【春秋五覇】春秋戦国スレ【戦国七雄】

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1無名武将@お腹せっぷく
―春秋戦国時代―…それは中華の人々が初めて経験した大乱世
周の幽王の死から秦王政すなわち始皇帝の統一までの550年間
人々は戦乱に疲れ、何より平和と安寧を求めた
そしてこの弱肉強食の時代は、数々のドラマを生んだ
それらはあまりにも人間くさい その前の殷周時代よりも遥かに…
歴史に燦然と名を残す名君、国家を繁栄に導いた賢相、主君の覇業を援けた名将、忠に生き義に殉じた忠臣
世を憂えその思想を後世まで伝える哲人、口舌で乱世を乗り切った論客、そして傾城傾国の美姫…
そんな彼らが活躍した舞台、春秋戦国時代について語りましょう。
2:02/08/30 23:12
板違いかも知れないけど、王莽・光武帝とかあったから思わずたてちゃった
3郭図公則 ◆2getuhmE :02/08/30 23:15
3げっと
幾度となく立てられては消えていく、不遇のスレ・・・
5:02/08/30 23:23
>>4
まあそう言わず語ってくれ。
てゆーかこの時代そんな人気ないのか…
面白いのに
6こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/30 23:26
人名漢字が出にくいのがツラい。
7:02/08/30 23:32
>>6
漢字難しいからねぇ…士会とか白起ならいいが
羊舌キツとか変換すんの大変だょぅ
8干将:02/08/30 23:47
この時代は好きだな。
三国志よりいいな。
9こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/30 23:48
呉王・[門+盍・門+呂](こうりょ)の絡みで出てくる、要離のことがとてもすき。

漢代にまで時代が下がると、
個人の力だけではどうしようもない国家という巨大な力の存在が如実になるけれど、
春秋時代は、まだまだ個人の選択によって時代が動く可能性があった時期なので、
その点にロマンを感じる。
10こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/30 23:49
>>8
三国志は、逆に「個人の無力さ」もテーマなのかも。
11:02/08/30 23:56
ヤター10レスいった〜( ;∀;)
>>10
確かに三国志は中央集権が確立したあとだからねぇ
ただこの時代は身分制度は三国志よりも厳しいと思うよ。乱世たって、君主は君主。
あ、でも斉の田氏は…
12無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 00:01
闔閭
闔閭< あ!すごい!
14干将:02/08/31 01:35
孔子や屈原なんて、現代にいても周りから浮くんだろうね。
個人の才覚だけで国勢が覆るあたりが好き。
伍子ショとか、越王勾践とか、管仲とか、公孫央とか。
故事成語なんかもこの頃が一番出てるし。
三国志読む前にこの時代を勉強しるって思う。
屈原なんかは魚父辞でも清濁併せ呑むなんて真似は出来ないって言ってるし
庶民からは好かれても同僚からしてみれば融通利かないやな奴だったんだろうな。
17無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 07:48
ところで三国志では一騎討ちをよくやるけど、春秋戦国時代ではあまり見ませんね。一騎討ちの概念自体無かったのでしょうか
>>17
三国志の一騎討ちも演義の創作がほとんど
19干将:02/08/31 10:38
>>17
ネタだろ?
ネタだと言ってくれEEEEEE!!!!!

>>15
商[革央]、呉起、楽毅なんかすげーよね。個人の影響力でかすぎ。
俺がこの時代に興味を持ったのは、三国志から。
「絶エイの会」の故事を調べたのがきっかけですた。
春秋戦国の小説って淡々と話が進んでいくから感情移入しにくい
やっぱ白圭でしょ最強商人ってことで
221 ◆Od6sKlbc :02/08/31 11:39
>>14
孔子は一応魯の宰相クラスまでなった人だし、人徳はあったと思う。人気もそれなりだったでしょ。
屈原は頑迷でいやなやつでしょうね(w
>>19
呉起なんか超個人主義っすね。個人の才覚で国が興亡するのは非常におもしろい。そこが春秋戦国の魅力

>>20
宮城谷氏の小説なんか感情移入しまくりだと思うがどうよ?
23無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 13:17
>>17
春秋期の戦争様式は知っていると思うが、戦車戦が主流。
「車右」同士の一騎打ちはあった。
ただし、この時代の個人的武勇は賞賛の対象にはなりにくい。
諡号の最上位が「武」ではなく「文」というのも、なんとなく納得できるし。
士会のように車右から正卿に登りつめる方が、極々稀。
>>21
白圭って公孫讃だろ?
三国志ヲタ迷惑だから逝けや
25こおろぎ│ω・`) ◆8T0pwV36 :02/08/31 15:18
>>24
あの…
三国志に出てくる公孫[王贊]の字(あざな)は、「伯珪」。
>>21の言っているのは、「白圭」。
商人ということからも、薛公こと孟嘗君・田文のお父さんのお話をしているのであって、
三国志は全然関係ないですよ。。。
>>24
公孫「讃」って誰よ? プ
>>26
誰にでも三国志に夢中になって、
世の中全てを三国志に関連付けて考えてしまうほど、ハマってしまう時期があるもの。。。

奇貨居くべし。カンチガーイは、スレのほどよいカンフル剤。
こおろぎタンは優しいのう( ´д`)
でも戦国の世では真っ先に死にそうだのう( ;´Д`)

>>22
朕が最初に買った小説が悪かったのかもしれんね。
宮城谷とかいう人のを探して読んでみるべさー
291 ◆Od6sKlbc :02/08/31 16:42
>>28
宮城谷昌光ってのがフルネーム。
この人の作品は、ほとんど中国古代を題材にとったもの。
殷では「王家の風日」がおもろい。春秋戦国は山ほどある。その中でも「重耳」と「孟嘗君」が面白いかな?長いけど。
30干将:02/08/31 16:55
春秋戦国の小説を語るのに宮城谷は外せませぬな。
「晏子」も好きだなあ。
脳内補完が素晴らしい。

・・・三国志の晏明が晏子の子孫だったら嫌だな。
>>1
宮城谷昌光の孟誉君は2ヶ月くらい前に読み終わった
戦国策好きには堪らない作品だと思われ
『孟嘗君』って、そんなに面白い?
あくまでも小説であって、娯楽性では随一なのはわかるが…。
史書を読み漁ったせいか、興ざめしてしまう自分…。

荒らすつもりでは、けっしてない。
宮城谷氏の作品は全て読んでるし。
3328素人:02/08/31 18:07
>>32
春秋戦国初心者の朕に推薦ってことだと思われ。「孟嘗君」
341 ◆Od6sKlbc :02/08/31 19:04
>>32
確かに「孟嘗君」があくまで小説であることは事実。それにはフィクションも多々含まれている。
だが、春秋戦国の小説を書こうと思い当たっても、史料が少なめなので、脳内補完がないと、小説としては成り立たない。
あくまで娯楽として、「孟嘗君」を推した。32氏がおっしゃることはもっともですが。
「孟嘗君」は三国志の横山か吉川みたいなもの
歴史としてより免疫をつける程度にどうぞ
36干将:02/09/01 03:00
「孟嘗君」は昔、新聞に連載されてたので毎日読んでた。
でも、通して読んでないなあ・・・。
文庫本で出てたら買おうかな。
37こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/01 12:48
>>36
『孟嘗君』は1998年に1〜5巻まで、まとめて文庫化されました。
講談社刊、1冊約600円。

史料が少なすぎるというのには、狂おしいほど同意。
もっとも、『史記』が成立したのが前漢代であるので仕方無いのかも。
日本の戦国時代よりは、テキストがまとまっている方でしょうね。
自分のこと「朕」っていう香具師、キモイ。
あまりこの時代の話は得意ではないので、チョトだけ参加させていください。

管仲
姓+字+名の配列で名前が残っている、特殊な例です。

…そんだけ
40干将@ネタにしてスマソ:02/09/01 13:29
昨日、三戦の春秋戦国スレ行ったんです。春秋戦国。
そしたらなんか書き込む人が5人くらいしかいなくてガラガラなんです。
で、よく見たらカキコがあって、「幾度となく立てられては消えていく不遇のスレ」
とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、不遇のスレ如きで普段来てない春秋戦国スレにに来てんじゃねーよ、ボケが。
春秋戦国だよ、春秋戦国。
なんか郭図公則とかもいるし。2取れなくて3げっとか。おめでてーな。
よーし>>1まあそう言わず語ってくれ、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、『戦国策』やるからその席空けろと。
春秋戦国ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
商人の白圭と公孫[王贊]の字(あざな)を間違えてもおかしくない、
白圭か伯珪か、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと落ち着いたかと思ったら、隣の奴が、春秋戦国で一騎討ち見ませんね、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、一騎討ちなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、一騎討ち見ませんね、だ。
お前は本当に一騎討ち見たいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、一騎討ちって言いたいだけちゃうんかと。
春秋戦国通の俺から言わせてもらえば今、春秋戦国通の間での最新流行はやっぱり、
『孟嘗君』、これだね。
『孟嘗君』。これが通の頼み方。
『孟嘗君』ってのはフィクションが多めに入ってる。そん代わり資料が少なめ。これ。
で、それに『重耳』と『晏子』。これ最強。
しかしこれを頼むと次から>>32にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、『論語』でも読んでなさいってこった。
41干将 ◆epsprtbo :02/09/01 13:37
俺はこのスレで頑張ろう。
ステハンのつもりだったけど、
決意のトリップ装備。
>>41
では、少し勉強してきます。孟嘗君でも神保町に探しに行くとします。
せっかくの日曜なので。

こんごとも よろしく・・・・・・・・
43干将 ◆3CKansyo :02/09/01 13:42
>>41
スイマセン、トリップ間違えました・・・。
>>42
いえいえこちらこそ、たいした知識もございませんが何卒宜しゅう・・・。
>>40
指摘されて、はじめて郭図公則がいたことに気づいた。

最近の宮城谷はマンネリでつまんないな。
キャラクターの個性がワンパターンな気がする。
ちょっと板違いスマソ。
45無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 13:50
>なんか郭図公則とかもいるし。2取れなくて3げっとか。おめでてーな。

ゲラゲラワラタ
46無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 14:05
>>44
同意します。
「楽毅」以来どうも読みにくくって…。
塚本青史の「白起」の人物描写が宮城谷と逆方向に向いていて
面白かったような気もします。

あと、「東周英雄伝」(台湾漫画。モーニングに一時連載された)の、
鶴飼育にハマって破滅してしまった衛の君主の話って本当にあるの?
なんの教訓にもならない内容なので激しくワロタのですが。
47干将 ◆3CKansyo :02/09/01 15:49
>>46
「懿公の鶴」の話なら、左伝にあったと思う。
人より鶴を大事にして、アボーンした奴の話だよね?
48無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 18:12
>>47
結局は狄に国都まで落とされる始末だが、それを復興させた斉の桓公は、やはり
さすがだと思う。
ついでにいうと、衛は懿公の次代は文公だが、即位当時は数十乗しかなかった戦車が
没した時には数百乗にまで増えたというから、彼も衛で随一の名君だろうね。
491 ◆Od6sKlbc :02/09/01 19:28
>>44
そのきらいはありますな。キャラかぶりすぎじゃん!っていう…

>>48
衛の文公は確かに名君だろうね。重耳を無碍に扱ったとか言われてるが、亡命君主にそんな手厚く扱えるほどの余裕は無かったのでせう。
所詮は勝利者の歴史。重耳が覇を唱えたから、衛の文公の扱いが悪いだけでしょうね。
50無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 20:39
>>39
そうかなあ? 他にも伍子胥(名は員)とかは?
というか、姓名と字が伝わっている人物ならば孔子とその主な門下生なら
ほとんど残っているはずだよ。
51無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 20:49
漏れ的春秋戦国時代名シーン

1.馬陵の戦い
2.荊軻による始皇帝暗殺未遂
3.楚王の屍を引っぱたく伍子胥

ほかにもいろいろあるけど…皆さんは?
52盲都区先生:02/09/01 20:49
孟しょう君って横山光輝史記では丞相になっただだけで。どうやって
城を落としていったのか教えて。
>>52
先生!こんなところにいたんですか?
早く自分のスレに戻って弟子に教えを説いてください
54無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 20:57
宮城谷の小説はただのヒーローものに成り下がっている。
55損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/01 22:00
何で人気が無いのかと言うと話の流れや前後が掴みにくいから
陳瞬臣氏の小説もそのきらいがあるけれど、
宮城谷氏小説は、時代考証の説明が長いのかな。。。
小説というよりも、あらすじに説明文がくっついているという感じで。

>>55のそんちゅーの言う、「話の流れや前後が掴みにくい」、とは、
大部分の人が思っている春秋戦国時代に対する正直な感想だと思う。
この時代を扱う小説は、ともすれば
「時代背景が分かりにくい→考証部分の説明が長くなる→小説(物語)としての面白みが失せていく」
という悪循環に陥りやすい。

春秋戦国時代にも、『十八史略』よりもう一歩詳細な、
面白い演義があればいいんだけどね。
>>55
春秋戦国って故事も多くて三国志に次ぐ人気のある時代だと思うが。
(三国志の人気は別格と考えた方が良いかも)
58損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/01 22:50
>>57
言葉足りなかったかな?(端折り過ぎたかな?)
もう一回分かりやすく言うと

何でこういうスレが人気が無いのかと言うと話の流れや前後が掴みにくく話しに入りづらいから
59盲都区先生:02/09/01 23:12
私は早く質問の答えを知りたいんだが・・。
60無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 23:15
>>59
勢い!!
61盲都区先生:02/09/01 23:16
ざけんなこるああああああああああああああああああ!!!!!
答えになってないぞ!
>>59
勘違いスマソ。
本当は、「孟嘗君を語ろうぜ!」のように話題を絞ったスレが立てられればいいのですが。
そこがそれ、板違いスレの悲しさで、
どうしても板に対して肩身が狭く、「春秋時代総合スレッド」という形にしてしまうので、
いろいろな話が泡沫的に浮かんでしまうのです。

>>52
孟嘗君は丞相にはなったことがないので、
ちょっと分かりません。
63無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:00
質問に具体性がないので答えにくいのだが…
もうちょっと答える人間がわかり易いように質問しましょう。

もっと頑張りましょう △32点
>こおろぎ
>>52を日本語に翻訳してください
>>62は、
>59ではなく、>>58宛てです。失礼しました。
>>64
特定のハンドルを貶めるような行動は、ちょっと……              ((( (´・ω・`)ダメダメ
66無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:08
私と娘、二人で受けましたので時間も長かったのですが、娘の分までお昼を用意してくださったり、
また話し相手になってくださったりと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 救霊後の私は、くよくよ悩むのをやめ、毎日を明るく、
楽しく生きられるようになりました。また、証もたくさんいただきました。
 長野市からの帰り道で迷い、高速に乗りそこねてしまったのですが、神様が道案内をしてくださり、
無事、帰路に着くことができました。それから主人の態度が変わり始め、家庭内が明るくなり、
私自身も様々なことが前向きに考えられるようになりました。友達からも、
目がキラキラして別人みたいと言われ、私と一緒にいると、ほっとして、
安らげて、元気がでるとまで言ってくれました。うれしかったです。
 私に深見先生のことを教えてくれた妹は、一昨年結婚して、名字が“深海”となりました。
 友達3人にも声をかけたら、“行ってみたい”といってくれました。その日がくるのが楽しみです。
中途半端な性格の私ですが、ワールドメイトでは死ぬまで勉強させていただこうと思います。
 ありがとうございました。


なにこいつ?
史記から入ろうとしちゃったんで、時代の流れが全然わからん。
孟嘗君って「食客三千」で有名だったけど、
戦場に出たとか、すんごい善政を布いたとかは聞きませんね。
あっ、ちなみに、宮城谷 氏の孟嘗君は読んでません。
「太公望」でイメージ狂ってからはちょっと・・・。
小説だと「十八史略」と、安能務 氏の「春秋戦国志」ぐらいしか読んでません。

ところで、>>1さん。
このスレ、ageたい?sageたい?
70干将 ◆3CKansyo :02/09/02 01:48
鬼谷先生と水鏡先生はイメージがかぶるのは俺だけ?
711 ◆Od6sKlbc :02/09/02 02:41
>>69
メール欄middleにワラタ。
sageでもageでもどちらでもいいです。
ご随意に。ageてもそんなに荒れないっしょ。sageでマターリ逝ってもいいけど。

孟嘗君はそれなりの才覚はあったと思いますよ。食客三千人はカリスマ性(財力かも)をあらわしてるし
秦でピンチに遭ったのも、秦が彼を恐れてのことでしょうからね。
最強は楽毅だよねっ!
>>72
何をもって最強だと?
>>71
>秦でピンチに遭ったのも、秦が彼を恐れてのこと

正確には、秦ではなく趙(武霊王)が恐れた。
秦、趙、宋の連衡に斉が加わることで、趙の立場(連衡相手としての重要性)と
今後の趙の展望に不都合であると考えたのではないかと思う。
孟嘗君は弱肉強食の戦国時代に薛という半独立国家を保持しますたからね。
漏れはかなりの偉材と思いまつ。
宮城谷氏の受け売りになるが、外交感覚については凄いものを持ってたんじゃないかと思う( ´∀`)
>>52
禿げしく遅レスで申し訳ありません、盲都区先生。
一応、それなりの学問は身に付けていたはずですし、食客の中には兵法に明るい人もいたはずです。
ですから、名も無き城を守る、名も無き守将を破る事は、それほど難事ではなかったでしょう。
ただ、自分の能力だけで勝ったかと言われれば、眉唾ものではあります。
しかし、>>60の答えも、あながち間違いとは言えません。
とある城を落として凱旋したときの事(何処の城でどう落としたかは不明)、
城民の一人が、「孟嘗君ってのはチビだなぁ」といった事に腹を立て、食客と共に、
出迎えた城民を皆殺しにした、という話もあります。
その位気性が激しいのですから、「勢い」で城を落とす事もあったのかも知れません。
>>75
私もそう思います。
それに、利殖の才にも長けていたのではないかと思います。
国家の運営もそうですし、金貸しなんかもやってましたよね。

>>76
孟嘗君が小柄であるのを嘲笑った連中を皆殺しにした話は、秦から脱出して斉に
帰る途中、趙に立ち寄った際の出来事ではなかった?
もっとも、秦と趙はこの時期は同盟関係にあるから、立ち寄るのは不可能な気がする。

この話事態、眉唾ものらしいが…。
791 ◆Od6sKlbc :02/09/04 00:27
>>71
ソウデシタネ。すっかり忘れてた(;・∀・)

>>78
史記の話ですね。
どっかで見たんですが、司馬遷が若い頃、中国全土を漫遊していたときに、薛でひどい目にあったから、
孟嘗君のことを悪く書いたとかなんとか…
実際はどうだかしりませんが、かなり眉唾でしょうね。
801 ◆Od6sKlbc :02/09/04 00:28

>>71>>74
>>78
全く、私の記憶の当てにならない事といったら…(苦笑)
仰る通り、秦から脱出する際の話でしたね。(本見て確認) Σφ(.。)
確かに、春秋戦国の話の中には眉唾ものの話が多いですよね。先に出た「鶴公」もそうですし。
仁義一本槍の宋の襄公とか、羊羹の恨みとか。
でも、そんな話もあるからこの時代の話は面白いのかもしれませんね。
君主の中では、宋の襄公は上質と思う。

宋の襄公は泓水での敗戦以外は大きな過失はない。
会合の席で楚に拘束された件は過失といえなくもないが、それ以前にも、会合の
さなかに暗殺された例はある。
会合に兵を多数連れて行くのは、何も決まったことではなかったようではあるし。
『春秋公洋伝』では、泓水での襄公の振る舞いを、周の文王を引き合いにするほどの
讃えようである。
>>79
>司馬遷が若い頃、中国全土を漫遊していたときに、薛でひどい目にあったから
たしか宮城谷「孟嘗君」の中にこの一節があった記憶が。
…ん?PHPで書いていたエッセイの方だったかな?

>>82
戦国時代になると宋って印象薄いですねぇ(桀宋を除きます)
滅亡寸前までそこそこの領土は保っていたようですが、飛躍が出来なかったのは
殷以来の体制が古すぎたのでしょうか…。
>>83
>薛でひどい目にあった

『史記−「列伝」』の「太史公自序」にあるかと。
詳細な内容は不明のようだが。
85:02/09/04 23:05
>>78-81

秦の穆公が、愛馬を殺した百姓たちに
酒を振る舞った故事がありますが……
あの話も何かうそっぽいと思いません?
86無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 00:44
>>82
宋の襄公は東アジア最古のドキュン。
こいつを讃えるようになったのは孟子以降。
世渡り下手な儒者が自分達を癒すために四角四面な教条主義的道徳論者たちの
理想的君主としてもちあげた。公羊伝もその流れ。

>>83
そんなことはないが?
戦国時代の宋は滅亡直前まで強大だったし、かなりハデに活躍してるよ
87干将 ◆3CKansyo :02/09/05 01:43
>>85
洛陽で九鼎を持ち上げようとして死んだ秦武王や、
12歳で功を立てた甘羅なんかも最高に胡散臭い。
どこまでが本当なのかわからん。

この時代は色々ぁゃιぃけど、そこが好きだったりする。
88干将 ◆3CKansyo :02/09/05 01:46
そういえば秦国って名君が多いよなあ。
>>82
基本的に、暗君ではなかったとは思いますが、
仁義に固執しすぎたのが悪かったのではないかと思います。
ただ、泓水の戦いでの被害が少なかったら、果たして「過失なし」で済んだでしょうか。
調子に乗って幾度も兵をだし、泓水の戦い以上の被害を出したのではないでしょうか。
内政では有益な「仁」は、戦の役には立ちません。これはその好例でしょう。
これを引き合いにだして遊舌した儒者に対して、他の王侯などは、腹の内では笑っていたでしょうね。
なぜ、宋襄公は自称覇王で終わったのか?と。

>>85
さらに、酒を振る舞われた百姓がその徳に感じ入り、戦の際に穆公の危機を救ったという話が
輪をかけてうそっぽいですよね。
>>87
「史上最年少の宰相」でしたっけ?
頭の固い大人よりも、頭の柔らかい子供の方が良いアイデアが浮かぶって事もあるでしょうが…。
よっぽど周りに人がいなかったんですかねぇ?

>洛陽で九鼎を…
まさに「勢い」ですね。
こんな勢いのある政治家が日本に1人でもいたら、多少は(精神的に)救われるのですが。
91無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 02:30
趙の武霊王が最高だね。まったく信長見たいな人生よ。
>>91
いってしまえば、武霊王は内を治めきれていない君主。
二流とはいわないが、けっして最高でもないだろう。
恵文王の方が、君主としては理想形に近い。
えー、83です。

>>86
ではなぜ、「戦国八雄」とはならなかったのでしょうか?
(すいません、当方ホントに分かってません)

>>91
炎の中で切腹と、幽閉されて飢え死にではだいぶ違うような気がしますが…。
>>93
86ではないが、宋が入ってこないのは、戦国期の早い時期で滅亡してしまった
せいでしょう。
穴宋
欠宋
>>93
身近な人間に殺されたって言う点では似てますね。
しかし、信長は内政面にも優れていましたが、武霊王のほうは、内政方面での活躍は聴き覚えがありません。
だから「武」霊王なんでしょうかね。
どなたか、武霊王の内政面の活躍を知っていたら教えてください。m(__)m
98干将 ◆3CKansyo :02/09/06 01:26
103 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/10/18 18:07

                  ∧∧                    ∧∧
.           ∧∧  = / 趙 \.            ∧∧  = / 楚 \
    ∧∧  =/ 魏\ = ( `ハ´)     ∧∧  =/ 斉\ = ( `ハ´)     ∧∧
= / 韓\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ   / 燕\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ =/ 秦\
= ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎  ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎= ( `ハ´)
_( ヽつTつ ◎−>>┘◎        _( ヽつTつ ◎−>>┘◎       _( ヽつTつ
◎−>>┘◎                ◎−>>┘◎               ◎−>>┘◎

↑こんなん見つけた。国力順になってるのが(・∀・)イイ!!
99干将 ◆3CKansyo :02/09/06 01:28
>ではなぜ、「戦国八雄」とはならなかったのでしょうか?

