1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 14:52:24 ID:S/sfC/vf
3 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 15:30:40 ID:ZulbfaE2
4 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 17:31:36 ID:MTnLpJwl
5 :
人間七七四年:2009/10/14(水) 17:52:07 ID:ZulbfaE2
6 :
人間七七四年:2009/10/15(木) 21:07:41 ID:KNJfv2az
>>1乙
ちなみに、PHP研究所の雑誌「歴史街道」はもう何年も発行されているがいまだ三好長慶の特集が組まれたことはない
これ豆知識な。
7 :
人間七七四年:2009/10/16(金) 22:30:33 ID:UyM5OuFq
なぜ信長が戦国大論争に決着を!
8 :
人間七七四年:2009/10/16(金) 22:31:46 ID:UyM5OuFq
誤爆ったすまん
9 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 21:37:29 ID:DEr2ORz2
三好記 昔阿波物語 細川両家記を見てみたいな。
翻訳されてないんだっけ・・・
安宅氏関連って特に資料って残ってないよなあ
10 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 23:30:01 ID:FckBjvlU
翻訳って・・・外国語じゃ無いんだが。
11 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 14:10:17 ID:a4JG0ZnG
ウェブで公開されているのってあるっけ?
12 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 01:05:57 ID:ZdQkmrsB
図書館で群書類従読めばいいんじゃね?
三好記…続群書類従22下合戦部
細川両家記…群書類従20合戦部
中学レベルの古文と古語辞典・漢和辞典があれば読める。
特殊な変体仮名は最初はわからんだろうが、そのうち読めるようになる。
自分も会津四家合考とか天正南部軍記とか読んでたときは苦労したな。
「より」を表す「n」みたいな仮名は最初どう読むかわからなくて困ったもんだw
13 :
人間七七四年:2009/10/28(水) 22:46:16 ID:P3a70tHQ
俺の中の三好一味
長慶 根はお人よし、しかしやる時はやる、がやっぱり許す
義賢 根は真面目、真面目+根暗
冬康 優しすぎる漢、兄弟中一番空気が読める
一存 熱血漢でムードメーカー、空気が読めない
冬長 空気 優秀すぎる兄にコンプレックスを抱いていて空気の読める兄に泣きつく
康長 常に後手後手になり常に貧乏くじを引く、子供放任主義
長逸 めっちゃ頭悪そうに見えて実は頭もよくて器量のある人物
政康 仕事は淡々とこなす、刃物マニア(史実ですね実は刀目利き)
友通 体育会系×のに頭は良くない。にわか茶人
政勝 構ってほしい故の悪戯大好き!腋臭
政長 実はking of 茶人 のにわか
義興 義輝のスネオで煽て上手
長治 ヤリチン DQN親父を殺したのは長房だと思っている
自遁 ヤリチン DQN仕事が出来る兄に嫉妬!
小少将 ヤリマン DQN・モンペ
真之 ↑2名と母、自分との繋がりで精神崩壊寸前 鬱病
存保 ↑の惨状から反面教師で真面目
長房 重臣 仕事人 義理100
14 :
人間七七四年:2009/10/28(水) 23:43:20 ID:krAMojek
15 :
人間七七四年:2009/10/29(木) 08:49:05 ID:SM00GViH
>>13 なかなか良いセンス
長慶が生きてれば信長も即死だったのに残念だ
16 :
人間七七四年:2009/10/29(木) 14:51:47 ID:tjpXQz8V
晴元 凡才ゆえの執着心、ある意味人間味溢れている、嫌いじゃない
義継 優柔不断
義輝 性格は直情だが、良い・悪い意味でも腹黒い
義栄 (^q^)
氏綱 実力未知 長慶と協調路線は…無理だな
持隆 小少将<京文化で正解 欲張っちゃ駄目!
長教 畿内ではトップクラスの知将
安見 vip
高正 N速民 実休をやった事だけが生き甲斐(勝手に手柄を脳内変換)
波多野勢 引きこもり命!さわんじゃね
17 :
人間七七四年:2009/10/29(木) 15:43:49 ID:QxbFhF5O
しかし長慶は松永一族を重用しすぎたな。
信用できたし優秀だったのは確かだろうか、もう少しバランスを取るべきだった。
18 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 01:22:18 ID:HXHEt1hi
>>17 家臣団では三好長逸と松永久秀のふたりが、長慶の裁許全般を
取り次いでいたので、自然このふたりが台頭するんだよね。
(しかも両名とも従四位下に叙されているし)
19 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 19:48:13 ID:6cUEcbHa
今日は三好山に登ってきたー、祠があるだけで何もなかったぜ!
石垣は山麓にチョコッとしかなかった…。
三好関連でまだ行ってないのは堺方面と飯盛・多聞と京都付近のみ
三好関連で行く所が悉くしょぼすぎて涙目すぐるw
高槻の城跡とかは開発しまくりで跡形もないしw
淡路は脇坂で湧いてて安宅冬康?誰それだしw
徳島に至っては蜂須賀の方が知名度ある始末で、芝生城に至っては田んぼ
勝瑞城館付近の調査を徳島県が進めて
あの付近に勝瑞城館再現して藍染・三好ブームを期待するしかないな、ないな…
20 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 18:54:33 ID:LmE6OB/s
21 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 15:44:05 ID:jyCSqZPJ
新スレ乙。
22 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 15:32:50 ID:XourJ+yz
徳島の三好山ってあるんですか
23 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 17:44:38 ID:q2fLs0JL
三好山は大阪府高槻市の、芥川山城のあった場所。
24 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 10:09:12 ID:BBMCQ0hi
昨日、宗三左紋次みて長慶の水論裁許状と長慶・松永・長逸・岩成の花押を見てきた。岩成だけ字が太くて綺麗とは言えなかったが、他3名の花押は上手だった
25 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 12:25:18 ID:0ENWH/24
>>24 三好氏の花押といえば、宗渭(政康)の花押が印象的だよね。
石成だけ上手じゃないというのが、妙にリアルだなあ
26 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 13:20:05 ID:BT2IawHB
27 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 14:15:50 ID:uAHJRVam
だいぶ前のスレにあった、シーボルトと三好エムイワ(笑岩)の関係が気になるな
日本文化を勉強したシーボルトとだが笑岩と一体何の関係があるんだ??
28 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 00:58:15 ID:0bjJYWl/
>>27 詳しく
話は変わるが、三好宗渭(政康)について、畿内で織田信長に敗れた後に、大坂の陣に参加して討死した
という話が出てくるけど、どの程度信憑性のある話なの?
(どんな史料や記録に載っている話なんだろう)
「奇禍にあって悲惨な死」を遂げたとか、長逸ともども消息不明などとも言われることも
多いようだが・・・。
29 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 10:13:08 ID:YjTCLmFC
十勇士から逆輸入とか
30 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 11:32:18 ID:LsmoXCWm
政康に至っては出所は解らんが居たと言う事はほぼ確定な気がするな。
政康だけなら物議醸しそうだが、政勝が生きてるからな。
31 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 21:16:04 ID:MTSw6h4b
勝瑞の遺構から井戸跡が発見されたらしいね。
年度末にかけて三好氏関連の講座なんかもあるだろうし楽しみ。
32 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 21:52:54 ID:ZujOdqfD
徳島羨ましす(・ω_・)
畿内からだと遠いでござる。
三好山ももっと整備して欲しい。できれば摂津渓とリンクさせれば…
33 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 23:01:00 ID:7FiLlgLs
江戸期の戦記ものには、何故か義輝を長慶が殺した事になっているものがたまにあるな。
34 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 01:24:57 ID:Bcar236w
群書類状の三好記とかには義継と義興が一緒だったり、政康辺りの記述が曖昧だ
35 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 01:36:20 ID:BEqB1JtX
「決戦」というパチンコに三好政康と岩成友通、あと松永久秀も登場するぞ。
ボタンプッシュでなにやらふざけたセリフを吐くが、リーチにもならんかった。
しかしああいう一般人向けのものに登場するとは・・・
36 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 01:38:43 ID:O8QAhxpG
>>35 プレステ2の決戦3をパチンコにしたやつだから、キャラクターが同じなんだよね。
まあ、三人衆の扱いは「踊る大捜査線」の上司三人みたいな感じだったがw
37 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 14:39:00 ID:4q/0HEE8
ネットで見かけた三好一族主役のウェブ小説の中で、
立花憲政って三好家の重臣が登場してたけど実在だろうか?
三好関連の書籍漁っても見掛けない名前だが。
38 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 22:04:40 ID:4q/pDRIJ
>>37 俺も三好氏は史料とかをあさっているが、見かけないな。
三好実休死後に起請文を取り交わした高屋城在番衆や、三好氏奉行人でも
なさそうだし・・・
39 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 14:25:14 ID:8YUzZoHY
憲政と言えば、上杉憲政だな。
ここまで表で活躍してるなら名前が出ない方が難しいんじゃね?
作中だと官位まで貰ってるが
40 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 17:02:04 ID:gmQuZJY8
来年正月に徳島中央テレビで三好長慶の特番があると聞いたのだが。
詳しい番組内容はわからんし、徳島のみのローカル放送らしいけど、
誰か録画して動画うpしてくれないかな。
41 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 19:23:23 ID:hPirJSm0
>>40 まじですか?
徳島県民のみなさん
私からもお願いします
42 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 00:32:14 ID:LF3DMPW2
徳島中央テレビって
徳島の中でもさらに吉野川市と小松島市限定?
微妙なエリアだと思うんだけど。。
43 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 13:56:00 ID:DfSUZFK1
そんなテレビ局があるんだ。
44 :
人間七七四年:2010/01/07(木) 21:47:10 ID:2pr0G8zp
徳永真一郎の「三好長慶」が105円で手に入った
45 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 11:37:55 ID:dNw46TVv
しばらく前に出てたセンゴクのムック本立ち読みしたけど、
清々しいくらいぐらい三好や長曽我部含めた四国勢は完全スルーだった
対談部分で色んなテーマ別(文化人とか成り上がりとかもっと評価されるべきとか)に戦国武将を論じてたが、
ほんとに四国は完全スルー状態
センゴク本編関係なく色んな名前が出てたのにな
これは今から十河存保のへっぽこな書かれ様が楽しみだわ
46 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 16:03:47 ID:gVexY4EY
引田の戦いとかやるかな
47 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 16:28:24 ID:IKOiV1JB
れ
48 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 16:34:47 ID:IKOiV1JB
おおっらしゃああああああああプララ規制解けてる!!!
>>45 センゴクバトルランキングだよね、俺も見たけど宮下氏の対談の眼鏡が
評価されてほしいって挙げてたのは北条氏だったね
四国に関しての話は同意
宮下氏は三好三人衆を三人とも獣人みたいな容姿で1コマに三人詰めて書いてたからなww
色んな武将を悪に書かない宮下氏が生き残りの三好をどう描くかが気になるね
三好康長と十河存保を無能見たいな書き方されちゃったらショックよのう
49 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 23:20:31 ID:WNkv9BcQ
>>48 三好氏も、長慶はもっとその実像や晩年も含めて、再評価されてほしい。
松永久秀にしても、正直、イメージ先行という感が強いし、三好氏を牛耳ったというのも
河内飯盛山の長慶のところに、晩年まで長逸・久秀が裁決を仰いでいたことを考慮すると、
せいぜい久秀が実権を持ってたのは長慶から任された大和一国の域を出ないようだし。
50 :
人間七七四年:2010/01/26(火) 18:10:30 ID:cBEoQyRk
歴史本見れば見るほど三好は悉くスルーされてるのは相変わらずだな
逆に久秀の露出が増えてるのがあれだ。
まあBASARAとかに出る心配がないのが唯一の救い
長逸・政康・岩成の3人はお気の毒すぎる…
51 :
人間七七四年:2010/01/26(火) 20:55:12 ID:wXTodaEZ
>>50 三人衆と比べてもそこまで弾正ってどうなんだ?という気はしてしまうんだよね。
三人衆に負けて一年くらい行方知れずになっているし、義継が久秀の所に奔った後も、
三人衆とそれに与する畿内や四国の軍勢が多聞山を交代で攻めるなどしているし、
基本弾正側が押されている印章を受ける。
勿論弾正は長慶の生前から御供衆になっていたり、正式に叙任されてたりするなど、
他の被官と比べると別格の地位にいた確かではあるんだけど、三好氏の実権を掌握した
なんて言えるレベルでは到底無いと思う。
52 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 00:57:36 ID:gb7jpn+m
長慶存命当時から三人衆で久秀と対等なのは長逸ぐらいで、
政康と友通はどちらも一部将に過ぎない
(政康には兄として政成がいて、永禄五年に討ち死にしてるけどやっぱり扱いは軽い
で、一門衆筆頭として遇されてた長逸も、
確固とした支配領域を与えられなかったって点で四兄弟や松永兄弟に水を空けられてる。
ていうか、摂津半国守護の松山新介あたりにすら扱いの上で負けてる。
まあ単品で行動するときの長逸は播磨といい丹波といい負け戦ばかりなんで、
その辺が相当ネックだったんだろうが……
で実際問題として内乱になったあとはといえば、
摂津の池田伊丹松山や、河内飯盛山城代の松山安芸守や中村新兵衛(例の鑓中村)の帰趨で
おおむねの勝敗が決してるんだよね
特に内乱初期は飯盛山の松山中村が松永方についてたから畿内南部でも松永方が優勢で、
内乱後期に彼らが寝返ったとたんに三人衆方が主導権を握るようになった
特に中村新兵衛の影響力は三好三人衆より大きかったようで、
甫庵信長記では東大寺焼亡の時には三好方の総大将であったとしている(そしてここで討ち死に)
全般的に見て三人衆の影響力って久秀に比べても相当程度限定されてるぽい
53 :
人間七七四年:2010/01/28(木) 03:36:34 ID:53EeKMrF
>>52 官途などの朝廷との関わり方を見ても、長逸は義興・久秀より先に従四位下に
叙され、禁苑を拝観するなど、朝廷との関わりが緊密な模様。
領域支配という点では、長逸は山城国飯岡城主になっており、山城南半分程度を
担っていたみたい。長逸と久秀については、長慶の晩年まで取次ぎを担当してたようだし
三好氏家中で果たしてた役割から見るとほぼ同格とみていいんじゃないかな。
(斎藤基速も裁許の取次ぎなどはしているものの、地域支配までは任されていないからね・・・
※ただし、久秀は御供衆になり、義輝との関係が良くも悪くも密接になっており、幕府との
関係において言えば、長逸とは一線を画していると思う)
長慶没後の内乱については、松山や中村の動向もそうだけど、畠山高政(安見宗房など)や松浦氏
なんかも無視できんと思うので、三人衆や久秀をどう評価するかも含めて、なかなか難しい・・・
飯盛山の松山安芸守は永禄十年に八月下旬に、久秀が畠山氏などと結んで攻勢に出た際に、
久秀に呼応しているけど、三人衆方は篠原長房と共にすぐに「あつかい」という形で鎮圧しているし、
件の東大寺合戦の後も、三人衆方は阿波衆、河内衆、遊佐氏、池田氏などの交代制で多聞山城を
包囲してるんだよね。
まあ、三人衆の動向については、河内の三好笑岩や阿波の篠原長房が同心していたということが大きいんだけどね。
いずれにせよ、よく言われる「久秀が三好氏の実権を掌握した」とか「長慶に取って代わった」ってのは
イメージ先行気味で正直適切じゃないのは確かだと思う。
十河と義興の死についても、久秀の関与はないとみてよさそうだしね。
54 :
人間七七四年:2010/01/29(金) 12:57:04 ID:WkmTZp4r
甫庵信長記とか資料価値としては全然駄目でしょ、ちょっと悪い話でも言われてたけど
松山新介が久秀方の攻撃の要になっていた事は事実だろうけど
中村新兵衛の活躍に関しては松山新介と∽の関係だと思う
甫庵信長記は拡大解釈で大衆向けで毛利新助とかが持ち上げられるタイプだし
明良洪範にしても後世の江戸に書かれたもので大ヒットした甫庵信長記の影響を受けてるでしょ
長逸は中央と堺・阿波の関係も抑えてたし↑で書かれてるように場合によっては長逸≧≦久秀で良いと思う
三好が有利な状況で、今の松永が三好家を牛耳ったって評価はある意味間違いだが
義継があのタイミングで寝返ったのが三好家崩壊の原因だと俺は感じるね
長逸の息子の弓介が生きていれば良かったんだが、ぶっちゃけ義継のあの判断はありえへんわwww
私的史観で4兄弟はまあ一部で認められてるのは良いとして、それでも現在の三好の全容がかなり評価が低い理由は
過去の資料が創作される中で三好はハブされて当然的な風潮がずっと続いた所為だと思う(三成とかが顕著だがそれ以上だと
55 :
人間七七四年:2010/01/30(土) 15:49:40 ID:VPs7xmlR
56 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 10:18:45 ID:XSzdnN/s
よく、三好の対戦相手がしょぼ過ぎるとは言うが(主にノブヤボ連中から)
波多野・木沢・香川・香西・三木・湯浅・遊佐←辺りでも癖のある連中ばかり
織田信長(全盛織田家)
足利幕府(将軍)
細川・畠山(三管領)
一色(四職)
六角(管領代)
興福寺(筒井)
根来衆・雑賀衆(ガイキチ傭兵集団)
摂津衆・河内衆(本気で信頼できない連中)
松永久秀(いわずがもな)
本願寺(下間など武闘派)
↑いつ見ても面子がヤバイと思う
六角も衰退期には組んでるけど全盛期の定頼時代は敵対してるし
一色は松永長頼位しか絡みがないけどそれでも
57 :
人間七七四年:2010/03/28(日) 10:56:14 ID:wHN/EDSJ
長慶一人が傑物なんだよね
政長なんかは別として
58 :
人間七七四年:2010/03/31(水) 15:14:23 ID:QvtOAcqa
>>54 義継が久秀方へ走るまでは、畠山氏や松浦氏なんかの畿内の諸勢力と一応の
和睦が整っていたようだしね。
義継出奔って、三好氏の内部ではどの程度の与同があったんだろう。義継の寝返りは
側近の金山信貞あたりが一枚噛んでいるようだけれども、篠原長房や笑岩などは
その後も三人衆方にいるし(まあ義栄を擁しているのが大きいんだろうな)、三好氏の
内部での義継の位置ってどんなものだったのか。
>>57 実休や義興なんかもすぐれた人物だったようだけど、あっさりみんな
死んでしまったからなあ・・・・・
59 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 14:09:04 ID:DhDKuTUL
5月に、学陽書房の人物文庫から
徳永真一郎の三好長慶が出るね。
60 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 18:12:48 ID:fCHY2tbA
光文社のを持ってるけど期待しないほうがいいぞ
昔の作品だけあって長慶小物で久秀大物の描写だし
河内代官職復活や木沢・政長討伐も久秀の力がなければ無理とか狂ってるとしか思えんわ
61 :
人間七七四年:2010/04/13(火) 17:52:42 ID:Xyanf13m
木沢こそ行動・実績共に戦国ナンバーワンの悪党と言える存在だよな
幕府から個人に対して討伐命令下されるとかどんだけwww
木沢みたいに幕府から殺害下された奴って他にいる?
62 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 00:45:08 ID:uDCF8sz8
というか、義継が恩義のある信長を裏切った理由がわからんのだが・・・・。
やっぱ、義昭や久秀にそそのかされたからか?
63 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 13:33:02 ID:5/ksV6ot
>>62 義昭や久秀に味方したのだから唆されてはいたんだろうが
やはり根本は一部将に転落した義継に対する扱いか?
64 :
人間七七四年:2010/05/03(月) 01:11:44 ID:aIXF9wdH
>>61 そう言うのはけっこう頻繁に出されてると思うが。
それこそ嘉吉の変の赤松連中や応仁の乱当たりなら畠山義就、政長、斯波義廉、義敏、甲斐常治、山名宗全などなど。
65 :
人間七七四年:2010/05/03(月) 06:01:02 ID:7eQEhsft
幕府がというか、足利持氏討伐の際には、朝廷に治罰の綸旨を出してもらって
いるね
66 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 16:33:55 ID:u9vHdhE+
67 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 17:23:28 ID:tCfOpMtu
≫64
六角高頼や加賀一向宗もそうだった
足利茶々丸も義澄から意をうけた早雲にやられたらしいよ
68 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 01:14:34 ID:FOSTjSa8
質問
・三好政康って人について
「三好晴海入道」って名乗って大坂の陣に参加して戦死したってのは
講談や小説とかじゃなく、信用できる資料に残っているのでしょうか?
「晴海入道」を名乗ったのか否かと
大坂の陣に参加したとされる三好某と政康は同一なの?って部分が気になります。
事実だとしたら、それなりに名のある武将であり、かなりの高齢であるので
何らかの公的資料に残っていてもおかしくないと思うのですが。
政康の子とか孫、もしくは一族などが実際には参加したのに
政康が参加したって事になってるとか、そういう事はないのでしょうか?
69 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 10:55:47 ID:mYbQWrB2
>>68 三好政康については、入道して釣閑(竿)斎宗渭と名乗っている。
史料上で青海入道というのは見たことがない。
フロイスの「日本史」だと、三好政康は「奇禍にあって悲惨な死」を遂げたと出てくるんだけど、
秀吉・秀頼に仕え大阪の陣で戦死したという情報の史料上の出展を見たことがないんだよな。
俺も知りたい。
70 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 14:45:06 ID:FOSTjSa8
なるほど、じゃあどっちも確たる資料(根拠)は、いまのところ無いという事になるわけですね。
ありがとうございました。
71 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 21:19:12 ID:MKpObJtM
ヤングアニマルの信長の忍びに朝倉宗滴が出て来て宗滴記のネタも出て来たけど
宗滴が人遣いが上手い大名を読み上げるコマで
長慶だけ名前を挙げられてなかったのは酷い…orz
作者が意図的に外したんだろうけどそりゃあないよ。
何かと評判だった殿と一緒ってのも買ったけど予想以上につまらなかった
三人衆がへのへのもへ字だし
何より同じネタを何回も使ってるのが頂けない
72 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 21:50:40 ID:Vmdo74/F
73 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 22:31:26 ID:Mi5hLMQF
>>71 ありゃ一般人向けだ
勉強用や詳しく知ってる人向けじゃないぞ
74 :
人間七七四年:2010/07/06(火) 01:46:43 ID:yBnGkY08
政康って、下野守だっけ?
諱以外の名とか記録に残ってないかな?
75 :
人間七七四年:2010/07/06(火) 11:42:42 ID:lD9QsnzM
>>74 >>69で出てる入道名・宗渭、もしくは諱・政生が一次資料で確認できる名乗り。
76 :
人間七七四年:2010/07/06(火) 18:45:44 ID:ar0MhqSf
77 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 10:39:40 ID:95smcBxQ
総帥の三好長慶が生きていれば三好一党は統一されているから、
信長の上洛を防げたという奴もいるが無理だろ。
三好の動員兵力なんてせいぜい三万ぐらいだし。
78 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 14:29:38 ID:7tUmc+A6
上洛当時の織田はもっと弱小。
79 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 15:29:26 ID:BG/LInF7
政勝は父親を長慶に殺されたのに、なんで長慶死後、本家を許したのですか?
(長慶憎んで本家憎まずとか?)
80 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 22:30:26 ID:/QRrdR3a
>>77 そもそもの話として、長慶が存命だった場合、おそらく義輝が殺害されるということもなかったろうし、
六角氏や畠山氏(ほか畿内の諸勢力)との関係もまただいぶ違ったものになってくる。
だから、よく俎上にあがる「信玄がもうちっと長生きできたら」とかいうネタと比べても、
信長上洛直前のシチュエーションで長慶が存命だったらという前提自体あまり意味のあるものではないな。
81 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 00:06:35 ID:QBDvcTNu
信長上洛時の三好家のふがいなさは異常。
みんな勝手にバラバラに戦ったり、
大和の松永弾正なんか信長についてるしな。
これってどうにかならなかったのかね。
長慶がもし存命だったらという仮定はなかなか面白い。
すくなくとも三好三人衆や松永弾正は従っただろうし、当たり前だが。
82 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 00:44:36 ID:wNvM7mNE
信長視点からでしか物事を考えられてない人間にとっちゃあ三好家なんてそんなもんだわな
三好家がバラバラになって滅亡の決定的要因になったのは三好義継の所為だからな
宗家の自覚があれば(無かったからだが)あんな行動は起こすべきじゃなかった
三好長逸・三好政康・岩成友通の発言権が大きかったとしても結果、三好義継の行為は勝手すぎた
少しの間だけ義継側についた大叔父の笑岩に見捨てられてるのが何よりの証拠だろう
野田福島で信長倒してる三好家連合がふがいないとは言わせないぞ
83 :
人間七七四年:2010/07/15(木) 23:57:54 ID:rqj8TkIr
>>82 義継一人のせいにするのは間違いでしょう。
年齢的に考慮したら三人衆や久秀の方が大人気無いとも言える。
まあアレだ。
三好家が衰退したのは運命なんだと思う。
84 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 00:35:04 ID:v4HUzeiM
>>83 輝元と同じ様な立場でありながら求め過ぎたんだよ義継は
自分の実力も時勢や大局を見れる器じゃなかった
三好三人衆と喧嘩したにしても、三好笑岩に見限られるのがあまりに早すぎる
まあ義継の支離滅裂な行動は今の子供宛らの若さ、ってのは要素の一つとして考えられるな
三好家は豊かだったからな、子供達の判断力が著しく低いのが今で言う『ゆとり』と共通しているな
85 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 01:04:38 ID:Ee9uOFUv
>>84 >輝元と同じ様な立場でありながら求め過ぎたんだよ義継は
輝元は隆元の実子だけど義継は分家からの養子。
輝元は毛利宗家として扱われているけど義継は拉致監禁状態。
それに加えて三人衆と久秀は将軍を攻め殺すような過激な行動を取るので義継も警戒している。
両派のどちらにも属さず宙ぶらりんなポジションは危険。
その当時の情勢を無視したレスは正直困るよ。
86 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 07:48:41 ID:rPy3jAhV
三人衆にしろ久秀にしろ、康長が一喝してなんとかできなかったのかな?
長慶と実休の兄弟ゲンカというラグナロクを仲裁した実績はあるんだけれど。
87 :
人間七七四年:2010/07/26(月) 18:42:58 ID:lLZwP5Mi
戦国期三好政権の研究
天野 忠幸 著
定価:8925円 (税込)
発行年月:2010年06月
発売元:清文堂出版
序 章 戦国期畿内権力研究の成果と課題
第一部 国人編成と地域支配
第一章 摂津における地域形成と細川京兆家
第二章 三好氏の摂津支配の展開
第三章 荒木村重の摂津支配と謀反
第四章 三好氏の権力基盤と阿波国人
第五章 三好氏の広域支配と和泉
補 論 三好一族の人名比定について
第二部 三好政権と畿内社会
第一章 大阪湾の港湾都市と三好政権
第二章 大阪平野の都市ネットワークと三好政権
第三章 畿内における三好政権の支配構造
第四章 三好政権と将軍・天皇
終章 結論と展望
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/4005368/s/~6b19cf0ce
88 :
人間七七四年:2010/07/26(月) 21:15:59 ID:2/GnT1RA
>>87 明日か明後日には届くが、内容が楽しみで仕方が無い
今谷明氏の説だけじゃなくて色々な説が出て来て何よりだ
しかし高いwww
89 :
人間七七四年:2010/07/26(月) 23:13:40 ID:CuFE4iTc
>>87 阿波・摂津・和泉のことは取り上げているんだ
買った人がいたら讃岐・淡路・丹波のことについても取り上げているかどうか教えて下さい
また来ます
90 :
人間七七四年:2010/07/26(月) 23:39:33 ID:AMmuOYeG
>>88 第二部の論文の一部は昔読んだことがあるんだけど、それでもつい買ってしまったw
十分に一読の価値ありだと思う。
91 :
人間七七四年:2010/07/27(火) 00:00:44 ID:xui3tM9P
今谷氏は主に三好氏の前期・中期がメインで(河内・山城・阿波)
後期の摂津状勢と和泉辺りは詳しく書いてなかったからなぁ。
三好氏の研究でまだはっきりしないのは
淡路・讃岐・丹波・東播磨あたりか
92 :
人間七七四年:2010/07/27(火) 11:26:08 ID:kQz+8uPI
俺は金ないから近くの図書館に購入依頼出してくるかな・・・
93 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 15:29:05 ID:G2HDIN7m
>>87 読み終えた、天野氏の出身が神戸で卒論が荒木村重なので
摂津・和泉に関しては今谷氏より更に深く調べてて楽しかった
というより天野氏は今谷氏に比べると全体的に
武将達の下で文書発給などで動く被官達がかなり詳しく書かれてたのが収穫だった
摂津は池田氏・伊丹氏など中央政権に縛られずに独自に成長する事が出来たのもあって
摂津に住む住民たちの自立心が信長の政策に反発(一向衆ではなく農民)
摂津一下郡を治めていた荒木が農民達と同調して信長に反抗したってのが新鮮だった
他には、三好氏の影響力が畿内以外にも届いてたって新情報もあった
外交関係でも三好氏が畿内周辺だけしか影響が無かったってのは間違いで
もっと資料が発見されて研究が進めば
三好政権が織豊時代の『プレ統一政権』であるという事実が固まって来そうではある
・尼子氏・毛利氏・大友氏
・河野氏(三好実休の香川氏攻め関連)
・山名氏(松永長頼の丹後攻め関連)
・織田氏(松永長頼の被官が鷹を送ったらしい)
三好氏と天皇との関係とか他にも目新しい情報ばかりで
三好氏研究者以外の人にも見て欲しい専門書だと感じた
今までの三好氏研究(過去の今谷・長江・秋永)とは視点が全然違うから三好好きは買って損は無いと思う。
>>89 天野氏も作中で淡路は冬康がそんなに発給してないのと残って無いのとで資料が少ないと苦言してた。
今までの三好系資料(今谷・長江・出水・秋永)とは捉え方が全く違うから結構お勧めですよ。
94 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 22:43:50 ID:ZHCZpGs7
89です
>>93 読み終え乙
摂津や和泉のことが詳しく書かれているんだ
興味がそそられます
資料が少ないと苦言されていましたか
誰でもいいからあの暗黒地帯に光を当てて欲しいですね
お勧めなら一回読んでみます
レポートあり
95 :
93:2010/07/30(金) 22:46:43 ID:9Vl1nCN5
あと、三好実休は三好義賢じゃなくて三好之虎でほぼ確定だと
十河存保が一時期だけ三好性に戻して、その時に三好[義堅]と改名している
その時の存保の改名が軍記物での実休=義賢と混同した可能性があるらしい。
冬康の次男と言われていた清康だが、これも実休の3男との事だそうだ
天野氏は野口冬長に関しては完全スルーだったわw
これでまた三好氏スレが活性化してきたらいいのになー
96 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 00:26:25 ID:aE/UOMCw
×義賢
○之虎
これは最近の本だと三好専門書籍でなくとも
わりかし普通に書かれるようになったね。
97 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 23:40:55 ID:F7Fz/I57
89です
三好家は長慶については研究が進んでいる
逆に言えば長慶関連以外は厳しいとも言える
個人では義賢、冬康、一存、長逸、康長
国別では若狭、丹波、播磨、淡路、讃岐
ここら辺に突破口が作られたら面白いんですがね
98 :
人間七七四年:2010/08/01(日) 06:58:47 ID:M4VNh2tE
政勝・政康が三好没落後、秀吉に仕えるまで
どこで何やってたのかとか
99 :
93:2010/08/01(日) 19:11:53 ID:UqZ4JQl+
その二人については名前・生まれ・法名の由来検証とかしか無かったと思う
天野氏の本で目立ったのは政務に携わる人が多めでその内
三好長逸と岩成友通は新しい記述も多かった
三好シンパとしては松永久秀の尾ヒレっぷりにうんざりしてるだろうけど
やはり三好の取次役に収まらない器量を持っていると天野氏の本を読んで再確認した。
てか三好は中央と近いのもあって案外まともに考察されてると思う
100 :
人間七七四年:2010/08/01(日) 22:20:49 ID:KV0Fx1xD
>>98 政勝はともかく、政康は「奇禍に遭って悲惨な死」を遂げたなんて話が出てくるしなあ。
長逸も消息不明だけど(フロイス日本史には「財産を失って没落して死んだ」という趣旨の
事が書かれていたけど、実際のところはよくわからんし。
>>99 「三人衆」とひとくちで言っても、長逸と政康、岩成とでは長慶期に三好家中で占めていた比重が
違うからな。長逸と久秀が長慶の裁許全体の取次ぎ役だったというしね。
101 :
人間七七四年:2010/08/23(月) 23:39:08 ID:xP7G5+Ct
三好家比較
S 三好長慶
A 三好義興、三好義賢、三好長逸、篠原長房、松永久秀
B 十河一存、安宅冬康、三好政康、松永長頼、三好康長
C 十河存保、岩成友通、三好康俊、三好政勝
D 安宅信康
E 三好義継、三好長治
102 :
人間七七四年:2010/08/24(火) 00:10:13 ID:rkdSgGoa
>>98 >>87の天野氏の本によると、『二條宴乗記』という史料の永禄12年5月16日条に「当月三日に遠行の由、あわ(阿波)にて
言語道断之事也」とみえるとのことで、実は案外早くに没しているという可能性もあるみたい。
あと、同書では、政生、政勝の花押と「三好下野守」が発した禁制の花押とが一致するため、三好下野守(宗渭=政康)が政生、政勝と
同一人物ではないかとしていた。
(したがって政勝は為三入道とは別人)
103 :
人間七七四年:2010/08/29(日) 21:47:13 ID:0amfeq+I
何かふと思った、三好長慶は大塩平八郎と似ている
104 :
人間七七四年:2010/08/30(月) 18:22:11 ID:3rWGOd6u
乱と呼ぶのが大袈裟なショボイ反乱しか起こせないで死んじゃったとこが?
105 :
人間七七四年:2010/08/31(火) 00:19:06 ID:RcmZGnNj
遅らせながら三芳野の花を読んだ、感想としては
詰め込み過ぎだな
三好長慶が主役の筈なんだが色々場面が飛ぶし目線も飛び過ぎて主役が誰なのかが非常に掴みにくい。
1522年〜1579年までの物語を一冊で収めてしまった為に『歴史年表』+会話なのが
殆ど箇条書きで三好氏というものを知りたいなら今谷氏の本を読んだ方がマシ…
ってのを執筆者本人が言っちゃあ駄目だろうとw
106 :
人間七七四年:2010/08/31(火) 00:25:40 ID:fu1ZtaOw
>>104 しょぼい叛乱ってほかの誰かと勘違いしてないかお前w
>>105 作家さん本人が言っちゃあおしまいだw
長慶がメインの小説って、数が少ない上に「これ!」という
鉄板がない。
107 :
人間七七四年:2010/08/31(火) 22:16:16 ID:RcmZGnNj
足利義輝って妙に神格化されてるよね
戦国乱世の世の中で義輝を暗に批判するのがタブーみたいな風潮があるのは間違いないんじゃないか?
三好が現代まで蔑まされる理由としては充分過ぎる理由だと感じる。
俺103だけど、幕府に反抗した大塩平八郎が未だに持ち上げられない理由と似てると思うんだけどどう?
倒幕はやたら美化されるが何故か永禄の変は『暗殺』という認識食らってるし
まあ日本では信長が戦国の主人公だから三好が割を食うのはある意味で仕方ないんだけど
108 :
人間七七四年:2010/08/31(火) 22:23:30 ID:3p7v4Tii
>>107 > 足利義輝って妙に神格化されてるよね
いや全く。
109 :
人間七七四年:2010/09/01(水) 13:02:20 ID:kT1HGgHM
>>106 しょぼい叛乱ってのは大塩平八郎の方ね。
だから、「どこが似てるんだ?」って皮肉で書いたんだよ
110 :
人間七七四年:2010/09/09(木) 23:08:19 ID:a539Ma9u
肖像画から大名達の性格を読み取れる訳ないんだけど
大徳寺にある長慶の肖像画は多数の大名達に比べてもかなり個性が出てると思うんだ。
なんていうか、やはりカリスマ性がずば抜けてたんだろうなぁ。
111 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 19:22:48 ID:pL6bbq+l
個性といえば之虎、冬康、一存の弟達も持っているよな。
この弟たちが謀反も起こさず付き従っただけでも、長慶のカリスマ性は評価できるはず。
かなり漠然とした私的な見解で申し訳ない。
112 :
人間七七四年:2010/09/12(日) 22:45:00 ID:LTG+iM30
三好は戦国大名じゃなくて細川が持っていた領土をそのまま貰っただけ
京に無理やり入り込んで主権を奪い取って三好自身は特に何もしてなくて
畿内の戦乱を引き延ばしただけの延命政権
↑って印象を持ってる人が多いと思うん(実際見た事あるし)だけど、ありえないよね…
長慶が1549〜1564年まで畿内に君臨出来た理由を考えないのが悲しいよなぁ…
畿内は小豪族・小国人が多く自治体が其処等にあって民衆の支持なしでは柳本や木沢の様な末路を辿るのが普通であって
強引な政権強奪を行ったのなら何故1549〜1560年頃まで政権を維持出来たんだろうかって考えが無いのが悲しい
将軍に権力は殆ど残って無いが権威は残ってる訳だしね。
細川政権→三好政権に至るまでの流れは本当に流れる様に進んでいて面白いんだけどねえ
そして三好→織田に移る過程も何故か全部信長の功績にされちゃってる始末
一般人が三好を知るのは将軍殺害(暗殺と書かれている時もあるが)ありきで
何故三好氏が将軍を殺害する迄に至ったのか考えない人が多すぎる(確かにややこしい部分はあるけど)
歴史は点じゃなくて流れなのは当然の事なのにね。
113 :
人間七七四年:2010/09/14(火) 23:20:17 ID:fOEki+Iu
三好が畿内五カ国で覇を唱えられたのもすべて軍師の松永弾正のおかげ、と思ってる人も多そうだ。
114 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 22:48:18 ID:X1oDq4Ss
長慶が主役になる小説ってある様で無いんだよね
妖雲(三好長慶)も主人公松永久秀だし
三善野の花は話の軸になる人間がバラバラでいないし小説というかダイジェスト物語
三好が出てくる物語で、味があるキャラだと思ったのは夏草の賦の三好笑岩位だな
てか脇役としての出演も信長・秀吉が畿内へ進出してからで、笑岩か存保位しか見せ場が無い
115 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 03:15:50 ID:m7JDhfh4
>>112 長慶(とその兄弟)が早くに死んでしまった上、その後三人衆と久秀(と義継)で割れてしまった
イメージがあるのかも。
あと気になるのは、教科書なんかにある「松永久秀に実権を奪われた」という記載だけど、これも
適当じゃないと思うんだよね。
>>114 正直現状では、三好長慶で面白い本をとなると、小説よりも今谷氏や最近出た天野氏の研究書の
ほうが面白いだろうしなあ
116 :
人間七七四年:2010/10/04(月) 00:56:31 ID:5WetzjWc
>>114 出水康生先生の
「天下を制す三好長慶」と「三好長慶 ― 戦国天下人」
「戦国三好盛衰記 ― 阿伊讃土・青嵐の群像」
がありますが、内容はほとんど被っている様に思います。
まあ確かに天野氏の研究書の方をご本人も薦めておりましたが。
ただ三好長慶会に入ることを勧められましたので入会しました。
今後が楽しみです。次は堺辺りに行くようです。
あと三好長慶会は三好長慶の450回忌法要にも参加したようです。
ご興味があれば088-622-3474にお電話ください。
夜の10時半ごろが在宅の時間のようです。
秋永先生の本が手に入らないなあ。
117 :
人間七七四年:2010/10/04(月) 14:55:04 ID:F/LMQS0W
>>112 ちょっと過大評価し過ぎな気がする。三好氏の統治が上手くいった
のは当時畿内周辺に野心のある大勢力が六角くらいしかいなかったのが
大きい。これで100万石超の勢力が畿内を狙ってたら宥和政策の長慶では
あっという間に崩されてしまった気がする。能力もあるが運も良かったな
118 :
人間七七四年:2010/10/04(月) 17:08:16 ID:VmCkeqMm
そもそもあなたの仮定がムチャクチャだ、ゲームじゃねえんだぞ。
統治が上手くいった理由が野心ある大勢力が六角しかいなかったからって理屈からして可笑しい。
100万石超の勢力が畿内を狙っていたらあっと言う間に崩されたと気がすると言うが
歴史上でそんな大勢力と戦っていないんだから比較する事すらできん。
そもそもこの時期で畿内近辺で100万石又はそれに近い大名って尼子位
それに三好自身が近畿で摂津上下郡・山城・山科・河内・和泉・南丹・東播磨・大和
を有する大国なのに攻め込む馬鹿はこの時いないだろ。
まあぶっちゃけそういった大国との戦いifも見てみたかったがな。
その可能性があったのは尼子位しかいなかったが。
本当かどうか解らん上杉上洛で上杉が三好と正面から対決しようなんて考えてる訳が無い
119 :
人間七七四年:2010/10/04(月) 18:31:06 ID:F/LMQS0W
まあ
>>118とは意見が合わないようだが、見てみたいIFとしては一存、義輿
義賢、冬康、長慶が全員長生きして且久秀が変な野望を持たず三好政権が
長命になった時に義輝が美濃獲得後の織田家に逃げ込んだ場合だな。
120 :
人間七七四年:2010/10/06(水) 14:50:26 ID:5ybFZYA0
>>118 尼子上洛か、確かに考えたことはなかったな。
でも、それって大内義興よりも悪い環境で同じことをしようとしているとしか思えない。
本国の統治や、三好家家中に細川高国に相当する勢力が見られない以上、
最高にうまくいっても山城国の本当に一時的な制圧で終わると思う。
ただ、これなら六角も長慶存命中でもほんの一時期ならできたこと。
>>本当かどうか解らん上杉上洛
これについては同意。
>>119 信長の軌跡から見て、そんな盤石な三好政権に正面からの敵対を選ぶとは思えん。
義輝を飼っておくだけ。
で、長慶が死んだあとで義輝の存在を急速に思い出すってのが浮かんだ。
121 :
人間七七四年:2010/10/06(水) 19:44:58 ID:FuYckHXC
>>120 俺は先に伊勢を攻略した後近江から上洛だと思うな。尾張、美濃、
伊勢近江半国ならそれだけで180万石以上になるからそうなったら
信長に軍配が上がりそう。
122 :
人間七七四年:2010/10/06(水) 23:18:42 ID:MF5J9XRx
尼子の領国経営が安定しているという仮定で
足利義輝が尼子に逃げ出すと面白い事になりそうだ。
新宮党の軍事力をバックに再上洛を目指す尼子国久軍
将軍上洛に呼応して浅井・若狭武田・一色・山名・朝倉が三好包囲網を形勢
丹波では波多野・黒井が尼子側に付いて内藤・松永だけの防衛戦
浦上は赤松牽制の為に取りあえず尼子側に付いて赤松は後手に回り三好側に付く
六角は管領代の立場にありながらも浅井の挙兵に戸惑い
なし崩し的に三好側に付くがその判断から国人土豪から離反者が相次ぎプチ観音寺騒動状態に
大和では筒井・紀伊では畠山が挙兵し三好包囲網が完成
さあ三好はどうする
123 :
人間七七四年:2010/10/07(木) 01:27:25 ID:To1MJX+f
毛利に銀山奪われて上洛中止に一票
あとの流れは信玄死後の信長と同じ
124 :
人間七七四年:2010/10/07(木) 02:40:36 ID:iFyn8AEh
大内義興が機内進出し管領代になっているとき、尼子が素直に大内に
従っていたら、三好の出番はなかったんだよなぁ。
125 :
人間七七四年:2010/10/07(木) 04:22:56 ID:R8jq+pIo
>>124 そこでみんな素直に従ったらそもそも戦国時代になりません。
126 :
人間七七四年:2010/10/07(木) 11:00:25 ID:To1MJX+f
>>124 ifで蹴落とそうとしても水掛け論になるだけだぜ?
いい加減やめれば?
127 :
人間七七四年:2010/10/07(木) 11:04:27 ID:JN5bt3rq
現実に大内が上洛して、船岡山城の戦い以降の7年ほどは、畿内はほぼ安定していたしな。
あと4,5年この安定が続いていれば、あのまま戦国乱世というものが収束した可能性は高い。
128 :
人間七七四年:2010/10/07(木) 19:11:19 ID:R8jq+pIo
そらねーだろ。あそこまで長期に渡って日本中が抗争してんだもん。信長方式
しか無理。
129 :
人間七七四年:2010/11/03(水) 23:36:44 ID:8H7X3H+H
久々にあげ
他の大名や武将達と違って三好は不幸が続いて完全に詰んだからなぁ、本当に悲劇の一族だ。
三好房一という三好笑岩の家臣だけが大坂の役の1年前までいたけど嫡男いなくて終了だし
兄弟の内だれか一人でも生きてたらまた違ったドラマになって現代にもソコソコ知名度があったろうに。
一族。親類が悉く誰も残れなかった(政勝除く)のが哀愁を誘うな…
130 :
人間七七四年:2010/11/04(木) 03:10:16 ID:PhITtyEr
十河存保の遺児が、三好政康と一緒に大坂の陣参戦してたよね
131 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 18:10:15 ID:apq6muPR
篠原長房の没年は1572年と1573年のどっち?
それぞれソースはあるの?
132 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 10:31:00 ID:wHzG4OAW
三好家って、鉄砲の装備率はどうだったんだろう?
実休様を討ち取られたり、教興寺の戦いでは雑賀の鉄砲隊を警戒していたってのはあるけれど、
自分が積極的に運用したって話を聞かない。
生産や運用の盛んな河内・和泉・紀伊を領有していたから、結構持っていそうなものだけれど。
133 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 16:57:26 ID:HmH2MFLB
>>132 当然鉄砲は多く装備していただろうよ。じゃないと畿内の戦で勝てないもの。
134 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 17:56:06 ID:fHtJqz7S
>>133 ああ、むしろ持ってて当然だったんですか。
信玄や謙信が数丁の鉄砲で大騒ぎしている時に畿内では近代戦が行われていたと。
135 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 18:07:26 ID:gEwcV8FA
鉄砲と火薬を集めるには純粋にカネが重要で、石見銀山持っている毛利、
金山持っている武田、あおその交易で大儲けの上杉はたしかにその辺有利
だったけど、畿内を制覇している三好のほうがそれらの大名よりよほど
カネがあっただろうしねい。
136 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 18:21:50 ID:HmH2MFLB
天文22年(1553)8月1日の、三好長慶と足利義輝の軍勢が戦った東山霊山城の戦は
双方による壮絶な銃撃戦があったとされている
137 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 20:13:04 ID:nQ+eGteV
安房小笠原氏は仮冒 ホント物部氏
138 :
人間七七四年:2010/11/09(火) 23:18:24 ID:Y06HZgfS
139 :
人間七七四年:2010/11/10(水) 07:54:27 ID:C3H0PjU9
>>138 だって、ただ単に上桜城の戦いが1572年だったか、1573年だったかの違いだし…。
そんなことよりゲームの話で申し訳ないけれど、いつになったらのぶやぼで三好長逸と篠原長房に統率・政治90以上が付くんだよ?
万単位の軍勢を差配した武将なんて何人もいないでしょうに。
140 :
人間七七四年:2010/11/10(水) 19:12:40 ID:3yTtYMiJ
>>132 1566年に河内畠山氏と、それと結んだ根来衆が三好領に侵攻した際
高屋城から打って出た三好勢が
根来衆と壮絶な銃撃戦を行ったという記録がある。(細川両家記)
また、1570年に3000丁とも言われる鉄砲隊を率いた紀州勢が
三好氏を攻めた際(野田・福島の戦い)でも、三好方も紀州勢と互角の射撃戦を演じたという記録があり
相当数の鉄砲は有していたと思われる。
141 :
人間七七四年:2010/11/11(木) 00:11:46 ID:qZauuG9a
>>139 ノブヤボはやったことないけど
戦国史だ高ステータスだよ、二人
三好長逸は平均以上で統率がちょっと大きい
篠原長房は政治、智謀の値がまあまあ高い
全て三好義賢に劣ってるけど
142 :
人間七七四年:2010/11/11(木) 17:35:25 ID:ZX124P1z
実休が「義賢」の諱で知られるようになった原因って何なの?出所は何?
一次資料には「義賢」って出てこないみたいだけど
143 :
人間七七四年:2010/11/11(木) 18:09:14 ID:SfrKXaQM
三好長慶、三好義賢、三好長治、香川元景、三好義興
144 :
人間七七四年:2010/11/12(金) 00:36:43 ID:F9wx58zn
>>142 十河存保が一時期「三好義堅」を名乗っているので、それが混同されらしい
145 :
人間七七四年:2010/11/13(土) 16:14:57 ID:r2/DF5Fw
松永久秀はすごい。久秀主演の大河ドラマ作ってほしい。
146 :
人間七七四年:2010/11/13(土) 21:47:10 ID:5qS1QFLB
ここで言う事じゃねえだろw久秀スレに行けw
147 :
人間七七四年:2010/11/14(日) 19:59:56 ID:cevtIwrb
久秀、信長が後押しするまで、実は大した事なかった説
148 :
人間七七四年:2010/11/14(日) 23:51:28 ID:ALeic5o4
>>140 硝酸カリウムを日本の気候と地理では
安定的に供給できないから、畿内(と商業先進地)を出ると鉄砲はすぐに
使いにくくなると思ってた。三好方はともかく紀州勢はどうやって
手に入れ取ったんじゃろ?
>>147 フーシェみたいな捉え方かも知れんけど
信長が出るまでの畿内の騒乱を渡りきるだけでもある程度の才覚はあったのでは?
また大身になっても弟のように儚くなりぬ、という結末もありえたんやし。
149 :
人間七七四年:2010/11/15(月) 11:20:51 ID:OanDPp5A
>>148 紀州勢は古くから関東〜四国にわたるまで傭兵業で兵を出してるし
そのルートを使った海運業でも収入があった。
150 :
人間七七四年:2010/11/15(月) 19:20:14 ID:6ql0DmmU
石山合戦の頃雑賀の傭兵連中は、本願寺からの給金を地元に送って家族養ってたらしいな。
そのため織田との講和が決まると「うちの家族これからどう養うんだ!」って不満をいう連中が
かなりいたらしい。
151 :
人間七七四年:2011/01/16(日) 20:07:07 ID:bvqoHrAc
>>116 遅レスだけど
三好に今絡んでる人らってなんか胡散臭い(関西の三好長慶会と三好芥川の会だっけか)
武者行列とかはやってて活動はしてるのは解るんだけど…
何だかオープンじゃないし凄く内輪臭が漂ってる。
三好を持ち上げるのなら着る羽織は全部藍で統一して欲しいわ
なんか表だって動いてる人3人が着てる服の色が
『黄・赤・青』とか滅茶苦茶嫌なんですけど。。
152 :
人間七七四年:2011/02/06(日) 00:48:16 ID:cKL1HGem
先祖なんていったもん勝ちなところもあるしね。
こういう会やってることで直系でってのはあまりない気がする。
その会は知らないけど、ある程度事業とかで成功した人が
うちってこんな先祖がいるんだよぉ〜って箔つけてやるイメージ
153 :
人間七七四年:2011/05/01(日) 04:32:28.75 ID:c2qUz0BY
>>152 そもそも三好氏自体、「小笠原」を出自と偽ってるからなあ。。
しかも室町時代に三好氏にあやかって小笠原氏を先祖だと自称する家もいっぱい出てきたみたいだし
本当のとこは闇の中だね。よくある平家の落人の子孫なんてのも単なる箔付けだし。
154 :
人間七七四年:2011/05/01(日) 09:54:55.11 ID:GSELbW8u
155 :
人間七七四年:2011/05/02(月) 16:28:01.04 ID:VWZy0YQg
自称子孫は沢山いるでしょ
156 :
奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o :2011/05/03(火) 00:59:59.99 ID:Kst7zgf0
当時の三好氏たちにとって、誰が本宗だったのだろう。
157 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 02:25:25.12 ID:RYYOidU1
>>155 そもそも三好氏の小笠原支流というのも怪しいらしいからな。
(とはいえ、信濃守護家の小笠原長時・貞慶父子は同族のよしみで長慶に庇護されているし、
貞慶の「慶」はどうやら長慶の「慶」らしいので、戦国期には一応小笠原支流ということで通っていた
みたいだけど)
>>156 義継が死んだ後は阿波三好家の長治、ついで十河(三好)存保じゃないか。とくに十河は一時期
「三好義堅」を名乗っている
158 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 03:45:31.30 ID:ljKTZZWF
淡路淡路の三好は信長相手にドンパチしてたけど
讃岐の三好って空気だよね。
159 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 07:17:39.41 ID:47AuqAbE
160 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 08:48:16.01 ID:ljKTZZWF
三好長治の弟の十河存保や香西佳清なんかは讃岐でなにやってたん?
水軍使って朝鮮貿易して金貯めてただけ?
それとも香川之景とずっと抗争してただけ?
161 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 13:00:30.03 ID:R7S8eTQ9
>>160 三好政権の盤石期の十河存保は畿内へ出兵が主、留守中の讃岐は十河一之(義継の兄)が纏めていたと思われ
信長が畿内を制圧してからは長宗我部の進行もあって以前から反三好だった勢力が息を吹き返し
西讃岐(香川など反三好)東讃岐(十河)の争いが表面化してくる。
その状態で三好長治が重臣の篠原長房を討伐する為に讃岐・根来軍を上桜へ出兵させる
篠原長房が死んだ事で三好から離反する阿波国人・豪族が続出し長治の法華強要が油に火を注ぐ結果に
離反した阿波国人が讃岐の十河存保に長治を諌める用に言うが
十河存保や安宅信康の言う事に耳を傾けない三好長治は離反した阿波国人に担がれた細川真之に殺害される。
空になった阿波を埋めるために十河存保が勝瑞城に入り三好姓に復帰(三好義堅と名乗る)するが讃岐衆の反発を食らい再び十河姓に戻す。
織田信長の後援を受けている状況なので阿波・讃岐の両方を何とか維持しながら、畿内の大親爺である三好笑岩と神戸信孝の救援を待つ
本能寺で信長が横死し四国救援軍が撤兵、中富川の戦いで敗北
その後は東讃岐にて西讃岐と阿波の両戦線からの攻撃に対して徹底抗戦を貫く 仙石が派遣→敗北し讃岐撤退
まあジリ貧な状況で徹底抗戦しながら阿波と讃岐の維持に尽くしていたけど本能寺の影響を諸に受けたのが悪かった。
162 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 14:23:09.25 ID:Oqd/ttIp
安宅信康って、三好兄弟死後は三好家の重鎮なんだろうが
まともってイメージはないなあ
163 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 16:43:15.26 ID:R7S8eTQ9
安宅信康って重鎮・・・か?
164 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 17:21:22.27 ID:Oqd/ttIp
淡路水軍の大将は信康、清康でしょ?
それに、篠原長房死後の三好家はまともな人物が残ってなかったし
165 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 19:35:13.10 ID:LtE2l3w7
>>161 十河一之って初めて聞きましたが実在人物ですか?
166 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 19:54:27.94 ID:tb9n7EpE
>>164 三人衆も前後して壊滅したし、あとは笑岩くらいしか残ってないんだよなあ。
ところで、今年の堺の文化財特別公開いく人いる?
三好氏がテーマなんてそう滅多にあることじゃなさそうだがw
167 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 20:39:40.26 ID:Oqd/ttIp
>>165 十河存之の間違いだと思うよ
>>166 三好康長も戦上手って訳じゃないから、微妙だね
堺に住んでるから、間違いなく行く
講義が早く終わればいいが…。
168 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 20:40:35.94 ID:R7S8eTQ9
169 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 20:50:09.41 ID:R7S8eTQ9
>>166 もちろん行く、自分は20日だけど天野さんに色々聞いてみるつもり。
>>167 堺の観光も兼ねてるんだけど何か美味い物(菓子とか名物)とかある?w
前新聞で紹介されてた飯炊き爺の店には行ってみるつもりだけど
170 :
165:2011/05/17(火) 20:57:10.91 ID:LtE2l3w7
すんません、存之の誤記とは気づきませんでした。
義継が長男だと思い込んでいたので詰問調になってしまい申し訳ないです。
171 :
人間七七四年:2011/05/17(火) 21:18:11.91 ID:Oqd/ttIp
>>169 和菓子屋はかなり多いよ
名物は……包丁かなw
豚骨ラーメンなら美味いとこがあるんだけどね
>>170 存之が弟で正しいと思う
生年はハッキリしていないようだが
172 :
人間七七四年:2011/05/18(水) 19:34:37.43 ID:UubZLJQ1
存之は義継より年下で存保より年上だったらしいから
1552年辺りに生まれたのだろうか
173 :
人間七七四年:2011/05/19(木) 23:03:27.51 ID:S1kSh/lI
天野忠幸氏、桧本多加三氏、出水康生氏らが
5月20-24日にかけて、堺市の寺にて講演会を開かれる。
21日は桧本多加三氏が三好長慶
22日は出水康生氏が三好実休について話されるらしい。
先着100名というのが痛いが。
174 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 00:20:38.29 ID:Ev4RoRuk
先着100名ってことは、希望者全員聞けるってことだろが!
メジャーな武将じゃないんだから、会場のキャパも含めて相応。
175 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 00:43:03.51 ID:jdzAYfXR
>>169 21日の堺市博物館での天野氏の講演を聞きに行くつもり。
『戦国期三好政権の研究』が面白かったのですごく楽しみ。
176 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 07:45:46.78 ID:AFeR0SIT
天野氏の講演は顕本寺にて、今日行うはずだが…
177 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 15:43:44.93 ID:AXjxTK2F
178 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 17:39:49.42 ID:pIHBmA44
今日の講演に行ってきた、堺奉行の名前と
今川義元が名古屋今川氏ってのを救援に向かう→桶狭間ってのが面白かった
それ以外は特に、普通の一般の方向けの講演だった。
個人的に色々質問したかったな。
若い奴が以外といたのと女の若い奴もチラホラいたなw三好氏に歴女とは…
179 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 18:07:21.22 ID:AFeR0SIT
時間が無くて行けなかった、残念
名古屋今川氏っていうのは、今川氏豊の家だな
織田信秀によって尾張を追われたはずだが
180 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 18:26:29.62 ID:pIHBmA44
ちなみに明日の講演は行けないから行った人レポ宜しく
其処らじゅうに三好氏のチラシが貼られててワロタw
181 :
人間七七四年:2011/05/20(金) 19:07:42.98 ID:jdzAYfXR
182 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 12:18:17.43 ID:TwgvulaX
野口冬長は志知城を領してたらしいけど
183 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 12:38:11.14 ID:VNI7HzJQ
野口冬長空気だよな
184 :
人間七七四年:2011/09/14(水) 19:56:59.04 ID:FT+3xext
185 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:41:24.21 ID:JCmiyeak
からあげ
186 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 21:50:35.47 ID:Jba91Cuy
187 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 21:01:03.24 ID:LAdm8NTN
三好長慶は畿内においてどんな政治体制にしようと考えていたのだろうか?
やはり京兆家と同じ様に将軍家を傀儡にしたかったのだろうか?
今さら織田家や豊臣家の様な政治体制を考えていたと思っている人はいまい。
188 :
人間七七四年:2011/09/27(火) 23:45:25.32 ID:RmBfPowe
まあ、長慶が生きて、義興も死なない前提だと
三好義興が本格的に京の政治をコントロールして
長慶は義興のバックアップにまわって、畿内・四国の潤滑油となりながら
諸国に号令を掛けてゆく、足利将軍家は次第に力を失いフェードアウト
ってのが理想だったんじゃないかな、と後の信長のやり方を見ていると思った。
まあ信長は力で強制排除したけど義輝と長慶の時代ではそれも難しいからね。
189 :
人間七七四年:2011/09/28(水) 06:50:40.62 ID:6ay8V6ff
義興の子供について詳しく教えろや
190 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 21:39:47.56 ID:zUgWGIOR
>>186 行ってきた、中々良い情報を得る事が出来た
191 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 21:56:51.69 ID:lIz7yldM
>>190 おつかれさん。良かったら落ち着いてからでもレポとかお願いします。
192 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 21:34:21.42 ID:vFPzJUvg
まあ、最初は三好一族とは何か、から始まって
西岡の性質の紹介(地理上、西岡では規模がでかい大名は絶対にできないし、存在してはならない)
霊山城の戦いの時期、西岡で水の取り合いで争いがおこり
細川氏綱配下の多羅尾氏に仲介を頼む→失敗 三好長慶が多羅尾にもう一度頼む→失敗
ええい(細川の家臣は頼りにならぬ)、それなら私が直々に栽許してやるから芥川に来い
で他には大徳寺の肖像画は長慶が桐紋の入った服を着ているが
これはやはり当時の人間が三好長慶の事を天下人と認めている事に他ならない証拠
改元で正親町天皇が足利を無視して長慶の方に付いた事は
当時ではやはり大事件であって、足利義輝が三好長慶に反抗した時の資料(信長公記)では
『御謀反』との表記、『御』とわざわざ敬語を付けている事
年号の未使用は『反逆』か『独立』の証明、つまり足利オワタ
それと、大徳寺(どちらかと言えば足利からは冷遇されていた)が力を付けて
他の五山宗派(足利に選ばれた名誉坊主)は有名な肖像画の時もそうだったが、やはり三好に抵抗があったが
長慶が亡くなり葬儀の方法を大徳寺が執り行う事に抵抗する…事も出来なくなっていた
つまり、足利式の葬儀方法(五山)を三好が行う事に反発すら出来ない程だった。
そして、松永久秀配下であった楠正虎の楠家の赦免は実はかなり重要な出来事で
『南朝方の朝敵』であった楠正虎を『北朝系の天皇』が赦免すると言う
もう武将の筆頭は足利家ではありませんよ、という既成事実の確率。
そして楠正虎は右筆として、信長、秀吉に仕える訳だが
二人は恐らく楠正虎から長慶の政策などは聞いていたと思われる。
家康が『南朝』新田の祖を自称したのも北朝の足利との区別と思われる。(つまり時代の流れは三好から変わっている)
現代では戦の派手さで人物の評が決まる傾向にあるが(桶狭間・長篠=信長などetc)
江戸時代では寧ろ政争で人物の評価を決めるのと
戦争が無くなり決着が付きにくい政争が増えた江戸時代で
文献あさりまくった時代人から改めて三好の評価が為された=江戸時代での三好長慶の評価
で松平忠明が編算した当代記では、室町から歴史の移り変わりは三好長慶から
冒頭で最初に登場するのが三好長慶となっている云々
それと一番個人的に収穫だったのが、霊山城の戦いでは西岡国人衆を纏めあげて足利義輝を攻めた人物は
『松山新介』+『重治』、つまり松山新介のフルネームが判明、中村新兵衛も『高続』と中村新兵衛高続とある
それと松永久秀には儒学者である清原枝堅という名学者(先生)が付いていて
天野先生の考えでは『大陸に詳しい清原枝堅が三好や松永に大陸式(中国)の下剋上を勧めたんじゃないか』つまり『永禄の変』
193 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 21:36:27.36 ID:vFPzJUvg
1718年〜1720年の編纂されオランダで刊行された『日本統治者の変遷』では
DAIRO(内裏・朝廷)→CUBO(公方・足利将軍)
↓ →MIOXINDONO(三好殿)
↓
CAYADONOVOGATA(不明) ARIMA(九州有馬)
↓
NABUNANGA(信長)
↓
FIXIBA TAICOSAMA(羽柴太閤様:秀吉)
↓
FANDEYORI(秀頼)
↓
DAIFUSAMA(内府様:家康)
↓
TOXOGUNSAMA(徳川様) GAMIOSAMA(神尾様:長崎奉行神尾元勝)
以上、松山新介重治と清原枝堅とか色々目新しい発見があって良かった。
194 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 22:17:37.78 ID:Rr9XE/J9
うちの地元に三好義継に子孫が住み着いたとされる島があるんだけど。
195 :
人間七七四年:2011/10/03(月) 22:37:13.94 ID:d6B4Q/KL
196 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 16:43:42.75 ID:y6vvutLc
清原枝賢といえば平野長泰の祖父らしいが大物の学者貴族の孫がなんで秀吉の下にいたのか不思議だな
197 :
人間七七四年:2011/10/04(火) 17:40:08.96 ID:ipCvu13n
198 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 20:51:09.64 ID:GXsdSNnl
戦国三好一族を読んだけど四国の話が全く無いのは何故?
讃岐西部や伊予東部は本当に三好の勢力圏なの?
誰か教えてください
199 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 20:52:22.00 ID:GXsdSNnl
あと芥川城に石垣があったって本当なの?
200 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 22:27:11.84 ID:nJMt1Kwp
201 :
人間七七四年:2011/10/17(月) 23:07:33.34 ID:GXsdSNnl
>>200 ありがとう
198の質問の方もお願いします
202 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 02:47:16.49 ID:5aAfKSYn
誰か三好義興の子供について知っている方がいらっしゃれば、詳細を教えてください。
203 :
人間七七四年:2011/10/21(金) 11:29:34.15 ID:RY2oHQhU
>>202 義資は義興の子供ということしか分かっていない。
織豊政権の頃まで生きていた康長や政勝、存保との繋がりも無いようだし。
身分を隠してひっそり生きたか、早世したんでしょうね。
長慶の死より義興の死が三好政権にとって致命的な気がする。
義興が生きていたら、三階菱に釘抜の旗印はどこまで広がって行ったのか。
204 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 12:34:52.05 ID:+SPlVnVx
昔阿波物語でぐぐったら、Wikipediaの新当流のところに、
篠原長房が實休さんと試合して勝った
って書いてあるんだけど、これホント?
主君相手に何やってんだwww
著者の仁木義治は十河の家臣らしいけど、
そのわりには十河一存の扱いが悪いような……
205 :
人間七七四年:2011/10/22(土) 21:59:02.84 ID:W/jzIK/M
206 :
人間七七四年:2011/10/23(日) 14:14:55.31 ID:AX9Li8mf
細川といえば、細川真之の首塚の場所(小松島市坂野町目佐の細川神社)が面白い。
もし、十河存保の軍勢がわざわざ和食郷八幡原まで細川真之を殺しに行軍したと仮定すると、
細川真之の首を抱えた中角某は、土佐街道を逆走して三好の勢力圏内に突っ込んで行ったことになるんだよね。
中角城(勝浦郡勝浦町中角)は八幡原よりは北だから、潜伏先の土地勘と言う意味ではわからなくもないし、
首塚が本物っていう証拠もないわけだけどさ。
207 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 14:05:37.73 ID:VF2Jzjw2
十河千松丸を殺した生駒氏が憎い
暗殺がなければ、十河氏は豊臣・徳川政権下で小大名か旗本として存続できたはず
208 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 23:00:02.25 ID:09Xh4VWG
三好氏は本当に悲劇の一族だ、千松丸暗殺といい蜂須賀氏による三好狩り
三好氏の血族の最後の事件は戸次川と千松丸殺害事件が終わりじゃないね
今さっき調べてたけど、三傑時代での三好系統最後の事件は
三好康長の甥と言われている中村一氏 筆頭家老の横田村詮が最後だね
しかも意外にも柳生宗矩の兄、柳生宗章が関わっているのが何とも…
この件については家康は全力フォローしているっぽいのがまた。。
篠原長房といい三好氏の優秀な陪臣は妬まれまくりだな…。
名のある三好氏として生き残ったのは政勝だけってのも泣ける。
数寄者としての政長・政勝親子も嫌いじゃないからなっ!
209 :
人間七七四年:2011/11/03(木) 23:38:05.42 ID:HrrBxrnV
政勝は96歳になっても、なお戦に参加したんだってね
史上最高齢でないだろうか
210 :
人間七七四年:2011/11/04(金) 00:44:29.55 ID:CF6HGvx9
211 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 20:31:23.46 ID:pbf/wSxc
>>95 よく理解できないんだけど、三好之虎は長慶の弟でOK?
十河存保や十河一存とは別人なのかな?
あと、三好実休は三好義賢じゃなくて三好之虎でほぼ確定だと
十河存保が一時期だけ三好性に戻して、その時に三好[義堅]と改名している
その時の存保の改名が軍記物での実休=義賢と混同した可能性があるらしい。
冬康の次男と言われていた清康だが、これも実休の3男との事だそうだ
天野氏は野口冬長に関しては完全スルーだったわw
これでまた三好氏スレが活性化してきたらいいのになー
212 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 20:53:00.92 ID:pbf/wSxc
後半は誤描です。スマソ
>あと、三好実休は三好義賢じゃなくて三好之虎でほぼ確定だと
>十河存保が一時期だけ三好性に戻して、その時に三好[義堅]と改名している
>その時の存保の改名が軍記物での実休=義賢と混同した可能性があるらしい。
>冬康の次男と言われていた清康だが、これも実休の3男との事だそうだ
>天野氏は野口冬長に関しては完全スルーだったわw
>
>これでまた三好氏スレが活性化してきたらいいのになー
それからふと思ったんだけど、篠原長房の死亡時期って、
松永久秀との和睦時期と重なっている気がするね。
>>138
213 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 21:14:28.19 ID:NGMEQ3w0
通字と偏諱の原則を考えると、虎は浮いてる気がするなぁ。
一気に関東ぽくなったというか。
慶もあまりなさそうだけど、長義なら誰が見ても、あ、三好だ、って感じ。
214 :
人間七七四年:2011/11/05(土) 23:54:37.70 ID:+nCakppK
実休以外の三好一族の誰かが之虎って名乗ってなかったっけ
て思ってググったら十河一存だった
215 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 09:33:18.80 ID:uoDdFOSJ
ますます混乱してきたね。
十河存保が三好之虎と混同されたけれど、実は十河一存だったということにw
216 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 10:50:00.98 ID:stwzFmx/
てか、そもそも六角義賢が三好義賢と戦ったことになってるからややこしいんだよなぁ。
顕本寺の安宅摂津守冬康(印)天文廿四年二月二日では、
當寺儀開運為位牌處寄宿之事長慶之虎被免許虎之上者於冬康別而信心之條聊不可有相違者也
って書いてあるんだから、冬康本人以外に、長慶、之虎、虎之の3人がいるってことなんじゃないかな。
217 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 21:31:50.14 ID:kqwl/+m8
>>211 三好実休=三好之虎○三好義賢×
十河存保=三好義堅(一時期三好姓に復帰した時の名前)←これが実休の三好義賢と混同され今に至る
三好義賢という人間は文献上では確認できなかったはず、逆に之虎=実休を仄めかす書状は存在。
十河一存が之虎ってのはwikiでしか見た事無いな
218 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 21:32:58.19 ID:Q1ryFLJG
wikiは津軽為信の父親が久慈信長だとかワケ分からんこと書いてて信用できん
219 :
人間七七四年:2011/11/06(日) 21:51:15.91 ID:uoDdFOSJ
>>217 感謝。十河存保の書状が実休の書状に紛れて
三好義賢って人物が創作されちゃったんだね。
220 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 11:38:12.30 ID:WbOS3hPd
三好政権の崩壊は、三好長逸が松永久秀を排除しようとした事が
始まりではないだろうか。
その理由としては、
1.松永久秀が独自行動を取り始めた
2.松永長頼の死により、松永久秀の勢力が弱まった
3.三好義継が松永久秀を重用する傾向があった
4.三好長治が三好義継の座を狙い、その布石として松永久秀の排除が行われた
のどれかだろうか。
221 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 11:57:23.35 ID:EgFeSe/A
>>220 三好三人衆は阿波の篠原長房が後ろで操ってた感じもするが。
篠原・三人衆などの阿波派と、松永などの畿内派との分裂ではないのかな?
222 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 17:41:17.96 ID:WbOS3hPd
>>221 その可能性もあると思う。足利義栄も阿波派だろうし。
でも畿内派が久秀だけじゃあまりにもか弱い様な。
223 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 19:21:44.51 ID:EgFeSe/A
>>222 当然ながら義継も畿内派だと思う。あとは池田氏などの摂津系国人あたりか。
224 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 19:21:44.80 ID:BB1bk5az
>>222 だから、三好義継も畿内派ってことでしょ。
つまり、篠原長房は三好長治に実休クラスの権限を確保しようとしていたわけで、早い話が地方分権派。
一方で、三好宗家の義継にしてみると、義栄の擁立はあんまり旨味がないんだよな。
義継は血筋的には祖父が関白で嫁は将軍の妹だしで。
将軍不在でしばらくほったらかしにしたら、義継に将軍宣下は結構可能性があったように思えたんじゃないかな。
周りの戦国大名たちが黙ってないだろうから、結局は失敗しただろうけど。
長房は実休の家臣として十河一存と同格だと思ってただろうから、
義継の擁立自体が気に入らなかったのかも。
225 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 20:07:15.01 ID:V/aG0+I9
>>223 池田の方が内部はヤバいだろうねw
池田勝正派 (畿内三好派)
池田知正派 (阿波三好派)
荒木村重派 (一応阿波三好派 息を顰める荒木派に中川清秀派閥も含む)
>>220 阿波三好側でも考えの違いはあるだろうね
三好長治・十河存保・安宅信康などの実休・冬康の子供達が
(阿波三好>畿内三好派)と考えていたのか (これはまずないだろう)
(畿内三好>阿波三好)と考えていたのか (三好>足利の体制を維持)
三人衆と篠原長房が三好義継より阿波公方・足利義栄を担いだ動きと2世組の動きをみれば
@三人衆・篠原 現実主義(義継では義昭に対抗できない)
A義継・久秀 理想主義(足利より畿内三好の方が上)
B阿讃淡三好 理想主義(足利より畿内三好の方が上)
C阿讃淡三好 現実主義(阿波三好だけでやっていく)
D久秀 現実主義(生き残るために義継側に残らざるを得ない)
@とAが反発し合うのは当然
@の考えにBが反発するのも当然
AとBが野田福島で戦ったのは成り行き
だが歴史の結果を見れる俺らからしたら@の方が生き残る可能性は高かったな
@とBがDの考えを持ってたらもっと後世に勢力が残る可能性があったんだろうが。
@の場合は阿波公方・阿波細川には絶対的な権力は持たせないだろうし。
226 :
人間七七四年:2011/11/07(月) 20:11:13.94 ID:V/aG0+I9
間違えた
だが歴史の結果を見れる俺らからしたら@の方が生き残る可能性は高かったな
@とBがCorDの考えを持ってたらもっと可能性があったかも。
@とBの場合は阿波公方・阿波細川には絶対的な権力は持たせないだろう。
@とDの場合も信長軍に色々編入されて波乱盤上だろうが後世に残る可能性はある
227 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 13:32:46.04 ID:s60bcDDB
三好義堅は「みよしよしかた」なんだから、「みよしよしたか」と混同するはずないと思うんだが。
むしろその存保の戒名が眞光院殿義賢實存禅定門と眞光院殿義賢實存禅定門なんだから、
常識的に考えて、道号が「義賢」(ぎけん?)で戒名が「実存」なんでしょ。
228 :
人間七七四年:2011/11/08(火) 23:26:24.29 ID:jLVv0YNH
>>225 曖昧すぎてよくわからない。
@三人衆・笑岩 畿内現実主義(義継では義昭に対抗できない)
A義継 畿内理想主義(足利より畿内三好の方が上)
B信康・存之・存保 阿波理想主義(足利より畿内三好の方が上)
C篠原・長治 阿波現実主義(阿波三好だけでやっていく)
D久秀 反長逸派 (生き残るために義継側に残らざるを得ない)
こんな感じかな?
池田勝正は篠原側っぽいけど?
229 :
人間七七四年:2011/11/10(木) 21:24:47.58 ID:JfJEeQ+6
230 :
人間七七四年:2011/11/10(木) 22:14:54.11 ID:pkX+0HlC
>十河存保が一時期だけ三好性に戻して、その時に三好[義堅]と改名している
>その時の存保の改名が軍記物での実休=義賢と混同した可能性があるらしい。
ではなく十河存保の道号「義賢」戒名「実存」を見た誰かさんが、
「義賢」=「実休」と勘違いしたという事だと思う。
231 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 14:00:11.81 ID:ZYufZVpj
もし、「義賢・義形」が存保との勘違いだったとすると、
存保が死ぬ戸次川合戦の時点で、15歳だった足利義種が書いた
平島記(阿州足利平島伝来記)が偽書っぽく見えてくるんだが…
実休の諱って当時からそんなに極秘情報だったのか?
232 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 17:38:15.02 ID:kxSRCEgx
233 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 17:39:46.32 ID:kxSRCEgx
234 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 19:41:37.73 ID:5DRzP3gs
>>232 >これってどうなっちゃうんでしょうね?
何が言いたい?
235 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 20:03:16.74 ID:kxSRCEgx
名前間違ってるんだとしたら、どういうタイミングで訂正するんでしょうね?
見性寺で細川 持隆を暗殺したのも三好義賢(実休)ってことになっているんですが〜。
236 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 09:02:18.86 ID:sGJFZEVE
そももも、一番背が高い石塔が実休のらしいので、
どのみち間違ってる。
237 :
人間七七四年:2011/11/15(火) 22:08:26.78 ID:MgcuUdaW
天野氏って細川持隆を暗殺したのは三好実休だって言ってなかったっけ
講演会でそういうことを聞いたような気がする
238 :
人間七七四年:2011/11/16(水) 01:36:03.78 ID:NLwWDLD5
>>237 実休はいいんだろ
実休の諱を義賢とするのが問題なだけで
239 :
人間七七四年:2011/11/17(木) 22:44:01.01 ID:mx5OSLvm
実休の墓、妙泉寺のはストリートビューでも見えるな。
ttp://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%92%8C%E6%B3%89%E5%B8%82%E3%81%AE%E5%A6%99%E6%B3%89%E5%AF%BA&ie=UTF8&ll=34.475837,135.426407&spn=0.011763,0.01929&oe=utf-8&client=firefox-a&fb=1 &gl=jp&hq=%E5%92%8C%E6%B3%89%E5%B8%82%E3%81%AE%E5%A6%99%E6%B3%89%E5%AF%BA
&hnear=%E5%92%8C%E6%B3%89%E5%B8%82%E3%81%AE%E5%A6%99%E6%B3%89%E5%AF%BA&cid=0,0,5644640334896418596&t=m
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後ろからだけど。
240 :
人間七七四年:2011/11/21(月) 02:17:14.28 ID:GtvTFvH9
ここが阿波細川の嫡流子孫?
241 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 10:40:13.74 ID:xMVHG5GQ
242 :
人間七七四年:2011/11/23(水) 12:05:05.53 ID:Q0eTC28O
小笠原の間違いやない
間抜け過ぎるが
でも嫡流は一宮だった気が
243 :
人間七七四年:2011/11/24(木) 04:32:48.54 ID:KKyY4ROQ
鎌倉末期で、嫡流の小笠原長義はなぜか関東に領地があるんだよな。
(寺尾地頭阿波国守護小笠原蔵人太郎入道)武蔵国、現神奈川県
で、長義の弟の小笠原頼久が阿波守護になってたから、
この時点で阿波小笠原氏の通字が「長」から「頼」になってる。
この小笠原頼久の代で鎌倉幕府滅亡。
ここら辺から系図が怪しさ満点になる。
多分、一宮みたいに長義の子孫を自称する系列が多すぎたんだな。
というか、どの系図にしろ小笠原頼久が阿波守護になる理由が全く説明できないので、
系図自体が怪しく感じられる。
一宮は細川に下った時点で小笠原長宗としてるけど、流石にこれはない。
一宮自体は小笠原より前から阿波にいるし、小笠原を名乗る謂れは全然ない。
血筋という点では姻戚関係かもしれないが。
頼久の次に歴史に残る(最後の)阿波小笠原のリーダーは小笠原頼清だが、
頼清自身の子孫は残ってないんじゃないかな。
大西みたいに頼清の家臣だった系譜が養子→子孫を自称して、
っていうのを認めるなら、大西氏が嫡流、かな。
肥後豊永氏とか紀伊安宅氏(=安宅冬康が養子に入った淡路島の安宅)の方がまだわかる。
とにかく、南北朝で小笠原と細川は敵同士だったんだから、
細川に従わない名分としては小笠原が最適なんだよな。
244 :
人間七七四年:2011/11/27(日) 10:22:33.28 ID:7z/4VJTE
一宮成明は小笠原も名乗っているよね
245 :
人間七七四年:2011/11/27(日) 18:27:39.40 ID:lI2xZfdo
Wikipediaの一宮城のところにもあるけど、
> 阿波国守護である小笠原長房の四男小笠原長宗が、一宮宗成を滅ぼし
> 1338年(南朝:延元3年、北朝:暦応元年)にこの地に城郭を築いて移り住み、
> 一宮神社の分霊を城内に奉祀した。その後小笠原長宗は一宮氏を称し、
> 一宮城は一宮氏が代々居城とし、神職も兼ねていたようである。
が根拠なんだろ。
でも、それだと、一宮成明が滅ぼした方の一宮宗成の通字「成」を名乗ってる
説明がつかない。万が一、一宮氏が小笠原の血を引いていたとしても、
それは、小笠原が一宮の養子に入ったから。
でも、もっと合理的に考えると、一宮と小笠原は無関係で、
単に一時期城を取られてただけの関係だろ。
一宮は由緒正しい禰宜の家系なんだから、四姓ですらない。
粟凡人系って言っても武家社会じゃ通用しないからな。
246 :
人間七七四年:2011/11/29(火) 23:38:12.40 ID:PUwPa2ss
その辺突き詰めると三好家や久米家が小笠原流ってのも???になるしなぁ……
まあ伊予菊ヶ森城の三好家との関連性が注目されたりもするけど。
そういや民主党の大阪府議員三好義治氏は讃岐伊吹島三好氏の流れだね。
247 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 01:12:39.49 ID:r0MHMwBR
一宮氏は紀姓を称してるからね。
四姓に入ってなくても、朝臣だし立派な氏族だ。
本当かどうかはさておき。
つまり、どういうことかっていうと、肝心の一宮氏自身が、
小笠原氏(=源姓)を名乗ってないってことでしょ。
むろん、歴史上の人物で小笠原って言ってた人がいるのは事実だけれども、
それ以上のものではない、ってことじゃないかな。
248 :
人間七七四年:2011/11/30(水) 21:45:40.63 ID:YqzCiZLE
戦国三国司に数えられることもある阿波国司一宮家。
249 :
人間七七四年:2011/12/02(金) 20:59:11.07 ID:MSq26OC+
一宮も大西も長慶の妹が室に入ったのにあまり触れられることが無い…残念
250 :
人間七七四年:2011/12/04(日) 19:53:22.09 ID:biUltj83
>>249 一宮も大西もと言うより四国自体があまり触れられることがないのからな・・・残念
251 :
人間七七四年:2011/12/18(日) 10:13:55.65 ID:s+PaPHHb
安宅信康と三好長治の仲ってどうだったの?
教えて、偉い人。
252 :
人間七七四年:2011/12/20(火) 10:46:15.12 ID:jtR1wv8u
個人的な仲は分からないけれど、信長に信康が臣従したところから
信康が安宅家の当主として阿波三好をどう思ったかお察し下さい。
存保と一緒に長治を諌めていたから、最初は悪く無かったと思いたい。
253 :
人間七七四年:2011/12/20(火) 11:22:06.68 ID:NNhdoayc
長治がまともなら細川真之の離反も無かっただろうし、
三好家の存続の可能性もあるのにね。
たらればいうてもしょうがないが、色々残念な人では有る。
254 :
人間七七四年:2011/12/21(水) 18:48:26.45 ID:ewTFbEpo
>>252 安宅信康の二度目の信長への臣従っていつごろかな。
安宅氏ってさっぱりわからない。
255 :
人間七七四年:2011/12/22(木) 02:30:19.95 ID:vTSd3caq
信康は一貫して信長に臣従していたと思う。
256 :
人間七七四年:2011/12/28(水) 22:11:08.65 ID:7PLXXa/q
野田福嶋では安宅勢は三好党として活動してるから、
時期的に信長への降伏は笑岩と同じく天正初年じゃない?
257 :
人間七七四年:2012/01/03(火) 07:45:17.33 ID:BczN2Hx4
安宅勢や笑岩が織田信長に降伏したのは天正3年ではないの?
258 :
死:2012/01/06(金) 01:43:34.45 ID:+/k95//+
三好義興って凄かったの?
259 :
人間七七四年:2012/01/09(月) 17:41:26.93 ID:GrnQAjbF
>>258 長慶が期待し手塩にかけて育てたんだから知識は高いと思われ
それに実戦の方も永禄初期の行動力を見れば評価は高いんジャマイカ?
まあまだ若いから実績を積めば名将になる確立は高いジャロ
260 :
人間七七四年:2012/01/09(月) 19:54:11.53 ID:lNZIHFOu
しっかし、42歳にしてボケ老人扱いされる晩年の長慶って…
261 :
人間七七四年:2012/01/10(火) 20:11:12.93 ID:4xcRa2JH
家族が次々に死んで行くんやで、仲が良い上に三好政権の屋台骨ばっかり。
これで狂わない方が無理ってものでしょう。
長慶公にも道糞さんのようなバイタリティが欲しかったようなそうでないような。
262 :
人間七七四年:2012/01/15(日) 16:33:03.95 ID:tYhC+/SG
前からずっと思ってたけど、≪永禄の変≫が『暗殺』表記って可笑しくね?
三好氏の存在を今日まで過小評価されてるのって足利ってか足利義輝の異常な持ち上げだと思う。
263 :
人間七七四年:2012/01/15(日) 21:49:54.87 ID:mIsgrATz
>>262 義輝よりかむしろ松永久秀の「梟雄」イメージが先行してるのが大きいと思う。
久秀は確かに他の被官とは別格といっていいし、長慶死後の三好氏分裂の
一方の雄といってもいい武将ではあるけど、いわゆる「下克上」とかじゃないんだよね。
三好氏の実権を奪ったみたいに言われるけど、永禄六年秋の段階でも長逸・久秀の
両名は飯森山城の長慶に伺いを立てているし、久秀が三好氏の実権を掌握していた
なんてことはない。
264 :
人間七七四年:2012/01/21(土) 16:02:56.48 ID:pKF8x0Hd
>>262 そもそも、この板に来るようなタイプの人間を除けば、
足利義輝自体に、そこまでの知名度は無いと思う。
もし、義輝の知名度が信長並みに高ければ、
長慶も、現在の明智光秀や今川義元や武田信玄クラスの知名度を獲得していたと思う。
信玄については、江戸時代の神を合戦で撃ち破っているせいもあるかもしれないが。
265 :
人間七七四年:2012/01/21(土) 16:05:55.38 ID:pKF8x0Hd
あるいは信長の上洛時を最盛期の三好家が受け止める形であれば、
少なくとも大河ドラマの常連として、
本願寺顕如や、足利義昭や、浅井長政や、朝倉義景クラスの知名度は獲得していたと思う。
もちろんこの場合は、信長の上洛自体がどうなっていたか解らないが。
六角家もそうだが、江戸時代に大名家として残っていないのも残念だね。
266 :
人間七七四年:2012/01/21(土) 16:17:14.32 ID:pKF8x0Hd
晩年の長慶については、痴呆症などではなく、
脳溢血か脳梗塞によるものではないかという説があったような。
267 :
人間七七四年:2012/01/21(土) 16:25:41.09 ID:pKF8x0Hd
三好長慶は、細川政元や大内義興ですらやれなかった
将軍を追放したうえで換わりの将軍を擁立することもなく、
戦国大名三好長慶の名の下に畿内を統治した初めての大名だと思うのだけど、
そういった革新性も含めて、世間の知名度や評価は
後から登場した信長に持っていかれているように思う。
268 :
人間七七四年:2012/01/21(土) 22:01:21.06 ID:iWnYVL1O
>>267 徳川が後世に三好に着目したってのは多分そこなんだろうな。
三好長慶の物語は政争に大合戦とかなり面白いのに…
天野氏の本にも書いてたけど
信長は後に義昭を頼らない事で織田政権を樹立したけど最初は利用したけど
殆どの勢力が足利氏を利用してるんだよね。
1540〜1568年の三好氏、三好政権の時代があまりにもぞんざいな扱い…
細川政元→細川高国→三好長慶→織田信長のはずが
織田信長→豊臣秀吉→徳川家康で
(信長以前は内紛です☆)なのがなぁ
269 :
人間七七四年:2012/01/24(火) 22:37:42.26 ID:DKnM1A5w
確かに長慶は足利義晴・義藤父子と敵対はしていたけどさ
足利義維と組んでいるからやっていることは然程変わらない
それに長慶が京都を押さえていた時は特筆すべき功績が無いのが痛い
独自の施策を示さない限り革新性を見出すことができない
270 :
人間七七四年:2012/01/25(水) 01:04:07.14 ID:J2EzDL0v
独自の施策がないので革新性を見出すことはできないというのには私も同意するが、
長慶時代に将軍不在のまま改元が実行されているのは
それなりに特筆する事象のように思える。
特に永禄の元号は、
義輝側がその使用を拒否し、
朝廷から勅使が来るまで旧元号の書状を発給していることから、
将軍を介在させずに改元が行われたものであることが解るし、
この期間の朝廷は、将軍家に代わる物として
三好家を扱っていると考えることできるように思える。
義維は大永年間の時には、従五位下左馬頭に叙任されているものの、
この期間は特にそういった官位の昇進も見られず、
京都に移動してもいないことから、
長慶は一度は、新管領細川氏綱と将軍足利義輝の枠組みの元に統治を行おうとしたものの、
将軍との対立によってこの枠組みが破綻した以後は、永禄年間まで、
義輝や義維といった将軍家の権威は不要なものとして統治を行い、
朝廷も、それを受け入れていたと解釈するほうが自然のように思う。
271 :
人間七七四年:2012/01/25(水) 01:12:06.06 ID:J2EzDL0v
我々が考えている以上に管領細川家の権威は大きく、
氏綱を擁立すれば将軍は不在でもどうにかなったのだと
解釈することも十分な証拠があればできるのかもしれない。
政元などの時代ならともかく、少し無理があるか。
272 :
人間七七四年:2012/01/28(土) 00:05:50.34 ID:ILSBr9uq
>>270 元号の改元とか重大事件、なんだけど一般には解りにくいんだよねぇ
三好政権の事を短命政権だと言う人もいるけど
何だかんだで1549年〜1568年の19年
長慶が死んだ時までと考えても1549年〜1564年の15年
織田政権の信長も信長入京の1568年から本能寺までと考えれば1582年の14年
豊臣秀吉の豊臣政権も、江戸幕府成立までの1585年〜1603年の18年
秀吉が死ぬまででも1585年〜1598年の13年
別に他の織田・豊臣に比べても長いとも言えるし、短くも無いが
短命政権って言われてたのは当時の今谷氏に対する当てつけっぽいような気がする
>>271 その表現方法、戦国期畿内を噛んでる人間しか言葉の裏側が理解出来ないだろw
一時は細川>足利になってたから三好の時代でもありえなくもないだろうけど
足利・細川の天秤に掛けて持ち上げやすい方を持ち上げてたって感じかな。
燻って燃やせば燃える権威が残ってたのは余裕で足利の方がだろうし面倒
細川の方は足利と三好の間の中間管理職ポジで本当に名前だけになってそう。
273 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 15:00:52.79 ID:Vx2H+rgC
安宅冬康殺害の件で、松永讒訴説だったなら、長慶はなんで松永を処分しないんだ。
もう反抗する力がないほどに抜け殻状態だったのか?
274 :
人間七七四年:2012/02/05(日) 18:13:41.48 ID:DSHC1ita
>>273 そもそも讒訴かって問題があるし。
やはり三好宗家と四国などの諸家との関係で起こったことだろう。
それに松永が長慶の意に反して動くようなことは考えにくい。
275 :
273:2012/02/06(月) 12:35:51.66 ID:HiPOEaWS
>>274 なるへそ。
創作物では松永が暗躍しているイメージが強いけど、やっぱり長慶の意思もあるんか。
276 :
人間七七四年:2012/02/07(火) 00:04:27.25 ID:4Lc3vyQU
>>275 ただ、長慶は後悔してるから、気付かずに亡くなったよりはまだ救いはある…
冬康が無実だと知った時はもうどんな気持だったか・・・
277 :
人間七七四年:2012/02/07(火) 17:47:37.81 ID:DKf/qQjc
>>276 放置して実際に陰謀がありました、よりはマシ。
戦国大名の決断ってそういうもんだろ。
278 :
人間七七四年:2012/02/07(火) 18:51:06.77 ID:xVpNEicb
無実というか、罪状もよくわからんよね。
十河一存在命中の摂津欠郡と堺・和泉は十河家のシマだったわけだが、冬康の
勢力も入ってる(堺北庄・欠郡榎並)。一存の死後は十河孫六郎(義継)
から冬康に和泉の支配権が移る。堺代官は長慶内衆の加地権介。
で、義継は長慶の養子として三好家の次期当主になるわけだな。
阿波の篠原長房も欠郡にちょっかい出していたらしくもあるし、冬康が誅された頃の
大阪湾東岸では、各種権益を巡って三好家中で激しい暗闘が繰り広げられていたとか。
279 :
人間七七四年:2012/02/10(金) 21:02:15.43 ID:s/FI7GKY
1553年8月に細川持隆を殺害。
1555年4月に足利義維が出奔。
三好長慶もこんな状況では足利義輝と手を結んだ方が楽だろ?
天下を狙うにしても足利義輝を神輿にして反三好勢力が結集するだろう。
足利義維を擁立できない三好長慶の苦戦は必至だな。
280 :
人間七七四年:2012/02/11(土) 21:00:11.79 ID:xs+kMr8G
足利義輝が京を追われた1549年から足利義維の出奔までのあいだ、
三好長慶が義維擁立を試みた形跡はないような。
足利義輝と手を結んだ方が楽だったのは事実としても(1558年和睦成立)、
平島公方の動向はあまり関わって無さそうな。
281 :
人間七七四年:2012/02/12(日) 11:44:53.25 ID:B8rAOJkZ
三好長慶・三好之虎共に
平島足利公方を将軍家の代わりに擁立するつもり、動きは全く無いね
平島公方を擁立せざるを得なくなったのは
兄弟が死に、義輝が死に、義昭が生き残った為の対抗馬
篠原長房・三好康長・三好長逸の時代に入ってからだな
282 :
人間七七四年:2012/02/15(水) 04:51:39.43 ID:V2VnNnyp
283 :
人間七七四年:2012/02/15(水) 12:20:42.74 ID:z/rtCCN7
279はifとか想像上での平島公方の役割について書いている
280・281はその前提となる史実での平島公方の役割について書いている
ってこと
婉曲に反論されているのだと思わないか?
284 :
人間七七四年:2012/02/15(水) 21:29:42.30 ID:V2VnNnyp
>>283 それで君は誰?
280の人か?
281の人か?
それともただの野次馬か?
名乗れないなら無理強いはしない。
285 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 18:50:01.02 ID:oa0PlSAP
>>284 誰でもいいけどお前が変な絡み方をしているのだけは理解できる。
286 :
人間七七四年:2012/02/16(木) 19:08:44.76 ID:zpCmEgco
287 :
人間七七四年:2012/02/28(火) 05:44:42.29 ID:IZsJbzSO
>>285 変な絡み方しているのはID:oa0PlSAPだろ?
わざわざそんな返レスしている時点で本人乙だ
288 :
人間七七四年:2012/03/03(土) 16:36:15.29 ID:XsWovNSB
発 者 同 . 。_ ____ 争
生 同 .じ . /´ | (ゝ___) い
.し 士 .レ .__/'r-┴<ゝi,,ノ ro、 は、
.な で .ベ ∠ゝ (ゝ.//` ./`| }⌒j
.い し .ル } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
.! ! か の / ´..:.} >、、___, .r、 ソ、`\
/ ..:.:.} / |∨ ` ̄
/ ..:.:./ | 丶
/ _、 ..:.:.:.{ .{.:.:. \
{ ..:Y .ゝ、 {.:.:.:.:. ヽ
|、 ..:/ 丿 .:〉 >.- ⌒ . ヽ
/ {. ..:./ ソ ..:./ .( ..:.:.:` ..:}
./..:.:}.:.:./ ヘ、 ..:./ .\ ..:.:r_,ノ、.:.:}
./..:.:/|.:/ {.:./ X.:.:}.} X X
/..:.:/ .}.:| }:/ .Y丶ヽ Y.:Y
. __/.:/ { } 《.〈、 _,,__>.:》丶 Y.:\
/.:.:.:.:.::/ !.:.:ゝ ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ \.: ̄>
289 :
人間七七四年:2012/03/03(土) 16:44:28.98 ID:4yp6SMO7
>>288 日中戦争を理解しているか?
