戦国ちょっと悪い話13

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1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話12
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249078576/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251985444/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/09/04(金) 19:33:57 ID:8pKaCeOL
>>1 大儀であった どれでも好きな茶を選ぶが良いぞ

  ∧ ∧                               (ハハ)
 ( ´・ω・)                             (ヮl` ) 
 ( つ旦O                            O旦⊂ヽ
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦    (_(_つ
      濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 日当山一のちゃのみ

                            ;; コポ
       旦   旦   旦    旦    旦 コポ 旦       旦
       生茶  雑巾汁 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶  髭茶


       旦   旦   旦     旦    旦   旦    旦   旦
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯  ミユキのお手製太陽バクバク茶

3人間七七四年:2009/09/04(金) 20:20:48 ID:D2uruAje
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ >>1乙である
  (:::::::::::::::)
   しωJ
4人間七七四年:2009/09/04(金) 21:40:40 ID:tMsDCP2K
>>1乙〜
5人間七七四年:2009/09/04(金) 22:23:22 ID:PMn/3CmW
明智光秀が貧苦に苦しんでいた頃の事。

光秀は尾張清洲の織田信長にまみえて、信長との繋がりを作りたいと考えていたが、
なにぶん金がなく、尾張までの路銀を用立てる事ができなかった。
よって自分の家に商人を呼び、持ち物をすべて売ったが、これも大した金にならなかった。

さて、その時商人が、光秀の前に黄金一枚を出してきて

「貴方は良く物を知っているということなので訊ねたいのだが、この金は本物であろうか、
それとも偽物であろうか?」

光秀、これを見るとたちまち怒り、怒鳴った!
「なんだこの贋金は!?贋金をそれと知って用いるものは死罪となるのだぞ!」

これに商人は驚き慌て、その金を溝に投げ捨てると、顔を青くして逃げるように帰って行った。

すると光秀、にこりと笑い、大喜びでその金を拾い上げ、これを路銀として
直ちに尾張へと旅立った、との事である。

明智光秀商人を欺く、の一席。
6人間七七四年:2009/09/04(金) 22:56:48 ID:tMsDCP2K
光秀さん、これも武略ですか?w
7人間七七四年:2009/09/04(金) 23:24:00 ID:QUUPx7t8
セコいぞw
8人間七七四年:2009/09/04(金) 23:43:06 ID:ycOHo1lo
現代でも応用できそうだな(ニヤリ
国民の嘘は可愛いと評判らしいし
9人間七七四年:2009/09/05(土) 00:02:54 ID:43jgTmBY
>>5
ルイス・フロイスの「日本史」によると、光秀は72通りの騙しのテクを持っていたようだから、
商人を騙すぐらいお手のものだろう。

ついでに光秀の逸話をひとつ

本能寺の変の真相については未だ定説とされるものがないが、次のような逸話がある。
実は「きんかん頭」と呼ばれていた光秀は、頭髪が薄いのが悩みのタネで、普段は鬘を用いていたらしい。
あるとき、信長と光秀が口論となり、激怒した信長が光秀の頭を叩いた。
叩かれた勢いで光秀の鬘がポトリと落ち、万座の中で恥をかかされた光秀は信長を深く恨んだという。

ソースは江戸時代の逸話集。
10人間七七四年:2009/09/05(土) 00:06:36 ID:u7TK0SRF
カツラってこんな字書くんだ
11人間七七四年:2009/09/05(土) 00:15:19 ID:OpuuWIuH
ワロタw
後世の逸話もここまでくるとw
そもそもサカヤキ剃る戦国時代に鬘かぶる必要があったのだろうか
12人間七七四年:2009/09/05(土) 00:18:38 ID:Ig9imioq
光秀がそんなセコイことするなんて信じたくねぇ
13人間七七四年:2009/09/05(土) 00:24:08 ID:SHaxQq+S
14人間七七四年:2009/09/05(土) 00:25:54 ID:BlQEM+mc
信長の勢いのあるツッコミでヅラが飛んで光秀がキレるわけか
15人間七七四年:2009/09/05(土) 01:17:25 ID:o7yDljrL
>>14
むしろそれを持ち芸にしたらよかったものをプライドが許さなかったか
16人間七七四年:2009/09/05(土) 01:21:08 ID:8WCnpowg
秀吉の懐妊祝い

長浜城時代の側室に夭折した一児ができた以外、まったく子のできぬ秀吉であったが、
茶々についに懐妊の兆しが見えた。
浮かれた秀吉は壮麗な淀城をたて彼女にあたえたため、茶々は淀の方と呼ばれるようになる。

のだが…この懐妊はやはりあやしい。早速口さがない都人は
「あやしいよね〜」と調子こいた落首を聚楽第に張り出す。前田玄以が見つけ素早くはがして捨てたものの、
どういうわけか秀吉はこれを知ってしまった!
秀吉は激怒してその結果…

・警備員十七名処分、うち十名は耳をそがれ二日間逆さ磔にされてから処刑。残りは軽くて斬首と重くて引き回しのうえ磔
・事件関係者が逃げ込んだ大坂本願寺に奉行が手入れ。
逃亡者は殺害され寺から秀吉の手にわたる。
・天満森で六十三人、大坂周辺で五十人が捕らわれ、六条河原で処刑。
殺されたのは事件とは無関係のもので、下は七歳、上は八十。
運悪く通りがかっただけの行商人も。老若男女、無罪有罪も問わずにむしゃくしゃしたからぶっ殺した!

秀吉は景気づけとばかりにこのあと、金配りをするもそれも民の血税をしぼりとったもの。
こんなことをしていたら産まれてくる子にロクなことがない、と思わなかったんですかねえ。

オマケ
秀吉のある侍女が病気療養のため、務めを辞した。その後彼女は結婚し子をなしたが、
秀吉はこれに「病気とか言っておいて結婚してんのかよ! ふざけんな」と激怒。
侍女、夫、子もろともぶっ殺しました。流石ラスボス、悪事のコクとキレがちがうのだよ!
17人間七七四年:2009/09/05(土) 01:29:32 ID:SX7BEDRc
日本史の中で良くも悪くも、秀吉くらい「暴君」って言葉が似合う人間はいないな。
普通日本の権力者はどれだけ権力を持っていても、何らかの外部からの掣肘や
自己抑制があるのだが、秀吉にはそう言うものが殆ど無い。
18人間七七四年:2009/09/05(土) 01:31:33 ID:GxMELMD8
ちょっとじゃないからスレ違い。
19人間七七四年:2009/09/05(土) 01:35:11 ID:sDzYrSpf
>>18
その突込みにワロタ
20人間七七四年:2009/09/05(土) 01:44:06 ID:8WCnpowg
前スレで男女のドロドロ話リクエストがあったので。猪熊事件、乱交のツケ。

日本の後宮はトルコや中国とちがい、比較的血腥い逸話と縁遠く、また
江戸初期まで男子禁制ではなかった。
さて慶長十年(1605)頃、猪熊教利という超イケメン貴族がいた。
一方で天下一の美女という新大納言典侍という者がいる。この美男美女をあわせたら
フィーリングカップルじゃね、ということで密かに逢瀬がみのった。
そのうち調子にのりはじめたグループは、男も女も互いにさそって
都の屋敷で乱交パーティを行うようになった。
かくして慶長十四年、これが後陽成天皇の耳に入る。乱交していた女には、
帝の寵愛をうけた女もいた。激怒した天皇は家康に伺いをたて、
「この女どもぶっ殺していいですか!?」とたずねる。家康は板倉重昌に調査させるも、
「まあでもさ、後宮の女殺すとか今までないし…」と困惑した態度である。
しかしあくまでも帝は女の殺害を息巻いた。結局、猪熊教利他一名男のみ死罪、
女は流罪ということで決着した…のだが。

宮廷は幕府の介入を許してしまった。いくらカッとなったとはいえ、これは痛い。
これに乗じた幕府は禁中並公家諸法度の制定にふみきり、天皇家に秀忠娘をおしつけるなど、
好き勝手するようになってしまった。たかが乱交、されど乱交が公家にダメージをあたえた事件なのであった。
21人間七七四年:2009/09/05(土) 01:55:06 ID:PPPyb2Js
随分と情けないところから介入されちゃったなw
22人間七七四年:2009/09/05(土) 04:49:34 ID:8yyzFeXf
秀吉の聚楽第落首事件も猪熊事件も既出じゃね
23人間七七四年:2009/09/05(土) 08:51:53 ID:az7qBid6
>>17
日本史上でほぼ唯一と言っていい「完全な独裁者」だからなあ
(後醍醐みたいなのもいたけど)
大大名が健在ではあったが(逆に言うなら健在にも関わらず)
権力機構もそれ以前の政府とは一線を画す強力な中央集権体制だし
自身が実力によって一代で成り上がったという実績・自信も確固としてあるし
冗談抜きで国内じゃ止められる人間がいない状態
24人間七七四年:2009/09/05(土) 09:49:43 ID:jb8xrQ3K
しかも、戦国時代は日本では比較的稀な、やたら人を殺す傾向のある時代だったのが
秀吉の暴虐に輪をかけることになった。

なんせ、修道士や朝鮮の儒学者に日本人はやたらと人を殺すといわれていたほどだし。
25人間七七四年:2009/09/05(土) 10:08:52 ID:jIWUdvTE
最上の単身突撃が某所でAAになっとったw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-195.html

                       /   お  お  や
                      ,′   わ  わ   あ
 /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ア_           l     り  り
/.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ、          ',     っ  っ
:.:.:.:.:.::.:.:.:.:.:i.:.:.:l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ、        〉    ち  ち
:.:.:.:.:.:.:i|:.:./ |:.:li、:.:.∧:.:.:.:.ト、.i       l          _ノ
:.:.:.l.:.:.:l.|/--l/ |ナ .l:.:.:.:.l l|       \ ___ノ` ── ′
:.:.:|:.:.:.:| ‐‐   ‐- l:.:.l/         {/
:(`!.:.:.l    |    l.:.:.|   -‐
゙、ヾ!.:.:|       ,i:.:.:l   ‐-      ._.:.:´:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:\
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 /-ヽ|=ニ''.-r''   l;/    ヽ    {:.:/:./   \ l:.:.j:.:.:.:.:.:.:.
/     `''ナ-、            ∨!/     |:./:.:|:.:.:.:.:
      / /:.ヽ             |′  ● jイ:.:.:.|__:.:.:
      / /: : :.ヽ            |! 、_、_, (_) |:.:.:.| }:.:.
     / /: : : : :l            ハ {_ノ   |:.:.:.|ノ:.:.:
ー-  _/ / : : : : :.l           (` = -r-rム:.:.:|:.:.:.:.:
ー-:.:..,,,,_/: : : : : : :l           ト、  | / | |:.:.∧:.:.:.:
: : : : : : : : : : : : : : : :|           |:.:.:T7_/_,j .|:./  ヽ:.:.

※おわりっち→氏家尾張→氏家守棟

             -‐ '´ ̄ ̄`ヽ、
             / /" `ヽ ヽ  \
         //, '/     ヽハ  、 ヽ     と わ
         〃 {_{ノ    `ヽリ| l │ i|  ど っ た
         レ!小l●    ● 从 |、i|   う た し
          ヽ|l⊃ 、_,、_, ⊂⊃ |ノ│  だ く  が
        /⌒ヽ__|ヘ   ゝ._)   j /⌒i !  い び 
      \ /:::::| l>,、 __, イァ/  /│  ? は 
.        /:::::/| | ヾ:::|三/::{ヘ、__∧ |
       `ヽ< | |  ヾ∨:::/ヾ:::彡' |
(雑兵の首だけど、義光がんばってみたよ)
26人間七七四年:2009/09/05(土) 10:09:36 ID:jIWUdvTE
      __,,,..::-ーーァ''
    ,r‐´.:.:.:.:.:.:.:.:.:`ヽ、        /    
   /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ.     l   つ 
   /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:lヾ、    |   ま 
  /イ.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:i.:l     l.  ん 
   l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:f゙i:.:|リ!   ー='   ね 
   l∧:.:.:.:.:.:.:.:.:.:,人l:.l ノ     l     
     ヽト::;i、:/ ,ゝ!'   __  ヽ、  
    r:r'''゙ ゙'゙'''ー-<ニ,y''゙゙゙ ̄l.||    `ー 
    .l i      //:.`ヽ  l||
    | l       i l: : : : :l r-'`、
   .| l      l l : : : : :l  〉 }
   l. ゙ー‐-- .__,,j .|: : : : :.ヾ⌒〈
   }ー──---=': : : : : : :ヽ.:ノ
(雑兵の首とって誰に自慢するつもりだったわけ?)

         , -‐ ´ ̄   ̄ ̄`ヽ、
.       /             丶
        / /     _
.       / / /.// " ̄ `ヾ、 ヽ     ',
     / / ,' 〃       ヽハ     l   も
     Vl  l _斗'´     `ヽ、l从│    l   が
       |  ! /リ        j N | 、   l   み
      ヽ小l ●     ●  イ l| }   |   |
.         lハl⊃       ⊂⊃| |ノ    |   ん
.         | 人   r_,、_y     | |    l |
          j|  >'う  __, r<l ││ ││
       / | レ'  /:::_j_  / / ,/、│   l |
.      / ,リ /   ∧f三ミ/  / //l j   | │
.      ,' / l/  〃!l|`¨7 /ル/  V   | │
     l./ |{ヘ_ノト、|:l|M/// /    l_  | |
27人間七七四年:2009/09/05(土) 11:21:28 ID:IB+eEUC2
>>5
きっとその商人は…
みったんの将来を見込んで、彼の少ない自尊心を傷つけないようにわざと聞いたんだよ

で、みったんもそれに応えた…と思ってみないでもないw
28人間七七四年:2009/09/05(土) 12:26:15 ID:dcwcyTf4
鮭厨のAAはさすがにキモいので止めてくれ
29人間七七四年:2009/09/05(土) 12:32:49 ID:nwh54hfL
>>11
付け髷じゃないかな?
江戸時代でもハゲの武士は付けてたよ
30人間七七四年:2009/09/05(土) 14:50:18 ID:hAxTsxh/
義光と兼続撤退の置き土産

なんとか慶長出羽合戦で上杉の猛攻をしのぎきり、家康の勝利を受け取った義光。
そんな義光の野望、それは鮭漁。、
かくして最上勢は鮭ゲットのため庄内へ突き進むこととなったのでした。


さて、直江さんには逃げられた義光でしたが、次のターゲットは谷地にこもる
下次右衛門でした。義光は最初は倒そうと思ったのですが、
「でも次右衛門は強い奴だから、味方にして庄内への道案内させたら一石二鳥だな」と思いつき、
ネゴシエートに定評のある志村光安を派遣します。光安は城を包囲すると
「みなさーん、直江さんはもう会津に戻りました。頑張ったところで意味ないですよ。
今味方になって庄内ガイドをつとめたら、恩賞ボーナスはずみます」と説得。
次右衛門は迷っていたのですが、家臣で一族の下美作守が「確かにその通りです。
それに直江ってばこっちに連絡なしに逃げ帰ったんですぜ? ゆるせねっす。降伏しましょう」
と言ったため、それに従った。義光は将兵を全部無傷でゲットしました。


兼続は畑谷ではこういうことできなかったんかな、とちょっと思った皆さん。状況がちがいますし、
畑谷城主・江口光清は降伏勧告を蹴りました、無理です。
しかし直江さん、実は上山は裏切らせてそっくりゲットするつもりだったんです。
ただし裏切り計画が義光にバレ、城主上山民部は父親を人質にとられて
「上杉勢に城を渡すフリして奇襲しやがれ。
まじめにやらんと親父はどうなっても知らないぜ、フヒヒ…」と脅迫されたため、
裏切りの裏切りを行いました。結果上杉勢は大敗します。

さて、谷地に話を戻します。
義光は山形に来た次右衛門らに「庄内ガイドしたら田川郡全部やんよ」と約束しました。
次右衛門は喜びいさんで庄内へ向かうのでした。

ちなみに…兼続さん。上方の敗報を味方に連絡する時間がなかったという説もあるのですが、
のちに最上にくだった小幡播磨の言葉によれば、
「石田方から連絡がついた時に、兼続に中身を聞くと『味方有利だ』と答えました。
でもキョドってて、それからしばらくして『もう義光の旗本に突撃して討ち死にしよう、鬱だ死のう』
とブツブツ言っていました」とのこと。つまり敗戦を最初は隠したわけですな。
このことや味方のキレ具合から、意図的に知らせなかった説もあるんです。あくまで説ですが。
ま、ともかくあざやかな撤退のかげにこういう置き去りにされた人もあったんですな。


さて元上杉勢も加わって進む最上勢ですが、さすがに相手も数が多い。
そこで城を囲むと降伏勧告し、「希望者は上杉領会津に戻してやんよ」となかなか寛大なところを示します。
このせいもあってか降伏する城が相次ぎ、庄内攻略はスムーズにいったのでした。
あざやかな撤退の残した、庄内上杉勢にとってはちょっと悪い置き土産です。
31人間七七四年:2009/09/05(土) 19:09:48 ID:N6BfRvvG
>>24
いやその認識は間違い。
日本史上稀どころか、「戦国時代まで」だった。
32人間七七四年:2009/09/05(土) 19:21:12 ID:rSOReW8b
33人間七七四年:2009/09/05(土) 19:32:53 ID:9OebOlZN
>>31
?
34人間七七四年:2009/09/05(土) 19:48:00 ID:q1sVTxxI
>>30
兼続が小物に見えるなw
35人間七七四年:2009/09/05(土) 20:25:26 ID:Ig9imioq
>30
ちょいと読みにくかった

無理に面白くする必要はないとおもうよ
36人間七七四年:2009/09/05(土) 20:44:26 ID:/WmmrlGi
>>35
何様?
37人間七七四年:2009/09/05(土) 21:13:13 ID:nTscc3d+
俺様
38人間七七四年:2009/09/05(土) 21:14:53 ID:PPPyb2Js
そろそろさくざがしかる
39人間七七四年:2009/09/05(土) 21:16:48 ID:6BJPTfNO
なんだなんだ、喧嘩か? ヒャッハー( ▼皿▼)( -・- Д -・-)( ●∀´)( `皿´) 
40人間七七四年:2009/09/05(土) 21:26:29 ID:AN2pSaBI
まだ残暑のうちに

永禄元年、土佐国朝倉でのこと
当時、国の中央部を制していた本山梅慶が、ここに居城を構えていた
初夏のある日、梅慶は庭に出て景色を眺め、楽しんでいた
ふと松の梢を見上げると、なんとそこに女が立っている
うら若く美しい女房で、梅慶を見下ろしてにっこりと微笑んでいるのだった
「誰ぞ、弓を持て!」
梅慶は叫び、何事かと駆けつけた若侍が弓矢を差し出した
それを引っ掴み、梅慶は弓を構えて梢へと向けた
が、そこには誰もいなかった
次の瞬間、女の笑い声が辺りに響き、朝倉神社のほうへと遠のいていった

数日後、城の大手に生えていた杉の大木から火の手が上がった
炎は見る見る周囲の木々に燃え移り、大火災となった
城の者達は驚き騒ぎ、消火道具を携えて駆けつけた
しかし、彼らがそこで見たのは火などではなかった
一面の杉の枝から血が吹き出し、滴り落ち、火のように見えていたのだ
集まった者達は全身に血を浴び、呆然と城に戻った

怪異は収まらない
やがて、夜になると城中で、百もの女が踊り唄う声が聞こえるようになった
「「本山は また 本山になる」」
次には、軍勢の鬨、木石を転がす音へと変わった
いずれも、城中は慌てたが音の源は見つからない

「これは天狗の仕業としか思われぬ」
本山家は恐れをなし、遠行寺という寺で大般若経を真読してもらうことにした
寺の住持は承諾し、ただちに勤行を開始した
さて、住持が経を読んでいると、どこからともなく大きな鼠が現れた
鼠は灯明の油に身を浸すと、柱を駆け上って棟に体をすりつける
これを幾度も幾度も、同じように繰り返す
住持が不思議に思っていると、やがて鼠は尾に火を移し、油を塗りたくった棟木へと放火した
火は猛然と勢いを増し、あっという間に寺を包んだ
「自滅の時が来たということか…もはや人力の及ぶところではない」
住持は寺の者達に、本尊だけを背負い、他の寺物はすべて焼けるに任せよと命じ、
振り返りもせず朝倉へと逃げ延びた
逃亡してきた僧らが事の次第を話したため、城中は一層のこと震え上がった

この後も怪異は絶えず、本山家は城外に噂が漏れぬよう気を使ったという
これより二年ほどして梅慶は死去、本山家は長宗我部家の攻勢を受け、衰退していく
41人間七七四年:2009/09/05(土) 21:39:19 ID:utQGHAQw
>>40
不気味な話だな。
前後の事情(本山氏が祟りを受けるような真似をしたとか)が不明なだけになおのこと。
42人間七七四年:2009/09/05(土) 21:53:08 ID:rKj0wmbY
本山は また 本山になる
って何のことかね?
43人間七七四年:2009/09/05(土) 22:08:24 ID:/WmmrlGi
燃えてるように見えた血しぶき上げる杉の木とかスゲーな
映像として見てみたいわ
なんか新しい

それにしても理不尽過ぎるな…
原因不明なのがまた…
44人間七七四年:2009/09/05(土) 22:11:44 ID:Z/C69uyL
42 本山氏の本拠地は嶺北って高知県の山間部。
   なので、高知の平野部まで進出した、本山氏も元(の)山(の領地だけに)になるって意味じゃないかな?
45人間七七四年:2009/09/06(日) 00:15:58 ID:Cvy2FF5Z
>>40
ふと松の梢を見上げると、なんとそこに女が立っている
> うら若く美しい女房で、梅慶を見下ろしてにっこりと微笑んでいるのだった

のちの姫若子である
46人間七七四年:2009/09/06(日) 00:35:11 ID:4zAu3J9y
怪談映画が取れそうなネタだな
47人間七七四年:2009/09/06(日) 00:43:47 ID:vvz3GU4Y
怪獣映画かと空目
48人間七七四年:2009/09/06(日) 00:49:45 ID:eRTuZzIQ
>>17
あまりに低い身分から天下人になると、反動で
おかしくなるのかね?
明の初代とかも酷いし。
49人間七七四年:2009/09/06(日) 00:52:56 ID:pvK1Y6gh
杉から流血つながりで…。

正則公の杉

城の改築をめぐって、幕府との意思疎通がうまくいかずに安芸広島から信州高井郡へ
大減封くらった市松さん、ちょっとシャレにならない改易でさぞ落胆してたかと思いきや、
そこは彼も武士のはしくれ、ちゃんと領内の治水や新田開発に励み、
領民からも慕われていた。

そんな正則も、1624年、64歳で人生の幕を閉じた。

正則の葬儀が始まろうかという頃、突然雷鳴が鳴り響き、たちまち暴風雨となった。
そして雲の中からいきなり大きな鬼が現れ、正則の棺から片腕を奪い取り、
何処かへと飛び去ってしまった。

「腕持ってかれちゃったけど、葬式どうするよ…」
「まあ、本体は残ってるんだし、続行でいいんじゃね」

何とか式は終了し、正則は荼毘にふされた。

その後、上高井郡小布施の岩松院の境内で、鬼が持ち去った片腕が発見され、
岩松院の住職は腕を懇ろに供養し、そこに杉を植えた。

時が経ち、杉は立派な大木へと成長した。
ある時、木こりがこの杉に斧を入れたら、切り口から血がブシャーッと噴き出し、
激しい地鳴りが起こったという。
以降、正則公の杉として領民から崇められることとなった。

民話として伝わる、市松さんが信州高井郡へ飛ばされた以降のお話。


ちなみにこの杉、台風で倒れてしまって今はもうないそうです。
50人間七七四年:2009/09/06(日) 00:57:18 ID:AUFg+QUl
結局、鬼は何がしたかったんだろうw
51人間七七四年:2009/09/06(日) 01:16:22 ID:xpIXr6qu
>>17
DQN四天王でも八つ当たりで無関係な連中殺戮とかはさすがにやってないもんなあ
ラスボスだけあって格が違うのか
52人間七七四年:2009/09/06(日) 01:23:46 ID:L5HeaHrZ
まぁ豊臣政権が長く続いてたら、
フォローするような逸話が山ほどできたんだろうけど
1代で滅びると(しかも後継体制が簒奪側だと)、
その辺は悪く書かれがちなのはもう仕方ない
53人間七七四年:2009/09/06(日) 03:28:47 ID:cnFXkZmr
森家最大の難所 デスキャッスル津山

津山城築城の際

井戸宇右衛門:討ち死 (森長可の頃から仕える剛将)
名古屋山三郎:討ち死 (天下の美少年 忠政の寵臣)
林長兵衛為忠:出奔  (森兄弟の叔父さまで偉い人)
小沢彦八:討ち死   (彦八の妻は名古屋の妹で忠政の妻とは姉妹)
細野佐兵衛:討ち死  (森家の三重臣の一人)
各務四郎兵衛:切腹  (各務兵庫元正の嫡子にて忠政の娘婿)

慶長八年から慶長十三年の五年の間にこの並々ならぬ森家の重臣達が
相次いで死んでしまったのは別に合戦が起きたからではない

井戸と名古屋が切り合いにて両者討ち死 
忠政がキレて井戸の兄弟皆殺しを命ずる
これに怒った林長兵衛為忠が森家を出奔

小沢彦八と細野佐兵衛が喧嘩沙汰にてこれまた討ち死
筆頭家老の各務四郎兵衛も責任を感じて切腹

みんな津山症候群にかかって森家家臣同士で殺し合ってしまったのだ

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2389.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2706.html

元和2年(1616年)に津山城が遂に完成で津山の領民もやっと安堵した
が、主君森忠政はまさか築城するのにこれだけ犠牲者を出すとは思ってなかっただろう。
54人間七七四年:2009/09/06(日) 04:17:19 ID:u39VREt7
逆に考えるんだ。
戦が無いから共食い始めちゃったと考えるんだ。

もうちょっと待てば殺る気の持って行き場があったのに。
55人間七七四年:2009/09/06(日) 04:27:06 ID:95K51uNZ
上の三人なんて戦があればどんだけ功績上げたやも判らん奴ら
まぁ権力争いがあったんだろうけど死なすには惜しい逸材だな
56人間七七四年:2009/09/06(日) 07:22:53 ID:fLoSjuOx
平和になったから高禄を食む連中を始末したようにしか見えない不思議
57人間七七四年:2009/09/06(日) 07:50:09 ID:wAa+QThR
戦が起きない所為で当時の家臣団共通の敵が突然
居なくなって対立構造が出来てしまったから…

井戸派 家老:井戸宇右衛門(林の甥) 家臣:細野佐兵衛
名古屋派 当主:森忠政(正室が名古屋の妹) 家老:小沢彦八(正室が名古屋の妹) 
       家臣:名古屋山三郎九右衛門(忠政の義兄) 家老:各務四郎兵衛(正室が忠政の娘) 
       家臣:各務藤兵衛(正室が名古屋の妹)
中立派  家老:林長兵衛為忠(忠政の叔父で甥が井戸) 家老:大塚丹波 

忠政にとって邪魔な旧保守派の井戸派閥を裏で消そうとしたら
思わぬ抵抗にあって一番頼りになる相談役の林(おっちゃん)と
まとめ役の名古屋(兄ちゃん)を二人ともいっぺんに失って
しかも家康にこの事突っ込まれて忠政まで危ない状況に陥ったでござる

事件処理した外交担当の大塚丹波がいなかったら森家かなりヤバイ
普通は平和な方が良いはずなんだけど戦闘狂のこいつらには
戦があった方が良かったという…森家を代表する家臣団
58人間七七四年:2009/09/06(日) 10:17:00 ID:RAjf2vD8
昭和には津山30人殺しがおきてるし
森家の実績も考えると津山症候群が笑えなくなるから困る
59人間七七四年:2009/09/06(日) 10:22:03 ID:dgQSgRZm
木に斧入れると血がドヴァーというのは
ある種の菌が寄生していることで、赤い液がつくられておきると
白土三平の漫画にあった
60人間七七四年:2009/09/06(日) 10:29:55 ID:uH0nR18E
どうもフザリウムやロドトルラというカビの一種のせいで赤く血が出たように見えるらしいな
この記事の一番下の画像なんかそれっぽいわ
ttp://kinoko-nikki.hariko-manekiya.com/?eid=151566
61人間七七四年:2009/09/06(日) 11:17:30 ID:Rfh7NLIz
おおっこれはよい血の呪い
62人間七七四年:2009/09/06(日) 12:00:06 ID:Y07kaNEt
「にらみ合いの松」 に 「喧嘩谷」 どれもろくでもねぇ
内政扱ってる重臣が殺し合った時点で家中での帯刀の是非とか考えなかったんだろうか


                    /| |
       ,,;r''"~ ̄^'ヽ,     /  | |            
     ,/ 森忠政  \,   /   | |   <さすが森家に恥じぬ家臣どもだ!
   ∠__,,,,,,,,_,;____\/     | |    逃げ腰な奴なんて森家にいらねぇ!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  /     | |    喧嘩上手はよく訓練された森兵だ!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | /       | |   まことに津山は呪われた地じゃのう!
     ,r''i ヽ, '~rーj` //        .| |    フゥハハハーハァー
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/::/ `ヽ      .| |    (本当は俺が井戸達を煽ったのが事の元凶なんだけどな!)
  /     ゙ヽ   ̄、/::::  ゙l,     .| |
 |;/"⌒ヽ,  \ /_ヽ:  _l_   | |
 l l    ヽr `i`I`I`I_⊂////;`ゞ .| |
 ゙l゙l,     l,| {ニニニl,,l,|,iノ二二二二ニニニニニニニ二二二二二二二二Iニ三三>
 | ヽ     ヽ∠∠∠∠∠/\,-| |
 /"ヽ     'j_\ヽヽ, ̄ ,,,/" ''''''''''⊃
/  ヽ    ー──''''''""    `゙,j"
  _,,,,,,,,,ヽ、        ,,,,,r-''''' | ̄| ̄I
''"    ヽ,,___,,,r‐''''''二_\  | |  ,|
          \'''"   / \| | ノ
63人間七七四年:2009/09/06(日) 12:01:57 ID:1HHh6dIw
弓でけえww
64人間七七四年:2009/09/06(日) 12:15:50 ID:u39VREt7
むしろ小さくないか?
65人間七七四年:2009/09/06(日) 12:19:47 ID:uH0nR18E
デカイのは矢だな
66人間七七四年:2009/09/06(日) 12:24:33 ID:1HHh6dIw
ちょっと書き間違えただけだよ!
これはつまり、俺のちょっと(決まりの)悪い話だよ!
67人間七七四年:2009/09/06(日) 12:27:48 ID:vvz3GU4Y
かぶりものに高級感がない
68人間七七四年:2009/09/06(日) 12:33:48 ID:GI7NHJ0E
>>62
世間に恥じろw
69人間七七四年:2009/09/06(日) 13:03:12 ID:Y07kaNEt
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kazuhana2007/archive/2009/7/27
          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\     まぁまぁお前らこれでも見て落ちつけよ
    /   ⌒(__人__)⌒ \    森家は喧嘩馬鹿みたいな目で見てるかも知れないけど
    |      |r┬-|    |    全く俺ってば結果的に出雲の女まで泣かせちゃって罪作りな男だお
     \     `ー'´   /    しかも歌舞伎と浄瑠璃の「名古屋山三」はもともと俺の義兄だし
    ノ            \    不破伴左衛門だって名古屋と並ぶ美少年不破がモデルとか言われてるけど
  /´     森 忠政     ヽ   こいつの中身はどう考えても俺の家臣の「井戸宇右衛門」だ
 |    l              \  ある意味俺がいなかったら歌舞伎も浄瑠璃も生まれてないんだお
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__)     とばっちり被害が多すぎだろ常識的に考えて・・・
  |     ` ⌒´ノ
.  |         }  ミ        ピコッ
.  ヽ        } ミ  /\  ,☆____
   ヽ     ノ    \  \ /     \
   /    く  \.  /\/ ─    ─ \
   |     `ー一⌒)  /   (●)  (●)  \
    | 井戸 i´ ̄ ̄ ̄ \ |      (__人__)     |
               \_   ` ⌒´    /
                /   森 忠政   \
70人間七七四年:2009/09/06(日) 16:09:36 ID:1xjCPoIP
関ヶ原後の信濃動乱

慶長5年(1600年)、ご存知関ヶ原の戦いが起こり西軍は敗れた。
信濃で大いに徳川軍を苦しめた真田昌幸も西軍が負けたとあれば流石にもう戦い続ける理由は無くあっさりと降伏し上田城は開城される事になった。
しかしながらここで事件が起こる。反徳川を掲げて戦ってきた上田の領民達が徳川の入領に反感を持ち、一揆をおこしたのである。

これは一大事・・・ここで一人の男が立ち上がる。
森忠政「これは手柄にするチャンスですね^^仙石さんや真田(兄)さんや皆さん、上田攻めでお疲れでしょう?私がやりましょう!」
上田攻めで川中島に引きこもっていたらいつの間にか全て終わっていて仕事が無くて焦っていたこの男が一揆鎮圧に名乗りを上げた。

忠政「真田の指揮も無い素人集団がプロに勝てるわけ無いじゃんw林さん、伴さん!やっておしまいなさい。」

一揆を起こされては叩き潰すというマッチポンプに定評のある森家。この一揆も数日で平らげた。
忠政「さぁ、一仕事した所で上方に報告でも入れようじゃないか。」

ここで焦って家康に報告を入れてはいけない。忠政はまず、多少ヘマをしたとはいえ中仙道軍の大将である秀忠に先に報告を入れる。
忠政「次期後継者の自尊心を刺激しておいて損は無いよね〜。」
追伸として忘れずに「ぜひ、内府様と謁見の機会が欲しい」と添えるのも忘れない。

そうして秀忠から返事が来た
秀忠「けしからん一揆の鎮圧乙です。この事は父上にも伝えたので近く上洛する際に謁見の機会を設けます。」

忠政「ふぅ・・・これで仕事はしたと言い張れるぜw一揆GJ」
3年後、忠政は美作18万6500石に加増される事になるのであった。めでたしめでたし。
71人間七七四年:2009/09/06(日) 16:12:20 ID:/z/lvNdB
> 一揆を起こされては叩き潰すというマッチポンプに定評のある森家

物凄く納得したw
72人間七七四年:2009/09/06(日) 16:32:33 ID:ykIjal0o
実は忠政の策略、だったりしたらマー君も超える謀略家になるのだーがーw
73人間七七四年:2009/09/06(日) 17:29:34 ID:83dq4SmP
運のなかった秀忠へのアシストって意味もあるんだろうな
忠政さんはほんと処世術に長けてらっしゃる
74人間七七四年:2009/09/06(日) 22:24:27 ID:/RaiAWZx
忠政くんなんて恐ろしい子
75人間七七四年:2009/09/06(日) 22:39:41 ID:/XfwT6p7
>>53
平常時は普通に剥けるんですがすぐに戻ります。
勃起時は剥けるには剥けるんですが結構締め付けが痛いです。
生でやってるとピストンで戻る・・・・

>>55
17歳です。親の家族扱いの保険証です。
76人間七七四年:2009/09/06(日) 22:41:39 ID:/XfwT6p7
壮絶に誤爆りました・・・・
77人間七七四年:2009/09/06(日) 23:33:17 ID:U2JJXdZD
>>76
日本の成人男性は60〜70%が仮性包茎と言われています。
動物のオスの生殖器は、通常は包皮に覆われていて、
交尾(人間の場合は性交)するとき亀頭がムキダシになります。
これは「弱肉強食の世界」ですので、交尾中に敵が近づいてきたら大変です。
でも種の保存のためには必要な行為です。
よって、常にムキダシで刺激に強く、交尾時間が長くなってはいけないという長い歴史があり、
そのため敏感にしておく必要性から通常は包皮に覆われているのだそうです。
人間は歴史の中、昔の方が包茎の人の割合はもっと多かった。
戦国時代は、包茎率が現代よりはるかに高かっただろうと言われています。
**だから**
仮性包茎は人間を含めた動物のぺニスの元々の形であり、人間も同様で、
性交する時だけ、むき出しになるのが普通の状態だともいえるかもしれないのです。
78人間七七四年:2009/09/06(日) 23:49:14 ID:TH+Wvmnk
>77
そういえばちょっと前の英国陸軍の新兵訓練での生活指導では
わざわざ爪の切り方からチムコの洗い方まで指導しなければならんかったそうだ
欧米人は包茎でも気にしないみたいね(ユダヤ教徒とかは除く

>75
とりあえず清潔にしておけば無問題
79人間七七四年:2009/09/06(日) 23:59:31 ID:/XfwT6p7
なんかすみません・・・
ここの逸話に出てくるのはDQNばかりなのに住人はいい人揃いですね。
80人間七七四年:2009/09/07(月) 00:07:26 ID:B/UNuuT3
包茎より17で生はねえよ、生は…
相手ちゃんとピルとかのんでんのか? 

というわけでうっかりできちゃった系の悪い話とかねえか?
81人間七七四年:2009/09/07(月) 00:21:02 ID:78/uK7oA
弟に将軍職譲るとかいっといて
嫁と中田氏セクロスする足利義政さんとかか

>うっかりできちゃった系の悪い話
82人間七七四年:2009/09/07(月) 00:23:45 ID:tC9m5Pc+
あれは単に大御所政治をしたかっただけ
義持もやってたし

まあ足利幕府を事実上ぶっ壊したのって義尚だから悪い話っちゃ悪い話だよな
生まれたことが
83人間七七四年:2009/09/07(月) 00:25:34 ID:spG5ugk6
相手、薬で閉経させてるんで生中OKです

副作用で更年期の症状がつらいって泣いてるけど
84人間七七四年:2009/09/07(月) 00:42:25 ID:B/UNuuT3
>>83
閉経じゃなくて排卵を止めてるのか。ピルだな。
ゴムよか避妊は確実だからそれはそれでいいよね。
更年期というよりも、生理痛とかそっちのがきついのかもな。
ピルは結構学生だと経済的にも負担あるし、彼女を気遣ってやんなよ。


うっかりできたといえば、利家さんも名護屋でうっかりなのかね。
ってスレ違いですな。


それで思い出したんだけど、松永ダンジョン先生のHow toセックス本って、
テクニックじゃなくてこういうときはしちゃだめとか、相手に気を使うようにとか、
実はマナー本なんだよなw 松永先生紳士だと感心したな。
85人間七七四年:2009/09/07(月) 00:45:26 ID:nwuUoBOy
>80
俺もそれが気になった
なんぼなんでも相手の女の体のことは気にしてやれ
ピル飲んでたって性病持ってたら確実に女に移してるぞ(逆のパターンもあり)
86人間七七四年:2009/09/07(月) 00:47:25 ID:fzUUcRfX
肥後名産のずいきは加藤家の時代は食料だったが細川家の時代になってから新たな使い方が

それは・・・「夜のおもちゃ」w
87人間七七四年:2009/09/07(月) 00:49:34 ID:9Vp2SZNe
松永弾正先生の教えを映像化したAV出ねーかなーと少しだけ思ったことがある。
88人間七七四年:2009/09/07(月) 00:55:26 ID:B/UNuuT3
肥後ずいきはもともと参勤交代のおみやげだったらしいが、
もらいすぎて余っていて、大奥でさまざまな使い方をしてあーんな用途が
開発されたっつうことを読んだおぼえがある。
ずいきの名を随喜の涙を流すにひっかけたとかなんとか。

戦国でなくて江戸なんであれだが、むずむずしていいかんじになるんだっけか。
89人間七七四年:2009/09/07(月) 06:27:41 ID:4mxLG3Nb
おまいら一体なんの話をしとるんだ
90人間七七四年:2009/09/07(月) 07:52:35 ID:KQ3rYuRU
戦国(江戸含む)ちょっとエロい話スレになっとるw
91人間七七四年:2009/09/07(月) 09:15:08 ID:zLOkzQth
>>81
福島の市松ちゃんとか

三戸南部本家の晴政さんも
養嗣子とっときながらギシアン頑張って後々揉めてますなあ
92人間七七四年:2009/09/07(月) 12:10:56 ID:GmVVdQlA
たまたま手を付けちゃった女が妊娠して、仕方なしに結婚。
いわゆる「出来ちゃった婚」だが、戦国時代にもそんな男がいた。
その名は水野勝成。
彼は気に食わない家臣を叩き切って、父親に勘当され追放。
以後は槍一本で戦国の世を渡り歩くが、行く先々でトラブルを起こし、段々仕官先が無くなってきた。
毛利家の臣、三村親成に仕官した時は、それでも別格の厚遇を受け、主家の姫(お柵)と結婚。
にも関わらずその侍女(お登久)に手を出し、しかも男子出産。
やがて豊臣秀吉の死後、徳川家康の取り成しで勘当が解かれると、生まれたばかりの子を見捨てて実家へ帰る。
その後、父が暗殺されて家督継承したり、関ヶ原に参加したりと色々あって、大名として地盤を固めた。
そんな所へ「江戸に誰か人質下さい」と幕府から通達。
「そういや、なんかガキがいたっけ・・・」
勝成、ようやく子供を引き取りに行かせ、そのまま人質に送った。後の福山藩二代目「勝俊」である。
この時「勝俊の実母である」という理由で、自動的にお登久が正室とされてしまったのである・・・
ある意味勝成らしいとも言えるが、大名としてはかっこ悪い正室の話。


93人間七七四年:2009/09/07(月) 12:16:03 ID:gZtiRh86
ひでえな
お柵はどうなったんだ?
94人間七七四年:2009/09/07(月) 12:16:13 ID:vsLy8lvR
前田慶次は、実態がよくわからない割りにマンガや小説の中ではモテまくりだが、
水野勝成はリアルに行く先々でモテまくったらしいね。
95人間七七四年:2009/09/07(月) 12:46:03 ID:GmVVdQlA
>>93
お柵も水野家に引き取られ、一応正室扱いされてる。
三村家も後に福山藩家老として迎えられた。
だけど実家の七光りも無く、子も出来ないんじゃ、やっぱり正室はきついよな。
ただ、勝俊は二人の母を同列に遇している。
96人間七七四年:2009/09/07(月) 13:15:26 ID:SEelcqZk
>>94
こんなにだらしなくてもモテんのかwww
まぁ、今とは恋愛観というか理想的な男性も違うんだろうなぁ。

しかし、この時代の姫さんの名前って、ちょっと不思議というか
意味がわかりづらいの多いね。このお柵とか。
97人間七七四年:2009/09/07(月) 13:30:55 ID:3iHjDhMy
ウィキペに載ってるかと思って水野勝成の項見たら案の定だが主君が転々としすぎてて笑った。
お柵の方については殆ど書かれてなかったけど、勝成のおかんって本願寺光佐の妹なのね。
やたらとモテるのは蓮如の血かもしれん。
98人間七七四年:2009/09/07(月) 13:36:06 ID:g3IF0tSu
>>92
そういやこの前クレしんの戦国大合戦見たんだけど、主君の娘を嫁取りするってどれくらいのハードルの高さ?
99人間七七四年:2009/09/07(月) 13:38:18 ID:mf3s2UlG
こいつが主人公のエロ小説が全4巻で存在する。
100人間七七四年:2009/09/07(月) 15:14:44 ID:1t2c/xdg
>>98
ほとんど無理。
なにせ、基本戦国時代の主君の娘というのは他国に政略として送られる可能性のほうが高いからな。

信長みたいに自分の超お気に入り側近とか、
蒲生氏郷みたいに超有能で微イケメン(ただし戦国時代の美意識的なものに限る)とか、
(※但し信長の場合は結構な娘持ちなのでそういうことができたのだが)

wikipedia見た限りでは主家の残された一人娘、ということなので、
『雷神』道雪に見込まれた高橋紹運の息子である立花宗茂みたいな感じ?
(ちょっと違うか)

つまり、「主君が『こいつになら娘やってもいい』位の気概があるほどの働きがなければ奇跡でもなければ無理」
ということになるか。
101人間七七四年:2009/09/07(月) 15:28:08 ID:TP1gaA4X
17で生とかうらやましいなこのやろう
102人間七七四年:2009/09/07(月) 16:05:27 ID:i1z4NChW
勝成の三男も蜂須賀だか山内だかの姫様オトして
生まれた子が水野十郎左衛門じゃなかったっけ?
103人間七七四年:2009/09/07(月) 16:20:46 ID:vsLy8lvR
そんな水野勝俊さん、父の後を継いでからは

幕府から松山城の在番を命ぜられたとき、藩士がみな木綿の服を着ていて、その質実さに
松山の町民がみな感心した。

不作が続いたとき、農民に大規模な資金供与や年貢の減免を行い、その没落を防いだ。

その居城、福山城が消失したとき
「町民達に迷惑がかからないよう、再建は急がないように。」

飢饉が起こったとき
「もし藩の鷹師が領民の畑を荒らすことがあったら、父勝成の領地であってもかまわないので
百姓総出でそのものを処罰してかまわない。」

と、質素倹約に努め領民の事を心から気遣う、絵に描いたような名君であったそうです。
104人間七七四年:2009/09/07(月) 16:45:54 ID:nyNv8WeH
幼い頃、苦労したんだろうな・・・
105人間七七四年:2009/09/07(月) 17:24:14 ID:/GTS2M8B
>>96
ほんの数十年前の西部グループの創業者もえげつないぜ
時代関係ないんじゃない
106人間七七四年:2009/09/07(月) 17:33:59 ID:afW0YkSW
すみません、>>75で誤爆した馬鹿なんですが>>83は自分じゃないです。
生の話は皮が戻る説明のために出してきただけで、めったにやりません。
普段はゴム付けてますし、非処女とやったこともないので性病は持ってないと思います。
流れ的に今更訂正すべきじゃなかったかもしれませんが念のため…スレ汚し失礼しました。
107人間七七四年:2009/09/07(月) 17:45:54 ID:CnEyFAdq
>>106
ドンマイでござる
相手の女の子気遣ってあげてね
108人間七七四年:2009/09/07(月) 17:49:44 ID:F0kXFUqr
>>106
気にスンナ派

と言うか莚オメー非処女とやったことないってこたあ全部処女ってことだろ!そっちを気にしろ!この外道!
109人間七七四年:2009/09/07(月) 17:56:50 ID:1Ygnf5w3
>>106
女の安全日宣言は逆に危険日の罠の場合もあるから、策略にハマるなよ
毎回ゴム着けとけ
110人間七七四年:2009/09/07(月) 18:22:24 ID:nqlYXfNE
17で食い散らかしてんじゃねーよドチクショウが!
ふあけんな!
111人間七七四年:2009/09/07(月) 18:26:39 ID:fzUUcRfX
世話焼きだな、お前らw
112人間七七四年:2009/09/07(月) 18:41:44 ID:BjIkmGXS
>>106
ちゃんとその娘の父親に一度くらいは挨拶したかね?
相手の娘の家族の心すら抱きとめられるほどの
器を持つように心がけてこそ真の”もののふ”ですぞ
113人間七七四年:2009/09/07(月) 18:54:26 ID:Uu//DnrC
なんかおかしいぞお前らガキの時分にゴムなんてつけてるやつなんて周りに誰もいなかったぞ
114人間七七四年:2009/09/07(月) 18:57:28 ID:vgTVyNEH
>>100
そうでもない。「政略として」一族や家中の重鎮との結びつきを強めるために結婚、という場合もある。

まあどちらにせよ結局は政略がらみなんで、ハードルの高さは変わらないというか、個人の趣味や
希望でどうにかなるってもんではない。
115人間七七四年:2009/09/07(月) 19:04:25 ID:78/uK7oA
落城の時のどさくさに紛れてとか可能なんかね
実例あるかは知らんけど
116人間七七四年:2009/09/07(月) 19:54:59 ID:/gt3EMpM
>>114
どっかの宇喜多さんみたいな感じですね
117人間七七四年:2009/09/07(月) 19:56:23 ID:DjSoYii0
>>114
クレしんの場合は
大名の一人娘という設定なのだから
又兵衛がどれほどいい男であっても
99.99%以上無理だね
118人間七七四年:2009/09/07(月) 19:58:26 ID:CI/Pl58V
一色義定 「殿様の娘を嫁に貰ったら、いつの間にか義兄上にだまし討ちにされて居たでござる」
伊集院忠真「あー、あるある。」
119人間七七四年:2009/09/07(月) 20:02:50 ID:WN1X4Tkz
>>110
槍の又左殿がアップを始めたようです
120人間七七四年:2009/09/07(月) 20:11:42 ID:i1z4NChW
>>118
義定の義兄「俺も妹に不意打ちされたからおあいこでゴザル」
忠真の義兄「君は良い友人であったが君の父上がいけないのだよ…」
121人間七七四年:2009/09/07(月) 20:13:12 ID:/gt3EMpM
ってかググったらなんかやたら高評価なのな>クレしんの戦国大合
そんなに描写が細かいのか…
122人間七七四年:2009/09/07(月) 20:17:15 ID:gpNQVF2V
>>121
鉄砲を撃つ時、火蓋を切ってから撃つと言う描写をきちんとやった映画はこれ以外知らない。>くれしん
123人間七七四年:2009/09/07(月) 20:31:44 ID:78/uK7oA
>>121
槍衾には興奮しました
124人間七七四年:2009/09/07(月) 20:34:04 ID:fzUUcRfX
長巻をちゃんと使うんだぜ。投石もする。

あとは槍が折れない限りは抜刀しない所とか細かい。
125人間七七四年:2009/09/07(月) 20:37:25 ID:AZUTVOYR
風林火山でもGacktが火蓋を切って鉄砲撃ってるけどね
126人間七七四年:2009/09/07(月) 20:51:25 ID:vAk8fhrl
子供に見せたくないアニメとPTAから叩かれているにも関わらず、
この映画は文部省推薦。大人を泣かせる良い映画だった。
127人間七七四年:2009/09/07(月) 20:56:54 ID:tC9m5Pc+
時代考証がしっかりしているケド、戦国時代はちゃんと脇役で話の主軸が野原家側に振られている辺りも傑作の所以
福岡育ちのみさえと秋田育ちのひろしが結婚できる世の中って素敵なことよってな
もう一つの傑作と呼ばれる大人帝国は昭和って良かったよね的な懐古臭さがありすぎて楽しめる層が限定されちゃう
128人間七七四年:2009/09/07(月) 21:22:06 ID:Xu5qFLqM
>>127
そうでもないと思うよ。舞台として使われたのは昭和だけど
根幹にあるのは「子供時代は美しくてよかった。でもその思い出と共に大人にならなければならない」
つまり子供時代のノスタルジーを感じながらピーターパンシンドロームを払拭していくものだから
それを読みとることができれば世代は関係ない

もちろんそれが分からない子供でも、ハラハラするギャグを交えているから十分楽しめる傑作
129人間七七四年:2009/09/07(月) 21:23:53 ID:gpNQVF2V
まあ、この話をするのならこちらでしましょう

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1239154858/
130人間七七四年:2009/09/07(月) 21:49:38 ID:3kn8d/EO
とうほぐの方の大名は
割と娘を家臣にくれてやってたような
まあ一人娘ってわけじゃなくて
何人もいた場合なんだろうけど
131人間七七四年:2009/09/07(月) 21:54:18 ID:kATxDeVE
最上義光の娘は駒姫以外全員家臣に嫁いでいたな
132人間七七四年:2009/09/07(月) 21:57:57 ID:gpNQVF2V
東北や南九州は「家中」の成立が遅くて、家臣なのか同盟者なのかよくわからん存在が
多かったせいもあるんだろうね。
133人間七七四年:2009/09/07(月) 22:08:04 ID:3kn8d/EO
>131
駒姫の件で娘をよそに嫁がせるのをやめたんだろうか
なんか気の毒だな
134人間七七四年:2009/09/07(月) 22:09:58 ID:xRDpOgCp
長年想い続けてきた主筋の娘を、
ついに手に入れたぞ!

そして数年後に心中する柴田さんとか…カワイソス
135人間七七四年:2009/09/07(月) 22:13:48 ID:kATxDeVE
>>133
それはあるかもしれん。駒姫の姉は延沢満延引き抜き時の縁談で使われたけど、
妹は大名に嫁がせてもおかしくないもんな。
それと大崎家と婚約していた娘もいたらしいが、大崎改易であえなく破談になったらしい。
136人間七七四年:2009/09/07(月) 22:30:13 ID:3kn8d/EO
やっぱラスボス関係の家に嫁がせると不幸になるよな
ラスボスマジ怖い
女の生き血吸ってる系だな
137人間七七四年:2009/09/07(月) 22:42:28 ID:28XPFob+
最期は女に精魂吸い尽くされましたけどね
138人間七七四年:2009/09/07(月) 22:59:43 ID:bYcjIgAG
>>136
秀次もお世辞にも良い性格とは言えなかったしねえ
139人間七七四年:2009/09/07(月) 23:08:45 ID:1t2c/xdg
秀次はまあ・・・普通なんじゃない?
良くも悪くも。

秀吉も秀次の年のころに相当やんちゃやってたし。
140人間七七四年:2009/09/07(月) 23:15:45 ID:Z5H33RST
世界の車窓がソースは?と素で聞きたくなる逸話放送したなw
141人間七七四年:2009/09/07(月) 23:42:48 ID:clMkYTw6
何で秀次って秀吉ににらまれる前に関白退かなかったんだろ。
というか睨まれ始めた時点で警戒して、関白退いて
ただの大名になってりゃ良かったのに。
142人間七七四年:2009/09/07(月) 23:50:38 ID:kATxDeVE
退いたところで駄目だと悟ってたのでは? ラスボスからは逃げ切れまい。

お市も浅井が敗れた際は落ちて、柴田では自害したのはラスボスに殺されると思って
あきらめていた、という説を読んだことあるな。
143人間七七四年:2009/09/07(月) 23:53:26 ID:6eANoMnY
むしろ確実にラスボスの手に落ちると思ったからでは?>市
ラスボスこええなw
144人間七七四年:2009/09/07(月) 23:53:44 ID:3kn8d/EO
>141
どっちにしても死ぬなら今の豪奢な生活をギリギリまで続けてやるぜ、みたいな?
やけっぱちになってたんだと思う
身内なだけにラスボスの冷たさが骨身に染みてたんだろう
145人間七七四年:2009/09/07(月) 23:54:03 ID:afW0YkSW
ラスボスどんだけラスボスオーラ放ってるんだよ・・・・
146人間七七四年:2009/09/07(月) 23:59:14 ID:kATxDeVE
秀次に連座した一の台はラスボスにとっても元側室だからな…
自分のおてつきでもぶっ殺して首を斬り、埋めっぱなしというのはさすがに神経疑うわ…
147人間七七四年:2009/09/08(火) 00:10:40 ID:Bl7oWROR
バクテリア分解中のを掘り起こしてもまずいだろう
148人間七七四年:2009/09/08(火) 00:10:45 ID:2VlQD+I7
坂口安吾の「二流の人」読むと
ラスボスの恐ろしさに鳥肌立つね
149人間七七四年:2009/09/08(火) 00:21:13 ID:sp2/mKXO
>>144
あまりにも無策に過ぎるのは、捨て鉢だったからか?
下手に出ても無理なら、家康にとりなし頼むとか
なんとか出来なかったんだろうか。
それか一か八か謀反しても…
どうやっても源頼家みたいな境遇だな。
八方塞で詰み。
150人間七七四年:2009/09/08(火) 00:34:27 ID:ZRgqCN4y
つーか秀次個人で身体をどうこう出来るような問題じゃないんだよね。

既に関白秀次は、関白府と言うべき政府機能を有していたわけで。しかも当の秀吉の後援で。
しかもそれに付いている部下は、連座した人間の名前を見れば解るように、木村、前野と言った
豊臣家譜代と言うべき人々。
しかもその機構は秀吉の朝鮮征伐が進んでいる中、畿内統治の実績を上げていた。

まさしく公権力」たる豊臣政権の、正当な中枢と言っていいものだったわけで、これを秀吉がまさか、
生まれたばかりの子供への「私心」のためにぶち壊すとは、秀次じゃなくても、さすがに
考えられなかったでしょうね。
151人間七七四年:2009/09/08(火) 01:12:45 ID:oS26gMXw
これ以上は秀次スレで語り合うべし。
152人間七七四年:2009/09/08(火) 02:31:44 ID:Z9zsW5/b
いい話かというと微妙なのでこっちで

天正十九年のこと、伊達政宗は大崎・葛西の乱の鎮圧のために二万を越す大軍を引き連れ、
一揆勢が立て篭る佐沼城に攻め入った。
そこには勇猛で知られた一栗兵部高春の姿があった。

高春は当初、自らの居城であった一栗城に手勢200ほどで立て篭もって政宗を迎え撃とうと
意気込んでいたが、当の政宗はそれを無視、まっすぐに佐沼城に向かった。
政宗が一栗城を見逃した理由は、小城ゆえとも、一栗家が大崎家中で親伊達派であった氏家党に
属していたためとも言われている。

無視された形の高春は怒りが収まらず、一栗城を放棄して佐沼城に向かった。
怒りが有頂天の高春の強さは凄まじく、敵をちぎっては投げちぎっては投げの大活躍であった。
ついには、ざまぁ見やがれ政宗と言わんばかりに一首を政宗の陣に矢文した。

「伊達どのは木の葉猿にも劣りたり 一つ栗をば落とし得ざれば」

これを読んだ政宗はただちに返歌した。

「よそにのみ見れば木の間の一つ栗 終には猿の餌食なるべし」

政宗は高春の武勇を惜しみ生け捕るように命じたが、高春は佐沼城をからくも脱出して
出羽に逃れ、鮭様に仕えることとなった。
(が、鮭様没後のお家騒動で謀反人とされた。)

ようするに挑発にもcoolな対応をした政宗△というお話であるが、当事者の一栗高春が
滅んでいるため、この話の真偽は不明である。
両者の歌があまりに直情的なので、後世の創作のような気がすると個人的には思う。
153人間七七四年:2009/09/08(火) 06:48:05 ID:7v0ptK8J
>>152
『猿』って秀吉のこと?
154人間七七四年:2009/09/08(火) 07:24:28 ID:JYvs0hON
>>152
祖父と孫が一緒に篭城して戦った珍しいケースだよな
155人間七七四年:2009/09/08(火) 07:30:14 ID:DnXGnFcR
一栗や東北の斯波家はのぶやぼがなければここまでの知名度はなかっただろう。
156人間七七四年:2009/09/08(火) 07:38:07 ID:2Y8opHCU
東北の斯波家は室町から歴史知ってればかなり知名度もってる存在だろ
戦国からポツンと入った人には印象弱いかも知れないが
157人間七七四年:2009/09/08(火) 07:43:11 ID:DnXGnFcR
そこに勢力が伴わないからすごいんだよ
158人間七七四年:2009/09/08(火) 07:46:19 ID:2Y8opHCU
は?
159人間七七四年:2009/09/08(火) 09:19:27 ID:I8C/qdFR
奥州斯波氏は石塔、畠山、吉良、ついでに北畠との抗争に勝ち抜いた勢力だな
しかも奥州大将の正式な流れは斯波→石塔→吉良・畠山の順で任命されたのに
ヘタレばっかの斯波家にゃ珍しいことだ
160人間七七四年:2009/09/08(火) 09:56:37 ID:7xiapX/E
>>152
一栗も支える家を間違えたな。
161人間七七四年:2009/09/08(火) 12:14:52 ID:wN91+34f
>福山城が消失したとき

な、何があったw
162人間七七四年:2009/09/08(火) 12:57:41 ID:hDw+gopD
飛んでいったか…
163人間七七四年:2009/09/08(火) 13:30:51 ID:ZRgqCN4y
下総国、茂木を領していた茂木山城と言うものは、佐竹に属していたのだが、
朝鮮征伐で佐竹家が西国に下ると言うとき、この茂木が人数の手配をすることになった。
どうも茂木さん、この仕事に必要以上に張り切ったらしい。
主君からの直々の命令であるのをいいことに、家中の面々に上から指示を出しまくったようだ。

そのようにして、屋敷に集まった佐竹家中の面々に茂木さん

「はい、おのおの方!まず家老の皆さんは縁側に残って、それ以外の者は
縁の下に下りるように!」

ところがこの茂木の言葉を、誰一人承知しない

「茂木殿、そなたは家老で無いのに、何故縁の上にいる?」

「いや?私はそなた達に下知をする立場であって…」

「人に下知するときは、先ず自分から率先すべきであろう!」

こう言われて茂木さん、あわててしたに下りたそうだ。

『人に命令を下すときは、自分を慎まなくてはならない、と言うことだ。』
この逸話は、そのような言葉で締められている。
164人間七七四年:2009/09/08(火) 13:41:19 ID:rEpk25ro
こういう奴は現代でもいるな…
分別とか面子ってもん考えないと駄目だよね
165人間七七四年:2009/09/08(火) 13:53:34 ID:pwrSTKXa
上手く使う人は年上の部下とかでも面子潰さないようにやってるもんね
166人間七七四年:2009/09/08(火) 16:34:51 ID:zIaikIjd
石田治部「うむ」
167人間七七四年:2009/09/08(火) 17:07:39 ID:aKs8mu5z
命令するだけなら子供でもできるからな。
たとえ後輩や部下であろうとも、ちゃんと動くように差配しないと
命令、監督する任務を遂行したとは言えないよな。
・・・と、それが出来ずに他部署に飛ばされた2つ前の
オレのバカ上司に言ってやりたいなwww
168人間七七四年:2009/09/08(火) 17:16:48 ID:CHKnariE
軍人は4つに分類される。 (ハンス・フォン・ゼークト)

1: 有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
  理由は主に二通りあり、1つは、怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。
  そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。

2: 有能な働き者。これは参謀に向いている。
  理由は勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、
  部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方が良いからである。
  また、あらゆる下準備を施すためでもある。

3: 無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
  理由は自ら考え動こうとしないので、参謀や上官の命令どおりに動くためである。

4: 無能な働き者。これは処刑するしかない。
  理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、
  更なる間違いを引き起こすためである。
169人間七七四年:2009/09/08(火) 18:03:19 ID:UJF+lhUg
ゼークトはそんなこと言わない
170人間七七四年:2009/09/08(火) 18:20:13 ID:7v0ptK8J
>>163
『下総』じゃなくて
『下野』でしょ。
171人間七七四年:2009/09/08(火) 18:54:55 ID:ZRgqCN4y
>>170
うわ!そのとおりです!
…まとめに載せるときは一行目を「下野」に直して置いてください…orz
172人間七七四年:2009/09/08(火) 19:47:30 ID:lQVD1p8X
>>169
かってにゼークトの名前が使われてるだけらしいね
173人間七七四年:2009/09/08(火) 20:17:50 ID:M4pLn4Hs
>>172
そういえば例のメッケルの、「関ヶ原の布陣は西軍必勝」ってのも。
勝手にメッケルの名前が使われているだけだとか。
174人間七七四年:2009/09/08(火) 20:56:11 ID:Q8F5mBPs
あの布陣図では戦意とか寝返りとかまでわからんし
そりゃ額面どおり受け取れば西軍の勝ちだと思うだろうて。
175人間七七四年:2009/09/08(火) 21:14:28 ID:M4pLn4Hs
>>174
いや、実際にメッケルがそんなことを言ったって記録は一切無いんだと。
176人間七七四年:2009/09/08(火) 21:50:26 ID:/1R46H7d
メッケルか誰だか知らんが、明治の頃ドイツから招かれた教官が
関ヶ原の布陣図を見て云々は司馬だけじゃなく海音寺も書いてたし
「実際にメッケルがそんなことを言ったって記録は一切無い」つうのは対抗神話じゃね
177人間七七四年:2009/09/08(火) 22:13:47 ID:M4pLn4Hs
>>176
まあその、メッケルなり外国人教官なりが、「西軍必勝」って言ったって証拠も、当時の生徒の証言も、
どこをどう辿っていっても存在しないのだそうで。

おそらくメッケルの後に、陸軍学校の中で形成された話らしい。
多分関ヶ原に関する授業で講師が、自分の授業の権威付けにメッケルの名前を出したんじゃないかとか。
178人間七七四年:2009/09/08(火) 22:16:27 ID:XknSAxd+
アインシュタインの日本人に関する発言とか、
マッカーサーのエダジマに関する発言みたいなもんか。
179人間七七四年:2009/09/08(火) 23:55:56 ID:7v0ptK8J
>アインシュタインの日本人に関する発言

あれは別のアインシュタイン博士という
まぎらわしい人間の発言が混同されたらしい。
180人間七七四年:2009/09/09(水) 00:33:57 ID:itYQYX4u
>>152
謀反人というか、いきなり重臣・志村光安の子・光惟らを襲撃して殺すという
クーデターを起こしてそのまま殺されたんだったな。
181人間七七四年:2009/09/09(水) 01:00:21 ID:8MSgisw/
>>178
おい最後ちょっと待てw
182人間七七四年:2009/09/09(水) 04:54:58 ID:tpbRqi9a
小田原討伐が始まり
秀吉は京を経って東海道を下っていた。
そして途中遠州の汐見坂という土地に到着した。
ここで秀吉はある話を思い出していた。

「そういえば、昔の駿河守護であられた今川義忠公(今川義元のお祖父さん)は、
確かこの土地らへんで土民に殺されてしまわれたんだったかな
そんな話を聞いたことがあるぞ
貴人を手にかけるとは土民の癖にけしからんことだ」

秀吉はそんなけしからん先祖を持つこの土地の者を罰するために
土地の男五十人余りの首をはねさせた。
そしてその首を見せしめのために並ばせると、
再び小田原に向けて進軍を開始したという。

故実に通じて貴人を尊ぶ関白ステキー!
というニュアンスで残っている話なんだが……
こっちのスレでいいよね?(´・ω・`)
183人間七七四年:2009/09/09(水) 05:28:10 ID:T6TParUt
家康「わが領民を罰していただき有難き幸せ(忍耐忍耐)」
184人間七七四年:2009/09/09(水) 05:40:06 ID:5Zli6jeu
どう見てもただ何となく殺してるようにしか見えん・・・
185人間七七四年:2009/09/09(水) 05:53:06 ID:cYTVgbHA
>>182
やっぱラスボスw
186人間七七四年:2009/09/09(水) 08:27:53 ID:1s8JQz8C
>>182
歪みねぇw
187人間七七四年:2009/09/09(水) 09:50:45 ID:0RY3o6X6
太閤は何なんだろう。恐怖による統制で統治したかったんだろうか。
それとも、やっぱただの気まぐれか……。
188人間七七四年:2009/09/09(水) 09:54:41 ID:HIjoqfJV
恐怖政治・・・安直だが天下布武という言葉を思い浮かべた。
でも、どちらかというと深い考えなしにやってると思う。
結局はご本人にしかわからないことだしなぁ
189人間七七四年:2009/09/09(水) 09:59:12 ID:pw+kqJLO
きっと遠足で気分がハイだったんだよ
190人間七七四年:2009/09/09(水) 10:22:11 ID:pwjldgkF
今川家の陪臣だった頃、嫌な目にあったのをそういうもっともらしい理由を付けて仕返しとか?
191人間七七四年:2009/09/09(水) 10:39:43 ID:quERoLRW
ちょっとじゃないから困る
192人間七七四年:2009/09/09(水) 10:52:47 ID:l5mksLJF
最近、「戦国すげぇ悪い話」スレの誤爆があるような気がしてきた。
193人間七七四年:2009/09/09(水) 10:56:44 ID:HIjoqfJV
すげぇ悪い話スレって、裏2chにあるのか。
それか、心が綺麗な人にしか見えないのか・・・!?

まぁ、ちょっとじゃないよね、で笑い(?)にもっていけるからいいじゃない。
194人間七七四年:2009/09/09(水) 11:00:47 ID:nfcwVpro
ラスボス「ワシに都合が悪い話を知る者をすげぇ悪い話スレに集めて殲滅する。計画通り」
195人間七七四年:2009/09/09(水) 11:10:03 ID:ondK9jg7
ラスボス流友愛ですね分かります
196人間七七四年:2009/09/09(水) 12:53:52 ID:SBw8BQXY
.     ,r':、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、:-i''ヽ,
    /;;:::  ``'''''''''''''''''''''''''"´   :;;;;l
.    l;;;::                :;;l
.    |;;:    _,,,,,,,,_ヽ  / _,,,,,,,,,,__  ;l. _         
   ,r'ヘ;;  ''''" __,,,_`,'. ', ..._,,,,,_  _ ,'´ l        殺った!!
   l ; l  ,:'=<_〇,>;  ':,く〇,,>,= ' l、.l l        さすが関白様!
   ヽ 、l/ ヽ_  ~  l   l ~  / ヽ/./        俺達のできないことを平然とやってのけるッ!
   ゙、〈    '、,r‐:l    l-、 /  /.,ィ,)t、       そこにシビれないし、憧れもしないから
.    ヽゝ、   .ゝ,r.、   ,riノ   ,r'',r' ! /l、       死んだら天下乗っ取る by内府
      l.ト  //゙;彡三三ミ;ヽ  /" / |/ ス
   __,,,,,,l ヽ   リ!''‐´ ''' `ヤリ ./ ノ / ./┴''" ̄ ̄
,,,,,,r'ヽ. ヽ  ヽ.         /   / ノ
  |  ヽ. ヽ   `':、  r‐‐-.、 ,、:'    ,イ
.  |  ヽ. ヽ    `'l;;;;;;;;;r'"    .t'"', ',
  |   ヽ ヽ    l;;;;;/      人. ゙,.゙,
   |   ヽ ヽ.    リハ,_,,、-‐''"´/\',.',
   l    ヽ. ヽ  l'!  ゝ、-、 \  \゙、
197人間七七四年:2009/09/09(水) 13:19:15 ID:SsWmRsdc
>>182
今川義忠が塩買坂で斯波義良派の国人、横地、勝間田氏の残党の襲撃にあい
流れ矢に当たって死んだのが文明八年(1476)、
小田原の陣が天正十八年(1590)、
何故に120年以上も前の話を…

はっ!そうか!

今川義忠の死によって駿河は6歳の嫡男竜王丸(後の今川氏親)派と、義忠の従兄弟、
小鹿範満派との近隣諸国を巻き込んだ騒乱になり、この時幕府から、幕府官僚であり
義忠の妻、北川殿の弟、伊勢新九郎が派遣されて、この紛争を調停。
そしてこれが、伊勢新九郎、すなわち北条早雲が東国で活躍を始める端緒となる。

つまり秀吉は、自分が征伐する後北条氏が躍進する、大本のきっかけであった
忠義討ち死にの原因を作った連中を、処罰したんだよ!!!


    ,ィィr--  ..__、j
   ル! {       `ヽ,       ∧
  N { l `    ,、   i _|\/ ∨ ∨
  ゝヽ   _,,ィjjハ、   | \
  `ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ   > 
     {___,リ ヽ二´ノ  }ソ ∠ 
    '、 `,-_-ュ  u /|   ∠
      ヽ`┴ ' //l\  |/\∧  /
--─‐ァ'| `ニ--‐'´ /  |`ー ..__   `´
    く__レ1;';';';>、  / __ |  ,=、 ___
   「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l ))
   |  |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,|  , -,
    ! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | |   | | .l / 〃 ))
    l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj  7
    | |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\::  ::::|  ::l /
198人間七七四年:2009/09/09(水) 13:42:09 ID:vIacIKPJ
な・・なんですってーーー!!
199人間七七四年:2009/09/09(水) 15:07:20 ID:SsWmRsdc
>>163
さっきニュースで見た自民党の衆議院議員の茂木敏充さんって、栃木選挙区だし、先ず間違いなく
この茂木さんの一族だな。
200人間七七四年:2009/09/09(水) 15:09:33 ID:0xODD+pX
やっぱ松下時代の意趣返しかね

てか秀吉を持ち上げるための天正記にあるんだっけか
201人間七七四年:2009/09/09(水) 15:11:22 ID:Vb9HV7kJ
鬼武蔵領として地獄を見せるつもりが奴が死んでくれたせいで自分で手を下さねばならなくなったわ

と。
202人間七七四年:2009/09/09(水) 16:37:38 ID:Aexf53MO
薩摩の出水地方に勢力を持っていた島津薩州家だが、当主義虎が義久の長女(於平姫)をもらい受け宗家の家臣化していた。

ただこの薩州家、義虎の嫡男忠辰は朝鮮役時にラスボスのいかり取潰されてしまう。
嫡男忠辰は失意のうちに亡くなり、三男忠清(母は於平姫)はお隣の宇土小西家にお預けになった。

しかし宇土の地も彼の安住の地にはならなかったのだ。
関ヶ原で西軍が負け、東軍の加藤清正が宇土に侵攻してきまのである。

ここで 小西家残党は同じ西軍の島津家を頼って薩摩へ救援を求めたのだが、忠清は不思議な行動にでる。
宗家があり祖父が治める薩摩へは行かず、何故か侵攻してきた加藤清正に庇護を求めたのである。
しかも1人ではない。小西行長の妻(明石全登の娘と言われている)と手と手をとりあってである。

あやしいとの周囲の予想通り忠清と小西未亡人は清正の本拠地熊本で夫婦となった。
そしてめでたく娘が産まれたのだが、産まれた日時が問題である。
どう考えても宇土時代に仕込まなければならないほど日時が切迫していた。
しかもその時、小西行長は上洛しており宇土にはいなかった…

ちなみにこの時産まれた姫が後に悪久の側室になり、宗家の跡継ぎ光久を産んでいる。

不倫は文化を地で行く戦国のお話
203人間七七四年:2009/09/09(水) 16:53:55 ID:L4kjlygy
悪い話の発端には大抵ラスボスがいて嫌になる
204人間七七四年:2009/09/09(水) 17:18:32 ID:quERoLRW
>>202
隠れキリシタンで種子島に追放された女性か
キリシタンって不倫OKなの?と思ったら行長の側室だったか定かではないんだな
205人間七七四年:2009/09/09(水) 17:19:52 ID:ondK9jg7
>>202
また胡散臭いというか謎の多いというか そして ど マ イ ナ ー な 人物をとりあげたものだw

島津忠清の妻が小西行長未亡人というのは何故か薩摩側の史料(「旧記雑録」)の傍注に出てくるが
小西側の信頼できそうな史料(イエズス会の書簡など)と齟齬が多くて信頼できないようだ。
ttp://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com/mi/minayoshi-tsuguyoshi-musume.htm

どうも昭和までは尚古集成館などでもそういった説明を掲げていたようだが
(「宇土市史研究第八号」に掲載された論文にそのことが書いてある)今はやめているみたい。
206人間七七四年:2009/09/09(水) 18:33:42 ID:OqUPKvpc
まぁ話としては面白いよね
当時不倫はやっぱり処罰の対象だったのかな?
207人間七七四年:2009/09/09(水) 18:37:26 ID:bcrlrTJE
不義密通なんざ即効御手討ちだろ
208人間七七四年:2009/09/09(水) 18:44:32 ID:SsWmRsdc
宇喜多直家の嫁さんのお福と秀吉は、直家の生前から付き合ってた感じがするんだよなー。
無論確証は無いが。
209人間七七四年:2009/09/09(水) 18:56:48 ID:L4kjlygy
手討ちとかして嫁の実家と関係が悪化したりしない?
210人間七七四年:2009/09/09(水) 19:07:25 ID:cqa5VwOr
短パンしね
211人間七七四年:2009/09/09(水) 19:09:13 ID:L4kjlygy
ごめん
212人間七七四年:2009/09/09(水) 19:34:21 ID:zFJAJssV
>>210
携帯厨氏ね
213人間七七四年:2009/09/09(水) 21:27:18 ID:fdctkN6k
>>182
ラスボスは一般庶民を見せしめに殺すことで、下克上とか生意気言う奴をなくしたかったんだろうね。
二人目の自分が出てこないようにと。
214人間七七四年:2009/09/09(水) 21:51:54 ID:ywSu4LZc
昔、さし腹という風習があった。
恨みを持つ人がいる場合、その人を名指しした上で切腹すると、名指しされた人も切腹しなければならず、
切腹しない場合、上意により切腹を強いられることもあるという、究極の復讐法である。

江戸時代初期のある日、市松のもとに、日ごろ懇意にしている山城忠久が訪れて、
「本多藤四郎というものと口論になり、その場は仲裁が入って収まりましたが、その後、退室する際に、
藤四郎の脇差が私の鼻に強く当たって、鼻血が出るほどでした。故意ではないかもしれませんが、
悔しくてしょうがないので、アドバイスを求めに来ました。」
と述べる。

市松、長考の後、
「鼻血が出るほど強く当てるなんて故意に決まってる。たとえ故意でなくとも、後で「山城に鼻血ださせてやったぜ」
などと言いふらさないとも限らない。かくなるうえは、本多を名指しの上切腹なさい。もし本多が切腹しないときは、拙者にお任せあれ。」
と、余計なことを請け負った。

すると、山城はアドバイスを聞くなり、喜んでそのとおり切腹してしまう。
本多も、その後、幕府から切腹を命ぜられたという。

それにしても、仮に本多が切腹を命ぜられない場合、市松はどうするつもりだったのだろう。
大幅厳封になるのも止むなしと思わせる、そんな市松の悪い話
215人間七七四年:2009/09/09(水) 22:01:41 ID:SsWmRsdc
いい話スレで地名についての話題が出てたの、こっちに書き込んでみる。


だんごくび

永正9年(1512)のこと、相模の国、相模野の大庭城に、北条早雲率いる軍勢が
攻め寄せた。

が、大庭城の周辺は一面の沼地であり、さすがの早雲も攻略の糸口すら
見つけられなかった。

「あの沼地を何とかせねば。どうにか水を引かせることはできないか?」

しかしいたずらに軍議を重ねるだけで、日は過ぎていった。

そうして困り果てていた北条軍のある武将が、ふと、城の対岸で牡丹餅を売っていた老婆に
相談してみると、その老婆

「そんなの、わけも無い事ですよ。大庭城は堤を作って城の周囲に水をためているのです。
その堰を切れば、水はたちまち干上がりますよ!」

武将は大いに喜んだ。が、老婆の口からこの情報が他に漏れるのを恐れ、
その場で切り殺した。

そして早雲の軍はその夜のうちに堤を崩す。すると城の周囲の水はたちまち引き、
早雲の軍の総攻撃に、さしもの大庭城もついに落城した、とのことである。

さて、殺された哀れな老婆は、土地の人たちに大庭城の近くに葬られ、そこに
地蔵が祭られた。その地蔵は『船地蔵』と呼ばれ、今も土地の人々に、大切にされている。

そして老婆が牡丹餅を売っていた場所は、それ以後「だんごくび」と、呼ばれたと言う事である。

そんな、今も相模に伝わるお話。


まあ、ぶっちゃけると、牡丹餅売りなんてのが現れたのは江戸期からだし、
なにより早雲の軍による大庭城攻め自体、存在しなかったらしいのですが、
地名に関しての伝わる、戦国時代の伝説のお話。
216人間七七四年:2009/09/09(水) 22:17:18 ID:A5MeY57S
そういうのはせめて自家の中だけにしろよ(´・ω・`)
217人間七七四年:2009/09/09(水) 22:18:27 ID:A5MeY57S
>>216>>214へのレス(´・ω・`)
218人間七七四年:2009/09/09(水) 22:21:04 ID:0J4FOnn1
>>211
スレが読めない携帯厨の意味のないレス
>>210へのレスではないので無視しておk
219人間七七四年:2009/09/09(水) 22:22:10 ID:0J4FOnn1
安価ミス ×>>210 ○>>209
220人間七七四年:2009/09/09(水) 22:25:31 ID:SsWmRsdc
みんなおちつけw
221人間七七四年:2009/09/09(水) 22:36:43 ID:lIEZxVqq
これが世に聞こえた宇喜多殿の謀略か…ゴフッ
222人間七七四年:2009/09/09(水) 22:38:16 ID:9Q1XLGRX
>>214
市松よりもむしろ、恥をかかされただけで仕返しの為だけに
喜んで切腹する山城の方がおかしい。
223人間七七四年:2009/09/09(水) 22:45:21 ID:wH6YrT4W
>>222
昔あった「HARAKIRI」ってゲームを思い出した
224人間七七四年:2009/09/09(水) 23:30:47 ID:uOAztLPT
>>222
いや、実はおかしくないんだこれ。少なくとも、中世において「面子を潰される」「侮辱を受ける」
という行為は、自分だけでなく自分が所属する共同体が生命を賭けてでも取り返さなければ
ならないことだった。
この気風は江戸時代までも続いて、元禄の赤穂事件の原因も背景にこの思想がある。

詳しくは『喧嘩両成敗の誕生』(清水克行)を読んでいただきたい。戦国時代・中世日本を
知る上で非常に参考になるから。
225人間七七四年:2009/09/09(水) 23:57:14 ID:GGc4ZHHE
>>214
織田信孝「俺も名指ししたのに・・・」
226人間七七四年:2009/09/10(木) 00:03:03 ID:PteY8SA/
>>225
秀頼が変わりに切腹したからw
227人間七七四年:2009/09/10(木) 00:04:09 ID:m/lNbJo+
所詮現実社会、逃げられる時は逃げられるってことか。
じゃあこれは分類上福島正則のいい話ということに?
228人間七七四年:2009/09/10(木) 00:13:31 ID:o3rwujle
>>225
切腹命じた上役を恨んで切腹>命じた側も切腹
なんてマッチポンプな事通るわけ無いだろうねぇ
それじゃ処罰としての切腹が事実上不可能になるし
まだ信長存命中とかなら(信孝切腹する理由無いけど)、
秀吉も腹切らざるを得ないんじゃないか?
229人間七七四年:2009/09/10(木) 00:52:05 ID:xDcL0aHX
>>205
無粋な突っ込みだな。真贋をうんぬん語るスレじゃないのに。
前は鮭厨が自分の考える義光像と違うと沸いてでてうざかった・・・
あんたもそう成らないようになw
230人間七七四年:2009/09/10(木) 00:58:47 ID:+S+SHGMb
鮭厨とか言う奴も充分ウザイけどな。そんなの荒しだけかと思ったが。
231人間七七四年:2009/09/10(木) 01:02:56 ID:m/lNbJo+
まあまあまあまあ話も長くなりそうだしここはひとつ私の顔を立てて
232人間七七四年:2009/09/10(木) 01:19:50 ID:eIwYR4k8
最上義光の逸話って投下したら駄目になったん?
あとここって出典の信頼性を語るスレになったの?
233人間七七四年:2009/09/10(木) 01:21:08 ID:+Zpl2cOp
荒らしにかまうのはNG
234人間七七四年:2009/09/10(木) 01:22:14 ID:4E31YG4K
というか、鮭厨なんて見たことねえよw
235人間七七四年:2009/09/10(木) 01:54:59 ID:17HWKe5i
ちょっと(住人の頭の)悪い話スレにならないように気を付けよう。

以下通常進行
236人間七七四年:2009/09/10(木) 09:07:50 ID:WdTuoZ1U
    @∧_∧
    リ(゚ー゚*)
     /ヽ//ヽ     政宗や、これでも食べて落ち着きなさい…
   ヘ/ // (7丶
  || | ̄ ̄/ |
  || Г ̄| 丶
   レ| | ̄ ̄\※\          
  / ⊥_|\※ \_ノ   ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、     ,.-、   
 / <っノ\_丶 ※ )  (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)   
/ ※ /    ̄ ̄ ̄   毒    毒    毒    毒     毒      毒
   義 姫    
          ,.-、   ,.-、      ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
           毒    毒       毒      毒    毒    毒    毒
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、     ,.-、  ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      毒    毒     毒     毒     毒    毒     毒   毒
237人間七七四年:2009/09/10(木) 09:35:32 ID:G45CKKW3
「毒」の中に「妻」という字が隠されているのではと思い探してみた


…ゴフッ
238人間七七四年:2009/09/10(木) 09:47:07 ID:k/JplzZy
一豊「妻が無い(どうしよう)」
信之「妻が無い(ホッ)」
239人間七七四年:2009/09/10(木) 14:03:54 ID:Xow+N70F
妻がないとは
つまらない             なーんて
240人間七七四年:2009/09/10(木) 14:09:30 ID:7TZx8+3m
>>今じゃ、239に熱湯をかけい!
241鬼武蔵:2009/09/10(木) 14:24:30 ID:jL0IewdP
>>239の家の屋根を剥ぎ鉄砲を打ち掛けい!
242人間七七四年:2009/09/10(木) 14:43:12 ID:YJG3TQJS
>>202
携帯から書き込んだのか乙。脱字が勿体無い

当主義久に次ぐ一門の序列二位だでありながら目立たない島津義虎の関連について書いてみる
長いので読み飛ばし推奨

薩州家6代の島津義虎だが、「義」は将軍義輝からの偏諱。つまりは義久と同じ。
父・実久と共に上洛の経験あり。近衛家とも親交があり近衛前久が薩摩に下向してきたときは
義久の命を受け出水で歓待し3ヶ月近くも逗留させた。

義久の娘を妻に貰い腹心として仕えたが、守護職をめぐり忠良・貴久に対抗していた父・実久とは違い
早くから貴久・義久らに臣従し、島津家一門の中でも別格で宗家も色々と扱いに難儀した。
領地が出水ということで菱刈氏や国境を接する肥後相良氏との攻防に明け暮れる。
相良氏討伐、沖田畷の戦いなど主に肥後口で功あり。秀吉の九州侵攻の前に50歳で死去。
243宇喜多直家:2009/09/10(木) 14:43:32 ID:hv9Nlbfn
>>239
そなたお茶でも飲まぬか?
244人間七七四年:2009/09/10(木) 14:44:09 ID:YJG3TQJS
ここからちょっと悪い話

・義虎死後の息子たちの行方

『諸氏系譜三』 「薩州用久一流」 忠辰譜
「又太郎(=忠辰)事従 公儀断絶ノ事ニ候ヘハ重テ右一筋御取立被成間敷由 龍伯公(=義久)御譜ノ内ニ相見ヘ候由ニテ候」

長男 忠辰 → 秀吉の九州侵攻では有馬晴信の裏切りもあり肥後口では戦わず出水に撤退・降伏・領地安堵。
          朝鮮の役では秀吉に陣立を義弘と別にして欲しいと直訴。秀吉は却下。
          渡海するも病気と称して1ヶ月余りも下船せず上陸拒否して引き篭もる。
          秀吉怒っ狂って知行地を召し上げ小西行長に幽閉を命じた上で改易処分。
          忠辰は小西陣所で幽閉されたままその後、病死(自刃、または暗殺されたとも)。
          宗家は妻子も追放or処刑?で薩州家を取り潰し断絶。忠辰は島津正史で国賊扱いされる。

次男 忠隣 → 後継ぎがいなかった島津歳久へ養子入り。根白坂の戦いで無謀な突撃死。享年19

三男 忠清 → >>202の後、清正の元から鹿児島に脱出。娘が家久側室となり光久を産む。
          にも関わらず、忠清死後、息子は跡を継ぐことが出来ず新納家から養子を迎える。
          息子本人は他家に養子に出されるというかなり強引な圧力を受ける。
          
四男 忠栄 → 関ヶ原後、戦死した豊久の姉と謀り佐土原を掠め獲ろうとするも豊久家臣らに一揆を起こされ失敗。
          義弘の元に逃げる。その後、母・御平の領地の一部を継いだり領内を転々とした後、
          義久次女のいた垂水あたりで地頭として細々と余生を過ごす。

五男 忠富 → 名を久秀と改め頴娃氏に養子入りするも、鎌田政近の四男を養子として迎え家督を譲り、
          自身は入来院家に養子入り。重高と名を改める。5000石を領す。
          要は頴娃久虎の後に没落した頴娃家から島津氏有力家臣の入来院家に栄転。勝ち組。
          義久長女である母・於平を最期に看取ったのは重高だけだったらしい。

六男     → 人質に出された先で早世


とまぁ、こんな感じで薩州家が断絶させられ散り散りとなった後も、薩摩藩成立→成熟過程において
史料にヒドいこと書かれたり江戸時代以後も残った血統の家人の扱いは悪かったと言う
245人間七七四年:2009/09/10(木) 15:15:32 ID:juXKqqh2
>>244
酷いなぁ・・・・と思いつつ、長男と四男だけは自業自得だよね
246人間七七四年:2009/09/10(木) 15:31:39 ID:BxoDbhqh
まとめを見たけど、なかったので・・

●津軽信枚の正室・満天姫(まてひめ)の話

松平康元の娘として生まれた満天姫は、家康の養女となり、
実子の無かった福島正則の養嗣子・正之に嫁いだ。
ところが正則に男子が誕生したため、こちらを跡継ぎにしたい正則は、
正之を乱心のためやむなくという理由で殺害した。
満天姫は江戸に戻ったが、既に正之の子を身ごもっていた。

その後家康は奥州の押さえのため、津軽信枚に満天姫を正室として嫁がせた。
(正之の子は大道寺家に預けられ、大道寺直秀となる)
津軽信枚には正室辰姫(石田三成の娘)がいたが、徳川の力の前に辰姫は大館に移された。
信枚は参勤交代のときには、大館に拠り、辰姫は信義(津軽三代目)を生むが死去してしまった。
満天姫は信義を育てることとなり、実子大道寺直秀も長じるに従い自分の出目を知ることとなった。
折りしも福島家が改易となると、直秀は福島家再興のための行動を起こす。

直秀は江戸城へ直訴に行く前日、実母である満天姫を尋ねた。
満天姫は直秀に一杯の茶を差し出した。毒殺である。
福島家問題が津軽家まで及ぶことを恐れたための決断であった。
婚家のために実子を殺し、かつての敵(三成)の娘の子を育てた満天姫の
壮絶な人生である。
247人間七七四年:2009/09/10(木) 15:50:05 ID:m0+Poxvh
248人間七七四年:2009/09/11(金) 06:54:21 ID:6PkrDZlZ
遅レスだけど>>182ってどの資料に記録されてるの?
249人間七七四年:2009/09/11(金) 07:49:19 ID:Dr4moVnL
大村由己の天正記と呼ばれる書物のなかにあるらしい
250人間七七四年:2009/09/11(金) 08:34:35 ID:WnThUgrD
251人間七七四年:2009/09/11(金) 11:52:48 ID:ZSwzemck
天正6年(1578)、大友と島津氏の間で行われた有名な、耳川の合戦。

この時豊後では、将兵達の妻子が、父兄の討死、子夫の死亡を心配し、我も我もと国境に出て
安否の知らせを待っていた。

この所に、大友義統が寵愛していた、出頭人の侍が逃げ帰ってきた。
これに義統は大いに喜び

「誰が討死したかなどもう気にはしない!汝が生きていたのは、千万人の命に超える事だ!」


この一言を聞いた家中の人々の心は、皆、大友を見限ったそうである。


そんな、取り返しの付かない一言のお話。
252人間七七四年:2009/09/11(金) 12:02:23 ID:Y6FfoxGR
嬉しいのは分かるけどさぁ…
他人の気持ちを考えないって点は親父の血を受け継いでるのな
253人間七七四年:2009/09/11(金) 12:42:03 ID:qkcfDRRQ
親子揃って人心の機微のわからないこと
254人間七七四年:2009/09/11(金) 13:30:57 ID:PpQW8ELC
見限られるのにはちゃんと訳があるんだな。
255人間七七四年:2009/09/11(金) 13:31:10 ID:D7j4vMnO
祖父もあの死に方は分かってなかったからゆえという気もする
256人間七七四年:2009/09/11(金) 13:46:55 ID:gkLA1cmw
逆に考えると、それでよく三代も持ったものだ
257人間七七四年:2009/09/11(金) 14:17:53 ID:Yugqlv5h
友達できなさそうな性格なのに大友とはこれ如何に
258人間七七四年:2009/09/11(金) 14:42:45 ID:NHQvzHAP
そうとも
259人間七七四年:2009/09/11(金) 15:04:04 ID:zSFYjZXW
【審議中】
    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'
260人間七七四年:2009/09/11(金) 15:11:41 ID:2PZHMF1+
いいとも!



・・・ちょっと遅いな
261人間七七四年:2009/09/11(金) 15:41:28 ID:L2XkL9hD
>>257-260
皆様天守閣最上階にご案内いたします。
しばらく最上階からの展望をお楽しみください。
262人間七七四年:2009/09/11(金) 16:27:42 ID:J/I7iVn5
TEL元
263人間七七四年:2009/09/11(金) 16:58:12 ID:ab53Epgj
輝元といえば、
天正16年5月に上杉景勝が従三位参議に昇叙・清華成し、
同年7月に毛利輝元が従四位下参議に補され清華成してるけど、
同じ参議でも景勝や秀家と位階が4ランクも違うとは、よほど秀吉は輝元のことを軽く
みてて、まったく評価してなかったってことなんだろうか?

毛利一門全体では厚遇されてるけど、輝元個人は・・・
264人間七七四年:2009/09/11(金) 17:38:26 ID:QsDF0Ps9
徳川幕府が武家官位制を導入して、大名家ごとに官位による
厳格な格付けを行うようになるのはもう少し後のことだし
それ以前は割と皆さん適当に昇叙時点で空いてる官位貰ってる気がするので、
位階だけで輝元が秀吉に低く評価されてたとはいえないと思う
265人間七七四年:2009/09/11(金) 17:58:17 ID:ab53Epgj
>>264
官(参議)には当然定数があるだろうけど、同じ参議の中でも位階の縛り(従三位参議の後任は
従三位参議、従四位下参議の後任は従四位下参議)があったということなのかな?
266人間七七四年:2009/09/11(金) 19:58:39 ID:bCm1+T1w
東北の戦国大名の相馬義胤。義胤の正室(前妻)は祖母の妹。
祖母は伊達稙宗(政宗の曽祖父)の長女、正室は末娘であった。
もっとも正室とは仲が悪くてすぐ離縁し、相馬氏は伊達氏と争い続けるわけだが。

それにしても伊達稙宗、さすが。
267人間七七四年:2009/09/11(金) 21:04:07 ID:Ji9UqI/M
>>266
伊達家の歴代当主って種付けすごいよなぁ
TerumotoじゃなかったTerumuneは少ないが…(仕方がないといえば仕方がないw)
268人間七七四年:2009/09/11(金) 21:27:25 ID:rHAoIgiX
このスレでTERUといえばすなわち毛利みたいになってるのは、
全国に散らばる同期のTERUさんや大元のYOSHI-TERUさんに失礼だと思うんだ。
269人間七七四年:2009/09/11(金) 21:28:16 ID:gkLA1cmw
>>268
その人たちはちゃんと「輝」だから安心していいよ。
270人間七七四年:2009/09/11(金) 21:30:29 ID:lEb2oIVF
俺にはわざわざローマ字にするってのがわからねけどな
そういう流れだから批判はしないけど
271人間七七四年:2009/09/11(金) 21:41:48 ID:Akcx4rT5
>>270
GLAYのTERUと掛け合わせた諧謔ですかね
全国に散らばるTERUの中では一番有名所だし
272人間七七四年:2009/09/11(金) 22:05:35 ID:8he57Zw1
             /)
           ///)          /
          /,.=゙''"/、______//
   /     i f ,.r='"-‐'つ______/  SmallなことはNo, thank you!!
  /      /   _,.-‐'~/ \__/⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃■■  (●)V\
   /    ノ    il゙フW:::⌒(__人__)⌒:::W\
      ,イ「ト、  ,!,!|VW   |r┬-|     V|\
     / iトヾヽ_/ィ" ̄ ̄|===`ー'´=====/\\
273人間七七四年:2009/09/11(金) 22:12:35 ID:+b+TbkLe
BASARA空気嫁
うざい
274人間七七四年:2009/09/11(金) 22:15:15 ID:K8ebS+nu
まあ、キリシタン大名やその親しい者の中には、ローマ字で印鑑作ったのもいるけどね。
例えば、黒田長政は「KURO NGMS」、細川忠興は「tadauoqui」。
275人間七七四年:2009/09/11(金) 22:25:27 ID:zNeiD0mC
NGMS 子音を落とす文化は昔からあったのか?w

tadauoqui ただうぉくぃ こんな感じの発音だったんかね?
276人間七七四年:2009/09/11(金) 22:27:43 ID:VnbvKbL7
大久保彦左衛門が鑓奉行から旗奉行に出世したころの話。
正月の具足もちの祝いに出席するため、同僚の鑓奉行今村某とともに、夜明け前から登城し、
山吹の間に詰めていた彦左衛門。
ところがいかなる手違いか、彦左衛門たちに何の連絡も行かないまま、儀式は始まってしまった。

そのうち、肝心な鑓奉行と旗奉行がいないことに気づいた目付たちは、あわてて彦左衛門たちを呼びに来るが、
ずっと放置されていた彦左衛門は、自分たちが忘れられていたことを知るや、すっかり気分を損ねてしまう。
「われらは夜明け前から詰めておるのに、われらを忘れたとはどういうことだ。
神君以来、具足もちの祝いに旗と槍がないなど前代未聞のこと、
これはわれらが年寄りだから役に立たないということだろう。ならさっさと退出することにしましょうわい。」

目付たちも困ってしまい、老中たちに報告。今度は老中が駆けつけてくる。
正信、利勝以来の幕府の問題児担当である酒井忠勝が、「忘れてすまなかった。」と頭を下げても、
彦左衛門すねて天井を見上げたまま。
ムッとした知恵伊豆が、「こっちの過ちだから頭を下げているのにその態度は何だ。」というと、
彦左衛門
「軍礼で槍と旗を忘れるなど初めて聞き申した。それにわれらは洗膳で食うなどという不名誉も受けたことはござらん。
のう、今村。世も末になったのう。」
すっかり頭にきた知恵伊豆が、「将軍家に洗膳という作法はない。だいたい、今が末世とは言葉が過ぎよう。」というと、
もう彦左衛門も後には引けない。
「伊豆の守殿ほどの方も、軍陣の作法は知らぬものだの。陣中において、一番席を与えられた武者たちが
食べ終わって退出した後、2番席として食事を出されることを洗膳といって、勇者はこれを嫌うものだ。また、
具足もちの祝いに槍と旗を忘れるなどということも聞いたことがないゆえ、今が末世と申したまで。
われらは長く権現様のお供をしたが、旗と鑓はおるかと聞かれたことはあっても、失念されたことはないし、
一番席を与えられなかったこともない。知らぬことに口を挟むものではござらぬよ。」

これには横にいた鑓奉行今村某も真っ青になって、
「もうよいではないか。これ以上好き放題言うと、(自分も含めて)みんなのためにならんぞ。」
と押さえにかかるが、その行為は火に油を注いだだけ。
知恵伊豆も二の句が告げず、周りもおろおろする中、酒井忠勝が進み出て、
「ご老体の言われることもっとも。しかし祝いの場でありますし、
この私がご相伴させていただきますので、どうか一緒に席についてくだされ。」
というと、彦左衛門も機嫌を直し、「忠勝殿のご相伴とあれば。」と応じて席に着いたので、
騒ぎはやっと収まった。

めでたし、めでたし。
277人間七七四年:2009/09/11(金) 22:29:20 ID:UwxkH3of
>>275
そもそもあちらは神様からして、YHVH
278人間七七四年:2009/09/11(金) 22:32:25 ID:KvMTOAvv
何故よりによって彦左を忘れちゃうんだ
実は故意にハブられてたんじゃないのか
279人間七七四年:2009/09/11(金) 22:33:20 ID:gkLA1cmw
>>274
>NGMS
格好良すぎるw
280人間七七四年:2009/09/11(金) 22:35:14 ID:6mK4hzUn
NGMSの親父さんはJosui Simeonという判を使い
宣教師からはQuanfioyeと書かれてるようですな
281人間七七四年:2009/09/11(金) 22:37:07 ID:lEb2oIVF
>>274
一瞬メタルギアかと思ったわ
282人間七七四年:2009/09/11(金) 22:37:49 ID:4nbOrntl
知恵伊豆から三成臭がする
283人間七七四年:2009/09/11(金) 22:39:52 ID:PpQW8ELC
NGMS かっけーw

>>277
YHVHは神の名をそのまま記すのが畏れ多いからの略語なんじゃねーの?
なんか旧約聖書にもそんな記述あったような。
284人間七七四年:2009/09/11(金) 22:44:18 ID:S+dwkWB5
いやむしろ子音しか書かなかったらしい
だから当時の発音を推定するのは難しいんだって
285人間七七四年:2009/09/11(金) 23:04:19 ID:CW0DVIQo
>280
そのQuanfioyeってカンベエ?
286人間七七四年:2009/09/11(金) 23:06:12 ID:DzjSdcaV
そういえば、アルファベットってずっと今の形だと思いがちなんだよねい。
wikipediaのアルファベットの項を見ればわかるように
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88
当初は母音がなかった。
287人間七七四年:2009/09/11(金) 23:09:31 ID:SUt5LBGQ
かんひょうえ
288人間七七四年:2009/09/11(金) 23:10:56 ID:NRlgX0O4
>276
これは怒るよ、彦左じゃなくても
誰がこんな大ポカやらかしたんだ
289人間七七四年:2009/09/11(金) 23:13:30 ID:DzjSdcaV
>>288
ですな。儀礼で粗相をしたら切腹や改易は当たり前なんだし。
290人間七七四年:2009/09/11(金) 23:34:20 ID:Yugqlv5h
当時は〜兵衛は漏れなく〜ひょうえと呼ばれてたのか?
291人間七七四年:2009/09/11(金) 23:40:38 ID:ZSwzemck
>>290
「兵衛」も元々官位だからね。
身分の高い人間の場合は殆どが「ひょうえ」

ちなみに「兵衛」も官位から来た言葉。
292人間七七四年:2009/09/11(金) 23:41:05 ID:gkLA1cmw
歴史的仮名遣いだろ。
「へうげもの」が実際の発音だと「ひょうげもの」であるように、
「へえ」とかいて「ひょうえ」と発音していたんだろう。

で表記のほうが定着してしまったと推測。
293人間七七四年:2009/09/11(金) 23:44:02 ID:ZSwzemck
>>291
最後の行間違えたw
「衛門」ねw
294人間七七四年:2009/09/11(金) 23:44:47 ID:RfLmdX/8
>>288
怒るのはもっともだし正当なものだけど、その後がなー
295人間七七四年:2009/09/12(土) 00:09:13 ID:CBrK9tHt
>>294
拗ねるだけ拗ねて収まったんだからまだいいんじゃないか?

無言のまま帰宅して恥辱を受けたと切腹して、
今わの際に息子に
「父が伊豆の守に受けたこの恥辱、わすれまいぞ」
とかやるよりはよほどいい。
296人間七七四年:2009/09/12(土) 00:14:45 ID:en55zBcW
>>295
まさしく先日話題になった名指しの切腹だな
落ち度も有るしスルーしたら陰口叩かれそうだし、
相当面倒だな
297人間七七四年:2009/09/12(土) 00:39:28 ID:5WGT7bK4
>>291-292
そうなのか、ありがとう!
もう用はないから橋の警備してきなよ!誰も通すなよ!
298人間七七四年:2009/09/12(土) 07:32:54 ID:IdYMIEXP
このはしわたるべからず
299人間七七四年:2009/09/12(土) 09:22:15 ID:qb/6x9Sb
初投稿です。地元に伝わる戦国の伝説を一つ。

あまり他県にメジャーな地とも思えないので、多少の説明も混ぜますのでご容赦を。
また、この話は語り部により細部が異なるので、それぞれ組合わせた形で書きました。
やや長文気味ですがご容赦頂きたく。

●ドジっ子八幡様(岩槻城落城の伝説)
小田原征伐の時。

武蔵国 岩槻にも、浅野長政率いる豊臣軍2万が来襲しました。
他の北条方の諸城と同じく、岩槻城も篭城の構えを取るが、兵力は敵の1/10の2000程度。
しかも、これまた他の北条方の諸城と同じく、城主だった太田氏房(北条氏房)は、
主だった侍や城兵を率いて小田原城に赴いてしまっており、城代は伊達房実という者が任され、
兵も残った年寄りなどの領民をかき集めての軍備でした。

攻め手の軍内には徳川も参戦しており、攻め手の将・本多忠勝は、花積台(現春日部市)に櫓を組み、
城内を偵察していたところ、鎧兜に身を固め来攻を待ち構えている多数の武士の姿が見えました。
(城内敵多し)
そう思っていた時、たまたま飛んできた一羽の烏が一人の鎧武者に止ったため、
忠勝は、これは本物の城兵ではなく、防備が手薄のため、
藁人形を鎧武者に仕立てたものだと見破りました。

攻撃側は直ちに城を攻め落とそうと辻村(現大字南辻)の鎮守八幡神社境内で、
甲冑をつけて岩槻城討ち入りの用意をしました。
しかし、攻撃の準備は整ったものの、目の前には水かさを増した荒川(現元荒川)が、
ものすごい勢いで流れていて、渡れそうにはありません。

元々の岩槻城は、荒川を天然の外堀とし、沼地に浮かぶ台地に曲輪を築いた平城でした。
この度の戦前に周辺から男手を集め大工事を行い、小田原城の様に城・城下町一帯を堀と土塁で囲んだ
『大構え(総構え)』を追加されていました。
小田原城の総構えは約9km。岩槻のそれも約8〜9kmあり、追加した堀には治水前の暴れ川だった
荒川の流れを通していました。
↓詳しくは以下の縄張図を参照
ttp://www.eco-yamata.com/walk/honmaru-map.jpg

どうしたらよいものかと思案にくれていたところ、白髪、白装束の老人が白馬にまたがり荒川へ飛び入り、
荒波をけたてて対岸の久伊豆神社の森に消えていくのを目撃しました。
「浅瀬があるぞ。あそこで川を渡るのだ」と直ちに命令が下されました。
そして渡った槍の忠勝が無双…したかは不明ですが、
浅瀬を渡った大勢の豊臣軍は、大構えの土塁を越え城内になだれ込みました。

老人が渡った所は、万が一に備え岩槻城の兵が避難する道として、
川底に石を敷き詰めて作っておいたものでした。

実は渡瀬を渡った白髪の老人は辻の八幡大菩薩で、豊臣軍の来襲を岩槻城に知らせるため
元荒川を渡ったのでした。
そのことが逆に仇となり、敵を導きいれることになってしまったという事です。

それでも岩槻城の兵は玉砕覚悟で奮闘し、大構えから沼内の元々の城域に引いてまで戦ったそうですが、
常備で5000の兵が置かれたという城を、不意を突かれた2000の兵ではどうにもならず、
総兵の半数に中る1000人余りが討ち死。更に生き残っている者もほとんどが負傷するに至り、
ついに豊臣軍に降伏します。

その後、鎮守八幡神社は、攻撃側が鎧を身に付け、戦の準備を整えた場所であることから
別名「鎧の宮」とも呼ばれるようになりました。


本当にその八幡様は城側の味方だったの!?と疑いたくなるような、
割と洒落にならないレベルの、八幡様のドジという悪い話。
300人間七七四年:2009/09/12(土) 09:31:21 ID:qb/6x9Sb
小田原征伐の関東諸城は、大体がそんな兵力差。
兵が千の単位あった岩槻は、これでもマシな方…。

一応、大元のソースは岩槻のタウン誌『じょうかまち』。
なお、自分が小学の頃、郷土を知ろうという内容の社会科見学?だかで聞いた話のバージョンでは、
忠勝さんの話の部分は無かったように思います。
兵力差なんかも記憶に無いので、語り手によって所々変えられているのかと。

実際のところは、忠勝さんは真逆の位置の加倉口を攻めていた様で、城攻め自体も3方からの
一斉攻撃が行われたようです。

でも、案外その白馬の老人とは斥候だったとか、(迂回してきた)小田原からの使者だとか妄想すると、
信憑性が出て面白いかもしれません。

※このスレ向けに超解釈例
@小田原征伐、白装束…あっ!?伊達政宗!?
A.(;●Д゚)「いや…通り道に出来ないこたないけど、寄り道してるヒマ無えよ」 

A普通に抜け駆けしようとした攻め手の一騎駆けじゃねーの?
A.候補者一覧 武蔵国だけに鬼武蔵(故人),水野勝成(まだ放浪中?),慶次,実は忠勝本人,浅野長政

(大穴),三河者(倍率1.1)
301人間七七四年:2009/09/12(土) 09:40:01 ID:uZ5E3VQ1
>>299
面白い逸話乙です!やっぱり地元の伝説の類は、読んでて楽しいですね。
八幡様とか天神様とかって、必ずしも人間の味方じゃ無いんですよね。
あくまで「神様」って奴で。こう言う非常に人間臭い「神様」ってのは、
日本古来の伝統なのかもしれませんね…
302人間七七四年:2009/09/12(土) 09:55:15 ID:WLPzTgG/
>>301
オリンポスの連中はどうなる
てか、多神教なら大抵の神は人間くさいんじゃないかな?
303人間七七四年:2009/09/12(土) 10:04:20 ID:G5fEj6RR
これがキリスト教世界だと、「聖人」や「天使」になる。
304301:2009/09/12(土) 10:12:31 ID:uZ5E3VQ1
>>302
別に「日本特有の文化伝統」と言う意味では有りません。
日本人が古来から「神」と言うものをどう捉え、
どう言い伝えてきたか、と言う事です。
勝者のみを称えるのでは無く、かと言って敗者に優しいって
訳でもない。そんな存在が、地元の伝説として語り継がれる
と言う「神様の魅力」って事ですかね。
305人間七七四年:2009/09/12(土) 10:13:06 ID:+baMg0CO
こうして考えると、godと神を訳語として結び付けてしまったのは世紀の大失敗だったなと思う。
306人間七七四年:2009/09/12(土) 10:41:51 ID:gYDim06G
nymphですね。
307人間七七四年:2009/09/12(土) 10:48:21 ID:uGHTvTF9
dwarfじゃない?
308人間七七四年:2009/09/12(土) 11:00:43 ID:DTLYicGD
案外、2ch用語の「神」ってのは原点に戻ってるのかもな
309人間七七四年:2009/09/12(土) 13:21:32 ID:yN9o+aW1
>>299
軍神が敗北を招いた悪い話かw
310人間七七四年:2009/09/12(土) 13:24:32 ID:9NmVEjX/
ネ申=巷間にあふるるちょっとすごい奴 と訳すとしっくりくるな
311人間七七四年:2009/09/12(土) 14:32:33 ID:2sQlKCDH
岩槻城「神様、勝たして下さい!お願いします!」
神様「物理的に無理だろJK・・・でも役立たずと思われても困る。
仕方ねえ。神の奇跡を演出しつつ、新しい氏子にも感謝されるように、と。」
>>299になったんですね。
312人間七七四年:2009/09/12(土) 14:39:22 ID:cq8zHCpv
てか八幡神なんて全国から頻繁に呼び出されてるだろうにそんな小さな城ひとつ構ってられないだろ。
313人間七七四年:2009/09/12(土) 14:48:36 ID:y5PQpoo8
話ぶったぎるがのぶやぼの天道のサイト見てきたんだが…
武将紹介のページにしれっとDQ久(忠恒)がいたんだ

以下紹介文(一部抜粋)
家督を継ぐまでは遊蕩にふける生活を送り、父から行状をたしなめられたほどであったが、当主となってからは性格を一変させた(以下普通の文章なのでサイトで見てくれ)

当主となってから…?…一変?

このスレを見てるからまったくそうは思えなくなってしまってるw
314人間七七四年:2009/09/12(土) 15:06:52 ID:G5fEj6RR
一変したのは確かだよ。悪い意味でw
家督継ぐまでは、多少害はあったものの、普通のボンクラだった。
315人間七七四年:2009/09/12(土) 15:10:19 ID:Xyv+ugs7
まともな方と混同しているんじゃ・・・
316人間七七四年:2009/09/12(土) 15:13:26 ID:W3T8TEcv
確かに一変したな。

刀を置いて一礼をした家臣に不意討ちを食らわせたりw
317人間七七四年:2009/09/12(土) 15:19:44 ID:yN9o+aW1
つまり忠恒は信長や氏康並の器を持ってたって事だな、うん
318人間七七四年:2009/09/12(土) 15:28:13 ID:bMr5HxrY
氏政も若い頃は二度汁だったのに壮年になったら後北条氏最大版図を築いたんだから
系統で言えば信長系だな
319人間七七四年:2009/09/12(土) 15:36:11 ID:m2Z1U+d/
妻の葬儀で抹香を投げつるんですね
320人間七七四年:2009/09/12(土) 18:36:36 ID:s7S2ikNq
北条氏の人じゃないが
北条家の嫁といえば氏照の嫁の話まだ出てないんだな
321人間七七四年:2009/09/12(土) 18:59:40 ID:Dm1+TV1f
>>320
kwsk
322人間七七四年:2009/09/12(土) 19:12:56 ID:s7S2ikNq
いくつか違う話があるんだが
北条氏康の三男藤菊丸(後の氏照)が
関東管領上杉憲政の重臣であった大石久定の娘比左と婚約したのは
河越夜戦が終わり六歳の時であると言われている
比左の方が年が少し上であったらしい
色々因縁があったが氏照は美男で武芸も達者で頭も育ちもいいという
ハイスペックな男だったのでそれなりに仲の良い夫婦だったらしく
やがて氏照が成長し正式に結婚すると女の子が一人生まれたが
その子以外には子種が授からなかった
比左は観音を詣でて必死に祈願したりしていたがそれでも子どもが授からず
結局氏照は、男の子が四人もいる氏政から養子を貰って嫡男としたのだった

氏照が30歳を過ぎた頃
彼は武田信玄に三増峠で惨敗し、宿将の多くを失った
それがよほどショックだったらしく上杉謙信に習って
飯縄大権現を信仰し始め、一切の色欲を断つことを比左に宣言した
つまりもう夜の夫婦生活は止めようと言い出したのだ

比左は怒り狂った
さては自分の他に秘密の女が出来たのだと邪推し
氏照の愛人を探したがそんなもの居ないのだから見つからなかった
ところがここで一人怪しい娘がいた
青梅を支配していた三田綱秀の娘が、
父が氏照に攻められ自刃した後保護されていたのだ

 こ の お ん な か

そう思った比左は三田の娘を訪ねると速やかに殺害した
そして自らも自害した

という話が残っているんだが
史実では比左さんは八王子城落城時に自害しているので
多分作り話なんだ
でもインパクトある話だからなんか覚えてた
323人間七七四年:2009/09/12(土) 19:18:22 ID:s7S2ikNq
四行目
河越夜戦が終わり×
河越夜戦が終わった○

すみません
324人間七七四年:2009/09/12(土) 21:46:44 ID:0nLdSCtu
>>305-307
多神教の神として近い英訳は「deity」になるんですかね
「nymph」や「dwarf」だとこれは妖精、物の怪の類の意になってくると思います
あと蛇足ながら「鬼」はogreってところでしょうか
325人間七七四年:2009/09/12(土) 22:04:29 ID:lZiPQMCE
>>324
日本風のエッセンスをふんだんに用いたマジック・ザ・ギャザリングの『神河物語』だと、

神:Kami (種族はスピリット)
鬼:Oni (種族はデーモン)

として表記されてた。例えば蔦の神はVine Kamiって形。
日本の八百万の神はKamiでいいんじゃね?
326人間七七四年:2009/09/12(土) 22:12:06 ID:9hvd26o8
神についてはそろそろスレチだと思うぜ
327人間七七四年:2009/09/12(土) 22:15:40 ID:EH+A9T8N
このスレ的には
神=秀吉・家康他多数
鬼=武蔵他多数
ネ申=話を投下してくれる住人

でおk。
328人間七七四年:2009/09/12(土) 22:31:26 ID:yHgKat2L
>>322
殺した後に自害したってとこが作り話なんだNE!
nice castle.
329人間七七四年:2009/09/12(土) 22:36:05 ID:G5fEj6RR
浅野家の家臣、浅野左衛門佐は、「浅野家の武者柱」と呼ばれるほどの剛の者であった。
そんな彼だが、常に手を中ふところに入れることを好んでいた。

そのため、後に襲撃にあったときにも、手をふところに入れていたためとっさに対応できず、
あえなく組み伏せられ、仕留められてしまったそうだ。
ポケットに手を入れたまま歩いていたのが、命取りになったわけである。

これから気温も下がりますが、とっさの襲撃で命を落とさないよう、
皆さんもポケットに手を突っ込んだまま歩くのは控えましょうね。武将の心得だゾ!
330人間七七四年:2009/09/12(土) 22:45:47 ID:W3T8TEcv
ポケットを手に突っ込んだまま歩いてはいけないって昔先生によく言われましたとです・・・
331人間七七四年:2009/09/12(土) 22:51:57 ID:yN9o+aW1
結果が伴わなかっただけで実はその武者は
寒くてもとっさの時に手が悴まないようにと用心してたんだよ!
332人間七七四年:2009/09/12(土) 23:21:53 ID:sUigevNx
刺客「『ハンドポケット』最後ノ最後マデ
    スマートナ野郎ダゼ…」
333人間七七四年:2009/09/12(土) 23:22:46 ID:CP5hl7uD
>>322
自分の子を嫡男に置けないってのが相当辛かったんじゃないか?
氏照は確かに婿養子ではあるが、実はこの二人の婚礼は、
一度久定の娘を他家の養女にしたあと大石氏が養子とした氏照と久定の娘を結婚させるって形式を取ってる
比佐にはどうあっても家系の相続権がやってこないようになってるんだよ
もう年だとは思うが、比佐は子どもが欲しかったのかもしれない
334人間七七四年:2009/09/13(日) 00:18:28 ID:GMQTtGGE
>>322
久定じゃなくて定久じゃね?
335人間七七四年:2009/09/13(日) 07:37:19 ID:j/yAMjmu
手袋みたいなのってなかったんかね?
336人間七七四年:2009/09/13(日) 09:47:23 ID:QV13jTC9
>>332
ビスケットオリバ乙w
337人間七七四年:2009/09/13(日) 10:09:54 ID:iirgn29n
>>329
かっこ悪い死に方と言えばなんと言っても
「小早川秀秋」
百姓を手打ちにしようとして逆襲され、股間を蹴り潰されて死亡。
まあ秀秋の死因は実際の所謎が多いのだが、
例え捏造だとしてもこんな逸話が残されるなんて秀秋位のものだろう。
338人間七七四年:2009/09/13(日) 11:03:13 ID:x5UdnZOb
>>337
これは嫌な死に方w
339人間七七四年:2009/09/13(日) 12:01:29 ID:GWn/j0Z5
秀秋が死んだのと同日に秀秋の兄弟二人も死んだって話もあるんだっけ
豊臣の親戚の中でも近さと地位なら断然この人が一位だろうし
家康の暗殺説がある中では一番それっぽいな

それにしても家康は暗殺説だけで何人殺したことにされるんだ
地元の徳島新聞が徳島の伝説を新聞連載してるんだけどそこでも
「阿波の初代藩主蜂須賀至鎮はその器量を恐れた家康の命令で
妻(家康のひ孫)に毒殺されたのだ!」とか書かれてた
亡くなったの元和六年なのに…せめて秀忠と言ってほしかったと
秀忠好きの自分は思うわけで…
340人間七七四年:2009/09/13(日) 12:04:16 ID:D3rIz3S8
まあ実際には家康は、暗殺と言う手段を使ったことが無いんだけどね。
341人間七七四年:2009/09/13(日) 12:05:55 ID:GWn/j0Z5
家康の最も恐れた男!的なw
342人間七七四年:2009/09/13(日) 12:18:11 ID:Ph7TSwdc
一体何人居るんだw>家康の最も恐れた男!
343人間七七四年:2009/09/13(日) 12:33:35 ID:agVEfAtS
噛ませ犬かよw
344人間七七四年:2009/09/13(日) 13:11:09 ID:pCrB8ZQl
秀吉の絶賛を受けた武将と家康が恐れる武将は国持ち大名の家中に一人は居そうだ。
345人間七七四年:2009/09/13(日) 14:24:20 ID:TTM3pYNn
小早川は隆景と秀秋で評価の落差が激しいよな
隆景は織豊時代有数の名将、秀秋は稀代の裏切り者・・・

346人間七七四年:2009/09/13(日) 14:35:42 ID:r8RFQzBD
隆景は本家のために秀秋もらって犠牲になったんだからしょうがない。
347人間七七四年:2009/09/13(日) 14:36:06 ID:PS0RqQZO
>>344
どうも、土佐の山内ですがいつもお世話になっております。
えっ、当家にですか?いやぁ〜、徳川さんに恐れられた男ですか?
いませんねぇ〜。太閤殿下に絶賛された武将もですか?
ん〜〜、やっぱり居ないようですねぇ。
えっ、妻と代わったほうがいいですか?
じゃぁ、少々お待ちくださいね、お〜い千代〜、千代さ〜ん、あれ?
ど〜こ〜、どこにいるのぉ〜 (・ω;`三´;ω;) キョロキョロ
348人間七七四年:2009/09/13(日) 14:46:02 ID:bG9HaH5I
>>346
本当は毛利家に養子にいく予定だったんだよな、確か
349人間七七四年:2009/09/13(日) 14:51:26 ID:TTM3pYNn
秀秋的には、大毛利の跡取りならまだしも、小早川への養子はかなり不満だっただろうな
隆景に望まれて養子に迎えられたわけじゃないのは本人も十分分かっていただろうし・・・
350人間七七四年:2009/09/13(日) 16:15:50 ID:ThZVYvhY
>>347
銅像の場所に見る力関係
千代:城内
板垣:城内低いところ
一豊:城外
元親:海に近いあたりの道端で案内もろくになし
竜馬:桂浜の高台で睥睨

これが力関係だ
351人間七七四年:2009/09/13(日) 16:19:40 ID:x5UdnZOb
>>350
元親…(´;ω;`)
352人間七七四年:2009/09/13(日) 16:30:06 ID:nTZQSObi
>>350
旦那は締め出しくったのか
353人間七七四年:2009/09/13(日) 16:34:17 ID:X7N93jfy
さすが千代さんの旦那さんだ
354人間七七四年:2009/09/13(日) 16:46:29 ID:KazxKVvk
嫁に家乗っ取られるとか情けねーなと悪久がこっちを見つめている
355人間七七四年:2009/09/13(日) 17:39:24 ID:iirgn29n
>>342
お待たせしました。他にもオ−ダ−可能です。

        織田信秀・今川義元・織田信長・武田信玄・秋山信友
        山県昌景・徳川信康・武田勝頼・豊臣秀吉・真田昌幸
        前田利家・伊達政宗・石田三成・小早川秀秋・宇喜多秀家
  ∧__∧   結城秀康・直江兼続・島津義弘・島左近・片倉景綱
  (´ ・ω・)  吉川広家・福島正則・加藤清正・豊臣秀頼・徳川秀忠
  /ヽ○==○  真田信繁・大久保長安・松平忠輝・本多重次・大久保彦佐
`/  ‖__|   (お好きな武将追加ドゾー)
し' ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ̄◎ ガラガラガラガラ


356人間七七四年:2009/09/13(日) 17:53:21 ID:X7N93jfy
いったい何人いるんだ?家康が最も恐れた男 スレより

11 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/11(土) 18:02:27 ID:VeLth1Yb
紅一点で茶店婆

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 15:47:17 ID:EiM8uNN2
家臣団も恐れた家康。

信康…才覚があって恐れたから死においやった
秀康・忠輝…怖い顔でやたら才覚があったから冷遇
頼宣…息子なのにクーデターの黒幕
頼房…息子なのに徳川将軍家への粘着アンチ
伊井以外の四天王…戦争に強くて怖いから宗家の石高は控え目
本多正信…謀略凄すぎて怖いから石高控え目かつ息子の代に取り潰し
長安…鉱山掘りすぎて怖いから死後に一族皆殺し
大久保一族…強くて怖いから長安の件のついでに改役
柳生一族…剣振り回してて怖いお
御子神典膳…柳生よりヤバいから怖いお

外では政宗達が策謀してて中では下から圧力が、晩年の家康が恐れなかったのは秀忠だけ。
貯まったストレスは幼女側室と自作のヤバい薬、鷹狩りと天ぷらで癒す毎日。
家康可哀想です(;ω;)

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/17(金) 04:40:14 ID:h8TdcWOZ
於大の方も築山殿も早川殿も五徳も旭姫も大政所も北政所もお江も淀君もお梶も千姫も家康が最も恐れた女。

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 17:15:04 ID:FXPMxcYL
もう世界中の全てを恐れていたでいいよw

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 14:23:41 ID:fird2uXF
でも「世界を恐れた男・徳川家康」って書くとカッコよくね?
357人間七七四年:2009/09/13(日) 18:03:51 ID:KazxKVvk
鬼武蔵は・・・
358人間七七四年:2009/09/13(日) 18:12:35 ID:6/eXMBPH
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245836764/831-

いろいろと恐れてますねえw
359人間七七四年:2009/09/13(日) 18:34:24 ID:TTM3pYNn
秀吉が最も恐れた黒田如水のことはどう思ってたのかな
360人間七七四年:2009/09/13(日) 19:14:53 ID:g2A3yTAl
本物の新田源氏っていう意味で山名豊国までこっそり恐れててそうだなw>家康
361人間七七四年:2009/09/13(日) 19:31:03 ID:agVEfAtS
どれだけチキンなんだよw
362人間七七四年:2009/09/13(日) 19:37:22 ID:5vueZ4uJ
北条氏康「逆に考えるんだ、臆病者だからこそ天下が取れたのだと」
363人間七七四年:2009/09/13(日) 20:02:24 ID:YWwZFBYi
信玄<氏康ってそういう正論吐くから地味なんだと思う
364人間七七四年:2009/09/13(日) 20:18:04 ID:WkLTOJSW
板違いになるけど、山名って明治維新後に大名に昇格したんだなぁ。
その3年後に廃藩置県だけど。
365人間七七四年:2009/09/13(日) 20:20:19 ID:+kCtzcTn
1599年、徳川家康は9月9日の重陽の節句に「賀意を秀頼に述べる」という名目で
大坂城にはいりこみそのまま居すわる、計画を立てた。
しかし、賀意を表するだけならあまり多数の兵を連れて行くことが出来ない。
少しの兵では、安心できない家康はある謀略を考えた。
それは自分の暗殺を企てているという噂を流し、それを理由に多数の兵を連れて行くことである。
問題は誰が企てたことにするかである。家康は大野春長と土方雄久が企てていることにした。

しかし、この噂が勝手に一人歩きし最終的に
奉行の増田長盛らが家康にこの噂を伝えるときには、なぜか親家康派である浅野長政の名が入ってあった。
親家康派の長政が何故はいったのかわからないが、家康はやむを得ず長政を軽い罪にかけた。
長政にとっては、とんだ災難であったのでした。
366人間七七四年:2009/09/13(日) 20:26:34 ID:eAjobFi5
どこかのゴ・・・デュークさんみたいな「臆病さ」なんだろう
367人間七七四年:2009/09/13(日) 21:04:57 ID:YXwEYrGl
>>365
残念ながら既出だと思いますよー
368人間七七四年:2009/09/13(日) 21:12:30 ID:qzw4vjpS
>>358
仙台藩百姓にはコーラ吹いたw
369人間七七四年:2009/09/13(日) 21:36:17 ID:vKNjl22G
最も恐れた 俺 も吹いたぜ…

コーラは 鼻が痛いぜ…
370人間七七四年:2009/09/13(日) 23:09:39 ID:t9J44QyZ
イチローコピペ改変ネタもあったよな>ヤスの恐れた男
371人間七七四年:2009/09/13(日) 23:31:40 ID:UASxQZOQ
立花宗茂が細川忠興と島津家久(忠恒)を食事に招いた。が、
「おや、どうされた島津殿?箸が進まぬようだが、お口に合わなかったかな?」
「いや…実は最近、伊達のヤローのせいで食欲なくて…アイツとは家格が近いせいか、
殿中とかで、良く相席になるんですが……

『あ、伊達殿どーも。』 ( ●ω・)『……』
『だ、伊達殿?』
( ●д゚)、ペッ『関ヶ原じゃ将軍家に反逆したあげく降伏した島津と、ハナから将軍家に
味方(?)した大・忠・臣!の、このオレが同列の扱いたァ島津サンは幸せだねぇ!』
ボソッ(オレは不満だけどな。)

……と、まぁ会うたびに言いやがって。ウザくてかなわんのですわ!」
「なーに、簡単なこと。こう言ってやれば良いのです。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あ、伊達殿どーも。」
(●听)「なんだ、またアンタと一緒か。反逆菌が感染るから寄らないでよね。」
(この野郎…そ、そうだ!立花さんに教わった、あの台詞を!)
「え、えーと、
『ウチだってある意味、忠臣なんですけどね。あそこで降伏しとかなきゃ、将軍家は
薩摩に討伐軍を向けてたでしょ?
そしたら、きっと先鋒は大・忠・臣!の伊達殿ですよねー!? まあ、そうなっても
ウチもタダじゃ死なないんで。相打ちは覚悟して下さいよ。
しかし、北と南の大大名が一気に消えたら、空き地狙って大乱になるでしょうなぁ。
そんな事が起きなかったってのも、また一つの御奉公じゃないですかね?』」

( ●д゚)「………」
( ●皿´)チッ「誰に習ったか知らんが、気の利いたこと言うじゃねーの!」ブツブツ…
(か…勝った?!立花さんマジありがとぉぉおお!!)

それっきり、政宗が家久にイヤミを言うことは無くなったというイジメかっこ悪いお話。
しかし、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-169.htmlの2番目の話がこの後の事
だとすると、むしろ逆効果だった気がしないでもない。
372人間七七四年:2009/09/13(日) 23:38:05 ID:jM56fVvM
あ、あれ?
家久を応援している俺がいるぞ?w
373人間七七四年:2009/09/13(日) 23:43:06 ID:x5UdnZOb
宗茂はほんと機転が利くなw
374人間七七四年:2009/09/14(月) 00:02:07 ID:HTk7N7Ub
>>371
あれ、宗茂の客ってもう一人そういうの得意そうな奴がいたんじゃ…?
375人間七七四年:2009/09/14(月) 00:07:56 ID:5PB1mHPh
忠興はどう考えても口出さないだろうなw
376人間七七四年:2009/09/14(月) 00:21:46 ID:8w+coi8W
>>375
口に出さない代わりに、息子への手紙に書いてるかもしれんw
377人間七七四年:2009/09/14(月) 00:22:18 ID:LuNyT0RA
忠興は、まずなんで気にするのか判らずにSHIT!
忠興は、ネタを思い浮かんだ宗茂にSHIT!
忠興は、何がなんでもSHIT!
378人間七七四年:2009/09/14(月) 00:34:21 ID:6HgB278D
>>371
オールスターすぎてすばらしい
379人間七七四年:2009/09/14(月) 00:36:33 ID:WYQrE6GG
流石に戦国随一のしっとマスク1号の忠興さん。
380人間七七四年:2009/09/14(月) 00:40:01 ID:Tb0CiKRH
忠興さんで全てに恵まれた勝ち組じゃないですか
なんで嫉妬の情念に燃えてるんですか?
381人間七七四年:2009/09/14(月) 00:54:01 ID:BZliFWlG
忠興だから
382人間七七四年:2009/09/14(月) 01:12:20 ID:O4x7SguU
投票の集計出てたんだな
…武田信玄が0票かよw
兼続なんて今年の大河で主役だったのにw
色々おかしいなw
383人間七七四年:2009/09/14(月) 02:51:16 ID:5PB1mHPh
思い出したけど忠興って息子に
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-595.html
てなこと言ってたよなw
内心
「うわっ宗茂に呼ばれたから来てやったけど
こいつと相席かよーたまんねーな
うちまで変に睨まれたらどーすんだよ
こいつそういう配慮ねーよなー」
とか思っていたのかもしれん
384人間七七四年:2009/09/14(月) 08:33:29 ID:Pk+Helvi
>>383
いちいち、そういう手紙を書いて送るあたり…
細川家の初期では飛脚は稼ぎやすかったんだろうなぁとか思ってしまった
385人間七七四年:2009/09/14(月) 09:33:05 ID:Ukjqws9Y
飛脚は藩直属だろうから定額で使い放題だろ
386人間七七四年:2009/09/14(月) 09:50:46 ID:S6jUgDTB
使い捨て派遣ライン工と一緒かよw泣ける
まぁ飛脚は飛脚なりのなんかおいしいことがあったんだろうな
現地妻とか作れたのかな
387人間七七四年:2009/09/14(月) 09:58:57 ID:8w+coi8W
>>382
四天王のうち3人はベスト10にはいってるな。
悪い家久はやっぱ逸話の陰湿さで引かれたかw
388人間七七四年:2009/09/14(月) 11:25:57 ID:8frzhnln
政宗は厨二病、忠興はヤンデレ、鬼武蔵は今ならただの殺人鬼だけど
戦国時代の人命の軽さを考えればまあなんとか納得できなくも…って
感じだけど、家久の陰湿さはちょっとねい。
389人間七七四年:2009/09/14(月) 12:22:30 ID:CohLWWnL
>>385
あまり使わなかった月は基本料金のみで、
無料分を超えると文通量に合わせて料金が増加。

ある程度のところで価格上昇がストップするキャクホーダイダブル定額と想像。
390人間七七四年:2009/09/14(月) 12:23:19 ID:O4x7SguU
そんな家久(悪)も人格者な親父と同着
391人間七七四年:2009/09/14(月) 12:37:47 ID:0jQugrf5
>>389
主人が誰かを考えると
寿命が縮まりそうだけどなあ>細川家の飛脚

まあ森さん家よりはマシか
392人間七七四年:2009/09/14(月) 13:23:25 ID:VGXxAo4G
<wikiより>
大名飛脚:各藩が国許と江戸藩邸を結んで走らせた飛脚。
広義では大坂蔵屋敷を結ぶものや領内の役所内を結ぶ飛脚も含む場合がある。
飛脚はその藩の足軽もしくは中間から選ばれることが多かった。
紀州・尾張両藩が整備した「七里飛脚」や加賀藩の「江戸三度」がよく知られ、
その他の大名もこれに準じて独自の飛脚を持ったが、
維持費が嵩むことなどから町飛脚に委託する藩も多くなっていった。

つまり、家臣団の一番下っ端の仕事のようだ。
393人間七七四年:2009/09/14(月) 13:58:23 ID:oKnFP9qw
政宗は自己中で危なっかしいけど、どこか笑って許せるところがある。なんだかんだ言っても奥州の大大名の器というか。

忠興は何かとやり過ぎだが、女に一途なあたりは理想の男として共感をもてなくはない。

鬼武蔵は近寄りたくないが、その行動の全てに戦国時代らしさを感じさせる。

家久は陰湿なだけでろくなことしてないイメージがあるw
394人間七七四年:2009/09/14(月) 14:45:06 ID:VGXxAo4G
森家ネタで一つ

武田信玄の弟で影武者も努めたと言われる武田信廉。
信玄没後はあまりぱっとせず、武田滅亡の時もこれといった活躍は無かった。
で、武田残党狩りで森家に捕まる。
織田信忠「殺せ」
鬼武蔵「はっ。各務、殺って来い」
が、さすがに信廉も警戒してて、武器を手放していない。
武田信廉「み、妙な動きしたら暴れるぞ!」
かがみん「殺りにくいな・・・そうだ!」

かがみん「信廉さん。ちょっとちょっと」
武田信廉「あ?何?」
かがみん「あそこにいる馬、森家自慢の百段ですよ」
武田信廉「な、なにい!?・・・ち、近くで見てもいいかな?」
かがみん「どうぞどうぞ」
武田信廉「ひ、百段たん・・・(;´Д`)ハァハァ」
かがみん「(今だ!)死ねや!」
武田信廉「ひでぶ!」

色んな意味でさすが森家・・・
395人間七七四年:2009/09/14(月) 14:53:26 ID:O4x7SguU
396人間七七四年:2009/09/14(月) 17:44:38 ID:VGXxAo4G
>>395
既出か・・・
まとめに武田信廉無かったからうっかりしました。スマソ。
397人間七七四年:2009/09/14(月) 17:47:42 ID:0D8apnLA
>>396
ブログ内検索使って調べると早いですばい。
398人間七七四年:2009/09/14(月) 19:26:13 ID:iarpxrWN
>>371
宗茂って本当に面白い人物だよな、あのDQNを手玉に取るなんて
399人間七七四年:2009/09/14(月) 19:29:28 ID:h7rOx2ld
島原の乱が起こったとき、江戸城では旗本たちが、討手の大将に誰が任命されるかについて、
黒田か、細川か、それとも有馬かとあちこちで話し合っていた。

そこへ現れた大久保彦左衛門、みんなの様をみて埒もないといった感じでこう述べた。
「そんなことわかりきったことではないか。各々方の推量はみんな大外れである。」
「では、ご老体は総大将はどなただといわれるのか。」
「考えるまでもない。春日局と南海坊天海である。」

予想外の答えにびっくりした人たちが、
「これは異な事を、女子や坊主が何の戦の役に立つというのか。」
というと、彦左衛門
「いやいやそうではない。上様が日ごろ春日局と南海坊天海を寵愛しているのは、
かかる大事に至ったときのためであろう。」
と答えたので、みんな彦左衛門の皮肉に気づき、大笑いしたということである。


しかし、惟当日向守が60年ぶりに、娘婿(三歳様)や孫(細川忠利)、ひ孫(細川光尚)を従えて
采配を振るうところも見たかった気がする。
400人間七七四年:2009/09/14(月) 19:34:51 ID:2VEQnOLC
>>399
結局、別の日向守が息子と孫を連れて出陣した訳だがなw
401人間七七四年:2009/09/14(月) 19:43:56 ID:0D8apnLA
頬切孫右衛門

讃岐の上高野村に、孫右衛門という郷士が住んでいた。
彼は屈強な若者で、走れば馬より早く、また力も馬より強いと、地元では有名な青年
だったそうである。

さて、土佐の長宗我部の軍勢が高野城を攻めた時、名刹宝積院を焼き打ちにした。
これに高野城主香川右馬助は反撃、この香川の軍に孫右衛門もいた。

孫右衛門は長宗我部軍の騎馬武者が反撃に恐れて逃げようとしているのを見つけると、
その健脚ですかさず追いつき、馬の尾を掴んで引き止める。
武者はその反動にたまらず落馬した。

その武者の様子を見ると、おとなしく捕虜になる態であったので、孫右衛門は味方のほうに
振り返りはせ参じるよう叫んだ。
ところがこの時武者がにわかに刀を抜き、孫右衛門に討ちかかった。
孫右衛門は頬の辺りに深手を負ったが、このときも健脚を使ってその場を逃れた。
が、合戦後まもなく、この傷が元で亡くなった。

地元の人々は彼を「頬切孫右衛門」と呼んでその武勇をたたえ、墓石を立てて
長く冥福を祈ったそうである。


ところで四国の戦国ネタは無いかと、四国四県の戦国時代の民話なんかを少し調べてみたが、
高知以外は見事に『長宗我部が攻めてきてどうのこうの』って、長宗我部の侵略にまつわる
話ばっかりなのね。
土佐以外の四国の人たちにとって、長宗我部と戦いは、よっぽどの恐怖体験だったようで。
402人間七七四年:2009/09/14(月) 20:02:10 ID:h7rOx2ld
>>400
勝成
「日向守は二人も必要ねえ」
403人間七七四年:2009/09/14(月) 20:12:37 ID:O4x7SguU
>>401
走る馬の尾を捕まえて反動で騎手落馬って…
相当のデブだな
404人間七七四年:2009/09/14(月) 20:40:25 ID:ivxgyXVW
>>401
なつく前に秀吉の四国征伐があったせいかねー
俺ソガベって妖怪の名前だと思ってたわ小さい頃
405人間七七四年:2009/09/14(月) 20:57:32 ID:V54mFav2
彦左は三河武士の中ではまだ可愛い方だなw
作左とか・・・


黒田長政と細川忠興ってライバルみたいに言われるけど、官位はすごい差がついてるんだよな
三歳も当代随一の教養人だった親父さんを見習っていれば・・・
406人間七七四年:2009/09/14(月) 20:57:56 ID:VS+ofl8l
>>400
そっちの日向守と後から来た飛騨守、どっちの方が参戦した大名の評価が高かったんだろうか
407人間七七四年:2009/09/14(月) 21:00:06 ID:VS+ofl8l
>>405
ん? 長政は従四位下筑前守、三斎は従三位参議だよ?
408人間七七四年:2009/09/14(月) 21:14:22 ID:V54mFav2
>>407
スマソ、書き方が悪かった。下の文は上と関係なく三歳の性格を揶揄しただけw

でも長政の従四位下昇叙は1603年、三歳は1596年時点で従三位参議だから戦国・豊臣時代に
限ると公卿(三位宰相)と地下(五位)だから雲泥の差だし、従四位下と比べてもすごい差なんだよね
黒田は内心面白くなかっただろうなー
409人間七七四年:2009/09/14(月) 21:32:51 ID:PSlLU78W
>>400
>勝成
>「日向守は二人も必要ねえ」

光秀の朱槍

水野勝成が、「日向守」を拝領したのは1601年のこと。
日向守は明智光秀が名乗っていたため、それ以来名乗る者がなかったが、勝成は気にすることなく笑い飛ばし、
本能寺の変で永久欠番となった日向守を欲した。
さらに家康はなぜか所有していた明智光秀所用の熊毛の朱槍を勝成に下賜し、
「名将日向守(光秀)の武功にあやかれ」と言ったという。
410人間七七四年:2009/09/14(月) 21:34:17 ID:PSlLU78W
安価ミスった、>>402な。
411人間七七四年:2009/09/14(月) 21:52:13 ID:R9qF1RaY
徳川譜代で大将出来るような実戦経験者って島原の時点でどれくらい残ってたっけ
412人間七七四年:2009/09/14(月) 22:03:15 ID:8frzhnln
板倉重昌が総大将になって、誰も言うこと聞いてくれなくて、知恵伊豆が
二人目の討伐上使とになったというのを聞いて、やけになって一揆勢に
突撃して戦死したけど、知恵伊豆も指揮官としては正直アレだしねい。

最初から水野勝成を総大将にするのじゃいけなかったのかな。
413人間七七四年:2009/09/14(月) 22:04:52 ID:WRjY2RzL
彦佐とか存命中だっけ?
まぁ総大将って格じゃないけどw
414人間七七四年:2009/09/14(月) 23:09:25 ID:VS+ofl8l
・総大将の経験アリ
・隠居していない

となると、水野勝成か立花宗茂しかいない(三斎は既に隠居済み)。
結果としては両方とも島原へ行ってるから、この二人をさっさと行かせていたら被害が少なくて済んだような気もしないでもない。
415人間七七四年:2009/09/14(月) 23:16:01 ID:Q8uQsZmS
絶対人がついてこないwww>総大将彦左
416人間七七四年:2009/09/14(月) 23:28:18 ID:BZliFWlG
水野だって大将の器じゃないだろ
417人間七七四年:2009/09/14(月) 23:31:12 ID:VS+ofl8l
じゃあ宗茂だけか
418人間七七四年:2009/09/14(月) 23:34:37 ID:8frzhnln
でも、立花宗茂は外様だからなぁ。
譜代 or 譜代格だと真田信之ぐらい? でも、幕閣は真田嫌いだしなぁ。
419人間七七四年:2009/09/14(月) 23:58:35 ID:Q/pMkA4M
大将格で未参戦の人だと、島津忠恒、毛利秀元かねぇ
もっともDQNはこの戦の時には病気で終了までに死去してしまうんだけど

あ、泳いで参った人が存命中だなw
420人間七七四年:2009/09/15(火) 00:04:43 ID:WHCF0OLm
宗茂と同い年の政宗も外様な上に前年に死去してるしなぁ
>>419
大阪方をまとめるならまだしも敵方をまとめるのかよw
421人間七七四年:2009/09/15(火) 00:06:15 ID:7aYgjiFz
どう考えても全登が天草についちゃうじゃないかw
422人間七七四年:2009/09/15(火) 00:08:42 ID:WZFjIMzc
あ、有力幕閣で井伊直孝がいるな。井伊の大将として、大坂の冬の陣で
真田丸に突っ込んだりと実績もあるし。
423人間七七四年:2009/09/15(火) 00:49:41 ID:mhe3AKJ/
       ,、          _
      / l          ヽヽ
      ,′|          ヘ ヽ
      l  l           l ヘ
      |  l           l. l
      | ヘ              l  |
      ヘ  ヽ         /  j
      ヽ  \ , -┬┬、/.  /
       \   7   ヽ ヽ_∨ 
         ヽ  l   .  二 --`ゝ
          /ゝ' _.. '-'´ ・   ・ ヽヽ
         j−'´ |  =   _人  ~ l 〉
        / ̄ ̄l         ノ´
         / ̄ ̄~|      _.. ィ‐┐
        ゝ──'>ー<二○'´i ̄
           `ー┐      l
            _」      つ
           ゝ───…  ̄
424人間七七四年:2009/09/15(火) 00:54:07 ID:3OUG4445
>真田丸に突っ込んだり

 繁     孝
(・_;☆\(-_-)ナンデヤネンッ!

こういう情景を想像した
425人間七七四年:2009/09/15(火) 01:36:26 ID:4t/HWEbN
>>417
宗茂は島原の乱では良い機会だから、
兵に実戦経験を積ませるために戦いを
長引かせた方が良いって言ってたような。
426人間七七四年:2009/09/15(火) 02:55:24 ID:WHCF0OLm
兵糧攻めにさせる口実っぽくね?
427人間七七四年:2009/09/15(火) 06:46:21 ID:mSJmO0Jw
>>409
謀反人の官職を求める者に、いくら名将光秀とはいえ当の謀反人ゆかりの品を下賜して武功にあやかれとは器が大きいにも程がある。
これも本多作左withめんどくさいブラザーズの薫陶の賜物だろうか。
428人間七七四年:2009/09/15(火) 08:16:28 ID:P6u6Cy93
今の大河はやたら市松が出てくるな。
上杉は義を貫いたので家康にケンカ売っても潰されなかった。一方で福島は…
ってオチのためか?
429人間七七四年:2009/09/15(火) 08:23:26 ID:vxTSQIeG
>>401
四国八十八箇所のお遍路して行く先々のお寺の由来を読んでみるとやたらと「長宗我部の兵火で寺が焼失」の文が目につく
430人間七七四年:2009/09/15(火) 09:54:33 ID:OOBDrYx4
寺は軍事拠点としても利用されていたからね。
実際は友軍が退却するときに火をかけたようなものも混じっているようだが、
これらすべて「長宗我部の兵火で燃やされた」ことになっている。
八十八箇所の札所寺は、江戸期に復興されたからまだいいが、
復興されること無く、そのまま廃寺になった寺も多いよ。
431人間七七四年:2009/09/15(火) 10:03:18 ID:spS22cyk
>>430
滋賀県の寺も「信長に焼き討ちされて」って言っている所が多いそうな。
432人間七七四年:2009/09/15(火) 10:15:53 ID:7aYgjiFz
じゃあうちの近くのジュスト南坊に焼かれたともっぱらの噂のあの神社も信長や秀吉が本陣にした時にでも焼き払われたのかもしれないわけか
433人間七七四年:2009/09/15(火) 10:22:17 ID:iTl0AurH
長宗我部元親が雲辺寺を訪れ、住職に「ヤカンの蓋で四国という水瓶に蓋はできない」
と言われ、「オレは名工の作った蓋だから、ヤカンだろうが水瓶だろうが覆ってみせる」
と返したのは、既出かつ有名な話。

しかし「南海治乱記」によると、この話には続きがあって、

雲辺寺から下山した元親は、家老の谷忠澄に聞いた。
「な、なあ・・・さっきの住職の話、どう思う・・・・・・? (´・ω・`) 」ヤッパオレジャダメ?
忠澄は答えた。
「仏法のことは、僧に聞きなされ。兵法のことは、武士に聞いてくだされ。
あんな坊主に何が分かりましょう?
殿は私の進言によって阿波を獲りました。讃岐・伊予もまた、時を経ずして獲れます。」
「そ、そうか!そうだよな!!」
元親は嬉々として四国統一の計略を語り出した。

忠澄が気の利いた回答できなかったら元親折れてたんじゃねーか、という話。
ちなみに雲辺寺も例によって「長宗我部の兵火で寺が焼失」して、蜂須賀家によって
再建されたと言われております。
434人間七七四年:2009/09/15(火) 11:28:44 ID:6/LKxXmh
元親って、繊細だよな。
息子無くして心折れちゃったり。
435人間七七四年:2009/09/15(火) 11:50:06 ID:1tT5f1Zg
>>428たかが体臥ドラマ
wの分際で市松さんを粗末にしやがって!!


チラ裏すまそ..
あれ「三成憎しの余り大坂(城)に弓引く逆臣っぽい短絡的な武将」って描写だよなあ……
家康の会津征伐は秀頼からも餞別を下された豊臣家の公式公認行事なんだが。
436人間七七四年:2009/09/15(火) 12:36:24 ID:xC5QYS3+
>>435
まぁここで話す話題じゃないかもしれないが、
豊臣の公認って弁護は苦しいぜw
上杉征伐は5大老の実質的に筆頭で秀頼の輔弼をする家康が、
大阪城に在城して政務をやっていた時期の話だから
そりゃ自分で自分の行動に公認を与えないわけが無い
437人間七七四年:2009/09/15(火) 12:42:19 ID:SEEL0q2m
ドラマ天地人については反省会スレがこの板にあるので、
そちらへどうぞだな。
大河ドラマの場合、蜂須賀正勝(小六)の配役は何故かいつも
プロレスラー(wだったり、
いろいろなしきたりがあるのだろうなあと思う。
438人間七七四年:2009/09/15(火) 12:49:56 ID:3ZDJsoOg
元親さんかわいい…部下が支えたくなるような主君って成功するよな
439人間七七四年:2009/09/15(火) 14:28:46 ID:Y5sMNAJW
支えるにはちょっと重たかったけどな
440人間七七四年:2009/09/15(火) 14:45:18 ID:f7wx5b4Q
確かに、神経繊細だったのかもな、元親
四国征伐の時は、他ならぬ忠澄が和睦案持ってきたのに激怒して、
「そんな腑抜けだと思わなかった!お前なんかに城預けたのが間違いだったよ!死んじゃえ!」
とか叱りつけてる・・
だけじゃなく、開城して逃げてきたやつ本当に殺したりしてるし
冷静だったとは思えない
441人間七七四年:2009/09/15(火) 14:48:40 ID:qff5oyOm
元親があともうちょっと長生きしてればね
せっかく関ヶ原前に家康と会ったりしてんのに
442人間七七四年:2009/09/15(火) 14:52:26 ID:rqvvavWL
五大老・三中老は実際に設置された役職だったの?
443人間七七四年:2009/09/15(火) 15:02:29 ID:klaKSxsB
>>442
【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
444人間七七四年:2009/09/15(火) 15:54:08 ID:+iscqmeq
>>439
谷忠澄に限れば土佐一の宮に夢占いを依頼した元親に
「それは四国を統一する吉夢です!」と焚き付けたのも
当時神官だった忠澄だから結果を見届ける義務はある気がする
445人間七七四年:2009/09/15(火) 16:17:46 ID:jow6hMW9
あるげいむの体験版にその逸話が使われてるな
446人間七七四年:2009/09/15(火) 16:20:57 ID:qff5oyOm
>>440
譜代でもない金子兄弟が壮絶な討ち死にしてるからねえ

ただ、頭では忠澄の正しさは理解していたから冷静になって言葉を翻したんだろうね
447人間七七四年:2009/09/15(火) 17:54:46 ID:klaKSxsB
天正十年の事

阿波の牛岐城、新開道善の謀反を疑った長宗我部元親は、論功恩賞の相談と称し、
彼を阿波の丈六寺へと呼び出した。

新開道善をはじめ牛岐城の者達は、これまでの元親のやり口から、これを大いに怪しんだが、
しかし論功の相談とあれば断る事もできず、結局、この申し出を受ける事とし、
道善は真渕竜助を始めとした少数の家来だけを引き連れ、丈六寺へと赴いた。

道善たちが寺に着くと、元親以下長宗我部家中は早速に酒宴を開き、彼らを大変に歓待した。
幾度と無く盃が開けられ、道善一行には多量の酒が回った。

さて、酒宴が終わると、話し合いのため道善一行は部屋を移る事となった。


この時である


道善が部屋を出た瞬間、槍にて突き殺された。
長宗我部の侍達が、外で待ち構えていたのだ。

これを合図に道善の家来達にも、長宗我部の者達が一斉に襲い掛かり、次々と殺されていく。
真渕竜助は長宗我部の者達とよく戦い寺から脱出しようとするも、ついに門のところで
追い詰められた。

が、竜助、この寺の門の、六十貫(約225s)はあるかという扉を力に任せて引き剥がし、
なんと、それを背負って駆け出した!

長宗我部軍は後ろから矢を射掛けるなどしたが、それらはすべて背負った扉で防がれ、
竜助はついに逃げ切り、小松島の中田という場所で扉を捨てると、牛岐城へ駆け込み
急を告げたと言う。

丈六寺にの床に付いた、道善とその家来達の血は、いくら拭き取っても取る事ができず、
寺はそれを天井板とし、それは「丈六寺の地天井」として、今もかの寺に伝わっている。

そして、勝浦川沿いの道脇にある道善の墓は、酒を使って忙殺された事からか、
『禁酒の神様』として、祭られているそうである。
448人間七七四年:2009/09/15(火) 18:18:10 ID:SEEL0q2m
天正16年(1588年)4月に秀吉が聚楽第で宴会を開いた時、
秀吉が元親に「今から四国の覇者を望むか。それとも天下に心を賭けたるか」と質問した、
元親は「天下に心を賭け候」と答えた。
すると秀吉は、「貴殿の器量で、天下への望みはかなうまい」と返すが、
元親は「私は悪しき時代に生まれきて、天下の主になり損じて候」と返したという。

元親のあきらめの悪い話。
449人間七七四年:2009/09/15(火) 21:09:02 ID:ZUSZyW7C
>>414
宗茂に総大将の経験なんてあったか?
関ヶ原の時の大津城の戦いは毛利元康が大将だったし
大軍での総大将の経験なんてなかったんじゃない
450人間七七四年:2009/09/15(火) 21:36:39 ID:WHCF0OLm
>>447
>>401といい七条兼仲といい四国怪力多すぎだろ…
鬼の血でも引いてるのか?
451人間七七四年:2009/09/15(火) 21:44:11 ID:klaKSxsB
うわ

>>447下から二行目

×忙殺
○謀殺

すいません(;´Д`)
452人間七七四年:2009/09/15(火) 21:53:56 ID:D/hXHtSV
>>450
土佐は鬼の住む土地って言われてたらしいしね

ここの所、長宗我部関連の話題が増えて俺歓喜
453人間七七四年:2009/09/15(火) 21:55:01 ID:wl3jrb9A
>>450
一条教房「鬼は鬼でも意外とみんなフレンドリーだよ?マジだよ?一度来てみてよ」
454人間七七四年:2009/09/15(火) 22:50:16 ID:0lq9fS4a
>>416
勝成は、大垣、道明寺と二度、多国籍軍を率いている
宗茂は、多国籍軍の総大将を任されたことはないような……

それでも、勝成には総大将の器が感じられず
宗茂には感じられる
仁徳の差か

>>422
直孝は、最強の切り札
たかだか農民反乱の使うにはもったいないような気もする
455人間七七四年:2009/09/15(火) 23:01:53 ID:KAw6VYNq
>>453
まあこのスレのアイドル:鬼武蔵に比べれば大抵の鬼は霞むと思う
456人間七七四年:2009/09/15(火) 23:06:48 ID:klaKSxsB
『鬼』のなかに、「武勇に優れた」と言う意味のほかに、「キ○ガイ」の要素が含まれているのは
確かに鬼武蔵くらいだなw
457人間七七四年:2009/09/15(火) 23:09:36 ID:q2xu3HK2
水野の場合、大本営の方針無視して突っ込む辺りが大将の器を感じさせないんだろうな
458人間七七四年:2009/09/15(火) 23:28:21 ID:WZFjIMzc
でも、まともに兵を率いたことのない板倉や知恵伊豆に総勢12万人の大将
やらせるよりはマシじゃないあと。
459人間七七四年:2009/09/16(水) 00:10:52 ID:mHVT5taB
あの時代は官僚中心なってたからなー
誰かしっかりしてる補佐役つけてればなあ
460人間七七四年:2009/09/16(水) 00:18:09 ID:s6bCrSAX
知恵伊豆の、突撃したがりの武士連中を強力に統制して
『こっちは天下の兵なんだから、包囲してりゃ相手は勝手につぶれるんだよ』
って方針はめちゃめちゃ正しいんだけど、戦って手柄を立てたい、大名も含めた武士連中には
本当に不評だったようでw
461人間七七四年:2009/09/16(水) 10:01:43 ID:dwhsL82N
知恵伊豆の知恵(1/3)

徳川家光が、小姓たちに一抱えもある長い縄の束を渡して言った。
「この縄の長さを測ってまいれ。」

こんな長いものを測る物差しなど無いし、間に合わせの物差しで少しずつ測っても
測った小姓ごとに結果が違う。
とうとう、待ちかねた家光から「早くせよ!」と催促される始末。

困り果てた小姓たちは、松平信綱に相談した。
「なるほど。その縄を一尺、切り取ってまいれ。」
小姓がさっそく一尺の縄を持って来ると、信綱はその重さを測った。

「よし、残りの縄の重さを測ってみよ。その重さが、この一尺分の何倍の重さか
分かれば、その倍数に一を足した数が、その縄の長さよ。」
462人間七七四年:2009/09/16(水) 10:02:47 ID:dwhsL82N
知恵伊豆の知恵(2/3)

徳川家光が鹿狩りに出た時、勢子に命じた。
「野の奥に入り、余のいる手前の方へ一斉に獣を追い出せ。」

しかし野は深く草木が生い茂り、奥へ進めば家光のいる方向など分からない。
勢子たちが困っていると松平信綱が馬で通りかかり、これ幸いと勢子の頭が信綱に
相談した。

信綱は急いでいるのだが、と文句を言いつつも答えた。
「日というものは東から昇り、南を通り、西に沈むものじゃ。さて、上様がおられるのは
北の方角じゃな。
されば、必ず日を背にするよう進めば、南から北へ向かうことになろう。」
463人間七七四年:2009/09/16(水) 10:04:13 ID:dwhsL82N
知恵伊豆の知恵(3/3)

徳川家光が「明日、鷹狩りに行く。」と触れを出したが、当日は今にも雨が降り出しそうな
どんよりとした曇り空だった。

「少しでも雨が降れば、狩りは取り止めとする。怠りなく天気を見よ。」
重ねての家光の命に、鷹匠たちは空を見上げたが、相変わらず何とも言えない空模様。
「みなで天を仰いで、いかが致した?」
運よく現れた松平信綱に、鷹匠たちは相談した。

話を聞いた信綱は、自分の脇差の鞘を縁側に出して置いた。しばらく後、信綱は再び鞘を
手にして、灯火にかざした。鞘の表面が、うっすらと結露したようになった。

「見よ、空気が湿っており、鞘が水気を吸った証拠じゃ。されば本日は雨となろう。
上様にもそう申し、狩りは延期にしていただくのが良かろう。」


と、まあ頓知話としてはいい話なんだろうけど、知恵伊豆の逸話ってこういう
「家光のワガママを何とかする話」が多くて、土居さんに「お前のはホントの知恵じゃない」
と忠告されたのも仕方ないかなー、と・・・
464人間七七四年:2009/09/16(水) 11:15:46 ID:110Tf1+u
政宗は岩出山城から本拠地を移す際、幕府に対して3ヶ所希望を出した。
順に青葉山、躑躅岡、日和山である。

第1希望が実は躑躅岡であり、外様大名の第1希望は通らないと考えたのであろうかあっさり第1希望が通ってしまった
465人間七七四年:2009/09/16(水) 11:30:41 ID:sZus2M6N
>464
続きはないのls
466人間七七四年:2009/09/16(水) 12:32:52 ID:9UCMHxRD
戦闘力なら関東の陸戦型戦闘兵器板東武者のが武蔵よりも上な気がする
まぁ武蔵の真骨頂はその「危険だから関わるな」クラスの性格だけど
467人間七七四年:2009/09/16(水) 13:49:01 ID:1h8K2S5C
上にあった知恵伊豆シリーズに便乗。その1
これは家綱が将軍だった時の話。ある日家綱は小姓に「この部屋の壁をすぐに白壁にしろ!」
と命じた。しかしその部屋はかなりの広さだったので、小姓は「すぐには無理です。時間がかかります。」と答えた。
しかし、家綱は納得しない。困り果てた小姓達の前に信綱が通りかかった。そこで小姓達は信綱にどうすれば良いか相談した。
話を聞いた信綱は家綱に「では、私がすぐに白壁にしてあげましょう!」と答えると、小姓達に大量の白い紙と糊を用意させ、
その白紙を壁に糊を使ってペタペタと貼り付けてあっという間に白壁にしてしまった。これに家綱も満足し、
周りの者も「流石は知恵伊豆」と褒め称えたという。 長文すみません。                                          
468人間七七四年:2009/09/16(水) 13:52:00 ID:1h8K2S5C
すみません。上の書き込みは悪い話ではなく、いい話でした。初書き込みで間違えました
申し訳ありません。
469人間七七四年:2009/09/16(水) 14:08:13 ID:k8qB+4d9
うい きゃん 知恵伊豆っ!!
470人間七七四年:2009/09/16(水) 14:16:58 ID:/hxjj0Hx
>>468
我侭な家綱の(小姓に対して意地の)悪い話だから大丈夫w
471人間七七四年:2009/09/16(水) 15:36:16 ID:XtFORYDG
小知恵伊豆さん。
もちっとスケールの大きな話はないすかねw
472人間七七四年:2009/09/16(水) 18:29:31 ID:0Fzisu/2
逸話として残るのは、どうしても庶民好みの頓知話っぽいのになってしまうからな・・
473人間七七四年:2009/09/16(水) 19:14:11 ID:CbcOPe67
平塚為広は秀吉の黄母衣衆26人のうちの一人であったが、秀吉はことのほか、
この平塚の事を信頼していたそうだ。

ある戦のときの事。

秀吉は本陣から、先鋒へ使番をもって下知を送った。
この使番が帰ってきて秀吉の前で、「あれへ参りたり!(どこそこから戻ってまいりました)」
と、先ずひとこと言うと、とたんに秀吉は烈火のごとく怒った。

「こう言う戦時では、いらぬ混乱を招かぬよう事を正確にいたすべきなのに、
誰々と名前も言わずに、いきなり『あれへ参りたり!』だけ言うような事があるか!
まったく、沙汰の限りじゃ!!」

そう言って彼の報告もろくに聞かずに、御前より下がらせた。

さてその後秀吉、今度は平塚を召して、また他の陣に使番として送った。

これから帰ってきた平塚、先ほどの秀吉の怒りを知らなかったのか、それとも何か考え
あっての事か、先ほどの使番の男と同じように、名乗りもせず

「あれへ参りたり!」

と、切り出した。

秀吉の左右の者達は、「また雷が落ちる!」と覚悟したが、
ところが秀吉、この時は平塚を少しも咎めず、最後までその報告を聞き届けた。
その上さらに

「最初の使番の報告の仕方を、落ち度であるって怒ったけど、平塚も同じように言ったって事は、
あれはワシが無理を言ったってことだな。いやあ悪かった。今度はちゃんと報告を聞くから
あいつを呼んで来い。」

そう、機嫌よく言ったそうだ

これは、平塚為広の家族、武藤氏が語った話だそうである。

秀吉が反省したと言えばいい話なのだろうが、なんともいえない理不尽さも感じる、
そんなお話。
474人間七七四年:2009/09/16(水) 20:08:20 ID:Lwz/vNvZ
理不尽すぎるwww
475人間七七四年:2009/09/16(水) 20:14:16 ID:3zqzTm3y
でも死人が出なくてよかったw
476人間七七四年:2009/09/16(水) 23:13:44 ID:GK3gB1qz
この後適切な報告を元に大量さつり・・・おや誰か来た様だ。
477人間七七四年:2009/09/16(水) 23:38:49 ID:AnBdtKOn
不逞の言を為した>>476へ参りたり!
478人間七七四年:2009/09/16(水) 23:41:52 ID:KpKlXCJJ
これは毛利元就が毛利家の当主になる前の話
この頃の毛利家は元就の兄、興元が急死し、家督は興元の嫡男・幸松丸が継いでいたが、
幸松丸が幼少のため、元就は叔父として幸松丸を後見していた。1523年、元就は安芸国鏡山城の攻略戦に勝利し、
敵将の首級をもって帰還した。「幸松丸様、これが此度の戦の総大将の首でござる!」と幸松丸にその首を見せた。
しかし当時9歳の子供に人の生首は流石に刺激が強すぎたのか、その後病にかかり、そのまま病死した。
その後元就は異母弟、元綱との戦に勝利し毛利家を継ぐ訳だが、もしかしたら元就はこれを狙っていたのかも?
疑いたくなる様な、元就と幸松丸にとっては(死んじゃったけど)心臓に悪い話。もし既出なら失礼。
479人間七七四年:2009/09/17(木) 00:09:08 ID:RfsTfiOh
>>478
某大河だと経久様がやったことになってたが…
元就だとすると、最初から幼児の精神面に悪いことを承知で狙ってやったのかもなw

おや、こんな時間にry
480人間七七四年:2009/09/17(木) 00:13:34 ID:PgxNdOrq
誰が来たんだよ(((( ;゚Д゚)))
481人間七七四年:2009/09/17(木) 00:23:18 ID:OLvQn6I0
幸松丸って亡くなる前に初陣を果たしてなかったっけ?
名代として元就が出陣したってことだったっけ

記憶があやふやになっとる
482人間七七四年:2009/09/17(木) 00:27:54 ID:bT6yJ46Q
>>478
確かに悪いっちゃ悪いけど、
「幼少といえど首ごときでショック死する奴より、オレのほうが
当主に向いているだろ、な!」
とエクスキューズできるし、間接的手段だしスマートでカッケエと思ってしまう。
483人間七七四年:2009/09/17(木) 00:32:07 ID:rqRo20h1
しかしこの時代、武将の子はこのくらいの歳で首実検するのは普通なんだよなあ。
それでショック死するようでは、元から武将として生きることは無理だったとも思う。
484人間七七四年:2009/09/17(木) 00:37:30 ID:bT6yJ46Q
鬼武蔵とかでも、子供のころは首とか死体こわかったのかなー
485人間七七四年:2009/09/17(木) 00:37:52 ID:VkH4LJmo
それだけ若ければ首の主と面識もないだろうし、実質いてもいなくても変わらない気もするけど
486人間七七四年:2009/09/17(木) 01:03:40 ID:A5haHXzW
この時代の小国人てすごいストレスたまったんだろうね
毛利家当主も早世してるし

小早川隆景は最初分家の竹原小早川氏に養子入り、その後本家・沼田小早川氏と竹原小早川氏を統合した
あんまり話題に出ないけど小早川隆景が養子入りする前の小早川本家について

沼田小早川氏の歴代当主の享年

小早川敬平  享年48 ←15歳の時、応仁の乱が始まる

小早川扶平  享年24 ←大内・細川の対立で圧力をかけられ
                分家の竹原小早川氏と対立、心労により病に倒れ、そのまま死去

小早川興平  享年22 ←病弱で、若年だったため、政務は家臣団や分家の弘平らによって行なわれた

小早川正平  享年21 ←討死

小早川 繁平  享年33 ←病弱かつ盲目(異説アリ)で、大内義隆から尼子方への内通を疑われ追放される
                 その後剃髪して禅に帰依し、教真寺に入って余生を過ごした

みなさん早世なさってるなあ
487人間七七四年:2009/09/17(木) 01:08:37 ID:cL+fdRyg
>>486
リアル俺の屍を越えていけだなw
488人間七七四年:2009/09/17(木) 01:10:34 ID:FtFmtxuT
こんな早死にでも子孫残してるのにお前らと来たら
489人間七七四年:2009/09/17(木) 01:24:17 ID:rqRo20h1
>>488
そう言われて気がついたが、>>486の小早川当主ってみんな早死にしてるのに、
繁平まで全員、長男が後を継いでるのね。
生命力は弱くても繁殖力はすごい!
490人間七七四年:2009/09/17(木) 01:31:15 ID:A5haHXzW
ちなみに小早川隆景 享年65

毛利家当主の短命
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%CC%D3%CD%F8%B2%C8%C5%F6%BC%E7%A4%CE%C3%BB%CC%BF
で書かれてるように短命な人が多い毛利家出身なのに
比較的長命なのは母が吉川国経の娘・妙玖夫人だからまもしれない
いや父の元就も長生きなんだけどさ

ちなみに吉川家↓
500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 10:09:43 ID:MDzQTnmy
吉川家もなにげに長寿だな。
吉川 経基 93歳(1428〜1520)→応仁の乱で山名宗全と戦った人。82歳で家督を譲る
吉川 国経 89歳(1443〜1531)→毛利元就の舅
吉川 元経 63歳(1459〜1522)→親より先になくなったため、子供が家督を継ぐ

その後豊臣家から養子入りした 小早川秀秋 享年21
無嗣につき、小早川家は断絶

時代は流れ、明治時代になって毛利本家から毛利三郎が小早川家に入ることで再興された。

結論:寿命はアドバンテージ


491人間七七四年:2009/09/17(木) 04:21:25 ID:WLUKprxx
なんか信之兄ちゃんみたいだな
492人間七七四年:2009/09/17(木) 05:41:28 ID:e6xLS2Xp
そういや酒で早死にって結構いるけど煙草で早死にっているのか?
一日中キセルくわえたヘビースモーカーとか
493人間七七四年:2009/09/17(木) 05:52:30 ID:VuCBHHYM
戦国時代でいえば煙草なんて一部の富裕層のみの嗜好品で、
肺が真っ黒になるまで吸う余裕なんてなかったんじゃないの
あと大気自体も現在より余程キレイだったろうし
秀吉や家康も煙草を嗜んだが、健康に良い薬だと信じてた節さえある
俗説だが秀吉の側室である淀殿は大の煙草好きで、
愛用のキセルを片時も離さなず、煙草が吸えなくなるとヒステリーを起こしたらしい
大坂の陣がなくても長生きできなかったかもな
494人間七七四年:2009/09/17(木) 05:59:17 ID:Fn7DqQP6
朝一服昼休み一服家に帰って一服程度のものだったんじゃないの?
495人間七七四年:2009/09/17(木) 06:05:38 ID:s0X4LHyH
>>494
( ●д゚) 朝、昼、寝る前、な。俺はな。
496人間七七四年:2009/09/17(木) 07:01:07 ID:9gBAZk+X
>>492
柳生宗矩は沢庵禅師に注意されても止められなかったヘビースモーカーだったが、
死んだのは76歳と結構な長寿なんだよな。
497人間七七四年:2009/09/17(木) 08:31:06 ID:FtFmtxuT
>>493
当時はふかすだけでしょ
498人間七七四年:2009/09/17(木) 09:14:20 ID:XkRUslHr
>>489
十代で子作りが普通だったとはいえよく断絶しなかったよねw

>>490
武器としての寿命の力を最大限に発揮したのは家康だろうか。
499人間七七四年:2009/09/17(木) 09:26:07 ID:oEyw2xrQ
一番長生きした戦国武将って誰だろ?
500人間七七四年:2009/09/17(木) 09:35:24 ID:9gBAZk+X
戦国時代に生まれ、Wikipediaで「武将」と紹介されてる人物なら、
滝川益氏(前田慶次郎の実父)の108歳。

武将と紹介されてないが戦に参加しているなら、渡辺幸庵の130歳。

信長の野望に出てくるような有名武将なら、北条幻庵の97歳。
501人間七七四年:2009/09/17(木) 09:56:52 ID:RfsTfiOh
龍造寺「わしだって有名武将」
502人間七七四年:2009/09/17(木) 10:38:27 ID:9gBAZk+X
>>501
あなたは93歳。信幸おにいちゃんと同じ。
503人間七七四年:2009/09/17(木) 10:39:33 ID:CQkEA7K2
児玉・・・
504人間七七四年:2009/09/17(木) 13:54:26 ID:N8Op9oDN
北条家って早雲や幻庵の印象強いから長生きの家系のような気がするけど
実際は60過ぎまで生きてる人あんまりいないんだよな
最後の当主氏直に至っては30で病死だし
生き残った氏政の兄弟たちも関ヶ原前に全員死んでる
まあ当時は本当に人生50年だったんだろうけど
505人間七七四年:2009/09/17(木) 14:01:01 ID:m8xoyWdX
早雲は最近の研究では通説より24歳若いと言われているので、63歳で死んでることになり、
普通よりは長生きだけど、特筆するほどではないかな。

幻庵は異様に長生きなんだよねい。
506人間七七四年:2009/09/17(木) 14:13:36 ID:WVh4RB0D
毛利は酒で死んだと言うより遺伝的な悪性ガンの家系なんじゃね?
いくらなんでも当時、酒で死ぬとか類例が無さ過ぎ。
それでは兄の子が早世した理由が説明つかない。
元就はたまたまガンにならなかっただけだろ。
507人間七七四年:2009/09/17(木) 14:25:28 ID:oIG/AdpO
岡部正綱「・・・・・」
508人間七七四年:2009/09/17(木) 14:37:41 ID:nCRnVZQe
煙草の煙より都会の空気の方が有害
ってどっかで読んだ気がする俺は喫煙者
509人間七七四年:2009/09/17(木) 15:23:42 ID:fc3VfGhD
もう出てるかもしれないけど…
滝川一益が着物一着しか持って無くて、
挨拶に来た部下一回追い返したような話
聞き覚えある人いないかな…
本が実家なんだよなー
510人間七七四年:2009/09/17(木) 15:49:51 ID:yLPxJeH1
>>509
さあまとめスレへ急ぐんだ
511人間七七四年:2009/09/17(木) 15:53:14 ID:FtFmtxuT
滝川一益で検索掛けてもないからまだ出てない逸話だろうな
512人間七七四年:2009/09/17(木) 15:58:03 ID:nCRnVZQe
裸でどうのこうのって話だったら既出だったと
513人間七七四年:2009/09/17(木) 16:07:25 ID:8zEn8bZL
>>490
寿命が長ければ
自分で子作りも出来るしな
514人間七七四年:2009/09/17(木) 17:32:18 ID:pxu8adD/
>>507
岡部さんは命がけで飲んでたんだから、戦死扱いでいいよ
515人間七七四年:2009/09/17(木) 17:43:15 ID:35HoNFv+
ずっと不思議に思ってたんだけど、まとめスレって何?
文脈的にいってまとめブログがそう呼ばれてるのかな?
516人間七七四年:2009/09/17(木) 18:20:36 ID:kNxX61Yh
>>515
上杉景勝「…」
直江兼続「細かい奴だ!と御館様はご立腹じゃ」
517人間七七四年:2009/09/17(木) 18:33:08 ID:JtcWXUbG
あの漫画って超絶にツマランよなぁ・・・・・・・
518人間七七四年:2009/09/17(木) 18:35:53 ID:mDpC553G
こらぁ!慶次
519人間七七四年:2009/09/17(木) 18:54:02 ID:wdM3dmIa
>>515
             /)
           ///)          /
          /,.=゙''"/、______//
   /     i f ,.r='"-‐'つ______/  SmallなことはNo, thank you!!
  /      /   _,.-‐'~/ \__/⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃■■  (●)V\
   /    ノ    il゙フW:::⌒(__人__)⌒:::W\
      ,イ「ト、  ,!,!|VW   |r┬-|     V|\
     / iトヾヽ_/ィ" ̄ ̄|===`ー'´=====/\\
520人間七七四年:2009/09/17(木) 18:58:04 ID:SZgkyoVn
>>519
Bが嫌われる理由になるからそれいろんなスレに張るな
521人間七七四年:2009/09/17(木) 19:23:25 ID:N8Op9oDN
関ヶ原が終わり
西軍に属した佐竹義宣は秋田への減地・移封を命ぜられた
主君である佐竹親子は諾々としてこれに従ったのだが、
この時、義宣の家老で石田三成とも交遊のあった群馬丹波守というものが
水戸城に立てこもり徳川家康に対して徹底抗戦してしまったのだ
しかしやはりこれは無謀だった
この群馬丹波守は共謀した者共と捕らえられて磔に処せられた
しかしこれは、ある意味で成功であった

なぜなら群馬丹波守の本当の狙いは三成の仇討ちでも、沙汰への不満でもない
彼の狙いは敗北が確実な戦いをし、主家に背いて討たれることで幕府の恨みを自分に集め
関ヶ原の戦争責任・転地に置ける様々な感情・恨みをかぶって死ぬことであったからだ


この群馬丹波守に善七朗という子どもがいた
善七朗は幼くしてこのような形で父を亡くした後、頼れる人もなく放浪し、
いつしか江戸の浅草溜で非人の頭に収まって車善七を名乗っていた

この善七の車一族は当時の江戸の非人の中ではトップの力を持っていたが
ライバル関係に当たるグループには三河出身で家康からも目をかけられた品川溜の松左ェ門、
鎌倉以来の長吏頭(座頭・猿楽・陰陽師などの統括官)を自称する弾左ェ門
などがいて、善七たちはしばしば合戦にも等しい抗争を江戸郊外で繰り広げた
あまりにエスカレートした争いについに町奉行が動き出し、
権威から一番遠い善七が入牢を申しつけられたが、これが火に油を注ぐことになる
浅草一帯の非人・座頭たちはこの判決に怒り狂い決起
奉行の命が狙われる事態となり、結果として慌てた奉行所は更に強硬手段に出た
善七を殺したのである
これで一旦は熱も冷めた
だがこの遺恨は泰平の江戸の地下において消えることなく続き
車一族は幕府と弾一族に対し明治四年に非人制度が廃止されるまで
抗争を続けることになるのだった

善七はその悲劇的な身の上から人気があり、
植木職人となった善七が家康を暗殺しようとした
などという伝説も生まれたそうだ
522人間七七四年:2009/09/17(木) 21:34:42 ID:1l8Y3Fb5
後の車寅次郎である
523人間七七四年:2009/09/18(金) 00:06:18 ID:QJYnP2Pz
マジで車寅次郎ってその車一族って設定なの?
東アのスレで寅さんを同胞認定した在チョンに対してあいつはBだろってレスが付いてたのを見た事有ったが。
524人間七七四年:2009/09/18(金) 00:11:24 ID:oM7pSg/s
つ嘘を嘘と見抜けないと(ry
メディアリテラシーを身につけろ
2chでは特に必要なスキルだ
525人間七七四年:2009/09/18(金) 00:17:58 ID:uKL2ABcU
>>521
>善七はその悲劇的な身の上から人気があり、
>植木職人となった善七が家康を暗殺しようとした
>などという伝説も生まれたそうだ
伝説かよ。また司馬遼にだまされた〜
526人間七七四年:2009/09/18(金) 00:20:43 ID:4TLrFh+h
>>523
寅さんの名字が車なのは渥美清の実家が上野の車坂だったことから。

でもテキヤの寅さんに車という名字はいかにもハマっているね
527人間七七四年:2009/09/18(金) 00:21:51 ID:dCsn+FGw
>>521
つーか車善七は「幕府に」任命され非人頭で、遺恨も何も、代々幕府からの命令で
非人を統率する立場だったわけだが。
528人間七七四年:2009/09/18(金) 00:24:00 ID:AY+rJFvk
>>524
2chで+辺りのプロパガンダに釣られてもどうって事は無いが戦国だったら釣られたら死んでるかもしれないと考えると・・・
529人間七七四年:2009/09/18(金) 03:40:39 ID:6r8LX7xI
弾左衛門は関八州とその付近の非人頭のトップでしょ
支配下の職人や芸人なんかが、支配から逃れようと訴えをよく起こしてる


5000石だっけ?
1万石だっけ?
かなりの実入りがあるんだよね
530人間七七四年:2009/09/18(金) 04:55:23 ID:WKPvMKqs
>>528に忠恒が釣り野伏せを仕掛けました
531人間七七四年:2009/09/18(金) 09:28:53 ID:Q6ZC3z9y
釣野伏せが発令されたから

釣野伏せの成功は囮部隊如何なのは周知だが、
当の囮部隊は自分達が囮だとは知らされてなかった事が多かったらしい。
高城川の戦いでも、囮だとは知らされずに先鋒を務めた北郷久盛、本田親治らが討死している。
森家もブラック会社だが島津家も相当ブラック会社かも
君は生き延びることができるか?
532人間七七四年:2009/09/18(金) 09:36:02 ID:McH/eZLs
非人にされても足洗金を払えばいつでも一般人の身分に戻れたようだ。
心中で女だけが生き残った場合、非人にされて車善七のところに送られるが
ほとんどの者は家族が足洗金を払って引き取ったそうだ。
533人間七七四年:2009/09/18(金) 09:45:25 ID:9RlZ1bXi
>>531
自分たちが捨て石だと承知した上で討ち死にするのと、何も知らないまま精一杯戦って斃れるのと
心情的にどっちがマシなんだろうな…うーむ
534人間七七四年:2009/09/18(金) 09:46:21 ID:EkscpYAk
光圀さんに斬り殺されちゃたまらんからなぁ。
535人間七七四年:2009/09/18(金) 09:53:54 ID:6r8LX7xI
ガキのころから他人んちの植木を掻っ払ったり、若い頃の光圀はやりたい放題だよな

曹操袁紹コンビみたいに、あんがい町娘も掻っ払ったりしてねえかな
536531:2009/09/18(金) 10:14:23 ID:Q6ZC3z9y
肝心なこと書き忘れた
囮と知らせなかったのは、知らずに戦わせた方が必死に戦うし敗退するのもリアルに見えるからだそうだ
囮と知らせると戦いに身が入らず敵に囮とバレる可能性があるんだと
劇団シーマンヅの劇風はストイック過ぎる
537人間七七四年:2009/09/18(金) 10:24:40 ID:6r8LX7xI
知らされるのは大抵、部隊長とその側近くらいでしょ

いつだったか忘れたけど、囮をつかって誘い込むはずが、相手方に寝返った武将に負けた負けたと叫けばれて、なんにもしないうちに味方が壊走してしまった中華皇帝がいたような
538人間七七四年:2009/09/18(金) 11:41:52 ID:2Jrd6r8z
捨てがまりなんて恐ろしい戦法がある島津家だから囮で死ぬなんて屁にも思ってないんじゃないか?
539人間七七四年:2009/09/18(金) 12:41:44 ID:dCsn+FGw
薩摩は西南戦争のときも、作戦遂行の為の人的な被害なんて屁とも思ってないようなところがあるな。
540人間七七四年:2009/09/18(金) 12:48:41 ID:XNTsh23g
戦闘民族サツマ人にとって戦で死ぬことは名誉だからな
541人間七七四年:2009/09/18(金) 13:12:29 ID:6tXbeZJu
>>535
光圀がお堂で友人と雨宿りしてる時、縁の下に非人がいたので、
試し切りしたという記録があるぞ
542人間七七四年:2009/09/18(金) 13:15:28 ID:dCsn+FGw
>>541
そう言う風潮を止めさせようとしたのが徳川綱吉。
光圀が何故綱吉の改革に強硬に反対したのか、わかるってもんです。
543人間七七四年:2009/09/18(金) 14:24:36 ID:6UTCB2EJ
>>538>>540
戦闘で仲間を見捨てて逃げたヤツは制裁加えられるんじゃねえの
幕末の樺山資紀の逸話みたいに
544人間七七四年:2009/09/18(金) 14:28:02 ID:CqeMPV+d
>>537
シ肥水の戦いだろ

前秦vs東晋
545人間七七四年:2009/09/18(金) 14:34:26 ID:bN3Fuz3d
>>540
超サツマ人になられるとやっかいですね・・・
546人間七七四年:2009/09/18(金) 17:06:26 ID:mnNsPERb
カッコイイのキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
547人間七七四年:2009/09/18(金) 17:08:40 ID:mnNsPERb
すみません誤爆です…
548人間七七四年:2009/09/18(金) 17:36:52 ID:YhoSMHiz
誤爆に見えない誤爆乙
549utareyowaidesu:2009/09/18(金) 18:45:56 ID:wWx90RiN
一応検索したけど 既出でしたら ご容赦を 「戦国Xファイル」より

上杉景勝に仕えた小姓で平田助次郎という者がいた
北信濃の国人だが、もともと蘆名氏の家臣平田氏の出身。

天下統一を目前にし、奥羽仕置を視野に入れた豊臣秀吉は、蘆名領会津に攻め込んだ伊達政宗を牽制するため上杉景勝に会津救援を命じた。
この時、蘆名側から人質としてひとりの美少年が上杉陣中に送られてきた。
それが 平田助次郎で、たちまち世話係の木戸玄斎はこの美少年のとりこになってしまい、二人はデキてしまった。
史書にいわく、「年十六、父の證人として御勢の陣中にありしか、人となり容兒甚美麗にして且つ才智あり。軍監木戸玄斎深く之を愛し共に艶交を結て情好甚渥し」と。

やがて、秀吉の奥羽仕置が済んだが、木戸玄斎は平田助次郎と別れたくない。
景勝に願って上杉家に召抱えてもらおうと思った。
かくして、面接試験にのぞんだ助次郎であったが、景勝も木戸同様、彼の美しさのとりこになってしまった。
史書にいわく、「公は平田が美兒なるを御覧あって大に悦び玉ひ、即日命あって御近習仰付られ昼夜御側を放し玉はず。御寵幸、日に渥し」といった具合。
木戸玄斎にとっては、トンビに油あげを攫われてしまった格好だが、相手が主君では仕方がない。なに、初穂は自分が頂いたのだと自ら慰める。

平田助次郎は、やがて北信濃の名族清野氏の跡が途絶えたのを襲って、清野周防守長範と名乗った。
景勝の信任は相変わらず篤かった。
仕えづらい景勝の機嫌を一度も損ねることはなかったという。
またしても史書にいわく、「初め景勝公は御性厳烈におわして御近侍の臣往々と罪譴を蒙り終りを全くするは少なかりしに、長範始終恩寵衰へず。常に出頭第一たり」


実際、長範はかなりの名士だったらしく、のちに江戸幕府に求められて上杉家が高家吉良氏や畠山氏と共同で作成したと伝えられる『川中島五箇度合戦の次第』は、「慶長二十年(一六一五)に清野助次郎ほか一名が筆記した覚書を元にした」ということになっている。
本当に長範がこれを書いたかは定かではない。ついでに言っておくと、『謙信公御書集』を筆写したのも平田氏で、清野長範の兄の末裔にあたる。
越後・信濃中心の上杉家臣団の中で会津蘆名遺臣としてこれほど政権の中枢にくいこんだ事例はあるまい。


景勝は臨終の時、導師に法音寺能海法印を指名した。
そして、枕頭に長範を呼んで、おまえも能海法印に導師となってもらうよう遺言した。
同じ引導を渡されれば、来世でまた会えると思ったのであろうか。

現在、米沢市を歩いていると、周防殿堰や周防殿橋といった名前が残っていることに気づくだろう。「
周防殿」とは長範のことである。現在、米沢の祖型は直江兼続がつくったともてはやされているが、清野長範の事蹟はあまり顕彰されていないようである。


てことで 美少年寵愛伝説ということで 一部限定されたコアな腐女子に やたら知名度が高い平田クン

景勝 ガチホモ説の元となったと思われる話で 景勝のちょっと きまりの悪い話

550人間七七四年:2009/09/18(金) 19:16:41 ID:/6pzyHg8
>>549
きまりは悪いがしまりはいい話
アーッ!

551亀ッス:2009/09/18(金) 19:59:29 ID:/mtQnL6h
>527 >529
外伝じゃなくて正伝の世界だな、「カムイ伝」の。

子供のころガロ読んでトラウマになりかけたわい…
元マンガはちとイデオロギー的な階級闘争を持ち込み過ぎな気もするが
日本史に興味持ったきっかけの一つ
552人間七七四年:2009/09/18(金) 21:00:57 ID:q4sD9S8T
慶長13年(1608)5月13日、TERU元(入道して宗瑞)が、なにやらやたらといろいろ禁止事項を箇条書きにした「掟」を作成しています。
この年の6月は 毛利氏の本拠、萩城が完成した年
萩城完成直前に、いろいろと今後のために注意事項を家臣たちに示すために、「掟」が制定されたらしい

一、又小物法度之事
 付、かうばうち候ハゝ、よこ目付置候之条、見合に、為過怠土百荷充可持事、 
 付、石かきのつめ石をぬき、又は塀に絵をかき、疵を付候もの、同罪に可申付事、



又小物というのは、家臣の中でも身分の低い奉公人、下っ端連中のことで だいたい若者らしい
「かうばうち」とは、「ばうち」は博打(ばくち)のことで、とにかく博打は禁止、バレたら土百荷を持たせる刑になる、ということ。
土百荷って、一人で運べる土の量100回分か?…まぁとにかく、罰として土を背負って立っとけ!


で、その次が 石垣の詰め石・・つまり石と石の間に小さい石が詰めてあるのを抜くヤツがいたらしい、
詰め石をあんまり抜くと見栄えも悪くなるし、下手したら石垣崩壊にまで至るのかな…。
それだけじゃなくて、城の塀に絵を描くなど落書きしたり、疵をつけるバカもいた!
そいつらも、見つけ次第、土背負いの刑

小学生か!!

どこの大名も 子供レベルのイタズラに苦労したという話

553人間七七四年:2009/09/18(金) 21:39:02 ID:5qV35YcK
子供の頃に読んだ光圀の伝記で
5歳位の光圀に夜中刑場から生首取って来させたって話があった。
子供心にひどい話だと思った。

頼房さんのちょっと悪い話。
554人間七七四年:2009/09/18(金) 21:39:49 ID:ZveHiPP9
>>552
「まもらねば、さくさがしかる」

と書いておけば、効果抜群なんだがな。

555人間七七四年:2009/09/18(金) 21:44:07 ID:dCsn+FGw
>>554
長州藩毛利家では、およそ200年後に藩の改革を担当した村田清風がまさに
作左衛門さんポジション。

当時、萩の子供は「泣いていると清風先生が来るわよ!」と言われると、慌てて泣き止んだそうな。
556554:2009/09/18(金) 21:48:44 ID:ZveHiPP9
>>555
へぇ〜、そう言う人だったのか!
やっぱり、どこの家にもビシッと喝を入れる硬骨漢が居たんだろうか。
貴重だよね、そう言う人材は。
557人間七七四年:2009/09/18(金) 22:16:13 ID:XdYo2obp
>>553
当時の武士の気風からするといい話なんじゃないか?
558匿名武将さん:2009/09/18(金) 22:31:52 ID:h03o9zAe
>>556
ビシッと喝入れてやってたのにケツの穴の小さい二代目は入れる度量がなかったぜ
559人間七七四年:2009/09/18(金) 22:36:21 ID:OFX4V8WV
>>558
堺屋太一が上杉景勝・毛利輝元・宇喜多秀家を主人公に
「三人の二代目」という小説を書いてるそうですね






                                               隆元カワイソス
560人間七七四年:2009/09/18(金) 22:40:00 ID:dCsn+FGw
>>559
毛利家の家督に関しては

元就→隆元→隆元死去→元就が再度家督に就任→輝元

と言う順序だったらしい。なので「元就から数えて二代目」というのは間違いではない。
561人間七七四年:2009/09/18(金) 22:43:28 ID:OFX4V8WV
>>560
そうだったんですか
ありがとうございます


562人間七七四年:2009/09/18(金) 22:58:46 ID:ubu0siNU
>>552
「まもらねば、むさしがくる」
563人間七七四年:2009/09/18(金) 23:01:23 ID:Z9D3b8Aq
>>540
なにそのクリンゴン
564人間七七四年:2009/09/18(金) 23:15:42 ID:OFX4V8WV
>>562
げーっ 鬼武蔵!!
565人間七七四年:2009/09/18(金) 23:46:26 ID:SRZsLvKH
新納サンの方でも十分怖いてw

>>558
又兵衛自重汁
566人間七七四年:2009/09/18(金) 23:54:05 ID:/C7Dm/Cv
>532
関東のほうは非人ったってたいして階級差みたいのないのかなあ
いくばくかの金で贖えちゃうんだもんなあ
汲み取り人がスト起こして幕府に謝らせたり出来ちゃうくらいだし
567人間七七四年:2009/09/19(土) 00:12:26 ID:h82SS9je
>560
素直に3代目あるいは4代目でええのにね


非人って関東は政権のお膝元だから、他の地域に比べて権利的に違いがあるのかな

てか、ストやられたら江戸を中心に社会が麻痺するか

568人間七七四年:2009/09/19(土) 00:38:50 ID:/DKJxTdF
なんか今住んでるとこが汲み取りの末裔の人たちが住んでるらしいんだけど
むかしっからすごいお屋敷に住んでるらしいのよ
一軒だけじゃなくてその集落全部がすっごい豪邸
最近の建物じゃなくて、由緒正しい立派な蔵つき日本家屋
そうとう権力と財力持ってたんじゃないかと思う
うちの地元からしたら考えられんわ
569人間七七四年:2009/09/19(土) 00:50:10 ID:9YHcOYaZ
>>568
江戸期は汲み取った糞尿を肥料として郊外の農村に、商品として売ったからね。
しかも農村への肥料の流通ネットワークも支配した。
その地域はそうして蓄積された資本で、明治後も上手く発展したんだろうね。

封建時代ってのはそういう、単純な差別被差別では捉えられない面白さがある。
570人間七七四年:2009/09/19(土) 00:54:35 ID:D9eG5a4i
大阪で江戸から来たという身形の良い商人が豪遊したらきっとあいつ部落出身だぜと噂になったという話を聞いたことがある

大阪の部落なので多分革の加工関係で財をなしたんだろう
571人間七七四年:2009/09/19(土) 00:58:24 ID:/DKJxTdF
>569
なるほどね、やっぱ京阪とは歴史や認識が違うんだな
そういえばその集落のお大尽たちはだいたい何の職業に就いてるかっていうと
今もご先祖がやってた職種を誇りを持ってやってるらしい
なんか俺その話聞いたとき後頭部殴られたくらいショック受けた覚えがある
572人間七七四年:2009/09/19(土) 02:10:24 ID:4muqoU6v
>>571
へえ、じゃあ江戸に限らず都会なら>>569みたいになるってわけでもないんだ
そういうシステムが大規模化して洗練されるのは人口の集中があるから、とか
なんとか聞いたことがある気がしたのでぐぐってみたら、江戸時代も後期の
都市の人口って江戸が百万都市なのに対して京や大坂でも3,40万くらいなのね
江戸が桁違いだったんだなあ
573人間七七四年:2009/09/19(土) 05:36:06 ID:VkEzW6qy
日本の大都市には水道があったくらいだしね。幕末の西洋人が家の中が清潔って驚いてるし
上から落ちてくるウンコ防御で傘
道路でウンコ防御するハイヒールが必要だった西洋人には驚きだろう。
職業差別や階級闘争なんて左翼が作りだしたものだし、戦後に日教組が小学生に執拗に教え込んだりビデオで洗脳したのが原因。
もともと職人町によって棲み分けしてた。水で洗浄したりする商品を作るやつは河原の近くに住む。
排水面や湿気のある河原近くが嫌がられたのは確かだが職業上仕方がない。
また4つ足動物を食べないから動物殺傷もたしかに嫌われていたがそれが差別につながるとかは階級闘争教育のせい
日教組は大国の大義名分にのみ使われる国連を、理想と平和達成の組織みたいに無駄に賞賛して日本人を平和ボケ脳にしたりとアホ過ぎ。
574人間七七四年:2009/09/19(土) 08:16:08 ID:h82SS9je
しかし、ハレとケからまったく自由だったとも思えない
575人間七七四年:2009/09/19(土) 12:01:23 ID:MwbSTasc
戦国時代は刀剣や槍それに鉄砲や弓矢等で負傷した場合、
傷口に焼酎をぶっかけて消毒していたとの事だが、
それらがない場合は粗塩や味噌はまだ良い方で小便を傷口にぶっかけたり、
傷口に女性の隠毛を焼いた灰や人糞や馬糞を塗り込んでいたという話を読んだことがある。
当然、人糞に対してのイメ−ジも現代とは違ってたんだろうな。
それよりこの話を読んで気になったのは「女性の陰毛」なんだが、これは事実なんだろうか?
事実だとしたら、やっぱり武家の女性達が出陣の時に用意して渡してたんだろうか・・・
576人間七七四年:2009/09/19(土) 12:18:17 ID:4sSAKKN3
>>575
「雑兵物語」によると、銃創の治療には葦毛の糞汁が効くと書いてあるね。
女性の陰毛は聞いたことないけど、現地調達も可能じゃない?
577人間七七四年:2009/09/19(土) 12:24:34 ID:D9eG5a4i
女性の陰毛だと言われて男の陰毛を塗られた可哀そうな奴も一杯居たんだろうな
578人間七七四年:2009/09/19(土) 12:31:27 ID:9YHcOYaZ
戦国時代の負傷の治療は、専門の金創医(外科医)と民間療法の間にかなり差がある。
雑兵物語なんかに出ているのは民間療法だね。

まあその金創医も、民間療法や呪術まがいのあやしいのから名医まで、ピンキリだったらしいけど。
579人間七七四年:2009/09/19(土) 13:19:35 ID:nLT1WOTk
黄金水は放出直後は雑菌ほとんどいないんで泥やら錆びやらついてる傷口応急で洗うのはおk

という話をどっかで見たような
580人間七七四年:2009/09/19(土) 14:04:36 ID:D8kXz2TB
>>579
汲み置きの小便をかけられた奴もいただろうな…
581人間七七四年:2009/09/19(土) 14:10:23 ID:AMtu7FWs
そりゃ逆効果だ。さすがにやらんだろ。
まぁ精道と尿道を兼用できるくらい、出たての小便が無害なのは確か
582人間七七四年:2009/09/19(土) 14:25:38 ID:qKLSoi9c
名剣か魔剣か 〜 天下人達の終焉を見送り続けた銘刀 〜

備前長船光忠は鎌倉時代の刀工であり、古備前派の祖として名高い人物である。
戦国時代には千子村正をはじめ数多くの業物ブランドが生まれたが
備前長船といえば特に名を馳せた刀鍛冶一族で、代々に渡り名工を輩出した。

そんな光忠作の業物に『実休光忠』がある。
名刀の多くがそうだった様に、この見事な大業物も数多の有名人の差料として
出回り続けたが…その遍歴は見る者に戦国の無常と何かの因縁を感じさせるものであった。

先ずこの刀を得た著名人が南近江六角家の重鎮・三雲定持であったが
六角家の衰亡と共にこの剣はある男の手に渡る。
室町幕府管領代・三好筑前守長慶の実弟で阿波一国の実質的支配者であった
三好物外軒実休…三好義賢である。武野紹鴎・千利休に茶の湯を学び
稀代の数寄者として堺の会合衆と交流を持ち、ひび割れてもなお三千貫の
値がついた唐物茶壷の銘作『三日月』を所有した実休だが、実は愛刀家と
しての側面も持ち合わせていた。
この頃の実休光忠は『三雲光忠』という銘で知られて居たようである。

しかし、その三好実休も1561年(永禄五年)、この刀を差して出陣した久米田の合戦で討ち死に。
実休といえば著名な戦国武将としては最初である、火縄銃による戦死者として
有名ではあるが実は即死ではなかったらしく、襲ってきた畠山方・根来寺の荒法師
往来右京に対しこの刀を抜き放ち、その脛を振り払って応戦したと『武辺咄聞書』に
記されている。

実休討死の後、この光忠の刀は『実休光忠』と呼ばれるようになり、戦勝者である
畠山高政が分捕る。そして高政は後に織田信長の所属となりこの刀を献上したが、
後に高政は家臣の謀反に会い河内守護職を追われ、二度と大名に返り咲くことはなかった。

そして戦国の覇者・織田信長。織田信長も数寄者で名を上げたが、実はこの備前光忠を
愛好し、実に二十五もの光忠銘業物を所持していた。高政より大業物『実休光忠』を
献上された信長はとても喜んだそうで、早速岐阜城下の桐の馬場で自ら切れ味を試したそうである。

1580年、信長は安土城に天王寺屋宗及ら堺の豪商を招き、光忠コレクションを披露。このうち
実休光忠がどれであるかと鑑識させて悦に浸ったという。なお、この頃の実休光忠の切っ先には
三好実休が往来右京を斬った際に刃こぼれした痕があったらしく、木津屋なる豪商が
この故実を知っていたため一目で当ててみせたという挿話がある。

そして…その僅か二年後の1582年(天正十年)、織田信長も本能寺の変で紅蓮の業火に命を落とす。
弓を射たり槍を振るったり、火縄銃で応戦する信長の姿が様々なメディアで描写されるが、
信長は明智軍突入を知るや小姓の森蘭丸に『お蘭、光忠をこれへ!』と一喝、
あの『実休光忠』を振るって奮戦したと言われ、後に豊臣秀吉が本能寺の焼け跡から
実休光忠を見つけ出した際には、その刃には実に十八箇所もの切れ込みが出来ていたという。
本能寺の変での第六天魔王の驍勇振りが偲ばれるようで感慨深い。

織田信長の形見でもある実休光忠を、天下人豊臣秀吉も愛用。焼けてしまった刀身を
再刃して己の差料とし大坂城に秘蔵したというが、秀吉薨去後の戦乱を経て
1615年(慶長二十年)、ついには大坂夏の陣の陥落と最後を共にしたのだった。
以降、実休光忠は行方不明となった。

現在、光忠銘の大業物には国宝指定の物が三振りあるが、この
実休光忠も残っていれば間違い無しの殿堂入りであったと好事家は言う。

そんな銘剣『実休光忠』の、知られざる(地味に酷いジンクスな)悪い話。
583人間七七四年:2009/09/19(土) 14:27:25 ID:qKLSoi9c
うげ、sage忘れた…申し訳ない
584人間七七四年:2009/09/19(土) 14:31:13 ID:9YHcOYaZ
これは面白い話だな。実に興味深い。
585人間七七四年:2009/09/19(土) 16:59:40 ID:pSxBcBMS
妖刀はかくあるべしと言いたくなる位数奇な運命の刀だな
586人間七七四年:2009/09/19(土) 18:24:08 ID:VTCpY4oT
妖刀掲げて国苦を売る
587人間七七四年:2009/09/19(土) 20:43:07 ID:2uAQ34hw
信長は備前長船を褒美の品として家臣や果ては庄屋クラスにまでやってたりしたよね。
無論、こういう古刀じゃなくて当時の新刀だったんだろうけど。
そのクラスでも今残っていれば結構なもんだけど、江戸時代に贋作が大量に出回ったんだよなあw
お陰で備前長船系の九割近くが贋物とまでいわれているらしい…。
588人間七七四年:2009/09/19(土) 21:07:29 ID:NKtIRDAM
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2808.html
こんな話のあった水野勝成だが、今家紋の本読んでたら
水野勝成は元は桔梗紋だったが、謀反人光秀と同じ紋を嫌い「懸魚」紋に変えた。
って書いてあった。何。この一貫性の無さ・・・・・・
589人間七七四年:2009/09/19(土) 21:30:07 ID:9YHcOYaZ
>>588
水野氏の「水野沢瀉紋」以前の家紋に関しては、「永楽通宝紋」や「菊水に一文字」は
聞いた事があるが、「桔梗紋」は聞いた事が無い。
だいたい水野氏はいわゆる尾張源氏で、美濃源氏の「桔梗紋」を使ういわれも無いし。

よければその本がどういうものか教えてくれないだろうか?
590人間七七四年:2009/09/19(土) 22:28:34 ID:4sSAKKN3
>>588
細かいようだが、明智の家紋は「土岐桔梗」で桔梗紋とは若干違うよ。
591人間七七四年:2009/09/19(土) 22:49:58 ID:/9Iu9FQG
刀関連でなまくらな刀を指す言葉に「束刀」という言葉がありますが・・・

信長が長船から招いたのは祐定で、入念作には年記と俗名(この場合は藤四郎か?)が銘に刻んであるので
これは貴重。しかし天正18年8月の吉井川の大洪水で長船は藤四郎祐定を除いて全滅。
息子七兵衛、源左衛門らはまだ子供だったが何とか長船復興のため尽力した。
小早川秀秋が備前に封じられるとお抱え鍛冶として禄二百石を給せられ、領主が池田輝政に代わっても
召抱えられた。

しかし寛永9年、池田家が因州鳥取に国替えとなり父祖の地を離れる事となる。
だが鳥取に移住してまもなく、岡山藩の光政が鳥取藩の光仲に「祐定を岡山に返せ」と身柄の返還を要求。
岡山の光政は本家であり、鳥取の光仲は分家であることからこの要求は受け入れられ、
祐定は喜んで故郷に帰るのであった。が、しかし・・・光仲からの俸禄はわずか五人扶持・・・

藤四郎祐定の子孫達は食うに食われず、鉄砲鍛冶や野良鍛冶に転向する者も出、刀を作り続ける者も、
井上真改、津田助広など人気の大阪鍛冶に圧されて、食うためにとにかく量産を始める者もいた。
作っては質屋に持ち込むのである。

質屋は幾らでも買い取ってくれるのでとにかく作る。それを奈良の商人が買い取り、縄で数十本単位で
束ね、馬に乗せて買っていく。買われた刀は奈良で新たな銘を入れられ、土産物として門前町などで売られた。

これが束刀の由来である。

ここで何が悪い話かというと、長船鍛冶全滅の原因となった吉井川の洪水は、上流の山の木の過剰な伐採により、
土壌の保水力が失われ、がけ崩れによって川の流れが堰き止められたあげくにこれが決壊したものだった。
なぜ伐採が行われたかといえば、鍛刀の際に必要な大量の炭を得るためであった。
刀剣王国備前の栄枯盛衰なお話。

ちなみに、長船祐定はとにかく数が多く残っているので、偽物を作るメリットなんてありませんよ。俗名入りは別ですが。
592人間七七四年:2009/09/19(土) 22:52:43 ID:/9Iu9FQG
>>591
五人扶持しかくれなかったのは光仲ではなく光政のほうです。
光仲さんには深くお詫びいたします
;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン
593人間七七四年:2009/09/19(土) 22:58:38 ID:9YHcOYaZ
>>591
加藤清正が、娘が嫁入りする時に持たせた大御槍もたしか長船祐定でしたな。
594人間七七四年:2009/09/19(土) 23:36:34 ID:Xubbu+/r
吉井川の上流が津山な件
595人間七七四年:2009/09/20(日) 00:05:24 ID:NEbJkyK0
むしろそんな過酷な状況に何度もあっても残るからこそ名刀なのでは
596人間七七四年:2009/09/20(日) 00:14:48 ID:dvGV8UAO
>>591
名の無い刀でもたまーにすごいのがあるって言う理由は
生計を立てる為、一昔前の名工がまじってたって訳か
597人間七七四年:2009/09/20(日) 00:25:21 ID:LCnNuHo/
>>589
「日本人の心がみえる家紋」っていう本です。
2回書いてあるから名前の誤植とかではないと思うんだけど、適当な本だったのかな。安くないのに。
598人間七七四年:2009/09/20(日) 00:43:31 ID:pABZkpRs
>>597
作者の楠戸義昭さんの、他の著書を調べてみましたが、基本的にいわゆる「俗書」に近い本を
多く書かれている方のようですね。

ただ、水野氏が桔梗紋を使っていた、と言う話は聞いた事が無いので、やはり
その家紋の本も、何らかの俗説を、そのまま書いたものではないかと思います。

適当と言うよりも、学術書以外のこういった本は、読者に読みやすくするため、著者が面白いと思った
エピソードを、無批判に乗っけてしまいがちなので、注意が必要だとは思います。
599人間七七四年:2009/09/20(日) 00:54:48 ID:glH4cp6L
難しいな
600人間七七四年:2009/09/20(日) 00:54:58 ID:pRT6icCZ
>>598

楠戸義昭の本はPHPの「戦国武将名言録」しか読んだ事ないけど
取り上げた武将の発言全てに出典が書いてあったり、結構丁寧な作りだったぞ。
他の本は知らんけど、「俗書しか書いてない人」みたいな言い方は酷いんじゃ…
601人間七七四年:2009/09/20(日) 01:14:19 ID:pABZkpRs
>>600
「俗書」と言うのは何も侮辱しているわけではなく、精緻さを要求される
学術書、研究所に対する言葉だと思っていただけると…。
602人間七七四年:2009/09/20(日) 01:24:11 ID:LCnNuHo/
>>598
そうですか・・・
読んでてとても面白いのでそういう事はあるかもしれませんね。

そこだけを取り上げて適当な本呼ばわりは自分が悪かったです。
買う時チェックした自分の詳しい範囲内の内容には別段問題なかったので。
603人間七七四年:2009/09/20(日) 01:49:52 ID:YZ/5WuwY
まぁおまいら喧嘩すんなよ、しかし水野勝成の大阪の役の戦闘スタイルは格好いいぜぇ!
なんてったって旗指物が織田信長の永楽通寳の黒色Ver(色違い)で、当時その信長を殺した光秀の日向守を名乗って本人の槍を振り回してたんだぜ。
矛盾してるのもこれで納得だw
604人間七七四年:2009/09/20(日) 08:30:23 ID:MhkmiNkc
>>601
頭悪いんじゃね?
まず日本語覚えろよクズ
605人間七七四年:2009/09/20(日) 08:35:36 ID:YAGREETr
なんか最近、わざとここやいい話スレの空気を悪くしようとしている奴がいるな。
606人間七七四年:2009/09/20(日) 09:04:21 ID:S8aMDYPp
ややこい話スレの空気と空目した
607人間七七四年:2009/09/20(日) 09:06:14 ID:JfBzttfQ
語尾に「じゃね?」とつける奴は構ってちゃんである・・・
この法則が証明されつつあるようだ。
スレにとってかなり迷惑なお話。
608人間七七四年:2009/09/20(日) 09:45:55 ID:ni7OsmGq
>>605
?彦左の仕業
609人間七七四年:2009/09/20(日) 09:46:45 ID:89ic6UwA
意外な武将の、謀略・暗殺の逸話とかないですかね
610人間七七四年:2009/09/20(日) 11:23:49 ID:YAGREETr
>>447の、丈六寺で長宗我部元親に謀殺された新開道善。

この道善の家臣に、賀島秀家と言う者がいたのだが、秀家には、一人の娘があった。

賀島家は、正福寺と言う寺を那寺としていた。そこでの、あるときの法事の際、
正福寺の若坊主であった多聞という僧が、賀島家の娘と出会い、お互いに一目ぼれをしてしまった。

しかし武家の娘と修行中の僧、人の目もあり、なかなか会う事も叶わなかったが、それでも娘は
隙を見て家を抜け出し、寺の鐘突き場で逢瀬を重ねた。

が、ある時ついに、二人の逢引しているところを、住職に見つかった。

娘は、親の目を盗んでふしだらな事をしたと、部屋に押し籠めをされ外出を禁止された。
しかし恋心を抑える事はできず、深夜こっそりと家を抜け出し、多聞に合いに行った。

ところが多聞のほうは、娘と恋仲になった事が、修行中の身でけしからんと、破門を受け、
寺より追放される事となっていた。

多聞と娘は
「もう、この世で添い遂げる事はできない」と思いつめ、
離れ離れにならぬよう、腰紐で二人の体を堅く結びつけると、琴江川の淵に身を投げた。


この事があってから、正福寺で鐘を突くと、「タモンタモン」と鳴るようになった。

住職が調べたところ、鐘の一部が裂けていた為、これを徳島に修理に出すことにした。
その荷車が、二人が身を投げた淵の側まで来ると、鐘は突然荷車より崩れ落ち
淵の中に沈み、「タモンタモン」と鳴った。

これ以降、土地の人々はこの淵を、『多聞ヶ淵』、と呼ぶようになったそうである。
611人間七七四年:2009/09/20(日) 11:29:10 ID:pR5RVwBo
>>573もたいがいのアホだな
5あるものを左翼が10と拡大したのは事実だろうが
だからといって5のものを0と言い張るのはバカの極み
612人間七七四年:2009/09/20(日) 12:35:10 ID:RHYu0LkY
>この事があってから、正福寺で鐘を突くと、「タモンタモン」と鳴るようになった。

もうちょっとマシな鳴り方してくれよw
613人間七七四年:2009/09/20(日) 12:39:15 ID:O+ItgutD
( ●д゚) あたりが関わってたら「ドキュンドキュン」と鳴りそうだなその鐘
614人間七七四年:2009/09/20(日) 16:11:13 ID:97m42yhn
毛利元就の姪 天涯孤独の姫

彼女は毛利興元の娘として誕生したが、幼くして父興元、弟幸松丸を失いその前途は明るいものではなかった。
母の実家、高橋氏も叔父元就との抗争に敗れ没落し、元就の命で山内豊通に嫁ぐが豊通は早世してしまう。
豊通の死後、竹原小早川家当主の興景に再嫁するが、興景もまた早世。
竹原小早川家は彼女の従兄弟である小早川隆景が養子相続した。
その後、行松正盛に再嫁。しかし二度あることは三度、正盛にも先立たれてしまった。
そして、正盛の遺児を連れて杉原盛重と四度目の結婚をする。
彼女は幼くして父と弟と母の実家を失い、四度もの結婚を経験したのである。
浅井三姉妹を髣髴とさせる波乱万丈の人生だが、彼女にスポットライトが当たる日は来るのだろうか。
615人間七七四年:2009/09/20(日) 18:19:51 ID:5trZUKB1
>>614
最後の再婚先の杉原家も哀しい結果になった件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E7%9B%9B%E9%87%8D
616人間七七四年:2009/09/20(日) 18:45:14 ID:qAAc0AnZ
悲しい姫の話が出たので。


腹赤村の「ぼたもちさん」

立花宗茂の正室・ァ千代姫が肥後国腹赤村で亡くなったのは、慶長7年(1602年)
10月17日と記録される。現在も残る墓は、石塔の頭の形から「ぼたもちさん」と
呼ばれている。

この話には異説がある。

慶長6年2月7日のこと。腹赤村の庄屋のところに、阿弥陀寺の住持・淡海から
「気のふれた女が現れた」と届出があった。
庄屋が見に行ったところ、狂人に相違なかった。色々尋ねてみても柳河から
来たとしか分からず、そのまま阿弥陀寺で預かることになった。
そして翌年の10月17日、阿弥陀寺から、柳河の女が寺の前にある古井戸に身を投げて
死んだと連絡があった。庄屋は村の者立会いのもと、淡海の引導で古井戸に葬った。

この「柳河の女」こそ国を失い夫とも別れたァ千代姫であり、身を投げた古井戸に
建てた墓が「ぼたもちさん」のはじまりなのだという。自然の丸石をのせた簡素な
ものだったのだろう。

信憑性うんぬんよりも、あまりに哀れで、本当とは思いたくないァ千代姫の話。
617人間七七四年:2009/09/20(日) 18:50:09 ID:8Ipt9JHP
惨めすぎる・・・
618人間七七四年:2009/09/20(日) 19:27:30 ID:RJ0/YkBg
第一狂う理由が分からんわな
619人間七七四年:2009/09/20(日) 20:50:54 ID:wlEoAWBt
種無しの夫
620人間七七四年:2009/09/20(日) 21:02:55 ID:42jEnipA
荒れそうな話だが、読んだままをかいつまんで書いておく。

文禄・慶長の役。
秀吉は小西行長と加藤清正を朝鮮攻略の先鋒にした。しかし、両者の考えは大きく異なっていた。

小西は「この戦は豊臣のためにも日本のためにもならない。
一刻も早い講和のためには太閤殿下を欺くことになってもやむを得ない」
と考えて講和の活動を行なった。
加藤は小西の活動が秀吉の意思に背くことを察して「殿下の許可もらってんのか、あぁーん?」などとそれを妨害した。
小西は石田三成を通じて清正を召還、謹慎させるが、
おりしも阪神地方に大地震発生、 秀吉の元へ真っ先に駆けつける「地震加藤」の活躍で許されてしまう。
清正の前線復帰を前に小西は朝鮮王朝に密書を送る。
その内容は
『加藤清正がしかじかの日に渡海してくるから、貴水軍で待ち伏せて討ち取ってもらいたい』

朝鮮側では、李舜臣に命令を出したが、李舜臣は「これは敵の罠だ」といって出撃しなかった。
これについては、本当にそう思っていた説、実際罠だった説、朝鮮水軍の戦力では襲撃不可能だがそうは言えなかった説などがある。
ともあれ、朝鮮側の史料にはある、小西行長の悪い話。
621人間七七四年:2009/09/20(日) 21:51:47 ID:khWreYQ6
それは普通罠としか思わんわ

仲悪いって情報あったとしても信じてもらえないレベルw
622人間七七四年:2009/09/20(日) 23:46:57 ID:7E7rnYs9
まーそんな手紙信じんわなw
623人間七七四年:2009/09/20(日) 23:52:43 ID:pDLBeJzP
小西うぜえww
624人間七七四年:2009/09/21(月) 07:27:52 ID:t7Ltkaei
この人もここ何年かでかなり評価が変わった人だよねぇ。
まあ大河ではあいかわらず空気だけど・・・
625人間七七四年:2009/09/21(月) 08:09:48 ID:YkiQik7A
>>620
ちょっとどころじゃない、悪い話だなw
いかな事情があるにせよ味方を売る奴はダメだ
626人間七七四年:2009/09/21(月) 11:29:26 ID:qA77TZvQ
>>615
どこまでも報われない姫だな…
江与は三度目で栄光を手にしたのに、この姫は名前すらわからない有様。
それにしても、嫁ぎ先が例外なく不幸になるなんて疫病神扱い
されなかったんだろうか。
627人間七七四年:2009/09/21(月) 14:29:20 ID:3iRnOSKi
襲撃成功→邪魔者がいなくなって和議成立。
和議をすすめた俺の功績→ウマー(゚Д゚)
襲撃失敗→朝鮮の抵抗能力が下がって制海権確保。
罠にかけた俺の功績→ウマー(゚Д゚)
628人間七七四年:2009/09/21(月) 14:56:38 ID:qEi+G157
器のちいせぇ策だw
629人間七七四年:2009/09/21(月) 15:31:47 ID:EWl6k6OD
>>624
石田三成が逃亡!(ナンジャッチ!?)
小西行長も逃亡!宇喜多勢は総崩れゴワス!
630人間七七四年:2009/09/21(月) 16:16:32 ID:3OOMt630
>>627
同じような話で「行長の配下の者が朝鮮の陣に来て…」という話があるのだが

李舜臣が攻撃を躊躇して更迭され、さらに再度同じような情報を流して
朝鮮水軍をおびき出す事まで含めて小西行長の策だった、というのが朝鮮側の見方だったりする。
631人間七七四年:2009/09/21(月) 16:58:26 ID:TRa2AOai
99の岡村が真似してた小西プロデューサー思い出した
小西ですけど〜ってやつ
632人間七七四年:2009/09/21(月) 17:19:28 ID:DbEQ5oMp
>>630
単に仲間割れしていただけで、たまたまそれが朝鮮側にとっては
計略のように見えただけじゃないかなぁ。
633人間七七四年:2009/09/21(月) 19:58:25 ID:VoIJxwR0
>>632
小西のヤッチャッタぶりは一体どうして処罰されなかったのか不思議な
くらいだし敵から見たらそう思ってもしょうがないんじゃないかなあ
634人間七七四年:2009/09/21(月) 20:56:14 ID:UceDIJMn
文禄・慶長の役は外交のいいかげんさが際立ってるよな・・。

秀吉は天下人になるまで外交力で勝ってきたところが大きいのに
権力を得て軍隊使い放題になってから考え方が変わっちゃったよね。
635人間七七四年:2009/09/21(月) 21:56:54 ID:o5njkFxf
言葉も文化も違うし、今とは違って普段からの公的交流も皆無。
よほどの天才じゃなきゃちゃんとした外交などできまいよ。
636人間七七四年:2009/09/21(月) 23:01:19 ID:T3XchRsj
というか、外交という前提じゃないからな。
秀吉からすれば屈服するかしないかという話でしかない。
まさにラスボス。
637人間七七四年:2009/09/22(火) 00:26:59 ID:2lQOenZ+
秀吉があと10年生きてたらどう落としたんだろうね
638人間七七四年:2009/09/22(火) 00:52:19 ID:buAoYiy9
落とすのは簡単でも、維持する方が大変だわな
639人間七七四年:2009/09/22(火) 01:06:27 ID:urHde5Gf
>>637
慶長の役では全羅道・忠清道・京畿道といった半島南西部の恒久支配が
目的となっていて、それ以上の進撃はしなかったし、明軍は攻勢をかけては
大損害を受けていた状態。たとえ秀吉が10年長く生きたとしても、そんな
状態が10年続いただけじゃない?
640人間七七四年:2009/09/22(火) 01:43:00 ID:szq9qwO1
小西行長って割と重要人物だけどいまいちバッとしないな
641人間七七四年:2009/09/22(火) 02:04:44 ID:bV7nPU5G
重要人物だけど目だった活躍が無い=裏で暗躍or普通に良い奴
642人間七七四年:2009/09/22(火) 02:18:07 ID:urHde5Gf
>>641
いや大活躍したぞ。ただ、その活躍の場が主に朝鮮半島なので…
643人間七七四年:2009/09/22(火) 02:23:52 ID:5rJJC1Nz
>640
処刑されてるし筋金入りのキリシタンだったから
江戸時代にいろいろ記録が消されてるんだろうけど・・。
でも他のキリシタン大名に比べるとパッとせんなぁ。

三成、恵瓊の辞世の句はあって小西だけないのは
キリシタン的な句を残したから消されちゃったんじゃないかって思ってる。
644人間七七四年:2009/09/22(火) 02:51:50 ID:iOs0wJxd
辞世という概念が、自殺禁止のキリスト教徒愛称が悪かったんじゃないの?
645人間七七四年:2009/09/22(火) 08:35:11 ID:u0CBs3mE
656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 10:41:30 ID:0LD2o7bJ
こんなものが!w



戦国の貴公子
  宇喜多秀家☆フェス
 
〜 宇喜☆宇喜フェスティバル 〜

   戦国時代、備前を統一した宇喜多直家。26歳で豊臣政権の五大老に任じられた
 貴公子の秀家。
  岡山市の発展の礎を築いた宇喜多父子について学ぶとともに、戦国武将について、
 おもしろく学び、楽しく語り、そしてわいわい交流する集いを開催します。
      戦国武将が好きな皆さん、「いざ、出陣〜!!」

 ○と き  平成21年11月21日(土) 午後1時から午後4時

 ○ところ  岡山城天守閣前広場(雨の場合は、不明門)
       (岡山市北区丸の内2−3−1)
www.okayama-cci.or.jp/ukita/


宇喜☆宇喜ってw

--------------------------------
岡山県民なにやってるのwww
646人間七七四年:2009/09/22(火) 08:56:43 ID:MV1IzVZe
処刑はむしろOKでは?
教祖も「エリ・エリ・サバクタニ…」と辞世をのこしてるし
647人間七七四年:2009/09/22(火) 09:42:54 ID:8OBTtILl
十字架じゃないと嫌だからねっ
648人間七七四年:2009/09/22(火) 13:54:39 ID:1//VerMQ
思わず吹いたわw
649人間七七四年:2009/09/22(火) 18:16:16 ID:f4sIipAd
「わたしだけの十字架」

唄:チリアーノ
650人間七七四年:2009/09/22(火) 18:22:50 ID:D7ii7gS9
>>645
メジャーなゆるキャラに今ひとつなりきれないウッキー君の活躍の場か
651人間七七四年:2009/09/22(火) 18:40:35 ID:5G4/Xo96
岡山に住んでたことあるが、地元人ですら池田氏以前の岡山城主なんて
ほとんど知らんかったぞ。辛うじて直家の知名度が若干あるぐらいで。
652人間七七四年:2009/09/22(火) 18:48:11 ID:D7ii7gS9
今戦国ブームらしいよ・・ってんで戦国時代の武将で
イベントやってみたんだろうな。地元での認知度が上がるのはけっこう良いんじゃないかと思う。
よく見ると宇喜多フェスじゃなくて宇喜多”秀家”フェスなんだなw
直家フェスじゃ何か剣呑な気がしてしまうからか・・
653人間七七四年:2009/09/22(火) 19:06:37 ID:4xuPMhrT
>>649
特捜最前線乙
654人間七七四年:2009/09/22(火) 19:37:38 ID:KJpjpAPa
>>652
屋台の食べ物とか物陰とか警戒しちゃうよね
腰のものも飾りと見せかけて真剣かもしれないし
655人間七七四年:2009/09/22(火) 19:51:39 ID:K7TH0dkH
本人は八丈島にいるから大丈夫。
656人間七七四年:2009/09/22(火) 19:57:11 ID:1EAV5p2a
八丈島に流されたのは秀家で肝心の直家は岡山市内在住だし、
その秀家でさえそれぐらいの距離は泳いでこれるんだからちっとも大丈夫じゃない。

直家をグアム、秀家をガラパゴスあたりに流せば安心できるのかな。
657人間七七四年:2009/09/22(火) 20:01:34 ID:uKvC7C/F
400年以上前から毒は仕込み済みだから無駄だね
658人間七七四年:2009/09/22(火) 20:17:16 ID:f4sIipAd
カレー事件より凄惨なフェスティバルにやるやも。


うきうきまつり
659人間七七四年:2009/09/22(火) 20:24:53 ID:6lbyemZ6
もう夏休みは終わったというのに不謹慎な…
660人間七七四年:2009/09/22(火) 20:33:40 ID:4m62/O1e
いつものことだろ


ところで屋根の上から物音がするんだが・・・
661人間七七四年:2009/09/22(火) 20:42:05 ID:J0uGzkt+
向かいのマンションの屋上に黒光りする筒が見えますなぁ…
662人間七七四年:2009/09/22(火) 22:23:45 ID:WnG1OqDm
上杉謙信の家臣に、田中太郎兵衛という人がいた。
「田中」で「太郎」で「兵衛」である。この時代でも相当地味な名前ではなかろうか。

ところがこの田中さん、こんな地味な名前に反して、当時の上杉家でもなかなか有名な勇者であり、
謙信から直々に『功眼の者』と言う呼び名を頂いていた。
これは田中が、敵の陣を見てその強弱を見計るのが抜群に上手かった事による。

さて、その田中さんだが、これまた地味な名前と裏腹に、その旗指物も中々派手だった。
曰く

『先手引けば後殿(しんがり)』

「攻めるときは先手を、引くときは殿をやってやるぜ!」と言う、勇者らしい決意表明を
書いたものである。
ところがある時、これを知った上杉謙信、たちまち気分を悪くしてこう評した

「そういう指物の文字は、若者が血気に任せて書くような、誤った物である。
合戦のベテランかつ功眼の士である田中が付けるのに、相応しい物ではない。」

田中太郎兵衛、これを聞き慌てて指物の文字を書き換えた。曰く

『魁殿(さきがけしんがり)は日の宜によるべし』

「先駆けをするのも殿をするのも、その時そのときの状況によります。」というわけだ。
この事を聞いて謙信、たちまち機嫌を直した、とのことである。


田中さん、ちょっと背伸びをして猛々しいことを書いてたら、怒られちゃったでござる、の巻。
663人間七七四年:2009/09/22(火) 22:54:27 ID:4xuPMhrT
>>662
そういう気の利いたところも凡夫ではないな、田中っち
664人間七七四年:2009/09/23(水) 01:11:35 ID:aOrjOXtr
平凡な名前の人間程、努力して非凡な活躍を見せるの典型だな
このスレにいる田中平凡兵衛共は見習うべき
665人間七七四年:2009/09/23(水) 01:53:04 ID:CE6sM3Yv
後の鈴木一郎である。
666人間七七四年:2009/09/23(水) 02:08:52 ID:GG2wYt76
>>643
小西の辞世の句は残ってないが
遺言なら本人の経帷子に書き付けてあったとカルヴァリオ神父が書いてたはずだ
遺書はすげえ鬱文だったな……
あと多分状況から行くと小西は辞世の句を作ってない可能性がある
667人間七七四年:2009/09/23(水) 05:01:55 ID:HHRqApL2
辞世の句って有事に備えて常に一つはストックしておくイメージがあるが、
友人間で見せ合ったりとかしなかったのだろうか。

「昨日すげーイカした辞世の句思いついちゃった。ほらこれ見てみて」
「これちょっときどりすぎじゃね?」
「ばっか、これ位でちょうど良いんだよ。」

みたいな会話があってもおかしくないような気がするんだが。
668人間七七四年:2009/09/23(水) 07:18:59 ID:6iJD075F
>>34
村を全滅させるとか
さすがに水戸はやることが違うな
669人間七七四年:2009/09/23(水) 07:24:12 ID:6iJD075F
ごめんよ
670人間七七四年:2009/09/23(水) 13:00:11 ID:yheDTVVP
>>667
自分の墓や仏壇を自慢しあうご老人たちみたいな感覚だなw
671人間七七四年:2009/09/23(水) 14:47:51 ID:i2pNSddr
どんな悪人でもそれなりに辞世の句は用意してるんだよね
江戸時代の話でごめんだけど、無学な凶賊の類なんかでも
捕まって獄門に送られるときの辞世の句は金積んででも用意してたというし
辞世の句を披露するくらいの自由を許してた為政者というのもなかなか凄いよね
672人間七七四年:2009/09/23(水) 18:03:37 ID:2wx9fGOP
岩積み岩の伝説


九州一帯で、豊後の大友宗麟、備前の竜造寺隆信、
薩摩の島津義久の三勢力が戦いを繰り返していた頃の事。

1538年、竜造寺軍は、島津と友好関係にあった
備前日野江の有馬晴信に攻撃を加えた。
報を聞いた義久はすぐに軍を編成、水俣に人員を集結させる。
指揮を取るのは島津義弘、軍船を従えて袋椀から島原へと向かうという。
この島津軍の中に、河上左京という若武者がいた。
左京はこの戦が始まる少し前に、妻を娶ったばかりであった。

「行ってくる。必ず帰るから…」
「どうぞご無事で・・・」

屋敷で別れを済ませたものの、妻は耐え切れずに夫を追い、
袋湾までやってきた。港から出て行く船を、涙を流しながら見送る妻。
その船が小さくなると、今度は古木島まで漕ぎ出していき、
そこで船の姿を見送った。しかしそれもやがては水平線の彼方へ消えてしまう。

その後も妻はその島から戻らず、石室に篭って
夫の無事と島津軍の勝利を祈って、岩を積み上げ始めた。
夫が無事で手柄を手にして勝利するなら、
自分はどうなっても構わないと思いつめた妻の岩積みは、
幾日もの間、飲まず食わず、眠ることもなく続けられた。
そんな日が続いたある日のこと、とうとう妻は高く積み上げた岩の前で
静かに息を引き取ってしまう。

島原へと渡った島津軍は、1万3千の竜造寺軍を相手に、わずか3千の兵で戦った。
厳しい戦いだったが、島津軍は沖田畷の地で竜造寺隆信を討ち取って見事勝利。
勝利に貢献した左京の船も、佐敷の港に凱旋することになった。
しかし、そんな喜び勇んで帰りついた左京の元に届いたのは、悲しい妻の死の知らせ。

勝利の喜びから一転、悲しみに突き落とされた左京は涙を流し、古木島へと渡る。
そこで妻が自分を思いながら積んだ岩を見つけ、それを抱きしめて嗚咽したという。

それからこの岩は「妻恋岩」と呼ばれ、古木島もいつからか
「恋路島」の別名で呼ばれるようになったという。


古木島は熊本県水俣市、百間港の沖にあり、
この伝説から別名「恋路島」の名で呼ばれる。
この島の西がわに、石の積み重なったような「妻恋岩」が残っている。
673人間七七四年:2009/09/23(水) 18:08:48 ID:fDfEuOMI
1538年っすか
674人間七七四年:2009/09/23(水) 18:12:03 ID:iCXyEeQQ
沖田畷で龍造寺隆信を討ち取った川上左京亮忠堅(当時27歳)とは別人なのかな。
どちらにしても悲しい話だね…
675672:2009/09/23(水) 18:13:30 ID:2wx9fGOP
>>673
うお。ソース元からそのまま書いちゃったけど
天正12年だそうだから1584年かな?すんまそん
676人間七七四年:2009/09/23(水) 20:07:53 ID:06zmtmvW
>>672
備前日野江 → 肥前日野江
じゃないかな?
677人間七七四年:2009/09/23(水) 20:39:51 ID:jQjk6dsC
妻の腐乱死体・・・
678人間七七四年:2009/09/23(水) 21:17:33 ID:rax1UNsx
夜に到着して、石を積み上げた粗末な家の中に入ると、美しいままの妻が待ち構えているのですね
679人間七七四年:2009/09/23(水) 21:24:44 ID:BOdfEtPH
うーむ
680672:2009/09/23(水) 21:27:55 ID:2wx9fGOP
>>676
そのとおりですスイマセン。きづかなんだ・・・
そして決定的にタイトルが
○岩積み妻の伝説
×岩積み岩の伝説
森さんにヒャッハーされてくる・・・・・orz
681人間七七四年:2009/09/23(水) 23:34:44 ID:Q2LnCdbM
森さんにヒャッハーされるのは定番過ぎて芸がないので、三斎様の庭を覗いて下さい。
682人間七七四年:2009/09/23(水) 23:41:29 ID:I7Lqq7oa
>>645のうきうきフェスティバルで酒を振舞われたり茶を振舞われてくるのもよろしいのでは
683人間七七四年:2009/09/23(水) 23:50:37 ID:/3viPALP
毛利元就の姪の5番目の旦那になるってのはどうだ?
684人間七七四年:2009/09/24(木) 00:00:45 ID:v7EU8EmK
TERUお気に入りの美少女を娶られてはどうでしょうか
685人間七七四年:2009/09/24(木) 00:02:59 ID:dBR9xyWK
しかしつくづく思うがこのスレの住人のネタ振りは、ものすごいレベルに行ってるなあ。
中世史学選考している大学生でも、とっさにそんな反応出ないぞw
686人間七七四年:2009/09/24(木) 05:55:59 ID:JynSuhxS
久しぶりに文化財クラッシャーな話

仙台の北は大和町という所に「七つ森」という場所があり
名の通りに七つの山が綺麗に並び、仙台から現在も眺めることができる

ある時、政宗が七つ森に巻狩りに来たが、一向に獲物が獲れなかった

( #●Д゚)「・・・・・」

イライラしつつも、最後に他の山々から少し離れた位置にある最高峰の笹倉山にやってきた

( ●Д゚)「終わりよければ何とやら…ってな」

だが・・・・




( #●Д゚)「・・・・・・・・・・・・・・・・」

ここでも一向に獲物が現れない
ついに山頂まで登りきってしまい、そこらを見渡すと杉林の中に何かを見つけた

近づくと穏やかな顔の真っ黒な仏像が鎮座していた

( #●Д゚)「おい、あれは誰が祀った物だ?」

小十郎が答える

( ´ー`)「あれは、昔この地の豪族八巻氏が祀った薬師如来と聞いています」

( #●Д゚)「フーン・・・この野郎、よくも狩りの邪魔をしやがったなゴルァ!」

眺めるうちに、仏像の穏やかな顔が不猟を嘲笑っているように思えたのか、
鉄砲で仏像を撃ち抜き、真っ二つにしてしまった

( ●Д゚)「フッ・・・また詰らぬもn・・・痛ッ!」

その時、突然に政宗は何者かに鼻筋を打ち据えられて、血が止まらなくなった

( ;´ー`)「と、殿!」

慌てた小十郎は仏像の足元に生えていた笹の葉で鼻を押さえると、途端に血は止まったという

( ;●Д゚)「・・・・・?」

政宗は両手を合わせて如来に詫び、割れた仏像を包帯で巻いて一つにした
この包帯巻きの仏像は現在でも山頂の薬師堂に安置されている

他にも、里の者が参拝しやすいように笹倉山を一周する道を造り、伊達林道として今も残る

どうせなら新しい仏像を祀って差し上げれば…と思う文化財クラッシャーな悪い話


笹倉山に登った後に、この逸話を見つけてしまった…
薬師堂の裏に政宗公の御覧場の標柱をあったらしいし、御開帳の時にまた行くか

687人間七七四年:2009/09/24(木) 06:07:09 ID:cLVH4A76
仏像を撃つとかDQNすぎるだろw
688人間七七四年:2009/09/24(木) 06:19:38 ID:nj5WQ+95
これはもうざまぁという感情しか浮かんでこねぇw
689人間七七四年:2009/09/24(木) 09:28:46 ID:qM8DXRtP
親父や味方以外にも犠牲者はいるわけね
690人間七七四年:2009/09/24(木) 09:42:10 ID:B3rI6PVW
さすが四天王の名に恥じぬDQNw
だが最近ラスボスとかのおかげで、この程度なら、ち ょ っ と 悪い話だと
思ってしまう自分は、このスレに慣れすぎているorz
691人間七七四年:2009/09/24(木) 11:10:54 ID:a/TfLvt2
まあ現代人からすれば人を殺す話より後味は悪くないわな。
692人間七七四年:2009/09/24(木) 11:15:24 ID:ynw6rBQL
奈良の大仏焼いて爆死するハメになった人もおられたから
仏罰ってのは仏像の大きさに比例するのかもね
693人間七七四年:2009/09/24(木) 12:21:02 ID:14vtlrSS
694人間七七四年:2009/09/24(木) 13:54:10 ID:hUIm5xEX
>>693
それどんだけ昔の話だよ
それで報いがあるんならとっくにタリバンなんざ米軍に殲滅されてるよ
695人間七七四年:2009/09/24(木) 14:34:36 ID:aqo2+uLU
>>694
東大寺の大仏が焼けたのが1567年
松永さんがあぼ〜んしたのが1577年

タリバンがバーミヤンの大仏を破壊したのが2001年
ということは・・・
696人間七七四年:2009/09/24(木) 14:46:36 ID:9YhtJ1No
仏の力って遅効性なのかよ
697人間七七四年:2009/09/24(木) 14:56:16 ID:rsE9ABFD
大きさに比例して罰が下るのも遅くなりますw
698人間七七四年:2009/09/24(木) 15:59:49 ID:LCJBCqrX
それ150年後とかに全然関係ない子孫が巻き込まれたりしたら悲劇じゃないか。
699人間七七四年:2009/09/24(木) 16:02:11 ID:qkjuJk9L
祟りってのは子々孫々まで続くのがセオリーですから
700人間七七四年:2009/09/24(木) 16:48:53 ID:QEw2sfsH
2011年のアフガニスタンにご期待下さい。



・・・しかし、アフガン情勢が混迷を究めている中笑えないネタだ・・・
701人間七七四年:2009/09/24(木) 17:06:09 ID:94ALnD7q
豊臣秀次を介錯した雀部重政は武勇で知られる人物だったが、
さすがに介錯の時は感極まったのか二回失敗している。
最初は下過ぎて肩甲骨のあたりに打ち込み、二度目は上過ぎて空を切った。
秀次にも「落ち着け」と励まされつつ三度目にようやく成功し、
直後「私の手並みを御覧あれ」と言って切腹し果てた。

元ネタが20年位前に見た本のうろ覚えなので適当で申し訳ない
他にも利休の切腹の様子とか、刃物が怖かったので腹壊して切った事にした男の話とか
あったんだけどもう完全にあやふやで書けません
702人間七七四年:2009/09/24(木) 17:14:06 ID:94ALnD7q
まあ、「すぐ来てやるからな」と言いつつ二千年近く立ってる人?もいることですし。
703人間七七四年:2009/09/24(木) 18:39:24 ID:IveNN7UH
>>701
わざと失敗して、死ぬ前の責め苦を増大させただけじゃないのかw
704人間七七四年:2009/09/24(木) 18:44:31 ID:7fpxwkQc
そういや北条氏規は氏政と氏照の介錯役やってるが
手元が狂ったりしなかったのかね
失敗したら余計に苦しいとわかっていても
実の兄貴二人の首を落とさにゃならんとか
俺だったら多分頭がおかしくなる
705人間七七四年:2009/09/24(木) 18:50:29 ID:weW5bWhP
仲の良い兄貴だからこそ自分がって気持ちもあるんじゃないかな。
706人間七七四年:2009/09/24(木) 18:52:31 ID:dU2sdfLO
市松、マジでビビるの巻

ある日、市松が館に戻った時のことである・・・
市松「今帰っt(ry」

  「 キェェェェェェェェェイ!!! 」

市松「ギャー!!」
なんと、市松の妻が突如として薙刀で斬りかかって来たのである。
妻「また、あの女の所に・・・絶対に許してなるものか!!」
そう、原因は嫉妬である。
予期せぬ襲撃に市松は慌てふためいて、表の玄関を飛び出す勢いで逃げ出し、難を逃れた。

その後、近習達に
市松「オレはガキの頃から今まで、百度戦をして一度たりとも敵に背中を見せた事は無かったが、今回ばかりは無理。
    女の嫉妬ってのはマジこえーよ・・・」
と笑いもせず、真顔で愚痴ったそうな。
707人間七七四年:2009/09/24(木) 18:56:56 ID:fFGAs0TY
市松さんはおんと5人目の四天王だよな。
708人間七七四年:2009/09/24(木) 19:38:55 ID:K2pSn0ts
越後国本庄の領主、村上頼勝の家臣に相部次郎右衛門と言う者がいた。
この男、武士としてよりも、何故か幻術の達人として有名であった。

ある夜、この次郎右衛門の自宅に、悪友2,3人が集まり軒端で色々と物語などしていた折、
この次郎右衛門ふと空を見上げ、ぽつりと言った。

「今夜は見事な銀河が見られるな。あの銀河に泳ぐ鮎を食いたいものだ。」

友人達はこれを面白がり、

「そんな事、どうやってするというのだ」

と、げらげら笑った。しかし次郎右衛門

「よろしい、では今宵のもてなしに、銀河の鮎を獲ってくるとしよう。」

そう言うと下僕を呼び、細引縄を幾筋も持ってこさせ、その縄をみな結びつけると
庭に降り、繋ぎ合わせた細引縄の端を取って空に向かって投げ上げた。

するとその縄、不思議なことに竿のように立ち、どんどんと空へ上っていった。
次郎右衛門はその縄の末に取り付き、共に空へと上がった。

友人たちは、あまりに奇異の事に驚いて空を見上げたが、空高くに上にあがったせいか
次郎右衛門の姿も良く見えなかった。

そのうちしばらくするとだんだんと降りてきて、その姿がわかるほどになった。
そして地上に降りると、袂から、生きた見事な鮎を2,30も取り出し。これを料理して友人達に
饗応した。

このような不思議なことが度々あったので、主君、村上頼勝も「彼の幻術を見物したい」と、
次郎右衛門を御前に呼び出した。

そこで次郎右衛門、「失礼いたす」と立ち上がり、鼻紙を取り出すとそれを裂き、
大豆ほどの大きさにしたものを柱に貼り付けて、また元の座に戻った。

しかし何が起きるというわけでもなく、頼勝はじめこの座にいた者達も、「なあんだ」と
少々残念な面持ち。

ところがしばらくして、柱に貼った鼻紙から、少しばかり水が染み出していることに
皆が気づいた。

村上頼勝をはじめ近習の者達、「何事か仕掛けやあらん」と、目を離さずそれを見つめていたが、
徐々に鼻紙より出る水量は増え、しまいには滝のように噴出し、その座はことごとく水に浸かった。

頼勝もこれにはたまらず叫ぶ

「もうよい!術を止めよ!」

即座に次郎右衛門すくりと座を立ち、柱の鼻紙をはがすとその瞬間、水は消え去った。
その座も、元の乾いたままであった、とのことである。


主君も狼狽させた、相部次郎右衛門の幻術、のお話。
709人間七七四年:2009/09/24(木) 19:42:21 ID:uNaz+m7Z
>>706
ごめん、ちょっと和んだw
やっぱり市松いいなー。
人間臭い、飾らないカッコ悪さみたいなもんがあるよな。
710人間七七四年:2009/09/24(木) 19:57:40 ID:selr+qMJ
>>694-696
戦国とは全然関係ないがこんなジョークがあったのを思い出した

1904年の日露戦争の際に、ロシア正教会は全教会をあげて
日本に天罰を 下すように神に祈りをささげた。
結局なにも天罰は降りず、ロシアは負けた。
20年後、日本で関東大震災が発生。
ロシアの物理学者カピッツァはこの事実から
「神はわれわれから9光年以内にいる」と結論を下したという。

もしかすると仏のおわすところも5光年ぐらい離れてるのかもしれません
711人間七七四年:2009/09/24(木) 20:37:08 ID:IveNN7UH
>>706

S田N之「…………」
712人間七七四年:2009/09/24(木) 20:55:37 ID:jzesO//f
お兄ちゃん・・・・・・
713人間七七四年:2009/09/24(木) 21:55:05 ID:zVgG2Htl
>>708
普通の家中の士なんだよな・・次郎右衛門
本物の幻術使い顔負けの術はどこで仕込んだのやら
714人間七七四年:2009/09/24(木) 21:56:21 ID:R+1dhuZw
中の人が果心居士だったんじゃねえの?
715人間七七四年:2009/09/24(木) 21:58:15 ID:6/1CRhkc
織田家の人間が厠で用を足していたときのことだ。

「コラ!なにをするんだ!」

下の方から声が聞こえた。驚いて見てみると男がいる。

「下に俺がいるのになんてことをする!」

「す、すまない。ところでお前は誰だ?」

「俺か。俺は木下藤吉郎ってんだ。覚えとけm9っ・`ω・´)
二度とこんな真似するんじゃねぇぞ!」

なぜこんなことをしていたかというと、まだまだ無名だった
秀吉はこのようにして自分の名を売り込んだのである。
秀吉の目論見通り、厠の男として藤吉郎の名は家中に
広まったという。

迷惑な話つうことで、こっちでいいよね?
716人間七七四年:2009/09/24(木) 22:03:16 ID:R+1dhuZw
なんかラスボスだと、のぞきでもしていたんじゃないかと思ってしまうのはオレだけか?
717人間七七四年:2009/09/24(木) 22:06:31 ID:kepJUoFU
ラスボス「男の用足しなぞ見たくもないわ」
718人間七七四年:2009/09/24(木) 22:09:25 ID:RDeq0v8R
>>715
その逸話って山岡センセの創作だと思ってた。
719人間七七四年:2009/09/24(木) 22:30:45 ID:9XaYBcJ+
朝鮮王朝実録にも、秀吉が便所掃除で信長の覚えを良くして出世したという記事があるよ
あんまり国内の秀吉の伝記には載ってない事績(創作?)だから、
山岡先生ももしかしたらそれを参考にしたのかもね
720人間七七四年:2009/09/24(木) 22:49:34 ID:RDeq0v8R
>>719
ソースd。
小説では屋敷の生け垣で信長が小便してたら、そこに(わざと)寝ていた藤吉郎に直撃したって
書いてたな。
721人間七七四年:2009/09/24(木) 22:50:41 ID:PYAi3yWe
厠真人厠男
722人間七七四年:2009/09/24(木) 23:12:27 ID:IveNN7UH
>>715
なるほど…
腐れ禿鼠に黄金ネタ"茶室やら小判配りやら"が多いのは、このときの黄金水の味が…

おや、こんな時間にry
723人間七七四年:2009/09/25(金) 00:00:51 ID:VtY3F8Dz
DQNは夜中に人んち尋ねてくるんだよな
724人間七七四年:2009/09/25(金) 00:10:38 ID:gxaSKv4h
下の方から声が聞こえた。驚いて見てみると男がいる。

「下に俺がいるのになんてことをする!」

「す、すまない。ところでお前は誰だ?」

「俺か。俺は木下藤吉郎ってんだ。
ところで君には美しい姉か妹か娘はいるかね?」
725人間七七四年:2009/09/25(金) 00:22:50 ID:rV1ivUqC
>>715
下ってどこだ。
便層の中にいたのか?
726人間七七四年:2009/09/25(金) 00:37:36 ID:2Jy9Dl9C
実際の秀吉の若い頃は謎だよな。
727人間七七四年:2009/09/25(金) 00:43:49 ID:/ygCHzo/
隠れたトイレが現代の学校だったらそのまま学校の怪談と化していたな。

 夕方に一番奥の個室に入ると便器から男の人の声で「コラァ!」と怒鳴られることがあります。
 その人の名前は藤吉郎というのですが、「俺の名前を知っているか?」と聞かれたら「誰だ?」と答えてください。
 「知っている」と答えると便器の中から手が出てきて、下水管に引きずり込まれてしまいます。

みたいに尾ひれついて。
728715:2009/09/25(金) 01:06:59 ID:X+DB5Lyy
>>725
高い所から落とすような厠で、人が乗る台の下に忍び込んだってさ。
それとこれは名将言行録の逸話らしい。
729人間七七四年:2009/09/25(金) 01:21:35 ID:p0qElZ77
それ絶対覗く気満々だろw
730人間七七四年:2009/09/25(金) 01:29:57 ID:8zq1H2WC
つうか絵本太閤記の蜂須賀小六との出会いとそっくりだな
小身出身でコネのない秀吉が有力者と顔をつなぐためには
それくらいやったかもね、って感じのエピソード
731人間七七四年:2009/09/25(金) 01:44:10 ID:lak4bpEf
トイレの中にも秀吉
生垣の下にも秀吉
むしろをめくったら秀吉

もうその辺の石の下にもいるんじゃないかって言うくらい
どこにでもいるな秀吉
732人間七七四年:2009/09/25(金) 01:51:57 ID:qZTR0OsD
一人見つけたら 30人いるな 間違いない
733人間七七四年:2009/09/25(金) 06:56:30 ID:dRcIHklP
その後、>>731>>732と自宅は突如現れた人造湖の藻屑と化した。

「浮世をば 今こそ渡れ ラスボスの 名を戦国の スレに残して」
734人間七七四年:2009/09/25(金) 08:08:58 ID:716vE6l1
>>731は船上で切腹
>>732泳いで本陣に攻め入った!
735人間七七四年:2009/09/25(金) 08:34:37 ID:4UL7U52T
いつもあなたを見ています

          羽 柴 秀 吉
736人間七七四年:2009/09/25(金) 09:39:18 ID:hLJplzR/
>>708
これは面白いな。縄上りの奇術はインド発生で、中国まで伝わったとされるけど、日本にも伝わってたんだな。
737人間七七四年:2009/09/25(金) 10:18:15 ID:Jx4SFVFT
ubiquitous秀吉
738人間七七四年:2009/09/25(金) 12:47:47 ID:N6Dvd2Le
>>737
シュレーディンガーの禿鼠的存在…

懐で草履をあたためているかと思えば便所にありおり侍りいまそかり、
金ヶ崎の殿軍を張ったと思えば手取川からフケる…
果ては備中高松城を囲んでいるかと思えば山崎に大返ししてるんだぜー
739人間七七四年:2009/09/25(金) 12:56:06 ID:hAg1oxPF
聊斎志異にも縄登りの奇術の話が出て来るから遅くても明末清初には中国に伝わってるのは確実。
戦国時代の日本に伝わっててもおかしくないな。
740人間七七四年:2009/09/25(金) 13:00:25 ID:RdPG4WNK
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/de/Osaka_U-no-toshi-zu.jpg

┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃    図  年  卯  坂  大    ┃
┗━━━━━━━━━━━━━┛

     災_‖
     ソ )二)   ,,,,,,     ま
    /( (  )`ヽ″.(    さ
   ノ>( ハ三メ  入_>   む
  ;,// ) ‐‐/入 ヾ    ね
     ~’   ~’ ~’
741人間七七四年:2009/09/25(金) 13:08:55 ID:Ebqi6SP2
>>740
うおーすげー
どこから持ってきたんだ?
742人間七七四年:2009/09/25(金) 13:14:36 ID:RdPG4WNK
よくわかんないけど英語Wikipeの大阪の役に貼ってあったよ。
記事曰く最古の瓦版らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Siege_of_Osaka
743人間七七四年:2009/09/25(金) 14:27:34 ID:T489/zDC
さてさて、>>708で主君村上頼勝をも狼狽させた、幻術師相部次郎右衛門。
狼狽させたほうは大成功だろうが、狼狽した頼勝のほうは、彼のことを非常に不安に思った。

頼勝は家老を呼び、その不安を語る

「次郎右衛門の幻術、あれはあまりに怪しすぎる。
あの男をこのままわが家に抱えては、世の中に至らぬ噂を振りまくだけでなく、
下手をすれば最近ご禁制となった、切支丹の類とすら見られるのではないだろうか?

だからと言って暇を出しても、その後何か騒ぎを起こされて、わが家がそれに
巻き込まれぬとも限らない。

よって、大変不憫なことではあるが、無益な術を身に付けた事、不肖であるとして、
次郎右衛門に切腹を申しつけよ!」


家老の面々は、頼勝の決心を変えることは無理だと考え、次郎右衛門の元に検使を派遣し、
その旨を伝えた。
しかるに次郎右衛門は、「それではしかたがありません」と、抗弁すらなくあっさりと承諾。
かねて懇意にしている寺に行き、そこで切腹するとした。

腹を切る前、次郎右衛門はその寺の住職に

「私が切腹した後は、その遺体を長持の中に納め、それを鎖で巻いて、埋葬していただきたい。」

そう言い置き、腹を真一文字に切る。
そこを介錯人が首を打ち落とすと、彼の遺言の通りに埋葬した。

そこまで見届けた検使が城へと帰り、報告を行っていると、そこに家老宛の書状が届いた。

「あ、相部次郎右衛門からです!」
「なんじゃと!?」

さっそく書状を開くと、そこにはこうあった

『それがし、何の罪も無く死罪に会うことになったようなので、ただいま城下を出て、
どこそこまで退いたところであります。』

一同大いに驚き、検使は大急ぎであの寺に帰って死体を入れた長持を掘り出した。
その蓋を開けてみれば、中には腹を切った、巨大な狸が入っていたそうだ。

これは後に美濃の加納家に仕えた次郎右衛門のかつての同僚が、語ったことだそうである。
744人間七七四年:2009/09/25(金) 15:53:15 ID:lsujLIsc
戦国イリュージョニスト現る
745人間七七四年:2009/09/25(金) 17:16:55 ID:8Xun/+mH
松永さん「妖術ぐらいで狼狽するなんて情けねーw」
746人間七七四年:2009/09/25(金) 17:22:11 ID:GCY73Ivv
もちろん腹切ったタヌキは家中でおいしくいただきますた
747人間七七四年:2009/09/25(金) 17:24:27 ID:ocoDKqOi
タヌキといえば化かすものというのが日本人の共通認識だが、
化かすための道具として腹を切らされたタヌキがいるなんて不憫すぎる
748人間七七四年:2009/09/25(金) 18:07:22 ID:cJmuv4Ow
動物愛護側からすると、かなり悪い話
749人間七七四年:2009/09/25(金) 18:08:44 ID:WD3XCd6a
タヌキっていっても家康のほうでしょ?
750人間七七四年:2009/09/25(金) 18:13:33 ID:pv8zzC7d
「ばかも〜ん!そいつが次郎右衛門だ〜!」
751人間七七四年:2009/09/25(金) 19:34:39 ID:+8kOTPuM
そういや今俺たちが一般的にタヌキと聞いて思い浮かべる獣と
童謡なんかに登場するタヌキ鍋に用いられるタヌキは別の生き物らしいね
童謡とかで鍋にされているのはアナグマの類で脂身が少なくてまあまあの味で
現在一般的なタヌキって言われる獣は煮ても焼いても食えない位不味いんだそうな
アナグマとタヌキは地域や時代によって呼び方や種別が混在しててまぎらわしいということらしい
752人間七七四年:2009/09/25(金) 20:46:51 ID:tj/WCdUM
タヌキムジーナ事件ってのもあったな。
753人間七七四年:2009/09/25(金) 20:49:08 ID:Vwz80bEc
左慈とか于吉みたいに術を使う奴を殺そうとすると碌な結果にならんな
754人間七七四年:2009/09/25(金) 22:03:36 ID:uox+CSPH
>>743
わざわざ長持を鎖で巻いて脱出困難にするとか本気で奇術師じゃねーかw
755人間七七四年:2009/09/25(金) 22:07:21 ID:3cVhZO/0
>>754
完全にショーの構えだよねw
756人間七七四年:2009/09/25(金) 22:39:56 ID:Of+vPYs+
律儀に巻いちゃう介錯人&住職も相当なもんだな。

何の疑問も持たずに巻き巻きしちゃったのか。
757人間七七四年:2009/09/25(金) 23:29:18 ID:leGLu6Rn
当時の人間にしてみたら棺桶(みたいなもの)を何で鎖で縛るのか不思議だったろうな
758人間七七四年:2009/09/26(土) 00:10:30 ID:DfgjsB5V
いい話スレで遠州錯乱の話題が出たので

父義元が死んだ後今川氏真は徳川家康と三河を巡って争っていたのだがちょうどその時
西三河で一向一揆が起こり、松平家は家臣が二手に分かれて争う事態になっていた。
それを聞いた氏真、それに乗じて松平家を滅ぼせ…なかった。
駿河と三河の間の国遠江で家臣の反乱が相次いだのだ。

まず井伊谷の井伊直親が松平家に通じた疑いで朝比奈泰朝に殺されたのを初めとして
見附端城の堀越氏延、二股城の松井氏、犬居城の天野氏、引馬城の飯尾連竜が相次いで反乱を起こしたのだ。
後に遠州忩劇とも呼ばれるこの事件は永禄五年(1562)から永禄八年まで続き、
最終的に飯尾連竜が再度家康に通じたとして駿府城で誅殺されるまで続いたのである。

この乱によって今川家は西三河に侵攻するどころか東三河を家康に完全に掌握され
残った遠江の諸将からも反感を買い、国力の弱体化を内外に示すこととなったのである。

その後氏真は領国の立て直しを図るべく検地や楽市などを実施するのであるが時すでに遅し、
信玄に完全に目をつけられており武田・徳川連合軍に攻められた挙げ句遠州掛川城から
小田原へと落ち延びるのはそのわずか3年後のことである。
759人間七七四年:2009/09/26(土) 00:24:50 ID:K7WjWcUv
その逸話、杉浦日向子が漫画にしてるよな
すごい好きな話なんだ
760人間七七四年:2009/09/26(土) 00:27:06 ID:DfgjsB5V
>>759
kwsk
761人間七七四年:2009/09/26(土) 01:40:45 ID:N9Bp3lgc
狐狸の肉はコリコリしてて不味い
762人間七七四年:2009/09/26(土) 02:53:01 ID:K7WjWcUv
>>708>>743の幻術師の話なんだけど、
杉浦日向子が「鏡斎まいる」っていうシリーズで漫画にしてる
たぶん元の話は同じなんだと思う
763人間七七四年:2009/09/26(土) 03:01:15 ID:wbSQVBPq
>>752
たぬき・むじな事件を知ってるとは、おまい法学部出だろw
そういや、つい最近も猿と間違えて人を撃った事件がニュースになってたな

>>761
そうなのかー
狸汁って上手いのかと思ってたw
764人間七七四年:2009/09/26(土) 10:30:50 ID:o891p1id
>>761が食べたのは狸汁じゃなくて婆j(ry
765人間七七四年:2009/09/26(土) 10:52:15 ID:osIjiSi5
(((( ;゚Д゚)))ヒー
766人間七七四年:2009/09/26(土) 12:39:04 ID:i8CzEZPr
>>761
狸は昔はどうかわからんが、今喰おうとすると雑食だから臭くて大変だぞ。
767人間七七四年:2009/09/26(土) 13:51:58 ID:yljqxwUU
あく抜きが大変らしいが、タヌキは珍味の一種。
話のタネに一度くらいは、食べてもよいと考える。
768人間七七四年:2009/09/26(土) 14:00:09 ID:yljqxwUU
タヌキの調理法として、「たぬき汁」がよく知られているが、ここでもタヌキとアナグマとの
混同が問題となる。
タヌキの肉は非常に獣臭いため、そのままではとても食べられたものではない。
臭みを消すためには、肉を稲ワラで包んで1週間ほど土中に埋め、さらに掘り出した肉を2時間
ほど流水にさらす必要がある。古い文献でも、酒で煮たりショウガやニンニクを多用するなど
臭みを抜く調理法が見られる。たぬき汁は臭みを消すため、味噌味にすることが多い。
(参考: 『あやしい探検隊焚火発見伝』 椎名誠、林政明 共著)

769人間七七四年:2009/09/26(土) 14:08:30 ID:Z0vxuqe5
今日は鬼武蔵が主役を勤める鬼っ子夢祭りがあるそうだけど近くにいるスレ住民の方は行ってるのかな
770人間七七四年:2009/09/26(土) 15:03:15 ID:opgZPqmz
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-918.htmlでも触れられていた
南部さんちのお家騒動の話

南部信直は養父に命を狙われ、実父を津軽で失い、何かと家族に恵まれない男だった。
しかし彼には親子ほど年の離れた頼れる家臣がいた。
名前が読めないことで有名な北信愛である。

信直は12歳のとき従兄弟の三戸城主・南部晴政の婿養子になったが、
その後晴政に実子が生まれたために命を狙われ、自宅(田子館)にも帰れない有様だった。
一門の北信愛は当時まだ晴政の家臣だったが、信直の器量を憐れみ、
彼を自分の城である剣吉城に匿い、晴政による数度の城攻めを耐え続けた。

そんなこんなの内に、晴政と男子が急死してしまう。
空いた三戸城主のポストをめぐって、晴政の娘婿やら一門の実力者やら様々な候補が出る。
衆議の席は揉めに揉めた。
皆が真剣な顔で話し合っているなか、突然北信愛が声を上げて笑い出した。

北「(´_ゝ`)クッククク・・(´∀`)フハハハ・・( ゚∀゚ )ハァーハッハッ!!」
一族「北殿、どうしたの!?」
北「咲かすべき論に勝ちたり!」

北は大笑しながら座敷を出た。そこには鉄砲を持った大量の兵たちが控えていた!

一族「Σ(゚д゚;)!?」
北「三戸城主になる御方はと っ く に 決 ま っ て ん だ よ !!」

要するにクーデターである。北は兵に命じ、田子に信直を迎えに行かせた。
第26代当主南部信直はこうして誕生したのである。

まあこれだけ強引な家督相続をしたので、当然の如く家中は反発の嵐となった。
信直と信愛はこの後も様々な困難に見舞われたが、ガッチリ信頼で結ばれた彼らは
二人三脚で南部家の地盤固めに尽力した。
南部の知将北信愛の、ちょっとアグレッシブなお話。
771人間七七四年:2009/09/26(土) 15:05:56 ID:fZwsP12o
>>761
ふむ、首が重うてそなたの肩がコリコリしておるのう…

わしの大刀を呉れてやる首から上に暇をやるがよい ヒャッハー!!
772人間七七四年:2009/09/26(土) 15:38:34 ID:r+1ra3R9
いい話スレで食べ物が賑わっているようなのでこっちにも


千葉県市原市には戦国時代から伝わるとされる話に、とうもろこしが登場します。

里見家に仕える多賀氏の池和田城が、小田原北条家に攻められ落城しました。
城主の姫は城から落ち延びますが、逃げた先にはとうもろこし畑があり、
風でとうもろこしの葉が音を立てると、敵の追っ手と勘違いした姫は自害してしまいました。

それ以来、池和田城周辺の人々は姫の死を悲しみ、落城から400年以上経った現在に至るまでとうもろこしの栽培をしないということです。

つまり戦国期には、すでにとうもろこしは日本で栽培されていた事になります。
まぁとうもろこしは連作障害が酷いので勝手に廃れた、というあたりでしょうか。
773人間七七四年:2009/09/26(土) 16:27:54 ID:lrF/GiKy
>>772
土地がやせる割には食うところが少ないからな。
北朝鮮でも目先の収穫にとらわれてとうもろこし栽培
奨励して、益々土地がやせていったそうだ。

あとたぬき汁だが、精進料理でこんにゃくの汁料理のことを指したりする。
元禄時代にとある高僧が江戸城でたぬき汁を所望したところ
生類憐みの令の最中のこととて調理場は「どうする?」と騒動に。
調理人「どう料理するのですか?」
高僧「(こんにゃくを)ちぎって茹でて…」
調理人「!?」
再び調理場でどうすると話し合った結果
「生類憐みの令に反するのでお出しできない」
と断ったそうだ。
774人間七七四年:2009/09/26(土) 18:23:11 ID:RLz/O99V
>>769
行くわけ無いだろ、スレ住民が・・・
775人間七七四年:2009/09/26(土) 18:29:53 ID:wbSQVBPq
食生活・食文化の変遷も通史的に見たら面白いんだろうなー
大名クラスだと、江戸より戦国の方が制限なく美味いもの食べてそうだな(鮭ネタ除くw)
776人間七七四年:2009/09/26(土) 20:35:14 ID:5rJcFFcc
ところがどっこい、戦国時代あたりから廃れてしまった食べ物もある。

乳製品は奈良時代あたりに貴族たちのクスリとしてもたらされ、
転じて貴族間での珍味として珍重されていた。
しかし戦国時代の頃に仏教思想によって「牛の乳を奪って飲むのは殺生に当たる」
と言う解釈がされるようになったことで、日本人が乳製品を口にする機会は少なくなったんだとか。

こっからはスレ違いだが、幕末にはそういった風習も廃れたのか
水戸藩から仙台藩に搾乳係つきで乳牛が送られている。
ただし「牛乳を飲むと牛になる」という迷信も根強く信じられていたらしく、
毒見役の女中たちはそれこそ命懸けだったらしい。
777人間七七四年:2009/09/26(土) 20:51:14 ID:gKTVgodM
そういえば日本の歴史上、室町〜戦国時代が、一番肉を食わなかったそうだ。
778人間七七四年:2009/09/26(土) 20:54:42 ID:kkHK9cmU
戦国の少しまえから正油とかが文献に登場するんだよね

蜜柑もこのころから栽培に成功して顕如が信長にプレゼントしてたよね
779人間七七四年:2009/09/26(土) 20:59:31 ID:wbSQVBPq
仏教思想で牛乳飲まなくなったというのはおもしろいな

蘇(チーズもどき)とか昔は食べてたんだよなー
780人間七七四年:2009/09/26(土) 21:08:44 ID:JArKoKE0
「醍醐味」の醍醐(チーズやヨーグルトみたいな乳製品)もそうだな
781人間七七四年:2009/09/26(土) 21:14:41 ID:WmJAprxm
幕末に外国人が牛乳を求めたが日本人に
「牛乳は小牛に与えるべきものであって人が手を出して良いものではない」
とか言われて結局飲めなかったって事があったらしい
しかし殺生の面からタブーだったのか…
殺生に厳しいジャイナ教は乳製品有りなのに
782人間七七四年:2009/09/26(土) 21:20:04 ID:MEC4N8KI
たしかに牛乳飲むってよく考えたら相当野蛮だな
783人間七七四年:2009/09/26(土) 21:22:46 ID:3lw4dGl+
>小牛に与えるべきものであって人が手を出して良いものではない

まぁ・・・ごもっともでw
784人間七七四年:2009/09/26(土) 21:30:30 ID:EmccWD8N
しかし、そんな当時の牛肉食・牛乳摂取のタブーへ真っ向から
挑戦したのが…――さっきちょっと良い話スレで書いてきたが
ラスボスこと豊臣秀吉なんだよなぁ…(汗。
牛肉も普通に食ってたし、牛乳も飲んでいたらしい。

やっぱりラスボスは締まらないなぁ…。
785人間七七四年:2009/09/26(土) 21:33:59 ID:f/rs55te
吉宗なんてその牛乳をバイアグラ代わりにしていたというのに
786人間七七四年:2009/09/26(土) 21:48:55 ID:jkSiM0P9
家斉じゃなかったっけ?セイウチのペニスも精力剤として愛飲してた。
787人間七七四年:2009/09/26(土) 21:51:53 ID:wbSQVBPq
水戸老公(烈公)も井伊さん家の牛肉の味噌漬好きだったのに、直弼めが中止しちゃうから・・・
788人間七七四年:2009/09/26(土) 21:54:02 ID:5rJcFFcc
>>786
Wikiから転載
>精力増強のため、オットセイのペニスを粉末にしたものを飲んでいたため「オットセイ将軍」と呼ばれた。

オットセイ将軍…童貞王並みに嫌なあだ名だなぁ。
789人間七七四年:2009/09/26(土) 21:58:48 ID:YDQlyL6m
>>788
子沢山過ぎて財政圧迫したしねぇ
790人間七七四年:2009/09/26(土) 22:00:23 ID:Z0vxuqe5
高山右近が牛肉大好きだったんだっけ
791人間七七四年:2009/09/26(土) 22:01:52 ID:bqEMdiPN
そそワイン煮込みの
792人間七七四年:2009/09/26(土) 22:04:22 ID:PnnGojQG
まとめスレを見ていたら載って居なかったのでカキコ
有名な話なのでみんなが避けてたのかも知れないが


1562年(永禄五年)四月、北条氏政はとある合戦に出陣し、
兵達の勇敢な声や昂揚振りでにぎわう陣内を家老の松田憲秀と
共に視察していた。そんなある時…氏政は北条鱗の軍旗がはためく
彼方に、地元の農民が田畑より麦を刈り入れている光景を見た。

北条氏政>>おぉ。農民が麦を刈り入れておるな!!。゚+.(゚∀゚*)。+.゚
松田憲秀>>左様でございますな。(゜、。 )ンナニメズラシイカ?

北条氏政>>よし!今日の昼飯はあれで決まりだな。刈り立ての麦だ、
      きっと旨いに違いないぞ!!  。゚+.(゚∀゚*)。+.゚ワクテカ

松田憲秀>>…は。ゎ、若殿…?(゜、。;)ソレハヒョットシテジョークデ(ry

そしてこの話を聞いたのが御隣は甲斐国の戦国大名、甲斐の虎こと武田信玄。
その浅墓な様子を大いに酷評したという。

武田信玄>>(*>ヮ<) ははは、流石は北条氏政は大身の御家のおぼっちゃまだなァオイ!!
      言うことが違うわ、そこに痺れんし憧れもせんが!!

      麦っていうのは刈り取って直ぐに喰えるものではない。
      刈り取ったあと扱いで、こなして、潤して、搗いて脱穀して、
      天日に干して乾かして、また搗いて、水に浸してから煮る。
      そこまで手間をかけて、ようやく喰えるものなのじゃからな。』

他にも、北条氏政の食に関するエピソードに橙とオレンジの話がある。

一時期同盟関係にあった徳川家康が、海外より渡来した南蛮人よりオレンジを
手に入れた。当時は蜜柑の品種改良が進んで居なかったため美味ではなく、
そもそも手に入れようにも紀伊でしか栽培法が確立していなかったため
大変な珍品である。もちろん、家康はこのオレンジを北条氏政にも贈った。

しかし北条氏政、これを受け取っても眉をひそめるばかり。
北条氏政>>…――なんじゃ、これは橙ではないか。こんな煮ても焼いても食えぬもの、
      家康殿は何がめずらしゅうて贈ってきたのだ?。゚+.(゚皿゚#)。+.゚
松田憲秀>>…。(そこで考えるんだ、橙じゃないから贈って来たんだと。)(゜、。;)

なお、橙(だいだい)というのは正月を祝う鏡餅のてっぺんに乗っている蜜柑に
良く似たアレのことである。見てくれは蜜柑に似ているが酸味と苦味がひどく
食用には向かないが、『代々』に音が通じるため縁起物として扱われていた。
大坂冬の陣で遊郭に出かけて失態を犯した薄田兼相が『橙武者』と罵られたのは
『正月の鏡餅飾りにしか使えないような奴』という侮蔑に通じている。

そんな北条氏政の、(北条家五代で最大勢力を為した君主なのにろくな逸話しかない)悪い話。
793人間七七四年:2009/09/26(土) 22:07:06 ID:AvNYTl4j
>>787
井伊「水戸の老公が好んでおるとな?即刻廃止せよ」
烈公「おのれ、直弼断じて許せぬ!」
水戸脱藩浪士「烈公は売国奴の大老を除けと仰せなのだな!ヒャハー」

桜田門外の変異聞である
794人間七七四年:2009/09/26(土) 22:09:34 ID:5rJcFFcc
>>793
一方、慶喜からの度重なる豚肉の催促にぶち切れた
薩摩藩は遂に倒幕に踏み切ったのであった。
795人間七七四年:2009/09/26(土) 22:26:18 ID:sKFAiBDv
>>792
それ逆じゃない?>橙と代々
たしか、橙って一度実がつくと熟れても木から落ちることなく、2〜3年は成ったまま=代々なっているのでダイダイと名づけられたはず。
で、食ってもおいしくはないが、よく熟した橙の実を絞った果汁はポン酢に使うと美味だよ。
796人間七七四年:2009/09/26(土) 22:33:22 ID:hvB3zYXE
>>727
氏政は本当にいい逸話が無いんだよな
逸話自体少ないのに悪い逸話しかない
797人間七七四年:2009/09/26(土) 23:03:00 ID:/gOTpGqC
醍醐って和風ヨーグルトが本来の意味なの?

てことは醍醐天皇・後醍醐天皇はヨーグルト天皇・後ヨーグルト天皇?
798人間七七四年:2009/09/26(土) 23:04:09 ID:38wPH0Rn
>>727
その逸話(麦の方)自分の持ってる本だと
筆者がフォローしてたw
相模は甲斐と違って豊かだから
ボンボンの氏政には麦は身近な食い物じゃなかったんだろう的なw
799人間七七四年:2009/09/26(土) 23:05:07 ID:38wPH0Rn
間違えた
>>798>>792宛な
800人間七七四年:2009/09/27(日) 00:31:31 ID:Bp2AT6uB
>>797
ペディアからの転載だけど

>仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精
>製され一番美味しいものとして、涅槃経も同じく最後で最上の教えであることをたとえとして書かれている。
>これを五味相生の譬(ごみそうしょうのたとえ)という。

って書いてあるから最上とかそういう意味だったんじゃね
801人間七七四年:2009/09/27(日) 00:55:25 ID:l8uYgc8C
>>800に補足
醍醐味は仏教用語で、「醍醐」とは牛や羊の乳を精製した濃厚で甘みのある液汁をいう。
仏教では、乳を精製する過程の五段階を「五味」と言い、「乳(にゅう)」「酪(らく)」「生酥(しようそ)」「熟酥(じゅくそ)」の順に
上質で美味なものとなり、最後の「醍醐」で最上の味を持つ乳製品が得られるとされた。
醍醐は純粋で最高の味であるところから、「醍醐のような最上の教え」として仏陀の教法に喩えられ、
天台宗では「華厳時(けごんじ)」「阿含時(あごんじ)」「方等時(ほうどうじ)」「般若時(はんにゃじ)」「法華涅槃時(ほっけねはんじ)」とある
五時経の「法華涅槃時」を最上の仏法として、「醍醐味」と呼ぶようになった。
そこから転じ、醍醐味は「本当の面白さ」や「神髄」を意味するようになった。  語源由来辞典より
802人間七七四年:2009/09/27(日) 00:55:33 ID:0Ags9n1x
>>798
豊かとかどうかって話でなく、単に創作だと思う。
中国の東晋の皇帝にほぼまんまな話があるし。
803人間七七四年:2009/09/27(日) 01:01:49 ID:rEnwb4oY
DAIGO天皇
804人間七七四年:2009/09/27(日) 01:07:08 ID:P/pF4V0w
醍醐天皇は仏教保護もよくしてたしそういうのも関係あったのかな
仏法をよく修めた天皇みたいな意味とか
805人間七七四年:2009/09/27(日) 01:13:18 ID:NXtTwRhX
そういう意味ならもうちょっと庶民にもわかりやすくしてほしい
弁財天皇とか摩利支天皇とか
806人間七七四年:2009/09/27(日) 01:18:47 ID:Az2HHp9C
どっちも女の天部だろ…
そして醍醐天皇の頃はどちらもマイナー
弁財天は七福神成立前後から、摩利支天は武士の興勢以降の流行だから
807人間七七四年:2009/09/27(日) 01:34:10 ID:FD+F7yxy
文禄4年(1595)7月15日、豊臣秀次は高野山にて切腹をする。いわゆる秀次事件である。
この時、秀吉の命により、秀次の子供、側室、侍女をも無残に殺された事は有名であろう。
そして皆さんもご存知だろうが、その秀次の側室の中に、
最上義光の娘、駒姫もいたのだ。

義光は秀次の家族も処刑されると言うことを知すと悲嘆にくれ、各所を回って
娘の助命を嘆願した。
が、ついに秀吉の許しはなく、8月2日、京の三条河原にて斬首と言うこととなった。
(ちなみに秀次の妻子すべてが殺されたわけではない。そもそも秀次の正妻である
池田恒興の娘、若御前などは助命されている。)

絶望した義光は、伏見の屋敷において家臣、浦山筑後を呼び、「お前は急いで京に上り、
娘の最後の姿を見届けて来てほしい」、と、頼んだ。

この命を受けた筑後は、この事を同僚に話し、こう、決意を告げた

「この度の京行きは、私の生涯の大事である。
主君の娘が斬られるのを見て、おめおめと伏見に帰るようでは、武士の面目が立たない。
よって、私は駒姫様を人手にかけるくらいであれば、その前に走りよって私の手で姫を討ち賜り、
その上で自害して果てる覚悟である。」

これを聞いた同僚は急ぎ義光にこれを知らせた。
義光は筑後を呼び

「おぬしの所存は無理の無いことだ。お前のような堂々たる武士に、このような事は
頼むべきではなかった。」

そう言って筑後の変わりに、召し使っていた下人2、3人を、京へと派遣したのだという。


駒姫の死骸は他の者達と共に、後に「畜生塚」と名付けられた、河原に掘った穴に、
捨てられた。

斬首を見届けた下人たちは、伏見に帰り、そのことを義光に報告をした。

義光は懊悩のあまり、食事を取る事も出来ず、うち塞ぎ、ただ座り込んでいた。
そして時々、歯を食いしばり目を怒らせ、

「口惜しい、口惜しい」

と、のみ、つぶやいていたそうである。


駒姫処刑時の、最上義光の苦悩と悲しみを伝えるお話。
808人間七七四年:2009/09/27(日) 01:38:24 ID:oNbMTvrs
貴重なおっぱいが
809人間七七四年:2009/09/27(日) 01:38:43 ID:5IAlzSZv
メジャー天とマイナー天がいるのか
810人間七七四年:2009/09/27(日) 01:41:21 ID:QmNj6CGP
>>807
こういうやりきれない話って悪い話スレ向きなんだろうかいい話スレ向きなんだろうか
811人間七七四年:2009/09/27(日) 02:06:53 ID:ILpFE1AD
>>807
これはやっぱり悲惨だな
ちなみに何故正妻は助かったのか?秀次の切腹理由に関係してる?
812人間七七四年:2009/09/27(日) 05:35:32 ID:yW2+a2t1
>>792
芝の覇王の家だと、芳情過信^h^h^h^h北条家臣もそう思ったようにかかれてて、
駿河では橙が珍しそうだから、相模からも送るということやらかして、ますます老廃国との印象をだしてたな
813人間七七四年:2009/09/27(日) 06:34:30 ID:l6/YundP
>>811
父親の恒興が秀吉に合流して山崎の戦いに参加し、清洲会議で秀吉とともに三法師を後継者に推挙、
秀次と一緒に小牧・長久手で動いたけど討ち死にしてしまったことが影響しているんじゃないかな。
後を継いだ次男・輝政は豊臣一族に準ずる扱いを受けてるし。
814人間七七四年:2009/09/27(日) 07:42:31 ID:ykQbN78m
鮭ネタまじいらねぇ。
内容もここに書くほどのレベルじゃねぇし。
どうしても美化運動したいみたいだな。
だいたい秀吉にも秀次にも家康にも子供を出して、秀次と秀吉に出した子供が悲惨な目になっただけの話。
誰が天下を握っても安心な状況にした政略の結果。
もっともそんな蝙蝠な行為が祟り信用されずに大坂冬夏両陣で江戸謹慎と言う福島正則と同様の扱いをされた挙げ句に最上改易されたけどな。
んで上杉に出そうとした息子を自ら暗殺した時は口惜しいとは思わなかったのか?
815人間七七四年:2009/09/27(日) 08:22:40 ID:DMSOx7Y4
アンチはもっといらない


すまんな
816人間七七四年:2009/09/27(日) 08:23:00 ID:91Gwwv5e
最上の駒姫が悲惨なのは側室にあがった直後で実質的には
まだお手つきですらなかったと言う点だな
817人間七七四年:2009/09/27(日) 08:41:27 ID:OlQZ/L5/
なんで助命とおらなかったの
818人間七七四年:2009/09/27(日) 08:54:18 ID:ykQbN78m
相変わらず必死だな。
だいたいこの駒姫ネタを執拗に今まで何十回も戦国板とかに書き続けやがってしつこいしキモい洗脳してんじゃねーよ。
鮭厨の自演工作ほんとお腹いっぱいでイラネ
つうか義光と政宗は謀反に荷担しながら、義康の必死な祈りが通じたのか腹を切らされず、浅野長政幸長親子みたいに配流にもならなかった。
こんなに寛大な処置をしてもらったじゃねぇか。
それなのに義康暗殺しちまった。口惜しいのは義光の政略の道具にされ棄てられて死んだ駒姫や義康であって、義光はすべての原因を作った狐で自業自得。
819人間七七四年:2009/09/27(日) 08:54:21 ID:YZvEafdW
戦国ものすごく悲惨な話
820人間七七四年:2009/09/27(日) 08:58:48 ID:nSSb5sQ1
自作自演はSabの得意技だろ
謀反に加担したってどの謀反だよ
821人間七七四年:2009/09/27(日) 09:16:34 ID:ykQbN78m
関ヶ原で上杉の一支隊が上山城に攻めてきた。
義光は上山城を守る里見の家族だけでなく一族大半を山形城に連行し、書状をだした。
「上山城が落ちるようなことがあれば、家族一族皆殺しにするからな」
こうして里見は必死に守り上杉を撃退した。
しかし義光が罪無き義康を暗殺した時に義康のお側にいた小姓で里見の次代当主になる予定だった者まで同罪とされた。
度重なる我慢をしてきたが限界に至り怒った里見一族は出奔。
義光は里見一族の暗殺を狙い、里見一族は加賀前田を頼るも義光の圧力に困り、
前田から幕府親類衆の越前結城なら安心だろうと里見一族を紹介。
しかし家康次男の結城氏にまで圧力をかけてきた義光。
やむなく結城氏が紀州高野山なら絶対に安心だからと高野山に頼みこんで預かってもらった。
義光の圧力に高野山はメンツをかけて守り抜き、逆に説法をした。
そこで、義光は一計を案じて、高野山をおだてて、説法に納得して今は後悔してる。高野山の言うとおり里見一族を以前同様に遇したいと言わせた。
高野山は仏心ありしかと喜び、前田や結城のメンツも守れ面目躍如と喜び里見一族に伝えた。
里見一族も高野山に感謝し、山形へ向かった。さかし里見一族は義光をよく知っていた。
高野山まで騙された時点で自らの退路が無くなったことを。
義光は遺言で、里見一族の皆殺しを頼んで死んだのであった。
822人間七七四年:2009/09/27(日) 09:49:10 ID:M8hbygdQ
相変わらず必死だお(笑)
823人間七七四年:2009/09/27(日) 09:54:07 ID:bGPsjAIx
歴史を知らない小学生でも矛盾ありまくりなのがわかるのが痛いなw
824人間七七四年:2009/09/27(日) 10:02:35 ID:OlQZ/L5/
これくらい武将に親近感持てるって凄いことだと思う
きっと楽しいだろうな
825人間七七四年:2009/09/27(日) 10:08:24 ID:3wWzganm
こういう馬鹿がいるから最上家の話に批判の書き込みすると単なるアンチだと思われるんだよな
ちょっと良い話スレの>720の主観とか妄想入ってるヤツに意見したらアンチだとかw
826人間七七四年:2009/09/27(日) 10:12:05 ID:N/bPkrks
>家族一族皆殺し

日本語くらい勉強しろよ、荒しはよ〜w
義光憎さのあまり、でたらめまで書くようになったかw
しかも既出のを改悪して投稿すんなw

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2412.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2761.html
827人間七七四年:2009/09/27(日) 10:24:03 ID:P/pF4V0w
先祖か好きな武将が最上に酷い目にでもあわされたのだろうか?
そんな恨みを買われるほど活躍してたイメージは個人的にないが
828人間七七四年:2009/09/27(日) 10:38:12 ID:ibayrKYV
触らぬ荒らしに祟りなし

粘着気質なのが荒らしっていわれるんじゃないか?
NGにしてるから最初の以降何書き込んでるか知らないけど
829人間七七四年:2009/09/27(日) 10:39:16 ID:3wWzganm
この後、政宗か兼続の信者じゃね?とかいう流れに
持ってこうとするに1000バーツ
830人間七七四年:2009/09/27(日) 10:46:30 ID:N/bPkrks
戦国ちょっと悪いふいんきのスレ…
あとはこっちで引き取ります
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1247488347/l50
831人間七七四年:2009/09/27(日) 12:22:06 ID:PLclCwD4
>>812
司馬さんは徳川にも厳しいけど
それ以上に東国の武士に関してはかなり厳しいよな……
基本的に東側の人間からすると時々納得いかん書き方の時あるわ
滅ぼされるべき旧勢力以上の見方はしてくれてないイメージ

氏政は北条贔屓倒しの小田原北条記ですら
歴代北条家当主の中で一人だけ呼び捨てだったり
武勇をアピールする逸話が全然なかったりするし
フォローは難しいのはわかるんだが……
832人間七七四年:2009/09/27(日) 12:37:20 ID:ykQbN78m
>>826
改悪じゃねーし。つかリンク先のは話がつながってるものを、わざわざ二つに分けて、義光擁護してるくだらないレスだな。
だいたい義光の義康暗殺には一切触れずに、秀吉の被害者ぶって大崎夫人と駒姫が血がつながる親子でもないのに、ムリヤリ脳内妄想で駒姫が死んだのを追うように大崎夫人も後を追うように死んだ秀吉残酷とか
地震の時に秀吉を無視して義光は家康のとこに駆けつけたとか同次代史料なしに盲信して主張するは、
秀吉へ出した最上義親のことは一切隠して、先見の明ある義光は家康へ家親を出したとか
デタラメばかり書きまくる歪曲基地害ぶりは酷すぎる。
833人間七七四年:2009/09/27(日) 12:53:19 ID:+WbeaD+o
携帯かよ
834人間七七四年:2009/09/27(日) 12:57:59 ID:aS9AVQzP
そこまで考えられる力があるのなら、自サイト作って意見を発信すればいいのに。
賛同する人も見つかると思うのだけれど。
ここで書いても受け入れられないだけでしょう?勿体ないと思うよ。

私は賛同できないので、NGに登録させてもらいますね。



835人間七七四年:2009/09/27(日) 13:06:54 ID:EbvJEdOX
戦国板ちょっと悪いスレ
836人間七七四年:2009/09/27(日) 13:08:16 ID:v7dskYxG
マジレスすると、このスレのほとんどすべてが創作だしね。
中国の逸話を換骨奪胎してんのとかいっぱいあるし。
それをわかった上でみんな楽しんでいるわけで。
みんながみんな自分と同じぐらいに物知らずだとは思わないように。
837人間七七四年:2009/09/27(日) 13:10:40 ID:4N4tL6et
そもそも戦国時代の人物全般を扱うスレで特定人物へのアンチ行為は他の人物好きには目障りなだけ
アンチ自体お呼びでないから該当スレへお帰り下さい
838人間七七四年:2009/09/27(日) 13:55:21 ID:ykQbN78m
戦国ちょっと最上な話と言うスレができていて
ちゃんと棲み分けができてるハズなのに執拗に荒らし目的で懲りずにこのスレに書く方が悪いだろうが。
しかも金曜日にいい話スレで最上ネタ書いてみんなから注意を受けていながら図々しくも、日曜日に日付が変わるやいなや、今度は悪い話スレで義光は被害者みたいなレスしてたら文句もいいたくなるわ。
しかも駒姫ネタを狂ったようなしつこく何度書けば気がすむんだ。
839人間七七四年:2009/09/27(日) 13:57:34 ID:bJGi9z3N
>>1 より引用
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
引用ここまで

ここが 最上義光擁護を論破するスレ じゃないのは理解できたな?
スレ違いだから他所でやってくれ
魚屋に入ってきて魚が嫌いだと大声で喚かれても煩いし迷惑だ
840人間七七四年:2009/09/27(日) 14:01:48 ID:Gg03oxSw
休みなんだから荒らしは、映画でも見に行けば?
そんなんだから、ネットでまでみんなに嫌われんだ
841人間七七四年:2009/09/27(日) 14:09:10 ID:3wWzganm
戦国ちょっと(頭の)悪い話スレになっとるな
逸話がとかじゃなくw
842人間七七四年:2009/09/27(日) 14:39:17 ID:M8hbygdQ
荒らしに荒らし目的どうの言われても…
説得力皆無だと思うお(苦笑)
843人間七七四年:2009/09/27(日) 14:40:42 ID:M8hbygdQ
スレの主旨と関係ない書き込み失礼しました
自重します
844人間七七四年:2009/09/27(日) 15:50:34 ID:sgBaSRb3
(苦笑)
845人間七七四年:2009/09/27(日) 16:10:07 ID:tJIoQMtE
              ____
      ∧_∧   /__ o、 |、
     (´・ω・ )   | 和 \ノ  さあ、この備前焼の湯飲みで美味しいお茶でも飲んで。
     ( o旦o    .| 泉  |
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
846人間七七四年:2009/09/27(日) 16:15:30 ID:Xm2SlSrS
和泉ポットw
847人間七七四年:2009/09/27(日) 17:19:42 ID:PLclCwD4
天文五年(1536年)3月17日
駿河の大名今川家の八代当主氏輝が死んだ
そしてまったく同じ日、その弟彦五郎も死んでしまった

これについてこんな話がある
今川氏輝という人は生まれながらに病弱な性質であり、
床から立ち上がって政務を執ることがままならないほどであった
よって今川家の政は彼の母、寿桂尼が全てを取り仕切っていたが
体の弱く政治はおろか結婚し子を儲けることも出来ない
つまりは当主でありながら当主としての役目を何一つ果たすことが出来ない氏輝は
そんな己を不甲斐なく思い、良くはならぬ体調に絶望を深めていった
やがて精神を病んだ彼は、入水し自らの命を絶ってしまった
という話である

しかしこの逸話は弟、彦五郎の死には触れていない
彦五郎については実は氏輝と同一人物ではないか?などという説もあるが
共に心中を図った、などという話もある
とにかく史料が少なく曖昧で謎に満ちているのだ

またこの自殺説の他にも
@純然たる偶然の病死
A室町幕府の陰謀
B武田信虎の陰謀
C北条氏綱の陰謀
D五男・梅岳承芳の陰謀
E母・寿桂尼の陰謀

など様々な説がある
しかしどれもこれもあやふやで確証に欠けている
というかどの陰謀に関しても
「あるあるあるw……あるあるあるwww」
となるメンバーばかりなのだ

とにかく氏輝・彦五郎兄弟が亡くなったということは、
当主と実質その跡継ぎ的立場だった人物が消えたということである
今川家はすでに僧籍に入り、本来は家督継承から完全に外された
三男の玄広恵探と五男の梅岳承芳が血みどろの争いを繰り広げ
結果として五男の梅岳承芳が家督を継ぐこととなった

真相はそれきり歴史の深い闇の中にある
そんな花倉のミステリー
848人間七七四年:2009/09/27(日) 17:34:31 ID:XGNYksmp
島津義弘の述懐

関ヶ原では、まったくひどい目に逢いました。
素人の石田三成に振り回され、まったくやる気もなかったのです。

高みの見物と東軍西軍との合戦模様を眺めておりました。
しかし、まあ、ここだけの話でござるよ、老人のたわごとと御海容を。

東軍先鋒DQNで有名な細川忠興少将、
ひときわ美々しき甲冑に身を包み、ご本人は奥様なくされ獅子奮迅のお働きのおつもりのようですが、
爺の目から見ればまだまだでございます。まるで雛のようでございますなあ。
薩摩の兵ならば、ひとひねりでございますよ。

などと思っているうちに、帰り道では死ぬような目に逢いましたが。

849人間七七四年:2009/09/27(日) 18:21:15 ID:toa5IDI+
>>845
ひょっとして貴方は直家さんですか?
850人間七七四年:2009/09/27(日) 18:26:52 ID:iFrsVgpM
>>847
結構な大事件だよな。それなのに端折られてるって事は
誰かの陰謀で暗殺されて隠蔽工作したとしか。

ところで太原雪斎の名前が挙がっt・・・、ん?誰だこんな時間に
851人間七七四年:2009/09/27(日) 19:10:24 ID:la9KCZOR
関ヶ原当時の細川三歳は少将ではなく三位宰相では?
852人間七七四年:2009/09/27(日) 19:10:54 ID:PLclCwD4
>>850
D五男・梅岳承芳の陰謀 を雪斎の陰謀にすりゃ良かったなw
つか俺はなんとなくこれが一番正解な気がする

義元の家督継承を期に今川の外交姿勢が北条との協調路線から
武田との協調に変わってるのもなんか意味ありげなんだけどな
853人間七七四年:2009/09/27(日) 19:34:13 ID:UZHJpiR/
今川の史料にはまったく痕跡が無いんだよな。弟彦五郎
多分同一人物だと思うがね
854人間七七四年:2009/09/27(日) 19:45:21 ID:qJKbRqaq
(((( ;゚Д゚)))
855人間七七四年:2009/09/27(日) 20:08:46 ID:8Za+ck2D
856人間七七四年:2009/09/27(日) 20:32:08 ID:moVKkzIh
>>855
何やってんのw
857人間七七四年:2009/09/27(日) 20:34:53 ID:W2ZShsYS
>>852
雪斎と義元・氏輝の生母って仲悪かったみたいだしね
花倉の乱で血を引いてない恵探を支援するくらいに
もっともお互い暗殺に踏み切るような、無分別な真似はしなかったが
858人間七七四年:2009/09/27(日) 20:45:04 ID:XGNYksmp
三歳公、この4年前から参議になってたみたいですね、失礼をば。
859人間七七四年:2009/09/27(日) 21:34:38 ID:iBdRXPtC
鹿児島の加治木に神田助左衛門という大工が居た。
日頃から大口を叩き、荒っぽいところもあるこの男、あるとき島津義弘の居城の修繕を頼まれて
大工仲間とともに城内で仕事をしていた。

助左衛門が天井の修繕をするため、足場を組んで仰向けになって作業をしていたところ
「おうい」と助左衛門を呼ぶ声がする。
おそらく大工仲間だと思ったのであろう、助左衛門は天井を向いたまま「何だい?」と返した。
すると声の主は「もう飯は食ったのかい?」と尋ねてくる。
助左衛門はよほど腹が減っていたのか「いいや、奥の腐れ坊主達はまだ飯を出してくれんのよ」と返した。
ここで言ってる「腐れ坊主」というのはお坊さんのことではなく城の奥にいる侍、要するに殿様達のことなのだが…
暫くして大工の親方がすっ飛んできた。

親方「おい、助左衛門!お前いま話した相手が誰だか知っているのか!」
助左衛門「知りませんよ、誰ですかい?」
親方「馬鹿!お殿様だよ、お・と・の・さ・ま!惟新様その人だよ!
  そのお方にあんな無礼な事言いやがって…ああもう、どうなっても知らんぞ!」

そう、助左衛門は声をかけてきた義弘に背を向けたまま返事をした挙句、あろうことか「腐れ坊主」呼ばわりしたのだ。
日頃から大口を叩いている助左衛門も、このときばかりは顔を青くして怯えだした。
すると案の定、使いの者がやってきた。義弘が助左衛門に用があるというのである。

もはやこれまで、きっと殿様直々の厳罰が待っているのであろう…
覚悟を決めた助左衛門が義弘の御前に見たものは…ご馳走と酒であった。
義弘は「さあ、奥の坊主のご馳走じゃ、たんと食え」と事も無げに言うと自ら大杯に酒を注いで助左衛門に与えた。
既に覚悟を決めている助左衛門、こうなったら食える限りは食い、飲める限りは飲んでやろうとご馳走の山に敢然と挑む。
その食べっぷり、痛飲振りがよほど気に入ったのか義弘も次々と酒を勧めてくる。だが人間である以上、胃袋には限界がある。
「どうじゃ、もう飲めぬか」と義弘に聞かれた助左衛門は逍遥として答えた。「はい、もういけませぬ」
ああ、自分はこんな形で人生を終えるのか…うなだれる助左衛門に義弘は言った。

「そんなら帰れ。また明日も頼むぞ」

…何のことか分からぬがとにかく助かったらしい。
助左衛門はそのまま帰ると日頃の大気が戻ったのか、心配して待っていた仲間達と供に今度は蘇生の宴会を開いたという。

まあ、相手が人格者の義弘だから助かったようなもの。
みんなも人と話すときは相手の顔を見て、失礼が無いようにしよう!
860人間七七四年:2009/09/27(日) 22:12:46 ID:0wke6yN/
これは維新公の良い話でもあるなwww

861人間七七四年:2009/09/27(日) 22:14:32 ID:UsiYF+o/
次の代のお殿様だったらどうなってた事かw
いや、そもそも声なんか掛けたりしないか。
862人間七七四年:2009/09/27(日) 22:15:04 ID:a+jvasE1
>>859
あれ?なんかいい話だな
863人間七七四年:2009/09/27(日) 22:15:35 ID:toa5IDI+
家久(悪)だったら・・・
864人間七七四年:2009/09/27(日) 22:27:06 ID:mp8JtL+/
>心配して待っていた仲間達と供に今度は蘇生の宴会

何気にすごいw
865人間七七四年:2009/09/27(日) 22:56:57 ID:+AG2XXdu
スレ違い、板違いを先に謝ります。ごめん。
このスレを見てたらパチ慶次で伊達リーチが来ても腹がたたなくなりました。本当にありがとう。
866人間七七四年:2009/09/28(月) 00:10:53 ID:GAGgYi1U
念のために・・・

福島正則や松平定綱にも仕えた吉村又右衛門宣充がまだ、とある家に仕えていた時の事である。
同輩の家に招かれ、家中を見回っていると囲碁を中心に人だかりが出来ていた。
宣充もこれに加わって観戦していたが、片方に少しばかり助言をした。
すると、対戦相手は怒って
「分別のある武士は助言なんてしないものだぞ。」
とからかった。
宣充はこれが相当頭にきたが、その場は何も言わずに立ち去った。

その後、囲碁が終わって皆が退出する際に、宣充は先ほどの男に声をかけて男を難なく討ち取った。
さて、退却しようと門まで出た所で宣充はふと思ったのである。
宣充「又右衛門ほどの者が慌ててトドメも刺さずに逃げていった、なんて後々馬鹿にされたらたまったもんじゃないな・・・」
すると宣充はゆっくりと引き返して、慌てずにトドメを刺してから再び去っていった。
867人間七七四年:2009/09/28(月) 00:56:44 ID:6RvsZedv
その宣充って短気者は逃げた後どうなったんだろう。
868人間七七四年:2009/09/28(月) 01:05:48 ID:r6+tq4gG
助言するのはマナー違反なんじゃないっけ。よく分からんけど。
ああ、だから悪い話なのか・・
869人間七七四年:2009/09/28(月) 02:49:37 ID:fsPRXQ1s
助言することがマナー違反だと聞いた
つまりマナー違反しといてやんわり指摘されたのを
根に持って殺したDQNってことだとおも
870人間七七四年:2009/09/28(月) 09:22:37 ID:AfYgJb8e
>>859は、いい話スレ向きな気がする。読後感が清々しいw
871人間七七四年:2009/09/28(月) 09:27:38 ID:NM4eea2u
>>869
同意。そして逃げた。どうしようもねえクズだな。
872人間七七四年:2009/09/28(月) 09:46:59 ID:HwRG+R+f
>>817
一応は通ったみたいよ。
ラスボスも直前になって流石にお手つきでもないのに可哀想と思ったのか
誰かの嘆願が効いたのか分からないが、「あれだけは鎌倉で尼でもさせるか」
と気まぐれのように口にした。
すぐに使いが三条河原へ走ったが間に合わなかった。
しかし遺体の扱いは他と同じ畜生塚。やはり気まぐれだったらしい。
873人間七七四年:2009/09/28(月) 11:51:07 ID:GAGgYi1U
吉村宣充の逸話をもう一つ紹介する

岐阜城抜け駆け

岐阜城総攻撃の前日のことだ。
宣充は同輩に明朝抜け駆けの誘いをした、しかし、同輩は軍法を犯す事は重罪で絶対にそんなことするんじゃないぞ、
と逆に窘められた。
宣充は黙って陣所に帰り、一人でよ〜く考えたがやっぱり単騎でも抜け駆けしようと決意して、まだ暗い時間から馬を岐阜城に向けた。

すると、10メートルほど先に馬を走らせる武者の姿を見つけた。宣充は出し抜かれたと思い、こちらも馬を急がせた。
しばらくすると、敵城の手前に少し小高くなっている場所があった。先に行った武者はこれを右から回りこんで城に近付こうとしたが
櫓から鉄砲によって討たれてしまった。これを見ていた宣充は左回りに進み、難なく櫓まで辿り着いたのである。
すると、宣充は馬から降りて大胆にも門を叩き、こう言った。

宣充「俺は偵察に出てた者だ、門を開けてくれ!」

しかし、門番は宣充を疑って門を開けようとはしなかったので、続けてこう言った。

宣充「敵がもう、そこまで来てるんだよ、早く、早く櫓に上げてくれ!」

これには門番は大慌てになり、すぐさま宣充を櫓に上げた。
すると、宣充は隙を見て、隙間から小旗を出した。その旗にはこう書かれていた

 福 島 左 衛 門 大 夫 内 吉 村 又 右 衛 門

友軍が明け方に岐阜城に攻め込むと、この旗を見つけ
「げぇ、又右衛門が抜け駆けしてもう攻め込んでるぞ!」
「又右衛門を討たせるな!」
などと叫び、喚いて一気に攻め立て遂に岐阜城を墜としたのである。


吉村宣充の逸話は前にも書かれたことがあるんだよね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-654.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1892.html
874人間七七四年:2009/09/28(月) 13:54:27 ID:NSPd+034
>>872
最上ネタにレスすんなよ。荒れるだろうが…
875人間七七四年:2009/09/28(月) 16:15:32 ID:kI2wZV1O
>>873なんというか、市松さんの家臣は武断なわりにデキるやつが多い…w

戦国時代末から江戸の幕藩体制へ転換期の武将の中では
(特に戦場じゃ)意地を通すけど、家や家臣を守るためなら我慢もする、こういう武士の話が様々な角度で出てくるね。
876人間七七四年:2009/09/28(月) 16:57:11 ID:ShQ8HRVD
天正12年(1584)5月、東海では、小牧長久手の戦線が、膠着した頃の事である。

京において、佐久間道徳による、秀吉への謀反計画が発覚、道徳は逃走し、
その弟御兵は捕らえられ殺される、と言う事件があった。

秀吉はこの事件に非常に神経質になり、道徳らがすんでいた町から人質を取ろうとした。
が、町民達はこれを拒絶、難航した協議の結果、前田玄以の調停で、どうにか
人質提出で合意に至った。

秀吉は、この難航を、自分の面目を失わせたものと、激しく怒った。

5月17日、秀吉は淀の城番、小野木重次に命を下す

『道徳らがすんでいた二つの町の者は、妻子まで含めて全員捕らえよ!
そして京の町に籠を並べ、その中に押し込めるのだ。
籠に入れた者達は、7日ほどもそのまま、何の食べ物も与えずにおけ!」

逆らうだけでなく、自分に少しでも抵抗すればどうなるか、その見せしめである。

この命令に町の者達は恐慌をきたし、一斉に逐電をしたが、逃げ遅れた者達など
数十名が捕らえられ、2ヶ月近く監禁された。

さらに秀吉は、逃亡者達の捕らえるため、京の七口に厳重な検問所を設け、
公家などにかくまわれた者たちをも焙り出すため、その捕縛を、朝廷にまで申し入れた。

秀吉が自分の面目を失わせた者への報復には、どれだけ強圧かつ執念深いか、その一例である。
877人間七七四年:2009/09/28(月) 17:15:14 ID:4cBOuUGj
つか、謀反を計画した上にケツまくった佐久間も悪いんじゃ・・・

荒木村重謀反の結末に似てるね、秀吉はここでも信長の真似をしたと
878人間七七四年:2009/09/28(月) 17:27:15 ID:LUbMO89J
879人間七七四年:2009/09/28(月) 18:32:40 ID:3B50hWQb
>>877
いや、村重を説得しようと色々手を尽くした信長と一緒にするなよw
880人間七七四年:2009/09/28(月) 19:00:06 ID:0y2Wdbcq
一般的なイメージの秀吉って誰が言い出したんだろう。
人がよくて、誰からも好かれて、勝家に妬まれ虐められて、
いわゆる「人たらし」の性格なんて知れば知るほど出てこないんだよね。
881人間七七四年:2009/09/28(月) 19:00:22 ID:Eh2VdOn3
>>876
例によって、ちょっとどころじゃなく悪い話だからスレ違いだぜw
秀吉は本当に後味悪いぜ。
882人間七七四年:2009/09/28(月) 19:24:04 ID:cMFhMbrN
>>880
若いころはコンプや黒い部分を隠し持ちながらも、明るく人当たりのいいタイプで
うまく世渡りしながら出世していったんじゃないの。
分不相応に出世しすぎて黒さ全開になっちゃったイメージ。
883人間七七四年:2009/09/28(月) 20:41:31 ID:6unkPdSO
一般人気に関しては判官贔屓で説明がつきやすいんじゃ?
大阪の陣関連での真田人気や秀頼生存説などそんな感じだろうし
そしてまぁ、人たらし的な一面は間違いなくあっただろう、
ってか無かったら基本的に後ろ盾の無い秀吉が立身出世出来ない罠

悪い逸話が多いのは政権が早々に滅んじゃって、
調べれば出てくる程度の資料に色々悪い事が残っちゃったって面もあるんだろう
丁度つい先日話に出た氏政に良い逸話が少ないのとかも同様だろうけど
884人間七七四年:2009/09/28(月) 20:53:55 ID:4cBOuUGj
>>879
いや、結末だけを見ればの話で
信長が村重を説得しようとしたのは自軍の交戦状況と損得を考えてのことだし、
村重がとんずらこいた後の悲惨な結末は似てるでしょ
885人間七七四年:2009/09/28(月) 21:06:03 ID:tOZCvxhs
>>883
こんな政権、早々に滅ばないと困るがな
886人間七七四年:2009/09/28(月) 21:08:29 ID:YXHS0ve8
なんか秀吉の逸話を見てると洪武帝を思いだす
身分が高くない人間が権力持つと限度がわからなくなるのだろうか
887人間七七四年:2009/09/28(月) 21:14:22 ID:Ap/FpbfZ
結構前のコメにもあったけど、
羽柴秀長とか竹中半兵衛とか、諌めてくれそうな人に先立たれたのもあるかもなぁ
888人間七七四年:2009/09/28(月) 21:31:25 ID:ey+fsSUt
劉邦とか洪武帝とか卑賤からのし上がった皇帝って粛清やるイメージがある。
貴族社会に身をおいてなくてしがらみが少ないのかねえ。
889人間七七四年:2009/09/28(月) 21:40:45 ID:ZY81jrvo
「太閤の手紙」を読んでると、気配りが出来て、口がうまくて
ひょうきんな人であったんだろうという気はする。

統治者としては独裁者以外の何者ではないが・・。
890人間七七四年:2009/09/28(月) 21:52:06 ID:PjXfbJpw
上に誰か担いで支える仕事をする分にはものすごく有能なんだろうな
トップで采配させるとやりすぎちゃってうまくいかないタイプ
891人間七七四年:2009/09/28(月) 21:54:34 ID:CGtU62dL
結構人のやることに感情を置いちゃうタイプだったんじゃないかなあ
その分裏切られたとか、バカにされたと思うと苛烈というか
ラスボスって道化役やりつつも繊細だよね
神君は秀吉ほど部下も身内も最初から信頼してないから結構サバサバしてるけど
(まあ祖父も父も身内に暗殺されてりゃそうなる気もするけどな)
そういう図太さみたいなものってラスボスの陽気さからは感じないなあ
892人間七七四年:2009/09/28(月) 21:56:25 ID:dQAuJfwn
>>880
そりゃ君が知らんだけだろ>いわゆる「人たらし」の性格
秀吉は「良い話」スレでも名前が挙がることが多い
二面性を持った英雄だったということ
893人間七七四年:2009/09/28(月) 22:00:38 ID:dQAuJfwn
>>889
母親や嫁に宛てた手紙はユーモアが有って面白いよね
戦国武将の手紙とかつまらんものが多いけど、秀吉と元就のは割と楽しめる
幼い秀頼に宛てた手紙みたいに笑えないものもあるけど
894人間七七四年:2009/09/28(月) 22:11:50 ID:CGtU62dL
ラスボス・元就・三斎・政宗の手紙はガチ
対して見た時に本当に神君の手紙はつまらんよな
部下たちの手紙は案外面白いけど
895人間七七四年:2009/09/28(月) 22:19:00 ID:fsPRXQ1s
>891
ラスボスは根底に卑賤コンプレックスが根深くあるんだろうけど
それを隠すために他人の倍ぐらい物分りいい振りしなきゃならないから
いざ堪忍袋の尾が切れたときには陰険さと苛烈さが5倍くらいに膨れ上がってる
そもそもの性質は細心かつ根暗そのうえ怒りっぽいって感じがするな

あとは若い頃の信長のハジケ具合を目の当たりにしてるから
てっぺん取ったらあれくらい許されるんじゃないかって思ってる節があるっぽい
が、信長はあれでそれなりの教育を受けてて要所で空気読んでたりしてたわけで
そこが帝王学など教わってないラスボスには分からない

「なぜ俺にはあの振る舞いが許されない」って被害妄想で余計攻撃性増してるのかも
896人間七七四年:2009/09/28(月) 22:25:34 ID:spOZP2/5
関白殿下から腹痛で療養中のねね様に付いてる侍女あての手紙

くれぐれも念を入れて下剤を指して、ウンコ出るようにしてね。
ただし、ウンコ出るまで時間かかるだろうね。吉報待ってます。


小康を得たって聞いて、満足してます。帰ったらすぐ見舞いに行きます。
少しずつでも良くなってるなら、安心だね。
さらに良い知らせが来るのを待ってるので、かな書きでいいから手紙送ってね。。
聞くところによると、ウンコが出切れば良くなるらしいから、もっと下剤指してあげて。

かしこ
897人間七七四年:2009/09/28(月) 22:27:37 ID:PjXfbJpw
いい話じゃないか
898人間七七四年:2009/09/28(月) 22:29:08 ID:CGtU62dL
>>891
これうんこうんこ言い過ぎだよなw
見る度に吹く
899人間七七四年:2009/09/28(月) 22:32:48 ID:tOZCvxhs
ここまでうんこうんこ言うのは
小学生か秀吉ぐらいw
900人間七七四年:2009/09/28(月) 22:32:58 ID:4cBOuUGj
>>896
現代語訳だと変態の文章にしか見えないww
901人間七七四年:2009/09/28(月) 22:35:22 ID:Y1QkOSCg
>>898
モーツァルトよりマシだろ
902人間七七四年:2009/09/28(月) 22:36:38 ID:psYqALdm
これは現代なら警察に報告したら捕まるなw
903人間七七四年:2009/09/28(月) 22:58:50 ID:NM4eea2u
>>884
信長は張本人以外は人質も含めて助命しようという意思はあった。
>877のエピって、人質どころか無関係の人間まで八つ当たりじゃん。
904人間七七四年:2009/09/28(月) 23:13:38 ID:dQAuJfwn
秀吉が町人に怒り狂ってるのはさっさと人質出さなかったから
「自業自得」と言うには気の毒すぎる事例だが、少なくとも「無関係」ではないと思うよ
この時点では何処へなりと逐電した佐久間某よりも、
言うこと聞かない町人の方がムカついたんだろう
お金も権力もある偉い人って大抵のことに寛容だけど、
「自分が舐められてる」と思ったら絶対に容赦しないから
905人間七七四年:2009/09/28(月) 23:47:04 ID:7VurfbcL
フジのニュースジャパンで自民はTERUに学べって…
906人間七七四年:2009/09/28(月) 23:55:07 ID:EOR1jKfT
山拓とか中川(女)とか既にTERU要素持ってる人が居る気がするが…
907人間七七四年:2009/09/29(火) 00:27:39 ID:eo58od0+
>895
>そもそもの性質は細心かつ根暗そのうえ怒りっぽいって感じがするな

今川家中にいたころ有能だが嫌われまくっていたため、
(まるで後の三成を髣髴とさせる気が)
次の織田家では、苦い経験を生かして人当たりのよさをアピールしたんだろう。
勝家とか成正に嫌われていたのも、おべんちゃら使いとか
下賎の出だからというよりも、演技の陽気さの陰に潜むダークな部分を
感じ取られたからじゃないかな?
908人間七七四年:2009/09/29(火) 00:29:49 ID:wTIJJZGN
TERUにだって良い所あるよ!!

・・・たぶん
909人間七七四年:2009/09/29(火) 00:51:17 ID:2AanhlC0
TERUはあれだな
基本的にダメ上司なんだけどなんか憎めない
会議では年がら年中くだらない提案を嬉してやんわりとキレモノ課長にスルーされる部長
しかもスルーされてることに気がついていないので本人も周りも軋轢がない
910人間七七四年:2009/09/29(火) 00:56:57 ID:oJz6llJE
スルーといえば、

関ヶ原の結果、上杉が3分の1に減封されても、家臣を一人もリストラしなかったという事は、
直江兼続(何故か景勝ではなく兼続)の美談として伝わるが、
同じく3分の1に減封された毛利も、一人もリストラしなかったという事実は、
華麗にスルーされている。
911人間七七四年:2009/09/29(火) 01:08:01 ID:Pg+FEUmR
>>905
マスコミはしばしばわけのわからないことを言うから
912人間七七四年:2009/09/29(火) 01:10:34 ID:YlzSm9oF
>>880>>883
明治になって薩長が天下を取ったからだろ?
徳川のイメージを落としたり、関ヶ原負け組の自分達の地位を高める為に利用したんじゃね?
913人間七七四年:2009/09/29(火) 01:40:30 ID:C1PIIUTr
>907
その今川時代の憂さ晴らしみたいなのを小田原に行く途中だったか帰りだかでやったでしょ
ちょっと前にこのスレで出てたけど
914人間七七四年:2009/09/29(火) 01:54:13 ID:U+mcCr3j
>912
秀吉は江戸時代も一貫して人気があったよ。
「太閤記」が読み物としておもしろかったのが一番の原因かな?

明治になってからの持ち上げられかたは、朝鮮出兵したこととか、
朝廷を敬ったとか、キナ臭い感じ。

豊国神社の再建に尽力した豊国会という会のメンバーは
会長が黒田長成という人で、他には前田家、浅野家、蜂須賀家の人々がいたそうな。
915人間七七四年:2009/09/29(火) 02:22:37 ID:oJz6llJE
主君、京極政経により出雲守護代職を剥奪、追放された尼子経久が、
その居城月山冨田城を回復、ようやく没落から立ち直った頃のこと。

冨田城の主に戻ったといえども、出雲には経久に敵対するものたちが多く存在していた。
特に国人の三沢氏は強大であり、経久としては自分の身の安定のため、何としても
これを屈服させねばならなかった。が、まともに立ち向かうには、尼子はまだ微弱である。
経久は家臣、山中勘充を呼んだ。

さて、それから間もなくの事、山中は富田城下において同僚と口論を起こし、怒りのあまり
その同僚を切り殺し、逐電してしまった。
その後しばらくして山中は、経久と敵対する三沢越中守の城下に現れ、
つてを使って三沢家への仕官を求めた。
が、三沢家では、敵対する尼子の元の家臣を抱えることに消極的であった。

そのうち尼子のほうから、こんな噂が流れてきた。
尼子経久が山中勘充の罪を怒り、山中の老母と妻を捕らえ監禁、さらに山中の居場所を自白させるため
毎日拷問にかけている、と言うのである。

これを聞いた山中は、三沢越中守の前に現れ、涙を流して訴えた。
「尼子の所業は鬼畜と言うべきです!
喧嘩口論の末に相手を斬る事など、武士の意地を通すためありがちなことでしょう。
なのに、その罪を母や妻にまで及ぼすとは、残酷非道と言うより他ありません!
どうか私を、三沢家にお仕えさせてください。お家の力を借りて、何としても尼子に復讐をしたいのです!」

三沢家でもひそかに調べたが、山中の母と妻が捕らえられ、拷問にかけられていること、
確かであった。
そこで、三沢家は山中勘充を召し抱えることにした。山中は心から三沢家への忠勤を誓い、
1年の間、ひたすら忠実に働いた。流石に三沢家も山中を信頼した頃、彼は三沢家にこう、
嘆願した。

「私がかねてより望んでいた尼子への復讐を、いよいよ決行したいと思います。どうか私に
300ほどの兵をお貸しください。富田城の中にいる協力者と共に、母や妻子を助け出し、
経久を殺し、あの城を乗っ取る所存です。
これに成功いたしましたらm月山冨田城は、三沢家の属城となるでしょう。」

三沢家ではこれに、山中の頼みよりも多い500人をつけた。しかも選りすぐりの精鋭ばかりを
集めたものであった。
山中はこの兵を率い、ある星も無い夜、密かに富田城へと近づいた。
そして「城内の同士と連絡を取る」と、一人その部隊を離れる。そしてそのまま、いつまでたっても
山中は帰ってこなかった。

勿論、罠である。

山中が斬った同僚は、実は死刑囚であり、母、妻の捕縛と拷問も、無論演技である。
そして山中の精鋭500は、今完全に、尼子方に包囲されていた。

尼孤軍は三沢の派遣軍を八方から攻めこれを壊走させると、その勢いのまま三沢遼に攻め寄せ、
これを屈服させることに成功。さらに他の敵対勢力をも討ち下し、ついに出雲を平定した。

尼子経久が、大勢力への飛躍の一歩を踏み出した、謀略のお話。
916人間七七四年:2009/09/29(火) 03:10:05 ID:g1UCxBKx
鹿介「尼子SAIKO!イーヤッホー!!」
917人間七七四年:2009/09/29(火) 07:24:11 ID:ZpAAZudn
話題乗れないなら無理して書き込まなくていいのに
918人間七七四年:2009/09/29(火) 07:46:02 ID:4f2aWXQr
ここはそんな堅苦しいスレじゃない
919人間七七四年:2009/09/29(火) 07:49:47 ID:7Jti8b2P
>>915
尼子経久は手元に引き寄せてから潰した後そのまま攻め落とし、
宇喜多直家はそのまま主を暗殺させる

埋伏の毒は中国地方の伝統芸なのか?w
920人間七七四年:2009/09/29(火) 08:20:44 ID:ql7tC/8j
>>894
家康の場合は書状の内容で無く、そこに書かれた使者の名を見るべき
その内、良い話の方で書くよ
921人間七七四年:2009/09/29(火) 08:31:54 ID:oJz6llJE
うわ、変換ミスが。
>>915の下から3行目、 ×三沢遼 ○三沢領
すいません(;´Д`)
922人間七七四年:2009/09/29(火) 09:14:22 ID:ql7tC/8j
陪臣について

天下の三陪臣として豊臣秀吉が上杉景勝の家臣直江兼続、毛利輝元の家臣小早川隆景、堀秀政の家臣堀直政を
天下の仕置きができる人物と褒めちぎったのは良く知られる

しかし更にこうも言ったという
「天下の仕置きに大切なのは知・勇・志である。兼続は勇と志はあるが知はない、隆景は知と志はあるが勇はない、
直政は知と勇はあるが志はない」
隆景に勇が無いから、おのれは天下取れたんだろうがと言いたいが、まぁ間違ってはいない

さて、この三つを備えていると言えるであろう人物が私見であるが一人いる
徳川家康の家臣本多正信である
何故彼を評した秀吉の話が無いかと言うと、話は簡単で秀吉は正信に会ったことが無いから、というより故意に正信が
秀吉に会おうとしなかった節がある

ある日、秀吉は正信に会いたいと思い、当時伏見にいた家康に正信を呼ぶように命じた
家康も直ぐに江戸にいる正信を呼び、正信が伏見に着くと早速、二人で密議をした
その夜、正信は増田長盛を訪ねて長話をした
帰る時になると、長時間座っていた正信は足が痛くなり燭台を持つ者に支えられながら、長盛や周りの侍に丁寧に挨拶を
して辞した
関東から来てすぐにこちらに来るとは正信は匪躬の人(わが身を顧みず、主君または国家のために忠節を尽くす人)だと
皆は言ったという

で、翌朝
家康は正信に直ぐに江戸に帰るように命じ、正信もそれに従ったので遂に秀吉は正信に会うことはできなかった

つまり、できるだけ秀吉に会いたくなかったが断ると角が立つので、増田と会う事で間接的に会ったという事にしたのである
しかも一番、ボンクラそうな増田を選んで
これより先、正信がその真価を発揮するのは秀吉死後、家康が天下を獲る事を決意する日からである
923人間七七四年:2009/09/29(火) 09:46:38 ID:4f2aWXQr
なんで正信は秀吉に会おうとしなかったのかな
目利きのきく秀吉に会うとスカウトされてしまうのを警戒した?
924人間七七四年:2009/09/29(火) 09:56:38 ID:7Jti8b2P
>>923
石川数正という前例があるし、逆に暗殺される可能性もあっただろうし
925人間七七四年:2009/09/29(火) 10:06:26 ID:ql7tC/8j
>>923
人物を見定めようとしていたかと
関東で手広くやっているようだけど
いつの間にか、重要な地位に座っているという
かなり謎の人物ですし
926人間七七四年:2009/09/29(火) 10:17:45 ID:xdK2Z5/i
>兼続は勇と志はあるが知はない、

ヒデエw
927人間七七四年:2009/09/29(火) 10:18:06 ID:Jg9nO/ZB
小牧・長久手の石川数正は周知の通りだが、石川と並んで
徳川創業の功臣と言える酒井忠次もこの時期秀吉に篭絡されて、
官位と京の隠居領を貰って隠退してる
正信が警戒したのは、秀吉ではなくてむしろ主君である家康の方じゃないかな
この人割と執念深くて、前述の石川酒井や大久保など、
家中で豊臣家に近かった人間は天下取った後も冷遇してるから
928人間七七四年:2009/09/29(火) 10:19:32 ID:VCrsh0lg
増田長盛を一番ボンクラってのもなあ。

天下三陪臣については、堀でなく鍋島が入るバージョンもあったな。
929人間七七四年:2009/09/29(火) 10:37:38 ID:tehnLx5p
増田がボンクラは主観入りすぎだな

主観入って論評して良いなら直江とか片倉とか直接秀吉に会って
申し開きした逸話ある人だっているんだから秀吉との面会を避けた正信は
むしろその程度の器だったと取れるんだが
930人間七七四年:2009/09/29(火) 10:41:26 ID:Jg9nO/ZB
「秀吉が引き抜こうとしたけど、主家への恩を優先して断った陪臣」
の逸話はテンプレ過ぎて、どこまでが史実なのかわからないのが実際のところ
931人間七七四年:2009/09/29(火) 10:43:14 ID:ccQwpt3M
>>927
酒井家次は順調に出世してるし、大久保忠隣は長安事件までは中枢にいるし
何を持って冷遇といってるのか分からん。
932人間七七四年:2009/09/29(火) 10:45:19 ID:Jg9nO/ZB
家次が越後高田10万石の大名になったのは家康死んでからのことだよ
長安事件そのものが家中で親豊臣派だった
大久保家を追い落とす謀略だったという説もあるわけで
933人間七七四年:2009/09/29(火) 10:48:37 ID:oJz6llJE
大久保が親豊臣ってのも言いすぎだなw
大久保家が家康の意向に逆らえるほどの権力や影響力を持っていたわけじゃないし。

単純な家内の派閥抗争だと考えたほうがいいよ。
934人間七七四年:2009/09/29(火) 10:59:27 ID:jj7Y8CQK
>>930
>秀吉が引き抜こうとしたけど(ry
「家康が最も恐れた男」と一緒で
調べればそこらじゅうにいたりしてなw
935人間七七四年:2009/09/29(火) 11:05:32 ID:ql7tC/8j
>>929
まぁ、確かに自分の私観だけど
でも五奉行では一番、与し易い相手じゃないかと
936人間七七四年:2009/09/29(火) 11:06:12 ID:I7ADhJeV
>>933
大久保一党はバリバリの三河武士だしなw
まぁ信康切腹関連で名前挙がってるのも酒井、大久保だったりする辺り、
この辺の逸話が出来た江戸の頃に酒井・大久保冷遇の話が、
広く一般に流布していたのは間違いないだろうけど
937人間七七四年:2009/09/29(火) 11:36:53 ID:Y+ToGOSl
大久保冷遇説は彦左が発信源だろ
兄や周りは大名になったのに、自分だけ旗本とか屈折した爺w

実際、神君は大久保家を改易にはしたが、忠常や石川忠総(元大久保氏)を厚く遇するように遺命しとる

938人間七七四年:2009/09/29(火) 11:38:37 ID:p9w1ZROM
>>934
南は新納から北は片倉まで、くらいか?
939人間七七四年:2009/09/29(火) 11:59:46 ID:s4LJ7dmZ
ぶっちゃけ増田と長束が俺の中でキャラ被ってる
940人間七七四年:2009/09/29(火) 12:27:02 ID:ql7tC/8j
増田…ぶれる
長束…ぶれない
941人間七七四年:2009/09/29(火) 12:29:28 ID:+wYwdvNk
小早川隆景って大内義隆お気に入りのイケメンだったんだよな
942人間七七四年:2009/09/29(火) 12:39:31 ID:v1n4OZ09
「大内義隆お気に入りの男の子」っていうのは
「秀吉が引き抜こうとしたけど(ry」「家康が恐れた(ry」には負けるけどけっこう数いるよな

義隆のストライクゾーンが広かっただけかも知れないが。
943人間七七四年:2009/09/29(火) 13:50:32 ID:F3cy14eU
大物から小物まで恐れまくるのが神君の強みであり魅力だな
944人間七七四年:2009/09/29(火) 14:02:49 ID:VCrsh0lg
「秀吉が寝取ろうとしたけど上手くあしらった奥方」と一緒だな。
945人間七七四年:2009/09/29(火) 16:17:30 ID:4f2aWXQr
「信長を掘った男」「秀吉が引き抜いた人妻」「家康が恐れた料理」

改変しやすくていいなw
946人間七七四年:2009/09/29(火) 16:23:38 ID:Y+ToGOSl
>>945
1)股の槍左に、堀武蔵に…
2)蛇女、あとだれだっけ…
3)やっぱ焼き味噌?w
947人間七七四年:2009/09/29(火) 16:24:28 ID:F3cy14eU
「政宗が壊した文化遺産」「忠興が斬った庭師」「鬼武蔵の刀のサビになった味方武将」
みたいなもんか
948人間七七四年:2009/09/29(火) 16:28:53 ID:3DFo0nb9
「忠恒が粛清した家臣」
949人間七七四年:2009/09/29(火) 16:40:29 ID:4f2aWXQr
それなりの人物とテンプレじゃないと面白みがないかもね
950人間七七四年:2009/09/29(火) 17:59:04 ID:b/fpn4Rk
富田長繁さんの同僚も忘れないでくだちぃ
951人間七七四年:2009/09/29(火) 18:18:46 ID:fkolsBIA
>>947
その政宗が忠興と分けちゃった中国の古い書が東京国立博物館で展示されてるな
終わっちゃったかもしれないけど
ちゃんと紹介文にゲヒ殿の名前もあった

あそこ毎月幽斎の書だの、謙信の刀だの展示があるから困る
年間パス買っちゃったぜ
952人間七七四年:2009/09/29(火) 20:48:45 ID:UjmCaJnE
秀吉が欲しがった男・女
信長が欲しがった茶器
家康が恐れた男

無数に。
953人間七七四年:2009/09/29(火) 22:29:36 ID:CzNoPn2u
秀吉の形見分けをうけた者。
数百人。
954人間七七四年:2009/09/29(火) 22:48:31 ID:RDLqk6ys
>>945
スレチとは思うんだが衆道って実際は手を繋いで一緒に寝るだけとか聞いたんだが本当なのか?
やっぱアッー!んなことやしゃぶれだァ?コノヤロウ!てめェがしゃぶれよ!!って行為が主なの?
955人間七七四年:2009/09/29(火) 22:56:14 ID:oJz6llJE
>>954
稚児之草紙とかみれば解るが、とてもそんなものではない。
濃厚な性行為を伴う。
956人間七七四年:2009/09/29(火) 23:01:44 ID:RDLqk6ys
>>955
調べてみたが本当に濃厚すぎてうどん吹いた。
日本の変態文化はやっぱ昔からだったんだ・・・勉強になりました!ありがとうございます。
957人間七七四年:2009/09/29(火) 23:03:01 ID:8s+zZzLy
>>955
詳しそうなので同じくスレチで聞くが、お尻でやったらうんこまみれにならん?
現代にはイチヂク浣腸という利器があるが、
聞くところによればそれでさえ1回出しただけじゃ臭いしちんこが茶色っぽくなるらしいよ。

そんな臭そうな趣味が、どうやって風流なたしなみとして成立したの?
958人間七七四年:2009/09/29(火) 23:05:09 ID:oJz6llJE
これ以上はこっちで

★★★戦国時代の衆道★★★
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153415844/
959人間七七四年:2009/09/29(火) 23:47:43 ID:2rlZL4tz
寛正二年からの大飢饉はおびただしい餓死者を生んだ。
しかし、将軍義政のやることといえば、花の御所作りや
さらなる寝殿造営という有様で、飢饉の対策を怠っていた。
そんな時、後花園院が義政に一首を詠んだ。

「民はぜんまいを奪い合い、家々の扉は固く閉ざされている。
詩に興じるにはあまりにも痛ましい二月に、都に満ちている
花紅や新緑は誰のためなのか」

これを見た幕府は大いに恥じて寝殿の造営を中止したという。
院にまで呆れられる義政…
960人間七七四年:2009/09/30(水) 00:15:41 ID:2HG1FXWG
ξ←ぜんまい?
961人間七七四年:2009/09/30(水) 00:20:13 ID:OCBB9Ev5
>>959
実は中止していない。
確かにその句を詠まれて、建設工事は停止したが、その後
1年もたたずに工事を再開し、見事完成させている。

「休止」が正しいw
962人間七七四年:2009/09/30(水) 01:40:08 ID:kRDeYUyg
>>959
それはもちろん、自分と飢えた民衆のためです。
「花の御所作りやさらなる寝殿造営」は飢饉対策の一環なんですよ。
963人間七七四年:2009/09/30(水) 11:24:47 ID:VnMhiQou
で、寝殿に「偉大なる公方ばんざい」と落書きされてるのがみつかると。w
964人間七七四年:2009/09/30(水) 12:35:45 ID:daNfFgIF
まぁ財政出動で公共事業やるのは景気対策として正しいっちゃ正しい。
965人間七七四年:2009/09/30(水) 12:41:06 ID:Rjl4vuR0
建てたものが趣味丸出しだがw
966人間七七四年:2009/09/30(水) 13:06:34 ID:ho5lJDS3
高速道路とかと違って、立てた後あんま役に立たないからな…
967人間七七四年:2009/09/30(水) 16:14:26 ID:A8lmWorL
まぁ、後世で歴史建造物・文化財・観光資源としておおいに役に立ってはいるじゃないか

アニメの殿堂も10万年後には偉大な歴史建造物に…ry
968人間七七四年:2009/09/30(水) 21:55:48 ID:LO91dxnf
上杉は、30万石になってもリストラしないて言うけど、本多正信の次男が上杉から前田に仕え先を代えた時に、上杉家臣を連れて行って面倒見てる
969人間七七四年:2009/09/30(水) 22:33:44 ID:/eAn9eaT
再就職先も分からないまま首切りじゃなく
就職先が見つかるまで雇い続けて
確実な再就職先を斡旋してくれた。いい話じゃないか。
970人間七七四年:2009/09/30(水) 23:19:38 ID:9FMjXP+x
上杉や毛利って表高としては120万石→30万石、36万石に減封ってことだけど、
実高ベースではそれぞれ何万石から何万石に減ってるんだろう?

長門・周防は実高では初期で50万石ぐらいあった(というか無理やり打ち出した)らしいね。
971人間七七四年:2009/09/30(水) 23:26:46 ID:Iv+yhoIN
この時代の職って子孫の優先就活権みたいなものも含まれてるからリストラは大事だな
972人間七七四年:2009/09/30(水) 23:28:08 ID:stSiFlme
そろそろ新スレ立ててみる
973人間七七四年:2009/09/30(水) 23:30:37 ID:stSiFlme
できなかった…orz、どなたか頼みます。

↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話14

↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

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戦国ちょっと悪い話13
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姉妹スレ
戦国ちょっといい話13
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
974人間七七四年:2009/09/30(水) 23:37:59 ID:9FMjXP+x
上杉の場合、1664年には15万石に減ってるから約200年間15万石だったんだよなー
120万石から15万石へ105万石減ってちょっと想像の域を超えてるな

鷹山GJ!という他ないw
975人間七七四年:2009/09/30(水) 23:38:14 ID:IMM5dJ8j
>>973
コピペミスってごめんなさい
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1254321432/
976人間七七四年:2009/09/30(水) 23:41:20 ID:stSiFlme
>>975
ありがとうございましたー。
977人間七七四年:2009/09/30(水) 23:47:34 ID:IMM5dJ8j
失礼しましたー。
978人間七七四年:2009/10/01(木) 00:14:01 ID:yvWv2Zfa
関ヶ原が始まった頃のこと。

石田三成は宇喜多秀家らに、東海道への戦略を相談した。

「福島正則が家康と一緒に関東に下っているから、あの地域にはさしたる敵はいないはず。
尾張の清洲城を攻略してしまえば、そこから三河の岡崎、吉田とすぐに侵攻できるな。
さて、問題はこの作戦を、誰に申し付けるかだが…」

この時増田長盛が発言した
「先の尾張内府、織田信雄様が良いだろう!
かつて北畠の家も継がれ、尾張、伊勢で、その下知を聴かないものはいないさ。
どうだろう、織田信雄様に任せてみては?」

三成、秀家はこれに同意。かつての信雄の家老、佐久間不閑斎を呼び出し、
信雄を説得するように言った。

「我らが勝った暁には信雄様に、尾張、三河の領主となっていただこう。」

が、不閑斎、
「現在、信雄様の手勢は、越前大野のご嫡男秀雄様の元にあり、しかも秀雄様は
東軍に属しております。このため軍を発動したいと思っても、信雄様は人手がなく、
また人数を集めるための資金も無いので、どうにもなりませぬ。」

そこで三成は、「われらの提案を聞き届けるなら、黄金千枚をお渡しする」との
証文を書いた。

これを持って不閑斎、信雄の下に赴き三成らからの提案を語ったが、信雄は聞いたとたん
はなはだしく機嫌を悪くし、即座に断った。

「俺は信長の子だぞ!何故に石田や益田なんて連中の下知を聞かねばならんのだ!?」

しかしここで、近習達が諌める

「何と口惜しい事をおっしゃいます、これは大チャンスですぞ!
信雄様が尾張に兵を出せば、国中の牢人、郷民はみな、殿を慕って集まるでしょう。
伊勢からも当然、多くの者達が集結します。それだけでおそらく、2,3万にもなりましょう。
その多勢に下知すれば、尾張、三河を攻め取るなど簡単なことでは無いですか。
信雄様、尾張、三河の大大名に、復帰できるのですよ!」

「そう言われればそうだ」

信雄、前言を撤回しあっさりとこれを引き受けた。そこで不閑斎は大阪にとって戻り、
三成に、信雄の同意の返答を伝えたのだが、ところがこの時三成が不閑斎に「軍資金である」
と言って渡したのは、約束の黄金千枚ではなく、銀千枚であった。

不閑斎は大いに訝しみ、「こんな風に約束を違える様では、尾張、三河を与えると言う言葉も、
信用できないぞ。」と、京の信雄の下に帰った。

ちょうどその頃、越前から嫡男秀雄の使者として、家老の村瀬左馬が上京してきた。
秀雄は信雄の決断を聞き大いに驚き、父を諌めるために派遣したのだ。
そこに不閑斎も戻ってきて、二人して信雄に諫言をする。

これにより結局、信雄が出馬する事はなかった。

ところで、これに最も馬鹿をみたのは、嫡男秀雄であった。
父信雄が、出馬をしないにもかかわらず、グズグズと西軍よりの立場を変えなかったため、
元々東軍派であったはずの秀雄も身動きが取れなくなり、このあいまいな態度のため、
戦後、越前大野五万石を改易された。

まあそんなこんなで、いかにも織田信雄らしいお話。
979人間七七四年:2009/10/01(木) 00:50:57 ID:mxdyftUi
しかし大坂の陣で大名に返り咲くんだよな、信雄だけ
秀雄は28で死去したが、子はともかく正室もいなかったって本当かな
980人間七七四年:2009/10/01(木) 08:00:45 ID:Qy/DoHAR
大名なんてのは無能な方が徳川家にとっては都合がいいんだろうねえ
981人間七七四年:2009/10/01(木) 09:10:33 ID:ApmLdnnT
なにせ有能なら百姓でも恐れる男だからな>徳川
982人間七七四年:2009/10/01(木) 09:36:30 ID:HqDKjD66
つーか大阪の陣のときの大名復帰の理由も

豊臣家「徳川に対して反乱する事にしました」

信雄「はあ」

豊臣家「それについて、あなたが豊臣軍の総司令官をやってください。」

信雄「( ゚ Д゚)」

豊臣家「じゃあそう言うことで宜しく。」



信雄「徳川殿!豊臣軍の総司令官にされてしまいました、向こうの機密は何でも教えるから、
    助けて!」

幕府「そ、それは殊勝な事で…(どうしてこの人を総司令官にと考えるのだろう…?)」

この功績だからねw
つーか関が原のときといい、豊臣家筋からは異様に評価が高い気がする、常真殿。
983人間七七四年:2009/10/01(木) 09:47:58 ID:j7u1ONSX
うん?前に似たような話出てたようなと思ったらこれかな。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246682726/84
984人間七七四年:2009/10/01(木) 13:11:38 ID:9R7UHKqi
人選が悪すぎるぜw
985人間七七四年:2009/10/01(木) 13:13:26 ID:ks652aD4
神輿にすらならない信雄・・・・
986人間七七四年:2009/10/01(木) 13:51:30 ID:6zb6sHc6
秀吉が晩年ああなっちゃったのは、長年信長の近くにいてその様を見てきたからだ、なんていう説もあるけど、
もっと身近にいたはずの実の子が性格を受け継がずこんなボンクラなのなら、やっぱりあれは秀吉自身の性格なのか……。
987人間七七四年:2009/10/01(木) 14:20:44 ID:6Au2iI+T
信雄のこれも特殊だがかなり世間離れした個性だと思うぞ
あと豊臣家は信雄に関しては最後までその人格じゃなくて血筋しか問題にしてないと思う
988人間七七四年:2009/10/02(金) 11:05:45 ID:pGHCL7x9
gimpo復活!
989人間七七四年:2009/10/02(金) 11:10:43 ID:MLt7aWP7
親父の理知とか勇武とかは受け継がなかったけど、能や茶道などの芸術的嗜好と、
養父や部下を平気で殺す残忍さは受け継いでると思うよ>信雄
990人間七七四年:2009/10/02(金) 11:13:11 ID:9fP3CFK/
まるで信長が養父や部下を平気で殺す残忍な奴みたいな言い草だな
991人間七七四年:2009/10/02(金) 11:34:05 ID:hdGIp7Y8
復活してる!

>>990
信長は敵や裏切りには残忍だけど、身内にはむしろ甘々だよね。
992人間七七四年:2009/10/02(金) 11:36:43 ID:j7oAGUKv
信行も何度も謀反してるからなあ
993人間七七四年:2009/10/02(金) 11:50:43 ID:o7gqpU5D
身内には甘いけど部下には厳しいってヤな上司そのものじゃないか
994人間七七四年:2009/10/02(金) 12:04:43 ID:hdGIp7Y8
>>993
部下にもひどく甘いぞw
某鬼武蔵さんへの対応なんて、甘いにもほどがあるじゃないですかw

マジメな事を言うと、それまでの一族内から範囲を広げて、配下の国人や被官も含めて身内として、
「家中」というものを構成したのが戦国時代。
995人間七七四年:2009/10/02(金) 12:59:44 ID:ojPkzlLA
たしかにラスボスに「もっと嫁孝行しろよ」とかなんて身内扱いそのものだしね
996人間七七四年:2009/10/02(金) 13:02:08 ID:9DETorlt
信長は不誠実とか不真面目とかにはとにかく厳しいけど、
基本的には甘いと思うぞ。
997人間七七四年:2009/10/02(金) 14:05:20 ID:eh17YhMD
信長は何をするか解らん人物というのは部下にとっては最悪
どう付き合えば良いのか皆目見当がつかない
998人間七七四年:2009/10/02(金) 14:12:41 ID:BJrd+X1Y
大変だ、次スレの準備は????
999人間七七四年:2009/10/02(金) 14:33:58 ID:HTAKeLTP
まあまあ、慌てるでない。
1000人間七七四年:2009/10/02(金) 14:34:16 ID:/WkI5998
10011001
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
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