春秋「五覇」もいい加減な罠
100干将 ◆3CKansyo :02/09/06 01:28
>>99
「も」はおかしいな。

ついでに100ゲット
>>97
治績に関しては、あまりはっきりしていない。
武霊王の事績は、軍事と外交が専ら。
胡服騎射、北方巡察、胡の懐柔や従属化、諸国への朝臣の派遣…など。
胡服騎射に関しては、北方の原陽という城邑を騎士のための俸邑としているなど、
かなり力を注いでいた模様。
即位当初は、肥義に国策を委ねて秩禄を増やすなど、全幅の信頼をおいていた由。
成人後の外交戦略は、かなりの手腕とみていい。
102歴史カメソ(゜Y゚) ◆23vm31Y2 :02/09/07 08:12
五覇とか、七雄って後の史家たちが決めた事でそ?
陰陽五行とかの影響で、そういう形に強制的にまとめられたと思われ。

その辺の事情と併せて、色々と過去スレ?に乗ってるな
http://curry.2ch.net/warhis/kako/978/978495418.html
五覇も七雄ももともと数字に具体的な意味はない。
5、6人の覇者。7、8ヶ国の雄国ぐらいのアバウトな意味だったのを
後世にこじつけて具体的な名を列記するようになったんだろう。

覇者はぜんぶで8人もいるから5人どころじゃない。
それと七雄は戦国末期に秦が強大になってから、
“合従策・連衡策”がらみで関係した国々をいったのであろう。
104損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/07 12:29
呉の伍子胥は有能な軍師だね
それに比べて呉王夫差と来たら・・・
>>30
「晏子」
昨日買って上、中まで読んだけど黒い部分があって面白いね

>>104
孫ビンについて語ってみろやゴルア
106無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 12:47
                  ∧∧                    ∧∧
.           ∧∧  = / 趙 \.            ∧∧  = / 秦 \
    ∧∧  =/ 魏\ = ( `ハ´)     ∧∧  =/ 楚\ = ( `ハ´)     ∧∧
= / 韓\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ   / 燕\ = ( `ハ´) _( ヽつTつ =/ 斉\
= ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎  ( `ハ´) _( ヽつTつ ◎−>>┘◎= ( `ハ´)
_( ヽつTつ ◎−>>┘◎        _( ヽつTつ ◎−>>┘◎       _( ヽつTつ
◎−>>┘◎                ◎−>>┘◎               ◎−>>┘◎
107無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 12:51
【中国の戦国七雄】
燕・斉・秦・趙・魏・韓・楚
【日本の戦国七雄】
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・北条氏康
今川義元・織田信長・豊臣秀吉
108koei:02/09/07 12:51
この時代を扱ったゲームはありますか?
109無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 12:54
>>107
なぜ、徳川家康は日本の戦国七雄に入らないのかな?
十八史略が文庫で出てるけど、岩波とかじゃなくて、>>66のとこが
出してるんだよな。史記の読破は難しいって人には十八史略ってお勧め
なんだけど、如何せん>>66のとこなんだよな。
111損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/07 17:55
>>104
なぜ孫[月賓]について語らねばならないのかと(以下略)
112105:02/09/07 18:57
孫[月賓]は孫堅の子孫じゃん
あと〔月賓]の字辞書登録したよあんがと
113無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 18:58
>>112

微妙に・・・・。
114105:02/09/07 18:58
>>104って損権自身じゃん
暴走してゴメンナサイイッテキナス
>>114
111のミスじゃないの?
116干将 ◆3CKansyo :02/09/08 01:06
>>93
斉の桓公も飢え死にだっけ?
覇王と言っても悲惨だよねえ。
117葉鍵ヲタ:02/09/08 02:10
みんなぁ、とりあえず海音寺読んでみろよ。

素人さんが入るには最適だし、ちょっとした玄人さんを自認するような人も
チェックに向いてると思うな。たぶん文春文庫で中國英傑伝がまだあると思うし。

そういや学生時代、先秦ゥ子繋年を自力で訳出した途端に深勢の東周年表が出てヘコンだな(w
118干将 ◆3CKansyo :02/09/08 03:19
新編 史記東周年表という本を買ったが、エライ高かった。
>>107
大友、大内、尼子、長宗我部、三好、伊達、明智
が入らないのは納得できない
120無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 08:34
最強は李牧だとオモワレ
121無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 09:00
>>116
飢え死にじゃなくて病死したあと後継者争いで死体を放置され
蛆虫がわいたと記憶している。
122無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 09:04
史記、戦国策、春秋、論語、菅子、孟子、荀子
123無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 11:38
【中国の戦国七雄】
燕・斉・秦・趙・魏・韓・楚
【日本の戦国七雄】
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・北条氏康
今川義元・織田信長・豊臣秀吉
【日本の新生七雄】
自民党・公明党・保守党・民主党
自由党・社民党・共産党
124無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 13:27
>>92
武霊王は確かに息子に殺されてしまった。だから、内政面を考えるとあんたの
ゆうことにも一理ある。しかし、当時王族、豪族、家臣を説き伏せ胡服騎射を
取り入れ、趙を大国に築き上げた功績を忘れてはいないか?  恵文王は彼の
功績があったからこそあそこまで出来たのだ。それに恵文王が有能であった
のではなく、その家臣たちが有能であったのだ。それを忘れてはいけない。
125無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 14:08
>>124
家臣の才能が発揮できたのも恵文王の有能さ故という一面もあると思うが。
>>124
版図を飛躍的に拡大させ、尚且つ軍事力を増大させた事績は、ひとつの功績として
認めている。
ただ、急激な改革に伴う弊害や恣意的な後嗣の代替による危機的要因を生んでいる
のも事実。
軍事的能力の傑出した君主として、秦に北方経由で侵攻する計画など、現代の観点から
すれば、多くの可能性を秘めた胸の躍るような印象をもつのはわかる。
…が、こと中国においては、やはり内(家庭)をまとめられないことは問題。

有能無能を問わず、人材を見出し用いるのは君主の資質に大きく依るところ。
趙奢や藺相如は軽輩の人物であり、たとえ周囲の人間の推挙があろうと、最終的に
は君主の意向如何。

有能な君主が名君なのではなく、有能な人材を用いるのも名君である、ともいえる例
ではないかと。
127無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 14:11
もし○○が生きていたら、始皇帝は天下を取れなかった!
この○○に当てはまる人物なんて、本当にいたのかな?
蘇蓁







嘘ですごめんなさい
>>127
荘襄王、とかいってみるテスト。

長生きしていたら微妙に歴史が食い違ってくるような気がする。
130無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:09
>120
李牧ってだれ?
131無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:16
>>130
騎馬民族に対する戦い方の基礎を確立した趙の将軍。
秦との戦争でも活躍するが、秦の謀略により、趙王に疑われて誅殺の憂き目に遭う。
132無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:21
>>123
>【中国の戦国七雄】
>燕・斉・秦・趙・魏・韓・楚
>【日本の戦国七雄】
>武田信玄・上杉謙信・毛利元就・北条氏康
>今川義元・織田信長・豊臣秀吉
>【日本の新生七雄】
>自民党・公明党・保守党・民主党
>自由党・社民党・共産党
激しく同意!
133無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:40
関平(横山画)「父上のばかっ!」
とうとう関平(横山画)は泣き出した。
そのいたいけな泣き顔(横山表現)に関羽(横山画)の気持ちも少し揺らいだが、
ここで負けては父親の権威失墜である。通る声で負けじと怒鳴り返した。
関羽(横山画)「口が過ぎるぞ関平!おぬしは無双2のタメ口関平(凡庸デザイン)か!」

 ガーン(横山画関平のビックリ顔)

関平(横山画)「なんとっ。父上といえども言ってよいことと悪いことがございましょう!
 よりにもよってあのようなその他大勢者と一緒にされるとはっ!」
なんだかんだいっても、無双2で顔がもらえなかったことを気にしていた関平タン(横山画のだけども)
の胸に、この一言は深く深く突き刺さった。
二人の大喧嘩の様子を、関興と関索(共に横山)、二人の弟もハラハラと見守っている。

きっかけは些細なことだった。
門限(午後6時)を5分だけ遅れてしまった関平(横山画)は、鬼神のような関羽に玄関先で出迎えられた。
実際鬼神なのだが。
関羽(横山画)「この不徳ものめがっ!」
関平(横山画)「待ってくだされ父上、話を聞いてくだされ」
言い訳など聞く関羽(横山画)ではなかった。
心優しい関平(横山画)は、学校の帰りに風邪を引いた俺の見舞いに来てくれただけなのだが、
悲しいかな、実直第一が髭の生え方にも現れているような関羽(横山画)に善意の遅刻など言い訳にはならなかった。
頭ごなしに怒鳴りつけられた関平(横山画)は、悔しさを堪えて最初はひたすらに耐えていた。





134無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:54
山崎渉
   ____
    /:::::::::::::::::::::\     ひきこもり。童貞。粘着。自作自演。
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\    
 |:::::::::::|_|_|_|_|_|    以前、某所で高額基板を購入。中身に納得がいかないことから
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ     以後、特定の個人に対して異常なまでに憎悪を持つようになる。
 |::( 6  ー─◎─◎ )
 |ノ  (∵∴∪( o o)∴)  劣等感の塊で、スレを荒らすことのみで自我を保っている。
 |   <  ∵   3 ∵>   論理的な思考が出来ず、コロコロと自分の主張を変える。
/\ └    ___ ノ    自分に不利な意見には目を通さず、
  .\\U   ___ノ\     あくまで自分の土俵で相撲をとろうとする卑怯者。
    \\____)  ヽ  本人は理論派と思っているが、その論旨は見ての通り矛盾だらけ
                   友達は居ない、近所から嫌われてる




135無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 22:41
もし戦国七雄のうち、秦以外の六国が女尊男卑だったら?
>>126
恵文王の家臣に対する権力はどれほどあったんだろう?

>>135
始皇帝が生まれる前に天下統一
若しくは、始皇帝がもっと早く(やりすぎで)死亡
>>136
>家臣に対する権力はどれほどあったんだろう?

君主と臣下の間における権力構造を、程よく理解していると思われる。

恵文王の人となりや臣下への対応をみると、年齢に似合わず、過度な自己主張が
極めて少ない。
威丈高なもの言いも無く、局面下における臣下の言を聞いたうえでの自己判断も、
君主として及第点以上。
若くして王位に即いてより、依然として現役だった主父や、その死後の公子成や
李兌など、王権を蔑ろする人間に長く接してきたせいなのか、若年期からすでに
保身や隠忍自重というものがわかっていたのではないか。

有名な秦昭襄王との会合でも、不本意ながらも藺相如の言を聞き入れて臨んでおり、
出発に際しての廉頗の「日数を越えれば太子を王に起てる」の言にも理解を示して
おり、臣下として、これ以上に仕えやすい君主はいないかもしれない。

藺相如や趙奢などの軽輩を抜擢する人事も悪くないうえ、閼与の戦いでは武官への
諮問に対し、救援に難色を示す廉頗や楽乗にも不快を示さず、自薦した入閣間もない
趙奢を起用し、勝利後は廉頗に匹敵する地位を与えるなど、これで名君といわない
方がおかしいのでは?
138盗セキ:02/09/10 15:36
俺が最強
>>137
>>136です。
概ね同意です。
人によっては、>>137のレスに対し、「臣下の進言を右から左へ流しているだけでは?」
と考える人もいるとは思いますが、有能な家臣がいつまでも同じ国に居続けさせるというのは、
やはり恵文王の人徳であり、内を良く治めていた証拠だと思います。
特筆すべきは、秦昭襄王との会合でしょう。
強情な君主なら、国が滅びようと、かまわず兵を差し向けたでしょう。
逆に、臆病な君主なら、会合には行かず、篭城戦の準備に奔走したでしょう。
臣下に絶対の信用を持っていたからこそ、会合に望む事もできたのだと思います。
その人柄こそが、臣下に専横する事も考えさせなかった、恵文王最大の力だったのではないか、
と思います。
権力バランスとしては、丁度良くなっていたのでしょうか。

ですが、名君か?という事になると、私は、恵文王は、可も無く不可では絶対に無く。
強いて言うなら、「中の最上級」と考えています。又は「殿堂入り半歩手前」って所でしょうか。
ちなみに、私の考える名君は、楚荘王です。
恵文王という諡号からして臣下から尊敬されていたのがわかる

武霊王という諡号は、武と霊で功罪半ば。
141無名武将@お腹せっぷく:02/09/11 11:41
>>135
秦以外の六国が女尊男卑だったという説もあるよ。
142無名武将@お腹せっぷく:02/09/11 23:35
横山史記しか読んでないので、恵文王がヘナチョコ君主だと思ってました
>>142
恵文王に関しては、『戦国策』と『史記列伝』を読んだ方がいい。
>>142
横山史記に出てくる君主は、凄い人か、ヘナチョコかになりがちですね。
でも、気宇壮大な人でなければ、あのような対応が普通だと思われます。
今でいうなら、「ヤクザの事務所に飛び込んで来い」みたいなものでしょうから。
春秋戦国ものの本(小説など)も探せば結構ありますので、
頑張って探してみてください。
書く人によって、登場人物の印象が微妙に違ったりするのも面白いですよ。
145無名武将@お腹せっぷく:02/09/12 12:18
>>141
えっ!
それは、本当か?
146142:02/09/12 23:30
>>142
>>143
こんな丁寧なレスが帰ってくるとは・・・・少し感動しました
147142:02/09/12 23:32
↑は
>>143
>>144
の間違いでした。スマソ
そういえば、春秋戦国期ほど「怨み」を原動力に名を残した人々が出る時代って無いですよね。
有名なところでは、羊斟、巫臣、伍子胥、趙無恤、越王・勾践、張儀、孫[月賓]、
范雎、燕太子・丹 …あたりか?
150干将 ◆3CKansyo :02/09/14 00:14
>>149
呉王・夫差たんも入れてあげてー。
タイプは違うけど予譲も復讐に命をかけたね
152伍子胥好き:02/09/14 12:20
>>150
呉王・夫差は父親の遺言を守っただけ。恨みが原動力とは思えん。結局、越王・勾践を殺さず
覇者にもなれず、伍子胥を殺したけどね。

呉王・夫差と並べて評されることが多い知瑤(知襄子)。
彼の場合、趙無恤(趙襄子)に怨まれたわけだが、呉王・夫差と同様に、初めは
良かったが終りが甚だまずい。

面白いことに、双方ともに賢臣と佞臣が存在し、用いるべき人選を誤っている。
夫差は伯[喜否]を用いて伍子胥を斥け、知瑤は知果の言を用いず張武を信じた。
翻って勾践や趙無恤は臣の良否をよく見抜いた。

やはり盛衰や興亡には必然が存在するのかも…。
154sage:02/09/14 22:11
伍子胥=孫武という説があるけど、どうなんだろう?
確かに、孫武の活躍が史記にあまりないし、伍子胥の息子が、
斉に移り住んだことなど、うなずけるものもあるが、
孫子の兵法書が発見されたことで、孫武の実在性も
否定できん。
155154:02/09/14 22:14
あげてしまった・・・。すんません。
今NHKで兵馬ようやってる
>「怨み」を原動力
儒教が士大夫に浸透した後世では、あまり見られなくなったのかも。
158干将 ◆3CKansyo :02/09/16 01:20
>>152
そういえばそうですね。
でも「臥薪」嘗胆っていうぐらいだからいいじゃないかヽ(`Д´)ノウワァァン
しかし呉王コウリョは変な死に方したよなー。
あっけない。

>>154
初耳です。
でももし本当だとしたら「日暮れて道遠し」の故事は成立しない・・・。
159無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:30
>>140
「恵」は実は暗君につけられることが多い「おくりな」らしい。
漢恵帝や西晋恵帝が代表格。
春秋戦国時代では晋恵公や魏恵王、燕恵王など、
国を弱体化させた君主はこの「恵」が結構使われているね。
160無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:58
『逸周書 諡法解』によれば、

「柔質受課曰惠」
…とあり、”性質柔和にして諫言をいれる”といった意味になる。
勾践も結果的あんまり良い君主とは言えんよね
ハンレイは共に苦しむことはできても栄華は分かち合えない人だっつうて出奔してるし
残ったショウは結局怖れられて自殺を賜るし。
ここらへんて呉の孫武と伍子胥の末路と同じだ。
162無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:12
>>160
へぇ、ということは結構良い諡号なのか・・・
じゃ、アホ皇帝だった西晋恵帝も実は優れた人物だったということか。
>>162
諡号というのは、実際には事績と合致しない場合も多い。
とりわけ漢の恵帝の時代は呂后の治世だったといった方が事実に近く、その呂后の
治績は高い評価を下されている。
実子でもあり、そのあたりの影響もあるだろう。
西晋の恵帝は存じないので、なんとも…。
164無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:16
もし○○が生きていれば、始皇帝は天下を取れなかった!
本当に○○に当てはまる人物なんているのかな?
165無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:18
荊軻
166無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:19
>>165
なぜ?
167無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:23
ロウアイ

漢字がでない。
168167:02/09/16 17:28
黄アツ(春申君)
荘襄王
傑宋
>>164
やっぱ李牧でしょ?
信陵君魏無忌にきまっとる!
だれか、小説書いてけれ!
173無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 22:10
>>163
確かに、漢恵帝の時はそうですね。
まあ、私も古代中国史を受けた時にきいた内容の受け売りなので、
そういった書物があるのならばそれが正しいのではないかと思います。

ちなみに西晋恵帝は精神薄弱だったということで、皇后が政治の握っていたそうです。
それが原因で後に八王の乱がおきてしまったのですが、結局恵帝ではその乱を治めることは出来なかったそうです。
174無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 22:11
もし秦以外の六国が女尊男卑だったら?
175無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:24
>>172
宮城谷センセ。頼みます書いてください
>>173
確かに、西晋の恵帝は暗君であったと言われてますね。

武帝の時代、皇太子に決まったとき重臣の一人が
「ああ、この座がもったいない。」と玉座を撫でたという話。

また、戦乱と飢饉のため民衆が暴動を起こし、「米をよこせ」と
王宮にまで迫ったとき、「米がなければ、肉を食えば良かろう。」
と答えた。(マリー・アントワネットの話とそっくり)

しかし、恵帝のいい話もあり、反乱軍が宮廷内に乱入したとき、
ケイ紹という側近が恵帝を身を挺してかばった。この側近は殺され、
恵帝はこの側近の血で染まった服のまま救出される。
その服を着替えるように勧められると、
「この服に付いている血は、ケイ紹の血だ。
洗い落としたり捨てたりしてはならん。」と言ったという。
このエピソードから、実は暗愚な人を装っていたのではないか。
と、宋の司馬光が書いてますね。

長文sage



177ゲーム厨:02/09/17 00:57
信長の野望 将星録では日本の戦国の七雄は

伊達政宗・北条氏康・上杉謙信・武田信玄・織田信長・毛利元就・島津義久

になってましたが妥当だね。異存がある者はおりますか?
178無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 01:01
>>176
>実は暗愚な人を装っていたのではないか。
なるほど、確かにそんな感じもしますね。
ということは、そういうことも加味されて諡号が「恵」になったというわけですね。

では、春秋戦国の各「恵」の諡号のついた公や王もそんな感じの人達だったということなんでしょうか?
>>178
少なくとも、晋恵公と燕恵王は愚昧としかいえない。
晋恵公は、賢臣の言を容れず挙句には誅し、平然と背約を行ない、国家を傾かせた。
燕恵王は、容易に諜報工作に懸かり、名臣を更迭し、最後には弑された。

他の君主には、再検討の余地がある。
>>171
李牧がいようといなかろうと、大勢に大きな影響はない。
統一が数年遅れるだけ。
>>180
>統一が数年遅れるだけ
それを言っちゃったら、誰が生きてても無理って事でしょ?
孔子が復活しようと、孫子が復活しようと、楽毅が復活しようと。
ってことは、結論としては?
「誰もいない」が正解。
182無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 07:17
>>181
「皇帝」の元に高度に組織化された帝国に英雄的人物が小国を率いても戦術的勝利はともかく
戦略的勝利を納めることは難しかったということだろうね。
高度に組織化されていたから商君の悲劇も起きてしまった。
183損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/18 19:24
そう言えば贈り名のXX帝とかってその人の功績で付くらしいね
霊帝の霊とかは碌なことをしなかった奴につくだとか
厨帝
185損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/18 23:53
>>184
偉大なる称号だ
186無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:54
>>185
「オクリナ」は死んでから貰え
187損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/18 23:55
>>186
まてまて、俺は>>185はもらえば偉大な称号だと言っただけだぞ
188無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:00
>>187
あっ
失礼
よし、俺からも授ける
「固帝(固定ハン)」
厳しー
189損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:05
>>188
一瞬俺の周りが氷点下になったぞ
>>189
大丈夫
あなたはいつも
氷点下
by屈原

損権見苦しいsage
191干将 ◆3CKansyo :02/09/19 00:16
>◆eUbtZCI.
頼むから雑談はよそでやってくれ。


李牧が生きていれば・・・というのは日本で言えば蒲生氏郷の評価と近いかな。
192損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:30
言うなれば漏れはモウスイだ
193無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:41
>>191
まあ、>>182だろ
194たま:02/09/19 00:50
韓非子 これ最強のどもり
195無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:57
岩波の韓非子買ったけど、なかなか進まない。
ちょっと読みづらい。
196181:02/09/19 01:03
>>179
後の商君を採用しなかった魏恵王はどうでしょうか?
軍事力はあったけど、人を見る目が無いって辺りで評価が難しいのですが。

>>182,191,193
私もそう思います。
あくまで、個人に限った場合は「誰もいない」という結論に達するということでしょうね。
組織化された強大国を相手に、個人で戦局を変えるのであれば、
荊軻の様に暗殺という方法を採らざるをえないでしょう。
むしろ、荊軻が暗殺に成功していたらどうなっていたか、という方が興味ありますね。

>>192
錐の先が無い上に、小さすぎて袋に入れたら見つからずに忘れ去られるんだろう?
197無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 01:24
>>196
仮に始皇帝の暗殺が成功しても、
秦の中華統一への動きにさほど影響はなかったと思う。
統一までは大きな混乱はなかったと思うが、
統一後早い時期に混乱し結局次の王朝が誕生したと思う。
198196:02/09/19 01:44
まあ、歴史の流れで行くとその通りですね。
ただ、秦王政の後は誰が継ぐのか?とか、そういうのがあるじゃないですか。
まだ長男の扶蘇も生きていたし、急なことだから趙高も陰謀を張り巡らせる暇は無いだろうし、
忠勤の家臣もいる。
扶蘇は、焚書坑儒には反対していた事から、刑罰を軽くする方向に動いたかもしれない。
そうなると、農民蜂起も起きなかったかもしれない。
とか思うわけですよ。
199無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 01:48
>>196
先に商君を採用した秦について考えると、
商君が秦において様々な富国強兵策を行い秦は飛躍する力を得た。
商君は「仕組み」を作った。

恵王は富国強兵に興味を持っていたが、
それを実行するために優秀な人材が必要であるということを深く認識していなかった。
結局、商君の作り上げた仕組みによって魏は滅ぶ。
大げさに言うと、魏は自らが不要と判断した人によって滅ぼされた。
恵王が商君を知ろうとし、実際知っていればこれを重く用いただろう。
しかしそうならなかったのは、恵王の器がその程度でしかなかったという
事だと思う。
>>199
確かに、公叔座の推挙とはいえ、当時は名も売れていなかったし商君の実力
の程はわからなかったのでしょうね。
それと、私の持っている本だと(全部小説か漫画)公叔座が推挙したときも、
魏恵王は、「ああ、老衰でボケちゃったんだな」って理由で重要視しなかったとありました。
実際の理由はどうだったのかわかりませんが、やっぱり人を見る目が無かったんですね。

200ゲトー
201無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 02:00
>>198
確かに実際よりも長く秦が続いたかもしれない。
ただ、郡県制による中華全体を中央集権体制で支配するのは難しいと思う。
秦の次の漢は、郡県制と王族を各地に分散させて領国を与えるという緩やかな
中央集権制を採用したことで安定した。
秦が漢のような統治を行えれば安定したかも知れないけど、
その可能性は低いのではないだおろうか。

刑罰に関しては大規模な事業を行わなければならない秦が、
奴隷を捨てる覚悟と事業の中断の両方を決断しなければならない。
これも実現は難しいのではないだろうか。

なんか、あなたの意見を否定するようなことばかりで申し訳ない。
202無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 02:01
>>200
史記でも、
「公叔座は病気でおかしくなっている」と側近(誰か忘れた)に話してる。
203179:02/09/19 10:33
>>183
>>160>>163でも書いたが、『逸周書 諡法解』を読むべき。
「霊」は必ずしも悪号ではない。
最上は「文」、最悪は、一般的には「氏vや「幽」。

>>196>>199>>200
魏は国体に問題がある。
秦が羇旅(客臣)を用いるのは常套だが、魏においてそれがあるかといえば、かなり
難しい。
魏は代々、宰相となる人物が近親者や、他国出身者であっても大半が高官であり、
賤臣や陪臣を登用することは、まずない。
だいいち文侯からして、テキコウではなく公子成を宰相にしている。
韓ですら、昭侯が賤臣である申不害を用いたというのに…。

>>200
公叔座は没する前年に、小梁での秦との戦いの際に大敗して捕虜になっており、
(おそらくは返還の交渉を経て)魏に帰国するが、間もなく没している。
多分、敗戦による失意か、負傷した傷が祟った、というあたりではないだろうか。
204無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 14:48
>>203
隋2代煬帝の「煬」も悪号だけど、「氏vや「幽」よりは上なんですかね?
205179:02/09/19 16:09
>>204
同じく『逸周書 諡法解』によれば、

「去禮遠衆曰煬 逆天虐民曰煬」

…とあり、あきらかに悪諡。

意味が明瞭に読み取れ、たしかに「氏vや「幽」よりも悪く感じる。
ところで。
統一後の秦は、始皇帝から後の諡号ってあったのでしょうか?
無かったとしたら、どのような諡号がふさわしいのでしょうか。
207干将 ◆3CKansyo :02/09/20 00:38
二世皇帝 胡亥、三世は子嬰(皇帝を名乗らず秦王を名乗った)。
子嬰は劉邦に降ったが、項羽に斬られた。
208干将 ◆3CKansyo :02/09/20 00:57
諡号といえば。
俺の中では「?」が付けられたくない諡号ナンバーワン。
209干将 ◆3CKansyo :02/09/20 00:59
>>208
すいません。[?昏]です。
210干将 ◆3CKansyo :02/09/20 01:00
>>209
うわぁ・・・。[シ昏]です。
(さんずい、氏、日)
>>201
いえいえ、別に否定的でも構いませんよ。
むしろ、私は反対意見の方が好きです。
確かに、あの広大な中国を、当時の(現在と比べると)稚拙な法では多少ムリがありますね。
始皇帝が生きている間ならば、あれでも良かったのかも知れないし、
戦乱の最中に作られた法だから、結構穴等もあったのでしょう。
現在と比べれば識字率も低いし、皆が法を知っていた訳でもないでしょうし。
天下統一というのは、始皇帝だからこそ出来た偉業なのでしょうかね。

>>210
それって、「ビン」って読むんでしたっけ?
ちょっと記憶が曖昧ですが、有名な人だと、誰がその諡号つけられてましたっけ?
有名どころでは、田斉のビン王がかなり悲惨と思われ。
自国を滅亡寸前に追いやった上に亡命先からも総スカン、
最後は客将に裏切られて横死。
213179:02/09/20 11:57
>>208>>211>>212
[シ昏](ビン)は「閔」にも通じ、『逸周書 諡法解』では「愍」となっている。

「在国逢難曰愍」‐国内にあって乱や賊に逢う
「使民折傷曰愍」‐天災や災害により民が夭折
「在国連憂曰愍」‐国内にあって騒乱がつづく
「禍乱方作曰愍」‐天災や内乱が終わらず

…の四つがあり、無論、悪諡。
214無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 14:11
>>206
確か統一秦では諡号は天子である皇帝に対して死後、家臣が
皇帝に名前を付けるのは失礼だとして禁止しています。
だから、胡亥、や子嬰は2世、3世皇帝と呼ばれています。
皇帝は不可侵の存在となったからな
216無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 00:17
>>212,>>213
今日電車の中で読んでいたら丁度その部分でした。
その諡号を付けられるのも当然、って書かれ方をしてました。
ところで、このスレでよく見かける『逸周書 諡法解』ですが、どこで見つけましたか?

>>214,>>215
始皇帝自身も、「諡を付けることは許さず、万世に至るまで皇帝を称し続ける事」
として、自らを「始」として始めたんでしたよね。

217無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 00:54
>>164
張良
218損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/21 14:49
今、横山の史記1巻読んでたけど伍子胥って恵まれない奴だね

>>217
取ってるじゃん・・・
219あぼーん:あぼーん
あぼーん
220無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 15:32
横山光輝の史記では、
秦=悪玉
楚=善玉
このような図式だよ。
221217:02/09/21 23:48
>>218
突っ込んでくれて嬉カタYO!!だれも突っ込んでくれへんかとオモタ。

ちなみに2巻だな
222干将 ◆3CKansyo :02/09/22 00:23
222げと。

>>211
>>212さんが書いている斉王。
「昏君」って感じがするんで、嫌な諡号だよねえ。
223損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 09:28
>>221
史記には功労を立てたのに処刑されたり自決を言い渡されたりしている人がいっぱいいるね
伍子胥とか韓信とか范増とか
可哀相と言えばなんだけど2300年以上経った今でもこの図式は変わらないんだよね・・・
そりゃまあ功が成った後は有能な功臣ほど怖いもんはないわな
明の太祖なんかも気持ちの良いくらい首飛ばしてるし

ちなみに亜父は殺されてないぞ
>>224
まあ、223が「あほ」ということで・・・。
226損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 16:40
>>227
おっとそう言えばそうだったな>范増
まあ殺されたみたいなもんだけどね
227無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:43
日本の戦国七雄には、どの7名を選ぶかな?
228無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:43
読み手にも伝わるような文にしろカス。
>まあ殺されたみたいなもんだけどね
ハァ?知障?
>>226
消えろよ、荒れるから
230無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:45
>>227
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・伊達政宗
231無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:48
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・島津義弘
>>228
荒らすな
>>229
無視しよう
233無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:50
>>231
豊臣秀吉を入れるなら、伊達政宗も入れないと不公平だよ!
どうしても島津義弘を入れたいのなら、
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・島津義弘・伊達政宗
この7名を選ぶべきだよ。
234231:02/09/22 16:52
または、
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・島津義弘・伊達政宗
この7名を選べばいいよ。
四国は無視ですか?
というかここは中国史のスレだす
日本史の話は別でどうぞ
237無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 16:54
>>233
つまり、貴方の意見は、
武田信玄・上杉謙信・毛利元就・織田信長・豊臣秀吉・島津義弘・伊達政宗
または、
武田信玄・上杉謙信・北条氏康・毛利元就・織田信長・島津義弘・伊達政宗
ということだね?
こないだレンタルで始皇帝暗殺みたんだけどさあ
荊カが頭の弱そうな殺し屋でちょっと萎えだったよ、
やっぱし慶卿は文武両道の侠客として描いて欲しかった。
他は凄く良かったんだけどね。趙姫きれいだったし。
>>238
ああ、あの映画面白くないよね
暗殺しに行くという緊張感が全くないもん
退屈だった
邯鄲攻防戦のみ、良かった…。
241損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 17:07
>>238
始皇帝暗殺←これがタイトルなの?
孔子を映画化すると面白いかもね
放浪、仕官、放浪、弟子の教育をしながら
大志を果たせず死んでいく
>>241
確かそうだ
荀子の映画化きぼん。
ごめん史料ない。
245損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 19:30
>>243
サンクス
孔子は一度、NHKか何かでアニメになってたと記憶しているが、誰かご存知?
>>246
見た見た
子路がカブキ者風だったのが笑った
内容は全くおぼえてないけど

>>244
荀子かあ
孟子、韓非子と絡ませつつストーリーを考えれば
知ってる人にとっては面白いかも
知らない人には「理屈っぽい」の一言で片付けられそう
248無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 00:57
>>244,>>247
荀子ですかぁ…。
なんかピンポイント過ぎて映画化は難しいのでは無いでしょうか。
それに映画よりも、30分アニメとかの方が良いのでは?
249無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 20:02
>>222
[シ昏](ビン)の諡号の君主では、南宮長万に弑された宋の閔公も有名だと思う。
250無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 01:23
>>249
戦に負けた南宮長万を馬鹿にしたら殺されちゃった人でしたっけ?
でもそれだけで「閔」の諡号を付けられてしまうものなんでしょうか?
それとも、南宮長万の力を恐れた臣下が諂って付けたものなんでしょうか?
どなたか詳しい方、詳細よろしくお願いします。
?公の9年
宋に水害が起きた。
魯は宋に使者を送って水害の見舞い挨拶をした。
?公は「私の行い、政治が悪かったので水害が起きてしまった」と自分に責任があると
使者に話した。
これを聞いた使者は王の姿勢に感動した。
しかし、?公の言葉は公子の子魚の入れ知恵だった。

?公の10年
宋は魯を攻撃した。
この戦いで宋の南宮万が魯に捕らえられた。
宋は魯に南宮万の返還を求め、魯はこれを承諾し南宮万を返した。

?公の11年
?公は南宮万と狩りに出かけ、その途中すごろくの勝負が元で喧嘩をした。
?公は怒り、南宮万に恥をかかせようと「お前は魯の捕虜じゃ」と言った。
南宮万は羞恥心から感情が高ぶり?公を殴り殺した。
公宮に戻った南宮万は公子の游を宋君として擁立しが、
他の公子達の反撃に合い陳へ逃げた。
宋は?公の弟を即位させ、桓公が新しい君主となった。
桓公は陳に使者を送り南宮万の身柄の引渡しを要求し、宋はこれに応じた。
南宮万は宋で殺され醢(しおから)にした。

史記によるとこうなってるね。
9年の使者への話は自分が全く思っていないことを言っており不仁。
10年の魯への攻撃は、前年の魯の礼に対し非礼。
11年の南宮万への行為は不仁から出た非礼であり、
しかもその後宋を一時混乱に陥れる行為。
?の名は相応であったかも知れない。
?になってるのは「ビン」です

>>250
>南宮長万の力を恐れた臣下が諂って付けたものなんでしょうか?

南宮万が宋を牛耳っていたころの宋の君主は正式な君主として数えられていないかも。
そうなると南宮万が牛耳っていた頃の事は無視されるだろうから
ビン公のおくりなを決定していたとしても、桓公が改めて決めた可能性が高いのでは?
手元に史記しかないままの想像なので間違っているかも。
>桓公が改めて決めた可能性が高いのでは?

「桓公の時期になって改めて決めた可能性が高いのでは?」に訂正。
254179:02/09/24 10:15
>>252
閔公の弑されたのが閔公10年(前682年)で、南宮長万の擁立した公子游は同年に
殺されて、公子御説(桓公)の元年が前681年であるから、君主として数えないのが
正しいと思う。
勿論、公子游には諡号は無い。

ちなみに『春秋左氏伝』によると、閔の諡号を贈られた君主・捷の在位期間は、
衛を伐つことが一度あるが、以降は魯に侵されることが一度、魯を侵しながらも
撃退されることが二度ほどあり、軍事に関しては芳しくない。
くわえて天災にあっては仇敵然とした魯に弔われる始末で、散々だった模様。
255公孫無知:02/09/25 00:15
段々自分の発言が見づらくなってきたのでコテハンにしました。
今後もよろしくお願いします。

>>251-254
丁寧な詳細等など、有難うございます。やっぱりここは良いスレですねぇ。

>公子游には諡号は無い
なるほど。という事は>>252の説は、かなり説得力がありますね。

256公孫無知:02/09/26 01:03
密かな疑問。
皆さんは、楚荘王をどの様にお考えでしょうか?
「荘」がどの程度の諡号なのかはわかりませんが、
個人的には、春秋戦国期で五本の指に入る英君だと思っております。

漢和辞典によると「盛ん」という意味。
原義は「草が勢い盛んに生い茂るさま」。

なんとなく夏っぽいイメージ。
『史記』でも他国との戦いに勝利し領土拡張を実現した侶は
正に「荘」の諡に相応しい。
彼自身は政治よりも戦争に優れたが、
人の意見を容れる器量を十分に持ち合わせていたようで、
荘王自ら滅ぼした鄭の君主の徳を認めると再び鄭を立てるなど義を守った。
また、君臣の道にもこだわり自分に刃向かった家臣や他国の逆臣に対しては
容赦なくこれを滅ぼした。
政治面で更に大きな実績を残していれば、「文」の諡を貰った人物かもしれない。
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~china/
ttp://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/

ちらっと見ただけなんだけど、上の二つの人物伝はがんばってると思う。
紹介されている人物数が多いので若干本文が短いのと
管理者本人の批評がすくないのが残念。
259179:02/09/26 09:54
>>256
『逸周書 諡法解』では…

「兵甲亟作曰莊」
「叡通克服曰莊」

…などがあり、外敵をよく討伐したり、諸侯を屈服させた君主におくられる諡号で、
勿論、美諡。

「亟」には”すみ-やか”、「叡」には”あき-らか”、「服」には”した-がう”
といった意味がある。

春秋期に、他に「荘」の諡号をおくられた有名な君主といえば、鄭荘公や魯荘公、
斉荘公あたりで、いずれも軍事面での事績が多い。
260無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 10:25
>>242
孔子そのものよりも、弟子の顔回をサイキック・ヒーローにした酒見賢一氏の
「陋巷(ロウコウ)に在り」
を映画化した方が、中国版の陰陽師のような感じだから、
興行的にはおもしろいと思う。

孔子そのものの映画化を図るとすれば、その後でないとなかなか興行的には
なり立ちずらいと思う。

個人的には、偉そうなことを言いながら、と〜っても世俗的な孔子先生は
おもしろいテーマとは思いますが。
261無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 10:56
aaaaaaaa
262無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 11:16
『東周英雄伝』4巻以降はまだ出ないのか?
>>260
孔子は面白いね。
大政治家になるという大志というか野心を持っていたけど、
実際に政務を執った期間は短く晩年に自分がしようとしたことを
後世に伝えるために弟子を教育。
物凄い執念だ。
ところで宮城谷氏の小説にも出てくる「3年の間鳴きもせず飛びもしない鳥」の
有名な逸話なんですが、
田斉の威王と淳于コンが正しいのか、楚の荘王と伍奢が正しいんでしょう?
どっちも創作って可能性もあるんですが…
史記では楚の荘王と伍奢になってるね。
淳ウコンはスウ忌子との話で登場してるだけみたい。

春秋とか戦国策などではまた違うかも。
また、記述があっても事実かフィクションかの判断は難しいかも。
読み側でわかるのは、
生年と記述されている年がおかしくないかぐらいしかないと思う。
266無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 00:37
宮城谷氏の小説はおいらも好きなんだけど…上中下巻あったら
上・中巻はすごく丁寧に書かれているが下巻になって「しゅるしゅるしゅる…」
と音を立てて話が萎んでいく(はしょってる?)ような印象がある。俺だけ?
267公孫無知:02/09/27 00:58
>>258
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/
このHPに出てる年表は良いですね。誰がいつ頃活躍していたかが良くわかります。
それに、人物データベースが凄い。早速お気に入りに登録しました。
っていうか、このコテハンの人物っていたんでしたね…。しかも悪者…。

>>257,259
伊達に覇王にはなっていない、ってところでしょうか。
絶[糸嬰]の会の件なども、私の好きなエピソードです。
あと、外交面でもその手腕を発揮した、と、どこぞの小説にはありましたが、
そんな意味あいはあるのでしょうか?

>>264,265
ちなみに、その逸話に出てくる人は伍挙という人で、伍奢はその息子です。
なお、伍奢の息子に、「屍に鞭を撃つ」で有名な伍子胥がいます。
>>265
失礼。
今確認したらおっしゃる通り伍挙だった。

諡を漢字辞典で調べてみました。


1.慎む。うやうやしい様。
2.まこと(信)。
3.丁寧。


1.猛々しい。勇ましい。
2.ぐるぐる巡る。


原義…しずく。天から降下する。神を下す巫女のこと。神秘。魂。
1.魂。
2.心。精神。
3.幸い。
4.慈しみ。
乙(イツ)
形が意味を表す文字で、「春の初めの草木の芽が出始める時に
陰気が強くて芽を出しかねて曲がり屈まっている様」を表す。

葵(キ)
「まるく巡る」という意味。
太陽の移るにつれてその方角に首を傾けるという言い伝えのあるあおいを示す。

丁(テイ)
形が意味を表す文字で、横の「ー」は草木の枝葉を
縦の「│」は茎や幹を表し強く盛んに茂る様をそれぞれ表す。

意味
1.強い。盛ん。
2.手厚い。

哀(アイ)
「口」という文字と「衣」という字が合わさって出来た文字。
「アイ」という音は悲しんで出す声の擬音。
原義は悲しい声。
転じて悲しむの意味。

1.命の長い。長生き。
2.遥か。遠い。
3.でたらめ。


祖先の霊に奉る犬。
転じて奉る。

後漢王朝最後の皇帝は献帝。
次の王朝に禅譲したから、って悲しい。

蠣(虫へんなしで、レイ)
1.研ぐ。磨く。砥石。
2.高くする。掲げる。
3.奮い立つ。
4.危うい。
5.醜い。
6.憎む。
7.苦しむ。悩ます。

前半と後半でかなり意味が違うけど、
史記などを読む限り、4.7.の意味で付けられた諡かな。

原義…周囲をまるく取り巻いた建物を意味し天子の大室をいう。
   転じて、広く行き渡せる、述べるの意味。


「戊」と「丁」を合わせた文字。
「戊」は矛を意味し、「丁」は当たる、打つを意味する。
矛で撃ち平らげる意。
転じて、成し遂げる。


喜ぶ。楽しむ。


1.のぼる。あげる。
2.払う。除く。
3.変わる。移る。

日が輝くという意味。

懿(イ)
1.麗しい。良い。
2.褒める。称える。
3.ああ。

3.がどういう事か分かりません!


原義…家の中を正すこと。定める、安んずる。
1.落ち着く。
2.平らげる。
3.定める。
諡號を集めたHPを見つけた。
ttp://www.toride.com/~fengchu/sigou/
献帝の場合は魏に禅譲してくれて頭いい、っていう意味なのかね?
274無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 12:47
>>273
おおこのサイト良い!

>献帝の場合は魏に禅譲してくれて頭いい、っていう意味なのかね?
「頭が良い」という意味は恐らくないと思われる。
275公孫無知:02/09/28 15:32
>>273,>>274
献帝の場合は、>>270での解釈通り「奉る」か、文字通り「献上する」
で良いかと思います。
実質、国家運営に関しては何も出来ませんでしたからね。

さて、春秋戦国期には色々な支配形態がありました。
この場合の支配形態とは、「民の治め方」の事です。
例えば、孔子の様に「周礼に従って治める」方法や、
鄭子産の用に法律を明文化し、「法によって治める」方法、
蛮族などと呼ばれた少数民族らの、「先祖からの慣習や伝統に従う」方法などがありますが、
皆さんなら、どんな支配体制の国で生活したいですか?
>>275
法治国家が良いね。
「法律が厳し過ぎず、突然変更されない」という条件付なら。
孔子の「徳治」というのは結局は国主の気紛れで、
全てが変わってしまう。

今の日本に住んでる俺達なら古代のどの国家に
住んでも苦痛で仕方ないと思うが。
世界史版にこんなのが

<<<春秋 戦国検討委員会>>>
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1028009031/
278公孫無知:02/09/29 01:20
>>276
秦の2世皇帝・胡亥の時の様に、しょっちゅう改正されたりすると嫌ですね。
(改正じゃなく、「改悪」だった様な感じもしますが)
私は、「先祖の慣習に従って」というのが好みです。
法治国家だと、結局抜け道があったりするんで。
その点、慣習に従う場合は、「やってはいけない事」というのが明文化されていなくても
感覚でわかると思うんです。
それに裁く側も、それなりに常識的な人であれば、それほど間違いは起きないと思います。
ただ、裁く側の気分で判決が変わってしまうであろう事は想像出来ますけど。
結局現在の世の中法治国家であふれているところを見ると
荀子の言い分の方が正しかったんだなーって思う
280公孫無知:02/09/29 11:23
>>249
「人は周りの環境しだいで良くも悪くもなる。
だから法を定めて環境を良くし、人々を正しい方向へ導くべきである」
っていうのが荀子の「性悪説」でしたっけ?
ホントに田舎の方にいくと、その土地の慣習が生きているところもありますが、
人が増えれば増えるほど、「隣の人は何する人ぞ」ってなっていきますからね。
現に私も、隣の部屋の住人の名字すら解らない様な状況です。
実家の方だと、数件先でも誰の家か分かるんですけどね。
281公孫無知:02/09/29 15:14
うっ、間違えた。
上の>>249>>279の間違いです。
>>279
確かに法治国家は常識ですし、それは荀子の主張していたものに近いでしょうが…
荀子はあくまで儒者なので、王という独裁者(しかも世襲制)のもとの国家を想定しています。
近代法治国家の根本には、フランス革命の思想が息づいているため、法律は国家の運営を助けるとともに、
市民の権利を、公的権力から保護するものでもあるのではないでしょうか。
283公孫無知:02/09/29 23:49
>>282
仰るとおりですが、あくまで、「春秋戦国期に」という限定付きです。
当時は民主制や共和制はまだ無かったので、当然「君主制」となります。
なお、荀子が儒者であろうと無かろうと、この当時は民主制を王に説いてまわるような
人はいなかったでしょう。「あなたは社長をやめ、一般社員に会社の運営を任せるべきです」
と言ってまわっている様なものですからね。
ちょっと論点がずれましたが、当時、法律が定められた根本的な理由は、
あなたの仰っている、「市民の権利を、公的権力から保護するもの」から始まっています。
一例をあげるならば、突然主君から、「気に食わないからお前は氏ね」と言われて、
それがまかり通ってしまうのを防ぐという効果をももたらすものです。
284損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/30 00:54
>>278
日本は国民から見ると笊法が多いね
285公孫無知:02/10/01 01:10
>>284
「笊法」ってなんて読んで、どんな意味ですか?
浅学ですみません。
286無名武将@お腹せっぷく:02/10/01 01:19
>>284 お前を野放しにするぐらいだからな。
287無名武将@お腹せっぷく:02/10/01 01:33
ざるほう と読みます
288公孫無知:02/10/01 02:02
>>287
有難うございます。
つまり、「ざるの様に穴だらけな法」って事ですね。
久しぶりにここ見たので、ちょっとだけ。

信陵君無忌の「無忌」

名前に忌むという字が入っているのはどうかと思っていました。実は、
無=動詞を否定するんですが、「これから〜〜しない」と、未来の動作を否定するんです。
つまりこの場合、「これから先忌み嫌うようなことがない」という意味なんですね。
また、所有を否定しているわけじゃないので、通常使われる日本語でも「無学」「無知」
とは本当の意味と全く逆になるんです。
「無知」=知ル無シと訓読し、「これから先知ることはない=俺はなんでも知っている」
となるんです。「無学」も同様です。「これから先学ぶことはない=全て学んだ」と。

ですから、>>288で謙虚なつもりでそのコテハン使われているのでしたら、却って逆かと。
あまりお勧めできません。
と、いきなり人のコテハンに文句をつけてしまいました。すみません。

>>204
煬帝の場合だけ「ヨウダイ」と読むのは中国語でもなんか根拠があったはずなんですが、
資料が見つかりませんでした。「帝」の読み方が他の帝と異なり、そこからも「帝」に
値しない、だったかそんな内容だったんですが。重ねて申し訳ない。
290公孫無知 ◆ctWdcox2 :02/10/04 02:36
>>289
ご忠告有難うございます。思いっきり日本語の無知の意味で付けてました。
日本語の意味と逆になってしまうとは知りませんでした。
トリップも覚えましたし、その前にも悪人の名前と被っていた事もありましたので、
これを期に改名しておきます。(余りコロコロ変えるのも良くないとは思いますが)
291損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/10/04 23:54
ケイカが始皇帝暗殺に出る前に呼んだ歌の白文ってわかる?
292無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 23:55
>>291
てめえで調べな
293無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 00:01
>>291
漢文の教科書みな。あ、最近は漢文ないのか?
294損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/10/05 00:03
漢文の教科書なんてないし・・
295無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 00:04
>>294
そうか
じゃあ死ね
296無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 00:07
>>291
かぜしょうしょうとして八万えきすいさむし
そうしひとたびさりて八万またかえらざると

変換するのめんどい。自分で白文にシナ。
297無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 01:02
書こうと思ったけど漢字が出ねぇ。
298無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 10:46
易水は「いすい」だっけ?
299無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 16:56
>>298
「えきすい」かと思った
300無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 17:31
置字の[八万]って変換できる?
っていうか、なんて読むんだろう??
301孔明 ◆4P.Pn2hU :02/10/05 18:26
損権厨房 ◆eUbtZCIさん、あなたは叩かれたいんですか?
叩かれたいなら別に良いですが,叩かれたくないなら,
こういう真面目スレには名無しで書きこんだ方がいいと思います。

余計なお世話だったかもしれませんがね。
302無名武将@お腹せっぷく:02/10/05 23:59
孔明キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
>>301
君は荒らしに来たの?
3041000人:02/10/06 07:04
三国より史記の方が好きなオレには良いスレだ。
五覇に呉が入る説と入らない説、どちらが有力なんでしょう。
詳しい人教えて下さい。
>300
兮の読みは、確か「ケイ」じゃなかったかな
周王室から覇者と認定された、斉桓晋文は別格として、
残りにについては、諸説は色々あるね。
残りの候補はご存知の通り以下に分類されるぽ。

諸侯を集めて会盟を主催した者が覇者として、夫差(呉)・襄公(宋)・荘王(楚)…
国を強大にし、その時代牛耳ったものとしては、句践(越)・穆公(秦)…

結局、後世の史家が便宜上分けたもので、残り三人は人によって色々違うから、
>>304サソ言う呉(多分夫差と思われ)が入るかどうかは…多分永遠に出ない結論だと思われ

(´-`).。oO (漏れは数字にアンマリ意味はないと思ってたりする。七雄も…ねぇ
307179:02/10/06 22:43
>>306
有名なあたりで、孟子と荀子の挙げたふたつの説がある。
斉桓晋文はどちらにも含まれ、孟子は残りの三人を宋襄公、秦穆公、楚荘王とし、
荀子は呉王闔廬、呉王夫差、越王句践を挙げていたと記憶。
308無名武将@お腹せっぷく:02/10/07 00:37
>>306
句践も会盟を主催したような。周王室から覇者と認定されなかったっけ?
3091000人:02/10/07 09:56
皆さん、有り難うございます。やっぱり諸説色々アルって事ですか。
色々本読んで自分で決めるしか無いのでしょうね。
越ッテ牛耳をとりましたっけ?
310無名武将@お腹せっぷく:02/10/07 17:38
>越ッテ牛耳をとりましたっけ?
史記世家にそのようなこと書いたるよ。
311無名武将@お腹せっぷく:02/10/08 23:06
斉桓>晋文>>>>>>>>>句践>夫差>楚荘>>>>>>>>秦穆>宋襄>閤閭

覇者としての実力でいえばこんな感じだろう
>>308
確か、越が呉を滅ぼした後に呉の所領を楚や宋に返す時に会盟を主催していますね。
ただ、周王室から覇者と認定されたかは不明です。
周王室から覇者と認定されたのは、斉桓公、晋文公しか記憶に無いんですが、その他にいますかね?

>>311
漏れ的には
斉桓>晋文>>楚荘>>秦穆>闔廬>>>句践>>>宋襄>夫差
と思うが…
313農耕牛 ◆Y7ctWdcox2 :02/10/09 00:58
>>311
私は、
楚荘>>秦穆>晋文≧斉桓>>>闔廬>句践>>>>夫差>>宋襄
だと思っていますが、どうでしょう?
314311:02/10/09 01:38
では覇者のランキングを試みん。
まずどんな数え方にも必ず入り「斉桓晋文」という熟語にもなっている
斉桓&晋文は文句なく上位1、2位。
この両者を比較すると、何世代にもわたる国家単位では
たしかに晋の方が斉よりも強大だけれども
一代の君主として桓公VS文公をみると
なんといっても桓公の方が威勢天下を覆って諸侯に冠絶していた。
晋文は楚と拮抗して終わった感がある。
加えて最初に覇者のモデルケースを創出したことをみても

「斉桓>晋文>それ以外」

次ぎに秦穆はもともと中原の覇者ではなく「西戎の小覇」にすぎないから除外。
宋襄は本来嘲りの言葉であった「宋襄之仁」を儒者が愚直に正義を行う美徳として
称揚するために覇者の列に割り込ませたもので問題外。

「斉桓>晋文>(それ以外)>秦穆>宋襄」
315311の続き:02/10/09 01:39
残りの4人は一代かぎりの実力で比べると大同小異だが。
句践は一代の輝きではあるが周王を奉じて
呉が諸侯から奪っていた領土を返還したり
いかにも古来の覇者のあり方を体現した感があり司馬遷の評価も高い。
楚荘は「鼎を問う」の故事が評価(?)されて入れられたにすぎず、
強大な国力を有して中原の政局を動かした分、秦穆&宋襄よりはましという程度。
闔閭と夫差の親子は単純に実力で夫差の勝ち。

「斉桓>晋文>句践>夫差>闔閭>楚荘>秦穆>宋襄」

この中でただ呉一国だけが二人の覇者を出しているが
昔から闔閭は間違いで中原を牛耳るなどの覇業はむしろ夫差の時代の方が相応しいから
何かの誤りだろうという説があるので、その説をとり闔閭は番外編とする。

「斉桓>晋文>句践>夫差>(闔閭)>楚荘>秦穆>宋襄」【番外:闔閭】
316315:02/10/09 01:43
ごめん。311の続きじゃなくて314の続きだった
さりげなく修正しつつまとめると

「斉桓>晋文>句践>夫差>闔閭」が五覇。「楚荘>秦穆>宋襄」はとってつけの番外。
このスレって不思議だよな
良いスレなのに基本はsage進行
気を付けないと消えてしまうよ
319訳文だけど・・・:02/10/09 19:13
個人的には孟子の五覇が好きかな。
覇者って日本風に言えば幕府の将軍みたいなものだけど、単に強国にしたとか名君だったっていう意味じゃ基準がイマイチかな、と。
じゃあどんな基準かと言うと、覇者というよりも王者な行いがあった君主を選びたいというか。
桓公は魯に脅迫されて領土の返還を求められても、反古にはしなかったとこが。
秦の穆公は晋に約束を反古にされたのに飢饉の時に許して食料を援助したこととか。
楚の荘王は宋を包囲中で自身を欺いた晋の使者を殺さなかったとこや、城下の盟を強いる状況の鄭を許して対等の礼で盟約を結んだりとか。
晋の文公は楚軍に対して律儀に三舎避けとことか。(他にも何かあったような・・?)
宋の襄公はやっぱりいらん仁をかけて勝てた・・かもしれない戦争に負けて死んじゃったりとか。
普通の人じゃちょっとできないコト(悪い意味じゃないですよ?)をやってのけた方々を選びたいな、と。
ざっと史記の訳文を見ただけなんだけど、呉越の二者にはそういうエピソードはなかったように思えるし。(見落としかも・・)
孟子は読んだことないんだけど、そんなトコが理由かなと思います。
そうじゃないと宋の襄公は五覇に入らないしね・・。(笑)
ほとんど素人の戯れ言だと思って読んでくれると嬉しいかも。
そういえば、孟子の五覇って時代的にかなり近い人たちだよね。晋の文公なんて全員と会ってるし。もしかしてほぼ同時代に現れた五人の優れた君主っていう意味だったり??
斉桓晋文の頃の覇者の役割として尊王攘夷があったけど
この場合の夷狄とは荊蛮=楚。

ところが、斉桓晋文よりはやや時代がくだって
楚の荘王が蛮族の汚名をはらすべく中原の諸小国の人心を収攬して
覇者のような諸国連合のリーダーとなった段階で、
斉桓晋文の覇者としての尊厳は減少したと思われる。
(といっても楚荘は呉越の時代に回顧的に覇者と称されたのであって、
王号を自称して周の鼎を問うたぐらいだから尊王のつもりもないし
中原ではまだ楚=蛮族という建前が強く、楚荘がリアルタイムで覇者と称されたわけではない)

そうなると今度は、次ぎには蛮族でありながら
周王を奉じて会盟を主宰する呉越が出て、こうして段階的に
「覇者」と華夷の区別とは無関係ということになってしまった。

孟子は呉越のような蛮族が覇と称されていることに不条理を覚え、
道徳粘着を発揮して、儒教的理想君主として覇者の意味をとらえなおし
覇者でもない宋襄、秦穆、楚荘を割り込ませ、はじめて「五人のリスト」を認定したが
あとで荀子に改訂されてしまった。
荀子としては、荀子の覇者観に対して「世を惑わす綺麗事よりも実力者が
政局に安定をもたらすのだ」といいたかったのかも知れない。

史実の覇者はじつは斉桓晋文と、時代をおいて夫差句践、この4人しかいなかった
と考えられるのである(むろん前2人と後2人は覇者といってもかなりちがうのであるが)
といってみるテスト
321無名武将@お腹せっぷく:02/10/09 22:00
覇者たちが会盟に集めた諸侯のリストきぼん。
ちっとは参考になるんじゃない?
322無名武将@お腹せっぷく:02/10/09 22:29
斉桓 ×681北杏−斉宋陳蔡[朱β] 680ケン[西土β]−王臣単伯+斉宋衛鄭

毎年のように会盟してるからいちいちやってらんね。
   
ていうか宋襄覇者説の形式的論拠は曲がりなりにも会盟を主催した点じゃないの?
本人もそれこそが覇者の証と思ってたようだし。
家臣が諫言した通り、その背伸びは結局高くついたけれども。
秦穆は西戎の覇者であって中原の覇者ではないので除外。

斉桓だけが真の覇者、あとは斉桓の劣化コピー。
句践は覇者ではなく「覇王」。
このふたりは神。だから通常の覇者とは別格。

残りの「宋襄・晋文・楚荘・闔閭・夫差」が五覇。
3251000人:02/10/10 02:37
皆さん有難うございます。五覇記述の本片っ端から読みたくなりました。
取り敢えず2〜3冊読むとしたら何が良いですか?今迄読んだのは、
史記、孫子、孟嘗君、墨子、春秋戦国時代の解説書みたいなの。(史書、小説等です)
326317:02/10/10 03:05
さりげなく修正版

斉桓≧晋文>>>句践≧夫差≧闔閭≧楚荘>>>>秦穆>>>>>宋襄

>>326
実力面偏重としか思われない、その意味の無い不等号はもういい。
>>325
歴史の流れでは「左氏伝」
エピソードは「戦国策」
斉の桓公を支えた大宰相菅仲の政策をまとめた「菅子」
戦略・戦術書では「六韜・三略」
周から秦までの政治思想の変遷では「論語」「孟子」「荀子」「韓非子」
少し変わったところで老子、荘子があるけどこれは宗教っぽい

最初に史記を読んで興味を持った人物の書物を読むのが一番良いと思う。
その際に当時の人々の基本的な考え方を知っていた方がより
正確にわかると思うので私としては「論語」〜「韓非子」は是非読んで欲しい。
329無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 00:36
五覇っていっても8人が連続して入れ替わり立ち代わりしてるわけじゃなくて
間に一度だけやけに長い「覇者不在期間」があるね。
これって「小国外交の時代」だっけ? 関係なし?
330無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 00:39
ああっ、もうダメッ!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
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331無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 04:34
age
>>331
ageなくても住人がしっかり書き込んでれば大丈夫だよ。
ageると>>330みたいなキチがくるし。

五覇論争だけど、孟子はいわば理想主義者で、理想を言っていられるだけの余裕(各国の実力が拮抗している)
がまだその時代はあったから、「仁」や夷戎を排除するような選び方をしてるし、
荀子の時代はそれに対して秦の実力が日に日に増して、理想に浸っていられる余裕はなくて、むしろ現実的な思想が必要
だったから実際に国力を飛躍させた君主を選んでいるんだと思う。

まあ、後世の人が勝手につけたもんだからどうこういってもしょうがないと思うのだが。
3331000人:02/10/11 22:40
>>325
有難うございます。韓非子前から興味あったんで図書館行って来ます。
あと左氏伝。戦国策。りくとうさんりゃく、も面白そうですね。
3341000人:02/10/11 22:43
間違えました。>>328です。
あとは「國語」と「竹書紀年」くらいか…。

他に挙げれば、きり無いけど、いちおうね。
336前スレから転載:02/10/17 06:15
202 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 01/11/06 21:05

まずタテ位置にしたタマゴ形(ふくれた楕円)を描きます、これが最盛期の晋。
このタマゴ形の右上3分の1を大きく切り取る線をひく、これが趙。
残った部分を、大きくくねった線で上下にわけます、
上が馬蹄形で魏(左右ふたつの領土が上のとこの細い回廊でつながってる)、
下がヒョータンをタテにしたくびれた形で韓(上下ふたつの領土が真ん中の細い回廊でつながってる)。
魏は韓によって左右に分断される一方、韓は魏によって左右から締め付けられてる感じで、両国は入り組んでる。

韓のくびれの左側と魏の左側の領地の下に挟まれた部分にヨコ位置に長方形を描けばそれが周。
その北に接する小円を描けばそれが晋の残りの部分(晋の最後の直轄領)。

235 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 01/11/19 10:38

魏ははじめhだったんだけど秦に河西の地をとられてΩに。韓はg。
戦国時代の韓と魏は面白い形しててフェチ心をくすぐる。
337336:02/10/17 06:22
春秋戦国ファンって物知りさんが多いな。
前スレの過去ログいっきに読んじゃったよ
363で終わってるのが物足りなかった。もっと読ませろ〜〜っ

(336の転載は関係ありません。チョト面白かったのでつい)
338無名武将@お腹せっぷく:02/10/17 06:51
三国志からこの世界に入って、最近、横山光輝の「史記」を読み、
春秋戦国時代の方が面白いと感じたのですが、そんな漏れに、
お勧めの春秋戦国ものの小説、もしくは史書はないですか?
>>338
【小説】
全体の流れを掴むのであれば…

『春秋戦国志』(安能 務著) もしくは、『十八史略』(陳 舜臣著)

…あたりになると思う。

おおよそ人物別になると…

[春秋時代]
『重耳』『介子推』『夏姫春秋』『子産』
『沙中の回廊』(主役は晋の士会)
『晏子』(斉の晏弱、晏嬰の父子が主役)
『孟夏の太陽』(晋の趙盾から、朔〜武〜鞅〜無恤にわたって描かれる連作短編)
『侠骨記』(魯の曹沫、秦の百里奚の短編を収録)
『沈黙の王』(鄭桓公と武公の父子、晋の叔向の短編を収録)
以上は、宮城谷昌光著

『田釐子・成子』(塚本史著)
(晏嬰の最晩年期から始まる、斉の田乞と田常の父子の下克上記 呉の伍子胥も
若干ながら登場)
>>338
>>340の続き
【小説】
[戦国時代]
『孟嘗君』『楽毅』
『青雲はるかに』(主役は秦の宰相・范雎)
『奇貨居くべし』(呂不韋を主役とし、藺相如、春申君、信陵君らも登場)
以上は、宮桧谷昌光著

『白起』(塚本史著)
『楚国簒奪』(桐谷 正著)
(春申君の食客である、李園が主役)
>>338
>>341の続き
【史書】
『春秋左氏伝』『國語』『史記』『戦国策』の四つで、大抵はおさえられる。
『論語』は春秋時代云々抜きで、読むことを勧めたい。

『資治通鑑』『竹書紀年』『晏子春秋』『呂氏春秋』『礼記』『呉越春秋』
あたりは、入手・閲覧に困難の伴う場合もあるので、お好み次第だと思う。

>>339のいうとおり、>>328も参考にすべき。
343338:02/10/17 19:01
>>339 >>340
ありがとうございます。早速、探して読んでみることにします。
344損権厨房 ◆mVeUbtZCI. :02/10/17 23:48
十六史伝って何?
>>341
×宮桧谷
○宮城谷
な。まあ本屋で探すにしても大丈夫だとは思うが。

あと、「范蠡」って本がPHP文庫から出てたよ。一応小説だった。
天句践を空しうする莫れ
時に范蠡無きにしも非ず
児島高徳好きですね
348損権厨房 ◆mVeUbtZCI. :02/10/22 04:10
保守
春秋三国時代の書籍情報交換スレはここですか?
こっちに移りつつあるのかな?

<<<春秋 戦国検討委員会>>>
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1028009031/
351無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 03:11
このスレの人たちは知性が高そうなので面白い答えを期待して質問。

もし戦国七雄が西洋諸国のように領土を保って独立国のまま現在に至って、
「中国人」とか「漢民族」とかのアイデンティティーが生まれなかったとしたら
七国それぞれの文化とか国家の特色とか国民性とかどうなってたと思いますか?
352無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 04:26
>349
春秋「戦」国時代です。混合しないやうに。
353無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 19:28
>>351

面白い質問だけど、残念ながら「中国」というアイデンティティーは
『春秋左氏伝』が出所。楚以外はどこも文化的には同じようなものだね。
六雄は「中国」ということでまとまってはいる。

ただ、楚が独立国としてかなり長く生き残っていたら、わからんね。
道教を国教にした、中国らしからぬ統一王朝ができたかもしらない。
>>351
面白そうな仮説だなあ


斉=文化芸術振興国家、イメージとしてはフランス+オーストリアか?
 七国中親米最右翼で嫌日
 国民も理屈っぽい皮肉屋なフランス人っぽい感じに

楚=まんま現代の中国のミニチュア化しそう、プライドの高いトコとか
 国民性もそんな感じじゃ無いかな
 王室がヘボそうなので絶対革命が起こって共産化してると思う
 孤立してキューバみたいになってそうな気が

秦=イスラムの流入に従い一気に感化されて中華唯一のイスラム国家に(w
 その過程で非ムスリムが秦から脱出、弱体化
 結果として中国文化圏じゃなく中央アジアに近い国になりそう

燕=おそらく女真系orモンゴルのどっちかに征服されてしまって
 単独では残っていない可能性が高いと思う
 残っているとしたら半島を併合したのが災いして逆に文化侵略を受け、ニダー国に(w
355354続き:02/10/23 19:34
魏=あの地勢から言って国家として残っているとしたら国土全部を要塞化するしかない
 その上でスイスみたいに永世中立国として周囲の国家戦略のキャスティングボードを
 握る形で存続、綱渡り外交に長けた名外交官が多そう

趙=非イスラムでありながら地勢的にロシアやイスラム系と親密な関係を保ち
 東側との交渉窓口として活躍しそう
 個人的なイメージだけど七国で最初に産業革命果たしてるヨカーン
 斉との対抗上親日?

韓=周王室を取り込む事で、日本よりも古い王統を持つ国として
 国際的に敬意を払われるように
 秦の非ムスリムや魏の塞外を取り込んで勢力的にはかなり大きくなってる感じ


結構適当に考えてみた
知性低そうでスマソ
sage
>>351
ナンセンス。
ローマ世界と中華世界では事情が違いすぎる。
そもそも古代帝国による地域統一というのは世界史的なトレンドであって六國が
そのまま存続することはありえない。
また、中華世界の結束はローマほどにゆるやかなものではない。
そして儒、道ともに皇帝権力と対立するほどに強力な宗教として存在していない。

可能性として華北を蒙古系、華南をベトナム系の異民族に制圧され、それが定着した歴史は考えられるかも。
その場合四川と中原にそれぞれ漢民族国家が成り立ちそうではある。
東海岸は朝鮮系と日本系で分け捕りな(w

とはいえ漢王朝四百年の間に中國の対外政策の基本方針は固まったからね。
ヨーロッパ的な展開は想像のしようがないな。

とりあえずローマ人の物語と、宮崎の中国史読んで出直しておいで。
鄭の荘公いいね
漫画だと「東周英雄伝」がお奨めです。
360351:02/10/28 19:41
>>357
だから「もしも」ってうってるだろ
三戦板でそこまでかたいこというなよ
361354-355:02/10/28 22:54
>>357
一々御尤もだが秦の統一自体がかなり綱渡りの幸運に恵まれてたからなあ
最大のキーパーソンとしては公孫鞅、魏冉、呂不韋かな?
彼等3人の内二人がいなければその後の歴代統一王朝も無かったかも知れんしね
ifとしては充分ありだと思うがどうか
362無名武将@お腹せっぷく:02/10/29 01:42
>361
始皇帝の統一が無くなるだけだろう?
363354-355:02/10/29 15:14
>>362
公孫鞅がいなければ秦の国体の変化も有り得ず、統一秦の存在自体が雲散霧消する

魏冉は秦脅威論が6国で台頭して来た辺りでの武王の突発的な崩御に因る混乱を
最小限で抑えた
魏冉の働きが無く、混乱が続いていれば恨みを抱く魏韓楚辺りが好機と見て
秦に攻め込み、領土を分け取りにして秦が滅亡していた可能性まである

呂不韋の場合も魏冉同様、孝文王死後の混乱を安国君(荘襄王)擁立によって
未然に防いだと言える

まあ呂不韋は他二人に較べるとやや弱いか
公孫鞅、魏冉の内どちらかが、と訂正しておこう
公孫鞅がいないだけで、後世は全く違ったものになると思う。
彼無しに最強国家秦は考えられない。
じゃあ、もし公孫鞅がいなかったとしたらどこが統一したと思う?
個人的には武霊王で強くなった趙か、信陵君の魏か、それとも国力の楚あたりじゃないかと思うが
366362:02/10/30 23:41
>363
その後どこかの誰かが統一しただろうと言うだけ。
時期が遅れるだろうが、秦は改革したと思うしね。

>365
項羽率いる楚軍ってのは楽しそう。
奴は、粛正されそうだけれど。
367354-355:02/10/31 01:12
>>366
可能性としては五分五分だろうね
公孫鞅を受け入れる国があればそこが統一していた可能性はある
逆に誰も魏王の如く受け入れなかった場合、仮に統一に成功したとしても
再分裂していた可能性はある
公孫鞅の思想によって国体が変化した秦が一度統一した事によって
統一王朝の雛型が完成したといえる
これが他の国であれば周の旧制から脱した国体で統一王朝が樹てられるか
甚だ疑問だ
結局、各地に王侯を封じて周に取って代わる事しか出来無かったと思うが

>>365
武霊王は秦と関係無く横死したから結局趙はあそこでおしまい
信陵君は結局兄王の信頼を得られ無いと思うのでこれも×
結局のところ変法後の秦によって最も被害を被った楚が最有力だと思われ
ダークホースとしては桀宋なんかも面白そうな存在だと思う
>367
第二の公孫鞅が出て、統一王朝の雛形作る可能性の方が、
公孫鞅にしかできない可能性よりも大きいと思うよ。
あの時点で、その土台を作れたのが公孫鞅と言うだけでしょ?
統一が、いずれにせよ行われたのは間違いないでしょう。
統一王朝の雛形ができる前に武霊王の趙に圧迫されてあぼーんとまでは行かなくても
勢力が衰えるというのは考えすぎか?
370354-355:02/10/31 12:03
>>368
じゃあ>>367の「公孫鞅」の部分を「公孫鞅とそれに類する思想家」に訂正しよう

彼の変法はそれまでの常識「法は貴族に上らず、礼は庶民に下らず」を
完全に否定したものだったんだよ
特にこの変法が行なわれる事によって法に因る規制を受ける事になる
王族貴族はほとんどの国で実権を握ってるから、これが受け入れられる
可能性はかなり低い
公孫鞅が孝公の説得に成功した秦においてもおそらく受け入れられる
可能性は3割以下だったと思う

そもそも公孫鞅の変法にしたところで孝公の説得の際には帝道、王道の後に
ようやく覇道として持ち出されている逸話がある
逸話自体の信憑性はともかく、当時の常識に則った帝道、王道に較べると
効果はあっても受け容れられ難いという認識が存在した事は間違い無い
>>367では五分五分と書いたが、それでもかなり甘い認識だと思う
371無名武将@お腹せっぷく:02/10/31 23:31
>370
どのくらいのスパンを仮定しているの?
元は、今も七雄が残っていたらって話だよね?
王族貴族の支配体制がいつまでも続くかな?
公孫鞅の凄さを否定なんてしないけれど
「数百年統一が遅れるかもしれない」
それだけのことでしょう?

日本では、公孫鞅が現れなかったが
それでも皇族貴族の支配体制は終わったよ。
372354-355:02/11/01 00:59
>>371
全く同列には語れないが、実際ローマ帝国が存在したヨーロッパは
それにも関わらず小国分立状態が現在に至るまで続いている
それはヨーロッパ全体における中央集権国家ではなかったから

漢という中央集権国家の支配が何世紀も続いて、七雄その他に分かれていた諸民族は
漢民族という大部族に収斂されていった
漢の支配体制の内、中央集権的部分は秦のそれを引き継いだものであり
統一秦が無ければ漢もまた存在しない
また漢の支配体制が統一秦の中央集権を引き継がず、夏商周同様の封建体制で
あったなら再び春秋戦国が繰り返されるであろう事は簡単に予測出来る
※七雄に限らないが。周、宋、晋、魯、鄭、衛、中山、代といった諸国の末裔も
 再興される可能性はある)

少なくとも
統一国家の出現=七雄の消滅
とはならないと思っている
まだ春秋戦国期は国=部族であったという事で、中央集権国家による
単一民族化作業が行われなければ「統一中華民族」は出現しない
その作業フォーマットが公孫鞅の変法だったと言う事
373354-355:02/11/01 01:15
日本については最初から統一国家だった訳で…
だから変法は必要とされなかった

中国にはあった易姓革命思想が存在しなかった為、国家分裂の主因となる
封建体制がつい150年ほど前まで厳然と存在していたにも関わらず、
単一国家としてやって来れたのは、毀誉褒貶を繰り返しながらも皇室が
ずっと存在し続け、形ばかりでも尊奉され続けてきた為だと思われる

日本が真の意味で中央集権国家になったのは西洋思想を取り込んだ明治以降
それまでの日本は政治体制的には春秋戦国期と同レベルと言っていい
まあ中国の方もそういう意味では三歩進んで二歩下がるみたいな歴史だったから
さほど差は付いて無かったけどね
だから明治以降、一気に追い抜けた訳だが
374無名武将@お腹せっぷく:02/11/01 01:16
>372
漢の時代とは範囲が違うけれど、
戦国期の前は、実状はともかく周王朝なわけだ。
となれば、中華の統一という発想はあるんじゃないかな?
そうなれば、統一国家を統治する手法を模索するだろうし
そこから第二の公孫鞅が現れる可能性はあるだろう。

>373
日本が統一国家って、我田引水じゃないかな?
376bin:02/11/02 00:32
竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、
竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、
竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、
竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、
377bin:02/11/02 00:34
竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、
竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、
378bin:02/11/02 00:35
竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、竃、
379318:02/11/02 00:50
かまどが好きなの?
380318:02/11/02 00:51
>>379
名前消すの忘れてた。
このスレの318じゃないっす。
381bin:02/11/02 01:13
>>379死于拠樹之下
382無名武将@お腹せっぷく:02/11/02 01:17
>379
竈減らしていったのは孫ビンだっけ?
383354-355:02/11/02 01:47
>>374
372にも書いてるけど夏商周は中華地域の部族連合の盟主であったに過ぎず、
真の意味での統一はされていないと言っていい
代によって大小はあるけど、夏商周自体は黄河流域の一部地域しか
直轄統治出来ていない
夏の昆吾、商の周や九夷、西周の召(燕)や羌(斉や申)といった大族は
従属関係というより同盟関係に近い
これら大族に限らず、各部族はそれなりに朝貢こそしていたものの自族の
自治権を保持しており、部族意識も高かった
これを果たして統一と呼んでいいものだろうか?
現代で言えば夏商周は国連みたいなものであって、現在の地球が国連の元に
統一されているとは誰も思わないだろう

盟主の地位を取って代わるという発想は可能でも、中華統一という中華全体の意識革命は
統一王朝の出現から崩壊というステップを踏まないと起こり得ないと思う
その統一王朝出現のきっかけを作ったのが公孫鞅の法治主義だった訳で
仮に第二の公孫鞅が出現したとしても、その第二の公孫鞅が出現するまでに
部族がそのまま国家として定着してしまっていれば、単にヨーロッパと同じ道を
辿るだけだと思うのだが
現に中央集権統一国家が日の目を見なかったヨーロッパでは今に至っても
部族毎の国家体制となっている
その第二の公孫鞅が「間に合う」可能性まで含めての>>370での五分五分発言ね
384354-355:02/11/02 01:47
と言うか中国程の規模で異民族を吸収し続けてきた国家は歴史上他に
類を見ない
春秋戦国と言う古代期に法治主義体系を完成させ、多民族中央集権を
実現したと言うのは実は史上唯一と言っていい特殊な例だったりする
秦自体はすぐにこけたが、秦を雛型として誕生した漢と言う史上空前の大帝国は
中華全てとその周辺の部族をまとめて飲み込み収斂させ、その後清に至るまでの
殆どの中華王朝の雛型になったと言っていい
他地域の統一国家が次代までその版図を引き継げなかった事に較べると
入れ替わり立ち代わりながらも凡その版図を維持し続けた事は正直偉業だ
385354-355:02/11/02 01:50
>>375
ちょっと違うね、指摘サンクス
勢いで書いちゃったから訂正

統一国家→単民族国家
386354-355:02/11/02 01:54
>>376-381
上手い!>>379-380はホウ涓か(w
>385
単民族ってのも違うんじゃないかな?
大きく分けても、弥生人と縄文人がいるよね?

秦の功績は凄いと思うが、それでも統一はあったと思うよ。
周は統一国家じゃないけれど、中華という文化圏を広げたわけだし
中華の統一という発想は出て来るんじゃないかな?
次に外へ矛が向くから拡大するんじゃない?

戦乱が続けば下克上も増えるだろうし、
王族貴族の支配が崩れて、
法治を受け入れやすくなるんじゃないかな?
そうなれば法治主義も導入しやすくなるでしょう?

