1 :
無名武将@お腹せっぷく :
02/08/12 00:28 演義において夏侯惇の隻眼や、定軍山の夏侯淵と黄忠の 激烈な死闘で一躍有名になった夏侯一族について存分に語ろう。 前漢の功臣夏侯嬰に始まり晋にいたるまで、夏侯一族は表舞台で 活躍。その後の一族や、今でも夏侯姓を名乗る人は果たしているのだろうか? などと夏侯氏に関わる事を書いてみよう。
ここまで2が付かないスレも珍しい
……4も遅いな(笑) では二人っきりでまったり語ろう。 一番有名な夏侯姓武将といえば、史記の夏侯嬰だと思うんだけど これが記録に残った夏侯姓の中では一番古いの?
5 :
ミーナおめでとう。 :02/08/12 00:42
夏侯蘭は、演義では博望破では張飛にやられているが、実際には全く違う運命を たどっていたと分かった。蘭は、趙雲と同郷の神定山のうまれらしく、博望破で捕 まったとき、処刑されそうになるが、趙雲が命乞いをして、以後は劉備に 仕えたらしい。命乞いをするくらいだから、趙子竜とは顔見知りか、それ以上の 親密度なんだろうよ。
6 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 00:47
夏侯傑は夏侯惇などの一族とは無関係。 とか、こういう小ネタを並べるの?
7 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 00:49
>>4 そうだね。もともと二字姓は中国では珍しいので史記以前の史書に
出てきたら直ぐ分かるはずだしね。漢書に何人かでいた記憶が。
>>5 夏侯蘭のほかに夏侯博という蜀の武将もいたね。
8 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 00:49
9 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 00:50
>>6 それもあり。夏侯一族についての小ネタ、知られざるエピソードの
類いを書いていきたい。
「史記以前の史書」 ……って言われたー (´・ω・`)ショボーン
11 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 00:53
蜀の夏侯一族その3「夏侯纂」 広漢太守で秦フクを招こうとして固辞された。
微妙に「沛県の夏侯一族以外の夏侯姓」人物の紹介スレになってしまっているような・・・。
13 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 00:55
夏侯嬰は名族の落ちぶれた末裔だったと小説にかいてあったが 開祖はどんな人なの
>>10 ああ、言い方がおかしかったね。
史記以前に「史書」が有ろうはずが無い罠。
すまそ。
>>12 それもあり。どうせ沛国の夏侯一族関連で持ってこないと
それ以外の夏侯姓は語られないだろうから…。
16 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 00:58
夏侯嵩も夏侯一族です。
17 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:00
18 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:01
19 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:05
よくよく考えたら一番有名な夏侯嬰の子孫て曹操だな…。
漢建国時の功臣・夏侯嬰の子孫が曹操という、遠大なオチがいいのだ。
21 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:10
22 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:14
>>20 しかもこれまた建国の功臣曹参の一族の養子で。
23 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:16
暇ならBS見ろ!三国志やってるぞ!
24 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:19
>>23 今BS見れない…。・゚・(ノД`)・゚・。
一口に一族といっても膨大な数に上るからなぁ。 たまーに成功したヤシが現れると、我も我もと祖先を辿ったりするから ややこしいことこの上ない。
26 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:21
28 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:23
周瑜の顔が真っ赤だったり甲高い声で歌うように喋ってる
>>26 そうだね。夏侯嬰の曾孫(だっけ?)の夏侯[皮頁]が
スパッとポカこいちゃってからというもの
夏侯一族は一度見事に没落したしね。
31 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:33
>>29 ????何、それ?京劇?
>>30 後漢末になってから漸く汚名返上ってところか…。
32 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:37
>>29 こんな感じ〜?♪
赤ら顔周瑜「ラララララ〜♪天は〜〜♪何故に〜♪ルルルルルル〜♪
この〜周瑜と〜、孔明を〜同じ時代に〜生んだのか〜〜♪
天は〜無情ナリ〜〜〜♪グフウッ!!」
>>31 おそらく反董卓連合軍の時の、曹操(夏侯一族)の洛陽追撃劇などは、
袁一族のように今をときめく有力豪族の視点からすれば、
「夏侯一族、必死だ(^0^)/ 」、という感じに映ったろう。 ぅぅ、酷い……
http://www.babyname.jp/ 夏侯 惇 の姓名判断
惇
10 9 11
総運30× 野心家で勝負好き。波乱の人生を送る。犯罪傾向。結婚は晩婚が吉。
人運20× 好きな物には熱中、それ以外はいい加減。影響されやすい。博打傾向。
外運21◎ 社会で活躍するリーダー運。物質的不自由はないが、家庭を疎かにしがち。
伏運31◎ 強運の持ち主。
地運11◎ 活力、発展、独立成功運。
天運19△ 悲観的家柄。不運に見舞われやすい。
陰陽
35 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:42
>32 ワラタ 上手いw
36 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:44
>>33 没落豪族の意地、という側面もあっただろうね。
37 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:47
夏侯 惇 と 曹 性 の相性判断 結婚前 性格面◎ お互いが最高の理解者です。恋に溺れてまわりが見えなくならぬよう。 恋愛縁△ 気持ちのカラ回りに注意。相手に合わせることも必要です。 結婚縁○ 良い相性です。 結婚後 夫婦愛× 縁がありません。 夫婦縁× 縁がありません。 結婚してみた。どうやらちょっかい出すにはいいが、深く付き合ってはいけない仲のようだ。
39 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:54
>野心家で勝負好き。波乱の人生を送る。<まあ確かにそうだ。左目失うくらい。 >犯罪傾向。結婚は晩婚が吉。<14才にして > 好きな物には熱中、それ以外はいい加減。<私利私欲が無いの裏返しともいえる。 >影響されやすい。博打傾向<意外と素朴 >社会で活躍するリーダー運。<大将軍。 >物質的不自由はないが、家庭を疎かにしがち<息子4人のうち3人はどら息子。 >強運の持ち主<激戦を生き抜いてきた。 >活力、発展、独立成功運。<皇族、高官に就いた。 > 悲観的家柄。不運に見舞われやすい<前述の通り…。
40 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:55
41 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:57
華は夏侯惇ですかw
42 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 01:59
43 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:02
夏侯 淵 の姓名判断 淵 10 9 12 総運31◎ 頭良く先見の明あり。意志も強く人の上に立つ存在。孤独運。晩婚傾向。 人運21◎ 抜群の行動力を持ち、仕切り屋でリーダータイプ。 外運22△ 若いうちは良いが晩年に向かって運気衰退。病気事故傾向。 伏運33× 事故運あり。 地運12△ 努力、学芸、不遇運。 天運19△ 悲観的家柄。不運に見舞われやすい。 陰陽 これまた、当っている…。
>>42 夏侯家から養子に出した上に宦官にまで落ちた男の息子(曹操)が、
ここまでのし上がったというもの、夏侯一族のアップダウン遍歴の見どころだろうね。
46 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:09
>>44 え?それはちゃうやろ…。爺ちゃんの曹騰が宦官で、
夏侯氏から崇(父ちゃん)を貰って、買官で太尉になって
んで曹操登場やろ?
47 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:09
犯罪傾向、の部分にワロタ
>>46 あ。全く。
スマン。姓名判断に夢中すぎた…… (´・ω・`)ショボーン
49 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:13
どこかに夏侯一族の系図ってないかな・・・?
50 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:14
51 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:15
夏侯嬰━夏侯竈━夏侯賜━夏侯[皮頁] ┣ 漢の武帝の姉 夏侯嬰━□━□━□━夏侯信… こうかな? 自身はないが。 しかも、夏侯竈と夏侯信の流れが、どこで分岐したのかが分からなかった。 夏侯信以降の子孫の名前もよく分からない。
ズレた…… 鬱だ氏のう。
>>52 を修正
夏侯嬰━夏侯竈━夏侯賜━夏侯[皮頁]
┣
漢の武帝の姉
夏侯嬰━□━□━□━夏侯信…
お、帰って来て見たら、珍しくまともな三国志スレが立ってる。 私も何か提供しよう。
55 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:40
>>52 良く見つけたね。俺も何かの本で見たんだが忘れた…。
56 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:44
ちょっと横道にそれてスマソ。姓名判断で最強の武将をハケーンしたので…。 ↓ 桜木 ルイ の姓名判断 ルイ 21 4 2 2 総運29◎ 統率力、知謀に長け、人の上に立つ存在に。結婚運○。晩婚傾向。 人運 6◎ 世話好きで信望を得て、名誉ある地位を得る。美的センスと創造性を持つ。 外運23◎ 人より抜きん出る活力を持ち、地位財産を1から築きあげる。 伏運10× 事故や犯罪の犠牲者になりやすい傾向。 地運 4× 陰性、挫折、情緒不安定運。 天運25○ 才能に恵まれ、派手好みで注目を浴びる家柄。 陰陽 統率力、智謀に長けて信望を得て人の上に立つ????桜木ルイが??
>>54 まともなスレになると嬉しい。
>>55 もう少し漏れてる人材はあるはず。どんどん発掘していきましょう。
>>57 ということは、あんまりマトモなスレでは無いって事か…。
60 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 02:57
>>23 なんでスレ立ててくれなかったんだよ!
今頃知って悔しいじゃないかヽ(`Д´)ノ ウワァァァン
何かのスレで、呉に夏侯承と言う人物が仕えていたと知った。 この人と魏の夏侯一族て、親戚だったりするのだろうか。
64 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 03:08
>>63 何代か前に遡れば関係有るかも…。
歩隲に才能を認められ孫権に推薦された人物だね。
歩隲の「隲」←これしかなかったので当て字で…。
夏侯淵の一族 淵(妙才) ┣衡(??) ┃ ┗績 ┃ ┗褒 ┣覇(仲権) ┣威(季権) ┃ ┣駿 ┃ ┗荘 ┣恵(稚権) ┣和(義権) ┣称(叔権) ┗栄(幼権)
67 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 12:20
>>66 夏侯衝の字について正史に記載が無いとはいえ、容易に「伯権」と
推測できるから伯権にしておこう。
68 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 12:24
>>67 でも董卓は字が仲穎、弟の董旻は字が叔穎なのに
兄貴の董テキは字が孟高なんだよな。
まあ、これは例外なんだろうけど。
69 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 12:26
糞スレに認定しますた
>>68 多分それは異母兄弟なのでは?
あ、でも衝が同母とは限らないか…。やっぱ
>>67 は無しでいいよ。
>>69 を正式に糞人間に認定しました。
夏侯惇って息子いるのか? 養子だったよね?
夏侯充、夏侯楙、夏侯子臧、夏侯子江など計七人だったと思う。 後ろ二人の名は実は字っぽい気が。
夏侯恩ってダレ?
たぶん字だよね。夏侯楙の字が子林だし だいたい、普通はそんな名前あり得ないよ
75 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 15:23
姓名判断ほんとあたるね。 曹 操 の姓名判断 曹 操 ○ ● 11 16 総運27○ 努力家で才能あり結果を残すが、強すぎる自尊心のため協調性に難。 人運27○ 個性と積極性で社会的成功を収める。自我が強い。焦りは禁物。 外運27○ 堅実な人生を、踏み外すと犯罪や事故に。個性を発揮できる環境に向く。 伏運43◎ 若いうちは強い運気に守られます。 地運16○ 親分肌、信頼、成功運。 天運11○ 上昇発展運。親族の助力が幸運を。 陰陽 ◎ 理想的な配列です。
76 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 15:42
周 瑜 ● ○ 8 13 総運21◎ 能力でのし上がる頭領運。社会的成功は得やすいが、家庭に収まりづらい。 人運21◎ 抜群の行動力を持ち、仕切り屋でリーダータイプ。 外運21◎ 社会で活躍するリーダー運。物質的不自由はないが、家庭を疎かにしがち。 伏運34× 悪い運数です。 地運13◎ 才知、学芸、弁舌、成功運。 天運 8○ 先祖代々の宿縁で周囲に助けられます。 陰陽 ◎ 理想的な配列です。
77 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 15:44
孫 尚香 ● ●○ 10 8 9 総運27○ 努力家で才能あり結果を残すが、強すぎる自尊心のため協調性に難。 人運18○ 抜群の積極性で成功をつかむ。面倒見が良く協調性もあり、自立心に富む。 外運19△ 身分をわきまえて行動しないと不運に。犯罪傾向。 伏運35◎ 円満に成長できます。 地運17○ 積極、魅力、頑固運。事故注意。 天運10△ 負の影響を受け継ぎやすい家柄。 陰陽 ○ 良い配列です。
78 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 15:46
張 遼 ○ ● 11 16 総運27○ 努力家で才能あり結果を残すが、強すぎる自尊心のため協調性に難。 人運27○ 個性と積極性で社会的成功を収める。自我が強い。焦りは禁物。 外運27○ 堅実な人生を、踏み外すと犯罪や事故に。個性を発揮できる環境に向く。 伏運43◎ 若いうちは強い運気に守られます。 地運16○ 親分肌、信頼、成功運。 天運11○ 上昇発展運。親族の助力が幸運を。 陰陽 ◎ 理想的な配列です。
どれも同じ内容じゃん 当たっているように解釈してるだけ
新手の荒らしか?
81 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 17:16
82 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 17:17
夏侯恩は言うまでもないが、夏侯傑も演義オリジナルじゃなかったけ?
>>82 夏侯氏の演義でのオリジナルキャラといえば、
夏侯恩・夏侯傑に加えて、夏侯存や夏侯徳も居た。
どうも、夏侯という姓にはインパクトがあるために
演義ではやられ役の符牒として無碍に扱われている気がする。
84 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 23:15
>>66 兄弟の順番がおかしくないか?
夏侯称が三男で夏侯栄が五男であることは正史の注に明記されてるぞ。
だがそんな夏侯氏にいいように殺されてしまった、曹性の立場は何なのだ? 演義の創作話とはいえ、めっちゃ口惜しい・・・
86 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 23:30
夏侯惇と夏侯淵の関係は兄弟じゃないの?
87 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/12 23:41
>>86 夏侯惇と夏侯淵は従兄弟。
兄弟ではない。
それに当時の従兄弟の範囲は今よりずっと広かった(一族の同世代は全て従兄弟)ので、
惇と淵が従兄弟だからといって二人の父親同士が兄弟とも限らない。
夏侯惇の兄弟は、一応弟に夏侯廉が居るが、 そういえば夏侯淵の兄弟の噂は聞かないな。
89 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/13 00:31
夏侯淵大好き♪ 正史ではめちゃかっこいい。 死んだ弟に、幼い娘が居て、その娘を養ってやったら 自分の幼い息子を餓死させてしまったとか。 曹操の身代わりになって罪をかぶったとか。 最期も、張コウの軍勢が崩れかけたので、自分の手勢を半分分けて そこを黄忠に襲われたんですよね。 演義では猪武者になってかわいそうすぎる。
90 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/13 01:03
1と2には、毎日働いてほしい
>>89 あと夏侯淵の戦歴を見るともの凄いね。漢中で戦死するまで
殆どを夥しい数の戦に生きていたが、それまで無敵の強さを誇っている。
>>84 その2人は若死にしたようなので、一番下に付けときました
>>92 字の順序で大体分かるね。
夏侯称の方だったけ?漢中で14才で戦死した方…。父の仇を討とうとして。
94 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/13 02:35
96 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/13 03:03
趙雲の推挙により蜀に使えたのは夏侯蘭でしたっけ?
雲ちゃんと蘭ちゃんは幼なじみだよ♥
99 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/13 03:14
夏侯蘭 常山郡真定の人。つまり、趙雲と全く同じ出身。今で言えば、 二人とも埼玉県大宮市出身というような感じで。 夏侯惇の配下で博望で趙雲と戦って捕らえられ、 趙雲に「あれ…?お前って、真定人?うそ!?マジ!?奇遇だなあ。 てっきり沛国人だと思ってたよ。つうかさ、俺と友達になんない?」 てな感じで推挙されたんだと思う…。
100ゲットじゃ!
でも雲ちゃんはとっても真面目だから、 蘭ちゃんが劉備様に仕えるようになってから、 蘭ちゃんに近付かなくなっちゃった。。。
>>99 [趙雲伝]の注に引く『趙雲別伝』に、
「夏侯蘭は趙雲と同郷の人で、幼少の頃からの知り合いであった」
とあるので、多分それはないかと・・・。
三国志って同郷出身っていうだけで、すぐに扱いが良くなるな。 俺も同郷の社長に偶然出くわして、いきなり部長あたりに取り立てて貰えんかな。
104 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/13 03:37
蘭姉ちゃん萌え・・・
>>102 ああ、なんだそうか…。しかし意外と世間は広いようで狭い
もんなんだな…。
親父は立派なのに、なぜ彼奴らはあんな小人物に育ってしまったのか…>子林・子臧・子江
偉大な父親を持つと、周りの期待が 大きくなりプレッシャーにつぶれる。 息子にとっては普通の親が良いのかな?
108 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/13 11:34
>>106-107 夏侯惇があまり家庭を顧みなかったのかも。
元々私心がないから、国を救済するのに一生懸命で
子供達をかまってやれず、結局自分自身に何も残らず、
曹操が死んで自らも生きがいを失い後を追うように死んだ感じだし。
夏侯尚も、演義では糞扱いだけど、実際は大活躍なんだよな。伝あるし。 まあ、息子の玄がクーデター起こそうとして、一族皆殺しになるんだけど・・・
さっき夏候淵の息子の話だけど夏侯栄について話します 字は幼権 7歳で文章を書き、一日に千字書物を読み、 どんなものでも覚えるなど大変聡明でした しかし、例の漢中戦で部下は逃げようとしたが、夏侯栄は 父上が危ない目にあっているというのにどうして逃げられよう と言って、剣を振り回して戦い戦死したのです 享年13歳 これを知って感動しました
夏侯纂・夏侯博・夏侯覇・夏侯蘭の共通点は、な〜んだ?
蜀
>>74 うん、そうだようね。
しかし、何故彼らは字でしか名前が残ってないのかなぁ?
夏侯惇伝では魏略の一部しか引用してないから
名が見えないだけかもしれないけど。
>>114 いま、ちらっと、
「正史編纂時の時の権力者(司馬一族)の誰かの名前と名前がカブったので忌んだ。」
……というパターンを考えたが、それだと普通は同音異字で当て字されて、
とりあえずは記録には残るはずだしね。
謎だ。
>>115 憶測に過ぎないけど、あんまり勤勉に仕官してなくて
王朝内ではあんまり彼等を知る人がいなくて
彼等の友達の孫とかから彼等の事を聞いて書いたとか…。
だから字だけとか…。
つまり、記録に残す価値が見られなかったということねん。 尹大目と同じ扱い。
>>118 まぁなんとかフォローするなれば、
正史はその性質上、国政が大きく転換する局面に関わった人間から優先的に記録していく方針。
いかに偉大であろうとも、真面目一途に勤め上げただけの能吏や、
分化史や宗教史で大きな名を成した人物は
どうしても記録からは漏れていく。
夏侯一族の名無し武将(字だけ武将)の面々は、
「国政が大きく揺らぐような局面には立ち会わなかった」、
というだけのことかもしれない。
>>119 勿論それはその通りだと思う。周瑜、魯粛の息子達を
見ても全くあてはまるしね。
ところで、三国時代以降には 夏侯嬰の系譜の夏侯氏の記録は無いのかな? 陳[君羊]のように、いきなり唐代あたりでビックネームを産出していると楽しいのだが。
>>121 三蔵法師な。【陳羣】←コピぺして使って。
夏侯一族はもう歴史から出てこないのかな…。晋で終わりかな…。
中国語が分かれば、Yahoo!チャイナで調べられるんだが…。
124 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/14 23:16
125 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/14 23:18
>>122 を! さくっと当てられちゃったなあ(笑)<三蔵法師
怪情報レベルにまで精度を落とせば自称子孫は居るだろうが、
直系は難しいかもね。
再び夏侯一族の墓が発掘されることを待ち望む。
127 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/14 23:23
>>124 あらたな発見でも無い限り、無闇に固有名詞をかえるのは
もういい加減やめましょう。と言ってやってください。
>再び夏侯一族の墓が発掘されることを待ち望む。 てことは、夏侯氏のだれかの墓があったの?
>>128 夏侯嬰の息子の夏侯竈の墓が発見されてるよ。
時代が古すぎて、俺らが興味がある方面の史料は期待できないが……。
しかしつい最近も、漢代(年代の詳細はまだ判定できないようだ)の墓が
遺体の保存状態もよく発見されていたし、
夏侯一族のように本拠地のはっきりしている一族ならば、
いつの日か発掘されることもあるかもしれない。
気長に待とう。
>>129 ああ!そうなのか!ちょっと身震いする程感動したよ。
今日誰もいないのに階段人の歩く物音がしたが、夏侯惇の亡霊が
きてくれたのかな?
>>130 なるほど! お盆だし!
って、ちゃうわーーーーーーー!w
「双古堆」(←墓につけられた遺跡としての名称ね)で検索してちょ。
中文のページがぼろぼろ引っかかってくるよ。
これで現地に実際に行った事のあるヤシの遺跡レポのレスとか付いたらサイコーだね。
132 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/15 00:09
三蔵法師(玄奘)は正確には陳寔(陳羣の祖父)の末裔と書かれているだけ。 陳家には 陳寔−陳紀−陳羣−陳泰 の系統と 陳寔−陳ェ− の系統があり三国より後は陳羣の系統より陳ェの系統の方が栄えている。 従って、玄奘は陳寔の子孫であっても陳羣の子孫かどうかは定かではない。 可能性がないわけではないが。
>>131 ありが惇!
でも、まじで今日そんな事があった。
俺一人で階段のすぐ横のふすま越しで今と同じ状況で
パソコン弄りしてたら聞こえた。
2ちゃんのあほな書き込みに笑った途端。
まじで人間の足音。
大急ぎで木刀(剣道有段者なので)もってふすまを開けたら
誰もいなく、裏口までの扉が全て開いていた。
母親は妹と里帰り、親父はパチンコで俺一人…。
階段だけに、時期を見計らった怪談なんかじゃないぞ!
実は実話なんです。
陳寔は清流派のひとりで党錮の禁を免れた人物だね。 彼の子孫がふた通りあるとは気付かなかった。ありが惇。
>>132 なるほど。厳密に言えば傍流でしたか。
14代献帝が、11代桓帝の子孫ではないのと同じことですね。
>>135 嫡流か傍流かは結構大事だもんね。継承権の優先順位や
扱いも変わるし…。
>>2 夏侯竈の墓は盗掘や墓道の破壊されてんだよね。
しかも壊したのは旧日本軍。墓荒らしも日本軍の仕業かもしれないね。
と、ウヨやら朝鮮人あたりが突っ込んできそうな事をいうスレ主の俺…。
傍流のキャパシティを広げすぎると、 家系図にこだわる必要性そのものまでもが無くなってしまうという、恐ろしい罠。 個人的には、姻戚でブリッジしてしまい、開祖から遺伝子が途絶えたらアウトかと思う。 (しかし、それを言っては、本当に夏侯淵と夏侯惇は遺伝子が繋がっているのかと、 小一時間ほど…(略)
>>138 × 夏侯淵と夏侯惇は
○ 夏侯嬰と夏侯惇は
>>138 日本なら天皇家、諸大名家、公家…。
中国なら、曹家(曹操の)なんかもろにそう…。
>>140 「姓が同じなら同族として扱う」、という中華思想の広い心で乗り越えれ。
>>141 そういっちゃうと、王忠は王陽明の先祖で
張飛と張遼は異母兄弟で、呂布のいとこが呂蒙とかになっちゃう…。
まあ分かってはいるけどね…。
(どうせ言うなら、「[登β]艾の子孫が[登β]小平」のレベルまで…) 他にも夏侯一族の小ネタを待つ!!
毛カイの子孫が毛沢東…。
>>145 雅…Ya3(ヤァ)
虎…Hu2(フー)
で、
雅虎でヤフーです。音による当て字です。
>>147 中国読みができなくても、ページのレイアウトで凡その推測は
出来てますって。
あんま関係ない話ですが、昔読んだ「写真で見る三国志の風景」とかいう感じの題名の 本によれば、村民全員が曹操の子孫だ とかいう村が今現在もあるそうです・・。
>>150 いや、結構関係あると思います。
凄いですね、全員曹操の子孫ですか…。
152 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/16 21:57
総合するほどネタが無かった?
>>148 その通り!
>>149 それは否定してません。ヤフーの当て字が面白かったから書き込んだだけです。
>>150 もしかして真っ赤な表紙の本ですか?それでしたら読みました。
劉備の子孫(田舎のおっさん)も出てましたね。
>>150 全員曹操の子孫ならば、全員夏侯家の関係者だと言い切っておいても問題あるまい。
156 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/17 01:43
157 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/17 06:29
司馬師を暗殺しようとして失敗して片腕を切り落とされ、 呉に亡命して忠烈将軍に任命された夏侯真はその後どうなったんでしょうか?
夏侯一族は皆カワイイ女子中学生ですた。
中学生かよ
160 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/17 16:38
>>157 夏侯真(???〜258)
夏侯氏の傍流の出であるが、曹爽の引き立てによって長水校尉となる。
一説に夏侯玄の従兄弟と言われている。
容姿端麗で弓と乗馬に優れていたため「花夏侯」と呼ばれた。
涼州の異民族制圧で不手際があり、司馬師に杖で打たれ幽州に流された。
後に司馬昭の取り成しで許されて復職するが、曹髦が司馬師により
殺害されたことに憤慨し、司馬師暗殺を企む。
しかし夏侯真の妻は、自分の弟の妻の父親である鍾会に暗殺のことを
密告したため、妻を殺して一族と共に呉に逃亡を図った。
しかし豫州の関で正体を見破られ、戦いの末、一族郎党と片腕を失って
辛うじて呉への亡命に成功した。
呉では忠烈将軍領長水校尉に任命され、諸葛誕の叛乱の際に文欽とともに
呉からの援軍として寿春城に入り、諸葛誕とともに奮戦したが敗れたため
自害した。
寿春を攻め落とした司馬昭は、彼の死を悼んで涙を流したといわれる。
161 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/17 16:43
花夏侯萌え〜
夏侯一族はみんなロリロリ女子小学生ですた
総運31◎ 頭良く先見の明あり。意志も強く人の上に立つ存在。孤独運。晩婚傾向。 人運21◎ 抜群の行動力を持ち、仕切り屋でリーダータイプ。 外運10× 努力が報われない。特殊な犯罪に関係する傾向。 伏運36◎ 可愛がられて成長しますが、甘やかしは禁物。 地運15◎ 上昇、調和、幸福運。 天運16○ 受け継いだ財産でより発展繁栄していく家柄。 陰陽 ◎ 理想的な配列です。
165 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/17 22:00
曹操の子孫といえば、こないだのNHKのドキュメンタリーにも出てたね。 他に孫権とか諸葛亮とかも(劉備の子孫は認められてなかったが)。 あと、陳舜臣の曹操には、 曹家と夏侯家は前漢時代から何度も婚姻を重ねてきた、 って書いてあったよ。結婚はできるけど殆ど同族扱いみたい。 これは史実?小説オリジナル?(三国歴浅いものでι) 三国時代以降には婚姻は無かったのかな。
166 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/17 23:44
167 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/18 00:17
2。故あってコテハンになりました。 曹操が曹参の子孫だという話も、実際には若干眉唾物で、 衛青の誕生秘話で有名な曹一族の平陽侯は武帝代にお取り潰しの憂き目に遭うので、 公的な記録上での家系図は、そこで一旦途切れてしまうはず。 (曹操の一族の家系は黄帝にまで辿れるという話にまでなると、すでに、 それはどこの冒険伝奇小説の設定なのか、と、小一時間……(略) 正史だけど。 曹家と夏侯家は前漢時代から何度も婚姻を重ねてきた、というのは一面の解釈。 曹家、夏侯家はそれぞれ、他ならぬ皇室一門である劉氏と代々婚姻を重ねてきているので、 夏侯氏から崇を養子に貰う前から、同族状態だったと言えなくも無いかもしれない。
168 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/18 20:37
なんとか家系図完成しそう?
170 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/18 21:38
>>168-169 無理ぽ。
夏侯信の後は、夏侯惇まで、史料というものが全く無いぽ。
だいたい、夏侯惇と夏侯淵の関係だって、実際のところは分からないのに。
171 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/18 22:02
夏侯惇最強!
172 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/18 22:34
173 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/19 01:20
確か日本人にも同姓がいたような・・・ あれってまさか同族かな?十年位前の九州なんであやふやだが。
175 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/19 01:31
176 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/19 01:32
177 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/19 01:33
苗字7000傑ではHITしなかったが、日本の苗字は30万種類以上。 夏侯姓が居ても、おかしくはない。
今の中国でも夏侯姓残ってるんかな。 あんまり見ないけど。
181 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/19 23:14
>>180 そうだよ。
1がどっか行ってしまった。。。
183 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/19 23:28
居た居た。 夏侯惇の身代金の額でも妄想しようか。 ズバリ金銭ではなく、時期的に兵糧を要求されたと見た!
184 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/19 23:29
>>183 えらい不名誉なネタを…。
米20万石くらいか?
186 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/19 23:39
>>184 それ希望。
>>185 自分の命が危険だったのにも関わらず、韓浩の処置を、
「正しい」と誉めたところに、夏侯惇のミリキがあるから。
人徳の夏侯惇
>>186 確かに人間性に光るものが多いね夏侯惇は。
信義なき乱世では、それは何物にも変え難い宝石だからね。
んで身代米の話だが、その時蝗が発生してるからあまり
さすがに沢山は吹っかけはしなかっただろうね。
よく考えると、詳細な時期がいまいちわからない。>人質 隻眼になる前なのだろうか? 後なのだろうか?
張バクが謀叛して呂布を迎え入れた頃、恐らく荀ケが張バクの謀叛に気付き、 夏侯惇をケン城に召し寄せた際の、その道中の出来事なので、隻眼になる前です。 それから、韓浩の処置を褒めたのは曹操ではありませんでしたか? あと夏侯惇は、人質になる前に何だかんだあって、呂布に輜重を奪われています。 加えて、夏侯惇を騙し人質にした呂布の手先は財宝を要求していますので、 矢張り兵糧よりも金目の物が欲しかったのではないでしょうか?
>>191 何かの本で(小説では無なく)解放された後
彼は韓浩に謝辞を述べた、と書いてあった。
(とすれば当然、その選択を誉めたのも同然)
>>191 たしかに金品の要求ですね(失礼)
ただ
>>188 の場合、単にコオロギ氏が夏侯惇の身代金を石高で換算しようと
したのを、俺が変に突っ込んで考察しただけなのです。
>>192 なるほど、それは寡聞にして存じませんでした。
[夏侯惇伝]にある曹操が
「君のこのやり方は万世の法律としてよかろう。」
と言って褒めた部分しか目に付かなかったのですが、
夏侯惇が韓浩に謝辞を述べるのは自然な事ですし、
私が気付かないだけで正史に書いてあるのかも。
全くお恥ずかしい限りです。後で読み直してみます。
>>191 ゴメンなさい。韓浩が夏侯惇「に」言ったというセリフを、
夏侯惇「が」言ったものだと勘違いしてました。
ところで、隻眼になる前のエピソードだったんですね。
あのあたりの戦闘は郡県単位でちょこまか動いていて分かりづらい…。
>>194 いや、俺も正史読んだの随分前(10年位前)だし、
正直うろ覚え。正史では無かったかも知れない。
あまり気にしないで下さい。スマソ。
ところで正史の話も出たので、正史における 夏侯淵の討伐した群雄、武将を挙げてみない? 結構いると思うし。
198 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/20 23:10
(武勇伝話になると、ひっそりと「淵」にシフトしてしまっている…) ちょと調べたけど、内乱鎮圧が多いね。
泰山賊(このときは曹操の部下)の昌キの反乱鎮圧、 黄巾賊の徐和の鎮圧、?族・羌族の鎮圧、西涼の韓遂、河首平漢王wの王国撃破……。 太原の賊とは異民族か? ぅぅむ。
>>198 >「淵」にシフトして
それは言わない約束…。(^^
内乱鎮圧に関しては70%くらいかな…?
異民族20%
群雄10%
ぐらいだね。
>>199 ?族=[氏一]族。ね。
この文字も第二水準か!
>藍田の劉雄鳴 演義さんやゲームさんは知らない名前のオンパレードや… 自分の記憶にも欠片も無かった(´Д`;) 曹操が、羌族への脅しに夏侯淵の名前をちらつかせていた、という逸話を再発掘! 西の遼来来でつな。(・∀・)イイ!
梁興も夏侯淵に撃破され斬り殺されていますね。 それにしても、曹操の劉雄鳴に対する応対の変化は面白いです。
>>203 >羌族への脅しに夏侯淵の名前をちらつかせていた
なんせ、「神威将軍馬超」を破ってますからな。
>>204 確か左遷されるんだよね。劉雄鳴
>>205 あれは見事でしたね。急襲を得意とした夏侯淵の面目躍如。
然しもの馬超も戦わずに逃げるしかありませんでしたから。
しかし、この二人は本当好敵手ですね。
夏侯淵が韋康の救援に向かった時は、
馬超に迎え撃たれて夏侯淵が負けてますし。
『魏略』によると、劉雄鳴が馬超に従わず曹操に帰順した時、
曹操は、劉雄鳴の手を握って、
「儂が丁度関所(潼関)を越えたとき、
一人の神のような人を手に入れる夢を見た。それが君だったのか。」
と言って、充分に礼遇し、上表して将軍の位を授け、
彼の部下たちを迎えに行かせたのですが、部下たちは降伏を望まず
彼を脅迫して叛旗を翻させたました。で結局反乱は失敗して
再び帰順する訳ですが、曹操はそのとき劉雄鳴の顎鬚を引っ張って、
「老賊め、本当にお前を手に入れることになったな」
と言い、彼の官を元通りとし、勃海に追いやったそうです。
きっと気の弱い人だったんじゃないでしょうか。
因に彼は、若い頃から薬草の採取と狩猟を仕事にしていたそうですが、
毎日朝から晩まで家を出て雲霧の中を歩き回っても、
道を見分けて迷わなかったので、当時の人々は、
彼には雲霧を起す能力があると噂したそうです。
だから曹操は彼の事を「神のような人」などと言ったのでしょうか。
207 :
こおろぎ│・ω・ ) ◆8T0pwV36 :02/08/22 00:35
>>206 曹操がオカルトな意味合いで人を評価するとは思えないし、
藍田は史記にも名前が残る、相当古い地名ですよね。
こっからは想像ですが、劉雄鳴は薬学知識のような実学に通じていたから、
「神のよう」だと言われたのかも。
正史だけでは記述が少なすぎて実態が掴みにくい人ですが、
当たる史料によっては、面白い話もありそうな人物ですね。
それにしても、藍田(長安付近)で捕まえたものを、なにも渤海(現・北京の果て)に追い払わなくても……
方向真逆……。 (´・ω・`) ショボーン
208 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/22 01:37
やっぱり、夏侯一族の中心・夏侯惇の逸話が知りたい!age
209 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/22 23:01
夏侯惇ネタか。目玉、、、食ったってことにしておかないか?
210 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/22 23:23
石威則 夏侯惇と親交があり、官渡の戦いのあと惇から 孫賁に長沙、張津には零陵、桂陽を与える」と手紙を貰った人物。
211 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/23 17:17
夏侯惇って実際はどんな人物だったんでしょうね。 日本の小説をみても、吉川や三好では単なる戦闘馬鹿だし、 北方では冷静な軍師のような感じで書かれているし。 前者では自分の師匠を侮辱した者を殺したとか、敵の策略にはめられたとかいった 話から、武勇だけがとりえの少し頭の足りない人物して書かれたんだろうか。 個人的には後者のように冷静で常に国のことを優先して考えているが、戦争になると つい目先の敵を倒すことに熱中してしまうような人物を想像している。
212 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/23 17:38
いまだに夏侯惇をカコウジュンと読んでいるひといる?
213 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/23 17:52
夏侯惇は、自分でも抑えきれない程の激情家である事を 自覚してたんだと思う。それを臭わす記述は正史をみれば明らか。 身分や階級が上がり多くの人の上に立つようになれば 自己管理が出来なければならない。 激しい気性を押さえるには学問が必要。と彼は考えたに違い無い。 軍中で学問を学んだ理由はそれが大きく占めていると思う。 だから夏侯惇の性格は俺には激情家+情熱家に見える。
214 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/24 17:55
あげ
あんま関係ない話ですが・・。 本の題名がわかりました。岩波新書の、「写真紀行 三国志の風景」でした。 住民全員が'曹操の子孫'は間違いでした、曹家の子孫でした・・。 村の名前は曹園、華佗の故郷、亳(ハク)州郊外にあるそうです。 曹家の子孫ってだけじゃあどうしようもありませんでしたね・・。
216 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/24 22:34
激情家というのには大きく禿同。
夏侯惇には、なんとなく「兄ぃ」、というイメージがあるなぁ。
ただのヤクザ者というような意味ではなくて、
下からは慕われ、上からは可愛がられるという、
気持ちの良い男気の持ち主というか……。
自分から、「(ある意味、曹操と同列である)後漢の官位を返上し、
魏の官位を私にも下さい」、と言い出すあたり、この人って清潔だなぁ、と感動する。
>>215 素晴らしい情報ありが惇です。
亳州観光案内のページ。
ttp://www.china-world.info/china12b.htm 夏侯の名前がついた路がある上、なんと曹一族の墓などもあるそうですよ!
コ>亳州には、張園漢石墓や薫園漢石墓などがあり、曹操の宗族、曹騰、曹褒、曹嵩、曹熾、曹胤などの
ピ>墓と言われている。近年発掘された墓の中からは銀縷玉衣などが出土している。
ペ>出土品は関帝廟内の博物館で展示されている。
これは、墓好きの1は狂喜すると思います。
217 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/24 23:59
夏侯惇好きってそんなにいないの?
218 :
こおろぎ│ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/25 00:39
>>217 多いと思う。ただ、いきなり史記込み史実ベースにしたのがいけないのかな……。
演義やゲームも、それぞれ独立した別の三国志世界として楽しめる物なので、
広く夏侯一族の話題ならばなんでもいいと思うんだけどね。
>>216 何じゃそりゃ?墓好きってなんや?
盆に墓参りするのが墓好きなんか?
220 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/25 15:08
222 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/25 15:25
ハカったな!
223 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/25 18:24
>>219 なぜ? 夏侯曹(曹嵩)のクローンとか欲しくは無いのか?
三国時代当時の中国の墓は、宗教上、
遺体を死んだときの状態そのままに保存することを重視して作られているから、
血液型くらいは分かるのに。
>>223 クローンそのものは、彼では無い。曹操や夏侯惇は
その遺伝子から当時の価値観や教育を受けて、さらにその時の経験が
あるから伝記のような活躍があったのだと思う。
確かに曹操とかは常人では無い事は間違いないだろうが、
クローンから、我々の期待する曹操が果たしてできるかどうか…。
間違って、ぶっ切れた天才なんかできてもいらないし…。
まあ、血液型が分かるのもいいかも知れないけど…。
絶対ネタになるしね。
ちなみに夏侯曹じゃなくて「夏侯嵩」では?
225 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/27 01:04
あげ
226 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/27 18:09
「夏侯嵩」の間違いですた。 ここ2〜3日ひっそりと夏侯一族のネタを探したりもしていますが、 あまりはかばかしくありませなんだ。
>>226 そう、意外と夏侯氏のネタは難しい。俺も図書館やWeb上で
探したが大したネタがない…。
228 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/31 20:41
かこう と ん
229 :
こおろぎ│ω・) ◆8T0pwV36 :02/08/31 23:41
>>227 なぜだ…
みんな嫌いなのか? (pωq、)
鍾 會 ○ ○ 17 13 総運30× 野心家で勝負好き。波乱の人生を送る。犯罪傾向。結婚は晩婚が吉。 人運30× 勘が鋭く博打運強い。一攫千金願望あり。そのためか犯罪傾向も。 外運30× まわりの影響を受けやすい。人生の浮沈もはげしい。犯罪傾向。 伏運43◎ 若いうちは強い運気に守られます。 地運13◎ 才知、学芸、弁舌、成功運。 天運17○ 開拓精神で発展していく家柄。 陰陽 △ あまり良くない配列です。 結構当たってると思ふ
曹 爽 ○ ○ 11 11 総運22△ 順調な人生も晩年に向かい運気衰退。晩年の家族運悪く、犯罪傾向も。 人運22△ 計算高く、見栄っ張り。理論派で偏屈。一人仕事では集中し、結果を出す。 外運22△ 若いうちは良いが晩年に向かって運気衰退。病気事故傾向。 伏運33× 事故運あり。 地運11◎ 活力、発展、独立成功運。 天運11○ 上昇発展運。親族の助力が幸運を。 陰陽 △ あまり良くない配列です。 天地同画 突然の不運に見舞われる傾向があります。 スマソ占いにはまった。。。
(・∀・)
233 :
1 ◆tab32oDo :02/09/08 15:12
「性格診断」、なのだと思い込む。
>>235 見る限りそれはないと思う…。
どこの国も同じだね…。
237 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/09 23:41
「性感ヘルス」 に、1目玉。 (゚д*)ウマー
239 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/12 02:30
>>237 その店で出てきたおねいさんの名前が「夏侯」だったら、ちょっとヘコむ……
>>239 その道筋全部置屋街で皆夏侯姓だったらもっとへこむ。
241 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/14 02:52
俺ならウハウハだけどね
こんな良スレがあったとは。しばらくROMってみよう・・・
243 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/15 15:22
244 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/15 15:26
漢中で早逝した夏侯栄が潜在能力が一番高そう
>>244 たしかに、かなり見どころが有る。
見どころがあるゆえに早死にだったのかも…。
郭嘉しかり、曹冲しかり…。
246 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/16 00:17
夏侯栄は泣ける。 弟の夏侯恵も、聡明さでは夏侯栄にまったく引けを取らないようで、 つくづく夭逝が惜しまれる。。。
>>246 淵の息子達は粒ぞろいで出来のよさが光るんだが…。
248 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/17 11:03
249 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/18 02:16
夏侯惇が最強だと思っている折れは逝ってよしですか?
/\__ --------イ:::::: ::::::/ / :::::::::::::::::::::::::::\::::/ /  ̄\::::::::::::::::::::::::::::X / \-,:::::::::::::::::::/\ / `' |__ ヽ | ∩ /:::::::::::\ | __________ | |::| /:::::::::::::::::::::| | / | |::| |:::::::::::::::::::::::| | < 夏侯惇ナリよ。 | ∪ \:::::::::::::::::/ | \_________ [\|  ̄ ̄ ̄\ |/ ̄| |─\ \/┼─| |─┼\ | ̄ ̄ ̄| /─┼─| |─┼─\ | | __/┼─┼─| |─┼─┼  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ─┼─┼─|
251 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/18 14:18
252 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/18 16:33
ここは、惇達の一族ではないけど 夏侯蘭について語るとかありですか?
253 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/18 16:34
254 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/19 19:16
猛将伝の夏侯淵が最強。
255 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/21 01:02
>>207 忙しくて中々書き込めなくて、遅レスになってしまいました。スマソ。
ちょっと言葉が足りなかったです。
私も曹操がオカルトな意味合いで評価したとは思っていません。
曹操には神仙への憧れを歌った詩も多いですが、
そのような心情を現実に持ち込む人ではないでしょうし。
曹植は『弁道論』を著して、次のように言っています。
「世にいる方士たちを、我が王は悉くその宮廷に招き集められた。」
(中略)
「その真意は、こうした連中が悪人たちとぐるになって人々を騙し、
迷信を煽り立てて民衆を惑わせるのを恐れたからであって、
(中略)
家王(曹操)から太子(曹丕)以下我ら兄弟に至るまで、
皆お笑い種だとして、方士などを信じてはいなかった。」
しかし、自身養性の法を好み、処方や薬に詳しかったとされる曹操が、
または、後漢時代のスーパードクターKこと華佗でさえ、
「天下にこんな鼠のごとき輩が他にもいない事があろうか。」
と言って(激怒していたといえ)殺した件からも窺えるように、
そういった技術や知識を認めても崇敬の念を持つ事のないであろう曹操が、
多少薬学に詳しいだけで「神のような人」と言うかなぁとも思います。
長くなったので一旦切ります。
続きです。 で私は無知なりにこう考えてみました。(汗) まず当時の状況ですが、関西はみな中央に背いていて、馬超らの連合軍を征伐した あとも依然不穏な状況でした。そんな中、現地の豪族で人望ある劉雄鳴が 馬超に従わず帰順してきた事は曹操を喜ばせたでしょう。 前置きが長くなりましたが、つまり曹操は劉雄鳴の心を和らげ懐柔し易くするために、 彼に対する一種仙人的な風評を利用して、お世辞を言おうとしただけで、 その際、つい内心の嬉しさが出てしまって、何か凄い褒め方になってしまったのではないでしょうか。 …全く捻りのない結論と長文でスマソ。このレスは適当に流して下さい。 それにしても「神のような人」は言い過ぎのような。 毎日薬草を採取していたり、雲霧を起す能力があるなんて噂が立つような人だから、 結構それっぽい風貌をしていたのかもしれませんね。 藍田と言うと、楚の懐王が秦に敗れた事や、劉邦が秦軍に大勝した事が思い出されます。 あ、そう言えば藍田原人なんてのもありましたね。
>>256-257 非常に素晴らしいレス感謝いたします。
捻りなんかなくとも充分な御意見です。
夏侯氏からやや離れた話題では有りますが、派生した話題には違い無いので
これからもどしどし書いて下さいませ。
259 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/23 23:59
演義や講談では華々しい戦闘ばかりが脚光を浴びますが、 占領地慰撫は戦略上一番腐心する部分。 曹操が直接、劉雄鳴のことを「神のようだ」と思って出た言ではなくて、 「神のような(と、言われている、あの)劉雄鳴が」、という意味合いなのでしょうね。
帰順してきたのを喜んで厚遇したのに 叛乱されたとしたら曹操じゃなくても勃海に追っ払いたくなるわw
>>260 というか、よう殺されんかったなあ…。と感じた。
262 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/24 01:05
俺もそう思う。 『集解』は孔融の家族を例に引いて、陳宮の家族ですら 逆遇されたはずだとしているのに。
降伏してきた奴はよっぽどムカついてない限り殺さなかったんかな。 でも包囲された後に降伏してきた奴は赦さなかったんだよね。 それでその常令を遵守した于禁に昌キは斬られちゃったと。 曹操は許してやりたかったぽい感じだけど。
>>262-263 よっぽど、悪質なやつじゃ無い限り殺さなかったのでは?
(まあ、呂布ですら躊躇ったくらいだし。若い頃は汚職官吏をびしばし
摘発してたけど)
実は寛大な曹操。
なるほど・・・。
266 :
こおろぎ│ω・) ◆QQQQqqq. :02/09/29 11:30
悪質…ねぇ……
>>266 孔融、荀ケ、崔エン、華佗等の事を疑問に思ってるのでは?
あくまで刑罰云々の事でだよ。
政治的な意味合いでの処刑は若干違うかも。
>266 トリップ変えたの?
269 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/09/30 21:52
>>267 いえいえ。曹操というと、
孔融との肉刑復活問答のことが
最初に頭に浮かんでくるタイプなもので。
そういえば昌キは、夏侯淵・張遼連合軍を向こうに回して
数ヶ月間も打々発止を続けた男ですよね。
戦上手だったとみえますが、さすがにちょっと謀叛のし過ぎだったのでしょうか。
他の泰山の諸将の例に倣うとすると、
昌キもいずれかの太守ほどには、曹操に厚遇されていたはずなのに……
なにがよくて、友人の多い曹操陣営を棄て、
突然劉備に寝返ってしまったのか、とても謎。
>>268 トリップ屋さんのスレッドで、お願いして譲っていただきました。
271 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/09/30 23:47
しかも、劉備に唆されて反乱した2度目の謀叛の折には、 劉備から昌キに宛てて援軍の出た形跡なし。 さては昌キ、……劉備にも見捨てられましたね? 張遼がとりなしてくれた最初の反乱だけで済ませておけば、 なにも于禁も、あたら旧友を斬ったりはしなかったろうに。。。
>>271 張繍、張魯などの反乱勢力も許す曹操もさすがにこれには
参ったんだろうな…。
月並みで悪いけど一応能力値つけてみると
昌キ
知力66
政治45
武力85
魅力38
統率85
こんなところかな?
273 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/09/30 23:57
ぅぅむ。 張遼を篭絡した、昌キの特殊能力・「愛くるしい視線」を大きく加味して、 魅力を「63」くらいに上げたい気も。
274 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/01 00:00
ウフフ・・・(`・ω●´)ノ
275 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/01 00:02
(゚д*)ウマ-
276 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/01 00:04
(((((((`・ω●´;)ノ
277 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/01 00:07
――― *4( ゚д*)Ψウマ-
ああ… スレの主役が食われてしまう……
279 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/01 00:12
。 ポイ (((((`・ω●´;)ノ ↑ 左目
あぼーん
281 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/01 00:15
283 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/03 23:23
よく考えたら夏侯淵は反乱鎮圧ばっかりで演義での見せ場が少ない! ……不公平だ!
какой>ロシア語で(カコーィ)と読みます。 意味は どんな、何と〜!といった感じです
286 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/04 22:42
( ,,・д・)< какой!
287 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/04 23:19
夏侯一族と言えば「宮城谷昌光」の「孟嘗君」には「夏侯章」と言う人物が出てくる 作者は資料を丹念に調べる人だからどこかの資料にその名が載っていたのかも 「孟嘗君」の舞台となったのは戦国時代の斉国の薛、そのあたりはかつて紀国(夏王朝の末裔の国)が存在していたところで沛にも比較的近い 紀国は夏王朝の末裔で王であった頃は「夏后」とも呼ばれていたらしいので夏侯一族は夏王朝の末裔かも知れないと妄想 そうすると曹操は兎王の子孫?(W
>>288 このスレは、とりあえずアリアリでつよ。
すまん兎王→禹王だ
夏侯廉 知名度が低い貴族です。
292 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/05 01:36
>>291 夏侯廉って、張汎とめっちゃキャラがかぶってますね。
夏侯一族の現在 夏侯惇 私の墓を… 夏侯淵 私の墓はまた誰かが作ってくれってあれが墓か? 夏侯廉 何処ですか?
>>287 >>146 で紹介した
「黄氏發祖源流」の附注に、「夏侯氏なる女性を娶った」と書いてあるから
間違い無いと思う。
295 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/05 02:05
取り敢えず三国志の夏侯一族一覧作っとくので、 その他の時代は皆に任せる。 (五十音順) 威 栄 淵 咸 恵 玄 献 衡 佐 纂 子江 子臧 儒 充 駿 邵 尚 承 称 績 荘 惇 覇 博 文寧 奉 楙 褒 本 【广異】 蘭 令女 廉 和 演義のみ 夏侯恩 夏侯徳 夏侯存 姓のみ 夏侯氏
296 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/05 14:05
≪両漢時代≫
>>52 より
夏侯嬰━夏侯竈━夏侯賜━夏侯[皮頁]
┣
漢の武帝の姉
夏侯嬰━□━□━□━夏侯信…
≪魏晋時代≫
>>295 より (五十音順)
威 栄 淵 咸 恵 玄 献 衡 佐 纂 子江 子臧 儒
充 駿 邵 尚 承 称 績 荘 惇 覇 博 文寧 奉 楙
褒 本 【广異】 蘭 令女 廉 和
演義のみ
夏侯恩 夏侯徳 夏侯存
姓のみ
夏侯氏
プラス、夏侯嵩(曹嵩)。これで全員っぽいですか?
夏侯頗
夏侯惇将軍のとこに嫁に行きたいのですが。
300 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/05 18:44
嫁キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
301 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/06 23:28
嫁まで貰えて、夏侯惇は人気者ですね。
303 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/07 01:23
夏侯惇だー ヽ(´ー`)ノ
漏れも夏侯惇なら嫁に逝きたいと言ってみるテスト。
305 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/07 03:41
じゃあ、漏れも嫁に逝こうかな
おれもおれもー。
>夏侯惇将軍
うん、知ってるから平気。
ふつつか者ですがよろしくおながいしまつ。
>>304-306 じゃあ皆で嫁に逝こうYO!
>308 しかも男も混ざっている罠。 このスレ参考にして夏侯一族で妄想伝の護衛兵作ってみようかな。 チーム名はさまーず。
310 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/09 13:54
横田めぐみさんで思い出したけど、夏侯覇の従妹が13、4歳で 張飛に拉致されてそのまま嫁になってるんだよね。 そして娘を産んでその娘が劉禅の皇后になってる。
夏侯惇の家には鏡が無いのでオシャレさんにはつらいとおもいまつよ。
age
314 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/17 22:14
夏侯一族って決して裏切ったりしないね。
無双1をやってますが、初期武将のパラあげにもっぱら黄巾の乱をやります。 何度もやってると攻略ルートが定まってきてて、ふと気づくといつも夏侯淵の隊と一緒に 山を登ってます。 いつもいつも一緒に行動してたからかな、最近 淵が漏れの中で気になる存在になってきますた。 こ れ っ て 恋 で す か ?
316 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/10/17 22:17
>>314 そうですね。夏侯嬰の代から主君と苦難を共にするのが
好きな様です。
少なくとも、営利栄達では裏切りません。
>>315 L・O・V・Eかも?
318 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/10/17 22:46
>夏侯嬰の代から主君と苦難を共にするのが >好きな様です。 確かに。( ,,・д・)< какой!
319 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/18 01:04
・・・・・・・・・・・・・夏侯霸
>>319 いやそれは司馬懿の専横と横暴に反対して、
やむなく降ったのでは?
321 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/10/18 22:20
>>320 >>317 の、少なくとも、営利栄達では裏切りません。」、の但し書きは
夏侯覇のためだとみた!
>>321 正解w
田中芳樹の短編小説「白日、斜めなり」を読んで以来
どうしても夏侯覇の肩を持ちたくなってしまったので。
これを読むと彼の辛い気持ちが犇と伝わってくるので…。
それに毋丘倹や文欽、諸葛誕、公孫淵らと違って主家に刃向かってる様
にはどうしても見えないので。
323 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/10/20 23:46
あくまでも曹魏に尽くすという姿勢だったんでしょうね。 もしも曹一族が司馬氏の専横を盛り返せたのであるならば、 夏侯覇も蜀に走らなかったかな〜、 なんて。 その点、一時は呂氏の専横を許しながらも、 ふたたび劉氏一門の文帝に使えることが出来た夏侯嬰は 幸せだったのかもしれない。
>>323 しかしいつも思うのだが、なんで曹真の一族だけが
曹氏の代表になっていたのかが分からない。
別に曹仁の孫とかでもいいわけだし、曹洪の子孫でもいいわけで
他に曹操の孫達も、うじゃうじゃいたはずなのに
なぜ曹爽兄弟のみが専制していたのかわからない。
現に、彼等の次が司馬一族に変わるし…。
如何に司馬一族の功績が大だとはいえ、創業の臣の一族に実権が
あまりないのも賦に落ちない…。
「お前らいったいなにやってんじゃ〜〜!!」と
夏侯覇が口火を切ったのかもしれない。
325 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/10/21 23:12
>>325 そういう事になっちゃう罠…。
屯田の権利も司馬一族に知らぬ間に奪われてるし…。
政治的&軍事的実権はおろか、物質的なものまで支配されては
司馬一族が天下をとったのも、成るべくして成ったということか…。
327 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/22 19:11
火口欠
329 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/10/22 22:22
≪両漢時代≫
>>52 より
夏侯嬰━夏侯竈━夏侯賜━夏侯頗
┣
漢の武帝の姉
夏侯嬰━□━□━□━夏侯信…
≪魏晋時代≫
>>295 より (五十音順)
威 栄 淵 咸 恵 玄 献 衡 佐 纂 子江 子臧 儒
充 駿 邵 尚 承 称 績 荘 惇 覇 博 文寧 奉 楙
褒 本 【广異】 蘭 令女 廉 和 嵩(曹嵩)
≪演義のみ≫
夏侯恩 夏侯徳 夏侯存 夏侯傑
≪姓のみ≫
夏侯氏
――――――――――――――――――――――――
はい。文字を修正して、夏侯嵩と夏侯傑も追加。
しかし、できれば忘れたままでいたかったよ……傑。
>>329 ありがとう…こおろぎ。
よかったな……傑。
331 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/22 23:38
夏侯傑の傑は 傑物の「傑」! そして、 傑作の「傑」!
「傑作」の「傑」に10万票……
かこ、…オケツ…………………。
【回文】 夏侯傑漬け置こか?
335 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/23 09:04
( ,,・д・)< какой!
誰かがネタもってくるまで…アゲ
Какой отдых?
338 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/10/25 23:46
>337 睡眠休憩です。
339 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/26 07:22
>336 ネタってわけじゃないが、立派な名字だよな。 夏の候だろ?夏王朝と関係あるのかな?
>>339 恐らくある。というか、それについてもこのスレに少し書いてある。
書虫で売っている『百家姓姓氏起源』がものすごく気になるのだが、 買うべきだろうか? もしも買ったとしても、そこにちゃんと夏侯氏の起源は書いてあるのだろうか?
>>341 是非買ってみてくれ。
夏侯姓に限らず、色んな謎を解く鍵になりそうだし。
夏候霜
>342 発注しますた! ……が、品切れでした! 中国本土から3週間余りをかけて、気長に運搬されてくるそうですが、 本当に入手できるかどうかは、現段階では極めて不透明な状況です! (ち。これだから輸入書籍は…… ぶつぶつ) なんとか和本で、中国姓の起源について書かれた本はないものですかねぇ。。。 >夏侯霜 どなたでしょうか?
>>344 度々すまんけど、本が来たら和訳してくれ…
う〜ん、がんばります。 でも、もしかすると和本でいい解説書があるのかもしれないので、 引き続きなにがしか探してみます。
>>344 神保町の内山書店の店頭にあった気がする。
まあ書虫で買えればそっちのほうが安いんだが。
名字の話題が出たので便乗ですが、夏侯惇や夏侯淵の 諱と字の関係ってどんな意味があるんでしょう? 某スレで諱と字は掛け合わせて付けられてるというのを 見たのですが。
>>347 (田舎モノなので、内山や東方に買い物に行こうとすれば、飛行機に。。。(´・ω・`)
>>349 字は諱の代わりに日用される名前なので、
陳「宮」の公「台」や、諸葛「瑾」の子「瑜」のように
諱のもつ意味と掛け合わせて(対応させて)付けられる場合が多いです。
ですが、甘寧の「興覇」や、夏侯淵の「妙才」のように、
全く関係の無いふるった字が名乗られる場合も多々ありますよ。
夏侯惇の元譲の場合は、「惇」も「譲」も、
同じく、「つつしみ」の意味を持っている文字なので、前者のパターンなのでしょう。
>350 手持ちの漢和事典で「惇」の字の意味を調べたら 「人情にあつい」「真心がある」とな。 名は体をあらわす。惇兄(;´Д`)ハァハァ
つまり、「興覇」や「妙才」などのように字が熟語みたいに 出来ているのと、惇と譲、飛と翼、雲と龍みたいに諱と字の一部が 関連付けられているのと二つあり で、伯とか仲とか、兄弟の序列を示す文字もつけてその人の人となりを しめしたわけですね。
ご丁寧に有難う御座いました。 『つつしみ』『人情に厚い』『真心がある』なんて、 正に夏侯惇の人となりを現すのに相応しい意味合いですね。
354 :
無名武将@お腹せっぷく :02/10/31 13:47
夏侯惇(゚д*)age
355 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/01 22:45
夏侯惇の話をしようよ!
では…。 テーマその1:よく夏侯惇が14才の時、師匠を侮辱した男を叩き殺したエピソードが 出てくるが、あれは武術の師匠なのか学問の師匠なのだろうか…? テーマその2:夏侯惇に手紙を貰った呉の石威則とは何者? テーマその3:本当に夏侯惇はヘボかったのだろうか? テーマその4:夏侯惇は人材登用にも大活躍してた!? テーマその3:夏侯惇の所領は青州で青州兵は夏侯惇の部隊!? テーマその4:夏侯惇が殺した辺譲って何者?
>356 グッジョブ! とはいえ……ちょっと正史読み直してきます。 個人的には「3」は否定したいとこだなぁ。
マターリ進行で構いませんので気長に書いて下さって結構です。
359 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/02 22:43
>>356 >テーマその1:よく夏侯惇が14才の時、師匠を侮辱した男を叩き殺したエピソードが
>出てくるが、あれは武術の師匠なのか学問の師匠なのだろうか…?
「学問の師匠」と『正史』夏侯惇伝にはあるけれど、……なんの教科かな?
算数かな? 家庭科かな? (← たぶん「三礼」とかそういうのなんだけどね。)
ちなみに、『演義』での夏侯惇の登場は、演義第5回。
「14歳の時師匠を侮辱した男を殺し…」のエピソードは、『演義』での
夏侯惇の初登場シーンにも書かれている逸話だよ。
ただし、
なぜか『演義』では、「武芸の師匠」とされている。
…なんでだろ(・∀・)?
>>359 そう、演義と正史では微妙に違うのである。
やはり演義では猛将のイメージを作り上げ損なわないために
羅貫中がアレンジしたのだろう。
武術の師匠を侮辱するくらいだからその男も腕が立つ
↓(惇が14才にして殺す)
夏侯惇猛将 ヽ(゚Д*)ウヲラッ!
↓(孔明が初陣にして破る)
孔明はなんて凄い奴なんだ!(゚Д゚)ウマー!
…で、良いと思う
361 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/04 00:07
『演義』では、夏侯惇は、 高順を負かしたことになっていますしねぇ……。 (Σええ―――っ!?) しかもその時、目玉まで食べていますからねぇ……。 (Σえええ―――っ!?) そんな凶暴な夏侯惇は、夏侯惇じゃないような気がするんですが。 やっぱり「猛将」のイメージのためなんでしょうね。
というわけで、テーマ1の謎は解けますた。 えと、既述のテーマ意外に何かありましたら どんどんテーマをお寄せくだされw
解決、早っ!! 『演義』の中〜後盤にかけて、創作夏侯氏のやられキャラを続々と登場させるためにも、 まずは、夏侯惇をイケイケドンドンの猛将タイプに仕立てておいて、 「夏侯氏=魏将=けっこう強い」というイメージを 作っておきたかったんでしょうね。
364 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/05 14:37
本当に夏侯惇はヘボかったのだろうか……
365 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/05 14:44
火口ケツ 火口恩
366 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/05 14:49
加工ゾンって誰? いたっけ?
367 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/05 15:03
368 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/05 23:30
>>366 『演義』のみに登場する架空武将で、とりあえず居るには居ます。
ただし、夏侯傑と同じく、夏侯惇の一族であるという描写はないので、
通常は無視してやっても構いまてん。
? ? ┃ ┏━━━╋━━━┳━━━┓ 夏侯惇←従兄弟?→夏侯淵 ←…………叔父・甥?………→夏侯徳 夏侯尚 夏侯儒 . ? (妙才) (?) (伯仁) (俊林). ,┃ .┏━━━┳━━━╋━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ ┃ ┃. ┃ 夏侯衡 夏侯覇 夏侯称 夏侯威 夏侯栄 夏侯恵 夏侯和 夏侯玄 夏侯奉 ? (?) (仲権) (叔権) (季権) (幼権) (稚権) (義権) (太初) (?) ┃ ┃ │ ┃ ┃ │ ┃ ┃ │ ┏━┻━┓ ?←養子?┘ 夏侯本 夏侯績 従妹 夏侯駿 夏侯荘 ↑ . │ (?) │ (?) (?) └─ 養子? ,──┘ ┃ │ ┏━┻━┓ 夏侯褒 │ 夏侯湛 夏侯淳 (?) │ (孝若) (孝沖) ┌──── .│───────────────────────┐ │ │ .│ │ 夏侯氏[女性]==婚姻===張飛←……義兄弟………→劉備 │ │ ┃ (益徳) (玄徳) │ │ ┏━┻━┓ , ┃ .│ │ 張氏[女性]==張氏[女性]======婚姻======= 劉禅 │ │ .│ └────────────蜀皇室──────────────┘
┏━━兄弟━━┓ 夏侯淵←……従兄弟?……→ 夏侯惇 夏侯廉 (元譲) ┃ .┏━━━┳━━━╋━━━┓ 夏侯充 夏侯楙 夏侯? 夏侯? (?) (子林) (子江) (子臧) ┃ ┏┻━━━┓ 夏侯[广異] 夏侯佐 (?) (?) ┃ 夏侯邵 (?)
371 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/06 01:18
後はよく分からんかった。
372 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/06 01:48
>>テーマその6(4ってあるけど6でいいんだよね?) 辺譲(字:文礼) 九江郡の太守。 陶謙と親交があり、曹操が徐州攻撃を行った際、救援に赴くが途中で夏侯惇に討ち取られた。 という人ですね。誰かもう少し詳しくお願いします。今、三国志貸し出し中でわからんの。
373 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/06 02:27
≪両漢時代≫
>>52 +α
夏侯嬰━夏侯竈━夏侯賜━夏侯頗
┣
漢の武帝の姉
夏侯嬰━□━□━□━夏侯信…
□━□━夏侯建(長卿)
夏侯都尉━〜━夏侯始昌━〜┫
□━夏侯勝(長公)
(五十音順)夏侯?(長況)・夏侯敬
374 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/06 02:39
>>373 の文字化け修正:前漢(五十音順)夏侯訢(長況)・夏侯敬
≪魏晋時代≫
>>369-370 以外(五十音順)
咸 献 衡 纂 承 称 信 嵩(曹嵩) 陟 博 文寧 蘭
≪演義のみ≫
夏侯恩 夏侯徳 夏侯存 夏侯傑
375 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/06 02:59
三国以降〜(括弧内は字) ≪晋追加≫ 夏侯瞻 ≪南北朝≫ 北魏 夏侯道遷 梁 ┏夏侯亶(世龍) 夏侯詳(叔業)┫ ┗夏侯夒(季龍) ≪随唐≫ 夏侯孜(好學) 夏侯審 夏侯端 ≪宋≫ 夏侯嘉正(會之) 夏侯嶠(峻極) ≪元≫ 夏侯尚玄
376 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/06 03:31
>>372 演義の人物事典が手元になかったので正史より。
武帝紀1 陳留の辺譲と家族を曹操が皆殺し。
董二袁劉伝6袁紹伝註『魏氏春秋』
九江太守辺譲は英才で天下に名を成していたが曹操に厳しい態度で
意見したので晒し首、妻子絶滅に。民は怒り人が手を挙げるたびに従う。
徐州等で曹操が陶謙に敗れる原因に。
崔毛徐何邢鮑司馬伝12崔琰伝註『続漢書』
孔融・平原の陶丘洪・陳留の辺譲は三人並んで俊秀として評価され
若手の代表だった。
和常楊杜趙裴伝23楊俊伝
楊俊は陳留の辺譲に学問を習い辺譲は楊俊の才能を評価。
王毋丘諸葛ケ鍾伝28鍾會伝裴註
虞松は九江太守辺譲の外孫にあたる。
377 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/06 21:44
378 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/06 23:36
カコウトン(゚∀*)イパーイ
まぁ、魏略の夏侯氏の女を張飛がさらったって部分は創作だろうなぁ
380 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/07 12:59
≪戦国≫ 楚の夏侯
381 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/07 13:50
日本の司馬さんって元をたどれば中国人だったんだろ?
382 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/07 13:52
日本にも司馬って苗字あるんだ。知らなかった。
384 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/07 21:05
もし図書館にでも行かれる方がいらしたら 新釈漢文体系(明治書院)の『史記』を探せば武帝までの夏侯氏は 探しやすいかもしれません。 『戦国策』にも楚の夏侯が乗っているみたいなのでどうぞ。 最近図書館めっきり行かなくなったので『史記』の全訳がどの程度 出来上がってるかは分からないんですがw
385 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/07 21:10
そうそう、一応分かるものでは 楚の夏侯・・・『戦国策』 楚策 夏侯嬰・・・『史記』九十五 にあると思います。何か詳しいことが分かるかな?
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
>>287 に関連して。
『姓譜』
夏侯、本姒姓、夏禹之後、杞為(レ)楚滅、
簡公弟佗奔(レ)魯、魯公以(2)佗夏後(1)、
受(レ)爵為(レ)侯、因以為(レ)氏。
>>387 夏侯氏は、そんなに古い名前だったんだ。。。すごい!
これは、氏は「[女似]」、姓は「夏侯」という意味なんですよね?
[女似]氏ならば、やっぱり帝禹の流れだったんだ……。
夏侯は元々[女似]という姓で夏の禹の末裔だった。 杞が楚に滅ぼされ、簡公の弟[女似]佗が魯に逃げ、魯公は[女似]佗が夏の末裔なことから 侯の爵位を与え、ここから夏侯になった ・・・って感じかなぁ。
390 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/07 23:04
これは、ageだ!
しかし、夏侯氏が帝禹の流れだったとすると、 自動的に曹操も、そうなってしまうわけなのか。
そうそう
総仁って基本的に争闘の一族であって曹操の一族ではないだろ?
>>393 当て字はやめようや。
曹仁は確かに紛れも無く曹騰の一族の一因ではあるが、
その騰が曹操の父を養子にしたわけだから
曹操を一族と見なすのは当然。
宦官であるが故に後継ぎは出来ず
養子を迎え入れるのも当然だと思うし…。
>>391 と、すると劉氏なんかよりもはるかに歴史が古いし
伝説にまでなった名君であるから
魏はそんじょそこらの詐称皇帝とは訳が違うと思われる。
395 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/09 00:40
>そんじょそこらの詐称皇帝 しかし本来、人界の「帝」とは、血統などではなくて、 天命を革めての、革命に拠るべきものだったはずだが……。 家系図作ってるときにそんなこと言ってもはじまらないけど(笑)
398 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/09 22:54
399 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/10 13:43
あげっ
401 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/10 23:28
袁術 (´Д`;)
402 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/11 00:17
袁術 (´Д`;)
403 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/11 23:10
むむう、しかし袁氏は陳の公族の流れだから帝舜の末裔となるな だから袁術の登極OK、とはならんな・・・・・・ なんたって >そんじょそこらの詐称皇帝 の代表格
404 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/11 23:20
えらいずれたレスだが 淵 については以下のような意味があった 物事の奥深いところ、究極 物事の寄り集まる所 物事の成り立ってきたみなもと 字の 妙才 とはやはり関係があったと思う と言ってみる
405 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/12 00:43
>>403 むむう、それならば黄帝自身の氏は公孫なので、
公孫氏である公孫度が、一番帝位にふさわしいという結論には……? ならんな(笑)
>>404 夏侯衡のあざなが、容易に「孟権」であると推察できるように、
夏侯淵の他の兄弟のあざなに、軒並み「才」の一字が付いていれば
間違いなく確定でしょうね。
やはり資料が少ない世代は、なにかと不利だ。
>>黄帝 史記に「姓は公孫、名は軒轘」とある とどこかの本で読んだ時 「だから公孫ってどこの公孫だよ!?」 と激しく一人突っ込みシタ(w
>>381-382 遅レススマソ
日本の司馬さんは斯波氏からの転化らしい。
斯波を名乗る土豪が多かったからかねぇ。
408 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/13 02:45
作家の司馬 遼 太郎(をお中国人みたいだw)の先祖は三木城の篭城に参加してたらしいがその時は司馬だったのかな斯波だったのかな? ってスレタイから脱線
司馬遼太郎の司馬は司馬遷から採ったから関係ないと思うが。
411 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/13 07:23
412 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/13 20:46
>>411 夏侯惇スレなのだと知りつつ、
「福田定一さんだね」、とageてみる。
413 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/13 20:48
>>408 司馬遼太郎の先祖は、赤松氏族の宇野氏だよ。篭城のころは宇野を名乗っていた
はず。
414 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/14 22:18
1がどっか行ってしまった
415 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/16 16:59
半分くらいは、1の魅力で持っているスレなのに……
416 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/16 18:41
もっと夏侯惇を! 盛大に1を呼び戻す饗宴を!!
ただいまw
あまりに、質の高いレスが多い為 見てる方が面白くなってた。
419 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/17 00:20
居た居た。
『百家姓考略』清・王相撰が届きましたよ。
初学用の本ですが、俺はもう、これでお腹いっぱいです。
「夏侯」姓そのものに関しては
>>387 が挙げてくれた解説の通りですので、
夏侯の流れの「曹」姓に関して抜き書いてみます。
【曹】角音。[誰+れんが]郡。[猯の右だけ+頁][王頁]五世孫陸終。
第五子安。大禹賜為曹姓。[朱β]国黎[睨の右だけ+β]皆其後也。又姫姓。
……だそうです。
後半の、「著名な曹姓」のコーナーには、
曹操が、「(曹騰)養甥夏侯氏之子嵩為子。生操為漢相。」、と、
ちゃんと夏侯氏の流れであることが書かれていました。
>>419 へぇ。そういう本があるんですね。
著名な夏侯姓はありましたか?
421 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/17 00:47
>>420 著名な夏侯氏のコーナーにも、「曹操」が居ました。。。(´・ω・`) ショボーン
ちょっとだけ夏侯惇にまつわっていた部分は、「昌」姓のコーナーです。
ここには、「著名な昌姓の人物」として、わざわざ昌[豕希]が挙げてありました。
422 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/17 02:23
曹操が夏侯一族のホープなのか・・・
423 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/17 18:59
(゚д*)ウマ-!
424 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/17 23:06
夏候惇は猛将ではなかったのか!? という、判りやすい燃料を補給。
425 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/17 23:11
>>424 猛将の夏侯惇なんて萌えじゃないからヤだ!
という、頭の弱いコのような反論を展開。
>425 >こおろぎタン、かわいいぞ! 夏侯惇は猛将でもいい。 でも同時に、正史のとおりに清潔で慎み深くて 曹操に信頼される人格でなきゃやだ、と 難しい注文をつけてみる。
427 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/18 02:16
「夏侯惇、萌え」 これでよろしい。
>>406 軒轘は氏だろう?と、再度脱線を試みるテスト
430 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/18 22:39
>夏侯惇は猛将でもいい。 >でも同時に、正史のとおりに清潔で慎み深くて >曹操に信頼される人格でなきゃやだ このくらいややこしい性格の方が、奥行きがあっていいですね。 >著名な夏侯姓の中に夏侯惇は居なかったのか…? 「有名な夏侯氏」のコーナーには、夏侯嬰と曹操しか居ませんでした。 このままでは、昌[豕希]以下の扱いです。 この本、どうしてくれましょうか?
>>429 名字としての「軒轅」氏の説明のところに、
「有熊氏からこの名字が発生しますた!」、と書いてあるし、
軒轅は、黄帝の住んでいた地名であり、別名だったとも言われますよね。
唐代あたりになると、完全に姓としての「軒轅」氏が定着しますが、
黄帝の時代は、まだ、姓・名や通称の区分は
なぁなぁでもよかったんでしょうか?
ざっと読んだ範疇では、よく分かりませんでした。
>>430 かく言う俺もかつて高校図書館にあった、
中国の人物について書かれていた物凄く古い本を読んだけど、
夏侯惇は無かった…。他の時代の夏侯某が載っていただけで…w
まあ、三国志の関連本じゃないから
夏侯のコーナーは夏侯嬰と曹操がいれば充分とも言えるしね。
むしろ、昌[豕希]位しかいない昌姓の物悲しさが…。
433 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/18 23:49
>>432 昌[豕希]はビッグだ――――――っっ!
そうでなきゃ、昌[豕希]相手に何ヶ月も苦戦した、
夏侯淵・張遼連合軍がアホみたいや――ん!?(笑)
>昌[豕希 誰だ・・・
昌豨(昌覇)・・・魯周辺の豪族のようです。 曹操と対峙するも張遼に説得されて降伏。 反逆して一次劉備の元に身を寄せたりも。 結局5回反抗したようですが最後は旧友于禁の元に下りました。 于禁は悩みながらも曹操を優先して斬り、これにより于禁は曹操から の信頼を確固たるものとします。 「昌」という字は通常地名や字、号などに使われ昌姓の人物を探すのは なかなか困難のようです・・・が、黄帝の臣に昌寓なる人物がおり、荘子 に七聖人の一人とされています。 んで、こっからの展開として劉備、曹操、夏侯惇に続く家柄対決w
実は、昌姓の出所が黄帝の子供さん、昌意なる人物から始まるようです。 『通志』で引用されるところ 昌氏、風俗通云、黄帝子昌意之後、今嶺南多(2)昌族(1)、 望出(2)汝南東海(1)。 昌豨の活躍(?)する場所を考えれば昌意の子孫でも おかしくないかも。ただ漢代に士族だったような昌姓の人物が 見当たらないので三国志の時代ではただの土着の徒党のボスって感じ だったかも知れませんが。
>435 5回でなく7回許せば心から下っただろうに。。。
>>431 ごめんちゃぃ。氏は鴻だったね。スマソ...
>>433 ワロタw まあ、確かに…w
>>435-436 へ〜、以外だったなあ…。
まあ、希に見る姓なだけに出自もしっかりしてるってことだろうね。
(あくまでも中国での話だけど…w
日本だと、明治のころに百姓が面白半分で付けたのが多いから…)
>>437 それは、七擒七従の孟獲では…w
440 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/20 00:21
>>435 黄帝の息子が昌意。そしてその昌意の息子が、
>>419 で書いた、楚の祖になった、高陽氏・[猯の右だけ+頁][王頁]帝(せんぎょく帝)なので、
曹操の「曹」氏や、「夏侯」氏よりは、
昌[豕希]の「昌」氏の方が、ずーっと発生としては古いですね。
ふふふふ。。。 この勝負、昌[豕希]の勝ちです。 (喜んでいいのか!?)
>>436 風俗通とは、応劭の『風俗通義』でしょうか?
全文を持っていない上、飛ばし読みしかしていないので
そんなおいしい説明文があるとは知りませんでした。
もっと精進します。│ω-)゛
>>440 そうでしょう。<風俗通義
応劭って汝南出身で靈帝代に太山太守、黄巾賊討伐、獻帝代に袁紹
の軍謀校尉ということなので臧覇や昌豨あたりと活動範囲が
むっちゃ被ってますねぇ。昌豨は昌姓の継承者を名乗る名家
の出だった可能性もあるのかな?(三国志読む限りはたちの悪い野
党の首領にしか思えんけどw)
>[猯の右だけ+頁][王頁]帝(せんぎょく帝)
これ、「ていせんぎょく」(帝顓頊)のことだったんですね。
今ごろ気づいたw 帝の位置がひっくり返っただけで分からなくなるとは
なんとも情けない・・・
風俗通義は明徳出版社から部分訳が出てるけど、 436さんみたいに「通志」とかに引用されてるところは載ってないんだよね。 ちなみに、応劭は泰山太守時代に領内で曹嵩が殺されてしまったので、 曹操の追及を恐れて袁紹の元に逃げ込んだ人ですね。 夏侯一族が絡まないのでsage
>>442 もう少しだけ脱線してもいいのかな?
超A級の重要人物であるにもかかわらず、
この板で応劭の名前を見かけるのは稀有なことなので(笑)。
応劭が曹操を怖れて袁紹に庇護を求めたというのも、194年当時の曹操が、
一般の知的階級からはどのように思われていたかが窺い知れて、興味深い話ですね。
張[しんにゅう+貌]はともかく張超なども、すでに曹操を警戒していた気配が濃厚ですし。
そして、そんな初期から曹操を守護してきていた夏侯惇にさらに萌え。
(……と、無理矢理夏侯一族につなげておく。)
自分が持っているのも、明徳出版社の『風俗通義(部分)』です。
全文の内容は知らないのですが、博学で知られた応劭ならば、姓の分布も調べていて当然だと思います。
『風俗通義』はよく註として引かれているので、
早く全文が和刻されないものですかね。。。
>>441 紀伝体という性質上、正史『三国志』では昌[豕希]はあまり目立ちませんが、
于禁と幼少時代から親交があったり、
臧覇一党ががっちりと抑えていた青州〜[亠兌]州西部で何度も反乱を起こせるあたり、
昌[豕希]はただの野党ではないんでしょうね。
藍田の劉雄鳴と同様、昌[豕希]は官ではなく在にあって何らかの地盤を持った、
強力なオピニオンの一人として考えるべきかもしれないです。
さすがは『演義』関羽のモデルであり、夏侯淵をてこずらせた男です!
それにしても、最初から「帝せんぎょく」って書いておけばよかったですね。
Uni出すのが面倒なので、毎回、漢字を分解して書いていてすみません。
445 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/21 13:56
あ、あげっ
446 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/21 23:33
夏侯惇は?
447 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/22 00:05
1はそんな嫁はもらいませんよ。。。(たぶん)
ずいぶんごつい嫁だな。
今度は惇兄が嫁に行くのか…(w ふと気になったんだけど夏侯惇の奥さんってどんな人だったんだろ。
大夏侯(夏侯勝)・小夏侯(夏侯建)って夏侯惇に関係あるのかな?
>>444 >紀伝体という性質上、正史『三国志』では昌[豕希]はあまり目立ちませんが
確かに目立ちませんねぇ。でも出てくるのが武帝紀、張遼伝、于禁伝、
夏侯淵伝、先主伝、諸葛亮伝・・・と演義的にメジャーな武将でのみ
ってのがすごいw
>Uni出すのが面倒なので、毎回、漢字を分解して書いていてすみません。
あ、大丈夫ですよ。私は使う機会があるたびにちょっとずつ漢字登録に
入れてるだけですから。
普段見慣れない漢字なので「ていせんぎょく」という音の響きだけが頭に残って
いたので「せんぎょく帝」だとピンと来ませんでした。「へぇ、そんな皇帝もいたんだ〜
」って思ってましたw
夏侯とはちょっとずれるけど應劭話、興味深かったです。
『後漢書』應劭傳78ってどんなことが書いてあるんでしょう?
『晋書』と『後漢書』も全訳あればいいのになぁ。
453 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/23 18:48
1召還age
454 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/24 00:32
2も召還age
455 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/24 18:13
>>451 大夏侯・小夏侯の記録は『晋書』の中にありましたっけ?
学者系なら、『資治通鑑』の方がありそうな気がするけれど……。
晋代の思想史はよく分からないので、人材募集のスレ上げ。
系譜は
>>373 参照。夏侯惇等と関係あるのかは知らないけど。
夏侯始昌の下で尚書・洪範五行伝を、他欧陽氏に学び礼を説いた・・・らしいです。
尚書論語説撰者。『前漢書』75、88に登場
小夏侯も尚書を治めているようす。『前漢書』88に登場
夏侯始昌が漢武帝代なので微妙に史記に載ってなさそう・・・。
457 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/24 23:34
都尉っていうのが微妙な気がする・・・
尿を飲む健康法は知っていたが、 左眼を食べる健康法は知りませんですた・・・。
460 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/26 00:00
>>456 しまった。『漢書』は今手元には無いですね。
また改めて調べてみます。
>>458 「左眼を食べると健康になる」、のではなく、
「左眼が食べられるくらいなら、それは健康」、だというオチかと。
461 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/26 23:30
なぜ夏侯惇は左目を食べたことになっているのだろう? 聞いた話によると平話でもすでに食べているらしいが この話を聞いた中国人は、本当に夏侯惇を親孝行だと思うのか?
462 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/26 23:37
>>461 ウケ狙いだと思われていると考えられる。
>>461 親孝行な猛将というややこしいイメージを端的に表現する為である。
464 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/27 01:38
親孝行でイカモノ喰いな猛将というイメージ・・・・・・
465 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/27 01:41
食人の常習で目が好物だっただけじゃないか?
466 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/27 01:47
普段から喰ってただけじゃないのか?
467 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/27 02:57
普段から食ってたと思う
468 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/27 04:25
俺も普段から食ってたと思う。
470 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/27 15:18
471 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/27 15:30
472 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/28 01:38
俺も普段から喰ってたと思う。
>472 そのネタは終わった。
474 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/28 16:07
やっぱり食ったと思う
475 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/28 17:31
・・・ここのスレでは食わない方向で話を進めてみよう。
476 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/28 18:04
>>456 結局のところ、『漢書』には夏侯都尉が何者であるかが書かれていないので、
大夏侯・小夏侯と夏侯嬰との接点が不明です。
ただ、こちらの夏侯氏は斉南が本拠地であるようなので、
汝陰を本拠とする夏侯嬰の流れの夏侯氏である可能性は薄いのかな?
>>476 さんくす。
それから新たな夏侯さん、夏侯陽ってのも見つけた。
『夏侯陽算経』の撰者。ただし詳細不明で北周以前の人と言われているそうな。
478 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/29 17:26
あまりにも新しい名前(夏侯陽)が出てきたので、 求人がてら一回上げ。 書籍そのものは、『孫子算経張邱建算経夏侯陽算経導読』として 現在でも入手可能みたいですね。 ただ、夏侯惇とのつながりは謎……。
479 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/30 03:40
(゚д*)age!
480 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/30 14:35
夏侯惇夏侯淵以外は人気ないのかな・・・
今のところ、見てるだけのスレ主。
482 :
無名武将@お腹せっぷく :02/11/30 15:32
>481 働かんか(w
483 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/11/30 16:10
もっと立ち上がろう。
ピンコ立ちage
>480 夏候嬰も他よりはこの板では知られているじゃん! ちょっと地味ではあるが、韓信の将器を見抜き 失意の劉邦を励まし、オマケに2代皇帝の命の恩人。 夏侯惇夏侯淵は、人気あっても虚像のおかげだしさ。
>>485 うん?聞き捨てならんな。何を根拠に虚像などと…。
>>485 夏侯淵は虚像どころか過小評価気味だぞ。
488 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/02 22:39
>487 光栄では二人とも最強クラスじゃん。
489 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/02 23:45
(釣り堀状態だが、そこがいい。) 知名度と重要度の違いって難しいかもね。 夏侯嬰より夏侯惇より、 文化史上では夏侯陽のほうがはるかに重要人物だったりするし。 お笑いの点数的には、 夏侯傑が他の追随を許さないし。
490 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/03 01:31
夏侯傑は無しの方向で・・・・゚・(ノД`)・゚・。
491 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/04 08:50
485の、虚像ってどういう意味だったんだろうな
492 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/04 20:23
虚像=コーエーゲーの評価、だったらツマンネ
>>492 言えてるw
評価なんて物は、分野や物の見方によって様々である。
494 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/04 21:39
吉川英治の三国志ではかこうじゅんだったよ!じゅん だと かっこいいのに とん てダサい!
495 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/04 21:41
別にダサくねぇだろ
497 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/05 00:18
俺は「かこうとん」の方が好きだな。
>>496 「dun」って「ドン」「ドゥン」?どう読むの?
>>497 同じく「かこうとん」の方が好きだな。
とん兄 じゅん兄 比べてみたらdの方がいいと思った。 あと、夏侯淳と混同しそうだし。
500ゲットの夏侯d
501 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/05 23:06
>>498 「ドン」でよかったと思うけれど、
中国語は中途半端にしか分からないので、人材募集age。
それと、遅ればせながら『説文解字』を引いてみましたが、
「惇」は、「厚也」とだけありましたので、
夏侯惇の名前の意味は「人情に厚い」が適切かと思われです。
502 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/06 01:41
(゚д*)ウマ-
503 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/06 02:28
(゚д*)ナンカ ネタ ハ ナイノカ!!
惇の意味なんてあんまり考えなかったけどこおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. さんが 教えてくれたので自分も一応引いてみたけど「トン」「ジュン」「シュン」の読み全てで 1:あつい=厚 2:まこと=信 3:つとめる=勉 4:敦 名前に使うにはいい漢字ですねぇ。 dはtとの間みたいな音なのでdun2でトゥ-ンって感じかな。単位記号の"t"も 現代中国語では同じ読みなので夏侯dって2ch表記はある意味正しいかもw 元の読みは[集韻]都昆切 tuen1 とあるので「トン」と「テン」の間って感じかな? 正式な字体が・・・書き様に無いな。 惇=小+[(高)−(2nd 口)+(一)+{(華)−(草冠)}] これを解読すると分かるかもw あんま夏侯惇と関係ないのでsage
夏侯惇に限らず、三国志って 出来過ぎな名前の奴多くないかな? 後から変えたのかなぁ? 最初、顔良&文醜は架空の武将かと思ったよ。
そら、親だって冗談半分に名前はつけんでしょう
>>504 解説どうもです。
やはり分からないことは尋ねてみるに限ります。
お礼にも何にもなりませんが、
せっかく文醜の名前が出てきたので、面白半分に『説文解字』で「醜」をサーチ。
「【醜】―――可悪也。从鬼。」「【悪】―――慙也。从心。而聲。」
(感想)「悪」には「強い」という意味も含まれる。
とはいえ、なぜ文醜の親御さんは、この名前を……。
【惇】の隣のページに載っているので、ついでに俺の好きな曹性もサーチ。
「【性】―――人之易気性。善者也。」
(感想)本人の人となりを全く表していませんが、
名前の意味そのものは意外とまともでした。
>>508 いえいえ。みなさんの情報を持ち寄るとすごいスレになるもんだなと
感心しているところなのでお役に立てて嬉しいです。
私も前から文醜は気になってるんで誰か解説してくれるのを待ってるんですよねw
楊醜という人もいるので名前に使う字のようですが・・・。
手元の小さな漢和辞典では
にくい、にくむ、きらむ、わるいもの、はじる・・・とフォロウしようも無いくらいw
ただ解字に面白いことが書いてあって、つくりの部分は元々「鬼」ではなかったようです。
髪飾りをつけた巫女が酒を注ぐ姿を表していてそこから「神に使える巫女」
という意味なんだとか。後に神に仕える人を忌んだことで「いみきらう」、
更に「みにくい」になったそうです。
漢代ではまだ巫女さんの意味しかなかったんですかね?
三国志には文醜が立伝されてないので彼の家柄は知りませんが神官の
家系だったんでしょうか・・・?
510 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/07 16:23
巫女と言えば、日本でも頭蓋骨を変形させ、 怪奇な容貌にしていたという事があったようですな。 しかし、男子に巫女の意味のある時を当てるかな? 陰陽の思想のあるところだしさ。
呼ばれた気がしたので来てみますた。
d兄の読み、dun1「ドゥン」って感じと思ってください。
現代中国語の辞書→【惇】手厚い (←これだけです)
中国語の古語詞典→【惇】1、敦厚、誠実。2、重視 3、勤勉
中国語の古語字典→【惇】敦厚、厚道、誠実。
次に、
>>501 にも有る「厚」を中国語の辞書で引きます。
【厚】→1、名詞で厚さ
2、形容詞で厚い(反対語は「薄」)
3、深い・手厚い
4、味が濃い
5、重視する・尊ぶ
この項目中、熟語に「厚道」とあります。その意味は「人情味がある。親切である。」
とありました。
最後に
>>504 にある元の音について。
元の読みは[集韻]都昆切 tuen1
集韻AB切 というのは、Aの文字の子音とBの文字の母音とをくっつける、という意味
です。この場合、《二重カッコは日本語の読み》
都(dou・ドウ《ト》)の子音dの音
昆(kun・クン《コン》)の母音unの音
をくっつけろ、ってことです。すると、中国語でのdun、日本語でも「トン」となります。
ただし、最後のtuenというのは、ちょと古いアルファべットの表記のようなのか、
これはよくわかりません。
(現代中国語に施されるアルファべットのunは、省略形であって本当はuenの
音を示しています。ただDとTが区別されていないところは、本当になんのことやら。
>>511 さんくす!
ついでに文醜・楊醜の名前の謎も知らない?
>>512 それは前にも聞かれて調べたことがあるんですが、納得のいく答えにはたどり着けませんでした。
一応、
【醜】1、見るに耐えない 2、憎むべき
これぐらいの意味しか引き出せません。ここから、「憎む(悪む)《ニクム》」に
強い・力強いという意味が派生、源悪源太義平や平悪七郎兵衛景清とかの人名にも
「憎む」の意味を元にした「悪」の字が使われています。ただし、単純に日本と
中国とをごっちゃにも出来ませんし、時代が大幅に異なります。ま、参考までに。
514 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/07 17:34
>>510 509さんが巫女と書いたのは言葉のあやで、
「醜」のヘンに祭祀に関わる「酉」が付くことからも、「醜」のつくりの持つ意味は
(女性に限らず)spiritismを行う者全般を指すものかと。
漢代の「醜」の持つ字義だけならば、許慎の説く「可悪也。从鬼。」
つまり、「spirit」だと思いますが、
言語学の領域ですねぇ……。はっきりとは分かりません。
文醜に関しては、引き続き人材募集age。(夏侯惇は?!)
あ。カブった。
uとueって、ä=aeやö=oeと同じ要領かな? ドイツ語のue=üはyuって音になっちゃうけど・・・。 t(d)って中国人の「たちつてと」を聞くとなんとなく分かる気がする。
「死して袁家の鬼となろう!」、の「鬼」ですね。
日本で人名に使う時は・・・「むね」と読むらしいです・・・ 昔はこの字を使う名前があったんだろうか・・・ 鈴○醜男・・・ なんっちってw
>>516 ä=aeやö=oeっていう音(表記)は現代中国語のものではないようですね。
申し訳ないが、これがどんな音なのかが想像つきません。
üはあるんですけどね。
t(d)は有気音・無気音の区別をするんですが、きっとこれも現代語だけの
区別を意味しているんじゃないかと思われます。
>>517 で言いたかったこと
酉(祭祀)+鬼(霊魂)
ハァ?
>>520 あ、すんません。それヨーロッパの方です。
a と e の間の音(例えば英語の man なんか)は原語によっては ä って
書くんですよ。タイプなんかでウムラウトが無い場合それを ae とかって
書くもんで。
だからueって表記もuの音にeが混じった感じかな〜と思いマスタ。混乱させてすいません。
>>520 >酉(祭祀)+鬼(霊魂)
そうですね。「醜」は神的なものを指す文字として成立し、
後に、儒宗以外の祭祀が貶められていくにつれ、
否定的な意味が加えられていった文字でしょう。
じゃ、夏侯一族に話を戻して……
>>375 の夏侯瞻、全く知らない人だったので少し調べてみたら、
当代きっての画家だったそうです。
画家さんですか・・・夏侯氏に芸術系もいたとは。 作品とか残ってないのかなあ?
スレ違い気味ではあったが 素晴らしい。
>>525 画家だったということ以外は、何一つ分かりませんでした……。
美術史上の人物なので『晋書』にも伝は無かったと思うし、
現存する作品の有無に至っては、どこをどう調べたものだかさえも……(すいません)
>>529 何故こおろぎなら許されるのか。スレ違いはスレ違いだろ戯けどもが。
>>530 ズレを、時期を計ってうまく修正するからだよ。
派生した余談の域を越えないから。
スレ違いの害はそのまま、主旨と全く違う方へ延々ずるずると
行ってしまうことで、
こおろぎタソ他数名は、早いとこすれ違いの話題を終わらせて
本筋に戻すという前提のもとでやってるし
それまでの功がかなり大きいところが、理由かな。
まあ、原則からいったら
>>530 の方が正しい。
>530 まぁ、一番大きな違いは知識の差だろうな お前も俺もそういうところじゃ全然及ばないだろ? コテハン名乗ってやってるだけの度胸もあるし
さーて、今週の夏侯一族は?
ごめん。 話がズレ過ぎてた。
話がずれたこおろぎ殿に追従して拍車をかけてしまいましたね。申し訳ない。
>>534-535 これからも夏侯氏にまつわる良いネタと情報を
どんどん提供してくれれば幸いである。
夏侯惇を称えるために、504で紹介された惇=小+[(高)−(2nd 口)+(一)+{(華)−(草冠)}] よりも一段階古い字体で、夏侯惇の旗を作りました。 Ω ‖┌─────────────┐ ‖│ │ミ≡ ‖│ │ │──┴── │ミ= ‖│ │ │ . ┌┐ . │ミ≡ ‖│ ││ ││ . └┘ │ミ= ‖│ └┤ ├┘ ┌─┐ │ミ≡ ‖│ └┬┘ ├─┤ │ミ≡ ‖│ │ \└─┘/ │ミ= ‖│ │ /\/\ │ミ三 ‖│ │ ──┬── │ミ二 ‖│ │ ───┼─── │ミ三 ‖│ │ │ │ミ≡ ‖└─────────────┘ ‖ ‖ ……半日かかった。
>537 でもそういう旗ってありえないよね…
541 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/10 22:39
というか、姓とか国名とかを漢字で書いた旗って本当にあったの?
542 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/11 22:39
経学道徳上、本当は諱の旗などはありえないですよね。 なんらかの旗はあったにしても、詳細知らず。 しかし名字だけの旗ばかりだと、初期の曹操軍など 「曹」と「夏侯」の旗だらけで大変だったんじゃないだろうか? ところで忘れていましたが、『演義』では 曹操の「鶏肋鶏肋…」の独り言を合言葉なのだと勘違いして陣中に触れ回り、 人死にが出るほどの大騒ぎに発展させてしまったのは夏侯惇だとされていました。 これも猛将のイメージのためでしょうか?
でしょうな…と、言いたいのですが、 夏侯惇が曹操の寝所にフリーパスで出入りできる(夜伽じゃなくてw)唯一の 人間であるから当然、深夜に曹操が部屋で夜食のスープを喰ってる最中に入り 直接伝令を聞けるのは彼だけで、従ってエピソードの 設定上、夏侯惇しかいないということでは?
544 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/12 01:01
>>542 夏侯惇の「うっかり屋さん」というイメージのアピールだとみた
545 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/12 01:43
その話は正史ではどうなっているんですか?
>545 夏侯惇は全く絡んでこないよ。たしか。
547 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/12 22:40
総合すると、曹操からの信頼厚い、うっかり屋さんのアピールなのか……。
548 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/12 23:00
楠木正成
549 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/12 23:18
同様に演義の創作といえば、博望坡で敗戦した夏侯惇を 曹操が許すシーン、あれ好き。 作品によっては曹操自らが縄を解いてやってるの。
550 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/13 02:01
博望坡の戦いの頃には、諸葛亮はまだいなかったっていうのになあ。
>>549 同意。あのシーンは夏侯惇の人となりを
うまく表現した様に見える。
でもなぜか羅貫中はあまたの魏将がいるなかで
夏侯惇には優しい。
552 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/14 02:19
>551 隻眼ってことで、キャラが立っているからな。
553 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/14 14:33
目玉を食わせてしまったことで、羅貫中の悪ふざけに拍車が掛かったとか
554 :
武田信玄大好き :02/12/14 14:36
三国志の夏候一族で有名なのは夏候ぼうでしょう。
夏侯楙のこと?
演義で夏侯惇のキャラを表現する時っていつも突発的で 印象的なのが多いのは気のせい? 突然曹操に劉備の援軍に遣わされて、左目を射抜かれて食べたり、 関羽の千里行を邪魔したり、大言吐いて負けてきて縄で自らを縛ったり…。 鶏肋のこととか…。 主役にもかかわらず、いまいちキャラが出てこない劉備より インパクトは強烈だったりするw
紀伝体のように、一人一人にスポットを当てることが小説だと出来ないからなぁ。 一度の登場でインパクトを出さんと、"通りすがり"と大して変わらなくなる。w
曹操の代理かもね。 直接曹操を使うにはキャラが合わないところを夏侯惇とかを使うことで 表現しているとか。
『演義』は講談時代の名残なのか、人物の初登場時は ほぼ確実に、「〇〇の子孫。〇〇郡〇〇県の人。姓は〇、名は〇。字は〇〇。」 という形式の名乗りから始めるので、 字や出身地が伝わっていない武将は、不当な扱いを受けている場合すらあります。 夏侯惇の場合は、プロフィールが非常に正確に残っているのと、 「珍名、古参、隻眼」という初心者にウケる要素が山盛りな点で ちょっと得をしたんでしょうね。 「曹操からの信任厚くて、短気でイケイケ」という演義での性質も、 小説の構成上、かなり便利なキャラだったのかも。
557-559 納得。
561 :
こおろぎ│ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/16 00:01
解決、早っ!!
解決早すぎw もう少し遊ばせてくれw
いや、いくらでも反論(?)があるが 取り敢えず納得いける意見なのでw
564 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/16 02:59
目玉スレ800到達!(゚д*)ウマ-!
/ : : : : : : : : : : : : : : : ,、: : : : : ヽ /: : : : : : : : : : : : : , -/ 、\: : : : :l |: : : : : : : : : : _ z,';;;;;;/ \;;\: : | l'| iヽ_ |: : : : _,,,,;- ';;;;;;;;;;;;;;;;| 十 |;;;;;;\| / | |;;;;;;;`─,,';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;キ /;;;;;;;;;;;;;\/ | \;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;_==--、 、`--- '_-=_;;;;;;;;;;;;;;;;/ |---、;;i-‐' _`_ヽ=,_`ヽ__ノ:::::::ヽヽi.;;;;;;;;/ ||--;;;;;;| .`‐`='`' ゙ ヽ::::::::::::ヽ |;;;;;/ ||;-;;、| | | ヽ、:::::::: |;;;;;;| |;;;;;;;;| |、 , ` !、 ヽ:: |;;;;;;| .i;;;;;;;l | 、 , -、_ r ' 、 | |;;;;;;| ヽ;;;;;ヽ、 i、__-== __ =-、_ ; /_|;;;;/ /\;;;;/|レi, `|!'"‐ '  ̄ ` ‐|!"/;;;;;/ト /::: `/|` !レ 、、 ,, ,,/ L;;ィ::ト /::::://\ `レリ、、 /レ| /リ" / キ::::ト_ /:::::::// \ `'レリレリレリリ / ャ、:::ト_ /::::::::// \ \ レリレイ/ キ::::\ ":::::::::/ \ \-!レリ| / `-_::::\ ::::::::/ \ |レリ / ` - _::` 夏侯惇 元譲 顔文字の三戦スレからコピペ
/ ヽ ヽ / / ||/ ` \, /./ / r-----───==/ | / .i i / | |.| / | |/ | | | i _ | // _ -─ , ̄ ̄\ | / .| |/\\ / -==、、 \___/ | / |\ \ / ヽ,,,__≡、_ / , , | / | | \ / ヽ !丿`'' /==-| ./ | |\ | ヽて, '/ ト | | | ,,, - 、 !~ / |/ | |\ | ヽ- 、 | | / | | | _,,;;-== , __`-' / / | /|\ |、 / ,──‐-'、 `i / / ノ//\__| \ '' ‐ -、 i .|/ / | /| \\レ,、 , , i / / / ./ .| \ヾレレリレリ、i;レリ、 |,イ / / .| 、 コヾレレリレリリリ' | / / ヽ| ヽ _, -'_">-iヾレリリ|! | | 夏侯淵 妙才 同上。
……かっちょいい!
568 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/17 02:35
うぉ?!カッコイイ!
569 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/17 02:54
三国志を全く知らない嫁が蒼天航路を読んで、元譲ファンになりました。
>>557-559 の意見がかなり的を得ている。
572 :
こおろぎ│ノω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/18 00:00
(1500目玉もたまっちゃった。) 夏侯惇が『演義』での一騎打ちで、 曹豹と引き分けてしまったことも、それは言わないお約束?
なぜ曹豹が!?
575 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/18 02:12
>572 その話はよく聞くけど本当なんですか? そして、なぜ夏侯惇がそんな目に・・・???
>>575 はい。『演義』の第10回、曹操が陶謙の徐州に攻め込むシーンで、
夏侯惇は曹豹との一騎討ちを行っています。
しかし一騎討ちとは言っても、双方が名乗りをあげて矛を合わせたという普通の一騎討ちではありません。
城内に逃げ込もうとする陶謙、それを追う夏侯惇、
そこに曹豹が立ち向かってくるという形でした。
しかも夏侯惇と曹豹の馬がすれ違った矢先、にわかに狂風が吹いてきたことで
一合も打ち合わないうちに、この一騎討ちはお流れになってしまいます。
だから逆に不思議なんですよ。
なぜ曹豹が横からしゃしゃり出てきたのか?
また、なぜこれほど訳の分からないシーンに
(よりにもよって)夏侯惇が起用されてしまったのか?
578 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/19 00:38
>577 豚vs豹・・・イメージだけなら豹の方が強い。 隻眼になってからの、夏侯惇なら曹豹の方が強いだろうな。 なにせ、隻眼じゃ距離感が正確につかめない。
579 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/19 22:09
そりゃあ大型新人曹豹を目立たせるために 夏侯惇が当て馬にされちゃったんでは。
580 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/19 23:28
ひいい、曹豹が強かったのか・・・?
581 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/19 23:33
>581 2は曹性LOVEな罠
583 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/20 01:17
>>572 個人的にはそのシーンの見どころは
夏侯惇が曹操の下知に応じて、無実の老人(陶謙)に斬りかかった部分かと。
「正史」とは違って「演義」の陶謙は、善良でか弱い老人です。
曹操の命令とあれば、そんな老人にも容赦なく斬りかかる夏侯惇・・・。
そういう忠義の猛将ぶりを表したシーンでは?
(曹豹はわけわかんねー)
584 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/20 02:09
曹豹わけわかんねー
曹豹、実は呂布の義理の親。(呂布の嫁の実父)
586 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/22 22:36
>>583 曹操の下知とあれば、少々思考停止気味になるほどの忠義の猛将……
いいなぁ。
>>585 曹豹が呂布の嫁の一族だという設定は、
それは羅貫中なりに、呂布ファンに余りショックを与えないように
裴松之註の内容を、ほどほどに歪曲して表現した部分と思う。
例えば、微妙にまた従兄弟だったかもしれない曹操と夏侯淵の関係を、
堂々と「従兄弟」だと言い切ったような、そんなノリで。
587 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/23 02:44
夏侯惇あげ
588 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/23 22:22
そういえば演義の夏侯一族には、誰にも特殊武器が無いな・・・
589 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/23 23:12
>>588 たしか夏侯惇も槍。夏侯淵もやっぱり槍。
もう少し工夫があってもいいと思った。
大物は奇を衒う必要無し。
槍は、リアル三国時代にはまだ存在していないので 充分奇抜な武器の予感……。
吉川英治だと、夏侯惇の槍は「魚骨槍」と固有名詞でちゃんと書いてある。
593 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/24 23:42
魚骨槍って全然イメージが湧きませんが 鉤棒のような、かえしの付いた槍みたいなものでしょうか……?
>>593 言葉のイメージから察するに、
魚の腹辺りの骨みたいにトゲトゲした刃が、
先っちょの横に何本も突いてる奴じゃないかな?
595 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/25 18:59
魚骨槍、、、知らん。
597 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/25 22:44
痛そうですね。。。
598 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/26 02:14
魚骨槍の実物ってあるんでしょうか?
599 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/26 05:36
>>598 本物かどうかは知らないが、魚の腹辺りの骨みたいにトゲトゲした刃が、
先っちょの横に何本も突いてる奴なら鉤棒でしょう
600
601 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/26 23:35
ものすごくどうでもいい夏侯氏を見つけました。 その人本人のことはどうでもいいのですが、 三国時代以降の[誰+れんが]夏侯氏の位置を物語るもののようなので、 ちょっと紹介してみます。 司馬睿から始まる東晋王朝に仕えた王一族。 その中の、侍中・丹陽尹・西中郎将・司州刺史であった王胡之の妻が、 [誰+れんが]国の夏侯氏の女だとありました。 [誰+れんが]の夏侯氏というからには、間違いなく夏侯惇たちの流れでしょうが、 王胡之といえば、あの王氏の三少・王義之の実の内兄。 晋代には夏侯一族の中から、押しも押されぬ中国史上、学者系の超名門の一つ 琅邪の王氏に嫁いだ女性が出たんですよ! 夏侯一族は王義之の姻戚でもあっただなんて、ちょっとすごい話ですね。
今初めて気づいたんだがいいスレだ! 全部一気に読んだよ!ぜひもっと盛り上げて下さい。
王義之って書道の達人の一人だよね。中国史上で顔真卿や張儀とかと並ぶ。
604 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/27 18:54
>>601 その夏侯一族のお嬢さんの名前などは
やっぱり残っていませんか?
王羲之。ぎの字が難しいです。書道の教科書いは必ず出てきます。
607 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/28 14:09
>>604 残念ながら記録されていませんでした。
その夏侯氏は、本人が何かを成したというわけでもなく、
また、いわゆる『正史』ではなく『右軍書記』の羲之書簡に記録されている人物なので、
実在はするものの、これ以上の詳細な記録は無いだろうと思います。
>>605 「羲」の字も日本語環境で出るんですね。……コピーしとこ。
608 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/30 20:42
あげっ
609 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/30 20:56
夏侯和
610 :
こおろぎ│ω・) ◆9FQQQQqqq. :02/12/31 00:34
夏侯和 …… 立派な割には一般的な知名度が低い人。
611 :
無名武将@お腹せっぷく :02/12/31 03:34
>610 ・・・それだけかぃっ!w
明けましておめで惇!!
613 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/01 13:21
おめで惇!
614 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/02 02:16
おめで惇! ところでこのスレの硬派っぽい皆様は 無双3の惇兄をどう思いますかね。
615 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/03 00:47
>>614 無双3の惇兄は見たことがありませんが、とてもかっこよく思っています。
……1はどうかな?
>>616 取りあえず、眼帯が布になった位しか
まだわかってません…
眼を食うイベントが無いし・・・。w
>>614 楽しみであることには間違いありません。
ところで、夏侯審って既出ですか?中唐の詩人なんですが。
620 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/04 18:00
>>619 名前自体は
>>375 で既出ですが、詳細は謎のままでした。
夏侯審も[誰+れんが]の夏侯氏でしょうか?
もしそうなら、夏侯惇とも関係があるかもしれないです。
621 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/04 23:21
最近、1は?
622 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/05 00:26
>>621 >>1 は我々に、無双3での夏侯惇速報をもたらしてくれるために、
無双スレに行っています(ウソ)
あ、お久しぶりw
>>622 一応本当に、コーエーの
ゲームシティーに行ったのですが、
夏侯惇の顔グラは見当たりませんでしたw
曹仁とか周泰とかしかw
624 :
こおろぎ│ω・`) ◆9FQQQQqqq. :03/01/05 22:20
夏侯惇の顔グラでは、集客が出来ないのだろうか……。
625 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/05 22:31
夏侯惇って正史だとぱっとしないと聞きましたが どうなんでしょ?
べつに際立った武功だけが”ぱっ”とした働きではない。
627 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/05 22:37
『演義』の夏侯惇ってパッとしない。
628 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/05 22:38
武功だけがぱっとした働きではない と言いますが、実際夏侯惇ってなにやってんですか?
629 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/05 22:49
一番の功績は、太守として任地を誠実に治め続けていたことかな。
630 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/05 22:52
人柄とか曹操から寄せられた信頼とか、他を圧倒してるしね。
631 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/05 22:54
毎回後詰を果たしきるというのはたいした働きだよ
632 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/05 22:57
中原を制覇するまでの方が、目立った働きはおおいよね。
633 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/05 23:08
個人的には、旧都・洛陽を含む、司隷河南尹での自治権を夏侯惇が持っていたというのが ものすごいことだと思った。 董卓が洛陽を打ち壊したことで、魏代には許遷都があったとはいえ、 晋代には再び洛陽・河南尹が帝都とされるので、 これは夏侯惇の指揮による洛陽復興が、大成功していたという証明かと。
>>620 夏侯審ってのは、新唐書の盧綸伝に大暦十才子の一人として名前があがっています。
代宗の大暦年間(766−779)に活躍した10人の詩人のうちに数えられ、五言律詩に
長じたといわれます。ただ、出自に関しては、手元には触れられておりませんでした。
ところで、五言詩の成長には、文学史的に曹操の名ははずせません。これも何かの因縁かと。
>>620 >>634 夏侯審は[誰+れんが]の出自みたいです。
夏侯審 唐 [誰+れんが]人。官侍御史。大暦十才子之一。
↑中国の人名辞典からの写し。
これしか記述は無かったんですが参考までに。
>>635 あ! すごい!!
華夏人の土地との結びつきの強さに関しては、
このスレでいちいち語るまでも無いほど、強固なもの。
「夏侯」のような、出自のはっきりしている珍姓が、各地に大量に居たとも思えないので、
唐の夏侯審も、王胡之の嫁と同等の精度で、
夏侯惇(と、いうか夏侯嬰)の流れ疑惑が濃厚かと思います。
なんだか学者・芸術家ばっかりが見つかっていますが、
そんな部分も夏侯惇っぽい。
>>633 東の河南尹(洛陽付近)と、西の京兆尹(長安付近)
いずれも中華においては、どちらかが首都か大都市。
董卓の乱で崩壊したにせよ、そこを夏侯惇に任された事実が
既に夏侯惇の勲功(若しくは能力)を証明している。
夏侯惇が三国で初の大将軍になったこともさる事ながら
対呉の楊州方面軍全26軍の最高司令官になってたのも凄いと思う。
つまり、呉との戦いで戦功をあげた武将達全てが
彼の旗下であるということである。
張遼、楽進、于禁、李典、趙儼、満寵…その他。
(むろん、↑の中には、それ以前に転任したやつや、
もっと後に赴任して戦功をたてたやつもいるだろうけどw)
638 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/07 23:09
河南尹と京兆尹が司隷特別行政区の華でしょうね。 あとは河内郡が、ちょっと目立っているくらいのもので。 >対呉の楊州方面軍全26軍の最高司令官になってたのも凄いと思う。 前線で戦う将の功績をないがしろにするわけではないけれど、 全軍の統括であったり、国の要となる地域の統治ができるというのは、 大器でしょう。 夏侯惇には、戦争やって勝つだけではない、 国家を支え、育てるための能力があったかと。
639 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/08 01:29
>>638 正に上司にしたい人ですよね、夏侯惇って。
自分の会社に居て欲しい人だ…(w
640 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/08 18:17
夏侯惇のイメージがちょっと変わった
>>638 >国家を支え、育てるための能力があったかと。
これって、儒教王朝の根幹に通じるよね。
だから曹操は彼を敬い、決して魏の臣下にしようとしなかったのかも。
曹操に不臣の礼をとられるほど優れた人物。
>>639 ああ良いだろうね。上司や同僚に敬われてるし、
部下を大事にするし。ちょびっと気性が荒いのは御愛嬌だけどw
642 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/09 00:16
長らく曹操の配下ではなく漢の臣であり、 しかも、それで八方丸く収まっていたというのも 夏侯惇の人間性の一端を示すポイントかと思う。 ゲームなどではこの特別待遇振りが表現できないので、 なんか惜しいけど。 そういえば夏侯惇が前将軍となって、 名実共に曹操の配下(魏臣)になったのは 220年前後でいいんでしょうか?
最晩年だな
>>642 曹操が摩陂に駐屯したのが219年の暮れだから、そうでしょう。
645 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/09 23:00
>643-644 ありがとうございます。 曹操が逝去したのが220年の1月23日、 夏侯惇が逝去したのが220年4月25日なので、まさしく最晩年ですね。 もしも、前将軍就任がほんの少しでも遅ければ、 夏侯惇は名実の「名」の部分では魏将ではなかった。 そう思うと、なにやら運命的なものを感じます。
644と645の話からすると前将軍になったのは220年の1月初旬 くらいってことですかね? 曹丕の元で大将軍になったのが逝去数ヶ月前 ということなのでこれが2月頃? 次のネタ、みんなで夏侯惇の年譜でも作りましょうか?w
>夏侯惇の年譜 まじで(・∀・)イイ! よろしこ!
〜夏侯惇の年譜Ver.1.01〜 14歳 先生を侮辱した男を殺害、有名になる。 ? 曹操挙兵時、裨将 190正月 司馬 白馬駐屯。折衝校尉・東郡太守 ? 曹操陶謙征伐時、濮陽の守備 ? 濮陽で呂布の捕虜になり韓浩に助けられる ? 曹操の呂布征伐の際、左眼を失う ? 陳留・済陰太守。建武将軍・高安郷侯 旱魃・虫害対策に自ら従事 ? 河南尹に転任 ? 曹操華北平定時、殿を務める ? [業β]陥落後、伏波将軍。法令に拘束されない判断を許可される。 207 1800戸加増、計2500戸。 216 孫権征伐に随従。帰還時26軍の長として居巣駐留 219 曹操から摩陂に召還、同じ車に乗り寝室に出入りすることを許される。 前将軍に任命される 寿春に帰還、召陵に軍営を移動 220 曹丕即位後、大将軍 4.25 逝去 とりあえず雛型として正史夏侯惇伝より作ってみました。 他の伝や資料からも集めて数字や項目増やしていければいいのでは?
>>648 あれ?居巣に駐留したのって、
217年の3月じゃなかったでしたっけ?
>濮陽で呂布の捕虜になり韓浩に助けられる これは194年の7月か8月かな。
〜夏侯惇の年譜Ver.1.02〜 14歳 先生を侮辱した男を殺害、有名になる。 ? 曹操挙兵時、裨将 190正月 司馬 白馬駐屯。折衝校尉・東郡太守 ? 曹操陶謙征伐時、濮陽の守備 194.7or8 濮陽で呂布の捕虜になり韓浩に助けられる ? 曹操の呂布征伐の際、左眼を失う ? 陳留・済陰太守。建武将軍・高安郷侯 旱魃・虫害対策に自ら従事 ? 河南尹に転任 ? 曹操華北平定時、殿を務める ? [業β]陥落後、伏波将軍。法令に拘束されない判断を許可される。 207 1800戸加増、計2500戸。 216 孫権征伐に随従。 217.3 帰還時26軍の長として居巣駐留 219 曹操から摩陂に召還、同じ車に乗り寝室に出入りすることを許される。 前将軍に任命される 寿春に帰還、召陵に軍営を移動 220 曹丕即位後、大将軍 4.25 逝去
>>651 に、左目1000d加増を命じる。
できれば辺譲殺害や石威則への手紙を送った日等、マイナーな出来事の日時も
キボンヌ
653 :
こおろぎ│ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/11 22:49
でも、辺譲や石威則など、 あまりにドマイナーな事件までは予想されていないですね。 そんなのを中心にして、じわじわ補完して行こうかな。
む。。。653リンク先の年表と早くもズレが生じてきた。。。 筑摩正史巻末の年表だと徐州虐殺は193年6月頃ですね。。。 まあおいおい修正していけばいいか。
>>651 に、左目1000d加増を命じる。
ははー。ありがたき幸せ!
>>653 これはいいものをハケーンですね。夏侯淵まで一緒でアリガタイ。
とりあえず今日少し調べた分追加・・・
〜夏侯惇の年譜Ver.1.03〜 14歳 先生を侮辱した男を殺害、有名になる。 190.1月 曹操挙兵時、裨将。その後司馬に。 .2 曹操と共に揚州に行き募兵。揚州刺史陳温・丹陽太守周マから4千余もらうが叛乱される。 [金至]・建平に到達、進軍して河内に駐屯。 7以降 白馬駐屯。折衝校尉・東郡太守 193.6 曹操陶謙征伐時、濮陽の守備 194.7or8 濮陽で呂布の捕虜になり韓浩に助けられる 198.7or8 高順に攻められた劉備の救援に行くが敗戦。 .12 曹操の呂布征伐の際、左眼を失う ? 陳留・済陰太守。建武将軍・高安郷侯 旱魃・虫害対策に自ら従事 ? 河南尹に転任 205.1? 曹操華北平定時、殿を務める ? [業β]陥落後、伏波将軍。法令に拘束されない判断を許可される。 207 1800戸加増、計2500戸。 213.5.22 曹操の魏王辞退時の官職は伏波将軍・高安郷侯 215 曹操の張魯征伐に従軍、陽平山から撤退する際に山上の軍を呼び戻しに行く。誤って敵が退去したことを自ら確認し報告。 216 孫権征伐に随従。 217.3 帰還時26軍の長として居巣駐留 219.10? 曹操から摩陂に召還され、同じ車に乗り寝室に出入りすることを許される。 前将軍に任命される 寿春に帰還、召陵に軍営を移動 220.2.3 大将軍に任命される。 4.25 逝去。曹丕は城門まで行幸し哭礼(孫盛のツッコミでは儀礼的に場所間違えてるらしいw) 233.5.12 曹叡が曹操の霊廟の園庭に祭らせる。 ・辺譲殺害 ・石威則への手紙を送った日
658 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/12 01:19
659 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/12 23:18
>>657 金尚の迫害や応劭の逃亡、八厨であり奔走の友だったはずの
張[しんにゅう貌]の叛心といった事件の前後関係から考えると、
辺譲殺害は、第一次徐州侵攻と第二次徐州侵攻の間……
194年の春に入れておくしかないかな。
辺譲が曹操を諌めるとすれば、金尚を追放し、徐州に兵を出した後しか考えられないし。
194年の6月になると、今度は曹操が、地元の有力者の殺害なんか
してる余裕はなくなってるし。
660 :
こおろぎ│;・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/14 23:11
答えが無い。 ……俺、なにか厨な予測でも書いてしまった?
>>660 あ、いや・・・私に限っては単に出かけて2ch見られなかっただけですw
663 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/17 11:14
夏侯嬰以前に分かれた氏族もあるんだろうな。
665 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/17 21:08
>>662 現代の感覚で言うと、「裸踊りを強要した」、くらいのやんちゃぶりですかね。
666 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/17 22:43
偉くなると共に自覚が出来てきたのか、謹厳な感じになるけれど これが地なのでしょうか?
そういえば、夏侯惇って曹操より年下だと思いますか?それとも年上?
668 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/18 16:17
>667 とりあえず無双の「曹操より7つも下」には違和感がありました。 いっそ同い年とかはどうかな。
誰か信長オンラインでd兄作れ
670 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/18 17:58
>667 陳舜臣先生の本では年下の設定になってますね。 個人的には同じ年くらいがいいです。
>667 曹操と同い年か1、2歳年下がいいな。
672 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/18 22:11
根拠の無いイメージだけど、俺も夏侯惇の方が1〜2歳年下がいいな。
惇、淵、仁、洪らは曹操の弟分というイメージ。
674 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/19 02:07
(゚д*)
675 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/21 11:07
age
676 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/21 14:50
1はどこへ行ったんだろう
惇だけは1つ2つ年上でもいいかな、って感じがするのは、蒼天のあの雰囲気の せいでしょうか。
678 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/21 23:23
誰もが、「曹操と同年代」を希望するのは、 やはり死亡時期が近すぎるせいだろうか。
夏侯惇、最近人気ありすぎてうざい。
曹操が夏侯惇を重用したことから年代が近い可能性は高いのでは? 彼の能力が高いってことだけでなく身近に置くってのは年代が近く 戦国の世で信用出来る人間が少なかったから 兄弟のような感覚があったかも。
(^^;
どうなんでしょうね・・・誤字でないとすればわざと略したのでは? 侯って姓では使わないでしょうし(私が知らないだけかな?)、必然的に 夏侯淵であることが分かるから。 あるいは技術的にそう書いたほうが文章の音的な流れが良かったとか?
>>683 侯成がいたよ
>>682 でも、侯が姓なわきゃ無いでしょ。
吉川氏か、書いた人の勘違いかと思われ
「侯」は、古い北方姓でした(詳細割愛)。
>>684 写植で作っていた時代の本は、よく一文字飛んだりしているので、
そういった類の脱字かな。
皆の夏侯惇に対するイメージって、小説や漫画なんかの 設定を反映しているのか、それとも漫画や小説が旨く読者感情を 汲み取ってるのかはわからないけど、すごく似てるw 俺も大体同意見だけどね^^
687 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/24 01:09
>>685 侯選もいたね。他にもいるんだろうか。
ところで、夏侯氏は「夏で侯だった家の後裔」という電波ネタはがいしゅつですか?
まぁ夏侯惇の時代でそれが実証できるわけじゃないので夏侯惇等が 後裔かとうかというのはただの推測ですけどw
>>691 そうですね。「姓が同じ」というだけで簡単に後裔にしてしまうと、
侯成や侯選の先祖は、蒼頡(うわっ!? 神じゃん!)になってしまいますし……(笑)
夏侯嬰から数えただけもで、少なくとも夏侯惇の夏侯家は
400年も遡れるわけなので、
これだけでも充分エエとこのボンですし。
山崎渉
695 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/27 01:46
>>686 なんにしろ「キャラが立ってる」ということ、
よろこばしい。
>>690 ヘルプサンクスです。
見たカキコなのに全然読んでなかった。。
ちなみに、王孫は王の子孫、公孫は公の子孫ってのはどうであろう?
って本題からズレまくりだけど。
698
700 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/28 04:28
(゚д*)
701 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/29 15:55
(゚д*)
702 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/01/30 23:52
(゚д*)
(゚д*)
ガ━━━━(゚д*;)━━━━ン!
惇兄、三国志ほとんど知らないうちのおかんも 「ああ、眼を食べちゃった人でしょ」って言うぐらい。 惇兄の一般的イメージは「射られた眼を食らうほどの猛将」なんだろうな。 俺も厨房のころはそんな所にハァハァ(w してたけど。 正史だと穏やかで知的な印象を受けるな。
706 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/31 21:08
. ..@
707 :
無名武将@お腹せっぷく :03/01/31 22:55
(゚д*)uma----
708 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/01 22:19
>>705 「目を食べた」。
あまりにもソソる要素です。
このエピソードに一度でも心惹かれなかったと答えれば、
ウソになってしまうでしょう。
しかし、実際は、左眼はどうしてしまったんでしょうね?
……捨てたんでしょうかね? もったいない。
もったいないって・・・
本当に隻眼だったんすか?
>>710 『演義』での描写のように、
左眼が、ポコっと丸ごと取れたのかどうかは、
実は今ひとつ定かではありません。
が、『正史』の本文や註に引かれている記述を総合すると、
「呂布との戦いの中で流れ矢に当たって左眼を負傷し、そのために陣中で盲夏侯と呼ばれ、
(隻眼となった自分の容貌を嫌って)鏡を見る度にかんしゃくを起こした」、ってことは
書かれています。
>>711 恐らく、抜け落ちたのでは無く潰れたのが正解でしょうね。
713 :
こおろぎ│ω・))) ◆9FQQQQqqq. :03/02/01 23:51
やっぱ食ってて欲しい (゚д*)ウマー
715 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/02 01:42
はなくそが採れた
716 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/02 02:46
実験動物技師
717 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/03 22:56
俺もやっぱり、喰ってて欲しい。
718 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/04 00:10
このスレ見てたら魏が好きになってきた
719 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/04 00:11
あ、やべ。昨日豆まきしてない
(^*;
721 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/04 23:57
夏侯惇
あげ
>>711 >(隻眼となった自分の容貌を嫌って)鏡を見る度にかんしゃくを起こした
余りにも有名なエピソードですねw
演義だと自分の目玉を喰う
正史だと隻眼を嫌って癇癪起こすw
いずれにせよ激しい気性を如実に表してるw
ところで、演義中に禰衡に「五体満足将軍」と罵られているけど
正史でもそう言われたのだっけ?
禰衡が魏臣を罵るエピソードは正史でも見かけるけど、
演義の人物とは少し違う人物が言われているのしか見た事無いから…。
724 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/06 22:36
>>723 曹操の元での禰衡のエピソード付近のお話しは、『演義』と『正史』で、
時間列がむちゃくちゃ違っているんですよ。
そのことは、『正史』で禰衡が曹操の元を訪れたのが196年、
禰衡の死が198年であるにもかかわらず、
『演義』の禰衡が、曹操幕下の張遼のことを、「太鼓叩き」と罵っていることからも明らかです。
確認するまでも無いことですが、
198年12月までの張遼は、呂布の将軍をやっていまして……
禰衡が曹操に会いに来たという196年当時は、徐州の魯国で太守をやっていました。
曹操の元で禰衡に会っただなんて、そんなことは絶対にありえないでつ。
さて、『正史』では、禰衡が孔融の勧めで曹操に会いに許に赴いたのが196年(のたぶん、夏)。
荀[或〃]その他を罵倒したり、宴会でチンポ出したりしたので
怒った曹操に南陽に捨てられたのが、196年の10月。
翻って、夏侯惇が隻眼になったのは、
(おそらくは)196年の冬か、vs 高順戦を行った198年・夏のどちらかですから……
禰衡が許に居た頃の夏侯惇は、まだ、「食べてなかった」のだと思うのでつ (゚д*)ンマー
荀ケって漢字でない人もいるの? 関係ないけど724の話をそのままバンドの音楽活動にしても 成り立つなぁw
荀ケも日本語環境で出るんですか!? ガ―(・ω・lli )―ン ……コピーしとこ(汗) 禰衡登場時付近の時間列が『演義』でむちゃくちゃになっている理由は、 一つには、『演義』では非常に美化されている呂布と劉備の“汚い”部分の描写を、 羅貫中が意図的に避けたため。 (陶謙がジェントルだったり、陳宮やらカク萌やらが、不当なほどイイヤツになっていたり……とか。) もう一つは、列伝形式の『正史』から、編年形式の『演義』を作ろうとする以上、 どうしてもザッピングドラマ状にせざるを得なくなるので、 同年代に孫策が活発に行動していて、そっちの話も書かなければいけなかった都合上、 比較的本筋からの重要度が低く、閑話休題的な禰衡のエピソードが、 ワリを喰らってズラされていったのかなー… なんて。
「ケ」の字はWinでは見られるけど Macだとダメらしいよ。あと「c」とか。
マックで見られる漢字とか記号ってややこしいなー・・・
正直、ここまでMS-IMEばかりになると、マックがどうにかせい、と思われ。 ケやcも、ATOKなら見えるわけで。 大勢の見えていないマックの ことより 製作スタッフを責めるべきか。 機体の問題じゃなくって日本語ソフトの問題なんだから。
う〜ん、ATOKなら見えるというよりも「表示できる」だろうか。微妙だ。。 あ、ブラウザの問題もある、か。これはMS側にも責任ありじゃん。
〜 〜 /| .| < ⊂⊃ > / -□- |〜 〜| / ミ,,゚Д゚,,彡 |( ゚Д》) | \ / / |つ ⊂ 惇 ⊂_) \(_,)| 淵| // | . | // | | / / ~∪~∪~ /ミ/ ∪ ∪ / ノ
話ズレまくってるが、かく言う私はMacだったりするw
733 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/09 23:00
話、ズレまくりのままですが、 1がマカーなら、Winだけの字が出てくれば すぐに教えてもらえるから安心ですね。 (じゃあ今まで出てきた、夏侯夒(季龍)とか、1は読めなかったのでは?) 724を自分で書いてて気が付きましたが、 夏侯惇が隻眼になったのは、正確にはいつなんでしょうね? 考えられるのは、196年冬か、198年夏のどちらかで、 俺は196年の冬だろうと読んでいますが、どうなんでしょう?
話戻そうぜ。
この前うちのことえりが 「追加公演」を「つい夏侯淵」と変換してくれた。
ヾ( ゚Д》)ノ゛ナニカ語ラレイ,諸君!
738 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/10 23:43
夏侯淵は若い頃、曹操の身代わりになって投獄されていたというが、 曹操はなにをやらかしたというのだろうか。。。
下着泥棒
無銭飲食
>739-740 そんな理由で、夏侯淵が……。
742 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/11 23:23
「つい夏侯淵」ワラタ
曹操が夏侯惇の為に城中の鏡を取り外させたエピソードは微笑ましい。
744 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/11 23:48
夏侯惇に、顔の正中線に沿って鏡を立てて、 両方右顔の顔を映す遊びを教えてあげたら、褒めてはもらえないものだろうか?
747 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/12 22:40
>>745 「県の長官(と思われる誰か)に関する詳細不明の事件」、だとしかないですよね。
曹操と夏侯淵は若い頃から懇意にしていた、と、
裴松之はそれを書き残してたかったんでしょう。
>>746 そいだけかいっ! ビシッ!Σ⊂(・ω・ )
>>747 オーソドックスな突っ込みサンクス!
張譲の家に押し入った事件じゃなくて?
(つうか、曹操…あんたドキュソだよ…w)
749 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/12 23:41
若い時分の曹操ドキュソのやんちゃのせいで、 獄に繋がれる夏侯淵……。 そして曹操の手引きで脱獄し、罪を重ねる夏侯淵…… 嗚呼。 >張譲の家に押し入った事件じゃなくて? それとは別物の話みたいですよ。 (…っていうか、張譲の家に曹操が押し入りましたっけ?)
張譲の家に押し入って剣振り回したところ 周りの人は寄ることが出来なかったとか何とかっていう逸話があったような。
>748 何とかと天才は紙一重ってことで…。
>>751 曹操は好きだが、その被害者になるのはご免被る。
頭良し、家柄そこそこの不良って手に負えない・・・w
755 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/13 22:22
(張譲の家の話、出典がどこだったのか思い出せない…… 気になる……) 若い頃の曹操など、身近に居られたら迷惑で仕方が無いと思う。 県のエライ人にどんな悪事を働いたのかは分からないものの、 夏侯淵の殊勝さが引き立っている。
>>こおろぎタン 武帝記の裴松注によると、孫盛の異同雑語が出典みたいよ
孫盛は裴註によく出てくるね・・・。
>>756 『異同雑語』が出典でしたか。
……それは、『魏略』よりも格段にぁゃιぃ。。。
>>757 孫盛の異同雑語は、史書の異説を収録することを目的として成り立った書、
という解釈で良かったでしたっけ。
本文の異説だらけの書だとすれば、裴松之が頻繁に註に引くのも止むを得ない。
やっちまった、今更気づいたけど武帝 記 ってなんだよ俺・・・曹爽に連座して逝ってくる
760 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/15 14:06
(゚д*)
左目回復age
762 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/16 22:21
つい夏侯淵。
763 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/17 00:10
カコーボーが、チュキチュキー!!
764 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/18 21:31
カコーケツも、チュキチュキー!!
(゚Д゚;).oO( こ、こおろぎさんがコワレタ・・・)
767 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/21 22:32
普通の三国志ファンは、夏侯楙なんて 一生知らずに過ごすかもしれないのに……。 コーエーが変に脚光を当てたりしたから、 事あるごとに笑いものに。
架空の場合はいいとしても実在の人物なんかは 1800年も経って自分のことあれこれ言われるとは 想像だにしなかっただそうな・・・w
769 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/21 23:39
>>768 まず、『演義』に採用されたか否かが、武将たちの明暗を分けています。
そして、その中でもゲームに採用されたかどうかで
さらに勝ち組みと負け組みとが明白に……。
ゲームの能力一つで笑いを取り、一躍有名になった夏侯楙は、
「試合に負けて勝負に勝った部類」、……かな?
でも、夏侯楙を真剣に考えれば、
魏末期〜晋へと続く過程での厭戦気分の蔓延と、
二世功勲貴族たちの、退廃ぶりも見えてきたり。
つつましやかで財産作りにつとめなかった惇兄の息子が 金儲け好き、ってすごいよなあ。 将軍の子息なのに贅沢できなかったっていう反動なのかなぁ>楙
優れた父・叔父と何かにつけて比較され もうイヤソ気分だったかも 彼自身はそんなに凡庸でなかったかもしれないのに残念だ
772 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/22 21:59
>将軍の子息なのに贅沢できなかった 夏侯淵の子供や弟なんて、リアルで飢え死にまでしているのにねぇ。 (とはいえ、夏侯淵の次男・夏侯覇の硬骨ぶりを考えれば、 夏侯惇の次男・夏侯楙は、やはり際立ってダラけていたとしか思えない……)
773 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/24 02:56
(゚д*)
>>772 俺は飢えに困って、「食った」という意味だと思ってた。<淵の息子
>>774 しかし同時に、死んだ弟の子供も助けなければならなかったわけだから、
その解釈だと、むしろ、「飢えに困って食わせた」のでは…… < 淵の息子
北朝鮮で多発している食人犯かよ!w
777 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/25 22:15
196年当時の自陣に程イクがいたのなら、 それだけでも、食人犯との謗りは免れえまい。
779 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/26 23:30
>>777 (……食人事件は、194(or195)年の間違いでしたわ(汗)
>>778 そうなってくると、惜しいのが夏侯令女です。
もしも彼女が削ぎ取った耳や鼻を食べてくれていれば
夏侯一族の名声(←なんの?)は揺ぎないものに……。
>>779 ああ、そんな事件あったね。
美人にして烈女と歴史に名を残しましたw
781 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/27 18:33
個人的には夏侯覇すきだな・・・
>>781 田中芳樹の短編小説「白日斜めなり」の覇は
カコイイ。
783 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/27 21:27
夏侯覇も、もしも一歩間違えれば
名前不詳の実兄か実姉と一緒に、
>>774 で喰われてしまったかもしれないのにね。
そう考えると、悲惨な幼児体験とはうらはらに
よくぞグレずに育ったものです。
784 :
無名武将@お腹せっぷく :03/02/27 22:08
>>783 あの時代はカニバリズムも常識の範囲内だったから、息子を食ったときいても
「ふーん」って程度だったのかも・・・
架空人物多すぎ。
>>784 −785
蜀軍の前身である劉備軍は、兵士同士で互いに食い合ったこともある食人兵団だったから、気が合ったのかも。
まあ曹操軍も同じだけど。
そういや演義の劉備はもろに人を食ったな…
789 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/02/28 22:36
>>788 「同じ食人の匂いを嗅ぎ取って、蜀に行った」……。
スレ300番代で出ていた、追い詰められた夏侯覇の悲愴な決意とは打って変わって、
深すぎる蜀への移籍理由です。
でも、「兄さん(か、姉さん)がリアルに飢えて死んだ」という体験を持つ夏侯覇には、
貴族趣味の晋はやっぱり似合わない。
う〜ん、あらぬ方向へと話が進んでるw
791 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/02 00:34
そもそも、魏の武帝・曹操が夏侯一族なのだから、 夏侯覇が、(曹)魏から社稷を奪った(司馬)晋を捨てたとしても、 それははじめから、裏切りには当たらないような気もしてきた。
792 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/02 03:32
>>781-782 自分もそれ読んで、夏侯覇好きなんだけど、
他に夏侯覇出てくる本とか記述とかってないのかな?
793 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/02 08:36
ここのスレの人みんなすごい。。 どうやってそんな知識得るんでつか?独学?それとも学者? まじに知りたい。
小説は歴史学ではないと思うが?
795 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/02 16:43
じゃあここの人は小説だけでこんな詳しくなったの?すごいよ。 自分はまだまだ未熟者ですた。ショボン(・ω・)
いやいや、私のように小説知識に毛を生やしたくらいの人も少なくないってことですよ。 そんな私などは、すぐに追い抜かれるかもしれんし。
>>791 仰るとおりでしょう。
王允の甥御さんなんて、司馬氏を裏切ったとか魏を裏切ったという表現を当て嵌めてよいものか、
とても微妙。
>>794 いやいや、三国志などの歴史小説の面白さは
はまるとその時代背景や本当の出来事までも知りたくなってしまうのが
味噌ですw
いや、それは文学だってことれす
生活の一部を犠牲にするほど三国志にハマるのは考えもの・・・
801 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/02 22:57
>>797 王凌(←とりあえず、この字で)も微妙ですね。
後漢末に死んだ叔父の王允ともども、
テロに訴えてでも国政の清潔な運営を望んだだけだとも解釈できるし。
しかし、当人は「曹魏の社稷に忠実」だと言っているものの
高位とはいえ一介の臣下が帝位に口出ししたことには変わりは無いし。
夏侯覇のように、山中に逃げ込むのが賢いのかも。
803 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/04 23:41
そういえば夏侯覇も王凌も、 「三国」志の人じゃないんだなぁ。。。
ん?
質問れす。 >657でトン兄年表がありますが、 逝去した4月25日っていうのは 旧暦れすよね?
807 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/05 18:14
基本的に加工歯マンセー
>>806 あ、いや。
803は、「もう曹魏が無くなってしまった時代の人なんだなぁ」
って意味です。 (分かりにくい書き方で、スマソ…。)
>>805 旧暦ですね。
おそらくこの板の大半の人間は、
陳桓の『廿二史朔閏表』(という本を準拠として、『正史』訳者が換算してくれた年表)
を使っていまつ。
無論、俺もその一人です(笑)
無双で片目負傷イベントがあったのは良かったけど、 んじゃぁ最初からつけてた眼帯は伊達?
811 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/12 22:59
なんか、ものもらいでも出来てたんでしょうかね。 < 眼帯
(^^)
814 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/16 12:36
か、かこうとーん
815 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/16 21:58
かこうとーん
816 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/16 22:02
無双3で顔無し武将だけど息子達出てて チョト嬉しかった。 無双6辺りでプレイヤーキャラに昇格?(w つかそんなにシリーズ続くのも嫌だが。
818 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/03/19 22:22
夏侯惇の一般的な知名度と認識のされ具合って、 正直、どの程度のものなんでしょうね。
819 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/21 12:48
820 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/21 12:55
夏候を書こう 周瑜に醤油 魯粛が自粛 イラクに委託
すでに上がってるけど晒しage
ちょっと間が空いている間に他スレからの初心者さん登場のようですね。
823 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/21 18:09
李典が移転
劉備は柳眉
825 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/21 18:14
張遼が跳梁
827 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/21 18:21
馬騰を罵倒
楽進が苦心
典韋が転移
830 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/22 18:06
黄忠が性交中
831 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/22 22:30
伊籍が移籍
いつの間にか駄洒落スレになっている・・・ >818 自分、一般的かわからんですが、 三国志に興味もつ前に名前を知ってたのは、 桃園三義兄弟と諸葛亮と曹操以外では、夏侯惇と周瑜くらいです。 夏侯惇のイメージは 「腕っ節が強くて勇み肌で、ちょっと間抜け。 しかし漢気溢れる頼れる兄貴で、手下に好かれてる」って感じでした。 曹操組の若頭ってなとこでしょうか。 興味持って小説読み始めたら、思った以上に猪武者で驚いたですが。
833 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/23 18:31
未完の大器夏侯栄
834 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/23 18:46
晋でも夏侯は活躍したの?
835 :
無名武将@お腹せっぷく :03/03/24 03:59
>>834 司馬が曹にクーデターを起こして、司馬が権力を握った時、
曹と血のつながりがある夏侯は処刑を恐れ、やむなく蜀に降ったらしい。
漏れもなぜ夏侯覇が蜀なのかさっぱりわからなかったが。
晋時代に蜀の姜維や廖化などと組んで魏討伐に参戦していたことは確かである。
カコウ(・∀×)トーン
>>834 司馬師の夫人の一人が尚の娘。また、同じく威の息子・荘とは義兄弟にあたる(※)。
※ 夫人同士が姉妹
東晋を建てた司馬睿の母が夏侯氏(夏侯光姫)。荘の娘で、湛の姉妹。
湛とその子孫は二千石や散騎常侍に昇った。
光姫や湛は東晋が建てられる前に、既に亡くなっていたけど。
そろそろネタが尽きてきたかな?
最近、こおろぎさん見ませんね。
こおろぎさんだって一人の女性なんですから。
842 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/02 19:59
おい日テレを見ろ!! 夏侯惇が出てるぞ!!
>>832 (遅レス失礼)
俺は昔は、夏侯惇って森の石松のイメージでしたよ。
(いや。目がでなく。)
「ちょっとワルくて、気風のいいお兄哥さん」、
そういう印象に書かれることが多いんでしょうね。
何でボブサップが夏侯惇なんだw
849 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/05 01:05
加工をかこう 楽進が確信
850 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/05 01:06
李典の機転
851 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/05 01:08
于禁が迂回
董卓の光沢
姜維の驚異
夏候を書こう
夏侯と書こう
>>848 ナイターの中継にサップが出てたの。
で、その時サップは前日のミルコ戦で怪我をした右目に眼帯をしてたわけよ。
そのことを言ってるんだと思うよ。
>>857 なるほど。
うわ〜〜!ナイター見ればよかったw
859 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/06 11:48
于吉は不吉
860 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/06 11:49
孫策が失策
夏侯淵が風呂に入ってばっかのスレが昔ゲーム板に立ってたと思うんだけど、誰かログ持ってない?
oO( 夏侯淵の風呂スレ、まだかな…… )
863 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/13 00:48
三国志のサイトで夏侯恵を演じている女スゲエキモイ
>>863 ここで愚痴るな。晒す事も、言論で掣肘することも出来ないなら諦めろ。
865 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/15 23:48
惇の字の解説きぼんぬ
そういえば昔夏侯淵っていうすぐ風呂に行くコテいたなぁ・・・
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
>>865 昔あった気もする。過去ログ読まれたし。
>350-353に出てます、夏侯惇の字の話。 風呂好き夏侯淵が気になって調べたら、 板違いでスレあぼーん、過去ログ倉庫にもないんですな。 面白いスレだったようですね。 新参の初心者(自分)には勉強になりそうだったのに残念。
871 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/25 00:39
藻前ら、ageろ
夏侯淵はスレッドあぼーんされましたか……。 そのへんが夏侯淵の限界ですね(違
>>873 曹操に、「退く事を知らぬ者は、結局一人の敵にしか成らない。」とか
言われなかったっけ?
875 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/26 02:25
あ、1さんだ。 その話と、息子を死なせてまでも亡き弟の娘を養ったというのと しか知らないのです。 勇猛果敢、戦上手、息子が優秀、惜しむらくは慎重さに欠ける・・・ なんか孫堅に似てるのかなあ、と思ったり思わなかったり致します。
876 :
無名武将@お腹せっぷく :03/04/26 13:59
ところで、同じ一族でも上下関係というか本家分家みたいなのはあるんですよね? 宦官の養子に出された曹嵩って夏侯家の中ではどういう位置にいたんだろ。 曹家と夏侯家が皆曹操にくっついてきてるということは曹操が族長なのかな? まぁ親父は太尉になってるしな。
いや、曹操は傍流でつ。 祖父の曹騰が四男だから。
>なんか孫堅に似てるのかなあ、と思ったり思わなかったり致します。
確かに似てますねw
あと、若いころ曹操の身替わりになって逮捕されたという話もありますなw
>>876-877 曹操は誰が見ても優秀で族長として相応しかったんでしょう。
それと、曹操自身が実力で後漢の高官にのし上がっていったから
自ずとそれに従わざるを得ないのでは?
>>873 ちょっと違うかもだけどこんなんは?
「典軍校尉夏侯淵、三日五百(里)、六日千(里)」
拙速を尊ぶ性格をよく表しているかと
>878、879 お答えありがとうございます。 うーむ、武功優れて反乱をよく収め国益に貢献すること甚だしく、 よって主君の信篤く、漢中の守備を任されるが、軽挙にて没する。 しかも多大な戦功のわりに何故かいまいち地味(笑) 何か夏侯淵、好きになってきました。 それにしても鏡割りの夏侯惇といい、夏侯一族は血が熱いのですかね。 夏侯令女もいますし。 敵陣に突撃しても「天上人のごとし」と謳われて生還した曹仁を思うと、 曹一族は熱さの中にも冷静が勝るのかな、と愚考致します。
881 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/04 11:29
ほしゅあげ
>>880 夏侯一族は、義を見て為す勇者だけど
知より勇に頼り過ぎて
夏侯惇は左目を、夏侯淵は命を失ったんだと思う。
確かに、夏侯一族は侠気が勝りすぎていて、 冷静な(=小狡い)判断力はあまりなさそう。。。 夏侯楙は、ただのパーだが。
赤壁って惇も淵も参戦してたんだっけ?
二人とも残留だったっぽい
>>887 「さすがは夏侯一族のホープ!」 ……といった所でしょうか。
園田三国志での夏侯惇は、なにがなんだか分からないまま消え去りましたが。
夏候惇=軍政担当 夏候淵=現場指揮担当 こんな感じ?
>>890 一概には言えないだろうけど
そんな感じかも・・・。
でも軍政担当なら大将軍より、
大司馬や太尉の方になっちゃいそうw
夏侯淵なんかは兵糧担当官なんかもやってたね。そう言えば。
892 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/10 21:19
でも夏侯淵は速攻戦の名人と言われたんだから、やっぱり現場系だろ。
893 :
無名武将@お腹解剖 :03/05/10 21:23
夏侯惇と夏侯淵は曹操の従兄弟になるんだったっけ?
894 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/10 21:26
夏侯淵は曹操の義弟でもある。
895 :
無名武将@お腹解剖 :03/05/10 21:29
896 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/10 21:30
897 :
無名武将@お腹解剖 :03/05/10 21:32
>>896 てか、それ以外に曹操の義弟になる方法は無いと思うけど。
898 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/10 21:33
スマソ えらいまぬけなこと言ってしまった。
補足 曹操の妻の妹の婿
>>882 の補足
ついでに夏侯覇は帰る故郷を失った…。
夏侯尚は嫁を愛し過ぎて、生命を失った…。
夏侯栄や夏侯称は幼い頃から嘱望されていたが
父の戦死に伴って二十歳前に死んだ…。
901 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/14 06:50
保守age
>900 夏侯尚の話って愛妾じゃありませんでしたっけ? 一途なエピソードの多い夏侯氏。萌えでございまする。 (夏侯楙は除く)
(夏侯楙は除く) ↑↑↑
夏侯楙は金に一途とか言ってみるテスト。
夏侯楙、実は惇じゃなく曹洪の子・・・・ なわけないけど、それだと銭ゲバの遺伝で納得がいくのに〜
惇兄の子はどれも…。
>905 本当にそうなら納得がいくのだが…(遠く)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
910 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/05/23 22:35
こうなってくると、逆に夏侯充が物足りなく思えてくるから 不思議なものだ。
911 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/23 22:59
黙れ女
ちょと質問。 夏侯楙は淵の息子で惇兄が養子にもらったというのは創作? 惇兄の実子なの? 実子にしては出来が悪すぎてアレなので 養子ということにしといたんだろうか。
惇兄の次男
このスレいい!!
夏侯充、これといったエピソードは存じません。 可もなく不可もなく、ってことなんでしょうか。 インストールしてる三国志辞書でも変換されず 夏侯壱〇になる始末・・・( ´Д⊂カワイソウ
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
上司にしたい三国武将NO1!>>夏候惇
919 :
無名武将@お腹せっぷく :03/05/28 21:36
ほす
てす。
>>910 夏侯充にまで、アフォな事をやれと!!?
夏侯保守
923 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/23 09:49
どの性でもかっこよくねえ? 春侯(しゅんこう) 夏侯(かこう) 秋侯(しゅうこう) 冬侯(とうこう)
924 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/23 14:24
季節じゃない
あぼーん
926 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/23 15:23
夏乞うジュンの食眼って嘘かよ。 そしたら正史をふまえたら知力40武力36統率79って感じだな。 あー駄目将軍。
927 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/23 16:48
928 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/23 20:47
良スレ? 質問。夏候覇って蜀で活躍したの?
930 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/23 22:35
少しだけ
931 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/26 15:45
活躍したが空き城と見て城内に入ろうとした瞬間飴あられの矢により死亡 姜維はかなり悲しんだらしい
あぼーん
あぼーん
935 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/26 16:55
史実でもそうじゃなかった?
史実にゃ何時死んだかも判らんょ
937 :
こおろぎ│・ω・) ◆9FQQQQqqq. :03/06/28 02:13
それは、ほら、 奥ゆかしいから……
どうでもいいがこのスレを開くたび>>5の名前が気になる。
>>938 確かにどうでもいいんですが、確かに気になります。
夏候惇VS伊達政宗
劉備を逃がすために戦死しますた
942 :
無名武将@お腹せっぷく :03/07/12 20:23
なり雅 ってだれ
943 :
無名武将@お腹せっぷく :03/07/12 20:25
何の話だ?
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
1000を前にして、もうネタが尽きたかな…。
今現在夏侯って姓の人いるのかな。 中国人の友達に聞いたら「聞いたこと無い」って言ってたけど。
>>947 王朝が変わったときに前王朝の忠臣は三族皆殺し
とかそういうことってあったのかな?
いなくなったわけじゃないと思うけど(晋にはいたし)、そうとうレアな姓なんだろうね今。 関係ないけど、現代中国語で「夏侯」はカッコウの事じゃなかったっけ?
950 :
無名武将@お腹せっぷく :03/07/18 20:30
意外と諸葛姓みたいに未発見のまま大量に集落作ってたりして。
951 :
無名武将@お腹せっぷく :03/07/18 21:05
>>949 惜しい!
それは「夏候鳥」
しかも春・夏を過ごして秋に暖かいところへ移動する渡り鳥。
(それがかっこうかどうかは知らん)
あんまり惜しくないかも
あぼーん
その友達は「てゆうか二文字の姓自体がマジ少ない」とも言っておった。 …関係ないけど、おまい中国人の癖に「マジ〜」とか使うなよwと少し受けた。
でも淳于って姓の現代中国人はリアルで見た事あり。
>955 へ〜すごいね! なんとなくうらやま( ゚д゚)スィ……
淳于は・・・ あまりうらやましくない。
夏侯姓が居たら養子に行きたいかも。
董卓みたいな当主だったらどうするのだ。
いや、それでも夏侯姓なら…
韓国に岡田がいますが... 大学の同期の友人です。会社顧問をしてますが、素で「おかだ」と名乗る ナイスガイな35歳です。
夏侯との繋がりをご教授願いたく…
もうすぐで一周年なんだね。。。このスレ。
964 :
無名武将@お腹せっぷく :03/08/06 14:40
んじゃage そういえば漢の時代の有名な儒者に夏侯なんたらの名前が・・・
夏侯始昌、夏侯建、夏侯勝など。 儒家として名を馳せた一族です。
966 :
無名武将@お腹せっぷく :03/08/12 23:40
1周年おめで惇!
一周年おめで(・∀●)d!
惇を愛する俺様
>>957 それは淳于瓊を連想してるからでは?
斉の稷下で名を馳せた淳于髠や、秦の中央集権に異論を唱えた
淳于越を忘れてはならない。
971 :
無名武将@お腹せっぷく :03/08/15 11:40
淳于嘉は?
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン