【羽後】安東愛季【最強?】

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252人間七七四年
最上の石高というか山形県側に関しては太閤検地なんて参考にならないよ。

出羽一国31万8095石だがはっきりしている安堵分で14万5630石+α
=安東5万2400石・戸沢4万4000石・小野寺3万1600石・
六郷約5000石・由利衆1万2630石+α
残り17万2465石が最上領・上杉領庄内・蒲生領置賜。
最上が13万石だとすると残りは4万石強だが、
蒲生の城持ち家臣だけで米沢3万8000石・中山1万3000石・小国1万石でオーバー、
庄内は何処にいったんだ?となる。

個別大名の石高については秋田県側が強制的な検地の結果の
大名石高なんで正確だろうとは思えるが
最上は自己申告なんで13万石というのはごまかしてると考えた方がいい。
豊臣期の最上は24万石といわれることが多いが、詳細は見た事がない。
加増はされていないね。

はっきりしてくるのは1622年に豊臣時代の最上領に入部組の石高で、
新庄6万8000石・山形22万石・左沢1万2000石・
白岩8000石・上山4万石の合計34万8000石。
30年間での石高の伸びとして13万石の2.7倍よりは、
24万石の1.45倍のが個人的にはうなずきやすい。
佐竹領は太閤検地で19万8933石から約70年で1.6倍の総石高31万9847石。