上杉景勝3

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1人間七七四年
過去スレ
上杉景勝
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168972775/l50
上杉景勝2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1215083244/l50

関連スレ
【景勝】御館の乱を語る【景虎】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212960019/l50
【毘】上杉家を語る 拾壱【義】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1229594303/l50
【北村一輝】 上杉景勝2 【天地人】(大河板)
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1234332244/l50


児玉彰三郎氏の「上杉景勝」
このスレでもたびたび話に出る天然記念物並景勝本の良書(絶賛絶版中)
ここで復刊交渉協力求む
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=38477

2人間七七四年:2009/02/14(土) 21:15:25 ID:iXOmkuaL
1乙
3人間七七四年:2009/02/14(土) 21:20:33 ID:0nlecLIi
お屋形様には「……(>>1乙)」との仰せにございます。

なお、当方も過日、児玉彰三郎氏の「上杉景勝」復刊希望に
一票投じさせて頂きました。遅ればせながら報告まで。
4人間七七四年:2009/02/14(土) 21:47:39 ID:azyUuspW
いちおつ
5人間七七四年:2009/02/15(日) 00:56:32 ID:zjOta43K
乙!
6人間七七四年:2009/02/15(日) 02:16:09 ID:1xf7kUNz
1乙!
無駄な物を一切入れないスレタイの寡黙さが好きだw
7人間七七四年:2009/02/15(日) 18:21:02 ID:cCGuMcst
高志書院の「直江兼続」がやっと買えた
読み応えあって一気に読めたよ
同じメンバーで景勝の本も書いてくれないかな
8人間七七四年:2009/02/16(月) 01:58:40 ID:Xd+my/lb
前スレで新スレではFAQの議論でもしようかって
話題が出てたけどどんなこと書いとけばいいかね
テンプレに入れるような形となるとやっぱ書籍関係?
9人間七七四年:2009/02/16(月) 08:35:37 ID:UflV0aCP
・書籍紹介
・男色説
・後継者説
これらは欲しいね
10人間七七四年:2009/02/16(月) 13:54:09 ID:dkMMGUWL
WiKiへの警告も欲しいな、アンチに粘着されてるし
11人間七七四年:2009/02/16(月) 19:09:38 ID:vNVG98lT
かげっちさまとかいう景勝キャラが作られている事をはじめて知ったw
景勝がキャラ化されるとか大河効果ってすごいな
12人間七七四年:2009/02/16(月) 20:08:56 ID:3Q3XOCkF
かまかつ様もいるよw
13人間七七四年:2009/02/17(火) 20:04:56 ID:K90qxDH8
にわかなんでこっちが教えてほしいレベルなんだけど、支援!
初心者におすすめ。


手軽に読める景勝の逸話

戦国ちょっといい話・悪い話まとめサイト
http://iiwarui.blog90.fc2.com/

「上杉景勝」タグ参照。
寡黙な景勝らしく当人はろくに喋っていないまままわりのリアクションで逸話ができあがっています。

「上杉謙信」「結城秀康」タグにも景勝絡みのエピソードが埋まっているよ。

他の武将のタグにも景勝エピがあったらフォローよろしく。
「伊達政宗」にもあった気がするんだけど数が多すぎて確認できなかった。


14人間七七四年:2009/02/17(火) 20:51:34 ID:zm0SDD6I
戦国板住人ならたいていその元になってるスレ2つとも見てると思うが…

ここで言われてるFAQってのはそうじゃなくて
聞かれやすい事をまとめておこうっていう事
書籍関連は群雲と図録上杉景勝くらい?
15人間七七四年:2009/02/17(火) 20:57:01 ID:HZEj7cyK
>>13
> 「伊達政宗」にもあった気がするんだけど数が多すぎて確認できなかった。

そこの「ブログ内検索」って所に、”景勝”って入れて検索すれば全部出てくるよ。
16人間七七四年:2009/02/18(水) 02:16:27 ID:zKraXS6S
>>8
書籍関係はいいかも。
ただ、書評とかも入れると長くなってしまうので、良書と言えるものだけ
挙げて、詳しい感想は戦国板まとめwikiに入れたり、随時聞かれたら
教えあう感じでいいと思う。

・米沢の上杉博物館の図録
・児玉氏の『上杉景勝』
これに、あとは
・今福匡『直江兼続』
・矢田俊文『直江兼続』を加える感じかな
17人間七七四年:2009/02/18(水) 02:27:44 ID:gmMVYy7Z
今福氏のはほしいな。直江のことあんまり知らんから。
上杉博物館の直江本くらいしか持ってない。でもあの書籍は参考になった。
18人間七七四年:2009/02/18(水) 07:37:34 ID:ubkr0UU2
矢田と今福の本はよかった
景勝展と兼続展のパンフも良書だった
伝国の杜、いい仕事してるぜ!!
19人間七七四年:2009/02/18(水) 21:46:49 ID:6QCAOYzW
>>17
木村徳衛氏の「直江兼続伝」も面白いよ
古い本だけど論文で引用されてることが多いし文書もたくさん載ってる
この2人は簡単にイメージ先行で語られちゃうことが多いから
>>16みたいな書籍がもっと出てくれると嬉しい
20人間七七四年:2009/02/19(木) 01:23:40 ID:wGpKeuwm
>>19
欲しいんだけど、8000円は少しキツいんだよね。
ただ、間違いなくその値段分以上の価値はあると思うんだけど。

景勝・兼続のすべては、小野栄氏などの政治・経済体制について書いた
記事は中々面白かったんだが、如何せん作家さんの書いたパートが
まんま小説だったり、内容自体が酷かったりで、そこの部分は一新して
ほしかったな。
21人間七七四年:2009/02/19(木) 02:10:55 ID:GwZ2sE7Z
前にスレでも話題になった河村恵利の菊姫が主役の漫画のコミックスが出てた。
昔の少女漫画的なあたりさわりのない内容なんだけど、
不仲だとか菊姫が嫉妬で自害したとか面白おかしく言う人がいるなかで
この作品の景菊夫婦の仲良しっぷりに和んだ。両思いすぎるw
22人間七七四年:2009/02/19(木) 04:00:23 ID:xzfdBS/v
>19
薦めてくれてサンクスです。
23人間七七四年:2009/02/20(金) 18:58:39 ID:GHHzA/sq
「不仲」だったという記録も菊姫が性格が悪いというのも
聞いたことがないから普通に仲良かったんじゃね?
仲がよくて悪い事はないだろうし
相手の性格が悪くない限り仲違いする理由もないさね
景勝も実家が滅んで帰る場所のない女を捨てるような奴でもない
24人間七七四年:2009/02/20(金) 19:24:36 ID:x/7QyI5e
でも仲が良かったなら夫婦間の書状が何かしら残ってていいんじゃないか、と思わないでもない。
いや、単に読みたいだけなんだけど。
25人間七七四年:2009/02/20(金) 23:01:31 ID:/KNp9/XR
夫婦間で書状を交わしてそれが残ってる方が珍しい件。
26人間七七四年:2009/02/20(金) 23:43:14 ID:V51FF13j
仲が悪かったら、意外に記録に残ってるよね。
27人間七七四年:2009/02/21(土) 00:34:22 ID:a7RZOEYf
上に出てたコミックを俺も読んだが菊姫の最期の別れの場面に泣けた
あの解釈は結構好き

記録も根拠もないのにヒス女にされてる菊姫可哀相だ…
四辻殿が亡くなったのも偶然なのにな
28人間七七四年:2009/02/21(土) 00:47:21 ID:UjeQAyJR
偶然ではないだろ
産後の経過が悪かったんだろ
29人間七七四年:2009/02/21(土) 01:30:40 ID:0rSORZbZ
>>27
あのシーンは自分も好きだが、個人的には
実際には別々の場所にいる景勝と菊姫が同時に見た幻とか夢だったら、
もっと趣があったような気が。

しかし自分の知る限り、最も穏当な形の景勝夫妻+四辻氏の描かれた
商業ベースの作品が現時点でこれだけ(四辻氏がまともに描かれたのもこれだけ)
と思うと、なんだか複雑。

>>28
個人の妄想だが、
「産後の経過が悪く、ついに産褥死」に見せかけて殺された可能性はあるのかな?
それでなくても四辻氏の最大の庇護者と言って良い景勝は留守で、
世継ぎを産んで地位や立場が上がったとはいえ、四辻氏の護りは直江夫妻だけのような感じだし。

30人間七七四年:2009/02/21(土) 01:49:59 ID:6h04t5kA
>>29
殺す理由が無くない?
それに四辻氏が死んだ場合の危険性が大きすぎる。
当時の子供が大人までちゃんと育つ確率なんてそんなに高くないのに、
玉丸がもし小さい頃にで病で死んだら、今度こそ跡継ぎがいなくなる可能性が高い。
四辻氏には長生きして、後何人か子供を産んでもらわないと上杉家が危機に陥る気がする。
景勝が何人も側室を侍らせる人なら他の人でもいいんだろうけど、そういう人ではないしなあ。
31人間七七四年:2009/02/21(土) 02:40:12 ID:KvsHQxTk
四辻氏が誰か他家の有力者から送り込まれたとかならともかく
上杉家家臣には四辻氏を殺す理由が無さすぎるな。
むしろ子も出来ず後ろ盾もない菊姫のほうがまだ景勝に嫁を送り込むために
邪魔とかで暗殺される理由はあるかもしれん。
32人間七七四年:2009/02/21(土) 03:38:52 ID:a7RZOEYf
>>28
説明不足だった
俺が言いたい偶然てのは産後の肥立ちが悪く
運悪く亡くなってしまったて事
昔は産後の肥立ちが悪くて亡くなるなんてよくあるのに
偶然菊姫、四辻殿と不幸が続いてしまった
誰も何も悪くない
ただ菊姫に子供が居なかったのと亡くなった
時期が時期だけに変な与太話が生まれた
時期と運が偶然悪く重なってしまった
こう言いたかった


>>29
幻想で会う系は他の話で結構やっちゃったから生身で合わせたんじゃないかな?
本当、俺もまともな夫婦が描かれた読物はあれが初めて
分厚い上杉本ですら菊姫を空気か景勝を女に興味のない淡泊人間扱い
生家が滅びて何の後ろ盾もないただの一個人になっても
景勝がただ一人の正室として大事にした人なのだから
常識的に考えて夫婦仲は良かっただろうし
菊姫の人柄も良かったのだと予想できそうなもんだけどな
作家達もヒス女の方がインパクトあるしイベントを求めて
まともに書いてくれない現状
ヤンデレはいいよ
河村氏GJ
33人間七七四年:2009/02/21(土) 04:50:00 ID:KvsHQxTk
まー仲良い設定だと菊姫が亡くなるときには景勝は伏見滞在中だから
わざわざ会わないことにする理由はないかな。
花に背いては菊姫は自殺してしまうが景勝とは両思いだったと思うのだが。
34人間七七四年:2009/02/21(土) 05:07:32 ID:6RWIHRYT
>>32
おまいが読んだマンガの菊姫と夫婦関係を気に入ったのは分かったが
菊姫を性格悪く書くのもラブ米のように書くのも作品を盛り上げる要素として
創作してる事には変わりないんだしどっちがまともとかはないだろ
35人間七七四年:2009/02/21(土) 09:23:53 ID:7fMsiRna
問題なのは不仲説の発生源が笑って済まされないところにあることでw
36人間七七四年:2009/02/21(土) 10:57:34 ID:9PSnxzow
殿のお帰りを 400年以上お待ち申し上げていました。 山河は殿のお生まれ当時のままに
ございます。 菊姫様ともどもお里帰りが叶いますように あとどれほどの
時をお待ち申し上げれば よいのでしょうか。
37人間七七四年:2009/02/21(土) 11:34:41 ID:dI8XKxlk
>>33
仲良い設定でなくても、史実ではそうなんちゃう。
今、矢田先生編集の直江本読んでるんだけど、あの時秀忠からは
上洛の必要いらないよっていわれたのに結局上洛したんだね。
38人間七七四年:2009/02/21(土) 11:48:29 ID:ZD+scyp3
>>29
四辻氏は側室とはいえ、藤原北家西園寺流の名家出身。
加えて平姓を名乗る長尾家出身の景勝が「上杉」を名乗るわけだから
遅かれ早かれ、藤原氏系から嫁を迎えないことには
名分も立たないわけで・・・・
39人間七七四年:2009/02/21(土) 12:05:26 ID:dI8XKxlk
江戸の大名の皆さんは、ほとんどエセ××の方なんすけど。
そんなに嫁にこだわるかな−。
それに実のことをいえば、上杉が勧修寺流つ−のも現在研究者さんから疑われてます。
40人間七七四年:2009/02/21(土) 12:08:50 ID:pZwPrVz7
>>39
実態がどうだって問題じゃない。当人たちと世間がそう信じていたかどうかの問題だ。
後出し知識で当時の事を判断するのは危険極まりない。
41人間七七四年:2009/02/21(土) 12:56:56 ID:1qzAez9Q
まぁなんだ、菊姫はいい酒だ。
42人間七七四年:2009/02/21(土) 13:10:29 ID:ZD+scyp3
>>39
織豊〜徳川期の新参大名ならともかく
鎌倉時代から続いてきた武家も大半は仮冒 とか言ってるのは
宝賀を初めとした「古代氏族厨」だけじゃん
43人間七七四年:2009/02/21(土) 13:48:57 ID:33XdexhL
>>42
あれは流石にひどいな
4429:2009/02/21(土) 16:54:58 ID:QKrpxJsq
>>32
自分は河村氏の漫画はどちらか言うと好きではない(それこそ掲載雑誌すら
わざわざ買ってまで読まない)方だが、
今回だけは立ち読んだ掲載雑誌で最終話を見かけて以来、
まさにこんな状態で→(0゚・∀・)wktkしながら単行本発売を待って購入し、
改めて全話を読んで「河村氏グッジョブ(AA略)」と思った。

>>38
父親の極官による序列のみで見ると、
四辻氏>>>>>>>>>菊姫。
極端な話、四辻氏が正室で菊姫が側室でもおかしくはないかもしれない。

>>30-31
確かに四辻氏より菊姫を死なせた方が、何らかの野望を抱く者には都合が良い。
またしても推理もどきの妄想スマンが、お二方のレスを読んで、最近出た説である
「四辻氏は直江兼続が自らの養女にしたのち、景勝の妾として献上した女」
「晩年の兼続の失脚・孤立の要因は定勝出生にまつわる兼続の陰謀の露見」は、
*菊姫は養女を景勝の側室に送り込んで上杉家における権力を全て手中に収めようと企んだ、
 直江兼続によって暗殺または死(含む自殺またはこれに準ずる死)に追い込まれた。
*のちにそれを知って激怒した景勝・お船らを始めとする上杉家家中により、兼続は全ての権力を
 奪われて鱗屋敷に蟄居させられ、病にかかっても医師の治療や快癒祈願も一切なされぬまま、
 ついに孤独死するに至った。
と考えると辻褄が合う可能性はなくはないかもしれないとうっかり思ってしまったw
45人間七七四年:2009/02/22(日) 09:41:42 ID:3cajH1kZ
少女漫画読んだぞ。
主筋の思わず恥ずかしくなる景勝菊姫夫婦のラブコメも凄かったが
上条政繁にあんな好意的な上杉ものも珍しいw
景勝と政繁の喧嘩が一番の収穫だった。
46人間七七四年:2009/02/22(日) 12:34:44 ID:cZGKOzwE
俺も読もうか迷ってるのだが・・・
読む価値有りか?
47人間七七四年:2009/02/22(日) 13:51:03 ID:3cajH1kZ
個人的な感想だか。
少女漫画なので戦国の迫力は求めてはいけない。
絵柄上登場人物はみな頼りなさげで細い。
顔パターンが少ないのか景勝と同収録の短篇の主人公の顔が同じだし
謙信と秀吉、上条弥三郎と三郎景虎の顔も同じ。
思わず恥ずかしくなるくらい景勝と菊姫がラブ。
短篇で三郎景虎主役ネタも入ってる。景虎と景勝姉の悲恋が主軸だが
景虎は「美形悪役の想定だったけどあんま悪役って感じの人生じゃないね」との
作者の発言どおりな展開。
受け付けるかは個人の嗜好によるだろうが少なくともキャラの心理を描いてるし
登場人物への愛は感じるので天地人よりはよっぽど面白かった。

菊姫と景勝のとにかく仲睦まじすぎるくらい仲睦まじい夫婦っぷりを
期待するなら外さないと思う。景勝無愛想設定な割りには全然そんな感じしないが。
48人間七七四年:2009/02/24(火) 07:07:05 ID:vLP0cczH
有難う
じゃあ、読んでみるよ。景勝が漫画になる機会も
そうはないからね
49人間七七四年:2009/02/24(火) 10:06:29 ID:Wi82363Z
その少女漫画なんてタイトル?
50人間七七四年:2009/02/24(火) 11:14:06 ID:v+xCGVxx
花の君参る 上杉景勝室・菊姫
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAX62862/
51人間七七四年:2009/02/24(火) 11:27:35 ID:NRvBsODb
500円で釣りがくるから弁当でも買ったと思えば
外したと思ってもそこまでむかつかないだろうw
52人間七七四年:2009/02/24(火) 11:44:28 ID:Wi82363Z
>>50
ありがとう!早速買ってくる!
53人間七七四年:2009/02/24(火) 20:13:35 ID:21Peamwl
史料
 上杉家御年譜1〜4 米沢温故会/原書房
 御代々御式目    米沢市史編纂委員会
 上杉史料集     井上悦夫/人物往来社
 会津陣物語     松田稔/勉誠出版

図録(米沢市上杉博物館)
 上杉景勝[特別展]  
 上杉謙信[特別展]  
 直江兼続[特別展]  
 戦う上杉氏
 上杉家の至宝一、二
 国宝上杉家文書図説
 山形の刀剣  
54人間七七四年:2009/02/24(火) 20:21:05 ID:AIQrlnPv
>>53
絶版多過ぎだよな
55人間七七四年:2009/02/26(木) 01:47:11 ID:ljopcP/o
>>50
気になったので買って読んで見た。
いかにも少女漫画で背中が痒くなる部分もあったけど景勝と菊姫が
微笑ましく思えた。初めての感覚w
というかマジで天地人より面白い。アレの菊姫はこんなんじゃないだろな。
56人間七七四年:2009/02/26(木) 01:55:38 ID:UbwZ7whd
このスレは河村氏の漫画の売り上げに貢献してるなw

でも景勝菊姫夫婦が仲いい設定の商業作品が
あれくらいしかないというのがまた悲しい事だ。
もっと増えたらいいのに。
57人間七七四年:2009/02/26(木) 02:52:51 ID:YO3//vYb
>>56
「北の王国」での関係も中々良いが、如何せん出番自体が少ない
58人間七七四年:2009/02/26(木) 05:37:38 ID:dt/8SzR2
菊姫は登場しないけど、夫婦仲いいって設定の小説は結構多いと思うが。
『群雲、関ケ原へ』と『われ謙信なりせば』とか。
『奥羽永慶軍記』の菊姫像はあんまりだが、歌舞伎三姫の一人八重垣姫は菊姫がモデルといわれたように、
江戸期の一般の人はこのカップルに関して好印象を持ってたんじゃないかね。
59人間七七四年:2009/02/26(木) 19:28:21 ID:vubZxo7x
河村氏の少女漫画は景勝は菊姫に一目惚れだし若夫婦の人目を憚らないラブラブっぷりに
周囲の家臣達はテラウフフな扱いだしむず痒かったな。
顔の見分けがつかんから判断できなかったんだが景虎外伝の景虎結婚の席で
景勝に話し掛けていたのは髪があるころの政繁なのか?
最初は謙信かと思ったが服の模様が違うようだし、
景勝にあんなぞんざいな話し掛け方をするのは
景勝と同格かそれ以上の身分で親しい間柄の人物だと思うんだが。
60人間七七四年:2009/02/26(木) 19:36:39 ID:xaiu+aYZ
あんま細かいところ気にすんな。
しょせんは漫画じゃん。
61人間七七四年:2009/02/26(木) 20:43:22 ID:XgNrpdt1
>>58
好印象と同時に「徳川によって引き裂かれた相愛の夫婦への哀惜」
もあったかもしれない。
モデル(以下「中の人」)が菊姫である八重垣姫の登場する
「本朝廿四孝」の勝頼の中の人は景勝といわれているらしい。

余談だが、三姫の一人の「鎌倉三代記」の時姫の中の人は千姫、
時姫の許婚の三浦之助の中の人は豊臣秀頼。

>>59
服装で判断して、政繁かと思った。
この漫画では政繁夫人と景虎夫人は
どちらも景勝の姉という設定にになっているね。
62人間七七四年:2009/02/27(金) 00:06:12 ID:siq+mXAW
ふむ、直球で景勝・菊姫と名付けて上杉征伐で引き裂かれて
遠く景勝の下へ神霊の力を借りて駆けていく菊姫という話にすると
直球過ぎて政治色の匂いがする気まずい話になるから
謙信の娘と勝頼という明らかにアリエナスながら
二人の中の人を彷彿とさせる人選にしたというネタかな。
江戸時代にはもう信玄・謙信のライバル関係ネタは有名だったから、
その子の代で夫婦になったという事実は妄想掻き立ててもおかしくないだろうしな。
63人間七七四年:2009/02/27(金) 09:24:23 ID:T6tM1pmT
一般的には仲いい夫婦ととられてるんじゃね?
WiKiの記述も例の人が編集するまでは、そんな感じだった。
風林の時だったかな。山梨で信玄の話しがあった時、
この夫婦のことすごく好意的に話してたぜ。
山梨の人は、うちのお姫様を大切にしてくれたと好印象を持ってるんじゃないかね。

ところで、会津征伐の時上杉の伏見屋敷はどうなってたのかね?
留守居の千坂はなにしとったんかね?拘束されていたという話しも聞かんが。
64人間七七四年:2009/02/27(金) 22:42:24 ID:ZEtXi0ze
>>62
江戸期に作られた浄瑠璃・歌舞伎などにおいて、
戦国後期以降の出来事や人物を題材にする場合は、
ストレートに扱うのは禁止されていたため、
時代や名前を置き換えたりしなくてはならなかった。

(「仮名手本忠臣蔵」で浅野内匠守を南北朝時代の「塩谷判官「大石内蔵助」を
「大星由良之助」と置き換えたように)

「鎌倉三代記」なんか、「敵方とは言え、
自分の孫娘の最愛の夫とその母親を死に追いやった」
という大坂の陣そのものの話だから、
「本朝廿四孝」以上にやばい。
6561,64:2009/02/27(金) 22:45:12 ID:ZEtXi0ze
途中で書き込んでしまってスマン
×(「仮名手本忠臣蔵」で浅野内匠守を南北朝時代の「塩谷判官「大石内蔵助」を
「大星由良之助」と置き換えたように)

○(「仮名手本忠臣蔵」で浅野内匠守を南北朝時代の「塩谷判官」、
吉良上野介を「高師直」に置き換え、「大石内蔵助」を「大星由良之助」と
名前を変えたように)
66人間七七四年:2009/03/03(火) 03:10:25 ID:5yDMcJlz
>>59
『花の君参る』は上条政繁の描写が新しいと思ったかな。出奔の理由も
面白いと思ったし。景勝や直江兼続をあつかった作品のうち、
大体の場合だと、上条は結構嫌なやつだったりする事が多いのに、
ちゃっかり息子ともども菊姫の臨終の場面にも立ち会っていたりする。
67人間七七四年:2009/03/04(水) 03:11:18 ID:fvZM6ZkD
菊姫が姫でも産んでたらどうなってたかな
68人間七七四年:2009/03/04(水) 05:07:16 ID:dI7Pl32Z
>>67
父親を追放して家督をつぎ、
信濃へ兵を向けるだろうな。
69人間七七四年:2009/03/04(水) 17:43:11 ID:x5OsZ7GJ
そんな隔世遺伝は嫌だw
70人間七七四年:2009/03/04(水) 19:04:47 ID:eWMrgogG
為景と信虎の血を受け継ぐんだから小松姫以上に凄い姫だったかもしれんw
71人間七七四年:2009/03/04(水) 19:58:43 ID:fvZM6ZkD
謙信と信玄の孫と言うとすごそうだけど、
為景と信虎のひ孫と言うと一気に変な感じがw
二人ともすごい人な事に違いはないんだけど。
72人間七七四年:2009/03/04(水) 20:02:45 ID:T1N+awIW
謙信も凶暴って言えば凶暴なんだけど、為景のことを知ると一気にかわいく見えてくるから困る。
73人間七七四年:2009/03/05(木) 18:50:02 ID:Puy6F2O3
すみません、前スレの
> 546 :人間七七四年[sage]:2008/12/02(火) 06:12:37 ID:0yep93B0
> 喜平次が上田衆に感状を発給し始める頃、同じ上田衆に長尾時宗という人物が同じように感状
> を発給している。片桐氏は、この長尾時宗こそ政景の跡を継いだ人物であり(片桐氏は義景に
> あたるのではないかと推測)、謙信は上田長尾を掌握するために、養氏の喜平次を元服させ、
> 栗林政頼をその後見役として、長尾時宗がもっていた上田衆に対する軍事指揮権や当主としての
> 権限を奪っていった説を唱えているね。
の片桐氏の見解(時宗を義景と推測する箇所)を確認したいのですが、どの論文で示唆されているのでしょうか?
ご存知の方がおられたら教えてください。
74人間七七四年:2009/03/07(土) 04:50:51 ID:nmuxYKuH
「長尾景虎(上杉輝虎)の感状とその展開」『戦国期発給文書の研究』
高志書院 2005
7573:2009/03/07(土) 04:53:21 ID:iXeyjIsv
あざーす!
それかなーと思ったのですが確証が持てませんでした。
これで安心して買えます!!!!
76人間七七四年:2009/03/09(月) 01:54:16 ID:ZWV14exk
長尾景虎の母は古志家の娘
古志景信の母は泉氏の娘
では上田政景の母は誰だ?
政景の祖母は泉氏らしいが
77人間七七四年:2009/03/11(水) 09:03:33 ID:szTyOQMl
もろもろの泉氏母説に関しては、尾崎家の家譜だけしか証明するものがないから
信憑性という点でどうかな。
78人間七七四年:2009/03/11(水) 11:19:06 ID:whivQdwj
しかし将軍家との縁があるぐらいだから、上田長尾と結びついても不自然さはないね。
79人間七七四年:2009/03/15(日) 21:24:30 ID:MvdVqnO0
案の定、大河に「景勝軍に襲われた居多神社」を捩じ込んだと思われる花ヶ前w
別に他の寺や神社を差し置いて紹介するほど重要な神社でもないだろ。
80人間七七四年:2009/03/15(日) 23:37:04 ID:wIfsBRRN
一宮だからそこそこ重要だけれど、この時代はそんなに、ね。
81人間七七四年:2009/03/16(月) 00:14:27 ID:gmrWe7EQ
同じ越後一宮を比べるなら、弥彦神社の方が圧倒的に重要視されてたと思うしな。
弥彦神社には謙信の願文とかあるし、起請文に書かれてる数とかも。

つか、景虎方に付いて攻撃受けたってことなら、武力のある神社だったんだろ。
被害者面すんなよとw
82人間七七四年:2009/03/18(水) 13:42:46 ID:Kri4BSeS
なぁ、河田とか越中組って家督を盗んだ逆賊景勝に怒り
景虎の家督継承を条件に織田に降り、越後の反乱を鎮圧し
信長から景虎の越後を安堵してもらう事が上杉が生き延びる唯一のチャンスだったのにやらなかったのは
河田らが景勝支持だったから?
83人間七七四年:2009/03/18(水) 15:14:33 ID:4niHiYwN
↑なにこれ?
大河とか小説を真に受けてる人?
84人間七七四年:2009/03/18(水) 15:34:31 ID:wEq8OZTP
そういえばもう春だもんなー(棒読み)
85人間七七四年:2009/03/18(水) 17:24:15 ID:xvw/cipy
>>81
本来の一宮は弥彦だしね。

俺の初詣は毎年弥彦。
今年は御神籤で大吉をひいてしまった。
なのにあまり良いことが起こらない。
……大河がつまらなかったり、大河がつまらなかったり、大河がつまらなかったり。
86人間七七四年:2009/03/18(水) 18:47:57 ID:IMsDpMhI
4月からのNHKのラジオは、景勝的に聞く価値ある?
当然!兼続の番組!なんだが、兼続が出るなら景勝の話題が全然出ないことはないだろう。
・・・たぶん
笠谷和比呂の景勝認識ってどんなか知ってる人いる?
関ヶ原後の最上や伊達との相克を捉え直す、らしい。
ラジオ持ってないんだよ。買うべきか迷う。
でも兼続の番組だしな。
87人間七七四年:2009/03/18(水) 19:05:15 ID:CVJTln/j
家督を盗んだ逆賊景勝(爆笑)

>>82、今年大量発生したアンチ景勝厨とか景虎厨?それともミラ厨?
もう春の彼岸ですからねぇー(棒読み)
88人間七七四年:2009/03/18(水) 19:10:09 ID:0Fc2OtHR
>>86
> 笠谷和比呂の景勝認識ってどんなか知ってる人いる?
この人はいくらか偏りなくものを見ているよ。
直江状を偽書とは見ていない。

>>87
あまり煽るなよ。
89人間七七四年:2009/04/04(土) 07:00:36 ID:YssIzaWf
例のラジオ番組はいつからですか?
90人間七七四年:2009/04/13(月) 15:07:47 ID:y2+wEY6g

ここは景勝信者の巣窟ですね(^-^)
91人間七七四年:2009/04/13(月) 19:10:06 ID:zb2wndQH
あたりまえだろw
92人間七七四年:2009/04/14(火) 13:37:31 ID:6QH7sLfZ
普通好きな武将のスレしか覗かないもんじゃないか?アンチでもない限りは
93人間七七四年:2009/04/15(水) 09:06:27 ID:um/zpk5u
景勝ファンになって日が浅いんですが、小説は何冊か読みました。小説によって内容違ったりするのでどれが史実でどれが創作なのかがよく分かりません。そこで史実に基づいた、もしくは近い小説や本があれば教えて頂けないでしょうか。お願いします。
94人間七七四年:2009/04/15(水) 09:10:06 ID:k0UELSRN
小説に史実を求めるなよ。
95人間七七四年:2009/04/15(水) 09:56:02 ID:7cfjCp5b
今のところ一次史料を重視した小説がないんだよね。
研究や通説自体がいまだ軍記に毒されているし。
近衛の小説は一見史料重視に見えるけれど、あれが一番事実から遠いと見ていい。
96人間七七四年:2009/04/15(水) 10:27:38 ID:um/zpk5u
レスありがとうございます。では皆さんはどうやって史実を勉強してるんですか?何が本とかありますか?
97人間七七四年:2009/04/15(水) 10:29:26 ID:um/zpk5u
>96
何が→何か、の間違いです。
98人間七七四年:2009/04/15(水) 13:11:30 ID:u9F+IotB
マジで史実のみを追求したいなら、一次史料を読むしかないと思うけど
活字で本になってるので有名所といえば

新潟県史 資料編
上越市史 別編 上杉氏文書集
上越市史叢書 上杉家御書集成
大日本古文書 上杉家文書
歴代古案
特別展「上杉景勝」(上杉博物館)
国宝「上杉家文書」図説(上杉博物館)

あたりとかか?
つかまあ、まずは専門書か学術書みたいなのを読めば?
このスレ100レスもないけど、何冊も出てるだろ。

まあ、余裕があれば軍記や資料みたいなのも読んどいた方がいいと思うけど。
逆に「その逸話は○○が出典だから信憑性は薄い」とか分かるようになるだろ。
99人間七七四年:2009/04/15(水) 19:48:37 ID:cCfywI4h
>>98
図録以外絶版じゃね?
100人間七七四年:2009/04/15(水) 19:49:10 ID:8gjOANw/
>93です。ありがとうございます!早速購入してみます。
101人間七七四年:2009/04/16(木) 19:19:16 ID:wYesdFTa
上越市史 別編 上杉氏文書集
上越市史叢書 上杉家御書集成
大日本古文書 上杉家文書
はネットで調べたところ、購入できなそうでした><
購入できるようであれば情報ください><

特別展「上杉景勝」(上杉博物館)
国宝「上杉家文書」図説(上杉博物館)
は問い合わせしたら購入できるので本日振込してきました^^
あとは届くの待ちです^^
102人間七七四年:2009/04/16(木) 20:07:46 ID:B/rEvAeq
>>101
> 上越市史 別編 上杉氏文書集
先月は上越市で買えたが、もうないのかな?
> 上越市史叢書 上杉家御書集成
つ復刊ドットコム
> 大日本古文書 上杉家文書
今のところ東京大学史料編纂のサイトでだいたい読めるよ
103人間七七四年:2009/04/16(木) 21:30:12 ID:haCWnQAV
> 大日本古文書 上杉家文書
見てきました!ですが難しくて読めませんでした(泣)

104人間七七四年:2009/04/16(木) 21:59:41 ID:eiLhy6b8
>>103
読めないんだったら、最初から一次史料をあたるのではなく
専門書みたいなの読んでから、出典となってる古文書を確認…みたいな流れのほうがいいんでないか?

このスレの推奨本は
上杉博物館の図録(>>103が買ったやつ。他にもあるけど)
児玉彰三郎『上杉景勝』 (図書館で借りれ)

直江兼続を扱った本にももれなく載ってるので、それを読むのもいいだろう。
矢田俊文編『直江兼続』は一般向けに作った本だそうだから読みやすいだろう。

ちなみにこのスレの非推奨の本は
花○前○明『上杉景勝のす○て』
105人間七七四年:2009/04/17(金) 02:31:20 ID:KjnLljl0
>>103
読めなくて当然。
しかし年表や戦国初心者向けの本と照らし合わせながら
見ているとだんだんと意味がわかる。
慣れですよ、慣れ。
読みなれてくると研究者の読み下しが間違えていたり、
勝手な意訳をしているのがわかってくる。
するとどの研究者や学者がいい加減なのかもわかってくるよ。
106人間七七四年:2009/04/17(金) 02:37:25 ID:RmdvyBSF
最初はくずし字辞典なんかと首っ引きで読んだりしたの?
107人間七七四年:2009/04/17(金) 03:05:13 ID:KjnLljl0
活字になっているものを読みたいだけならそれは後回しでもいいんじゃないかな。
いずれはやるべきだろうけれどね。
たとえば先の「新潟県史」と「上越市史」では、
同じ文書を扱っているのに活字が異るというケースが多い。
「任国」と「住国」とかね。
どちらが正しいかを知りたかったら勉強するしかない。
108人間七七四年:2009/04/17(金) 05:04:45 ID:BFkRhyH4
探しものなんだけど、ご存じの方いらっしゃらないだろうか?
>>98 は歴代古案以外は読んで収蔵の写真もみたんだけど、見逃してるかもしれない。

このスレでもよく話題に出る佐竹さん宛の
「六十余州を相手に散るのは名誉なことです」な景勝の手紙を
写真でみられる本(もしくはサイトでも)ってどこかにないでしょうか?
(「新潟県史」では194番)

千秋文庫辺りにあるのかな。…

どうも探し方が下手らしくて。何れにしても写ししか現存してないんだろうか。
本物があったら展示は無理でも写真があればみてみたいと思うけど辿り着けない。
写しでもどういう状態のものなのか気になるからみてみたい。

「新潟県史」のマイクロフィルム版があるようなんだけど、これは普通に活字かな…。
よろしくお願いします。
109人間七七四年:2009/04/17(金) 07:11:04 ID:Lok+NsKi
それが上杉家文書に入ってる奴なら、新潟県立文書館にマイクロフィルムと大型写真あるよ

赤箪笥(乾)入文書
両掛入文書
精選古案両掛入文書

なら、上杉家文書が国宝指定で補修される前に
封紙なども全部撮影してあるそうだけど、
複写制限が掛かってて、複写は上杉博物館の了解が必要。
って、平成14年度の『新潟県立文書館だより』に書いてあった。
関係なかったらスマン。
110人間七七四年:2009/04/17(金) 18:27:15 ID:TZLa2o9s
新潟県史194番の書状を図書館に見に行ったら
上杉房定感状だった場合は?
111人間七七四年:2009/04/17(金) 20:27:27 ID:gGakj/op
>>109 ありがとう。違うみたいだけど、これも見たかったのでうれしい。
図録等で随分みられたけど、マイクロフィルムとかで全部あるのはすごいね。ありがとう!

>>110 上杉房定だった?ごめん、手元にあるコピーは、新潟県史資料編5中世3の194で
タイトルが「上杉景勝書状寫」となってて、五月朔日 に書かれた(年不明)ものになってた。
巻数違うんだろうか?

まとまってない質問だったのにありがとう。
最初は上杉家文書にあるのかなと思って探したんだけど、越佐史料からのもので「佐竹文書」に入ってるらしい。
それで、佐竹文書なら千秋文庫にあるのかなと思ったんだけど辿り着いたサイトに資料はなかったので、
もっと調べて解らなかったら問い合わせてみるかもしれない。

参考にさせてもらった前スレとかが落ちてるので、内容を簡単に書くと
織田軍が攻めてきて危なかったとき佐竹義重に応援等を断り、
「景勝は良い時代に生まれたものです。六十余州を相手に回し一戦に及び
滅びましたなら死後の思い出となり不相応なほどの名誉、またもしこれにて生き残りましたら無双の英雄となります。
死んでも生きても名誉なことで、天下の誉です」といったようなことを書き送った手紙。

探す時にこのスレも前スレも参考にさせてもらって凄く助かった、ありがとう。
あと、教えてもらってばかりで何なので少しだけ

「上越市史」 別編2 上杉氏文書集2 は4,500円 
問い合せれば取り寄せは出来るみたい。だけど、実物はかなり大きいので送料とか地域によっても変わるかと思う。
上杉家御書集成2は残念ながら残部がないけど、前にこのスレでも話題に出てた謙信の家督継承について
片桐氏が寄稿されてる「上越市史研究」 第10号 平成16年度は 1,000円

電子メ―ルかファックス・電話で上越市総務部総務課公文書館準備室へ問い合わせで受け付けとのことです。
112人間七七四年:2009/04/17(金) 22:36:08 ID:91uiAZBP
>103です。
>104 >105 >107 >111 皆さんありがとう!!
少しずつ勉強してみます!
また何かあったらよろしくです!!
113人間七七四年:2009/04/18(土) 07:48:01 ID:jJS4tI+9
>>111
ごめん、何となく資料編三と四しか見てなかった。五か
見たかったので今度コピーしてこようと思う。ありがとう。
114人間七七四年:2009/04/19(日) 15:55:51 ID:FSgbtjh3
>>111
五巻って番号が巻き戻ってるの?と思ったら
3260番じゃないですかw

ちなみに『新潟県史資料編5中世3』三二六〇号(508p)
「佐竹文書」(「佐竹文書」明治二十六年影写)
題名は「上杉景勝書状写」
「武田滅亡の記事による」の理由で(天正十年)の注釈が入ってる。
と、微妙に違うので、他の本のコピーが混じってるとかじゃなくて?

でも資料編5巻見たことなかったので
何か色々面白かった。ありがとう。
115人間七七四年:2009/04/20(月) 22:45:23 ID:lVXxrl7k
>>114 遅くなってごめん!
>他の本のコピー
その通りだった。混ざってた…迷惑かけてごめん。
茨城県だった…orz

「茨城県史料 中世編2」194号(360P)の方だった…。

そうだよね、注釈とか細かい所が違うし…つけてたメモが新潟と逆になってた…
ありがとう!お陰で気がつけた。たすかった!
116人間七七四年:2009/04/21(火) 12:21:45 ID:oTljngjZ
大河板の景勝スレに書いてあった
「「兼続が殿の近くにさえいなければ」と恨みつらみを書いてる」という「上条さんの手記」というのが気になる。
上条って手記なんて残してたんだ?
117人間七七四年:2009/04/21(火) 13:33:26 ID:7Flv26G+
手記じゃなくて書状だろ。
118人間七七四年:2009/04/21(火) 13:44:25 ID:6ADBW0A/
いや、だって手記って書いてあったし。
書状にしても、兼続がいなければ〜なんて書いている書状なんてないろ?
119人間七七四年:2009/04/23(木) 12:18:11 ID:0s2/EXXp
「殿の近くで勤めたかったが離れて残念だ」みたいな書状が
変な方に歪曲されてるのでは?
120人間七七四年:2009/04/28(火) 13:03:11 ID:b2RfJJ6B

直江状を分析した論文

宮本義己「゛直江状″の信憑性」(『歴史読本』第43巻8号、1998年)

宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』第78号、2008年)

木村康裕「兼続と「直江状」」(矢田俊文編『直江兼続』高志書院、2009年)
121人間七七四年:2009/04/28(火) 21:50:58 ID:TEPKr8ux
八鍬友広「直江状と江戸時代の教育」 新潟県立歴史博物館2009年
122人間七七四年:2009/05/02(土) 01:40:01 ID:6PR4JkdY
今日、三池純正氏の景勝本が発売されるね。
『敗者から見た関ヶ原合戦』の作者の人なんだけど、
内容的にはどうなんだろ。
123人間七七四年:2009/05/02(土) 04:29:34 ID:SCHixyT7
>>122
正直な話「敗者から見た〜」は、牽強付会が強すぎて読んでて萎えたなあ。
結論に過程をあわせすぎていた。
124人間七七四年:2009/05/05(火) 12:31:27 ID:hIiqKVnA
こんな本が出てた

守りの名将・上杉景勝の戦歴 (新書y 215)
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%88%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%B0%86%E3%83%BB%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%99%AF%E5%8B%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E6%AD%B4-%E6%96%B0%E6%9B%B8y-215-%E4%B8%89%E6%B1%A0-%E7%B4%94%E6%AD%A3/dp/4862483623

本屋でちょっと立ち読みしてみたが、なかなか良い本だったよ。
景勝の入門には非常にいい感じ。
125人間七七四年:2009/05/05(火) 13:42:48 ID:Jr+rwJP9
謙信時代からの戦いもある?
126人間七七四年:2009/05/05(火) 22:06:51 ID:Yj14x6e+
>>125
ないよ
のっけから「京まで鳴り響いた美少年」だった景虎が
もっぱら謙信に寵愛されていた説にかなりの文字数がさかれてる
いちおう分権説をとってはいるようだが
景虎と違って軍役がある一方で謙信と同陣したこともないようなことが書かれていた

新書で安いし、いちおう生涯を俯瞰的に見れるから
手に入れやすさも含めて入門書としては、まぁいいのかも知れない
127人間七七四年:2009/05/05(火) 22:19:17 ID:WacCdt57
>>126
125書いたあとすぐに本屋に行って買ってきたけれど、
ひどい内容だった。
はぁ、、、いつになったら景勝のまともな新刊書が出るんだろう。
128人間七七四年:2009/05/05(火) 22:32:56 ID:Yj14x6e+
>>127
それこそ景勝の初陣の考察とかを読みたいよな
村上攻め?それとも佐野?
初陣後出したと思われる謙信とまったく同文の感状の考察とか、
いろいろ面白い推論が出そうなのに
129人間七七四年:2009/05/05(火) 23:18:48 ID:6xLvpMrf
様子見で正解w

阿部洋輔が吉川弘文館から景勝本の執筆を再三頼まれたって話を聞いたけど
書かないのかね。
130人間七七四年:2009/05/06(水) 00:33:39 ID:RpI3J2Vp
三池氏は『敗者から見た関ヶ原』では、兼続との共謀説を否定したり、
神指城築城については石田明夫氏の説を取り入れるなど、まともなところも
あったけどなあ。
川中島の戦いで妻女山に布陣したのは謙信ではなく、織田滅亡後の信濃領有
をめぐる戦いでの景勝であるという説を唱えたのもこの人じゃなかった?
まあ、どれだけひどいのか本屋でちょっくら立ち読みしてくるか。
131人間七七四年:2009/05/06(水) 02:12:54 ID:jAIt+wrm
>いつになったら景勝のまともな新刊書が出るんだろう。

小松ナントカという女脚本家がアンチ韓流(笑)に転んだ上、
名脚本ばかり書くようになったら可能性はゼロではなくなる。





…………………………もうね、笑うしかない'`,、'`,、('∀`)'`,、'`,、
132人間七七四年:2009/05/07(木) 00:49:49 ID:z+hGmYtS
三池氏の買ってきた。
便乗本だと思えば良質だと思うけど内容的には入門書だね。
他人の論文をまとめただけという感じで目新しいところはない。
>>126に書かれてる部分は上越市史を参考にしてるのかと)
133人間七七四年:2009/05/11(月) 10:37:46 ID:WuHOqjBz
米沢藩時代にまとめられた「上杉家御年譜」には、「御家督は景勝公御相続の旨 御病中にいよいよ御遺言なり」と書かれていますが、家督争いが実際には起きていることから、粉飾ですよね?

134人間七七四年:2009/05/11(月) 12:04:39 ID:n0NZxbru
はあ?
もっと勉強してから出直せよ、Sub。
135人間七七四年:2009/05/11(月) 16:17:29 ID:69RxQAPP
家督が決まってれば家督争いが起こらないかといえば、そうでもない
他の有名所でもよく転がってる話である。
戦国時代全般を勉強するべしべし
136人間七七四年:2009/05/11(月) 16:44:16 ID:i+8UkPpU
信長なんてもろにそうだからなあw>家督が決まったのに家督争い
137人間七七四年:2009/05/13(水) 09:19:47 ID:qmcJFZRE
米沢藩時代にまとめられた「上杉家御年譜」には、「御家督は景勝公御相続の旨 御病中にいよいよ御遺言なり」と書かれていますが、

ドラマでも捏造とされていましたね?????????????
138人間七七四年:2009/05/13(水) 10:14:55 ID:xAv2meea
靴下使いの詐術ほどでもないよ
139仙台藩百姓:2009/05/13(水) 10:17:45 ID:s+IztJs/
どのみち生前に家督譲渡しなかった謙信の落ち度だお( ^ω^)
実子がいないのだから跡目争いが起きるのは必定なのに
死ぬ何年も前から頭おかしくなってたんじゃないかお?( ^ω^)
140人間七七四年:2009/05/13(水) 16:46:18 ID:0MpCv3gA
ドラマそのまま信じてる奴がいるってのもすごいなw
141人間七七四年:2009/05/13(水) 17:47:48 ID:2uk7FDMs
上杉家御年譜を1977年発行と思い込んでコピペして回ってた人だから
142人間七七四年:2009/05/16(土) 12:56:42 ID:Crq8Bnag
1578年3月頃に出された
景勝の「鬱憤を晴らすための戦い」と
書かれた書状ってどれで見れる?
去年以来の鬱憤散じ候は景虎死後だから違うよな。
143人間七七四年:2009/05/16(土) 14:47:23 ID:p6um/FAe
>>142
「去年以来の鬱憤散じ候」は景虎の死について書かれた書状の文句だよ。
上越市史の『上杉氏文書集二』に載ってる。
144人間七七四年:2009/05/17(日) 12:31:59 ID:Dr3im+Bk
>>143
それは分かってる。
145人間七七四年:2009/05/17(日) 17:47:29 ID:mR0RfLpE
78年のは見たことない
78年3月の時点ではっきりと戦いの兆候ってあったっけ?
146人間七七四年:2009/05/18(月) 00:27:30 ID:CoHk8sgK
軍記ものでは、謙信死後ただちに争いが始まってように書かれているけど、
現時点で発見されている同時代史料には、78年3月の段階で争いを示唆する
ものはないんじゃないかな。
少なくとも『上杉氏文書集』にはないね。
147人間七七四年:2009/05/19(火) 16:44:05 ID:wq6KbYVk
wikipediaの御館の乱の項の記述の事かな?
148人間七七四年:2009/05/20(水) 09:21:27 ID:xs+DAoDx
1578年3月13日に謙信が死んでるんですよ。

そのときに「鬱憤を晴らすための戦い」って?
1578年というのが間違ってるような・・・
149人間七七四年:2009/05/20(水) 12:11:56 ID:Ggs+a1yp
79年だろ
150長尾かよ!:2009/05/20(水) 12:39:35 ID:2EgzkGy8
上杉景勝って何故景勝のままなの?
上杉家の「憲」とか、何故通字に変えなかったの?
謙信の輝虎みたいに将軍家から貰うとかしようとしなかったんですか?
上杉昭虎と改名するのが筋のような気がするんですが・・・・・・・・・
上杉秀虎でも、大友みたいに上杉吉虎でもいいけど
151人間七七四年:2009/05/20(水) 13:09:13 ID:LnDWTWYI
なんで虎まで付けなあかんのじゃ。
思えば秀吉から貰った名字も姓も
秀吉が死んだら速攻使うの止めてるから
イヤだったんだろうな、内心。
謙信時代と違って足利将軍はもう完全に失墜してるし。
152人間七七四年:2009/05/20(水) 13:12:45 ID:6gqDtlXw
>>150
山内上杉当主の謙信から貰った名前が「上杉景勝」だから。

ていうか何で「虎」にするのが筋なんだよ…
153長尾喜平次:2009/05/20(水) 13:33:34 ID:WKCXDv6s
織田軍の前に逃げ出した長尾喜平次(上杉景勝)を知っていますか?
以下、訳を載せます。原文とは多少違います。信長公記巻十四天正九年

馬揃の後の3月6日、神保長住・佐々成政及び越中国衆が上国の途についた。
これにより加賀・越前・越中三ヶ国の大名衆が馬揃のために在京することと
なったが、ここで変事が起こった。敵方の河田豊前がこの隙に兵を催し、
郷の刀を作ることで知られる松倉Oという地に籠り、さらに才略をもって
越後より長尾喜平次(上杉景勝)を大将に招いて一軍を形成したのである。
そして3月9日に佐々成政が人数を入れ置いていた小出城Pを包囲したの
だった。
3月15日の朝、信長公は安土城下松原町の馬場で馬を責めた。このとき
越中衆が顔をそろえて御礼に訪れたが、信長公はその者たちへかたじけなく
も一々言葉をかけてやった。しかし上杉景勝が越中へ侵入して小出城を
取り巻いたとの報がもたらされると、信長公はただちに「越前衆の不破・
前田・原・金森・柴田勝家の人数は、先手として時日を移さず出陣すべし」
と命じ、彼らに暇を出したのだった。軍勢はこののち夜を日に接いで行軍し、
越中に入って着陣した。
そして3月24日になり、佐々成政は神通川・六道寺川を越えて越中中郡Rの
うちの中田という地へ入った。すると上方の軍勢が参着したと知った
敵勢の長尾喜平次(上杉景勝)・河田豊前は同日卯刻に陣払いをはじめ、
小出表から兵を引き上げていった。その退陣の火の手を三里ほど先に見た
佐々勢はただちに常願寺川・小出川を越えて追撃にかかったが、すでに
敵勢は全軍撤退を終えており戦果は挙がらなかった。しかしこれにより
小出籠城の兵は運を開いたのだった。

154人間七七四年:2009/05/20(水) 13:58:42 ID:6gqDtlXw
賀州一揆の所は省略しなくていいんじゃないの
155人間七七四年:2009/05/20(水) 14:08:21 ID:7mjtI+Wd
>>142
天正六年三月二十六日付の太田資正宛の手紙だな
「其の上鬱憤の弓前に候間……」
156人間七七四年:2009/05/20(水) 17:40:18 ID:fXIqvvT+
景勝の後継者宣言の書状か
157長尾かよ!:2009/05/20(水) 21:03:05 ID:qZJSUY1V
>>152>>151
景勝ってぇ・・・・・・・・・
平次って・・・・・・・
平姓の長尾っぽいじゃん・・・・・・
「虎」が謙信のアイデンティティーだから残したんだけど
どうでもいいよ

「憲」なんとか・・・・・・・・に訂正させてもらいます

足利が失墜してるんじゃ上杉も失墜してるね
足利あっての上杉だもの
そりゃ景勝で平次のはずだわ
158人間七七四年:2009/05/20(水) 21:13:20 ID:Hm4pm9Ut
>>153
前に、柴田か佐々が、上杉ほどの武門の者が人がいない間に城をコソドロするのは卑怯じゃないか?って手紙を景勝に送ったら、バカ正直にも景勝が城を放棄して帰ったって書いてなかったか。
159人間七七四年:2009/05/20(水) 21:26:21 ID:rfL9s63J
>>157
いろいろ思い違いがあるんじゃないか?
160人間七七四年:2009/05/20(水) 22:12:43 ID:bM/AS15d
>>157
どっから突っ込んでいいのか分からん。
161人間七七四年:2009/05/20(水) 22:20:46 ID:8i19CV8I
>>155
太田資正宛ての景勝書状って景勝が戦おうとしてたのって
北条家じゃなかったっけ?
162人間七七四年:2009/05/20(水) 22:32:54 ID:g4ia3CJx
内乱にならなければ、謙信がやるはずだった関東遠征に
出るところだったからね。
163人間七七四年:2009/05/20(水) 23:15:44 ID:7mjtI+Wd
>>161
「其の表の儀」(関東の事)は謙信の遺言通りの子細です
そのうえ、鬱憤を晴らすための戦いですので……
と言っており、謙信の路線を踏むとしながらも
「鬱憤を晴らす」と言っている。
景虎派とその実家北条家に鬱憤を晴らすというのが
自然な見方で、景虎打倒後の書状の「鬱憤」にも繋がるかと。
164人間七七四年:2009/05/20(水) 23:48:54 ID:tKSrNaZC
うむ、まあたしかに・・・・。
165人間七七四年:2009/05/21(木) 01:00:24 ID:Ut2Z5ps/
166人間七七四年:2009/05/21(木) 01:19:54 ID:WDgxApWn
??
167人間七七四年:2009/05/21(木) 01:29:07 ID:/zcMHQEE
???
168人間七七四年:2009/05/21(木) 02:01:07 ID:rCuZdtZp
資正宛書状の鬱憤が景虎派をさすのかどうかは、
これだけではなんとも...

資正は謙信が北条と和睦した後も、謙信と袂を分かち
北条との戦いを続けた人だからねえ。
この書状は景勝の後継宣言とともに、資正との和解を
希望する書状じゃないの?資正の気を引くために多少オーバー
な表現ということも。
169人間七七四年:2009/05/21(木) 02:46:21 ID:/zcMHQEE
資正からみれば「一度は和解した癖に何だ!」と思うのでは?
「北条家」に対する鬱憤だったら資正の方が溜まってるし

主家扇谷を滅ぼされてるからなあ
170人間七七四年:2009/05/21(木) 10:15:20 ID:I8yM1LNd
上杉も北条に対してはムカついていたからまた一緒に戦いましょう
って感じの意味じゃないか?
一度和睦したといっても謙信生前に既に北条側から破綻されていて
太田資正とは謙信は仲直りを求めていたし
謙信自身が再び北条と戦おうとしてたところを
景勝がその遺志を継ぐと報じてる手紙なんだから景虎に理由を求めるのは
多少無理矢理と思うが。
171人間七七四年:2009/05/21(木) 11:23:32 ID:+oTf02Se
>>170
> 謙信生前に既に北条側から破綻されていて

これが上杉史観って奴か
172人間七七四年:2009/05/21(木) 12:04:57 ID:FWI2zx0v
>>168
でも一年後の「鬱憤」と重なるのはこれくらいなんだよなあ
173人間七七四年:2009/05/21(木) 12:05:36 ID:1yLJdLWA
国外の手紙に「景虎派への鬱憤をはらす」とまで書いてるなら
その後「不慮の錯乱」という言葉を使うのは不自然では?
174人間七七四年:2009/05/21(木) 12:22:58 ID:YvtOR1Hz
>>171
上杉側の視点から書かれた書状が
上杉目線で描かれていることに何か問題があるのか?
175人間七七四年:2009/05/21(木) 12:50:07 ID:FWI2zx0v
>>171
氏政から破棄したんじゃないの?

>>173
景勝の言う「不慮の錯乱」を起こされたから、「鬱憤」が溜まったのでは?
176人間七七四年:2009/05/21(木) 12:58:57 ID:1yLJdLWA
>>175
うん、そっちの方が自然だよね
177人間七七四年:2009/05/21(木) 12:59:09 ID:rCuZdtZp
>>172
「去年以来の鬱憤」は単純に、御館の乱勃発以後の景虎との争いを
指してるんじゃないのかなあ。
武田、北条、蘆名の対外勢力まで越後に侵攻して、一時は危機的状況にも
なったんだし、十分「鬱憤」と言えると思うけど。
178人間七七四年:2009/05/21(木) 13:08:22 ID:FWI2zx0v
不慮の錯乱っていうのが、いつからのことなのか厳密に特定できないのが問題だな
179人間七七四年:2009/05/21(木) 13:36:21 ID:YvtOR1Hz
景虎派の行動に対する鬱憤を北条家に対して晴らすと
3月の時点で外国に報じたと考えるのは無理あるだろ。
景虎派との抗争をこの時演じていたなら
景虎を全く掃討できてない時点で
景虎の鬱憤を北条に晴らす戦いです。というとは思えん。

単純に太田宛書状は私はこれから関東出陣するが
これは「謙信の生前の約束通り」であり
「この戦いは関東衆を助けるためだけのものではなく
上杉家としても北条に対するこれまでの鬱憤を晴らすものである」と
報じたものであって、
上杉家の意志は北条に敵対するものであり
こんどこそ北条とは決着を付けるぞとかそういう意味でしかないだろ。
180人間七七四年:2009/05/21(木) 14:31:13 ID:1yLJdLWA
自分でも書き込んでて混乱してきたんだけど
78年の「鬱憤」は北条のことで景虎は関係なし
79年の「鬱憤」は不慮の錯乱をおこされたことに対しての鬱憤ね
年号書かないとややこしいな
181人間七七四年:2009/05/21(木) 15:44:12 ID:FWI2zx0v
>>179
これから関東に出陣するとは言ってない
182人間七七四年:2009/05/21(木) 16:33:05 ID:YQIoW4KV
謙信が関東に求められて出ようとしていたのは事実であるし、
景勝は謙信存命中と変わりなくすると北陸や関東の武将に言ってんだから、
間違いなく関東遠征するつもりだろう。
183人間七七四年:2009/05/21(木) 16:56:25 ID:I8yM1LNd
謙信は死ぬ前に関東衆の救援要請に答えて春には北条征伐を行うと言っており
死ぬ直前に掛けた大動員令は関東遠征のためのものだった説が有力。
その上で景勝は「謙信が生前約束していた通りにする」と太田に言ってるんだから
「謙信は死んだけど自分が関東遠征して北条と戦う」と
言ってるんだと思うけど。
184人間七七四年:2009/05/21(木) 17:16:29 ID:YQIoW4KV
謙信はその存命中、内部の景虎派に遠慮していたためか、
越相同盟が破棄された後も北条とは直接交戦していない。

だけど越相同盟推進派だった柿崎は病死、山吉も半改易となり、
景虎を後継者から除外して、新たに景勝を後継者とする体制もほぼ整った。
おかげで謙信が長年避け続けてきた北条との全面戦争の前提条件が出来た。
逆行してこれを見るなら、これらが対北条の足かせであった。

そしてこの足かせこそが上杉家の「長年の鬱憤」であり、その代表者が上杉景勝であったのではないか。
しかし謙信が急逝してしまったため、そこを狙って足払いをかけたのが、
越相同盟の亡霊・景虎だったのでは?

こう考えるとしっくりくるかも。
185人間七七四年:2009/05/21(木) 17:17:32 ID:YQIoW4KV
>その代表者が上杉景勝
補足すると、景勝は「鬱憤」と戦う代表者の意味ね。
186人間七七四年:2009/05/21(木) 23:47:37 ID:/zcMHQEE
米沢藩には信濃源氏系豪族の末裔が大杉
187人間七七四年:2009/05/22(金) 10:53:50 ID:IRrhffGj
>>158
それちょっと前に2ちゃんでソース付きで読んだな。どこだったかな。
188人間七七四年:2009/05/22(金) 16:25:06 ID:YDYcnJP5
長尾謙信は関東管領の上杉家を相続し
織田信長は三管領の斯波家を相続したらしいね
どちらもどうかと思うけど家臣の分際で
189人間七七四年:2009/05/22(金) 17:00:24 ID:FuiAEllB
長尾謙信って誰だよw
190人間七七四年:2009/05/24(日) 01:57:33 ID:J3VoSK2P
天地人を見て、かなり上杉景勝のイメージ変わった。天地人の景勝ははっきり言ってバカ殿様だよ。酷すぎる。本当の景勝公があんなのなら、上杉家なんか無くなっているか、運良くて高家旗本だろうな。
191人間七七四年:2009/05/24(日) 02:16:22 ID:2qB4Zou0
ドラマや小説見て自分の景勝へのイメージが変わっただとか、
その手のアホっぽい話は大河本スレでやれば?
192人間七七四年:2009/05/24(日) 08:04:07 ID:JwFZhrlb
この大河見て「直江兼続の評価が変わりました。バカだと知りました」
みたいに言う本物のバカもそろそろ
出てきていい頃だな。
193人間七七四年:2009/05/24(日) 17:45:44 ID:1/Mlx91p
http://www9.nhk.or.jp/taiga/map/index.html
戦国時代に大河津分水 すごいぞ越後国、すごいぞ新潟県

いい加減、だまされていることに気づけよ 新潟賢人
194長尾喜平次:2009/05/24(日) 18:22:41 ID:EeT/dnDW
織田軍の前に逃げ出した長尾喜平次(上杉景勝)を知っていますか?
以下、訳を載せます。原文とは多少違います。信長公記巻十四天正九年

馬揃の後の3月6日、神保長住・佐々成政及び越中国衆が上国の途についた。
これにより加賀・越前・越中三ヶ国の大名衆が馬揃のために在京することと
なったが、ここで変事が起こった。敵方の河田豊前がこの隙に兵を催し、
郷の刀を作ることで知られる松倉Oという地に籠り、さらに才略をもって
越後より長尾喜平次(上杉景勝)を大将に招いて一軍を形成したのである。
そして3月9日に佐々成政が人数を入れ置いていた小出城Pを包囲したの
だった。
3月15日の朝、信長公は安土城下松原町の馬場で馬を責めた。このとき
越中衆が顔をそろえて御礼に訪れたが、信長公はその者たちへかたじけなく
も一々言葉をかけてやった。しかし上杉景勝が越中へ侵入して小出城を
取り巻いたとの報がもたらされると、信長公はただちに「越前衆の不破・
前田・原・金森・柴田勝家の人数は、先手として時日を移さず出陣すべし」
と命じ、彼らに暇を出したのだった。軍勢はこののち夜を日に接いで行軍し、
越中に入って着陣した。
そして3月24日になり、佐々成政は神通川・六道寺川を越えて越中中郡Rの
うちの中田という地へ入った。すると上方の軍勢が参着したと知った
敵勢の長尾喜平次(上杉景勝)・河田豊前は同日卯刻に陣払いをはじめ、
小出表から兵を引き上げていった。その退陣の火の手を三里ほど先に見た
佐々勢はただちに常願寺川・小出川を越えて追撃にかかったが、すでに
敵勢は全軍撤退を終えており戦果は挙がらなかった。しかしこれにより
小出籠城の兵は運を開いたのだった。
195人間七七四年:2009/05/24(日) 18:28:29 ID:dE2vutbP
何回同じコピペ繰り返してんの?
兵力が足りない状態でも城攻め中に敵の大軍が来て
そのまま無理に決戦しなきゃならんなんて道理ないだろ
いい加減中身のないアンチコピペやめね?
196人間七七四年:2009/05/24(日) 19:35:06 ID:wn+1QhO1
アンチな気分でコピペしてるのは理解できるけれど、
内容は景勝を貶めるどころか、
よくその状況を切り抜けたなと感心させられる代物なんだよなw
197人間七七四年:2009/05/24(日) 22:59:17 ID:JlqiLheR
大河板に良くあるレス、
「史実では菊姫は嫉妬のあまり自害した」って、wikiの影響か?
困ったもんだ。
198人間七七四年:2009/05/24(日) 23:03:55 ID:WGe23NQx
そしてその説は某郷土研究家が原因だったり
199人間七七四年:2009/05/24(日) 23:08:22 ID:wTXiKg9E
>>197
元凶はウィキではなく楠戸義昭なる人物を含む
アンチ景勝派歴史家一派の讒言ですよ。

景勝を貶めたい奴には「菊姫自殺・憤死説」は
非常に都合が良い話だからね。
200人間七七四年:2009/05/24(日) 23:25:43 ID:FH0RFQu0
花ヶ前氏「越後上杉一族」では、
菊姫の死因は病死となっている
四辻氏は産後の経過が悪く病死したと著し、
「菊姫の祟り」などの伝承は書かれていない

また、越後国主景勝と関東管領景虎の
分割相続説も匂わせており
断定は避けている
201人間七七四年:2009/05/25(月) 00:11:35 ID:E7dLpufS
つーか景勝ファンだらけのこのスレで
アンチ活動して何の意味があるんだか分からん、本当に分からん
202197:2009/05/25(月) 00:15:57 ID:bjhnjd8c
言うのもなんだけど、「戦国女系譜」での楠戸の文章を
2ちゃんで紹介したのは自分が初めてだったかもしれない・・

いや、勿論、自害説を否定する意味での紹介だったんだけど。
203人間七七四年:2009/05/25(月) 00:22:20 ID:E7dLpufS
「上杉謙信とその一族」でも
楠戸は堂々と自害説語ってたよ
しかもその本花ヵ前も書いてたよ
なんで買っちゃったんだ自分
204人間七七四年:2009/05/25(月) 01:35:35 ID:pEn+c/Gw
近著の「姫君たちの大戦国絵巻」のお船の方の項や、
「歴史街道 2009年05月号」の
「「義」の家の礎となって◆虎御前、菊姫、四辻氏」の項でも、
菊姫は自殺した!四辻は公家の娘じゃない!と堂々とおっしゃてますねw>楠戸大先生

なんで彼は菊姫の自殺と四辻の系譜詐称というガセネタに
そこまでこだわるのか本気で知りたい。
205人間七七四年:2009/05/25(月) 02:19:35 ID:0fHpHdns
>>200
花ケ前氏については、正直言われるほど露骨にバイアスのかかったようなことは
書いてないとは思うんだが、昔書いた文章を新装版とかでも遣い回したりとかは
勘弁してほしい。

>>203 >>204
そもそも自害したっていう話の出典って何なんだろう。「上杉編年文書」なる
ものがソースとして提示されているけど、その中で明確に触れられていること
なのかな?「花に背いて」の作家が最近出した新書では、ハッキリと自害したと
書いてあるというような感じだったけど。たしか、宮島親家という家臣が菊姫の
葬儀に関してなんか不手際があったとかで一時期退転しとるそうだけど(のちに復帰
して福島奉行になった)、そこから膨らました話なのかな。

四辻氏の経歴が・・・という話って「奥羽永慶軍記」だかの中に有る、
兼続が遊女を男装させて定勝を生ませ、それを知った定勝が直江兼続を
手打ちにするという非常にがつくほどトンデモな話だったよね?