まぁ、どちらも可能性でしかないわけだから
統一されない事もあり得るわけだけれどね。
388387:02/11/02 02:28
スマソ、訂正入れるのが面倒なくらいボロボロ。

>386
俺も、おぉっ!って感じで慌てて
382書いたんだけれど、孫ビンでいいんだっけ?
慌ててたんで調べなかったよ。
389無名武将@お腹せっぷく:02/11/02 12:04
>>379
何故、気が付かない(w
ここは春秋戦国のスレなのに
390無名武将@お腹せっぷく:02/11/02 13:36
ホウ涓てどうよ?

孫ビンのやられ役のイメージしかないが。
391354-355:02/11/02 23:11
>>387
一時的な統一はあると思う、これは夏商周という前例を見ても当然

但し、統一しても同化政策を施さず夏商周の封建体制を引き継いだら
早晩再分裂が起こって再び春秋戦国期に逆戻り
民族収斂は行なわれず、地域毎の部族意識は再び温存されていくだろう
部族意識がそのまま国家意識に昇華されれば、もはや公孫鞅が出て来ようと
民族統一は不可能になり、分裂状態こそが本来の姿だと意識付けされてしまう
つまりはあの時期に公孫鞅が出現した事こそ中国の歴史にとっての奇貨と言える

その確率を考えれば、七雄に代表される部族国家が現代まで残る可能性は
決して低くなかったと思われる
392354-355:02/11/02 23:19
>>390
ホウ涓は馬陵以前に、桂陵でも孫ピンには負けてるしなあ
(史料によっては捕虜になってるものまである)
ただ落ちぶれ掛けてた魏軍に軍制改革とか施して、韓や趙には
快勝してるんだよね

それなりの能力はあったんだろうけど、孫ピンと較べたら噛ませ犬以上の
存在じゃなかったんだろう
>391
封建体制を打ち壊す奴が出てくる可能性もある。

公孫鞅が歴史上絶対無二だという
あなたの仮定はもういいよ。
394無名武将@お腹せっぷく:02/11/03 01:33
久々にきてみたけど、論点がわかりにくいなあ

世界史板にも類似スレあって、あっちも好きだけど
こっちではもっと三戦板らしい話しようぜ
>394
論点なんて無いよ。
単なる公孫鞅厨。
396354-355:02/11/03 02:13
>>393
>封建体制を打ち壊す奴が出てくる可能性もある。

それこそが370で言ってる「公孫鞅とそれに類する思想家」の事なんだがな
ただ、春秋戦国期までは部族意識に過ぎなかったものが一度国家意識にまで
高まってしまえば、仮に統一したとしてもいずれ分裂or独立の道へと進むだけだと言う事
そうなったらもう封建ではなくただの分立統治
公孫鞅だろうが誰だろうが統一までは出来ても単一国家としての維持は困難

一番最近の例だとソ連は50年しか持たなかったな
ソ連時代のアゼルバイジャンにもグルジアにもロシアにも、
ソビエト人はいなかったって事だ
それに対して今の中国にはちゃんと中国人がいる
斉人でも秦人でも楚人でもない中国人がね

しかしこっちの主張が多分に概念的なのは承知してるがそんなに分かり難いのかなあ
というか公孫鞅は「あの時代においてこそ」絶対無二なのであって
これが4、5世紀も下ればありふれた秀才政治家に過ぎないと思うよ
>396
分裂or独立はその後も何度も繰り返されているか?
妄想は一人でやってくれ。
>396
だからな、今でも中国は言語の統一できてないだろ?
国家意識なんて、支配層の間だけのモノで
農民には関係ないんじゃないか?
法治主義でやっても、何度も分裂状態がおきたよな?
日本は封建体制で長年やっていたが、
分離独立って動きがあるか?
日本は単一民族じゃ無いよ。

一度国家意識を持てば統一不可能なんてのは
ひとつの仮定に過ぎない。もういいってば。
長々と書くほどのもんじゃないって。

終了。
399おすすめ:02/11/04 03:17
【古今】群雄割拠はなぜ起きる?【中国】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1030094079/l50
400無名武将@お腹せっぷく:02/11/04 14:08
最近宮城谷氏の小説を読み始めたんですが、わからないことがあります。
この時代の戦車ってどのような形だったんでつか?
401東周英雄伝買え!:02/11/04 19:09

                         ∠ ̄^∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                      _ _. (´∀` ノ) < こんな戦車ではない!!
                 _ __┷」|_/_>====<  \__________
   _ _             //_/ ̄ノ'7/~゙/ ̄| ̄ ̄| ̄~~|\   
  (0 ロロ,)ニニニニニニ)ニ) )   " _/_/    |   |    |  ヘ
    ̄~      ___<-ノ-|∠^ ー-ー}_l=__ | 秦   .| ̄ ̄| ̄ ̄|   |
           ~7<〃____∠_/|    ,|   |    |    |y
          /=〔| =冊冊冊= 〔{== ,{(()\__,|__|__|__| 》
           ヘ =ヘ_____ヘ==ヘ_0_ノ/ l  l  l  l  l  l ソ/
           \=\――――‐\=\_ ゝノゝノゝノゝノゝノゝノ,,/

402 :02/11/04 19:15
>>400
戦車というよりは馬車を想像した方が近い。
馬にリアカーを引かせてその上に人が三人乗る。
一人は馬を操り、一人は矛(戟だったかも)を持つ、もう一人が
「戦車」および小隊の指揮をとる。
>>402
やはりそんな形か…、レスサンクス!
戦国に戦車と聞くと「戦国自衛隊」を思い出す。
404無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 17:42
つまり戦車といっても、タンクではなくチャリオッツ、ということ。
始皇帝の生涯を題材としたお薦め小説ありませんか?
406無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 14:45
あげ
407無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 18:49
>>405
似たような小説が三つ四つあったような気がしたヨ
408無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 00:14
「東周英雄伝」と「始皇」って結局どうなった?
409無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 00:47
>>408
未完だと思ったが。
続きを期待してるんだよ、アレ。
始皇は
韓、韓非
趙、李牧
と来たからな
順番から逝くと
魏、公孫喜?
楚、項燕
燕、荊珂or太子丹
斉、斉王建?
あたりか
国毎で行くと魏と斉が難しいね
他に誰かいるっけ?
411405:02/11/18 12:03
>>405
とりあえず
伴野 朗 著 始皇帝 (上下巻)
が見つかったので買ってみました。

>>409
始皇の続き、いつ出るんでしょう。確かモーニング掲載でしたよね?
412無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 12:08
やっぱさあ、始皇帝の一世代くらい前の戦国後期が一番盛り上がってたと思いますね。

この頃に活躍した面子を見ても白起に楽毅、ハンショ、信陵君、武霊王、魏ゼン、リンショウジョ
趙奢など超豪華ですよ。
>>412
戦国前期魏の黄金時代も凄かったけどな
後期の七国分の人材が一国に集まってる感じで
魏は中原に位置していたから常にどこかと交戦していた
どうしても実力重視の人材起用になる
だから人材が育つ
でも、いつもどこかの国と争っているので、
国力自体は疲弊している
魏の滅亡は地政学的には当然と言えるかもしれない
415無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 17:10
>>414
そういう特徴があるくせにハンショや公孫央を網に引っ掛けることができなかった
魏はヘタレとしか言い様が無い
416恵王:02/11/18 18:01
誰だ!
私をヘタれと言う奴は!
范雎マンセー
蔡沢マンセー
418無名武将@お腹せっぷく:02/11/18 23:41
「春秋の筆法」ってなんですか?

どうゆう時に使うのですか?
419無名武将@お腹せっぷく:02/11/19 05:57
はっきりいいたくない時に遠回しにいうんでしょ
420無名武将@お腹せっぷく:02/11/20 13:54
>>414
魏が実力重視の人材起用を行っていたのは、文侯の時代のみ。
といっても、宰相は公族であったりするが…。
武侯の時代から、すでに門地・門閥によって閣僚が形成されていた観がある。
恵施は異例かもしれないけど。
421無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 01:04
つうか、春秋・戦国時代のシミュレーションゲームを出してほすぃ
422無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 04:37
春秋・戦国時代のシミュレーションゲームといえば「孫子」とか有名だけど
PCゲームやテレビゲームにはなってないよね?
昔のボードゲームのまま。面白いのに残念だな。
光栄が出すんならキャラパラメータに徳が付くんだろうな
孔丘100、桀宋0ってか?
最終目的は統一?なんか違うなぁ。
戦闘を鬼のように軽視した
オンラインRPGみたいなのが
俺のイメージに合うのだが・・・
425無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 01:59
>424
それ(・∀・)イイ!
諸国を渡りあるいて、各々の目的を達する。
覇を目指してもいい、商人になってもいい、
世の中を説き回ってもいい、只管傍観プレイもいい・・・
まさに、あの勃興の時代にぴったりだ
>>425
太閤立志伝ぽくないかい?
427なんとなく誘導:02/11/26 07:39
<<<春秋 戦国検討委員会>>>
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1028009031/
428無名武将@お腹せっぷく:02/11/28 14:26
>>421
禿しく同意。コーエーにシリーズ化してほすい・・・
正直、三国志より何倍も面白くなると思うんだがなぁ・・・
429根津甚八:02/11/28 15:46
古代中国で「戦国無双」つくっちくり
隠し武将は墨家の歴代鉅子で
http://sengokumusou.tripod.com/sengokuStart.html
430無名武将@お腹せっぷく:02/11/29 02:34
>428
西周の滅亡から秦の統一までゲーム化したら
やりがいのあるゲームになるね。
約500年、登場武将数・・・何人?

500年通してやっても、徴兵した兵は
寿命で死なないんだろうなぁ・・・
431無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 11:01
>>425
三国志7ぽくないかい?
432無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 16:54
あげ
433無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 15:14
おまいら石曼姑(せきまんこ)という人物がいたことを知ってるか?
434無名武将@お腹せっぷく:02/12/10 02:35
夏姫age
>>430
やりがいありすぎ(w
436無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 13:46
>>433
無論。
自分は『春秋左氏伝』で知った。
437無名武将@お腹せっぷく:02/12/22 23:40

        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ(´ー`)ノ < ホウケン覚悟〜っ!!
(___)  \__________
|ビ ン|〜〜
◎ ̄ ̄◎ コロコロ〜

439名無しさん:03/01/04 01:23
            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ  | 君さぁ こんなスレッド立てるから          |
( ´∀`)< 厨房って言われちゃうんだよ             |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
 ( ゚Д゚) < おまえのことを必要としてる奴なんて         |
 /つつ  | いないんだからさっさと回線切って首吊れ     |
       \____________________/

(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)

(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)

(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)
440無名武将@お腹せっぷく:03/01/07 23:27
伴野朗の邯鄲盛衰はどうでしたか?>読んだ人
441無名武将@お腹せっぷく:03/01/08 00:07
「呉子起つ」よりかはいくらかまし、という程度。
442山崎渉:03/01/11 01:16
(^^)
443無名武将@お腹せっぷく:03/01/14 14:25
コーエー、この時代のゲームださないかな
444無名武将@お腹せっぷく:03/01/16 14:47
もし韓が統一されたらどうなっていただろう。呼び名とか
大韓王国で決まりだな…ベタすぎだが…。
446無名武将@お腹せっぷく:03/01/16 20:36
大韓帝国でなくて?
447無名武将@お腹せっぷく:03/01/16 22:49
韓は商業が発達してたからな。
次第に力をつけてきたブルジョワが革命おこして大韓民国に・・・。
448無名武将@お腹せっぷく:03/01/17 15:47
表記が難しくなるな。例えば漢を使う単語
449無名武将@お腹せっぷく:03/01/18 12:40
吾 日暮れて道遠し。故に倒行して、これを逆施するのみ
450無名武将@お腹せっぷく:03/01/18 21:21
なぜに衣装がないものか
祖先の装束身にまとう
王が戦い始めれば
我も矛を携えて
祖霊とともに戦わん
451無名武将@お腹せっぷく:03/01/20 20:06
>>444
「韓の始皇帝」とかがでるのかな。
452無名武将@お腹せっぷく:03/01/20 20:09
柴栄皇帝マンセー
そりゃまた随分と後世のお方ですなあ
454無名武将@お腹せっぷく:03/01/20 22:56
>>451
韓王が始皇みたいな極端野郎だとは
あまり考えたくないな
455マルチポストすまそ:03/01/21 01:12
833 :世界@名無史さん :03/01/10 11:39
中山・東周・西周・衛・魯・鄭・宋・代・晋・姜斉なんかの
「七雄」以外の国にスポットを当ててほしい。
しかも春秋期でなく戦国期限定で。

834 :世界@名無史さん :03/01/10 11:46
あと春秋期だったら異民族ネタが欲しいね
456無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 02:43
>>451
韓非は庶子だし、韓王がその思想やらを採用はせんと思う。
457山崎渉:03/01/22 14:22
(^^;
458無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 01:19
まぁ夏姫を語れよ。
459無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 01:23
何の本読めば春秋戦国分かるんだ?
通史的なものきぼんぬ
460無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 01:26
>459
夏姫春秋
461無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 03:23
厨房の頃夏姫春秋で抜きますた。
夏姫春秋は途中で散々ストレスを溜めた挙句オチでキレました。

それはおいといて・・・
夏姫春秋のどこが通史的なんだよ!

小説で通史的なものは見たことないなぁ。
素直に史記、春秋左氏伝、戦国策その他を読むべし。
463無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 09:38
陳舜臣『小説 十八史略』(第一巻)
464無名武将@お腹せっぷく:03/01/24 01:40
465無名武将@お腹せっぷく:03/01/25 17:06
466無名武将@お腹せっぷく:03/01/25 20:32
>>459
海音寺潮五郎の『中国英傑伝-下』
上巻は秦末〜楚漢戦争〜呂氏族滅までをえがいてる。
...
468無名武将@お腹せっぷく:03/01/27 18:08
溢れんばかりの巨乳がタップンタップン揺れまくり、
パンツモロ見せ当たり前!オッパイ星人からロリ〜なアナタまで、
きっとMANZOKUさせる魅力あふれる女の子たちがイッパイ!オッパイもイッパイ!!
うれし恥ずかしなラブコメもイッパイ!!!
少年誌の限界に迫るH描写で全国のいたいけな青少年たちやオタクなお兄ちゃんたちを
興奮のルツボに陥れた脅威の美少女学園コメディ漫画『エイケン』がついにアニメ化。
ココでは「あの大胆な擬音はどうなる!?」「“デカッ!”はやっぱり“デカッ!”なのか!?」等々、
気になるアニメ版『エイケン』の最新情報を随時アップしていくのでヨロシクね。
(注:このアニメは18歳以下でも御覧になられます。かなりキワどいですが(笑))
469醤油抗菌 ◆kngGyQcs9. :03/01/27 18:17
孟嘗君?
470無名武将@お腹せっぷく:03/01/28 23:58
やっちまえよ!
471山崎渉:03/01/31 17:16
(^^)
472朝倉渦中 ◆8pcdbAjX9c :03/02/02 12:26
春秋戦国だ?
世界史板でやれや。
>472
まずは夏姫春秋を読め。
話はそれからだ。
474無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 01:03
世界史板の類似スレとの使い分けがわからない・・・・(悩

(ちなみに漏れは472ではありませんでつ)
475無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 10:34
ぷららは楚だってさ

プロバイダを中国史に例えると…
http://pc3.2ch.net/test/read.cgi/isp/1043933410/
476無名武将@お腹せっぷく:03/02/11 10:45
西施タン ハアハア…
477467:03/02/11 11:15
焚書がなければ…
478無名武将@お腹せっぷく:03/02/12 03:24
確かに焚書はよくないことです。
しかし、始皇帝先生の統一がなければ中国はどうなっていたでしょうか?
諸外国の奴隷のままだったのではないでしょうか?
だから始皇帝先生は倭が民族の英雄なのです。
>>478
狙っているな・・・。
焚書っても全部を燃やしたわけじゃないよ。
481無名武将@お腹せっぷく:03/02/13 07:30
>>478
始皇帝→毛沢東
毛沢東を批判すると中国人はそう答える。
482無名武将@お腹せっぷく:03/02/19 00:23

', ',     , -'´ , -、 Vノノ⌒ヽ、   ヽ、)
  ', ',   ,./   ,:'  ) '      \  ':,、
  ', ', //   / ⌒   , ',  ', ,  ':, ':,':,ヽ
  r, '⌒,'   ,'    |  |, l':,', ',, ',.  ', , ', ', ',
  >', ',_|   , |    l ,',. | ! .! ',',. !.',.! } } | |.ノ_j
 ,:' .,'', ',|   | !  i. | !', | l∧、'|ノ リ .ノノ.ノリ'
. !  !. ', ',   ! !', ',、 lj 〉、ト(_,)゙'ー,‐'-'-'ノ'ヽ.
. L!..,|__', ',   ',',ヽ、j_.メ..._、    〃゙゙゙゙ヾ(、 ',':,
    ', ', ',   ヾ‐",;:''゙゙゙゙'ヾ        'ィ' ! !
    ':,', ',   l |', "                ノ !l.! __
.      ', ',.  l !_∧.       ×  ,ィ |l ノノ/,r゙‐‐-、
.       ', ',  ', (_,)-、______、、 イ┐'リ⌒(r‐'    ',
      ', ',ヾ.>ヾ´ ̄入` ̄~゙ ' ' '´ 〈 ノ  r'       |
      ,'-‐<.,-、',  \\     ノ',   {       ノ
     ,:'    、} )',     ヾ、   ノ    人ヽ、___ イ
      i      T  ',           人 ` ̄´ 久
483無名武将@お腹せっぷく:03/02/19 00:31
始皇帝って呂不イの子なの?
484無名武将@お腹せっぷく:03/02/19 21:27
>>483
ちがうよ
大葉
486無名武将@お腹せっぷく:03/02/22 20:06
487無名武将@お腹せっぷく:03/02/23 21:17
>>483
という説もある
>>485
シソということかな
488無名武将@お腹せっぷく:03/02/23 21:31
奇貨居くべし
489無名武将@お腹せっぷく:03/02/23 22:58
父でもないのに、「仲父」とはどういう事か。
490無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 00:20
>>489
父じゃないから仲父なんだ(亜父もそうだが)
父だったら父と呼ぶっちゅーねん
アホとは半蔵なり
>>491
いや、君のことだと思われ。
史記の有名な一説なんだけどね
494無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 22:42
>>487
子楚。異人ともいうね。子楚がアザナで異人がイミナなのかな?

>>483
ほんとは呂不韋の子なのかも知れない。その方がネタとしては夢があって面白いね。
こっちは世界史板の春秋戦国スレじゃないから呂不韋の子ってことにして置こう。
>494
しておこうって・・・強引だな。
まぁ、ネタ的には面白いけれどね。
496ろうあい:03/02/24 23:49
わたくし、車輪を廻します・・・・
497無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 23:51
ロウアイって凄い漢字だったよね。
498無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 00:10
食客3000人。
でも役に立つのは1人か2人。
499無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 00:15
食客はブレーンの意味合いもあるけれど、
多数抱える事がステータスではないかと。

鶏鳴狗盗は誰だっけ?
500無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 00:22
モウショウクン
501無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 00:23
債権放棄ももう小君の食客
502無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 00:24
妄想君?
503無名武将@お腹せっぷく:03/02/25 01:07
まあそんなもん
504趙高:03/02/26 01:00
馬と鹿のAAお願い。
                              ∩   ∩
                             | つ  ⊂|
                    ∧ノ~        ! ,'っ _c,!
                   ミ| ・  \     ⊂/  ・  \
                   ミ|  ... '_)     | __,,▼
                   ミ|. (,,゚Д゚)        |・ (,,゚Д゚)
                     | (ノ  |)      | (ノ  |)
                    |      |         |・・ .  |
                    人.._,,,ノ      ι.・,,_,ノ
                    U"U         U"U
これは(゚д゚)ウマーウマーでございます
507無名武将@お腹せっぷく:03/02/26 23:15
>>498
「三千」は中国ではたくさんを表す表現
実際には3000人もいなかったさ
508胡亥:03/03/01 21:35
秦が胡に滅ぼされるって
誰が言い出したの?
>>508
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nazuke/sikou.html
こkに詳しい事が書いてある
>>508
一番初めに言ったのは俺。
確かあれ言ったのは臨シの飯店。
田舎が秦に滅ぼされてむしゃくしゃしてたから腹いせ言ったんだよ。
で、隣で聞いてたおっさんが俺の発言パクったの。
そしたらほんとに滅んでやんの(w
あんときゃ笑ったね。
例え三戸になろうとも秦を滅ぼすのは楚なりってのは誰が言い出したんだ?
>>511
日本人
513徐福:03/03/12 00:31
不老不死の薬?
そんなもんある訳ねぇだろ。
514山崎渉:03/03/13 15:11
(^^)
   
516無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 01:50
あげ
さげ
激しく同意

コテハン野郎は逝ってよし
519無名武将@お腹せっぷく:03/03/25 01:12
age
ほお
521一応参考までに…:03/04/04 14:23
保守ついでに、関連スレはっときます。

三国志・戦国板
春秋戦国時代スレッド
http://curry.2ch.net/warhis/kako/978/978495418.html
中国第一の正史「史記」
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1010/10105/1010568139.html

世界史板
春秋戦國時代を語ろうスレッド
http://mentai.2ch.net/whis/kako/978/978123589.html
■■■ 史記について語ろう ■■■
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1003/10032/1003201049.html
<<<中国 春秋戦国時代の名将は誰?>>>
http://academy.2ch.net/whis/kako/1022/10226/1022629885.html
<<<春秋 戦国検討委員会>>>
http://academy.2ch.net/whis/kako/1028/10280/1028009031.html
lt;lt;lt;春秋戦國検討委員会2gt;gt;gt;
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045141279/l50

522無名武将@お腹せっぷく:03/04/09 02:55
横山光輝の史記、コンビニでちらっとみたら、予譲の話で、知瑶が趙毋恤を水攻め
にしない(あと知瑶が美男でないとか(w)のが気になったんだけど、史記そのもの
には、そういう記述ってなかったんだっけ?
ちゃんと買え
著者の単なる勉強不足でしょ。
列伝の該当部分しか読まずに作ってるからと思われ。
>522
買うと補完される。
526521:03/04/13 10:53
すんません、一応訂正しておきます。
世界史板の■■■ 史記について語ろう ■■■のURLですが、

http://mentai.2ch.net/whis/kako/1003/10032/1003201049.html
           ↓
http://academy.2ch.net/whis/kako/1003/10032/1003201049.html

にしときます。
sage
528山崎渉:03/04/17 11:27
(^^)
529山崎渉:03/04/20 05:31
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
530無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 23:16
あげ
宮城谷昌光の「管仲」が出ますたが、藻前らもう読みますたか?
まだ。
どうですたか?文庫化するの待ったほうがいいですか?
>532
本の内容と関係なく文庫本で良いよ。
今の本は高すぎるから、BOOKOFFでも良い。
出版社は新古書店を叩く前に、
経営努力しなさいって感じ。
534531:03/05/04 20:40
鮑叔がかなりいい男に描かれてますた。
終盤、鮑叔が小白(斉の桓公)を亡命させる時の手腕の見事さなどの描写は、
素晴らしいの一言です。
あと、召忽の義の貫き方もかなり美しく描かれてますた。最期は史記の描写と違ってましたが…
(史記→魯で自殺、小説→斉国内に帰還後に自殺)
宮城谷小説には、必ず主人公の人生を変える女性が登場しますが、今回はその女性はチョット邪魔な気が…

漏れ的評価は5段階中3といった所かな。
(ちなみに5は晏子、樂毅)
もともと鮑叔はカッコいい
今日は孟嘗君の誕生日。
おめ
>>535
っていうかおまえがカキコした日は屈原が自殺した日じゃねえか。
539無名武将@お腹せっぷく:03/05/17 16:51
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
540536:03/05/18 23:19
>>538
いや、同じ5月5日だったんだなぁと思って…
541山崎渉:03/05/22 01:26
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
春秋は静かだなあ…      
543無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 19:57
勢力図のいいサイトないですか?