第2次世界大戦を理解しているか?
太平洋戦争を理解しているか?
290 :
人間七七四年:2012/03/03(土) 17:36:41.72 ID:XsWovNSB
?マーク連発君か。
291 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 16:37:20.06 ID:UvGX3OQP
292 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 21:17:24.70 ID:efn0Yqot
そして279が残った?
なんだこりゃ
293 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 23:28:49.71 ID:UvGX3OQP
>>292 279に虐められたオマエの悔しい無念の叫びだけがこのスレに残っているとしか言えない
294 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 23:41:28.55 ID:88Jf6cU+
どう見ても悔しい無念の叫びを挙げているのは ID:UvGX3OQPです。どうもありがとうございました。
295 :
人間七七四年:2012/03/04(日) 23:59:24.86 ID:UvGX3OQP
>>294(ID:efn0Yqot=ID:88Jf6cU+)
人の真似しかできない中身が無い奴だな
あまりの無様さに哀れんでしまったよ
それと妄想勘違いしているところ悪いがオレは279じゃないよ
ID変更してまで自作自演するような卑屈なID:88Jf6cU+にはまともな人間の声は届かないのだろう
さあ次レスで顔を真っ赤にして恨み言を書いてみな
お前は限度が分からない荒らしだから迷惑なんで1レスだけにしておけよ
>>296はキチガイの悔しい恨み言です
↓↓↓
296 :
人間七七四年:2012/03/05(月) 11:52:25.61 ID:/68XaoTb
これだけベラベラ自己紹介する奴も今時珍しいな。中学生か?
297 :
人間七七四年:2012/03/05(月) 23:48:16.50 ID:1kWG7B2q
>>285-296 三好のことに一言も触れず一所懸命に荒らし活動するのははっきり言って迷惑
285氏や296氏みたいな個人攻撃レスはこのスレにいらないので出てってくれ
298 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 19:01:48.94 ID:PhjgJjah
>>278 信康と義継はその後の行動が真逆で
対立していた様に見えるけどそれが原因かな。
299 :
人間七七四年:2012/03/07(水) 20:26:38.38 ID:VzgyJd1k
三好家中は各自がてんでに押領とか利益追求していて、
利害調整がややこしそうな印象があるね。
長慶が死んで重しがとれたら色々とぬきさしならない状況に
なってしまった、という事はあるのかも。
300 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 18:39:31.42 ID:DYyejW3n
>>283 論点がズレていると言われているのにそれを無視してゴリ押しじゃ話にならない
ちなみに君の言うようなことは279氏は書いていないよ
もう一回279氏のレスを読んでみたら?
301 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 19:39:48.07 ID:Bpd/FLTv
ならば
>>279はもう一度書き直すべきでは?
特に最終行が飛躍していると感じる
個人的には
>>283に同意
302 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 20:40:24.62 ID:UGk8EWPn
279でもその代弁者でもいいが、
論点ずれてると言うならレスをよく読めとか横着せずに
これこれこういう事が言いたいんだよヴォケとくらい書いたらいいよ。
言いたいことが了解されていないままに貶し合いとか不毛ではないか。
そこまでする義理はないってことならそれまでだが。
303 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 22:18:41.44 ID:DYyejW3n
逆だろ?
論点がズレていることを理解できないなら聞き直せばいいんじゃないか?
聞きもせずにお前の書いていることは理解できないでは話にならんと思う
論点がズレているよ。
しっかりレスを読もう。
↓
婉曲に反論されているのだと思わないか?
わからないなら「教えてくれ」の一言を添えるべきだったな
自分が絶対正しいと思ってしまうとこうなる典型だろう
304 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 22:21:58.72 ID:DYyejW3n
>>301 君も理解できないなら279氏に教えを請うてみたらいい
305 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 22:35:16.20 ID:UGk8EWPn
うーん、ちと論理が高踏すぎてついていけない。
ごめんね。
306 :
人間七七四年:2012/03/10(土) 22:39:54.70 ID:DYyejW3n
>>305 ついていけないなら口出しすべきではなかったね
307 :
人間七七四年:2012/03/11(日) 03:45:04.61 ID:/ZNsz9Ub
>>300-306 どうでもいい事を、いつまでもうだうだとうるさいな。
たまにレスがのびてると思ったらこれかよ。
>>299 今村慶満や松永長頼あたりは寺社や公家の所領の押領をしたという
話が結構でてくるからな。とくに今村は内蔵寮率分を押領して山科言継が
長慶に訴え出ている。
308 :
人間七七四年:2012/03/11(日) 08:45:59.89 ID:zTx2RQ1i
安宅方榎並代官がちょっかい出したところが、
そこは俺とこの給人の領地じゃねーかって
松永経由で長慶に叱られた文書も残ってるな。
もうちょっと協調しようよ三好家中。
とはいえ、こういったエネルギーが三好家全体の隆盛を支えたとも言えるか。
309 :
人間七七四年:2012/03/11(日) 09:10:09.82 ID:QjLOUK5m
310 :
人間七七四年:2012/03/11(日) 22:39:49.89 ID:LLAynZbL
>>307 山科さんから苦情が出たのは一存と長頼と今村だね
特に今村は長慶が止めるように言ってもずっと止めなかった辺りどうしようもないな。
311 :
人間七七四年:2012/03/11(日) 22:51:04.82 ID:tQoNYHA9
三好家中のまとまりがないのは確かにあるけど、
六角義賢の頑張りがボディブローのように効いている気がする。
なぜさっさと滅ぼさなかったんだろう。
追記
足利氏の霊験云々とか言い出して、また惨めな意地の張り合いするのは無しの方向でヨロ。
312 :
人間七七四年:2012/03/11(日) 22:57:11.61 ID:D9PYuEt+
三好家は実権は掌握していたが、建前上は、足利家の家来の細川家の家来だからな〜。
足利家なり、細川家なりの誰かを神輿にすれば三好家内の立場は簡単に逆転できた、
だから競争もしやすかったが、求心力には欠けちゃったんだろうな。
313 :
人間七七四年:2012/03/11(日) 23:30:53.52 ID:QjLOUK5m
三好義興が死んでしまった時点で三好の命運は尽きた。
逆に六角承禎の方が浅井にしてやられてしまったことに残念。
それと六角家は織田家と友好的だったのに斎藤家と姻戚関係を結んだため敵対関係になったのも痛い。
314 :
人間七七四年:2012/03/12(月) 00:50:18.56 ID:CdPZL94D
>>312 申し訳ないけれど意味がよくわからない。
>三好家内の立場は簡単に逆転できた
>だから競争もしやすかったが、求心力には欠けちゃったんだろうな。
これは長慶生存中の話?
>>313 こちらも
>三好義興が死んでしまった時点で三好の命運は尽きた。
>逆に六角承禎の方が浅井にしてやられてしまったことに残念。
三好を敵視した六角側からの感想のよう見えるけれど、
六角は三好に匹敵する勢力だったのにそうなれなかった理由を述べているの?
ついでに君ら1行目は、わざと三好厨を挑発してるの?みんな怒るよ?
315 :
誘致中:2012/03/12(月) 23:02:17.04 ID:IDDrPZi6
316 :
人間七七四年:2012/03/13(火) 03:17:34.35 ID:OwXKoobv
うーむ。
そもそも、三好関係の「通説」は、実休の諱を間違ってる時点で資料的価値が低いと思うんだよな。
つまり、ほとんど欠席裁判の上での話だから、江戸初期ごろ成立の史料が既に信用しがたい。
三好は中核を担っていた知識人階級に関してはマジに全滅しちゃってるからさ。
冬康の話も、長慶がどれくらい関与してたかは、もうちょっと客観的に議論できる土台が必要じゃないかな。
317 :
人間七七四年:2012/03/13(火) 18:41:28.75 ID:f+uiqFLe
>>314 みんなおまえの挑発に怒ってることに気づけ
318 :
人間七七四年:2012/03/13(火) 22:31:46.71 ID:Qezu+bLc
>>316 松永弾正にしてもそうで、三好・松永に関しては巷間言われるよう話は眉唾なのが多い。
いわゆる「三悪」も微妙な話だし、第一が
三好氏の実権を掌握したことなんて一度もない。長慶が死ぬまで彼の権力の半径の
中でしか行動していないといってもいいくらい。
もちろん、久秀は出自すらはっきりしていない人なのにもかかわらず、長慶政権の中枢に
あり続け、幕府直臣の地位まで手に入れているほどの人なので、卓越した人物であるのは
間違いないと思うんだけどね。
319 :
人間七七四年:2012/03/20(火) 11:47:20.03 ID:D94w0c2Z
283が最悪だったな
320 :
人間七七四年:2012/03/20(火) 23:38:58.71 ID:Da+uoNWf
321 :
人間七七四年:2012/03/21(水) 20:29:35.83 ID:JJjN/wju
「真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ」
322 :
人間七七四年:2012/03/22(木) 07:07:51.95 ID:NAfiOP/h
323 :
人間七七四年:2012/03/25(日) 01:14:36.63 ID:/xzVWuhZ
「真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ」
324 :
人間七七四年:2012/03/25(日) 18:09:29.91 ID:FtTmcs8I
325 :
人間七七四年:2012/03/30(金) 23:09:40.35 ID:43hvLvmp
彦根城のふもとの資料館に機内情勢コーナーみたいなのがあって
そこに「足利義輝を三好長慶らが殺害し〜」って書いてあったけど
一般的にはそういう見方なのかな?
個人的には長慶の意志じゃないと思いたいんだけどな〜
そもそも生きてないし・・・
326 :
人間七七四年:2012/03/31(土) 05:52:43.15 ID:IuL+ex4o
>>325 ・三好長慶が足利義輝を殺害。
・松永久秀が三好家を乗っ取った。
・堺は自治都市、代官を始めて置いたのは信長。
・三好家の領土は阿波と摂津だけ(1560年)。
・三好政権は一部の研究者とマニアの妄想の産物。
一般向けの歴史雑誌やYahoo知恵遅れだとこの程度の認識。
こういうのを見る度に腸が煮えくり返るから困る。
327 :
人間七七四年:2012/03/31(土) 22:55:17.19 ID:bn4/iKFG
>>326 ほんとそうだよなぁ・・・
伊達や島津とかの自分の所の大名だけに偏った資料に比べると…
三好も後世に書かれた物が多いけど色んな所に顔出すから
かなり多角的に、第三者視点で見て判断できるのに・・・
歴史雑誌と知恵遅れはsubとか三戦板のキチガイが暴れるから腹たつわ。
328 :
人間七七四年:2012/04/02(月) 00:00:01.87 ID:n9GNPPCV
>>327 で、そういうのを下敷きにして「10年早く生まれたら天下取ってた」とか言っちゃうわけでしょ?
そりゃ自分のことを良く書いている本しか無ければ、誰だって完全無欠の英雄ですわ。
まあ、三好家もそういう史料には事欠かないけれどね。フロイスやヴィレラが結構ヨイショしてる。
ほんまそれ、知恵遅れだと何故か電波な連中がベストアンサーとやらに輝いているんだよね。
その他の意見も適当に三好叩き、信長マンセーしとけばいいって感じだし。
329 :
人間七七四年:2012/04/03(火) 12:17:55.42 ID:K9LnZbVo
戦国をちょっとでも齧ってて三好知ってればそういうことにならないと思う
よく2chの戦国時代スレで「信長が10年早く生まれてれば天下取ってた」って言う奴いるけど
必ず誰かが「上京しても三好にペコペコして終わり」って返すよ
330 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 07:43:29.06 ID:ZaosDavS
>>329 10年前ってことは、上洛の時期も単純に見積もって10年前の前後として……三好家オールスターの時期じゃないか。
何故かそういうことを言う人達は三好家の勢力を計算に入れたがらないんだよなぁ。
そもそも、上洛の大義名分どうするのよ。
331 :
人間七七四年:2012/04/11(水) 09:59:26.66 ID:OLsjfiMT
>>326 Wikipediaにも書いてあるけど、1572年成立のはずの『古城諸将記』に
三好義賢が足利義輝を殺したって書いてある。
ちなみに、実際は
之虎没年:1562
長慶没年:1564
義輝没年:1565
義継没年:1573
久秀没年:1577
存保没年:1587
するとどうなるか、っていうと数百年単位で方々の家伝の書に
「三好義賢が足利義輝を……」
って書かれているっていう事態が発生している。
だから、なまじ歴史に詳しいお爺さんとかが、
「三好義賢が…」って言ってしまうわけだ。
332 :
人間七七四年:2012/04/27(金) 16:14:05.00 ID:4SlGgHqo
質問があるんですが、紀伊安宅氏と淡路安宅氏はどういう関係なんですか?
小耳に挟んだところだと、冬康の義父の弟が紀伊安宅氏になった、ということなんですが
333 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 17:44:21.95 ID:v1e0RNgc
334 :
人間七七四年:2012/04/28(土) 20:11:23.95 ID:vOz1R1p8
「三好の家を継ぐ」という注記では?
335 :
人間七七四年:2012/04/29(日) 22:31:08.10 ID:EMUNgwSF
家原城合戦。(12/28)
三好三人衆と三好康長、三好継家に勝利。
三好継家は自害。
336 :
人間七七四年:2012/04/30(月) 13:45:01.61 ID:ui0tWxT5
家原城合戦なんてあったのか、知らなかったわ
三好継家なんて聞いた事無いな
たんなる三好一族のうちの一人で義継側だったんだろう。
義継から継の名前貰ったんだろうからそれなりに期待はされてたんだろうが
三好房一と同じような立ち位置の人間だろうな
337 :
人間七七四年:2012/04/30(月) 15:05:45.71 ID:ui0tWxT5
>>332 安宅冬康が養子入りしてからは淡路安宅氏と紀伊安宅氏は別物だね
元々紀伊にも安宅氏があって淡路の方に三好が入ってからは
淡路側の旧安宅氏は最終的に紀伊の方に移ったんでないかな
338 :
人間七七四年:2012/05/01(火) 20:41:40.94 ID:aoYhwczR
家原城は泉州堺の城で当時はボンバーマンの支配下にあったらしいけど、三好継家や一緒に自害した雀部氏の誰かさんは義昭から守護を命じられた
みたいなことを説明板と郷土史かなんかで見たけど、よくわからないから俺も気になってた
339 :
人間七七四年:2012/05/01(火) 23:09:18.49 ID:V0QNmRYu
義昭なんちゃらのくだりは俺もネットで見たような気がする
どこのサイトかは忘れたが
340 :
人間七七四年:2012/05/06(日) 15:52:08.71 ID:WyL+k1vU
>>333 サイト主に直接聞いた方が早いのでは?
年表見たけど内容を見る限り知識はありそうだし詳細がわかるかもしれないよ。
341 :
人間七七四年:2012/05/06(日) 19:19:28.48 ID:BpRrDY4q
334 338 339 340 ありがとん
直接行って説明板を見てくるよ
それと郷土史の方も見てみる
それでダメならサイト主に聞いてみるよ
342 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 10:08:20.04 ID:pvlrAsjO
長慶さん最近興味持ったんですけど
やっぱり松永久秀さんとは仲良かったんですかね?
それと松永さんが何度も裏切ったのって信長さんに対してですよね?
343 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 19:56:30.73 ID:2kjTsQtv
>>342 松永久秀は長慶、および三好宗家に対しては最後まで忠臣だったと考えていいです
344 :
人間七七四年:2012/06/21(木) 17:04:21.82 ID:8dGSikyV
>>342 メディアだと信長がメインの露出が多くて信長→久秀の印象ばかりだから勘違いされるのかと
345 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 22:45:13.23 ID:XRhAEIlu
>>342 三好氏スレにようこそ
疑問点があれば答えられる範囲であれば答えるよ
346 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 16:31:35.81 ID:55l3+Ulf
篠原長房謀殺未遂事件
篠原長房
497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 16:49:04.38 ID:SMAAy7mw
三好長慶の死と、足利義輝暗殺後の三好家の分裂は、三好三人衆と松永久秀の対立と
俗に言われているが、実際には松永久秀は三好宗家当主である三好義継を押し立てる立場であり、
三好三人衆のバックには、阿波三好家を支配する篠原長房があり、実態としては畿内の三好宗家と
阿波三好家との対立、というべき物であった。
永禄11年11月、
その、阿波の実質的な支配者である篠原長房の弟某というものが淡路において、敵対する三好義継方に寝返った、
そして兄長房の暗殺計画を進めていたが露見、そこでこの弟某は堺へと逃亡した。
これは10日のことだったという
(多聞院日記)
これって自遁のこと?
347 :
人間七七四年:2012/07/06(金) 21:14:57.92 ID:Tya+3ySg
だろうね、小少将と密通しているのを長房が戒めたから自遁(実長)が反抗
348 :
人間七七四年:2012/07/07(土) 23:51:04.67 ID:P21VREIt
岡本さんちの娘があれだったから家の先祖Sの家は苦労したらしいわ。
349 :
人間七七四年:2012/07/08(日) 12:26:02.80 ID:S3e21t5o
義輝襲撃って何の意味があったんでしょうか?
長慶が死んで義輝が力を持つのを恐れたため??
350 :
人間七七四年:2012/07/09(月) 16:05:58.51 ID:ozilPf56
>>349 足利家の権力は明応の政変から下り坂で足利義輝の頃には殆ど力は無かったのが前提としてあり
もはや自分の地元(畿内)で足利義輝は権威を発揮しにくい為
義輝が行ったのが地方大名に名を売ったり、栽許に入ったりetc
三好の統治している地では義輝の権威が殆ど通用しなかったが
地方では足利の権威を利用する者が沢山いたのでそれを利用しようとしたが
積極的に三好長慶とやり合う気概のある武将は当時誰もいなかった
そもそも長慶はそこまで地方に喧嘩を売ってない上絶大なカリスマであり統率者
改元まで長慶の意向で行えるまでだし義輝程度では太刀打ち不可能。
しかも義輝は自身の行いで地元での評判があまりよろしくない。
その長慶が亡くなり、息子の義興が亡くなっているとなると
いくら三好義継を養子に迎えていようが嫡男ではないし格は落ちるわな?
