■■本能寺の変徹底考察スレA+■■

このエントリーをはてなブックマークに追加
952人間七七四年:2008/08/01(金) 01:36:41 ID:Z7+H5tLS
>>951
それらが関係あると主張したいのなら、まず自分が証拠だそうよ
953人間七七四年:2008/08/01(金) 06:31:00 ID:pQQP2pkG
>>915
>信長が九州まで攻め込む予定だった、というのは信長公記にすら記録されているよ。

>自分の無知を棚に上げて、「勝手に曲解して捏造すな」

ホント頭悪いネ。
牛一もその場に居た訳じゃないから、多分に憶測交じりの記述だって事が解んないのかな。

>>916
キミも頭悪すぎ。
信長が淡路渡海を表明した後に秀吉の応援要請が来て急遽毛利攻めになった
ということが理解出来ていないようだね。 >>909なんて小説ヲタの妄言を
信じるなんて・・・・・・



954人間七七四年:2008/08/01(金) 09:58:19 ID:oY/fVI/0
>>942
あれ、足利の祖、義康の兄の義重を家康は、祖、と自称したんでしょ。
違った?
955人間七七四年:2008/08/01(金) 10:07:39 ID:oY/fVI/0
源氏と東国支配、についてだけど、史料がという意味ではなく
当時の人の認識で、それが重要視されていた、というのが大事。
つまりいろんな征夷大将軍がいるけど、次になろうとした場合、
当時はそういう、資格、みたいなのを自他共に気にした、わけだな。
より自らに正当性を求める、というか。

947の例は少し不正確かな。
古代はともかく、鎌倉将軍は東国支配、にその正当性を強く求め、
室町将軍は言うまでもなく源氏。

このあたりから、次の信長の頃には、征夷大将軍には、源氏か
東国支配、という条件と言うか資格と言うか正当性が求められるようになった
と、こういう論の進め方が正しいと思う。

秀吉は源氏でもないし、家康には勝てなかった、とどっちの条件も
あてはまらない、なので、というように論を進めていくとかね。
956人間七七四年:2008/08/01(金) 10:19:43 ID:h3yTys3s
>>955
だからその信長の頃に朝廷は源氏でない信長に将軍就任を認めているんだが?
そして誰も疑問視していない。

東国支配に関しては、家康を持ち上げるために出された要素が強い。
鎌倉将軍の正統性は別に東国支配になんぞなかったし、室町将軍は東国の支配
が揺らいでも問題視もされていない。
秀吉はその後家康を屈服させて臣従させ、関東奥州も支配下においた。
小牧長久手を必要以上に大きく持ち上げて、あれは家康の実質勝利だった!とか
だから家康は実質は秀吉に臣従していない!とか、上洛した家康に秀吉が頭を
下げて天下のために自分に従ってくれと頼んだ、だから天下のために権現様は
あえて表面は臣従のふりをしたのだ!とか、全部秀吉を貶めて後の家康の行為を
正当化させるための後世の捏造だよ。
957人間七七四年:2008/08/01(金) 10:34:13 ID:oY/fVI/0
>>956
同じことを言ってるから反論ではないけど
より深い理解のために。

三職推任に関しては複雑なのであまり触れない。
ほんで信長は源氏ではないが武田とか滅ぼしてるし
その有資格者、みたいなとこか。
それとも初の、源氏、東国、どちらにも当てはまらない将軍、というわけで
そこから別の論に移るべきか、このぐらいで。

秀吉が1585だったかに関白になった時はまだ関東奥州は支配下においてないよね。
なので将軍にならずに関白を選んだのは、このあたりにも遠因があるかも。

さらに、東国支配についてだけど、田村麻呂の故事が影響あるのではないか。
京から見た場合、遠国をも支配する、というのは困難な条件の一つだろうし
早くから意識されてたかもしれない。
それが家康を持ち上げるため、というようにつなげるといいのかな。

で、正当性、って変換してたけど、正統性、とは微妙に違うね。
自分としては、自己正当性、みたいに使ってたけど、朝廷が
求める正統性、みたいなのとはまた違ってきそうだ。
958人間七七四年:2008/08/01(金) 11:02:52 ID:wOjMwF6k
>>955
>源氏と東国支配、についてだけど、史料がという意味ではなく
>当時の人の認識で、それが重要視されていた、というのが大事。

なんか巧く問題点をはぐらかそうとしてるけど、
その認識を示す根拠となりうる史料が存在するのか?
これをはっきりさせなきゃ、ただの結論ありきの空論にすぎないんだけどね。
(厳しく言うと、妄想だが)

>次の信長の頃には、征夷大将軍には、源氏か
>東国支配、という条件と言うか資格と言うか正当性が求められるようになった

と言うのなら、信長の頃にその認識の変化が起きた証拠を提示しなきゃね。
959人間七七四年:2008/08/01(金) 11:11:33 ID:/kF9e3DA
>>937
>三好家による新政権といっても関西と四国の一部の地方政権という弱みがあるからだろうか?
弱みも何も信長出現までは地方政権しか存在しなかった訳で…
織田家の政権運営のありかたって意外に史料が少なくって、不明確な点も多いらしい。
信長が三好政権と大きく異なるって確証は得られないんだよね。

>>935
>そこから秀吉のように、官位による旧体制からの飛躍に至らなかったのは何故なんだろうね?
>三好家による新政権樹立への意欲は満々だったように見えるけど。
信長の官位利用は、政敵の義昭への対抗のためにやむなくという要素が強い。その証拠に右大将・
右大臣任官はわざわざ陣宣下でやっているし、義昭追放後はあっさりと辞任している。
オレは三好の延長上に織田政権があるって認識で、両者にさほどの相違は感じないな。
積極的な官位利用は、秀吉が初やと思う。
960人間七七四年:2008/08/01(金) 11:12:31 ID:wOjMwF6k
>>954
誰もそんな基本的なことについては、今更問題にはしてない。
「足利の祖の新田」「武家の棟梁のさらに上」といった認識が問題視されている。
繰り返すが、新田系源氏なんて、山名とか里見とか普通にいた。
彼等が「武家の棟梁のさらに上」なんて認識されてたの?
そして、家康は足利幕府が健在のころから、そうした思想を持ってたわけ?
ここら辺をはっきりさせてもらいたいということだが。

どうも君は、自分の想像の世界で議論が完結してる傾向があるよ。
961人間七七四年:2008/08/01(金) 11:33:34 ID:R/HRy/la
>>960
君もな
962サイコメトリー:2008/08/01(金) 11:57:19 ID:9cGw7XgI
夏季休暇もそろそろなので、新スレ立てておきますので、
皆さん、宜しくお願いします。
963人間七七四年:2008/08/01(金) 13:07:41 ID:VazsJOLQ
>>934
>「将軍死んだから今後朝廷の世話は自分がする」みたいなこと伝えている。
朝廷の世話するのは将軍の仕事やから、これは長慶が「オレ様が将軍だ」って意志表明しているともとれるね。
実際に長慶が世話したがどうかは知らんが、信長は朝廷の世話をしている。
とすると、信長は長慶の模倣をしたという評価もできる。

また、長慶は自前の将軍を推戴せずに義輝とドンパチやっていたけど、同じく義昭とドンパチやっていた信長は、義昭追放後
に「今後は将軍若宮(=義尋)にあいさつせよ」と命じている。
信長公記によれば、世評を気にしたからそういう命令だしたそうだが、その点で長慶よりも保守的ともいえるのかな。

光秀の謀反の要因に野望があったかどうかだが、光秀の版図は組下も含めると機内政権を樹立するに不足のない範囲に
及んでいる。
細川宛書状では、「100日で近国の平定をする。その後は引退して息子に譲る」っていっているけど、これらの事実から
光秀の政権構想は機内政権だった可能性がある。
なぜなら、近国平定後にさらなる版図拡張を望むのであれば、引退するという記述と矛盾するからである。
光秀の謀反が、上位権威者の推戴なしに決行されたこと、京都支配の正統性を得たこと、から彼の謀反は長慶に模範をとった
単なる野望による謀反(=下剋上)であるというアプローチも可能やと思う。
964人間七七四年:2008/08/01(金) 15:04:21 ID:n/B3x7g+
>>958
最初に、史料じゃなくて、と断ってるでしょう。
そういう学説の話じゃなくて、源氏とか東国支配、とか言われるようになった背景を
推測してるのですよ。

言い換えるけど、朝廷が「こいつは将軍にしたくないな」と思ったら源氏とか
東国とかを将軍の「正統性」として利用したであろうし、なりあがり大名が「将軍に
成りたい」と思ったら、源氏である、とか東国支配中、を自己正当性の根拠に
したであろうし、って話。

ほんで信長の頃からというのは史料をあげるまでもなく、源氏武家政権の
終了後次の将軍が問題になる時の基本条件、という意味でこれは共通理解
でいいのじゃないかな。
965人間七七四年:2008/08/01(金) 15:16:08 ID:n/B3x7g+
>>960
これも同様で、当時は足利が武家の棟梁でしょう。
だから足利の祖、義康の兄に祖を求めると言うのは
当然、武家の棟梁のさらに上、というのは認識も何も普通の判断
だと思うけど?

だからこそ家康ぐらいしかまず、自称もできないだろうし、大したものと思う
って話ね。

家康がいつからその思想、と言われても困るけど、自ら系譜作りに走ったのは
徳川に詳しい人なら答えられるのじゃないかな。
得川性、について誰々に調べさせた、ぐらいなら自分もわかるけど。

そして家康ぐらいなら系譜の重要性は当然認識してたわけで、これも
普通の共通理解と思うよ。
自分の想像じゃなくてそこらの本に普通に書いてないかな、こういう話。

で、信長、秀吉、家康、が日本を統一しようとした史料、なんて言われても
困るように「事実と結果」から普通に判断してるだけなんだけど。
自分だけの説なんて畏れ多いこと言ってるわけじゃなくて、雑誌に載ってる
レベルだと思うんだけどなー。


966人間七七四年:2008/08/01(金) 16:03:34 ID:GqvyEp0a
急に議論のレベルが下がったな
967人間七七四年:2008/08/01(金) 16:57:10 ID:eOe3GT6W
本能寺に戻すか。

細川や筒井はどうして光秀につかなかったのだろう。
六日には朝廷からお祝いの使者とか来てる位だから
主君殺しの逆臣、というイメージでもない。
もちろん朝廷は中立であり、様子見でとりあえず、だったとは
思うけど。

細川か筒井かどっちかでも味方して秀吉に勝ってたら、
最後は家康の天下だったとしても、秀吉なんてほとんど
歴史に名が残らないぐらいだったかもね。
968人間七七四年:2008/08/01(金) 18:36:39 ID:Zhg3+D83
細川は、変後の事態収拾が長引いた場合でも
秀吉と家康が光秀を挟撃するだろうから、結局は光秀敗亡と読んだのではないか。

家康は武田氏の水軍を吸収していたが
光秀は水軍らしい水軍を持っていない。

長期戦になった場合、これも響いてきたように思う。

水軍は兵站・伝令・小規模な奇襲にも使えるわけで。

969人間七七四年:2008/08/01(金) 20:28:58 ID:h3yTys3s
>>965
室町の当時、足利より新田の方が上と看做されていた根拠を挙げてください。まずはそれから。

あなたの主張は先に家康マンセーが来てそのために勝手に価値観を捏ねくりあげている。


ちなみに、新田と足利を比べると、鎌倉時代から官位、実力その他あらゆる面で足利が上。
単純に先祖が兄だったというだけで血統の価値があがったりはしないんだよ。源氏の嫡流
だって同じだった。
970人間七七四年:2008/08/01(金) 20:31:10 ID:uuvAS9WO
>>968
細川、筒井あたりは状況をどこまで正確に把握してたんだろうね。
細川家文書とかあまり詳しくないけど、単純に、逆臣の仲間、と
なるのを恐れた、ぐらいが正解なのかも。
筒井は秀吉を選んだ、というのが正しいのだろうけどね。

さらにお題提出だけど、変の時点で光秀は信長、秀吉より年上なんだよね。
これはこのスレでもあまり語られないけど、動機を探る上で案外重要かもしれない。
家康みたいに、辛抱、じっと待つ、ということは一番出来ない立場だったろうから。
ざっと54歳ぐらいだもんね。
これは、突発とかノイローゼ説よりも野心説の後押しになるのかもしれないけど。

さらに信長に仕えてざっと12年、1580年ぐらいには「天下に面目」で家臣
ナンバー1の出世、ここでは絶頂期だったろうし、変の年にもまだそういう
自負は十分にあっただろう。
そのまま家臣ナンバー1の地位では満足できなかったか、そこに危機感を抱いたか
こうやって考えてみると光秀自身の中にその動機を求めるのが妥当ではないか
そういうとこだな。
971人間七七四年:2008/08/01(金) 20:58:47 ID:JA6Fd8tW
>>969
いやそう、大上段にされても・・

単純に、室町ではなく家康としては、下克上で天下を取った、足利に対して勝った、
みたいに思われるより、源氏を名乗った以上、自分が足利の宗家だ、みたいに
思われるのが理想だったと思うのですよね。
兄だった、というのは結構重要で、新田が長男系、足利は分家だよ、というか。
そうして家康の祖は、上、というか宗家、とでも言うのかな、血統の価値というか
より主家だよ、というか。

そちらのいう鎌倉から足利のほうが官位も実力も上なんですけど、
そういう実力的評価よりも、ただ単に、主家、足利の兄だぞい、みたいな
そういう意味ね。
別に血統の価値があがる、というのではなくて、足利は分家だ、みたいなことが言いたかった、
のでないかということです、家康は。

だから、家康マンセとか価値観とか、言われても困るけど、普通なら自称でも足利の
兄、なんて言えないのを家康は名乗った、わけでそこがすごいな、ということなのですよ。

別に、足利より新田の方が上、というのは当時の評価とか官位じゃなくて
もっと単純な意味合いなんですよ。

このあたりちょっと論点がずれてるかもしれないけど、あくまで家康の
態度、姿勢、自信、の話で、足利と新田どっちが実力的評価や官位が上かとそういう
話ではないですからね。

スレチになるから軽く繰り返しみたいで悪いけどさ。
972人間七七四年:2008/08/01(金) 21:20:29 ID:PYeyahnH
>>971
だからさあ、家康、もしくはその周りの人間が
新田が主家、足利が分家、なんてこと言ってたの?
全く他人の質問の意図を理解できてないね。
根拠の無い妄想を「共通理解」とか言って押し付けられても困るんだが。

根拠聞いたところで、きみが答えられないのはもう分かってるから、
せめて、どんな学者や作家の本を読んでかじった「共通理解」かぐらいは
はっきりさせてくれんかね?
973人間七七四年:2008/08/01(金) 21:44:35 ID:JA6Fd8tW
一般的に、長兄が跡継ぎ、弟たちは分家、というだけですよ。
もちろん例外はいっぱいあるけど、あくまで普通は兄がその家の
後を継ぐ、という意味です。
これは、あくまで一般的に共通理解と思ってますよ。
974人間七七四年:2008/08/01(金) 21:45:57 ID:GqvyEp0a
もともと大した家系じゃなかった新田の方がいきなりの無茶な仮冒がしやすかったということだろう
975人間七七四年:2008/08/01(金) 21:48:23 ID:JA6Fd8tW
>>974
そうですね。
あくまで一般的に、兄、のほうに祖を持っていけば、周りの人は
弟一族よりもすごいじゃん、みたいに思うでしょうし、家康もそう思わせたかった
でしょう。
それだけのことなんですけど。
976人間七七四年:2008/08/01(金) 21:51:11 ID:GqvyEp0a
>>975
アンカーミスか?家を継がなかった兄の家系なんかしょせん庶流だぞ
てかここ何のスレだ?
977奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/01(金) 23:23:36 ID:B3ReW1ba
本能寺のスレやの。
978人間七七四年:2008/08/02(土) 00:11:28 ID:EPchGwRK
>>975
だからさ、室町戦国時代に足利流より新田流の方が上だと宗家だと思われていたという根拠をまず出してくれ。

兄だろうと嫡流を継がなければ庶流扱いで下なんだよ。それこそ一般常識だ。
979人間七七四年:2008/08/02(土) 00:11:49 ID:8pYxIbDr
>>978
よそでやれ
980人間七七四年:2008/08/02(土) 00:48:45 ID:/1WvdHXL
>>978
根拠の無い妄想を語ってるだけだって、そろそろ誰の目から見ても分かってきただろ?
もう馬鹿らしいから相手しないほうがいいよ。
981奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/02(土) 00:53:14 ID:p2km4FyX
どっちが宗家かという議論なら結論は示せるからもうちょっと続けてみ。
982人間七七四年:2008/08/02(土) 01:08:35 ID:Zz3AnHCB
新田は滅びて、足利は滅びてない。
家系を捏造するなら、どちらがしやすい?
ただそれだけのことじゃないか?
983人間七七四年:2008/08/02(土) 01:36:11 ID:8pYxIbDr
>>982
だから他所でやれ
984人間七七四年:2008/08/02(土) 07:55:53 ID:CkQQOzEX
>新田は滅びて

新田の子孫は江戸幕府の旗本になっていなかったっけ?
985人間七七四年:2008/08/02(土) 09:13:27 ID:pU/3IQzQ
本能寺に戻すには、陰謀説でも持ち出さないとだめか。

鈴木は新書で、義昭説とイエズス会にページをたくさんさいてるが
やっぱり朝廷説の方がおもしろい。
なんで軽くあしらっちゃったんだろう。
「問答無用成立しないからだ」と言われたらそれまでだが
鈴木の朝廷関与否定の根拠には部分否定とか拡大解釈
とか彼独特の恣意的な展開も多い。

夏休み特別バージョンで誰かそういうの展開してくれないかな。
詳しい人は1レスでつぶさないように。
986人間七七四年:2008/08/02(土) 13:47:12 ID:ddmLh0Yw
>>968
猪飼野水軍もってるじゃん。土壇場で明智裏切ったけど。

>>970
野望説はつまらないから正面から支持する論者は少ないけど、
光秀は信長の寵臣として京都周辺に所領を持ち、佐久間折檻状ではイの一番に褒められ、天正10年正月
には友閑と彼だけが真っ先に安土の貴賓室に招待されている。
また、フロイスの記述によれば(半分ぐらい差し引く必要があるにせよ)、そうとうしたたかな武人の姿がそこ
にある。
ナンバー1でも、現状に満足して忠義を尽くす武将もいれば、さらにその上を狙う武将もいるのが戦国時代。
また、織田家の登用法では、息子がこの地位を引き継げないのは明らかである。

光秀と信長が天正10年5月に何かの要件でトラぶったのが引き金になって、光秀の野心が頭をもたげた。
そこに運良く、中国出兵命令が下され光秀は京都周辺で公然と軍事活動できるようになり、信長親子はほと
んど無防備に京都に滞在し、大軍を率いる司令官は遠くの前線に張り付いたままで、住吉の信孝軍は雑軍。
これは、「これは天が謀反せよと言っているもんだ」と戦国の虫がこのワンチャンスに賭けさせたのかも知れない。
あと、真っ先に安土を占拠したのは「ワイが天下人や」という己の野望を、軍事行動で示したものともいえる。
複合説でも、もっと野望的要素にライトあててほしいな。

>細川、筒井あたりは状況をどこまで正確に把握してたんだろうね。
彼らは光秀に味方しなかったのは事実だが、光秀にも敵対していない。だから、山崎の合戦では対筒井の押さえに兵を
割く負担が省けた。
彼らは「日和見」していたというのが実情じゃないかな。
987人間七七四年:2008/08/02(土) 14:01:05 ID:E5hsC8dK
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160617713/

こっちでやれよ
まあこのスレじゃ『秀吉は将軍なんて低い職につく必要が無かった』ってのが結論のようだが
988人間七七四年:2008/08/02(土) 14:19:29 ID:T9B5UE//
>>986
野望説支持は少ないの?
そういう人たちはどういう風に理解してるんだろうね。
例えば、四国政策転換説、というのは「信長討談合衆也」とか「謀反随一」
に重きをおきすぎてる感じがする。
もちろん史料重視学会系の人たちは、そういうとこに元を置いて
それが重要な出発点なんだろうけど、あくまで光秀が政策転換で
困っていた、というのは背景でしかないような。

光秀自身があの時点で、織田家ナンバー1、そういう自覚持っていたなら
年下のエキセントリックな主君さえ倒せば自分が・・というのは動機として
十分にあったような。

もちろん天正十年正月のままずっと織田家筆頭家臣で自分は満足、
というのもあったろうが、政策転換で困った、という背景は認められてるようだから
それが野心に火をつけた。
こんなのではつまんないのかな、やっぱり。
989人間七七四年:2008/08/02(土) 14:38:58 ID:/1WvdHXL
>>988
野望説が支持されていないのではなく、
野望説が一番無難で当たり前の話だから、わざわざ声高に主張する論者が少ないということ。
野望説で今更新説とか新見解とか、ほとんど立てようないから、
わざわざ学者が本や論文新しく出して主張するようなもんでもないし。
990人間七七四年:2008/08/02(土) 14:43:54 ID:T9B5UE//
>>989
なるほどね。
じゃ、野望の根拠なんかで新しい発見、視点、見解、そういうのを
展開すれば、少しは面白くなるわけか。
991人間七七四年:2008/08/02(土) 14:44:43 ID:QsD7Ya/h
黒幕がいた方が単独犯説よりはおもしろいんだろうけどね。
992人間七七四年:2008/08/02(土) 15:50:18 ID:HlN7O5XO
>>988
>光秀自身があの時点で、織田家ナンバー1
どこがだよ・・・
993人間七七四年:2008/08/02(土) 15:53:29 ID:c++aFCQ8
まあ織田一族除けばナンバー4か5くらいの地位はあったんじゃね?
994人間七七四年:2008/08/02(土) 16:22:06 ID:ddmLh0Yw
>>989
野望説に対して「事前準備がおそろかじゃん」ってお決まりの反論あるけど、謀反決行
のために信長が本能寺宿泊したのは5月29日で、この日まで具体的を計画たてるのは無理
だから、この反論もどうかと思う。
「謀反後のビジョンがないじゃん」って反論も、想定外の中国大返しがあったからビジョン
をたてる時間が無かっただけで、この反論もどうかと思う。
また、同時代人である大村由己やフロイスだってこの見解を採用している。
しかし、光秀の謀反は「数ある下克上のひとつだ」なんていうのはあまりに芸がないし、史料
の裏づけが難しいから、高柳以降は純粋な野望説の支持者がいない。
995人間七七四年:2008/08/02(土) 17:00:01 ID:/1WvdHXL
>>994
「純粋な野望説」という認識自体がどうもねえ……
そりゃあ、人間なんてそんな単純なもんじゃないから、
純粋に野望のみ一本で謀叛起こしたとか断定できるもんじゃないだろ。

高柳さんも、当時主流的な怨恨説への否定として、
野望説を根本的な要因とするという説を提唱したわけで、
野望以外の一切の要因を認めないなんて言ってるわけでもないだろうに。
事実、信長の性格的欠陥やら、
それに起因する、光秀が将来への不安をいだいた可能性とかも言及している。

あくまで、野望を最も最大の動機とする、ととらえるのが野望説とするべきであって
「純粋な野望説」を支持する人を見ないから、野望説は支持されてない
なんていうのは大いなる誤り
996人間七七四年:2008/08/02(土) 17:00:31 ID:L234STsk
>>992
天正八年、信長がなんて評したか知ってるよね。
997人間七七四年:2008/08/02(土) 17:03:06 ID:/1WvdHXL
前スレあたりでも、そうした「純粋な野望説」的な揚げ足に考慮してか
「野望を主たる要因とした複合説」が最終的に一番支持されてたね。
998人間七七四年:2008/08/02(土) 17:08:26 ID:/1WvdHXL
999人間七七四年:2008/08/02(土) 17:08:34 ID:L234STsk
となると、複合説と野望説とは重なってくるわけか。
では、野望説の中で「野望が最大の動機」と「そこはかとなく根底にあった」みたいな
「強い野望説」「弱い野望説」でその視点、見解の相違を考察する、というのは
面白そうだけど。
1000人間七七四年:2008/08/02(土) 17:09:21 ID:L234STsk
うめ
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/