この戦いで5城を取った、この戦いで大きく領土を拡大したって
書いてあってもよくわかんないんだよねぇ
 
>>543
そもそも勢力は城単位で表されるので、現在の世界地図のような明確な国境線は引きようが無い
仮に出来たとしても入り組んでたり飛び地だったりする事も多いので、細部まで勢力図化しても
却って判り難いと思われ

後、あの時代の城そのものが場所を特定出来ていないものも多い
>>543
一時的であったり暫定的な状況が多いうえ、確固とした(確定した)境界線という
ものは存在しない。
はっきりいえば、一年単位でも国境は終始変動すると思った方がいい。

ある程度精密な地図を探してきて(コピーでもして)、自分で調べて書き込んだり
していった方が確実(自分は漢代の大きな地図を用いて、これに近い事をやってる)
>>543
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~china/

↑の「地名」をクリックすると時代がいくつか表示されるので
自分が見たい時代をクリックする。
詳細な地図ではないけど、大まかにわかる。
最低でも1年単位で城レベルの勢力圏地図を誰かが作ってくれないとね・・・
飛び地も完全再現で。
誰か卒論でやりたまへ
つか、戦国時代後期になるまで精力図は面でなく点での支配だったからナァ。
ある程度は面とかを意識してたと思うけど、結構飛び地な取り方してたりするから、国境とか分りい難いのよね。
面での支配ってのが具体化したのは秦の昭襄王が范雎の遠交近攻を採用してからだと思われ。
549あぼーん:あぼーん
あぼーん
保守。
551無名武将@お腹せっぷく:03/06/03 18:37
保守。
552無名武将@お腹せっぷく:03/06/07 11:26
553無名武将@お腹せっぷく:03/06/08 18:32
わかりにくくてもいいからある程度勢力図ってのがあってもいいのにね。
マニアで詳しい人が誰かやってるかと思いきや、誰もやってないんだ・・・残念。
晋の景公萌え
555呉起:03/06/09 03:09
GOGOGO!兵法家・呉起が555ゲットだ!
556無名武将@お腹せっぷく:03/06/11 01:34
どっかにありそうだけどね
勢力図マニアのサイト
                
あまりにも面倒だからなぁ................
558無名武将@お腹せっぷく:03/06/12 22:51
歴史で一番おもしろいのは陣取り合戦だと思うのは俺だけ?
誰か作ってくれぃ
勢力図総合サイト
                            
俺的には、斉姜一覧なんてのも見てみたい。
>>559
もう少し具体的に書いてもらわんと、わからん。
斉姜の系図一覧?
それとも斉姜時代の領土の変遷?
>560
いや、斉姜と記録された美人の系図。
申生の母とか、重耳の妻とか…あとは知らん。
「左伝」で登場する斉姜は三人。

・晋の献公夫人、大子申生の母
・[朱β]の文公夫人
・魯の成公夫人、襄公の母

まあ斉から嫁いだ公女はある意味みんな「斉姜」だから重耳の妻もそうなんだけど。
左伝では女性は「氏・姓」の順で表記されてるんだっけ?
>>564
「国・姓」か、「嫁した君主の諡・姓」だと思われ。
>>565
他にも「排行+姓」「独自の諡号+姓」「夫の姓+(自分の)姓」のパターンがあり。
>>566
おお、そうだった…スマソ
>>563
そんなもんよく知ってたなあ。まさか暗記してたわけじゃないだろうし、
左伝をデータベース化してるとか?
569563:03/06/18 21:48
>>568
いや、左国史漢は当然全文暗記してますから…ってのは当然ウソ。

『春秋左傳詞典』(中華書局)をちょろっと引いただけ。
なるへそ。そういや、そんなものあったな。
さんくす。
571無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 00:58
良スレage 
572無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 03:49
コーエーさんゲーム造って
112 名前:105 投稿日:02/09/07 18:57
孫[月賓]は孫堅の子孫じゃん

誰か突っ込め
その気力もわかないほどにアホな発言なので放置させてくれよ
>>573−574
ん?違うとでも主張したいのか?
オマイなかなかの釣り師だな

孫ピンは孫堅の「先祖」だぞ
孫ピン(生没年不明)前353年の桂陵の戦い,前341年の馬陵の戦いに名を残す
 孫ピン兵法なるものも残っている
孫堅(156〜192)言わずもがなだな
とは言え自称子孫だけどな
孫ピンの子孫?孫武じゃなくて?
普通孫子といえば孫武じゃん?孫ピンもまあ孫子だけど。
孫ピンの血引いてなかったりして。
二人の孫子の関係については「史記」の孫子呉起列伝に「(孫)ピン亦た孫武の後世の子孫なり」と
あります。また、孫堅については「三国志」呉書の孫破虜討逆伝の冒頭に「孫堅、字は文台、
呉郡富春の人なり。蓋し孫武の後なり。」とあります。

というわけで「孫ピン・孫堅ともに孫武の子孫を称した」ということで。
一応孫ピンは孫武の子孫なんだと言われてるけどな
孫武も孫ピンも斉の国出身
んで孫ピンは孫子学派とも言うべき兵法学を学んでいる
この当時私塾はあったとはいえどもまだまだ学問は一族で受継ぐモノであったようだ
書いてる途中でenter押したら送信しちまったわ

だから孫ピンは孫武の子孫だった可能性が高いと思うよ
582ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/06/28 00:02
孫、あるいは曾孫といわれています。
583無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 21:32
いい春秋戦国サイトあったら教えて
584ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/06/30 02:36
「臏」、出ますよ。
IME使わないと出ない上に2chブラウザ使ってるとピンの字を認識しない
ホットゾヌでは出るよ
OpenJaneも出るよ
俺のホットゾヌだとダメだ
両者のversionは?
ギコナビは見える。
A Boneもでる。
593ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/01 01:26
その話題で1日回さないでくださいよ...
つか、IE依存だろ。
漏れは、IE5.0だが見える。
今更IE4なんて使ってる香具師がいるのか?
言語をインストールしてあるか、って可能性ありかな。
596無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 01:06
勢力図サイト教えてぇ
            
597ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/05 01:13
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2280/frame2.html

スマソ。ここくらいしか知らない...
sage
孫武の長男の子孫が孫ピンで、次男の子孫が孫堅かもしれない!
そうすると孫ピンの子孫とはいえない!
族孫という言葉があるから、あんまり変わらねぇ
601無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 05:30
刺客あげ
甘寧は甘茂の子孫だしね
603山崎 渉:03/07/15 12:00

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
604無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 12:26
age
白起が白公勝の末裔だとかな

秦の宰相范ショや項籍の軍師范増が士氏の末裔だと、
何かで読んだんだが事実なのかな?
士会が范と言う地を下賜されたから、范会とも呼ばれるようになったらすぃね。
ただし、士氏の宗家は春秋末期に士吉射で絶えたはずだから、嫡流ではないですね。
もともとは、士会から続く士氏は宗家ではなかったんだけどね。
春秋期の士氏は大別して三つの流れがあって、士会の嫡子(燮)のほか、
士会の第四子である魴、士穀の嫡子(渥濁)、が存在していたみたいだし。

まぁ、范氏を称したのは士燮の系列になるんだろうけど、范氏に連なる族人も
范氏を称するし、仮に范氏の家系だとしても傍傍傍の傍流だと考えるくらいで
いいんではないかな。

もっとも、范を出身とする人間が范氏を称しただけ、って方が現実味があるけど…。
士吉射って亡命したんじゃなかったっけ?
子供いなかったの?
609ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/17 01:12
でもこのころの氏族名は地名か官職名、祖先の名前がほとんどです。
范会は士蔿の孫です。

3つの流れは士蔿の子、缺(士成伯)が祖でしょう。范会は范叔と称され
「士氏の三男」と春秋に書かれたことから三男説が強くなっています。
本流は穆子穀、貞子渥濁、荘子弱、文子匃、景伯彌牟と続きます。
>>609
士匃は士会の家系じゃないの!?
と思って岩波左伝を読み返してみると、確かに士穀の家系にもいるんですな…
迂闊にも見落としてた…、范宣子の方が色々と有名すぎるせいも
あるんでしょうが目立たなさ過ぎ
宣子の方は東周英雄伝にも士氏では唯一登場してたくらいですから
無理も無いんですが
>>609
「左伝」中、士会は「士季」「隋季」と称されることはあっても「范叔」と称されることはなかった
はず。「范叔」と称されるのは燮(范文子) 、鞅(范献子)ですな。
612ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/17 15:39
早引きしたおかげで昼間からカキコできる幸せ...

>>611
ご指摘ありがとうございます。確かに范氏で「叔」が宗主にあたるのは確かに文子燮からでした。ただ成伯缺は
士氏の宗主であり范氏は分家にあたるので伯叔の諡法にのっとって勘違いしたかも。

>>610
范宣子はたしかに士カイを翳ませます。混同しないために士文伯とか伯瑕とかいったほうが間違いがないかと。
秦の始皇帝は強いよねぇ
 
614趙高:03/07/18 00:55
まぁあれだ、
ヲマイラ、自分の意見はハッキリ言えよ。
し、鹿です!
↑ ちょっと笑ってしまった。
617ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/19 01:12
隰叔━士蔿━成伯缺┳○━━士富
         ┃
         ┣○━━士穆伯穀━貞伯握濁━荘伯弱━文伯勾━景伯彌牟
         ┃
         ┗范武季会┳無恤
              ┃
              ┣文叔燮━宣叔勾━献叔鞅┳昭子吉射
              ┃           ┃
              ┗彘共子魴━彘裘    ┣皐夷
                          ┃
                          ┗析成鮒

テスツついでに見てください。
618ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/19 01:12
やはりズレたか...
>>617
系図の出どこはヒラセ先生の御本かしら?

ヒラセ先生の素晴らしい独自のご高説の部分と「杜注」「孔疏」等から引く説とが混じってるから
あんまり例示するに適当とは思えないのですが。
620ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/19 23:52
>>619
ご名答です。系図厨なんですよオレ。
平勢(生丸力)氏の著であることをあなたのレスで気付きました(w
あと貝塚著も交えたデータベースを作ってるんですが、杜注とか混じると
まずい点とかあれば指摘を下さいませんか。

平勢氏の解釈はパズルみたいで面白いんですよ。それが正しいかどうか
測る能力がオレにないのは情けないんですが、この時代における兄弟の
概念さえ捨てれば、上の系図も世代概念を理解するための資料にはなりませんか?

・・・夏厨もそろそろきますよ。ねぇ・・・
いや、別にヒラセ説をどうこう言うつもりはないけど、ヒラセ説による系図と「杜注」「孔疏」
「『国語』韋昭注」などの元史料から得られる系図とは結構食い違いがあるから、ヒラセ説に
基づくと明示しないまま「これが士氏(范氏)の系図でござい」とやるのはいかがなものかな、
と思っただけ。「混じる」って言い方はおかしかったな。
622ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/20 01:17
そうですか、不勉強でした。一応一通り年代を考証したつもりだったんで
少し悔しいぷらっとです。
族系が固いこの時代に、まして「季」の後継が「叔」というのもやはり
おかしく見えてしまうのは一連の学説のせいかもね。

どなたか系図、できればアプしてください。
>どなたか系図、できればアプしてください。

岩波文庫の「左伝」巻末に載ってますよ。


>一応一通り年代を考証したつもりだったんで

范氏と士氏のそれぞれの活躍期間はほぼ以下のように対応します。

范氏:  士燮     士カイ     士鞅
       ┃      ┃       ┃
士氏:  士握濁    士弱   士カイ・士彌牟

※士鞅の活躍期間は50年以上と長期にわたるので、士氏の二世代分に対応

このへん士燮と士握濁を一世代ずらすヒラセ説はどういう理屈で説明してるんでしょうか。
(もちろん年の近い叔父甥であると言えばそれまでだけど)
>「季」の後継が「叔」

「春秋左傳詞典」(中華書局)を使って、「左伝」中における范氏累代の
呼称の回数を調べたところ以下のようになりました。

・士燮
 士燮/燮  計13回
 范文子/文子  計19回
 范叔  1回

・士カイ
 士カイ/范カイ/カイ  計29回
 范宣子/宣子  計47回
 范叔  0回

・士鞅
 士鞅/范鞅/鞅  計38回
 范献子/献子  計22回
 范叔  1回

・士吉射
 士吉射/范吉射  計7回
 范昭子/昭子  計3回
 范叔  0回

「士会の子孫が代々叔号を称した」と言うには回数が余りに少ないと
思うんだけどなあ。

まあヒラセ先生の本は前に流し読んだだけだけど、このくらいの夏厨がパッと
思いつく程度の疑問を仮にも東大の教授が考慮してないはずはないと思うし、
週明けにでも「史料批判的研究」を図書館で再読してみますわ。
おまけ:士氏の呼称の回数

・士握濁
 士握濁  1回
 士貞子  1回
 士貞伯/士伯/貞伯  計6回

・士弱
 士弱/士弱氏  計3回
 士荘子  2回
 士荘伯  1回

・士カイ
 カイ  1回
 士文伯/文伯/伯瑕  計10回

・士彌牟
 士彌牟/司馬彌牟/彌牟  計6回
 士景伯/士伯  計12回

こちらは伯号で呼ばれることのほうが多いので「代々伯号を称した」と
言っていいんじゃないかな。
626申包胥:03/07/20 19:50
泣けば、言う事訊くと思ったら大間違いだぞ!

ふん、男のクセに泣くなんてみっともない!
627ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/21 00:32
>>625
おぉ、素晴らしいデータをありがとうございます。
江頭説によれば、「伯叔」と「仲季」の族に割れる、という説があります。
さらに伯号は「伯叔」家の「正統な後継者」を表す復号かもしれない、と。

趙氏の族祖は趙衰(成季)であり、伯叔の家ではない。(夙との関係が不明)
さらに趙盾は正式な長子ではない。ゆえに趙「孟」が族主の号になるのは
左伝ならではの曲筆なのではないでしょうか。
628ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/21 01:02
>>624
空論かつパズル的に、士カイ&士吉射は「季」だったかも。確証ないけど。

「史料批判的研究」持ってますよ。非売品なのにw
で系図厨としては江頭氏の「姓考」を読むに至ったわけです。
底が浅いかもしれませんが、左伝を日本人が考察したら平勢説は最強ですよ。
個人的には日本人による最強の左伝考察はやっぱり竹添井々の「左氏會箋」ではないかと。
(先人諸説の集大成ではありますが)

ヒラセ説は日本人による最強の左伝妄想と言う感じですな(w もはや春秋平氏伝。

さて、じゃあ図書館行ってきます。
「史料批判的研究」読んできました。

まず、>>623で指摘した「士燮と士握濁を一世代ずらす」と言う点ですが、これは
こちらの勘違いでした。ヒラセ説も士燮と士握濁を同世代と考えています。

「史料批判的研究」P315では「成伯の子が士穆子と范武子」と明記しています。

自分の中ではヒラセ説の特徴として記憶し、>>617の系図を見て「これはヒラセ説に
基づくものだ」と判断する根拠になったポイントだったのですが、なぜそのような
勘違いをしていたかが今回再度精読して理解できました。

「史料批判的研究」P322に図示されている士氏系図が間違ってるんですな。

士穀と士穆子を同一人とすることに典拠がないこと、杜注では士穀は士イの子と
されているにもかかわらず、活躍年代から成伯の子と想定したことを踏まえて
系図中の士穆子の名前に「?」を付してあるのが、P322の図では「?」と「士穆子」の
間に(おそらく誤植により)線が入って、あたかも成伯と士穆子の間に一世代
挟んだかのように図示されてしまっていたと。この間違った系図がイメージに残って
本文の記述が頭から抜け落ちてました。

手元にない本を流し読みレベルで語ってお恥ずかしい誤解をしていた、ということで。
続いて>>624で指摘した「范氏の叔号」についてですが、「史料批判的研究」では
補強資料として史記・趙世家の「索隠」で「世本」を引いて「會生文叔燮,燮生宣叔カイ」と
ある部分を挙げていました。これで士カイについても叔号の例があったと言えますが、
やっぱり用例が少ない気がするなあ。

以上今回「史料批判的研究」の晋の氏族についての記述を再読しましたが、総じて
豊富に史料を引いて精密に考証されており、さすがに感心した次第であります。
(韓氏のあたりでは首をひねる部分もありましたが)

でもやっぱり私個人は岩本憲司先生の「春秋左氏伝杜預集解(上)」序文における
態度に与するものでありますが。
というわけで改めて>>617の系図に生じた疑問。

「范無恤を士会の子としたのはなぜ?」

范無恤については文公十二年に記述があるのみで詳細は不明ですが、まあ確かに
年代的に士会の子と考えても不自然ではないのかもしれません。

しかし士会が初めて范武子と呼ばれるのは告老する宣公十七年、宣公十二年の楚との
戦いにおいては「随季」と称されており、文公十二年の時点では范を食邑としていたと
考えにくいのではないでしょうか。顧棟高『春秋大事表』「春秋列国卿大夫世系表」に
おいても同様の疑問を提起して、范無恤につき「疑非士會之族」と言っています。
633ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/22 00:18
>>632
何かで読んだもので思い出せないんですよ。情けないことに。
あと「平勢説は最強」についてはあくまでも俺の系図厨としての立場からの発言です。

「范無恤を士会の子としたのはなぜ?」
そうですね。確かに確証はないですが、士会と士燮の間に范を領有した人物が確認できなかったからです。
叔号の家の族主には仲季が本来現れないはずなのに士季が出てきてしまうあたり、士蔿と士会との血縁を
疑うべきかもしれません。
634ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/07/25 00:25
>>631
「周公と其時代」(林泰輔)を読んでいて思い出したんですが、やはり排行に迷いがあります。
魯の慶仲の子孫がなぜ孟孫氏なのか、あなたの説を教えていただけませんか。
仲が孟と称される点が、オレの持っている書籍の範囲では解決しないんですよ。
hosu
>>633
個人的には士会が范を自邑としたのは宣公十六年に中軍の将・大傅に任じられた
時ではないかと考えています。
范は衛地・斉の近傍(山東省曹州府范県)と同定されていること、狄は衛を滅亡
寸前にまで追い込み、多くの領土を得ているであろうこと、士会が狄を滅ぼして
大功を挙げていることが傍証になるのではないかと。

>>634
まず、慶父(名)と共仲(字)がごっちゃになってません?

本題。この件については正直資料を真面目に漁った事もないのでなんとも言えません。
諸説を勘案して自説をどの説にするのか、という作業を経ていないもので。
以下手持ちの史料でちょいと調べてみました。

まず話をめんどくさくしてるのが、史料によって公子慶父の兄弟順が違ってると
言うところでしょうか。「公羊伝」荘公二十七年や「史記」魯世家では、公子慶父は
荘公の(同)母弟となっているのに、「左伝」杜注では荘公の庶兄としています。

その理由は、
・荘公二年に公子慶父が軍を率いて於餘丘を伐っている
・この年荘公は十五歳である
・ゆえにもし慶父が荘公の弟なら、十五歳以下で軍を率いるのは若すぎて不可能
これを踏まえて孔疏では
・慶父は庶長なのにあえて「仲」を字にし、子孫は仲孫氏を称し、経では「仲孫」
・時の人(記録者)にしてみれば庶長は「孟」なので、伝では「孟孫」

等という説明をしていますが、孔疏は杜注を牽強付会といっていいくらい強引に
弁護するきらいがあるのでちょっと苦しいところ。

そもそも名前だけ慶父の軍で、実際の作戦行動は配下の将軍が行うということも
十分考えられるわけだし。

で、たまたま別件で使うために手元にあった鄭樵の「通志二十略」(中華書局)の
氏族略・孟氏の項を読んでみたら、

姫姓、魯桓公子公子慶父之後也。慶父曰共仲、本仲氏、亦曰仲孫氏、爲閔公之故、
諱弑君之罪、更爲孟氏、亦曰孟孫氏。

元々仲孫氏だったのに慶父の閔公弑殺の罪により孟孫氏と称されるようになった、と。
この話はどっから引いてきたのやら。これはもう少し調べないとなんともかんとも。
638ぷらっと@コテ思案中:03/07/27 00:49
見事に書き込んだあとのオレの苦悩をしっかりと看破していただいてありがとうございます。
「父」はアザナだから、などと言い訳も考えたんだけど、あなたが相手では見透かされるかな。

つまり魯では二家相続がすでに終わっていたということですか?春秋期の系図が
縦に長ければ嫡子相続、横に膨らむと二家相続の癖が強い、というのが系図学では本流っぽいんですが、
この説を採ると慶父叔牙を追い込む季友は聖人どころか悪宰相になってしまいます。
639ぷらっと@コテ思案中:03/07/28 01:12
宋の目夷にも共仲慶父との共通点があります。「庶兄」という点で。
族相続から父子相続に変化する時代です。ましてや本当の出自が怪しい
晋@曲沃みたいに本当は北狄西戎の血を引いてそうな一族を怪しむには
充分過ぎます。
曲沃桓叔や荘伯鮮らは晋の公族かどうかは怪しい。あなたがたが言われるように、 この時代の族概念は日本の家とは性格を異にするものでありましょう。
母方の血が異民族かも知れないけど、桓叔も晋の一族にはかわりないでしょ。
父系リネージが昔ほど強固だったとは思えても逆に希薄だったとは思えないが。
642ぷらっと@コテ思案中:03/07/30 00:11
>>640
伯叔と仲季の家に分かれて代々当主を出す、というのが殷末期中原の継承方式だったようです。
後世の史家がこれを解釈するにあたり自時代観念をもちこんだがゆえに
「兄弟相続」という観念に置き換えられた説は貝塚・江頭説に見られます。
曲沃桓叔(成師)は文侯仇の弟でも別に構わないんです。

唐叔虞が武王の三男というのが怪しいから、>>639のようなカキコをしてみました。
643無名武将@お腹せっぷく:03/08/05 23:06
あげてみる。
戦国違い!

でも・・いいか
>644
いやさ、三国志・戦国と並べば
春秋戦国だと思うべな。
戦国・三国志と来れば関東三国志?と思うし。
646 ◆NrzNAFPLAQ :03/08/06 00:51
良スレですので、sage進行キボンヌ。
何卒なにとぞご了承下されませぬか。
647643:03/08/06 21:42
>646
そうですか…、すまそでした。
あんまり下がっていたものでつい…
>>647
がんがれ!
649無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 11:09
携帯保守。
650無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 08:56
鄭の話題って出ましたかage
651無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 09:53
>650
夏姫
652無名武将@お腹せっぷく:03/08/13 00:09
夏姫の息子はほんとに殺されたの?
             
653とらっぷ ◆NrzNAFPLAQ :03/08/13 00:37
夏徴舒だったら確かに殺されますた...
その女の影響で呉越の戦いまでいくとは・・・
655無名武将@お腹せっぷく:03/08/13 23:00
えっちしまくりだったの?
 
656ジョージ・ブッシュ:03/08/15 13:30
このスレを見ていると、ほちょんどの人々が「孔子聖人説」を肯定している
みたいなのだが、そうではない。

これはFBIの調査で解った事なのだが、実際の彼は、幼い頃から盗賊稼業をして
暮らしてきた、賊徒としては相当の腕前を持つ匪賊、に過ぎなかったらしい。
(孔子が立ち上げた「孔門塾」なる者も、実際には、孔子に服属していた盗賊団の
連中に過ぎず、これが後世、儒者どもに美化されて「塾の門下生」という形になったらしい)

勿論、「魯の宰相になった」とか、「各国の諸侯に重んぜられて国賓待遇で
もてなされた」とか「漢の制度の予言やその他諸々の奇跡?」も後世の捏造にしか
過ぎない。
更に、彼の言行録である「論語」なども実際には、彼が己の盗賊団に課していた
厳しい規則(「頭領の孔子への絶対服従」等)や役人に捕まった時の言い訳及び買収
脱走の手口を極端に美化した物に過ぎないらしい。

と言う訳で、皆もこの悪辣な匪賊と、その取り巻きのペテン師どもに騙されぬ様、
注意するように。
657あぼーん:あぼーん
あぼーん
658無名武将@お腹せっぷく:03/08/22 23:43
保守
659張飛ぽい関羽:03/08/22 23:47
孫子の兵法でも読もうかな
660張飛ぽい関羽:03/08/22 23:48
軍師になれるかな??
661張飛+関羽÷2:03/08/22 23:50
よろしこ(俺アル意味あらし??

662(張飛+関羽)÷2:03/08/22 23:51
HN変更
663(張飛+関羽)÷2:03/08/22 23:52
寝る明日仕事や
今日からきましたんで末永くお付き合いを
してください。
お前さんの相手はあの糞コテしかいないぞ。
この時代とか史記にハマルと、三国志演技なんて読めなくなっちゃうんだよな。
面白すぎる。
>>665
まったくもって同意。

そうやって故事を知ったうえで次に『正史』を読むと、面白いなんてもんじゃない。
上奏文や会話内に登場する、故事や古代の人物の事績なんかもよくわかるしな。
初っ端は入りにくいけど、一度ハマると抜け出せないほど面白いね
>>666
そうなんだよね。
ガキの頃読んだ演技では、管仲や楽毅、伊インなんて何のことか
サッパリだったもんな。
>>668
そうそう。
でも『正史』読んでると、たいていは古代の偉人と比較されてる人物の
功績の方が大きい、とか書かれていて、それはないだろ、って思ってしまう。

いくら功績ある人物を顕揚するためとはいえ、知ってると萎える事もあったり。
ぷらっとの自演大会か?
671出張帰り:03/08/24 23:59
おいおい、オレには自演なんかするスキルはないって言ってるでしょうが。
トリ盗まれて、もうあちこち出入りするだけで叩かれるのは本気で勘弁してほしいんだが。
コテハン殺しもここまで来ると哀しいっすよ。大体なんでオレなんだか。

今後の話題はどこから始めましょうか。

嫌がらせ・皮肉・煽りのつっこみ入れるギャラリーが期待してる人間像に
悪乗りして演じてしまうぐらいの図太い神経じゃないと、
まだまだコテハン検定4級くらいだな(w
おぢさんは4級どころかPC歴1年未満。自治に栞挟んでただけの初心者。
いぢめないでね。おながい。
674無名武将@お腹せっぷく:03/08/30 01:28
士弱と鞏朔って同一人物ですか?
どちらも士荘子と称されるけれど、鞏朔は文公〜成公の代、士弱は襄公の代と活動年代に
開きがあるから別人と考えたほうがいいでしょうな。
676月舟禅師 ◆2011TWOdso :03/08/31 00:47
>>675
そのレスだと襄公が文公の継嗣ではないように見えますが...
鞏朔は左伝によれば「王室に咎を受けた者」を祖に持つと周王に言われてます。
士弱と共通点を見出すのはいくらか無理がありそうですな。
>>676
>そのレスだと襄公が文公の継嗣ではないように見えますが...

