蜀将討議スレッド5

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蜀の人物の戦争における実力功績を討議するスレ。
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。

前スレ・蜀将討議スレッド4
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086984613/l50
<姉妹スレ>
蜀で孔明に次ぐNO.2の参謀は誰か?2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085741405/
劉備は本当に英雄なのか?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083494337/
魏でNo.1の名将は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085874022/
呉の名将ベスト10を決めよう
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085994293/
魏呉蜀黄巾以外の名将ベスト10を決めるスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086309791/
「関羽討伐について…」のまとめ二考
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083844807/
名将 孔明
良将 王平、趙雲、張嶷
猛将 関羽、姜維
ここまで決まった。
6無名武将@お腹せっぷく :04/06/26 04:39
>>5
名将と良将までは納得。
姜維は猛将か知将かで議論が別れそう。ん?知将ではないのかな?
姜維は馬鹿です。
8無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 04:52
>>5
勝手に決めるな。関羽も姜維も名将だ。
残念ですが孔明と関羽、姜維を並べることはできません。
>>9
レベルが違うんではなくジャンルが違うといった感じだね。
11無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 05:05
孔明に次ぐ名将
そろそろ前スレの365を教えろ
関羽も姜維も戦術的に強い部将として
猛将と呼んでるからいいじゃん。
良将の定義に
1、自分の立場を理解し暴走しない。
2、引き際を間違えない。
3、大勝はないが、自軍をあまり損傷させない。
15無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 06:28
へんなの。
関羽、姜維、張飛あたりは当然名将だと思うがな。
魏将との比較がよく持ち出されてるけど、あれだけの国力、兵力を背景にしてれば勝ち戦が多くて当然だろ。
関羽がわずかの期間曹操陣営にいただけで大功を立てたのを見るかぎり、
蜀で名をなした将たちなら、魏にいれば他の魏の名将たちと同等の働きをしたのは間違いないと思うけどね。
>>14
それ前スレの一人が勝手に決めた定義じゃん。
良将=良い将軍
名将=戦術・戦略の有能さで知られた将軍
猛将=ただの筋力バカ

辞書準拠の基本定義は覆らない。
劉備、姜維あたりは当然名将になる。
うわチョット見てなかったら新スレたってるよ
しかしよく見るとスレッド4は論議のレベルが一番低かったね
名将の辞書定義は 1 名の知れた将軍
         2 優れた将軍

の二つの意味があるよ 両方含むべき
漢中防衛軍を解体した姜維は戦略眼がないので名将にならない。
それよりも良将の定義を決めよう。
良将の定義きめてどうすんの?
名将の定義を決めるのに必要だから
名将の定義は 名が知れた将
       優れた将
  でいいんじゃないの? 普通に辞書の定義じゃだめなの?
良将は名将から「名が知れた」って部分を引いた感じがする
地味な感じ。
イメージとしては活躍が地味だが優れた将って雰囲気では?     
なんに優れたから名将にするの?
将としての能力全般に優れていることでは?
一軍を率いて戦うことすべてに優れてること
まあ一長一短はあるとおもうけどね
ただ戦術、戦略分けるのはどうかと。
それだとマイナス評価はどうします?
1優れた将
2名の知れた将
に加えて
蜀の名将ということなので蜀への貢献度
をあわせて順位を決めていたのが
スレッド2ぐらいからの定義だったんだけどね
マイナス評価は蜀への貢献度でしょ
あとは活躍の度合いだったり
将といえるのかよ(趙雲)
などがあったような・・
前スレ関羽厨ガ暴れてマイナス評価が高いと
名将ではないという結論になり、名将は孔明のみ決まった。
貢献度だと荊州を取られた関羽と
国を疲弊させた姜維がマイナス評価になって
名将から外れたのが今までの流れ。

1位の劉備はうやむやのうちに決まってた
2位孔明はほぼ文句なし(将っぽくないという意見は
            一軍を率いたら軍人でなくとも将と
            いえると言うことで却下)
3位4位は関羽・姜維
5位張飛 
6位魏延         5位と6位は皆どっちでもいいと言うことで
             こうなった
7位8位9位10位は王平(漢中の防衛)、黄忠(大金星一つ) 張嶷(南方ばっちり)


こんな感じがスレッド3までの流れ
全般的に失点より活躍重視してたね
関羽と姜維が3位4位にいること自体に異論を挟む奴は少ないんだ。
ただどちらも擁護のしかたがあまりに無茶苦茶だからツッコミを入れてるだけ。
しかし関羽なくして劉備は兵を集められ無かったという話もある
建国に至るまでの関羽の貢献度考えると関羽なしに蜀が成立したとは
とても思えないんだが。。
>>32
じゃあ3位4位が妥当と思うんならウマく擁護してみてよ?
つっこみ入れるだけの人はこのスレ荒らしてるだけのような・・
スレッド4はその傾向がとても強いね
活躍重視だと関羽・姜維が上位にこない。
関羽・姜維厨が名声がどうのこうの言って暴れてた。
それでスレッド4になって蜀将討議になって順位が消え
蜀将を語る場所になったがスレの半分ぐらいでまた
関羽厨が暴れだし蜀に名将なしの流れになった。
負けただけなら関羽も姜維もそれほど低い評価にはならない。
勝敗は本人の才能や努力だけでは覆らないこともある。
関羽と姜維の場合は余計なことをして自滅したばかりか、
国にまで大きな迷惑を掛けているのが問題。
スレッド4は関羽・姜維派対否定派だったな
姜維はそういう面あると思うが
関羽は劉備との打ち合わせどうりに北上したのでは?
>>36
名声がどうのってのはだれもいってなかったと思うんだが。。
主な意見は三国にまたがる難しい荊州においての失敗の責任がすべて関羽にあるのか
というのが関羽厨の意見だったと思うが。
関羽は同僚や部下に裏切られまっくたのが。
>>40
それはスレッド4の話でしょ。
名声は関羽・姜維が3位4位になったときの。
>>41 それは一つの士大夫との不和として関羽厨も認めていたでしょう
それをもってすべて否定するのはどうかと。
>>40
>主な意見は三国にまたがる難しい荊州においての失敗の責任がすべて関羽にあるのか
そんなわけないだろ。
関羽に全ての責任があるわけがない。
でも関羽の責任は無視できないほど大きい。
総司令官がさっさとやられてしまったことが荊州で粘っている連中たちに
どれだけのショックを与えたと思っているんだ。
関羽厨は相手も悪いといってたぞ。
どうもおもうに変な厨が一人紛れ込んで
論議の進行を成り立たせなくしてるような気がしますね
やじ厨というか、根拠無く意見をいい 意見求めると何もかえってこないという。。

関羽 姜維の議論のときはまだお互い根拠をのべあってた。煽りも多かったが。
4740:04/06/26 08:16
44の反論のしかたは正しいと思うよ。
4844:04/06/26 08:18
うえあ!?
変な厨って俺なの!?
626 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/06/25 18:05
>名将って言うのには、100の功と120の失策がある将が10の功しかない失策0の将に勝ると思う。
どっちも名将ではない。
魏将スレ行けば嫌というほど思い知らされる。
この1レスで名将の定義を決めることになった。
>>48
いやちがうとおもいますよ
>>49
100の功と120の失策がある将が10の功しかない失策0の将に勝ると思う。

すくなくともこの観点でみてスレッド3までの順位は決められてたような・・

だから関羽 姜維が王平などより上位にきてたわけで
52無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 08:27
蜀の場合建国の経緯からして中心で活躍する人間に
失策なしはあり得ないと思うのだがどうでしょうか?
5344:04/06/26 08:28
>>50
そういって貰えると助かる。
54無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 08:30
>>52
同意。
634 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/06/25 18:23
まとめると、
1.関羽は決して名将の器ではない。
2.しかし人材難の蜀では彼すらも欠かすことができない
蜀には良将・功将・豪傑はいたけど名将はいなかった、
という結論でいいんでない?

あとはこれ。荊州問題で関羽厨が暴れまくって、でたまとめ。
56無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 08:34
>>55
じゃあそのまとめは忘れよう
それはスレの存在を否定してるし
そうとも思わないし。。

蜀将の評価を難しくしているのは、最も実績のある劉備と関羽が
大国を背負った戦いの経験に乏しく、そこを敵に狙われて負けてしまったことかな
58無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 08:38
>>55
関羽擁護派はその人一人だけじゃないってことくらい、君だってわかってるだろ?
関羽厨を連呼して、擁護派をおとしめることはやめてくれよ。
君のしつこさを見てると、単に君が関羽を嫌ってるようにしか感じない。
59無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 08:39
良将とか言ってるヤツは地味に趙雲とか推したいんじゃないかって思うんだ
ところで、羅憲や霍峻マダー?
60無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 08:39
広辞苑で調べればわかるけど
名将の一般定義は

有名な将
優れた将
の2点
それに蜀への貢献度を含めて考えて各武将に考察を加えていけばいいのでは
1位から順番に
その際

蜀の場合建国の経緯からして中心で活躍する人間に
失策なしはあり得ないと思うのだがどうでしょうか?

の見方も加えると蜀将は輝くと思うんだけどね
別にスレの存在を否定してないと思うが?
関羽・姜維厨に疲れて前スレから順位を気にせず
蜀のマイナー部将を語ったりする場所に変わったから。
62かつての司会進行:04/06/26 08:46
>>61
そういう希望が大多数であればそれでもいいとおもうんだけどね
姜維は名将だと思う。
北伐の時点で選択肢自体が少なく戦略的に負けており、勝ち目なんてそもそもない。
でも大人しく黙ってた所で姜維本人にメリットはないんじゃないか?
軍人としての面子を保ちつつ成果を挙げるのに中途半端な兵権与えられたらそれで北上するしかない訳で。
結果的に国を疲弊させたかもしれないが、逆に言うと壊滅的敗北の少ない分逆の立場なら優勢だった戦いも多いと思う。
引き分け、敗北の多い状況で敵側に名将と認められたなら相応の実力があったという事だろう。
そして敵側に名将と認めさせてこそ軍人の面子も保てるというものだ。

蜀全体としては悪選択なのかもしれないが、面子を保たせつつコントロールできる人もいなかった訳だし。
>>60
そうすると法正のような謀将も入れるべきだな。
失策の有無よりも失策の質の問題かな
関羽は自分から荊州の守りを緩めてしまっている
姜維は自分から漢中の守りを緩めてしまっている
守るべき時と攻めるべき時の区別もできないような武将が果たして名将だろうか
その見極めがしっかり出来ていれば、たとえ敗れたとしても
彼らの名将としての資質が疑問視されることはなかったと思うよ
66かつての司会進行:04/06/26 08:51
>>64
法正やホウトウなどの軍と呼吸を共にした感のない人も
候補に入れてみるとまた違った展開になっておもしろいかもね
実際、軍略には長けてたわけだし。
それと、蜀への貢献度は含めなくてもいいと思う。
後漢末期の将を議論するのに後漢への貢献度を重要視する人はいないだろう。
貢献度ではなく実力とそれに基づいた当時の知名度で議論すべき。
63みたいに話しの流れを無視して関羽、姜維をマンセーするのが
疲れたのよ。色々な部将の議論がしたいのよ。
69無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 08:56
>>65
しかし関羽の北上に関しては劉備との作戦の合意があったのでは?
そんなこというと攻撃に兵を割いてはいけないということにはならないか?
それに加えて関羽厨の意見というのは呉との盟約はあったのでは?
そしてその盟約を破られた、と擁護していたが。わからんでもないな
知名度で議論すると関羽厨が暴れるのでパスしたいです。
>>68
事績のある武将が少ないんだから仕方ない
関羽姜維肯定派も否定派も絶対に折れないし
否定派にしたって3位4位にいちゃもんつけるのを後回しにしとけばいいものを
延々と噛み付き続けるから議論は終わらない
72かつての司会進行:04/06/26 09:00
蜀への貢献度関係ないということは
純粋に将としての能力だけでいいということ?
そして蜀から他国へ移った人や
蜀での活躍自体短い人もいれちゃっていいのかな
そうすると馬超なんかもはいってくるな。。
73かつての司会進行:04/06/26 09:02
いやでも最近姜維派はおれてきてるぞ(笑)
>しかし関羽の北上に関しては劉備との作戦の合意があったのでは?
逆に尋ねたいけど作戦の合意があったという根拠は?

>そんなこというと攻撃に兵を割いてはいけないということにはならないか?
そう。漢中の準備が整うまでは深入りは禁物だった
荊州単独では魏の圧力に太刀打ちできないから蜀を取ったわけだし

>それに加えて関羽厨の意見というのは呉との盟約はあったのでは?
>そしてその盟約を破られた、と擁護していたが。わからんでもないな
でも関羽はまんがいち呉が攻めてきた場合の備えもしっかりしていたんだよね
その擁護は根本的に成り立たない

>>67
後漢末は事実上の群雄割拠状態で、漢王朝よりも自分の直接の主君に忠誠を
誓っていた人間が多いのだから、当然、後漢ではなく自分の主君への貢献度で
計るべきでしょ

実力というと負け戦が多いと評価が下がるのか?
76無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 09:10
忠臣である関羽が劉備の合意なしで勝手に北上するほうが不自然だな。
否定派に聞きたいが、>>31の順位を>>31のままにしておいて
その下の議論を始めるんじゃ駄目なのか?
肯定派も否定派も凄い数がいるから議論は終わらないのであって
下が固まったころに再検討で十分じゃないか?
お願いしますから
関羽の荊州問題は
「関羽討伐について…」のまとめ二考
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083844807/
こちらでやってください。
昨日はその話題のせいで荒れたのでかんべんしてください。
否定派の一人としてはスレが落ちつくまで順位を議論したくない。
>>78
おまいにも>>77について聞きたい
荒れるの分かっていてなお関羽姜維を落としたいのでなければ
>>31のまま固定しておくのが最善の策だ
アンチが無理やり外したところで肯定派との論争になるのは明らか
否定派が理性的だと自認するなら>>31でも荒らさないだろ?
>>77
それよりも関羽と姜維は後回しにして他の武将の順位付けを行ったほうがいいんじゃないか。前スレではスルーされたけど。
>>81
2chだと否定排斥っぽい行動は避けたほうが良い
おまいらが現在の関羽姜維肯定派の多くを厨だと思っているならなおさら
否定派が厨で無いなら、とりあえず高位においておく>>31が最善
前回と定義が違うのになんで前回の順位を使うの?
>>74
関羽が南陽郡における侯音を内応させた後、それを陽動としての
劉備の漢中攻略後、関羽の北上という経緯などからある程度連携していた
様子が見られるので両者の全くの合意なくして北上はあり得ない
というのが根拠
逆に合意無くして関羽が北上したというのならその根拠を教えて欲しい。

それと少なくともハン城包囲の時点で魏は遷都を考えるほど震撼しており
呉の裏切りがなければ或いはその後漢中からの進軍もふまえて関羽の北上は
成功していた可能性もあると思えるのだが。その後の維持はともかくとして。

それと呉が攻めてきた場合の備えはあまりしてないと思うぞ。
呉との盟約(仮)をたよりにしてたのなら守備兵は減少して北上兵が増加するのは当然
呉への備えが万全というのは俺の意見ではない。
>>80
なに言ってるの?
もともと関羽と姜維のどちらを3位にするかで激論が始まったわけで。
>>31のまま固定しておいても今の状況は変わらない。

>>82
関羽と姜維を後回しにするのが否定排斥っぽい行動なの? なんで?
86かつての司会進行:04/06/26 09:28
今日はさじなげますw
>>85
肯定派が意見を出したとき、既に高位で固定保留中だと言うのと
後回しでランク外と言うのでは鎮圧能率が違う
>>82
おまいらって誰に言ってるんだ。
>>81の文章からは否定派とも肯定派とも読み取れないのだけど。

>>84
そもそも呉はそれほど安心できる相手だったのだろうか。
8984:04/06/26 09:32
>>88
そこに関羽の外交バランスの欠如があったとおもうわけ
呉はそんなに甘くない。
それは一つの欠陥として認めているんだけどね
しかしそれはすべての否定にはつながらないと思うのさ
だから順位付けは無理だと
いや変なやじ厨がまぎれこんだおかげで順位付けはもちろん
考察すらまともに出来なくなったね。
>>74>>84の流れがこのスレのあるべき姿ではないのかなあ
      落ちたよなあ
「厨」「信者」
NGワード推奨
関羽厨はなんですべての否定されると思うんだ?
関羽は呉というか呂蒙を警戒して荊州に守備兵をおいてる。
それを陸遜の計略(手紙)で図にのって(ここは孔明の手紙に似てる)
自分から警戒を解いたんだぞ。
>>92
関羽や姜維ばかりなのが気に入らない人たちもいるんだろ。

煽りたいのか「厨」や「信者」や「アンチ」を多用する人も増えたし。
>>94
陸遜の計略にはまることが要は呉に騙されたと言ってるわけで
その騙される原因が外交センスの欠如と思うよ。
戦国の世に確約なんてものはないという、
騙すか騙されるかの駆け引きに長けていなかったのが関羽。

つまり俺の意見と94の意見は同じなんだよね実は
結局、関羽はプラスとマイナスでチャラってことさ
9896:04/06/26 09:52
関羽は塩の密売やらの裏社会の人間で
その価値観が侠とよばれる仁義とかそういうもの
を重視するモノで成り立っている
なので約束というものは守るものという感覚があり
国家間の利害のからんだ約束は反故にされやすい
ということを理解してなかったんだと思う
それが外交能力の欠如につながっているといえるんじゃないか?
99無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 09:52
関羽と姜維で白熱

置いといて五位以下を決めることに

急に参加者が減るなかで、張飛と魏延のどちらが↓
上かを決めることに
それぞれが意見を出すも、「別にどっちが上でもいいや」という空気が漂う

七位以下を決める段階になるとさらに盛り下がったうえ、それぞれが推す武将を挙げ合うだけで、議論にならず、

過疎化し、関羽VS姜維を求める声も出始める

前までは、こんな流れじゃなかった?
ごめん言っていることが理解できない。
呉は217年に魏と和睦したことはしっているよね?
この時点で呉は蜀にとって同盟国と見るのはかなり厳しいのよ。
だから関羽は戦略的に陸遜に攻撃されるはず無いと思ったわけで
外交的に騙された訳ではないのよ。
>>100
そうなると相手の力量を見誤った末の荊州陥落ということか。
相手の力量を見抜くことは名将の要件に入るのだろうか?
俺は要件に入りそうな気がするけど、みんなはどう思う?
ごめんそれ昨日さんざん出た意見なの
それで荒れたからかんべんしてください。
103無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 10:00
>>97
プラスのほうが多い
>>100
ウーム そこが食い違う点だが
そこになんらかの盟約を裏で取り付けたんじゃないか
という推測の元に成り立ってる話であってその推測の
証明は根拠の少ないもの。
しかし逆に言うと呉は依然として蜀と結ばなければ魏にいずれ滅ぼされる
という危機感が存在してたことは事実で、魏との和睦も表面的なものともみれる。
つまり呉の親蜀、親魏という二つの外交路線のうちの一つとの盟約を
関羽は呉全体との盟約と勘違いしたのでは?という推測が成り立つわけ
呉との何らかの盟約なしに北上するのは
いくら関羽がアフォでも(関羽厨失礼)ありえないんじゃないかな?
だからこそ呉は荊州を欲したのよ。
217年に魯粛が死んだ事も含めて
蜀呉の同盟は無くなったわけだ。
そして魯粛の後任は呂蒙。
こいつはバリバリの反蜀派。この状況で
まだ呉のことを信用していたらただの馬鹿になってしまう。
紳士的関羽厨ハケーン
108無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 10:12
ジャイアンなら関羽を推すだろうな
魯粛が死んだ以上、だれと蜀は盟約を結ぶ?
呂蒙は親魏派なのか親蜀派なのか
関羽にはわからなかった、
魯粛の後任なんだから親蜀派なんじゃないか?
という推測をし、
呉を信用し続けたとしても不自然ではない。
まあこれをただの馬鹿といってしまえばそれまでだが
この辺は言い換えて外交というモノの複雑さを理解してなかった
という評価につながるんでは?
リクソンによって関羽は呂蒙を甘く見るように仕掛けられたわけだし
関羽が呂蒙を見間違うのも不自然ではないと思うが。
魯粛によって形成されてた親蜀路線がその死によって
いきなり親魏にかわるとは蜀の人間自体思ってなかったのでは?
あとで魯粛ってこんなに親蜀のために呉の国論一つにする努力してたんだ
と気付いたという。
>>110>>111
呉が魏と結んだのは、魯粛の存命中のこと
魯粛にしろ呂蒙にしろ親蜀、親魏の二つの思想だけで語るのはナンセンス
215年の荊州戦争で対峙してるからそれは無理がある。
関羽にしても孫権を犬呼ばわりしたり、安成の呉?・袁龍の反乱が
あったりと信用どころか攻撃している。
(食料強奪は判断が難しいのでパス)
陸遜の計略は呂蒙を甘く見るように仕掛けられたわけではなく
ただ陸遜に対してだから。
まだ荊州やってんの?
専用スレがあるんだからそっちでやってよ。

もう関羽はいいって。
魯粛、呂蒙は自立派。
どことも同盟しなくても国として成立させたいの。
>>112
どうだろうか
国家が魏、呉、蜀に絞られてきている以上
親蜀、親魏はおおまかな方針となりえるとおもうのだが、
まあ親蜀とみせかけて親魏であったりまたその逆もありえるし
途中で状況に応じて変わっていくとしても
その辺は俺が理解してないと言うより関羽が理解してない
というのが俺の意見
ていうかハイパーリンクは皆つけましょうねー
どの意見にたいしていってるのかわかりにくいですよー
関羽派はせめて呂蒙伝、陸遜伝、徐晃伝ぐらい読んで
レスを書いてほしい。
関羽派はここの過去ログ全部よんどけ

http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083844807/l50
>>113
215年の荊州の小競り合いは関羽と魯粛の話し合い(単刀赴会)
の後の曹操漢中侵攻により劉備がそちらに兵をまわすため
荊州において譲歩したことで両者は合意を見ている。

合意を得たということはその場限りとしても
お互いある程度信用しあったといえないか?
関羽派に呂蒙伝、陸遜伝、徐晃伝を読んでない形跡はみられないが・・ 
感情論はともかく外交としての合意に
関羽もある程度の信用を覚え

その合意をふまえて何らかの盟約を呉とむすび
北上したのではないでしょうか?
>>122
とりあえず論拠を示そうな
>>120
呉にとって南郡はどういう意味があるのか理解してる?
ただの領土取りではないのは理解してるよね?
このスレ、初代以降質が下がり続けてますな
蜀の漢中、呉の南郡この意味を理解して書いてる
関羽、姜維派はいないのか?
>>125
だから関羽、姜維厨が入らないように
蜀の良将を決めたいの。
良将の定義でマイナス評価の大きいのを除外して
議論したいの。
>>122>>124

論拠のうすい推測だとあらかじめ断ってますが
単刀赴会後の蜀との盟約は関羽の北上までいきている以上
その間に盟約についての話し合いが一切行われないとは考えらにくい

曹操による一時的な軍事同盟の申し入れの密約が関羽の留守を狙わせる
きっかけになった以上関羽が同盟を反故にされ騙されるに
魏と呉による人為的なものがあったといえるとおもうのですがどうでしょうか
129128:04/06/26 11:12
修正
単刀赴会後の蜀との盟約→単刀赴会後の蜀呉の盟約
>>126
姜維が漢中の守備隊を解体したのが良い事だったとは言わないが、巴蜀に侵攻するルートは漢中だけじゃない。
現に蜀征討戦でも、ケ艾は陰平経由で漢中の脇を通って進軍してるし、
姜維も漢中の脇を抜けて剣閣に急行してる。

漢中に固執するあまり、姜維直属の兵力が低下した状態のデメリットを考えないのはおかしいとは思う。
128さん関羽が外交的に騙されたことにしたいのは解りますが
関羽が呉に対して信用を得るような行動が正史に記述されてない
以上、関羽が呉を信用したというのはかなり無理があります。
盟約にしましても魯粛が死んだ以上、荊州の誰と連絡をとりますか?
関羽はいいから李厳語ろうよ!
131さん
関羽と魯粛の単刀赴会後の盟約は生きてると考えるべきではないですか
だって国家間のことですから
個人が死んだら盟約破棄ってことはないとおもいますよ
俺は羅憲がいいぜ!
寡兵で活躍した部将を語りたいぜ
つまり盟約が生きてる状態で
関羽が北上
呉に背後をとられる
という流れに
関羽が騙されたと言える面がないとはいえないという事ですよ
これは正史嫁としかいいようがないが
この時代は国と国ではなくて個人の繋がりが大きいの。
蜀の諸葛亮と呉の魯粛でギリギリの所で結ばれていたの。
136さん
同じく個人と個人を重視しすぎる見方は演義
読み過ぎとしか思えないんですよー
>>136
貴族・士大夫の個人的な交誼はあるけど、それが国歩よりも優先されるのは
秦代以前の話。
なにをもって盟約とするのがわからないんですが。
呉が関羽のことを信用してないですし。
直接の根拠自体はすくないものの
推測するに十分なのが関羽が呉と魏にはめられたという説でして
三戦のみなさん普通に覚えといてくださいねー
139さん
え なにをもって盟約ってそんなことまで説明しなきゃいけないの?
めんどくさいけどまあいいですよ
荊州南部を湘水を境に東部の長沙 江夏 桂陽の三郡は呉に、
西部の零陵 武陵 南郡の三郡は蜀に帰属することにするという盟約です

では魯粛が死んだ以降、蜀呉の連絡は誰で行われていましたか?
理解してるじゃないですか。
蜀呉の同盟ではないですよ。
当然ながら呉は荊州すべてをとるつもりでしたが
盟約は盟約。
建前は守るべきですので関羽はだまされたといってもいいという話です
ただし関羽が正直に信用しすぎたことに
バランス感覚の無さがあることは否定しません。
荊州の帰属の盟約がなぜに蜀呉の盟約ではないと?
それと個人と個人が結ぶ盟約が国家を超えて大きいという
136さんの意見をもうちょっとわかりやすく説明してはもらえませんか?
演義は遠ざかってましてわからないんですよー
だから盟約は荊州争奪戦の領土割りと理解してるのに
なんで呉との同盟に繋がるんですか?
休戦条約でしょ
魯粛が死んだあとの蜀呉の連絡について誰がとっていたかという点が
根拠に乏しい点ですね
ただし盟約自体が破棄されておらず国境を接してる以上
確認はされていたと考えるのが普通ではないですか?
国が離れてれば盟約結びっぱなしもあり得ますが、、
どうも盟約という言葉が悪いですね。
単刀会見は蜀呉の荊州争奪戦の和睦ですよ。
>>147も言ってるけど、あきらかに休戦条約・分割協定だろうに、
なぜ盟約というかたちに拘ってる人がいるの?
盟約の意味を勘違いしてました。
すいません。
>>122から俺は盟約という言葉を使い続けてます
>>128において同盟という言葉を間違えて使っていますが
他はすべて盟約ですね まあ一回の間違いで揚げ足をとるような
ことはしない立派な方だと思いますけどね三戦の方は(笑)
つまりその盟約を破って荊州南部に侵攻した呉に
関羽が騙されたといえる根拠があるわけです
わかりやすく説明しましたがおわかりいただけましたでしょうか?
それと個人間の関係が国家を超えて重要という意見の説明がまだですよ
ほんとにすいません。
単刀会見と盟約を=してしまいました。
劉備と孫権が信用できない関係で魯粛が間を取り持っているから
ええ ちなみに単刀会見はものわかれです
その後正式に結ばれましたね
漢中に曹操が侵攻後です
嫌らしい攻め方の関羽厨キターーーーーーーー
外交では信用だといいますけど
劉備にしても孫権にしても関羽にしても
相手から信用されることをしたか?
魯粛がなんとか同盟を維持してただけじゃないか。
>>155
休戦条約をね。
盟約なんかしてないよ。
蜀も呉も自分のことしか考えてないわけだから
相手を信用とかは普通ありえないよな
魯粛がなんとか同盟を維持してただけ

全くその通りですね
しかし結ばれた荊州帰属の盟約は盟約。
関羽の北上の隙をついて(しかも魏の密使に呼応して)
の侵攻は荊州の帰属の取り決めに違反してるので
そんなの隙があったらいくだろオイ
という本音は別として
建前の盟約を破ってる以上
関羽は騙されたといえるということです。
だいたい無理があるだろ。
関羽自体が孫権を嫌っているのに
北上するときは信用してました。
呉に裏切られたなんて理由にならんよ。
>>158
荊州の帰属についての話し合いは休戦条約とは言えないと思います
なぜなら蜀はこの盟約後呉に三郡を返還しているからです。
休戦条約とはその場の戦闘を一時的に中断することですから
あてはまりませんね。
>>161
関羽自体の好き嫌いと盟約の有無は関係ないですね
また演義厨出現ですか?
嫌っていようと好きだろうと盟約に応じたのは呉ですよ。
魯粛はね、呉から攻めないために同盟をしたんじゃないぞ
呉を攻められないようにしたんだぞ。
劉備と関羽が孫権を信用してないのに
魯粛死後どうやって同盟維持できるんだ?
165関羽厨:04/06/26 12:37
てかもうめんどくさいのでどうでもいいすよ
わかりやすく説明すんのもつかれたし
多少は知識ついたんじゃないですか?みなさん
孫権を犬呼ばわりして実は好いてましたとは
流石ですね。
イヤラシー関羽厨は去ってください
士気が下がりますw
どんなに関羽厨ががんばっても
盟約してないからなぁ。
第一前提から無いもので議論されても
頭悪い子なの?としか思えなかったです。
169関羽厨:04/06/26 12:44
いやだから好き嫌いで盟約が結ばれるわけじゃないでしょ?
関羽 「ぼく孫権チャン好きでちゅー」
孫権 「僕もホントは髭だいちゅきー」
     じゃあ盟約結びましょー
てなるわけじゃないでちゅよね?


て もう去ります・・・・
170関羽厨:04/06/26 12:49
盟約がない・・・・
もっと色々読んでくださいね
無いのではなくあなたが見つけてないのですよ
どこにかいてあるか教えてとか言わないでくださいね
少なくとももうちっと勉強してください
多分関羽否定する方の中にも荊州帰属問題の盟約について
お勉強されてる方もいると思いますので教えてあげてください
では可愛い三国志演義ファンのみなさまゴキゲンヨー
関羽厨がきえたので真面目に
>>101で相手の力量を見抜くことは名将の要件に入るのだろうか?
名将の要件に入ると思う。
やはり優れていた将を選ぶのだから相手の力量を見抜くこができなかった
部将は大きなマイナス要素になるでしょ。
関羽厨の最悪なパターンだな
いやらしすぎ
意見を聞きたいですが
呉に対して警戒してた関羽が呉を信用して
荊州をがら空きにした、なんて記述どこにありました?
うっ
そんな記述はないし、このスレでそんな主張をしている奴もいない。
だから何で関羽の荊州喪失関係の専用スレでやんないの?
語り尽くされた問題のループはもうイラネ。



ハァ、「関羽以外の蜀将討議スレッド」立てていい?
ループじゃない。話は少しずつ進んでいる。荊州の陥落そのものを関羽の汚点と
するのではなく、荊州の陥落に際して関羽に名将あるまじき失策があったかどうか
検証する段階になっている。
関羽の北上は劉備との連携によるものであり彼一人の責任ではないということで
ほぼ落ち着き、今は関羽の呉に対する配慮が甘かったのではないかということに
議論の論点が移っている。
さて。ではそろそろ閻宇は名将か?
に進もうか
カンウが名将ならエンウが名将でもいいと思うがどうか?
周りに上手く取り入った奴が名将
関羽姜維は即レス返るのにw
他武将推している奴はジサクジエーンでもいいから盛り上げてみろよ
>>173
>意見を聞きたいですが
>呉に対して警戒してた関羽が呉を信用して
>荊州をがら空きにした、なんて記述どこにありました?

節穴さんですか?
関羽が北上するのに呉を信用したのか?しなかったのか?
が議論の中心だと思いますか゛。
関羽の外交的欠如か、人物(陸遜)を軽く見て
相手の力量を見抜くことができなかったのか。
私は両方だと思いますが。
関羽が好きな人、それ自体は別にいいけどさ、たのむから関羽伝だけで
ものを言うのはやめてね
そんなひとたちが多いよ あとはご都合的な拡大解釈とか
>>177
ループですよ。
今ココでやってる内容の薄い論争は専用スレで語り尽くされてるワケで。
てか専用スレがあるんだから以降そっちでやって下さいね。
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083844807/l50
関羽の話はもはやスレ違いな気すらしてきた。
っーか間違いなくスレ違いな
名将語るスレなんだわさ、ココは
取り敢えず、
8位 羅憲
9位 趙雲
10位 霍峻
とか言ってみる
関羽厨ってこの板が出来た頃からちらほらいたけど
本当にタチが悪いな…

姜維厨はまだ冷静に話せるだけナンボかマシ。
羅憲って結構しっかり守ってるよなぁ。
目立たないのは羊コ・陸抗が、そばにいるからか?
8位  張嶷
9位  羅憲
10位 趙雲
これをおしてみる。
陸抗を防げば十分目立ってるよ。
でも陸抗は名将だと思うけど羊コはどんなもんなの。
>>186
それにしてもすぐ侮蔑の文句を垂れ流す厨房(肯定派も否定派も)はどうにかならないんだろうか
スレ違い以前の問題
8位  李厳
9位  趙雲
10位 羅憲

堅実な名将ってイイ!!
羅憲(令則)いいよなぁ。

混乱する情勢に慌てず冷静に陸抗を退けている。
晋になっても重用された蜀末期の名将。
193185:04/06/26 17:16
理由忘れてた
羅憲の最大の評価は陸抗を撃退(まではいってないが)したことだろう
陸抗は三国の中でも、五指に入る戦上手だし(陸遜の息子が陸抗なんじゃない。陸抗の親父が陸遜なんだ!)
ただ、撃退しただけだし、国に貢献した訳じゃないから、黄忠には劣るかな?
で、霍峻は敵将の質とか踏まえて、コツコツさんの趙雲に譲ってみた
おまいら、来る日も来る日も飽きないね
軍事しか語ることないの? この板は
文化、内政好きは世界史板に居るだろ
1位 劉備         7位 なし
2位 孔明         8位 なし
3位4位 関羽・姜維    9位 なし
5位 張飛         10位 なし
6位 魏延
 
11位 王平 16位 霍峻
12位 張嶷 17位 李厳
13位 黄忠 18位 向寵
14位 趙雲 19位 張翼
15位 羅憲 20位 廖化
>>196
馬忠や李恢が入ってないぞ。
彼らは張翼、廖化よりは上だと思うが
あとは、呉懿、陳式、李恢あたりも
で、関羽の話なんだけど素敵ケイシュウファイブ。
200196:04/06/26 17:36
上位連中の議論が疲れたので
とりあえずのです。
11位から20位を決めたいです。
正直、関羽・張飛・魏延・姜維あたりはその長所短所・内外における名声・功績と失策がいろいろ絡んで評価が難しいね。
しかも黄忠や王平、趙雲といった功績もありかつ明確な失点がない部将の下に置くのもしっくりこないし。
困ったもんだ。
個人的には
11位 王平 16位 趙雲
12位 魏延 17位 羅憲
13位 姜維 18位 霍峻
14位 張嶷 19位  李厳
15位 黄忠 20位  向寵
>>202
姜維や魏延が11位以下になってるが、それだとTOP10はどんな面子になるんだ?
上位連中はきにしたら駄目だぞ。
蜀の上位陣
トップ
諸葛亮
上位グループ
関羽、姜維、張飛、魏延
次グループ
黄忠、王平、趙雲
枠外
劉備

かな?
趙雲は将軍としての華やかな実績がないのでちょっとくるしいかもだが。



とりあえず11位以下に取り上げてみたい部将

それなりに出世したが具体的実績が残っていない部将
閻宇、陳到、ケ方、胡済、句扶、廖化、宗預ら
地方の平定に功のある部将
張翼、馬忠、張嶷、李恢、李厳、ケ芝、ケ方、陳忽ら
一部将として功を上げたことが記録されてる部将
呉懿、呉班、劉敏、卓鷹、陳式、羅憲、霍弋ら
1次北伐で別働隊としてどのくらいの戦力を指揮してたんだ?
趙雲は上位に加わらなくていいけど、欠かせないタイプの良将だとは思う。
つーか華やかな実績そんなにないか?
演義と比較さえしなければなかなかのものだと思うぞ。
趙雲別伝は空城の計のせいで胡散臭さが倍増してると思う。
名将の定義に名の有る将とか、大軍を率いたことを
条件にすれば厳しいが、それでも十分良将だし
人柄も良い。
ケ芝のような人として優れた部将を評価したいな。
>>211
「性格は剛気で細かいことに気をくばらず、感情をそのまま表に出したため、士人たちとうまくやってゆくことができなかった」(ケ芝伝)
「ケ芝は驕慢な性格であったため、大将軍の費いらをはじめとして皆遠慮して彼を立てていた」(宗預伝)
213無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 20:44
レイセフォーはまさに名将といえるな。
214無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 20:53
まあ、サップもがんばった。アマタも
215無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 20:55
サップには感動した
蜀で下位が盛り上がらないのは、事績に乏しく考察が引き出せない人物ばかりだからなんだろうな。
推す方も否定する方も、考察が引き出せないから論陣を張れない。
下位確定の武将のみ演義準拠可にしないと盛り上がらないような
それに比べると賛否両論の分かれる関羽と姜維ネタは蜀の中では秀逸だな。
趙雲は名将だよ。少数の兵を率いることにより機動的な戦いを得意とする突撃型の
晩年は成長して、大兵の管理もできるようになったので、勝つのが困難な相手を囮として引きつけ退却戦もまっとう
まぁ十五位以内は確定だね
名将軍というより名隊長なのかよ
>>219
第一次北伐の陽動軍ってそれ程多くも無いと思うが。
北伐の全兵力でも数万なんだから、多くても1万を超える事は無いんじゃないか?
15位以内確定ってのは同意だが。
222無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 21:37
趙雲は要人の用心棒であり
特殊工作隊隊長だろ
つまり忍者だよ
ニンニン
223無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 21:38
張南、夷陵での先鋒。
孫桓が攻めるが、多分勝って城を包囲する。
その後全体の大敗により、朱然に打ち破られる。
趙雲 はもっと上でいいと思うけどな。
関羽厨はかなりの部分憶測で語ってたけど
それやるなら趙雲 なんてただ正史に書かれてないだけで、
実際には実績もあると思うよ。でなければあれほど劉備に信頼されるだろうか?
最良の将ってのはなにはさておき君主から最も信頼されてる武将だと思うが?
魏延なんてランク外でいいでしょ?
姜維なんて他に人がいないから抜擢されただけで、あくまでヒイの補佐的な
感じしか受けなかったんだが・・・実績も何も負け戦ばかりの将を
「名将」なんて呼ばれるわけないでしょ。
こういうとすぐ「政治面での背景が云々」って言うけど、
それもひっくるめてバランス取って戦うのが「名将」でしょうが。
これが国内での名声と=になってくるんだけど、例えば関羽が
北伐やると言ったら反論でるかな?文句言いつつも従うでしょう。
しかし姜維では従わない人もいる。これじゃ駄目。
まあ関羽も失点は多いが5位くらいでいいと思う。
ただ北へ出兵すれば呉が狙ってくる事は孔明は読んでただろうし、
そこまで智恵が回らなかった部分は大きなマイナスなのは確か。
これさえ無ければ孔明に次いで2位で文句ないけどね。
昨日、電車の中で議論する二人のオタクを見かけた。
一人が「あの子はバスと88のEカップで写真集も3冊出してる」
もう一人が「でもあの子はほとんどTVに出てない。でもこの子はTVに結構出てるよ」

なんとなくお前らの議論を思い出した。
そんだけ
>>224
関羽厨と同じく勝手な憶測で趙雲を持ち上げ、魏延を貶め
更に姜維の敗北を敗北としてしか見る事が出来ないばかりか、
大勝を博した事も無視する。
極めつけは「関羽なら国論をまとめて北伐できた」などという妄言。

釣りならよそでやってくれ
227無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 21:52
中国では猛将度で統計とると一位が呂布で二位が趙雲なんだそうだ。
趙雲は作戦実行能力が優れていて.人格も良し.私心を棄てて忠義に
厚い.しかも猛将ときたもんだ。もし俺が君主になったとして
配下にしたい蜀将(参謀系は無し)は?と聞かれたら関羽や張飛なんかより
趙雲を第一に望むね。皆は誰を第一希望にもってくるよ?
おれなら貧乳であんまTVとか露出してなくて
ファッション雑誌に出てるコがいちおしだよ!
関羽厨って憶測で物言ってないんじゃないかな
史実にもとづいて関羽厨が意見言っても
ここにいる人が史実わかんないから
憶測で言ってるだけと勘違いしてるような・・
>>224
趙雲が将というより隊長だということにはやく気付いてくださいね
ただし古参で直属なので発言力や信頼は下手な将より上だけれども。
一万以上を率いた経験が豊富じゃないなら将と呼べないなら
それこそ他の蜀将だって実戦専門に限定すれば関羽・キョウイぐらいじゃなきゃ失格になっちまうんじゃ
元々国力の面もあり豊富な兵など望むべくもないし
>>230
将軍職についてるのに隊長よばわりかよ。あんたここのスレに毒されすぎか
ただのアンチだろ?だいたいただの隊長が桂陽太守を任じられたりするか?
益州進軍時にも孔明.張飛.趙雲と三軍に別れて江陽方面を攻略した。
↑ただの隊長なのに孔明や張飛と同じ裁量もたされたの?将だったからじゃないの?
軍中では趙雲は尊敬の念から虎威将軍と呼んでいたし.ただの隊長ってのは
あきらかにオカシイだろ?ただの隊長が関羽や張飛らと同列に列伝たてられてる
のを見たってどう説明するんだ?
>>226
まぁ,せっかく関姜以外のネタ投入のために釣ってくれてンだから,釣られてあげないと。

で,実際問題,趙雲を統率していた兵数が不足との理由で外すのはどうかと思う。
それ謂ったら,残るのは劉備,諸葛亮,魏延,関羽,姜維くらいになってしまう訳だし,上位10名なんて決められない。
ただ,順位を決めるための一要因として,率いていた兵数を考慮に入れるのはいいとは思うが。
それだけの兵を率いる権限を得るほど軍内で信頼されていたってことだろうし。
権限はあっても実際は何もしなかった劉エンとか宗預とかが蜀にはいるという問題が…
>>234
そこはそれ,「一要因」ですから。
無駄に兵の損害を出さないために,自分では兵を率いなかった,という名判断から,蜀の名将ランキング87位に認定,とかで。
なあ、ずっと気になってるんだが、孔明って、名参謀で名政治家だけど、
名将なのか?そんなこといってる歴史の本なんてなかったように思うが。
>>236
少しはログ読んでから来い
>>236
参謀としての働きは演義によるもの
正史が基本だからこのスレは
239無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 23:49
>>233
まあ、関羽らと一緒の伝だからねぇ。考慮の対象になるでしょう。

>>236
北伐の総司令官だから。こちらも考慮の対象にしよう
>>236
ニセクロさんとこの
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/gkbd.146.290.html
これとか見ると面白いよ。
>233
数は除外した方が正確だと思うぞ。率いた数なんてその時の
全兵力次第であると同時に作戦内容にもよる。
さらに言えば前半後半で分ければ、関羽、張飛、趙雲、馬超、
黄忠、魏延・・後半なんて姜維1人なんだから比較仕方からおかしい。
孔明が嘆いたように蜀漢時代はあまりに人が居なすぎたから
大軍を率いたのは当然の事。
同じ時代に趙雲が生きていても大軍を率いなかったと言えるのかな?
兵数より、規模はどうあれ1軍を任されたかどうかの方が大事だと思う。
戦場の選定や布陣、戦闘指揮を行うのと、その将の指揮の下で動くのとじゃえらい違いだ。
兵の数が問題なんじゃなくて、そいつが兵権があったかが重要なんじゃないか?
張飛、黄忠のように、大物を打ち破るくらいの兵を率いる権力と、
その重要作戦に使ってもらえるだけの信用を、趙雲は(張飛、黄忠と同程度には)
もらってなかったということだろう。
それでもある程度は一軍を任されているわけだし、戦歴も長く用兵技術も悪くないから
同じく一軍を呉懿・呉班・陳式なんかよりは上にくると思うぞ。
魏延、王平にはちょっと届かないかな。
>>242
そうなると

蜀奪取:劉備
関中奪取:劉備
北伐:諸葛亮&姜維
関中守備:魏延&王平
荊州守備:関羽

このあたりが上位か?

南蛮は誰が指揮官?
>>244
北伐の所に趙雲と魏延は入れても良いと思う。
趙雲は陽動、魏延は陽谿でそれぞれ一軍を率いてるんだし。

さすがに敵と遭遇した時の細かい指示はされてないだろうから、
自分の判断で布陣や指揮を行ったと考えて良いと思う。
つーか張飛と趙雲って結構扱いが似てないか
どっちもあまり司令官的なことは任されず
誰かの下で働くのが多い、そしてかなりの指揮官
タイプが違うだけのような
入蜀時、北伐時いずれも総司令官は諸葛亮だけど別働隊を率いているし、将軍としての実績は十分とみるべきかな?
趙雲をはっきり『将』と定義すると
大分順位が上がるんじゃないかな
劉備流浪時代から北伐時まで息が長い
しかも常に第一線で激闘を重ねながら大過といえるものがない
>>245
>>247

北伐時に別働隊を率いるだけなら、陳式もしている。しかも陳式の方が趙雲より
目に見える結果を残している。
陽動を行うだけなら、姜維北伐時に廖化もしている。

別働隊を率いたこと、陽動で軍を率いたこと、それ自体で評価すべきでない。
評価するなら軍を率いて成し遂げた結果を重視すべきだ。
ただ、従軍した回数の多さや、戦歴の長さは多少考慮に入れるべきだとは思う。
>>249
陳式のは陽動じゃなくて、「敵の防備がない地点への侵攻」じゃ?
でも郭淮が出て来たんで諸葛亮が後詰にでて、郭淮は後退して防備を固めた
これを成功といっていいのやら・・・
趙雲の陽動は曹真本隊を拘束している正真正銘の陽動だが
何より貧弱な囮部隊にもかかわらず殿軍戦を成功させたわけだし
>>250
陳式が陽動を行ったとは一言も書いてないが。
諸葛亮の先鋒として武都・陰平の二郡を攻略し、最終的に郭淮を撤退させ、
最終的に武都・陰平を併呑することに成功した。
これは北伐で唯一と言ってよい領土の獲得であるわけから、かなりの功績だろう。
>>251
オレは250じゃないけど陳式>趙雲で趙雲には将軍としての実績なしということを主張してるのか?
オレはどちらも功績ありと思ってるのだが?
253252:04/06/27 05:53
あと249=251と思って上のようなレスになった。
もし249≠251なら謝ります。
251だけなら250の陳式否定に対して反論してるだけなので252のレスは的外れなものになるので。
むう、趙雲のやってきた後方支援的役割ってある意味
先遣部隊より難しいんだがね?
そもそも蜀に於いて趙雲は充分「名将」と呼ばれてたはず。
第一他の将には孔明は注意点や作戦を事細かく指導しているのに
対して趙雲には殆ど何も言わない。これは全面的に信頼している証拠。
関羽や張飛は劉備の義兄弟だから別格として、おそらく孔明も
劉備も最も信頼のおける将軍だった事は確か。
能力的には趙雲>張飛>関羽となる。中国や韓国は目上の人が
絶対なので張飛より関羽を立てるのは当然だが能力的には張飛が上だと思う。
ただ何人指揮したとかで決めるなら、孔明以外取りたてて論証する
意味さえない。前半は実質彼の指揮の下、みんな行動してたのだから。
蜀漢になってからも殆ど全権を持っているし、死後蜀が内部崩壊して
いった事からも彼1人で持ってた国である事がわかる。
何回戦ったかとか何人率いたかなんて「名将」とは違うだろ?
古来より「名将」ってのは自軍を勝利に導いた将軍だけが与えられる
名称だよ。
趙雲は、魏のキョチョみたいな存在か?

もし力があるのなら、漢中制圧後すぐに荊州に派遣しても良かったと思うが。
まだ若い方だし。
趙雲は派閥はどこになるんだ?
荊州派でもなく益州派でもない。
かといって関張のようにそこまで古参ではなく
名族というほど金持ちでもない。
将としての実力のみで勝ち上がったと思うんだが?
陳式こそ独自判断じゃ動いたことないんだよな
ただ演義で書かれてるほど無能で身勝手だったかは疑問
なんか他人の失敗を一緒にかぶってる
趙雲だって独自判断で動いたことないだろが。
>>254は演義だし。
つか>>254はまず先に前提を書いている時点で検証する資格がないだろ
北伐の趙雲は諸葛亮本隊と別行動だろ
阿斗絡みの話は・・・これは軍事じゃないな
>そもそも蜀に於いて趙雲は充分「名将」と呼ばれてたはず。
否定はしないむしろ賛成だが、まず前提をぶち上げるのはおかしいだろ
>能力的には趙雲>張飛>関羽となる。
根拠。
>中国や韓国は目上の人が
>絶対なので張飛より関羽を立てるのは当然だが能力的には張飛が上だと思う。
根拠。
>何回戦ったかとか何人率いたかなんて「名将」とは違うだろ?
>古来より「名将」ってのは自軍を勝利に導いた将軍だけが与えられる
>名称だよ。
かなり正しい定義だろうが、お前の定義は万人の定義ではない
>>260
別働隊を率いて別行動をとったことを独自判断と考えてるのか。
ここに意見の食い違いがあったようだね。
ただ、別働隊を率いただけなら色んな将がやってるから、
趙雲だけが特別なわけじゃないぞ。
もちろん趙雲の成し遂げた役割を否定するわけではないから。
趙雲はよくやったよ。
>>260
しかし局地的な司令官行動じゃないか?張飛も同じだが
関羽・魏延や姜維のように、完全に作戦立案から実行まで任された事ってないような
でも関羽、張飛は親族補正があるし、姜維はそこそこ名族だろ。
魏延と趙雲は補正なしで厳しくないか。
ちなみに魏延>趙雲だと思っている。
趙雲の武功
新野時代、惇兄と博望にて交戦、夏侯蘭を生け捕る。(別伝)
長阪にて後主と甘夫人を守りきる。
江南平定に付き従う。(別伝)
入蜀時、諸葛亮に率いられ西上、江州以降は別行動を取り成都まで。
漢中侵攻時、黄忠・張著の救出。空城の計。(別伝)
北伐時、ケ芝と共に囮の役目を果たす。

全体として個人的武勇の方が目立つが将軍としての実績もそれなりだと思う。
一軍の総司令官という立場には立ったことはないが、別伝での言動を見る限り大局観は充分にあったと思われる。
また人格的にも優れてる点などを考慮すると十分名将と言ってもいいのではないか?
ただ劉備が漢中王になる時の上表文を見る限り、関羽・張飛・馬超・黄忠の名はあげられているが趙雲の名が上がっていないところを見ると序列的には残念ながら決して高くないのは事実。
あと趙雲には後主救出補正が多少はかかってると思う。
作戦立案まで行ったほうが評価は高くなるが、
作戦行動の一環として別軍を任され敵と交戦し、勝利や作戦目的の遂行が出来れば
それはそれで「将」としての十分な実績だと思う。
自ら布陣を行い、実際に指揮を執ってるわけだから。

対徐質戦での張嶷、対夏侯淵戦での黄忠なんかは部隊長だと思うけどね。
部隊長として必要な能力は戦術ではなく、どれだけ兵に死力を尽くさせる事ができるかや、
どれだけ指示に忠実に行動できるかってのが重要かと。
補正について議論したいが、蜀は派閥が結構強くないか?
無能な奴でもそこそこな役を貰ったりしてるし。
裸一貫でのし上がったのは魏延ぐらいじゃあないか?
>>266
それは補正ではなくて功だと思うが?
というか元々護衛任務だったんだから全部守りきれて成功だろ
禅一人だけじゃ不十分だし大功というほどじゃないんじゃ?
まああの状態から全員生還させたら人間技じゃないかもしれんが
>>269
それ自体は功だがそのことによって後主時代にプラス補正された点があるんじゃないか?ということ。
>>270
長阪の時に護衛が任務だったなどという記述は特に見当たらないが?
趙雲のやってた主騎って何なんだろうな?
>>273
よくわからないね。ぐぐって見たところ上位のほとんどが趙雲関係なところを見ると趙雲専用(笑)の表現なのかもしれない。
一応近衛みたいな解釈が多いね。
>>268
>裸一貫でのし上がったのは魏延ぐらいじゃあないか?
魏延は私兵を率いて劉備軍に参戦しているから,裸一貫ってことはないだろ。
周瑜みたいな地方名士クラスだったンじゃないか。
出身地からして荊州閥だろうし。
出身地はそうだけど荊州閥から外れているように思えるが。
>>276
そうかな。
北伐時も諸葛亮の参謀兼副将で,諸葛亮も頼りにしてたみたいだし,荊州閥だと感じていたが。
まぁ,他の荊州閥って,文官しか思いつかないけど。荊州閥で武官っていたっけ?
黄忠、馬氏、李厳かな。
そか馬謖がいたか。

でも黄忠や李厳よりは魏延の扱いよかったし,荊州閥内でも馬謖>魏延>黄忠,李厳ってお気に入り度が違った感じではないだろうか。

魏延の謀殺も諸葛亮亡き後の荊州閥の勢力削ぎだった,とかまで謂うとデンパっぽいので謂わないが。
相手も楊儀で荊州閥だし。
李厳は諸葛亮とともに劉禅の後見になっているし。
あっ,楊儀も荊州閥か。
なら,漏れの勘違いでした。
スレ汚しスマソ
ただ関羽じゃあないけど黄忠の扱いは不思議なんだが。
いくら荊州閥や戦功があっても後将軍にまでなってる。
夷陵で戦没したのが多いような。

馮習とか張南とか……。
夷陵の戦いが関羽の敵討ちではなくて、
荊州派による荊州奪還とも言われたりしてるから。
諸葛亮が諌止してない一因かもね
286無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 15:13
>>275
魏延って荊州の名士クラスの出身だったの?

致首於儀,儀起自踏之,曰:「庸奴!復能作惡不?」

という楊儀のセリフの“庸奴”ってところから身分が低いと思ってた
>>282
蜀入りでは劉備軍のつねに先鋒を勤めその勇猛さは三軍の筆頭と称えられるほど活躍し、加えて漢中争奪戦では魏軍の名将の一人夏侯淵を斬るなどの大功をあげた。
いずれも蜀の基盤を作り上げる上で非常に重要な意味を持つ戦いであり、その両方でトップクラスの功績をあげてるので十分だとは思うが?

それでも漢中制圧後、漢中太守に魏延を持ってくるのが劉備の凄みだと思う。
288無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 15:30
黄忠はその人生のごく一部において蜀の将だが
活躍がめざましい。
黄忠のそれ以前がよくわからないので誰か教えて
289加藤清正 ◆qdwKIfTiPU :04/06/27 15:31
趙雲タソハァ・・・ハァ・・・のスレを立てたのは朕だ
290加藤清正 ◆qdwKIfTiPU :04/06/27 15:32
うんこー^^^^^^^^^^^
291275:04/06/27 15:39
>>286
「以部曲随先主入蜀 数有戦功」とあることからの推測です。

実際に引き連れていた連中は,荊州の底辺の階級から集めた奴らって可能性もあり。
もしそうなら,鯨布みたいでカコイイが。
別に黄忠の能力を否定したいのではなく、
役職は実力のみであたえられるものでは
ないと思っているのです。
だから諸葛亮は反対したし、関羽は腹を立てた
と思うんですが。
黄忠を評価せずして誰を評価するんだっつーか
漢中で夏侯淵を斬った大功績に対し、十分な見返りを与えないと
出世欲のある身分の低い部将一同はやる気なくすぞ。
反対意見もあったみたいだけど、そこは劉備。下から出世してきてるから、
そこらへん野心ある部下の気持ちもよくわかってる。
黄忠の大出世に懸念を表してるのって、ある程度名声があり、上流階級の
連中だったのでは?読んでてそんな気がする。
まあそれがある意味正しい判断なのかもしれんけどね。

大体夏侯淵を斬ったことは、蜀・魏双方の重大事件だよ。
サッカーで日本代表がブラジル代表を破ったときみたいなもので、
かなり影響を与えてる。
>>288
黄忠伝によると
劉表の配下にあったときは劉磐とともに長沙の攸県の守備。
劉jが曹操に降伏した後は長沙太守韓玄の統制下に置かれたが任務は元のまま。
劉備が荊州の南部を諸軍を平定するとこれに臣従。
というのが前歴ですね。

ただ何かで黄忠の家系について書かれたものを見たような記憶があるが、よく憶えてない。

>>292
そういったことにとらわれず実績と能力によって評価した劉備を褒めてあげてください。
諸葛亮反対したっけ?
296無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 16:41
>>291実際に引き連れていた連中は,荊州の底辺の階級から集めた奴らって可能性もあり。
もしそうなら,鯨布みたいでカコイイが。


それが実態かな。
武功を上げて順調に出世するものの、身分格差から楊儀ら荊州閥に入れてもらえなかったりしてw
蜀の派閥は荊州派、益州派、涼州派、漢中派、親族、武官、文官ぐらいでしたっけ?
ビジクやカンヨウなんかはどうなんだろな
盟友という感じか
徐州閥
黄忠こそ荊州においとけば良かったのにな。地理に明るいし。
まあ年だけどw
はっきりいって、漢中争奪戦に主要な武将をほとんど投入しており、そのあと半年で
関羽の北上戦があったのは、どうしても不可解。よほど呉との関係が悪化して、南郡
をすぐに明け渡せと言ってきたとか、それぐらいの理由がなければ・・・。
>>300
北上戦自身の魏に与えるダメージはかなりあったろ?
麋竺は親族ではないか?
たしか妹が劉備の嫁ではなかったけ。
関羽、張飛、簡雍は盟友より親族に近くないか?
というか、入蜀から漢中制圧までほぼ八年も戦争続きにもかかわらず、
さらに荊州の軍勢を北上させる事に無理を感じずにはいられん。
劉備の意思なら正気とも思えないし、関羽の独断なら短慮とも。
ついでに言うなら、漢中の時に益州に総動員を発しているので、
荊州に回せる後方予備戦力は無いと思われる
情勢が膠着するまえに勢いで突破しようとしたのかねえ
>>295
反対したみたい。理由は「他の将軍が納得しないから」
誰が納得しそうにないかというと関羽。黄忠の活躍をまじかで見ていた張飛や馬超なら納得するだろうが彼は・・・みたいな
全体の和を重んじたんだろうね
魏延は劉備の部曲(私兵)出身だったってどこかで読んだ気が
もしかしたら派閥にとらわれない国主直属の将になることを期待されてたのかもね
益州閥は結局前の劉ショウを追い出して劉備を迎えたんだけど。今度は劉備を追い出しにかかる可能性もあったわけで
そこで自分とのつながりが関・張よりある意味強い叩き上げを漢中において内外を引き締めたと
>>307
「以部曲随先主入蜀」ってのはそう訳すの?
>>306
しかし、黄忠を評価しないと信賞必罰が保たれないしね。
あちらを建てればこちらが立たず、こちらを建てれば・・・・。

なんか黄忠や魏延といった面々が入蜀・漢中戦で手柄を立てたのに焦って
関羽が北上した、と言われかねないタイミングだよな・・・。
関羽と張飛は結局流浪の軍団のときの性が抜けきってない感じだよな
そうだが、流浪の時からずっと尽くしてるという自負もあるだろ
所詮は人間
聖人君子じゃないんだから簡単に割り切れるもんでもあるまい
312無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 22:13
>>308
有名な「ちくま訳」は
一隊長として先主に随行して蜀に入り

部曲(私兵)を持っている身分層とみるか、
後半に出てくる<致首於儀,儀起自踏之,曰:「庸奴!復能作惡不?」 >
庸奴から身分が低いと見るか。

普通の武将は不満があっても「言わない」のではなく、「言えない」だけ。
黄忠のように、活躍に応じて高い役職につけるのは一見何の問題もないように思えるが、
元々身分の高かった武将や、活躍の機会が与えられなかった武将にとっては不公平感を感じる。
関羽のように主君に対して忌憚なくものを言える立場の人が、そういった不満を表明するのは大事なこと。
人事の問題によって、国が分裂したり滅びたりという例はたくさんある。
荊州を魏と呉から守るよりも入蜀、漢中戦のほうが
戦功が上とされたら関羽としても納得しがたいだろ。
そこまでの考えを関羽が持っていたのなら、問題はないが
悪いが、そうは思えない。

孔明あたりはそこら辺まで考えた上で発言してそうだが。
活躍した武将に報いなきゃだれが命を賭けるのさ?
自分の意地とか気持ちだけで戦意を維持できる武将のほうが少数派
関羽は単なる目立ちたがりじゃん
筆頭武将であることには代わりないのに諸葛亮の予想通りごねてさ
>>315
別に関羽が全体のことを考えて発言したなんて言う気はないよ。
ただ、トップの権力が強い組織は不満が内包されやすく、
関羽のような立場の人がそれをトップに対して言うのは大事なことだと言ったまで。

第一、孔明が関羽以外の人の名前を出せるわけがない。
他の人の名前を出して「不満を持つかもしれない」なんて言ったら、その人の政治生命が絶たれかねない。
孔明の発言はその辺りを配慮していると思われる。

実際、口には出さないだけで黄忠の人事に対して不満を持っていた人は他にもいただろう。
318無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 23:02
趙雲は他の将らが失敗したときや危機におちいった時に
救援に赴いたり.援護を指示されたり。これは蜀のリーサルウエポンと
いってもよくない?しかもそれらをしっかりこなす。
堅実で有能だから劉備や孔明が何かの時のためになるべく手許に
置いておきたかった、そう個人的には思うのだが。
大体このスレで現代人がどんなに推測しようが、当時リアルで接していた
同僚達に「虎威将軍」とよばれてたくらいだから名将なんじゃないか?
関羽なんて「髭どの」だよね?よばれてたのって。
姜維も趙雲死後.諡を奏上するときに大賛辞で讃えてる。
(↑こんな事いうと姜維なんかに誉められても意味はない..なぜなら姜維は
バカだから.....とかいう煽りがきそうだが)
賛辞の内容も.どうも小隊や小さな極地戦しかしてない人間に向けられた
内容には思えないのだが。趙雲は功績があまりないという意見も
あったが劉禅や姜維に「先帝に従って功績が顕著であった」と
言われてるし.「功績は記録されるべきであります」とも言われてる。
上記のことから考察するに.正史には記載されていない功績も多々あったと
思う。だから趙雲名将説を強く推す
316
君のような浅はかな人が人事を担当したら、その組織は崩壊するな。
>活躍した武将に報いなきゃ
それは当然だが、それが全てではない。
活躍の機会は全員に平等に与えられるわけではない。

活躍した武将ばかりが取り立てられるのなら、誰が地味な役割を引き受けるのさ?
>>318
名将というかいぶし銀、良将の範疇で十分だと思うんだが。
>>319
まるで「かけっこ理論」のような物言いだな
君が人事を担当する組織は縁故・贔屓と硬直化が幅を利かせるんだろうね
活躍の機会を掴んでもそれを功績に直結させられる人材は稀有だ
稀有な人材を大事にするのは当然
第一、黄忠は確かに武官位では関羽と同一だが文官職を兼ねているわけでもなければ関・馬のように仮節を与えられたわけでもない
にもかかわらず一事をもってごねるほうがおかしい
>>319
別に黄忠を関羽の上に置いたわけじゃないし依然として序列は関羽>黄忠。
それに決して荊州で留守番をしてた者たちを軽視したわけではない。
>>321
いやぁ、本当に浅はかだよ君は。
人事に対して不満を持つ人のことを「おかしい」とは。
324無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 23:31
おまいら煽るのはやめんか
>>321
そうだね。
ここで関羽がごねるとできたばかりの蜀政権が分裂しかねない事態を引き置こす可能性さえある。
むしろ関羽は私人としても公人としても、これが不公平な人事であったなら別だが、このような不満を表明すべきでない立場だった。
ここに関羽の性格的な欠陥があると思う。ただ理を以って悟らされた後、自ら姿勢を正したあたりは美点であると思う。
326無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 23:33
>>320
もうそのお約束みたいな切り捨ては聞き飽きたよ。
ほかの考察が聞きたい。しかもいぶし銀だと名将になれないのか?
名将にいぶし銀はいないのか?
>>323
煽りしかできない=反論不能でFAか
関羽関連は何かにつけて荒れるなぁ
そろそろ張飛にいく?
趙雲は名将でかまわないと思うが
いぶし銀というより、余人をもって替え難い活躍をしてるし
能力と人格・それに活躍期間の長さを考えると、これだけ揃った武将は少ないと思う
問題は魏延王平黄忠張飛張嶷 等他将を超えられるかだな
>>322
荊州で留守番をしてた者たちよりも入蜀、漢中戦をした部将のほうが評価されてなかった?
>>327
関羽が不満を表明するのは当然とは思わないか?君が出世欲がないか、あるいは聖人君子なら話は別だが。
いくら活躍したとはいえ、旗揚げ以来仕えてきた自分と新参が同列に扱われれば不満を持って当然。
>>325
関羽が、他に不満を持つ人に対してそれを言ったなら大変な問題だが、
直接主君に言う分には何の問題もなく、むしろ組織にとっては健全。
>>332
関羽って別に劉備に意見したわけじゃなくて、叙任の使者相手ににごねて困らせただけなんだが(藁
まぁその後諭されるとすなおに自分の不見識を認めたのはやはり立派だとはおもうが。逆に言えばそこまで踏み込んでくれる人物が傍にいないと暴走傾向が
そういえば関羽は魏延が漢中太守になったときは文句をいってないよな?
黄忠よりこっちのほうが抜擢だと思うんだが。
>>332
> 関羽が、他に不満を持つ人に対してそれを言ったなら大変な問題だが、
> 直接主君に言う分には何の問題もなく、むしろ組織にとっては健全。

その人事が不公平なものであり非があるものであるならそれは妥当かもしれない。
しかし、関羽の不満は後に認めるようにあくまで個人的感情にすぎなかったわけだから、この場合組織にとって有害でしかない。
>>334
魏延は認めて黄忠に文句言うのは確かにおかしいな
やっぱり魏延は劉備の私兵出身で関羽と面識があったんだろうか?
>>333
だから、直接その使者に言ってるんだろ?
不満を腹に抱えたまま、それを他の将に語ったりしたら問題だし、政権分裂の危機にもなりかねないが、別にそうしたわけじゃない。
>>337
日本語不自由?
>>337
だから結局自分の不満が見当違いだったって関羽自身が認めてんだろうが
しつこいなぁ関羽厨は
>>335
他にその人事に対して不満を持つ人がいなかったと思うのかい?
言えないだけで、他にもいたと思うよ。
歴史において、人事問題で多くの血が流れたことは知ってるよね?
不満を腹に抱えることが一番恐いことであり、直接それを言うのは健全。
>>329
いいこと言った!!
劉備は漢中王になると関羽を前将軍に任じて辞令を費詩に届けさせた。しかし関羽は黄忠が後将軍になったと聞くと立腹して「老人とは決して同列にならぬぞ」と言った。費詩は諫めて言うに「むかし蕭何・曹参は若いころから高祖劉邦に仕えておりましたが、
後から陳平・韓信がやってきて上位に就いたとき恨みごとは言いませんでした。漢中王と関羽殿は一心同体の間柄ですのに、官位の高低を気にして辞令をお受けにならないのは残念に思います」と。関羽は悟り、すぐさま拝受した。
(正史・費詩伝より)
>>340
じゃあ他に不満をいだいた人物がいたというのなら挙げてくれ
黄忠が任官されて何か蜀に不都合が起こったか?
あと使者に文句いって、その場で諭され本意したのがどう「直接言う」と表現できるんだ?
>>339
だからな、不満を直接言うのは別に問題じゃないと言ってんだろうが。
それで諭されて納得してるんだから。
俺がさっきから言ってるのは不満を腹に抱えるのが一番悪いパターンだって言ってるの。
黄忠は一時、曹操から任官を受けていた「降将」だから関羽が嫌がったとか
でも関羽自身も曹操から任官受けてるしなぁ
>>334
関羽が怒ったのは序列的に黄忠に並べられたことであって、蜀入りした連中が抜擢されたことではない。
関羽=前将軍・黄忠=後将軍に比べると魏延の鎮遠将軍は抜擢され重要拠点を任されたとはいえ序列的には下なので特に文句を言わなかったのであろう。
>>344
関羽厨は晩夏の蚊よりしつこいな
馬超が劉備配下に加わっては文句をいい
黄忠が昇進してはごねて
挙句同僚には傲慢に振舞い・・・
関羽の末路は道理だ、って陳寿に酷評されるのもわかる
>>344
> 俺がさっきから言ってるのは不満を腹に抱えるのが一番悪いパターンだって言ってるの。

だから不満の意を表明した関羽は正しかったとでも言いたいのか?
>>349
不満を持ったままのほうがいいと思うか?
直接それを言うのはいいことだよ。
>>340

>>他にその人事に対して不満を持つ人がいなかったと思うのかい?
>>言えないだけで、他にもいたと思うよ。

根拠ないな。他に誰がいたんだよ。
さっきから論理が独りよがりで飛躍がありすぎるんだよ。
それじゃ誰も納得しない。
>>350
関羽はたとえ不満を感じていてもそれを表明してはいけない立場にある。
それが個人的な独りよがりな不満であればなおさら。
そのことがわからないか?
関羽としては
劉備が荊州を得るまで一緒に戦っていた+荊州守護=入蜀、漢中戦(夏侯淵斬り)
とされたことが不満だったのかな。
>>344
ちがうだろ、
劉備陣営で特別視されている関羽が文句を発言すること自体、大問題なの。
すべての人間が費詩の様に上司に異を唱えられるわけではない。
むしろほとんどの人間が萎縮してしまうだろ。
>>350
それとわかってないようだから言うが、もし関羽が不満を表明してそれ以外の部将が同調したらどうなるんだと思うんだ?
その危険性がわからないのか?
356無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 00:29
関羽は馬超が来降したと聞くと、もともと旧知の仲ではなかったので
関羽は諸葛亮に宛てて手紙を書き、馬超の人品才覚は誰に比類するかと
質問した。諸葛亮は関羽がプライドが高いと知っていたので、
彼にこう返答してた。「孟起(馬超)は文武を兼ね備え、雄壮激烈たること
人一倍であり、一代の英傑、黥(布)・彭(越)の仲間である。
益徳(張飛)と轡を並べて先を争うべきであるが、それでも貴方の
絶倫傑出ぶりには及ばないだろう。」
関羽は手紙を見ると大喜びし、賓客たちに見せびらかした。

これからも分かるとうり関羽は人格的に駄目だな。ガキみたいだ。
名将の定義で司令官.大軍勢を率いたってことを挙げてるが
これが重要拠点を任されている司令官の行動か?
兵士数とか領地の大きさなんか.個人の評価には
だんだん関係なく思えてくるぞ?関羽さんの行動みてると。
単に黄忠の年齢だけが不満だったけじゃないの?
老兵呼ばわりしてるだけで、別に人事上の観点から苦言してないし
劉備、関羽、張飛、簡雍の初期メンバーがDQNなのは
周知の事実じゃないか。何を今さら・・・
攻めるには良かったんだろうが、荊州に必要な人材は手堅い州経営をする人物だったとこに関羽の不幸はある
どうも聖人君子以外は認められないようだな。
普通に考えれば不満を持つのは当然だし、それを直接言うのも何の問題もない。それで解決してるんだから。
>>360
問題発言・問題行動が多すぎる
普通の基準で考えてもドキュソ
>>360
不満を持つなとは言わないが、
大人なら我慢とか他人を建てるとか奮起するとか、するものだ。

不満を公の場で発言するのは、ガキ。
>>360
何か勘違いしてるようだが、別に関羽を認めてないわけではないぞ?
ただあの場面では不満の表明はまずいものであったと言ってるだけ。
関羽の傲慢さは、自分一人じゃなく蜀全体の命運に暗い影を落としてるからな
後方の太守クラスにまで威張りくさって後詰が甘くなれば、魏呉の挟み撃ちに耐え切れないのも当然
>>360
これが名将でなく猛将を決める板なら
あんたの言ってる事は正しいよ。
ただ名将のくくりに無理矢理ねじこんでくるから
叩かれてるんじゃない?なに言っても都合のいい自己解釈で
返してくるヤツが多いから。
>>355
わかってないのはそっち。
他の将に語って同調者を集めれば問題だが、劉備からの直接の使者に言っている、
つまり、劉備本人に対して言いたいことを言っているにすぎないわけで、
別に危険性はない。
>>366
担がれる、という可能性は無視か?

本人の意向を無視して状況が進行してしまう場合ってのは多いぞ。
こういう決め付けはよくないかもしれないが、なんで関羽厨っていうのは欠点の一つを指摘されただけで全てを否定されたように感じるのだろう?
>>366
だから人事上の観点の苦言じゃなく、単なる不満だろ
そんなもので主君からの任命にケチつけるおっさんって何だよ
下手すりゃ劉備の権威がた落ちだぞ
その一つ一つが致命的欠点だから
張飛はその点人事に文句つけることってないよな
むしろ士大夫クラスにはかなり下手に出てる
そもそも基本的な部分で、関羽に劉備を裏切ろうという考えがない。
単に劉備に対して不満を言ったにすぎず、他の人がそれに付け込んで、関羽を担いで劉備に反乱しようとしても無理。
>>370
たしかに最後にはその欠点で身を滅ぼし蜀の可能性を著しく低めてしまったね。
ただオレはそういった欠点も抱えつつ蜀にとっては功績も多くあるし、三國志においてその実情はともかくとしても名だたる名将たちの一人であったとは思ってる。

念のために言っておくと322、325、335、346、349、352、355、363、368もオレ。
なんか勘違いされるかもしれないから一応表明しておく。
>>372
中国の歴史をもっと勉強しましょうね
>>366
よく考えてみろよ。
使者と関羽の2人だけの内々のやりとりで済んでいれば、
そのエピソードが現在まで伝わっているわけがないぞ。
>>372
状況ってのは恐いぞ。
幾ら不動の忠誠心があろうと周りがそれを許さない場合もある。
そんなに単純じゃない。
>>374
君ほどじゃないにしろ、歴史は勉強しているよ。
君の話が飛躍しすぎ。
関羽が裏切るわけはない・・・ねぇ
コーエー三国志のやりすぎじゃないの?
>>375
諸葛亮も懸念していた。実際にも不満を漏らした。
これで処理を誤っていればやばい状況になった可能性はあるね。
>>378
すまんが君と違ってゲームは好きじゃない。
裏切るような男なら、曹操の元で栄達の道を選んだろうね。
わざわざ流浪の劉備の元へ帰るのかい?


あと、担がれるとか何とかという話だけど、飛躍しすぎじゃないか?
関羽が不満を言い、諭されて納得した。ただそれだけだと思うが。
>>380
何も起きなかったから、それだけといえるんだよ。
何かが起きる危険性があったから、諸葛亮が懸念するんだろ。

関羽だけじゃなくて、もっと他を見ろ。
>>380
人事がどうのという話はどこに置いてきた?
それとも延々と関羽の不満を過大評価してきた関羽厨とは別人か?
>>380
だから

> 関羽が不満を言い、諭されて納得した。

っていうことはさ、関羽は自らに非のあったことを認めてるわけでしょ。
あなたは最初の時点において関羽に非があったことは認める?認めない?どっち?
関羽はもっと余裕のある態度を示して大人物の風格を表してほしかったね。
見た目威厳のある人間なのに妙に狭量な所がある。
横山漫画とかだと威厳があるけど
本場中国だと顔が真っ赤なんで、あまり威厳があるようには見えないな。
大陸ではそれが威厳があるんじゃない? >赤ら顔
男の格付けには誰しも敏感なものだよ
と関羽擁護してみるテスト
関羽は実は将軍になるより、問題起こして劉備の元に送還されたかったとか
忠誠を忘れなかったり、序列を気にしたりするところがまるで犬みたいだね。
>>381
だから先程から言っているとおり、他にも不満を持つ奴はいただろうし、
何かが起こる危険性のある人事だった。
でも関羽が直接それをぶつけ諭されて納得して終わり。
孔明が危惧したのは、関羽が不満をため込んで他の不満分子と語らうこと。
しかし、全て杞憂に終わった。
356 の言うような.とうてい弁護できそうにない記述には
関羽オタはスルーですか?365の内容と黄忠の件って同事跡じゃないの?
虚栄心と優越感の塊のように感じるな、関羽は。
これが健全と言張れる脳内変換癖をマスターした信者を
後の世に残せたことは、関羽の功績だと認めるよ。
陸遜もはいるな
>>390
・・・・・・・・・はぁ

もっぺん読み直してこい。
>>390
この問題における孔明の対応はすごく興味深い。
劉備と関羽の関係を考えれば>>380のように関羽が裏切るわけがないと
考えるのが普通だが、孔明はそれでもなお関羽が裏切る可能性を危惧した。
それだけの慎重さが関羽や姜維にもあったら蜀の運命はまた違っていたかも
しれないな。
>>383
不満を持って当然だということはわかるでしょ?
それで、その人事に至った理由を説明されて納得した。
非があるとか無いとかは関係ないと思うが。
396394:04/06/28 01:33
>>394に補足。
司令官に必要だったのはまさにその慎重さだったのではないか。
関羽や姜維の悲劇は、指揮官タイプの人間が司令官的な役割を
果たさねばならなかった蜀の人材の少なさにあったかもしれない。
変な言い方だけど、彼らが死ぬまで指揮官の立場にいれば、
今こうして評価が紛糾することもないだろうな。
ただ関羽の態度は弁護できんが、
抜擢が危険なのは事実なんだよな。
398無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 01:36
なんか関羽厨と姜維厨に反発して思いのほか
関羽と姜維が評価下げてるな

三戦らしい傾向だ(笑)
>>395

>>その人事に至った理由を説明されて納得した


費詩は諫めて言うに「むかし蕭何・曹参は若いころから高祖劉邦に仕えておりましたが、
後から陳平・韓信がやってきて上位に就いたとき恨みごとは言いませんでした。
漢中王と関羽殿は一心同体の間柄ですのに、官位の高低を気にして辞令をお受けに
ならないのは残念に思います」


ここを百回読め。関羽は費詩に理由を説明されたわけじゃない。
その態度を諌められたのだということがわかる。
費詩が故事を引用して関羽の非を責めたのは明白だろ。
何を勘違いしてるのか知らないが。
抜擢されてそれに予想以上に応えるのもいるけどね
黄忠の抜擢について関羽以外が文句を言った記録が残っていないのは
どう解釈すればいいのだろう?
みんな不満を抱いていたけど関羽が一人軽率だったのか、
黄忠の戦いぶりを見て大抜擢は妥当だと納得していたのか。
三国志だと赤壁で周瑜が抜擢されて問題がおきてるな。
>>399
それだと人事にはなっとくできず
戦功がほしくて北上した可能性がありますね。
>>402
陸遜も抜擢直後は苦労したみたいだしな
>>399
俺は、その時に理由を説明したと見てるけどね。
>>401
他の奴が不満なんか言ったら不満分子として消されて終わりだろ
言えないに決まってる
馬謖も抜擢されて王平が苦労したし。
408無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 01:50
あのー
男ってのは格付けにだれしも命かけるもんなんだよ
まあ関羽はひときわプライド高いにしても
みんなそういう面はあったと思うぞ
君らも格付けに自分の進退かける日がきっと来る
そしたらわかるよ    
                           大人より
>>396
慎重すぎてもいけないと思うが。

大きなリスクに挑戦しなければ大きな成果は得られない。
更に戦争なら、リスクに怯えるあまり小さなリスクしか超えようとせず、
それによって小さな勝利しかえられないならば、単に相手を刺激するだけで
戦争を終らせる事は出来ない。

国力の小さい蜀では、戦闘力の回復の度合いが魏に遥かに劣る。
決定的な勝利を収めなければジリ貧になる。
姜維は大きなリスクに挑戦して失敗しただけであって、失敗を責めるのは正しいが、
挑戦した事自体を責めるのは間違っているだろう。
>>408
現状の格付けに不満があるなら、
相応の手段でどうにかするものじゃないか?
不満を口に出すのは、格付けとかそういう以前の問題。

ああ、だから関羽は不満を公言した挙げ句、
根回しもろくにせずに北上したんですね?
関羽は猛将であることに文句はないが
多分蜀以外だったら重要方面を一任されるほどの地位には上れなかったと思うな
性癖からいくと名将とは言いがたい
>>408
と、言う事は文句を言わなかった他の蜀の連中は、みんなお子さまで
ただ一人関羽だけが大人だったんですね。すごく勉強になりました。
あとひとつ.本当の大人はあんたみたいな事は言わないと思うよ。
413無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 01:58
>>409がいいこと言ってる。

414張飛:04/06/28 01:59
俺の悪口ももっと言わんかい!
>>408
お前みたいな嫌な性格してたんだろうね、関羽って。
やっぱり駄目だ,関羽は。俺が同僚だったらついていきたくないね。
>>409
姜維は大きなリスクに挑戦して失敗した武将には見えないな
むしろ中途半端に慎重だったせいでどんどんジリ貧になっていたように見える
417無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:02
>>410
根回しもろくにせずに北上したんですね?

夜中だけどがんばってその根拠をあげてみて

格付けやその他の不満は口に出すことで話し合いで解決
しうるからそうするべきなんだよ
いきなり行動したらよっぽどまずい

ていうか関羽は蜀を代表する武将だからそういう記述が残ってるけど
他の武将も多かれ少なかれあると思うよ
あんた評価しにくい。
酒癖が悪かった(孫権には勝てんが)ぐらしかない。
>>416
それは姜維だけに責任を押しつけるのは酷だよ。
大軍を与えなかった政権にも一端はある。
420無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:04
>>415
お前みたいな嫌な性格してたんだろうね、関羽って。

笑うしかないね(笑)

>>416
慎重だったのは費禕に抑えられてた時だけだと思う。
大軍を動かすようになってからは大勝を狙っていたかと。

張翼の諫言を聞き入れずに、狄道の包囲を強行した事からそれが分かる。
慎重なら数万の首級で満足し、無理にそれ以上の戦果を求めようとはしないだろう。
自分は、こういった追撃による勝利の拡大を行う勇気も将には必要な要素だと思う。
>>419
>大軍を与えなかった政権にも一端はある。
それは姜維の擁護になるのか?
政権は姜維に大軍は任せられないと判断していたということにならないか?
>>417
根回しが不完全だったのは事実だろ。
完全だったのなら、漢中や呉と連携して北上する。
最低限、上庸の占領統治が一段落つくまで待つだろ。

あとね、組織ってのは規律が大事。
重要ポストについたものがこういった失言するのは、
確実に規律を乱している。
>>422
大軍を任せられないというならば、出兵なんかさせない方がマシ。
中途半端な出兵を行わせた政権こそ、中途半端な慎重さの持ち主に他ならない。
425無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:13
姜維に大軍与えて果たしてうまくいったかどうかはわからんが
少なくとも一つのチャンスは作れただろうね
それに長期的に見ると小出しして効果ないより
効果的な兵力で効果的な局面での行動に
はじめて成功のチャンスってのは生まれるもんだからね

つまり費イのその場ご都合主義がすべての原因とみてるな
博打を行う勇気そのものを評価するのはイヤだな
それだと無謀な奴の評価が最高になってしまう
博打だからこそ結果で評価したい
例えばカンネイが寡兵で敵陣に乗り込んだエピソードは
成功したからかっこいいけど、失敗したら犬も食わない
規律を乱すから抜擢と言うんじゃあないか?
>>422
それは否定しない。
ただ国力の大部分を使う遠征をして負けたらまずいという
常道あるいは保守的な思考からで、
例え関羽や張飛でも大軍は任されなかったと思う。
429無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:18
>>423
根回しが不完全だったのは事実だろ。
完全だったのなら、漢中や呉と連携して北上する。
最低限、上庸の占領統治が一段落つくまで待つだろ。

まあ根回しが不完全と言葉が変わってるのでそこは同意だな
根回しをろくにしてないとは意味違うじゃん

話ころころ変わる人ですね

>>426
リスクに挑戦した事を評価しろと言ってるんじゃなくて、
リスクに挑戦した事で評価を下げるような事はするなって言いたいんだよ。
姜維伝の注でも、姜維のクーデターについて、失敗したからといって責めるなと言ってるんだし。
>>427
違う。
功に対して賞する事や、適所に適材を配置するのはあたりまえ、それが健全な組織。
健全じゃない組織は、やたら身内やら序列やらで人事を束縛する所。

それに上の意向にケチをつけるのは、
配下が自分の意向にケチをつけた時に罰っする根拠を失う事になる。
432無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:21
姜維だって周到に戦略を立てての進攻をしたはず。
それがたまたま功を奏さなかっただけのことでは。
蜀滅亡後の姜維の行動から考えて国のために動いていることは
間違いないのだから。
姜維肯定派の人に頼みたいんだけど、
姜維の功績を簡単でいいからリストアップしてくれないか。
434無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:23
>>423
君は世の中というものをあまりわかってないね
偉い人は失言しないとかそんな単純なものではないよ
人間そんな綺麗に割り切れない。

まあ今の政治家が失言によってマスコミに攻撃されることと
同等に考えてるのなら少し違うと思うよ
>>429
ろくに〜 (あとの打ち消しに伴って)十分に
不完全  十分でないところがあること     岩波 国語事典

そんな事つっこんでどうするの?
436無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:28
>>435
議論(たんなるののしりあいだが)において
話の途中で意をかえることで大きく論点がずれる
のを防ごうと思ってつっこんだだけですが。
お互い確認できてよかったでしょ?
>>433
・五丈原からの撤退時、戦う姿勢を見せて司馬懿の追撃を逃れる(華晋春秋)
・汶山郡平康県の蛮族の叛乱を鎮圧
・魏の将軍徐質を撃ち破って首を斬る。更に多くの敵兵を降伏させ、
 河関・狄道・臨洮の三県の住民を連行して蜀に移住させた。
・洮水の西で雍州刺史王経を撃ち破って数万の首級を挙げた
>>436
傍から見て>>429は荒らしの嫌味に見えたよ
他にはどんな活躍があるかな?
蜀将で3、4位を争う名将ってことは他にも功績があるんでしょ?
440437:04/06/28 02:31
>>437の撤退時に云々ってのは漢晋春秋です。
>>431
トップが絶対的な権力をもてば健全な組織を作れると思うが、
蜀は荊州派と益州派にわかれたりで、劉備の権力もそこまで
強いと思わないですが。
数万の首級ってすごいな。これは信頼できる数字なのか?
たしか派閥人事が結構あったはずですが。
444無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:35
ていうか
関羽以外の諸将が不満なんて何一つもらさず
聖人君子のような働きぶりだったとでも思うの?

だとしたら相当脳天気な人たちだと思うぞ
孔明だって姜維だって王平だろうが魏延だろうが
みな仲のいい人やら相談できそうな人に不満漏らしてたと思うぞ

それがわかるぐらい君らも世の中というものにかかわりなよ。

この議論はあまりにもくだらないと思うんだが。
関羽が根回ししたという記述は正史からは読み取れませんな
蜀記によると、孫権と組む姿勢をみせたんだけど例によって無礼な態度をとって相手を怒らせたとか・・・
446437:04/06/28 02:37
>>442
原文は
「大破魏雍州刺史王経於洮西、経衆死者数万人」
となってる。水増しがあったのかは分からないけど、
魏ほどでは無いだろうから、1万は超えてると思う。
>>444
その漏らした場と相手が問題なんでしょ?
関羽の不満が「老兵なんぞと・・・」という子供じみた理屈だから正史に残ったんだよ
他の武将は不満があってもまともな理由があったから別に普通の不満でわざわざ記述する必要もなかったんだよ
449無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:39
一万も超えてないだろ
まあでも大勝だったのはたしかだな
1万でもすごいな。なんか質問ばっかになっちゃって悪いけど、
それだけの大勝をした蜀将って姜維以外にどれぐらいいるんだ?
「数万を殺し」なんていう戦果を上げた武将は他にいないはず
というか三国時代全体でもそんな殲滅戦は珍しいだろ
>>449
あの戦闘は、ケ艾をして「殆ど危機滅亡の状態」と言わせしめた程だぞ。
>>444
公私の分別をつけれるかどうかの問題。
幸い関羽は最終的には公私の分別をつけることができたから大きな問題にはならなかった。
しかしこの問題がうまく処理できなかった場合のことを考えると関羽には蜀の重鎮として最初から自重して欲しかったというところじゃないのかな。
費詩が諭さなきゃ関羽暴走してたかも
何しろ他国の君主である孫権にすら礼儀を守らない性格だからな
馬超の件でも諸葛亮が気を使わなければどうなってたか
で、士仁らにはクッションになってくれる人物がおらず・・・
しかし趙雲→黄忠という流れが関羽に一気に持っていかれたなあ……
良くも悪くも関羽の存在感はすげえなあ
456無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:51
>>448
充分まともな理由だろ
老人におおきなことまかせて
大丈夫と思うか?
場も相手も充分あり得る不満の表し方だと思うんだが。
>>448 まともな不満っていったいなんだ?世の中そんな綺麗
    な不満なんてあんのかな?
老兵なんぞとは他の将がまわりに言ってた図は容易に想像出来るんだが。
    正史に書いてないことは起こってないとでもいうのかね。
    正史鵜呑みにしすぎじゃない?
   
   
>>456
だからと言って相手に非がないのに味方同士の不和を招きかねない言動は慎むべき。
関羽ネタはレスものびるが、荒れる諸刃の剣だな。
459無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 02:55
>>457
あなたは聖人君子、小学校の教科書のような
素敵な意見を吐いてくれます。

心が洗われました!
>>456
どこがまともだよ
能力不足ならいざしらず、歳食ってるなら当時基準なら関羽も同じだろ
あれだ、関羽は仁や李典を見習え
張飛・馬超は許容し、他ならぬ劉備自体がプッシュしてる
で、ごねた関羽も結局認めた黄忠をどうしてそこまで貶められるのやら
関羽が人事に対して不満を持つことは容易に想像がつく。
危険なのは関羽が何も言わず、他人に勘ぐられること。
不満を直接言って解決したのは、あの場合良かったんだよ。
使者が費詩以外であっても、使者が関羽の言葉を劉備に伝え、それで劉備が関羽を諭して解決していた。
>>456
まともな不満=能力不足・性格に問題ありなどの実害を引き起こしかねない要因
さて自分も老人の域なのに人様を老兵呼ばわりした関羽君は・・・?
それと正史鵜呑みじゃない君は、自分の偏った想像が史実だとでも思ってるのかね?
>>463
いや、関羽が笑って
「ご老人には負けられませんな、次は蜀に関羽ありと言わせて見せましょう」
のような事を言って懐の大きいところを見せれば問題なかった。
>>463
何もいわないで勘ぐられる・・・関羽の補佐にエスパーがいたのかね?
だとしたらなぜ呉の裏切りや太守連中の離反を伝えなかったのかな?
467無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:04
しかしここで関羽の言動を非難してる人たちは
関羽の不満が実現化することなく
むしろ関羽や張飛やその他古参は
ちゃんと我慢して新参をうけいれたわけで
結果問題は発生しなかったという
ことを普通に確認すべきでしょ

問題の発生を非難するのでなく
不満を言ったことを非難するんであれば
出家でもしとけとしかいいようがないな。
活躍期間が短いけど、黄忠は功績あれど失策無しじゃん
>>467
TPOが守られているなら、不満を言っても問題なし。
それが出来ていればね。
>>467
不満が一回きりならな
最終的に蜀弱体の要因にまで発展してる性格を問題にしてるの
問題としてるのはそこから垣間見える関羽の性格なんだが
さてそろそろ馬岱が名将かどうかに移ろうか
・魏延を討った
・牛金に負けた
以上が正史から読み取れる事柄
最終階級平北将軍・陳倉侯
まともに官位だけみれば北部方面軍にいたはずだが・・・?
473無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:11
>>466
ほんと人の感情の機微とかわかんないのかね(笑
もうちょっと人と接した方が良いよ君は。それか本もっと読みなさいw

ずーと劉備と頑張ってた人間がいきなり新参に
同列に並べられたら普通に怒るぞ。関羽にかぎらず古参は同じ感情だよ。

そういう格付け人事で男の社会というのは成り立ってるんだよ
>>465
それでも良かったかもしれないが、別にどっちでも良かったんじゃないか?

>>466
君は勘ぐるという言葉の意味を勉強したまえ。
>>473
つまり私的な不満をぶちまけた。それだけだろ
最初の人事上の〜とかいう話はどこいった?
>>473

>>そういう格付け人事で男の社会というのは成り立ってるんだよ

こういう根拠のない価値観を押し付けるわけ?
それが真実であるという確信があるのか?
単におまえがそう思ってるだけじゃないのか?

俺はそうは思わない。能力があったら最大限それを評価すべきだ。
この俺の考えを、お前が否定できるのか?
>>472
事績が少なすぎてよく分からない、以上。
とりあえず名将とするのは無理がある。
478無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:15
>>475
そういうことだよ
ただそれだけ
麋竺・孫乾のように古参が名誉的に高い将軍に着くケースはあるが
前後左右将軍は職制を素直に実行するなら実戦部隊のトップたちだ
何年付き従ったから、で決めて敗北したらどうするんだ
>>478
しかし費詩のような人物がいない場合は士仁・ビ芳に対するような問題を引き起こしてアボンと
馬超と黄忠だけなら自尊心が強いだけでそこまで問題ではないが、
陸遜にその性格を見破られ、相手を軽んじて負けてしまい荊州を
取られてしまったから。
482無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:20
>>476

おれも能力あったらそれが最大限に評価されるべきとおもうけど
結局、黄忠は関羽をはじめとしてまわりを納得させるだけの
能力と功績がみとめられたわけでしょ?
だから問題が起きなかった。

これが実力無い人間だったらまわりの猛反対でつぶされてたでしょ
それだけの話でしょ
>>476
別人だが、能力主義をうたっている企業ほど、幹部は社長の親族や付き合いの長い人で固められているものだよ。
人間に感情というものがあるかぎり、完全能力主義なんて実際は不可能。
>>481
麾下の将を軽んじて背かれてるし。
しかも長年の戦友であるビ芳にすら。
>>483
曹操がそうだったね
486無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:23
格付けってものは
今までの功績と能力のバランスを見て判断されるもんなんだよ
この黄忠の格付けに関する話は
諸将の不満の解決が
問題なくうまくいった典型的な例でしょ?
これで終わりな話では?
>>483
江戸時代の商家は長男ではなく、優れた養子に店を継がせたそうな。
こういう話もあると言うことを頭に置いておけば?
曹操のような有能な血縁がいるってのは強味だよな
劉備には一族から名将と呼べる人物が出なかった
そういえば、劉備の兄弟従兄弟とかで従軍したやついないの?
地元ではそれなりの名家でしょ
490無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:27


  もう名将馬岱の話にうつっても良いような気がするんだが 
>>484
それは両方の問題。
ビホウらが関羽の家来だったなら話は別だが、あくまで同僚にすぎない。
>>486
派閥がある。
これが強いと健全な組織になれない。
残念だが蜀もかなりある。
>>491
関羽は斧節をもった軍事全権で、ケイ州全体の行政権も与えられてた
同僚とはいっても指揮監督権をもってたんだぞ
>>491
確かに。
関羽だけ責めるのは間違いでした。
495無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:31
やけに素直な反関羽厨がいるな
  

  もう名将馬岱の話にうつっても良いような気がするんだが
「関羽は傲慢な性格だったため南郡太守麋芳・将軍士仁の恨みを買っていた」
正史にこんなのモロ書かれてるんだからなぁ
劉備の一族って。なんか負けるたびに捕虜にされた〜ぐらいの話しかでてこなくて
そもそも一人前の将軍になった人物の名前も見当たらないな
関羽は傲慢、張飛は粗暴、簡雍は不遜。
個性豊かなDQNが国を興した。
それでいいじゃないか。たいしたもんだ。
なんの問題があるんだ。
>>497
まあ関羽にそういう高慢なところがあるのは認めるよ

それが自分の首をしめる一つの欠点だったことは確か。
黄忠云々の件でそれが具体的に事を荒立てたとは特に思わないが
荊州北上失敗に関してそれを数ある要因のなかの一つの要因として
存在することは認めるよ
関羽はきっと劉備・張飛以外は信頼できなかったんだろうな
逆にそこまで傲慢な関羽がなぜ劉備にはべったりだったのか
演義並の義兄弟だったのかなやっぱり
>>500
事を荒立てる前に丸く治めた費詩の功績だな
もし蜀漢と呼べる政権が産声を上げた段階で実戦部隊の一方のトップがもう一方にケチつけたなんてことがこじれたら・・・
「狢子めがこんな真似をしやがるなら、樊城が陥落したとき、吾は汝を滅ぼさずにいられようか!」
(『典略』より。関羽が北上戦中に、孫権の使者に言ったとされる言葉)
この性格は・・・お前背後刺されたかったのかと
>>502
事を荒立てる前に丸く治めた費詩の功績だな

事を荒立てるのを丸く収めたもっともな理由は
黄忠の実力と手柄だよ
それがまわりにそれ以上文句言わせなかった。
費詩も良い役回りしたけどね
>>501
孔明のことも信頼してるし、古参連中との確執も見当たらないが。
馬超や黄忠のように実際に活躍を見ていない人物に対して、懐疑を抱くのは普通だと思うけどな。
>>503

まあその関羽の性格上の欠点は関羽厨も認めるところで
それは一つの欠点であるとしてそれだけの評価だな。
それをだけをもって関羽の全体像はかたれないだろ。
欠点しか見てない気がするぞ。
関羽こそ黄忠のポジションが相応しかったのかな
劉備の手元でここぞという時に投入される最強部隊の長
じゃあそろそろ陳式の名誉回復にかかろうか
不安な人間にたいして不安に思うのは
指導者として当然だろ
関羽が孔明のことを信頼したというのは
どこに書かれてるの?
511無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 03:57


■■■■もう名将馬岱の話にうつっても良いような気がするんだが■■■■
>>510
最初の頃は劉備があまりに新参の孔明を傍に置くんで嫉妬したんだけど、劉備から「水魚の交わり」といわれると以後文句を言わなくなった(張飛とこのときはセット)みたいな話はあるが
>>510
手紙を送って馬超のことを聞いている。信頼していない人間には聞かないんじゃない?
514無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 04:00
>>510

自分の心の内を素直に相談するなんてもう信頼しきってる証拠
じゃないの
君は信頼してない人にものごと相談しますか? 







関羽厨が八つ当たりをはじめたようです
516514:04/06/28 04:01
>>513
かぶりますたw
>511
>477
518無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 04:05
逆に言ったら性格的な欠点の見あたらない
武将ってだれだろう
趙雲ぐらいかな?
ほかいる?
ろくに事績の伝わってない人は欠点が見つからないよ
馬岱とか
でも関羽ってやはり傲慢だよな・・・
自分の趣味の世界でも思い上がりが見て取れる
521無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 04:07
>>520
君が関羽嫌いなのはわかったよ
それしか言えないんならもう寝なさい
明日学校アルでしょ?
>>521
マジで。関羽は自分で武器造ってたんだが
その名前が「万人敵」
張飛の武器名のほうも恥ずかしいんだが
523無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 04:09
想像しかできない馬岱を語るのにこそ
三国志のドラマがあるんだよ!!
わからないか?
この熱い血潮!!
524無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 04:11
>>522

それは初耳
そんなカコイイ武器作ってんのかよ!!
ますます惚れるぜ!!
>>522
是非張飛の武器名も教えてくれよ
ちなみに張飛の武器名は
「新亭侯漢大将」新亭侯に封じられた時作らせた
まんまでワロタ
DQNが好きそうな名前ですね。
ただ間違いなく言えるのは、関羽はDQNだったからこそ
乱世を生き残り、成功したんだ、ということだ。張飛も同様だ。
性格円満で有能な武将のありがたみがわかるスレはここでつね
万人敵に新亭侯漢大将・・
まあ正直、関羽と張飛の馬鹿さ加減には
笑いを禁じ得ないな。
ふたりともジャイアン風な発想だw
うぬぼれが強くないとやっていけなかったのは確かかもな
血で血を洗う乱世。今の競争社会の比じゃなかっただろうし
俺も明日会社でガツーンと言うぜ
今の競争社会なんて主張したもん勝ちじゃん
性格良い俺なんて全然おいしくないぜ!
ってもう寝るよw
そんな関張だからこそ、うだつの上がらない劉備に仕え続けたんだろ。
常識的な奴なら見捨ててるよ。
まぁ。呉の問題児連中には関羽とて及ばんよ
>>533
陳登・陳グンとか田ヨみたいにな
関羽の性格が問題にされるのは
逆に言えば武将として他に欠点らしきものがあまり見当たらないからかな
正史の時系列把握で諸説あるが、背後を混乱させられなかったら徐晃に撃破されたりしなかったって言える余地もあるわけだし
>>536
この期に及んでつっこまれたいの? まさか本音ではないよな?
ちなみに>>402で出てきた周瑜には同格どころか、
軍の中にあって同等の指揮権を持つ程普がいたよな。
でも、軍をまとめ上げた

レベルの違いって、そういう所に表れるんだろうな。
劉備はのび太
流れ早すぎ
541無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 12:04
のび太=劉備
ダブルジャイアン=関張
スネ夫=簡擁
出来杉=趙雲
ドラえもん=孔明

しずかちゃん=孫乾
542341:04/06/28 12:42
もし、オレが三国志の中の人物で例えたら
恐らく趙雲だろうな…
543無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 12:53
関羽好きの俺としては悲しいスレの流れだ。
とはいえ、個人的には関羽は名将ランキング的には5位
ちなみに

1位 劉備 敗戦のほとんどは対曹操戦。曹操相手によくがんばった
2位 孔明 立案能力は一級品でしょう
3位 法正 現場での作戦能力と実行力を評価
4位 魏延 最後はあれだが、蜀という国家成立後の軍歴と一応の作戦立案を評価
5位 関羽と張飛 劉備軍を支え続けた軍歴を評価

だったりする
544無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 13:24
李厳はいかがですか?
>>538
議論の流れを無視してそこだけ突っ込んでもしょうがない
否定厨は質が悪いな
546無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 13:53
李厳の事績ってどんな感じ?教えてエロい人
>>545
まぁ、本当に議論の流れに逆らってるのかどうかよく考えれば分かるだろうに・・・
性格の話をしている時に、同じ時代に名将と言われた人物の
人格的魅力を表す事例を挙げたのにな。
関羽一人じゃやっぱり駄目だったんだな
同格の将軍をもう一人置いて掣肘しないと
でもそうするとまたごねそうだな・・・
>>547
別に蜀でも何の問題も起きていないと、昨日の晩をかけて結論が出ているのに、
わざわざ中途半端なところに突っ込むのは質が悪いよ
前スレから
> 377
> 李厳
> 劉備に後事を託された一人。
> 武勇では黄忠に引けを取らず、兵を率いれば陸遜にも匹敵すると言われた名将。
> 北伐においては、その政治能力を見込まれ三軍の補給を任された。

> 639
> 李厳
>  馬秦・高勝らの数万の反乱を5000の兵で鎮圧。
>  越スイの蛮族高定の軍勢に包囲された新道県の救援に向かいその軍勢を打ち破る。
>>549
関羽の性格自体が問題だったんだからな
関羽は遠くの人事に不満を持ち、近くの同僚にはきつくあたり、同盟国の国主孫権にすら傲慢な態度を保ち・・・
軍事以外はやらせるなこんなのに
>>459
>別に蜀でも何の問題も起きていない
なんて結論が出ているとは思えないが・・・

ちょうど、同格の人物とか性格面の問題とか出ている時に
丁度いい事例だと思うけど?
>>551
だからさ、議論の途中の部分に突っ込むのはよくないよ

>>552
だからさ、同僚との不和は互いの責任だし、遠くの人事はその場で解決して何の問題も起きていないと結論出てる。
>>554
孫権への態度はー?
問題の根幹は問題発言とオレ様行動連発の関羽の性格だろ
李厳が劉備に後事を託された話って、
孔明に後事を託す話をしたあと、たまたまその場にいたからついでに「おまえも頼むぞ」って感じで言われた程度で、
別に、孔明と同様に後事を託された、というわけではないんじゃないかという推論を以前読んだことがある。
自分もそんな感じだったんじゃないかと思う。
同僚との不和で言っても、張遼・李典の例もあるよな
正史では関羽がビ芳や士仁らを軽んじていたという記述はあっても
その反対の記述はないからなぁ
>>557
その不和を公務に持ちこまなった魏将は偉いということになるな
関羽は決して人の心の機微に通じる英明な人物ではなかった。
しかし、義理堅く忠実だから不満は口で言っても行動に出さないんだろう。
だから、他人もそうだと判断し任務には従うだろうし、盟約も守られると思う。
そんな子供っぽい純粋さのある関羽という『人物』が好きだな。

曹操も自軍の部将として欲しがってたくらいだしな。
劉備が出世しすぎたのが関羽の不幸だったんだろうな。
やっぱ関羽には、劉備の傍らにあって最強の部将として働いていたら幸せだったんだろう。

だが、荊州の守りとして魏・呉ににらみを利かせ、容易に攻めさせない為には
無名の黄忠・魏延じゃダメだったろうし、徐州で城を取られる失態をした張飛でもダメだった。
残るのは有名を馳せる関羽しかなかったんだろう。

関羽の不幸ってのは、分不相応な役をさせられた事とせざるを得ない蜀の台所事情だろうな。
ずっと劉備の傍に居たなら、きっと蜀一の猛将型名将と言われてたんじゃないだろうか
561無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 14:50
李厳は陸遜に匹敵するほどの戦上手なのか?
なら何で北伐の軍を率いなかったんだろう?
孔明が後方支援を担当すればよかったろうに。
李厳が陸遜に匹敵すると評されたのって演義の話じゃ?
正史には内乱鎮圧と留守指令・後方支援担当ぐらいしか功績が無いし
563無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 15:00
>>562
なんだ、そうなの?
>>561
諸葛亮自身が「太鼓を叩いて軍を鼓舞することぐらいなら自身はある」と言っているように、
彼は指揮官としてはかなり(というかその時代を代表するぐらい)高いレヴェルにあった。
ただし、全軍を手足のように統率することは出来たが、リスクの高い奇策や急襲を使わずに、
堅実な安全策に走ったために決定的な勝利を得ることが出来なかったのは周知の通り。

李厳は陸遜ほどかどうかはさすがに分からないが、軍・政ともに(当時の蜀では)傑出していたことは確か。
北伐軍を率いたほうがよかったとはいっても、後方支援も重要な仕事であるし、
それを任せられる人材が蜀には、諸葛亮らを除けば李厳ぐらいしかいなかったのではないか。
なぜ職務怠慢になってしまったのかは謎。やはり戦場で華々しく活躍したかったのだろうか。
ケイ州失陥と、夷陵大敗・さらに張飛暗殺・黄忠馬超の逝去などで、蜀の将軍・武官層はガタガタになったからな
事実上の国家首脳が陣頭で統率しないと管理がうまくいかないぐらいぼろぼろになったと見るべくかな
馬良が生きていれば、李厳が前線にでていたのだろうか?
諸葛亮の弾劾を読む限りだと、李厳には野心や境遇への不満があったとも感じる。
対呉の国境にあって三軍の兵站を統轄するってのは、諸葛亮に比肩するくらいの
責務だと思うんだけどね。

李厳自身の位階も昇進も文句のつけようもないくらいいいんだけど、遠征に際して
表舞台に立てず、実質的な政柄を諸葛亮に掌握され続けてた事に、嫌気でも
さしたかな………。
568無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 15:39
職務怠慢は致命的だなぁ・・・
どんな理由があるにせよ、弁護の余地がない
>>567
李厳は幕府を開きたくてしょうがなかったみたいだしな。
「自分は諸葛亮と同等の境遇で当然だ」とでも思ってたんだろう。

蜀は能力はあっても人格に欠点のある奴が多いな。
劉備は臨終の際、李厳に内外の軍事を統括せよと指示している。
軍才に関しては、より多くを彼に期待していたのは間違いない。
李厳に不満があるのは当然じゃないか?
しかしいくら補給のごたつきをごまかしたのがばれたからといって
いきなり庶民に落とすか?
劉備は孔明並みに李厳に後事を託していた。
とすると些細なミスを理由に孔明が全権掌握するために
李厳を追い落とした、とうがった見方をしてみますた。

邪魔者を排除した孔明は思い通りの体制作りをしましたとさ。
正史の李厳伝
・若くして郡役人となって才能を称賛され、荊州牧劉表により多数の郡県の長官を歴任する。
・州牧劉璋より成都県令に任じられ有能だと評価された。
・護軍に任命されて緜竹で劉備軍の侵攻を防ぐことを命じられたが、李厳はそのまま劉備に降伏した。
・馬秦・高勝らの数万の反乱を5000の兵で鎮圧。
・越スイの蛮族高定の軍勢に包囲された新道県の救援に向かいその軍勢を打ち破る。
・劉備より白帝城永安宮に呼ばれて尚書令に任じられ、さらに劉備が重篤に陥ると、
 諸葛亮とともに幼主劉禅の後見するよう遺命を受け、官を中都護に進め、
 内外の軍事を統括し、永安に駐屯して鎮撫せよと命じられた。
・前将軍に昇進する。諸葛亮は北伐のため漢中に進駐したが、永安は護軍陳到に任せ、
 李厳を江州まで下げて前線への輸送を管理させた。
・諸葛亮の命により軍勢二万人を率いて漢中を守った。
・軍需物資輸送の一切を監督した。
>>571
皇帝にまで嘘を上奏してるんだぞ
普通なら死刑でもおかしくない
しかも子の李豊は連座させず職務を後継させている
>>571
補給を甘く見ているお前は項羽と劉邦を読め
>>573
たしかに
退却のふりをして敵を撃つ作戦ですって上奏するなんて
ウソにウソを重ねて身動きとれなくなる典型的な例だな。
ばれたときは相当恥ずかしかったと思う。
でもその後認めて孔明に呼び戻されるの待ってたあたり
真面目な性格ではあったと思うな
長雨だったんだし、補給失敗だけなら降格ですんだかもしれない。
それを嘘の上表までして責任逃れをしようとしたんだから、
庶民に落とされても仕方ないだろうな。
それに、もし李厳が諸葛亮に政敵として追放されたのなら、李厳は諸葛亮が死んだ時に喜ぶはず
だめだ・・李厳じゃだめだ
頑張って擁護しようとしても
擁護しようがない。

補給能力が高そうなんだがそのミスが致命傷になってる。
しかも自滅・・
関羽は終わりが悪くても三・四位ぐらいに認定されてて
なぜ李厳は弁護が入らないんだろ
内乱鎮圧や、ぼろぼろになった蜀軍の軍事活動を数年間支えた実績は実績なのに
ただでさえ困難な桟道を介しての補給が長雨のために滞ったからといって
李厳が責めを負うべき理由はなく、嘘をついてまで言い訳する必要などない。
孔明を陥れる計略だとしても、あまりに幼稚で事実とは思いがたい。
孔明の死に失望して病を得たというのもいかにも嘘臭く、
李厳の復権を恐れた孔明派の謀殺と考えたほうがよほど自然。

そもそも李厳の行動が事実なら紛れもない大罪で、それを弾劾するのに
高位の臣数十人の名を連ねてまでの大げさな上奏が必要なのだろうか?
李厳の追い落としが蜀首脳陣の総意であることを殊更にアピールし、
李厳擁護の意見を押さえ込むことが目的のように思われてならない。
>>564
孔明は奇策家だったのかもね。正史には具体的な記述はないが、

司馬イが第一次北伐(だったか)の時に向かって、
「諸葛亮は奇策を用いるのが好きだが、実行力がない。今なら間に合います」
(後半の記憶はかなりいい加減)

とお偉いさんに言ってた。勿論上の決断を促すための台詞だろうが、
孔明が奇策家というイメージは当時からあったのでは?
と思った。
×向かって
○上の人に向かって

まあ昔ふと思った事だからあまり気にしなくていいよ。
たしか廖立も庶民に落とされつつ
孔明が死ぬと涙流したとかあるな
これもウソっぽい
陳寿の孔明オタ発覚説か・・
>>583
なんで嘘っぽいんだか。
お前の思考がわからない。
>>580
李厳は先帝から直々に遺言を受けた重臣だから手間かけたんだろ
嘘臭い、というだけなら単なる邪推
>>580
いい訳でもしねーと他に何をするんだ?
私がサボってました、なんて言う奴はいねーだろ。

そもそも孔明は李厳とは比べ物にならない位だった訳だし。
脅威であったとは思えない。


司馬イは権力を握る為に張コウにわざと追撃させ死亡させたという意見に匹敵するか、
それをも上回る妄想。
>>586
嘘をついて誤魔化すんではなく、正直にダメな理由を言うなら責任を深く追求されないだろう。
大体、孔明の謀略だとしたら、子の李豊に対する対処が甘すぎるだろ。
やっぱり夷陵の大敗がでかいな
あれで新時代を担う将軍が戦死しまくって
恐らく今の軍でいえば下士官士官クラスも戦死しまくったんだろう
以後の蜀軍は将星が不足気味の上、戦術的柔軟性も低下しているように思える
李豊に対する対処の甘さは
謀略と悟られないための・・・

相当苦しいです。
謀略を仕掛ける動機がなぁ
李厳は孔明に阿る手紙出すぐらいだったし
北伐だって反対した形跡はない
>>587
アホか。一国の浮沈を握る戦争でサボってましたなんて言ってみろ。
李厳じゃなければ速攻で死刑。


怖くなって敵前逃亡も死刑だぞ。
サボってたなんて許される訳ねーだろ。
>>586
すべて順調にいっても大変なのに、長雨じゃ失敗しても当然てことじゃないの?
単に軍律を重んじるから処罰しただけだろ
下衆な妄想とか馬鹿じゃないの
>>593
それは前線で戦っている人間が聞いたらブチ切れだろ。
後ろでヌクヌクしやがってと。

大体長雨ぐらいでは嘘をつかざるを得ない。
奇襲をうけ輸送部隊全滅ならともかく。

死なない限り送り届けろ。それが後方のつとめ。
前方は死なない限り戦ってんだから。
今のお役所のミスとか改竄とかを見てれば分かる気がする
まあ所詮小役人程度の人格なんでしょ。庶民で当然。
平地と桟道の補給を同一視は出来ないですよ。
桟道ではただ通るだけで落ちて死ぬものが出るし
輸送となると輜重が使えないこともありさらに危険かつ困難です。
ただでさえ困難な上に雨となると、文字通り命がけです。
死なない限り送り届けろとはその通りですが、死ぬから補給が途切れるんです。
失敗は仕方ない。まして人為的ミスというより天候のせいなら
でもそれを嘘で糊塗しようとしたのはやっぱり問題
李厳のほうから率先して誤魔化したということは、
誤魔化さないとヤバイぐらいの落ち度があったってことじゃないかね?
そもそも後漢末の動乱期は、漢代に較べれば軍規は緩やかといってもいいくらい
のはずだよ。

たとえば、西漢の武帝時代には匈奴遠征が数次にわたって行われたけど、合流
期日を違えたとか、大きな損失を蒙ったとか、果ては誘いの罠を看破されただけ
でも免官は無論のこと死罪も当然のありさま。
兵站で不手際なんぞあれば、高位の公卿であっても間違いなく処刑ものだよ。

まぁ、当時は補償金で死罪を免れたけれど、動乱期でそれを徹底しすぎると
自軍の戦力を減少させることにもなりかねないから、大目にみられることもある。
李厳が官位を剥奪されても死罪を免れたのはむしろ幸いな方だよ。

魏の文帝なんぞ半ば個人的な怨恨や恣意的感情で死罪にするんだもの……。
でも馬謖と劉封が軍規違反で死罪になってるから
李厳のはぬるいんだよな。
>>598
死んでから言えと。
前線の兵士からしたらそんなものだよ。
戦っている方は命懸けなんだよ。
死者が出そうだから輸送できないなんてあり得ない。

俺だったら問答無用で死罪にする。
孔明は甘過ぎ。軍規に照らした判断だったんだろうけど。

>>599
本当に天候のせいかどうかも怪しいがな。
天候のせいも加味して死罪じゃなかったとも考えられなくも無いが。

>>601
>当時は補償金で死罪を免れたけれど
それだと軍規が締まらないんだよなぁ。
李厳って兵を率いて戦ったことはあったか?
>>604
あるよ。
>>572を読んでくれ
馬秦 高勝 高定元あたりの叛乱おさめてるな・・
漢中守ったといっても軍政担当だろうね

まあ武の素養と政務官としての能力併せ持ってた感はあるな
まあ李厳はどうでもいいや。
まさに文武両道だな!オイ!
と持ち上げてみる・・
>>603
益州閥の有力人士に対しては、法正の例もあるように若干甘めだったんじゃないのか?
私兵5000で数万の賊を討つ。
なかなかやるんじゃないかなあ。
>>603
いや、そうじゃないんですよ。
死者が出そうだから輸送できないのではなく、輸送の途上で実際に死ぬんです。
いくら輸送隊を送り出しても必要量が届かないんです。
だから死んでから言ってます。
>>609
かもしれんな。
まあ法正は劉備にお気に入りだったってのもあるかもしれんが。

孔明が謀略を使ったとすれば、李厳より法正だろ。
公では良く協力したが、私事の仲はあまり良くなかったとか。

>>611
なんでその場にいた訳でもないお前が実際に死ぬ、とか
死んでから言っているとかが判るんだよ。妄想もいい加減にしろ。
李豊にも手紙を出すぐらいだから個人的に
悪い感情は持ってなかったか。李厳に対しては。
>>611は兵糧不足で死んだ蜀兵の生まれ変わり
しかしなあネタで李厳持ち上げてるわけだからさ
もう少し良いところ見てこうよ
616張飛:04/06/28 22:26
そろそろ俺の悪口も語ろうぜ〜
もう>>607でいいよ。
初代板から見てて総評するが、
「イタイ将ほどイタイ廚がつく」特にあの○○が長い赤顔の人。
最近ではやたら「聖人君子」とか.自分で「大人より」とか「もっと世間を
学べ」とか言ってる人。ほんと見ててばかっぽい。←こういうヤツの
せいで、話せば分かる他の関羽オタも同じクソ廚扱い。
あと、もうひとつ。
「関羽.張飛.二人合わせて一人前」
それでも他の人より上位に食い込む二人。やっぱ二千年近く前から
続いている知名度にはかなわないのか...。
なんかやなことでもあった?
>>612
妄想じゃないですよ。
蜀の桟道が多くの死人が出るほど険しかったことはご存知ですよね?
そして輸送隊とはいえ軍隊です。その軍隊が死の危険があるからといって
任務を回避できる訳はないのは当然でしょう。
よって任務遂行不可能の理由は実際の死以外ありえません。

612さん、つきあってくれてありがとうね。お邪魔しました。
傅僉とかどうよ?
二人ぐらい将討ち取ってなかったっけ?
壮烈な死に方も名将ぽい

でもあんま覚えてないのでだれか正史でどんな感じか教えて
>>621
魏の蜀侵攻において、守将の蔣舒とともに陽安を守っていたが、
陽安を固守すべきと主張する傅僉に対し、蔣舒は出撃して戦うと主張。
蔣舒はそれぞれの思うとおりにやろうと言うと、軍を率いて城を出るが、
そのまま敵に降伏した。

その後、敵将胡烈が虚に乗じて陽安を襲撃、傅僉は敵と格闘して戦死した。
傅僉が鉄扇攻撃で敵将を一騎打ちで撃破してるって話は確か演義じゃあ?
傅僉の親父も、夷陵の戦いで殿軍を務めて防戦し、
軍兵が全滅しても降伏せず、そのまま戦死したからな。

親子そろって忠義に溢れてるよな。
将としての能力と言うより生き様が名将ぽい
>>620
>妄想じゃないですよ。
>蜀の桟道が多くの死人が出るほど険しかったことはご存知ですよね?
>そして輸送隊とはいえ軍隊です。その軍隊が死の危険があるからといって
>任務を回避できる訳はないのは当然でしょう。

回避できる訳ないのに、サボって回避しちゃったのが問題な訳で。
李厳は部下思いなので部下達がどんどん山から転落するに心痛めたのでは?
とフォローしてみる。
>>627
前人未到の地ではないからねぇ・・・。
それも無理がある。
地位が惜しくて誤魔化しにかかった、というのが妥当かな?>李厳
630無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 23:36
>>627
それ、北方の小説でネタにされてる
をとこ李厳に描かれてそうだ 北方w
北方は登場人物全てに漢が溢れてるからな
ここで天の華・地の風を薦めておくか。
でも蜀って演義でいう五虎将が亡くなったあとは本当に将軍連に迫力がないよな…
よくいって五車星レベル
傅僉より呉班だろ。
636無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 00:44
簡擁ってどんな役割をした人なの?
事績とか知っている人がいたら教えて
>634
演義では孔明が天を見上げて嘆くシーンがあるね。
「蜀も本当に人がいなくなったものだ・・・関羽、張飛、子竜の
1人でもいてくれたら・・・」
蜀にはなぜ呉の陸抗・魏の鐘会・トウガイクラスの武将が育たなかったのかなぁ
639無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 01:29
クヮンヌよりチョウヒのほうが性格悪いぞ!!
>>638
北海道からの甲子園の優勝校がないのと理由は似ている。
>>638
夷陵がな・・・
>>636
劉備にため口聞く人
>>636
人間はエロいって劉備に教えた人
>>636
劉備や関張が徐州に居つくまで財政面で貢献してきた文官らしいぞ。
すっげぇ有能って訳でもないが、一番辛い時を支えてたんでかなり偉かったらしい。
>>636
殺し屋
武器は吹き矢
>>645
うそゆーなよ
>>636
劉璋説得が一番でかいんじゃないの。実際。
>>636
実はな、やつこそが北斗神…うわなpらywl
649無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 16:10
このスレもすでに5期か。
そろそろ蜀を愛する俺たちは
万感の思いを込めて廖化について
熱く語り合わなければいけないときが来たようだ。
五十年現役なめんな。
蜀の人材を新たに語ろうとすると、



蜀の人材不足を実感し、蜀を貶めることになる
人材不足、資料不足
652無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 19:45
おまいら、もし三国全体で名将を挙げろって言われたら、やっぱりキョウイを入れて
関羽を外すのか?どう考えても曹操と関羽は入るだろう?つうかその二人ぐらい
かもしれないな。

まあ、そんなこといってるのもこのスレだけだろうが・・・・・。
>>652
そんなに関羽対姜維で話がしたいのか?
馬謖→鍾会
李厳→[登β]艾
姜維→陸抗

となる予定だった。諸葛亮の頭の中では。
三国全体だと関羽は徐晃と呂蒙と比較されるし、
姜維はケ艾と比較されるぞ。
>>652
全体でなら曹操・劉備・孫策だな
次点は司馬イ・諸葛亮クラス
関羽みたいに失点が多いなら全体クラスじゃ次点のさらに次の次ぐらいしか挙げないよ
関羽は祟り神として祀られ、また演義・京劇などに取り入れたられたせいで知名度はあるが
単純に功績を見た場合は蜀政権の一司令官(それも失敗した司令官)程度にすぎない
>>656
荊州でさえ、関羽だけの責任じゃなく配置し北上策を指示した劉備・諸葛亮の責任もあるのに
関羽にイリョウの敗退分の責任まで背負わせるのか?

劉備は関羽と比較にならないくらい大きい失敗をイリョウでしてるんだが?
>>658
誰も夷陵の事なんて言ってないと思うが。
なんでそんなに過剰に反応したがるんだ?
スレ違い。こっちいけ。
三国志上最も軍事的能力の高い将を考察するスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1087348085/l50
関羽オタは人の話聞かないから、もう魏の人間という事にしよう。
魏の板に行ってくれ。皆のために。
>>661
それでは魏スレの人に迷惑がかかってしまう
関羽は魏だったら23位くらいだな
664張飛:04/06/29 20:24
そろそろ俺の悪口も語ろうぜ〜
張飛は部下に厳しかったが、直接の原因は酒癖の悪さ。
マイナス評価だが、どこまでマイナスにするか?
姜維オタが必死過ぎて見苦しくなってきたな。
667無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 20:34
張飛と関羽はどっちがよりDQNかな?
関羽は軍事能力だけなら見るべきものはあるんだがな
バランスがな
>>665
酒癖は演義設定だから
正史準拠なら素で部下いじめってことになる
しかし俺は関羽好きじゃないが、一般的にあの時代の
名将は?と中国の人に聞いたら普通に関羽は韓信と
同じくらいで挙がると思うぞ?それを姜維あたりと比較するのも
どうかと思う。おまいら脳内で推察しすぎだろ。
孔明や子竜と比較なら良い勝負だろうが。
まあ異論批判もあるだろうがオレ的蜀将ランキング
能力や功績以外にも他国での評価という点も重視してみた。

1.劉備
=負けも多いがそれは相手が悪かったといえる。曹操・曹仁・高順・陸遜だしね。一方勝ち戦はあざやか。総合的に見て蜀No.1。
2.諸葛亮
=北伐では結果こそ残せなかったがそれ以外では文句なし。特に野戦の強さ、撤退戦の鮮やかさは特筆物。
3.関羽
=欠点もありその敗戦が与えた損害は見逃せないものあるが、一時は曹操に遷都も考えさせるほど動揺させた(他国に与えたインパクト)という点で姜維の上位に置いてみた。
4.姜維
=なんだかんだいって蜀末期のNo.1。
5.張飛
=黄忠とは置換可能。劉備に仕えた年数で仮に上に置いてみた。
6.黄忠
=劉備に使えた期間は短いが蜀平定戦・漢中争奪戦で見せた武功は抜群。
7.魏延
=能力・功績でいえばもう少し上位でもいいが常に上に諸葛亮がいたため他国に与えたインパクトという点では割を喰ってしまった感があるのでこの辺に。
8.王平
=長年漢中を守りきった功績を評価して。
9.趙雲
10.李厳
=地方平定の功績と劉備に諸葛亮とともに後を託されたという点を評価して。
672671:04/06/29 21:02
11.馬忠
=15位までは地方平定に功のある部将をランキング。順位はやや適当。
12.張嶷
13.張翼
14.李恢
15.ケ芝
16.羅憲
=霍弋と共に蜀滅亡時呉との国境付近の地方を少数で保った点を評価。その後晋代に武功もあるがそれは除外。
17.霍弋
18.呉班
=一部将としての功績はあるが伝を立てられてない点でこの辺に。
19.陳式
=呉班と同じ。

こんな感じ。
>>670
なんで現代の中国での人気や、中国人のイメージで考える必要があるんだ?
それならこんなスレで議論なんかする必要がなくなるだろ。
>>670
印象だろそれは
正史とか読んでみて実像を推察した結果が皆一緒だったら却って怖い
>>670
違うんだ。中国人にあの時代のことを聞いたら
思い浮かべるのはみんな演義なんだ。
このスレでいくら正史基準で語ろうとも、知名度は演義には
はるかに及ばないんだ。
だから現代の一般的な人間の意見を重視するってことは
正史ではなく演義で評価する、ということになるわけ。

ていうか、もう蜀は演義基準でいいんではないか?
と思い始めてる今日この頃。
676無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 21:11
670突っ込み入りまくりだな
突っ込みどころの多い発言だw
677無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 21:15
しかしよく考えてくれ
これから俺たちは蜀代表10人を選出して
来たるべき名将決定戦に望まねばならん

そのとき各順位ごとの比較戦になるわけだが
3位がキョーイだと分殺される。もし無難派が勝って王平なんか決まったら秒殺だw
3位は曹仁か張遼が予想されるからここは順当に関羽を蜀の3位にすれば張遼なら
ミニ関羽みたいなもんだから圧勝、曹仁もミスは多いから五分にもってけるぞ。

魏の名将2人と曹操ライバル袁紹の将1人倒してる実績で勝負しないと魏と呉からみたら
お笑いぐさの3位になるぞ
ちなみにキョーイはトウガイと当たらないとこにすれば勝てる可能性あるぞ。
4位、5位、6位あたりで。(トウガイ7位濃厚)
張飛は対張コウに備えて5位、6位でいけば魏には勝てるだろとりあえず。
1位劉備は曹操に勝てる論理的根拠は充分あるし
2位孔明も司馬イには圧勝だ。

みんなこれからは名将統一戦もふまえて論議するんだ!!
今度は突っ込むなよ?
単純に関羽の実績は凄いよね。敵将三人も倒してる武将は他にいない
実質敵将二人って感じだが。
ホウ徳なんか于禁のオマケみたいなもんだ。
ホウ徳がいたことで于禁の戦いがプラスになることも
なかったしな。

敵将をガチで討ち取ったという点ではやっぱ黄忠が
一番だと思うよ。
その前に名将決定戦にだれもつっこまないのか?
だから釣られるなって
関羽は指揮されると強いし、攻めるのはめっぽう強いと思う。
ホンのかなりばかり大局観に欠け、外交センスが壊滅的なだけ。
張飛みたいに戦う場をコントロールしてもらってれば大失敗なんかしなかったはず。
荊州を任された事が不幸なんだ。
趙雲が関羽の立場だったらなぁ
>>658
北上自身は間違いではないだろ?
関羽が呉との関係を悪化させたのが間違いの始まり。
どうだろ
荊州じゃなければ
例えば漢中から長安だったら
関羽なら普通にいけたような気もする
荊州難しすぎ。
でも荊州守れるの関羽しかありえないな。あの時点では。
姜維は四手八手で攻められるし、引き際も間違えない。
ホンのかなりばかり大局観に欠け、内部事情が壊滅的なだけ。
趙雲みたいに戦う場をコントロールしてもらってれば大失敗なんかしなかったはず。
所属が末期の蜀だった事が不幸なんだ。
対局を見ることができなかったら、将としてのランクは確実に落ちる。
だが、関羽そのものが無能扱いされるわけではない。
むしろ、レベルアップした黄祖みたいでいいじゃないか。

あと、何かの本で読んだので信憑性は高くないが
関羽・張飛は羊コよりレベルが低いのに名将としてよく名が出る。
とか書かれてた
>>687
姜維で問題なのは政治力が無かった事だな。
敵が魏だけならな。
呉はもともと荊州を奪う前提の外交だから。
>>690
呉との問題は外交で全て解決し、武力で解決してはならない・・
が孔明の戦略だったんだがなぁ。


関羽には重過ぎたか。
関羽の性格は誰も問題にしなかったんだろうか当時
諸葛亮自身が外交担当として抑えに廻っていればなぁ
>>692
劉備ぐらいしか注意できないだろ。
>>691
そうはいっても呉のほうが武力で解決したがってたからな。
北上が止むを得なかったとするなら、荊州失陥は不可避と言えなくもない。
>>694
そんな事は無い。呉が荊州を欲しがっていたのは事実だが、不可避ではなかろう。
外交上の動きもあったようだし。

関羽があの性格を出さずに、しっかり呉との関係の維持に努めていれば良かった。
そこまで頭がまわらんかったのか。
徐州方面攻撃重視派の魯粛が死んで
ケイ州重視派の呂蒙が主導権を握ったのを察知できなかった蜀全体の外交能力の欠如は顕著だよな
関羽の性格から口実を与えてしまったのもあり、結果いいようにやられたわけで
>>694
基本的には武力は最後の手段の筈。
まず外交がある。
皆様にお聞きしたいのですが、姜維なら荊州守れたと思いますか?
ループの名将議論より有意義だと思います
>>698
守れたかどうかは分からんが、徒に呉との関係を悪化させたりはしないだろ。
>>698
いつ頃から司令官になったと仮定して?
>>697
その通りだが、外交で回避できただろうか?
関羽の娘との婚姻などは、ただの荊州を取るための下準備という気がする。
受諾→人質。動きを封じられる。
拒否→友好を拒否したのは関羽。攻めてられても仕方ない。

どっちにしても最悪。
>>698
関羽との比較なんだから、関羽と同時期で
姜維は戦争好きだから
魏と呉に二面作戦とかやりかねないぞ
下手に操兵うまいからあり得るw
704702:04/06/29 22:17
アンカーミス、>>700
魏の内乱を突いて、漢中側からの連携無く北上するのは姜維でもやると思うな
姜維は史実では西の異民族との連絡に拘ったことから推察すると、呉を誘って共同作戦をやった可能性があるな
でもそれで逆に敵を背後に引き入れることになり・・・で。結果は関羽と大差ないと思う
蜀の軍と権力・それに外交統制が二分されていたという構造的問題があるから
姜維の実力で呂蒙+陸遜コンビと戦うのは無理がある気がする。
ただ、徐晃に勝てる可能性はあるのではないかと思う。
徐晃をなめすぎだ
>>701
受諾しかあり得ないだろ。
拒否よりは。

それまでの蜀の戦略上の敵はあくまで魏だったんだから。
姜維だったら、なめられてるからすぐ陥落。
つうか、南軍争奪戦の段階でアボーン
>>709
なめられてるから逆に勝てるって事もあると思うが。
敵の過小評価は敗北につながるよ。
敵を減らし各個撃破が名将の常識だからなぁ。
それにしても関羽からは呉との友好の姿勢が全く見当たらない。
あそこまで徹底しているのは、何か考えがあったのかな?
表面的に友好的な態度を取っても呉が荊州をあきらめるはずがない。それどころか舐められる。
それなら威を見せて警戒させておこう。
こんな感じだったのかな。
いや、呉としては荊州を魏に取られた時点で負けが決定だから、魏は動けない。
紛争が抜き差しならない段階に入っており、さらに劉備が漢中を獲ってしまった。
かつて漢中を獲れば返すと約束をしていたわけだから、どうなっているんだと、
当然呉は本気を出してくる。

つまり、この段階で融和策はすでに無かったと言うことだと思う。だから、関羽の睨
みでしか均衡を保つ方法はなかった、ということでは・・・。
>>712
まだ関羽は何も考えていなかったの方がマシ。考えてアレよりもね。

ちょっと位の高い奴には突っかかるんだよ。
孫権も気に入らなかったんでしょ、関羽は。
なめられると言えば、後期の将は過小評価されてる気がする。
魏スレでもケ艾の話になった時、「姜維相手だからなあ」みたいな意見も出てきたし。

ナポレオンの言葉に、
「奇襲の機会を見逃さない事は、軍事的天才の本性である。
 戦いでは、ただ一度だけ奇襲できる瞬間がある。天才はそれを捕まえる」
というのがある。
これはまさしくケ艾の事だろうと思う。
>>714
漢中を取れば・・・だっけ?
718671:04/06/29 22:54
>>715
馬超や黄忠の件を見ればわかるように他人の評価に異常に敏感。
陸孫の手紙で非常に気をよくし呉への備えを薄くしてしまうあたりは見逃しがたい欠点だね。
>>718
なんつーか、豪傑のわりには人間が小さいんだよな。劉備が孔明を手に入れるまで
さっぱりだったのも良く判る。
>>718
まぁ取られた事自体はあのときの荊州は誰でも守れなかったと、
いえるかもしれんが、陸孫の手紙は致命的マイナスだな。
>>719
人間が小さいというのとは違うな。
自信家だったんだろ。
後方でぼろぼろと寝返りが出る方が致命的だと思うんだが。
>>721
自信家で人間が小さいんじゃない?
しかし蜀には関羽しか語る人物がいないのか?
兵たちには優しかったとあるから、小さいのとはちょっと違うと思う
>>722
それは寝返った連中の問題では?
私怨で劉備を裏切ったんだから。
関羽が嫌いだったからというのは理由にならない。
呉に攻められた時点で、勝ち目がないとあきらめたんだろ。
>>725
兵卒からは簡単に尊敬の眼差しを得られるからね。
優越感に浸るのが好きだったのでは?<陸孫の手紙、馬超や黄忠の件
だから偉そうな奴が嫌い。

>>726
正直、判断が難しいところ。
関羽の普段の態度次第だな。
>>726

それだ!

ビジクのような歴年の忠臣が裏切るのはよくよくのことだよな。
やはり劉備からの手当てが足り無くて、どうしようもなくなって降伏したんだと思う。
その意味では、烏禁と同じだ。・・・・・・いや、戦わなかった分、こちらの方が酷いがw
>>728
ビホウだろ。
730671:04/06/29 23:15
>>726
そうだね。同じ呉への降将でも麋芳や士仁と藩濬は一緒くたにできない。
勿論関羽の責任もあろうが麋芳や士仁にも十分に非があるのは見逃せない。
責任は関羽だろう
自身の性格の悪さから火種を蒔いておいて、戦略的外交的ミスでそれをアボンさせたんだから
普段から馬鹿にされたあげく不利な状況で死ぬまで戦え、なんてことできる武将はそれこそ滅多にいないんじゃ?
まして劉備陣営は急成長していて求心力は微妙だったし
>>731
ビホウらが関羽の家来だったならその通りだけど、
ビホウ・士仁は劉備の家来。
関羽嫌いが裏切った理由だったなら、公私混同して劉備を裏切ったということ。
理由にならない。
士仁は初めはびびりながらも守る気でいた。そこに虞翻が
「ここで蜀に忠義をしめしても、関羽の恨みは消えず、身を滅ぼすだけ」
と言われ、降伏。
麋芳は士仁が降伏したのを見て、守るのは無理と判断して、降伏。
しかし関羽がしっかり心を掴んで、かつ防備をもうちょっとなんとかしてれば裏切らなかった公算が強いんじゃないか?
救援が見込めなかったのが最大の理由だろ
関羽が屑で死のうが、籠城中に中軍でも間に合うなら抗戦しただろうよ
やっぱりコロッと騙されたのが全ての元凶
737671:04/06/30 00:28
>>736
関羽の場合、よく考えた上で結果騙されたというより自分にとって都合のいい解釈の方を優先させてしまったという感が強いのは悲しいことだ。
>698
姜維ならもうちょっと粘れたとは思うけどね。ただ勝てる可能性で
言えば関羽の方があった気もする。趙雲なら勝てないにしろ、
援軍が来るまで城に立てこもる事はできたかも。
>>732
確かに主君は劉備だけど、
上司は関羽。
もちろん、裏切った側にも責任はあるし
関羽の下に彼らをつけた劉備にも責任はある。
しかし最大の責任は、関羽。
740無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 09:34
いつから空想仮想語る場になったんだ…
縻芳の様な、劉備と辛酸供にした忠臣まで裏切ってる
これはかなり重大問題だろ
麋竺もそりゃ死にたくなるわな
関羽厨が姜維の落とし込みに必死ですね^^^
>>743
まず、関羽厨という言葉を使わずに語ることを覚えろ。話はそれからだ。
大体関羽の擁護発言をしてる人間の多くは、関羽そのものを支持しているというより
同時代に活躍した他の将が関羽より上と言い難いから、関羽の順位が下がると必然的に
自分の支持する将の順位が下がって困るって要素が強いと思う。
>>743
敗北宣言か
たまには別の武将の話を・・・
747無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 16:23
関羽は呂蒙の引き立て役だしねw
また例の関羽嫌いか・・・
関羽をいじめるな
正史だけ名前が出る蜀名将っていないかな?
陳倒
こいつの場合、功績まで謎なのがなあ…語り様が無い。
そういや徐諸って出てない?
敢えて正史準拠で周倉を語る
これ最強
>753
徐庶では?




と、自分に突っ込む俺ってか・わ・い・い
756不運 ◆SEVENyXMKQ :04/06/30 23:21
755を腐れ外道に認定します
周倉は泳いでホウトクを捕らえた
最強
758無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 23:40
>>744まず、関羽厨という言葉を使わずに語ることを覚えろ。話はそれからだ。
大体関羽の擁護発言をしてる人間の多くは、関羽そのものを支持しているというより
同時代に活躍した他の将が関羽より上と言い難いから、関羽の順位が下がると必然的に
自分の支持する将の順位が下がって困るって要素が強いと思う。

まったく.....なんて言うか....そういう妄想はもういいって。関羽オタは関羽が好きで
おかしな妄想折り込んだ擁護意見いってんでしょ?あんたら何いっても納得しないし
都合のいい妄想しだすし.都合の悪い話はスルーするし.終いには関羽の落度を
人にせいにしだすし。あんたらここの板で特異な存在よ?「関羽を讃えよう」とか
「関羽VS姜維」とかって新板つくって、そっちで思う存分やってくんない?
俺はもっと他の将や、冷静な分析を聞きたいよ。
普段はただのROMだけど(正史は聞きかじり程度だから。)
べつに関羽ヲタだけが関羽の話をしてるようには思わん。
関羽はネタ豊富だからレスが多くなるだけじゃないの?
>>758
他の将の話をしたけりゃ自分から振らないと。
たとえば今とか、何も話題のないときに自分から話題を持ち出せばいい。
前に李厳の話になったときには、その間は関羽の話は出てこなかったし。
あと、関羽の話をしているのは関羽ファンだけじゃないよ。
雷銅・呉蘭を忘れてないか?
金貸しに切られた人だっけ
事あるごとに関羽の話になるのもどうかと思うが、他の人物では盛り上がりにくいのも事実だからなあ。
スレを盛り上げる為に関羽の話をふる奴もいるだろうな。
じゃぁ趙雲の話でもしようか
趙雲別伝は信じていいの?
>>764
別伝をわざわざ立てた理由とか気になるな
活躍が目覚しいのに、そのスケールが小さいから伝には載せなかったのか
言われるように同郷の誼での(?)贔屓なのか
>>765
> 同郷の誼での(?)贔屓

裴松之は趙雲と同郷なのか?羅漢中と混同してないか?
趙雲伝はほんと短い…。

てか蜀将資料が少なすぎるんだよ!!
といっても、一介の騎士隊長じゃ書くことも少なかろう。
>>768
は?将軍職についてますが…
趙雲の簡単な略歴。
赤壁以後、牙門将軍に昇進。
江南平定後、偏将軍・桂陽太守(別伝)(=張飛、征虜将軍・宜都太守・新亭侯。)
諸葛亮らと共に劉備の後詰めとして西上、翊軍将軍に昇進。(=張飛、巴西太守。)
(劉備、漢中王に。=張飛、右将軍・仮節)
(221年=張飛、車騎将軍・西郷侯に昇進、司隷校尉兼務。)
223年、中護軍・征南将軍、永昌亭侯。
その後、鎮東将軍に昇進。
227年、鎮軍将軍に降格。
229年、逝去。役職は鎮軍将軍のまま?
261年、順平侯の諡号を贈られる。(ちなみにその前年に関羽・張飛らも諡号を贈られてる)

比較のため張飛のも併記してみた。
解説は他の人に任す。
将軍としての序列は高くなく国政に関与するような立場にはなかったが、一介の武官程度などということはないという感じかな?
近代軍制でいうと、大佐から少将位かな?
ただ趙雲の場合、節(厳密には四等級に分類されるが)を一度も与えられては
いないところも、将軍位とは別にみても関羽・張飛・馬超とは決定的な差がある。
>>769
将軍職についたころにやってたことはそれなりに記されてるジャン。それ以前の話さ。
>>768>>774か?

もしかして、将軍位を君主が恣意的に濫発できると勘違いでもしてるの?
ようは趙雲は直属の親衛隊隊長で古参なので信頼厚く
位も高い。
しかし将というより護衛だったり特殊任務が主体だってこと。
その役回りが非常に重要としても
魏でいうキョチョやテンイとおなじく将として語りずらいわけすよ
細かい仕事はお任せの
お任せ趙雲ってとこだったんだし、
べつに張飛やなんかと一緒に考える必要はないっしょ。
でも派手さはなくても任されてたのは大切な仕事なんだし、
こういう人がいないと軍も機能しなかったと思う。
生前の扱いは実力の割に不遇だったのだ!実力や功績は関張馬黄と並べられる程だったのだ!
だから関張馬黄趙伝と入れてもらえたのだ!だから順平侯なんて立派な諡号を貰えたのだ!
趙雲は死後になって、ようやく正当な評価を貰えたのだ!良かったね趙雲!
…と趙雲厨の俺は信じているのさ・…。
まぁいくら人材不足だったとはいえ、五虎将の一人に入ってるわけだから。
そんなに不遇ではなかったんじゃないかと。
>>775
そんなこと言ってないけど…
>>774
関羽や張飛も赤壁以前は大して記述がないのは一緒。
>>781
結局記録係が居ないから、関張らの放浪時代の活躍は残ってないって事ですか?
>>782
劉備配下としてどのような軍事活動をしたかという点ではほとんど記録がないね。
まあ前半の劉備軍団は劉備自身がほとんど自ら率いてたみたいだから無理もないといえば無理もない。
記録が多く残ってると言われる魏ですら、曹真や曹休なんかの虎豹騎時代の事跡が不明だったりする。
偉くなる前の武将の記録なんて、どの国でも似たり寄ったりだよ。
これを言ったらお終いだけど
1800年前の史書が読めるだけでも凄いことだしね。

日本はその頃、入れ墨を顔にして踊り狂ってたわけで…
>>785
いくら何でもそれは極論し過ぎ。
日本の歴史は弥生時代後期〜古墳〜飛鳥時代の戦乱で喪失しただけで、
記録も残せないほどの文明しかなかったわけではないよ。
むこうは戦乱でも記録を残せたわけだが。
それは人種的思想の問題だろう。
記録をリアルタイムではなく、王朝下が取って代わってから残すという手法からも明らか。

通常新しい王朝は直前の王朝の記録を消し去ってしまうのが、
世界的にみても趨勢ではないか?
>通常新しい王朝は直前の王朝の記録を消し去ってしまうのが、
>世界的にみても趨勢ではないか?

それだと、中国以外は古代史が不明ということになんぞ・・・
>>785-789
その辺でやめときなよ。スレ違いになりすぎるぞ?
「正確な記録をとにかく残す事」の価値を認める時期が早い遅いの違いじゃないのかなぁ?
スレ違いなのでsage
そもそも正史編纂自体が統一国家の体を成さないと始められない事だから。
これこそスレ違いだけど>>786にはちょっと疑問。
所詮、勝者側の記録だから盲信するのは危険だよね
だからって反三国志みたく「野史・婢史こそ真実!」とかぶちあげられても困るがw
演義-正史=αのα部分に、口承の可能性部分がどのくらいあるのか
調べて見たい欲求はちょっとある。特に蜀。
演義のエピソードは蜜柑伝承からの部分も結構多いだろうからな
796無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 00:56
関羽が孫堅の手柄持ってったりするところは民間伝承でもありえんと思うが
わざわざ伝承を頼らなくても
その正誤なら正史で十分足りるじゃないのよ。
もっと他のどこにも関連記述がないものの場合でしょ。
あるんじゃないの?
なんせ神になった漢だしな。
また現在の漢人の詐話師ぶりからみても。
>>786
三国時代の日本はまだ文字が無かった。
800無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 11:09
このとき、三万の軍をもって、一気に山を駆け下りて敵を攻めれば、
あるいは、竹をも裂く勢いで、張[合β]の軍を分断し、
逆転勝利を手にすることができたかもしれない。
せめて王平がそばにいたら、それを進言したであろう。


関羽の話が復活しつつあるので、街停を描いた小説から抜粋。
王平ファンへ捧ぐ。

野暮なつっこみを入れると、三万なんて兵力を抽出するのは無理だろうね
しかも相手は張コウだしな。
水飲めない兵士が戦えるわけない
士気もそうだが、体がついていかんだろう
水を遮断された時点ですぐに進軍ってことじゃないのか
ゲームの能力値で決めたら?
最近の「蒼天航路」を読んでたら、関羽好きに都合の悪い部分はバッサリと
カットされる展開になりそうな感じがしてくる。
>>799
おいおい…。
日本には古代から漢人がたくさん入ってきてるし(徐福とか大物もいたし)、
交易とかも頻繁にしてたんだからそりゃないって。
日本語はまだ無かったかもしれないけどさ。
スレ違いだから以後スルーで。
>>806
三国志好きの9割は関羽が好きだからな
では、漏れはその一割か・・・。
蜀好きなんだけど、奴はなぁ。
三国志好きは数が増えて、好みも多様化してるから、9割も関羽好きってことはないんじゃない?
中国人だとそれくらいいそうだけど…
蜀好きで関羽が嫌いなのは珍しいな
神様(それも金を握ってた商人が信仰+後の王朝公認)を批判するのは難しいだろう>中国
正史厨の増加で、蜀好きで関羽が嫌いって香具師は
思ったより多いんじゃないかな。
俺もそんな感じだし。
スレタイに関羽の名前が入っているスレは現在5つ。
やっぱり人気というか、それだけ親しまれているんだなってのはわかる。
関羽好きな奴なんているの?
関羽弁護してても関羽は嫌い。
髭とか相当嫌なんだが。
ぱっと見たところ>>806から>>813までって皆関羽嫌いなのでは?
俺は三国志で嫌いな武将がほとんどいないんだが・・・

関羽嫌いって関羽の何が嫌いなの?
俺は傲慢なところとかそういう欠点は欠点として好きなんだが
でも今は通の間で劉備や関羽の再評価は流行してるぞ
新たな事績やらも見つかったりして
孔明なんかも一時評価低い時代もあったが今は再び良い評価受けてるね
問題は姜維だけど演義→正史の流れでギャップが大きくて評価下げて以来
いまだ再評価されてない
再評価は10年後ぐらいにでも来るのだろうか
正史関羽はガキ大将的な印象をあたえるから、
そういうタイプが鼻につくような人なら、好きになれなくても
仕方がない。
819815:04/07/02 19:58
>>816
いや関羽ってなんか人間離れしてて思い入れが出来ないよ
むしろ姜維とかのほうが等身大のサラリーマンぽくて
感情移入しやすいというのが理由
でも3位は関羽だけどね
俺は十数年前に「横山三国志」からはいったクチけど、その時から関羽を
好きにはならなかったよ。

いまでは蜀に限らず武人にはほとんど興味ないし、蜀で好きな人物っていえば
董和や楊洪。
「左伝」を暗誦できるほどの知識があっても出処進退に活かせない関羽は、
三国時代よりも古代が好きな自分にとっては御粗末に思えてならない。
関羽が好きな奴って中華料理大好きで
中華街にいったときに関帝廟よく見るから
だんだん思い入れが増したとしか考えられん
中華料理は好きだし自分でも作るけど、関羽は………
>>817
劉備や諸葛亮はともかく、関羽って再評価されてる?
やはり806-822まで関羽の好き嫌いについての話が主体だったと思うが
関羽を好きな奴は一人ぐらいしか見あたらない。
このスレには関羽弁護の意見は多いが関羽を好きな奴は少ないと言うことだよ
でもゲームスレや蒼天スレを見ると、痛々しい関羽好きって多いよね。
>>825
蒼天の関羽格好いいもん。
本物はあそこまで格好よいとまで言わないけど、関羽が嫌う奴が言うほど悪いとも思えん。
陳寿が嫌ってたら悪いところが針小棒大に書かれたり、いい所が控え目になったり位はあるだろうし。
当時の周囲の評価からするとそこまで悪くないとおもう。
>>825
まあ演義は別モンだからと割り切ってやれ。
姜維好きの痛々しさもちゃんと割り切ってあげないとな
>陳寿が嫌ってたら悪いところが針小棒大に書かれたり、いい所が控え目に
>なったり位はあるだろうし。
>当時の周囲の評価からするとそこまで悪くないとおもう。

関羽好きは、関羽の評価を下げる意見がでると常套句のようにこれを言ってない?
いや単に話題がループしてるだけでは?
だって同じこと何回も何回もはなしてるからね
それは逆に言ったら反関羽の人が
何度も何度も人格攻撃しか言わないのと同じでしょ
いや、普通に、人格だけじゃなく将帥としての能力にも疑問出てると思うぞ。
このスレではどうかしらんけど。
>>831
三国時代全体はいざ知らず。
当時の蜀っていうか、劉備軍に関羽以上の人材は居なかったんだろ。
居たなら関羽が荊州の守りじゃなくて、劉備と一緒に蜀取りでも良かった。
>>832
居たのかも知れないが、内外が納得できる唯一の人事。
実力が伴っていたかどうかは触れないが。
834無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 21:38
蜀の名将で決まっているんだが、関羽以上には諸葛亮がいる。
みんな蜀貶めすぎ
おまいら蜀すきなのか?
このスレで論じるのに好悪なんて問題じゃないと思うけど?
837無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 21:45
孫乾最高。
>>835
大好きだ。
だから、劉備や諸葛亮の人選を間違いにしたくないし、関羽以下評価になった武将を貶めたくもない。
しかし、このスレは関羽の話題でしか盛り上がらないな
みんな関羽が好きなんだな
>>833
「内政が」というより、立場や地位も考慮すると関羽しかいなかったのかと。
関羽が内政できるとは、とうてい思えない。

荊州で内政を担当してたのは、ハンシュンじゃなかったか?
ちくま訳正史には、ハンシュンが荊州の行政を担当したことが明記されてる。
>>838
諸葛亮の人選なんて信頼できねえだろ。
劉備なら信頼できるけど。
劉備陣営での潘濬は治中従事
おそらく荊州の行政全般を統轄していたはず
関羽との折り合いの悪さは「季漢輔臣賛」にある
>>842
なんで断定できるの?
馬謖の一事で全てを語ってないよね?
孔明からの手紙で喜んで客に見せびらかしたりとか、
可愛らしいじゃないですか
846無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 22:01
潘濬は呉でもみんなと折り合いが悪そうだ。
>>844
孔明の人選事例で失敗例はあっても成功例は無いし。
可愛らしい、というか単純単細胞だよね
士大夫を軽んじておいてこの程度か、って感じ
>>847
>成功例は無いし

少なくとも、あんたがろくに史料を読んでないことはわかったよ
しょうえんやひい辺りは十分成功例だな。
>>831
三国時代全体はいざ知らず。
当時の蜀っていうか、劉備軍に関羽以上の人材は居なかったんだろ。
居たなら関羽が荊州の守りじゃなくて、劉備と一緒に蜀取りでも良かった。

今までの論議を何一つ踏まえず、こう言い切れるのが関羽オタ。
だからこのスレが永遠ループでロングスレ。
諸葛亮は勤勉さと誠実さに溢れた名リーダーではあっても、
張良度では苟イクに勝てないね。
人脈に関して最初の段階から不利。
人選に関しては眼力以外の弱点があったかと
>>851
ま た お ま え か
って思われてるよ君。もっと冷静にね。
>>851
踏まえても変らず、関羽の本文は部将であり司令官ではない。
が、名声と武威を含めて魏呉への抑止力足りえる将は関張しかおらず
留守居役でいえば、張飛には徐州での失敗があったわけだから、関羽が最善手だった。
イコール関羽以上に荊州を守れる将は居なかった。

関羽は『達』といえますか?
名声という意味では劉備本人か、関羽張飛しか居ないのは確かだ
>>846
そう言うデタラメはやめろ
潘濬は孫権や陸遜らの信頼を勝ち得ていたのは明らかでだよ
>>854
>魏呉への抑止力足りえる将は関張しかおらず
なんて言っているのは問題。
あの当時の蜀の状態で抑止力なんて言うべき段階ではないのは明らか。
内閣は代わっても議員は同じ、みたく成立したての組織では、
外>内 より 内>外 だと考えるのが自然だと思うが。
>>841
833は「内政」ではなく「内外」と言っているぞ。

と、漏れ(833)が指摘してみる
>>858
最も重要だったのは魏に対する抑止力だろ
関羽が駄目武将だってのは結果から明白じゃん
性格悪さで内外に火種まいて、それを収拾できなかった
戦術やら個人的武勇が多少優れていたってねぇ
>>861
もういいから
>>860
関羽の北上自体は荊州鎮撫の任を受けてきた曹仁の圧迫を跳ね除けるという意味もあったから間違いではないしね。
顔良や于禁は「多少」優れている奴にやられたのか
曹操は「多少」優れた程度の奴を欲しがったんだな
>>864
司令官として優れてるかどうかはまた別の問題だろ?
>>865
>>861に対して言っただけ
武勇や戦術が「多少」優れているだけの駄目武将だってさ。
曹操だって人物を見誤る事あるだろ。
>>866
スマン
勇猛という点では随一だけどねー、
「将」とか「司令官」というくくりで見ると、欠点が目立ってしまう。
それが髭殿。
「将」としては申し分ないな
顔良ってたいした武将だったのかね?
曹操が欲しがったのって演義でしょ?
「追ってはならぬ」は単に余裕の表れじゃ?
于禁に関しては手放しで誉めることが難しい。
さらに曹操は欠点のある人間でもうまく配置することにより活用する名人である。
873無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 23:28
>>857
みんなは言い過ぎだった。孫権・陸遜に評価された為成果を
出したと思う。
ただ潘濬伝を見ると、彼も剛直な人物だったと感じる所から
人々と折り合いが悪そうだと思っている
あと法を重んじて人々の間の評判を気にしないところは誉め
られることだろうか?と、隠蕃と交際している息子を非難す
る手紙の中で、隠蕃と書けばいい所を、投降者などと交わり
とは、おまえが言うなよと思った。
などと書くだけあって投降者てに対して非難していそう。
>>871
当時最強の袁紹軍の軍勢のなかを突っ切って、顔良の所まで辿り着いただけでも凄いぞ
>>872
でも>>861には賛同できないだろ
>>875
関羽のプラス面を認めないのを怒ってるのか?
それともマイナス面を一言で表されたから粘着しはじめたのか?
>>876
煽りに乗った俺が馬鹿だったな
今度から乗らないようにするよ
まあ、プラス面を認めていない時点で>>861 が煽りなのは明白だな。
しかし・・・やはり関羽が趙雲・王平らのミス少ない連中より上っていうのがなぁ
権限がでかけりゃそれで名将っていう感じだ
関羽は功績もでかいしな
第二次大戦中の、英国の中東方面軍司令官ウェーベルは、
「大胆な将軍は幸運を掴む可能性を持ってるが、
 幸運は、慎重な将軍には絶対に訪れない。」
と言ったそうだ。慎重でミスが無いからといって名将と呼べるのだろうか?
>>880
でも最終的には個人は勿論蜀政権自体にマイナス。トータルでみるなら厳しいと思うが

>>881
おいおい。王平も趙雲も何もしなかったからミスしてないわけじゃないぞ
どちらかというと他人のミスを機転や武勇によりカバーしたんだ
>>882
別に何もしなかったとは思ってないよ。
ただ、趙雲や王平が司令官になったとして、大胆な戦略、戦術が採れると思えないんだよな。
戦果を最大化するより、損害を最小に抑える行為に走りそうに思える。

自分は、リスクを恐れず、戦果の最大化を狙える将の方が名将だと思う。
リスクをおそれず、戦果の最大化を狙ったものの、
失敗すればそれは単に引き際を見誤った暴走。
だからこそ名将になるのは難しいのである
失敗した関羽もまた手放しで名将というのはできない
関羽の功績は政治的なほうが大きくないか?
政治(外交)面の方が失敗多くないか?
>>883
博打やってるんじゃないんだから・・・
スレを読んだ感想なんだけど、関羽の将としての功績は
顔良と于禁だけで、荊州を守る名声は政治的な感じがしたんです。
>>883
そうすると馬謖も名将にならないか?
>>890
山頂布陣で大勝利を収める事が出来る可能性があったのかって事と、
それが大勝利を収めるべき戦場だったのかってのが問題。
>>891
それをいったらケイ州だって下手に攻めて火傷するより、地味でも維持したほうがいい場所だったじゃん
>>892
関羽の場合、北上の意図を考えなきゃならないと思う。
何を企図していたのかが分からないと自分には判断できない。

それと関羽は、リスクに挑戦したは良いが、呉との関係の悪化など、
自らそのリスクを大きくしてる点は評価できない。
894無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 02:01
関羽の功績でよく顔良を打ち取ったって話が出てくるけど、それって
どうなの?俺的にはそんな芸当が実力できるなら、敵に捕縛など
されないと思うけどな。顔良打ち取ったのってあれでしょ?
当時袁紹軍にいた劉備が、曹操軍に関羽がいることを知り、顔良に
「将軍が関羽に会う事があれば、私は袁紹のもとで生きていると
知らせて下さい。さすれば関羽は我が陣中に帰還するでしょう。」と
言い、それを聞いた顔良がいざ戦場で関羽を見つけたので
関羽に劉備の無事を伝え、帰参させようとしたところを関羽が
無抵抗の顔良を打ち取った。って話があるけど、俺はこっちが真実なように
思えるな。関羽が少数で大軍率いた顔良に突撃し、大将首とれたってのは
出来過ぎた話に思える。関羽好きは顔良を打ち取った功績はがんとして
譲らないだろうけど、趙雲の一騎駆けとかいったら避難轟々なんだろうな。
関羽がありなら、趙雲もありでしょ?
895無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 02:14
>894
そりゃ講談の話だな。

顔良討ち取った頃の年齢は40歳前後で、死んだ時が60歳前後。
歳取りゃ、色んなもんが低下してくだろう。
>>894
オレは趙雲・王平>関羽という少数意見派なんだが
その件については関羽の功績かどうかは微妙だと思う。曹操陣営での話だし
ただ、行きは顔良に劉備が何か吹き込んで・・・ということではありえても、帰りはもう明白な『敵』だから普通なら殺されてたと思う
>>893
状況的に、
1.漢中を劉備軍が制圧。
2.曹仁が荊州を再び鎮圧しに来た。
という具合だったのでいいタイミングだと思ったのではないかな。
勢い的にも漢中の戦勝で蜀軍の意気が上がってる。荊州でも対曹仁戦で主導権を握るべき。今だ!
という感じで。
最初の段階では一応呉に対する備えも十分してたしそんなに間違いでもないと思うがね。
ただその後の処置を誤ってしまったのはニンともカンとも。
関羽の手元にあった兵力ってどう多く見積もっても3万程度でしょ
益州の劉備本軍は漢中争奪戦で疲弊した上、無理な動員かけた直後だから守備はともかく機動的に使用できる予備は存在しなかった
自分の勢力の現状認識が甘かったんだろうな
結局手持ちの兵が足りなくて防御兵力を引き抜くハメになってるし
曹操側も当時苦しかったけど、それに目がくらんだのかな
>>1
スレ立て乙
>>883
そこで魏延ですよ
ショウエンの漢水下りってどのくらい実現性があったんだ?
攻撃に失敗したら、退却できなくて全滅だろ
北上する前に謙って呉に共闘申し込んでれば良かったのにな
一応の牽制にもなるし
903無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 01:46
 ここに書き込むのは相当な勇気がいるが、私見を述べさせていただきたい。
 どうしてここまで趙雲の評価が低いのか、趙雲好き私としては悲しい限りです
正史の資料が少ないって言う方がいますが、張飛や黄忠の方がよっぽど少ないし、
魏延や王平に劣るのならば関羽や張飛たちと同じ伝を立てられるだろうか?
(魏延はその末路により同列にされなかったのかもしれないが・・・)
実績?や階級が他の4人よりも下だから5番目に名が挙がってしまうのだろうが、
少なくともベスト10に入れないとは思えない。
第一魏延より階級上だし・・・。(魏延が鎮北将軍時、趙雲は鎮東将軍)
陳寿は黄忠と趙雲を爪牙の如き人材と称えて高祖の名将
(すいません名前は忘れましたが)になぞらえているし。
こんなこと百も承知であると存じますが。
皆さんはいかが思われますか?
903>>
この板じゃ趙雲の評価はどうやっても上がらないみたいよ。
名声や推測の功績が多大に評価されるみたいだし。
あといくつかの大きな功績があれば、その他の落度なんかは
うやむやにされてるし。終いには「趙雲って、ただの隊長だろ」とか
言い出される始末。有能すぎてつまらんけど、煽れるような落度もないって
感じですぐ話が終わる。
逆に聞くけど、
駆け出しの魏延が鎮北将軍の時に、古参の趙雲が鎮東将軍なのは何故?
趙雲をさしおいて魏延が漢中を任されたのは何故?
906無名武将@お腹せっぷく :04/07/04 02:30
ここのスレは名将なのかダメなヤツなのか人によって評価が分かれる
微妙なヤツと、熱烈な妄想オタが擁護してる将しか盛り上がらんな。
>>905
魏延が有能だったからじゃん
趙雲も戦場では稀有の活躍をした有能な名将だと思うが、行政官としての任務兼務は特別な才覚がいる
比べる相手が悪い
別に趙雲の評価は低くないだろ?
ただ国を左右するほどの立場にはなかったというだけだろ?
趙雲は劉備の護衛隊長系列の職務をやってて、後年人材不足から実戦指揮官に横滑りしたっぽいね
結局、順位をつけると相対的に評価することになるから
下がってしまうんだよね、趙雲は。
趙雲の場合、蜀入り後はどうも近衛軍の一部将という感じで任地で敵に備えるとかそういう任務にはなかったみたいね。
親征とか中央の軍が動いた場合に総司令に率いられてという形だったのかな?
専門家ではないので蜀の軍制とかよくわからないし、多分にイメージ的に語ってる部分はあるが。
魏延の出世速度って改めて見てみると異常なくらいだよな
部曲の部隊長から将軍に、さらに漢中という要衝の太守と前後左右将軍に次ぐ地位を兼任
わずか6〜7年程度で大出世だ
趙雲は軍事職人って感じだからな。
趙雲の評価だって、低くはないだろ
北伐の時だって別働隊任されてたくらいなんだしさ
ただ地味な任務が多いだけで
趙雲は格が低いからこそあちこち引っ張り出して使えたという面もあると思う。
もちろん、有能でないとそういった小回りも利かないんだけどさ。
有能だったから名誉職へ上げないで
生涯現役・現場主義でいさせたとも取れるかもな。
趙雲は異民族だったから有能でも昇進出来なかっただけでしょ
>>912
魏延は劉備の部曲(私兵)の出身だって説がなかったっけ?
そうだとしたら,魏延って親衛隊長だった趙雲の部下だったンじゃないの?
なら,魏延が優秀なのは,それを教えた趙雲のおかげってことになる。
>>918
その論法には無理があるぞ
さらに推測に推測を重ねた仮説
それじゃあ「妄想乙」といわれてもしかたないぞ
魏の名将・良将を語るスレ

>347 無名武将@お腹せっぷく sage New! 04/06/27 23:57
>許チョと典韋は名将とはカテゴリーが違うの?
>それともただ単にベスト20にも入らないだけ?

>348 無名武将@お腹せっぷく sage New! 04/06/28 00:29
>>347
>二人とも武勇は素晴らしいんだが、将と呼べるかは疑問だからなあ。

>349 無名武将@お腹せっぷく sage New! 04/06/28 01:42
>>347
>まことに残念ですが、職業ボディガードはランク外になります。


魏だと人材が豊富なので
趙雲クラスはこの扱い
921無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 06:06
 905です。皆さん趙雲について語ってくれてありがとうございます。
ここまでの皆さんの書き込みを見ていていくつか思ったので
書かせてもらいたいと思います。
 もちろん魏延は有能であったからこそ漢中太守を任されたのであろうから、
関張馬黄趙と比しても遜色ないとは思います。趙雲と比べてるのはひとまずさておき。
(張飛ともすごくもめたようなので)。

 まず、近衛軍だの親衛隊でなんで鎮東将軍に任命されるでしょうか・・・。
少なくとも許チョや典イと同レベルではないでしょう(将軍としてみた場合)
ネームバリュウーの無い将軍で曹真軍に対する囮が務まるでしょうか?関羽、張飛、馬超、黄忠、ホウ統
(実際には趙雲だけ数ヶ月後だが)と共に追諡されたのはなぜでしょうか?
当時の人がそれだけ趙雲の能力その他を認めていたことにならないでしょうか?
キョウ維のこの時の発言をよく考えてください。とても部隊長や親衛隊長にたいするものではないと思います。
922無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 06:12
↑921です。すいません905じゃなくて903でした。905さんごめんなさい。
>>921
趙雲は鎮東将軍の前は中護軍・征南将軍。中護軍は近衛だから近衛の一軍を担ってた可能性は高い。
別に近衛だからといって部隊長や親衛隊長レベルだということはない。
諡号に関して言えば古くから劉備に仕え蜀成立に貢献があったこともあるが、長阪の危難で後主を守り通したことにより後主からの覚えが良かったということもあるだろう。
ただ評価としては他の4人に遅れて諡号を賜ったことからやや低かったこともわかる。
つまりそういう立場でありそういう評価だったということ。
だからといって能力を認めてないとかそういう話にはならないと思うぞ?
趙雲の担った役職だって無能じゃ勤まらん。
923じゃなんかわかりづらいのであらためて。

要は近衛=能力がない・評価が低いじゃないってこと。
近衛の性質上、最前線での国防・地方平定が任ではないので目立った功績が少ないのはある意味当然。
ただ軍を率いてもそれなりに功績を挙げてるし(蜀入りなど)勇名も高い(漢中争奪戦や長阪での後主護衛など)、またその見識には素晴らしいものがあり、上からの信頼も高いということで蜀でも10本の指に入る名将だと思う。
それとも趙雲に対して蜀で1,2の評価を与えないと不満なのか?
魏の中護軍は、諸将を監督し、武官の選挙を任務としていた
また、部下に長史、司馬を与えられ独立した軍を指揮下においていた
曹操が護軍を改正して編成したものだが、
漢の流れを汲む軍制だろうから蜀でもそう違いは無いと思う
というわけで、近衛とはちょっと違うと思うぞ
趙雲はエンショウ客将時代の劉備のために兵士を集めて、それを秘匿してあくまで元からの劉備の兵ですって思わせてた
裏の仕事とか密かにこんな調子で担当してたりして
927無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 14:24
 >>924さんへ、
いえいえ無論、蜀で1,2でなければ納得いかないというわけではないです。
初めにも述べましたように、せめて10位以内には入れてよ!というわけで。
確かに演技での活躍が凄まじいため(名将としても猛将としても)、
それに対して正史派?のアンチ的意見が多数出るのは仕方が無いにしろ、
10位にも入らないって・・・と思った次第です。
「趙雲はTOP10にも入らない」なんて主張してる奴なんていたか?
趙雲は初代スレから一貫して、7〜10位候補で議論されてるはずだが。
趙雲信者の思いこみ
十位には食い込むだろう
演義の趙雲は流石にかっこよすぎるけどな
幼児を抱いて敵軍突破!
しかもその前にビ(?)夫人の自害があるから
かなり燃えて読んだ覚えがある
>>921
許チョだって結構高い位貰ってるんだけど。
932無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 19:33
>>931
最終的には武衛将軍だね
ただ文帝時代も衛兵統率の任に当たってるからこちらは護衛一筋っぽい
武衛将軍と武衛中郎将の違いってなんだ?
武衛中郎は四品官だけど、武衛将軍の方は何か説明があったっけ?
>まず、近衛軍だの親衛隊でなんで鎮東将軍に任命されるでしょうか・・・。
完全に護衛一筋の許チョでも将軍位貰ってるんだから。ねえ。
趙雲も一時は征南将軍になってるんだし、
当時の蜀にあっては貴重な将だったのは間違いないな。

だからといって、関張や魏延、姜維らを押し退けて、
上位に食い込む実力があるとは一概に言えないけどね。
征南将軍は三公同位の高位将軍で、職制を素直に実行するなら南部方面総司令官
武衛将軍は雑号将軍だから一種の名誉任官じゃあ?
(あってるかな?)
937無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 21:07
>>928
何人かいただろ。ちゃんと読んでみな。
>>935
関羽.張飛.魏延にはあって趙雲に無いもの.
趙雲にはあって関羽.張飛.魏延にはないものを列挙したら
少しは話が変わって面白いかも。
938無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 21:17
関羽.張飛.魏延にはあって趙雲に無いもの
・大群を統率する能力

趙雲にはあって関羽.張飛.魏延にはないもの
・人当たりのよさ
>>938
主君に直言するに足る見識と冷静さ
個人的には趙雲の場合、
あのときの劉備に直言できる立場にいただけって気もするけどな・・・

呉討伐はまるっきり間違っているわけでもないのだし
>>940
個人的には趙雲の場合、
あのときの劉備に直言できる立場にいただけって気もするけどな・・・

随分決めつけな意見に聞こえるけど、じゃあもし仮に劉備に直言できない
立場にいたら趙雲は直言しなかったって思う?俺は立場に関係なく
直言したと思うけどな。

>>呉討伐はまるっきり間違っているわけでもないのだし

なにそれ?始めて聞いた。
>>936
武衛将軍は名誉職だと思うけど、結局征南将軍だって有名無実じゃん。
趙雲は劉備の護衛隊長系列の職務って上で書いてるけど
これっていわゆる「近衛隊長」になるよね?
すると通常大幹部ではあるけど通常の軍とは別働隊になる訳だから、
ある意味他の4人より指揮権あるはず。近衛隊長に命令出来るのは
君主である劉備と総指揮権を持つ孔明だけだから。
能力的には他の4人より上だと孔明は思ってたんじゃないかな。
近衛隊はトップの直属だから他の幹部でさえ命令できないんだよ。
944無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 22:38
>>941
俺が言いたかったのは、「趙雲にはあって関羽.張飛.魏延にはないもの」に
主君に直言するに足る見識と冷静さ を含めるのはどうかと思ったんだが
趙雲がそういう見識を持っていなかったと言ってるんじゃなく、
魏延とかが持っていなかったとは思えないってだけだ


呉討伐というよりはケイ州の奪還
益州一つじゃあどうやったってジリ貧になる以上、
ケイ州を呉から奪い返すというのは十分選択肢の中にあるはずだが
>>943
へ〜そうなると今までとは話が変わってくるね。でもそういう感じで
ないと劉備や孔明の趙雲に対する厚い信頼は説明しずらいね。
新しい趙雲像が出てきた感じで嬉しいぞ!
>>936
武衛将軍は名誉職でも雑号将軍でもないと思う。
近衛軍所属の宿衛の兵を司る将軍で、四品官だな。
947無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 23:34
>すると通常大幹部ではあるけど通常の軍とは別働隊になる訳だから、
>ある意味他の4人より指揮権あるはず。近衛隊長に命令出来るのは
>君主である劉備と総指揮権を持つ孔明だけだから。
近衛兵を指揮できる立場だったろうが、通常の軍に指示を出せる立場なわけじゃないだろ?
ちと強引過ぎる解釈じゃないか?
948正史研究家:04/07/04 23:41
魏延うんこ
孔明まんせー
漢中争奪戦前後を見ると
関羽・・・独立軍司令官
張飛・・・別働隊司令官
趙雲・・・護衛兼急応軍指揮官
魏延・・・陣地防衛指揮官
黄忠・・・決戦部隊指揮官
こんなところか?
>>943
俺もその説を支持。
ただ、>>947の言う事ももっともで
結局は劉備直属の特別な将だったんではないかと。
そもそも主君の家族の護衛なんて一軍を率いるような将に任せれない仕事だろうし。
>>943
それ、許チョや典イは夏侯淳、曹仁や張遼より有能って言ってるのと一緒。
そう思うか?
>>951
分業状態だったんだろ魏は
趙雲は野戦軍指揮官に後年なってるのは既出
>>952
あのな、943は「近衛隊長だから」すごいという理論なんだぞ?
後年の野戦指揮なんぞは関係ない。
>497
俺が言いたいのは例えば関羽を第1位の将軍とすると、
第2位、3位の将軍は関羽の命には背けない。
指揮権には順序と言うものがあるからね。ただどこの国でもだが、
近衛と言うのはこの序列に含まれない。例え1位将軍であったとしても
近衛隊を動かす事はできない。
最高の指揮権と言ったのはこの事です。
もちろん他の軍への指揮権はありません。
ただ最高権力者を守る仕事なので、ある意味家族同然なほど
信頼のおける者でないと任命されないでしょう。
俺も>>943には同意しかねる。
近衛軍を指揮していたからと言って、
孔明が趙雲を関羽や張飛以上に有能な指揮官として見ていたってのは飛躍しすぎ。
単純に当時の通信技術では
『遠くの関張より手元の趙雲』だったのかと
別方面や別働隊を指揮させてる将をいちいち呼び戻すわけにも行かないだろうし
>>943
袁家の将軍(顔良、文醜)は知っているけど、近衛隊長がだれかは知りません。
董卓の将軍(呂布、華雄)は知っているけど、近衛隊長がだれかは知りません。
孫堅の・・・
近衛隊長の方が将軍より有能ってどんな珍説さ。
趙雲は謀臣を兼ねてたんだよ!
でも劉備が言う事聞かなくて(ry
孫堅の近衛…黄蓋
孫堅の近衛…周泰
近衛が人格的に信頼できて君主と信頼関係にあるのはむしろ最低条件じゃあ?
寝首掻くかもしれない相手を側に置きたいとは思わないだろ
961無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 09:39
もしもの話だけど、荊州を趙雲に、近衛兵を関羽に任せてたら…
荊州事情も少しは変わってたかなぁ?
落ちる時期に多少変化はあれど大勢に変化無しって所だろう
むしろ関羽の補佐としてつけていたら良かったかもね。
964無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 11:31
>962
関羽よりは呉から反感を買うような真似はしなかったと思うし、
独断で北上して、南を手薄にするような事もしなかったと思うんだが。
普通に呂蒙辺りに攻め取られてしまうか?

>963
目上、同列には傲慢らしいけど、趙雲に対してはどうだったんだろう。
ちゃんと耳を傾けてくれれば、それも有りかも。
趙雲だと官位の点から名士層に文句つけられそうだな
関羽は曹操の元で朝廷から形式上とはいえ直接任官・封侯されている
一方趙雲の官位は劉備が属官部下として与えたもの
趙雲も妄想論や感情論、性格論が多いなぁ…
そもそも7位〜10位候補なんだから、関羽とかと比べるのおかしくない?
同じ7位〜10位候補の羅憲、霍峻、張ギョクと比べようぜ?
967無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 14:26
別に趙雲の順位に不満があるわけじゃないよ。
荊州の件って関羽の性格が1つの原因だったっぽいから、
同時代に活躍してて、古参で性格が良さそうなのって言ったら
趙雲が思いついたから訊ねてみただけで。

順位を決めるだけのスレじゃないし、いいだろ?


軍備、内政、対魏外交、対呉外交……関羽と趙雲、どっちがそれぞれ良い結果をもたらすかな?
趙雲が勝りそうなのは対呉外交くらい?
対呉外交も駄目、趙雲じゃあ舐められる。
969無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 15:34
やっぱり威圧感なんかは関羽の方が数段上だったんでしょうね。
でも趙雲だと関羽のように傲慢じゃなさそうだし、呉との関係を良好に保てた…とか考えにくいですかね?
関羽の様に独断の北進もしないだろうから呉との国境の防備もしっかり出来てたとか…無理?
威圧感だの威名だのこそ後世の妄想くさいな
威圧感つうか身分と地位と名声。
ていうか
趙雲にある程度の規模の軍を率いれるか
も未知数だし率いたとしてどのような用兵ぶりかも未知数。
軍務政務的なことを統括できるかも、軍務政務官を統率できるかも
様々な点において未知数が多すぎる
だから妄想にしかならないと思うんだが・・
近衛としての安定した仕事ぶりとは
また別の能力が要求されないか?
後半の野戦指揮だけじゃなんともいえないよ・・
個人的に兵卒や中級指揮官の統率は出来ると思うんだが・・
拠点の司令官が出来るとは思えないな。
やっぱ誰かの下につくのが一番
974無名武将@お腹せっぷく
903.921.927です。
なんか一日見て無かっただけですごい発展してしまってる。
趙雲のことが議論されるのは素直にうれしいですね。
皆さんにもいろいろな考えがありますね。
ただ、966さんの羅憲、霍峻、張ギョクと比べるは・・・。
彼らを否定するつもりはありませんが。それこそどうかと・・・。

趙雲も一応、桂陽落として太守を務めたり、イリョウでは江州方面を任されていたりと
征南、鎮東だって完全に各方面司令官職だし。(今で言うなら準元帥、大将級か?)
まったく何も任されていないわけでもないと思う。
基本的に手元に置いていたのは時期や人柄も関係していると思うし。
何かあったら趙雲にって感じはあったのでしょう。(悪く言えば使い勝手がいい)
馬超にしろ、黄忠にしろ趙雲にしろ関張と同じ伝を立てられているわけだから、
少なくとも当時の人は身分や立場を超えて5人が同レベルの人材
であったと見ているのだと思う
(これは大事だと思う。少なくとも私たちがあれこれ言うより正しいでしょう)。
魏延が終わりを全うしていれば6人かもしれなかったが・・・。
なんせ魏延は最後を飾れなかった人物(李厳や楊儀と一緒)の伝に入っちゃってるから。