■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■

このエントリーをはてなブックマークに追加
1サイコメトリー
夏期休暇に入りますので、新スレ立てておきます。

本能寺の変に対して、各人が様々な説論や意見を述べるスレです。
たまに、難しい話になったりしますが、戦国時代や本能寺の変に詳しくない方でも、是非とも意見を聞かせ下さい。
ベクトルが掛かっていない率直な意見は大事ですので。

前スレは面倒なので貼りません。前スレ終了して
から、なるべく使用しましょう。
2サイコメトリー:2008/08/01(金) 13:03:52 ID:9cGw7XgI

スイマセン。本能寺の変考察スレBです。

PCで立てられなかったので、携帯で立てたら脱字をしてしまいました。
本能寺の変徹底考察スレB段目です。
3人間七七四年:2008/08/01(金) 13:24:19 ID:VazsJOLQ

●前スレ
■■本能寺の変徹底考察スレA+■■
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214117425/l50

●過去ログ
■■本能寺の変を徹底考察するスレ■■
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1207092431/l50x

●関連スレ
本能寺の変
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962316/l50
【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167303526/l50

4人間七七四年:2008/08/01(金) 14:22:39 ID:a540eA+b
5サイコメトリー:2008/08/01(金) 14:41:04 ID:9cGw7XgI
>>3
過去スレ張り、感謝致します。ありがとう。

>>4
前回も言ってますが、重複承知で本能寺の変徹底考察スレBを立ててます。

6人間七七四年:2008/08/01(金) 17:28:27 ID:kPVd1zCd
時は今!我慢汁がしたしる五月み○り!!!!!!
7人間七七四年:2008/08/02(土) 13:14:56 ID:ddmLh0Yw
読んだよ。
まず、肝心の変の要因については鈴木方式で怨恨・黒幕説をぶった切って、野望説を提唱している。
ただ、変の要因の立論にはほとんどページを割いておらず、「変の真相解明」からはほど遠い内容。
変の要因を知りたいって人にはオススメできない。

「本能寺の変」樋口晴彦
http://item.rakuten.co.jp/book/5804539/


8人間七七四年:2008/08/02(土) 17:16:16 ID:L234STsk
前スレから引っ張るけど、純粋な野望説は揚げ足取りが、ってのはやっぱり
「史料をだせ」「妄想はやめろ」というのを避けてるわけでしょう。
せっかく夏休みだから、そういうのは最後にするとして、いろんな視点、見解
からそういう純粋な野望説、を聞いて見たい気もする。
どうせ生年だって確定してない人なんだから、あまり史料にこだわらずに
語るのも夏の夜には面白いかもよ。
9人間七七四年:2008/08/02(土) 17:21:41 ID:HlN7O5XO
前スレ996へ
もちろん知ってるよ。
それでも本能寺の時点で明智をナンバー1と呼ぶのは疑問だということ。
10人間七七四年:2008/08/02(土) 17:32:30 ID:L234STsk
>>9
詳しく、教えて。
4年の間に何があったかざっとはわかるけど、馬そろえで京での
対応責任者になった、家康の供応係というのまで、そういう信用は
続いてたとおもうし。

光秀の領土、兵力、そういうのの他の家臣との単純比較、
そういうのも含めて、ナンバー1って言うのは疑問ですかね。
11人間七七四年:2008/08/02(土) 17:39:24 ID:/1WvdHXL
>>8
>前スレから引っ張るけど、純粋な野望説は揚げ足取りが、ってのはやっぱり
>「史料をだせ」「妄想はやめろ」というのを避けてるわけでしょう。

うーん、俺の書き込みをどうとったのかいまいち分からんが、
「揚げ足」と俺が表現したのは、
「野望説というなら、純粋に野望一本が動機で、他の理由はないんでしょ」
的な発想のことね。

これ逆に、他説でも同様なんだよね。
例えば、四国政策での衝突とか、将来や地位への不満を主張する人でも
それらの理由一筋で光秀が謀叛したと言い張ってるか?といえば、そうじゃないよね(多分)
そうした理由が主となってるという主張であり、
光秀に一切その他の野心や不満や怨恨が無いと言ってるわけじゃあない。
12人間七七四年:2008/08/02(土) 18:04:45 ID:OIBO4xU3
>>6 は夏厨だろう。
13人間七七四年:2008/08/02(土) 19:51:03 ID:o8wgP6ib
商人連合陰謀説◎
朝廷陰謀説★
秀吉野望説○
光秀家康秀吉共闘陰謀説◎◎
光秀単独怨み野望説▲
利休野望説△
14人間七七四年:2008/08/02(土) 20:30:07 ID:QsY/rAiI
朝廷陰謀説というより
正親町天皇の謀略説だろうな。
15人間七七四年:2008/08/02(土) 20:51:30 ID:8pYxIbDr
>>14
> 正親町天皇の謀略説だろうな。

そんなこと本気で考えてるのはこのスレに住み着いてる変なキチガイ一人だ。
16人間七七四年:2008/08/02(土) 20:59:01 ID:qkrQhn4g
光秀が4〜5番手だって?

家康秀吉共闘陰謀説が◎◎◎?

いつから、↑こんな流れになってんだろう〜。
一概には言い切れないが、少なくとも光秀は織田家中3番手以上だし、変で秀吉と家康が関わった流れ等、主流になった事などない。前スレでも、前々スレでもね。
このスレB回目の序盤で
いきなり変な流れにしないで欲しい。
17人間七七四年:2008/08/02(土) 21:15:58 ID:QsY/rAiI
>>15

宮内庁の工作員のかたですか?
18人間七七四年:2008/08/02(土) 22:10:32 ID:E5hsC8dK
当時の光秀の所領は丹波一国に近江志賀郡に京都を除く山城
石高だけならともかく、京からの距離考えると光秀は重要地域を任されている感じはするな
その上、信澄忠興を娘婿に、筒井に次男を養子として送り込むと。
19人間七七四年:2008/08/02(土) 22:19:10 ID:/1WvdHXL
>>16
>>9(前スレ992)はナンバー1ということに疑問を示している
それに対し、前スレ993は
「まあ織田一族除けばナンバー4か5くらいの地位はあったんじゃね? 」
と、一番でなくても、少なくとも4〜5くらいの地位にはあったんじゃないか?と言ってる。
別に「光秀が4〜5番手」と断言して主張してるわけではない。

このスレに入ってから問題とされてるのは、あくまで「光秀が一番か?」ということ

お前さんも、もうちょっと頭を冷やしたほうがいい。
20人間七七四年:2008/08/02(土) 22:29:16 ID:/1WvdHXL
織田家臣団の序列については、前スレのはじめごろでも話題になってたね。
結論自体は特にでてないように思えるが。
織田政権の性質自体に関わる問題だから、そう簡単には答えがでるとも思えないし。
個人的に前スレ63の意見には注目してる

>織田家は本能寺まで信長のほぼ完全な独裁。ナンバー2はいない。
>はっきり言えば勝家も光秀も秀吉も使用人に過ぎない。
>織田家の政権中枢は信長そのもので、その信長が事毎に、必要と思われる人間の助言を聞いて
>政策を支持し、実行させていた。

>だから信長時代の織田家に、他家のような家臣序列があったと考えるのは間違いだと思う。

これはちょっと極端としても、
織田政権は急速に膨張し、かつ統一戦争の真っ最中ということもあり、
その構造はかなり未成熟であり、流動的なものだったと思うんだよね。
だから、家臣団の序列とか、ある程度の目安のようなものはあったとしても、
明確に秩序だったものは完成されてなかったと思っている。
21人間七七四年:2008/08/03(日) 02:13:04 ID:wIk6wLaT
>>20
なるほど、それは正しいだろうな。

でも、家臣団とか、そういううのは根本的にどうなんだろう。

そこに重視を置くのはちょっと、深読みというか考えすぎだと
思う。

そんなに難しく判断する必要があるのだろうか。

織田家の構造とか、序列、とかは正しくて正解なんだろうけど
実行犯の光秀の心中をさぐるにはそこから判断すべきなんだろうか。

このあたりは、歴史解釈の手法まで戻ってしまうから、
限定で語りあいたいと思う。

織田家の、いや信長の解釈と、光秀個人の思想とは
個別に語るべきで。

このあたりはマジでつめたいと思うのだけど、
チャチャが入って大変。
22人間七七四年:2008/08/03(日) 03:16:27 ID:eQPBR1zu
>>21
基本的に同意。
光秀も個人的な想いと軍事的な算段は、別にしてたはず。
野望的な思考では、天下の実権を信長に変わり、握ろうとしたと言う事でなく、結果的に京を中心とした領土確保が出来れば御の字と考えていたと思われる程度の野望思考。
怨恨的な思考では、何度となくあった確執と信長との折り合いの問題。
よく怨恨類は確証がないと言われるが、信長との間にいさかいがなかったはずかない。
信長とは、誰しもがうまくいっていたとは思えないがね。
野望+怨恨が1番妥当だと思う。
23人間七七四年:2008/08/03(日) 04:40:54 ID:+cgXWb33
>>21
光秀の序列が何番目なのかに神経質になってる人がいるから、
前スレの話題を引きつつ「正確な序列なんて決めれないんじゃない?」という話しただけ。

個人の思想云々の話だと、光秀他家臣団の面々が、
みんななかよく横一線、なんては当然考えてないだろうね。

ただちょっと気になるのが「織田家の構造」と「光秀個人の心中」は
完全に区別して考えていいのか?という問題
そこら辺、個々の説によってもとらえ方は変わってくるだろうけどね。
24人間七七四年:2008/08/03(日) 06:44:23 ID:pUyoOM8f
>18
>京都を除く山城
これを言うには、本能寺前から
@井戸が明智組下
A明智が青龍寺城を支配
などを証明する必要がある。
おそらく山城は信長の直轄かと。

定頼についてはもう少し調べてから書いたほうがよいかと。
25人間七七四年:2008/08/03(日) 09:03:19 ID:63R2kB1s
話をずらすが。

神戸信孝と丹羽長秀が、津田信澄を討ったのは、光秀の娘婿というよりも、信長の後継者として、自分よりも上位だったから。
というのを、以前読んだことがあるのだが、本当なのだろうか。

本能寺の変の第一報を、四国遠征軍が受けたとき、神戸信孝や丹羽長秀、津田信澄は、全軍共同して、明智光秀を討とうとした。
しかし、続報が入るにつれ、織田信忠や織田勝長(信房)まで死んだことが判明し、成人した織田(津田)家の人間が信澄しかいなくなった。
そして、今、光秀を討ったら、信澄がその功績から織田家の当主になる、と信孝や長秀は考えて、信澄を殺した。

というのだが、確かに信孝や信雄が清州会議で信長の後継者になれなかった理由の一つが、他家の養子になっていたことなので、
私としては、ありうるかも、と思ったのだが。
信長の後継者の順序としては、第一が信忠なのは間違いないが、その次以降は誰になるのだろう。
26人間七七四年:2008/08/03(日) 10:18:09 ID:dJmnKm01
>>25
後継者の順序と関係あるかは分からんが、馬揃えの序列では
信雄>信包>信孝=信澄、だっけ。
ただ、信雄が伊賀平定でミソつけたときに、信長から「兄貴の顔に泥塗るようなヘマするな!」って折檻状
下されてるから、信雄は一応2番手だが兄貴とは超えがたい格差があると思う。
信澄は信孝の副将に甘んじたことから、信孝は序列では信澄の下ってのはどうかなあ?
単に「光秀の婿の信澄が謀反に呼応する」って風説が流れて、信孝が信じただけでね。

>>22
同意。前スレでも話題になったが、「信長の人間性」だって怨恨の土壌になる。
光秀には、野望も怨恨もあった。でも、謀反を後押ししたのは光秀にとって偶然としか
思えないラッキーな状況の出現で、そのワンチャンスに決行した。

27人間七七四年:2008/08/03(日) 12:16:31 ID:2BZYLeHU
>信長との間にいさかいがなかったはずかない。
本能寺の変の研究はこういった確執が具体的に何であったかを推察するのが目的なのよ。
議論が衰退してる。
28人間七七四年:2008/08/03(日) 13:06:28 ID:xS5xktbb
>>22
>信長とは、誰しもがうまくいっていたとは思えないがね
そりゃ当たり前だろ。だからなに?の世界だ。逆に言えば、信長とはものすごく上手くいっていた人もいた。
それこそ命を捨ててまで従った武将たち。元亀の危機にも裏切らなかった尾張美濃の武士。本能寺でわざわざ
かけつけて明智軍に切り込んでいったり、切腹して殉じた側近たち。そういった存在を無視してまるで一般論
かのように言うのはフェアじゃない。

>信長との間にいさかいがなかったはずかない
これも当たり前だ。問題は、そのいさかいが謀反になるほどの差し迫ったものなのかということ。
例えば秀吉は結構問題を起している。それでも内心はどうあれ、少なくとも謀反だのなんだのは起さず、生前は
信長に忠実だった。光秀と信長にいさかいがあったとしても、それが謀反の動機になるほど重大だったかどうか
というのはきちんとはかるべき。

それと信長の性格人格を問題視する意見はいくらもあるが、光秀の性格人格を論じているのがほとんどない
のも問題だろう。大抵信長の性格に問題があって光秀が被害者とするスタンスだが、それを鵜呑みにするのも
どうかと。
当時の光秀評を見ると、こちらもかなりとんでもない人物像が出てくる。高柳氏などは、光秀は信長と実に
似通った合理主義と、同じく当時の規格常識から外れた部分があって、それで信長と非常にウマが合い、重用
され出世したと評価している。
29人間七七四年:2008/08/03(日) 13:16:03 ID:/a7N/SVk
本能寺の恋
30人間七七四年:2008/08/03(日) 14:01:04 ID:zK/j+plg
変後の事態収拾が膠着して長引いた場合、
朝廷あたりの調停で津田信澄が三法師の後見人になる収集案が浮上したかもしれないな。
可能性はそれほどは高くないんだろうが。

ただ津田信澄は御神輿タイプの人間で、自分から野心的に動くことはしないと思う。
31人間七七四年:2008/08/03(日) 14:05:05 ID:i2kZP2Ca
>朝廷あたりの調停

はい座布団一枚


32人間七七四年:2008/08/03(日) 14:10:18 ID:Oj+O4lYr
>>25
信澄が信孝よりも上、という珍説をあえて出す意味がわからなかったけど
>朝廷あたりの調停
を言いたかったということなら納得
33人間七七四年:2008/08/03(日) 14:34:42 ID:2BZYLeHU
朝廷あたりの調停だなんて超低レベル
34人間七七四年:2008/08/03(日) 15:54:57 ID:GfXYf8JP
朝廷が調停できる件でもないだろ
誰かが名目上というか筋の通し方として朝廷の権威を借りて、というならわかるが
35人間七七四年:2008/08/03(日) 18:37:23 ID:dJmnKm01
>>28
>当時の光秀評を見ると、こちらもかなりとんでもない人物像が出てくる。
これはもっと重視すべきだな。
比叡山焼き討ちでも光秀は積極的に関与し、山門領押収もやっている。
高柳の指摘は至当で、だからこそ浪人あがりとは思えないほどの出世を遂げた。
また、少なくとも天正10年正月時点では、信長は光秀を安土城の貴賓室に一番に招待し、光秀は信長直
筆の掛け軸を尊崇し、両者にわだかまりは見えない。
だから、少なくともこの時点ではうまくいっていたわけだ。
これ以降に両者を決裂させる何かがあって、複合説では四国政策問題がそれに該当するとされている。
ただ、四国主将から除外されてもそれに代わって中国征伐の仕事をもらってきるから、中国派兵自体
に不満に感じるものでなければ、さらなる要因が謀反には必要な気がするな。

36人間七七四年:2008/08/03(日) 21:26:35 ID:2BZYLeHU
光秀の場合地方の方面軍の責任者から畿内の官僚に仕事の比重が移っただけで、
地位の低下だとか四国政策の転換とする桐野説なんかはどうも釈然としないが。
それだけ肩入れする問題ならそれこそ変後に接触しててもいいわけだが、その気配はないよね。
37人間七七四年:2008/08/03(日) 21:40:32 ID:a/dEtD2c
佐久間失脚までは織田の有力な一武将の一人でしかなかったのだから
元から地方の方面軍の責任者で無かった気もする
38人間七七四年:2008/08/03(日) 22:58:11 ID:fiJ95d3I
元亀元年に信長は、二度に渡り光秀の屋敷(京)を宿所としており、また光秀の
異例な出世などからも、両者は当初から親密な関係であったと考えられる。
妹のオツマキとのこともしかり。

ただ晩年には側近達が台頭し、信長の気好しであった妹が亡くなったことで、
光秀は疎外感みたいなものを抱き始めていたんじゃないかな。
39サイコメトリー:2008/08/04(月) 09:35:33 ID:syZLpI8n
前スレでも何度か語った事だけど、別の方も来てると思うので、再度皆に意見を聞きたい。

自分は基本的に>>22同意で、変の要素としては怨恨+必然的or結果的野望が
多くを占めてると思う。怨恨と言えば、確たる証拠も文献も無いと言われるが、
変に付いて、それはどの説も同じ事。

決して信長=暴君。光秀=忠実な部下。の図式で考えている分けではないよ、
フロイスの光秀評を妄信はしないが、光秀も戦国時代の武将という事、人間
という事なのかな。馬が合うとか、反りが合わないとかは時と状況により人間
関係は変化する分けで、蜜月の時があれば、それはいづれ終わる。

信長と光秀の間にあった事は推測でしかないが、同じ状況が秀吉とあったとし
ても秀吉は気にも留めないだろうと思う。桑田忠親氏が言う面目を失う事が、
何度かあったと推測出来るが、秀吉の様な性格の持ち主ならば、謀反とはならなか
ったと思う。感情論と言ってしまえば、それまでだが、感情の動物である人間の
事由の理由に感情論がないはずがないと思うのです。

ちょっと歴史語ってる感じじゃなくゴメン・・・。
40人間七七四年:2008/08/04(月) 10:33:05 ID:hDoDT21N
>>25
それさ、信澄ってのは信行の子でしょう。
だから首巻の是非にまで入るからとても難しいのだけど
一度別スレでもやりたいぐらいなんだ。

信澄が光秀を討つ功績、以前に、信長と信行の出生の話
ということね。
信長は謀反人ということで信行を殺すけど、その子の信澄を
どうして生かしておいたか、という問題にもからんでくる。

弾正忠家の正式な家督とか、当時の文書の解釈にも
からんできて大変難しい問題なんだが、桐野が雑誌でなかなか微妙な
言い方をしてたし。
つまり、信秀が急死して弾正忠家の血統、家督、そういうのは信長が
正嫡で信行が謀反、と簡単に片付けられないのではないか、という
とこにまで話が戻るんだ。

だから信長が死んだ時に、その子と同時に信行の子、にもそういう
血統の正統性はあるのではないか、というように25の話に戻る。

ちなみに信行についたのは織田家旧臣の勝家だし、これは清洲会議の
解釈としても、そこまでさかのぼって語られたのをあまり知らない。
首巻の時代の微妙な織田家内部の事情は勝家なんかはまさに
当事者だったわけだしね。

史料を出せ、と言われるのがこわいから軽く問題提起にしておくけど、
信行ー信澄親子は信長ー信孝親子に殺されることになった。
兄弟間での殺し合いもえぐいが、織田家自体に関する話もなかなかおもしろい
とこではある。
41人間七七四年:2008/08/04(月) 10:38:15 ID:pq2YVWOp
>>39
まぁ信長は極悪とまでは言わないが、臣下にとって怖主であった事は間違いないね。
四国取次、秀吉援軍などより、心理的に佐久間の
件が与えた影響は光秀にとっては大きい。

まぁ佐久間より自分の方が功労者だとの自負は自負としてあったと思うがね。
42人間七七四年:2008/08/04(月) 12:02:20 ID:NvIdp7Dt
>信長は謀反人ということで信行を殺すけど、その子の信澄を
どうして生かしておいたか、という問題にもからんでくる。


信澄って人間として存在感が薄い、坊さんみたいなキャラクターのように思うんだが。
信澄のエピソードはなんかあるか?


それと勝家が信行についた理由がよくわからん。
佐久間信盛と丹羽は信長についたはずだが。
43人間七七四年:2008/08/04(月) 13:25:09 ID:cP2S0YZL
>>37
同意。
丹波平定後に「方面軍」が組織されたとされるが、鳥取救援・武田征伐・中国救援と、方面軍としての主体的活動は
存在しない。
よって、「近畿方面軍」みたいな表現は不正確やと思う。
厳密にいえば、光秀には「丹波方面軍」だった経歴しかない。
44人間七七四年:2008/08/04(月) 15:00:32 ID:cP2S0YZL
>>36
光秀が畿内で官僚やっていたってホンマなの?
まず、朝廷関係では天正3年以降は村井一人でやっていて、光秀は京都馬揃え以外関わっていない。
次に、検地関係では明智に先駆けて柴田が越前の検地をやっているし、光秀は大和は滝川・丹後は細川と共同でやって
いるにすぎない。
官僚というなら、方面軍の出納を一手に引き受けた大津長昌みたいなイメージがあるのだが、光秀が官僚だといえる根拠が分らん。
45人間七七四年:2008/08/04(月) 15:00:41 ID:u9YEz8o1
方面軍って言葉は高柳氏の造語で元々観念的なもの。
織田家家中において大名並みの権力移譲された人物に対して使った言葉であって
どこどこの攻略に専念しますって意味ではないよ。
46人間七七四年:2008/08/04(月) 16:14:37 ID:hXZuCpFx
信長は組織作りがものすごくいい加減だからな。
47人間七七四年:2008/08/04(月) 17:01:26 ID:u9YEz8o1
>>44
官僚≠内政官 官僚=要職

光秀の丹波攻略は領土拡大を目的とした方面軍としての役割以上に、
京都での正統性を得ることを目的としており、京周辺の支配及び禁裏料所の回復が主務であった。
これは京都奉行職の延長といった方が正しく、柴田や羽柴等と同列とは言い難い。
その証拠に佐久間追放時には数カ国切り取った秀吉を差し置いて、天下面目云々と称され
名前が筆頭にあがるほど功績が認められた。
48サイコメトリー:2008/08/04(月) 17:44:00 ID:syZLpI8n
>>47
解釈に同意です。
光秀の立場と職務は、織田家の他の誰とも比較出来ず、役割としても特殊。
所司代の村井貞勝と比較すべくもないと思うが、馬揃え等も一種のパレード
的にとらわれがちだが、天下に織田家を示した功績は大きく、その前段階の
用意周到さも光秀らしさがうかがえる。

佐久間追放には、思う所はあったと思うが、自身の功績+役割を鑑みるに、
己の危機とまでは考えなかったと思います。
49人間七七四年:2008/08/04(月) 17:49:18 ID:kZ5tPF15
>>47
朝廷との交渉は村井がやって、朝廷の財政基盤回復は光秀の仕事ってことか。
丹波平定戦が、京都奉行の延長って評価は?だが、信長が一番に評価したのには京都支配の正統性確保
できた点があるのは同意。
50人間七七四年:2008/08/04(月) 18:32:01 ID:JI+8fylU
>>40
信長信勝(行)の嫡庶問題というのは、昔別スレでやったことがあるが、結論は、
「信長庶子信勝嫡流説」は成立し難い、というところで落ち着いた。
両者が正室の子(嫡流)ということはあっても、片方の信長が庶流というのは、それ
こそ当時の資料から状況含めてまず考えられない。

ちなみにあなたは信澄を活かしていたことを挙げているが、もし信長庶流信勝正嫡
だったとしたら、信長が嫡流になる信勝の子供達を活かしておく理由がなくなる。
むしろ、積極的に殺す動機の方が生まれる。

それと勝家はこれまで講談で誤解されてきたんだが、織田家の譜代なんてものではなく
勝家個人の功績で一代で成り上がった存在。
51人間七七四年:2008/08/04(月) 19:38:19 ID:u9YEz8o1
>>49
この年は公家領徳政の執行と二条家に養女を送るなど朝廷政策に意を注いでる。
公家領の回復については村井貞勝・丹羽長秀の両名によって行われた。
この事から京都奉行職の延長とした。
52人間七七四年:2008/08/05(火) 07:59:06 ID:eql9oueQ
>>50
へ〜、それは参加したかったな。
自分もまだはっきりとした結論は保留なんだけど、単純にうつけとイケメン
という記述の比較から、なんか不自然なものを感じてて、信行との家督
争いのほうに話が移っていくのだけどね。

最近では、三郎という署名があるから弾正忠家の家督をついでいた、とは言えない
みたいだし、弾正忠を先に名乗ったのは信行だったのかな、なんか結構昔の
シンプルな定説とは違う論も出てきてるみたい。
ひまがあったらまとめてみたいとこだ。

で、信行が正嫡だったらその子を生かしておくのはおかしい、なんだけどこれに関して
もし信長が将来天下取りに立ち上がる意思がそのときからあったとして
そういう血統的な正統性、一応信秀は官職ももらってるし、そういう時のために
安全無害な子供は生かしておこう、みたいに考えた、というのはないかな。

いったんは許した信行をまた殺すけど、これはその前年に長男信忠が生まれたからだ
みたいな論もあって、当時から血統、跡継ぎ、そういうのを意識してたのはあっただろうからね。
ましてや、自分が正嫡ならそういうことに何の問題もないのだけど、母親が信行とは別であった
なんてのが事実とするとそういう家督争いにおいて、血統を意識するのは余計あったろうし。

そういや、信長は2歳の時だったかナゴヤの城に出されるけど、母親と住んでたのは信行
のほうだった、というのも前に展開されてたな。
最初に信行と争った時に仲介に入ったのが信行の母親で、このいうことを聞いてるから
やっぱり、両者の母親は同じだったのかもしれないけど。
長くなった、ごめん、この問題は結構関心があるもんで。
53人間七七四年:2008/08/05(火) 08:15:08 ID:eql9oueQ
>>50
せっかくだからもう一つ。
信行の子を生かしておいた理由に、信行についた家臣もいるわけだから、
それらの家臣を少しは味方につけておくため、というのもあるかも。
美濃との抗争中で、家臣が完全に離反したらさすがにまずかったろうしね。

勝家だけど、織田家旧臣というのは言いすぎだったね。
せいぜい父信秀が信行につけた、年上の家臣ぐらいにしておこうか。
最近桐野が言ってたけど、織田家のそういう立場の人が主に
信行につき、信長についたのはもっと新興的な家臣、というのがあって、
こういうように織田家家督争いを考えるとわかりやすいか、というのはある。
津島湊の支配権とかね。

そういや、稲生川の時、信長の武器というか勝因は「大音声」と「御怒り」
というのが微笑ましい。まるで大魔神のような。
54人間七七四年:2008/08/05(火) 09:40:55 ID:XBwevg6+
>>51
なるほど。
二条養女の件は知らないが、徳政・公家領回復は丹波征伐前だよね。
あと、丹波平定の名目は朱印状では「追放した義昭に与した宇津・内藤ら逆徒の征伐」になっている。
この名目からすれば、京都奉行の延長って評価に疑問がある。
また、天正3年7月以降に京都の政治にかかわる文書から光秀の連署が一切消えている。
だから、丹波征伐を機に光秀は京都奉行の任を解かれたと考える方が妥当なので、?って疑問を呈した。

ちなみに、宇津はかつて丹波山国荘の禁裏御料を押領して、朝廷が「宇津をなんとかして」って信長に訴えた経緯
のあるいわくつきの武将だから、丹波征伐の名目に「宇津」の名前があることは禁裏御料回復の意図はなくもないって
考える余地は十分にあると思う。
いずれにせよ、佐久間折檻状で光秀をべた褒めした意図については非常に参考になったよ、d。
55人間七七四年:2008/08/05(火) 11:41:08 ID:49ZxL7md
スレチになるからこれ以上はやめておくが。

信長庶流で信勝嫡流なんかだったら、どんな理由があろうと信勝を殺して息子を
生かす理由はない。なにせ、反信長派の正統な御輿になってしまうから。信長と
敵対しようとするものは、嫡流(この場合は信勝の息子)をかついで、庶流のくせに
織田家をのっとった悪人信長を討て!と大義名分にするでしょう。つまり、騒乱の
タネにこそなっても、安定には寄与しない。

むしろ信長に対するそういった非難批判がないことを見ても、無理な仮説だろう。

>信長は2歳の時だったかナゴヤの城に出されるけど
那古屋はもともと信秀の居城。さらに幼少の頃から信長に譲られたとういう説も
否定されている。今では、推測になるが信長元服を期に城を任されたと考えられて
いる。

家臣についてもおかしい。
信長につけられたのは、信秀腹心側近ナンバー1の平手と、尾張一の大族林氏。
さらに、信長についたのが新興の家臣だといって、桐野がそこであげているのは
津島系列の武士たちだが、桐野の知識は大丈夫かといいたい。津島といえば、信長の
祖父の代から弾正忠家と結びついた、ある意味で成り上がりの弾正忠家にとって
数少ない、三代がかりの譜代家臣だぞ。
譜代の津島系列に比べれば、個人一代の武功で成り上がった柴田勝家の方が、織田家
からしたらよっぽど新参勢力だ。
56人間七七四年:2008/08/05(火) 12:13:15 ID:x2LxjH1i
結局、信秀在世の頃の筆頭家老は誰だったの?
57人間七七四年:2008/08/05(火) 12:24:06 ID:esNfkDYG
>>54
「追放した義昭に与した宇津・内藤ら逆徒の征伐」
これは誰かの意訳?
どの文書を見たか解らないけど
「京都錯乱(または騒乱)」の頃から「逆心」を止めず「出仕(出頭)」にも応じないから「誅罸」をする為に明智を派遣する旨
という内容の文書は見たことあるけど。
名目上は京都錯乱に対する沙汰だから本来ならば京都所司代の管轄でしょ。
58人間七七四年:2008/08/05(火) 14:00:01 ID:wigd/9jY
原文は、
「内藤・宇津の事、先年京都錯乱の刻、この方に対して逆心いまだ相やまず候哉。
出仕なく候わば、誅罰を加えるため、明智十兵衛をさし越され候」

おれは、「京都錯乱」は天正元年の足利義昭との槙島合戦などを指していると考える。
上記の朱印状は京都錯乱防止のためっていっているわけではなく、京都錯乱の時から
依然として信長に逆心を抱いているから誅罰するって意味じゃないかな。
うまく説明できないが、京都錯乱の刻=槙島合戦の時から依然義昭党の宇津らを征伐する
名目で明智を口丹波に派遣したと考えるので、岩成らと同じ将軍方残党征伐のひとつで
管轄うんぬんを持ち出すのは?と思うわけ。
あなたは、「名目上」と断っているから以下の記述はスルーしてもらって結構だが、実際は
同年3月の藤孝宛の朱印状で、石山合戦のため口丹波2郡の国衆を彼に付属させようとしたが、
彼らが応じなかった(上記の朱印状の「出仕」とはこれを指すと考える)ため、空手形に終
わったのが直接的な原因だと思うね。
59人間七七四年:2008/08/05(火) 14:38:32 ID:g/eoU38K
そろそろスレチには終了して頂き、話を戻すが、変の要因として理由を
もう一度上げて、考察して欲しい。

俺はそんなに戦国時代詳しくないが、信長と光秀が好きで、変に関しての本だけ
は良く読んだ、基本的には桐野朝廷説を支持してたが、本人が撤回してしまった
為に複雑な気持ち・・。

単純に本能寺の変が起きた事を残念に思っている。信長や光秀や秀吉が活躍する
日本とはどんなものだったか、想像するとワクワクする。
60人間七七四年:2008/08/05(火) 17:49:26 ID:mnwqd4SM
>>55
鋭いレス感謝。
スレチで悪いが、もう少しだけお願い。

庶流と嫡流についての議論になるが、信秀奥さんの序列と言うか、正室、
について、案外不明確ではなかったか、というのではないか。
つまり父が急死したのでそこらが織田家内で不明確、なので生前に
与えられていた家内権力について、家督争いというのか、信長と信行の
間でそういうのが起きたのではないか、とこのあたりが今の時点での
推論になっている。

ナゴヤに出された、というのも当時は奥さんのとこで出産したろうし、
しばらくはそうやって母親と一緒に暮らしたろう。
それがナゴヤに出された、というのでこれもどういう意味合いか
検討中。
奥さんが名前が残らないような意外と低い身分ではなかったか、なので庶流、とまでは確定
できないが、そのあたりは辻褄はあうような展開では。

家臣なんだけど、長くなるからやめとくが、決して55のカキコに反対せずに
別の解釈も可能ではないか、と思ってる。
ぜひ、お聞きしたいとこだ。

ちなみに、日本歴史八月号に小和田が寄稿してるけど、読まれました?
ブコウヤワが「偽書じゃない」とまではっきり言っててだいじょうぶなのかな。
あれに信が置けるとなると信長の出自に関してもまた別の角度から
検討の必要がある。

ちょっと横からのアプローチだけど、自分は「ツガル・・」もある程度
理解してるので、偽書、についての意見もぜひお聞きしたいところ。
スレチで悪いが、このあたりは一度は触れておきたくて。
61人間七七四年:2008/08/05(火) 22:32:13 ID:49ZxL7md
>>60
まず信秀正室については複数の記録がある。さらに言えば、信長の生母についても複数の記録がある。
信秀正室についてはまず尾張守護代織田達勝の娘。こちらは後に離縁したことが記録にある。
次に『津島大橋記』『干城録』から小嶋日向守信房の娘。こちらは信長の生母との記述もある。
そして土田氏。ただし、出自がまず不明。尾張清洲の土田氏、美濃可児郡の土田氏、近江六角の庶流土田氏説などがある。
 そもそも土田氏は当時の史料による裏付けがなく、はっきりと明記しているのは『武功夜話』
他に、『美濃国諸旧記』では佐々木六角高頼の娘が信長生母と記述がある。事実なら、家格からいって正室だろう。

どうあれ、信長生母については、記録は一貫して「正室」としている。

>父が急死したのでそこらが織田家内で不明確、なので生前に与えられていた家内権力について、家督争いというのか、
信長信行の間でそういうのが起きたのではないか
父信秀の死後からも、信勝というか末森衆は信長に服属している。信長からの出陣命令がくれば素直に兵をだしている。
少なくとも信秀死後しばらくは、その兄弟息子たちは協力しあっている。信秀死後に即内乱が始まったようなイメージが
あるが、それ間違い。信勝が敵対の意志を表明しだすのは、信秀死後四年もたってからの1555年以降。つまり信秀死後の
数年間は、弾正忠家は信長を棟梁として行動し、そこには争いなんてない。

>ナゴヤに出された、というのも当時は奥さんのとこで出産したろうし〜
意味不明。信長が那古野で生まれたことは記録にあるし(正室なら当然)、信秀がかなり長い間那古野を居城にしていた
ことも記録で確認されている。

>日本歴史八月号に小和田が寄稿してるけど、読まれました?
読んでないので明日にでも見てみる。しかし小和田氏はロクな調査もなしに「信憑性がある」とか断言した前科があるからなー。
もっとも小和田氏に限らず、これまで武功本物派は、ちゃんとした史料調査もせず根拠も示さず否定意見に対するまっとうな
反証による反論もなしに、信憑性を主張してきたので、また同じかなと思わなくも無い。

>偽書、についての意見もぜひお聞きしたいところ
『武功』についてだったら。むしろ逆に、何の根拠があって、アレを「信憑性がある」と主張できるのか是非お尋ねしたい。

これ以上は別スレを立てるなりなんなりしてください。
62人間七七四年:2008/08/06(水) 01:50:11 ID:wysV+NX7
>>58
それ原文じゃなくて書き下し文だね。
「出仕なく候わば」は「出仕しないのならば」の意であって、
あなたが意図する出仕の意味だと「候に付き、候由」をつけるべきだと思うけど。

永禄12年に宇津頼重には「違乱」の禁止を命じてる。
自分は「京都錯乱」は永禄11〜12年の三好三人衆による京中への侵入を背景に起こった各種の違乱を指してると考えてる。
本圀寺の襲撃事件が有名なのかな?
永禄12年の文書に「去年錯乱」と表現したものがあるから、これも一つの証左であろうか。

>同年3月の藤孝宛の朱印状で、石山合戦のため口丹波2郡の国衆を彼に付属させようとしたが、
>彼らが応じなかった(上記の朱印状の「出仕」とはこれを指すと考える)ため、空手形に終
>わったのが直接的な原因だと思うね。
兵三百五十余人しか率いていない様な遥かに格下の細川藤孝の与力にするって事は通常ありえないからね。
こんな侮辱のような要求すれば応じないのは目に見えていただろうし何故こんな事をしたかが重要だと思うけど。

信長は逆心を止めないとしているが、実際には義昭追放後目立った反乱等は起こしてなかったみたいだし。
63人間七七四年:2008/08/06(水) 06:43:31 ID:QunGS8JU
>遥かに格下の細川藤孝


官位や家柄は細川が圧倒的に上ではないか?
64サイコメトリー:2008/08/06(水) 08:17:07 ID:+Lnu/nq9

申し訳ありませんが、これ以上のスレ違い書き込みはご遠慮願います。
ここはあくまで『本能寺の変』に関連する内容を書き込みして頂く場所です。

現在の状況ですと、初めてこのスレに訪れてくれた方は二度来てもらえない
状況になってしまいそうですので、くれぐれも宜しくお願い致します。
>>25
>>40
>>52
>>54
>>55
>>56
>>57
>>58
>>60
>>61
>>62
>>63

織田家初期の諸状況を教えて頂き、ありがとうございました。
是非とも本能寺の変に付いてのご意見をお聞かせ願えればと思います。
65人間七七四年:2008/08/06(水) 10:05:53 ID:oXVduZ+5
祝 スレチ終了。

さっそくだが、堺衆関与説が取り上げられている
本には、どんな物があるのかなぁ?
へうげの利休黒幕話も堺衆関与説と言えるだろうが、利休にあそこまでの影響力があったとは思えない。
66人間七七四年:2008/08/06(水) 11:28:51 ID:RTWFi+/x
お題をだします。

「本城覚書」について。
これが、偽書かどうか、については確認はどうなってるのでしょう。
書式、書体、文字、墨、紙、その他専門家の検査を受けて当時の本物と確認
できるのか。
まずこのあたりに詳しい人いらっしゃいますかね。

次に、内容面でフロイスとの整合性。
昭和5年の時点でフロイスの訳本が普通に入手できたかどうか。
出来たなら内容的にも偽書の可能性はあるが、困難だった、というのなら
この整合性は非常に重大な意味を持つだろう。

また、隠居後の自慢なら誇張的に書かれるのだろうが、この覚書には
信長自体は出てこず、自らの見聞きした範囲内での記述になっている。
このあたりをどうとらえるか。

現在のところ他の史料とかけはなれた内容で確認が出来ないので
判断保留、となっているようだが、もしこの覚書がとりあえず偽書ではなく
貴重な一次史料と確認されるなら、現在の定説等にも重大な影響を
及ぼすであろう。

公になって約80年、これだけの史料を、保留、ですませておくのも
惜しいので夏休みの課題がわりに、少し整理しておきたい。
67人間七七四年:2008/08/06(水) 11:30:20 ID:qvqpOVFF
直接の理由はともかく、反乱を考えた時、源平交代説に後押しされた所はあるだろうな。
今が平氏の信長の天下なら、次は源氏の俺だ、と>光秀
68人間七七四年:2008/08/06(水) 11:52:15 ID:oXVduZ+5
源平説はないと思うと、前スレでほぼ結論が出てるよ。
一族郎党のすべてをかけて、源氏やら平家にこだわる分けがない。って事
になってるよ。
69人間七七四年:2008/08/06(水) 11:57:18 ID:qvqpOVFF
>>68
心理的後押しと言っておる
70人間七七四年:2008/08/06(水) 12:49:20 ID:ubNfAnlQ
源平交代思想があったのか?
71人間七七四年:2008/08/06(水) 12:52:26 ID:qvqpOVFF
>>70
南北朝の時代には既に存在するがな
72前スレより:2008/08/06(水) 13:38:25 ID:bqfEbgaQ
【本能寺の変の要因で可能性が高いもの:◎異議なし。▲異議あり。】

◎信長を襲える状況だった事
◎各地の織田軍が簡単に京に戻れないと思っていた事
◎四国政策の転換で信長と光秀がバッティングしたこと
◎フロイスの足蹴りの記事から天正10年5月に二人が何らかの要件で衝突していたこと
◎変後においては朝廷と接触した形跡がある事
◎特に何らかの上位者を旗印として掲げた形跡は無いこと
◎朝廷が一枚岩でないこと
◎織田家の序列は明らかでないこと

▲光秀が信長を好きではなかった事
▲近江をはじめ畿内平定を進めていたことから野心はあった事
▲光秀が疲れたから
▲手紙などから信長・光秀に性格の不一致があったこと
▲愛宕百韻で自分の野望をにおわせたこと
▲源平交替思想を光秀が重視したこと
▲斎藤利三の件が、本能寺の変の最終的な一押しを光秀に与えたこと
▲秀吉の四国ルートである三好ラインで光秀と衝突したこと


他に何かある?
73人間七七四年:2008/08/06(水) 15:52:55 ID:4P4Rfiug
それは要因で可能性が高いものというより
要因とは関係あるか無いか分からないが、取りあえず事実の可能性が高いものと
創作や想像で史実であるか根拠に乏しいもの
じゃないか?
74人間七七四年:2008/08/06(水) 16:12:29 ID:qF2kI9XQ
> ◎朝廷が一枚岩でないこと


正親町天皇の個人的な才覚(政治力など)に関する検証が望まれる。
75人間七七四年:2008/08/06(水) 17:42:14 ID:vl9KqIwT
源平説に関してだけど、血統的なら源平思想。
実力的な側面なら、関東支配、こんな感じで当時の
将軍を評していた、ぐらいでいいと思うよ。
68の結論はちょっとな。

天皇の個人的な才覚が証明できない以上は天皇黒幕説は
成り立たないもんね。他にも根拠はあるが。
ただ、1573だったかで譲位を望み信長の許可受けながらしなかった。
そして結局いつでも可能なのに譲位せずに最後まで踏ん張るところは
天皇としてなにかしらの、思想、意味、があったのかもしれない。

このあたりは治天の君、院政、とかそういうほうに話が戻ってまた
スレ違いとなってしまうが。
76人間七七四年:2008/08/06(水) 18:59:57 ID:0kAbIMHv
源平交替思想も、将軍になるのに関東支配も、
当時にそれを示すまともな史料がろくに存在しないから、かなり怪しい
というのが前スレまでの流れじゃないかな?

熱心に主張する人はいたが、ソースは全く出してくれなかった
77人間七七四年:2008/08/06(水) 19:09:48 ID:qvqpOVFF
>>76
太平記にまんま出てくるし、信長の時代にも、義昭追い出したときに
「源平交代の理どおり、今度も平氏の信長が源氏の足利から政権を奪ったのだ」って坊さんの日記とか
残っているのだが?>源平交代思想
78人間七七四年:2008/08/07(木) 00:35:10 ID:97HXShD+
天下人の定義にもよるだろうけど、例えば三好長慶なんかは現在はともかく
当時は足利にかわる天下人と認められていた。
こういうのはどうだったんだ?三好って平氏なのか?
そういえば三好の前の細川政元も当時は天下人と見なされていたな。
そして信長の後に天下人と認められた豊臣秀吉は、源氏でも平氏でもなかった。
その豊臣から天下を奪った徳川家康は?

こうして詳細をみていけば、源平交代なんてとっくに破綻していることがわかる。
79人間七七四年:2008/08/07(木) 00:36:35 ID:hWZmnnHa
>>78
破綻していようが何だろうがそう言う思想が存在した事は確か。そして信長も意図的にそれを利用した。
それを否定するのは、非学問的態度だ。
80人間七七四年:2008/08/07(木) 01:31:18 ID:97HXShD+
>>79
思想がその時代に存在していたことと、その時代にどれほど受け入れられいたかは別。

そういった部分の証明や考察を抜きに、ただ記述があるからとそのまま使うのは非学問的態度だ。
81人間七七四年:2008/08/07(木) 01:32:21 ID:hWZmnnHa
>>80
では君は、それを調べてから文句を言うべきだな。
82人間七七四年:2008/08/07(木) 01:44:03 ID:EUiSIa/p
源平交替思想が当時の人々に、政権交代に、それだけの影響与えてたという根拠は?
信長が意図的に利用してたという証拠は?

そんな思想が過去にあったから、みんなそれに完全に従って生きているという発想が
よっぽど非学問的態度。
自分の気に入らない相手には、反射的にそういうレッテル貼りで罵倒しようとするのが
よっぽど非学問的態度。
83人間七七四年:2008/08/07(木) 01:45:37 ID:EUiSIa/p
>>80
内容かぶってたね。ごめん
84人間七七四年:2008/08/07(木) 01:57:55 ID:hWZmnnHa
>>82
なんか勘違いしてないかID:EUiSIa/pは?誰がどこで「みんなそれに完全に従って生きている」なんて言った?
そう言う思想が広範に存在した事を言っているだけなのに、何故にそう言う捉え方をする?

源平交代思想を信長が利用していないと言うのなら、信長が藤原氏から平氏へと氏を変えた理由を
源平交代思想以外で合理的に説明しなされ。
85人間七七四年:2008/08/07(木) 02:56:24 ID:97HXShD+
織田氏は信長以前から藤原を名乗っていた。
信長が平氏を名乗るようになるのは、史料的には元亀二年から。

信長が足利を越えるために平氏を名乗ったとするのなら、むしろ時期的に中途半端。

だいたいこの時代、平氏を名乗ったのは信長に限らない。彼らがみな源平交代思想に
基づいて平氏を名乗ったと看做すのは無茶だろう。
政権交代に源平交代思想を持ち出すのがこの時代のメジャーだったのなら、足利を
抑えて天下人となった細川や三好が平氏を名乗らないのは何故?
ちなみに秀吉は、信長の死後一時期平氏を名乗っている。平氏の信長の後を継いだ
秀吉が平氏、おかしいね?なぜ源平交代思想に基づいて源氏を名乗らなかったんだろう。
ちなみに秀吉が義昭に養子を願って断られたというのは資料的に確認できない、江戸
時代の創作と考えられている。
86人間七七四年:2008/08/07(木) 03:10:43 ID:EUiSIa/p
>>84
「そう言う思想が広範に存在した」と言ってる割に、
挙げてる実例が、時代の違う、しかも軍記物の中のお話と
坊さんの日記(誰のか知らんけど)の二例だけだもんな。

肝心の当時の武士なんかが、源平交代思想に触れた実例聞いたことないし。
政権の正当化として主張された実例も知らない。

そうした考証もろくに無く、信長も光秀も源平交代思想なんて与太話に沿って動いてたといわれてもねえ。

広範に存在して、それが利用されてたというのはそちらの主張。
立証責任はそちらにあるのを忘れないように。
87人間七七四年:2008/08/07(木) 09:39:02 ID:EPMCCy+5
あれ、話がずれてないか。
征夷大将軍になる暗黙の条件、だったでしょう。
だから78で言う三好なんかは別に関係ないし、細川
なんかはそれ自体が名門で今更姓を変更なんてのも
ありえない。

あくまで出自がはっきりしない人物が将軍になるにあたって
源平や東国支配が問題にされる、という展開じゃなかったか。

ほんで、85が秀吉がどうして源氏を名乗らない?というけど
彼が出自が下賎というのは知られてたから名乗りたくても
名乗れない。家康的な系譜のごまかしではね。
そのぐらいは周知の事実だから反論自体がおかしいのが
ここいくつかのスレで続いてるような。

86の主張も妙で、実例がない、考証がない、じゃなくて
ちょっと前の日本の歴史を知ってればある程度の武将なら
どういう過去にいきさつがあったかはこれも常識。
政権の正当化じゃなくて、より自分が適している、という暗黙の
主張ぐらいだったと思うよ。
88人間七七四年:2008/08/07(木) 09:43:36 ID:hWZmnnHa
>>86
「知らない」ということを自慢するなよ…。
89人間七七四年:2008/08/07(木) 09:45:17 ID:p4c16EBE
>>75->>86
スレチな話題を引っ張るな、ヴォケ。
よそでやれよカスが。
90人間七七四年:2008/08/07(木) 09:53:57 ID:B2quNlfF
源平交代思想って古典教養の無い現代人の感覚からするとマーフィーの法則みたいなもんだが、
当時の人間にとっての源平交代思想は、現代人のポスト構造主義論のような一つの社会観念思想で広く認知はされていた。
という事だと思う。

>>84の言う思想って社会観念思想の事なんだろうけど
>>85>>86はマーフィーの法則として捉えてるから話が噛合ってないね。
91人間七七四年:2008/08/07(木) 10:26:40 ID:pBL0rlah
>>59
桐野は単独説に転向したけど、京子のオババはあさっての方向に転向したからね。
オババも公武対立論に限定して持論を補強してりゃ、あそこまでバカにされなんだのに。
桐野が近著で「自分のせいでオババがあんな風になった…」って書いてあったのにはワロタ。

よろず、黒幕説は朝廷説に限らず変後に光秀が黒幕の存在を示唆しなかったという最大の欠点が
クリアできないのが難点だと思うね。
92人間七七四年:2008/08/07(木) 10:46:18 ID:EPMCCy+5
>>91
近著って教えて。

その、示唆しなかった、だけど、固く口止めされていた、というのは?
史料は無いけど、特に朝廷説に関しては、主君殺しというのに
加担したのでは権威にかかわる、とか言って。

ま、本気じゃないけど、ひつまぶしに黒幕説でも出さないと
盛り上がらないかな、と。
93人間七七四年:2008/08/07(木) 10:55:25 ID:y3roVf2V
光秀はちっとも助けてくれない共犯者の名前を死んでも口にしませんでした。
94人間七七四年:2008/08/07(木) 11:05:39 ID:B2quNlfF
>>91
>よろず、黒幕説は朝廷説に限らず変後に光秀が黒幕の存在を示唆しなかった
信長も義昭を利用した時、具体的な名は出さずに上意って使ってたし、
上杉氏の書状は怪しいにしても土橋氏の書状は明らかに上意と使ってるよね。
否定派は年次比定がおかしいとする以外反証出来ずにいるが、
土橋氏の書状は天正10年の状況とピッタリである。
ただそうすると細川宛の書状において義昭を示唆しなかった点について疑問も残る。
この書状は内容が不自然で「忠興を取り立てるため」謀反を起こしたと書いてるよね。

仮説ではあるが、義昭を示唆しなかったのではなく出来なかっただけではないのか?
細川は義昭追放時には将軍譜代家臣達とは立場を違え信長に鞍替えした。
つまり細川は義昭を上洛させて政権の中核にすえる行為には賛同しかねる理由があり、
それゆえ不自然な謀反理由を伝えたのではないか。とも考えられる。
95人間七七四年:2008/08/07(木) 11:07:44 ID:y3roVf2V
>>94
単に相手によって修辞を変えてるだけでしょ。
96人間七七四年:2008/08/07(木) 11:28:40 ID:B2quNlfF
>>95
うん、だからなおさら上意を示唆して正統化をしない点に疑問があるの。
97人間七七四年:2008/08/07(木) 11:56:54 ID:EPMCCy+5
不自然な謀反理由というのも確かに理解できる面もある。
仮に義昭とか、朝廷でもいいけど、事前協議してたら
細川から見て「どうして自分にも教えてくれなかった、
そっちは将軍になるつもりかもしれないが自分は
その部下ということ?」みたいにヘソをまげてしまうかもしれない。

なので正当化をしないというのは、光秀なりの細川への気配りと言うか。
別に、黒幕説を支持するわけじゃないけどね。
最大の欠点と言うのもそれなりに説明は出来そうかな、と。

98人間七七四年:2008/08/07(木) 12:03:06 ID:EUiSIa/p
>>94
>否定派は年次比定がおかしいとする以外反証出来ずにいるが、

いやいや、否定はも天正10年という年次比定自体は否定してないよ。
鈴木眞也にいたっては
「藤田が年次比定を改めたようなことを偉そうにいってやがるが、
そんな意見前からあったし、俺も前からそう主張してたよ、ふざけんな」
と年次比定を藤田が自分の手柄にしてるのにお怒りw

否定派の主張は、常識的に読んで、
これが単に変後に義昭が土橋を通じて、光秀に協力を求めたことがわかるだけ、というもの。
むしろ、変以前に光秀と義昭が没交渉であった、土橋を経由しなければ光秀と連絡がとれなかった
その程度の関係だったことを示す史料でしかない。

つまり、変後に土橋経由で義昭が協力を求めて来たわけだから、
細川宛に義昭の件が触れてないのも、まだ無い話が書けるわけも無いというだけの話
99人間七七四年:2008/08/07(木) 12:17:33 ID:97HXShD+
>>87
>彼が出自が下賎というのは知られてたから名乗りたくても名乗れない。家康的な系譜のごまかしではね。
秀吉の出自が下賎だと知られていたのは事実だが、しかし史実で秀吉は平氏を名乗り、
家康的手法で摂関家の一員となり、さらには天皇家の隠し子説まで名乗った。

なのに、源氏を名乗ることはできないんですか?すごいですね初めて聞きました。
源氏を名乗ることは、平氏を名乗ったり摂関家に関わったり天皇家を名乗ったりする
よりも厳しかったとは。是非史料的に証明してください。証明責任はそちらにありますから。

あなたは源氏というブランドを過大評価しすぎです。

>>94
では筒井の説得に義昭を持ち出さなかった理由は?蒲生や山岡など光秀に加わらなかった
近江の武将達の説得に義昭が使われなかった理由は?摂津の中川や高山など、史実では光秀
に加わらなかった武将たちを説得するのに義昭を材料にしなかった理由は?

畿内の諸将、つまり真先に味方につけなければならないものたちへの説得に義昭が使われず、
遠国大名の上杉の説得にだけ義昭を持ち出す理由は?

あなたの説は、特定一部の説明にはなっても、その他の大部分の理由説明は出来ていない。
100人間七七四年:2008/08/07(木) 12:27:54 ID:hWZmnnHa
>>99
否定のための否定はいい加減止めないか?君。
101人間七七四年:2008/08/07(木) 13:15:35 ID:B2quNlfF
>>98
>変後に土橋経由で義昭が協力を求めて来たわけだから
これどうやって変後と断定したの?
「仰せの如く未だ申し通ぜず候処に、・・・」
光秀からの返書は初めてだろうけど、義昭からの通達自体はだいぶ前からあった表現なんだよね。
一方通行の意思疎通だろうから、藤田氏の黒幕共謀説まで行くと突飛だとは思うけど、
細川に書状を送る頃には光秀が義昭上洛構想を念頭に持っていたとしても何もおかしくないしむしろ自然なんじゃないの?

細川、三好、織田と将軍擁立政権が続いていたのに、
光秀はそういった構想を山崎合戦直前にいきなり思いついたとする方が強引だと思うけど。
単独説、突発説ありきな論理展開かと思う。
102人間七七四年:2008/08/07(木) 13:37:56 ID:y3roVf2V
>>101
> 細川に書状を送る頃には光秀が義昭上洛構想を念頭に持っていたとしても何もおかしくないしむしろ自然なんじゃないの?

そうだとしたら細川は義昭の意思なんか重要視しないと思ったから光秀は書かなかった。
さらに言えば光秀自身も義昭のことを重要視していなかったから書かなかった。
そういう風になるなあ。
103サイコメトリー:2008/08/07(木) 13:55:57 ID:Gnk3apGr

室町やら義昭の威光は、当時、それほど強いものだったのかなぁ?
変後の状況展開から鑑みても、義昭と共闘してた節が全く見られないと思う。
義昭藤田説は、前スレでも取り上げたが、黒幕説の中で最も可能性が薄い様
に思うよ。

むしろ、後付けで光秀が少しでも権威を利用しようとした動きは見れるが、
細川や諸将へ送った書状の本意は、自軍へ靡かせる為の内容だと思うが。
104人間七七四年:2008/08/07(木) 14:59:47 ID:bXbHPM4U
信長は事あるごとに、寺社を焼き討ち
してきた。
毛利攻めが本格化してきて、毛利勢が
厳島神社に立てこもれば焼き討ちされるのは
必定。実は寺社好きの光秀は、それを食い止めるため信長を
始末した。


広島住まいの者のお戯れです・・・。
105人間七七四年:2008/08/07(木) 15:05:41 ID:B6e8wK69
光秀は寺社や足利将軍を守るために挙兵するとは思えないなあ。

ただし朝廷というか天皇個人を守るための挙兵はしそうなキャラである。
106人間七七四年:2008/08/07(木) 15:09:49 ID:hWZmnnHa
織田家は神官の出
107人間七七四年:2008/08/07(木) 16:16:32 ID:p4c16EBE
>>92
「誰が信長を殺したのか」(PHP新書)
>その、示唆しなかった、だけど、固く口止めされていた、というのは?
立論自体に資料がないのに反論しようがないよ。

>>94
>仮説ではあるが、義昭を示唆しなかったのではなく出来なかっただけではないのか?
それなら、義昭の子の義尋の名前だしゃいいじゃん。
義昭を追放した当人の信長ですら、義尋を暫定的に擁立している。その余は>>99に同意。

>>101>>103
細川が光秀に味方しなかったのは彼が謀反人だからで、「将軍カード」を使えば「征夷大将軍の命令で彼を追放した
逆臣信長を成敗した」という名目で、光秀は謀反人という評価を回避できる。
ところが、細川宛文書の内容は光秀が相当テンぱっているのが伝わるものであるにも拘わらず、将軍と縁の深い細川に
方便でも「将軍カード」を使っていない。
また、信長が万が一のスペアとして用意していた義尋を光秀が擁立しなかったのも不審だな。
光秀は将軍擁立の気持ちなんてなかったと思うね。
108人間七七四年:2008/08/07(木) 16:20:54 ID:vd0IeyXC
>>99
ひまだからつきあうね。

平氏を名乗るのは、その時点では源氏の世で有力平氏なんていなかったから
自称しても秀吉の威光でなんとでもなった。
摂関家の一員になったのも、お金で買った、わけだから笑いもの。
天皇の隠し子なんてのも単に笑われただけ。

ただ、足利将軍がまがりなりにもいた以上、源氏である、というのはその
出自を明確にする必要があり、系譜的なものを持ち出したとしても
笑いもの以前に、詐称、ウソつき、というのがバレてしまう。
下賎の出、なんてのは周知の事実だからね。

だもので、あの時点で秀吉に関する限り、源氏を名乗る、ことは
かなり難儀だったわけ。

あなたは、この、秀吉に限り、というのを一般論に拡大解釈して
そして史料とか証明とか責任とかさらに演繹してるわけ。

82でも同じ論法を使ってるでしょう。
これは100さんが言うように、否定のための否定、という目的が
先にあるからそうなってるわけで、およそ議論の手法としては
幼稚で問題外なんだ。

ゼミかなんかでそういう手法でいつも論破したように勘違いしてるのかも
しれないけど、それを許す教授もちょっと怪しいぞ。

前に皇位簒奪の話の時に、道長も義満もみんなそういう意思があったと
言うのだな、なんて拡大解釈してた人がいたけど同じ人じゃないかな。
109人間七七四年:2008/08/07(木) 16:36:38 ID:B2quNlfF
>>99
>では筒井の説得に義昭を持ち出さなかった理由は?蒲生や山岡など光秀に加わらなかった
>近江の武将達の説得に義昭が使われなかった理由は?摂津の中川や高山など、史実では光秀
>に加わらなかった武将たちを説得するのに義昭を材料にしなかった理由は?
一次資料で確認できるのは筒井の使者と明智の使者の接触があった事くらいだけど。
何故あなたは具体的な交渉内容まで知ってるの?

>>107
>義昭を追放した当人の信長ですら、義尋を暫定的に擁立している。
追放後も信長は室町幕府の権威を利用しようとした傍証だね。
ただし在位の将軍が存命であった為に義尋は将軍にはなれなかった。
光秀も紛い物の将軍では役に立たない事は解ってたはずだけど。
ただし義昭を利用する過程で義尋を保護する事は有効な手段であった。
それには大和の筒井氏を味方につける事が先決だったわけだけどこれには失敗してしまったからね。
110人間七七四年:2008/08/07(木) 16:50:14 ID:p4c16EBE
>>109
>ただし義昭を利用する過程で義尋を保護する事は有効な手段であった。
>それには大和の筒井氏を味方につける事が先決だったわけだけどこれには失敗してしまったからね。
文意が読み取れないが、義尋は変当時に奈良の大乗院にいたってこと?
この時期はまだ出家していないと思ってた。

あとあなたは>>101で光秀の将軍擁立構想を主張してるけど、擁立するのに義尋が不適格ということが
いいたいの?もうちょっと噛み砕いて説明して星。
111人間七七四年:2008/08/07(木) 16:58:09 ID:p4c16EBE
>>109
>一次資料で確認できるのは筒井の使者と明智の使者の接触があった事くらいだけど。
あと、日本年報追加でジュスト高山と光秀の交渉は確認できるな。やけに具体的なのが
ウソ臭いが。
112人間七七四年:2008/08/07(木) 17:12:07 ID:97HXShD+
>>108
戦国時代には松平以外にもほいほいと源氏を名乗った連中がいるわけで、そいつらも
秀吉ほどではないにしろ身分の低い、源氏と証明もできないで源氏を名乗っている。

それから秀吉が笑われたというが、笑われても名乗ることはやっている。摂関家に
ついては、金で買ったとういから笑いものになるのなら、松平だって金で徳川を買って
笑われているね。信長だって同じだよ。本当に平氏かどうかなんて信長が勝手に名乗って
いるだけで真実かどうかは不明、むしろ周囲はロク信じてもいないだろう。それでも
成立する。なんで秀吉だけは成立しないの?

ついでに言っておくと、出自(実際に体を流れている血統)と家は別扱いだから。
113人間七七四年:2008/08/07(木) 17:23:25 ID:kShUYd9W
当時の本物の源氏は佐竹がいるなあ。
114人間七七四年:2008/08/07(木) 18:34:56 ID:MS2UbZa5
佐竹って……。
彼家が本物の源氏だから何?

変に於いて源平論はないという事で。
115人間七七四年:2008/08/07(木) 18:46:27 ID:hWZmnnHa
>>112
だから君は何が言いたいの?何を主張したいの?

否定のための否定じゃなく、きちんと自分の考えているあの時代のグランドデザインを説明しなさい。
116人間七七四年:2008/08/07(木) 19:12:03 ID:7zDqmMyq
多聞院日記には秀吉の関白就任の方法を批判してる記述があるが、それ以前の
正親町帝が秀吉に将軍就任を薦めたという記述には感想もなく淡々と事実のみを
記してたりもするしなあ。
117人間七七四年:2008/08/07(木) 19:13:31 ID:EUiSIa/p
>>114
同意。
積極的に変と源平思想結びつける証拠となる話も、結局特別出てこないし、
変の要因としてあげられるほどの話でもなさそう。

レッテル貼りや人格批判に踏み込んで煽るやつが出てきてる始末だし
これ以上続けたとこで、実りある議論になるとは思えんなあ。

さて、この話はこれまでにして、義昭関与説に戻ると

結局、義尋は変当時どこにいて、どうしてたの?
118人間七七四年:2008/08/07(木) 22:51:18 ID:B2quNlfF
>>110
多聞院日記にかいてある。興福寺にいる。
>この時期はまだ出家していないと思ってた。
じゃあ多聞院日記にでてくる直接信長に会える大乗院門跡って何者なのよ。。。
119人間七七四年:2008/08/08(金) 01:44:32 ID:SnpyAi7M
>あとあなたは>>101で光秀の将軍擁立構想を主張してるけど、擁立するのに義尋が不適格ということが
>いいたいの?もうちょっと噛み砕いて説明して星。
義昭の追放で広義には室町幕府は滅んだ事にはなってるが、
義尋擁立をしようとした事は幕府体制の維持を意味してるわけでしょ。
しかし天正3年頃には正統性の求める先を朝廷に転換してるように、義尋では将軍権威をうまく利用できなかった。
史家さんによっては、天正二年の蘭奢待の切り取りを以ってこの転換期と見る人もいるみたい。
自分は上様という敬称が出だしたのが天正3年頃だから、この頃を転換期と見てる。

義尋との関係は出家後もしばしば安土城に出仕してることから、
足利家の跡継ぎとしてではなく普通に親子として仲良かった様にも思える。
みどり子の生い立つ末を思ひやり  心前
  猶永かれの命ならずや     昌叱
と連歌衆は義尋と思わしき人物を心配してるのも気にはなるけどね。
120人間七七四年:2008/08/08(金) 12:04:36 ID:MiHzpnS/
義昭関与説はおいといて、信長が義昭を追放した時点でもう足利としての
権威、武家の棟梁としての権威は事実上消滅しているのでは。
なので錦の御旗として光秀がそれをかつぐ、というのには無理があるだろうし
素直に自分が将軍を狙った、ぐらいのほうが無理がない。

東大寺切り取りは室町の故事に倣ったものだろうし、このあたりで
信長が足利家を越えよう、と意思を持ったのはそうだろうし、公記でも
御動座、とかそういう表現になって事実上回りも信長を天下人のように
認めていたろう。

変の実行者光秀を、主君殺し、という観点から考えると裏切りものとか
そういう矮小化されてしまうわけで、事実上の天下人を倒して新たな天下人が
誕生した、そういう視点から考えるとまた違ったものも見えてくるかも。

大返しも、秀吉から見て「先に光秀が将軍宣下受けたら自分が部下になってしまう」
という危機感からの必死の行動かもしれないし、先に少し出てた細川が光秀に
味方しなかったのも「逆臣だから味方しなかった」というシンプルな説に加えて
「自分だけいい思いをしようというのか」という感情が入ったであろう事も説明
できる。

そして光秀が変の直後に朝廷への金銭的な気配りを見せたのも、もちろん
逆臣の汚名を少しでも減らそうとした意味もあるだろうが、やはり朝廷からのフォロー
一番の理想の将軍宣下、をまず目指した、そのように考えていくのも
当時の状況をよく説明できるかもしれない。

もちろん野心説の論拠なんだけどね。
121人間七七四年:2008/08/08(金) 12:15:09 ID:npxBa/v2
>>118
多聞院日記に書いてあったのか、指摘d。

>>119
同意。
少なくても、天正3年までは信長は義尋を通じて室町体制の維持(権威利用)しようとした形跡があるね。
そして、天正3年といえば、陣宣下で右大臣・右大将となり政敵義昭と肩を並べた年でもある。
転換期は天正3年でいいと思う。

変の話にもどすが、義昭にせよ義尋にせよ光秀が変直後に彼を推戴した(しようとした)形跡
がないのは、義昭関与説の否定のみならず、光秀が旧幕府権力に神輿の効果を認めていなかった
ということでいいのかな?
122人間七七四年:2008/08/08(金) 14:19:43 ID:AY0/QdyB
>光秀が旧幕府権力に神輿の効果を認めていなかった

これには賛成。



>義昭関与説の否定

7割くらい賛成。源氏の光秀は義昭ではなく天皇の臣下になることを考えていたのではないか。
ただ、義昭の性格から見て光秀に「信長を討て」との密書ぐらいは
送ってきていたとは思う。

123人間七七四年:2008/08/08(金) 14:25:01 ID:SnpyAi7M
幕府権威をかざせば敵が逃げていくとか平伏して味方につくとか思ってないだけでしょ。
政権の正統性とは程度が違いすぎる。
124人間七七四年:2008/08/08(金) 15:19:24 ID:ASRXhCvu
>>123
>政権の正統性とは程度が違いすぎる
光秀は政権の正統性を「京頭の義堅く申しつけ」の勅使に求めたのかな。
でも、光秀が朝廷等に献金したのは変直後ではないから、光秀が朝廷の権威を利用する気がホンマに
あったのかはやや疑問がある。
戦国期の足利政権と政元〜長慶の畿内政権って、朝廷との間は結構ドライだよね。
光秀は、天正3年以降の信長のひそみにならって朝廷の権威の利用を考えたのか、それとも畿内政権の
ひそみにならって朝廷の利用はあまり眼中になかったのか、どっちだろう?

>>119
>義尋との関係は出家後もしばしば安土城に出仕してることから
「多聞院日記」天正2年閏11月19日条の「大乗院新門」、同3年2月13日条の「大乗院新御所」が義尋ってことか。
後者の記事では「二条殿ノ大政所」とあるから、義尋を指すってことでいいんだろうね。
125人間七七四年:2008/08/08(金) 15:50:45 ID:VGSMamWi
室町の権威を必要としたのでなく、利用出来る物は何でも利用したかった状況が光秀の信長殺った
後の状態。
126人間七七四年:2008/08/08(金) 15:52:26 ID:JzEybMiZ
>>124
朝廷を利用したかったのではないか。
もちろん根拠は、逆臣、という汚名を少しでも減じ
自らの立場を正当化しようとするものとして、ね。
これは、勤皇家、とかそういう思想的なものではなくあくまで
戦術的利用、という意味で。

そして天正三年以降の信長が天皇をどう思っていたか、
これはまたスレチになるから深入りしないけど、馬そろえとか
京で信長の近くにいた光秀は、信長と朝廷との関係をよく
理解していたはず。
なので朝廷を利用したかった、というのは信長の延長線上
でも、反面教師、でもどちらでも理解はしやすい。

朝廷の権威を利用する気があったかどうか、という点について
三好たちとは違い、あまりに逆臣として敵が多い、そして将軍宣下まで
狙っていた、と考えると、権威利用というのは最大の利用価値があった、
ぐらいまで踏み込んでいいのではないだろうか。
127人間七七四年:2008/08/08(金) 17:16:16 ID:A5fcVF1l
これからはロケーションビューで、戦場の場所を調べる必要があるな
https://www.locaview.com/index.aspx
128人間七七四年:2008/08/08(金) 19:07:44 ID:H7LOdRhV
>>127
本当は桶狭間とか小牧とか登ったり歩くのが一番いいよ。
そして公記に書かれてる表現ならどのように見えただろう、とか考えたりね。
そうすると今川45000はないだろう、とか小牧で秀吉、家康は2キロまで接近したとか
そういうのがよく理解できる。
ちなみに名古屋ドームで満員の時がざっと33000か、みたいにいつも想定してる。
これだけが動いたら細かい連絡どころではないだろうな、とかね。
本能寺を囲んだざっと1万人かな、これも瑞穂グランドのお客さんが囲んだぐらいで
ちょうど四方にいるからリアルでわかりやすいんだよね。
あれが、ぎゅっと囲んだらそれこそ、是非に及ばず、だろな、って。
二重三重どころではなかったろうな、とか。
129奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/08(金) 23:12:39 ID:JGaiqFi5
ユーストア横の古戦場跡に立って360度見渡す。
桶狭間住宅は沼地、ユーストアは竹林。セト山は草原。
130人間七七四年:2008/08/09(土) 08:55:07 ID:VTngL1HL
天正10年、ほぼリアルタイムに成立した惟任退治記には惟任公儀を奉じてとあるから、
将軍擁立構想を抱いていた事か幕府権威を正統化に利用した事は判明してる。
公儀を信長と解釈する逃げ道も無いわけじゃないけど、
前後の文章の意味に繋がりが悪くなるから、これだと反論の為の曲解になってしまう。

光秀の10日あまりの天下でその間に朝廷、幕府共に利用した事はわかるし、
そのまま推移していくと足利幕府の復興に行きつきそうではある。
逆説的にいえば光秀の支持層を考えるとその方向以外に進むのは難しい。

上位者を推戴した形跡がないっていうのは、後年の軍記物に見られる矮小化された光秀の虚像であって
太閤記などの神格化を指摘する観点からも示唆されてる。
131人間七七四年:2008/08/09(土) 10:44:56 ID:xLHYv92C
>>129
お、近所の人見っけ。
あのあたりに竹やぶとか多いでしょう、ま、どこにでもあるけど。
あーいうのって、それこそ江戸とか又はそれ以前からずっと宅地造成のすきまをぬって
そのままになってるのかな。
名古屋大空襲にも負けずに。
だとすると今でも落ち武者狩りみたいなこと、なにか残ってないかとか、できないかな。

それともいったん燃えたりして、昭和になってからあんなに茂ったのかな。
いつも部分的にポチッと残った竹やぶ見ると、江戸の昔は全部こういう風
だったのかなって思うのだよね。

江戸と戦国と一緒にするなと言われそうだけど、信長の頃の景色がまだ
少しは残ってるとしたら、なんかすごくない?
132人間七七四年:2008/08/09(土) 13:03:06 ID:hU9oM9SP
竹林は燃えにくいと思った。
133人間七七四年:2008/08/09(土) 15:00:44 ID:7b12l7rP
ちゅうことは残ってるのか。
400年たって何か残ってるかな。
134人間七七四年:2008/08/09(土) 18:19:32 ID:0qLmcfYC
光秀は流浪の身から、様々な手段を駆使し、それまでの地位を確立した。

古典に通じ真面目な人物評もあれば、フロイス評の様な人物評、それらは両極端なイメージ。

少なからず、自身と自家の為以外に変を起こす根拠が見当たらない。
135人間七七四年:2008/08/09(土) 19:29:32 ID:ayVJPQS+
ほんとは信長を殺したのは秀吉じゃないの?
136人間七七四年:2008/08/09(土) 19:45:46 ID:0qLmcfYC
うん。
へうげものではね。
137人間七七四年:2008/08/09(土) 21:33:58 ID:UhwnT0V9
>>134
何の成算もないのに?
近しい細川親子でさえ距離を置くくらい、同時代の人間から
見てもありえない暴挙という認識じゃないかな?
(光秀に乗ろうとした若狭武田みたいなのもいることはいるが)
138人間七七四年:2008/08/09(土) 22:09:23 ID:0qLmcfYC
>>137
謀叛な分けだから、暴挙と言えば、暴挙だね。

ただ細川や筒井が光秀につかなかったのは、秀吉の動きや周辺諸将の動向を見極めてた為。
秀吉の進軍が遅かったり、毛利の動きが積極的だったら、少なくとも細川筒井は光秀につき、それに伴い、中川高山もつき、長宗我部も対光秀軍を牽制していたはず。
139人間七七四年:2008/08/09(土) 22:25:48 ID:UhwnT0V9
>>138
謀反だろうと、根回しがあればかろうじて暴挙にはならない。
大内に反旗翻した陶みたいに。
普通は家康とか織田配下の有力武将、もしくは反織田の有力大名と
連携してから謀反するもんだろ?

ということは突然の思いつきで謀反したが、根回しもなにもなさそうなんで
成功を怪しんだ細川親子らから距離を置かれてしまったってことか。
孤軍で謀反して同盟勢力もろくにない人に、誰も与力したくはないわな。
140人間七七四年:2008/08/09(土) 22:50:48 ID:0qLmcfYC
>>139
いやいや、謀叛の定義は連携でなく、単独でも成り立つよ。

変については、あなたの言う様に突発的行動だと俺も思う。プラス野望的打算よりも信長を殺す事を大前提にし過ぎた為に
様々な配慮に欠けてしまった感は否めない。

まぁ秀吉の行動は誤算だったものの、日の本一の武将を確実に殺す事が出来たのは光秀の周到さも凄い。
141人間七七四年:2008/08/09(土) 23:17:53 ID:10S7h76o
>>137
>何の成算もないのに?
光秀が謀反できたのは、偶然の要素が大きい。
いわく、光秀が中国派兵準備の名の下に京都周辺で公然と軍事活動できたこと、信長親子が
ほぼ丸裸で京都にいたこと、他の方面軍が雑軍の信孝軍を除き遠隔地で敵と戦闘中だったこと、
これらの状況がすべて出揃ったのが5月29日だから、成算を立てるための根回しの準備にかける
時間がまったくなかった。
これらの事実を考慮せずに「根回しがない」って指摘すんのは的外れやろ。根回しする時間がなか
っただけ。
見通しが甘いかどうかは別にして、光秀は「信長をやればなんとかなる」って見通しをしていただけや
ないの?そして、信長殺害は成功している。
根回しなしでも、筒井に関しては中国大返しの報告が入るまでは味方か中立かよく分からん態度にでた
訳だし。
142人間七七四年:2008/08/09(土) 23:36:10 ID:UhwnT0V9
>>141
根回しできなかったなら、謀反をやらなけりゃいいのに。
秀吉が来れなかったとしても、謀反して信長殺して畿内固めて
さぁどうする?
最高にうまくいって、全盛期の三好一族と同じく畿内ローカル政権
くらいしか構築できないぞ。
それ以上望むなら反織田の大名だって黙ってないだろうし。
143人間七七四年:2008/08/09(土) 23:41:50 ID:VTngL1HL
チャンスであると同時に、四国説と三職推任絡みの説の場合は
この時点で立たざるを得ない状態であった事も勘案せねばね。
144人間七七四年:2008/08/09(土) 23:56:07 ID:VTngL1HL
>>142
>最高にうまくいって、全盛期の三好一族と同じく畿内ローカル政権
>くらいしか構築できないぞ。
足利政権のような支配を理想とする思想だってあるでしょ。
それとも天下統一しないとエンディングにならないルールでもあるとか?
145人間七七四年:2008/08/09(土) 23:57:44 ID:0qLmcfYC
バレーも1セット返したね。

四国と三職推任をあえて関連付ける必要あるのかな?
146人間七七四年:2008/08/10(日) 00:05:24 ID:wY+r/Grt
>>142
根回しとか、その後の展開を前提で変を起こしてないのよ初めから。

誰かも言っていた様に偶発的要素を利用し、確実に信長を殺す事が光秀の最重要目的なのよ。

147人間七七四年:2008/08/10(日) 00:30:57 ID:4MMYkaze
>>144
それ無理。
なんで明智ごときに大名連合の頭目とられなくちゃ
ならないんだって誰も従わないから。
しかも逆臣だし。
>>146
それじゃ若者の無軌道な衝動みたいじゃないですか。
主君の不意を突いて急襲して殺すだけ、なら有力家臣なら
誰でも出来る。
その後を考えていないのが腑に落ちないわけで。
148人間七七四年:2008/08/10(日) 00:43:01 ID:tGCofQA2
>>147
光秀は有能な武将だよ。
何度も言ってるが、秀吉の機転的行動力がなきゃ、ほぼ間違いなく畿内周辺を抑えてた。
長宗我部との友好関係を生かせば、織田残軍には簡単に撃破出来ない。

あなたは光秀の事を過小評価し過ぎ。
歴史的結果論を語る事は誰にでも出来るよ。
149人間七七四年:2008/08/10(日) 01:46:47 ID:QbXKyZ1b
それは逆に過大な気もするけどね。

一ついうと、当時の長宗我部には織田軍を牽制する力はない。海を越えて畿内に
上陸して作戦を展開する能力もない。
150人間七七四年:2008/08/10(日) 02:03:05 ID:kQTT11JP
>>149
別に長宗我部に全てを委ねる必要はないんじゃない?

実際、滝川は北条に敗れて関東失ったし、
柴田も、上杉の反抗にてこずって、簡単に動けなかったわけだし。
川尻みたいに、占領地の反感喰らって、一揆でやられたり。

秀吉のあの迅速すぎる逆転劇がなけりゃあ、
地方の織田諸将は時と共に不利になる一方。
むしろ、光秀と戦うどころじゃなくなってたとさえ思うよ。
151人間七七四年:2008/08/10(日) 02:27:53 ID:tGCofQA2
>>150
全く同感。
152人間七七四年:2008/08/10(日) 02:37:40 ID:tGCofQA2
>>149
上陸作戦展開ってあ〜た…。ゲームと混同しちゃダメよ。

長宗我部は存在だけで、牽制になるのよ。秀吉に諸将が付いたのだって、たまたまよ。あなた、まさか秀吉黒幕説支持者?
153人間七七四年:2008/08/10(日) 03:57:00 ID:t8ElwSsF
ていうか、朝廷謀略説が主張されたのに、いつのまにか無かったことに
なってるんだが、宮内庁の圧力がかかったのか?

さすがに、日本史最高の英雄である信長を朝廷が謀殺したことがばれたら
困るんだろう...。
154人間七七四年:2008/08/10(日) 04:15:01 ID:kQTT11JP
>>153
夏休みだからって、そんな釣り針たらすんじゃねーよw
155人間七七四年:2008/08/10(日) 09:36:01 ID:0uSJEWUZ
>>150
同意。
前スレでも話題になったが、織田権力は信長の専制体制で、組下を従え強大な軍事力を保有
する方面軍ですら、組下は軍事面以外は司令官の下知ではなく信長の下知に従う必要があった。
だから、専制君主信長の死によって、各方面軍は中国・北陸以外はあっけなく瓦解し、友軍の
北条・徳川ですら領土的野心を隠さなかった。
軍事力をかろうじて維持できた北陸軍も前線の部隊に兵力を割かざるを得ず、近江で光秀と決戦
することはできなかった。
また、織田家の本貫地たる美濃も大混乱して、三法師は尾張に避難し、準本貫地たる伊勢も北畠
一揆が蜂起する有様だった。
また、秀吉が天下人への橋頭堡を築けたのは、信長のみならず「天下を御与奪」させた信忠も死ん
で織田権力が空白になったのも大きい。
「信長(親子)をやる」ってことはそれだけの大きな効果があるのを看過してへんか?
その意味では、光秀の謀反は荒木・松永と異なり「信長をやる」って点において、的確な読みに基
づいとる。

光秀の政権構想について、>>142のいう畿内政権を志向していた可能性が高いことは、細川宛書状から
傍証できる。光秀だって織田版図が丸ごと承継できるなんておめでたいことは考えとらんやろ。
156人間七七四年:2008/08/10(日) 10:11:36 ID:saWk4dd3
甲斐、信州の一揆が強すぎる。
他でも一揆は起こったけど、川尻、森と重臣クラスが駆逐されて追い出されたのはこの地域だけじゃないか?
川尻が死ぬ前に川尻領に所領安堵状が家康から出てるのを見ると、一揆扇動者として一枚噛んだかな。
157人間七七四年:2008/08/10(日) 11:26:04 ID:atwj6awi
>>156
それだけ織田への反発が強かっただけの話。
158人間七七四年:2008/08/10(日) 11:44:01 ID:QbXKyZ1b
支配統制が固まる前におきちゃったからね。

例えば能登では変後にやはり一揆がおきているけど、それはすぐに鎮圧される程度だった。
前田家に組み入れられた豪族達はほとんど参加していない。

甲斐ではそういう、豪族を支配体制に組み入れる前というか作業中に起きてしまった。
変の勃発があと三ヶ月違ったらまた変わっただろうな。
もう一つ、川尻は記録によれば兵二千とともに甲斐に入国したとある。甲斐の国人を
川尻家に編入させるつもりだったのだろうが、この直接軍事力の低さが裏目に出た。
159人間七七四年:2008/08/10(日) 12:17:23 ID:1CiiS/bm
>>158
越前も朝倉滅ぼしてから完全に織田のものにするのには時間かかっていたしね。
嘘か誠か知らないが、松姫が織田家のものになっていたら、展開は変わるかも。
160人間七七四年:2008/08/10(日) 12:54:11 ID:W9EX74NV
源実朝暗殺も事前に北条氏が知っていた形跡があるな。

暗殺者をたきつけた者もいそうだな。
161人間七七四年:2008/08/10(日) 13:15:21 ID:eIE9ztUc
公暁は北条から派遣されたアサシンだろ
マンガ日本の歴史ではそういう書き方だった
162人間七七四年:2008/08/10(日) 13:24:40 ID:atwj6awi
>>161
ありゃ北条じゃなくて三浦だ>公暁
163人間七七四年:2008/08/10(日) 14:41:06 ID:kQTT11JP
光秀に近い位置にいて、一番チャンスがあったなんていわれることのある丹羽なんか、
実はかなりの大ピンチだったろうね。

自分の領国から離れた位置にいて、戻って体制を整えようとすれば、
明智の勢力圏を突破する必要がある。
どころか、その領国さえ危うい。軍の動揺は相当なもんだったろう。

丹羽とか、あの周辺の諸将にとって、秀吉の早期期間は
救世主的存在だったんじゃあないかな、と思う。
丹羽、池田あたりが、その後秀吉支持に徹したのも、
仇討ちを成し遂げたという名分以上に、
そうした、自軍崩壊を救ってもらった恩義で、秀吉に頭が上がらなくなった。
という要因が大きいと思っている。
164人間七七四年:2008/08/10(日) 15:55:17 ID:0uSJEWUZ
>>156
>一揆扇動者として一枚噛んだかな。
件の安堵状は、山崎合戦前の6月12日に出されとる。
当然ながら、甲斐は織田領なので家康が安堵状をだせる筋合いはまったく無いわな。
一枚噛んだどころか、家康の野心そのものやろ。
>甲斐、信州の一揆が強すぎる
伊勢・伊賀の一揆の平定には半年かかっとる。
長曽我部などの根回し云々ばっかじゃなく、かれら一揆の蜂起だって光秀にとっては
十分な味方になる。
光秀は、信長の占領地支配のあり方をみて、占領地の国衆の一揆扇動で方面軍を足止め
できると考えたのかもしれない。

>>158>>163
信長の人材抜擢方法の欠陥が図らずも露呈している。
小身の武将を抜擢しても中核となる軍隊が少ないし、抜擢された武将は組下に舐められたら
おしまい。
信長が生きとったら組下の統御に苦労は少ないが、信長が死んでもうたら組下が従う根拠が
なくなるから案外にもろい。
逆説的な意見だが、織田家累代の重臣を定石どおりに起用していたらこんなにもろくはなかった
かも知れんな。
165人間七七四年:2008/08/10(日) 17:35:38 ID:QbXKyZ1b
>>164
意味になってないぞそれ?
小身から抜擢された武将は現地の豪族達を取り立てて自家の形成する。
これは織田家累代の重臣だろうと新参だろうと関係ない。もともと織田家の規模事態が
小さかったのだから、成長すれば拡大にともなって組したを服属させていくのは当然。
例えば柴田は江南に配されて当地の国人たちを取り込み、越前に入封されてそのこの
豪族達を柴田家に組み込んで言った。これは羽柴でも明智でも変わりない。
そして重要なことは一端組み入れられたものは、基本的にその家に従う。信長に関係なく。

実際、変後に反乱を起したりしたものは組み込まれていなかった連中で、すでに組込まれて
いるものはそのまま普通に従属を続けている。
甲斐や信濃ではその作業の途中だったため、完全に組み込まれていない勢力の方が多かった。
だから反乱も大規模になった。逆に加賀や能登など組み込まれて何年もたった地域では組み
込まれなかった少数の連中が上の同様を狙って反乱を起したにすぎないので、小規模ですぐに
鎮圧された。それだけの話なんで、
>信長が死んでもうたら組下が従う根拠がなくなるから案外にもろい。
これ、間違い。信長が死んでも、すでに組み込まれている連中はほとんど反乱を起していない。
例を二つ挙げると、美濃と雑賀。
美濃では信長から追放された安藤が混乱の隙に反乱を起したが、織田家に組み込まれていた
他の豪族達はまったく同調しなかった。
雑賀も同様で、織田家に組み込まれていなかった連中が、組み込まれていた孫一に対して反乱
を起した。
166人間七七四年:2008/08/10(日) 17:58:21 ID:tGCofQA2
先ほど、別スレ覗いて来たら、変には秀吉が暗躍してるのが定説くらいの勢いだったよ。こちらに来て詳しい方々の意見を見てみればって言っておいたから、有識者の皆さん宜しくね。
167人間七七四年:2008/08/10(日) 18:10:28 ID:iqRyQuv3
>そして重要なことは一端組み入れられたものは、基本的にその家に従う。信長に関係なく。
信孝は四国出兵に際して光秀の組下に属するはずの丹波衆や大和衆に
光秀を介することなく命令してる件。
168人間七七四年:2008/08/10(日) 18:16:48 ID:iqRyQuv3
伊勢、伊賀は組み込まれてだいぶ経ってると思うけど、お国柄だとでもいうかね?
色々と例外の多い理屈だの。
169人間七七四年:2008/08/10(日) 22:26:57 ID:QbXKyZ1b
変の知らせを聞いて逃げ散ったのはそういった各地から抽出され集められた雑軍、いわば傭兵部隊に近い。
信孝や丹羽蜂屋といった郡持ち国持ち直属の、すでに組み込まれている連中で編成された軍は、同様はあった
だろうが、崩壊せずそのまま主将に付き従っている。そのまま彼らは山崎合戦に加わり、その後の追撃や
京支配、残党追輔などの軍事力になっている。
170147:2008/08/11(月) 00:01:51 ID:82PhqtGS
中国大返しがなかったら、光秀が畿内を固められたと
言う見解が体勢みたいだな?
でも織田信雄ら一族や家康などの織田与党が
復讐戦挑んでくるのは必死。
信雄が伊勢から織田本拠の美濃尾張をまとめたり、
後顧の憂いのない家康が自国の兵を率いて来たら
畿内平定どころじゃないだろ?
その折に誰が光秀に味方してくれるというのか。
171147:2008/08/11(月) 00:06:27 ID:bzSvrFr/
あと細川忠興に出した泣き言みたいな書状が気になっている。
「娘婿を引き立てるためで、自分は隠居する」
とか、こんな弱腰見せたら、味方してくれなくなるだろう。
嘘でもいいから
「親族だからって高みの見物は許さん。
このまま参じないなら、畿内平定したら次はお前らだ」
位の強気で行かないと。
172人間七七四年:2008/08/11(月) 00:34:29 ID:a+D+rEYn
秀吉家康光秀がグルってことじゃなの
でないと織田家の権力がここまで削がれる理由も見当たらないw
勝家が勝ってれば織田家復興が成功したかもねw
三国志の司馬イのクーデターも
結局、魏の乗っ取りが目的でしょ
173人間七七四年:2008/08/11(月) 02:17:46 ID:ewA72rmA
架空戦記は受け付けてないんだ。
174人間七七四年:2008/08/11(月) 02:38:26 ID:yUTW0SJw
少し話のレベルが下がって来たな…。

家康に憂いがない?
織田残軍が黙ってない?

史実での秀吉の動きが機敏だった為に光秀は過小評価されがちだが、そんな事はないよ。

秀吉の動向が少しでもズレていれば、光秀の畿内掌握は確実。
まず、信長信忠がいない状況では織田家中は統一性が計れず、命令系統が確立出来ず、不用意に動けない。
家康にいたっては史実通り、どさくさで自領拡大が良い所。信長の仇打ちなんてとんでもないよ。

秀吉に味方した武将がたくさん出たのも、緊急避難的行動。秀吉は信長は難を逃れ、京から脱出してると言い続けてんだから、情報網持っていない武将や底能武将はそりゃあ、光秀側には付けないよ。
175人間七七四年:2008/08/11(月) 03:24:43 ID:tEv0md4Z
>>174
なるほど
低レベルな私と違う、賢しい貴殿の高レベルな結論は
「光秀は秀吉の迅速な行動がなけりゃ畿内平定できた」
ですか。
組下武将は光秀の元に参じ、家康は火事場泥棒に専念、
親を殺された信雄は動かず、畿内が地盤の三好一党などは
光秀の覇権を認めると。
目からうろこです。
さすがに高レベルのお方が言うことは参考になります。
176人間七七四年:2008/08/11(月) 03:28:48 ID:pOBph2hw
みんな信長がほんとは死んでること知ってたけど、
あえて気づかないふりして秀吉についたんだろ
177人間七七四年:2008/08/11(月) 06:54:12 ID:TcS3r5kT
>秀吉の動向が少しでもズレていれば、光秀の畿内掌握は確実。


ただ、光秀が使える水軍はしょぼいんだよね。

武田水軍を継承していた家康にはかないそうにない。
178サイコメトリー:2008/08/11(月) 09:27:38 ID:+/xAR5rR

まぁまぁ光秀の変事好転話は自分も興味あるけど、もめない様に行きましょう〜よ。
伊賀越えをして、すぐに軍をとって返すのは家康には困難だったとは思うよ。
179人間七七四年:2008/08/11(月) 09:38:27 ID:Ej2PCUsQ
>>165
>例を二つ挙げると、美濃と雑賀。
>美濃では信長から追放された安藤が混乱の隙に反乱を起したが、織田家に組み込まれていた
>他の豪族達はまったく同調しなかった
美濃岐阜城が斉藤玄蕃允に占拠されている件はどう説明する?
史家の評価は彼が明智寄りだという点で一致するが。
>>167>>168のいう通り、例外の多い立論して、意味になってないぞそれ?って言われても
説得力に欠けるな。

180人間七七四年:2008/08/11(月) 12:32:57 ID:SKXSfdBo
>>130
>天正10年、ほぼリアルタイムに成立した惟任退治記には惟任公儀を奉じてとあるから、
>将軍擁立構想を抱いていた事か幕府権威を正統化に利用した事は判明してる。
>公儀を信長と解釈する逃げ道も無いわけじゃないけど、
>前後の文章の意味に繋がりが悪くなるから、これだと反論の為の曲解になってしまう。
惟任謀反記(「天正記」の一部)確認したけど、大村由己って「天正記」では信長のことを一貫して「将軍」
って書いてあるんだよね。
だから、信長の命令=公儀ってのは曲解どころか素直な解釈と思うけど。
次に、前後の文脈をみても、例の一文の前は「惟任日向守光秀を軍使として、早々着陣せしめ、秀吉と相談すべし。
合戦の行に依って、御動座あるべきの旨、厳重なり。」ってあるから、「惟任公儀を奉じて」ってのは前の文章に書いて
ある信長の命令を指すって解釈に何ら不審はないわな。
ただ、大村は信長の命令・意思を御下知(播磨別所記)とか御錠・上意(惟任謀反記)ってバラバラに表現
していて、藤田に「公儀=義昭の意思」って主張する余地を与えただけやないの?

光秀が将軍を推戴したって藤田の解釈が曲解やろな。
181人間七七四年:2008/08/11(月) 12:43:31 ID:/ahdMmZa
「秀吉が迅速で〜」だけど、畿内平定の確率は高かったと思われる。
まず、朝廷側から使いが来るなど、それなりの錦の御旗はついてた。
これは大きいだろう。
そして日和見的な武将はどこかで態度をはっきりさせないといけない。
秀吉が戻ってこれない、ということは毛利が動いた、ということだろうから、
秀吉につくものも少ないだろう。
となると緊急避難的にいったんは光秀につくものもあっただろう。

はっきり敵対するのは信雄と勝家ぐらいだろうが、それぞれが共同戦線
張ってもたいして強いとは思えない。
ましてや安土燃やしたかもしれない信雄なんて同じ織田家でも
あきれてるのじゃないか。

一番の強敵は家康で、家事場泥棒、で済ますには惜しいぐらいの実力がある。
同盟に乗っ取り勝家たちと組んでいったんは光秀に立ち向かう可能性も
高いだろうし、そうなった場合が光秀の最大の危機。
ただ、ぐずぐずしてると光秀が将軍宣下受けてしまうかもしれないし
このあたりはもうイフの世界だから、論じてもまた違う話になる。

重要なのは、秀吉が天下取りへの頭角を表したのは、大返し以降、であって
それが成功しないのだったら、織田家の他の武将と同様、敵討ちにも
成功してない普通の家臣、という扱いを受けてたろう。
なので、家康が「これはチャンスだわぃ」と光秀やっつけて
結局同じような歴史になってたかもしれない。

なんかつまんない結論だな。



182人間七七四年:2008/08/11(月) 12:49:37 ID:ewA72rmA
でも歴史ってそんなもんだろ。
183人間七七四年:2008/08/11(月) 13:56:11 ID:GdF3lThc
>ましてや安土燃やしたかもしれない信雄なんて同じ織田家でも
あきれてるのじゃないか。


安土城を焼いたのは信雄ではなく土豪という説もあるが。
信雄がいくらアフォでも安土城は焼かないんじゃないかとも思う。
184人間七七四年:2008/08/11(月) 14:02:43 ID:0PSX1KL1
>>180
史実の信長は自身を公儀と称した書状とか出してたりはしてるだけに、なまじ知ってる人は混同するんだろうけど、
少なくともこの作品中では信長の命令=公儀として一度も使ってないのよ。
185人間七七四年:2008/08/11(月) 14:15:52 ID:0PSX1KL1
二万余騎の人数を揃へって所だけにかけて読めば信長の命令と読めない事もないけど
それって作為的な読み方でしょ?
186人間七七四年:2008/08/11(月) 15:59:38 ID:SKXSfdBo
>>184>>185
>少なくともこの作品中では信長の命令=公儀として一度も使ってないのよ
確かに、「公儀」はこの箇所しか出てこないが、それは「御錠」もおなじやろ。
この作品には義昭はでてこないので、義昭の命令=公儀と読む積極的理由がないわな。
にもかかわらず、ここだけ違う意味にとる意味がわからん。

>二万余騎の人数を揃へって所だけにかけて読めば信長の命令と読めない事もないけど
>それって作為的な読み方でしょ?
おれはそんな読み方しとらんで。前の文の「軍使云々」=公儀と解釈しているだけ。
なぜなら、さらに前の文では(原文を確認すれば明らかだが)援軍の堀・池田・中川・高山には「卒時の合戦然るべからざる
の旨、御錠ありて」とあるのに、別件での軍使云々の記事については、御錠・上意・御下知など命令を意味する文言はいずれも
使用されていない。
だから、次の文にある「公儀」が信長の光秀への命令と解釈すんのが自然やろ?
また、「惟任公儀を奉じて…密かに謀反を企む。」については、信長の命令を奉じているからこそ、それに矛盾する「謀反」が
「密か」ってこと、すなわち「外見は信長の命令を受けたが、内心は謀反だ」って解釈するほうが「密か」の意味が自然に通じる。



187人間七七四年:2008/08/11(月) 16:11:00 ID:SKXSfdBo
>>183
敵の拠点に利用される前に、自らその拠点を破壊するのが軍事の常識だろ。
だから、真のアフォは安土退去前に城を焼かなかった蒲生じゃね?
188人間七七四年:2008/08/11(月) 16:24:06 ID:0PSX1KL1
>>186
公儀=軍令って捉え方は既に当時の価値観とずれてない?

当時の概念だと公儀は幕府機関など政治理念を含んだ時に使う言葉。
対象が人になる事もあるがそれは公人としての人。
信長が使った例もそれに違わないし、似た表現だと天下って言葉もあるが、
これらの用例については史家さんたちも指摘してるでしょ。
189人間七七四年:2008/08/11(月) 17:08:01 ID:SKXSfdBo
>>188
確かに「命令」は不適当だわな、撤回する。
でも、大村は信長を一貫して「将軍」(一部は「相公」)って表記している以上、公儀=信長(の意思)
でなんら不審はないな。
190人間七七四年:2008/08/11(月) 17:12:26 ID:nV6moMnw
>>187
軍事拠点つうよりも、政庁&シンボル的なもんだったんじゃないの?
特に天守なんてもんは。

信長の野望やってると、天下有数の堅城だから、勘違いするんかもしれんが
191人間七七四年:2008/08/11(月) 17:17:31 ID:ewA72rmA
安土の防御力は地形から考えてもたいしたもんじゃなさそうだし。
192人間七七四年:2008/08/11(月) 17:36:48 ID:SiY6wRGE
>>181
日和見武将は、信雄についた可能性だってあるぞ。彼は単独で一万以上の軍勢で
近江まで進出してきている。彼が光秀の反乱に対して討伐の兵を挙げたのは史実。

信雄は馬揃えで信忠に次ぐ二番目。立派に旗印になる資格を持つ。さらに具体的な
軍事力を持っているとなれば、秀吉がいなくても畿内の諸将が彼につく可能性は
普通にある。

また、秀吉が予想外に帰還を果したからと論をつづけるが、その前の状況を見て
みると、畿内の諸将たちは、秀吉が帰ってくるかどうか判らない、むしろ帰って
くる可能性が低い状況で、光秀から離れていっている。
さらに近江に敵対勢力一万が迫っているとなれば、一万三千の光秀は身動きが
取れなくなる。(ここで、信雄は無能だから脅威にならないとか講談話はなしね)
193人間七七四年:2008/08/11(月) 19:05:02 ID:yUTW0SJw
可能性はなくはないけど、やっぱ信雄じゃ無理なのは明白。
一万いようが二万の軍勢が居ようが、軍隊とは明確な指揮命令により機能する分けだからね。
臨機応変に対応出来たり、機を見るに敏な武将ならば、小牧長久手の様な
対応はとらない。
194人間七七四年:2008/08/11(月) 19:17:21 ID:hotEBY5M
>>192
信雄は蒲生を信用してなかったし、伊勢・伊賀一揆蜂起で土山から進軍できなかった。
信雄だけでは求心力が弱い気がする。
柴田軍が近江に入ってこれば、合流して信雄もいい働きできたかもね。

>信雄は無能だから脅威にならないとか講談話はなしね
フロイスの信雄評や信雄への折檻状のどこが講談話なんだ?
195人間七七四年:2008/08/11(月) 20:05:58 ID:LPv9/9t6
拠点を焼くのは基本なんだけど、信雄がそこにたてこもって勝家
とかが来るのを待てばよい。ま、信雄が燃やしたかどうかはわからないからあれだけど、
そう思われていた、という事実が重要だろうな。

信雄につくのは織田家家臣なら仕方ないだろうけど、日和見武将たち、
ツッチーとか、そういうのが信雄につく可能性はなかったんじゃないかな。
あの時点では織田家家臣もバラバラで、少なくとも織田家の敵討ちを
手伝う義理も何もない。

それよりも、細川がどうして光秀につかなかったか、をもう少し整理しておいた
ほうが良くないかな。
変自体、大返し、もかなり異常な出来事だけど、光秀から見て細川が味方に
ならないというのも、かなりの想定外だっただろう。
おまけに出家したということは、もう完全に争いの外に出てしまった、ということで
日和見とも違う。

このあたりは、細川から見て、光秀アホちゃうかわしゃしらへんで、ってとこで
単独、突発、野心説の良好で重要な論拠となるだろう。
光秀は、事前に相談も出来ないし事後承諾で十分、と判断してたのかもしれないが
これと、大返し、だけはさすがに想定外というかまさに歴史の奇なるとこで
あの11日間というのは不思議なもんだったんだろな、といつも思う。
196人間七七四年:2008/08/11(月) 20:37:47 ID:tNhvNSHY
基本の例は?
197人間七七四年:2008/08/11(月) 20:43:06 ID:st69q8ot
様子見だったんじゃないの?
基本的には明智が負けると思っているけど2割〜4割は機内掌握するかもって感じで。

明智勝→大人気なく追悼なんてやってゴメン。
    息子は娘婿だし。兵出してないから許してくれるよね。ハート

明智負→当家は追悼の意志を表していた。
    信長公への恩の大きさから呆然としてたんだ。許してくれるよね。ハート
198人間七七四年:2008/08/11(月) 21:54:53 ID:SUDUxoY+
>>196
良い質問だな。
普通は徹底抗戦して落とされるから、相手も利用しようがない。
明け渡す時は、城主が変わるだけで農民さんや家臣は助けてやってくれ、という
明け渡し方。これは小さい城の話ね。

でも、安土ってのは大阪、伏見に匹敵する、それ以上の城、あんな大城を
簡単に燃やすこと自体が、信雄がいかにとーちゃんの意思をわかってなかったか、の証左。

今、バチカンかどっかでさがしてる日本人がいますよね。
あれが見つかったらかなり歴史が変わるかもしれなくて、楽しみにしてる。
199人間七七四年:2008/08/11(月) 22:00:58 ID:5ucvF4+f
伊勢伊賀は変後一揆発生で、半年後秀吉の援軍を得てようやく鎮圧だから
光秀健在なら、信雄牽制のため更に煽るだろうから信雄だけでなく、帰国した滝川もまともに動けないと思う。
200人間七七四年:2008/08/11(月) 22:13:01 ID:SUDUxoY+
>>197
そういう表現するとからんでくるのが多いけど、実際にあの時点では
二面作戦取りますよね。
例えば、秀吉が戻ってきたから秀吉についた、という言い方は
結果ありき、で、山崎で光秀が勝ってたかもしれない。
実際に、農民の槍、というのが定説ですからね。
だから、秀吉があそこで勝った、というのはもっと高く評価する必要が
あると思う。
ってか、丹羽、信孝合同軍だろ、みたいにならずに秀吉が勝った
という評価をされてること自体が、もっと検証されるべきではないか。

実際、そこで初めて天下への意思を見せて「奇跡の三年」で
関白へ。
家康も1598〜1600の三年は神がかってたけど。
これは、結果でなく、その時点に戻ってみると不思議で仕方がない。
すべてが本能寺から始まったとすると、光秀こそがイフを
語られるべきかもしれないな。

201人間七七四年:2008/08/12(火) 00:19:09 ID:uEKRhiVC
西国出兵の軍に細川藤孝は何故参加してないんだろうね。
留守を命じた記録や資料も見た事無いのよね。
事前に話してないのなら同行を促すだろうし、既に交渉決裂済みだったって事だろうかね。
202人間七七四年:2008/08/12(火) 01:49:17 ID:AYtiR9tU
何にしても秀吉黒幕説には浪漫がある
203人間七七四年:2008/08/12(火) 04:17:27 ID:N8yN9SSZ
秀吉黒幕説に限らず、陰謀論自体がそもそも浪漫でなりたってる

残念ながら、浪漫と言わずに妄想と言うことの方が多いが
204人間七七四年:2008/08/12(火) 09:52:21 ID:OfOtI8Cm
秀吉黒幕説を否定するのは案外細かくてふちのほうからの論が
多いからそのあたりが根強く生き残ってる理由なのかな。

光秀単独説だって「史料を出せ」というのがいるから、妄想、という
意味ではすべて同じなのかもしれないな。
205人間七七四年:2008/08/12(火) 10:22:08 ID:uEKRhiVC
なんにしても他人の説叩いて飯食ってる人の信者にはなりたくないけどな。
叩く前に自説の論証をしっかりやれといいたい。
206人間七七四年:2008/08/12(火) 10:32:09 ID:AiWf1eOt
>>205
バカ?
207人間七七四年:2008/08/12(火) 13:13:27 ID:7aX14VYl
ウン、120%馬鹿だね。
208人間七七四年:2008/08/12(火) 13:37:16 ID:HhIqWKm+
>>188
藤田説も将軍黒幕否定説も、土橋宛書状の「上意」=義昭と解釈する点は一致する。
また、毛利宛書状・信長公記で公儀」=信長と解釈すべき用例が存在することも異論がない。
よって、将軍追放後は、上意は信長の専売特許じゃないし、公儀も義昭の専売特許ではない。
惟任謀反記では信長を「将軍」と表記している以上そこらへんの用語使用の境界はなおさら曖昧で、
「惟任謀反記」の「公儀」が義昭をさすかどうかは不明確というのが正解ではないか?
前後の文脈で判断するしかないんじゃないの。

>>195
確かに、筒井と細川ではかなりの温度差あるよね。
「多聞院日記」によれば、筒井は最初は井戸・南方衆を光秀に合流させて近江攻略を手伝っている。
あとは、兵を引っ込めて籠城準備するも、軍使の藤田を呼び返してひたすら時間稼ぎしている。
一方で、13日の決戦当日に「兵をだして故信長への忠節をみせろ」って信孝から書状を食らう始末。
徹底した日和見だよね。
一方、細川は最初の使者の沼田が来たときに「摂津をやるからせめて重臣を上洛させろ」って言われた
のに、剃髪して玉子を味土野に幽閉した。
次の使者の言上はご存じのとおり、光秀の泣きごとみたいな内容になっている。
この点で、明らかに両者の対応は異なる。
ただ、筒井と細川の利用価値でいえば、筒井の方がはるかに上だと思う。
若江3人衆は筒井に同調するって上記資料にあるし、筒井が味方すれば大和・河内
が勢力圏に入るから、信孝・丹羽軍は余裕をもって撃破できたんじゃないかな。
ここで勝利すれば摂津国衆を掌握できる可能性も高くなる。
それが筒井の日和見ですべてオジャンになったから、光秀にはこれが一番コタエた
ように思う。
209人間七七四年:2008/08/12(火) 14:11:29 ID:jM8vcoBe
でも筒井って一見処世上手に見えるけど、
その後あっさり衰亡しているんだよね。
210人間七七四年:2008/08/12(火) 15:46:24 ID:xj2nOpVn
>>208
そだよね。
細川、筒井どちらも味方につかず、秀吉が無傷で帰還。
こういう不運も逆にあまりないぐらいということか。
で、順番から行ったら、信孝、丹羽、秀吉軍が光秀に勝ったのが
山崎なんだろうが、案外そう言わずに秀吉が勝った、見たいに言うのは
やっぱり結果を知ってるからなのかな。
このあたりも少し考慮して、秀吉のすごさに付け加えたほうがいいのかな。
211人間七七四年:2008/08/12(火) 21:22:45 ID:k4VxhTO8
7日には秀吉が姫路まで戻ってきてるし、筒井が日和見するのも当然といえば当然だな
212人間七七四年:2008/08/12(火) 21:34:06 ID:PhS48E7J
秀吉が戻ってくる(毛利と停戦含み)なら光秀は負けるかもって考えが生まれる位の背景はあるんだろうな。
感情的にも主殺しだしなってなり思考にフィルターをかける要素になりそうだし。
213人間七七四年:2008/08/13(水) 00:08:09 ID:GmldeCxf
>>186
>また、「惟任公儀を奉じて…密かに謀反を企む。」については、信長の命令を奉じているからこそ、それに矛盾する「謀反」が
>「密か」ってこと、すなわち「外見は信長の命令を受けたが、内心は謀反だ」って解釈するほうが「密か」の意味が自然に通じる。
その様に解釈するには「揃へ→揃へたるが」って表現になるでしょ。
自分も信長の公儀だと思ってたけど、そのまま読むと信長の意志で謀反した事になるから妙だと感じてた。


「惟任公儀を奉じて、二万余騎の人数を揃へ、備中に下らずして、密に謀反をたくむ。
併しながら、当座の存念に非ず。年来の逆意、識察する所なり。」

識察する所なり。とあるから前の文に識察出来る事柄が書かれてる。
それらしいのは「公儀を奉じて」という部分。
公儀を奉じてることから、長年の逆意である事は、察し知る事ができようって事。
光秀と義昭の関係や追放劇などを知ってれば、突発的なものではなく長年逆心を抱いていたと察する事ができるわけよ。

2行目の文も信長=公儀とすると、何を以って識察すべきなのか良く分かんないでしょ。
214人間七七四年:2008/08/13(水) 16:04:16 ID:3PlTU2A/
>>213
>その様に解釈するには「揃へ→揃へたるが」って表現になるでしょ
この指摘については文法的にはその通りやと思う。
でも、>>213の解釈だと「併しながら」のつながりが悪くならないか?
「併しながら」の前(「惟任…企む」)が当座の存念(=突発的)をさす文章じゃないと、
この接続詞が逆に不自然になる。
その文章だと理解するには、公儀=信長の方が自然に思う。
なぜなら、あなたも指摘するとおり信長・義昭の対立と光秀・義昭の関係は周知の事実だから
公儀=義昭だと当座の存念じゃなくなってしまう。

>>210
そうじゃなくて、秀吉が大軍率いて来たからこそ、この軍勢を核にして摂津衆も味方に参じ信孝
も摂津富田で共同で軍事行動できた訳でしょ。
逆にいえば、四国平定軍は核たりえないと摂津衆に思われたんじゃないかな。
215人間七七四年:2008/08/13(水) 18:09:33 ID:XCRJ1ElF
やはりザビエルが黒幕だな
216人間七七四年:2008/08/13(水) 20:22:35 ID:7h3ycOn6
>>214
四国平定軍ですが、やはり神戸信孝の能力の無さが大きかったと思う。
津田信澄が、一緒になって光秀を討とうと言っているのに、裏切るのではないか、と邪推して殺している。
これについては、自分は養子に出されて織田家の人間ではないが、信澄は織田家の人間のままなので家督を継ぐのでは、と考えたという説もある。
ともかく、信澄を殺したのをきっかけに四国平定軍は崩壊状態になり、秀吉軍が駆けつけるまで右往左往する羽目になった。
何か信澄に怪しい動きがあったというのなら記録に残りそうだが、そんな記録を見た覚えはない。
どう考えても、信孝のやったことは、四国平定軍の崩壊を招いたと思う。

本能寺の変と関係はないが、山崎の戦いから清洲会議、賤が岳の戦いへの流れを見ても、信孝の中途半端な才能が目につく。
四国平定軍が崩壊し、摂津衆が味方しなかったのは、信孝の無能のためではないか。
217人間七七四年:2008/08/13(水) 20:49:26 ID:Hp91devR
神戸信孝は無能というより狭量だよね。
218人間七七四年:2008/08/14(木) 02:01:26 ID:mHlw98S3
>>214
中世の文の「併しながら」は現代の逆接続詞の引用法とは異なる。
明治頃には現代の使い方になってたみたいだけど。
「併」はアワセルという字を使うように、昔は強め詞(副詞)として使われてる。

例として、『吾妻鏡』の読み下し文より抜粋。
「本意併しながら亡魂の憤を休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲するの外他事無し。」
源義経が本意を語る部分なので、解りやすいと思うけど「併しながら」の後に本意が語られてる。
逆接続詞として使うと誤訳になる。

アマチュアの史家もここらを誤解されてるみたいで、この手の誤訳をしてる人を結構見る。
219人間七七四年:2008/08/14(木) 07:09:02 ID:KRknFaPK
随分昔に読んだので題とか忘れたんだけど、織田信孝と三好氏のなんたらって論文があって、
それには四国遠征軍編成時には織田信孝はすでに三好康長の養子に入ってて(康長も笑岩と出家していたのを、
還俗して慶なんたらって名前にして、三好氏の総領という立場にあったらしい)、神戸家は日野城に幽閉されてた具盛が復帰し、
四国遠征軍は神戸家や摂津・河内・和泉の国衆と傭兵が主力だったと言う事が書かれてた

そして本能寺の変で、四国遠征軍が瓦解した原因として、信孝が神戸家の投手ではなくなったので神戸家の軍勢は勝手に引き揚げ、
傭兵は四散した為と書かれており、大坂城には河内などの国衆だけしか残らなかったと言う説明だった

結構古い論文なんだけど、四国遠征軍の構成や信孝と三好氏の関係、信長の四国政策の転換等の解説を、
史料踏まえて解説してあったので、面白く読めると思うんだが・・・

載ってる論文集や肝心な論文のタイトルや著者の名前が思い出せない・・・orz
220人間七七四年:2008/08/14(木) 08:12:42 ID:RB0GX4pq
津田信澄の性格や能力に関してのデーターがあまり出てこないな。

仮に切れ者だったとしても、信長から警戒されるのをおそれて
小心者を装っていたのかもしれないが。
221人間七七四年:2008/08/14(木) 11:51:53 ID:rMhg+DHq
>>218
>「併しながら」
同書にある「然れども」とどこが違うんだろって疑問があったが、そもそも逆接詞
じゃないのか。指摘d。
あと同書にある「思惟する」と「識察するに」の現代語訳もついでに教えて。
前者はだいたいの意味が分かるが、後者は検討もつかない。

>>219
>還俗して慶なんたらって名前にして
「康慶」じゃね?
桐野本では、「長」を下にするのは信長に不敬だからそういう名前にした
って書いてあった。
あと、追放したはずの関父子も四国軍に参加しているよね。彼らも勝手に引き
上げたのかなあ。
222人間七七四年:2008/08/14(木) 19:13:36 ID:EzRJtJlB
信澄は頭は切れるが残忍だったらしい
223人間七七四年:2008/08/14(木) 20:31:50 ID:m4t2y3Ie
>>222

もうちょいくわしく。
224人間七七四年:2008/08/14(木) 20:47:23 ID:EzRJtJlB
225人間七七四年:2008/08/15(金) 02:30:16 ID:KZYdaw+X
>>221
「思惟する」=現代の意味と同義
「識察する」=察し知る、察する
「識」には対象を分析して認識する分別知の意味合いがある。
226人間七七四年:2008/08/15(金) 11:29:55 ID:OBzcqCL/
>>225
ありがと。
おれの立場は>>208だったが、文脈からすると公儀=義昭の方が自然な解釈だな。
あとは土橋書状で変前から義昭とコンタクトとってるって解釈できれば
「奉じて」も変前から推戴したってことになるから、将軍関与説が成立するのかな。
227人間七七四年:2008/08/15(金) 12:52:02 ID:n6sOg9r4
義昭は性格からして
明智にも細川にも「信長を討て」とダメモトで定期的に密使を送っていると思う。
228人間七七四年:2008/08/15(金) 12:54:05 ID:n6sOg9r4
ところで朝廷は義昭を征夷大将軍から解任する処置ってのはとっていないんじゃないか?

ということは義昭はいつまで現職の征夷大将軍だったんだろう?
229人間七七四年:2008/08/15(金) 13:33:05 ID:WUnfWIOe
形式的には秀吉期に将軍職場を退任するまで。年号は忘れた。
230人間七七四年:2008/08/17(日) 16:07:48 ID:ArHS8s+G
本能寺の変の折は、蒲生と木下がそれぞれ安土と長浜城を放棄したらしいけど、
佐和山城も戦わずして放棄したのかな。と、いうよりも誰が留守居として居たのかすら。
231人間七七四年:2008/08/17(日) 17:07:31 ID:jY1ruQT3
変の直後、信忠が命からがら佐和山城や長浜城にたどりついたとしても
守将がいたとは限らないんだな。
232人間七七四年:2008/08/18(月) 12:36:36 ID:lL6/gRZt
直後ならいたでしょう、変は京都で起きてるだけだから。
ただ、脱出できたとしたら安土の方に向かったろうね。
直線で60キロぐらい、午前中には着いてる。
そうしたら兵の脱走とかなかったかどうかは、また別の話だけど。

>>228
だもんで、三職推任とかの話では、朝廷側は義昭をどう思ってたのだろう、と
いう話になってくる。死んだと思ってたか、無視か、忘れ去ってたか。
本なんかだと足利幕府滅亡は1573とか言うけど、このあたりも微妙なとこだよね。
233人間七七四年:2008/08/19(火) 00:41:36 ID:o3KKjd72
個人的には、幕府の滅亡というか消滅は1573年以前でいいと思う。
それ以前に、将軍と幕府は乖離した存在になっていたし。

それと官職については、近衛が地方にいて朝廷の政務に関われないから、関白職を
剥奪しようという動きとかもあった。信長が将軍を望んでいたら、同じことをする
だけでしょう。朝廷からしたら、すでに自分達を守る力のない存在に義理立てする
理由もないし。
234人間七七四年:2008/08/19(火) 06:14:49 ID:IBEpHDlW
本能寺は変
235人間七七四年:2008/08/19(火) 12:00:51 ID:OiOqgQ0e
事実上は1573以前なんだろうけど、歴史解釈の建前上として
どうするかだよね。
幕府消滅、というピリオドを作ろうとするから無理が生じるわけで、
やっぱり微妙なとこなのかな。

信長が将軍に任官してたら、義昭を解任、なんて正式な勅が出ただろうか。
イフの話だが少し気になったりして。
236人間七七四年:2008/08/19(火) 12:08:41 ID:aoW456mH
文章で信長の事を上様と呼び始めた時に足利将軍の終りと考えていいんじゃない?
どんなきっかけあって信長=上様となったのかは知らないけどエロい人教えて?
237人間七七四年:2008/08/19(火) 14:16:29 ID:OoN4bZJo
>信長が将軍に任官してたら、義昭を解任、なんて正式な勅が出ただろうか。


三職推任。朝廷サイドは平氏を称する信長が平清盛の先例にならって
太政大臣を選択してくれれば一番ありがたかったんだろうな。
238人間七七四年:2008/08/19(火) 16:12:55 ID:6r2jlXd9
>>236
上様、というのは目下がトップを呼ぶときに使うだけだから、あんまり
将軍の終わり、とは関係ないと思うよ。
それより、公記なんかで、「御動座」みたいに表現し始めるのに注意
したほうがいい。
単なる「上様」から「将軍みたいに扱われ始めた」、ということだからね。
これは家臣だから、というよりより広義の意味で信長がそういう立場に
近かった、ということをあらわしている。
239人間七七四年:2008/08/19(火) 16:19:18 ID:6r2jlXd9
>>237
三職推任に関してはいろいろな解釈があるからあまり触れないけど
朝廷が何を一番望んでいたか、というのは面白い発想だね。
要は自分たちの支配下、バック、に置きたいわけだから
何を選んでもうまく対応したのかな。

ちなみに秀吉が関白になったのは朝廷側より
一般大衆の方が驚いたんだろね。
今でいったら小島よしおが総理になるようなもんか。
240人間七七四年:2008/08/19(火) 19:15:37 ID:c74VEsig
秀吉を関白にしたってのは、
昭和天皇がポツダム宣言を受諾したのと同じくらいの衝撃だろうな。
241人間七七四年:2008/08/19(火) 19:49:01 ID:o3KKjd72
>>238
いや、「上(うえ)さま」の上というのは「お上(かみ)」のことで、一言で言うと天下人、
国家(と言うほどのはっきりした概念ではないが)統治の宗責任者に対する呼称。

例えば江戸時代では上さまは徳川将軍ただ一人。どこぞの藩主が家臣に自分を上さま
なんぞと呼ばせたら、それだけで謀反の意志ありとみなされる。
242人間七七四年:2008/08/19(火) 20:36:16 ID:VrReevNi
そだね、徳川時代が一般的だからね、上様。
室町から戦国にかけての用法はもう少し軽い意味合いだったのかな。
243人間七七四年:2008/08/19(火) 22:32:01 ID:o3KKjd72
そんなことはない。
例えば信長以前に天下人と認められていた覇者、足利将軍家の軍事力を解体して
将軍を完全に無力化・傀儡化させて幕府機構をのっとった細川政元、同じく将軍
自体を京から追放して将軍なき幕府を運営した三好長慶。彼らですら「上」とは
呼ばれることなく、その呼称は無力化した将軍のものだった。そして他の守護・
戦国大名で「上」と称した者はいない。

それを思えば、義昭が将軍のままで信長が「上」と称される意味の重さ大きさが判る。
244サイコメトリー:2008/08/20(水) 19:26:17 ID:NMsprWXr

夏季休暇があり、少し停滞してたけど、また皆さまの本能寺スレお願いしますね。
245人間七七四年:2008/08/20(水) 19:35:06 ID:vAyBjRy1
本能寺の変の原因って、光秀の視力低下が原因だと考える。いや真面目に。
このまま視力低下が進めば、光秀といえども、信長は役に立たなくなった彼を簡単に放り出すだろう。
おそらくこの反乱を思いついた前後に、それを考えさせるような何かがあったのだろう。
彼が放り出されれば、当然のように彼の一族郎党も悲惨な目にあうだろう。その恐怖が、彼をして
一見無謀な反乱に駆り立てたのではないだろうか?
246人間七七四年:2008/08/20(水) 20:41:41 ID:n8bCzDI2
>>245の説は、視力回復センター関係者による説として一部で有名。

文書の処理に優れていた光秀は、近視になってもおかしくない。
肖像画の目が細いが、近視のため目を細めていただけ、という指摘がある。

眼鏡のないこの時代、視力低下が進んでいった場合は、
信長によって追放確実。
247人間七七四年:2008/08/20(水) 21:00:52 ID:lNvAZYSx
当時は老人性白内障の治療法がなかったからな。
248人間七七四年:2008/08/20(水) 21:10:30 ID:ceUK5wxc
ひょっとして、佐久間さんもそれで?
249人間七七四年:2008/08/20(水) 23:36:08 ID:3PPOqupw
視力の低下はともかく、それと追放がなんで確実なんだ?
250サイコメトリー:2008/08/21(木) 08:04:01 ID:1Je7DMAw
>>245
知らなかった〜。そんな説があったんだ。
追放かどうかは別として、視力低下により職務をこなせなくなり、将来を悲観する
って事由は十分一因にはなると思う。

>>248
それは微妙な気がするよ。佐久間と明智は能力も状況も違うと思うので。
251人間七七四年:2008/08/21(木) 11:39:28 ID:UK4XRMxg
>>250
光秀の視力についてはたしか多聞院日記だったかなにかに記述もあるので、
そのあたりは事実とみていいでしょう。年齢的にも、五十五歳説でもあって
おかしくないし、六十七歳説ならなおさら。

しかしそれが将来の悲観に繋がったというのはどうだろう?
はっきり言うと、光秀個人と明智家の処遇は別なのだから。

光秀が軍人として役立てなくなったというのあら、隠居して代替わりをすれば
いいだけの話。もし光秀がそれでも武将として働きたいというのなら、それは
単に光秀のわがままで、信長だけでなく、明智家の将兵にとっても迷惑なだけ。

そして何か勘違いしている人が多いが、信長は老齢で役立てなくなった人物を
それで追放なんてしたことはない。というか、そんなことをしたら光秀だけでなく
他の武将もみな裏切る。信長はそんな馬鹿だと思っているのか?跡継ぎが幼少だと
いっても、例えば信長には千秋家の例のように、ちゃんと所領の保護をしている。
明智家だけは幼少だと保護されない、なんて理由がどこにある?
252人間七七四年:2008/08/21(木) 14:00:46 ID:01/vhFxK
代替わりすれば良い?
そんな単純な事かな?
解釈として、個人と家は確かに別だが、能力が有る個人がいなくなったり、使えなくなくなったりしたら、家にも影響するよ。戦国時代だよ。家を継ぐ事を第一とした時代とは違うよ。
253人間七七四年:2008/08/21(木) 14:56:41 ID:w40Ju53Q
蒲生家なんかそうだよな。
254人間七七四年:2008/08/21(木) 16:02:17 ID:nA3clidC
だいたい信長は、特に家柄もない光秀の、個人の能力を買って出世させたんだから、その光秀の能力が
引き出せない状況になれば、明智家は取り潰しはなくても、大幅な縮小をされるのは、ある意味当然の事だわな。
これぞ能力主義。
255人間七七四年:2008/08/21(木) 16:26:54 ID:y7Jo2K8T
うむ、納得。
256人間七七四年:2008/08/21(木) 16:41:17 ID:vazDu/l9
そのあたりは難しいが、信長としては大まかに天下統一したら、あとは武将としての
能力よりも織田家に対する忠誠を重視したかもしれない。
なので、ほんの1〜2年後には秀吉滝川信孝あたりが統一の道筋
つければ、戦国の大まかな終焉、光秀も視力が減退したからといって
すぐにおいだされることはないだろう。代替わりで忠誠を誓えばね。

もっともこれは信長側からみた場合で、光秀自身がどう思ったかはべつ。
なので、視力減退説は「信長に放り出される危機」というよりは
「野心説」の重要な根拠の一つ、とみなした方がいいと思う。
つまり、四国政策で悩む、目も見えなくなってきた、という状況で
より追い込まれた、というような。
257人間七七四年:2008/08/21(木) 16:54:33 ID:vazDu/l9
「野心説」で、あまり触れられないことに言及すると
あの時点で信長は統一寸前だった、ということがある。
1〜2年あればそんな状況だった、というのは妄想ではなかろう。

そうなってしまうと、謀反も難しくなる。
家康ですら秀吉生存中には真正面からは戦いを起こせなかったように。

なので、あの時点というのはまさに光秀から見ての、ラストチャンス、この
期を逃したら、というのはあったろう。
四国政策問題や視力低下、野心的にも残された時間は多くない、そうして悩んでるところに
目の前に信じられないようなチャンスが・・
こんなところではないか。

無謀だった、と言われるけど、最後のワンチャンス、ラストチャンスでしっかり目標を
達した、という視点では光秀の戦国武将としての力量を認めるべきで、決して「ノイローゼ的な
突発、無謀な犯行」というのとは少し違うように解釈すべきか。

細川たちが味方につかない、秀吉大返し、こういうのはまったくの予想外だったろうし、
これをもって「光秀に先読みの能力がない」というのはちょっと厳しい。
そういうのは、また光秀の謀反とは別に語るべきだろうしね。
258人間七七四年:2008/08/21(木) 17:00:17 ID:WBKyA1VO
劉邦が功臣たちを粛清したような感じで
信長は天下統一後に自分達を粛清するかもしれない、
と光秀は考えていたのかもしれない。
259人間七七四年:2008/08/21(木) 17:01:02 ID:ObcWhqi0
家の価値とは当主だけではなく一族や家臣を含めての物だからね
ただ信長から見て利三がその価値を激しく下げていたかもしれない
260人間七七四年:2008/08/21(木) 19:02:28 ID:y7Jo2K8T
細川たちが味方につかなかったのは、謀反の意図の秘密を守るため、
根回しができなかったためだろう。突発的だったし。
261人間七七四年:2008/08/21(木) 20:20:14 ID:Z+XjAer6
細川の話だけど、彼が足利には忠実に仕えた忠義の真面目な人、というイメージだと
光秀に味方せずに即髻切ったのも理解は出来る。
「逆臣には味方できない」と「保身を図る」という意味から。
ただそれだと、光秀と親しかった、というのがちょっと不思議な感じもする。
光秀は冷淡に主君を乗り換えていくタイプで、あんまり忠義の臣というのでは
なかったろうから。
ま、信長の臣の中では教養あるほうだし、単にそういう意味から親しかった、
ぐらいの理解でいいのだろうかね。

秀吉は細川あたりに質疑応答したのだったかな。
262人間七七四年:2008/08/21(木) 21:50:38 ID:XPdUsCni
信玄が三河あたりで暴れていた頃、明智と細川が幕府から信長に乗り換えた理由がよくわからんね。
包囲網の破綻が内側からそれだけよく見えたのだろうか。
263人間七七四年:2008/08/21(木) 21:59:57 ID:Z+XjAer6
明智は最初二重主君みたいな状態があったけど、あれは天秤にかけてたのでしょうね。
細川の細かい動向はよく知らないのだけど、包囲網というのもそんなに破綻してたのですかね。
信玄が絶好のタイミングで死んでしまったのだけど、あの時そのまま上洛してたら
ヤバいのは信長のほうではなかったのかな。
少なくとも、兵まであげて信玄を待っていた義昭は、日本史上に残る待ちぼうけだったかも。
少しかわいそう。
264人間七七四年:2008/08/22(金) 00:02:16 ID:g76Ky6NE
>>252>>254
だからさ、個人に与えられる役割役職と、家に与えられる領土は別でしょう。
おそらく光秀が死ぬか隠居して光慶が継げば、明智光秀に与えられていた近畿管領軍
という役職は解任されるでしょうよ。しかし明智家に与えられた官位や領土はそのまま
受け継がれて、光慶の成長と才能によってはまた返り咲くこともできるかもしれない。
それは普通のことで、光秀が恐怖を感じるほどのことではないし、信長の特殊な人事
というわけでもない。
例えば森可成や坂井尚政。彼らが生きているときは織田家の地位としては秀吉や光秀と
同等か上回ったか。しかし死後息子に代替わりしたら、地位には水をあけられた。それで
長可や越中守が領土を没収されて追放されるかもなんて恐怖を抱いたか?逆に、働いて
功績を挙げればまた地位は回復できるかもとされた。それはもう才能しだい。

宇喜多家の例もある。信長が明智家には認めない理由がどこに?
265人間七七四年:2008/08/22(金) 01:25:38 ID:ty0WMJiJ
>>264
落ち着け。
夏休みだ、空気よんであげてくれ。
266人間七七四年:2008/08/22(金) 04:53:37 ID:/Y3wosZB
明智細川は

信玄の寿命がどうも長くないであろうこと
兵站に不安があるので、そうすぐには上洛できないであろうこと
後継者勝頼の能力がパッとしないこと

同盟者の朝倉はさほど頼りにならないし、
本願寺軍団は機動力を持っていないこと


などを考慮したのではないか。
267人間七七四年:2008/08/22(金) 09:34:44 ID:3xkTxxgC
>>264
上げ足取るわけじゃないが、近畿管領等という、立場も軍もないよ。

ちょっと言いたい事がよく分からないけど、信長が絶対者(恐者)だった事は
間違いはない。だからこそNo.2もNo.3も存在せず、本能寺で織田家として統一
一本化を計れずに、瓦解した分けですから。

あと、官位と領土がそのまま受け継がれって言いますが、そんな安易な形には
特に戦国時代はならないと思います。
268人間七七四年:2008/08/22(金) 09:40:15 ID:IQ+s0TPk
>勝頼の能力がパッとしない

若年から部隊を率いて信玄没後22の城を落とし
信玄でさえ落せなかった高天神城をも落としたんだぜ
ちょっと頭は悪かったようだが雑魚ではない
269人間七七四年:2008/08/22(金) 10:05:56 ID:g76Ky6NE
>>267
近畿管領軍という呼称はその通りだが、他に一言で表す言葉が思いつかなかったので
そのままつかった。

>信長が絶対者(恐者)だった事は〜
それで?だから信長は役に立たなくなったヤツは追放して所領は全部没収すると?
ではその例を挙げてください。私は、父親が役に立てなくなってもそのまま家も
所領も保護された例を挙げていますから。

>官位と領土がそのまま受け継がれって言いますが〜
安易ではなないかも知れないが、困難不可能とういものでもない。実際に、それ
まで信長はやってきているのだから。
近い例で言うと宇喜多家。直家が死んで残されたのは幼少の息子。しかし秀吉が
後見人となり、弟忠家が当主代行を務めることで幼君の家督相続と所領安堵を信長
から認められた。明智家だって同じことをすればいいだけです。
新参でつい最近まで敵対していた宇喜多家が認められて、明智は認められないと
光秀が考える根拠は?
270人間七七四年:2008/08/22(金) 10:58:01 ID:3xkTxxgC
>>269
具体的な例だけが、信憑性を高める根拠とは思えませんが、典型的な例は、
佐久間・安藤・林ですかね。この武将達の追放等には様々な要素が相まっ
ての感もありますが、信長的に使えないという判断に達した事は間違いない。

困難不可能はない? 絶対はないという議論になってしまえば、議論自体が
無意味。宇喜多家の例でいえば、それは秀吉の狡猾な策略と織田軍の攻略作戦
途中状況があったからこそ。宇喜多家と明智家では状況も立場も違い過ぎて、
比較にならないと思うよ。

それと、新参だの古参だのという観点を信長が留意するとは思えないが。
271人間七七四年:2008/08/22(金) 11:08:20 ID:2waWI/oD
仮にあげた例えが宇喜多だと意味が違って見えるだけかと 大名家(主家筋)と家臣だから
平手蒲生佐々佐久間森なんかは家臣の当主交代成功例として当てはまると思われます
ただ決定的に違うのは相続した者の年齢
新参譜代と言うのは当然ですが信長は結構わけて考えてます
272人間七七四年:2008/08/22(金) 11:36:04 ID:quppqgYN
どっちも極端じゃないの。
明智家がなんらの瑕疵なく、世代交代に伴い所領没収されればほかの家臣への統制がつかなくなるし、
逆に所領安堵すれば、少年の光慶が丹波一国・近江一郡の軍役を果たせるとも思えないので、織田家の
損失になる。
軍団長クラスの世代交代はこの時期には例がない(かろうじて>>270の佐久間が該当?)から、断言はでき
ないが、>>254あたりが妥当だと思うな。>>270のいう通り宇喜多は比較にならない。
273人間七七四年:2008/08/22(金) 12:23:43 ID:rznc43xi
>官位と領土がそのまま受け継がれ


信長のことだから領土は没収しても官位は相続させるなどの
折衷案を出してきたかもしれない。

官位だけなら細川のほうが明智や柴田よりも高いのではなかったかな?
274人間七七四年:2008/08/22(金) 14:44:29 ID:QX6b95lw
佐久間は親子共々追い出されたよな。林みたいに昔敵だったわけではないのに
275人間七七四年:2008/08/22(金) 15:15:29 ID:U/DjllPx
原田も一族は追放されたよな。林みたいに昔敵だったわけではないのに
276人間七七四年:2008/08/22(金) 17:35:06 ID:J/G6bxhM
要は20代の頃にきっちり嫡子を作って、死ぬのは60過ぎてからにしておけということだね。
そういうところは、相続で頭を悩ましにくくはなる。
277人間七七四年:2008/08/22(金) 17:39:45 ID:ty0WMJiJ
盛り上がってるとこ悪いがやっぱり個別で考えるべきだと思うな。

光秀自身が視力減退で戦に参加できなくなっても、その一族が
光秀の指示通りに行動し、しかも織田家に忠義を誓うのなら
そんな簡単に領地没収とかにはならなかったんじゃないか。
それどころか、さらにうまく「重用」して使いこなしたかもしれない。
つまり、統一に成功してしまえば、京でのコネがある光秀なんか十分に
有用だろうし。

くりかえすが、これは信長側であって、光秀自身がどう思ってたかは
また別の話だけどな。
278人間七七四年:2008/08/22(金) 19:02:08 ID:Ttg9AFiX
>>277
統一してしまえば、譜代でもない、家格もない、地縁血縁も少ない、
一代取立ての成り上がりに過ぎない明智家なんて、それこそ必要ないじゃん。
279人間七七四年:2008/08/22(金) 19:12:53 ID:g76Ky6NE
>>278
統一したあとで、家康は譜代でも家格もなく地縁もない井伊家を取り潰したか?

家康はやらなくとも信長ならやると?

なんというかね、信長は役立たずは追放するとか取り潰すとか統一後は大粛清を
かますとか、敵対した大名は全て滅ぼすとか、そういっている人は逆の意味で
信長を過大評価しすぎている。
280人間七七四年:2008/08/22(金) 19:18:33 ID:Ttg9AFiX
>>279
じゃあ、明智さんところも、最初の彦根藩18万石程度になってもらわないとな。
それで肥大化した明智家がやっていけたかどうかは知らんが。
281人間七七四年:2008/08/22(金) 19:33:59 ID:ty0WMJiJ
>>278
細かい話だが統一したとして、例えば毛利の領地を切り取ったら、そこを誰かに
あてがわないといけない。
そういう意味で、忠義を誓えば、つまり人質なんかを喜んでだせば、かなりの
大名として優遇される、ということね。
明智家が必要ない、なんてことにはならない。

もちろん統一後の信長構想は別の話なので、あくまで旧型の織田幕府みたいな
想定でね。
282人間七七四年:2008/08/22(金) 21:09:31 ID:rpIajbcY
やはり本能寺の変は
光秀が自慢のキンカン頭を信長に鉄扇でぶったたかれて
深くプライドが傷ついたことが原因じゃないかな。
やはり人前でキンカン頭叩かれるのはキツイだろ。
その時森蘭丸がクスッと笑ったのも
光秀にはこたえたと思うね。
283人間七七四年:2008/08/22(金) 21:48:31 ID:ty0WMJiJ
怨恨説ってかえって新鮮味があっていいな。
284人間七七四年:2008/08/22(金) 21:56:25 ID:Ttg9AFiX
ただ殺すだけじゃなく、軍で取り囲んで骨も残さないほど焼きつくす怨恨って、どんなのだろうな?w
285人間七七四年:2008/08/22(金) 22:00:14 ID:ty0WMJiJ
何の恨みも無いのに無差別なんとか起こすよりは
合理的な時代だったんだな。
286人間七七四年:2008/08/22(金) 22:05:35 ID:Ttg9AFiX
>>285
この時代のほうが無差別殺人凄く多いぞ。
「子供が笑った」って理由で、街中で刀振り回して十数人殺した奴もいる。
287人間七七四年:2008/08/22(金) 22:28:20 ID:ty0WMJiJ
>>286
逆説だが、そういう記録が残ると言うことはかえって稀で珍しかったから、
という言い方もある。

少なくとも、kいずみに裏切られた、といってsが反乱おこすことはないもんな。
288人間七七四年:2008/08/23(土) 10:35:08 ID:MvvY27oJ
226で、義昭関与説が佳境に入ったとこで終わってるけど
どうなったのかな。
直接関与ではなく、光秀が名前を利用した、ぐらいのとこか。
289人間七七四年:2008/08/23(土) 12:18:35 ID:0aOUEk/D
義昭は性格的に明智にも細川にも
「信長を討て」
との密書はダメモトで定期的に送っていると思うんだが。
290人間七七四年:2008/08/23(土) 12:34:23 ID:2pQtlC4a
やっぱ秀吉と話が出来てたんじゃないかと思うんだが
291226:2008/08/23(土) 13:17:13 ID:Id1gaJUu
おれは単独説だが、惟任謀反記での解釈に限れば「公儀=義昭」は納得やな。
あとは、土橋宛書状などから光秀=義昭の事前連絡が証明できりゃ将軍関与説は成立
だろう。
関与否定説の論者も変の後に両者の連絡の形跡があることまでは否定していない。
要は、それが>>289の言う一方的な書状ではなく、変前に共謀を示すものだといえりゃ
いいんじゃね?

292人間七七四年:2008/08/23(土) 13:30:28 ID:ThUL496v
義昭が変に関与接点があった=義昭黒幕ではないでしょう。

藤田義昭説は論外として、事実上現存した室町義昭を利用したかった光秀。
義昭ももう一度、自らの再起を望んだ為の行動で、利害関係は反信長のほとんど
と共通し、あくまで義昭個人の恣意的行動で、大まかな視点でみれば光秀との
接点は無くないが、厳密にはお互いが相互利用しようとしてたのみ。

義昭関与黒幕説は、変の要因では一番可能性が低い様に思う。
293人間七七四年:2008/08/23(土) 14:08:43 ID:E4wu5CRA
黒幕がいたとすれば正親町天皇本人かなあ?どうだろ。
294戦世主 ◆7nhvdN3STA :2008/08/23(土) 14:58:37 ID:a92CuT1d
やっぱり秀吉光秀の共謀じゃないのか?光秀が秀吉に送った手紙には、
「うまく行った。戻ってきてくれ」的な内容が書いてあったらしい。
だからこそ中国大返しをする用意をしていた訳で・・・。この説って有力?
295人間七七四年:2008/08/23(土) 15:25:57 ID:dcRzMhHl
>>288
それこそ226事件と一緒。天皇のためにと実行したが、当人の内諾なし、だろ。
296人間七七四年:2008/08/23(土) 15:32:16 ID:rZ1IuWQw
もう知ってるかもしれないが、本能寺の変は信長自身が意図したものだった、つまり自殺行為だったという説を書いた本を見つけた。
朝廷との覇権争いに、どうやっても勝てない事を悟った信長が、体のいい自殺として思いついたと。
297人間七七四年:2008/08/23(土) 15:50:54 ID:9wlL1rvT
色んな意見出ていな〜。
298人間七七四年:2008/08/23(土) 17:37:05 ID:dH8hVFwo
明智の無能無策。藤吉郎と輪を結ぶ所ができない。


       官僚人=明智光秀


       藤吉郎(野人サル)が存在する限り本能寺は無策でした。
299人間七七四年:2008/08/23(土) 17:58:26 ID:Id1gaJUu
>>292
>大まかな視点でみれば光秀との
>接点は無くないが、厳密にはお互いが相互利用しようとしてたのみ。
同意。
単独犯説の支持者も、光秀が変後に勅使を迎えて朝廷と接点を持ち、土橋らを通じて将軍と
連携しようとしたことは否定しないんだから、黒幕説の論者は「接点」をもう少し詰めて論
じて欲しいよな。
まあ、>>294みたいな脳内史料が現実に存在するとかすりゃいいんだろうけどね。
300人間七七四年:2008/08/23(土) 22:24:34 ID:l26mamGH
土橋らを通じて将軍と連絡しようとした??
古文の読めない桐野作人みたいなこというね。

この書状は土橋から自主的に光秀に協力を申し出たものに対する返書だよ。
急度上洛の件は御受けしてあるので、その意に従って協力してもらう事が重要です。
って答えてる。
桐野の仮説みたいに「土橋を通じないと連絡出来ない」なんて内容にはとりあえずなってない。
301人間七七四年:2008/08/24(日) 14:14:40 ID:iC8HZQmS
226事件の若年将校達と光秀の何が一緒なの?

天皇に対する思いは時代により、良くも悪くも全く違う。戦国武将に『皇国の為に』『天皇の為に』って自身や自家を犠牲にしてまで、死んでいった武将などいないでしょ。
ゼウスに為に死ねた者は何名もいたがね。

つまり戦国時代の天皇家(個人含む)への観念は幕末や大戦時や現代とは全く違うと思う。
302人間七七四年:2008/08/24(日) 15:05:50 ID:B9t2JU0x
>>301
文章を理解する能力をちゃんと磨こうぜ
303人間七七四年:2008/08/24(日) 18:32:20 ID:iC8HZQmS
>>302
あんたはさぞ、人様の文脈を理解出来る人なんでしょうが、せめて持論を述べなよ。じゃないとただの揚げ足鳥だよ君は。
304人間七七四年:2008/08/24(日) 18:52:44 ID:60gY2eOt
>>302
何が理解出来ていないか俺も分からんが、226事件と本能寺の変が関連性がないと俺も思うが。
305人間七七四年:2008/08/24(日) 19:09:25 ID:VO8/rKnn
226事件においては将校らが自身の行為を天皇のためと称していたことと光秀が義昭の名を出したことを
同じようなことといってるだけと思うが。光秀が天皇云々とはまったく書いていないし読みとれもしないけど。
まあ俺の読解能力がだめなのかもしれんけど。
306人間七七四年:2008/08/24(日) 19:37:50 ID:TgUhZ8sL
>iC8HZQmS
そんな難解な文章とも思えんがなあ。

2.26において、決起した将校たちは天皇のためにという名分をもっていたが、別に
天皇は将校たちと事前に連絡を取っていたわけでもなく、自分を救えと将校たちに
命令を下したなんてわけもなく、将校の方が勝手に天皇の名前を出して担ぎ上げよう
としただけ。

本能寺以後の光秀もそれと同じで、義昭や朝廷の名前を持ち出したとしても、それは
事後に自分の身を取り繕う為の名分を求めたからで、変後に光秀が義昭なり朝廷や
天皇なりに接触を取ったり御輿に担ぎ上げたとしても、それをもって変前から両者が
接触していた、繋がりがあった、共謀していた黒幕だったとする根拠にはならない。

と読めたけどね私は。そんなに難しい文章だったか?
自分の都合で反乱起した後、名分を繕うために王族の傍流を当人の意志と無関係に
御輿にするなんて、世界史上のクーデターではよくある話だが。

実際、変後の義昭と毛利の動きを見る限り、義昭が光秀と事前に繋がりがあったとは
とても思えないからね。
307人間七七四年:2008/08/24(日) 22:13:36 ID:9eZhqree
>実際、変後の義昭と毛利の動きを見る限り、義昭が光秀と事前に繋がりがあったとは
>とても思えないからね。
なんで毛利の動きが、義昭が光秀と事前共謀を判断する材料になるんだ?
毛利は義昭の言いなりになる国だったけか?
308人間七七四年:2008/08/24(日) 22:18:07 ID:B9t2JU0x
>>307
逆。毛利の同意無しに義昭は動けない。
309人間七七四年:2008/08/25(月) 02:21:39 ID:UwchtNYZ
弱腰毛利や傀儡義昭が本能寺の黒幕の可能性はない。
光秀単独行動以外の要素は後付けの創作だよ。特に黒幕説の類は。
秀吉の行動が迅速過ぎて、そこに目が行きがちだけど、光秀の行動もほぼ予定通りだった。
日和見筒井と保身細川さえ味方についてれば、簡単に秀吉に負ける事なく、畿内に一定の基盤が出来てた。
310人間七七四年:2008/08/25(月) 06:41:26 ID:BE5HnAZ4
細川は本当に何やってたんだ?
311人間七七四年:2008/08/25(月) 07:38:47 ID:qCiYI6gO
「信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う」は一読の価値あり
312サイコメトリー:2008/08/25(月) 09:33:18 ID:95nYdrAa

ちょっと情報が錯綜しているので、少し整理しますね。
ここまでの本能寺の変考察スレは複合説です。その中で何回か取り上げられているものは、

●対長宗我部取次での軋轢
●フロイスの日本史に書かれている信長と光秀の諍い
●畿内掌握の野望
●光秀の病気全般
●正親町帝個人の関与

上記以外にも多数話が有りましたが、私的に抜粋しました。皆さんが気になる要素
が他にもありますでしょうか?ご意見下さい。
313人間七七四年:2008/08/25(月) 12:05:20 ID:UwchtNYZ
フロイスの日本史は信憑性が薄いと言われてるが、光秀と信長のいさかいは目の当たりにしたんじゃないかな〜。
内容が妙にリアリスティックな気がする。
314人間七七四年:2008/08/25(月) 14:29:20 ID:pat71QOF
>>313
フロイスは当時は九州にいたから、『「光秀と信長のいさかい」は噂で聞いた』って「日本史」でもエクスキューズ
している。
本能寺の変自体の描写は、本能寺の付近の南蛮寺にいたカリオン(ないしヤスケ)の報告に基づいているから信憑性は
高いが、それよりは信憑性は低いと思う。

ただ、「日本史」には@光秀が72のダマシのテクを持った狡猾な人間である記事A件のいさかいの記事、の双方を載せて
いるから、彼には変の原因には信長・光秀双方の人間性が関係しているように見えたんだろうね。
315人間七七四年:2008/08/25(月) 15:22:46 ID:dOWWz/Vr
>>296
それは鯨さんで、あくまでもシャレだからね。
間違っても今谷と結ぶつけたらいかんよ。

フロイスは、日本人を「動物園の動物」的にみているから、それを考慮して
考えないといけないけど、噂で聞いた、というのは、あくまで同時代にはそういう噂があり
それが広まっていた、ぐらいの理解にしたほうがいいのではないか。
つまり当時の人から見ると、あーいう変が起きた時には「怨恨」が基本であって
当時の人もよく理由がわからなかった、ってね。

ここでは秀吉関与説は人気ないなー。
316人間七七四年:2008/08/25(月) 19:01:47 ID:DByA5lZF
秀吉のそれは結果論過ぎて、いかようにもこじつけられる。変後の自己正当化にも必死過ぎて、偶然の産物を彷彿とさせる。
317人間七七四年:2008/08/25(月) 19:23:07 ID:57A4j0Cm
秀吉関与説は、いまだ与太話の類だからなぁ
318人間七七四年:2008/08/25(月) 19:24:18 ID:u9BJKDCZ
>>315
問題はその噂が日本側史料にまったく出てこないことだと思う。当時の京・近江・奈良には
噂でもなんでも記録に残して後世の研究資料におおいに役立たせてくれる記録魔たちが
いくらもいたというのに。
319人間七七四年:2008/08/25(月) 19:35:56 ID:ToE9l0/E
秀吉は関与しないまでも
忍びを通じて明智が謀反を起こすかもしれないと
予測できていたふしはあるんだろうか?
320人間七七四年:2008/08/25(月) 20:08:24 ID:CCZtRgXJ
秀吉が予測できるくらいなら、信長のほうが先に予測するっつーの。
321人間七七四年:2008/08/25(月) 23:33:38 ID:xCZSzTYT
>>318
記録魔ってのも結構改ざんしてたりしたからね。
それと、そのあたりが逆に日本的な発想とフロイスの違いかもしれないな。
記録魔たちから見るとあまりに当たり前の発想でわざわざ書かなかったとか。
これ、今の和風ホラーとキリスト教的西洋ホラーの比較にもなってる。

>>319
それって案外重要だと思うよ。
具体的に予測とか忍びとかはともかく、秀吉ほどの人物なら周りで
誰か忠義の臣か、誰がアブいか、そういうのを感じ取っていたはず。
これは320の反論もかわしてるし、秀吉のほうが敏感だったという意味で。
だから、大返しとか、迅速な毛利との講和とか、いろいろ語られてきたけど
たえず秀吉はそれなりの問題意識を持っていた、と考えたほうが明快なんだよね。

これは黒幕とか共犯とかとは全然違う、秀吉の内面の問題で「やってまったがや」
と驚きつつも決して家康みたいに「後をおって腹を切る」なんて、言ってたという
記録もあるが、実は思ってなかったろう。

小説になるが、光秀が追い込まれた結果の反乱、というのの理由のひとつに
このままだと秀吉の下になってしまうかもしれない、というのもあったかもしれないかも。
光秀から見ると秀吉なんか単なるサルなんだが、秀吉は光秀のアブなさ具合とか
冷静に観察してたような。
それが山崎にまともに直結してあの結果になったちゅうか。
322人間七七四年:2008/08/26(火) 02:27:40 ID:Y/nq5R8C
>>321
主君と重臣が素で暴力を振るうなんて大事件に洋の東西の差なんて無いと思うんだが。
そりゃたしかにフロイスの記録には日本人には当たり前すぎてわざわざ記録を残して
いないようなことが記述されていて、そういった記録は当時の風習文化を知る上で役に
立ってますがね。
それと、政権内の事件は全く別のことでしょう。それとも、当時の日本では君主が
臣下に意見の相違から暴力を振るうのは日常茶飯事だったとおっしゃるので?

それから、既に議論されてますが、秀吉が信長や光秀の周囲に忍びを放っていて、
それで謀反の兆候をかぎつけたのなら、信長にチクってると思う。光秀の謀反は
成功しても失敗しても織田家の中枢、すなわち秀吉の背後が混乱をきたすことを
意味して、それは秀吉にとって危難の到来を意味する。なにしろ彼には、播磨で
征服作業中に荒木謀反によって中央と切り離されかねない大ピンチに陥ったという、
近過去の恐怖の記憶がある。秀吉にとって、後方での反乱騒ぎなんて無視できるもの
じゃあない。

もう一つ。
>このままだと秀吉の下になってしまうかもしれない
これも以前議論があって、援軍派遣が秀吉の下につくことを意味しないとなったが、
そう主張するのであれば、その根拠は?
323人間七七四年:2008/08/26(火) 03:51:37 ID:Nj/Mdsoh
>>322
最初に関しては、論点が違ってる。
暴力の根拠に、因果応報(感情)、と必然性(論理)、のどちらに重きを置くか、という視点の話で
これはスレチでふったこっちが悪い。
閑散としたらまたやろう。

真ん中に関しては、忍び、なんてのはちょっとまた違う話になるものね。
ただ、秀吉が第一報をどうして信じたか、どうやって確認したか、これは重要でしょう。
その日にエケイを呼んでる位だから。
これは明らかに秀吉独自の情報網、そういうのがあったわけで、もちろん全ての武将が
そういうのを持っていたわけだろうから、秀吉のみの話ではないけど、まずチクるとかそういう話の前に
何らかの「実態はあった」という共通理解をしたいところ。

最後に関して、前の援軍派遣に関してはちょっと論に参加しなかったんだ。
なぜかというと、方面軍、という言葉が出るとやけにレスが伸びて、もちろん谷口本の
影響なのは理解してるけど、どうも「分類的」というか現代的感覚で論じられてる気がして
ちょっと根本的に納得できないところがあって。

では「秀吉の下」とは何を指すのか、なんだけど、あくまで本人同士の感情、年齢差、出自
感覚、話合うかな、仲いいかな、友達かな、という意味でして。

四国政策、視力、年齢、そういうのを総合的に見て、光秀は下手したら隠居、現役バリバリの
秀吉に対して、それなりの危機感を持ってたのではないか。
学識豊かな自分が京を追い出され、サルが重用されるのではないか。
変の直前の時点で、光秀はサルなんか問題にしていない、今で言うプライドみたいな。
例えば、馬そろえに、秀吉が参加してない、というのもあったかもしれない。
そういう意味で、フロイス的な合理的発想では光秀の心中は「怨恨」でしか説明できない。
でも、光秀自身の中には、複雑ではあるが結論はシンプル「サルなんか問題外」
そういうのが基本で、回りでいうほど援軍派遣は関係ない、とかそんな合理的な解釈は
してなかったのではないか、という感じで。

このあたりいろいろ論は持っていてごっちゃにまとめて書いたから誤解されると
こっちが悪いけど、シンプルに「信長と秀吉は旧知の仲で理解しあえてた、光秀はちと
異質な存在」こういうように基本的に思ってる。
愛宕百韻を重要視したい、というのも、信長や秀吉の肉声はあーいう形では残っていないでしょう。
後でなら会話なんか編集できるけど、百韻なんて、まさにポロッともれた本音かもしれない。
あれ、世界史上にすら稀な記録だと思ってるのだけどな。
トンデモ説ですまされてはかなわなくて。

ごめん、話がそれた。
天下に面目をほどこした光秀は、援軍派遣すら、「なんで?」と思ってたかもしれない、
ぐらいの根拠としか言えないのかな。
324人間七七四年:2008/08/26(火) 04:35:08 ID:/dRJKsz9
>秀吉が信長や光秀の周囲に忍びを放っていて、
それで謀反の兆候をかぎつけたのなら、信長にチクってると思う。


なんかおかしいな、あやしいな、程度なら注意は払っても信長にチクることはしないでしょ。
讒言になるから。
325人間七七四年:2008/08/26(火) 05:17:33 ID:/25t4LBF
信長がこんな迂闊なことをするだろうか
326人間七七四年:2008/08/26(火) 05:55:30 ID:/dRJKsz9
>信長がこんな迂闊なことをするだろうか


信長がなぜ少人数で上洛したかというと、朝廷の「三つのポストのうち好きなのを選べ」
に回答するためでしょ。

朝廷の儀式に参列するためにボディーガードなしで宮中に入って
殺された蘇我入鹿と同じパターンで、これは朝廷関係者がシナリオを
書いたのかなあとも思う。

で、当時の朝廷で岩倉具視レベルの有能な人物といえば
正親町天皇本人くらいしかいないんだよね。


327人間七七四年:2008/08/26(火) 06:21:33 ID:n4OPU6Rw
近衛も充分力量あるぜ
328人間七七四年:2008/08/26(火) 10:27:07 ID:E5ThCWfx
>>326
>これは朝廷関係者がシナリオを書いたのかなあとも思う。
論が粗いな。
@三職推任:4月25日
A四国国割:5月07日
B中国派兵:5月17日
で、朝廷はどこまでシナリオを描いたんだ?
Bの命令で光秀が公然と軍事行動できるようになったが、これは信長の命令によるもの。
仮に、Aの命令が光秀に下されないことを朝廷が知っていたとしても、Bの命令がなきゃ光秀は家康接待後に在庄
(休暇)していたかも知れず、光秀は隠密に軍事行動するかヒットマンを送り込むしか方法がなくなる。
確かに、被害者がまる裸で上洛すれば殺害は容易になるが、加害者もまる裸では殺害は困難になる。
上記の論は後者の検討がまるでなっていないので、論外。
329人間七七四年:2008/08/26(火) 14:19:33 ID:kdcoimWw
>>328
326を説明してくれた様なんだけど、良く分からない〜。

そもそも朝廷関係者(正親町帝含む)がシナリオを作る事など出来ないけどね。
330人間七七四年:2008/08/26(火) 16:15:02 ID:hc7pX1n5
天皇が関与したなんて状況からまったく考えられないのはわかるからスルーしてくれ
331人間七七四年:2008/08/26(火) 16:55:40 ID:5rUydZBO
>>328
別に陰謀論に賛成するわけではないが、あえて確認のために聞いていい?
もし朝廷側がなんらかの企みをもったのなら、3で光秀の軍勢が京周辺に集結できたのを
見計らってのことだろうね。

鈴木説みたいなのでは、信長が少数で京に入ることなんか事前に予測はできないはず
というのがあるけど、もし信長が大軍で京に来てたならその時は実行しなければいいだけだからね。
ほんで、茶器等でおよびよせた、というのもよく聞くけど、これは「うまく行けば急いで少数で京に
入るかもしれない」というラッキに賭けた誘いだったかもしれない。
来なかったり、大軍だったら、変を起こさなければいいわけだし。

で、「いつ朝廷と光秀が相談したのか?チクられたらおしまい」というのには
ここでたまに出るけど「利害の一致」みたいな感じでクリアできそうな気もする。

つまり陰謀説が正しいかどうかは別として、鈴木本のような反論にもちょっと疑問の余地は
あると思うんだ。

朝廷関与説で一番弱いのが、誠仁親王がすぐそばにいてとばっちり受ける危険があった、ってことかな。
これが当日、どっか外泊してたりしたらいやらしいのだけどね。
ほんで、変の後に光秀が「天皇のために起こした」みたいな言い方をしてないことも弱点か。

ただこのあたりもクリアできそうな論はあると思うんだけど、「陰謀論者」みたいに思われて
荒れるのがイヤなんだよね。
あくまで「陰謀論はなかった」という証明のために、おかしな反論は排除、論理的に陰謀論は
厳しいというようにもって行きたいのだけど。
332人間七七四年:2008/08/27(水) 11:11:57 ID:49cy26JW
陰謀説は話としては最も面白いが、秀吉のそれは結果論へのこじ付け感が強く、
具体的な根拠が乏しい。
333人間七七四年:2008/08/27(水) 13:30:53 ID:v/PzImXf
ハイ、ネタ切れにて終了。
334人間七七四年:2008/08/27(水) 13:35:44 ID:WxjRIwdj
アベなんか、やたらイスパニアとか言い出してるけど、
光秀が聞いたら怒りそうだもんな。
335人間七七四年:2008/08/27(水) 14:42:15 ID:COH0tO+a
安倍=300日天下
336人間七七四年:2008/08/27(水) 15:22:59 ID:OFu4LR8P
>>332
以前、秀吉・近衛・イエスズ・義昭の4人が黒幕の小説を読んだことがあるが、黒幕が多すぎて
話もつまんないし、なにより主役の光秀の影が薄くてワロタ。

>>318
「多聞院日記」は特にその傾向が強いな。ただ、噂は「雑説だが」と断り書きを入れる点と、
のちに誤りだと判明すると「ウソ」って訂正する点が良心的。
337人間七七四年:2008/08/27(水) 15:44:44 ID:WxjRIwdj
「多聞院ー」は日記と言っても個人の覚書と言うよりは
寺内資料と言うか、人に見せるのを想定して記録してある意味合いが強いような。
あんまり過激な内容も無いしね。
338人間七七四年:2008/08/27(水) 15:52:29 ID:iRDo+tAK
>>336
>「多聞院日記」は特にその傾向が強いな。ただ、噂は「雑説だが」と断り書きを入れる点と、
>のちに誤りだと判明すると「ウソ」って訂正する点が良心的。
それは鷺森日記の事では・・・
339人間七七四年:2008/08/27(水) 17:07:54 ID:09CgbFKz
>>338
>それは鷺森日記の事では・・・
いや、多聞院日記の翻刻版で確認したから間違いない。
変の後に限定すると、噂話として藤田の切腹、順慶の切腹、近衛の切腹の記事がある。
また、七兵衛共謀の記事の横に「コレハウソ」、井戸若狭生害の記事も「一向ウソ也」、
藤田切腹の記事も「ソレモウソ也」、逆に七兵衛生害の記事は当初雑説とあるものちに
「必定」と訂正してある。

ただ、この日記には光秀の謀反の原因は噂レベルでも記述されてないね。
340人間七七四年:2008/08/27(水) 17:52:35 ID:iRDo+tAK
>>339
すいません、こちらの完全な勘違いでした
341人間七七四年:2008/08/27(水) 18:25:51 ID:WxjRIwdj
以前は黒幕説も簡単だったんだが、今は、複合説、だからね。
いろいろ楽しませてもらえるなー。
342人間七七四年:2008/08/27(水) 20:36:47 ID:wqdH0ype
まぁ黒幕云々は、事件やら事があれば、必ず取り沙汰される事。
米国で言うところの、政府関与みたいな物。

つまり、妄想の類だね。
343サイコメトリー:2008/08/28(木) 09:28:03 ID:lxPkXRlK
>>342さん
妄想と言い捨ててしまえば、過去の歴史そのものがほぼ妄想(想像)な分けで、
歴史学を踏まえ、1級資料や文献のみを論じても、その先には研究者達の研究結果(予測)(妄想)(想像)
に行き着くとは思われますので、我々マニアが様々な論を出しても、全く的外れにはならないと思います。
344人間七七四年:2008/08/28(木) 11:15:13 ID:NfmIu1iH
色んな説論の中から、良い部分だけ抜粋すれば良いと思うよ。

いろんな厨が厨論述べるのは面白いしね〜。
345人間七七四年:2008/08/28(木) 11:55:16 ID:fVKmKb7M
これはすごい
346人間七七四年:2008/08/28(木) 12:40:13 ID:y+frBoN4
やはり単純に信長が嫌いだったんだよ、光秀は。
まぁ最初からではないがね。戦国武将だからとか、出世争いとか、いろんな事もあるだろうが、それ以前の問題だと思うよ。
347人間七七四年:2008/08/28(木) 13:40:06 ID:OgHsnPDQ
黒幕云々関係なく、だが。
秀吉が光秀に喧嘩吹っかけていた側面は確かにあると思う。
光秀が丹波から山陰に勢力伸ばす所を、先に但馬征して道塞いだり。
光秀が長宗我部と通じてるのに、その敵方の三好と通じたり。
(信孝が三好の養子になる予定だったが、別に長宗我部でも良かったはず)

秀吉に何らかの予見があった、と言うのはやっぱり結果論かねえ?
348人間七七四年:2008/08/28(木) 13:49:51 ID:dDbPcIO+
>>343
予想と妄想は違うものだし、脳内妄想を根拠に語られたものはやはり的外れなシロモノになるだけかと。

素人でも玄人でも、議論するにはルールとマナーがあります。それを守らない守る必要が無いというのなら、
議論は成立しなくなり、そういった違反者は排除されていくでしょう。そこにプロアマの差なんてありません。

プロだから妄想で語ってもよいとはなりません。逆に、アマだから妄想で語ってもよいともなりません。

他人の意見を無視して自分の妄想だけを語りたいのなら巨大掲示板なんかに書き込まず、自分のブログで
垂れ流していればいい。
349人間七七四年:2008/08/28(木) 14:44:14 ID:NfmIu1iH
2chルールをわざわざ、偉そうに講釈して頂きどうも。
本能寺スレッドなんだから、それに類する事も語ったらどうでしょうかね?

ちなみに俺は畿内限定野望説を支持する。各地に点在する織田家主力武将
と信長の状況を判断しての突発的行動。先の事はあまり考えてない様に思える。短絡的に言ってしまえば、『信長さえ殺しゃ後は何とかなんべ』ってな感じ。
350人間七七四年:2008/08/28(木) 15:29:53 ID:tj2sTYqu
>>349
なんと単純な考えw
そんな単純脳の奴がよく織田家家臣団の筆頭クラスになれたなwww





単純脳に歴史を語る価値はない。
351人間七七四年:2008/08/28(木) 16:38:11 ID:WJL01tG0
>>349
ぶっちゃけ、それに近いモノだと思う。
官位から予見される九州遠征。
視力低下による軍務への不安。
それによる信長の評価への恐怖。
幼い後継者。
切迫した四国遠征。

そんなところに無防備な信長。
軍を動かせる大義名分を持つ自分。
各地に分散した織田軍団。
義昭を通じた諸大名との連携。

変後の行動は着実なんだけど、
与力衆の離反を見るように
事前準備のない見切り発車だったと思う。
352人間七七四年:2008/08/28(木) 17:06:18 ID:fVKmKb7M
事前の根回しがほとんど無かった点をもって、
突発的な謀反と見るか、逆に相当慎重に行動した結果と見るかで変わるだろう
353人間七七四年:2008/08/28(木) 17:28:32 ID:dN3ZDmAy
>>352
フロイスの「日本史」では、光秀が秘密保持を重視したと評価しとるね。
彼の光秀評と合わせて考えると、後者の見解と採っているみたいやな。
354人間七七四年:2008/08/28(木) 17:56:05 ID:q7xOZ4Fq
>>351 おお、ナイス文章。見事にまとめたね。
355サイコメトリー:2008/08/28(木) 21:04:06 ID:lxPkXRlK
>>354に同意。

>>351の内容は本能寺の変のすべての要素を兼ね備えていて、まさに簡潔明瞭。
356人間七七四年:2008/08/29(金) 00:14:51 ID:XW9VktQ4
>>349
居城に拠って反旗翻した上で、合戦なりで信長殺すなら
展望も開けるが、家臣の癖に君主を急襲して殺害じゃあな。
敵討ちは山ほど来るうえ、与力してくれる大名なんて
これじゃ見込めないだろうに。
357人間七七四年:2008/08/29(金) 01:30:01 ID:TT0Cj552
ちょうど本能寺の変の本読んでたから、おもしろい。良スレ
358人間七七四年:2008/08/29(金) 05:59:20 ID:uBwdzCkq
352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/28(木) 17:06:18 ID:fVKmKb7M
事前の根回しがほとんど無かった点をもって、
突発的な謀反と見るか、逆に相当慎重に行動した結果と見るかで変わるだろう



そこだよな。
信長だけならともかく信忠も同時にポアするチャンスはめったにないから
それに飛びついた突発的な謀反だったのかもしれない。
359人間七七四年:2008/08/29(金) 06:02:39 ID:uBwdzCkq
>相当慎重に行動した結果


結果的に信忠も殺せたが、京都を封鎖していなかったから
信忠が一目散に安全地帯まで避難する可能性もあったんだよな。

坂本とか長浜あたりまでいけば、味方いただろうし。

だから相当慎重に行動した結果とは考えにくい。
360人間七七四年:2008/08/29(金) 12:03:13 ID:qXNkY3I2
光秀はもしかして精神的な病か、脳の病にでも
罹っていたのかも。
という可能性はどうだろう?
361人間七七四年:2008/08/29(金) 12:28:35 ID:rFKr46WX
>>360
ノイローゼ説か。
おれも複合説ベースにその説を支持しているけど、如何せん根拠がだせない。

>>359
結果論だが、光秀の謀反は大軍率いた大掛かりなものであるにも拘わらず、信長の想定外で
(だからこそ信長無防備杉とかいう意見もある)、なぜ想定外かというと慎重に行動したから
じゃないか?
彼の謀反が何を最終目標にしていたかは別の問題だが、信長殺害自体が目標であれば、それは
見事に達成されている。
おれは>>141の通り、根回しがなかったのは「根回ししなかった」ではなく「できなかった」と
考えている。
前スレでも話題になったが、謀反が失敗して「信長を取り逃がす」のと「信忠を取り逃がす」のは
失敗の意味が大きく違う。
>>356の意見については仇討ちしたのは秀吉だけで、あとの勢力は信長死亡の大混乱でてんやわんやの
状態になっている。
そりゃいずれは仇討ちされただろうけど、その間に光秀政権だって畿内を固めていたかも知れん。
となれば、光秀の軍事力の前に与力する大名もでるだろうよ。
362人間七七四年:2008/08/29(金) 15:45:14 ID:NyKvyZ/D
お、まとまってきてるな。

光秀は信忠が京にいたことを知らなかった説が有力だけどね。
ほんで、ノイローゼ説とか心の病説ってのは、ちょっとテレビ的でどうかな。
人間の生き様なんだから何かしらのそういう部分はあったろう。
ただ、そこに根拠を持っていくのがね、どうせならその、ノイローゼの元となる
悩み、までこのスレでは踏み込んでるのだから、病で片付けるのはちょっと
どうかなってね。

347が言う、秀吉の予見、これ、自分が前から言い続けてることなんだけど、
案外重要と思う。あのクラスの人物なら、回りを見てありとあらゆる可能性を
考えてたに違いない。十分に想定してたのではないかな。

10月から名古屋の中日文化センターで桐野の講座がはじまる。
こういうとこではオフレコで質疑応答があるからおもしろそうで。
誰か、行く人いないかな〜。
363人間七七四年:2008/08/29(金) 17:27:34 ID:y+ErXrDZ
足利義教将軍も信長タイプだったが部下にあっさりやられているな。

独裁者タイプは敵に強いが、造反に弱いのかも。
364人間七七四年:2008/08/29(金) 17:47:56 ID:JDAqtgEu
謀反を起こしてから朝廷の勅使派遣が決定するまでわずか4日間。

朝廷を金銭的援助して復興させた織田政権を謀反を以って否定し、
更には御所に兵を差し向ける賊軍とも言える行動を取った明智を
圧力をかけられたわけでもないのに肯定して、その正統性を認めてる。

織田政権に領地回復してもらって恩顧の念を持ってる公家だっているだろう。
根回しなしでここまで明知側に朝廷内の論調が傾くってのはありえないでしょ。
365人間七七四年:2008/08/29(金) 17:50:36 ID:LZQYPXp2
「四日もかかった」と、見るべき。
366人間七七四年:2008/08/29(金) 18:40:39 ID:Ch1B1tQc
>>364
朝廷は、節操がないくらいに、強者にすぐなびく、というのが伝統。
367人間七七四年:2008/08/29(金) 18:42:50 ID:/6amqEoA
勝った方につくのが朝廷。
もし根回ししているなら即日もある。
368人間七七四年:2008/08/29(金) 19:01:11 ID:pqHVUrIZ
根回しがあったんなら、即日かせいぜい翌日だよな
369人間七七四年:2008/08/29(金) 19:14:35 ID:LZQYPXp2
根回ししてあれば、鳥羽伏見の時みたいに、勝った瞬間錦の御旗だよ。
370人間七七四年:2008/08/29(金) 19:35:15 ID:NyKvyZ/D
>>364
前にそれも論じたことあったけど、勅使と言っても、女房衆みたいな
朝廷側の人間を使ってないし、364の言うようにとりあえず、あいさつはしておく、
そうすれば、後に何かあっても朝廷側は責任逃れできる、とこんなとこだったろう。
正当性を認めるというのも、京の治安を守ってくれ、という名分があったからね、
そのために仮に認めた、みたいな言い訳は出来るだろうから。

このあたりは朝廷との関係は少しぎこちないくらいで、これが朝廷関与説否定の根拠にも
なってる。

根回し、にあまりこだわるのもなんだけど、変の数日後に京に戻った時、まずジョーハの屋敷に行って
そこで百韻に参加した弟子たちと会食してる。
あの忙しい時にね。
だから、根回しと言うのなら、やっぱりジョーハたちは想定してたろうし、そっから先の
話は小説だから、とりあえずパスしておくけど。

371人間七七四年:2008/08/29(金) 20:43:15 ID:6Ke5MD1V
文化人たちとはある程度通じていたくらいは言えるのかな?
黒幕とか共謀とかのレベルには到底及ばないけど。
372人間七七四年:2008/08/29(金) 21:21:51 ID:Ch1B1tQc
流れをぶった切ってスマンが、「新・歴史群像シリーズ(12) 徳川家康」から
家康から見た本能寺の変、について、要点を抜き出してみた。

家康は、信長から駿河・遠江を拝領したので、御礼のために、穴山梅雪を伴って安土城の信長を訪問した。
光秀が接待する。この後、光秀には中国出陣が命じられる。

家康と梅雪は、京都に上洛し、清水寺で能を見物した。
信忠が兵を率いて同行した。

家康は、今度は大阪の堺に下った。遊覧であり、茶人との交流のため。
信忠も堺に来るつもりだったが、信長が中国出陣したため、京都に戻った。

信長が京都に上洛したため、家康も上洛して京都で出迎えようとして、
「火急に上洛の儀候…、ふたふたと(意味:ばたばたと)上洛由候なり」と
よほどあわただしくしていたらしい。

家康は、堺を発つ。本能寺の変があった日の朝のこと。梅雪は遅れてしまう。
上洛の途中で、本能寺の変を知る。
以下は伊賀越え。
373人間七七四年:2008/08/29(金) 21:34:07 ID:NyKvyZ/D
>>372
秀吉スレの子でしょ。
こっちではやめたほうがいいよ。
374人間七七四年:2008/08/29(金) 21:48:31 ID:iuaDpBsC
>>372
頑張ってそのレベルかよ
リア厨はさっさと夏休みの絵日記描いて寝ろ
375人間七七四年:2008/08/29(金) 23:10:03 ID:/6amqEoA
なんかレベルが下がってきたな(笑)
376人間七七四年:2008/08/29(金) 23:13:55 ID:JDAqtgEu
>>370
誠仁親王が禁裏で直接吉田兼見に対面して御使として下向するように命じて、手土産までもたせてる。
正親町親王に代わって誠仁親王が執務を勤めることが多かったこの頃、このような待遇は朝廷側は最高級の誠意を示してる。
しかも信孝等に同様のコンタクトを取ったならまだしも、一切関わったような形跡がない。

吉田は以前にも正親町天皇や誠仁親王の勅使も務めたことがあるし、
誠仁親王や近衛の協力で従三位に上階されてる。
どうみても朝廷側の人間として扱われてるんだけど。
377人間七七四年:2008/08/29(金) 23:37:36 ID:NyKvyZ/D
>>376
そうなんだけど、以前の話のときは、朝廷側に最大に近いが
本職は別に持ってる、とかそういうのが重視されて、朝廷のいやらしいとこというか
さすがというか、そういう評価だった。

それと、私見だが確か吉田と光秀はかなり親しかったはずで、このあたりにも
朝廷側の気配りと言うか、朝廷の使者ではあるが私的なつきあいも重視した、とかね。

このあたり、朝廷側としては「よくわからんので失礼のないようにうまく
話を聞いてきてほしい」みたいな思惑も感じる。
つまり次の望みはなに?将軍?みたいなね。
そして京の治安は保障してくれるのか、そういうのもあって、最大限の気配りをしたというか。
378人間七七四年:2008/08/30(土) 10:52:45 ID:50L/B4OU
正親町やら皇家も兼見やら中継者も、少なからずは光秀とのコンタクトはあったでしょうが、変へ動く要因とはなっていないと思われる。

以前にも誰かが書いていたが、お互いの利害関係を踏まえた相互利用しようとしてたに過ぎない。
379人間七七四年:2008/08/30(土) 11:02:53 ID:duJBMxhW
>>377
>それと、私見だが確か吉田と光秀はかなり親しかったはずで、このあたりにも
>朝廷側の気配りと言うか、朝廷の使者ではあるが私的なつきあいも重視した、とかね。
「兼見卿記」を読めば分かるが、吉田と親しい武家は光秀・村井・小笠原貞慶の3名。
光秀とは坂本城にちょくちょく遊びに行ったり、光秀が吉田家の風呂に入りに来たりしているが、
風呂に2回も入っているのは光秀だけ。
また、京都馬揃えでの光秀の吉田に対する心づかいは実に細やかである。
一方で、村井とはよく将棋を指している記事がある。
吉田は光秀・村井に社領の紛争の便宜を依頼いる記事も散見されるから、このつきあいに打算の
要素があるのは否定できないが、この3名は格別に親しいとみていいね。
しかも、吉田は神官だから実際の身分は位階よりは身軽だといえると思う。

>つまり次の望みはなに?将軍?みたいなね。
俗書にしかない記事を根拠にするのは飛躍があるんじゃないの?
前スレでも「京頭之儀堅く申しつけ」の意味が話題になったけど、この名目は一枚岩でない
朝廷で、親信長の廷臣も反対しづらい無難な名目って見解に賛成やね。
380人間七七四年:2008/08/30(土) 16:36:03 ID:mYWk2Pkg
>>379
んだね。
377で書ききれなかったが、吉田に直接対面したのが親王、であって天皇では
ないことに注目してた人もいた。
このあたり、解釈は確かに多義に渡るだろうけど、伝奏や女官ではなく吉田というところに
朝廷側の微妙な動揺と配慮を感じ取る、というぐらいでいいんじゃないのかな。

「存分に語った」ってぐらいだから、将軍というのはともかく、朝廷側が根回しのお礼、というよりは
何らかの今後への対策で光秀の内心を知りたがった、というようなね。
そしてその内容が一切書かれてないのも、逆にこれまた微妙なところで。

せっかくだから話を進めると、よく変で一番得をしたのは秀吉、なんていって黒幕説にも
使われたりするけど、実は一番、得というのがなんなら、ホッとした、というのは天皇側だと
思うのだよね。
2日に変、吉田は7日だったかな、このあたりもいいところで、1〜2日だと早いしあまり遅いと
逆に後に困るかもしれないし。

自分はずっと、「利害の一致」を言ってるのだけど、以前はなかなかそこまで話が進まなかったので
つまり、「朝廷信長友好説」とか「鈴木本的な、光秀が勤皇であることを証明しろ」みたいなね、
朝廷黒幕説とは別に、信長ー朝廷緊張状態、みたいな感じで直前の状況を述べられるようになったのは
少しうれしく思う。

381人間七七四年:2008/08/30(土) 19:49:36 ID:LpBNJj6n
>>380
ではその話をしてみましょうか?
信長が具体的にどう天皇を圧迫して不利益な存在になっていたのかをまず説明してください。

以前の議論では、その説明がないかもしくは歴史的に言っておかしい主張ばかりだったから
否定されていたのだが、今ならちゃんと論じられるんですよねそんなこと言うからには?
382人間七七四年:2008/08/30(土) 21:28:34 ID:0dumCl4C
>>378
前スレにも話題に上がってる話だけど、
百韻では恨みの句と同時に死地にいざなう存在がいた事を示唆してる。

泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ 心前
深く尋ぬる山ほととぎす 光秀

連歌は多岐的な解釈が出来るのは確かだが、
光秀自身が直接残したものを無視してしまったらそれはその人の考えでしかないわけだからね。
383人間七七四年:2008/08/30(土) 23:30:08 ID:50L/B4OU
韻を読み下すのは、面白いし、光秀のそれも、変直前の資料として、重要なのは理解できる。

しかし前者が述べている様に多岐解釈にならざるえない以上、参考程度だね。重要視したい所だけど、正直な所、光秀自身の気持ちの落ち着け場であるのと同時に、周囲へ余裕の様を見せて、事を起こす片鱗を隠す場に利用した様に思う。
384人間七七四年:2008/08/31(日) 02:37:34 ID:Ot4Xantw
普通に
信長はタブーに触れまくって消されたって感じだがなw
385人間七七四年:2008/08/31(日) 04:28:20 ID:m7VJR4Kk
ここでいきなりだが、検証求む。ドラマや小説でお馴染みの様に、信長は人間50年…を唄いながら死んでいったのか否か?複数の回答よろしくお願いします。
386人間七七四年:2008/08/31(日) 05:27:29 ID:irur/sZ8
そういう時間的余裕はなかったでしょ。
387人間七七四年:2008/08/31(日) 11:11:21 ID:AkpVdDD0
秀吉も家康も、暗殺されて死んだら「タブーにふれまくって」とか、無駄な深読みされるのだろうな。
388人間七七四年:2008/08/31(日) 11:25:48 ID:lZBjpEnD
>>383
>光秀自身の気持ちの落ち着け場であるのと同時に、周囲へ余裕の様を見せて、事を起こす片鱗を隠す場
落ち着くどころか、高揚した気分が読み取れる風情の吹き飛んだ詩が後半に詠まれてるよ。
光秀がくだらないブラフに精を出す小心者ならば謀反など起すことも無かっただろう。
織田家筆頭の家臣にまで出世していくことも難しいと思うけど。
露見を恐れるならばむしろこんな事しない方が理知的かと。

変直前に謀反の連歌を巻くという状況は、参加者達の結束を強める目的で詠んだと考えるのが合理的。
この時代、起請文や連判状を書く慣例がある事はご存知かとは思うけど、
そのまま神社に奉納したという事は愛宕百韻は彼等らしい数寄を凝らした起請文なんでしょう。
389人間七七四年:2008/08/31(日) 14:45:01 ID:W/bve66n
吉田が正親町天皇ではなく誠仁親王と会ってた云々ってあったので一言

当時、朝廷の政務は正親町天皇ではなく誠仁親王が取り仕切っていた
多門院日記などの史料でも誠仁親王を今上帝と言ってるしね

禁裏を上御所、二条御所を下御所として、二条御所で官位や行事などの取り決めを行っていたので、
それを踏まえると吉田の立場がよく分かるのでは?
390人間七七四年:2008/08/31(日) 15:30:03 ID:WELuLW6e
誠仁親王は不審死を遂げているんだよね。気になるな。

391人間七七四年:2008/08/31(日) 15:56:11 ID:cDTiHoY4
>>390
病死は不審死か?
すると俺の爺さん婆さんは暗殺されたのか。
392人間七七四年:2008/08/31(日) 17:53:00 ID:NDE6i/Gj
正親町天皇は強引に反織田だった事にしても誠仁親王の親信長振りを
反織田と解釈するのは無理があるとおも
393人間七七四年:2008/08/31(日) 22:15:30 ID:jQaMpsWE
>>388
タイムスケジュールからいって、まったく不合理ですね
394人間七七四年:2008/09/01(月) 04:31:20 ID:OmWR+oFO
誰だって最後は朝廷のお墨付きありきだったわけだからな
光秀が自分の正当化のために朝廷を利用した(したかった)のはわかるが、
だからといって朝廷黒幕は無理がありすぎると思う

まだ秀吉黒幕とか義昭黒幕のほうが理解できる
395サイコメトリー:2008/09/01(月) 10:43:54 ID:DZUgxHGR
>>385
たぶん、敦盛は舞わなかったと思うよ。余裕なくて。
でも、『是非もなし』とは言った気がする。何の根拠もないが・・・。
そのセリフは自分にとっては重要で、自分的に信長が好きな要因のひとつ。
私的見解スマン。
396人間七七四年:2008/09/01(月) 11:55:51 ID:vvtROov1
天才信長の言葉が余りにも短いので
光秀が理解できなかった。

『お前は織田家には無くてはならない存在だ。これからも期待してるよ。』
なんていえない信長。

悲観的にとり易い光秀。

誤解が生んだ悲しい変です。  信忠だけでも生かして欲しかった。
397人間七七四年:2008/09/01(月) 13:22:41 ID:VhzdzqL7
>>396
いつの時代も織田厨は織田厨か…
398人間七七四年:2008/09/01(月) 13:25:18 ID:OqZOmtq7
>>396
そんなコミニュケーション障害者が天下人になれるかよ。
399人間七七四年:2008/09/01(月) 13:50:15 ID:Q+sx6mhl
人を誉める上手さは秀吉家康よりも信長のが数段上なのは
間違いない
400人間七七四年:2008/09/01(月) 14:08:53 ID:VhzdzqL7
>>399
だんとつで豊臣秀吉だろ。
401人間七七四年:2008/09/01(月) 14:19:16 ID:ridcVTZ3
誉め方が違うんじゃね?
信長みたいに普段おっかない人が褒めてくれると確かに嬉しいし、
秀吉みたいにこっぱずかしくなるぐらいベタ誉めされるのも悪くはないが
402人間七七四年:2008/09/01(月) 19:55:07 ID:hryOdGpJ
秀吉の褒め方はなんというか、持ち上げるって感じなんだよな。
403人間七七四年:2008/09/01(月) 19:56:20 ID:OqZOmtq7
秀吉の褒め方は品が無い。
404人間七七四年:2008/09/01(月) 20:35:51 ID:xSqYkqg3
>>386>>395 答えてくれてありがとうございます。 「是非におよばず」は信長公記での信長の最後のセリフ。ただドラマみたいに敦盛を舞ってからぐふっと切腹したらロマンチックだなあと…やっぱ時間的に無理か
405人間七七四年:2008/09/01(月) 20:39:03 ID:OqZOmtq7
田舎のほうのちょっと広めの一戸建てくらいの規模の宿舎を、万の軍勢で囲まれて、あっという間に焼き殺されたらしいね>信長
406人間七七四年:2008/09/01(月) 20:45:04 ID:hp63BWW5
>>405
それは、誤解だぞ。
本能寺の変が起きた当時、本能寺は広大な敷地を持っていた。
完全に取り囲もうと考えたら、数百の軍勢ではとても足りない。
そして、明智軍は、亀山城からの行軍を1列縦隊で行うしかなく、一万の軍勢が勢ぞろいするまで待っていたら、2時間以上は最低でもかかる状況だった。
だからこそ、いろいろ陰謀説が絶えないわけでもあるが。
407人間七七四年:2008/09/01(月) 20:46:02 ID:OqZOmtq7
>>406
いや信長のいた宿舎のこと。
408人間七七四年:2008/09/01(月) 22:08:04 ID:Q+sx6mhl
宿舎は囲んでいない
と、本城のおじさんが言ってた
409人間七七四年:2008/09/02(火) 23:22:17 ID:8bsmLU7j
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
410人間七七四年:2008/09/02(火) 23:24:31 ID:8bsmLU7j
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
411人間七七四年:2008/09/02(火) 23:44:59 ID:8bsmLU7j
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
412人間七七四年:2008/09/02(火) 23:50:13 ID:8bsmLU7j
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
413人間七七四年:2008/09/03(水) 00:01:04 ID:pk6sKTVW
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
414人間七七四年:2008/09/03(水) 00:09:16 ID:y7KBjcLY
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
415人間七七四年:2008/09/03(水) 00:35:01 ID:y7KBjcLY
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
416人間七七四年:2008/09/03(水) 10:38:43 ID:XZaWROpy
なんですかこれは↑

信長が怒ってるの?

何故かみなさん深読みしすぎのような・・・
戦国時代も現代社会も宮仕えの辛さは同じ。
ある日突然プツッと音を立てて光秀の神経が切れてしまったんですよ。
連歌の解釈も文面通りでいいのです。
信長に仕える厳しさ辛さを横で見ていた家臣も光秀の気持ちはようく分かる。
あえて諫言などせず光秀と最後までと思ったのでしょう。

だから後の事なんて深く考えてなかった。
細川や筒井は味方してくれるかなぁ? 朝廷も今までの付き合いもあるし
信長より自分の方が良いと思ってくれそうだし・・・

それぐらいの事しか考えてなかった。

それ以上冷静に考えてたらこんな事は起こさなかった。
主人も家臣も疲れてたんでしょう。
417サイコメトリー:2008/09/03(水) 11:49:43 ID:7ikMuWw5
なんか誰かに、いたずらされてるな〜。

>>416
そうですね。そういう考え方もありますね。ただ信長はあの当時、疲れていた
かも知れないけど、それ以上に野心満々だったと思うな〜。彼からすれば青天の霹靂そのもの。
418人間七七四年:2008/09/03(水) 13:14:48 ID:69uG47sc
416です。

言葉足らずだったかな?
「主人も家臣も疲れてたんでしょう」は
光秀主従のことです。暴走しようとする光秀を止めるより
いっそ一緒に地獄までの気持ちだったのでは?

信長はこれからが天下取りの本番って思ってたと思いますよ。
だって都は押さえていても四国も九州も中国も・・・まだまだ
天下取ったって思えないもの。
419人間七七四年:2008/09/03(水) 16:25:33 ID:20mZA3Iu
でも毛利か上杉を屈服させたら
あとは自動的に天下を平定できたでしょう。
420人間七七四年:2008/09/03(水) 16:27:22 ID:ih8VIv8T
関係ないがこの時代の感覚では、「天下」とは畿内周辺の事、それ以外は「国家」と呼ばれて
明確に区別されていたようだ。
421人間七七四年:2008/09/03(水) 20:05:32 ID:bvD8TKUt
>>419
上杉景勝は本能寺がせめてあと五日でも早ければって思ったでしょうね。
魚津城陥落の1日前だったかな本能寺の変。
歴史の面白さ残酷さ感じる。
まぁそれでも越後には攻めこんでこられなかったからホッとしてるよね。
422人間七七四年:2008/09/03(水) 21:04:32 ID:BbE22IlG
>>420
じゃあ、天下布武って畿内が目的だったの?
423人間七七四年:2008/09/03(水) 21:41:09 ID:ih8VIv8T
>>422
そうだよ。
424人間七七四年:2008/09/03(水) 23:35:46 ID:PuTY0ExM
【レス抽出】
対象スレ: ■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■
キーワード: 秀吉黒幕説

抽出レス数:4

絶望した
425人間七七四年:2008/09/03(水) 23:41:38 ID:ih8VIv8T
つーか、天下布武の「天下」が、日本全国のことだったら、その印を押した書状出した日本全国の大名に全部、
喧嘩を売ってる事になる。「お前をそのうち武力制圧しますよ」って。

「天下布武」とは、あくまで、「京都およびその周辺を(将軍のために)武力平定します」って、意味。
426人間七七四年:2008/09/04(木) 00:17:37 ID:tIQfj/dQ
天下布武の印を使い始めた時期と使わなくなった時期を考えよう
427人間七七四年:2008/09/04(木) 13:29:10 ID:1ROS0tdO
勉強になった。d
そういう概念があるなら、光秀も天下=畿内狙いだったのかな。
将来を危惧しての自己防衛。
野心よりも、自分(一族郎党)を守りたかったと言う方が理解しやすい。
428サイコメトリー:2008/09/04(木) 18:54:47 ID:mo/E3IV5
>>427
光秀の畿内制覇狙いは、ほぼ間違いない様に思います。
まぁ筒井・細川関連が自軍に加担してくれるという過信もほぼ間違いない。
光秀は好きだが、筒井・細川が中立を示した事が光秀の最大の誤算で有り、
敗戦への決定的な流れにつながった事もほぼ間違いない様に思う。
429人間七七四年:2008/09/04(木) 18:59:21 ID:w6WlTupG
初めてこのスレに来たものですが、皆さんは信長が本能寺で死んだと思いますか?
実は私は大変なことを知ってしまったのです。
430人間七七四年:2008/09/04(木) 19:07:08 ID:N3vxy2db
>>429
ふむ…どこかのスレでみたIDだな、
はて…どこだったかのう(-.-)
431サイコメトリー:2008/09/04(木) 19:31:07 ID:mo/E3IV5
>>429
是非とも、続きをどうぞお願いします。
432人間七七四年:2008/09/04(木) 19:40:38 ID:VolBfdjo
>>425
勉強になりました
ありがとうございます!
433人間七七四年:2008/09/04(木) 21:20:56 ID:1ROS0tdO
>>428
光秀は娘婿の信澄についてはどう動くと思ってたんだろうか?
信澄も本能寺の変を聞いてどう思ったんだろうか?

信孝たちの招集に応えてるから、反光秀に回ってたのかな?
434人間七七四年:2008/09/04(木) 21:28:03 ID:w6WlTupG
今我々が知っている歴史というものは過去の文献や資料に基づいたものであります。
その文献の内容が間違っていたり、あらたな資料が発見された場合、歴史は書き換えられます。
数年前にも「ユダの福音書」が公開・出版されましたよね。
そこで、信長が本能寺を逃れたという説をお持ちの方はおられますか?
遺体が発見されていないなんて、変だと思いませんか?
435人間七七四年:2008/09/04(木) 22:43:23 ID:VolBfdjo
>>434
火薬で爆破
436人間七七四年:2008/09/05(金) 00:45:40 ID:S+O6Dcun
http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/nobunaga.htm

ここには天下布武は全国を治めると書いてあるぞ
437人間七七四年:2008/09/05(金) 00:47:51 ID:S+O6Dcun
全国どころか世の中を治めると書いてあった

438人間七七四年:2008/09/05(金) 00:53:32 ID:pkMeJIpz
天下布武の「天下」が「日本全国」とか、それよりもっと広い範囲とか言うのなら、
信長が六角や三好三人衆を追い出した時点で、各地への書状などで「天下静謐」を宣言している
理由が解らなくなる。
439人間七七四年:2008/09/05(金) 10:53:06 ID:ur7QjIY3
>>433
同じ娘婿の細川忠興と同じじゃね?
娘婿で光秀に協力的だったのは、井戸治秀と今西春房ぐらいか。

ところで、本によっては「彼は四国軍には編入されておらず、大坂城代として信孝らの
接待しただけ」ってのがあるんだが、信澄は信孝四国軍の副将ってことでいいの?
440サイコメトリー:2008/09/05(金) 22:00:58 ID:4VPsNlDX
>>429さん
本能寺の変に関する件での新事実はないって事で宜しいのでしょうか?

>>439
丹羽の次に続く副将って解釈でよろしかろうと思います。
441人間七七四年:2008/09/05(金) 22:50:01 ID:Wq8sc6ru
本能寺の変に関する件での新事実なら、
焼け跡の炭が発掘で出てきたんだから、
全部掘り返して、信長の骨を探し出せばいいんだよ。

その骨片から、何か調べたいことある?。何もないかもしれないが。
442人間七七四年:2008/09/06(土) 00:37:40 ID:G8Wy0Ej0
いやいや骨片しらべて、死因特定出来たとしても、新しい発見と言えるかな?
ボーンズじゃないんだから、このスレッド。
443429:2008/09/06(土) 01:22:49 ID:c9bCLh5d
434で書いたことから察していただければと思います。
諸般の事情により、これ以上述べることはできません。悪しからず。
444人間七七四年:2008/09/06(土) 01:28:06 ID:y6tdixCV
ショパンの事情によりこれ以上ピアノソナタ第2番「葬送」できません。悪しからず。
445人間七七四年:2008/09/06(土) 01:42:17 ID:TbB88z/0
「天下」が広さ的な概念なのか、影響力的な概念なのか、権威的な概念なのかで随分違うのだが。

>>439
津田信澄は四国に派遣される予定だったのかは、実際よくわかってない。
丹羽長秀も四国に派遣されるはずだったのか?派遣されるならどういう立場だったのかは、実は丸っきりわかってない。
あくまで堺で渡海の為の船を集める奉行が長秀だったのが確認出来るだけで、本能寺の変以降、信孝に付き従っただけ。
副将の根拠は『丹羽家譜』に蜂屋や信澄と同じく、信孝の副将格であったという一文による。
446酔電波onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/06(土) 01:55:25 ID:0g9FCRon
織田信長は嫡子を三男にする必要があった。
ゆえに割れてしまった三郎家・弾正家を己の系統に引き戻さねばならなかった。
信長が妻妾の貴賎を問う人物でないことはお察しの通りだ。
庶長子信正を兄三郎に押し付け、孕んだ卑妾を弟勘十郎に娶わせて乗っ取る。
信秀在命中の三兄弟から察していただけるだろう。
447人間七七四年:2008/09/06(土) 01:59:00 ID:y6tdixCV
>>446
> 信長が妻妾の貴賎を問う人物でないことはお察しの通りだ。

ここが先ず間違い
448酔電波onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/06(土) 02:01:38 ID:0g9FCRon
>>447
信孝で見逃して。わざわざHN変えてやってるんだ。
449人間七七四年:2008/09/06(土) 02:43:44 ID:nm+8rvsl
>津田信澄は四国に派遣される予定だったのかは、実際よくわかってない。


そこなんだよな。

大阪にとどまって、四国遠征軍の兵站などに従事する予定だったのかもしれない。

でも史料ないから永遠の謎になりそうだ。
450人間七七四年:2008/09/06(土) 02:46:20 ID:nm+8rvsl
>本能寺の変に関する件での新事実なら、
焼け跡の炭が発掘で出てきたんだから、
全部掘り返して、信長の骨を探し出せばいいんだよ。
その骨片から、何か調べたいことある?。



切腹した後で火炎に包まれたのか、
それとも火薬を使って松永久秀みたいに爆死したのかが判明するかもしれない。

後者なら、伝承みたいに槍や弓を使って奮戦する時間的な余裕は
なかったということだろう。
451人間七七四年:2008/09/06(土) 07:10:12 ID:NZD5TgPv
>>443
九州に脱出して島津に匿われたんだろ
452人間七七四年:2008/09/06(土) 08:46:52 ID:c9bCLh5d
>>451
良い線いってるけど、九州ではないんですね。
453439:2008/09/06(土) 12:59:45 ID:jY5SCQ4Q
>>445,>>449
指摘d。
「日本史」には「この若者(信澄)は、当時、信長の命令によって、丹羽五郎左衛門と名乗る他の武将と
いっしょに、堺から2里半ほどのところにある大坂城を見張っていた」とあり、「命令」の内容がはっきり
せんから、信澄どころか長秀すら四国軍の副将かどうかはっきりしない書きぶりやな。
一方、「津田家譜」では5月21日に家康が大坂・奈良・堺に遊覧した際に、大坂に来た家康を接待せよと信長
から命令を受けたという記事しかなく、四国軍での役割はここでもはっきりせんわな。

ちなみに、「日本史」では「これにより(=信澄殺害により)、三七殿が勇気と信用を獲得すると、ただちに
河内国のあらゆる有力者たちは彼を訪れ、主君として認めるに至った。」とある。
フロイスの三七贔屓を差し引いても、信澄殺害は信孝にはプラスに作用したみたいやね。
454人間七七四年:2008/09/06(土) 13:22:05 ID:jY5SCQ4Q
なぜ、こんなことにこだわるかというと、光秀の信孝軍に対する脅威の度合いが変化するからなんだわ。
つまり、「四国平定軍」は[主将:信孝、副将:丹羽・蜂屋・信澄]ってのが一般的だと思うが、一次史料で
はこのチーム編成は(少なくとも信澄は)確認できないという答えやね。
とすると、四国軍のメンバー4名は6月2日当時にただ大坂近辺で各自に軍事行動していただけということに
なる。また、信孝本軍は知っての通り牢人を徴募してこさえた雑軍である。
信孝は敵討ちするには地理的にも血統的にももっとも恵まれているのに、格別の軍事行動もなかったのも
しゃーない気がするな。
455人間七七四年:2008/09/06(土) 14:27:09 ID:H2XP3YcC
>堺から2里半ほどのところにある大坂城を見張っていた


大坂城を見張っていた理由はなにかあるんだろうか?
456人間七七四年:2008/09/06(土) 18:06:51 ID:DBTJw63D
>>455
訳し方の問題
大坂城番ってことでしょう
457人間七七四年:2008/09/06(土) 19:23:16 ID:KCjXxel4
大坂城番ってことは、
四国遠征軍には同行せずに
大阪にとどまる予定だった可能性もあるのではないか。
458人間七七四年:2008/09/06(土) 19:36:42 ID:DBTJw63D
それを言ったら北陸遠征軍も全員最前線に行くわけではないのでは?
金森とか
459人間七七四年:2008/09/06(土) 19:59:15 ID:xiZ31TiN
ちょっと話が逸脱して来てるぞ〜。

信澄への事前連絡の類は光秀からは無かった。じゃなきゃ、あぁも、あっさり殺されたりしまい。
その点ひとつ取っても、光秀の突発的的行動はまず間違いない。

信澄だけでも自軍率いて、信孝軍牽制出来てれば、山崎の勝敗も微妙だと思うがどうかな?細川父子は分からんが、筒井軍は動く可能性は有ると思うし、それら動向偉観で畿内緒将の動きも鈍り、秀吉軍の流れを止めた……俺もスレチか、スマン自爆!
460人間七七四年:2008/09/06(土) 20:54:18 ID:KCjXxel4
信澄には軍事的な才能があったらしいと言われているが
史料少ないからなあ…。

無能な男なら逆に放置されて命助かったかもしれないが。
461人間七七四年:2008/09/06(土) 20:58:16 ID:KCjXxel4
>>458

織田の戦略パターンとして、
後方にそれなりの人材を配置・温存しておいて
万一、最前線が大敗してもなんとか立て直せるようにとの配慮があるな。
462人間七七四年:2008/09/06(土) 22:10:35 ID:ytrmkgd3
むしかえして悪いが「天下布武」は武力で日本全国を治めるということだということだよ
畿内をだけを治めようとしていたなら信長のビジョンは小さいビジョンということになるよ

まだ尾張の一大名が「日本全国」を武力で納めるなんて言ったことに信長のすごさがあるんだよ
463人間七七四年:2008/09/06(土) 22:11:47 ID:y6tdixCV
>>462
それを示すソースを提示してから主張してくれ
464にゃんこ:2008/09/06(土) 22:26:06 ID:FYd+ys/g
462>

信長は濃尾平野を統一して、最大級の戦国大名になってから、「天下統一」を
広言しだしたんだよ。
最大政党の党首が、首相を狙うのは、当たり前だよ。
465人間七七四年:2008/09/06(土) 23:56:27 ID:sxeJFz6o
>>459
大義名分のある秀吉軍と、無名の帥の光秀軍
とでは士気が違うとおもう。
466人間七七四年:2008/09/07(日) 02:36:16 ID:V2E+hOP2
>>453
神宮文庫所蔵文書に信孝の率いた陣容がしるされてる。
旧関氏一族の領地や北方一揆勢の諸氏、甲賀、伊賀、雑賀等が書かれてる。

安土衆各はなむけにて、上下人夫・馬まで、8月まで兵糧だし申しとあるので、
江州衆は旗下についたわけではなく物資提供の為の後方支援の為に大阪へ来てると考えられるので、
この資料からは城番との解釈の方が正しいと思われる。
467人間七七四年:2008/09/07(日) 15:50:21 ID:lU593mMy
>>462
確かに本心ではそうだったかもしれないが、対外的には「京の秩序を回復する」と
いうのが史実。
468人間七七四年:2008/09/07(日) 17:33:27 ID:blo7fOuY
>>466
「惟任謀反記」では、四国平定軍のメンバーに丹羽・蜂谷の名前はあるが、
信澄の名前はないね。
一方で、矢部には牢人を帳簿して淡路派兵しろって朱印状(だっけ?)があったな。
469人間七七四年:2008/09/07(日) 20:19:20 ID:zppuRrsE
四国平定軍は淡路経由で四国に上陸する予定だったのだろうか?

それとやっぱり信澄は四国に上陸せず、
大阪で兵站とかやるシフトだったように思う。
470人間七七四年:2008/09/07(日) 20:42:33 ID:f6eStm8b
松平家忠の家忠日記にも、上洛中の酒井忠次からの手紙で、家康が帰国次第西国に出陣
することになったからその準備始めといてくれって支持があった旨が書かれてるらしいね。
四国にいくのか中国にいくのかは判別できないけど。
471人間七七四年:2008/09/08(月) 08:58:18 ID:YDpPtEr4
>>464
あげ足取る分けじゃないが、最大政党の党首は事実上、首相なんじゃないのかな?
+戦国時代の武将と現代の政治家は比較対象にならないと思う。
472人間七七四年:2008/09/09(火) 07:06:20 ID:/VH50bZQ
>>452
んじゃ島津は合ってんのか
473サイコメトリー:2008/09/09(火) 09:09:09 ID:CyahGQbp

少し停滞気味なので、皆さんのご意見をまたお願いします。
このスレでも何度か取り上げられている事なので、重複してしまい申し訳ない
のですが、どうしても皆さん意見を聞いて再考したいと考えてますので、宜しく
お願いします。

変直前もしくは変1年前位に限定した光秀の状況と状態と環境を加味した上で、
ご意見を頂きたいです。

@ 光秀と秀吉の中に出世争いという概念は存在したか?
A 四国政策から光秀が外された事により、光秀は憤慨したか?
B 信長からの領地換えの指示は光秀を憤慨させるものなのか?
474人間七七四年:2008/09/09(火) 10:16:09 ID:WN1eVPD0
@に関してだけど、秀吉ほど意識はしていないと思うよ。光秀の功は戦略行動だけに限定されていないからね。

Aに関しては分からん。

Bに関しては、領地変えをされるのは、光秀に限らず、みんな嫌でしょう。でもそれに従うのも、臣下たるならばしょうがない範疇でしょ。
475人間七七四年:2008/09/10(水) 07:47:32 ID:oycDrvRz
あげ
476人間七七四年:2008/09/11(木) 12:41:10 ID:qoBNGw9m
Aに関しては、光秀が憤慨したかと問われれば、憤慨したと思うよ。
 でもそれが、変の要因になるとは思えないよ。いくら光秀が折衝をしていたとしても、
 斎藤利三がとの姻戚関係があったとしても、それはそれ。

 信長は織田家で絶対的な支配者で、『鶴の一声』でいくらでも状況転換をしてきた。
 光秀のそれも、その他たくさんの状況と変わりがないと思われる。
477人間七七四年:2008/09/11(木) 13:44:47 ID:iP6KR3wH
@存在してたかと言うより信長は家臣を競争させてきた。
 秀吉と光秀に限ったことではない。
A長曽我部から三好に政策が変わってあえて光秀をはずしたのを
 逆恨みしたかもしれない。
B領地換えでもここからあそこじゃなく、ここは出て行け次は
 自分で切り取れだからちょっと厳しかったかも。信長にすれば
 発奮して頑張ると期待したんだろうけど
478人間七七四年:2008/09/11(木) 14:08:43 ID:EoV4bBfG
>>473
@争いかどうかはともかく、光秀に今の自分の地位ポジションが揺らいでいる・ヤバイという認識はあったかもしれない。

A憤慨はしたかもしれないが、それは何故かといえば長宗我部をコントロールできなかった自身の不手際もあるのだから。

Bそもそも丹波召し上げ新領は切り取り次第って今では根拠のない江戸時代の創作と否定されていないか?
 あるいは将来的な転封の示唆はあったかもしれないが、それだけでは憤慨する動悸にはならない。まあ転封先がよっぽどの
 僻地で明らかな左遷が見て取れるというのならともかく。
479人間七七四年:2008/09/11(木) 15:49:00 ID:EtvaLb8j
>>478
あなたの@Aの主張は、承服しかねる。

@ボジションが揺らいでいるとは思えない。戦略先が決まっていないだけじゃない。

A長宗我部をコントロール出来てないとは思えない。その根拠は?
480人間七七四年:2008/09/11(木) 19:07:31 ID:91+NEGIk
この前ぐぐったら日本史板で大真面目に高虎真犯人説を唱えてるキチガイがいた

ねーよwwwwwww
481人間七七四年:2008/09/11(木) 21:04:36 ID:EoV4bBfG
>>479
@の場合。本人に動きがなくとも、下から突き上げで相対的に揺らぐという場合もある。光秀がそうだとは言わないが。

A長宗我部が織田にとって不利益な行動を繰り返し、それを留めることができていないから。
482人間七七四年:2008/09/12(金) 20:32:47 ID:x29ea4KF
>>473
@については無かった。本社の取締役と、子会社の社長を比較するようなものだと思う。
Aについては憤慨というより、失策を咎められ、いずれ失脚すると感じたと思う。佐久間の例等から、重要な地位から外され、失脚するという恐れを覚えた。
Bについては、そんな指示がそもそもあったの。出雲・石見への国替えのことだったら、江戸時代になってから急に言われだしたことで、信長公記等の同時代の資料には無かったと思うが。
483人間七七四年:2008/09/12(金) 20:44:02 ID:QVTSchQB
>>481
@光秀がそうじゃないなら、揺らがないでしょ。

A織田への不利益な動き?それを止められない?
長宗我部元親は織田家へ恭順の意向を示していたものの、安堵されるであろう所領域を少しでも増やそうと蠢動していたにすぎず、明智の把握範疇とは別物と思う。
484人間七七四年:2008/09/12(金) 21:24:46 ID:URvUY3jl
通りすがりの横レスでごめん

>>483
土佐の一条内政が天正8年に死んだのって(元親の毒殺説あり)、中央からしたら結構な事件だったんじゃなかろうか。
朝廷だけじゃなく信長も根回しして、内政を名目上の土佐国主にしてたんじゃなかったっけ?かなり高い官位もつけて(あくまで元親は一条の最有力家臣扱い)
地元の土佐と朝廷に対しての一条サンの権威やネームバリューってすごいもんがあるし(例のバカ殿のご乱行を差し引いても)外交に関してはエラい事しでかしてたんじゃない?元親
中央との関係が冷えだしたのもこの辺からだし…

……と、長々えらそうに書いてみたけど、この話のソースは桐野作人の本だった気がする(どこで見たかもうろ覚え…)
作家の意見真に受けんなとか知ったか乙とか、色々と異論は認める
485人間七七四年:2008/09/12(金) 21:40:31 ID:URvUY3jl
あ、光秀と一条云々の関係書いてねーや
田舎者の暴走止められなかったせいで対四国プロジェクトに大きな狂いが出ましたとか、そんな理由で窓口としての立場が無くなったみたいな感じで
で、代わりに頭に据えれそうな良家を探してみたら三好のジジイがいて、三七も養子入りさせたりとかで光秀お払い箱な流れに

……時系列あってるかな?今手元に何も資料ないんで分からんけど
486奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/12(金) 23:23:15 ID:1ECFvMhz
陪臣扱いは納得できる。中央に対してエライことやらかしたと思われているから
豊臣政権で準国主扱いにはなるわけだ。
487人間七七四年:2008/09/13(土) 00:07:17 ID:O/obtG51
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161763408/217

ちなみに長宗我部氏への政策転換は、長宗我部の暴走じゃないよ
元親の阿波侵攻もしっかり信長の許可を取り、三好笑岩と協力してやってる
では何故、政策が代わったのかと言うと、毛利・本願寺戦の状況変化によって

大坂攻めで毛利水軍に悩まされ、淡路の安宅氏の協力取り付けたとは言え、
阿波の旧三好三人衆の残党の篠原氏などが以前として織田に抵抗していた
そこで阿波の背後を付くようにと長宗我部氏の土佐内での立場を容認して、阿波侵攻を促進させ、
伊勢から九鬼水軍の進出の阻害防止に勤めたんだけど、顕如が退去して大坂の脅威がさり、
毛利の脅威も畿内から無くなり、中国制圧の為に逆に瀬戸内の制海権を把握しなければならなくなったので、
笑岩を還俗させ三好家の当主に仕立て、そこに信孝を養子に入れ、阿波讃岐の領有権を主張し、
長宗我部氏に責を負わせ、対抗した元親は三好笑岩の息子or甥の式部少輔を殺害)、
それを信長が四国征伐の口実にした、それだけの話
488奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/13(土) 00:10:46 ID:JZ7xnILG
毛利を脅かすための犠牲だったんだろうな。
489人間七七四年:2008/09/13(土) 15:13:39 ID:qk5P2N3S
豊臣時代、チョウソカベは朝廷儀式での席次が
石高の割りにずいぶん低いと聞いたことがある。

やはり一条パージが公家の反感を買ったのであろう。
490人間七七四年:2008/09/13(土) 18:57:30 ID:Xo+de/Xu
騙まし討ちやり放題で悪名高かったってのもあるだろうな
491人間七七四年:2008/09/13(土) 21:49:15 ID:3ExV9Rfo
土佐の石高は確か当初9.8万石だし、中央の人間は
「一条の家臣に長宗我部とかいう面白い苗字のやつがいるらしい」みたいな
認識だったようだし、まあそんなもんじゃないか?
492人間七七四年:2008/09/14(日) 12:57:29 ID:7pL6mYTE
四国ファンが多いみたいですけど、そろそろ本能寺の話に戻りましょ。
493人間七七四年:2008/09/14(日) 13:03:31 ID:kcDMkAcB
宿舎が本能寺以外だったら、事件の推移は変わったかな?事件の名前はともかくとしてw
494人間七七四年:2008/09/15(月) 00:43:08 ID:vIS71618
俺が思うに家康は白だな。京都で遊んでて、京都脱出中に穴山が討たれてるから。
黒幕は秀吉だね。中国からあんな短期間で山崎にいけるなんて信長の惨事を知らない限りありえない。
まぁ、朝廷も関与してそうだけどね
495人間七七四年:2008/09/15(月) 10:19:45 ID:AuW65H/4
う〜ん、いまひとつだな。

穴山は家康の身代わりになった、というのはどうなんだろね。
496人間七七四年:2008/09/15(月) 13:15:30 ID:1X4Mobt+
秀吉 光秀 家康
この三人で思い浮かぶのは金ヶ崎の退き口。
このとき三人は殿軍勤めながら感じんたんだろうね
信長の逃げ足の速さと見捨てられた気分を。

っていうか秀吉は必死の得点稼ぎようで気持ち悪いし。
家康光秀の理解しがたい律儀さ。

三人はその後ひっそりと会談を重ね、チャンスがあるものは即信長を
討つ。残り二人はすぐ味方につくって堅く約束し
光秀が信長を本能寺で討ち、二人に裏切られました。
その後秀吉と家康はお互いにこの秘密を握ると言う奇妙なバランスを
保ち、長生きした家康が最後に天下を手に入れたとさ。
497人間七七四年:2008/09/15(月) 13:29:32 ID:M1nJot/K
>>496
金ヶ崎の退き口はその三人だけじゃなくて、佐々や柴田の部隊も加わってるよ。
その三人に限定しようとするのは後世の講談話だな。
498人間七七四年:2008/09/15(月) 22:24:38 ID:WVC8bN5o
また脱線気味だな〜。
以前にも秀吉黒幕説のレス少な過ぎってのあったけど、明確な要素がない以上、語る事もないのよね〜。
499人間七七四年:2008/09/15(月) 22:31:47 ID:M1nJot/K
秀吉黒幕説は、当時における京と播磨の物理的距離をきちんと認識せずに、まるで無線でもあったかのように
話をするからなあ。
500人間七七四年:2008/09/15(月) 23:50:14 ID:AuW65H/4
なんだよな。
秀吉黒幕説ってのは、そういう直接的証拠じゃなくて、心情的なもののほうが大きくてそれが逆に
間接的根拠になってるんじゃないか。
つまり、秀吉ほどの人間ならば、誰が何を考えているだろうか、そういう意味とかで常に危機管理みたいなのを
想定してただろうし、それがあったからこそ、大返しとか絶妙なタイミングで成功させてる。
共謀とか黒幕なんかではないんだけど、まるで変も想定してた、みたいな振る舞いが多いから
逆にそういう説に利用されてしまう、みたいなね。
501人間七七四年:2008/09/16(火) 01:27:40 ID:9uBzLEfJ
実際俺らや研究者は、秀吉や家康など黒幕説を唱えてるが、実際は単純に明智の怨みのみなんじゃねーの?
502人間七七四年:2008/09/16(火) 01:32:59 ID:j8tJ8pXb
今まともな研究者で、本能寺の陰謀説唱えているような人間は一人もいないだろw
503人間七七四年:2008/09/16(火) 03:15:24 ID:9tfTwIBj
普通に野望説が一番妥当な気がする。
陰謀論ありきの論調は民放のアホ番組だけで十二分
504人間七七四年:2008/09/16(火) 03:17:47 ID:k9mvbson
小説家という職業の研究者は陰謀説にしておかないと本が売れないだろJK
505人間七七四年:2008/09/16(火) 06:59:30 ID:nQmhLp4w
今は陰謀説なんか書いても売れないよ。
歴史作家達はこぞって否定本書いてるじゃん。
506人間七七四年:2008/09/16(火) 08:12:08 ID:YEa57QpZ
誰かが誰かの説を否定する本だけだろ
つまり足の引っ張り合い
507人間七七四年:2008/09/16(火) 08:44:24 ID:8cElJOOp
だ・か・ら!
前にも書いたけど
光秀は疲れたんだって。
勤続疲労・・・目の前に人参ぶら下げられて突っ走ってきたけど
この先のこと考えたら・・・

深い事情もありません。陰謀でもありません。
朝廷も秀吉も関係ありません。
秀吉に運があっただけ。
その秀吉も信長の遺児を大事にしなかったから
最後は太閤のまま死ねたけど惨めで自分の死後の事を思うと
死んでも死にきれなっかたでしょう。
因果は廻る


508人間七七四年:2008/09/16(火) 11:03:33 ID:RTAwI9gt
陰謀否定説にも2種類あって、昔からの研究の過程を踏まえた上での現時点での判断、
というのと、鈴木本読んで「あるわけねぇだろ」とにわか知識、というのに別れるような。
後者はたまにツッコミあると、おかしな否定の仕方するからかえってスキを作ってる部分があって
そういうのでここがたまに盛り上がる。
509人間七七四年:2008/09/16(火) 18:02:45 ID:UEamyYjG
光秀は天下を取らんがため、と当時から、
光秀自身が天下を取りたかったから、と決めつけられてるな。
(引用は信長公記)
510人間七七四年:2008/09/16(火) 18:04:25 ID:j8tJ8pXb
>>509
「天下」の範囲が、畿内に限られたものなら、それはそうだろうな。
511人間七七四年:2008/09/16(火) 18:11:12 ID:iAabTQ/1
所領の移動は、光秀の謀叛に至る重要なファクターになってるだろうね、やっぱり。
512人間七七四年:2008/09/16(火) 20:41:18 ID:UEamyYjG
すでに領地となっている丹波?の国をとりあげて
石見?あたりの敵地を切り取り次第で、光秀に与える
と、信長が言ったという説は、
さすがに信じていないと思うが、ここでいう「所領の移動」とは
将来、九州あたりに転戦、および領地替え、という可能性のことを指しているのだろう。
上野に移封された滝川一益の例もあるし。
513人間七七四年:2008/09/16(火) 21:49:47 ID:sIuYXai9
>>512
滝川は伊勢の旧領をそのままに、任地の上野を追封された。
光秀だってその可能性はあるだろ。
514人間七七四年:2008/09/17(水) 00:17:09 ID:R5HoyGl2
>>513
毛利討伐して、丹波プラス長門周防など山陰数国とかかな?
でも丹波じゃなく、長門周防にいることを求められると。
言ってみりゃ本社の取締役兼任したまま山陰支社長を
兼任して、山陰支社長としての活躍をメインにさせられる。
年取ってから都落ちして田舎勤めは嫌だろうな。
515人間七七四年:2008/09/17(水) 00:28:48 ID:U49kr7lW
>>514
> 年取ってから都落ちして田舎勤め

信長のやり方から考えれば、配下大名は基本、領地から離して自分の本拠地の城下町に住まわせるだろ。
それが安土か大阪か京になるのかは知らんが。
516人間七七四年:2008/09/17(水) 02:34:01 ID:R5HoyGl2
>>515
滝川も柴田も屋敷は安土にあれど、主な生活地は地方だろ。
東京の家に住めず、地方の借家住まいみたいなもんかな?
517人間七七四年:2008/09/17(水) 05:28:07 ID:I9FFfIZQ
転封も変の要素の一つでしょう。しかしながら、根本的理由は別に有る。それは、光秀が信長について行く事をためらった事に有る。簡単に言えば、信長が嫌になった。

怨恨だの野望だの黒幕だのすべて後付け。ただただ単純に信長を嫌いになり、討てる状況が目の前転がっていたに過ぎず、あわよくば、近畿掌握したいな〜ってな感じかな
518人間七七四年:2008/09/17(水) 08:40:08 ID:BPiNhMW8
<<517に賛成
あわよくば近畿掌握・・・なんて欲も無かったと思う。
519サイコメトリー:2008/09/17(水) 10:35:15 ID:HSCslpMN
>>517に同意部分多し。
以前のレス>>351さんの文面も簡潔で明瞭だと思います。


520人間七七四年:2008/09/17(水) 14:28:39 ID:I9FFfIZQ
351さんのレスは、
三段目の入るのこのスレの中で1番端的に的を得ているんじゃないかな〜。俺も支持します。
521人間七七四年:2008/09/17(水) 14:36:35 ID:IyfNixWf
諸説紛々だったけどスレ立て人的には
そろそろ満足した感があるのかな
522人間七七四年:2008/09/17(水) 15:53:06 ID:/aGU9EFw
悪いけど「好き嫌い感情説」には同意できない。

少なくとも一国一城の主がそんな個人の感情で、一族郎党の運命を決める決断をするというのが
あまりに矮小すぎる発想ではないか。
野心説で、「この殿についていけば自分たちも良い思いをできる」という具体的な利益や
「天下を狙う」という武将としての行動にこそ一族は納得するだろうが、「単に好き嫌い」と
いうのは、決断の理由としてあまりに「庶民的で無思考的」ではないだろうか。

目の前に討てる状況が転がっていたからと言って、その決断を下すには大変な決意が
必要だろう。
このあたりに考慮してほしい、と問題提起。
523人間七七四年:2008/09/17(水) 16:08:57 ID:/edFN1C9
>目の前に討てる状況が転がっていたからと言って、その決断を下すには大変な決意が
必要だろう

その決断を下す時こそ「好き嫌い」の判断は大きいよ。
これ以上信長に付いて行っていいのかってね。
524人間七七四年:2008/09/17(水) 17:26:36 ID:fwAmPt+l
明智「オレ、信長嫌いになったから殺るわ」
斎藤「あ〜、オレも前から嫌いだったんスよね〜」
これはないわw

野心、というより自己防衛だったと思う。
将来に不安がある中で、またとないチャンスが転がってきた。
信長暗殺後の展開を予想して、
何とかなりそうな目算がついたから決起。
近畿一円を征して、諸大名と連携して織田残党を始末。
精々そこまでしか考えてなかったんじゃないかな?
525人間七七四年:2008/09/17(水) 17:48:18 ID:C4a0MXmc
日向守じゃなくて丹波守だったらまた違ったかな?
526人間七七四年:2008/09/17(水) 17:57:57 ID:poPLA7qN
>>524
は極論過ぎだが、大守の主だとしても、所詮は人間。感情の動物。好き嫌いが最大の要素ではないが、重要なファクターである事は、疑うべくもないと思うよ。
527サイコメトリー:2008/09/17(水) 18:05:45 ID:HSCslpMN
>>521
ご意見、ありがと。
満足と言いましょうか、このスレも2500を超え、B段目に入っていますので、
少しずつでもまとめて、結論的方向に持って行きたいな〜って思ってます。
528人間七七四年:2008/09/17(水) 19:47:05 ID:eQ2/Tt90
>>527
サイコメトリーさん 結論的方向にってそれは無理でしょう??
どうやって結論出すの?ここの意見はみんな想像妄想でしょ?

っていうかこのスレ読んでる人の多数決にするの?
私は「光秀お疲れ説」に一票
529サイコメトリー:2008/09/17(水) 20:05:10 ID:HSCslpMN
>>528
仰る通り、想像・妄想スレですね基本的に。
ですので、結論でなく、結論的方向って濁してます・・。
あくまで2chなので、こういう方向のスレが多いっていう結論的方向にしか
なりませんが、ただ単に垂れ流すスレにしたくないので、自分なりに方向付け
をしたいというのが本音です。

光秀ノイローゼ説も何度か話題になりましたね。突発的な行動はその余波では
ないかとも言われてますね。
530人間七七四年:2008/09/18(木) 12:27:51 ID:Lsr/lEg6
>>528
>ここの意見はみんな想像妄想でしょ?
確かにそういう輩もいるけど、高柳・桑田・小和田・今谷・鈴木・桐野・谷口あたりの
論者の見解から無難なのを支持してるだけじゃね?

>>529
>結論でなく、結論的方向って濁してます・・。
とりあえず、今までのレスで批判の比較的少ない説をいくつか挙げて、その中から
どれを支持するかって方向(考察スレ@の手法)で誘導したらいいんじゃね?
531人間七七四年:2008/09/18(木) 14:25:03 ID:6RyNZK29
複合説の一つとして、光秀精神的病弱の要素は有りそうだね。
532人間七七四年:2008/09/18(木) 14:41:40 ID:vQUe+k33
秀吉が朝廷と結託し、信長・家康を葬ろうと動いた結果が本能寺の変。
秀吉は光秀を当主として崇める事を前提に実行犯を光秀にお願いし、常に信長
の動向を伺っていた。光秀を丸々騙し、漁夫の利を得たのであろうと、妄想してみた。
533人間七七四年:2008/09/18(木) 15:30:29 ID:W6JO9Z+J
>>532
だからそれだったら、明智光秀が「秀吉も共謀者」と何故言わないと何度言わせ…
534人間七七四年:2008/09/18(木) 15:51:05 ID:BQwuqcBD
精神的に弱い奴がどんぞこからそこまで這いあがれるかね?
535人間七七四年:2008/09/18(木) 17:44:52 ID:qa9Y7a7w
>>533
532ではないが一言言います
勝者は生きていて、自分に都合のいいように言いふらす事ができる
敗者は殺されていて、本当の事を語ることができない
536人間七七四年:2008/09/18(木) 17:46:50 ID:c1LMZO2f
>>535
だからそんなものは完全には出来ないんだって…。
537人間七七四年:2008/09/18(木) 17:52:08 ID:Cqr4TM+V
>>536本職謀略策士のおじちゃん柴田勝家さんに謝れ
538人間七七四年:2008/09/18(木) 19:04:58 ID:sQdO+26q
>>537
その「本職謀略策士のおじちゃん柴田勝家」ってどうやってわかったの?

敗者は殺され、本当の事語ることできないのでは?
矛盾しまくってる
539人間七七四年:2008/09/19(金) 10:30:54 ID:ASFK3S76
>>538語れるものなら語ってます・・・
手紙も出した物は多少残っていても受け取った方は皆無
軍記物には無骨で優柔不断な荒武者
無理です
540人間七七四年:2008/09/19(金) 16:45:45 ID:eXkW1DeW
光秀視力減退説は一考に価すると思うけど、「精神的病弱」はどうかな。
そうだったら逆に、変、みたいな大それたことは出来ないと思うが。

それと、そこだけ見る、とそうかもしれないけど、中年まで名のないおっちゃんでがんばってきて、そこから一旗
上げたという過程を考えると、そう簡単に「ノイローゼ説」というのにも納得できないところがある。
どうせなら「悩んだ結果、最後の一勝負に出た」という武将的なほうがより理解しやすいような。

さらに補強すると、あの時点においては変を起こして成功さえすれば「自分が天下人に近づける」という
わけで、そんなに無謀な行動でもない。
なので複合的要因はあるだろうが、最後に決断させたのは「戦国武将的な野心」というように
考えてる。
541人間七七四年:2008/09/19(金) 16:55:26 ID:OFx11GNo
光秀視力減退説が本当だとすると、夜間に目が見えづらくて、竹やりに
突かれてしまったと考えることもできる。
だが、信長公記のなかには、田んぼのあぜを伝わって逃げた、という異説が
載っているものもあるから(これは信長公記に後で加筆された箇所なので真偽不明)、
まだわからんな。
542人間七七四年:2008/09/19(金) 17:07:30 ID:ECZwAiHO
>>540
ノイローゼ説は俺も反対。
勝算のないやけっぱちな決起なら、部下がついて行かないと思う。
信長配下のままこき使われるより、
近畿の大名として独立する方を選んだんじゃないかな。
そりゃあギリギリまで迷ったとは思うけどね。
543人間七七四年:2008/09/19(金) 17:22:17 ID:We8218DA
当然前もって信用できる部下には謀反を相談したのだろうけど
部下の反応はどうだったんだろうね
謀反が決行されてるのを考えると賛成多数だったんだろうが
544人間七七四年:2008/09/20(土) 03:05:15 ID:d3jOOzF+
>>542
28日に愛宕山、29日下山、この日の午後に信長がほぼ無防備なのを知る。
そして1日の午後に出陣準備ということは、実際一晩しかワクワクドキドキが無かったことになる。
なので、案外迷ってなくてすぐに決断してるわけで、ここから愛宕百韻の重要性が
感じられる、なんてのは前に話したことあったよね。
つまり、五月中旬信長が京に来ると知ったあたりから心中は決まっていたのではないか、みたいな。

というのをフッた後でお題をだすけど、変の大前提に「信長が京に無防備で入ったのを知った」
というのがあるよね。
なので、事前にこうなることを予測できるわけがない、というので謀略説は成立しない、というのが鈴木あたりの
基本の論なんだが、少し視点を変えるとどうだろう。

つまり、京に入りさえすれば、大軍がいたって同じ宿舎にいるわけではない。
まさに奇襲攻撃をかけて桶狭間のように大将首だけを狙う、というのは十分に想定してたんじゃないだろうか。
なので、無防備だった、というのは単に幸運中の幸運だったとか。

で、五月十七日以降に変のほぼ決断をしてたとして、そこで朝廷とかとの陰謀があったかどうか、はもちろん別の
論だが、「無防備かどうかは実質関係なかった」という視点の下に「ある程度相談等下準備する時間はあった」
みたいに考えるのはどうだろうか。

あんまり叩かないでね。
545人間七七四年:2008/09/20(土) 08:19:48 ID:a9E+UUye
あ〜、なるほど。
信長が京に入った時点で討つ決意を固めてて、
僅かな兵しかいなかったのは想定外の出来事だった。
「これぞ天佑!(意訳:うはwwww俺マジ超ラッキーwwww)」だったと。
あるかも知れんね。
直前に打ち明けたら部下がそっぽを向きましたでは話にならんから、
幹部クラスの意思統一の時間は必要だったかも。
546人間七七四年:2008/09/20(土) 13:43:37 ID:d3jOOzF+
重臣の誰にいつ相談したか、というのはいろいろ研究されてる。利三とか自分の子たちと
ハラ固めて、それを寸前に「もう確定事項だ」みたいに伝えたんだろね。
やっぱりチクられたりするのがこわいから、1日になってからだったか。

にしても言われたほうはびっくらしたろうな。
本城覚書なんかだと末端の兵は最後まで知らなかったみたいだけど、それでも
かなりのサプライズだったろうな。
547人間七七四年:2008/09/20(土) 15:29:35 ID:bfAiCZ7a
>>546 >>544
>やっぱりチクられたりするのがこわいから、1日になってからだったか。

>ここから愛宕百韻の重要性が感じられる、なんてのは前に話したことあったよね。

矛盾してない?

548人間七七四年:2008/09/20(土) 16:11:18 ID:d3jOOzF+
>547
それも前にやったけど、百韻は「決意表明」ではなくて、どうにでも取れる内容
なんだよね。
そして相手が、「重臣」クラスのかなりの光秀のブレーン。
チクるような相手ではないんだよね。
このあたりは、光秀とその連歌仲間とかそういう入り組んだ状況になってくるから
単に「わからないだろ」と言われると説明の仕様がないのだけどね。

愛宕百韻の重要性、とはついポロッと心情がもれてしまってないか。相手の問題も含めて。
という感じで、通常の連歌的解釈で説明できるから変には何の関係もない、とか
あの重大事件の本人の数日前の肉声に近いような歌を重要視しない考え方に対する
問題提起なんですよね。
繰り返しになってるけど。



549サイコメトリー:2008/09/20(土) 22:59:27 ID:wPNFzrbz
変直前の愛宕百韻の中に変の要因を求めると言うよりも、光秀の心情を読み取ると言った方が無難に思われる。
550人間七七四年:2008/09/20(土) 23:00:28 ID:xYIlr4zw
まあ。後世のこじつけ感が強いようにも思うけどね>愛宕百韻
551人間七七四年:2008/09/21(日) 00:00:21 ID:07YpbHAd
だね〜。
変の直因が垣間見える様には思えないな。
552人間七七四年:2008/09/21(日) 00:14:25 ID:MJzNaUwh
読み取れる奴は賦物の複数使用や移節句の引用法に疑問に感じるけど、
読めん奴にとっては和歌がズラズラ書いてるだけにしか見えない罠ですからね。
553人間七七四年:2008/09/21(日) 00:59:29 ID:JyPtAhpX
このスレで、専門家の解釈、は感謝してる。

後のこじつけ、ですますならいいんだけど、1568からの流れを知った上で
語ってみたい。

変の直因、をいかに、把握するか。

もっと1582のあの夜に戻って語ってみないか。
みんななら、どうした?
554人間七七四年:2008/09/21(日) 01:11:08 ID:VRta5Bqj
なんだその読点の数はw
555人間七七四年:2008/09/21(日) 01:48:44 ID:MJzNaUwh
>>553
このスレに専門家なんかいないし、そういった権威の話も出てないでしょ。
連歌ってここ近年見直された程度で文学的にはまだまだ造詣が深い人物は少ない。
現代の研究者は史学者が多いし、古文学長けた専門家の解釈だと、京大の上田正昭名誉教授か
古典解釈をベースに百韻を解釈した津田勇氏くらいなんじゃないのかね。

京都大学の上田正昭名誉教授によると
「本能寺の変を単なる謀反として論じることには無理がある。朝廷までも支配しようとした信長をとめるために、
あえて謀反を起こしたと考えられる。信長に恨みを持っていた単なる逆臣としてとらえるのは間違い」

以下プログの転載
サミットにて上田正昭先生の基調講演を拝聴しました。
光秀公は当代屈指の教養人であり、「近畿管領」という地位にあった。
一流の文化人を亀山城や坂本城に招いて茶会や連歌会をひんぱんに開いたと記録が残っている。
その胸中には「公武合体」の理念がひめられていたのではないかとおもう。連歌会で詠んだ
時は今 天が下知る五月かな
「知天下」と言う解釈について、自分が天下を取るという解釈は誤解であって、「知天下」
は天皇が使う用語で本意と違う解釈がなされている。
天正10年(1582)6月2日未明の本能寺の変を、たんなる怨恨説、遺恨説、野望説
のみではその本質にせまることはできない。勧修寺晴豊の日記である「天平十年夏記」をはじめとする
近時の研究成果にもとづいて、あらたな視角から信長公と光秀公の思想と行動をみきわめたい。
556人間七七四年:2008/09/21(日) 01:53:04 ID:5Mvd8BIJ
>>555
> 京都大学の上田正昭名誉教授

その人古代史の人じゃん。中世史や戦国時代は素人じゃないか。


肩書きで自分の書き込みに権威つけようとするなよ。
557人間七七四年:2008/09/21(日) 02:33:08 ID:29MQBNMO
教養や文化に詳しい=親朝廷・天皇シンパ ってのもむりやりな思い込みじゃないかと思う。
武士でありながら教養がある人物なんて光秀以外にもいるが、それらは天皇朝廷に対してどうだったか?
558人間七七四年:2008/09/21(日) 04:58:52 ID:JyPtAhpX
553だが、555には感謝する。
556さんが、門外漢の意見を低く評価してるようだが、逆に、そういう
発想こそ貴重だと思う。

前に東大助教授の著作を引用したら、あれは仮定の話、と反論されたが、
そういうのこそ参考にする必要があると思う。
つまり、縦割り学会、の弱点が典型的にあらわれてるわけですよね。

愛宕百韻に絞っても、本能寺に結び付けて解釈しないとよくわからない、という
カキコがあった。
これなど、連歌の専門家さんだけでは謎、というのが信長というか中世の武将的にからめると
新たな解釈がみえてくる、そういう例だと思う。

559人間七七四年:2008/09/21(日) 05:07:01 ID:JyPtAhpX
少しズレるが、地元の文化センターで、桐野、藤田、井沢の各セミナーがある。
桐野に行こうか、迷ってる。
つまり、質疑応答のコーナーがあって、ここでどうしても聞いてみたいことがあるのですよね。

あの人たちは、公開されてない文書、も実見してるわけでオフレコでそういうのを聞いてみたいような。
わしも個人的にそういうソースがあるから、ぜひきいてみたくて。

もし良かったら、ここでの問題提起もぜひ、まとめてみたくて。
ちなみに、「利三」とか最後はそこで終わるのですよね、桐野さん。

レキドクはまだそこまで行ってないから、半年後までにはどうなるか、なんですけど。
長くてごめん。


560人間七七四年:2008/09/21(日) 14:47:10 ID:FC79iJZD
京大名誉教授、東大名誉教授、どんなお偉い教授さんでも良いですが、
>>557が言うように教養深い=親朝廷って発想を見ても、頭の固さが伺える。
皆そうだとは言わないが、思い返して欲しい、昔自分達の周りに勉強は
出来るが、ちょっと変わってる人間は居なかったですか?スレチでスマンが、
大学教授の中にもおかしな奴はいくらでも居る。

このスレにも以前出た、義昭黒幕説の教授、あれ一つ考えても、高卒の俺でも
疑問点がすぐに浮かんだよ。東大卒とか教授だからとか、内容を見極めもせず、
主張する奴は権威主義以外何者でもない。

>>555に特に言いたいが、このスレに専門家が居ないと何故あなたが指摘出来るの?
その上田教授とやらの、ご説を支持したいのなら、私的意見も追記して下さい。
引用する事は誰でも出来るので・・。
561人間七七四年:2008/09/21(日) 21:29:51 ID:E1gUi3Gw
教授史観とて、一説に過ぎないね。
肩書で説の信憑性増すなら、福田総理が言う説が1番って事だね。
あっ福田はもう辞めてたね。
562人間七七四年:2008/09/21(日) 21:43:56 ID:MpfdfQIR
難しい問題ではあるよね。
権威ある人は、それなりに調べているだろうし、我々が見られないような資料を見ているの
かもしれない。
しかし、権威がある為に自分の考えに固執してしまい、押しつけてしまう人もいると思う。
563人間七七四年:2008/09/22(月) 00:55:18 ID:YwUnDYhG
>>556
>その人古代史の人じゃん。中世史や戦国時代は素人じゃないか。
肩書きに拘ってるのはどっちなの。
古代史の研究は古文献解釈や天皇研究の要素が非常に多い。
愛宕百韻に含まれている語句は「源平」「太平記」「古代の地名、神」「古事」に由来するものが多い。
そういった人の「知天下」に対する解釈は一考の価値があると思うけど。


>>577
>教養や文化に詳しい=親朝廷・天皇シンパ
むしろどこからこんな定義が出てきたの?


>>560
>教養深い=親朝廷って発想を見ても、頭の固さが伺える。
そんな発想をしたのは>>577
教授批判も権威主義批判もお門違いの上スレ違い。

>>555に特に言いたいが、このスレに専門家が居ないと何故あなたが指摘出来るの?
何か気分でも害された?
専門的なら直接資料の検証の話になるでしょ。
少なくとも本題と関係ない権威主義批判等の方法で説の批判なんてしないわな。
564人間七七四年:2008/09/22(月) 00:57:03 ID:YwUnDYhG
アンカーミス
577→>>557
565人間七七四年:2008/09/22(月) 02:24:05 ID:BIzNw6EK
>>565
専門家がいないと言い切る、根拠を示して下さい。
あなたの思慮の無いその言葉から、権威云々が始まった分けだけど、元々2chに何を求めるてるのよ。
皆があれこれ私論述べてる場に『ここには専門家がいない』と言い捨てた、あなたの持論が聞きたいものだ、さぞ高説なのだろうね。
566人間七七四年:2008/09/22(月) 02:45:08 ID:9uAEv/t8
>>563は多分、韻に多少詳しいのでしょう。だから変の要因がその中に有り、韻を解釈出来ない者は読み解く事が出来ないとでも、言いたそうだね。
前にも、そんな人居たね。
まぁ仮に韻を読めたとしても、その解釈は千差万別でしょうね。
それに文献の検証が歴史学の基礎だとしても、検証には検証した人間のベクトルが必ず掛かる。
それを無視し、結論付ける事こそが、権威思考だと思うよ。

少なくとも、>>563は専門家ではないだろうけど。
567人間七七四年:2008/09/22(月) 08:47:02 ID:HBujXvh9
2ちゃんは素人が
あぁだこうだって楽しむところでいいやん。
568サイコメトリー:2008/09/22(月) 08:54:09 ID:3StS4+Pr
ちょっと方向ズレ気味なので、一言。
ここは、本能寺の変に関連する事であれば、誰がどんな意見を言っても良い場所
です。

各専門家の説や意見に対して我々マニアが討論する場所です。自分の考えと
して、専門家の方々の考えや知識も大事だし、重要ですが、ここに集まってくれる
数十名のご意見はもっと大事です。ひとつの事を考えるのには、多数の意見を聞い
た上で吟味した方が良いと思ってます。
569人間七七四年:2008/09/22(月) 12:50:58 ID:9uAEv/t8
多少、妄想暴走してる時も有るけど、カッチカチの学論よりも、楽しいし、勉強になる。
570人間七七四年:2008/09/22(月) 14:34:07 ID:fJpe2/fu
560から話がおかしくなってる。
別に、大学教授や専門家だから妄信する、わけではない。
つまり、権威志向でもない。
少なくともこのスレでは、そういうレベルは案外いない。
先に大学教授の名前とか出すのも、確認作業、のためだけで、素人の妄想
と言われるのを先に防いでる、ぐらいの良心的カキコ。

それを560が「権威主義否定」とか「専門家だって〜」とかそちらに話を
もって行こうとしてるだけでしょう。
いかにも2ちゃんらしいけど、このスレでは下手な専門家よりよほど深く考察したり、良い
発想を持ったりしてる人も多い。
肩書きがなくともある程度の知識があるとそういうのは把握できるわけで、
すぐにレスや史料名がかえってくることからもそれは判断できる。

教授とかの名前を出すと必ずこういう反論が出て話がズレるから、一度はどめというか
確認しておきたいぐらいなんですよね。

566で自分で言ってるように「解釈は千差万別」だからこそ、ここでフリートークしてるわけで、
いきなりそれを「権威主義」とかに結びつける論理と言うか発想が少々問題ありではないか、とね。
別に、教授とか専門家の名前出されても自分はそれを「権威主義」とは思わないし、かえって
こちらの知識不足を補ってくれてるわけだから感謝するぐらいだ。
571人間七七四年:2008/09/22(月) 17:02:45 ID:6essjtIG
長い、もっとまとめてから書き込んでくれ
572人間七七四年:2008/09/22(月) 17:17:22 ID:fJpe2/fu
「559までタイムトラベルしてくれ」
573人間七七四年:2008/09/22(月) 19:46:10 ID:9uAEv/t8
いやいや、タイムトラベル出来るなら、本能寺の変前夜の光秀に会おうよ。
574人間七七四年:2008/09/22(月) 19:58:22 ID:hzc4SQH0
>>573
こんなのがあった

> :インタビューよろしいですか?

> 明智 いいよ、これから秀吉が来そうだから鞍上からだけどね(ごめんね

> :謀反を起こしましたが。

> 明智 まあね。未だに後悔しているところもあるけどね。俺も部下にまとまって意見されたら逆らえんもん。
> ただ蘭丸のホモ野郎だけは、みんなにとってすがすがしい結果になったよな。

> :随分サバサバしているが?

> 明智 いや、実際やっちゃったらあとはやること決まっているしね。
> 俺も行けるとこまで行くしかないよな。ベストはつくしてみるつもり。

> :羽柴秀吉の反撃は予想していたのか?

> 明智 最悪の結果になっちゃったね(苦笑
> まあ秀吉ならしょうがないなと思える部分はあるけどね、あいつ無茶苦茶だもん。

> :なぜ予想されてた?

> 明智 いや、それはわかんない。秀吉だけはね。内の部下と内通してたかもね。よくわかんないよ。

> :今後天下は誰のものに?

> 明智 それはわかんない。俺がうまくやれたらと思っているけど、秀吉かもしれないね。
> もしかすると全然予想してないダークホースがくるかもね。佐々ちゃんとかさ。

> :最後に一言

> 明智 まあ頑張ってみるわ。ちょっと死ぬかもしれないけど、それまで応援しててね。
> あと蘭丸死ね。死んじゃったけど氏ねじゃなくて死ね。
575人間七七四年:2008/09/22(月) 20:11:36 ID:g3u+LOqQ
このスレについて、あえて言うならば、もう議論が煮詰まっている。
朝廷を始めとする黒幕・陰謀論については、根拠が薄すぎる等という点で、ほぼ否定されていると言って過言ではない。
後は、明智光秀単独犯行ということになるが、その動機についても、野望説と、四国政策の転換等からの将来悲観説との複合説で、ほぼ固まっているのではないか。
これ以上、議論を進めるとすると、何か新資料でも発見されない限り、無理だと思う。
576人間七七四年:2008/09/22(月) 20:23:55 ID:hzc4SQH0
じゃあ、変の影響について語るか?この変によって利益を受けた人間(まあ秀吉は別にしても)、
もしくは不利益をこうむった人間は、どういう人達だろう?

個人的に朝廷では、近衛前久のダメージが一番大きかったように思う。
577人間七七四年:2008/09/22(月) 21:20:29 ID:5ImQrdFE
雨が下しる、の光秀自筆の札?は現存してないのか?

それ以前に書いた自筆文書と筆跡鑑定して、心の動揺度を分析したら
いいんとちゃうの?。
578人間七七四年:2008/09/22(月) 21:38:59 ID:K6HKZBkK
秀吉の大返しがなかったらどうなってたんだろう?
家康が向かってきてたんだよな?
579人間七七四年:2008/09/22(月) 22:42:23 ID:BIzNw6EK
煮詰まっているなら、複合説を完結にさせようよ。
変後の事語るなら、それからだよ。
信長の死は、戦国時代の分岐点に留まらず、日本の歴史を決定付けた大きな事柄だからこそ、議論し尽くせない。
580人間七七四年:2008/09/22(月) 23:19:25 ID:X2QG7c7s
>>579
いや、動機となる決定的な物が無いから結果的に複合説に行き着いてしまうというだけだろう。
更に言えば、そこで確定できるだけの材料も無い。
581人間七七四年:2008/09/22(月) 23:49:01 ID:wxV4fWXp
四国政策の変換でなぜ光秀が将来を悲観すんの?これ、かなり疑問なんだが
石谷氏との繋がり?長宗我部氏との取次ぎを担って居たから?
582人間七七四年:2008/09/23(火) 00:21:22 ID:kt8TGT5X
信長の理不尽な要求に長宗我部を思って憤った、とかこれまで平然とまかり通っていたけど、おかしな話なんだよね。
光秀は織田家臣であり、その役目は織田の利益=他家にとっての理不尽を追求する立場なんだから。

光秀はこれまで他者に理不尽を受け入れさせることで出世してきた。別に光秀に限ったことでなく、秀吉勝家一益ら
織田家臣はみなそうだし、武田や毛利や上杉島津ら他の大名も同じこと。長宗我部も変わらない。自分より弱い相手に
理不尽を押し付けまくって成長してきたら、どう逆立ちしてもかないっこない大勢力とぶつかって次は自分が理不尽を
押し付けられる側になっというだけの話。

ただ、長宗我部は蹴った。長宗我部に理不尽を受け入れさせるのが役目だった光秀は、仕事に失敗したといえる。
問題は、それが将来を悲観せざるを得ないほどの失態なのか?ということかな。
583人間七七四年:2008/09/23(火) 00:23:28 ID:PVmbkiBX
将来を悲観するなら、視力の減退の方が理由としてよっぽど大きいだろうな。
584人間七七四年:2008/09/23(火) 00:27:29 ID:W0+dCfyb
四国説は希薄だね。
取次ぎと条件調整してただけで決定権は信長の朱印に見られるように、
光秀はなんら持ってなかったわけだしね。
585人間七七四年:2008/09/23(火) 00:33:04 ID:W0+dCfyb
視力減退は眼鏡を掛けていたってだけの憶測の説じゃん。
586人間七七四年:2008/09/23(火) 01:47:56 ID:ODoip+OB
>582
いい提起だね。
桐野に聞いて来ようかな。

で、自分でまず、返答するけど、最後の「将来を悲観するほど」に関しては
「はい」と答えるしかない。
583〜585にまとめてレスするけど、あれが五月17日〜、からラストチャンス
といったら、それしかない。

あくまで、四国政策とかはきっかけでしかなくて、ずっと「自信が有った」
なんですよね、戦国においては。

信長を過大評価しすぎ、であって、あの変はよくある「ワンチャンス」をいかに活かしたか
と思う。

もちろん、信長もすごい、が、光秀もすごい、次のサルとタヌキは、スゴスギ、と思うがや。
587人間七七四年:2008/09/23(火) 06:03:39 ID:kv0mrzHw
将来悲観説の論拠としては、光秀の年齢とその跡取りである光慶の年齢も挙げられることがあるな。
本能寺の変の当時、光秀の年齢は、通説だと55歳、谷口説だと67歳。いずれにしても、かなりの高齢で隠居をそろそろ考える頃。
実際に、光秀より若い、信長にしても実権は握っているが、家督は信忠に譲っている。
ところが、光慶は15歳で、更に病弱だったためとの説もあるが、何の功績もまだ挙げていない。
年を取ってからの子どもをかわいがるのは、秀吉や家康にしてもやっている。
他者から見れば、四国政策の失策など些細なことかもしれないが、年を取ってからの失策は取り返しがつかないことが多い。
若かったら、もう一度やり直せばいい、と割り切れるが、老齢では、こんな年で路頭に迷いたくない、と割り切れない。
そして、信長は、佐久間や林に対する仕打ちにも見られるように、失策を犯したら、とことん冷酷になる。
自分だけなら我慢できるかもしれないが、かわいい子どもまで、路頭に迷わすわけには、と考えたのではないか。
588人間七七四年:2008/09/23(火) 06:33:03 ID:zPIlUPvH
そうなるとまた矛盾が
そこまで考えてるなら前々から子供の将来見据えた行動するだろう
589人間七七四年:2008/09/23(火) 12:39:14 ID:W0+dCfyb
>>575
里村等の共謀性は立論側が一次資料を基に立証してた。

否定派は「チクって殺すから」と願望しか書いてない。
590人間七七四年:2008/09/23(火) 12:42:34 ID:PVmbkiBX
>>589
> 一次資料を基に立証

立証?

「推測」はしていたが、立証…?
591人間七七四年:2008/09/23(火) 13:06:39 ID:S4zK7tco
>>590
>「推測」はしていたが、立証…?

いや、妄想だろう。
592人間七七四年:2008/09/23(火) 13:12:28 ID:kt8TGT5X
共謀性を立証する一次資料ってなんだ?

ホント過去の改竄がすきだな。
593人間七七四年:2008/09/24(水) 10:28:44 ID:E1Me0+dZ
>>585
『多聞院日記』天正9年8月7日条
「近日惟任■元へ来トテさわき也、目煩間灸治沙汰之」
眼鏡の話は知らないね

>>589
『兼見卿記別本』天正10年6月2日条
「(中略)最中親王御方・宮・館女被出御殿、上ノ御所へ御成、新在家之邊ヨリ、
紹巴荷輿ヲ参セ、御乗輿云々、(以下略)」
この箇所が正本で改ざんされた事実と信長の茶器狩・上京焼き打ちを理由に、
光秀と里村共謀を「立証」したといってるの?立証ってなんだろう…
594人間七七四年:2008/09/24(水) 13:32:02 ID:oui4aY3m
資料基に推論するのが立証、論証。

密告、告発する事象は主観による推測。
その連歌師が密告するとのことであれば、何らかの根拠が反証側にも求められる。
595人間七七四年:2008/09/24(水) 13:48:51 ID:pY74A7n6
ん?史料を基に推論するのが立証・論証なのはわかるが、里村などが陰謀を共有していたなどというもの自体、
立証されてないんだが・・・

史料から推論と言うなら、陰謀に加担していたのが明確に読み取れるような箇所がないとね
596人間七七四年:2008/09/24(水) 20:02:04 ID:8j8B0Bwh
>>588
子どもの将来を見据えて、信長に忠誠を誓い、ひたすら頑張ってきた。
ところが、四国政策等で失策を犯し、追放(リストラ)寸前の身になった(と思い込んだ、)。
そのことで悩んでいたら、信長と信忠がろくな護衛兵も連れず、京都にいることになった。
しかも、自分は羽柴救援のために1万3000もの軍勢を公然と率いて、京都に向かえることになった。
そして、柴田も羽柴も徳川もすぐには京都に来れる状況にない。
あえて言えば、神戸信孝率いる四国遠征軍が大坂にいるが、副将の一人である津田信澄は自分の女婿で、自分に味方するだろう。
もし、味方せずとも、信孝は独立して軍勢を率いた経験はなく、丹波制圧等で軍勢を率いた経験豊富な自分の敵ではない。

と、このような思考で、光秀は本能寺の変を起こしたのではないか。

前々から家族の将来見据えた行動と考えて、会社に忠誠を尽くしても、過労死したり、リストラされる人はゴマンといますな。
597人間七七四年:2008/09/24(水) 21:03:55 ID:pY74A7n6
>>596
>、四国政策等で失策を犯し
光秀はどんな失策犯したの?
四国政策は信長の、織田家の都合で政策転換しただけで、光秀は失策と言う失策は犯してないはずだが
そして、この件で信長から咎められもしていない
598人間七七四年:2008/09/24(水) 22:24:21 ID:bm9zs1BE
>>597
>582
取次ぎ役という地位は、取り次ぐ大名を中央政権に都合のいいように制御する役割を負う。
四国問題についての光秀の役割は、織田の都合による政策転換で長宗我部が損をすることを、
受け入れさせる交渉を成功させることだった。(言われるほど無茶な要求でもないんだがな)

ただ、これが将来を悲観させるほどの失策だったのかは疑問。おっしゃるとおり、信長から
具体的な咎めは受けていない。
ただし、光秀個人が(他の様々な要因がつみ重なり合って)そう思い込んでしまった、という
可能性は推測できる。
599人間七七四年:2008/09/24(水) 22:58:52 ID:JvE1zx+W
そうそう、だからこそ596の1行目の背後に「忠誠を誓ったのもあくまで
自己保全のためで、決して信長個人に私淑、というのとは少し違う」という
「弱い野心説」をからめたほうが、597さんの論にも答えてるし、より真実に近い
感じがする。

ところで、里村との共謀説を採用するわけではないが、変の後九日京に
戻った時に、里村とその弟子たち、つまり百韻に参加した人たちと一緒に食事
したりしてる。
あの大事な時に、と考えるとやっぱり、里村たちとの関係、百韻の重要性を再認識する
事実ではないだろうか。

さらに「兼見卿記」には禁裏に参内したということを伺える記事があって
正、別本、微妙に記述が違ってるけど、このあたり最近の研究とかではどうなってるのだろう。
無官の光秀が正式に参内できないのは当然として、朝廷との際どい関係が推測される。
もっとも、朝廷からしたら「強いものにマカれただけ」ということかもしれないが、安土城に入ったのが
五日、六日には使者を送ることを決めて七日に兼和が安土到着、こういうのは少々手回し良すぎ
という気がしないでもない。
前に出てた、朝廷の使者に兼和を選んだ、と言う決定にも少しは時間がかかりそうなもんだし。

ま、二日の午後にいきなり兼和は光秀に面会しに来たというのは別本だったかな、
にも載ってるし、いかにも手回しと言うか行動が早すぎるというのは、特に異論がないとこなのかな。
共謀説なんかにはこういう点が利用されそうなもんなんだけどね。
600人間七七四年:2008/09/24(水) 23:57:51 ID:pY74A7n6
>>598
>織田の都合による政策転換で長宗我部が損をすることを、受け入れさせる交渉を成功させることだった
受け入れ交渉を成功させるって、これは最初から受け入れられないのを前提にした要求では?
だからこそ信孝を三好康長の養子にしたり、淡路や能島か因島水軍の影響力強める為に、
長宗我部氏の伊予・讃岐撤退させようとしてるのだから

というか
>取次ぎ役という地位は、取り次ぐ大名を中央政権に都合のいいように制御する役割を負う。
交渉役なだけで、制御するような役割を課されてるなんてなかったはずだけど?
これは織田政権における取次ぎの解釈ではなく、「取次」という役割の一般的な解釈では?
601人間七七四年:2008/09/25(木) 00:58:13 ID:TQR1jNX4
>>600
>最初から受け入れられないのを前提にした要求では?
信長の真意がどこにあったのかは完全には不明です。
ただし、信長が最初に出した要求「土佐と阿波半国以外は撤退放棄」は、言い換えれば
土佐と阿波半国の領有は認める、ということです。当時の長宗我部の領土(土佐、阿波半分、
讃岐少々)からしたら、それほど大きなものとも言えません。
通説だと何故か「四国のほとんどを支配した長宗我部に、一国と半国しか認めたなかった、
信長は理不尽!」という主張が通っていましたが。
しかし長宗我部は蹴った。その後もなんどか交渉はしたが、長宗我部は織田からの妥協案は
全て蹴った。その結果が四国遠征軍です。

>淡路や能島か因島水軍の影響力強める為に、長宗我部氏の伊予・讃岐撤退させようとしてるのだから
おそらくそうなんでしょう。信長の要求は「瀬戸内海にまで手を伸ばすな」というものでしたから。
しかしそれと、長宗我部の存在を許さない滅ぼす、はイコールではありません。というか、
相当かけ離れています。

>制御するような役割を課されてるなんてなかったはずだけど?
いえ、織田政権でも豊臣政権でも、そういう役割を課されてきました。
というか、交渉役がそういった役目を担うのは古今東西外交の基本ですが。
現代だってそれは変わりませんよ。もし光秀がそういった役目を負っていなかったとしたら、
どうして織田政権でだけ特殊だったのかという説明と立証が必要です。
602人間七七四年:2008/09/25(木) 01:33:01 ID:KFT8bQqt
>>599
学説で引用されてる愛宕百韻の解釈は津田勇のやつでしょ。
津田も全文解釈の結果、紹巴だけではなく他の連衆も同時に決意の句を詠んでいると解釈してる。
603人間七七四年:2008/09/25(木) 16:50:08 ID:TTOWrs2o
>>602
ですから、それは結論論的解釈だと思います。
あぁやっぱりね。っ感じの。
仮に決意の句だとして、光秀の変の理由とどの様につながって行くのでしょうか?
604人間七七四年:2008/09/25(木) 20:42:23 ID:QBU4mSoB
四国政策の転換を、光秀の失敗というのは、言い過ぎだが、本来は、そのような場合、四国遠征軍を任されるのは、
光秀なのに、敢えて外された(ように見える)のが、光秀にとって大問題だったと思う。
どんな組織でもありがちだが、少しずつ権限を奪い、無力化して、最終的に潰していくことがよくある。
1582年5月前後、光秀は丹波平定を完了させ、四国遠征軍を率いることに何の問題もなかった。
光秀は、長宗我部氏との交渉をずっと担当しており、長宗我部氏と問題が生じたとき、軍事的解決を図る立場にあった。
ところが、神戸信孝率いる四国遠征軍が編制され、自分は外された。
これを、光秀は、リストラの前兆と感じたのではないか。
605人間七七四年:2008/09/25(木) 20:47:34 ID:p21IMNAW
先ず「リストラ」と言う感覚自体があの時代には存在しないと思うが。
606人間七七四年:2008/09/25(木) 21:37:28 ID:PhS3DE7+
佐久間や安藤等追放のことをいってるんだろうけど。
家康の接待させたり、細川・筒井の与力を含めて恐らく2万近いであろう軍勢で西国遠征させようとしたり、
リストラや権限縮小どころか、もっと働けって要求されてるようにしかみえないけどな。
607人間七七四年:2008/09/25(木) 22:38:56 ID:SWMDGQwD
>>605
団体の再構築、この場合で言えば「不要な人材の切捨て」と言った感覚が全く無いとでも?
一体戦国時代をどんなパラレルワールドだと思ってるんだ?
608人間七七四年:2008/09/25(木) 22:41:35 ID:p21IMNAW
>>607
佐久間や安藤は、不要だから追放されたわけじゃ無いだろ。
609人間七七四年:2008/09/25(木) 22:58:58 ID:p3Vw0lfz
少なくとも、信長の未来構想に佐久間、林、安藤が入っていなかった事は間違いないと思うよ。
610人間七七四年:2008/09/25(木) 22:59:20 ID:SWMDGQwD
佐久間は明智、羽柴、柴田に比べ優遇しているにも拘わらず、何の
611人間七七四年:2008/09/25(木) 23:02:20 ID:SWMDGQwD
失礼
何の功績も上げられなかった事を咎められて、追放されてる。
林・安藤・丹羽の理由は異なるが、状況から考えて本当にそうだとは考え難い。
単純に必要無いと思ったから切り捨てただけだろう。
612人間七七四年:2008/09/25(木) 23:08:54 ID:08v3xvih
何故単純な理由と決め付ける
妄想するはいいけど
613人間七七四年:2008/09/25(木) 23:16:24 ID:p21IMNAW
信長の織田家って、イメージと違って君主権がさほど強くなかったんじゃないかと感じる。

だから、佐久間や林なんかの追放は、毛利元就の井上一族誅殺みたいなもので、君主独裁権の
確立のためのものだったんじゃないかね?
614人間七七四年:2008/09/25(木) 23:49:24 ID:SWMDGQwD
>>613
感じるのは結構だが、根拠は何だ?
所謂方面軍を構成している軍勢の多くが組下と呼ばれる信長の直臣。
中世的な与力よりも司令官との結び付きが弱く、
その行動はより中央の意思が反映され易い。

そもそも権力が弱けりゃ、譜代の有力国人である佐久間氏を
折檻状だけで追放なんて出来んよ。
615人間七七四年:2008/09/25(木) 23:56:57 ID:p21IMNAW
>>614
信長の勢力圏の統治のやり方、かな?
特に検地の導入の遅れにそれを見る。秀吉政権の太閤検地を見ても、信長の政権において
その必要性を理解していた事は間違い無いと思われるが、結局最晩年に、しかも一部の占領地でのみ
実施しただけ。
これは「やらなかった」のではなく、「出来なかった」と、捕らえるべきでは?
616人間七七四年:2008/09/26(金) 00:17:02 ID:TdheIXVK
>>615
じゃあ、信長以前に全領土で検地を行った奴なんているのかね。
617人間七七四年:2008/09/26(金) 00:21:23 ID:tfyYMlnq
>>616
北条は信長の70年も前から検地やってるぞ
618人間七七四年:2008/09/26(金) 01:16:00 ID:2KiFvM8A
比較的新しい支配地域には小田原衆を配置してはいないし、
一族を置いた場合もその地域の有力氏族の養子にしたりしているわけで、
とちらかというと強い権力の元に行ったというより上手にやったと見るべきだろ。
619人間七七四年:2008/09/26(金) 06:54:37 ID:x5LQwgkX
>>603
直接的に変の理由を語る、というより、いつ決断したか、どのように周辺事情を考えていたか、
そういうところが、変の理由、を考える上で有用と思いますよ。
すぐ上にありますが、突発的ではない、ノイローゼというほどの精神状態ではない、
と言う点が読み取れるならばこれは、変の理由、を考える上でかなり重要ではないでしょうかね。
620人間七七四年:2008/09/26(金) 20:29:36 ID:PR7rRdhm
信長の統治のやり方についてですが、1582年頃の越中国人に対する統治方法から見ても、中央集権的です。
この頃の越中国人は、織田・上杉の二大勢力の前に右往左往する状況でしたが、上杉方に一時でも属した国人は族滅の憂き目に幾つもあっています。
国人クラスを相手に、ここまで過酷な統治を行った勢力(大名)は、他には思いつきません。
羽柴・徳川にしても、一時、敵に属していて寝返った国人は、再々寝返る等しない限り、族滅はしていないと思います。
621人間七七四年:2008/09/26(金) 20:35:01 ID:tfyYMlnq
>>620
佐久間追放が1580年だけど、そのあたりに、それまでの、弾正忠家を中心とした一揆的な体制が解体されて、
織田宗家による独裁、と言う形になっていったように思う。
622人間七七四年:2008/09/27(土) 06:26:33 ID:pccsxxiu
>>613
>信長の織田家って、イメージと違って君主権がさほど強くなかったんじゃないかと感じる
⇒それは武田や上杉、毛利など国人連合体の旧態依然の軍事組織の事。
 信長の織田家は、傭兵が全て信長直轄のため、完全なる信長の独裁組織であり、
 織田家の重臣は、単なるサラリーマン重役みたいなもの。

623人間七七四年:2008/09/27(土) 23:37:58 ID:wJZ2P3uH
現代的解釈は、当て嵌まらないよ。どんなにワンマンオーナーでも、無礼討ちはしまい。
624にゃんこ:2008/09/28(日) 00:18:22 ID:fNkDu7Ij
622>>

釣りか?荒木も松永も自分の領地の農民兵を率いたから反乱を起こせたんだよ。
それに、信長自身が家臣に対して「遠征には兵を多く連れてくるな」と書いた
手紙が何通も残っているんだよ。

信長が特に先進的と言うよりも、スケールメリットで、大きくなるほど、「中央集権」
を押しつけられるんだよ。小さな勢力だと、配下が他の勢力に走る事を恐れなければ
ならないしな。
現代企業の、シェアが大きくなるほど価格を操作しやすくなるのと似ているな。
625人間七七四年:2008/09/28(日) 11:06:25 ID:MkljSfdL
>>624
>荒木も松永も自分の領地の農民兵を率いたから反乱を起こせた
松永は謙信の京への進軍(の見込み)、荒木は毛利や本願寺という裏づけがあったから。
軍制の問題では無く、周辺環境の問題。

>信長自身が家臣に対して「遠征には兵を多く連れてくるな」と書いた手紙が何通も残っている
どの遠征だ?具体的にどうぞ。
信長が意図的に相手を下回る兵を戦場に動員した事は一度とてない。
幼稚な釣りが見苦しい。

>信長が特に先進的と言うよりも、スケールメリットで、大きくなるほど、「中央集権」を押しつけられる
組織の規模と質は関係ない。
武田などは、領土がもっとも拡大した時期でも旧態依然の豪族連合の合議制。

>小さな勢力だと、配下が他の勢力に走る事を恐れなければらない
もうすでに大名の傘下にはいっているんだが。
寄親寄子制も知らんらしい。

>現代企業の、シェアが大きくなるほど価格を操作しやすくなるのと似ている
的外れな例示。
626人間七七四年:2008/09/28(日) 12:12:52 ID:Tb5XZ0hQ
フロイスが書いた「日本史」によると、光秀の本能寺襲撃は
3000人とのこと。本当ですか?
627人間七七四年:2008/09/28(日) 12:15:51 ID:2PCb0JDX
>>626
フロイスの言う事はほとんど疑ってかかったほうがいい。
628人間七七四年:2008/09/28(日) 12:17:49 ID:OkJy7s8v

違います
629人間七七四年:2008/09/28(日) 12:33:47 ID:wJk0hHG9
フロイスの日本史は、戦国期の文化風俗を垣間見る事は出来る重要な文化的資料だが、人物評や戦の詳細については、実際に見聞したものでなく、噂の類の物や私的見解が多い。
しかしながら、光秀と信長のいさかいについては、実際に見ていないまでも、関係者にそれに近い事実を聞いた事は間違いない様に思われる。
630人間七七四年:2008/09/28(日) 12:36:57 ID:s7Cs/jO+
>>625
武田氏って合議制だったの?
分国法施行や朱印状の発行範囲を見ると専制君主制に見えるんだけど。

信長は天下人だった=他とは明らかに違うシステムを採用していた
って考えから楽市・楽座、兵農分離、中央集権化の教科書の通説が構成されたわけだが、
他の大名家も同一の傾向にあったことは今や史学会の通説ですよ。
631人間七七四年:2008/09/28(日) 12:40:31 ID:2PCb0JDX
フロイスの著述で信じていいもの

・宗教に関係ないもの
・数字の記載されていないもの
・権力者に関係ないもの

これがフロイスを読むときの注意点だな。
632人間七七四年:2008/09/28(日) 12:44:24 ID:MkljSfdL
>>630
>分国法施行や朱印状の発行範囲を見ると専制君主制に見える
それと軍制とを混同している愚。
信玄は兵を個々の国人に依存している以上、信長のような独裁は不可能。

>信長は天下人だった=他とは明らかに違うシステムを採用・・・他の大名家も同一の傾向にあったことは今や史学会の通説
幼稚な釣りに哀れさを感じる。
633人間七七四年:2008/09/28(日) 12:50:06 ID:VmU+YisG
>>631
スレ違いだが。フロイス等の宣教師の著述から、日本馬は役立たずで、乗馬戦闘できない云々という人がいるけど、
16世紀においては、西欧でも下馬戦闘が当たり前で、フランスに至っては、一時、重装騎兵を廃止しているのだが。
どうも、宣教師の著述には、一部、偏見が含まれているのでは、と思うことがある。
634人間七七四年:2008/09/28(日) 12:56:25 ID:s7Cs/jO+
>>632
信玄は農民兵を連れてくるなって通達も出してるよ。
北条は具体的な軍役を宗家側が定めてたしな。
それぞれに先進的な部分はあるし、旧態を残した部分もある。
織田政権も旧幕府政権の踏襲が見られる研究成果なども発表されてるよ。
635人間七七四年:2008/09/28(日) 13:14:36 ID:MkljSfdL
>>634
>信玄は農民兵を連れてくるなって通達も出してる
何に対して?それを明確にしなければ単なる寝言。

>それぞれに先進的な部分はあるし、旧態を残した部分もある
織田:先進、その他:旧態、織田に勝る先進性などない。

>織田政権も旧幕府政権の踏襲
義昭側の切り崩し工作と混同している愚。
636人間七七四年:2008/09/28(日) 15:15:30 ID:SoYREpBg
信玄は軍議=合議制

内政=ほぼ独裁


ではなかったか?
637人間七七四年:2008/09/28(日) 15:31:38 ID:MkljSfdL
合議制である以上、その組織は独裁とは言わないのだが・・・
お分かり?
638人間七七四年:2008/09/28(日) 15:55:12 ID:2PCb0JDX
>>637
あほか?合議の内容によるわ
639人間七七四年:2008/09/28(日) 16:09:09 ID:9yKtSo76
フロイスの記述は人物面でも重要とは思うがな。
噂や伝聞というのをことさら低く評価する人も多いようだが、逆に同時代の
生の声を伝えてると考えたほうがいいだろう。
動物園の動物を評価するような視点なんだが、かえってそういうのは
客観的で興味深く感じる。
640人間七七四年:2008/09/28(日) 16:13:01 ID:2PCb0JDX
>>639
フロイスは物事を大げさに書く癖があるし、人物評価もキリスト教にとって得か損かで
判断して、決して客観的なものではないから、注意が必要だよ。
641人間七七四年:2008/09/28(日) 17:34:24 ID:9yKtSo76
>>640
それはわかってるけどね。
だから、そういうフィルターを通した分を考慮してってことね。
642人間七七四年:2008/09/28(日) 17:39:35 ID:MkljSfdL
>>638
古い軍制では、事前に協議して、納得してもらわないと軍を動かせない事も知らんのね。
643人間七七四年:2008/09/28(日) 17:41:03 ID:2PCb0JDX
>>642
お前はこんなところに逃げてないで

> そして9月を農閑期とは言わない。何故なら9月こそ刈り入れ・乾燥の時期なんだから。
>
> もう一度聞く。君の農繁期の定義はなんだ?


これに早く答えろよ
644人間七七四年:2008/09/28(日) 17:50:43 ID:MkljSfdL
>>643
農繁期の字義くらい自分で調べたらどうだ。
幼稚な質問はお里が知れるぞ。
645人間七七四年:2008/09/28(日) 18:07:36 ID:FhVSWKmV
おいおい、スレチを進めるなよ〜。武田が云々、農耕が云々は、よそでやってくれ、あんたらしか興味ない案件だからさ!
646人間七七四年:2008/09/28(日) 18:10:07 ID:MkljSfdL
釣り狙いが唯一の生きがいの輩がいる限り仕方が無い
647人間七七四年:2008/09/28(日) 18:12:18 ID:MkljSfdL
>>638
議題の内容で、独裁と合議制を使い分ける組織など、古今東西一つとてない。
おいおい・・・
648人間七七四年:2008/09/28(日) 18:14:54 ID:2PCb0JDX
>>647
スターリンは軍事に関しては将軍達の合議に従っていました。だからスターリンは独裁ではありません。

ってのとキミが言ってるのは同じこと。合議っていっても、合議が最終決定と成るのか、合議の結果を元に
指導者が最終決定するのかでは全く違う。
649人間七七四年:2008/09/28(日) 18:25:34 ID:MkljSfdL
>>648
信長もそうだが、軍議を一応開いて諸将に意見を言う自由くらいは与えている。
しかし最終決定は信長の一存。
異論を挟む余地は無い。
スターリンも同様。
信玄のように、豪族連中の機嫌をとって納得してもらわなければならない連合体と混同する愚。
650人間七七四年:2008/09/28(日) 18:32:56 ID:07i0P49b
武田の軍議で自分の意見を通すには諸将を口説かなければいけない
織田の場合信長を説得するだけでいい感じ?
651人間七七四年:2008/09/28(日) 18:37:46 ID:2PCb0JDX
信長も基本軍義に従ってるじゃん。

信長が軍義の内容を自分の意思でひっくり返した事例を具体的に挙げてくれないかな?
まさか桶狭間の時篭城ってのを覆して撃って出たなんて、講談物の作り話を信じてないよね?w
652人間七七四年:2008/09/28(日) 18:40:04 ID:MkljSfdL
>>650
信長を説得するだけ無駄。
比叡山焼き討ちの直前、信長に意見した佐久間や明智の嘆願など一蹴されているのは有名なんだが・・・
653人間七七四年:2008/09/28(日) 18:42:04 ID:2PCb0JDX
>>652
> 比叡山焼き討ちの直前、信長に意見した佐久間や明智の嘆願

講談の作り話だよそれ。
654人間七七四年:2008/09/28(日) 18:43:10 ID:MkljSfdL
>>651
桶狭間の時、信長は事前にろくな軍議などしていないのだが。
既に自分の考えは決まっており、独裁体制を敷いていた信長には、そんなの必要なかったからだ。
655人間七七四年:2008/09/28(日) 18:44:59 ID:2PCb0JDX
比叡山焼き討ちは足利義教が行って以来、京の治安維持上必要な場合は行いうる将軍の権能の一つとされた。
細川政元も「将軍の輔弼」としてその権限を行使し比叡山を攻撃した。
信長も同じ事。彼は義昭の輔弼として将軍の治安維持権を行使したに過ぎない。
656人間七七四年:2008/09/28(日) 18:46:25 ID:2PCb0JDX
>>654
だから信長が軍議を覆して自分の意志を押し通した具体的な事例を出せよと言っておる。
657人間七七四年:2008/09/28(日) 18:47:13 ID:MkljSfdL
>>653
ほう、では信長の叡山焼き討ちも講談の作り話か?
君にとっては本能寺の変も関ヶ原の東軍勝利も講談の作り話なんだろうな〜
658人間七七四年:2008/09/28(日) 18:49:25 ID:pBfJFIvr
>>633
日本には去勢というのが存在しなかったのを理由に書いてるのを知らんのかと思う
659人間七七四年:2008/09/28(日) 18:49:38 ID:MkljSfdL
>>656
桶狭間関連の記述読んだらどうだ。
無知なら、知識を入れた上で反論どうぞ。
660人間七七四年:2008/09/28(日) 18:50:16 ID:TWSxL5BX
叡山焼き打ちなんて信長の前にも数回行われてるのに
知ったかして「光秀が〜」とか書いちゃう程度だから煽りにも全力ですね^^;;
661人間七七四年:2008/09/28(日) 18:51:48 ID:pBfJFIvr
>>657
では焼き討ち直前に佐久間や光秀の嘆願を一蹴のソース出して
662人間七七四年:2008/09/28(日) 18:52:39 ID:8VOQ+4/x
で、ちゃんと本能寺の変の考察につながる流れになるんだろうな?
663人間七七四年:2008/09/28(日) 18:56:49 ID:MkljSfdL
>>661
では叡山焼き討ちや本能寺の変や関ヶ原の東軍勝利のソースもだせってか・・・
有名な史実はソース以前の問題。
知らないなら、自分で調べてから反論どうぞ。
664人間七七四年:2008/09/28(日) 18:57:12 ID:2PCb0JDX
>>659
> 桶狭間関連の記述

桶狭間関係の、なんと言う書物、もしくは論文の、どこの記述を読めばいいか、「具体的」に言ってくれませんかね?
665人間七七四年:2008/09/28(日) 19:00:00 ID:pBfJFIvr
>>663
はいはい、ソースも知らないのに史実認定ってかw
逃げたんで終了ねw
666人間七七四年:2008/09/28(日) 19:00:18 ID:MkljSfdL
>>664
できるだけ多くの記述を読んで、ご自分で好きなようにお調べください。
そもそも、こんな幼稚な質問をするセンスが信じられない。
667人間七七四年:2008/09/28(日) 19:02:25 ID:2PCb0JDX
>>666
つーか君は信長公記すら読んでないだろw
668人間七七四年:2008/09/28(日) 19:04:01 ID:TWSxL5BX
基本的なところが津本陽の小説やエッセイの影響受けまくりなのはわかりますよ^^;
669人間七七四年:2008/09/28(日) 19:04:02 ID:MkljSfdL
>>665
叡山焼き討ちや本能寺の変や関ヶ原の東軍勝利のソースを求めること自体ナンセンス。
焼き打ち前の佐久間や明智の嘆願も同様。
自らの無知を省みず、史実を否定する愚。
というより、難癖目的でソースを要求するのは、十八番ってか。
670人間七七四年:2008/09/28(日) 19:14:47 ID:MkljSfdL
>>667 >>668
では君の主張の根拠なナンだ?
単なる釣り狙いの難癖だろうに・・・
反論あるなら、焼き討ち直前、佐久間や明智はどうしたのか、説明どうぞ。
否定はするが、論証はできないってか・・・
説得力ゼロ。
671人間七七四年:2008/09/28(日) 19:27:51 ID:pBfJFIvr
>>669
>焼き打ち前の佐久間や明智の嘆願も同様。
>自らの無知を省みず、史実を否定する愚。
いつから嘆願が史実認定になったの?
肯定するソースも知らずに、史実とかw


あ、こいつ前に秀秋が東軍スレで、ソース聞かれて史実だと言いまくって煽り逃げしたヤツだw
常時ageもそっくりw
672人間七七四年:2008/09/28(日) 19:31:17 ID:pBfJFIvr
焼き討ち直前、佐久間や明智が嘆願したソースだして論証できなきゃ説得力ゼロ。って事やねw
673人間七七四年:2008/09/28(日) 19:31:47 ID:ixAiyxl+
いい加減、本能寺の変の真の原因の探求に戻りませんか。
674人間七七四年:2008/09/28(日) 19:35:38 ID:MkljSfdL
>>671
だから否定するなら、焼き討ち直前、佐久間や明智はどうしたのか、論証どうぞ。
できっこないだろ。
できないのに、どういう根拠で否定できるのか。
答えは唯一つ。釣り狙いの難癖だから。
問題はソースではなく、主張の是非。
偽りの史実がソース名を示せば、正統になるはずもなかろう。
ネットの中だけでペテンを吠える愚。

ちなみに『秀秋が東軍スレで、ソース聞かれて史実だと』って、それ何だ?
つまらん言いがかりはやめてくれ。
675人間七七四年:2008/09/28(日) 19:38:23 ID:MkljSfdL
>>672
焼き討ち直前、佐久間や明智が嘆願せずどうしたのか論証できなきゃ説得力ゼロ。って事やねw

否定はするが、論証はできないじゃ話にもならない。

単に釣り狙いの難癖なんだから尤もなんだが・・・

676人間七七四年:2008/09/28(日) 19:42:32 ID:8VOQ+4/x
>>675
立証責任って言葉知ってますか?
それとスレタイ読めますか?
677人間七七四年:2008/09/28(日) 19:45:19 ID:pBfJFIvr
>>674
>だから否定するなら、焼き討ち直前、佐久間や明智はどうしたのか、論証どうぞ。
だから嘆願を史実認定するソースだせと書いてるんだが?


>問題はソースではなく、主張の是非。
主張の根拠=ソースなければ、否定する前に肯定出来ません、悪しからず



>叡山焼き討ちや本能寺の変や関ヶ原の東軍勝利のソースを求めること自体ナンセンス。
焼き討ちは信長公記や各種書状、本能寺の変は公記・公家の日記に書状、東軍勝利も同じ
名前出せと言われればいくらでも出してあげるぞw

で佐久間や光秀が嘆願したソースは?名前もだせんの?
ソースなければ、偽りの史実ですねw

ちなみに、信長公記にはそんな話題はありませんw
678人間七七四年:2008/09/28(日) 19:46:18 ID:MkljSfdL
>>676
立証責任に関しては、671、672にどうぞ。

何しろ否定はするも、全く論証できないんだから。

論証できず否定する愚
679人間七七四年:2008/09/28(日) 19:51:29 ID:MkljSfdL
>>677
で、信長公記や各種書状にて、佐久間や明智は焼き討ち直前、信長にどういう対応をしたって?

論証してもらおうじゃないか。

論証できず、尤もらしいソース名だけ挙げてすり替える愚

これまで何回そんなペテン弄してはぐらかしてきたの?

そもそも有名な史実にソースなんて関係ない。

大事なのは、正しい歴史認識であって、ソース名ではないからだ。
680人間七七四年:2008/09/28(日) 19:52:35 ID:8VOQ+4/x
>>678
論証するのは主張する側。
あんた以外は誰も主張してないし、あんたの主張を今の段階では否定もしていない。
主張の根拠を求めてるだけ。

いい加減、バカの振りをするのはやめれ。
681人間七七四年:2008/09/28(日) 19:52:47 ID:pBfJFIvr
存在の証明が出来ない=存在しない=否定ですw
存在証明出来て、はじめて是非の議論が出来るのです

和田家文書の和田秀純宛光秀発給文書で光秀が叡山焼き討ちに積極的だったと証明されたのは言うまでもないがw
682人間七七四年:2008/09/28(日) 19:54:13 ID:pBfJFIvr
そもそも有名な史実にソースなんて関係ない。
そもそも有名な史実にソースなんて関係ない。
そもそも有名な史実にソースなんて関係ない。
そもそも有名な史実にソースなんて関係ない。


史実になるにはソースがあるからですがねw

>>680
こいつはスレ潰しが目的だからw
683人間七七四年:2008/09/28(日) 19:56:12 ID:8VOQ+4/x
>>682
> こいつはスレ潰しが目的だからw

それが目的かどうかは知らんが、これ以上のスレ違いに加担するのは良心が咎めるのでこのスレでバカを相手にするのはやめるわw
684人間七七四年:2008/09/28(日) 20:00:27 ID:TWSxL5BX
そりゃソース名が小説じゃ言えないよなwwwww
685人間七七四年:2008/09/28(日) 20:03:20 ID:MkljSfdL
>>680-683
何だかんだ言って、結局何も論証できず。

ソース名挙げるのが精一杯。

では、そのソースとやらに、君の主張を裏付ける記述の一端を紹介したらどうだ。

できっこないわな

単なる釣り狙いの難癖なんだから。

有名な史実にソースを求める事自体非常識。

他人に、関ヶ原で勝ったのは西軍だ。嘘だというならソース示せ。と要求しているのと同じ。


686人間七七四年:2008/09/28(日) 20:09:48 ID:MkljSfdL
>>684
何のかんの言っても、否定はしても論証できず。

そもそもソース名を意識して勉強している阿呆など、誰かさんを除いて一人もいない。

原書を研究している専門家ならいざ知らず、一般の読者は専門家の著作を読むのが常道。



687人間七七四年:2008/09/28(日) 20:12:59 ID:TWSxL5BX
>>686
ですよね^^;やっぱりそうですよね^^;ソースは小説だったんですよねw
688人間七七四年:2008/09/28(日) 20:18:39 ID:MkljSfdL
>>683
否定はしても論証できず。
ソース名だけ示して、それで終わり。
それでは該当記述があるのかさえ不明。
あるわけないけどさ。
上っ面で否定して、ソース名だけ挙げて誤魔化してるのがミエミエ。

689人間七七四年:2008/09/28(日) 20:33:51 ID:MkljSfdL
>>687
歴史小説を全て一緒くたにしてフィクションと決め付けてる愚。

しかも自分にとって都合の悪い部分だけ体よく否定。

否定はしても何一つ代替の論証もできず、単にソース名挙げるだけ。

君のソース名列挙のペテン手法は、安物を尤もらしい理屈を付けて売り捌く霊感商法みたいだな。

外ズラだけで、中身がない。だから何も論証できない。

これまで幾度となく使い倒した手法らしいが、俺には通用しない。

残念だったね。ご苦労!
690人間七七四年:2008/09/28(日) 20:34:41 ID:Rt2+ps5q
光秀が比叡山東麓の雄琴城主・和田秀純に宛てた書状で
光秀は早くから比叡山の攻め口などの分担を練り、
周辺土豪の和田氏や八木氏らの懐柔をしながら、
信長による比叡山攻めの号令を待っていた様子が伺えるのである。
光秀は和田秀純が宇佐山城に合力することを謝し、
和田氏の雄琴城を支援することを確約、
また織田勢に靡かない仰木氏については皆殺しにすることを記している。

↑の内容などで光秀が信長に比叡山焼き討ちを諌言したとされることに疑問が持たれているらしいよ
691人間七七四年:2008/09/28(日) 20:39:24 ID:pBfJFIvr
>>690
そんあの書いても無駄だよ
「関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら」スレでも全く同じ事してたキチガイいたから
692人間七七四年:2008/09/28(日) 21:00:30 ID:MkljSfdL
>>690
力作拝読。
まぁ、急場のフィクションとしては上出来だ。お見事!

信長が叡山焼き討ちの意志を表明したのは、九月十一日。
それから間もない夜半の十二日未明には焼き討ち開始。

時間的余裕など全然ないのに、一体光秀はどうやって
『早くから比叡山の攻め口などの分担を練り、周辺土豪の和田氏や八木氏らの懐柔』
したんだろうな〜

あっちゃ〜、自爆しちゃったね。ザンネーン!
まあ君はこの程度。
これに懲りてソース要求のペテンは用いない事だ。
恥かくだけだから。

693人間七七四年:2008/09/28(日) 21:13:48 ID:MkljSfdL
>>691
文脈からすると、君はその当事者ってわけね。
一人二役の使い分けはどうよ?
694人間七七四年:2008/09/28(日) 21:22:26 ID:wJk0hHG9
スレチやめろや!
延暦寺などどうでもいいよ。せめて、変の持論に関連付けろや!
695人間七七四年:2008/09/28(日) 21:24:51 ID:pBfJFIvr
まぁ9月11日の時点で信長は近江に布陣していたのに、焼き討ち意思表明したのは11日と言い出すからね
それまでの発給文書や叡山とのやり取りも知らないんだろ

さすがキチガイ、主張にいつも根拠がないw
696人間七七四年:2008/09/28(日) 21:48:33 ID:TWSxL5BX
ソースは小説で、該当ページを一生懸命探して日にち見つけてるんだなーw
697人間七七四年:2008/09/28(日) 21:50:16 ID:MkljSfdL
>>695
近江侵攻と叡山焼き討ち表明を混同している愚。
近江侵攻から焼き討ち表明まで日数があったことさえ知らんらしい。
恥の上塗り。
698人間七七四年:2008/09/28(日) 21:51:44 ID:2PCb0JDX
>>697
ねえもしかして本当に心病んでる?
699人間七七四年:2008/09/28(日) 21:54:55 ID:MkljSfdL
>>696
インチキなソースを挙げ、三文小説を捏造する恥晒しの誰かさんの恥の上塗りか・・・
ソースにこだわり史実をないがしろにする愚。
ペテン手法が通用せず、負け犬の捨て台詞で悦!
700人間七七四年:2008/09/28(日) 21:58:43 ID:MkljSfdL
>>698
君がね。
道理で、ソース挙げるだけで否定の論証ができないわけだ。
それをやったら嘘がバレて赤っ恥だからな。

701人間七七四年:2008/09/28(日) 23:30:22 ID:VFbrlQ4W
702人間七七四年:2008/09/28(日) 23:43:25 ID:pBfJFIvr
>近江侵攻と叡山焼き討ち表明を混同している愚。
>近江侵攻から焼き討ち表明まで日数があったことさえ知らんらしい。
>恥の上塗り。

「言継卿記」で9月11日付で信長が常楽寺から園城寺に移陣したと書いてあり、
次の日に叡山焼き討ちしているが、こいつに言わせると「近江侵攻と叡山焼き討ちを混同している愚。」らしい
場所を調べれば一目瞭然なんだがね
信長は8月18日に横山へ出陣し、浅井氏と朝倉氏を牽制した後に、常楽寺から園城寺と南下
この間、主だった戦闘は起きていない、摂津・大和の方が激しい戦闘起きてる
703人間七七四年:2008/09/29(月) 08:46:28 ID:M8brhNYV
終わったか?
どう見ても700の負けなんだが、ツッコンだ二人ももう少し明解にやっておかないと
またわいてくるぞ。遊んでたのはわかるが。
704人間七七四年:2008/09/29(月) 13:21:40 ID:M8brhNYV
「女信長」という小説があって、どうみてもゲテモノなんだがこれが案外おもろい。
いろんな逸話、信秀葬儀の振る舞いとか平手自決とか、そういうのをうまいこと新解釈と言うか
こじつけてる。
最後はお約束で、天海が本能寺を語る、んだが、一度ダマされたと思ってよんでみておくれ。
705人間七七四年:2008/09/29(月) 20:35:31 ID:oJl8HGUs
えらく進んでいると思ったら。
本能寺の変の影響について、考えてみませんか。
明智光秀以外で、誰が得をしたのか。誰が損をしたのか。
706人間七七四年:2008/09/29(月) 21:14:01 ID:MxQ+Ymjf
>明智光秀以外で、誰が得をしたのか。誰が損をしたのか。


得:正親町天皇、足利義昭、上杉景勝、毛利輝元、長宗我部元親、高野山

707人間七七四年:2008/09/29(月) 21:15:50 ID:MxQ+Ymjf
損したのは結果論だがのちに衰退する堺商人。

京都南蛮寺の門前の商店街の店主たち。
708人間七七四年:2008/09/29(月) 21:17:52 ID:M1sWyjNN
天皇は不安しか残らないだろ
709人間七七四年:2008/09/29(月) 21:20:07 ID:p2CSlzih
谷口も朝廷関係者は喜んだであろうとは著書に書いてたね。
710人間七七四年:2008/09/29(月) 21:21:11 ID:N4IOjbb5
>>709
人によるでしょ。近衛なんて大ダメージだし。
711人間七七四年:2008/09/29(月) 22:35:11 ID:M8brhNYV
どうして、秀吉や家康が出てこない。
712人間七七四年:2008/09/30(火) 02:10:31 ID:oDbuMKfG
近衛の場合はとばっちりとも言えるんだろうけど、それにしてはあの逃げ方は尋常じゃない。
近衛屋敷から矢を打ち込んだ、というのからこのあたりは朝廷関与説にも利用されたりしてるな。

ただ、信忠が二条屋敷に逃げ込んだのは結果論だから、それをもってして朝廷関与
というのもおかしいのだけど、そういう申し開きが通用せずに逃げまくった、というのは
確かに近衛自身は、ちょっとなにか後ろめたいのがあったんだろかね。
713人間七七四年:2008/09/30(火) 12:39:49 ID:IBb+13xW
>>712
近衛の手紙によると、自分の反対派の策動があって逃げることになった、とか。

これだけでも朝廷とか公家とか天皇とか一まとめにできないよな。
714人間七七四年:2008/09/30(火) 13:02:35 ID:oDbuMKfG
そういう手紙はどこまで信用できるか別だけど、それを理由にしているところが
確かに朝廷も一枚岩でなかった、ということにはなる。
ただ、同じ五摂家でも直後に役職をめぐってゴタゴタしてるし、こういうのはいつどの時代にも
あるもので、とりたてて強調するほどでもないともいえる。
やっぱり、近衛は疑われる要素が十分にあったような。

で、一まとめにはできないのはそうだけど、下っ端がウダウダいうのはいつの時代にも
あることで、天皇とその側近、信長と直接関係を持ち直接その影響を受け責任もある立場と言うのは
ある程度一本化された立場にあったと思うけどね。
ウダウダ言うのは逆に無責任な下っ端、ちゅう感じか。
715人間七七四年:2008/09/30(火) 15:46:41 ID:7xp+CCf3
>天皇とその側近、信長と直接関係を持ち直接その影響を受け責任もある立場と言うのは
ある程度一本化された立場にあったと思うけどね。


正親町天皇の時代に限って言えば、かならずしもそうとも思えない。
716人間七七四年:2008/09/30(火) 16:46:01 ID:oDbuMKfG
もう少し詳しく教えてもらえるとうれしいな。
正親町天皇時代の信長とのやりとりは当然ながら、ある立場、のものが一本化して
担当していただろうし、最後のほうの馬そろえあたりまで、常に信長を権威でその支配下に
おこうとしていた。
ま、当然だが。
なので、朝廷側も一枚岩ではない、といった時に、反信長、親信長みたいなのがあったのかどうか。
近衛が言ってるのは、自分の利害関係、の話で信長勢力に対する朝廷側の立場、というのに
大きな内輪もめみたいなのはないように感じる。
717人間七七四年:2008/10/01(水) 00:43:30 ID:hYWBddUh
五摂家の中で二条家と近衛家は関白の座を巡って仲が悪かったし、公家間でも
所領を巡る争いなどで問題はあった。

はなはだしくは、天皇家が山科家の所領を横領したなんて訴えが起されている。
この頃の公家は武家と違って武力を持たないので、争いが合戦という目に見える
判りやすい形で起らないので後世の人間が気付きにくいというだけ。

親信長といえば、間違いなく近衛。信長と公家の付き合いではこれまで山科家が
注目されていたが、天正以降最も信長と公私にわたって親しかったのは近衛。
718人間七七四年:2008/10/01(水) 01:04:42 ID:Y54CKhrK
近衛が親信長というのは理解できる。
こいつは趣味が馬乗りというぐらいで、ひ弱なマロ系の公家じゃなくて、体育会系だったらしい。
さらに馬揃えでも、もちろん官職の関係もあるだろうが、公家代表みたいな感じで登場してる。
だもんで、秀吉に疑われた、というのは、屋敷から矢をいかけた、とかそういう話じゃないとこで
共謀と言うより、あれだけ親しいので何か知ってるだろ、みたいなとこもあったのかな。

その後も秀吉の関白就任のとこでも名前がでてくるよね。
だもんで、何か変後のどさくさで秀吉に弱み握られてたとか。
小説で悪いが。
719人間七七四年:2008/10/01(水) 02:08:19 ID:yXr19Foh
光秀は信長を襲って 他の奴らから袋だたきになるのに なんで謀反したのかねぇ 全員潰す自信があったのか
720人間七七四年:2008/10/01(水) 02:43:54 ID:yqOUygRL
光秀が近衛屋敷の屋根に軍勢を上げる事を申請し、
近衛がそれを許可。

近衛屋敷の屋根から二条城内に鉄砲が打ち込まれて信忠が自刃に追い込まれた。


721人間七七四年:2008/10/01(水) 02:45:42 ID:yqOUygRL
>>719

ある程度の期間、こう着状態で持ちこたえれれば朝廷や足利の調停で
畿内の支配権が確保できるという甘い見通しはまかったか?
722人間七七四年:2008/10/01(水) 03:35:34 ID:TSTYquRU
1.秀吉→毛利に釘付け。下手すれば軍団そのものが崩壊。
2.朝廷→所詮は権力者にすがるしかない奴ら。
3.細川らの呼応。

こんだけあれば畿内くらいは制圧出来ると思ったんでない?
周りの奴らもそう簡単に包囲網なんて組めないだろうし。

が、実際は細川は動かず、朝廷も反応が鈍く、挙句の果てには秀吉があっという間にもどってきたと。
723人間七七四年:2008/10/01(水) 03:39:22 ID:SHFNkleN
近衛前久の妹だか娘だかが丹波の赤井直正の嫁いでたって話もあるよな。
光秀が赤井氏と戦っていた頃どうしてたのか不明のようだが。
724サイコメトリー:2008/10/01(水) 10:43:49 ID:TEqN1qyN
>>723
近衛前久の妹との様ですね。波多野元秀の娘を正室としてたが、亡くなって
しまったので、前久の妹を妻とした様です。ちなみに間には一女居る様です。

スレチなので、一言で終わりにするが、赤井直正の病死は光秀にとって非常
に大きな事(良い意味で)だったと思う。
725人間七七四年:2008/10/01(水) 10:44:40 ID:Y54CKhrK
>>719
近いものはあったと思う。
武力と朝廷の権威、これでなんとかなる、と。
そして、光秀自身は信長やサルやタヌキよりも自分に自信があり
悪くとも、自分が将軍宣下受けて、他の武将を支配下におく、そういった予定ではなかったか。

なんだが、サルやタヌキが、想像以上の化けサル、化けタヌキだったと。
是非におよばず、というのは光秀にこそ似合うかもしれない。
726人間七七四年:2008/10/01(水) 10:56:46 ID:Y54CKhrK
もう一つの注目点だが、光秀は絶好のタイミングでなかったか、ということ。
もっと早い時点だと、信長を倒しても自分が統一に近いことをして将軍になる、
というのはかなりの難儀だったろう。
また統一後にはさすがに強大な信長は実力上もチャンスという面でも難しかったろう。
なので、丁度あの時点、信長統一寸前で謀反することが、いかにも信長にかわって
「新しい天下人」というイメージにも状況にもなってる。

結果論じゃね、偶然じゃね、と言われたらそれまでだが、それにしては見事なタイミングで
成功してるからね。
朝倉、義昭、信長、と絶好のタイミングで移り渡って出世してきた光秀の機を見て敏という
能力は十分に評価すべきだろう。
727サイコメトリー:2008/10/01(水) 10:58:15 ID:TEqN1qyN
>>719
光秀の構想では、ある程度の自負はあったと思う。
信長に反旗を翻えし、信長を襲った以上、信長の討ち洩らしは絶対に有り
得ないと自覚し、事を進めたはず。プラス織田家点在軍などは、烏合の衆
と侮っていた可能性もあり得るね。特に丹羽・信孝軍は眼中に無かった事
は間違いないと思われます。

728人間七七四年:2008/10/01(水) 11:13:35 ID:zkWNnX0a
結果的には信忠を倒せたが、信忠が京から脱出した場合、
光秀はどうするつもりだったんだろう?
729人間七七四年:2008/10/01(水) 11:15:46 ID:Y54CKhrK
新しいお題だが、読本の少し前のでお茶のほうからおもろい意見が出てるね。
1日に本能寺で大茶会があった、というのは事実誤認である、というのを踏まえた上で
実は二日に大茶会が開かれる予定があった、という文書があるというもの。
これはあまり聞かないけど、以前からあった話なのかな?
で、家康が堺をたって京に向かったのもこの茶会に
招待されたものではなかったか、というもの。

そういう茶会にはものものしい警護などはひかれなかったらしくて、京の文化に
親しんでいた光秀も知っていたのではないか、とすると二日に本能寺にほぼ無防備で滞在する
というのはかなり自信があった情報だったか、という感じでね。
これは桐野の、28日にはまだ決断してなかった説と微妙なところなんだけど、なかなか
興味深い問題提起とは思う。
ほんで宗及や友閑も京に向かった、という記述があるから、堺衆や朝廷が茶器で信長を
おびきよせた、というのもまず成立しないことにもなる。

どうなんだろ。
730人間七七四年:2008/10/01(水) 11:18:24 ID:MA/q4NGd
>>728勝家との連携を徹底阻止するだけじゃね?
元々光秀は北方しか警戒していない感じすらあるし
731人間七七四年:2008/10/01(水) 17:27:14 ID:Y54CKhrK
>>728
そだね。
ほんで時間を稼いで、将軍宣下、を早急に受けてたと思う。
そうすれば、朝敵信長を倒した、という大義名分もついて、織田家の復讐が
朝廷への反逆行為になる。
秀吉がいそいだのも、もしかしてこのあたりまで読んでた、というのはさすがに
かいかぶりか。
732人間七七四年:2008/10/01(水) 19:33:02 ID:hYWBddUh
そもそも当時の信長は朝廷と敵対していたという認識が周囲にあったのか?
733人間七七四年:2008/10/01(水) 19:38:08 ID:3Kqw5GDY
>>732
いえまったく。
後世の人間が勝手に妄想しているだけです。
734人間七七四年:2008/10/02(木) 12:06:43 ID:fdCFeBTX
御所を見下ろす形で城を作った、大変失礼で礼儀知らずな武将がいました。
735人間七七四年:2008/10/02(木) 12:41:48 ID:NKy56FHH
>>725
光秀が将軍位まで視野に入れてたかはちと疑問。
義昭擁する毛利や関東管領の上杉まで敵に回しかねん。
義昭の外交ルートを使って織田残党に対処するつもりなら、
自分が将軍にってのはないんじゃね?
執権なり管領なりは考えてたかもしれんが。
736人間七七四年:2008/10/02(木) 12:51:59 ID:1ZwzHorE
>>734
それも後世の推測じゃん
737人間七七四年:2008/10/02(木) 13:51:10 ID:Ij/85hOv
安土城天主の天主が天守じゃないとかだろ。
長篠で酒井が坂井になってるのと同レベルじゃないのかな。
それで 安土城天守の下に行幸の際の宿泊施設があったから
不敬だってのが 朝廷軽視派の意見だよね。
そもそも天皇の宿泊場所さえ憶測でしかないし。

日本の天皇は唯一の権威だけど 権力じゃないんだ
そして天皇家の方でなければ天皇にはなれない「これこそが権威」
これに取って代わるなんて非現実的。
平清盛のように外戚として、天皇家の権威を利用し
権力を振るいたいと考えるのが現実的。
738人間七七四年:2008/10/02(木) 15:03:48 ID:a9ppBkXH
>そして天皇家の方でなければ天皇にはなれない「これこそが権威」
これに取って代わるなんて非現実的。


足利義満。道鏡。蘇我入鹿。平将門。
739人間七七四年:2008/10/02(木) 15:05:33 ID:1ZwzHorE
>>738
どれ一つとして…
740人間七七四年:2008/10/02(木) 15:43:37 ID:Ij/85hOv
伝奇小説はやめない?
741人間七七四年:2008/10/02(木) 20:06:38 ID:PJWgeCCD
本能寺の変のタイミングですが、明智光秀の得ていたと推測される状況からは、文字通り千載一遇の好機だったわけです。
信長親子は京都に護衛兵をそんなに連れずにいる。柴田は上杉と、滝川は北条と、羽柴は毛利と対峙していて、京都に向かえない。
畿内には、信孝率いる四国遠征軍と、自分の率いる羽柴救援軍しか1万以上の軍勢はいない。徳川は、堺にいて、孤立している。
更に畿内の有力武将の細川と筒井は自分の縁戚で、親族ということで、味方してくれる可能性は高い。
そして、自分は信長に粛清される危険にさらされている。

こういった状況から、今、信長親子を討てば、畿内で独立政権を築けると判断するのは、妄想でしょうか。
座して粛清されるくらいなら、という心境に陥っていれば、尚更、謀反に賭けたくなります。
そして、畿内を制圧すれば、当時の状況からいって、強い者につかざるを得ない朝廷は、明智の味方になると思います。
そうすれば、主君の敵打ちを名目に掲げる旧織田勢力(羽柴・柴田等)を、朝敵にでき、大義名分上は、優位に立てるわけで。

私が光秀の立場なら、本能寺の変を起こしますね。
742人間七七四年:2008/10/02(木) 20:21:05 ID:6hMyKssS
大阪の信孝軍が動けないだろうと見たのはギャンブルだったと思う。

結果的に成功したが、薄氷を踏む思いだったのではないか。
743人間七七四年:2008/10/02(木) 20:52:49 ID:cWRSnJJA
>>742
ギャンブルかな。光秀から見れば、津田信澄という味方になる可能性が高い人物がいる。
本当に優秀なら、光秀に味方せざるを得ない(光秀の娘婿であり、信長の弟の信行の子である以上、内通の疑いがかけられ、信孝に殺されて当然。)。
味方せずとも、信澄を殺してしまった四国遠征軍は自壊する(信澄は、摂津衆の取り纏め役で、四国遠征軍の副将とされている。)。
実際に史実でも、信澄が死んだことから、取りまとめ役を失った地元の摂津衆は四散し、四国遠征軍は、秀吉の到着により、崩壊状態のところを救われている。
更に言うなら、独立した軍勢を率いての実戦経験豊富な光秀に対し、信孝はそもそも大軍を率いた経験はなく、四国遠征軍で最も実戦経験豊富な丹羽長秀にしても、独立して軍勢を率いた経験はない。
これらからすれば、四国遠征軍の実戦能力は、見かけ倒しと、明智光秀が考えるのも無理からぬ気がする。
744人間七七四年:2008/10/02(木) 21:22:59 ID:BqGhZeWg
>>741>>743
>細川と筒井は自分の縁戚で、親族ということで、味方してくれる可能性は高い
縁戚だけで反乱に同調すると考えるのはかなり浅はかだと思う。これは戦国時代では特に。
そもそも、荒木謀反のときに縁戚でありながら同調しなかったのが他ならぬ光秀だろうに。
他人の謀反には縁戚でも同調しないで見捨てるけど、自分が謀反を起した時は縁戚は同調
してくれる、なんて都合のいい夢想を抱く人だったんですかね光秀は。

>強い者につかざるを得ない朝廷は、明智の味方になると思います
これは必ずしもそうとは言えない。室町戦国における朝廷のスタンスは武家の争いには
介入しない、であり基本的に局外中立をむねとした。講和の仲介などは担った(むしろ武家
から求められた)が、自身が政治的に何処かの勢力に加担するということはしない。
これは信長に対しても同様で、求められれば講和に携わるが、信長の征服事業に積極的に
加担したことはない。信長も征服戦争に朝廷を具体的に利用したことはない。
当然、自分の敵である本願寺や武田や毛利らを
>旧織田勢力(羽柴・柴田等)を、朝敵にでき
などと朝敵にしたことはないし、朝廷もかれらを信長のために朝敵認定したこともない。

>津田信澄という味方になる可能性が高い人物がいる
これも上の理由でクエスチョン。一応織田一族として厚遇されている信澄が、織田の天下を
覆し光秀の天下のために働く?

>信澄は、摂津衆の取り纏め役で、四国遠征軍の副将とされている
初耳ですね。証明をお願いします。当時摂津は池田のものだし、副将についてはこれまで
丹羽とされ、谷口氏がいや丹羽を副将とする確かな根拠はないとされていますが、信澄が
副将格だったというのは初めて聞きました。
年齢、経歴、官位、所領全ての面で信澄より上な丹羽を越えて副将だったというのだから、
よほど確かな根拠があるのでしょう?
ちなみに縁戚関係でいえば、長秀の妻は信長庶兄信広の娘で一説には信長の養女。息子
長重の妻は信長の娘。
745人間七七四年:2008/10/02(木) 21:39:46 ID:8/hHeqpg
本能寺の変、ギャンブルと言えば、ギャンブルだが、信孝丹羽軍の動向においてギャンブル性は低い様に感じる。なぜなら、命令系統の弱さ+組織の統一性の弱さ。
746人間七七四年:2008/10/02(木) 21:55:03 ID:1ZwzHorE
明智が倒された後の清洲会議で、信忠まで死んだという状況があったとはいえ、
織田一族ではなく、家臣団による合議により主君を決めると言う、一揆的形態丸出しの状況を見ると、
信長の体制における君主権は、さほど強くなかったのではないか、って気もするな。少なくとも
巷間言われているほどには。
747人間七七四年:2008/10/02(木) 21:56:21 ID:fdCFeBTX
>>735
「足利幕府消滅は天正10年6月13日」という専門的な研究はご存知?
つまり本能寺も、室町からの体制、と言う面から語られるべきで、野望とか
怨恨とか個人レベルでは語るものではない、というの。
この説に関してはまだこのスレでも出てなくて、機会があったら紹介するけど
とりあえず、光秀は執権なり官領なり「錦の御旗」を考えていた、というぐらいでどう?

748人間七七四年:2008/10/02(木) 22:49:01 ID:+uy6dhiV
>>744
津田信澄が無実だったなんて何がソースなの?
749人間七七四年:2008/10/02(木) 23:23:31 ID:fdCFeBTX
光秀からみたら、一番近くにいて反撃してくる可能性があったのが信孝軍であり
当然その動向に配慮したであろう。
ギャンブル、というより戦えば勝てる、という自信だったのではないか。

ただ信孝軍が四散解消したのは、信澄、は関係なく「傭兵中心」だったからだろう。
「信長についていけば一旗あげられるかも」「お金ももらえる」この二つが無くなれば
当然脱走する。

ちなみに、大返しで秀吉は姫路で「金銀大盤振る舞い」して兵士に全部配り
鼓舞したという。
さすがやのぉ。
750人間七七四年:2008/10/02(木) 23:27:52 ID:1ZwzHorE
秀吉は傭兵の本質をわきまえてるよね
751人間七七四年:2008/10/02(木) 23:36:06 ID:fdCFeBTX
そう。
秀吉の金茶室とか美意識で語る人も多いが、あれは人の気を引くには
「お金」という本質を理解していた、というような解釈が正解だろう。
その点、信長は「ケチ」だそうなので、興味深い「対称」とはなってるな。
752人間七七四年:2008/10/02(木) 23:36:59 ID:+uy6dhiV
>>749
「金銀大盤振る舞い」も「人質を取らずに人身掌握しようとした」のも光秀のやった事。
光秀の所業を太閤記で自分のやった事にしただけなんだよ。

秀吉は思いっきり人質取ってる事がわかる書状が今濱に保管されてるよ。
753人間七七四年:2008/10/02(木) 23:38:05 ID:1ZwzHorE
つーか、基本的に光秀も秀吉も、傭兵隊長みたいなもんだからなあ。
754人間七七四年:2008/10/03(金) 00:17:23 ID:NdI7ybOG
>>752
よくわからない。
光秀はどこで「金銀〜」して「人質〜」ってのは何の話?
755人間七七四年:2008/10/03(金) 00:18:16 ID:hwKOt/+N
>>746
信長に権力が集中していたからこそ信長父子の死後、家臣団による合議となったとも考えられる
756人間七七四年:2008/10/03(金) 00:25:36 ID:pFcz+0GQ
>>755
そこは解釈の問題になっちゃうんだろうな。
757人間七七四年:2008/10/03(金) 00:36:18 ID:7+EwwoN7
13000の明智軍が集結するまでに何故誰も気付かなかったんだろ?
758人間七七四年:2008/10/03(金) 00:39:37 ID:pFcz+0GQ
>>757
光秀が本能寺に到着する前、2000くらいの先鋒隊が囲んだ段階で信長切腹、って状況だったらしいぞ。
759人間七七四年:2008/10/03(金) 00:44:13 ID:7+EwwoN7
>>758
ありがとう。
そうだったのか…

信忠も2000くらい率いてたんだよな?警備が甘かったんかな…
760人間七七四年:2008/10/03(金) 00:52:09 ID:NdI7ybOG
最新の説では本能寺は小規模だった、ということになっている。
ほとんど無防備だったと言ってもいいだろう。

それと事実かどうかはともかく、テレビ等では「ワア〜ッ」と攻めるが覚書
では、ほとんど無音でヒタヒタと攻めている。
集合するまでも、ヒタヒタT−1000型みたいにあつまったんだろう。
761人間七七四年:2008/10/03(金) 01:36:04 ID:ZXIbCVtC
津本陽と井伊の子孫さんの対談で
本能寺の変後に、馬廻衆がど〜たら、こ〜たら
行方が不明だとか、色々話してたけど
ここんとこど〜なん?
762人間七七四年:2008/10/03(金) 01:49:12 ID:+lwXp/iL
>>754
安土の金銀をばら撒いた事は兼見卿記等に書かれてる。
京都五山など受け取った側の記録からも確認できるね。
人質の件はフロイスの記録で確認できる。
763人間七七四年:2008/10/03(金) 01:57:11 ID:NdI7ybOG
>>761
津本、という単語が出たらスルーしてオケ。

>>762
金銀って、傭兵にバラまいたんじゃなくて、五山とかの話ね。
それなら必要経費みたいなもんでわかる。
人質の話はまだわからん。
さらに、光秀の仕業を自分のことにした、というのもわからん。
764人間七七四年:2008/10/03(金) 05:07:40 ID:6d3VJ1wB
>信澄は、摂津衆の取り纏め役で、四国遠征軍の副将とされている。


信澄は大阪城管理人として、大阪にとどまり、四国上陸後の信孝軍の
兵站などに従事する予定だったのではないかと思うが、史料が残っていない。
765人間七七四年:2008/10/03(金) 05:10:48 ID:6d3VJ1wB
京都五山に寄付したのは世論工作の期待もあったと思う。

ピットクルーみたいなもんだろ。
766サイコメトリー:2008/10/03(金) 08:07:11 ID:YbFduc4l
>>747
その説、是非とも教えて下さい。

>>760
最新情報だと、本能寺跡には城郭が確認され、ある程度の防御機能が存在し、
単んなる宿泊施設とは違うという事ではなかったでしたっけ?
767人間七七四年:2008/10/03(金) 10:36:47 ID:NdI7ybOG
>>766
本能寺跡については、読本八月号今谷の項参照。

747に関しては「本能寺の変というから個人レベルで矮小化され研究が進んできた」と過去の
手法をバッサリ。ここでいう「怨恨説」「野心説」も問題外。
で、「室町幕府体制の問題」から相当に深い考察がなされてる。
つまり「光秀の制度防衛」と言うべきものが変の真因、とされている。
「本能寺の反乱」と呼べべきだろう、という示唆も。
織豊研究の専門家、三木とかも参加する研究会などで出された説で
論文がいくつかある。

興味深いのは藤田説にも考察が深く、鈴木あたりの反論に対してどう答えるのか
そこらへん。
あの「上様馳走〜」って書状ね。義昭に関しても黒幕はともかく、制度面から
言及している。

そして、ここで否定されてる怨恨説の「家康饗応不首尾」に関して、事実ではなかったか
として、「けっとばした」はともかく「信長と光秀の間に意見の相違があったのは事実だろう、という
ように展開する。
これだけだと誤解されるのでぜひ論文を読んでほしいが、タイトル忘れた。
思い出してみるわ。

768人間七七四年:2008/10/03(金) 10:40:16 ID:pFcz+0GQ
>>766
信長の宿泊所のことでしょ>本能寺

> 「本能寺の変」(1582年)で、織田信長が宿泊していたのは寺の建物ではなく、ごく小規模な専用御殿だったという
> 新説を、今谷明・国際日本文化研究センター教授(日本中世史)が発表する。
> 昨年、旧本能寺境内で相次いだ発掘調査の成果などから、「建物は最大40メートル四方クラス」と判断した。
> 予想外に簡素だった理由については「大坂本願寺に移る予定だった」と推定。
> テレビドラマで繰り返し放送される大きな本堂前で奮戦する信長は虚像の可能性が高くなった。


> 発掘調査にあたった吉川義彦・関西文化財調査会代表は「この石垣が、信長時代のものであることは間違いない。
> 特に瓦の量などから大きなが伽藍が焼けた可能性は低いのではないか」と話す。
> 遺構の延び方からみて、堀が巡らされていたのは、境内の東北隅にあたるほぼ40メートル四方。
> この場所に、信長の御殿があったとみられる。
> 規模の小さな御殿で、しかも警護の者は少ない。
> 圧倒的な兵力(1万3000人)の明智光秀軍を前に、信長はあっけなく自害。
> 戦いはすぐ決着がつき、伽藍の被害もそれほど大きくなかったようだ。
> 信長はなぜこれほど不用心だったのか。
> 今谷明・国際日本文化研究センター教授は「光秀が背くとは、考えてもいなかった」とみている。


> 光秀の謀反の理由については、
> @領地替えを命じられたり、安土城での家康接待役を免じられたりしたことに対する恨み
> A佐久間信盛ら重臣が次々、追放されたことに対する焦燥や危機感
> B足利義昭や近衛前久ら、旧幕府・朝廷勢力に唆された‐などの説が唱えられている。
>
> しかし今谷教授は、光秀は城持ち大名になったのも早く、かなり優遇されていたことなどから、怨恨説は
> 考えにくいとする。
> やはり、本能寺に小人数で宿泊するとの情報を得た光秀が「天下取りのチャンス」と決断したとみている。
> また信長は、近々朝廷に、自分の望む官位を伝えることになっていた。
> @関白A征夷大将軍B太政大臣‐の3説があるが、今谷教授は
>
> 「毛利氏の攻略にめどがたった時点で、征夷大将軍を受け、幕府を開こうと考えていた」と話す。
> 一方、脇田修・大阪歴史博物館館長は「平氏の流れをくむと自称していたから、平清盛の先例もある
> 太政大臣ではないか」とみている。
ttp://blog.livedoor.jp/inuyamajyou/archives/50844465.html
769人間七七四年:2008/10/03(金) 10:46:52 ID:pFcz+0GQ
制度防衛も何も、信長はぎりぎりまで義昭を上に頂いた形での体制しか考えてないじゃん。
信長は一貫して(信長の執権体制の上での)幕府再生派だった。義昭追放してからしかたなく
任官して自己の権威による体制構築にかかったけど。

信長の政権も、擬似室町幕府程度のものになったと考えて、そう間違いは無いと思うよ?
770サイコメトリー:2008/10/03(金) 11:24:11 ID:YbFduc4l
>>767
>>768
情報詳細ありがとうございます。

光秀の制度防衛説に付いて、単純に思ったんですが、義昭から信長に仕え替え
した時点で、室町体制(義昭)に光秀は見切りをつけた事にはならないのでしょうか?
是非とも論文のタイトル思い出して下さいね。読んでみたいス。
771人間七七四年:2008/10/03(金) 11:26:36 ID:+lwXp/iL
>>769
「予がいる処では、汝らは他人の寵を得る必要がない。なぜならば、予が国王であり内裏である」 By信長
772人間七七四年:2008/10/03(金) 11:59:33 ID:pFcz+0GQ
>>771
フロイスをまともに信じてどうする。
773人間七七四年:2008/10/03(金) 12:20:01 ID:NdI7ybOG
>>769
そうそう。
そして、家康が6月に京に12年ぶりに上洛、これは主要な部下を連れて1月以上も
京や堺に滞在、という異例なこと。
なので、ここで信長は家康に征夷大将軍を与える気ではなかったか、というもの。
家康饗応不首尾もそれに関して、信長ー光秀の間で意見の齟齬があったのではないか、という。
信長が近く希望官職を発表する気だったのは間違いなく「信長ー太政大臣、信忠ー右近衛将軍
家康ー大将軍」こういう新たな体制を作る気ではなかったか、という感じだったかな。

話が戻るが770、光秀は義昭には見切りをつけたが一貫して室町体制派だった。
これは自らの奉行衆として一貫した姿勢で、信長が義昭を解官できずにその体制を室町の
旧体制のままにしていたこととも合致する。
なので、制度防衛というのは、その室町幕府体制を変更しようとした信長への光秀の反乱、
とこういう風だったか。

ちなみに、光秀は信長の部下としてその元にいたのではなく、義昭から見た場合
信長も光秀も同格であった、信長からみても、客将、という感じだったという視点が披露されてます。
こう考えると「天下に面目」とか「信長と言い争った」というのも理解できるような気もします。
774人間七七四年:2008/10/03(金) 12:24:20 ID:6ZduYazA
「室町体制」の定義は何?
775人間七七四年:2008/10/03(金) 12:54:10 ID:NdI7ybOG
>>774
聞かれても困るが、普通の意味でいいんじゃないの。
職制とか制度とか。
776人間七七四年:2008/10/03(金) 13:02:07 ID:pFcz+0GQ
室町体制ってものには、人それぞれいろんなイメージがあると思うけど、
公約数で考えれば、足利(もしくは源氏)将軍を戴いて、畿内を本拠とした体制のこと、じゃないかね?
777人間七七四年:2008/10/03(金) 13:27:24 ID:NdI7ybOG
>>772
それに関してもあったな。
これは宣教師に対して「こう考えてくれ」というもので
日本はよく、誰が支配者かわからない、みたいに言われるけど当時も天皇、将軍
信長といて、「セミナリオは誰に頼んだらいいべな?」というような問いに対しての
答え、みたいに解釈すべきだろう、って。
だからフロイスの記述もこういう点では信用できるし信長の返答もことさら
信長の「増大ぶり」をあらわすものではない、ってとこだったか。
778人間七七四年:2008/10/03(金) 13:35:12 ID:kMfMzMzY
浪々の身から国持ち大名になり、近畿周辺の戦乱も収まってこれから地方平定に向かうって時に制度防衛?ってのもな。
光秀自身が思ってても秀満やら利三が同調するとも限らんし。今谷って今谷明?ちょっと小説すぎねーか?
客将扱いってのは面白いけど。家中に尾張衆もいなかったみたいだし。
779人間七七四年:2008/10/03(金) 13:43:11 ID:pFcz+0GQ
>>778
> 今谷って今谷明?ちょっと小説すぎねーか?

今谷のは、一行目の信長の宿舎の事に関してだけだと思うが。
780人間七七四年:2008/10/03(金) 14:23:23 ID:NdI7ybOG
>>778
その、浪々の身、というのからして従来の研究のイメージである、ってね。
ほんで、室町将軍のもと武家が従う、というのが旧体制としたら、それを破ろうとした
信長に反抗するのは、制度防衛、ってことだと思う。
で、かなり大きな意味で使ってるけどね。
781人間七七四年:2008/10/03(金) 14:37:12 ID:pFcz+0GQ
光秀が、細川藤孝みたいに幕府の奉公衆か奉行衆だったって記録でも出てくれば
そう言う説も成り立つのかもしれないが。
782人間七七四年:2008/10/03(金) 14:57:49 ID:NdI7ybOG
>>781
それはあるんでないの?
公家さんの日記とか他の奉行衆との連名の署名とか。
783人間七七四年:2008/10/03(金) 15:09:59 ID:Xp77rtwV
>>782
ありません
784人間七七四年:2008/10/03(金) 15:18:41 ID:kMfMzMzY
幕府絡みだと「永禄六年諸役人付」があるけど、信長上洛後だかに編集されたかなんかしてて
そのままには解釈できないんじゃなかったっけ?
あとは、細川氏関連で元々藤孝の配下だったとかなんとかいうのか。これも史料の信憑性があれだし。
結局、出自や経歴に関しては、時代が近くて信憑性有りそうなのは、
「立入左京亮入道隆佐記」と「兼見卿記」あたりだろ。どっちも光秀が美濃に係わり在るように記してるだけだが。
785人間七七四年:2008/10/03(金) 15:22:56 ID:UHLFVH2Q
>元々藤孝の配下だった


配下ではなく客分ではなかったか。主従関係はないはず。
786人間七七四年:2008/10/03(金) 15:29:55 ID:NdI7ybOG
>>784
信長文書の研究に出てくる「細川、明智、上野」とかの連署は?
全員が有力奉行衆となってる。
787人間七七四年:2008/10/03(金) 15:33:47 ID:NdI7ybOG
>>784
永禄六年〜、だと代々の奉行衆と並んで光秀が載ってるから、これなんかは
その証明となるのかな。
788人間七七四年:2008/10/03(金) 15:37:56 ID:NdI7ybOG
>>784
「兼身〜」だと信長が光秀の家にとまったこととか、永禄十三年正月二十六日の
記述なんかがどうなんだろう。
「奉公衆方〜〜〜明智〜」って出てくるけど、読み方や解釈についてはどうなんでしょう。
789人間七七四年:2008/10/03(金) 15:39:52 ID:pFcz+0GQ
>>787
光秀じゃなくて、足軽衆の名前の中に「明智」ってあるだけなんじゃなかったっけ?
790人間七七四年:2008/10/03(金) 15:57:20 ID:NdI7ybOG
>>789
そだっけか。
信長のとまったであろう光秀邸の周りが奉公衆の屋敷、となってるからそれから
の推測もあるのかな。
791人間七七四年:2008/10/03(金) 19:45:32 ID:QR2a9MO/
>>787
まだそんなこと言ってる無知な奴がいたんだね。
「永禄六年諸役人付」は、義輝と義昭の代が合わさった名簿であり、
「明智」は当然のように後者の部位に記されているんだよ。
792人間七七四年:2008/10/03(金) 20:49:41 ID:DZGl7PuX
>>773
その論文は読んでいないのでなんともいえないけど…
>ここで信長は家康に征夷大将軍を与える気ではなかったか
これはいくらなんでも無茶が過ぎると思った。
天正十年の時点での家康を過大評価しすぎだ。

それから
>光秀は信長の部下としてその元にいたのではなく
>信長からみても、客将、という感じだったという
元亀の頃までの光秀ならともかく、天正以降の、坂本を宛がわれ、丹波を拝領した
光秀を部下でなく客将とかって。
793人間七七四年:2008/10/03(金) 20:55:33 ID:wHfnYKx6
>ここで信長は家康に征夷大将軍を与える気ではなかったか


惣右衛門文書では
「信長の命で明智軍が滞京中の家康を討つのかと思った」
とある。

兵士たちは信長〜家康の微妙な緊張関係を感じていたんだろうか?
794人間七七四年:2008/10/03(金) 20:57:19 ID:pFcz+0GQ
それこそ消去法だろ。近くに有力大名と言える存在は家康しかいない
795人間七七四年:2008/10/03(金) 21:02:04 ID:NdI7ybOG
>>792
天正十年の時点での織徳同盟の分析から述べている。

ほんで、客将、というのは初期の頃だろうね。紹介の仕方が悪かった、あやまる。

さらにすごいのは、本能寺で家康も殺す気だった、実行犯は細川、それが最後に裏切られた、と
下手な小説より面白いよ。
実際細川の変直前直後は行動が不明というしね。
それと家康が主要な家臣連れて一月以上も京周辺にいた理由はどう考えてる?

>>791
786に関しては?無知だから教えておくれ。
796人間七七四年:2008/10/03(金) 21:03:35 ID:pFcz+0GQ
>>795
> さらにすごいのは、本能寺で家康も殺す気だった、実行犯は細川、それが最後に裏切られた、と
> 下手な小説より面白いよ。

それは小説だよ
797人間七七四年:2008/10/03(金) 21:08:19 ID:NdI7ybOG
>>793
そうそう。本城文書とフロイスの記述に整合性がある不思議さはこのスレでも前にカキコしたことある。
で、信長と家康ではなく、光秀と家康の微妙な関係というのかな。
なにせ従来の本能寺をめぐる考察とはかなり解釈が違うからね。
798人間七七四年:2008/10/03(金) 21:38:47 ID:kMfMzMzY
家康へ接待については、
「御振舞の事、維任日向守に仰付けられ、京都・堺にて珍物を調へ、おびただしき結構にて、・・・」
ってまともに接待してるのが公記に書いてる。何かあったら牛一が付けたしてると思う。
信長と家康の関係についても、
松平家忠の家忠日記に、家康に従って上洛してる酒井忠次から残ってる家忠に、家康が帰国したら
西国に出陣することになった(から準備しとけ)って連絡あったこと書いてるらしいから、普通に
武田征伐の礼+西国征服の増援依頼(実質、命令なんだろうけど)と解釈して問題ないんじゃないか。
799人間七七四年:2008/10/03(金) 21:53:57 ID:NdI7ybOG
>>798
もちろん建前はそうだし、新体制発表なんてことを牛一は知らないだろうしね。
なにせ12年ぶりで2回目の上洛、というのも軽視は出来ないかもね。
800人間七七四年:2008/10/04(土) 00:01:37 ID:kMfMzMzY
>>795
多分、>>786のは、元亀元年か三年の物とされている藤孝、光秀、三淵藤英、上野中務大輔秀政が
連署で義昭の近臣の飯川信堅と曾我助乗に宛てた文書だと思う。
ただ、光秀は同時期に秀吉や長秀等の織田家臣との連署もそこそこあるしね。
本圀寺の変の件とか義昭から致仕しようとした時に取り成してくれた曾我助乗に宛てた文書とかあるから
将軍と繋がりがあったのは確かだと思うけど、それが早い時期からそうだったとか、その制度を防衛しよう
としてたとかいうのは???て感じだな。藤孝とか上野氏は、多聞院日記とか言継卿記で織田と接触する
以前の動向を垣間見ることできるけど明智はそうでは無いし...。
801人間七七四年:2008/10/04(土) 00:20:35 ID:ZbltE0L9
>>800
さんきゅ。
早い時期というのは、信長が宿泊するほどの光秀邸があった、というのからも
推測されてるんだろうけど、そうすると朝倉に仕えた、との整合性がなくなってくる。
ともあれ研究家が光秀は奉公衆であったろう、と認めているので、そうでない、という人は
またいろいろ教えておくれ。
図書館行けばわかるが、なにせ単語忘れてググれなひ・・

制度防衛、というのも非常に深い考察、と思うので、まずは結論だけということで。
最初にも書いたけど「本能寺の変というから矮小化されている、明智の反乱とよぶべき」
というのは従来とは違う視点でそれなりに理解しておくのも、本能寺の背後を知る上で
なかなかかなってね。

今までは光秀個人にその原因を求めてきたのは確かだろうから。
802人間七七四年:2008/10/04(土) 00:28:42 ID:KMMByJPC
本能寺制度防衛論なんて、昔散々言われたでしょうに。
803人間七七四年:2008/10/04(土) 00:41:28 ID:/a/tKnEq
小和田なんかもこの系統の説だしね。
804人間七七四年:2008/10/04(土) 02:05:20 ID:bAHgTF4l
>>795
光秀の中では家康は京にいたと認識していたのかな?(実際は堺だが)
それを、丹後にいた細川が殺そうとした?ごめん本当にわからない。本能寺にすら
参加せずに領国にいた(これは確証がある)細川がどうやって家康を殺すの?

ほんと、「下手な小説」よりは面白そうな小説だな。

>家康が主要な家臣連れて一月以上も京周辺にいた理由はどう考えてる?
>798の言うとおりだと思う。当時の徳川は周囲を完全に味方に囲まれて領国は安全な
状態だったし。
というか、十二年振りの上京だからなんなの?
805人間七七四年:2008/10/04(土) 04:11:54 ID:wb5F6Uh1
本来明智スレに書いたほうが良いのかもしれんが、こっちのほうが賑わってるので書かせてもらう。
誰か「霊陽院殿御番帳」っていう史料について知らないかな?
雄山閣っていう出版社の織田信長総合辞典の明智光秀の項に載ってた情報として、
「霊陽院殿御番帳」っていう義昭が朝倉に身を寄せていた永禄十年頃の側近の交名をしるした物に
足軽衆として「明智」としるされているって自分のノートにメモってあったんだ。
足軽衆で明智とか「永禄六年諸役人付」にそっくりなんだけど、本当にそういう史料が存在するのか?とか
>>791での義昭のに相当する部分が「霊陽院〜」なんだとか、実際はそんな史料は存在しないとか存在
してるけど信憑性薄いとか。ぐぐったけど引っかからないし、何か知っている人いたら教えてくれないかな。
お願いします。
806人間七七四年:2008/10/04(土) 06:05:18 ID:wb5F6Uh1
っていうか、昨日 ID:NdI7ybOG氏が語ってた内容は、
「織田・徳川同盟と王権―明智光秀の乱をめぐって 」(小林 正信 著・岩田書院)なのかな?
戦国時代関連の良書スレでは、評判良く無さそうな本っぽいけど。
807人間七七四年:2008/10/04(土) 10:35:59 ID:c1grJFT4
>>785
>配下ではなく客分ではなかったか。主従関係はないはず。
「多聞院日記」天正10年6月17日条には
「惟任日向守ハ…山階ニテ一揆二タタキ殺レ了、首モムクロモ京へ引了云々、浅猿々々、
細川兵部太夫カ中間ニテアリシヲ引立之、中国ノ名誉ニ信長厚恩ニテ被召遣之、忘大恩
致曲事、天命如此」とある。

多聞院日記は、噂話は「雑説」と注書する特徴があるが、本件記述にこのような注書はない。
だとすると、光秀は藤孝の中間侍だということになるね。
808人間七七四年:2008/10/04(土) 12:17:08 ID:44qHN3dE
多聞院日記の著者が伝聞情報に基づいて記述をしているのであれば
細部においては事実と食い違っている箇所があってもおかしくないのではないだろうか?
809人間七七四年:2008/10/04(土) 12:21:09 ID:20nEPNdI
あ、それだ。
スレ主さん、806さんにお礼よろしく。
捕捉すると織徳期研究会で語られている論で、このスレにも当てはまるような
視点を批判する論調なのでふれておく価値はあると思って。
805さんの質問とかも含めて、地元なので研究会のシンポに行って
聞いてきてもいいと思ってます。

>>804
光秀は家康の京での饗応係ですよ。実際にどこまで勤めたかは別にして。
また、細川が領国にいた、というのは細川家記に記述されてますが、これはもちろん
「信用できない」として他の文献の確認をしています。
よろしかったら該当書をご覧下さい。

810人間七七四年:2008/10/04(土) 12:40:45 ID:20nEPNdI
>>807
光秀が確実に史料にあらわれた時点で細川との関係はどうだったんでしょうね。
その1年ぐらい後にあの五箇条のあて先になってるぐらいで、いきなり室町幕府の
代表と言うかかなりの立場にあったのは確かでしょう。
連歌興行にも参加しているその文化的知識という側面からも、若い時に浪々の身
というのは少々理解しがたく、秀吉的成り上がり、というのとは異なる生い立ちであったようにも
受け取れます。
もちろん、不明、というしかないのですけどね。
811人間七七四年:2008/10/04(土) 14:58:06 ID:0gCPf3D0
北条早雲みたいに、幕府の仕官だったのではないか?
812人間七七四年:2008/10/04(土) 17:48:15 ID:uqoLehMC
>>805
>「霊陽院殿御番帳」
>>806の小林本(337ページ)に記載あり。
「(略)この番帳は前後期に分かれており、それが記されている後半は足利義昭の番帳であって、
霊陽院殿御番帳ともいうべきものであることは、すでに長節子によって論証されているので、(以下略)」
「織田・徳川同盟と王権―明智光秀の乱をめぐって 」(小林 正信 著・岩田書院)より引用

記述のニュアンスからすると、小林氏の独自のネーミングじゃね?

以下スレチだが、氏は「宮城系図」の進士信周=進士晴舎、明智十兵衛光秀=進士藤十郎藤延
という仮説を立てているね。詳細は文献をあたってもらいたいが、なかなか大胆な妄想…、失礼
推測やな。
813人間七七四年:2008/10/04(土) 18:33:07 ID:wb5F6Uh1
>>812
情報どもです。>>791を検証したのって確か長節子氏じゃなかったっけ?
どうも「霊陽院〜」は、「永禄六年〜」の義昭パートのようですね。
「織田・徳川同盟と王権―明智光秀の乱をめぐって 」は、高いし評判悪いみたいで手出してませんでした。
814人間七七四年:2008/10/04(土) 21:23:47 ID:5c9Fy9pr
様々な事柄が本能寺の変では考えられるが、なんだかんだ言っても、

光秀が信長の討った理由は、討てる状況と光秀に信長を討つ意思があったから。
その討った理由は何かと言えば、人間の本能的な理由によるもの。人間に限らず、すべての生命体の原始的な本能によるもの。

815人間七七四年:2008/10/05(日) 00:02:10 ID:xTmqCpAl
>813
内容が気になるなら、まずは『郷土文化』に載った氏の論文を読んでみては?
・明智光秀と制度防衛 56巻2号
・織田・徳川同盟と天下布武の構造
 ―信長の政権構想における家康の地位について― 57巻1号
・光秀没落の諸事情と国権の移転的推移(王権の浮上) 57巻3号
本はたぶんこの辺の論文をまとめたの+αだろうから。
816人間七七四年:2008/10/05(日) 00:10:02 ID:qtKx9kls
>805
途中に「霊陽院殿□番帳」と書き入れされた版の「永禄六年諸役人付」があって、
たぶんそれのことだと思う。
…ということも長節子氏の論文に載っている。46年も前の論文なのに大活躍。
817人間七七四年:2008/10/05(日) 03:04:30 ID:xgG9nq9B
そそ、言いだしっぺだが、815が言うように当該本は論文集、なんですよね。
評判悪いのは、今谷、みたいに結論がすべて「推論」になっててそれが
あまりに「独自性」にあるからじゃないのかな。

地元のセミナーで、藤田、井沢、桐野、とあって、各料金が違うのがあれなんだが、
要は質疑応答を受け付けてくれるかどうか、で悩んでる。

こういう人たちは公開されてない文書まで絶対に知ってるはずで、それが「ポロッ」
とでないかなって。

「公開されてない」についてなんだけど、昔、バイト仲間と話してて「俺のと〜ちゃん、
次期00当主らしんだよ」って、そのバイト名札が某有名織田家臣だったんだよね・・
もう30年以上も前の話なんだが、そいつが全く「親不孝」みたいで偶然いろんな話を
聞いたんだ。

でも、そういう史料は一切出てきてないし、わしもオープンにする立場にない。
あまり語れなくて悪いが、とりあえずは該当研究会と、藤田、桐野、には直接
オフレコで聞きたくて仕方がない。
自分が詳しくないだけに、詳しい研究家さんならどうするのだろう、ってね。

一つだけ言うと「あんなの毎年みんなが見てるのに今更、な」みたいなこと言ってた。

今、東大の部署が公記の調査やってますよね。
あれに関わってる人いますかね。
データベースじゃなくて、異分野の走査、ここに重要な発見が無いか、
期待してるのですけど。
818人間七七四年:2008/10/05(日) 20:06:14 ID:1xlUocQL
>>814
本能とは自己防衛本能の事か?本能寺と本能をかけてんのか?
819サイコメトリー:2008/10/06(月) 08:46:51 ID:A4m40v+7
>>806
調べて頂き、感謝です。
>>814
本能とはどんな本能か具体的にお願いします。
>>817
専門分野のセミナーは非常に興味がありますね〜。当方田舎在住の為、都心で
行われる催し物にはとても参加出来ないので、聞いた方の感想を聞きたいな。

本能寺の変に限らず、歴史事実の研究は研究者の説に異論を立てる事に始り、
持論の補強と別説批判の繰り返しになる。根本的に新資料が発見されない限り、
どんな珍説が飛び出しても、全否定は出来ない所が、議論の散漫性を呼ぶ。
中々収拾出来ないが、その中でもやはり、否定材料を吟味するしか方向性は
ないのだろうか?
820人間七七四年:2008/10/06(月) 12:29:00 ID:fNtEG5vn
>>819
新資料が発見されても結局他の資料との整合性がないと、保留、になってしまうので、
先送りになってしまうのが残念だね。

問題になってる小林本は、光秀の正体、について他の要人との同定という仮説も出してる。
このあたりが専門家にはウケが悪いか。
ただ、あれだけの人物が前半全く記録なし、というのは他の人物として登場してなかったか、
なんてのは少し考えたことあったから、ちと驚いたんだな、これが。

あ、805で出てたのか、ごめん。
その後この仮説がどうなったか、あの研究会に行って三木御大あたりに聞いてみたいもんだな。
821人間七七四年:2008/10/06(月) 13:22:50 ID:yn8fE8it
>>819
歴史学の世界は閉鎖的だから、新手が新資料発見しても、徹底的に潰しにかかると思う。
少し前にニュースになった古代史の第一人者が自作自演で遺物埋めて、発見としてた話。いかにも凝り固まった人間のやる事らしい。遠藤周作の本でも、そんなのあったな。
822人間七七四年:2008/10/06(月) 14:23:40 ID:0bfLPwGw
あれだけの人物が前半全く記録なしってのは不自然といえば不自然だな。
823人間七七四年:2008/10/06(月) 14:51:43 ID:fNtEG5vn
不自然をこえておかしいぐらいかな。
よく出自が話題になって土岐とか濃姫との関係が語られるけど、いきなり
歴史に登場した時にあれだけの要人だったのだから、記録がないというのも
不思議でね。
朝倉始末記とかにも載ってないのかな。
というか、諸国浪々の身とか朝倉に仕官、というのはどこから出た話?
824人間七七四年:2008/10/06(月) 16:41:10 ID:yn8fE8it
謎めいている人間は古今東西、魅力的なのかな。
光秀は信長を討ったからこそ、人気が高い。
スレチ、スマン。
825人間七七四年:2008/10/06(月) 16:44:56 ID:uKBhvrK7
>>822
> あれだけの人物が前半全く記録なし

豊臣秀吉も滝川一益も、それどころか柴田勝家も丹羽長秀も、前半生良くわかってないぞ。
826人間七七四年:2008/10/06(月) 16:56:58 ID:/jfE0Fe5
「永禄六年〜」の後半部分は、永禄九年八月〜十年十月の頃のらしい。
この時期は、義昭が近江→若狭→越前に移動する時期に重なる。若狭に行く時などは、側近含め4〜5人程の時も。
朝倉の援助で一息つけた為、陣容固め。護衛用に足軽衆登用、その中に明智光秀。
義昭、美濃へ。信長、将軍の動向監視の為、光秀と誼を結ぶ。将軍後援者の信長と親しくなったことから光秀の影響力増す。
まあ、妄想だけど。
この時期の義昭陣営は、かなり手薄な様子だから、本貫無くした国人クラスが地縁・血縁の繋がりで二十人程が手弁当で集まって
護衛兵として取り入るようなことも出来たのではないかなと。
827人間七七四年:2008/10/06(月) 17:45:56 ID:fNtEG5vn
>>825
そういうのは個別で考えるべきだよね。
秀吉たちは初出で特に重要な存在でもないし、理解できるような登場の仕方
だよね。知られてないのも、そんなたいした存在でなかった、だろうから。
でも光秀の場合はいきなり京の要人として登場している。
1年後には日乗と並んでたりするし。つまり登場の仕方が問題になってる。
ところで、光秀初出は永禄11年として吉田文書とか妙顕寺文書とかなってるが、
どれが信憑性とかで確かなんだろう。

>>826
朝倉に仕官とかは細川の記録からなのかな。
ただ、文化人としての側面はそんな足軽とかが身につけられるものではなかろう。
一体どこで連歌興行に出席できるほどの教養を身につけたのか。

828人間七七四年:2008/10/06(月) 17:47:18 ID:XIywwI+M
まったく素性の知れない者を随員に入れるかな?松永や三人衆から見れば義昭はお尋ね者なわけだし
京都落去の時にも幕府の奉行・相伴衆が随行してることからも
幕府関係者とみるのが自然じゃないかな
829人間七七四年:2008/10/06(月) 18:01:07 ID:rEDdBVoX
そりゃ当然「それなり」の家ではあっただろう
いくら落ちぶれたとはいえ、足利家の者に身分不詳の人間が
簡単に近づけるとも思えない

830人間七七四年:2008/10/06(月) 18:13:03 ID:C9MxxSg6
光秀=タイムトラベラーでしょ
歴史を捻じ曲げたかどで時空警察にやられた
時空警察は足軽に扮していた
831人間七七四年:2008/10/06(月) 20:10:38 ID:sZ+mZnac
信長は死せず...、野望は世界に...。

国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
URL : http://soresuta.jp/
832人間七七四年:2008/10/06(月) 20:33:25 ID:LR1tTnAu
たしかに北条早雲のような例もあるから可能性はあるな>他の要人との同定

ただそうすると、どうして「明智」姓をなのるようになったのかの説明が必要になるけど。
(早雲だって、当人は死ぬまで伊勢氏で通している)

ただ、光秀が幕府関係者出身だったとしても、それだけでは幕府制度を守るためという
動機の説得力には繋がらないがな。
833人間七七四年:2008/10/06(月) 21:03:19 ID:fNtEG5vn
「立入〜」なんかの光秀美濃出身はほぼ確定になってるのかな。
それとの関係が難しくなってるけど、明智姓はそこから後で信長から
もらった、みたいになってるな、小林本。
ほんで、田舎ものが取り立てられて義輝の奉公衆になる、そういうのを
恩義に感じて、そして一族のため、それが幕府制度防衛につながる、という感じか。
動機に関してはなんとでもなるようなもんかな。
834人間七七四年:2008/10/06(月) 21:04:25 ID:uKBhvrK7
>>833
結論のための過程を作ったようにしか見えないわな。
835人間七七四年:2008/10/06(月) 21:08:46 ID:uKBhvrK7
>>827
秀吉も確認できる当時の資料からは、六角攻めでいきなり部隊長の一人として登場し、
しかも上洛してすぐ京奉行の一人になるのだが。

この辺から秀吉は、織田に寝返って六角攻めの下工作をした、六角の元家臣説があるわけだけどね。
836人間七七四年:2008/10/06(月) 21:11:50 ID:rEDdBVoX
>>835
佐々木哲を思い出すぜ
837人間七七四年:2008/10/06(月) 21:36:13 ID:fNtEG5vn
>>835
秀吉の部隊長はたいしたことないでしょう。
尾張と言う田舎の一部隊長ぐらいの出世ならそれこそ普通に
いくらでもいるような。
ほんで京奉行ってのはあくまでも信長が任命したわけでちゃんと説明できるというかね。

でも、光秀ってのは日乗と並び、京にも信長が宿泊するほどの屋敷を持ち、そういった
幕府の要人って形での出現、こういった京でのある意味実力者が「足利記「朝倉記」
「応仁後記」こういったものに出てこない、それを不思議、というのは理解できるんだ。

ま、秀吉の例を出して「秀吉もだ、不思議じゃない」と思うのは別にいいけど。
838人間七七四年:2008/10/06(月) 23:17:37 ID:/jfE0Fe5
義輝のころから京近辺で活動してたのなら、もうちょっと足跡なり噂話なりが
残ってて然るべきじゃないかってのがね。後年の活躍も京近辺なんだし。
それが、土岐明智・石津郡多羅の進士・若狭の刀鍛冶・族姓も知らぬもの等だからね。

日乗との連署や信長の宿泊って元亀元年(永禄十三)のことかな?
永禄十一年の9月に信長が義昭連れて上洛開始。年内に完了。
永禄十二年の1月本圀寺の変。4月以降、光秀が秀吉・長秀等と連署で京近辺の諸政に携わる。
幕臣というだけで無く、京に常駐してる信長家臣的な面も結構強い様に感じるけどな。

光秀と信長が親しくて話が通じ易いという状況を作っておけば、義昭が光秀をそば側近く使う様に
なるのもそう不自然ではなのでは?上洛から1年以上してれば屋敷持っててもそう可笑しくないし。
藤孝と信長が接近するのは、元亀二年以降の様で、まだそれほど親しくなかったようだし。
839人間七七四年:2008/10/06(月) 23:31:27 ID:uKBhvrK7
>>837
> 秀吉の部隊長はたいしたことないでしょう。
> 尾張と言う田舎の一部隊長ぐらいの出世ならそれこそ普通に
> いくらでもいるような。
> ほんで京奉行ってのはあくまでも信長が任命したわけでちゃんと説明できるというかね。

いくらなんでもそりゃ暴論だわ。大体秀吉の京奉行は光秀と同格だよ?
840人間七七四年:2008/10/06(月) 23:52:59 ID:fNtEG5vn
>>838
そう感じですよね、事実も。
ほんで連署というと他の文書と同じ扱い受けちゃうけど、あの五箇条でしょう、
日乗が朝廷の代表と考えると光秀は幕府代表のようなもの、これはかなり重要な
感じがする。
839さんの答えにもなるけど、京奉行と同格、と言っても信長が任命したのと
あの署名の光秀とはかなり差があるでしょう。
つまり、信長家臣的な面はあるけど、義昭と信長の間をとりもつほどの幕府側の実力者
というのはみのがしてはならないのじゃないかな。

ほんで屋敷と言うのも、京の要所、他の奉公衆の並びに構える、というのは普通じゃないような。
例えば秀吉はそういう屋敷持ってたのだろうか。

話戻すと、登場当時要人でその後数年もそれを表す行動、これは秀吉とか滝川とかそういうのの
比較とは違うのじゃないか、ということね。

ちと脱線するが、あの五箇条についてトンデモない珍説がある。
まずはあの書状、信長と義昭の署名がない、あて先が上人と光秀、とか破格の形式
というのだけど、こういうのはあまり問題にされてないのかな。
841人間七七四年:2008/10/07(火) 00:58:41 ID:OwgeBhiq
>840
明石散人の説は当時の常識を完全に無視したトンデモ解釈だからなぁ。
それにあの説だと五箇条の第三条が破綻する。
842人間七七四年:2008/10/07(火) 01:06:21 ID:NSusiMyp
>>840
ちょっとまて。光秀と秀吉の比較について、ごっちゃにしていないか?
843人間七七四年:2008/10/07(火) 02:56:04 ID:jPb3UNTy
結局、幕臣としての光秀を探っても、本能寺の変に繋がるようなことは、見当たらない。
変後の対応見ても、直ぐには足利将軍を担ごうとはしてないし、将軍無視して幕府制度防衛
も何もないよな。
844人間七七四年:2008/10/07(火) 09:17:37 ID:4UVEm0Mp
人大杉になってるよ。
PCで書き込み出来ない、また長い事続くのかな?
845人間七七四年:2008/10/07(火) 09:53:58 ID:caQyWuTM
>>844
宣ブラ入れなさいよ
846人間七七四年:2008/10/07(火) 12:13:40 ID:NWXtZiRl
>>841
へ〜そうなの?ありがと。
あとで第三条見てみるからまた教えて。

ただ「正式に家督譲られた」という記述がないとか「信長正統」という確実な記録がない、
というのは細かいツッコミで面白いと思った。
当然そういうの前提で信長論は展開するから、出発点が違う、というのはトンデモ論でも
「間違ってる」と確認できないとなんかスッキリしなくてね。

五箇条に話戻して、書形式についてはどうなんでしょ、袖印とか、誓紙の形式、とか
知らないもので・・やっぱり破格なの?
847人間七七四年:2008/10/07(火) 14:42:08 ID:ycflFfRK
室町の権威を守る為にってのは源平交替思想と変わらない気がするが。
848人間七七四年:2008/10/07(火) 17:53:30 ID:NWFScMoW
>>843
ちゅうか、将軍個人はどうでもいい、というのが小林説。
実際義昭個人を見限って追放に加担したのが光秀たちだし。

だから、光秀は落ち着いたら別の誰かを16代将軍に擁立したのではないか、とこんな
感じだったかな。
小和田的な光秀個人レベルの保守反動としての制度防衛だと鈴木あたりにもトンデモ扱いされちゃってるが、
小林はもう少し広い視点で語ってて、ま、それが谷口には、トンデモ、扱いされてるわけだが。
849人間七七四年:2008/10/07(火) 18:26:20 ID:n/pcM6Gx
>光秀は落ち着いたら別の誰かを16代将軍に擁立したのではないか


鎌倉時代みたいに皇族将軍の選択もあったかもしれないな。
850人間七七四年:2008/10/07(火) 18:39:08 ID:caQyWuTM
つーか、組織防衛ってだけなら、信長も義尋を将軍にして室町幕府の存続を図ろうとしたのに、
義昭の存在があるからそれが出来ず断念したと言うのに。
851人間七七四年:2008/10/07(火) 19:52:10 ID:n/pcM6Gx
>義昭の存在があるからそれが出来ず



信長と朝廷が合意すれば、天皇の権限で

義昭解任→義尋を将軍に

ということもルール上は可能だったのではないか?
852人間七七四年:2008/10/07(火) 19:53:36 ID:caQyWuTM
>>851
天正元年の段階で信長にそこまでの力は無いよ。
853人間七七四年:2008/10/07(火) 20:06:23 ID:NWFScMoW
なんか話がズレてるようだが、信長は室町幕府の存続なんか図ってないですけどね。
単に自分の傀儡として利用価値があるから、であるしそれも1573までであって、
その後はその制度には依存してたから義昭を解官できなかった、と複雑な事情みたいな
説明をしてた。
確かに、追放後どうして解官しなかったかは良い説明を聞いたことがない。
それと追放は信長と義昭の関係から語られるけど、旧室町の奉行衆や奉公衆も義昭を見限った
それは義昭個人の資質的欠点によるもの、というのは面白い視点だと思った。
だから追放後も幕臣たちは室町体制を維持するし信長もそれによっかかった、と。
854人間七七四年:2008/10/07(火) 20:56:25 ID:NSusiMyp
>>853
まず、小林説では「室町幕府体制」がどういうものだったのかが問題になるが。
別に将軍の存在が問題ではなく、制度自体が重要だというのなら、どうして
>制度には依存してたから義昭を解官できなかった
になるのかが判らん。矛盾してません?

信長が義昭の解任を求めたという形跡はない。少なくとも朝廷に働きかけたことはない。
別に隠すようなことでもないしねえ。ここで信長朝廷対立説を採る人は正親町天皇が
信長に対抗する駒として義昭を保護した、信長の解任要求を退け続けたとしているが、
そんな史料根拠はどこにもない。

>旧室町の奉行衆や奉公衆も義昭を見限った
見限ったものもいる。しかし、見限らず流浪の義昭に従ったものもいた。
奉公衆では飯河信堅、一色藤長・同昭秀、上野秀政、大館晴忠、真木島昭光など。
奉行衆では飯尾定遥・同為忠など。
一概に言えるものではない。

逆に義昭を見限って信長に付いた者達は、室町体制に基づいて信長に従ったのか?
例えば室町体制では政所執事として政務を担った伊勢一族は織田政権に鞍替えしたが、
織田政権において政所執事のような地位や役職や任務を担ったかといえば、それは否定
される。そもそも、織田政権において政所のような役職が設置されて政務を担ったかと
言えば、それも否定される。
855人間七七四年:2008/10/07(火) 21:09:03 ID:NSusiMyp
追加
光秀が幕府関係者で、室町体制を守るために変を起したとして。
では他の旧幕府関係者はどうしたか?実は、ほとんど参加していない。
変後に光秀に同調したものは近江や若狭などでそれなりにいるが、その中に
旧幕府の奉公衆や奉行衆はいない。

参加者としては伊勢貞興や諏訪飛騨守がいるが、彼らはすでに光秀に仕えた明智家の臣として
であって、明智と関係なく室町体制を守るためにあえて参加した、なんてわけではない。

>追放後も幕臣たちは室町体制を維持するし
信長が室町体制を破壊しようとした、だから光秀が謀反を起したとするのなら、他の
旧幕府関係者はどうして光秀に同調しなかったんだ?
856人間七七四年:2008/10/07(火) 22:37:19 ID:NWFScMoW
>>854
別に小林支持者でないがあえて答えると、義昭解官すると室町幕府消滅で
その機構が成立しなくなってしまう。だからじゃないのかな。

ほんで、義昭についていったのもいっぱいいるけど、と言っても30人ぐらいだったか、
これはやっぱり過去の足利将軍も流浪の身になるのはよくあることで、まだこの先何があるか
わからないから消極的についていっただけなんじゃないかな。

信長についたものとかは、それぞれ体制に基づいたか、私利私欲のためか、様々
だったんじゃないのかな。あくまで光秀は制度防衛、って説で他はいろいろ事情があったんでしょう。

変後だけど、それは光秀が制度防衛のために、なんてわからないからこれも各自の事情によっただけじゃないのかな。
で、信長が室町体制を破壊しようとした、というのも事前にそこまで把握理解できたのは光秀ぐらいだろうから
他の関係者たちは関係してこなかったんではないのかな。

トンデモ説ではあるだろうけど、清洲同盟の重要性にはもっと注目すべきと思ってたから、そういう視点は
面白いと思ってね。
例えば、三方原で信長が林たちに兵を3000しかつけなかったのは、付き合い程度、戦わなくていい、なんて
いうのよりは、ろくに戦わなかったと言って家康に文句言われ信長も困った、というほうが
理解できる。他の合戦でも密接になってると思うし。



857人間七七四年:2008/10/07(火) 22:41:32 ID:8aHCC8w0
三方原では滝川ほどの人材が精細のないイクサをしている理由がよくわからん。
858人間七七四年:2008/10/07(火) 22:43:50 ID:8aHCC8w0
>三方原で信長が林たちに兵を3000しかつけなかった


信長に余裕の兵力がなかったこともあるが
家康が浜松城に篭城すると思っていたのではないか?

篭城戦主体の戦いなら兵力多いとその分、メシを食うので兵站に負担がかかる。

859人間七七四年:2008/10/07(火) 22:45:54 ID:8aHCC8w0
滝川は伊勢で一揆の大軍相手の篭城戦の経験もあるので
信長としては篭城戦向きの援軍を送ったのかもしれない。
860人間七七四年:2008/10/07(火) 23:05:01 ID:NSusiMyp
>>856
三千という兵力は、野外決戦を狙うなら少ないが篭城するのなら適正。
861人間七七四年:2008/10/08(水) 00:08:16 ID:y9B7Yyit
そそ、だもんで信長は適正な兵を与えて同盟軍に対してそれなりの
義務を果たした、当然だが。
にも関わらず丹羽がろくに戦わなかった、これは徳川に対して信長から
みて「借りを作ってしまった」的なとんでもないことで、それが後の丹羽追放になるし
清洲同盟の重要性の再確認、という事例にもなってる。

それと家康の上洛についての「異例さ」というのかその指摘も興味深かったな。
862人間七七四年:2008/10/08(水) 00:55:08 ID:hTHU2zuj
三方ヶ原の援軍にも諸説あるようだけど、それは兎も角。
元々、桶狭間での今川の敗退があったから、結果論とは言え徳川(松平)が独立できたんだよな。
なんで一戦で部下がしくじった?くらいで其処まで借りに感じることがあるんだ?
兵力差考慮せず野戦いどんだのは、家康自身の決断なのに。

結局、何をもって制度防衛と言ってるのかよく判らん。
上洛後から、知行宛がいが将軍の下知だけでは無効で、信長の朱印状が必要になったり、
訴訟事を織田家の武将が処理するようになったりして旧来の制度が無意味になってる。
幕臣が織田方に付くことは、新制度容認・旧制度否定でしかない。
後年の明智が取り仕切った馬揃えでも、織田家の権威を増す方向で執り行ってる。
明智自身が旧制度否定の方向で動いてるとしか見えないんだけど。
863人間七七四年:2008/10/08(水) 01:00:17 ID:GT7cewMq
丹羽と佐久間を間違えるなんて有り得ないと思うんだが。
864人間七七四年:2008/10/08(水) 01:16:04 ID:y9B7Yyit
あちゃ、恥ずかしい。
>862
部下がしくじった、ぐらいじゃなくて、徳川から見たら「もしかして同盟を
裏切って最初から戦う意思がなかったんじゃないか」と思われないか、という
ことじゃないのかな。
合戦においては相互の協力が重大だし、佐久間が戦わなかったというのは
「一種の裏切り」でしょうし。
ほんで、織田側が「桶狭間で勝ってやったんだから松平よ感謝しろ」みたいな
発想があったかどうか、これはまた別に考慮すべきだろうね。

制度防衛に関しては、小林本で確認してもらうしかないもんね。
ただ小林説とは別に、幕臣とはいえいつかは「16代将軍」擁立みたいにあまえた
考えでいたのかもしれん。
だから信長につくことは決して新制度容認、だったとは言い切れないというか。
義昭解官しないことも「甘え」の根拠になってかもしれないし。
それと、信長は京を占拠してたけどまだ統一の仮定にあった、というのも大事
だろうね。
どこかでやられたら、やっぱり室町幕府存続の可能性も高かっただろうし。
865人間七七四年:2008/10/08(水) 01:46:19 ID:y9B7Yyit
そういや、中日新聞に岐阜城で信長の居住地跡発見ってニュースあったけど、
全国的にはたいしたことなかったのかな。
面白かったのは、跡発見でフロイスの記事が認められた、じゃなくて
フロイスに載ってるから正しいだろう、みたいな感じだったことだな。

小林は、フロイスの記述一方的に評価する今の風潮を批判してたしな。
866人間七七四年:2008/10/08(水) 03:35:36 ID:OmgeId+Q
>>822>>823 光秀に前半生の記録がないことがそんなに不自然だとは思わない。
秀吉もそうだけど、信長は血筋で判断するのを嫌っていたから
前半生がぺーぺーのしょぼい奴らが多分に含まれているわけだ。
そんな奴らだとしたら、記録が残っているはずがないだろう。
若い頃から有名なのに記録がないのなら不自然だが。
867人間七七四年:2008/10/08(水) 04:57:17 ID:OmgeId+Q
何故、信長は他に選ぶ寺はあるのにも関わらず、本能寺などという小さな寺を選んだのか?
誰か教えて
868人間七七四年:2008/10/08(水) 05:37:22 ID:F+o3VD1v
そもそも信長が中国戦線に西下する直前入京して、数日滞在している事自体不自然だろ。
だらだら数日京に居座る必然性など全く無いからな。
しかも光秀が備中へと向かう直前にだ。

どう見ても朝廷と光秀が仕組んだ罠としか思えん。
帝譲位の決意固めたとの虚報で信長を京へおびき出し、
そこを備中戦線に向かう口実で軍を動かせる光秀に襲撃させる筋書きだ。

だが信長の首級を挙げられなかった事が、光秀に微妙な影響を与えていく事になっちまった。


869人間七七四年:2008/10/08(水) 06:04:10 ID:OmgeId+Q
朝廷と光秀が仕組んだというのは有り得る。
その日は帝からの、安土城へ移ってもらえるか?という回答待ちの日だったはず。
家臣からの危険だという進言を聞き入れずに兵を連れて行かなかったのは
信長が調子に乗っていたからではなく、帝に圧力をかけたと言われたくはなかったから。
だと思う。光秀が毛利に行けと言われているのに愛宕に行って歌を詠んだりしたのは
水尾に公家の別荘地があり、そこで近衛前久と落ち合うのが目的だったからではないか?
あの状況で愛宕に行く理由はそれしかない。
870人間七七四年:2008/10/08(水) 10:14:17 ID:d38EA7JX
>家臣からの危険だという進言を聞き入れず


誰かそういう進言をしたんだっけ?
871人間七七四年:2008/10/08(水) 10:16:53 ID:D2FYDiHC
ここはいつから根拠レスの妄想垂れ流しスレになったんだ?
872人間七七四年:2008/10/08(水) 10:17:08 ID:d38EA7JX
>朝廷と光秀が仕組んだ罠


朝廷といっても一枚岩ではない。

正親町天皇個人と光秀が仕組んだ罠、ならばありうる。

正親町天皇の能力についてはそれほどの分析はなされていないようだが
岩倉具視ばりの謀略能力があったようにも思う。
ただし証拠はないが。

873人間七七四年:2008/10/08(水) 14:06:21 ID:OmgeId+Q
安土城は天体観測所。
874人間七七四年:2008/10/08(水) 14:10:23 ID:/o7fKIwi
自分の考えた本能寺論に酔っ払ってる人間って、酒飲んでくだ巻いてるおっさんと
全く変わりの無いたちの悪さだな。
875人間七七四年:2008/10/08(水) 14:33:52 ID:hTHU2zuj
しょせん2chだから、八切止夫のごときお話も許されると考えるか、
2chとはいえ、史料に則って論ずべきと考えるか。
876人間七七四年:2008/10/08(水) 15:52:12 ID:y9B7Yyit
テス
877人間七七四年:2008/10/08(水) 15:53:23 ID:y9B7Yyit
>>867
鉄砲の関連でおもろい論が出てたな。

>>868
六月二日に大茶会の開かれる予定があった、という記録がある。
鈴木あたりの論は「たとえおびき出したとしても信長が無防備になるかどうかは
わからない」というのだが、茶会時にはものものしい警備などはしない、という論も
あり、こうなると「朝廷が茶器で呼び出した」と言う根拠になってしまう。
もちろん朝廷関与否定の根拠はそれだけではないが、「光秀は勤皇家だったという
証明はされてない」という根拠はこのスレでも「利害の一致で説明できる」というのが
出てたし、案外朝廷関与説は鈴木本あたりの反論では完全に否定されない
かもしれない。

がんばれ関与説。
878人間七七四年:2008/10/08(水) 16:25:30 ID:MdkiPx6x
>>862
>明智自身が旧制度否定

その方向で動いていたけど、
先行き不透明になってきたから
再び旧制度側に戻ったって事じゃないの。
879人間七七四年:2008/10/08(水) 16:52:08 ID:9w50rgQo
>鈴木あたりの論は「たとえおびき出したとしても信長が無防備になるかどうかは
わからない」というのだが


無防備なら襲う。そうでなければ襲わない。両にらみの作戦ならありうる。
880人間七七四年:2008/10/08(水) 16:54:42 ID:9w50rgQo
昭和20年に昭和天皇が鈴木侍従長を首相に指名して泥かぶらせたように
正親町天皇は光秀に泥かぶらせたような気もするが。

謀反が成功したら征夷大将軍にしてやryとの条件で。
881人間七七四年:2008/10/08(水) 17:46:38 ID:OgTp1cZf
朕が近衛を率いて反乱軍鎮圧するぞゴルァくらいしか自分の意思をトップダウンで国政に反映させなかったわけだが
あくまで重臣会議の結論に基づく説得
少しでも歴史が変われば話し合いで東條の意見が通ってた可能性もある
882人間七七四年:2008/10/08(水) 19:09:53 ID:D2FYDiHC
>>872
正親町と光秀はどこでどうやって結びついたのか。両者はどうやって連絡を取り合い、
計画を立てたのか。変後に天皇が光秀を支援するような言動が一切ないのは何故なのか。

>>877
>茶会時にはものものしい警備などはしない
茶会の時に警備がつかないことと、京に軍勢を率いてやってこないかは別。
仮に本能寺なり二条城なりで茶会をやったとして。建物の中が警備が薄いという可能性は
あるが、当然建物の外は厳重な警備がつくだろうよ常識なら。

>「利害の一致で説明できる」
朝廷や天皇にとって信長を殺すことがどんな利益があったのかを証明できない限り、空説。

>>879
襲うためにはいろいろと下準備が必要で、そのためには様々な事前工作が必要なわけだ。
襲わなかった場合、それらは不発になる。つまり、計画の存在が漏れ易くなるという危険を
抱え込むことになる。それらの防諜はどうするの?
883人間七七四年:2008/10/08(水) 19:10:37 ID:/o7fKIwi
空想に空想を重ねだしたら、学問的考察としてはもう終わり
884人間七七四年:2008/10/08(水) 20:11:17 ID:hTHU2zuj
兼見卿記の「・・・今度謀叛の存分雑談也」って件もあるし。
朝廷側の使いと信長討ちの事を謀叛として会話してる。
勅や令旨を受けて討伐・追討したっていう認識では無いんだろ。
口約束だけで動くとも思えんし、万一そうであっても襲撃した時点で、
上意討ちと宣伝しまくって行動の正当化図ってるだろう。常識的に考えて。
885人間七七四年:2008/10/08(水) 20:15:16 ID:bCf2atjY
仮に天皇が黒幕と仮定すると天皇と親王の不仲説も証明する必要あるんじゃね?
886人間七七四年:2008/10/08(水) 21:59:35 ID:y9B7Yyit
>>882
別に黒幕説支持じゃないから賛成なんだけど、天皇と光秀は
吉田とか間接的に連絡を取り合った、なんてのはよく聞くよね。
もちろん直接証拠なし、状況証拠もないんだが。

茶会の話は新しいから良くわからないけど、要はある特定の日に信長が
そこにいる予定という状況を作り出す、ということはあるかな。

利害の一致については、朝廷対立説が基本になってて、対立とまでは行かない
までも緊張状態説、が今の主流と聞いたんだが、それなら信長殺害は十分利益
があったかもしれない。
このあたりはまた、個別の話になりそう。

桐野によると28日でも決断してなかった、ということらしいので、茶会の
情報は知ってて自軍も動かせる、というまさにラッキな状態だからこそ実行した。
で、思いつき、に近いぐらいだからかえって防諜に成功して、結果も成功した
みたいになるのか。
つまり、吉田との打ち合わせはあくまで「おびきよせるから後はまかせたでおじゃる」と
なって光秀もその時点で具体的な行動に出るかどうかは決断してなかった、とか。

ちなみに、全部史料確認なんかできない、状況からの話だけどね。
ただ、今流行の四国説でも結局はそういう状況からの推論だろうから、
「光秀の告白とか理由が書いてないからわからない、以上、おしまい」ってね。
なんか、どっかに書いてあったが受験用丸暗記科目的な学問になってるな
歴史というのが。


887人間七七四年:2008/10/08(水) 22:15:18 ID:XU0ChNOl
いい加減、sageる事くらい覚えろよ、クズ。
888人間七七四年:2008/10/08(水) 22:38:28 ID:OmgeId+Q
というか、何も論じる頭がないのに批判ばかりしている低悩は何なんだ?
889人間七七四年:2008/10/08(水) 22:44:42 ID:XU0ChNOl
だからsageろって言ってんだろ。
日本語理解出来ないのか?
890人間七七四年:2008/10/08(水) 22:51:16 ID:/o7fKIwi
>>888
キミは論じてるんじゃなくて、創作したつトーリーを語ってるだけだ。

あと日本語がわかるなら下げろ。
891人間七七四年:2008/10/09(木) 01:37:22 ID:ZrJKyjBL
論拠なき論は妄想
892人間七七四年:2008/10/09(木) 05:33:09 ID:2EYneGqd
>>882

>朝廷や天皇にとって信長を殺すことがどんな利益があったのかを証明できない限り、空説

朝廷や天皇にとって、信長は彼らの存在意義を否定する危険極まりない存在だった。
当時の国家主権は朝廷(=天皇)。
古来から朝廷は、時の実力者を高位高官に就かせて政権の御墨付きと正当性を与え、
日本の統治を委任する事で存在感を保持してきた。
だが、信長は朝廷を無視し、個人に依拠した政権の正当性を確立しようとしていた。
これを現代風に例えれば、主権在民の民主主義を無視し選挙を経ずに自ら当選を宣言し、
国家元首に就任するようなものだ。
とてもじゃないが、朝廷が看過できない暴挙だ。
朝廷がいかに必死だったかは、右大臣を辞去した信長に、
再三に渡り更なる高位高官への就任を要請していた事例で伺える。
だが、武田征伐後の推任拒否で、朝廷の腹は決まったといえる。
朝廷権威の裏づけの無い政権の樹立など許されない。
朝廷にはもう時間の猶予は無かった。
正親町帝と関係が深い毛利が滅ぼされれば、もはや信長の野望を止める術はない。
毛利討伐の援軍に向かう予定の光秀が信長を討ったのは、偶然といえば余りにも出来すぎだろう。
朝廷は、どうやっても毛利が滅ぶ前に信長を消す必要があったからだ。
893人間七七四年:2008/10/09(木) 07:53:51 ID:Bb2mbElZ
正親町天皇は有能な人物だったからなあ。

近衛前久は有能だったとは思わないが。
894人間七七四年:2008/10/09(木) 10:07:21 ID:ld7ifSo5
>>886
>「光秀の告白とか理由が書いてないからわからない、以上、おしまい」ってね。
>なんか、どっかに書いてあったが受験用丸暗記科目的な学問になってるな
>歴史というのが。
前スレでもこういうお門違いの批判してたね、君。

確かに、桐野・谷口の四国説は「信長を殺すほどの原因か」という点では疑問だし、
斎藤の教唆を強調するのも「光秀は家来のいいなりか?」という点で疑問である。
しかし、一次史料の取捨選択にはとくに無理もないし、そこから得られた氏の推論も
さほど突飛ではないという点で支持している。
だから、その推論をもってしても、「光秀の告白とか理由が書いてないからわからない、
以上、おしまい」っていうのであればそれは仕方ないことだと思う。

推論を超えた推論を妄想といい、これは小説家の仕事。
そういや、真保裕一が「覇王の番人」っていう本能寺ミステリーを上梓したね。





895人間七七四年:2008/10/09(木) 12:51:53 ID:IqVt5uUe
>>894
四国説に戻るけど「殺すほどの原因か」「家来の言いなりか」に対する
解答として四国政策はあくまできっかけにしかすぎないように思う。
主因とするには少し弱いような。
決断させた主要因としてならそうなんだがその決断の根本にはやはり
光秀自体の意思があったような。
小林説は突拍子も無いが個人の意思という観点からは理解はできる。

真保は知らなかった、どうも。
896人間七七四年:2008/10/09(木) 12:56:53 ID:7l5IqVQc
正直本能寺より、京兆細川政元暗殺事件のほうがよほど衝撃的だったと思うわけだが。
897人間七七四年:2008/10/09(木) 17:01:47 ID:tMnhWp4k
>>895
>決断させた主要因としてならそうなんだがその決断の根本にはやはり
>光秀自体の意思があったような。
そう考えるのが普通だと思う。

このスレの住人に桐野氏の講演会に行くって人がいるみたいだけど、氏の見解の
趣旨として、「要因として一次史料として証明できるのはここまでで、主要因か
きっかけ的要因かまでは解明できなかった」のか
「四国問題(信長との衝突・利三からの突き上げ)だけで要因としては十分」と
考えているのか質問してもらえるとありがたいです。
898サイコメトリー:2008/10/10(金) 10:13:04 ID:7Sgaoi+3
講演会に参加した方には、どんな内容が話されたか是非ともカキコをお願い
したいです。

このスレもB段目後半になるので、どうしても過去に論議された情報が重複
してしまいガチですが、新しい論点が発見出来る可能性もありますので、宜し
いかと思います。

>>887>>889
持論も述べず、中傷ばかりするカキコは止めて下さい。

関与説が盛り上がってますね〜。本能寺の変に関して、たくさんの武将や要人
が関与してた事は間違いないですね。しかしながら、主導はあくまで光秀自身
の意思だと思います。>>895さん同様、関与系は複合説の一因で、主因と考え
るのはちょっと厳しい気がします。
899人間七七四年:2008/10/10(金) 12:48:04 ID:jHZ8FW/R
神人たちの絡みはどう思いますか?
あまり詳しくないので持論を展開するほどでもないのですが。
900人間七七四年:2008/10/10(金) 23:01:54 ID:O4Kl+5Ol
神人?
吉田兼見とかの事言ってるの?
901人間七七四年:2008/10/11(土) 00:10:03 ID:RGCJ1Ygm
>>898
はぁ?中傷?意味も無くageるなっていう当然の事を言ってるだけだ。
日本語理解してから書き込めよキチガイコテ。
902人間七七四年
>>901
意味はあるだろ?
多くの人に見てもらって話に参加してほしいって意図があるから
ageるんだろうが。
sageは「余計な人に来てほしくない」という、アンチが怖い
ファンの集いのスレ特有のもの。