イマイチご指摘の意味がわからんのですが…。じゃあもう少し詳細に書きますか。

・鞏朔
文公十七年(610B.C.) 鄭と講和
宣公十二年(597B.C.) 上軍大夫としてヒツの戦いに臨む
成公二年(588B.C.)   周定王への使者となるも接見かなわず
成公三年(587B.C.)   新上軍の将に任命される

・士弱
襄公九年(564B.C.)   晋悼公と宋の火災につき対話/鄭との載書を作成
襄公十年(563B.C.)   諸侯会合時の斉の高厚・大子光の不敬な態度にコメント
襄公十八年(555B.C.)  斉攻めで劉難と共に申池の竹林に放火
襄公二十五年(548B.C.) 鄭の子産と対話
襄公二十六年(547B.C.) 衛献公をその館に幽閉

同一人物とするにはチョット苦しいかな、と。


>鞏朔は左伝によれば「王室に咎を受けた者」を祖に持つと周王に言われてます。

そんな記述ありましたっけ?成公二年の周定王との対話では、

・未有職司於王室(王室の職を持たない→王命の卿ではない)
・奸先王之禮(諸侯を王命で攻めた場合は俘虜を献じることはしないのにそれを破った)

とはありましたけど。
678月舟禅師 ◆2011TWOdso :03/09/01 00:55
>>677
>>674は私では勿論ないんですが、この質問はたぶん平凡社の春秋左氏伝からだと思ったんですよ。たまたま読んでたんで。

斉の捕虜を献ずる鞏朔は王の認証を得ない卿ですが、その後士氏の跡目を継いだのかと妄想してしまったんですよ。
ましてや成公2年12月に六卿になった鞏朔はその後から見ると士氏の流れであっても何ら不思議ではない。

春秋は書面が硬すぎるから、系図厨としては常に疑って掛かってしまう点をご理解いただけませんか、何卒。
679月舟禅師 ◆2011TWOdso :03/09/01 19:47
追記>>677
>そのレスだと襄公が文公の継嗣ではないように見えますが...
>イマイチご指摘の意味がわからんのですが…。じゃあもう少し詳細に書きますか。

基本的に拙僧の勘違いです。文公・襄公を「晋の」と間違えていたんでw
失礼致しました。
>>678
あなたがどう妄想しようとご自由ですけど、その妄想が左伝本文中の記述であるかのような
カキコミはいかがなものでしょうかねえ。そもそも士氏の祖である隰叔が周室(宣王)に無実の
罪で父の杜伯を殺され晋に逃れたというエピソードだって左伝本文中にはないのですし、鞏朔と
士氏の直接的な繋がりが示唆されるのは(一箇所だけ)士荘伯と呼称される個所があるだけですし。


>斉の捕虜を献ずる鞏朔は王の認証を得ない卿ですが、その後士氏の跡目を継いだのかと妄想してしまったんですよ。
>ましてや成公2年12月に六卿になった鞏朔はその後から見ると士氏の流れであっても何ら不思議ではない。

まず、鞏朔が卿(この時点では六軍十二卿)になったのは成公二年ではなく三年です。

で、鞏朔が士氏を(一時的にせよ)継いだとするならば、その時期は成公三年以降ではなく、
士穀の反乱による死(文公九年)から士握濁の登場(宣公十二年)までの間ではないかと
考えます。

士穀の死後に士握濁幼少のゆえに代わって族員を率い、ヒツの戦い・アンの戦いで戦功を挙げて
新上軍の将へと上り詰め、程なく死亡というのが無理のない解釈かと。

士穀の死から士握濁の登場まで二十年の開きがあり、鞏朔が初登場するのはまさにこの期間中で
あること、成公三年の時点で士握濁は瓜衍県を封邑として有し、士氏の族を率いるのに問題がある
記述は特にないこと、鞏朔は新上軍の将任命を最後に登場しなくなることなどがその理由となりましょう。


>春秋は書面が硬すぎるから、系図厨としては常に疑って掛かってしまう点をご理解いただけませんか、何卒。

疑うのも結構ですが、それ以前にもう少し左伝本文と著名な注釈書を読み込んだほうがいいと
思いますよ。余計なお世話ですが。
>>679
晋人についての説明だから晋公の年代で表記すべきなんでしょうが、分かりやすさを考え魯公で
表記しました。
>>680
つーか、つっかかるような物言いやめたら? 相手も納得しないよ?
納得してくれなかったら、そんな長文書いてる意味ないっしょ?
683月舟禅師 ◆2011TWOdso :03/09/01 23:40
いえいえ、修行中の身で知らない事があるこちらの不備ですから。

晋の卿を眺めていて、親も子も記述がないのは鞏朔だけです。納得以前に
今一度手許の本を読み返してみますよ。

「春秋の筆法」トラウマかなぁ...

ここは学会ではないのだから、知らなくても何ら恥じることは無いよ。
そりゃ、横山だけ読んで史記を読んだ気になられても困るけどさ、
そこまで低いレベルじゃない訳だしね。
なんか微妙に話が変わっちゃってますけど、別に私は知識がないことを非難したり馬鹿に
したりするつもりは毛頭ないんですけどねえ。もちろん中途半端な知識での書き込みには
容赦なくツッコませていただきますけど。

ただ単に私は一貫して「史料から直接得られる情報(A)と自分で考えた妄想(B)の区別は
はっきりつけるべきだ」と主張しているだけなので。

〇史料を検討するとAということになるが、これこれこういう理由から自分はBと考える
×史料にはBと書いてある

後者ではBがいかに高度な知識に基づいた推論であったとしても論外だと思うのですが。
私の物言いのせいか中々ご理解いただけず残念です。


>晋の卿を眺めていて、親も子も記述がないのは鞏朔だけです。

「左伝」で晋の卿(軍の将佐)になった人物は総計50人以上、その中で血縁関係がはっきり
しないのは鞏朔を含めて10人近くいますけど…。これもまた「自説では系図上の位置が
決められないのは」って事じゃないんですか?
>私の物言いのせいか
それだ。

楽しくやりなさい。
687月舟禅師 ◆2011TWOdso :03/09/02 23:56
10人近くもいますか?例えば誰?
と思いつつ、改めて「自説」をはっきりさせるためにも史料を読み直します。
別に士氏だけにこだわるつもりはないので、他の話題があれば進めていてください。
しばらくお得意にROMります。
じゃあすごく分かりやすいところから何名か。

郤穀(僖公二十七年・中軍の将)
郤[シ秦](僖公二十七年・中軍の佐)※
先蔑(文公七年・下軍の将)
先都(文公七年・下軍の佐)

※ついでに「国語」も調べてみたら韋注に「郤至之先」という記述がありました。
まあいずれにせよこの情報だけでは郤氏の系図中のどこに位置付けられるかは
決まらないわけですが。
宿題かよ。
>>689
まあ日本語訳だけでは調べにくいところですけどね。でも「〜しかいない」なんて断定調で
物を言う以上はそれくらい調べてもらわないと意地の悪い人にツッコまれますからねえ(w
691月舟禅師 ◆2011TWOdso :03/09/03 23:53
たしかに苦戦しております。世本では蒲城氏の子で苦成叔の甥ですが、
郤溱の孫ではなさそうです。
上の方で傷められてるんで、ここではそうイジめんでくださいな。
「世本」は亡佚書なので引用する際は必ずどの文献が引いた文章なのかを明記すべきですな。
保守
694 ◆2011TWOdso :03/09/13 00:25
暫時出張で読書の機会もありません。落ちないことを願いつつ...
大丈夫ですよ。保守しときますから。
保守
697無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 18:50
a
698 ◆2011TWOdso :03/09/24 00:15
帰って参りました。神田もまわったけどダメでした。

降参です。

断定調も取り消しますので、なんかヒントください。
ヒントって言われてもねえ。そんなもん前言ったとおり「本文テキストと注釈を読め」
としか言えませんな。

何を読めばいいかは新釈漢文大系(鎌田訳)の解題や岩波文庫(小倉訳)の解説に
リストが上がっているからそれを適宜参考にすればよろしいでしょう。
糸冬     了
夏姫はいくつになっても
美しさを失わない。

ゆえに、復活
夏徴舒が美男であった話は聞かんな。
逝くスレは斯くの如きか 昼夜を舎かず
現在629番目、一応保守   
704無名武将@お腹せっぷく:03/10/05 23:21
覇王あげ
 
705あぼーん:あぼーん
あぼーん
706あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>704
今上げたら鶏肋の被害に遭うだろうが!!
上げても益無し。
鶏肋鶏肋。
また規制の予感
710 ◆2011TWOdso :03/10/07 22:37
今日は挨拶程度に保守。
夏徴舒、毒を喰らわば皿までも。
711無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 08:16
さらし上げ
           
712無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 12:19
ぷらっとスレと認定
713無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 20:53
宿題おっぽり出して三国志正史スレに逃げるぷらっと。
煽ろうと思ってきたら先客がいた。
コイツを見ててキモくなった。12時間もかけて必死に粘着。
ぷらっとは逃げたんだったら他で探せばいいのに。
715713:03/10/15 09:39
ご本人ですか?ちなみに>>711-712とは別人だよ。
他の住民には迷惑です。私は714ではありませんが、age荒らしはお断り。
叩きあいは他所でやっていただけませんか。
717無名武将@お腹せっぷく:03/10/15 15:15
ageそのものを荒らしにしたいなら自治スレで提案すべき。
717は日本語が読めないようです
他スレで何をしてようがどうでもいい。スレ違いだ。オレモナー
十八史略を読んでこの時代に興味を持ったわけだが、
まず何から手をつけるのがお薦めかね。伍子胥とか屈原とかが好き。
歴史書なら
『史記』、『春秋左氏伝』、『戦国策』、『国語』
小説なら
海音寺潮五郎『中国英傑伝』(下)、陳舜臣『小説十八史略』(一)、
安能務『春秋戦国志』(上)(中)(下)、および宮城谷昌光の各著作
スレッドなら
このスレと>>521で挙げているスレ
ぐらいでどうでしょう。
722無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 23:49
とりあえず、安能とか宮城谷は話半分で読むこと
723 ◆2011TWOdso :03/10/20 00:47
このスレ、書き込むのは今日で最後にします。
バカな粘着連れてきてしまったみたいで。ホントごめんなさい。

「宿題」ですが、郤穀・郤溱は郤称、あるいは郤乞の子という推論は見出したものの
確証までには至る史料がわかりませんでした。ではまた、どこかで。
724無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 01:04
孫子、呉子の兵法 数々のことわざ 素晴らしき時代ではないが、人が育つ時代
中国任侠伝もおすすめ。
726無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 03:11
727無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 11:33
>>725
禿同。戦国四君の話とか面白い罠。
保守
729無名武将@お腹せっぷく:03/11/01 09:16
ほしゅ
>>727
なぜそれが罠!?
史記はともかく、戦国策や春秋左伝の全訳は新刊・古本を共に手に入りにくいよね。
>>731
そう思うよ。
だから自分はそういった全訳モノは一括で通販してる。
探し回るより確実だしね。
戦国策の全訳なら、最近平凡社東洋文庫のヤツがオンデマンド版で再販されたよ。
3,400円×3冊
さげ
735無名武将@お腹せっぷく:03/11/15 23:47
楽毅読み終わった記念age
管仲と並ぶ才を持ちながら主に恵まれなかった感があるなぁ
久しぶりage
ヤングジャンプの増刊号?に秦の始皇帝と李信の話が出てたけど、
李信って、兵20万で楚を攻略できるって言って結局負けた人だったよな?
李信・・・
李広の先祖だな。
738無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 23:35
で、爺が大活躍

爺はワザト欲深く振舞って始皇帝を安心させてよね。
ちょっと司馬懿と被る気がする・・・
>>738
司馬懿が王翦に習ったんだろ?
しかし、司馬懿の野望は本物だった
王翦のじーさまが楚を破って、めでたしめでたしと。
で、李信って他に何をしたんですか?
あげ
742無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 00:03
>>740
その後も遠征に勤しんだ。
>>740
李信は六国討滅における功臣のひとりながら、史料にみえる詳細な
記述に乏しい人物。
若手の将軍だったらしく、王翦ほどの老練さはないのだろう。

20万でよし、と豪語した、楚への侵攻戦には蒙恬とともに赴いてる。
他の戦歴では、趙の北方を攻略し、燕の討伐では、国都を脱した後の
燕王を追撃し、窮地に追い込んでる。
斉の平定にも参戦していたはず。

漢代に活躍した李広の先祖というから、出身は隴西と思われ。
蒙恬や王賁などは平定後も史料に名がみえるのに対し、李信は全く
といっていいほどみあたらないのが疑問ではある。
平定後は隴西へ帰ったのか、若くして歿したのか、定かでないけど。



>>743
王翦の引き立て役ぐらいかと思いきや、すごい将軍だったんですね。
勉強になりました。ありがとうございます。
745無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 00:05
>>744
息子の王賁が言った説もあるよね<20万
それと、王翦や王賁って何時頃死んだんだろ?始皇帝在任中ってのは解るけど。
>>745
李信のついでで、王賁についても調べてみた。
王翦は、楚遠征に際して具申した必要兵力を始皇帝(秦王・政)に
退けられた際に一度は引退している以上、少なくとも70歳前後の
老齢だったと考えるのが妥当。
統一後は程なく歿したと考えていいのでない?

王賁の名が史料でみえる最後の年は、秦王・政の28年(前219年)。
この時期、王賁ばかりか子の王離も列侯である事がわかっていて、
秦の王氏に対する厚遇ぶりがうかがえる。
で、やはり王翦と同様に、王賁の歿年も定かではないのだけれど、
それから4年後の秦王・政の32年(前215年)に、蒙恬が匈奴に備え
るために北方へ進駐しているのだが、当時の秦の将領の序列から
考えれば、蒙恬よりも王賁が派遣されてもよさそうなのにそうでない
ことから考えても、王賁はこの年までには歿していたと推測しても
いいのではないかと思う。
王翦の年齢から推測すれば、王離はまだまだ若手に分類される
だろうし。
……にしても、統一以前からそうだけど、秦の将軍連に関する記述
が少ないのには困る。
統一してしまえばもう用済み、って感じ…。  長くてすいません。
書き忘れた……。

『史記』の「白起・王翦列伝」のなかに、二世皇帝の時代には既に
歿していた、というような記述があります。   以上です。
748無名武将@お腹せっぷく:03/11/22 20:48
王離って悲惨だよね。
「項羽に負けたのも必然だ」って感じで書かれている。
その理由が、先祖が人を殺し過ぎた為って、、、、

そう言えば白起の子孫って如何したんだろ?
白起の子孫は皆殺しになったことになってるけど。
伝説では、「殿」という名前の子供が逃がされて、洛陽で成長したとかなんとか。
で、斉の田氏に滅ぼされた王家の子孫が落ちぶれててその姫と結ばれて呂殿と名乗った。
【国際】秦の始皇帝陵の地下約30メートルに巨大な地下宮殿を確認
ttp://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1070021288/
保守。
【国際】始皇帝の「阿房宮」は炎上せず、発掘調査で判明
ttp://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1070774784/

保守
753無名武将@お腹せっぷく:03/12/14 03:53
保守
754無名武将@お腹せっぷく:03/12/20 12:12

各地の王の子孫で後世活躍した人っているの?
始皇帝に全員殺されたの?
         
楚王の子孫は一人項羽に殺されたなw
趙の末孫、韓の末孫はどうなったっけ?
秦の滅亡に一役買った宦官の趙高は、趙の末裔だった。
後世の伝説なのでただの説話かも知れないが。

韓の末裔には、韓王信や張良などがいるでそ。
758無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 10:25
結局有名人はなしか・・・
        
漢の宰相、ショウカの子孫は皇帝になったよね、、、話ずれまくりだけど
              
>>758
>漢の宰相、ショウカの子孫は皇帝になったよね、、、話ずれまくりだけど
自称じゃないの?
信憑性ゼロだからな、あの記述は。
761無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 11:44
劉備が漢皇帝の末裔ってのと同じくらいじゃないの? 根拠ないけど
>757
趙も遺児を担いでいなかったっけ?
>>761
劉備の方が幾分マシ
>>763
五十歩百歩だろ
>>764
じゃあ五十歩の方が劉備ってことで。
実は劉備は五百歩くらい。
逃げ足なら劉邦の右に出る者は居まい。
いつもおとずれる書店で、今日、この時代に関する本を熱心に読んでる
リア工らしき香具師がいたなぁ……。
どうも、いまどきの若い香具師は本なんぞ読まん、って意識が強いせいか、
なんともいえん感じがしてしまったよ。
769無名武将@お腹せっぷく:03/12/26 16:49
宮城谷昌光の「孟夏の太陽」って本を読んだ。
戦国時代の晋の大臣趙家の苦難の歴史の話だけど、おもしろかったよ。
晋王が韓魏趙の三卿に逆に頭を下げざるを得なくなった経緯がもっと
知りたいんですけど、そんなサイトないですか?
               
晋王って部分が三戦板っぽいわけ?
771ゴッツ兵部少輔 ◆Kolo3JtXO6 :03/12/27 00:08
秀頼に臣従していた家康の数年での変貌ぶりに比べると
長いよな  立場の逆転までの時間
                        
状況が違いすぎて比べられんだろ

始皇帝氏のヴァカ発見!
>>769
何故すなおに史書を読もうと思わないのだ?
775無名武将@お腹せっぷく:03/12/28 14:29
おもしろいサイトはないかと聞いてるんでないの?
 
776無名武将@お腹せっぷく:03/12/28 16:08
777無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 00:03
趙の末期に長平の戦いだったか、40万人が穴埋めで秦に殺されたけど
あれって実際は数万人?
 
778無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 17:49
うそうそ
 
779無名武将@お腹せっぷく:04/01/01 02:10
まぁ、なんだ
あけましておめでとう
>>777
そうともいいきれない。

当地から、戦役当時の骨が相当量発掘されていて、そこまで過小では
ないはずだよ。
秦の斬首数が誇張であるとしても、当時、ゆいいつ秦に対抗しえた趙が
数万の損害であそこまで衰微するとは思えない。
史料にも、「壮丁悉く尽く」、というような記述があるから、壮年期の国民の
大部分が失われたとしても不思議ではないのかもしれない。
>780
数万人は過小かな?
相当な数だと思うんだが・・・
782無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 00:11
どーでもいいけど、魏の領土のなかに、韓の領土が細長く
くいこんでるじゃん あれ気にならないのかなぁ
守りづらくね?
 
>>782
地図で表されるのは便宜上仕方がないが、人口が少ないうえに広大な領土がある。
地図には支配下にあった城と、その影響下にあった勢力圏をもとに線が引いてあるだけで、
食い込んでるという感覚はなかったと思われ。
784無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 12:03
晋王の子孫はどーなったの?
    
785無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 13:02
三晋に臣従を迫られたあげく横死・・だっけ
 
ほとんどの君主の末路が一族皆殺しだったりするのに
晋公と魯公は珍しく身分剥奪されて庶民に落とされただけ。その方が幸せだったりして。
>>783
そんなことはないでそ
秦と韓は領土が入り組んでいて守りにくいから併合しよう
と張儀がいってなかったかな?
韓の領土から上党をとるだけで、韓と魏の形はかなりシンプルになるような。
吉川弘文館の地図だと上党は細長いが、中国の地図だともっと大きくて
瓢箪みたいにくびれた形になっている。
魏ははじめhのような形だったが秦に河西の地をとられてΩな形に。
その西の翼の中の南よりに晋(コウと曲沃)。
韓はgまたは8の形。くびれたところに東西両周。
790無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:35
>晋公と魯公は珍しく身分剥奪されて庶民に落とされただけ。

勤皇の士はいなかったの?
その後、子孫で歴史に名を残した人はいないの??

                  
知伯には勤皇(かなり違う)の士がいたのにな。
792無名武将@お腹せっぷく :04/01/04 21:08
食客だった予譲のこと? 
戦国時代の概念でいうと、たぶん領土は点と線って意識の方が濃厚
なんじゃないかと思えてくる。
特に韓・魏の支配領域はあまりに流動的で、秦との間で争奪ないし返還
を繰り返していて一枚の地図では表示できないほどに暫定的な感じ。
>>782の疑問は自分も当初は感じたけどね。

韓の領土といえば、黄河を挟むかたちで南北に展開していて、他国の
侵攻に対して守りにくかったんではないかという気がしてくる。
魏領へ半島状に突き出ている地域は上党だけど、ここは韓にとっての
生命線といえる地で、結局、秦も軍事力で接収したのは戦国時代も終盤に
なってから。
韓にはもうひとつ、史料では”県にして郡に相当”という規模をもつ、宜陽
という副都的な地もあったけど、これは前307年というわりとはやい時期に
秦に陥とされてる。
一説には、韓は各都市の独立性が高くて、それで侵攻に対しての脆さに
つながったんではないかって聞いたよ。  真相は知らんけど……
794無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 10:24
三晋の都市は独立性が強い、というイメージは正しそうだ。六軍を編成出来る
人口があったくらいだし、各都市の規模も大きかったのではのでは?
まぁ春秋から西晋までの中国は領土観念よりも都市の連結体って感じでそ
むろん領土意識もあったろうけどあくまで都市が先でそれに附随する周囲の土地ということで
領土が先で後からその中に都市があるという感覚とは違うんかないかな?
796無名武将@お腹せっぷく:04/01/08 00:17
>>793
宜陽が元の首都では?
>>796
韓は韓原、州、平陽と本拠を遷しているけど、宜陽を本拠にしては
いないと思われ。
ただし戦略上でも重要な地であるのは間違いなく、秦にとっては
(周を云々を抜きにしても)東進するに際して垂涎の地であったのも事実。
ところで、陳舜臣・宮城谷・安能務のほかに、春秋戦国ネタで
面白い小説書いてる人を教えてくれい。
宮城谷の介子推、なんだか話がきれいすぎてイマイチだったぽ。

どうでもいいことだが、安能務の決めぜりふは「昏君(フンチュン)!」だと思う。
俺は「よし、殺す!」の方が好きだな。
とにかく食糧が得られるかどうかが一番重要だったと思うよ。
略奪して本拠地に退却、とみたいなのが何度も繰り返されていて戦争の数の割に領土はあまり変わっていない。
変わるのは中国人お決まりの内乱絡みがほとんど。
そういう意味で領土観念が一番はっきりしていた秦が最後に統一できたのは必然だったんじゃないかと思う。
この時代はあと人口が三国時代よりずっと多かったらしいね。
801無名武将@お腹せっぷく:04/01/10 22:17
王様のスポーツだったんでしょ
戦争が
 
領土はかわってるでそ、どの年代で地図かくかで国境線かなり変わるんじゃないの?
>この時代はあと人口が三国時代よりずっと多かったらしいね。
ソースキボンヌ
戦国時代はよく知らんけど、
三国時代の統計は突っ込みの余地が多いようだし。
804無名武将@お腹せっぷく:04/01/11 11:26
王様のスポーツがいつの間にか総力戦になってしまった
 
805無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 21:11
>>798
宮城谷氏は高潔な貴族(大夫・士)を書いて筆の冴える人だから、戦国
以降の人物はもう一つだね。ご本人も、商革央や呉起みたいな人物は
お嫌いではないか?
遊説家の類を魅力的に書くことのできる作家っていないかなぁ・・・
807無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 23:45

呉や越が突然建国されるのって不思議でないかい?

せめて弱小国のままだったらまだ理解出来るが、すぐに大国になるし・・・

              
いきなり何ですか?
809無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 13:53
>>807
国自体はそれまでにもあったが、中華の埒外だったというだけのことだよ。
楚だって本当の建国は何時だったか分からない。
呉や越より中山の方が不思議。
中山きんにくん


えーと、春秋で姫氏じゃない国ってどこだっけか。楚と秦だけ?
斉とか宋とか陳とか杞とかいくらでもあるやん。
>>810
中山は鮮虞が周に姫姓を賜っただけの異民族だね。
中山…中山…中山か…

会稽チーフはゆ〜うつ
なんちゃって
>>814ちゃん
呉でそれを言っていいのは3歳までよ
>>814
ちなみに楚では生後7日までや
おまいら最高ですw
でも、4コマスレにカエレ!
>>813
中山の武公は周の定王の孫だよ。だから姫姓なの。
819無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 11:26
姫姓の有名人って
その後の中国の歴史に登場したっけ?
 
