮廷の宰相として宿題を頼むぞ。
ヤーノシュ卿よ。
ハンガリーはちと難しくなりそうじゃ。
ボヘミアはありそうじゃ。
低ラウジッツやシェジレンもありそうじゃ。
諸卿よ。
余の出立までに宿題を頼むぞ
645 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/14 18:18
大帝陛下
では拙者の子孫どもがどうなったのか可能であればお教えくだされ。
ギシュクラと名乗る政治家が二重帝国の末期にいたと聞いたことが
ござるが・・。
我が主が、陛下をヴィシェグラードの離宮にてお待ち申し上げてい
るので、是非お運びいただきたいと申しております。
風光明媚で良きところでござる、ウイーンより船旅を楽しまれては
いかがでござろうか。
646 :
カウニッツ:04/02/16 20:19
私と同じく、女帝マリア・テレジア陛下にお仕えしたハウクヴィッツ殿は
フリードリヒ2世の侵略があるまでシュレジエンに所領があったそうですが、
その詳細をキボンヌです。
大帝陛下、もう旅立たれてしまいましたか?
647 :
カール大帝:04/02/21 17:16
余である。
なぜかホスト規制で書き込めぬことが多い。
さて。
余は今、ブランデンブルク門で有名な町におる。
余の首都とは違うがの。
昨日まではオーバーラウジッツとシュレジエンで執務に励んでおった。
来週もまた赴くかもしれぬ。
かの地で思うのは意外と情報が少ないことじゃ。
執務の関係で行政の人間と会うことは多いのだが
これが全然歴史について疎いのじゃ。
郷土史家のような人間を捜したいものじゃ。
648 :
世界@名無史さん:04/02/26 23:58
つーか、ハンガリー王国は神聖ローマ帝国のレーエンにないからでしょ。
ハンガリー国王、ポーランド国王の類はベーメン公(のち国王)と違い、
ローマ皇帝の臣下ではない。
649 :
カウニッツ:04/03/02 16:36
ハンガリー・スレに行って参ります。
650 :
カウニッツ:04/03/03 00:34
陛下は今何処を旅されて居るのだろうか。。。
651 :
世界@名無史さん:04/03/04 15:33
アメリカ人に教えて貰ったジョーク
チャイニーズは言った
奴はクレイジーだ
アメリカンは言った
奴はスペシャルだ
ロシアンは言った
奴はデーモンだ
日本は言った
どうしたの?みんな
その視線を、日本は気付いていない
※日本は中国、ロシア、アメリカの三大大国と戦争した事がある非常に稀有な国
652 :
世界@名無史さん:04/03/04 15:39
>>651 言われてみればそうだ。
イギリス、フランス、オランダも相手に・・・。
ある意味恐ろしい国だよな。
日本が戦争したことない国って大国ではイタリアだけか?
654 :
世界@名無史さん:04/03/04 17:05
イタリアは大国ではない。
だが,日本が本当の意味でとんでもない国になってしまったのは
高度経済成長後だ.
第一次大戦ではドイツ、オーストリア・ハンガリー帝国とも戦っておりますな。
クレイジーだ!
英国も中々凄い
米露中仏独伊西印日・・・ととりあえず思いついただけでもこんなにあって
これでもまだ足りないのか内戦までやってる
英国の歴史は戦争の連続
奴らまぎれもなくウォーモンガーだ
戦争狂は英国に限らず存在するものでござろう。
このスレは各国の王家貴族の系譜について語る場所でござる故
その方面に話を軌道修正させていただきたく存ずる。
で、好戦的な御仁というと
拙者が思い浮かぶのはルクセンブルグ家のボヘミア王のヨハン
陛下でござる。
「ボヘミア王がおらずば戦ははじまらぬ」とまで言われたそう
でござるから相当な御仁と言えましょうな。
クレンシーの戦にて壮絶な最期を遂げられたが、過ぐる日の
戦場での古傷がもとで盲目となった身で騎乗し、部下の騎士
の馬と乗騎を鎖で繋ぎ、敵陣めがけて導くように命じ、主従
一団となって突撃を敢行し討ち死をされるというものでござ
った。
660 :
カウニッツ:04/03/13 20:26
ウェセレーニイ・ミクロシュ男爵あげ!!
661 :
世界@名無史さん:04/03/13 23:53
662 :
世界@名無史さん:04/03/16 00:36
663 :
民草のひとり:04/03/17 19:13
お懐かしや大帝陛下、お忍びで欧州各地のネットカフェへ民情視察でございましょうか。
さてさて、647によれば、
かの地にて、ネットにて日本サイト/Webなど開かれておられる由、ただ、
すんなり日本語が読めるのでございましょうか。
文字化けせぬかと気になりまするが、如何?。
また、入力などいかがされておられるのでしょうや?
かの地のネット事情、使いこなすテクなどご教示頂ければ幸いでございます。
664 :
世界@名無史さん:04/03/17 19:46
では、調査いただきたい件、陳情します。
きけば、大帝の王国の
東の領域では、後々、爵位などは、息子たちが平等に名乗るようにて、
一方、西では、ひとりのみが名乗るようにて、、、
ただ、臣は、正確なところをしりません。
正確にはどういうルールで、また、領域的にはどのあたりでしょうか。
また、土地の相続はいかがでしょうか。任意勝手に分割可能でしょうか。
分割などしては、爵位との関係でなにか縛りや「影響がありましょうか。
いや、土地ではなく、封土というべきだったかもしれません。
このあたりの事情、東と西、あるいは南と北でいかがでしょうか。
また、サリカ法など、女性への制限はどうなるのでしょうか。
これは、女性の土地相続(封土相続?)にかかるのでしょうか、
称号でしょうか。
陛下、よろしくお願い申し上げます。
***このような質問を思いついた根拠のひとつは
下記です。
アルバート公の称号:Prince of Saxe-Coburg and Gotha, Duke of Saxony
のそれぞれの謂われについて、の書き子の影響です。下記の563以下です(570、571など)。
ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1053338507/
665 :
世界@名無史さん:04/03/17 20:32
現地での、西洋人によるURL、特に、掲示板、それも、
欧州王侯の家系といったテーマの掲示板、
あったら教えてください。
今後わからないことは、そこに質問すればいいかも。
666 :
世界@名無史さん:04/03/17 23:36
>>647 陛下、またしても臨御が稀になって臣民は戸惑っております
>なぜかホスト規制で書き込めぬことが多い
「ホスト規制」って何のことでございましょう
「当店は女性のお客様にホストがサービスを提供する場所です、男性のお客様の
入店はおことわり申し上げております」という規制でしょうか?
668 :
カウニッツ:04/04/29 11:16
あやめ様。初めましてで宜しいのでしょうか。博識、痛く(この字で良いそうです)感心しております。
私も最近「>なぜかホスト規制で書き込めぬことが多い」のですが、ホスト規制とは?と、
あやめ様同様思っています。それにしても、最後の二行、笑わせて貰いました!
669 :
世界@名無史さん:04/05/24 21:05
hage
670 :
世界@名無史さん:04/06/08 21:08
ハプスブルク帝国は、もっと早く崩壊すべきだったようだ。
671 :
世界@名無史さん:04/06/08 21:08
陛下がお戻りかと思えば、カウニッツ卿の館と同様の輩でござるか・・・。
すべきもなにも、続いたというのが事実であることに変わりはござらぬ。
我が主なども、相当にハプスブルグ家を追いつめたのじゃが・・・。
673 :
世界@名無史さん:04/06/09 10:19
カウニッツとヤーノシュが釣れた♪
674 :
世界@名無史さん:04/07/05 12:19
留守番age
675 :
世界@名無史さん:04/07/05 13:00
676 :
世界@名無史さん:04/07/27 14:23
おいたわしや大帝陛下、こんなところで行き倒れあそばされて
リヤ王じゃあるまいし
そう言えばリヤ王ってモデルがあったのか?
677 :
世界@名無史さん:04/08/20 19:03
黒沢の「乱」がリヤ王のぱくりというのは誰も知ってるが
678 :
世界@名無史さん:04/09/07 09:10
age
679 :
世界@名無史さん:04/09/20 19:21:16
age
最近は空しくもageで存命している状況、悲しくもあります。
陛下のホスト規制問題(?)、解決されたのでしょうか・・・
681 :
世界@名無史さん:04/10/09 20:57:54
男性のお客様の入店はおことわり申し上げております
682 :
世界@名無史さん:04/11/04 13:23:54
閑散age
683 :
世界@名無史さん:04/11/21 12:19:43
age
684 :
世界@名無史さん:04/11/21 17:28:18
USA大統領で欧州貴族の子孫はいないの?
