【御館の乱】上杉景虎 その2【北条三郎】

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1人間七七四年
越相同盟から上杉謙信の後継者となりながらも、
謙信死後に起きた御館の乱で悲劇的な生涯を終えた上杉景虎を語れ。


■過去スレ
【何故負けた?】上杉景虎【御館の乱】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154969043/

■関連スレ
【景勝】御館の乱を語る【景虎】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212960019/
上杉景勝3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234613200/
【早雲】後北条家総合スレッド 其の四【氏直】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1284901329/
2人間七七四年:2011/10/03(月) 06:54:53.60 ID:zVD98VtT
北島三郎?
3人間七七四年:2011/10/03(月) 10:47:01.48 ID:aD0m2btW


しかし、需要あるのだろうか
4人間七七四年:2011/10/03(月) 11:43:27.88 ID:PFEafUYA
よさあ〜くぅ〜 よ〜さぁ〜くぅ〜
5人間七七四年:2011/10/03(月) 16:20:09.18 ID:BcMsdGjS
よろぉ〜く〜
よろぉ〜く〜
6人間七七四年:2011/10/03(月) 20:18:16.35 ID:G7mOQqsH
上杉は景勝君に譲るから僕に相模伊豆と北条氏家督頂戴
7人間七七四年:2011/10/03(月) 20:36:39.74 ID:Zs2HKMfI
管領職と群馬県だけでいいや
8人間七七四年:2011/10/03(月) 23:32:37.29 ID:xPyIiemK
上杉憲政って討ち取られたの?
かつての上杉家当主なのにねぇ・・・・。戦国時代は厳しいのう。。
9人間七七四年:2011/10/04(火) 00:15:18.75 ID:Vca+8Ae6
門番が間違って殺しちゃいましたテヘッ
10人間七七四年:2011/10/04(火) 11:49:14.23 ID:ZudycEdG
腐女子のオナネタ
11人間七七四年:2011/10/05(水) 17:03:48.06 ID:dffkIY3J
景虎と景勝って乱以前から不仲だったのか?
12人間七七四年:2011/10/05(水) 23:56:03.26 ID:OoDkg/EY
それが分かるような史料は無し
13人間七七四年:2011/10/06(木) 01:27:16.55 ID:CVJgPqNQ
上田と古志の対立の方が大きいだろうからな
14愛宕権現:2011/10/06(木) 10:01:19.05 ID:q2/d055d
景虎は関東一の美青年と言われ、戦は父譲りで旨かったが
 政治はヘタクソだったんだな。
      Λ Λ
     ( \д`)  かたよった景虎ろは違い、景勝公の政治は直江殿が
     ( つ\と} 支えたから家臣も影響があったんだな。
     ╱ ╱ ̄╲\╲
    (  } {  )
15人間七七四年:2011/10/06(木) 14:48:29.43 ID:x8l5XZv4
最近出た本だとその辺を否定してるのも多いね
16人間七七四年:2011/10/06(木) 14:49:21.52 ID:x8l5XZv4
あ、ごめん>>13宛て
17人間七七四年:2011/10/07(金) 02:11:43.39 ID:QRq5egPR
景虎が戦上手なんて逸話ですら聞いたことないぞ
実際の戦績見てもお察し
18人間七七四年:2011/10/07(金) 10:34:30.29 ID:5q/eQj6z
謙信健在時に軍役無かったぐらいだもんな。
19人間七七四年:2011/10/07(金) 16:52:43.93 ID:lBmsTWUL
手勢がなければ功績の挙げ様もないけどな
20人間七七四年:2011/10/08(土) 00:44:02.11 ID:Q3DGx6eI
御館の乱最中の文書を見ても戦闘経験値があんまあるとは思えないな
21人間七七四年:2011/10/08(土) 09:25:44.91 ID:F4Ezfku7
どの辺が?
22人間七七四年:2011/10/08(土) 14:54:09.94 ID:0bQV9l8L
    この辺が →
23人間七七四年:2011/10/08(土) 23:35:24.21 ID:pVFVSiLO
>>20
景勝信者乙
24人間七七四年:2011/10/13(木) 20:01:39.70 ID:ZtEzudSc
>>8
仇敵北条の一族に与して殺されるとかよくわからんな
25人間七七四年:2011/10/16(日) 23:10:34.84 ID:6gm8j4cO
北信濃での攻防が決定的だった
26人間七七四年:2011/10/17(月) 00:51:19.26 ID:ty8+M/p/
謙信も同盟破綻でいらないbut憐れ&北武蔵領有権で帰せないなら古志長尾(上杉)へ養子やれ
27人間七七四年:2011/10/17(月) 01:55:16.31 ID:pZB+rXpg
古志は可愛い長親が貰ってるからもう満席です
28人間七七四年:2011/10/17(月) 21:52:11.08 ID:kfVWXuKg
アッ────── !!!
29人間七七四年:2011/10/26(水) 21:55:04.63 ID:fLUq1Cjn
カゲトラアッ────── !!!
カゲカアッ────── !!!ツ
30人間七七四年:2011/11/01(火) 22:17:06.58 ID:/I09kAm1
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)
31人間七七四年:2011/11/07(月) 23:30:41.33 ID:xeIzufuT
32人間七七四年:2011/12/08(木) 12:55:54.36 ID:NGT7brF+
立て直しのためにもう少し北条の支援を受けやすい地に拠点を移して
まずは割拠を目指すとか、そういっった軌道修正はできなかったのか?
33人間七七四年:2011/12/08(木) 13:04:39.94 ID:DquYqvIu
鮫ヶ尾城に移りましたが時すでにお寿司
34人間七七四年:2011/12/23(金) 15:39:19.78 ID:6EoD6n7V
景虎はどの辺で妥協を図るべきだったか、またそれはいつ頃がリミットだっただろうか
35人間七七四年:2011/12/24(土) 00:49:55.64 ID:GLo3Pn13
景勝が山内上杉当主&関東管領を望む前
あと古志
36人間七七四年:2011/12/24(土) 12:12:05.21 ID:TRreI9lZ
北条がちゃんと援軍送ってやれや 1000でも2000でも役に立ったろうに
37人間七七四年:2011/12/24(土) 22:40:12.57 ID:fYbK4JvD
だから氏邦が越後に入っていると何度行ったら
煽るなら千や二千でも、ではなく一万でも二万でも、だな
38人間七七四年:2011/12/24(土) 23:18:32.10 ID:g3kMNKF8
鮫ヶ尾は信濃逃走準備だったんじゃないの
一応仲介者だし実妹はいるし
現実には景勝と盟約済みだったわけだから
状況把握の甘さはここにも出てるな

とはいえ他に選択肢はなかったかもしれん
中越との連絡は早くに絶たれて栃尾との糾合は無理っぽいし
そもそも春日山を攻撃した時点でバッドエンド確定してたぽ
結果論だけど
39人間七七四年:2011/12/25(日) 01:10:49.53 ID:Sixek1pa
景勝の手の打ち方が早すぎて北条軍と合流できなかった時点でもう詰んでる
でも弟の命で上野を無傷でゲットした北条にとっちゃ
三郎は無理して救う必要もなかったんだろうな
そこがなんか不憫だ
40人間七七四年:2011/12/25(日) 01:46:16.98 ID:sZfVogJz
おいしいかったと思いきや武田に全部取られちゃったけどな
41人間七七四年:2011/12/25(日) 22:41:03.44 ID:mHtiKxF9
おいしかったのは西上野だけで
元から持ってたとこまで取られちゃったな

尤もその武田も身内だけが肥え太る上野攻略にかまけてたせいで
信濃国人衆にあっさり愛想尽かされたが
42人間七七四年:2011/12/26(月) 11:37:43.59 ID:Ce+i8Inf
謙信公から景勝に代替わりしたときの凄まじい国力の低下に驚愕
43人間七七四年:2011/12/26(月) 14:15:12.52 ID:XvMVG3DQ
>42
そりゃ景勝が景虎と和睦せずに殺しちゃったからな
景虎に味方していたところがすべて敵のままになったらそうなるわ
44人間七七四年:2011/12/26(月) 14:28:34.44 ID:bGJkFhYB
>>42
矢田俊文氏の論考をお読み下さい
45人間七七四年:2011/12/26(月) 16:19:21.78 ID:wEUFfWEO
景虎生かしておいたらどう考えても雪解けと同時にまた北条軍の侵攻とバトルするはめになる件
神余も北条毛利も景虎死んだら和睦申し出てきてるし生かしておく理由が無さ過ぎるw

自分と家族の命引き替えに越後に北条を呼び込み
上杉弱体させたんだから最後の最期に景虎はいい仕事したな
46人間七七四年:2011/12/31(土) 23:24:05.59 ID:Uv+eHTIq
上杉景信も割と早い時期に討ち取られちゃったんだよな
47人間七七四年:2012/01/01(日) 01:02:10.72 ID:8rl0aKCp
70そこらの年寄りが無茶するからだ
48人間七七四年:2012/01/03(火) 18:48:52.91 ID:S/daD5t8
結果論にもほどがあるけどやはり相模・伊豆の北条の子が越後の人間を
押しのけて越後国の跡継ぎになるのは反発が多かろう
景虎はあっさり景勝にすべてを譲り、相模に帰れなかっただろうか・・・
49人間七七四年:2012/01/03(火) 19:16:42.40 ID:JBy6RCvo
景勝を山内上杉当主と認め忠誠を誓うことで後北条家本家を奪い取るのだ






実際は謙信すら無理なことを養子どもができるわけないし、根本的な元凶である上田古志の対立が残ってるからな
50人間七七四年:2012/01/03(火) 21:18:29.50 ID:Asqfdqoj
幻庵が死ねば小机領の継承権を主張できたな
まあ死ななかったわけだが
51人間七七四年:2012/01/04(水) 01:48:54.34 ID:iVM8cdVk
勝頼が素直に景勝方攻撃して、景勝に勝っても上田衆はそれこそ全滅するまで戦いそうだし、
阿賀北衆も他方に接近したり独立しようとしたりするだろうなあ
独力で何とかする力は(少なくとも乱直後の)景虎にはないだろうし、そのへんの鎮圧をまた武田さんヨロシクだといい加減ブチ切れそうだ
景虎上杉・武田・北条の東国同盟というのは夢はあるけど実現性はやっぱり低そうだ
52人間七七四年:2012/01/04(水) 06:09:10.58 ID:oyJppRH+
武田の落ち度みたいな言われ方を散見するけどさ、北条も北条で武田に対して
内情とか安全保障とか北条にとっての武田の価値とかそういったものに鈍感
だった観は否めないと思うんだよね
53人間七七四年:2012/01/04(水) 08:02:45.15 ID:U1gUPFyy
>>223
景虎に若い頃の謙信みたいな能力があるか、
まともな指揮官がいればよかったんだが、
訓練された景勝に死角がなさすぎるよね。
54人間七七四年:2012/01/04(水) 10:39:14.77 ID:MhUR08/4
謙信みたいにガンガン自身で出馬して指揮を取って
鮮やかな手並みで序盤の戦闘をいくつか制して景勝より能力高いとこ見せたら
少年時代の謙信のように兵を集められたかもしれん

相手側の景勝が晴景と違って用兵普通に優秀だしちゃんと戦闘にも出てくるから
謙信晴景の対立より難しいだろうが
55人間七七四年:2012/01/05(木) 10:21:21.81 ID:OT7W5tHm
そもそも伊勢北条の者って時点で長尾上杉の家臣には敬遠の対象じゃないかね?
だから景虎は外に助けを求めた訳で
56人間七七四年:2012/01/05(木) 11:25:42.58 ID:7zK7Rbr+
ああ〜〜 謙信公がもうちょっと長生きしてたらなあ〜〜
景虎をどうするつもりだったかはいろんな説があるけど、
けっこう景勝よりは景虎を高く評価してた気がしない?
57人間七七四年:2012/01/05(木) 11:39:59.29 ID:jRgVNVFu
見限られた感が強い
58人間七七四年:2012/01/05(木) 11:45:50.93 ID:nrRs6Eci
>けっこう景勝よりは景虎を高く評価してた気がしない?

申し訳ない、個人的にはそんなに。
何らかの手駒として使おうとしていた節は見受けられるが。
59人間七七四年:2012/01/05(木) 12:14:55.41 ID:7zK7Rbr+
>>58
うぐっ?! 弟と油断させておいて兄を暗殺する、鉄砲玉にするつもりだったのか?!
えげつねえ えげつなさすぎるぜ謙信公
60人間七七四年:2012/01/05(木) 13:30:15.75 ID:wrJNm4Q2
>>59
景虎を養子にするのと上野の統治権はセットだったので、
同盟破綻したあとも上杉は景虎を北条に送り返すことは出来ずに一門にしておくしか無く、
北条も上野の領有権をおおっぴらに主張できない双方にとって歯がゆい状況になったとか
61人間七七四年:2012/01/05(木) 14:19:44.26 ID:OT7W5tHm
景勝:姉の実子
景虎:人質を名義上息子としているだけ

仮に景勝が愚鈍だったとして、万に一つも景虎に長尾上杉を任せる可能性はない
家臣にしても景虎押しは自殺行為と言っても良い
62人間七七四年:2012/01/05(木) 17:39:57.70 ID:CrKjC/Pa
あくまでも景勝が健在ならありえんだけで、
仮に景勝が病死とかなら普通に後継者一番手だろ、他に適当なのいないし。
63人間七七四年:2012/01/05(木) 18:21:10.15 ID:CSam6rNa
上条にお鉢が回ってくるんじゃね?
上条上杉なら越後守護輩出する家柄だし一門衆でも景勝に次ぐ位置だろ
64人間七七四年:2012/01/05(木) 18:40:52.21 ID:7ezpPCog
>>46-47
景信って高齢で亡くなってるけど実子がひとりもいなかったの?
この人自身も自己主張が少なくて淡白な人って印象があるけど
65人間七七四年:2012/01/05(木) 20:40:37.54 ID:ONZFcwWy
>>64
御館の乱で戦ったのは景信じゃなくて信虎。
66人間七七四年:2012/01/05(木) 21:32:31.97 ID:nglun45U
>>60
ならそれこそ村上のように上杉分家のどっかに出してしまえば判りやすかったが
景勝が通字の位置を引き下げられてるのが更にわけのわからなさに拍車をかけてる
陣代説はおもしろいけどイマイチ根拠は弱いな

定勝の定は八条系からかね
67人間七七四年:2012/01/05(木) 21:39:33.36 ID:nglun45U
十郎父子と弥五郎父子は紛らわしすぐる
68人間七七四年:2012/01/05(木) 21:52:26.28 ID:nglun45U
>>63
あれも中身畠山だから仮に謙信も信長も死ななかったら畠山に戻させて
旧臣二分して争ってたんじゃないかね
69人間七七四年:2012/01/06(金) 00:57:26.21 ID:QWwUFYcQ
山本寺も中身長尾なの?
70人間七七四年:2012/01/06(金) 02:12:04.28 ID:qrdv8HGD
景虎の長尾上杉継承は無理筋だったが、景虎の処遇自体が火種になって
妥協点を見いだせないまま引き返せないところまで行き着いてしまった

そして残されたのは上杉・武田と北条が相食むという織田にとって笑いが
止まらない状況
71人間七七四年:2012/01/06(金) 16:14:26.38 ID:VCytQFDz
>>66
直江景綱の偏諱を考えると謙信は景を最も重視してたっぽいんだけど
なんで景勝には頭に景を与えたんかね…
上田長尾の景じゃなくて謙信が与えた景の字なんだぜアピール?
顕景の名は明らかに上田長尾家の名前の法則だから外したかったにしろ
景虎と同列な印象を与える名になってるんだよな

信虎は虎の字を貰ったのか
72人間七七四年:2012/01/06(金) 21:45:34.91 ID:LlGsvaSg
道満丸もありえなくはないよな、
73人間七七四年:2012/01/06(金) 23:55:09.12 ID:cxkvXnjQ
府内長尾も*景だから
守護代として偏諱受ける立場

謙信の下で元服したわけだからその時点では守護代家後継という意識があったはずなと思うんだけど
上田には義景ってのもいたそうだし
74人間七七四年:2012/01/07(土) 00:06:16.25 ID:QuXaIQWu
長尾時宗って結局何者だったんだろうな。
75人間七七四年:2012/01/07(土) 00:55:49.28 ID:QxsdDAKn
今までは偏諱受ける立場だったから*景だけど
今は景のほうがえらいんだよ!つって景虎、景勝なんじゃね
76人間七七四年:2012/01/07(土) 01:04:43.27 ID:skXwxuhN
謙信も景勝も景*をそこそこバラ撒いたからそれはないと思う
77人間七七四年:2012/01/07(土) 01:20:22.48 ID:QxsdDAKn
てか長尾上杉に偏諱を与える立場の人間がすでにいないわけだから(将軍家や上杉家)
通字が頭にくるのが当然だわな
78人間七七四年:2012/01/07(土) 01:24:24.84 ID:skXwxuhN
為景は偏諱くれる人ヌッ頃しちまったんで
自分はついに貰わず仕舞い
嫡男のためにはわざわざ将軍からもらってきたと

頼めば正親町天皇も方の字くれたんじゃないかな
カネさえ払えばw
79人間七七四年:2012/01/07(土) 09:48:55.78 ID:23VN7y6d
三郎景虎は兵数では勝ってたはずなのに戦うたびに負けて
追い詰められていってるのがとっても残念だな
有能…だったのか?
80人間七七四年:2012/01/07(土) 10:18:34.22 ID:ccVa4Xb2
相手が景勝でなければ勝ってただろうね。
81人間七七四年:2012/01/09(月) 03:14:19.86 ID:WxKBgaDc
所領と旗本が無いという限界あったからじゃないかね
支持してくれる国人に兵を動かしてもらうか、もしくは他国大名に敵方を切り取ってもらうしか力が無い
他国の切り取り次第てのは長期的には利敵行為だから尚更調整力を必要とするし
そして一番問題として大きかったのが兵糧が無い><
82人間七七四年:2012/01/09(月) 03:35:07.65 ID:GBrwa99+
所領がなければ分けてもらうしかないからな
戦況がやばくなった冬には兵糧支援も打ち切られ気味という悲しさ
83人間七七四年:2012/01/10(火) 20:46:44.48 ID:+scz4xHl
一番やる気があったろう景信があっけなく討たれたからな
84名無し募集中。。。:2012/01/10(火) 21:29:59.94 ID:zGKa5hGG
討たれた十郎は信虎で
政景の婿の弥五郎は義春な

あと政景嫡男と言われた義景は政景の実子じゃない気がする
右京亮は上田嫡男の名乗りじゃなくて傍系っぽいから
85人間七七四年:2012/01/10(火) 21:42:35.57 ID:hVvpW1F2
>>84
十郎信虎って架空の名前だよね
86名無し募集中。。。:2012/01/10(火) 21:50:22.14 ID:zGKa5hGG
そいから謙信と戦闘員じゃねえや仙洞院が異母姉弟てのはもう定説となったんだっけ?
年齢差もさることながら政景夫妻は晴景系として動いてたことだし
87人間七七四年:2012/01/10(火) 22:01:13.77 ID:QtEph29h
>>85
一次史料に名前が確認できないけど、
『上杉家御年譜』や古系図では、
十郎信虎となっている。
対して御館で活躍した十郎を景信とする史料は乏しく、
なんで花ヶ前が景信に比定したの不明。
88人間七七四年:2012/01/11(水) 06:29:47.66 ID:JMyMDfFq
>>87
御家中諸士略系譜には載ってなかったけど、景勝公御年譜にあるの?
89人間七七四年:2012/01/11(水) 10:01:45.86 ID:O84AlbFW
>討たれた十郎は信虎で

前にもこんなレスあったけど、で結局この時に景信はどうなってんのよ
生きてるのか死んでるのか
90人間七七四年:2012/01/11(水) 10:17:58.36 ID:NfDSpG/j
そんなことは知らないが、
御館の乱で戦った十郎は
景信でないだろう。
91人間七七四年:2012/01/11(水) 18:45:36.46 ID:kNUFNq09
じゃあ誰なんだよ
92人間七七四年:2012/01/11(水) 21:12:03.51 ID:RQpVavTW
過去帳に無いなら御館前後で死んでんじゃないの
93人間七七四年:2012/01/11(水) 22:06:41.68 ID:aCfXrt2x
長尾氏の諱として「信虎」に違和感がある
94人間七七四年:2012/01/11(水) 23:15:20.49 ID:RQpVavTW
景信の信に帰ってきた虎で信虎
既に上杉の名籍なわけだしさほど違和感無いな
そもそも景信家は古志でも傍系じゃね
正嫡は豊前守名乗るから
95人間七七四年:2012/01/12(木) 00:08:55.37 ID:rihdkNF5
古志長尾は長親が貰っちゃったから信虎は上杉十郎信虎だろ
96人間七七四年:2012/01/12(木) 01:24:36.26 ID:sE+liE8d
佐野に入った虎房丸かな?
97人間七七四年:2012/01/12(木) 06:27:08.53 ID:Dq3WJeN3
>>94
>景信の信に帰ってきた虎で信虎
>既に上杉の名籍

「虎」は輝虎の諱であるのに、景信の(下の)諱である「信」の下に付けるのは当時の偏諱ルールとしてありえないでしょ。
越後上杉の名跡なら「房」「顕」「定」「朝」を使うでしょ。
98人間七七四年:2012/01/12(木) 07:30:55.84 ID:USZxHCj2
青岩院→虎千代=平三景虎→三郎景虎→十郎信虎
これなら舎弟扱いとして同格偏諱は有りうると思う
どっちにせよ信虎は前名がありそうだ

とりあえず政重→重光の逆偏諱よりは理解しやすい
99人間七七四年:2012/01/12(木) 07:32:52.96 ID:Dq3WJeN3
「信」を上に置く理由にはならないよ
100人間七七四年:2012/01/12(木) 08:48:55.46 ID:zlBkwLkN
>>96
虎房丸は御館の乱では佐野清左衛門尉として登場
ちなみに景勝方だそうです    (by 栗原修)
101人間七七四年:2012/01/12(木) 09:56:52.66 ID:rihdkNF5
信虎って名前なら可能性的には信濃から越後に来て
上杉景信の養子に入ったとかでもありそうかね
102人間七七四年:2012/01/12(木) 10:01:04.34 ID:sE+liE8d
信虎は寅年生まれなら普通にありえる名前じゃない?
謙信は虎の字だけ偏諱として誰にも与えてないでしょ。
制限のある字じゃないんだと思います。

>100
虎房丸は佐野清左衛門だったのですね。
ありがとう。
103人間七七四年:2012/01/12(木) 11:48:48.57 ID:YRGr66DA
小笠原貞虎(貞慶)は景虎の偏諱かとも言われてるな
104人間七七四年:2012/01/12(木) 21:21:13.36 ID:eiLIBg4R
>>102
「実名敬避俗」という概念を調べることをお勧めします。
主の諱が「輝虎」である以上、家臣は「虎」の文字を諱に使うことは避けます。
主から偏諱として授与されたときは上に置きます(鎌倉時代はその限りではないけど)。
織田信長存命中の羽柴秀長は「長秀」と名乗っていました。
前田利長も織田信長存命中は「利勝」と名乗っていました。
小笠原貞虎(貞慶)は偏諱の授与者である上杉輝虎(長尾景虎)・三好長慶と
同格以上の立場にあるので、授与者の下の諱を下に置いています(北条為昌も同様)。
親子兄弟の場合はそのような縛りはありません(通字)。
たとえ「虎」が「普通」の文字であったとしても、
上杉輝虎の養子ではない上杉十郎が「虎」を下に置くことはありえません。
上杉輝虎が「虎」を偏諱としていないのは、
長尾氏・上杉氏の当主として「景」又は「顕」を偏諱としていたからです。
105人間七七四年:2012/01/12(木) 22:15:51.38 ID:sE+liE8d
ありえませんと言われても、
『覚上公御年譜』や「本荘系図」には
信虎の実名が書かれてあります。
古志長尾の庶子が上杉を称しているのだから、
そこにありえませんとは断定できない関係が
隠されている可能性も全くないのでしょうか?
106人間七七四年:2012/01/13(金) 07:47:55.36 ID:drSdnrs/
『覚上公御年譜』や「本荘系図」を否定するような書き方をしたことはお詫びします。
しかし「本荘系図」は上杉三郎景虎を「北条氏秀」としているような史料なので信憑性に疑問を持っています。
永禄六年生まれの本荘顕長の母が上杉十郎信虎の妹ということより、信虎は景信の子かと思われますが、
そうすると、上杉家軍役帳や上杉家家中名字尽の時代、成人していた信虎がいるのにも関わらず、
父の景信が「十郎」という輩行で記載されることはないので(同時期に「十郎」が二人となってしまう)、
景信は既に現役ではなかった、ということになると思いますが、そうすると一次史料との兼ね合いはどうでしょうか?
107人間七七四年:2012/01/13(金) 09:35:06.85 ID:8NJoN/ZK
景信が現役な頃は信虎は十郎ではなかったで解決じゃね
108人間七七四年:2012/01/13(金) 10:20:07.66 ID:JuAU50XQ
つーか景信の現役時代って1560年代までぐらい?
109人間七七四年:2012/01/13(金) 17:55:05.40 ID:lFcj5sPz
もう誰が誰だかわからんくなってきた ややこしいぜ・・・
110人間七七四年:2012/01/13(金) 20:21:20.54 ID:2BDW1QQI
そこで古志十郎3人説が華麗に登場
111人間七七四年:2012/01/16(月) 10:42:57.69 ID:dZjrDLvU
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20120115/t10015280581000.html
景虎も投げられたんだろうか

んで数年後今度は景勝と一緒になって義春ブン投げるの
112人間七七四年:2012/01/16(月) 11:03:15.29 ID:5ZGDPr/I
上田長尾家には政景考案の婿の胴上げがあるだろう
あっちはちゃんと受けとめてくれるが

婿養子は投げるもの
113人間七七四年:2012/01/17(火) 03:06:26.42 ID:+rPDL4cP
吉良上野介をブン投げる千坂兵部
114人間七七四年:2012/01/19(木) 23:29:58.60 ID:/WtsjNrf
     |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
    /  `´  \
     ('A`)    そうだ!景虎にどっかの長尾家を継がせておくといいんじゃね?
     ノヽノヽ
       くく
115人間七七四年:2012/01/20(金) 01:16:48.27 ID:UQIfc1yt
それよりは関東管領-越後守護で役割を分けちゃったほうがいいと思うが
北条だって古河公方をお飾りにして生かさず殺さずしてるし
116人間七七四年:2012/01/20(金) 20:44:10.84 ID:fdxHyyPd
結局越後守護家の名跡は誰が継いだんだ?
117人間七七四年:2012/01/20(金) 21:09:43.09 ID:PryWlJll
十郎景信と言われているが、上の話では十郎信虎が継いだということでは?
118人間七七四年:2012/02/03(金) 21:47:02.43 ID:jDRsc2OD
むしろ景虎の存在がない方が上杉と北条、それに武田を加えた三家で
妥協点が見いだせる可能性もあったような気がしないでもない

武田が滅亡して、上杉が滅亡の縁にあって、恭順した北条だってじり貧に
持ち込まれようとしてたわけで、三家共倒れにすらなりかけてた
119人間七七四年:2012/02/04(土) 21:54:31.17 ID:QDUwRdV1
謙信は顕与えてん?この一体どこから出したんだろう
120人間七七四年:2012/02/09(木) 23:22:02.15 ID:m+aKXP5s
無茶な動員でジリ貧勝頼は結局大国上野に触手を伸ばすしか選択肢なかったろう
121人間七七四年:2012/02/28(火) 12:06:01.89 ID:H5IW6Tej
氏政はどうして見捨てたんだ?
兄弟なのに冷たすぎるわ
もし応援に駆け付けてたなら越後も北条のものとなり
秀吉に十分対抗できたと考えられる
122人間七七四年:2012/02/28(火) 12:16:32.58 ID:0igVvK5a
越相同盟破棄の時点で見捨ててるのに今更だわ
123人間七七四年:2012/02/28(火) 13:57:33.74 ID:wDt7qkWR
>>121
同盟者である武田勝頼を動かして、
氏邦が上野の景虎派を率いて越後に侵入してるんだけどね
これだけで三万以上の援軍だぜ

まあ関東に比べて優先順位が低くなってるのは反論の余地はないけど
124人間七七四年:2012/02/28(火) 16:13:45.48 ID:IHUMtpHJ
氏邦の援軍も秋にやっと来たと思ったら11月には「雪が降ってきたから無理ぽ」と帰っちゃうじゃないですかー
雪が降り出したら手出しできなくなるの分かってる話なんですから早く動いてくださいよー
おかげで景勝に各個対処されてるじゃないですかー
125人間七七四年:2012/02/28(火) 17:02:13.96 ID:wDt7qkWR
間が悪いんだよ
よりによって佐竹勢と対陣してる真っ最中に援軍要請なんか来てもすぐに対処できねーっての
あと冬期にゃ雪で三国峠が通行不可になるんだから、
補給線を確保するためにも孤立を避けるためにも撤退せざるをえない

武田を取り込んで各個撃破した景勝の手腕を褒めるべきだろうな
126人間七七四年:2012/03/02(金) 02:15:17.72 ID:hdGnG9+2
勝頼も上野進攻にかまけてて高天神見捨てて滅亡シナリオ突入したわけで
因果は巡る風車
127人間七七四年:2012/03/12(月) 19:08:25.19 ID:K4VGeYWV
ざまぁ
128荒らされたので、住人誘致中:2012/03/17(土) 21:43:09.31 ID:AnkonT8h
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
129人間七七四年:2012/03/17(土) 23:54:18.18 ID:pRLwnihg
弟といっても腹違いじゃたいして情も湧かないだろ。
現代人の弟に対する感覚とは大きく異なる。
場合によっては家督争いの原因になりうる邪魔な存在だからな。
まあ最近の世も遺産相続のトラブルで弟は邪魔な存在になりつつあるがな。
130人間七七四年:2012/03/18(日) 01:40:37.81 ID:5frpCDEo
とは言っても、他家に養子として出してるからな
他家の当主になるってことは、本家の相続権はほとんど無くなるってこと
余程のことがない限りはね
そういう意味で、景虎(ついでに言えば氏照・氏邦も)は家督争いの対抗馬たりえない
史実のように氏政・氏直に万が一のことがあれば北条家に残っていた氏規流が保険として繰り上がるから

他家で言えば徳川家のように、秀忠が秀康を差し置いて徳川の家督を継いだのも、
秀康が結城家を継いでいたのも一因だしな
131人間七七四年:2012/03/18(日) 07:17:07.42 ID:OP816x2Z
>>125
間が悪い?佐竹と対人してるから対処に遅れた?それは言い訳だわ
身内を見捨てるだけでもオカシイのに、援軍として武田を動かせばOKってのが痛過ぎるw
もし景虎が勝てば越後を統一し相模・越後が実質北条方のものになるのにな
氏康だったら隙を見逃さずにすぐに援軍を出しただろうに・・・
氏政には先を見る力が無さすぎる
132人間七七四年:2012/03/18(日) 07:59:13.42 ID:+pdYVjv3
言い訳じゃないだろ
実際鬼怒川での対陣は北条にとって重要な局面で佐竹結城壬生那須宇都宮大田原など結集して
北条の前進を阻んでいるしこれを放置したらまた関宿方面攻撃されて酒井あたりが離反して厄介になるだけ
援軍もちゃんと送ってんのに
133人間七七四年:2012/03/18(日) 11:29:35.31 ID:6kSj/zEB
氏政からの援軍はちゃんと越後に入っている。

しかし景勝の出生地である上田の抵抗が激しく、
おまけに雪まで降ってきて撤退せざるを得なくなった。
日本海圏育ちの謙信ですら越えられなかった雪の壁を誰が超えられるの?

