戦国ちょっと悪い話6

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1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話5
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1231113276/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233164778/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/01/29(木) 18:27:16 ID:/zP7K6OS
スレ立て乙!
3人間七七四年:2009/01/29(木) 18:45:24 ID:klIU0rtn
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 具なし
4人間七七四年:2009/01/29(木) 18:48:59 ID:6KkbQzdL
>>1乙!

>>3
直家公…ッ!
5人間七七四年:2009/01/29(木) 19:04:07 ID:umzgasu+
>>1
>>3
鮭は渡さん!!絶対に渡さんぞ!!
6人間七七四年:2009/01/29(木) 19:11:43 ID:o04JYybj
>>3
吉川元春と最上義光が壮絶な鮭おにぎり争いをしているようです
7人間七七四年:2009/01/29(木) 19:17:04 ID:pwfv4Mgl
家康公が天むすでおいたつきになられたようです
8人間七七四年:2009/01/29(木) 19:19:29 ID:SEJW+huq
鮭は渡さないクマー!
9人間七七四年:2009/01/29(木) 19:26:21 ID:JJxk1M8a
鮭の人気に嫉妬
10人間七七四年:2009/01/29(木) 19:28:17 ID:6KkbQzdL
>>3
軍神「もっとしょっぱい梅干ないっすかね?あと酒。」
11人間七七四年:2009/01/29(木) 19:30:41 ID:r1cGgupl
>>8隆信さん落ち着いて・・・ 鍋島少年のリモコンはまだですかtッッ!?
12人間七七四年:2009/01/29(木) 20:17:28 ID:PRiJz33Z
>>1乙です!
13人間七七四年:2009/01/29(木) 21:07:37 ID:WGq6jhXg
>>3
わかめがない
しょうがないから鮭マヨをもらいます 
14人間七七四年:2009/01/29(木) 21:36:47 ID:xd3vh/0B
>>1
流石の俺もこれは乙だわ
15人間七七四年:2009/01/29(木) 21:37:47 ID:CMXWp/dB
>>1
16人間七七四年:2009/01/29(木) 21:45:09 ID:stlkFHcx
>>1は乙だから仕方がない
17人間七七四年:2009/01/30(金) 00:29:10 ID:V1DMhlwi
>>3
皆さん、一緒にこのお茶もどうぞ
18人間七七四年:2009/01/30(金) 00:35:38 ID:6zT2+D/U
>>1

>>17
頂きますよ、直家さん
19人間七七四年:2009/01/30(金) 07:45:29 ID:0PFF+Y0y
前スレの米と落城の話とやや違う話が伊豆の蔭山氏にあるんだが文才無いから誰か書いてくれないか?
概要は早雲が河津の蔭山氏居城に火をつける→テンパった蔭山氏が水の代わりに米をぶちまける→結局降伏開城
で、今でも城跡の土を軽く掘ると焦げた米が出てくるらしいんだが。
20人間七七四年:2009/01/30(金) 08:32:10 ID:Y5ltAS3J
ひどい1000だったなw

999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/30(金) 08:08:17 ID:1WG9Enm1
>>999なら>>1000は死ぬまで信玄と義隆に掘られ続ける

1000 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/30(金) 08:30:03 ID:m9lituh/
オッスオッス望むところだぜ!
21人間七七四年:2009/01/30(金) 09:51:28 ID:J0QtEMR+
当スレのエンディングがカオスなのはよくある事
22人間七七四年:2009/01/30(金) 10:32:46 ID:Y5ltAS3J
では、最近人気上昇中、大内義隆公のお話


大内義隆は学問や詩歌の良く出来る者、行儀の良いもの、そして美形のものに多く知行を与えた。
逆に武勇の者には立身の機会がなく、それを恨みに思うものが多かった。

戦の役にも立たない連中ばかりが取り立てられることを苦々しく思っていた家老の陶隆房は、
書状をもって義隆をいさめた。その書状に言う、

『およそ、武士が主君に奉公する場合、八つの役があると言います。
一に使役、二に番役、三に供役、四に賄役、五に普請役、六に頭役、七に奉行役、
そして八に軍陣役。

この八つを良く勤め、そして優れた人間に、的確に恩賞を与える事こそ大将たる者の
器量というものです。

さて、この内七つの勤めの良し悪しを判断するのは、ごく簡単な事です。
八つ目の軍陣役は、本音では惜しいはずの命を捨て、敵を退け国を守る最も大切な役です。
それを良く成す者は、まさしく忠義の者であり、武家においては秘蔵すべきと言うほどの
大切な人材であるのに、そう言う人々を無視し、だた美しく風流な人々ばかりに大きな所領を
与えるのは、武勇、智謀ある家臣たちの恨みを買うばかりではありませんか?

一大事が起こった時、後悔しないよう、どうかお考えください。』

これを読んだ義隆は大いに怒った。

「世が乱れた時には武を用い、世が治まる時は文を用いる。これが聖人の道ではないか!
それに武官を重用せよというのは、かえって乱を起こす元であり、こんな事を言い出す人間は
痴者と呼ぶべきだ!」

このように隆房を侮辱した。

やがてそれを聞いた隆房は激怒し、謀反を起こす。その時武勇のものたちの多くは、
かねてより義隆に恨みを持っていたので隆房の味方をし、義隆の周りにいた、詩文を作っていた
歌詠みたちは、一戦も交えることなく皆逃げつくした。

結局、義隆はまともな抵抗も出来ず、陶に国を取られてしまった。

平時に武を捨て驕れば、大事が起こった時防げなくなる。戦いを忘れた時は必ず危うい、と古人が
おっしゃったのは、まさにこの事であろう。
23人間七七四年:2009/01/30(金) 11:28:38 ID:ffqXLDQI
義隆時代を読み誤りすぎw
世が乱れてる時に武官を重用しないなんて

滅ぼしてくれと言わんばかりだな
24人間七七四年:2009/01/30(金) 11:33:17 ID:zfQEBMm5
陶さんの評価って難しいよな
個人的には好きだけど
25人間七七四年:2009/01/30(金) 11:40:00 ID:ZHmGe2QW
鬼武蔵「そこのあなた!いますぐお見積もりを。 お電話は百段百段」
26人間七七四年:2009/01/30(金) 11:45:34 ID:Zau4AQ7q
>>24
主家を滅ぼした上に衰亡だから、良くは言われないわな。
内藤とかの宿老はなにやってたんだか。
27人間七七四年:2009/01/30(金) 11:54:25 ID:WPDx/WQO
養子を溺愛する


大内義隆は男子がいなかったため、一条房冬の息子で姉の子にあたる恒持を養子とした。
義隆はその養子のために、将軍・足利義晴から「晴」の偏諱を受け「大内晴持」に改名させた。
晴持は大内家跡継ぎとされていたが、初陣の月山富田城攻めで大内軍が大敗をしてしまった為、
晴持は海路から撤退をした。
しかし、晴持の乗っている小船に多数の兵が助けを求めて来た為に小船は沈み、甲冑を着ていた
晴持は溺死してしまった。一説には一旦は蘇生するも間もなく死んだとある。

義隆は初陣で死んだこの世継の死に悲嘆し、晴持を供養する時に足利義晴に頼み今度は「義」の字
を与え「大内義房」として供養した。
死んだ養子に将軍の偏諱を与えたのである。

そして、晴持の死に堪えた義隆は政治を評定衆と呼ばれる家臣団に委ね大内家は次第に衰退してしまう。
晴持の死は義隆の人間性を変えその後の大内家の命運を大きく変えてしまったのである。
28人間七七四年:2009/01/30(金) 12:00:06 ID:ffqXLDQI
>>25
|
|   チラッ
|ヾ∧  
|・ \  
|丶._)
| /   
|/
|
|
29人間七七四年:2009/01/30(金) 12:02:04 ID:ffqXLDQI
>>27
なんというタイタニック
30人間七七四年:2009/01/30(金) 12:05:01 ID:CIIuermJ
義隆は守護大名からの体制転換に失敗した好例だろうなあ
権力強化には取り組んだが、側近政治に堕して家中の対立を激化させてしまったし…
本人のアイデンティティは「守護」だしなあ。在京守護の真似事始めちゃったりして
31人間七七四年:2009/01/30(金) 12:06:02 ID:1WG9Enm1
月山富田城責めを失敗するまでは、北九州を制圧するなど中々いい大名っぷりだったんだけどな
期待をかけていた跡継ぎを亡くして親が腑抜けてしまうのはよくあることだが、
義隆はそれが半端ない
32人間七七四年:2009/01/30(金) 12:08:20 ID:Y5ltAS3J
大内義隆の頃の大内氏勢力圏
http://bunkazai.ysn21.jp/images/image/omap8.gif

まさに西日本王
33人間七七四年:2009/01/30(金) 12:23:15 ID:FhQGK4bL
長宗我部 島津 毛利 尼子 大内

西日本四天王だ!!
34人間七七四年:2009/01/30(金) 12:27:34 ID:8L5qkfnR
山名 相良 一条 西園寺 河野

西日本四天王は俺たちだ!
35人間七七四年:2009/01/30(金) 12:32:14 ID:IAYl7oaE
>>30
失敗したと言うよりも変える気があんま無いはず。復古主義だし
36人間七七四年:2009/01/30(金) 12:32:40 ID:JmdK0XNg
>>33-34
五家もいたら四天王じゃないぞ。
とりあえずそれぞれ一家ずつ改易ね。
37人間七七四年:2009/01/30(金) 12:39:30 ID:EML0uLfA
>>36
貴様、竜造寺四天王をバカにする気か!
38人間七七四年:2009/01/30(金) 12:43:38 ID:BDekAYaA
一時旋風した大友は…
39人間七七四年:2009/01/30(金) 12:46:43 ID:VbwQ5yrx
>>38
弟?イラネ家宝寄越せ家宝
家臣の嫁?とっとと寄越せ寄越せ
仏?焼いとけそんなもん
妻?俺は居ない!留守だと伝えろ!!
40人間七七四年:2009/01/30(金) 13:40:17 ID:WNPffDGg
teru元とsourinは2大ヘタレということでこのスレ的にはファイナルアンサー?

偶然だけど博多を巡って争ってますねこの2人・・・
(teruの方は本人は御神輿で実質おじさん2人が主力だけど)
41人間七七四年:2009/01/30(金) 14:19:05 ID:BdQsR4+d
>>40
福島正則「貴様“DQN四天王”に亜ぐといわれた俺様を怒らせたいようだな……」


でも最後にヘタレる市松さん
42人間七七四年:2009/01/30(金) 15:27:00 ID:WPDx/WQO
花押

秀吉の朝鮮出兵に際して、在韓の諸将が連署して秀吉に報告書を提出することに
なった。
福島正則はサラサラと花押をしたためたが、加藤清正は丁寧に花押をしたためた
ため時間がかかった。

正則はそんな清正を見て嘲笑った。
「虎之助は花押書くのがテラ遅いな!そんなんじゃ遺言状を書くのに時間がかか
りすぎて、書き終わるまえに死んじまうぞwww」

清正は正則にこう言い返した。
「わしは市松と違い、戦場で死ぬことを本望としている。太平楽に布団の上で死
にたいとは思わないな。戦場で屍を曝すのに遺言状など必要あろうか。」

「そ、そら、虎之助の言う通りだけどよう…」
(名将言行録)

またヘタれてしまいました。
43人間七七四年:2009/01/30(金) 15:40:34 ID:89uC2znc
>>1000を見て思い出したが、


宇喜多秀家はマギー審司とクリソツである。
44人間七七四年:2009/01/30(金) 15:58:55 ID:fmelAKnF
>42

「・・・」
ショボーン(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)←他の七本槍の方々
45人間七七四年:2009/01/30(金) 16:49:05 ID:pcAVUYEu
クロカンJrのお話でも

ある日、暇をもてあました長政たんが鷹狩に出かけると…
道端に百姓が刀を腰にさしてうずくまってるのを見かけた

百勝の分際で帯刀しているのを不審に思った長政たんが馬廻りの近習に理由を聞かせると、
その百姓は「この二、三夜続けて夢のお告げがありました。この先祖代々相伝の刀を殿様に献上するようお告げがありました。と、いうわけでよろしくお願いします。」
とかしこまって答えた。

近習が長政にこれを報告すると、長政たんは大いに喜んだ。

その百姓を召し出して、
「本当に不思議だにゃー。わしも昨夜に同じ夢を見たんだにゃ。献上された刀で、持ってきた奴の首を刎ねよ、とのお告げだったんだにゃ。
まさしく君の夢と合致しておるにゃ。天よりの指図つーことでそのとおりにするにゃ。恨むんじゃないにゃ。」

と、答えざま、近習達に捕らえさせて、その男から献上された刀で首をたたっ斬った。


46人間七七四年:2009/01/30(金) 16:50:03 ID:bCutkXgV
>>26
さて、陶晴賢に追いつめられた義隆公。
そこで頼ろうとしたのが、長門守護代を務める家中の重鎮・内藤興盛。
内藤氏は義隆の母方にあたり、毛利隆元に嫁いだ義隆の養女・尾崎局は
この興盛の娘にあたる人。また、義隆と同じく、文人としても優れていた。

義隆は興盛に助けを求めますが、興盛曰く
「今更遅い。殿に置かれましては、そうそうに腹を召されるがよかろう!」
と拒否。結局義隆は自害に追い込まれてしまう。

ちなみに、この興盛だけでなく、普段陶晴賢と対立していた杉重矩ですら、
ここでは陶晴賢に合力しているので、この時の大内家中の雰囲気が
相当なものであったことが窺える。
47人間七七四年:2009/01/30(金) 17:08:32 ID:j+9IESkl
占いに心酔して色々無茶してたのが
災いとなってしまったのねん
48人間七七四年:2009/01/30(金) 17:12:01 ID:fmelAKnF
>47
   ・・衆道もね
49人間七七四年:2009/01/30(金) 17:17:11 ID:Ww7mfOne
>>45
これは刀狩りの一環と読むべきなのか・・長政さんッパネェっす!って読むべきなのか
50人間七七四年:2009/01/30(金) 18:09:15 ID:j+9IESkl
>>48
衆道は奇人もとい貴人の嗜みキリッ!(`・ω・´)
51人間七七四年:2009/01/30(金) 18:18:25 ID:dAi7PLlt
>>45
理不尽すぎるwww
52人間七七四年:2009/01/30(金) 18:18:56 ID:7Lln83XV
>>50
ラスボス「ほほう…それはワシは貴い人間ではないという誹謗じゃな?」
53人間七七四年:2009/01/30(金) 19:21:48 ID:pcAVUYEu
>>47
>>49
>>51

すまん、もうちょっと調べてみたんだが…

この男は刺客だった…"らしい"

決して、刀の褒美を取らせるのが惜しかったわけではry

54人間七七四年:2009/01/30(金) 19:30:45 ID:naGKHdbL
どうせ細川が放ったんだろう。
55人間七七四年:2009/01/30(金) 19:32:58 ID:dquBRYne
王義之の書を切断し、天目茶碗をたたき割った
文化財クラッシャーとしても名高い政宗。今度のターゲットはあの名刀だ


ある日江戸城内で登城した大名たちが刀剣談義に花を咲かせていた
当然話題は腰の脇差の話になり、みなそれぞれに自分の差料を自慢し始めた

さて政宗の番になり、いざ口を開こうとした矢先
かねてから政宗と仲の悪かった加藤嘉明が横やりをいれた

「伊達殿の差料はさだめし正宗でござろうなwww」


オヤジギャグである。


この寒い冗談に政宗

( ●Д゚)ハァ?ナニイッテンダコイツ?

 (そんなモン普段差しにしてる訳ねーだろ!
  …しかし否定するのも正宗を持ってないと思われそうでシャクだし…)


( ●Д゚)「い、いかにも正宗だゴルァ!スゲェだろ!」

嘘をついてしまった


幸い嘉明が「ならば拝見…」と言ってくることは無かったが
内心ビクビクさせられた政宗、どうにも腹の虫がおさまらない
自邸に帰るとすぐさま側近の茂庭周防を呼びつけて命じた

( ●Д゚)「おい!正宗の脇差もってこい!」

茂庭「は、恐れながら脇差はございません…しかし正宗の太刀ならばございます」

( ●Д゚)「じゃそれでいい、ブッタ切って短くしろ」

茂庭「…は?」

( ●Д゚)「磨り上げて脇差に直せってんだよ、とっととやれゴルァ!」

茂庭「そんな無茶な…」

( ●Д゚)「うるせー!64万石の大大名がウソをつけるかー!」


このワガママによってついに正宗は磨り上げられてしまった
満足した政宗はこの脇差に『伊勢物語』の古歌

くらべし来し振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき

から「振分髪正宗」と名づけ、長く愛蔵したということである。


( ●∀゚)「俺ならずして誰があぐべきwww
      正宗磨り上げるなら俺しかいないっしょ♪」
56人間七七四年:2009/01/30(金) 19:39:11 ID:A53KyA+N
いくつになっても子供みたいなヤツだなぁw
57人間七七四年:2009/01/30(金) 19:40:11 ID:jTq35hwd
現在に正宗の脇差しか残ってないのは
そう言う理由だったのか・・・
58人間七七四年:2009/01/30(金) 19:45:56 ID:+rjsi320
>>46
陶はクーデターは起したが、やったのは「押し込め」であって「下克上」ではないんだよなあ
59人間七七四年:2009/01/30(金) 19:46:39 ID:qzOY+os9
>>54
忠興 「わしがそんなことするわけ無かろう」
忠恒 「ですよねー」
60人間七七四年:2009/01/30(金) 19:54:29 ID:C+qOQxgg
忠興、自分の息子には腹切らせたが。
61人間七七四年:2009/01/30(金) 20:11:13 ID:dquBRYne
>>55
ちなみにこの振分髪正宗、明治時代になってから鑑定したところ
正宗とは名ばかりの真っ赤な偽物だったということです
良いのか悪いのか分からない話ですね
62人間七七四年:2009/01/30(金) 20:31:25 ID:0PFF+Y0y
>>61
wwwwww
63人間七七四年:2009/01/30(金) 20:32:49 ID:Ww7mfOne
そういえば、伊達家家老の筋の人が、太刀を切り詰めた脇差を持ってるという話
殿様からの下されものを、GHQの没収を免れるために、泣く泣く切ったらしい・・
64人間七七四年:2009/01/30(金) 20:45:34 ID:vwpiWKiw
茂庭さん、主君の気まぐれに振り回されて過労になりそうな
人生だったけど本人含めて長寿な家系なんだよね。
親父さんは73歳戦死で早死とか言われるほどに。
65人間七七四年:2009/01/30(金) 21:01:53 ID:IL69i8mZ
戦国大名みんなが勝手に名乗ったり金で買ったりした「官位」
当然官位にも人気不人気がある訳で、みんなが欲しがる官位があった

その一つが「左京大夫」という官
本来は室町幕府の中でも四織家にしか与えられない格式の高い官位。そこら辺の田舎大名には手の届かない高嶺の花だったそうな

ところが・・・

金の力にモノを言わせ、大金積んで無理矢理ゲットしちゃったのがまず大内義興
それを聞いて各地の大名みなビックリ。あいつ四職家じゃないのにカネ払えば貰えるのかよ?と
そこで、アイツが貰えるならオレでもゲット出来るかな?と遠路はるばるやってきたのが伊達稙宗
守護ですら無いのにあっさりゲットだぜ! ・・・朝廷の財政状況がいかに逼迫してたのかが伺える

伊達なんかにくれるならオレにもくれよ!と北条氏綱と武田信虎にも催促されまたもやゲット
その後はどこの馬の骨かも分からん田舎大名にも乱発され、すっかり左京大夫の価値は下がってしまったとさ

■左京大夫に任じられた事のある人たち
大内義興・伊達稙宗・武田信虎・北条氏綱・大内義隆・六角義賢・赤松政村
岩城重隆・大宝寺晴時・結城晴広・大崎義直・大内義長・伊達晴宗・北条氏康
斎藤義竜・三好義継・徳川家康

大宝寺晴時なんて国人レベルなのに貰ってるし
66人間七七四年:2009/01/30(金) 21:14:18 ID:sIP6jXrB
>>65
伊達稙宗は
「公家連中にもカネばらまかなきゃいけないし面倒くさいわ〜
うちは京から遠いから、宅配で届けてくれるとかしてくれればいいのに」
って言ったんだっけ
67人間七七四年:2009/01/30(金) 21:15:04 ID:pn6mzPRa
>>61
そういえば正宗って不在論があったよね
恩賞に困った太閤が目利きの専門家である本阿弥家と組んで…という話
68人間七七四年:2009/01/30(金) 21:19:18 ID:+/vaX38H
>>66
ピザ頼むのとは訳が違うのにw
69人間七七四年:2009/01/30(金) 21:20:00 ID:dAi7PLlt
>>65
義興様ならしょうがない
70人間七七四年:2009/01/30(金) 21:33:12 ID:pcAVUYEu
>>68
30分以内に官位持ってこないと代金は払わないってかw
71人間七七四年:2009/01/30(金) 22:53:20 ID:pcAVUYEu
>>63
佐竹義宣「せっかくの名刀を短くするなんてもったいないなぁ」
72人間七七四年:2009/01/30(金) 22:54:36 ID:C+qOQxgg
琉球守はいいなあ
73人間七七四年:2009/01/30(金) 23:18:01 ID:RGCbDxqv
もっと調子に乗って朝鮮守とか名乗る奴がい
荒山徹が大喜びでネタにしてくれただろうに
74人間七七四年:2009/01/31(土) 00:07:06 ID:NUe8zlAQ
信玄のくじびき

甲斐にある二つの寺院の二人の住持に、信玄のために諏訪神社へ代参し
その場でクジをひいてきてほしいと頼んだ信玄。
だが両者ともに別々の結果をひいてしまう。これに焦った信玄、自ら筆をとった


「今回のクジの事ですが、お二人の結果が不一致だったということに不吉なものを感じ
恐怖を覚えております。ですので・・・もう一回ひいてきてください!
お二人に大変なお手数をおかけすることになり
心苦しいのですが、このことどうしてもお願いしたく
右筆に頼まず、こうして自筆を染めてみました。
いいですか?他事を忘れて、よ〜くお祈りをしてから今度こそ 絶 対 に お二人揃って
信玄大勝利!なクジをひいてきてください。ほんとお願いします。」



信玄さんのくじ運が悪いおはなし(自分でひいてないけど)。
信玄は謙信と違って筆不精で
そんなに多くの自筆文書は残されて無いけど
これは有名な高坂昌信に宛てた浮気弁明の手紙とならんで
間違いなく信玄直筆の文書だとされているものです

なお、再度依頼したクジの結果は・・・不明。
75人間七七四年:2009/01/31(土) 00:24:38 ID:wQZxebmi
>>74
くじの結果は士気に関わるからなぁ・・・
せめて二人ともはずれなら「自分で運を切り開けばいい!」とか言えるのに。
76人間七七四年:2009/01/31(土) 00:25:41 ID:ZhB9FyLJ
>>74
おみくじで失敗したみたいだなw ちょっとかわいいw
77人間七七四年:2009/01/31(土) 00:26:47 ID:IoC9IFvQ
今でもいいのが出るまでおみくじ引く人っているよねw
78人間七七四年:2009/01/31(土) 00:30:50 ID:YCWg+uRn
信玄はくじ運が悪くて挫けたんだなぁ
79人間七七四年:2009/01/31(土) 00:32:45 ID:2LvhPHmE
>>74
萌えるw 
80人間七七四年:2009/01/31(土) 00:38:03 ID:+q4LJqWb
鳩を撃ち殺したのと同一人物とは思えんなあ
81人間七七四年:2009/01/31(土) 00:39:18 ID:2LvhPHmE
ツンデレなんだよ
82人間七七四年:2009/01/31(土) 00:40:53 ID:DYEt8iM4
これは戦吉兆占針盤(いくさきっちょうせんしんばん)といってな……

戦の命運を占うために使われたもんだ

戦国時代希代の名将とうたわれた武田信玄が中国の霊占をヒントに考えだしたといわれている

見てのとおり99の勝利ばかりで
死というのはひとつしかない

民明書房刊「戦国武将考察」
83人間七七四年:2009/01/31(土) 01:13:40 ID:NUe8zlAQ
信玄の現存する直筆文書には他に「あの陣を置く場所は本当に安全か今一度確認を。
私が出馬するのはそれからにします」みたいな内容のが多い
>>74の文書の「恐怖〜」の部分は原文まま(恐怖せしめられ候)ですが
こういうの見ると豪胆というよりは臆病なくらい慎重な人だったのかなあと。
どちらも名将に必要な要素なんだろうけど。
84人間七七四年:2009/01/31(土) 01:20:42 ID:2LvhPHmE
出陣前に家臣が死なないように一人一人の名前呼びながら護摩をたいてお祈りしてるくらいだからなぁ
85人間七七四年:2009/01/31(土) 04:56:44 ID:zbbkPU5/
外国の誰かが「戦場の勇気の8割は慎重でいることである」と言ってたぞい
86人間七七四年:2009/01/31(土) 11:03:46 ID:ef+sJ6rX
>>74
一方鬼武蔵は蛇を投げつけた
87人間七七四年:2009/01/31(土) 11:26:45 ID:pWUtdutk
>>82
男塾か。そういえばそんなネタがあったなw
そんできっちり「死」引くの
88人間七七四年:2009/01/31(土) 11:42:14 ID:ZgYQGYq9
>>71
鬼義重「上杉謙信公より預かった武神の刀を、わざわさ擦りあげよって……っ!」
89人間七七四年:2009/01/31(土) 11:55:56 ID:EJ859meB
>>74
信玄って鳩撃ち殺したり、勝たせてくれたら所領寄進するって起請文だしたり
自分に似せた不動明王作らせたり・・・
都合が良いように宗教を利用する逸話が多いね
90人間七七四年:2009/01/31(土) 12:35:04 ID:mwNMzVzG
この間諏訪大社近くの史料館で信玄が上州箕輪城攻め前に神社に奉納した願文が
展示してあるのを見たけど、願をかけたからには10日足らずで攻め落とせるだろう、
そのときは更に寄進しますとあった。実際に箕輪城を落としたのはそれから1年半も
後だったけど。
91人間七七四年:2009/01/31(土) 14:43:15 ID:e3L7duTf
戦国グッズで腐女子を狙って儲けよう!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168522231/
92人間七七四年:2009/01/31(土) 17:21:09 ID:oAu8GGxH
>>90
諏訪の神様は信玄と違って欲深くないという話だな。
93人間七七四年:2009/01/31(土) 17:31:51 ID:O78oYWu7
細川忠興の居城、小倉城の話
最近、仕事で北九州に転勤になったんだけどこの街にある小倉城、なかなかみつからなかった
今日、やっとみつかったんだけど
みつからなかった理由はおそらく、現在小倉城の周囲を城より高い建物が囲っているから

再建された城とはいえ、存在感がイマイチなのは忠興の為せる技なのか…

追記:関東から転勤になったとはいえ小倉の街が微妙に感じるのもまた忠興の所為なのか…
94人間七七四年:2009/01/31(土) 17:32:42 ID:5Hyn5l+g
>>65
稙宗は陸奥守護職なんてものまでゲットしてるもんなぁ
95人間七七四年:2009/01/31(土) 18:02:04 ID:E0pJUa2u
>>93
北九州市は5市が合併してできた都市でだだっ広いし、
ある時期まで旧5市の中心地を均等に発展させようとしてたからね
96人間七七四年:2009/01/31(土) 19:41:29 ID:y2pSvHEY
97人間七七四年:2009/01/31(土) 20:00:59 ID:IoC9IFvQ
戦国の世では、口ばかり達者で戦わない者は、臆病者として憎まれた。
武田信玄が、信濃の国上田原で合戦をしたおりの事である。

多々良樋五左衛門と言う者が、この合戦での同僚たちの働きについて、あれこれと
悪し様に批評した。
それを聞いた信玄は日向大和守、内藤修理の両人に言って、書付を樋五左衛門に下した。
それに言う

「お前は三十七になるまで、一度の手柄も立てたと聞いた事がない。
それなのに諸朋輩の良し悪しを言い立て、人に腹を立たせること、
これは大悪党の所業と変わらない。よってこれを正す。」

と、樋五左衛門は絡め取られ、首を落とされたと言う。
98人間七七四年:2009/01/31(土) 20:25:32 ID:05xGLkaS
>>97
うわぁ、五座衛門に親近感を禁じ得ない自分が嫌だ・・・
99人間七七四年:2009/01/31(土) 20:28:10 ID:+q4LJqWb
つくづく平和な時代に生まれてよかったよな、おれたち(´・ω・`)
100人間七七四年:2009/01/31(土) 20:40:54 ID:AEudRIKo
ねらーは8割がた打ち首になるな・・
101人間七七四年:2009/01/31(土) 20:49:03 ID:7DCT0BHO
>>100
板住人は100%だ
102人間七七四年:2009/01/31(土) 20:56:22 ID:Y4YgcWzZ
金山送りとどっちがいいか悩むな・・
103人間七七四年:2009/01/31(土) 21:24:39 ID:LdqlEFAW
文治派の官僚として蛇蝎のように嫌われて市松にSATSUGAIされるくらいはやってみせる
104人間七七四年:2009/01/31(土) 21:54:06 ID:/G9dpznB
和泉日根野荘は前関白・九条政基の荘園だった
しかし日野根の東方は和泉守護・細川政久によって押領されてしまっていた

九「このままじゃ西方も取られちゃう・・・
  こうなったらワシ自ら日野根に乗り込んでやる!
  なんてったってワシは管領(細川政元)さんと親戚だもんね
  政久もビビッて手はださんだろ」

さっそく政基は日野根荘に下向して実行支配を始めた
当然、裁判は政基がやることになっていたのだが実際はそうでもなかった

例えばある日、ワラビ粉泥棒が巫女の子どもたちだと判明した
村人たちは母とその子三人を殺した
政基はことがすんだ後に一部始終を知ったのだった
これに対する政基のコメント

九「証人も残さずに母親まで殺すのは酷いでしょー
  まぁ盗んだほうが悪いんだけどさぁ・・・。ナンマンダブナンマンダブ」

後日、当時は不作だったためかまたワラビ粉泥棒が殺された
寡婦二人と青年と子ども数人だった
これに対する政基のコメント

九「不憫不憫、泥棒だからどうしようもない・・・」

このように政基の意向は反映されず
また政基が一度決めたことに村人が反対して妥協することもしばしばあった
政基はたいした支配もできずに下向から四年後に京に戻る
またこの四年の間に西方が細川に押領されることはなく
結局一番得したのは政基の権威を利用した村人たちだった
105人間七七四年:2009/01/31(土) 21:55:08 ID:2BkgI8gs
>>102
「きんざん」なのか森氏の所領の「かなやま」なのか
106人間七七四年:2009/01/31(土) 21:58:13 ID:IoC9IFvQ
>>105
どっちがいい?w
107人間七七四年:2009/01/31(土) 22:02:55 ID:IoC9IFvQ
>>104
「政基公旅引付」、面白いよね。戦国初期の地方の空気が、すごく見えてくる。
当時「足軽」って集団が、どれだけ社会の脅威だったのかが、アレを読むと良く分かる。
108人間七七四年:2009/01/31(土) 22:31:18 ID:LT8QrkMa
>>46
こうして義隆を自刃させると、晴賢は大友義鎮(宗麟)の弟を「大内義長」として
傀儡当主に据えて家中の実権を握るが、この体制はさほど長くは続かなかった。

まず前々から仲の悪かった杉重矩(豊前守護代)との対立が再び表面化。
晴賢は合戦の末に重矩を長門にて滅ぼすが、今度は石見で吉見正頼が挙兵。
これに呼応した毛利元就に散々翻弄されたあげく、安芸厳島でついに敗死したのはよく知られている通り。

さて晴賢の死後も大内義長は健在だったが家中をまとめきれず、毛利による急激な侵食に対処しきれずにいた。

そんな折、杉重輔が陶氏の富田若山城に突如攻め入り、晴賢の嫡男である陶長房らを討ち取ってしまった。
陶一族を滅ぼすことで父親の敵討ちと毛利との関係修復を同時に実現しようと図ったものだったが、
当然これは大内義長の関知していない勝手な独自行動であった。

この杉重輔の行動に怒ったのが陶長房の叔父にあたる内藤隆世(長門守護代)。
内部対立にうろたえる大内義長の仲介もどこ吹く風で両者はついに山口の町を舞台に市街戦に突入、
激戦の末ようやく内藤が勝利を収めた頃には栄華を極めた大内文化の中心地は焼け野原となってしまった。

毛利への恭順姿勢を示していた杉重輔の死は毛利元就の防長侵略にさらなる口実を与えてしまい、大内家中はますます動揺。
内藤氏においても毛利隆元の妻を姉に持つ内藤隆春が早々と大内を見限り、隆世ら大内派との分裂が発生してしまう。

ついに長門の西端にまで追い詰められた内藤隆世は大内義長の助命を条件に切腹するが、
義長の実兄である大友義鎮(宗麟)は大内氏秘蔵の茶器ばかりを所望し、弟の命にまるっきり興味を示さなかったので元就は約束をあっさり反故に。
西国の名門・大内氏はこんなグダグダな顛末で滅亡に追い込まれた。
109人間七七四年:2009/01/31(土) 22:55:05 ID:VeTYbYBv
>>108
なんか一連の流れが風が吹けば桶屋が儲かるみたいだなw
110人間七七四年:2009/01/31(土) 23:51:51 ID:AEudRIKo
>>55読んで記憶の底から甦ってきたやつを一つ。
まとめにはなかったが、ひょっとしていやってほど
超有名だったりしたらスマン。


>>55でもそうだが、どうもこの人にはその場の勢いで
色んなこと言っちゃって後から辻褄を合わせる性分だったようで。

ある時、江戸だか上方だかで他の武将と会食する機会があり、政宗が
メインディッシュの魚を食べていたところ、その膳を見たある武将(誰だか失念)が言った。

武「おや?おやおや?なんか裏の方も食べちゃってますけど? まさか
  いくら田舎から出てきてるからって、基本のテーブルマナー知らないとかwww
  超ウケルんですけどwwwww」

その魚は平目だか鰈だか、とにかく裏表のある魚で、表だけを食べて裏は残すのが
旬の上方(江戸)スタイルだったが、知らない政宗は何も考えずきれいに平らげてしまっていた。
しかし、こんな失敗で恥じ入ったり萎縮したりする政宗ではない。
逆に胸を張り、言い放った。

政「ハァ?この魚に裏とかwwwwwうわなに、マジホント裏あるしショボっwwwww
  あ、サーセンwww いやね、仙台じゃこの魚フツーに両側表だしぃ〜?
  別にマナーとか知らなくないけど、ついいつものクセっていうかぁー?」

失敗自体を強引になかった事にしようとする政宗。

武「両方表はないだろ、生物学的に考えて・・・」

そんな武将の突っ込みをものともせず、政宗は一歩も引かず、とうとう仙台へ
その武将を招いてご馳走することになった。仙台名物『両面が表の魚』を。


さて仙台に戻った政宗は、必死で両面が表の魚を捜し求めた。
もとい、
必死な政宗の叱咤激励により、仙台中の漁師さんが血眼で両面が表の魚を捜すハメになった。
だがそんな”両手が右手の男”みたいな魚そうそういるわけが・・・

漁師「とったどー!!!」

・・いた。
捜せばあるもので、会食から数ヵ月後、仙台の政宗の元を訪れた件の武将の目の前のお膳には、
見事に調理された両面が表の立派な畸形魚の姿が! 

それ結局食ったのか?と疑問が残る、悪いというかいつも通りの政宗の話。
ソースは小さい頃多分伊達政宗歴史館か何かで見た俺の記憶。色々間違ってたらゴメン。
111人間七七四年:2009/01/31(土) 23:56:04 ID:IoC9IFvQ
> 見事に調理された両面が表の立派な畸形魚の姿が!

腹抱えてワラタw
112人間七七四年:2009/02/01(日) 00:00:09 ID:MUtiDSPd
>110 w ww 
すごい、すごすぎるよ美食家DQN眼竜!!

俺たちにできないことを平然とやってのける、そこにシビれる憧れるゥゥゥー!
113人間七七四年:2009/02/01(日) 00:02:50 ID:Z3RV3Ruo
>>110
そんなめんどくさいことするより「裏だけ残すのは勿体無い」って素直に言っとけばいいのに。
114人間七七四年:2009/02/01(日) 00:12:29 ID:9aRq/q/j
まとめブログの管理人氏、こっちの書き込みもとりあげてやってくれ

【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
115人間七七四年:2009/02/01(日) 00:17:56 ID:C9FkvCee
>>113
政宗に何を求めているんだ
116人間七七四年:2009/02/01(日) 00:24:01 ID:KzVw0WRH
>>107
地方つっちゃってるけど、日根野は大阪ですよ。
117人間七七四年:2009/02/01(日) 00:35:52 ID:Z3RV3Ruo
>>116
京の都より外側は全て田舎でございます。
118人間七七四年:2009/02/01(日) 00:57:20 ID:NykaMYIW
>>104金山の場合(あくまでも一例)

天正10年(1582)6月、北信濃を預かる森長可のもとに、信長と弟たちの悲報が届いた。
大いに嘆き悲しんだ長可は、自領を捨て上方へ走り、主君らの仇を討とうとした。

驚いたのは、寄騎の国人たちである。
「出て行くのならば、我らから取った人質を返して下され!さもなくば、上洛させませぬ。」

もちろん、鬼武蔵がこんな抗議を聞くはずがない。
「お家の一大事に足元を見おって・・・かまわん、出立するぞ!」

一応、森家の臣・大塚次右衛門が、国人の代表・春日周防を説得してみた。
「お主の子、勝助は長可さまが烏帽子親となり、森姓まで授かっているではないか!
その恩を忘れて、長可さまに刃向かっても良いものか。」

しかし春日たちは納得せず蜂起。押し合いの末、松本で人質を解放することになり、
次右衛門のもとに春日の家臣が「勝助どのをお返し下され。」とやって来た。

人質解放の許可を求めに、主君の前に立った次右衛門に、長可は言った。
「勝助を、これへ連れて参れ。」

やって来た勝助に、鬼武蔵は声をかけた。
「わしはお前に森の姓を与えるほど目を掛けてやったのに、お前の親はわしを裏切った。
もうお前に人質の意味は無い、暇をとらせる。  こ  の  世  か  ら  な  。」

『人間無骨』が一閃した。 「これを、春日めに返してやれい。」

勝助について来たその乳母は、もはや物言わぬ勝助を見て、次右衛門にすがりついた。
「私もともに討ち取って下され。もはや生きて国へ帰る甲斐がありませぬぅぅぅ!!」

さすがの森家の面々も、哀れな乳母に同情したという。

森さん家に仕えるってのはこういうこと。
戦国の常識的行動も、鬼武蔵がやると悪い話になる ふしぎ!
119人間七七四年:2009/02/01(日) 00:59:14 ID:NykaMYIW
安価ミスった >>105だった・・・
でも三斎様なら許してくれるよね
120人間七七四年:2009/02/01(日) 01:01:13 ID:Xsbt0oel
>>118
いやいや、一旦人質解放で合意したのにそれを反故にして殺すのは、
戦国時代でも充分悪い事だぞw
121人間七七四年:2009/02/01(日) 01:07:41 ID:qiPNkYHo
信長が死んだということは
鬼武蔵を飼いならせる武将がいなくなったということだから一大事だよな。
122人間七七四年:2009/02/01(日) 01:20:30 ID:0EGIIm4t
>>110
初期の美味しんぼで、季節外れのアンキモを探し求める話を思い出した。

…アレよりさらに無茶なミッションを成功させた仙台の漁師さん、
本当にお疲れ様でした…。
123人間七七四年:2009/02/01(日) 02:12:08 ID:RIvzjvE9
>>121
鬼武蔵が死んだときの諸武将の喜びようは凄まじかったらしいからな
見方のはずの武将も含めてw
124人間七七四年:2009/02/01(日) 09:04:31 ID:9skC8ke1
      _______                     __
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
         ______________  __
         |鬼武蔵                 .| |検索|←をクリック!!
          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄
         ◎ウェブ全体  ○日本語のページ

警告 この鬼武蔵にアクセスするとコンピュータに損害を与える可能性がありますが、鬼武蔵だから仕方がない。
125人間七七四年:2009/02/01(日) 09:05:04 ID:MUtiDSPd
>108なんつーか、悲しい話だね。

大内の中国地方旧領を踏襲した毛利も同様に
「守護代、地つきの有力国人が強くて(名目上の)当主のいうこときかない」体制で行っちゃったんだよな…

元就が井上元兼一族をあらかた誅殺してもまだ
TERU元の関ヶ原前夜には一門の両川すら宗家と別々の対応してみたり。
126人間七七四年:2009/02/01(日) 10:05:11 ID:msAIbNW2
長可の信濃脱出は家康の伊賀超えより数倍困難。

行く先々で直接国人どもが襲い掛かってくるんだから。
127人間七七四年:2009/02/01(日) 10:22:11 ID:qhVgki0b
大友宗麟が大内家に弟を送りこむこと自体、傀儡であることは
わかっていたはず。
この時期の陶氏は、権謀術数におぼれすぎたよね。

大友宗麟は、弟を見殺しにしたわけだけど、肥後でガタガタやっていたし
家臣の反乱で援兵も出せない。
弟に船で豊後に戻るように説得したが、
兄への意地もあって死地にとどまってしまった。
128人間七七四年:2009/02/01(日) 10:39:33 ID:8Srzi8Ks
>>126
あっちは軍勢引き連れていますから
129人間七七四年:2009/02/01(日) 11:24:59 ID:Jvh/zw4P
>>108
大内滅亡後に、大友宗麟は義隆のいとこの大内輝弘を擁立して山口に侵攻させたんだよな。
もはや大内ブランドは通用せずに、毛利に敗退しちゃったけど。
130人間七七四年:2009/02/01(日) 11:34:01 ID:GBCzcqgE
>>129
そして大友ブランドの確立に必死杉て加判衆に怒られたりする

131人間七七四年:2009/02/01(日) 11:37:35 ID:FAGx535L
鬼武蔵を抑えられるはずの一番手の信長、二番手の信忠
両方死んじゃったからもう抑えようがなかったんだろな
132人間七七四年:2009/02/01(日) 11:58:34 ID:KmWaKuz7
>>131
ん、おさえてたっけか
133人間七七四年:2009/02/01(日) 12:00:37 ID:/OZBP73i
鬼武蔵の被害に憤る周りの人々を抑えてたじゃない
134人間七七四年:2009/02/01(日) 12:07:44 ID:yUd29gyl
>>118
春日って弾正の係累の人間か?
135人間七七四年:2009/02/01(日) 12:19:28 ID:msAIbNW2
鬼武蔵に信長は甘かったが忠政にも家康、秀忠は甘かった。

あれだけ外様取り潰しラッシュの中で江戸呼び出し常連の忠政の所領に手が付かなかったのは奇跡。
136人間七七四年:2009/02/01(日) 12:28:18 ID:Xsbt0oel
いや、取り潰されたところよりも、当然残った外様の方が圧倒的に多いのだがw

あと家康期は関ヶ原と大阪の陣関連くらいしか取り潰されていない。
秀忠、家光期に幕府権力の確立と共に取り潰しが増えるのだが、この取り潰しは
外様に限ったものではなく、譜代親藩も当然のように取り潰されている。

「幕府の取り潰しは恣意的に外様を狙い撃ちした」と言うのは、間違った、もしくは偏った
歴史観だと言っていい。大体において徳川幕府は、文字通り「公儀」として活動している。
ぶっちゃけ、江戸時代が「幕府vs外様」って構図だと言うのは、明治の徳川暗黒史観の残滓。
137人間七七四年:2009/02/01(日) 12:39:31 ID:qqS8evtl
「鬼武蔵」、「人質」ってワードだけで、話の流れが予想できるw
138人間七七四年:2009/02/01(日) 12:42:00 ID:1x0P79qh
まあおバカさんよりも反抗期のほうが手っ取り早く潰したいだろうし、
山陽道って毛利、福島と火種が並んで森、池田の防壁だしな。下手に
刺激はしたくなかろ。
139人間七七四年:2009/02/01(日) 12:44:21 ID:GUv29leh
>>93
大河ドラマで宮本武蔵やってたときに行った事あるがショボかったな、小倉城。
小倉の街も駅から歩いたけど新しいビルと煤けた物凄く古い建物とかでカオスだったわ…
140人間七七四年:2009/02/01(日) 12:51:19 ID:Xsbt0oel
そういえば熊本の加藤家が取り潰された時、毛利も熊本転封の有力候補に挙がっていたらしい。
141人間七七四年:2009/02/01(日) 12:57:04 ID:msAIbNW2
>>118
ちなみにこの春日周防の一族は忠政の川中島入りの際に全員磔にされましたとさ。

>>136
ほうほう
142人間七七四年:2009/02/01(日) 13:47:45 ID:+nvVXfqJ
>>136
ただ、えこひいきは結構あった。
あと政争の結果というのもな。
143人間七七四年:2009/02/01(日) 13:57:49 ID:3LsfB+Gy
>>140
それって毛利的に美味い話なん?
144人間七七四年:2009/02/01(日) 14:24:55 ID:fJU47UVu
>>143
全然イクナイ
当時、加藤のあとがまとして噂に上ったのは細川・黒田そして毛利
結局、細川が行ったんだけど三斎様が忠利に

「毛利が熊本に行って空いた防長に俺らが移ればベスト
黒田が熊本に行って空いた福岡に俺らが移っても大吉
単純に俺らが熊本に行くのは中吉」
と手紙を送ってる

要するに防長>福岡>熊本の順にウマーってことだろう
国力が現在より低い国に移るんじゃ毛利にはなんの旨みもない
145人間七七四年:2009/02/01(日) 16:30:03 ID:M0Drhk1+
三歳のコメントはいちいちひねりが効いてて面白いな。
146人間七七四年:2009/02/01(日) 17:20:17 ID:Jvh/zw4P
>>89
確か川中島の戦いでも、善光寺の取り合いやっているよな。
信玄はわざわざ甲斐善光寺を建立してるし。
いまでは、善光寺に信玄・謙信の位牌が並べて収められているとか。
147人間七七四年:2009/02/01(日) 17:26:04 ID:IwDaqUV9
千利休自刃の三日前、京都一条戻橋に利休の木造が磔にされた
その傍らには罪状を記した高札が立てられていたという
これに憤慨したのだろうか、翌日になると秀吉を批判する落首が市中に掲げられた
以下その一部


村々に乞食の種もつきすまし、搾りとらるゝ公状の米
よしやたゝ今年はかくも過きぬべし、又こん春はゆくえしらすや
末世とは、別にはあらし木の下のさる(猿)関白を見るにつけても
おしつけて、ゆへはゆわるゝ十らく(聚楽)の、都の内は一らく(楽)もなし
十分になれはこほるゝ世の中を、御存知なきは、運の末哉
148人間七七四年:2009/02/01(日) 18:20:06 ID:DH08/yRQ
中世の噂や落書を考察した本があったけど、面白かったな

京は僧・貴族・官人・奉公人と知識階級が集まった町だし
記録に残らない落書の類はそれこそ無数にあって、権力者を苛立たせたんだろうなw
149人間七七四年:2009/02/01(日) 19:18:04 ID:3LsfB+Gy
落書ってなんか2chと被るよね。
150人間七七四年:2009/02/01(日) 19:20:33 ID:hrrHzdgs
2chの書き込みなんて、大多数はウィットの欠片もないけどな
151人間七七四年:2009/02/01(日) 19:23:12 ID:eLVBLhEP
京の落書きも大多数も似たようなものだろう。
ごく一握りの優れたものが記録に残る。
152人間七七四年:2009/02/01(日) 19:30:22 ID:H7neEtNy
2ちゃんが出来た当時くらいのニュース系板の書き込みには落首や本歌取りのセンスを感じるものが多かった
今では見る影も無いけどね
153人間七七四年:2009/02/01(日) 19:49:51 ID:JkqI5DHG
500年前のおまえらのクォリティは異常
154人間七七四年:2009/02/01(日) 20:30:52 ID:pW66FQuL
>>152
確かに六、七年くらい前からつまらない書き込みが目立つようになったね。
俺みたいなつまらない奴が増えたからだろう。
昔は面白い書き込み以外しづらい雰囲気があったよ。
155人間七七四年:2009/02/01(日) 20:48:08 ID:XAjjeKpz
たしかこの板が出来たのが5,6年前・・・(汗
156人間七七四年:2009/02/01(日) 21:23:47 ID:i75KuXyA
利休の茶杓をへし折る政宗

戦国が終わり、太平の世となった寛永15年のある日
大老酒井忠勝が伊達政宗を招いて茶会を催した

忠勝が茶杓を差し出して「この茶杓は利休の作にて」と政宗に言った
要するに自慢である

それが気に入らなかったのか政宗、茶杓を手に取ると忠勝の眼前でへし折った
しかも「この茶杓は埒もなきもの(つまらないもの)」とまで言い放った
唖然とする忠勝、だが相手は名高きDQN政宗。ぐっと我慢した

そして茶会も終わる頃、政宗のお供の者が
「先ほどは失礼致しました。これは先ほどのお詫びの品でございます。」
と利休より古い名物である武野紹鴎の茶杓を差し出した


あらかじめ茶杓を用意していたため、おそらく賄賂のつもりで持ってきたのだろうが、
先に茶杓を自慢されたためバツが悪かったのだろうか
いまいち政宗の行動原理がわからない
157人間七七四年:2009/02/01(日) 21:26:22 ID:R7mFvXav
ニュース系板だって昔は良心があったんだぜ?
子供を虐待してる親のサイトをニュー速民が見つけたが
そのスレ以外で騒がなかったし突撃せず警察に通報して静かに見守った
何故なら半端に騒いだら子供に危害が加わるから
今のニュー速にその気概があるかどうかわからんがな
158人間七七四年:2009/02/01(日) 21:30:04 ID:Xsbt0oel
>>155
>>152をよく読むんだw
159人間七七四年:2009/02/01(日) 21:33:54 ID:JkqI5DHG
>>156
政宗に大事なものを渡す方が悪いという話ですね、分かります
160人間七七四年:2009/02/01(日) 21:39:22 ID:msAIbNW2
政宗「代わりの茶杓が有るからこの茶杓へし折ってもいいよね」
161人間七七四年:2009/02/01(日) 21:48:28 ID:Xsbt0oel
>>156
> いまいち政宗の行動原理がわからない

きっとこうだ

政宗
『な、なによ!人がせっかくプレゼントに茶杓持ってきたのに、別の人の茶杓を
自慢なんかして!こんなものこうしてやるー』

            ↓

「なによなによ、そんなびっくりした顔して!あんなつまんない茶杓自慢するのは
恥ずかしいから親切でやってあげたのよ!
で、でもこれで茶杓が無くなるのはかわいそうだから…その…、この武野紹鴎の茶杓を
変わりに上げるわよ!取っときなさい!
べ、べつに最初からプレゼントに用意してたわけじゃないんだからね!」
162人間七七四年:2009/02/01(日) 21:55:09 ID:2Tg5VVPY
>>161
ツンデレ…。
163人間七七四年:2009/02/01(日) 21:55:20 ID:P0dLW0D6
>>160
さらに政宗「答えは聞いてない!」
164人間七七四年:2009/02/01(日) 21:56:08 ID:qe8PdLu0
>>156
忠勝の茶杓が残ってると、後に渡すものが賄賂(のつもりなんだろうけど)と取られるから
へし折った…のかな?
165人間七七四年:2009/02/01(日) 22:07:27 ID:xRD0tOQa
俺の持ってきた茶杓とて良いものでござるよ ゲヒヒヒヒ
166人間七七四年:2009/02/01(日) 22:09:34 ID:alEjTEm1
頼山陽の日本外史より

越後の国は実高三百万石と云われた大国であった。

ある時、秀吉が景勝にこう聞いた。
「そこもとの領土はいかほどのものかな?」

ありのままに答えてはその豊かさから取り上げられかねないと思った景勝はこう答えた
「七、八十万石ほどでございます・・」

しかしそれは秀吉の罠だった
「なんと、名門上杉家がそんなに少ないとは!それでは会津百二十万石に増やして国替えして進ぜよう」

「・・・・(しまったー)」

上杉家の会津国替えはこのようだったと伝えられている。この時、直江兼続も米沢三十万石となったのであった。



実際のところはともかく、江戸時代のベストセラーですので、世間的にはこういう話がひろまってたわけですね。
日本外史は源平の武家政権樹立から書かれていますが、戦国大名で特記されているのは、三傑は別として、
北条・武田・上杉・毛利です。
167人間七七四年:2009/02/01(日) 22:13:26 ID:Xsbt0oel
>>166
つーか越後って、明治まで日本で最も人口の多い地域だったらしいしね。
168人間七七四年:2009/02/01(日) 22:18:20 ID:xRD0tOQa
そういえばそんな話を最近聞いたな…えっと
1888年の人口調査記録があって、トップが新潟だった…という
169人間七七四年:2009/02/01(日) 22:27:24 ID:alEjTEm1
>>167
ちなみに維新後間もない明治六年の県人口ね。100万以上と50万以下。

新潟 144
兵庫 131
愛知 122
広島 113
東京 109
千葉 104
福岡 103
大阪 101

佐賀 48
青森 44
奈良 42
山梨 36
鳥取 36
宮崎 36
沖縄 17
北海道 12

170人間七七四年:2009/02/01(日) 22:30:16 ID:ufbVzGBy
>>169
東京が5位というのも意外だな。
しかも広島、愛知、兵庫を抑えて新潟がトップとは。
171人間七七四年:2009/02/01(日) 22:45:05 ID:oUkFUnyL
いやいや、それはないです。
むか〜しからヒドいものでありました。
172人間七七四年:2009/02/01(日) 22:51:47 ID:B+xg8SvK
あれだろ シナが人工が多いのと一緒で後進国だったから子沢山なんだろ
173人間七七四年:2009/02/01(日) 22:56:32 ID:msAIbNW2
雪で外に出る気がしない

嫁と家で2人きり

○○○

子供が出来ました
174人間七七四年:2009/02/01(日) 23:03:57 ID:YZoSIT49
米の生産量が多いからだよな?
175人間七七四年:2009/02/01(日) 23:05:28 ID:c6ir3yUv
山梨36万って・・・こんなんでよくやるわ信玄
176人間七七四年:2009/02/01(日) 23:06:31 ID:Xsbt0oel
>>175
よく読め
177人間七七四年:2009/02/01(日) 23:07:13 ID:Xsbt0oel
スマン>>176は間違い
178人間七七四年:2009/02/01(日) 23:15:59 ID:i75KuXyA
>>175
ここで出てるのは明治時代の数だからな
信玄の時代の人口がどうだったのかはわからんよ
179人間七七四年:2009/02/01(日) 23:50:50 ID:u/GOd3gL
>>156
最初から酒井の茶杓をへし折るつもりで、自分の名物の
茶杓を持参したんでしょう。
ひょうたんを景品に出してまず呆れられてから、
立派な名馬を景品に換えたのと同じ。
そういう人だ。
180人間七七四年:2009/02/01(日) 23:56:08 ID:1x0P79qh
48万人の生産力で肥前佐賀藩の超近代重武装化を成し遂げた肥前
の妖怪は恐ろしいな…。
181人間七七四年:2009/02/02(月) 00:01:47 ID:R7mFvXav
その上財政再建も平行してやってるからな
妖怪と言われるだけあって人間技じゃねぇ
現代に蘇って政治家になってくれないものかしら?
182人間七七四年:2009/02/02(月) 00:06:25 ID:UqNEpgGE
>>179
「へし折られた茶杓」の話だけに、
政宗の真意が汲み取りにくいと。
183人間七七四年:2009/02/02(月) 00:07:29 ID:yirbsMtO
>>182
味なこと言いやがる。
184人間七七四年:2009/02/02(月) 00:22:53 ID:c+H6MEAh
茶器・へし折り政宗
185人間七七四年:2009/02/02(月) 00:55:58 ID:jHcr0HH1
有名な話ですが


上杉謙信の武将柿崎景家は、武勇の大将として有名であり、謙信もまた
越中一国を任せるほど彼を信頼し、景家もまた、その信頼に良く答えていた。

ある時のこと、景家は余剰の馬を京へと売りに出した。
柿崎が馬を売りに出ている、これを聞いた織田信長は、その馬をすべて高値で買取、
その上景家に、呉服ひとかさねを添えて、直々に書状まで出した。
「またこのように良い馬があれば、いつでも買い取るので京に持ってきてほしい。」

景家はこの事を自分から謙信に報告しなかったが、謙信は程なくこの情報を知る。
謙信は景家が信長に通じたと疑い、彼を春日山上に呼び寄せそこで殺した。

それから間もなく、謙信は病に倒れ、また、死んだ。
人々は「柿崎殿の祟りか」、そう、噂しあったという。
186人間七七四年:2009/02/02(月) 02:07:06 ID:gSHS7KbY
尼子晴久「家臣を他家からの手紙1つで信頼しないようでは戦国大名としては3流」
187人間七七四年:2009/02/02(月) 02:09:17 ID:db0dNjZo
織田信雄「まさしくその通りである」
188人間七七四年:2009/02/02(月) 03:24:50 ID:z5mN8Wkc
最上義光「まぎらわしい手紙送るなんて何て酷いんだ!」
189人間七七四年:2009/02/02(月) 04:59:33 ID:rC3DCE7e
宇喜多直家「誤解は早めにとかないと。仲直りにはお酒が1番!って訳でうちで酒宴やるからみんな来てね☆」
190人間七七四年:2009/02/02(月) 08:22:36 ID:BkqkinAl
えらいさくっと殺すんだな…決断早すぎじゃない?
191人間七七四年:2009/02/02(月) 08:54:48 ID:p9PBXyvO
北条早雲の評価

当時の人
「彼は痩せているけども天下の英雄だよ
 徳のある彼の領地は平和的に治められている」

「老人になっても壮年とほとんど変わらず身体も心もしっかりしている
 低い身分からあそこまで繁栄したことに人々は感じ入っている」

「金持ちのように蓄えることばかり考える者は武士に相応しくない
 しかし早雲は針のような小さなものすら蓄えるが、いざ合戦になれば
 玉を砕くこともいとわない人だ」


しかし江戸時代になると
「小田原城を奪った時のやり方は裏切りもいいところ。卑怯極まりない」

「早雲寺の肖像を見ればわかるけど嫌な顔してるよね。醜い顔だ」

「あんな人を馬鹿にした食えない男は英雄じゃねぇ」
192人間七七四年:2009/02/02(月) 09:23:25 ID:jHcr0HH1
>>191
(一応小さな大名として続いてはいても)基本滅んだ家は、あまりよく言われないよね。
小早川秀秋とかもこの類。
逆に前田家は大大名として残ったために、徹底的な情報管理が出来た。

あと、江戸の庶民は大名なら10万石以下、旗本なら1000石以下は相当馬鹿にしてたらしいね。
狭山藩1万石じゃ、ぼろぼろに言われていたんだろうなあw
193人間七七四年:2009/02/02(月) 10:01:58 ID:yRP2NTQM
>>191
最上義光の場合

当時の人
「義光公は智勇仁の三徳を兼ね備えておられ、評判の御方です。
近隣のみなが慕ってつかないということがありませんでした。」

「およそ出羽のうち、秋田家の領土以外がみな彼の領土になったのは、
彼の智勇が先祖よりはるかにすぐれていたからです。」

「武勇は人にすぐれ、よく部下をいたわり、たとえば親が我が子をあわれむように
接していました。」

「その性格は寛大で柔軟、しかも勇敢なのに邪悪ではありません。
この人が太守ならば、この人の家臣であると皆もうしております。」

「最上義光公は年貢をとらかったのに、今の殿様は魚や網までかける。」

義姫も
「義姫様は日頃の戦乱を見ては心をいため、国がやすらかに反映するよう
気にかけておいででした。」

ついでに駒姫は京都でもその美貌と最期が評判になっていたのだが…

上杉から
「上杉家は徳川家康公に従うつもりでしたが、とりあえず最上義光は
悪いので、憂慮なされた景勝公は最上を襲いました。」

伊達成実から
「義光は極悪非道、輝宗公にも政宗にもたてつきやがった。
おまけに娘殺されてざまぁw」

伊達家中記録はもうめんどくさいので省く。
昭和になってから「羽州の狐」orz

そして今…義理2…orz
194人間七七四年:2009/02/02(月) 11:31:15 ID:CBZu3P5m
>166-167
上杉景勝が(武田滅亡後に)越後一国で日の本六十余州を相手にします、って佐竹義重へ送った手紙……
越後一国っても天正の当時から米・あおそやら交易の上がりで相当な実収があったんだろうなー

だからって物量で織田軍団には対抗できなかったろうけど。景勝なかなか気概のある大将だよね。(直江と主従して)越後スキー過ぎたのかしらん
195人間七七四年:2009/02/02(月) 11:56:47 ID:LBW3N/89
謙信時代から豊だったにしても、300万石という評判は江戸期の開発を経てのものでしょ。
196人間七七四年:2009/02/02(月) 15:57:03 ID:aJ2AiLPO
戦国時代には”越後米”というブランドが都の米市場で確立してたよ
昔から「米どころ」のイメージはあったみたい
197人間七七四年:2009/02/02(月) 16:24:41 ID:LBW3N/89
人口の数値はここから引用したのかな?

ところで、明治初期の上位30都市に入ってる中で、ただ一つ10万を越えたことが無いのが米沢です。


明治期以前の国内における人口の推移
ttp://uub.jp/arc/arc.cgi?N=304

明治大正期の都市人口とその後の変遷
ttp://uub.jp/arc/arc.cgi?N=59
198人間七七四年:2009/02/02(月) 16:52:59 ID:ayLw29dF
>>196
謙信と毛利の間での商売で越後の米と毛利の鉄を交換して交易してた。この日本海貿易圏は、信長の越前領有後も、まったく支障なく成立してたので、毛利・上杉などは日本海側の制海権を確立してたのかな?
>>193
逸話だから突っ込み入れるの無粋だが
秋田家以外の出羽をって・・・明らかに当時の人の意見じゃねーよなぁ。
上杉の庄内米沢や小野寺横手や戸沢角館や由利や六郷やら
すべて黙殺って、あまりにマンセーし過ぎだろ。
秋田転封後なら佐竹の名を出すだろうし。
そのレス自体がwikiからの転載だろ?そんなら
「軍記物語における江戸期の評価」ってwikiには書いてあるのに
意図的削除してまでマンセーすんなよ。

199人間七七四年:2009/02/02(月) 16:57:49 ID:ktKzDxdc
>>194
生き残る確立が万が一って言ってるがな 景勝さんw
200人間七七四年:2009/02/02(月) 16:58:09 ID:X1vpBGEe
織田が越前取ったって自前の水軍回送のしようがないですからなぁ。
201人間七七四年:2009/02/02(月) 17:00:14 ID:CVlIE3pO
大河にいちゃもん付けたりしてまで最上イメージアップに励む
wikiに主観的な評価を書いてるような田舎者なんてそんなもんだろ
202人間七七四年:2009/02/02(月) 17:08:19 ID:I8VF2RHy
お前らモメるならせめてちょっと悪くモメろ
203人間七七四年:2009/02/02(月) 17:23:30 ID:LBW3N/89
まあ、話は変わって>>197の続きだけど、1600年の駿遠三の人口が30万だとか
甲斐が12万だとかいうのは、2万5千で上洛というのがわからなくなってくるね。
204人間七七四年:2009/02/02(月) 17:34:05 ID:ayLw29dF
金山や港や関所の収入があったんでないかな?
特に甲斐は物資に欠乏してたろうから
商人の塩販売なんか関税取ったら儲かりそう。
205人間七七四年:2009/02/02(月) 17:44:59 ID:LBW3N/89
いやまあ、経済的余裕よりは、12万から2万も出したら、成人男子が根こそぎだよね。
206人間七七四年:2009/02/02(月) 17:55:06 ID:jHcr0HH1
戦国期は戦争のたびに金をもらって参加する、傭兵集団が存在する。
207人間七七四年:2009/02/02(月) 18:11:32 ID:ayLw29dF
上洛戦は甲斐だけでなく、信濃・西上野・駿河からも動員してたはずだよ。
208人間七七四年:2009/02/02(月) 18:50:04 ID:I8VF2RHy
桶狭間の場合は、同調した尾張の諸勢力が含まれてるんじゃないかなんて言われてるな
209人間七七四年:2009/02/02(月) 21:29:18 ID:XvKfnUEh
>>208
利家「勝手に参戦して兜首取ったのに帰参が許されませんでした」
一益「気付いたら叔父が勝手に参戦していました」

まあ、信勝派等の浪人が勝手に参戦したのは事実らしい
210人間七七四年:2009/02/02(月) 21:30:23 ID:3ZeJ10Ju
>>202
「うるせぇ、百段で踏み潰すぞ。」こうですか?(悪く揉める)
211人間七七四年:2009/02/02(月) 21:48:41 ID:8VZkefsG
まとめサイトの木下勝俊(ねねの甥)の逸話の

>関ヶ原の折、伏見城から逃れ、改易を受けたが、歌人として今も名を残すこととなった木下長嘯子こと、木下勝俊。
>彼は武将よりも、文化人としての生活のほうが性に合っていたのだろう。
>伏見から退去してきた勝俊に、その妻、うめが、このような歌を送ってきた。
>「命やはうき名にかへて何やらん まみへぬためにおくるきりかみ」
>世間の評判を捨てて命を永らえるとは何事ですか。あなたに会いたくないので髪を切りました。
>そう、勝俊が城を落ちた事を知ったうめは、憤りのあまり彼を見限り、さっさと髪を切って尼になり、実家に帰ってしまったのだ。
>彼女には武士たる者が、篭城に参加もせずにのこのこと逃げてくるような惰弱な行為は全く理解できなかった。

>戦国は女性も、好戦的でパワフルなのだ。

このうめって・・・鬼武蔵の妹で蘭丸の姉だよね
そりゃパワフルなはずだよ
別の妹は信忠の側室だっけ?
212人間七七四年:2009/02/02(月) 21:54:47 ID:JWHCzYVR
>>211
いや、全然パワフルじゃないな。
森家の人間なら、帰宅⇒即殺害のコンボがくるはず。
つまりこの人はおしとやかと言っていいレベル。
213人間七七四年:2009/02/02(月) 22:11:53 ID:43WKKX+5
この時代に夫に三行半突きつけるってなかなか出来ないよな
何で清和源氏の血筋の私がこんなとこに嫁にこなきゃなんねーの的な不満がくすぶってたと見た
214人間七七四年:2009/02/02(月) 22:26:45 ID:Yh1OiyQF
悪い話とはちょっと違うが、戦国期の死亡フラグってどんなのがあるんだろ?
215人間七七四年:2009/02/02(月) 22:30:53 ID:aS3G9S95
ぱっと思いつくのは

鬼武蔵と出会う

奥さんの顔を見る

あたりか
216人間七七四年:2009/02/02(月) 22:31:36 ID:ifAUPpJ8
>>214
鬼武蔵の通り道にある橋や関所の番人に任命される
217人間七七四年:2009/02/02(月) 22:32:17 ID:B+mQq4ri
>>214
細川さんちの奥さんと目が合う
218人間七七四年:2009/02/02(月) 22:35:16 ID:JWHCzYVR
宇喜多直家の娘婿になる。
219人間七七四年:2009/02/02(月) 22:36:15 ID:CVlIE3pO
隣の家のガキをいじめる
220人間七七四年:2009/02/02(月) 22:39:53 ID:db0dNjZo
鬼島津の息子に会う
221人間七七四年:2009/02/02(月) 22:40:21 ID:iXCdoGMz
なぜ甲冑を脱ぐ、とか妥当なところがでないのかw
222人間七七四年:2009/02/02(月) 22:41:46 ID:czvomsDD
家康の代官になる
223人間七七四年:2009/02/02(月) 22:43:20 ID:B+mQq4ri
僧侶のくせに女を抱く
224人間七七四年:2009/02/02(月) 22:43:20 ID:aS3G9S95
じゃあ妥当なところで、子供のいない家に養子に行ったら嫡男が生まれたとか
225人間七七四年:2009/02/02(月) 22:44:06 ID:QvB9dItz
手ごたえの無い敵が逃げていくので追っかける。
226人間七七四年:2009/02/02(月) 22:46:51 ID:nckukBAg
草鞋の鼻緒が切れたり茶碗が割れたり、ってのは表現としてよく見るが、
あれ元ネタ何なんだろう?

他勢力の食事・祝い事に招かれる
長男を廃嫡し次男等を跡継ぎにしようとする
寺を焼く
227人間七七四年:2009/02/02(月) 22:51:46 ID:KtOcfw3k
輝元
宗麟
義続

いずれかの家臣になる。
228人間七七四年:2009/02/02(月) 22:55:09 ID:p9PBXyvO
三方ヶ原の戦いで織田の援軍として平手広秀が来たのだが、
家康の態度が悪いので

広秀「何せっかく来たのにあの態度。俺は葉武者ですかそーですか
    決めた、明日討ち死する」

と怒り、突撃して死んだって話があるけど
これみたいに馬鹿にされて無茶して死ぬみたいな話が多い気がする
229人間七七四年:2009/02/02(月) 22:56:51 ID:p9PBXyvO
>>228
あ、広秀じゃない汎秀だった
230人間七七四年:2009/02/02(月) 22:57:41 ID:B+mQq4ri
誰かに臆病者とののしられるのパターン、だな
231人間七七四年:2009/02/02(月) 23:06:44 ID:YivBOT5p
美人と評判の大人しい女性を娶る
232人間七七四年:2009/02/02(月) 23:07:45 ID:Yh1OiyQF
>>231
元春「なんと!!私は早死するのか!!」
233人間七七四年:2009/02/02(月) 23:08:35 ID:nckukBAg
薄田や本多忠朝のパターンも広義で言えば馬鹿にされたタイプか。
234人間七七四年:2009/02/02(月) 23:54:44 ID:9SZ3ls04
短パン
235人間七七四年:2009/02/03(火) 00:08:52 ID:C3WZn4gG
>>227
義続さんは追放されたんだな、これが。
236人間七七四年:2009/02/03(火) 00:21:53 ID:Ldftuzdd
>>231
眼科検診受けて来いw
237人間七七四年:2009/02/03(火) 01:13:32 ID:Nq5c0Abk
大坂夏の陣のとき、
結城秀康の次男・松平忠昌は兄・忠直の部隊に属して進軍していた。
すると向こうから念流の左太夫という侍が切りかかってきた。
忠昌は防ぐことができず、慌てて飛び降りる。
主君を守ろうと一人の侍が切りかかるが、さっとかわした左太夫に切り殺されてしまう。
今度は二人が向かってゆくが、二人とも返り討ちにされてしまった。
さらに一人が立ちふさがるが、親指を切られてしまった。
万事休す、忠昌は組み伏せられ首を掻かれる寸前になった!
しかし間一髪、忠昌の家臣の一人が左太夫の尻を突き刺し、
従者五、六人でなんとか左太夫を引き剥がして討ち取ることができたという。

なぜ松平家がこんなかっこ悪い話を記録に残したかは不明である。
238人間七七四年:2009/02/03(火) 01:16:22 ID:mZcr0ZUp
>>237
どういう状況で怪我をしたのかも、戦功判断の基準になるからじゃないかな?
現実の戦争はリアリズムのみの世界だから、かっこいい悪いはあまり関係が無いと思う。
239人間七七四年:2009/02/03(火) 01:28:54 ID:0gBXOYTT
>>201wiki見てきた。鮭さまただの地方豪族なのに天下統一するんじゃないかってくらい名将に書かれててワロタw
十五里ヶ原の戦いとか完全に鮭さま目線の書き方だし、でもまあそれだけ地元で愛されてるんだろうね。ちょっと裏山。
240人間七七四年:2009/02/03(火) 01:32:03 ID:mZcr0ZUp
流石に天下を狙うほどの器量は無いわなw
なんというか、そんな巨大な野望を抱くには、義光はやさしすぎる。
241人間七七四年:2009/02/03(火) 05:24:49 ID:wAvMrifK
>>201
を読むとwiki編集した人=
>>193
と読めるて困る
242人間七七四年:2009/02/03(火) 06:58:40 ID:Eo2ZDD8e
アンサイクロペディアの最上義光の項目では
「ちょっとイタイファンがWikipediaではしゃいでるけど大目に見てね」
みたいな事が書いてあって笑える
どっちにしろ主観が混じるWikipediaソースにして人を貶めるのはやめた方がいいね
褒めるのはまあ…いいんじゃね
243人間七七四年:2009/02/03(火) 07:35:46 ID:8MLCInX3
>>240
油断してると殺されるくらい
危険な男でぜんぜん優しくないから。
優しいと感じるのは
事実に基づかない単なる逸話から判断してるだけ。
関ヶ原後は甥の伊達以外の周辺国すべてを讒言しまくって転封させまくってるし。
244人間七七四年:2009/02/03(火) 08:34:01 ID:GSxGzsY3
義光は普通に優秀な戦国大名なんだろう
他と比べて特別陰湿だとか残酷な訳ではないし

…って前も聞いたような
245人間七七四年:2009/02/03(火) 10:10:42 ID:n+Ydm+DY
>243
関ヶ原が終わった時 自分が動けなかったのは
伊達が一揆を扇動してたから みたいな事を
家康に言ったんじゃなかったっけ?
246人間七七四年:2009/02/03(火) 10:20:33 ID:5vgNfkGt
>>245
上杉に攻め込まれて必死の防衛戦をしていたのを忘れてないか?
247人間七七四年:2009/02/03(火) 10:32:24 ID:375pydaS
義光→政宗へレター
「秋田や由利は出陣こそしたが
彼らは談合してるに違いないからバカげてる。
南部は10/24になってから代官だけ派遣し
横手の家々を6.7焼き払って、その日のうちに
帰りやがった。
彼らはみんなアリバイ作りで小野寺攻めただけだわ。」

義光は、さらに小野寺と戸沢は裏でつながってる!とも疑っていた。

義光は恐ろしく猜疑心が強い。
この讒言のせいで、関が原の敵側だった上杉と佐竹に上下から挟撃される形の出羽処理になり、
さらに家康への猜疑心と恐怖感がアップし
嫡男義康を暗殺して、家康の覚え愛でたい家親を後継に据えるだけでなく
死ぬ間際に、山形から無理をしてまで、家康に会いに行き
最上のことを頼むと再三にわたり頼んでから
まもなく死去してる。
その際に里見一族の暗殺を遺言してる。
248人間七七四年:2009/02/03(火) 10:44:17 ID:mZcr0ZUp
>>247
> この讒言のせいで、関が原の敵側だった上杉と佐竹に上下から挟撃される形の出羽処理になり、
義光の役割はこの両者の監視なんだから、当然だと思う。
むしろ信認の表れだよ…。
249人間七七四年:2009/02/03(火) 10:45:56 ID:375pydaS
監視役なら改易されないだろ・・・
250人間七七四年:2009/02/03(火) 10:47:55 ID:5vgNfkGt
>>247
関が原での東軍方東北諸大名の動きは本当に鈍くて、最上が孤軍奮闘していたから
そう疑っても当然かと。横手の小野寺は平然としているは、上杉領の庄内への圧力が
皆無だわで、24万石の中堅大名が、会津方面からの上杉の圧力を一手に受けることに
なったわけで。

それにしても、義光の死のわずか9年後にお家騒動で改易されるのが哀れ。
251人間七七四年:2009/02/03(火) 10:49:10 ID:mZcr0ZUp
家中が混乱して、監視役としての機能を果たせないから改易されたんだよ。
君は君で何か勘違いをしているような。
252人間七七四年:2009/02/03(火) 10:51:42 ID:5vgNfkGt
>>249
前田の抑えのはずの親藩筆頭格の福井藩や高田藩が改易されてるんだけど。
253人間七七四年:2009/02/03(火) 11:01:23 ID:375pydaS
>>250
君は大ウソつき
最上の石高は12〜13万石
24万石なんてない。ソース出してみろよ。
義光死後8年で改易であり9年じゃない。
最上好きだからって史実を曲げて話すのはどうなんだ?

そもそも安東氏の「対決之次第」くらいは
読んでから、東北諸大名の動きが鈍いなんて
断定してるのかね?
254人間七七四年:2009/02/03(火) 11:07:00 ID:QiAuzTkN
>>250
関が原の時は、東北方面は最上が総大将で東北の大名を指導する立場だったのに
家康が上杉放置して上方に向かったので、東北の大名が逃げ出して
最上単独で上杉と戦うはめになったよね
255人間七七四年:2009/02/03(火) 11:07:11 ID:ty4BnE4a
シッタカD:375pydaSが発狂
256人間七七四年:2009/02/03(火) 11:08:51 ID:9Krs7pDe
>>253

他で荒らしてくれ。
257人間七七四年:2009/02/03(火) 11:18:34 ID:oiqC7E1I
>240
宇喜多直家もそうなんだけど、謀略に長けて敵を倒すと決めたら容赦しないんだけど
家臣とか領民には穏やかに接する逸話がぽつぽつ残ってる。
まあ苛斂誅求で国を荒らした大名なんてまず生き残れないから、
名を成した戦国大名は民政や家中掌握に長じた人であって当然つー気もする

毛利元就なんかもそうで。倅も優秀だったし孫はアレだがとにかく家を保ったし

・・・北条五代って歴代めちゃめちゃ優秀だよね、4代目・5代目のオチ以外は
258人間七七四年:2009/02/03(火) 11:24:00 ID:375pydaS
>>252
松平忠直が幕府に江戸への参勤を怠るなど反抗的態度を続けたので隠居命令
→忠直の嫡男仙千代は幼少なので越後高田藩26万石へ

越後高田藩にいた秀康の次男松平忠昌25万9千石→越前福井藩50万石

当時の状況下で別に改易なんてされてないが?

>>254
はっ?義光も上杉に義康を人質に出して西軍になろうとして拒否られたから
仕方なく東軍側にさせられただけ。
東北大名は別に逃げたわけでなく、家康から帰陣命令が来たから戻っただけだし。
どんだけ最上好きだよ。

だいたい小野寺攻めの話をしてんのに
勝手に関が原前の話を持ち出して
話をそらすなよ。

あと最上24万石のソースを早く出してくれよ。
259人間七七四年:2009/02/03(火) 11:24:41 ID:mZcr0ZUp
>>257
> ・・・北条五代って歴代めちゃめちゃ優秀だよね、4代目・5代目のオチ以外は

四代目も武将としては非常に優秀なんだよ。政治も悪くない。
ただ、これは関東以東の大名全体にいえるんだけど、豊臣政権の成立と言うものへの
評価を、(これは小牧長久手の影響だと思うけど)完全に間違えた。
秀吉の政権を天下政権ではなく、畿内政権の延長戦にあるものだと考えていた節がある。
260人間七七四年:2009/02/03(火) 11:25:33 ID:M/u4ay0v
まあ鮭さまマンセーも度が過ぎると…って事で
261人間七七四年:2009/02/03(火) 11:25:38 ID:ty4BnE4a
ID:375pydaSの発狂っぷりを笑うスレになってしまった。
262人間七七四年:2009/02/03(火) 11:26:06 ID:mZcr0ZUp
>>258
逸話を書き込む気がないのなら、それ以上は

【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/

ここでやって。
263人間七七四年:2009/02/03(火) 11:33:39 ID:8MLCInX3
>>239
この指摘のような事実を書くとすぐ
>>240
のようにマンセー擁護で善人化だとアピール工作を始める義光厨のウザさはマジムカつくのは事実。
厨房の痛さが荒らしそのものだ。
264人間七七四年:2009/02/03(火) 11:34:07 ID:5vgNfkGt
ちょっとググれば出羽山形24万石 -> 57万石に加増というのが大量に出てくるのに、
>>253は何を根拠に12万石とか言ってんだろう?
265人間七七四年:2009/02/03(火) 11:38:16 ID:mZcr0ZUp
>>263
そんなマンセー擁護か?個人的には家臣団の統制に関して言ったつもりなんだが。
義光は、良くも悪くも家臣に甘かったと思うよ。
それが義光一代の間は彼の求心力となり、義光の死後は最上家崩壊の原因になった。
266人間七七四年:2009/02/03(火) 11:40:46 ID:qJhSlWU7
おまいらまとめて >>262 を嫁
267人間七七四年:2009/02/03(火) 11:43:31 ID:375pydaS
ググって24万石wwwwwwwwwww
バカすぎだ。
ソース出せないよね?当たり前だよね?24万石なんて
まともな研究者は言ってないからwwww
268人間七七四年:2009/02/03(火) 11:44:17 ID:5vgNfkGt
>>259
いや、全国政権云々は信長に土下座外交したことからわかっていたんじゃない?

ただ、武田討伐で上野南部、駿河東部の制圧に功があったのにも関わらず、
制圧した上野南部、駿河東部どころか自領の北武蔵まで信長にぶんどられた
経験が大きかったので、おとなしく臣従してもろくなことにならないと思ったんでそ。
269人間七七四年:2009/02/03(火) 11:49:19 ID:oiqC7E1I
>>259うん北条氏政はガチ優秀だよね。なんか三郎景虎にキビシイとかいわれてしまうけど

小牧長久手の戦は、、
「“海道一の弓取り”とはいえ孤軍の徳川に勝てない秀吉って、実は大したことなくね?」って
東国武者に軽く評価されたんだっけ。

 つくづく鬼武蔵・池田恒興元助の討ち死にが響いてるなぁ

  更に言うと、織田信雄さんはまるで数の内に入ってないというアレだが・・・ 
270人間七七四年:2009/02/03(火) 11:49:52 ID:ty4BnE4a
271人間七七四年:2009/02/03(火) 11:53:13 ID:mZcr0ZUp
>>268
信長は長篠で勝ったり、武田を圧倒していたでしょ?
だから北条氏内部にも信長の政権は東国まで含めた天下政権だと言う認識はあったと思うんだ。

ただ、秀吉の場合は小牧長久手で家康に防がれた。ここから後に家康が臣従したとはいえ、
東国には間接的な介入にとどまる畿内政権であると(少なくとも北条氏内部の武功派は)認識した
って事なんじゃないかなと。
272人間七七四年:2009/02/03(火) 11:53:48 ID:9Krs7pDe
375pydaS

わかった、好きなだけやってくれ。
オマエのことは24万石と呼ぶことにする。
273人間七七四年:2009/02/03(火) 11:56:00 ID:O7kVsO6m
>>269
信雄さんは、家臣にすら「またやらかした」といわれるぐらい有能ですからねぇ。
274人間七七四年:2009/02/03(火) 12:08:52 ID:5vgNfkGt
スレ違いになるのでこの辺で。あとは北条スレかな。

>>271
いや、さすがに長宗我部、島津を制圧し、仇敵の上杉ですら臣従していて
信長よりも大勢力という認識はあったはず。

でも、信長のときと違って今度は上野などを制圧して石高は倍増しているし、
徳川とは政略婚で同盟組んでいることだし、土下座外交してただ臣従することは
ないと思ったんでそ。ただ、正面切って戦うつもりもまったくなかったはず。
北条氏規を上洛させているんだし。

名胡桃城奪取事件で転封・減封がないようにと交渉してたら、上洛を引き延ばしって
ことで、秀吉が攻め込んでくるなんて思ってもいなかったんじゃない?
家康の上洛の時には大政所を人質に出していたという先例があったのが大きそう。
275人間七七四年:2009/02/03(火) 12:09:16 ID:qJhSlWU7
でも今に伝わる織田家の子孫はそんな信雄さん系です


・・・はぁぁ・・・
276人間七七四年:2009/02/03(火) 12:17:15 ID:8MLCInX3
最上好きは脳内妄想願望しか書いてないから
毎回ソースなんて出せません。
反論できないから、そういう時は中傷やバカにして逃げる手法しかとらない
277人間七七四年:2009/02/03(火) 12:23:35 ID:jjyKPfOs
鮭様でこのスレが荒れるのは見たくないよ
ここはそういう話をするスレじゃないし、終わろうよ
278人間七七四年:2009/02/03(火) 12:28:40 ID:ty4BnE4a
ID:375pydaSがageるようになってから、ID:8MLCInX3もageるとは。
今度からメール欄をよく確認するようにしたら? 学習能力ないから無理だろうけど。

まあ、お笑いなんてどうでもいいや。消えろキチガイ。
279人間七七四年:2009/02/03(火) 12:33:37 ID:zAhjTsct
>>129
大友宗麟にたぶらかされて寡兵で御家再興夢見て散った大内輝弘と

毛利輝元にたぶらかされて寡兵で御家再興夢見て散った大友義統が恐ろしくかぶってる…

大友はまだ命拾いはしたからマシなのかな?
280人間七七四年:2009/02/03(火) 12:43:26 ID:ZVcbMoua
結婚詐欺の禁止

いい話のほうで話題になっていた相良氏の分国法「相良氏法度」に
「後家を妻にすると言っておきながら、売り払ってはいけない」という条項がある。
当時も結婚詐欺が有ったらしい、という悪い話。
281人間七七四年:2009/02/03(火) 12:44:50 ID:mZcr0ZUp
では逸話と言うか、「古老軍物語」より、関東の老人が語る、戦国の述懐


「鎌倉の公方がその権威を失った頃くらいからだ、諸方の武士が勃興して戦国の世となり、
国々に合戦が止む事が無くなったのは。
大きな者は小さな者を併呑し、強い者は弱い者を従えて、勢いを増していった。

越後には長尾景虎、甲斐には武田信玄、駿河には今川義元、尾張に織田信長、三河に徳川家康、
その他にも安房に里見義弘、常陸に佐竹義重、こういった連中が蜂のように起こり立って、
城を構え、兵を集め、ここに出兵しそこに押し寄せ、ある時は打ち負けある時は打ち勝ち、
世の中が安定する事は少しもなかった。

この中でも越後の景虎は、上杉姓を譲られ管領職を賜り、近衛公を守り立て、また都に上り
将軍義輝公に対面を果たし輝の字を下されて輝虎と改名し、武勇をふるって天下を取ろうとした。

伊豆の北条氏康は関東を従え大軍を擁し、猛威を振るった。

甲斐の武田信玄はその父信虎を追放し、自ら武田の家督を奪い武勇の名称と呼ばれた。

弘治二年、今川武田北条の、三家和睦が行われ、氏康の息子氏政は信玄の婿となり、
信玄の息子義信は義元の婿となり、義元の息子氏真は、氏康の婿となった。
しかしこれも所詮はかりごとであり、その後また、三家は別れて争いあった。

信長は義元を討った。将軍義輝は三好修理亮に討たれ、三好は信長に殺された。
氏康、信玄、謙信は病死した。
今川氏真は駿河を信玄に追い出され、信玄の息子勝頼は信長に討たれ、信長は明智光秀に
討たれ、光秀はまた、羽柴秀吉に殺され、北条氏政、氏直親子は、秀吉に退治された。


なあ、そんな合戦の間に、どれだけの数の軍兵となった人々が、討ち死にをしたんだろうな?」
282人間七七四年:2009/02/03(火) 12:56:38 ID:8MLCInX3
>>278
>>276のまんまの行動ですねw
低脳くんは指摘された通りのことしかできませんw
283人間七七四年:2009/02/03(火) 13:00:05 ID:DUfr/h2C
>>281
「聞きたいかね?昨日までの時点で99,822人だ」
284人間七七四年:2009/02/03(火) 13:15:25 ID:Eo2ZDD8e
>>279
小説の話だけど、遠藤周作の「王の挽歌」ではその二人を重ね合わせて描いているな
あと輝弘を義長(晴英)にも重ね合わせていたりする
285人間七七四年:2009/02/03(火) 13:42:28 ID:gCR2xyZq
>>282
ここはとっくの前に最上スレ出張所になったんだからやめとけ。
武将にキャラ萌えしてるような奴等なんだから。
286人間七七四年:2009/02/03(火) 13:50:05 ID:axx+X89T
自治厨にスレを潰されるのは2chの鉄則なのですよ、えぇ。
ま、ネタも尽きてきたしそろそろここも終わりかなぁ、と。
287人間七七四年:2009/02/03(火) 13:55:00 ID:mZcr0ZUp
こんなところにまで自演荒しが
288人間七七四年:2009/02/03(火) 13:59:55 ID:uGP59T+u
小田原征伐の際、浅野長政は下総の攻略を命じられた。
下総攻略軍は破竹の快進撃で次々と城を攻め落としていった。
そんな中ある日小田原包囲中の秀吉から書面が届きましたとさ。
秀吉一流の大仰な褒め言葉並べた感状か?褒美のしらせか!?と思い開いてみると

秀吉「下総の豪族ども骨なさすぎ、下総攻略は戦功に数えるの禁止するわ」

(´・ω・`)
289人間七七四年:2009/02/03(火) 14:02:35 ID:qJhSlWU7
さすがラスボスつめてーw
290人間七七四年:2009/02/03(火) 14:03:20 ID:mZcr0ZUp
>>288
下総は北には常陸の佐竹、南には上総の里見がいるんだから、比較的楽な場所だってことは
最初からわかってたのになあ。

後で言うなよw
291人間七七四年:2009/02/03(火) 14:05:31 ID:ZI1GSEGe
浅野幸長、この先朝鮮でも死にかかるのに、きっといい人だったんですね。
292人間七七四年:2009/02/03(火) 14:08:58 ID:ZI1GSEGe
あ、親父さんと勘違いでした。
293人間七七四年:2009/02/03(火) 14:30:26 ID:8MLCInX3
>>285
最上厨は相変わらず図々しいな…主になり変わって俺ルールで自治を仕切るのか?
つか24万石のソースまだ?
294人間七七四年:2009/02/03(火) 14:51:01 ID:ZjEHkuus
例の人、ID切り替えを完全に開き直った模様。
295人間七七四年:2009/02/03(火) 14:51:20 ID:1N1toluE
ageてる暇あったら逸話検証スレでやれ
296人間七七四年:2009/02/03(火) 15:08:36 ID:ZY1ndZ9l
          ∩___∩
            /  ノ   \  ヽ 
            | ●    ● |
          彡   (_●_)    ミ  
           /、   |∪|    ,\   この鮭の切り身やるから荒らしは巣に帰れよ
          /.|     ヽノ    | ヽ   
       ,,/-―ー-、, --、   .|_,|
    r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
   |,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
    .ヽ,′       ;   `"";;;;;⌒゙')
     ´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛  `゙´
              |  .‖ /
            ("___|_`つ
297人間七七四年:2009/02/03(火) 15:20:23 ID:nzTiYOE5
人間ここまで空気読めなくなるもんか…

最上12万石だし義光はウンコ武将でいいから巣に帰れよ
298人間七七四年:2009/02/03(火) 15:38:31 ID:8MLCInX3
最上厨過ぎて、お前自身がすでに荒らしだから
つか24万石のソース出せよwww
ウソついてたんなら捏造マンセーを謝れよ!
299人間七七四年:2009/02/03(火) 15:58:24 ID:axx+X89T
>謝れよ!

ちょっとかわいいよね。
300人間七七四年:2009/02/03(火) 15:59:19 ID:1N1toluE
謝れよ!な逸話が必要だな
301人間七七四年:2009/02/03(火) 16:02:43 ID:cbVD6buo
某サイトにまとめがリンクされた関連で
年齢層低めな新人さんがかなり来てるから、しばらくは荒れやすいと思うよ
302人間七七四年:2009/02/03(火) 16:03:57 ID:oGgsg3AM
>>283
トレーズ閣下!?
303人間七七四年:2009/02/03(火) 16:15:13 ID:a5iZkS0W
本能寺の変あたりの北条攻めにあたってる滝川一益の逸話ないかな?
304人間七七四年:2009/02/03(火) 16:58:45 ID:p6Mj8At+
随分と最上で荒れたね
発狂してるやつは例の荒らしだろうからスルー推奨なのは当然
スレの性格上、キャラ萌えするのは普通の流れだし、
このスレでキャラ萌えされてるのは義光に限ったことではない



ただ2ちゃんでもwikiでもリアルでも一部の最上ファンが
必要以上のイメージアップ(荒らしによると美化工作)に必死なのかなと
周りから見てて思ってしまうような動きがあるのも事実
はっきり言って荒らしも最上ファンもどっちもどっち
伊達厨や直江厨のように最上厨とレッテル貼られないといいね
305人間七七四年:2009/02/03(火) 17:11:10 ID:DUfr/h2C
306人間七七四年:2009/02/03(火) 17:33:11 ID:ZjEHkuus
>>304
日本史板の最上義光スレを荒らしたりしたヤシと同一人物だろうねぇ。
文体同じだし、12万石だと叫びまくるのは、あいつ以外にはまずいないだろうし。

なんでこのスレに湧いて出てきたんだか…
307人間七七四年:2009/02/03(火) 18:55:49 ID:sC5243h/
義光マンセー
308人間七七四年:2009/02/03(火) 18:57:14 ID:sC5243h/
義光マンセー最高
309人間七七四年:2009/02/03(火) 19:03:18 ID:sC5243h/
義光マンセー
310人間七七四年:2009/02/03(火) 19:06:08 ID:sC5243h/
鮭様
311人間七七四年:2009/02/03(火) 19:06:38 ID:sC5243h/
義光マンセー
312人間七七四年:2009/02/03(火) 19:07:03 ID:sC5243h/
義光マンセー
313人間七七四年:2009/02/03(火) 19:09:17 ID:sC5243h/
義光マンセー
314人間七七四年:2009/02/03(火) 19:09:46 ID:sC5243h/
義光マンセー































315人間七七四年:2009/02/03(火) 19:10:34 ID:sC5243h/
義光マンセー
316人間七七四年:2009/02/03(火) 19:29:46 ID:Ndy6McFI
なんかえらくレス番が飛んでるなぁ・・・。

アッー! でおなじみの大内義隆の、アッー! じゃない話。
彼が上洛しようとした時の事。
そんな多忙な状況だから、当然家に帰る事も無く、
妻の大内の御前は寂しい思いをしていた。

そんなある日の事、近所に義隆さんの愛妾が住んでいるという事を彼女は聞き付けた。
今ならちょっと血の雨が降りそうな状況だが、そこは大内の御前も戦国の女性。
筆を取って文を彼女に送った。その最後に、

「自分の身を抓って痛みを知り、それをもって他人の痛みを知るべし。
 と言いますが、それを思い知らされました。
 私があの人を恋しいと思っているように、
 あなたもさぞや恋しく、寂しく思っているのでしょうね」

義隆さんは女性にもしっかり想われてたんだなぁ、と思わせる。
なのに本人は アッー! に夢中という悪い話。
317人間七七四年:2009/02/03(火) 19:45:04 ID:Ts0a0qdu
>>316
いい話だと思うが…w


じゃ、おれもお手紙の話

ある日、肥後の豪族のもとに、お隣豊後の臼杵さんからお手紙が届きました
『うちの百姓が逃散を画策して、あなたのところに隠れたようです。
しかし、そちらではお国の衆で相談して政治をしているそうなので、対処はお任せしますね
でも、万一処断しないなんてことがあったら…
た だ で は す ま な い と思ってくださいね♪』

悪いというか、怖い話
318人間七七四年:2009/02/03(火) 19:45:57 ID:PJzg/1b1
なんだか臨床心理士がいいそうな文言だよお。
319人間七七四年:2009/02/03(火) 20:13:09 ID:E6+by4Li
>>316
こんな出来た奥さんもらっといて女にも男にも手出し放題とは…
義隆の女好きの逸話にこんなものもある

義隆は好色第一の人で(中略)
農家の娘のような身分の低い者でも容貌が美しければ
金銀を投げうって召し抱えたという
※ただしソースが陰徳太平記だから伝承レベル
320人間七七四年:2009/02/03(火) 20:18:17 ID:JF/KlBqw
>>316
似た話がまとめサイトにあったな

932 名前:既出なら御免[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 08:23:47 ID:DkMfgPLi
中国の大名、大内義隆が妻に内緒で通っていた女性がいた。
その女性に送ったつもりの恋文だったが、使者のものが間違え、
うっかり義隆の正妻に持っていってしまった。

正妻はこの恋文をみ、歌を詠んでこれをその女性に送った。

「頼むなよ 行く末かけて替らじと 我にもいひしことのはのすえ」
(期待してはいけませんよ。
いつまでも君への気持ちは変わらないって、それは私にも言っていたことなのですから)

(武者物語より)
321人間七七四年:2009/02/03(火) 20:22:43 ID:gCR2xyZq
>>320
耳が痛いw
322人間七七四年:2009/02/03(火) 20:24:14 ID:E6+by4Li
連レスみたいになって申し訳ないが
>>320
この話には続きがあって、貞子は義隆の方にも歌を送っている
「思ふこと ふたつありその浜千鳥 ふみちがえたる跡をこそ見れ」
意味まではちょっと分からないから詳しい人誰か補足頼みます
323人間七七四年:2009/02/03(火) 20:30:45 ID:Ts0a0qdu
「千鳥の足跡のようなあなたの筆、
浜で二羽の千鳥の足跡が踏み違えているように
文(の送り先)を違えてしまったので見ています」
という感じかな?
冒頭の「思ふこと」をどう読むかで、だいぶニュアンス変わりそうだが…
324人間七七四年:2009/02/03(火) 20:39:44 ID:M/u4ay0v
いい話スレといい勝負だったのに荒らしのせいでレス番がかなり進んでしまった
325人間七七四年:2009/02/03(火) 21:54:09 ID:twCZVGb2
もういい話悪い話スレでは、最上を出すの禁止にしよう。
荒れる元だ。
326人間七七四年:2009/02/03(火) 22:01:48 ID:ZY1ndZ9l
>>325
俺は反対だな。
鮭様関連の逸話は評判がいいのに荒らしに屈して禁止とかありえない。
荒らしにいちいち反応して○○の逸話は禁止にするなんて逆効果だよ。
荒らす奴は脳内勝利宣言して別の標的見つけて荒らしてくるに決まってる。
相手にするから粘着してくるのであって、スルーしとけばそのうち消えるよ。
327人間七七四年:2009/02/03(火) 22:18:31 ID:oUIa1bvQ
>>322
「心が一つに定まらずふわふわアチラ、コチラと足の向かう先の変わる貴方は、まるで千鳥の歩む(千鳥足)が如くですね」

と、こんな感じでしょうか?

簡単に言って「浮気すんなよコノヤロー」ですかw
328人間七七四年:2009/02/03(火) 22:24:34 ID:8Xo/VAr5
>>326
>鮭様関連の逸話は評判がいい

拍手なんていくらでも偽造できんんだぜw
329人間七七四年:2009/02/03(火) 22:26:05 ID:bPIva8K4
最上ネタを話すのはいいが、鮭様とか変な愛称やめたら?
330人間七七四年:2009/02/03(火) 22:27:35 ID:oUIa1bvQ
ぎゃぁぁー
踏みと文を読めてなかったわ
恥ずかし
331人間七七四年:2009/02/03(火) 22:30:41 ID:mDvLRHP7
いい話
悪い話
最上な話
の3つに分ければすべて解決
332人間七七四年:2009/02/03(火) 22:32:28 ID:5UbkPTe+
荒らしにいちいち構うな
333人間七七四年:2009/02/03(火) 22:35:16 ID:mZcr0ZUp
最上禁止とか言ってるのは誰が見たって自演です本当にありがとうございます。
過剰なマンセーも困るが、キチガイアンチはもっと迷惑だ。

まあ俺様ルールを押し付けてくる変なのは無視した方がいい。
334人間七七四年:2009/02/03(火) 22:36:14 ID:ewOPTFq/
おまいらも、鬼武蔵をスルーした蒲生氏郷のスルー力を身につけろよ
335人間七七四年:2009/02/03(火) 22:36:52 ID:M/u4ay0v
ラスボス・泳いでまいった・TERU元・鮭さま・DQN四天王…
まあキャラ萌えスレみたいだし、鮭さまファンも多い少ない別にいるんだからおおらかに。
暫く鮭さまネタ自重してれば荒らしも居なくなる。
336人間七七四年:2009/02/03(火) 22:36:55 ID:oHe4wPsc
>>322
前のも今回のも、この奥さんの逸話は話だけですごく美人を想像してしまうw

「浜の千鳥が2つの方向のどちらに行こうか迷っていたのが、
 行きつ戻りつするその足跡から見て取れるように、
 あなたが間違えて送った手紙から、私とあの人との間で
 言ったりきたりしているあなたの心が見て取れたのですよ」?
337人間七七四年:2009/02/03(火) 22:37:50 ID:nqgF+cHe
>>329
おいおい、このスレでの他の武将の愛称は無視ですかw
338人間七七四年:2009/02/03(火) 22:37:50 ID:twCZVGb2
いや、ごめん、アンチでもないんだけどね。
ただ、ちょうど最上に変なアンチがわき出したのは、いい話スレで
書き込み増えた頃からなんだよ。
正直、今日だけでアンチ最上が急増したんじゃないかとgkbr…

それと愛称駄目ってなったら、鬼武蔵とか精神年齢三歳とか、
そういうのも駄目になるのかなー…。

他スレでも伊達を出すと荒れる、直江出すと荒れるってなって、自然淘汰されたし、
次は最上かという。
339人間七七四年:2009/02/03(火) 22:38:44 ID:X3TiisdV
>>333
いちいち自演、自演って言ってうるさい奴の方がもっと迷惑なんですが。
340人間七七四年:2009/02/03(火) 22:39:32 ID:oHe4wPsc
×言ったりきたり → ○行ったり来たり

つーかリロードしてなかったわスマン
341人間七七四年:2009/02/03(火) 22:40:42 ID:nqgF+cHe
>>338
アンチじゃ無いのに最上禁止とか提案したの!?正気か?
342人間七七四年:2009/02/03(火) 22:41:12 ID:zIMn94Yq
掛詞とか季詞とか和歌ってめんどくさい

「思うことふたつあり」をどう読めばいいのかちょっと迷うな
そこで区切って私(奥方)がふたつの感情持ってるのか、「その浜千鳥」に掛かって義隆が双方に注ぐ愛情のことなのか
後者なら>>330の読み方でも合ってると思うがな
343人間七七四年:2009/02/03(火) 22:41:51 ID:PJzg/1b1
キリスト者たる殿は、愛の力で悪鬼をもスルーなさるのです。

イエズス会報
344人間七七四年:2009/02/03(火) 22:42:09 ID:ZY1ndZ9l
       オニギリやるから落ち着け。こんな不毛な言い争いなんて荒らしの思う壺だろうが…
       オニギリ食ったらこの不毛な争いは終了だからな。
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 具なし
345人間七七四年:2009/02/03(火) 22:44:23 ID:cEtArE8m
>>341
「この荒れっぷりが嫌いだから最上ネタしばらく自重しろ」ってのは普通の反応だと思う。
荒らしとは会話が通じないが、鮭様ファンと会話が通じないってことはないだろ。
だったら話の通じる方にお願いするでしょ。
それでも荒らしに屈するのはうんぬん。。。って言い始めるならもうどうでもいいよ!
346人間七七四年:2009/02/03(火) 22:46:21 ID:2OZlLbgH
        *'``・* 。
        |     `*。
       ,。∩      *    もうどうにでもな〜れ
      + (´・ω・`) *。+゚
      `*。 ヽ、  つ *゚*
       `・+。*・' ゚⊃ +゚
       ☆   ∪~ 。*゚
        `・+。*・ ゚
347人間七七四年:2009/02/03(火) 22:47:55 ID:nqgF+cHe
>>345
「暫く控えろ」じゃなくて「禁止にしろ」だぞ・・・全然違うわ
こんなん提案しといてアンチじゃない言われて驚愕しない訳ないだろ
348人間七七四年:2009/02/03(火) 22:50:23 ID:ewOPTFq/
ただのかまって君なんだから、あぼーんやスルーの徹底だけで十分でしょ
349人間七七四年:2009/02/03(火) 22:51:02 ID:HArs2HKl
>>344
おっかなびっくりオプーナさんを頂いてみたいですが、天むすを頂きます。

戦国時代 おにぎりでググってみたら
上杉謙信の家督争い跡でおにぎり出土とか出てきてふいたw
あと弥生時代のおにぎりの化石とかもどっかの遺跡から出てきたとか
350人間七七四年:2009/02/03(火) 22:53:55 ID:oHe4wPsc
>>344
オプーナさん1つくれや

>>342
普通に義隆の両天秤かと思ったけど、奥さんの気持ちという読み方もあるか。

こういう、その場の気持ちを歌にするエピソードって
普通に結構あるけど、いつも上手いこと表現してて感心するわ。
厨房みたいな感想だけど。
これもそうだけど、普通ならムキー!と激昂しそうな場面を歌で返す話が
結構ある気がするのは、歌にすることでワンクッション置いて
自分を律するのも当時の教養ある人のテクなんかね。
351人間七七四年:2009/02/03(火) 22:54:34 ID:o1HVgjIl
>344
いつも思うんだがなんでわかめが無いんだ?
好きなんだけどな
352人間七七四年:2009/02/03(火) 22:54:49 ID:M/u4ay0v
>>347黙ってろよ
353人間七七四年:2009/02/03(火) 22:57:17 ID:T6PecZuM
最上義光ってつい「よしみつ」って読んでしまう
浅野幸長ってつい「ゆきなが」って読んでしまう
warってつい「ワー」って読んでしまう
354人間七七四年:2009/02/03(火) 22:57:26 ID:ewOPTFq/
しかし、教養があることと、自分を律する能力が比例するっは限らないことは、スレの皆がしっているはず
355人間七七四年:2009/02/03(火) 22:58:44 ID:ZY1ndZ9l
>>349
ググってみてフイタw
しかも雑穀米じゃなくて銀シャリみたいだな。
新田次郎の「武田信玄」で上杉の荷駄を奪ったら雑穀じゃなくて白米で信玄たちがビックリしていたのを思い出した。

オニギリの化石画像↓
ttp://blog-imgs-24.fc2.com/t/u/r/turenet/20080121-964779-1-L.jpg
356人間七七四年:2009/02/03(火) 22:59:06 ID:iWhq2JoH
鮭を控えなければいけないそうなので最後に鮭と鮭マヨもらっておきますね。
(とか言いつつ翌日もやめられないとまらないかっぱえびせん)
357人間七七四年:2009/02/03(火) 22:59:40 ID:Ts0a0qdu
>>336
うほ、いい訳

さすがに大内家の正室さんだなあ
ウィットきかせまくり、意味こめまくりだ
358人間七七四年:2009/02/03(火) 23:00:05 ID:nqgF+cHe
>>352
俺に言うなよ・・・全くとんだとばっちりだ
359人間七七四年:2009/02/03(火) 23:03:53 ID:gCR2xyZq
俺も愛称はやめた方が良いと思うな。
鮭様、TERU元は見ていて気持ち悪い。義光、輝元でいいじゃん。
360人間七七四年:2009/02/03(火) 23:05:28 ID:oHe4wPsc
>>354
ああ・・・いるね・・・文化人と呼べる武将で歌もよく詠めるのに
自分を全然律しない人が(複数)・・・
361人間七七四年:2009/02/03(火) 23:07:39 ID:qao6CjL8
政宗「>>360そんな奴がいるのか!まったく顔を見てみたいものだ」
362人間七七四年:2009/02/03(火) 23:07:42 ID:nzTiYOE5
>>360
玉子の旦那のことか
363人間七七四年:2009/02/03(火) 23:08:09 ID:Ndy6McFI
>>354
三斎様の事か!
三斎様の事かぁぁぁぁぁぁぁぁ…………

          ________
   ゴトリ    / y/ ヽ
  ∧,,,∧    (   [_ノ
(゜ω゜  )   (ノノノ l l l )


>>344
末期に明太子戴いておきますね
.          ______
          / y/ヽ   ,.-、
  ∧,,,∧    (    つ (,,■)
(゜ω゜  )   (ノノノ l l )
364人間七七四年:2009/02/03(火) 23:25:12 ID:cfwZ6gqP
>>344
  イ
  ||  ∧ ∧
  ||_,>─<\
 <.||((`・ω・´))}> そのネコミミ貰って行きますね
  G=T7ホTb ̄
  ” <_エエ_ゝ
365人間七七四年:2009/02/03(火) 23:39:16 ID:mZcr0ZUp
侍の「卑怯」

武田信玄の侍大将、山県昌景の配下に、平野久助と、元越後の牢人、大熊備前守と言う者が居た。
双方武勇の者として名を成していた。

さて、信玄が、上州の箕輪城を攻めた折の事である。
平野は搦め手を攻める部隊に配属され、大熊は大手を攻撃する部隊に居た。

大手の攻防は城方の反撃が強く、武田軍は一旦部隊を後退させた。この機に敵は
追撃を仕掛け、敵味方入り乱れる混戦となった。
この混乱の中、大熊は自分の指物を敵兵に奪われてしまったが、彼はその敵を追いかけ組み止めて
指物を奪い返し、さらにその兵の首を取って陣へと帰った。

この大熊の働きは武田軍の中で評判となり、信玄もこれを大いに褒めて褒美を取らせた。

平野も搦め手での戦いで人目を驚かすほどの活躍をし、信玄からこれもまた同じように
褒美をいただいたのだが、彼は大熊の評判の高さに嫉妬し、事あるごとに人々の前で
大熊を謗った。
山県昌景はこの事を聞いて、「これは家中が乱れる元となる、いくら武勇があっても人を妬む者は
卑怯者である」として、平野を自分の配下から外した。

平野はこのことを恨み、目安をしたため信玄に訴訟をした。
信玄は山県を呼び出し詳細を聞き、やはり「そのような卑怯者は武勇があっても役には立たない」
として、ついにその扶持を取り上げ武田家から召し放った。

この平野、こんな事があったにも拘らず、その後他家に仕官したものの、また人の手柄を謗って
喧嘩となり、斬り合いをしたが不利となって逃げ出した。しかし相手に追いかけられ、
郊外の麦藁が積んである影に逃げ込んだが、後ろから斬られて死んだ、と言う話だ。
366人間七七四年:2009/02/03(火) 23:46:47 ID:mjyDYFqw
これは昌景の判断も信玄の判断も正しいとしか思えんなw
367人間七七四年:2009/02/03(火) 23:55:26 ID:cP89Afay
大熊って本当に優秀だよな 見事返り咲いたんだから
368人間七七四年:2009/02/03(火) 23:58:06 ID:W/Fbc/wb
これは信玄のいい話
369人間七七四年:2009/02/04(水) 00:00:30 ID:tfWp4tOk
>>367
しかも最後まで、拾ってくれた武田家への忠誠を貫いたしね。いい漢だ。
370人間七七四年:2009/02/04(水) 00:48:31 ID:IilsDL8b
>>214
戦場で水浴び
371人間七七四年:2009/02/04(水) 00:50:50 ID:IilsDL8b
>>214
戦場で水浴び
372人間七七四年:2009/02/04(水) 00:52:09 ID:AubiUw4K
大事な事なので二回言いました
373人間七七四年:2009/02/04(水) 01:12:14 ID:LJysaLcd
>>372
三回だと斬られるんだっけ?
374人間七七四年:2009/02/04(水) 01:21:23 ID:Fg/+hFBB
毛利元就は孫の輝元が酒を覚えたことに気づいて
輝元の母・尾崎局に手紙を送った。

元就「輝元のやつ、どうも酒を飲みだしたようだ。
    少しぐらいはいいが、飲みすぎれば人に迷惑をかけるだろう。
    わしの祖父も父も兄も早死にしたのは酒を飲みすぎたからだ。
    だがわしは下戸なのでこのとおり長生きしている。
    どうか輝元に飲みすぎないよう言いつけてくれ。」

尾崎局は出陣していた輝元にこのことを手紙で伝え、厳しく叱った。
輝元は(´・ω・`)ショボーンとしたのか酒を慎むようになったという。

時は過ぎてある日のこと、輝元はあることで息子の秀就を叱った。

輝元「酒を飲みすぎて乱暴しているそうではないか、言語道断だ。」

どうやら毛利一族の酒好きは秀就にも受け継がれていたようだ。
ただ秀就の場合、父の小言を(゚听)シラネと思っていたのか、
なかなか改善されなかったという。
375人間七七四年:2009/02/04(水) 01:24:13 ID:M7tLJolk
(世の中平和になって良かったね的な意味で)いい話
376人間七七四年:2009/02/04(水) 01:32:48 ID:LGlI03Cc
流れぶった切ってすいません。

いい話、悪い話スレで鮭人気に嫉妬した直江厨が日本史板、歴ゲー板まで出張してるみたいなんです。
最上厨な自分としてはこれ以上他所に迷惑をかけるのも嫌なんで、次来たらスルーお願いします。
議論ができる相手ですらありませんし、深夜から日中までレスを続ける時間のある方みたいなんで。

【関連】 伊達・上杉・最上関連荒らし報告スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1230354419/
377人間七七四年:2009/02/04(水) 01:38:03 ID:2cYUcRr5
荒しを直江厨って呼ぶのはよくないね。
そいつは直江厨をかたったただの荒しだから。
他の良心的な直江ファンに失礼だよ。
378人間七七四年:2009/02/04(水) 01:43:57 ID:LGlI03Cc
>>377
そうですね。他の直江好きまで貶すような発言だったんで謝ります。
逸話投入しないのも良くないんで暫くROMに戻ります。
379人間七七四年:2009/02/04(水) 01:46:51 ID:n4r8TrUU
人を〜厨呼ばわりすること自体が荒らしの第一歩なんだが

そもそもあまりでしゃばって欲しくもないな
自分ルールを押し付ける奴が荒らしになるのもよくあることだし

例のあの人は言われなくてもスルーするよ
380人間七七四年:2009/02/04(水) 01:59:57 ID:kYw3btKw
どうせ別スレでは○○厨とか普通に使ってんだろうな
他人を厨呼ばわりしたり、鮭人気とか言ってみたり、出しゃばりだったり…
このスレに迷惑かけたくないとかじゃなくて、
最上の評判が落ちるのが怖いだけに聞こえるのは俺だけかい?
381人間七七四年:2009/02/04(水) 02:03:32 ID:tfWp4tOk
逸話に関係ない話はもうリセットしようぜ。
382人間七七四年:2009/02/04(水) 02:04:50 ID:M7tLJolk
同意
383人間七七四年:2009/02/04(水) 02:05:53 ID:DlHpHPGT
       いつまでこの話題を引っ張るんだよ・・・オニギリが足りなかったのか?
        さっきあげたのに欲張りな奴らだ・・・これ食ったら今度こそこの不毛な流れは終了だからな。
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 具なし
384人間七七四年:2009/02/04(水) 02:14:18 ID:qyrCEtjz
.○
.,.⊥、  ねんがんのつなまよをてにいれたぞ!
(,,■)  
385人間七七四年:2009/02/04(水) 02:15:51 ID:M7tLJolk
  ∧ ∧   
 ( ●Д゚)   すまん、腹が減ってつい食い過ぎてしもた…        ○
 ( ∪ ∪                                    .,.⊥、
 と__)__)                                    (,,■)
                                        オプーナ
                  ,.-、
                 (,,■)
                具なし

386人間七七四年:2009/02/04(水) 02:16:26 ID:tfWp4tOk
オニギリと言えば、戦国の食事マナー。

戦国時代、客人が食事の時に、ご飯に汁をかけるとそれは「もうお腹いっぱいご馳走様」の意味。
それ以上食事を勧めてはならないのだ。
今も京にある、客を返したい時に「ぶぶ漬けでもいかがですか?」と言う伝統はおそらく、
この古例から来ていると思われる。

北条氏政の例の「汁かけ飯」の話だが、もしかすると元の話は、同じ飯に汁を三回かけたのではなく、
飯に汁をかけたのに、そのまま3杯おかわりしたと言うものではなかったかとちょっと疑っている。
それならば、マナー全般にうるさい事この上ない北条家において、絶望される事請け合いだからw
387人間七七四年:2009/02/04(水) 02:22:00 ID:dFfTEDiv
何でぶぶ漬けでカエレって意味になるんだよ、という
いなかもんの俺の長年の疑問にこんなところで光明が。
388人間七七四年:2009/02/04(水) 03:11:56 ID:w8ks3QGg
おくゆかしいどいやらしい
389人間七七四年:2009/02/04(水) 03:27:33 ID:kMATFWWg
おれの親父が子供の頃は
最後に飯碗に湯を注ぎ、漬物で綺麗にこすって終わりだったとか
親父曰く、「油っこいものなかったから洗う必要なかったね」

あ、関係ないっすね
390人間七七四年:2009/02/04(水) 06:21:57 ID:AyS3/6t8
場違いかもしれんが失礼。

信長の野望やったら毎回鬼武蔵のパラメータいじくろうと思うんだが

どこいじくればいいかわからなくていつも諦める。

武力?←脳筋ってわけじゃないしなあ
義理?←裏切りはしてないし

てな感じです。ゲームでDQN度あらわすのムズい
391人間七七四年:2009/02/04(水) 09:58:30 ID:tq9Q/KFY
荒らしは直江厨だぞ鮭は関係ないよ
392人間七七四年:2009/02/04(水) 10:04:52 ID:tfWp4tOk
みんな分かってると思うけどスルーな。
393人間七七四年:2009/02/04(水) 10:06:04 ID:1+ygyH7Q
>>389
お寺で合宿した時、お寺はその方式だった。
そのお湯を飲むことで米一粒も無駄にせず、
茶碗のこびりつきもなくなって洗い易くなるみたいな。
いやこれも関係ないな
394人間七七四年:2009/02/04(水) 10:41:18 ID:TvAO7k9c
茶懐石は今でもシメは
(1)お湯(正確に言えばご飯のお焦げを入れて涌かしたおこげ茶)を茶碗に注いで
(2)おつけ物でお椀を拭って最後はおつけ物とお湯と共にずずずー
というのが作法ですな。
お椀を拭うためにおつけ物の内必ず一つは拍子切りのお新香にするというのも決まり。
柴漬けでは拭いにくいからねw

全然悪い話でも何でもないけど、流れに便乗するw

>>385
何故オプーナを残すw
395人間七七四年:2009/02/04(水) 11:05:39 ID:c6JuLSFN
>>392(ry
396人間七七四年:2009/02/04(水) 12:03:21 ID:YcuCCCbY
関ヶ原の戦いののち、慶長六年十一月六日、京都から米沢へ向かう
前田慶次は上野あたりで一人の女に会った。
「そなたはどこから来たのだ?」と尋ねると、女は都から誘拐され
て関東まで来たのだという。さらに涙を流し始め、「人として、形
よく生まれてくるほど悲しいことはない」とむせび泣いた。

女は化粧が崩れて、顔は横に三寸も長く、おはぐろが所々とれて朽
葉色の歯が見えている。よく見ると、その歯には飯粒や菜っ葉がは
さまり、物を言うたびに萌黄色の息を吐く女であった。
慶次は「このような女を誘拐してくるとは人の好みはさまざまなん
だなぁ」ということをしっかり覚えておくために、この話を日記に
書きつけた。             『前田慶次道中日記』
397人間七七四年:2009/02/04(水) 12:13:24 ID:syk5dTsX
>>394
>オプーナ
様式美
398人間七七四年:2009/02/04(水) 12:33:13 ID:tq9Q/KFY
荒らしは直江厨だぞ鮭は関係ないよ
399人間七七四年:2009/02/04(水) 12:34:15 ID:tq9Q/KFY
荒らしは直江厨だぞ鮭は関係ないよ
400人間七七四年:2009/02/04(水) 12:43:08 ID:YcuCCCbY
上杉謙信が上洛した時に土足で宿に上がって(?)、注意した主人を
殺し、抗議しにきた町人を追い払い、町に放火したっていう逸話くわ
しく知ってる人いないですか?以前、江戸時代の逸話集かなんか見て
たら載ってて、エキセントリックすぎて笑ったんだけど、概要しかお
ぼえてなくて。
401人間七七四年:2009/02/04(水) 12:45:10 ID:tq9Q/KFY
荒らしは直江厨だぞ鮭は関係ない
402人間七七四年:2009/02/04(水) 12:46:53 ID:tq9Q/KFY
荒らしは直江厨だぞ鮭は関係ないよ
403人間七七四年:2009/02/04(水) 12:48:46 ID:tfWp4tOk
>>400
堺の宿屋に泊まったときに、宿の主人の態度が悪くて宿破壊したら堺の町人たちが集まってきて
謙信を捕らえようとしたので、さらにその辺一帯焼き討ちした、って奴ね。

オレもどっかで詠んだのだが、残念ながら出展を覚えていない。
404人間七七四年:2009/02/04(水) 13:38:26 ID:OLAwwaS9
>>396
>萌黄色の息を吐く
モンスターじゃねえかw
405人間七七四年:2009/02/04(水) 13:38:32 ID:mVZXeTka
>>396
いい話じゃねえええええええええええええええええええええ
406405:2009/02/04(水) 13:40:07 ID:mVZXeTka
良い話スレと間違えた…
407人間七七四年:2009/02/04(水) 13:47:31 ID:5S2slL7b
最上厨が情報操作してるのがバレバレ
そもそも上杉直江に最上が大勝利って書いて、
直江貶しを必死にやりながら、
その行為を伊達厨のせいにしたり
今回は偽善ぶって最上厨は良い人たちですみたいな宣伝工作。
挑発ばかりやる独善的な最上厨こそ、荒らしそのものにしか見えない。
408人間七七四年:2009/02/04(水) 13:56:14 ID:aBL+KLhb
>>496
前田キツイ描写しすぎだろw
409人間七七四年:2009/02/04(水) 14:16:28 ID:1+ygyH7Q
>>396
それさらわれたばっかって訳じゃなく、色々艱難があって
なれの果ての姿だからじゃないのか…
都から上野まで来てるし。
そんなドライな慶次さんも嫌いじゃないが。
410人間七七四年:2009/02/04(水) 14:45:02 ID:kahTCy+r
いや、それ以前にこの時代に身代金目的の誘拐という概念はないのだろうかと小一時間
金目的なら容姿は関係ないのでは?と
暴行目的なら…だが
411人間七七四年:2009/02/04(水) 15:00:55 ID:wW262REp
鬼に金棒

太田道灌の末裔である太田源六郎(原書には資高とあるが、康資の誤記かも)は、30人がかりでも動かせない
大石を軽々と動かしたという怪力の持ち主であった。
国府台の合戦で源六郎は里見方として北条氏と戦ったが、北条の家人の清水某と戦った際に、清水の武器である
樫の木の棒を太刀をたたき折られて、やむなく敗走した。
「無念だ。清水の外道は絶対に許せね〜!ピコーン(AA略)。
そうだ、清水より破壊力のある武器を作ればいいんじゃね。」

源六郎は早速、8尺の鉄の金棒を作らせて、その金棒を振り回しながら再度戦場に向かった。
「清水でてこいや〜!」
ところが、お目当ての清水の姿はなかなか見つからず、半切れ状態の源六郎は金棒をぶんぶんと振り回して目に入
った人馬問わず金棒の餌食とした。

とそこに、北条方の太田下野守と鉢合わせした。下野守は源六郎の舅である。
「おい、婿殿。貴様の働きは敵ながらすさまじいものだが、罪のない馬まで殺すのはやりすぎだろJK。
ちゃんと人間を狙って金棒をふりまわせよ。」
それを聞いた源六郎は、
「さてはよく申されたものよ義父上。されば、人間のみ打ちましょうぞ。
それがしの金棒を受けて下され、義父上!」
と金棒を下野の脳天めがけて振り下ろした。下野はあわてて太刀で防ごうとしたが、8尺の鉄棒の前には何の意味
もなく、「どうっ」と落馬して深田に落ちた。
源六郎はそれで気がすんだのか、ご機嫌で自宅に帰った。

「妻よ、今帰ったぞ〜」
「殿、今日の手柄はどうでした?」
「いや〜、あの憎き清水にリベンジすることはできなかったけど、戦場でそなたの父と会ったぞ。
義父上がワシに何か話しかけてきたけど、その返事に金棒で殴っちゃった。ありゃ〜間違いなく重傷だな。」

それを聞いた妻は大いに驚き、慌てふためいて戦場跡に行って、父と再会した。

脳天をこなごなに破壊され、泥まみれの物言わぬ父と。

その妻は父の葬儀が終わるや尼となったという。
(続武者物語)

412人間七七四年:2009/02/04(水) 15:15:33 ID:tfWp4tOk
>>411
この話、小田原北条記で読んだときに笑ったなあ。
大田があまりに脳筋であっけらかんとしすぎててw
戦国時代はホント、恐ろしい人がいるもんだ。

ちなみに小田原北条記には、康資とあるね。
413人間七七四年:2009/02/04(水) 15:29:18 ID:OYZE+i7i
アマテラスは引きこもり、紫式部は腐女子、清少納言はブログ女、紀貫之はネカマ、かぐや姫はツンデレ、
聖武天皇は収集ヲタで正倉院はヲタ部屋、後白河法皇は最新流行の追っかけ、秀吉はコスプレじじぃ、
狂言は第一次お笑いブーム、鎌倉末期は新興宗教ブーム、戦国の茶道は萌え喫茶ブーム
江戸期に入るとエロパロ二次創作がこれでもかってぐらい溢れかえっている。

事の良し悪しは置いといて、日本人は伝統的に変態遺伝子を受け継いでいるのは事実だ。
外国人から指摘されたとしても悪びれる必要はない。堂々と千年変態だと答えればいい。
414人間七七四年:2009/02/04(水) 15:29:46 ID:OYZE+i7i
誤爆
415人間七七四年:2009/02/04(水) 15:48:29 ID:c6JuLSFN
>>407同意してやるから続きは最上スレに行ってやってくれ
416人間七七四年:2009/02/04(水) 15:51:41 ID:mRFgrIcr
こんなの誘導されても困る
417人間七七四年:2009/02/04(水) 15:53:33 ID:pJxsTF2l
>>413
その文ずいぶん前に見た気がするぞ
418人間七七四年:2009/02/04(水) 16:30:26 ID:CU9VIDKI
>>410
本人が「美人に生まれてしまって〜」って言ってるからな。
419人間七七四年:2009/02/04(水) 16:52:13 ID:wW262REp
>>412
指摘d。太田一族で脳筋っていうと康資しか思いつかないので一応指摘したが、
やっぱ康資だったかw同族の太田資正さんとは真逆の人物だな。
まとめの管理人さん「太田康資」で分類ヨロシコ
420人間七七四年:2009/02/04(水) 17:05:16 ID:RqCy9i09
伊達厨は知らんが、鮭厨が直江叩きの基地害アンチなのは同意。
対抗してついには、大河義光スレまで立てたりするし。
だいたい荒れる原因を自分で作ってる。
義光の宇喜田直家のような
ダークな生き方が好きな人たちも多いのに
そういうところでの義光好きが、それらしいことを書くと
猛反発して狂ったように単発ID投下し、否定排除行動に出る。
おまけに自分の鮭様イメージに反論するものは「荒らし」と決め付け徹底排除。

正直、鮭好きは、ちゃんとした最上研究本を読んでる人なのか怪しい。
義光の史実的なことが知りたいので、いろんな意見をROMったりしてるが
(アンチと呼ばれてる人たちの方が最上について、圧倒的に詳しく、庄内や小野寺関係で、初めて知った意見も多かった)
鮭様へのイメージに否定的な史実的意見には、議論ではなく
感情的な誹謗中傷や悪口しか書かないし。
これでは義光についての議論が成立しない。
だいたい石高の件をとっても、鮭厨はまともな反論もできてないし・・・議論で明確になると期待してただけに、非常にがっかりです。

421人間七七四年:2009/02/04(水) 17:05:48 ID:BBumwlnT
>>410
身代金目的の誘拐は足軽とかが農民相手にやったりするよ。
別に盗賊がやってもおかしくないんじゃないかな?
422人間七七四年:2009/02/04(水) 17:07:17 ID:xtWWqxCN
>419
その娘か養女だったのが才気煥発でならした(家康の)ロリ側室?、お梶の方で・・・
女だてらに袴姿で馬に乗って、関ヶ原の合戦も付いていったという女傑。

太田一族も、某池田さん家みたくかなりイケイケな人々が揃っていたのでは、とおもわされる
423人間七七四年:2009/02/04(水) 17:07:27 ID:DlHpHPGT
>>411
舅の脳天砕くとかキチガイすぎる…
あと清水某との決着はついたのかが激しく気になる。
424人間七七四年:2009/02/04(水) 17:35:46 ID:c6JuLSFN
>>420
最上ネタが嘘だろうと本当だろうとどうでもいい。
基地が馬鹿でもアンチが阿呆でもどうでもいい。
ただこのスレに迷惑かけんな。
425人間七七四年:2009/02/04(水) 17:36:20 ID:1Sk9LQDk
>>411
これだけナチュラルに脳筋だと
人生なんの悩みもなさそうだな
426人間七七四年:2009/02/04(水) 17:41:22 ID:WTwFmsSd
>>420
伊達厨は まで読んだ
427人間七七四年:2009/02/04(水) 17:49:54 ID:rMGeeRPj
富田長繁「悩みが無い奴は羨ましいわー」
428人間七七四年:2009/02/04(水) 18:49:54 ID:tq9Q/KFY
鮭様最高、伊達厨直江厨死ね かかってこいよチキン共
429人間七七四年:2009/02/04(水) 18:54:56 ID:n4r8TrUU
>>427
富田さんだって悩むより先に手が(ry
430人間七七四年:2009/02/04(水) 19:23:08 ID:GqjyuIeu
十万超えとも言われる一揆勢に30分の1の兵力で突撃する人の悩みってなんだろうな
きっと凄いんだろうな
431人間七七四年:2009/02/04(水) 19:31:04 ID:dinGHCZU
前波吉継の存在そのもの
432人間七七四年:2009/02/04(水) 19:43:20 ID:a+fQ+d5z
なるほど、悩ましいので真っ先に手を出したんだな
433人間七七四年:2009/02/04(水) 20:01:06 ID:2mJNmBEz
「 駆り立てるのは野望と欲望、横たわるのは犬と豚 」 by越前の狂犬
434人間七七四年:2009/02/04(水) 20:01:40 ID:zmojN5uE
>>428消えろ基地外
435人間七七四年:2009/02/04(水) 20:18:07 ID:6rMu5Qrp
>>433
惜しい人を亡くした…
436人間七七四年:2009/02/04(水) 20:36:15 ID:pUjoD3zg
>>214
小田原への北条攻めに参戦する直前に、母上の心尽しの料理を食べる
437人間七七四年:2009/02/04(水) 20:52:39 ID:tq9Q/KFY
鮭様最高、伊達厨直江厨死ね かかってこいよチキン共
438人間七七四年:2009/02/04(水) 20:59:09 ID:n4r8TrUU
>>214
大軍を頼みに家久(善)と戦う
439人間七七四年:2009/02/04(水) 21:07:10 ID:qHZN3Db1
>>433
タクティクスオウガの章題でもあったな。
440人間七七四年:2009/02/04(水) 21:09:01 ID:qHZN3Db1
>>438
むしろ馬鹿の突撃(田北鎮周、仙石秀久)に付き合わされるでは?
441人間七七四年:2009/02/04(水) 21:10:36 ID:BXnRRTeM
つーか437見たいに叩きまくるやつ見ると本当に戦国時代が好きなのか疑問に思えてくる
442人間七七四年:2009/02/04(水) 21:11:41 ID:H2Hugwfr
撤退中の島津軍を追撃する
443人間七七四年:2009/02/04(水) 21:11:48 ID:AMJWvQXi
>>214
なぜか地元の米相場が急騰する。
444人間七七四年:2009/02/04(水) 21:16:56 ID:0Ol+/Yw/
>>441かまうな
445人間七七四年:2009/02/04(水) 21:22:46 ID:4ev5rLXZ
最上厨のおかしいところはマンセー以外認めず他を見下すこと。
例えば山形でも寒河江あたりは義光マンセーしないのはおかしいとか言い始めたりさ。
義光が地元領主倒したけど、お前らの地元を儲けさせたんだからマンセーしろとかさ。

最上義光だけじゃない、悪い話が出てこないのは。つまり盲目なんだよw
446人間七七四年:2009/02/04(水) 21:27:50 ID:dinGHCZU
レス禁止
447人間七七四年:2009/02/04(水) 21:28:36 ID:tq9Q/KFY
ふざけんなよ直江厨が、鮭様の人気に妬んでるんだろ?
448人間七七四年:2009/02/04(水) 21:31:50 ID:MgKvFmHv
(ry
449人間七七四年:2009/02/04(水) 21:32:46 ID:MgKvFmHv
>>447つか最上厨を装ったアンチ乙
450人間七七四年:2009/02/04(水) 21:34:18 ID:mRFgrIcr
以下いつもの悪い話スレに戻る
451人間七七四年:2009/02/04(水) 21:35:34 ID:DlHpHPGT
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・) 家にはもうお米が無いからオニギリはあげられないお・・・                                  
 ( ∪ ∪
 と__)__)
452人間七七四年:2009/02/04(水) 21:41:25 ID:0H3BXMm2
>>214
富田長繁と関わると不幸になるみたい

以下例

朝倉義景:裏切られた
林新次郎:一緒に出撃したら死んだ
桂田長俊:一緒に裏切ったのにいつの間にか怨まれてた。殺された
魚住景固:飯食べに行ったら殺された
朝倉景綱:こいつの扇動した一揆に攻め立てられ行方不明になった
土橋信鏡:気付いたら周りの奴らが皆死んでた。自分も一揆に殺された
溝江長逸:追い詰められ一族まるまる自害
専修寺派:手を結んだ直後に死なれた上にそのせいで本願寺に襲撃された
府中町衆:こいつに味方したら周り全部敵になった。本願寺に味方したら織田軍に潰された
樋口直房:こいつの扇動した一揆のせいで失脚
鞍谷御所:府中に近かったせいか一揆に焼かれた
453人間七七四年:2009/02/04(水) 21:47:52 ID:dFfTEDiv
歩くデスノートみたいな奴だなw>富田長繁
454人間七七四年:2009/02/04(水) 21:49:39 ID:FxJIM0Vb
東原亜希みたいな奴だな
455人間七七四年:2009/02/04(水) 21:53:24 ID:dinGHCZU
直接危害を加えてくるからなお最悪
456人間七七四年:2009/02/04(水) 21:55:29 ID:ds6TTSq1
追放されても殺されても口の悪さが治らなかった山上宗二
では実際、どういうことを言っていたのだろうか
以下、わざとそれっぽく意訳

「細長い三畳敷きの茶室。利休が大坂に作った
だけどまあ、これはよっぽどの名物持ちか玄人のやることだね
素人が手出すもんじゃないから
二畳敷き座敷を関白様が作ったけど、
これは偉い人か名人か、それか名物にこだわらない侘び数寄がやるべき
その他大勢の凡人はやるだけ無駄です
それから利休が一畳半のを作って珍しかったけど、これは利休さんしか許されねえ領域
大体、利休さんッパネェからはちゃめちゃやっても面白い
凡人がそのまんまパクッたら邪道、つうか茶湯ですらない
まあお前らド素人は、利休さんに仕えて銭はたけってこった。」
457人間七七四年:2009/02/04(水) 22:00:02 ID:0H3BXMm2
意訳が酷すぎるwwwww
458人間七七四年:2009/02/04(水) 22:11:25 ID:TvAO7k9c
>>451
(つд`)
明日になったら入荷するから(ってコンビニか?)

>>456
口の 悪 い 話か
死に様もかなり悪いというか惨いよねこの人・・・
459人間七七四年:2009/02/04(水) 22:30:30 ID:MgKvFmHv
460人間七七四年:2009/02/04(水) 22:32:02 ID:DlHpHPGT
>>459
余計なことするなよ…
461人間七七四年:2009/02/04(水) 22:33:52 ID:FI/XmgE4
>>459
ここをいっそアンチスレにしようか。
462人間七七四年:2009/02/04(水) 22:34:36 ID:49vXO5aN
>>459
GJ!まあ株でいうところの監理銘柄みたいなもんだな。
463人間七七四年:2009/02/04(水) 22:40:00 ID:GqeoCi0e
江戸初期の有名なかぶき者に、大鳥逸平という牢人がいた。
彼はもともと大久保長安の部下だったが、その後牢人して逸平組というかぶき者のグループを作っていた。
ちなみに逸平組は参加者が2000人にも上り、旗本の子息も多く参加していたらしい大組織。

ある時、幕府の大番頭の下で小者として働く逸平組員が、かぶき者であることを理由に手討ちにされた。
それを知った逸平組は、その大番役を集団で襲い殺害。
これを機にかぶき者の一斉検挙が行われ、首領の大鳥も捕まってしまう。
大鳥は厳しい拷問にもかかわらず、仲間のことは一切吐かずに磔にされた。

これを現代風に言い換えると
東京中を股にかける大規模ヤンキーグループが、メンバーの一人が首にされたことを逆恨みして上司を集団リンチ。
捕まったリーダーが「仲間は売らねえ」とかっこつけ、それを聞いた仲間が「リーダーマジパネェ」的なことで大騒ぎをした。
ということ

一口にかぶき者といっても慶次郎のような話の分かる奴ばかりではない。
464人間七七四年:2009/02/04(水) 22:46:26 ID:FI/XmgE4
日本人って、DQNでも態度がおもしろかったり、潔いとヒーロー扱いしちゃうから。
忠臣蔵とか、歌舞伎の夏祭とか女殺油地獄とか。

夏祭→DQNが義父をSATSUGAIした話
女殺→ニートが親切な主婦をぬっころす話
心中もの→せっぱつまって自殺する話
465人間七七四年:2009/02/04(水) 22:46:50 ID:pwju2kDi
単発IDがここぞとばかりに出てワロスw

>>463
義侠の者としてはカッコいいんだがなぁ。

江戸初期の浪人の扱いの難しさは大変だったらしいね。
戦争が起こらず職先が増えないのに、大名はがんがん改易されるじゃ、
そりゃ大鳥さんみたいなのも出る罠。
466人間七七四年:2009/02/04(水) 22:51:56 ID:49vXO5aN
>>465
スルーの出来ない単発さん乙ですwww
467人間七七四年:2009/02/04(水) 23:01:40 ID:+CchM9DZ
>>464
SATSUGAIとかそういう言い回しも最上スレでどうぞ。
468人間七七四年:2009/02/04(水) 23:09:36 ID:n4r8TrUU
別にいいだろ、それくらい
お前に仕切られる義理はない
469人間七七四年:2009/02/04(水) 23:11:04 ID:FI/XmgE4
DMCネタが駄目とかどんだけ自治きどり?
470人間七七四年:2009/02/04(水) 23:15:44 ID:qi3cyEe5
しばらく自重しろよお前ら!
471人間七七四年:2009/02/04(水) 23:15:52 ID:00tdK3tQ
>>452
自分は織田方に下って長島一向一揆征伐でも大活躍したっていうのに、
地元越前に戻った途端に一向一揆派を扇動して元同輩の朝倉家臣を襲わせるんだぜ…
472人間七七四年:2009/02/04(水) 23:22:23 ID:tfWp4tOk
※煽り、荒らし、釣り等は徹底スルーで。

 ・暇つぶしに煽ったり、わざとネガティブなことを書いてスレを荒らす人達が居ます。

 ・専用ブラウザを導入して、IDであぼーん設定又はNG登録し、相手をしないようにしましょう。

 ・荒らしに反応するあなたも荒らしです
473人間七七四年:2009/02/04(水) 23:24:41 ID:qi3cyEe5
でも実際の義光って山形市が必死こいてるだけで普通の田舎大名の1人なんだよな。
474人間七七四年:2009/02/04(水) 23:28:53 ID:GqeoCi0e
>>471
敵の敵は味方だからね。
敵がいなくなったら元の味方も関係なく襲うだろうし・・・
475人間七七四年:2009/02/04(水) 23:32:20 ID:c6JuLSFN
>>473山形必死だなって笑えば済む話だ
476人間七七四年:2009/02/04(水) 23:33:49 ID:FI/XmgE4
ID:c6JuLSFNさんよ、そっとしておいてやってつかぁさい。
奴が喜びますけえ。
477人間七七四年:2009/02/04(水) 23:53:44 ID:2gYCIPW/
>>411
すがすがしいくらいにぶっとんドルなw
478人間七七四年:2009/02/04(水) 23:58:24 ID:3FIX6yPn
>>411って最初これじゃ脳筋ってよりマジキチじゃね?と思ったけど、
よく読むと敵同士だからまあ割と普通・・・かな・・・
479人間七七四年:2009/02/05(木) 00:00:56 ID:9qSo04fz
>>411
これは新たなる逸材ww
480人間七七四年:2009/02/05(木) 00:31:39 ID:zLiQIwWi
>>411
こいつもヒャッハーと叫んでいそうなタイプw
481人間七七四年:2009/02/05(木) 01:03:42 ID:o1nXap2n
いい話の方で立花宗茂の話題が挙がったので1つ

関が原の後、改易され浪人になった宗茂は家臣の屋敷へ居候することになった。
しかし、その家臣もあまり裕福でなく、毎食白米を出すのすら覚束無くなり
「仕方ない、米に大根を混ぜて量を誤魔化そう…殿も分かってくれるだろう」
と大根粥を作り宗茂に出した。すると宗茂
「いや、俺の健康とかに気を使わなくていいから。粥が食べたかったら自分で
水入れるし。だから明日から普通の白米に戻せよ」
と叱り付ける始末。

立花宗茂の育ちがいい話
家臣にとってはちょっと(気分が)悪い話
482人間七七四年:2009/02/05(木) 01:06:48 ID:NkeoA8gj
宗茂…さすが育ちが違う
ちなみに、大根粥にしたのは家臣のせめてもの心づくしかと
聞いた話では、大根をただ一緒に炊き込んだ飯は恐ろしくまずいらしい
483人間七七四年:2009/02/05(木) 01:18:00 ID:YcBBU3ph
昭和な人なら知っているお化け朝ドラ「おしん」の大根飯だね
484人間七七四年:2009/02/05(木) 01:18:16 ID:Nwomja3W
悪い話スレで秀吉の女癖の話が出ていたので
秀吉の、信長の血縁好き

秀吉は旧主、織田家の女を側室にするのが大好きだった。

信長の姪、淀殿が有名ですが、他にも
信長の弟・信包の娘、信長の次男・信雄の娘、信長の娘三の丸殿、

さらに信長の次女で、蒲生氏郷に嫁いだ冬姫も、未亡人になると自分の側室にしようとし、
冬姫はそれを嫌って、直前に髪を切って尼になった。
しかし秀吉はその代わりなのか、氏郷と冬姫の娘を自分の側室にしている。
ここまでくると執念のようなものを感じる。


これとは別の話に、秀吉は朝鮮の役の最中、夫が留守の間に
伊達政宗夫人、細川ガラシア夫人、鍋島直茂夫人などに肉体関係を迫ったと言われる。
この辺の夫が、後関ヶ原でみな東軍についていると言うのも、むべなるかな。
485人間七七四年:2009/02/05(木) 01:24:09 ID:zLiQIwWi
>>484
荒れるとアレな人の娘・駒姫のことも、秀次の手がついていないと知ったため、
自分の側室にしようと処刑中止を命令したという説も。
タッチの差で間に合わず、駒姫は死亡。
そのあと、駒姫の母親を召し出そうとしたが彼女は娘のあとを追って急死。
486人間七七四年:2009/02/05(木) 01:27:11 ID:vKdqlRKK
>>484
もしかすると前田利長夫人もそのターゲット候補になってたのかな

それにしても…本当に信長様に"あれ"を焼き討ちしてもらったほうがよかったなw
487人間七七四年:2009/02/05(木) 01:27:25 ID:Nwomja3W
>>484
1行目×悪い話スレ→○いい話スレ
orz
488人間七七四年:2009/02/05(木) 01:28:26 ID:YcBBU3ph
そのころdqn4号の忠恒は
妻に







何も手紙を送ってなかった
どうせブスだから食われないだろとでも思っていたのか
食われたらそれはそれで離婚のいい理由になるとでも思ったのか。
489人間七七四年:2009/02/05(木) 01:31:00 ID:nTMNTehD
秀吉の女関連はちょっとで納まらんからなー。
家臣の妻をとかでネタにするのすらはばかられるレベル
490人間七七四年:2009/02/05(木) 01:35:02 ID:gi/OfVkU
じゃあ秀吉の女癖もう一個。
秀吉の寵臣で名高い石田三成には、お葉という許嫁がいたそうな。
なかなか評判の美人だったらしいお葉に目をつけた秀吉、横からかっさらって側室にしてしまった。
お葉は三成に惚れていたらしく、その後城内で三成と顔を合わせるのがつらくなり
琵琶湖で入水自殺してしまった。

それでも秀吉への忠誠ゆるがなかった三成の心境やいかに。
491人間七七四年:2009/02/05(木) 01:35:09 ID:Nwomja3W
>>488
一緒に朝鮮に渡った島津義弘は妻に



「ボクは何度も手紙を出しているのにどうしてキミからの返事はもう1年も来ないの?
ボクのことはもう見限ったの!?
今はキミの手紙だけが生きる希望なんだよ!お願い、どんな事でもいいから絶対に返事書いて!」

と、泣きついていた。
492人間七七四年:2009/02/05(木) 01:35:40 ID:QB1NUDGU
なんなら極悪な話スレ作るか
前々からかなり興味有るんだぜ
ほぼ秀吉専用になりそうなのがネックだがどうか…
493人間七七四年:2009/02/05(木) 01:36:55 ID:9qSo04fz
>>492
もう関連スレが全部で2つ3つあるんだし、いらねーだろ
494人間七七四年:2009/02/05(木) 01:38:57 ID:ToxGc8s6
いやいや極悪スレは可愛げがないから荒れるってw
495人間七七四年:2009/02/05(木) 01:50:01 ID:NkeoA8gj
>>491
よ、よしひろ!?
と思ったけど、電話もテレビもない時代に、異国で家庭の音信絶えたら不安だよなあ
496人間七七四年:2009/02/05(木) 02:01:47 ID:e8LV4MAW
猫たちを連れて異国に渡り長期滞在中は嫁に頻繁に手紙を出し
帰国できたら異国で散った猫を悼んで神社を作り

そういう部分だけ切り取ると武将に見えなくなるなぁw
497人間七七四年:2009/02/05(木) 02:16:39 ID:7kCMG5bv
>>496
鬼島津の逸話だから意外性があってかわいく思えるが、
誰か文弱大名の逸話だったらバカにされるんだろうなぁ・・・
498人間七七四年:2009/02/05(木) 02:45:23 ID:lmggojk8
美形がやると純愛、不細工がやるとストーカー理論ですね
499人間七七四年:2009/02/05(木) 03:04:36 ID:9qSo04fz
「*ただしイケメンに限る」理論ですね、わかります
500人間七七四年:2009/02/05(木) 04:05:07 ID:/xFMEzuX
「パンツじゃないから」という誤爆でさえ
話が出できたというここの人達に伺います。


「筋肉」で何かありますか?
あんまり聞いた事ないので伺いました。
501人間七七四年:2009/02/05(木) 06:49:56 ID:XwIG7W75
>>484
徳川信康の妻だった徳姫にも手を出そうとしてたんだよな
上手く断ったみたいだけど
502人間七七四年:2009/02/05(木) 09:05:36 ID:vu88ENWw
細川忠興も丹波の田舎に押し込めたガラシャから
なかなか手紙の返事貰えないので、気をもんだ。

舅、幽斎の和歌の添削、日々のやり取りなんかには、
すぐにガラシャお礼の返事出してるのにね。
503人間七七四年:2009/02/05(木) 09:50:14 ID:I4Lc72kE
珍しい自害

荒木村重が織田信長に謀反するも、荒木勢の首脳が伊丹城から脱出してしまった
ことで、自壊の様相を呈した。
伊丹城で城内を警護していた池田和泉守は、絶望のあまり自害した。

辞世の句
『露の身も 消えても心 残り行く なにとかならむ みどり子の末』
(露のように儚い自分がこの世から消えるとしても、心残りは幼子のことだ。
あの子の将来は何とかならないだろうか)

和泉守は、辞世の句を詠むと火縄銃に火薬を詰めて引き金を引き、自らの頭を撃
ち抜いて自殺したという。
(信長公記)
504人間七七四年:2009/02/05(木) 09:56:21 ID:I4Lc72kE
>>490
秀吉の女癖の悪い話だったら、波多親の妻(秀の前)逸話もあるんじゃね?
ガラシアと同じことしたのに改易されたっていう。
505人間七七四年:2009/02/05(木) 10:05:32 ID:Nwomja3W
>>503
日本で最初の銃による自殺の記録だっけ、それ。
506人間七七四年:2009/02/05(木) 10:25:26 ID:ecKZ6xIF
「石田三成の呪い」

慶長六年十一月十五日、前田慶次は米沢へ向かうため北上していた。
奥州安積山を過ぎると、大きな塚があった。装いも普通ではなく、土地
の者に尋ねると、「石田治部とかいう人が今年の秋の始めに都から送られ
てきのです。それをよそへ送ることをしないと、物に憑かれる人が多く出
て困るといいます。そこで、国々では二、三千の軍勢を出して次の村へ送
るのです。そして送ったところには塚を立てるのです」と答えた。

都を出たころはそれほどでもなかったが、次第に大げさになり、下野あた
りでは、石田三成が夢を見た人を襲って「藁人形を作り、具足、兜、刀を
つけ、胸に治部少と書きつけよ。草の馬もつくり、金の馬よろいをつけよ」
などと言い、母や妻の人形もこしらえさせ、送る人々の武具も真っ赤に染
めろなどと、ともかく大げさな地蔵送りを要求したのであった。

三成に憑かれた人などは、山伏や巫女が儀式を行うと「今年田畑が荒れたの
は私のせいではないのだ!」と叫んだ。

祭に使う藁の犬は古びないうちは美しい衣服を着せられ、神官が大切に敬い、
身を清めて神に贈る。しかし祭りが終わり、藁犬が古びると、通行人はその
首や背を踏みつけていき、これを持ち帰って飯を炊く人もいる。そのくせ、
また祭りの時期になると、再び藁犬を作ってこれを敬い、その下で寝起きす
ると夢にうなされたりする―ということがある。

死んだあとにも人々を騒がせるとは笑い話だが、石田治部という人間はただ
者ではないということだろうーそう慶次は思った。 『前田慶次道中日記』

507人間七七四年:2009/02/05(木) 11:01:37 ID:uL4Gwcy/
戦国三大キチガイ
水野勝成
富田長繁
太田康資
508人間七七四年:2009/02/05(木) 11:36:34 ID:tB1GQHt6
>>507
忠興「まぁ俺は入る訳ないよな。理由ねーし」
509人間七七四年:2009/02/05(木) 12:14:23 ID:S3iR89dA
>>506
道中日記、通しで読んだ事ないけど見た感じ
その時代の文化とか空気が感じられそうでいいね。買おうかな
510人間七七四年:2009/02/05(木) 12:20:51 ID:ecKZ6xIF
>>509
道中日記読むと呪術などに頼っている民衆の姿がよく描かれてる。
それを慶次は分析してる感じ。
511人間七七四年:2009/02/05(木) 12:24:44 ID:HCY5Hopc
日本史サスペンス劇場って番組があるけど、本来なら火サスみたいにやるとしてこうなると思う
「弾正さんの事件簿3 三好家連続怪死事件 真実は有馬の湯煙の向こうに…」
日テレもこれを放送すれば視聴率は間違いない?
512人間七七四年:2009/02/05(木) 12:56:53 ID:IXWe6DfV
>>507
地味ながら戸田勝隆さんも逸材ですよ。
513人間七七四年:2009/02/05(木) 13:27:23 ID:G/2doOL7
相撲や一騎打ちの話であるかなぁ

>500
素肌を模した変わり鎧、なんてのはあったらしい
「俺様の武勇と天運の前には、ガチガチの鎧なんていらない…みたいなー」
という見栄を張ったんだとか
514人間七七四年:2009/02/05(木) 13:48:47 ID:xBH+MXDR
仁王胴とかね
こんな感じで

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=85673
515若気の至り 1/2:2009/02/05(木) 13:51:14 ID:TosdXOMC
富田長繁の逸話はガイシュツだと思うが、断片的だったので改めて紹介。


若気の至り

富田長繁は、朝倉降将では2番目の古参に甘んじた。
1番目は僅か1日前に降伏した前波吉継である。
信長が朝倉氏を滅ぼすや、吉継は越前守護代・長繁は府中城主と大きく水を開け
られた。
先年の長島一揆戦で殿軍として目覚ましい活躍をした長繁は、『最高でも越前守
護、最低でも越前半国守護』の野望を持っていたから、当然に不満を持った。
長繁の野望に気付いた吉継(桂田長俊)は先手を打って、
『長繁の府中支配は信長様に無益です』
と訴訟に及び、両者の対立は時間の問題だった。

そして、長繁は1月20日に一揆を呼び込んで吉継ら前波一族を皆殺しにした。
『汚物は消毒だー』
吉継は奮戦するも、すでに失明しておりいかんともし難かった
勢いの止まらない一揆は、北ノ庄駐在の信長の代官を襲撃するも、朝倉景健らの
仲介でからくも代官を脱出させた。

次いで1月24日、長繁は魚住景固親子を朝食に誘い、魚住一族を皆殺しにした。
『汚物は消毒だー!』
魚住は仁者として有名な武将であり、『非道の限りを尽くした前波を滅ぼすのは
ともかく、ここまでひどいことをするのはあり得ない。魚住と協力すれば越前に
仁政を敷けたのに、長繁はいったい何を考えたんだか。』と批判された。

そんな批判はどこ吹く風と、長繁はかねての野望を実現するため、弟を質に差し
出し、『越前守護の朱印状』を信長に要求した。
長繁は朱印状を得たと吹聴したが、信長の越前支配体制を崩壊させた張本人に朱
印状を出すバカもいないであろう。

一方、長繁の無茶苦茶なやり方に賛同するものはおらず、長繁は越前で次第に孤
立した存在となる。
また、長繁が呼び込んだ一揆はもはや制御不能で、長繁の片腕たる増井・毛屋を
殺し、総勢14万の一揆は雪崩を打って長繁の居城に攻め込んだ。
516若気の至り 2/2:2009/02/05(木) 13:54:25 ID:TosdXOMC
長繁は
『敵は大軍だが、このまま一揆をのさばらせるのは無念だ。突撃開始!』と下知し、
僅か700騎で一揆の大軍に突撃し、見事撃退した。一揆は蠅の如く逃げたとある。

勢いに乗った長繁は、何をとち狂ったか友軍の朝倉景胤にも攻撃した。
その戦ぶりは、
『葉武者には目もくれず、まっしぐらに景胤の本陣目掛けて切りかかった。』とある。

2月18日、長繁は「敵」(本当は友軍の景胤勢)いる山上を再度攻撃した際に戦死した。
享年24才。味方の小林吉隆に背後から銃撃されたのである。
『汚物は消毒だー!』
『汚物はお前だろ、JK』
長繁が越前国を支配すること20日目のことであった。

『桂田と 富田二段の あらそいも 果ては鎌首にて 穂首切られぬ』
(桂田と富田という田んぼが支配者の地位を巡り争ったが、結局はよそ者の一揆
を呼び込み、一揆に田んぼの穂(支配者の地位)を刈り取られただけだ)
越前をカオスに巻き込んだ長繁について、このような狂歌が詠まれたという。

また越前の人は長繁をこう評した。
『長繁は古の樊膾のような古今無類の猛将だが、まずは鉾を縮め、武を隠して人の心を
捉えるべきであった。その逆を爆走した長繁は、まあ若気の至りなんだろうけどね。』
(越州軍記)
517人間七七四年:2009/02/05(木) 14:10:01 ID:6nOcBL0q
正にとち狂ったんだなぁ・・・
518人間七七四年:2009/02/05(木) 14:34:11 ID:Equ4ipaM
まさかの今樊膾
戦だけしてりゃ普通以上の武将なのに・・・

信長公記だと越前再征に富田が軍を出したようにかかれてるけど、
参加したのは兄の暴走に付き合わされた哀れな弟だったのかもしれん
519人間七七四年:2009/02/05(木) 14:48:34 ID:G/2doOL7
>515-516
さすがナチュラルボーン・ヒャッハー富田様だぜ

ここまで理非分別の欠片もない生き様を見せつけられたら「いっそ清々しい」というか……
巻き込まれた越前の国人衆や富田の家臣同僚はたまったモンじゃないけどな(´Д`;)
520人間七七四年:2009/02/05(木) 15:42:18 ID:TosdXOMC
長繁余話

信長は一揆に支配された越前に再度侵攻し、壮絶な虐殺・粛清をした。
また、長繁の暴走のとばっちりを食って落命した国人も多くいた。

そんな中、幸運にも難を逃れ大名(格)に出世した人物がいた。
朝倉在重:景鏡の弟。子が掛川26000石。
溝江長澄:長逸の子。小早川家で10000石。(いい話>>252の人)
山崎長徳:吉家の遠縁。前田家で14000石。

長繁さえ無茶しなきゃ、もっと遺臣は残ったろうに…
521人間七七四年:2009/02/05(木) 16:06:17 ID:rsAtbLX7
景鏡系は生き残ってるんだなあ

>『敵は大軍だが、このまま一揆をのさばらせるのは無念だ。突撃開始!』
ここで死ねばまだ可愛げがあったのに…
522人間七七四年:2009/02/05(木) 17:35:14 ID:FDpoixQV
色々と評判の悪い景鏡だけど、
最後は僅か三騎で一揆勢に突っ込んで玉砕してるんだよな
523人間七七四年:2009/02/05(木) 18:36:53 ID:uU3HzoIf
まさに越前の狂犬
524人間七七四年:2009/02/05(木) 19:02:16 ID:33x2bLgY
ナイフみたいにとがっては触るもの皆傷つけた
あーあーわかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか

って感じだなw
525人間七七四年:2009/02/05(木) 19:04:30 ID:wXS9RKuq
真田内記信政は真田信之の次男であり、兄の信吉、甥熊之助の早世によって信之の世継ぎとなった。
しかし父信之は90歳まで隠居を許されず、それによって信政の家督相続も叶わなかった。
家督相続が叶った時には信政は既に60歳。人生50年と言われていた時代、
年老いた信政に残された時間は僅かしかなく、家督相続の2年後に死んでしまう。
信政は幕府宛に末子幸通に家督相続させるという遺言を残していたが、これは父信之に一切の相談もなく書かれたものであり、
長らく家督を譲ってもらえなかった無念さからか、信之には何の遺言もなかった。
信之はこれを知ると「幕府への遺言はあっても、俺には何もなしか。何たる親不孝者か」と強く不満だったようである。

ストレスがなかったら信之は徳本先生を超えれたとか言うのもいいけど
少しは信政の辛さもわかってやってくれ…
526人間七七四年:2009/02/05(木) 19:13:26 ID:LtYmrJem
わかってるさ。悪いのはこの人の甥ってことくらい
527人間七七四年:2009/02/05(木) 19:25:34 ID:WOyhCWMV
>>516
わずか24歳でこれほど台風の目になれるのは相当非凡な人物
本人のベクトルがもう少し違った向きなら、
名将と呼ばれてただろうなと思うのは俺だけかい?
528人間七七四年:2009/02/05(木) 19:32:31 ID:uU3HzoIf
頭のネジが外れてたからこそ台風の目になりえたのかもしれんよ
529人間七七四年:2009/02/05(木) 19:47:45 ID:Equ4ipaM
>>525
信之が簡単に隠居できる立場だったらねえ

>>527
猛将ではあったがいかんせん頭が・・・
それでも、忠義の欠片でもあれば全く違ったんだろうな
530人間七七四年:2009/02/05(木) 19:53:40 ID:o+1lSMKp
なんとなくなんだが、富田長繁は越前に領地を与えられるのでなく、
近江あたりで信長直属になっていればもう少しまっとうに生きていけた
のではないだろうか?

上からの手綱がなかったら、森武蔵も似たようなことやらかしてる
だろうと思うのは私だけ?
531人間七七四年:2009/02/05(木) 20:03:32 ID:Equ4ipaM
信長はある程度わかってて放置した感もあるからな
ここまで大きな事態を想定していたかはわからんが
532人間七七四年:2009/02/05(木) 20:03:42 ID:uU3HzoIf
流石の鬼武蔵も戦の最中に味方の武将の首を取ろうとはしてない。
533人間七七四年:2009/02/05(木) 20:07:29 ID:QB1NUDGU
朝倉は駿河大納言忠長付きで五万石改易後に旗本になったのと景鏡近親で徳川の郷士になった景高の系統が残ってたな。
郷士の方は清水か富士あたりの郷土史家の自費出版本が地元(静岡)の図書館にあったが面白かった。
子孫は会社経営が何人かと鈴与の重役がいたような。通字はちゃんとついてた。
534人間七七四年:2009/02/05(木) 21:02:43 ID:Bg2kqtaL
加藤智大みたいな奴だったんだろ。
535人間七七四年:2009/02/05(木) 21:07:33 ID:dYX7pPZe
むしろ駄目武将に描かれることが多い朝倉義景が富田をどうやって
使いこなしていたかが謎。
536人間七七四年:2009/02/05(木) 21:12:18 ID:FDpoixQV
富田がヒャッハー化したのは織田に降伏した後からだとか
周りから大人しいと思われていた人間がとんでもない犯罪を起こす的な
537人間七七四年:2009/02/05(木) 21:15:10 ID:uU3HzoIf
ちゃんと長島の戦での報酬を与えてたらその後どうなってたのかは気になる。
538人間七七四年:2009/02/05(木) 21:28:57 ID:Equ4ipaM
しかし長繁、下の者にはあまり厳しい人でもなかったらしい
乱暴狼藉禁止したり土民の話もちゃんと聞いたり(まあ支配の為なんだろうけど)
539人間七七四年:2009/02/05(木) 21:44:13 ID:c/lSU5rK
>>525
しかし信政のその意地が原因でお家騒動に発展してしまうのがいただけない
信幸兄ちゃんが必死で守り通した家をその実の息子が傾けるなよ、と
結局90越えの老人に後始末させるし。苦労人に隠居生活を堪能させてあげようよ・・・
540光姫伝説その1:2009/02/05(木) 23:18:46 ID:MPlz5ELF
光姫伝説

鮭様こと最上義光は最上氏第十二代当主だが、
かなり時間は遡って最上氏第五代当主頼宗公(鮭様の直接の先祖ではない)の時代のお話。
頼宗公には光姫という美しい姫君がいた。
輝くように美しいことから光姫と名づけられたといわれ、その噂は各地に広まり姫との結婚を望む大名が数多くいたそうだ。
そんな中で、姫の父頼宗公は都の五条に住む右衛門佐頼氏という公達を婿養子として姫と結婚してもらうことを決めた。
この婚儀に納得出来ない者がいた。最上鮭川の領主・横川大膳国景である。
姫と結婚させてくれと頼宗公に幾度もお願いしていたのだが聞き入れられず、姫は都人と結婚することとなった。
これに激怒した横川大膳は「ワシの願いを聞き入れずに軟弱な都人と結婚させるとは片腹痛し!力ずくでも姫を奪ってみせようぞ!」
と姫の略奪を決意した。

光姫誘拐大作戦その1
頼氏夫妻が平清水の大日如来に参詣する日に作戦は実行された。
花見の客などで混雑する中、大膳一味は茶店の者や大黒舞などに変装して姫に近づき誘拐しようとする。
しかし護衛の者に気付かれて乱戦となり誘拐は失敗する。その乱戦に巻き込まれた姫の夫の頼氏は負傷してしまう。

光姫誘拐大作戦その2
先の誘拐騒動で負傷した頼氏は養生のために光姫を連れて高湯に湯治に行った。
大膳はこれは好機と見て、最上氏の重臣山井弾正と姫の召使・小笹を買収し、
その手引きによって高湯からの帰路を襲った。
しかし安養寺の尼僧、安養比丘尼(姫の乳母の姉)が頼氏夫妻襲撃の情報を掴んで夫妻に警告したため
逆襲されて大善以下、襲撃計画に加担した一味は全て捕縛されることとなった。
541光姫伝説その2:2009/02/05(木) 23:19:16 ID:MPlz5ELF
>>540の続き
最上氏執権の氏家重政は横川大膳らを処罰すべしと当然の主張をした。
だが頼宗公は昔からの知人である大膳を罰するのは憐れだと思い助命してやろうと考えた。
しかし大膳に同情する者は重臣たちにはおらず、結局大膳は打ち首ということとなった。
これにて一件落着だと誰もが思った。

しかしこの騒動は純心な光姫の心に大きくて暗い影を落としたのだ…
夜な夜な城中に大膳の亡霊が現れて姫を大いに悩ませた。
自業自得で自滅した大膳は逆恨みで姫を悩ませ成仏しようとしない。
遂には精神的ショックで姫は出家して、父と夫を捨てて観世音の霊場を巡礼すると言い出した。
これに驚いた乳母の信夫らは出家を思いとどまらせようとするが恐怖で苦しむ姫の決意は揺るがない。
信夫は姉の安養比丘尼に相談したがどうにもならず、姫の決意はやはり揺るがなかった。
諦めた信夫と安養比丘尼は姫一人では不安だからと姫の巡礼に同行することにした。

道中で父と夫を思い涙する姫は信夫と安養比丘尼に励まされ辛い旅路を進んでいく。
そして遂に目的地に着いた。
最上川のほとり、亡き横川大膳のかつての領地である。
姫は、彼方にかすむ城跡を眺め、ひざまずいて瞑目するのであった。何の因果か、一は城を犠牲にして恋に身を滅ぼし、
一は父や夫を捨てて、仏門に帰依する。合掌する姫の胸中に去来する感慨はいかなるものであったろうか。

旅の目的を果たした光姫であるが出家した以上はお城に戻るわけにはいかない。
そして姫の父頼宗公にかつて仕えていて今では豪農となった菊地式部なる人物が
安養比丘尼とは昔からの顔馴染みという事もあり姫たち三人の世話をする事となった。
そして姫は旅の最中に妊娠が発覚していたのだが、菊地夫妻の手厚い世話のもと無事に出産することが出来た。
観音霊場一番の名にちなんで「若松君」と名づけられた若君は本来ならば最上家第六代当主になるはずであったのだが、
姫が出家した以上は世間に出すわけにはいかない。
泣く泣く菊地夫婦の倅である小太郎の子供だとして権三郎という夫婦者に里子にしたのである。

時は流れて8年後、姫の行方が依然として不明である最上家では姫の夫である頼氏が病で急死してしまう。
世継ぎのいなくなった頼宗公は憂鬱な日々を送る。
そんな中、姫らしき人物がとある山寺にいるという噂が流れてきた。
最上家執権氏家刑部の息子である荒王重虎もこの噂を耳にする。
過去に何度もこのような噂に騙されていた重虎はこの噂に疑問を抱いたが、それでも万が一と望みを抱いて山寺に向かった。
しかし里の者は姫の所在を尋ねる重虎に口を閉ざして所在を喋ろうとしない。
意気消沈として帰途につく重虎はその道中で茶店に立ち寄る。
そこで重虎は一人の子供に目が釘付けとなった。
その子供は百姓の子供とは違って高貴な顔立ちをしており、しかも行方知れずの光姫にそっくりだったのだ。
そしてこの子供の親という権三郎と会った重虎は激しく問いただして、この子供が光姫の子供であると判明したのだ。
急ぎ主君の頼宗公に報告し、これを喜んだ頼宗公によって若松君、姫や乳母たちを迎えにやった。
古文書は迎えの一行の華やかさを書き記している。
こうして迎え入れられた若松君が最上氏第六代当主となる義春公であったという。

一方的にストーキングされ誘拐されそうになって自業自得で死んだ男。
死後もストーキングをやめなかったばかりに、最愛の父と夫を捨ててストーカーを成仏させる為の旅に出た姫様の
可哀相なお話でした。

ちなみに最上義光歴史館HPによればこの逸話は史実ではなく光姫も架空の人物だそうです。
あと、義春は頼宗の孫ではなく弟っぽいです。
542人間七七四年:2009/02/05(木) 23:26:25 ID:ayeExke6
>>484
ここらへんの話が詳しく書かれてる本が読みたい
ルイスの日本史?
543人間七七四年:2009/02/05(木) 23:32:58 ID:vKdqlRKK
>>539
その後もふがいない子孫のおかげで真田氏の藩主家は血統断絶
松平家、伊達家から養子が…
544人間七七四年:2009/02/05(木) 23:33:26 ID:UnG1cl7A
この状況で最上ネタかくなよ・・・
545人間七七四年:2009/02/05(木) 23:37:35 ID:FDpoixQV
>>543
信之がもうちょっと長生きしていれば…
546人間七七四年:2009/02/05(木) 23:39:59 ID:13RG9Smh
>>541
清姫安珍伝説思い出した

>>544
いちいち蒸し返すな
547人間七七四年:2009/02/05(木) 23:41:16 ID:Nwomja3W
548人間七七四年:2009/02/05(木) 23:50:08 ID:Bg2kqtaL
つーか戦国なのか?
549人間七七四年:2009/02/05(木) 23:53:05 ID:Y6Okme8J
>>546(ry
550人間七七四年:2009/02/05(木) 23:54:18 ID:CCnAlwBP
突っ込む時点で俺もだが、スルーしろ>>544
551人間七七四年:2009/02/05(木) 23:55:34 ID:Wvuer+Fi
>>500貴殿の要望とは、ちと外れるだろうが

鍋島勝茂の家臣に、溝田市郎左衛門という男がいた。
この男、自分がいかにもマッチョな大男であることをを鼻にかけ、常に両刀を持たなかった。

また、戯れにケンカを仕掛けた相手に素早く組み付き、手込めにするのが趣味という
あまりにもイヤーな男でもあった。
(原文は 『手ごめに人をこなすものにて候』 とあるだけなんで、アッー!!に及んだかは
分かりません)

さて、この男の近所に斎藤権右衛門という男がいた。ある日、権右衛門とバッタリ会った
市郎左衛門、さっそく悪いクセが出て、権右衛門へ悪口を吐きかけて、ケンカを売った。

ところが権右衛門なかなかの腕前で、市郎左衛門が仕掛けるより早く、斬りつけられた。
傷つき、その場を逃げ出した市郎左衛門は、家に戻って刀をつかんだが、いろんな意味で
興奮し過ぎたためか、間もなく息を引き取った。

日ごろの行いが悪い市郎左衛門に誰も同情しなかったが、彼には今どきのPTAみたいな
父親がいた。 「素手の息子に、刀で斬りかかるとは!!」

あまりに父親が騒いだので、目付も動かざるを得なくなり、あわれ権右衛門は切腹・・・

と思われたが、話を聞きつけた主君・勝茂の、誰もが納得の裁定に権右衛門は救われた。

「市郎左衛門は、ふだんから素手で両刀を持った者を手込めにしていたのだから、
その両腕こそが彼の武具と言うべきものである。
市郎左衛門と権右衛門、二人とも武具で争ったのだから、これは尋常のケンカである。

むしろ士分でありながら、常に両刀を持たぬ結果、不覚を取った市郎左衛門の不心得こそ
攻めるべきである。 よって権右衛門はお咎めなし。腹切るに及ばず。」
(葉隠より)

以上、隆慶「死ぬことと見つけたり」にも取り上げられたネタ。

まあマッチョとか言っても、刀とか槍とか鉄砲とかの前ではこの程度なんで、
怪力をお家に役立たせるならともかく、ただの筋肉自慢じゃむしろ軽蔑されたんだろうね
552人間七七四年:2009/02/05(木) 23:56:56 ID:MPlz5ELF
>>548
光姫伝説は時代的に戦国時代の直前の時代っぽい。
今までも戦国時代以外の時代の逸話が結構あげられているし、
ある程度はOKじゃなかったっけか?
553人間七七四年:2009/02/05(木) 23:58:05 ID:Y6Okme8J
>>550ageてる時点で(ry
554人間七七四年:2009/02/06(金) 00:01:35 ID:kyMP3rAA
>>551
うわー嫌な奴だなー
555人間七七四年:2009/02/06(金) 00:04:51 ID:cLiewl7L
>>551
心得の悪い話だな
しかし、帯刀は一種のスタンダードだったろうに、こういうやつもいたんだな
556555:2009/02/06(金) 00:05:33 ID:cLiewl7L
×スタンダード→○ステータス
はずかしー
557人間七七四年:2009/02/06(金) 00:12:26 ID:/lc7IpG+
>>541ストーカーした挙句に死ぬって…
>>551今時のPTAに笑ったwモンスターペアレントかw

何はともあれ、話を書いてくれる方々、お疲れ様です。
558人間七七四年:2009/02/06(金) 00:13:22 ID:rNZQUE/U
>>551
元祖シグルイ鍋島さん家にこんなアホがいたのか
いや元祖シグルイだからこそか?w
559人間七七四年:2009/02/06(金) 00:14:44 ID:weTDxLQa
最上厨もなんで最上ネタを書くかな
560人間七七四年:2009/02/06(金) 00:16:05 ID:lnpKNoNY
>>551
稀に見るアホだなw
561人間七七四年:2009/02/06(金) 00:17:12 ID:BtrcSdzB
>>551
むしろ、こんなDQN息子を持ったことを恥じるくらいでいて欲しいよなあ。
細川さんちなら父親監督不行届で殺すレベルじゃね?
562人間七七四年:2009/02/06(金) 00:19:09 ID:tP154r8O
>>559(ry
563人間七七四年:2009/02/06(金) 00:27:59 ID:hscWy0OR
>>540>>541
姫も可哀相だけど逆恨みで怪我させられたり
嫁が発狂して出奔して再会できないまま寂しく若死にした夫も不憫だな…

>>551
ワロタw慶次に出てきそうな話だなw
564人間七七四年:2009/02/06(金) 00:31:07 ID:wv51c67d
>>551
こいつは斬られてもいい
565人間七七四年:2009/02/06(金) 00:31:30 ID:HGdrTgMN
>>555
戦国時代は、「武器は自分の使いやすい好きなもの使え」ってのが基本だったそうで。
刀はあくまで補助用の武器だったようですな。
566人間七七四年:2009/02/06(金) 00:36:34 ID:/HKT1Ag8
帯刀で思い出したが、刀を帯びることでいい意味でも?緊張感をを保つことができたようだ
嘘で騙せば斬られるかもしれない。
罵倒や侮辱をすれば斬られるかもしれない。
だからお互い敬い合い、下手なことはできなかった・・・
と、誰だったか幕末の志士が述懐してたなあ。

溝田みたいなこと繰り返してたらどっちみち死ぬ運命にあるってこった
567人間七七四年:2009/02/06(金) 02:00:07 ID:OAylLsMJ
>>555
似たような話が神君の逸話としてのこっとるな
神君の城であるとき、狂乱した輩が出たんだが、ある剛勇でなる男が素手でそれを取り押さえた

本来なら過分の賞賛あってしかるべきなんだろうけど、
神君いわく、「狂人に素手で立ち向かう馬鹿はいらん」というようなことらしい

568人間七七四年:2009/02/06(金) 02:33:06 ID:cLiewl7L
15世紀半ば、阿波守護の細川成之は領内に布告を出した
「領内に、犬神を使う者がいるという。早く捜し出し、処罰すること。領主達に固く申し付けるように」
他人に災いをなす呪術師がいる!と信じられていた時代だ
「犬神下知状」と呼ばれる公文書なので、厳格に執行されたものと思われる
また土佐でも、長宗我部氏が犬神使いを一族もろとも処罰し、村ごと焼き払って根絶しようとしたという
領主達の必死の対策にも関わらず、犬神の猛威は収まらなかった…らしい
569人間七七四年:2009/02/06(金) 03:31:09 ID:uMVXjB1+
犬による災いというくらいだから…
狂犬病かなにかかね、こりゃ
570人間七七四年:2009/02/06(金) 10:08:07 ID:+on7EXnv
獣耳の女性が出たと申すか
571人間七七四年:2009/02/06(金) 10:14:22 ID:qkBXnkng
犬神家の祟りじゃ〜〜〜〜〜〜
礼としてすけきよ丼置いていく つ http://www5b.biglobe.ne.jp/~manimani/ayashi/101-200/su-ke-ki-yo.jpg
572人間七七四年:2009/02/06(金) 11:10:40 ID:Gti6zl4P
土佐で犬神といえば、キヒヒ笑いが特徴の薄気味悪いピッチャーじゃないのか。
573人間七七四年:2009/02/06(金) 12:12:04 ID:sR8L+G+h
森長可が九州征伐まで生き残ってたら、新納忠元はタダではすまなかったはず
元祖鬼武蔵がいるのに西に自分と同じ異名の武将がいるなら間違なく斬られます
574人間七七四年:2009/02/06(金) 12:36:56 ID:R9VvpJhq
森長可>新納忠元なんだな
次は誰が長可の引き立て役にされるのやら
575人間七七四年:2009/02/06(金) 13:40:10 ID:XVBZnsHQ
案外意気投合して猿を殺しにかかったりしてな
576人間七七四年:2009/02/06(金) 14:09:24 ID:4+HYzei4
>>542
>ここらへんの話が詳しく書かれてる本が読みたい
>ルイスの日本史?
ルイスって誰だw 「台湾のイチロー」のあのルイスか?

細川ガラシャと秀吉の色狂いの逸話は「武者物語」で読んだとことがある。
一般に知られた「わざと懐剣と落とした」バージョンではなかった。
ガラシャは「秀吉は亡き父の敵」と言い捨て、秀吉のお召自体スルーしたとか。
光秀父娘の絆を感じさせるの逸話は初めて見たので、不思議な気がした。
577人間七七四年:2009/02/06(金) 14:53:40 ID:+on7EXnv
>>576
‘ルイス’・フロイス「(´・ω・`)」
578人間七七四年:2009/02/06(金) 16:40:43 ID:AuIFhsyU
>>573
新納忠元のほうが30才くらい年上なのに元祖じゃないのか…
579人間七七四年:2009/02/06(金) 17:52:24 ID:4+HYzei4
>>423
>舅の脳天砕くとかキチガイすぎる…
>あと清水某との決着はついたのかが激しく気になる。

亀だが、名前は「清水太郎左衛門政勝」。父は清水康英だからかなりのビックネームだな。
幸いにも、金棒の餌食にはなっていないみたいw
太田の8尺金棒VS清水の樫の棍棒 対決は見たかった気がする。
580人間七七四年:2009/02/06(金) 18:09:47 ID:zTopRFqb
太田康資の舅だったら遠山綱景だよね?確かに第二次国府台合戦で
息子ともども討死してるけど娘婿に金棒で殴り殺されたとは…

康資の奥さんが儚んで尼さんになってしまうのも止むを得ない話だ。
581人間七七四年:2009/02/06(金) 18:24:58 ID:uMVXjB1+
むしろ康資が嫁さんの出家にどうリアクションしたのか気になるw
582人間七七四年:2009/02/06(金) 18:28:15 ID:wv51c67d
康資「ガハハ、わざわざ出家するとは信心深い奴よ。感心感心。」
583人間七七四年:2009/02/06(金) 18:47:11 ID:ER1pOmgT
七哲と称された人々も、初めは未熟でした

ある日、千利休は古い丸釜を使って茶会をした
七人の弟子達、これは(・∀・)イイ!と思い、同じような茶釜を一生懸命探し求めた
そのうちの一人が風情の似た釜を手に入れ、得意満面で茶会を開いた
さぞ、宗匠も褒めてくださるだろう!
「・・・あなたたち、それって違いますよね」
が、利休は七人の奔走を知っており、説教を始めた
「私が丸釜を出したら、かえって四方形の釜などをお出しなさい
いいですか、この釜は確かに、私が出した釜と似た風情でよいものです
でも続けて出されては、単なる二番煎じとなり、まったく面白くないではないですか」

かなりキツイ説教に、七人はばつの悪い思いをしたろうなという話
584人間七七四年:2009/02/06(金) 18:59:54 ID:4+HYzei4
>>580
史実的にはそのほうがしっくりくるが、逸話集には「舅は太田下野守・金棒振り回したのは太田資高
(康資の父)」としっかり書いてあるから仕方がないw
この太田下野守って人物は太田資正の舅なんで、そこらへんごちゃになった可能性もある。
ということで、太田資正(の敵にとって間が)悪い話


喉輪を外せ

太田資正は国府台の合戦で北条氏に苦戦し、自らも数か所の手傷を負った。
運のないことにそんな手負いの資正に北条家の侍が組みついて、資正はマウントポジションを取られた。さらに運の悪いことに資正の郎党もそばにおらず、助太刀も期待できない。
資正絶対絶命のピンチである。

敵の侍は脇差を抜いて資正の喉首に刃を押しあてた。ところが、資正が喉輪(首・胸元を防御する武具)を装着していることに気付かないのか、なかなか刃が通らない。

資正は郎党が駆け付けるまで時間を稼ごうとこう言った。
「貴殿に言い残したいことがある。それではワシの首は取れないぞ。まず、喉輪を外してそのあとに首を切るべきでござろう。」
「資正殿、ご忠告かたじけない。今から喉輪を外すゆえしばし待たれよ。」と敵はもどかしい手つきで資正の喉輪を外し始めた。

そうこうする内に主人のピンチを救わんと資正の郎党が駆けつけ、敵は郎党にあっさりと首を取られたという。
(続武者物語)
585人間七七四年:2009/02/06(金) 19:28:39 ID:/7yysFKG
こんな極限状態なのに互いに礼節を忘れないってのはやはりすごいなw
586人間七七四年:2009/02/06(金) 19:37:45 ID:hscWy0OR
>>584
無防備である脇の下から心臓を突き刺すのは当時はタブーだったのかな?
587人間七七四年:2009/02/06(金) 19:38:32 ID:wv51c67d
先にトドメを刺さないあたりはむしろいい話
588人間七七四年:2009/02/06(金) 19:40:12 ID:jlqoFdJ1
>>586
その方法に気づかせないために、わざわざ「喉輪をはずせ」と言ったんじゃないの?
589人間七七四年:2009/02/06(金) 19:45:54 ID:XVBZnsHQ
さっくり止め刺させないために時間掛かる方法をわざと教えた、と。
沈着冷静だな
590人間七七四年:2009/02/06(金) 20:25:22 ID:2GIJcCCz
真田信之の家臣に馬場主水という男がいた。
この男、領民の娘に乱暴して自殺させた罪で投獄されていたのだが
脱走することに成功した。このまま姿をくらますかと思えば、信之は大坂の両陣で
敵と内通していたと幕府にタレこんだのだった。
「信之は大坂の両陣で弟の幸村に武器や弾薬を提供し、兵も送った。
 これは軍議で信吉と信政が言っていた話だから間違いない。」
本当なら幕府としては見過ごせない事態である。幕臣の土井利勝が同席して
主水と真田家臣の木村土佐を対決させることになった。

土佐の証言によれば
「主水のような身分の低い者が軍議に出席できるわけがありません。
 しかもこいつは忍びの技の名人ということで冬の陣のときに召抱えて
 堀を調べさせたのですが、菱にやられて足を怪我したのです。
 そして夏の陣では『足が痛くて動けない』と言って信濃に留まっていましたから
 軍議の様子がわかるはずがないのです。」
とのことで兵を送ったことについては
「それは信之様に仕えることができなかった幸村の家臣が幸村を頼ったのでしょう。
 父や弟と別れてまで徳川に忠節を尽くした信之様にいまさら刃向かう気持ちなどありません。」
と毅然とした態度で答えた。これに対し主水は何も反論できず、信之は無罪は証明された。
主水は命を助けられたが、後に仲間に殺されてしまうのだった。

また別の話では主水は信之を陥れるための間者だったので、
信之が家臣の小川治郎左衛門に殺させたともいう。
591人間七七四年:2009/02/06(金) 20:46:55 ID:m2O5ASE7
>>579
太郎左衛門は五代記にわざわざ一節割いて説明されてるくらいだから。
樫の六角棒の一振りで五人十人をホームランかます奴だw
三方ヶ原にも援軍として参戦して、逃げる敵将の首を180度捻ってぶっ殺したり、やりたい放題。

でも真に凄いのは太郎左衛門の母。
牛をひょいと担いで崖から這い上がりますw
592人間七七四年:2009/02/06(金) 20:54:20 ID:wv51c67d
人間なのか?
593人間七七四年:2009/02/06(金) 20:58:03 ID:m2O5ASE7
なあに、全盛期のイチローのテンプレみたいなもんだ
594人間七七四年:2009/02/06(金) 21:34:21 ID:MUr0xBJv
>>580
信之兄ちゃんwwどこまで苦労してんのwww
>このまま姿をくらますかと思えば、信之は大坂の両陣で
敵と内通していたと幕府にタレこんだのだった。
これは迷惑だな
595人間七七四年:2009/02/06(金) 21:37:48 ID:MdJLtRvO
>>590
真田太平記にもそんな話があったな
596人間七七四年:2009/02/06(金) 22:02:08 ID:klTHKf9f
ここまでくるとトンネル掘削機でも信之の胃に穴をあけられないのではと思ってしまうw
597人間七七四年:2009/02/06(金) 22:04:52 ID:xAN3K8U3
池波正太郎の小説で、真田信之の庶子が晩年の彼の前に、
家臣としてひよっこり出てくる話があったなあ。
598人間七七四年:2009/02/06(金) 22:43:38 ID:2GIJcCCz
>>590
大筋は変わらないけどちょっと間違えた。

×「信之は大坂の両陣で弟の幸村に武器や弾薬を提供し、兵も送った。
  これは軍議で信吉と信政が言っていた話だから間違いない。」

○「信之は大坂の両陣で弟の幸村に武器や弾薬を提供し、兵も送った。
  天王寺・岡山の戦いでは密かに信吉と信政が一番に大坂城に入った。
  俺は信吉・信政と一緒に軍議に参加したから間違いない。」

×そして夏の陣では『足が痛くて動けない』と言って信濃に留まっていましたから
  軍議の様子がわかるはずがないのです。」

○そして夏の陣では『足が痛くて動けない』と言って信濃に留まっていましたから
  信吉と信政が一番に大坂城に入ったことがわかるはずがないのです。」

まとめの管理人さん、修正しておいて下され。
599人間七七四年:2009/02/06(金) 23:48:08 ID:/HKT1Ag8
>>586
当世具足だと脇の下には万智羅という鎖帷子のベストや、
脇引という鉄の小札を綴ったパッドを付けてるよ
600人間七七四年:2009/02/07(土) 00:15:34 ID:r4421eHK
>>599
マ、マンチラ?
601人間七七四年:2009/02/07(土) 00:24:08 ID:fxhjWZJw
>>590
この時、秀忠の近習で関ヶ原の上田合戦で信之と共に戦った、中山勘解由と朝倉藤十郎が
信之の下に使者に行って、信之の無罪を証明するため色々動いているんだよね。

最初この疑惑を言われた時信之お兄ちゃん「そんな疑われているのなら切腹する!」って
錯乱して、そこで中山、朝倉が「この件は俺たちに任せろ!絶対に死ぬな!」と
信之を落ち着かせて、秀忠の所に「信之は絶対に無罪」って報告してる。

幕府の中にも、信之の味方は結構居たらしい。
602人間七七四年:2009/02/07(土) 00:30:16 ID:a3kNj2Lb
宇喜多直家・松永久秀「誠実に生きていれば、味方は出来るものさ!」
603人間七七四年:2009/02/07(土) 01:33:19 ID:e1YNbw+p
>>602
それはお前ら二人の弟たちにこそ言わせてやってほしい
604人間七七四年:2009/02/07(土) 03:02:24 ID:0BKMuQu1
>>600
畠山さん成仏して下さい。
605人間七七四年:2009/02/07(土) 03:26:02 ID:h4kpZD6Z
いざという時に親身になって助けてくれる人脈といい、
「切腹しちゃうもんね!」と錯乱して見せたりする腹芸ぶりといい、
信之兄貴、やっぱり真田の血を濃厚に継承した政略家だよな。
606人間七七四年:2009/02/07(土) 04:24:40 ID:lqOQSteU
武田信玄、華麗なる同盟切断歴

信玄は元々大名なので謀反を起こすことはなかったが、代わりに同盟を切った回数が半端ない。
まずは父を追放して家督を相続後、狙った相手は諏訪頼重。
これ、父の代に信玄の妹を嫁に送り込んで和睦が成立していたのである。

でも、そんなのお構いなし。

ちょうど近くの高遠頼継も諏訪領を狙っていたので、手を組んで滅ぼしてしまった。
しかし今度は領土問題で高遠頼継ともめた。

次は高遠頼継との同盟を、切った。

そうして高遠頼継を滅ぼして領土拡大する。さらに今川北条と三国同盟を結んで順調に領土を拡大していたが、
ある時今川義元が桶狭間で死亡。後を継いだ氏真は家康の独立や家臣の反乱に手を焼いて非常に苦しい状況にあった。

信玄、今川との同盟を切った。

すぐさま徳川家康と手を組んで攻め込んで今川の城を落としまくった。これには北条も激怒して逆に同盟を切られる有様。
なんとか凌いで今川領を手に入れたが、その後領土問題で徳川ともめた。

信玄、徳川との同盟を切った。

攻め込んでみたが撃退されてしまい、以後ずっと徳川と仲が悪いままになる。
それからしばらくのち、以前から同盟を結んでいた織田信長がなんだか騒がしい。
どうやら浅井朝倉一向宗らに包囲網を築かれ、非常に苦しい状況にあるという。

信玄、織田との同盟を切った。

すぐさま美濃に攻め込む信玄。しかも直前まで「これからも仲良くしようね」という手紙を送っておくという念の入れようである。
そんなさなか、ついに信玄死亡。
苦労したのは次の勝頼で、上杉謙信と同盟を結ぼうと使者を送ったら、
「おめーんとこ同盟切ってばっかじゃねーか!信用できるかよボケ!」
と突っ込まれる有様となった。
607人間七七四年:2009/02/07(土) 04:53:19 ID:fxhjWZJw
でも信玄には、盟約を破っても、ぬけぬけと批判もろとも相手を飲み込んじゃうような、
悪としての格の大きさと言うか懐の深さと言うか、そう言うものを感じるんだよなー。
騙されている方も魅入られちゃうような。
史料とか読んでて、この人化け物だなって思っちゃうのは、やっぱ信玄だな。
608人間七七四年:2009/02/07(土) 05:14:12 ID:MXi5tFXr
そんなだから映画「影武者」で信長包囲網の朝倉軍が勝手に撤退したのを信玄が怒り、
それを山県昌景にたしなめられるシーンは違和感があった。
信玄は裏切ることに慣れていても裏切られることに慣れてはいないというジョークかも知れんが。
609人間七七四年:2009/02/07(土) 07:24:49 ID:N0BKtbzJ
良い中ボスだな
ラスボスや最終的な勝者にはなれん
610人間七七四年:2009/02/07(土) 07:27:38 ID:pzjtfY/y
FEトラキアのトラバント閣下みたいな感じだな
611人間七七四年:2009/02/07(土) 07:57:59 ID:P7hc5M2/
他にも信玄は
謙信から本庄繁長を離反させるも
繁長以外の本庄一族が謙信側に付いたと知ると、アッサリ見捨てて甲斐へUターン
おかげで繁長は謙信に息子を獲られ、金山獲られ、一族のトップの地位まで色部に奪われた

更に信玄は謙信から椎名を離反させるも、これまた殆ど協力せずに放置
おかげで椎名は謙信に攻められ衰亡〜越中東部は謙信の寵臣・河田長親が置かれた

謙信から離れた関東諸侯の一人、関宿城の簗田と同盟を結んだ信玄
ある日無断で簗田を捨て、北条と再同盟を結んだ結果、簗田孤立
結局、頼る相手が謙信しか居なくなった簗田
以前のように越後へ書状を送り、救援を懇願するのだった
612人間七七四年:2009/02/07(土) 08:56:25 ID:QSYvaH5r
>>611
勝頼たんの上杉景虎・北条氏政との同盟破棄・上杉景勝との同盟締結がかわいいと思えるレベルだなw
613人間七七四年:2009/02/07(土) 09:11:28 ID:3opEFGKD
>>606
>苦労したのは次の勝頼で、上杉謙信と同盟を結ぼうと使者を送ったら、
>「おめーんとこ同盟切ってばっかじゃねーか!信用できるかよボケ!」
>と突っ込まれる有様となった。
それでも謙信は勝頼と同盟結んでるよね
「勝頼とならいいが北条とは絶対嫌だ」とか言って
同時期毛利とも同盟を組んでるので対織田対策でも有るのだろうけど
614人間七七四年:2009/02/07(土) 09:11:56 ID:ZxASccGl
同盟きられるとわかっていても同盟せずにはいられないってことだろ
じゃなきゃ自分が攻め滅ぼされるわけだから
615人間七七四年:2009/02/07(土) 09:41:56 ID:FfUWfu2W
そんだけ同盟破棄しても次から次へと同盟していくなんて…
すげーもてるんだな 泣いた女は数知れず戦国一のジゴロじゃんw
616人間七七四年:2009/02/07(土) 09:58:49 ID:3opEFGKD
>>614
本庄繁長の場合は同族や同じ揚北衆に期待し過ぎたんだろうけどね
まず味方になってくれるだろうと
彼の父・本庄房長は反長尾同盟の中心人物だったし
上に書いてある色部氏だって長尾晴景の代に
「長尾が何か言ってきても我々は団結して抵抗しよう」
なんて本庄氏へ伝えるくらい独立志向だった
そんな本庄・色部両氏は長尾景虎に臣従してまだ十年しか経っていない状況
繁長の中に揚北連合再結成の野望が残っていても不思議じゃない

あと椎名氏も本庄氏と同様「武田を利用して長尾から独立してやろう」という野望だろうね
両氏とも時流を読み誤ってしまった
617人間七七四年:2009/02/07(土) 10:05:18 ID:hCDWTz9u
>>605
というか毛利隆元と“地味長男(総領息子)”枠で血筋を超えたシンクロニシティーが…w
618人間七七四年:2009/02/07(土) 10:43:07 ID:8ecBBLqL
信長なんか間抜けのきわみだな
同盟しては破棄されまくり謀反されまくり
人間的にとてつもない欠陥があったとしか思えんw
619人間七七四年:2009/02/07(土) 10:44:47 ID:FFT/iuyM
>>613
氏政は三郎を見捨てたことがよっぽど謙信の癇に触れたみたいだからなあ。
兄貴とも和解のうえの家督相続で
姉妹も甥姪も血縁者を誰一人越後の外に出さない外交の謙信的には
アリエナスだったんだろうな。
620人間七七四年:2009/02/07(土) 10:50:53 ID:N7q/ePzn
裏切り裏切られは日常茶飯事の戦国だぜ。
まして信長みたいに天下に近ければ、いろいろあるだろう…

まあ最期とかを考えるとアレだけども、みんな大変だよね。

松永久秀「裏切っても許してくれるノブはいい子!」
621人間七七四年:2009/02/07(土) 10:54:39 ID:8ecBBLqL
信長のすげー所は思いっきり下手にでているにもかかわらず
相手がキモがって謀反されまくるあたりかなw
どんだけ嫌われてるんだよお前みたいな
622人間七七四年:2009/02/07(土) 11:06:35 ID:tKj7htwF
>620
中央にいて四方が敵なんだから、信長も当面の敵以外とは和睦して、各個に切り崩していくしかないんだよな。

人格がどうこうの問題じゃ全くないだろうjk
623人間七七四年:2009/02/07(土) 11:16:07 ID:a3kNj2Lb
浅井長政や松永久秀はまだ理由があったとしても、荒木村重なんかは謎だよな。
光秀は佐久間信盛の追放が原因なんだろうが……。
配下としては、常に不安だったんだろう。何考えているのか分からなくて。
624人間七七四年:2009/02/07(土) 11:17:23 ID:8ecBBLqL
そんで同盟破棄された後の逆切れもこれまた笑える
アホだねぇ〜って
625人間七七四年:2009/02/07(土) 11:31:36 ID:rJuss7Mc
徳川家康「修理どの、こやつは何を言っておるのかな?」
柴田勝家「はて、安置とか嵐とかいう輩では。スルー推奨と聞き及びまする。」
626人間七七四年:2009/02/07(土) 11:38:12 ID:zU+3PNdF
身内からも裏切り者多数だしな
叔母は寝取られるし すげー悔しがってたらしいな
そんでもなーんもできず泣き寝入りだし
627人間七七四年:2009/02/07(土) 12:03:23 ID:OP0iz0iE
鮭様みたいな常識人が一番だな
628人間七七四年:2009/02/07(土) 12:17:00 ID:a3kNj2Lb
富田長繁「常識人と聞いて」
629人間七七四年:2009/02/07(土) 12:36:05 ID:Bgn0NWOv
鬼武蔵「戦国時代では常識に囚われては(ry」
630人間七七四年:2009/02/07(土) 13:06:27 ID:6DEkfM/x
>>584
資正と康資の逸話は、奇しくも里見方として国府台合戦に参加したときのものだね。
同じ戦場にいたとは思えない落差だな。
資正の能力は秀吉をして「おれですら天下を取れたのに、資正ほどの人物が一国すら取れない
のは本当に不思議だ。」と言わしめた人物。よっぽど地の利を得なかったのかな。
この人の晩年は悲壮感すらあるね。
ちなみに、2人は晩年にタッグを組んでいるが、オードリーみたいな芸風だったのだろうか?

>>591
よりによって康資は最凶最悪の相手にロックオンしちまったみたいだなwww
康資だからこそ、ファーストコンタクトで清水に太刀を折られただけで済んだの
だろう。
清水太郎左衛門の逸話が気になるのでkwsk

631人間七七四年:2009/02/07(土) 13:19:09 ID:tKj7htwF
>628-629 あんた方はフリーダムすぎるだろw
632人間七七四年:2009/02/07(土) 13:44:20 ID:VgGEHAwx
もはやフリーダムを通り越してアナーキーの領域
633人間七七四年:2009/02/07(土) 14:22:13 ID:En8082wq
>>619
謙信が驚愕してるのはむしろ早雲以来北条に仕えてきた遠山を見捨てたこと
あの遠山親子を見捨てるか〜!?・・・みたいな手紙が残ってる
上野の領主で北条寄りだった由良成繁までが氏政に激怒
634人間七七四年:2009/02/07(土) 14:29:50 ID:08+vMvQy
>>633
あんたは家を捨てようとしてたじゃんという突っ込みを
謙信にしてはいけないわけですね。
635人間七七四年:2009/02/07(土) 15:02:53 ID:QtQrD5C6
>>623
荒木は信長配下の長谷川に、2階からひっかけられたとかいう
話がなかったっけ?
636人間七七四年:2009/02/07(土) 17:23:26 ID:JxHykxny
もうスレチだからいいよ
637人間七七四年:2009/02/07(土) 17:24:28 ID:gFV4/yLm
>>634
あれは芝居だっつー疑いも濃いからなぁ
書き置きにわざわざ府中長尾氏の業績や正当性を列挙したり
それを中条×黒川の境目争論に取り組んでいた天室光育に渡すとか、本心が見え隠れしてる
しかも復帰条件が『今後二心を抱かず景虎に従うこと』なんて誓詞の提出
だけに留まらず、証人まで獲得してしまうなんて計画的
あとは前の越後守護・上杉定実による出家騒動と成り行きが酷似してるだの
事前に中条藤資と景虎とが共謀していたとの指摘が上条に残ってるだの
これら幾つもの材料から疑義を唱えている専門家は実際多い
638人間七七四年:2009/02/07(土) 17:26:52 ID:6ZBrWvD3
>>634
お虎「だってみんな言うこと聞いてくれないんだもん……」
639人間七七四年:2009/02/07(土) 18:50:10 ID:0BKMuQu1
日根野弘就の切腹

慶長7年(1602年)、先の関ヶ原の戦いで石田三成への内通疑惑が持ち上がって来た日根野弘就は焦っていた。
「まずい・・・」おそらくクロだったのだろう。もう隠居の身分であった弘就だが事が明るみに出れば日根野家は改易はまぬがれないだろう。

日根野弘就は決意した。「よし、切腹しよう!」。

おもむろに腹を切り裂くと腸を掴み出し庭の木に引っ掛ける弘就。尋常な死に方では無い。狂死したということにでもするつもりだったのだろうか?
だが弘就は気付いてしまった。まだ証拠隠滅をしてない事に・・・

驚くべきはこれから。露出した臓物を打ち捨てるとそのまま二階へと駆け上がり書状などを調べて不要なものを破って、
さらに念入りに縄で縛った後、火の中へと捨てた。

ふぅと一息付く弘就。これで死ぬかと思いきやなんと死なない。
近侍の者に「まだ死にそうにない」とぼやくとそのままいつも通りに生活し始める弘就。庭の臓物はなんなのか。

しかし、やはりただで済む訳も無く晩になって苦しみ出した弘就。「いよいよだ。わしが死ぬのも近い」と弘就はついに自らの首を刎ねて息絶えた。


かっこ悪い切腹の話
640人間七七四年:2009/02/07(土) 19:04:11 ID:diNd1D2z
>>639
すげえええええええ!!

人間、取り返しのつくものなんだな
悪い話かもしれないけど感動した
641人間七七四年:2009/02/07(土) 19:23:11 ID:lqOQSteU
ちょっと吸血鬼の血が混じってるんじゃないのかこいつ。
642人間七七四年:2009/02/07(土) 19:26:19 ID:cF6Iwpwv
日根野は吸血鬼
643人間七七四年:2009/02/07(土) 19:27:03 ID:SYZ19/gq
すげー。

興奮しすぎであまり痛みを感じなかったのかな?
いやでも出血が…腹膜破れてるだろうしなぁ…。
腸とかワサワサ出てくるって言うけど…。
644人間七七四年:2009/02/07(土) 19:41:15 ID:0BKMuQu1
ちなみに弘就は当時85歳(数え年)です。
645人間七七四年:2009/02/07(土) 19:49:53 ID:RE98bz9M
流石何度主家が滅んでも生き残る男とかそれよりも
死にそうにないって思ったんなら最初に首跳ねろよ
無駄に苦しんでるだろ絶対
646人間七七四年:2009/02/07(土) 19:59:11 ID:rewOUyI8
ふつーに日根野は人間じゃなくて実はプレデターと思いましたが
647人間七七四年:2009/02/07(土) 20:30:11 ID:fRPTy+Ec
弘就、御年からいって、おそらく認知症だったのでは・・・

このエピソード、あり得ます。
648人間七七四年:2009/02/07(土) 20:52:56 ID:SDHocWYt
>>621
政治的な問題を人格の問題に摩り替えないように
649人間七七四年:2009/02/07(土) 22:58:08 ID:ODhpooIQ
島津亀寿は前夫・久保が朝鮮で陣没した後、家久(忠恒)と結婚した。これによって家久は
薩摩太守の跡継ぎとなっており、つまり島津宗家の相続権は、亀寿にあったようである。

家久はこれが相当不満だったようで、養父・義久の死後、亀寿がその隠居所である国分を
弔問のために訪れると、そのまま彼女を蟄居させてしまった。 国分での彼女の生活は
かなり苦しいものだったようで、見かねた義弘が伊勢貞昌に対策を命じている。

亀寿は臨終の床で、隠し持っていた島津家の重宝(この為家久に殺されなかった)を
老臣・山田有栄に託した。その際も、

「いいですか、これは必ず又三郎殿に渡して下さい。家久殿じゃなくて又三郎殿ですよ!!」
と、わざわざ言い残して死んだ。
遺言は守られ、重宝を相続した又三郎こと光久が亀寿の養子となり、島津宗家を継いだ。
(武功雑記より)
しかし、彼女の苦難は死後も続いた。

寛永9年(1632)、その話を聞いた家老・北郷忠能は、主君の書斎へ転がり込んだ。

「と、とのー!一大事、一大事にござる!家久様がまたしでかしてくれましたぞ!」
「うるせーな、今さら父上がナニやろうと驚かねーよ。今度はなんだ?」

「いえ、先年亡くなられた亀寿様の墓ですが」 「養母上?高野山で祀ってるんじゃね?」
「その墓が、ありませぬ。」 「・・・ちょっと待て、言ってる意味がわからん。」

「ですから、高野山に納骨したというのは家久様のウソで、お骨はまだ国分に放置。
つまり元太守の娘、前太守の妻、現太守の養母の 墓  が  あ  り  ま  せ  ん。」

驚いた光久は至急、亀寿の遺骨を高野山に納骨した。また、薩摩本国にも菩提寺を建て、
家臣たちに彼女の祥月命日の5日には、必ず参拝するよう命じた。
(旧記雑録より)

鹿児島県立美術館の敷地に『ジメサア』と呼ばれる石像がある。
ジメサアとは亀寿の法号『持明院様』のなまったものであり、その説明には

『持明院様は16代義久の娘で亀寿といい、器量には恵まれませんでしたが、その人間性が
尊敬され、人々は 『器量はすぐれずとも、心優しく幸せな家庭を築いた』 夫人の人柄を
慕い、毎年10月5日の命日には、この像におしろいや口紅をぬって、夫人にあやかるように
おまいりするならわしが残っています』

と、なっている。 不遇の人生を送り、死後まで『ブス』と言われる彼女に、合掌。
650人間七七四年:2009/02/07(土) 23:05:51 ID:Es8rmkIY
>>649
(´;ω;`)ブワッ

ってか、幸せな家庭って・・・
651人間七七四年:2009/02/07(土) 23:11:32 ID:0BKMuQu1
久しぶりに来たな・・・薩摩のDQN王ネタが
652人間七七四年:2009/02/07(土) 23:17:31 ID:NRDGl6/U
DQNといえばあれだ、政宗のDQN話がもっと聞きたい
653人間七七四年:2009/02/07(土) 23:18:08 ID:fjrblT3T
短パンマン
654人間七七四年:2009/02/07(土) 23:56:21 ID:kviky9Hh
豊国ネタを投下してる俺から新ネタ入荷したので投下します

山名豊国と黒田官兵衛のお話
時は関ヶ原。山名豊国はわずかな所領にわずかな手勢を率いて平八さんの近所に陣取るわけだが。
従兄弟を家臣にしたり娘を磔から側室にさせたりと豊臣家にいい思いをさせてもらってた豊国。
しかし人を見る目があったのかあるいは偽者ながら源氏一族でということなのか
東軍に与すことになった豊国。早速豊臣の御噺衆から徳川の御噺衆に切り替わったわけである。
諸国の情報収集をしてることでにわかに有名な御噺衆であり、この当時は京で黒田官兵衛の情報収集をすることとなった。
その情報収集の相手が豊国。実は鳥取城攻めのときに会っている為これが2度目といったところか。
豊国はこう言った
「京に浪人がいっぱい居ますけどね、あんた謀反の疑いかけられてまっせ、ちったあ中津に引っ込んでたら」
官兵衛はこう言った
「天下をとろうならもう取ってる。それをする気がないだけだ。」

豊国ちょっと(気分が)悪い話
655人間七七四年:2009/02/08(日) 00:04:09 ID:uFdzaCS7
>>649
薩摩のDQNには爽やかさが足りんな全く。もっと明るい方向にヒャッハーして頂きたい
ちなみに亀寿には不美人説だけじゃなくて、美人説も伝わってるみたいよ
何で不細工説の方が広く流布したのか解らんが…

ttp://373news.com/_bunka/jikokushi/27.php
656人間七七四年:2009/02/08(日) 00:18:20 ID:QwsmrPWY
>もっと明るい方向にヒャッハー

|●∀・) <よんだ?
657人間七七四年:2009/02/08(日) 00:22:52 ID:zf4vYCfM
島津の宗主の、コアな部分は義久→亀寿→光久と
続いていたんだね
658人間七七四年:2009/02/08(日) 00:40:11 ID:4L7BIQw7
光久の母親は義久の外孫忠清の娘なんだよな
自分の妻の姉の孫娘を側室にするなんて
さすが薩摩のDQN王
659人間七七四年:2009/02/08(日) 00:40:15 ID:NyrsCCK1
家久(2代目)のDQNっぷりに改めて脱帽w
660人間七七四年:2009/02/08(日) 00:42:08 ID:6yb5N9sc
最近、家久分が不足してたので満足
661人間七七四年:2009/02/08(日) 01:30:31 ID:gZCXANk7
>656
明るく奇形魚を獲らせてくるんですね、わかります。
662人間七七四年:2009/02/08(日) 03:24:29 ID:EJYM7IQF
関ヶ原の合戦の論功行賞も終わり、家康が諸大名と謁見する事となった
征夷大将軍就任も噂される天下人との会合である
諸大名は色めき立ち日程を調整し続々と駿府に集まってきた
当日、謁見の間では壮大な場所取り合戦が勃発
前へ、とにかく前列へ
家康の覚えが良ければ大封を掴む事も夢ではないならば当然である
が、誰よりも早く謁見の間に到着しながら最後列の隅に陣取った男が居た
家康が姿を現し諸大名が口々に祝いの口上を述べる中でもその男は一言も発さなかった
家康が退出するときふと立ち止まって部屋を見渡した
諸大名が家康に注目した中…
「真田の声を聞かなんだが…居らぬのか?」
すると最後列から声がする
家康が見難そうにしているので慌てて数人が身をかわす
自ら最後列に座り沈黙を守っていた男、真田伊豆守信之の平伏した姿がそこにあった
家康はその姿を見るや
「うむ。健勝のようで何より」
と声を掛けてから退出した
信之は平伏したまま動かなかった
諸大名はこれを見て非常に羨ましがったという

(●Д゚)←最前列に陣取って祝賀の演説をぶちかましたのに身をかわした(とされる)人


オチまで引っ張ったが伊達政宗の相変わらずなお話でした
663人間七七四年:2009/02/08(日) 05:17:29 ID:WZPefqd6
やっぱ真田の兄ちゃんは出来るなぁ。
664人間七七四年:2009/02/08(日) 06:21:47 ID:pNgcoiwl
>>662
有名な昌幸&信繁への助命嘆願っていつになるんだろう?
665人間七七四年:2009/02/08(日) 09:46:08 ID:SJ5DmSJu
島津家久さん、蹴鞠の名手で出兵前の名護屋でも朝鮮でも
腕前を披露したとか。
あれって単に原っぱではだめで、土地を慣らさないといけないとか。




666人間七七四年:2009/02/08(日) 10:36:28 ID:KMjTJ8m0
>>658
島津義久「俺は叔母を正室にしましたが何か?」
667人間七七四年:2009/02/08(日) 11:10:11 ID:ksC5nwyc
>>666
まあ血が濃ゆいのは戦国期の島津の特色みたいなもんだしなあ
それを言ったら
義弘「息子の嫁はその従姉妹ですが何か」
歳久「兄の孫を娘の婿にしましたが何か」
家久(善)「叔母の娘を嫁にしましたがry」
豊久「又従姉妹を嫁にry」
きりがねえww

>>658は近親云々でなくて、亀寿の姉の孫を側室にするのはさすがに
亀寿に対して思いやりが無いだろって話じゃないかな
668人間七七四年:2009/02/08(日) 11:38:14 ID:QwsmrPWY
>>665
戦争の真っ最中に自分だけのお遊びに金かけてるんじゃねーよw

>>654
さすが豊国_________

>>662
それまーくんのちょっと悪い話じゃない 信之のちょっと(うらやまし)いい話じゃないかw
669人間七七四年:2009/02/08(日) 11:54:46 ID:Jwo1uIRm
>>668
蹴鞠は武士の嗜みとして奨励されている例もあるんだが。
670人間七七四年:2009/02/08(日) 12:16:08 ID:NHNth1Qa
>>669
父親が海の向こうで昨日は味方の救援、今日は籠城と命がけで戦ってるのに
毎日サッカーやっててお供の日記に

「今日も(若様は)いつも通り蹴鞠!」とヤケクソ気味に書かれてても?
671人間七七四年:2009/02/08(日) 12:25:25 ID:/4hSe42D
>>670
某魔王の三男みたいに失敗すると「三介殿のなさる事よ」と
失敗が日常と扱われるよりはましじゃないかなぁと。
672人間七七四年:2009/02/08(日) 12:57:08 ID:Fv8HOdC0
>>639
日根野兜の考案者でも有名だな。
673人間七七四年:2009/02/08(日) 13:12:57 ID:6yb5N9sc
井伊直政、真田幸村の兜も日根野形ベースなんだよな。
674人間七七四年:2009/02/08(日) 16:04:03 ID:wq4kbr76
>>668-670
今の静岡でサッカーが盛んなのは麿が蹴鞠を率先して修練しておったからじゃと、氏真公がおっしゃっておられます
675人間七七四年:2009/02/08(日) 16:30:08 ID:Fv8HOdC0
人違い

果心居士は京都のある商人から借金をしていたが、返済するのをすっかり忘れて
京都の街中をぶらぶらと歩いていた。
と、そこに件の商人が果心居士を見つけてまっしぐらにこっちに向かってきた。
あいにく、果心居士には返済できるような金の持ち合わせはない。
「やべ。術を使ってごまかすか。」
果心居士はなにやら呪文を唱えると、顔が3倍の大きさに膨らんだ。

「居士殿、貸した金を返して頂きましょう!!」
「あなたから金など借りた覚えはないが。人違いではないかな。」
果心居士はパンパンに膨れた顔で商人の方に振り返った。
「ぎょえっ……人違いでした。スミマセン。」

こうして果心居士は借金を踏み倒したという。
(日本奇談逸話伝説大事典)
676人間七七四年:2009/02/08(日) 16:48:34 ID:XcyQM7Jp
>>675
いい話悪い話以前に妖怪じゃねえかw
677人間七七四年:2009/02/08(日) 17:40:44 ID:/cbt+fIP
>>675
SENGOKUの飛び加藤かww
678人間七七四年:2009/02/08(日) 18:15:20 ID:0cnUKqD3
既出のおわびに

合戦に動員された兵士たちには米が支給されるのだが
一気にたくさん渡してはいけなかった
たくさん渡すと醗酵させて酒にしてしまうというのである
こうして食い物に困った兵士は仕方なく具足や兜を売ったり
賭博のかたにせざるおえなくなる
しかしこれでは戦ができないので彼らは敵兵や民衆から
追い剥ぎをするのである
それどころか味方の持ち物を盗む者までいたらしい
『雑兵物語』にはそのことについて
「金銀でこしらえた刀や脇差なんて持ってたら、寝首を掻かれるぞ」
と書かれている
679人間七七四年:2009/02/08(日) 18:22:16 ID:/4hSe42D
>>675
そんなことできる人間が借金するなとw
680人間七七四年:2009/02/08(日) 18:50:31 ID:FEWbUksu
1598年、イエズス会が奴隷貿易者を破門する議決所を作った。
その中にはこうある

「…ただし、日本で少年少女を購入し、日本国外に輸出する者に対し、イエズス会は
その輸出業者のための労務契約に相互に署名し、認可を与える。」

日本人奴隷の貿易が、イエズス会公認のものだったと言う証拠だったりする。
681里見義弘と青岳尼1:2009/02/08(日) 19:04:46 ID:m4x87EQC
小弓公方足利義明の娘、青岳尼。
父の義明が第一次国府台合戦で血気に逸った末に討死すると、安房の里見氏の庇護を受け更に鎌倉の太平寺に尼として入った。
この寺は代々関東公方家から女住職を迎え入れており、小田原北条氏も保護していた。
青岳尼は父の仇の北条氏康の保護を受けることになったのである。

江戸湾の制海権を巡って戦火の絶えなかった里見氏と北条氏であったが、ある時に里見義弘が三浦半島への上陸に成功、鎌倉に突入してきた。
そして義弘は太平寺を訪れる。
彼は幼なじみであった青岳尼を安房へ迎え入れようとしていたのだ。
682里見義弘と青岳尼2:2009/02/08(日) 19:10:17 ID:m4x87EQC
仏に仕えることで一生を終えるつもりでいた青岳尼にとっては、まさに青天の霹靂であった。
彼女は、本尊を手に対岸の安房へ渡ることを心に決めた。

めでたしめでたし、としたいが・・・

保護していた寺の住職と本尊を宿敵里見氏に奪われた北条氏康の怒りは尋常なものではなかった。

氏康は『まことにもって不思議なるお企て』と書状で不快感を顕にしたうえに、主のいなくなった太平寺を容赦なく破壊してしまった。

安房へ渡った青岳尼も、仏罰か長くは生きられなかったようである。
683人間七七四年:2009/02/08(日) 19:18:49 ID:SJ5DmSJu
>>680
イエズス会が直接破門する権限を持っているわけではなく、
あくまで該当管轄下の司教の権限、ローマカトリックのそれによる破門、という
文脈じゃまいか。
東洋の場合は、インドのゴアの大司教か誰かだろうから、結局
フランシスコ、ベネデイクト会なんかが割り込んでくるまでは
イエズス会の独占状況ではあったが。

イエズス会がポルトガル商人の日本人奴隷売買を黙認していたことは事実だが、
徳富蘇峰が描いたような10万人なんてのは、物理的には無理っぽい。
684人間七七四年:2009/02/08(日) 21:34:55 ID:DtU/mN7/
>>652
まとめサイトになかったので投入

時代は二代将軍秀忠の頃
ある夏の日、政宗しこたま飲んで二日酔い

(●∀・)「今日秀忠様と約束があった気がしたがそんなことはなかったぜ」
仮病を使って秀忠との約束をすっぽかす
ついでに暑いので川で涼む

当然秀忠にばれる
秀忠「あいつほど気楽な奴いねえよ。それに比べて俺は苦労人すぎるだろ・・・」とぼやく
なぜか咎めることはせず、政宗に季節物の瓜を届ける
685人間七七四年:2009/02/08(日) 21:45:32 ID:6yb5N9sc
秀忠は結構、外様連中の無軌道な行動や要求に苦労してるよなw
686人間七七四年:2009/02/08(日) 21:47:41 ID:8UaSB6o6
独眼竜は保護されているッッ
687人間七七四年:2009/02/08(日) 22:38:17 ID:r9h8yQXb
(●∀・)「今日もヨソの大名と約束があった気がしたがそんなことはなかったぜ」
仮病を使って大名との約束をすっぽかす・・・はずだった

戸田康長「はて、伊達殿はまだ来ぬのか・・・なにっ、ご病気じゃと!なぜ早く言わぬっ!
      ええい、伊達殿を見舞うぞ!手の空いている者は中間といえど付いて参れ!!」

康長、城攻めのごとき勢いで伊達屋敷に詰め掛ける
「伊達どのー!しっかりしてくだされー!!だーてーどーのー!!!」ドンドンドンドン

((;●Д゚)「なー!治った!治りましたから!お願い帰ってー!!」
めんどくさい三河武士の本気(の一端)に触れた政宗、以後つつしむようになる


地元でしか聞いたことない話なんで逸話というより昔話の類になるかもだけど
688人間七七四年:2009/02/08(日) 22:44:54 ID:r3U4bk7D
これはかっこわるいなw
689人間七七四年:2009/02/08(日) 22:49:22 ID:ri7/noJ2
地元といえば山口県出身の民俗学者が祖父に聞いた話で

ある時毛利元就は孫の輝元が飯に汁をかけるのを見て〜な後で
元就「なのでイザという時は中国十二カ国の内八カ国を差し出して生き残れ。」というのがあったな。
結局二カ国になってしまったというオチ
690人間七七四年:2009/02/09(月) 01:18:48 ID:g6jTgHgj
二度汁は白米落城伝説並みにテンプレだからな
691人間七七四年:2009/02/09(月) 01:29:15 ID:oLMM4y7T
いくらでも政宗の悪い話は出てくるな

江戸初期、政宗は仙台に自分専用の馬場を設営した
派手好きの政宗は馬場の四方を桜で囲み、ご満悦の様子である
しかし、馬場の四方を桜で囲むというのは将軍の特権であり、
一大名に過ぎない政宗には越権行為として幕府から咎められかねない
実際、幕府はこの情報をつかんで隠密裏に査察団を派遣した

ところが政宗は黒脛巾組といわれる諜報集団を抱えており、
戦国の時代のみならず太平の世となった後でも他国に探りを入れていた
この幕府の査察についても事前にキャッチして政宗に報告した

DQN眼竜政宗としては幕府に難癖をつけられるのは面白くない
しかし、四方の桜を全て切るには惜しいし、時間が足りない
それで政宗がとった方法とは・・・

査察団「馬場の四方を桜で囲むとは何たること。将軍への忠節をお忘れか!」
(●∀・)「これは異なことを申される。四方を桜と言われるが、中には椿もあり申す」

申し訳程度に椿を植えているので、四方を「桜だけ」で囲んではいない
政宗流の屁理屈である
査察団は納得がいかないが、政宗が「それでは一戦つかまつる」と言いかねないため
渋々不問に付すこととなった


しかし、政宗の行動はよくわからない
幕府への挑発か、それともほんとにウッカリだったのか
どちらにしても黒脛巾組のみなさんはDQNに振り回されていい迷惑である
692人間七七四年:2009/02/09(月) 01:36:43 ID:qXSzK9di
「戦国最後の天下人候補」としてのキャラ作りだと思われる
693人間七七四年:2009/02/09(月) 01:37:43 ID:OwrJuvuG
>677
とび加藤大好きだ懐かしいww
694人間七七四年:2009/02/09(月) 01:58:47 ID:uKfXFbtx
>>691
こういうの読むと思うのだが、
政宗は「大物」ではあっても「天下人」になれる感じがしないなぁw
695人間七七四年:2009/02/09(月) 02:33:35 ID:SUtMh1HU
>>694

なんだかんだで天下人No2でいられたってのも、
時が味方したのかね。

早く生まれていれば天下人……なんて言うけど、
遅く生まれたからこそ、この立場にいられたんだろうな
696人間七七四年:2009/02/09(月) 03:15:30 ID:WWgKCivg
政宗へのイメージは完全イタズラ小僧だな

どこか憎めない、でもやりすぎていつも怒られる
697人間七七四年:2009/02/09(月) 03:42:36 ID:zF0hh5np
>>695
そりゃ、どう考えたって元就、信玄、謙信、氏康あたりと渡り合っていける
キャラ & 能力じゃないでそ。
698人間七七四年:2009/02/09(月) 03:43:55 ID:fKZMBgIf
>>691
ただの幕府への嫌がらせだろ
わざとトラブル起こして自分の存在誇示する奴っているじゃんw
珍走団と一緒
699人間七七四年:2009/02/09(月) 05:41:20 ID:FJI+tSWe
まだまだあるぜ汁かけ飯


福島正則の有名な家臣、可児才蔵。通称、笹の才蔵。
武勇はあるが一徹者で、あまり出世はしなかったが、それをうらむ事もなく、
言いたい事は隠さず言ったが、それにも理のあることが多かった。

ある時のこと、故実に通じた軍法者という触れ込みの男が、正則への仕官を求めてきた。
この軍法者の面接が行われ、才蔵も出席し、軍法の事について質問した。
面接後食事が出され、才蔵もそれに相伴した。

その後面接の面々は正則に報告をした。皆、わが家にて召抱えるに足る良い軍法者だと
褒め称えたが、才蔵だけが「彼を召抱えることは無用でござる」と言った。
正則がその理由を尋ねると

「それがし、彼と相伴して飯を食い申した。人というものは幼い頃より箸を手に取ってこの方、
毎日二度か三度は飯を食うものでござる。
しかるにあの軍法者なるものは、一杯の飯に、汁を二度かけ申した。
こんなものの見計らいも出来てない男が、両軍数万の人数を見計り、戦の駆け引きを
出来るわけがありませぬ。

軍法とは結局、敵味方の人数を正確に把握し、軍勢の勇気と臆病、運不運の差異を
計る事でござろう。」

と、語ったと言う事である。


汁かけ飯の話は政氏の話ばっかり有名だけど、実はどれがオリジナルなのか、
良く分かってないんだよなー。
700人間七七四年:2009/02/09(月) 05:45:41 ID:JxvKgRZF
この話のたびに汁かけってそんなに重要か?wって思うな。
701人間七七四年:2009/02/09(月) 05:49:45 ID:FJI+tSWe
>>699
あう、へんなミスしてる(;´Д`)
したから二行目×政氏○氏政で。
702人間七七四年:2009/02/09(月) 06:11:18 ID:zJfNywRP
政宗が天皇家に生まれていたら、なんとなく後醍醐みたいなのになりそう
703人間七七四年:2009/02/09(月) 06:20:49 ID:SBLRI1/8
つーか汁かけご飯て行儀の悪い貧乏臭いイメージあるんだが、
昔の人間て毎日食ってたのか?
あとお茶漬けでご飯が多くてお茶が入りきらず、後で継ぎ足すことはよくあるんだが。
704人間七七四年:2009/02/09(月) 06:38:39 ID:FJI+tSWe
>>703
むしろ汁をかけることはマナー。
食事の最後にご飯に汁をかけて食べて、椀の中をきれいにしておくと言う行為。

前にも書かれていたけど、これが転じて、京のお茶漬けの話になる。
すなわち、お茶漬けを出した時点で、あなたへのおもてなしはこれでストップですよ、って
意味になるから。
705人間七七四年:2009/02/09(月) 06:44:30 ID:Ftjcg0Ne
汁かけは一回で済ますのがいいとは限らないのにな……
706人間七七四年:2009/02/09(月) 09:06:14 ID:Bo1MKikI
なんだこのループw
707人間七七四年:2009/02/09(月) 09:24:28 ID:zqlytV8T
氏政「親父が二度汁を見て家が滅びると言い出した時は、この父はもう駄目だと思いました。」
708人間七七四年:2009/02/09(月) 10:10:57 ID:o/t+YDRn
>>684
これはいい話だが流れ上こっちで

政宗と家光

政宗は3代将軍家光からかなり信頼されていたようだ。
あるとき、政宗は家光の前で常に腰の大脇差を控えの間に置いて席に着いたが、家光は
将軍三代に仕えた政宗に報いて、特に脇差を許した。
政宗はしきりに遠慮するも、家光は「遠慮しないのがワシへの忠義だぞ。」と言い、脇差
を差したまま二人は酒を飲んだ。
政宗は、
「家康公、秀忠公二代には、戦場で御恩に報ゆることもできましたが、上様にはそれらしき
こともできませんのに、ありがたお言葉をいただき、御恩は死んでも忘れません」と答え、
よっぽどうれしかったのか、心地よく酩酊して大いびきをかいて寝てしまった。

家光の近習が政宗の大脇差を抜くと、中身は木刀であったという。
709人間七七四年:2009/02/09(月) 10:15:48 ID:dNOW77rz
まあ、戦国の武将の食事の作法はかなり事細かい
からね。作法の出来不出来が、そのまま武将個人
の評価だったんだよ。

作法の一例
・普通のご飯は中央から食べる。周りに先に箸を
 つけてはいけない。
・おこわ飯(赤飯等)は箸で直接口にせず、箸で
 左手に飯を乗せ、そのまま手で食べる。
・湯づけが出されたら、まず香の物から食べる。
 汁(湯)は飲まず、米だけ食べる。
・他家で酒を頂いたら、必ず一献飲む。もう一献
 頂いたら必ずもう一献、都合三献頂く事。
・蒲鉾は切れ目がついていたら、一切れずつ箸で頂く。
 切れ目が無ければ、そのまま一口で頂く。
・客が飯に汁をかけたら、食事の終わりの合図なので、
 それ以降に飯を勧めるのは失礼にあたる。

…等々、いろんな作法、しきたりがあるんだよね。
一般人には、胃が悪くなるような食事の話。
710人間七七四年:2009/02/09(月) 10:35:38 ID:HrV+9fR6
まるで切れ目のない蒲鉾丸ごと出されたら…ああ、刃傷沙汰か
711人間七七四年:2009/02/09(月) 10:51:11 ID:Bo1MKikI
かまぼこってラスボスの好物だよな

湯づけの米だけ食べるって結構難しいと思う
712人間七七四年:2009/02/09(月) 10:57:49 ID:dBEQqXzb
>>711
阪神大震災の時は喜んで食べたなぁ>味なし粥
不味かったけど旨かった
713人間七七四年:2009/02/09(月) 11:02:45 ID:a8f9zLse
>>707
確かに氏康の晩年はもうろくしてたよな
氏康の遺言で甲斐と再同盟したなんて嘘だよ
氏政の判断であろう
714人間七七四年:2009/02/09(月) 12:25:27 ID:o/t+YDRn
>>630
ねじ首太郎左衛門

清水康英の子太郎左衛門は、谷から牛と俵を引き上げたという母のDNAを受け継いだ
怪力の持ち主であった。
その怪力ぶりをぜひこの目で見たいという北条氏直の御前で、鹿の角2本を片手で引き
裂いたとある。

彼の馬は1日1斗の大豆を食らうという甲斐黒という馬で厩の出し入れにも中間7人がかり
でないと引きだせないというとんでもない馬であった。
ところが、太郎左衛門が甲斐黒に騎乗してお股をキュッっとすると、甲斐黒はたちまち血
反吐を吐いて死んでしまったという。
そこで、太郎左衛門は次に岩手つき毛という馬に乗り換えた。この馬は太郎左衛門の騎乗にも
耐え21時間乗り回しても汗ひとつかかなかったという、こらまたとんでもない強馬であった。
太郎左衛門いわく、「蛇であっても手綱をつければ乗りこなすことができるわい!」

太郎左衛門の武器は「六角の樫棒」で、佐竹義重との合戦において棒をぶんぶん振りまわして敵
を5人・10人単位で粉砕したのはご存じの通り。
三方が原の合戦では、太郎左衛門は武田軍の援軍として参加し、ある紅の鎧の武者にロックオンした。
敵は太郎左衛門と目を合わすことすらおそれ、「太郎左衛門参上!」の一言で敵は我がちに逃げ出した
とある。
「待てコラ。逃がすものか!!」という太郎左衛門の大音声に紅武者の郎党は主人を捨てて逃げ出した。
紅武者に追い付いた太郎左衛門は、兜のしころをむんずとつかみ、鞍の前輪に首を押し付けてねじ切った。
「ねじ首太郎左衛門」の異名は敵味方中に轟いたという。

国府台合戦では老骨をひっさげて、親子ほど年の離れた太田康資と壮絶な一騎討ちを繰り広げた。
そのすさまじさは、「敵味方ともしばらく戦うのをやめて一騎討ちに見入った」とある。
そして、怪力で知られた康資を打ち負かし、彼の武名はますます轟いたのである。

一方、太郎左衛門の嫡男・又太郎も武勇に優れた武将であったが、国府台合戦にて敵将の首に手をかけ
たところを敵の郎党に返り討ちにあい戦死した。
敵の喉輪を外すのに手間取って隙を見せたためといわれる。
その敵将の名は、太田資正という。

清水親子は国府台合戦にて太田一族と戦い、父は武勇で勝ち、息子は知略に負けたのである。
(北条五代記・関八州古戦録)

715人間七七四年:2009/02/09(月) 12:25:35 ID:HqPIHuDu
昔の米は高タンパク高アミロースだったから
一度冷えたら湯でもかけて温め直さないとパサパサしてまずかっただろうね
汁かけご飯が一般的なのもその辺に理由があるのかも
現代みたいに冷めても美味しいご飯は先人のたゆまぬ品種改良のおかげ
716人間七七四年:2009/02/09(月) 13:28:03 ID:YsSeRCdz
レンジもないしな
717人間七七四年:2009/02/09(月) 13:37:25 ID:FJI+tSWe
>>714
しかし清水氏って、北条家では水軍を担当する家なんだよね。
その中からこんな陸戦型の化け物がw
718人間七七四年:2009/02/09(月) 14:00:12 ID:qXSzK9di
現代の海兵隊だと思えば有り得る
719人間七七四年:2009/02/09(月) 14:02:52 ID:HrV+9fR6
太郎左衛門「馬鹿息子めが、刀など使わず資正が首をねじ切ればよかったものを!」
720人間七七四年:2009/02/09(月) 14:07:59 ID:koUtxcl4
>>714
>ところが、太郎左衛門が甲斐黒に騎乗してお股をキュッっとすると、甲斐黒はたちまち血
>反吐を吐いて死んでしまったという。
ケツで割り箸なんてレベルじゃねぇぞw
721人間七七四年:2009/02/09(月) 15:03:43 ID:aE1CUstd
>>720
お手もとニーグリップわろた
722人間七七四年:2009/02/09(月) 17:06:47 ID:f6P2lCru
>>717
陸戦でも強いんだな
ズゴックみたいなもんかしら
723人間七七四年:2009/02/09(月) 17:49:31 ID:YOjH+ncJ
>>691
政宗は軽率な行動が多いけどよく幕末まで家が残ったね。中国だと真っ先に潰されてた。
724人間七七四年:2009/02/09(月) 18:19:40 ID:YcEyCNlc
>>722
いやゴッグだろ
725人間七七四年:2009/02/09(月) 18:25:39 ID:zJfNywRP
股でキュッwwwwwwwwwwwww
726人間七七四年:2009/02/09(月) 19:41:07 ID:IvzDcMML
>>678
戦国じゃないが死んだじいちゃんが似たような話してたの思い出した
じいちゃん太平洋戦争で召集されて満州に渡るんだけどその前いったん鹿児島に集められたんだって
出征までする事ないから宿舎でやる事といったら博打
みんな何でも賭けて金目の物が無くなったら自分の身に付けてるものまで賭ける始末
さらには先に寝るような者がいたら身ぐるみ剥がされて毛布や靴下なんて無くなってたって
出征までの暇つぶしと雑兵に多く支給されない米の話
微妙にズレてるし戦国じやないし
このじいちゃん大陸に渡って関東軍入っても面白い話あるんだけどスレチだしこのへんで止めとく
本当にスレチでごめんなさい
ただ今昔問わず兵隊さんは博打好きな話なのかな
727人間七七四年:2009/02/09(月) 20:10:55 ID:Ueb9uXVw
本番に弱い男

稲富流砲術の創始者として知られる稲富祐直。実はプレッシャーにとても弱い人間であった。

朝鮮の陣の折に虎狩りを催した事があった。追い立てられた虎の前に立ちはばかるは二人の男。
立花宗茂の家臣十時三弥と細川家の家臣稲富祐直である。二人は同時に虎へと向かって発砲した。

結果、十時三弥の弾が命中し稲富の弾は外れた。しかも三弥の方が遠くから発砲していた。
しかも別に十時三弥は鉄砲の名手という訳でもなく素人であり、稲富は恥をかいた。

その後、関ヶ原の合戦の際にその腕を見込まれ忠興よりガラシャの警護役に付けられた稲富。
ご存知の通り、ガラシャの寄る細川屋敷はこの後、石田三成の包囲を受けるのだがこの際に稲富はどうしたかというと・・・

            逃        げ        た
728人間七七四年:2009/02/09(月) 20:11:25 ID:Ueb9uXVw
攻め寄せる石田勢に恐れをなした稲富は警護役に付けられた武将で唯一、逃げ出した。一戦も交えずに。
その後、稲富はどうしたかというと厚かましくも帰参を願い出る為に深夜に細川屋敷へとのこのことやってきたのだった・・・

忠興「ハハハ・・・ヨクゾマイラレタナ・・・」
稲富(ほっ・・・あんまり怒ってない(*´∀`))

すると蝋燭の燭台をいっぱい用意すると全てに火をつけ始める忠興。煌々と昼間のように明るくなる忠興の屋敷。
稲富が屋敷にやって来た事を宣伝する為にわざわざこんな事をするのだ。
もちろん稲富が屋敷に来ていたことはすぐに知れ渡り稲富はこれにより更に恥を上塗りされてしまった。
さらに間髪おかずに稲富に追放処分を下すと「奉公構え」を食らわす忠興。完全に内心ではブチ切れていたのである。むしろよく殺さなかった。

その後、忠興の凄まじい妨害工作によりどこへも仕官出来ずに彷徨う稲富だったが流石に徳川幕府までは手が回らなかったようで
稲富はどうにか尾張徳川家への再就職がなって幕府鉄砲方として有名となっていくのである。


いつの世にもメンタルの弱い人間とは居るもの。そんな悪い話。
729人間七七四年:2009/02/09(月) 20:37:27 ID:zJfNywRP
これは忠興じゃなくても怒るわ
730人間七七四年:2009/02/09(月) 20:40:01 ID:2eKuoGzz
重要な局面以外ではまさに達人なんだよな
731人間七七四年:2009/02/09(月) 20:49:01 ID:oLMM4y7T
>>708
関係あるのかはわからないけど平家物語にこういう一節がある

平清盛の父の忠盛が殿上人になると、公卿から妬まれて闇討ちが計画された
忠盛は家来を引き連れて刀を携えて用心するが、逆に殿上で帯刀とは何事かと讒訴されてしまう
そこで忠盛が釈明のために刀を抜いたところ銀箔を貼った竹光だった
鳥羽上皇は忠盛の機転を大いに褒めた

もしかしたら政宗もこの話を演出に使ったのかもしれない・・・
というのは考えすぎか
732人間七七四年:2009/02/09(月) 20:54:04 ID:67WPTgib
世代から言って政宗より慶次のが先か。
733人間七七四年:2009/02/09(月) 20:58:37 ID:pMO8QqwB
無防備によっぱらって腹見せて寝ちゃうような犬か猫みたいな無防備な真似する時点で
もともと疑わしいものは身につけてないだろう 

本当に謀反する気あるならまず相手を酔わせるだろうw
734人間七七四年:2009/02/09(月) 21:09:35 ID:oXyKvTOc
>稲富はどうにか尾張徳川家への再就職がなって幕府鉄砲方として有名となっていくのである。

つか、朝鮮出兵etcで本番に弱い名前倒れの男と分かっていただろうに
どうして幕府が雇う気になったのか気になるところ。
735人間七七四年:2009/02/09(月) 21:18:55 ID:Ueb9uXVw
デモンストレーションでは無敵だったんじゃないかと
736人間七七四年:2009/02/09(月) 21:20:40 ID:6AuBdy0S
現場に出さず鉄砲術の教授だけさせてりゃいいと判断したんだろう
737人間七七四年:2009/02/09(月) 21:37:36 ID:9FmGsP52
>>734
剣術指南役として疋田豊後を端武者の剣法と切って捨て
剣術では疋田に負かされたが、政治センスのある柳生宗矩を採ったこともあったな。
時代が、勇者よりむしろ狡知に長けた技術者を必要としたんだろう。
738人間七七四年:2009/02/09(月) 21:40:34 ID:gATOQwaj
弟子に行かせる奴の条件:度胸ある者

とか回状回ってたと見た
739人間七七四年:2009/02/09(月) 21:43:35 ID:YOjH+ncJ
>>737
そうそう、戦国の殺人技から治世の教養になってる
740人間七七四年:2009/02/09(月) 22:17:12 ID:HqPIHuDu
稲富さんがこんなヘタレだったなんて・・・(´;ω;`)ブワッ

鉄砲防ぐために胴を2枚重ねでつけてたっていう逸話も
もうヘタレっぽいとしか思えないよ・・・
741人間七七四年:2009/02/09(月) 22:22:14 ID:HFW684/7
>>737
幕府に雇われたのは宗矩だけど、疋田に負かされたのは宗厳じゃね?
まあ宗厳登用しようとしたら、宗厳は年齢を理由に辞退して代わりに息子を・・・って感じなんだけどさ。
742人間七七四年:2009/02/09(月) 22:23:23 ID:loL22xSw
>>711
秀頼の好物じゃなかった?
そして当時の蒲鉾は今で言うちくわ
743人間七七四年:2009/02/09(月) 22:34:25 ID:pHZv0KxL
>>728
>むしろよく殺さなかった。
本当によく殺されなかったよ・・・
744人間七七四年:2009/02/09(月) 22:44:18 ID:j2grD6Lm
>>743
だよな…
ガラシャ関連で死亡フラグを立てていたのに
フラグをへし折った稲富は戦国一悪運の強い男だったのかもな。
ガラシャ関連死亡フラグを回避とか常人では絶対不可能なのになw
745人間七七四年:2009/02/09(月) 22:47:03 ID:uMvyHlA6
殺しても飽き足らないと思わせたのが勝因w
746人間七七四年:2009/02/09(月) 22:50:59 ID:Ueb9uXVw
忠興が虚ろな顔をしながら深夜に一つづつ蝋燭に火を灯していく絵を想像するとホラー
747人間七七四年:2009/02/09(月) 22:51:02 ID:jS7U0cnb
>>743
ガラシャが死んで憑き物が落ちたとか。
748人間七七四年:2009/02/09(月) 23:07:08 ID:zoYaXhTX
>>746
「稲富を…稲富を社会から、社会から抹殺するのだ…ふふうふ」
とかブツブツ呟きながら、灯明持って屋敷をうろつきまわる忠興・・・
749人間七七四年:2009/02/09(月) 23:17:57 ID:jS7U0cnb
と言うか自分が警護してたガラシャに自害されたら逃げたくもなるよ。
750人間七七四年:2009/02/09(月) 23:19:43 ID:j2grD6Lm
>>749
それなのに後からノコノコ帰参願いに出向くのは度胸が良いのか、頭が足りない人だったのか…
751人間七七四年:2009/02/09(月) 23:23:52 ID:/pqMiJ3i
稲富祐直、松本清張の「火の縄」のモデルですねえ。

いろいろ脚色してあったけど、おもろい小説でした。

すさまじい鉄砲の名人、はるか先の極小の的を射抜く、羽音だけで鳥を
撃ち落とす、闇夜で敵のもの音だけを頼りに射殺する稲富祐介であった。

が、日ごろそりが合わず自分の才能を無視、バカにする忠興から
この日は特にプライドを傷つけられることを言われていた稲富であり、
まるでやる気が出ない。

で、その晩遅く細川邸まで忍びよせてくる三成の兵を稲富の火縄銃が倒す。
すぐに名人稲富がいることを悟った三成方の武将が稲富に声をかけ
「お前のような天下の名人を、このようなつまらぬ騒ぎで死なせたくないから
さっさと逃げ、後世にその名人の技を伝えよ。」と諭す。

細川変態夫婦、忠興は勿論ガラシャも大嫌いだった稲富は、それもそうだと
すたこら逃げ出す。

あちこち点点とするも、忠興の奉公構でリクルートできない。
鷹狩りが大好きな家康、稲富の鉄砲に興味を持ち召しだし雇用する。
できた人、家康は稲富の技を素直に生徒として見て学び習う。

だがある日、授業を終えた瞬間、ふと冷たい家康の軽蔑のまなざしを
感じた稲富は、暗澹たる思いに浸る、という筋でした。

史実とは異なるけど、稲富よりも細川夫婦の奇態さがよかったし、
文章の力はさすがの横綱相撲でした。
752人間七七四年:2009/02/09(月) 23:57:28 ID:FJI+tSWe
池田喜平次という博徒がいた。

ある時、博打の元手を無くしたが、誰も相手にしてくれないので、
それでは自分で元手を作ってやろうと、武田勝頼の陣営に馬を盗みに入った。
ところが見つかり、たちまち捕縛された。

この武田の陣営に、瀬名氏明と言う男がいた。
この瀬名が、たまたま喜平次を見知っており、勝頼は、そう言うことならと
捕縛した喜平次の身柄を瀬名に預けた。

ところがこの瀬名、預かった喜平次に

「オレはお前を、昔からの知り合いってことで預かったわけで、
知り合いに縄をかけるってのもへんな話だよなあ。」

と、喜平次の縄を解かせ、客人として扱った。
この待遇に喜平次は

「おいおい、こんな扱いしたらオレ逃げちゃうよ?逃げたらアンタ困るんじゃないの?」

瀬名は平然と
「国に帰りたきゃ帰ればいいさ。その時は俺の命に頂いてる知行を添えて、
勝頼様に差し出せばいいだけだ。
オレは少しも困らないよ。ま、逃げたきゃ逃げろ。」

しかし喜平次は逃げなかった。いや、逃げられなかった。
「こう言うの『空縛り』っていうの?怖い人だねえ。」
そのようにして喜平次は瀬名の下でおとなしくしていたが、しばらくすると勝頼の方から、
再び喜平次の身柄を引き渡すようにと命令があった。

喜平次、今度は『高手小手に縛め』られ、さらにその夜は6人の番人まで付いた。
夜も更け始めると喜平次は番人に向かって
「皆様方、私もこう縛られては逃げることも出来ませんよ。こんな大勢でわざわざ
寝ずの番をすることもありますまい。」

番人たちはそれもそうだと考え、皆、寝てしまった。
すると喜平次、ぎっちりと体を縛った縄から、楽々と縄抜けし、そのまま国へと逃げ帰った。

戦国時代は悪党だって、なかなか面倒くさいのだ。
753人間七七四年:2009/02/10(火) 00:01:23 ID:s/NuD9wW
身柄を勝頼に引き渡されるのを待って逃げた、ってんならいい話なんだがなあ。
754人間七七四年:2009/02/10(火) 00:03:42 ID:Sb44jZ7u
後のルパンである
755人間七七四年:2009/02/10(火) 01:03:20 ID:bBoTB2jw
永禄5年(1562)、独立して間もない徳川家康は、三河国八幡で今川軍に敗れた。

この際、渡辺半蔵守綱は殿の一人として戦い、10回に渡り馬を返して、勇敢に戦った。
いよいよ引き上げると言う時、同輩の矢田作十郎が倒れてうめくのが目に入った。

「作十郎、こんな所でいかがした!」
「おお、半蔵か。不覚にも馬と足をやられた、済まぬが連れて行ってくれい・・・」
「うむ、心得た!!」

半蔵、言うが早いか、手に下げた兜首を投げ捨て、作十郎を肩に掛け、涼しい顔をして
本隊に合流して、無事に作十郎を救い上げた。

これを聞いた家康は、
「味方が一騎でも討たれれば、敵に千騎の後詰めを与えるも同然、という事がある。
今、半蔵が危険を顧みず、味方を助けたのは、七度に渡り敵と槍を合わせるにも勝る。

よし、皆の者、これよりは渡辺半蔵を『槍半蔵』と言うべし。」と半蔵をほめた。

こうして渡辺半蔵は、『鬼半蔵』こと服部半蔵と並び、大武辺者として知られるようになった。


・・・と、ここまでなら普通にいい話なのだが、のちに槍半蔵、後進に語っていわく

「オレほどの者だからこそ、作十郎を救うことが出来たので、本来ああいう時は何としても
逃げるべきで、ケガ人などに助けを求められたら、救いに行くフリをして油断させておき、
刺し殺して捨てて行くのが、正しい処置だ。

味方だからと言って、いちいち助けても、ケガ人など頼りにならんからな。
なのに、間違った処置をした者をほめるとは、ウチの殿にも困ったものじゃ。」(常山紀談)

殿様の深情けと現場のリアリズムの差、と言えばそれまでだけど・・・
756人間七七四年:2009/02/10(火) 01:06:00 ID:GxKT8Htu
>>755
なんかモヤっとするな
後半が無ければ普通に良い話なんだけど。
しかも鬼半蔵が鬼武蔵にしか見えない。
757人間七七四年:2009/02/10(火) 01:10:29 ID:esH+wXpP
>>756
でも、間違った措置であることは確かなんだよ。味方援けようとして
二人とも殺されたらそれこそ大損害なわけで。

でも、家康はそれを分かった上で半蔵を褒めているし、
半蔵もそれを全部飲み込んだ上で、後進への教訓としてこれを話しているんだと思うよ。
758人間七七四年:2009/02/10(火) 01:14:03 ID:a4PZMvZb
特に殿軍の心得として話してるみたいだしな
敵の猛追食らうかも…という状況で怪我人に情けをかけたら、全軍に影響でかねないし…
とはいえ、現代っ子のおれには実践できそうもないが
759人間七七四年:2009/02/10(火) 01:33:50 ID:Go233VhT
>>757
家康はわかってたのか?
まだ若い頃だし普通に激賞したんじゃ…
760人間七七四年:2009/02/10(火) 01:51:34 ID:5FNJvUmc
うーん三河武士、というか殿軍の心得としてはいい話ってことか…
761人間七七四年:2009/02/10(火) 01:53:48 ID:xNNzoydI
あれだよあれ 褒めるときは人前で褒めて 叱るときは裏に呼んで叱るっていう
762人間七七四年:2009/02/10(火) 02:10:27 ID:X/SRaotu
>751
家康自身、刀槍に馬術柔術?とやって後年は鉄砲もすごい腕前になってたらしいからね。
狙撃技術を評価して『こいつ使える』とは思ったけど、武将としての胆力覚悟は全くアテにしてなかった・・。・という解釈か

ドメちゃんも背筋首筋を涼しくしながらの尾張家勤めだったかー
763人間七七四年:2009/02/10(火) 02:18:07 ID:X/SRaotu
>>755
そら、みんながみんな槍半蔵の真似はできんわなあ・・・

矢田作十が悪いというわけにもいかんし。

一言坂で殿軍を張り(武田方の風狂に助けられたともいうけど)、三方が原でも負けて生き残り
小牧長久手でも羽柴方を少勢で挑発しまくって、なお戦場じゃ生涯無傷だったという本多平八さんは
強剛でならした三河武士の中でもさぞや異常な強運の持ち主だったんだろね。
764人間七七四年:2009/02/10(火) 09:18:31 ID:QRBnXbc9
本田平八さんの周りにATフィールドが張ってあったんだよ
765人間七七四年:2009/02/10(火) 11:45:43 ID:kxKqDDWm
>>762
適材適所ってやつだな。
「戦場では頼りにならないが、指南役には最適」

「こんな肝の細い奴はイラン」
になるかの思考の分かれ目が、天下人の度量に現れるのか。
766人間七七四年:2009/02/10(火) 13:02:43 ID:IfAyvRcU
多分、家康の誉め言葉を真に受けて
真似しようとするやつが異常に増えたんだと思う…殿としての行動ができなくなるくらいに。
767人間七七四年:2009/02/10(火) 13:19:27 ID:7Sf4pQ7R
>>762
手に職というか、狙撃兵としての鉄砲技術という
まだレアなものを先進的な大名がほしがるのも当然だなあ。

小説の中では、稲富一人の狙撃の腕で多大な戦果をあげ、
それを見た他の大名家が家臣をこぞって彼の元に留学させた。

細川忠興は苦々しくそれを見ていたが、彼が稲富を嫌ったのは
容貌が田舎臭く醜い稲富の姿に、己の中、心中奥深くしまっておいた
歪で凶暴な自我を投影させ、それが益々憎しみを募らせる、
という緊迫した心理劇がキモであった。

家康は、技術者、教師としての彼を高く評価するものの、つい
隙が出来た瞬間、単なる技術屋の稲富への侮蔑の視線を向けてしまった。
稲富は結局家康といえど、サドのタダオキと一緒じゃねえか、としょんぼり〜
768人間七七四年:2009/02/10(火) 13:31:09 ID:Go233VhT
いい加減小説の話はスレ違いかと…

小説の、特に心理描写なんかは完全に作家の作った虚像だしねぇ
769人間七七四年:2009/02/10(火) 13:32:04 ID:5FNJvUmc
>>751
火「縄」を別の用途でガラシャに使ったんですね
わかります
770人間七七四年:2009/02/10(火) 13:32:46 ID:vLDmdIBC
稲富「俺の後ろに立つな!」
771人間七七四年:2009/02/10(火) 13:40:19 ID:xgm6/TP6
それじゃ、いくら小説とはいえ、通説とあまりにも違いすぎていて
ちょっとなぁという感じ
772人間七七四年:2009/02/10(火) 13:57:32 ID:sibPTrsM
稲富はそもそも武士なのか?と言う議論があったような気がした。
稲富宛の発給文書の形式が普通の家臣宛のものとは異なっていて、
刀鍛冶宛の文書形式と同じとか。
武士じゃないなら「はぁ?殉死?何それ?」みたいな行動をとるのは
当然だろJKみたいな主張をなんかの本で読んだ。
773人間七七四年:2009/02/10(火) 14:07:35 ID:i0+xaHpu
>>772
ちゃんとした武士だったと思うが……一色氏に仕える城主だったんだし
家康には武士じゃなくて専門家として召抱えられたってことかな
774人間七七四年:2009/02/10(火) 14:31:29 ID:/U1AJMgm
細川忠興をGoogleで検索しようとしたら、候補に

dqn

と出てきた。たまげたなぁ
775人間七七四年:2009/02/10(火) 17:29:56 ID:esH+wXpP
大阪冬の陣は始まったばかりの、慶長十九年(1614)11月18日の夕刻、
徳川家康が念仏を唱えていると、御使番の初鹿野信昌が駆け込んできた。
そう

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-634.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-573.html

この辺の仕込み芸で人気の甲州武士、初鹿野伝衛門の息子さんである。

彼は家康にこう報告した
「今突然、城から後藤又兵衛が大軍を率いて討って出てきました!
どうかお味方に、軍勢に備えるように言ってください!」

それを聞いた家康は、うんざりしたように言った

「今大阪城にいる兵が残らず討って出ても7万ほどだ。
実際には城の防衛のため、大半は城に残る。何が大軍なものか。

大軍などと言う言葉は、軽々に使うものではない。そう言う言葉は味方に無用の恐怖心を
与えるだけだ。

お前の父は甲州で使番を勤めていたな。その父から色々と、大切な事を教わったのだろう。
だがな、甲州では1万以上の軍を大軍と呼んだそうだが、今は日本中の兵を集めた
戦争をしているのだ。戦争の規模の大小により、大軍の定義も、相対的に変わってくる。

使番と言う仕事は、情報を伝える役目だ。
その一言一句が、味方を勇敢にも、臆病にもしてしまう。
言葉はきちんと吟味してから使わないと、今後いろんな所で失敗をするぞ。
この事、良く考ろ。」


実戦経験者の少なくなる中、こんな事まで教えてやらなければならない、大御所様なのであった。
776人間七七四年:2009/02/10(火) 17:40:08 ID:oVcwY7bC
姜という男がいた
彼は名門の生まれで朝鮮の科挙を受かった官僚だったが慶長の役で日本軍につかまり俘虜の身となっていた
連れてこられる途中二人の子を海に投げ捨てられ何度も逃亡しようとしたが全て失敗
学識豊かと言うことで生かされていた為、
せめて帰国したときに祖国への土産に敵国の内情を詳細にした内偵書を記すことにした
子を殺されれ生粋の儒学者でもあった為その文は悪意、蔑視に満ちているがそこにこんな問答がある

生を好み、死を憎むのは人も生き物も同じくするであろうに、
日本人だけが死を楽しみとし、生を憎むのは、一体どうしてなのか

するとその兵士は

日本の将官は民衆の利権を独占し、一毛一髪も民衆に属するものはない。
だから、将官に身を寄せなければ、衣食の出どころがない。
ひとたび将官の家に身を寄せてしまえば、この体も自分の体ではない。
少しでも胆力に欠けると見なされてしまったら、どこへ行っても容れられない。
佩刀が良くなければ、人間扱いされない。
刀傷が顔の面にあれば、勇気がある者と思い禄を得る。
耳の後ろにあれば、逃げ回るだけの者と見なされ排斥される。
それだから、食に欠いて死ぬよりは、敵に立ち向かって死力を尽くすほうがましである。
力戦するのは、実は自分自身のために計ってそうするのであって、何も主(公)のために計ってするのではない。

意外に忠誠心がない兵卒の悪い話

ちなみにこの内偵書、後年の江戸の本屋で普通に売られていた
朝鮮通信使はこれを見て

内偵書なのに敵国で売られてちゃ意味が無いじゃないか!

と嘆いたとさ
777人間七七四年:2009/02/10(火) 17:51:06 ID:cJe/Qh87
>>776
武将風雲録で言うところの兵忠30ぐらいかな?
778人間七七四年:2009/02/10(火) 17:56:14 ID:V11e2QC5
斑雪白骨城
779人間七七四年:2009/02/10(火) 18:28:50 ID:xgm6/TP6
>>777
でも、こんなもんなんだろうなぁ。食うために戦争やっていたんだし。
あと、宣教師の発言でもことごとくやたらと人を殺すとか、人命が軽いとか
評されていたのだし。
780人間七七四年:2009/02/10(火) 18:31:04 ID:vaveHD3L
>>776
>力戦するのは、実は自分自身のために計ってそうするのであって、何も主(公)のために計ってするのではない。
逸話だけど家康がこんなこと言ってたの思いだした。

「戦で先駆けて功を立てる者は例え討たれたとしても後世に名を残し、
その死は名誉となり、子孫は繁栄する。だから先駆けは得はあっても
失うものない忠義だ。だが諫言は違う。非情な主君を諌めて妻子を
殺されることもあるだろう。わが身を思う者は諫言などできないものだ。
だから主君たる者は一番鑓の者よりも諫言する者を賞さねばならない。」
781人間七七四年:2009/02/10(火) 18:32:13 ID:esH+wXpP
まあ、江戸中期くらいまでは、武士と言っても主君への忠誠義務があると
みなされていたのは、譜代までだし。
782人間七七四年:2009/02/10(火) 18:48:15 ID:GqFcBTWV
意外とドライというかギブアンドテイクの世界
783人間七七四年:2009/02/10(火) 18:53:03 ID:CtKCHO/H
浅井家も実際は朝倉家への義理よりもそっちので織田家を裏切ったみたいだしね
784人間七七四年:2009/02/10(火) 19:01:40 ID:esH+wXpP
室町から戦国にかけての、処世術のハウツー本である「世鏡抄」には
こんな事が書いてある

「兼参の従者、外様の家来は、万一の時は主君のために命がけで奮戦せよ、
そして主君から賜る論功行賞を注視し、三年の間に賞を賜らなければ、別の主人をたのめ」

そして主君の側に対しても

「所領を持たない侍が二度、三度におよび身命を捨てるような働きがなかった場合は、
主君自身の非と心得よ。」
785人間七七四年:2009/02/10(火) 19:06:51 ID:oVcwY7bC
>>781
姜が滞在中学識豊かということで藤原惺窩が教えを請いに言った
惺窩は朱子学を学ぶために明へ渡ろうとしたが果たせず
俘虜の中に儒学者がいると聞いてわざわざ訪ねて来たのだ
姜も惺窩の学ぶ姿勢を喜ばしく思い持てる知識は全て与えた
この教えは惺窩から家康に推挙された弟子へと引き継がれ
本来の儒教とはまったく違ったモノに魔改造されたとはいえ後の安定した政権作りに一役買うこととなった

ちなみに惺窩は姜に触発されたのか姜が祖国へ帰るときに

明と朝鮮が連合して日本攻め滅ぼしてくれ!

と嘆願している
日本の武家社会が本当に嫌いで攻め滅ぼされてでも社会を中華化したかったらしい
786人間七七四年:2009/02/10(火) 19:11:46 ID:Go233VhT
最後の逸話、儒学者の悪い話としてよく挙げられるよな

井沢元彦あたりが儒学を害悪の塊として批判する時とか
787人間七七四年:2009/02/10(火) 19:14:04 ID:esH+wXpP
惺窩の場合、滅ぼしてほしかったのは武家政権というよりも、豊臣政権だろうな。
彼は心底秀吉が大嫌いだった。
788人間七七四年:2009/02/10(火) 19:20:36 ID:oVcwY7bC
惺窩は公家の出で戦国期に旧来の公家は没落し
武士の地位がどんどん上がっていったのを直に見てるから
儒学者としてより公家の出として武士が嫌いだっただけかもよ?
多分姜に会う前だと思うが明と朝鮮がどれだけ連合しても
日本を攻め滅ぼすのは無理だろうって言ってた逸話があった気がする
789人間七七四年:2009/02/10(火) 20:38:40 ID:yAo5z1G7
家康は儒学を重視してるね
もっとも、その他多数の実学の一つとしてだけど
790人間七七四年:2009/02/10(火) 20:57:56 ID:oVcwY7bC
そういや姜の内偵書に

賊魁(秀吉)は生まれたとき、右指が六本あったが
人はみんな五本指なんだから六本目なんて必要ないだろ
といって切り落とした

って話あった気がする
意外に秀吉六本指説って奇説じゃないのかもね
791人間七七四年:2009/02/10(火) 20:59:05 ID:jw26k3ap
とっしーが死ぬ前にばらしちゃったんじゃなかったっけ?
792人間七七四年:2009/02/10(火) 21:37:31 ID:GqFcBTWV
諦めきれなかった男

小牧・長久手の戦いも大詰め。池田・森隊と家康本隊との際、大久保忠世の与力である本多八蔵はある光景を目にした。
何やら白装束の目立つ衣装を着た男が家臣とおぼしきもの数人に肩に掛けられて退却していく所である。

八蔵「これは・・・名の有る大将に相違ない!逃がすものか。」

八蔵がその一団に突進すると恐れを成したその武士の家臣たちはその武将を放り出すと蜘蛛の子を散らすように去っていった。
これで恩賞間違いなし・・・だがその武将は既に事切れていた。しかもよくよく見れば眉間に銃創があるではないか。
こんな首を持っていっても「銃で倒れた死体の首を奪ってきたんだろ?プゲラw」と言われれば申し開きのしようもない。がっかりである。

八蔵「どうしてこんな場所を撃たれて死んでるんだこの間抜けめ・・・ブツブツ・・・」

やむなく八蔵はその武将の鼻を削いで太刀と脇差を分捕るとその場を去っていった。

その後、戦の見物にきていた清洲の町人・銀屋なる者が本多の持っている脇差を見て「おお、それは森武蔵の脇差。私が注文を受けて作ったんですよ。」と言われた。
これに驚いた八蔵。まさかあれが森長可の死体だったとは!彼は森の顔を見たことが無かったのである。
急いで戦場の元在った場所に舞い戻る八蔵。無い、どこにも無い。誰かが持ち去ってしまったのか・・・あれを持っていけば俺も後世に残る武名を残せたものを。

・・・どうしても諦め切れなかった。
魔に魅入られたかそこら辺に転がってる死体の首を取ると森の首であると主張し恩賞に預かろうと考えてしまったのである。
793人間七七四年:2009/02/10(火) 21:38:03 ID:GqFcBTWV
ところ変わってここは徳川の首実験所。

池田親子の首は手に入ったもののまだ森の首は届かない。
「確か銃で死んだからもう見つからないかもね」もう諦めムードであったその時、八蔵がやって来た。
様子を見るにまだ森の首を届けた人間は誰も居ないらしい。八蔵はそれを確認するとこう言い放った「森の首を取った!」と。
どれどれ・・・とやってくる人々。得意げな八蔵。しかし最初にあがったのは笑い声であった。

「ちょwww誰これwwwwどこら辺が森の首なのさwwwうぇうぇ」

即ばれた。当然である。今回の部隊の編成は徳川と織田信雄の混成であったので顔見知りなど腐る程いた。
もう後悔しても遅い、皆の笑いものにされてしまった八蔵。しかもこれが家康の耳にまで届いてしまい大目玉を食らってしまった。恩賞など当然無い。

耐え難い屈辱を受けた八蔵は同年の蟹江合戦において秀吉軍と対峙した際に単身で飛び込んで大軍の中へと消えていった・・・享年26歳


大功が手をすり抜けて逃げていった時に人は何をするか分からない。そんな話。
794人間七七四年:2009/02/10(火) 21:48:57 ID:GxKT8Htu
>>793
長可放り投げた家臣たち逃げてええええええ
795人間七七四年:2009/02/10(火) 21:50:14 ID:oVcwY7bC
消えた死体は家臣を追いかけていったのか…
796人間七七四年:2009/02/10(火) 21:54:11 ID:1gs1f71L
>>792-793
一応、後世に名前が残ったわけだがw
797人間七七四年:2009/02/10(火) 22:00:16 ID:0ZUMpstl
夢のような手柄を掴みかけたせいで、
もう小さな功をこつこつと…なんて考えられなくなっちゃったんだろうな、若いし
死ぬ間際まで、大功のことを考えてたんだろう…南無
798人間七七四年:2009/02/10(火) 22:05:17 ID:YPe3adES
ヒャッハーな人の鼻なんか削ぐからヒャッハー猿の首を取って一気に挽回するぜぇぇぇぇ!とかなっちゃったんだな
799人間七七四年:2009/02/10(火) 22:12:17 ID:jw26k3ap
遺体を運んでたってことはこれって百段大活躍の後の話だよね?
800人間七七四年:2009/02/10(火) 22:16:29 ID:GqFcBTWV
>>798
そういう事になるのかな。
801人間七七四年:2009/02/10(火) 22:18:28 ID:GqFcBTWV
アンカーミスった>>799

長可の遺体についての逸話はまだあるがいい話っぽいので悪い話スレには書けない
802人間七七四年:2009/02/10(火) 22:19:52 ID:VMbSegLl
>>801
大至急いい話スレにその逸話を投下ヨロシク!
803人間七七四年:2009/02/10(火) 22:20:15 ID:KeUcFjj+
>>801
死んでからはいい話になるのか・・・
804人間七七四年:2009/02/10(火) 23:06:57 ID:r2Y2iCy4
屍体大活躍だなw
805人間七七四年:2009/02/10(火) 23:30:12 ID:E+jcsKNZ
806人間七七四年:2009/02/10(火) 23:33:33 ID:E+jcsKNZ
>780
家康と本多佐渡守の対話なんかそうだね。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1222.html


あと、シグルイ理論の「葉隠」を諌言→切腹コンボこそ(平時の)武士の忠義って解釈も
807人間七七四年:2009/02/11(水) 00:46:27 ID:7dvsrb5j
>806
…次は殿に斬られますよ?
808人間七七四年:2009/02/11(水) 01:35:36 ID:PqcW3dxf
776の姜の問答をしたのはあくまで一兵卒であって将はまた違ったみたいだけどな
ただ秀吉みたいな成り上がり者の家臣は古くからの大名達と違って当主が死んでも殉死しない
なんて事も書いてあったりするけど
姜は帰国するも捕虜になった罪を問われて結局再仕官出来無かったようだ
809人間七七四年:2009/02/11(水) 04:02:18 ID:Ww6J/iIJ
>>775

そして夏の陣で真田信繁に三度も本陣を突かれ
馬印を倒されてしまう家康であった
810人間七七四年:2009/02/11(水) 04:59:14 ID:vOJWgG6v
長可の首級は取られなかったのか。
数年前に首と一緒に取られた兜が森家に返還されて、数百年ぶりに兜と鎧が合体って記事を
読んだ記憶があるんだが・・・

まぁうろ覚えなので違ったら御免なさい・・・・
811人間七七四年:2009/02/11(水) 09:10:20 ID:mjEltPpG
結局よく分からないんだよな。

ただ、ちょっと面白い読み物な事で有名な森家家譜じゃなくて徳川の攻撃部隊に参加してた丹羽氏次が
小牧・長久手の翌年に書き下ろした長久手合戦記が出典なのがミソ。
812人間七七四年:2009/02/11(水) 09:16:27 ID:YZ9a97kB
>>809
あれは危なくなったらとっとと逃げる家康
奮起して撃退する秀忠
この辺がまさに実戦経験の差
813人間七七四年:2009/02/11(水) 09:39:31 ID:i2ZrLl9v
幕府軍の側から言えば乾坤一擲でもなんでもない戦いで、決死隊の突入に
わざわざ付き合って戦う必要は無いからね。
逃げて大丈夫な所で逃げるのは、名将の条件ですよ。

それに実際に家康本陣に突入したのは毛利勝永隊じゃなかったっけ?
814人間七七四年:2009/02/11(水) 10:25:46 ID:16GBUpps
そのへんの華々しい場面を全部真田の活躍ということにされて世間一般ではマイナー武将扱いな毛利勝永
まさに悪い話
815人間七七四年:2009/02/11(水) 12:24:59 ID:6Q9XpBI8
>>792-793
ttp://s-furusato.net/fukurojyo-box/2008/09/14.html
スレチなんだけど、ここで出てくる八蔵さんなのかな
816人間七七四年:2009/02/11(水) 13:02:04 ID:Zb/J+do3
>>813,814
ただ小規模な部隊で構成された前線があっさりと崩され、
あまりに凄い勢いで毛利たちが突っ込んできたから、
若い兵士の多くなっていた家康旗本は、実際泡食って
潰走し始めたのだとと思う。
あと、慌てた左翼後方の浅野隊が右にフォローしょうと動いたのも
家康本隊の混乱に輪をかけた。

誰いなくなった空間に、気がつけば毛利隊は孤立していた・・・
大阪城への引き際も毛利勝永の指揮は水際立っていたと
巷間伝えられてますが。
817人間七七四年:2009/02/11(水) 13:31:57 ID:mX/H0/e7
最初は並んで突撃したが、
本多忠朝らの恩賞首を取るために速度が鈍ったがゆえに撤退できた毛利
末将の首など目もくれず本陣めがけて突進したが
老練な家康の采配のために力尽き包囲殲滅された真田隊
だから真田ばかり賞賛されたと解釈してる本もあったな
818人間七七四年:2009/02/11(水) 14:09:25 ID:YZ9a97kB
当時の大坂勢は特攻隊みたいなもんですから
819人間七七四年:2009/02/11(水) 16:06:11 ID:DFCywMPw
真田厨は本気で直江や伊達以上と勘違いしてるからな
820人間七七四年:2009/02/11(水) 16:06:35 ID:1RRZK7UK
大野治房の事もたまには思い出して下さいね。
821人間七七四年:2009/02/11(水) 16:16:10 ID:NxqqaRRi
利休の弟子、古田織部は西岡3万5千石の大名として、大阪の陣に参戦した。
佐竹義宣の陣を訪れた帰り道、竹やぶを発見した。
「うむ、シュピッと良い竹よ・・・この竹で茶杓を作ったら、面白いかも知れん。」

戦時下にもかかわらず竹やぶに入り、良材を探し始めた。
案の定、折からの日差しが織部のテッカテカのハゲ頭を照り返し、大阪方の物見に
見つかった。

「あれは、古田織部ではないか。良き首ぞ、討て!討ち取れーい!!」
やぶの中の光る物体目がけて、鉄砲が火を噴いた。
織部は「やられた・・・!」と、血を流しながら竹やぶから飛び出し、大慌てで逃げ出した。

が、後で傷を見ると、ハゲ頭にチョッピリかすっただけだった。
「自分から危険に飛び込んで、そのザマか。オッサン、茶の湯もええ加減にせえ。」
全軍の笑いものになったという。


織部の弟子、上田宗箇は浅野家の家老格として、大阪の陣に参戦した。
陣を構えて敵を待っているうち、竹やぶを発見した。
「おお、良い竹ではないか・・・この竹で茶杓を作ったら、面白いかも知れん。」

戦時下にもかかわらず竹やぶに入り、良材を探し始めた。
案の定、大阪方の物見に見つかったが、宗箇はなおも夢中で良材を探していた。

「待て落ち着け、これは宗箇のワナだ。宗箇ほどの男が、一人でこんな所にいる訳がない。
退け!退けーい!!」
宗箇が気づいた時には、すでに敵の背中は遠くなっていた。

こうして選んだ竹から作られた名物茶杓・銘『敵がくれ』は、現在も茶道宗箇流宗家が
所有しており、『風流武辺』上田宗箇の武勇と数寄心を、今の世に伝えている。

・・・・・・あ、アルェ━━━━━━??!
822人間七七四年:2009/02/11(水) 16:16:57 ID:DHYOGiDK
>>819
講談厨か無双厨の間違いだろ?
823人間七七四年:2009/02/11(水) 16:21:39 ID:PqcW3dxf
>>821
同じことしてるのにw
威厳とか格が違ったんだろうなぁ
824人間七七四年:2009/02/11(水) 16:28:18 ID:4+8+gPj3
なんだろう、髪の毛の差か?w
825人間七七四年:2009/02/11(水) 16:36:00 ID:DHYOGiDK
命の危険よりいい竹に興味のいく彼らの感覚が分からんw
826人間七七四年:2009/02/11(水) 16:39:34 ID:i2ZrLl9v
>>825
> 命の危険よりいい竹に興味のいく彼らの感覚

それこそが「数奇の道」w
827人間七七四年:2009/02/11(水) 16:51:08 ID:0BoVbyh0
10年以上前に死んだウィーンフィルのコンマスなんか登山中に落ちた時にとっさに腕をかばった結果頭打って死んだからなぁ。
彼らの中では芸術家>武将なんでしょ、多分。

まぁでも上田重安は武将としても津田信澄討ち取ったりしてるしこの直後に塙団右衛門討ち取った人だからなw
むしろこんなのを茶坊主扱いした浅野の家中は蛮勇っていうか見る目が(ry
828人間七七四年:2009/02/11(水) 17:48:33 ID:JpuHXFW9
>>819
なんだ、いつものキチガイ最上アンチじゃないか。今度は真田で荒らしに来たか。
829人間七七四年:2009/02/11(水) 17:49:13 ID:pAWrP2tT
ゲヒ殿も戦歴だけはやたらにあるんだけどなぁ
830人間七七四年:2009/02/11(水) 17:58:39 ID:TtfsXve7
便乗して古田織部の話

ある日、千利休の子、道安と一族の宗旦が古田織部の茶に招かれた
茶に入る前に、織部は道安に炭の手前を所望した
道安は承諾すると、炭の前に炉中の灰を念入りに直してから、炭を置いた
さすが道安、すばらしい出来だった
その帰路のこと、宗旦は愚痴った
「織部殿って今は宗匠の身でしょ。炉の灰がまったくもって駄目駄目でしたね」
道安はちょっと微妙な答え方をした
「まあ…いくら宗匠でもなんでも、炉中が駄目なら、炭を置くこともできんわな」

道安の織部評だったのかもしれない
831人間七七四年:2009/02/11(水) 18:08:31 ID:8Vew21OX
>>821
この数寄者共めw w  かわいいけど、これが織部切腹の遠因とかじゃないだろな?

だいたいもっこ褌まで締めて(万一の時)見苦しくないようにした歴戦の士が @へうげ参照
ガチ戦場で竹の風情とかに惑ってナニしよるとですか
832人間七七四年:2009/02/11(水) 18:18:53 ID:DHYOGiDK
道安って聞いたら慶次に虐められたイメージしか出てこない
833人間七七四年:2009/02/11(水) 18:40:56 ID:C4R3G1xY
利家と並んで酷い扱いだったね
834人間七七四年:2009/02/11(水) 19:24:32 ID:m5m24Z/T
玄居先生に比べりゃなんてことないっすよ。
835人間七七四年:2009/02/11(水) 19:27:20 ID:u8YeQUr3
>>825
まあ現代の水木しげるなんかも戦場で見張りに立って鳥や花の景色に見とれてる間に奇襲を受けた味方が壊滅してて、
そのおかげでただ一人助かったとか言うしな。
土人と仲良くなってただ一人現地除隊を希望したとか。
836人間七七四年:2009/02/11(水) 22:14:43 ID:Ek/IxoRx
>>816
そうだな。本陣が逃走した場合ふつうその軍は敗北濃厚となる
周囲に連鎖して壊走状態になってもおかしくない
前田、藤堂といった右翼が健在だったのと、3倍の兵力差だったのが幸いしたんだろう
837人間七七四年:2009/02/11(水) 22:22:02 ID:YZ9a97kB
>>836
後退はしたが、四分五裂ではなかったんでしょう
家康の切腹云々はほれ、あの人ピンチだとすぐそういう人だし

桶狭間後の大樹寺で住職に止められ
三方ヶ原で夏目に止められ
本能寺で本多に止められ

あんたは、江戸中期の浪人か
(仕官してくれなきゃ切腹するといって、多少の路銀をせしめる奴が
多かったが、ある時「是非やってくれ、したら仕官させる」と言われ
窮して、本当に切腹して死んで以降、パッタリなくなったとか)
838人間七七四年:2009/02/11(水) 22:46:24 ID:R2399voO
>>821
家康に切腹させられた織部を貶めて家名を残した上田を持ち上げる
実に分かりやすい
839人間七七四年:2009/02/11(水) 23:00:45 ID:K8EyDbuM
>>837
その辺は今川義元の最期を知ってるから、
首級獲られるくらいなら自刃してやる、って思考かな?
840人間七七四年:2009/02/12(木) 09:18:24 ID:Nagw7WBA
>>838
敵1「あのぺかっと光るハゲ頭はっ!古田織部だ!」
敵2「古田織部ほどの歴戦の勇士がなぜこんなところに!」
敵3「これは罠だ!きっと伏兵が取り囲んでいるぞ!」
敵4「なんとぬめあっとした邪気を発する武士じゃ!引けえ!引くのだ」

みたいな織部は織部じゃない気がするよ
841人間七七四年:2009/02/12(木) 09:50:32 ID:WbYKqaJU
なんだかんだで上田殿は隠れない武辺者だからね。
織部は文化人としては比類ないけど武士としてはちょっとw
842人間七七四年:2009/02/12(木) 10:30:25 ID:XSPPWjW5
>>841
織部は(いいがかりだろうが)家康暗殺計画・国松秘匿の嫌疑で切腹させられているな。
もしいいがかりじゃなければ恐ろしい計画に参加したことになるし、逆にいいがかりで
あればなんら釈明せずに切腹してのは潔いと思う。

真相がどうあれ>>838の一言に尽きるけどね。
843人間七七四年:2009/02/12(木) 11:37:41 ID:jfVEWLpV
>841
織田に属して将校クラスだったとはいえ、そんなに出世もしなかった人だよなゲヒ殿

大身の大名や侍大将、豪傑として名高い人と比べるのはちと無理があるし、
好意的に解釈すれば…徳川の(豊臣を滅ぼす)戦争に参加はしたけれど
持ち前の反骨心から功名手柄を稼ぐ気にもなれず、わざとらしく敵前で竹刈りに精を出してたのかもしれん

かなりやんちゃな反逆の美意識で世の中渡った人に見えるんで、>838みたいな評も(本人は)鼻で笑ってすませたかもね。
…天下に揺るぎない徳川家に言いがかり付けられて切腹なんて、意地の張り方としては文句ないもの

とまあ、こっちは一寸贔屓目な解釈
844人間七七四年:2009/02/12(木) 12:10:58 ID:EbN8CUil
潔い切腹で思い出した


暴れん坊奥方

徳川の与力であった沼田城主真田信幸には太閤秀吉の下知が徳川経由で届いていた
これとは別に真田本家経由でも届いていた
諜報に長けた真田ならではの厳重さである
徳川もこれを知っていて利用していた、家康も大した狸である
ある時、徳川からの使者が真田本家より数日遅れた
台風により道を阻まれていたのだ
事情を知る信幸は遅参を咎めず使者を労った
すると
「三河武士も堕ちたものよ」
「なっ、何奴!」
「ご使者殿、妾の顔見忘れたか?」
「こ、これは奥方の小松殿!」
「鮮度が命の情報を真田本家より遅れて伝えるなど何たる無能。そなたは徳川家に、その養女たる妾に恥をかかせた。ここで潔く腹を切れ!」
某番組ならば抵抗が始まるがそこは面倒臭い三河武士
「さもありなん」
と、一切の言い訳もせずその場で切腹しようとし始めた
焦った信幸が必死に止めてその場は治まったという

しかし、いくら命じられたとはいえ使者が謁見場で腹を切るのは甚だ不作法
高確率で講談のネタだとされている
真実ならば信幸の胃に、創作ならば小松殿にとって悪い話
845人間七七四年:2009/02/12(木) 12:23:06 ID:db7T+5Jl
労った信幸の立場ねえなw
846人間七七四年:2009/02/12(木) 13:09:11 ID:05gqR/Zs
アルヴァレス
彼ら(日本人)は色白く、よく働く
盗みを嫌い、礼儀正しい
女性は貞淑である。領主は尊ばれる
カブラル
日本人ほど傲慢で貪欲で不安定で偽装的な国民を見たことがない
日本の風習は野蛮で、ヨーロッパの高尚なものとは大きく異なるから
我々が彼らの風習に従って生活するのは全く苦痛である
彼らには忠誠心というものが決定的に欠如している
胸中を易々と見破られないよう子供の内から教育されているので、甚だ油断ならない

オルガンティーノ
我らヨーロッパ人は互いに賢明に見えるが、彼らと比較するとはなはだ野蛮だと思う
私は、真実、毎日、日本人から教えられることを白状する
私には世界中でこれほど天賦の才能をもつ国民はないと思われる
ロドゥリゲス
日本人は天賦の才に乏しく、天性優柔不断で動揺しやすい国民である

ヴァリニャーノ
日本には、道理に従う白色人が住んでいる
カルロ・スピノラ
日本人は黒人である


宣教師の記述は客観的なものとはなりえないという悪い話
847人間七七四年:2009/02/12(木) 13:27:25 ID:PU569G4K
これは酷いw
848人間七七四年:2009/02/12(木) 13:35:56 ID:k4sShpyI
別の民族の評が混じってるとしか思えんなw
849人間七七四年:2009/02/12(木) 13:47:27 ID:8s9Ick+6
カブラルは人格的障害のプルトガル人。
軍人出身で、日本に来ても語学ダメ、布教もダメ、教会、生活環境も整理整頓できず
不潔。で日本人から嫌われていた。最後まで椅子生活で肉食、手づかみ。
バリニアーノから叱責されるも改まらず、日本上長を解任されゴアに帰って、
日本人、バリニアーノの悪口を終生語っていた。

オルガンテーノ、バリニアーノ、イタリア人組はルネッサンスの本場、
で、海外との交流に柔軟、適応力に富んでいた。
850人間七七四年:2009/02/12(木) 13:53:49 ID:F2167cfv
自分が接した一握りの人間が、全体を代表する人間だと思いこむのはよくあることだからな。
日本人が悪く思われたら嫌だし、バテレンの宣教師に会ったら行儀良くしとこうw
851人間七七四年:2009/02/12(木) 14:09:10 ID:FccNthDg
実は鬼武蔵って人としか会ってないんだ とか
852人間七七四年:2009/02/12(木) 14:13:07 ID:e4PXPx0W
ヴァリニャーノってたしかヤスケ連れてた人だっけ?
日本人が白色ってのはまさかヤスケと比較してじゃないよなw
853人間七七四年:2009/02/12(木) 14:15:33 ID:EJKm/B6l
つーか、戦国時代当時は小氷河期で寒かったらしいので、日本人は今よりも色白だった可能性はあるな。
少なくとも東南アジアや中国南部の連中よりは白かっただろう。
854人間七七四年:2009/02/12(木) 14:24:23 ID:FccNthDg
氏郷家臣に白人が居るのだが・・・
855人間七七四年:2009/02/12(木) 14:56:28 ID:5J50TMsZ
>>844
本家から裏を取ってるって、堂々と言っちゃっても良いのかw
856人間七七四年:2009/02/12(木) 14:58:36 ID:H1frvjRm
ザビエルやヴァリニャーノが日本人を白人としたのは
インド、アフリカと比べて白いというのもあるが布教上の都合もある
現地でキリスト教の布教をしていく上で現地人の神父を採用するか否かが争点となる
その上でひとつの採用基準となったのが肌の色
黒いほど素質がなく白いほど素質があるとした方針
そのためこの方針に反さないように日本で神父を育成するには白人に分類しておく必要があった
857人間七七四年:2009/02/12(木) 15:23:57 ID:+2rXNHXw
西洋白豚どもはこんな昔から名誉白人とかやってたんだな
858人間七七四年:2009/02/12(木) 15:34:12 ID:H1frvjRm
>>779
>あと、宣教師の発言でもことごとくやたらと人を殺すとか、人命が軽いとか
このあたり宣教師たちは日本人に資質を見出しつつも仏教がそれを阻害していると考えた
後のヨーロッパの話になるが仏教を研究していく内に
”空”の概念を”虚無”と同義にしてしまったため
仏教は虚無の宗教とされた(間違いだとは言い切れないが)
これは魂の永遠なる救済を謳うキリスト教が主体のヨーロッパにおいて
肉体と精神の消滅こそが救いとする宗教の存在など恐るべきことで考えられないことであった
しかし研究を進めても
神の一人だと思われていた釈迦はモーゼやイエスに相当する哲学者であり
どの経典を翻訳しても”空”が重視され
初期においては偶像や神への崇拝すら行っていないことが知られると
哲学者、神学者はこの宗教を悪魔的とみなし恐怖の対象となった
肉体のみならず魂すら消滅することが救いなど謳う宗教が人々に受け入れられるはずはない
仮に成り立ったとしても消滅や死が至上の価値なら人命や権利を蹂躙する宗教ではないかと
この誤解は仏教の概念がヨーロッパに持ち込まれてから20世紀になるまで解消されず
多くの哲学者を悩ませることになる
中には仏教徒など存在しない、いたとしてもそれは人間ではないとするものまで現れた
ザビエルが日本の布教のために必要だとした仏教の研究は
300年経っても究明しつくせなかった
本当に仏教が日本での布教の障害だったのならば今の世俗主義の世の中になるまでに
日本をキリスト教国にするのは夢のまた夢だったのだろう
859人間七七四年:2009/02/12(木) 16:15:40 ID:7lPARP2t
涅槃を誤解したんかなぁ。まぁ、ヨーロッパ人には六道から解脱して寂静なんて言われてもなんのこっちゃいって感じだろうしねぇ。
しかし、仏教カワイソス
860人間七七四年:2009/02/12(木) 16:37:13 ID:dn/2VE9s
自身での解脱を目指す禅系ならまだしも、
当時力のあった一向宗なんてなおさら理解し難いだろうなw
861人間七七四年:2009/02/12(木) 16:48:46 ID:db7T+5Jl
顕如「難しいこと理解なんかせんでエエ。
   南無阿弥陀仏って唱えるだけで浄土に行けるで!」
862人間七七四年:2009/02/12(木) 16:54:17 ID:8s9Ick+6
ヴァリニアーノが引率したのは、天正遣欧使節団の御一行様で、
今で言う、「ポルトガル、スペイン、イタリア周遊の旅」です。
当時の日本の少年達は、小柄、顔色浅黒く悪い、と表現されてましたが
3年に渡る船旅での日焼け、マラリア、天然痘の病み上がりということも
あったと思います。
マドリッドでのフェリペ2世、フィレンチチェでのコシモ2世、
ローマでのグレゴリウス13世。パウロ5世の大歓迎はご存知のとおり。
スケートの真央ちゃん、みたいなもんでしょう。

ま、この御一行様に関する「悪い話」は沢山有りますけど。

日本でのキリスト教徒は今でも人口の1%以下ですが、当時は
豊後、肥前では30から50%までとか。バブルだったのでしょう。

多神教が国家、文化、思想の根幹を為してきた日本では、
最初は物珍しくても、やはり無理でしょうねえ。
863人間七七四年:2009/02/12(木) 16:56:21 ID:lKkQRqLw
>>860
つか一向宗以外の仏教徒にとっても他力本願は理解できないよ…
864人間七七四年:2009/02/12(木) 16:56:22 ID:H1frvjRm
涅槃を完全な虚無、解脱を救済としたのも誤解の元だった
色即是空空即是色の”色即是空”の部分が歪曲して理解されてる(間違いとも言い切れないが)
実際釈迦も言ってるように真理は言葉で示せるものじゃないとしてるから
解釈に幅を持たせてる経典だけ翻訳しても理解は難しかっただろう
ヴァリニャーノも仏教についていくつか書簡を残してるけど理解が深かったとは言い難い
ほかの地域と同じように仏教を多神教としてみてたから
阿弥陀や大日と言った存在についても神と同様の存在として見てる
宣教師達には土人が信仰する悪しき多神教として
後世の哲学者には恐怖をもたらす虚無の哲学として
誤解から生まれた虚無の仏教はヨーロッパの思想界に長く鎮座することになった
300年以上も誤解されてたから今でも虚無の宗教と誤解してる一般人はいるけどな
ニーチェとかこの虚無の仏教を元に哲学を展開してるから完全に払拭するのは難しいだろう
865人間七七四年:2009/02/12(木) 16:56:24 ID:db7T+5Jl
キリストは八百万の神の中の1人だもんね
866人間七七四年:2009/02/12(木) 17:04:52 ID:8s9Ick+6
「神々の国」と言わなかったがためにボコボコにされた
森君がいますた。
867人間七七四年:2009/02/12(木) 18:21:43 ID:05gqR/Zs
>>858
>中には仏教徒など存在しない、いたとしてもそれは人間ではないとするものまで現れた
なんと言う飛躍w
>>864
前に宣教師が書いた日本の悪魔みたいな題名の絵で
cames=神、amidas=阿弥陀、xacas=釈迦
と書かれてたのがあったのを思い出した
神と仏を同列に見てたんだろうね
868人間七七四年:2009/02/12(木) 18:31:20 ID:8s9Ick+6
ローマにあるイエズス会本部の教会に、ザビエルの盟友で創始者のイグナチウス.ロヨラ
の像が有る。
18世紀以降の作だが、ロヨラ様の足下には阿弥陀、釈迦、如来と
名を刻まれた悪魔が踏みにじられている。

彼らにとっても、日本での布教の大失敗は相当なトラウマだったらしい。
869人間七七四年:2009/02/12(木) 19:59:38 ID:vYv1EV5c
神の話題か・・・この逸話の出番ですな。


ご神体vs鬼武蔵

小牧・長久手の合戦の折に森長可が小牧山の東南にある二ノ宮神社に陣を敷いたところそこの神主が出てきてこう言った。
「昔よりこの神は穢れを忌み嫌うので精進潔斎なくては参拝することなりません。ましてこのように人馬を押し込んで
神域を踏み荒らすのは神の気持ちを計り難く存じます。早々に陣場を替えてください。」
そこで鬼武蔵ブチ切れ。「フン、悪しき神主めが何を言うか!この戦は俺の為の戦ではないのだ。とっとと失せろ。」

これを聞いた神主は神前に向かって祈り始めた。「神よ・・・ご神意にそぐわないのでしたらどうか神力にて祓い給え!
武蔵めは私の手には負えずこうして神域を汚されてしまった事は誠に口惜しく思います。先ほどの武蔵の申すことは、神を神とも思っていないものです!」

するとなんと4Mはあろうかという大蛇が姿を現した。おお、あれぞまさしくこの神社の神。流石の鬼武蔵も驚いて・・・

長可「ほう、酒のツマミに丁度良さそうなヘビだな。おい、あれを捕まえて捌け。今から食うから。」

なかった。その大蛇は哀れ長可の家臣によってその場で解体され長可はそれを 生 で 食 っ た 。


その後、鬼武蔵がどうなったかは言わずもがな・・・そんな悪い話。
870人間七七四年:2009/02/12(木) 20:05:21 ID:05gqR/Zs
鬼も神罰にはかなわなかったかw
871人間七七四年:2009/02/12(木) 20:11:35 ID:kHfQ+0+D
神になったんですねわかります
872人間七七四年:2009/02/12(木) 20:15:29 ID:ObyhzRZa
>>869
あれ、俺が知ってるのだと神主が蛇を見て「あなたは今日ラッキーです!」とか言ってきて、
それを聞いた鬼が「何がラッキーじゃコラ」と蛇を引き裂いて投げつけたっていう話なんだが……
873人間七七四年:2009/02/12(木) 20:15:36 ID:YCt4B4zm
つか、鬼武蔵が関が原に参加してたら、戦国無双でラスボス扱いだったろうなぁw
874人間七七四年:2009/02/12(木) 20:25:07 ID:x+/cBui/
これは武蔵が剛毅でよい話、かもしれないぞw
日本では同じ事実でも、「よい」と見れば幸、「悪い」と見れば不幸になるからな
悪童が白蛇を殺して遊んだが、本人は何事も無く、祟りを恐れた他人が蛇に憑かれたなんて話もあったり
875人間七七四年:2009/02/12(木) 20:25:47 ID:vYv1EV5c
>>872
それはこの事件の後にやった。

すなわち神を2匹殺した。
876人間七七四年:2009/02/12(木) 20:28:09 ID:05gqR/Zs
2柱も殺してちゃ余計あんな結果になるわw
877人間七七四年:2009/02/12(木) 20:30:01 ID:ObyhzRZa
>>875
そうか、すまんかった

多分生かしておくとマジで八百万殺しそうだからその話の後すぐに長可死んだんだろうな……
神も大変だ
878人間七七四年:2009/02/12(木) 20:35:15 ID:vYv1EV5c
なんでも変なヘビ神社で神主に絡まれて機嫌が悪かったので次の幸運のヘビだかなんだかという話題で
イラっと来て問答無用でその幸運のヘビとやらを刀で縦に引き裂いたという事なんだそうな。
879人間七七四年:2009/02/12(木) 20:41:43 ID:YCt4B4zm
>>878
そりゃ、なんともヘびぃな話ですな。
880人間七七四年:2009/02/12(木) 20:42:57 ID:ObyhzRZa
>>879
なんじゃその寒いギャグは
881人間七七四年:2009/02/12(木) 20:44:24 ID:05gqR/Zs
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─────────∠__ ノ―────────────────‐──────
────────‐───────────−────────────―─‐── ──
882人間七七四年:2009/02/12(木) 20:51:07 ID:FjxEnJh6
>>879森無茶しですな
883人間七七四年:2009/02/12(木) 21:06:04 ID:2hJm3AJp
dqnに神など・・・

「荒町の毘沙門天」

そのむかし、伊達政宗公が仙台近郷を手中におさめようと制覇の兵をくりだしていたところ、郡山(仙台市)には粟野大膳という殿様がいた。
政宗公はしばしば兵を送るのだが、城はいっこうに落ちなかった。

「くもの巣が、垣根のみだぐ城をまいててよ、寄っつかれねんだ」
「おらだちの時は、黒い雲がどかっと空からおりてきて、大膳の城をすっぽりとかくしたわい」

惨敗のたびに兵士たちは口々にこんなこと言う。
たびかさなるふしぎをきいて、政宗公はひそかに密偵を送り、大膳のまわりをさぐらせたところ、大膳は郡山の毘沙門天に信心あついことがわかった。
「ならば、わしもその毘沙門天に願いをかけようではないか。もし大膳めに勝てたなら、わが城下にりっぱな堂を建立し、金銀宝物もどっさりそなえてしんぜよう」

政宗公は毘沙門天に願をかけ、それから大挙して大膳をおそった。願いが聞き届けられてか、あるいは、たびたびの攻撃に力尽きたのか、ついに大膳の城は落ちたそうな。
政宗公はよろこんだ。さっそく毘沙門天をかついで帰城におよんだが、清水小路荒町にさしかかるころ、ふと黒い不安が蜘蛛の糸のように胸をしめつけてきた。
「これほどのご利益だ。だれかがわしをたおせと祈願したら、それも聞き届けられるであろう。持ち帰るのは剣呑じゃ」
政宗公はあたりの溝に、えいっと毘沙門天投げ捨てた。溝の中からこれを見つけたのは荒町の子どもたちだった。やがて町の人たちの手でお堂が建てられ、今の毘沙門堂になったとのこと。
侍どもにいや気がさされたのか、そのあと毘沙門天はいくさの願掛けには、あまり耳をかされなくなったとか。

せんだいむかしばなし より



仙台様に病気を治してもらいに行く農民の昔話を探してたらいかにもdq宗な昔話があったので。
ちなみにこの毘沙門さまは『奥州藤原氏秀衡が運慶につくらせたと言われてい』代物で、
危うくまたひとつ文化財が失われるところであったそうな。なむなむ
884人間七七四年:2009/02/12(木) 21:10:20 ID:ObyhzRZa
>>883
もう政宗には何も触らせるな

と書こうと思ったのだがこれじゃ三歳児と変わらんな
885人間七七四年:2009/02/12(木) 21:12:15 ID:aGpJ3/zB
>>837
それって映画であったが実話なの?
886人間七七四年:2009/02/12(木) 21:16:54 ID:vYv1EV5c
どうせだし忠興と家久の神ネタ無いか?
887人間七七四年:2009/02/12(木) 21:56:06 ID:KcrRc00Q
宗教つながりで素朴そうな山伏もやるこたやってるぞネタ。

無残! 修験者抗争

出羽三山のひとつ・羽黒山も戦国末期には衰退の一途をたどっていた。
関ヶ原後、最上義光は復興行うも、僧侶同士で対立が起こる。
はじめは義光の三男・清水義親と懇意の尊量が幅を利かせ、敵の宥源を仙台へと
追放した。
この騒ぎの最中、修験者から藩主すら呪術をかけられ一時期危篤となったともいう。
復興に協力した殿様を呪うのだから、羽黒の修験者、容赦がない。

義光死後、義光二男・家親が当主となると宥源は彼にとりいり、
羽黒に復帰する。そして敵対した尊量をおいつめた。
と、はじめのうちこそ意気軒昂だった尊量はあっさり切腹することになった。
一体何故だろうか?

というのも、宥源は宿敵である彼を山伏の掟による
「石子積み」にすべく運動を始めていたからなのだ。
この刑罰、穴をほって中に処刑者を首まで埋め、そこに修験者や信者が拳大の
石をもって集まる。そして念仏を唱えながら次々と石を投げつけていく。
これで即死できればいいが、死ねないとそのまま放置プレイというおそろしい
ものだった。尊量はこれにおびえ、せめて罪一等減じて切腹にしてくれ、と
懇願したのである……。この後、宥源のもと出羽は一山をあげて
復興に取り組むことになる。その前に起きた修験者同士の生々しい抗争事件であった。

ちなみに最上氏のあと山形藩に入った鳥居忠恒は、
くして亡くなり嗣子なきため断絶となる。
彼の政治に反感をもつ民が多かったためか、彼が亡くなったとき
「修験者に呪い殺されたのだ」という噂もまことしやかにたった、ともいう。
山形藩は領主交替が激しい藩であるが、その裏にはもしかして
オカルトな理由があったのかもしれない……。
888人間七七四年:2009/02/12(木) 22:00:50 ID:KcrRc00Q
すみません。

くして亡くなり嗣子なきため断絶となる。

若くして亡くなり嗣子なきため断絶となる。

です。
889人間七七四年:2009/02/12(木) 22:44:15 ID:GeLO5HVk
天下人も地震が怖い


秀吉が明智光秀や柴田勝家を討ち、天下統一へと突き進んでいたころのこと。
1585年、中部地方で大地震が起きた。その時、秀吉は坂本城にいたのだが、
地震に驚いて脇目も振らず、一目散に大坂に向かった。
大坂では大坂城も被害を受けており、幾度も余震が起きていたという。
余震に怯えた秀吉はねねや側室とともに御殿に籠ったのだった。
秀吉は恐怖が収まるまでそこに留まったという。

この体験が余程怖かったのだろうか、
秀吉は天下を統一し、伏見城を築城することになったのだが
当時、京都奉行だった前田玄以に
「伏見城の普請のことだがな、ナマズが肝心だぞ。」
と名古屋城から手紙を送り、地震に耐えられる城にせよ、と注意した。
「わしに考えがある。至急、大工を一人こちらに遣すように。」
とかなり気合が入っている。もうあんな思いはしたくない、というところか。

こうして待望の伏見城が完成したのだが…1596年、再び地震が発生した。
数万人が死んだと伝わる大地震で、地震に備えていたにも関わらず、
伏見城の天守閣はあっけなく崩壊した。御殿も倒壊したものの、
秀吉は命からがら逃げ出し、北政所たちとともに余震に耐えたという。
二度も地震に脅かされる不運な秀吉であった。
890人間七七四年:2009/02/12(木) 23:03:36 ID:vJm2d0fL
>>889
魯山君の恨ですねわかります
891人間七七四年:2009/02/12(木) 23:32:59 ID:0zrKi7/N
内ヶ島氏理「死ななきゃ安いだろ…」
892人間七七四年:2009/02/12(木) 23:35:35 ID:vYv1EV5c
森忠政「地震でびびるってチキンだよね」
893人間七七四年:2009/02/13(金) 01:23:38 ID:7nccmz3O
>>869
> 長可はそれを 生 で 食 っ た 。

蛇は寄生虫が多いから生で食うのはやばいぞ。
それに「鬼」と聞いて嫁にしてもらおうと出てきたのかも知れんのだから
食うなら別の意味で食っちまえ。
894人間七七四年:2009/02/13(金) 01:40:29 ID:p5aB5D9h
森忠政「そんな事できるのはボクのダチだけです」
895人間七七四年:2009/02/13(金) 02:18:32 ID:vkgZRgq8
>>893-894
「イェ〜イ、ダーリンお手討ち三十六人目じゃん」

「…や(殺)ってやるゼ!」

ですか。なかなかの夫婦だね
896人間七七四年:2009/02/13(金) 04:02:51 ID:mj7SYu05
大阪夏の陣直後の記録

『豊臣家の大将であった、後藤基次、木村重成、薄田兼相は六日の合戦で討ち死にし、
他の大将も皆討ち取られた。

ただ、真田信繁だけは天王寺・岡山での合戦で一番に逃げて、未だ行方知れずとなっており、
地元の者たちは見つけ出し召し取ろうと思っている。』
(榊原家中古文書)
897人間七七四年:2009/02/13(金) 06:26:52 ID:f2Vbvw2Z
しかし鬼武蔵って、重用されてたとは言え織田家の出世途上の一若手武将に過ぎないし、
しかも他のDQN仲間と違って20代で早死にしてる。

にもかかわらずこの逸話の多さは何なんだろうな。
そしてそれらが圧倒的に悪い話が多いってどうよ?
898人間七七四年:2009/02/13(金) 06:40:01 ID:46eDubMO
坂井久蔵が生きてたら坂井(善)
森(DQN)な住み分けになってたのだろうか
899人間七七四年:2009/02/13(金) 06:50:02 ID:mj7SYu05
悪い話が多いのは、長可が家督を持っていた時期の森一族は、信長、信忠の下で
異常に取り立てられていた、ってのが理由の一つとしてあるな。
間違いなくまわりから嫉妬されていた。

まあ、鬼武蔵の逸話は別に悪い話のほうが多いってわけでもないんだけどね。
このスレではあえて大げさに、面白く書いているものが多いから、そう思うのだろうけど。

一番の問題は、江戸期に森家が家譜作った時、俗説伝説の類まで、かまわず
収集して全部記録しちゃった、って部分だとは思うけどw
900人間七七四年:2009/02/13(金) 08:35:26 ID:D+QtZAOB
>>781からの惺窩の話を見て思い出した話。
藤原惺窩は徳川家お召し抱えの儒学者林羅山の師。
彼は中世の大歌人藤原定家の十二代目の子孫として、毅然たる生き方を持っていた。
慶長元年(1598)宗に渡って勉強しようとしたところ、船が難破し鹿児島の南方鬼界ヶ島に漂着。
そこで一年を過ごすというとんだハプニングも経験した。

林羅山はある日この師を家康に紹介した。
家康は学問が苦手だが、召し抱えの学者がその師を紹介して講義を聞けと勧められれば、仕方がない。
「面倒だなあ」と思いながらも講義を受けることにした。
その気持ちが服装に表れたのだろう。
家康は講義を受ける際、茶筌髷(ちゃせんまげ)という内輪でリラックスするときのだらしないヘアスタイルだった。
それを見た惺窩教授「天子の国を修め身を修める法則を講義しようとするのにその態度はなにごとかっ!!」と一喝。
これには家康もびっくり。すぐさま威儀を正した服装に着替え改めて聞きなおした。
家康のちょっと行儀の悪い話。
901人間七七四年:2009/02/13(金) 09:02:00 ID:xOmlGBEU
>>900
叱られる家康かわいいなw
902人間七七四年:2009/02/13(金) 09:29:19 ID:HksLdLsQ
>>900
惺窩といえば看羊録の姜の弟子だけど、看羊録って
「伊達政宗なる者がいる。代々、陸奥一州に拠り、富貴さは倭国を傾けるほどである。
秀吉が信長に代わるに及び、政宗は、戦いに敗れ、服従を請うた。政宗の凶悍さは、
諸倭に比べて最も甚だしく、自分の兄や子まで殺したほどである。」
とか
「筑前中納言金吾なる者がいる。秀吉の本妻の甥で、輝元の女婿である。だいたい
その性格が軽薄で、感情の起伏が激しく、その兄たちに及ばぬこと甚だ遠い。」
とか
「家康・輝元・景勝・政宗・義光・義弘等々」の世襲の領地では、「家来もみな代々の
家臣で、主将が戦いに敗れて自決すれば、その部下もみな進んで自決する。」
とか、秀吉のような成り上がり者の領地では、たとえ領土が広く、主君が勇敢でも、
「主将が戦いに敗れて自決すれば、その家来は、あるいは散り散りになり、あるいは降伏する」
とか、かなり冷静に人物や時代を分析しているんだよねい。
903人間七七四年:2009/02/13(金) 10:10:03 ID:l9lXgBOx
政宗は確かに結果的に父と弟(何故兄と子と逆に記録されたのかのう?)
を自らの手で死なせてしまったのだけど、それを儒教概念で正面から
批評されるのはキツイのう。

輝宗が死んた直後の政宗ってさ、怒りと動揺の末に家中の畠山報復の
機運に飲まれて二本松城を寒空の中で力攻めした結果、佐竹と南奥諸侯の
大連合を招いてしまうといった感じで、DQNというよりありがちな空回りして
迷走する若輩当主だもの。
それを乗り切った結果、大きく飛躍したわけだけど政宗にとっても父の死
自体は流石に辛い思い出だよね。不孝者と批評されても本人はその通りだね、
としか言わないだろうし。
904人間七七四年:2009/02/13(金) 12:15:30 ID:xOmlGBEU
>>903
>政宗にとっても父の死自体は流石に辛い思い出だよね。

果たして本人は辛いと思っていたかどうか・・・
905人間七七四年:2009/02/13(金) 12:20:34 ID:rTUmd9rG
同じく看羊録からだが

倭人は、ともかく技を尊び、木を縛り、壁を塗り、屋根をふくようなつまらない事にも名誉を与え、その技術を観賞する事だけにも大金を投じる
倭人はみすぼらしい茶室と呼ばれる家で、がらくたのような茶器に高値を付けていた
堀田織部なる者がいて、ことごとに天下一を称しております
花や竹を植えつけたり、茶室をしつらえたりすれば、必ず黄金百錠を支払って鑑定を求めます。
炭を盛る破れ瓢、水くみ用の木桶でも、もし織部が誉めたとすれば、もう、その値は論じるところでもありません。


やっぱり儒教の観点では職人は評価されないようだな
侘び寂びも宣教師と同じく理解出来ないようだ
しかし織部はスゲェな
906人間七七四年:2009/02/13(金) 12:48:24 ID:lLqLWc89
中国のセンスは素晴らしいと言うか、なんであんな感性しか持ってないの
かいな。。水墨画,磁器とかは大先輩なのだが不思議。
最近の西欧人は、解ったふりして茶道広まってるけど。
柔道と同じノリかいな。
解りっこ無いよ、と言うと怒り出すんだよね。
907人間七七四年:2009/02/13(金) 13:05:01 ID:BhNjOgPe
室町時代には”詩画軸”ってものがあったり、
作品に、誰か偉い人の批評つけて(賛)一つの作品とする文化があったのよ。
つまり作品と批評がそろってないものは未完成。
唐物も日本では”賛”があって価値がでるので、実際当時の中国水墨のほとんどが偽物だったり……

利休なんかもいっぱい”流行”作ってるし、織部もその流れでしょうなぁ。
908人間七七四年:2009/02/13(金) 13:17:13 ID:lLqLWc89
茶器なんかは、由来、過去の所有者や伝説がセットになって
初めて法外な価値を持つような。
今でも、茶器の価値は西欧人にはさっぱり解らんでしょう。
小堀遠州の茶室見せても、単なるあばら屋としか写らないらしく
訝しい表情する。由来を話すと少し納得するけど。

権威者の評価と言うか、他者の欲望を欲望するというのは
今のブランド信仰にも繋がるけど、それは西洋でもある程度共通してるよね。
評価する偉い人の持つ「物語」がむしろファンタジーとしての価値を持つのでは。
909人間七七四年:2009/02/13(金) 13:25:20 ID:mj7SYu05
ゴッホの絵なんてまさにそれだよね。絵画そのものではなく、物語が価値を持ってしまった典型例。
910人間七七四年:2009/02/13(金) 14:01:37 ID:JKQQvPEh
1615年の春、徳川家康は息子・義直の結婚式のために名古屋に向かった。
式が終わったら再び豊臣家と戦うつもりだった。
しかし、去年には冬の陣があり、それに加えて今回の出陣だったので
懐が寂しかった家臣たちはブーたれていた。

「手当てがなきゃやってられねぇよ。」
こんな家臣たちの不満を知った本多正純は
「無理もないことだ。」
と思ったので、家康の側室・阿茶局に
「こういう次第ですので、なんとか大御所様にお話しして頂けませんか。」
とお願いした。

というわけで、阿茶局は家康が正純ら重臣と雑談をしているときに
家臣たちに手当てを出すようにと頼んだ。
「去年の戦は和議となり、まことにめでたいことです。
加えて此度のご婚礼、お祝い申し上げます。
こんなにめでたいのですから、家臣たちに何か差し上げて下さいましな。」

すると、家康はムッとしてしまった。
「それは承知しているが、今出したら敵を恐れて金で家臣を引きとめているなどと
噂になろう。金が貰えないと出陣しないというなら勝手にしろ、わしは一人で上洛する!
そもそも、わしは長篠の戦いのとき、家臣を頼りにしないで…」
と、小田原の役や関ヶ原の戦いを例に出してクドクド説教を始めた。

阿茶局は困ってしまって
「あ、あはは…本当にめでたいですわぁ。」
とばかり言ってそそくさと逃げだしたのだった。正純は特にフォローしなかったという。
911人間七七四年:2009/02/13(金) 14:09:11 ID:2V96oLKx
家康が老化したという話は殆どないが、この

「説 教 が く ど く な る」

は完全に老化の証拠だな
912人間七七四年:2009/02/13(金) 14:27:15 ID:vkgZRgq8
>910
クールで無責任な上野守正純に萌えたw
913人間七七四年:2009/02/13(金) 14:57:45 ID:sz2qnePH
いい話になり損ねたなwww
914人間七七四年:2009/02/13(金) 15:17:17 ID:Ew3I2zdq
正純がそこでめんどくさく強諫する性格だったらああはならんかったんだろうな
915人間七七四年:2009/02/13(金) 15:29:09 ID:mj7SYu05
正純は三河者でも新世代と言うか、えらくクールで都会的なんだよね。
まあ、正純が世に出る頃には家康は既に、堂々たる大大名で、底辺で泥を食うような
苦労を知らないって言うのがあるんだろうけど。

しかし正純からにじみ出る、『高級官僚』って佇まいは、好きだな。
小説で、珍しく正純にスポットが当たった、安部龍太郎の「風の如く水の如く」は
個人的にかなり面白かった。
916人間七七四年:2009/02/13(金) 15:38:50 ID:edyPs82k
戦国期に日本を訪れた外国人の話がチラホラ出てるので。
以下明史日本伝より秀吉について語られている箇所。

日本は古来より王がおり、臣下では関白という者が最も尊いとされ
山城州の頭目、信長がこれになっていた。
ある日信長が猟に出ると木の下で眠る者がおり、跳ね起きて衝突しそうになった。
何者かと問い詰めると、名を平秀吉と言い
薩摩州の奴隷で、雄健ですばしっこく口が上手かった。
信長はこれを悦び、馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。
後に重用され、信長のために策を尽くし、二十余州を切り取り、摂津州鎮守大将となった。
参謀に阿奇支なる者がおり、罪を得て、信長は秀吉にこれを討たせた。
にわかに信長は部下明智に殺される所となり
秀吉は阿奇支をまさに滅した時に変を聞き
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅したので威名は益々振るった。
信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の衆をことごとく収めたのが万暦十四年である。

やっぱり実際に現場に行くことは大事だよネ!とか
伝聞まる飲みはホント危険だよネ!とか
われわれ現代人にとっても色々耳が痛い話。


917人間七七四年:2009/02/13(金) 15:40:02 ID:jkQpTaU+
>>900
相手が秀吉だったら冠をひっぺがえされ、なかにゆばりをいれられるw
918人間七七四年:2009/02/13(金) 15:43:26 ID:xOmlGBEU
>>915
スレチだが、最後の黒官と正純の会話のところがすごく好きだ
>「風の如く水の如く」
919人間七七四年:2009/02/13(金) 15:47:25 ID:gdX0Xx9n
切腹ー切腹ー
ワシの趣味は切腹ー
切腹ー切腹ー
920人間七七四年:2009/02/13(金) 17:29:35 ID:rTUmd9rG
>>916
現地に行っても>>846みたいに主観でぶれるしなぁ
オルガンティーノはいい部分しか見えてないしカブラルは悪い部分しか見えてない
これ書簡受け取るほうは統合するのに大変だっただろ
>>858の虚無の仏教はショーペンハウアーが自分の哲学の補完として利用してるし
結局自分の考えに都合の悪いものは排除しがちだし都合のいいものには盲目なんじゃない?
現代でも虚偽と主観を排して情報を伝えるってのは難しいことだよな
921人間七七四年:2009/02/13(金) 17:34:32 ID:mj7SYu05
しかしこのスレももう900越えたのか。
一時期ネタ切れかって時があったけど、そこからまた加速してるなー。
戦国の逸話って、あるもんだねえw
922人間七七四年:2009/02/13(金) 18:56:40 ID:SbA5/WWA
しばらくスレ覗かないとあっという間に埋まっちゃうからある意味困る
しかも長かったり流し読みの出来ない濃いネタがたくさんあるから読むの時間かかって仕方ない

でももっとやれ
923人間七七四年:2009/02/13(金) 19:34:18 ID:V0o+0raM
>>887
>「石子積み」にすべく運動を始めていたからなのだ。
>この刑罰、穴をほって中に処刑者を首まで埋め、そこに修験者や信者が拳大の
>石をもって集まる。そして念仏を唱えながら次々と石を投げつけていく。

イスラームに同じ処刑方法があるな
向こうは姦淫の罪だかで地面から首だけ出した状態で頭に布袋をかぶせて
死ぬまで石をぶつけられるらしいが
924人間七七四年:2009/02/13(金) 19:58:32 ID:d5zzz+Rn
>>915
生まれてから正信が帰参するまでは
「三河から逃げ出した一向一揆の首謀者の息子」だぞ。
母一人子一人で大久保家の援助で細々生き延びてた。苦労知らずどころじゃない。
925人間七七四年:2009/02/13(金) 19:59:44 ID:uIhr9L6O
ID赤くして知ったかぶりは恥ずかしいなw
926人間七七四年:2009/02/13(金) 20:00:28 ID:o6xgyo6l
>>916
明智が二人いるなw
927人間七七四年:2009/02/13(金) 20:09:03 ID:s15Dqw53
>>924
「人としての苦労」と「家臣としての苦労」は似て非なるものじゃないかなと思う。

>>926
「阿奇支」のほうは荒木村重じゃないかって話があったな。
それでも結構違うんだけどw
928人間七七四年:2009/02/13(金) 20:25:58 ID:mj7SYu05
>>924
正純は正信の帰参の前から、家康の小姓として使えているよ。
929人間七七四年:2009/02/13(金) 20:30:34 ID:YFez2ALl
>>927
阿奇支って安芸氏で毛利かな?と、こじつけてみる。
930人間七七四年:2009/02/13(金) 20:48:07 ID:Oj9+nQuT
>>930
俺もそう読んでいた
931人間七七四年:2009/02/13(金) 20:49:07 ID:Oj9+nQuT
ああん、>>929へのレスでした

ちょっと鬼武蔵にNADEGIRIされてくる…
932人間七七四年:2009/02/13(金) 21:01:03 ID:IyR/Qdrb
蒲生工場長、ヘッドハンティングに挑戦。


ある時、蒲生氏郷は茶仲間である友人の森忠政の領地である東美濃を訪れた際に大井宿で接待を受けた。
饗応役で出てきたのはゴツい年の頃50歳程の男。名を「各務兵庫助元正」と名乗った。

氏郷「なるほど、この男が『鬼兵庫』か・・・」

信長家臣時代に噂ぐらいは聞いた事がある。色々と面白い経歴の持ち主であるらしい。
しばらくして酒もまわり宴もたけなわとなった所で氏郷はこう切り出した。

氏郷「兵庫殿。あなたの武功話を聞きとうございますな。」
元正「武功話ですか・・・。そうですな、では宇佐山城での話を一つ・・・」
氏郷「おお・・・それは凄い。だがまだそれが全てではありますまい。」
元正「それはもちろん。では越前での話を・・・」
氏郷「ははは!面白い面白い。だがまだry」
元正「それはもちry」

そんなこんなで盛り上がる内に宴は終わった。
元正「この老骨めの昔話。楽しんでいただけましたかな?」
氏郷「それはもちろん。」
元正「ふふふ・・・」

ほろ酔い気分でご機嫌な氏郷であったが人材マニアである彼は話の中で各務兵庫という男が武辺だけではなく多くの普請事業に関わり、また最近では
領内の検地奉行を務め上げたりと多才な人物である事を見逃さなかった。

是非とも蒲生家に欲しい逸材・・・万石払っても惜しくはない。彼が浪人であったなら即採用ものである。
しかしながら彼も森家において重要な職を得ている。差し出がましい真似はすべきではないのだ。
933人間七七四年:2009/02/13(金) 21:01:40 ID:IyR/Qdrb
しかしその場は大人しく帰ったもののどうしても元正を仕官させたくなった氏郷。
長可時代から所領が減って待遇に不満を抱いていた森家の家臣を引き取って再生工場入りさせたりしている氏郷は知っている。
「現時点の森家の待遇に不満がある家臣は決して少なくない。」元正ももしや・・・やってみる価値はある。

早速、水面下で交渉すべく手紙を書いてみる氏郷。しかしながら自分から引き抜きにいくという事はあまりしたことが無い・・・というか初めてかもしれない。
とりあえず一万五千石で仕官を勧めてみる事にした。ちなみに森家の総石高は当時七万石であるので倍増以上である事は間違いない。

数日すると使者が帰ってきた。やんわりと断られたとの事である。
しかしながら珍しくヒートアップする氏郷「よろしい、ならば二万石だ。」書状を受け取ってもらえたならばまだ分からない。
スラスラと書き上げるとまたすぐに使者を送り出した。

また数日すると使者が帰って来た。今度ははっきりと断られたようで物凄い剣幕で怒鳴られたらしい。書状は受け取ってすら貰えなかったようだ。
氏郷「ハハハ、なるほど、いかな条件が書かれていようと仕官する気など全く無いという事か!」

よくよく考えてみれば大封に釣られて与えられた職務を投げ出して他家へと移る輩などたかが知れている。お互いの為にこれでよかったのだ。
平素の冷静さが戻った氏郷。きっぱりと元正を仕官させる事を諦めると今度は他家の人間にこういう強引な仕官話を持ちかける事も無かったという。


工場長には珍しいちょっと悪い話。
934人間七七四年:2009/02/13(金) 21:11:06 ID:p5aB5D9h
>>932-933
それだけ魅力的な漢だったというかがみんのいい話でもあるな
935人間七七四年:2009/02/14(土) 00:09:07 ID:2Bv0b7du
有名な松平信綱(伊豆守)の実父は、大河内金兵衛と言った。

金兵衛はかねてから、「古田織部と言う人は、普通の死に方はしないだろう」
と語っていたが、はたして大阪の陣の折、織部は切腹を命ぜられた。
金兵衛の周りの人々はこれを不思議に思い、どうして織部の死を予言できたのかと
尋ねると、

「織部と言う人は、世の宝を損なう人だった。例えば掛け物が長すぎると言って切り捨てたり、
傷一つない茶碗や茶入れをわざわざ割って、それを修繕したあとを、景色が面白い
などと言って楽しんでいた。

世の宝物と言うべきものを、傷物にして面白がるような人は、まともな死に方はしないだろう。
そう思っていただけだよ。」

と、答えたと言う。
936人間七七四年:2009/02/14(土) 00:23:18 ID:1bF8PQFf
国宝真っ二つだしな…
そりゃそういう感覚の人もいただろう
937人間七七四年:2009/02/14(土) 00:25:07 ID:UhJGXKtz
芸術は爆発だ!
938人間七七四年:2009/02/14(土) 00:41:30 ID:fd1RNDl3
つまり、松永さんこそ真の芸術家ということですね
939人間七七四年:2009/02/14(土) 01:04:52 ID:RrtIGQHu
>>935
政宗「良い事言うなー」
940人間七七四年:2009/02/14(土) 01:09:55 ID:i77t5Lup
現代でもいるよそういう奴。
有名な日本画の上から派手にペンキで何か描いて前衛アートだって。
941人間七七四年:2009/02/14(土) 04:48:28 ID:gLiOWLwf
>>939
千利休「オマエモナー」
942人間七七四年:2009/02/14(土) 09:14:23 ID:3s2K25MT
>934
かがみん、武門で鳴る森家の人らしいなあ。
昔話に興が乗って、えんえん話し込んでしまうとかかわいい

・・・三河武士だと主君(家康)も家臣も実にめんどくさいのだが、それはそれでかわいい
943人間七七四年:2009/02/14(土) 12:02:19 ID:3JQrDhlI
広大な会津領を授かるも、「大領だって中央から遠いと、天下取る望みないじゃん…」
と涙を流したという蒲生氏郷。涙の乾く間もなく向かった北の地で、待っていたのは

(●∀´)「という訳で、阿武隈川を境に安達郡はおまえの領地、二本松はオレの
      りょーうーちー! 線越えたら先生…じゃない、関白にチクるかんな。」

氏郷(#^ω^)「(実質、飛ばされたあげく隣がコイツかよ…)あーハイハイ、じゃあ観世寺の
         辺りもオレの領地な。」

(●Д゚)ハァ? 「氏郷クンはGoogleマップも使えないんデスかねー?
        『二本松 観世寺』 でググってみろよ、どう見ても二本松の中だろが!
        観世寺がテメーの領地とか、誰が言ってんだ アアン?」

(`・ω・´) 「ワケわかんねー単語使うんじゃねー!昔から言われてる事なんだって。」
m9(●Д^)プギャー 「テメーこそ何言ってんだ? ソース出せや、ソース!!」

(´・ω・`)「これだから教養のない人は…観世寺の敷地に、黒塚ってのがあるよね?」
( ●д゚) 「鬼が住んでたっていう史跡だろ?それがどうした?」

( ^ω^)「はい、ソース。 つttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%A1%9A

陸奥(みちのく)の "安達''が原の "黒塚''に 鬼籠もれりと 言ふはまことか
(平兼盛・拾遺和歌集)
ってちゃんと言ってるだろ。つまり黒塚は安達ってことで、観世寺はオレのもの。」

(´●д・`) 「・・・・・・・・」

と言いつつ、この話のソースは名将言行録だったりするので
これが元で政宗と氏郷の遺恨が始まった・・・かどうかは、定かではない
944人間七七四年:2009/02/14(土) 12:28:15 ID:Rj9L4KUD
なんでだろ…
実績的には大差ないか政宗のが上なくらいなのに、
政宗じゃ器的に氏郷に敵う気がしないw
945人間七七四年:2009/02/14(土) 12:32:41 ID:X+wJd1C5
どう考えても氏郷は織田家やってた頃が華だしなあ
義兄弟信忠生存!って展開だったら泣いて喜んだだろうか
946人間七七四年:2009/02/14(土) 12:41:04 ID:xVch9efD
信忠生存だと織田家が割れる理由がまるでなくなるからなぁ。
一益の大敗も鬼武蔵の苦難に満ちた撤退もなかったかもしらん。
947人間七七四年:2009/02/14(土) 12:43:11 ID:5Q9P6Vhe
いい話スレで酒の話が出てきたので

「島津のDQNと酒」

島津忠恒は、兄・久保が朝鮮出兵中に急逝したことで棚ぼた的に次期島津当主予定者となった。
駄菓子下肢
忠恒の父・義弘には忠恒について1点ひじょーに心配していることがあった。

それは 酒癖が悪いこと。

忠恒が秀吉の命で上洛するとき、早速お付きの家臣にこのような忠告を送っている
「アレ(=忠恒)は酒を飲ませ過ぎると暴走するので、よくよくそばにいるお前が注意するように」
しかしその後も義弘から忠恒に宛てた手紙に都度都度
「お前、酒には(ry」
というお小言が頻出するところを見ると、家臣の注意も聞かず泥酔して(以下略)という事態が
多かったらしいことが伺える。

義弘の「お前、酒(ry」というお小言は関ヶ原の合戦後、忠恒が正式に家督を継いだ慶長7年以降も続いた・・・
義弘から忠恒宛の手紙に酒をたしなめる文言が出てこなくなるのは慶長15年前後
そう、島津義久が死んだことをきっかけに正室亀寿を追放して家久(もと忠恒)が堂々と女遊びに走るころである。
948人間七七四年:2009/02/14(土) 13:29:03 ID:L8y77fai
しかし忠恒、その後なかなか腹黒く、上手く立ち回ったんですね。

パパが死んでから、ようやく呪縛は解けたのかな。
今時の2世国会議員みたいだなあ。
949人間七七四年:2009/02/14(土) 13:43:43 ID:i3CDX868
>>947
駄菓子下肢の意味がわからなくて5分ぐらい考えた
950人間七七四年:2009/02/14(土) 15:14:05 ID:5NL/G5Ok
>>944
まあ結局イメージだと思うけど。上の話は出来すぎてるけど名将言行録だし。
実際のとこ、氏郷は政宗より一回り以上年上だったからいろいろと差はあっただろうな。
奥州仕置のときに34歳と23歳だもの。
951人間七七四年:2009/02/14(土) 15:42:46 ID:AM19JTS0
952人間七七四年:2009/02/14(土) 16:47:22 ID:QjE1QK3h
なぜこのスレにドロッセルお嬢様が?
953人間七七四年:2009/02/14(土) 16:48:41 ID:LMPgiNKX
ただのマルチだよ
954人間七七四年:2009/02/14(土) 16:51:06 ID:5w3gDqmz
>>947
忠恒「父上の『お前、酒には(ry』という暗号…
  これをryに従い、省略していくと『お酒』という文字が浮かび上がる
  つまり、これは『忠恒、お酒を楽しめ』というメッセージだったんだよ!!」
955人間七七四年:2009/02/14(土) 18:18:52 ID:Rj9L4KUD
な、なんだってー(棒読み)
956人間七七四年:2009/02/14(土) 18:23:41 ID:EDzK6lxv
ひどい解釈だ
957人間七七四年:2009/02/14(土) 19:14:06 ID:BTsJbzVW
>>950
無双に氏郷が出てきたら面白そう
958人間七七四年:2009/02/14(土) 19:17:38 ID:2Bv0b7du
>>957
こんな鎧つけてるから、キャラ立ては楽そうだなw
http://www.koboku.co.jp/tango/5-tango/tubakuro3.PNG
959人間七七四年:2009/02/14(土) 19:19:28 ID:jwStjYVu
どこかでこんなロボットを見た記憶がある
960人間七七四年:2009/02/14(土) 20:50:41 ID:GempPWYg
>>958
戦国無双の最初のやつに汎用武将に氏郷の鎧つけてるやつが居た気がする。
961人間七七四年:2009/02/14(土) 21:00:40 ID:2Bv0b7du
970あたりで、宣言してから新スレ立ててください。


↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話7


↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233221056/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233164778/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
962人間七七四年:2009/02/14(土) 21:05:31 ID:L3LrX+J9
>>958
キツネ耳か
963人間七七四年:2009/02/14(土) 22:15:34 ID:9djQsV1i
2週間で1スレ消費か
しかもちょっといい話と分離してるのに、、
すげぇなぁ
964人間七七四年:2009/02/14(土) 22:28:09 ID:iLlukCqT
鬼武蔵の屋根葺衆の話は散々出たが決定的なあだ名の原因は三の丸攻略時っぽいな。

高遠城の城兵たちは勇戦し、侵入された三の丸から一度は織田勢を撃退する働きを見せた。
熾烈を極める三の丸攻防戦のさなか、三の丸の屋根に鉄砲隊を上げる事に成功した森長可は下に向かって乱射させ大きな戦果を得た。
ここまでは既出の話。

普通の人はここで下、といってどう取るだろうか。
敵の固まっているところに高いところから猛射しかけるというイメージを持つ人も多いのではないだろうか。

だがこの場合の「下」はそれだけではなかった。
三の丸の屋根瓦を剥がした鉄砲隊は天井から三の丸の中に向かって乱射したのだ。
三の丸を攻め上がった織田の将兵が最上階で見たのは兵士、その妻子老若男女問わず血の泥濘に沈んだ酸鼻極まる状況だったという。
965人間七七四年:2009/02/14(土) 22:30:46 ID:2Bv0b7du
鬼にもほどがある(;´Д`)
966人間七七四年:2009/02/14(土) 22:41:05 ID:/VWzDkWu
>>964
さすが鬼武蔵! そこにシビれる憧れるゥ!
967人間七七四年:2009/02/14(土) 22:46:14 ID:bHB6dyoK
そかな?
足軽雑兵にうひゃうひゃやられるよりも良いようなきもするけど。
968人間七七四年:2009/02/14(土) 22:46:53 ID:EDzK6lxv
うっかりで滑り込んで群がる城の兵を無双しちゃった兵庫さんも忘れるな
969人間七七四年:2009/02/14(土) 22:48:41 ID:iLlukCqT
各務さんは調べると鬼って言われるのも無理もないくらい戦功あるからなぁ
あいつならどんな状況でも生きて帰ってくると思われてた可能性もあるw
970人間七七四年:2009/02/14(土) 22:53:52 ID:eFp4Vrut
>>968-969
「一人だけの軍隊・兵庫助」か…
971人間七七四年:2009/02/14(土) 22:56:02 ID:Q0rO7FPA
秀吉「鬼武蔵が死んだ!? よかった〜!」
                ここ重要↑
972人間七七四年:2009/02/14(土) 22:58:40 ID:bQXM6kFl
>2週間で1スレ
なんか不毛な事でだいぶ浪費したからな・・・
973人間七七四年:2009/02/14(土) 23:02:45 ID:2Bv0b7du
>>970
スレ立てよろ

テンプレ>>961
974人間七七四年:2009/02/14(土) 23:29:50 ID:eFp4Vrut
>>973うぃ、逝ってくる
975人間七七四年:2009/02/14(土) 23:29:54 ID:RrtIGQHu
>>971
そのセリフよく聞くけど、詳しく教えて欲しい
976970=974:2009/02/14(土) 23:31:35 ID:eFp4Vrut
戦国ちょっと悪い話7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234621761/l50

初めて無事できますた。
977人間七七四年:2009/02/14(土) 23:32:00 ID:2Bv0b7du
>>976
乙でした〜
978人間七七四年:2009/02/14(土) 23:36:43 ID:2QVjtrYE
>>976
乙ですた。

宇喜多殿が晩餐に招待されるとのことです
979人間七七四年:2009/02/14(土) 23:46:23 ID:ft2tBCwg
>>978
いや、招かれる方だろ。
そんでおかずの一部を包んで妻子に持ち帰り、
代官が涙するわけだ。
980人間七七四年:2009/02/15(日) 00:37:31 ID:kJa1K9xv
和食なら宇喜多亭、イタリアンならチェーザレ・ボルジア、
フレンチならカトリーヌ・ド・メデイシスが三ツ星でしょうか。

西洋の方はあくまで伝説の味ですけど。
981人間七七四年:2009/02/15(日) 00:45:05 ID:So4TMHvo
>>980
西欧人が、イタリアがスペイン系で、フランスがイタリア人なのは
皮肉ですか?
982人間七七四年:2009/02/15(日) 00:46:25 ID:C99j22v6
>935割とどうでもいいアレだが、埋め草ついでに。
知恵伊豆の養父の方は松平正綱。大河内金兵衛久綱の実弟で、甥っ子を養子にしたんですな。

能吏で、のちに日光東照宮の造営にも携わったようなデキる人だったんだが
その奥さんが家康から下賜された、お梶の方(於勝勝の方)。
……主君のロリ側室を下げ渡されたんだから何かが凄かったのかもしんない。

しかも、後年正綱はお梶の方と離縁させられて、お梶さんは家康の側室に戻っているというミステリー
983人間七七四年:2009/02/15(日) 00:54:31 ID:kJa1K9xv
>>981

よくご存じで・・・

必殺の味、中華はご存じのむきありや?
西大后は伝説でしょうか、やってくれてそうな気がしますが。
984人間七七四年:2009/02/15(日) 00:55:42 ID:Eu0Q92Dn
>>983
> 必殺の味、中華はご存じのむきありや?

朱元璋「これとっても美味しいよ〜?」
985人間七七四年:2009/02/15(日) 01:12:26 ID:K1caddbQ
中華・西太后や中欧料理・バートリもお忘れなく。
986人間七七四年:2009/02/15(日) 01:13:29 ID:8ffVuRvy
ラスプーチン「まとめていただこうか」
987人間七七四年:2009/02/15(日) 02:38:43 ID:lbL2uqax
つーか、最近は口に入るものを買うときは
中国産でない事を必ず確認するようになった。
988人間七七四年:2009/02/15(日) 03:11:37 ID:6kfKH2VY
しかし日本国産と書いてあっても
産地を偽装している物が大半を占める事実
989人間七七四年:2009/02/15(日) 03:23:43 ID:vnXk1NIG
大半を占めるなんて軽々しく使うなよバカ
でも確かに多いね。アサリとかカキとかは結構やってるとこを見た
990人間七七四年:2009/02/15(日) 08:15:18 ID:hZ3ygSb5
            ___
       /       \       こ、これは>>1乙じゃなくて修行の成果なんだから
      /  _ノ  ヽ、 \     変な勘違いしないでお!
    /    (●)  (●) \
     |  //// (__人__)////|                 .,__    ., \
      \      `_⌒_´___/    _  - ― = ̄  ̄ヽ ''=;- .,_\ \\
.      /´ ⌒` ̄  ,    ´  ̄'' ̄      __   |.‐-> "`"'-' \
      |       _゙__ -―   ̄ ̄ ̄"'" /  / ._二)  \    ヽ
      |  イ´ ̄     l            /  /  ̄"'''─-::        ヽ
.     |           |           /  /     三 ≡           ヽ,
                          /  /                     ヽ;
                            |   {           _  - ― = ̄  ̄`:,  |
                        ',  `ー―  ̄ '' ̄     __――= i
                             ` ----- - ―   ̄ ̄ ̄"'" .       !
                                    ヾ、 _、         ::|
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                                  、ー`、-、ヾ、、,  、, /i/
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991人間七七四年:2009/02/15(日) 08:15:52 ID:hZ3ygSb5
新スレに書き込むはずが間違えた
ちくしょう
992人間七七四年:2009/02/15(日) 09:08:34 ID:1kVOlkSH
>>991
三斎「……ワンナウト」
虎之介「だよなー」

つーか気にスンナ
993人間七七四年:2009/02/15(日) 11:18:08 ID:mkIq+V1U
鬼武蔵「さぁて」
994人間七七四年:2009/02/15(日) 11:18:47 ID:mkIq+V1U
政宗「それじゃあ」
995人間七七四年:2009/02/15(日) 11:20:05 ID:mkIq+V1U
忠興「このスレ」
996人間七七四年:2009/02/15(日) 11:20:35 ID:mkIq+V1U
家久「埋めるか」
997人間七七四年:2009/02/15(日) 11:46:38 ID:ibhPEGG/
正則「お、おれも、う、埋めていいか」
998人間七七四年:2009/02/15(日) 11:49:19 ID:Yu3QSBED
直家「埋まってないよ?」
999人間七七四年:2009/02/15(日) 11:50:24 ID:Yu3QSBED
久秀「まったく若い者は」
1000人間七七四年:2009/02/15(日) 11:51:31 ID:Yu3QSBED
秀吉「詰めが甘いのう…」
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
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