1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2012/01/21(土) 21:39:28.86 ID:b5GfBEbl
乙じゃなくてナントカカントカ
3 :
人間七七四年:2012/01/22(日) 00:45:28.16 ID:XP6yoERN
圧縮で落ちないように
____
/ \
. / _ノ ヽ、_\
/ (● ) (● ) \
| //////(__人__)/// |
>>1 乙キュン!
\ /
/ \
| ,― 、,―、 |
\  ̄ ̄ (⌒⌒)  ̄ /
 ̄ ̄\\//
5 :
人間七七四年:2012/01/23(月) 18:15:30.60 ID:443YIHTT
6 :
人間七七四年:2012/02/02(木) 20:55:52.18 ID:mdWHcQy4
すいません。本気で教えて下さい。
戦国時代ってボスの人が倒されたらそこで終わりみないな感じなんですけど、
ボスが死んでも最後の一人まで戦うとかいう人たちっていたんですか?
漫画とかでも、すぐ諦めちゃうんだけど、なんででしょうか?
本気で勝つ気があるんでしょうか?
結構昔から悩んでました。
7 :
人間七七四年:2012/02/02(木) 21:50:06.03 ID:nazdpI3H
>>6 山中鹿介なんかの尼子再興軍とか、そういった連中はたくさんいた。
しかし基本的に戦国大名とは臣下の生活や諸権利を保証する対価として
奉公・忠義を得ている存在なので、その保証する力が無くなれば、血縁などで強く結びついた連中以外は
忠誠義務もまた解消する。
今で言えば会社が経営悪化して給料が払えなくなった場合、取締役ではない一般社員にその会社のために働く理由も
無くなるのと一緒。
武士も酔狂で戦国大名に従っているわけじゃない、って話だ。
8 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 01:50:21.17 ID:H8BnE0Yh
>>6 甲斐武田家とか豪族の集合体の盟主みたいな感じだから、
盟主がやられた時点で集合体は当然解散。
盟主がやられる前から離反が始まってたりもするし。
9 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 10:44:51.31 ID:pjCiROgG
戦国武将の紹介文で
「猛将として知られたが、正月には餅を買う金がないくらい貧乏だった」
ってのを読んだことがあるんですが、誰だかわかりますか?
10 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 12:08:18.73 ID:aJSMlLk3
公文重忠
11 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 13:14:11.06 ID:xxd1Oax7
前になんかの戦国本で
戦国時代の武士は傭兵として何度もヨーロッパなどの海外へ出稼ぎに行っていて
その強さに雇い主たちは頼もしい半面「もしもこの国が内乱をやめて大陸に討って出たらひとたまりもない」と日本を恐れていた。
100年以上戦争を続け、練度、武器、鉄砲の数、勇猛さを備えた当時の日本は世界最強の軍事大国だったのだ
とありますが、当時の技術で日本から出稼ぎ感覚で軽々しく傭兵として外国へ行けたんですか?
あとヨーロッパって遠すぎると思うんですがこれはアジア諸国への間違いじゃないんですか?
あとどういう理由で雇ったか知りませんがいくら優秀でも遥か海の向こうの通訳なしじゃ言葉も通じない国の傭兵雇うなんて思わないと思うのですが?
12 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 13:20:33.07 ID:8HE5RLeU
>>11 「東南アジア諸国」の間違いです。
当時ルソンのスペイン総督などは「日本人傭兵がいないと戦争ができない」
位の事まで言っていました。
13 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 13:35:19.90 ID:aJSMlLk3
>>11 出稼ぎ感覚ではなく移住。東南アジアの各地に日本人街を作って
イギリス東インド会社やスペイン・ポルトガルの傭兵として戦っていた。
言葉に関しては短期労働ではなく移住なので当然スペイン・ポルトガル語に
堪能な武士も居たと当時の記録にある
14 :
11:2012/02/03(金) 13:51:08.15 ID:xxd1Oax7
なるほど、ヨーロッパに行った、ではなくヨーロッパ人に雇われた。が正しいのですね
武士を雇ったヨーロッパ軍人たちが「こいつらつえー」と思ったという意味なら納得ですが
東南アジアは当時イギリス、スペイン、ポルトガル三国の植民地だったのでしょうか?
また「彼らがいないと戦争ができない」とは一体何と戦っていたんですか?
植民地化に抵抗する原住民? 植民地の取り合いで同じヨーロッパ勢となら傭兵武士同士で殺し合ったことになりますが。
15 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 14:10:16.69 ID:aJSMlLk3
イギリス、スペイン、ポルトガル、オランダや各国の東インド会社辺りやね
植民地といっても交易が主目的なので支配しているのは湾岸都市とその周辺や
小島といった狭い範囲だが
傭兵なので戦う相手は選ばないがヨーロッパ勢同士の縄張り争いに使われることが多い。
中には山田長政のように現地の王朝に仕える者も多くいた。
16 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 16:26:51.09 ID:Do7+lRDQ
>>14 >傭兵武士同士で殺し合ったことになりますが。
欧州に限らず、アジア諸国の傭兵たちも同胞同士の殺し合いは避ける
同じ戦場で敵味方に別れようものなら手を抜いたりサボタージュを始める
それは雇い主である欧州勢もわかってるのでそうならないように腐心していた
ところがあるとき、敵味方に日本人同士が相対し合うこととなった
雇い主たや他の国の傭兵たちは今日は戦にならないなあと嘆息していると、
日本人は普通に全力で殺し合いを始めて皆びっくりしたと
長い内乱のせいで同胞同士で殺しあうのをなんとも思わなくなっていたわけだ
日本人傭兵が欧州勢に人気があったのは実力もそうだけど、
誰とでも戦う頓着のなさがウケていたって話
だから秀忠が傭兵輸出を禁止した時、欧州勢は大慌てした
17 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 16:50:05.18 ID:LhPidWYK
東インド会社は秀吉の死の前後で戦国の
終わりかけだしスペインポルトガルも交易中心だから
東南アジアでそんなに戦争なんかしてなかろう。
質問者の言う戦国時代とは少し時代が違ってないか。
秀吉にしても奴隷輸出禁止はしたが傭兵禁止なんて
令は出してたか?
なんか異次元の歴史の話をしてるように聞こえるんだが。
18 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 16:54:48.24 ID:8HE5RLeU
>>17 > 秀吉にしても奴隷輸出禁止はしたが傭兵禁止なんて
> 令は出してたか?
秀忠。
あと大きな戦争はなくても小規模の紛争はなんぼでもあったんだよ。
19 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 17:01:18.27 ID:Do7+lRDQ
元和七年の七月二十七日付で、
人身売買停止令、武器禁輸令、海賊停止令を出してる
それに対して欧州勢、特に英蘭が
戦争のために日本人を連れ出すのが禁止されたの、本国へ援兵の派遣を要請したり、
幕府へ禁令撤回の嘆願を始めたりしてる
大日本史料十二編の38あたりで
20 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 17:13:01.69 ID:LhPidWYK
>>18 ごめん、秀忠だったか。
でもそれはもう江戸時代だし傭兵禁止でもなかろう。
質問者の言う戦国の100年以上というのは応仁
信長として1450−1580ぐらいだろう。
その時期に傭兵として世界に出かけたなんて記録は
あるの?
鉄砲の数なんてあるけど普及したのは戦国末期だし
扱えたのも大名の鉄砲足軽ぐらいで誰もが扱えた
わけでもない。
質問者の言う「なにかの戦国本」というのが
オカルト本のような気がしてならないのだけど。
21 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 17:30:46.83 ID:Do7+lRDQ
んー、それについてもなあ
戦国時代が何時で終わるったかてのは学者様でも統一見解無いからな
長い主張になると島原の乱までとか、犬公方が文治政治に切り替えるまでとかいう人だっているしね
それに始めリについても、応仁だけでなく嘉吉の変からとか明徳の変からとか、
これまた統一見解無い
だから
>質問者の言う戦国の100年以上というのは応仁
>信長として1450−1580ぐらいだろう。
こればかりは賛同も否定も言えん
個人的な見解を言わせてもらえば、将軍の権威が完全に失墜した明応の変から、
戦国大名(一円支配・外交権・交戦権を所持した独立勢力)が消滅した1590年(或いは1591年)までだと思う
22 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 18:11:28.59 ID:LhPidWYK
>>21 それはよく理解してるつもりね。
言いたいのは質問者の言ってる本がオカルト本みたいな
感じだから疑問ももっともでそれに答えるなら
「誤解と拡大解釈いっぱいのオカルト本だから全然信用できない」
ぐらいの方がいいんじゃないかなということ。
例えば戦国期に奴隷として売られたりたまたま海外に行って
戦ったりした人はいるでしょ。でも自らの意思で「傭兵として戦いに行く」なんて
行った人がどのぐらいいるのか、一般的だったのか、ということね。
だから11の「軽々しく傭兵として〜」に対しては否定的に
答えるのが普通じゃないかと思うんだ。
例の天正使節団の「日本人奴隷が50万人いる」にしたって
そのまま受け取るわけにはいかない。
当時の人口が1200万として5%以上が奴隷なんてあるわけない。
大体船に100人乗せたって5000回運ばないといけないし
年に数回来てた位の時期にどうやって50万人運んだというのかってね。
これも「海外奴隷はいなかった」というのではなくておかしな拡大解釈と
そっからの日本自虐史観に結びつける人が多いから
オカルト本ってのは真面目に受け取ってはいけないってのを
まず答えたほうが普通じゃないかと言うことで。
なんかYW田っぽいしコンビニ本じゃなくて新書とか文庫でも
最近はそういうのがあるらしいからおかしなイラストと共に
史実として語られてるんならなんかな〜と思ったんだ。
23 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 18:13:39.85 ID:aJSMlLk3
何と戦ってるんだ?
24 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 18:31:11.75 ID:Do7+lRDQ
ありもしない行間を読むの早めたほうがいいよ、としか・・・
25 :
11:2012/02/03(金) 18:47:51.33 ID:xxd1Oax7
みなさんレスありがとうございます
その読んだ本の信憑性は私もよくわかりません(だから質問したわけですし)がそれほど堅苦しい内容ではなかったかと。
ただその本も戦国時代の終わりはいつか諸説あるから決められないと書いてました
軽々しく、っていうのは本文では「ヨーロッパへ」だったのもありますが政宗の支倉使節団
がそうですが、当時は外国までの航海といったら重大な理由があって、藩が巨額の資金や時間、人手を使って行くと
思うので給料は知りませんが(誰か知ってますか?)出稼ぎ感覚で「俺ちょっと来月からスペイン行ってくるわ、●月までに帰るよ」
みたいな感じになるかな? と思いまして。
しかしあくまで貿易拠点だったんですね、あのあたりで日本以外の貿易相手といったら琉球、朝鮮、中国の三国ですか?
でも貿易活動の縄張り争いで傭兵投入で紛争って凄い時代ですね、ようするにA店がライバル店B店に火炎瓶投げ込むようなもんじゃないですか
それこそそれが原因で本国同士が戦争してヨーロッパも戦国状態になりそうな気が……
26 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 20:10:06.97 ID:4khXX5U0
>>7-8 ありがとうございました。
今でいう契約社員みたいな感じなんですね。
やっぱお金がないと何にもできなかったのか。
27 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 20:54:18.58 ID:LhPidWYK
>>25 支倉使節団に関しては詳細な研究が出てて
今までの説はほぼ間違いと言う感じになってる。
給料と言うか「無事帰ったら身分確約」というところね。
それと出稼ぎどころか「もう帰っては来られない」という
前提での出発だから軽く考えてはかわいそう。
どのくらい苦労したかも向こうの記録に全部残ってるからね。
同じように「傭兵」なんて言葉もあまり使わないほうが
いいとは思う。事実としてそんな感じで出かけた記録は
見たことがない。
ついでだが、貿易というか各地域の珍しい産物
コショウとかね、そういうのを輸入してついでに
植民地化を図った、というところ。
このあたりもどうもその本は誤解があるようだから
一度トルデシリャス条約で調べてみてみた方がいいと思うよ。
別にスペインもポルも東南アジアにそんなに植民地は持ってないから。
お邪魔でしたな。
28 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 20:57:22.46 ID:aJSMlLk3
契約社員というより下請け会社(家)の社長だな
武士と言えば基本的には小さくとも領地や領民を持ち、それら(家)を生かすのが至上命題で
長年付き合ってきた元請会社でも共倒れするくらいなら、他の元請にすり寄るし
時によっては会社(家)を生かすために自分の命さえ捨てるのが当たり前の時代
秀吉は小牧・長久手の戦いの後、北条と組んだりして家康を倒そうとは思わなかったのでつか( ´・ω・)
30 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 21:41:52.57 ID:9libVIPh
>>29 北条は本能寺の後滝川一益をフルボッコにしたので、旧織田勢力からは
必ず倒すべき敵と捕えられていた。
31 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 21:59:47.11 ID:H8BnE0Yh
>>26 スポーツ選手が良い条件を求めて球団を移籍するような感じかも?
32 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 22:27:06.88 ID:tDikD/yj
33 :
11:2012/02/03(金) 23:08:10.45 ID:xxd1Oax7
>>12〜27
ありがとうございます
ところでお話聞いてるといろいろ興味が湧いて来たんですが、今までいろんな戦国本
読んできたけどその辺について全然書いてないんですよね
戦国時代の東南アジアへ派遣移住して戦ったり、ヨーロッパに雇われた武士たちや
戦国時代の日本を相手にしたり武士雇ったヨーロッパ勢力、貿易や縄張り争いについて
詳しく知りたいんですがどうやって調べたらいいですか?
本屋の検索機で○○関連の本で調べろ、とか、○○でググれば色々出てくるってのはないでしょうか?
34 :
人間七七四年:2012/02/03(金) 23:25:44.48 ID:LhPidWYK
>>33 悪いけどそういう事実はほとんどないから
さがしてもないと思うよ。
山田長政が近いけどもう完全に江戸時代に入ってるし。
そして江戸期もすぐに家光になって渡航自体が
禁じられる。
35 :
11:2012/02/03(金) 23:58:43.49 ID:xxd1Oax7
36 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 00:20:09.66 ID:HJDpVEVw
>>25 アジアの品物をヨーロッパに運んで高値で売るんだ。
>>33 34を補足すると戦国時代が終わりに向かって、活躍の場が無くなるから東南アジアに新天地を
求めたのが山田長政。
37 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 00:47:53.45 ID:jd0/x7zK
『雑兵たちの戦場』の終わりに上で書かれてることが書いてあったな
38 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 01:00:51.33 ID:EQeqAHZH
「アユタヤ日本人町」「東南アジア学」あたりでググるとよろし
ぶっちゃけその辺の事を詳しく知りたいなら研究者に直接聞くか自分で研究テーマにするレベル
当たらなきゃならん資料の発掘が面倒すぎる
39 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 10:44:23.19 ID:LyBXHp0Y
>>35 だから、仮想歴史?、と聞いてるんだけどね。
「気軽に海外」「日本を相手」「武士を雇ったヨーロッパ人」
とかたぶん長政あたりからの想像で話してるのだろうけど
誰もが認める戦国時代の信長前ぐらいに「海外に出た
傭兵日本人」が「世界最強で大活躍」なんて事実が見つかったら
それこそすごい。
それと長政が生まれたのが1590として
物心ついたときには関が原も終わってる。
厭戦気分いっぱいですでに平和な世になりかかっていた。
唐入りとかであぶれた?武闘派さんたちが海外に活躍の場を
求めた、みたいなのも仮想歴史だからね。
というかこのあたりの研究者がいないのは現代の
仮想歴史というより「軍部のデッチあげ」という面が強いから。
アユタヤに7000人いた、というのも確実かどうかはわからないし
「全部日本人」かどうかもわからない。
山田が四位もらってるのも翻訳としての働きとかも言うけど
いつもらったか調べればその意味もわかると言うもの。
あと高山は追放だしね。
40 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 11:00:27.14 ID:jd0/x7zK
ほんと何と戦ってるんだ?だなw
41 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 13:08:46.47 ID:V0wducNi
敵大名に送られた人質が死ぬ時って斬首?磔?
切腹や剃髪で許された事例ってあるんですか?
42 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 17:57:52.61 ID:xjXTQBVG
>>41 つ[徳川家康]
今川に送られる途中に織田に拉致られて人質に
織田家が松平家に対して従わないと家康を殺すと脅すも松平家は拒否
二年後、織田信広との人質交換で無事今川家の庇護下に入る
殺されても文句言えない展開でした
43 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 18:24:50.54 ID:jd0/x7zK
証人としての人質と、拉致られての人質を一緒に語るとは斬新な
44 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 20:44:25.18 ID:SoM75ZAm
>>41 殺された人は多いけどいろいろ決まってないでしょう。
帰還した人なんて普通にいっぱいいる。
開戦前にわざと人質を送り返す事例だってある。
有名どころでは信長ー義昭。
人質交換とは一種の「相互保障」だから
それを送り返すー破棄することによって協調関係を破棄
開戦準備みたいなことになるわけね。
細かい事例はケースバイケースだからまた聞いておくれ。
45 :
人間七七四年:2012/02/05(日) 11:43:08.65 ID:L5XxL7UT
撤退前に人質を出して追撃を免れるという応用例もある。
46 :
人間七七四年:2012/02/06(月) 11:58:48.44 ID:ffcZcPN5
こう寒いと戦国時代の暖房がどうだったのか気になります。
民家といえば囲炉裏ですが殿様の部屋には囲炉裏とかありません。
暖房はどうしていたのでしょう?
47 :
人間七七四年:2012/02/06(月) 12:15:00.08 ID:JobtfiV+
火鉢。
48 :
人間七七四年:2012/02/06(月) 14:39:54.75 ID:SMDocuag
そういえば徳川家康が、火鉢を利用した御飯の保温器というのを使っていたらしい。
どういう仕組み化はよく知らんが。
49 :
人間七七四年:2012/02/07(火) 01:21:32.97 ID:ry+NphYM
何かにまいて火鉢の灰の中に入れてたんかな。
じっちゃも保温には使ってたわ。
50 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 17:30:13.06 ID:h3A73zQZ
実の息子がいるものの無能過ぎて
他所から優秀な人材を養子として跡取りにするようなことは戦国時代にはあったのでしょうか?
51 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 17:52:36.39 ID:osQhonvA
毛利秀頼って人が、何が原因か分からないけど
遺言に自国10万石の内、9万石を
娘婿の京極高知にやって、残り1万を息子の毛利秀秋にやったという(秀秋成人済み)
やっぱりぼんくらだったのかな
52 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 18:57:29.19 ID:BgRwAdKq
名前からして秀秋はダメポそう
53 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 20:37:58.43 ID:4dwMfCG5
>>49 無能というのが能力以前に病弱だったりして指導力を発揮できないというのなら例はある
例えば小早川とか
54 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 22:27:41.23 ID:xmeqYL4+
父が羽柴河内侍従豊臣秀頼の人だね。
55 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 23:21:57.66 ID:dR4cVLvZ
やたら養嗣子外交やってた伊達さん関連は
留守宗綱、石川光専、岩城政隆らが実子なのに養子に家督を奪われている
それぞれ主君の命令、助力を得るためやむなく、幼少により無理と判断されたという理由
個人の資質よりはどの家の出身かの方が大事なんで、無能優秀ってケースはあってもレアなんじゃないかな
56 :
人間七七四年:2012/02/08(水) 23:50:26.30 ID:n0NHrzDb
伊達さんは戦国も後期っぽいから
一般的戦国期にはやはり実力は必要だったんじゃないかな。
でも「血統」は大事だから単純には解釈できないんだけど。
57 :
人間七七四年:2012/02/09(木) 00:51:30.36 ID:Q3Gn0t2b
血統主義は余裕がある時だけで、
江戸時代でも御家重視で血統には必ずしもこだわっていない。
58 :
人間七七四年:2012/02/09(木) 10:16:21.91 ID:GfovWHUe
血統主義というのがよくわからないから
申し訳ないが大名の相続ー遺産という
意味のお家主義は自分たちに正式な
「血統が無い」というのが前提にあって
天皇は言うの及ばず公家系では当然ながら
江戸時代でも血統が重視される。
これは「家名と氏の違い」という話でね。
いくら大名家でも「アカの他人」にお家を
渡すのでは「家名」が大事ということなんだけど
これはこれで矛盾した考え方。
だから質問の事例はあるにはあったかもしれないが
かなり異例というか日本史上でも特異な珍しい例で
まず「無能だから」というのが確定できない以上
単純には答えられないな〜というところ。
59 :
人間七七四年:2012/02/09(木) 11:17:33.34 ID:46z8qJoE
今川仮名目録追加分にその規定があるな
長子相続が原則だか親不孝または役目を果たさない者なら
弟や養子に相続させてもかまわない
ただし弟が可愛いからといってある事無い事言って長子を排斥するのは禁ず
60 :
名前なカッター(ノ∀`):2012/02/13(月) 18:33:25.80 ID:M00F6AgT
ちょっと質問させて下さい。
江戸時代には刀の下げ緒も大名結び、蝶結び、茗荷結び等、色んな下げ緒の結び方が
定着したようですが、戦国時代には下げ緒はどんな結び方をしていたのか教えて下さい。
61 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 20:16:29.22 ID:dbFhv463
大河ドラマの葵三代で、関ヶ原の戦い後の落武者狩りで、瀕死の敵兵に鉄砲でトドメをさすシーンがあったけど、あれは演出?それとも何か意味あるの?
確か鉄砲の火薬って当時、かなり貴重なはずだから気になったもので
62 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 20:44:52.90 ID:USEtIzxS
>>61 敵が重症を負っていたら、殺してやるのが人道的ってもんだ
当時の医療技術なんてたかが知れてるんだし
まあ葵の描写はぱっと思い出せないけれども
63 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 21:03:35.85 ID:ylA19cE4
>>61 演出だろうとは思うけども、どちらにせよ弾薬を取り出して再利用は無理だから
どこかで撃って使いきっちゃわないといけない
64 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 21:06:59.31 ID:6qGMQi85
戦国時代には何かの原因で火薬が暴発して火薬庫がぶっ飛んだり
火薬を輸送中に死傷者を出したりするような事故はあったのでしょうか?
65 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 22:24:01.09 ID:cKO7+g1j
大坂の陣で事故で大坂方の弾薬が爆発して内応と思った徳川方が真田丸攻めて返り討ちにあったり
泗川の戦いで明軍の弾薬が大爆発して混乱して島津が大勝利したりとかが有名か
66 :
人間七七四年:2012/02/14(火) 22:28:57.45 ID:cKO7+g1j
江戸時代初期だけど雷で弘前城大爆発とかもあったな
67 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 02:35:12.92 ID:gG6idrcU
秀吉、家康がキリスト禁止にしたのは日本人が奴隷として西洋人に
売り買いされてた説ありますけどどうでしょう?
大友あたりは大筒のためには、乱捕りした奴隷を売り渡しそうだし
イエズス会がポルトガルに宛てて日本人を買うなと書状だしてたのは
以前売買があったって事なのか?
68 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 09:04:14.69 ID:D0bq5rKl
記録には「足に枷はめて船で運んだ」とあるし
秀吉がそれ見て衝撃を受けて「奴隷売買禁止」をした
というのは一般的な理解でいいとは思う。
ただそれと「キリスト教禁止令」は大きく関係はしてるが
100%イコールではないからそこは注意が必要。
秀吉は「貿易ー商売目的なら日本にきてもいいぉ」みたいには
言ってるから。
売買があった、というのは事実でいいだろうけど
50万人、なんて言うのはちょっと信用できない。当時の人口が
1200万弱として5%が奴隷として流出ってのはありえないだろう。
日本に来てた船の数からざっとの計算はできるだろうけど
全部が「奴隷運んだ」とも限らないしこのあたりはあくまでも
推測の推測みたいになってしまうしね。
69 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 17:24:00.29 ID:gG6idrcU
奴隷は困るけど泰平になったら武士は余剰戦力だから傭兵として
渡航を推奨させてもいいかな
70 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 18:07:01.90 ID:pYF7jEO8
71 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 19:02:13.37 ID:Ub1sNOce
一応、朱印船貿易、という形で短期間だけは許されてますね。
日本人町、と言われるのがそうなんだけどこれを
傭兵基地みたいに勘違いしてる本が多いということなのかな。
72 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 19:39:36.30 ID:i/aipzzi
「人身売買」てのは日本でも古くからあるよ、説経節山椒太夫なんて最たるものだし
秀吉が禁じたのは「日本人(労働力)を外国に売り渡すこと」だけで奴隷はOK
で、江戸時代でもキリスト教が禁教なのは、島原の乱の影響が一番あるんじゃないかなぁ
「信仰上の理由」で既存の社会システムに従わなければ弾圧は仕方が無いとは思う
まぁ当時でもコリュ自身秀吉本人にイエスズ会が人身売買を認めていない、って釈明はしてる
(南米では奴隷制に反対した活動で現地役人に迫害されてるし)
…実際、誤解の根源はザビエルが奴隷貿易を黙認した、ことに尽きるんだよなぁ……
73 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 20:19:13.16 ID:8/PiBJIC
日本の奴隷ってのは借金返せば復帰できるし、奴隷といっても召使いみたいなもんだし。
ところが海外の奴隷には人権もないし復権の機会すら与えられない文字通りの奴隷。
74 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 20:22:21.80 ID:pYF7jEO8
いやそれは誤解
時代と場所によるけど、海外の奴隷だって自由を買い戻せた
単純労働の奴隷だって高級品だったからね
それが崩れるのが新大陸や黒人奴隷が大量に市場に出回るようになってから
消耗品になっちゃったから
75 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 21:26:27.47 ID:Ub1sNOce
大雑把だけど、戦国期とかの日本の奴隷は
買い戻し前提で価格までついててこういうのは
「人質」みたいな表現が妥当じゃないかな。
に対して海外と言うのは最初は「労働力」みたいな
ものだったけど74が言うように人種的なものや偏見が
加わって、「人間扱い」されてない。
こっちが本来の意味で問題になる「奴隷」なんだろね。
76 :
人間七七四年:2012/02/17(金) 00:19:11.91 ID:5CJ14jbW
>>75 奴隷の扱いは世界共通、どこも変わらずヒドイぞ
山椒大夫なんて、強盗に捕まって人買いに売られて(ロンダリング?)
姉の最後は弟を都に逃した後、主人の息子に折檻死される話なんだぜ
秀吉だってハート様(君たちは貴重な労働力だからね)の気持ちからの布告だしなぁ
77 :
人間七七四年:2012/02/17(金) 07:51:31.59 ID:b6f+S4/A
>>76 もちろん同意。
日本はよくて世界はひどいというのじゃなくて
時代と場所を限定して語らないと「奴隷」という
意味合いがまた違って来るという感じで。
何しろ海外だと色は違うわ言葉は違うわ
それこそ日本にいてはわからないことも多いだろうし。
ところで、ハート様、って連れとはよく真似してるけど
今でも通用するのか。
78 :
人間七七四年:2012/02/21(火) 11:00:58.96 ID:VQkXLTL+
質問です。
秀吉日本軍による李朝侵略の時、秀吉が死んで日本軍が逃げた時に
卑怯な騙し討ちで監視に来ていた忠武公を暗殺した
しまずは石がはらで裏切りをしてその後狂い死したのは本当ですか?
79 :
人間七七四年:2012/02/21(火) 11:16:51.24 ID:hkI75SnM
少しリアルな気もするが、「しまずは石がはら」この辺はさすがにわざとらしいので
ネタに3000点。
80 :
人間七七四年:2012/02/21(火) 11:53:34.87 ID:vBGMHjzp
もし、武田勝頼が小山田家ではなく真田家に落ち延びていたら、どうなったと予想しますか?
やはり、真田家も小山田家同様、織田・徳川方に寝返って勝頼を差し出したと思います?
それとも、ある程度、抵抗して引き渡さない・隠し通すと思いますか?
皆さんの意見よろしく
81 :
人間七七四年:2012/02/21(火) 12:26:01.64 ID:pl6B39pm
【質問者の心得】
・まずは検索してみましょう。簡単な検索でわかるようなことも結構あります。
・質問してもすぐに回答は出てきません。ゆっくり待ちましょう。
・質問に対して必ず回答があるわけでも、必ず正解が存在するわけでもありません。
答えてもらえなくても粘着しない。
・「○○と××、戦ったらどっちが強い?」などの比較質問は、人によって評価が違うので正解無し。
「○○がもし長生きしていたら歴史はどう変わる?」などのifを問う質問も人によって評価が違うので正解無し。
よってこの手の質問は不毛な議論を招くので禁止。
【回答者の心得】
・なるべく出典、参考文献などを明らかにしましょう。
・正確さを欠く回答があっても煽らずに冷静に補足してあげましょう。
・回答を出すのにレスを多く使いそうな質問は、適切なスレに誘導してあげましょう。
・あくまで質問に対する回答なので、議論と考察はほどほどにしましょう。
82 :
大友義統:2012/02/21(火) 13:07:04.69 ID:VQkXLTL+
ぬるぽ
83 :
人間七七四年:2012/02/21(火) 14:34:39.44 ID:Lqv4m0iR
>>80 真田昌幸は武田滅亡前にお家生き残りのため北条へ接触を図ってる
それを踏まえて、どう想像するかは任せる
84 :
人間七七四年:2012/02/22(水) 18:45:55.99 ID:L6h7Qd2F
徳川家康公は何時ごろから将軍になろうと思ったのですか。
少なくとも豊臣秀吉公の元で大臣をやっていた時は
思ってないですよね?
85 :
人間七七四年:2012/02/22(水) 19:54:59.99 ID:j4U4dmP3
推論にしかならないので荒れるもとなんだが
そこはかとない希望的観測なら小牧あたりに遡れるかも
しれないし現実的には秀次ー唐入り失敗で豊臣政権にほころびが
見え始めた時というのが多数意見じゃないかな。
重要なのは秀吉死後すぐに行動を開始したことと
将軍就任後の各政策が思いつきレベルではなくかなり
完成度が高いということだろう。
秀吉政権の延長戦上にあるという点は当然としてね。
86 :
人間七七四年:2012/02/22(水) 20:19:22.41 ID:MCS7jPGc
このバカまた言ってるのかよw
87 :
人間七七四年:2012/02/22(水) 21:39:34.76 ID:cyn4jZaF
豊臣政権が幕府だったら、こう上手くは簒奪出来てないだろうな。
88 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 00:22:00.98 ID:+/M09OVv
幕府かどうかは関係無いだろ
豊臣政権の失策は大きく三つだと思う
一つ目は諸大名に力を持たせすぎたこと
二つ目は体制作りに失敗したこと
三つ目は当然後継者問題
89 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 08:28:55.85 ID:RGSE/PR2
小牧の時に家康の書状で「勝ったら秀吉の土地を与える」
というようなのがあって、これは家康の全国的規模の統一
の意思ではなかったかという本があった。
平山か黒田だったか。
90 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 08:48:16.38 ID:AJki2hE1
>>84です。
家康公は 「管領、関白、太閤 等」ではなく将軍職に就きました。
その意味での「将軍職」を選んだ時期を知りたいのですが。
秀吉公を間近に見ていて、京の貴族の最高位では政治は
しづらいと思ったのでしょうか?
幕府はもともと地方の臨時政府なので、好きな場所で政治を
行えるので(京から離れた場所で公家衆の影響を受けにくい)
だから「将軍職」を選んだ?
となると、豊臣政権の大臣時代に「政治をやるなら将軍職がいい」
と考えたのでしょうか?
91 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 08:58:46.05 ID:+suOiM4o
何故関白で無いのか?という疑問なら、仰るとおり関白が貴族の最高位だからです
武家が関白に就任する事は公家が望まないんですよ(あと当時は豊臣家も)
単に就きやすく使い勝手の良い官職を選んだとも言えます
92 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 09:14:13.32 ID:evIOYJBY
>>88 幕府だと現将軍(秀頼)を下野させるべく武力倒幕が必要になるんじゃね?
それとも家康が関白になって武家貴族政権を開き、豊臣幕府追討をやったかな?
93 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 11:13:24.17 ID:+/M09OVv
>>92 豊臣家の武力討伐自体は史実でもしてる
将軍だから云々ってのは関係ない
将軍職がことさら特別な権威を持つのは、
江戸幕府が体制を固めて法制を整備して諸大名を統制して、
それでも綱吉くらいまでかかってようやく我々が思うような絶対的な権威として世間に浸透させた
鎌倉将軍や室町将軍、つまりこの時期の将軍はそこまで絶対的なものじゃない
94 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 13:10:18.66 ID:G1k4v9X9
家康が将軍職を求めたのは、次世代に権力の移譲がしやすかったという点もあるのではなかろうか
豊臣が跡継ぎで揉めてるのは秀吉存命当時から明らかなので、もし天下を取ったのならば世襲させやすい征夷大将軍を……というのは充分視野に入れていたと思う
95 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 13:41:22.57 ID:/T7jLLw6
武家としては豊臣が特殊なだけやないか
96 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 16:22:44.47 ID:qyMHbSxm
細かい点はあるだろうけど直前の秀吉に
対する対抗的なもの、武力政権であること
の重視ー宣言、という解釈が普通じゃないだろうか。
それとある研究家が「秀吉の関白は朝廷側の意向」という
本を出してたね。あまり書評とか見かけないが。
97 :
人間七七四年:2012/02/23(木) 21:07:42.48 ID:BSBZzgxe
征夷大将軍だって別に世襲が認められているような官職ではないんだがな
98 :
人間七七四年:2012/02/24(金) 12:02:22.98 ID:52PWb2W7
家綱の後継問題のときにさえ、宮将軍擁立の話があったくらいだからな
秀吉が存命中に後継者を関白に据えていれば関白世襲も夢じゃなかったと思う
ただその後継者を秀吉自身がぶっ殺して、
秀吉死後に豊臣家の関白独占が崩されてしまっておじゃん
99 :
人間七七四年:2012/02/24(金) 17:54:11.44 ID:/jZaIhlV
>>98 それ後世の作り話な
> 家綱の後継問題のときにさえ、宮将軍擁立の話があったくらい
100 :
人間七七四年:2012/02/24(金) 21:03:39.85 ID:uoXg9Qfd
国を盗るというのはその国の大名と豪族を殺すか家臣にすることですか?