正直、作家さんとかは、いい加減な話をいかにも定説のように一般の人が
読むような歴史系の雑誌や本に書かんで欲しいね。とくに戦国と幕末は
好きな人も多いし、敷居も低いので。
206204:2009/05/25(月) 21:52:33 ID:2y8RK5LW
>>205
>四辻氏の経歴
楠戸先生(笑)は
「あの女は実は四辻家の姫なんかじゃなく、
四辻家の下僕(家臣)の娘っ子なんじゃあっ!!」
と言っている。

四辻家の系譜とかにもちゃんと実の娘として記されているんだけどねwww

>正直、作家さんとかは、いい加減な話をいかにも定説のように一般の人が
>読むような歴史系の雑誌や本に書かんで欲しいね。

まったく同感。
207人間七七四年:2009/05/25(月) 23:00:06 ID:HmAFsGOK
「あの女は実は四辻家の姫なんかじゃなく、
四辻家の下僕(家臣)の娘っ子なんじゃあっ!!」

これも藤林年表がソースなのかな
208人間七七四年:2009/05/25(月) 23:59:14 ID:/3ROz7BZ
>>205
花ヶ前氏まで叩こうとするのは一部の勘違い野郎だけ
209人間七七四年:2009/05/26(火) 00:07:34 ID:T3n4nuRP
四辻氏は上杉家や四辻家の系図では継室扱いされてるし、
武徳編年集成では菊姫がなくなった後、四辻氏を室に迎えた
(ただし武徳編年集成は菊姫の死亡年を慶長八年と間違ってる)
とされているから、菊姫の死後、上杉家内外において継室扱い
されてもおかしくない身分だったのは確かじゃないのか?
四辻家家臣の子っていうのは、なにがソースなんだろうね。
『戦国女系譜』でも、ソースがなにかは書かれてなかったと思う。
もしかして、Wikiにも書かれてる御用商人の西村家の記録なんだろうか?
ただ西村家は上杉家に出入りするようになった契機にも諸説あって、
『西村由緒書』も全面的に信用できるものとは言い難い代物なんだがね。
210人間七七四年:2009/05/26(火) 00:18:00 ID:aHfHhlDn
>>208
使いまわしは、実際多いけどねw

>>209
公家出身で、男子を産んでいるとなれば
継室扱いされてもおかしくはないな
211人間七七四年:2009/05/26(火) 02:21:31 ID:Y37Qqs1y
>>208
いや、びっみょーにカチンとくる言い回しで
上田長尾家を悪く言ってるよ、あの人は

謙信と政景の和解も
「本人は嫌だったが家臣に言われて仕方なく」とか
主観入りまくりな言い方しとる
そんなに嫌いな奴に普通留守居任せるかよ、と言いたい
212人間七七四年:2009/05/26(火) 07:04:44 ID:TpFqr6d6
花ヶ前先生は毎度毎度、神社のPRがウザイw
213人間七七四年:2009/05/26(火) 11:03:26 ID:J01Nsamp
>>211
元々対立していたのは事実なんだし
それぐらいでカチンと来たってしょうがないだろ

>>212
たしかにウザいw 新しいやつほどページは割かなくなってきてるが。
越中府中文化全盛のときは栄えてたらしいがねぇ・・・・
214人間七七四年:2009/05/26(火) 12:25:35 ID:5YU7SLW+

楠戸は元毎日の記者だろ
妄想を現実だと思いこむのは
慣れてるのかもしれないw
215人間七七四年:2009/05/26(火) 12:55:33 ID:eFZyrP8g
>>213
そんなに栄えてるかねえ?
地理的にあの辺の神社仏閣はどこも上杉と何らかの関係はあるが
大して名前出てこないよな。あの神社。
216人間七七四年:2009/05/26(火) 14:54:46 ID:TWCAfm6w
「戦国女系譜 巻の二」の75Pに書いてあるが、

[・大正7年に市誌編纂委員だった故今井清見氏が「上杉氏編年文書」の
「藤林年表」を見て菊姫の自害を突き止めた・・・
 と、いうことを市誌編纂委員の渡部恵吉氏が楠戸に語った。]んだよな。

しかし、とんでも珍説ほど流布が早いのだろうかw
大河板なんかでは「史実では菊姫は自害したんだよレス」が
これからますます横行しそうだ・・・鬱

>>205
「花に背いて」の鈴木由紀子、最近では自分が直江夫婦を書いてから
大河化への気運が盛り上がった・・・、なんてコト言ってるぞ。

山本覚馬をえがいた「闇はわれを拒まず」辺りの頃は
渋い人に焦点をあてて、なかなか出来た作家さんだと思ってたけど、
大奥本や和宮本を新書で出して、テレビにも出始めて
露出が多くなってくると、なんだか商売っ気の強い人だなーと。

鈴木由紀子の新書は、他人が書いた資料本の切り張り&写しだよ。
217人間七七四年:2009/05/26(火) 16:55:55 ID:o77xaudN
大河ドラマに推進する会の、六日町の簡易的な活動記録を見ると
平成12年1月にHNKから
「1.大きな小説
 2.女性の彩どりが欲しい
 と言われる」
とあった後、平成13年1月から『花に背いて』を連載したらしいので
米沢側で何か働きかけたんじゃねーの?
まあ、『花に背いて』って、あんまり評判よくないよね。

ちなみに『天地人』を新潟日報に連載要請(13年8月)したのは六日町推進会で
大河原作候補にしたのも六日町推進会。
天地人の連載が始まったのは15年10月。

あと平成8年の推進する会結成計画当初は「この頃『北の王国』を皆が読んでいた」とあった。
218人間七七四年:2009/05/26(火) 20:11:05 ID:09Pm6KV6
「花に背いて」もどっかで見たことのある描写が所々にあるね
219人間七七四年:2009/05/26(火) 21:46:55 ID:09Pm6KV6
米沢市史によると「藤林年表」は

「中条因幡備資。侍頭であった著者が、隠居後の寛政十一年に
脱稿した上杉家の年表。」

らしい。(ちなみに寛政11年ということは1799年)

>「藤林年表」を見て菊姫の自害を突き止めた・・・
という割には真面目に研究者が論じたのを見たことないし
藤林年表自体は木村徳衛氏や最近だと高志書院の「直江兼続」で朝倉氏が
触れてたりするのに話題にならないのは信憑性がないからではないかな。
「菊姫自害!」なんてショッキングな説なのに。
220216:2009/05/26(火) 23:00:51 ID:TWCAfm6w
>>205
またまた「戦国女系譜」の中の記述で恐縮なんだけど、
「・・・直江兼続は菊姫の御傳役だった宮島親家への手紙で、
世上に知られぬよう万事とりおこなうよう指示している」 と載っている。

だけど、その「指示した」書状というのの原本、或いは写し、
写しは無くても部分的に抽出された抜粋文でもあるというのだろうか?
何か部分でもあるのなら、見てみたいものだよね。

それと、挙げてくれた「奥羽・・・軍記」の四辻氏のくだりって、
「徳川家光の男色好みを憂いた春日局がこうじた奇策」に類似w
後の定勝が直江を手討ちいうトンデモ以前に、もう作り話めいているよ。

>>217
大河誘致も長年かけてやっていたことが良くわかりました。
なのに、出来上がったのはあの小説にあの映像・・・。多くは言うまいw
鈴木由紀子も山形出身だから、誘致と何かしらあったのかもしれない?
221人間七七四年:2009/05/27(水) 02:58:28 ID:eMjuw7Tr
>>216
ちょっと信憑性に難のある話ほど劇的だし、それを主張する人は、研究の蓄積よりも流布に
一生懸命になりがちだからね。だから研究者がコツコツやって導くような成果にくらべりゃ
よっぽど早く広まってしまう。事実、一般の人からすれば、こういう感想だってもつだろう。
ttp://www.bk1.jp/review/0000341584

>>219-220
そうなんだよね。研究者にせよ、「良書」といえるレベルの本の中で件の自害した
という話に触れているのを見たことがない。大体が作家か楠戸氏が書いた文章なんだよね。
何よりも、自害説(?)に触れた文章の中で「藤林年表」から該当の記事や、
直江兼続が出したとかいう文書の類いが引用されているところを見たことがない。
翻刻されたものが見れればいいんだが。
222人間七七四年:2009/05/27(水) 06:17:24 ID:FhFAUVYo
>>221
宮島宛の直江兼続が出した書状って、歴代古案に載せられてるやつ?
だったら、出版されてる翻刻版で読むことできるよ。

以前、どっかのスレで誰かが書いてたけど、あの書状は菊姫の死去前
に出した手紙じゃないのかな。ただ読んでみて?と思ったんだけど、
武田信清が、お迎えのため上洛したって書いてあるんだよ。
不思議な気がしてたんだけど、誰かが、以前、もしかして菊姫は帰国が
決まってたんじゃないかって書いてたよね。それなら矛盾しないな。
お迎えと書いてあることから、郷土史家の方は、これを菊姫の死亡後
ととっちゃったのかな?渡部さん、すでに亡くなられてるから、
確認のしようがない。だけど、日付けが死亡前だし、最後に
米沢での病気快癒の祈祷も了解したとか書いてあるからね。

兼続書状中の「不慮のことがあれば、万事米沢でって」書いてあるのも、よくわからない。
菊姫の死去を表すなら、自分も御不慮と書くんじゃないかと思う。
御家中諸士略系譜には、その文書を引用して、直江の指示に反し京でに葬儀を行い、
疎略と宮島が叱られて浪人ってとか書かれてるね。
妙心寺の記録では妙心寺58世の南化が病気のため、後に妙心寺59世となる
海山が葬儀を取り仕切ってるし、なにが疎略なのか...
当時建っていたかどうかさえ不明な林泉寺よりも、武田家縁の妙心寺の方が
菊姫とってもよかったと思うがねえ。
それとも、当時の上杉家の財政を考えると、京での葬儀は出来ないから、
米沢でって...という意味だったのか?
わかんないことが多いから、研究者がこのことについてきちんと書いて
くれないかなあ。

隣華院の菊姫の墓、きれいに整備されたんだね。
だけど、妙心寺史に紹介されていた菊姫の墓は、今ある五輪等ではなく、
勝頼たちと同様のこぶりながらも美しい宝篋印塔だったような気がするけど、
もしかして当時の墓、崩壊しちゃったんだろうか?




223人間七七四年:2009/05/27(水) 19:28:26 ID:ncCNdPRq
>>226
菊姫自殺説や憤死説を流布・定着化に必死な人たちを見るたび思い出す言葉。



      「嘘も百回言えば事実になる」
                    −韓国のことわざ。



楠戸氏とかの文章や>>226の挙げていたページを読んでいると、
「景勝は菊姫を子供ができないだけで「都合の良い人質要員」としか見ていなかった上、
子作りのために彼女に内緒で妾を抱えた冷酷で愛情のない自分勝手な人間」
という景勝観を持つ人間が出る可能性は決して低くない気がする。

彼らは「そんな末路を辿るほど菊姫は夫に冷遇されていた」と捏造してまで、
そんなに景勝(や兼続や四辻氏とか)を叩きたいのだろうか。
224人間七七四年:2009/05/27(水) 21:53:20 ID:xBvr0dA0
叩きじゃなくても「斬新な説」を唱えて脚光あびたいっていう
人間もいるからね

景勝、兼続は謙信と比べるとあまり研究が進んでいない人物だし、
上杉氏研究本で評判がいい高志書院は書店じゃ並ばないからなぁ・・・
225人間七七四年:2009/05/28(木) 14:33:27 ID:iJR3klp9
>>221 >222
レスありがとう。
結論を急いでしまうけれど景勝正室が「自害、又は生害、自刃、自死」したと、
はっきりその出来事を言葉にして記述した文書は残っていない?
・・・・ということだろうか?
また(外聞をはばかる意味もあり)自害行為を直截な言葉で記述していなくても、
はっきりソレと断言できるようなニュアンスの文書部分があるのだろうか?

菊姫自害をはっきりと語る著述業の方々には、
そこんとこを明確に示して欲しいものだと思う。

ところで222さん、
妙心寺の菊姫の(元埋葬)墓は、拝観できるようになったのですか。
あの塔頭は一般公開をしていないところだと思っていたけど、
一応今年の大河需要で特別公開してるとか?

?ばかりの文になってしまって、すみません・・・
226人間七七四年:2009/05/28(木) 19:14:00 ID:F/J+UUcz
今も隣華院は入れないよ。
奇麗に改修して有るけど。
227人間七七四年:2009/05/28(木) 22:57:23 ID:+xqvQo5n
>>223
未来パスw
228人間七七四年:2009/05/29(金) 06:09:46 ID:FTVIuWv+
>>225
222です。
実は、楠戸氏の書き物は読んだことがないので、詳しいことは言えないですが、
皆さんが書かれてるように『藤林年表』には、自殺と書かれてるらしいですねえ。
同時代史料じゃないですが...

楠戸氏があげられてる「世上に知られぬよう万万事取り行うよう指示している」
宮島親家宛の手紙は『歴代古案3』(八木書店1998年)にある(慶長9年)2月9日付けの
直江兼続書状だと思います(多分)。
原文はもっと長く、「自然其内不慮儀は、世上に知られぬ様、米沢にて万事取り行い申すべく候」
とあります。これだと、これから起こる不慮のことを想定してる気がするんですがねえ。
「其口分別専一に候」とかも書いてあります。どういう意味なのかじぶんも??になったので、
研究者の人の見解とか聞きたいですねえ。

226さんのご指摘通り、隣華院は一般公開されてないと思います。
自分も、天地人のガイド本の写真で見ました。
お盆やお彼岸なら檀家さんなら入れると思いますが。(頼んで見せてもらった人もいるとか)
副住職さんが、ホームページに菊姫のお墓の写真を載せるとおっしゃてるようなので、
そのうち隣華院のHPに載るかもしれません。
折角きれいに改修されたんですから、篤姫みたいに、期間限定でいいから公開してもらいたいですね。



229人間七七四年:2009/05/29(金) 18:51:53 ID:d9ho7u0q
>>228
その文書は歴代古案以外で見れるのありますか?
大日本古文書にはないですよね
230人間七七四年:2009/05/30(土) 06:00:51 ID:P15KiQJl
>>229
すみません。そんなに上杉家の文書に詳しくないんで。
大日本古文書にあれば東大史料編纂所のデータベースで見れますよね。
ちょっとわかんないです。ただどなたかが、すでに以前あれは菊姫生前の文書だと
指摘されていたと思んですが...
読んだとき、「歴代古案で読んだ文書と同じや!」と思ったんで...

大河ドラマ便乗で復刊された直江本は、いくつかは手に入れて読みましたが、
あの文書を取り上げてるのはなかったですよねえ。
ちなみに、楠戸氏に語ったと言われる渡部恵吉氏が共同執筆者になってる本も
読みましたが、菊姫は普通に病死になってました。
231人間七七四年:2009/05/30(土) 17:30:20 ID:wtUvkCwa
>>230
丁寧な回答ありがとうございます
大日本古文書を探してみたのですが載ってないみたいでした
原文の全文はどんな感じなのでしょうか?

生前の文書だと指摘されてるのは(前スレの引用ですが)
>ただしあの文書は「御前様御煩い大切の由驚き入り候・・・」
>と菊姫の重態を聞き驚いている、あくまでも菊姫生前に出された
>手紙だと思うんだが?日付も菊姫の死亡前になってるし
ですね
232人間七七四年:2009/06/01(月) 15:46:26 ID:S/9aZqjY
>>231
例の書状はグーグルの書籍検索で見ることできますよ。
試しに「御前様御煩」で検索したら、ちゃんとヒットしました。
書き下し文を書こうと思ったんですが、古文書解読得意じゃないんで、
原文見てもらったほうがいいかも。
それから、八木書店出版って書きましたが、正確には続群書類従完成会出版のものです。
先年続群書がつぶれちゃって、今は八木書店が販売を引き受けてます。

普通に考えれば、菊姫生前の書状だと思いますがねえ。
意味がわからないところがあるけど...
書状の最後のところは、以前書いたように兼続がというよりも、
宮島に「祈祷のことは、示し預かるように」と訳すべきなのかも知れません。

楠戸氏のいう書状は、これではないという可能性もありますが...
233人間七七四年:2009/06/02(火) 02:32:28 ID:Y8o6owkw
>>232
度々ありがとうございます。早速確認してみました。
せっかくなので全文書き写してみます。(抜けてる字があったらすみません)
日付は2月9日です。

「御前様御煩大切之由、驚入候、爲御迎三郎殿御上候、我等者指越候、
自然其内不慮儀者、世上に不知様、米澤に而萬事取行可申候、
其口分別専一に候、猶追々可申入候、又祈祷義者、可示預候、恐々謹言、」

うーん、「自然」が入ってるから「万が一、不慮の者がいたら」ですよね…恐らく。
藤林年表の該当部分を読んでみないと分かりませんが、
楠戸氏は煩いの原因を自殺によるものと解釈してるのかもしれませんね。
234人間七七四年:2009/06/02(火) 09:25:43 ID:8BWE1kQ7
「者」は変体仮名じゃね?
235人間七七四年:2009/06/02(火) 13:19:59 ID:HECfrGPn
あ、そうか。眠くてボーとしてたんで文おかしくてごめん。
あと「に」は片仮名だったんだけど紛らわしいので平仮名にしました。
236人間七七四年:2009/06/03(水) 12:04:56 ID:GfugaULo
>>235
わざわざ、書き写して下さったんですね。ありがとうございます。

「差し越す」ってあるから、米沢から伏見へ出した書状だとしていいんですかね?
前年は凶作だから上洛は無理しなくてもいいという、本多の書状も残ってるから
景勝だけ上洛して、兼続は残ったんでしょうか?



_
237人間七七四年:2009/06/04(木) 18:48:40 ID:wlMo2Xwt
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090604-00000578-san-soci

>越後出身の上杉景勝(かげかつ)軍ならぬ「うますぎタレかつ軍」
だってwwww
238人間七七四年:2009/06/04(木) 20:10:18 ID:fttyAfHS
その才能はもっと有効に使うべきだ
239人間七七四年:2009/06/13(土) 01:27:02 ID:mZ+16v5E
テレ東の歴史ミステリーで、奥羽永慶軍記準拠で
景勝がガチホモで、子作りのために兼続が男装させた女を送り込んで
跡継ぎを作らせた説がやってた。
しかもそのせいで他の家臣に嫌われて直江家断絶&葬式も出してもらえなかったらしいw

あの番組は前からトンデモだと思ってたけど、今回はさすがにないと思ったw
240人間七七四年:2009/06/13(土) 01:37:31 ID:vk7IvULd
そんな番組制作するテレ東のクソさ加減の方がミステリーだわなw
241人間七七四年:2009/06/13(土) 02:30:42 ID:JSDKlIUb
ナッちゃん=ホモ吉だけは
「事実をありのままに放映したテレ東GJ!!!!!!(意訳)」
と思うに2000クレーム。
242人間七七四年:2009/06/13(土) 11:19:17 ID:kedFs9DG
あの番組だけはテレ東が地方局で良かったと
つくづく思える瞬間だよなぁ…
逸話をなんでもかんでも拾い杉、考証すらしねぇ
243人間七七四年:2009/06/14(日) 09:45:10 ID:llN3o+4q
>>242
鬼女板じゃあれを真に受けてるぞw
244人間七七四年:2009/06/14(日) 14:41:19 ID:5L4BGeP8
>>243
鬼女ってもっと一次ソースとか調べる人たちって
イメージあったけどメディア丸のみにしてんのか、失望した
245人間七七四年:2009/06/14(日) 15:20:35 ID:kqwGmtop
彼女らは自分の見たい事しか見ない。見えない。
おっと誰か来たy
246人間七七四年:2009/06/14(日) 18:19:37 ID:oRvZJkat
こうして一部歴史家らによる上杉景勝のネガティブキャンペーンは、
また一つ着実に成果を挙げるのであった… ('A`)
247人間七七四年:2009/06/14(日) 20:04:00 ID:ZkYTQyuq
>>244
鬼女ってそんな大層なイメージか?
ただの主婦だろ…。
248人間七七四年:2009/06/14(日) 21:40:52 ID:LgIoJyBd
>>246
今までは研究者に相手にされてなかった説が
ここ一年辺りで一気に広まってしまったね…
249人間七七四年:2009/06/14(日) 22:30:13 ID:llN3o+4q
注目されるってそういうことなんだろうなー。
最悪だ。
250人間七七四年:2009/06/14(日) 22:45:03 ID:CR7r7MPD
しかしまあひどい景勝だ大河。
251人間七七四年:2009/06/15(月) 07:51:20 ID:/07ArrTA
ひどいよね。もう限界だ。
252人間七七四年:2009/06/15(月) 10:41:19 ID:pJYsE/n5
本能寺あたりでもう無理と思って見るのやめたんだけどさらにひどい?
253人間七七四年:2009/06/15(月) 11:44:23 ID:4QFybC2O
>>252
殿が鬱になりまして、だった。

ある程度は覚悟してたけどこんな糞みたいな評判やイメージばかりが
広まっていくなんて酷すぎる。
あんまりだ。
254人間七七四年:2009/06/15(月) 11:56:04 ID:ZR5+ccLW
いや鬱ではなく耳鳴りだからメニエール病
255人間七七四年:2009/06/15(月) 14:21:25 ID:IADjxueh
確かにメニエル病はストレスが病因の一つといわれてるけどねえ。
史実じゃあ確かこの上洛中、石清水八幡宮に参詣したり、ほぼ一日おきに
京と大阪を行ったりきたりして、最後には少将任官のお礼として参内もしてるはずなんだけど。
いつ倒れたっつーんだよ。
つーか上条出奔はスルーですか?



256人間七七四年:2009/06/15(月) 14:26:14 ID:pJYsE/n5
>>253
ありがとう…ひどいな

ドラマがひどい分には見なければいいだけなんだけど
一般人にそういうイメージで広がってしまうことがねぇ
他の大河やドラマにも滅多に出てこないから
一度広まったイメージの修正も困難だし
257人間七七四年:2009/06/15(月) 18:49:27 ID:uvN4/kiC
昨日もドラマ酷かったな…
ちょうどやる夫真田家が更新されて
ちゃんと景勝が賢君として描かれてたから
それで自分を慰めたよ
258人間七七四年:2009/06/20(土) 12:50:50 ID:Eld8PeJs
大河で景勝を初めて知った人だって多いだろうからあーゆーイメージ付きそうだよね。もーこのまま倒れて出てこなくていいよ。
259人間七七四年:2009/06/21(日) 14:07:05 ID:dVhvoeFJ
戦国時代の姫たちを萌え絵で紹介する本みたいのを
本屋で見かけたから立ち読みしてみた
どうせ夫に愛されず最期は自害のヤンデレ姫系扱いされてるんだろうなと思ったら
カテゴライズは良き妻系(うろ覚え)だし
・武田滅亡後、武田の人間を上杉に迎えて助けたこと
・菊姫死亡時は景勝が上洛していて、菊姫のために手を尽くしたこと
・菊姫が亡くなって景勝はじめ家中のものが嘆き悲しんだこと
がちゃんと押さえてあって、景勝ホモ説も菊姫自害説も(たしか)なかった
絵は当然萌え系だし衣装とかも戦国無双みたいな感じなんだけど
なまじ歴史書を語った、上であがってるような先生方の本よりもよほど良心的かも

ちなみに仙桃院は教育ママ系、
華渓院はイケメン命のだめんず症候群とされていた
260人間七七四年:2009/06/21(日) 15:56:30 ID:BIgLYgR6
ググったらそれっぽいのが出てきたけど「戦国美麗姫図鑑」とかいうやつ?
ちょっと読みたいかもしれんw
261人間七七四年:2009/06/21(日) 16:44:53 ID:qemZ0xQg
景虎だめんずカウントなのかw
262人間七七四年:2009/06/26(金) 23:01:49 ID:SpXT+dal
wikiの、

3月中に戦闘が起こったかどうかはわからないが、
この頃の景勝の書状に「鬱憤を晴らすための戦い」とあり、
景勝の本丸入りも両派の城内戦の末であったと考えられる。

と新しく書かれた部分って、このスレで前話題になった
太田資正宛景勝書状の「鬱憤」のことだよね?
これって対北条のことで景虎関係ないんじゃ……
263人間七七四年:2009/06/26(金) 23:03:00 ID:SpXT+dal
>>262は「御館の乱」の項ね
264人間七七四年:2009/06/26(金) 23:03:39 ID:+Zn471Ki
もうその話題終わってなくね?
265人間七七四年:2009/06/26(金) 23:17:07 ID:MiaiVBmk
全く同じ話題を少し前にしたと思うんだが。
266人間七七四年:2009/06/27(土) 01:06:48 ID:HYjA8Of7
Wikipediaの書き換えがしたいなら
あちらのノートでやるといいよ
267人間七七四年:2009/06/28(日) 20:16:10 ID:YxOny1PX
>>257
やる夫家康といいやる夫信幸といい景勝は何故か萌えキャラ。
268人間七七四年:2009/06/29(月) 03:40:59 ID:pZAbnaCb
萌えキャラにでもしないと重っ苦しくてしかたないからな。
269人間七七四年:2009/06/30(火) 06:36:10 ID:Phfs2Bfg
wikiで会津91万石にされちゃってるよ
270人間七七四年:2009/06/30(火) 07:34:57 ID:tBalfL+w
やる夫家康は見たんだが真田やる夫もあるのか?
スレタイとかまとめサイトがあれば教えてくれ
271人間七七四年:2009/06/30(火) 07:54:08 ID:nOo9Ql0N
>>269
ちょうど直江さんの分が差し引かれてるじゃないかww
272人間七七四年:2009/06/30(火) 11:50:26 ID:OrKq9q/P
南陸奥も土地が痩せてますからね
庄内地方が50万石とかなければ120万石は無理でしょうね
273人間七七四年:2009/06/30(火) 18:34:34 ID:T4UHQgkR
>>270
真田 やる夫 でググレばいいと思うよ。最低限の事は自分でやる癖つけるといいと思うよ。
274人間七七四年:2009/06/30(火) 19:09:11 ID:Phfs2Bfg
>>272はNG推奨
275人間七七四年:2009/06/30(火) 19:21:22 ID:tBalfL+w
>>273
やる夫 真田でスレタイ調べたんだが出なかったんだ
スマン、ググるって技があったなw
金言サンクス
276人間七七四年:2009/07/01(水) 00:30:16 ID:GQBNSdit
やる夫真田家は2chじゃなくて外部板だからスレ検索しても出て来んのよ
そしてやる夫真田家の更新頻度に悶える事になる者がまた一人増えるのだった
277人間七七四年:2009/07/04(土) 01:30:12 ID:f860HfnD
トンデモ戦国ゲーの新作に景勝が出るんじゃないかという噂が。
人気が出れば本の復刻に投票してくれる人が増えるかもしれんね。
278人間七七四年:2009/07/04(土) 09:07:42 ID:WHOjJ/RZ
>277
トンデモゲームとは何の事ですか?
バサラ?それとも無双の事?
279人間七七四年:2009/07/05(日) 00:17:33 ID:Gy0MsZqv
>>278
たぶんバサラ。
新作の舞台が「関ヶ原の戦い」らしい。

戦国無双の方には既に出演済みなんだね。
兼続のオマケみたいな扱いらしいけど・・w
280人間七七四年:2009/07/05(日) 01:22:12 ID:849xaS7e
無双の景勝は好きだけどなあ。
モブだけどちゃんと無口な所がw
281人間七七四年:2009/07/05(日) 05:57:44 ID:z8MZvRqU
関ヶ原じゃ政宗が登場する場面ないだろw
282人間七七四年:2009/07/05(日) 11:13:00 ID:OzAtgscb
>>281
東北で一揆起こさせたり、上杉領にちょっかい出したりとかしてる感じだよね。
283人間七七四年:2009/07/05(日) 13:43:11 ID:GzsI9kUO
出すべき地味重要人物はスルーして、出す必要のない有名人はやたら出すのが大河だろ
284人間七七四年:2009/07/05(日) 13:57:13 ID:uy7AAX2J
本庄繁長はスルーだけど大谷・島左近は出すからな。
上杉主役じゃないのかと。
285人間七七四年:2009/07/08(水) 11:54:37 ID:/mTzU29k
http://kobe.cool.ne.jp/guwappa/summer04.htm

上杉91万石だな。

新井白石の藩カン譜の捏造注意。
286人間七七四年:2009/07/08(水) 13:43:59 ID:7M8ACqGv
ゲームとかの人気キャラは視聴率稼ぐけど
本庄や新発田は知ってる人少ないからパス。
最上は画面の端を横切る予定。
287人間七七四年:2009/07/08(水) 14:37:58 ID:/mTzU29k
http://kobe.cool.ne.jp/guwappa/summer04.htm

最上13万石、上杉91万石の真実。。。。。。。。。。。。。。。。


288人間七七四年:2009/07/09(木) 21:47:43 ID:5T2+dXVA
前田慶次って、架空の人物のようです。信長公記に、名前ありません。代わりに、出羽仙福の前田薩摩が出てきます。東北にも、前田姓がいたのです。おそらく、米沢藩の上杉家による織田家との関わりを作ろうとした

捏造でしょうか?東北人の捏造恐るべし。

289人間七七四年:2009/07/09(木) 22:10:56 ID:xoFhVpx3
・漫画の影響か、前田慶次と呼ぶ。
・「信長公記に名前がない=架空の人物」という謎の結論。
・信長公記に配下の名前が全て載っていると思っている。
・前田から「米沢藩の上杉家による織田家の関わりを作ろうとした」となる結論が全く分からない。
・日本語が怪しい。
290人間七七四年:2009/07/09(木) 23:20:55 ID:ybdvz1XH
すなわちSubと。
291人間七七四年:2009/07/10(金) 07:42:20 ID:nqpl6Jmq
>288はたまに出てくるすぐ信長公記をだして、何でも捏造だって言ってるアンチ上杉でしょ?毎回毎回同じような事言っててしつこいよ。
292人間七七四年:2009/07/10(金) 08:13:14 ID:KoZ6ipzD
>>291
毎度おなじみの織田厨の振りした武田厨です きにするな
293人間七七四年:2009/07/10(金) 08:48:55 ID:o3StTI8J
隆慶一郎が漫画化にあたって「本当は慶次郎だけど呼
びにくいから慶次にしたら」と言った話は有名だけど
、本人も書状に前田慶次って書いてるし、江戸時代か
ら慶次にしてる書物は多い。
294人間七七四年:2009/07/10(金) 19:52:10 ID:tlSCgYZy
出羽仙福?
出羽仙北じゃないの?
295人間負けなし:2009/07/11(土) 11:37:41 ID:M4rntt8m

天地人の文脈からいえば、官僚の三成や支配者の秀吉・家康こそ通行人として描かれるべき。
かぶき者であり婆娑羅である前田慶次が惚れ込んだ主従としての景勝・兼継にこそ本当の価値がある。
「義」とか「愛」だのというイデオローギ―の病にかかったインテリ制作者どもの浅ましさよ。

関ヶ原などなんの関係もない。
彼らはただ鬱陶しい相手に立ち上がっただけだ。
それが信長だろうと秀吉だろうと家康だろうとだ。

それがkabukimonoなんだよ。
296人間七七四年:2009/07/11(土) 12:36:02 ID:NpwQPgBg
>>292
勝手に武田厨に押し付けるな
どう見てもsabは織田厨だろ
297人間七七四年:2009/07/11(土) 21:05:12 ID:QKnbt8Hn
柴田右馬助、稲葉彌助って、誰だよ???また、上杉の捏造か?信長公記ほか織田家の記録に名前のないこの2人。

http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000054593

298人間七七四年:2009/07/11(土) 21:40:11 ID:6GAz65xo
さぶー
299人間七七四年:2009/07/23(木) 21:13:05 ID:dQSYGY6Z
北村は景勝に合わねえよな
やっぱ、三沢慎吾だよ
300人間七七四年:2009/07/23(木) 23:17:43 ID:MGGYONxu
いやいや、出川哲郎に勝る景勝役の適任者はおりませんて。





天地人(つーか火坂作品)限定だがwwwwww
301人間七七四年:2009/07/24(金) 07:57:21 ID:2uiLElSj
あの腑抜け小説の景勝像なら、そうならぜるを得ないだろう
302人間七七四年:2009/07/24(金) 10:42:06 ID:yA/Cn98S
御館スレを盛り上げたいのか、
また変なのが出没してるな。
303人間七七四年:2009/07/24(金) 14:18:40 ID:T/vxS4bO
御館スレはもうループすぎて飽きてるだろみんな。
同じ質問と同じ回答の繰り替えしな上、
景虎スレと大概話被ってるし。
304人間七七四年:2009/07/24(金) 16:38:06 ID:2pnofUmH
上杉スレもまとめサイトが欲しいな
305人間七七四年:2009/07/24(金) 20:24:55 ID:XDT4SeZF
天地人見て景勝のファンになった。
本物も寡黙でシブかったのかな。
306人間七七四年:2009/07/24(金) 21:13:33 ID:S7Nv6TxS
あのコントのような景勝を見てファンになる人がいるとは…
正直驚いた
307人間七七四年:2009/07/24(金) 21:28:21 ID:n+BMZfI5
まあ、何だ…>>305は何か悪い物食っちまって体調が悪いんだろう。
だからあんなダメ勝が立派な景勝に見えるんだ。


さもなきゃ>>305は男女問わずスイーツ(笑)か腐ヲタということになる。
308人間七七四年:2009/07/24(金) 21:42:02 ID:od+V5Teq
いや、逆に考えればあの景勝でもいいと思ってくれたんだから、
本物の景勝を知ったらもっとファンになるかもしれんぞ。

というわけで、ようこそ>>305
309人間七七四年:2009/07/24(金) 23:04:57 ID:2uiLElSj
welcome to the machine
310人間七七四年:2009/07/25(土) 00:50:19 ID:VGBg7LRJ
景勝は正直、有能と言うような人間ではないが、肝だけは恐ろしく据わっていた。
天地人の景勝は、無能な上肝も据わっていない。
311人間七七四年:2009/07/25(土) 01:30:38 ID:Hh7banUz
秀吉との対談を前にキョドって何杯も水を飲む演出には呆れた
なんでわざわざこんな気の小さい男にしたんだろう?
寡黙で肝が据わってるならいいけど、よくオタオタしてるからただのアホみたい。
312人間七七四年:2009/07/25(土) 05:02:26 ID:o2MuR9O/
>>310
小説かよ
313人間七七四年:2009/07/25(土) 09:00:26 ID:zNm8HMY+
佐竹義重への書状がスルーされたのは残念だった
セリフだけでもアレンジして喋って欲しかったよね
314人間七七四年:2009/07/25(土) 09:57:30 ID:ceYG89vi
あんな書状を送るような男には描かれてないからねえ。大河ドラマでは。
でもドラマのカネツグがあまりにもっていうのもあるのか、
スイ−ツ層以外にもじいちゃんとか一部の人には人気らしいよ。
315人間七七四年:2009/07/25(土) 14:59:26 ID:cmaAMPKi
いやね
佐竹に出した景勝の決意なんて
生々しくてキモいわ〜って感じでさ
左翼基地害が玉砕なんて
戦中のを思い出すし
皇軍を賛美するのか
歴史歪曲して
先の大戦を美化するのか!
なんて話になるから反戦思想じゃなきゃならんのよ
316人間七七四年:2009/07/25(土) 16:12:25 ID:j3+b/ei0
>>315 同意。

景勝のあの手紙読むたびに特攻隊員の遺書を思い出す。
(個人的には好き)


そりゃ景勝が「ヘタレで惰弱な癖に嫁には上司風吹かすダメ人間」
じゃないとヤバい原作者と脚本化には都合が悪すぎる事実という以前に、
NHKの真実の本体の某国が嫌がる事実と書状なはずだwww
317人間七七四年:2009/07/27(月) 20:11:29 ID:EsQ67KNY
私情を押し殺して人質を命じる景勝に惚れた。
本当に格好いい。ますますファンになった。
318人間七七四年:2009/07/27(月) 20:51:19 ID:Xlwz0fWm
この時代、家の為に私情を押し殺すのは極めて普通だろ
319人間七七四年:2009/07/27(月) 21:27:25 ID:Oc7yhHO2

あれが景勝どんの生涯唯一の命令じゃないだろうな
320人間七七四年:2009/07/28(火) 15:50:26 ID:u2pfXK/U
もう万が一、お菊がどうしても上洛したくないと言ったら、正妻を変更せねばなるまい。

と言うことは、今の時代ではないので、嫌いになったから正妻を離縁したと言うわけにも行かず、
生きている元正妻が地元でフラフラしていたら、女一人も統べることができない腑抜け大名と言われ、
部下に示しもつかず、公ではその真意を秀吉に疑われるので、
突然の病で死にましたと発表し人知れず厳重処置せざるを得まい。
321人間七七四年:2009/07/28(火) 16:39:13 ID:ICFxRmlH
上洛をごねたっつ−のはあくまでも粗末女史の設定だろ。
お船大活躍の設定のための。
史実じゃ兼続は上杉屋敷とは別に自分だけの屋敷も拝領してたみたいだから、
菊姫のお供というより普通にお船も人質という立場だったんじゃね。
菊姫と同時じゃなくって兼続の地位かあがってから、お船は上洛したんじゃないかと思うけど。
秀吉のお気に入りの島津の家老伊集院も島津本家以上の豪邸を拝領し、妻を上洛させてるし。
322人間七七四年:2009/07/28(火) 17:23:42 ID:tmWfhNSU
>>321
「大河原作作家」火坂センセイの原作内では、菊姫の直接登場はなく
人々の会話内で動向が語られるようなスルーされっぷりだけど、
「上洛を嫌がっている困り者」・・・みたいな描かれ方をしてたような。
323人間七七四年:2009/07/31(金) 00:29:54 ID:8rlDiTAT
>>322
なぜかは知らんが、於菊御寮人に何か恨みでもあるのか、という勢いで
扱いが酷い。『上杉かぶき衆』でも一応菊姫主役の短編があったりするが、
まるで菊姫の祟りで四辻夫人が亡くなったといわんばかりの描かれ方だった。
324人間七七四年:2009/07/31(金) 02:12:06 ID:zUVToo8V
菊姫は童門小説がかわいかったな
325人間七七四年:2009/07/31(金) 22:21:01 ID:XAyPDglv
>>323
上杉かぶき衆はひどかったな。
景勝のセックスはいつもワンパターンでつまらないから
菊姫は一人で悶々とするしかなかったとか、妄想乙w

>>324
ああうんの仲が可愛いくて微笑ましい。
326人間七七四年:2009/07/31(金) 23:13:11 ID:8rlDiTAT
>>325
この短編に限らず、本多政重の短編なども収録されてたけど、
どうも火坂氏は景勝にも好意的でない印象をうけるな(景虎も同じ)。
謙信びいき、兼続びいきという割にはどうもねえ・・・・という感じだ。
327人間七七四年:2009/08/01(土) 17:37:57 ID:ojfpbGps


愛の字を

目深に被る

貴男(まさし)だもの

    俵雅子  ザラダ記念日
328人間七七四年:2009/08/03(月) 02:54:17 ID:IHcGlHMd
火坂が景勝嫌いらしいのはすでに言われてたことなのでは。

で、小説なんだから登場人物の個性として性悪に書くというのは
設定上としても、作家独自の腕の見せ所としても別に構わないわけだけど、
火坂の場合は想像力も文章力も非常に足りないので、
「悪く書くほうが楽チン」という傾向もあるのではないか。

そのうえ、楠戸の紹介する「ヒステリー自害説」を知り、
「この路線でどんどん書けるじゃん。楽勝楽勝!」的な安直思考が見える。
329人間七七四年:2009/08/03(月) 09:15:37 ID:M6xasExm
菊姫自害でも花に背いての菊姫は生来の可憐さに加え
愛する夫の側にいられない寂しさのあまりに精神の均衡を崩して欝になって自殺と
分からないでもなかったが。

別に景勝を愛してなくて正室のプライドだけなら側室を持ったり
側室が子を産んだ事に発狂とか不自然だと思うな。
現代と違って殿様が側室を持つのは当たり前で
側室に嫉妬を見せず別け隔てなく接するのが素晴らしい奥方様って世界なのに。
裏切ったなーとか常識的に筋違い甚だしい感覚だろ。
現代のように夫が他の女に手を出すのは女としての存在価値を
揺るがせることってならともかく。
330人間七七四年:2009/08/03(月) 14:41:58 ID:rITqENj7
結局菊姫の転地人療法は失敗したのか
331人間七七四年:2009/08/03(月) 15:58:48 ID:x0OF9USA
>>329
『花に背いて』では病気が重くなって、精神的にすっかり参ってしまって・・・
という感じだったよね。
それならまだわからなくもないが、流石に側室の子で大名の姫として育てられ、
しかも身内に、黄梅院や桂林院、信松尼のような苛烈な運命をたどった人間が
いるような女性が、側室もったことに対して・・・というのはどうもなあ。
332人間七七四年:2009/08/05(水) 18:26:37 ID:yYS0W4hy
菊姫の自殺って、百年以上も後の藤林年表に書かれてるだけなんだろ。
嫉妬深く、側室の懐妊を聞いて自殺・・
そんなに性格に問題のある姫を勝頼が同盟の証とするかなあ。
景勝はあの状態の中で、武田に兵を出そうとしてくれたし、弟を引き取って一門扱いしてる。
菊姫はちゃんと武田と上杉の絆となり、
永井路子の言う外交官としての勤めをはたしたんじゃないのかねえ。

ところでNHKブックス「関ヶ原前夜」を読んだだけど、
関ヶ原前に出奔して家族とともに討ち取られたと
「会津陣物語」に書かれてる栗田刑部は実は出奔していなかったらしい。
会津討伐や出羽合戦についても、一次史料から冷静に考察されていた。
関ヶ原前に景勝と家康が縁組しようとしてたのはもう史実といっていいのかな。
景勝は縁組は秀吉の遺命と輝元に言い訳してるけど、
例の「上杉息女」のことなんだろうか?
だとすると、相手は家康の息子?でもちょうど合う息子がいないんだけどな。
忠輝は伊達と縁組すませてるし。
333人間七七四年:2009/08/05(水) 22:15:46 ID:A6FOjzu+
そういや、放送始まって直江関連本の出版嵐も止まったな
児玉彰三郎の景勝本の復元ももはや無理か・・・
334人間七七四年:2009/08/06(木) 18:59:34 ID:Rt8u2DD9
>>333
直江関連本は山のように出たけど、見るべきものは
木村徳衛の『直江兼続伝』、今福匡『直江兼続』、矢田俊文編『直江兼続』の
三冊くらいのものだった気がする。景勝本に関しては、『〜すべて』くらいしか
でなかったし、あれも決して良書とは言えないし(中には良い記事もあるんだけど)
335人間七七四年:2009/08/06(木) 21:20:23 ID:6VAcT9NE
>>334
守りの名将・上杉景勝の戦歴はどうですか?
とあるブログでおすすめされていたので気になってる
まだ自分が読んでないからなんとも言えないんだけど…
336人間七七四年:2009/08/07(金) 00:48:09 ID:Vy6vK52Q
>>335
初心者向けな感じだけど合戦の解説は凄く分かり易かったよ
あと作者が凄く児玉氏の「上杉景勝」が素晴らしいと語っていた
337人間七七四年:2009/08/07(金) 16:57:30 ID:HNrefP4G
謙信は美少年を好む性癖とか書いてあって挫折したやつだ・・・
読み返してみよう
338人間七七四年:2009/08/07(金) 22:02:04 ID:8JUMhhHJ
あの本ってさ、他の文献の抜粋とwikiのカキコを
参考にしてるだけのものだったね
339人間七七四年:2009/08/08(土) 00:10:11 ID:+euRXOut
さすがにあのての人は、wikiのカキコなんか参考にしねーだろ。
特に上杉関係は、玉石混淆だからね。
wikiの記述がいい加減なことぐらいわかってるだろうよ。
もともと上杉研究専門の人じゃないから、浅くなるのはしかたがないだろうね。
初心者向けには、まずまずじゃないの。
会津討伐の上杉の大防御作戦の章は力入ってたよ。
340人間七七四年:2009/08/08(土) 08:00:56 ID:LTABpoWF
まあ、とりあえず
関連書籍に追加しとくか
341人間七七四年:2009/08/08(土) 14:47:24 ID:S64ivuT4
講談の会津陣物語の直江の対家康構想で、
しきりに東根あたりが要害で守り易いとか
東根に家族や人質を置いておけば安心とか
わけわからんことを言ってるのはなぜ?
直江が伊達をナメてるから?
342人間七七四年:2009/08/08(土) 16:35:50 ID:xzwoH5sl
それは講談書いた人に聞くしかないな
343人間七七四年:2009/08/08(土) 23:19:51 ID:bcoDyY96
講談w
344人間七七四年:2009/08/09(日) 00:21:20 ID:6J96qb4C
>>341
蒲生氏郷を兼続と三成が組んで毒を盛ったと言う話がでてきたり、基本的に
直江を水原が批判する、という話のつくりなんだよね。
345人間七七四年:2009/08/09(日) 10:12:02 ID:j3NY8tY6
水原を持ち上げる為に直江を引き立て役にしてるって感じだよね
宇佐美定祐は大関定祐と名乗ってることがあるらしいけど、
水原の出身の大関家と何か関係があるのかな
水原は嫌いではないが軍記での持ち上げっぷりは少し不自然を感じる
346人間七七四年:2009/08/09(日) 10:38:08 ID:CyEWu/V0
そら元ネタを一族の杉原親清が書いてるんだから持ち上げはあるだろ。
347人間七七四年:2009/08/09(日) 11:15:18 ID:j3NY8tY6
高橋修さんの本で宇佐美が自分の名前を隠して作成したとあった
同時期の学者が告発しているとか
だから水原親清と国枝清軒は関係ないのでは?というような感じだったけど
今、手元にないから後で確認してみるよ
348人間七七四年:2009/08/11(火) 10:57:28 ID:CxqxuBI3
ところで思ったんだが、謙信が信長と手切れしないまま死んでたら上杉はどうなってたんだろうか
349人間七七四年:2009/08/11(火) 14:24:50 ID:GD9f0ypb
信長が関東のことは謙信に一任していたらってこと?
東西で天下二分する室町幕府の時代に逆行するんじゃないか。
この場合毛利と武田が窮地に立たされるだろうね。
350人間七七四年:2009/08/11(火) 18:42:49 ID:PrbhV8RA
織田と敵対せずに謙信が死んだらって話だろ。
北陸制した織田のほうから手切れされて攻められるだけだと思うが
351人間七七四年:2009/08/11(火) 18:51:31 ID:E1gtxkjq
織田と上杉との敵対が手取川からだと
思ってる人がいるようですね。
352人間七七四年:2009/08/12(水) 06:53:38 ID:LC6xlGlC
>>347
書名きぼんぬ
353人間七七四年:2009/08/17(月) 03:58:46 ID:I8nUo02q
>>347
もしかして、洋泉社の「異説・もう一つの川中島合戦」?
354人間七七四年:2009/08/17(月) 13:52:10 ID:BxMMgVzZ
昨日の天地人で家康に物怖じせずビシッと言い放つシーンかっこよかったー。
ほんとシビれたよ。景勝様すてき。もっと出番増やしてー。
355人間七七四年:2009/08/17(月) 14:06:08 ID:vAxVDjDC
もうしばらくすると土下座するんですけどね
356347:2009/08/17(月) 17:52:17 ID:JXPw/wg2
>>353
今、帰省中で今月末まで確認できないけど多分それです
うろ覚えなんで内容が違ったらすみません
357人間七七四年:2009/08/17(月) 18:14:23 ID:JZQY6eOF
天地人効果で景勝ファンが着実に増えてきてるな。
>>355いい加減なこと言うな!
>>354もうすぐ景勝と家康が戦争になって家康コテンパンにやっつけるよ。
その後家康が詫び入れて仲直り。一緒に日本再建に取り組むことになる。
358人間七七四年:2009/08/17(月) 19:22:21 ID:V4u/vsgJ
この大河ってさ、遠回しに上杉の人気を地に落とすために作られたと
しか思えないよね。
359人間七七四年:2009/08/17(月) 21:32:05 ID:mmPVv2xU
天地人は景勝に凄く感情移入できる。 このまま適度に脚本はスルーしてくれ。
景勝についていろいろ調べる機会持てたのは良かった。
360人間七七四年:2009/08/17(月) 21:39:17 ID:UOHI5A8+
>>358
以前からの上杉好きだった人たちには当然不評だが
何も知らなかった人は勘違いしてハマってるようだね。
361人間七七四年:2009/08/17(月) 21:48:07 ID:BD62ftR3
>>305
一般的に景勝は寡黙で生涯笑ったのが飼っている猿の仕草を見て笑ったとなっているけど
米沢の上杉博物館によると部下に冗談まじりの手紙をおくるなど
寡黙に対して否定的なことが書かれていたよ
362人間七七四年:2009/08/17(月) 22:12:46 ID:QtoYfGu9
「昨日兼続の家で大酒飲んじゃったよ。楽しかった〜。
 でも狩野の家は狭いから、飲んでも楽しくないだろうね。景勝より」
「狩野の家、台風で壊れちゃったんだって?ちょっとワロタw
家具はは大丈夫だったの?景勝より」

みたいな手紙かw
確かに一般的なイメージとは違うな。けっこう面白い人だよね。
363人間七七四年:2009/08/17(月) 22:38:24 ID:vAxVDjDC
2ちゃんで多弁でも実生活では話をしないなんてのはいくらでもいるからな。
いくら書状がそうだからと言って寡黙だった事の否定にはならないとも思うが。
364人間七七四年:2009/08/17(月) 23:09:46 ID:WF09bKNt
>>362-363
確かに、手紙とかだと妙に雄弁な人はいたりするからね。
とはいえ、景勝の手紙は息子とのやりとりや、件の佐竹義重宛の書状などを
みても、寡黙イメージとは大分違った印象をうけるね。
365人間七七四年:2009/08/18(火) 00:16:50 ID:NpJ8OUi9
>>361
確か天地人リレー講演会でも「本当に景勝が寡黙だったと思いますか?」
なんて言ってる先生もいたな。
同時代史料には、寡黙だったなんて書いてあるものは皆無らしい。
冬の陣でのエピソードとかが誇張されて、イメージが作られていったり、
景勝の権威付けのためか、兼続を通さなければ直接景勝に書状が渡せられなくなり、
家臣たちから近寄り難いイメージが作られていった可能性もあるかも。
一次史料の勧修寺某とかの日記には、景勝を呼んだら、あいつら大酒のんで
どんちゃん騒ぎして帰ったなんて書いてあったような。
他にも山内一豊とか、普段は寡黙だが、戦場ではよく通る声で指示した
なんて伝えられてる武将もいるね。
366人間七七四年:2009/08/18(火) 08:58:38 ID:0S30kZoA
>>362
そうそうその手紙
サンキュー!
367人間七七四年:2009/08/18(火) 09:57:40 ID:xM6UiS3A
>>365
それ言ってた田中氏って微妙な気がする。
当日のレジュメに小説の一覧つけられましても…って感じだったし。
あと、これは知人からの又聞きだけど
田中氏が阿賀野でやってた別の講演会では、景勝と兼続が衆道であるかのようなことを臭わせる発言や、
リップサービスか知らんが、郷土の偉人(吉田東伍だったか)が兼続を悪く書いてるのを紹介して、
悪く書かれてることが嬉しかったようなこと言ってとか。
与板だったかの講演会で後室を継室みたいに説明して、聴講者に突っ込み入れられたそうだけど、
それを、地元民の愛ってすごいね的なエピソードにして、笑い話みたく話してたそうな。

>景勝の権威付けのためか、兼続を通さなければ直接景勝に書状が渡せられなくなり、
>家臣たちから近寄り難いイメージが作られていった可能性もあるかも
元々、目上の人には直接書状を出せないので、側近に宛てて披露してもらう「披露状」の形式を取るのは普通。
兼続だって直接景勝に書状を出せないので、清野に披露してもらってる。
もちろん、景勝以前からもそうだし、上杉だけじゃなくて全国的な話。


景勝を「おもくち(重口)」だと書いてる史料は多賀家文書にあるらしいよ。
景勝が上洛する最中の、接待する堀側の書状で。
これは前嶋氏が講演会で解説してた。
368人間七七四年:2009/08/18(火) 14:36:36 ID:QYV2YWzF
思うに身内の前では素で過ごせても、外に向かっては謙信の後継者と言うことで構えてしまうタイプなんじゃなかろうか
369人間七七四年:2009/08/19(水) 02:00:49 ID:02OjSYKg
>>367
そうなんだ。
まあ、小説一覧は図書館勤務の人だからかなーと思ったけど。
地元民の愛って・・・自分も長岡出身じゃねーのかよ。
吉田東悟っていえば、「越佐史料」を編集した高橋義彦の兄だよね。

やっぱり「おもくち」なのか。
自分としたら、「軽口」な男よりずっといいと思うけどね。
確か堀は景勝の帰国後、わざわざ書を送って景勝の帰国を祝い、
「帰路も立ち寄ってもらい歓待するようにしてたのに、直通されたので残念です。
お会いできて本望です。今後も宜しく。」なんて書いてるよね。
370人間七七四年:2009/08/19(水) 15:40:18 ID:KHhNv/Zq
371人間七七四年:2009/08/19(水) 16:56:12 ID:EYdeyQ0c
かげっちさまは渋くてかわいいね

藤林年表は林泉文庫が写しを所蔵してるみたい
米沢図書館に問い合わせれば見せてくれるんでしょうか?
372人間七七四年:2009/08/19(水) 17:33:01 ID:WHnqbCc2
かげっち、かわいいw
景勝人気爆発中
373仙台藩百姓:2009/08/19(水) 19:19:47 ID:AgqdLpq5
憐れだお( ^ω^)
374人間七七四年:2009/08/19(水) 20:32:01 ID:sTTXB80i
むすび丸よりはかわいいおw
375人間七七四年:2009/08/20(木) 15:19:31 ID:mXrA4sIx
>>371
図書館HPによれば、閲覧希望を郷土資料室にあらかじめ連絡してってあるね。
複写も頼めばさせてもらえるらしい。
376人間七七四年:2009/08/20(木) 17:59:24 ID:8OUf7R4V
>>375
レスありがとう
米沢に行く機会があったら確認してみたいと思います
林泉文庫目録の藤林年表の説明は、
「享保5年上杉定重の誕生から、寛政十年死去するまでの米沢藩の
事歴について編年体に記したもの」
でした。林泉寺と徳昌寺の件も元ネタが藤林年表と聞いていたので
江戸初期からの年表かと思ってたけど定重時代の書みたい?
377人間七七四年:2009/08/22(土) 08:53:35 ID:Qe6gVeQu
手紙とかメールでやりとりしてると、お喋りそうなんだけど
実際、会ってみると無口な人っているよね。景勝もそういうタイプ?
378人間七七四年:2009/08/22(土) 19:50:05 ID:FUnuSH4K
気の許した相手にしかお喋りじゃないとか?
379人間七七四年:2009/08/24(月) 04:17:22 ID:IlULs891
そして酒が入るとはじけるタイプなんだな。
380人間七七四年:2009/08/26(水) 23:58:14 ID:lQ2HVbgA
昨日の鑑定団で景勝の書状が300万だったらしいね
最近火9はロンハーだから見逃しちまったい
381人間七七四年:2009/08/28(金) 18:09:13 ID:RLqXQWoh
男色をめぐるチョイといい話を書く可し。
よいナッ!!!
382人間七七四年:2009/08/30(日) 01:35:31 ID:JimSUf+A
鑑定団に出てた蘆名盛隆宛の書状内容載っけとくお
字間違ってたらごめん

ご養父遺物として刀一腰お送り給ひ
再び愁傷浅からず候
先だって申せしむる如く 在世中
別して身のことを申し談ずると云ひ
若年旁意見等頼み入れるべきの由と云ひ
深く思う給うのところ 不慮の遠行
力を落とし候
恐怖ご同然に候 然而当方の儀
先代に替わらず 無二入魂せしむべきの由
勿論の儀に候


ご養父の遺物として刀を一腰お送りいただき
再び悲しみを思い出します
先日申しました通り在世中はとりわけ
私の個人的な相談に乗っていただき
若い私はご意見を頼りに思い
また親身になってくださったのですが
思いがけずに亡くなられ力を落としています
恐れ多いことはあなた同様です
さて私は先代に変わらず同様に
懇ろに思っている事はもちろんですのでご安心ください
383人間七七四年:2009/09/01(火) 15:41:12 ID:GJ+bJOhq
謙信も景勝も手紙は結構能弁なイメージがある
384人間七七四年:2009/09/05(土) 15:51:12 ID:2ti/1eiH
 謙信は、上洛の祭に出会っている幕府の関白を務めた近衛稙家コノエタネイエに書道の手ほどきを受けている。
 景勝は謙信から、謙信直筆の「いろは手本」(「伊呂波イロハづくし」)送られ習っている。
+手紙の書き方を教える「消息手本」も送られている。
※復刻版あり(市立米沢図書館制作)。
385人間七七四年:2009/09/05(土) 15:57:25 ID:6F4TjGuX
 兼続の書いた文で、
「直江兼続五楽願書ゴガクガンショ」というのがありますが、これは国宝に指定されています。
(米沢市上杉博物館所蔵)
386人間七七四年:2009/09/05(土) 16:40:40 ID:SblMLotv
皆知ってんじゃね。
387人間七七四年:2009/09/05(土) 19:42:10 ID:mvfVvoKY
>>384
復刻版は図書館で買えるの?
大日本古文書に載ってるは見たけど謙信はマメだね
388人間七七四年:2009/09/06(日) 01:40:42 ID:AGlbx6BU
>387

復刻版を所蔵しているのは図書館ではなく
米沢の個人所蔵と、雑誌で紹介されていました。
だから、復刻版制作者の図書館に問い合わせてみないと分からないです。

謙信公、確かにマメですね。それと、かなり世話好きですね。
天地人を切っ掛けに色々調べていると、増々その感を強めています。
389人間七七四年:2009/09/06(日) 10:33:10 ID:5sxGpQoR
>>388
レスありがとう
上杉博物館で「かてもの」が売ってるけどあんな感じなのかな、復刻版
図書館に行った時に聞いてみます
390人間七七四年:2009/09/17(木) 19:56:16 ID:fgu2XRQa
岡田外相は景勝に通じるものを持ってるな
391人間七七四年:2009/09/17(木) 20:19:30 ID:zEvI5pal
岡田はチャンコロの犬だよ
392人間七七四年:2009/09/17(木) 20:23:44 ID:D8f1x8Th
>>390
外見はいい感じかも。眼光鋭いし、あまり顔が崩れないし
393人間七七四年:2009/09/18(金) 06:33:24 ID:URnFyl8c
堅物で融通が利かず、酒は一口しか飲まず、会合は割り勘が原則。
永田町の住人らしからぬ信念を曲げない原理主義者ぶりが、同僚議員を遠ざけている。
連立協議でも言うべきことはズバズバ言って、相手をギョッとさせた。
亀井が「党務も大臣ポストもこなすのは難しいなぁ」と謙遜すると
「それならかるい大臣でいいんじゃないですか」と真顔で応える。
福島みずほとの会談では、
「対案を言わないで原理原則ばかりだ」
と途中で席を立った。
希望するポストの一つでもあったのに、鳩山からの外相打診に
「一晩考えさせてほしい」
と答えている。
394人間七七四年:2009/09/18(金) 09:29:46 ID:XmuL8u5F
景勝も、顔四角だったのかな
395人間七七四年:2009/09/18(金) 12:04:36 ID:mgpFmahx
ところで「御中城」についてふと思ったのですが、一般的には二の丸だか三の丸だかに比定される向きがありますが、これは実城をも含む城郭中心部だったということはないんでしょうかね。
臼井城などは「御中城」は第一郭である「実城」と第二郭をも含めた表現で、中城=城の中心機能とする説があるようです。
もっとも松倉城など他の多くの城では「中城=二の丸」の認識が高いようですが。
396人間七七四年:2009/09/18(金) 12:08:15 ID:mgpFmahx
>>394
父の政景と母の仙洞院の肖像画から想像すると、
縦長の面立ちであごも角ばってはいないでしょう。
397人間七七四年:2009/09/18(金) 15:16:25 ID:XmuL8u5F
>>395
春日山は巨大な城なので、二の丸と考えたほうが良いと思う
398人間七七四年:2009/09/18(金) 15:18:55 ID:Hf5jsxpD
>>395
>これは実城をも含む城郭中心部だったということはないんでしょうかね。
春日山城の実城には御実城様がいるから、実城は含まれてないのでは。
399人間七七四年:2009/09/18(金) 16:33:10 ID:mgpFmahx
そうですか。軍役帳では実城様が見えなかったものですから。
当時の実城様の動員数や率いられる将兵はどういうものだったのかが知りたいですね。
400人間七七四年:2009/09/18(金) 16:43:56 ID:J4A+Bamz
こいつひでー奴だよな
勝頼見捨てたり三成見捨てたり
401人間七七四年:2009/09/18(金) 17:17:39 ID:Hf5jsxpD
>>399
一応言っておくけど
春日山城の御実城様は謙信だからな。
402人間七七四年:2009/09/18(金) 18:07:32 ID:vpOpc7K5
>>400
別に見捨てたわけではないんじゃないの。
勝頼のことはかなり気にして、無理して兵を差し向けてたし。
403人間七七四年:2009/09/19(土) 15:16:39 ID:p0UrJD1x
天地人で景勝の株がだだ下がりに
404人間七七四年:2009/09/19(土) 16:05:57 ID:9YHcOYaZ
元々高かったわけでも
405人間七七四年:2009/09/19(土) 23:58:34 ID:w3rhCIKl
ちょっと前の回に兼続に
「ワシの許可はいない!お前の好きにしろ!」
って言ってたのに…
406人間七七四年:2009/09/20(日) 04:54:03 ID:Zsz8zWlS
>>405
小松女子がそんなこと覚えてるわけねーじゃん。
407人間七七四年:2009/09/20(日) 21:56:50 ID:75qt223K
>>403-404
ただでさえお世辞にも高いとは言い難い代物だったが、
某歴史研究家の私怨によって株下落

某歴史研(ryの腰巾着連中により更に下落

某腐女子向け小説の信者により一層下落

天地人によりついに底無しの奈落へ暴落←今ここ


もうね、今後は景勝贔屓+寝投与のおいらにゃ
長い冬の時代とか前途暗澹とかね…'`,、'`,、('∀`)'`,、'`,、
408人間七七四年:2009/09/20(日) 22:36:13 ID:mpPsXzHL
NHKによると天下分け目を読むことも出来ない、
単なる馬鹿ということになってるわけだが、
409人間七七四年:2009/09/22(火) 16:47:33 ID:WnErA172
天地人にも登場した兼続の次女のことなんだけどさ・・
他のスレでちょっと話題になってたんで、
以前コピーさせてもらってた「兼見卿記」の文禄四年の記事を読み直したんだけど、
あれは今福氏がいうように直江の猶子になったんじゃなく、
直江の次女が猶子の契約(おそらく景勝と)をしたんじゃないの?
猶子契約の祝儀の翌月、景勝と対面して、「別に仕合の由」と源左衛門尉より申してきたとあるんだけど、
この源左衛門尉は、直江息女の猶子契約の祝儀の時にも登場してる。
今福氏は兼見が景勝を訪問したとされてるけど、直江息女が景勝と対面したともとれるんじゃないだろうか?
色部長真が、生まれてもない兼続の次女との婚姻を望むというのもおかしな話しだし。
兼続の次女は景勝の猶子になってしまったから、代わりに妹が色部に嫁いだんじゃないだろうか?猶子は契約によるもので苗字も変わらないから、直江息女と言われるのにも矛盾しない。
政重と結婚したのも次女の方だったんじゃないかな。
本多家家譜には、景勝養女の兼続女との間に男子が出来たら景勝の養子にする予定だったとあるし。
三月の記事にある「上杉息女」と七月から登場する「直江息女」は別人じゃないかとも思うんだけど。
この「上杉息女」(こっちも養女だったかも)が夭折してしまい、
代わりに直江次女がが猶子になったとかありえない?
410人間七七四年:2009/09/24(木) 01:09:01 ID:17sg2ARi
色部長真書状の次女は気になってた
次女はいたけど早世してしまって妹が嫁いだパターンかと思ってた(なんとなく)
411人間七七四年:2009/09/24(木) 06:04:45 ID:wTGHIGS9
公家社会では「養子」と「猶子」の区別は、はっきりしてたと思うんだけどね。
姓は変わらない「猶子」で、直江(原文では直ヲイ)山城守息女と呼ばれるのはどうかとも思うし。
「猶子」は養父とは養子関係を結ぶけど、「養子」と違い養母とは関係を結ばないとも言われてるから、
「兼見卿記」のようにお船が度々出てくるのはどうなんだろう。
その後の記事に兼続のことは一切出てこないし、でてくるのは、景勝と「御対面」の記事だし。
今福氏は、この息女が姉やお船よりも先に日記に表されることを、もともと高い地位の娘だったからと推測されてるけど、
景勝の猶子になったと思えば、この娘が彼らより上にきてもおかしくないと思うんだけどねえ。
直江の次女を兼続の実子ではなく猶子とするのは、今のところ今福氏だけとも聞いてるから、
今後発表される論考待ちかなあ。
矢田氏編集の「直江兼続」では「兼見卿記」の記事について触れてなかったね。






412人間七七四年:2009/09/24(木) 12:38:22 ID:qNdwLvrz
11月に「定本直江兼続」が出るみたいだから誰か触れてるかな
413人間七七四年:2009/09/24(木) 12:55:18 ID:ZuX1sm1n
>>412
監修 花ヶ前盛明・横山昭男

タイトルから高志書院で出るのかと期待したじゃねーか。
こりゃ矢田グループも関わってないだろうし、内容は期待できないな。
414人間七七四年:2009/09/24(木) 14:22:12 ID:KICBdxnC
>>412でオオッとなって>>413でガッカリ。
「定本」とか軽々しく付けるんじゃねーよ。
415人間七七四年:2009/09/24(木) 14:54:44 ID:wTGHIGS9
自分も、えー本がでるのーなんて思っちゃた。
多分新潟と山形の郷土史家さん中心なんだろうか。
前山形大教授横山氏監修だけど、上杉博物館の阿部氏なんて絶対書かないよね。
というわけで
>>412
期待薄です。


416人間七七四年:2009/09/24(木) 17:09:07 ID:cDFjmQHB
>>415
阿部氏はすでに矢田氏編の本に息子達について書いてますよね。
つ−か、研究者たちが書くような本じゃないでしょ。これ。
「義を教った師がいる」なんて宣伝している・・・
執筆者に火坂氏がいても驚きませんな。
417人間七七四年:2009/09/24(木) 18:38:04 ID:vN8/u3Ak
花ヶ前氏に監修されるってことは、要するに花ヶ前氏以下が集まるんだからなぁ。
矢田氏など新潟大学関連・矢田グループ、阿部氏など上杉博物館が
花ヶ前氏に「監修」されるとかないだろw

また「景勝はマザコン」とか意味不明の自説を主張するような
変な人混ぜなきゃいいけど。
418人間七七四年:2009/09/24(木) 23:11:41 ID:uPmUH+Nv
>417

ご心配なく。

「景勝はマザコン」に加え、
「景勝はシスコン」「景勝夫妻は不仲」「菊姫は自殺」
の主張ももれなく混ぜますので。
419412:2009/09/25(金) 01:42:00 ID:ztbu0P5y
本屋でチラシを見たけど執筆者は博物館の学芸員の方が結構いた気がする
矢田氏や片桐さん、青木氏の名前は無かった。
前嶋さんはいたかも?というか前嶋氏しか知ってる方がいなかった
420人間七七四年:2009/09/25(金) 02:05:57 ID:T44Pu3VK
>>418
「兼続は謙信・景勝にアッー!と驚くほど寵愛された」もお忘れなく!
421人間七七四年:2009/09/25(金) 02:17:08 ID:Wq1DEU2Q
前嶋氏参加してんのかよw
新潟県立歴史博物館の中世担当なんだから仕事選べよw
422人間七七四年:2009/09/30(水) 22:32:54 ID:8OBS1tz/
出版社はどこ?
関東でも買えるかね?
423人間七七四年:2009/09/30(水) 22:53:46 ID:wqEj56gj
ググってみた限りだと郷土出版社?
424人間七七四年:2009/10/02(金) 19:36:12 ID:5J3PMmWJ
宮帯出版から『直江兼続の新研究』って本が出るらしい。
花ヶ前先生編集になってるけど、直江兼続に関する最新論文集だそうだから
ちょっと期待。
執筆者の中には米沢市立図書館の青木氏や会津の石田氏、リレー講演でも講演された
北川氏とか入ってる。
アンチ直江で有名(?)な最上義光研究家の片桐氏や直江状偽作説の宮本氏も。
9月末出版ってされてるけど、遅れてんのかなあ。
同じ出版社から『上杉謙信・景勝の家中の武装』って本も出るらしいよ。

例の本、前嶋氏や学芸員の人が執筆者なら期待が持てるかも。
412さん、紹介してくれてありがとうございます。
425人間七七四年:2009/10/02(金) 20:25:35 ID:vZOZ/91Q
買ったら感想文頼みますね
426無名画座@リバイバル上映中:2009/10/05(月) 19:21:18 ID:Ef0Rt3gj
「定本直江兼続」は高いね。1万円ぐらいする。
上杉名宝集を出版した郷土出版社だけに力作かも!!
427人間七七四年:2009/10/05(月) 19:53:34 ID:vZdXvCkc
以前このスレだったかに出てた
景勝をダメっぽく書いた子供向歴史漫画を出版してたのも郷土出版社だったしな。
そこまで信用できるような出版社でもないような気がするが。
428人間七七四年:2009/10/05(月) 20:46:11 ID:cn5EdQM1
もしも関ヶ原で西軍大勝なら
毛利・島津・小早川が本気で家康軍強襲!
徳川軍壊滅!内府家康は明に逃亡!
豊臣秀頼石高462万石太政大臣!関白秀秋 左大臣輝元 内大臣秀家
征夷大将軍上杉景勝! 豊臣摂関の下に
上杉・毛利・宇喜多の将軍御三家体制の幕府
石田・直江・真田・大谷・小西の五管領・五参議体制
島津・長曾我部は大納言 織田信雄は右大臣
上杉家越後を増加で兼継は米沢30万石に
前田慶次と本多正信親子を家老に
上杉家は天皇家と豊臣家から正室を迎える用になり
将軍景勝の嫡孫は皇女と婚儀、そして生まれた男子は源氏長者
なお上杉親藩には足利武田徳川が組み込まれ武士の最高名家に
兼継の孫は中納言になり老後は諸国放浪「米沢黄門伝説」
429人間七七四年:2009/10/05(月) 21:00:26 ID:Aantbcvj
脳みそに何かわいてるのか?
430人間七七四年:2009/10/05(月) 21:55:25 ID:8VhIoiNA
>>426
そんなに高いの。
木村氏の「直江兼続」以上だ。あの本はそれでもあのボリュームだから許せたけど。
いったい何人書くの?それとも図録カラー写真入りとか?
431人間七七四年:2009/10/05(月) 23:42:45 ID:utJVBuMx
>>423
そもそも景勝を名君英主として書いた書籍自体の数が、
景勝を暗君愚公として書いた書籍と比べて格段に少ないような気もするのだが。
432人間七七四年:2009/10/06(火) 04:30:05 ID:mEJhHb1a
>>431
兼続が目立つためか、あと歴史事実をよくしらないで捏造の家康追撃拒否説を
真に受けている歴史研究家や小説家が多いからという点もある。
上越市がやった「謙信・兼続検定」ですらも、家康追撃を拒否したことが、
史実であるかのようにされていた。
新潟県史とか読むと、結構研究者は謙信以上に評価してるところもあるんじゃないか、
と感じるけど。
上杉関係の書状とか文献史学に詳しい研究者、例えば山田邦明氏とかは結構景勝を
高く評価してたと思うけどねえ。
一般小説の力は大きいと思うよ。直江兼続を書いた小説はほとんど景勝が、
なんにもしないから、兼続がすべてやったというイメージで書かれることが多いから。
433人間七七四年:2009/10/06(火) 04:53:33 ID:JaCovFZQ
>>430
単に本を印刷した部数が少ないから、単価が高くなってるだけじゃないか?
歴史本にありがちな現象。
434人間七七四年:2009/10/06(火) 08:00:17 ID:guQGTDz8
総頁240頁 写真・図版350点 美麗カラー口絵付
A4ワイド判・カバー巻
豪華本であるのは間違いない
>>426
そうだね。上杉名宝集のような仕様になるだろうね


435人間七七四年:2009/10/06(火) 16:23:29 ID:YFLQ/zCp
>美麗カラー口絵付
>そうだね。上杉名宝集のような仕様になるだろうね

『定本上杉名宝集』って見たことないんだけど
『定本直江兼続』と同じ仕様ってことは、
口絵にしかカラーがないの?勝手にメインページはカラーだと思ってたけど。

とにかく執筆者一覧が知りたいな。
436人間七七四年:2009/10/08(木) 17:29:04 ID:CX7XTklC
景勝が征夷大将軍になっていたら
上杉は帝と豊臣と天下万人のために尽くしただろうな〜
たぶん徳川や伊達や最上などの浪人を家臣にしただろう。
まあそれで武士はますます質素になっていただろう。
まあその痛みの分かち合いが上杉の魅力だけど。
437人間七七四年:2009/10/10(土) 11:24:53 ID:pqWSFcEv
>とにかく執筆者一覧が知りたいな

書こうかと思ったけど多すぎてダルイからやめた
総勢18名
438人間七七四年:2009/10/11(日) 08:27:35 ID:sDHGIwfk
タイトルをぐぐれば執筆者は出てくるね
439人間七七四年:2009/10/12(月) 08:12:12 ID:MxSpCdoZ
宮帯の方は執筆者も内容もだいたいわかったけど、
郷土出版の方はぐぐってもわからねぇ。
総勢18名で、前嶋氏以外って誰よ。
440人間七七四年:2009/10/12(月) 08:54:09 ID:SOl5XRxO
"定本直江兼続"でググっても6件しか出てこない上に
3件はここのスレなんだけど…w

めぼしい人だけでいいから執筆者知りたいよな。前島氏以外で。
>>437頼むw
441人間七七四年:2009/10/13(火) 08:01:55 ID:7Il3qac4
はいはい 皆のうちにはチラシこなかったの?
時間がないから急いで行くよ!!
青木昭博 揚妻昭一郎 阿部哲人 伊藤清郎 宇佐美亮 笠原典明 片桐繁雄
小林健彦 斎藤仁 酒井健次 角屋由美子 高桑登 田中洋史 野口信一
長谷川勝義 宮島新一 
442人間七七四年:2009/10/13(火) 08:51:20 ID:kzH2eFeN
花ヶ前盛明・・・神主
横山昭男 ・・・ 山形大学
前島敏・・・新潟県立歴史博物館
青木昭博・・・米沢市教育委員会
揚妻昭一郎・・・最上義光歴史館
阿部哲人・・・米沢市上杉博物館
伊藤清郎・・・山形大学
宇佐美亮・・・
笠原典明・・・長岡市教育委員会
片桐繁雄 ・・・上山市立図書館
小林健彦・・・
斎藤仁・・・
酒井健次・・・
角屋由美子・・・米沢市上杉博物館
高桑登・・・山形県埋蔵文化センター
田中洋史・・・長岡市中央図書館
野口信一 ・・・
長谷川勝義・・・
宮島新一・・・山形大学

分からん人もいるけど
神主以外は結構いいのかもな
443人間七七四年:2009/10/13(火) 16:33:00 ID:GkORLgML
多分だけど、宇佐美亮氏は佐渡教育委員会
小林健彦氏は「定本 上杉謙信」にも書いた人
野口信一氏は会津若松市立図書館館長
長谷川勝義氏は藪神衆について書いた本で賞を貰った人じゃないかな。
最初期待できないかなあと思ったけど、
このメンバーなら「定本」って言ってもいいかも。
値段が高いけどw
444人間七七四年:2009/10/13(火) 17:18:22 ID:JKzr/3L8
412だけど青木氏いますね、すみません
片桐氏は繁雄氏の方が執筆なんだね
>>435
名宝集は250ページ位あって84ページまでがカラー図版、
それ以降はモノクロ図版と解説だったよ
445人間七七四年:2009/10/14(水) 09:26:11 ID:VfjketaZ
花ヶ前を編者にしたのは安定した売れ行きが欲しくて看板にしたのか、
このおっさんが「俺こんな本認めねえぞ」と騒がないように入れたか、
どっちかじゃないのか?
地元じゃ顔が広いらしいし、地方の図書館も花ヶ前の本は安易に仕入れる傾向がある。
446人間七七四年:2009/10/14(水) 18:05:37 ID:EzRWrK7B
花ヶ前氏の神宮は
古くは謙信の父・為景の頃から保護されている
氏の保持している謙信の関係の遺産も多い
(学歴:國學院大学大学院修士課程-日本史学専攻)
他、公的な歴史文化財の役職歴任
447人間七七四年:2009/10/14(水) 20:06:47 ID:fSM7Ex/f
花ヶ前氏って白河法皇みたいな奴だと以前から思っていたが、
>>446を見て、マニア垂涎の激レアなビデオコレクションを持っている事を笠に着て
横暴ふるっていたといわれる、犯罪者になる前の宮崎某も思い出した。

氏の保持している多数の謙信関係遺産=激レアコレクション

(学歴:國學院大学大学院修士課程-日本史学専攻)
他、公的な歴史文化財の役職歴任=元天皇+現天皇の父or祖父or曾祖父

個人的には花ヶ前氏及びその取り巻きの影響力が完全に失われない限り、
景勝がまともな評価をされる事は無いと言っていいと思う。
448人間七七四年:2009/10/14(水) 20:20:51 ID:X3PqnbPc
もしくは在野の研究家が良質の論文を発表していくしかないな。
アカデミックならところにいたら、遠慮しないといけない大家がたくさんいる。
花ケ前はその大家のひとり。
449人間七七四年:2009/10/14(水) 21:12:43 ID:SZ4e87iv
花ヶ前氏は新潟の郷土史家としてはやはり第一人者だからねぇ。
高志書院のように、研究者、学生を対象にしてる研究書と違い、
郷土出版とかは、一般書だからじゃないのかなあ。
ちょっと氏に対してあまりにも否定的な気が。
それに少なくとも、大学関係の研究者に対して
それほど大きな影響があるとは思えないが。
花ヶ前文書にしても、そんなに重要な文書なのか?
上杉氏文書集に二、三の文書があったのは見たけど。
450人間七七四年:2009/10/14(水) 23:59:46 ID:i2H3EiDp
>>446
まあ逆に言うと、
あんな超地元で保護されてない神社なんてないだろ。
他の近所の寺や神社だって、謙信・上杉関係の寺宝は普通にあるしな。
451人間七七四年:2009/10/15(木) 03:59:50 ID:NWB8QqDg
とにかく、上で紹介されている本を見る、
これに尽きます
452人間七七四年:2009/10/15(木) 05:05:35 ID:V7TjBgXC
みんな相変わらず花ヵ前論争好きだなぁw
俺はただ静かにあのおっさんがさっさと死んで
景勝が評価されやすくなるよう願うだけだ
453人間七七四年:2009/10/16(金) 16:52:18 ID:96777Ihh
クラブツーリズムでの直江のツアーの1つに
青木氏と伊藤氏の特別講義ってのが入ってて
もの凄く心惹かれる…行こうかなぁ
454人間七七四年:2009/10/18(日) 15:55:30 ID:O6qt9J8d
阿井景子が「お菊御寮人」って本出したけど、読んだ人いる?
しかし阿井景子も今や大河便乗作家に落ちたのか
455人間七七四年:2009/10/18(日) 19:01:08 ID:J/9nUZNX
>>454
ここにいるよ。

一言で言うと「良くも悪くも可も無く不可も無し」という感じ。
文庫書き下ろし\533+消費税という点を考えると、それなりの内容かな。

菊姫自害説や四辻氏に嫉妬説を否定してはいるが、
数行だが性的なマニアックプレイがでている点と、
「景勝夫妻の夫婦仲自体は良かったが、
景勝の男色癖により夜の夫婦生活は極めて疎遠だった」
説をまるっと採用しているので、その辺が苦手な人は要注意。
456人間七七四年:2009/10/18(日) 19:13:21 ID:vObiI8Tp
大河便乗が悪い訳ではないが、
それまた微妙な小説だな。
でも肛虐プレイのくだりはみて見たいw
457人間七七四年:2009/10/18(日) 19:22:54 ID:xvjD+ABU
何だよマニアックプレイってw
458人間七七四年:2009/10/18(日) 19:31:29 ID:vObiI8Tp
>>457
女性相手に、アッー!
北方謙三風にいえば、絶対に子供のできない交わり方。
459人間七七四年:2009/10/18(日) 19:52:45 ID:xvjD+ABU
>>458
何でそんな描写を入れるのか理解に苦しむw

そういえば大河、自害説でも嫉妬説でもなくて、最後まで愛し合っててよかったな。
460人間七七四年:2009/10/18(日) 20:26:47 ID:JLi5FnQH
菊姫が不妊体質ってことにしたくなかったんでは?
あくまで悪いのは景勝と。
愛し合ってるのにどうしても子供ができない夫婦ではドラマにならないとか。
読んでないけど。
461人間七七四年:2009/10/18(日) 20:50:23 ID:BYZMInlV
今回の大河はまともだった
462人間七七四年:2009/10/18(日) 23:06:03 ID:O6qt9J8d
>>455
そっか−。ありがとう。
買おうか迷ったんだけど、本屋で立ち読みして確認してからにしようかな。

景勝の男色趣味って、よくいわれる奥羽永慶軍記の他にも書いてあるの?
江戸時代って、確かにお気に入りの小姓とかいるのは珍しくないけど、
そういう小姓って結城秀康の時みたいに殉死してるよね。
景勝に殉死した中村甚助は御堂の奉仕役みたいだし、高野孫兵衛は御台所頭で小姓関係じゃないみたいなんだけど?
度々景勝から言葉をかけて貰ってたそうだけど、
子供の年齢考えると孫がいてもおかしくない年齢みたいだし。
清野の話もよく聞くけど、何が出典なの?
463人間七七四年:2009/10/18(日) 23:22:54 ID:BYZMInlV
謙信の男色趣味も出典がわからんな
464人間七七四年:2009/10/19(月) 02:46:18 ID:hpQlPvlB
謙信の方は何かに上洛した時に小姓達侍らしまくってた表記があったとかなんとか
出典が思い出せないけど
465人間七七四年:2009/10/19(月) 04:53:08 ID:m48tZ98i
永禄二年の近衛の書状ね。
あれも伝聞らしいからあてにならないが。

それ以外で軍記などに男色の記録とか
見たことないんだよな。
466人間七七四年:2009/10/19(月) 11:56:33 ID:oZvi5Za6
「上杉三代記」には、美少年の河田長親を見初めた話があるらしいけどね。
あと美少年を間諜として謙信の元に潜りこませようとしたけど、
うまくいかんかったという話もあったような・・・
長親に関しては研究者も言及してるけど、
美少年だけじゃなく、確かに頭もよかったんじゃないかと思うし。
河田家の家譜にも長親の美少年ぶりがしつこく書かれてるらしいけど、
家譜はいかに先祖が主君から寵愛を得たか大袈裟に飾り立てるから、
どこまで本当かわからん。
河田を気にかけてる謙信書状も実際残ってるみたいだし、
謙信の死後、長親は出家してるから、確かに寵臣だったんだとは思うが。
467人間七七四年:2009/10/19(月) 12:31:10 ID:zjK2UqBW
イケメンの河田を見初めたって話なら
御年譜にも載ってる話だよな。
468人間七七四年:2009/10/19(月) 12:42:32 ID:PXjXNi/+
謙信も景勝も直接的な話は皆無かね
469人間七七四年:2009/10/19(月) 23:32:37 ID:soLFA0G2
>>424
発売は10月になってるな。
もう出てるのかな・・。
はながさきや片桐は他に誰かいないのかという感じだけど、
HP見たら愛の兜分解してたりしてなかなか興味深い。
宮本氏の直江状偽書説も最近反論されているのでそれにどう切り返しているのか。
470人間七七四年:2009/10/20(火) 07:11:24 ID:DwMqVl0r
もう出てるよ
471人間七七四年:2009/10/21(水) 16:52:06 ID:CpNn5OAx
『直江兼続の新研究』はなかなか充実していて良いですね。
直江状についても深い考察がされている。
472人間七七四年:2009/10/21(水) 17:08:05 ID:VyS7es3V
>>454
阿井景子はもう十何年か前から、立派に「大河便乗作家」になってるよw
通史に準拠した内容で逸脱しないという隠れみのにくるまってるけど
要は創作力や際立った台詞が書けないだけ。

和宮(「篤姫」)、三条夫人(「風林火山」)、と大河に便乗して書いてるけど、
本当に平坦で内容のないつまらなさだった・・・
473人間七七四年:2009/10/22(木) 07:01:10 ID:hHf7R4vG
そういや、直江兼続の新研究では
愛の前立ての甲冑は、当主格の武将が使用する造りになってるので
景勝が自分の使用していたものを譲ったのではないか、と
推論していたね
あの本は花ヶ前以外の項は読み応えがあってよかった
しかし、花ヶ前は相変わらず使い回しの文ばかり載せてるね
474人間七七四年:2009/10/22(木) 11:12:21 ID:pFtCk8Sa
そうそう。著者によって出来が違いすぎる。。
使い回しの花ケ前と最上ラブ過ぎな片桐はいつもの二人であった。

甲冑の話は特に興味深かったな。愛の甲冑も兜と面以外は江戸時代のものだとか。
直江所用なのを疑っていたが、むしろ信じるようになったわ。
475人間七七四年:2009/10/22(木) 14:57:37 ID:lXyNP1hu
ほほー
図書館に早く入らねえかな。
476人間七七四年:2009/10/22(木) 15:11:35 ID:fF7Xfede
昭和四十年頃の本に載った写真と比べてるのが衝撃的だった。
全然違うのは一目瞭然。かぶと以外全部変えられてるし。
477人間七七四年:2009/10/23(金) 06:38:03 ID:McXR2UK4
>最上ラブ過ぎな片桐

そうだったね
やけに最上に同情的な記述で気に入らなかったし、
書いてある事は目新しさがなかった
478人間七七四年:2009/10/23(金) 09:38:14 ID:8d1tbFfO
最上が弱気な書状を書くわけがない!のくだりはひどかった。
479人間七七四年:2009/10/23(金) 11:50:27 ID:G3/Iq0iB
>>478
超ワロタwww
480人間七七四年:2009/10/23(金) 13:55:58 ID:j4jbCJGw
>>478
えっw

片桐って人、最上ラーの中ではどういう扱いの人なの?w
481人間七七四年:2009/10/23(金) 22:23:33 ID:z4QUYwV/
>>474-476

ttp://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/09vol03/img/img_large02.jpg
この画像は上杉神社所蔵で、先日のサントリー美術館天地人展に出品された、兼続所用の金茶糸威最上胴具足。
昭和40年代まではこの鎧と愛の兜が組み合わされて展示されていた。古い甲冑書籍の写真は大概そうなっている。
ところがいつの間にか、胴体部分だけ江戸時代の鎧に・・・
真相は上杉神社の現宮司しか知らない。
482人間七七四年:2009/10/23(金) 23:33:29 ID:L0ACeSip
謙信って2度も上洛してるのは異例中の異例だけど、
義輝・義昭から関東管領どころか管領待遇(上杉の七免許)を受けてるにも関わらず、
官位は以外と低いんだよね
483人間七七四年:2009/10/24(土) 10:38:27 ID:sbksojtC
>>479
『山形県史』などでも採用された8月18日の書状で「時間稼ぎの策謀だったようだ」と
好意的に解釈してるにも関わらずそれすら否定。

最上歴史館HP見ると、直江が9月4日に甘糟へ「最上を攻めようと思ったけど最上が懇
望してきたので少し待ってる」と送った出羽合戦関係では割と有名な書状の存在を無視。
「弱気?な書状のあとのやりとりを物語る史料はない」と言ってしまっている。
さらにこの書状は『上杉家記』にしか載っていないとしながら本では『上杉御年譜』から
引用するなど、たまにアレレ?と思う。この人は。

本では内容の検討をしているが、「私は会津帰国の時見送ったでしょ」の部分はそのころ
「山形にいて法会に臨席していたはず」とあいまい。直前の帰国時の話かどうかもわから
ない。ほかにも「自己卑下ぶりはまさに異常で、奥羽の名門を自負する義光としてこのよ
うな矜持なきことができようか(いやできまい)」みたいな否定の仕方も、まずはこれを
前提に語りたいだけなんだな、と思わせるものがある。

原本がない以上そのままの形だったかはともかく、直江書状を見てもさほど変わらない内
容のものがあったと考えることになんの不自然もないんだが。
484人間七七四年:2009/10/24(土) 22:52:51 ID:g2PqHbIZ
>>481
セリーグのクライマックスシリーズマーク
http://www.npb.or.jp/cl/climax/images/logo.jpg
485人間七七四年:2009/10/25(日) 13:28:30 ID:ihauGjir
はははw
一応は船の櫂と日の丸なんだが、普通はバットとボールに見えるよなw
486人間七七四年:2009/11/07(土) 20:32:55 ID:/kppmAVi
>>482
謙信の官位は自称つうか、朝廷から事後承諾で名乗っても良いよって
何故かお墨付きの出た、長尾家に付属した百官名だからなぁ
越後長尾三代目だか四代目だかが任官したから弾正少弼の家格つうことで
まぁ、色々鑑みると一応従五位自体は許されたのかな?
つか当時の武家の官位で従五位下自体はそんな低くはないよ
時代が進むと小大名とかの官位になっちゃうけど

当時、弾正少弼を正式に任官されていたのは松永久秀だよね
487人間七七四年:2009/11/08(日) 02:11:42 ID:WoDzLfn7
>>486
たしか、三好義興と松永は同時に従四位に叙されて、それぞれ筑前守、弾正少弼になっている。
三好氏は三好長逸も従四位下日向守に正式に叙任されている。
488人間七七四年:2009/11/11(水) 15:11:48 ID:zQEpFtnG
>>486
長尾家に弾正少弼って名乗った者いたのか?
弾正少弼は上杉縁だと思ってた。
確か上杉朝定や氏定が名乗ってたはず。
489人間七七四年:2009/11/12(木) 23:58:35 ID:P23KhVMN
そだね、俺の勘違い
長尾は弾正忠とか弾正左衛門だわ
初代は弾正ってだけで弾正何なんなのかは不明だけど
自称、所謂自官だと思うけど、どうなんだろ
490人間七七四年:2009/11/13(金) 10:15:00 ID:uyAxPFs8
けど景勝には、ちゃんと官位を譲ってる
491人間七七四年:2009/11/14(土) 00:47:47 ID:wH4vI4+E
自称官位でも譲るぞ。
謙信より爆弾正の方が弾正少弼名乗り始めたの後だよな。
492人間七七四年:2009/11/14(土) 09:12:13 ID:ksH1INY5
つうか自官だから譲る
正式任官なら譲れない
従何位を最初に任官しないと何位以上にはなれないとか、この役職はこの役職を任官してないとなれないとか
なんかごちゃごちゃ取り決めも有ったと思うが、その辺は不勉強なのでよく知らない
493人間七七四年:2009/11/16(月) 05:17:46 ID:CAvX7/VR
越後から会津国替えって理由は何ですか?
494人間七七四年:2009/11/16(月) 05:34:10 ID:L+Z8HIbi
家康おなじみの国換えプレイうまく治めないと
監督不行き届きで改易
495人間七七四年:2009/11/16(月) 12:27:56 ID:QpOzMhJp
旧蒲生領に移れるだけの大名が他にいなかったから
今更家康動かすわけにもいかないし、毛利はチョット遠すぎる
まぁ実際の実入りは越後時代より減ったかも知れない
ただ最上領を挟み込む様な形になってるから、
秀吉はいずれは最上潰して上杉にくれてやる気だった様な感じもする
496人間七七四年:2009/11/16(月) 13:33:07 ID:LDqBd6LG
上杉としても、会津移封で国衆出身の家臣団を領地から引き離し、
家中を景勝主導で再編成できるメリットがある。
497人間七七四年:2009/11/16(月) 13:37:01 ID:B05bINBB
佐渡と庄内は抑えてるから
そんなに悪くはない
ただ周囲に快く思ってないのが
わんさかいるのがなあ
498人間七七四年:2009/11/16(月) 13:56:22 ID:AM5UMhhd
対柴田徳川同盟に加わる事で結果的に早めの帰順になって信用得たからな。
499人間七七四年:2009/11/16(月) 14:09:34 ID:QpOzMhJp
つうか関東移封はそもそも景勝にするつもりだった説もあるんだよな
結局の所家康が関東に入ったけどさ
500人間七七四年:2009/11/16(月) 17:05:50 ID:gMrET3zd
500get!
501人間七七四年:2009/11/20(金) 13:24:42 ID:rYlE/j8z
景勝
越後から関東への移封を断る→お咎めナシ

三介ドノ
尾張・南伊勢から東海への移封を断る→お取り潰し


502人間七七四年:2009/11/25(水) 01:25:20 ID:CzyptNcU
関東を断ったら、さらに僻地に飛ばされたでござる。

んな馬鹿なw
503人間七七四年:2009/11/25(水) 06:15:51 ID:yxD19aTr
関東移封は噂があったことは、一次史料からもわかるけど、
実際景勝に話しがあったかどうか不明なんじゃない。

ところで天地人終わったね。
最後は兼続がなんと秀忠の指南役になっちゃったw
関ヶ原の敗軍の将、立花宗茂だって秀忠のお伽衆になってるんだから、
カネタンだってなってもおかしくない!的発想なんだろうな。
思えば秀吉死去時の五大老の中で、関ヶ原後大名家の当主であり続けたのは景勝だけなんだよな。
輝元は名目上、隠居しちゃったし。
大阪の陣の際に景勝が政宗に出した書状が残ってるけど、
小林清次氏はこの時点で二人の関係は逆転していたと書いてたな。
関ヶ原後は、屈辱と思われることも多々あっただろうが、
淡々としながらも誇り高く生きた・・・
そんな景勝像を期待してたけど。
中の人の罪じゃないとは、わかってるんだが
二、三年は北村氏の作品見たくね−な。
504人間七七四年:2009/11/25(水) 06:55:53 ID:tTVxsd2x
ドラマだといつも田舎武者にされる景勝だが、天地人の景勝だけは美的センスや繊細さが感じられた。
いつかまたリベンジしてもらいたいねえ。
もっとも普段の北村はあまり見たくない。
505人間七七四年:2009/11/25(水) 07:20:02 ID:eDKXWgE7
妻武器と北村の風貌はイメージに合わない
最後まで馴染めなかった
ニヤケタ兼続、ボンクラ景勝
やっぱ、三沢慎吾と細川俊之だな
506人間七七四年:2009/11/25(水) 12:46:44 ID:V8GhMX+e
天地人はすぐに切ったなぁ
まぁ原作が原作だし期待してなかったけどさ
507人間七七四年:2009/11/25(水) 21:07:55 ID:Jv3ZhQH+
> やっぱ、三沢慎吾と細川俊之だな
細川はよかったが三沢は中小企業の社長みたいだったな。
508人間七七四年:2009/11/26(木) 19:29:20 ID:6xDQyVQp
細川の大内義興のカッコ良さは異常
509人間七七四年:2009/11/26(木) 19:46:41 ID:O2A/YeZT
そりゃあ、あの人は声がいいもんな
510人間七七四年:2009/11/27(金) 12:29:07 ID:w+fxNl+a
佐藤慶が黒田如水がみたい
511人間七七四年:2009/11/27(金) 18:35:25 ID:keMK1PJr
革籠原の決戦があったならばな、こんなスレ吹き飛ぶんじゃが。
512人間七七四年:2009/11/27(金) 18:46:48 ID:keMK1PJr
関東移封を断る理由ないじゃん、関東管領は上杉家のアイデンティティな訳だから、
鎌倉氏支族長尾家にとっても、越後守護代は山内上杉家の家臣としての役目。関東本領に帰ることになるわけだろ。
513人間七七四年:2009/11/28(土) 00:02:07 ID:zCoitA6t
でも関東なんかより越後にいたいという気持ちは分かる。
金山もあるし交易も盛んだし塩田や商業作物で潤ってるし。
514人間七七四年:2009/11/28(土) 13:31:07 ID:Rtp43bkp
でも景勝からすると、国人出身の家来を代々の領地から切り離さなければ
いけない。
515人間七七四年:2009/11/28(土) 21:51:41 ID:VQDVrewf
越後の他に関東ならまだしも
越後は召し上げ、代わりに関東じゃ断るだろうとは思う
まだ収まってる土地じゃ無いわけだし、下手打つと佐々成政みたいになりかねないしなぁ

つか断ったんじゃなくて、おそらくそういう案も有ったくらいのもんだろう
516人間七七四年:2009/11/28(土) 22:06:20 ID:VQDVrewf
あーひょっとしたらそもそもそういう案があったけど秀吉が反故にしたのかも知れないな
その代わり東北日本海側への進出を許可したのかも知れない
それなら庄内での惣無事令違反が許されたりとか秀吉がやけに最上に冷たいのも説明付くかも
517人間七七四年:2009/11/29(日) 12:00:18 ID:I0iZF+dC
いや、家康の嘆願で庄内は最上で確定してたんだよ。
家康自身が絶対大丈夫って言ってたから。
ただ義光が秀吉に直に感謝の挨拶に上洛しなさいって一緒に書かれてた。
それで上洛準備してたら、政宗が嗅ぎ付けて大崎家臣の氏家を煽って義光の邪魔をして惣無事破りをやってのけた。
義光は義姫に「おい、政宗は何やってんだ!秀吉様だけでなく、今じゃ家康様もみんな我らの無事を取りまとめたのを知ってるんだぞ。氏家をなんとかしろ」って言ってきてる。
義光は庄内の事があるから惣無事違反はできないが、
義光が居なくなれば、政宗が好き勝手やって大崎は崩壊しちまうから動けない。
結果、義光は家康の顔に泥を塗って上洛しなかった一方で、
本庄の息子が上洛して三成に促されて秀吉への臣従をしてしまい庄内が上杉方になってしまった。
これ家康が三成と対立し始めた1ページ目ですな。
518人間七七四年:2009/11/29(日) 12:15:32 ID:tWMEWo7U
ほう、興味をそそられる話だね
519人間七七四年:2009/11/29(日) 12:33:28 ID:I0iZF+dC
ちなみにもともと本庄や最上の間をとりもって政宗が庄内の無事をまとめたのに、義光が在地勢力を後援してブチ壊したから
政宗は「はじめて俺が無事を扱ったのに一年すら持たずに崩壊するなんて生涯最大の恥を世間にかいた…みんな嘲ってるだろう」って伯父さんに怒ってるのが、政宗が義光の上洛を邪魔した遠因。
520人間七七四年:2009/11/29(日) 13:35:20 ID:aA4Q8/++
さすが親戚どっちもどっちやな
521人間七七四年:2009/11/29(日) 14:49:01 ID:ny6bIXGW
>>505

北村はゴジラのX星人が似合ってたよ
妻武器はガスパッチョのCMで十分だね
522人間七七四年:2009/11/29(日) 23:58:51 ID:Sha11tUF
関東移封の話は、石田三成や堀秀政はよく聞くが
上杉氏は初耳だよ
523人間七七四年:2009/11/30(月) 03:33:34 ID:hP86pwnX
そりゃ勉強してないだけだ。
524人間七七四年:2009/12/01(火) 01:09:05 ID:i9ix2Z7c
上杉景勝=南冲尋定
525人間七七四年:2009/12/01(火) 23:40:25 ID:+W2V3mwg
ヤフオクになんかでてる…
526人間七七四年:2009/12/02(水) 10:05:25 ID:lMyVPbF5
異常なしだが?
527人間七七四年:2009/12/02(水) 13:44:58 ID:28SJYveE
定本直江兼続の販売はまだか。
528人間七七四年:2009/12/02(水) 20:58:33 ID:hyfM89L4
あの本か
12月中旬か下旬だって
529人間七七四年:2009/12/02(水) 21:18:38 ID:JFh90Eqy
ttp://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k120127335

こういうのってヤフオクにでるんだってちょっとびっくり
530人間七七四年:2009/12/02(水) 23:45:55 ID:HioiEtph
直筆書状か、すごい値段だな
531人間七七四年:2009/12/08(火) 20:22:56 ID:1RLQstNx
高すぎて、皆黙っちゃったのか?
532人間七七四年:2009/12/08(火) 21:01:54 ID:vxlVf8FO
オクに出すより素直に博物館に買って貰った方が
良さそうな気がするんだが。
買える個人収集家がいたとして、
ヤフオクで検索して当たることは無いと思う…。
533人間七七四年:2009/12/08(火) 22:49:50 ID:8bzOUM0K
>>532
そもそも本物なのかな?見た感じは怪しいところはなかったが。

ヤフオクで「古文書」と検索かけると、義経を捕らえろという宣司が
出てくるんだけど、偽物だし、こういう古文書や骨董品をヤフオクで買うってのは
ちっと怖いな。
534人間七七四年:2009/12/09(水) 06:52:36 ID:MR9/lbQ4
オークションで買うとしても、オフでやる古文書専門のオークションだよな
535人間七七四年:2009/12/09(水) 18:55:10 ID:y+JxuM/C
ネットで買うものじゃないよな。
ま、宣伝として使ってるのかもな。
536人間七七四年:2009/12/11(金) 13:51:16 ID:l+rqurUG
大河くらいの知識しかない無知な金持ち爺が騙されるだけだろ
537人間七七四年:2010/01/03(日) 21:42:39 ID:05Mh2NfA
保守
538人間七七四年:2010/01/16(土) 00:02:39 ID:fdSgyC9h
・・・・・・・・・・・・・・・・。
539人間七七四年:2010/01/17(日) 13:53:13 ID:2RT17pK7
>>538
・・・・・・・・・・・・・・w
540人間七七四年:2010/01/17(日) 14:48:31 ID:qzB4mmDc
後のデューク東郷である……
541人間七七四年:2010/01/18(月) 01:03:20 ID:Mg+Srpf1
「三人の二代目」での景勝評判良いらしいんだけど
今うち産経じゃないんだよなぁ…、読んでみたい
542人間七七四年:2010/01/18(月) 03:51:35 ID:X71lnMI4
こないだ民放でやってたトンデモ歴史番組に花ケ前氏が出てたんだけど・・・。
ttp://www.tv-tokyo.co.jp/7mystery_09/

なんでも、景勝と兼続がぐるになって、景勝を脅かしうる勢力を築いていた信綱を消して、
お船はそれを恨んだために兼続とは不仲だった。四辻氏は実はお船と信綱の子で、その子に
定勝を産ませることで上杉家を乗っ取ろうとした云々というネタだった。

花ケ前氏も宮本義己氏も基本トンデモなことは言ってなかったけど、一応本や論文も出してるような
研究者がこのテの番組に出るもんじゃないよ・・・。
(まあ、花ケ前氏の場合は、お船と兼続が政略結婚だったことや、兼続の戒名が簡素なことなどを
述べる際になんか、あんま好意的でない感があったんだけどw)

それにしても、このテの珍説トンデモありきの歴史モノの番組よりも、普通に史料から掘り下げても
充分面白い番組が作れそうなもんなんだけど、なんとかならんのかね。
543人間七七四年:2010/01/18(月) 04:06:42 ID:/+FDmOEX
見た見たw
ひどすぎて笑ってしまったわ
歴史に疎い奴はまるっと信じちゃうんだろうなぁ…
544人間七七四年:2010/01/18(月) 10:24:44 ID:WCWzMOoR
なんだその理屈www
親父の代から景勝派だった直江をいちいちいじる必要がどこにあるんだよ
信綱が生きてたら兼続はどっか他の有力領主のところへ入れられただけの話なのに
敵対勢力ならまだしも、なんでわざわざ景勝派の有力武将を排除する必要があるんだ
545人間七七四年:2010/01/18(月) 20:15:18 ID:f5bUvktE
あの名君だった徳川吉宗さえ悪く放映される世の中。

嫌な世の中だ。
546人間七七四年:2010/01/19(火) 00:25:54 ID:NNDkVKf3
散々ガイシュツだけど、花ケ前氏は景勝に約450年物の
凄い遺恨を持っているからねえ。
547人間七七四年:2010/01/21(木) 00:28:07 ID:yY/QJQiQ
信綱の子だったらこの時代としてはかなりの年増になっちゃうw
548人間七七四年:2010/01/21(木) 08:30:24 ID:IqscTHAV
>>547
だよなぁw
御館のときにはもう生まれてたはずだから、
おおかた30あたりになる計算か
549人間七七四年:2010/01/22(金) 00:01:16 ID:yyU/avQN
>>547-548
現代の感覚に換算したら40代後半か下手すれば50…。
これじゃあ四辻公遠の娘とするのも無理が出ること必至だわ。
550人間七七四年:2010/01/24(日) 12:47:05 ID:s346JBLk
お船自身は、39才で景明を産んでるけどね。
信綱が死んだ時、生まれたとすれば24才となるから考えられないこともないけど・・
戒名が似てることを理由にしてたみたいだけど、
四辻氏の方が先に死んでるんだから、
むしろ定勝が母親がわりだったお船に、
実母四辻氏の戒名にちなんだ戒名を付けさせたと考えた方がいいんじゃないのかなあ。
ただ景明もお船も、兼続と違って、院号が送られて、
最初から林泉寺に葬られてるみたいだし、
直江家には謎が多い。
551人間七七四年:2010/01/24(日) 19:56:06 ID:h+YP6k9S
直江家の系図だと景明に院号付いてないので
最初から付いてたの、おせんだけなんじゃね?
552人間七七四年:2010/01/25(月) 08:22:34 ID:DzcrndMw
そうなの?
だったら、別に兼続の戒名に院号がなくてもおかしくないのか!?
政景夫妻像にも、院号がついてるのは、仙洞院だけだし、
昔はよほどの大大名じゃなけりゃ院号つけなかったのかも。
俺んちも、ひいじいちゃんの時に、寺に金出して、
先祖に院号もらったらしい。
長尾一門の院号も、後からつけられたのかもしれん。
家光時代以後、武士階級に院号つけることは、ポピュラーになったので、
お船には普通に院号がつけられたとか。
直江には子孫がいなかったので、おそらく他の家で行われたと思われる、
先祖に院号を贈ることができなかっただけとか。
553人間七七四年:2010/01/25(月) 10:44:03 ID:GdfNbJIb
おせんは高野山清浄心院に定勝自ら供養を依頼されてるし、御年譜だと藩葬扱いだし、
定勝から超特別待遇を受けてるから、おせんだけ貰えたのかもな。
景綱とそれ以前も院号ないし、あの時代はそんなもんなんだったんだろうな。
554人間七七四年:2010/01/25(月) 13:21:20 ID:S7qA63f5
>>552
ほかに当時の米沢藩で・・・というと、武田信清なんかも居士号のみなんだよね。
家格でいえば家中でもトップクラスの扱い(兼続も文中で「武田殿」と敬称付きで
呼称している)でも、院号はないし、それを考えると兼続に院号が無いってのは
そこまで不自然でもないのかもしれんね。

>>553
おせんの場合、定勝の母代わりで准一族のような感じだしな。
このあたりの考察が矢田俊文氏編の『直江兼続』に出ていたよ確か。
555人間七七四年:2010/01/25(月) 17:19:16 ID:YokFjLn1
>>554
無論、読んであるよ。
556人間七七四年:2010/01/27(水) 00:33:33 ID:f/GFWLaX
なんで兼続が院号なくておかしい、って風潮になったのかね
実頼との因縁も本当にあったのか謎だよね
557人間七七四年:2010/02/06(土) 23:45:24 ID:gg5CjVFN
558人間七七四年:2010/02/16(火) 16:42:47 ID:Spwt2rHp
南冲尋定のスレ
559人間七七四年:2010/02/19(金) 00:39:13 ID:5X7wQXVB
>>557
なーんでいつもいつも関ヶ原で家康と敵対したのを豊家に対する忠義にしちゃうのかな
あれは同僚がルールを破って専横しだしたのが気に入らなかったんだろうって、いい加減ぶっちゃけろよ
忠じゃなくて義だろ
つうかそっちの方がまだ面白みも魅力も増すだろうに
560人間七七四年:2010/03/04(木) 22:44:46 ID:DnyfZWu5
>>1

児玉彰三郎氏の「上杉景勝」復刊が決まったようで。
ここで教えてくださった皆さんありがとう。
561人間七七四年:2010/03/05(金) 00:05:10 ID:EP40YeXZ
>>560
おお、本当だ。景勝メインの良質な評伝ってのはなかなか無いので
これはうれしいね。
562人間七七四年:2010/03/05(金) 00:05:44 ID:0SmSSv0U
>>560
メール来ましたよ。
復刊願った一人として本当に嬉しい。
復刊ドットコム内の販売ページ貼っときます。

ttp://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68313451&tr=s
563人間七七四年:2010/03/05(金) 01:03:28 ID:J3qYYGbI
メール来たから脊髄反射で予約しちゃったぜ
564人間七七四年:2010/03/05(金) 09:37:59 ID:ZCc+/0Wm
速攻で予約した。
結局お目にかかれなかったので嬉しい。
565人間七七四年:2010/03/05(金) 13:07:32 ID:Cre3d17Z
自分も予約した。
みなさんありがとう。
566人間七七四年:2010/03/06(土) 00:55:25 ID:hIUppjbg
いや〜、本当よかった!!
今日、紀伊国屋に売ってたからビックリして購入
米沢、新潟の図書館や数ページをコピーして急場を凌いでいた
長年の悪夢からやっと解放されたよ
567人間七七四年:2010/03/06(土) 22:42:33 ID:378Fw77l
児玉氏の「上杉景勝」復刊ktkr!!
568人間七七四年:2010/03/08(月) 04:15:09 ID:sHlP6Q3Y
2月にはもう復刊されてたのか。知らなかったなあ。
直江本の復刊とかは大々的に宣伝してたのに、
ここまで徹底的に寡黙に徹するとは(笑)
569人間七七四年:2010/03/08(月) 22:34:59 ID:HXOERq2l
酒飲ませないと喋らないんだろう
570人間七七四年:2010/03/09(火) 00:02:57 ID:2AJvc6AS
酒を飲ませて筆・硯・墨・紙を差し出さないと。
571人間七七四年:2010/03/10(水) 08:19:47 ID:tP5/Iy3C


高橋明「会津若松城主上杉景勝の戦い・乾―奥羽越における関ケ原支線の顛末」(『福大史学』80号、2009年10月30日発行)
572人間七七四年:2010/03/21(日) 09:55:25 ID:bclBv7Ac
旧暦三月二十日は命日でしたね。
一日遅れですが、合掌。
573人間七七四年:2010/03/26(金) 12:45:36 ID:c0S8wU1o
>>570
手紙では妙に雄弁で、直情的なんだよね。
魚津に籠城している連中にあてた書状とかはその最たるものだと思う。

ようやっと給料も入ったし、やっと児玉氏の『上杉景勝』読めそうだ
574人間七七四年:2010/03/26(金) 23:10:29 ID:SuK3zr9o
多くの家臣が居る前では喋らないだけで、実際には普通に喋ったと思うよ
在京時代あっちこっちの催しに顔出してるのに喋らなかったら、アイツホントに喋らないな的な日記が沢山残ってないとおかしいもん
575人間七七四年:2010/03/27(土) 02:58:02 ID:eRvD3OnH
なんか景勝は喋らないってのを強調されすぎてる気がする。
戦国武将で江戸時代の伝記とかで、景勝と同じように言葉少なくって書かれてるのは珍しくないよ。
例えば山内一豊も、普段は言葉少なかったが、戦場では良く通る声で指揮したって書かれてる。
三成は景勝に、景勝が大阪にいるときは兼続は伏見に、
兼続が大阪にいるときは景勝は伏見にって、必ずどんな時でも、どちらか一人は大阪にいるよう要請してるけど、
景勝がほんとに喋らない人だったら(某ドラマじゃ、ほとんど兼続に喋らしてたけど)、こんな要請しないだろ。
576人間七七四年:2010/03/28(日) 20:35:13 ID:fZV8AI5I
>>575
生涯人前で笑ったのが猿の件だけ、なんていう強烈な
逸話があるせいなんだろうな。実際のところ、兼続と
大酒を飲んだとか、書状の中身をみると、必ずしも、
笑ったのが猿の件のみという人物像とは結び付かん印象をうける。
577人間七七四年:2010/03/29(月) 09:25:09 ID:4NqZFTYG
大坂の陣での上杉軍の峻厳さがインパクトあって
人物像を作られたんじゃね。
景勝も謙信も逸話と本人の書状じゃ全くキャラ違う。
578人間七七四年:2010/03/30(火) 14:57:31 ID:06vJoYGX
公私の区別をはっきりつけた、と思えば不思議でもないけどね。
579人間七七四年:2010/03/30(火) 21:29:02 ID:bkzOBa5s
>公私の区別
景勝は徹底的にやっていそうな気がする。
580人間七七四年:2010/03/31(水) 03:45:23 ID:jk6o8U9Z
狩野の手紙に顕れてるような無邪気な素顔の景勝を知ってる人は、
家臣の中でもほとんどいなかったんじゃないかな。
得に後半生は、かつての同僚に臣下の礼をとらなきゃいけなかったからね。
感情を押し殺して、寡黙にならざるを得ない場面も多々あったと思う。
581人間七七四年:2010/03/31(水) 16:03:41 ID:QvtOAcqa
>>580
「おまえら大きな子供かよ」みたいな叱責があったり、佐竹義重宛の件の
書状があったりと、若い頃の書状は結構感情表現がはっきりしてる印象を
うけるよね。
魚津の中条や吉江、山本寺や藤丸といった連中への書状もひとりひとりに
文中で語りかけていたりするし、非常に読んでて興味深い書状が多いな
582人間七七四年:2010/03/31(水) 22:51:47 ID:h1WAjzjR
まぁ、顔は怖かったんだろうな、確実にw
秀吉が初対面の時に怒ってるんじゃないかと勘違いしたとか言われてるし
厳めしいんじゃなくて、公式の場じゃ表情消すタイプだったのかも知れんけど
583人間七七四年:2010/04/01(木) 06:57:12 ID:ziBVATPC
>>582
秀吉と初対面って、落水は作り話って言われてるから、
大歓待された初上洛の時か?
へぇ、そんな逸話もあったの。
この時、秀吉は景勝に大阪城をくまなく案内して、寝室まで見せてるよな。
夫婦で知り合いのアメリカ人の家に初めて招待された時、
やっぱり家中に案内してくれたよ(もちろん寝室も)。
秀吉のこういう開けっ広げなところ、日本人より欧米人に近いと思った。
584人間七七四年:2010/04/10(土) 00:34:34 ID:EL0qC+6N
>>395
成立と拡張の過程から考えれば、春日山城は実城と家臣の屋敷の集合体。
二の丸とか三の丸というより、第一期造成地区、第二期分譲地区と捉えたほうが
実城に近いんじゃないか。

もともと府中長尾氏の詰めの城としての施設が、実城。
周囲に府中長尾氏の少数の被官だけが屋敷を構えていた。
徐々に府中長尾氏の権威と統制が強まり、府中長尾氏の被官以外にも屋敷を
実城の周囲に設置するようになり、春日山城の規模が拡大されていった。
そうすると実城の近く、造成しやすい場所から、屋敷が建築され埋まっていくことになる。

それで先に春日山城に入った影虎は、必然的に実城近くに住むことになる。
後に景勝が入ったのならば、既に実城の近くは埋まっているので、多少離れた場所を
造成して屋敷を構えることになる。

あくまで私見だが、その造成の規模が大きかったので「御中城」と呼ばれたんじゃないか。
585人間七七四年:2010/04/10(土) 19:51:27 ID:9glpQwxt
586人間七七四年:2010/04/11(日) 10:13:55 ID:2MlIXNTi
春日山城は政景が預かって長期いることもあったんだから、
景勝が正式に養子になる前から、景虎が養子になる前から、
春日山城にはそもそも「政景の屋敷」はあったんじゃ?
少年時代の顕景もそこに入っていたと思うんだが
その屋敷はどこにあったんだろうな。
何度か言われてるが、景勝屋敷のあった場所が
元々初期の春日山城として何もなかった場所とはちょっと思えないな。
もしここに敵に入られたらヤバイだろ?
587人間七七四年:2010/04/11(日) 16:09:41 ID:TgtjgymN
上越市史に載せられてた春日山城図をみると、景虎屋敷は実城の崖下、
景勝屋敷は実城の南域で、高さも実城とほとんど変わらない。
あくまで図をみた感じだけど、景勝屋敷の方が実城に近いような?
二、三というのは実城の近さじゃなくて、造成された時期なのかも。
ただ景勝が中城様と呼ばれるようになったのは、天正五年以降だと思うし、
それから中城を新たに造成したとは思えない。
もともとあった廓の一部を中城として整備したと上越市史には書いてあったと思う。
588人間七七四年:2010/04/11(日) 18:34:56 ID:M0T9ibEv
429ページの?
左下に「元禄15年4月」?って書いてあるんだけど後世の作成なら
どこまで信用できるものなのかな。
>>587さんのレスを批判してるわけではないです)
どこかで見た春日山城図は宇佐美屋敷が載ってたし。
589人間七七四年:2010/04/11(日) 22:41:26 ID:PCC7Cs4E
景虎がどこに住んでいたかはともかく、
実城と中城の位置関係に疑問はないんじゃないか?
春日山自体は残ってんだから。
まさか山の形が跡形もなく残らないほど変形したわけじゃあるまいし
峰のうち一番高い峰が実城、低い方の峰が中城という説に反論してる説は見たことが無い。
590人間七七四年:2010/04/12(月) 19:11:28 ID:/FW8k2sI
んで、中城屋敷以上に実城屋敷に近く立地の良い建物が
伝直江屋敷しか見あたらないんだよな。
591人間七七四年:2010/07/25(日) 02:53:21 ID:S1zFzWcE
無口だね
592無名画座@リバイバル上映中:2010/07/31(土) 06:15:49 ID:ZRiuKO7p
593人間七七四年:2010/09/22(水) 13:06:12 ID:VNyfmC0K
景勝が五大老になったのって景勝が越後から会津へ移封になったのと同時?
594人間七七四年:2010/09/23(木) 10:04:16 ID:C4cIRSz2
五大老というのは、後世の人がつけたもので、
当時そんな呼び名はなかった。
景勝の大老の初仕事は文禄四年(1595年)徳川家康、宇喜多秀家、前田利家
毛利輝元、小早川隆景と「御掟」「御掟追加」に連署したものとされているよ。
もちろん会津移封の前。
595人間七七四年:2010/09/23(木) 15:21:47 ID:iPU6/tC4
むちゃくちゃ怖い人だったんだろうな。
みんな船から飛び込んだとかスゲー
596人間七七四年:2010/09/23(木) 15:43:32 ID:D2Y3J6Aq
>>594
ありがとう
597人間七七四年:2010/11/10(水) 01:04:41 ID:EYhFvngw
★上杉景勝の書状を公開11/28まで
 上杉景勝が伊勢崎地域を拠点としていた赤堀佐馬助にあてた書状が、高崎市の歴史博物館で公開されている。
赤堀氏は南北朝時代、足利尊氏に従って勢力を伸ばした。
書状は小田原の北条氏が佐野城(栃木県)を攻めている1585(天正13)年に従属させられた太田の由良氏が、ひそかに佐馬助を通じ、富山城(富山県)を攻略していた景勝へ応援を求めた事への返書。
 景勝は「佐野城を何とか防戦し、勝利をおさめてほしい」とした上で、「富山城攻めに羽柴秀吉の出馬を得て戦況が好転する。北信濃の真田氏も従属したのですぐにでも越山したい」と記している。

興味のある人はどうぞ。
598人間七七四年:2010/11/23(火) 07:13:06 ID:bXOEg4rX
>>597
見に行きたかったが忙しくて断念した。
599人間七七四年:2010/11/26(金) 21:01:46 ID:i/iPyTue
いわゆる五大老になったのが
小早川隆景死後だと思ってる
人多いよな
600人間七七四年:2010/12/04(土) 00:05:25 ID:A3jpgWCs
600get!
601人間七七四年:2010/12/05(日) 14:55:36 ID:BfuVaFyK
>>599
えっ、違うんですか?

てっきり1997年隆景公死去後の1598年会津移封の時かと思っていました。
602人間七七四年:2010/12/05(日) 19:07:27 ID:4unj3228
そもそも五大老って名称自体が当時は存在してない。
この言葉のせいで誤解されてるんだな。
603人間七七四年:2010/12/05(日) 20:21:28 ID:W2aG6wxi
>>599
確かに6名で連署している時もあるが上杉景勝だけ連署せずに5名だけの時もある
上杉景勝が常時連署に名を連ねるのは小早川隆景が死亡して以降のこと
小早川隆景が生存している間は正式な五大老とは言い難い(今風に言えば非常任理事国的な扱い)
604人間七七四年:2010/12/06(月) 16:10:22 ID:r3TIZViW
文禄4年に若い秀家を除く五人は御輿に乗る特権などを与えられている。
そもそも「いわゆる五大老」の連署状はそんなに数はないので、景勝を除く
5名での連署というのは同年の御掟を指していると思うけど、複数現存して
いて、景勝が署名しているのも存在する。御掟追加では「直訴はこの6人に
行うこと」としているので、「いわゆる五大老」は隆景が死ぬ前は6人と考
えたほうがいい。この時点での席次は連署の順番を見ても家康、秀家、景勝、
利家、輝元、隆景で景勝は利家よりも上であり、在国中や上洛が遅れて署名
出来なかったなどの理由以外は考えられない。
605人間七七四年:2010/12/06(月) 16:17:36 ID:r3TIZViW
修正
「署名漏れするとしても」在国中や上洛が遅れて署名出来なかった
などの理由以外は考えられない。

606人間七七四年:2010/12/25(土) 05:34:42 ID:3fr4taPQ
>>604
その説明では説得力に欠けるなぁ
そんな薄っぺらい説明ならどうとでも言える
例えば他の五人に比べて景勝が重要視されていなかったから不在でも構わないとも解釈できる

君の主張はその程度だからw
607人間七七四年:2011/01/01(土) 16:37:24 ID:PLKrOQWw
謀反で上杉の家督を奪ったよね。
608人間七七四年:2011/01/01(土) 23:52:50 ID:flwCY+D1
四天王が5人(稀に6人)いるのが当たり前だった時代だ
ましてや五大老は後から作られた名称

本当は6人だったのを、勘違いして後釜で入って来たと思ったんだろ
609人間七七四年:2011/01/02(日) 11:07:04 ID:EzUZuR9c
>>606
在京していないときに署名に加わらないのは景勝だけじゃなくほかの大老もそうでしょう。
奉行連署状もメンバーが毎回同じではない。
御掟・御掟追加以外で隆景生存中に大老がそろって連署したものも知らない。
隆景死後に景勝が大老職を継いだなんて根拠自体がないんだよ。
御掟・御掟追加に連署した大老が一緒にさまざまな特権を与えられたのを薄っ
ぺらい説明というなら、それより説得力のある根拠を示すべきでは。
610人間七七四年:2011/01/03(月) 08:25:35 ID:1p40lhES
直江状って実在してるのか
611人間七七四年:2011/01/03(月) 21:50:08 ID:ELcvfd7A
>>610
原本は存在せず、写本が複数残る。
かつては偽書説が流行ったけど、今は家康を怒らせる書状を送ったのは
事実で、内容は現代に伝わる直江状とそんなに変わらないとする研究者
のほうが多い。
612人間七七四年:2011/01/13(木) 21:22:14 ID:JQV0xKBa
洋泉社から
「北の関ヶ原合戦〜北関東・東北地方で戦われた「天下分け目」の前哨戦」
が出るね。
買うべき?
613人間七七四年:2011/01/14(金) 00:16:09 ID:LLBSXm3u

上杉憲将―山吉義盛妻―山吉行盛―長尾頼景妻―長尾重景
―長尾能景―長尾為景―仙洞院―上杉景勝
614人間七七四年:2011/01/16(日) 09:56:34 ID:1KY5k1Dy
なんでこいつが名将扱いされてるのかわからんわ
615人間七七四年:2011/01/16(日) 21:20:18 ID:LTGbm589
勿体ないほど出来過ぎる叔父と家臣と嫁のおかげ
616人間七七四年:2011/01/18(火) 08:57:43 ID:GSg6Ak/A
>>614
叔父より強固な大名権力を確立したから。
617人間七七四年:2011/01/18(火) 10:25:28 ID:7JAQigos
>>614
意地を張りながら、上杉を存続させたから。
運の強さ、逸話の格好良さもあるが、景勝の政治はすごく優れてる。
618人間七七四年:2011/01/18(火) 18:09:19 ID:U4JjWe6S
負け組の中でも最後まで戦国っぽさが残ったところがイメージいいんじゃね?
一応は内応したはずの毛利が取り潰されかけたのに直接徳川に喧嘩売った上杉が30万石残ったって
当時の世論としても上杉に同情的だったんじゃあるまいか
619人間七七四年:2011/01/19(水) 01:55:14 ID:fWu+Pkgo
上田長尾10万石から越後の再統一を果たし120万石まで成長し
家康相手にケンカを売り天下分け目の勝負には負け組になってしまったものの30万石で子々孫々に家名を残せれば名将扱いでもいいと思うが。
620人間七七四年:2011/01/19(水) 20:59:20 ID:izgQtq/k
今福氏の景虎本が今月出るみたいだよ
タイトルからすると景勝後継者説なのかな
621人間七七四年:2011/01/20(木) 06:28:09 ID:kU5JOBzx
信長が本能寺で横死してなかったら上杉家は滅亡で
景勝は自害してたわけ?
おしえてエロい人
622人間七七四年:2011/01/20(木) 12:08:45 ID:5XzBhdSD
謙信がもうちょっと長生きしてたら織田との全面ガチンコ対決どうなってたかな
623人間七七四年:2011/01/20(木) 13:50:51 ID:HBdw01AJ
近畿は織田が制圧してたし
謙信といえど、信長の勢力を駆逐するのは無理だろう
624人間七七四年:2011/01/20(木) 15:37:07 ID:aD8sejYD
織田・・・その強と雖も弱め易し
625人間七七四年:2011/01/21(金) 18:20:53 ID:fkW5Aa/v
それでも謙信なら、謙信ならきっと何とかしてくれる…(AA略)
626人間七七四年:2011/01/27(木) 18:44:16 ID:pSactDvO
ほす
627人間七七四年:2011/01/28(金) 03:46:18 ID:htV+IU8T
信玄・謙信が相手とその息子が相手じゃ織田軍の意識も随分違うだろうからな。
628人間七七四年:2011/01/28(金) 11:23:04 ID:SjrEftWl

>>613 が事実なら、景勝は正当な上杉の血を引いていることになるね
629人間七七四年:2011/01/29(土) 00:09:21 ID:e79agfgF
やはり景勝は正統だったんですね!
630人間七七四年:2011/01/29(土) 00:14:27 ID:4WRrzxAt
北条の血が入ってる景虎よりは正統だろう
631人間七七四年:2011/01/29(土) 11:58:05 ID:/fXNPYKq
北条の血が入っているかどうかは関係ない
山内上杉の血が入っているかどうかが問題
632人間七七四年:2011/02/03(木) 20:31:19 ID:TTgP0lPd
たしかに・・・・
633人間七七四年:2011/02/09(水) 13:40:28 ID:DxDgbSNV
上杉勝道
634人間七七四年:2011/02/09(水) 17:58:34 ID:BaCQEoxV
◎憲定重房勝
×景朝
635人間七七四年:2011/02/21(月) 02:45:49.09 ID:s0bxuY9Q
景虎の子供を惨殺
636人間七七四年:2011/02/23(水) 17:09:03.37 ID:cPmdIvZ6
魚津城見殺したあとに織田軍と対決しても、いろいろ不利じゃね?
637人間七七四年:2011/02/23(水) 19:08:37.76 ID:s31AcICX
>>636
魚津城見殺し?
魚津を泣く泣く見放した時は、もう春日山で死ぬつもりだったでしょうよ
まさか信長が死ぬとはねえ
638人間七七四年:2011/02/23(水) 20:53:06.55 ID:GxmhlQDB
不利どころか華々しく討ち死にしてやんよ!ですから
639人間七七四年:2011/03/01(火) 20:56:18.21 ID:H2DKh96W
景虎の子供を惨殺したのはやっぱり景勝?
640人間七七四年:2011/03/02(水) 14:31:46.93 ID:VVFFVd6r
景勝の部下
641人間七七四年:2011/03/02(水) 20:50:34.35 ID:9df37o/+
ひでえことするな。
なにが義だよ。笑わせんな。
642人間七七四年:2011/03/02(水) 21:26:11.17 ID:dh+r2HnT
乱世の習いだ、今の基準で考えるな。
643人間七七四年:2011/03/02(水) 21:46:00.30 ID:W7Iv6zLq
そりゃ家康とか信長がやるならわかるけどさ。
謙信公の跡継ぎのやることじゃないぞ。
644人間七七四年:2011/03/02(水) 21:48:49.69 ID:9df37o/+
義とか愛とか言ってた割には理不尽なことするよな
645人間七七四年:2011/03/02(水) 22:49:57.25 ID:AKCDAVil
義とか愛とかって、、アホ大河の影響かね
646人間七七四年:2011/03/03(木) 00:36:23.32 ID:uOCxEjuP
ただの釣りだろ
647人間七七四年:2011/03/03(木) 13:42:04.87 ID:jjJTRl/4
無双やBASARAとかのゲームならともかく、大河でああいうのをやられると非情に萎える
648人間七七四年:2011/03/05(土) 11:13:07.44 ID:DQEnf0Ih
むしろ大河こそああいうのものじゃ……。
あれか、歌舞伎や浮世絵がいつのまにか芸術になってるようなものか。
649人間七七四年:2011/03/05(土) 11:33:51.53 ID:tPyTDtf6
魚津を見殺しとか言ってる奴には驚いた
あの状況でとてとて行く方が有り得ないわ
650人間七七四年:2011/03/05(土) 12:30:37.77 ID:FiQZK8/l
大河はウソっぱちってことか
651人間七七四年:2011/03/06(日) 23:05:55.91 ID:MiDkDbhg
「たとえ春日山が織田勢に奪われようと、魚津で懸命に戦っている義の戦士
 たちを見捨てるわけにはいかぬ!」
天地人の直江なら言いそうだ。
652人間七七四年:2011/03/07(月) 12:49:25.17 ID:o+Lh+16p
天地人が終わってから、上杉の義と愛とかは嘘っぱちで真実はこうなんだよ!!
というようなその手の本でのライターが増えた

米沢人としてはいい迷惑だよ・・・w
653人間七七四年:2011/03/08(火) 00:28:02.15 ID:2t7Jpcgf
>>651
自分で魚津城へ入ったと思ったら、吉江や安部、中条や山本寺が必死こいてるなか
越後で奥方と団欒して泣きながら飯食ってたはずwもっとひどいw

>>652
そういうネタも大真面目にどうしようもない内容を書き散らかしているだけだから困るんだよね。
お江にしてもそうだけど「女のバトル(笑)」的なノリの便乗本の多いこと。
654人間七七四年:2011/03/11(金) 05:53:16.11 ID:YjJDlKRp
道満丸惨殺の景勝。
いくら戦国とはいえ人質を殺すなんて聞いたことがない。
655人間七七四年:2011/03/11(金) 08:14:44.77 ID:ogpH3g9d
相手の嫡男を殺すのはむしろ戦国の世の習いです
656人間七七四年:2011/03/11(金) 08:38:22.54 ID:b0ygxU7e
>いくら戦国とはいえ人質を殺すなんて聞いたことがない。

……えっ!?
657人間七七四年:2011/03/11(金) 11:17:35.36 ID:t2cQTPf+
何の為の人質だと思っているのか
658人間七七四年:2011/03/11(金) 12:40:49.80 ID:n5uOW8GP
憲政は指示ミスっぽいが道満丸は殺害命令確実?
659人間七七四年:2011/03/11(金) 19:24:40.63 ID:gw4qY3NI
てゆ−か、景虎側が人質出して和睦って、
春になって北条がやってくるまでの時間稼ぎっていうのがみえみえじゃん
よほどの馬鹿以外受け入れんでしょ
660人間七七四年:2011/03/12(土) 03:07:59.16 ID:1uxdvvuD
光成準治の関ヶ原前夜で国替え時に景勝は長尾を名乗ってたり
謙信の遺体を置き去りにして抗議されてたのか
下の家柄の名乗るのも珍しいけど、何で大乗寺はわざわざ土葬にしたんだ
661人間七七四年:2011/03/16(水) 20:34:23.57 ID:/GDuAds1
この人能力的には大したことないよね
でも悪運だけは強い
伊達政宗と通じるものがあるよね
662人間七七四年:2011/03/17(木) 08:19:27.82 ID:H9LeXWqa
どういう能力か知らんが、一門でない直江に誇大な権力を与えてそれをうまく
制御するというのは難しいことだと思うぞ。国人の臣従化も景勝が成し遂げた
ことだし。
663人間七七四年:2011/03/17(木) 13:57:57.11 ID:L4k28nVd
謙信が甘やかした家臣を締めあげて、
近世大名に成長したのがすごいんだよ。
664人間七七四年:2011/03/17(木) 17:16:06.11 ID:6rZ2Vhec

会津・米沢地方にも放射線が来る?
665人間七七四年:2011/03/17(木) 17:28:13.57 ID:yxjOLHnF
上田長尾3万石で北条武田織田が敵な状態から
自立国人領主どもを官僚化させての120万石に成長し
家康相手にガチでケンカ売るあたりすごいと思うが。
毛利が関ヶ原でアホやらなきゃかなりいけただろ。
666人間七七四年:2011/03/17(木) 18:48:02.57 ID:oEpw5lhs
>>661
悪運の強さは大事です
悪運は器の大きさが呼び込むものです
なんらかのカリスマ性がない人には運が転がりこんできません
667人間七七四年:2011/03/17(木) 20:29:16.71 ID:v3TXlMMU
なんだかんだで有名大名の2代目としてはトップクラスにカリスマあったのでは
668人間七七四年:2011/03/18(金) 03:32:59.09 ID:ojtjl0sg
>>667
二代目によくある「慢心」って言葉が全く似合わない人だな、
生い立ちや育てられ方が普通の二代目とは違うからかな?
669人間七七四年:2011/03/18(金) 20:32:28.26 ID:Rke+ebYv
ある意味唐太宗と共通する人生だから実質1.5代目かと
670人間七七四年:2011/03/30(水) 14:02:39.98 ID:HpQLQ+r4
山形新聞 米沢上杉まつり、秋に延期
ttp://yamagata-np.jp/news/201103/30/kj_2011033001114.php
上杉神社例大祭など神社の催事は例年通り行われる予定で、延期するのは
川中島合戦や武●式(ぶていしき)などの観光イベント。
671人間七七四年:2011/04/09(土) 18:27:27.12 ID:o8uUu5ry
極度の無口だったのは馬鹿がばれないようにするためだったと思う
672人間七七四年:2011/04/09(土) 19:27:07.68 ID:cGAEN6KQ
黙ってるだけで馬鹿がバレなかったんなら
つまり馬鹿じゃなかったんじゃね?
673人間七七四年:2011/04/09(土) 22:47:57.76 ID:+yUerJPW
>>671
黙ってないとバカがばれるよ
674人間七七四年:2011/04/10(日) 11:11:45.49 ID:w7sCv+do
馬鹿だったら黙ってなんかいられないような
675人間七七四年:2011/04/10(日) 12:16:24.78 ID:jWCEF8gJ
まあ、本当に馬鹿だったら何らかの史料にのこるだろ、
直江に運営を任せてたと言われるが、実際どこまで任せてたのか判らないし、
本当全部丸投げだったとしても、それはそれで人を見る目があったという事だし。
676人間七七四年:2011/04/10(日) 17:08:07.33 ID:PFMIZpMH
丸投げしてないな。
景勝の文書発給は兼続よりずっと多い。
兼続に権力が集中してるのは事実だが、景勝の権力を分与されているのではなく、
他の家臣と分与されあうべきところを彼一人に委ねられているだけ。
677人間七七四年:2011/04/10(日) 19:39:58.99 ID:tZsZvh8x
関ヶ原では何とか独眼竜と手打ちして南進できなかったものかなあ
678人間七七四年:2011/04/10(日) 22:41:20.55 ID:eJNZJ7yo
基本戦略が防衛戦。最上攻めも防衛戦の一環。
そしてあわよくば越後奪還。
南進なんて最初から頭に無いじゃない
679人間七七四年:2011/04/12(火) 08:55:03.96 ID:i24vuuG0
関ヶ原の際の上杉の戦略は専守防衛ではなく、>>677が言うように
政宗や最上と組んでの関東攻めだよ。
庄内が攻撃されたから最上を攻めたというのは史料的根拠が乏しく、
実際には「豊臣公儀の命で関東攻めを行おうとする上杉に対して、思
いがけず様子見をしている最上と伊達」を屈服させるため。
一時期は堀ら越後の大名も和睦を求めてきていて遺民一揆を鎮静化
させているので、越後奪還も目的ではないよ。
680人間七七四年:2011/04/12(火) 19:02:33.68 ID:rI9lD9iU
自分と一緒で喋るのすらめんどくさい、の境地まで来てたんだろ
景勝と違う点は、通訳がいないとこだ
だから自分の場合喋らなくてはいけない
681人間七七四年:2011/04/15(金) 18:30:56.00 ID:74Ktw+5y
なんか定期的に景勝sageに頑張ってるレスがつくよね
これが蜃気楼ヲタ&伊達ヲタってやつか…
682人間七七四年:2011/04/16(土) 02:31:05.42 ID:oHbi/OAV
平山優氏の「天正壬午の乱 本能寺の変と東国戦国史」を読んだ。
本能寺前の有名な佐竹宛の文書も紹介されて、なんかえらく景勝がかっこよかった。
最近丸山氏とか、若手武田氏研究家の方たちが、なぜか景勝に好意的な書き方してる気がする。
勝頼再評価とリンクしてるのかなあ。
683人間七七四年:2011/04/16(土) 08:45:29.67 ID:PQGIZS5d
上杉の家督継続がすんなり行ってたら織田とどれくらいやり合えてたかな
つかどうせ同盟の実も何もないんだから景虎いなくても同じだったんじゃ
684人間七七四年:2011/04/16(土) 10:48:40.07 ID:ytViKOoe
そしたら却って表に出てこなかった反景勝派が調略されて
武田みたく崩れることもありえたんじゃないかと思う
685人間七七四年:2011/04/19(火) 17:58:49.81 ID:Rq2AwvIm
仙洞院の母って本当に上条氏なの?
686人間七七四年:2011/04/19(火) 20:11:41.36 ID:k6oZO6AJ
農民だぉ
687人間七七四年:2011/04/20(水) 12:13:16.03 ID:1vxDDowg
>>684
どうだろうな?景虎いなくても乱はおこったような気もする
本庄秀綱は謙信死後直ちに動いて、葦名は越後に侵略してる
景虎死んだ時にそばにいたのは、北条からついてきた者ばかりで、
本庄とかは、御館がやばくなるととんずらしてるし
景虎じゃなくても景勝に対抗できるものなら擁立したかも
688人間七七四年:2011/04/20(水) 13:42:58.11 ID:HhN+GDtY
景虎じゃなく憲政父子の乱になったかもな
689人間七七四年:2011/04/20(水) 19:15:02.09 ID:fv6aHyJD
景勝の初陣っていつ頃だったんだろ?
Wikiだと1566年の関東出兵の際と書かれてるけど出典がないし
690人間七七四年:2011/04/23(土) 23:30:24.76 ID:Bi+oVtIz
福島からの避難児童に対して鬼畜のような新潟県民=新潟・長岡
時事通信 [4/23 20:27]

東日本大震災で、福島県から新潟県長岡市に避難している小学6年の男子児童(11)が転入先の小学校で同級生に蹴られ、入院していることが23日、同市教育委員会への取材で分かった。学校側はいじめがあったことを認め、保護者に謝罪した。
 市教委によると、男子児童は父親の実家がある長岡市に避難し、今月7日の始業式から新しい学校に通学。19日午前の休み時間、同級生の女子児童に腹を蹴られた。20日に腹部打撲と診断され、様子を見るために入院しているという。
691人間七七四年:2011/04/25(月) 21:14:27.25 ID:5sjbbNNY
>>690
連呼のようだけど・・

・・・正気ですか?
692人間七七四年:2011/04/25(月) 22:19:01.25 ID:Llw06/Ds
こんなコピペして喜ぶ差別主義者は相手にするな
693人間七七四年:2011/04/26(火) 06:31:36.80 ID:PmAIlLj0
>>689
臼井城攻めの感状が残ってたはず
Wikiの年が間違ってる?
でも景勝ってどうして、上田嫡流の六郎じゃないんだろ
兄ちゃんがいたから?

694人間七七四年:2011/04/26(火) 14:42:20.30 ID:KuS/82NC
むしろ景勝が喜平次なのが上に兄ちゃんがいたんじゃないかって
理由にもなってる気が
695人間七七四年:2011/04/26(火) 16:27:11.69 ID:SIokac6N
にいちゃん
上杉景虎
上條政繁
山浦国清
696人間七七四年:2011/04/26(火) 21:02:48.89 ID:pLZPPKEC
喜平次兄=長尾右京亮義景=時宗
697人間七七四年:2011/05/01(日) 16:34:32.45 ID:M6KzCpRl
上杉憲将―山吉義盛妻―行盛―長尾頼景妻―重景―能景―為景―長尾政景妻―上杉景勝
698人間七七四年:2011/05/09(月) 14:25:04.02 ID:E6n18koc
>>697
景勝は正当な上杉の血をひいているんだね。
699人間七七四年:2011/05/09(月) 19:08:27.89 ID:3pzPaqxY
政景は死に方こそ悲惨だったが、子孫が後々まで繁栄したから万々歳だろうな。
700人間七七四年:2011/05/09(月) 20:36:08.21 ID:UrWMcO6G
全く先祖として扱われてる様子無いがな
為景政景憲政とみんな無縁仏

謙信と微妙に重房だけ気にすれば問題なしってかんじだからな
701人間七七四年:2011/05/12(木) 03:59:47.24 ID:Mg/G7r0h
>>700  え? ここでいってる3人は「米沢上杉以前」という事か? 新潟の南魚沼の例なら、 
 平成17年(上杉景勝公生誕450周年記念式典)とか平成18年(長尾政景公 墓碑改修法要)
とかには、現在の御当主が足を運ばれているみたいだが。ほかの年もあった気がするけど、今、調べ直す所まで手が回らない。

  ただ、上越訪問の例は無かったと思う。
702701:2011/05/12(木) 06:36:14.16 ID:Mg/G7r0h
>>701 に追加、どうでもいいかもしれんが。


会場は南魚沼の、長尾の旧領の中ではあったはずだが、くわしい場所迄は記憶に残ってないや

失礼。
703人間七七四年:2011/05/12(木) 14:11:50.07 ID:OZmmYh/T
上越って徳川四天王榊原家の幕末までの領地でもあるけど、榊原家の市民からの扱いはどうなってんのかな?
704人間七七四年:2011/05/12(木) 18:36:50.89 ID:rLBQqkEy
>>701
それは呼ばれただけでは
今の御当主様は直系の吉良の法要も行なってる人だし
江戸明治期はどうだったんだろうな
705人間七七四年:2011/05/13(金) 04:00:57.72 ID:USmb6v3a
平中納言景勝
706人間七七四年:2011/05/14(土) 17:27:50.96 ID:8/H01vWK
上田長尾10万石から大混乱の越後再統一を果たし会津120万石まで成長し
家康相手にケンカを売り天下分け目の勝負には負け組になってしまったものの30万石で子々孫々に家名を残せれば名将扱いでもいいと思うが。
707人間七七四年:2011/05/17(火) 11:25:58.36 ID:FNVQyZ7S
上杉は天下人に堂々と喧嘩売ったのになんで家が残ったん?
708人間七七四年:2011/05/17(火) 11:57:04.87 ID:+OUrrUaj
6月4日・5日 前田慶次400回忌関連イベント

 4日 前田慶次四百回忌供養祭(堂森善光寺)      11:00より
      主催:堂森善光寺/善修会/前田慶次400回忌供養祭実行委員

    第31回米沢牛肉まつり(松川河川敷)    17:00より
      主催:米沢市農業まつり実行委員会

 5日 パネルディスカッション
(1)開催日時  平成23年6月5日午前11時10分〜午後12時40分
(2)場  所  伝国の杜文化ホール
  『前田慶次に魅せられて』をテーマとしてその魅力を語っていただく。
    パネリスト      今福 匡  (歴史ライター)     
               薗部寿樹  (米沢女子短期大学教授)
               角田信朗  (正道会館最高師範)
               菅原好見  (山形県置賜総合支庁長) 
               安部三十郎 (米沢市長)
               梅津幸保  (米澤前田慶次の会)
    コーディネーター   角屋由美子 (上杉博物館学芸主査)
※以上の特別講演とパネルディスカッションは入場無料です。
 ただし混雑が予想されますので、お早めにご来場下さい。
 会場内への入場は500人が限度です(ただし室外での同時中継の予定もあります)
    
    彦根〜米沢『義の継承』支援金引き渡し(戦国の杜)13:30より
      主催:米沢市
   
 角田信朗写真撮影及びサイン会予定(戦国の杜)  14:00より
      主催:戦国の杜(米沢観光物産協会)
709人間七七四年:2011/05/17(火) 21:27:53.25 ID:HHRtwVBM
>>707
その後必死こいて下僕になったから
710人間七七四年:2011/05/17(火) 22:04:26.07 ID:ljKTZZWF
>>707
上杉側の徹底抗戦の態度に恐れた家康側が和睦を直江に提案してきたから。
711人間七七四年:2011/05/19(木) 19:26:46.46 ID:/4AJ7IRp
下手に潰して武田や長曽我部の残党みたいになったら困るから
ゴミの管理はゴミの持ち主にさせる
生かさず殺さずが家康のやり方
712人間七七四年:2011/05/19(木) 21:02:36.70 ID:dVjHLHI1
>>711
代々の越後じゃないから移封されてまもない会津で残党蜂起なんて起きないから
713人間七七四年:2011/05/19(木) 21:35:00.45 ID:ObwOxLwF
社会不安の元の浪人の受け皿的発想はあったかも知れず
714人間七七四年:2011/05/19(木) 23:26:06.51 ID:dVjHLHI1
>>713
普通に岡とか蒲生に再就職してる。
蒲生は会津から下野に減転封した時にリストラしたが
下野から会津に帰還した際にまた家臣の大量雇用してるし。
715人間七七四年:2011/05/28(土) 17:08:37.40 ID:/lTOQCWa
上杉憲将の娘が山吉義盛の妻で、その嫡男が行盛。
行盛の娘が長尾頼景の妻で、その嫡男が重景。
上杉景勝はその重景の玄孫だから、上杉憲将の血筋をひくことになる。
716701:2011/06/06(月) 22:30:55.25 ID:g6P4ggNU
>>704  遅レスだし、話を蒸し返すようで悪いが・・・
  
そうだなあ「江戸明治期」については自分にもわからないが、
すくなくとも政景に関しては、現在「無縁仏」だとは
言い切れないのではないか、と言いたかった。
717701:2011/06/06(月) 22:34:15.89 ID:g6P4ggNU
連投スマン いまのは半分、独り言みたいなもんなので適当に聞き流してくれてかまわんよ。
718人間七七四年:2011/06/07(火) 18:57:15.36 ID:aODQ9m15
景勝ってよく男色好きとか清野との衆道とか話題にされてるけど
それってどこ出典?
自分としては男色家説を否定したい
というか菊姫と仲良しであったと思いたい
時代が時代だから衆道は普通なんだろうけど
719人間七七四年:2011/06/07(火) 19:48:49.06 ID:Wgtgjg8W
奥羽永慶軍記とかだと思う
720人間七七四年:2011/06/07(火) 22:56:49.57 ID:PCaGRQtn
伊達から金貰ってデタラメ書きまくっている新井白石が、謙信から男色寵愛されて出世したとか
父親は薪炭の仕事してたとか書いてる。
721718:2011/06/08(水) 00:16:20.63 ID:RKF3P7+/
>>719
やっぱり永慶軍記でいいのか。
教えてくれてありがとう
>>720
薪炭の仕事って兼続の父親のこと?
722人間七七四年:2011/06/08(水) 01:41:54.50 ID:x42Wrcti
永慶は景勝が男色にふけり女にまったく興味がないから
兼続が男装の麗人作戦で子供を作らせたって話だけじゃなかった?
723人間七七四年:2011/06/08(水) 01:47:24.32 ID:7C1EmPiU
上杉家御年譜でも
景勝は清野が美形で喜んだ
と書いている。
724人間七七四年:2011/06/08(水) 01:54:01.52 ID:x42Wrcti
遺伝的に日本人はエイズに感染しづらいとか無いのかねぇ
725人間七七四年:2011/06/08(水) 09:16:43.39 ID:GRs1rjIJ
>>723
御年譜に書かれてるのは、謙信が河田長親をつれて帰った時の話じゃないの。
まあ謙信については研究者も「景虎の若衆好みは事実であり、女性は好みの対象ではなかった。
(by 矢田俊文)」って書いてるから。
726人間七七四年:2011/06/08(水) 09:26:42.58 ID:x42Wrcti
近衛が記す若衆好きがイコール男色好きとは言えないと思うが。
そもそも矢田も他の研究者同様に史料豊富な北条に贔屓なところがあるし。
727人間七七四年:2011/06/08(水) 11:32:32.98 ID:GRs1rjIJ
矢田氏が北条贔屓かどうかは自分はわからないけどね。
偶像化されたものではなく、生きた謙信を描こうとしてるんだと思うけど。
確かに近衛書状だけではなんともだし、信玄や政宗みたいに決定的書状があるわけじゃないから。
長親を気遣ってる謙信書状は残ってるけど。
まあ正史である上杉家御年譜に、仕官のなれそめが「容貌華麗にして」なんて書かれてるのは後にも先にも
長親一人だけみたいだし、長親伝説ってすごかったんだなとは思う。
しかし、景勝のスレなのに謙信の話になってるね。
清野についてはよく知らないけど、少なくとも御年譜には723のようなことは
書いてなかったと思う。なにか他の本じゃないのかな。


728人間七七四年:2011/06/10(金) 16:35:44.13 ID:QDTSp5Ew
>>726
若衆好きと書かれた人間が男色好きじゃなかったらそのほうが驚きだわ
729人間七七四年:2011/06/10(金) 18:43:30.29 ID:LjEOalOD
俺、若い子好きって言われるけどあっちの方は嫁さん一筋だよよ
730人間七七四年:2011/06/10(金) 21:41:33.17 ID:XwUCVmcO
>>727
前田利家の発言を記した加賀藩の史料が
信長と利家の男衆関係を書いてるんだよね。
それ聞いてみんなが羨ましがったとか。
731人間七七四年:2011/06/10(金) 23:42:53.53 ID:h8AewD3Y
男色に全く興味ないと言われているのは秀吉だけ
後北条の方々は?あまり聞かないな
732人間七七四年:2011/06/10(金) 23:48:30.80 ID:35sq8IOn
後北条は幼女好きが多い
733人間七七四年:2011/06/11(土) 00:04:11.82 ID:sQglL5LN
氏政と一緒に色小姓も切腹してる
734人間七七四年:2011/06/11(土) 01:16:37.75 ID:kDdXpRCX
氏綱は綱成と明らかに関係がある。
735人間七七四年:2011/06/17(金) 13:20:22.90 ID:mLqOdtXi
えっ
736人間七七四年:2011/06/24(金) 07:51:26.05 ID:Ms+sGq4m
 ほしゅ
737人間七七四年:2011/06/27(月) 16:25:38.27 ID:azs7Nd+7
保守しますよ
738人間七七四年:2011/06/28(火) 18:47:45.49 ID:E4ZEApVw
上杉景勝・・・伊達・最上連合軍と戦うが政宗の巧みな戦術と絶対的な統率力の前に何も出来ず、
        関ヶ原で西軍が敗れ、逆に領土を奪われた負け犬。西軍が敗れるとると家康に泣きながら
        尻尾をキャンキャン振り許しを乞う見るに耐えない武将。
        元々、上杉が原因で引き起こした関ヶ原の合戦でありながら西軍武将を平気で見捨て、大阪の陣
        では必死に勝ち馬に乗ろうと徳川軍の先方を務め、戦意のない西軍兵を虐殺する。が、結局は
        30万石程度の弱小大名に減封される。 しかもその30万石は家臣の直江から譲られた領土であり、
        お情けでお家を存続できた愉快な武将(藁


739人間七七四年:2011/06/28(火) 21:42:49.42 ID:oQEoYULS
上杉博物館の図録「直江兼続」に慶長8年12月のものととされていた本庄宛来次書状は
御前様を秀忠に比定して、秀忠の京からの下向が本多佐渡から確実なったので、
景勝の帰国決定を期待する文書になってたけど、御前様を秀忠としていいのかなあと思ってた。
大河関連本の福田氏の「江の生涯」とか読むと、秀忠は慶長8年は上洛していないと書いてある。
気になって調べたけど、その後の上洛でも、年末まで秀忠が京に滞在したことはなかった。
御前様って普通は奥方に使うけど、江は10月頃には江戸に帰ってるし、その後の上洛はない。
御前様って菊姫のことじゃないの?
740人間七七四年:2011/06/29(水) 08:40:59.82 ID:rpV1tbKF
『直江兼続人と時代』のほうかな。
5月には秀忠の上洛の噂に御供を申し出て、その時点では不要と
されたけど、結局景勝は上洛した。御前が秀忠かは確かにはっき
りしないけど、御前=菊姫だと、夫人が下向することに落ち着い
た(落ち着きそう?)ので、景勝の帰国も期待するという、大名
景勝の仕事から考えるとやや変な文章になる。
「病気になった菊姫と離れたくないので僕も帰らない」と駄々を
こねていたんだろうか。菊姫の死に公の場で泣いた天地人みたいだ。
741人間七七四年:2011/06/29(水) 09:33:59.45 ID:d02EKGpB
御年譜では伏見で家康と秀忠に謁見したと記されているけど、
最近の徳川家康研究で当時家康は伏見にいなかったことがはっきりして、
矢田俊文氏だったと思うけど、御年譜の記述に誤りがあると指摘していた。
ただ安田文書だったか、はっきり覚えてなくてうろ覚えだけど、
本多佐渡の仲立ちで景勝と秀忠が会ったと書かれた文書があり、
秀忠が大納言様と呼ばれていることから、慶長8年暮れに比定されるとしていた。
家康と違って、秀忠は慶長8年の動向がはっきりする一次史料がなく不明とされていたけど、
上洛していないのなら江戸で対面したのか。その後景勝は上洛したのか。
慶長9年の正月、秀頼に歳首を賀してるよね。
742人間七七四年:2011/07/07(木) 00:03:41.66 ID:++TWWsOp

上杉景勝は上杉憲将の女系子孫
743人間七七四年:2011/07/13(水) 10:27:26.98 ID:Ow3xhw4V
>>742
虚言乙
744人間七七四年:2011/07/25(月) 16:08:04.91 ID:k99cxoSp
関ケ原後の30万石を、本来兼続に与えられた物だった、て記載は、小説なんかで見かけるけど、信用できる史料あるんでしょうか。家康にとっては嫌がらせくらいしか意味のない行為でしょう。
吉川広家が輝元に譲った、てのは、理由も分かるし、史料もあるので、本当なんだろうなあと思ったんだけど。
兼続を持ち上げる為の創作なのかなあ
745人間七七四年:2011/07/25(月) 16:33:46.83 ID:0EyPyist
広家が譲った話は偽書状まで作って捏造した広家のでっち上げの言い訳だから
746人間七七四年:2011/07/25(月) 18:03:47.01 ID:XlSK+5eV
>>744
兼続の研究書によれば、研究者の間では会津時代の石高は6万石が有力じゃないの。
小説や自称歴史研究者では、30万石と書かれることが多いね。
ソ−スは知らない。軍記かなんか?
747人間七七四年:2011/07/25(月) 18:34:28.05 ID:iWzvwAbu
勧修寺 鎌倉 長尾 足利 吉良 大蔵 秋月




上杉
748人間七七四年:2011/07/25(月) 20:07:41.78 ID:ybCvzY5c
すんなり景虎が継いでいれば良かったのに
749人間七七四年:2011/07/26(火) 12:18:41.17 ID:E/t7viLa
>>748
とてもすんなり継げそうな気はしないけど

当時関東では北条氏政は反北条の佐竹結城連合と対立を深めており、
謙信はその結城を援助するために、出陣の大号令を出していた
あと謙信というか上杉には独特の文書発給システムがあったらしいけど、
景勝が謙信流の文書発給を行ってるのに対して、景虎の発給文書は北条流で謙信からの継承が認められない
750人間七七四年:2011/07/26(火) 18:15:32.02 ID:7wmzneTt
よく現れる景勝sageしたいだけの人だろうから相手にしなくていいんじゃないかな
751人間七七四年:2011/07/27(水) 00:02:07.01 ID:4umnzoT/
>>744です。

>>746
早速の回答ありがとうございます。やはり根拠はないと思った方が良さそうですね。
どうもありがとうございました。
752人間七七四年:2011/07/27(水) 12:13:41.15 ID:hYesr4To
妻は信玄娘と公家娘のみ
定勝産まれなかったらどうするつもりだったんだろ
史実より早く源姓上杉氏が生まれるのかあっさり改易か
753人間七七四年:2011/07/27(水) 12:20:30.33 ID:HrFevSlp
義真で問題ないだろ
754人間七七四年:2011/07/27(水) 17:17:11.73 ID:xfRqHAAI
上杉景勝が御館の乱当時に家臣に送った書状 上越市に寄贈
ttp://www.joetsutj.com/archives/51762246.html
755人間七七四年:2011/07/28(木) 17:49:05.80 ID:hdIYWgJp
>>752
あの公家娘はただの子作り女だよ
本当に公家の娘かどうかも解らんし
京女だと言う事だけは認めるけどねっ!
…とK戸氏とS木氏が言っています

と言うのは悪ふざけだが、
マジレスすると公家娘は妻じゃなく妾じゃないの?
756人間七七四年:2011/07/29(金) 10:27:34.02 ID:olmbjyhC
そういや、関ヶ原前に上杉と徳川には縁談話があったんだよね。
義真のことだったんだろうか?
会津分限帳に出てくる上条弥五郎は景広のこと?
757人間七七四年:2011/07/31(日) 18:11:09.81 ID:dp7m6WrD
>>755
一応正式に正妻とされているわけではないが
家柄の良さとか定勝産んだとかもう菊姫が持たなさそうってな事で
半ば継室扱いだった…ってな研究じゃなかったっけ
758人間七七四年:2011/07/31(日) 20:26:55.84 ID:g57O67gD
今福匡氏は四辻殿=直江が身分の高い家=四辻公遠からとった猶子と推測している
759人間七七四年:2011/08/03(水) 22:04:27.90 ID:ALAMcwng
>>743
景勝アンチ乙
760人間七七四年:2011/08/07(日) 18:37:22.25 ID:S9aSxGui
755読んだら、アンサイクロペディアの米沢市思いだしちゃったよ
今見てみたら、相変わらず凄いまま・・・
なんか四辻氏に対して毒を持った書き方する人いるね
761人間七七四年:2011/08/10(水) 18:21:02.33 ID:WPLrdbkJ
なにかがいるよね
762人間七七四年:2011/08/10(水) 18:46:13.53 ID:sFpC2rI3
>>756
徳川と上杉の縁談の話は怪しい話みたいなこと輝元が言ってるから真偽不明ネタじゃないの?
763人間七七四年:2011/08/10(水) 23:04:25.94 ID:i66lttQC
>>757
確か上杉家自体の記録でも継室とされてた気がする
764人間七七四年:2011/08/11(木) 00:45:56.18 ID:dTNyz4d5
>>762
輝元は秀吉が言い残したというこの婚姻の話に賛同できないと言っている。景勝が「公儀の事は上様(秀吉)の
言い残した通りにする(家康には付かないという意味?)」と申し開きしたことに対して、輝元は信用できない
と疑ってる。
765人間七七四年:2011/08/11(木) 09:01:39.73 ID:FDJT/oGt
秀吉の言い残したとする話自体が
輝元にとって初耳で言い訳として考えられたデタラメと思って
怪しい話と思ったんじゃないのか?
大坂城が家康の手に完全に落ちていて
情勢が完全に家康勝利と言う状況になっており
奉行を支援してた毛利としては上杉の協力が無くなったことは梯子を外された格好になり
三成を見捨てて家康に屈服せざる負えなくなった。
それどころか輝元が家康を父のように敬うと言う親子の約定までやるハメになってる。
毛利と上杉が直接に連絡が行えない状況なのか縁談の真偽が毛利には判断できない状態での輝元の意見のように思える。
ただその後に厳島に残る書状で、
毛利と上杉が協調して難儀を乗り越えたから良かったと言う書状があるので
縁談自体が根拠のない風聞レベルだったのでは?
766人間七七四年:2011/08/13(土) 09:21:54.57 ID:Kmbplq+M
書状見ると、小西行長や寺沢正成が伝えた話と解釈でき、輝元も話自体
は信用しているよ。
「上様(秀吉)が言い残したということで、昨日、内府と景勝の縁組が
双方の使者として増田長盛が仲介人となって整ったそうだ。内心はそれ
には賛同できない(染み候わず)。政権運営のことは上様の御意のまま
だと景勝は言ったが、これも本当かどうかわからない(これもしれぬ物
にて候く)。とにかく、(三成派は)もう弱めになってしまったので、
よく考えて判断しなくてはいけない」
輝元は景勝に不信感を抱いていたけど、三成襲撃事件の解決で景勝も一緒
に動いたのでよかったという話につながるんではないかな。
767人間七七四年:2011/08/14(日) 03:14:39.65 ID:M5RDWn+B
上田長尾上杉氏も3代で断絶
768人間七七四年:2011/08/19(金) 21:55:44.54 ID:geu8X/Au
上杉憲将の末裔であることには変わりない。
769人間七七四年:2011/08/22(月) 00:56:01.30 ID:7cJTMLZh
高師直の末裔であることにも代わりはない
770人間七七四年:2011/08/22(月) 13:08:59.13 ID:hbQOoEI8
>>769
なんで高師直?
771人間七七四年:2011/08/23(火) 16:55:23.27 ID:kW+KlBSK
age
772人間七七四年:2011/08/25(木) 02:59:26.60 ID:Qbjibd0q
どちらかというとその宿敵の一派です

ちなみに師直末裔の可能性あるのは吉良系となってから
773人間七七四年:2011/08/28(日) 11:33:55.57 ID:lZEQIb4D
そんなことだろうと思った
774人間七七四年:2011/08/28(日) 14:51:32.35 ID:xo+oPEk2
景勝のへたれっぷりからすれば景虎でも良かった気がする
775人間七七四年:2011/08/28(日) 15:00:10.59 ID:4GldpCZq
どの辺がへたれてるのかと
776人間七七四年:2011/08/28(日) 21:24:25.38 ID:370f/qo4
景勝→佐竹義重宛書状の織田との決戦の決意を見れば
ヘタレどころか腹の座った男だと思うが。
腹をくくったからこそ土下座せずに抵抗しギリギリのタイミングで起死回生できた。
勝てないと悟って織田に土下座して助命嘆願後に本能寺の変が起きてたら
今のような評価を上杉は得ていないし
謙信の顔に泥を塗った男になっていただろう。
777人間七七四年:2011/08/30(火) 08:50:35.25 ID:0wdvVBjD
むしろ、現在に伝わる謙信の軍神キャラは景勝の影響を受けている可能性もあるな
778人間七七四年:2011/08/30(火) 12:23:40.12 ID:BfDmu/lj
景勝は謙信の後継者たらんとして
やることなすこと真似してたという逸話の逆視点か
779人間七七四年:2011/08/30(火) 17:53:30.49 ID:5tn4nBOo
景勝の書状は信長侵攻も会津征伐前も剛毅な感じなんだが、
謙信の方はもっとスマートな感じする。
780人間七七四年:2011/08/31(水) 21:51:47.89 ID:vLEsfS0u
景勝は謙信を常に意識していて気負い過ぎてる固さからの決意表明的なもんがあるね。
謙信はナチュラルにして不惑。
年上の信玄と氏康の両者の合同軍を相手に挑発してみせたり、
銃弾が雨のように降る下で自分には絶対に当たらないと言い放って突撃する度肝といい
騎下8000があればどんな敵でも打ち破ってみせると豪語した謙信の名を辱め泥を塗ることは景勝のプライドが許さないって感じで思い詰めてる。
781人間七七四年:2011/09/03(土) 22:21:32.71 ID:yidv/KO0
>>777
それはねーよ
782人間七七四年:2011/09/11(日) 03:28:26.30 ID:7C4iNWQL
age
783人間七七四年:2011/09/11(日) 12:05:35.77 ID:9XA6iONI
景勝頼
784人間七七四年:2011/09/11(日) 19:04:52.23 ID:3XIBSey4
謙信玄
785人間七七四年:2011/09/16(金) 23:13:19.61 ID:evsF+cdf
なにこのスレ
786人間七七四年:2011/09/23(金) 23:24:09.87 ID:xKlNgFie
駄スレ
787人間七七四年:2011/09/24(土) 15:09:01.90 ID:+wG4fh3+
戦国無双の来年のカレンダーに景勝公が出ているらしい、信之とかも
無双4でプレイアブルキャラ化したらもっと世間に認めてもらえるかね?
788人間七七四年:2011/09/24(土) 15:29:04.11 ID:IR6kUVkT
いいよ、ゲームはどうでも。
789人間七七四年:2011/09/25(日) 13:47:40.24 ID:u3Hxf6Xn
無双は直江があの扱いだし、あまり期待しないほうが
790人間七七四年:2011/09/27(火) 18:07:00.41 ID:W5iyBV1D
ちょっと無双景勝見てみたが、景勝は特に癖も無い無口そうな青年だった
凄い顔してる謙信や凄い頭してる直江や白魔導師と化した仙洞院に比べたら本当にごく普通。
イケメンといえなくもない。
景勝アピールとしては刀コレクター主張か背中に何本も刀背負ってるくらいなもん。

そんなことより宇佐美定満が小舟に乗ったドヤ顔ジジイな事に噴いたわ
政景超逃げろ
791人間七七四年:2011/09/27(火) 18:46:59.50 ID:5aauo13L
政景逃げてw
しかし本当に暗殺だったのかね
それ以前に病死してるって話もあった気が
792人間七七四年:2011/09/30(金) 22:47:35.42 ID:MRvT7cKj
事故死に見せかけた暗殺
793人間七七四年:2011/10/02(日) 00:34:02.57 ID:e/FiEBkq
794人間七七四年:2011/10/02(日) 02:21:45.50 ID:o2cn5Aku
酒飲んで火傷してるのは政宗に熱い汁物飲まされたネタのオマージュかね
795人間七七四年:2011/10/08(土) 13:39:07.59 ID:Q8Gou/xz
上杉景勝は山吉氏などを介して、正統な上杉の血をひいている。
796人間七七四年:2011/10/08(土) 19:48:51.69 ID:7MSrts0/
政景母は不明?
797人間七七四年:2011/10/09(日) 22:05:43.18 ID:pDza2EwX
不明らしい。俺は阿賀北衆の血筋だと予想。
798人間七七四年:2011/10/11(火) 23:31:59.39 ID:8I6khkRT
上条政繁の出身も不明?
上条家継いでたり謙信の姪が妻だったり優遇されてるのにあまり話題にならないよね
景虎や河田長親はよくそういう話題にされるけど
政繁の「政」って憲政の「政」なの?
799人間七七四年:2011/10/11(火) 23:42:21.74 ID:Z/OLtN0q
政虎じゃねの
800人間七七四年:2011/10/11(火) 23:58:42.18 ID:BYum2ZM6
>>798
政景の「政」は憲政の「政」じゃないか?という指摘はみたことがある(今福匡『上杉景虎』)けどね。
801人間七七四年:2011/10/12(水) 00:04:48.23 ID:Z/OLtN0q
上田長尾は越後上杉じゃなくて関東管領上杉被官とか何とかってやつか
802人間七七四年:2011/10/12(水) 06:26:04.20 ID:YDX8l6vI
>>798
景義って名乗ってたらしいけど、長尾家一門で間違いないのかな
上条は上杉家の1つだから、継ぐ時に憲政から貰ったとするのが妥当なとこじゃないか
そのころ謙信の名前は輝虎だった
803人間七七四年:2011/10/12(水) 19:35:27.85 ID:iAmcWc3I
謙信は長尾顕景らの顕(山内通字)もバンバン撒いてるし
自分が今使ってる字じゃなければ、偏諱授与出来ないってことは無い。
近隣の例で言えば信玄が授与した昌とか。
804人間七七四年:2011/10/12(水) 21:34:53.31 ID:X/44Rkfu
798です。みなさんレスありがとう

>>802
景義で思い出したけど系図では景勝の兄に義景がいるけど
政繁と混同されてるのかな
謎の長尾時宗とか上田長尾はまだ謎が多いですね
805人間七七四年:2011/10/13(木) 00:57:13.88 ID:/bBzJIBw
たしか上田長尾当主の名前は
当代の関東管領の名に対応してるから
関東管領から偏諱されてるって話は俺も見た
806人間七七四年:2011/10/13(木) 01:03:42.93 ID:cjFd2xsE
「政」は上杉家じゃ他に直江政綱(実綱)と長尾政景ぐらいだね
直江は政虎時代に賜り、長尾は他の名前が伝わってないから元々かな?憲政とは関係ないかもね

政繁の場合はいろいろ可能性あって面白いな
807人間七七四年:2011/10/13(木) 01:04:50.23 ID:cjFd2xsE
早とちりしたw
>>805
だとすれば政景も謎は解けるね
808人間七七四年:2011/10/13(木) 02:29:53.56 ID:/bBzJIBw
上杉憲政→長尾政景
上杉憲房→長尾房長
上杉顕実→長尾顕吉(景隆)
809人間七七四年:2011/10/17(月) 21:51:44.62 ID:kfVWXuKg
ふmふm
810人間七七四年:2011/10/28(金) 10:51:43.38 ID:cmlmpI3M
長尾長長
811人間七七四年:2011/10/28(金) 12:16:08.93 ID:DTBLMwxC
上杉の血を引く女の子が将棋界で注目されている
プロになったら上杉一派は全力で応援すべし
美少女だぞ
http://www.poppin.jp/Takemata_Beni/Beni-Photo5.html

スレもある
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1318993868/
812人間七七四年:2011/10/29(土) 09:43:49.42 ID:r2Jmwgvj
ネプリーグに出てた賢い子じゃん
813人間七七四年:2011/10/29(土) 17:40:17.43 ID:9pAPtI+Z
>>811
国民新党の亀井亜紀子議員もいるが。
日テレの太田総理で新橋の親父どもに取った『綺麗な女性議員』アンケートで1位になった。
あれから数年経って少しふくよかになられたが所作や喋り方は紛れもなく姫様そのもの。
814人間七七四年:2011/10/30(日) 08:55:15.45 ID:PDtnKwB6
>>811
竹俣紅ちゃんだよね
頭の回転がはやくて弁がたつ
将棋棋士なんかより絶対に政治家とか弁護士向きだよ
しかも美人さんだから将来もメディアにでまくりそう、、、要チェック
815人間七七四年:2011/11/01(火) 06:56:39.94 ID:KRiPAj5y
姫かわっ
将棋なんてすんの?
816人間七七四年:2011/11/03(木) 09:31:13.90 ID:HEkWCxCI
常山紀談拾い読みしてるが、江戸時代の人は景勝公に割と好意的だなあ
明治時代の好きな戦国武将番付けでも割に上位の方だったのに
いつのまにこんなに影が薄い扱いになったんだろう
817人間七七四年:2011/11/04(金) 20:10:28.71 ID:/TIjTRaB
花ケ崎とかのせいだろ
818人間七七四年:2011/11/06(日) 02:01:31.71 ID:ekEdoCQM
今の時代に合わないだけ
世の中が良くなれば
また好評価されるよ
819人間七七四年:2011/11/09(水) 21:37:17.37 ID:vlKhQABo
>>816
アンチ景勝な人間が上杉関連史学・出版界を支配しているから。
(Hケ崎とかH坂とかね)

>>813で思いだしたが、
パパの亀井久興議員は上杉茂憲の曾孫。

上杉茂憲‐上杉久(伯爵亀井茲常夫人)‐亀井茲建‐亀井久興‐亀井亜紀子
820人間七七四年:2011/11/09(水) 23:54:09.79 ID:rRwoG5Sa
>>819
景勝信者の被害妄想乙
821人間七七四年:2011/11/10(木) 01:36:42.03 ID:w2qK6FaG
過小評価されてるのは俺も思う。
もっとも景勝はそんなの気にしなさそうだが
無理矢理謙信を神格化させといてちゃっかりまとめた名君だと思う
直江山城守が目立ちすぎてんだよな
822人間七七四年:2011/11/10(木) 08:21:19.74 ID:CKcO6DKK
近年の直江はあの兜のインパクトだろ…
景勝単独の逸話も江戸時代には色々出てるし明治時代にも景勝>兼続人気だったのに
何故か兼続がいないと何も出来ないコミュ障呼ばわりに。
重口を男の美徳と考える空気が薄れたからか。
823人間七七四年:2011/11/10(木) 08:49:05.45 ID:lcz55zvB
過小評価ってあの大河ドラマぐらいじゃないかな。
大河でも当初「才気走る直江を諌める役割」みたいなことが書いてあって
期待したけど、家康の追撃を認めない場面もただのヘタレになってたり、
菊姫が死ぬと家康の前で泣いちゃったりするのは残念。
明治時代の人気が景勝>直江だったとも思えないけどね。
824人間七七四年:2011/11/11(金) 18:26:00.97 ID:E4HhrZzT
そういや鴨川の本で花ヶ崎の本の記述をバッサリやっててワロタw
永禄11年「信玄は(中略)勝興寺に越後へ侵入するよう頼み、
自らも(中略)七月十日、謙信方の飯山城を攻撃した」
の記述で3枚の書状を較べながら、
永禄11年に本庄が謙信に謀反した書状を元に分析し
武田軍の飯山城攻撃の書状は偽書状であり、
信玄が勝興寺へ頼んだ書状が出されたのは永禄11年じゃない。
完全比定ワロタ

そういや厩橋北条が謙信から二度離反したと書いて間違いを指摘されたのも花ケ崎だっけ?
825人間七七四年:2011/11/12(土) 00:41:01.32 ID:APayMAlF
>>824
永禄11年は従来考えられていたほど、
謙信は武田に追い詰められては
いなかったわけだ。
826人間七七四年:2011/11/13(日) 11:52:19.11 ID:DqbNRCs/
江の視聴率が悪いらしいが、
天地人の酷さに比べたらマシだよな。
827人間七七四年:2011/11/13(日) 11:53:35.21 ID:yGal9n28
マシかなあ
どんぐりの背比べだと思ってたけど
828人間七七四年:2011/11/13(日) 12:04:43.50 ID:hQC8qHbm
関ヶ原や大坂の陣はまだ江のほうがましだね。
全体的にどっちかといえば天地人だけど、肝心の「二つの関ヶ原」があれでは。
829人間七七四年:2011/11/13(日) 16:51:28.81 ID:JnWnTvx1
ウンコvsゲロみたいな究極の選択だけどな。
830人間七七四年:2011/11/16(水) 07:13:02.22 ID:1eaJksQ3
面豊かにて〜って顔がでかいって意味にとるのが普通なん?
立派な顔立ちであるくらいの意味だと思ってたら
頭が大きいとか顔がでかいとか取ってる方をよく見る気がする
831人間七七四年:2011/11/16(水) 09:47:12.41 ID:xWkOGp37
面って頬って意味か、
掘りが深いという意味に取っていたけど。
832人間七七四年:2011/11/16(水) 12:32:09.18 ID:O/hMqzEL
昔は顔がでかいことは美形条件だったそうだが
頼朝も顔が大きかったそうな
833人間七七四年:2011/11/16(水) 17:22:08.27 ID:BAOmLVTx
顔や顎が太い方が良かった。
今で言うずんぐりむっくりが理想的体型
肉食しない粗食時代にこんな体型のヤツは
なかなかいなかったのではないかな?
まぁ柔道じゃないが、相手を組み伏して首を掻き斬るとなると
そういう体型と太い首と肘力は必要だろう
834人間七七四年:2011/11/16(水) 23:13:07.84 ID:1eaJksQ3
まああの普通より長い馬上太刀をぶん回してたんだから
謙信も景勝も小柄なりにマッチョだったんだろうなとは思うんだが。
835人間七七四年:2011/11/17(木) 11:49:16.71 ID:lE6J6AaY
豊かってふつうは、豊かななる髪とかで使われるように、立派とか美しいとかっていう意味だよ
顔がでかいっていう意味じゃないとは思う
だけど景勝はとかく景虎と比較対照されなきゃあかんってので、そういう風に曲解されて広まっている
836人間七七四年:2011/11/17(木) 15:13:31.74 ID:DSOwM/b2
現代の景勝は、借金トラブルで大変みたいよ

【新潟】武将隊へ給料不払い 上越市が委託の会社 借金トラブル
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1321185852/
837人間七七四年:2011/11/17(木) 15:31:56.13 ID:nmtNX+fn
>>835
逆に景虎って武田養子説が俗説になるとイケメン説もくずれるはずなのに
いまだに小説以外でも美形っていう扱いになってるよな
実はなんの変哲もないふつーの顔かもしれないのに
まぁ悲劇の武将は美しいほうが絵になるんだろうけどさ
838人間七七四年:2011/11/17(木) 15:35:42.89 ID:os3ZlZ+V
悲運の美形という設定が唯一の財産なのに使わない作家はいないだろ
逆に言えば景虎を使う旨みが無くなってしまう。
839人間七七四年:2011/11/17(木) 16:36:30.31 ID:HV6FmB3/
やっぱ立派な顔立ちとかそんな意味だよな

特に根拠の無い伝承でも否定する材料も特にないなら別に伝承通りとして扱っても良いと思うがね
流石に歴史研究で三郎が美形だったからうんぬん言われたらアホかと思うが
小柄だったと伝えられる景勝が小説とかで長身設定だったら「えっ」て思うし
840人間七七四年:2011/11/17(木) 18:14:40.33 ID:hS1NCzz7
>>839
三人の二代目って小説で景勝が長身設定だったな
841人間七七四年:2011/11/18(金) 02:04:06.90 ID:N+l5vZU0
景虎は史料が少ないから仕方ない気もする
でも側室がいたのは意外と知られてないね
842人間七七四年:2011/11/18(金) 20:50:17.95 ID:5mqgVwz7
謙信もなんで景勝には結婚させなかったんかね
24歳にもなれば縁談のひとつやふたつありそうなもんだろ
843人間七七四年:2011/11/19(土) 00:54:14.88 ID:u8cQ3udG
外交の札に使おうと思ってるうちに行き遅れですかね
844人間七七四年:2011/11/19(土) 01:05:21.52 ID:DXVs8yjI
上田長尾当主としてなんらかの話はあったけど、正式に養子になった際、白紙となった可能性はあると思う
845人間七七四年:2011/11/19(土) 02:05:25.25 ID:7cLHMHn/
単にまだ結婚は早いと思ってただけかもしれないよ、謙信だし
846人間七七四年:2011/11/19(土) 02:25:47.25 ID:QcQjuPDi
道満丸の陣代説じゃないけど謙信が喜平次を後継にしようとしたみたいに
景勝が道満丸を養子にして後継にしようとしたとかはないのかなぁ
あんまり自分の血を残すことに執心してなさそうだし
出来たら出来たで可愛がってるけど
847人間七七四年:2011/11/19(土) 03:24:31.57 ID:hrnydZz5
謙信をリスペクトしていた景勝は謙信が死んだ年齢に近付くまで童t…
なんてことはないか
848人間七七四年:2011/11/19(土) 09:48:57.17 ID:+EC0CEQC
上杉謙信「30才になるまで未婚だなんて気に入らない」
北条景広「」
849人間七七四年:2011/11/19(土) 15:11:48.63 ID:X+3chsgv
謙信と景勝が立て続けに女性に積極的じゃなかったおかげで
米沢上杉は側室事情が貧相になったよね
後継ぎに苦労したのも知ってるのに何もそんなとこまで藩祖にならわなくても
850人間七七四年:2011/11/21(月) 02:08:57.58 ID:GtvTFvH9
憲政に適齢の娘がいたら丁度良かったのに
柿崎の嫁はまだ幼女だよな
851人間七七四年:2011/11/21(月) 12:13:39.86 ID:wAE7ti0h
もしかしたらお船と縁談…なわけないか
852人間七七四年:2011/11/21(月) 16:09:36.37 ID:2Kvdl6kL
直江家娘じゃなれても側室じゃね?
景綱とは親しくさせられていたっぽいし
直江家にしてみれば娘をあげて子供出来たら儲けもんかもしれんけど
景勝・謙信側のメリットがあんま無いのがなあ
年ごろはいいのかもしれんけど
853人間七七四年:2011/11/21(月) 17:02:31.73 ID:RItpC0E9
家臣クラスとの縁談は無さげ
854人間七七四年:2011/11/21(月) 19:06:26.18 ID:PgAjlkCm
>>850
憲実以降綱憲までの当主は残念ながら代々子供が少ない。
持氏の呪いか?
855人間七七四年:2011/11/21(月) 19:07:50.81 ID:PgAjlkCm
>>853
山本寺や上条によい相手いなかったのか。
揚北衆からもらうととんでもないことになるが。
856人間七七四年:2011/11/21(月) 19:14:16.65 ID:PgAjlkCm
>>853
山本寺や上条によい相手いなかったのか。
揚北衆からもらうととんでもないことになるが。
857人間七七四年:2011/11/21(月) 21:49:49.08 ID:Vo/lLOad
>>852
2人の性別が逆ならあったかなぁ
でも信綱も長尾出身だったから優遇はされてるよね
858人間七七四年:2011/11/21(月) 23:21:48.83 ID:GtvTFvH9
白井庶流だっけ
859琴電1075-1076(葬儀中):2011/11/22(火) 18:41:07.92 ID:4EN2U9dq
>>858
総社の方
860人間七七四年:2011/11/25(金) 09:09:43.07 ID:5fuF39w5
景勝公にはやはり菊姫様しかおるまい
861人間七七四年:2011/11/25(金) 17:15:27.96 ID:2IH8hTIN
>>860
うちの事もほんの少しでもええから、思い出しておくれやす…


               四辻
862人間七七四年:2011/11/25(金) 19:50:38.06 ID:E+ndxUlo
資料少ないもんなぁ四辻殿
側室扱いでいいんだっけ?
863人間七七四年:2011/11/26(土) 02:10:17.84 ID:yp/Fiz+I
景勝愛用の佩刀が刃毀れから何度も研ぎなおされて刃が短くなってるとか
使い込まれて持ち手の皮が擦り切れてるとか
戦の受け傷が残ってるとかで
謙信は頻繁に前線に出て太刀打ちするような大将だったらしいけど
この刀の使い込まれ方からして景勝も第一線で自ら刀を振るってたようだ
大名所用の刀でこういう実戦使用された傷跡が残ってる刀は非常に珍しい
でも景勝が自ら前線で刀を振るっていた話があまり伝えられてない辺りが
いかにも武の名門上杉家らしい、って記述にすげーかっこいい!ってなった

御館の乱あたりで景勝が自分で前線に出てたような記述がみられるって書かれてたけど
どの文書で見られる?
864人間七七四年:2011/11/27(日) 11:35:54.15 ID:UuD3/1Pu
>>862
一応そうだけど継室扱いしている公式資料も結婚ある
865人間七七四年:2011/11/27(日) 17:49:37.85 ID:W3xp+jTy
>>864
>継室扱いしている公式資料
綱勝の代に幕府に提出した系図では継室と明記されているね。

側室扱いなのは、姉妹と甥の関係で幕府への体面に
気を使ったからではないかと思われるが、
御年譜の「死去」を現す表記が四辻殿は「棄粧シ玉フ」だが、
菊姫様の表記は別表記(※どんな表記だったかは忘れた)だから、
その辺の比較あたりからもアプローチできなくもないかもしれない。
866人間七七四年:2011/11/27(日) 20:55:27.67 ID:cq5IkANs
上杉家御年譜では御母が四辻氏、嫡母は菊姫って書いてあるね
林泉寺には四辻氏の墓は無かったような気がする
867人間七七四年:2011/11/27(日) 21:15:59.39 ID:W3xp+jTy
>>866
織田信忠も斎藤氏(濃姫)が嫡母と記されている史料があるね。
信忠の家臣団にも斎藤家所縁の人間が結構いるみたい。
正室所生でない後継者を正室所生の子と称することは、
直近の有名な例だと明治天皇-英照皇太后、大正天皇-昭憲皇太后などがある。

>四辻氏の墓
最初林泉寺に設けられたが、
後年四辻家と宗派を同じくする極楽寺に改葬され現在に至る。
868人間七七四年:2011/11/29(火) 16:46:01.30 ID:7hRL4xwF
威張り散らすしか能のない人
869人間七七四年:2011/11/29(火) 20:51:18.53 ID:YyoQJ3jI
景勝のネガティブ評価は初出はいつなのか、
また誰が何の目的でやっているのかという考察があれば面白いかも知らん
870人間七七四年:2011/11/30(水) 01:26:27.54 ID:jMnmZwVu
宇佐美定祐の出自まで遡らないといけないかな
871人間七七四年:2011/11/30(水) 10:59:20.49 ID:IU/Sgxai
景勝が豊臣政権下でいつごろから“大老”だったのか、という
議論があったけど、↓の限りにおいては相当早くから大老格ちゅうか、
最重鎮の1人であったように思う。なんとなく小早川の席次がよく
分からん。俺は普段この板の住人でもないし、特に歴史厨でもない
ので解釈が思いつかん。毛利家当主に随行する、というかたちなんだろうか?