685 :
世界@名無史さん:04/11/21 17:52:09
昔、レーガン大統領がアイルランドの王の子孫とか言われていた。
まあ、日本で言えば源氏の子孫とか言ってるのと同レベルの話だろうがw
ブッシュはスコットランド王家の血が入ってるな。
他にもいたと思う。
687 :
世界@名無史さん:04/12/12 20:59:02
建国初期の大統領はほとんど貴族の家系のはずだが。
688 :
世界@名無史さん:04/12/12 21:15:13
英王室の血が入っている米大統領が多いとしたら
利き腕が左利きの大統領が異常に多いのも納得できるな。
利き腕は遺伝の要素が大きく一般には20人に1人と言われているが
英王室と米大統領は左利きの人間が半数近い。
689 :
世界@名無史さん:04/12/28 22:36:29
血が入っているっていったって何千何万分の一だろ。
690 :
世界@名無史さん:05/01/08 17:55:45
>>688
えっ?英王室と米大統領は左曲がりが多いの?
691 :
日本@名無史さん:05/01/08 22:47:57
スペインの王政復古が輝いてるね。
ブルボン王家のカルロスを後継に指名した
独裁者フランコ総統は神!か
692 :
世界@名無史さん:05/01/16 17:34:20
バルト諸国や東欧の中には、第一次大戦前後にドイツの王侯を迎えて一時的に独立、
またはその予定だった国がありますね。
どの国にどこの王侯が迎えられたか教えてください。
693 :
世界@名無史さん:05/01/30 09:48:28 0
大戦末期のフィンランドとかクールラントとかエストニアだな。
あと第一次大戦直前のアルバニアにも。
694 :
臣民:05/01/30 10:13:57 0
うわ、このスレ、まだ生きてたんだ。陛下、どうされてるかなぁ・・・。
695 :
世界@名無史さん:05/02/01 16:33:02 0
スウェーデンの二番目の王女すごい美人だね。
どんな男とできてるの?
696 :
勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :05/02/05 00:29:24 0
>>664 後世という事なので、中世初期〜盛期にかけての女性相続権について。
まず貴族の財産を家産と封に分けて考える事が重要です。
家産は純粋な財産なので、こちらは女性にも相続権がありました。
女性に相続権を認めていなかったのは封の方です。
これは封を授ける側が授けられる側の軍役奉仕を期待して授与するものだったので
戦う事が出来ない女性には継承権が無かったのは当然といえます。
また男子でも成年に達していなかったりすると封を没収する事は中世初期には普通に
ありえた現象です。
ただ時代が降るにつれ、封を継承する権利が家産とみなされるようになると
まず幼児、そしてフランスでは女子も封を相続する事を認められるようになりました。
これに対してドイツでは封建制度に移行する時期が遅かった為に、ついに女子の相続権が
普遍的に認められる事はありませんでした。(特権としての例外はあります)
また百年戦争時のヴァロア朝成立要因として有名なサリカ法ですが
名前の通り、本来はサリ族の部族法だったので中世の相続に対して影響を与える事は
ほとんどありませんでした。(少なくとも私が知る限りでは)
サリカ法はカペー朝末期、フィリップ4世の宮廷を揺るがした皇太子妃の大スキャンダルへの
対応として急遽、法律学者達が引っ張り出してきた文字通りのこじつけです。
697 :
世界@名無史さん:05/02/05 13:20:59 0
ラテン圏の貴族って家系たどるとゲルマン系が多いよな
>>694 カール大帝陛下は3日6時13分、前立腺ガンのため崩御あそばされました。享年89歳でありました。
699 :
世界@名無史さん:05/02/14 20:02:01 0
あげ
>>698 嘘はヤメレ。しかし閑散としてるな…陛下やカウニッツ卿、ギシュクラ・ヤーノシュ殿は
どちらへ行かれたのやら。
701 :
侍従 ◆6S5x71xSoo :05/02/14 20:48:53 0
>>700 陛下→崩御
カウニッツ卿→薨去
ギシュクラ・ヤーノシュ殿→逝去
きっと近隣諸国に遠征か外交交渉に出かけていらっしゃるのでしょう
703 :
カウニッツ:05/02/14 23:28:56 0
生きてますよ。でもヴェルサイユで外交革命の下地を作っているので
参内できません。
やっぱり貴族の称号欲しいよなぁ・・・・
俺も某企業ではプリンスと呼ばれたこともあった(マジで)が、
やっぱり本物の称号がほしいよなぁ。
705 :
世界@名無史さん:05/02/20 19:01:57 0
>>704 東欧諸国なんかで、伯爵位が金で買える所もある。(安い所が多い)
また、爵位ってのは土地を持っている人の事だから城を買ったりすると
城に爵位が付いて来る事もあるみたい。
まぁ、我々が伯爵名乗ってプレステージがあるか?って話なワケで。
706 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :05/02/21 02:36:50 0
拙者も死んではおりませぬぞ。
縁起でもない冗談は止めていただきたいものじゃ・・。
オスマン帝国が攻め寄せるのでワラキア方面で防戦に明け暮
れておりますわい・・・。
我が主マーチャーシュも人使いが荒いので困ったものじゃ。
合間を縫ってハンガリースレ・ハプスブルクスレ・二重帝国
海軍スレには出没しておりもうしたが・・。
しかし、大帝陛下はいずこにおわすのか??
>705
本当でござるか?どこの国でござろうか?
707 :
&rlo;水&lro;( ´,_ゝ`) ◆TCygujgOWY :05/02/21 03:18:08 0
>>705 よし!俺も城とか買って爵位貰っちゃうぞー。
やっぱり英語で名乗るとき何か称号がないと締まらんしなぁ。
>>705 安いってどれくらいなんだろう。
5千円以下だったら、お土産に買うぞw
709 :
世界@名無史さん:05/02/24 01:02:27 0
数年前ロシア貴族協会が爵位売ってるという記事を見たことがあったな。
ロシア貴族協会というのは本物のロシア貴族とは全然関係が無いらしいが。
>>707 イタリアの話で、ペルージャの会長が数年前に爵位付きの城を買って
教皇から叙爵されたという記事を読んだ事があります。
東欧圏での爵位売買については、世界史板のどこかのスレでルーマニアだったか
ブルガリアだったか、その辺りの伯爵号が買えるサイトが紹介されていた記憶があります。
711 :
&rlo;水&lro;( ´,_ゝ`) ◆TCygujgOWY :05/02/25 00:19:38 0
>>710 ヨッシャー!!さっそく金貯めて城を買うぜ!!
冬はイタリア、夏はドイツの皇帝気分を味わってやるぜ!!
もちろんフェラーリで往復だぜ!
と何年後の話だろうか・・・・?
712 :
世界@名無史さん:05/03/03 07:26:01 O
あげ
713 :
世界@名無史さん:05/03/19 11:36:47 0
保守
714 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:45:50 0
age
715 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:05:28 0
フェルゼン伯爵家は滅んだの?
716 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 12:06:21 0
保守
717 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 14:32:35 0
ベルサイユのバラに出てくる「フェルゼン伯爵」も
オスカルとどうよう架空人物だよ
ベル薔薇は読んだこと無いのでしらんが、ハンス・アクセル・フォン・フェルセンがモデルではないの?
グスタフ3世がフランス革命阻止のために送り込んだやつ。
>>718 なのかどうかは知らないけれど
フェルゼン伯爵は実在の人物です。ほんとにアントワネットの愛人で
フランス王家亡命の企画実行をしました。ヴァレンヌでばれちゃったけどね。
ベルサイユ宮にはフェルゼンとアントワネットが逢引に使った洞窟が
あるらしい。
720 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 21:13:33 0
age
721 :
世界@名無史さん:2005/06/08(水) 13:20:36 0
保守
722 :
世界@名無史さん:2005/06/08(水) 23:03:08 0
スレ違いだと思いますが、気になったので質問させてください。
先ほどワールドカップのウェブサイトを見ていましたが、各国の紹介欄に
モットーが記載されており、日本の紹介に以下のようにありました。
Motto: Peace and progress (Emperor's motto).
天皇や日本の貴族はモットーを持っていたものなのですか?
「和をもって尊しとなす」じゃねーの?
724 :
世界@名無史さん:2005/06/23(木) 21:22:41 0
留守番保守
725 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:06:10 0
age
726 :
世界@名無史さん:2005/07/27(水) 15:12:14 0
留守番age
727 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 17:08:05 0
サウジのファハド国王が死去
728 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 18:44:33 0
サウジは欧州なのか
かたいこといわずに
731 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 13:04:16 0
age
732 :
世界@名無史さん:2005/09/07(水) 21:35:16 0
保守age
733 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 22:07:30 0
ずっと遡ると中東の王家もどこかで
欧州の王家とつながりがあるやも知れん。
734 :
世界@名無史さん:2005/10/13(木) 22:57:51 0
意外な線でチンギス裔つながりが・・・
735 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 14:54:44 0
貴族の地位を剥奪された人間はどうなるの?
貴族じゃなくなる。
大貴族→ただの名門になる
貧乏貴族→ただのこじきになる
アジアの王族ってヨーロッパの王族に比べて
ヴィジュアル面で非常に劣ってないか?
739 :
738:2005/10/23(日) 17:29:55 0
もしかして俺
触っちゃいけない所触った?
>>739 いや、ほかのスレにも全く同じ書き込みがあるということだけ。ただそれだけ。
741 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 04:06:11 0
そのヨーロッパの白人さんたちのルックスが現代の美的感覚になっっている今の世では
昔ながらの「美人」の血の濃いアジアの王族がたは不利ですなー。
まぁあくまで私の勝手な持論ですが・・・
それにしてもほんにこの宮廷さびすぃーっすなー。。。
春ろぅろぅのぉ〜花のえ〜ん〜
742 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 10:34:13 0
フェルゼン愛人説はツヴァイクの妄想の部分が多い(フェルゼン自体は実在だが)。
トリアノン小宮殿の庭にある洞窟やサン・クルー離宮の庭園で
逢引したとか言われているが、どうなんでしょうか。
743 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 11:55:47 0
フェルセンが男色好きだったのは常識だぜッ!!!
歴史愛好家なら誰でも知ってるだろうけどサ。
両親が美形でも子供が不細工の場合も…。
容姿の部分部分は遺伝で似たりするが、美醜の遺伝は結構偶然に左右される希ガス。
確実にカール大帝の血を引く貴族ってあるの?
美しさってのはつまるところバランスだから、パーツが良くてもバランスが崩れると駄目ということか。
そういえばハプスブルグの顎は優性な形質だったんだろうか。
748 :
世界@名無史さん:2005/11/10(木) 00:14:15 0
age
749 :
世界@名無史さん:2005/11/11(金) 14:22:30 0
フェルセンが男色好きだったのは常識だぜッ!!!
歴史愛好家なら誰でも知ってるだろうけどサ。
752 :
世界@名無史さん:2005/11/12(土) 16:10:21 0
11日に66歳で死去したエリザベス女王の従弟、
写真家のパトリック・リッチフィールド卿(1939年生まれ)
Patrick Lichfield (Thomas Patrick John Anson, 5th Earl of Lichfield)
は、女王の母方の従弟に当たるかと思いますが、両親の姓名、系図関係は
どのようになっているのでしょうか?
お教え下さい。 宜しく。
754 :
世界@名無史さん:2005/11/12(土) 21:37:45 O
ハプスブルクといえばアイーン顔のカール5世。
フィリップ美公とファナという美形カップルの子なのにしゃくれ…
755 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 23:09:14 0
age
756 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 13:17:00 0
age
757 :
世界@名無史さん:2005/12/21(水) 22:34:40 0
age
ハノーヴァー選帝侯はドイツ貴族中ではどんなもん?
時代によるだろうけど、とても偉い。
ドイツ連邦時代は王国だったしね。
ヴェルフェン家はハプスブルクより古いからな。
ホーエンツォレルン家ごときじゃとてもとても・・・
ホーエンツォレルン家とハノーヴァー家だったら
完全にホーエンツォレルン>ハノーヴァーだろ
ブランデンブルク辺境伯は当初から7選帝侯の1人だったが、
ホーエンツォレルン家がそれを獲得したのは15世紀初め。
ハノーファー公が選帝侯に加えられたのはずっと後の17世紀末。
その頃には選帝侯の数も増えている。
ホーエンツォレルン家は一度も神聖ローマ皇帝を出してないけど
プロイセン王となりそしてプロイセンを中心としたドイツ皇帝になったんだから
ウハウハだ
764 :
760:2005/12/23(金) 17:34:17 0
確かに選定侯になったのは遅いけど、
ヴェルフェン家が勃興したのは、
9世紀にルートヴィヒ敬虔帝の外戚になったのがきっかけ。
ちなみに、ホーエンシュタウフェン家の勃興は、
11世紀末にザリエル朝ハインリヒ4世の女婿になったのがきっかけ。
またハプスブルクの興隆は、そのシュタウフェン家の有力家臣となった13世紀。
ホーエンツォレルン家については
>>762の言うように、ブランデンブルク選定侯になった15世紀初め。
(それ以前はどっかの城伯レベル。)
よってハノーファー家(ヴェルフェン家)関係者は己の家門に強いプライドを持っていた。
ただまあ、これをもってヴェルフェン家が随一の名門だ! と総合的な判断をするつもりではありません。
あくまでこういう視点もあるという話です。
ヴェルフェン家自体も何度か中断したりしてるしね。
ハノーファー家の紋章ってどんなの?
やっぱ鷲?
白馬だった気が
767 :
世界@名無史さん:2005/12/24(土) 04:46:15 O
パリ伯の娘でドイツのなんとか公家(家名失念)に嫁いだオバちゃんが出てる番組面白かったw
「華麗な人々」って番組。
城の庭を三輪バイクで走り回り、アーティストを自称し何とも評価のしようがない奇妙な彫刻群を庭園に配置してたw
確か旦那はバイセクシュアルの気があって70年代のニューヨークで派手に遊び回ってゴシップネタになってたはず。
誕生日にぺニスの形をしたケーキでウォーホルや当時のセレブをもてなし乱痴気騒ぎをして通報されたなんとか公w
768 :
突然ですが。:2005/12/24(土) 15:38:39 0
「ライン宮中伯」ですけど、これを名乗っている人って、いますか。
いなければ、つまり断絶ということでしょうか。
いつまではいたんでしょうか。
769 :
世界@名無史さん:2005/12/24(土) 15:44:29 0
宮中伯は、ほかにもいたはず。たとえば、マイセン宮中伯とかね。
こちらの称号は、どうなったんでしょう。
771 :
世界@名無史さん:2005/12/24(土) 16:56:45 0
>>767 パリ伯?
ブルボン正統では、当主がフランス王、王太子がパリ伯。
オルレアン王朝では、当主がフランス王、王太子がオルレアン公、王太孫がパリ伯だったが。
ナポレオンの第一帝政では当主がフランス皇帝、皇太子がローマ王。
第二帝政では、。。。。。(知らない)。。。。
772 :
世界@名無史さん:2005/12/24(土) 18:03:24 0
→ババリア王家の当主は、今、タイトルを持っているんでしょうか。
まさかキングではないと思いますが。
→ハプスブルク家の当主は、タイトルあるんでしょうか。
なくても、十分、通用するくらいの家ですけど。
>>772 ババリアって何だか一瞬考えてしまった。バイエルンね。
今の当主はルイトポルト(・ルプレヒト・ハインリヒ)さんなのかなあ。自称バイエルン公。
ハプスブルクの当主オットーさんは自称オーストリア大公、ハンガリー王。
こんな質問するのは恥ずかしいんだが
ハプスブルクとか、ホーエンツォレルン、ハノーヴァーとかは
日本でいう苗字にあたるの?
地名から取った家名
776 :
世界@名無史さん:2005/12/28(水) 09:27:00 O
エカテリーナの母親ヨハンナの出自がハッキリしない。
ホルンシュタイン・ゴットルプ家の本家ではなくホルンシュタイン伯の親戚筋とあるが本家との血縁関係の近さはどの程度だったのか?
ヨハンナ父親は司教だったそうだが。
ただの聖職者の娘なのか?
しかしヨハンナの実兄はロシア大公女エリザベータと婚約していた。
いったいヨハンナの生家はどの程度の家柄だったのだろうか。
777 :
ロシアの女帝:2005/12/28(水) 09:30:12 O
エカテリーナ二世の母親ヨハンナの出自がハッキリしない。
ホルンシュタイン・ゴットルプ家の本家ではなくホルンシュタイン伯の親戚筋とあるが本家との血縁関係の近さはどの程度だったのか?
ヨハンナの父親は司教だったそうだが。
ただの聖職者の娘なのか?
しかしヨハンナの実兄は後の女帝であるロシア大公女エリザベータと婚約していた。
いったいヨハンナの生家はどの程度の家柄だったのだろうか。
王族の家系って、見方によっては略奪集団の長の家系ともとれる。一個人として
やったら泥棒行為でも国の名のもとにやれば正当化される面があるからな。
一万人殺せば英雄だなどという警句は
墨子の時代にすでにある
780 :
カウニッツ:2005/12/30(金) 05:58:26 0
皆さん、お久しぶりです。
このスレがまだ続いていたとは……。
大帝陛下はロムったりしないのかなぁ?
ヴィッテルバッハ家ってどういう家?
782 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 05:56:19 O
>>781 バイエルン王国の王家。
分家はかのエリザベートの実家
バイエルン公→選帝侯→王の他、プファルツ選帝侯(ライン宮中伯)もこの一族から出ていて、
18世紀末にはバイエルン家が断絶したため、両選帝侯を兼ねた君主も出た。
神聖ローマ皇帝も3人輩出した(世襲はできなかったが)。
古い家柄で分家も多かったが、一致協力とはいかなかったようだ。
オスマン帝国から独立したギリシアに最初に送り込まれた王はバイエルン王子オットー。
その後の王家はデンマーク王家出身だが。
本家の最後の当主はあの狂王ルートヴィヒだったりするし
(ちなみに皇妃エリザベートとはいとこ同士)
いろいろ話題の尽きない一族だな
787 :
世界@名無史さん:2006/01/01(日) 09:09:36 O
エリザベートとは従兄弟ではなくハトコなのでは?
ヴェルフェン家はヴィッテルバッハ家よりすごいよ
又従兄弟だな
>>787 >>789 ルートヴィヒ2世の父マクシミリアン2世とエリーザベトが従兄妹の関係に当たるようなんだが。
従兄弟半とか従兄弟違いという関係か
792 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 06:20:01 O
エリザベートの母親と牧志ミリアン二世が兄妹。
793 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 06:22:29 O
エリザベートの母親は王家の出なのに、格下の家に嫁いだことに不満を持っていた。
「妃殿下」ではなく「公爵夫人」だから。
ハンガリーの王家がフン族の子孫だとか、ポーランドの王家がサルマートの子孫だとか
日本の騎馬民族説のようなものが向こうにもあるらしい。
ヴィッテルスハッハ家 ですよね。
マリア・テレジアの夫のフランツ1世の出身である
ロートリンゲン家ってやっぱそれなりの家なの?
797 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 18:11:29 O
>>796 ハプスブルクから見たら格下だけどね。王室ではないし。
ロートリンゲン公国の公子。
というか、欧羅巴じゅう探したって
ハプスブルクと同格以上の家なんていくつあるんだ?
ブルボン家とか?
確かに
対抗できるのはブルボン家、ホーエンツォレルン家ぐらいか
ロマノフ家は?
ヴィッテルスバッハ家、ヴェッティン家は?
802 :
世界@名無史さん:2006/01/04(水) 13:58:28 O
ね〜
>>777 の疑問にどなたかお答えくださいまし!
803 :
世界@名無史さん:2006/01/04(水) 14:07:48 0
よくハプスブルク家はヨーロッパ最高だっていうけど疑問だな。
13世紀まで伯爵だったし。カぺー家のほうが古いし格式あるだろう。
あとルクセンブルク家とか。
ドイツにはハプスブルクを上回る諸侯がごまんとあったのがみんな断絶して繰り上がったった感じだな。
698 :勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2005/06/07(火) 21:54:06 0
>>697 ハプスブルクがヨーロッパ最高の名門と俗にいうのは
皇帝位を長きにわたって独占していた事が第一要素ですから
家門の歴史自体はあまり問題ではないかと思います。
確かにどの貴族も初めはたいしたことなくて
政略結婚や領土拡大で大貴族にのし上がったんだろうしな
806 :
世界@名無史さん:2006/01/04(水) 23:36:45 0
商人が大貴族になった例もあるしな。
スウェーデンのベルナドッテ王家など、フランスの平民上がりの軍人が、
ナポレオンに推されて王になったのが始まりだ。
現存のヨーロッパの王家でもっとも由緒がないんじゃないか。
808 :
世界@名無史さん:2006/01/06(金) 01:55:33 O
買官制(高貴な身分を金で買うこと)
を御存じないのか?
特に絶対王政下のフランスでは色濃い
でも金で買った貴族はなかなか本物とは認められないんでしょ? 仲間内じゃ。
>>807 ジャン・ベルナドット元帥は、正確にはスウェーデン王の後継者、スウェーデンの王太子に据えられた。
ナポレオンを裏切って連合国側に就いたために地位を保って、カール14世ユーハンとして王位を継承した。
またデンマークからノルウェーを獲得し、以後4代にわたってノルウェー王も兼ねている。
そのスウェーデンの旧王家はどうなったんですかね?
現王室と縁組をしてるわけでもなさそうだし。
>>811 ホルシュタイン=ゴットルプ家はカール13世ユーハンで 断絶することがわかっていた。
直系の後嗣がいなかったのでアウグステンブルク家のクリスティアンを皇太子に
指名したが事故死。次いでその弟を皇太子にするため、ナポレオンの了承を
とりつけようとメルネル男爵を使者を送ったところ、この人物が独走して?
代わりにベルナドット元帥を迎えるように動き回り、
>>810の結果となった。
813 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 02:06:53 0
age
ヴィッテルスバッハ家からはスウェーデン王も出ている。
815 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 20:19:45 0
>>51 50 陛下に質問でございます。領地についてでございます。
英国のチャネル諸島は、英王室の領地でございますか。
また、マン島は、英王室の領地でございますか。
住人は、賃借人でございますか。
ランカスター公領相という大臣がおりますが、この公領は、王室の領地でございますか。
余である。
久々である。
>>777 ヨハンナ・エリーザベトの出自は
ホルシュタイン=ゴトルプのクリスティアン・アウグスト。
そちの申すとおり分家筋じゃ。
しかし、父と兄は本家。つまり本家とは非常に近い血縁となる。
ちなみに兄フリードリヒWの孫がロシア皇帝ピョートル三世じゃ。
ヨハンナの母はバーデン=デュルラハのアルベルティーネ・フリードリケ。
ヨハンナの父母は二人とも
ホルシュタイン=ゴトルプ公フリードリヒVの孫、従兄弟同士である。
ヨハンナの兄はリューベック司教(司教領を領有?)カール・アウグスト、
スウェーデン王とあったアドフル・フレデリック、
オルデンブルク公として君主となったフリードリヒ、アウグストがいる。
ホルシュタイン家は始祖アドルフT伯以来・・・
これ以上は長くなるので割愛じゃ。
余も流転の日々を送っておるが宮廷の皆も息災にな。
>>815 余も詳しいとはとても言えぬが…
チャネル諸島とマン島は王室の領地だったはず。
チャネル諸島はノルマンディー公領から王領へ、
マン島は最後は(うろ覚えだが)スコットランド系諸侯領
(ゴーゴン家だったか、キャンベル家だったか・・・)となったと思う。
ちなみにマン島はソールズベリー伯モンタギュー家が支配していた頃、
同家は「マン島の王」を称したこともあったような・・・。
現在の住人は賃借人かどうかは残念ながら分からぬ。
ランカスター公領相というのは
the Chancellor of the Duchy of Lancasterのことじゃな。
正確には王領とランカスター公領は異なるはず。
かつて借金とりに追われる人はランカスター公領に逃げ込めば
当座の間は捕まることはないとも…
だが長い間ランカスター公はいないので公と王は一体であるな。
818 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/07(土) 20:51:33 0
大帝さま!おひさ〜〜(って馴れ馴れしくて不敬かしら)
またいろいろ御教示くださいませ
ところで前から気になってルンですけど、「余である」は御身分柄にそぐわないのでは?
やはり「朕である」と威厳を以て出御あそばさなくては
819 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/07(土) 21:07:40 0
モンタギュー家と言えば、ロミオとジュリエットにヴェロナの2大名家として
キャピュレット家とモンタギュー家が出てきますね。この両家は実在したんでしょうか?
>>803 今のルクセンブルク家はナッサウ家であって、帝国初期のルクセンブルク家とは無関係だ
カペーはブルボン家が次いだことになるのかな
ルイ16世が、革命裁判のときに「被告人カペー」とか言われて
「私の先祖にカペーという人はいるが、私はカペーじゃない」
と抗議する一幕があるな
神聖ローマ皇帝フェルディナンド3世の妃は、スペインから輿入れした
マリアですが・・もう一人マリアっているのね。
824 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/25(水) 21:45:56 0
大帝さま〜〜〜!!
825 :
世界@名無史さん:2006/01/25(水) 22:10:56 0
カペーは合羽
826 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/25(水) 23:53:18 0
フェルディナンド3世って人は何人もいるんだけど、ハブスブルグ系は神聖ローマ皇帝と
トスカナ大公と2人います。ところが2人ともマリアというお妃さんを2人づつ持ってます。
ローマ皇帝はスペイン王フェリペ3世の娘のマリア-アンナとティロル大公レオポルト5世の
娘のマリア-レオポルディーネ。トスカナ大公は両シチリア王フェルディナンド1世の娘の
マリー-ルイーゼとザクセン王子マクシミリアンの娘のマリア-フェルディナンダです。
マリアさん大杉!
画像の人はオーストリアと書いてあるから皇妃だと思いますが、スペインかティロルか判断の
材料がありません。
やっぱり大帝様のお出ましを待つしかないです。
余である。
>>818 まことに久しいかぎり。
こちらこそ幅広い知識で助けてもらいたい。
呼称についてだが
最初(もう相当前になるな)
「朕」だったのだが書いてみると
かなり気恥ずかしかったのでこの形にしておる。
余は真の王者ではないのだろうかの。
>>819 ヴェローナを余は訪れたことがない。
だが「ギベリン」と「グェルフ」の争いが
かの作品のモチーフだと聞いたことがあるぞ。
イタリアでモンタギューというのは無理があるので
実在ではないだろうが、
名前を失念したが家名をタイトルにした作品もあったはず。
>>820 現在のルクセンブルク大公はナッサウ家である。
ヴィゲリック系のルクセンブルク家は
本家筋(皇帝を出した家系)が断絶した後も
分家筋が暫く命脈を保っておるの。
ジャンヌ・ダルクの話にも出てくるし、
家系も華やかで興味の尽きぬ家系じゃ。
>>821 「」の部分、余は知らなんだ。
ブルボン家の者が
カペーを名乗ったことはないと思うので
16世の言は至極もっともといえるの。
>>822 ヴェラスケスの作品だったと思うの。
描かれているのは
スペイン王フェリペ三世の娘、
マリア・アンナ。
フェルディナンド三世の最初の后じゃの。
>>823 このマリアがスペインのマリアだと余は思うのだが…
白状するとティロル系の
マリア・レオポルディーネの肖像は見た記憶がないのじゃ。
>>824 呼ばれて数日経ってしまったの。
許せ。
>>825 うむ。
余談であるが余の同僚には
「レインコート」を「かっぱ」と呼ぶ人間しか見当たらぬ。
>>826 さすがにあやめ殿はよくご存知だ。
時代が下るにつれ洗礼名が長くなるのはたまらんぬ。
余のように、もっとこう、シンプルに…
ところで現実世界での余の母・妹の洗礼名も
「マリア」で始まっておる。
旧教の人は今も好きな名前のようじゃの。
831 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/02(木) 21:52:34 0
大帝陛下! 久々の臨御を仰ぎ恐懼の至りにございます。
忝くも御示教を賜り、積年の疑問も晴れましてございます。
今後とも屡しばの御枉駕を願いあげます。
832 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 10:16:07 0
岩波版『西洋人名辞典』の「ギヨーム・ド・ランジュ」の項目に、
この Guillaume d'Orange (?〜812)なる人物は、「カルル・マルテルの孫で、
カルル1世(大帝)に仕えた」と記されています。
がしかし、「カルル・マルテルの孫」といっても
これだけでは詳しい系図関係が分かりません。
或いは外孫だったのでしょうか?
