ヨーロッパ中国の兵士と比べ戦国の武士は戦闘力低い

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
平和な島国に住む日本の戦国時代の武将や兵士なんて、陸続きで何千年も絶え間無く戦をし続けたヨーロッパ、中国人とじゃあ比較にならないだろう
日本人にとっての戦の主立った歴史なんて源氏・平氏の戦いや戦国時代程度の内戦くらいだが、ヨーロッパでは古代から中世、近代に至るまで数々の外国や他民族と大小さまざまな戦争を繰り広げた。
日本のような土地に限りがある島国ではないため、常に領土を広げるため他国に派兵した。
中国は何十回と王朝が交代しその度に大規模な戦が起き、治安が安定した時代でも北方から遊牧民や時には西からイスラムやヨーロッパからも侵入があるため常に緊張感を保った
そういったヨーロッパ、中国の何千年もの歴史の中で、遺伝子には戦いに関する情報が組み込まれ、もはや戦闘民族と呼べるほど戦いに優れていった。
アジアでも特に矮躯だった日本人が平和ボケしかけた頭で慣れない刀を振り回してるのとは訳が違う。
持って生まれた体格や気性、長年実戦よって培われてきた戦術など、どれを取っても何百年か振りに興った内戦にあたふたしてる戦国時代のチビごときでは相手にならない
2人間七七四年:2009/10/17(土) 18:45:16 ID:Coiy6P98
2なら1はけちょんけちょんに論破される。
3人間七七四年:2009/10/17(土) 19:04:52 ID:wsjYTZd4
愛国心のない外国軍など敵ではない
島国ゆえの同一民族としての愛国心の原型とも言える団結力が鎌倉幕府の時点であった。
4人間七七四年:2009/10/17(土) 19:26:43 ID:9HaH4yLp
また在日か…
5人間七七四年:2009/10/17(土) 19:49:36 ID:oZL6+IGB
>>1
ただの印象論で
根拠となる一次史料の提示すらない。
再提出。
6人間七七四年:2009/10/17(土) 20:01:08 ID:I6oEToxo
遺伝子ってそんな感じに簡単に組み込まれるもんなの?
科学さっぱりだから分からんのだけど
7人間七七四年:2009/10/17(土) 20:50:44 ID:G5XflZo1
つーか全くもって戦争と言うものもが解っていない。
例えば南米やアフリカ、南アジア、中央アジア等の未開の地での
戦闘民族ならば男子は屈強な者が生き残って行くことだろう。

しかしながら文明国では戦闘に従事する者などは極限られた者が行
い、大部分の者は生産に従事するものである。

よって>>1の遺伝子云々の論証的根拠は見出せないばかりか、この
ような簡単な事も解らない「ゆとり世代」を作り上げた数年間の
教育システムは、人間の本質が後天的な教育・環境に大きく影響
されるという事を証明したのである。
8人間七七四年:2009/10/17(土) 21:01:12 ID:6ePfAfv8
粗食と集団生活が軍隊の基本。
裕福な中国や欧州は、歴史的には案外弱い。
9人間七七四年:2009/10/17(土) 22:34:00 ID:DMa2Mqbo
最近はこういった釣りスレ立てる奴のレベルも落ちたな……
こんな立て逃げのような真似はしなかった。
餌を前にしたピラニアの如く、フルボッコにしようとする住人達。
それに対し、真正面から牽強付会、我田引水、曲解極論は当たり前で渡り合い、2スレ目やそれ以降へと突入する猛者がいたもんだ。
10人間七七四年:2009/10/17(土) 22:36:56 ID:v2UbFg1w
まあ、唯一中国をうらやましいと思うのは、戦争の歴史が豊富だということかな
日本人に中国の戦争のイメージといえば大半は三国時代を思い浮かべると思うけど、中国人にしてみればそれは四千年のうちの一時代に過ぎない
ただ、一言で中国と言っても9割以上を占める漢民族は小数の北方遊牧民に何度も征服されてるから強いといえるのかどうか
11人間七七四年:2009/10/17(土) 22:40:53 ID:S1kYvu0b
実際、戦国期の戦闘記録を見ると、逆だと思う・・。
めんどいからソースはこの掲示板から自分で探して

>>10
戦争しすぎると、狡賢くはなるが強くはならない。
12人間七七四年:2009/10/18(日) 02:53:24 ID:GFFyaPPW
眠れる獅子ですね、わかります
13人間七七四年:2009/10/18(日) 16:49:01 ID:1CDTY9bj
>>10
楚、秦、北魏、隋、金、元、清、倭
中国は、もう周辺民族全てに征服されてる。
とても遺伝子的に強化されている歴史とは思えないよね。
14人間七七四年:2009/10/18(日) 22:01:58 ID:RFAtSSb6
秦楚燕からしてすでに純粋な漢民族ではないからな
優秀だった純粋な漢民族はとっくに滅亡した。
中国人とは併合した民族すべての尊称。
異民族支配者が支配されている中国人に同化吸収される。
15人間七七四年:2009/10/18(日) 23:13:43 ID:1CDTY9bj
中原を入手すると弱くなる法則w
16人間七七四年:2009/10/19(月) 00:00:48 ID:KkKsRYx6
明軍には勝ったじゃん
17人間七七四年:2009/10/19(月) 00:37:41 ID:7r8ot4jg
それはせいたいごうが頑張ってたおかげでもある
18人間七七四年:2009/10/19(月) 01:35:50 ID:0IMVyKu/
>>13
ただし、朝鮮は除くw
19人間七七四年:2009/10/19(月) 06:57:48 ID:iMnJ3akz
そのチビが世界中を征服してた蒙古人を撃退したのか。
20人間七七四年:2009/10/19(月) 07:13:17 ID:u3s1HXzK
>>1
秀吉の半島出兵時の中国側の記録とか知らないのか?
21人間七七四年:2009/10/19(月) 07:49:59 ID:UxVIyiLB
もし弱かったら日本はフィリピンかインカの二の舞確実だったな
22人間七七四年:2009/10/19(月) 09:12:24 ID:SLWJTaz3
しかし蒙古軍を撃退したのはすごい。たとえ自然の力だとしても
ヨーロッパでは文字通り皆殺しにされて跡形も無くなった街もあんのに
23人間七七四年:2009/10/19(月) 10:12:19 ID:wP/XPUe6
ベトナムも元軍を破っている
中国軍も米軍も破って勝利しているし何気に強国
アジアじゃ日本かベトナムだな
24人間七七四年:2009/10/19(月) 10:57:41 ID:npONfJt+
まぁ、ベトナムも日本も騎兵による機動戦にはすごく不便だからなぁ
25人間七七四年:2009/10/19(月) 12:26:51 ID:/1Kh0FF6
>>24
神風がなければ、蹂躙されていたかもしれない
名乗りをあげてるうちに、フルボッコされるだろ
26人間七七四年:2009/10/19(月) 13:14:49 ID:d5DPAyvo
>>25
>名乗り上げてる間に
バカ発見。
未だにそんな説信じてるのかよ。
27人間七七四年:2009/10/19(月) 14:17:18 ID:1Q6xxaBA
>>24
実はこのころすでに大元となっているモンゴル軍は騎兵中心の軍ではなく歩兵中心の軍隊
騎兵がいないわけではないが>>24がイメージするような機動力のある軍隊じゃないよ
モンゴル軍を中心にそれまでに支配している他民族との混成軍となっているので初期のモンゴル軍のように全員騎兵というのは不可能になっているんだね

むしろ同時代の日本のほうがはるかに機動力のある軍隊となっている
騎馬武者による集団騎射という形で
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
28人間七七四年:2009/10/19(月) 14:24:20 ID:wP/XPUe6
神風とかも神秘性を持たせる為に付けられた尾鰭だしな
単に元軍の戦略的敗北に過ぎない
上陸作戦ほど難しいものはないよ
大軍が展開できる上陸ポイントは限られているし、陸上から阻止する方が圧倒的に有利だ
近代戦では航空機や艦砲によって徹底的に叩いてから上陸するわけだが
それでさえ莫大な犠牲を伴う
当然鎌倉時代にそんなものはないし
鎌倉幕府は思いの外兵站が整っていて数万からの兵を直ぐに集める事が出来た
後ろがない元軍と違い主力を温存している幕府軍はまだまだ余力がある
10万や20万じゃ初めから成功するわけがなかったんだよ
29人間七七四年:2009/10/20(火) 01:29:40 ID:b3OobmOw
モンゴル軍はまんま島津の釣り野伏せやって何度も大勝してる。
ヨーロッパ軍なんてカスだよ。
簡単に囮にひっかかるの。
30人間七七四年:2009/10/20(火) 02:01:28 ID:fvOvcef9
来た、見た、買うた
31人間七七四年:2009/10/20(火) 05:00:56 ID:402vfB0+
有史から近代までで最強の戦闘集団は
日本の侍だな
32人間七七四年:2009/10/20(火) 05:33:10 ID:Z/zhh/2w
ハハ、ワロス
33人間七七四年:2009/10/20(火) 09:16:04 ID:/ouTYxUM
義満時代の明への従属を破棄し、柵封体制から離脱したために、
明から脅迫の使者がたびたび恫喝しに日本に来ていたり、天候不順で大飢餓と疫病が流行し始めていた足利義持時代に、日本弱しとみた朝鮮軍が対馬に攻めてきた。が、地元で楽勝に撃退してしまった。
だが、中央に届いた情報は、中国軍の大挙侵攻でもうやばいと言う話。
すると幕府は驚いて神社仏閣に祈祷し、九州武士らに指示を出す。
すると今度中央にやってきた情報は…
九州武士らの大武功報告の数々と、我が神社仏閣より天女が相次いで西へ向かったとか神社仏閣の武功話だった。
これを聞き中央では、さすが神国日本!やっぱり無敵だわとお祝いムード。
みんな揃って武功を捏造報告しまくり。
神風の捏造報告どこまで本当なのかわからんね。
戦前の失敗もこういう体質だからだね。
34人間七七四年:2009/10/20(火) 10:45:35 ID:VlC9kUSV
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、

「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。
我が国には、水沢の地や山海の洲にも備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません」

という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国を返り討ちにするほどの日本に、
自分が攻め込んでも勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。
35人間七七四年:2009/10/20(火) 12:36:16 ID:+FajN/lJ
>>33
そのソースどこ?
あとで室町幕府が事情を聞いた際に
チョンが涙目で言い訳した話はあるが
36人間七七四年:2009/10/20(火) 12:44:40 ID:yd8CTSji
>>24
勘違いしている様だが、主力は朝鮮の軍だぞ。
37人間七七四年:2009/10/20(火) 13:08:04 ID:oLyZOSzS
漢民族は、4000年と嘯く歴史の大半を、異民族の支配下にあった軟弱な民族である。
其の文化は虚言癖、虚飾に代表され、常に無教養を通り越して残虐、残酷、無情であり、
これらが本質的に劣等な民族性が故に、欧米列強に対抗出来ず、蹂躙され続け、
阿片戦争でイギリスの植民地となり、麻薬を吸って呆け、日清戦争でズタボロにされ、
近代戦争に於いてたったの一度も勝利出来ない分際で虚勢を張り、
其の滑稽さから「張子の虎(眠れる獅子)」と笑われた。
其の歴史文化は時代時代で常に断絶している。そもそも朝廷、支配者が異民族なのである。
http://blog54.fc2.com/k/korokorozaeega/file/20061026215808.jpg

チベット人を去勢、強制不妊をしておきながら、「民族浄化してやった(喜べ)」とほざき、
宗教を認めない共産主義によって高度な仏教文化を奪っておいて「文明化してやった(喜べ)」とほざき、
大虐殺しておきながら「虐殺などしていない(秩序を取り戻してやった、喜べ)」とほざく。
神も仏も畏れぬ傲慢不遜、支那共産党は、まさに邪悪の権化そのものである。

散々嘘を指摘されながらも、たった一つも訂正しない無教養さが支那人の顕著な特徴である。

中華人民共和国とは笑わせる。
現実的に敗北し続け、一度も勝利を得られない分際で、
「漢民族は偉大だ」等と脳内勝利をして喜んでいるこれら人民は「阿Q」である。
阿Q人民共和国滅びるべし。
38人間七七四年:2009/10/20(火) 16:11:38 ID:+FajN/lJ
>>36
ダウト。主力は蒙漢人
39人間七七四年:2009/10/20(火) 16:11:53 ID:j27kUGVt
中世時代のヨーロッパって将軍とかがまともに指揮してた戦争なのか?
この時代の作品ってファンタジーばっかだから分かりにくい
40人間七七四年:2009/10/20(火) 16:46:21 ID:dcDO8H68
中世ヨーロッパの騎士って、降伏したり捕縛されたりした際に身代金払って解放される、みたいな事ばっかやってたと聞くが…

…強いのか?
41人間七七四年:2009/10/20(火) 16:48:09 ID:wuo0VfOk
>>37
欧州も、ケルト人、ラテン人、ゲルマン人、ノルマン、マジャール、
スペイン人、ソ連、アメリカと蛮人扱いしてきた諸勢力に制圧されまくり。
42人間七七四年:2009/10/20(火) 16:54:31 ID:VlC9kUSV
>>36>>38
主力をどう定義して言ってるのかわからないのと
文永の役と弘安の役でも違ってくるので、>>36>>38もどちらとも、もうすこし注釈が要るかもしれないと思う

少なくとも「文永の役において日本軍が主に戦った相手は高麗軍」という言い方をすればほぼ間違いがない
もうすこし分析すると
対馬・壱岐・で虐殺やった連中は金方慶に率いられていたというのでこれは高麗軍といっていいと思う
上陸後の元軍のうち博多へ進軍し少弐景資に撃退された劉復享軍は意外と少数だったから
菊池武房などに蹴散らされた金方慶が率いた高麗軍のほうを主力だと考えることはさほど間違ってはいない。
ただ三万強の元軍のうち高麗軍は8000程度なので単純に数で言うと「過半数は超えてない程度
だが高麗軍けっこう多い」ぐらいといえそう。




43人間七七四年:2009/10/20(火) 17:01:04 ID:/ouTYxUM
米軍の犬としてベトナムで負けまくったが国技だけはちゃんとやって帰ったチョン軍
44人間七七四年:2009/10/20(火) 17:12:32 ID:wuo0VfOk
イングランドはフランスの蛮族
プロイセンはドイツの蛮族
ゆえにノルマンディー公やブランデンブルク選帝侯は、
王を名乗れたとか。
45人間七七四年:2009/10/20(火) 17:33:24 ID:j27kUGVt
>>40
騎士同士で一騎打ちしたらしい
日本の武士と変わらんなw
46人間七七四年:2009/10/20(火) 18:11:53 ID:VlC9kUSV
騎士の一騎打ちは知らんが武士の一騎打ちは大半が江戸時代の講談の影響だろう?

>>27の画像も含めて当時の武士の様子ではほぼ全部集団戦だよ
資料によって集団騎射も馬上打ちもの(白兵戦)もやってるけど、
少なくとも一騎打ちはないな
47人間七七四年:2009/10/20(火) 18:58:09 ID:/ouTYxUM
中国と朝鮮は激弱
48人間七七四年:2009/10/20(火) 19:13:33 ID:P5WOD7+6
>>40
時代や状況にもよるが、この頃の騎士は世界的な基準でいうと強くない。
ランスチャージが決まれば一撃必殺だが、それしか出来ない上、
他兵科の援護が無ければまともに戦うことなんて出来ないから。
しかも、援護してくれた自軍の弓兵を蹴散らしながら突撃するほど傲慢で、
何度ランスチャージを破られても鎧を強化する以外何の工夫もしない脳筋野郎と来たもんだ。

まあ、格闘ゲームでいうと超必殺頼みの大技ゲーマーだな。
どちらかというとコンボゲーマーな蒙古軍や日本武士団に勝てる筈はないw
49人間七七四年:2009/10/20(火) 19:33:28 ID:u3sazlWM
騎士ってファンタジーのおかげで美化されてるけど大して活躍してないだろ
イングランドの長弓に撃たれまくってしまいには「弓は卑怯だ!」とか言い出してるしな
50人間七七四年:2009/10/20(火) 19:51:07 ID:b3OobmOw
モンゴル帝国本読んでみな。
ヨーロッパの雑魚ぶりがよくわかるよ。
陽動、囮、偽退に簡単に引っかかるから。
戦国時代でも陸戦なら日本の方が強い。
だいたいこの時代のヨーロッパなんて1国で5万も動員できないよ。
時を越えてWW2でもイギリス、オランダ、オーストラリアは日本にこてんぱんにやられた。
マレー上陸されて半年でビルマまで駆逐されて海戦でもボロ負け。
兵器の質も勝ってて日本が使えなかった無線、レーダーまで1941年の段階でもう使えたのにだ。
あんま日本舐めんなよ。
アメリカだけだよ日本がボロ負けしたのは。
51人間七七四年:2009/10/20(火) 20:00:40 ID:oLyZOSzS
戦国末期の日本は鉄砲所有率も異常だったんだよね
52人間七七四年:2009/10/20(火) 20:04:10 ID:OfvZ6NkO
日本人は戦闘民族だったろ。

世界中で死と名誉の為に戦う人間性は日本人以外いないぞ

国力が低いから長期戦は弱いが、短期決戦なら強いだろうな。

民族の純血度が高いから、外国にモチベーション高いんじゃないか。


53人間七七四年:2009/10/20(火) 20:05:47 ID:OfvZ6NkO
連投失礼

それと>>1は鬼武蔵が探してたよ
54人間七七四年:2009/10/20(火) 20:35:37 ID:/ouTYxUM
腕力と肉体差で白人どころか黒人に敗北だろ
55人間七七四年:2009/10/20(火) 20:40:02 ID:wuo0VfOk
なぜここでオリンピックの話が出てくるのだろうか???
56人間七七四年:2009/10/20(火) 21:04:25 ID:6Eco1Cgt
最強軍団は、イタリアの傭兵集団。

みんなお友達同士、親戚だから、殺しあうなんて野暮ったいことは無し。
でも華麗な戦争絵巻は芸術的だった。

さんなとこに野暮なスペインやフランス兵が来ると、ガチンコ勝負。
とても困った。

トルコの海賊が来ると、城を捨てて山のてっぺんまでご領主さまは逃げ出した。
57人間七七四年:2009/10/20(火) 22:04:22 ID:b3OobmOw
イタリアは第二次大戦でも激弱だぞ。
最前線で休憩とって捕虜になったり火縄銃のエチオピアに負けたり勝って当たり前のギリシャに負けたり
んでいたずらに戦線広げてドイツに泣きついて対ソ戦真っ最中のドイツの貴重な戦力分担させたり
足引っ張ることしかできない超弱小国。
嘘かまことかイタリア戦車は前進1速バック6速なんて言うアホみたいな戦車もあったとか。
58人間七七四年:2009/10/20(火) 22:23:55 ID:P5WOD7+6
一応、ジェノヴァ弩兵は結構優秀だったらしいがな。

クレシーでは、お偉い騎士様が滅茶苦茶やってくれたおかげでイングランド長弓兵に惨敗したけどw
59人間七七四年:2009/10/20(火) 22:37:01 ID:JGKMuY5G
結局、>>1さんは立て逃げですか
60人間七七四年:2009/10/20(火) 23:38:17 ID:6Eco1Cgt
ベネチィアは、海の覇権、貿易に大金つぎ込んでたから、貴族も市民も
船上ではガチで戦ったみたいだけど。
クロアチアの傭兵を伝統的に良く使った。

フィレンチェでは、貴族というか世襲の議員は、金儲け第一、戦争みたいな
危ないことは馬鹿な傭兵にやらせとけ、だった。

フランスも、宗教戦争、ヴァロア朝頃までは常備軍は殆どいなくて、カトリックの
国王は、カルバン派から身を守るのに、ルター派のドイツ傭兵だのみだった、
で、大金かかり国庫はいつも空っぽだった、とか。
61人間七七四年:2009/10/21(水) 08:46:24 ID:kitUicoj
>>54
肉体的な不利=戦争での不利に結びつくとは限らない事は
他民族より比較的小柄でありながら世界を制した
ローマやモンゴルが物語っている
62人間七七四年:2009/10/21(水) 10:02:11 ID:muIis7to
帝國軍も小人みたいだったのによくあれでロシアに勝てたものだ
銃剣付きの三八式持ってると銃の方が長くて槍持ってるみたいだし
63人間七七四年:2009/10/21(水) 11:50:10 ID:IG5kg9PT
ラスプーチンのアホに騙されてるロマノフ朝に命投げ出すのがバカらしかったからだろ…ガチでやったらノモンハンみたいにボコボコだろ。
64人間七七四年:2009/10/21(水) 13:23:23 ID:RzTQnDf/
>>49
騎士様は貴族同士で美しい戦いしたいから下賎な農民程度に殺されるのは沽券に関わった
65人間七七四年:2009/10/21(水) 14:29:26 ID:KDVFF1iz
そもそも地形が全く異なるので比較しようがない
ヨーロッパ中国の兵士が日本で戦ったら敗北は必定
66人間七七四年:2009/10/21(水) 17:01:28 ID:kitUicoj
>>63
やる気ないから負けました。
本気だったら絶対勝ってました。


という言い訳をするのは朝鮮人の特徴
67人間七七四年:2009/10/21(水) 17:04:21 ID:IG5kg9PT
鬼畜米英!無敵無敗の常勝皇軍スレですね。
68人間七七四年:2009/10/21(水) 18:28:41 ID:A2DERwEu
>>49
武勇名高い騎士が農民か何かのボウガンであっさり殺されて
教会にボウガンを禁止する様頼んだりしたんだっけ?
どっかでそんな話を聞いた。
69人間七七四年:2009/10/21(水) 19:46:27 ID:kitUicoj
>>67
たった三分でレスかよ。
気持ち悪い奴だなあ
70人間七七四年:2009/10/21(水) 19:59:27 ID:VsTJ4Zfx
ろすけを駆逐したアフガン、凄い。
捕虜いなかった、皆殺し。

何百年も戦争、今も継続中。
71人間七七四年:2009/10/21(水) 22:42:09 ID:jncZBwMt
16世紀だと日本と明が最強だろ。
武装もそれほど見劣りしないし何より動因兵力がダンチ。
朝鮮出兵の規模の戦争できる国は当時ヨーロッパにはなかった。
何カ国も連合組まなきゃ10万なんてとてもいかない。
72人間七七四年:2009/10/21(水) 22:52:13 ID:6iCco5nC
関連スレ

武士VS騎士
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1237290038/

戦国日本軍 vs スペイン・ポルトガル軍
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220765625/

リトアニア大公国軍VS織田信長軍
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1254662224/

スウェーデン軍VS徳川幕府軍
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1238497104/

李舜臣vs日本水軍 2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1254925527/

秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/

【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】パート2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1246664853/

秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartX
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1247907984/

世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1243771115/

【蒙古】世界史上最強の騎馬軍団とは?【突厥】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1147423539/
73人間七七四年:2009/10/21(水) 23:11:24 ID:AE9uPgd6
>>71
火薬は輸入に頼ってたんだけど。
74人間七七四年:2009/10/21(水) 23:41:20 ID:VsTJ4Zfx
かねがね硝石の輸入のこと、疑問に思っていたけど、ググってみた。
インドから五島、あるいは種子島、堺商人経由で入ってきていたらしい。

織田信長はこの利権に目を付けたとか。

が、バイオの知恵で塩硝から火薬を抽出する技術が
1580年ころから関東周辺で開発され、火薬を入手しにくかった
東日本勢も自前の火薬を得て鉄砲の大量装備が可能となった、そうな。
75人間七七四年:2009/10/22(木) 00:14:44 ID:U6UewTeI
16世紀って中世の終わり頃か?
それ以降は西洋の方が銃も優ってるから勝てるとは思えんが
76人間七七四年:2009/10/22(木) 00:23:22 ID:dmNG/rZC
>>75
兵站能力や動員力の関係から、最低でも絶対王政の時代ぐらいまで待たないと比較にならない。
はっきり勝っていると言えるようになるのは、ナポレオン戦争くらいから。

ちなみに16世紀はどちらかというと近世。
77人間七七四年:2009/10/22(木) 00:26:17 ID:eBHiWKf/
火力に勝っても、それが白兵戦なしで敵陣奪取ができるくらいじゃないと。
具体的には弾が炸裂しないかぎり、
78人間七七四年:2009/10/22(木) 04:10:10 ID:lStEnE43
>>74
その火薬の製造法をさぐるスパイの涙ぐましい話が
新田次郎の「武田勝頼」にでてきたなあ
79人間七七四年:2009/10/22(木) 04:23:54 ID:copXBA1C
>>63
ノモンハン事件を通じての損害を比較すると以下のようになる。

兵員死傷  日本 17,405名
      ソ連 25,655名以上

航空機損害 日本    179機
      ソ連  1,673機
    
戦車損害  日本     29台
      ソ連    800台以上

あえてこれ以上は言わない
スレ違いだしね
80人間七七四年:2009/10/22(木) 09:58:07 ID:Tl9GZ5dD
まあ、日本が勝ったとは絶対に言えないが
圧倒的な兵力差なのに、日本側を上回る被害出しての
グダグダな辛勝だから、ソ連側としちゃ
あんまし自慢出来る戦いじゃないわな
81人間七七四年:2009/10/22(木) 09:59:59 ID:JUAO+C3o
戦国時代、16世紀頃だと、総合的戦力はオスマントルコが最強だと思う。
82仙台藩百姓:2009/10/22(木) 11:35:51 ID:PwFzkkxT
亜細亜人(一部除く)は精神主義だから単純に戦闘のみで考えればつおいお( ^ω^)
だが戦争は経済だから最終的には物質主義の欧米人に勝てないのだお( ^ω^)
特に日本に於いてはその傾向がつおいお( ^ω^)
83人間七七四年:2009/10/22(木) 18:56:35 ID:mMFGLlsI
>>80
というか、指揮してた独ソ戦の英雄ジューコフが一番辛い戦いと公言してるからな
84人間七七四年:2009/10/22(木) 21:51:12 ID:AXWtjFtv
そんなもんスターリングラードに比べれば屁でもない
85人間七七四年:2009/10/22(木) 22:12:39 ID:0Xzlzcza
ところがジューコフが一番苦戦したのはノモンハンだったって言ってるんだな。
この人、ソ連の物量が無けりゃ只の無能な将軍だった可能性でかい。
日本のブリキ戦車に大苦戦するわ走行しながら撃ってくるから当たらないわ無線積んでないから連携とれないわ
数に任せてウラーって突っ込んでくるだけだから損害大きいんだよソ連。
ソ連が崩壊したから実は損害比較では日本の勝ちだったってわかったけどソ連崩壊しなかったら今でも日本の惨敗という認識だったんだろうね。
86人間七七四年:2009/10/22(木) 22:38:41 ID:/e3Yf/oF
>>84
それがソ連・ロシアの恐ろしい所だな
どんなに犠牲を出しても敵を追い払えば勝ちだという考え
87人間七七四年:2009/10/23(金) 04:54:20 ID:R//OuWnx
スターリングラードはあんなに被害出さなくても普通に戦って勝てる戦いだったとおもうけどね
恐ろしいところというか国民にとって恐ろしい軍隊だな
88人間七七四年:2009/10/23(金) 04:54:48 ID:yEyPgF0A
>>81
話し合う努力?しただろうが。それは大変な苦労を。
言葉による意思の疎通ができなかった彼らのために言語まで作ってやった。
文化の空白地帯だったからね。そのまま日本語を喋らせても良かったんだ。
だけど独自の言語の方が彼らも誇りを持てるだろうと日本語を基に新しく考えてやった。
未開人から文明人へ、話せば分かる人間になってくれると信じてあらゆる労力を惜しまなかったよ。
それでどうなった?言葉を覚えた彼らは今何と言っている?文字を覚えた彼らはネットで今何と書いている?
ノーベルやアインシュタインの発明は人類にとって確かに必要な物だった。だがハングルはどうだったであろうか。
後悔したよ。その事だけは。人類史上最悪の発明を、最悪の相手に施してしまったと。
89人間七七四年:2009/10/23(金) 07:10:52 ID:O6QQk7kF
スターリン語録

「一人の人間の死は悲劇だが数百万の人間の死は統計上の数字でしかない。
愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」

「人命以外何も失ってはいない」 (朝鮮戦争の休戦を求める金日成の要請に対しての返答)
90人間七七四年:2009/10/23(金) 07:23:13 ID:r7I1B1yR
戦死または行方不明 1千百万人
捕虜 6百万人

戦死または行方不明がドイツの3倍ってどうよ?>ソ連
91人間七七四年:2009/10/23(金) 09:58:14 ID:P8s0LN6W
二人一組で銃一丁とか、素手で行進とかいう話を聞いた事がある
92人間七七四年:2009/10/23(金) 10:58:31 ID:oSWZFvWm
しかも味方を後ろから射殺する為の部隊がいる。
日本の神風特攻隊とかバカに出来ねえマジキチぶりだろ
93人間七七四年:2009/10/23(金) 11:28:18 ID:P8s0LN6W
大陸の戦争はマジ怖いわ
94人間七七四年:2009/10/23(金) 11:41:22 ID:G3/Iq0iB
ノモンハンでは、日本軍の主張する国境線から、
南部地域を除いてソ連側の主張する国境線まで押し出されて停戦
はっきり言って日本の大敗だから。
マジでアホだな。日本は神の軍〜無敵無敗の皇軍w
こういうやつに指導されて勇敢に戦った前線の一般兵は無駄死にするんだよな。
95人間七七四年:2009/10/23(金) 15:35:05 ID:wJhe+2oY
誰もノモンハンは日本の勝ちだなんて言ってないだろ。
九州戦で損害レベルでは勝ちながら撤退して戦略目標達せ無かったのに毛利の勝ちだと言い張る毛利厨と一緒にしないでくれ。
ってか軍オタは損害数で勝ってようが目的達せ無かった戦いにおいては日本の勝ちだなんていう人ほとんどいないぞ。
96人間七七四年:2009/10/23(金) 16:35:38 ID:25upxvyZ
>>89
大陸の政治家は人間を大切にしない。たしか毛沢東にもその種の発言がある
そういう戦術でこられると日本は勝てないと思うわ
大陸の奥深くまで誘い込まれて、戦線が拡大しきった所で各個撃破されるのがオチ
慶長、文禄の役のときも、日中戦争の時もそれでやられた
97人間七七四年:2009/10/23(金) 17:53:44 ID:G3/Iq0iB
アホか。日本軍だって精神論を掲げて
ノモンハン指揮の当事者たちを消極的だったと言って圧力かけて自殺に追い込んだり
利敵行為と中傷しまくって地位からはずして左遷して精神的に追い詰めてるだろ。
そして最後は降伏はダメ、自害しろ。特攻しろ、一億総玉砕しろだ。
98人間七七四年:2009/10/23(金) 18:05:50 ID:oSWZFvWm
誰もノモンハンが日本の勝ちとは一言も言ってない。
ただ、ソ連側が大勝利と吹聴するには
少々恥ずかしい内容じゃないかと言ったまでだ。
99人間七七四年:2009/10/23(金) 18:22:34 ID:owFNpFkr
慶長、文禄時代の時点で鉄砲の保有数が世界最高で最強の軍だったみたいだけど
結局、明には勝てなかったからな
勝負を決めるのは物資の差だろ
100人間七七四年:2009/10/23(金) 19:12:39 ID:vprLtaTO
軍事板だかで
当時の日本の鉄砲数からして否定されてただろ
だいたいその話に根拠すらない
光栄のノブヤボ本で広まったデタラメ
101人間七七四年:2009/10/23(金) 19:32:19 ID:owFNpFkr
そうなのか
結構いろんな所で言われてたからそうかと思ったぜ
102人間七七四年:2009/10/23(金) 21:13:36 ID:R//OuWnx
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった

「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。

さすが明最強だぜ
103人間七七四年:2009/10/23(金) 21:18:57 ID:+Cpuvtzx
むしろ、中国の兵卒なんて世界最弱じゃねーか?
こんだけ少数民族にボコられまくった民族とか他にいないだろ。
敵の10倍くらい兵を確保できて、やっと戦になるみたいな。
104人間七七四年:2009/10/23(金) 21:22:41 ID:Mc04Tq5N
>>100
そんな話は初めて聞いた。
すまんが、詳しく教えてもらえんだろうか?
105人間七七四年:2009/10/23(金) 21:53:25 ID:Q/0/RmVs
鉄砲の装備率はスペイン軍の方が上だったらしい。
そもそも日本はまとまな海軍がなかったし、重火器の配備もすすんでなかった。
106人間七七四年:2009/10/23(金) 21:56:04 ID:R//OuWnx
おいおいここにきて「らしい」で済ませちゃうのかw
107人間七七四年:2009/10/23(金) 22:20:21 ID:Mc04Tq5N
>>105
装備”率”はね。
動員能力が桁違いだから、そもそも分母が違うの。
108人間七七四年:2009/10/24(土) 00:14:53 ID:vPZZ1kyb
日本の武将は、家来に鉄砲を何丁も持たせ、弾を詰め替えさせながら
自分一人で撃ちまくったんでしょう。

雑賀一揆衆も、名人クラスが鉄砲をとっかえひっかえ
狭い城門で狙撃したから、力攻めの信長、秀吉、苦労した。

子供も撃たせたら鉄砲百発百中だった。日本中鉄砲だらけになった。
秀吉は、刀狩より鉄砲狩りが目的だったのでは。

海外、モルッカ諸島での日本人傭兵も、イギリス、オランダ人より
ちっこいのに滅茶苦茶強かったし。
日本にガチで勝てるとこ、欧州にはなかった。

ただ兵站が知恵不足、不得手だから、遠征、ついまえの戦争でもだめだったな。
109人間七七四年:2009/10/24(土) 00:21:45 ID:RYnn3zvM
兵站が知恵不足というのは、司馬遼太郎か何かの読み物からのものですかな?

それはともかく。兵として精強なのと、体の大小はあまり関係ない。格闘技とは違う。
イギリスのグルカ兵は勇猛で常に最前線にいて、ネパールの部族から成る部隊だが
アジア人だし体は日本人と同じくらい。
日本兵と戦ったこともある。
110人間七七四年:2009/10/24(土) 00:26:23 ID:kqbl4aPy
>>108
>ただ兵站が知恵不足

旧帝国陸軍なんかと一緒にするなよw
とりあえず、16世紀の欧州の兵站システム調べてきな。
戦国日本の兵站システムが、欧州の半世紀以上先に行ってるのが分かるから。
111人間七七四年:2009/10/24(土) 00:49:04 ID:9sy8U2uB
>>108
>兵站が知恵不足
なるほど。
スペインは希望岬超えて大船団でやってこれて脱落船も出ることなく日本を蹂躙できたんですね。
すごいなぁ(笑)

それと補給ならドイツも破綻してますけどね。
戦術の鬼才ロンメルだって補給が破綻して敗れ去ってますよ。
対ソ戦も地続きだったのに補給続かず敗れ去ってますね。
よく知りもしないで日本だけ貶すのは止めましょうね。
112人間七七四年:2009/10/24(土) 10:09:37 ID:WXLvOFs2
スペイン船は、破損、難破で目的に到達は50%位だったのでは。
喜望峰超えての航路はポルトガルの権益でしょう。

アフリカ、インド、マレー、ジャワにポルトガルの拠点持ってたから運営できたけど。
英国、オランダに段々やられちゃいますが、
西班牙,葡萄牙、英蘭の造船技術で遅れをとったからなのでしょうか?
113人間七七四年:2009/10/24(土) 17:18:58 ID:k3G7ZgT/
>>104
1991年10月20日初版発行の信長の野望武将風雲録武将FILEの92ページ下に
「戦国日本は世界の一等国」
世界の国々に比べると、戦国時代の日本は超大国だったのだ!
と言う見出しがあり、そこの信長大マンセー記事と長篠合戦で数千の鉄砲隊→日本全国では少なくともこの6倍→全ヨーロッパの鉄砲数より多い→日本は未曽有の超大国とかバカな妄想が書かれまくっている。
114人間七七四年:2009/10/24(土) 18:01:42 ID:Ijv9xR8W
>>113

それが妄想とかいう根拠や、ヨーロッパの鉄砲の数とかは?
どっちかっつうと、そっちの方が聞きたいんだが。

少なくとも、時代が下ると6倍どころの数じゃなくなるんだがな。
115人間七七四年:2009/10/24(土) 18:16:28 ID:9sy8U2uB
>>113
イギリス、スペインの保有数持ってきて比較すればいいんじゃないの?
あとそのソースの出典も。
どこかのサイトとかそういうのじゃなくて。
116人間七七四年:2009/10/24(土) 20:10:40 ID:k3G7ZgT/
117人間七七四年:2009/10/24(土) 20:12:09 ID:Kxk+1Yey
最上とか最高
118人間七七四年:2009/10/24(土) 20:21:59 ID:ZPBN/tM3
>>113
じゃあ当時の日本とスペインやトルコの動員数および
その内訳を提示して、実際に日本の方が鉄砲少なかった事を証明すりゃいいじゃん。
あ、言っとくが「火薬輸入に頼ってたから〜」
とか言って逃げんなよ
119人間七七四年:2009/10/25(日) 04:40:40 ID:Eb7WDS0C
世界一多いかどうかは知らないが
一大名にすぎない龍造寺隆信が1584年の戦では9000人の鉄砲隊を出していた。
まあ9000人だから9000丁っていう単純なもんじゃないけど、兵数に近い数の鉄砲がないとおかしいよね。

1589年ナヴァール王即位を援護する目的でイギリスがフランスに送った軍は一連隊3600人x4連隊
各連隊の銃砲兵は30%とするよう命令した。4320丁ってことになるよね。
(理想は60%だったがそれは無理そうだと基準を下げたそうだ)
が結局指定数集めることができないまま出発した。
結局どのくらい不足していたのかについては個人的に疑問がある所があるので明言しないけどとりあえず不足していたところまでは信用しているんだよね。
全軍で1100丁不足って言うんだもん。鵜呑みにするなら3000丁程度しか運用できなかったことになる。ちょっと信じられないんだよな。
まあ全面戦争のための軍隊じゃなく派遣軍なのでこれが全力というわけでもないが、それでもかなり無理して集めている様子なんだよね。

こういったことを考えると実際の保有数は他の人に任せるけど
1580年代での比較として「その人の鶴の一声で運用できる鉄砲数比較」は
日本の一大名≠イギリス国王(エリザベス女王だけど)ぐらいだったっぽい。
有力大名が2、3集まったら確実に並ぶんじゃないかな。

まあ詳しい比較は他の人に任せるよ
これはあくまで参考ね
120人間七七四年:2009/10/25(日) 08:51:23 ID:aKXKLnmt
最上はカス大名俺はこれを色んなところで主張している
121人間七七四年:2009/10/25(日) 09:02:14 ID:xZSqKTDs
だって実際、単なる暗殺稼業の最上カス光だもん。
122人間七七四年:2009/10/25(日) 09:44:44 ID:/W3BUfuF
>>119
どうでもいいが≠じゃなくて≒じゃないのか?
123人間七七四年:2009/10/25(日) 09:56:41 ID:cCTQxg7m
1589年というと、アンリ3世がなくなり、ヴァロア朝からアンリ4世の
ブルボン朝に変わった重要な節目。宗教戦争中のこと。
イギリスが軍を送るとしたなら、フランス内のカルヴァン派支援でボルドーの
軍事港湾施設に送った時だろう。

双方の国王が抱えている正規軍は少なかったから、ドイツ、スイスの傭兵で
補ったはず。銃兵の割合は少なかったし、まだ槍騎兵の突撃が重視されてた。
鉄砲主体の軍事革命RMAは、100年後の17世紀から。
エリザベス女王、寄せ集めで、常時賃金未払いがつきものの傭兵集団だったから、とても
気合いびりびりの佐賀の熊さんの敵ではなかったでしょう。

最強スペインでさえ、カール5世が戦力として使ったのは
異教徒のルター派の傭兵。最大動員が20万程度。
スペイン、植民地の巨富あっても財政下手もあるけど、
戦争しすぎでその後破産したわけだし。

この当時の西欧システムとしての軍事組織は、日本諸侯の方が異常に
早く発達したのだろう。で、なければ戦国渦中で滅びた。
124人間七七四年:2009/10/25(日) 10:07:56 ID:0hGOjJtf
たとえば、戦国期の大名は戦に当たって、
雑兵のために甲冑、刀、やりまで貸し与えているくらいには裕福。
同時代に雑兵に貸す武具をここまで調達できる国はあまりないんじゃないかと。
どうも日本の風俗は質素なので、さぞかし貧乏なんだろうと勘違いしている人も
いるけど、実際の兵の動員数はもとより、武具甲冑の類の絶対数も桁違いです。
日本は基本的に武具輸出国だし
125人間七七四年:2009/10/25(日) 10:25:10 ID:CQ4CPZ3A
動員率については農業生産力の差が大きいよな
当時のヨーロッパは鋤で地面を熾して、そこに籾をばら撒き、実るまで放置の粗放農業
麦の収穫は1リットルの籾を蒔いて3〜5リットル取れれば上等、時には1リットルを割ったりする
農地は地力を回復させるために2/3は休ませなくてはならないし

このせいで大規模の正規軍を常備なんてできなかったんだ
んで、いざ事となると傭兵を雇うということになる
スペインは、テルシオ戦術を使うため、高い錬度の兵が必要で
傭兵を常備軍として雇い入れたため、費用がかさんで破産したりしてる
アメリカからの大量の銀の流入でインフレが加速したのもそれに拍車をかけてたり
126人間七七四年:2009/10/25(日) 10:29:08 ID:cCTQxg7m
戦国大名が金持ちかどうかは知らないが、武器の整備、装備
については死活問題だった。銀と並んで刀剣が主要輸出産業だった。

欧州の傭兵は各自自前の武器携行だから
装備、練度もバラバラ、それの寄せ集めだった。

大規模な鉄砲部隊の編成、したくてもできなかったのだろう。

ただ航海術、水上戦闘術は、イスラムに学んで先進的だったが。
127人間七七四年:2009/10/25(日) 12:11:44 ID:eajCG1O+
>>123
20万?
メッツ包囲で同盟諸国からかき集めた軍勢5万が最大じゃなかったっけ?

とりあえず婆さんソース取っておくれ。
128人間七七四年:2009/10/25(日) 12:24:13 ID:xZSqKTDs
何でもいいが少しはソース書けよ
129人間七七四年:2009/10/25(日) 12:59:22 ID:S32/SHV8
>>111
第二次大戦ではアメリカ軍も兵站線軽視して失敗してるな。
トラックと物資は大量に用意したものの道路が軍隊と共用で、
渋滞→輸送できない→軍隊が動けない→大渋滞…と間抜けっぷりを披露して、
前線にいる英国軍を見殺しにしてた。
130人間七七四年:2009/10/26(月) 15:12:08 ID:wUlj6ftP
倭奴刀を揮ふこと~の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。 "揮刀如神"
131人間七七四年:2009/10/27(火) 04:03:20 ID:ocbaBg0n
>>114-115>>118

どうやら>>113は逃げちゃったのかな?
132人間七七四年:2009/10/28(水) 10:46:48 ID:8Ot+jDSN
このスレ的なあるある

日本の動員数が多いというと昔の記録には誇張があるという癖に
支那や西洋の動員数はスルーもしくは実際より少なく記載されていると言い張る
133人間七七四年:2009/10/28(水) 14:31:18 ID:aG8JEyq9
いいからソース出せや
134人間七七四年:2009/10/28(水) 17:59:20 ID:TE6nHao+
>>132
だったらヨーロッパの関ヶ原みたいな大規模戦出してみれば?
ヨーロッパの1国で20万も動員してる戦いあるの?
そもそも分母が圧倒的に違うんだから鉄砲の数で日本に勝る国も無いと思うけどね。
135人間七七四年:2009/10/28(水) 23:54:09 ID:/pQXiAtE
フメリニツキーの乱でのベレステーチュコの合戦は両軍の総数が20万にまで膨れ上がった。
当時のヨーロッパでは最大の合戦。
136人間七七四年:2009/10/29(木) 02:42:14 ID:zPIHMQ6i
137人間七七四年:2009/10/30(金) 19:39:53 ID:GW4BNk78
ベレステーチュコの戦い 1651年

ポーランド・リトアニア共和国軍 約6万

指揮官
ヤン2世カジミェシュ・ヴァーサ
イェレミ・ヴィシニョヴィエツキ
ミコワイ・ポトツキ
ステファン・チャルニェツキ

VS

ウクライナ・コサック軍 約10万
クリミア・ハン国軍 約4万

指揮官
ボフダン・フメリニツキー
イスラム・ギレイ3世
イヴァン・ボフーン
トゥガイ・ベイ

結果 ポーランド・リトアニア共和国軍の勝利
138人間七七四年:2009/10/30(金) 20:08:43 ID:S78aYext
中世の頃は教皇の圧力があってそんな大規模戦したらお互い破門されるからなぁ
139人間七七四年:2009/10/30(金) 22:04:46 ID:q1Cj3JVa
関ヶ原時だと近畿に20万、秀忠軍3万、東北関東北陸四国九州で15万。
日本全国で軽く30万はいたはず。
140人間七七四年:2009/10/31(土) 05:27:43 ID:jE3wLRBZ
中世当時の教皇の影響力は凄まじかったからな。下らん十字軍遠征とかもやらされたし
141人間七七四年:2009/11/03(火) 13:25:02 ID:Txou6633
ヴァレンシュタイン、最大12万の傭兵動員、とあちこちにあるな。

17世紀、モロッコのマーレイ朝、イスマイルのころは15万人の奴隷兵。
142人間七七四年:2009/11/03(火) 15:51:11 ID:vzQUskXh
16世紀にクリミア・ハン国がモスクワに侵攻した際は12万の動員で
モスクワ側が6万〜7万の動員。
143人間七七四年:2009/11/03(火) 16:00:25 ID:Ffi/oScf
モンゴル帝国って数少ないのに強い。
従属国の入れれば30万とか行くけどモンゴル兵だけだと6万とか。
そしてモンゴル帝国は補給で失敗したってのが無い。
真冬のロシアに攻めて失敗しなかった唯一の国。
144人間七七四年:2009/11/03(火) 16:08:08 ID:Txou6633
17世紀のころはもうバチカンの言うことなんて、屁の河童だったろう。
145人間七七四年:2009/11/03(火) 20:20:49 ID:c0upmEiU
啓蒙思想が浸透してから大規模戦が増えてきたな。
日本も鎖国終了の時代だったが
146人間七七四年:2009/11/04(水) 02:32:42 ID:DlU5hrHz
>>143
遊牧生活が可能な土地と家畜がある限り兵站、少なくとも
食料の確保を持続的に行えるからね。
遊牧民族のベラボウな強さはその辺にも要因があるんじゃないかと
思う。
147人間七七四年:2009/11/04(水) 04:41:13 ID:tzDKVc6Y
>>143
ポーランド・リトアニア共和国もロシア・ポーランド戦争で
モスクワを陥落させてるよ。
148人間七七四年:2009/11/05(木) 04:59:08 ID:FfbAsSBf
>>54
日露戦争で白兵戦では日本軍が圧倒的に強かったがな
149人間七七四年:2009/11/05(木) 10:32:16 ID:tgFuAWIf
>>146
食料は自分で歩いてついてくるからなw
150人間七七四年:2009/11/05(木) 10:56:44 ID:pQHqt1+3
辻「牟田口さんのアイデア素晴らしいです。ジンギスカン作戦こそ補給問題を根本的に解決する妙策ですね」
151人間七七四年:2009/11/11(水) 20:19:20 ID:BNzwf8I3
宣教師フロンソ・サンチェス (スペイン国王への手紙より)
シナ人は自国のおびただしい人口に自信を持っているものの、
スペインのわずかな鉄砲隊で、
何百万人ものシナ人を滅ぼせるという事が理解できていない。
先年僅か13人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
3000人以上のシナ人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはそこから脱出するや、
直ちに多数のシナ人を殺してしまった。
シナ人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、
それに乗って逃げてしまった。
シナの征服は日本人の軍事力を利用してすべきである。
152人間七七四年:2009/11/13(金) 22:10:25 ID:vKRN3IVC
まだこのスレ残ってたのか
153人間七七四年:2009/11/14(土) 02:32:48 ID:rf50uX3O
>>150
牛「むりっす。こんなとこ通れねえっす」
154人間七七四年:2009/11/14(土) 07:24:40 ID:q/OLfK+n
>150
兵「しかもよりによって水牛かよw」
155人間七七四年:2009/11/14(土) 09:52:17 ID:+N1UlWQf
>>150
兵「てか芸者連れてくんなよ」
156人間七七四年:2009/11/16(月) 10:58:24 ID:mrROhO8W
日本国民は勇敢で絶えず軍事訓練をしている。
したがって日本を征服しても益はないが、スペインが中国に進出するときのよい足場になるので、日本を重視する必要がある。
私が、ここで陛下に断言できることは、迅速に遠征するならば、シナを簡単に征服できるということである。
そして、このことを一層容易に運ぶには、シナの近くにいる日本人が、すすんでこれに加わると思えるのである。
日本人は、シナ人に対して非常に効果的である。

スペインの宣教師バリニャーノ
157人間七七四年:2009/11/25(水) 17:58:01 ID:NMz6evxN
1554年12月、朝鮮では、鉄砲の技術を学ぶため、教官として一人の日本人が招かれていた。
その日本人教官が、朝鮮の国境警備隊(備辺司)の隊長に、こんなことを言った

「自分の知り合いに、先に朝鮮の取締りを逃れ済州島から命からがら逃げてきた倭寇の薩摩人がいるのだが、
その者が、明春、報復のため大船団を派遣して済州島に攻め込むと言っている。
気をつけられよ。」

これを聞いた朝鮮政府はこう反応した。
「無い無いそんな事www」
無論、何の対策も採らなかった。


そして5月11日

倭寇は、来た。
七十隻あまりと言う大船団で。

彼らは全羅道の達梁浦に上陸すると、達梁城を取り囲む。
何の対策もしていなかった達梁城はわずか5日で陥落。
さらに全羅道各地の軍事施設を軒並み破壊し尽くし、
朝鮮の防衛体制は完全に麻痺、さらに六月になると済州島を襲い、
当地に甚大な被害を与えた。

このように暴れまわった挙句、倭寇は再び去っていった。
この事件は「達梁倭変」と呼ばれ、当時の朝鮮政府に、深刻なショックを与えたと言う。
158人間七七四年:2009/11/25(水) 23:06:49 ID:47fHgUcQ
チョン相手の武勇伝なんて何の足しにもならないな。
東インド会社の日本人傭兵についてよろしく。
159人間七七四年:2009/11/25(水) 23:12:48 ID:NhU08QeD
日本の合戦って動員数に比べて死者数が少ないけど
どんだけ脆いんだよ
160人間七七四年:2009/11/25(水) 23:14:40 ID:47fHgUcQ
>>28
文永の役では内地の御家人は日和っていて一兵も参加していない。
元軍の上陸も成功している。だって阻止してないから。
日本側は九州の御家人のみが日本の伝統的防衛ドクトリンに基づき
水城に立てこもって迎撃する予定だった。たぶん一万もいない。
ところが先駆けした菊池勢が福岡平野に進出していた
元軍をフルボッコにしてしまい
敵が思いのほか雑魚であることが判明。
積極策に転じて福岡平野から元軍を駆逐する。
161人間七七四年:2009/11/25(水) 23:24:31 ID:47fHgUcQ
>>48
ラテン帝国の初代皇帝の末路なんて脳筋丸出しだよな。
遊牧民族コミ族の十八番の偽装後退にひっかかりまくって連戦連敗
やっと偽りに気づいて「今度は陣地を築いて
何があっても一歩も動かないぜ!」と軍議で決めたと思ったら、
直後の戦いで後退するコミ族に向けて皇帝が突撃→捕虜

強い弱い以前に知能の点で生物失格。
162人間七七四年:2009/11/26(木) 22:30:06 ID:LsBQ8epT
>>159
ルネサンス期のヨーロッパでは
傭兵同士の馴れ合いで大抵カタがつき
死者は落馬した奴一名だけ
だなんて例もザラにあった件について。

まさか、ヨーロッパの戦争は
ベルセルクの戦場シーンみたいなのを
想像してるんじゃなかろうな?
163人間七七四年:2009/11/27(金) 12:22:47 ID:y/fgBeMw
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである
(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。

パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
164人間七七四年:2009/11/28(土) 14:38:30 ID:FNI2jSWM
>>162
そりゃイタリアの話だろ
そんなのはフランスによるイタリア戦争で破綻してる
165人間七七四年:2009/11/29(日) 19:57:06 ID:xWW6xu18
たて逃げ乙w
166人間七七四年:2009/12/07(月) 16:24:56 ID:azhWNBBe
よくこういうスレたてて逃げる在日いるよなww
167人間七七四年:2009/12/07(月) 23:12:53 ID:a/p82jY1
築城技術と攻城戦に関しては日本レベル低いだろ。
欧州の城塞都市は本当に凄い。
168人間七七四年:2009/12/08(火) 04:38:36 ID:wF6GUBY8
朝鮮出兵の折には、倭城が30以上作られたが陥落した城は一つもない。

169人間七七四年:2009/12/09(水) 22:27:24 ID:hqTDxujd
>>167
当のヨーロッパ人が褒めてる大坂城のレベルが低いとか言うのか。

あと、日本には地震があるのよ。
昭和25年の建築基準法まで日本は壊れるの前提。
今見ると軍艦島のアパートとかすげえ怖いし。
170人間七七四年:2009/12/10(木) 13:27:02 ID:0GmH0ASP
姜弘重『東槎録』1624年
「新将軍の邸宅から城内を一巡して、東に行くこと幾十里あまり、
(朝鮮の一里は日本の十分の一)内城の周囲もまた五里は下らなかった。
築城の石は皆大石をもってし、その勢いに従って積み上げ面を削っているのが神業のように巧妙であった。
内に高楼傑閣が起ち、将軍はその中にいる。
別に五層の飛ぶような楼閣が中央に起ち見張りをして守備をするところで、天守台といった。
金色の甍と白い壁が堀の水に影を落とし、光彩が人を照らして心魂を眩乱する。
(大名)各家で兵を養い、兵器が便利で精巧であり、軍糧が山積みされ、戦艦が海に満ち、
常に臨陣対塁の心構えができている。
だから兵を動員しようとすれば命令に従って直ちに出動できる」
171人間七七四年:2009/12/18(金) 00:05:13 ID:XZSvovTJ
>>164
いや、イタリアだけじゃねーし。
つかフランスなんて傭兵頼りの最たる例だし
172人間七七四年:2010/01/24(日) 04:19:52 ID:S6f+zZv7
>>74
火薬を作ってたのは西日本だろ
東国は戦争技術が遅れた土地だし
173人間七七四年:2010/01/29(金) 05:22:28 ID:QEkacnvt
つうか戦国日本は人口多いし武器武装強力だし築城技術もめちゃめちゃ高いぞ
日本の城と西洋の城だと単純比較したら日本の城のほうが強いというくらい
(日本は地形が複雑な分、地形の要害さ込みで築城するから単純に攻めにくさを
比較してもあまり意味なんかないとは言えるけど)
補給兵站が進んでるのも指摘されてるが、だいたい全国各地で延々戦争ばかり
続けてた戦争民族なんだから他国と比べて戦争強いのは当たり前じゃねーの?
しかし水軍は全然弱いから外征はダメだが。唐入りも海戦で補給切られてたし
防衛戦力としては世界有数かも知れないが、大規模遠征は向いてないだろね

しかし何故周り海だらけのこの国で、造船航海術がさほど発達しなかったのか
不思議に感じなくもないんだよなあ
174人間七七四年:2010/01/29(金) 05:26:43 ID:QEkacnvt
>>172
んなこたないが
東国は戦国中期には火薬の開発を達成してる
まあ生産量や品質は不足してたそうで、完全自給には至らないが
175人間七七四年:2010/02/04(木) 01:43:12 ID:4m0jk5dI
>>173
日本が発達しなかったというより、欧州が奇形的に発達したと言う方が正しいんじゃね?
たしかに、イスラムや中華帝国と比べても遅れてるけど、日本近海を巡る程度なら充分だったし。

欧州みたいに恒常的に外国と海戦やってた訳じゃないし、街道整備するから兵站は陸路でもいいし、
基本の物品は国内の生産量で事足りるし、私略船なんて恥知らずな発想は無かったし、
日本の入り江には和船の方が合ってるし、ぶっちゃけ海外に出る理由が欧州より弱かった。
176人間七七四年:2010/02/12(金) 03:42:29 ID:tyifhKEG
>>173
日本の水軍運用がいまいちだったのは事実だが
残念ながら海戦で補給きられたことはないよ

ちなみに朝鮮水軍は日本軍に補給を切られて潰走したことがある
漆川梁海戦とかモロにそうでしょ
のどの渇きに耐えかね陸地へ上がろうとするたびに日本軍に蹴落とされ
みるみる疲弊していった。

当時の水軍は(日本に限らず)陸戦で勝ってないとまともに機能しないことがほとんど。

ちなみに文禄の役の緒戦のほうで内陸に突出しすぎた末端の日本軍が補給をきられたことはある。
177人間七七四年:2010/02/13(土) 02:24:14 ID:gTHmePTg
そういや蔚山城の戦いでも日本は兵糧攻めに苦しんだんだけど
こっちゃ日本が最終的に勝っちゃってるしな
178人間七七四年:2010/02/19(金) 23:31:49 ID:/C3Rnplg
戦国じゃねーが大戦を経験した兵士の間であれだけはヤバイと言われるのは日本兵

言うまでもないだろ?
179人間七七四年:2010/02/19(金) 23:37:20 ID:/C3Rnplg
大戦中の軍事教育受けた兵隊程度なんて戦国の百姓にさえ及ばなかったろ
180人間七七四年:2010/03/19(金) 21:58:05 ID:kwfnY+/q
「紀效新書」1595年 戚継光
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は
恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も
飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」

「揮刀如神」 明末期 
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身が
すくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、
壮年にいたれば手に負えなくなる」

「単刀法選」 程宗猷 1621年
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」

「広東新語・語器」 屈大均(1630〜95)
 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、
大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」

「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、
二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、
ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
181人間七七四年:2010/03/20(土) 00:48:14 ID:bxx3cRkA
たぶん死を恐れないことが世界でも最も突出してるんではないだろうか
侍だけじゃなく極楽浄土脳の一般百姓レベルも

ハラキリは世界の歴史上でも特異
182人間七七四年:2010/03/20(土) 00:55:10 ID:7hFjXlM3
戦国時代の合戦は
なんでもありな戦いではなかった
足元を攻撃、狙うのは反則とか
背後から攻撃するのはなしとかね
武士で背中に切り傷があったら、お家断絶とか

秀吉の文禄・慶長の役とか
当時、アジア最強を誇った軍事力を擁しながら
海賊しか実戦経験のない朝鮮軍に結果負けた
殆ど実戦も知らない、軍の組織運用も知らない素人集団の朝鮮軍に対して
初期は圧倒して気散らしたが、「義兵」と呼ばれる民兵の組織が
ゲリラ戦法を行ったせいで日本軍は混乱した
援軍の明も、長い戦国時代を経験し職業軍人も多数いた日本軍の敵ではなかった
武器も日本は射程が長い狙撃用の火縄銃を常備
相手の主力、弓は120メートル程度の日本の弓の300メートル弓よりもショボイ武装
これ程、差があったにも関わらず
ルール無用のゲリラ戦法や日本の武士道のせいで負けた
183人間七七四年:2010/03/20(土) 00:55:29 ID:bxx3cRkA
帰化産業革命後の機械が戦争の主役に移った時も精神主義がはばかり通った

無理な作戦と甘い読み違いはその精神主義が裏目に出た結果
184名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 04:38:59 ID:JCS8u40A
日本『ちょっと明(朝鮮)攻略してくるわ』
朝鮮『ちょ、おま、なにすn、もう止めて!HPは0よ!』
日本『本拠地の漢城とったどー、もっと奥地攻めるね^^』
朝鮮『もうやめて、もういぇm 』
日本『秀吉亡くなったぉ、お家争い忙しくなるしもう帰ろうぜ』
朝鮮『え・・・何?講和条約? 』
日本『んじゃ、またほとぼり冷めたら来るわ』
朝鮮『・・・まってお!許さないお!講和なんか守らないお!半島から生きて返さないお!』
日本『うぜー!小西は何、手こずってんだよ。島津、小西拾ってこいや』
朝鮮『許さないお!(実質HP2/100)』
日本『小西生還+敵将の首もごろごろ捕ったからあいつ等も、もう懲りただろw』
朝鮮『…日本撤退させたどー!大勝利!大勝利ー!(実質HP1/100)』
185人間七七四年:2010/03/20(土) 04:40:04 ID:mr2UTKcr
中世は殺し合いにも訳分からんルールがあったからな。
貴族どもがボウガンは卑怯だの言ってるし
186名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 04:41:54 ID:JCS8u40A
指揮官が優秀なら精神主義は何も問題はない

イギリス公使館書記生ランスロット・ジャイルズ
王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援軍が送られた。
王府で指揮をとっているのは、日本の柴中佐である。

日本兵が最も優秀であることは確かだし、
ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。
日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。
わがイギリス水兵がこれに続く。
しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う。

187名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 04:42:59 ID:JCS8u40A
B・シンプソン イギリス人義勇兵

数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢の日本軍は、
王府の高い壁の守備にあたっていた。
その壁はどこまでも延々とつづき、普通ならばそれを守るには少なくとも5百名の兵を必要とした。
しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。
公使館付き武官のリュウトナン・コロネル・シバ(柴中佐)である。

この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。
彼は部下たちを組織し、さらに大勢の教民たちを召集して、前線を強化していた。
実のところ、彼はなすべきことをすべてやっていた。
僕は、自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。
188人間七七四年:2010/04/13(火) 18:41:38 ID:g0vFKRNA
俺はこれ見て、日本最強説、放棄しちゃったなあ・・・

http://rocketnews24.com/?p=26559
189人間七七四年:2010/04/13(火) 20:24:14 ID:Z/3PWX30
>>175
欧州は地中海で十分練習できた事が大きいよね。
それに比べて日本は駄目だ。
倭寇以降、造船技術は全く発展してないね。
190人間七七四年:2010/04/13(火) 21:57:31 ID:SLYEUqHZ
倭寇も国が関与してない海賊
191人間七七四年:2010/04/13(火) 23:32:54 ID:JFv9qkod
>>188
日本の剣術はチャンバラみたいに剣をぶつけ合うことはしないよ
機動性と切れ味で戦うのが日本刀だから。
192人間七七四年:2010/04/14(水) 00:37:59 ID:a4Hfq2Rp
昔剣術を習ってたんだが、刀で刀を受けるなって指導されたな
基本的に見切って避けろ、避けきれないなら受け流せって言われた
193人間七七四年:2010/04/14(水) 03:22:07 ID:G8KKEmZR
刀は折れるからね。
懸隔はなるべく刃をあわせないようにする。

しかし「なるべく受けるな」ってことだよ「絶対」ではない。
自分が斬られたら元も子もないんだし。
194人間七七四年:2010/04/14(水) 06:49:16 ID:zipLZci8
>>189
欧州の船が発展したように見えるのは、
海洋貿易が盛んだったイスラム帝国の船をパクったから。
日本も東南アジアなどと貿易するぐらいの船はあったが、
イスラムみたいに世界規模なのは無かったからなぁ。
香辛料への情熱がそうさせたから、ある意味仕方が無いのかも知れないが。
195人間七七四年:2010/04/22(木) 13:42:46 ID:laQNI+ib
レピアーを日本刀で斬る  レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpg
196人間七七四年:2010/04/22(木) 13:45:06 ID:laQNI+ib
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
ルイス・フロイス「日本史」

日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」
197人間七七四年:2010/05/09(日) 23:54:34 ID:imE3wpQI
>>188
それってドイツ人が現代の技術で作った各々をぶつけ合っただけだしね。

>>192
戦国時代からの形を残している鹿島新当流では基本からして
刀で刀を受け流す形だけど。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7036731

新刀の時代の流派と古刀の時代の流派では
その辺の考え方が違うのではないかな?
198仙台藩百姓:2010/05/10(月) 01:13:57 ID:geg6titT
何も刃で受けなくても鎬で弾いたり受け流したりという手があるお( ^ω^)
激しい斬り合いを鎬を削るというわけだし( ^ω^)
まあ、流派によっては刃で受けろというところもあるけど
少なくとも幕末の記録では刀がぐにゃぐにゃになってささくれ立ったとか
みんな鍔ぜり合いをしていたとかいうのを見るし
何せ実戦だから刀などどうなろうとお構いなしというのが現実だおうね( ^ω^)
199人間七七四年:2010/05/10(月) 23:44:07 ID:j47Op9LW
うちの流派は柳生石舟斎から高弟の一人を介して伝わった新陰流の亜流だったが、
>>197みたいに受け流す形が基本になってたと思う
太刀の操法とかもある、ちょっと変わった流派だったよ
200人間七七四年:2010/05/11(火) 03:26:21 ID:lZybtMZO
いや、残念ながら日本刀よりも
ただ太くてデカイだけのドイツのロングソードの方が耐久力があって
折れにくいというのは事実だと思うよ。
金属の構造上、そんなもんだって・・・

ただ、人を斬った場合、どちらが殺傷力があるかは別ね。
201200:2010/05/11(火) 03:29:24 ID:lZybtMZO
もしも日本刀とロングソードが同じ太さだった場合は
日本刀に軍配が上がるとは思うけどね。

ただ、太さが大きく違ったら、
工場で型押しでポンと作られた剣が一流の刀鍛冶が作った刀に
勝ったとしてもちっともおかしくはないと思うよ。
202人間七七四年:2010/05/11(火) 08:13:14 ID:Y5rZb44J
>>200
いや、ロングソードの素材の鉄は不純物が多くて金属の構造上脆いんだよ。
だから細くても日本刀の方が耐久力があって折れにくいよ。
203人間七七四年:2010/05/11(火) 21:30:26 ID:bGcJ1zfD
そもそも材質の点で日本にアドバンテージがあったわけだしな。
それは宣教師やオランダ人が書き残している。
あのロングソードとやらを当時の鋼+当時の製法で作り、
古刀とぶつけ合って初めて意味のある実験だと思う。
204人間七七四年:2010/05/11(火) 22:56:21 ID:FbN4kxLc
決定的に違うのは
日本刀の切れ味が格段に優れていること。
技術さえあれば金属甲冑でさえ分断できる。
対してヨーロッパ・中国の剣は切れ味ではなく、剣の重みで切るため
まず腕力がなければ用を成さない側面があった。
さらに甲冑で言えば、日本のそれは、編む・ねじる・繋ぐという
素材そのものの柔軟性を生かしつつも強度を上げる手法の為、比較的軽量であるが
ヨーロッパは金属打ち出しの甲冑であり、重く、つなぎ目のフレキシビリティに欠けた。
兵そのものの強さは、根本的民族間の根絶やしを目的としたヨーロッパ・中国に対し
日本は同族の仲間割れの延長上の戦いであり、それが武士道という清い概念に繋がった訳だ。
であるから兵の強さの比較発言は、おおよそ欺瞞に溢れた指摘だ。
205200:2010/05/12(水) 01:16:19 ID:9OgyqwXI
>>202-204
いや、だからさ。
そういう話しの根拠って実は乏しいんだよね。
「そうだろう」程度の話しなの。
日本人であるからの身びいきという線もある。
日本刀なら欧州や中国の甲冑や武器よりはるかに強度が高くて
何倍もの厚みがあっても裁断できるみたいな主張は行き過ぎてるぞ。
こんなことを言ってる俺ですら「同じ太さなら日本の刀が勝つ」と言ってるんだが、
それに対して「そんなもんじゃない」って反論するのも何だかって感じ・・・

そもそもドイツのロングソードをバカにしてるようだが、
ドイツ産のロングソードって凄いらしんだが。
ドイツの職人気質の高い鍛冶屋が作った剣は欧州剣でも随一の強度切れ味を持ってる。
206200:2010/05/12(水) 01:25:23 ID:9OgyqwXI
あと「兜割り」とか「鎧裁断」の逸話も
結局、超一流の剣客が超一流の刀を使って
はじめて実現できるレベルだしな。
そこらへんの雑兵や足軽全てが平気でやってたわけじゃないんだよ。

それを考えるとこのスレの命題的にどうかと思うんだよね。
日本の最高峰の武士と欧州や中国の最高峰の戦士のどちらが強い?
という命題なら日本の武士の方が強いのかもしれんが。
207人間七七四年:2010/05/12(水) 07:48:53 ID:k3t/Z+cU
>>205
身びいき?戦国から江戸時代にかけて日本人が海外に向け日本刀最強説を
発信したとでも?
208人間七七四年:2010/05/12(水) 08:59:49 ID:PWUML04t
日本刀は最強だと思うね。
いつぞやテレビで見た刀と機関砲の対決。
車を粉砕する弾丸を分断出来る剣など、世界のどこにあるのか
まずは証明されたことがあるのか?
日本刀の薄く強靭な鎬ならヘボな兵でもそれなりの効果は望めるだろうさ。
209人間七七四年:2010/05/12(水) 14:20:23 ID:bf4LovKv
武士は半農半武が大半だから、戦闘技術だけに人生かけている戦士持つ民族・国と比べたらどうしても平均的には劣るだろうな。
まぁ戦争でモノをいうのは個々の戦闘力より組織力や兵站なわけだが、これも戦国時代は内戦思想的というか、いい加減な面が多かったし。
210人間七七四年:2010/05/12(水) 14:28:40 ID:bf4LovKv
>>208
同じ実験を西洋剣でやっても同じになるよ。
何しろ、銃弾というのは鉛だからね。鍛えた鉄に硬度で劣って当たり前。
単純な実験の成果を絶対視しても無意味。
そもそも日本刀は明確な規格なんてなくて、まさにピンキリ。
軽く打ち合わせただけでぽっきり折れた、なんて悲惨な話も多い。
211人間七七四年:2010/05/12(水) 15:34:23 ID:XCTnnT6E
大陸の兵站は日本以上にグダグダだぞ。
212人間七七四年:2010/05/12(水) 20:59:00 ID:x4wbyO8M
300観て、スパルタ兵の圧倒的な強さにしびれた。
日本の戦国時代に、ああいう盾と槍で武装した重装歩兵がいたら、
かなりの活躍ができたように思えるんだけど、なぜ戦国大名は考えつかなかったんだろ?
213人間七七四年:2010/05/12(水) 21:32:19 ID:PWUML04t
>>210
そうはならないと思うね。
西洋剣は比較的柔らかい素材を
分厚い作りで体裁を整えたとすれば
鉛の弾丸であっても刃先の鋭角が圧倒的に違う西洋剣は
切るというよりはむしろ弾丸を砕け割るというものだろう。
日本刀はすっぱり切れてそのまま流れ飛んでいたからね。
そして何よりの証拠として
重機関銃の連続に耐えられる(剣程度の)金属棒など存在しない前提で言えば
西洋剣は正にただの金属棒だし、分厚い肉厚は弾丸の圧力をもろに受け止めるため
折れ飛んでしまうだろう。
対して日本刀の実験では
参加した兵士の発言「この機関砲に耐えられるものなど有りはしないよ」
というコメントとは裏腹に最初の数発は難なくクリアし
連射の果てに徐々に折れ飛ぶ健闘を見せた。
つまりこれは日本刀が如何に薄く強靭であり
弾丸を”切っている”という証拠である。

※参考引用
西側で一般的な重機関銃用弾薬の.50BMG(12.7mm×99)の場合、
軽装甲目標にも近距離なら十分有効な威力を持ちます。
タイヤで走っているような装甲車なら、側面からなら、
世界中のほとんどの装甲車を貫通可能です。
条件がよければ20mm近くの防弾鋼板を撃ち抜けるようです。
214人間七七四年:2010/05/12(水) 22:49:12 ID:JO0VQJxa
数年前なら相手を知らないことから来る、西洋最強説がまかり通ってたが
今はネットのせいで激減した
ヨーロッパvsモンゴルとかvsオスマンとか、西洋側の大量の日本資料でもうどうしようもない
215人間七七四年:2010/05/13(木) 03:44:25 ID:/I07Yh6E
>>212
アメコミ原作で
「原作に忠実に作られた」ファンタジーですよ
あれ

まあそれは置いておいても
ファランクスとかその亜種なんか戦国時代じゃ役に立たない

密集した律令制の軍隊との戦いでは

その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。
これを胡蝶陣という。

挟撃と奇襲を好む日本の軍隊相手にするには密集隊形は厳しいんじゃないかな
まあそれ以前に鉄砲で終わるけど


216人間七七四年:2010/05/13(木) 03:53:55 ID:dt30WuCL
機動力の高い日本とかモンゴル相手には無理だ
同じ地域ですらなぜあの戦術をずっとやらなかったか考えれば
217人間七七四年:2010/05/13(木) 13:23:36 ID:MjAn3lQG
まあ高度に組織化された中国や欧州の軍隊には苦戦するだろうね。
明の陸軍の槍兵と火縄銃兵の演習にはスペイン人も驚いて
「世界に中国ほど規律ある軍隊を持った国はない、彼らは世界を征服できる」と言ってる。

日本と違って、統一された編成と整然とした隊形を組んで戦うのが中国の特徴。
明後期にはフランキ砲を歩兵小隊に行き渡らせ、火力の増強を図っている。
これはスゥエーデンの連隊砲に先んじた先見の姪があると思う。
218人間七七四年:2010/05/13(木) 13:39:48 ID:jMXdisyM
密集陣は基本的に素人が主力の軍隊が行うものなんだけどね
日本は中世の武士階級が近世に対応したという、世界的に見ても異常な産物ですし

稷山の戦いで明の精鋭部隊と黒田隊互角に戦っているのを見ても、互角と言える
219人間七七四年:2010/05/13(木) 14:40:43 ID:pwHo+dLW
近世なんてずっと鎖国してたじゃん
明治維新で一気に列強の仲間入りしたけど
220人間七七四年:2010/05/13(木) 15:18:33 ID:/I07Yh6E
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、
人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、
例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、
これを聞こうとする者はいなかった。

「日本人は支那人よりも勇敢で、
武器ならびに戦術の点で優れており、
数々の面で支那軍の劣勢は疑えない。」

ルイス・フロイス「日本史」
221人間七七四年:2010/05/13(木) 15:20:56 ID:jMXdisyM
安土桃山時代や江戸初期も近世
222人間七七四年:2010/05/13(木) 15:25:41 ID:/I07Yh6E
「揮刀如~」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃を擁している場合でも勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」

↑高度に組織化されていたかどうかは置いておいて士気は崩壊していたようだね>明軍
223人間七七四年:2010/05/13(木) 21:38:19 ID:2km5P2Ir
>>217
隊列組んでるから先進的、優秀って事は無いよ。
密集してるって事は機動性を欠き、銃の良い的にしかならないという致命的欠点がある。
アメリカ独立戦争では、統制のとれた横陣を敷くイギリス正規軍が、
散開して射撃する少数のアメリカ民兵に毎回敗北している。
それを参考にしたのがナポレオン。
224人間七七四年:2010/05/13(木) 22:10:01 ID:WnlXR7vH
>>215
つか、ファランクス自体ローマの剣士を軸としたレギオン戦術の前に
消え去ったわけだし、槍合わせの後の斬りこみであっさり瓦解しそうだな。
225人間七七四年:2010/05/13(木) 22:20:08 ID:WnlXR7vH
あと、定期的にこれ貼っとくか。


スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである
(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。

パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
226人間七七四年:2010/05/13(木) 22:23:18 ID:y8CaYQp6
薩英戦争で英国艦隊のアームストロング砲が発射時の力(振動、圧力などか)
に耐え切れずひび割れたのと同じらしく、威力(射程距離を延ばすこと)の
向上を急ぎ過ぎたための結末である
227人間七七四年:2010/05/14(金) 03:58:36 ID:6qATiOqD
中国の鉄砲や大砲の装備率はどれくらいのものか。
天啓〜崇禎年間、孫承宗の歩騎車混成部隊の時代だと、
1営6626名中、火器は三眼槍1728丁、鳥槍(鳥銃、火縄銃のこと)256丁、火箭(ロケット弾)7680発、
佛郎機砲256門、滅虜砲80門、大砲16門。

火縄銃の装備が高いものを探せば、隆慶年間、戚継光の戚家軍はかなり比率が高い。
1車20人あたり佛郎機2門、鳥銃4丁、火箭60発となっている。
1営3109人あたり、大将軍鉄炮8門、佛郎機256門、鳥銃512丁、火箭7780発。
鳥銃もだが、小型にしろ大砲の装備率が高いことに驚かされる。
ただ、これはあくまで彼の指揮下部隊数千人の編成であり明軍全体がそうだったわけではない。

地域によって装備は相当の差異があったようで
文禄・慶長の役があった万暦年間の遼東鎮の正兵火器営団の装備内役だと、
1方営400人あたり三眼槍320丁(1隊=25人あたり砲手4名、三眼槍20丁)。
奇(騎)兵営団では、1奇兵営1200騎あたり弓箭手が32隊800名(1隊25人あたり弓15張、長槍10本)、火器手が8隊200名。
朝鮮軍陣図屏風では、蔚山城を囲む明の騎兵のほとんどが弓を持っている。
17世紀に入ると、騎兵の銃手の比率が更に高まってくる。
228人間七七四年:2010/05/14(金) 04:06:51 ID:6qATiOqD
>>224
ローマのマニプルス戦術でも、ファランクスの正面圧力に対抗は難しく退却しそうになったんだけど、
ファランクスは隊形変換や障害物などで隊形が崩れると非常に鈍重だったので
その隙間から浸透され撃破されたんだよな。
あとは騎兵が弱体化していたことも大きいので、必ずしもローマのレギオンが強いと言うわけではないと思う。

16世紀後半は槍密集陣に銃を組み合わせた、テルシオやオランダ式大隊が猛威を振るっていた。
229人間七七四年:2010/05/14(金) 07:36:16 ID:icnZCGsc
>>227
中国の鉄砲といえばこんな記事がある。フロイスには理解できないミステリアスな構造をしていたようだな。

・さらに日本人と同じく刀剣、また多数の鉄砲隊を用いた。彼らの鉄砲は、どのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのための死傷者が一人も出なかったからである。
フロイス『日本史』
230人間七七四年:2010/05/14(金) 11:27:20 ID:/VrYXGhd
>>213
俺は>>210の言う事が正しいと思うなあ。
「機関砲の弾を切れる日本刀ってなんて凄いんだろう・・・」

それって日本刀でだけしか試してないからな。
他の国の剣で試してちゃんと比較しないと、
想像だけでモノを言われてもなあ。
231人間七七四年:2010/05/14(金) 11:51:05 ID:/U5YPK5n
>>230
確かに言う通りだと思うが、
ただしかし、その実験では、例えば戦車の砲弾を超高速カメラで撮影し
空気の密度が湾曲して映し出す映像など
かなり大掛かりな(金のかかった)科学実験であることを加味すると
それなりの科学的見地、つまりここでは
同じ刀剣類の中で日本刀が強靭であり、
わざわざ大掛かりな実験をするからには
他の剣類より優れていることを確認しているであろう前提を加味した、今回の発言ではある。
もっと言えば、実験したはいいが、他の刀剣が優れていた、などと
間抜けな落ちは冒さないだろうと見たからでもある。
232人間七七四年:2010/05/14(金) 12:44:21 ID:cev5wjUQ


「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
233人間七七四年:2010/05/14(金) 12:49:28 ID:cev5wjUQ
アーノルダス・モンタヌス「日本誌」
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。
彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。

ゴロヴニン『日本幽囚記』
鋼製品はどうかというと、日本の大小刀は、おそらくダマスカス製と並んで、
その他の世界中あらゆる剣を凌駕している。
また鋼その他あらゆる金屬の研磨にかけては、日本人は一頭地を抜いている。
彼らは金屬の鏡まで作るが、それはガラスの鏡と同様に反射するのである。
234人間七七四年:2010/05/14(金) 13:21:19 ID:/U5YPK5n
>>230
日本刀が他の刀剣と比較して如何に優れているか
かの有名なディスカバリーチャンネル(英語ドキュメンタリー)が
証明してるサイトを発見しましたのでご覧有れ。
http://youtubelistening.blog116.fc2.com/blog-entry-113.html
余談ですが、刀の鋳造技術は現在の車のホイールにも使われ
その強度と精度はF1フェラーリでも認められ使われていることも
その一端としてみることができるのかな、と。
235人間七七四年:2010/05/14(金) 13:31:18 ID:rd4BFRQH
第二東京タワーには五重塔の・・・くらいの話で
236人間七七四年:2010/05/14(金) 13:53:30 ID:/U5YPK5n
まあホイールの話はご愛嬌としても
>>234の日本刀の話は興味深く
日本刀は刀剣の中で一番であり
日本独自の技術であり、武士族の心である。
これは外国人自身が導いた結果であるということが
君たちの疑い深い頭には納得しやすいのでは?
むしろそれを感覚的に信じれない奴は
そもそも武士系の出ではない証なのかもしれないね。
237人間七七四年:2010/05/14(金) 14:34:23 ID:/U5YPK5n
というかこの映像を見る限り
白兵戦であれば日本の武士は一番強いと言っているに等しい。
このスレの結論とも言える。
覆すには、ディスカバリーチャンネルより説得力がある発言&ソースが無いとねw
238人間七七四年:2010/05/14(金) 15:42:33 ID:cev5wjUQ
模造刀を日本刀で斬る   模造刀が真っ二つに斬れる
日本刀鎬を日本刀で斬る  日本刀は折れない曲がらない
日本刀刃を日本刀で斬る  ぶつかった箇所は刃こぼれのみだが根元で折れる
レピアーを日本刀で斬る  レピアー粉砕される
日本刀をクレイモアで斬る 日本刀まるで平気


レピアーを日本刀で斬る  レピアー粉砕される
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071213162356.jpg
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpg
239人間七七四年:2010/05/14(金) 15:59:44 ID:cev5wjUQ
>>236
あの動画は元寇に関して和弓の威力と技術に関しての功績を無視しすぎなのが残念だね
日本刀にスポット当ててるから仕方が無いのかもしれんが
240人間七七四年:2010/05/14(金) 19:29:40 ID:/VrYXGhd
これを言ったら身も蓋もないが、
そもそも日本刀の威力とか意味あるのか?
戦場で刀なんてほとんど使われない。
首を切りとるときに使うだけだ。

戦傷の順位が
1位 鉄砲傷 2位 弓傷 3位 槍傷
4位 石つぶて傷 5位 刀傷で

無論、戦国前期と後期で鉄砲や弓の割合が大きく異なるが
日本の合戦は基本的に遠戦主体、戦傷の原因の75%は遠戦武器が占める。
白兵戦最強とか言ってるが白兵戦なんてものは特殊な状況で発生するだけ。
241人間七七四年:2010/05/14(金) 19:58:39 ID:rd4BFRQH
またカビ臭いのが出てきたな
242人間七七四年:2010/05/15(土) 00:08:43 ID:Npkt+MpX
>>240
スレタイからすると
兵站論までは含まれないんじゃないかね。。
243人間七七四年:2010/05/15(土) 01:56:21 ID:doYy/cle
>>240
陣地を取るためには現代ですら白兵戦しなくちゃならない

つまり戦の最後は白兵戦必須なわけで、そのとき刀が有効だった、ってな話なわけで
料理に含まれる塩分は数パーセント以下だけど、なかったら話にならないように
現在でも銃剣が残る現状をかんがみても、白兵戦(日本刀)軽視は的外れじゃない?
244人間七七四年:2010/05/15(土) 05:16:50 ID:PPTLGQ1D
321 :人間七七四年:2010/03/24(水) 23:08:37 ID:/UNqlYQU
ttp://okwave.jp/qa/q2305756.html?order=DESC&by=datetime

ちなみに銃剣で死傷する割合は、
白兵戦全盛のナポレオン戦争時代でも
死者数全体の1〜5%にも満たないことが
19世紀初頭にはわかっていました。

刀槍による負傷率が約三割って、実は白兵戦での負傷率が他地域よりも多いんじゃね?
245人間七七四年:2010/05/15(土) 05:32:04 ID:I2b+RCNQ
>>240
日本刀首切り道具はない。首は脇差でとるものだから。
つか、いまどき日本刀首切り道具だの遠戦だのの鈴木説はアレじゃないか?
ここを見てからのほうがいいと思う

次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
246人間七七四年:2010/05/15(土) 11:45:05 ID:XQ54Jjbj
>>240
で、その数字は何を基準に出したのかね?

軍忠状とかいうなよ、聞いてるこっちが恥ずかしくなるから
247人間七七四年:2010/05/15(土) 12:08:13 ID:XmfM8aJW
なんで恥ずかしくなるのかわからん
248人間七七四年:2010/05/15(土) 12:59:49 ID:YSa6dH+1
今更鈴木ネタは恥ずかしい
249人間七七四年:2010/05/15(土) 13:34:21 ID:PPTLGQ1D
250人間七七四年:2010/05/15(土) 14:05:44 ID:XmfM8aJW
鈴木は恥ずかしいが元になった軍忠状研究まで辱める必要はないだろ
詳細不明らしいが
251人間七七四年:2010/05/15(土) 14:35:56 ID:Jg9OuuRV
「この国では戦争が絶えることがない。
戦争が多いため耕地はまだ少ないが、
土地は非常に豊沃なのでわずかな耕作で多量のコメを得ることができる。
このコメがすなわちこの国の主要な食料になっている。
また麦、粟、大麦、ソラマメ、そのほか豆類、野菜は大根やカブラ、ナスが豊富である。
果物はナシ、ザクロ、クリなどがあるが非常に少ない。
肉は少なく、国民は肉より魚を好む。
魚はその量多く、はなはだ美味である。

邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。」

パードレ・ガスパル・ビレラ 1557年

252人間七七四年:2010/05/15(土) 19:59:13 ID:PPTLGQ1D
>>250
ここで恥ずかしいとされているのは軍忠状の真偽のことではないんでないかな?

とりあえずそこは置いておいても
軍忠状でわかるデータは大半が「自己申告」で構成されている点をぼやかす輩が恥ずかしいということではないかな

軍功を大将に報告する「報告書」であって大将の「承認前」のものなわけね
要するにおおざっぱにいえば死んでない奴のデータ(死んでるやつも含むんだけどさ)といってもいいわけで
結果「戦死者」の死因を読み解けるような資料じゃないんだわこれが
253人間七七四年:2010/05/15(土) 22:48:02 ID:XQ54Jjbj
>>252
ついでに、負傷者達自身がどのような武装でどのような戦い方をしたか、といったことも軍忠状では解らないしな。

更には手元の本で紹介されている軍忠状では個々の負傷を記した後に
「この他の仁等、数多瑕を被り候ふと雖も、小事は注進に及ばず候」とあることから
軍忠状における負傷者は全負傷者中手柄になる負傷パターンのみを羅列したものとも見れる。

軍忠状は確かに有用な一級史料ではあるがこうした特性上それのみを統計基準として金科玉条的に使うやり方は
疑問視されている。
254人間七七四年:2010/05/16(日) 13:56:01 ID:JF+d0g82
優れた日本刀があった、ということと。日本刀全体が優れていたというのは別問題だしね。
弓や個人武勇についてもいえるが、どーも国粋主義というか、こういう妙な論を好むのが多いが。
255人間七七四年:2010/05/16(日) 14:06:02 ID:ag48CoJp
西洋長剣と日本刀を実際に打ち合わせて、日本刀が負けて折れた動画とかが流れた時に(外国人含む)サムライヲタがかなり慌てたことがあったなw
ぶっちゃけこの手の実験って耳目集めるのが目的で意味がないんだが。
まぁわざと細身のレイピアを耐久力がモノをいう実験で持ち出すあたり、当て馬にしようとしていたのは確実だろうがなぁ。
256人間七七四年:2010/05/16(日) 14:50:19 ID:eKNozcRD
しかし、>>240の戦傷割合ははそれほど意外なものではない。
ある意味、納得できるものである。

「近接用武器による戦傷者が多かった」という意見こそ
願望によるものでしかない。
257人間七七四年:2010/05/16(日) 14:55:58 ID:80qX3Npc
>>255
日本刀を厚みと幅が倍の西洋の剣で斬る 日本刀まるで平気
ttp://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20071212175955.jpg

>>256
>>244
321 :人間七七四年:2010/03/24(水) 23:08:37 ID:/UNqlYQU
ttp://okwave.jp/qa/q2305756.html?order=DESC&by=datetime

ちなみに銃剣で死傷する割合は、
白兵戦全盛のナポレオン戦争時代でも
死者数全体の1〜5%にも満たないことが
19世紀初頭にはわかっていました。

刀槍による負傷率が約三割って、実は白兵戦での負傷率が他地域よりも多いんじゃね?
258人間七七四年:2010/05/16(日) 14:56:02 ID:eKNozcRD
近代戦がそうであるように
戦争で遠戦武器と接近戦用武器の二つがあれば
遠戦武器を多用するのが当たり前。

接近戦用武器なんて弱った相手にとどめをさすために使うだけだろう。
259人間七七四年:2010/05/16(日) 14:57:54 ID:80qX3Npc
古今東西どんな戦でも総じて見れば、飛び道具による戦闘比率のほうが白兵戦を上回るのが当たり前。
どうしても『遠戦志向』かどうかを断じたいのならば、Aという国の白兵戦率とBという国の白兵戦率を比べるのが筋。
Aという国の『遠戦』率と、Aという国の『白兵戦』率を比較してどっちが大かを比べても、『遠戦志向』かどうかは断じられない。
260人間七七四年:2010/05/16(日) 15:05:03 ID:80qX3Npc
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。

「武藝圖譜通志」
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった


弱った敵にとどめを刺すというより
整然とした陣形が瓦解した「弱った軍」に斬りこませると効果絶大ってことだな

261人間七七四年:2010/05/16(日) 15:05:07 ID:eKNozcRD
>>257
まあそうだね。しかし、それって自慢になるのか?
このスレの命題の「ヨーロッパ中国の兵士と比べ戦国の武士は戦闘力低い」で
言えば日本の戦国の部隊がヨーロッパに比べて劣っているという証ではないのか?

近代戦で銃剣を使う局面があるとはいえ、誰が銃弾飛び交う状況の中で銃剣かざして突っ込むバカがいる?
そんな奴は絶好の標的でしかない。
日本の部隊が白兵戦重視なようなら、遠線武器を使うヨーロッバの軍隊に到底かなわない。
単なる「遅れた地域の劣った軍隊」ではないか。

当時は日本の銃はヨーロッバの全てを合計したより多かった?
それは良く聞く2chソース話しでしかない。
軍忠状を批判しといてそんないかがわしい説を信じてるようじゃねえ。
262人間七七四年:2010/05/16(日) 15:10:27 ID:80qX3Npc
>>261
>当時は日本の銃はヨーロッバの全てを合計したより多かった?

さらりと誰も言ってない嘘を混ぜるなよw
イギリスが即座に運用できる鉄砲の数が
日本の一大名の運用可能だった鉄砲の数と肩を並べていたっていうことはあるが
ヨーロッパ全体と比べて多いなんて誰も言ってないだろ
まあ中にはそういう勘違いしてるやつもいるかもしれんが俺は言ってないし
このスレのここのところの流れでも誰も言ってないだろw
263人間七七四年:2010/05/16(日) 15:17:35 ID:80qX3Npc

それと軍忠状を批判?ってもしかして>>252-253のこと?
軍忠状そのものの批判は誰もしてないと思うけどw
264人間七七四年:2010/05/16(日) 15:35:36 ID:80qX3Npc
つうか射撃戦と白兵戦はどっちも互いを有効に運用するために必要なんであって
白兵戦が多いから射撃戦軽視ってことにはならない

特に中-近世レベルの鉄砲では一発撃つのに数分、日本の優秀な鉄砲足軽で1分近くかかる
洋の東西かかわらず連射は効かない
弓と併用したとしても射撃だけで敵をせん滅とか不可能どころか変に射撃にだけこだわれば
それこそ斬りこまれて崩壊する
実際明が日本にやられた通りの結果になる

したがってここでの対立軸は
「白兵軽視の馬鹿」vs「射撃白兵どっちも重要派」ということになる
265人間七七四年:2010/05/16(日) 15:41:50 ID:b9C6etz3
>>261
ナポレオンの時代において、散兵と密集縦隊による銃剣突撃は戦術革命をもたらした。
それまで火力を重視した横隊で編成していたオーストリアやプロイセン軍に対し、
散兵と横隊、そして砲兵で敵の注意を引き付け、ここぞと言うタイミングで突撃してくる縦隊。
分厚い縦隊はまるで破城槌のように薄い横隊を突き破った。

同時に胸甲騎兵や槍騎兵による騎兵突撃も復権し、1万騎を越える大突撃も見られた。
266人間七七四年:2010/05/16(日) 15:55:58 ID:b9C6etz3
>>264
マスケット銃は訓練の100ヤード標的射撃だと命中率50%だけど、
不発率が晴天で15%、湿っていると30%前後。
ミュラーによると実戦に近い環境では、100ヤード(91m)で命中率約15%程度との試算。
ナポレオン時代では、相手を死傷に至らしめた有効弾はヴィトーリア会戦が全体の0.2%、タラヴェラ会戦が4%って集計がある。
ナポレオン曰く「集団で一斉射撃していくらか当たればいい」程度だそうだ。
267人間七七四年:2010/05/16(日) 16:05:37 ID:80qX3Npc
>>266
当時の火器は怪我人は出せても
戦闘能力を根絶する能力はまだ低かったわけだな

射撃で怯ませ白兵で決戦
どちらも重要だな
268人間七七四年:2010/05/16(日) 23:33:23 ID:avgItje1
>>264
ライフル銃・機関銃が行き渡る以前の銃火器は確実に殺傷できる距離が短い上に射撃間隔も長いからなあ。

自軍の損害を抑える、敵の突撃を挫くといった防御的用法が中世近世の射撃の基本で
敵の殲滅を企図するなら白兵戦は避けて通れないんだよな。
269人間七七四年:2010/05/17(月) 02:17:02 ID:9CUSEjzR
>>240-253

結局>>240 >>258が恥かいただけか
270人間七七四年:2010/05/17(月) 10:49:52 ID:eWwwEC/h
つうか実際の戦闘で相手を完全に殲滅する、なんて事例自体がほとんど無い。
陣形が崩れた時点で、大抵は兵を統制できず逃亡者続出。
日本だと長篠戦で織田軍が武田軍を挟み撃ちにしたが、それでも逃亡者続出しているからね。
完全に相手の息の根を止めるなんていうことしようとすると、味方が払う犠牲も馬鹿にならんし。
前提自体がゲームのような最後の一兵までしっかり戦ってくれる世界とは違うから。
271人間七七四年:2010/05/17(月) 14:56:00 ID:RZq6giKG
論点は「恥」
さすが2ちゃん
272人間七七四年:2010/05/17(月) 23:46:26 ID:9CUSEjzR
だれもそこまでの徹底した殲滅の話はしてないけどねw
273人間七七四年:2010/05/18(火) 01:27:28 ID:+bTpt044
鈴木真哉はしょせん中央法卒で
史料の読み解き方や、多数の要素を絡めた真偽判断の初歩すらまともに教わってない
PHP出版レベルの妄想作家だというのにw
白兵戦の様子や、それを後に行わんとしたり他の後詰部隊に期待していることを示唆する記述が
偽書どうこう関係無くどの史料にもあることを故意に無視してる点も挙げられる

あんなのを鵜呑みにして自分で考え判断することを放棄した痴呆は
ν速や+の数字に弱いFラン文系で十分
274人間七七四年:2010/05/18(火) 04:46:24 ID:D7UIfAeK
浮足立った軍にとっては
「白兵戦をしかけられた」という事実だけでパニックになる

でもそれは「殲滅する力を持った連中が突っ込んでくる」から効果があるのであって
実際完全に殲滅するまでやらないから白兵は不要なんてアホな話は無い

まあ理屈はどうあれ日本刀引っさげて白兵やってたことには変わらない


邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。」
パードレ・ガスパル・ビレラ

ルイス・フロイス  日本史
彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。
すなわち隆信勢は多数の鉄砲を有していたが弓の数は少なく、
長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。
そして戦闘が開始された。
それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。
薩摩勢は、敵の槍など眼中にないかのように、
その中に身を投じ、鉄砲も弾を込める間がないので射つのをやめてしまった。

程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。

「武藝圖譜通志」
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」
275人間七七四年:2010/05/18(火) 11:19:34 ID:vkvbh3/7
実像は白兵重視してなかったよ、という話に対してなぜか相手は不要だといってるんだ! と別に言ってないことを言ってると決め付けて無残だなw
白兵重視イメージっていうのは昭和の陸軍が、貧乏で装備揃えられないから白兵重視して宣伝したら、それがいつの間にか白兵信仰に摩り替わっていたっていう例の奴なんだけどね。
276人間七七四年:2010/05/18(火) 11:36:28 ID:p/6N2N9J
愚管抄の時代から「東国武士は下人にも弓矢を持たせ矢の数で勝つ」と書かれているし。
朝鮮出兵のあたりはもっと強烈で、白兵武器主力の槍いらんから鉄砲寄越せ、なんて島津氏の書状も残っているしね。
何気に武士じゃなくて倭寇(海賊)について書かれた記録まで必死になって持ち出してるあたり必死すぎて……w
277人間七七四年:2010/05/18(火) 12:50:42 ID:LrgVpHBH
勝つためには外国の怪しげな武器でも積極的に取り入れた武士が、非合理な妄想の挙句自滅した日本軍が後付したイメージで主に語られるのはなんとも皮肉
史実として白兵主義で世界に覇を唱えたのは共和制中期から末期にかけてのローマ軍団とかいるけど、こいつらは短め両刃剣というもろ白兵特化スタイルだったし
(投射武器は投槍ぐらいで、弓とかは同盟者や臨時雇用兵任せにする程度だった)
278人間七七四年:2010/05/18(火) 21:27:01 ID:Ingjiv0g
当時の戦国時代の軍隊は30`を1日で移動できるのにあんな重装備じゃ歩いて戦えないってw
秀吉の部隊は300キロを5日だぜ
歩いてじゃ絶対無理だし、小走り程度で一睡もしないか全力で走って寝るとかしかない
数でも圧倒的に勝るだろうな
20万も集めれるのは秀吉ぐらい
軍隊2000人をまとめるのですら尋常ではない
まあ、各武将に2000ずつぐらいでも100人に指示とかできねえしな
自衛隊のTOPでも無理だろ
ちなみに自衛隊の普通科、幹部でも2日で100km行軍でくたくたですから
あいつらは30kgぐらい背負っての移動だからしゃーないけど
279人間七七四年:2010/05/18(火) 22:03:21 ID:ZQOG6mhs
日本語で
280人間七七四年:2010/05/18(火) 23:48:50 ID:iwHeB8Gr
>>276
愚管抄より後の南北朝期の話だが、箙の矢を撃ち尽くしたら打物戦に移行という事例がちょくちょくある。
射撃戦が軽視されたわけでも白兵戦が特別重視されたわけでもないが、射撃戦では決着がつかない事態は往々にあったという事実は心に留めてほしい。

>>277
別にローマも主義主張で白兵戦してたわけじゃないけどな。
「敵を拘置して、しかるのちに撃滅」という軍事ドクトリンの中で
敵の足を止める飛び道具と、敵の息の根を確実に止める白兵戦という役割分担が確立されたんであって。
281人間七七四年:2010/05/19(水) 00:35:24 ID:HCNuE0tn
鈴木信者の尊大さと頭の悪さは異常
お得意の負傷者数理論で、どこででも偉そうに支離滅裂なことを主張したあげく
当然の如く追い詰められると、そもそも俺は〜だの、言い訳やら詭弁やら極論の羅列を始めて
末尾には一言煽るレスをつけなきゃ気も落ち着かなくなる

それとも鈴木本人なのか
282人間七七四年:2010/05/19(水) 02:27:40 ID:m6LUl+Pj
倭寇は武士じゃない?

宗氏が親玉なんだが知らなかったのか?
単純に血筋や出自にこだわらんので末端には武家以外の連中も多くいた、
というだけの話なのに…
鉄砲足軽や槍足軽を使役してたら戦国大名は武士じゃなくなるのか?w

まあ別に武装交易商人と言い換えてもかまわんけどw
ここで大事なことは由緒正しき「武家」であるかどうかではなく
武士、あるいは高い戦闘能力を持った集団であるかどうかだけだろ

つうか>>274の上半分は都合よく無視ですか
どんだけ必死なんだw
283人間七七四年:2010/05/19(水) 02:47:43 ID:HCNuE0tn
それと石や弓ばかりでどうやって勝つのか、どうやって農民兵や氏持ちのお武家さんたちが手柄とるのかも教えてほしいw
284人間七七四年:2010/05/19(水) 03:10:02 ID:m6LUl+Pj
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。

日本刀使ってるねぇ…白兵もやってるねえ
射撃白兵どちらも重要です

農民出身の秀吉がトップだったから武士じゃないニダ!
とかいいそうだがw
285人間七七四年:2010/05/19(水) 04:45:07 ID:UDnUxrDr
何度も言われてるけど、鈴木説っていうのは
「白兵戦はそれほどなかった!!」「日本刀は首切り道具!!」
なんてセンセーショナルな文句を言いたい為に、強引な結論を出してるんだ。
興味の薄い層にはこういう単純かつ攻撃的な煽りは受けがいいので、ここまで広まっちゃった。
スーパーで「価格破壊!」とか張り紙してるのと同じ思考回路。

左翼思想に結び付けて、白兵主義=旧日本軍なんてお粗末な批判もしてたな。

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 05:16:14 ID:XqIIemjj
マルクス史観など、〜史観シンパの歴史家は「これはこう捉えるべき!」という結論を元に話を誘導する。
真実を探求するというよりは、権威主義や従来説の否定など
自分の信じる思想を正当化するために歴史をダシにしているように思う。

在野のアマチュア歴史家に比較的多いけど、鈴木氏もそうだな。
286人間七七四年:2010/05/19(水) 05:25:56 ID:m6LUl+Pj
>左翼思想に結び付けて、白兵主義=旧日本軍なんてお粗末な批判もしてたな。

まんまID:vkvbh3/7のことだな

つうかここには「白兵主義」なんて誰もいなくて
いるのは射撃も白兵も両方重要だとするごく当たり前の意見と
偏執的なまでに白兵を軽視するID:vkvbh3/7みたいなage厨の二者なんだよね

>>240からの流れでいえば白兵軽視というよりその真意は日本刀叩きなんだろうけど
287人間七七四年:2010/05/19(水) 09:17:01 ID:xljnIMZR
車がない時代と車のある時代の人間の体力を比較するとか馬鹿丸出し。
丁稚が荷物抱えて30キロ以上行商する時代だぞ。
田舎のほうに行ったら婆さんが30キロぐらいの荷物背負って行商するとか未だにあるのに。
子供のときに本格的に鍛えてる人間と後づけで鍛えた人間とじゃ比べ物にならないぐらい前者が強い。
普通に鎧着て走るだろ。あいつら必死だし。
288人間七七四年:2010/05/19(水) 11:02:16 ID:zxo3wUSx
戦闘力を決めるのは指揮システムや兵站といった、武器とかと違って目に見えにくい要素だぜ。
この当たりは武士はよくなかった(国内戦ばっかなんで発展させる必要が薄かったわけだが)。
それこそ倭寇や朝鮮の役のように、一時的な略奪はできても結局行き詰る。
昭和のていたらくを見るに、日本人はそういう見えにくい力を理解して発展させるのが苦手だからねぇ。
ローマや中国では、日本人が国さえ作ってなかった時代に既に操典まで持っててシステム化均質化までしていたわけだが。
まともに戦争やった場合はやっぱり下から数えることになるだろうな。
289人間七七四年:2010/05/19(水) 11:39:51 ID:mP1lokQv
操典は素人を兵にするのに必要であって、世襲戦士である武士には不要なもの
家康なんかは兵站を理解していて、逆に短期決戦を行うためにありとあらゆる
方法を採っている
290人間七七四年:2010/05/19(水) 14:25:26 ID:m6LUl+Pj
そもそも文禄慶長の役は略奪目的じゃないし

文禄は日明貿易再開のための恫喝、慶長は文禄の時の約束を反故にした支那朝鮮への懲罰目的
日本にすればどっちも単に相手を殴ればいいだけの戦争

政治としては成功とは言い難いが戦闘においては目的はほぼ達してるんだよね
291人間七七四年:2010/05/19(水) 15:00:06 ID:UDnUxrDr
>>288
戦略や戦術がロジカルじゃなく、武将個人の経験に頼りすぎなんだよな
なので指揮官が死んだり予想外のことがおきると対応できないし、臨機応変はいいが長期的戦略に欠ける。
中国の操典だと宿営時の配置とか、行軍隊形時に側面から奇襲を受けた時の対応方法までマニュアル化されてる。
292人間七七四年:2010/05/19(水) 17:47:01 ID:m6LUl+Pj
でも読んでるやつはいなかったみたいだな

戚継光の対日本戦法も実際有効だったにもかかわらず
ほとんどだれも耳を貸さないもんだから全く広まらなかったし

実際対応できてないことから見て
明にしてもマニュアル熟読してるのは指揮官やそのちょっと下程度までで
末端は何にも知らない もしくは受験の暗記みたいなただ覚えましたというだけのことなのかも
指揮官が死んだり予想外のことがおきると対応できない点では同じなのかもね

鄭若曾「等潅図編」 日本人の戦法
その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。

293人間七七四年:2010/05/19(水) 17:52:03 ID:mP1lokQv
普通、隊列を組まない兵というのは弱いのが相場だが、戦国の武士は
隊列を組まずに戦闘するという当時の常識から言えば異常な軍隊
294人間七七四年:2010/05/19(水) 17:55:47 ID:vF40FrCJ
>>288
欧州でローマの衰亡とともに失われたロジスティクス概念が復活するのは17,8世紀な上、
結局現地調達やらに頼らないと兵站戦は維持できない事が判明するんだけどな。

>>291
操典通りの状況が維持されてれば中華勢力は強いはずなんだよな。確実に。
問題は腐敗だ予算不足だで結局日本同様地方軍の大将の個人手腕に頼る軍団になっちゃうことで
295人間七七四年:2010/05/19(水) 21:58:54 ID:XyXwFEzf
>>293
どこにそんな隊列作って戦える平地あるんだよw
当時合図なしの下克上だぜ?w
みんな集めてからせーので戦う川中島や関が原じゃねえんだよw
日本の戦いのほとんどが山、森林地帯だろw
296人間七七四年:2010/05/19(水) 22:16:46 ID:u01pD1z5
足軽は隊列組んでるじゃあん。一横隊だけど。
隊列組んでる相手には武士のsurprise。乗り崩して乱戦に持ち込む。
明相手の事例のコピペがなんかいっぱい貼ってあるじゃん
297人間七七四年:2010/05/19(水) 22:20:22 ID:SjPULFVg
というか鈴木説の人はどうしたの?反論もないけど。
298人間七七四年:2010/05/19(水) 23:20:51 ID:5zYg20d+
よく引用される『懲録』の文章だけど、その前文を合わせて読むと
日本刀とは対照的な短くて役に立たない剣を持った北方民族の騎兵と
白兵戦を行い一方的に負かしたことがわかる。

↓平凡社版で>>284の人とは訳者が違うけど。

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
299人間七七四年:2010/05/20(木) 00:08:31 ID:P/TM7ycb
>>276
愚管抄の時代から、というけど平安〜鎌倉はまさに騎射の盛んな時代なんだが。
300人間七七四年:2010/05/20(木) 00:22:43 ID:P/TM7ycb
ああごめん、歩兵射手の話してんのね。恥ずかしい。
301人間七七四年:2010/05/20(木) 00:35:55 ID:D+qVUxEI
隊列至上主義も結構だがテルシオで名高いスペインが日本人に敗れ
日本にビビリまくっていた事実を忘れてはならない。

スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである
(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。

パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
302人間七七四年:2010/05/20(木) 00:44:51 ID:D+qVUxEI
>>276

朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
ルイス・フロイス「日本史」

日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」
303人間七七四年:2010/05/20(木) 01:38:36 ID:hgzS9qnl
>>276
明軍も含めた規格外の大群相手に鉄砲で勝負とか
鉄砲自体何千丁、火薬と鉛玉は何トン必要なんだよ
304人間七七四年:2010/05/20(木) 01:43:45 ID:+1vN95sM
>>276
槍もう要らんから鉄砲って当たり前だわなw
日本で発展した槍は大半が
槍衾として使い
それこそ突撃してくる徒歩の武士や騎馬武者を上からぶったたいて足を止める
あるいは同じ槍衾と叩きあいの我慢比べをする肉の壁としての運用だから
いわば対日本用、国内で初めて真価を発揮する

明や朝鮮の兵士が戦国の武士たちほどの剛の者ぞろいなら槍衾も必要になるが
>>222みたいな性質の明軍相手にはさほど多くは必要ないよね
どうせ精強な敵軍が突っ込んでくる機会が少ないなら
槍衾で我慢比べする機会もさほど無い
弾込めに時間もかかりなかなか当たらない鉄砲も
敵がビビって突っ込んで来ないなら
悠々と弾を込め敵を狙える
使いやすいんだからどんどん持って来いって話になる
鉄砲がうまく機能すれば敵軍は顔を上げられず
こっちから大太刀で斬りこむのもまた容易となる

で結果明朝鮮軍は>>260のような地獄絵図に…
白兵軽視って怖いねというのが現実のものになっちゃった

鉄砲も槍も太刀も適材適所
射撃も白兵もどちらも重要です
305人間七七四年:2010/05/20(木) 01:48:59 ID:+1vN95sM
補足
まあ別に明朝鮮軍も白兵戦を軽視してたわけでもないんだが

日本に対しての白兵戦への苦手意識が余計に悪い方へ転がっちゃったというところだな
306人間七七四年:2010/05/20(木) 07:29:05 ID:m2FJap85
フロイス『日本史』
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
307人間七七四年:2010/05/20(木) 07:49:11 ID:RK/srXZ5
>>304
同時期の欧州では、パイク(4〜5mほどの長槍)とマスケット銃を組み合わせた戦法が主流。
ただ日本の長槍は1〜2列の隙間なく並んだ横隊で、槍の上げ下げも各自勝手にせず号令に合わせ一斉に叩く。
もしくは槍を交差して槍衾で壁を作る。

対して欧州のパイクは古代ギリシャのファランクスように槍を突き出し、分厚く密集してじわじわ突き進む。

銃を守るための「壁」としての役割は共通しているが。
308人間七七四年:2010/05/20(木) 08:27:55 ID:RK/srXZ5
大坂夏の陣の本多富正隊備の陣立図は、当時の布陣の典型例に見える。
鉄砲組を弓組が補い、敵が接近すれば槍組、騎馬組が控えている。
数百人規模の部隊にそれぞれの兵科が配され補完しあうため、独立戦闘が可能になってる。
ただし欧州のように単一兵科を集中運用しないため、弱点は補えるがそれぞれの兵科の長所を潰してしまう欠点もある。

  鉄砲鉄砲 鉄砲鉄砲
  弓弓弓弓 弓弓弓弓
  幟幟幟幟 幟幟幟幟
  槍槍槍槍 槍槍槍槍
  馬乗馬乗 馬乗馬乗
     使番 使番
       侍大将
309人間七七四年:2010/05/20(木) 19:09:02 ID:5VdMyREJ
せっかく規制が解除されたのにもう鈴木信者は消えちゃったのか。
310人間七七四年:2010/05/20(木) 19:38:39 ID:QfBTkeqn
>>308
でも単一兵科の大部隊というのも規模がでかすぎて、まともな運用はできなくなる
その点、備なら現場の侍大将が少数とは言え各兵科の弾力的運用が可能になる
311人間七七四年:2010/05/20(木) 21:07:50 ID:H3DF3+By
>>309
大体、戦国〜安土桃山時代と言われた15世紀後半〜16世紀末と言えば
西欧は陸戦は傭兵隊+封建軍の混成、海は国家艦隊に私掠海賊の寄せ集めを海軍と称した何か。
民王朝はモンゴル系に二度も大敗して戦々恐々〜悪名高い万暦帝時代と積極的外征から固めて閉じこもる消極策に転じた頃。

ユーラシア東西の兵質が低下している時期に射撃後切込みを展開できる日本武士は寧ろ普通に精強。
312人間七七四年:2010/05/20(木) 21:08:56 ID:5VdMyREJ
むしろ大陸側が日本の戦術を参考にして鴛鴦陣なんてものを開発しているくらいだしねえ。
313人間七七四年:2010/05/20(木) 21:40:16 ID:0Jw+Q5nR
>>308
欧州の陣形(テルシオ)って↓だよね。

  大砲 大砲 大砲

弩弩         弩弩
弩弩鉄砲鉄砲鉄砲弩弩
  弩槍槍槍槍槍弩
  弩槍槍槍槍槍弩
  弩槍槍槍槍槍弩
  弩槍槍槍槍槍弩
鉄砲鉄砲鉄砲鉄砲鉄砲
鉄砲         鉄砲
 
騎兵騎兵騎兵騎兵騎兵


  
 
     貴族
314人間七七四年:2010/05/20(木) 23:35:18 ID:hgzS9qnl
安土桃山末期の日本は間違いなくトップ3の中に入る強さだったというのが各界の常識なんだから
いあmさらここで素人の理屈なんて付ける余地はない
日露戦争の意義について熱く語る、俺の大学の行政学の講師ですら言ってた
315人間七七四年:2010/05/21(金) 17:46:51 ID:/3SaXEe8
>>122
>>119を直してみた

世界一多いかどうかは知らないが
一大名にすぎない龍造寺隆信が1584年の戦では9000人の鉄砲隊を出していた。
まあ9000人だから9000丁っていう単純なもんじゃないけど、兵数に近い数の鉄砲がないとおかしいよね。

1589年ナヴァール王即位を援護する目的でイギリスがフランスに送った軍は一連隊3600人x4連隊
各連隊の銃砲兵は30%とするよう命令した。4320丁ってことになるよね。
(理想は60%だったがそれは無理そうだと基準を下げたそうだ)
が結局指定数集めることができないまま出発した。
結局どのくらい不足していたのかについては個人的に疑問がある所があるので明言しないけどとりあえず不足していたところまでは信用しているんだよね。
全軍で1100丁不足って言うんだもん。鵜呑みにするなら3000丁程度しか運用できなかったことになる。ちょっと信じられないんだよな。
まあ全面戦争のための軍隊じゃなく派遣軍なのでこれが全力というわけでもないが、それでもかなり無理して集めている様子なんだよね。

こういったことを考えると実際の保有数は他の人に任せるけど
1580年代での比較として「その人の鶴の一声で運用できる鉄砲数比較」は
日本の一大名≒イギリス国王(エリザベス女王だけど)ぐらいだったっぽい。
有力大名が2、3集まったら確実に並ぶんじゃないかな。

まあ詳しい比較は他の人に任せるよ
これはあくまで参考ね
316人間七七四年:2010/05/21(金) 22:37:49 ID:N3XAQxDx
>>315
数年前調べたけど、同時期のイングランド軍の武器庫には1600丁程度しか鉄砲が無かったはず。
(記憶違いで、2400丁だったかも。)
317人間七七四年:2010/05/21(金) 22:44:45 ID:mNb6zFqD
宣教師が報告する中国の鉄砲

・さらに日本人と同じく刀剣、また多数の鉄砲隊を用いた。彼らの鉄砲は、どのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのための死傷者が一人も出なかったからである。
フロイス『日本史』
318人間七七四年:2010/05/21(金) 23:33:28 ID:9oNHl3MX
>>315
たまたまその竜造寺と同じ年のなんだが、『常陸の歴史』によると
天正12年(1584年)沼尻合戦時の佐竹軍鉄砲隊は
8680丁となっているわ。西国に比べて東国は火砲において
遅れを取っているイメージだっただけに意外だ。

内訳の大きいところでは佐竹一族の東氏が1000丁、佐竹氏旗本が1000丁、それ以外では
下妻多賀谷氏の1000丁が光る。

>>316
それだと佐竹氏と同族が自前で集められるのよりも少ないことになるな。
319人間七七四年:2010/05/22(土) 03:01:35 ID:4GBqDA4H
>>317
よほど命中率が低かったんだな
320人間七七四年:2010/05/26(水) 00:24:08 ID:z0U1TUs2
>>319
鎧(革製)で止まった逸話も多く残るから、威力の落ちる有効射程外から撃つこと(いわゆる弓戦)が多かったのかも
321人間七七四年:2010/05/26(水) 01:10:40 ID:KIP5111X
中国は三眼銃、朝鮮のは銅手銃だろうな。
火縄を手で持って発火させるタッチホール式で、
三眼銃は銃身が三つあって三連発だけど、短銃身で射程が短い。
322人間七七四年:2010/05/27(木) 22:12:25 ID:2GTkDwZ+
勢い落ちたな
323人間七七四年:2010/05/27(木) 22:15:47 ID:QkItWRdw
ここにいた人たちは文禄慶長スレとかに行ってるのかな?
324人間七七四年:2010/06/01(火) 01:48:52 ID:JHtrtfE3
日露戦争の日本陸軍は、数万単位で数を上回るロシア軍を相手に、
互角どころか圧倒すらしている。
しかも弾薬がなく、銃剣で突撃とか繰り返しながら、最終的に辛くも・・・
辛くも、勝利した。

日清戦争では、日本の圧勝だ。ちなみにこの時代の中国は
イギリスから買い付けた日本軍より最新鋭の武装を持っていて、
イギリスから派遣された仕官を加わっていたそうだが、
全く連携が取れずに完敗したそうな・・・。

ぶっちゃけ、これらの出来事は、二百数十年の平和で何事もない江戸時代を
過ごした近未来の話。日本人の勇敢さと手強さを証明している出来事だろう。
戦いの遺伝子があると仮定して、この実績を見るならば間違いなく
日本人には濃く濃く受け継がれてなる。 逆に中国のはどこへなくした?
って思ってしまう。

結局のところ、これが歴史の真実。
日本は体格で上回る中国人に勝ち、ロシア人に勝った。
そして太平洋戦争では物資・兵数、両面で遥かに上回る同盟軍と戦い、
国は敗れたが、白人優位の社会を打ち砕き、すべての植民地を解放せしめた。

戦国時代には、すでに完成されていた屈強な日本人像が、
中国およびヨーロッパの兵士と戦って、
勇猛果敢に奮戦する姿は想像に難くないだろう。
325人間七七四年:2010/06/01(火) 02:06:01 ID:nnRsM1fI
武器を持っての白兵戦では体格の大きさは有利にも不利にもなるからね
トータルで考えれば差し引きゼロになっちゃうんだよね

素手ならば体重差から来るパワーの差の克服は容易ではないが
刃のついた武器持てば何の意味もなくなる

そうなると有利はリーチぐらいになるがこれも武器の長さで克服できてしまう。
長い武器を扱うにはパワーがいるが単純なバーベル上げと違って武器の重さは
でかい武器でもたかだか2Kg前後なのでテクニックで省力できてしまう。

パワー(殺傷能力)とリーチで追いつかれてしまうと
残った有利点は威圧感なんだがこれもまた精神的なテクニックで克服できてしまう。

武器を持った場合、体格による不利の大半は先人の経験と伝授された技の練習量で克服できてしまうことになる
そうなると体格の大きさは単なるでかい的(まと)となりさがってしまう。

逆に体格が大きい方からみると
体格が小さい敵は最初から的が小さい。当てやすい場所が頭と肩しかないんじゃ、当然読まれやすくなる。
逆に自分は懐が脅かされる。足が脅かされる。ということがあって腰が浮かされやすい。
この下からの無言の突き上げをなんとか抑えつけることができないと小さいやつに勝てない。
もちろんこれを抑えつけるのも先人の知恵と自分の練習量。

結局体格に関係なく技量が上回ること、気迫で勝ること、戦術戦略が優れていることのほうが重要になってくる。
326仙台藩百姓:2010/06/01(火) 08:58:47 ID:VIxX2aL0
逆に言えば20世紀初頭までが日本がまともに戦えた最後の時代と言えるお( ^ω^)
現代日本が勝てる国などあるまいお( ^ω^)
327人間七七四年:2010/06/01(火) 10:33:27 ID:PSzUZ/OE
>>324
おいおい、知らないのか?
日露戦争の多くの戦闘で日本はロシア軍より大きな被害を出しながらも勝利したんだがな。

日本軍の総被害 戦死106,300人 病死27,192人 負傷者173,425人
ロシア軍の被害 戦死47,400人 病死12,128人 負傷者146,032人

あと近代戦は体格は小さい方が有利なんだがな。
理由はいうまでもない。銃撃戦において「マトが小さい方が弾丸が当たりにくい」からだ。
チビな日本人が鉄砲持っていると有利だぞ。
328人間七七四年:2010/06/01(火) 10:34:48 ID:PSzUZ/OE
>しかも弾薬がなく、銃剣で突撃とか繰り返しながら、最終的に辛くも・・・ 辛くも、勝利した

ウソをつくな。
そんな証拠はないぞ。
弾丸がない?
ありえんな。
329人間七七四年:2010/06/01(火) 10:44:40 ID:PSzUZ/OE
連続書き込みはなはだしいが
日露戦争で日本が勝ったのは同盟国のイギリスの協力が大きいのだが。
しかも、中国・ロシアはあくまで革命前夜。
>>324みたいな奴が調子に乗ってそういうのをコロッと忘れたから日本は第二次大戦で無残にも敗れたのたが。

それと日露戦争でのロシアの弱みにロシアは満州鉄道一本に補給の全てをまかなってたという弱みがあった。
だから、側面に迂回されて後方の満州鉄道がしぉだんされる機器に陥ると
ロシア軍は後方に撤退せざるおえなくなった。
日露戦争の各会戦は驚くほどワンパターンなんだよな。

まず正面から日本とロシアががっぷり四つにぶつかる→ロシア軍が押し気味に戦闘を進める。
日本の迂回部隊が側面からロシア軍後方の鉄道を脅かす→ロシア軍やむおえず撤退。
日本軍、ロシア軍をはるかに上回る損害を出しながら何とか勝利。

というパターンがほとんどね。
330人間七七四年:2010/06/01(火) 12:31:17 ID:FgReKDQ7
平時常備軍20万程度の国が戦病死者10万弱だからなぁ
圧勝は日本海だけで全体的には破産寸前の辛勝だわな
331人間七七四年:2010/06/01(火) 15:59:13 ID:Nx+1bpb6
戦病死者の多くは森林太郎という基地外軍医のせい
332人間七七四年:2010/06/01(火) 16:25:19 ID:chfPagte
規律を守る習性>元気に歩きまくれる>的確な穴掘り能力>戦闘力
333人間七七四年:2010/06/01(火) 16:26:12 ID:nnRsM1fI
極東のこの戦争(日清戦争・日露戦争)を取り巻く状況には注目すべきことが多い。
中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶりである。
我々は不本意ながら、日本のすべての人間の行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるを得ない。
この力はいったい何なのか。
その存在を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。
勇気は西洋にとっても珍しいことではない。
が、これは単なる勇気ではない。
その背後にもっと違う何かがある。
もし、西洋の軍隊がそれをもっていたら、
西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったであろう。
そういう何かである。
これは何か。これは何か。これは何か。・・・・・

1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙
334人間七七四年:2010/06/01(火) 16:27:32 ID:nnRsM1fI
さあ、行け。
小さな茶色い男たち。
攻めて攻めて攻めまくれ。
鋭い剣をさやに納めず、天罰を与えつづけるのだ。
お前たちは、天地をひっくり返した。
ロシアをやったんだ。
プライドと力におぼれる、ほかの連中に同じ道をたどらせるのも、お前たちなのだ。

ニューヨーク・エイジ誌―日露戦争勝利を称える報道記事にて。
335人間七七四年:2010/06/01(火) 16:29:54 ID:nnRsM1fI
>>332
日本は全部備えてるなw
336人間七七四年:2010/06/01(火) 16:31:37 ID:nnRsM1fI
長刀解
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、
如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。
況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。


戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
337人間七七四年:2010/06/01(火) 20:31:29 ID:ahzIyVsB
日本が最強じゃあ!!!
338人間七七四年:2010/06/01(火) 23:37:26 ID:iaVrHlHr
>>327
WIKI日本語版の数字は、日本の戦死者が多すぎる。
陸軍省の統計だと戦死者は46,400人、戦傷者は154,000人。
病死者は37,200余人、そのうち脚気が原因のものが27,800余人。
339人間七七四年:2010/06/02(水) 03:44:16 ID:MjPi7Gq4
柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)

・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。

・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。

・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
 (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。

・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。

・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
340人間七七四年:2010/06/02(水) 15:23:05 ID:YzkGKmSy
下記は日露戦争における、主な陸戦における両軍の被害。
≪鴨緑江会戦≫
大日本帝国 42,000名投入 死傷者1,000名程度
ロシア帝国 24,000名投入  死傷者1,800名程度

≪旅順攻囲戦≫
前哨戦
日本軍 死傷者2800名程度
露軍 死傷者1500名程度
≪第一次総攻撃≫
日本軍は戦死5017名、負傷10843名
露軍の被害は戦死1500名、負傷4500名
≪第二次総攻撃≫
日本軍は戦死1092名、負傷2782名
露軍も戦死616名、負傷4453名
≪第三次総攻撃≫
日本軍は戦死5052名、負傷11884名
露軍は戦死5308名、負傷者は12000名近く

≪遼陽会戦≫
日本軍 125,000名投入 死傷者2万3500名
露軍  150,000名投入 死傷者2万あまり

≪沙河会戦≫
日本軍 120,000人投入 死傷者20,497名
露軍 220,000人投入 死傷者41,346名

≪黒溝台会戦≫
日本軍 220,000人投入 死傷者9,300名
露軍 285,000人投入 死傷者約12,000名

≪奉天会戦≫
日本軍 約250,000人投入 死者15,892人、負傷者59,612人
露軍 約370,000人投入 死者8,705人、負傷者51,438人
341人間七七四年:2010/06/02(水) 17:51:33 ID:qupxowZB
342人間七七四年:2010/06/02(水) 18:25:37 ID:qupxowZB
>>340
WIKIの数字は参考にしないほうがいいよ。
奉天会戦WIKIは、数字からして戦役統計を出典にしているようだね。

その戦役統計に従えば、ロシアの損害は戦死8,705人、負傷51,388人、行方不明29,330人、捕虜21,792人で、
うち捕虜を除くと日本約7万、ロシア約9万の損害となる。
英語版WIKIは俺が何度か手直しもして行方不明者が追加になっている。
343人間七七四年:2010/06/02(水) 21:17:08 ID:YzkGKmSy
これを信じるならば>>329説の信憑性が薄れる。
なかなかいい勝負だ。
露軍の常駐兵力が100万人に対して、日本軍は20万人。
日本軍としては補給線の遮断を考えるのは当たり前の手段。
短期決戦に持ち込まないと始めから勝ち目のない戦争だから。
逆に日本軍はよく戦い抜いたと称賛すべきだろうね。

>>328
弾薬がなかったという話は日露戦争でも例外なく、
よく言われてる話だと思うよ。
初めての近代戦に当たる日清戦争があまりにあっけなく片付いてしまったために、
大規模な近代戦でどれだけ弾薬を消費するかわからず、
当初用意された弾薬はすぐに使い切ってしまい・・・・。
って、これは小説の話だけど、当時の日本の国力から考えても
不思議なことではないと思う。かなりの資金難だっとらしいし。
弾がなければ銃剣で突撃するしかないと想像するのは自然な
成り行きでしょう。日本軍接近戦では無類の強さだったって言われてるし。

こうなると、>>333が添付した。
何かの力というやつがいよいよ形を帯びてくる。
少なくても当時の日本人が持ち、
現代人が失ってしまった力なんだろうね・・・。
344人間七七四年:2010/06/02(水) 23:25:12 ID:SAIE842e
>>343
「首狩り民族の誇り」w
345人間七七四年:2010/06/03(木) 01:21:59 ID:avYL4CKG
黄色人種の日本人が体も小さいのに白人と互角に戦ったからこそ、
それまで奴隷や召使のように使われたアジア人に勇気と希望をあたえたんだよ。
今も真実の日本軍の姿を尊んでくれている国々はアジアには沢山ある。

ユーチューブにある中国人が日本軍は戦争中にベトナム人を虐殺したと書き込んでいたら、
ベトナム人が日本人は我々を助けてとフランスを追っ払ってくれたと反論してくれていた。
私はこの中国人に何を根拠に日本軍がベトナム人を虐殺したと書いたのかと問うたら、何らまともに答えられなかった。

何で、他の国が知っている真実を、日本人は知らないのだろう?
時折、無性にやるせなくなる・・・。

346人間七七四年:2010/06/03(木) 09:32:49 ID:mTi8d8zP
スレチだがそもそも日本がベトナム占領してたのは
終戦間際のほんの一時期だけ、しかもフランスとの交渉が決裂した結果だし。
確かに抗日運動は起こったが、その原因は
占領直後に運悪く飢饉が重なり、対策が上手くいかなかったから。
ベトナム人にとっちゃ日本から受けた被害より
フランス、中国、アメリカから受けた被害のが遥かにデカい。

つーかその中国人はてめーらが中越戦争で
やった事棚に上げて何ほざいてやがるんだかw
少なくともベトナムに関しては中も韓も「お前がいうな」だわw
347人間七七四年:2010/06/03(木) 10:41:56 ID:iNc++TRq
>>329
タラレバなどない
言い訳や主観でどうにでもなるからこそ結果がすべて
348人間七七四年:2010/06/03(木) 11:33:18 ID:vrlwjMSP
ホルホルし過ぎでいい加減気持ち悪いぞ。ほどほどにな
349人間七七四年:2010/06/03(木) 12:43:03 ID:+tsESsYF
だいたいここは戦国の武士のスレッドじゃないのかよ?
350人間七七四年:2010/06/03(木) 13:54:16 ID:co62RN1X
別に人殺しがいくらうまくてもなんの自慢にもならんと思うが?
351人間七七四年:2010/06/03(木) 14:45:21 ID:TYty+Q27
戦時中では大自慢にしかならんと思うが
352人間七七四年:2010/06/03(木) 17:02:16 ID:7TVvTJbL
>>348
>>1が一番気持ち悪いけどなw
353人間七七四年:2010/06/03(木) 17:46:27 ID:7fKwOLCZ
>>282
背後には西日本最大の実力者大内もいるしな
大内は倭寇取締を貿易の交渉材料にしていたわけだし
商人たちも大内に擦り寄って私貿易をやることで双方に利があった。
大寧寺の変で後期倭寇が活発になったのも大内が日明貿易を拒否されてしまったのが要因だしな
354人間七七四年:2010/06/03(木) 17:49:09 ID:9jI3aHBD
>>339
すごすぎて引くわ
355人間七七四年:2010/06/03(木) 18:04:50 ID:mTi8d8zP
>>350
同じこと>>1にも言ってやれよ
356人間七七四年:2010/06/03(木) 21:31:29 ID:HrOdp+0Q
単発一行煽りに乗る方が恥ずかしいんじゃないかな
357人間七七四年:2010/06/04(金) 00:38:49 ID:JfveC0mm
この種類の砲弾じゃなくてこっちのくれよ、って関東軍がいっても
本土の工場が少ないせいで、生産の方針切り換えて再生産というのに時間が非常にかかりすぎるから実質無理だった
そのせいであまりその戦況じゃ役に立たない砲弾がばかり送られてくるという状態が続いたらしい

日露戦争は、白人列強国に対して開国から半世紀もたってないアジアの有色土人国家がガチの殴り合いを展開して勝利し
世界史=ヨーロッパ史というそれまで流れから、1,2年で世界史=世界の歴史という本当の意味での世界史の流れに大転換させたという点で
世界中の民族が入り乱れた20世紀という時代の本当の始まりの出来事ともいえる、世界史史上極めて重要で意義のある戦いだったんだぞ

って講師が言ってた
358人間七七四年:2010/06/04(金) 02:06:58 ID:CgmUIh3W
終わったネタ引っ張るなよ
359人間七七四年:2010/06/04(金) 14:02:50 ID:b+l0589B
というより初めからスレ違いのネタだしね
360人間七七四年:2010/06/04(金) 20:03:01 ID:LJ9yuFox
しかし朝鮮の役で日本兵がどれだけ屈強だったかしらんが、
所詮はなんの結果も出せずに撤収しただけだしな。
戦闘には強くても戦争には弱かったのか。
日本国内での戦いでないと結果が出せない軍隊だ。
361人間七七四年:2010/06/04(金) 20:42:37 ID:ixFe5RD/
産業革命前はそんなもの
東アジア全体のレベルが高すぎただけでキレイ事じゃすまんのさ
モンゴルは朝鮮単体に30年かかった
東アジアで抜けてレベルが低い朝鮮でもそれなのに唐入りは明との連合軍だったわけで
移動手段も兵器も馬力人力の昔は戦争に時間がかかるかかる
362人間七七四年:2010/06/04(金) 22:28:31 ID:SmOgyv8C
>>360
そんな事言ったら、イギリスだってインドに百数年居たけど、
最後にはなんの結果も出せずに撤収しただけじゃね?
ドイツもスペインもフランスも・・・
363人間七七四年:2010/06/05(土) 01:10:39 ID:3AeuQP1S
結局軍隊なんか地続きの隣国じゃないとほぼ機能しないと
364人間七七四年:2010/06/05(土) 10:20:06 ID:hwOgwjQP
そんな時代に

明年,如松師大捷於平壤,朝鮮所失四道並複。
如松乘勝趨碧蹄館,敗而退

於是封貢之議起,中朝彌縫惟敬以成款局,事詳《朝鮮傳》。
久之,秀吉死,諸倭揚帆盡歸,朝鮮患亦平。
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。
至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島
東南稍有安枕之日矣。
秀吉凡再傳而亡。

こんなセリフを言わせるほど他国を蹂躙できた日本はやはり
それなりの評価をせざるをえない
365人間七七四年:2010/06/05(土) 13:19:53 ID:oi3lnaac
同時期にコルテスは西欧傭兵(弩32銃13大砲14馬16)と現地募集の歩兵509名でアステカ滅ぼしちゃったけどな
366人間七七四年:2010/06/05(土) 13:32:14 ID:5nDm9+vT
>>365
あれはどっちかというと周辺部の反アステカ勢力や湖岸のアステカ同盟市を軒並み引き込んだ外交勝利じゃないか?
367人間七七四年:2010/06/05(土) 14:27:08 ID:hwOgwjQP
>>365なるほどそれは危険だな(棒読)
そうなるとやはり日本の対応は良かったな

1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
368人間七七四年:2010/06/07(月) 00:14:54 ID:u/rXJEkW
>>365
あれは366に加えて免疫の無いメキシコ人がスペイン人と一緒に運ばれてきたウイルスで
ポコポコ死んでいったのもあるし。
ていうか、アメリカ大陸全体で疫病で原住民の殆どが壊滅的な打撃を受けた。

>>367
バテレン追放はその通りだけど、当時の秀吉の認識が間違ってただけなんだがな。
実際には逆にマニラに居た総督が日本の侵攻を恐れてた。
スペインには東アジアまで大軍を送り込む余裕なんて元々ないし、日本侵攻なんて土台無理。
だいたい本国自体が度重なる戦争で消耗してるし、イギリスに撃破されて艦隊を送るどころじゃない。
369人間七七四年:2010/06/07(月) 01:00:11 ID:pzVYrATh
秀吉がスペインのサンフェリペ号を見学したとき、日本人奴隷がこき使われてて激怒したんだよね・・・
さらに宣教師ガスパルが秀吉と謁見したときに、
「キリシタンは日本占領の尖兵」って脅迫的な言動で
さらにスペインの武力もちらつかせたことで秀吉の態度が決定的になったって話じゃなかったっけ
370人間七七四年:2010/06/07(月) 02:56:58 ID:p5XeKiRM
秀吉が間違ってたって言うか
宣教師たち自身ですら本国の財政難を知らなかったんだから仕方がないかと

>>369
それまでスペイン宣教師に秀吉は協力的だったのにたった数日で
秀吉の対応が恐ろしく硬化したんだよな
絶対なんかガスパルの失言があったんだろう
371人間七七四年:2010/06/07(月) 11:02:34 ID:4yg66fWn
>>368
実際ザコといっていいくらい弱い
372人間七七四年:2010/06/07(月) 13:32:49 ID:6rkntEWi
>>367
当時、日本が世界的でも有数の武装国家であったことと
秀吉の英断により、日本はスペインからの影響力の排除、
引いてはキリシタンの介入による内戦をせずに済んだのだな
当時の国際情勢に無知だというのは恐ろしいな
373人間七七四年:2010/06/07(月) 15:18:39 ID:u/rXJEkW
まあスペインが仮にイギリスとの戦争に勝ってたとして
秀吉が居なくて戦国時代が続いてたとしても
スペインが大艦隊・大兵力を送ること自体無理だし
例え頑張ってそれなりの兵力を送っても日本制圧はむりだったけどな。
374人間七七四年:2010/06/08(火) 03:02:11 ID:hOW83rET
でももし伴天連追放令的なものがなければ
布教の名のもとに局地的な占領はされた可能性は残る

香港みたいな感じで

実際九州ではキリシタン大名のせいで危うくなりかけたとことかもある
日本全体の占領は無理でもやはり危険度は高かったと思う
そういった意味では秀吉の対応は評価したい
375人間七七四年:2010/06/08(火) 03:31:13 ID:QHERZ0qU
秀吉は奴隷制廃止も命じているが、その後を見ると有名無実っぽい・・・
376人間七七四年:2010/06/08(火) 03:52:16 ID:jtokkPma
宗教は一度広まりだすと怖いからな
キリスト教は布教マニュアルもしっかりしてただろうし
広まる前に権力者がしっかり規制しないと後々大変なことになる
377人間七七四年:2010/06/08(火) 03:55:27 ID:hOW83rET
伴天連追放令にしても
思ったほど厳しいものじゃないよね

むしろ宣教師の身の安全にすら気を使ってる
簡易にいえば
「今後布教すんなよ。大名は改宗するなら俺の許可とれよ。
国外退去するなら費用を援助するよ。
商売したいだけなら居てもいいよ。
あと宣教師に乱暴されたからって勝手に報復したら厳罰だかんな。まず俺を通せよ。」

378人間七七四年:2010/06/09(水) 15:10:12 ID:OQe27dKv
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
379人間七七四年:2010/06/19(土) 15:55:59 ID:HTdfY5Hf
しかし武士って漫画補正無くても色々おかしいよなぁ
常備兵力で錬度が極めて高く士気も高いせいで近接戦で無双できるわ、射撃戦をやれば騎射はもちろん徒歩でも弓兵としてバリバリ撃ちまくるわ
馬のったまま崖から突貫してきたり、銃で狙撃したり・・・何だこのチートユニット
380人間七七四年:2010/06/19(土) 16:38:12 ID:yng2NmX8
統治者からすると戦場でも政治的な面でも独立性の高さが難点
381人間七七四年:2010/06/19(土) 17:41:17 ID:HTdfY5Hf
騎士と言うか武装貴族全般がそんなもんじゃね?
裏切り寝返りについてはヨーロッパのがはるかに酷いw
382人間七七四年:2010/06/24(木) 20:52:23 ID:dxenJES/
日本武士 利益が恩義を上回るか勝ち目が無いと裏切る
欧州貴族 利益そっちのけで裏切る
383人間七七四年:2010/06/25(金) 17:04:39 ID:ltF/rr6G
各自で完結した備システムはそのあたりの事情によくあってるな
統制よりも士気の高さと主体性をいかす感じで
384人間七七四年:2010/06/25(金) 17:45:39 ID:tW92e7Gs
全部同じ民族で、義理とか人情とか言ってる余裕があったってのもでかいだろうね
キリスト教徒にしか効果のないバチカンと違って、朝廷は仏教徒とキリスト教徒の争いでも機能するし
385人間七七四年:2010/06/26(土) 00:24:54 ID:MIegIkJ1
>>374
一回上陸でもしよう物なら物量と夜襲で踏み潰されるだけでね?
元寇以来のスニークサムライに沖合に停泊してる南蛮船が乗っ取られる恐れすら・・・
386人間七七四年:2010/06/26(土) 05:01:18 ID:GWBQg7VV
>>374
スペイン植民地支配はコレヒドール制(支配者はスペイン人)、いくらなんでもキリシタン大名をソコまで完全に奴隷化できないと思う
それに当時のアジアの傭兵の供給源が日本だから、日本支配するほどの兵力をどこから持ってくるかも問題に

禁令後も有力なキリシタン武士が存在してる状況考えると、秀吉の基督教禁令はキリスト大名の財産没収くらいしか結果残してないと思う
387人間七七四年:2010/06/27(日) 03:37:33 ID:pUUmhJId
大名の奴隷化ではなく
大名をおだててキリスト教徒に有利なことをさせる
貿易で富ませて発言力を増す

コレの繰り返しでしょ

これをそぐ意味じゃ伴天連追放令は充分結果は出してる
まあもっとも秀吉の場合は日本を守るというより
おだてるなら俺を直接おだてろ、直接俺を儲けさせろのほうだが
388人間七七四年:2010/06/27(日) 17:02:33 ID:vdkmpwq5
スペインの宣教師と謁見した後態度が変わってるから
単に野心を見透かされて追い出されただけじゃないの?
389仙台藩百姓:2010/06/30(水) 21:01:36 ID:m7m/V/pp
戦術にばかり頭がいっぱいになってしまうのは
もはや日本の国民病じゃないかと思えてくるお┐ (´ω`) ┌
390人間七七四年:2010/06/30(水) 22:50:35 ID:oTNb0w0d
毎回目先の利益にしか目がいかない白人病もアレだけどな
391人間七七四年:2010/07/01(木) 21:27:04 ID:W60ZRj5v
>>362
さすがにそれは違う。
南米、北米、シヘリア、オセアニアは結局は白人の居住地になったし、

インドなど白人が撤収した地区も植民地支配した数百年の間に
大量の富を奪いとったしな。
392人間七七四年:2010/07/01(木) 22:02:37 ID:r7xGLrFK
>>387
大名を切支丹にして来るべき日本占領の際の尖兵に利用しようとした。
だが切支丹大名は秀吉の九州討伐の前に怖気づいてしまい、
スペインの口車に乗ることは無かった。
393人間七七四年:2010/07/03(土) 04:19:04 ID:iy9o5BLp
>>391
でも最終利益が黒字なのインドだけじゃね?
流刑地はどうでもいいとして
394仙台藩百姓:2010/07/04(日) 11:33:48 ID:tRw107jf
つい最近まで世界の大半が白人の植民地だったじゃんお( ^ω^)
その間に運び出された資源は莫大なものだお
今でも政財界は白人によって支配され続けているお( ^ω^)
何よりも日本自体がそうだし┐ (´ω`) ┌
白人の巧妙さは支配者を支配し或は住人同士を戦わせ利益のみを抽出する事にあるお
この辺りが少ない人口で世界に君臨し続ける所以であり
戦争といえば武器を持って攻め掛かる以外にないと思っている日本人と大きく異なる点だお( ^ω^)
395人間七七四年:2010/07/04(日) 12:57:40 ID:liOYUT0K
なんかNGしてるヤツが来てるみたいだな
396人間七七四年:2010/07/04(日) 13:24:17 ID:WImSyClE
アルゼンチンは白人?だらけだけど
ブラジルは黒人が多いのはなぜ
サッカー見てて思った
397人間七七四年:2010/07/04(日) 14:00:48 ID:KUf4tjSE
西海岸でヨーロッパに近い気候で住みやすいのでヨーロッパ系移民が多かったから
398人間七七四年:2010/07/04(日) 19:46:18 ID:C9j+l82X
>>396
中南米でアルゼンチンだけは人口のほとんどが白人だけど、
他の国は白人、メスチソ、黒人、原住民が住民。
ちなみにブラジルは中南米の中で唯一、ポルトガルの移民国家。
他はスペインの移民国家ね。
サッカーで黒人が多かったのは単なる身体能力の違いね。
399仙台藩百姓:2010/07/05(月) 09:37:03 ID:ep5kPwEU
南米も白人と一緒に黒人奴隷が流入したからそこそこいるのだお( ^ω^)
ブラジルは半数近くアフリカ系の血が入っているから実際多いのだお( ^ω^)
400人間七七四年:2010/07/05(月) 16:09:31 ID:EutYGi/e
>>399ちょいと調べればわかるがブラジルで黒人の割合は一割から二割だよ。
白人は70パーセントだお。ドイツ系もいるし。
401人間七七四年:2010/07/05(月) 16:24:19 ID:EutYGi/e
ちなみにスペ語とポル語の違いは、関東弁と九州弁か関西弁と東北弁くらいの違いで、ブラジルとペルーなんかは調子よくしゃべってるよ。
402仙台藩百姓:2010/07/05(月) 21:24:56 ID:ep5kPwEU
>>400
黒人の割合じゃなくて黒人の血が混ざってる割合だお( ^ω^)
403人間七七四年:2010/07/05(月) 21:40:43 ID:VYFrwrsS
インド人もアラブ人もイタリア人もフィンランド人も同じ白人
404人間七七四年:2010/07/05(月) 22:56:50 ID:C4hipF5c
ワールドカップでアフリカ人の身体能力の普通さが浮きぼりに
頭が足引っ張るぶんどうしても壁越えられない
405人間七七四年:2010/07/05(月) 23:41:02 ID:sFBgLVQg
育成力ゼロのプロ2チーム擁する東北よりはマシかな
406人間七七四年:2010/07/06(火) 07:18:26 ID:9+KQ1ES9
>>404
北米のメジャーリーグやアメフト、陸上などで活躍する
身長2m近い大型黒人選手たちは実は欧州系白人とのプレンド品。

彼らこそスポーツ選手として究極品かもしれない。
407人間七七四年:2010/07/06(火) 07:32:25 ID:9+KQ1ES9
北米の黒人がそこそこ優秀なのは奴隷の時に選別された者たちの生き残りだから、
船で輸送する時に病気するような病弱な黒人は生きたまま大海原に投げ捨てられて処理される。

奴隷売買の時は品評会方式で農民や裕福な個人の家に売られる。
男は大柄で壮健な奴隷から売れていく、女は容姿や器用さ重視。
売れた黒人奴隷は案外、買主に大事にされる。
売れ残るような魅力なしの奴隷は処理されるか、タコ部屋のような苛烈に施設で働かされる。
なんにせよ身体能力の高い優秀な個体が生き残るケースが高い。

南米の場合は黒人奴隷は集団で扱われ個々の能力などあまり考慮されない。
集団で輸入されて酷い職場で働かされるだけ。
ゆえに北米ほど優秀な個体が選別れる可能性は低い。
408仙台藩百姓:2010/07/06(火) 08:15:54 ID:uw/tIlgd
サッカーの場合は黒人というよりラテンが強いといった印象だお( ^ω^)
今回はドイツが優勝しそうな雰囲気だけど
409人間七七四年:2010/07/06(火) 18:20:56 ID:RNIQNB/f
ブラジルは白人同士で子供を作ってみたら
黒人の子が生まれるってケースもあるくらい血が混じってる
>>406
一昔前は陸上100mは175cm前後が理想とも言われてたけど
また今でかいのが盛り返してきたな
ちなみに白人は黒人に勝てないからやってないだけとも言われるが
100m10秒切った奴がほとんどいない、今は知らないがちょっと前までアボリジニーの混血が一人いただけ
日本には10秒0xが3人いた
>>407
あと実際に種類が違ったりする
サモアやアボリジニーもモンゴロイドだが黄色全部白全部合わせても
黒人の多様性にかなわないって言う人もいるくらい黒人は多彩らしい
奴隷は西アフリカ出身で、瞬発力に長けた人が多い
アメリカでは持久系競技は人気がなく、セットプレイが主体なMLB・NFLが人気でNBAもハーフ制からクオーター制に変えたり
ただ苦手なだけかもしれないという・・・
410人間七七四年:2010/07/06(火) 20:04:07 ID:FQ1P4KP8
何スレだよw
411人間七七四年:2010/07/06(火) 21:32:05 ID:LkSGH4mS
>>406
アメリカは学生時代からの成長ホルモン摂取とドーピング
ドーピング検査される大会だと勝てなくなってしまう
国内だけで通用するのには理由があるのさ
412人間七七四年:2010/07/07(水) 10:51:46 ID:PmPnAO8F
>>411
少なくとも陸上ではアメリカ黒人が大活躍してるよ。
カール・ルイスはドーピングしてないのがウリ。
もっとも彼が告発しているように
フローレンス・ジョイナーやベン・ジョンソンのような
ドーピングランナーもいるんだけどね。
413人間七七四年:2010/07/08(木) 20:20:17 ID:YQyf3l33
体型変わるほどドーピングしてる北朝鮮選手が大活躍しないのは検査のせいなのか?w
414人間七七四年:2010/07/09(金) 01:30:40 ID:jxlTCr+u
検査というよりも、黄色人種は
薬を使おうがそれが限界。

体型が変わろうが何しようが、圧倒的パワーで生きてる白アンド黒な人たちと比べれば
「体からくる基本能力」が黄色人種は圧倒的に不利だからだ。

主に黒い人で説明すれば、
同じレベルでも北の人はHP50に対して、HP100位ある、と思っていただければいいかな?

415人間七七四年:2010/07/09(金) 07:12:02 ID:7H7E7CT/
ゲーム脳か
416名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 10:41:42 ID:2nao5w0k
戦国時代の武士最強だろう。世界一の鉄砲保有国だぞ。
417名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 05:05:39 ID:fuWbdeXW
近代戦では小柄なほうが有利なんだが。
身体が小さい分、弾丸が当たりにくい。
418名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 08:44:01 ID:ec2lpn4G
小柄なので体力的に劣るというデメリットもあるけどな。
銃器や装備が紙のように軽い素材で、かつコンパクトなら問題も無いだろうけど。
419名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 09:21:41 ID:AhnpJg3x
成人男子で155cmの戦国日本ほどではないにしろ、欧州も当時は背が今より小さかった。
イタリアは160cm台半ばくらいと思われる。
近代になって急激に伸びたのはどの国も同じ。
ちなみに先史時代のドイツ、ゲルマニア人の成人男子の平均身長は170cm程度らしい・・・
420名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 17:51:41 ID:0gjJ4FI1
中世ヨーロッパでは平均身長167cm前後のノルマン人が巨人と呼ばれ、
中東やラテン諸国の民族は頭一つ小さかったと言われている。
現存する中世の鎧や衣服、家具、住居などからも150cmに満たないと思われる。
421名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 19:18:24 ID:EbV5+GDV
ネロやハイジのお爺さんも大きいよな。彼らも傭兵だったらしい。
422名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 20:44:47 ID:Wh4mKgw5
「クララが・・・クララが撃った!」
423人間七七四年:2010/07/14(水) 07:09:04 ID:MZxo+0k5

黒人は瞬発力系の単純なスポーツには強いけど複雑な競技になると勝てなくなる
格闘技も柔道、レスリングとも金メダリストクラスは少なく
団体競技も本気の勝負になるとイマイチ
黒人にもっともアドバンテージがあったバスケもわずか世界的に人気が出ると
10年くらいでスペイン、アルゼンチンに優勝奪われ並ばれた
サッカーなど他の人気競技がこのスピードで追いつかれることは考えられない

戦争は太古の昔より最弱だし何か重大な欠陥を抱えてるとしか思えん
やはりIQだと思ってしまうが
424人間七七四年:2010/07/14(水) 08:05:26 ID:CCj3PWMG
個人レベルの評価だと筋力とかから来る最大戦闘能力より、
粗食・不衛生・睡眠不足その他何もかも劣悪なな状況で
どれだけ歩いてどれだけ健康状態維持できるかの方が大事だよ
425人間七七四年:2010/07/14(水) 15:44:05 ID:/KIko3ZN
>>423
いや、バスケに関しては違うような・・・
かつてのアメリカドリームチームのような伝説的な選手たちが
出てこなくなったからだと思うが。
426人間七七四年:2010/07/14(水) 22:17:27 ID:m6ovPPV0
ドリームチームが北京まで負け続け
WBCも弱かったしホッケーも負け

アメリカは無双のイメージを作るのがうまい
国内ではすごいのに国際試合やると見掛け倒しに終わるパターン
まあ商売がうまいんだなw
427人間七七四年:2010/07/15(木) 13:48:49 ID:7a05NauA
中国の兵士が戦闘力ありそうに思わせた原因は三国志だなw
西洋は産業革命後の確変時に日本に来たからだが

428人間七七四年:2010/07/15(木) 22:38:58 ID:rugPy2ca
ジャーンジャーンジャーン
「呂布だぁ!」


ぐらいのレベルだったんだろうな朝鮮の役の日本軍
429人間七七四年:2010/07/19(月) 21:56:15 ID:ZeXgItk2
>>409
の話だけど
パトリックジョンソンは白人としてのカウントじゃなくて
白人とアボリジニー(モンゴロイド)の混血だから
あくまで「非黒人」として、メディアに注目されてたんだな

白人の9秒台やっと出た
まあ、スプリンター自身の力だけでなく
スパイクやタータンなどの進化でも記録は塗り変わっていくけど
http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20100710-OYT1T00496.htm
430人間七七四年:2010/07/20(火) 02:49:47 ID:Pp5I37cG
大体ポーランドの10秒00は80年代に出た記録で怪しすぎるw

まあそれだけ心技体のうち体の差はでないんだよね
なんでも技の差こそすべて
戦争のような殺し合いだから多分に心も
431人間七七四年:2010/07/23(金) 14:51:49 ID:nJRD8TlS
>>423
格闘技はボクシングみたいにシンプルな競技は
黒人のチャンプは一杯いるが
総合格闘技のUFCだと完全に白人天下だな。

アジア系は日系二世ブラジル人のマチダリョートと
純日本人の岡見が健闘してるぐらいか。
432人間七七四年:2010/08/03(火) 08:38:41 ID:/R7w9CpL
日本刀と西洋剣の性能差は歴然だな。

侍の日本刀 対 騎士の幅広剣 Samurai sword VS Knight Broadsword

http://www.youtube.com/watch?v=Ih7bmzFQ9rI&feature=related

■氷のブロック斬り比較
日本刀…成功
西洋剣…失敗
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20100720094406.jpg

■革張り胴人形斬り対決
日本刀…革を斬り裂き内部も破壊(袈裟斬り)
西洋剣…革に相当めり込むが切り裂けず(野球のバッティングばりの横殴り)
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20100720103049.jpg

■板金鎧斬り対決
日本刀…胴鎧にめり込む(横薙ぎ)
西洋剣…無傷で弾き返される(横殴り)
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20100720103331.jpg

■板金鎧貫通対決
日本刀…易々と貫通する
西洋剣…たわんで貫通できず
http://knife2ch.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/img20100720111334.jpg
433人間七七四年:2010/08/03(火) 13:55:41 ID:3RKl4lYt
当時、朝鮮出兵は失敗に終わったという現実が全てだろ
いくら机上の空論を並べたところで、その現実の前では負け犬の遠吠えにしかならない
434人間七七四年:2010/08/03(火) 14:05:44 ID:U9twEx2y
武士の戦闘力が低いから負けた
435人間七七四年:2010/08/03(火) 14:11:16 ID:3RKl4lYt
朝鮮を支配できるほどには強くない
ヨーロッパとは実際に戦争していないので比べられない
これ以上の結論はないし、無理に出そうとしても意味はない
特にさ、刀を比べてる奴、お前はアホか?
436人間七七四年:2010/08/03(火) 14:30:52 ID:3B2VJyNF
ばか!森を見て木を見ないなんてほんとばか!
局地的には勝ちまくったよ!刀、強いし!
鉄砲もいっぱい持ってたもん!だからヨーロッパにも負けるはずないもん!
それに心が違うよ!ほら!日本人は死をも恐れぬ素敵民族だよ!
だから日本!最強!まちがいない!
437人間七七四年:2010/08/03(火) 16:02:38 ID:/R7w9CpL
日本の鉄砲や刀剣が強いというより大陸のものがへぼすぎるな。

フロイス「日本史」
・さらに日本人と同じく刀剣、また多数の鉄砲隊を用いた。彼らの鉄砲は、どのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのための死傷者が一人も出なかったからである。

・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
438人間七七四年:2010/08/03(火) 16:04:33 ID:/R7w9CpL
>>435
いいからお前も何かソース出せよ。


スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである
(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。

パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
439人間七七四年:2010/08/03(火) 16:10:35 ID:dZW2bPGh
朝鮮出兵が失敗に終わったってのだけで充分じゃん
もしかしてソースってもんを勘違いしてないか?
頭悪いなら黙ってればいいし、視野が狭いなら目をつぶってればいいよ
440人間七七四年:2010/08/03(火) 16:13:51 ID:dZW2bPGh
さらし上げしとくか
視野の狭さは罪だ
441人間七七四年:2010/08/03(火) 17:13:42 ID:/R7w9CpL
個々の兵士の強さを議論するスレですけど?

>>440
自分がスレタイ読めないのを晒してるようなもんだな。
442人間七七四年:2010/08/03(火) 17:14:41 ID:/R7w9CpL
日本の武士と大陸、ヨーロッパの兵士の強さの比較ってことな。

朝鮮出兵のスレは別にあるよ。
443人間七七四年:2010/08/03(火) 19:14:22 ID:zGRxNAhV
一般人「戦争の強さは大局的な視点で量るべきだよ。兵一人だとかを比べてもしょうがない」
軍オタ「このスレではそんな見方しないんだもーん。刀すきー。チョンスレ行けやー」
444仙台藩百姓:2010/08/03(火) 19:23:59 ID:VgkLSfF/
まあ日本人の最盛期は明治後期だおね( ^ω^)
445人間七七四年:2010/08/03(火) 19:28:53 ID:jxw55Jqp
海軍の朝鮮、陸軍の日本って感じだな。
446人間七七四年:2010/08/03(火) 21:50:44 ID:8xokIk1V
輸送船団襲ってただけで海軍の朝鮮て。
結局は朝鮮・明連合水軍で急造の島津水軍と正面からぶつかって、
主将の李舜臣を始め多数の戦死者を出して日本軍を半島に閉じ込めるのに失敗してるじゃん。
447人間七七四年:2010/08/03(火) 22:09:32 ID:zGRxNAhV
小競り合いにいくら勝とうが全体では日本軍の完敗
何一つ領土を増やせないまま終わってるからね
448人間七七四年:2010/08/03(火) 23:03:11 ID:M3wtknJB
領土増やせたら勝ち、って何を基準に勝ち負け決めてるのヴァカって思うけどね。
こういう場合は「前半日本優勢後半朝鮮・明優勢で結果双方痛みわけのまま終了」ってとこだろ。

まあ、その後明は後金にグチャグチャにされて滅んじゃうあたり
「なんだかんだで世界に影響与えちゃった大事件」とは思うけどさ。
449人間七七四年:2010/08/04(水) 14:33:05 ID:dWv3H0qn
>一般人「戦争の強さは大局的な視点で量るべきだよ。兵一人だとかを比べてもしょうがない」
×一般人 ○逸般人
どこの板でも見かけるけどぼっちな奴ほど一般人って言葉が大好きだよね。
450人間七七四年:2010/08/04(水) 14:58:23 ID:E12em+ey
軍オタは一番兵站に拘る人種だと思うのだが
451人間七七四年:2010/08/04(水) 16:08:31 ID:X+zIMPpD
軍オタじゃなくてただの右翼だね
452人間七七四年:2010/08/04(水) 20:58:05 ID:9drxF7dg
逸般人の左翼さまは屁理屈がお上手ですこと
453人間七七四年:2010/08/04(水) 21:00:31 ID:9drxF7dg
とりあえず屁理屈こねる前にスレタイ読め
454人間七七四年:2010/08/04(水) 21:50:16 ID:0ZAJFY2r
>>431
柔道は重量級も日本人が強いということはやっぱり”技術”
その国の人気スポーツが強い
どんな競技もいかに育成技術を持ってるかがカギ
UFCもルール一つ変えるだけでまったく勝率かわるだろうし
昔の戦争技術も同じだろう
455人間七七四年:2010/08/05(木) 03:56:20 ID:32AHlWGa
なぜかここ1年くらいで西洋の過大評価がばれてきた
向こう目線の記録が張られまくってるからなのか
456人間七七四年:2010/08/07(土) 11:37:27 ID:WE+A2UdP
本人的には苦し紛れなんじゃなくて、なぜ自分がスレタイ嫁と言われてるのか、本当にわからないという可能性もあるので、
こんな事は言いたくないのだが、


スレ違いのネタ、ずれた論点に執着するってのは敗北宣言に等しいんだが。


457人間七七四年:2010/08/09(月) 15:41:21 ID:Y53h/yxG
なんで軍オタなんて人たちと議論してるつもりになってるんだろう。
ここは戦国板なんだけどな。

どこか別の板にでもいるつもりなのかな?
458人間七七四年:2010/08/11(水) 23:31:39 ID:41cQLZjE
>>455
宣教師が日本刀の威力を賞賛する文章を貼ったら
「イエズス会は商人だ。日本刀は輸出品だ。だからイエズス会の宣教師は
輸出品である日本刀を褒めちぎってヨーロッパで売りさばこうとしたに違いない」とか
わけのわからんこと言われたときあるよw

その根拠を聞いたら見事に沈黙したけどw
459人間七七四年:2010/08/17(火) 19:16:13 ID:SVuIDUAl
>>431
現在MMAのパウンドフォーパウンドと言われてる
アンデウソンさんを忘れるとは何事か!
460破壊したほうがいいもの、壊したほうがいいもの全部壊す:2010/08/17(火) 21:23:35 ID:TdhOLqHi
3:欧米駄犬男は全部コンクリ事件並にして殺す :2010/08/17(火) 21:10:21 ID:??? [ソンテチャク殺す]
374:殺したい男全部殺す :2010/08/17(火) 20:44:52 [インドネシアの黒猿全部コンクリ事件と同じ目にあわせる]
ビルダーバーク会議の男全部殺す
柔道の山下、柔道のメダル、柔道世界選手権
朝鮮様にも元寇、日清、日露、日独戦争のような偉大な戦史がほしい
友愛元年はインドネシアの糞猿、インドネシアで好き勝手に暴れまくるw ヒトラーはユダヤ人、メルケルはヒトラーの娘
ケロイドインドネシアの黒猿全員殺す 山口組の男全部殺す
醜い男全部殺す、醜い女は抱けるように整形しろ、乗っとられた飛鳥朝廷 戦国時代から奴隷の倭猿女ww
チャンコロ男コンクリ事件並にして全部殺す 藤原氏の正体 成長するため、正しい地図を手にしよう やたがらすの系譜で検索[日本人総源氏化計画で検索]
cia男全部殺す時代精神、日本を騙した悪魔、ハルノート、abc包囲網。東京男、馬関西男全部殺す、バーニング、ジャニーズの男全部殺す、ヌル山チョン男殺す 、人類の恥亀田一族全員殺す
日本人成りすまし藤原氏天皇家男全部殺す
総連、民潭、チョン学校男全部殺す
電通のチョン成田殺す
文鮮明殺す イルミナティ殺す
細木数子、詐欺師殺す、江原啓介、詐欺師殺す、美和明宏、詐欺師殺す
ザイン リチャードコシミズ、輿水正 これほど醜い日本人女性
エラ通信 金福子殺す
ゴイム呼ばわりの調子こいてるデーブスペクター殺す
異国の豚男全部殺す 小泉売国レイプ殺人チョン一郎殺す 竹中平蔵インサイダー取引韓国人殺す 倭犬で検索 、倭猿で検索
ソーゾー君
さてはてメモ帳
オルタナティブ通信書いてるチョン殺す
独立党w
ベンジャミンフルホード殺す
2ちゃんねるから子供たちを守ろう
2ちゃんねる裏の歴史
黄金の金玉
お笑いみのもんた劇場 鳥肌実 東アジア人
人間の屑ジャニーズの裏の全て 日米欧三極委員会
フリーメーソン殺す
政教分離違反ソンテチャク殺す コイルミョンきもい殺す
汚職、腐敗、賄賂、パチンコ天下りチンピラ警察官男全部殺す 百式のブログ アイヌのウィキぺディア、密入国マルハンチョン社長殺す、枕営業
461人間七七四年:2010/09/19(日) 19:52:28 ID:LiwFxTLN
たまたま自殺しただけでDQN男女ではよくあること。
一般女性に手を出す前に捕まってよかったよ。
462人間七七四年:2010/09/19(日) 19:53:57 ID:LiwFxTLN
失礼しました。誤爆です。
463人間七七四年:2010/09/21(火) 23:24:06 ID:H9TEXuLg
一行を最も驚かせたのは砲兵博物館で確認した大砲だ。「フランキ砲」「石火矢(いしびや)」などと呼ばれる種類で青銅製。2門あり、どちらも口径79ミリ、全長約260センチだった。
 大砲の一つには「FRCO」と刻まれていた。同編纂所の岡美穂子助教によると、これは戦国時代に大分を本拠に活躍したキリシタン大名、大友宗麟の印章だという。
宗麟の洗礼名フランシスコから図案化したもので、1579年から2年ほど使っていた。
 「宗麟が注文したか、宗麟の受洗を祝いイエズス会が贈った可能性が考えられる」と東大の五野井隆史名誉教授。ポルトガルの拠点だったインドのゴアなどが製造地の候補にあげられるという。
フランキ砲は鉄砲より少し遅れ16世紀後半に日本に伝わった。宗麟が最初に導入し、城の攻防に威力を発揮、「国崩し」の異名をとった。

ロシア使節のレザノフが、通商を求めて長崎にやってきたのは1804年。半年にわたり江戸幕府に交渉を求めた。
だが、幽閉さながらの状態に置かれたうえ、交渉そのものもまったく進展しなかったことから仕返しを計画。
部下に命じ、1806年と1807年に樺太や択捉島など日本の拠点を攻撃させた。当時の年号から「文化露寇」と呼ばれる。
「幕府には、戦国時代の様々な武器が集まっていた。使用法も秘伝として継承されていたはず。ロシアの襲撃に驚き、
そうした武器から慌てて大砲を引っ張り出したものの、奪われてしまったのでしょう」と保谷教授は話す。
津軽、南部両藩から動員された兵はロシア勢より多かったが、さして戦うことなく敗走した、という記録を裏付けるように、品々には傷みがみられない。
ロシアはナポレオン戦争の時代。武器も士気も整っていたようだ。一方の日本は11代将軍家斉の治世。太平の社会にこの紛争は衝撃だった。
ttp://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201009060087.html
464人間七七四年:2010/09/22(水) 00:04:22 ID:ScZSGXdU
当時の日本人に平和ボケと言う言葉はないだろ
合戦の年表を見れば分かる

支那はそれ程強くなかったし、欧州勢は戦ってみなきゃ分からんが、果たして日本の戦術に敵うかな
465人間七七四年:2010/09/22(水) 00:59:47 ID:zdyiyc4q
>>464
明がそれ程強くないなら、どうして朝鮮出兵が失敗したんだ。
一時は朝鮮半島全土に20万人近い兵力が点在していたのに
李如松が4万3千人の兵力で来襲すると瞬く間にピョンヤン
は陥落し、ソウルに5万4千の兵を集めて一時的には明軍を撃退
するも結局ソウルも放棄して撤退を続け、半年ほどで半島南岸まで
追い詰められたのに。
466人間七七四年:2010/09/22(水) 02:40:02 ID:6QO+9Z4Z
確かに平和ボケはありえんなぁ
日本のあちこちでそれこそ農民から僧侶まで戦ってるし
一般人が戦見物するとかむしろ感覚おかしくなってると思うがw
467人間七七四年:2010/09/22(水) 03:29:50 ID:MUxYWZLj
>>465
7年では攻略できなかったということ
産業革命前の戦争は時間がかかる
468人間七七四年:2010/09/22(水) 07:58:06 ID:Y/mqb7g8
このスレの命題には反するが日本が戦争での弱点は戦闘力とは別のとこにある。
「補給軽視」と「情報軽視」だ。

日本の補給軽視は有名で戦前は「補給部隊の連中が兵なら、トンボも鳥のうち」と補給部隊をあざ笑った。
そういう補給軽視が理由で戦況が不利な場合のみならず遊離な場合でも
各地で飢餓や現地略奪が横行して不利になった。

情報軽視については
欧米においては「将兵は捕虜になる可能性が常にあり捕虜になれば情報を漏洩するもの」という考え方から
「そもそも、将兵に必要な限り情報を与えてはならない」という事に努力が払われた。
それに引き換え日本は
「将兵には敵の捕虜になることを禁止している。捕虜になった場合はのちに死刑に処する」
「万が一、いや億が一、日本の将兵が捕虜になったとしても味方の不利になるような情報を漏洩したりしない」
という発想であった。
まず「日本の将兵は敵にならない」は真珠湾で失神した漂流していた酒巻中尉が捕らわれて捕虜になった件で
いとも簡単に打ち砕かれた。しかし、それは特別な事件として情報管理が見直されることはなかった。
それからも、日本の将兵は確かに捕虜にはなりにくかったが、
一旦、捕虜になったら、情報管理対策をしてない分、兵卒レベルの捕虜からでも
重要な情報がだだ漏れであった。
それどころか、命令書の入った封筒が日本兵の死体のポケットから簡単に発見されて呆れられる有様であった。

これらの「情報軽視」や「補給軽視」は戦国時代にもある程度言える。
例えば、朝鮮の役で往来の説とは違いイスンシンの水軍は
実はそれほど日本の補給を妨害できてなかったらしいというのに
実際には日本の補給はグダグダで、日本兵は飢えまくりだった。
こういう日本兵がいくら戦闘強くても、少なくとも対外侵略とは無理だろうなとはつくづく思う。
469人間七七四年:2010/09/22(水) 08:11:43 ID:Y/mqb7g8
思うに戦国時代の日本の軍隊っては強いは強いんだが、
所詮は「戦術的軍隊」にすぎなかったのではないか?
外国に行って闘うためには「戦略的軍隊」になるのが必須だったはずなのに
所詮は日本の国内合戦の延長のものでしかなかった。
そんな軍隊を海外に送っても思うようには強さを生かせないだろうね。
470人間七七四年:2010/09/22(水) 14:36:11 ID:KZFCbQjP
>>468
情報管理は戦国時代に関してはどうとでも取れるかもね
わざと嘘の情報を兵士に与えるとか、敵を騙すには味方からみたいな

補給軽視は日本が狭いから
大遠征をしたのは上杉謙信の上洛、
武田信玄の三方ヶ原の西上ぐらいで、それも自国の周辺での戦いでしかなかった
だから補給部隊からみたら武田が西上は疑問に思える
それ以外は大した補給部隊は必要とせず
兵士が各々各自、食事は持参程度でよかった、梅干や餅とか味噌は戦時の携帯食として発展した
長篠の合戦は長期戦で、織田兵は戦いの合間に国へ帰ったりしていたらしい
471人間七七四年:2010/09/22(水) 14:44:10 ID:aU4Nztn/
大戦中の「補給軽視」と「情報軽視」ってのは、
弱くて負けたわけでない、他に原因があったのだ!ちゅう意識のもとに、
一部の例や破綻後の事を恣意的に取り上げて、大げさに言ってるだけだがな
ごく一部の分野の一時的な優位はあったが、基本的にはすべての分野で力負け。
贔屓目に見れば大和魂と開拓精神が互角くらいか。
まぁそれから眼をそむける方便みたいなもん。
472人間七七四年:2010/09/22(水) 17:48:01 ID:f4SxAwxw
>>468
情報はともかく、補給は結局のところ本気で総動員体制に傾いた時の現代アメリカ以外では
攻めに際しての長期的確保は時代、地域問わず殆ど無理。
特に馬匹、人力輸送で一定量を超えると輜重の必要物資>輜重の輸送物資になる中世では
「略奪不可能なもの(弾薬など)を優先して運び、略奪可能なものは現地調達」は寧ろ合理的な判断といえる。
473人間七七四年:2010/09/22(水) 19:30:40 ID:XUa2rbWq
現地勢力を抑える根回しもろくに成功してないのに海越えの戦争やるセンスのなさが弱すぎる
474人間七七四年:2010/09/22(水) 20:12:27 ID:Y/mqb7g8
>>470
>補給軽視は日本が狭いから

日本が狭いというか欧州なども国自体の面積は狭いけど、
彼らは国外戦ふんだんにやってたからね。

ナポレオンいわく「軍隊とは歩く胃袋である」
ナポレオンがあんなに評価高いのは国内の戦いだけではなく国外戦で
あれだけ勝ちまくって成果上げたからだろうね。

>>471
いや、その意見は関心しないかも。
少なくとも補給軽視、情報軽視が敗因の一部だったのは事実。

日本軍のインパールやカタナカナルみたいに人間だけ大量に投入すればそれでいい
みたいな考え方は悲惨な事態を招いた。
いくら兵を投入しても補給しなきゃ意味ないのにね。
475人間七七四年:2010/09/22(水) 20:14:00 ID:Y/mqb7g8
>>472
それは確かにあるけど、ナポレオンは「購入」とか「借用」とか
なるべく穏便な手段で食料を調達してなるべく住民の反感を立てないようにしたてたぞ、
朝鮮の役の時、初期の朝鮮人民は少なからず日本軍に味方した連中も居たのに
不作法な略奪の連続で全部ダメになった。

>>473
国内戦以外の支配のノウハウはゼロだったよね。
センスがないというか、外国の全て日本の国内戦間隔で
支配層さえ倒せば土地や農民は自然と自分たちの持ち物になると思い込んでたんだろうね。
476人間七七四年:2010/09/22(水) 20:19:32 ID:YlQ99+wU
根回しは無理だとおもう
モンゴルも日本に対して根回ししてないだろうし

唐入りはあと5年あればいけたと思うけど勝っても将来の近代化に備えられたかあやしい
477人間七七四年:2010/09/22(水) 20:37:52 ID:gOmLA0l7
補給、異国、上級指揮系統の分裂など色々あったと思う
それと、朝鮮半島ってのは降雪量はそうでもないんだけど気温そのものは日本の
東北以北並に寒いんだよね
そこに西国兵主体で攻め込むというのも無理があったのかなと思う
478人間七七四年:2010/09/22(水) 20:45:41 ID:Y/mqb7g8
>>476
>唐入りはあと5年あればいけたと思うけど

無理無理、史実を見ればわかる。
どう考えればそういう結論になるのかわからない。
文禄の役では小西の城を実力で落とされて、あとは補給が続かず後方にドミノ式に退却。
慶長の役にいたっては、朝鮮の義兵と明の16万の大軍の前に終始、大苦戦だったんだが。

>>477
>朝鮮半島ってのは降雪量はそうでもないんだけど気温そのものは日本の東北以北並に寒いんだよね

違う、半島南部でも「北海道なみ」
半島北部にいたっては「樺太なみ」の気温。
東北よりずっと寒い。
479人間七七四年:2010/09/22(水) 21:29:01 ID:aU4Nztn/
>>474
>補給軽視、情報軽視が敗因の一部だったのは事実
そう、一部だけど一部でしかない。
そこを補給軽視、情報軽視だけ大きく取り上げるのが間違った考えということ。

480人間七七四年:2010/09/22(水) 21:37:50 ID:9T++dyQ1
さんざん出尽くした話題で特攻ということは新人か
もう無理だって


文禄・慶長の役 明史
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明の士官には数十万、雑兵達には百万の犠牲がでた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)
481人間七七四年:2010/09/22(水) 21:52:07 ID:2LDj7sWh
明史は明を滅ぼした清が編纂した史書だからなぁ
482人間七七四年:2010/09/22(水) 21:57:02 ID:nFk6gEDI
小国日本が、世界有数の明に逆らうことが無謀すぎた。
小さい島をなんとか統一した豊臣秀吉はまさに、井の中の蛙大海を知らずだね
483人間七七四年:2010/09/22(水) 22:52:45 ID:zdyiyc4q
>>480
明軍が朝鮮に派遣した兵力は文禄5万、慶長10万ほどなのに
どうして数十万、数百万も死傷するんだよ!
http://zh.wikipedia.org/zh/%E8%90%AC%E6%9B%86%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%B0%E7%88%A
484人間七七四年:2010/09/22(水) 22:54:32 ID:zdyiyc4q
>>480
明軍が朝鮮に派遣した兵力は文禄5万、慶長10万ほどなのに
どうして数十万、数百万も死傷するんだよ!
http://zh.wikipedia.org/zh/%E8%90%AC%E6%9B%86%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%B0%E7%88%AD
485人間七七四年:2010/09/22(水) 23:00:56 ID:aU4Nztn/
だいじな
486人間七七四年:2010/09/22(水) 23:51:26 ID:9T++dyQ1
どういうことだw
あんなに伸びなかったスレに一気に人きたな
とりあえずループしまくりだから>>1から全部読んだほうがいい


「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。

「武藝圖譜通志」
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
487人間七七四年:2010/09/22(水) 23:55:39 ID:aU4Nztn/
コピペ厨
488人間七七四年:2010/09/23(木) 00:25:35 ID:8mEHxGai
>>486
『明史』の記述は記述として、日本側にはどんな勝算があったんだ。
慶長の役は1597年2月から1598年11月までの1年9ヶ月の戦役だが、日本
側は一貫して半島南部の倭城で明・朝鮮軍を相手に守備に徹してたのに。
489人間七七四年:2010/09/23(木) 00:43:49 ID:3fIyKd5Y
大きな国土と数のわりに中国は歴史的に戦争よわい

宣教師フロンソ・サンチェス (スペイン国王への手紙より)
シナ人は自国のおびただしい人口に自信を持っているものの、
スペインのわずかな鉄砲隊で、
何百万人ものシナ人を滅ぼせるという事が理解できていない。
先年僅か13人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
3000人以上のシナ人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはそこから脱出するや、
直ちに多数のシナ人を殺してしまった。
シナ人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、
それに乗って逃げてしまった。
シナの征服は日本人の軍事力を利用してすべきである。
490人間七七四年:2010/09/23(木) 00:47:38 ID:3fIyKd5Y
日本国民は勇敢で絶えず軍事訓練をしている。
したがって日本を征服しても益はないが、スペインが中国に進出するときのよい足場になるので、日本を重視する必要がある。
私が、ここで陛下に断言できることは、迅速に遠征するならば、シナを簡単に征服できるということである。
そして、このことを一層容易に運ぶには、シナの近くにいる日本人が、すすんでこれに加わると思えるのである。
日本人は、シナ人に対して非常に効果的である。

スペインの宣教師バリニャーノ
491人間七七四年:2010/09/23(木) 00:48:50 ID:3fIyKd5Y
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである
(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。

パステルス「日本スペイン交渉史」
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」
492人間七七四年:2010/09/23(木) 00:51:26 ID:3fIyKd5Y
「紀效新書」1595年 戚継光
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は
恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も
飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」

「揮刀如神」 明末期 
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身が
すくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、
壮年にいたれば手に負えなくなる」

「単刀法選」 程宗猷 1621年
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」

「広東新語・語器」 屈大均(1630〜95)
 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、
大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」

「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、
二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、
ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
493人間七七四年:2010/09/23(木) 01:03:48 ID:8mEHxGai
天野源右衛門覚書(立花宗茂家臣)
碧蹄館の戦いについての記述
戦の前においても「馬の大きさはけしからず候、
男もけしからす大きく候」
戦の後においては「武辺強き唐人かな」と諸将が
皆感嘆したとある。
494人間七七四年:2010/09/23(木) 01:08:37 ID:3fIyKd5Y
ルイス・フロイス  日本史
彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。
すなわち隆信勢は多数の鉄砲を有していたが弓の数は少なく、
長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。
そして戦闘が開始された。
それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。
薩摩勢は、敵の槍など眼中にないかのように、
その中に身を投じ、鉄砲も弾を込める間がないので射つのをやめてしまった。

鄭若曾「等潅図編」 日本人の戦法
その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。
495人間七七四年:2010/09/23(木) 01:09:26 ID:3fIyKd5Y
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
ルイス・フロイス「日本史」

日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」

フロイス『日本史』
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。

宣教師が報告する中国の鉄砲

・さらに日本人と同じく刀剣、また多数の鉄砲隊を用いた。彼らの鉄砲は、どのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのための死傷者が一人も出なかったからである。
フロイス『日本史』
496人間七七四年:2010/09/23(木) 01:12:44 ID:8mEHxGai
一般の日本軍が明軍より明らかに優れていたかどうかは疑問です。
平壌では4万強の明軍の前に1万五千の小西行長軍が敗れるのは当然としても、防戦一日で城を破られ退却を強いられるというのは、決して褒められた戦いではありません。
有名な碧蹄館の戦いでも、四万強の明軍に対して、日本軍もほぼ対等
(あるいはやや有利)な兵力を有しています。
碧蹄館は明軍の漢城攻略作戦を中断させたという意味で戦術的、
作戦的な勝利ですが、殲滅戦ではなく、明軍を追撃する余力もありま
せんでした。明軍は碧蹄館で戦った後も残存部隊で日本軍に圧力を加
え続け、漢城に籠もる五万の日本軍は最終的には撤退を余儀なくされ
ます。

497人間七七四年:2010/09/23(木) 01:17:44 ID:3fIyKd5Y
「揮刀如~」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃手を擁している我が明兵が勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れてしばしば勝手に逃げるため、その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」
498人間七七四年:2010/09/23(木) 01:23:33 ID:3fIyKd5Y
何良臣「陣記」
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。

「朝鮮王朝実録」
 「日本兵との接近戦を禁じた」
 「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
499人間七七四年:2010/09/23(木) 01:24:38 ID:3fIyKd5Y



「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
500人間七七四年:2010/09/23(木) 03:40:36 ID:JI8z9prq
リアルタイムの資料出したら話終わる
501人間七七四年:2010/09/23(木) 07:53:07 ID:kPNq+3j0
>>478
気温は半島南部で東北北部、半島北部で北海道〜樺太並といったところ。
気温は低いが乾燥して雪は少ないので、積雪や地吹雪で行動が著しく制限される日本の豪雪地帯の冬ほど過酷ではない。
502人間七七四年:2010/09/23(木) 08:17:19 ID:kPNq+3j0
明の大砲と鎧は良かったのよ。
衝撃吸収性に優れる山字甲を編んだ明光鎧や、騎兵の環鎖鎧は刃器にとても強い。
大砲も豊富にあったし師団(営)直属の砲兵部隊も持っていた。
反面鉄砲は三眼銃という威力の弱いものだったので苦戦した。
彼らの鉄砲は、西洋の影響を受けていないものだったから。
503人間七七四年:2010/09/23(木) 19:08:40 ID:PXBzNvFf
満洲のヌルハチは李朝に対して援軍の派遣を申し出ていたらしい…
史実では李朝はこの申し出を拒否したけど、
もし李朝がこれを受け入れていたら、
ヌルハチに半島から叩き出されるのは勿論のこと、
北九州や長門・周防にまで攻め込まれていたかも(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル
504人間七七四年:2010/09/23(木) 20:25:16 ID:7RsDIlNZ
武士弱すぎワラタ
505人間七七四年:2010/09/23(木) 20:45:39 ID:8mEHxGai
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる

漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤   10000→6629人
鍋島   12000→7644人
大友   6000→2052人

まで減っている

弟を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだとフロイスに手紙を書いているし
大友は士気壊滅で勝手に脱走→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。坊主になっても生きながらえたい。せめて死ぬなら祖国の土の上でと手紙を残す


一応13万かどうかは知らないがそうとう初期にやられていたみたいだ
506人間七七四年:2010/09/23(木) 20:50:02 ID:8mEHxGai
117 :名無し三等兵:2008/02/26(火) 11:44:32 ID:???
まあ資料を直視できない馬鹿も聞いてくれ

1次朝鮮役の末期に朝鮮南部に終結した日本軍を軍目付けが調べた数字によると、

朝鮮に侵入した1〜7軍の総数13万7300人あまりの軍兵は、
実数で7万3214人にまで激減していた。
死者総数は6万4086人。
生き残った者の割合は53%。実に47%、
約半数の軍兵が死んだのである。最も奥地に進んで激戦を演じた第1軍小西軍の被害は甚大で軍兵の実に60%が死んでいる。
第2軍の加藤清正軍は被害が37%、鍋島軍も36%であった。3軍の黒田軍は被害が54%、4軍島津軍は60%。5軍も40%、6軍は44%。
最もしんがりを務めた7軍の毛利軍で43%であった。

完敗と言えよう。こうして明軍が来るまで圧勝していたにも関らず日本軍は侵入から一年後には釜山周辺に押し戻され、明との間で講和交渉に活路を見出すこととなる。

507人間七七四年:2010/09/23(木) 21:33:00 ID:JF+cFx3D
朝鮮は正規軍は平和ボケして弱かったけど
ゲリラ軍の錯乱が異様に利いて日本軍は崩壊したんだよね
朝鮮の水軍は強かった
508人間七七四年:2010/09/24(金) 01:55:18 ID:JMrD67+J
>>505-506
おいおい、それは違うぞ・・・
損耗率=戦死者ではない。

まず、異国の地であり異常に寒い朝鮮の地では病死や中毒死や凍死が異様に多かった。
負傷しても傷が癒えずに死ぬ確率も多かった。
朝鮮の将兵の手紙では「この地では水が合わず原因不明の死を遂げる者が多い」という手紙もある。
また当時の技術で冬には氷点下数十度にもなる朝鮮の冬で過ごさなくてはいけない日本人将兵の身にもなってみろ。
まあ暖房も防寒器具も満足でない当時のことだから弱った人間からバタバタ寒さで死んでいく。

あとは、逃亡兵や捕虜だな。
逃亡兵に関しては自らの意志で脱走する連中だ。
その中には地元住民の舟を奪って日本に逃げ帰る者もいた。
捕虜に関しては朝鮮では最初は殺していたが、
のちには降兵を認めようになった「サヤカ」のような有名な将もいる。
509人間七七四年:2010/09/24(金) 02:18:24 ID:JMrD67+J
とはいえ俺も「戦国時代の日本の兵は最強であり万能」みたいなこと言ってる奴は
イタイと思うのは変わらんのだな。
確かに日本の兵は戦闘になると最強かもしれんが、それはあくまで戦闘限定された条件での話しで、
異国の地では寒さや水の違いからバタバタ死んでしまうようなひ弱さもあると思うわけ。
当時の日本の兵というか軍隊で唐入りとか到底無理。
まあ、免疫力の違いから大陸のウィルスや病原菌や寄生虫に対応できないというのもあるかもしれない。
昔だけではなく今も日本人は大陸からのインフルエンザとかに弱く大流行するしな。

確か明軍の連れた華北の兵の売りが
「真冬の厳寒の中でも外で平気で眠ることが出来る頑健さ」だった筈。
寒さや病気でバタバタ死ぬ日本兵とは違う。
510人間七七四年:2010/09/24(金) 03:45:15 ID:AGaE66Gh
朝鮮征伐での死因の大半は飢えと寒さだったと宣教師の記録にはある。
あのレベルで土地が痩せてるのは想定してなかったとおもう。
511人間七七四年:2010/09/24(金) 05:53:05 ID:F728yUla
つまるところ
日本本土とは全く異質な環境に、本土で戦うのと同じ感覚で攻め込んだわけで、
そりゃ失敗して当然
つーか、近代を迎えて大量輸送の技術が確立されるまでは
古今東西問わず、大兵団を連れての渡海遠征なんかやらかしたら、成功失敗問わず仕掛けた側は大打撃被るのが当たり前だし

だがほかにやりようがあったか、といえば無かったのも確かだろう
じっくり情報収集に努めて対策を練って、とかやってたらその間に太閤死んでるだろうしな
まあ、そのほうが色々良かったかもしれんが
512人間七七四年:2010/09/24(金) 07:53:22 ID:u9WRtuwo
ナポレオンのロシア遠征なんて50万で国境越えて
帰ってきたの2万だもんなw
513人間七七四年:2010/09/24(金) 09:14:51 ID:XC/pNQHJ
中国の過大評価は三国志みたいな物語の影響だな
西洋は産業革命で強くなったあとだけのイメージ
514人間七七四年:2010/09/24(金) 09:17:24 ID:Gid90PmV


【MLB】マリナーズのイチロー外野手が史上初10年連続200安打を達成!★2


1 :メイド・イン・ヘブンφ ★:2010/09/24(金) 05:05:48 ID:???0


 米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(36)は23日(日本時間24日)、トロントでのブルージェイズ戦の
五回、中前打を放ち、10年連続200安打を達成。昨年達成した9年連続の記録を塗り替える、前人未到の
偉業を成し遂げた。

イチローは21日、今季初の1試合4安打を放つと、翌22日にも1安打を放って200安打へあと「2」とし
秒読み段階に入っていた。この日は第1打席こそ空振り三振に倒れたものの、第2打席に左翼線二塁打、
第3打席に中前打を放ち、一気に2安打。今季152試合目、昨年より10日遅れで200安打に到達した。

昨年、1894年から1901年にかけてウィリー・キーラーが樹立した8年連続200安打の記録を108年ぶりに
破る快挙を成し遂げたイチロー。ピート・ローズ(レッズ)はメジャー17年目に10度目の200安打を達成したが
10年連続で到達した者は誰もおらず、前人未到の偉業を達成した。

http://sports.yahoo.co.jp/news/20100924-00000502-sanspo-base.html

http://www.sanspo.com/mlb/images/100924/mla1009240139000-p2.jpg

★1http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1285264031/
2010/09/24(金) 02:47:11 ID:???0





515人間七七四年:2010/09/24(金) 09:20:24 ID:XC/pNQHJ
産業革命前で時期の重なる本当の最強戦
武士、元、マムルークが戦うとどうなるか見てみたい
516人間七七四年:2010/09/24(金) 10:06:42 ID:JMrD67+J
>>512
勿論、それも残りの48万が全員戦死したわけではなく、
凍死、餓死、病死、衰弱死、捕虜、逃亡などいろいろあったんだろうね。
遠征というよりは集団遭難みたいなものだが、戦史ではそういう事は実は結構ある。

昔、ある映画監督が南の島のロケに行った時にスタッフの一人が行方不明になった事件があり
「あいつ、現地の女と寝んごろにでもなって、畑でタロイモでも作ってのんびり暮らしてるんじゃないですか?」とか
発言して多いに叩かれたことがあるが、
フランス軍の兵士にはそういう連中はたくさん居て軍隊から逃れてロシアやそのほかの国に土着したんじゃないかと思うよ。
朝鮮の役の時にも居たろうね。
517人間七七四年:2010/09/24(金) 11:10:03 ID:Rpx+V54Z
歴史的にはつい最近まで遠征軍の事故死病死者が戦死者を上回るのは当たり前の事で
日露戦争で戦死者が大きく上回った時に日本軍の衛生管理は、
どんなに優秀なんだと列強各国が視察団を送ってきたという話もある。裏は取ってないが。
実際は乃木と森鴎外が競争してたと書くと不謹慎か
518人間七七四年:2010/09/24(金) 12:12:57 ID:yb79SGuw
>>509
文禄2年1月下旬〜3月中旬までの一月半にわたるソウル城での攻防戦において
日本はソウル城に五万五千の兵を集めて守備をかためながら、緒戦の碧蹄館
の戦いでの勝利後も敵を撃退するまでには至らず、逆に食料倉庫を焼かれて
撤退している。
もし純粋な戦闘力で明・朝鮮軍より強いなら、日本側の方が兵力も敵より優勢
だったので(日本軍五万五千に対し明・朝鮮軍四万〜五万)碧蹄館の余勢を駆
ってピョンヤン城まで攻め込んで落城させている。(碧蹄館の戦いは旧暦の
一月二五日、新暦なら三月中旬だ)それが敵を撃退することもできず、そのま
まソウル近郊で小競り合いを続け最後には食料倉庫を焼かれてソウル城は陥落
させられている。とても最強とは思えないね!
小早川隆景より「その兵三千は他の兵一万に匹敵する」とまでいわれた立花家
の家臣天野源右衛門覚書による碧蹄館の戦いについての記述でも立花家の諸将
が明軍について「馬の大きさはけしからず候、男もけしからす大きく候」とそ
の見かけの立派さに驚いているし、戦闘力についても「武辺強き唐人かな」と
皆感嘆したとの記載がある。
519人間七七四年:2010/09/24(金) 12:23:48 ID:yb79SGuw
>>512
ナポレオン率いるフランスを日本に例えているのはわかるが、ロシアはどこに
例えているんだ。
朝鮮に例えているんなら、日本はフランスより善戦したといえる。
でも200年の惰眠を貪り、実戦経験の無い官軍の兵が7〜8千人にしかいなか
った朝鮮と実戦経験豊富なヨーロッパ有数(世界有数)の軍事大国だった
ロシアを同列に比較していいのか。
ナポレオンの軍事行動が「ロシア遠征」だったように秀吉の軍事行動は「仮道
入明」だったんだからロシアに当てはめるには明の方が適切だろう。
その場合、あくまでもロシアを屈服させるための遠征で首都モスクワを陥落
させたフランスに比べ、明全土を征服するつもりの遠征が本国に一歩も踏み
込めなかった日本は情けないくらいに弱いね!

520人間七七四年:2010/09/24(金) 19:13:31 ID:MUYVI7ad
近現代の大日本帝国と比べたら?
>519
521人間七七四年:2010/09/24(金) 19:52:29 ID:BYl6KZYi
朝鮮北部って日本で言うと旭川くらいの感じ?もっと寒いのかな。
いずれにせよ大変だよね
522人間七七四年:2010/09/24(金) 20:01:24 ID:BYl6KZYi
将軍・兵士のモチベーションは時代を問わず
自国を守る>>自国が主体的に他国を攻める>>攻防問わず援軍として戦いに参加
と考えると明軍は強いね
523人間七七四年:2010/09/24(金) 20:07:45 ID:m5fl+qmc
>>516
>フランス軍の兵士にはそういう連中はたくさん居て軍隊から逃れてロシアやそのほかの国に土着したんじゃないかと思うよ。
>朝鮮の役の時にも居たろうね。

いわゆる降倭がそれにあたるのかな?
ソフィアローレンがでた映画「ひまわり」でも、戦争中で行方不明になった兵士が
他国で現地の女性と仲良しになっていたよな
524人間七七四年:2010/09/24(金) 20:35:30 ID:DonaXWoj
>>503
朝鮮はなんで断ったんだろう?
そこまでしなければならないほどのことじゃないと考えていたのだろうか
525人間七七四年:2010/09/24(金) 21:00:43 ID:JMrD67+J
>>521
樺太なみ。大陸の寒さは途轍もない。
526人間七七四年:2010/09/24(金) 21:14:42 ID:BYl6KZYi
>>525
上に出てたねスマソ。
単純な寒さもあるし日較差も大きそうだからなあ
527人間七七四年:2010/09/24(金) 21:39:58 ID:JMrD67+J
>>524
女真族は朝鮮の宿敵。
漢民族の明を敬愛する朝鮮も
女真はまったく信用してない。
日本と同程度。
528人間七七四年:2010/09/25(土) 07:02:01 ID:y3PFI+AA
>>521
旭川(-9.4℃)、帯広(-8.2℃)の1月の平均気温はモスクワ(-7.5℃)より低かったりする・・・
北朝鮮はピョンヤンが-6.1℃で、札幌(-4.1℃)よりは寒い。他の地域はもっと寒いだろう。
ただ北海道のような凶悪な雪が少ないので遭難はしない

雪の多寡で冬の過酷さというのはぜんぜん違うんだ
-20℃の雪の無い冬より、-5℃の豪雪地帯のほうがはるかに過酷なんだ
529人間七七四年:2010/09/25(土) 10:46:17 ID:gXeRkzp5
蒙古軍はドイツ兵を恐れていた
ドーソンによると、ハンガリーにおいても、エステルゴムの内城
Albe-Julie Saint-Martinの三城は陥落せず、本国よりオゴタイ
崩御の報を得て囲みを解いたという。これとは別に蒙古軍は
オーストリア に侵寇し、ウィーン南部のノイシュタイン城を包囲した。
この攻城戦は、『ローマ帝国衰亡史』のエドワード・ギボンが次の
ように叙述している。

一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声と武勇に恐れを
なしていて、オーストリアのノイシュタインの町への彼らの攻撃は
五十人の騎士と二十丁の石弓兵で勇敢に防衛され、彼らはドイツの
一部隊の来援で包囲を解いた。 (「ローマ帝国衰亡史」巻10)

このようにギボンは蒙古人がドイツ人(フランク族)の勇猛さに
恐れをなしていたと記している。
たった五十人の騎士で一城が守れるとは信じがたいがノイシュタット
の防衛はドーソンも、 ノイシュタットには僅かに五十人の守備兵と
二十人の石弓兵とを備える のみなりしが、蒙古兵はオーストリア公、
ボヘミア王、カリンチア公、 バーデン侯Agrar管長の連合軍近けるを
以て退却したり。(「蒙古史」)
 今村明著 『封建制の文明史観』P60-P61
530人間七七四年:2010/09/25(土) 11:05:35 ID:IigQ+AhJ
アジア側からヨーロッパに攻めることはあっても
ヨーロッパ側からアジアに攻めることがなかった時点で当時の力関係わかる
オスマン>西欧だったしね
531人間七七四年:2010/09/25(土) 11:48:02 ID:gXeRkzp5
アレキサンダー大王率いるマケドニア
ローマ帝国
カトリック教会の十字軍遠征
皆ヨーロッパからアジアへ攻め込んだものだ!
532人間七七四年:2010/09/25(土) 11:51:48 ID:IigQ+AhJ
ヨーロッパvs東アジアじゃなくて
東アジアvsオスマンが本当の頂上決戦
533人間七七四年:2010/09/25(土) 11:54:10 ID:qBe9o9sO
ギニュー特戦隊にスカウターを持ってきてもらおう
534人間七七四年:2010/09/25(土) 12:12:14 ID:gXeRkzp5
個人的には16世紀最強はカール5世治世下の神聖ローマ帝国
だと思う。
北にはルター派の諸侯連合と対峙し、
西にはフランソワ1世治世下のフランス王国と対峙し、
南ではカトリック教会と対峙し、
東にはスレイマン大帝治世下のオスマントルコ帝国と対峙し、
皇帝の権威と領土を守りきったんだから!
535人間七七四年:2010/09/25(土) 12:18:47 ID:Jeh2BzjE
最強つうなら普通にオスマンだろ
536人間七七四年:2010/09/25(土) 12:22:27 ID:IigQ+AhJ
西洋厨の生き残りなのはわかってたけど
スペインかと思ったらローマ厨だった
ねーよw
537人間七七四年:2010/09/25(土) 12:36:26 ID:gG73hSGs
>>534
「神聖ではなくローマでもなく、そもそも帝国でもない」国が最強w
538人間七七四年:2010/09/25(土) 17:44:07 ID:LYg5Fz+2
まあ、スレタイが間違ってるのは、分かる。
539人間七七四年:2010/09/25(土) 19:29:09 ID:+VggxapT
兵士はともかく、騎士を相手にするのは難しそう
盾とプレートアーマーで身を固め、大剣や槍、斧やメイスを振るわれたら、
ちょっと基本軽装の武士じゃ手が出せないだろな
まぁ、開闊な場所での集団戦の話しではなくて、
あくまで狭い道筋とかで一騎打ちをした場合の話だけどね
540人間七七四年:2010/09/25(土) 19:34:29 ID:Jeh2BzjE
逃げてりゃ勝手にバテる
541人間七七四年:2010/09/25(土) 19:45:58 ID:Swt90rii
ここは1つ、インド様に核を
ぶちこんでいただいて、シナチク
13億の害虫駆除を達成した後に
ノーベル平和賞を受賞して欲しい。
542人間七七四年:2010/09/25(土) 20:09:05 ID:2Hl8C8Ml
逃げれないよう柵で囲い紐で繋いであれば重装騎士が勝つ!
543人間七七四年:2010/09/25(土) 20:26:48 ID:zH3/2fYE
大金持ちだけやん
指揮官が遠くからの流れ矢で死なないだけのもん
自ら戦ったらバテと暑さに近距離からの弓でおしまい
544人間七七四年:2010/09/25(土) 21:29:32 ID:puG2FBvh
実際、西洋のガチガチな重装備な鎧を着てる奴って
重量がありすぎてまともに動くこともできなかったって話じゃん。

馬から下ろしちゃえばひっくり返されたカメみたいなもので
自力で起き上がることもできず余裕で捕虜にできたらしい。
そんで無事に家に帰してあげる代わりに身代金を要求するんだと。

西洋の貴族連中は、命かけて戦争なんてしてなかったんだろうな。
装甲を貫けるような銃器を非人道兵器と言って禁止させようとしたらしい。
お前ら、戦争をなんだと思ってるんだと。
545人間七七四年:2010/09/25(土) 22:05:01 ID:M6ZNIJvF
20世紀のWW1でも、
クリスマスに兵隊が勝手に休戦してイギリス兵対ドイツ兵で仲良くサッカーして
上層部ブチギレって話があったような
日本(や中国)はお正月休戦とかしてないよね?
546人間七七四年:2010/09/26(日) 06:11:02 ID:5q61i7If
>>545
戦国時代にクリスマス休戦をやったキリシタン大名がいるよ
547人間七七四年:2010/09/26(日) 10:25:36 ID:uwHWpFcj
>>529
ワールシュタットでバイダル率いるモンゴルの分遣隊に敗れてるけどね。
バトゥやスブタイといった主力ではなく、バイダルに敗れるのだから程度が知れている。

当時の騎士は刃器に強い鎖帷子と、防御力最悪(とヒストリカルチャンネルで材料分析された)の軟鉄製グレートヘルム。
そして鉄枠で補強した木盾。
全身は覆っているもののプレートアーマーではないので刺突に弱い。
反面大鎧(25〜40kg)と比べると大幅に軽い。フル装備で十数kg〜20kg前半だろう。
548人間七七四年:2010/09/26(日) 10:28:59 ID:+ee3vVsu
>>547
>反面大鎧(25〜40kg)と比べると大幅に軽い。フル装備で十数kg〜20kg前半だろう。

大鎧より軽かったとは意外だな
549人間七七四年:2010/09/26(日) 11:24:34 ID:2KgMDHMz
フルプレートの鎧は50キロ位行くぞ、でも全身に重さが分散されるから以外と動けたらしい
ちなみに鎖帷子は約20キロな
550人間七七四年:2010/09/26(日) 12:53:43 ID:6MTZYckk
>>547
ワールシュタット後の話をいってるんだよ!
一般にモンゴル軍はオゴタイハンの死によって
撤退した。ヨーロッパは思わぬ僥倖により救われた、
といわれていたが実際はワールシュタット後もモンゴル
撤退までの9ヶ月、バトゥやスブタイの主力軍を含めて
ポーランドからドイツに侵攻したんだ。
その際の戦闘についていったんだ。
ちなみにワールシュタットにはドイツ諸侯は救援に
向かっただけで主力はあくまでもポーランド軍だ。
>>522が言ったように
将軍・兵士のモチベーションは時代を問わず
自国を守る>>自国が主体的に他国を攻める>>攻防問わず
援軍として戦いに参加
551人間七七四年:2010/09/26(日) 14:21:47 ID:uwHWpFcj
>>550
バトゥの主力は撤退までに篭城中のハンガリー諸城や、分遣隊でクロアチアを攻撃していた。
ブダ・ペストより西には移動しなかったはず。
分遣隊の一つが北からオーストリア西部を通って主力に合流しているが、ノイシュタインを通ったのはこれだろう。

トゥメン規模の部隊であればモヒの戦いで使ったように投石器を用いる。数十人で守れるもんじゃない。
彼らはヨーロッパの城など問題にならない、中国や中東の巨大城郭都市を攻略したんだ。
552人間七七四年:2010/09/26(日) 14:22:48 ID:uwHWpFcj
失礼、「オーストリア西部」じゃなくて「オーストリア東部」ね。
553人間七七四年:2010/09/26(日) 17:22:41 ID:yFCPfZ/g
西洋に幻想いだきすぎて圧倒的負けを勝ちというのか
554人間七七四年:2010/09/26(日) 19:07:56 ID:0f3k9e1O
モンゴルによる遠征の凄さは、もちろん戦場での勝ち負けもあるけど、あの時代においてあれほどの
規模の軍単位による遠征で補給や本国からの情報伝達面において齟齬をきたしていなかった点に
あるんじゃないかな
555人間七七四年:2010/09/26(日) 19:33:42 ID:P2OKOj7a
装甲馬も用いていたというし、
装甲騎士達の突進力と衝撃力及び防御力に対して正面からやり合うのは得策ではあるまいて
モンゴルの如く、やっぱ機動力で翻弄しないと
せめて弩くらいあれば、その突進力と防御力に正面から対抗出来るかもしれんが…
556人間七七四年:2010/09/26(日) 19:52:03 ID:kJ0IomXU
ヨーロッパ重装騎兵は恐竜進化の末、正面衝撃力はアホみたいに強力になったが
それ以外のすべてを犠牲にしてるからそこをつけばいい。
というか正面から当たらなければいいだけ。
557人間七七四年:2010/09/26(日) 21:04:35 ID:zlKjufxp
特に経済的な犠牲が痛い
558人間七七四年:2010/09/26(日) 21:16:50 ID:+ee3vVsu
>>556

障害物を置いて突撃できないようにして、遠距離から弓で
ボコボコにハメ殺しをすればいいしな
しかし、同じ手で2回もやられるフランスw
559人間七七四年:2010/09/27(月) 03:29:44 ID:zXu6tGvS
>>555
当時の騎士は馬に布をかけているだけで装甲してない場合も多いよ。
馬鎧も鎖帷子。
騎士自体は弓に強く、十字軍でイスラム教徒の矢がなかなか効かないなんて記録が残ってる。
モンゴルの装甲騎兵も小札を綴じた馬鎧を使っていて、防御力は高い。
突撃は、人馬の運動エネルギーを槍先に集めるランスのほうが強いだろうな・・・

問題は騎馬の数じゃない?
歩兵の比率のほうが高く、徒歩の従者が随伴する騎士に対し、モンゴルはほとんどが騎兵。
六割は軽騎兵、四割は装甲騎兵含む槍騎兵。
機動力で圧倒しただろうね。
560人間七七四年:2010/09/27(月) 12:01:21 ID:+ozwDEnS
実際、あの馬まで重装甲で覆った騎士たちはどれだけ活躍したんだろう。
↓これはばら戦争やイギリスでしか当てはまらないケースかもしれないけど。

テレンス・ワイズ「ばら戦争 装甲騎士の時代」
・騎士と従騎士だけでなく、多くの重装甲兵にいたるまで部隊の大半が
馬に乗っていた。「騎馬歩兵」の中には、馬で偵察や側面守備などに
趣く者もあったが、わずか100騎ほどの騎乗予備軍は別として、
馬はすべて荷物と共に後方へさげ、戦闘は徒歩で行われた。この措置は
主として使用する武器がそうさせるのと、馬に乗ったまま効率よく戦える
騎兵がほとんどいなかったという事情による。
561人間七七四年:2010/09/27(月) 12:37:25 ID:zXu6tGvS
>>560
イギリスではロングボウ兵すら移動は馬で行い戦闘は徒歩でやってるよね。
562人間七七四年:2010/09/27(月) 18:50:39 ID:FK/oJb8z
日本の戦国武将がそんなにも強いなら
なんでほとんどの大名は地元の小競り合い程度で満足してたんだろう
ある程度の区間を武力で切り開いた人って意外に少ないじゃん
みんな勝ち馬に乗ろうみたいなヤツばっかりだったし
563人間七七四年:2010/09/27(月) 19:07:02 ID:dAWIr9QT
国内のレベルはほとんど同じだからさ
戦い方も武器も技術も似たようなもの
力の均衡が保たれてた
戦国時代始まって100年くらい経って信長が出てきて力に大きな差がでだすけど
鉄砲を一番早くうまく利用した奴が勢力伸ばした
564人間七七四年:2010/09/27(月) 21:56:21 ID:2JAvSFpj
織田は一向一揆との銃撃戦で鍛えられた
565人間七七四年:2010/09/28(火) 03:48:37 ID:5zEkChho
元に勝ったの鎌倉幕府とマムルーク朝と陳朝。条件付きでマジャパヒト王国だけか。
566人間七七四年:2010/09/28(火) 05:54:03 ID:/ckomtMS
>>565
海に守られた日本は勝ったといっても条件つきじゃないの
騎馬が渡れなかったんだから
戦闘に負けて水城の遺構を盾にするため太宰府に後退しているし 
突然の暴風がラッキーだったのは否めない
567人間七七四年:2010/09/28(火) 07:56:11 ID:4kJAUZoE
だいたいその元軍の歩兵中心戦術に生粋蒙古騎兵が完敗してるのに
まだ弱いとか思ってるのか。

だいたい、突然の暴風とかを信じているところを見ると本当に経過を知らないらしいな。
568人間七七四年:2010/09/28(火) 09:35:30 ID:ubVxEDOA
逆に武士の騎馬隊に元の歩兵部隊が敗れてるよね。
機動力生かしてアウトレンジされたらどうしようもない。
歩兵では騎馬を捕捉できないから。
569人間七七四年:2010/09/28(火) 10:47:36 ID:ejuyN1IE
元は1ヶ月も2ヶ月も上陸させて貰えない時点で一方的負け
570人間七七四年:2010/09/28(火) 12:56:15 ID:fMqzDxzn
元が上陸してこなかったのは
一説、上陸すると蚊に悩まされたからという説もあるのだが。
571人間七七四年:2010/09/28(火) 13:41:16 ID:Ijtd9sAz
おまえ大陸にはヤブ蚊がいませんでしたとかジョークの類だろ
572人間七七四年:2010/09/28(火) 14:45:53 ID:ejuyN1IE
蚊w 
そんな説にしがみつくなよ
573人間七七四年:2010/09/28(火) 14:59:28 ID:4kJAUZoE
>>570
誰の説?
574人間七七四年:2010/09/29(水) 00:27:19 ID:pFhXYoqh
鎌倉武士が善戦したのは事実だが、だからといって蒙古騎兵より強い証明
にはならない。
また、文永の役で元軍を鎧袖一触、一日の戦闘で打ち負かしたように主張
している馬鹿がいるが、日本側がそんなに強いなら、元軍の再来を恐れ
て元寇防塁など作ったりしない。
高さ・幅は平均して2m、総延長は20Kmもある元寇防塁を足場のしっかり
しない砂浜に難工事で作成していることからも日本側が元軍を恐れていたこ
とがわかる。
船に載り慣れていない多くの元兵は、元寇防塁により上陸を阻まれ船で夜を
すごしていたため船酔いのため戦闘にも支障をきたしていただろう。
575人間七七四年:2010/09/29(水) 00:27:29 ID:PbTioBne
モンゴルって蚊がすごいらしいぞ
あ、でも華南と朝鮮の兵がほとんどか。
まあ中国も朝鮮半島も蚊はいるだろうw
576人間七七四年:2010/09/29(水) 00:55:07 ID:q+9A28BT
「勝ったから対策なんかいらねえよwwwおとといきやがれこの蒙古風情がwww」
とかみたいに何も対策取らないバカなんてそうそういないだろうけどな
577人間七七四年:2010/09/29(水) 01:03:21 ID:pFhXYoqh
鎧袖一触で勝てたんならそう考えてもおかしくない。
元寇防塁建設には膨大な金と労力がかかるんだぞ。
元軍は鎌倉武士から見て手ごたえのない相手なら
その様な手間ヒマをかけない。
578人間七七四年:2010/09/29(水) 01:26:01 ID:pFhXYoqh
弘安の役では、その元寇防塁のお陰で上陸を阻まれた
元兵は波に揺られる船の中で毎晩すごし、当然船酔い
状態で朝を迎えそのまま戦闘に入るんだから本来の実力
なんか出るわけないじゃん!
579人間七七四年:2010/09/29(水) 03:28:15 ID:jDumHMOq
上陸できないほうが悪いし弱い
唐入りで日本軍が上陸して7年間敵地に居座ることがどれだけのことか
580人間七七四年:2010/09/29(水) 04:35:05 ID:hsCUaDd6
というか明の記録で
日本人やばい。強すぎるって記録が残ってるじゃん。
581人間七七四年:2010/09/29(水) 10:41:45 ID:vFUmv9BY
元と鎌倉武士が戦ってる絵が教科書に載ってるじゃん?
勇ましい顔の元が弓を射て、馬上でつんのめった武士が青ざめた顔をしてるの見ると
やっぱり相当に日本は苦戦したんだと思うよ。もし日本が圧倒的に撃退したなら
元のヘタレさが描かれていたはず。

582人間七七四年:2010/09/29(水) 10:44:26 ID:eUGnJK2a
>>581
蒙古襲来絵詞で調べてその全体を見てみろ。

この程度の知識のヤツが武士が強いだの弱いだの論じていると思うと
悲しくなってくるな。
583人間七七四年:2010/09/29(水) 12:03:41 ID:mS3bfA8r
教科書を鵜呑みにするとはいかんね
日教組にやられてる
584人間七七四年:2010/09/29(水) 12:26:25 ID:xmtNircI
カルチャーショック受けて引くに引けんようになるパターン
585月孔雀:2010/09/29(水) 12:30:54 ID:+sNNtH83
海が無ければ、日本は、蒙古の属国でしょ。
586人間七七四年:2010/09/29(水) 12:33:57 ID:xmtNircI
歴史にタラレバなどない
海が無ければ日本じゃないし
587人間七七四年:2010/09/29(水) 12:34:01 ID:g6ZQC8QX
海が無ければそもそも日本という枠組みが出来上がることも無く全部中国だよ
馬鹿?
588月孔雀:2010/09/29(水) 13:00:15 ID:+sNNtH83
だから、海があるから日本を守れたのであって、
鎌倉武士が強かったということには、ならないと言いたい。
589人間七七四年:2010/09/29(水) 13:14:34 ID:NxSQPNBH
鎌倉武士が弱ければ海があっても守れなくね
590月孔雀:2010/09/29(水) 13:23:04 ID:+sNNtH83
上陸作戦のある蒙古出兵は、ほとんど失敗してるから、
どうだろう・・・
591人間七七四年:2010/09/29(水) 13:34:22 ID:q4tSh9pH
蒙古兵は陸戦は強いけど上陸となると弱いと。
海から陸へではノルマンが最強かな?

状況を変えてのifってどんなもんかな?
日本だって、モンゴルみたいな大草原みたいなところで
合戦したことはある?〜原というような合戦場でもイメージ違うでしょ?
592人間七七四年:2010/09/29(水) 13:39:14 ID:0x1UM4/J
元寇の後に、子供を叱るときに「悪いことすると元の兵隊がやってきてさらわれるぞ」なんて
脅し言葉があるってことは、やっぱり相当に元の軍隊は強くて日本が苦戦したことの表れじゃないか?
あまりにも元が弱いなら、そんな脅し言葉が成立するはずないからな。

蒙古襲来絵詞ってのも、結局一武士の武勇伝自己申告だろ?
俺は民間伝承の方に歴史の真実はあると思うけどな。
593人間七七四年:2010/09/29(水) 13:44:03 ID:NxSQPNBH
594人間七七四年:2010/09/29(水) 13:58:54 ID:n80Drqol
>>592
歴史を知らないやつは困るな。
鎌倉武士の勇猛果敢さと戦略、戦術無しでは、今の日本は中国の日本省になってたんだぞ。
最初は、日本武士の一騎打ちと、元軍の集団戦法の違いで圧倒されたが、
2度目の元寇では、完全に日本の勝ち。そもそも、当時の世界史で元軍に対抗できたのは
事実として日本の武士くらいしかありません。欧州では、ワールシュタットの戦いなどで蹂躙されました。
当時の元は、今のアメリカと比べても比較にならないスーパーパワー。
これは、元自衛隊の人が書いてる本にのってるが、まず、日本は元軍に上陸させない戦術をとった。
それと、敵船に夜戦をしかけて戦力をそぐ。元軍は、遺留品からもわかるが基本軽装備で、一騎打ちでは侍には歯がたたなかった。
弓矢でもまけておらず、弓の雨をしかけ、敵の司令官もこれにより絶命。
ちなみに、あなたがいってるのは「むくりこくりが〜」といって、一般市民が、略奪などを畏れて行ってるだけで
侍がいってるわけではありません。鎌倉武士は、まさに言葉どおり
ご恩と奉公、一所懸命に戦いました。
まー、詳しくは、元寇などの資料本を読みなさい。
あと、ルネサンスから、近代までの世界地図の変遷を見ること!
欧州列強に植民地に結果としてされなかったのは、まさに武士の武力は一番聞きました。
16世紀の宣教師も、日本は武力では占領できないと、文章を本国におくっております。
595人間七七四年:2010/09/29(水) 14:17:30 ID:KryvILms
武士って今の時代に
あてはまる人いる?
596人間七七四年:2010/09/29(水) 14:44:09 ID:PbTioBne
>>594
まあ元寇の軍は漢人・高麗人主体の二線級部隊だけどね。
騎馬が使えないモンゴルなんて、サッカーの下手なブラジルみたいなもん。
597人間七七四年:2010/09/29(水) 14:46:01 ID:f2scKNRe
>594 日本省?恐らく小倭自治区か東夷自治区だろうな。
武士のいない今の日本は、両国併属した琉球の知恵にのっとって、アメリカと中国にうまく両属しちゃいなよ
598人間七七四年:2010/09/29(水) 16:57:06 ID:vMKcAIZR
藩属国民である高麗兵
征服された亡国の民である旧南宋兵
ともに士気が高いはずがない。
また肝心要の蒙古兵は馬に乗っての
騎馬戦なら得意だが、船には殆ど乗った
ことのない連中故、船酔いで本来の力は
出せず、こんな元軍相手に沿岸部に20Km
にわたって元寇防塁を築き防衛に務めれば
上陸を阻むこともできよう。
599人間七七四年:2010/09/29(水) 17:17:44 ID:eUGnJK2a
>>598
その士気が高いはずがないという連中を主力として
大元ウルスは蒙古騎兵中心の反乱軍側に連戦連勝だったんですけど。

お前さんの文章は思い込みでしか書かれてないね。
それに南宋兵中心の江南軍なんて弘安の役の途中からしか出番ないわ。
600人間七七四年:2010/09/29(水) 19:04:29 ID:n80Drqol
>>596
それこそ、歴史を知らない人の浅はかなはつげんですね。
日本に来たのが、漢人・高麗人主体の二線級部隊だけどねってかいてますが、
それは、征服王朝は、すべてそうやって侵略するのですよ。日本に来た兵だけでなく、
アジア、欧州に行った兵も、すべてそうです。日本を過小評価したいのはわかりますが、事実は違います。
601人間七七四年:2010/09/29(水) 19:09:28 ID:n80Drqol
>>568
私も専門家ではありませんが、
「藩属国民である高麗兵 征服された亡国の民である旧南宋兵
ともに士気が高いはずがない」は、完全にマチガイであることを指摘しておきましょう。

史実は、

元が日本に服属を勧める使節を派遣していたのに、
日本がこれを黙殺し続けていたため、『元史』によれば、
この頃高麗王世子ェが「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」
ため、遂にフビライ・ハーンは日本遠征を決定したんですよ。知ってましたか?

602人間七七四年:2010/09/29(水) 19:22:59 ID:wkNGQfr0
>>601
そんなの指揮官レベルの話しだろ。
603人間七七四年:2010/09/29(水) 19:47:30 ID:cNE2C5J2
知らなかった
っていうか、そんなんで日本遠征を決定するとか
日本に関しては無知なのにえらく浅はかだったんですねw
604人間七七四年:2010/09/29(水) 21:59:51 ID:PbTioBne
>>600
いや?
バトゥのヨーロッパ遠征には、各王家率いる最精鋭部隊が出征した。
大半は騎兵で、軽装の弓騎兵が6割、重装の槍騎兵が4割、少数の工兵が従った。

元寇では蒙古人は1トゥメンも出征していない。
そして騎兵も数えるほどしか輸送できていない。
モンゴルの戦法は、大半が騎兵であることによる機動性と、旗信号による規律がベースとなっている。
すなわち、馬を利用できない元寇の元軍は、ヨーロッパや中東で勇名を馳せたモンゴル軍とは、編成・戦術共に全く別物なんだ。
605人間七七四年:2010/09/29(水) 22:44:45 ID:pFhXYoqh
>>599
それはどんな戦のことを言っているんだ。
その戦において高麗兵や旧南宋兵はどんな
役割を果たしたんだ。
>>601
ふーん 当時の高麗は現在の韓国や中国のような
反日国なのか?
軍民こぞってフビライ・ハーンに
「日本へ攻めさせてください。鎌倉武士を殺させてください。」
なんて懇願していたんだ。
606人間七七四年:2010/09/29(水) 23:29:28 ID:BpJUT8Wm
>>604
で?
わざわざ相手が得意とする土俵で勝負する馬鹿がどこにいるの?
607人間七七四年:2010/09/30(木) 00:00:01 ID:Rhy1tG9v
>>604
まず感情は押さえて中身のある話をしよう。
土俵がどこにしろ、騎兵のほとんどないモンゴルではやはり二線級じゃあないかな?

日本の場合は、重装弓騎兵による騎射戦法が主流となっており、騎射主体というのはモンゴルと似ている。
槍騎兵は存在せず、衝撃力という点ではモンゴルに分があるだろう。
ただし源平合戦では馬で体当たりする馬当てという突撃戦法が存在した。

編成はというと大将軍の元に御家人が集結した適当なものだ。
数百騎の集団で戦闘する場面も見られるので、集団戦もこなしていたんじゃないかな。
608人間七七四年:2010/09/30(木) 00:13:28 ID:Rhy1tG9v
モンゴルは機動力を生かした偽装退却が最も得意。
まず囮部隊は疑念をもたれない程度に善戦し巧妙に負け、退却に移る。
その間矢の雨を降らせ敵を削る。
そして追撃で疲れきり足並み乱れた相手に、フレッシュな槍騎兵が突撃し粉砕するというパターン。
旗信号で一糸乱れず機動する訓練風景にマルコポーロは驚嘆している。

規律の点で日本は劣るんじゃないの。
歩兵だって御家人の郎党で、独立運用できず主人に随伴するものだし。
軍隊は指揮系統が混乱するほど組織だった抵抗ができなくなるから。
609人間七七四年:2010/09/30(木) 00:16:52 ID:VrYhMiXS
>>605
お前って偉そうな口調だけど、本当に何も知らないし
しかも自分で調べようともしないんだな。

というか元寇中心の話題はいい加減こっちとかでやれば↓

世界最強鎌倉武士団
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172215786/l50
610人間七七四年:2010/09/30(木) 00:21:55 ID:Cjkn/83J
>>608
その戦法は島津の必殺戦法釣り野伏せとそっくりだな
モンゴルと島津が激突したらどうなったんだろう
611人間七七四年:2010/09/30(木) 01:11:00 ID:V4KUbyYl
戦国長島巨人軍でも読んでろw
612人間七七四年:2010/09/30(木) 01:33:00 ID:Rhy1tG9v
>>610
俺もそう思った
お互い偽装退却して引き分けとかw

戦国時代になると、武器・防具の差もあるし島津じゃないかな〜。
島津は高い鉄砲装備率に加え野太刀が流行ってて、モンゴルの刀じゃ到底受けきれない
遊牧民は鉄砲が出てくると急に劣勢になったし。
613人間七七四年:2010/09/30(木) 05:35:31 ID:cR/Ygwmd
モンゴルが朝鮮程度を攻略するのに30年かかってるようにアジアのレベルは極端に高かった
いくら中華圏の連合軍率いてやってきても日本攻略するのは無謀だったと
上陸させなかったのもそうだけど、日本刀は当時からあるわけだからなで白兵戦でも負けようが無い
614人間七七四年:2010/09/30(木) 07:54:16 ID:bg4V+BJR
>>612
竜造寺に比べて鉄砲が少ないので弓で対抗した報告もある。
島津の強さは鉄砲頼みの強さではないよ。
615人間七七四年:2010/09/30(木) 19:08:18 ID:wj6aPDbV
久々に来てみたらスレ進みすぎワロタw
616人間七七四年:2010/09/30(木) 23:40:21 ID:YVTx0IkN
碧蹄館の戦い
日本軍 4万1千人 明軍 2万人
小早川隊の先陣である粟屋四郎兵衛と井上五郎兵衛ら3000人が
明軍に攻撃を開始。明軍は大砲などで応戦して大軍を繰り出したため、
粟屋隊は敗走してしまいますが、井上隊が鉄砲の一斉射撃でこれを
押し留めると、小早川隆景率いる本隊は小丸山を駆け下りて敵陣に突
入し、刀槍を用いた白兵戦が繰り広げられます。
この時、明軍は日本刀の切れ味にたいへん驚いた、という話が残って
います。
この様子を見ていた立花宗茂は再び軍を率いて右翼に切り込む形で
側面から攻撃。さらに、左翼には宇喜多勢が攻撃を仕掛けたため、
明軍は三方向から攻撃を受けることとなり、戦況は次第に秀吉軍に
傾いてきました。李如松は、形勢挽回のために前線に出て部下を
叱咤激励するとともに、自らも弓で応戦するなど奮戦しましたが、
戦の帰趨が明らかになると撤退を指示。後退→応戦→後退という
正退法を見事に演じて、敗走することなく整然と引き上げていった
そうです。
617人間七七四年:2010/10/01(金) 03:05:03 ID:9U6EOEgL
どこのアホサイトからのコピペだよ
618人間七七四年:2010/10/01(金) 03:20:45 ID:9U6EOEgL
>>605
>>609
要は

元→ヒョードル
日本→ファブリシオ

って事だろ
619人間七七四年:2010/10/01(金) 03:24:14 ID:si9CmQCd
碧蹄館の戦いは明軍は砲兵主体の南軍を後方待機させてたからね。
そして日本軍をあなどりきって騎兵主体の北軍でのみ攻撃した。

まさに日本軍の数の優位による勝利だね。
まあ少なくとも勝ってもあまり自慢できるような戦いではなかった。
620人間七七四年:2010/10/01(金) 05:02:36 ID:pIDeITRw
ひとりでどんだけ粘っても無駄だって
2年周回遅れしてる
621人間七七四年:2010/10/01(金) 09:13:28 ID:XOQ/hzJG
漢城退却
3月。漢城に立て籠もる秀吉軍に一大事が起こります。
明軍の経略(←参謀の意味)・宋応昌(そうおうしょう)が、
漢城郊外の龍山にあった兵糧貯蔵庫を襲撃して焼き払うという
戦果を挙げました。この兵糧庫には、漢城駐留軍約5万人の
二か月分の兵糧:1万4000石が貯蔵されていたため、
漢城駐留軍は明軍と講和することを余儀なくされました。

622人間七七四年:2010/10/01(金) 11:38:14 ID:b161ZYCr
中国はなぜか歴史的に戦争弱いからな
国は大きいけどよく負ける
623人間七七四年:2010/10/01(金) 11:39:49 ID:b161ZYCr
国民性としてビビりなのが良くない
日本は現代になってそうなりつつあるが
624仙台藩百姓:2010/10/01(金) 12:33:31 ID:RqWY9vUD
中国は常に国内が不安定だから対外戦争が起きると内から崩壊してしまうのだお( ^ω^)
決して弱いわけではないのだお( ^ω^)
日本の優位を盲信して中国を馬鹿になどしていたら気付いた時には奴隷にでもなるしかなくなるお( ^ω^)
625人間七七四年:2010/10/01(金) 14:30:25 ID:q1NtUWYE
もう少し秀吉が長生きしたら獲れてたのに…
いろんな意味で混ざりまくって西欧が力つけたのち変なことになりかねないけど
626人間七七四年:2010/10/01(金) 15:38:32 ID:9U6EOEgL
ヌルハチ→ホンタイジみたいに
秀吉の遺志を継ぐ意欲があって且つ
優秀な跡継ぎがいないとどうにもならんよ。
627人間七七四年:2010/10/01(金) 16:06:50 ID:UzUgZTVb
誰かがやるもんさ
利権が大きいなら必ず代わりがでてくる
628人間七七四年:2010/10/01(金) 16:12:22 ID:c0fcTMIs
>>625
明軍の大攻勢を奇跡的勝利の連続で退けているだけで、支配地域は
いっこうに広がっていない状態で「獲る」っていっても…。

その支配地域にしたって南四道の沿岸部だけで、それ単体では
国家として成り立つような領域ではないので、日本から大量の兵員・兵糧を
送りつづけないと維持できず、支配する意味が皆無。
629人間七七四年:2010/10/01(金) 18:37:07 ID:9U6EOEgL
戦術的勝利の連続だけじゃ戦略的不利は覆せないと。
630人間七七四年:2010/10/01(金) 18:44:29 ID:2n3PWEX4
>>622
弱い者に強く、強い者に弱いのが中国・朝鮮
だから敵に本当の英雄が現れたらバタバタと降伏して戦いにならない
631人間七七四年:2010/10/02(土) 00:39:23 ID:C+tEzxQ3
>>628
連続するものは既に奇跡でもなんでもないですけど。
632人間七七四年:2010/10/02(土) 06:37:09 ID:VvrdfVCs
>>544
>>547
>>549
この程度の知識のカスどもが武士は最強だとか言ってるわけか。
お笑い種だな。
633人間七七四年:2010/10/02(土) 07:22:51 ID:l4V2F0zp
戦闘力の結論は
武士>中国>ヨーロッパでおkか
中国じゃなくモンゴル、ヨーロッパじゃなくオスマンと比べるべきだった
634人間七七四年:2010/10/02(土) 10:51:47 ID:HpxkGCOp
>>633
上でも書いたが日本の武士はそんなに強くないだろ!
文禄の役最大の山場であるソウル城攻防戦において
守り手の日本軍5万5千,攻め手の明・朝鮮軍は5万1千.
緒戦の碧蹄館の戦いでこそ勝利したものの明・朝鮮軍
を撃退できず、3ヶ月の攻防戦の果てに漢城を放棄している。
もし日本軍が明・朝鮮軍より強いなら兵力において勝ってい
るんだし、篭城などせず決戦している。 
また、慶長の役でも明・朝鮮軍相手に連戦連勝しているが
よーく考えてみると海を渡って朝鮮に侵略しておいて倭城に
立て篭もって明・朝鮮軍を迎え撃っている状況がすでに敗色
状態じゃん。
その上、明・朝鮮軍を撃退しても追撃してソウルを奪還する
こともできず寧ろ戦線を縮小している体たらくでなにが明軍
よる強いんだよ!
635人間七七四年:2010/10/02(土) 12:33:43 ID:awUSgVza
明軍よる強いんだよ!

もっと日本語うまくなれよ。
636人間七七四年:2010/10/02(土) 15:55:16 ID:WlKAON8X
>>632
隊列や騎兵の概念無かったから武士は雑魚という奴と同レベルだよな
637人間七七四年:2010/10/02(土) 16:02:59 ID:HpxkGCOp
>>635
つまらん突っ込みいらん。
内容について反論しろ。
638人間七七四年:2010/10/02(土) 17:12:25 ID:eVE2mFD9
日本軍が最後の撤退戦除いて連戦連勝してて
明側が秀吉が死んだおかげって記録残してて
関が原大阪の陣で15万以上の兵力動員する戦する余力残してて

どう見てもサムライのが強くね
639人間七七四年:2010/10/02(土) 18:59:16 ID:OQAZFTou
強い弱いはとりあえず置いといて、朝鮮では戦略的にジリ貧だったのは厳然たる事実だ罠
640人間七七四年:2010/10/02(土) 19:14:16 ID:HqlIPt4C
>>634
戦闘強弱の問題ではなく、殆どは補給の問題からだろ。
641人間七七四年:2010/10/02(土) 20:04:44 ID:WlKAON8X
まあ戦術的にいくら有利でも、簡単には戦略的不利は覆らないわ
642仙台藩百姓:2010/10/02(土) 20:22:37 ID:FLoVdiGA
補給だって軍隊の一部なのだから補給が脆弱で戦況が不利になるのなら
それは「弱い軍隊」なのだお( ^ω^)
言い訳して臭い物に蓋をするから日本はいつまで経っても弱国なのだお( ^ω^)
643人間七七四年:2010/10/02(土) 20:33:46 ID:WlKAON8X
まあ言ってるこたあ正しいが
日本が弱国なら弱国じゃない国は
世界に数えるぐらいしか無くなるな。
644人間七七四年:2010/10/02(土) 20:36:13 ID:5jqnHV5n
日本が「弱国」だとしたら
弱国じゃない国は地上には数えるどころかひとつもないだろw
645人間七七四年:2010/10/02(土) 20:36:50 ID:VWRss+n2
軍隊ならその通りだが、スレタイ的には個人レベルの話だろ
個々の強弱など戦争では何の意味も無いってのはあるが
646人間七七四年:2010/10/02(土) 21:07:52 ID:XeJO8cso
中世ヨーロッパ軍
シナ軍
戦国軍
もし100人の軍隊を結成したら戦国軍が圧勝だろ!
647人間七七四年:2010/10/02(土) 21:08:14 ID:w7sHaqXu
ナポレオンいわく「軍隊とは歩く胃袋である」だが
日本軍の場合は「兵隊さえ送り込めば食料なんてどうにかなる」だからな。
インパールとかガダルカナルとかそういう思想で立てられた作戦としか思えない。

ガダルカナルなんて兵隊ばかりバカみたいに投入し続けて、
現地では新しい兵が来ても増えた分、勝算も無い無茶な突撃を続けて
戦死・餓死で兵士の数が適正量になるまで調節するのに夢中になってたからな。
それなのに、どんどん新しい塀を送り込んできて、
現地では「味方減らし」に必死になるという悪循環。
648人間七七四年:2010/10/02(土) 21:09:45 ID:32ejl11q
そもそもおめらがだあらしないんだよう
649人間七七四年:2010/10/02(土) 21:26:19 ID:HqlIPt4C
馬鹿だなあ。
補給の弱さを認識したからこそ、戦線を縮小し、戦力を後退させたんだろう。
自己の弱さを認識してカバーするのは強さでもある。
補給が続かないのに奥地まで行ってれば、それこそ牟田口さんじゃないか。
戦略としては正しいのだよ。
650人間七七四年:2010/10/02(土) 21:47:03 ID:OQAZFTou
>>649のいうように、朝鮮では補給はものすごく重視していた。
漢城を放棄したのだって兵糧庫が焼き払われて備蓄が足りなくなったのと、
釜山からの補給路の確保が怪しくなってきたためだし。
651人間七七四年:2010/10/02(土) 22:19:30 ID:HpxkGCOp
>>640
補給が原因じゃないだろ。
明軍4万3千が朝鮮半島に到来した
時に日本軍の勢力は朝鮮半島全域
に達していた。
その時点では日本軍の方が明軍より
食糧確保も容易なであり、恵まれて
いただろう。
652人間七七四年:2010/10/02(土) 23:15:36 ID:gva70SP7
>>651
日本軍が上陸する前年から、朝鮮は餓死者がでる大飢饉に襲われてたんだ
役の最中も明軍に補給するから、そこら中で餓死者累々……
653人間七七四年:2010/10/02(土) 23:15:55 ID:nl0ypw2i
石田三成の兵站運用は神レベルだったと聞いてるけど、
実際のところ朝鮮での補給はガタガタだったの?
654人間七七四年:2010/10/02(土) 23:41:06 ID:HpxkGCOp
>>652
明軍が来襲した文禄元年1月当時、朝鮮王国は実態としては存在
してないだろ。
655人間七七四年:2010/10/02(土) 23:52:56 ID:OQAZFTou
>>651
いや、全羅道はまったくの手付かずだし、慶尚道の晋州城も第一次
攻防戦で撤退してから手付かずだったので、明軍が来たときには
晋州城健在。

文禄の役の初期段階で加藤や小西がとんでもない勢いで進軍したけど、
支配地域となるとあらら…という状況。

>>653
釜山までは完璧。そこからは海上輸送は文禄の役では全羅道には
侵攻できなかったため、使えなかった。

陸上輸送は朝鮮で義兵が出てからは危険になった。結果、漢城を維持
するのが困難になり撤退。釜山を拠点に晋州城を攻略し、さらには
全羅道に向かうものの撤退という具合。
656人間七七四年:2010/10/03(日) 05:19:30 ID:qWarTXTt
朝鮮半島の実入りが予想以上に糞すぎて
計画が狂っちゃったと。で、こんな貧乏国抱えてまで
明に攻める気なんてしねえよとやる気無くしたと。
完全に戦略的敗北だわな
657人間七七四年:2010/10/03(日) 06:56:14 ID:v1r9Tn4s
>>656
実入りが少ないことは確かだけど、文禄の役後の交渉では半島南部の割譲を
要求しているし、慶長の役では本来の目的の「唐入り」は半ばあきらめられ、
生産性が低かろうがなんだろうが、南四道の確保が目的になっている。

慶長の役は緒戦の漆川梁海戦で朝鮮水軍が壊滅し、文禄の役では
攻略できなかった全羅道を攻略し、さらに沿岸部の倭城にひきこもって
明軍を迎え撃つ戦略だったので、補給には問題が出なかった。
蔚山城では加藤清正が飢えたけど、あれは蔚山城に兵糧を運び込む前に
包囲されたためだし。
658仙台藩百姓:2010/10/03(日) 09:43:40 ID:6Ch0/aO7
結局全てが駄目だったというだけの話しじゃんお( ^ω^)
659人間七七四年:2010/10/03(日) 09:52:18 ID:9Np2p+1c
白人コンプと中華思想にまみれた実に鮮獣らしいスレタイw
660人間七七四年:2010/10/03(日) 11:35:25 ID:52V1bsor
>>655
ふーん、朝鮮人の義兵闘争って思ったより効果があったんだな。
朝鮮人が過大評価して吹聴いるだけだと思った。
鉄砲普及後ならまだしも弓矢ぐらいしか飛び道具がなかった朝鮮
のそれも戦場経験のまったくない農民主体の義兵の闘争に苦しめ
られるようじゃ日本武士もたいしたことないな!
661人間七七四年:2010/10/03(日) 12:25:18 ID:3ubHIMNe
普通に考えれば、百姓が食物作ってくれないと現地調達もできないだろ。
列島から何年も大量の物資を送り続ければ日本国内のほうが荒廃するわ。
これを解決するには、従来より税を軽減するなど現地民を慰撫するか、
列島から入植させるか、サムライを屯田兵にするかが考えらるだろう。
現地民を奴隷にして売り飛ばしたり、いたずらに刀でぶった切ってれば、
現地民は兆散して列島から送られてくる物資に対して盗賊行為でも
働いたほうが益しということになる。
こんなので長く続くわけがないだろう。
日本軍が端から短期の略奪行為を目標にしているなら別だが。

ま、抵抗した朝鮮人が戦闘のできる「義兵」なんていえるものだったかどうか
は疑問だけどな。
662人間七七四年:2010/10/03(日) 14:47:35 ID:gdU1h4+8
七年間アウェーに居座ってる事実がすべての力量差をあらわしている
互角以上の力があれば上陸戦食い止めてるし、万が一入られても数ヶ月で追っ払える
人力馬力の時代にも相当な力量差があった証拠なのよ
663人間七七四年:2010/10/03(日) 16:32:22 ID:qWarTXTt
まあ実際、明は自分の領地内からは短期間で追い出してるしな。
664仙台藩百姓:2010/10/03(日) 16:40:27 ID:6Ch0/aO7
相当な力量差があったのに結局一兵寸土も残さず駆逐されたと言う笑い話しかお( ^ω^)
665人間七七四年:2010/10/03(日) 18:01:51 ID:v1r9Tn4s
>>660
補給路を襲うのはレジスタンスの基本だからねい。WW2のポーランドなんて
まさにそんな感じだし。

もちろん>>661のいうように、単なる盗賊行為が結果としてレジスタンスに
なった感じではあるけど。
666人間七七四年:2010/10/03(日) 23:59:32 ID:MiOV/VpX
日本から中国は攻めてるのに中国から日本がないのもね
唐入りはあと3年あったらおもしろかったな
無期限ならモンゴルみたいになってた
667人間七七四年:2010/10/04(月) 06:16:40 ID:1q7cKXbF
小さな島国を治めただけで調子こきすぎだろ秀吉はw
大陸に勝てない
668人間七七四年:2010/10/04(月) 08:16:36 ID:KMGgD6mc
>>660
小西加藤は占領政策を全くせずに、まっすぐに首都を陥落させちゃったんだな
日本の合戦の流儀で戦って、民を兵扱いしてなかったのかもな
結果補給線が伸びきってしまって、撤退を余儀なくされた
で慶長の役ではそれを反省して、各地に城を建てる占領政策に移行した
669人間七七四年:2010/10/04(月) 11:10:21 ID:Ls3hDFUD
なんだか無根拠に「あと三年あれば面白かった」とか言ってる奴が常駐してるな。
時間の問題ではないと思うのだか・・・
最初から最後まで日本は苦戦しぱなしだった。
670669:2010/10/04(月) 12:17:06 ID:Ls3hDFUD
ていうか、朝鮮出兵が長引いたから、
西軍諸将は疲弊したんだし、
「あと三年あれば」さらに疲弊しただけだと思うんだが、
実際に国元で一揆が起こった例もあったしな。
671仙台藩百姓:2010/10/04(月) 12:45:56 ID:AuVvZKZv
今も昔も日本には海外を侵略できるような国力はないお( ^ω^)
672人間七七四年:2010/10/04(月) 14:49:47 ID:DhV4mIBZ
元々の作戦が侵攻(invasion、目標は明)であって侵略(aggression、半島支配)じゃないから
侵略という見方をする限り、適正な評価は難しい気がするな

つか遠征軍参加者に厭戦気分蔓延してたのに「まだまだいけた!」ちゅうのは
なんか秀吉の霊がとりついてるとしか……
673人間七七四年:2010/10/04(月) 14:55:08 ID:Er0+d/tP
って言うか、あの半島を攻略するメリットは何なんだ?ということじゃね?
古代〜中世にかけて成功した隣国への渡洋侵攻にはそれなりに切実な理由があった
マケドニアの大長征      ペルシャの富を求めて
ローマのイベリア侵攻     ハンニバルの後方拠点を叩く
ノルマン人のブリテン侵攻  安住の地を求めて
スェーデンの30年戦争介入 バルト海交易を握る

一方、失敗した渡洋侵攻はいまいち理由に欠ける
カルタゴのローマ侵攻 ハンニバルを貶す意図は微塵もないがあの時期のカルタゴが渡洋する意味が不明
元の日本・インドネシア侵攻 ただ海の向こうに他国があったからとしか思えない
英仏百年戦争 棚ぼたの王位継承権権利を振りかざして結局ノルマン領すら失う

秀吉の朝鮮出兵はどうだろう?
大陸(明)への橋頭堡として道が欲しいから  これならわかる
だがその後半島攻略にシフトして以降のメリットが???だ
平均気温が南部ですら日本の東北北海道並で穀物産出は乏しい
あの周辺地域を貪欲に自国領に飲み込み続けた歴代中華諸王朝ですら併合しなかった地域を
渡洋侵攻してまで獲るメリットがまるで感じられない
674人間七七四年:2010/10/04(月) 18:04:50 ID:lBmXoFdo
なにこの勢い
中国厨が一人居座るだけで伸びまくってる


675人間七七四年:2010/10/04(月) 19:11:10 ID:7YTyn67c
>>668
占領政策はしたよ。当初、朝鮮の奴婢階級から解放軍扱いされ、
加藤清正が捕らえた二王子はそういう地元住民が捕らえたのを引き渡された。

しかし検地を強行し、民心は一気に離れ、肥後国人一揆のような状態に…
676人間七七四年:2010/10/04(月) 19:21:12 ID:KMGgD6mc
>>675
石田三成の補給政策が再評価されているのは、
補給の滞りを見越して、占領をしろと書状を送ったから
そもそも補給が滞ったのは、義勇兵の活躍ではなく単純に冬になって
道が閉ざされてしまったから
677人間七七四年:2010/10/04(月) 19:22:06 ID:5BDOYOlR
前線でやったの西国の武将ばかりなのにほとんど勝利
有名武将は手を汚さず、海渡らずなのに
日本軍圧倒的じゃん
678人間七七四年:2010/10/04(月) 19:25:14 ID:5BDOYOlR
ていうか自分の利は大事だろうけど五大老前線で清正軍くらいやれw
ていうか家康朝鮮いけ
7年で十分だったのに
679人間七七四年:2010/10/04(月) 22:12:30 ID:IX4UtkWr
島津軍7000人 vs 明40,000〜200,000万人で島津勝利とかゲームレベル。
秀吉死ぬ終戦間近にたたみかけてるのが惜しすぎる。
680人間七七四年:2010/10/04(月) 22:48:22 ID:Ls3hDFUD
まず20万相手に勝利とかは講談。
実際は数万程度。
で、そのときの明軍は士気が低すぎた。
徴兵しても村人は逃げ惑い山狩りして無理矢理、軍隊に加えるレベル。
島津がちょっと脅かせばパニックになって逃げ去ったというのが真相。
681人間七七四年:2010/10/04(月) 23:24:13 ID:IX4UtkWr
言い訳はいらん。
日本の記録で明の死者30,000余。明側の記録では明の死者約80,000。
数字の範囲内の規模、大勝だったのは事実。
682人間七七四年:2010/10/04(月) 23:43:21 ID:TSRLvZSh
>>673
第二次ポエニ戦争のカルタゴのローマ侵攻は、カルトハダシュト(今のスペインのカルタヘナ)に拠点を置くハンニバルが行った。
南イタリアを手中にしてからはカルタゴ本国からの増援もあったが、
あくまでカルタゴ主力はイベリア半島からアルプスを越えて陸づたいで来たリビア兵とイベリア兵。
683人間七七四年:2010/10/04(月) 23:58:40 ID:Akdtb55L
政宗が作戦参加してたらとおもうと…
684人間七七四年:2010/10/05(火) 00:06:32 ID:/xxpApPZ
>>683
進路を塞いでいる島津隊を射撃w
685人間七七四年:2010/10/05(火) 04:02:44 ID:AQWO5aIn
>>681
>明側の記録では明の死者約80,000。

いや、そんな記録はない。
686人間七七四年:2010/10/05(火) 05:32:54 ID:YuCaPdVG
日本側の戦の強さもそうだけど、日本と明・朝鮮の武将クラスの戦死者の数の違いにも格の違いをかんじる
明・朝鮮死にたおしてやん
687人間七七四年:2010/10/05(火) 06:44:43 ID:AQWO5aIn
ウィキからの引用だが。

慶長3年(1598年)9月からの泗川の戦いでは、
董一元率いる明・朝鮮の大軍(島津報告20万人、征韓録38700人、
宣祖実録十月十二日条 中路明軍26800人及び朝鮮軍2215人の計29015人、
中路軍13500人及び朝鮮軍2300人の編成15800人[要出典]など諸説あり)
を7,000人の寡兵で打ち破り、
島津家文書では敵兵38,717人を討ち取ったとある(敗北側である明国の記録では約8万人の戦死者を出したといわれる[要出典])。
688人間七七四年:2010/10/05(火) 07:28:56 ID:NU56pZXM
ウィキっていうのはウィキペディアのことか?
そういう物はソースにはならんぞ
ただでさえ、ところどころ[要出典]ってあるしw
689人間七七四年:2010/10/05(火) 07:56:41 ID:A/nSUNar
やたら具体的な38,717人死んだとしても超が3コくらいつく大敗北だけどねw
全滅はありえないわけで3分の1死んでも11万5千、5分の1死んで19万いたと

ずっと勝ちつづいてるけどこれは祭られるくらいの一方的勝利だった
690人間七七四年:2010/10/05(火) 11:02:19 ID:AQWO5aIn
あー、その38,717人というのは島津が秀吉の感状と褒美を目当てに
非戦闘員の朝鮮人民を大量に虐殺して鼻を削ぎまくって明軍将士の鼻と偽って
塩漬けにして壷に詰めて日本に送って戦果を水増ししたのね。

まあ、この「鼻そぎ」といわれた戦果水増し行為は当時は島津だけではなく
吉川、小早川、立花、鍋島など多くの諸将が普通にやっている。
当時の日本の将兵はいかに多くの朝鮮人民の鼻を削ぎ日本に送って
秀吉の歓心を買うかに夢中になってたからね。
ちなみに塩漬けにされた鼻の中には明らかに女子供の鼻とわかるようなもいっぱいあったとか。

ちなみに、この話しで面白い話しがある。
名護屋城だったかで検分役の佐竹義重があたり一面、天井までに積み上げられた膨大な鼻の入った壷を見て
「こんなことをしていたら、そのうち大変なことになる」と
豊臣政権の将来を危ぶんだという話しがある。
691人間七七四年:2010/10/05(火) 13:10:12 ID:8FzYkj1o
>>690
当時の決まりでは、上唇(ひげ)付鼻でないと戦功に勘定されないよ?
692人間七七四年:2010/10/05(火) 13:31:39 ID:AQWO5aIn
>>691
なら男の民衆のだけを送ればいい。

まあ、意図的に挑発的に書いたけど、
当時は朝鮮人民のほとんどは抗日に参加したというしな。
実戦闘員だけではなく補給や工事に加わったりしてね。
日本国内でもそのような「軍属」を殺すことは認められていた。
秀吉も「一揆ばらは皆殺しにせよ」と言っている。

あと「女子供を殺した。鼻を削いだ」というのも微妙でね。
朝鮮国内では多くの女子供が城に立て篭もって日本兵に
熱湯や石や土砂でかけて攻撃したり、さらに武芸の心得のある女は弓を手に取ったりして闘ったりした。
「女子供」だからといって無力な存在とは限らない。
例えば城壁を登っているときに沸騰したお湯を女子供にかけられたら死ぬだろう。
そんな女子供は日本兵も自衛のために殺さざるやおえない。

まあ、俺の言いたいのは朝鮮の役というのは「正規軍vs正規軍」というようなスカッとした戦いではない。
タイプ的には島原の乱や一向一揆の特に長島の戦いに近い。
多くの女子供をも含む朝鮮人民が実戦闘員であるか補給、工事などの補助軍属であるかはともかくとして参加したわけだ。
日本軍が異常な量の鼻を日本に送れたのもそういう朝鮮人民を殺して鼻を切ったからなんだな。
しかも、それは必ずしも「悪」とは言えない。戦争というものはそういうものだからな。
693人間七七四年:2010/10/05(火) 13:57:15 ID:8FzYkj1o
なんか朝鮮の役の話が続いてるけど、
文禄の役の際、朝鮮半島にいた明軍は5万人程度、残りは朝鮮軍で正規17万義勇軍2万
割合的に見れば、日本軍が対峙した主力は朝鮮軍といえなくもない

朝鮮軍の欠陥は、優秀な指揮官(下士官も)がいなかった、に尽きると思うので、
個々の兵士の強さや明軍がどうのこうの討議できる材料になり得るのだろうか?
694人間七七四年:2010/10/05(火) 16:39:58 ID:dGnB4DMj
ID:AQWO5aIn

自分の説に都合のいいように解釈しすぎ
水増しとかの資料は信用して残ってる数字は信用しないとかは論外
昔の戦争は、はっきりした数字は出にくいから残ったもので見るしかない
695人間七七四年:2010/10/05(火) 17:06:29 ID:/irINlux
シセンもすごいけどウルサン城の戦いもすごいな
多数相手なのに最後はワンサイドゲームになってる
加藤清正の篭城戦もえる
696人間七七四年:2010/10/05(火) 18:30:02 ID:AQWO5aIn
>>694
厳島の戦いで毛利勢が陶勢の首級、四万五千を取ったという記録がある。
君はそんな話しを信じるのか?

はっきり言わせてもらうが
三万何千、首を取ったとか常識に反してるのでな。
そりゃ、もしその話し自体がウソではないのなら、
当然、明の正規軍の鼻だけではなく
朝鮮の一揆勢の鼻も大量に送ったと解釈するしかない。

いくらなんでも「明軍の首級三万五千取った」のが事実なら
明軍はもはや壊滅してるよ。
697人間七七四年:2010/10/05(火) 18:58:26 ID:8FzYkj1o
>>696
朝鮮の役での戦功はキッチリ確認されていたよ(石田三成が恨まれたのもそこら)
だから数字に関して疑う根拠はあまりないと思う(あるなら出して欲しい)

まぁ中身がどうだったかは知らないけど……
「見境無く首取りに来る!」とわかってる駐留軍がいるとこに民間人がうろうろしてるものかな?
698人間七七四年:2010/10/05(火) 20:35:07 ID:AQWO5aIn
>>697
根拠はあんたも言っているように「凄すぎる」という点だが。
あんたも「おかしい」と思ったなら少しは捻った解釈した方がいいよ。

それと、秀吉の言う「一揆ばらは皆殺しにせよ」の命令ね。
諸将は忠実にその命令を守っただけじゃないの?
別に「明や朝鮮の正規軍の兵士の鼻以外は戦果として認めない」なんて
規定があったわけでもないしね。
第二に鼻が誰のものかやはり確認不可能に近いという点。
なんせ鼻を送った量がベスト6に入る大名家はいずれも五万以上の鼻を送ってきたしな。
いかに三成でも全て正規兵か確認は無理だろう。

あと、日本に壷に入れて送られた鼻の中には「明らかに女子供とわかるものがあった」
ってのも何人か確認してる事実だぞ。
699人間七七四年:2010/10/05(火) 20:53:17 ID:+5lv/n5w
お前ヘンすぎ
現代じゃあるまいし完璧な人数なんてでるわけない
全世界の合戦の動員人数否定か
700人間七七四年:2010/10/05(火) 22:26:32 ID:AQWO5aIn
>>699
そもそも「合戦」という考え方自体が日本国内の戦国時代のものなんだが。

朝鮮の役は結局は国同士の民族同士の「戦争」であり、
民も軍人もひっくるめてのものであり不可分なものだ。
まあ日本軍に関してはプロの軍人だけで構成された軍隊を送ったんだが、
朝鮮は軍人も民衆もひっくるめて抵抗したわけ。

日本国内の武士同士の合戦とは全く違う。
あえて言えば一向一揆や島原の乱に似ている。
701人間七七四年:2010/10/05(火) 22:55:19 ID:/xxpApPZ
当初圧制に苦しんでいた朝鮮の民衆は日本軍を解放軍と歓迎し、
ソウル陥落の際は大規模な略奪をしてるな

日本が朝鮮の民衆を慰撫できなかったのは、外征における占領地経営のノウハウの不足としか言いようが無い
702人間七七四年:2010/10/06(水) 00:33:32 ID:8TmJW/D6
>>701
それは一応、事実。
特に白丁と言われる一番下の身分の被差別階級は日本軍に協力してるな。

しかし、日本の各将は戦の経費や兵糧捻出のために
強引な年貢取立てに走り反感を招いて全ておじゃん。
もっとも日本国内の誰が農民の領主になろうが
関係ないという「クビの挿げ替え」という論理であれば
そんなに問題はなかったが外国だという事を忘れてたな。
あと、そもそも朝鮮の地が豊かではなく過剰に収奪しすぎたんだろ。
703人間七七四年:2010/10/06(水) 01:22:46 ID:VzhPZ1Cf
鎌倉武士もすごいけどやっぱ戦国武士は飛びぬけてすごいな
文禄・慶長の役ちゃんとやってほしい
704人間七七四年:2010/10/06(水) 03:37:25 ID:+glMIP8e
>>702
ほんと、アホだよなぁ。なんの工作もしないのに寝返ってくれていたのだから、
1年間の租税免除とかやっとけば速やかに全土を掌握できただろうに…

朝鮮は単なる通り道で、目標が明本国だというのなら、通り道からの収入
なんて考えるなよ。
705人間七七四年:2010/10/06(水) 04:23:08 ID:phgO86m8
ヨーロッパのどこの兵士と比べるかわからんが、16世紀までならどの国もってきても

日本>中国>>>>>ヨーロッパ

オスマン帝国の鴨で、あらゆる規模も小さく、ペストでヨーロッパの人口激減などマイナス要素おおい。
純粋な戦闘力のみならまだ差がひらく。
706人間七七四年:2010/10/06(水) 07:16:49 ID:8TmJW/D6
>>704
いや「アホ」とも言い切れない。
諸大名は別に贅沢したいから朝鮮で収奪したのではなく、
それくらい困窮したからやむおえず収奪したとも言えるわけ。

朝鮮出兵の話しを聞いて「そんなことをしたら民の疲弊は頂点に達する」と激怒したのが島津義弘。
朝鮮出兵で秀吉の期待にこたえようと自国の領内で大規模な検地を行い一揆を起こしたのが宇喜多秀家。
伊達政宗は朝鮮出兵のあまりのつらさに泣き言を綴った手紙を国許に書いて対立状態の母親が同情して和解した話しは有名。
最上義光も同じく名護屋城で留守居どまりだったのに「早く国許に帰って故郷の魚を食べたい」と泣き言の手紙を送っている。

豊臣政権は巨大勢力でも実際に賦役を課せられて
兵士や兵糧や物資を集めて朝鮮で渡り戦ったのは諸大名だしな。
帰国した加藤清正が石田三成に「朝鮮出兵の功をねぎらい茶会に招待する」
とか言われて怒ったのも当然。
707人間七七四年:2010/10/06(水) 13:22:01 ID:2r5KuHQc
>>705
日本、中国、ヨーロッパ、オスマンのテクノロジー、戦術、編成を知って言ってるんだろうか。
708人間七七四年:2010/10/06(水) 17:40:24 ID:PHo6ZmVb
・平壌城の戦い
・第二次平壌城の戦い
・碧蹄館の戦い
・黄石山城の戦い
・南原城の戦い
・稷山の戦い
・蔚山城の戦い
・第二次蔚山城の戦い
・泗川の戦い
・順天城の戦い
・露梁海戦

日本vs明・朝鮮 11戦9勝1敗1引き分け

709人間七七四年:2010/10/06(水) 23:57:20 ID:jSxvrRE+
大体、海を渡って朝鮮半島まで14万以上の大軍で
出陣しておきながら半島南岸の沿岸部に追い詰められて
の倭城の攻防戦でいくら勝利を収めても、そのまま敗走
する敵を追撃してソウル城を奪還することも出来ず、強
いことの証明にはならない。
710人間七七四年:2010/10/07(木) 06:12:58 ID:hgHwdwUk
いくら多くの戦術的勝利を繰り返してもそれは所詮は戦術的勝利でしかなく、
大勢を覆すことはできない。
何で、朝鮮の役で日本軍は戦術的勝利しか収められなかったんだか?
711人間七七四年:2010/10/07(木) 06:20:59 ID:hgHwdwUk
>>708
そんな戦術的勝利を繰り返して書いても意味はない。

小牧長久手の戦いのように戦術的勝利など一度もしなくても
戦略的、政治的に勝利することは可能だ。
厳密に言えば小牧長久手の場合は秀吉の信雄領進攻や
家康の地位向上や後の天下取りにつながったのだが、
朝鮮の役はそんなのはなにもない。

明や朝鮮にとっていくら日本が戦術的に勝とうが将兵や民の苦痛が増すだけだった。
そして、ついに明・朝鮮は一度も日本軍に決定的な戦術的勝利を収めることなく日本を追い出した。
「あと三年あれは面白かった」とか言ってる奴はそこら辺が全くわかってない。
712人間七七四年:2010/10/07(木) 09:36:35 ID:+5wArmZe
スレタイを見るに戦術的勝利は十分参考になるべ
戦闘力を比べてる訳だし
713人間七七四年:2010/10/07(木) 10:14:44 ID:285XYtIr
おっと水城や大宰府にすら辿り着けなかった元軍や
対馬の民間人に追い返された朝鮮軍の悪口はそこまでだ。
714人間七七四年:2010/10/07(木) 10:44:56 ID:DLwf+8OG
戦略坊どもよ桶狭間は戦術勝利によって戦略を覆したとだけ言っておこう。
715人間七七四年:2010/10/07(木) 11:03:02 ID:rclBE785
このスレで戦術や戦略や補給能力を考慮してどうするんだよ。
単純に個々人の戦闘能力を比べればいいだけだろ?
違うことやりたいんなら別スレ立てろ。
716人間七七四年:2010/10/07(木) 11:39:18 ID:AHUn3ACY
戦国武士と同時代のスイス傭兵だとか西欧最強と呼ばれてたけど、
補給とか考慮したら、そういうの最下位になっちゃうよね……

つか、侵略できたことが兵士の強さの評価に直結するとは思えないけど
717人間七七四年:2010/10/07(木) 12:33:06 ID:GDATFOyJ
そんな事はまず>>1に言いなさい
718人間七七四年:2010/10/07(木) 18:59:18 ID:Yi1V4AZo
どう見ても西洋、中国相手なら日本が上だよね
清が西洋列強、日本にやられまくったときにも最終的に追い出したからどっちが強いかわからないと言いはってるようなもの
しかも比較は戦闘力だしね

719人間七七四年:2010/10/07(木) 19:03:10 ID:Yi1V4AZo
何度も負けるには理由があるもの
兵器の威力が原始的だった近代化前に>>708ほど負けるには相当戦闘力に違いがあった
だから中国、朝鮮だけじゃなく宣教師の記録もああいう分析になる
720人間七七四年:2010/10/08(金) 20:42:05 ID:sQ/CHPE+
明でも日本武士の戦闘力を高く評価してたからこそ
鄭成功も、わざわざ日本人傭兵を中心とした日本式部隊を
精鋭部隊の中核に据えたんだろうしな
721人間七七四年:2010/10/08(金) 21:47:43 ID:X/d05++G
当時の日本は傭兵輸出国だった(江戸幕府が禁止しちゃったけど)

鄭成功はそういう傭兵大国に兵隊雇いに来ただけかもよ?
722人間七七四年:2010/10/08(金) 23:54:17 ID:fnS0raxM
圧倒的ではないか
徳川家康じゃなくてもいいから大大名1人でも本気でやればよかったのに
723人間七七四年:2010/10/09(土) 09:07:32 ID:SkTDqi6o
>>722
そりゃ何度も話しに出たとおり、
朝鮮半島を征服することが日本にとって赤字になり不利益になる不合理があるからだ。
戦前の日本でも「海外領土を持つことが日本にとって利益になるか」という議論があり、
「日本にとって海外領土で利益になっているのは台湾くらいで他の土地は全て日本にとって大赤字だ」と結論づけられてる。
朝鮮半島なんてあの征服大好きの中国ですらあえて赤字を嫌い征服せずに独立させておくような貧しい土地だ。

大体、あんたにとって「日本が半島を征服して欲しい」動機ってなに?
地図を眺めたときに日本の領土ってこんなに広いからと思いたいからか?
あんただって
「朝鮮半島は今日から日本の領土です。ただし貴方の給料は今日から半分です」
「朝鮮半島は今日から日本の領土ですが、明日から朝鮮半島振興税として消費税を40%まで上げます」とか
いう事になったら嫌だろう。それと同じだ。
724人間七七四年:2010/10/09(土) 12:01:40 ID:slc077oH
いざ朝鮮に足踏み入れて
あんなに酷い貧国とは思わなかったというのはあるだろうね


でもその話題スレ違い
725人間七七四年:2010/10/09(土) 13:12:53 ID:ExmJOdF0
>>718
日本軍が明軍より戦闘力で上の証拠でもあるの?
文禄の役ではわずか5万に満たない明軍の来襲に
あって朝鮮半島全域に展開していた日本軍は半島
南岸部まで追い詰められたし(特に漢城の戦いでは
名将小早川隆景や勇将立花宗茂も参加していたのに
5万5千の兵力がありながら5万1千の明。朝鮮軍により
奪われている)また慶長の役でも改めて14万以上の大軍
で攻め寄せながら南岸部の倭城に立て篭もって迫りくる
明・朝鮮軍を撃退するのが精一杯だ。(結局漢城は取り
返せなかった)

726人間七七四年:2010/10/09(土) 15:59:43 ID:16Y1uoMT
まーた始まった
727人間七七四年:2010/10/09(土) 17:38:02 ID:ExmJOdF0
第一次蔚山倭城攻防戦においても明・朝鮮軍を撃退した戦いの後に
宇喜多秀家など13人の大名は、立地上突出している蔚山・順天・梁山
の三城を援軍の困難さを理由として放棄する案を豊臣秀吉に上申する
も、秀吉はこれを却下し上申者を叱責している。
728人間七七四年:2010/10/09(土) 19:22:09 ID:a/OgK/wq
>>725
いい加減「最後に負けたから弱い」のレトリックを捨てろ、朝鮮人みたいで見苦しいぞ。

そもそも個人武勇や戦闘・戦術レベルの技術の話題なんだから
明が強いと主張するにはその武具の強さや兵士の士気に関する逸話の一つも出さないと意味が無い。
729人間七七四年:2010/10/09(土) 21:28:11 ID:ExmJOdF0
>>728
文禄2年1月下旬〜3月中旬までの一月半にわたるソウル城での攻防戦において
日本はソウル城に五万五千の兵を集めて守備をかためながら、緒戦の碧蹄館
の戦いでの勝利後も敵を撃退するまでには至らず、逆に食料倉庫を焼かれて
撤退している。
もし純粋な戦闘力で明・朝鮮軍より強いなら、日本側の方が兵力も敵より優勢
だったので(日本軍五万五千に対し明・朝鮮軍四万〜五万)碧蹄館の余勢を駆
ってピョンヤン城まで攻め込んで落城させている。(碧蹄館の戦いは旧暦の
一月二五日、新暦なら三月中旬だ)それが敵を撃退することもできず、そのま
まソウル近郊で小競り合いを続け最後には食料倉庫を焼かれてソウル城は陥落
させられている。とても最強とは思えないね!
小早川隆景より「その兵三千は他の兵一万に匹敵する」とまでいわれた立花家
の家臣天野源右衛門覚書による碧蹄館の戦いについての記述でも立花家の諸将
が明軍について「馬の大きさはけしからず候、男もけしからす大きく候」とそ
の見かけの立派さに驚いているし、戦闘力についても「武辺強き唐人かな」と
皆感嘆したとの記載がある。
730人間七七四年:2010/10/09(土) 21:38:53 ID:NyHZpmUD
言い訳ばっかの朝鮮人が居ついてしまった
731人間七七四年:2010/10/09(土) 23:47:34 ID:ExmJOdF0
だいたい、慶長の役も朝鮮半島南半分を占領するために
14万以上の大軍を派遣しながら、結局は沿岸部に作った
倭城の防衛に終始し、文禄の役で激しい抵抗にあった赤国
(全羅道)住民虐殺しかしてない。
732人間七七四年:2010/10/10(日) 00:27:54 ID:kSQf1ZXQ
一方的な勝率だけど基本九州の武将の戦力では7年では占領できなかっただけの話
一発で1000人殺せる爆弾ない時代だからな
733人間七七四年:2010/10/10(日) 03:16:06 ID:NYcZ0GTu
韓国のドラマでは加藤清正を討ち取ったりするらしいから勘違いするんだな
734人間七七四年:2010/10/10(日) 11:18:11 ID:Fc9ZibE7
慶長の役に日本側が投入したのは14万人以上
対する明側が投入したのは8万人〜10万人、
それに朝鮮人の官軍と民兵が数十万参加しているので
全体としては明・朝鮮軍の方が多い。
がその大部分を占める朝鮮の民兵は碌な装備もない
百姓一揆同然の存在だ。
そんな敵を相手に1年9ヶ月の殆どを南岸部の倭城防衛
に徹した日本がなんで明より強いんだよ!

軍隊のモチベーションは時代を問わず
自国を守る>自国が主体的に他国を攻める>攻防問わず
援軍として戦いに参加と考えると明軍は強い。
735人間七七四年:2010/10/10(日) 12:03:19 ID:XOxxF4F9
>>734
朝鮮の義勇軍の総数は2万程度 のこり17万は官軍
官軍の士気が最悪(補給も明軍優先)だったのは確かだけど装備は”正規”
朝鮮軍の主力の装備は(最良とは言えないけれど)通常なものだよ、民兵レベルじゃない

それに明軍は攻略戦のみで防衛戦はすべて朝鮮軍担当だった、わけで
初期の日本軍無双状況でも第一次晋州城攻略のように日本軍を撃退してる戦いや
(この防衛に成功したおかげで全州は以後重要な朝鮮軍兵供給地になる)
碧蹄館の戦いで明軍が敗北した時も、朝鮮軍は独力で幸州山城防衛に成功した例もある
(李如松はその勝利を生かせなかったけど)

まぁ当時の朝鮮軍もあなどれない、ということだけは……
736人間七七四年:2010/10/10(日) 14:00:19 ID:wqNvUTvm
>>725
漢城の件は、補給物資の集積所を焼かれたから撤退せざる得なかった。
大会戦で敗北したわけではないから、戦闘力の比較にはならんわな。
もっとも立花側の記録では、けしからぬ明国兵の体格、けしからぬ明国の巨馬と敵を正当に評価している。
それにも関わらず、碧蹄館の戦いでは、立花の奮戦と小早川の総攻撃で明国軍を退けている。
言うなれば、全盛期のモhメッド・アリvs具志堅が戦って具志堅が判定勝ちしたようなもんだ。
明国弱いとか言うより日本が強かったから勝てた。しかし、明国も十分強かったと言うのが真実だろう。
737人間七七四年:2010/10/10(日) 16:38:59 ID:LVorRaDT
にわかの素朴な疑問だが、日本軍は西日本、特に九州の武士が多かったとので寒さに弱く、朝鮮半島の気候に関しては無知だったので、兵卒はみな日本にいる時と同様に裸足に草鞋だった。なので凍傷でかなり戦力を失ったと聞いたことがある。
有り得る話だと思うんだが、どうなのだろうか?
738人間七七四年:2010/10/10(日) 18:06:40 ID:wqNvUTvm
それと日本兵が全軍、精強だったわけではない。
小西、加藤は奇襲による連戦連破したが、小西は平壌敗北後、第一次防衛ラインの鳳山城で
逆襲を試みようとしたが、アホの大友義統が無断で撤退したため、漢城まで退却せざる終えなかった。
また、碧蹄館の戦いでは、第一次戦闘を終えた先鋒の立花軍に代わって、攻撃を行った宇喜多、毛利
の両軍は、明国軍に蹴散らされ、立花軍の再度の攻撃により明国軍を撃破したと言われている。
泗川の島津や碧蹄館の立花、小早川、加藤や小西のように勇猛な部隊もあれば、宇喜多、毛利などの
そこそこの部隊や住民虐殺して戦功を粉飾した鍋島や前述した大友のような弱兵もいた。
739人間七七四年:2010/10/10(日) 18:15:51 ID:lnFVVRf1
日本に送った鼻の数の順位が
鍋島、吉川、毛利、小早川、島津、立花だった筈でトップの鍋島は
七万五千の鼻を送っている。
この中で島津と立花はともかくとして、

鍋島や毛利勢は相当な数の住民を虐殺して粉飾された過大戦果報告を
していることは間違いない。
740人間七七四年:2010/10/10(日) 18:33:47 ID:lnFVVRf1
>>737
九州=熱帯圏という話しはよくある誤解だな。
実際は鹿児島と宮崎以外は冬になれば雪が降るような気候だ。
鹿児島と宮崎も真冬は氷点下近くまで温度は下がる。

発言小町という掲示板に「九州をハワイか何かと勘違いしてる人が多い」
というようなトピックがたって話題になった。
長崎とか熊本の学生寮で東日本からやってきた学生に「冬には暖房が必要だ」と説明しても怪訝そうな顔をされるとか
大阪と熊本とでは明らかに熊本の方が寒かったとか
種子島の冬は南国とは思えないほど、寒く火鉢を大きくしたような特殊な暖房がどこの家にもあった。
というような意見がたくさん寄せられた。

>兵卒はみな日本にいる時と同様に裸足に草鞋だった。

九州や西日本の寒さを考えると考えにくいな。
特に広島とか岡山は冬にも雲が少なく暖かい空気が逃げやすい「放射冷却」という現象で
いう現象が送って恐ろしく低温になる現象があるんだが。
741人間七七四年:2010/10/10(日) 18:38:15 ID:wqNvUTvm
まあ、大河で立花や島津を主役にするなら、朝鮮の件は、問題ないと思う。
非戦闘員を虐殺する悪役を鍋島や毛利に振り当てて、あくまで堂々たる戦闘で朝鮮や明国の兵を
倒す立花や島津という描写と非戦闘員に乱暴狼藉を行わないという描写(ここは脚色になるが)
をいれれば、朝鮮からのクレームも付かないだろう。
742人間七七四年:2010/10/10(日) 18:49:57 ID:lnFVVRf1
朝鮮からのクレームは来なくても
佐賀県や山口県からクレームがきそうだな。
それと朝鮮の役の暗部は虐殺や鼻削ぎだけではなく、
略奪と人攫いそれによる人身売買・奴隷売却がある。
これは島津や立花もやったろうな。

当時の日本では略奪と人攫いとそれによる人身売買はごく当たり前の行為であり、
別にそれ自身はそれほど咎められるものではなかった。
上杉謙信が自ら差配して人身売買しまくった話しも好意的に記述されてる。
しかし国際的にはまずい行為なのは間違いない。
743人間七七四年:2010/10/10(日) 19:01:40 ID:lRDXu+XT
ある意味 烏合の衆だった日本軍が 超近代部隊だった、明軍の主力と
それなりに互角に戦ったのだから評価しても いいんじゃないか、と
個人的に思う。
744人間七七四年:2010/10/10(日) 19:24:39 ID:vStUDrOU
家康が行ってリーダーになってれば随分違ったね。
確かに意思統一がされてない烏合の衆だった。
745人間七七四年:2010/10/10(日) 19:30:34 ID:VgBoDpuZ
明の最精鋭と日本の二線級だでな
746人間七七四年:2010/10/10(日) 20:47:56 ID:HNhTCrm6
>>743
というか、必ずしも軍制が整ってる方が強いとは限らないという例かな。
ケルトが国力が遥かに上のローマをフルボッコにした事があるが
それと似たようなとこか。
747人間七七四年:2010/10/10(日) 21:22:45 ID:Fc9ZibE7
>>736
碧蹄館の戦いは明軍1万2千に対し日本軍4万1千
大軍によって勝利を収めただけだよ!
http://zh.wikipedia.org/zh/%E7%A2%A7%E8%B9%84%E9%A4%A8%E5%A4%A7%E6%88%B0
ほぼ全軍で戦って日本側が勝ったのならそのまま追撃して平壌城を取り返しているし、
明軍の方も平壌城に逃げ帰っている。
そのまま漢陽城包囲戦になったりしない。
また、日本側も漢陽城を出て野戦で決着をつけようとするだろ。
748人間七七四年:2010/10/10(日) 21:29:57 ID:Fc9ZibE7
>>745
日本側の精鋭ってだれだよ?
大軍を率いながら小牧長久手で家康に負けるような
秀吉もたいしたことないし、秀吉に勝った家康も関が原では
敵の寝返りでようやく勝ち、大坂夏の陣でも三分の一の兵力の
豊臣方により討ち取られかねなかった家康もとても明軍に勝てるとは
思えない。
749人間七七四年:2010/10/10(日) 21:34:52 ID:Fc9ZibE7
秀吉は敵より圧倒的な兵力があってこその大将だし、
家康は逆に三河以来の家臣団を率いてこその大将だ。
750人間七七四年:2010/10/10(日) 21:49:36 ID:qah0Y88O
>国際的にはまずい行為なのは間違いない。
欧州も明も息をするようにやってるけどな>奴隷売買
751人間七七四年:2010/10/10(日) 21:52:24 ID:F8R25Hho
>>750
ヨーロッパの奴隷売買のほうがよっぽどすさまじいよなw
752人間七七四年:2010/10/10(日) 21:53:49 ID:OuFsHC8D
つーか当時に世界的な条約なんかねーだろ
753人間七七四年:2010/10/10(日) 22:01:26 ID:VwPWTM+x
>>743

超近代部隊?
754人間七七四年:2010/10/10(日) 22:08:19 ID:vStUDrOU
っていうか、中国兵って常に弱いでしょ。
ど素人の農民を無理やり大勢連れてきてるだけだから、日本軍と比べると全然弱い。
日本軍は農民といえども訓練されているし、土地とくっついているから士気も高い。
755人間七七四年:2010/10/10(日) 22:29:53 ID:VgBoDpuZ
どの中国兵の話だ
756人間七七四年:2010/10/10(日) 23:15:44 ID:q7GN2F/O
漢民族は常に弱い
757人間七七四年:2010/10/11(月) 00:34:54 ID:dtD7vD86
・平壌城の戦い
・第二次平壌城の戦い
・碧蹄館の戦い
・黄石山城の戦い
・南原城の戦い
・稷山の戦い
・蔚山城の戦い
・第二次蔚山城の戦い
・泗川の戦い
・順天城の戦い
・露梁海戦

日本vs明・朝鮮 11戦9勝1敗1引き分け
758人間七七四年:2010/10/11(月) 00:53:22 ID:7EPkGlmW
>>747
 互いの勝利条件に相違があるようですね。
 私の認識では、碧蹄館の戦いの目的は漢城防衛と認識しております。小西が大友のアホのせいで漢城まで
退却せざるを無かった現状で、追撃して戦果拡大を図る意図が日本軍にあったとは、私は思いません。
 よって、あなたの言う
>>そのまま追撃して平壌城を取り返しているし、明軍の方も平壌城に逃げ帰っている。
という勝利条件の設定を私の話に適用されるのはおかしいと思いますよ。
当時の日本軍の軍議でも、漢城防衛が話し合われただけで、積極的な平壌奪取の議論はなされていないのですが?

それと明軍側は弱卒である歩兵ではなく騎馬主体の精鋭軍19000のはずですが?

大将-李如松-親衛1000人
先鋒-査大受・李寧・高彦伯(朝鮮軍)-10000人
左軍-李如梅-1000人
中軍-李如柏-1000人
右軍-張世爵-1000人
援軍-楊元-5000人
後備-歩兵と火器の大半を開城に残置
759人間七七四年:2010/10/11(月) 01:41:23 ID:LtCFHSAC
『懲録』
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
760人間七七四年:2010/10/11(月) 08:42:27 ID:vY6sLHxM
>>757
封建制下の日本軍は、大名の連合体だったので
秀吉の命令であっても配下の兵力を失いかねない
戦争を積極的に進めることはしない。
だから慶長の役において南岸部の倭城に立て篭もり
城の防衛に徹してたんだよ。だから勝率がよい。
対する明軍は官僚制国家の軍隊だから本国への手前、
定期的には戦争するしかないので勝率が悪くなるんだ。
たとえば第一次蔚山倭城攻防戦においても明・朝鮮軍を
撃退した戦いの後に 宇喜多秀家など13人の大名は、
立地上突出している蔚山・順天・梁山 の三城を援軍の
困難さを理由として放棄する案を豊臣秀吉に上申するも、
秀吉はこれを却下し上申者を叱責している。
この様に現場の将は、戦況を鑑みて時には秀吉に対しても
意見する軍隊なんだよ!
これが日本軍の戦局がジリ貧な割りに勝率が高い理由だろう。
761人間七七四年:2010/10/11(月) 08:55:23 ID:vY6sLHxM
>>759
コピベ乙
懲録でいくら日本軍の強さを主張しようと
現実は5万5千もの兵力がありながら5万1千の
明・朝鮮軍相手に漢陽城を防衛できず撤退して
いるんだがな!
漢陽城内で篭城していた名将小早川隆景や
勇将立花宗茂もたいしたことないね!
762人間七七四年:2010/10/11(月) 09:29:56 ID:7EPkGlmW
近代的に組織され、重火器および高機動騎兵軍団を保有し、陸上ルートでの人員及ぶ物資の補給が容易な
上に、体格的にも圧倒的な明国軍に対して、日本の体格が劣る兵を「率いる海上補給路を寸断された大名
連合軍は、良くやった方だと思うね。

 
763人間七七四年:2010/10/11(月) 09:43:43 ID:pAyYkF+K
>>757
日本強えぇ・・
764人間七七四年:2010/10/11(月) 09:53:24 ID:0D62Y15h
日本側が主張じゃなくてあちらさんが勝手にガクブルしてるだけだからねえw

柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)

・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。

・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。

・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
 (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。

・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。

・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
765人間七七四年:2010/10/11(月) 10:01:00 ID:0D62Y15h
>近代的に組織され、重火器および高機動騎兵軍団を保有し

確かに凄まじい火器を有していたようですね。

フロイス「日本史」
・さらに日本人と同じく刀剣、また多数の鉄砲隊を用いた。彼らの鉄砲は、どのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのための死傷者が一人も出なかったからである。
766人間七七四年:2010/10/11(月) 10:12:27 ID:zgBNQq9Y
現地の治安維持もしなければならない侵攻軍と手持ちの全兵力を戦線へ投入できる明軍と比べてもなあ。
767人間七七四年:2010/10/11(月) 10:33:58 ID:vY6sLHxM
>>766
現地の治安維持ってなーに?
それに漢陽城(ソウル)攻防戦に限っては
小早川隆景、立花宗茂も参加する5万5千の
兵力がありながら5万1千の明・朝鮮軍相手
に野戦で決戦するでもなく、篭城に徹して
あげくの果てに食料庫を焼かれて撤退したんだが!
768人間七七四年:2010/10/11(月) 10:42:17 ID:vY6sLHxM
>>766
また慶長の役については、終始半島の南岸部に倭城を作って
篭城してただけなんだから現地の治安維持なんて関係ないじゃん!
日本から14万以上の兵力を投入して攻め込んでるのに倭城に篭って
明・朝鮮軍を迎えうっている時点で野戦では分が悪いと認めている。
参考までに慶長の役に明が投入した兵力は8万〜10万ほどな!
769人間七七四年:2010/10/11(月) 14:02:17 ID:yjAP4ad9
もしも武士が弱けりゃとっくに中国と同じように植民地化されてて
アフリカ以下の奴隷国家になってる
もちろん世界大戦も無し

歴史ってのは繋がってるのさ
770人間七七四年:2010/10/11(月) 16:22:20 ID:JOiDNQy+
点と点とをつなぐ線は確保しなくてもいいのか。
点と点とを結ぶ線が無くなると点が消滅しないか。
771人間七七四年:2010/10/11(月) 18:26:02 ID:/47BrKA9
>>770
慶長の役では文禄の役では入り込めなかった全羅道を制圧できたのと
緒戦の海戦での勝利で朝鮮水軍の勢力が激減したこともあり、
南岸部の倭城への補給は海路でまかなえたはず。

蔚山城は築上直後で補給物資を運び入れる前に包囲されたから
飢えたけど。
772人間七七四年:2010/10/11(月) 22:24:51 ID:RulbVQzS
>>740
恐ろしく低温になるといってもマイナス15℃マイナス20℃は下回らない。
熊本が「比較的」寒いことは多くの人が知っているが、
朝鮮の気候とは比べ物にならないよ。
>>765
あちらさんの三眼銃や手銃は音はすごいんだけど、銃身が短いからな・・・
773人間七七四年:2010/10/12(火) 03:11:26 ID:ls5hCBRD
16世紀じゃ既に欧州の方が上じゃないか?
鉄砲や航海技術じゃ話にならない
動員兵力?農民兵や後方兵種もカウントすれば軽く20万はいく
774人間七七四年:2010/10/12(火) 04:45:30 ID:e46nka++
海戦はヨーロッパの一方的な展開だろうね
制海権を握られて補給もままならず
775人間七七四年:2010/10/12(火) 05:32:52 ID:ONbVfaSz
ガレオン船全盛の西欧と、朝鮮水軍にすら苦戦し渡洋航海なんて夢物語な日本の
水軍だからなぁ。

まあ、ガレオン船自体は日本でも1613年に石巻で建造され、支倉常長や少年使節団を
太平洋横断してローマにまで送り届けたけどさ。
776人間七七四年:2010/10/12(火) 07:28:53 ID:ZxqmyZUG
>>772
>恐ろしく低温になるといってもマイナス15℃マイナス20℃は下回らない。

それは東北や北陸も同じだが。
日本でそれがあてはまるのは北海道だけだが、
当時北海道にいた日本人はわずかだ。
777人間七七四年:2010/10/12(火) 07:44:39 ID:ZxqmyZUG
あと、別に
慣れている=強い
なんて事は全然ない。

昔、ある日本を舞台としたRPGで出身地ごとに耐性が違うというのがあった。
例えば東北など寒冷地の人間は氷結に耐性があり
九州とか南国の人間は火炎に耐性があり。
雷の多い北陸では電撃に耐性があり。
台風の多い四国では風系に耐性があるという感じだ。
どれみこれも「まさか」というものばかりだな。

それどころか「北海道人は寒さに弱い」とされてるんだが。
内地の人間は冬以外暖房をしまうが、
彼らは恒に暖房を常設しちょっとでも寒いと暖房をつけたがる。
それこそ夏であっても寒ければ暖房をつける。
778人間七七四年:2010/10/12(火) 07:58:58 ID:MxKpIQwt
北の人間が言う冬場慣れは家や服装面で防寒を怠らないと言う意味であって
半袖半ズボンで雪の中を駆け回れるってことじゃないよなw
779人間七七四年:2010/10/12(火) 08:00:32 ID:oC6Wexnk
16世紀のヨーロッパは明より弱い
18世紀で初めてアジアを上回るという確変入る
780人間七七四年:2010/10/12(火) 09:20:05 ID:qmgydbEK
まーたウィキペディアソースに喚いてる明厨がいるんか
781人間七七四年:2010/10/12(火) 13:48:00 ID:VNS4/dE9
>>778
あと凍結した道の歩き方な
782人間七七四年:2010/10/12(火) 20:44:26 ID:ls5hCBRD
>>779
蒙古や倭寇にボロボロにされた明朝じゃお話しにならん
兵器・航海技術も宋代で停止したまま
人海戦術しか能のない明軍は火縄銃とパイクだけで1対10の割合で壊滅するんだろ
そんで白兵戦となれば百戦錬磨の傭兵達が小柄な百姓出身の漢人を屠る
783人間七七四年:2010/10/13(水) 18:11:23 ID:BN8tMi4R
慶長のとき西欧で一番強かったのスペインあたりだとおもうけど
明相手にしたらあっさり返り討ちだとおもう
借金も莫大すぎて話にならない
がんばっても工業化まえの西欧はな・・・
784人間七七四年:2010/10/13(水) 19:34:38 ID:6sMFjZTB
当時の西欧に勝っても嬉しくないだろ
785人間七七四年:2010/10/13(水) 22:58:29 ID:Lh01uIbo
慶長時代の没落しきった明じゃ返り討ちどころか自滅しちゃうだろ
対外戦争でまともに機能していない当時の明軍ではコンキスタドール連中にレイプされちゃう
786人間七七四年:2010/10/14(木) 02:19:12 ID:qEsWVK8J
宣教師が中国人は腰抜けだ、数が多いことで尊大になってるが
わずかな鉄砲隊で何百万人の中国人をを倒せるとか言ってたなw
787人間七七四年:2010/10/14(木) 03:18:24 ID:fexZBDHg
…その宣教師やらコンキスタドールのあてにしてる鉄砲隊が日本人傭兵なんだけどな……

ちなみにピサロやコルテスも独傭兵とか引き連れてたり
788人間七七四年:2010/10/14(木) 06:33:26 ID:JoqtYl2z
朝鮮に渡った将士だけではなく、
名護屋城に詰めていた佐竹義重や最上義光にしてからが「ツライツライ」
と愚痴っていた記録があるんだから「どんたけ〜」って感じだ。

多分、名護屋城って朝鮮攻略のために作った城だから、
住環境の方は相当に悪かったんだろう。
日本国内の名護屋城でもそうなのに朝鮮の将士の環境はもっと悪かったことは間違いない。
789人間七七四年:2010/10/14(木) 09:26:27 ID:O7mduJ67
まだこの時代のヨーロッパはイスラム圏にいいようにやられてる段階だからな
分かれ目がくるのはまだ先
790人間七七四年:2010/10/14(木) 11:06:59 ID:P1Q7DuJS
>>788
水不足で前田と徳川の間で一触即発になったという話があるしね
791人間七七四年:2010/10/14(木) 11:21:23 ID:BIExPoJf
朝鮮は明の属国だけにサポート要員
792人間七七四年:2010/10/17(日) 04:57:53 ID:1H8K0rw8
正直、イラン(ティムル?)、トルコ(オスマン)のツートップが中世で一番勢力が強かった
で、次点で中華圏

戦闘力(笑)は戦ってみないとわからんよ
793人間七七四年:2010/10/17(日) 05:38:45 ID:IdJaGExL
当時のオスマンはなんであんな強力な軍隊だったんだ?
日本や欧州みたいに長槍もなしで、軍の中核を数万のイエニチェリ鉄砲隊にできたのはなぜだろう
794人間七七四年:2010/10/17(日) 07:47:07 ID:KPrzIqqa
>当時のオスマンはなんであんな強力な軍隊だったんだ?
紀元前から、中東地域は都市文明、交易文明の発祥地でね(灌漑農業による大量の余剰穀物のおかげ)
オスマンの頃まで、アフリカ・アジア方面の陸海交易ルートを独占してたんだ。
そのおかげで大量の物資と情報が流れ込んだ。これが長きに渡って中東が栄えた秘密。
人類史の観点から言えば、世界の中心は最近になるまで中東だったんだよ。

で、軍隊ってのは資源を大量に浪費する組織でね。何しろ何も生産しない上に維持費が掛かる。
優秀な士官や下士官の育成にも金が掛かる。
ソレがやれるだけのリソースが中東にあったわけだ。
795人間七七四年:2010/10/17(日) 08:06:01 ID:KPrzIqqa
>イエニチェリ
イエニチェリはイスラムの奴隷兵士の流れを汲む組織。一種の職能集団で、優秀であれば軍の司令官にまで上れる。
つまるところ、全員に下士官、士官教育が仕込まれていて、個人で戦術、戦略的判断が可能な部隊なんだな。
遠征先で王が捕虜になる事態になっても士気崩壊せず王子を連れて撤退とか、この時代の常識では考えられないような事をやっのける。
欧州では密集陣を組まないと指揮が出来ない&士気が維持できない部隊とは錬度に雲泥の差がある。

そしてこれが可能だったのは、大量の人間にきちんとした教育や訓練が出来るだけのリソースをオスマンが持っていたってなのだ。
796人間七七四年:2010/10/17(日) 08:10:32 ID:1H8K0rw8
オスマンの例をあげると、まず支配地域内に住んでるキリスト教の子供を徴兵する

イスラムに改宗させて軍人として育てる

優秀だったら要職につける

って形で、半ば徴兵制を敷いてたんだよね

て書こうとしたらもう書いてたか
797人間七七四年:2010/10/17(日) 08:26:03 ID:IdJaGExL
>>795
d
たしかに、当時の欧米の外交官が「オスマンは人種に関係なく能力で出世できる、これは我々ではなしえない」
と言ってたな・・・
あとメンズィルとかいう補給拠点システムがあって、整備された街道を使って
補給物資が軍の進路上にあらかじめ用意されてたらしい・・・
798人間七七四年:2010/10/17(日) 08:41:07 ID:IdJaGExL
15世紀前半に銃と大砲の装備が進んで、1473年には騎兵主体の白羊朝を鉄砲で破る。
イエニチェリは隊ごとの鉄砲鍛冶と射撃訓練場を持ち、ほぼ全員が銃を装備。
遅くとも1526年のモハチュの戦いには鉄砲二段撃ちを実用化。

と本に書いてあったよ。
799人間七七四年:2010/10/17(日) 08:42:09 ID:KPrzIqqa
>>796
貧乏な小作の倅が
改宗するだけで衣食住を保障され、読み書き算術を仕込まれて、
先輩達に武器の使い方から戦術・戦略を仕込まれて、優秀ならば将軍だ。
大出世できるチャンスを逃すはずもなく。
800人間七七四年:2010/10/17(日) 11:36:48 ID:SkTxxA+i
まぁー15世紀から次第にそれまで世界で主流だった軽騎兵の戦力価値が落ちて
銃器・火器を備えた歩兵が優位になっていく過程期だからね
801人間七七四年:2010/10/17(日) 17:40:01 ID:1H8K0rw8
>>799
徴兵制を無理強いと解釈したんなら俺の書き方にミスがあったわ

>>800
そんな過渡期の胸甲騎兵には夢がある
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%B8%E7%94%B2%E9%A8%8E%E5%85%B5
802人間七七四年:2010/10/17(日) 17:50:12 ID:XcaAgw7D
16世紀後半、世界最大の鉄砲保有国だった日本の鉄砲輸出先がオスマン
遠いから敵対関係になる心配もなく、いいお得意さん
803人間七七四年:2010/10/17(日) 18:12:07 ID:9V81Daj4
倭猿に足りないのは体格でも技術でも無く
単にハート
804人間七七四年:2010/10/17(日) 18:13:23 ID:9V81Daj4
育った環境の過酷度が違い過ぎるからな・・・・
世界一安全な微温湯国で強くなれる筈が無い
805人間七七四年:2010/10/17(日) 18:35:43 ID:QrJsg56w
世界最高クラスの軍事大国同士が武器の貿易
胸熱
806人間七七四年:2010/10/17(日) 19:21:31 ID:SkTxxA+i
それ実話なのか?
どうやって東シナ海からペルシア湾まで運ぶんだよ
そもそもオスマンは態々国外から輸入しなくとも国内で十分生産できた
807人間七七四年:2010/10/17(日) 20:44:27 ID:KoX0C09x
火縄銃って江戸時代に入って不要になった分もそれぞれの家中で死蔵されてたんじゃないの?
鉄砲を増やすのはいけないけど、減らすのも武備が不十分ということでまずいはず。
808人間七七四年:2010/10/17(日) 21:15:21 ID:17KdYlTQ
なんで増やすのがいけないのか
809人間七七四年:2010/10/17(日) 21:42:22 ID:KoX0C09x
平穏無事な江戸時代に火縄銃部隊を増加させるなんて、「謀反の意思あり」と断定されて当然だと思うよ
810人間七七四年:2010/10/17(日) 21:42:59 ID:MRTiUbBs
武士弱すぎだな
811人間七七四年:2010/10/18(月) 00:45:24 ID:0zjOTLSi
↑頭弱すぎだな
812qq:2010/10/18(月) 00:58:35 ID:AI/W9nfq
日本の武士団の主力は、弓。
元寇の際にも明らかになったのは、モンゴルや支那の弓の飛距離を遥かに
上回っていたのが日本の弓だった。
当然欧州の弓よりも飛距離が上。
813人間七七四年:2010/10/18(月) 02:25:44 ID:95r+zYEL
弓が基本なんて前提の話を今更・・・
クレしんの映画を見てこいよ

あと、飛距離と精度が求められるのは日本のような山岳地帯であって
行軍距離が長くて平原が多い欧州中東は持ち運びに便利なほうを選んだだけ

つまり、その土地で一番効率の良い武器が発達しただけで、
それが他の地域でも使えるかは限らんよ
814人間七七四年:2010/10/18(月) 02:42:45 ID:wAagxJXw
ロングボウって持ち運びに便利??
815人間七七四年:2010/10/18(月) 02:53:29 ID:0q7/UnjN
このスレもそうだけど戦国時代板見てると日本のすごさに驚く
あんま習わないからな
816人間七七四年:2010/10/18(月) 03:39:04 ID:efFKwXck
>>813
クレしんの戦い方は、あくまで大国同士の大軍が正々堂々な合戦した場合、じゃない?
記録にのこる合戦は基本奇襲戦が日をかけて強襲とかほとんどだと思う

…まぁ奇襲じゃもっと弓つかわないんですが……
817人間七七四年:2010/10/18(月) 04:06:33 ID:j3+MnHKP
クレしんは考証がまともなほうだが、再現されているかというとそうでもない
818人間七七四年:2010/10/18(月) 04:34:12 ID:95r+zYEL
>>814
ロングボウは包囲した攻城戦とか塹壕みたいにガチガチに固めた防衛の時に使ってたっけ?

腕力と鍛錬が必要だからそんなに広まった印象は無いんだが。

>>816
アニメですら・・・ってことを言いたかったんだ
819人間七七四年:2010/10/18(月) 07:29:28 ID:RPlDHQaP
>>818
>ロングボウは包囲した攻城戦とか塹壕みたいにガチガチに固めた防衛の時に使ってたっけ?

野戦で簡易なバリケード築城をして、騎兵が簡単に突撃できないようにして使っていたような?

>腕力と鍛錬が必要だからそんなに広まった印象は無いんだが。

そもそも、大々的に使っていたのはイングランドだけじゃない?
820人間七七四年:2010/10/18(月) 21:54:33 ID:ycDsWzuQ
和弓はあの大きさで馬の上からでも座った体勢でも打てるのがいい
よく考えられてる
821人間七七四年:2010/10/18(月) 22:28:03 ID:wAagxJXw
>>813
和弓が持ち運びに不便と言ってるように読めるが、んなことあるのかね。
822人間七七四年:2010/10/19(火) 01:00:34 ID:3NuJNLFE
和弓は北方騎馬民族や中国・朝鮮が採用していた合成弓と互角か、ちょい上の飛距離だが、重量は半分程の超軽量
823人間七七四年:2010/10/19(火) 02:06:26 ID:XtA6n759
>>813
平原が多いと持ち運びに便利なほうを選ぶって意味が分からないのですが?
824人間七七四年:2010/10/19(火) 05:07:45 ID:DdDHsV9G
戦国時代じゃ時代遅れの弓なんて殆ど使われてねーだろ
弓なんざ既に鉄砲に駆逐されてんだろ
16世紀にもなって弓とか笑っちまうわ、シナと朝鮮くらいだろ
825人間七七四年:2010/10/19(火) 06:42:08 ID:dnigGTY8
>>824
根拠ないぞ。
戦国時代の負傷は
矢傷が41.3%、鉄砲傷が19.6%、槍傷が17.9%、刀傷3.8%
弓はまさに合戦の主役。

時代を経るにつれ鉄砲傷と矢傷の割合は逆転していったが、
関が原当時でも矢傷は槍傷と同じくらいあった。
少なくとも「弓なんてほとんど使われてない」は根拠なし。
826人間七七四年:2010/10/19(火) 07:43:04 ID:J9xo0ouv
ついに鈴木信者登場かw
827人間七七四年:2010/10/19(火) 15:21:30 ID:DdDHsV9G
弓なんて戦場に持ってたら失笑されちゃうレベル
ましてや弓道なんてやってる奴は能天気なお公家さんくらいだろww
血みどろで本当に過酷な戦であんな時代遅れの代物は通用しない
貴族同士の馴れ合いなら別だがな

鉄砲「ジュー・・・・・・・ズドォォォォォォォォォォン!!!!!!!!!」
弓矢「ピュンピュンピュン」(笑)
828人間七七四年:2010/10/19(火) 15:42:07 ID:XtA6n759
馬鹿を披露して楽しいの?
829人間七七四年:2010/10/19(火) 17:25:38 ID:DdDHsV9G
朝鮮出兵を見ても明らか
高性能の鉄砲を持つ日本軍に時代遅れの弓矢で対抗して惨敗する明朝・李朝連合軍
イスンシンとかいう雑魚も島津軍の鉄砲で死んだよな(笑)
830人間七七四年:2010/10/19(火) 17:42:44 ID:5mQxLvRN
鉄砲自体は明軍も相当数持ってたぞ?性能はともかく

戦国時代の火縄銃と弓矢なんてそれほど大きな差があるわけでもないし
曲射とか火矢とか静粛性の高さとか風以外の天候に左右されにくいとか弓矢には弓矢の利点がある
831人間七七四年:2010/10/19(火) 18:04:49 ID:mo902hFD
このレベルは久々だな
昔はいっぱいいたが
832人間七七四年:2010/10/19(火) 22:10:43 ID:5oHP6vcX
弓矢に対する火縄銃の強みって、比較的素人でも使いやすい、ってこと以外になにかあるかね?
いや、それが重要なんだろうけど。
833人間七七四年:2010/10/19(火) 22:24:27 ID:J32c1ml/
戦国末期の日本は鉄砲量産しまくって世界最大の保有国に
834人間七七四年:2010/10/19(火) 22:40:06 ID:J9xo0ouv
>>830
明の主力銃、三眼銃は西洋の鉄砲とは無関係なもの。
三連発だが、銃身が短いため威力はとても低い。
手で火縄を持って点火する上、照準どころか前方のどこかに飛べばいいといった感じ。
>>832
威力。弓と違って鎧では防ぐのは困難。
もっとも、当世具足で100m以遠なら弾を跳ね返すこともできるらしい。
銃の火薬量と口径にもよるだろうけど。
835人間七七四年:2010/10/19(火) 23:57:53 ID:wWLU98RN
弓の方が遠くまで届くけどね
それでいて朝鮮兵のしょぼい鎧を余裕で貫通させるし

火繩銃の有効射程距離を考えたら100mなんて簡素な鎧でも余裕で大丈夫だが
まぁ最後の一行次第だけど
836人間七七四年:2010/10/20(水) 03:04:35 ID:xXaXU/ab
>>835
戦国時代の四方弓だと遠矢で名人が射て400m、通常は有効射程200mくらい。
火縄銃だと最大射程500m、有効射程200m以上。
場合によっては220mくらいから発砲開始してたって。

朝鮮の鎧はショボかったのは確かで、国内では練習に使うような小口径の番筒も有効だと大量に使用した。
837人間七七四年:2010/10/20(水) 04:33:46 ID:ESjTggg5
>>836
江戸時代の鉄砲術書や戦国時代の合戦物には
「敵は白目が見えるくらいまでひきつけて撃つ」って書いてあるよ
篭城戦(長篠の戦の流しの城とか)は別にして、遭遇戦なら4間ぐらいがいい、ってんだから
200mから撃ちかけてたら煙と弾込めの間に接近されんじゃないかな?
(実際、細川流だと「鉄砲は発射したら突撃して切り込め」って書いてあるし)

…まぁ武器本来の性能と当時の戦術がマッチしてなかったのかもしれないけど……
838人間七七四年:2010/10/20(水) 12:10:08 ID:rGj4oMJQ
>>830
こんな鉄砲ではね。


フロイス「日本史」
・さらに日本人と同じく刀剣、また多数の鉄砲隊を用いた。彼らの鉄砲は、どのようにして発射されるのか
不可解である。というのは、無数に発砲した後も、そのための死傷者が一人も出なかったからである。
839人間七七四年:2010/10/20(水) 15:09:07 ID:rGj4oMJQ
>>837
少し違うけど『雑兵物語』にもこんな記述があるね。

・胴乱一ぱいぶちけたらば、かるかを引ん抜て、鉄砲を腰にひつばさんで、
刀を抜て敵の手足をねらつて切めされい。
840人間七七四年:2010/10/20(水) 19:08:28 ID:M2tUap+T
朝鮮兵は(一部のお偉いさんを除いて)鎧なんか着てないでしょ。
841人間七七四年:2010/10/20(水) 19:39:46 ID:lLes+s/5
>>837
薩摩流等にもある記述だが
前提条件として敵が次弾装填出来ないほど目前まで迫った時の話。
たとえば障害物が何も無い平地で30m手前まで敵が来たとする、
完全武装兵の速力でも10秒後には目前だから、次弾装填は期待出来ない。
どうせ一発しか撃てないのなら一撃必中を期してギリギリまで引き付けて撃て、
ビビッテ早撃ちすんなっちゅ−ことやね。
842人間七七四年:2010/10/20(水) 21:11:26 ID:qMkAO6hn
野戦陣地構築+鉄砲の活用で騎兵を打ち破った織田信長はヨーロッパ以上に進んでた、って言うけど、
野戦陣地+飛び道具で敵の突撃を粉砕したってだけなら、百年戦争当時イギリスのブラックプリンスのロングボウ部隊がフランス騎士団を粉砕してるよね。
843人間七七四年:2010/10/20(水) 21:49:31 ID:qHLefOVB
>>837
火縄銃はヨーロッパのマスケットよりは命中率がよかったらしいけど
ライフリング切られてないし、五十歩百歩レベルだったのかな?
844人間七七四年:2010/10/20(水) 21:55:35 ID:qMkAO6hn
>>843
火打石を打ち付けるのに比べて、火縄を当てるだけだから衝撃が小さい分、照準がブレないって話だよね。
海外の古式銃射撃競技会で命中精度を評価して日本の火縄銃を使う人がいる程度には評されてるらしいよ。

ただ、火縄銃ってショルダーストックないから、射撃姿勢は限定されるよね。
845人間七七四年:2010/10/20(水) 22:47:56 ID:ESjTggg5
>>841
最大20発くらいしか携帯してないのに近代のライフルなみの距離で射撃始めるかな?
西南戦争やら日清戦争なんて それでも当たらなかったようだけど……
846人間七七四年:2010/10/20(水) 23:17:32 ID:lLes+s/5
最大20発?なんで?
武田の軍法だと一丁あたり300発分用意するように定められてるし
実験や城の構造の検証からまともに使う距離は120mあたりからじゃないかと言われてるね。
ちなみに和弓もその辺からが実際に使う距離だったそうだ。
847人間七七四年:2010/10/20(水) 23:26:37 ID:kdv6VXQt
木の盾でも前面に出していけば、かなりの距離まで矢や銃弾は防げると思う。
848人間七七四年:2010/10/20(水) 23:40:31 ID:lLes+s/5
竹の束に砂袋入れた盾なら武田が使い始めて全国で使われてたね
849人間七七四年:2010/10/21(木) 00:24:52 ID:nBw+UKcd
江戸時代に紀効新書の真似をして盾を作ったが
鉄砲には全然役に立たなかったなんて話もある。

実用なら竹束だろうね。朝鮮の役でも役に立っている。
850人間七七四年:2010/10/21(木) 05:55:18 ID:O49pIndL
>>843
火打石のフリントロック式でも、引き金を引いてから発砲までにタイムラグがあるね。
すぐ発火して撃てたり、ちょっともたついたりする。
それ以前のサーペンタイン、シアロック式火縄銃は引き金を引いた分火縄のアームが動くので、狙撃しずらい。

日本のスナップロック式火縄銃だと、引き金を引いて即座に火縄が火皿に落ちるから狙撃しやすい。
851人間七七四年:2010/10/21(木) 09:12:13 ID:DpifEo1g
前装銃選手権にNAGASHINO 、HIZADAI、TANZUTUという種目があるというから驚く。
852人間七七四年:2010/10/21(木) 12:31:04 ID:NAPpIKWV
欧米コンプの在日がたてたようなスレまだあったのかw
853人間七七四年:2010/10/21(木) 18:21:32 ID:Pcc95Q0p
>>846
現在でも一人300発分も携行してないぞ? 弾薬にも”重量”があんだよ、ゲームと違って
一回の遭遇戦で使えるのは手持ち(携行分)と考えるべき

つか一回の遠征で300発で十分、なんてデータからすると、一回の戦闘に10発も撃ってなかったことにならない?
854人間七七四年:2010/10/21(木) 18:31:24 ID:DpifEo1g
855人間七七四年:2010/10/21(木) 19:02:29 ID:w2s6pPET
6匁(23g)×20発=460g+火薬
当時の人ってひ弱だったんだね
856人間七七四年:2010/10/21(木) 20:07:20 ID:OnQQII9c
弾薬以外持ってないのか
857人間七七四年:2010/10/22(金) 22:32:24 ID:k88yx3ar
たくさん不安と期待を持って行った
858人間七七四年:2010/10/23(土) 21:24:12 ID:kZVcer+I
和弓はフライパンを貫けるのでプレートアーマー着てる奴にもダメージを与える事は出来るだろう。
一撃必殺はかなり難しそうだが。
859人間七七四年:2010/10/23(土) 21:48:43 ID:VXLNlyFg
>>858
和弓とロングボウはどっちが威力あるんだろう?
860人間七七四年:2010/10/23(土) 22:18:05 ID:iZO1dDmN
>>859
ロングボウは所詮は丸木弓
861人間七七四年:2010/10/23(土) 22:22:55 ID:kZVcer+I
日本の鏃は他国の物より重量があり威力が高い、と言うような事を何処かで読んだんだがハッキリとした事は解らないね。
862人間七七四年:2010/10/23(土) 23:11:43 ID:InmF7Jnm
>>859
クロスボウ>>トルコ弓飛距離800m>>モンゴル・満州弓飛距離600m>>ロングボウ
863人間七七四年:2010/10/23(土) 23:44:13 ID:kZVcer+I
飛びすぎだろ…
スナイパーライフルでも命中させるのは困難だ、800mなんて。
864人間七七四年:2010/10/23(土) 23:45:21 ID:InmF7Jnm
>>863
ちなみに遠矢での飛距離ね。和弓は400m。
865人間七七四年:2010/10/24(日) 15:00:26 ID:M4hjjhQH
源平合戦の那須与一の場合「七八段ばかり」の解釈はいろいろあるけど約20〜70m、これで敵味方から喝采を受けた
400m飛ばせる武器性能でも当時はそんな使われ方はしなかった、と考えるのが妥当かと

ちなみに現在のアサルトライフルの場合、狙撃最長記録は2430m、朝鮮戦争の場合射撃開始は900mだった
NATO弾だと有効射程300m、危険区域2150m、最大射程3000mと言われてる
このように最大射程と狙撃可能距離と実際に戦闘が行われる射程とは現在でも大きく違ってる

ま、当時の戦術から有効射程を考えた方が現実的ではないでしょうか……
866人間七七四年:2010/10/24(日) 15:34:42 ID:K5smnxaS
アサルトライフルで狙撃とかゴルゴかよ
L115A3は普通にスナイパーライフルだろ
867人間七七四年:2010/10/24(日) 15:51:19 ID:G8bhunFz
弓の射程距離は30mでヘッドショット、50mで全身、120mで5m×2.3mくらい
868人間七七四年:2010/10/24(日) 16:23:59 ID:sZaQpdzI
プレートアーマーで完全防備の騎士ってどうやって殺すの?
鉄砲その他火器類・弩以外に手はあるのか?
869人間七七四年:2010/10/24(日) 16:44:53 ID:yjxctVYL
>>868
鈍器で頭を狙ったり、足を払ってみたり、稼動部狙ってみたり、
とにかく、転ばせれば勝機は見えるはず
870人間七七四年:2010/10/24(日) 16:56:37 ID:wv9adgCD
>>868
走り回させて疲労した時を狙う
871人間七七四年:2010/10/24(日) 16:59:52 ID:K5smnxaS
プレートアーマーって槍でも穴開く強度なんだが
872人間七七四年:2010/10/24(日) 18:44:17 ID:f7wZR7I5
>>871
当時の百年戦争の絵画でもブスブス刺さってるよねw
873人間七七四年:2010/10/24(日) 19:19:31 ID:M1NcXuGX
日本刀の突きでも穴が開いてますね。

http://www.youtube.com/watch?v=Ih7bmzFQ9rI
874人間七七四年:2010/10/24(日) 20:29:01 ID:DqqOnSDs
これなら超遠距離からの矢で十分死ぬな
重いぶん損だ
875人間七七四年:2010/10/24(日) 20:41:17 ID:gQLkv7vY
重装兵なら小勢を繰り出し翻弄して、動きの鈍ったとこを一気に殲滅だな

欧州勢支那勢が日本の戦術に対しどう当たるかだね
元軍は手も足も出ず帰って行ったが、明軍はよく頑張った方だ
876人間七七四年:2010/10/24(日) 22:01:35 ID:XUOxkPVy
>>875
まるで日本勢のほうが明勢より強いみたいな言い草だな!
877人間七七四年:2010/10/24(日) 22:12:27 ID:4/v5N+Hv
ログみると、秀吉が死ななくて朝鮮の役が続いていたら云々という話が
何度も出てきたけど、日本軍は鉄砲の優位性があったので、特に慶長の役の
ような防御戦が主になっている場合は明軍に対して大打撃を与えたけど、
もし役がもっと長期化していて明がきちんとした鉄砲を導入していたら、
そんな優位性は消し飛ぶんだよなぁ…
878人間七七四年:2010/10/24(日) 22:50:07 ID:gQLkv7vY
長期化は明の破滅に繋がりますよ
既に莫大な出費で破綻状態

日本の場合、再度派兵して唐まで行くならともかく、まだ余力はあるし
倭城を中心に防衛戦に徹すれば、その後の和睦で南朝鮮の半分は貰えたかもしれん

明に朝鮮と将軍が死にまくってるけど大丈夫なのかな
879人間七七四年:2010/10/24(日) 23:01:44 ID:DqqOnSDs
明の滅亡早まるだけ
日本軍は着実に勝っていってるし
秀吉の死と秀吉の変わりに国内の天下欲した家康に感謝しないと
880人間七七四年:2010/10/24(日) 23:24:57 ID:sZaQpdzI
ヌルハチがどう絡んで来ることになったんだろうね
881人間七七四年:2010/10/25(月) 03:42:14 ID:ebTH0AjF
戦績もそうだけど
指揮官クラスの討ち取られた数も違いすぎる
882仙台藩百姓:2010/10/25(月) 08:05:10 ID:GFfHKgCX
勝っていたら引き揚げる理由なんてないはずだけど( ^ω^)
883人間七七四年:2010/10/25(月) 08:07:53 ID:MC4l4shh
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
884人間七七四年:2010/10/25(月) 09:01:55 ID:gpzov2fe
>>883
よく誤解する奴がいるが、「明史」に記載された
「喪師数十万、餉数百万」とはそのあとに続く
「中朝与属国」にかかっているんだよ!
すなわち明一国で数十万の死傷者、数百万の損失
を出したんではなくて、明とその属国を併せた数字だぞ!
885人間七七四年:2010/10/25(月) 09:11:14 ID:gpzov2fe
だいたい明軍の兵数が文禄の役=5万程
慶長の役=8万〜10万程なんだから
明単独で「喪師数十万」=20万人以上もの
死傷者を出しようがないじゃん。
中国語のWikiにも明軍の犠牲者は3万とあり、
朝鮮の犠牲者は30万とある。
両方あわせれば33万になり「喪師数十万」
との釣り合いがとでるじゃん。
http://zh.wikipedia.org/zh/%E8%90%AC%E6%9B%86%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%B0%E7%88%AD
886人間七七四年:2010/10/25(月) 10:35:06 ID:EDWWB2EX
3万は少な過ぎ、8万人近くはやられてるだろう
本隊とは別に、ちょくちょく援軍を送ってるから動員数は軽く20万人を越えてるしね

それは明の損害を朝鮮に押し付けてるだけ
日本側としても相手は連合軍だから、明の損害が何人で朝鮮のはって、分かりにくい点もあるが3万人はないな
887人間七七四年:2010/10/25(月) 13:15:58 ID:+g70C1MS
攻める側は人数3倍必要なのに勝ちすぎ
888人間七七四年:2010/10/25(月) 16:40:49 ID:9YXQNBjv
>>878-879
楊応龍の乱を鎮圧に導いたのは投降した日本兵の鉄砲兵力だったように、
明軍も鉄砲兵力を取り入れつつあったことを完全に無視して、
日本軍が攻勢に移っても防御戦のとき同様にずっと勝ち続けると
思い込めるのかいな…
889人間七七四年:2010/10/25(月) 16:55:11 ID:UtDmusNH
明は戦で破綻寸前……
890人間七七四年:2010/10/25(月) 16:55:46 ID:C3AYh1Jx
明国=上杉謙信
朝鮮=関東大名
補給に関してはこんな感じだよね

秀吉軍に関しての補給はもっと過酷だよな
891人間七七四年:2010/10/25(月) 18:00:00 ID:gpzov2fe
>>889
明国内に一歩も攻め込めなかったのに
どうして明が破綻寸前になるんだよ!
かつての隋帝国のように100万規模の
軍勢を送りながら撃退されたんならまだしも
明は属国である朝鮮の救援に文禄5万
慶長10万の兵力を派遣しただけだぞ。
国土も蹂躙されず、援軍も日本が朝鮮
に送った兵力より少なく、なおかつ
最終的には日本軍を朝鮮から撤退させて
どうして明が破綻寸前になるんだよ。

892人間七七四年:2010/10/25(月) 18:25:15 ID:rO5ILO6X
そりゃ、相手にしているのが日本だけじゃないからじゃないの?
女真族やら内戦やら。
893人間七七四年:2010/10/25(月) 18:32:26 ID:MC4l4shh
>>885

「中朝与属国無勝算」とあるようですけど。
894人間七七四年:2010/10/25(月) 18:34:24 ID:rVceIhLG
>>889
万暦の三征での戦費をそのまんま税に課したから民衆の不満が大きくなったのは
確かだけど、万暦の三征での出費よりも福王の結婚式に30万両使うような
とんでもなくアレな出費のほうがよほど問題だったわけで。
895人間七七四年:2010/10/25(月) 22:31:08 ID:EDWWB2EX
>>891
なら幾ら明が幾ら費やしたか調べてみると良いよ

あと支那の言う100万は実際10〜20万程度だから
896人間七七四年:2010/10/25(月) 23:27:22 ID:YH9VWq2m
>>888
明は大砲鉄砲の導入に関しては極めて先進的だよ。
17せいきになると大砲は小隊ごとに行き渡るし、営(師団)直属の大口径砲兵もある。
鉄砲のみの部隊、火器兵営も編成している。
まあそれも後金(清)の鉄騎と弓に敗れたけど。
897人間七七四年:2010/10/25(月) 23:37:46 ID:6SZRDbOQ
中国ってなんですぐ統一してしまうん?
898人間七七四年:2010/10/26(火) 00:38:36 ID:XesuSUfu
やっぱりシナ害虫デモは堕胎した
女児のスープとか蒸焼きを食べてるから
あれだけ元気なん??食人シナ族
899人間七七四年:2010/10/26(火) 03:29:21 ID:0W+wov1l
>>896
余談だけど、清の場合は呉三桂軍といっしょに李自成倒したんだから実力はわからないと思う
その後の中国征伐も漢人武将(漢軍主力)だし、三藩の乱のときは当初呉三桂軍にぼろ負けして結局主力は漢編成軍で盛り返したし
騎兵主力だから強そうだけど指揮官クラスに欠陥あったんじゃないかしら?
900人間七七四年:2010/10/26(火) 08:03:18 ID:/tCZdmjI
原始的な移動手段の太古でも朝鮮半島は大国の防衛線として最良の位置にあったんだな
毎回毎回踏みつけられながらも、なぜ完全に吸収されず属国として生かされるかわかる
901人間七七四年:2010/10/26(火) 09:06:55 ID:xnY51530
文禄・慶長の役で属国朝鮮の救援にいっただけの
明国の財政が破綻寸前とか言う奴って、フランス
革命の原因であるフランスの財政が破綻寸前になった
のがマリー・アントワネットの贅沢が原因というのと
同じだな。
実際はアントワネット個人に限らず当時の宮廷全体での
奢侈な生活費とアメリカ独立戦争を支援してイギリスと
の戦争により軍事費が直接の原因だ。
同じように明国の財政が破綻寸前になったのは、所謂
万歴三征よりも万歴帝を始めとして宮廷全体での奢侈
な生活費と万里の長城の建設費が原因だ。
中国語のWikiによると明国の万里の長城建設による死傷
者は200万人〜300万人にも上るという。
http://zh.wikipedia.org/zh/%E9%95%BF%E5%9F%8E#.E6.98.8E.E9.95.BF.E5.9F.8E
902人間七七四年:2010/10/26(火) 10:11:42 ID:Rx8mCl+D
日本軍は、慶長の役では補給がうまくいっていたみたいだね。
忠清道・全羅道の制圧が完了し、日本式城を築き防衛体制を整えると、日本軍は九州勢以外は漸次帰国。
文禄の役で学習したんだろうけど、気候が温暖な時期である秀吉の死の翌年春に帰朝之衆を
北上する計画がされていて、その帰朝之衆派遣攻勢作戦の実施される前に秀吉が死んだわけだけど、
文禄の役からの日本軍の学習度がすごい。

動きの一つ一つが、文禄の役の二の舞を踏まないようにして、ある程度成功してる。
それに比べ明軍は、日本軍が九州勢以外帰国した隙を突いたつもりだったんだろうけど
どの戦線も敗北してるんだね。この後、帰朝之衆派遣攻勢計画は秀吉が死んだため実施に移される
こともなく終ったわけだけど、慶長の役は、知恵比べも戦闘も、明らかに明軍は日本軍に後れを
とってる。
903人間七七四年:2010/10/26(火) 13:47:01 ID:AZbz4N4N
>>902
日本軍の学習度がすごい?

第一次蔚山倭城攻防戦においては、折角明・朝鮮の大軍を撃退したのに
敵を追撃するでもなく、それどころか宇喜多秀家以下13人の大名から秀吉
に対して、立地上突出している蔚山・順天・梁山の三城を援軍の困難さを
理由として放棄する案を豊臣秀吉に上申するも、秀吉はこれを却下し
上申者を叱責している。

これでも学習度がすごいのかよ。
904人間七七四年:2010/10/26(火) 17:27:31 ID:0W+wov1l
>>901
でもトドメをさした感じはあるよ
文禄の時の給金(報奨金)払えなくて慶長の役の募兵の時は人集まらなくて
わざわざ四川とか遠隔地で募兵したり内戸金(皇帝の私的財布)だしたりしてるし

つか哮拝の乱とか多発した自国内の反乱鎮圧の方が影響大きいかもしれないけど……
905人間七七四年:2010/10/27(水) 00:31:02 ID:s1D5acFq
>903
そんな局地戦の話ではなく大局の話をしているんだよ、902は。
906人間七七四年:2010/10/27(水) 01:09:10 ID:4Q/UkN0G
>>902
清正が二回目の遠征ではそれほど進出してなかったのはその為なのか

高校の教科書以来の謎が解けたわ
907名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 09:56:02 ID:/U7BndO6
『日本史』豊臣秀吉篇第三六章(第三部四七章)
「朝鮮国の描写、およびアゴスチイノ(小西行長)がその艦隊を率いて先発した次第」
・(※注:朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。

『日本史』豊臣秀吉篇第三七章(第三部四八章)
「朝鮮に向けて出発したアゴスチイノが、ついで幾つかの城を攻撃し、大いに苦労して
軍勢をもってそれらを屈服せしめたこと、ならびにそこで彼が獲得した名誉について」
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
朝鮮人の側では約五千の兵が戦死し、日本人の側では二つの城塞
(の攻略に際して)百人近くの戦死者と四百人以上の負傷者を出した。

『日本史』豊臣秀吉篇第三八章(第三部四九章)
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。
908名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 10:01:58 ID:/U7BndO6
宣教師フロンソ・サンチェス (スペイン国王への手紙より)
支那人は自国のおびただしい人口に自信を持っているものの、
スペインのわずかな鉄砲隊で、
何百万人もの支那人を滅ぼせるという事が理解できていない。
先年僅か13人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
3000人以上の支那人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはそこから脱出するや、
直ちに多数の支那人を殺してしまった。
支那人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、
それに乗って逃げてしまった。
支那の征服は日本人の軍事力を利用してすべきである。
909人間七七四年:2010/10/27(水) 12:19:43 ID:hdNmvMdz
コピペうざい
910名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 12:49:50 ID:/U7BndO6
自分に都合の悪い資料を提示されて不快な時は
コピペうざいと言ってやりましょう

何の解決にもなりませんが
少なくとも「言ってやったぜ」的な気分は味わえます
911人間七七四年:2010/10/27(水) 13:21:01 ID:YpHCxsj+
同時代の第三者による記録が複数残るのは強いな
日中韓+西という資料は非常に説得力ある
912人間七七四年:2010/10/27(水) 17:22:10 ID:PaPdgK3F
まぁ、支那より日本の方が強いとして
次はどうやって欧州勢より強いって事を証明するかだな
欧州の城を見たら、なんだこの城って楽に落とせそうだが
欧州勢に日本の城を見せたらなんて思うかな
913人間七七四年:2010/10/27(水) 19:43:17 ID:nlWKeg/9
楽に街を荒らせそう
914人間七七四年:2010/10/27(水) 20:03:33 ID:MqjMT2aC
>>913
村襲おうとして逆に武装した彼らに叩き返されたところを、出戦した城兵に完膚なきまでに殺られ
残りも落ち武者狩りに遭って消滅かと
915人間七七四年:2010/10/27(水) 20:07:52 ID:MaiGS+Cl
欧州のどの国と比べようとしてるかわからないけど
イスラム>欧州だった時代
アジアの敵ではない
一国ではなおのこと
916人間七七四年:2010/10/27(水) 20:22:34 ID:EUSz0/1d
>>912
城といってもピンからキリだからな
残念ながら、当時の日本がコンスタンティノープルの
三重城壁を抜けるとは思えない
917人間七七四年:2010/10/27(水) 20:40:24 ID:pPWNbYAD
明治初期の装備で落とせなかった熊本城を16世紀に落とすのは無理だろうな
大坂城、江戸城も無理
まあ当時のヨーロッパの国力では攻城戦にもっていくのはおろか上陸すらできない
918人間七七四年:2010/10/27(水) 20:40:56 ID:hinOrIB4
>>916
 気長に兵糧攻めかな。
水軍で海上封鎖して、陸上の補給路を寸断するために付け城を築いて、三重城壁の外側に大堀
掘って土塁を構築したら、後は、小田原陣の真似事でもすればいいんじゃない?
919人間七七四年:2010/10/27(水) 20:41:51 ID:pPWNbYAD
16世紀っていってもぎりぎりだったか
920人間七七四年:2010/10/27(水) 21:01:13 ID:s1D5acFq
書籍のタイトルも学者の名前も全く思い出せないのだが、以前読んだ本に中世の戦史を専門にしている欧州の学者が近代以前の世界中の城塞で最も優れているのは姫路城と北京城と評していたな。
921人間七七四年:2010/10/27(水) 23:23:27 ID:DQvzQmmH
同時代のヨーロッパ戦術をリードしてたオランダは?
数はともかく質は高い。
前3列、後2列で交互に射撃する5段撃ち
または撃った銃手が後ろに回り、後列が進み出て撃つ、を繰り返し途切れず射撃できるという、背面行進とかしてるじゃん。

長槍とマスケット銃を組み合わせ100〜150人程度の中隊をつくり、機動性はテルシオよりずっとあるし。
922人間七七四年:2010/10/27(水) 23:34:45 ID:MqjMT2aC
>>921
テルシオに比べればだいぶマシだが、未だに密集方陣の呪いからは解放されていないなというのが感想
竹束という対鉄砲用の盾がないから仕方が無いけど、結構戦術的には大きい>竹束
923人間七七四年:2010/10/28(木) 00:10:07 ID:xYWQvb1/
マウリッツ以降の西洋は、戦術が正しいかはおいといて
それを可能とする集団としての練度の高さは凄いお
924人間七七四年:2010/10/28(木) 00:14:19 ID:cNfRBoAc
>>910
何回も同じ資料貼るよりは前のレスに誘導したほうがスマートじゃないか?
板容量的にも
925人間七七四年:2010/10/28(木) 01:01:11 ID:3moBlD7X
テルシオも古代ファランクスと同様、白兵戦になった場合の正面圧力は途方もないけどね。
5mの長槍がハリネズミみたいに密集して押し寄せてくるわけで、入り込もうにも大きな盾でも持ってないと無理。
西洋の長槍=パイクはむしろ形状的には長矛といえるもので、太く六角形の断面をしている。
硬くあまりしならないので、突くことも問題ない。

大砲からすればいい的だが・・・・
926人間七七四年:2010/10/28(木) 01:04:11 ID:OsJsWmV1
こう言っては身も蓋もないが当時の欧州と日本では動員力と鉄砲装備率と継戦能力が
違いすぎるんだよな
16C〜17Cの日本のあちこちで起こっていた万単位の合戦の多さはちょっと異常過ぎる
927人間七七四年:2010/10/28(木) 02:53:27 ID:h3fKfJ/9
>>922
…密集隊形は命中率の悪さを補完するものだから……

>>925
西欧は騎兵突撃に対応するために進化したからなぁ
つか日本の編成で平原での西欧風騎兵突撃を受け止められるか、は微妙じゃないかな
(関ヶ原つったって起伏激しい土地だし、もともと考慮してないからしょうがないけど)
本格的な騎兵戦術が存在しない土地柄ゆえの戦術的欠陥はもともとありそう
(テルシオ開発する前のレコンキスタ戦ったスペイン兵みたいな感じで)
928人間七七四年:2010/10/28(木) 06:34:25 ID:EquylpMx
>>927
それは逆にいうと日本にヨーロッパやモンゴルの騎兵を持ち込んでそのまま運用できないだろう、って話にもなるからなー。
戦場をどこに設定するかは重要じゃね?
北部イタリアとかの山岳戦が得意な部隊と日本軍で朝鮮半島でぶつかるぐらいが一番公平だろうか。
流石に満州とかに設定しちゃうと、騎馬民族や欧州騎兵相手だと、長篠方式で拠点防御するしかなくなると思う。

あと、密集方陣は戦列歩兵に移行していくわけだから(大砲のせいで)、密集は必須って取れる言い方はちょっとおかしく無いかい?
929人間七七四年:2010/10/28(木) 19:34:11 ID:h3fKfJ/9
>>928
ナポレオン時代にも騎兵突撃には密集(方陣だけど)してたわけで、
騎馬に対して歩兵の必須?な手段だった時代は長かった気はしますが……

まぁ日本では大砲も主流にならなかったわけで、その部分でも戦術の欠落はありそうですよね
江戸の銃術書にも、鉄砲隊には射撃直後の白兵突撃(切り込み)って書かれてるくらいだし
西欧から塹壕戦術だけしか輸入されなかったのは、それなりの土地(や戦術)に過適応した軍隊だったのかも
だったら、少なくとも日本や朝鮮という環境土地事情では最強だった、といえなくもないかも?
930人間七七四年:2010/10/28(木) 21:50:54 ID:+hBtOHQZ
戦国時代の大砲は一日一発しか撃てないんだっけ?
日本軍は朝鮮でいくつも倭城築いて戦争してるけど明は大砲撃ってこなかったのだろうか
931人間七七四年:2010/10/28(木) 22:00:40 ID:kFalVdj0
>>930
そんな事ない
蔚山倭城などで明軍が撃ち込んでいる

ただし、大砲が効果を上げたのは石造りの城壁に対してで、土塁・石垣を主体とした
日本式城郭には効果は薄い
もちろん、大坂役の様に大量に投入して、使い所を誤らなければ効果はある
ただし戦術的なものは大筒程度で十分で、大砲に求められるのは心理的な面
932人間七七四年:2010/10/28(木) 22:15:07 ID:Mom0yf3/
順天城の攻防を明の従軍絵師が描いた「征倭紀行図巻」には明が各種攻城兵器を投入している様子が描かれているが大砲は描かれてないなぁ。
933人間七七四年:2010/10/28(木) 22:20:57 ID:+hBtOHQZ
そっか
戦国時代の大砲は炸裂するわけじゃなくあんまり威力無くて一発撃つごとに手入れが大変ってイメージもあった
934人間七七四年:2010/10/28(木) 22:25:06 ID:3moBlD7X
>>929
欧米も何回か斉射繰り返した後銃剣突撃じゃね?
突撃大好きナポレオンの攻撃縦隊なんかは、行進しながら腰だめで射撃して、そのまま突撃
フランス人は古代、騎士の時代、普仏戦争になっても突撃大好き

>>930
大砲は明や朝鮮のほうがずっと充実してたよ
朝鮮は子砲を使う旧式砲だけど、焼夷性の木片を撒き散らす棒火矢(ロケット弾)や散弾も撃てた
935人間七七四年:2010/10/28(木) 22:41:10 ID:kFalVdj0
>>932
順天倭城では海から砲撃が行なわれたらしい
936人間七七四年:2010/10/28(木) 22:43:21 ID:Zo/4vEI7
>>934
袁崇煥はヌルハチを破ったときも大砲を駆使したんだったよな?
937人間七七四年:2010/10/28(木) 23:47:14 ID:srefudpB
投石器(カタパルト)
http://www.youtube.com/watch?v=BYY1XXQondw

938人間七七四年:2010/10/28(木) 23:50:11 ID:UJmhu0QY
石垣ってすごいんだな
大坂城は場所によっては石垣だけで30mくらいあったり
家康でも苦労するはずだ
939人間七七四年:2010/10/28(木) 23:52:42 ID:lS74h7+t
石垣ってピラミッドと同じで
今の技術じゃ組み立てられないらしいぞ
940人間七七四年:2010/10/28(木) 23:55:04 ID:P/vyfsEm
三国志の城壁>日本の石垣

って印象だったんだが、ああいう城壁って脆いもんなの?
941人間七七四年:2010/10/28(木) 23:55:22 ID:9yLJPclg
それは眉唾
942人間七七四年:2010/10/28(木) 23:57:59 ID:UJmhu0QY
三国志の城壁て3世紀くらいじゃね
話にならないような
943人間七七四年:2010/10/29(金) 00:00:02 ID:p9gIHmcE
>>940
城壁って壁じゃん。極論すれば押せば倒れる。
石垣は石の裏は土の土台で押しても何してもって感じw
対大砲用の城壁はヨーロッパでも石垣状だけどね。
ついでに日本の平城にも城壁はあるがただの弾除けで失っても大したことは無い。
944人間七七四年:2010/10/29(金) 00:11:27 ID:JgC675LA
投石器(カタパルト)による火の玉攻撃
http://www.youtube.com/watch?v=plD2MeCIJh8&feature=related
945人間七七四年:2010/10/29(金) 00:13:49 ID:wd+Bx/5y
石垣の一部を頑張って崩しても結局高低差は残るからあんまり意味無い
946人間七七四年:2010/10/29(金) 00:16:31 ID:DrZ3E26F
でかいほうの投石器ってこんなに大掛かりでこのぐらいの飛距離では
組み立てる間に弓射られて大変そうだが
947人間七七四年:2010/10/29(金) 00:39:56 ID:Y0fvcV76
>>943
なるほど

しかし、石で固めるメリットって労力に比べてそんなに大きいとは思えないんだけど、
これは景観のためとか?
948人間七七四年:2010/10/29(金) 00:40:57 ID:I1gtenbW
城壁でぐるり囲んだ城よりも日本の城の方が近代的と思ってしまうのは俺がド素人だからかね?
949人間七七四年:2010/10/29(金) 00:44:31 ID:JgC675LA
950こぎんだま:2010/10/29(金) 00:45:55 ID:V2FZS8nR
版築なめんなよ

つーか、日本は硬い石に恵まれているから石垣可能と思われ
951人間七七四年:2010/10/29(金) 00:55:29 ID:p9gIHmcE
>>947
石垣の利点は角度を大きく付けれるのと城壁と連結できること
952人間七七四年:2010/10/29(金) 01:02:44 ID:Y0fvcV76
>>951
ありがd

角度ってのは熊本城の武者返し(ねずみ返し?)みたいなことかな?
いつかのNHKでの特番でそれがベタ褒めされてたっけ

連結は土塁でもできるんじゃ、って思ってしまったけど、連結するには強度が必要とか?
953人間七七四年:2010/10/29(金) 01:07:26 ID:KtnNYm/t
>>947
石垣って基礎としての意味合いもあるんじゃない?
後、土は雨や風でちょっとずつ崩れていくけど、石は早々崩れることはないよね?

まあ、例外として記憶があいまいで悪いんだけど姫路城があるけどね
地盤がゆるくて修理が大変だったみたいよ
954人間七七四年:2010/10/29(金) 01:52:42 ID:hXME+0Br
>石垣ってピラミッドと同じで
>今の技術じゃ組み立てられないらしいぞ
今でも技術を継承している石屋さんがあるよ。
地元のお城の石垣の復元修復してるし。
955人間七七四年:2010/10/29(金) 02:16:32 ID:I1gtenbW
韓国での倭城の石垣の復元は日本の研究者が監督してた
956人間七七四年:2010/10/29(金) 08:13:13 ID:LVkpkgV+
次スレは別タイトルでやれよ。もう兵士の強さなんてほとんど議論されてないんだから。
957人間七七四年:2010/10/29(金) 09:23:33 ID:LfsU2l8L
>>905
要するに前線の朝鮮半島南岸部と名護屋城大本営
との意見の食い違いがあったことを指摘しているんだが、
902が指摘する≫翌年春に帰朝之衆を北上する計画がされていて≪
が実施されたとしても前線の士気の低下を考えれば太平洋戦争と
同じように10万人動員すれば10万人、20万人動員すれば20万人
ソウル近郊を守備している明・朝鮮軍10数万によって撃退されるのが
オチだよ。
958人間七七四年:2010/10/29(金) 09:28:35 ID:IY+kVUyx
>>952
石垣だと縁際に櫓や塀を置けるので死角が大幅に減少するという利点がある
959人間七七四年:2010/10/29(金) 10:03:01 ID:mnWA9jJ9
しかし、竹って便利な植物だよな。
武器にもなるし盾にもなる。
軽くて加工が簡単だから建築資材や日用品、装飾品としても用途がたくさんある。
960人間七七四年:2010/10/29(金) 10:41:21 ID:z1FaeogI
>>957
三城放棄案が士気の低下によってなされたという根拠が意味不明。

第一次蔚山城の戦いで、明軍が蔚山城を強襲して援軍が到着するまで約2週間近く
かかってる上に、三城放棄案に書かれているとおり、三城は突出している。
さらにこれから、予定通り毛利や小早川など九州勢以外は帰朝するのにそんな城を
少ない兵力で無理して守備するより、守りにくい三城を放棄して少ない兵力を拠点に
集中化した方が戦略的見地から考えて、留守を守る上で必要と考えていたんだろう。
まあ、それを却下された後、再び攻め寄せてきた明軍を九州勢主力のわずかな兵力で
撃退できてるんだから、取り越し苦労だったようだがね。
そもそも士気が低下してるなら、撤兵を進言するのが普通だよね。

それと903は、ウソをついてる。日本軍は蔚山城の攻略に失敗し敗走を始めた明軍を
追撃してるよ。
「本月初四日各營回軍事, 則已爲馳啓矣。 當日諸軍撤還之際, 水陸 倭賊 , 合兵追擊, 至于三十里之外。
 唐軍死者無數」(宣祖実録)

「蔚山表へ後巻として、各押し出し候ところ、敵敗軍に付、各川を越へ、
 追討に数多く討ち捨つる由、聞し召し届け候、一騎懸に付て、兵糧これ無く、
 人数これ無き故、悉くは討果さざる段、残り多く思し召され候事」(秀吉書状)
朝鮮軍陣図屏風の第三隻目でも日本軍が明軍を追撃してる様子がわかる。

逆に明・朝鮮軍の士気が壊滅的だったのは事実らしいがw

「資糧、器械稱是, 而三路之兵, 蕩然俱潰, 人心恟懼, 荷擔而立」(宣祖実録)
明軍が三路で大敗した後、秀吉に帰朝之衆を派遣される前から逃走準備に入ってる。
961人間七七四年:2010/10/29(金) 11:23:49 ID:GwhSSHJC
次スレありますか?
962人間七七四年:2010/10/29(金) 11:59:09 ID:LfsU2l8L
≫960
人の文章はよく読んでから反論しろ!
私は前線での士気の低下が三城放棄案の秀吉
への提案になったとは書いてないぞ。
あくまでも前線と名護屋大本営との意見の食い違い
を指摘してるだけだ。
ただし、秀吉は前線からの提案を却下したうえ提案
に関わった宇喜多秀家以下の諸将を叱責している。
これらのことが前線の士気の低下を招いて
≫翌年春に帰朝之衆を北上する計画がされていて≪
にも大きく影響するだろうことをいったんだ。
963人間七七四年:2010/10/29(金) 12:05:26 ID:p9gIHmcE
>>961
いりません。
立てるならまともなスレタイで
964人間七七四年:2010/10/29(金) 12:55:15 ID:c15xrcAF
もともと明を征服する気だったのはスペイン
(まあ台所事情で実際するかどうかは内部でももめてたようだが当然日本はそれを知らない)のはずなんだが
後乗りしてきた秀吉に怒りをぶつけるどころか、すごすごと引き下がった

もし明がスペインに取られちゃったとしたら日本海のすぐ向こう側に西欧列強の前線基地ができちゃうことになる。
さすがにそれだと武士がどんなに精強ったってヤバい
数だけが頼りの烏合の衆が広大な緩衝材として間に入ってくれてた方が日本には都合がいい
西欧のアジア浸食を喰いとめた一因となったってだけでも秀吉には感謝したいね
965人間七七四年:2010/10/29(金) 13:21:50 ID:FWr9BQKJ
≫964
おまえにとってスペインてアジアの国だったのか?
フィリピンの勘違いしてないか?
スペイン本国は地球の裏側ヨーロッパにあるんだぞ。
スペインが明の征服を企むとは、日本でいえばオスマン
の征服を企むようなものだぞ。
それに対してハプスブルク君主国あたりが牽制し日本
が引き下がるようなものなんだぞ!
それのなにが自慢になるのかわからんが?
966人間七七四年:2010/10/29(金) 13:27:23 ID:FWr9BQKJ
≫964
おまえにとってスペインはアジアの国だったのか?
フィリピンあたりと勘違いしてないか?
スペイン本国は地球の裏側ヨーロッパにあるんだぞ。
スペインが明の征服を企むとは、日本でいえばオスマン
の征服を企むようなものだぞ。
それに対してハプスブルク君主国あたりが牽制し日本
が引き下がるようなものなんだぞ!
すごすご引き下がったからって日本がスペインより強い
ことにはならんよ。
だいたい朝鮮の役では明軍よりも数を頼っておいて最後に
は撤退している日本のどこが精強なんだよ。
日本が勝てるのはせいぜい朝鮮軍くらいだろ。
967人間七七四年:2010/10/29(金) 14:21:14 ID:D7PnFb1L
もうループさせるのはいいよ

朝鮮の役は
日本vs明・朝鮮 11戦9勝1敗1引き分け

ただ7年で攻略することはできなかったというだけ
スレタイの戦闘力として圧勝といえる
968人間七七四年:2010/10/29(金) 17:14:40 ID:FPkZr+C+
>967 スキタイの戦闘力として圧勝
に見えた。ええ、圧勝でしたとも。スキタイもジュベも、カサルも。
969人間七七四年:2010/10/29(金) 17:55:25 ID:LfsU2l8L
≫967
戦争はスポーツじゃない。
勝率なんて関係ない。
970人間七七四年:2010/10/29(金) 18:37:44 ID:4Yqog7pN
戦国の日本は格が違うね
プロとアマ以上の勝率差で3段階ぐらい上にいる
平和な江戸時代はそれが内政や文化に流れる
971人間七七四年:2010/10/29(金) 18:53:48 ID:I1gtenbW
>969
だから967は「戦闘力」を言ってるんだって。
戦争(大局)じゃなくて戦闘の勝敗を言ってる。
972人間七七四年:2010/10/29(金) 19:21:26 ID:mpml0a2E
>>956
指揮官で勝敗の大部分が決まるんだから、兵士個人の強さ、つーのはよくわかんないんだよ
「勝つ」と「負けない」はどっちも強さの要因だと思うけど
今だって「タリバンと米海兵隊どっちがつよい?」って言われても結論でないでしょ?

だから広義の軍人?としての強さの話なら、スレタイはこのままでいいんじゃないかな
973仙台藩百姓:2010/10/29(金) 19:26:02 ID:fgtVQPGt
スレの主旨には合ってるけど、馬鹿っぽいからそういう事は言わない方がいいお( ^ω^)
974人間七七四年:2010/10/29(金) 19:45:33 ID:atB8c14Z
日本側の説得力がハンパない
975人間七七四年:2010/10/29(金) 23:33:14 ID:haEF4m0K
このスレタイって煽りタイトルだろ。
次スレになっても、煽りあい&嵐の巣になるだけじゃないか
【同時代】欧州、オスマン、中国、日本の兵たち【比較】ってスレタイで仕切り直さない?
976人間七七四年:2010/10/30(土) 00:21:33 ID:Yc5cTwT4
それでいいと思う
977人間七七四年:2010/10/30(土) 00:54:30 ID:0mlFWxMz
>>958
それは大きいな


もし、があるなら、秀吉が元気な状態で、
大阪戦役の家康みたいに半島に渡ってたら、戦略面で素早い判断ができただろうな
978人間七七四年:2010/10/30(土) 01:03:29 ID:Yc5cTwT4
そういや上で明が火器を充実させてきた、と言うような話あったけど、秀吉死後、日本も大筒に力入れ始めてたよな、泰平の世が訪れてあまり発展をみなかったが。
朝鮮の役が長引いていたら日明双方、より火器を充実・発展させたんじゃなかろうか?
979人間七七四年:2010/10/30(土) 01:21:28 ID:YWmK1ARC
もう次スレいらなくね?
一方的な完全論破だし
980人間七七四年:2010/10/30(土) 06:10:43 ID:qJTClA8x
>>965みたいな既出を混ぜ返すアホが出るからコピペ貼らざるを得ないことになるんだな
981人間七七四年:2010/10/30(土) 06:54:18 ID:tv8Rh6C2
>>979
戦略レベルで朝鮮の役を語るスレは欲しいような気はするな。正直、外交関係であんまり大きく取り上げられることのない話題だから2chで情報交換したい。
兵士の能力比較は資料からだけでは不可能、ってのは同意する。
982人間七七四年:2010/10/30(土) 09:58:38 ID:YWmK1ARC
武士が強かった派のほうがヨーロッパ中国が強かった派の人を完全論破したって意味だったんだけどw
983人間七七四年:2010/10/30(土) 11:55:36 ID:kBKquj6J
頭の悪い人同士が議論してもどうしようもないという事例やね
984人間七七四年:2010/10/30(土) 12:07:22 ID:jtqzmUk4
朝鮮の役で判ったこと
・日本の陸軍は朝鮮の陸軍よりも兵力も多く
 装備も充実していたこともあって強かった。
・日本の海軍は、一般の朝鮮海軍よりは強いが、
 李舜臣配下の朝鮮の海軍よりも弱かった。
・日本の陸軍は碧蹄館の戦いでこそ明軍を相手に
 兵力差もあり勝利を収めたけど主戦論者の小早
 川隆景からが追撃を主張する立花宗茂の意見を
 押しとどめて漢陽城防衛を主張したように明軍
 の実力を恐れていた。
・朝鮮の義兵は装備は貧弱だか、士気も高くゲリ
 ラ戦で日本の陸軍を苦しめた。
・慶長の役においても日本側は14万人以上の兵力
 を投入して一時は漢陽城を奪還しそうな状況に
 なりながらも、明軍の本格的な来襲後は朝鮮半
 島南岸に撤退して倭城を築城して
 明軍の来襲に備えた。
・倭城守備の日本側と攻め寄せる明・朝鮮側で何
 度かの戦いがあり日本側が勝利を収める。
・倭城でも防衛戦には勝利したが追撃して漢陽城
 攻めなかったことからも野戦で明軍と戦うことを
 恐れていたのだろう。
985人間七七四年:2010/10/30(土) 13:35:10 ID:aKDXXttM
概ね>>984の結論で良いと思うよ。
で、次スレは、日本vs○○の仮想対決と言うより、各地域の軍制とか
兵器、戦術についての同時代の実情や知識を共有するって、和みスレにしますね。
986人間七七四年:2010/10/30(土) 16:41:47 ID:ig8gQEIL
この時期のペルシャとかオスマンの布陣気になるもんな、これを戦国比較してみたい。
987人間七七四年:2010/10/30(土) 17:21:37 ID:7fjcYgiF
・平壌城の戦い
・第二次平壌城の戦い
・碧蹄館の戦い
・黄石山城の戦い
・南原城の戦い
・稷山の戦い
・蔚山城の戦い
・第二次蔚山城の戦い
・泗川の戦い
・順天城の戦い
・露梁海戦

日本vs明・朝鮮 11戦9勝1敗1引き分け


これと三国の資料で十分かと
こういうのが広まっていくのはいいと思うから次スレはあったほうがいいと思うが
988人間七七四年:2010/10/30(土) 19:44:04 ID:kXIcHv7f
明朝鮮弱いのわかったからオスマンとの比較を見てみたいような
元寇〜戦国までのモンゴルも
989人間七七四年:2010/10/30(土) 20:37:12 ID:RWCQ8KWV
>>2よ、オメデトウ

君の勝ちだ
990人間七七四年:2010/10/30(土) 22:19:22 ID:L1xOiHoH
一度の戦闘で死者2〜3人くらいの戦争ごっこやって遊んでた中世ヨーロッパの騎士と、
敵の首を取り合うガチの殺し合いしてた戦国武士を比べる時点で武士に失礼。
991人間七七四年:2010/10/30(土) 22:53:03 ID:wpzpUksN
>>990
どんな釣りだよw
992人間七七四年:2010/10/30(土) 22:59:25 ID:TeC4iufn
普通にそんな話がよくある
騎士と騎士ががっちゃんこまでいく合戦なんてそうそうないよ
数は揃えても、殆どは傭兵の小競り合いでおしまい

ググってみりゃ分かる
993人間七七四年:2010/10/30(土) 23:10:24 ID:ig8gQEIL
ググるとかアホか…中世の連中も主兵装は弓だから死傷者は普通に出るっつの。
コンドッティエリの八百長戦闘だって他国との開戦になれば即破綻する。
994人間七七四年:2010/10/31(日) 00:48:58 ID:1xBMF2zx
戦国時代のヨーロッパは一足先に火力戦に移行してるよ
1525年のパヴィアの戦いで、長槍と火縄銃、巧みな野戦陣地の前に騎士は敗れた。
騎士はランスを捨て、鎧を軽装化し、防弾胸甲をつけ、ピストルを主武装とするようになった。
海ではイギリス艦隊がスペイン無敵艦隊(130隻、大砲2431門)に、日本では考えられない遠距離砲撃戦をしている時代
995人間七七四年:2010/10/31(日) 00:54:51 ID:A0GQO7gi
中世ってのはそれこそ鎌倉とか室町の話だもんな。
つか16世紀とかオスマン帝国のウィーン包囲があるんだし
996人間七七四年:2010/10/31(日) 01:10:59 ID:4XeqcfHb
≫988
お前ってほんとに馬鹿だな
明・朝鮮軍が日本勢より弱いんだったら
なんで朝鮮を占領できないんだ。
朝鮮兵はまだしも明軍は日本に対して
逃げ隠れもしてないのに。
997人間七七四年:2010/10/31(日) 01:13:00 ID:SJO7Ru5M
西欧はオスマンと聖戦(ジハード)してる時代だからなぁ

当時のオスマンさんはすごいぞ
イェニチェリ(少年から軍事訓練された精鋭親衛隊)とシバーヒ(各州から供出される正規兵)以外に
ラヤラールっていう麻薬飲んで突撃する”自爆決死隊”をだいたい遠征軍の10-20%連れてくんだぞ
それに加えバジリスク(160ポンド砲)以下十数門の攻城砲も持って城に向かって撃ちまくる

戦のやり方も、「助けてやるから降伏しろ」って言って降伏させて兵士どころか一般人まで全員磔にしたり
なんかもーやりたい放題だったしな、当時の相手にしたくないNo.1じゃねぇかなぁ
998人間七七四年:2010/10/31(日) 01:20:39 ID:A0GQO7gi
【同時代】欧州、オスマン、中国、日本の兵たち【比較】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288455624/l50

次スレ
999人間七七四年:2010/10/31(日) 01:32:20 ID:fEb/jy3m
>>996
とりあえずチョン乙
1000人間七七四年:2010/10/31(日) 01:33:57 ID:fEb/jy3m
いかに強くとも占領は難しい
今みたいに1発で数万殺せる武器などないんだから
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/