孫権が浅はかだったから関羽を斬ったんだよ。
関羽と同じ状況になったらうまく切り抜けられたであろう武将はいるかな?
まあ陸遜とか孔明だったらこんな状況になる以前に挟み撃ちなんかされないだろうが。
最期の最期の状況を切り抜けられるとは思えないね
曹仁からあっさり城を取る事なんてできないだろうし、徐晃に勝ったところであまり意味はないし
ただ、藩濬の件は関羽だからこそ招いたことなのだろうから、
アレがなかったら命からがら逃げ延びる時間ができないだろうか
藩濬の件
って何?
まあ、関羽の攻められるべき点は、あの状況を招いた戦略眼と政治センスの欠如であって
必ずしも兵を率いて戦う能力の不足といい切れないんじゃないかな?
他の名将でも同じ状況を覆せたと思えないといってる以上、関羽の戦術・用兵が劣ってる
証左にはなりえないって事で良いよな。悪くない証拠でもないが。
都督の器でなかっただけ
董督じゃなかったっけ?
>>959に同意。
結局のところ自信過剰と経験不足が招いた悲劇だろう。
戦う経験ではなく戦略を用いる経験がね。
なんにしても、兵力も兵站も不足。
荊北を攻める以上は長期戦になるのはわかりきってるんだし、
襄・樊の二城が容易く落ちるはずもないんだから。
>>850 人を責めるな!!そんな奴は!!!
(´ゝ`)プッ
関羽は、王甫が気をつけろ、って言ったのに、
呉軍を甘く見ていたので、
呂蒙の策に引っかかり、捕らえられた・・・・・
すいませんm(_)mくだらいない様なことを言ってしまい。
王甫は夷陵で死んだんじゃないの?
曹操は漢中で劉備に負けて、劉備軍には当陽までには無かった高度な戦略(strategy)や
作戦(operations)能力が備わっていると思い知らされた。
その上で、戦術(tactics)や用兵(tactics)面では高く評価し個人の戦闘力は当代1,2
という評価の関羽が攻めてきた事で。
関羽+法正の作戦+諸葛亮の兵站の強さを想定して恐れたんじゃないかな?
で、漢中での敗退を直接経験せず荊州の動静を見てた司馬イ達には劉備軍そのものへの
怖れは存在せず。冷静に分析し呉の思惑も組み入れたから怖れ無かったんじゃないかな?
ははははは
>>971 個人名を出すなら恐れたのは関羽だけでいいと思う。
別に漢中や巴蜀との連携を心配していたわけではないから。
もちろん劉備軍に対する意識は以前とは変わっているだろうけど、
遷都案が出てきたのは七軍の降伏、関羽の存在が主要因で
他にも
>>891のような内乱・外憂が多すぎたこともあるだろう。
>>971 曹操と司馬懿らの認識が違うのはおそらく関羽に対する評価。
程c・郭嘉の言から考えると関羽は昔、なんか凄いこと(多分個人能力)をやった。
けど司馬懿らはそれを知らなかった(若しくは詳しく知らなかった。)
簡単に言うと曹操の評価は演義の関羽、司馬懿らの評価は正史の関羽といった感じ。
七軍の降伏で曹操は関羽の過去の武勇から関羽を恐れる。
司馬懿らにとっては災害で軍が失われただけで関羽とは結びつかない。
その結果冷静な判断が出来たと。妄想だけどね
関羽の驕った性格を読まれてたんじゃない
燃料投下…か?
>>976 そこのページ、あらゆる微細に入って
関羽を非難しまくってるからなぁ…余計な仕事を感じる。
相当関羽が嫌いなんだな。もしくは教育的。
>>974 曹操も関羽の性格を見抜いてると思うけど。
俺は曹操を、結構思い付きの多い武人的カリスマの人だと捉えてる。
関羽と結構被ってるかもしれないという妄想。
あと、潘濬関連知らないヤツらは調べろ。
俺はだいぶ前に“潘濬”って書いたのに、誰も反応しないし。
糜芳を無能だと思ってる人も多いかもしれない。
もすの論法で逝けばどんな事跡・評価も「虚構虚飾の類」にできると罠
>関羽の評価が虚構なら関羽の失敗や戦功が無いことなどで辻褄が合うし
まあ劉備が荊州の責任者に任命してるという事実だけで
発言者が難癖つけてるだけなのは、ふつう分かると思うけどね。
>>980 あのサイトの管理人。
むかしは有名だったのになぁ・・・
>>976 >士人達の関羽評価
この部分についてはそれなりに納得できる。
しかし、全体的に悪意が先行してるし、
劉備が兄になってたり、
関羽を捨て駒扱い(荊州に捨て駒置く位なら呉に返還しろよ)
したりと突っ込みどころも満載。
>>978 そういう一面はあるかも知れんが
その二人は能力が違いすぎて比べる対象ですらない。
潘濬の件を索引で調べてみたが分からん。
誰の伝を読めばいいの?もしかして原文?
潘濬は潘濬伝だろ
>>984 関羽と全然絡んで無いじゃん。
関羽と潘濬の絡みなんて季漢輔臣賛に少しあるだけで
>>957のいってる潘濬の件とかアレとかはどこに載ってるの?
関羽に難癖と言われてもおかしくないんだろうけど、もし虚構じゃないなら
魏が恐れるどんな戦功があったのか、という疑問が残るんだが。
関羽は蜀だから史書に残らなかったとして、
魏が本当に恐れるなら魏や呉の史書に何らかの形で書かれていないとおかしくないか?
それについて、何か意見お願い
>>986 >程c:「関張は一万に敵する」
>直前に楽進や徐晃に敗走させられた人物を何故そんな高評価するのか不明。
>もし、事実だとしたら「一万の敵を破った味方がいるのに一万の敵を恐れている」ことになり、訳が判らない。
例えば↑だが、当時撤退南進が既定路線だった関羽とそれを追撃、捕捉するのが目的の魏将らの勝敗を
単純に関羽の負け、魏将の勝ちと捉えている時点でアレだろ。
また評価が必ずしも実質を伴うとは限らない。
世間的には高い評価を受けながら、実際には能力があったかどうか疑わしい結果を残した人物は数多くいる。
評価・評判に納得できないからといって「評価されたこと」そのものを疑うのは短絡的としか言い様がない。
>>987 単純に勝ち負けでないとしたら、関羽の撤退が見事だったと考えるのが自然だと思う。
で、撤退作戦を遂行した時に評価されるとしたら「兵を良く率いる」というたぐいになるのが普通だろう。
「一万に敵する」というのは攻撃したり拠点を守ったりしたときに評価として下されるならともかく、
撤退作戦で一万に敵するなんて言うのは、あまりにも不自然なのでは?
その文章の信憑性に対する否定にはなっているけど、
関羽の高評価(兵一万)の理由にはなってないような気がする。
今聞きたいのは関羽の兵一万の評価が、虚構なのか?そうでないのか?
虚構である可能性は否定されたとして、どうしてその様な評価がくだったのか?
なんだけど、また反論などおねがいします。
劉備は英雄である上に関羽張飛を従えてるから危険だ、って流れの話じゃなかったっけ?
>撤退作戦で一万に敵するなんて言うのは、あまりにも不自然
程c伝を読む限り、「万人敵也」が荊州戦限定での関羽評価だとすること自体が不自然だろう。
孫権が劉備を殺すという大方の予想に対して
>劉備有英名,関羽、張飛皆萬人敵也
と言って「有能だから殺さないだろう」と予測した話の一節に過ぎない。
また、大勢を占める意見に対する反論だから多少大げさな表現でハッタリをかますことだってある。
関羽の北伐以前になされた評価じゃなかった?
<万人
そうだよ
じゃあ、北伐の失敗を敵万人の評価と
結びつけるのは無意味じゃん。
>>988 撤退における「万人敵也」を普通に受けとめれば、
関羽は撤退する際に追撃する魏将を斬りまくった、でよいのでは
>撤退作戦を遂行した時に評価されるとしたら「兵を良く率いる」
オレ的には「万人敵也」を「兵を善く率いる」と捉えても違和感ないが。
おまえら関羽に難癖つけるためだか知らんが、深読みしすぎ。
程cが関羽の戦いぶり(撤退ぶり)をみて「強いな〜」って思っただけ。それじゃダメなの?
>>994 一体どこからそのような妄想が沸いてくるのでしょう?
なんだかんだ言っても関羽が楽進らによって敗走したというのに
魏将を斬りまくったってなんて根拠がなさ過ぎ
>>994 ほぼ同意できる。
「万人敵也」に起因する事象といえば、白馬での戦功が多分を占めてる
思うんだけど、そこまで実数に拘ってる人はおかしくないか?
”いささか誇張ではあれども猛将である事の証明”
って事で十分だと思うんだけど。
それとも本気で関羽の武勇が兵士一万に匹敵したり、大局を覆せたり、
なんて思ってる人がいるわけ?
書き忘れた。
>ほぼ同意できる。
の前に「二行目を除いて」がつく。
>>995 言葉が足りなかったかな?
>>987の↓の書き込みを前提に言っているのだが。
>例えば↑だが、当時撤退南進が既定路線だった関羽とそれを追撃、捕捉するのが目的の魏将らの勝敗を
>単純に関羽の負け、魏将の勝ちと捉えている時点でアレだろ。
『撤退南進が既定路線だった関羽』が万人敵也の評価をされたとしたら
追撃する魏兵を斬りまくったんじゃないの?ってこと。
程cの発言を言葉通りに普通に捉えただけ。
根拠は?と言われれば、「程cの発言」と答えるのみ。
あと
>>996の言う通り、「万人敵也」=一万人斬ったではないからね。
>>998 >程c伝を読む限り、「万人敵也」が荊州戦限定での関羽評価だとすること自体が不自然
↑これも読んでね
>>999 何を言っているのか
程cの「万人敵也」評価は荊州戦での関羽でないことは、普通に考えればわかると思うが。
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