本家の姫姓は聞かないが、韓氏や魏氏みたいに
もとを辿れば周王室です、って人はいるかもね。
姓が魯とか虞とかの人物は可能性ありそう。
821太史公 ◆NRtIkON8C2 :04/01/18 12:58
有名人ではないが、前漢武帝以降代々周の末裔(姫氏)が封建されている。
周の子南君
823無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 21:23
まぁ日本でも源さん、あんまり活躍してねーもんなぁ
水泳の選手でいたけど
 
824813:04/01/19 02:10
召公や畢公が文王の子でなく異民族への奉献 
>>824
意味がわからん
初出で失礼だが、何だかこのスレの人って歴史小説の影響から抜けきってないような。
宮城谷小説は研究もしてあるし読み物としては面白いが、面白いだけにあれにはまると歴史の流れや人物像を見そこなう。
演義ものでいえば3年ほど前に物故された安能努氏の作品が秀逸。
戦国期以降の正統史観が入っているほうがいいのか、それらを脱却させたほうがいいのかは難しいだろうけど、
君主の号とか逸周書とかに囚われすぎるのもどうかと。

漏れの個人的な疑問として、かつて宮城谷氏もどこかで言及をしていたのだが、
竹書紀年が研究機関以外では見ることができない。
たしかに竹書紀年が消失して復元されたとか偽書が出たとかの歴史上の経緯は聞いたことがあるが、
研究本すら一般に出回らないのはどうしてだろうか。
>>819
たとえば張良は韓の王室の出。
韓の一族は楚漢時代の韓王信やそのひ孫で漢武帝のホモ仲間の韓エンとかがいる。
>>820
ほかに考えられるのは蔡さんとか。
春秋戦国史を語るのに欠落しがちな観点・論点など
○天然資源とその産地、とくに木材とか塩とか
○地味な改革(例えば晋の恵公の改革とか)
○天文学、暦
○地政学
○商工業
○城郭
829813=824:04/01/19 11:58
>>818
召公や畢公は文王の子ではなく異民族への封建・同族扱いとして同姓になったのだという説がある。
中山のような二字国名が疑われやすいことは分かっていただきたい。レス失敗失礼。
召公が姫姓というのは司馬遷以前に起こった誤写で実は[女吉]姓だったらしいね。
でも異姓の諸侯を兄弟扱いしたというだけで、異民族かどうかまではなんともいえないのでは。
中山は疑うもなにも、公室を周からもらいうけただけで、国自体は白狄だったか赤狄だったかでそ。

畢公の話はよく知らないので詳しくキボンヌ。
>>830
南燕の姓は「女吉」だからね(春秋左氏伝)。
「異民族」という言葉にこだわっているようだけど、始皇帝の統一までは
異民族という捉え方で間違いないんじゃないの?
中山をそういうふうに捉えるなら衛だって商民族の国だね。
>>829
畢は、確か文王の墓という周室にとっては重要な意味があるところだから、
それはないんじゃない?
礼によれば「神は非類を受けず、民は非属を祀らず(ゴメン漢字はうろ覚え)」
のはずだから。
異姓だと異民族ってこと?
>>832
それに近い感覚じゃないかな。だから、商の時代には祭儀で殺すための
奴隷狩りをしたが、犠牲者は姜(漢字出てこん)族が多かった。
↑「羌」でそ
保守
836平氏の裔:04/02/01 18:28
平勢さんの春秋と左伝の反論のような著作は研究論文でなく市販のものがありますか。
こおろぎがいたらなぁ・・・
>>836
このスレの上のほうで現れた荒らしコテが持ってる本はたぶんそれ。
839無名武将@お腹せっぷく:04/02/02 00:16

この時代のゲームだったら、項劉記か三国志でシナリオ作れそうだけどね。
>839
同じだとつまらん。
他国との駆け引きに重点を置いてもらわんとらしくない。
三国志のシステムそのままでもなあ、、
「食客」とか「盟」とかないと物足りない。
あと、フツーの国は戦車と歩兵だけだけど
趙だけは騎兵が使えたりね。
やっぱ兄弟が一番の敵じゃないとね
遊説家が大活躍して合従・連衡のバランスで
数百年は統一できないようなシステムがいいな。

今の光栄システムじゃせいぜい数十年で終わっちゃうでしょ。
城邑の数をかなり増やさないといけないだろう。

この時代の国境は流動的・暫定的で頻繁に変わるし、いちどの侵攻で
十数から果ては数十もの城砦の奪い合いになる。
戦争に際しての領土の割譲による停戦交渉とか、外交上での城邑の
交換とか、このあたりが再現できないと、数回の戦争で一国が安易に
滅亡してしまう事になりかねない。
秦=アメリカ
楚=ロシア
斉=ドイツ
趙=フランス
魏=イタリア
韓=教皇領
燕=スウェーデン
日本=イギリス
朝鮮=オランダ

>>845
いまだにやってるやつも珍しいな。正直つまらんよ。
>>845
なにかのギャグ???
>>841他の方々
覇者になれたら、滅亡してしまった小国をもう一度「存亡」で再興させたり
内乱中の他国に介入して「継絶」で影響力を扶植できるとかいうルールもあり?
「衰えたるを興さしめ、絶えたるを嗣がしめる」のは
覇者として最高の美徳。
これで小国をじゃんじゃん復興させて、
殷湯・周文にもまさる名君として、賢者から庶民まで
天下のすべてから絶賛されたい。
そうなったら周王朝もしかたなく漏れに天子の位を禅譲せざる得なくなるけど、
あえて謙遜して三三九度までお断り。
で、ますます名声があがる、と。
850849:04/02/02 22:58
そこで一気に御乱心ですよ。名声値がたまってるから
国中の子供の生き肝食って酒池肉林、天下の賢人も周王朝も皆殺しにしても
なかなか名声がゼロにいかないw
>>848
実際問題、ゲーム上でのメリットがないだろな。
国取りゲームの枠の中では
滅ぼして直轄領にした方がましって話になっちゃう。

いっそ当時の迷信を再現して
国を滅ぼして祭祀を絶やしてしまうとタタリが起こるようにしたら
大変リアルになると思うわけだがw
みんないろいろお笑いネタ(失礼!)を書いてくれてるけど、
これって、一つ一つが春秋時代と三国志の時代との戦争の
やり方とか時代全体の雰囲気の違いみたいなものを感じ
させてくれるYO。
>>851
国を滅ぼさなかったのはそういう理由があったの?
>>853
春秋左氏伝で子産もそんなこと言ってるよ。「国」ではなくて「家」だけどね。
「社」と「稷」。
これが国と家の宗教的求心力であったわけだ。
なにも武力統一だけがゲームの常道ではありませんが?
威信での統一や覇権の掌握で終了するシステムでも問題ないんじゃない?
ごめん、>>856>>851へのレスです。
実際、のぶやぼでも威信統一ってのはあった支那。
でも851のいうタタリは秀逸だと思う。ぜひコーエー(でなくてもいいが)
に実現してもらいたいw

>>855
「宗廟」と「社稷」ですな。
君主の血筋が絶えて「宗廟」を祀ることができないのが「亡」、
領地面積がゼロで「社稷」を祭ることができないのが「滅」だっけ?
「社稷」は新しい支配者が祭ればいいからタタリはないよね?
敵の君主は小国を与えて「宗廟」の祭祀を続けさせる必要あるけど。
>>856
そこで思想の統一ですよ
全国に儒教を広めたら勝ち
説得はスペースキーの連打
公孫竜とかで全国の思想を統一してみたい
イデオロギーゲームですか?
しかしさぁ、登場人物は何人になるんだ?
>>862
中国人
↑最初見たとき微妙に面白かったが
書き込み時間よく見たら自演か…
つまーんなーい
865無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 18:32
五胡十六国時代なんかも
春秋戦国なみに話題になってもいいのにねぇ
 
禿同
資料が多い分南北朝のほうがゲームにはしやすいだろうね
南北朝だと群雄割拠っぽくないのが難点だけど、
文化のちがいとか両陣営の有利不利な点など差異を際立たせておいて
三国志7や8みたいな個人プレー可能にすればかなり深いゲームに
なるかも知れないと思う。
ゲームとしての料理の仕方は難しいかも
六朝の史料は多いけど、
隠者の言行にばっかりむやみに詳しいしね。
みんなで隠者になるゲーム。
プレイヤーは有名な知者。
しかし、現在は現実の世界に愛想を尽かし片田舎で隠棲。
そこへ、プレイヤーたる知者の噂を聞きつけた諸国の使いが、
召抱えたいという話を持ってやってくる。
使者達は破格の待遇を提示してくる。
プレイヤーはどんな待遇を示されても飽くまでこれを固辞しなければならない。
中には仕官の申し出を断ると暗殺をしようとする王や宰相もいるので、
そういった事態もプレイヤーの弁舌で切り抜けなければならない。
この時代の中国のこと知れば知るほど中国人のアホ臭さに笑い、日本人の義理堅さ、欲の少なさに誇りを持つ。
>>870
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
>>871
やめてやれって。先人たちの屍の上に現在の平和があることを知らず、
水と安全はタダだと思い込み、「米が無ければ肉を食えばいい」と嘯く
厨房を非難しても仕方なかろう。
愚者程人にケチを付けたがる。
洋の東西を問わないようですよゲーテさん。
これ以降、日本人は>>870が出たことを恥とした。
875870:04/02/10 22:52
いや、本気でそう思ってんだけど。
中国ってこの時代に限らず親子や家臣同士の争い、酒と女、宦官・・・人間の悪いところのオンパレードじゃん。
春秋戦国時代だから日本と比べられないのかもしれないが、チンギスハーンや日中戦争の時代の中国も酷かったし。
日本の平氏や幕府ってそれに比べたらずっとマシだったじゃないか?
別に中国の肩を持つ気などないが
この手のバカ右翼が
見境なしに周辺国の悪口言ってるの見るとクズだなと思う。
他国をさげすむ事でしか持てない「日本人の誇り」ってなんだよ。
875がもし出典付きで具体例をならべることができたなら
それはそれで、ひとつの考えとして認めてやってもいいけどな。
>>875
>中国ってこの時代に限らず親子や家臣同士の争い、酒と女、宦官・・・人間の悪いところのオンパレードじゃん。
日本には宦官は定着しなかったけれど…にしても…
「馬鹿は火事よりも恐ろしい」という
立川談志の格言は正しいのだなあ…と実感
875を右翼とは思わないけど、、、↓は信長関連だけで大分カバーしてるよ
>親子や家臣同士の争い、酒と女、宦官・・・

そんなことより、呂不韋が太后の気をロウアイに引かせる為に、
「チンポにに桐で作った輪を着けて歩かせた」って正直に書いてある史記は凄いと思う
寵姫が生理休暇だったので侍女が代わりを務めた、とかね
というか俺の場合、史記読んだ感想は人間て大昔から
大して進歩してねーなあ、だった。
自然科学は別として。
>>881に概ね同意。

葬儀の仕事が欲しいが為に
人殺しちゃうようなヤツが出ちゃう国だよ?日本は。
食料が無くて子供を交換して飢えをしのいだ、
なんて記述も史書にはあるだろうけど、
子供が泣き止まなくて殴り殺しただとか、ただ気に食わないってだけで
虐待しちゃうって事件がボコボコでちゃうような時代だよ?
大昔にも似たような事件はあったかもしれないけど、
あったらあったで、人間として進歩してない証拠でしょ。

無かったら無かったで、精神的には退化してるのかもね。
>>875
「中国の歴史」が、歴代王朝の史書に書かれたことをもとにして小説なんかに
されて語られることが多いから、そういうイメージを持たれるのでは?
「史記」以来、史書は、誰が何をしたのかという、個人の活躍やまつわる事件
などを生き生きと描いてきているから、親子の争いや酒・女、権謀術数、野望と
挫折といった、人間臭い、ある意味「ぎらぎらした部分」が印象に強く残るの
だと思う。
それが面白いところなのかも。
>>875
自分にとっては、江戸期の幕政なんか世界に対して恥じ以外の
なんでもないと思うけどな。無論、近世も然りだが。
現代も最悪なのは変わらんと思うけど。
885無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 11:34
いいところをひとつも上げずに文句ばかり言う庶民
 
秦厨、晋厨、魏厨、呉厨、楚厨、趙厨、斉厨、燕厨、越t(ry
魯厨が一番危険だな
>>884
自己完結性はおおいに評価してやっていいと思う。
藩政はともかく幕政、直轄地の統治はかなりうまくやれていたと思うんだけど。
いちいち厨つけるやつのレベルって低そうだな。哀れでみてられん。
886は「越中」と"かけた"だけじゃないのか?
チンコ車は「ホントかよ?」って思っちゃうけどな。
俺も出来るよっ!
風車サイズだけど…
893農耕牛 ◆Y7ctWdcox2 :04/02/13 06:43
>>892
「かざぐるま」?
「ふうしゃ」?

後者だったら、あなたは世界最強
>>893
だけど…と言っているので前者かと。
ちょいと教えておくれでないかい。
伍子胥について調べたいんだが、史記以外に彼のことを詳しく
記してる書物があれば教えて頂戴。
>>895
『春秋左氏伝』、『呉越春秋』、『国語-「呉語」』、『呂氏春秋』。
『戦国策』にも若干の記述があるし、『越絶書』にもあるかもしれない。
>>896
回答さんくす。
ついでながら、呉にいたる前の経緯について詳しいものとなるとどれになるんでしょ。
>>897
それなら、『春秋左氏伝』にならないか?
それはそうと、伍子胥を調べてるのは何ゆえ?
>>898
さんくす。
なに、彼のキャラが気に入ったんで、いずれ小説でも書いてみようかなと思ったもんで。
脚色してあることないこと書くとはいえ、前提となる知識は持っておくべきだろうと。
>>899
以下、悉知であったら非常にすまないけど…

小説を書くのなら、せめて伍子胥の祖父である伍挙の時代から
調べておいた方がいいと思う。
伍氏は楚の荘王の時代、荘王によって伍挙が重用されてから
栄えだした家柄だし、伍挙じたいが楚の名臣のひとりでしかも
おそろしく長寿。

それに、楚が晋の抗争から呉との戦いへと方向性をかえていった
経緯とか、重要だと思うよ。
だから呉越の抗争の発端には、かつては楚の名臣で、晋へ亡命
した屈巫の子・屈狐庸も重要だろうね。
彼によって、呉は戦車を取り入れた用兵を習熟していったといわれてるし。
>>900
助言さんくす。
史記はひととおり読んだんで、そのへんもざっくりとは知ってるんだけど、
詳細となると史記はいまいちツッコミ不足なんだよねぇ。
なんせ中国古典に関しては素人もいいとこなんで、初心者でも読みやすい
本があれば教えてほしいっす。
>>901
そゆことなら、宮城谷は読まないでおくことを薦めるかな。
別にアンチじゃないけど
あれはあれで史実と主観を織り交ぜた世界ができちゃってるから。
一度漬かっちゃうと、宮城谷史観でしか見れなくなっちゃう。
小説書くには不便だと思うよ。
ま、それだけリアリティのある世界を創ってるってことなんだが
むしろ小説書くなら読んでおくべきだとは思うけど>宮城谷

最低でも「史記」「左伝」を脇において、史実をどう小説的に脚色しているのか確認しつつ
読んでいくのは良い勉強になると思うな。

まあ「最初に読むな」ってことやね。
伴野朗が伍子胥を主人公に、
タイトルもそのものずばり「伍子胥」って本出してるね。
本屋で見かけたけど読んでない。
>>904
つうか、どれほど酷いか怖くて開けない。

藺相如・廉頗を主人公にした『邯鄲盛衰』なんてのもだしてるが、
これもすばらしひトンデモでありました…アリマシタ……アリマシタ………
>>905
読んだのか!勇者!
伴野についてはこのスレで存分に語ってくれ。
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1064240294/
>>905
君はケイカ以上の刺客になりうる素質があるようだ。
神田の原書店という古本屋で史記全部で2千円で売ってたぞ。
表はなかったみたいだが。筑摩のと同じ訳者だった。
>>909
おおぉ 普通の2冊分以下の値段だ
知るのが一歩遅かった・・・
>>909
列伝・世家合わせて?
それならアホな安さ。
と言うか有り得ない安さだと思うんだけど。
913無名武将@お腹せっぷく:04/02/21 01:10
「宗廟」と「社稷」って、具体的には廟をどっかに作るんですか?
皇宮の中とかに
「宗廟」は作るようだね。戦国策の中で孟嘗君に作るよう説くシーンがあるから。
皇宮の中じゃないよ。君主の住まいを中心にして、
東に宗廟を、西に社稷を建てて祀る。南は朝廷(ひろば)。
北には・・・なんだったか忘れた。
>>915
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~china/
↑の「語句」では北に社稷、南に躁病になってるな。


ttp://anaxx.hp.infoseek.co.jp/arc/12/z2.htm
↑はなんだかオタっぽいサイトみたいだが図があったので参考までに

「社稷」「宗廟」で検索してみたのだが中国よりも朝鮮半島の歴史に関するページが数多くあたった。
なんでだろ〜
>>916
いや…さすがに、十二国記の世界設定をソースにするのは勘弁。
918915:04/02/22 01:21
915の話はあくまで春秋時代限定なので、
夏殷周、秦漢、隋唐、明清、朝鮮半島などでどうなってるかは知りませんよ
たぶんあんまり変わらないのでは、とは思うが。
919918:04/02/22 01:28
>>916
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~china/
>↑の「語句」では北に社稷、南に躁病になってるな。

それはあくまで「起源」の話で、建設する場所のことじゃないよ。

そのホムペから引用すると
>社稷(シャショク)
>土地の神と五穀の神。転じて国家を意味します。
>古代中国では、宮殿の右に社稷を、左に宗廟を祭りました。両者とも国を
>治めるために欠かすことができないものと考えられており、宗廟は北方、
>社稷は南方で生まれたとされます。 四角の壇をつくって、そこに木を植え
>ていたと考えられています。

宮殿は南向きで、西に社稷、左に宗廟を建てていたって意味だろ?
合ってるじゃん。
>>919
ムキになんなよ
方角なんてこの際どーでもいいです
中国古代を語っていて、方角はどうでもいいときたか。
釣りであることを祈りたいな……。
まちがいの訂正に対して
「ムキになるな」の「どーでもいい」のって

・・・・反抗期のリア厨かよ・・・・
んで、
北には何があるのか
全く解決してないのねw
今度は藻前が調べてやれば?
北には天子がいて南面しているとゆーことなのでは。
ところで、博学なおまいらに質問なんだが、介子推とか伍子胥とかの「子」は敬称?
それともほんとの名前?
宮城谷は介子推の子は敬称だと小説で書いてたけど、実のところどうなん?
史記の記述にも、伍子胥が伍胥になってる部分があるし。はっきりしてくれ。
>>926
基本的に、介子、孫子、孔子、というように、氏姓をかぶせる場合は敬称と
考えていいんではない?

伍子胥の「子」の場合は字。
子南、とか、子貢とか、聞き覚えのある字が多いから、理解しやすいと思う。

それから別にもうひとつ、五爵(公侯伯子男)に則っている場合もある。
いちばんわかりやすいのは、楚子、っていう呼称ではないかな。
これは主に『春秋』にみられる表記であるから、上記ふたつとは別物とは
おもうけど。
>926
ちなみに伍子胥の名前は員(ウン)です。
私は>926氏ではないですが、便乗質問させてもらいます。
秦王稷って「昭襄王」なの?「昭王」なの?どっちですか?

うん知ってる
931無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 11:26
正式には「昭襄王」が正しい。「昭王」は略称みたいなものと考えれば良いかと。
諡号は周代には1文字が基本だったが、戦国時代から2文字の諡号が使われ始めた。
しかし、その後も史書なんかでは慣習的に1文字で記述することが多かったため
混乱が生じている。司馬遷も、斉国の「威宣王」が史料に「威王」や「宣王」と記述されていたので
混乱して別人と見なし、在位年数をダブルカウントしてしまったというミスを犯している。

ちなみに司馬遷の同時代人である「武帝」も、正しくは「孝武帝」なのだが
史書では「武帝」ばかり使われているのであまり知られていない。
「孝」は「父なるもの」の意味の敬称じゃないの?
>>932
「あなたは親孝行でしたねぇ」というような意味。
934無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 11:47
どっちにしても武帝の正式な諡号は「孝武」だよ。敬称的な意味が強いから
「孝」は省かれて書かれることが多かった、とも考えられるが。

諡号は時代が下るにつれて敬称だの美称だのがどんどんくっついて
ジュゲムジュゲム・・・みたいに長くなったため
(宋代には神聖○○○○○○○○皇帝、と十文字以上になった)
唐以降は廟号で呼ぶようになったとのこと。(○祖、○宗とか)
>>934
漢の皇帝の「孝」は劉邦以外全員に付くから、省略しても問題ないので。
威宣王っつってんのヒラセだけじゃねーの?
>>934
清までいくと洒落なくらい長いですな。
清史稿読まされたときに思いました。
938無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 17:12
伴野朗が死にましたね。どうでも良いか。
>>937
承天廣運聖コ神功肇紀立極仁孝睿武端毅欽安弘文定業高皇帝

でイイでつか?
>>939
ヌルハチはそんな感じだったと思う。
調べるのも面倒だったんで、ご苦労様です。
そういえば伴野が、呉三国志の何巻かに「漢に孝武帝という皇帝はいないが、おそらく武帝のことだろう」
なんてすっとぼけたこと書いてたな。・・・今はもう何もかもが懐かしい・・・
>941
武帝じゃなくて光武帝と間違えたんじゃなかったっけ?
全然関係ないけど、太公望呂尚のことを、
『姓は太公、名は望』と書いてた小説なかったっけ?
羌姓の呂氏が正しいんじゃなかった?
古代は「姓」と「氏」が別々なのがめんどいですな
>>943
宮城谷だと思われ。
痛恨のミスだったな
痛恨って・・・痛恨かぁ?

ドキュンがばれただけじゃネーノ
「羌姓・呂氏」はいいとして太公・望・尚は何?イミナ?アザナ?
宮城谷は呂望っつってたよ。呂はもともと甫だとか言ってた。
・そもそも「姜」姓、過去に祖先が呂の地に封じられたので、「呂」を取って氏とした。
・「尚」は名。
・「太公望」とは、周の文王が呂尚と渭水の北で出会った際に、「太公(文王の祖父・古公
亶父)が待ち望んだ聖人である」として与えた称号。        ~~~~
        ~~
>>946
いや、別の著者。
>>943を書いたのは宮城谷氏というのが定説として語られているけど本当の
ところを知りたい。作品を探しまくったけど結局それらしいものはなかったし。
誰のなんて作品かが判明すれば>>947のようないい加減なこと言うアフォも
出てこないわけだし。
>>952
宮城谷説は>>950だったはず。
漏れもそう考えてはいるのですが、
呂尚自身が「太公」と呼ばれたことに一抹ならぬ疑問を感じたりして…
諡号としての太公に名の望を連ねた呼び方
呂望説には違和感があるんだよなぁ。
太公も望も尚も
すべて役職もしくは役職から転じた通称で
本名は不詳。
たしか「王家の風日」で、「太公望は姜姓なので姜望とすべきであろう」と
書いていたと思ったが。「太公望」では950にしてるけど。
「べきであろう」って・・・・
実際そうなってないのだから出発点にまちがいがある
んだって思わないのかな宮城谷は
宮城谷は突然おかしなこと言い出すことがあるよな。

三国志でも「合肥侯は劉氏ではない」とか言ってたし
2chで言えば、知識が足りないのに知識コテを目指しているヤツみたいな感じだな。
>>959
まぁ、そういう勘違いは誰でもするモノだから仕方ないと思う。
「周公旦」、「召公セキ」なら「太公望」は… というのが元々のイメージだと思うんだけど。

ちなみに、「呂望」説は史記斉世家註などが大本らしいね。
963959:04/03/03 03:32
姜望という用例が実際なかったとしても、それはたまたまであって
姜望(姓+名)でも別にまちがいではないと思うんだが。
なんで「すべきであろう」なんて強調するのかがわからない。
呂望(氏+名)だったら何か問題でもあるのかよ?宮城谷さんよ?

・・・・といいたかったんです。すまそ、次の話題どうぞ・・・
>>962
いや、『呂氏春秋』や『荀子』ですでに「呂望」とする記述があるから、三家注が大本って
事はないよ。ちなみに『史記』本文でも白起王翦列伝・劉敬叔孫通列伝で「呂望」表記が
使われてる。

さて、公正を期すために『王家の風日』の該当部分を引用しておきましょう。

> さて太公望呂尚の名のうち「太公」は尊称で「尚」は字にちかいものらしいが、かれ
>はふつう「呂望」とよばれる。その姓にあたる「呂」については、かれの先祖が夏王朝
>のとき禹王の治水事業をたすけてたいへん功労があったため、呂という地を封地と
>してたまわったところからきている、というようなことを司馬遷は書いている。しかしこれ
>は望が周侯に臣属しついに斉国の開祖になるという快事をたたえて、かなりのちに
>羌族のあいだで捏造された説の臨模にすぎないであろう。呂は周の時代の国名だから
>である。羌がかれの本当の姓であるから、かれは
>「羌望」
>と、よべばよいであろう。
    ~~~~~~~~~~~
>>959は原文を読んでからヒートアップすれ。
結論が出たようだね。
他人が記憶をたどって書いたことを字面どおりに受け取っていきり立つ
馬鹿(例・>>947>>959)にはこのスレは肌に合わないのかもしれない。
やはりちゃんと原文を読むことが大切だな。
そろそろ次のスレを立てないか?
俺はホストではじかれて無理でし。
ヒートアップ
>>964
某HPからネタをパクってきたんだね。御苦労様。
>>965
やってみますか。

>>968
「中央研究院漢籍電子文献」と「寒泉」で「呂望」を検索した結果ですが何か?

中央研究院漢籍電子文献(二十五史)
ttp://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/

寒泉(先秦諸子)
ttp://libnt.npm.gov.tw/s25/
970969:04/03/03 20:28
だめだった。次の方お願い。
原文=宮城谷の小説

と思われ。
宮城谷の言い分は「実際にはなぜ羌望でなく呂望されるているのか」
という説明にはなってないね。

宮城谷は、実際に呂望とされているのにもかかわらず
自分の不完全な考証を根拠に「それはおかしい、羌望に汁」といっている。

明らかに宮城谷の論理が倒錯していると思うが?
一番多い書き方は「呂尚」か「姜子牙」だと思われ。
>>973
自分には「羌望とよんでおくのがまちがいがない」くらいのニュアンスに感じたので、そこまで
違和感はないけどね。

まあ「呂望」が一番多い呼び方なのか?とか、呂は国名としては周代でも地名としてはもっと
古いのでは?とか疑問があることは確かだけど。

このへん『太公望』ではどう解釈しているのか。あとでブクオフ行って確かめてみますか。
>>973

>自分の不完全な考証を根拠に「それはおかしい、羌望に汁」といっている。
>自分の不完全な考証を根拠に「それはおかしい、羌望に汁」といっている。
>自分の不完全な考証を根拠に「それはおかしい、羌望に汁」といっている。
                                ~~~~~~~~~
ど こ を ど う 読 め ば そ ん な 解 釈 が 出 来 る ん で す か ?
977無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 14:29
ヒートアップ
「羌望に汁を勧めてみた」…      ぅゎ、なんだ、ぉまぇ、やめr…
>>980とった香具師
次スレよろ
980979:04/03/04 22:40
あ、ログ読んでなかった
光速で吊ってくる
これからは「羌望」って呼べばいいんだな。
お前が宮城谷原理主義者ならな(w
「宮城谷の原理」って何?
多分、乾物売りをさせられるんだよ
985無名武将@お腹せっぷく
それ、原理違い