■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■

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853人間七七四年:2008/10/07(火) 20:06:23 ID:NWFScMoW
なんか話がズレてるようだが、信長は室町幕府の存続なんか図ってないですけどね。
単に自分の傀儡として利用価値があるから、であるしそれも1573までであって、
その後はその制度には依存してたから義昭を解官できなかった、と複雑な事情みたいな
説明をしてた。
確かに、追放後どうして解官しなかったかは良い説明を聞いたことがない。
それと追放は信長と義昭の関係から語られるけど、旧室町の奉行衆や奉公衆も義昭を見限った
それは義昭個人の資質的欠点によるもの、というのは面白い視点だと思った。
だから追放後も幕臣たちは室町体制を維持するし信長もそれによっかかった、と。
854人間七七四年:2008/10/07(火) 20:56:25 ID:NSusiMyp
>>853
まず、小林説では「室町幕府体制」がどういうものだったのかが問題になるが。
別に将軍の存在が問題ではなく、制度自体が重要だというのなら、どうして
>制度には依存してたから義昭を解官できなかった
になるのかが判らん。矛盾してません?

信長が義昭の解任を求めたという形跡はない。少なくとも朝廷に働きかけたことはない。
別に隠すようなことでもないしねえ。ここで信長朝廷対立説を採る人は正親町天皇が
信長に対抗する駒として義昭を保護した、信長の解任要求を退け続けたとしているが、
そんな史料根拠はどこにもない。

>旧室町の奉行衆や奉公衆も義昭を見限った
見限ったものもいる。しかし、見限らず流浪の義昭に従ったものもいた。
奉公衆では飯河信堅、一色藤長・同昭秀、上野秀政、大館晴忠、真木島昭光など。
奉行衆では飯尾定遥・同為忠など。
一概に言えるものではない。

逆に義昭を見限って信長に付いた者達は、室町体制に基づいて信長に従ったのか?
例えば室町体制では政所執事として政務を担った伊勢一族は織田政権に鞍替えしたが、
織田政権において政所執事のような地位や役職や任務を担ったかといえば、それは否定
される。そもそも、織田政権において政所のような役職が設置されて政務を担ったかと
言えば、それも否定される。
855人間七七四年:2008/10/07(火) 21:09:03 ID:NSusiMyp
追加
光秀が幕府関係者で、室町体制を守るために変を起したとして。
では他の旧幕府関係者はどうしたか?実は、ほとんど参加していない。
変後に光秀に同調したものは近江や若狭などでそれなりにいるが、その中に
旧幕府の奉公衆や奉行衆はいない。

参加者としては伊勢貞興や諏訪飛騨守がいるが、彼らはすでに光秀に仕えた明智家の臣として
であって、明智と関係なく室町体制を守るためにあえて参加した、なんてわけではない。

>追放後も幕臣たちは室町体制を維持するし
信長が室町体制を破壊しようとした、だから光秀が謀反を起したとするのなら、他の
旧幕府関係者はどうして光秀に同調しなかったんだ?
856人間七七四年:2008/10/07(火) 22:37:19 ID:NWFScMoW
>>854
別に小林支持者でないがあえて答えると、義昭解官すると室町幕府消滅で
その機構が成立しなくなってしまう。だからじゃないのかな。

ほんで、義昭についていったのもいっぱいいるけど、と言っても30人ぐらいだったか、
これはやっぱり過去の足利将軍も流浪の身になるのはよくあることで、まだこの先何があるか
わからないから消極的についていっただけなんじゃないかな。

信長についたものとかは、それぞれ体制に基づいたか、私利私欲のためか、様々
だったんじゃないのかな。あくまで光秀は制度防衛、って説で他はいろいろ事情があったんでしょう。

変後だけど、それは光秀が制度防衛のために、なんてわからないからこれも各自の事情によっただけじゃないのかな。
で、信長が室町体制を破壊しようとした、というのも事前にそこまで把握理解できたのは光秀ぐらいだろうから
他の関係者たちは関係してこなかったんではないのかな。

トンデモ説ではあるだろうけど、清洲同盟の重要性にはもっと注目すべきと思ってたから、そういう視点は
面白いと思ってね。
例えば、三方原で信長が林たちに兵を3000しかつけなかったのは、付き合い程度、戦わなくていい、なんて
いうのよりは、ろくに戦わなかったと言って家康に文句言われ信長も困った、というほうが
理解できる。他の合戦でも密接になってると思うし。



857人間七七四年:2008/10/07(火) 22:41:32 ID:8aHCC8w0
三方原では滝川ほどの人材が精細のないイクサをしている理由がよくわからん。
858人間七七四年:2008/10/07(火) 22:43:50 ID:8aHCC8w0
>三方原で信長が林たちに兵を3000しかつけなかった


信長に余裕の兵力がなかったこともあるが
家康が浜松城に篭城すると思っていたのではないか?

篭城戦主体の戦いなら兵力多いとその分、メシを食うので兵站に負担がかかる。

859人間七七四年:2008/10/07(火) 22:45:54 ID:8aHCC8w0
滝川は伊勢で一揆の大軍相手の篭城戦の経験もあるので
信長としては篭城戦向きの援軍を送ったのかもしれない。
860人間七七四年:2008/10/07(火) 23:05:01 ID:NSusiMyp
>>856
三千という兵力は、野外決戦を狙うなら少ないが篭城するのなら適正。
861人間七七四年:2008/10/08(水) 00:08:16 ID:y9B7Yyit
そそ、だもんで信長は適正な兵を与えて同盟軍に対してそれなりの
義務を果たした、当然だが。
にも関わらず丹羽がろくに戦わなかった、これは徳川に対して信長から
みて「借りを作ってしまった」的なとんでもないことで、それが後の丹羽追放になるし
清洲同盟の重要性の再確認、という事例にもなってる。

それと家康の上洛についての「異例さ」というのかその指摘も興味深かったな。
862人間七七四年:2008/10/08(水) 00:55:08 ID:hTHU2zuj
三方ヶ原の援軍にも諸説あるようだけど、それは兎も角。
元々、桶狭間での今川の敗退があったから、結果論とは言え徳川(松平)が独立できたんだよな。
なんで一戦で部下がしくじった?くらいで其処まで借りに感じることがあるんだ?
兵力差考慮せず野戦いどんだのは、家康自身の決断なのに。

結局、何をもって制度防衛と言ってるのかよく判らん。
上洛後から、知行宛がいが将軍の下知だけでは無効で、信長の朱印状が必要になったり、
訴訟事を織田家の武将が処理するようになったりして旧来の制度が無意味になってる。
幕臣が織田方に付くことは、新制度容認・旧制度否定でしかない。
後年の明智が取り仕切った馬揃えでも、織田家の権威を増す方向で執り行ってる。
明智自身が旧制度否定の方向で動いてるとしか見えないんだけど。
863人間七七四年:2008/10/08(水) 01:00:17 ID:GT7cewMq
丹羽と佐久間を間違えるなんて有り得ないと思うんだが。
864人間七七四年:2008/10/08(水) 01:16:04 ID:y9B7Yyit
あちゃ、恥ずかしい。
>862
部下がしくじった、ぐらいじゃなくて、徳川から見たら「もしかして同盟を
裏切って最初から戦う意思がなかったんじゃないか」と思われないか、という
ことじゃないのかな。
合戦においては相互の協力が重大だし、佐久間が戦わなかったというのは
「一種の裏切り」でしょうし。
ほんで、織田側が「桶狭間で勝ってやったんだから松平よ感謝しろ」みたいな
発想があったかどうか、これはまた別に考慮すべきだろうね。

制度防衛に関しては、小林本で確認してもらうしかないもんね。
ただ小林説とは別に、幕臣とはいえいつかは「16代将軍」擁立みたいにあまえた
考えでいたのかもしれん。
だから信長につくことは決して新制度容認、だったとは言い切れないというか。
義昭解官しないことも「甘え」の根拠になってかもしれないし。
それと、信長は京を占拠してたけどまだ統一の仮定にあった、というのも大事
だろうね。
どこかでやられたら、やっぱり室町幕府存続の可能性も高かっただろうし。
865人間七七四年:2008/10/08(水) 01:46:19 ID:y9B7Yyit
そういや、中日新聞に岐阜城で信長の居住地跡発見ってニュースあったけど、
全国的にはたいしたことなかったのかな。
面白かったのは、跡発見でフロイスの記事が認められた、じゃなくて
フロイスに載ってるから正しいだろう、みたいな感じだったことだな。

小林は、フロイスの記述一方的に評価する今の風潮を批判してたしな。
866人間七七四年:2008/10/08(水) 03:35:36 ID:OmgeId+Q
>>822>>823 光秀に前半生の記録がないことがそんなに不自然だとは思わない。
秀吉もそうだけど、信長は血筋で判断するのを嫌っていたから
前半生がぺーぺーのしょぼい奴らが多分に含まれているわけだ。
そんな奴らだとしたら、記録が残っているはずがないだろう。
若い頃から有名なのに記録がないのなら不自然だが。
867人間七七四年:2008/10/08(水) 04:57:17 ID:OmgeId+Q
何故、信長は他に選ぶ寺はあるのにも関わらず、本能寺などという小さな寺を選んだのか?
誰か教えて
868人間七七四年:2008/10/08(水) 05:37:22 ID:F+o3VD1v
そもそも信長が中国戦線に西下する直前入京して、数日滞在している事自体不自然だろ。
だらだら数日京に居座る必然性など全く無いからな。
しかも光秀が備中へと向かう直前にだ。

どう見ても朝廷と光秀が仕組んだ罠としか思えん。
帝譲位の決意固めたとの虚報で信長を京へおびき出し、
そこを備中戦線に向かう口実で軍を動かせる光秀に襲撃させる筋書きだ。

だが信長の首級を挙げられなかった事が、光秀に微妙な影響を与えていく事になっちまった。


869人間七七四年:2008/10/08(水) 06:04:10 ID:OmgeId+Q
朝廷と光秀が仕組んだというのは有り得る。
その日は帝からの、安土城へ移ってもらえるか?という回答待ちの日だったはず。
家臣からの危険だという進言を聞き入れずに兵を連れて行かなかったのは
信長が調子に乗っていたからではなく、帝に圧力をかけたと言われたくはなかったから。
だと思う。光秀が毛利に行けと言われているのに愛宕に行って歌を詠んだりしたのは
水尾に公家の別荘地があり、そこで近衛前久と落ち合うのが目的だったからではないか?
あの状況で愛宕に行く理由はそれしかない。
870人間七七四年:2008/10/08(水) 10:14:17 ID:d38EA7JX
>家臣からの危険だという進言を聞き入れず


誰かそういう進言をしたんだっけ?
871人間七七四年:2008/10/08(水) 10:16:53 ID:D2FYDiHC
ここはいつから根拠レスの妄想垂れ流しスレになったんだ?
872人間七七四年:2008/10/08(水) 10:17:08 ID:d38EA7JX
>朝廷と光秀が仕組んだ罠


朝廷といっても一枚岩ではない。

正親町天皇個人と光秀が仕組んだ罠、ならばありうる。

正親町天皇の能力についてはそれほどの分析はなされていないようだが
岩倉具視ばりの謀略能力があったようにも思う。
ただし証拠はないが。

873人間七七四年:2008/10/08(水) 14:06:21 ID:OmgeId+Q
安土城は天体観測所。
874人間七七四年:2008/10/08(水) 14:10:23 ID:/o7fKIwi
自分の考えた本能寺論に酔っ払ってる人間って、酒飲んでくだ巻いてるおっさんと
全く変わりの無いたちの悪さだな。
875人間七七四年:2008/10/08(水) 14:33:52 ID:hTHU2zuj
しょせん2chだから、八切止夫のごときお話も許されると考えるか、
2chとはいえ、史料に則って論ずべきと考えるか。
876人間七七四年:2008/10/08(水) 15:52:12 ID:y9B7Yyit
テス
877人間七七四年:2008/10/08(水) 15:53:23 ID:y9B7Yyit
>>867
鉄砲の関連でおもろい論が出てたな。

>>868
六月二日に大茶会の開かれる予定があった、という記録がある。
鈴木あたりの論は「たとえおびき出したとしても信長が無防備になるかどうかは
わからない」というのだが、茶会時にはものものしい警備などはしない、という論も
あり、こうなると「朝廷が茶器で呼び出した」と言う根拠になってしまう。
もちろん朝廷関与否定の根拠はそれだけではないが、「光秀は勤皇家だったという
証明はされてない」という根拠はこのスレでも「利害の一致で説明できる」というのが
出てたし、案外朝廷関与説は鈴木本あたりの反論では完全に否定されない
かもしれない。

がんばれ関与説。
878人間七七四年:2008/10/08(水) 16:25:30 ID:MdkiPx6x
>>862
>明智自身が旧制度否定

その方向で動いていたけど、
先行き不透明になってきたから
再び旧制度側に戻ったって事じゃないの。
879人間七七四年:2008/10/08(水) 16:52:08 ID:9w50rgQo
>鈴木あたりの論は「たとえおびき出したとしても信長が無防備になるかどうかは
わからない」というのだが


無防備なら襲う。そうでなければ襲わない。両にらみの作戦ならありうる。
880人間七七四年:2008/10/08(水) 16:54:42 ID:9w50rgQo
昭和20年に昭和天皇が鈴木侍従長を首相に指名して泥かぶらせたように
正親町天皇は光秀に泥かぶらせたような気もするが。

謀反が成功したら征夷大将軍にしてやryとの条件で。
881人間七七四年:2008/10/08(水) 17:46:38 ID:OgTp1cZf
朕が近衛を率いて反乱軍鎮圧するぞゴルァくらいしか自分の意思をトップダウンで国政に反映させなかったわけだが
あくまで重臣会議の結論に基づく説得
少しでも歴史が変われば話し合いで東條の意見が通ってた可能性もある
882人間七七四年:2008/10/08(水) 19:09:53 ID:D2FYDiHC
>>872
正親町と光秀はどこでどうやって結びついたのか。両者はどうやって連絡を取り合い、
計画を立てたのか。変後に天皇が光秀を支援するような言動が一切ないのは何故なのか。

>>877
>茶会時にはものものしい警備などはしない
茶会の時に警備がつかないことと、京に軍勢を率いてやってこないかは別。
仮に本能寺なり二条城なりで茶会をやったとして。建物の中が警備が薄いという可能性は
あるが、当然建物の外は厳重な警備がつくだろうよ常識なら。

>「利害の一致で説明できる」
朝廷や天皇にとって信長を殺すことがどんな利益があったのかを証明できない限り、空説。

>>879
襲うためにはいろいろと下準備が必要で、そのためには様々な事前工作が必要なわけだ。
襲わなかった場合、それらは不発になる。つまり、計画の存在が漏れ易くなるという危険を
抱え込むことになる。それらの防諜はどうするの?
883人間七七四年:2008/10/08(水) 19:10:37 ID:/o7fKIwi
空想に空想を重ねだしたら、学問的考察としてはもう終わり
884人間七七四年:2008/10/08(水) 20:11:17 ID:hTHU2zuj
兼見卿記の「・・・今度謀叛の存分雑談也」って件もあるし。
朝廷側の使いと信長討ちの事を謀叛として会話してる。
勅や令旨を受けて討伐・追討したっていう認識では無いんだろ。
口約束だけで動くとも思えんし、万一そうであっても襲撃した時点で、
上意討ちと宣伝しまくって行動の正当化図ってるだろう。常識的に考えて。
885人間七七四年:2008/10/08(水) 20:15:16 ID:bCf2atjY
仮に天皇が黒幕と仮定すると天皇と親王の不仲説も証明する必要あるんじゃね?
886人間七七四年:2008/10/08(水) 21:59:35 ID:y9B7Yyit
>>882
別に黒幕説支持じゃないから賛成なんだけど、天皇と光秀は
吉田とか間接的に連絡を取り合った、なんてのはよく聞くよね。
もちろん直接証拠なし、状況証拠もないんだが。

茶会の話は新しいから良くわからないけど、要はある特定の日に信長が
そこにいる予定という状況を作り出す、ということはあるかな。

利害の一致については、朝廷対立説が基本になってて、対立とまでは行かない
までも緊張状態説、が今の主流と聞いたんだが、それなら信長殺害は十分利益
があったかもしれない。
このあたりはまた、個別の話になりそう。

桐野によると28日でも決断してなかった、ということらしいので、茶会の
情報は知ってて自軍も動かせる、というまさにラッキな状態だからこそ実行した。
で、思いつき、に近いぐらいだからかえって防諜に成功して、結果も成功した
みたいになるのか。
つまり、吉田との打ち合わせはあくまで「おびきよせるから後はまかせたでおじゃる」と
なって光秀もその時点で具体的な行動に出るかどうかは決断してなかった、とか。

ちなみに、全部史料確認なんかできない、状況からの話だけどね。
ただ、今流行の四国説でも結局はそういう状況からの推論だろうから、
「光秀の告白とか理由が書いてないからわからない、以上、おしまい」ってね。
なんか、どっかに書いてあったが受験用丸暗記科目的な学問になってるな
歴史というのが。


887人間七七四年:2008/10/08(水) 22:15:18 ID:XU0ChNOl
いい加減、sageる事くらい覚えろよ、クズ。
888人間七七四年:2008/10/08(水) 22:38:28 ID:OmgeId+Q
というか、何も論じる頭がないのに批判ばかりしている低悩は何なんだ?
889人間七七四年:2008/10/08(水) 22:44:42 ID:XU0ChNOl
だからsageろって言ってんだろ。
日本語理解出来ないのか?
890人間七七四年:2008/10/08(水) 22:51:16 ID:/o7fKIwi
>>888
キミは論じてるんじゃなくて、創作したつトーリーを語ってるだけだ。

あと日本語がわかるなら下げろ。
891人間七七四年:2008/10/09(木) 01:37:22 ID:ZrJKyjBL
論拠なき論は妄想
892人間七七四年:2008/10/09(木) 05:33:09 ID:2EYneGqd
>>882

>朝廷や天皇にとって信長を殺すことがどんな利益があったのかを証明できない限り、空説

朝廷や天皇にとって、信長は彼らの存在意義を否定する危険極まりない存在だった。
当時の国家主権は朝廷(=天皇)。
古来から朝廷は、時の実力者を高位高官に就かせて政権の御墨付きと正当性を与え、
日本の統治を委任する事で存在感を保持してきた。
だが、信長は朝廷を無視し、個人に依拠した政権の正当性を確立しようとしていた。
これを現代風に例えれば、主権在民の民主主義を無視し選挙を経ずに自ら当選を宣言し、
国家元首に就任するようなものだ。
とてもじゃないが、朝廷が看過できない暴挙だ。
朝廷がいかに必死だったかは、右大臣を辞去した信長に、
再三に渡り更なる高位高官への就任を要請していた事例で伺える。
だが、武田征伐後の推任拒否で、朝廷の腹は決まったといえる。
朝廷権威の裏づけの無い政権の樹立など許されない。
朝廷にはもう時間の猶予は無かった。
正親町帝と関係が深い毛利が滅ぼされれば、もはや信長の野望を止める術はない。
毛利討伐の援軍に向かう予定の光秀が信長を討ったのは、偶然といえば余りにも出来すぎだろう。
朝廷は、どうやっても毛利が滅ぶ前に信長を消す必要があったからだ。
893人間七七四年:2008/10/09(木) 07:53:51 ID:Bb2mbElZ
正親町天皇は有能な人物だったからなあ。

近衛前久は有能だったとは思わないが。
894人間七七四年:2008/10/09(木) 10:07:21 ID:ld7ifSo5
>>886
>「光秀の告白とか理由が書いてないからわからない、以上、おしまい」ってね。
>なんか、どっかに書いてあったが受験用丸暗記科目的な学問になってるな
>歴史というのが。
前スレでもこういうお門違いの批判してたね、君。

確かに、桐野・谷口の四国説は「信長を殺すほどの原因か」という点では疑問だし、
斎藤の教唆を強調するのも「光秀は家来のいいなりか?」という点で疑問である。
しかし、一次史料の取捨選択にはとくに無理もないし、そこから得られた氏の推論も
さほど突飛ではないという点で支持している。
だから、その推論をもってしても、「光秀の告白とか理由が書いてないからわからない、
以上、おしまい」っていうのであればそれは仕方ないことだと思う。

推論を超えた推論を妄想といい、これは小説家の仕事。
そういや、真保裕一が「覇王の番人」っていう本能寺ミステリーを上梓したね。





895人間七七四年:2008/10/09(木) 12:51:53 ID:IqVt5uUe
>>894
四国説に戻るけど「殺すほどの原因か」「家来の言いなりか」に対する
解答として四国政策はあくまできっかけにしかすぎないように思う。
主因とするには少し弱いような。
決断させた主要因としてならそうなんだがその決断の根本にはやはり
光秀自体の意思があったような。
小林説は突拍子も無いが個人の意思という観点からは理解はできる。

真保は知らなかった、どうも。
896人間七七四年:2008/10/09(木) 12:56:53 ID:7l5IqVQc
正直本能寺より、京兆細川政元暗殺事件のほうがよほど衝撃的だったと思うわけだが。
897人間七七四年:2008/10/09(木) 17:01:47 ID:tMnhWp4k
>>895
>決断させた主要因としてならそうなんだがその決断の根本にはやはり
>光秀自体の意思があったような。
そう考えるのが普通だと思う。

このスレの住人に桐野氏の講演会に行くって人がいるみたいだけど、氏の見解の
趣旨として、「要因として一次史料として証明できるのはここまでで、主要因か
きっかけ的要因かまでは解明できなかった」のか
「四国問題(信長との衝突・利三からの突き上げ)だけで要因としては十分」と
考えているのか質問してもらえるとありがたいです。
898サイコメトリー:2008/10/10(金) 10:13:04 ID:7Sgaoi+3
講演会に参加した方には、どんな内容が話されたか是非ともカキコをお願い
したいです。

このスレもB段目後半になるので、どうしても過去に論議された情報が重複
してしまいガチですが、新しい論点が発見出来る可能性もありますので、宜し
いかと思います。

>>887>>889
持論も述べず、中傷ばかりするカキコは止めて下さい。

関与説が盛り上がってますね〜。本能寺の変に関して、たくさんの武将や要人
が関与してた事は間違いないですね。しかしながら、主導はあくまで光秀自身
の意思だと思います。>>895さん同様、関与系は複合説の一因で、主因と考え
るのはちょっと厳しい気がします。
899人間七七四年:2008/10/10(金) 12:48:04 ID:jHZ8FW/R
神人たちの絡みはどう思いますか?
あまり詳しくないので持論を展開するほどでもないのですが。
900人間七七四年:2008/10/10(金) 23:01:54 ID:O4Kl+5Ol
神人?
吉田兼見とかの事言ってるの?
901人間七七四年:2008/10/11(土) 00:10:03 ID:RGCJ1Ygm
>>898
はぁ?中傷?意味も無くageるなっていう当然の事を言ってるだけだ。
日本語理解してから書き込めよキチガイコテ。
902人間七七四年
>>901
意味はあるだろ?
多くの人に見てもらって話に参加してほしいって意図があるから
ageるんだろうが。
sageは「余計な人に来てほしくない」という、アンチが怖い
ファンの集いのスレ特有のもの。