義興が生きていれば義輝の権威に負けず徐々に義輝を排除する方向に向かったかもしれないが
いないとなると相対的に足利義輝の権威が三好を抑圧しにかかるよね(確実に)
足利復興を目的とする義輝と、潰される事を拒否しそれに抗ったの三好
これが『永禄の変』
はっきり言うと暗殺でも何でもなく三好と足利の生き残りを掛けた戦いで
足利の権威に対する抗うのが理由だけど、義輝も相当恨み買ってたから・・・
つまり、この『永禄の変』で初めて次の時代に繋がる土台が出来た(名族vs地方豪族)に豪族側が勝利
けど流石に【力による排除】はイメージダウンにしか繋がらない
三好が行った『将軍殺し』の代償は畿内での評判も落とし地方大名にも利用されることになる(織田+義昭の上洛、とその理由付け)
で信長は上洛した後に義昭を追放する(三好時代よりハードルが下がったから)
351 :
人間七七四年:2012/07/12(木) 11:29:00.24 ID:mGJC+DTn
将軍殺しまでしたのに、阿波公方をすばやく擁立できなかったのも
ダメージだったと思う
永禄8年5月 永禄の変
永禄9年2月 足利義昭、還俗
永禄9年4月 足利義昭、従五位下左馬頭叙任
永禄10年1月?足利義栄、従五位下左馬頭叙任
永禄11年2月 足利義栄、将軍宣下
永禄11年9月 足利義昭、上洛
352 :
人間七七四年:2012/07/12(木) 12:17:25.13 ID:e2p3bgHt
将軍の空位の期間が長いのね。
まあ、そんだけグダグダだったんだな。
353 :
人間七七四年:2012/07/16(月) 10:50:24.33 ID:kQF2412f
このスレに三好氏の末裔いるの?
354 :
人間七七四年:2012/08/09(木) 19:21:06.18 ID:oPIa8GaJ
若松和三郎『篠原長房』
これの入手方法ってあるのかな
2010年4月にヤフオクで開始2000円で結果19500円で落札されてるけど
355 :
人間七七四年:2012/08/13(月) 02:00:39.01 ID:dTytVytU
>>354 若松氏は新加制式の論考(これはぐぐれば出てくる)など、三好氏に関する
論考も多い人だな。
長房で一冊というのは興味深いので一度見てみたいんだけどなあ
356 :
人間七七四年:2012/08/15(水) 10:55:09.30 ID:efNnUS25
祖母の旧姓が三好や
京都の人。
357 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 00:04:49.03 ID:NQAr+oOA
2chではできるだけ個人情報を晒さない方がいいと思う。
訊く方もアレだが。
358 :
人間七七四年:2012/10/11(木) 21:02:49.91 ID:up+DWCw2
阿波三好氏
論集 戦国大名と国衆I
天野 忠幸 編
(関西大学非常勤講師/1976年生まれ)
2012年10月刊
A5判・312頁・並製本・カバー装
ISBN978-4-87294-770-0 C3321
4800円 (税別)
本書では、畿内で細川氏や足利氏・織田氏に対抗した三好氏(長慶・義興・義継)ではなく、四国阿波に展開した
三好氏(之長・元長の阿波守護家における台頭、実休の勢力拡張、長治・存保と織田・豊臣政権)に焦点を当て、
その政治動向や権力基盤を扱った基本論文10編を再録し、編者による総論「阿波三好氏の系譜と動向」を付した。
【主要目次】
総論 阿波三好氏の系譜と動向 天野 忠幸
山下 知之 「阿波国守護細川氏の動向と守護権力」
(『四国中世史研究』6、2001年)
新見 明生 「勝瑞騒動以後の阿波三好氏権力について」
(『鳴門史学』20、2006年)
若松和三郎 「三好義賢雑考(上)(下)」
(『ふるさと阿波』172・173、1997年)
河内 将芳 「戦国末期畿内における一法華宗僧の動向―日b『己行記』を中心に―」
(『戦国史研究』36、1998年)
長谷川賢二 「天正の法華騒動と軍記の視線―三好長治の「物語」をめぐって―」
(高橋啓先生退官記念論集『地域社会史への試み』、2004年)
多田 真弓 「戦国末期讃岐国元吉城をめぐる動向」
(『内海文化研究紀要』32、2004年)
諏訪 勝則 「織豊政権と三好康長―信孝・秀次の養子入りをめぐって―」
(米原正義先生古稀記念論文集『戦国織豊期の政治と文化』、1993年)
天野 忠幸 「三好政権と東瀬戸内」
(地方史研究協議会編『歴史に見る四国』、2008年)
山川 浩實 「阿波藩家臣団の編成(1)―国人衆の登用」
(『徳島県博物館紀要』3、1972年)
山村 亜希 「戦国期吉野川デルタにおける勝瑞と港」
(『徳島県の中世城館』、2011年)
http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN978-4-87294-770-0.htm
359 :
人間七七四年:2012/10/13(土) 01:44:50.61 ID:2x05eUN+
360 :
851:2012/10/14(日) 02:31:21.11 ID:oJ4NESJ5
ついに野口冬長情報が出た。
826 :人間七七四年:2012/10/13(土) 22:49:27.35 ID:8Ay9UkVa
「おん折紙、拝見せしめ候。よって榎並給人方の事、違乱を止めらるるの由、しかるべく存じ候。
長慶内証の様体、笑止に存じ候。心中をも存ぜず候いつれども、おのおの心得のため、申し候いき。
それについて給人方田地の事、そのかくれあるべからず候。さりながら、ご不審のこと候はば、
給人衆の帳をごらんあるべく候。なお寿清へ申し渡し候間、一二能わず候。恐々謹言。
九月十四日 松弾 菅若 」
(お手紙、拝見しました。榎並の侍衆の騒動を鎮圧されたこと、当然の処置であると思います。
長慶の内々の様子は、笑止千万と言えましょう。本人も、もう何を考えているのか分かりませんし、
皆さんにも(こんな状態だと)心得ておいて欲しいので、申し送っておきます。
それはさておき、榎並衆の土地争いについては経緯が明らかですが、ご不明の点があれば
連中の知行簿をご覧ください。その他については使僧の寿清に伝えてあるので、一々書きません。
九月十四日 松永弾正より 菅若狭守へ )
三好長慶の晩年、永禄六年前後に出されたと思われる、松永弾正久秀から野口(菅)若狭守冬長あて書状。
主君の末弟への手紙で、肝心の主君を呼び捨てにしたり「アイツ何考えてるやらww」とか
書いちゃう松永先生、マジ爆弾正。誰のせいで『笑止』な事になったんですかねぇ・・・
827 :人間七七四年:2012/10/13(土) 23:09:42.63 ID:pMAA7Nd0
>>826 ここでの「笑止」は笑止千万じゃなくて、「困っている」と訳すべきだと思うよ?
つまり
「長慶の病状が思わしくなく困っている。」と解釈すべきかと。
「長慶」って言っているのも、野口冬長が長慶の末弟で、一門だからかと。
つまりこれは、身内で長慶の様子を心配している書状だと考えたほうが良いかと。
361 :
人間七七四年:2012/10/19(金) 18:18:53.76 ID:iczn6T//
>>360 おお、グッジョブ。
冬長は義興と冬康の後釜として、摂津の差配をしていたのかな?
362 :
人間七七四年:2012/10/20(土) 22:20:50.19 ID:3EY3V/Sb
まだ兄弟だって断定は早いんじゃね?
そもそも何故これは管=野口 で冬長だと
363 :
人間七七四年:2012/10/23(火) 11:53:02.00 ID:CxnoWMQm
俺はノブヤボでいつも野口冬長と千松丸を登録武将として作ってるよ。(千松丸の嫌悪武将は生駒w)
364 :
人間七七四年:2012/11/12(月) 15:57:46.22 ID:Nc7g7T9T
生駒なんざ嫌悪武将に指定するまでもなく斬首。
ところで、もうゲームの話くらいしか無いのかしら三好家。
誰か本出す先生いないの?
365 :
人間七七四年:2012/11/23(金) 01:18:23.30 ID:IMk4AW5Q
この人誰?三好新右衛門
516 :人間七七四年:2012/11/21(水) 17:21:25.71 ID:E76JNPm/
高麗陣の時、豊臣秀吉は日根野備中を高麗へと遣した。
しかし、日根野は甚だしく貧しいために支度もままならず、
三好新右衛門を介して黒田如水から銀百枚を借りることになった。
日根野は帰国すると三好と一緒に如水を訪ねて御礼を述べた。
この時、借りた銀百枚とは別に利息にと思ってさらに十枚を持参していた。
ところが、対面した如水は人を呼んで「さきに貰った鯛を三枚におろして
その骨を吸物にせよ。それから酒も出せよ」と命じたので、二人は心付けが
足りないと思い、酒を飲み終えた後、三好がさらに銀を取って来て礼を述べた。
だが如水は「いやいや最初から貸す心ではなく合力の心で貸したのだ」
と、再三勧めても受け取らなかったので、二人は大いに感銘を受けて
帰ったのだという。
――『老人雑話』
366 :
人間七七四年:2012/11/27(火) 00:18:04.70 ID:eSFZ97iD
>>364 天野忠幸さんが10月に阿波三好氏の論集を出している。
せっかくだし購入してみようかと
>>365 三好房一のことっぽいな
367 :
人間七七四年:2013/01/13(日) 00:55:27.12 ID:rPJnS+SC
>>358の論集を買ってしまったw
安宅氏は冬康の後を継いだ神太郎(信康)も天正初期に没しているようで、
その後を継いだ安宅(三好)神五郎はどうやら実休の子らしいな。織田方について、
天正12年には羽柴秀吉から播磨に知行を与えられているとのことだった。
信康という諱も一次資料では確認できないらしいし、史料が少ないこともあって
三好氏は解らないことだらけだな。
三好神五郎はその後どうなったんだろう。
安宅冬重という、冬康の子・重康の曾孫が阿波藩に仕えているそうだけど。
368 :
人間七七四年:2013/04/06(土) 16:31:10.31 ID:8oCjZjhy
wikipediaですら三好三人衆と松永久秀は共に
第13代将軍足利義輝を暗殺した(永禄の変)と書かれる風評被害
暗殺は公方様の十八番ですよね失敗してるけど
そもそも世間が三好家中のことしらなすぎなところに将軍家が話盛るから…
369 :
人間七七四年:2013/04/07(日) 23:21:41.29 ID:S0eCjvrt
正直な話、三好の印象が一般的に知られるのは信長時代の三人衆が殆どで大概は敵役で
信長側に足利義昭が居る事で相対的に義輝の永禄の政変が引っ張り出されてくる
印象が悪い理由としては初めに信長、時点で義昭というか足利
さらに義輝最後の逸話で神格化された足利義輝の存在で三好=悪の図式が完成されてしまってるからな
370 :
人間七七四年:2013/05/15(水) 12:59:33.57 ID:LCKtx0SC
信長の野望の新作が出るな、三好家からは何か変化あるのか楽しみだ
371 :
人間七七四年:2013/06/03(月) 19:33:09.50 ID:a3XUAaCC
戎光祥出版から「戦国三好氏と篠原長房」という本が出るみたいだな
著者が若松和三郎氏だから絶版で入手困難の「篠原長房」のリメイクになるのかな
372 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:IWofsFnx
宮帯出版社の公式に今谷、天野両氏監修の「三好長慶」が載ってるな
そういえば先日あった「三好長慶公四百五十年遠忌 追善茶会」を主催したのも宮帯出版だったっけ
誰か行った人いる?
373 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:V2wdro4O
>>372 いつ発売だろうね?
もう出てるのかな。
374 :
人間七七四年:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:2ZyQhCWp
375 :
人間七七四年:2013/09/13(金) 23:35:16.47 ID:SqSczu1q
篠原長房が死んだとき三好康長はどこにいたのかな?
やっぱり上桜城攻めに参加してたのかな?
376 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 11:00:21.96 ID:dg/Zw5t1
>>375 三好康長は高屋城に居たから関係無いと思うぞ
377 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 20:44:38.63 ID:PPsRBurG
水野勝成と同時代に生きてなかったお陰で通気取りに過大評価されてる奴ら
378 :
人間七七四年:2013/09/27(金) 20:09:11.07 ID:jxuD+1wj
篠原長房楽しみだなぁ
379 :
人間七七四年:2013/10/03(木) 22:23:02.17 ID:w5zv8DJF
戦国三好氏と篠原長房
中々興味深い本だったよ、主に篠原氏メインで篠原長房の祖父からスタートと言うレアな内容で始まる
長房の親父の篠原長政も重臣で活躍していたと
あとは篠原長房の政治・知略・戦場での縦横無尽の活躍
今までの三好本と違い篠原氏近辺の武将が事細かく記されてる
今谷氏や天野氏は若松氏に配慮したのかって程の内容が昔には解ってたのかって位内容は濃かった
熱い所は1570前後で、備前の呉島に三好軍が出兵した時の事とかは天野氏・今谷氏以上の内容
備前の浦上・宇喜多・毛利と乃美・来島・村上などが絡み合った瀬戸内の戦いを検証していた。
逸話も沢山載ってたし長房の親族とかとにかく滅茶苦茶濃い
三好関連の本でも独立した内容で三好ファンにはお薦めだな
380 :
人間七七四年:2013/10/03(木) 22:29:26.58 ID:w5zv8DJF
新情報が多すぎて説明も難しい位
部下の立場から見れる三好氏本としては今の所一番良い感じ
その長房が先頭に立って指揮を揮う時になってからが面白い
こんなに有能な人材が急に消えてしまうのが切ないね
381 :
人間七七四年:2013/10/03(木) 23:50:40.96 ID:tx3e6Zja
新情報も何も20年前の本の再販だけど・・・
382 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 09:10:53.13 ID:24FIaoL1
手に入らない状況で内容はウィキとかにも全然無いし、そもそも当時に手に入れてないとまず知りようのない
今谷氏や天野氏の本では解らない事ばかりだから当時買った人以外は20年前とは言え新情報だよ。
383 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 17:08:49.64 ID:kkbGeldU
屁理屈を書くな阿呆
384 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 23:13:57.91 ID:tGCDHoPA
ボケとツッコミワロタ
385 :
人間七七四年:2013/10/06(日) 11:49:21.45 ID:uKpXA/RL
>>376 元亀4年の頃は、高屋城は畠山氏の居城だったから、
三好康長が高屋城に入ったのは天正2年4月頃では?
386 :
人間七七四年:2013/10/06(日) 12:13:11.86 ID:uKpXA/RL
それにしても三好康長は、一時期3人衆から離脱して松永方に走ったり、
秀吉から養子受けたり、不思議な人物だね。
387 :
人間七七四年:2013/10/11(金) 18:16:44.58 ID:TYgR0KZG
松永に与したのは義継を心配して敢えてのことと考えることもできる
秀吉に与したのはよく聞く説でいいんじゃね?
388 :
人間七七四年:2013/10/11(金) 18:24:50.82 ID:TYgR0KZG
松永に与したのは義継を心配して敢えてのことと考えることもできる
秀吉に与したのはよく聞く説でいいんじゃね?
389 :
人間七七四年:2013/10/15(火) 22:24:26.84 ID:asuwpJLl
本スレに活気が無いのは何故?
390 :
人間七七四年:2013/10/18(金) 11:25:55.98 ID:E7wvLonU
盛り上げにきた
>>360 ワロタw
これ松永久秀の人間性がよくでてるな
現代社会でもこんな社員いるよな
能力が高くて、すぐ他人を見下す、他人を貶めて自分の評価を上げるタイプ
だけど実際仕事はできるし、本人の前では御世辞を並べて平伏するし、何より上司のお気に入りなのでので誰も何も言えないってやつ
そりゃ、同じ自分の才能のみを信じる、ただし誰にも媚びない義賢は勿論、体育会系の一存、三人衆ほか多数の同僚に嫌われるわけだ
上手く付き合ってた安宅冬康は本当に心が広かったんだろうな
391 :
人間七七四年:2013/10/18(金) 18:12:01.07 ID:hl5CMalm
わざとだったらつまらんレス。本物レスだったらただの馬鹿
392 :
人間七七四年:2013/11/07(木) 11:37:15.69 ID:UZD7zUCG
戦国遺文:三好氏編 全三巻の1巻目が1万7千円で出るけど
お前らどうするよ、昔の書状そのままだよな?俺は多分解読できないw
393 :
人間七七四年:2013/11/07(木) 12:38:57.44 ID:gANaUTeB
三好とか北条の書状の読解は結構難度高いぜ。
武田とか上杉とかは多少難易度が下がる。
織田の書状は初心者向けだけど。
394 :
人間七七四年:2013/11/07(木) 15:17:52.23 ID:8E9KXHzL
395 :
人間七七四年:2013/11/07(木) 22:17:35.91 ID:XEaoStyJ
たしかに織田のは簡単。
難しい漢字つかわんから織田の書状は素人でもある程度理解できるからね。
396 :
人間七七四年:2013/11/08(金) 09:13:25.69 ID:4L85E406
個人的には北条は上杉や武田より難しいな。
まれに意味がさっぱりわからん時ある。
397 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 09:25:48.67 ID:r+Ssiv08
ただ信長の書状は、
形式や礼や文脈がデタラメで、
学が全く無いのがわかる。
反社会性不良中年そのもの。
398 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 09:50:39.36 ID:REbBk+Yy
399 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 11:42:43.78 ID:xaIEsehE
>>398 お前がストーカー紛いの粘着発狂してるんじゃねーかw
実際に稲葉継陽氏も織田の書状はお手本のように簡単って評論したり、
直情型な信長の気質が窺える既成概念にとらわれない筆跡と文体で簡潔と言ってる。
どこにもウソなんて書いてねーのに、すぐ敵探しの粘着偏執ストーカーかよ。
織田厨ってほんとにキチガイだな。
400 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 12:34:12.19 ID:4nHud0a5
>>399 だがはここが三好スレということを理解できないのか?
何が何でも織田に結びつけて自演荒らしするな基地外
401 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 12:48:49.61 ID:xaIEsehE
>>400 話の流れが理解できないのか?空気読めないアスペが織田チョンだから仕方ないか。
なんでもかんでも織田に対する根拠ない悪口にしか受け取れない残念フィルターが付いてる脳の池沼だからな。。
402 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 13:16:00.47 ID:4nHud0a5
>>401 話の流れ以前にここは三好スレだ
すでに
>>398氏も注意しているだろうが
板住人にアスペルガーだがと馬鹿にされている理由がよくわかる
悔しさに堪えきれず自己中思考全開の我儘オンリーレスに気がつけないほど怒り心頭なのか?
おまえがやっていることは三好の内容じゃないことすら理解できないのか?
そんなに織田派の人間に相手してもらいたいならその手のスレに逝け基地外
403 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 13:35:35.39 ID:r+Ssiv08
むしろ
>>398が荒らし行為そのもので、
全くスレと関係ない諍いを持ち込んでるじゃん。
織田在日はどこまで自分勝手なんだよ…
404 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 13:45:49.75 ID:4nHud0a5
>>403 何が何でも織田に結びつけ三好に関係無い内容を垂れ流しているアスペルガーだがの方が身勝手だ
405 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 13:55:48.34 ID:RTMzPmca
レス数が珍しく伸びてると思ったらアスペルガーだがの自演荒らしかよ
三好スレお構い無しに織田の話をしつこく持ち込む方が異常だよ
406 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 14:31:27.04 ID:REbBk+Yy
407 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 18:36:19.06 ID:xaIEsehE
ほんと気持ち悪いストーカーだな。
だいたい織田厨みたいに単発ID自演してないから
過去レス履歴が追えるんだから正々堂々としてる証明じゃん。
織田厨なんて単発ID自演の連投でレス履歴を追えないように隠蔽工作してんだろwww
ほんと織田厨のせいで次々とスレが荒らされて、
戦国時代に沿った内容のレスもできなくなるわ。
健全なスレに憎悪と煽りを持ち込むキチガイ織田厨はシカトして
本来の戦国の書状の読解の難しさについてのレスに戻そうぜ。
408 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 20:34:08.83 ID:Mc/4eOae
必死チェッカーを使ってるやつが常軌を逸っしていて気持ち悪いのは当たり前だが、
さらにスレにチェッカー検索結果リンクを貼り付けるやつは狂ってると思わざるを得ない。
あきらかに潜在的犯罪者予備軍だよな。
409 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 21:53:13.21 ID:XcPl88T0
うわー自治スレの噂は本当だったんだなー
410 :
人間七七四年:2013/11/09(土) 23:55:58.25 ID:REbBk+Yy
411 :
人間七七四年:2013/11/10(日) 00:20:08.71 ID:8NqACtYr
粘着ストーカー織田ちょん
412 :
人間七七四年:2013/11/10(日) 01:47:49.71 ID:dUFe/74/
完全論破されると、いつも人格中傷攻撃を開始して、
論破された事実から目をそらす可哀想な涙目織田厨…
413 :
人間七七四年:2013/11/10(日) 16:35:51.54 ID:k6MzxIt+
菅沼遼太うざ
414 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 02:19:28.89 ID:DblkznEV
>>398>>406>>410 ここは三好スレです。全くスレに関係の無いコピペやリンクを貼るのは止めてください。
迷惑です。○○厨に関する批判、雑談等は自治スレあたりで存分にやればいいじゃないですか?
415 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 07:30:42.99 ID:9b0IKLxf
>>414 いい加減にしろアスペルガーだが
おまえがここと一番関係無い
三好スレに対しての迷惑行為止めろ
416 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 08:06:30.85 ID:jR2EJb6h
菅沼遼太うざ
417 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 19:35:27.37 ID:LMX4qqjm
織田の話なんか誰もしてないのに自分からねじ込んで織田ネガキャンとはな
つーかここは三好スレだから織田の話なんか意味無いし
>>393 >>395 >>396 >>397 誰も相手してくれないから自演することになるわけでwww
418 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 22:20:59.60 ID:DblkznEV
>>415 ここで吠えてないで自治スレに来てください。
基本的なBBSマナーについてじっくり話し合いましょう。
419 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 22:24:39.99 ID:tNcwyfwW
アスペルガーだがうざ
420 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 23:12:57.27 ID:hDCq3//A
>>419 呼ばれてんだからさっさと自治スレ行けや
自治スレ怖いのか?
421 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 23:18:43.67 ID:tNcwyfwW
422 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 23:22:54.01 ID:hDCq3//A
>>421 またコピペしちゃって怖いの?
自治スレで君をみんなが待ってるよ?
423 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 23:29:10.23 ID:zfvZsiE0
424 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 23:53:20.18 ID:tNcwyfwW
>>422 何だまたいつもの嘘が始まったのか
俺がいつコピペなんかしたのかね?
425 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 23:58:48.48 ID:zfvZsiE0
嘘はアスペルガーだがの得意技
明日からアスペルガーだがが書き込まないとイイネ
426 :
人間七七四年:2013/11/12(火) 08:04:41.20 ID:awqPILwN
菅沼遼太うざ
427 :
人間七七四年:2013/11/16(土) 02:57:20.31 ID:V9L+81oh
?
428 :
人間七七四年:2013/11/20(水) 20:38:14.23 ID:/25wkp+R
松永久秀は三好家滅ぼしたのうんぬん言われてたが長慶には
忠誠誓ってたと思って宜しいのでしょうか
429 :
人間七七四年:2013/11/20(水) 20:50:52.66 ID:RMi+t4J7
>>428 私もそう解釈していますよ
あといろいろあったけど義継に対しても忠誠心はあったと思う
430 :
人間七七四年:2013/12/01(日) 13:56:57.22 ID:GnjMAwGj
おい
431 :
人間七七四年:2013/12/01(日) 15:05:35.14 ID:GnjMAwGj
ポオ
432 :
人間七七四年:2013/12/01(日) 15:08:54.10 ID:GnjMAwGj
ポア
433 :
人間七七四年:2013/12/10(火) 19:44:11.60 ID:2n3W4vYN
434 :
人間七七四年:2014/02/24(月) 12:27:17.27 ID:MScjwexw
地元だけど西宮は長慶のことをたまには思い出してあげるべき
20年間、長慶の人生のほぼ半分越水城が居城だったのに忘却の彼方だよ
435 :
人間七七四年:2014/03/02(日) 22:40:25.98 ID:YHJy+15v
ミネルヴァ書房から三好長慶出るぞ!
勿論天野氏が書く
436 :
人間七七四年:2014/03/03(月) 02:06:54.96 ID:I6toMUfw
>>435 楽しみだ
三好長慶
諸人之を仰ぐこと北斗泰山
内容説明
戦国時代に、京都を中心とする畿内・近国地域から四国地域にかけて十数か国を勢力圏におさめると共に、軍事面だけでなく思想面においても室町幕府と戦い続けた日本有数の戦国武将三好長慶。
知られざるその波乱に満ちた生涯と一族の運命を、史料を駆使し、事実に基づいて詳細に描くことで、これまでのイメージを塗り替える。
[ここがポイント]
◎二次史料のイメージを脱し、事実に基づいて実像を描く。
◎戦国時代有数の武将ながらいまでは知られざる存在となった人物にあらためて光をあてる。
目次
はじめに
第一章 「堺幕府」の崩壊と家督の継承
第二章 細川晴元・足利義輝との戦い
第三章 領国の拡大と幕府秩序への挑戦
第四章 三好一族と松永兄弟
第五章 領国の統治
第六章 後継者たちの苦悩
おわりに
http://www.minervashobo.co.jp/book/b167992.html
437 :
人間七七四年:2014/03/03(月) 11:48:07.51 ID:+eGCQptm
ミネルヴァGJ!
思想面でも室町体制と戦ったってとこが気になる
前著の三好政権の研究と内容被ってそうだけど買う
438 :
人間七七四年:2014/03/09(日) 11:01:52.10 ID:JoxV9qR/
思想面での三好政権の新しさって何だろうな。政治思想ってことだろうけど
天野氏の論調なら、将軍の頭越しに朝廷と独自の結びつきをもったのと
摂津下郡のように細川時代と異なる地域支配・国人編成をしたあたりを
指すのか?と予想してるけどどうだろね
439 :
人間七七四年:2014/03/14(金) 23:27:40.47 ID:3wJwgIeN
個人的には第4章で三好政成と三好長房の業績が少しでも書いてあったら嬉しく思います
440 :
人間七七四年:2014/03/18(火) 14:27:49.98 ID:k2Rl6Agn
441 :
人間七七四年:2014/04/11(金) 01:47:49.03 ID:vzrPY33M
長慶の新刊の伝記読んだぞ!
まっとうに下剋上目指す野心家の長慶って感じだ。惚れ直すわwww
全然知らなかった史実も満載ですごく面白かった
三好ファンなら絶対おすすめ
でも長慶の伝記だから当然と言えば当然なんだけど
長慶死後の部分への言及が少ない
だから最後までわりと三好の下剋上がほとんど完全試合のような展開で
進んでいく印象になるので
逆になぜ三好政権がああも呆気なく滅ぶのかわかんなくなった
織豊政権との違いって何だったんだろう?
それとも本当に本質的な違いってなかったの??
みたいな疑問がぐるぐるしてる
>>438 鋭い…大体そういう感じで合ってる
442 :
人間七七四年:2014/04/11(金) 06:48:46.61 ID:2yUQ9Kir
>>441 信長・秀吉の死後、どちらもあっけなく政権崩壊しとるやん
443 :
人間七七四年:2014/04/11(金) 21:45:21.21 ID:LmhvqZqU
結果的には同じく比較的短期間で滅んだにせよ(織田は疑問符がつくものの)
豊臣政権は名実ともに天下統一した中央政権なわけで
そこは三好とは本質的な違いがやっぱりあると思う
政権基盤にせよ行政制度的、軍制的にも三好政権と異なって格段に整ってる
そういう意味では、果たして織田や豊臣政権と
三好って同じ中央政権=天下人として扱えるか?っていうと
個人的には難しい部分はあると思うけどな
444 :
人間七七四年:2014/04/11(金) 23:19:41.33 ID:EFL+X3O4
>>443 そこまで厳密にいっちゃうと
平清盛も天下を取ったとは到底言えなくなるし
頼朝だって天下人と言えなくなりませんか?
どこの馬の骨とも知れないような四国の田舎者が
名だたる名門権門を押しのけて
畿内で公権力の地位を獲得するということは
当時としては驚天動地のことでした。
中世から近世へのパイオニアとして
少なくとも織田政権と同等程度には
評価されるべきだと思います。
445 :
人間七七四年:2014/04/12(土) 03:25:58.20 ID:E62YuvER
最近三好家に興味をもちだしたニワカなのでスレの流れに便乗して
聞いてみたいことがあるんだけど、いい?
・三好は畿内+その近国の主権者というある意味室町的には正統派の「天下人」が
いわば政権構想の最終的なゴールだったのか(そういう印象があるけど合ってる?)
・それともそれは単に時間切れで結果的にそうなっただけで
たとえば長慶死後も政権が安定化していたら
畿内近国以外の地域も含めた全国規模での統一政権化を目指すような
そういう政治思想や志向があったのか?
逆に言うと尾張・美濃を抑えた段階で早々と非常識にも「天下布武」を掲げて
上洛直後から畿内以外の地域に活発に軍事的遠征を行った信長は
やっぱり初発の時点から三好とはかなり異質な政権構想をもっていた
つまり武力による畿内近国以外も含めた統一政権を初めから志向していたように見える
長慶の軍事的活動は基本的に畿内の安定のために周辺の播磨などにも派兵する
っていう枠組で動いてるように見えるんだけど、どうなんだろ
446 :
人間七七四年:2014/04/13(日) 00:37:56.78 ID:Yt1OzZil
››445個人的な見解としては
・三好長慶はカテゴリー的には室町枠組みの『天下人』だけど『異質』的な存在
上で他の人が書いてる通り、従来政権の枠組み外から中央に入ってきて(之長〜元長〜長慶〜を得て)
国人も三好流で配置したりと中身が室町幕府とも言い難い、管領・将軍の権威を三好長慶が有効活用出来る時点で全く別の性質
(足利義輝はその中でも良く足掻いた方だといえる、長慶の力でもあるが)
管領代繋がりで大内や六角と同一扱いする人もいるけどそもそもの家格の違いからその二大名とは全く違うと思う。
・三好政権が最終的に何処に向かっていたかは解らないが、安定した世の中であれば足利の力は徐々に削いでいったんじゃないかな。
結果的に瓦解した訳だけど、結果論で次の時代への足掛かりになったのは間違いない《管領廃止・義輝殺害で足利が復活する危険な芽を摘んだ》
結果的に義輝殺害と義昭の存在は信長が正統性を持つ事になった【信長は包囲網を打破して義昭追放したのを評価したい所】
三好は時間も運も人材も無かったが、何より時勢はまだ足利の権威を利用出来る世の中だったのが三好最大の敵であり難だった
あとは長慶が相手を謀殺するとかパワーゲームで押しつぶすとか、そんな心が殆ど無かった所、これは間違いなく信長と相反する部分
変な例えだけど、東京が発する情報に関東の人は敏感だけど、地方で働く人は無関心かズレを感じたりするけど、徐々に地方も中央のブームが浸透して染まっていく感じ
言うなれば畿内の人間は足利・細川の凋落を頻繁にw目の当たりにしてるから三好が畿内で中央政権やっても何とも思わない土壌が出来つつあったけど
それ以外の地方人は足利・細川が凋落してるなんて事は聞いてはいるが、絶対的な確信は持てていない状態
で信長が追放した足利義昭が中国地方に行った事でようやく西方では中央の状況を体感する事が出来たんじゃないかな、と
信長の【天下統一】もまだ未解明だし信長自身どんな考えがあったのかは不明だよね、秀吉が追従したってのも眉唾だし
まあ自論だけど、三好は時勢が敵だったと俺は感じるね
447 :
445:2014/04/13(日) 12:02:44.28 ID:d1Ncu8XG
>>446 丁寧なレス、どうもありがとう!
守護大名に加えて管領・足利将軍家という上位の権威が確固としてある
畿内の政治的枠組のなかでの台頭だから葛藤もずっと大きかったんでしょうね
三好は台頭の経緯からしていかにも畿内の戦国の申し子というか
阿波出身だけど、長慶はいかにも畿内らしい天下人というところに魅力を感じる
長慶の代にひととおり地ならししたあと、はかなく滅んでしまうあたりも
これは自分が近畿の人間だから贔屓目もあるんだろうけど
448 :
人間七七四年:2014/04/27(日) 21:35:17.39 ID:lqYfGAch
>>447 自分も畿内人だから三好の事は凄く好きだね
やっぱり人気が出る大名ってのはそこの地元の人らが好きになっていく事だよね
449 :
人間七七四年:2014/04/27(日) 23:19:40.78 ID:wLinxU5F
俺は愛知だけど三英傑よりも三好が好き
450 :
人間七七四年:2014/04/28(月) 01:52:16.33 ID:FeAiwixl
むしろ長慶を入れて四英傑と言うべきなんだ
451 :
人間七七四年:2014/05/19(月) 23:12:30.89 ID:XtgwFEAm
「四英傑」…なんという中二病なネーミング!!
むかし2chの三好スレで呼ばれてた「地味様」の方が奥ゆかしい
452 :
人間七七四年:2014/05/31(土) 15:55:30.59 ID:s6qERx+A
みよしっし
453 :
人間七七四年:2014/06/03(火) 22:59:43.90 ID:Dpasw0w9
信長の野望創造で三好家に新武将を作ってるんだけど
三好盛長、盛政、十河一行とか素性がいまいちわからないので列伝がスカスカで悲しい
454 :
人間七七四年:2014/06/25(水) 15:49:42.76 ID:OUuQOkgb
wikiに野口冬長の項目できたけど鑓場の合戦で戦死したことにされてる
>>360の話もあるし、冬長が原田直正の養子になったとこまでは確定だよね?
wikiがソースとしてる今谷氏の著作が手元にないがいったいどういう話の筋なんだろう
三好記とかだと鑓場の合戦に淡路から二千を率いて来援するのは冬長の養父とされる野口肥前守だったはずだが
>>362 冬長の入った野口は菅の支流で冬長の別の名乗りが菅若狭守(清嗣)
455 :
人間七七四年:2014/06/26(木) 16:33:14.01 ID:9XwKNAUH
そもそも野口冬長と菅若狭を同一人物とする根拠って何なのさ?
456 :
人間七七四年:2014/07/06(日) 08:48:05.16 ID:QvWZoqWX
元長が1532年に死んでるわけで、その子供を塙直政が養子にしてるとは思えないな
妻が柴田勝家の娘で妹が信長の側室で息子が信忠と同年代と考えたら直政自身は信長と同年代だろうし
457 :
人間七七四年:2014/07/07(月) 12:26:28.89 ID:Jn1B6Iyo
南宗寺に長慶の銅像が出来たんだな
最近の再評価の流れは嬉しいわ
458 :
人間七七四年:2014/07/09(水) 10:56:10.86 ID:b7UiTY33
459 :
人間七七四年:2014/07/10(木) 00:25:12.69 ID:P8TvoloW
460 :
人間七七四年:2014/08/02(土) 04:13:02.66 ID:/tnxU4Ew
堺か
阿波は無理だろうな
461 :
人間七七四年:2014/08/04(月) 22:19:46.40 ID:3GbZ/GGc
将来的に元長の銅像も建てる予定らしいけど
そんなに堺に銅像ばっかりつくってどうする気だっていう
462 :
人間七七四年:2014/08/05(火) 22:35:33.21 ID:eN+cpMUh
このまま行くと信長の銅像も立てなきゃいけなくなるんじゃないか?w
463 :
人間七七四年:2014/08/22(金) 03:43:46.62 ID:h6/XZAFg
長慶は生涯の大半を畿内で過ごしてるから堺でも違和感ないけど
もし元長や之長の銅像も建てるつもりなら
やっぱり故郷の阿波・三好に建ててあげた方がいいと思うけどな
464 :
人間七七四年:2014/09/18(木) 15:39:52.20 ID:r67gP4s6
細川晴元も建てちゃえ
465 :
人間七七四年:2014/09/21(日) 10:46:40.33 ID:UF7E3Hyn
466 :
人間七七四年:2014/09/30(火) 22:31:55.39 ID:KO8eMsWY
三好市のやる気の無さっぷりが半端じゃない。
467 :
人間七七四年:2014/10/02(木) 03:41:01.07 ID:v+OPQvYk
いちおう三好市は三好長慶武者行列祭を毎年秋に開催してはいるんだ
地味だけど
でも地味様だからそれでいいんだ
468 :
人間七七四年:2014/10/21(火) 23:13:36.16 ID:jLhb3NNk
三好長慶って、堺ゆかりなのか?
飯盛山のある市とかならわかるけど。
469 :
人間七七四年:2014/10/21(火) 23:53:50.35 ID:QzRibvb+
470 :
人間七七四年:2014/10/22(水) 01:24:28.94 ID:irHqS7kP
堺公方府は元長だろ
471 :
人間七七四年:2014/10/28(火) 23:12:19.19 ID:mDdmdmsO
利休は長慶の義弟なんだっけ。
当時の利休やその親って、長慶が妹をやるほど堺で威勢や才覚があったの?
この一事を少し掘り下げるだけでも、
長慶・利休どちらが主役でもOKな、新しい視点の大河ドラマが
出来そうな感じだけど。
472 :
人間七七四年:2014/10/29(水) 03:07:59.36 ID:GxBVfPRs
473 :
人間七七四年:2014/10/29(水) 19:25:56.63 ID:Yn/fdxys
利休にたずねよはダメかぬ
ここの住人的には微妙すぎるか
なんで長慶が唐入りの海賊大名みたいな事やってんだよみたいなw
474 :
人間七七四年:2014/10/30(木) 00:23:30.38 ID:J5xvZTBp
ああ、「利休にたずねよ」って利休の過去を回想する話なんだ。
でもサイトやwikiを見ても、三好のみの字も無いな……。
視点が斬新すぎて、芸術的なまでにスルーをされてる感じなんだけど。
475 :
人間七七四年:2014/10/30(木) 15:40:41.51 ID:cBK4ePkk
そもそもあの小説、長慶の妹と結婚した設定無かったような気がするが
476 :
人間七七四年:2014/10/31(金) 02:44:59.40 ID:w2AOUavl
視点が斬新すぎるどころか
古典的名作である三浦綾子の「利休とその妻たち」が
まさにそのまんま視点というか
長慶妹・三好一族と利休がでてくる小説なんだが…
477 :
人間七七四年:2014/11/04(火) 00:58:42.89 ID:8lEmOc51
三好長慶 武者行列まつり
現在の三好市の出身とされる戦国武将・三好長慶にちなんだ武者行列が三好市で行われました。
戦国時代、近畿や阿波、讃岐などを支配した三好長慶は現在の三好市の出身とされていて、郷土の歴史をPRしようと3年前から三好市で武者行列が行われています。
はじめに応援に駆けつけた備州岡山城鉄砲隊による演舞が行われ、発射される火縄銃の轟音に耳をふさぐ見物人もいました。
武者行列にはことしも地元の人たちのほか、大阪・堺市などのファンら200人が甲冑や赤い陣羽織姿で参加し、4キロを練り歩きました。
沿道には大勢の見物客が訪れ勇壮な武者姿に、大きな声援を送っていました。
http://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8025829611.html
478 :
人間七七四年: