戦国ちょっと悪い話11

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84人間七七四年
織田信雄と関ヶ原

関ヶ原の戦いの以前、東西両軍の総大将である石田三成と徳川家康は、
各地の諸大名に宛てて盛んに書状を発し、裏工作を行っていた。
その頃の織田信雄と言えば、伏見や大坂に住まいて暇な日々を送っていただけである。
そんな信雄に、是非味方になって欲しいと申し出た者がある。石田三成であった。
三成は、信雄に対し
「常真殿が御味方して頂けるなら、戦後、恩賞として尾張一国を差し上げよう」
と言って誘った。ついでとして、黄金千枚も献上するとも約束した。
「ならば、最初に黄金を寄越せ」
何か頼りにされている信雄は、味方する前金として、まずは黄金千枚を要求した。

さて、後日の事である。
西軍の大将、石田三成から黄金千枚――――ではなく、銀が千枚送られてきた。
金ではなく、銀である。見た目も価値も全然違う、銀である。
「治部少は嘘を吐いた。嘘を吐いて、金ではなく銀を送りつけてきやがった」
流石に信雄は失望し、
「この様子では、恩賞で尾張が貰えるという話もデタラメに相違あるまいて……」
と思い、信雄自身はちゃっかり銀一千枚を貰った癖に、出馬を取り止めた。

戦後の信雄は、長宗我部盛親や大谷吉治らと同じ、牢人の身分にまで零落れ、
その日の食事にすら困るようになったので、大至急大坂の淀殿に保護を求めたという。