撤退前には土地勘のある越後出身の北条景広を御館に送り込んでおり、
最後まで景虎支援を続けている。

北条軍は最善を尽くしたが、それでも景虎を救いきれなかった。

間が悪いとはそういうことだろ。
134人間七七四年:2012/03/18(日) 20:55:34.68 ID:SNUJsJET
勝頼がアホすぎて北条が被害被っただけだろう
135人間七七四年:2012/03/19(月) 01:16:55.49 ID:MlCRPlwI
>>129
見性院の悪口はそこまでにしてあげて
136人間七七四年:2012/03/19(月) 19:13:45.62 ID:Ivmhtwy3
>>131
北関東諸将連合とのまさに対陣中って短期的な間の悪さはもちろん、
謙信が越山して以降劣勢だった北関東情勢が二十年近くかけて
ようやく北条優位に傾いてきた重要な時期という長期的な間の悪さも測ったかのようなんだぜ

そんないっぱいいっぱいの中、同盟相手の勝頼を動かして、
上野の上杉諸将を景虎陣営に一纏めにして指揮権を確立して、
氏邦に越後入りさせてるのは、随分頑張ってると思うけどね

やっぱり勝頼がな・・・
撤退は已む無しとしてもせめてあんな阿呆な仲介さえしなければ・・・
137人間七七四年:2012/03/19(月) 20:42:55.05 ID:svvFOkO5
>>136
しかし新潟県史によると、勝頼が仲介して和議が成立した時期はすでに景勝側が巻き返して景虎側が劣勢になりつつあったとあるぞ
景虎にとっても和議は望むところだったとか
北条方は和議なんか関係なく越後への進軍を進めてたし、勝頼撤退後、北条の進軍を見て景虎優位と見て寝返った景勝方の武将もいる
138人間七七四年:2012/03/19(月) 23:25:24.95 ID:Cblfv0fC
戦力的に和議の斡旋しかできることのなかった勝頼を責めてもしょうがないね。
雪の降る前に越後に入れなかった北条の力不足が全て。
139人間七七四年:2012/03/19(月) 23:45:29.80 ID:vzUZERME
つうか金貰って兵撤退させて北条には何の申し入れなしって北条への関係を緊張させたいといってるようなもんだろ
北条は上野諸侯を調略して越後に派遣し伊達や葦名も味方につけ援軍要請し氏邦も送るなどかなり本格的に支援してるのに
流れを変えたのが勝頼が買収された事
つうか坂戸攻めてるから普通に越後行ってるんでないの?
北条アンチは基本的に反北条勢の状況を理解していない基地外
その時期南奥州連合や反北条連合の形成により関東情勢は大きくかわりつつあったんだから
放置したら逆戻りになる可能性だってある
140人間七七四年:2012/03/19(月) 23:54:21.36 ID:Cblfv0fC
それには買収されたのが事実かどうか証明しないとね
出兵も長期に渡り駿河は徳川に攻められてるのを放置しての軍事行動だから
今のところ撤兵時期としては妥当かよく粘ったとしか言えないね
141人間七七四年:2012/03/20(火) 00:07:38.86 ID:7WuUs/vO
>出兵も長期に渡り駿河は徳川に攻められてるのを放置しての軍事行動だから

上野攻略の話かと思ったw
そういや高天神城は駿河じゃなく遠江でしたね
142人間七七四年:2012/03/20(火) 00:20:28.94 ID:tSA5jBZJ
まあだから、勝頼の撤退自体はしょうがない
問題なのはその和議がすぐさま破綻するようなものだったってこと
加えて和議を斡旋した勝頼の顔に泥を塗る行為であるにもかかわらず勝頼は何もしていない
そら変に勘ぐられても仕方ないだろ

景勝はしたたかだった
氏政はあの状況下で出来ることをした
それだけの話
143人間七七四年:2012/03/20(火) 05:41:33.78 ID:TtZhwar9
武田氏の最新の研究論考とか読んでんのかお前ら
未だに買収なんて言ってんのかよ
盲目的な景虎ファンは勝頼のせいにしたがるけどよ
144人間七七四年:2012/03/20(火) 08:48:02.29 ID:7WuUs/vO
最新の研究論考って設楽が原は鉄砲が勝敗を決したわけじゃなく
単なる統率ミスから陣形崩したことによる自滅だったとかいう話か?
145人間七七四年:2012/03/20(火) 09:04:08.86 ID:TtZhwar9
御館の乱の話からなんで設楽が原の話にとぶんだろうかね????
146人間七七四年:2012/03/20(火) 09:07:24.55 ID:7WuUs/vO
そりゃ勝頼転落ストーリーの始まりからクライマックスだからだろ
尤も始まりは織田の同盟申し入れを愚かしく真に受けて戦端伸ばしきった時に始まってたのかもしらんが
147人間七七四年:2012/04/09(月) 18:38:37.75 ID:NxD9ODsz
景虎が勝つというシナリオがどうも現実味に乏しく感じる
地力で遅れを取っているし、継戦能力も日を追うごとに外圧頼みが顕著に見える
148人間七七四年:2012/04/18(水) 03:35:00.29 ID:BzNxdZTj
序盤に上條城を落としたという話がどうも疑わしい
春日山攻略に戦力集中させていた景虎方にそんな余力があったとは考え難い
上条だから義春の持ち城だという先入観がありすぎるように思える
149人間七七四年:2012/05/02(水) 13:59:29.69 ID:aEZVzX1i
養祖父の憲政を攻め殺す天下の不義者上杉景勝
150人間七七四年:2012/05/02(水) 14:48:46.41 ID:1NNxqRS6
名前に勝と付くのは愚か者のみ
これ定説
151人間七七四年:2012/05/02(水) 19:20:58.96 ID:5kuYBwGE
お家を乗っ取られた氏勝さんをディスるの禁止で
152人間七七四年:2012/05/03(木) 17:13:51.01 ID:ofTYnaff
本多忠勝「」
153人間七七四年:2012/05/03(木) 18:18:48.57 ID:YDAW1rsX
蜂須賀正勝「」
154人間七七四年:2012/05/04(金) 01:27:09.26 ID:mlfs9ZEW
酒井忠勝「」
155人間七七四年:2012/05/06(日) 12:25:53.12 ID:6nsLpufQ
勝鹿北斎「」
156人間七七四年:2012/05/06(日) 12:34:59.60 ID:RvpkYr1r
実際、景勝側が大金を武田に譲渡した話は一次史料にはないとか。
157人間七七四年:2012/05/06(日) 14:04:54.18 ID:ARmTuzny
だから大炊介と釣閑斎が着服したって言われちゃうんだよ
158人間七七四年:2012/05/06(日) 17:41:12.19 ID:c8PLgMCN
>>156
景勝の取次だった新発田らが、武田へ和睦の締結ににいくらかの金品を送ってるけど、当時の慣習として当然のものとされてるね
その後、武田側が上杉に金を要求してる書状があるけど、これは菊姫の結納金とするのが有力な説になってる
確か若手の気鋭の武田氏研究者の指摘だったよね
現在ではこれが定説になってるんじゃない
159人間七七四年:2012/05/06(日) 20:49:47.57 ID:cMoJlnVo
御館の乱関係は武田北条系の若手研究者が頑張ってる
160人間七七四年:2012/05/07(月) 00:37:12.83 ID:tulxTbk5
具体的な論文タイトルは?
161人間七七四年:2012/05/12(土) 17:20:16.58 ID:RCUO9sKM
北条軍は扇谷上杉軍の籠る深大寺城をパスして河越城を直接攻撃したとか。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html
162人間七七四年:2012/06/02(土) 23:57:59.76 ID:4ynoTn2B
鮫ヶ尾城主・堀江宗親の謀反に遭って、自害を余儀なくされた。享年26とされる。
163人間七七四年:2012/06/05(火) 13:12:55.71 ID:b1v88K6u
>>158
大金に目が眩んだとかいうアレは北条の流言だと思う
本当糞だよ北条は 自分らの不手際から愛想つかされた責任を相手に転嫁するんだから
164人間七七四年:2012/06/06(水) 13:51:41.22 ID:jR2qgCUU
軍艦は北条が書いたのか知らんかった
165人間七七四年:2012/06/06(水) 16:43:28.77 ID:zQG6unLM
都合いいところだけは軍監頼みの北条ワロタw
166人間七七四年:2012/06/06(水) 17:27:33.25 ID:aTQgTH6I
悪いことは全部北条のせいにするのは気楽でいいですね
167人間七七四年:2012/06/06(水) 18:30:33.52 ID:zQG6unLM
そうやって現実逃避するのは北条らしくて無責任ですね
168人間七七四年:2012/06/06(水) 19:43:02.87 ID:aTQgTH6I
大金に目が眩んだのは北条の流言

それのソースは軍鑑

都合のいい事は(

無責任なのはどっちだよ
169人間七七四年:2012/06/06(水) 19:46:34.61 ID:RKcfrLoA
北条の分際でなに武田の軍監に頼ってんの?
170人間七七四年:2012/06/06(水) 19:52:52.31 ID:RKcfrLoA
本当北条は無責任だよな
自分たちのいいわけを他人に代弁させようとするんだから
何もかも人任せ 御館で見捨てられたのも納得だわw
171人間七七四年:2012/06/06(水) 22:35:10.93 ID:jR2qgCUU
北条の言い分垂れ流しちゃうくらい
諏訪勝頼は武田家中みんなに忌み嫌われてた

まで読んだ
172人間七七四年:2012/06/06(水) 22:40:36.63 ID:KOnOuboT
これ自演?
173人間七七四年:2012/06/07(木) 09:06:14.65 ID:zSomTRz1
北条は武田配下まで読んだ
174人間七七四年:2012/06/07(木) 12:54:22.02 ID:3p730OoG
馬鹿な大将敵より怖いってコーサカがゆってた
175人間七七四年:2012/06/07(木) 18:39:48.09 ID:zSomTRz1
甲陽軍鑑を熱心に読む武田配下の北条であった
176人間七七四年:2012/06/07(木) 23:18:31.33 ID:OO1uiFtl
御館の乱で北条が大軍を送れば上杉は詰んでいたんじゃないのか
177人間七七四年:2012/06/07(木) 23:23:06.97 ID:w9K0Unat
いや送ってるし
氏邦+上野諸将
いっつもこういう話題になると送ってないと妄想するアホが沸くが
178人間七七四年:2012/06/07(木) 23:33:16.79 ID:OO1uiFtl
>>177
大軍なら確実に勝ってたはず
179人間七七四年:2012/06/07(木) 23:41:35.90 ID:inZScU/X
>>177
戦力になってない件について

確かに雪が積もるとジリ貧だから北条勢が撤退したのは間違った判断ではないけど
180人間七七四年:2012/06/07(木) 23:48:43.13 ID:w9K0Unat
北条軍は坂戸方面を激しく攻撃してたじゃん
厩橋北条や他上野諸侯を先に派遣し氏邦本軍も越後方面へ進撃
これだけでも相当な数じゃないの?
181人間七七四年:2012/06/07(木) 23:53:11.10 ID:OO1uiFtl
上杉は二分
勝頼は信濃で静観
この状態で北条軍が加わって勝てなかったのが不思議
182人間七七四年:2012/06/08(金) 00:22:15.26 ID:UybD+u7K
送ってはいたが時期が遅すぎ。雪が降るの知らない訳ではあるまいし。
183人間七七四年:2012/06/08(金) 00:43:09.73 ID:+hTNJ5WH
強引に三国峠を越え(雪で帰れない)、越後で「乱捕り」を許すことで越後国内で戦う手もあったと思う
184人間七七四年:2012/06/08(金) 02:28:03.42 ID:YuT8L9d0
>>183
一応上野の景虎派諸将、例えば北条(きたじょう)なんかは越後で越冬してるよ
冬期で坂戸とかあの辺りで万余の兵糧は確保は乱捕りしたって難しいかと

>>182
だから何度も何度も繰り返し書いているけど、
絹川で佐竹ら北関東諸将と対陣の真っ最中だったんだよ
それに蹴りをつけつつ、上野の上杉諸将を懐柔して、その間隙を埋めるのに武田に出征をお願いをしてるるんだから、
やることはやってる
185人間七七四年:2012/06/08(金) 04:11:22.25 ID:+hTNJ5WH
>>184
説明サンクス
186人間七七四年:2012/06/08(金) 04:59:29.72 ID:ugJa8Pl4
北条の失策というよりは景勝に上手く立ち回られたとしか言い様がない
187人間七七四年:2012/06/08(金) 07:02:45.60 ID:+hTNJ5WH
歴史のif

北条氏康の七男・上杉景虎が北条の援助で御館の乱で勝利していたら、
北条家に頭が上がらない上杉家になっていたのだろうか???
188人間七七四年:2012/06/08(金) 10:05:46.09 ID:Zi7CLT8b
北条はもともと戦下手
駿河攻めでは相手よりも多くの兵を投入するもさんざん翻弄され本拠地まで攻撃食らう
御館では武田を頼みに上杉に挑むもまるで歯が立たずあまりの不甲斐なさに見捨てられる
天正壬午の乱 少数の徳川にボコボコにやられ美味しい所全部とられる

本当糞弱い よく小田原征伐まで生きてられたねってレベル
それまで武田上杉が防壁となってくれてた恩を忘れた罰 無道ものの末路だ
189人間七七四年:2012/06/08(金) 10:59:55.48 ID:3vEiLSoj
坂戸山を落とせない北条軍が越後に入っても邪魔なだけ。
御館で北条と景虎で主導権争いが起きて内部分裂だろ。
190人間七七四年:2012/06/08(金) 14:52:39.36 ID:V1jd8lux
伊達も芦名も普通に撃退されてるし北条が弱いというより上杉が強いだけだろ
191人間七七四年:2012/06/08(金) 17:55:25.72 ID:YuT8L9d0
>>188
百戦して百勝する必要はない
ここぞという所では勝つし、勝てないまでも完敗したことは無いしね

ええ、負け惜しみです
192人間七七四年:2012/06/08(金) 20:47:46.58 ID:rZI2lDM2
完敗する前に撤兵するてのが北条の軍法だからな(嘘

新たに旗下に加わった者のためのサポートの軍事示威行動はきっちりやる
御家騒動にはきっちり付け込む
これで漸う領土増やしてきたわけで
身内の都合は後回しになって氏邦がぶーぶー言うのは致し方無い
193人間七七四年:2012/06/08(金) 23:53:06.75 ID:UybD+u7K
関東から出るとチワワになるのは北条の特徴だな
武田の西征に援軍に行って大勝している武田軍を尻目に二俣城で壊滅している
北条派遣軍とかは涙無しには語れない。
早期に全力出動していればまったく違う展開になっただろうに、関東優先主義にも程がある
194人間七七四年:2012/06/09(土) 11:02:18.99 ID:YEH5g6n0
武田上杉が北条の防壁って…
毎年のように侵攻されて同時に関東諸大名とも攻防しなくちゃならんのに
防壁も糞もない
ただの害でしかない
195人間七七四年:2012/06/09(土) 11:23:42.23 ID:aZHq/Itj
そんなんだから秀吉に滅ぼされるんだよw
196人間七七四年:2012/06/09(土) 11:24:59.71 ID:YEH5g6n0
兵力比7.5倍なんだから勝って当たり前
197人間七七四年:2012/06/09(土) 12:19:20.94 ID:aZHq/Itj
徳川も一人で秀吉と戦ってたというのに北条ときたら何をしていたのやら
関東で芋掘りでもしてたんですか
198人間七七四年:2012/06/09(土) 14:21:13.60 ID:ek0FCsNn
>>197
小牧長久手の時の秀吉の勢力が、北条攻めの時と同じとは知らなかったなあ

あと信雄や、後方を撹乱してた佐々成政や長宗我部元親、紀州の地侍なんかも数に入れてあげてください
彼らが秀吉軍団を一部を引き受けていた功績は間違いないんだから

あと北条はその時、小田原の役で北条を後背から脅かした北関東諸将と沼尻で対陣中です
彼らの動きは秀吉との連動が指摘されてます、実際この時期は既に外交ラインはあったしね
また北条もさっさと片付けて家康に援兵を送ろうとしています

で、何の話でしたっけ?
199人間七七四年:2012/06/09(土) 15:14:35.34 ID:XfUmQ+iz
包囲網敷いてもって長宗我部は四国平定に手間取ってて
毛利も四国上陸してたから秀吉の後ろ付くどころじゃなかったし
佐々も前田と丹羽が抑えてたし蜂起するのは夏になってからだし
雑賀なんて大した軍勢もってないし毛利も上杉も木曽も宇喜多も大友も佐竹も味方
北条も家康の後ろを付くという風聞が垂れ流されてたし
おまけに石川もこの頃から秀吉と気脈を通じてたし
85年になると真田も小笠原も石川も水野も秀吉に寝返って譜代の離反によって軍事的機密が露見し圧倒的優位
200人間七七四年:2012/06/09(土) 15:15:58.81 ID:XfUmQ+iz
秀吉に同行していた渡辺清忠や桂横重が小牧山に陣替したときの人数を10万といっており
当代記、三河物語もこれと同じ数字
その他に伊勢方面を攻めている諸勢2万4000と美濃に残されている秀勝勢数千が存在するため
総勢で13万を超えると思われる
また尊禄以来年代記では秀吉は3月に大阪をたった時125000、八月には16万で尾張へ出兵した
また長久手合戦参加者の家記や家譜、合戦記などでも同じ数字が用いられている
そして陣立書や書状から>>7>>16>>24のように秀吉側は主要メンバーほとんど引きつれて短期決戦構想で
合戦に及んでいる事がわかる
201人間七七四年:2012/06/09(土) 15:16:53.77 ID:XfUmQ+iz
単に圧倒的兵力差があったから勝てただけ。島津も先鋒勢蹴散らせたし
北条も支城に配した兵が少なかったからあっさり陥落したが本城は余力ありまくりの状態での降伏だった。
逆に秀吉側が兵站維持できるギリギリの所まで追い込まれてたくらいだった。
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)
佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、
松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
202人間七七四年:2012/06/09(土) 15:18:21.95 ID:XfUmQ+iz
小田原合戦時の陣立書で全国から215000も動因してる上にこれに佐竹結城里見宇都宮など反北条軍2万
が加わるから235000。
それに対し北条は毛利家文書の北条家人数覚書でわずか34500。
秀吉書状で2、3万。
兵力比7.5〜11倍もあるんだから勝って当たり前

そんな戦闘で一柳や堀尾嫡男・前田重臣が戦死し、韮山500や忍城1000に大苦戦し
小田原1200程度に手も足も出なかったのが秀吉。
はっきりいって勝てたのは家康や上杉・真田・依田、佐竹・宇都宮などが味方だったおかげ。
203人間七七四年:2012/06/09(土) 15:20:58.54 ID:c/cxgQAu
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める→定説
・三木城攻略に2年も費やし、当時竹中重治と双璧といわれた谷を戦死させる→兵庫県史通史編
・ 熊見川で宇喜多、大友、南条、河野等にボロクソに負ける雑魚毛利にボロクソに負ける→毛利家日記、荻藩閥閲禄、相曾寺書状
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される→毛利から書状がなかったっけ
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる→これは知らん
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する→定説
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、 光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの
法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )→日本戦史山崎役・小早川家記
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で後ろから襲って反撃され、逆に撃退される
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる→定説
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる→3/3柴田→填島げんばあて書状
・わずか16000〜17000ほどの信雄・家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる→常識
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される→小牧陣始末記
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される→一次資料
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に2〜3万で攻めて散々手こずる→一次資料
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条に対し まともに倒せず
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・わずか500しか兵がいない伊豆韮山城を3万で攻めて3か月近く手間取り、重臣一柳直末を戦死させる
・わずか300程度の伊豆山中城攻防戦で重臣始め大多数の被害を出し大苦戦する
・わずか1000ほどしか兵がいない忍城を3万で攻めて落とせない
・わずか1000程度の小田原城に手も足も出ない
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
204人間七七四年:2012/06/09(土) 15:45:00.71 ID:c/cxgQAu
徳川方は春から特政・信雄領国は伊勢のみならず尾張でも会戦当初から寝返り続出と不利な条件だった
夏の対陣のときでも徳川方は兵の半分を返していて(家忠日記)
総勢小牧山総力一万足らずだったとある(当代記)
205人間七七四年:2012/06/09(土) 15:47:09.26 ID:6gfAXYq9
晋叟寺文書
天正6年8/21
今度播州上月之城従芸州被催候処、
自京都為後巻信長代官羽柴、荒木被差出、去六月21日来之、鉾盾削、就中為
虎御粉骨之被合戦於鑓下、彦六兵衛遂討死、其他京勢数多討死、

秀綱(花押)

晋叟寺 衣鉢閣下

手元にコピーがないが毛利家日記や荻藩閥閲禄にもちゃんとある

秀吉厨涙目の驚愕の事実w
206人間七七四年:2012/06/09(土) 16:13:13.58 ID:eOMxUFhA
こんな僻地にもキチガイは来るのか
207人間七七四年:2012/06/09(土) 16:18:21.65 ID:6gfAXYq9
>>205
美作戦線でも宇喜多単体で戦ってた時期は国力差4倍の毛利と互角かそれ以上の戦いをしてたのに
秀吉が加わりだす時期から負けが込んでくるね
祝山攻防など。いかに秀吉がゴミクズレベルの雑魚だったかわかる
208人間七七四年:2012/06/09(土) 17:46:50.20 ID:VI9lph/L
武田上杉徳川「北条は糞弱くて本当につかえねーな!」

北条「・・・」
209人間七七四年:2012/06/09(土) 18:46:06.28 ID:/tXThcv3
秀吉が天下(形だけ)取れたのは光秀や信長が馬鹿だったおかげ。
信長が愚行を繰り返し謀反だらけで寡兵の光秀に瞬殺され、光秀もまんまと反逆者の汚名被ったから味方多く集まっただけ。

210人間七七四年:2012/06/10(日) 12:32:26.87 ID:+wQHPgqX
雪が邪魔したのが景虎側にとって不利だった
211人間七七四年:2012/06/13(水) 22:50:32.40 ID:1PvPajz5
邪魔したってか景勝及び越後勢は
雪が降り出したら北条や武田は
帰らざるを得ないこと織り込み済みで戦ってるんだから
雪を計算に入れてないんだとしたら馬鹿だぞ…
212人間七七四年:2012/06/14(木) 23:49:47.06 ID:BQ1uAtf3
『関八州古戦録』によれば、景虎は甲相同盟の一環として武田家に人質とされていたと
いう。一方で、『関八州古戦録』以外の確実な文書・記録資料においては景虎が人質と
して武田家にいたことが確認されず、近年では否定的見解が強い。また正確な生年も不明である。
213人間七七四年:2012/06/15(金) 06:22:37.44 ID:gceVYA7h
正確な生年は今福匡『上杉景虎』にも一次史料で出ていたが?
214人間七七四年:2012/06/15(金) 19:38:07.90 ID:OEOPkwkA
さすが牙一族こと北条族長

子供なんて人質要員でしかなく代わりはいくらでもいる
215人間七七四年:2012/06/16(土) 01:02:09.33 ID:beMshgAL
一次史料てあったっけ?
216人間七七四年:2012/07/05(木) 10:30:46.31 ID:wH4CqKkr
春日山城にて謙信の姪との祝言が行われ、正式に謙信の養子となり、彼の初名でもあった「景虎」の名を与えられる。
217人間七七四年:2013/02/22(金) 11:06:56.49 ID:7tHeoKuS
悲運
218人間七七四年:2013/09/13(金) 23:57:59.49 ID:66wCh9q6
よけっことしい
219人間七七四年:2013/12/11(水) 09:04:41.70 ID:wh/1NaHR
うるせえ
220人間七七四年:2013/12/12(木) 02:25:29.31 ID:5OYI1bif
でも、結局武田がカゲトラを助けて、上杉武田北条の同盟作るしか、織田に対抗する術はなかったんだよな。
北条が1番お得なのは間違いないが。
221人間七七四年:2013/12/12(木) 09:49:35.98 ID:r1oWmDbc
1番お得な北条にその気が無かったからしょうがない
222人間七七四年:2013/12/12(木) 11:35:18.92 ID:3NPaep6B
景虎を助けても、それだけでは織田に対抗できない
景虎は越後に地盤をもたない傀儡にすぎず、景虎派の諸将は反上田衆という点で一致してるだけの烏合の衆
上田衆を排除すれば、その後は主導権争いで新発田の乱以上の大乱になり、織田が付けいる隙を増やすだけだろう
それを避けるためには、越後に大軍を長期間貼り付けて景虎の統治をサポートする必要があるが
関東で手一杯の北条にそんな気概も実力もないのは史実を見れば明らか
223人間七七四年:2013/12/13(金) 02:06:05.32 ID:RC1mAJTQ
おう新書本で景虎が盟主になれば伊達も蘆名も北条も武田とも同盟して織田に対抗できるとか
盛り上がっちゃった伊東潤先生をいじめるのはやめてさしあげろ
224人間七七四年:2013/12/20(金) 14:34:57.91 ID:CG8EaBXx
分が悪くなると速攻越後諸将に見捨てられた三郎によくそんな夢が見られるもんだな…
225人間七七四年:2013/12/23(月) 14:59:23.77 ID:tIyWlVLb
【伊豆長浜城(静岡県沼津市)】
戦国時代の後北条氏の水軍根拠点、沼津市内浦湾に面する長浜城。
http://century660.sakura.ne.jp/castle/nagahamajyoh_model.html
226人間七七四年:2014/03/13(木) 16:35:06.55 ID:GjIyOqg6
一時史料とかは詳しくないけど、景虎が後継者だとしたら、
戦国時代の只中に殆ど戦闘経験を積ませないままにさせることなんてあるのかな
両後継者説ともに色々答えの出ない話ではあるがまずここが納得できない
227人間七七四年:2014/03/25(火) 20:07:04.86 ID:0sQTruc+
歴史は結果が全てであり、景勝が秀でていたから景虎は負けた
その結果を読めず動いた景虎は、それまでの男だったということ
意地を通し散るは美しい面もあるが、歴史的に褒めれる事ではない
恥を忍び生き残り野心を失しても、万人の為なる行いをすれば褒めれる也
228人間七七四年:2014/04/01(火) 23:56:37.70 ID:tOskXxXK
南部輝政
229人間七七四年:2014/05/19(月) 23:42:19.99 ID:uAmh6Ryw
仙洞院の生母は上条氏だったんでしょ?
230人間七七四年:2014/05/24(土) 21:45:15.62 ID:SrIWw+Om
武田勝頼は、御館の評価が分かれるからな〜。
景虎のために戦って、勝たせても景虎には越後を治める力はないから、
越後への出兵の連続で武田は疲弊する。どのみち、以後の出兵要請を断った時点で、
北条とは縁切りになる。確かに景勝から金は受け取ったが、
景勝側が提案したのは、あくまで、中立だ。武田が、それを飲んだのは、
北条勢が、越後への到着が遅れた理由もあるがそれ以前に、北条の兵力がたった2千だったこと。
ということは、越後では武田に戦わせようという意図がミエミエだったからだ。
最近は、勝頼の選択は正しいと考える意見も増えている。
お互いに余裕がないのはわかってたから、
乱後も、この甲越同盟は中立条約みたいなものだけどな。
231人間七七四年:2014/05/24(土) 22:02:57.95 ID:GB7LyiQv
なんでマルチ
232人間七七四年:2014/05/25(日) 19:19:55.15 ID:oiLOvlmT
ところで、越乃景虎は、上杉謙信の幼名?それとも、景虎のこと?
233人間七七四年:2014/05/25(日) 19:23:40.34 ID:oiLOvlmT
調べてら謙信のことだった。スマソ
234人間七七四年:2014/06/26(木) 13:43:42.98 ID:N873KyQt
だがチョン自演失敗ざまぁwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
235人間七七四年:2014/07/18(金) 22:41:59.68 ID:nh2X3lbz
>>234
チョンの自己紹介乙
236人間七七四年:2014/07/18(金) 23:26:58.12 ID:fdX4uoDh
御館の乱の景虎敗因は、どう見ても北条軍が景虎見捨てて撤退したせいなのに
勝頼ガーばかりで最初から北条がこうしてたらと言う奴いない不思議
237人間七七四年:2014/07/18(金) 23:31:07.44 ID:tCnzef1q
だから何度も何度も繰り返し書いているけど、
絹川で佐竹ら北関東諸将と対陣の真っ最中だったんだよ
それに蹴りをつけつつ、上野の上杉諸将を懐柔して、その間隙を埋めるのに武田に出征をお願いをしてるるんだから、
やることはやってる

一応上野の景虎派諸将、例えば北条(きたじょう)なんかは越後で越冬してるよ
冬期で坂戸とかあの辺りで万余の兵糧は確保は乱捕りしたって難しいかと
238人間七七四年:2014/07/18(金) 23:34:52.39 ID:W4ozeL04
北条軍は坂戸方面を激しく攻撃してたじゃん
厩橋北条や他上野諸侯を先に派遣し氏邦本軍も越後方面へ進撃
これだけでも相当な数じゃないの?
沼田城や樺沢城は景虎方諸侯にあっさり落とされてて
氏邦勢も坂戸方面を激しく攻撃してる
239人間七七四年:2014/07/18(金) 23:40:06.23 ID:fdX4uoDh
>>237-238
鬼怒川云々は北条の都合で勝頼には関係ないし
第三者の勝頼が徳川の進攻を放置して越後に出兵してるのに
当事者の北条がそのザマじゃ言い訳にならない


元々越後国人である喜多条高広を置き去りにして、北条本隊は撤退
おかげで高広の息子は寡兵での戦いを余儀なくされ戦死
高広も越後の所領を奪われ上野に敗走
不甲斐ない後北条を見限った高広は乱後に離反、武田に奔った事が武田北条の確執へ
どう見ても北条のヘボなのに勝頼が悪いみたいに語る北条厨は嫌らしい
240人間七七四年:2014/07/19(土) 00:17:53.61 ID:rnSmqL21
景虎を勝たせるのは勝頼じゃなくて北条の責任だもんな
241人間七七四年:2014/07/19(土) 00:31:36.54 ID:oTzBIBV9
御館の乱で景虎に勝たせたい
そういう妄想話を繰り広げたいのは北条厨だけ
そして北条厨は北条の非を絶対に認めないから勝頼が悪いて話になる
242人間七七四年:2014/07/19(土) 00:48:11.09 ID:SCo0IMMl
>>239
勝頼にとって隣国の情勢は死活問題で
北条との同盟継続や上杉との関係がどうなるかといった直接的問題なので
第三者でしかないというのは誤り。
北条は当時越後から遠く離れた鬼怒川で結城や宇都宮や佐竹や那須などの大軍と対陣中なのでそうそう簡単に援軍出せるわけがない。
しかし氏政はそんな状況でも氏邦や北条が調略した上野衆を越後に派遣し
沼田城や樺沢城をあっさり陥落させ
氏邦勢も坂戸方面を激しく攻撃してる
さらに氏政は伊達や蘆名にも景虎支援を要請し
伊達や蘆名もこれに答えて景虎方で参戦するなど、北条は景虎支援はきっちりやってる。
243人間七七四年:2014/07/19(土) 00:53:42.83 ID:9WuODJ2x
>>239
北条本体は越後から目とハナの先にある沼田に撤退しただけだし
それも越後での越冬の危険性を考えただけ。

上野の景虎派諸将、例えば北条(きたじょう)や河田なんかは越後で越冬してるよ
冬期で坂戸とかあの辺りで万余の兵糧は確保は乱捕りしたって難しいかと

北条は小田原からの遠征となると相当の遠路だから兵站の問題もある。
雪に閉ざされた地域に、自国の領内の兵総動員して長期間送り続けるのは非常に難しい。
ただでさえ関宿陥落・小山入城・房総平定で危機感を抱いて結束しだした佐竹結城宇都宮那須連合が絹川で立ちふさがってるから。
それでも北条は、上野国衆を調略し、派遣した上で坂戸方面を激しく攻撃してる
厩橋北条や他上野諸侯を先に派遣し氏邦本軍も越後方面へ進撃
これだけでも相当な数でしょ。
その上武田・伊達・葦名にも景虎支援の要請を行い、武田・伊達・葦名とも応えている。
244人間七七四年:2014/07/19(土) 00:54:09.31 ID:oTzBIBV9
>>242
佐竹や那須などの大軍というソースは?
軍記ではどちらも数千単位しか出陣してなかったはずだが
245人間七七四年:2014/07/19(土) 00:55:00.48 ID:W92qGKSI
雪の中で長期間小田原から遠路越えた先で大軍貼り付けるとか相当困難だろ。
それに北条国力約150万石に対し
反北条連合国力約100万石だから
北条が史実送った上野国衆+氏邦以上の兵を送ったら
反北条が勢いに乗って上野方面に攻めてきて、退路を断たれる危険すら生じる。
沼尻の戦いに奥州から援軍が来たように、この時期でも南奥州の洞から動員かければ
佐竹の軍勢はさらに増えるだろうし
史実にやった支援で手一杯なのが北条。
246人間七七四年:2014/07/19(土) 00:57:43.37 ID:jbUxYxo3
>>244
佐竹の勢力はこの時点で常陸ほぼ前後+奥州白川+下野の一部
これに反北条連合の那須結城宇都宮らが加わり
この時点だと下野は北条が進出した小山・榎本以外ほぼ全土反北条方。
だから下野ほぼ全土下総の一部常陸のほぼ全土と奥州の一部で
100万石オーバーする。
247人間七七四年:2014/07/19(土) 00:57:49.01 ID:oTzBIBV9
>>245
反北条連合国力約100万石のソースは?
248人間七七四年:2014/07/19(土) 00:59:53.13 ID:oTzBIBV9
>>246
は何一つソースを出していない
249人間七七四年:2014/07/19(土) 01:02:25.41 ID:oTzBIBV9
936 :人間七七四年:2014/06/16(月) 08:50:20.80 ID:QFK4LwTE
反北条勢力の石高の根拠をあげてくれ。
そもそも佐竹義重は南陸奥戦線で不利に立たされ、
天正7年についに白河義親に義広と娘を
人質に出して和睦するほど困難に面してたわけだがw
白河を佐竹が乗っ取るための養子に豹変変貌するのは、
白河の後ろ盾だった蘆名が弱体化するのは、盛氏が死去したもっとあとになってからだ。
250人間七七四年:2014/07/19(土) 01:02:29.34 ID:N704cD5B
>>247
そんなもん黒田や市村の本でも読んでたら
この時点の反北条連合の勢力圏くらいキッチリ書いてる。
常陸のほぼ全土、下総の一部(結城)下野ほぼ全土
奥州の一部(白川領など)で
軽く100万石突破する。
後に沼尻の合戦では会津鉄砲隊が援軍として来た様に
このときも奥州から援軍がきた可能性も往々にして考えられるし
そうなれば実質北条は150万石かそれ以上の敵を相手にする事になる。
251人間七七四年:2014/07/19(土) 01:03:06.21 ID:0zFbrxUV
佐竹・結城・宇都宮・那須連合は
下総の一部・常陸のほぼ全土・下野のほぼ全土・奥州の一部と計100万石前後はあるし
沼尻合戦の時だと南奥州の連合からも援軍が来たようだし
相当な規模の軍勢だろ。
天正6年〜7年頃の北条の国力はおよそ150万石前後だから御館の乱とニ方面戦争するとなると
御館方面に出せる兵力は、史実のように氏邦+調略した上野国衆がいい所ってとこだろ。
小田原から越後に長期間送るのは兵站や雪などの問題もあるし
252人間七七四年:2014/07/19(土) 01:04:58.23 ID:oTzBIBV9
944 :人間七七四年:2014/06/21(土) 13:25:42.07 ID:jFA7kggo
白河結城は、義重から4才の義広を人質に取り、さらに義重の娘とも養女とも言われている人質と結婚してるが、
白河結城は人質を佐竹に1人も送ってない。
周辺勢力の浅川や田村や結城を味方につけて佐竹に外交的勝利をもぎ取ってる。
さらに佐竹の源氏ブランドをも吸収して白河結城も源氏を名乗って
書状を出し始め独自外交もやっている。さらに佐竹から赤館の返還させてるな。
ちなみに石川氏も源氏。
武田滅亡後は名実共に最高の源氏名門となった佐竹による
源氏勢力の拡大が葦名にも及んだために秀吉の警戒を引き政宗有利な惣無事令が発動してる。

政宗が輝宗を暗殺したから佐竹の北上があり、
政宗が苦戦していた二本松城の開城も惣無事を聞いた田村が伊達に伝えて、
危機感を持った伊達から相馬が要請を受けて、奥州平和維持の自律的行動交渉で二本松畠山を開城させて平和を作った。
浅川大和守の佐竹へのたびたびの挙兵や田村清顕の白河城とその周辺の城々の奪取を受けて
佐竹は泥沼化したために白河が外交的に働きかけてきた結城晴朝らの調停交渉に乗らざるおえなくなり
白河側が一方的に有利な調停に屈伏してる
253人間七七四年:2014/07/19(土) 01:07:36.65 ID:oTzBIBV9
>>250
書名と石高の書いてあるページは?
254人間七七四年:2014/07/19(土) 01:16:03.41 ID:zzcBKQ0p
>>253
反北条連合の勢力圏は黒田の戦国北条一族や
市村の東国の戦国合戦にしっかり書いてるし
旧国の石高に換算して計算すると大体>>246の通り。
255人間七七四年:2014/07/19(土) 01:21:19.36 ID:oTzBIBV9
>>254
その具体的な計算式は?
256人間七七四年:2014/07/19(土) 01:32:07.05 ID:0zFbrxUV
常陸53万石中
佐竹はほぼ全土掌握
佐竹に従属していないのは南部の一部のみで全体の20分の1程度
よって大体49万石全土佐竹支配
下野37万石中北条方支配拠点は榎本・小山・壬生などほんの一部のみ
他は宇都宮那須初めほぼ全土反北条方
よって30万石前後は反北条方
下総では結城水谷らが反北条であり下総39万石中5万石前後は反北条。
これに奥州の白川領や南奥州連合の岩城や蘆名などが加わるので
100万石前後は行くだろ。
257人間七七四年:2014/07/19(土) 02:56:00.51 ID:2wbWGlHV
確かに蘆名も入れれば100万石前後は行くな
ただまあこの時期の蘆名は北条派だけども

常陸の佐竹もそこまで広いか疑問
鹿島郡行方郡新治郡信太郡河内郡辺りは範囲外じゃ
土岐小田辺りはこの時期は佐竹には従っていないはず
258人間七七四年:2014/07/19(土) 03:49:03.75 ID:QnrQJuvt
というか御館の乱(天正6年〜7年)の話なのに
その後の反北条が優勢になった時期の勢力圏を語って誤魔化してるね
沼尻合戦とか天正12年だし
>>249>>252によると、御館の乱の頃の奥州勢は到底反北条には含められない
そもそも乱に伊達蘆名は北条側で参戦してるし
>>257を加味すると
反北条は精々60〜70万石、しかも伊達蘆名にも備えねばならないから全力で北条に対せない

そもそも反北条が100万石でも北条には50万石の余裕がある事になる
越後40万石を二分して争う景勝に対し
北条50万石+景虎派諸将+伊達蘆名+8月後半までは武田軍もいる
常識的に考えて北条の楽勝でしょ
全く弁解になっていない
259人間七七四年:2014/07/19(土) 05:59:03.68 ID:NIwF/EdT
そもそも発端は
>>236の御館の乱の景虎敗因は勝頼と北条のどちらにあるかて話なのに
両者の比較もせず全力で北条擁護のコピペ爆撃

やはり菅沼遼太は北条厨
260人間七七四年:2014/07/19(土) 07:30:01.89 ID:vdjNulyk
結局、菅沼の脳内ソースか
261人間七七四年:2014/07/19(土) 07:57:27.36 ID:6LtVNd7A
>>258
北条の要請を受けた勝頼は5月末には信越国境に到着し、8月末まで律義に時間稼ぎしてんだよな
徳川の進攻放置で
一方、北条軍の越入は晩秋(旧暦9月で現在の10〜11月相当)

勝頼は6月末の真田昌幸宛て書状で、北条が援軍出さない事の不満を書いてる
つまり武田軍の常識なら北条軍も6月中には越入を果たして当然ということだ
実際、上野の景虎派諸将単独でも7月には沼田を降して越入ルートを確保してる
これに50万石分の北条軍が加われば6月中の越入も可能だろう
越入した北条軍が矢面に立つなら勝頼も同盟国の支援を躊躇うまい
そうすれば景勝は袋の鼠に等しい