とすれば、ギヨームの両親は誰と誰ということになるのでしょうか?
カロリング朝期はもとより、中世西欧史には全くの門外漢ですので
分かり易く丁寧に教えて下さい。
どうぞよろしく。
833 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/05(日) 17:46:57 0
Guillaume d'Orange ぐぐってみても情報が乏しいです。生年は755b.C.らしい。シャールマーニュの
従兄弟でアクィテーヌやトゥールーズの君主で、聖者に列せられているらしい。何だか中世叙事詩の
主人公になってるみたいです。
Duc d'Aquitaine et membre de l'entourage de Charlemagne, il se montra un excellent chevalier
chrétien pendant la guerre contre les sarrasins.
Il construisit un monastère à Gellone (diocèse de Lodève) et demanda des moines à Aniane.
Guilhem vivait à Gellone ("cella" de l'abbaye mère d'Aniane) une vie humble, cachée et avec
une grande piété qui contrastait avec les honneurs et les plus hautes charges dont il avait
été investit en tant qu'un des plus illustres homme de guerre de son temps et membre de la
famille impériale.
Après sa mort le 28 mai 812, le couvent reçut le nom de Saint-Guilhem-du-Désert.
Canonisé en 1066.
というのもありましたがフランス語が判らないので、このまま貼っときます。
サン-ギョーム教会とかサン-ギョームの日というのがあるようなので調べたところ、ヌベール家の
貴族だった人とのことで、ヌベール家はゴンザーガ家の分れなので大分あとの人ということになり、
どうやら無関係そう。
834 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 20:02:31 0
あやめ御前殿
「ギヨーム・ド・ランジュ」の件に関して調べて頂き
まことに有り難う御座ります。
たいへん造作をおかけ致しました。
さりながら、上記の文だけでは、ギヨームの両親の名前は
わかり兼ねます次第。史実に反していても、叙事詩に謳われるからには
系譜が造られていた筈かと存知ます。
また何か情報が御座居ましたらば宜しく御願い申し上げます。
よしなに。
835 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/05(日) 20:22:47 0
佛>英語自動翻訳のサイトがあったので変換してみましたところ、下記のような記事でした。
Duc d'Aquitaineにしてシャールマーニュの側近の士であり、サラセンに対する戦争を通じ、
クリスチャン騎士としての卓抜性を示した。彼はLodève管区のGelloneに修道院を建て、
Anianeの僧侶たちを招いた。GuilhemはAnianeの僧院の母のcella(地下室のような小部屋)で
質素な生活を送った。世人の崇敬を集め隠遁と篤信の生涯を送った。彼が812年5月28日に
亡くなった後、僧院は砂漠の聖者Guilhemの名を受けることとなった。1066年には聖者に
列せられた。
それにしても自動翻訳で"sarrasins"が"buckwheats"になってしまっていたのは笑えました。
余である。
>>831 こちらこそよろしくお願いしたい。
あやめ殿は博識じゃの。
余には難しい文書じゃ。
>>832 宮廷へようこそ来られた。
余の従兄弟と言われる
ギョームについては
後ほど余からも申し上げよう。
>>833 さすがあやめ殿!
余もフランス語は大の苦手じゃ。
ヌヴェール家については
ゴンザーガ家に継承される前にいくつかの家系を経ておるの。
最初の家系と言われるランドリーの家系はには
ギョーム伯が幾人かおり、
その中に聖人に列せられた者がいたように記憶しておる。
男系は十字軍の時代に断絶し、女系によって継承され、
クルトネ家(カペー系)やらブルゴーニュ家(カペー系)やら
ダンピエール家やら色々経た上で
ゴンザーガに辿りついたのじゃ。
>>834 両親の名についても
どこまで本当かはわからぬが後のレスに
記したいと思う。
>>835 自動翻訳というのは誠に便利なものじゃ。
だが、あやめ殿の申されるように
笑えることもしばしばあるの。
余談であるが、別の掲示板で
「日本語文章→英文自動翻訳→日本語自動翻訳」を行い、
原文との変わりようを楽しむスレッドがあったの。
誠に楽しかったぞ。
>>834 さて、件のギョームについてじゃ。
あやめ殿がある程度示してくれているので、
余からその他について補足しよう。
前もって言わねばならぬのだが、
このギョームについては
多分に後世の「創作」が入っておる。
貴殿も申される通り、
吟遊詩人たちの叙事詩の人物なのでな。
このギョームはシャルル・マルテルの孫、
とはいっても余とは異なり
女系を通じての孫と言われておる。
つまり、シャルル・マルテルの娘(庶子とも言われる)
アルダ(またはオーダ)と、
オータン(伯)のテオドリックUの息子が
かのギョームというわけじゃ。
もちっと細かく記すが、
それは次のレスじゃ。
続きじゃ。
さて、このギョームはサラセン人から
南フランスやバルセロナを奪回した英雄として
吟遊詩人たちに歌われておる。
その結果としてアキテーヌ公、トゥールーズ伯、バルセロナ伯など
系図や記録によってさまざまなタイトルで飾られておるの。
あやめ殿の記されているように
サラセンによる英雄行為、修道院の建立などにより
聖人に列せられておる。
確か彼の遺体の一部はイベリアで聖地として知られる
「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」に納められているとも言われておる。
カール大帝(つまり余であるな)にまつわる伝説や伝承の騎士の一人として、
ギョームの末裔と言われる家系は多い。
家系についてはまたもや次のレスじゃ。
840 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/05(日) 21:52:16 0
続きじゃ。
ギョームの父はオータン(伯)テオドリックUと言われるが、
このテオドリックが曲者で、メロヴィング家の末裔とも言われておる。
このあたりはモチロン伝承の域を出ないが、
一説では曽祖父の代に後のトゥールーズ伯の家系と分かれたとされている。
そしてギョームの子孫だが、
妻は2人いたとされるが1人は存在自体がかなり怪しいの。
息子は複数いたとされ、
息子の1人、エルベールの娘はヴェルマンドワ家に嫁いだとされる。
最も有名な息子はギョームと同様に南仏のさまざまなタイトルを
つけられたベルナールじゃ。
この者はカロリング家のルイ敬虔帝の重臣だったが、
その息子、シャルル禿頭王の「本当の父親」ともされる。
つまり、ルイ敬虔帝の妻でヴェルフ家の出身といわれるユディットと
密かに通じていたと…
だがこのベルナールの直系の孫は
アキテーヌ公ギョームT(またはU)敬虔公であり、
一族はアキテーヌやらオーヴェルニュやらマコンやら
ブルゴーニュから南フランスに至る広範囲を支配していた。
ちなみに、アリエノール・ダキテーヌの家系として知られる
ポワトゥー家はギョーム・ドランジュの甥ジェラールの子孫であり、
ギョームの直系男子が断絶した後、
アキテーヌ公のタイトルを継承したとも言われておる。
>>841 余も急ぎ自動翻訳をしてみたのじゃ。
すると…
"sarrasins"が"buckwheats"に!
余はAltaVistaの翻訳を使ったのだが…
それにしてもキレイでのどかな景色の土地じゃの。
余も執務を離れ旅をしてみたいのじゃ。
843 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/02/05(日) 22:26:15 0
例のオレンジ公ウィリアムというのはギヨーム-ド-ランジュのもじりなんでしょうかね。
今回ぐぐった先にはナッソー家ばかりヒットしました。
buckwheatsで思い出しましたが、中学でラフカディオ-ハーンの「むじな」の怪談を習ったとき、
某君は"soba saler"のsobaを英語だと思いこみ、英和辞典にも載ってないと言って苦労してました。
別のサイトではギョームの父はナルボンヌにいたと書いてありました。
845 :
世界@名無史さん:2006/02/06(月) 21:08:03 0
>>811 カール13世に王位を追われたグスタフ4世の孫が
ベルデナット家のカール15世(カール14世の孫)に嫁いでいる
カール13世が後継者を探していたのはグスタフ4世の系統に
王位を渡したくなかった為
もっともグスタフ4世の系統も息子のグスタフに男系がいないため
途絶えてしまった
846 :
世界@名無史さん:2006/02/07(火) 18:22:59 0
大帝陛下には、いよいよ御機嫌ようならしゃりまして
心より御慶び申し入れます。
皆様方、まことに博識であらしゃりますこと。
まことに寔に有り難う、忝なう、存知上げまする程に。
これ、此の通り(と御所風に御辞儀をする所作)。
ギヨーム・ドランジュ(アクィタニアのウィルヘルムス)が登場しましたので、
同じくアキテーヌに関聯のある「ギヨーム」に就いて今一度
御教示願い度き儀が御座居ます。
アキテーヌ公国のギヨーム1世(在位・898〜918)は、
ベネディクトゥス派修道会にクリュニー修道院を寄進したことで
知られて居りますが、このギヨームもまた
西方ラテン教会(ローマ・カトリック)では列聖されているとの由、
よってアキテーヌ公国では歴代当主に「ギヨーム」の名をつける伝統が
生じ、エレアノールの父親ギヨーム10世にまで至ったとか聞き及びます。
さりながら、欧州史には全くの門外漢の私には、このギヨーム1世が系図上
どのように位置付けられる人物か、一向に見当も付きません。
手許の『世界帝王系図集』を披見しても、「アキテーヌ公ギヨーム1世」
に該当する人物が見当たらず、いきなりブルゴーニュ家出身かと思われる
“Ranulf T”(アキタニア公)からはじまり、その曾孫にギヨーム3世
(ポアトゥ伯、在位・935〜963、アキタニア公。在位・950〜963)
が出て来るという次第に御座ります。
そこで何卒、この「アキテーヌ公・聖ギヨーム1世」に関する系譜や、
ポワトゥー家との関係などに就きまして、御教え賜り度う存じます。
どうぞ、よしなに願い上げ奉りまする(と再拝す)。
847 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 16:57:50 0
>>845 グスタフ4世のひ孫がグスタフ5世に嫁いだの間違いでした
いずれにしろホルシュタイン=ゴットルップ家とベルナドット家は
親戚になり、現スウェーデン王室の血統も正統なものになった
正統にこだわっていたなら、両親ともフランスの平民上がりだったオスカル1世の妃に
ナポレオン3世の従姉ジョセフィーヌ・ド・ボーアルネー
〔母(ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌの連れ子オルタンス)の兄の娘〕が
選ばれたりしなかったかと。
>>848 一瞬考え込んじゃったけど、ウジェーヌ・ド・ボーアルネーの娘のことか
大帝陛下
ようやく宮廷にお戻り下さいましたか・・。
ボヘミアは出かけると仰せになられて、宮廷を後にされたのはずいぶん昔のことのように
思えてなりません。
再び、ご尊顔を拝し、拙者はうれしゅうてなりませぬ。
カウニッツ卿!いずこにおわす!!大帝陛下のお戻りじゃ!!
余である。
>>843 ナッサウ家のウィレムで有名となったオランジュは
南仏のオランジュの所領のことなので、
ギョーム・ド・オランジュのオランジュと由来は同じじゃの。
ウィレムが継承する前もなかなか系図は華やかな一族じゃ。
>>844 ナルボンヌはローマ時代から重要な拠点であったようじゃの。
自分の生きた時代をあまり知らぬ…
余の不徳と致すところじゃ。
>>845 あの時代になるとスウェーデンはなかなか大変だったようじゃ。
ヴァーサ家というのは
ある意味スウェーデンが最も勢いがある時代の王家といえるの。
>>846 まことに雅な方じゃ。
今後とも宮廷にお越し頂けるようお願いするぞ。
アキテーヌ公の聖ギョームTの家系であるが、
前のギョーム・ド・オランジュと同様に
定かではない部分も多いのじゃ。
かの家系はそもそもメロヴィング朝の末裔とも言われておる。
ここからして何やら考えてしまうの。
系譜について、
余の書庫を参考に述べたいのだが、
ちと後にレスをさせて頂こうと思っておる。
つまり余はまもなく食卓へと向かうのじゃ。
後ほどまた参ろうぞ。
>>848 順序からいくと、スウェーデン王妃の従弟がフランス皇帝になった。
余である。
>>846 アキテーヌのギョームTの父親は
オーヴェルニュやバルセロナなど
ブルゴーニュから南仏にかけて大きな勢力を誇った
ベルナールU(886没)であり、
母はオーヴェルニュ伯ベルナールと言われている。
(尤もこの”母”についてはかなり怪しい)
父・母方ともオーヴェルニュでややこしいが、
つまり父母とも同じ家系であるということじゃ。
父方の曽祖父は
>>841にレスしたように
ギョーム・ド・オランジュであり、
母はギョーム・ド・オランジュの弟アダルムというわけじゃ。
余が「世界帝王系図集」を見たのはかなり昔になるが、
ギョームTは掲載されていなかったかの。
(もちろん怪しい部分はあるが)
ギョーム・ド・オランジュもアキテーヌ公ギョームTも
後のポワトゥ家に縁者にあたる。
次のレスじゃ。
>>846 系図が書けないのでわかりにくいが、
@ギョーム・ド・オランジュの男系の子孫が
アキテーヌ公ギョームT。
Aギョーム・ド・オランジュの弟アダルムの
男系の子孫がポワトゥ家のアキテーヌ公たち。
@ギョーム(ド・オランジュ)→ベルナールT→ベルナールU
→ギョームT(アキテーヌ公)
Aアダルム→ジェラール→ラニュルフT→ポワトゥ家
というわけじゃ。
さらにややこしいが
>>854の意味は
Aアダルム→ギョーム→ベルナールT→エルマンガルド
→ギョームT(アキテーヌ公)でもある。
ギョームTは父母双方の系統でポワトゥ家の縁者になる。
では、アキテーヌ公としては誰が先でどうなってるのか?
これは次のレスじゃ。
アキテーヌ公の順番はざっと言うと以下の通りになる。
▽アキテーヌ王
カロリング家ルイ一世から子のピピン、孫のピピンなど
色々な連中がアキテーヌ王となった。
▽アキテーヌ公
ラニュルフT(ポワトゥ家)
ラニュルフU(上の息子)
ギョームT聖公
ギョームU(ギョームTの姉妹の子、カルカッソンヌ家系のラゼース伯の子)
アクフレド(ギョームUの弟)
エブル(ラニュルフUの庶子)
レーモン・ポンス(自称、トゥールーズ家)
ギョームV(エブルの息子)
以下、ポワトゥ家
アクフレドの死後、その縁者としてエブルは南仏一帯に勢力を浸透させた。
没する時にはポワトゥとリムーザンの一部にのみ勢力は縮小、
トゥールーズ伯レーモン・ポンスが進入、アキテーヌ公を称するが
ギョームVは再びポワトゥ家の勢力を浸透させた。
あと少しだけ続きじゃ。
ちなみに歴代のアキテーヌ公は確かにギョームだらけだが、
ギョームXの息子ユードだけはギョームを名乗らなかった。
また、ポワトゥ家の系図を見るとギョーム何世なのか
わかりにくいことがあるが、
これはアキテーヌ公として数えるか、
ポワトゥ伯として数えるかによって異なるためじゃ。
主に家系に絞って述べたが、
>>846殿いかがであろうか?
>>847 バーデン家経由じゃの。
しかしバーデン家は不思議とスウェーデンと
婚姻関係が多くあるの。
>>848 正統にこだわったかどうか分からぬが
この時代以降、王家の血統に対する意識は
ずいぶん変わるの。
>>849 ナポレオン没落後も彼が一定の地位を保ったのは
驚くばかりじゃの。
>>850 息災そうで何よりじゃ。
皆勤賞には程遠いが
こちらこそ宜しくお願いするぞ。
>>853 余もこの時代は非常に弱いのであまり考えなんだ。
オスカル一世は戦争を厭わなかった王だったと
どこかで読んだ記憶があるの。
859 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:57:35 0
大帝陛下から見て
ハプスブルク家はどの程度の家柄ですか?
アメリカのボナパルト・パターソン家っていうのはどうなったんですか?
861 :
世界@名無史さん:2006/02/20(月) 21:45:43 O
あ
862 :
世界@名無史さん:2006/02/21(火) 18:22:40 0
げ
863 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 16:38:22 0
age
このスレまだあったんだ
865 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 11:05:20 0
保守
揚げ足を取っているように聞こえたら申し訳ないし、
これは雑談すれに行くべきかもしれませんが、
あやめ様が陛下に「余」ではなく「朕」をお使えあそばしたほうがよろしいのでは、
と申されておられますが、「余」と「朕」はどう違うのでしょうか?
余も朕も殷の王族の名前で転じて高貴な人の一人称となった、というような話を
どこかで聞いた覚えがあるのですが、その本が今手元になくて、わかりません。
お使え、ではなく、お使い、ですね・・・
無理して言葉を使おうとすると、失敗しますな・・・
868 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 21:26:23 0
ちょいと質問なんですが、フランク王国や神聖ローマ帝国の君侯達って、
もともとはゲルマン民族の族長などが多いんでしょうか?
それとも古代ローマ帝国の有力者の末裔が主流なのでしょうか?
ローマ末期、フランク末期と何度か記録の断絶期がある。
だから詳しい追跡調査が難しく、よく分からないとしか言えない。
が、フランスに比べるとドイツの諸侯はゲルマン起源が多いという事は言える。
870 :
世界@名無史さん:2006/04/05(水) 19:13:37 0
朕は戦国時代まで普通の1人称だったのが、始皇帝が皇帝専用にした。史記に出てる。
余にはそうした歴史がない。
871 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 18:07:41 0
カールをコール
872 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 02:49:07 0
かきがね
873 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 09:57:05 0
>>870 日本人で自分を「朕」と呼んだ人っていたのかね?
日常使ってたかはともかく、明治〜昭和の諸天皇の詔勅では朕が使用されている。
つーか日本の話題は板違い。
876 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 22:03:15 0
溥儀も普段は朕じゃなくて我(中国語で私)だったみたい。
日本でも中国でも朕は文書でだけなんじゃない?
少なくとも19〜20世紀では。
、、、ってスレ違いですね。。。
中国の皇帝のマネ?
ここ「欧州王侯」について語るスレなんだけど。
879 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 16:07:15 O
亡命王家の人々って何で収入を得ているのだろう?
元ブルガリア国王で前首相のシメオン氏はスペインで実業家として成功したということと
オットー・フォン・ハプスブルク氏の長男がTVディレクターをしていたのは知っているが
881 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 18:29:28 0
>>879 もともとあった海外資産や母国から持ち出した財産を運用して得る収入、
(所有している宝物等の展示、貸出、売却を含む)
海外の親戚の王族、貴族、資産家からの援助、
旧臣下、支持者からの援助、
自分自身の事業や職業での収入、
とまあいろいろでしょうな。
882 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 23:02:03 O
イタリアのウンベルト2世の「王太子」はどこぞの国で実業家として大成功
883 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 09:54:30 O
元王族も一所懸命に働く人とニートに分かれるのか
ん?場違いだったか。
886 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 11:23:41 0
上のほうに「朕」は皇帝専用とかいう話が出てたが、西洋でも英語のWeは単数では
君主専用と習った記憶がある。
とすると独語や仏語や伊語などはこうゆう慣用例はあるんだろうか?
「余」は特殊な謙譲語だからね・・。
「他の者と同じだ」が謙譲になるのだから、謙譲語といいながらも
自尊語的な側面がある。
889 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 21:13:40 0
egoはラテン語だね。
ということはローマ皇帝の自称とか?
890 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 06:46:56 0
ヴュルテンベルク
891 :
世界@名無史さん:2006/08/02(水) 17:37:38 0
率爾ながら御伺い致し度き儀これありて書き込みさせて頂きます。
●「北白川宮能久親王が独逸留学中にドイツ貴族の息女と結婚した」
という話を耳にしたことがあります。
この相手の女性は何という名前の何家出身の人物だったのでしょうか。
また「結婚した」とすれば、宗教上の問題は無かったのでしょうか。
このあたりの経緯に就いて詳しい方々の御教示を願い上げます。
何卒よしなに。
893 :
カール・マルテル:2006/08/03(木) 12:04:44 0
|д゚)
894 :
世界@名無史さん:2006/08/03(木) 14:06:14 0
>>892 やはり結婚はしていなかったのですね。
なれど、その相手のドイツ貴族の娘というのは何家の出身で
なんという名前の女性だったので御座居ましょうか?
その家の当主の爵位は如何様なものだったので御座居ますか。
是非とも御教え下さいませ。
895 :
世界@名無史さん:2006/08/04(金) 17:19:29 0
ヴィッテルスバッハ家はなんかグッとくるものがあるな
896 :
世界@名無史さん:2006/08/27(日) 07:51:32 0
大帝陛下は、もう御戻りに為られないのでせうか?
897 :
世界@名無史さん:2006/08/27(日) 15:10:31 0
ドイツ語のバッハとは小川の意なんでしょ
じゃあヴィッテルスはどういう意味?
意味になんか意味あるの?
899 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 06:19:06 0
ドイツ最高の王侯といったらヴィッテルスバッハ家だよなあ
900 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 02:50:13 0
900ゲット
901 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 03:07:00 0
902 :
世界@名無史さん:2006/10/21(土) 14:01:51 0
ほー
ホーエンツォレルン家ではないの?
904 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 06:47:03 0
大帝陛下は今何処へ・・・・・
905 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 16:51:31 0
パリ伯爵という家族がいますが、
ロンドン公爵やウィーン侯爵とかはおられるんでしょうか?
首都名がつく爵位は特別扱いなのでしょうか?
906 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 17:01:18 0
パリ泊つーたらおめー特別あつかいも何も
国王の血筋じゃん
907 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 17:05:14 0
908 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 17:49:46 0
ロンドン公爵は創設されかかったことがある。
第二次大戦後、チャーチル元首相にロンドン公爵叙任の沙汰があったが、
チャーチルは一介のサー・ウィンストンであることを選び、辞退した。
まあ、チャーチルほどの功績の人なら新規に公爵家を創設しても当然だが、
もともと公爵家の生まれであるチャーチルは、自身は爵位がないとはいえ、
生まれながらの生粋の貴族であり、新規の爵位には見向きもしなかった。
909 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 18:31:04 0
398 :世界@名無史さん :05/02/14 00:27:00 0
公式の称号が何であれ
チャーチルがブレナム宮殿で産まれたことは誰でも知ってるからね
小話にある「某公爵を訪ねるとボロボロの格好で現れた『いいんだよ
ここでは誰もが私が何者か知ってるんだから』」状態
>>908 漏れは息子に「もう貴族だのなんだのという時代ではない」と説得された、と聞いたが。
>>907 プロイセン王位継承法には貴賎結婚の規定はないのか?
912 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 20:20:49 0
>>907 >バイエルン州の山岳部隊で2年間の兵役を終えた後、ゲオルク・フリードリヒはフライブルク大学で経営学・経済学を学んだ。
>現在はベルリン在住で、祖母が設立したプリンツェシン=キラ財団
どこからの寄付だろう
>>905 スペイン王カルロス4世の曾孫カルロスは「マドリード公爵」の称号をもっていたっぽい。
ただし彼はカルリスタスペイン王フアン3世の息子で後にカルロス7世となるので、
この称号がイサベル2世・アルフォンソ12世らのスペイン王から貰ったものかは疑わしいが。
>>912 オーストリアやブルガリアなんかとは違って長期亡命生活というわけでもないから、進学費くらいあるんじゃないか?
ウィーン公は実在しないようだが、シェイクスピアの喜劇「尺には尺を」には
「ウィーンの公爵」というのが登場する。
Duke of Viennaでぐぐるとたしかにシェイクスピアが引っかかるな
917 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 17:17:09 0
「尺には尺を」に出てくるウィーン公爵は、雰囲気的に都市国家の元首っぽい。
沙翁時代のウィーンの君主は、言うまでもなくオーストリア大公のハプスブルク家。
劇中のウィーン公爵は、多少なりともハプスブルクを念頭に置いていたのか、
それとも全くの創作なのか?
918 :
世界@名無史さん:2006/12/01(金) 18:41:51 0
パリ伯はカペー家の元々の爵位なんだね。
919 :
世界@名無史さん:2006/12/01(金) 23:15:12 0
フランス王は代々パリ伯の爵位も兼ねてたのかな?
パリ伯爵って王家なんでしょ?
なんで3番目の爵位?
>921
公侯伯子男の順番のことか。実際の家格は必ずしもこの順番通りじゃないよ。
古くから続く低い爵位の家の中には公侯位より上位とされる家がある。
12−13世紀のブルターニュ公やフランドル伯について事跡が書かれている
邦語文献やHPってないものでしょうか?
924 :
世界@名無史さん:2007/01/08(月) 03:45:48 0
謹んで賀正の辞を申し上げます。
>>923 ない。以上。
「フランドル伯領城主支配圏序説」『法学』30-1
「フランドル都市のブーヴィーヌの戦い」『西洋中世の秩序と多元性』
『ブリュージュ フランドルの輝ける宝石』中央公論新書
「北部ブルゴーニュにおける在地の動向とシャンパーニュ伯権力」『史学雑誌』91-2
『ブルゴーニュ家 中世の秋の歴史』講談社現代新書
「中世フランドル伯領」『岩波講座世界史8 ヨーロッパの成長』岩波書店
926 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 14:34:00 0
陛下・・・
>>925 ご丁寧なレスありがとうございます。週末にでも図書館に通ってみます。
ドイツ帝国時代のドイツの貴族制度(特に家系や称号について)調べたいのですが、
オススメの日本語文献をご存知の方いらっしゃれば教えてくれませんか?
929 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 01:01:14 0
祝五周年!
肝心の大帝がおらんがな。
1000行くまでに戻ってきて頂けるだろうか・・・
932 :
カール大帝:2007/03/21(水) 00:28:22 0
さっき自転車こいでたら
いきなりブラが飛んできて
カパッって頭に乗っかったよwww
とんだ棚ぼたで今からオカズにして楽しみまーす!
933 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 12:59:49 0
お久しぶりで御座います。
陛下のご帰国、本当にお待ちしておりました。
また愚問ばかりで
お手を煩わすことと思いますが
どうか宜しくお願い致します。
英王室って元はフランス系でしょ
>>934 サクソン系→ノルマン系→フランス系→ウェールズ系→スコットランド系→オランダ系→ドイツ系
936 :
世界@名無史さん:2007/04/09(月) 03:34:45 0
937 :
世界@名無史さん:2007/04/09(月) 12:06:07 O
>935
フランス系プランタジネット家の後がウェールズ系だって?
ヨークもランカスターも分家だしチューダー家のことか
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
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939 :
世界@名無史さん:2007/05/22(火) 23:04:22 0
age
>>922 吉良義央 旗本・四千二百石、従四位上左近衛権少将・高家
浅野長矩 大名・五万石、従五位下内匠頭
本邦で言うと、大名とか旗本とか御家人いうのが、大名の中でも、国主、城主、陣屋
とかいう区分が、公侯伯子男に相当し、朝廷のつける官位官職が家格だろうなれ
日本史はさっぱりわからない
942 :
世界@名無史さん:2007/06/23(土) 15:32:19 0
春秋時代の楚は王と自称しているが、周の朝廷から位置づけられた爵位は子爵に過ぎない。
943 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 22:34:19 0
age
欧保守
946 :
世界@名無史さん:2007/09/12(水) 22:05:56 0
子爵という位置付けは周の一方的ランクで、楚の方では無視して鼎の軽重を問うという
脅迫をかましてる
スレタイ読め
948 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 23:12:48 O
949 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 18:01:11 O
ヨーロッパなど笑止
950 :
世界@名無史さん:2007/12/23(日) 01:27:56 O
モンテネグロの王様復帰希望
951 :
世界@名無史さん:2008/01/22(火) 23:21:33 0
若い女が兵士を監禁して性的虐待を加えたとされる事件の初公判が21日、オーストラリアの西部地区
裁判所で開かれた。この女性はスコットランド王家の血筋を引いており、同国メディアの注目が集まっている。
訴状によると、Nicola Clunies-Ross被告(当時19歳)は2006年10月、ダーウィン(Darwin)基地に所属する
兵士(当時19歳)をパース(Perth)の自宅に誘い、言葉巧みに服を脱がせた上に手錠で椅子につなぎ、
性的に虐待した。
この男性の証言によると、男性は「セックスが楽しめる」と思って被告宅を訪れたが、男性との会話で気分を
害したと思われる被告に「あんたを破壊してやる」と笑顔で告げられた。やがて同じ基地に所属する被告の
ボーイフレンドが「大人のおもちゃ」を携えて登場し、1時間ほどもてあそばれた。このもようは写真とビデオで
撮影され、兵士全員がアクセスできる軍のコンピューターに掲載すると脅迫されたという。
男性は解放されたあとタクシーで逃げ、警察に通報した。
Clunies-Ross被告は罪状を否認。なお、被告と共謀したボーイフレンドは、起訴された翌月に兵舎で死体で
発見された。自殺と見られる。
Clunies-Ross家の先祖は、1825年に貿易商としてインド洋のココス諸島に上陸。1886年、ビクトリア女王
(Queen Victoria)より同諸島の領有を許された。その後1978年、オーストラリア政府が同諸島をClunies-Ross家
から買い取った。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2340033/2544496
952 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 19:28:45 0
>>918 カペー家の元々の爵位はフランス公では?
953 :
世界@名無史さん:2008/02/20(水) 07:03:50 0
>>950 モンテネグロの君主ってどういう家系的にはどういう系統?
あとここって称号は王なの?公なの?
>>954 20世紀に入った頃に王を名乗ったような。
955 :
世界@名無史さん:2008/02/21(木) 06:23:32 0
>>953 まずwikiくらい覗きましょう。
そして、その記述が正確かどうかを問うのです。
957 :
世界@名無史さん:2008/02/23(土) 15:17:17 0
19世紀に独立したバルカン諸国の中で、西欧から王室を迎えなかったのは
セルビアとモンテネグロだけだな。
958 :
世界@名無史さん:2008/02/27(水) 00:46:06 0
カール大帝死んじゃった?
>>957 アルバニアは?
と思ったけど20世紀か
960 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 22:20:23 0
アルヴァニアってサヴォイア家?
Albania
962 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 23:01:58 0
ALVANIA
963 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 03:14:45 0
どっちじゃ!
ここって痴呆症患者の溜まり場?
くわばらくわばら。
965 :
世界@名無史さん:2008/04/05(土) 12:27:12 0
カール大帝はもういないの?
>>921 伯と伯爵は似て非なるもの。
伯・・・中世の領主の総称
伯爵・・・宮中爵位のひとつ
だからパリ伯という表記はあってるけど、パリ伯爵では間違い。
968 :
世界@名無史さん:2008/04/06(日) 13:07:30 0
じゃあ、公・侯・子・男はどうなの?
あと西欧語では伯と伯爵に表記上の区別はあるの?
969 :
世界@名無史さん:2008/04/06(日) 14:22:50 0
>>966 えっ!?
「Comte de Paris」って巴里伯爵と違うの?
970 :
世界@名無史さん:2008/04/06(日) 14:24:06 0
,.-ー冖'⌒'ー-、
,ノ______\
/__愛●国___ヽ
天皇陛下は世界で一番地位が高いお方 {ノ へ.._、 ,,/~` 〉 }
現存する最後の皇帝だしな /プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く ヽ
その歴史とか文化的な価値も計り知れないよノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} ヽヽ
こういうのがある日本ってすごいよな / _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ ヽヽ
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それはそうと日本のアニメって 人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
世界中で好評だぜ / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ
俺は日本人であることが誇らしい / | |::::::|\、_________/' /:::::/〃
971 :
世界@名無史さん:2008/04/23(水) 20:11:03 0
カール大帝〜いずこに・・・。
心のオアシスでございましたのに。
>>967-959 詰まる所、爵位という概念は絶対的な任命者がいないと確立しない概念なのです。
なので、このような宮廷内での秩序の成立過程は、各国の主権者(多くは王)が
その領域内で絶対的な権力を握っていったのと道を同じくしています。
それ以前の西洋中世では王は必ずしも絶対的な権力者ではなく
領域内での各領主の一人に過ぎませんでした。
よって王に任命権などあるはずもなく、彼らは思い思いの称号を自称していました。
その多くは元々に何らかの謂れがあった称号を引っ張り出してきたものに過ぎず
近世以前に公>伯は成立しません。
パリ伯はフランス王位に選挙されたカペー家が名乗っていた称号なので
近世以降になっても、これを伯爵とするのは本質を見誤っています。
爵を付けるか付けないかは、史学上の用例に過ぎませんが
歴史の背景を考えるとこちらの方が分かり易いと思いますよ。
公>侯>伯>子>男という序列は古代中国史の話と割り切って
ヨーロッパは単に漢字を借りただけなので、ひとつづつ別個に考えるべきでしょう。
欧保守
975 :
世界@名無史さん:2008/08/11(月) 19:30:45 0
陛下には、その後なんのお変わりさんもあらしゃりませず、御機嫌よう、おするするとお過ごしのことと心より御慶び申し入れ参らせます。
また、皆様方にも御機嫌ようならしゃりまして。
久しぶりに御うかがい申し上げたき儀がござりまして参上仕りました。
メディチ家に関する本を繙いて居りますれば、カテリーナ・デ・メディチ(カトリーヌ・ド・メディシス)の母親
マドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュは「仏王フランソワ1世の従妹だった」としばしば書かれてございます。
しかしながら、この「従妹」は我が国でいう四親等の関係に該当する身内とは少し異なるかと思われまする次第。
実のところ、フランソワ1世とマドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュとの系譜上の関係は、如何様なものなのでありしょうか?
是非にも御教示下さりませ。
何卒よしなに。
本当に陛下にはお変わりないのでしょうか?
御尊顔を拝せず、もうかれこれ何ヶ月たつのでしょう。
わたくし、さびしゅうございます。
977 :
世界@名無史さん:2008/08/15(金) 09:40:00 0
如何あそばしたのでありましょうぞ。
他の御方様でも勿論、大歓迎でございます。
お教え下さりませ。
王妃マリ・アントワネットの首飾り事件で悪名高いジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロワは、
ヴァロワ朝フランス王アンリ2世の庶子サン・レミ伯アンリの末裔ということでございますが、
その間の系図は判然としているのでありましょぅか?
御存じの方がいらしたら、是非とも教えて下さいましな。
980 :
世界@名無史さん:2008/08/19(火) 00:56:07 0
981 :
世界@名無史さん:2008/08/19(火) 00:59:33 0