101 :
人間七七四年:2012/02/24(金) 21:30:47.41 ID:/jZaIhlV
支配権を握ることです。
当時の国の境は地図のようにはっきりと区別できていたんでつか( ´・ω・)
街道沿いなら分かりますが僻地でも境がはっきりしていたんでつか( ´・ω・)
103 :
人間七七四年:2012/02/24(金) 22:18:49.59 ID:/jZaIhlV
だいたいは山か道か川。それが境目になってる。
104 :
人間七七四年:2012/02/24(金) 22:53:53.43 ID:/Z8c2+ZI
だからずっと土地争いってのが起きつづけたんでしょな。
真ん中に線引っ張って「後は運」といったのは鎌倉将軍だったか。
105 :
人間七七四年:2012/02/25(土) 02:34:35.09 ID:Dy7+zov0
山も確かに境目になるけど、どちらが峠を抑えたかによって国境が麓にずれることがある
九十九折で防備を固めた峠道を突破するのってすごい大変だからな
106 :
人間七七四年:2012/02/25(土) 13:29:38.19 ID:ZReQUc1t
よく自領地の地図を献上する意味は、傘下に入るのと同じ意味。
城の縄張り地図献上も然り
107 :
人間七七四年:2012/02/25(土) 22:31:39.27 ID:5zkDN35c
地図献上というのは時代的にはどのぐらいまで
遡れるんだろう。
108 :
人間七七四年:2012/02/26(日) 00:11:46.53 ID:sPhKOLsO
貴族などに荘園として寄進した頃じゃないの。
109 :
人間七七四年:2012/02/26(日) 10:02:45.36 ID:Vzkg0pOC
現代のように、勝手に地図の領地の線を書き換えたり、地名を変えて挑発するとかもあったのかねw
110 :
人間七七四年:2012/02/26(日) 13:47:42.23 ID:7nQGsDGD
誰かが死んだ時に、「あいつからここまでもらってた」とか
遺言書を偽造したりしたのが多かった。
臨終で無理やり書かせた記録の正当性の話はこないだ
論文が出てたな。
111 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 13:31:51.20 ID:W5GEEhsA
織田信孝さんや丹羽さんが率いた四国討伐の軍勢ってどれぐらいの軍勢だったの、本能寺の変の一方が入って動揺して四散するまえの人数おしえて
112 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 13:34:57.02 ID:rDA7+1MB
>>107 それこそ春秋戦国でしょ、中国の。
「版籍を献ずる」ってのは領土と領民を差し出して降伏するって意味。
版=版図(領地の地図)、籍=戸籍(領民の徴税台帳)
113 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 13:35:22.18 ID:cobuNIk8
1万4千
114 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 18:02:30.43 ID:djcvaibS
>>112 というとその慣習が日本に伝わって
こっちの土地争いというと鎌倉ぐらいからだろうけど
そのあたりから地図献上は見られるってことでいいのかな。
名簿献上みたいなのは鎌倉ぐらいから散見されるようだけど。
115 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 20:57:36.20 ID:2RsB3nMY
>>114 貴族に寄進してたのは平安時代だろ,
中国の真似とも限らないし。
116 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 21:45:09.32 ID:djcvaibS
>>115 平安の寄進はまた、支配下に入るとか降伏とは
意味が違わないかな。
真似とは違うとなると中国の話とは別に
独自にそういう慣習が発展したということになるし。
117 :
人間七七四年:2012/03/01(木) 23:54:32.94 ID:2RsB3nMY
>>116 貴族様の荘園にしてもらって上がりを献上する代わりに国税を逃れたり、他の奴の干渉を避ける為だから
降伏ではないけど微妙に支配下に入るような入らないような感じ。
118 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 00:00:26.19 ID:tTfGjdI1
>>114 例えば平将門の乱も元は土地争いだよ。将門が京に上ってる間に後見人の叔父が領地を奪ったんだから。
曽我兄弟の敵討ちも、工藤祐経が京に上ってる間に後見人の伊東祐親に領地を奪われたのがそもそもの始まり。
119 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 00:10:18.49 ID:BA7IGUqI
>>118 将門記には「女論」が原因だって書いてあるけどw
120 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 01:08:53.12 ID:tTfGjdI1
そこは「諸説有ります」としか言えない。
121 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 01:12:05.27 ID:Sj0dwspD
ってか、平安の寄進なんかは最初から支配下なのが
さらに有利になったりゴマすったりということで
攻められて支配下になるのとは違うってことでね。
鎌倉からってのはこのあたりで農具とかが改革されて
一気に土地開発が進んでその時に暴力の時代だから
攻められる前に明らかに「降伏」「支配下」にというのが
強調されるということで。
将門の時も領地争いがもちろんだろうけどその時に
「地図献上」なんて史実とかそういう慣習があったとかは聞かない
からさ。
ここは戦国スレだからそういう「名簿提出」と同様「地図提出」も
どのぐらいまで遡れるかなと思っただけ。
いきなり中国古代と言われて日本ではどうかってね。
普通に暴力による土地争奪戦は鎌倉にその端緒があるだろうから
その原型は鎌倉なんだろなと。
122 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 15:48:00.79 ID:G9Rrun9x
足利義満の子に義昭っていう紛らわしいのがいるんだな
123 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 15:48:56.50 ID:G9Rrun9x
誤爆しました
124 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 16:43:20.22 ID:eBEI0YJV
地図作成や管理は荘園警備してた武士じゃないの?
現場の兵士概要しらないと警備できなそう
125 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 21:08:46.09 ID:K9zXgEdp
荘園の管理をするのは荘園領主から派遣された荘官で、武士のするいわゆる地頭などはただの徴税官。
126 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 23:50:40.66 ID:tTfGjdI1
それは鎌倉時代でしょ。平安時代は寄進しても上がりを献上するだけで実際に支配してるのは武士とか豪族。
127 :
人間七七四年:2012/03/03(土) 20:07:46.32 ID:ho1A3f3c
128 :
人間七七四年:2012/03/06(火) 03:56:01.47 ID:0Dlfk7qt
お城について教えて下さい。城といえば石垣のイメージですが
東日本では小田原城、甲府城、江戸城くらいしか石垣がなかったそうですね。
石垣がないということは周囲の横掘、そして竹垣や塀だけで守備していたのでしょうか?
129 :
人間七七四年:2012/03/06(火) 04:31:27.20 ID:EzJzRLwk
>>128 お城といえば石垣というイメージが間違っています。主体は土塁と堀です。
戦国時代の石垣は技術が低いので土塁の周りに石を積んで見栄えが良いのと
日常のメンテナンスが楽になるくらいのもんです。
それと江戸城も家康以前は石垣は無かったぽいし、甲府城を入れるんなら
会津若松城とかも入るでしょう。
130 :
人間七七四年:2012/03/06(火) 07:54:13.23 ID:0Dlfk7qt
>>129 そうだったんですか。石垣だと登れないイメージですけど土だと簡単に突破されそうな感じで
心もとないとおもっていましたがそれが主体だったとは。
戦国時代のフィクションによるイメージ刷り込みってこわいですね。
江戸城ですら石垣になったのは家康以降とは驚きです。
131 :
人間七七四年:2012/03/06(火) 09:26:05.29 ID:EjFPvdtJ
関東の中世城郭でも八王子城や鉢形城みたいに部分的に石垣がある城もある
しかしそれにしたって織豊系の近世城郭に比べるとお粗末なもんだしな
近世城郭は熊本城でもわかるように対銃撃戦・対砲撃戦に対応した城であり、
その防御力は凄まじい反面、築城と維持に莫大な金額がかかる
中世城郭は特に対砲撃戦に対応しておらず、防御力では近世城郭に劣る
ただ短期間で築城できて築城・維持管理は遥にローコストで数を設置する場合はお得
ただどちらでも重要なのは縄張りであって、それ次第で堅城にも張り子にもなる
132 :
人間七七四年:2012/03/06(火) 23:24:59.98 ID:EzJzRLwk
>>130 土塁でも簡単には上れないです。雨でズルズルになるとなおさら。古い石垣は自然石を積んだようなもの
だからかえって手掛かり足掛かりになったんではなかろうか。
江戸城は家康が改修するまではもっとずっと規模も小さかった。それ以前は関東管領を山内上杉氏と
争う扇谷上杉氏の重臣である太田道灌の城で、重要ではあるけど天下に号令するような城では無かった。
133 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 00:01:31.49 ID:gJ9SjGSj
鉄砲全盛までは頭上の利が防衛の要だったから
急勾配石垣と塀にして槍が届かない弓で射にくいは逆に不都合だったってのもある
1000年以上土塁と柵でやってきたのに50年ほどで石垣と塀になったのは
時期の重なる鉄砲の普及が主な原因
134 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 07:18:46.56 ID:h+PxMhnd
瀬戸内海一帯は小規模な城でも石垣・石塁が多く見られるので
石の輸送技術や輸送コストで東日本は不利だったのも関係しているかも
135 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 21:00:02.92 ID:hwrW8/dE
篤姫特集感動した(ノ_・。)
改めて薩摩鹿児島の名門島津家は凄いと思った
136 :
人間七七四年:2012/03/08(木) 07:10:28.42 ID:G/puAZoq
浦上政宗って息子の婚礼の日に強襲されて死んでますけど、当時って「冠婚葬祭の日には攻め込まない」
みたいな暗黙のルールってあったんですか?でも相手が知らなかったらしょうがないですよね〜
それとも周辺の豪族には(例え敵対していても)一応通知しているんでしょうか?
久しぶりに某社の将星録辞典読んでたら赤松政秀の項に「卑怯な手を使っても勝てばよいと考えた男」
って書いてあって気になったので…
137 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 00:13:43.93 ID:9bSJpHyb
お前も冠婚葬祭の日に攻め込まれたらいやだろ?ならするな理論はあったかもな
逆に神事を執り行っている時に乱入して顔潰してやる的な戦闘も実際してたし
状況やお互いの関係によるとしか
138 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 00:23:29.44 ID:lhdeWQU0
諸葛亮が延命の神事を執り行ってる最中に乱入してくる魏延の事だな。
139 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 01:10:22.85 ID:p9Oe5Dcm
総大将の許可無く軍事行動なんてやったら軍律違反だろ
馬謖ですら切ってる丞相ならなおのこと無視できん
魏延関連の丞相の行動は理不尽
140 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 01:16:51.16 ID:9bSJpHyb
板を間違えてんぞ
141 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 08:17:46.22 ID:9u4TBcdx
花嫁移送中に略奪婚したのは伊達だっけ?
142 :
人間七七四年:2012/03/09(金) 23:20:43.03 ID:VaFH3nrK
>>128 いや東北地方でも石垣を使った城はありますよ。
柏木城とか三戸城で用いられてましたし。
143 :
人間七七四年:2012/03/12(月) 21:39:18.66 ID:L9k1DJFr
よく首級◯◯個挙げる大活躍とか言うけど、カウントされるのは最低でも足軽頭クラスの首の事を言うのですか?
それとも、侍大将クラスじゃないと認められないとか?
144 :
人間七七四年:2012/03/12(月) 23:55:33.40 ID:a6wb1gWG
腐った首なんてなんでも一緒だから
とりあえず持って行けばという状況もあるし
証拠にならないから鼻とかあごだけでいいとか
いろいろだろねぇ。
145 :
人間七七四年:2012/03/13(火) 00:56:57.91 ID:je+cEGMy
基本的に武士個人が功績と認められるのは兜首、つーことは武士の首やね、
それとは別に率いた部隊の首取り数もあってこっちは数からいって雑兵を含む数
146 :
人間七七四年:2012/03/13(火) 16:21:07.97 ID:15b+6CKD
大阪の夏の陣でな、大坂方に褌一丁で戦った武士がいたんだ
その弟が恥ずかしいから鎧を着てくれと頼んだら、
「だから兜だけはかぶってるだろ―、討ち取られたらちゃんと武士として扱ってくれるさv」
と答えたとかいう話があってな
つまり145の言うように兜首(武士の首)とそれ以外の首では当然差があった
147 :
人間七七四年:2012/03/13(火) 21:14:37.01 ID:8l7HiTKM
>>143ですが皆さん、レスありがとうございます
やはり、兜を被れるぐらいの地位の武将の首じゃないと評価されないのですね。
で、それを何十個も挙げるって、思っていた以上に大変で凄い事なんですね、大変、勉強になりました
148 :
人間七七四年:2012/03/15(木) 19:33:22.02 ID:vGeg3nA6
家康だったと思うんだけど、
「死ぬ人は先に天国に行ってるだけで、死んだ人も残された人も一緒だよ。」
みたいな歌があったはずなんですがご存じないでしょうか・・。
149 :
人間七七四年:2012/03/15(木) 21:23:55.05 ID:cN5Nyd1E
>>148 『先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う.』
150 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 00:51:46.93 ID:uQM5ToDh
151 :
人間七七四年:2012/03/19(月) 09:16:13.44 ID:kQom43Vy
戦国時代の資料を色々漁ってると「京極竜子」が「京極竜」って表記されてたり、「織田徳」が「織田五徳」とかになってるのもあるんですが、これって本名は一文字なんでしょうか?
五徳辺りは五女なんだろうなって分かるんですが、姫に○子ってなるのはいまいちよく仕組み分からないんですが・・・。
152 :
人間七七四年:2012/03/19(月) 09:24:36.02 ID:L9QLj5ed
丸子は平安の昔からあるので何の不思議もない。
153 :
人間七七四年:2012/03/19(月) 10:22:06.41 ID:OJJEWgFf
>>151 質問内容がよくわからないけど、文書なんかでは略して表記されるのは
普通ですね。
「おね」で有名になったけど、手紙では女性名を1文字で
サインしたりするので、それが「本名である」というわけではなくて
あくまでサインってことね。
「子」表記については古い歴史と流行があったりするんだけど
そういう話なのかな。
154 :
人間七七四年:2012/03/19(月) 21:50:27.07 ID:kQom43Vy
>>152 何も不思議なかったんですね。
なんか○子ってなんか現代っぽくて違和感を感じたので気になったんです。
>>153 どう質問したら良いか分からず漠然とした形なってしまってすみません。
なるほど一文字で書くのはサインであって本名でない可能性もあるんですね。
最終的な質問の意図としては京極竜子は竜なのか、竜子なのか、はたまたどっちでも良いのかという感じです。
他の○子についてもそういう風な感じです。
155 :
人間七七四年:2012/03/19(月) 22:55:32.71 ID:L9QLj5ed
>>154 今やってる大河でも待賢門院璋子とか美福門院得子とか出てくるし、清少納言が仕えたのは定子中宮だし、
北条政子もいるよ。
156 :
人間七七四年:2012/03/19(月) 23:47:17.62 ID:Cblfv0fC
○子ってのはそれまで皇族や貴族の女子の名前の最後に女(こ)と付けていたのを
平安時代に子(こ)という字を当てはめ始め、それが流行って武士も付け始めて
最終的に庶民も付けだしたって感じだから、庶民が使い始めたのは最近だけど
現代風という訳ではなく古風な名前やね
157 :
人間七七四年:2012/03/19(月) 23:56:47.19 ID:fMW3gjKS
158 :
人間七七四年:2012/03/20(火) 12:35:25.59 ID:IeSvAU0I
子、の最初は男が使ってたんだけどね。
小野妹子みたいに。
これは男性表現の「コ」というのの漢字表記で
女性は「メ」が一般的だった。
漢字は「女」「賣」。
これに尊称の「ヒ」がついて「彦」「姫」になっていくというのが
古代からの大雑把な流れ。
子は女性名、というのは少し誤解を招くから戦国から
はずれるが念のため。
それと、「子」となってるのは本名?がそうだから
手紙で「竜」「ね」となってるからといって
どっちでもいいということはないよ。
可能性じゃなくて、本名じゃない、ってことね。
ちなみにこないだ出た市の直筆書状?には
「い」とサインがあってそっから推定されてた。
159 :
人間七七四年:2012/03/21(水) 16:40:37.62 ID:it+XThbe
藤木史観とはどんな見方なんですか?
160 :
人間七七四年:2012/03/21(水) 20:33:01.30 ID:Z0cXgm3/
日本は飢饉だらけの悲惨な国で
民衆はずっと苦しんでいた史観。
161 :
人間七七四年:2012/03/30(金) 02:09:04.83 ID:YR15p6gE
横山光輝の徳川家康に載っていた六条河原で
豊臣国松が斬首されるときに出た落首を教えてください。
「車」という字が入っていたはずですが…。
162 :
人間七七四年:2012/04/02(月) 19:07:33.88 ID:7JxjGDNO
ふと疑問に思ったんですけど、馬に乗りながら戦うと馬の首が邪魔じゃないですか?
刀なら斬っちゃいそうだから馬上では槍が主流だったんでしょうか?
163 :
人間七七四年:2012/04/02(月) 19:19:31.95 ID:I/3O3z8N
サーベル騎兵でググレ
164 :
人間七七四年:2012/04/02(月) 20:04:26.80 ID:1qT7XhZs
馬上武器の主流は
弓→打ち物(刀など)→打ち物・槍
と言う変遷
165 :
人間七七四年:2012/04/03(火) 15:41:02.78 ID:IUDUDHle
というか戦国時代には漫画やドラマみたいな騎馬隊は存在しないんじゃなかったか?
166 :
人間七七四年:2012/04/03(火) 17:06:05.38 ID:WQZz4Vfw
騎馬部隊は存在した。近代騎馬隊のような兵種は当然ながら存在しなかった。それだけの話。
百姓より大名の子として生まれたら幸運だと思いますが大名の子でも嫡男じゃなかった場合、
嫡男として生まれたかったなぁと思うもんでしょうか?
168 :
人間七七四年:2012/04/03(火) 21:11:39.78 ID:Z2QzgMAa
必ず嫡子が後を継ぐ、ってわけでもないのでは?
169 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 12:34:33.01 ID:yMt2WXRQ
170 :
人間七七四年:2012/04/07(土) 02:40:11.33 ID:ppqZFlEU
うちのオカンが、
「家の先祖は士族だったんだよ!桔梗紋の家紋だし!」と言ってたのですが、長野で桔梗紋なんて聞いたことないです。
どこの足軽でしょうか。
171 :
人間七七四年:2012/04/07(土) 09:18:26.91 ID:RbhDqUk3
桔梗紋は一般的な紋だし長野でもごろごろしてるでしょ
超特殊な紋じゃなきゃそれだけで出身なんてわかんねーよ
172 :
人間七七四年:2012/04/07(土) 15:39:10.40 ID:kPEwZxhZ
>>170 本当に士族(江戸時代が終わるまで武士の家系だった)ならば調べられる
調べられないならフカシ
なお、上級の百姓と下級の武士は不可分だった時期があるので、
由緒正しき庄屋の末裔たる俺も武士の末裔と嘯く事は可能
173 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 01:41:07.40 ID:1mgXeJYN
>>171 確かに…普通の桔梗紋らしいし
>>172 どーやって調べればよいのかな。
多分庄屋系だと思う。
わりと金持ちでばーちゃんの、異母兄弟は詩吟ならってたって言うし。
174 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 02:03:56.41 ID:sUzm5A2k
寺の方とか聞いてみたらどうなん?
175 :
人間七七四年:2012/04/08(日) 18:40:34.50 ID:UUPzrwtH
菩提寺と繋がりあるならそこで調べれば早い
176 :
人間七七四年:2012/04/09(月) 21:02:29.73 ID:uauX7zjX
秀吉ってどんな性格なんですか?
賢くてユーモアはあるけど、理不尽で、ネチネチしたイメージもあるんですが、人の心を掴むのもうまいみたいで、よくわかりません。
この板の秀吉スレは偏り過ぎててどう捕えてよいのかわかりません。
177 :
人間七七四年:2012/04/09(月) 22:06:41.73 ID:xqQahe9w
>>176 出世するまでは賢くてユーモアが有って人の心を掴むのがうまかったが、
天下人になって絶大な権力を握ると性格が変わった。よく有る事だ。
もはや人の機嫌を伺う必要も無い。(北政所とか淀殿は別)
ネチネチのイメージは無いように思う。
178 :
人間七七四年:2012/04/10(火) 02:43:24.46 ID:gmWNwROO
とはいえ、出世する前でも家中の柴田丹羽佐々をはじめ随分嫌われてるけどな
秀吉の人誑しってのは性格と言うよりは技術かと
だから吉川元春とか本多忠勝なんかからはずっと胡散臭く思われてるわけで
どういう性格かと言われれば、個人的な意見としては
おそろしく上昇志向の強い人だという印象だな
自分の身の丈より一段階上の物を身に纏って、外面に内面が合うように努力する人
179 :
人間七七四年:2012/04/10(火) 03:14:42.58 ID:XEFhx5hs
>>177 注意してくれる人がいないと駄目なんですね。
呉の孫権の晩年と被るなぁ
>>178 丹羽には出世前は嫌われてなかったような(丹羽の晩年はトラブルあったけど)おっしゃる通り、努力家なんだろうなと思います。
個人的には、信長手下時代の方が好きだったな…。
(裕福な農民か足軽?)から這上がって、短くても時代を作ったのは素直にすごいと思います。
180 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 23:02:36.87 ID:sdZJZU5/
剣聖と言う言葉がありますが当時からあった言葉なのでしょうか
当時は「カタナ」の時代ですよね、剣とは西洋剣の事でカタナの事を剣と言っていたのでしょうか
それとも剣聖とは後に出来た言葉なのですか?
181 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 23:38:35.22 ID:mgM8Kbd0
○聖ってのはもともと中国での称号だから刀聖じゃなくて剣聖なんじゃね
いつから呼ばれたかは分からないが有名な称号は大抵江戸時代だからなぁ
182 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 23:53:43.72 ID:wNsFdCk7
特に必要がなければ電車と汽車を区別しないで使うのと同じ感覚で、
刀も剣も使ったと思う。根拠は無い。
183 :
人間七七四年:2012/04/16(月) 00:43:03.83 ID:dywTL1oV
江戸時代 将軍家御家流である「柳生新陰流」の開祖上泉信綱が聖人レベルの人物でなければ困ると考えた人がいた
将軍家の身につける流儀の開祖の更にその上なる師匠なのですから当然です
そこで
賢聖(賢者と聖者を合わせた)と言う言葉があり、発音をそのままに「剣聖」という尊称をひねくりだした。らしい
184 :
人間七七四年:2012/04/16(月) 10:39:14.56 ID:ILy/reGo
政宗が送った遣欧使節団の末裔とされるハポン性のスペイン人の遺伝子検査するみたいですけど
離脱者や仙台領のキリシタンの可能性も有るんだよね?
日本で初めて建造されたガレオン船も植民地戦争に徴発されたらしいのでなんか手がかりあれば
ロマンやなー
185 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 02:00:16.22 ID:BkIyWDCc
Wikipediaによると大久保彦左衛門は晩年茨城の鹿島に住んでいたとありますが
それを証明する資料等あるんですかね?
当方、鹿島の隣町に住んでますが
ググっても出てこないし鹿島の歴史等の書物を読んでも全然見当たらないのですが。
186 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 02:06:09.43 ID:9GC83tUL
晩年すごしたのは八芳園じゃねの。
187 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 09:26:06.70 ID:IpxGSEgF
秀吉は中央集権による全国統治をしたから
反発を恐れず強引なことをしたかもしれないが
だからといって晩年に性格が変わったわけじゃない。
NHK大河や左翼の影響を受けすぎ。
政策の実行をしただけ。
家康は大名の支持をうけて簒奪したために統治に妥協が生じ
幕藩体制によって地方分権に甘んじる妥協をしてしまった。
もし西欧の植民地主義が本格的に日本を襲ってたら
秀吉なら撃退できたが、家康なら伊達のように敵に内通したりしそうで非常に怪しい。
ちなみに看羊録によれば
秀吉はかっての敵でさえ恨みをすぐに忘れてしまうが
家康はどんな小さな恨みも決して忘れず
かならず報復する男で
大名は心から心服してなかったが
家康を恐れていたので従っていたと書かれている。
188 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 10:04:21.87 ID:PXsd3liD
反発を恐れぬ中央集権の結果が大大名頼りの五大老制だったというのは残念だったな。
本当に中央集権出来ていれば豊臣政権ももっと長持ちした筈なのに。
189 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 10:28:50.79 ID:IpxGSEgF
秀吉が寿命が長くないと悟ったからね。
しょんべん垂れ流しになっちゃったりと
構想の半分もできずに死んだからな。
190 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 10:33:13.01 ID:PXsd3liD
悟ったら秀次を切るべきではなかったろう。耄碌し過ぎだ。
191 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 15:51:11.77 ID:0ui4hA/A
徳川幕府と豊臣政権のどちらがより集権してるかといえば、
幕府の方だろ
主要な港湾・鉱山を抑えてるのは同じとしても、
蔵入地ふくめて222万石と、方や400万石
しかも親藩譜代入れると凄まじいからな
192 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 15:54:37.52 ID:9GC83tUL
蔵入地2百余石は収入だから比較するなら2倍にしないと
193 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 17:15:00.81 ID:sA/PFRdj
>>192 豊臣家は7公3民だから、約1.5倍だな
194 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 18:54:52.27 ID:BkIyWDCc
>>186 1635年あたりから鹿島に移り住み〜と書いてあるんですよ。
195 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 19:00:59.46 ID:aYe5X5ax
当時の庶民は豊家に好意的だったってあったけど7公3民じゃ嫌われないの?
196 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 19:10:39.99 ID:hzCjqZ52
同時代資料で庶民が豊臣家に好意的だったなんて記録は、むしろ見たことがない。
197 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 19:12:35.62 ID:aYe5X5ax
>>196 そうなの?
小説かな大坂の人は好意的とかあった気が・・・商人層にも人気なかったの?
198 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 20:04:14.80 ID:VxmNihyd
岩波小説だったかで「いかさま」って肯定の返事してますが、
「御意」「了解」と同じ解釈でおkですか?
意味分かる方いらっしゃいましたらそれもお願いします
199 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 20:57:26.39 ID:hzCjqZ52
>>197 豊臣家は商人からも売上の20%を取られる重税を化してる
商人層でも、豊臣家を慕っていたのは一部の政権に癒着した特権商人だけだっただろうね。
200 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 20:59:56.52 ID:hzCjqZ52
201 :
人間七七四年:2012/04/17(火) 22:33:48.36 ID:VxmNihyd
>>200 ありがとうございます!
調べれば分かることでしたねorz
202 :
人間七七四年:2012/04/18(水) 01:04:52.09 ID:Al1ovowg
>>195 七公三民ってか、三分の二が地頭で三分の一が百姓な。
豊臣政権になってそれまで大きな負担だった加地子得分権が無くなったから、
底辺の百姓の負担は却って少ないよ。
203 :
人間七七四年:2012/04/18(水) 01:46:25.37 ID:bf3w05sb
>>193 二公一民は秀吉が定めた訴訟用の上限であって通常税率じゃないぞ。
204 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 12:30:32.34 ID:McY9FLgr
秀吉の悪政のネタは大半が江戸期に成立した軍記類が出典だし。
江戸時代は秀吉時代に較べて平穏で平和な時代だと幕府御用の軍記作家に洗脳されすぎw
東電の御用学者みたいなもんだぞ。
205 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 13:22:38.14 ID:36ZjSwSz
釣りですか
206 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 14:22:31.41 ID:HoVaXfYp
なんとか史観ガーの人なんだろう
207 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 20:11:51.63 ID:ozqURuq1
同時代の資料で末世とかひどい世の中とか書かれまくっているのが秀吉の時代なんだがなあ
208 :
人間七七四年:2012/04/19(木) 23:17:36.18 ID:oFtmBiPu
>>207 204はどっかの御用学者なんだろう
見に覚えがないことは人は言わないものだから
209 :
人間七七四年:2012/04/20(金) 06:44:49.86 ID:xeA5S3fl
その同時代の資料を出せばいいんじゃね?
210 :
人間七七四年:2012/04/20(金) 07:53:25.15 ID:BXZkLLfQ
天正19年ごろの京に出回った落書
村々に乞食の種もつきすまし、搾りとらるゝ公状の米
よしやたゝ今年はかくも過きぬべし、又こん春はゆくえしらすや
末世とは、別にはあらし木の下のさる(猿)関白を見るにつけても
おしつけて、ゆへはゆわるゝ十らく(聚楽)の、都の内は一らく(楽)もなし
十分になれはこほるゝ世の中を、御存知なきは、運の末哉
211 :
人間七七四年:2012/04/20(金) 09:29:03.04 ID:ISa5lirE
現在を、交通事故で1万人近く死者がでる無法交通状態だった
というようなものだからなぁ。
212 :
人間七七四年:2012/04/20(金) 10:38:46.83 ID:uEvJ3czP
税率高いけど裏帳簿は無事なのと、税率ちょと軽いけど裏帳簿認めません全部出しやがれ、だと
どっちが負担軽いんかね。
それまでなあなあでやってきたとこなんかは検地でガッツリやられたらきつそう。
213 :
人間七七四年:2012/04/20(金) 14:55:49.19 ID:9uYvqu4y
当時は裏帳簿は好き放題だったろうからね。
214 :
人間七七四年:2012/04/20(金) 17:33:15.53 ID:BXZkLLfQ
秀吉は1年に何度も検知を行って(つまり増税ということ)その結果を、すぜに納税した後も過去にさかのぼって
増加分を負担させる、なんてことをしている。
裏帳簿なんて秀吉はお見通し。
あと売上税も重かった。市の商人は売上の3割を取られた。
215 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 02:53:06.37 ID:3cxEwieA
何世代にも渡ってちょっとずつ堅牢にして行けば良いのに、、、
居城って何で巨費で一気に作られたの?
同じ一族で拡張しまくった城ってたくさんある?
216 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 09:22:39.37 ID:jJnDt64f
戦国の主な城なんて全部、何世代にもわたって拡張されてったものなんだが。
後近世城郭だと、家康から家光までかけて完成させた江戸城が代表的だな。
熊本城も清正の時代は今の本丸だけの規模で、細川時代に随時拡張された。
217 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 12:13:52.92 ID:InWC8r0o
その熊本城のBS番組見て思ったんだけど、
天然の川で微妙に守られたエリアに、、、
初代:本丸
2代:2の丸
3代:3の丸
4代:櫓
5代:堀
とかで城下領民がどんどん遠ざけられながら
拡張とかあっても良いはずじゃね?
218 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 12:32:47.41 ID:PKko6Dz2
>>210 その落書って軍記ネタを扱う戦国ちょっといい話・悪い話スレからのコピペでしょ。それ一次史料に存在してるの?
秀吉政権の税率とかもソース書いてくれ。
この手のレスって見るたびにいつも数値が違うし。
そもそも秀吉政権の税率って各地域で違うし。
特に奥羽では現地事情に合わせて度量衡の統一が完全に図られてない。
(ゆくゆくは統一しようとする意思はあったっぽい)
219 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 12:33:13.56 ID:PKko6Dz2
秀吉や秀次の政治に関しては、いまだ大半が軍記からの想像でしょ。
例えば秀次の不行跡は記録が『多聞院日記』や『兼見卿記』にあるあると
2ちゃんで書かれてても実際に調べると
秀次の罪状に関する公家や朝廷の公式な記録は何一つない。
『大かうさまぐんきのうち』の比叡山狩猟の件も信用できない。
文禄2年(1593)の6月8日に女人禁制の比叡山に女人を引き連れ、殺生禁断の地で狩を行い、
止めようとした僧たちの塩酢の器の中に獲った鹿肉を入れたとあるが、
山科言経の日記『言経卿記』では、
秀次はその日に山科らと聚楽第の山里で琵琶法師の平家物語を聞いてる。
(山里町という山里茶亭を由来とする町名があることからおそらく聚楽第の茶亭)
つか、仮に山里が聚楽第でなかったとしてもそういう事実があれば
山科言経が日記に残してない方がおかしい。
秀次の母親の日秀が秀次供養するために建てた瑞龍寺に
村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号、寺領1000石を与えたのは他でもない後陽成天皇だぜ。
そんな不道徳なことを本当にやってたら天皇がわざわざそんなことをするはずがない。
秀次が「殺生関白」と呼ばれてるのは、『大かうさまくんきのうち』が、
正親町天皇の諒闇中なのに狩りをした秀次を批判する京童の落首を引用しているが初出だよ。
庶民を虐殺したから「殺生関白」と呼ばれてるわけではありません。
しかしこの落書も同時期の記録にその落首が残ってないから信憑性を疑われてる。
信長公記の著者である太田牛一(秀頼に仕えていた)がデッチあげてデタラメを並べて秀次を悪く書いてるだけ。
三河物語で大久保から信長記はデタラメと叩かれた著者の太田は金をもらって捏造する売文家です。
しかし織田チョンは、あれは太田牛一が書いた信長記だけは除いて批判したものに違いないと
なんら根拠なく妄言を吐く朝鮮脳で白昼夢を主張するキチガイ
逆に川角太閤記では秀次に落ち度はなく、秀吉が老いて耄碌して三成の讒言を真に受けて
秀次を殺したと正反対の内容を書いているなど、所属する立場や思想信条から相手を悪く書く対立が見え
とても史実とは思えないデタラメが横行してます。
(実際には秀吉が耄碌していたとは思えませんし、讒言をしたとする三成の介入も一次史料から証明できません)
ちなみに謀反人の場合は斬首であり、自刃のような自害による名誉を守る行為は許されません。
つまり秀次は名誉の死であり、これを自ら選択したのであれば、恨み腹で秀吉一族に怨念をかけたことになります。
秀吉や秀次の政治に関しては、相手を中傷するために落書など平気でデッチあげてます。
220 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 12:35:45.29 ID:PKko6Dz2
漁夫の利を得た利家の陰謀と考えるのが一番分かりやすいです。
南部根元記には秀次が奥州の仕置きを終えたので平泉を見た
そして最上へ向かい義光がもてなし奉り息女いこまの方を秀次公に参らせる
と書いていてその記述には平泉に寄っているなど書かれており
後世の研究調査から平泉中尊寺には秀次軍令書などの文書が納められていることが発見され
秀次の平泉訪問も事実と確定され南部根元記の記述が極めて事実に基づかれているとされた。
そのため義光の方から進んで駒姫を秀次に差し出したのも極めて事実に近いとされる(伊達成実記とも合致する)
南部は秀吉からの武装解除の一環としての一国一城の破却令により天正20年6月に
領内48城中→破却36城の上で存置12城が許されたとされる。
戸沢は角館の1城のみを残して33城を城破りをしているため南部は破格の待遇である。
前田や蒲生と入魂していたからであろうか。利家は氏郷亡きのちの蒲生家存続にも尽力して
秀次・利家・蒲生・南部・浅野らが日本海から奥羽に影響力を行使しているのがわかる。
そして利家や氏郷らは南部と組んで津軽や安東を田舎者と名護屋陣でいじめていた。
のちに困り果てた津軽の働きかけで親しくなるように浅野が仲介してきたが拒否し
前田などが津軽を辱めたので浅野なども津軽に関して何も言わなくなったと記している。
前田家文書には秀吉→関白宛の文録元年5/18に
来年正月の2月頃に3万を率いて兵庫より乗船し秀次が朝鮮へ渡海する命令がある。
南部信直→織笠但馬守に年不詳9/20で秀次公来年高麗国へ出陣。暦明け候はば上洛と記され
南部も前田騎下として秀次とともに朝鮮へ行く予定だった。
どうやら何らかのこともあって秀次&前田&南部の朝鮮渡海は中止となったようだ。
秀次と親しくなることで朝鮮渡海しないで済むような状況があったのだろうか。
ちなみに黒田如水が朝鮮出兵を自ら申し出るように秀次に忠告したと言う。
文禄4年7月秀次自害と同じ頃、津軽が浅利を支援し戦闘開始されており
安東は進退に窮していると知らせがあり、また最上の小野寺侵略の岩崎合戦が開始される。
伊達と最上が秀次と共謀の罪があるとされたので、世上暗澹なこともあり信直は娘が
安東実季の弟に嫁ぐ予定だったが(利家斡旋らしい)安東から連絡もないし延期した方がいいとしている
このことから当時の奥羽がかなりの混乱下にあり秀次との謀反連動の疑いが強い。
(秀次は伊達や毛利に大金を貸していた。また利家も伊達に金を貸している)
奥南旧指録附載には南部利直は前田&浅野と先代以来親しかったので東軍の立場を鮮明し
最上に加勢したが領内和賀一揆のために最上出羽守に相断り帰陣し一揆を討ったと記されている。
利家は柴田を見捨てただけでなく、親しかった秀次をまったく弁護せず死刑を放置
(その時期の利家は京にいて早世した娘の与免と婚約者だった浅野幸長ばかり擁護、家康は江戸にいた)
利長は姉妹の豪のダンナである秀家を見捨てるなど
有軍を裏切って肥え太る術だけで加賀百万石を築いた天下一の泥棒大名。
ちなみに利家夫妻はお拾いと秀次娘の婚姻仲人に決められていたし
秀次が死んだ後、利家は秀次と親しかったこともあり秀次の伏見の邸宅を貰い、秀次の家臣の一部も併合してる。
利家は秀次の死によって秀頼後見役にのし上って、秀吉亡きのちは事実上の天下人になっていた。
221 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 12:58:48.79 ID:gz9U3PWZ
スルー推奨
222 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 13:49:35.34 ID:zGJ8XJm/
>>218 豊富末期の税を大まかに考えると……
基本税が「毛見高(生産物)の三分の二」と御掟追加(1595)にあるね
それに「天下普請」と「海外遠征」の臨時税分上乗せ、あと全国の検地が終了したのが江戸初期だから
具体的な総税率って数字に出しにくいかな(三成とかの政治的な数字弄りもあったみたいだし)
で、江戸時代の例を挙げると……
近江にあった東寺村(石高432石7斗5合)の年貢割付状(1782)によると
収穫363石1斗5合、減免分除いた課税対象217石4升6合に対し総年貢高は86石1斗4升9合
まぁ「戦時(豊臣)」と「平時(江戸)」では事情が違うとは思いますがのぅ……
戦争時って北朝鮮みたいな状況だしな
223 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 14:00:18.69 ID:zwiHvdAc
「天下領地方儀」ってあるだけで、基本税なんて記述はないぞ
つーか天下普請や海外遠征の費用を庶民から直接徴収するなんて何に書いてあるんだ?
224 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 14:06:16.13 ID:PKko6Dz2
それは200万石ほどあったと言われている
蔵入地からの納税率だけの話をしているのか?
225 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 14:15:30.94 ID:rSDtSH92
豊臣政権の税制についてとか豊臣政権下の庶民の暮らしについて語るスレとかで
新スレ立ててもいい話題かもね
226 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 14:32:22.72 ID:InWC8r0o
スレどころか、板まで乱立した結果が
ブームでもこの閑散さなのだがなw
227 :
人間七七四年:2012/04/21(土) 23:24:28.18 ID:sXS99EI8
長文読んだやつが居たんだなw
228 :
人間七七四年:2012/04/22(日) 00:07:42.54 ID:gDm0Q3AN
>>207 「末世とかひどい世の中」
それは豊臣政権の時期に限らず
慣用句のように使い古されてるお約束言葉。
紀元前から言われ続けた「今の若いもんは」と同レベル。
229 :
人間七七四年:2012/04/22(日) 17:54:03.96 ID:O4xO0oin
豊臣政権が悪政ってのは
チョンが書いた看羊録にしか出てこない。
しかも悪政過ぎて、いま逆に日本を攻めれば
民衆が喜んで協力してくれるから
あっという間に日本を占領できるとまで
妄言を書いてる。
NHKの秀吉キチガイ化悪政の元ネタはコレ。
230 :
人間七七四年:2012/04/23(月) 11:57:28.74 ID:ce9HZCRH
手勢とはどれくらいの数ですか?
231 :
人間七七四年:2012/04/23(月) 15:24:11.97 ID:PBtUV6lM
当人と兵士の間に重臣が入り混まない直属軍らしいね。
会社で言えば本社員みたいなもんかw
全兵力の1割程度(最大3千)とかじゃね?
232 :
人間七七四年:2012/04/23(月) 15:36:10.56 ID:vVlo9W1o
今風に言えば部下という意味で
人数の規模を表す言葉ではないよ
233 :
人間七七四年:2012/04/23(月) 16:19:07.87 ID:RV+1i3cy
蒙古襲来絵詞の主人公竹崎季長の手勢は5名だったな。
234 :
人間七七四年:2012/04/24(火) 07:40:57.67 ID:lHzpbbyM
道明寺虎太郎って誰だかわかります?
詳細わかる方いましたらお願いします
235 :
人間七七四年:2012/04/24(火) 09:20:35.11 ID:tmxNn1P1
木っ端武者なら手勢一人とか二人とかもあるし、
大大名クラスなら数千から数万だってありえる
サンプル次第としかいいようがないな >手勢
236 :
人間七七四年:2012/04/24(火) 10:06:51.09 ID:p/Bkd4/N
当時の平野部は湿地帯が多かったそうでつが開墾されていない場所は草原みたいな感じだったんでつか( ´・ω・)それともジャングルみたいな感じだったんでつか( ´・ω・)
237 :
人間七七四年:2012/04/24(火) 10:06:54.75 ID:lB/pSNPr
数十以下は、さすがに「お供」だろうがw
238 :
人間七七四年:2012/04/24(火) 13:01:13.48 ID:76wVVDVV
239 :
人間七七四年:2012/04/24(火) 13:19:54.13 ID:tmxNn1P1
>>237 規模の大小は関係ないし、
そういう区分は混乱を招くだけ
240 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 10:05:47.61 ID:fDhfpnPF
謙信の出家放浪って他国に知られてたんですか?
あと武田って忍者で謙信暗殺部隊とかでトップやれなかったの?
241 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 12:30:56.65 ID:l6bcP/IG
秋月六郎太って実在した人物なんですか?
242 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 14:52:01.24 ID:Bu5tftGR
TV報道や写真無しで、指名手配犯捕まえるようなもんだw
243 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 15:32:37.99 ID:fDhfpnPF
宇喜多みたいに毒殺とかは?
大酒のみだし小柄な男だったらしいしあの国は謀反おおいから内応者で普通にやられそうなもんだがなぁ
戦国大名・武将の暗殺ってあんまきかんね
宇喜多・松永は有名だが
あとは斎藤の信長暗殺未遂ぐらいか
244 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 16:45:52.84 ID:CSYUrPQC
毒殺なんてされて無いし
軍勢で殺したらそれは謀反だろw
245 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 17:05:27.99 ID:aFu5mthb
戦国も100年ぐらいやってるんだから、人が考えそうな事はみんな警戒してるよ
246 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 17:09:01.16 ID:ZSEvammA
明智光秀はどんな性格だったのですか?
フロイス?の話だと、陰険で嘘つきで優秀というイメージでしたが…ガラシャにとってはどんな父だったのでしょう。
247 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 18:56:25.64 ID:Kt6Z0HWE
性格や身辺の細かいことまで分かる客観的な一時史料は残されてないです。
248 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 19:27:47.68 ID:8dPX/0Aa
…ま、性格の一面ではありますが……
キリスト大名ですら愛妾もうけた時代に奥さん一筋だったりする
つか光秀と奥さんとの”いい話”はけっこう残ってる
(そういう逸話に引っ掛けた句を芭蕉がよんでたり)
249 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 20:23:33.72 ID:+aQh3IwB
光秀も三成も、天下牛耳ってたら
マジメで優秀なヤツだけがのし上がる
嫌な世の中になってそうだよなw
250 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 20:31:46.99 ID:kpgwFVvw
251 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 21:05:32.50 ID:l6bcP/IG
252 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 21:59:46.07 ID:EsdwlRDl
秀吉が三法師を奉じるのをやめて家来扱いしたのは実際はいつからですか?
253 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 22:02:01.84 ID:sev6+b2r
小牧長久手の後自分の官位をガンガン上げ始めたあたりだろうね
254 :
人間七七四年:2012/04/25(水) 23:02:03.28 ID:Kt6Z0HWE
三法師が織田家当主だったのは1年ほどで、すぐに織田信雄に家督は移っている(代行説もある)。
その時点で三法師はただの人になった訳で、それを家来扱いと言うなら本能寺の翌年天正11年からやね。
255 :
人間七七四年:2012/04/26(木) 17:34:00.91 ID:lCE5rbv3
ガラシャって強いの?
戦国無双みたく戦場に出て一騎討ちとかしたのかなあ
256 :
人間七七四年:2012/04/26(木) 18:11:44.34 ID:YK9lgV7R
気は強いな
257 :
人間七七四年:2012/04/26(木) 18:19:11.38 ID:55TkOpAK
お姫様なんだから武芸なんて・・・、とは言い切れないのが戦国
まあガラシャ個人が強い(戦った)って話は聞かないけどな
258 :
人間七七四年:2012/04/26(木) 19:21:12.95 ID:fzaz2Qci
最近で言えば、香里奈や吉高ゆり子みたいなイメージかなw
259 :
人間七七四年:2012/04/26(木) 21:04:48.18 ID:b9CY0iY6
当時って護身になぎなたとかやってたんじゃないの?
260 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 01:18:10.30 ID:5920cfs/
ガラシャって生粋の日本人?
ハーフだったりして!?
侍魂にいたシャルロットのような西洋剣術のイメージなんだけど‥やっぱ違うか
261 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 03:17:16.23 ID:PnEspEeG
それは断言してやる
父母は日本人
262 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 07:25:55.78 ID:gVK6nzOn
>>260 お前が明智光秀南蛮人説を出して立証しろ。
263 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 10:55:20.43 ID:Ym+ex/9A
純日本人でも俺みたいなハーフっぽいヤツが居るだろwww
純日本人でも俺みたいなハーフっぽいヤツが居るだろwww
264 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 11:07:22.99 ID:I2Ze7eE3
うp
265 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 13:02:28.27 ID:PnEspEeG
だからなんだ?
266 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 15:30:43.02 ID:VQFKAQJy
横山三国志でよくあるけど弓矢を剣で切り落として回避しているけど実際あんなのできるものなの?
267 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 16:16:55.19 ID:Gr9i8tXX
プロ野球選手が集中して構えて居る狭い範囲にわざわざ飛んでくる
時速160kmのストレートを打ち返せる確立を考えれば
こっちの都合を考えてくれない150km〜200kmの矢を落とす成功率も想像つくのでは?
268 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 16:42:08.56 ID:D6Luvqll
どんな至近距離だよwww
269 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 17:57:38.70 ID:iXhzfmO6
>>266 350kmのBB弾を斬れるやつが現にいるから、過去にそういう人がいたとしても不思議ではないな
270 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 18:39:23.42 ID:y6NPW9uw
弓だって初速と終速は全く違うわけだしなw
あと南北朝は馬乗で太刀を「水車」に回して矢を避けたりしていたようなので、
そういうことは、もちろん状況によっただろうが、可能だったようだ。
271 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 20:10:48.05 ID:VQFKAQJy
つうか木の部分切っても先端はそのまま刺さりそう
272 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 20:53:57.32 ID:zF3wvkEE
裸ならともかく鎧甲冑に身を包んでいるなら、ちょっとベクトル変わるぐらいでも充分鎧で止められる、ぐらいはありそうだ
積極的にそんなことするぐらいなら、素直に楯でも持てばいいのかもしれないが……
273 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 00:20:53.84 ID:6oWnue/z
そういや何で盾って無いんだろうなぁ?
274 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 00:45:19.44 ID:Xj3BDm3o
盾は普通に使ってたぞ。源平〜鎌倉期の市街戦は盾を使った戦いが主流だったくらいだ。
ただ大鎧は弓の防御に特化した鎧で、盾を持つよりよほど効率がいいし、戦国に入ると
鉄砲の普及で盾があまり意味がなくなった。
それでも鉄盾や手盾なんてのは使われていたようだがな。
275 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 01:46:18.23 ID:PNZNASJF
盾は戦国時代でも普通に使ってる。
特に鉄砲の普及で城攻めは盾無しにでは不可能になった。
276 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 01:47:15.12 ID:PNZNASJF
>>266 普通に考えれば難しいな。運よければ払える程度だろう。
277 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 10:01:48.11 ID:+YbWMI/L
盾で画像検索しても、西洋風ばっかなのはどうして?
278 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 12:43:40.63 ID:Z7soQbmB
ファンタージー系RPGオタクが多いから
279 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 13:18:29.06 ID:p+NbqWAO
「陣盾」で通ってるから
280 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 17:20:14.81 ID:m7WGYu95
関ヶ原の戦いの時、どうして最上義光は、
秋田実季の悪口を家康に吹き込んだのでしょうか。
詳しい事情がわからないのですが、当時の秋田氏の行動は特に悪質に思えません。
>>247>>248 ありがとうございます。
281 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 17:35:52.36 ID:mbcpFhVr
この板に忍者系は無いの?
282 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 00:03:55.80 ID:4jE8FHOm
忍者スレあるだろw
283 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 07:26:04.14 ID:5fqlt7ya
先日某アニメを見ていたら、槍兵が戦闘前の名乗りで「○○(自分の属する組織)が一番槍、○○(自分の名前)、推して参る」と言うシーンがあったんですが
まだ誰も倒していない、これから戦うという段階で一番槍を名乗ることって実際あったんでしょうか?
284 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 08:29:57.93 ID:XSm62Ux7
>>283 足軽の槍兵だとすればありえない。
新選組かなんかと勘違いしてるんだろ。
285 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 11:54:30.37 ID:T+zDdNAY
一番槍って合戦で一番初めに武功を立てた奴のことだから、
合戦中に総大将でも軍鑑でも無い奴が勝手に名乗っていいのかという疑問は残るな
一番首も同じ、それが最初かどうかを判別するのは総大将か軍監
一番乗りは、まあ大丈夫かな
286 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 19:45:45.96 ID:GDvXVd6v
大河信玄か何かで、「一番槍、やぁ〜!!」とか行って突っ込んで
鉄砲か何かで撃たれてお仕舞いなシーン見て
当時小さな俺には「完全に犬死に」ってトラウマだぞw
287 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 20:51:20.22 ID:7xRo9YO6
次弾までの時間稼ぎにはなるから完全にというほどでもないぞ
288 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 21:44:18.06 ID:j2AsAuyh
フィクションに肯定レス付けられても
289 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 22:43:01.41 ID:s2M2reX1
1桁のガキに大河がかなりフィクションとか理解できるかよwww
290 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 22:47:14.15 ID:j2AsAuyh
291 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 22:49:10.62 ID:j2AsAuyh
因みに俺もそのシーンは見た記憶があるが
戦術的に有効か無効かという以前に
死ぬ事を含めて儀式化された演出だった。
292 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 23:02:48.89 ID:k0wMVyJ0
なんかはりきってますね^^;
293 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 23:16:22.72 ID:XSm62Ux7
端的に言えば一番槍は敵を殺して初めて認定されるし、
一番乗りはそこで旗などを立てて自分の存在をアピールして初めて認定される。
294 :
人間七七四年:2012/04/30(月) 18:52:24.11 ID:6u1yO2Qh
よその板に間違って投稿したのだが改めて質問。
本能寺の変の時に徳川家康は堺にいたらしいのだがそこから
伊賀>伊勢>(船で)三河と行ったとあるけど普通に船で
堺から三河に直行のが早いし安全なのでは?なんだって陸路?
商人の茶屋四朗次郎がいるのだから船の伝手ぐらいあるとおもうのだが。
295 :
人間七七四年:2012/04/30(月) 20:07:01.58 ID:gAbyVhrM
海上封鎖のが簡単だろw
伊勢は織田領。
296 :
人間七七四年:2012/04/30(月) 21:20:17.14 ID:rfQvpzTz
船の方が時間かかるんじゃないかな
297 :
人間七七四年:2012/05/01(火) 00:59:32.35 ID:1g0Q0gJ3
和歌山沖は外洋で難所
当時の航海は風や波が荒ければ数日港で日和見するのは日常茶飯事
熊野を始め水軍もあって、彼らがどちらに転ぶかわからない
298 :
人間七七四年:2012/05/01(火) 09:27:39.39 ID:57e5CqvB
単純に考えれば野田城に津田信澄が居たからだろうな
299 :
人間七七四年:2012/05/01(火) 16:47:16.90 ID:bgmA6ent
質問なんですが織田信長の間に挟まる「弾正忠」って何なのでしょうか?
官位っぽいのは解かるんですが、このミドルネームっぽい名称は何と呼ぶものなんでしょうか?
今川五郎義元とかの場合は官位じゃないっぽいので混乱しています。
300 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 00:04:18.01 ID:jkaOYIwq
>>254 つまり秀吉は織田当主を改易したってこと?
301 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 00:10:52.17 ID:IBHtN0RP
だんじょうちゅう
織田(いわゆる苗字)
弾正忠(官位)
信長(諱)
これが正式な名前。もっと正式になると平とか源がさらに前につく
ただ諱を呼ぶのは失礼どころの話じゃないから通称を使う
今川さんちの五郎さんというように
302 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 00:18:36.04 ID:IBHtN0RP
吉良上野介とか大岡越前とかが苗字+官位で諱は別にある
遠山金四郎が苗字+通称で当然諱は別
ところで遠山の金さんは美濃の遠山家の末裔なのかな
303 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 04:30:13.65 ID:9BByZNnn
>>301-302 回答ありがとうございます。
つまり当時でも間に挟まってる官位(ミドルネームっぽい分)はそのまんま「官位」という事で良いんですね。
諏訪の四郎で勝頼さんで、今川の五郎さんで義元、羽柴筑前の秀吉さんという事で。
官位が無い人はそのまんま名前を呼ばれてたか、若かりし頃の秀吉のように猿とかニックネームがつけられてるのでしょうか?
304 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 06:08:13.13 ID:TGOuFatH
基本的に本当に官位や官職がない人は輩行名で呼ばれることが多い
織田信長なら「三郎」、徳川家康なら「次郎三郎」の部分
305 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 07:19:57.75 ID:C0MK48jL
>>300 秀吉だけではなく、秀吉、丹羽長秀、池田恒興の「重臣会議」の合意によって家督交代。
306 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 12:33:00.65 ID:ZVjNq6QW
>>304 ミドルネームみたいなの=輩行名という事ですね!!
ようやくその名称が分かってすっきりしました。
ウィキペディアを見た感じ、官位を一緒に名乗る方のミドルネームっぽいのは受領名という認識で良いんですよね?
307 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 13:52:14.42 ID:7J8r/SfZ
>>306 いやミドルネームみたいのは仮名(けみょう)だろ。
輩行名というのは太郎とか二郎とか一族の同世代の中での順番を表す名前だから。
308 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 14:40:37.59 ID:GvB1w+7Z
昨日、本読んでたら朝鮮使節で接待費が50〜100万両ってあったんですがマジでこんな金額だったんですか?
309 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 14:41:09.64 ID:GvB1w+7Z
ああ江戸時代ネタになるのか
310 :
人間七七四年:2012/05/02(水) 17:19:55.59 ID:mvN6g6Fc
将軍就任のために豪華な外国人使節が駆けつけました!
将軍家すげーという国内向けの宣伝でもあるし
大行列したてて宿泊のたびに大宴会しながら日本縦断だから
半分は大名持ちとは言え手を抜かずにやればかなりの金額にはなるだろうな
311 :
人間七七四年:2012/05/03(木) 09:35:39.82 ID:mbB6+KjN
>>307 すみません仮名でしたかorz
これで疑問は全て解決しました。
本当に有難うございました。
312 :
人間七七四年:2012/05/04(金) 11:43:00.54 ID:6mOE18+h
映画なんかだと信長のことを、かずさとか呼んでたな。
313 :
人間七七四年:2012/05/04(金) 13:45:53.14 ID:OiiXYRvE
上総介のだからな。
314 :
人間七七四年:2012/05/04(金) 16:45:45.14 ID:8fc43tyc
上総守(笑)
315 :
人間七七四年:2012/05/06(日) 00:23:54.94 ID:+wzrIfB2
じょうそうもり
316 :
人間七七四年:2012/05/06(日) 01:46:08.54 ID:fWKEtwm9
かみ ふさもり
317 :
人間七七四年:2012/05/07(月) 08:51:41.96 ID:2Acr9KCC
ふと気になったが自称する官位って相応なのを選んでるのか?
なんか背伸びをしたくなるイメージがあるがw
318 :
人間七七四年:2012/05/07(月) 19:13:27.19 ID:0nZK/G1G
信長は初め上総が親王任国である事を知らずに上総守を名乗ったというから、
あまり考えてないんじゃないの。
319 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 00:06:16.91 ID:i8fNsTvc
省のトップの官位より現場担当の官位が武士らしくてかっこいいとかあったらしい
320 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 02:00:37.65 ID:jWl5dYfg
つまり、その場のノリですか?
なんとなく格好良い字面だからコレにしましたとかありそうだ
321 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 02:05:45.81 ID:EcakZefU
先祖がその官位についてたのでとかでそれにあやかった物やその家の子孫という事で屋号的な感じで自称する物もあるんじゃないの
322 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 07:04:49.44 ID:LSLmcgwL
信長の場合は、今川義元が上総介名乗っていたので、「じゃあ俺は介より偉い守だ!」で
名乗った可能性が高いw
323 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 19:38:28.01 ID:i8fNsTvc
324 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 20:25:00.84 ID:oLewTILy BE:2937028875-2BP(0)
日本陸軍みたいに行軍中に兵糧が尽きて戦地に赴く前に隊が壊滅したみたいな無謀な軍事行動をした武将はいないんでつか( ´・ω・)
325 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 21:45:07.24 ID:LSLmcgwL
あったかもしれんがそういうのは記録に残らない
326 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 22:57:00.48 ID:pTEO8rnV
>>324 戦国の戦争は都市に攻め込むんだから現地調達出来るんじゃね
それに昭和の人間になると食べられる野草やキノコが分からない人が多かったって話も聞いた事がある
327 :
人間七七四年:2012/05/08(火) 23:53:47.77 ID:N+Tk7kbA
はっきりしたことは失念してしまったが、
両上杉が争っていた頃の上野で、兵站が破綻して軍勢が空中分解したことならあったはず
328 :
人間七七四年:2012/05/09(水) 07:19:21.40 ID:H7FI8CyN
>>327 五十子陣で古河公方足利成氏の軍と対峙していた両上杉の軍勢が、
長尾景春が挙兵して兵站線を破壊されて、五十子陣が崩壊したという話だな。
329 :
人間七七四年:2012/05/09(水) 15:51:11.85 ID:W43ff8xB
それだ、サンクス
しかし五十子ってことは武蔵か
330 :
人間七七四年:2012/05/09(水) 19:33:06.48 ID:DhnC7I9y
そういう話聞くと、軍勢に前後がある=荷駄隊が後ろ
=週単位の兵糧くらい携行してんじゃネーのか?と思うのだがどゆ事?
奇襲で数時間後に死ぬかも知れない兵が
何週間も先の兵糧気にして逃げ出すって事?
331 :
人間七七四年:2012/05/09(水) 19:42:35.62 ID:+wtecscM
当時の軍隊の補給部隊が携帯している物資は計算上は1週間分で
領地からのピストン輸送と、現地で商人から買ったり、
敵側の稲を刈ったりで絶えず補給していた訳で
補給線を切られて1週間後に飢え死にの運命が待ってるとしたら、そりゃ撤退するだろ。
332 :
人間七七四年:2012/05/09(水) 20:49:21.25 ID:W43ff8xB
雑兵物語の一人一日10合を目安に計算すると、
10合は1斗、一俵は2.5斗くらい、つまり米俵一俵で25人分/日、1000人なら一日40俵
十日分の糧食は400俵、一人一俵担ぐとすると400人必要になる
馬を使う場合は三俵を馬に、馬引が一俵担ぐので、1ユニットあたり4俵なので100ユニット必要になる
これに加えて、塩や味噌、燃料、飼料、矢種、変えの武具、雨具、資材、大小旗などなどが必要になる
つまり1000人なら荷運びだけでニ割〜三割の人員を確保し無くてはならない
しかもこれは十日分で、長くなればなるほどこの数は増える
現地調達をするにしても陣夫は必要になるし、ピストン輸送するにしてもやはり多くの人馬が必要
戦争は兵站で決まるってのはこういうこと
333 :
人間七七四年:2012/05/09(水) 21:56:17.31 ID:AJ1xSWuE
>雑兵物語の一人一日10合を目安に計算すると、
3合でも充分だろうが!
以下無意味w
334 :
人間七七四年:2012/05/09(水) 23:59:49.49 ID:W43ff8xB
>>333 文句言うなら300年以上遅かったね、俺に言われも困るw
まあ確かに一日十合は他の基準からも多い部類だけど、
大体四合〜六合の間
現代人を基準にしてる時点で頓珍漢だぜ、キミ
335 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 07:09:32.02 ID:YkjXDEe2
その支給米って、食事+給料でそんだけもらってたんじゃないの?
純粋に食事分だけでそんなに支給される?
336 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 09:21:28.37 ID:SWYUxnR4
食自分。しかし一度に与えるとそれで酒作ったりするので小分けにして与えろ、なんて指令も
出てたりする。
337 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 10:49:43.06 ID:kYdNOc+l
現代ほどに副菜が充実しまくってるわけもないし米が大きなエネルギー源なんだが、
やはりどうしても
>>333みたいな奴はちらほら見かける
338 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 11:13:54.86 ID:dMUaLGiN
↑毎日7合も食う巨デブ( ´,_ゝ`)
↑毎日7合も食う巨デブ( ´,_ゝ`)
339 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 11:22:14.19 ID:tTSCUau7
脅威の総合栄養食玄米で食ってたから副菜は少しでいい、代わりに米は大量。
やたら米食ってた侍や足軽以上に食ってたのが肉体労働者の人夫。
足軽は6合、人夫1升食ってた。さらに大量に餌を必要とする荷馬もいる。
戦争は最高の浪費と言うのは今も昔も変わらない。
>>332 10合は1升な
340 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 13:38:12.56 ID:dMUaLGiN
一番有名な侍女って、濃姫の各務野で良いの?
341 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 14:49:55.71 ID:98791/v/
前もどっかでこの話が出てたが、副食がない時代とはいえ
足軽さんたちも毎日戦闘や重労働してたわけじゃないし
体格自体が今より小ぶり。
だから6合というのは少し多すぎで
実際は5合弱だったんじゃないだろうか、というところに
落ち着いた記憶がある。
5合と言っても結構な量で実際はみんなで鍋で雑炊にして
カサ増やしてただろうしそれよりかは少なかっただろうってね。
あくまで平均だからそんなものだろうなとは思ったな。
342 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 15:17:49.59 ID:tTSCUau7
足軽クラスの平時の消費量までは分からないが
平時の武士は鎌倉時代から江戸時代まで変わらず一日二食で五合
一日三食、場合により四食になる戦時に一日六合になっても何ら不思議じゃない
343 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 18:47:38.92 ID:dheCYCsH
344 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 21:09:17.69 ID:1f2x/x9S
345 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 21:17:37.20 ID:SWYUxnR4
>>344 「蓑盾はよく玉を防ぐもの」と書いてある。
盾1枚よりも、前に蓑をおいておくと銃弾の衝撃を多少は吸収したんじゃないかね?
346 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 21:52:19.71 ID:d787C97N BE:839151825-2BP(0)
宰相殿の空弁当という有名なエピソードがありまつが戦国時代は合戦中に悠長に弁当を食べたりしていたんでつか( ´・ω・)
合戦中に双方の合意で腹減ったからランチタイムって事で合戦が中断した事はありまつか( ´・ω・)
347 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 23:26:16.64 ID:TNZX62Wz
吉川広家軍とかかw
△の盾で城攻めすれば、
火縄の弾なんてほとんど弾けそうだけど違うの?
348 :
人間七七四年:2012/05/10(木) 23:56:58.24 ID:g8h7IpGr
陣をよく凸で表現するCGとかあるけど、本当にみんなそういう陣形なの?
349 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 00:18:41.52 ID:ZNnkHhIm
違う
そのマークが図上で使われだしたのは明治以降だし
350 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 22:32:26.16 ID:3IiJUsJm
>>348 正方形でも長方形でも、四角だと部隊がどっち向いてるかわからないから
まあ戦国で使われてたのかは知らないけれど、
349の言うことを信じるなら戦国期には使われてないんだろうな
>>347 そんな手間を暇かけて三角形の盾を作るなら、
竹を一括りにしたほうが手っ取り早いわけさ
351 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 00:55:53.77 ID:kstThz4o
>>347 Λだと頂点を敵射手の方向に向けないと辛いから運用めんどくさいぞ
352 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 01:12:28.21 ID:pKSFgug4
平でも面を敵射手の方向に向けるから同じようなものだろ
353 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 03:01:03.84 ID:Y3sfrGhM
盾は身を隠せればいいのであって必ずしも射手に向ける必要はない
でも347の言うようなものは頂点を射手に向けないと効果を発揮できないタイプ
しかも余計な手間暇と余計な部材に見合った効果があるかといえばそんなものは無い
354 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 05:13:01.77 ID:qRhZWZpl
東照宮にある駕籠ですら鉄砲の大穴開いてたんだよなぁ。
俺が国持ちだったら、駕籠持ち倍増してでも
鉄板くらい入れさせるんだが、、、
355 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 07:13:35.66 ID:1JFeruxf
過ぎたるは及ばざるが如しといってな
356 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 10:03:10.49 ID:45iwyr1i
大名行列は鉄板持ち歩いている場合もあるぞ。
宿で寝る時に布団のしたにひくらしい
寝心地わるそうなマットレスですな
357 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 13:50:30.71 ID:VYHoD25Z
そういや創作では天井裏や床下は忍者の世界、ってぐらいフリーダムに忍者が活動してるよね
流石に現実はある程度はさっ引いて考えるとしても、そんなに危険なスポットなら、そもそも天井裏や床下が存在しない建築法とかってなかったのかな?
屋根と天井の間とかも材木で埋めるとか
358 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 14:07:19.85 ID:pKSFgug4
湿気で腐る
359 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 15:47:31.77 ID:Y3sfrGhM
>屋根と天井の間とかも材木で埋めるとか
重さで潰れる
360 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 17:50:16.09 ID:kstThz4o
床下と天井裏潰したら味方の忍者の控え室新たに作らなきゃならなくなるだろ
361 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 19:37:15.21 ID:Xsfhp1hS
現存の城郭には、そんな空間あるか?
クローゼットみたいなとこに
抜刀侍が隠れてる程度じゃないの?
それでも使者がいきなり脇差抜いて投げ付けたら
大怪我くらいは免れんと思うw
362 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 03:59:06.25 ID:i25LTY3Y
戦国時代の武将の甲冑や兜を調べるには、どういう本がよいでしょうか。
本屋を探していますが、なかなか見つかりません。
大友宗鱗と明智光秀のが知りたいのですが、特に明智で有名な甲冑は「信憑性が薄い」と書いてあって…
363 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 19:12:04.54 ID:u3Gq2dE6
笹間良彦や近藤好和の本なら大きい本屋や図書館にあるんじゃない?
ただ気をつけることは○○伝とか伝わってる甲冑とかはたとえ間違っていても
面と向かって否定するのは業界のタブーらしいから自分で詳しくなるしかないし
家が残っていない大友明智は本物が残っている可能性は低いと予想
364 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 23:25:54.81 ID:i25LTY3Y
>>363 ありがとうございます!
探してみます。
否定しちゃだめなんですね…気を付けます。
365 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 23:33:31.39 ID:u3Gq2dE6
研究者の話ね。
本とかで否定すると他の所もケチ付けられると思って見せてくれなくなるらしいw
366 :
人間七七四年:2012/05/14(月) 09:04:02.88 ID:/qOOspPq
鑑定とかも難しいんだよね。
否定するとマズいし、かといって肯定すると
あの人が認めた、と誤解を受ける。
いい物ですがご自分だけで楽しまれたほうがいいですね、とごまかすんだが・・
367 :
人間七七四年:2012/05/15(火) 04:00:10.18 ID:Yr6VTktA
大友宗鱗がよくわかりません。
病弱なのに、家臣の妻を寝取ったとか、スケベとかあり得るんでしょうか。
再婚相手もBBAだし。
あと、現実が見えずにキリスト教一直線な割には、息子の代になっても担ぎ上げられたり、本当にやばい局面になると、秀吉に泣きついてなんとかしたり出来るし。
この人は有能なのか?おかしいのか?よくわかりません。
368 :
人間七七四年:2012/05/15(火) 06:54:41.95 ID:PfQYspWR
そういう所業を書き残された人という理解までで良いです
有能無能とか善悪とかは時代毎の解釈次第で二転三転するものなので
369 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 08:22:53.68 ID:7CZCGyfU
信長って何でバカやってたの?
370 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 12:38:14.15 ID:8QiHKddn
バカやって、身内の敵をハッキリさせようとした
遊び仲間を取り立てて腹心を作りたかった
邪鬼眼がうずいた
371 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 17:45:33.82 ID:7HNs6gTm
豊臣秀吉と並ぶ、もしくはそれを超えるような大出生をした人って世界史にどのくらいいるものでしょうか?
私の少ない世界史の知識では、農民階級から一代にして国家の主となった例は数少ないと思うのですが。
もちろん織田信長という発射台あってこそというのはわかるのですが、それにしても世界の人に話してわかりやすく英雄だとわかるのは豊臣秀吉かなと思います。
とりあえず秀吉以上の出世かなと思われるのは国家の規模からいっても劉邦かなと思います。
(劉邦の生まれが小領主だったという新仮説があったりしたらごめんなさい)
あとナポレオンもそうかなと思いますが、一応貧乏貴族の出というのと民主主義を背景としてだれでも活躍できる世になっていたと考えれば
劉邦や秀吉には及ばないかと思います。
372 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 17:59:14.17 ID:Ae/0YGVb BE:503491223-2BP(11)
朱元璋さんの方が凄いらしいよ
373 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 18:04:13.27 ID:KV8I5aAE
朱元璋じゃね?
374 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 18:04:39.08 ID:Qzhk+nFN
スターリンは?
375 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 18:52:09.57 ID:7HNs6gTm
>>372 >>373 浅学にして、戦国期とも関係の深い明国の祖が劉邦よりさらに悲惨な家庭の出身だとは知りませんでした
さすがに中国の長い戦いの歴史を紐解くと太閤レベルの人間が2人も出てくるのですね
>>374 スターリンや毛沢東や田中角栄はどうなんでしょう
中世から脱却した社会では能力のある人間は身分に問わず出世できる道が険しいとはいえあったと思うので
秀吉レベルの出世とはちょっと言えないのかなと個人的には思います
376 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 01:35:37.43 ID:jEYLX1g+
奴隷王朝を作った人は?
377 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 07:09:59.23 ID:0ApPE2zI
>>376 教えて頂いてありがとうございます。
クトゥブッディーン・アイバクと言う人ですね
経歴がかなり不明な点が多いですが、マムルークから王朝を作るにいたったのは太閤レベルの出世といってよさそうですね
wikipediaで調べると、秀吉と似た点が多い人ですね
・主君に抜擢してもらい出世した
・その主君が暗殺されたので独立して王となった
・後継者が戦争に負けて、血筋はすぐに途絶えた
378 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 07:11:45.74 ID:G0ccMxr+
そもそも秀吉の出自は現在に至るまではっきりしていない。
379 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 10:21:41.39 ID:dNC+KseF
ミクシでもそんな話になってるが、なんかあったのか?
380 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 12:59:52.24 ID:JOXxY82x
秀吉明国人説もあるしな。
381 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 07:50:15.90 ID:E9qzx1SV
とりあえずまとめると
世界の出世人
日本:豊臣秀吉
中国:劉邦、朱元璋
インド:アイバク
中東:?
ヨーロッパ:ナポレオン?
というところでしょうか
中東やヨーロッパには歴史が長いのでもっといそうな気はしますが
382 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 08:42:56.46 ID:btwXSsLi
世界史板の質問スレで聞いたほうがよりよい答えが返ってくるんじゃね
383 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 13:46:38.93 ID:Ld27929x
ナポレオン:下級とはいえ高等教育を受け幾何学に精通していた貴族
劉邦:地元の太守などとも親交のあった富農の長男
毛沢東:父は地元の富農で高等教育も受けていた教養人
だからここら辺は一国の頂点までいったのは確かに凄いにしても
当時の社会でそこまで下層の出自でもないぞ
まあ秀吉も当時としては比較的裕福な家であった可能性も指摘されていはいるけどね
384 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 15:20:02.66 ID:Hk/vkQ+8
織田信長と森蘭丸は男色の関係にあったという説がありますが
通説では、どちらが男役だったのでしょうか?
385 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 15:46:18.40 ID:E9qzx1SV
>>383 >>382 一度世界史の方で聞いてみます
教えてもらって秀吉に匹敵する出世人がもっと増えたら報告します
386 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 21:18:54.83 ID:Hk/vkQ+8
世界まる見えでやってた、トルコで驚異的な視聴率を稼いでいる実話を元にしたドラマ
ストーリーは、一番下のカースト(って言うのかな?トルコ文化はよく知らない)の女が
皇帝だか王様だかの第一妃になるってやつ
興味なかったから覚えていないし
完全にフィクション作品だったかもしれない
387 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 23:17:06.01 ID:8AwQMPq6
戦国板で聞くのもナニだと思うけど……まぁ1600年頃だけど
セリム2世の頃、11歳で囚われ奴隷からハーレム、そして自分の息子を皇帝にした”ヌールバヌ”のことかな
その息子ムラト3世の愛妾”サフィエ”、孫のアフメット1世が夢中になった”キョセム”
ここらが女人政治時代(オスマントルコの)と呼ばれてるよ
388 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 23:45:58.98 ID:RmnMRIq6
イエス 大工の息子から世界宗教の教祖
389 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 23:49:12.32 ID:mmBDlx/v
死後の信者たちの功績が大きいな
390 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 23:58:30.94 ID:E9qzx1SV
世界の出世人(経歴は通説)
日本:
豊臣秀吉(貧農→天皇の臣下とはいえ日本国の王的存在)
中国:
劉邦(富農→皇帝)
朱元璋(貧農→皇帝)
劉裕(貧乏な下級官吏の子→皇帝)
陳覇先(貧乏な下級官吏→皇帝)
△陳勝(貧農→王→敗亡)
△李 自成(農民→皇帝→敗亡)
劉備(農民→皇帝)
インド:
アイバク(解放奴隷→王)
チャンドラグプタ(スードラ→王)
中東:
△ムハンマドアリー(非正規部隊→王)
ヨーロッパ:
△ナポレオン(下級貴族→皇帝)
△マクシミヌス・トラクス(蛮族の羊飼い→皇帝→敗亡)
ディオクレティアヌス(下層農民→皇帝)
イヴァイロ(豚飼→皇帝)
バシレイオス1世(農民→皇帝)
ユスティヌス1世(農民→皇帝)
よく知らない人もたくさんいるんですが、世界史版の方で聞いたらこのぐらい出世した人があがりました
391 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 00:07:41.38 ID:PABLn9zE
女大名って寿桂尼と洞松院尼以外には居なかったんですかね?
バカボンドに出てくる又八の母ちゃんみたいな女は
いっぱいいるのにあんまり女大名って聞かないのが不思議です。
392 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 00:13:19.73 ID:jDJrRDi1
大名じゃなくて国人だけど井伊直虎とか。
393 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 00:16:15.13 ID:D0U2daIh
大名ではないが井伊直虎がいるじゃない
>>390 チンギス・カンも出世頭だと思うがなー
父親自体は凄い勢力を誇ってたけど、没落してしまって一族離散
母親と兄弟だけの状態から世界帝国の礎を築いたんだから
394 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 00:17:38.24 ID:AEOFRvC1
淀も女大名と言えなくもない
395 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 05:57:21.59 ID:Ofx9+ZBB
結婚前の足利氏姫は?
396 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 09:56:51.08 ID:Muf+ZQUV
奴僕から位人臣の頂点ほどに昇った衛青なんかもありなんじゃ?
397 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 08:10:03.92 ID:7cxscbtq
戦国期のウィキ見てると
無名大名の讒言で、国持ち大名が謀反を疑って大名が切腹
とか山ほど見掛けるんだけど、
そんなホイホイ殺して組織崩壊しなかったの?
信長家でもあるまいし、、、
398 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 09:58:44.30 ID:E7IwNE2J
>>354 自動車っぽく駕籠に車輪つけて後ろから押させたほうがいいなあ
上り坂は大変だろうけどw
399 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 10:02:59.94 ID:E7IwNE2J
400 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 10:06:52.77 ID:E7IwNE2J
検索して名前を思い出した。
この慶寿院鎮永って婆ちゃんが証如や顕如はを傀儡してたって本当なのかなあ?
401 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 10:12:22.98 ID:bhVRq5mP
>>398 サスが無い上、未舗装の道だから乗り心地は最悪だろうな
402 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 10:31:31.68 ID:E7IwNE2J
>>401 あとブレーキもないから下り坂で襲撃されて籠持ちが手を離すと
勝手に転がってしまい木に激突して事故死する欠陥もあるね
403 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 11:05:09.90 ID:c3PtMrTm
いざとなったら車輪を溝に落として強引に曲がれば下り最速を目指せる
404 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 11:37:26.11 ID:bhVRq5mP
なんだ、じゃあ問題ないな
405 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 12:03:38.10 ID:+iUumEqD
そういえば牛車は昔からあったのに馬車は聞かないね。
馬は沢山いたのに普及しなかったのは何故だろう?
406 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 12:30:11.12 ID:c3PtMrTm
道が無いから
街道が整備された江戸時代では
兵士軍物の大量輸送に使われるとまずいので幕府が規制
407 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 12:31:46.24 ID:bDv89kP1
日本はローマ街道のような道路の整備技術や馬の去勢(大人しくさせる)、蹄鉄などの技術も西洋に比べると未発達だったと聞くから
いっぱい馬車が普及しにくい理由あるんじゃない
408 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 12:41:32.15 ID:c3PtMrTm
蹄鉄は水辺原産で蹄の弱い西洋馬には必須だが
草原を生活の場にしていたアジアの馬にはそれほど必要ではない
去勢せずとも乗馬荷馬農耕馬として十分に活用出来ていたのでこれも問題では無い
409 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 18:01:16.93 ID:D3+UVMFG
>>397 君のいう大名とは国人のことかな?
戦国期は本来独立領主である地域の国人が戦国大名権力に家中として取り込まれていく過程なので、
そういう形で戦国大名に従順な国人がろ過されていったんだよ。
組織の形成途中の出来事だ。
410 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 13:17:48.82 ID:jTOAeBGz
だったらなお更物証無しには難しいんじゃ無いの?
411 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 13:40:37.44 ID:icAqgOeo
>>403のネタが古すぎて誰にも相手にされてない件
412 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 22:01:33.94 ID:ii2u1Mx/
イニシャルDかなんか?
413 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 00:39:41.89 ID:CqNJUSZW
>>390 劉備は除外かも
漢の皇族の末裔というのは結構免税特権があって、結構戸籍上のチェックが厳しかったから、劉備は貧しいと言っても一般庶民よりは遙に恵まれていた。
ちなみに、魏や呉の史書でも劉備の家の貧しさをあげつらっても、皇族であることを否定した文献は無かった筈。
414 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 10:20:43.51 ID:oQGvvNzz
極貧だったら黄巾党の方に参加して成り上がってそうだな
415 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 16:23:13.93 ID:woZRNb9x
そこそこの役人の子ではあったようだから、血筋的にもそこまで悪かったわけでもなさそうだね
416 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 07:18:07.41 ID:+nmFV/ck
お久しぶりです
劉備を△にしてチンギスカンも△で追加しました
世界の出世人(経歴は通説)
日本:
豊臣秀吉(貧農→天皇の臣下とはいえ日本国の王的存在)
中国:
劉邦(富農→皇帝)
朱元璋(貧農→皇帝)
劉裕(貧乏な下級官吏の子→皇帝)
陳覇先(貧乏な下級官吏→皇帝)
△陳勝(貧農→王→敗亡)
△李 自成(農民→皇帝→敗亡)
△劉備(皇室の末裔(貧乏)→皇帝)
△チンギスカン(有力部族の長の息子→部族崩壊→皇帝)
インド:
アイバク(解放奴隷→王)
チャンドラグプタ(スードラ→王)
中東:
△ムハンマドアリー(非正規部隊→王)
ヨーロッパ:
△ナポレオン(下級貴族→皇帝)
△マクシミヌス・トラクス(蛮族の羊飼い→皇帝→敗亡)
ディオクレティアヌス(下層農民→皇帝)
イヴァイロ(豚飼→皇帝)
バシレイオス1世(農民→皇帝)
ユスティヌス1世(農民→皇帝)
417 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 21:09:12.06 ID:4laAnfhK
偉人の二代目って、何でバカ殿多いの?
甘やかしたら御家存亡の危機なのくらい
その辺の家見てりゃ分かりそうなもんじゃん。
418 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 22:52:35.41 ID:CzyZDnzy
無能と言うよりは守成の才ってのは創業の才と同じくらい得難い才能なんだと思うぞ
419 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 23:24:32.14 ID:04FPuAaX
420 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 00:39:42.99 ID:kl3vwb0r
いや、俺が言ってるのは
「東京大卒の親から生まれた高卒」みたいな例であって
家臣がサポートすれば充分な
有名大卒くらいDNA的に余裕だろうと言ってるのだ。
俺が一族より数段良い学歴だからなのか?
421 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 00:40:51.02 ID:6oYruMbj
日本語で
422 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 01:15:09.28 ID:j8q6lzg+
創業者がよほど早くから成功してたならともかく、二代目だって相応の苦労してたり親父の奮闘を見てたりするだろ
少なくとも二代目=ボンボンって図式は単純には当てはまらない
常人以上の能力でも親父ほどではなかったり、急成長のツケが子の代で表面化したり、親父の代以上の苦難がやってきたり……
初代を超える二代目がなかなかいないのは当たり前だと思う
423 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 02:05:17.50 ID:nlqQ7Mjd
親が周辺の有力者に喧嘩売ったり散財したせいで
子供の代は周囲に平謝りしたり
財政再建に奮闘したりするはめになる例は世界史でもよくある
自分の代だけ栄えればよいってとんでもない宿題を残していくような人は
その問題が浮き彫りになるのが死後だからそれほど批判されないだけ
424 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 02:38:05.96 ID:kzdudA+0
ああ、武田信玄とか徳川家光とかそのへんの話ですね
425 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 09:37:47.43 ID:6oYruMbj
実質的戦国大名としてみれば信玄や信長あたりは2代目だろ。
十分親父超えてるじゃんw
だいたい偉人の息子を2代目とか勝手に定義してるんだろうけど
偉人が2代続くのは常識で考えれば稀、
有能でも先代の陰に隠れるから地味に見えるのも当たり前
>>417>>420考えの浅いバカ
426 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 16:32:16.82 ID:XvasqmGP
↑ >日本語で
他の人は理解しているのに
>実質的戦国大名としてみれば信玄や信長あたりは2代目だろ。
と偉人がなぜマシな跡継ぎを育てられないか?
という疑問すら理解してないバカ( ´,_ゝ`)
427 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 19:52:46.84 ID:6oYruMbj
先代の才能を次代に簡単に引き継げるならお前みたいな無能は淘汰されてるだろ。
お前がいる時点で世の中はそう上手くはできてないってこった
お前が生き証人じゃんw
428 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 21:23:35.56 ID:44mzcTCK
>>420 でお前だけ理解出来なくて悔しかったの( ´,_ゝ`)?
>>420 でお前だけ理解出来なくて悔しかったの( ´,_ゝ`)?
429 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 23:05:52.42 ID:6oYruMbj
生き証人乙
430 :
人間七七四年:2012/06/02(土) 01:21:19.21 ID:re65fIV6
島津義弘が奄美大島を侵略したってマジですか
もし、したとしたら結構エグい感じだったんですか
鹿児島に引っ越したのですが、ご当地ヒーローは
エブリデイ西郷どんばかり推しメンです
島津兄弟のグッズがあまりないです。
431 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 09:29:07.84 ID:kVlZXyqr
まじです。
島津の奄美統治は酷いもんで
西郷さんも奄美の民を差別しまくりでした。
432 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 17:53:02.91 ID:LFiTcAjD BE:3776179695-2BP(11)
伊賀の乱という映画が多いですがなぜでつか( ´・ω・)?
自分は興味のある映画には感じませんが興行的に成功しやすい題材だからでつか( ´・ω・)?
433 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 18:02:28.40 ID:g5ivvZpa
多いかは知らんが忍者物にすれば客が呼べると計算するんだろう。
434 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 19:26:14.35 ID:vEZeBasl
>>431 ありがとうございました
ショックです…
それにしても義久 義弘 忠恒で軍がバラバラとか
ガチで義弘と忠恒はなかがわるいですね
親子なのに
435 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 07:20:39.00 ID:kWq0RR34
>>434 戦国時代とか帝国時代ってそういうもんですけど?
奄美がどうのこうのって、朝鮮半島ではもっと大暴れしてますわ
436 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 10:18:08.72 ID:q9OH/Ufq
小野次郎右衛門忠明の元和〜寛永年間の平時の役職について
誰か御存じではありませんか?
二代目の忠常が御書院番→小普請だってのは
調べて分かったんですが…
437 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 16:03:07.01 ID:vkpJx+dx
西郷隆盛といえば
「隆盛」は父親の名前で本人の本名は「隆永」なのに
戸籍を造るときに役人が間違えて「隆盛」で登録してしまった。
西郷は訂正せずにそれに合わせて隆永から隆盛に改名したとか。
弟の西郷従道も「隆興」なのに薩摩弁の訛のせいで
「ジュウドウ」と勘違いされて「従道」にされてしまったとか。
438 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 16:03:59.13 ID:aTQgTH6I
諱なんて普通は使わないからな・・・
439 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 17:49:10.77 ID:HJFat6RA
戦国時代の鉄砲名人は
明智、橋本一把、稲富
雑賀衆以外だと誰ですか
440 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 21:45:10.65 ID:OO1uiFtl
動員可能兵力は・・・
一万石あたり250人、300人etc.......
一万石あたりどの程度の兵数が現実的なのですか?
441 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 00:31:24.83 ID:UybD+u7K
全力出動で6人役超、一万石あたり600人。
ただし遠征時は守備兵力や兵站を考えて3人役前後、一万石あたり300人ほど。
時代や状況、地域、家などでさまざまだけど大雑把に言えばこんな感じ。
443 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 11:49:01.24 ID:lwgncakW
>>441 小田原征伐の徳川って7人役を課されてなかった?
記憶違いだったかな
凄く過酷だな…って思ったんよなあ
444 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 13:19:08.67 ID:UybD+u7K
豊臣は大名蔵入地には軍役を掛けないから7人役といっても実質的には4分の3ほどになる。
ただ豊臣武将が徳川の城に入って治安維持をする、兵糧は一部豊臣持ちといっても
北陸大名の6人役に比べても過酷だったろうね
あるいは北条との外交失敗の責任を取らされたのかも
445 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 17:43:24.67 ID:YuT8L9d0
2.5人役は江戸時代とかの平時とか、遠方地への基準だからな
明智の軍役では6人役だし、北条も貫高・石高換算にもよるけどおおよそ3.5〜4人役くらい
これとは別に臨時に募兵したり、郎党・中間などの非正規の兵がいたりするから
実際はもっと膨れ上がるんじゃないかな
あと通常は城の守備は侍衆がやるんだけど非常事態だ百姓を徴募して城兵に宛てて、
城の守備を任されていた侍衆を総動員することもあって(例:北条の対武田戦など)、
この場合も通常の軍役以上の動員となるはず
446 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 17:51:31.91 ID:iEGad8HR
お隣さんだし7人でも遠方組よりは楽なんちゃう
447 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 18:29:21.18 ID:UybD+u7K
明智の軍役は6人役だが道具数は4人役、豊臣の軍役と同様に人扶込みかも知れない。
>北条も貫高・石高換算にもよるけどおおよそ3.5〜4人役
これは完全に正規軍のみ。武田も軍役状から北条と同比率。単純に比較してはいけない
非正規兵を大量に参加させるのは島原の乱での鍋島藩が良い例になるけど
一般的な兵力計算に含めていたら切が無い。
領地と軍役数が比例している北条武田は算出できるけど
比例していない戦国期毛利などは算出不可
等々で時代や状況、地域、家などでさまざまなので大雑把にしか言えない
448 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 20:06:46.95 ID:wezeO3hv
学問カテゴリの板で聞くにはふさわしくない質問があるのですが
戦国時代以前の歴史に関する質問をここでさせてもらえませんか?
449 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 20:10:52.23 ID:AAnzbJ1Q
450 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 20:14:35.66 ID:wezeO3hv
ありがとうございます
学問カテゴリの板で、つまらない質問に真面目に答えてくれる方がいるか分かりませんが
あちらで聞いてみることにします
451 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 00:37:59.13 ID:Op9Sgcin
戦国時代っていつから?
452 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 00:48:59.85 ID:eOMxUFhA
応仁の乱もしくは明応の政変から
453 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 07:58:44.20 ID:crxXeW/p
歴史学の世界では明応の政変から、というのが主流
一般的には応仁の乱から、という認識
454 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 09:44:28.98 ID:f9MIuZHa
最近創刊のデァアゴスティーニの歴史物って
戦国時代も扱ってる?
最近 寝る前に軽く読む雑誌が無くて何か探してる
455 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 10:19:02.71 ID:rdME5fh1
朝鮮出兵では伊達などが
秀吉に課された軍役数を遥かに越える兵力を出してる。
軍装や武具などを一定水準以上に揃えさせたり
上京生活費用など、むちゃくちゃ金がかかる時代である
秀吉政権時代と違い、それ以前はバカみたいに兵力を動員してる
ケースもあるから軍功を稼いで領地もらいたいヤツや
お家再興させるために郎党を連れて参加してる非正規な客人扱い武将とかいて
しかも食料の現地調達の狼藉やってるから
一概に動員基準はわからないだろう。
武田・北条は上に書いてるようにわかるが、
上杉も天正3年軍役帳があるから兵・槍・手明・鉄砲・大小旗・馬の比率がちゃんとわかる。
織田とかデタラメで全然わからん(末期の明智はわかる)
利家や信盛とか蓄財に必死で兵をあまり雇わなかったようで、
足らん分だけ国人や与力などをコキ使って軍功上げてたようだし。
456 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 10:25:38.29 ID:rdME5fh1
ちなみに秀吉の九州征伐の時に
九州兵の装備があまりにもみすぼらしくて
畿内兵の大爆笑を誘って馬鹿にされまくってる。
それで秀吉へ嘆願が出され、
あまりにバカにされて萎縮してしまってると聞いたから
九州人を馬鹿にするの禁止令がでた。
奥羽征伐ですら、そんなことが起きてないのに。
おそらく九州兵は裸族同然だったのだろう。
島津に至っては海賊家業と略奪拉致して収用する施設があって
海外へ人身売買やってたから正規兵装なんて課されてないだろうし。
奥羽は寒いからそれは無理だろうけど。
457 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 18:22:06.93 ID:vb2lbIHq
そりゃ奥州で裸族だったら戦う前に死ぬ
458 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 18:42:41.01 ID:ln5FSNBH
別に九州でも当時が今よりも寒冷な時期だったって言うんだから、普通に寒いときは寒いだろと思うが
459 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 18:50:55.04 ID:crxXeW/p
つーか九州も冬は関東とかより寒さが厳しい地域はいくらでもあるからなあ
460 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 19:11:48.62 ID:vb2lbIHq
でもあいつら、男も女も戦闘民族だぜ
461 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 19:17:04.75 ID:crxXeW/p
戦国時代の九州兵は装備も戦術も貧弱で、弱兵と考えられていた。
462 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 12:14:58.04 ID:+wQHPgqX
>>441 一万石で600人可能だったのか
解答サンクス
463 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 12:20:24.87 ID:7pwyWquu
>>461 看羊録
「家康・輝元・(上杉)景勝・(伊達)正宗・最上(義光)・(島津)義弘・・・」等々の
世襲(に近い大名の)の領地では、「家来もみな代々の家臣で、主将が戦いに敗れて自決すれば、
その部下もみな進んで自決する。」
逆に、秀吉のような成り上がり者の領地では、たとえ領土が広く、主君が勇敢でも、
「主将が戦いに敗れて自決すれば、その家来は、あるいは散り散りになり、あるいは降伏する」
と、領地によって精神性が異なるということを書いている。
464 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 17:14:23.64 ID:cJLBBFld
秀次家臣は結構死んでる
465 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 17:32:04.81 ID:IIGSbgld
豊臣政権で徳川家康に対する取次役というのは存在したのでしょうか?
466 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 17:50:08.82 ID:YCk9mbPc
467 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 18:41:53.24 ID:IIGSbgld
>>466 申しわけありませんが、具体例か出典を教えていただけませんでしょうか
468 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 01:56:35.33 ID:52tYPJac
>一万石で600人可能だったのか
それは決死の籠城戦での、物凄く好条件での人数。
外征だとせいぜい半分だぞw
469 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 03:02:13.32 ID:v5oEQHf8
470 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 05:08:07.16 ID:0PS23NE2
基本的には富田一白だろ。
家康上洛後は家康自身が豊臣重臣、取次役になったので無し。
471 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 12:21:53.95 ID:Hua3ylOs
寺の僧兵とかはその寺の坊さん?
それとも足軽みたいに近所の農民ですか?
472 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 17:10:42.64 ID:Yct92oJd
>>471 僧兵というのは江戸時代にできた言葉で同時代的には悪僧とか武者法師とか呼ばれた。
端的に言えば寺社と主従関係を結んだ武士だ。
473 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 01:08:41.44 ID:BQ1uAtf3
1万石で300人〜600人(max)動員可能
474 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 04:15:29.49 ID:fzPu3bRY
信玄は報奨に金の粒を与えてたそうですが、貰った方はどこかで貨幣に替えてたのですか? それとも普通に町で金の粒が使えてたのですか?
475 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 05:35:27.51 ID:yFktksR5
>>474 もちろん貨幣として使えた。というか、金と米などとの交換比率がちゃんとあった。
476 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 00:28:17.68 ID:OnZGt+1U
斎藤義龍が「斎藤義龍」って名乗りで出した書状や禁制ってありますか?
できれば出された年月日もお願いします
477 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 15:28:16.83 ID:kpQqKZrh
「重臣が寝返って軍制を改変するのが大変だった」とかって
具体的に何がどんな危険する可能性があるの?
478 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 15:34:09.22 ID:lTDbOiqW
例えば
・よせ貝とか退き太鼓とか、あるいは狼煙とか、そういった合図や符牒が敵に筒抜けになる
・編成を研究されて、攻撃に対応されたり、弱点をピンポイントに付かれたりするようになる
とかかな
高校野球で言えば、
試合データを全部取られれ研究されまくって、
かつサインを解読されてサインを全部読まれるとかそういう事
479 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 15:35:23.20 ID:wYrZcV96
徳川の事を言ってるのだろうけど、その肝心の軍制が未研究だから具体的わからない。
創造だけならいろいろ出来るだろうけど
480 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 04:29:17.74 ID:NuBRDs9h
帝国陸軍より戦国期の大名のが兵站を重視してるって見ましたが、兵糧は主にモチって知りビックリした、マジで三食ともモチなの?
モチ嫌いからしたら地獄だわ
駆り出された農民兵達に米とおかずを腹一杯食べさせてくれる優しい大名はいなかったの?
481 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 05:06:03.57 ID:VGLbexzh
>>480 …餅なんて戦場にもってったのは毛利の大名様くらいじゃ?(珍しくて記録されてる)
当時から日本で一番取れる米は”うるち米”、餅は”もち米”から作るんだから量的に無理すぎ
で、兵站だけど、食糧だけでなく陣構築資材も現地調達が普通
兵站とか本当に考慮したのは、大軍を動かし始めた秀吉以降じゃないかなぁ……
482 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 06:12:49.00 ID:MEQFHb/L
>>480 大嘘。そういうのを極論という。もしくは無知だ。
端的に言うと戦国期の兵站なんて、秀吉も含めてろくなものじゃない。
兵站を準備したと言われる小田原の陣すら、秀吉軍には食糧不足で雑兵クラスの逃亡が相次いだ。
兵糧を集めたところでそれを分配する仕組みも技術も無いんだからしょうがないけどね。
483 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 15:52:53.18 ID:/A67wyi1
>かつサインを解読されてサインを全部読まれるとかそういう事
それって変化球(軍勢)がkm単位でやって来るのが
数分前にノロシで分かるってだけだよね?
城の構造以外に、寝返り外様では知らない軍事機密なんて無いと思うのだが、、、
484 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 17:03:54.08 ID:NuBRDs9h
>>481-482 マジか
俺が見た国営放送のヤツは嘘っぱちだったのか…
戦国時代に腹一杯食べさせてくれる優しい大名なんていなかったのね
気前いい太閤さんでも空腹で逃亡兵が出るなんて、ちょっとショック
みんなそんなにひもじかったらマトモに戦えなかったんじゃないのか?
だから戦国時代は負傷者は多いが死者は少ないのか?
ちょっと怪我しただけで戦えなくなるとか、やる気無くして国に帰るか脱走とかさ…
485 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 17:38:25.89 ID:Lu+CWZCc
>>484 だから忠誠心に担保のない兵隊は略奪ばかりしていたし、そういった連中は大名側も嫌がった
いわゆる傭兵って奴らね
逆に地侍とか百姓は大名が負ければ自分たちが酷い目に遭うのはわかってるし、
脱走でもしようものなら家族や親族に罪を問われることもあり得るので、
一定以上の忠誠心を期待できる
ただ農村としては男手を取られるのは嫌がったので、適当なやつを金で雇って兵役に出した
もちろん大名はこれをとても嫌がって禁止する旨、触れを度々出している
486 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 19:44:42.57 ID:VGLbexzh
>>484 戦国時代の戦は秋冬、いわゆる農閑期にやるのが普通
つまり近代の「出稼ぎ」みたいなもので、「農民がひもじい」とか意味がよくわからない
脱走兵なら現代だって頻発する話しだし
ただ遠征軍で長期滞陣等の場合、食糧不足することは常だったっぽい
北条攻めの際、北条側が信じた秀吉軍の食糧の窮状の噂(嘘だったけど)に
「前はビタ銭100文で米一升の兵糧売りもきていたが、今は汁椀一杯10銭の雑炊売りだけ」
とか記録に残ってて、これを信じたってことはそれなりの状況が頻発したからだと思う
まぁコレは当時の兵站(の一部?)が商人(民間人)便りだった証拠でもあるんだけどね
487 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 19:45:54.33 ID:MEQFHb/L
>>486 > 戦国時代の戦は秋冬、いわゆる農閑期にやるのが普通
それは間違った常識。戦国大名の合戦は農閑期、農繁期関係ない
488 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 20:20:33.00 ID:VGLbexzh
>>487 長距離遠征は秋冬じゃない?(兵站の話が前提なんだし)
上杉謙信の関東出兵(長距離)は12回中11回秋冬
それに対し兵站気にしない北陸(近距離)は9回中4回秋冬だし
「”普通”は農閑期に戦争した」が、それほど間違った話じゃないと思うけど
489 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 20:25:43.68 ID:MEQFHb/L
>>488 川中島とか見てみ?季節関係ないから。
あと謙信の越山がその時期なのは農繁期云々より、古利根川の増水期を避けていたため。
490 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 21:46:39.39 ID:VGLbexzh
>>489 北信濃へは5回、そのうち夏出兵したのは一回(1557)だけだけど……
北陸より秋出兵が多いよ???
491 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 22:05:10.40 ID:/5I/2Z6X
>>480 陸軍で兵站軽視したのって
インパール作戦の牟田口ぐらいだよ
ニューギニア方面の作戦も海軍の要求に妥協したもの
492 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 23:33:44.03 ID:9w9fswZR
全体的にも開戦直前の計算では補給線は十分機能するはずだったんだけどな
まさか大規模に民間船狩りやってくるとは思わなかったという認識不足はあったが。
ぶっちゃけアメリカも参戦前のイギリス支援でドイツにいいようにされてるから似たようなもんだし
独ソ戦なんか両軍とも物資不足の中で戦ってるし
アメリカも他にドイツ侵攻では補給で重大な下手打ってるし
兵站軽視で負けたってのは実力で負けたと思いたくない戦後日本人が考えた言い訳に
過ぎないんじゃないかと極端なことも思ったりする
493 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 00:18:49.27 ID:5i+zH/bD
農閑期関係ない、は誰かが言い出したんだけど、そういう事例も
あるだけでやっぱり農閑期が多いんでしょ。
これは信長の農軍分離を、信長の発明じゃない、という
ように言おうとしておかしな点を強調しただけ。
というと鈴木あたりかな。
移動の際の食料はちゃんと米や鍋もった役割の人がいて
その分配みたいなのも記録にあるよね。
一辺に配ると酒に変えてしまうからいかんぞ、とか。
十分じゃなかったろうが食べ物がないと動けないから
移動先の村で調達したりそれなりに工夫はしてたんだろう。
出兵の準備、というけど実際は食料の準備ってことじゃないかとは思うし。
これもおかしな、00はXXだった、みたいなのをよく見かけるよな。
494 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 01:15:05.72 ID:tWRdVoi2
そもそも兵農分離など戦国期にはない
495 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 01:58:35.20 ID:Sz2cOiQZ
士(官)農分離と改めれば御幣は少なくなるな
496 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 02:36:17.80 ID:tWRdVoi2
497 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 02:27:13.42 ID:ak0EmvbN
498 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 03:08:11.19 ID:cLVoYltu
>>496 つか「太閤検地(1582開始)」じゃないか?
アレで土地持ち(百姓)と、そうでない身分が法令で規定されたんだし
499 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 03:14:19.09 ID:cLVoYltu
>>497 「身分法令」の文書自体は残ってるでしょ、それの意図が「兵農分離」かどうかは別にして
500 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 05:31:03.08 ID:Y0N601T6
身分法令はむしろ、農村からの、武家被官排除の要求に答えた法令という説もある。
あれによって武家の影響力を排した百姓による惣村自治が完成するんだと。
501 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 20:23:24.15 ID:kRqFURqp
東の若手がそういうのを主張して話題?になってるね。
東はそういう土壌があるからなぁ。
502 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 23:21:44.20 ID:4rW6LH6z
織田信長は「うつけもの」と呼ばれていたらしいですが
名古屋弁なら「たわけもの」じゃないのでしょうか?
503 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 00:21:58.95 ID:gzEGhDJ4
うつけとたわけは明確な意味の違いがある。
このあたり公記は非常に正確に記述されている。
たわけ、というのには、近親相姦、みたいな意味があり
ひどい蔑称になる。
しかしうつけはそういった意味はなく単に、ひょうきん、という意味にも
使われる。
現代の人のほうがその意味性については鈍くわからなくなっている
といういい例でしょな。
良かったら複数の辞書でいろいろ確認してみてくださいな。
504 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 09:53:12.40 ID:jqB+6mw6
ありがとうございます。同じかとおもっていましたが、かなりニュアンスに違いがありますね。
505 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 10:44:05.21 ID:k0gfOwf5
「たわけ」にそんな深い意味は無いと思うのだが、、、
By,名古屋人
506 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 11:48:35.13 ID:kRw4Jsht
ニュアンスは400年前の人じゃないとわからんだろ
507 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 14:25:57.13 ID:yArnk27f
503だけど、語源とか他の「たわけ」を含む使用法とかそういうのも含めての
意味性の話ですね。
法律もない時代だしかえって今よりは明確な意味の違いは認識されてたでしょう。
508 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 21:08:16.56 ID:Ti2Qqb/4
「たわけ」の語源は田分けじゃないのか。
509 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 21:12:08.32 ID:eNBVepZF
「戯け」って説もあるらしい
510 :
人間七七四年:2012/06/21(木) 21:01:21.79 ID:RAjVWC/K
質問なのですが側室が先に男児を産んでいて、その後に正妻が男児を産んだ場合はこの正妻の子が基本的には後を継いでたんですよね?
この場合は側室の子供(兄)達は自分の弟に敬語を使ったり命令を受けたりするものなんでしょうか?
511 :
人間七七四年:2012/06/21(木) 21:06:53.13 ID:AIkYysHs
ただの一門扱いになりますのでその通りです。
512 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 00:11:46.07 ID:Ij63TRDB
その例に関してはいろんな記録があったりします。
兄たちが不満で不仲になったり、両者納得で美談になったり。
北条あたりから詳しいのが残ったりしますね、やはり武士とかの
相続に関する例が多いでしょうし。
513 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 01:23:45.99 ID:/2cQPzs7
織田信広とか側室の息子で信長の兄貴だね
過去に謀反を数度お越すものの、信長を認めてからは兄弟で一番上ってのを活かしてまとめ役になってたそうだ
色んな家の例を見てみると側室の弟よりは側室の兄はそれなりの事をこなしてる人が多いと思う
514 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 03:39:22.64 ID:JKWuYPGl
正室になれるのは、実家の力や格が他の室より上だったりすることがほとんどだから、
不満持ったところで、正室の子を追い落とすのは難しいんだよな
515 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 08:39:05.13 ID:94KI3weV
追い落とすようなことを考えるのは戦国真っ盛りぐらいだろうけど
昨日まで同じような扱いだったのがいきなり「邪魔」と追放もどきでは
さすがに可哀そうで、そこで嫡男とか周りのものがどうするかがまた
複雑で。本人には何の責任もないしねぇ。
516 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 10:52:43.94 ID:Usy6RCeI
どの大名か忘れたけど嫡男よりも他の子供が可愛くて世継ぎにしたいが為に嫡男殺したり、はたまたは内乱とか起こしたりしてるの居なかったっけ?
勝頼の場合は四男の癖に嫡男が謀反を起こしたから自動的に自分が後継者みたいになれたけど当主にはなれなかったんだよね
517 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 13:05:47.77 ID:wSawdAUI
居なかったっけと言うか、よく有る。
武田勝頼の場合は四男だからというよりも諏訪家を継承してる立場なので武田家の当主にはなれなかった。
518 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 13:26:57.29 ID:tlu5eU+M
そもそも次男・3男は病気だろwww
519 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 13:45:20.89 ID:wSawdAUI
次男は盲目、三男は夭折だ。
520 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 18:33:05.14 ID:3pe51xW+
葵徳川三代を見てたら大野治長が宇治 瀬田に陣を構えて勝利した武将は
いないと言ってたのですがその武将って誰ですか?
521 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 19:13:23.40 ID:jKoQI4UB
>>520 ぱっと思いつくところでは、
以仁王の乱(攻撃側:平知盛、平重衡 守備側:以仁王、源頼政)
宇治川の戦い(攻撃側:源範頼、源義経 守備側:木曾義仲)
承久の乱(攻撃側:北条泰時 守備側:藤原秀康)
いずれも守備側の敗北。
522 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 21:27:28.69 ID:nHwQ+4hC
ばっと思いついて漢字が全部書けるなんてすごいな。
523 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 21:35:40.23 ID:DJPTNmhY
後、壬申の乱がある
524 :
人間七七四年:2012/06/22(金) 21:41:51.23 ID:LXP/0OO1
525 :
天才軍師お願い!!:2012/06/23(土) 01:38:17.12 ID:+ed9mEQY
外様に石高をやった様に、浮気相手には色欲を
譜代に権力をやった様に、本命には愛情をやってるのだ。
みたいに、本命と浮気相手双方が納得する様な
上手い歴史事例での言い訳って無いですか?
526 :
人間七七四年:2012/06/23(土) 07:21:10.98 ID:GlBrYSCd
>>521 520ですがどうもありがとうございます
527 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 01:02:21.34 ID:GHJZp6rO
赤穂浅野家5万石って、下から何%程度の藩だったの?
てか1万石単位での、石高ランキングって無いの?
528 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 01:13:19.42 ID:idaFkuId
石高ランキングでググレば出てくるだろ
529 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 10:13:01.64 ID:Km+gFvNd
たった3万石で300諸侯の並以上かw
530 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 14:59:55.32 ID:bKPjUPGr
大阪夏の陣では細川忠興か誰かが
黒田長政と加藤嘉明が徳川秀忠の陣を守らなければ負けていたと
言ったというのを何処かで見たんですが
細川家文書か何かにそういう記録があるんでしょうか?
当時の大坂の陣はそういう評価だったのでしょうか?
具体的に教えてもらえたら助かります
531 :
人間七七四年:2012/06/26(火) 04:39:14.30 ID:RlplBxCK
自分は歴史ファンにわかなので、
毛利輝元は情けないのびた系で、叔父さんに殴られていたイメージしかないんですが、
本当は立派な名君だったのでしょうか。
532 :
人間七七四年:2012/06/26(火) 15:15:31.31 ID:7KMcVkMc
>>531 立派というのは、人格?それとも領国経営者としてか?
後者なら最高経営責任者としては、3代目のバカボン。
情報に全く疎い、判断力が無い、決断力が無い、空気を読めない。
今でもあるだろ?こういう経営者が、一流企業を三流企業にしてしまって例が。
人格は解らないから何も言うことはない。
533 :
人間七七四年:2012/06/26(火) 16:53:13.48 ID:RlplBxCK
>>532 ありがとうございました。関ヶ原のことはまだしも、大坂の陣のこととか考えると経営者としてちょっとひどいなと思っていました。あまりにひどいので、逆におかしいと疑問でしたが、ガチでアレだったのですね…。
534 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 04:45:03.36 ID:CUwJ1MEI
茶会や祭りとかで大名が自国の領民と触れ合う催しってあったのですかね?
535 :
人間七七四年:2012/06/28(木) 05:21:07.03 ID:cLUMu7bO
>>534 どの範囲をさして領民と言っているのか知らんが、正月など時節のイベントごとに城下の町民などの代表も
殿様に挨拶するなどしており、また鷹狩などで領地の百姓とも常に接触を持っていた。
536 :
人間七七四年:2012/06/30(土) 16:17:03.68 ID:J/f1jm5S
戦国武将が政略結婚する時、自分に適齢期の子女が無い場合
遠い親戚や家臣の娘を一旦自分の養女として嫁がせますが、
養女にするに当たって手続き的なものは有ったのですか?
書類作成とか養女縁組式とか・・・
537 :
人間七七四年:2012/06/30(土) 18:31:43.89 ID:5eQHhM/Q
538 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 12:57:07.36 ID:mW7r9oxY
539 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 17:36:54.77 ID:/pw7tTei
尾張時代の織田家家中の序列を教えて下さい。
柴田勝家がナンバー2かとおもっていたらおもいっきり笑われてしまいました。
一門を除けば次に偉いのは柴田と違うんですか?
540 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 17:52:05.19 ID:KIbXmFfR
佐久間信盛
541 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 18:00:40.33 ID:kXfER94B
天正初期は近畿(本願寺)担当の佐久間信盛がNo2、地方の柴田勝家がNo3
本能寺直前は近畿管領格の明智と西国五ヵ国司令の秀吉に抜かされてNo4
とかの細かい話のことかね?笑うほどの事とは思えないけど
542 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 19:15:10.00 ID:KxrjUzET
佐久間がNo2で柴田がNo3
佐久間が追放された後は
柴田がNo2で秀吉がNo3で光秀がNo4
光秀が近畿管領なんて織田チョンの捏造だから。
柴田は前田や佐々らが目付けとして監視されてる立場で
越前も預けられただけで加増ではない。
逆に池田が攝津で広範囲に渡る軍権をもらったことから
池田が攝津一職支配権をもらったとの見方もあるので
池田の地位が急速に向上しているのも見逃せない。
一方で柴田が落第寸前だったが御館の乱と新発田の乱のおかげで
首の皮一枚つながったが、
武田を滅ぼした滝川や川尻らにも及ばず上杉に苦戦してた。
上野や甲斐をもらった彼らの加増からみて
No2柴田の追放は時間の問題。
543 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 19:20:24.00 ID:E1oYpIwa
時系列が変だろ。上杉に苦戦してたけど御館の乱で首の皮一枚残して繋がって、
これから巻き返しだろ。
544 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 20:49:23.62 ID:/pw7tTei
戦国ビギナーでも知ってるんじゃない?
センゴクでも佐久間追放のエピソードあったしw
546 :
人間七七四年:2012/07/02(月) 00:58:05.38 ID:z192HiUC
尾張時代と言ってるんだから
天正初期よりももっと前でしょう。
丹羽、佐久間、柴田、あたりが有名だし
ナンバー2と言って笑うほどのことではないだろう。
というか、尾張時代と言っても長いし
笑ったのは今流行の方面軍とか司令官とか
そういう話と勘違いしてるんじゃないかな。
547 :
人間七七四年:2012/07/02(月) 08:50:46.06 ID:vwFfe52L
丹羽さんは安土城建設の任務を任されてから
後方任務が増えて立ち位置が変わっちゃったからな
548 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 09:50:41.59 ID:L7ek/ZlO
平安時代はふっくらした女性が美人だったみたいですが、戦国時代でも美的感覚はさほど変わらないのでしょうか?
女性の肖像画を見ると平安時代のようなぽっちゃりではないように感じたので気になりました
549 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 10:23:29.96 ID:nDfL5hl5
肖像画だとほっそり面長色白が流行という感じやね
550 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 11:12:56.43 ID:L7ek/ZlO
>>549 なるほど・・・
いわゆる肖像画=2次元の萌え絵みたいなもので、肖像画には肖像画の美学、3次元の生身にはまた違った美的感覚があったという事でしょうか?
知りたい点でいえば太ってる女の方が好まれたのかどうかという点が気になっています。
仮にデブが相変わらずモテたのなら、遊郭に居た女の人は太ってた人ばっかだったのかな〜とか・・・
551 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 11:40:11.66 ID:nDfL5hl5
肖像画は実写主義じゃないからデフォルメされているけど、
標準的な特徴部分は当時の嗜好を反映してると見ていい
552 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 18:49:43.93 ID:xX2le2Vu
そもそも肖像画は普通その人の死後描かれるもの
553 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 19:17:40.01 ID:bwsaIjnh
日本に限らず古代は太っている女性が美しいとされた文化はいくつもある
理由は単純明快で「太っている=豊か」であったから
食糧が満たされ太っていることにそれほど価値がなくなっていくにつれ
痩せている方が美しいという価値観が台頭してくる
554 :
人間七七四年:2012/07/07(土) 12:40:47.21 ID:pPMzIIJI
尻がデカイと安産って言うから下半身デブは好まれたんじゃないかね。
基本的に健康な男児出産マシーンって要求を満たしてくれればいいんだし。
あと12歳くらいから性交可だったっぽいね。
後醍醐天皇やら利家などがロリだっただけかも知れんけど。
555 :
人間七七四年:2012/07/07(土) 12:47:13.30 ID:l9b6lBvi
デブは難産
556 :
人間七七四年:2012/07/07(土) 13:51:35.21 ID:E8g2Epr8
食糧難の北斗の拳の世界でも
ハート様=ふくよかで美しい男
ユダ=やせている醜い女が好きな変人
と認識されている
アフリカの方でもそうだよな
558 :
人間七七四年:2012/07/07(土) 19:00:48.06 ID:Yw/RDpOD
疑問に思ってることがあります。
甲斐姫伝説というのは、成田記のみしか書かれてないものなのでしょうか?
現在、甲斐姫の伝説(忍城攻防戦、謀反討伐、大阪城脱出)等は専門家の間では
実際にあったことになっているのでしょうか?
559 :
人間七七四年:2012/07/08(日) 08:53:50.66 ID:Vcs0W8Iw
560 :
人間七七四年:2012/07/08(日) 09:51:17.96 ID:MNL0hOOx
>>558 俺の理解では成田記のみに書かれていて、実在性自体怪しい。
561 :
人間七七四年:2012/07/10(火) 23:19:27.73 ID:KnrR/7bR
辞世の句ってあるけど
病死とか家臣に看取ってもらって記録出来る人はまだしも、戦死した武将のとかが何で残っているのだろうか?
562 :
人間七七四年:2012/07/10(火) 23:33:26.70 ID:5/7iT8sA
戦場に出る前にあらかじめ書いておいたからだよ
普段から認めてあるらしいよ
564 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 00:19:09.03 ID:a2hLBJOM
戦中携行食となったイモガラ・ズイキ、また兵糧丸等を実際に食した様子等がわかる文献などありませんか?
再現食とかアレンジはこの際ナシで、どういう効果だったとかもいらない。
ぶっちゃけ洗っても洗っても汗ホコリまみれのそれらを乏しい調味料で煮炊きして(!)しがんでる様子しか想像できないのだけれど。
565 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 00:37:56.16 ID:6TWpeIHi
雑兵物語
566 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 17:38:42.22 ID:BFlUQ/py
>>564 家康が戦争の帰りに団子屋寄った話があるんだから
ちょっと歩けば食い物屋くらいあったと思う
携行食ってチョコやガムみたいな空き腹用なんだろうね
567 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 17:50:16.43 ID:+dGeJQVV
>>566 街道沿いの食い物屋なんぞが出現するのは江戸期になってからだw
568 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:07:49.38 ID:ggQ6c6RC
>>566 その食い物屋はどれほどの軍備があったのでしょうか?
襲撃する人やただ飯を食おうとする人などいたでしょうし、
並みの兵力ではすぐに潰れてしまうと思うのですが。
569 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:23:15.90 ID:/L/FMSPu
大坂の陣には餅売りが来てたらしい
570 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:25:39.51 ID:hrKRmbsi
慶長の役には水売りが来てたらしい
571 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:26:21.50 ID:hrKRmbsi
間違えた文禄だった
572 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:33:35.37 ID:fshdxzmj
>>568 当時の戦場の略奪って「統率された略奪」という補給行為で、
自分勝手な略奪とはぜんぜん違うよ(個人では犯罪、タダ飯は軍規違反)
当時の戦場では普通に商人が出入りして補給の一端(他いろいろ)を担ってたから
普通にそーゆー事が行われた、とは考えにくい
573 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:46:19.82 ID:j+NV/K6z
>>572 > 当時の戦場の略奪って「統率された略奪」という補給行為で、
馬鹿かお前。統制されたものだけで済んでいたとか本気で思ってるなら相当やばいぞ。
574 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:49:08.68 ID:/L/FMSPu
力づくで奪おうと思えば奪えるだろうけど、
そういうことをするとニ度と売りに来なくなる。
575 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:50:24.91 ID:hrKRmbsi
禁制やぶったら引渡しだかんね
576 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 19:51:05.47 ID:j+NV/K6z
>>574 そこも利害と状況によるっつーの。一律に考えるな。
577 :
人間七七四年:2012/07/11(水) 23:31:53.89 ID:UbM5GGwc
商人の情報網は思いがけない所につながっていたりするから、うかつに無体して放置するとまずいから行商人から奪ったりしたら処罰されるぞ普通は
578 :
人間七七四年:2012/07/12(木) 10:08:15.91 ID:KJm6L2ea
東日本最強の忠勝と西日本最強の宗茂だけど、具体的に宗茂の強さを証明する偽って何かあるの?
小勢で大勢に勝った話は知ってるけどそれは指揮官的な意味で個人の武勇じゃないよね?
あと忠勝は57度の戦で無傷、常人は重くて使えないトンボ切りを片手で扱う、数千の軍勢に単騎突入、当然無傷
とか聞いてるけど大軍に単騎突入ってこれいつのどことの闘い?
あと無傷っていう防御力が重視されてるけど首級うちとった数とかオフェンス的な逸話ないの?
ただ無傷だったら逃げ回ってても無傷だよね?
それとも最初から東西最強ってのは最高レベルの指揮官て意味で個人の強さはそれほどでもないって意味?
あと忠勝は戦国最強とも言われてるけどこれは誰の評価? 秀吉は東国最強って言ったんだよね?
戦国最強が世間の認識なら忠勝と宗茂が東西最強だけど忠勝のがちょっと上ってみられてたの?
579 :
人間七七四年:2012/07/12(木) 10:25:51.44 ID:PcuuBq9Q
>戦国最強が世間の認識なら忠勝と宗茂が東西最強だけど忠勝のがちょっと上ってみられてたの?
まあ忠勝の方が年上ですし
580 :
人間七七四年:2012/07/12(木) 10:28:17.54 ID:fqeu0h49
忠勝と宗茂が東西無双ってのはただの秀吉のお世辞だから
実際の実績や世間の評価では無い
そもそも本当に言ったかもわからんし
581 :
人間七七四年:2012/07/12(木) 13:26:12.27 ID:a6RcfOqG
>>578 後の剣豪達みたいな競技的な強さじゃなくて
カリスマ性が最強って事なんじゃないかな
役者なんかで言う演技論的な凄さじゃなくて存在感やオーラで場が引き締まるみたいな
582 :
人間七七四年:2012/07/12(木) 19:53:27.55 ID:ZwE4K9gi
最強スレって腐るほどあるけど「歴史」において使うやつは土にまでカエレ
BASARAかよw
583 :
人間七七四年:2012/07/13(金) 06:53:09.74 ID:rf3Ug6Rg
合戦は1対1の格闘戦じゃないからな。士卒ならともかく将に個人的武勇自慢は邪魔なだけ。
584 :
人間七七四年:2012/07/13(金) 09:23:41.41 ID:97SthXzq
57度の戦とかで
家康が褒めてるのは、
乱戦になっても、腕っ節の強さ、
多数の戦いなら、乱戦に持ち込ませない統率力、判断指揮力の凄さ、
流れ矢、流れ弾を受けない運のチカラ等、
配下を率いる武将としての隙の無さだろうね。
特に「武運」は部下からすれば頼もしいはず。
585 :
人間七七四年:2012/07/14(土) 14:29:33.03 ID:ly3ULYNK
大村益次郎とかヤン・ウェンリーみたいに個人の武勇がなくても
統率をとれる指揮官もいるから一概には言えないけど
やっぱ「つえー指揮官」のほうが頼もしいな。
586 :
人間七七四年:2012/07/14(土) 14:35:57.00 ID:Swfj2+QG
ヤン・ウェンリー…。はあ…。
587 :
人間七七四年:2012/07/14(土) 18:32:53.50 ID:yN1kcr5A
ヤンって何で中国人なの?韓信みたいだから?と昔は思ってたけど、
清帝国のヌルハチがモデルだったんだな。
588 :
人間七七四年:2012/07/15(日) 22:06:11.49 ID:kPyyNEp6
150年続いた戦国時代って信長が出てきたラスト50年ばかりが有名で
最初の100年のことって全然有名じゃないけど最初の100年って
眼を見張るような英雄や偉人、大事件なかったの?
あえて言うなら真ん中の50年は毛利元就、北条早雲、高橋じょう運、立花道雪
が有名どころだけど逆にそれぐらい、応仁の乱からの最初の50年とか全然
脚光を浴びないんだけどなんで?
589 :
人間七七四年:2012/07/15(日) 22:17:39.69 ID:fGjJJ5qv
嘉吉の変→応仁の乱→(将軍権力回復運動→)明応の変
の一連の流れが神、もともと弱かった幕府の権力基盤が完全にぶっ壊れる過程
まあ単純に、英雄不在のわかりにくい時代だからじゃないかな >脚光を浴びない
590 :
人間七七四年:2012/07/15(日) 22:29:56.28 ID:WlRAOEv3
>>588 応仁の乱で東西両軍に高利の金を貸し付けて大儲けした日野富子とかいるじゃん。
591 :
人間七七四年:2012/07/15(日) 22:34:09.04 ID:UoW26JMt
592 :
人間七七四年:2012/07/15(日) 22:37:06.85 ID:5LFHeYzS
なぜ人気が無いかというと面白い軍記や講談が作られなかったからやね
593 :
人間七七四年:2012/07/15(日) 22:37:56.89 ID:SmZeOzs0
>>590 まあそれデマなんだけどね。
応仁の乱以降も畿内だけでも、六角征伐、第二次六角征伐、明応の政変、永正の錯乱、大物崩れ、第一次本願寺戦争
天文法華の乱、太平寺の戦い、江口合戦、東山合戦…と、大きな事件満載だが、史料が少なくまた
教科書などでも余り取り上げられないことがマイナーな扱いのもとになっていると思われる
594 :
人間七七四年:2012/07/15(日) 22:39:53.52 ID:p3aX0lDK
江戸時代までは、織田信長よりも三好長慶のほうが人気があった。
というか信長は非常に地味で不人気な戦国武将だった。
595 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 03:08:28.07 ID:STvJ/rAt
将軍家が基本的に畿内で手一杯になって、地方の動静がよくわからなくなってるのもあるかと
戦国後期が全国的に割と詳しいのは、江戸期に大名として残った家が資料の収集、家譜の編纂に務めたのが大きいですし
596 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 09:21:33.11 ID:2mnI9S4X
>>593 船岡山合戦は
当時の将軍義澄側の細川(阿波細川)澄元、、赤松、畠山総州家の守護大名連合
前将軍義稙を擁立した細川(野州家)高国、大内、能登畠山、畠山尾州家の守護大名連合
天下分け目の戦いの割に知名度低いな
597 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 19:50:55.64 ID:oM7dZORd
古戦場にて金属探知機で穴堀、錆びた刀剣や矢玉採掘するのは
違法なんですか?刀の鍔くらい残っていそうなので。。
598 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 20:08:43.25 ID:Ny3gx4oR
私有地なら進入自体違法。国有地も勝手に掘っちゃいけんよ。
城跡なら掘ったら遺跡破壊だし
あと古戦場だと当時は戦が終わったら農民総出で遺物回収してたりで
個人で発見できる可能性はかなり低い
大学などの研究機関が探してやっと鉄砲玉数個とかの世界だし
599 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 20:30:41.91 ID:fpmqNEnP
…盗掘する?にしても、発見場所と日時を記録しておいては欲しいなぁ……
それがないと本当に無意味になるから
600 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 08:47:16.25 ID:uq6+ZSrD
秀吉と利家の関係で質問
よく二人は同じ長屋に住んでたとか家が隣同士だったとか家族ぐるみの付き合い
だったとか言われてるけど、花の慶次だと足軽の秀吉が首級一個あげたときに
馬に乗って立派な鎧着た利家が偉そうな態度で秀吉に馬で泥かけるシーンあるんだけど
二人って同じような階級じゃないの?
あと足軽の秀吉と家が隣だとか同じ長屋暮らしとか利家の実家の前田家って
貧乏な足軽なの? 利家が一代で足軽一家から大大名まで育てたの?
だったら利家もめちゃくちゃ出世人じゃない?
601 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 11:23:13.50 ID:Wbmmvm2o
よく知らんが、投票する度に金取られるシステムなの?
602 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 11:23:44.42 ID:Wbmmvm2o
ごめん誤爆
603 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 12:42:24.19 ID:P/DLDS1d
>>600 利家は荒子城主前田利春の子なので足軽階級じゃない
しかし4男坊なので家を離れて信長直属の馬廻りをやってた時期なら
低い身分から出世して信長の官吏として働いてた時期の秀吉と
同格、同僚として家が隣同士でも別におかしくない。
もちろんそのシーン自体はフィクション
604 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 17:20:42.28 ID:7lLjNfJY
秀吉は信長の尾張時代に既に奉行として活動していたらしいからな。
利家は信長の母衣衆やっていたとはいえ、立場的にはごく早い段階から終始秀吉のほうが上だったと
考えられる。
605 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 18:40:59.51 ID:qFKA4wvi
>>600 利家は正社員だけどまだヒラ待遇
秀吉は契約社員だけど課長級の仕事をしてたって事でいいんじゃない?
どうゆう経緯で秀吉が高い評価を受けたかは謎だけど(蜂須賀さんの代理人だったのかな)
信長の下で下積み時代があったってのは多分嘘。
606 :
庭師:2012/07/17(火) 19:22:32.24 ID:pRdO1LmC
利家は一度出奔してなかった?
607 :
人間七七四年:2012/07/17(火) 19:36:25.27 ID:b0rLTbQ1
信長お気に入りの茶坊主ぶち殺して本来なら喧嘩両成敗で殺されるところを、
柴田勝家なんかのとりなしで織田家を追い出された時期はある
ちなみに桶狭間で勝手に従軍して赦免されてたる
608 :
人間七七四年:2012/07/18(水) 01:12:10.05 ID:XoQkJUDN
陣借りって面白そうだな。
609 :
人間七七四年:2012/07/18(水) 11:36:09.18 ID:buyiY52/
蜂須賀家と生駒家が密接だったっての関係あるのかな
610 :
人間七七四年:2012/07/18(水) 15:13:19.45 ID:k5n9fXGs
>>607 利家が赦免されたのは美濃森部
桶狭間では許してくれませんでした
611 :
人間七七四年:2012/07/18(水) 20:34:26.16 ID:wn6TJOYB
秀吉は桶狭間時点では足軽でした
ソースはTBS
茶会や茶器のバブルはいつ弾けたんでつか( ´・ω・)
弾けた背景とバブル後の茶器の価値はどれくらい暴落したんでつか( ´・ω・)
613 :
人間七七四年:2012/07/19(木) 06:01:03.56 ID:H3PazkL8
弾けてねえよ。仮に茶器バブルがありはじけたとしたらそれこそ2000年代のバブル崩壊の時だ。
614 :
人間七七四年:2012/07/19(木) 18:33:45.89 ID:CUsP2fRM
>>613 茶会ブームの衰退と言うか例えば利休の目利きによりガラクタが名物になる
錬金術が終焉したって話じゃない?利休死後も古田織部が似た様な事をやってたし、
現存で一番歴史の浅い名物っていつのものなのだろうか?
615 :
人間七七四年:2012/07/19(木) 18:48:50.54 ID:ULAOM8wn
よくわからんけど、江戸時代でも「茶器の錬金術?」は行われてたぞ(小堀遠州とか)
実際「名物集」なんて高額品カタログが何度も出てるしね
江戸時代だと「万宝全書」「古今名物類聚」「茶器名物図彙」が有名ドコロかな
実際に茶器の値段が暴落したのは、明治維新とか太平洋戦争に負けた時、じゃないかなぁ……
(所有者がお金に困って売りに出された)
616 :
人間七七四年:2012/07/19(木) 23:22:44.73 ID:y4gF/3gi
そして明治の時は益田鈍翁などの数寄者がコレクションする事で海外流出を最小限に抑えた。
彼らは個人で買うには高額過ぎて無理な佐竹本三十六歌仙絵巻をバラバラにして掛け軸に
する事によって個人で買える値段に抑えるなどの工夫をしている。
617 :
人間七七四年:2012/07/19(木) 23:56:17.46 ID:3kl1daSs
618 :
人間七七四年:2012/07/20(金) 00:24:33.30 ID:+kTA7Kt6
茶器の名品を名物と呼ぶんだよ。
619 :
人間七七四年:2012/07/20(金) 08:53:45.68 ID:we6XbcIa
宣教師もそれが笑えたらしく
どんな価値の無いものも
その手の業界で天下一と言われた者が
評価するとたちまち高値になると書いてる。
日本人は日本一とかの肩書きとかお墨付きが大好きらしく
物の価値が理解できてないとか言ってる。
620 :
人間七七四年:2012/07/20(金) 08:57:20.05 ID:we6XbcIa
>>608 信長の勘気に触れ、三方が原の戦いで陣借り従軍した者がいてな・・・
なぜか尾張商人までここで尾張に帰ったら逃げたと思われると男気に感化されて一緒に討死したもんまでw
621 :
人間七七四年:2012/07/20(金) 09:07:00.46 ID:we6XbcIa
>>588 山内上杉家の家宰として上野国守護代で実質、関東管領軍総指揮官の景仲・景信の後継者だった
長尾景春というゲリラ神武将がいてだな。
こいつの関東中央での超活躍がなければ伊勢早雲なんざ
漁夫の利で辺境の領地を掠め取ることすらできんかった。
しかし上野国はこの長期戦乱のせいで地力を使い果たして
戦国後期は空気化してシモタ
622 :
人間七七四年:2012/07/23(月) 06:35:30.55 ID:vYHPOYQC
>>621 つーかその長尾景春が太田道灌にフルボッコにされた後色々あった挙句駿河に転がり込んで、
当時今川の実質的守護代だった伊勢宗瑞を関東の紛争に引き込んだ張本人じゃないかw
623 :
人間七七四年:2012/07/23(月) 18:02:02.69 ID:s2FTi/pD
上野が空気化したのは長尾景春以後じゃなくて、
山内上杉が没落したからだと思うがな
お陰で後北条、武田、長尾上杉の草刈り場になった
624 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 09:03:40.28 ID:yz5GR6yB
山内上杉没落の主原因は景春じゃねーか。
625 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 10:18:51.27 ID:HOEUQvoT
景春は山内扇谷の両上杉の軍勢を率いる太田に寡兵でよく戦ったよな。
太田暗殺も景春の謀略っぽいよなあ。
その後すぐ扇谷上杉陣営に現れて、
山内上杉を敗走させてるし。
山内と扇谷の仲を割いてるあたり謀将っぷりハンパない。
626 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 19:32:19.42 ID:nvdbb6x2
>>612 茶器は金銭的な価値と、所有していることで得られる、出世の証明と更なる可能性があった。
信長秀吉の時代は手柄に対する褒美であったし、
茶器の所有が茶会に呼ばれる近道でもあった。
茶会に呼ばれることが、主君の意思を直接得られ、地方からの武将に顔をひろげるきっかけになったし、
政略や中央地方の動静に対しての情報を手に入れる場だから。
逆に江戸時代になってからは、茶会は廃れた
勝手に茶会なんか開いたら、
幕府転覆の密談をしていたと理由をつけられて御家が廃されるw
627 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 19:38:59.78 ID:nvdbb6x2
>>612 茶器の価値は、
朝鮮の役で、
朝鮮から職人を連れてきて、日本に住まわせてから、
金銭的価値は落ちた。
ちなみに連れてきた職人は、
職人を尊ぶ文化の背景の無い朝鮮から連れてきた者だから、
待遇は日本のほうが恵まれていたはず。
異国に来たわけだから、心情はどうか知らん
628 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 21:25:49.48 ID:wUSKct/J
>>627 え?! 価値が下がるどころか、ぎゃくに朝鮮の技術導入で生産された名器が増えたぞ(小堀遠州が良い例)
茶器ってのは、箱(一筆)あって価値があるもので、量産できるものじゃないうえに
江戸時代には流派が増え茶道人口が格段に増加したから
名器の価値が維持された、というよりは、時代を経てますます希少価値が上がっていった
幕末まで、この傾向は変わらなかったよ
629 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 22:12:31.79 ID:Uxk+Dqd1
蘆名氏の隠居しているかた 「止々歳」っていますが
「とめとめさい」で読み方あっていますか?
上条が カミジョウ なのか ジョウジョウ なのかもわからんです・・・。
630 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 22:24:14.08 ID:YmjOo7r3
「ししさい」じゃなかったでしょうか。そして上条は「ジョウジョウ」と「カミジョウ」と
どっちもあります。家によって違います。
631 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 22:33:14.50 ID:Uxk+Dqd1
>>630 長年の疑問がやっと解決!
最近まで 下間 を ゲマって読んでいたしw
サンクス
632 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 23:24:27.33 ID:63vYHqxX
う 上野
633 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 01:59:37.40 ID:gPWWmiss
「しもつけ」も「げや」も言葉としてはあるよね
634 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 19:55:55.46 ID:SQobj1gx
さいたまとさきたま
635 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 20:54:56.75 ID:SBl0PgDe
戦国武将が名乗る 上総の介とかどうやって決めるのですか?
織田信長なら 尾張の役職を自称すればいいのになんで関東の役職なのでしょうか?
636 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 21:34:29.46 ID:QI5PLnwI
上総守を名乗ったときは尾張守護斯波義銀を担いでいたので尾張守はさすがに遠慮し
じゃあ親父の代からやり合ってる今川家が代々上総介を名乗っているので
対抗してその上位の上総守を名乗ったのではないかと
上総守は親王任国で皇族が任命されるものと誰かに指摘されて
最終的に上総介にした感じじゃないかなと想像します
記録が残ってる訳ではないので正確な所は分かりません
637 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 21:39:04.93 ID:pHw7IklS
織田信長が名乗った上総介は自称
弾正忠以降は足利義昭から正式にもらったもの
638 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 22:12:50.05 ID:SBl0PgDe
639 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 23:33:49.39 ID:W/HhSz1E
実際に人を討った経験のある大大名ってどれ位居るもんなんですかね
殺害経験有り・・・利家、謙信、勝家、政宗、元親、直家
経験なし・・・義元、信長、光秀、秀吉、家康、信玄、元就、氏康、義久
本人の武勇ってやっぱり勢力には関係無いんですかね
秀吉なんて武勇伝皆無で農民から太閤ですし
640 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 00:34:44.33 ID:RRbbGBNt
信長が自ら討った経験なしって本気でいっているの?
641 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 09:05:21.53 ID:Gm8DIbV9
>>639 万が一にも将が前に出て怪我をしようものなら
国中の笑いものになるリスクがあるからね
642 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 09:38:19.15 ID:1QLSuGI0
端的に言うと大将の立場で個人的な武勇を使うのは、配下の武士の武功を奪うことになるので、
余程の非常事態でない限り自ら敵を討つのはタブー。
大将の機能は配下の武功を認定するためのものであり、自ら武功をするものではない。
643 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 09:52:33.40 ID:lgT61QyU
武将の功績だって編成ユニット全員の手柄がその武将にカウントされているしなあ。
一度に何十人の首がってのはそこを誇張した講談が元だったりするしなあ
644 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 10:13:35.60 ID:ozO6JTj4
家康が自ら手を下したとされるのは三方ヶ原の戦いでの敗走時に、
行く手を阻む武田兵を騎射で倒した時のみ
645 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 15:03:32.84 ID:8YXseQ/u
家康って関ヶ原の時も部下を斬れないで旗を斬って誤魔化してたよね
646 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 15:48:19.55 ID:5jp5FAaP
海道一の弓取りって肩書きも
弓の名手と勘違いしている物書きがいるくらいだしな。
647 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 17:03:58.51 ID:bELDNgb8
信長が弟を手にかけたって話は実際はどうなの?
648 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 18:32:06.74 ID:RiE10RfI
川尻秀隆「あれ…俺がやらされたんすよ…」
649 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 01:59:00.33 ID:xSN/6EDG
氏康って戦で顔に傷を負うほどだから戦場童貞ってわけはないだろ
650 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 10:40:19.75 ID:bQCh8446
まあ若い頃は嫡男でも当主の部将だったわけだしな。
651 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 23:55:19.53 ID:qHsgUCW2
大阪の陣で大将なのに女買いに行ってて砦がおちた橙がいたけど
負けた云々は別として、戦場で女買ったりしている人が結構いるの?
652 :
人間七七四年:2012/07/30(月) 00:25:03.46 ID:8tGbm1wh
そういえば軍陣娼婦は古今東西当たり前の存在だけど戦国時代ではあまり聞かないね
653 :
人間七七四年:2012/07/30(月) 00:27:39.32 ID:cUWfwFI1
大都市大阪での戦争なんで、元々そういう商売の人が沢山いたってのもあると思う
654 :
人間七七四年:2012/07/30(月) 15:02:35.05 ID:Aa25Wzxv
まあ戦国時代でも軍勢の後に商人と娼婦はついてくるものだったらしいぞ。
655 :
人間七七四年:2012/07/31(火) 06:44:08.42 ID:JY1+A6Vs
陣を貼ってると商人とか売春婦が
どこからもなく群がってくるって話があるくらいだからね
当時の人々には当たり前すぎて特に書き記すたぐいのことじゃなかったのかもね
656 :
人間七七四年:2012/07/31(火) 21:06:12.73 ID:PPfnYwNd
戦場なら野郎同士で盛り合おうぜ
敵の大将をホモレイプだ
657 :
人間七七四年:2012/07/31(火) 23:35:43.27 ID:8G/UCgs4
ショタや美少年からDQNまで幅広くカバーする森一家おすすめ
658 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 06:48:22.15 ID:P9mBJKPA
武将が出家する場合、信仰していない宗派に出家することはありますか?
659 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 07:07:07.87 ID:1H29ZaN/
660 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 07:43:29.39 ID:e6myOOab
わざわざ金払わんでも占領地では狼藉しまくりだろ。
だからこそ自衛の惣村一揆も成立したんだし。
もっとも貞操思想それ自体が西洋からの輸入もんだし
フロイスの記述にも、当時の女性が奔放でしかも
生まれた子供を溝に棄てたりするのを何度も目撃して閉口してるしな。
男性はロリ思考だったっぽいし、
童貞処理は村のババアがしてくれたみたいだしw
661 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 11:28:22.48 ID:KXg7uAkE
戦国時代の戦についてなんですが、漫画なんかで見るような戦争だったら、日本国内至る所骨だらけですよね?
何万とか死者が出たら後始末とかひどい大変じゃないですか?
後、近江の民衆は特殊で領主が統治するのに大変だったと何かで聞いたのですが思い出せません…
662 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 12:39:40.67 ID:Ljew9wdW
関が原(十数万の合戦)でも両軍あわせて死者が数千と言われてるので、
数万の死者とか大規模な根城での殲滅戦でもなければありえない
「死者」ではなく「死傷者」なら話は別だけどね
あと片側が万を超えるのは言うに及ばず数千を動員することですら稀で、
大体は千数百〜数百、ヘタすれば百ちょいの合戦だってあり得るのが戦
また実際に決戦までいくのもレアケースで、にらみ合いで終わったり、
苅田や乱暴狼藉で終わったり、小競り合いで終わったり、まあ決定的な結果になることは少ない
だからこそ、大規模合戦や決定的な勝敗がついた合戦の名前が後世に残るわけで
663 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 14:38:16.80 ID:gfM0hB0l
戦国時代当時の馬の値段はいくらだったのでしょう?
名馬から駄馬まで値段は違うと思うのですけど、参考になる記録はありますでしょうか?
664 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 15:47:46.21 ID:i9kCxIFW
>>663 国立歴史民俗博物館の古代中世都市生活史(物価)データベースで検索すると
永正2(1505)年12月、興福寺が立春神馬として馬一頭銭1貫(1000文)で購入した記録が出てくるね
…一般的な目安はコレでいいんじゃないだろうか
駄馬だと五文でかった老馬を200文で売った昔話とか、名馬だと有名な山内一豊の黄金1枚とか
幅がありすぎてよくわからないし……
665 :
人間七七四年:2012/08/01(水) 19:36:42.76 ID:1H29ZaN/
まあ大体、今の自動車を買う感覚だと思っていい。
ポンコツだけど安い中古車もあるし、アホみたいな値段のスポーツカーもある。
666 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 12:33:48.54 ID:NP/UsX9I
>>664 665
ご返答ありがとうございます。
たいへん参考になります。
667 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 17:28:08.77 ID:cLOhC6rg
日本で馬を産んで育てて売る産業はいつごろから発生したのでしょうか?
668 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 17:29:03.21 ID:cQGjNxrM
>>660 戦国時代に生まれてたらオイラみたいな三十路童貞に希少価値はあったんでつか( ´・ω・)?
現代だとオイラの童貞を奪おうとする淫乱なビッチ共がいるんでつが( ´・ω・)
670 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 22:41:17.53 ID:TcNlhelV
>>669 生涯不犯のあのお方が居るんだから、たかが三十路程度の童貞に価値はない
衆道は不犯にならないってのは仏教の影響でつか( ´・ω・)
マンコは駄目で男のアナルがおkなのはどうしてでつか( ´・ω・)
衆道は性欲とは別の行為なんでつか( ´・ω・)
672 :
人間七七四年:2012/08/02(木) 23:22:08.10 ID:TcNlhelV
>>671 そんなんだからお前は童貞なんだよ(ニッコリ
童貞こそステータス(`・ω・´)
674 :
人間七七四年:2012/08/03(金) 00:10:50.25 ID:PWnkGJDd
その理屈だとかの軍神は童貞?
675 :
人間七七四年:2012/08/03(金) 00:45:59.63 ID:rxnf/BQm
童貞を捨てられない奴と
童貞を捨てない奴は、同じようで全く違う
676 :
人間七七四年:2012/08/03(金) 09:08:33.94 ID:YYWSlz/B
677 :
人間七七四年:2012/08/03(金) 18:50:16.20 ID:HVHFTWW0
童貞でもどうっていうことないさ
678 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 12:38:55.16 ID:H2Ddxgsx
一般に知られている定説が最近になって覆された事例って
どのようなものがありますか?
斎藤道三が2人とか聞いて驚きました
679 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 13:18:20.72 ID:+f2AkmzM
そのレベルなら北条早雲が素浪人じゃなくて
幕府の重臣家出身で将軍の命令で今川家の客将になったとか
680 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 14:45:12.40 ID:y63YkMjG
宇喜多三老の岡利勝と家利が実は逆だったとか?
681 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 15:18:17.99 ID:pOGLRTFL
諏訪原城の今ある縄張は殆どが徳川家が構築したもの
682 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 20:38:28.47 ID:9O4L73dO
679とある程度かぶるけど、
北条早雲の伊豆乱入は下克上の代名詞みたいに言われてるけど、
実は明応の政変と連動した幕府からの指令の結果として武力征伐だったりとかかな
683 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 20:43:09.77 ID:ER64TAbU
>>678 斎藤道三といえばニックネームの「美濃の蝮」、
アレ山岡荘八の創作な。
684 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 20:48:01.22 ID:ER64TAbU
どこらへんまで昔の定説(というか定着した俗説)なのかしらんが、
・北条早雲は昔の通説より20歳若いし幕府のエリート官僚出身
・上杉堅神は、敵に塩を送らなかった。あれは江戸期の創作
・信長の三段撃ちは存在しない
・信長の鉄張りの船はおそらく役に立たなかった
・関ヶ原の小早川陣への「問鉄砲」は存在新なかった
・「大阪冬の陣の講和では内堀まで含めて埋め立てることが講和条件。だまし討ちではない」
このへんか
685 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 21:17:08.99 ID:pOGLRTFL
>>678 上杉謙信は生涯不犯と謳っているが童貞ではない キリッ
687 :
人間七七四年:2012/08/04(土) 22:35:21.96 ID:Nrk/bpNC
>>684 北条早雲1456年生まれ説は、まだまだ主流じゃないんじゃない?
688 :
人間七七四年:2012/08/05(日) 01:18:10.80 ID:daDSSlut
生年は余程のことがない限り確定は出来ないからな
でも親父を始めとする周囲の人との年齢を考えると1456年生まれの方が筋が通るから、
個人的には1456年説の方が信憑性が高いと思うなあ
まあー、続報待ちだけどな
689 :
人間七七四年:2012/08/05(日) 06:55:35.35 ID:lQC4+hSC
>>679-688 サンクスです。
北条早雲浪人説は有名だったのに完全否定されたんですね。
美濃の蝮とか塩を送るとか小早川の件とか大坂の内堀とか上杉とか
知りませんでした。結構あるんですね。
690 :
人間七七四年:2012/08/05(日) 17:27:36.07 ID:LEhA6Njl
>>689 俺の聞いていた話では謙信は塩を送らないけど商人は勝手に商売してるから塩止めなんて無理って話だった。
691 :
人間七七四年:2012/08/06(月) 14:23:03.23 ID:g5cE89FS
そういえば戦国板に真偽を議論するスレってありましたっけ?
各大名家の事実と創作を戦国板住民ではっきり線引して
「事実」「創作」「真偽不明」ってのを議論するスレがあれば盛り上がるかも知れません。
692 :
人間七七四年:2012/08/06(月) 14:59:10.39 ID:IWBy3ccG
693 :
人間七七四年:2012/08/06(月) 15:10:27.83 ID:l37MC7qG
一次史料や信頼性の高い二次史料にあるか、それ以外にしか無いのかに分けるだけだから盛り上がらんと思うよ
694 :
人間七七四年:2012/08/06(月) 23:23:01.19 ID:QRC2wfoQ
>>684 俗説聞いてると、戦国武士は戯けか猿か
俺ですらもっといい方法考え付くわって思うけど
真説聞くと、我々と同じ判断力持ってることに安心する
695 :
人間七七四年:2012/08/07(火) 00:06:04.87 ID:twpaMDcA
嘘だろ。大阪城の内堀まで埋める講和条件なんて普通の判断力が有ればあり得んわ。
696 :
人間七七四年:2012/08/07(火) 01:39:11.08 ID:v+ImXSMH
・信長の三段撃ちは存在しない
信憑性の低い甫庵信長記の記述なので事実であると断定はできない
しかし二段撃ちや銃を次々に取り替えたりの多段撃ちは他の複数の記録にあり
三段撃ちも完全になかったとも言えない
・信長の鉄張りの船はおそらく役に立たなかった
毛利書状では兵糧入れに成功したとあり、信長公記にも追い払ったとあるのみなので
大々的に活躍したかは疑問だが、
本願寺書状ではそれ以後窮地に立たされてる様は伺えるし
豊臣徳川期にも建造さされ続けているので有用性には証明されているし
大活躍はともかく役に立たなかったとは言えない。
・関ヶ原の小早川陣への「問鉄砲」は存在新なかった
大戦中に家康本陣から撃って松尾山の小早川秀秋が気づくわけ無いだろwwというのが
無かったという根拠らしいが、そもそも問鉄砲の記述のある徳川実記らの史料は
麓から撃ったとなっていて、本陣から撃ったという根拠自体が成り立ってない。
697 :
人間七七四年:2012/08/07(火) 01:47:55.05 ID:v+ImXSMH
訂正
しかし二段撃ちや銃を次々に取り替えたりの多段撃ちは他戦場では複数の記録にあり
三段撃ちも完全になかったとも言えない
>>695 淀殿が大砲にビビッてしなくてもいい講和をしたとかは俗説であり
有楽斎親子を筆頭に大坂城内が裏切り者だらけで抗戦不可能になる前に
どうしても講和したかったのと、軽く埋めて掘り返すつもりだったとかそんなところだろ
698 :
人間七七四年:2012/08/07(火) 04:59:09.73 ID:ZlACesvl
冬の陣以降の豊臣首脳部は講和を模索してる節が伺える
それは697の言うように裏切り者だらけで戦闘ができない状況だったり、
或いは現実ってものを思い知らされたり、戦闘がリスキーであることを理解したりした体と思う
ただそれをいちいち邪魔してるのが浪人衆
講談だと忠義に厚い設定のはずなのに、あいつらわがまま過ぎる
699 :
人間七七四年:2012/08/07(火) 08:21:56.29 ID:C7/LnAMv
ブタ騎馬軍団ってなんですか?
700 :
人間七七四年:2012/08/07(火) 12:09:30.25 ID:vPb8PxJx
関ヶ原の時に牢人集めまくった黒田如水は、息子が手早く戦を終えて帰ってきて、
「今の状況で天下が治まっては、我が軍に集まってきた牢人たちは餓え死にしてしまう!」
と憤慨したそうな
牢人寄せ集めじゃそうなるわな
幸福の国ブータンが話題でつが戦国時代に幸福度調査した場合、どの国が幸福でつか( ´・ω・)
例えば北条氏は四公六民の税制で善政だったといわれてまつね( ´・ω・)
税制や戦の多さや天災の被害などトータルした幸福度でお願いしまつ(^人^)
ベストとワーストを教えてくれるとありがたいでつね( ´・ω・)
702 :
人間七七四年:2012/08/08(水) 19:46:38.76 ID:cu3uAtem
どこもたいしてかわらん
703 :
人間七七四年:2012/08/08(水) 19:52:07.86 ID:Mds0W+dQ
戦国時代は毎年のように大飢饉と自然災害が日本中に破滅的な被害を与え続けていた時代なので、どこも地獄。
704 :
人間七七四年:2012/08/08(水) 20:23:13.57 ID:cu3uAtem
そこまでひどくは無い
>>703 藤本史観ってやつでつか( ´・ω・)
どこでも変わらいないんでつか( ´・ω・)
国の石高は民衆の生活には影響を与えない数値なんでつか( ´・ω・)
石高あった方が裕福のように感じますがそうではないんでつか( ´・ω・)
あと戦の少ない国はどこでつか( ´・ω・)
706 :
人間七七四年:2012/08/08(水) 20:48:41.35 ID:8o9To1aP
>>703 値段も乱高下したけど米は安定供給されてたよ(金さえあれば買えた)
米を銭の代わりに、って考えた時代だし、日本の総人口も増えてるしな
つか「幸せ」限定なら、宗教国家(石山本願寺、加賀)がベストなんじゃぁ……
707 :
人間七七四年:2012/08/08(水) 23:40:35.34 ID:DY/mHZVe
.__
|風|
|林|
|火|
|山|
 ̄ | ヘ(oノ∧
|/( ゚Д゚)\ 呼んだか?
/|(⊃ 叶)√ヽ
ε|∪⌒ヘ⌒ヽフ
( ( ・ω・)
しー し─J
708 :
人間七七四年:2012/08/09(木) 12:14:47.55 ID:fZoqtQsR
「でつか( ´・ω・) 」
を見ると、何も答えてやりたくなくなる
だったら答えなければいいじゃんかぉ( ^ω^)
おまいに質問してる訳じゃないしぉ( ^ω^)
710 :
人間七七四年:2012/08/10(金) 20:11:19.54 ID:S+27lncq
>>705 藤木せんせじゃない?
ただ藤木せんせは、そういう誤解をしてほしくない、とちゃんと著作には
入れてる。
だから、藤木論文をおかしな利用する人たちが本来は問題
だろう。
それなりの専門家でも藤木データをまるっと採用して
「日本は悲惨」みたいな前提で語ることが多いし。
711 :
人間七七四年:2012/08/10(金) 21:12:06.34 ID:j/7Ns+y2
質問スレといっても時にはスルーすべき
712 :
人間七七四年:2012/08/12(日) 10:04:27.19 ID:D6vV5Lys
戦前は右翼が足利尊氏が天皇を蔑ろにした朝敵だから
室町時代は研究する価値がないとしたし、
戦後進歩的知識人を自称した左翼の人達は室町時代を人民の暗黒時代と吹聴してるからな。
おかげで室町時代の研究はほとんどなされていなかった。
最近やっと研究なされてない時代に手を伸ばし始めて
足利義持や義教時代の研究が盛んになり基礎資料が出版されとる。
いづれ室町前期の歴史を基礎にして
義政に富子についても新解釈が登場するだろうし
足利義稙についての決定版みたいな本が出るのを望みたい。
713 :
人間七七四年:2012/08/12(日) 15:54:19.50 ID:JSS47IUG
戦国時代の軍て階級どうなってるんですか?
足軽→足軽大将 ってのは知ってるけど中尉とか大佐とかみたいなのなかったんですか?
714 :
人間七七四年:2012/08/12(日) 17:09:18.49 ID:KSlJiMJg
身分自体あやふやな時代で、当然近代軍的階級は無いね。
無理やり近代軍に対応させるなら
足軽大将(佐官)→足軽組頭(尉官)→五人組頭(下士官)→足軽(兵卒)
715 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 05:29:23.45 ID:oaJ+aQL2
拙者、儂(わし)、某(それがし)、俺(おれ)、僕(やつがれ)の使用用途をご教授下さい
716 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 07:50:59.22 ID:rJCdOWs+
信長の優秀でない実績、証拠などを教えてください
信長は世界征服できたどうこうとか、いう話題がでたり、なんか信長って
神がかった超偉人大英雄みたいに崇められてる部分があるけど
そういう信長信仰みたいなのに対するアンチの人たちが
『日本も征服できなかった奴が世界を征服できるわけない』
『信玄や謙信にガクブルってたら相手が病死しただけのラッキーマン』
という意見もあります。
というわけで脚色されたりいい面ばかりクローズアップされた番組、漫画、ゲーム
ではやらないような『信長ってみんなが思ってるほど凄い奴じゃないよ』
みたいなの教えてください
717 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 07:57:47.36 ID:XkbXcIxG
アスペルガーだがさんという方に訊きましょう
718 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 08:06:31.82 ID:HF7C+RxT
>>716 聞きたい事が漠然としすぎてる。信長をdisりたいだけかしらんが。
信長への議論を勘違いしていると思うが、信長は凄いすごくない以前に世代相応に古い戦国大名だった、ってだけの話だ。
守護大名と大差ない旧態依然とした家中構造、既得権丸飲みの大名・国人・地侍政策、三好政権より後退した惣村対応。
土地政策の欠如。
織田政権は全体として三好政権のフォーマットを克服することが出来なかった。(これは機内政権として三好政権が
進んでいたため、とも言える)
信長という人間は風雲児であり極めて優秀な戦国大名ということは確かだ。
だが彼の急拡大は既得権や現状を丸呑みすることで、摩擦を最小限にしたことで可能だった。
これを信長の「戦略」と見るか「体質」と見るかは人それぞれだ。
719 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 08:15:26.59 ID:nXHbWKLz
信長も信玄も大して変わらない
でいいんじゃないか
720 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 09:16:06.04 ID:sLkSobBj
三好政権のフォーマットってまんま室町幕府の引き写し
それが永禄の変で崩壊した後に信長が乗り込んできたわけで
信長はそれを再構築する立場だった
721 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 10:02:22.61 ID:UaTtOTGh
>>720 それはちがう。三好政権は守護大名制を克服する地域支配体制である「一織支配」を初めて導入するなど
「脱室町体制」を最初に志向した政権。
これは義輝を復帰させた後も挫折したわけではなく、三好式の支配体制は継続、発展して言っていたし、
畿内政権の意思決定は京ではなく、長慶の居城芥川山城より発せられていた。
722 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 23:24:52.48 ID:WRo1HXzU
斉藤道三と北条早雲どっちが優秀でしょうか?
723 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 23:44:36.19 ID:2cHxXukz
724 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 01:30:10.78 ID:5WSm2M6c
725 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 10:11:49.26 ID:MYSHXC4l
726 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 10:15:20.69 ID:4IK9zLH2
727 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 17:00:26.99 ID:C2J27VwJ
日本一大きい城って何でしょうか?
調べたのですが江戸城が日本一の巨城って書いてあったり、はたまた小田原城が最も大きいと書いてあったりしてよく分かりません
総構えの大きさでお願いします
728 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 17:32:50.41 ID:4IK9zLH2
729 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 17:38:41.07 ID:NWbQfBvG
江戸城だね。内郭だけで豊臣大坂城の外郭がすっぽり入るから笑っちゃう。
厳密に戦国時代だけならたぶん小田原城
730 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 17:49:10.78 ID:udOYREmL
武士で側室を持てる身分って大体どれくらいからですか?
731 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 18:24:45.87 ID:NWbQfBvG
身分は関係ありません。強いて言えば経済力です。
732 :
人間七七四年:2012/08/14(火) 18:29:40.57 ID:udOYREmL
ご返答ありがとうございました。
733 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 07:55:48.47 ID:NQXs0Hg/
あと嫁さんの許可も必要だよね
許可を得ないとどっかの市松さんみたいにトラウマを刻み込まれることになる
734 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 09:07:48.38 ID:/k4Ik1zx
というか、側室というのは正妻の家来だからな。
735 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 11:29:40.87 ID:V6zoakwY
それは違うな。
736 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 11:32:48.51 ID:iNf9Di3t
江戸時代の将軍家の大奥限定な気がする
737 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 12:36:26.18 ID:9TgzxfFa
738 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 12:39:54.20 ID:F3/fSG7Y
何の不等号か知らんが、三好は長慶が死んだ時点で内部崩壊
739 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 13:34:06.89 ID:sCzx3KTH
それを言ったら織田家も…
740 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 13:38:05.82 ID:/k4Ik1zx
畿内支配の期間は実は織田より三好のほうが長い
741 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 13:42:56.91 ID:tiKA9y2U
そろそろ該当スレでどうぞ
742 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 16:43:27.06 ID:tzSrFGLa
結局、最後はどっちもダメだから崩壊したんだって結論になりそうだな
そして史実の勝者の徳川さんが全てを持っていく
743 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 16:47:45.88 ID:H1Yzs+qq
長慶は天寿を全う。
信長は京を支配してからたった10年で下克上され虐殺される。
744 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 20:46:40.98 ID:+tc8lP76
ボケたがな
745 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 21:13:12.98 ID:tiKA9y2U
こうなるからやめろっての
746 :
人間七七四年:2012/08/16(木) 07:23:11.31 ID:tl364AA1
海野幸親=中原兼保だった場合はあれか?真田幸村と直江兼続は同族になるの?
747 :
人間七七四年:2012/08/16(木) 15:45:46.77 ID:iw5PcHYX
なんないよ。
748 :
人間七七四年:2012/08/16(木) 16:05:56.96 ID:tl364AA1
そっか。ありがとな
749 :
人間七七四年:2012/08/16(木) 21:19:56.90 ID:adaLJJnj
>>716 「他人の顔色を伺わない」ところw
天皇家に「敬意と、国体の祭巳に携わる家柄」を持ってたのかは疑問w
だけど天皇家、朝廷のために日本を武力統一したい人間を味方にし利用はする(明智光秀)w
だけど、勢力拡大出来てからの政治と統治の理想形のズレを考えない人間だから殺された。
明智光秀は天皇家を尊重して治めたいタイプ。
信長は天皇家なんて利用できるなら在ってもいいが、
尊重はしないタイプ。
天皇から貰える(賜る)右大臣職をもらって三日で辞めたりしたら怖い。
日本で軍事力は一番なんだからw
ホリエモンみたいなタイプだ。
カネ(軍事力)で武威武威いわせてきたけど、
世間の金持ち(文化人タイプ)の風潮や嫉妬で相性が良くないので、
潰される。
750 :
人間七七四年:2012/08/16(木) 21:24:20.60 ID:VJhq98uM
はい草
751 :
人間七七四年:2012/08/16(木) 21:24:31.37 ID:iw5PcHYX
スルー推奨
752 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 04:17:28.93 ID:p9TSQjJL
死んでくれねーかな けっこうマジで
753 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 07:50:53.16 ID:ZzA/V0U2
清々しいまでのニワカだな
754 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 08:59:10.84 ID:BGjsCREX
応仁の乱の後、三河守護を幕府政所伊勢氏が代行していたという説があるらしいんだが、
そのあたりが察せられる史料ってどんなものがあるか、教えてもらえないだろうか。
755 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 13:36:20.45 ID:mWkMWnH7
伊勢氏は分郡守護だったとか聞いたことがあるね
んで松平はその代官
756 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 14:59:02.86 ID:oVeRzw8q
ググってもわからなかったので 質問させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
へうげもの という漫画では古田織部が 乙 という価値観?を説いてますが、
史実なのでしょうか?
757 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 19:11:58.30 ID:tQPxsk4K
当時ちょっと奇抜な物やユニークな物が持て囃されてたのを漫画的誇張表現で表してる感じやね
758 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 19:41:40.84 ID:zIRHWwG5
乙(おのれ)だから、価値観とかそういうものじゃなく、単純に自分探しなんじゃ?
759 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 20:00:12.57 ID:8RNcXLPY
横から悪いがそれ、乙(おつ)と読むんだ・・・甲乙の乙
760 :
756:2012/08/17(金) 22:19:51.96 ID:oVeRzw8q
レスありがとうございます。
織部の弟子の小堀遠州という大名茶人の流派「茶道 小堀遠州流」では
お茶を点てる最後に茶碗の中に茶筅で「乙」と書くように混ぜるらしいので、
織部の「乙」を引き継ごうとしたのかな?と思いまして。
761 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 20:57:44.50 ID:cKhvTHeu
関東の大関高増がいつも智謀高く設定され、なんだが謀略めいた行動が多かったのでしょうか?
松永久秀や宇喜多直家みたく、暗殺とかしまくっていたのでしょうか。
事跡など端的にご教示頂けるとありがたいです。
762 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 21:13:06.20 ID:YYGhRyWX
那須氏の家臣ながら秀吉の小田原征伐に遅参した那須氏とは袂を分かって参陣した事で
1万石の所領を安堵され、息子も3千石を貰って大関氏は1万3千石の大名となった。
遅参した那須氏は主筋ながら改易。この違いでしょう。
763 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 21:13:18.83 ID:q5nYetVq
764 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 21:20:41.42 ID:vlScy37s
暗殺もしたが分裂工作も得意で戦場でも計略で勝ったり何でもござれだな。
しかも小田原の陣で遅参した主家や同僚を尻目に所領安堵されたり時勢を読むのも上手い。
ただし弱小勢力群内の小競り合いで優れていただけの鳥無き島の蝙蝠的な見方も出来るけど
765 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 21:41:02.39 ID:cKhvTHeu
766 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 13:49:49.03 ID:LxWqWMUy
関が原以降でも羽柴姓を名乗っている大名が多かったのは何故
なんでしょうか?
この時点でほぼ実力者は家康になっていたのに。
勿論関が原から数年位は豊臣の威光もあったからわからなくはないのですが
時が経つに連れだんだん徳川の世になって行きつつあるのは当然大名達
も感じていたと思います。
やはり秀吉への恩、故でしょうか?
767 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 13:55:01.55 ID:JuHIUaeo
>>766 関ヶ原自体が豊臣家の主導権争いにすぎないから
家康の将軍就任にしても秀頼が成人するまでの一時的な措置だと思っていた大名もおおいしね
秀忠が将軍職を継いで、徳川家で将軍職を世襲することをアピールしてから流れが変わった
768 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 14:19:05.12 ID:LxWqWMUy
>>767 >関ヶ原自体が豊臣家の主導権争いにすぎないから
以前から凄く疑問に思っていたのでついでに伺いたいのですが
関が原の戦いは豊臣家の主導権争いに過ぎないと言われているのですが
それは建前ではなかったのでしょうか?
ほとんどの人間が家康の野心は見抜いていたのではないかと思うのですが。
何故なら家康は秀吉が織田家を簒奪とた手法をまんまパクッています。
その簒奪の流れを一度見ている大名達が気づかなかったとは思いにくいというか。
どうなんでしょう?
769 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 14:44:15.86 ID:JuHIUaeo
それは神の視点での話
俺たちは家康が政権を奪ったという知識を知っていたらそう思えているだけ
後世の人間から見れば2012年のなんらかしらの出来事をして2017年の世界情勢につなげて考えられるだろう
でも今現在生きている俺たちに2017年の出来事を予測して2012年を上手く立ちまわるなんてできるわきゃない
770 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 14:54:01.99 ID:bMpGNem9
正確には豊臣家ではなく「豊臣政権」の主導権争い、ですね
朝廷が認め、ある程度の枠組みを作っている統一政権ですのでそこが織田家とは異なります
秀吉・利家が没した時点で家康が政権を引っ張っていくしかないのは誰もがわかっています
しかし政権の枠組み自体をどうするかは別の話で、徳川と言えど勝手には出来ません
「家康がリーダーになりたい野心」なら誰もが気づいていましたが、
「家康がどこまでやるつもりか?」については各大名でも判断が別れた所だと思います
その意味で「豊臣政権内で家康にどこまでやらせるか」の主導権争いだったという事です
豊臣家がどういった形で残るか、徳川政権になるのかどうか、は関ヶ原の結果が出て以降の問題になります
771 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 15:23:59.32 ID:Nrt28lDk
そもそも家康が独自政権をつくり上げるほどの権威と権力を得たのは「関ヶ原の結果」であって、
関ヶ原以前にそんな力は持っていない。
三成達は正しく、豊臣政権を守ったのではなく、徳川政権のために道を開いた連中だ。
772 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 16:48:05.06 ID:OyzXAi2f
大坂の陣の頃ですら豊臣の力は無視できずまだまだ徳川政権が安定したとは言いがたい状況。
仮に天王寺口の戦いで家康が戦死するようなことがあれば徳川の基盤なんて簡単に崩壊していただろう。
まして関が原の時点では豊臣と徳川の争いというよりも豊臣政権下の内訌だしなあ。
773 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 17:30:13.89 ID:LxWqWMUy
色々勉強になりました。
関が原の戦いというのは正しく豊臣家、徳川家のどちらにとっても
ターニングポイントだったんですね。
ありがとうございました。
774 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 07:30:30.53 ID:k+IqOWlA
豊臣政権内にとどまらず
強いものにはへつらうのが中小の大名、武将なので
家康の野心ももちろん知っていて
さらに、秀吉の後継者、という大きな視点もあったかもしれない。
このあたりはいろいろな思惑があったろうから
とりあえず、家康の野心は皆知っていた、というのが
スタートになるかもしれないですね。
775 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 10:55:00.99 ID:EADKPGDZ
その野心がどこまでかというのがポイントなんですね。
家康自身も当初は豊臣家を滅亡させるつもりはなかったと思うのですが
豊臣政権内の織田家のような位置を考えていたけど、あれよこれよと
あんな流れになったのかなあと思うとしみじみとてしまいます。
当たり前だけど秀吉が死亡した時にその10数年後に豊臣家が
滅亡するなんて誰も思っていなかったろうに。
776 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 11:31:30.25 ID:dNJHXAHM
そもそも大阪の陣は豊臣家の側、というか秀頼周辺が幕府を挑発した結果起こったものだ。
豊臣家の自滅と考えるべき事象。
777 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 11:59:14.94 ID:Pfn0EMtG
野心と一言で言っても、
政権首班かつ外戚という執権北条氏的な地位を世襲を目指すのも野心だよね
家康(徳川家)が豊臣政権を牛耳るという意味での野心はみんな認めていた
しかし豊臣政権に取って代わるという野心を抱いていたかどうかという話になると、
多くの大名はそこまで考えてなかったと思う
だって家康の豊臣政権での権力は盤石すぎるんだもの
わざわざ危険を冒す必要もないくらいに
778 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 12:55:27.05 ID:lajnpwvr
徳川が突出したのも関東転封以降だからな。
織田の腰巾着があそこまで実力をつけるとは小牧長久手の戦いで講和した秀吉も読めなかったろうな。
779 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 13:20:16.85 ID:Fxw3KAbA
力をつけたのは東海五ヶ国領有以降だろ。
というか織田時代も充分に日本有数の大大妙なんだが。
780 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 13:24:40.66 ID:lajnpwvr
>>779 つっても本能寺以降の火事場泥棒までは弱小じゃん
781 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 13:27:17.56 ID:EADKPGDZ
>>777 >だって家康の豊臣政権での権力は盤石すぎるんだもの
わざわざ危険を冒す必要もないくらいに
そう考えると家康は凄いなと思います。
当時もう50代で老境に差し掛かっていると言っても過言ではないのに
リスクを犯してでも天下取りに動くというのは。
家康は他の五大老と天下に対する世界観が違っていたのかなと。
信長の同盟者として早くから天下統一事業に付き合わされた彼にとって
天下は遠いものではなく、近いものというか(別に彼が信長に取って代わろう
とした意味ではなく)、そういう部分があったのかなと。
782 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 13:54:20.86 ID:Fxw3KAbA
>>780 お前の弱小の規準はおかしい
というか天正壬午の乱のことを言っているなら、あれは秀吉や勝家も含めた「織田家」から
完全な指示を得た軍事行動だぞ?
火事場泥棒ではなく「織田公儀」の行動だ。火事場泥棒なんて話はとっくに否定されておる。
783 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 14:08:51.55 ID:lajnpwvr
徳川は都合よく歴史捏造しているから当時はかなり差し引いて考慮したほうがいいんじゃねえの?
784 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 14:12:46.13 ID:YGXQo3yb
その件は徳川側の記録というわけじゃない。
785 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 14:13:24.11 ID:Fxw3KAbA
>>783 適当な感想の前にちゃんと史料調べろ。そーゆーのが陰謀史観っていうんだ。
786 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 14:59:09.46 ID:P51gwmBQ
小牧の後、例の親を人質に出したり秀吉全開モードだから
本能寺直後から秀吉はすでに家康を認めてはいたろう。
というか、この時点ではまだ自分だって猿なんだから。
家康はかなり早い段階から豊臣家殲滅を意識してたとは
思う。
将軍就任後はそれを最終目標にしてただろうし。
結果論じゃなくてそう考えたほうがラスト15年の行動が
よりわかりやすい。
ではその行動は何時考えたものか、というとこれまた
関が原にたまたま勝っちゃったから将軍になってラッキ
どころかそれなりに想定してないとあれだけ短期間に
効率よくできないだろう。
家康の野心、というのが少し軽視されてるというか
関が原の時点ではもちろん回りはみんな知ってたろう、と
ここに戻る根拠と言う話なんだけどね。
787 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 15:47:36.05 ID:9ne54BI6
徳川なんて今川を裏切って武田とともに滅ぼしただけの大名だべ
何もしてねえ
788 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 15:49:52.82 ID:dNJHXAHM
>>786 典型的な明治後の講談史観だな。そのラストの15年も、家康はむしろ何度も豊臣に助け舟を出している。
そもそも将軍任官の時点で徳川の権威は圧倒的であり、豊臣家なぞ形式的な存在に過ぎなかった。
豊臣に幕府を恐れさせるような力なぞ既に無く、それは大阪の陣で大名が一つ足りとも豊臣に
味方しなかったことから明らかだ。
家康は最後の最後まで豊臣を尊重していたが、それを勘違いし無謀な反抗をしたのが秀頼だよ。
789 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 16:10:32.05 ID:Pfn0EMtG
さすがに冬の陣で現実というものがわかって、
講和しようと奔走したら浪人衆が駄々こねて破談になったでござるの巻、だものな
浪人衆の能力はともかく、少なくとも忠臣なんかじゃない
790 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 18:10:16.63 ID:ltbmtFyK
>>788 話がおかしい。形式的な存在に過ぎなかったら秀頼がどうあがいても滅ぼす必要など無い。
791 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 18:36:04.01 ID:dNJHXAHM
>>790 幕府に敵対して牢人10万呼んだらどんな大名でも滅ぼすだろ普通。
そういう「謀反」行為をしたから滅んだ。それだけの話だ。あんなコトしなきゃ無理に滅ぼすようなことはしないし
実際大阪冬の陣の後ですら移封を受け入れれば豊臣家は生き残れた。
792 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 18:50:03.05 ID:Pfn0EMtG
生き残れたかどうかまではわからないけど、
冬の陣のあとで一縷の望みがあったのは確か
それを絶ったのは大坂方だったって話で
793 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 19:01:20.46 ID:C+ohGfSr
>>791 言ってることはわかるけど、二重公儀制とかいろんな論が
出てるでしょう。
豊臣と徳川の協調は関東開拓のあたりからずっと続くわけだが
記録に「あいつはいいやつだ」と書いてあるのをそのままどこまで受け取って
いいのかという話ね。
これは記録等の解釈の問題だからここで議論する気はないけど
「豊臣は形式的な存在にしかすぎない」というのも
明治以前の江戸的史観に近い乱暴な意見じゃないかな。
794 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 19:51:07.23 ID:YGXQo3yb
そろそろ質問スレってことを思い出せ
795 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 20:08:23.86 ID:dNJHXAHM
>>793 だからお前の感想なんかどうでもいいの。史料を元に自説を形成しろ。
史料から(徳川家のもの以外の)見えてくるのは家康はギリギリまで豊臣家を助けようとする姿だ。
君の感覚的な感想にすぎないものを押し付けられても、勝手にそう思ってろとしか言いようがない。
そもそも二重公儀論なんて主な研究者では笠谷氏以外に主張している人間のいない、それこそ極論にすぎない。
アレは徳川があくまで形式的に豊臣を立てていただけだ、という解釈が一般的だ。
とにかく君がそう思うのならそれを補強する史料を出して言え。そうじゃなければ議論にはならん。
796 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 20:28:39.06 ID:PAlR/GI/
>>791 滅ぼすまではやりすぎじゃね?
逆に徳川慶喜&松平容保ら逆賊は帝に対して弓引いて反逆したけど命乞いして助けられた
797 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 20:33:52.72 ID:dNJHXAHM
>>796 慶喜は江戸で戦闘が始まる前に官軍に降伏して寺で謹慎したんだけど?
秀頼は何をしたかね?冬の陣の講和の挙句の、堺、大和への急襲だぞ?
798 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 20:55:30.46 ID:PAlR/GI/
>>797 錦旗に弓引いた後で逐電してもすでに手遅れじゃん。
もう一方は蝦夷をプロイセンに売り渡そうとしたり、領民を人間の盾とするなど酷いことをした。
一会桑は特に長州関係者から深く恨まれていたけど滅亡どころか当人まで助命されてる。
799 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 21:04:46.27 ID:dNJHXAHM
>>798 なんでそれで手遅れだと思うんだよ?君の一方的主観にすぎないんだが。
会津も桑名も正式に組織的に降伏し、責任者が処分を受けているし。
君は一回でも戦闘状態に入ったら殲滅するのが普通とか思ってるのか?
800 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 21:10:29.24 ID:WXt7ghZZ
逆に考えると、冬の陣の後辺りで妥協できていれば「摂関豊臣家」というのがありえたということですか?
801 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 21:15:11.21 ID:dNJHXAHM
公家なのか、四国か伊勢あたりの大名になったかは解らないが、何らかの形で豊臣家の名跡は残っただろうね。
802 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 22:43:43.61 ID:C+ohGfSr
>>795 例えば、将軍就任後15年でしたことというのは
「徳川家存続のため」に集約されるとする解釈はおかしい?
「思う」で悪いが家康の政治から外交からすべてがそういう
基本発想のもとの行動だろう。
そうすると、豊臣殲滅、というのも「その一貫」という論旨なんだが。
史料と言うより家康の15年の事跡をどう解釈するか、という
言い方にもなるが、やはり「解釈」「思う」になってしまうが、
「なんのための家康の行動か」という点を君がどう
考えるか、だね。
それと、史料を出せ、とはいうが「豊臣を助けようとする姿」というのは
君の解釈にすぎないじゃないのか?
結局最後には滅ぼしてるでしょう。
たぶん、「豊臣の挑発があったからだ」というのだろうが
それは部分で史実をなぞってるだけで、
記録にはこう残ってるだけということだろう。
結局、史実と史料はこうだ、というのは事実である
というだけで、それ以上の何も語ってない。
それが、歴史だ、という考え方と、そこからの解釈をしようとする
人文ー人間学としての歴史の捉え方との差なんだな。
お前の妄想主張なんて聞きたくない、というだろうから
こっちも先に「丸暗記史料厨」の「だろ」「だろ」は聞き飽きた、といっておくかな。
もう一度言うぞ、家康はなんのために最後の15年あの行動をとった?
史料に家康の肉声で残ってないから「何の価値もない質問だ」って
答えるだろうが、それを考えるのが、歴史学の本質であって
君のやってるのは「知識のための知識」でそれこそ
受験用にしか役に立たない意味ない「学問」となってるんだ。
ところで、笠谷に対しては同意で、あれはわけわからんな。
こないだなんか論文出てたが。
803 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 22:46:11.25 ID:Fxw3KAbA
>>802 君は「15年の事跡」というが、その15年の事跡もちゃんと把握してない。
ちゃんと史料を読んでその15年の間に「何があったか」をちゃんと調べてみよう。
話はそれからだ。
804 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 23:12:00.14 ID:C+ohGfSr
>>803 なんか思い出したな。
史料に「お元気ですか」と書いてあったから友好関係だって
そんなのはお世辞とか社交辞令とかあいさつでしょ、って
実際何もかたってないのと同じだ、言われてた子じゃないかな。
「本心」や社交辞令やそんなのには興味も無い、って言って
「それでは人文ー歴史学には興味が無い」というのと同じでしょ
と、根本的にその姿勢を笑われてた子と同じじゃないかな。
史実というのはあくまでも背景であって
同じ状況に置かれたからといって本能寺や関が原が必然で
100%起きるわけではない、だから当事者の行動を解釈するのが
学問だろうが、「背景はこうだった、だから起きた、おしまい」って
一昔前のマル史観じゃあるまいし、とも言われてたんじゃないか。
元気そうで何よりだ。
ところで、15年の事跡を把握してない、ということは
「徳川家存続が最大最優先」という解釈が違うということか?
頼朝や信長、秀吉を間近で見て、そうはならないように
「人生全ての行動を徳川家の長期存続にかけた」と自分は
思ってるが、史料にそう書いてなくてもこんなのは自明と思ったが
違うのかね。
あのサクザエモンさんも、そういうことを言ってたと思うけどな。
あの人もお元気なんだろか。
805 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 01:10:20.89 ID:fU4Mip6g
806 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 01:50:36.93 ID:s1o2c/hu
秀頼の最後に関して言えば、処刑ではなく自決(高野に上るとか他の選択せずに)なわけで
「徳川家が豊臣家を滅ぼした」って言っちゃうのは、ちょっと気の毒じゃないかなぁ……
807 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 06:33:44.91 ID:vpIfup58
徳川家康を臣下に加えると息子の代で100%下克上されるので
コーエーゲームの呂布よりもコーエーねえ
808 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 18:30:44.28 ID:vchVMVkx
織田は下克上されてないから50%だな
809 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 18:44:47.99 ID:ON6JmxCJ
810 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 18:54:59.67 ID:BEL8Vlty
今川はしょうがないかと
松平単独て織田を抑えられない領土保全の目的もあったにせよ、
氏真に敵討ちやろーぜ―織田と戦おうぜと何度せっついても梨の礫
見捨てられたと思ってもやむなしだ
811 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 19:03:47.41 ID:KK2+s0xW
正確な海図がない頃、どうやって隠岐まで航海できたのですか?
812 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 19:52:19.58 ID:s1o2c/hu
島根から隠岐まで40km 海図も何も天気が良ければ美保関から島影見えるよ
813 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 02:34:03.99 ID:BOrU4CfB
あれ、史料厨クン、いないじゃん。
夏の風物誌なのに。
あの子、必ずどこにでも現れて「史料出せ」って言うから
有名なはずなんだけど。
どれだけ原史料あたっても読み取るのができないもんなぁ。
金子や堀あたりも、年内に本出すはずだがどうなったかな。
新発見は聞いてないけど、やっぱり「データ処理」かねぇ。
それで公金補助受けて自慢してたらしゃぁないわなぁ。
山本もどうしてるかななぁ、秋には学会も続くだろうに。
814 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 05:50:36.72 ID:yucr60oR
戦国時代で特に有名な啄木鳥戦法、車懸り、三段撃ち、鉄甲船、竜騎兵などは全部創作なのでしょうか?
また、有名所で後世でも取り入れられていた戦法にはどのようなものがあるのでしょうか?
815 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 12:48:19.56 ID:QUiv+tWW
鉄甲船
宣教師オルガンティノ報告書や多聞院記の記述から存在は確実
その後も朝鮮征伐での大量投入や徳川幕府旗艦など継続使用されてるので
否定するほうが難しい。
啄木鳥戦法、車懸り、三段撃ち、竜騎兵
それぞれ甲陽軍鑑、甫庵信長記、伊達家編纂物にしか記述がなく
各々の信憑性に差はあれど確実に合ったとは言いがたい。
反面、解釈しだいでは机上の空論という訳でもなく
確実に否定できる史料も無いので完全否定も出来ない
816 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 19:27:02.12 ID:0hZ60kwz
鉄甲船に関してはその存在よりも、鉄甲船が大戦果を上げたという第二次木津川口の戦いの存在のほうが嘘の
可能性が高い。毛利はその戦いのあったと言われる時期の後も本願寺に普通に兵糧を入れているので、
大戦果というのは織田の宣伝にすぎないと考えられる。
817 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 19:38:06.78 ID:+QuptMOy
>>816 ソロモン海戦の様に敵軍艦をボコったけど輸送船はスルーって事もあるから
なんとも言えないんじゃないっすかねぇ
818 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 20:13:16.62 ID:0hZ60kwz
>>817 何のための海戦だよw兵糧攻めの穴をふさぐ戦いだぞ?w
819 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 21:51:33.44 ID:QUiv+tWW
本願寺側の書状だと第二次木津川口あと非常に苦しくなっていったのは間違いない
直後からの顕如や下間三家老の雑貨や近隣の津への悲鳴のような援軍要請からはじまって
天正八年二月九日の下間頼兼書状の
「兵糧弾薬ともに底をついた、ここにいたっては定例の法事を休止してでも
紙切れ一枚、欠けた銭でも送ってほしい」雑貨や
雑貨やみもふたも無い諸寺への支援要請にいたる経過は
織田の海上封鎖抜きでは考えられない。
820 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 21:53:37.98 ID:QUiv+tWW
ごめん訂正、入力がおかしかった
本願寺側の書状だと第二次木津川口あと非常に苦しくなっていったのは間違いない
直後からの顕如や下間三家老の雑貨や近隣の津への悲鳴のような援軍要請からはじまって
天正八年二月九日の下間頼兼書状の
「兵糧弾薬ともに底をついた、ここにいたっては定例の法事を休止してでも
紙切れ一枚、欠けた銭でも送ってほしい」という
みもふたも無い諸寺への支援要請にいたる経過は
織田の海上封鎖抜きでは考えられない。
821 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 21:57:23.49 ID:0hZ60kwz
それは海上封鎖ではなく秀吉による陸上の占拠が進んだためだよ。
港を飛び石に進んでいく当時の航法で、陸地の拠点が奪われれば船を進め様がなくなる。
それだけの話だ
822 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 22:08:05.20 ID:QUiv+tWW
直後からと書いてある通りに天正六年七月十七日付け紀州門徒宛状からの一連の流れです
823 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 22:13:36.64 ID:0hZ60kwz
「送ってほしい』ということは、送り届ける方法があるということだな
824 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 22:16:56.39 ID:QUiv+tWW
極端な話、織田水軍を殲滅すれば幾らでも入れれますから当然手段は幾らでもあるでしょう
できるかできないかは別ですが
825 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 22:35:18.93 ID:0hZ60kwz
こう言っちゃ何だが織田水軍が、少なくともあの時期の大阪湾で機能していたとは到底思えない
826 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 22:46:29.05 ID:QUiv+tWW
根拠を提示すべきかと
827 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 23:02:05.83 ID:0hZ60kwz
>>826 そもそも毛利側にも本願寺側にも海戦で負けたという記録もなければ損害も見られない。実際に秀吉の侵攻で
海上運搬が難しくなるまで普通に兵糧を入れている。つまり海上封鎖できていない。
どう見ても第二次木津川口の戦いで、織田が大戦果を得たなど考えられない。
828 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 23:18:49.94 ID:yucr60oR
814です。みなさまありがとうございます
鉄甲船の存在自体は記述があっても
活躍したことで有名な木津川口海戦自体は存在があやふやってことですね。
ひょっとするとあまり実用的ではなく
ジオンのEMS-10ヅダみたいな「ゴーストファイター」
で終わったかもしれませんね。
829 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 00:16:24.22 ID:fiz2RSd4
>>827 第二次木津川口の戦闘面だけなら織田側史料である
信長公記でも基本的には追い払ったという記述であり
壊滅させたとかの大戦果の類は無い
毛利方に損害の記録が無いのも当然であり
織田も封鎖が目的なので追い払えれば問題は無く矛盾も無い
そもそも織田が大戦果を得たと誰が言い出したのかも不明
830 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 01:22:27.43 ID:N5WuWzfw
毛利や本願寺側に敗戦損害の(表向きな)記録がないからって即疑うのもどうかと思う
これに限った話じゃないけど、敗戦なんてできるだけ隠して糊塗しようとするのはどこの武家大名もやっていることで
織田家の史料はウソ捏造宣伝ばっか、でも反織田の史料は全て真実ってのもまた随分な偏見ダブスタだろ
831 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 01:33:30.32 ID:zstQDjYa
つーか織田家や九鬼家の史料にすら第二次木津川海戦なるものの記録は殆ど無いんだが
832 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 02:07:52.65 ID:fiz2RSd4
>>830 だから織田側史料信長公記でも追い散らした事が戦果であって
壊滅させたとかの大戦果は書いてないといっている
ただし役に立たなかったと言う訳ではなく六月二六日に雑賀水軍をやぶって
大阪湾に進入し、堺を拠点にかなりザルとはいえ海上封鎖を始めてからは
本願寺側の史料では、本願寺が徐々に追い詰められる様が見て取れると
「本願寺側史料」を元に鉄甲船の出現から、「織田が有利」になっていったと言ってるわけで
捏造宣伝やダブスタだと言われてもちゃんと嫁としかいえん
833 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 06:58:10.92 ID:NcLjX+Qz
水軍関係の流れを見ていて
火薬を調達する織田の輸入販路を瀬戸内海を掌握する毛利が妨害していたのかとか、
毛利の手引きで民間船から本願寺に物資横流しされていないのかとか
そういった水運関係の疑問が湧いてきた。
834 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 09:37:21.69 ID:N5WuWzfw
>>832 えーとすまんがそれこそよく読んでもらえる?
私の主張はあなたの論(>829)への反論否定ではないはずなんだけど
835 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 12:28:42.08 ID:FGShZAdo
相手の支配する海域で
多少なりともプレッシャーを与えられるようになれば
それは十分戦果のように感じられる
836 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 12:48:36.63 ID:MQH9IhNC
>>835 そうだね。
殲滅されないことが生き残りのチャンスだからね。
38度線みたいに、休戦中のままで長期維持することが、
生命線なのと同じ。
内部がツライ状態でも、
決戦に出ると崩壊するからw
837 :
人間七七四年:2012/08/24(金) 19:39:19.01 ID:CNMCCXM0
鉄甲船なんて存在しないし、
本願寺自身が宇喜多の寝返りで、
毛利水軍の各地の駐屯が撤兵したと書いてるから
織田水軍は毛利に勝ってないし、
実際は秀吉が宇喜多を調略して、
安土に報告しに行ったら、
信長が宇喜多を根切りしてやるつもりだったのにと激怒を買い、
すぐ中国戦線に戻れと追い払われて、
帰るやすぐに死ぬ気で毛利と秀吉が決戦して勝利し、
信長の機嫌がよくなったと言う一連の流れから、
秀吉が宇喜多を味方にしたことがターニングポイントだよ。
もっとも本願寺は陸上から補給できていたっぽいけどね。
838 :
人間七七四年:2012/08/25(土) 07:41:44.08 ID:5AHLgq79
仮に織田水軍の頃はなかったとしても朝鮮征伐で利用されたという記述についてはどうよ?
839 :
人間七七四年:2012/08/25(土) 09:58:06.38 ID:i/HAJnum
>>837の
毛利との秀吉の死ぬ気の決戦てのはなんて戦のことですか?
840 :
人間七七四年:2012/08/25(土) 12:15:31.19 ID:NjyD/zAp
釣りに食いつくな
841 :
人間七七四年:2012/08/28(火) 10:41:02.68 ID:hnff96gp
>>839 8月は南部氏や遠野氏ら奥羽からの者らに安土天主を見せびらかせて自慢したり
浄土宗贔屓の信長が彼らに褒美をばら撒いたり
近江一国中から呼び集めての相撲大会見物で機嫌が良かった信長だが
宇喜多の赦免嘆願で9/4に播磨からやってきた秀吉が安土で激怒した信長に追い出され
播磨へ帰り着くや早くも9/10に秀吉が攻めかかり
別所甚大夫や別所三大夫や別所所左近や三枝小太郎や三枝道右や三枝与平次や
とをり孫大夫や安芸・紀伊の侍など数十人討ち取りの大利を得た
播州三木表合戦のことだろ。
無念に思って合戦で励んだことを9/11の報告で知った信長が
「三木城の落城も近いゆえ油断するな」と秀吉へレターして機嫌が直っている。
その後、9/14に京で富貴な者が賄賂を贈ることで目が悪い者しかなれない
検校(金貸しができる)になってる不正を座頭たちが信長に報告し
「金持ちの賄賂がまかり通るような社会では秩序が乱れるばかりです」と訴えたが
信長が富貴な下手人検校から黄金200枚の賄賂を貰って不正を不問にして許している。
北畠信雄が9/17に伊賀で大敗し9/22に信長が
信雄にふざけんな親子の縁を切ることも考えると激怒書状を出す。
10/30に宇喜多の名代として宇喜多与太郎が攝津まで出向いてきて
秀吉の取次ぎで信忠にお礼を言ってる。
信長激怒から時を移さず速攻で軍功を上げた
播州三木表合戦がなければ宇喜多を許されなかっただろう。
842 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 02:25:59.29 ID:O8DCTejA
本能寺の変の時に、明智光秀の兵隊は、なんで織田信長に攻撃できたの?
光秀が自分の親分に攻撃しろったら兵隊は動揺しまくって戦争にならないんじゃないの?
式系統がよくわからん
843 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 02:50:36.01 ID:O8DCTejA
追加
電話もネットも新聞もないのに、新潟の上杉がどうしたとか
長野の武田がどうしたとか情報が伝わるのが早すぎじゃないですか?
忍者とかつかっても早すぎる
あと、地図も俺がメモ帳の裏に書く程度の雑なのしかなかったのに、
自軍も敵軍も迷わずにいどうできるの?
「江戸城→」とかの道路標識をあさっての方に向けるだけで
迷ってたどり着けない気がする
844 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 09:33:49.05 ID:eAGydez2
>>842 家康を討つと嘘ついた
>>843 当時の足の速さを舐めてはいけません
現地の人を道案内とした
845 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 10:55:05.47 ID:SnSUQwWX
>>842 もうちょっと細かく言えば
直属の上司の命令を聞かなければ
直属の上司に殺されてしまいますので基本的に命令には従います。
上司が下克上に成功すれば上手い汁を吸えるという打算も当然あるでしょう。
本能寺の場合は末端の武士は直前まで家康を討つと思い込んでたみたいですし
情報統制で考える時間を与えなかったのも大きいでしょう。
本気でやばいと思ったら戦国の兵士は速攻で逃げますから、
まぁ本能寺の場合は光秀が上手くやったという所でしょう。
846 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 10:55:52.64 ID:SnSUQwWX
>>843 軍隊の移動には必ず地理に明るいものが案内人に付きました。
領内はもとより敵地に入る時も地元の武士や農民や降伏して来た者を案内人としました。
また地形をよく知ってる国境沿いの国人が先鋒を勤めるのも当時の標準的な作法でした。
情報伝達は鎌倉時代から早馬で京ー鎌倉間を最速2日で結ぶなど以外に早いです。
戦国時代も情報は命という感じで伝馬制の整備や街道整備、関所削減など各大名とも
情報伝達速度の向上に躍起でした。
ただし当時の書状に「路次不自由」という言葉がよく出てきますが
降雪や河川増水で2日で着くところが10日かかったとか
敵側の国境封鎖で使者がなかなかたどり着かないとかいった事態もよくありました。
847 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 18:51:09.78 ID:DuthmCZV
>>845 家康ならまあいいかと納得する連中もかなりアレだなぁ
848 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 21:25:15.86 ID:sJy49nsS
織田の軍勢は古臭いもので、
領地の収穫から動員数を算出して織田が兵数や鉄砲数や弓数といった軍役をかけているのではなく、
例えば前田利家や佐久間信盛らが私腹を肥やして貯蓄し、
余った金で少し集めた兵は前田に従うといった感じで、
武田や上杉や北条のように収穫から動員数や武器数を課して、
さらに家臣に兵を貸しているという革新が行われていませんでした。
そのためにたくさんの家臣達が軍役に従い、
連れて来た兵を分解し
兵種ごとに再編成できたのが武田など、あくまでも貸し与えている兵で、
計画通りの兵数と武器数で兵種統一できました。
しかし織田はそういうことが出来ず、
あくまでも前田軍は前田軍で武功をあげるという
言わば寄親が利家、寄子がその領地の国人という形でした。
これは織田が内政を全くやらずに、法律も作らず
好い加減な組織であったことが原因です。
信長への下克上寸前の光秀は軍役に武器数などを明示しており、
明らかに織田のデタラメとは違う軍役体制に移行して独自勢力化が始まっていました。
また秀吉も数字に強く兵站について重要視しており、
信長死後に大きく軍事改革をしていると考えられます。
それまでの織田は恐喝や虐殺での物資の現地調達方式なために、
最大でも3万しか戦域に兵力集中が出来ず、
現地で兵力を養う原始的軍隊でした。
そのため岐阜から信濃への出兵ですら兵力調整するほど。
849 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 22:09:41.73 ID:SnSUQwWX
何を突然?
850 :
人間七七四年:2012/08/29(水) 22:27:00.05 ID:u6UXoycf
>>842 光秀の兵隊は光秀の配下であって必ずしも信長の兵ではない。
851 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 00:42:24.74 ID:FOzCJ3E+
俺が明智光秀の兵なら信長側に寝返るか逃げるんだがな〜
あまりにもメリットがなさすぎ
1.光秀が信長を倒せた場合
→柴田勝家が軍勢率いて殺される
2.光秀が信長を倒せなかった場合
→恐ろしい信長に反逆者の一味として一族根絶やしにされる
852 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 01:17:44.62 ID:vYa+BU3F
想像するのは色々と楽しいと思うんですが、一応過去の事だから記録が残ってるんですよ
明智の元で戦った部将がどうなったか調べてみたら面白いですよ
一例に木村吉清とか
853 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 06:45:03.28 ID:pQP9FHVX
柴田は上杉に釘付けじゃんよ。
秀吉が奇跡の大返ししてなかったら光秀は成功してるし、
斎藤利堯なども岐阜城を占拠して自立を図ったり、
森みたいに生前の信長の意向を無視して団の城を奪い取ったりしてるし、
家康もいち早く三法師を担ぎ上げて織田領に侵入するなど美濃、尾張、伊勢は大混乱してるし、
近江や丹波や山城は明智化している。
さらに織田諸将は本願寺に土下座外交しまくり。
秀吉が戻って来なかったら明智の勝利で終わってたのは間違いない。
854 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 16:18:52.03 ID:Y/AYPh9C
秀吉公の出自っていろんな説があって定かではありませんが、
天皇家や天皇家に近い公家 又 加賀前田家は、
真実を知っているのでしょうか?
855 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 16:33:34.94 ID:vw3Zxu6Z
同時代人ならみんな知ってるくらいの話だと思うよ
856 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 23:55:40.72 ID:UKeRFvQ1
織田の兵制は石高だけを頼りにしてはいないんだよ。
むしろ石高だけの算出が古いやりかた。
岐阜から近江に拡大していくに従い、
治安の向上を第一にした事が、商業を活性化させた。
統一の過程で多すぎる関所を減らし関税収入が上がった。
商人は喜び、織田家の拡大を望み、
多額の軍資金が献上され、
そのカネで流民や乞食を兵隊として雇った。
泥棒強盗を減らし、
織田軍の兵として動員され、
喰いっぱぐれた者は兵となり、
町の治安はよくなり、
織田は領民に歓迎され、
統一への道を急加速させていった。
857 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 23:57:22.64 ID:tFvJch7s
858 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 00:55:16.38 ID:Ei8zS3RJ
石高といえば陸奥の南部氏の石高はそれほど多くないけど
馬を多く保有していたと聞きます。
石高と比較して軍事力が多い(過剰)な場合
戦力維持だけで疲弊して逆に自滅してしまわないでしょうか?
そういう戦う前から終わっていたという風な逸話ってありませんか?
859 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 01:01:42.24 ID:9zcz5NrR
馬も食事をしないといけないからきつそうですね
騎馬の維持って大変?
860 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 01:53:04.17 ID:EOVWZrzs
軍事行動中、騎馬の食料だけは味方の領内での調達化(実質略奪おk)って所もあるからな
あと武具馬具なんかは武士が自弁で揃えるものなんで、彼らの給料の内から賄うもの
足軽と違って大名が家臣のために馬や馬具を揃えてやることはないんじゃないかな
861 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 02:06:23.52 ID:YsqjEfum
>>858 関東や東北は田畑に向かない土地を牧場にしてたんじゃないのかな
馬は西国で売れば金になるから、生産しすぎて困る事は無いと思うぞ
862 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 03:03:28.72 ID:9IxVeR/E
>>858 基本農民が兵力の大部分を担っていたので
「石高と比較して軍事力が多い」って状況はなかったかと
>>859 当時の馬糧は基本大豆と草や糠混ぜたもの
朝鮮の役、清正が糠がなくて豆に切り藁混ぜて食わせてた話(常山紀談)とか
出陣の際に各騎馬兵に大豆一升用意させた話とか
「馬は兵器」なのでそれなりにお金がかかってたよ
863 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 06:41:36.72 ID:kgSjyff5
戦争のとき女性はどこに避難していましたか?
864 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 10:16:16.92 ID:FewJxgdL
>>856 まったくのデタラメを書くなよ。
関所の廃止もなにも具体的にどこの関所は廃止したんだよ。
治安向上どころか、信長は賄賂を貰えば機嫌がよくなり許す態度ばっか。
しかも多額の軍資金ってのは略奪・恐喝・恫喝によるもの。
尼崎みたいにそれを拒否って完全焦土にされたり、
京洛でも放火の上で大虐殺と大略奪をして桂川は死体で埋まったり
長篠後に兵糧不足になった織田軍がすぐに向かった越前府中の街は略奪で焦土と化して見渡す限り死体の山で気持ちいいわーって信長が感想言ってほど。
前田や佐久間のように織田軍内は私服を肥やす蓄財をやる者が多く
金を節約して兵力が足らんから、その負担を国人達に転嫁してるから統治された者たちが喜ぶわけもなく、
むしろ一揆参加者が増える一方で、一向宗信者じゃなくても参加する者が多数出てるし
織田統治で治安なんてよくなるわけないだろ。
織田軍は街を壊滅させまくり数十万規模で虐殺してるのに。
865 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 11:22:33.37 ID:2dSpdj6y
866 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 11:29:01.68 ID:Y39JoAuw
>>863 >>865 農村などが独自に建設した避難用の城などもある。
あと地下シェルターを設置した地域も多かった模様。
867 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 11:55:05.86 ID:2dSpdj6y
農村の城はともかく地下シェルターは初耳だwすごいな
868 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 20:40:23.85 ID:7poYr3XE
>>858 馬は中央と交易するにあたって重要な特産品だったんだろ。
穴掘った上にござを被せたのを地下シェルターって言うんだろw
870 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 21:40:06.77 ID:VY1J2o8S
>>869 『日野市百草にあるトックリ塚(仁王塚遺跡)は2つの穴を掘っていくと、3メートル以上の深さの地下に
3室の地下式坑がある。主室4×2メートル以上、2つの副室も3×2メートルほどの大きさである。
主室の側壁にはローソクなど明かりを置いたらしい彫り込みがあって、その上の部分は煤けていた。
この穴の下にもさらに堅坑があって、地下二階の構造と見られたという。生活の痕跡に違いない。
園周辺を眺めると地表面に10以上もの凹みが認められ、地下式坑のあったことを想像させた。
どれもみな、谷戸の奥の丘陵の北斜面にあり、眼下に百草の集落を見下ろせる位置にある。
日野台地の東側には竪穴と直結するように、屋根型の天井を持つ4×3メートルの大きな主室がある
地下抗がある。これは谷(ヤツ)という集落を見下ろせる位置にある。』
(藤木久志 「城と隠物の戦国史」)
871 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 21:59:16.18 ID:2dSpdj6y
ググったら12〜13世紀の寺院の遺構って出たけど
地下シェルターを設置というよりすでに有る物を利用した感じじゃない
タイムスクープハンターで村が略奪にあってござの下に隠れてるシーンがあった気がしたけどあれの事じゃなかったんだw
873 :
人間七七四年:2012/09/01(土) 08:51:56.45 ID:U84RVHXw
戦争で勝ったとしてそこの住民などに「今日から美濃は織田のものです。法律や税金は織田に従ってね」
みたいな手続きはどのように行われたのでしょうか。
874 :
人間七七四年:2012/09/01(土) 09:53:51.50 ID:eWA0Nf07
>>873 そもそも
> 法律や税金は織田に従ってね
なんてことは余程の事情がない限りおこらない。占領地は先ず「以前からの法律に慣習に従い、それまで通りにする」というのが
戦国大名の基本姿勢だからだ。大名が変わるだけで。
それに、織田なんて特にそうだが、掌握するのは国人・地侍のレベルまでで、領民に対しては地元の国人・地侍に丸投げする
一種の間接統治だった。なので大名が滅びてもその地域の国人・地侍の地位が安堵されていれば、住民にとっては
何も変わらなかったと言っていい。
で、事態が安定すると代官などを送り込んで徐々に大名権力を浸透させる。
そして新旧の体制の矛盾が大きいようだと、代替わりなどの機会に、大名権力が充分に浸透したと理解された地域では
全体規模の改革を行なって一気に地ならしをする。まあなあなあで済ませる大名も多いが。
とにかく住民を体制に組み込むというのは、かなり気の長い作業だったのだよ。
875 :
人間七七四年:2012/09/01(土) 10:44:58.47 ID:blYwlpT2
戦国後期ですら佐々成政、木村吉清といった
領国経営に失敗する大名がいたもんな。
876 :
人間七七四年:2012/09/01(土) 11:11:29.36 ID:i3ZGQ34M
徳川が分かりやすいな、
駿府を取ったら今川の政策の甲斐を取ったら武田の政策を
引き継いだ国掟を発給し、関東移封になったら北条の税制を引き継ぐ
そして最初は徐々に最後にはガッツリ改革するが、
甲斐みたいに武田法が浸透しきったような土地は無理に変えない
877 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 01:25:07.46 ID:jNOJDnYO
>>864 敵国で略奪するのは当たり前なんじゃないの?
878 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 04:35:17.11 ID:zSRv64Q1
>>877 …越前府中は一向一揆だから自国内の反乱……
つかコレって「補給のための略奪」とちゃいますよ
越前府中の町衆は富田長繁と手を組んだ”反乱首謀者”だから懲罰対象になっただけ
(
>>864が微妙なのは自分で資料調べろ、って愛のムチかと)
まぁ織田体制では「兵量は持参」が基本だけど
長篠(天正3年5月21日麦秋)から尾張美濃もどって8月12日秋の出陣(3万余)だから
越前での戦いでは補給自体はそう問題なかったのではないかと
879 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 07:51:39.74 ID:iKaguZTX
越前府中は見渡す限り死体の山で無人になってる。
越前府中の民がことごとくすべて一向宗なわけないだろ。
そもそも越前全域で恐喝や略奪を行っていたようで
織田神社を除いてすべて恐喝や荘園没収をしている。
比叡山を燃やしたのも志賀の陣で信長が朝倉に土下座した際に
比叡山の荘園をすべて返却する誓いをしたが
それでは織田の財政が崩壊するので返却しようにも不可能な和睦条件だったから勅命和睦をシカトしてまで比叡山を燃やしている。
そもそも信長は恐喝して軍資金をたびたび巻き上げている。
すでに信玄西上の際に京洛でも金も火薬も兵糧もない信長は
京で略奪虐殺恐喝している。
堺や尼崎などいたるところで横暴を奮ってきたが
この時期になるともう略奪できる冨のある場所はほとんど残ってないので
日本海貿易で栄えていた越前府中が標的になった。
880 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 20:34:56.63 ID:JaUepVHj
>>879 もともと一向宗僧侶が「今は戦時だから」って織田より重税課した(これは略奪じゃないよね)から
ゴタゴタ起こってる状況に先陣が越前衆の織田軍がやってきた形では?
それに反乱首謀者の多くは荘園の管理者(地侍)だったんだし
府中の町衆とあわせて”無秩序に理由なく”没収したわけじゃない
で、軍費(臨時税)を課す、のは「略奪」とは言わないよ、いくら重税でもね
つか、なにをもって「略奪」「恐喝」って定義するのか、そこらから明らかにしてほしいな
(ちょっと一般的な定義での使い方じゃないよね? 行政側が略奪強奪って言わないから)
都近畿の話は対象が曖昧で(せめて事件日時かいてくれないと)のでコメントできず……
881 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 23:05:13.47 ID:ASu5Bnf2
織田粘着にまともなことを言ってもまともな答えは返ってこないぞ
ほどほどで切り上げるよろし
882 :
人間七七四年:2012/09/03(月) 07:45:33.74 ID:xHRbNPeG
>>880 その内容完全にいまお前が考えた思い付き妄想だろ…
883 :
人間七七四年:2012/09/03(月) 15:44:03.37 ID:UHsn79KZ
関ヶ原時に関ヶ原近辺領有してたのって、
何て家があるの?
884 :
人間七七四年:2012/09/03(月) 16:13:08.04 ID:y8rDAb0A
竹中重門が関ヶ原の領主。
885 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 01:09:45.09 ID:fQlEaUz6
ふと蚊とか見て思った疑問なんだが
虫に刺されたことが死因だったりする武将っているのか
886 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 05:53:33.58 ID:nnPv7FPR
居たかもしれんが記録にはない
887 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 11:04:17.86 ID:C1w20dYc
武将レベルだったら、忍び数人で簡単に暗殺出来そうだけど
秀吉みたいな出世株って、どうして暗殺され無かったんだろうか?
888 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 11:16:28.67 ID:Jz1JYTuY
>>880 はっ?信長が虐殺し尽くした女子供も例外なく一向一揆参加者なのかよw
殺しつくして無人にした街ですが、略奪は一切せずに無人になった家財には保護シールを貼りましたってかw
889 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 11:30:07.07 ID:LhFRdih0
触るな危険
890 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 11:44:44.53 ID:u5Fpp+E5
>>887 実際にはそんな忍びは実在しなかったからだ。暗殺なんてそんな簡単にできるものじゃない。
忍びのお仕事は情報収集。
暗殺された大名としては三村家親が有名。鉄砲で撃たれたんだけど。
891 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 16:26:10.43 ID:TPaBj2zL
暗殺は一般的に卑怯者のすることだからな
歴史的に見てもこれを堂々とやる地域は西日本の極一部
892 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 18:34:57.83 ID:QdOwmVdu
ノブヤボの過大過小評価スレでも聞いたから二重質問がアレならスルーして欲しい。
徳川四天王って目立った功績、地味ながら評価されるような功績って何かありますか?
忠勝の寡兵指揮はカッケーとは思ったけど四天王全体で地味な空気が・・・
893 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 19:05:13.48 ID:nnPv7FPR
>>892 徳川四天王を地味だと言ったら派手な四天王とかおるんかいな。
ちょっとでいいから調べてみ?家康のほぼすべての合戦で四天王は重要な役割を担ってるから。
寛政重修諸家譜でも読め
894 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 20:00:02.51 ID:RokEqX0F
卑怯かどうかはともかく、そうそうできることじゃないからな暗殺なんて
895 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 23:04:24.68 ID:2GH3wbp7
信長:弟を暗殺
秀吉:小早川秀秋
家康公:父と祖父
3英傑の親類ですら、マトモに戦場や床で死んでないのだから、
国持ち大名傍系の3男や、その辺の砦の主とかなんて含めたら
多数暗殺されてると見るのが自然じゃね?
896 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 23:06:10.57 ID:Farc1UBF
>>895 全然自然じゃない。つーか秀秋って…俗説もいい所じゃないか。
あと謀殺と暗殺を一緒にするな
897 :
人間七七四年:2012/09/04(火) 23:42:45.69 ID:LhFRdih0
謀殺と暗殺は同じものといえば同じものだけど
ただ質問者は騙し討ち系等じゃない刺客系と定義してるみたいだから
>>895は当てはまらんね
まぁ刺客を使った暗殺なんて早々成功するものじゃない。
守る側だって馬鹿でも無能でもないからね
898 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 02:04:10.42 ID:540kWbSy
鳶の加藤ならやれたな
899 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 14:03:44.48 ID:BuQ/cm+N
誰もそんな定義して無いし
手段なんて関係ない。
戦死や病死じゃ無けりゃ、暗殺がほとんどだろうがw
医学が未発達で心筋梗塞その他傷の無い頓死を
暗殺と間違うってのは否定しない。
900 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 14:20:05.91 ID:BuQ/cm+N
やるかやられるかの命懸けな生存競争で、
幹部暗殺とか考えんほうがバカだろ?
籠城戦で煮えたぎった糞尿は落として来るけど
勝負は正々堂々とか、鎌倉武士かよwww
901 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 14:36:26.43 ID:540kWbSy
武器が汚い戦闘とやり方が汚い戦闘は意味が違う
902 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 18:20:15.06 ID:+6oCCc8r
>>887 非正規雇用の忍者より正規雇用の用心棒の方が優秀って事でしょ
待遇的に考えて
903 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 19:03:17.71 ID:44VMot/T
狙われる覚えがある人間はそれなりの用意をしてるだろうし
警戒してる者を暗殺するのは難しいんじゃね。
例を挙げると南部晴政は南部信直を暗殺しようと自ら手勢を引き連れて
襲撃したけど逆に鉄砲で落馬させられたとあるし。
904 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 20:39:19.37 ID:qrnxEYy0
>>893 姉川とかかな?四天王なんて仰々しい名前にしてはなぁって思った
教えてくれてありがと!もうちょっと調べてみるね
905 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 22:24:50.10 ID:2XJ59CJG
19 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です : 2012/05/05(土) 19:17:28.49 ID:v9x6ZGEj0
名古屋市って壊れたらまずいものおいてある?
54 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です : 2012/05/05(土) 19:22:25.24 ID:xL1qx235i
>>19 マウンテン
89 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です : 2012/05/05(土) 19:30:02.86 ID:7DEjHI200
>>54 節子それはまずいものおいてある店や
906 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 22:25:26.80 ID:2XJ59CJG
うわー 戦国スレに誤爆った
失礼しました
907 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 23:32:01.41 ID:wSw5q6z1
>非正規雇用の忍者より正規雇用の用心棒の方が優秀って事でしょ
>警戒してる者を暗殺するのは難しいんじゃね。
ヒント:吉良 井伊直弼
ウィキにも名前が無い小城主の次男三男なんて、
山ほど死んでるんじゃね?
908 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 01:05:49.02 ID:N9ErzBST
次男、三男なんてそんなの殺しても仕方ないじゃん
909 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 01:10:24.34 ID:Usj51o9h
まぁそんなにお手軽ならもっと多用されてるわな
910 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 01:29:56.74 ID:irBNKN82
つまり秀吉がたまたま護衛充分な城主にまで生き残れただけで
頭の古い重臣や、敵に嫉まれて暗殺された武士が
たくさん居るって俺の理論は認めて貰えるのだな?
信長の兄弟も、間違って無礼討ちされたの居なかったか?
過失ですら殺されるんだから、狙って殺されるとか
充分考えられるだろ?
911 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 01:31:58.35 ID:N9ErzBST
>>910 犯罪やテロで殺されるのと、刺客による暗殺は全然別だろ。
912 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 01:33:04.31 ID:J9SSZdEN
ああ、後は暗殺された面子をリストアップすれば完璧だな!
いやマジで小説とかのネタに使えるのでやってみてもらえませんか理論的に
913 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 01:33:52.90 ID:N9ErzBST
それと、歴史の世界では自分の脳内だけじゃなくて
一次なり二次なりの史料が無いと意味無いぞ。
914 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 02:51:24.44 ID:Usj51o9h
暗殺やし資料残してねーだろ、つーことにすれば
こじつける気合があるなら今まで死んだ奴全員
暗殺されたでいけるで
915 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 07:53:09.83 ID:rozIBNYy
>>907 吉良は全く警戒していなかった。壁が崩れたまま直さなかったとされている。
井伊は襲撃の噂を知らされていたが普通に登城した。雪が降っていたので供回りは刀の柄にカバーをかけていた。
全然警戒していない。
916 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 14:24:17.10 ID:3Y2yrbJn
つまり「警戒レベルなんてそんなもの」なんだろ?w
悪魔の証明で反論するの止めて欲しいわ、、、
道理の通らん低学歴ばっかか?
自殺する政治家なんて、広義の暗殺みたいなもんだろ?
死んだ方法なんて関係無いんだよバーカwww
917 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 16:04:33.24 ID:xtGWdsh3
頭大丈夫か
918 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 16:51:24.35 ID:K9P3qQFP
論理的反論出来なく成ると、すぐ嘲笑で返す、、、
論理的反論出来なく成ると、すぐ嘲笑で返す、、、
低脳の思考パターンはいつも同じwww
919 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 17:17:36.41 ID:K9P3qQFP
学校にイジメ(暗殺)が存在するかどうか? と
そのイジメを学校が認めてる(歴史に残る)か? は
全く別次元の問題なのも推測できないバカども、、、
政宗や信玄の親父だって、暗殺みたいなもんだろ。
920 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 17:32:59.70 ID:HwB9U1RC
吉良とか井伊ってそれなりのビッグネームがそれなりの人数で襲撃してるじゃんよ
真田十勇士みたいなのが家康を暗殺するみたいな話があるかって事じゃないの?
921 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 17:58:25.26 ID:K9P3qQFP
戦国の侍大将以上の死に方は、
・老衰死
・足軽らと共に戦死
・↑な負傷による床死
・内科的直接要因での病死(ガン・心疾患その他)
がほとんどだと思うが、1%くらいは
これのどれにも当てはまらずに、史上から消えてるだろ?って話。
忍びに直接斬られなきゃ暗殺じゃないとか
バカ過ぎる反論ばっかでうんざりしてるだけ。
謀反の噂流して真に受けたバカ殿が上意討ちだって、暗殺と同じ結果だ。
酔っ払いに絡まれて、斬死ぬとかも多そうだがwww
(これも不名誉だから、歴史には残りにくい)
922 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 17:59:30.36 ID:P1LhoWLQ
宇喜多直家が雇った遠藤兄弟(←三村家親暗殺)みたいなもんか?
923 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 18:31:39.18 ID:sAHiD2Zg
>>903 信直はあれだけ暗殺されかけたのによく死ななかったよ。
最終的には発砲までしてきた暗殺者を登用してるし
何度も襲われると慣れてくるものなのかも。
924 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 20:56:21.72 ID:tJsYBlvv
・老衰死
・足軽らと共に戦死
・↑な負傷による床死
・内科的直接要因での病死(ガン・心疾患その他)
以外の死に方まだぁ(^-^)?
925 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 21:18:51.56 ID:A0wlK7PN
事故死かな
落馬したり、地震で城ごと埋まっちゃったり、そういうの
926 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 22:12:21.27 ID:tJsYBlvv
少数事例なら武士らしい例で頼むわ。
927 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 23:03:12.65 ID:Ho86dQPK
もう切腹も暗殺でいいよめんどくせー
928 :
更新してみた:2012/09/06(木) 23:18:34.39 ID:tJsYBlvv
それは謀略による暗殺も充分考えられるな。
・老衰死
・敗死
・負傷による床死
・内科的直接要因での病死(ガン・心疾患その他)
以外の死に方まだぁ(^-^)?
929 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 23:39:42.05 ID:/aNmZyIi
落馬。
930 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 23:42:58.16 ID:xtGWdsh3
アホみたいな流れはもういいだろ。本物のアホ以外は自重しろ
931 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 00:07:16.87 ID:nkSsrm0q
再度
>>918 ( ´,_ゝ`)
馬かバイクかの違いだろ? 武士らしいの頼む。
932 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 06:32:20.50 ID:CFMSzQuu
>>920 吉田松陰、勝海舟、河井継之助、宮部鼎蔵、橋本左内など幕末ビッグネームの師匠・佐久間象山の暗殺事件では
白昼堂々と佐久間象山と護衛は河上彦斎たった1人に暗殺された。
馬上の佐久間はわずか2撃で仕留められている。
白昼とはいえこの手際はまさに理想の暗殺だね。
佐久間象山といえば老中・真田幸貫のブレーンとして開国論を唱えて攘夷派には疎まれていたが、
攘夷派からは池田屋事件の黒幕としてさらに恨みを買った。
そして池田屋事件で宮部鼎蔵が殺されたことを機に河上彦斎は暗殺を実行したようです。
933 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 06:34:16.15 ID:LYC4+IFH
暗殺を定義しろよ。暗殺の定義をきちんとしないからこんなどうでもいいアホな書き込みばっかりになってる
934 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 08:05:19.61 ID:R3WPuCpN
武将以上の死に方は、
・老衰死
・敗死(負傷死・切腹含む)
・内科的直接要因での病死(ガン・心疾患その他)
これらに当てはまらないのが、暗殺の可能性高いと定義済みだろが。
「裏工作だから史実の何十倍も実在した」はず。
935 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 08:32:48.49 ID:YqlxRTEe
刑死と事故死はー?
あと抗議での自殺や苦悩しての自殺
936 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 11:16:19.48 ID:3BPjd/ur
それを世間では切腹と言うのだよ。
他勢力に誘導されたり、バカ殿に臣従した敗死とも言えるかもなw
暗殺が事故死に見せ掛けられるのは
古今の定番でもある。
斬り死により落馬で死んだほうが、世間体が良いからなぁ。
937 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 18:02:04.66 ID:dUzQgzQt
すごい陰謀脳の持ち主だな
938 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 18:51:59.13 ID:fXWWlNFU
お前が能天気過ぎるだけだろwww
お前が能天気過ぎるだけだろwww
939 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 19:35:01.96 ID:CFMSzQuu
くノ一の房中術で暗殺されてみたい
940 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 21:55:09.00 ID:LjZJlQb0
>>939 それって下手すりゃイク寸前とかで殺されちゃうじゃないですかーやだー
941 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 22:42:28.64 ID:fXWWlNFU
自決するつもりだったら、
大抵のアイドルが「顔斬られたくなかったら
大人しく抱かれろ」って脅せば良いだろw
日本はまだまだ平和だ。
って事で
>>934 の反論頼む!!
942 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 22:56:46.42 ID:FoLlmD+i
前田慶次って、架空の人物?
どこにもスレないんだが
943 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 23:45:05.45 ID:gGwCRUHs
前田慶次(前田 利益)は実在の人物だが巨漢で怪力無双なのは創作
944 :
人間七七四年:2012/09/08(土) 08:41:47.10 ID:ftAKLkOy
首検分とかありますけど、写真の無い時代に敵武将の身元確認とか
どうやってたのでしょうか
945 :
人間七七四年:2012/09/08(土) 09:07:39.67 ID:b6TwZ4wA
顔見知りを呼ぶ
946 :
人間七七四年:2012/09/08(土) 09:52:53.12 ID:s2LORO4c
>>944 敵国と付き合いのあった国境沿いの豪族、投降・内応した敵将、地域の坊さんあたりが呼ばれて、
これ誰の首?と訊かれる
947 :
人間七七四年:2012/09/08(土) 23:42:07.93 ID:VN1Lgr6h
首実検が行われるまで、奥さんらが生首キレイにして
大事に保管してたとかって、定説なの?
948 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 00:20:14.09 ID:OkD8hJbk
おあむ様に聞いてこい
949 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 02:19:43.47 ID:ch0VVicI
950 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 03:10:22.57 ID:Iy0v3PNR
下克上ってどうやっておこるの?
自分の主君を殺されたのに
なんで殺人者にみんなしたがうの?
朝鮮の大統領が日本の天皇を暗殺しても
おれは朝鮮の大統領に従わんぞ
951 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 03:45:34.89 ID:OkD8hJbk
まず第一に、主君を殺すことだけが下克上じゃなく追放したり、傀儡にしたりすることもある
第二に、韓国は日本の属国ではなく上下関係は無いので下克上は発生しない
プロセスとしてはいろいろあるけど、よくあるのが
1:守護大名が在京しっぱなしで知行国に来ない
2:知行国の管理は守護代という家臣が一手に引き受ける
3:顔を見たことのない主君(守護大名)よりもツーカーの守護代の方にみんな親近感を覚える
4:守護代は守護代で勢力基盤を整えて主君を凌ぐ実力を持つようになる
5:でも守護大名は金を寄越せだの兵力をだせだの国の負担になるようなことばかり押し付けてくる
5:あれ?守護大名って実は要らなくね?守護代がトップのほうが俺らのためじゃね・
って流れ
952 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 05:40:17.22 ID:Iy0v3PNR
斉藤道三とかムチャクチャだけどな〜
なんで他者が王様になれるんだ?
1:こんにちは、油いかがっスか?
2:あ、めんどくさい業務は俺がしますよ。絵でも描いててください。
3:この国は俺がもらった。
953 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 06:26:01.31 ID:O8qfy/Nv
人望・能力でダメ過ぎる主君に命賭けたくないだけw
信長は能力が高かったから、
仇とって貰えた感じ?
954 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 06:35:52.88 ID:MvfQMjZa
道三はあまりにも強引過ぎた為に国人衆も
忠誠を誓う事はなく、最後は敵に回った。
下剋上で大事なのは大義名分。
同じように下剋上でのし上がった北条早雲と毛利元就との違いはそこだな。
955 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 08:49:19.06 ID:WTa8MfT1
>>942 専スレあったけど、おちちゃったみたいだね。
一時期はパチや漫画で人気あったけど。
956 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 11:18:42.18 ID:Iy0v3PNR
>954
下から上に出世するにはコミュ力が大切なのは今も昔も同じだね。
もともとトップに生まれてきた信長はキチガイでもOKだけど
957 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 11:32:44.26 ID:nTb25nkj
>>952 その辺は創作の可能性が大だから
当時は下が力を付けてきた且つ力が無いと生き抜けない時代だったから
下克上OKな風潮だったわけで
そもそも部下の積極的な協力が無ければ謀反はともかく下克上自体が成功しない
端的なのは力を持つものがトップに立ってもらわなければ俺たちが困ると
部下にせっつかれて下克上に及んだ毛利元就のように場合とか
958 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 11:32:54.03 ID:Iy0v3PNR
質問。
戦国時代の大名とかは日本の歴史をどこまで知っていたのですか?
室町時代のことはわかるけど、鎌倉とかは平家物語ぐらいの知識でしょうか。
959 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 11:51:37.86 ID:mR3DOnv5
>>958 古代の歴史に関しては古事記や日本書紀などの知識が広まっていた。
武士の歴史教養だと平家物語と太平記が基礎。これは琵琶法師などにより一種のエンタメとしても受容されていた。
もう少し学があると源氏物語とかも読む。
徳川家康くらい学問に関心があると、東鑑などの史書を読んでいる。
960 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 11:55:50.22 ID:9J1/+yjK
大義名分が大事、とはいうけど本音では私利私欲、利益、お金ってのも
あるわな。
それを隠すための大義名分ってのもあるだろうし。
961 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 11:58:02.67 ID:9J1/+yjK
古事記はさすがに知らないだろう。
江戸の本居以前に戦国時代に解説書?があったというなら
教えてほしいもんだが。
962 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 12:10:55.79 ID:mR3DOnv5
>>961 書籍として読んでるんじゃなくあくまで知識、情報として、な。
国生み神話とかだいたい誰でも知っとる。
963 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 15:27:19.00 ID:piFSPqAj
>>951 大内の家中では軍事費を削減した5カ国守護大内義隆に対して不満が溜まって
みんなで大寧寺の変を起こして守護を殺してみたものの
いきなり明王朝から交易利権を禁止させられたり、
水軍衆や倭寇の統率ができなくなって明王朝が益々激怒するし、
豊前守護代杉と周防守護代陶の喧嘩を仲裁するものがいなくなったり、
長門守護代の内藤の後継者争いを仲裁するものがいなくなったりで
実は大内義隆がいた頃のほうが良かったんじゃねえ?って考えられて
代わった陶に不満が集中したんだよな。んで毛利が吉見・内藤を味方にして棚ボタ。
毛利隆元もそうだけど無能と軽んじられていた人物の代わりは
実は他の人にはできなかったりする。
964 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 16:08:42.64 ID:9J1/+yjK
>>962 そなのか?
誰でも、って古事記知ってた戦国武将がいるという記録でもあるの?
当時は意味不明の漢字の羅列だったというのが通説だけど。
965 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 16:10:13.09 ID:s0m+J6Z3
>>964 > 時は意味不明の漢字の羅列だったというのが通説だけど。
どこでそんな阿呆な通説があるのか、それをぜひ聞かせて欲しい
966 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 17:58:21.95 ID:EVvlF1B1
よくある「高僧がブレーンとして役立った」
ってのはそういう事なのか?
967 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 18:21:43.34 ID:9TP2VF3z
大身の武将ともなれば、
身近に儒学者、僧侶など当時の知識層を御伽衆としておいて、
古典や兵法書を学んでいたというね
968 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 20:53:31.50 ID:9J1/+yjK
>>965 どうして?
本居前に意味のある古事記の解釈や解説が
あったとか言うのならぜひ教えてほしいけど。
969 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 20:56:15.29 ID:s0m+J6Z3
>>968 いやだから君のいう『当時は意味不明の漢字の羅列だった』って通説がどこの通説かを聞いているんだが?
通説って言ってるんだから常識として話されているんでしょ?君の知っているところでは。
970 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 21:38:38.55 ID:MvfQMjZa
>>966 戦国時代の知識層は公家と僧侶くらいだからねえ。
特に僧侶は同じ地域に居る、別の宗派との競争もあるし相当勉強してた。
971 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 21:58:39.27 ID:fx41CxKy
それくらいしかやる事無いもんなw
現代にも高僧みたいなのって居るの?
972 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 22:30:08.28 ID:ouXXOFEQ
「高僧みたいなの」が何を指すのか判らんが、高僧は居る。
973 :
人間七七四年:2012/09/09(日) 22:39:38.02 ID:s0m+J6Z3
現在でも、いわゆる大寺院の学僧はものすごい修行や勉強しないといけないんで大変らしいな。
974 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 11:07:45.72 ID:FsOUHDvS
>>969 日本史でも国文でもどっちでもだよ。
常識じゃなくて、事実、と言ってもいいぐらいとは思うのだが
「あほな通説」というについて今度はそっちが教えてくれないか?
日本史や国文のどこのどういう本に「通説」として載ってるの?
なんて聞かないでね。
どこの誰に聞いても普通は「本居前には意味不明の漢字の羅列」と答えると思うけど、
これを通説、常識、とするのが「あほ」かどうかというのが論点と思うけど。
どう?
975 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 11:15:04.72 ID:/iCxmnVj
>>974 国文!?
えーっと、どういう学会でどういう人がそう言ってるの?
もし良ければそれについて考察した論文を教えてもらいたい
その説を唱える教授の名前でもいい。
そのくらいあげられるだろ?
976 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 11:20:26.71 ID:FsOUHDvS
>>975 おいおい、だから、全員、でいいよ。
考察も何もないでしょう、常識、事実、「本居前には読み方すら
わからなかった」ということ。
もしかして、古事記とか何も知らなくて単にいつもの
「ソース教えて」って話?
研究史なんて言わなくても、常識で話されてる、ってことだよ。
ところで、「アホ」にも答えてくれないかな?
977 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 13:51:37.08 ID:YZcANnD/
「OOO」でググれ。
って具体的指摘出来ないお前の負けだろw
って事で
>>934 の反論頼む!!
978 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 14:36:51.04 ID:TTsE/z3F
>>971 NHKでやってたけど永平寺にはいるみたい
修行中の若手僧侶が作ったご飯を美味しそうに食べてた
979 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 16:53:50.70 ID:IFugrcjV
>>934 の反論じゃなく補足ね。
そうとう多くの病死や急死の実態が「腎虚」だったということ。
当時腎臓は精液を作るものとされ、精液が枯渇すると体力が極端に衰えて死ぬとされていた。
これは、武士にとって恥の部分のため老死・急死として処理された。
「内科的要因」のトップはこれ。
子供の数と死亡年齢を比較すれば、コイツはやりすぎと解るぜ。
で、
>>934には異論はない。
980 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 17:05:24.62 ID:3BHpIJ86
異論もクソも、悪魔の証明をドヤ顔で求めてくるような奴と議論なんか成立するわけ無い
こういうのはあったと言う方が証明するべきで、無かったことの証明は実質不可能なんだから
981 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 19:11:15.03 ID:GTcFyv19
>こういうのはあったと言う方が証明するべきで
3英傑の親類って充分過ぎる証拠提示済みだろがwww
ある程度の教養ある人間には、
>>979 みたいに容易に納得できるのに
低脳は負惜しみの仕方が、一々バカ丸出しだ( ´,_ゝ`)
982 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 20:26:25.64 ID:RHpyBAf/
しばらくお気に入りから外すから、終わったら教えてくれ
983 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 20:52:37.06 ID:qFXimk77
アホとバカの罵り合いは外から何言っても無駄だからなぁ
984 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 21:14:53.00 ID:tzvB66rd
>>934 に
論理的反論出来ないと、必ず嘲笑して来るのが低脳の特徴だな( ´,_ゝ`)
論理的反論出来ないと、必ず嘲笑して来るのが低脳の特徴だな( ´,_ゝ`)
知能は5流だが、プライドだけは一流www
985 :
人間七七四年:2012/09/10(月) 23:13:44.29 ID:tzvB66rd
今日の大臣自殺も、暗殺だからな!!
>>934 反論あるなら頼むぞ( ´,_ゝ`)
986 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 08:41:34.27 ID:nhp/ES3o
>>979 家康が鯛の天麩羅に中ったというのも腎虚という事か。
987 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 09:32:55.46 ID:zAPYdWaq
上のかけあい、結局
>>959が不用意に古事記って書いて引っ込みつかなくなっただけじゃないの?
本居宣長以前は、誰も読めなかったみたいに言われることがあるのは流石に眉唾だけど、
日本書紀に比べればかなりマイナーな扱いだったでしょ、今と違って。
988 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 15:50:29.94 ID:ibfURX9y
>>934 反論ないから、隠れた暗殺は横行してたって事で良いよね?
989 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 21:07:09.67 ID:R5H/b7RS
18歳以下の1人が甲状腺がんと報告
「福島県民健康管理調査」検討委で、18歳以下を対象とした子ども1人が甲状腺がんと報告された。
2012/09/11 15:22 【共同通信】
こういう感じの速効性のない有害物質をターゲットに食わせ続ける暗殺を使われた場合
毒見役も防ぎようがないな
990 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 21:17:44.10 ID:ibfURX9y
癇癪起こしてる時に「この前あいつ殿の悪口言ってましたぜ!」
って告げ口するのも暗殺みたいなもんだからな。
991 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 21:19:58.72 ID:z6dKr0bm
つーか佐久間信盛の追放は明智光秀がその手で讒言したためだと佐久間家の家譜ではなっとる。
992 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 22:40:21.01 ID:iVZ+24Kt
末期癌で苦しんでる人を安楽死させてやるのも暗殺なんだろうなwww
993 :
人間七七四年:2012/09/11(火) 22:54:45.36 ID:ibfURX9y
前田や毛利が、朝鮮出兵前の秀吉殺したんなら
それは豊臣政権安定化の為の暗殺だろがw
994 :
人間七七四年:2012/09/12(水) 01:20:35.68 ID:KuArRPnO
もう人類の死因全部暗殺でいいから、この話は終わり
995 :
人間七七四年:
次スレ頼む!!