・『戦国時代の終焉』(齋藤慎一著、中公新書)193p
【天正十六年八月 北条氏規が豊臣秀吉に対面した時の座次第】
上席(武家)〜織田信雄−徳川家康−豊臣秀長−宇喜多秀家−上杉景勝−毛利輝元
上席(公家)〜菊亭晴季−勧修寺晴豊−中山親綱−日野輝資−頭宰相

==1段下がって==

次席〜織田信包−細川忠興−長谷川秀一−毛利秀頼−筒井定次−大友吉統−島津義弘ー小早川隆景−吉川広家

==被謁見者==

(申次なんだろうか?)蜂屋頼隆+北条氏規
872人間七七四年:2011/11/30(水) 11:26:01.14 ID:TRVCgKD9
景勝は東国で最も早く秀吉に従った大大名で
初期においては西の毛利と並んで東西の二大重鎮
小早川隆景は秀秋が養子入りするまでは毛利の一家臣。
873人間七七四年:2011/11/30(水) 12:30:01.81 ID:DFF9D50n
なんかさあ、景勝のネガティブ評価として知恵袋なんかで前田との席次争いを出す人がいるけど
あれ、事実なの?
確か席次について勧修寺に確認したとかの文書は残ってたけど
確かそれによると、任官の時期から前田より上席にということだったんだよね
874人間七七四年:2011/11/30(水) 15:57:07.60 ID:neyoDifA
そもそもネガティブ評価などされているのか?
875人間七七四年:2011/11/30(水) 16:22:54.91 ID:fWHZSmeL
景勝は上方にいないことが多かっただけで元から大老の一人だろ
876人間七七四年:2011/11/30(水) 18:53:16.09 ID:IU/Sgxai
>小早川隆景は秀秋が養子入りするまでは毛利の一家臣。

間違いじゃないと思うが、伊予の領主だったころから
独立した大名扱いだし、政権内では輝元と並ぶ大老だった
から、そこまで単純に割り切れるもんでもない気がするが
どうなんだろう。
秀秋を養子にして、ほとんど間をおかず隠居してたんじゃ
なかったっけ?
877人間七七四年:2011/11/30(水) 21:07:17.51 ID:TRVCgKD9
一家臣というのは確かに極端な言い方だな、一大名としたほうが正しいな
隆景がどの程度の位置にいたかは豊臣政権の特徴でもあるが官位を見れば分かりやすい
天正16年に景勝は参議に就任していわば大老格になったが
隆景は蜂屋らと同格の数いる侍従の一人に就任、しかも毛利の家臣筋に当たるので末席

秀秋が養子入りした文禄3年頃に参議になり景勝と同等の大老格
翌年、権中納言になり景勝を追い越し、この頃ちょうど五大老と呼ばれる制度が定着する
その翌年、隠居
景勝は在京在阪していることが少なかったが、いれば連署していてずっと大老(格)
878人間七七四年:2011/12/01(木) 09:01:39.49 ID:HNRtuXaZ
>翌年、権中納言になり景勝を追い越し、
文禄四年正月の時点で中納言が乱立していて、菊亭晴季が中納言同士の序列は
秀家、秀保、秀俊、景勝、輝元、利家の順と指摘している。そのあとに中納言
になった隆景はその下だね。景勝や輝元を追い越すってのはあり得ない。
秀秋を養子に迎えたことによる昇進なのは間違いないだろうけど。
879人間七七四年:2011/12/01(木) 09:29:32.36 ID:JIck8F1f
景勝が先に就任だった。指摘ありがとう。
880人間七七四年:2011/12/01(木) 12:21:33.56 ID:GpHUmRlX
利家の序列も微妙なんだね。
秀吉最晩年期〜利家自身の薨去までの短い期間は、官位:大納言&秀頼守傅役で
はっきり政権意思として、家康に次ぐ立場に上げているけど。後世の加賀百万石藩祖、
秀吉の“旧友”という感じでイメージするほど、不動のNo.2、(秀吉、家康に次ぐ)No.3
ではない感じ? 一門の宇喜多は別にして、別格客将の家康を除けば、毛利、上杉、前田
あたりは、言い方次第で序列はどのようにも変わるってところか。
881人間七七四年:2011/12/02(金) 22:47:49.88 ID:FR17N/k7
景勝がマイナーなのは兼続のせい
882人間七七四年:2011/12/03(土) 13:40:29.72 ID:N1Y5a83e
毛利輝元の方が景勝より上だと思ってた
883人間七七四年:2011/12/03(土) 18:55:33.48 ID:W3EBX1s6
>>881
つ謙信
つ義兄の方の景虎
つ菊姫
つ兼続の嫁
つ鷹山
つ鷹山の側室
つ第二代沖縄県知事
つロケット殿様

884人間七七四年:2011/12/03(土) 19:01:54.65 ID:W3EBX1s6
883つづき
つ白亀井
つ白亀井の娘
つ竹俣紅たん

その他情報求む
885人間七七四年:2011/12/04(日) 00:56:37.63 ID:8vMfMtVl
>>881
何をもってマイナーと呼ぶかだけどな。
言うほど知られてないとも思えないが。
886人間七七四年:2011/12/05(月) 03:08:30.67 ID:iblvftlN
歴史の教科書に五大老で名前が出て来たりもするから
案外上杉謙信の跡取りで五大老の一人くらいは覚えてる人もいる
まあ五大老の名前を順番に上げて!と言われて最後まで出てこない一人に
カウントされたりはするかもしれない
887人間七七四年:2011/12/12(月) 05:08:16.89 ID:SkIh3Dee
>884
つ真田幸村の子孫の祖母が、上杉家の人で親戚になってる

888人間七七四年:2011/12/14(水) 02:40:31.73 ID:bnRjFq99
景勝の子孫ゆうたらきりがないがな
最後の藩主様の継室様とお国御前様がめずらしく超多産系だったせいで
南は元琉球王家から北は津軽家まで子孫の人嫁いってますがな
かつて皇太子妃候補にあげられてた人のなかにも子孫の人がいましたやん
そやけどなんでそのため景勝がマイナーな理由になっとるんねん????
889人間七七四年:2011/12/15(木) 00:48:07.30 ID:A3llSVl8
俺のなかでは景勝超メジャーだよ!
むしろ謙信景勝は知ってて直江をしらんかったぜ!
890人間七七四年:2011/12/15(木) 01:10:28.94 ID:80eCS5vP
>>883
沖縄県知事なら吉良の息子の方が有名だろな
891人間七七四年:2011/12/20(火) 22:05:47.37 ID:jA9PG3Th
上杉景景
892人間七七四年:2011/12/21(水) 00:29:27.56 ID:tANU4G0v
>>863を読むと景勝って前線で戦うことが結構あったみたいだけど、
そしたら体には刀傷とかたくさんあったんだろうか
893人間七七四年:2011/12/23(金) 17:51:19.14 ID:MGFqYCTY
なんか晴豊記に景勝が晴豊と茶会したあと酔い潰れるほどの大酒になって
その後景勝が茶会を誘っても晴豊は具合が悪いと断るようになって
翌月菊姫から晴豊夫妻に(もしかしておわび?)魚が贈られてるんだって?
なんか晴豊公には悪いけど微笑ましい話だと思った
でも晴豊記が崩し字のままの奴しか見つからなくて原文が読めんw
894人間七七四年:2011/12/25(日) 02:33:31.78 ID:tbVfNDVD
上杉頼重―清子―足利尊氏―基氏―六角満高妻―斯波満種妻―持種
―義敏―義寛―村上顕国妻―義清―国清(山浦上杉家を継ぐ)
895人間七七四年:2011/12/25(日) 10:38:27.31 ID:x7dJTzcf
>>893
例の狩野秀治宛書状でも直江兼続と大酒をしたという話が出てくるなど、
景勝もかなりの酒飲みだったようだな。
まあ当時は接待や交渉の場で酒を飲む機会が非常に多かったわけだけれども・・・
896人間七七四年:2011/12/25(日) 16:23:34.23 ID:Sixek1pa
直江との大酒は普通にプライベートで飲んでただけっぽい気がする

狩野は新参者だからと景勝からの加増なんかを固辞して死ぬまで庵住まいを崩さなかったらしいけど
景勝が妙に狩野の家のぼろさをいじる書状送ってるのは
なんとかちゃんとした屋敷を受け取らせようとする気遣いなんかね
897人間七七四年:2011/12/25(日) 21:59:56.72 ID:/+PX3ZlL
>>894
山浦(上杉)国清も、正統な上杉の血を引いていたのか・・・・。
898人間七七四年:2011/12/29(木) 01:00:35.45 ID:1OO+Ha2O
上田長尾家は関東管領山内上杉の代官的立場で
憲政が政景を家臣と思って見てたかと思うと
景勝が謙信の後継として山内上杉を継いだのは
やっぱ微妙に思ったかな
謙信に家督を譲ったのは自分の意思なんだけど

道満丸後継景勝陣代説を考えると
関東平定したら憲政の息子に家督を返す景勝陣代構想の方が
まだ謙信的にありえそうなんだけど
899人間七七四年:2011/12/29(木) 01:03:27.98 ID:51ZYrfic
陣代説は実城うんぬんくらいしかまともな根拠がなくて弱すぎる
900人間七七四年:2012/01/01(日) 23:39:23.25 ID:T/TffKOI
>>899
景勝狂信者乙
901人間七七四年:2012/01/02(月) 05:38:03.83 ID:WdnOrwbV
景虎狂信者乙
902人間七七四年:2012/01/02(月) 22:07:04.84 ID:AthnS1i0
低レベルな争いだな・・・・。
903人間七七四年:2012/01/03(火) 02:46:48.23 ID:lxi+KAXj
高レベル狂信者乙
904人間七七四年:2012/01/03(火) 16:02:30.39 ID:a336igfM
このスレに集う人の属性比率を独断と偏見で妄想してみた。
48% 景勝好き(上田家好き。上杉家有名人の
謙信に関しては好き嫌いの両方の人がいる)
47% 景虎好き(三郎の悲運または北条家またはBLが至上。)

1% 上杉好きというより、歴史が好き。
4% その他。検索に失敗して、「景勝?誰それ」という御仁も含む
    あ、ナッちゃんもいたか(というと、餌のにおいにつられて出て
  きそうなので、これ以上は言わぬ)

ちなみに 僕ァ1%の構成員です。それも歴史のつまみ食いが好きな為
スルドイ質問をかけられても困りますので、これにて。。
905人間七七四年:2012/01/03(火) 17:44:02.72 ID:Y3kwhEEt
長尾政景の溺死は事故死らしいね。
906人間七七四年:2012/01/04(水) 19:07:42.04 ID:t53b2jvL
>>904
48% 兼続または謙信好き。
   菊姫好きも含まれる。
47% 景虎好き。腐女子率多し。
1%  上杉好きというより、歴史が好き
4%  その他。検索に失敗して、
「景勝?誰それ」という御仁も含む
   景勝ファンもこれに該当。

かと思われ。
907人間七七四年:2012/01/04(水) 20:31:20.91 ID:wTTm/3yB
>>906
なんかアンサイクロペディアとか、昔のウィキペディアを思い出すなあ






908人間七七四年:2012/01/05(木) 19:46:26.35 ID:aw272pRS
>>906
>4%  その他。検索に失敗して、
「景勝?誰それ」という御仁も含む
   景勝ファンもこれに該当。

なんか悲しいな。
909人間七七四年:2012/01/06(金) 01:05:47.34 ID:3Ae+gXi6
そんなん真に受けて落ち込まんでも。
910人間七七四年:2012/01/06(金) 22:52:41.91 ID:vSv9jY55
景勝地
911人間七七四年:2012/01/06(金) 23:49:04.03 ID:46y6mxZ2
>>910
かげかつち。上杉景勝と所縁の深い場所ないし地方の事。
代表例 南魚沼市六日町地区、米沢市、会津若松市、
現法務省、京都市伏見区景勝町など
912人間七七四年:2012/01/07(土) 14:52:16.52 ID:mFLXuEm+
>>912
誰かが言うと思ってた。 やっぱ上越市は違うのなw

俺なら鱗屋敷(現警視庁)もプラスするぜ
913人間七七四年:2012/01/07(土) 14:56:16.09 ID:mFLXuEm+
>>910>>911だ。ミスったスマソ
914人間七七四年:2012/01/11(水) 04:20:32.88 ID:52CbtnyC
m9(^Д^)プギャー
915人間七七四年:2012/01/11(水) 06:31:34.53 ID:+ZoRFRgL
景勝は、よく家を保った。兼続のおかげであるが、、、by謙信
916人間七七四年:2012/01/11(水) 19:14:22.52 ID:FKpdpBt0
>>915
謙信公ご本人が甥御さんの存在価値の否定ですか。
酷過ぎではないでしょうか。
917人間七七四年:2012/01/12(木) 08:57:12.15 ID:zlBkwLkN
>>916
はあ?存在価値なんか否定してないだろう
918人間七七四年:2012/01/12(木) 12:33:46.43 ID:wcvmNbQ2
景勝の着初めの鎧が謙信の胴を子供用に小さく詰めたものってなんか微笑ましいな
初陣が12、13歳頃だったからまだ普通の身丈の甲冑着れなかったのかw
919人間七七四年:2012/01/17(火) 23:24:36.07 ID:eIhoApn9
みんな最初はそんなもんだろ
920人間七七四年:2012/01/18(水) 23:25:35.91 ID:UUn/TIZn
12歳で初陣は早いほうだな。
景勝は体格小さかったらしいからちびっこだったろう。
921人間七七四年:2012/01/23(月) 22:55:49.84 ID:H0xUHf13
ちびっこ大名、筒井順慶
922人間七七四年:2012/01/25(水) 17:17:04.63 ID:ehK06E+n
今年の「京に冬の旅」の特別公開寺院に妙心寺麟華院があったので
まあ期待しないで出かけたのだけど、
案の定、学生のアルバイト・ガイドには
菊姫の仮埋葬墓の場所なんて知らないどころか
その存在もまるで知らなかった様子。
923人間七七四年:2012/01/26(木) 22:08:43.79 ID:3rqEQJty
そらそうよ
924人間七七四年:2012/01/26(木) 23:07:17.75 ID:L1ghai4C
>>922
天地人放映中ならまた違ったかもしれんがな
菊姫といえば、武田氏と禅宗との関係を調べた本の中に気になる記述があったぞ
妙心寺の南化玄興の記録に慶長9年2月に梅岩周香禅定尼の寿像に賛を書いたと
これって菊姫の戒名だよね
当時亡くなってすぐ親しい人たちによって、寿像が作られるのは珍しくなかったらしい
菊姫の画像が遺されてる可能性あるってことか?
思うんだけどさ、菊姫の記録が残っていないというより、研究者が本気で調べてないだけじゃない
925人間七七四年:2012/01/26(木) 23:21:35.13 ID:L1ghai4C
寿像は生前のものだったわ
追慕像の間違い
926人間七七四年:2012/01/27(金) 22:37:50.70 ID:l3ofoVTF
>>922
学生ガイドに、墓地へは行ってもいいと云われたので、
雨の中w、行ってみたけど

墓域内に整備された囲いの中にある五輪塔があったので
「これかな?」とは思ったものの
(以前に、上杉家研究者のブログで見た五輪塔のと同じようだったので)
表示等はまるでなかったね。
なので、アレが菊姫の五輪塔かは定かで無い。

今年以前の妙心寺隣華院の特別公開は「功名が辻」のとき。
「天地人」の年に公開を期待したけれど、しなかったわけだし
「脇坂家」としてもあまり関心の無いことなのだろう。
927人間七七四年:2012/01/30(月) 02:31:49.36 ID:KxOqJ4HK
守護代家当主名        正室出自
長尾平内左衛門尉景茂 葛西新左衛門尉時清の娘
長尾四郎景忠        長尾三郎兵衛尉光景の娘
長尾四郎景能        長尾四郎太夫景煕の娘
長尾弾正左衛門尉景為 佐原七郎左衛門明連の娘
長尾弾正左衛門尉景忠 長尾左衛門尉基景の娘
長尾新五郎定時        山吉伊予守長久の娘
928人間七七四年:2012/01/30(月) 02:36:57.31 ID:KxOqJ4HK
守護代家当主名         正室出自
長尾弾正左衛門尉景恒  長尾新五郎景直の娘
長尾豊前守景晴         山吉伊予守長久の娘
長尾筑前守高景         長尾平三左衛門景行の娘
長尾弾正左衛門尉景房  長尾豊前守景晴の娘
長尾信濃守頼景         山吉伊予守行盛の娘
長尾信濃守重景         長尾越前守景良の娘
長尾信濃守能景         不明
長尾信濃守為景         高梨摂津守政盛の娘
長尾弾正左衛門尉晴景  上杉兵庫頭定実の娘
上杉謙信輝虎         なし
上杉弾正少弼景勝          武田晴信の娘、四辻公遠の娘
929人間七七四年:2012/01/30(月) 02:42:21.19 ID:KxOqJ4HK
訂正
長尾信濃守能景   高梨摂津守政高の娘
930人間七七四年:2012/01/30(月) 11:27:52.71 ID:pK9EB2Tp
>>927-929
これが史実かどうかの追及は やりたい人がやればいいけど それとは別に

「信玄は京公家の婿になっただけじゃ足りなくて、義理の姪にまで
子供を産ませたのかよw」→って風な艶っぽい武勇伝 の成分が

守護代の長尾さんには足らんのよ  (為景はあれで漁色なのか?)

下手をすると 鎌倉時代から色ごとに興味うすい(^ ^;)家系じゃないのかなあ。
側室入れる話に興味なくて正妻大事にしてるのは 景勝だけじゃなかったかも。
(でもね お稚児好きとは限りませんね。情欲全体が少ない遺伝かも)

男の子の人数に恵まれんせいで 白井の景仲の実父・養父関係とか
血筋のややこしさに拍車がかかってる。

でも、僕には興味深いですよ  
守護代の家宰出身で男色の信長だって子女を20名以上産ませてるのに
その一方で 伝説的な子だくさんが居ない長尾家はグダつきながらも
数カ国の守護代を 維持できたんですから。
931人間七七四年:2012/02/05(日) 22:54:08.86 ID:rd6NKs33
>>927-929
こうして見ると、母系の血筋もけっこう解明されてきているんですねぇ。
932人間七七四年:2012/02/06(月) 01:51:05.60 ID:ABYeSsBR
長篠で破れて斜陽の武田と同盟組んでもしゃーねえじゃん
933人間七七四年:2012/02/06(月) 22:35:21.51 ID:hyX8fZsY
家督争いでボロボロになった上杉にとっては、貴重な同盟相手ですが。
934人間七七四年:2012/02/07(火) 12:07:57.09 ID:h7r+OWKP
対織田・北条の貴重な防壁にはなってたな
935人間七七四年:2012/02/07(火) 14:58:23.84 ID:DKf/qQjc
そもそも武田が本当に斜陽になったのは高天神城の落城以後だ。
それまではむしろ勢力の回復傾向にあった。
936人間七七四年:2012/02/08(水) 22:09:18.11 ID:xmeqYL4+
高天神城は勝頼に援軍に来なくていいと書状に書いてるんだよな…
でも世間は織田を恐れた勝頼が見捨てたと受け取ってしまった不運っぷり。
937人間七七四年:2012/02/09(木) 02:59:46.56 ID:iTvq8382
最近になって「上杉景勝一笑図」という絵があることを知ったんだが
いい絵だなー
絵師GJ
938人間七七四年:2012/02/09(木) 19:46:29.81 ID:dZ4I/4dK
>>937
つ ttp://www.nichido-museum.or.jp/curator/2009/11/post_139.html

二世 五姓田芳柳 「上杉景勝一笑図」1890年
939人間七七四年:2012/02/17(金) 22:41:03.73 ID:hY82gpR/
明治人ってすごいなあ
940人間七七四年:2012/02/18(土) 08:05:32.08 ID:FKa6fHiH
徳川時代には徳川に敵対した大名の物語や肖像を描く事は大っびらに出来なかったからね。
明治になってそれらが一気に花開いた。
941人間七七四年:2012/02/20(月) 04:30:06.51 ID:nLmDcz47
敵対しようがしまいが元亀天正以降はほぼNG
なぜならその頃の家が大名や旗本として存在していて、変なモノを出版されれば
それだけで紛争になりかねなかったから。

ちなみに禁止されたのは小説や演劇などのエンタメ系で、学術研究は普通に行われていた。
942人間七七四年:2012/02/20(月) 10:49:25.35 ID:78YLuyds
その手の演劇で割と有名なのは鍋島の化け猫騒動か
943人間七七四年:2012/02/20(月) 20:50:13.95 ID:tyXYJrDi
学術研究ゆったところで多くの軍学書にエンタメみたいなものが散見
944人間七七四年:2012/02/26(日) 21:41:37.87 ID:rs4O9JxL
上杉の化け猿騒動
945人間七七四年:2012/02/28(火) 21:07:24.48 ID:H5IW6Tej
ん?
946人間七七四年:2012/03/02(金) 22:46:23.27 ID:Gfx/4Bq3
上杉景勝

父親:長尾氏
母親:長尾氏
正室:武田氏
継室:四辻氏
947人間七七四年:2012/03/03(土) 13:15:17.98 ID:IX0WyC9H
>>946
両親 推定平氏
嫁  源氏
二号 藤原氏
名乗ってる氏族 藤原氏
曾孫以降 源氏
948人間七七四年:2012/03/06(火) 21:33:11.23 ID:fRM9GSY2
仙桃院の母が上条氏っていうのは本当?
949人間七七四年:2012/03/07(水) 10:44:20.22 ID:VBxsuRIW
>>948
「越後国過去名簿写本」で確認された。
「上杉謙信の夢と野望」によれば、
謙信と景勝は上条上杉家の血統になる。
これで景勝の子が名前に定の字があるのも納得。
950人間七七四年:2012/03/07(水) 21:07:09.83 ID:yD3d8sv5
上杉家の公式記録ですら、謙信の母は長尾肥前守だと書いているのに、それ以上の血統なわけないでしょう
951人間七七四年:2012/03/07(水) 22:02:07.19 ID:087+yFfN
>>949
その説って、謙信と仙桃院は異母姉弟になるんじゃないの?
952人間七七四年:2012/03/07(水) 22:57:13.49 ID:VBxsuRIW
>>950
なにかのブログでも書かれていたけど、
長尾肥前守顕吉の妻が上条家の女らしい。
953人間七七四年:2012/03/07(水) 23:09:17.14 ID:WEKgk5r5
乃至政彦『上杉謙信の夢と野望』によると(34頁)
○虎御前 長尾顕吉の娘。長尾房長の姉妹。謙信の実母。
○綾 大永八年生。景虎同母姉。長尾政景室。のちの仙洞院

>>949
> 「上杉謙信の夢と野望」によれば、
> 謙信と景勝は上条上杉家の血統になる。

そんな記述あるっけ?
954人間七七四年:2012/03/08(木) 01:53:37.72 ID:/kWdGn6h
>>953
弾正少弼の官位をとるところかな?
955人間七七四年:2012/03/08(木) 01:57:08.57 ID:VrJ6pQrD
>>953
何ページに書いてあったか忘れたが、確かに顕吉の妻が上条氏の出身で、謙信は上条上杉の血を引いていると書かれてた。
だけど、それはあくまでも乃至氏の想像によるものであり、裏付ける史料はないと思う。
謙信の母は御年譜によれば古志長尾房景の娘で永禄年中に亡くなってる。
過去名簿の為景の妻天甫喜清は天文年中に死亡とされてたから、この二人は明らかに別人。
少なくとも為景には二人の妻がいたと推定される。
過去名簿には為景妻(天甫のことだと思う)の御腹様(母親)は、上条様上杉様の妻とされていたと思う。

956人間七七四年:2012/03/08(木) 23:27:36.23 ID:CAxByioi
謙信と仙桃院が同母姉弟という思い込みが強すぎるんだよなあ
同母兄弟はは長尾政景夫妻図に戒名載ってる分だけだろう
957人間七七四年:2012/03/08(木) 23:32:47.78 ID:uSOdAWOV
ほほう
958人間七七四年:2012/03/09(金) 01:07:04.43 ID:c/rBrPn+
>>954-955
ゴメンあったね。

乃至政彦『上杉謙信の夢と野望』(洋泉社 2011)p73
上条上杉家は守護職を輩出する家柄だったが、景虎の母虎御前は上田長尾顕吉の
娘で、「上条入道」を称した顕吉の正室は上条氏の出身だった。景虎の母の母、
つまり祖母は上条上杉家の血筋であり、景虎も上条上杉氏の血を引いていた。

「『上条入道』を称した顕吉」というのは越後過去名簿に拠るのだろうが、
「顕吉の正室は上条氏の出身だった」の典拠は何だろう?

越後過去名簿によると
○春円慶芳(長尾顕吉室、虎御前の母か?)は「永正十一 五月三日上杉トノ上条殿上」
○朴峯永浮庵主(長尾顕吉か?)は「上杉入道 天文四 十月七日」
とあるようで。

今福匡氏は、長尾顕吉の孫にあたる長尾景信が上条上杉十郎家(上条上杉家の庶流)の
名跡を継いだため、顕吉が「上条入道」と呼ばれた可能性を挙げているね。

今福匡『上杉景虎:謙信後継を狙った反主流派の盟主』(宮帯出版社、2011)p174
つまり、謙信の母青厳院の父母は、上条入道と呼ばれた長尾肥前守顕吉、および
「上条殿上」である春円慶芳なる女性ということになる。おそらくは上条上杉家の
庶流上杉十郎家の名跡を長尾景信が継承したことによって、景信の祖父長尾顕吉は
「上条入道」と呼ばれる立場となった。そして顕吉の女婿となった長尾為景も
府内政権確立後に、「上杉弾正少弼」を自称したのであろう。その結果、顕吉の娘
(長尾為景室)も「上杉弾正少弼御新蔵」と表記されたのではないだろうか。

これによると「(謙信も)景虎も上条上杉氏の血を引いていた」というのは当たらないね。
蓋然性はあるように思う。

「天甫喜清≠虎御前」説については考証している識者はいるのかな?
959人間七七四年:2012/03/09(金) 01:13:19.75 ID:c/rBrPn+
× これによると「(謙信も)景虎も上条上杉氏の血を引いていた」というのは当たらないね。
○ これによると「謙信も景勝も上条上杉氏の血を引いていた」というのは当たらないね。
960人間七七四年:2012/03/09(金) 01:30:02.62 ID:tST0kMxD
遡って姓が変わるってのはどうなんかなあ
それも過去帖が
961人間七七四年:2012/03/09(金) 08:22:12.80 ID:9u4TBcdx
笑わない男
962人間七七四年:2012/03/09(金) 10:00:27.11 ID:EostAmHM
長尾顕吉を朴峯永浮庵主とするからおかしくなるんじゃないか
確かに出版された御年譜に載ってた系図の顕吉の法名はそうなってたけど
しかしその系図は長尾輔景の父にしていて、時代もめちゃくちゃ
史実の長尾顕吉は房長の前の上田長尾当主としての活躍が一次史料から確認される
上条氏を名乗った形跡など全くない
ましてや為景が上杉弾正少弼を名乗ったなんて、信じられない
過去名簿には為景は長尾トノとはっきり書かれてる
系図は作成者の意志により、いかようにでも作り上げることができる
しかし、故人の供養を目的にした過去帳や過去名簿には隠されていた真実が発見されることが多い
特に戦国期の高野山の過去帳は史料性を高く評価されてるよ
963人間七七四年:2012/03/10(土) 00:26:42.57 ID:1IRKUGjR
長尾顕吉=朴峯 っていうのはおかしいよね
964人間七七四年:2012/03/10(土) 12:00:12.42 ID:4vlFWD3b
単純に時代が下るにつれて,誤って二人の女性を一人にしちまったんじゃないか。
あと考えられるのは、御年譜や謙信公御書集の編纂が始まったのは綱憲の時代だろ。
綱憲時代は石高が半分にされ、他家(血縁だけど)から養子を迎えるなど、上杉家最大の危機だったらしい。
その危機を、謙信への崇拝で家中をまとめて乗り越えようとしたらしい。
年譜の編纂もその中で始められたとされてるから、意図的に謙信が側室の子であることが隠された可能性もある。
965人間七七四年:2012/03/10(土) 19:42:04.38 ID:v0T6G9or
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
966人間七七四年:2012/03/17(土) 22:43:10.75 ID:gXPvju6e
保守
967人間七七四年:2012/03/19(月) 09:27:45.38 ID:Oi1Lliy4
聞きかじった話だが、明治初年ぐらい(?)まで、越後国内の
長尾さんは、ふつーに敬称付きで様と呼ばれたらしいが
・・・
家が守護代につながらん人だって相当数含まれたんじゃネーノ?
なにせ、上杉と比べると希少価値のない苗字だから。
 (いちおう断っておくと、アンチ長尾上杉ではないよ。しかし戦国以降の上杉系図はスゲーわ。)
968人間七七四年:2012/03/19(月) 13:51:21.69 ID:gYgSyqUM
>>958
今福説はおかしい
969人間七七四年:2012/03/25(日) 22:03:58.46 ID:KQPzoVKg
要するに、後世における行き過ぎた謙信崇拝が、仙洞院の生母を改竄してしまったということ?
970人間七七四年:2012/04/01(日) 10:55:29.29 ID:+PinCJ58
女性の記録は残りにくいからな
為景の母だって長尾家側の記録じゃなく、高梨氏の系図にあるだけだし
971人間七七四年:2012/04/07(土) 23:12:14.27 ID:zqLaVyX4
長尾氏の系図は特に、生母を書かない仕様w
972人間七七四年:2012/04/15(日) 00:31:54.92 ID:n714du2a
せやな!
973人間七七四年:2012/05/12(土) 19:09:08.23 ID:RCUO9sKM
北条軍は扇谷上杉軍の籠る深大寺城をパスして河越城を直接攻撃したとか。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html
974人間七七四年:2012/05/13(日) 15:15:44.78 ID:l2vI7j9l
景勝「>>999 …………」
975人間七七四年:2012/05/17(木) 09:48:06.72 ID:KXXCcqrZ
GWに米沢に行って、ここで推奨されてる上杉博物館の景勝本を買ってきた
書状のやり取りとか見て、目から鱗と言うかもっと景勝のことが好きになったわ
周囲の状況に凄く目を配っているし、気遣いの人なイメージ
狩野宛の書状や定勝とのやり取りは心が和むし
知れば知るほど流布してるイメージとは違う顔が見えて面白い人だ
976人間七七四年:2012/05/19(土) 13:33:18.07 ID:WazUNMvr
伊東潤「北天蒼星 上杉三郎景虎血戦録」 ってのを読んでみた。


中身は、謙信を暗殺して上田長尾一族の繁栄をはかる卑怯で臆病な景勝兼続と、
関東信州越後の平和を願う英雄的な景虎ってのだった。

こんな内容でも、あの天地人よりは真っ当に小説として読めるから困ったもんだねw

977人間七七四年:2012/05/19(土) 23:24:12.31 ID:VvVuTibn
景勝オタ顔真っ赤wwwってやつか
978人間七七四年:2012/05/20(日) 02:51:04.89 ID:9PHJ+6gl
>>976
あれよりは近衛の「上杉三郎景虎」の景勝のほうがまっとうな扱いだったよw
979人間七七四年:2012/05/22(火) 13:02:50.10 ID:nrMeQwJe
伊藤潤が乃至政彦に書かせた「関東戦国史と御館の乱」では、景勝の扱いはまあそんなもんかってとこだが・・・
これを元に書いてみたって伊藤は、景勝憎しとしか思えないしな。

花ヶ崎影響下の連中でもここまで酷くないw
980人間七七四年:2012/05/22(火) 17:34:45.94 ID:ubvU23lg
上杉景虎VS長尾景勝

どうみても景虎が正統後継者だと思うんだけど。
景勝側のクーデターだよね。
北条嫌いの景勝が秀吉に「景勝さんが北条嫌いなら秀吉も北条と絶交する」と誓詞付同盟組んだから後に北条もほろんだのだけど。
981人間七七四年:2012/05/22(火) 17:55:33.61 ID:XY2nGhQC
話題振りもいいけど、いささかその煽りも飽きた。
982人間七七四年:2012/05/22(火) 18:40:02.18 ID:UsDrJJe4
羽柴秀吉への臣従を素早く決断した聡明さにより、北条氏政の愚劣さが際立つ
983人間七七四年:2012/05/22(火) 19:51:41.34 ID:INvebeF5
>>976
しかしかの天地人を書いた奴もアンチ景勝ないし景勝蔑視という点において
同じ穴のムジナという(ry

>>979
上杉関連の史学・歴史家界がアンチ景勝ないし景勝蔑視者でないと
弾かれる現況が続く限り、
景勝の評価がまともと言える領域になることはないかもな。
984人間七七四年:2012/05/22(火) 20:14:15.99 ID:XY2nGhQC
いつの時代の話を・・・最近は本読んでないのか
985人間七七四年:2012/05/23(水) 01:28:49.71 ID:eApMh5NG
>>983
被害妄想乙。
986人間七七四年:2012/05/23(水) 01:51:16.42 ID:7jBIUmbg
景勝アンチの方は
「上杉景勝のここがいけない」
「何故上杉景勝はいわゆるいらない子なのか」
「上杉景勝の存在自体が大罪である理由」
を参考書籍名および著者名を添付の上、
詳細にお答えください
987人間七七四年:2012/05/23(水) 09:39:57.87 ID:PYTeMODQ
>>983
そもそも火浦は花ヶ崎門下(つか資料貰ってる)じゃんか
988人間七七四年:2012/05/23(水) 11:15:28.68 ID:mcM+HJ4c
仙桃院は義景に酷いことしたよね酷い事をしたよね(´・ω・`)
989人間七七四年:2012/05/23(水) 16:46:52.22 ID:Gy07/FG3
なにしたの?
990人間七七四年
そういえばどこに消えたんだ義景
つーかそもそも誰?