景虎の敗因は北条軍がグズなせいだな
262人間七七四年:2014/07/19(土) 09:52:37.40 ID:q4uySz90
>>257
市村高男氏 
永禄12年11月小田氏治は佐竹方の攻撃によって三度目の小田城落城を余儀なくされ
傘下の菅谷政貞を頼って土浦城に退避すると
佐竹氏は参加の太田道誉に小田城を与え常陸南部における佐竹方の拠点として位置付け直した。
永禄13年2月には氏治に離反を疑われた木田余城の信太伊勢守が土浦城に誘い出されて殺害されるに至った。
小田氏の混迷と衰勢は止まるところをしらなかった。
天正元年8月佐竹義重は氏治の木田余城を攻撃し合わせて戸崎城宍倉城も攻撃して
両菅谷氏を屈服させている(佐竹文書大槻文書水府志料)
もはや小田分国は崩壊同然となり氏治は小田氏の退潮に伴って地域権力化を遂げつつあった土浦城の菅谷氏に支えられようやく小田氏当主としての体面を保つことができる存在に変貌を遂げていた。
263人間七七四年:2014/07/19(土) 09:56:57.27 ID:2GrNYp15
そもそも北条は150万石もないからな。例えば下総の千葉氏とか
北条と同盟してるだけの国人で
天正6年頃から家中で内紛も起こり出してる始末。
さらに上総の北条方国人は
北条が三船山合戦に破れて信玄との攻防から関東で劣勢になった時期など
あっさり北条から里見に帰属を変えてる程度で
同盟者程度の支配関係しかない。
北武蔵の深谷上杉氏や上田、成田なども同様で
北条と御館の乱の当時あったような上杉方上野国人の間にあったような緩い協調関係くらいの関係しかない。
北条勢力圏はせいぜい100万石前後でしょ。
264人間七七四年:2014/07/19(土) 09:59:16.92 ID:PCs6JcqA
>>257
佐竹方反北条連合の勢力圏は下総の一部、下野のほぼ全土、常陸のほぼ全土
奥州白川領などだから、100万石突破する。
蘆名岩城二階堂猪苗代石川などの南奥州連合も含めると200万石程度の大勢力になる。
これなら北条が出だしもできないのは無理もない。
265人間七七四年:2014/07/19(土) 10:02:48.84 ID:iU1XbDVd
下総や上総の諸侯なんて北条が自由に兵を動員できる存在なのか非常に疑問だからな。
勝頼との対決時とか神流川の合戦や天正壬午の乱なんかでも房総の北条方国人が手柄を立てた形跡などはないし
参戦したかどうかも非常に疑わしいし。
266人間七七四年:2014/07/19(土) 10:13:51.27 ID:ORIbj1n6
笑えるw
昨夜のID:oTzBIBV9が質問安価付けたIDは一人も答えてない
ソッコーで別IDが答えるという
菅沼くんの馬鹿丸出しジエンゴ炸裂www
267人間七七四年:2014/07/19(土) 10:24:30.80 ID:zzcBKQ0p
北条が大軍だったとか書かれてるの軍記だけだからな。
実際には総力戦で挑んだ天正壬午の若御子の対陣でも20000前後だったと家康が記してるし。
つまり北条の版図は70万石程度の動員兵力だったって事でしょ。
268人間七七四年:2014/07/19(土) 10:25:12.60 ID:vFsfqvsc
>>261
>実際、上野の景虎派諸将単独でも7月には沼田を降して越入ルートを確保してる
そうなんだよね、北条側も上野に〜とか言ってるけど、
景虎派諸将が行動しているだけで、北条自身はほとんど何もしていないというのが実情。

>>262
>>257はちゃんとそれを踏まえていないか?
でなきゃ範囲外に筑波郡も入れていると思う。
269人間七七四年:2014/07/19(土) 10:32:55.83 ID:vFsfqvsc
>>265
天正壬午じゃ房総の北条方国人どころか里見さえ援軍だしていたような。

>>267
その時は関東は放置出来ていたとでも?
だったら御館でも同様に2万ぐらい越後に向けることは可能。
270人間七七四年:2014/07/19(土) 10:59:30.46 ID:jexLmzs5
>>269
天正壬午では里見は勿論、房総の北条方国人も出兵してる気配はないね。

天正壬午では北条は対佐竹に兵力を残してなかったからか、
徳川と睨み合いになるとあっさりそれまでの信濃の占領地や甲斐の巨摩群まで捨てて和睦してるからな。
271人間七七四年:2014/07/19(土) 11:00:25.53 ID:TutVOPj2
北条軍は坂戸方面を激しく攻撃してたじゃん
厩橋北条や他上野諸侯を先に派遣し氏邦本軍も越後方面へ進撃
これだけでも相当な数じゃないの?
沼田城や樺沢城は景虎方諸侯にあっさり落とされてて
氏邦勢も坂戸方面を激しく攻撃してる
272人間七七四年:2014/07/19(土) 11:05:48.47 ID:ORIbj1n6
↑菅沼くんはこのコピペを何度貼れば気がすむのだろうなw
273人間七七四年:2014/07/19(土) 11:09:34.53 ID:sTYbj2Ee
房総の諸侯を動員しても兵力20000しか行かなかったのなら
房総以外の地域の北条の動員兵力が相当少なかったということだな。
それなら御館の乱で景虎を支援でいなかったのも仕方ない。
274人間七七四年:2014/07/19(土) 11:15:32.63 ID:ORIbj1n6
常識的に考えて
天正壬午で房総以外の地域の北条の動員兵力が相当少なかったなら
それは佐竹ら反北条に備えての事だろw
275人間七七四年:2014/07/19(土) 11:29:31.90 ID:n6Hocv1Q
それなら徳川とさっさと和睦する必要もないね。
二方面+上杉を敵に回すと
優勢を保つことができないからこそ
信濃や甲斐の占領地まで捨てて北条は同盟路線に至ったわけだし
276人間七七四年:2014/07/19(土) 13:33:42.94 ID:LcD0AXDf
>>270
里見は天正壬午で御坂峠の北条軍に援軍を派遣してるぞ
(千葉県史料、中世篇諸家文書、159号)

ついでにいうと書状にある北条勢20000は若御子で対陣した氏直遠征軍の数で
10000といわれる御坂峠の別働隊はスルーされてるだろ
徳川との和睦は、この御坂峠の別働隊が黒駒合戦で大敗した結果、信濃諸将が離反、
退路を絶たれ若神子で孤立した氏直遠征軍を救う為に
信濃や甲斐の占領地まで捨てた窮余の策
277人間七七四年:2014/07/19(土) 13:43:28.12 ID:WjdXZuek
北条方は信濃の佐久や諏訪は離反してなくて
佐久の小諸には大道寺らがずっといたし
諏訪頼忠も依然として北条方に帰属。
甲斐の巨摩群も徳川方の手には落ちていないね。
小県にも徳川派と北条派が両方いたし
278人間七七四年:2014/07/19(土) 13:45:34.57 ID:Pag+gjr+
つまり里見含めた房総の諸氏を動員しても28000前後だったって事だろ。
それなら逆算しても里見なしなら20000前後だから
70万石〜75万石前後しか北条には動員力なかったって事じゃん。
279人間七七四年:2014/07/19(土) 14:00:05.30 ID:LcD0AXDf
北条の動員力とかどうでもいいけど
>>270のように嘘をつきながら言い逃れを続けても全く説得力ないぞ
菅沼だか北条厨だかしらんが最低に見える
280人間七七四年:2014/07/19(土) 14:20:16.83 ID:98aMBHku
里見がどのくらいの兵を送ってるかわからんし
里見って正木の乱の内戦中だっただろ。
281人間七七四年:2014/07/19(土) 16:20:58.11 ID:HpYNkF0+
嘘を平然と吐いてるのは菅沼リョータ君しかいないから
282人間七七四年:2014/07/19(土) 16:26:15.60 ID:96a9S9mi
菅沼遼太
283人間七七四年:2014/07/19(土) 17:47:12.23 ID:cDupYDdN
また織田厨が嘘撒き散らしてるな。
284人間七七四年:2014/07/19(土) 17:59:09.95 ID:e8gTC4u5
>里見なしなら20000前後
>70万石〜75万石前後しか北条には動員力なかった
武田はそんな相手と戦って疲弊するとは
余程長篠の損害が大きかったのだろうな
285人間七七四年:2014/07/21(月) 13:54:43.15 ID:2x9rE8nE
>>262
それぐらい理解している
だからこそ257で小田城含む筑波郡一帯は佐竹領としているのだから
書籍を参考にするのはいいのだがちゃんと書籍の内容を理解しなきゃ意味がない

>>276
それらとは別に秩父方面に氏邦
佐久の抑えとして大道寺だからなー

>>277
黒駒合戦の結果離反が相次ぎ
最終的に大道寺らが敗退した結果の和睦だ

あと諏訪は北条がたに帰属とは言い切れない
反徳川であることは確かだが
巨摩郡南部は完全に徳川側、でなきゃ駿河との連絡線が維持できていないだろ
巨摩郡北部にしたって穴山の影響の強い地域だし
286人間七七四年:2014/10/05(日) 10:17:12.54 ID:sv1kVJ52
ホタテの反乱
287人間七七四年:2014/11/13(木) 01:51:28.90 ID:IdTzXv4B
まあ武田にも非はあったろうがそれ以上に北条が悪いな
288人間七七四年:2015/02/09(月) 00:56:05.96 ID:WUHp6F0S
桓武平氏鎌倉氏流越後長尾氏歴代当主とその正室

長尾平内左衛門尉景茂  葛西新左衛門尉時清の娘
長尾四郎景忠  長尾三郎兵衛尉光景の娘?
長尾四郎景能  長尾四郎太夫景煕の娘
長尾弾正左衛門尉景為  佐原七郎左衛門明連の娘
長尾弾正左衛門尉景忠  長尾左衛門尉基景の娘
長尾新五郎定時  山吉伊予守長久の娘?

長尾弾正左衛門尉景恒  長尾新五郎景直の娘?
長尾豊前守景晴  山吉伊予守長久の娘
長尾筑前守高景  長尾平三左衛門景行の娘?
長尾弾正左衛門尉景房 上杉中務大輔朝顕の娘
長尾信濃守頼景  山吉伊予守行盛の娘?
長尾信濃守重景  長尾越前守景良の娘?
長尾信濃守能景  高梨摂津守政高の娘、上条播磨
長尾信濃守為景  高梨摂津守政盛の娘
長尾弾正左衛門尉晴景  上杉兵庫頭定実の娘
長尾弾正少弼景虎      なし
289人間七七四年
桓武平氏鎌倉氏流越後長尾氏歴代当主とその正室

長尾平内左衛門尉景茂  葛西新左衛門尉時清の娘
長尾四郎景忠  長尾三郎兵衛尉光景の娘?
長尾四郎景能  長尾四郎太夫景煕の娘
長尾弾正左衛門尉景為  佐原七郎左衛門明連の娘
長尾弾正左衛門尉景忠  長尾左衛門尉基景の娘
長尾新五郎定時  山吉伊予守長久の娘?

長尾弾正左衛門尉景恒  長尾新五郎景直の娘?
長尾豊前守景晴  山吉伊予守長久の娘
長尾筑前守高景  長尾平三左衛門景行の娘?
長尾弾正左衛門尉景房 上杉中務大輔朝顕の娘
長尾信濃守頼景  山吉伊予守行盛の娘?
長尾信濃守重景  長尾越前守景良の娘?
長尾信濃守能景  高梨摂津守政高の娘、上条播磨
長尾信濃守為景  高梨摂津守政盛の娘
長尾弾正左衛門尉晴景  上杉兵庫頭定実の娘
長尾弾正少弼景虎      なし