だっせーのw
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 11:42:45 ID:UuK7KWXc
戦国時代の人はポニーテール
もし大阪夏の陣で武田信玄、上杉謙信が生きていて、西軍にいたらどうなってたかなあ?
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 12:07:41 ID:GJIfkA06
俺のチンコはポニーサイズ
でっけーのw
ちなみに、サラブレッドの生産が始まったのは18世紀以降、な。
>>1はどのような勘違いからこのようなキチガイスレを立てたのか
ここはそれを検証するスレです
7 :
戦国馬:2006/09/07(木) 23:00:25 ID:Hd6Pj939
喧嘩じゃサラブレッドにゃ負けねーよ
つうかどうせポニー実物見たこともないんだろ?
それはそうと当時の馬の体高は130センチ前後
驚くほどは小さくない
当時は海外でも似たようなものでさして変わりない
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 01:28:14 ID:3ZRV82yj
前に同じようなことを別の馬スレに書いたら、ボカスカに言われたが、そのスレは消えたな。
10 :
名無しさん:2006/09/09(土) 16:03:14 ID:blSu6Vp7
今のバイクと同じで、乗り降りが早く出来なければ、いけなかったし、あれだけの重さの鎧甲冑を着けて素早く刀や、槍をふりおとさなければならなかったことを思えば、一人で扱いきらなければならないし、それが現実身があるんじゃないの
ポニーさんは鎧武者を乗せて走れるの?
木曽駒はなんかちっこいよね
ポニーのほうがよほどがっちりしている気がする
大体戦国時代の馬は、モンゴルの馬と同じぐらいのサイズらしい。
朝青龍とかがテレビ番組でモンゴル行って馬のってたりするんだから
走るだけなら余裕。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:48:35 ID:3tyr792F
いつもの乗馬経験君はまだきてないのか つまんね
↓乗馬経験者君召喚
↑動物園か牧場にでも行って実物見てこい
日本の馬は江戸時代に小型化されたので戦国時代の馬はポニーサイズとは言えない。
また日本の馬は体高は低くとも、馬格自体はがっしりしていて馬力はある。
>>1はサラブレッドで騎馬戦できると思っているのだろうな。
だっせーのw
大きさはともかく、スピードはどうだったんだろうね。甲冑を纏った武者を
乗せてどのくらいの速さで駆けられるものか。
20q前後がいいとこ
武田騎馬武者
中年のチビ親父がポニーに乗って突撃
>>21 でもお前の首をねじ切るくらいの力があるぞ。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 21:50:35 ID:W3kH2/Pn
この返しは・・・
き、乗馬経験者君なのか?そうなのか?
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 22:50:25 ID:ei/btTGd
>>21 少なくとも君よりかは何千万倍も強いだろうね
松風がどんなんだったのかが知りたい。
総合格闘技の試合で首をねじ切るなんてのは、見たことないので無理だな。
それはともかく、ポニーサイズというのは半分正しくて半分間違っている。
日本の馬の大きさは、四尺を基本として一尺あがるごとに一寸の馬、二寸の
馬と呼んでいき、四尺九寸以上だと、丈にあまる馬という。ようするに
147cmぐらいの馬は特別に大きい部類の馬だ。
ポニーは体高147cm以下の馬なので、戦国時代の馬はほぼすべてあてはま
るだろうから当たりに思えるが、しかし、一般にポニーという場合シェッ
トランドポニーという体高100cmぐらいの馬を指すので、間違っている
ような気もする、微妙ないいようだね。
147cm以下の馬をポニーと呼んでその中の代表種がシェットランドポニーなだけだろ
体高から言えば、日本の在来馬はポニーにあてはまるけど
無教養な人間が思い浮かべるような小型な馬ではない。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 11:57:57 ID:Fr3E9v8C
>>24 当時と今じゃ平均身長20センチ近く違うんだぜ
良質なタンパク源も科学トレーニングもない
そんなやつらが強いわけないじゃん
いつの間にか平均身長180aにもなったのか…
日本人もゲルマン人並だな
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 02:40:57 ID:mKJ0l42R
>>28 戦国の世を生き抜いてきたおっさんと、
平和ボケした現代人じゃあ、どっちがツエーと思ってんだ?
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 03:11:59 ID:mB/kI//t
武田のポニー軍団2万5千人か。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 03:36:01 ID:lysNdHzG
なべやかんとか猫ひろしより体力に自信がある奴挙手
戦国時代の馬はボニーピンク
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 23:55:16 ID:mXeue+Fl
かつての横浜市域は馬の産地。
>>37 そこにいるサラブのブラックジョーカーは喉に穴が開いているけど
元競走馬だけあってめちゃカッコイイんだよね(さすがJRA)。
でも俺は木曽駒萌え。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 00:25:44 ID:aoQeSof8
戦国時代にポニーより小さいアメリカンミニュチュアホースがいたら?
ポニーってロバみたいだよね^^
>>40 あの小ささを生かした戦法として相手方の陣に何十頭かぶちこめば
陣中を混乱させ突破口を開くぐらいはできたかもしれんw
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:42:58 ID:PZ7S8Xpm
ミニチュアホース軍団に突進されて混乱する陣中…
想像すると笑える。これで死んだ武将がいたら不名誉だろうな〜。
>>41 義元さんも大喜びだろうな。
桶狭間で首を取られることもなかっただろうに。
信長は下馬してたが
あらら
ミニホースなら武将達がこぞってペットにしただろうに。
子供達の乗馬練習にも木馬より最適じゃんかとマジレスしてみる。
50 :
ななしさん:2006/10/27(金) 01:25:48 ID:JaCwyJgE
兵士も池野めだかクラスがごろごろいたんだろう
>>45 義元は馬に乗れなかったのではなく、
輿に乗ることが出来る事を誇示していた。
デブすぎて馬に乗れなかったのは佐賀県の誇る郷土の英雄、熊さんだよ
蒙古馬130cmミニホースあらら
ミニホースは座敷馬
んあ〜〜〜
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 19:04:18 ID:w6U70+My
てか、ここで在来種をバカにしている椰子は一度山梨の紅葉台にでもいって
外乗の山道コース)を体験してくるといいよ。
サラブには負けるとはいえ案外と早いし力も強い。
山道でもガンガンに登るから。
現代であの状態なのだから虚勢もしていない戦国時代なんて
半端じゃなかっただろうにと思う。
正直、俺もどちらかというと在来種は舐めていたけど
外乗りしてみて見かたが変わった。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 19:59:45 ID:ggQRPxZH
乗馬経験君キタ━━━━━( ´D`)━━( ´D)━━( )━━(D` )━━(´D` )━━━━━!!!!
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 22:16:36 ID:3ZJHDVMW
で、日本原産の馬はいったいいつの間にいなくなってしまったの?
江戸時代に馬を育てていい場所が制限されてさらに小型化された。
そのため維新後、来るべき大陸での戦争で重要な騎兵に使える在来馬はいなかった。
で、明治政府は外国産の馬と交配させて騎兵向きの品種改良を行った。
後に騎兵用の馬の大部分は大陸に運ばた。
第一次世界地戦後、時代遅れとなった騎兵のために国内で馬を育成することはなくなり、今に至る。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 22:42:53 ID:3ZJHDVMW
野生馬の山地は甲州とか関東のほうだったらしいけど、
開拓されて野生馬が生息できるような土地がなくなったってことかいな?
開拓されたからでなく、幕府の政策で馬は重要な軍事物資として取りしまわれた。
日本にはそもそも野生馬はいなく、飼育されていた在来馬が
逃げ出しものなどが小規模なコロニーを作っていただけだしな。
>>44 別に不名誉ではない。
ユーラシアの大半の国はモンゴル帝国のミニチュアホース軍団に手も足もでなかった。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:03:38 ID:eZsHj5d4
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:10:05 ID:Ow4Ap/V4
馬なんかより、戦国武将そのものの小ささのほうがバロスwww
160cmって、マスコットキャラかよ。
足もすっげえ短いし。
スピードではサラに劣るがスタミナと頑強さでは在来種の方が上だよ。 つか、サラじゃ鎧つけて100kg近い武者乗せて長距離走破は無理
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:11:55 ID:eZsHj5d4
今の感覚で当時を見ても意味はないぞなもし
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 04:24:23 ID:9zWPOPCi
>>64 それおかしくねえ?
ことさら日本の馬を卑下するのも変だが、ヨーロッパは重騎馬兵が居たんだぜ?
またやってんだ、もう何度目だろうね、騎馬ネタ
いや、まあ、そういうスレだし。
脱線して話しているのならともかく、
スレの指針通りに話しているのならば何も問題ないじゃないか。
>>66 大河などでは決して使われないが、日本にも馬甲はある。
北条氏は麾下の武士達の具足の支持にやかましい家だったが、
そこに馬甲を装備してこいといっている。
もちろん重装騎兵には及ぶべくもないが、それでもかなりの重量だったことは間違いないと思うが。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:33:27 ID:xEzWo4gr
>>63 160cm?
そんなにはでかくない。
戦国の世では男子平均身長で157cm程度。
>>66 サラブレッドで騎馬戦やってたと思ってる馬鹿発見w
18世紀に競馬のためだけに軽量化されてできた品種がどうして騎馬に使われるの?
騎士とかを乗っけてたのはシャイヤーとかペルシュロンみたいな重種の先祖
昔はどうだか知らないけど、今のペルシュロン種の体重はサラのほぼ二倍
>>66 日本の在来種は小型で山岳向けだからね。
騎兵に使われる馬じゃ日本の地形に合わないのよ。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 16:17:16 ID:myi4eZu0
>>62 めちゃカワエエ。
陣中に突進してきたら捕まえてお持ち帰りされそうだなw
斎藤義龍は馬に乗ったら足が地面についたという。
馬が在来種といえど、結構大きかったんだな。豊臣秀頼
も対面した家康にとってはかなり大きかったらしい。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:55:22 ID:Arm2GLkt
>>70 馬鹿はお前だ知恵遅れw
重種馬の存在も知らんアホは死にさらせ
64 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/08(水) 00:10:59 ID:lgU2XRVN
スピードではサラに劣るがスタミナと頑強さでは在来種の方が上だよ。 つか、サラじゃ鎧つけて100kg近い武者乗せて長距離走破は無理
66 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/08(水) 04:24:23 ID:9zWPOPCi
>>64 それおかしくねえ?
70 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/08(水) 07:37:39 ID:oEPc5zTt
>>66 サラブレッドで騎馬戦やってたと思ってる馬鹿発見w
18世紀に競馬のためだけに軽量化されてできた品種がどうして騎馬に使われるの?
75 名無しさん@お腹いっぱい。 New! 2006/11/08(水) 21:55:22 ID:Arm2GLkt
>>70 馬鹿はお前だ知恵遅れw
重種馬の存在も知らんアホは死にさらせ
ことさら日本の馬を卑下するのも変だが、ヨーロッパは重騎馬兵が居たんだぜ?
∩_
〈〈〈 ヽ
〈⊃ }
∩___∩ | |
| ノ ヽ ! !
/ ● ● | /
| ( _●_) ミ/ <こいつ最高にアホ
彡、 |∪| /
/ __ ヽノ /
(___) /
レス改竄してやんのw
コピペミスしただけだけどな。
それより
・サラブレッドが重種馬。
・重騎馬兵にサラブレッドが使われていた。
この二点の新説(珍説w)を早く説明してくれよw
あらら
本物のバカ子供だw
>>79 sagaを覚えたか
>>76でコピペミスしてわかりづらくなったがもう一度レスの流れを読み返せ、池沼
64 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/08(水) 00:10:59 ID:lgU2XRVN
スピードではサラに劣るがスタミナと頑強さでは在来種の方が上だよ。 つか、サラじゃ鎧つけて100kg近い武者乗せて長距離走破は無理
66 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/08(水) 04:24:23 ID:9zWPOPCi
>>64 それおかしくねえ?
ことさら日本の馬を卑下するのも変だが、ヨーロッパは重騎馬兵が居たんだぜ?
sageとかどうでもいいことに拘りだしたよ〜
やっぱり馬鹿だw
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 21:26:47 ID:oV4Z7yIg
サラブレッド厨さらしage
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 22:08:45 ID:0oPRLlF6
木曽馬
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 13:42:16 ID:7/QekKtq
人も馬も小さかったかもしれないが、現代人の俺達だって、猪が突進して
くれば怖いんだ。
鎧を着けて武器を持ったオッサンが馬で突撃してくれば、誰だって怖いだろう。
もっとも、武田軍では馬を失う要因にもなるので、従者に預けて徒歩で突撃
していたようだが。
日本の馬も小型だが、西洋の馬もやっぱり小型。
トルクメニスタンやアラブには(東西の馬よりは)大型の品種があり、
それらを品種改良していって18世紀にできたのがお馴染みのサラブレッド。
トルクメニスタンの馬は三国志では赤兎馬や汗血馬などとして登場してる。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 15:04:34 ID:pRUfIxSp BE:373659438-2BP(2)
スウェーデン馬・・・
>>84 背が小さかろうと足が短かろうと、たとえ普段着で丸腰だろうと
角田みたいな筋肉達磨なオヤジが突進してきたら俺は逃げるぞ
ついでに言えば150cmの馬が野放しで近くにいても物陰に隠れる
体重差だけでも十分怪我するしな
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 17:05:46 ID:Nghg4AYu
┏━━━━━━━━━━━━━┓ ┌──┐
┃ 中川翔子 特設 おっぱい ┃ │検索│←
┗━━━━━━━━━━━━━┛ └──┘
_ ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
⊂彡
ちゅうか中型犬程度でも牙を剥いて突進してきた時点で普通逃げるだろ?
俺はチワワの猛攻に腰を抜かしたけどな('A`)
チワワに猛攻もくそもあるか!
>>87 戦闘に参加する人間がみんなお前みたいな考えだったら楽だね。
動物を突入させるか筋肉オッサンを暴れさせるだけで逃げてくれるんだからこんな楽な戦争はないよ。
西洋の騎士はサラブレッドに乗ってたのに日本の侍はポニーw
ぷっ、だせぇwww
>>91 戦闘に参加する人間が、動物やマッチョで逃げるなんて思ってないし、言ってないぞ
上のほうで日本の馬と戦国時代人の小ささを馬鹿にしたレスがあったから、
荒事の経験が無い現代日本の一般人の感覚なら、普通は怖いんじゃないかと思っただけで
別に当時の戦闘についても、現代の戦闘についても何か言ったつもりはないんだが
なにが気に入らなかったのか???
>>89-90 威嚇してるチワワの顔は意外と怖いぞwww
ハトサブレット
↑アホ
骨折サブレット
言っとくが、馬糞は臭くないぞ?
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:08:12 ID:wZ08iDPA
100
今夜、乗馬経験者君が大暴れ!!
101 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 14:48:52 ID:5dIh+o71
低脳スレ晒し上げ
102 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 15:32:04 ID:3KtFg7M3
低脳レス晒し上げ
103 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:16:26 ID:0179j9dm
戦うならアラブ馬だな
サラブレッドなんか使うと敵陣にたどり着く前に骨折続出
とてもじゃないがあんな脚の細い馬なんかで喧嘩は出来ん
105 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 21:02:24 ID:HEeZMPMQ
自馬持ちキタ━━━━━( ´D`)━━( ´D)━━( )━━(D` )━━(´D` )━━━━━!!!!
アラブ馬なんてどうやって手に入れたの?
106 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 04:48:58 ID:s/i0Tps7
ヒント:ネット通販
107 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 08:22:01 ID:qNjeaJZi
そうか・・・俺も戦国時代に生まれていれば
平均身長だったんだ・・・
108 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 11:03:47 ID:zart0aVd
109 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 16:08:07 ID:s/i0Tps7
はいど乙
いや、池乃めだか師匠だな
111 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 08:32:16 ID:VjK5DxX3
>>87 お前やポニーや猪が突進してきても逃げないのか?
112 :
111:2006/12/07(木) 08:35:07 ID:VjK5DxX3
113 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 09:55:43 ID:bYHmqnNp
114 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 09:57:57 ID:zpUiatnP
サラブレッドなんて坂路1キロを三本程度走っただけでオーバーワークと言われている
どれだけ虚弱体質なんだよ
115 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 21:12:51 ID:iIf+otrh
>>111 残念ながらそんな場面に出くわしたことがないんでねw
俺はオーストラリアでカンガルーに突進されたことがある。小さい奴だったが
野生動物はやっぱり怖いわ。
>>116 下等超人はこれだから困る。ジョワジョワ
118 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 22:13:36 ID:yl8ODHwU
衝突を回避する、避けることと、その場から逃げだすというのはまた違うんだけどな
俺はポニーなら素手で殺す自信ある。引きこもりのおまえらには無理だろうけど
奥羽や関東の荒くれ馬はポニーじゃないし。
122 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 23:41:57 ID:DL7IXEnC
気性の荒いポニーを知らないから言えるんだろうw
荒い奴相手だと馬に関してはプロの集まりである中央のベテラン
厩舎員ですら負傷させられているし、乗馬レベル上級の人でも
乗りこなすのが実は難しいのが実情なんだよな。
だからポニーだからって絶対ナメない方がいいよ。
気性が荒くなくても、素手で撲殺は難易度高すぎ。
1m程度のポニーを想像して言っているんでしょう。
それだって素手で撲殺は難しすぎると思うが、
ここで話題になっている日本の在来種は、
高さ1.3mくらい体重400kgくらいで、
ポニーには分類されてもかなりの大きさになる。
生半可な鍛え方では素手の人間が太刀打ちできるものじゃあない。
125 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 16:13:58 ID:SYTyeiw7
ポニーといえばさんまの何でもダービーという番組の中でポニー競馬をした時に
プロ騎手(名前失念)が自ら調教した自馬ポニーがポニーとは思えない走りでタイムも
かなり良いのを出して騎手もさんまも驚いてたことがあったな、そういえば。
翌年に同じのをやった時はゲートから出た瞬間騎手が落馬して(放送後のGTでかなり
野次を飛ばされたらしいw)失格になってしまいそれ以来見なくなってしまったけど。
拳が砕けるまで殴っても死にやしないよw
犬ですら素手で撲殺するのは大変
猪を棒で叩き殺したの見た事あるけど
もの凄い腕力ある人なのにかなりしぶとかったよ
数十回頭がぐちゃぐちゃになるまで叩いてようやく死んだ
とてもじゃないが素手では死なない
127 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:01:37 ID:N6gfab0X
首絞めればいいと思う
馬の首が素手なんかで絞まるわきゃないだろ
目突き鼻突きが一番有効
まあ、死にはしないがな
アジア大会の馬術競技で、選手が馬に踏まれ死亡。
130 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 23:27:58 ID:NH+45Sdv
日本の在来種はラストサムライで使われていた馬より10センチ低いだけだ
サラブレッドが異様にデカイだけで
東北〜蝦夷にいるでかい馬は国産じゃないのか?運行馬みたいな洒落にならんの。
純品種改良じゃないだろ、あれ。
133 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 13:55:39 ID:WRhbTEDr
>>125 その番組は自分も見てたから覚えてる。撮影は大井のコース使ってたね。
何かと下に見られるポニーだけどポニーも調教と騎手次第で十分に走れる
馬であることを証明してくれた良いレースだったと思う。
是非またやって欲しいな。今度は在来種も入れて。
>>131 ばん馬、道産馬、南部馬のどれのこと?
>>128 目突きや鼻突きなんかだと一歩間違うと暴れるから危険だが
実は安全かつ確実に倒せる弱点場所が馬にはある。
何発か殴っただけでもそれがうまく入れば即死ないし数日後には死ぬか
死なずともその場で寝たりかなりのダメージを与えることができる。
だが、牧場とかで悪戯する奴が出ないとも限らないんでどこかは言えないが。
>>125 ああナリタブラリアンか、懐かしいw
ああいうのを名馬、と言うのだろうね。
∴ポニーサイズだろうが、名馬ならばサラブレットと互角に戦える かも。
136 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 19:35:28 ID:VfS0NyrR
うむ。ナリタブラリアンはもともと駄馬だったが調教で名馬に変身した
ポニー版マキバオーみたいな珍馬とも言えるかも。セン馬にする前に
血を受け継ぐ子を何頭か残して欲しかった…。
あいにくと現在は消息すら不明らしいが、もし消息がわかれば
自馬にしたいな〜。年齢的に爺ちゃん馬だろうからもうあのようには走れないだろうけど。
>124
体重400`もあったらサラとあんまり変わらんじゃん。
ディープインパクトと1割ぐらいしか差が無いし。
138 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 21:46:52 ID:aZCCnN8S
>>137 サラブレットが異様に軽すぎなんだよ。
もちろん、在来馬ががっちりしていて、見かけより重いってのもあるけど。
サラブレッド=アンリ
日本在来種=テベス
141 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 22:55:58 ID:M6bpPeVQ
足の太さを見てくれ これがんまだと思うのよ
142 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 22:56:48 ID:xEwVa1AY
>>126 昔、ウィリー(猪木と戦った人)が巨大灰色熊と素手で戦ったビデオ見た事
あるぞ!(14800円で買った)
イヤガル灰色熊?をウィリーがグーでボコボコに!
それ以上は秘密!
すれ違いなのは、承知なのだがなんで、日本にはロングボウがなかったの?
144 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 00:29:39 ID:OdR0jswm
古来より日本人は「安物買いの銭失い」と言う文化を歩んでいます
ロングボウを作る暇があったら「夜店の弓」大量に作るのではないでしょうか?
145 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 01:08:29 ID:RwoG5z6l
>>1 これって、確か
右翼団体の永田部とかいう人が最初に言い始めたんじゃなかったっけ?
弓ってロングボウ並にでかくないか?
147 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 02:34:21 ID:7b4ogUyO
比較対象が現代の和弓になってしまうけど和弓はロングボウより長い。
・ロングボウ=120cm〜180cm
・和弓=多少の長短はあるけど221cmが基準と日弓連審査規定で
決められているので、現在売られている和弓はこの長さに準じてる。
また、南九州を中心に伝わっている四半的弓道という短い弓(4.5尺)を
使う弓技もあるけど(弓具が小さいため扱いやすさなどから江戸時代に入ると
武人より庶民の遊戯になってしまった感が強いが)短い弓と言っても
それでも135cm〜長いのになると150cmはある。
あと、ヨーロッパでは4ft(120cm)以上の弓はロングボウを指すから
和弓にしても四半的弓にしても広義でみれば日本の弓はどちらにしても
ロングボウということになると思われ。
ここは勉強になる良スレだな。
149 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 04:49:47 ID:RQGAGca1
>>145 その永田部って人が
主張する前、遥か昔から言われてたぞ
しかも、ググったら学者とかじゃなくて一個人じゃん。
150 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 12:54:41 ID:IQLMdBx/
ディープインパクト!感動を有難う!
そのわりに競馬会は盛り上がらなかったけどな
>>133 遅レスだけど多分ばん馬のこと言ってるんだろうな。
あんなのあの時代にいたら馬とかいうレベルじゃねぇなマジで。
体重1t、引っ張れる重りも1t、その癖してサラには勝てないものの普通に速い。
スタミナは無尽蔵。ただ突進するだけで人間なんか粉微塵だ。
ちょっと上の方で書いてる奴がいたが、
ばんえい競馬の1dクラスの農耕馬は外国の血入ってんの?
入ってるって言うか普通に外国の馬。
道産子ではない。
ただあんなでかい馬、原産国の方でもレースなどで育てたりなどしてないため、
事実上日本の馬みたいなもんで、ばんえい競馬も日本独自のものと言って良い。
155 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 11:15:15 ID:IDVG9yCQ
今年もよろしくな乗馬君
スペインだかは馬車引かせるために巨大な馬を確保してんじゃなかったっけ?
157 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 17:38:28 ID:1SZfwbRU
ところでこのスレには何人の乗馬や流鏑馬経験者君がいるのだ?
158 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:09:40 ID:V4hFpN0A
乗馬はまだしも流鏑馬経験者なんているんかいな・・・
159 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 00:35:17 ID:cVbJbpuR
もしもディープスレには流鏑馬をやっている奴が二人ぐらいいたようだから
彼らがこっちにも来ている可能性は否定できないと思われ。
あと流派の門下生はともかく木曽馬のスポーツ流鏑馬をやっている人には
戦国好きが少なくないから(中には自作HPで己の勇姿を披露している)
ここにすでにいる可能性もかなりある。
160 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 14:42:04 ID:OExiAIoO
もしもの位置が変
“もしかしたら”にして“彼らが”の前に置くべし
>>156 もちろん本国やらでも絶滅してる訳じゃないし、
農耕馬や馬車などで使ったりと言うのは一応普通にある。
だけどばんえい競馬のばん馬はそういうレベルじゃない、
あれでレースやってんだから半端無い。
大河ドラマ「風林火山」のオープニングに馬がいっぱい出てくるんですが、
品種は何だかわかりますか?
163 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 01:33:56 ID:CR9D5ag1
流してみてたから確実ではないけどアラブ・アングロ・サラブあたりかな。
純血サラブは少なめでアラブとアングロ系が多かったように思う。
クウォータっぽいのや在来種混じりっぽいのもいたような気もするけど
自信はないから再放送の時に改めて確認してみるよ。
164 :
162:2007/01/09(火) 03:21:20 ID:lKKR60A8
>>163 ありがとうございます。手間を取らせてすみません。
サラブよりアラブが多かったんですね。
とりあえず、当時の馬とは全然違うということでしょうか?
宮崎の都井岬の野生馬は結構でかいぞ
ポニーどころじゃない。俺170だけど馬の背が胸の辺りまでくる
あんなので体当たりされたら絶対吹っ飛ぶな
高鍋藩が放牧したのが野生化したものらしいが
166 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 20:03:29 ID:h8fpe3ds
別に140程度のポニーでも吹っ飛ぶよw
人間だってこの時代は小人なんだからポニーで十分だろうが。
168 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 00:48:57 ID:TX0UPupc
169 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 00:57:00 ID:TX0UPupc
ちなみに、当時の馬は確かに今と比べると小さい。
しかし、それと同時に当時の日本人の身長も平均150cm台で低い。
バランス的にはちょうどいいのかも。
170 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 01:08:58 ID:g7DnFj9c
なんか話がループしてるなこのスレ
171 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 02:13:40 ID:ImqOSW3o
>>168 ここに書いてあったから馬の博物館に行って鎌倉から出土したという
鎌倉時代の馬の骨格で復元した騎馬武者像を実際に見てきたけど
そんなに短足な馬じゃなかったぞ。体高もあったし。
だからそこを含め今残っている木曽馬って江戸時代に小型化された系統が
主になっているんじゃじゃないかななんて思ったりする。
> 流してみてたから確実ではないけどアラブ・アングロ・サラブあたりかな。
> 純血サラブは少なめでアラブとアングロ系が多かったように思う。
アラブ、サラブレッド、アングロアラブの違いが見た目でわかるとはスゲーなww
173 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 12:28:06 ID:JKmN36DH
>>171 自分も見たけど、何か微妙な感じはする。
そもそも武者がでかすぎ。
当時は平均身長152pだから、そう考えるとあの馬はでかすぎ。
本当はまだ小さいと思う。
174 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 20:53:02 ID:nu5y/XXe
>172
アングロは何とも言えんがアラブとサラブなら 見慣れてくると違いはわかりやすいんじゃないかな。
顔付きも微妙に違う。
競馬覚えたてのガキだろ
176 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 21:56:58 ID:Itqwp5/D
日本のアングロアラブは(天ぷら馬)が多いと昔から言われてる。
昔は種馬のDNA鑑定なんて無かった
100%アラブのレースをやってるフランスなんかでも
「この馬がアラブ?」なんて馬もレースで走ってるらしい
177 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 23:14:22 ID:A6BK98pn
今はDNA鑑定技術も進んでいるから天ぷら馬に関しては
一昔前ほどはあまり騒がなくなってきているし、アングロアラブの需要も
そんなないから生産数も激減して現在では数的には減少傾向かな。
アラブ馬に関しては基準が日本と外国では少し違うようけど(国内では
ハンガリーで生産されたアラブ系種をアラブ馬の基準にしている)もともと
血の比率が25%以上か以下かでアラブ系かサラブ系かでわかれるから
25%以上アラブの血でもサラブの血が濃く出ることも有り得なくはないから
この馬は本当にアラブか?ということもありえると思う。(逆も然り)
とはいえ中にはそれにしてもマジにアラブかな〜、アラブのアの字も
付かないんじゃね?というようなのがいるのも確かだけどね。
まっ、そこは御仏だけに国民性からしてそのあたりは黒に限りなく近い
グレーゾーンということでかなり怪しいけどなw
178 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 12:32:57 ID:+I4zgBc9
大きさもそうだが気性が荒かったとなんかで聞いた
俺のチンコはえのきサイズ
馬より人間の方がデカイぞ
比率では
>>182 いくら鎌倉時代の身長が高いにしても現代人サイズはないだろ・・・。
185 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 00:07:46 ID:MSQwW4at
ナポレオン一世は皇帝の時に130頭の馬を持っていたが最も乗りやすい馬
として愛用してた馬がアラブ馬の(マレンゴ)体高141a
ワーテルローの戦いのあと捕らえられてイギリスに連れて行かれ
38歳で死んだあとロンドンの国立軍事博物館に収められている
ちなみにウェリトン将軍は(コペンハーゲン)体高152aにワーテルロー
の戦いの時に15時間ほとんどこの馬に乗って戦闘を指揮してたと言われている
そのぐらいの馬が一番乗りやすのでは?
186 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 20:58:23 ID:eS/zrDHL
>>179 農家に残っていたのがおとなしい馬だったんだろ?
幕末に来た外国人の記録では、日本の馬は気性が荒く、
馬同士で喧嘩している姿をよく見かけたとの記述がある。
187 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 00:31:16 ID:hilv6/pt
>>186 その辺の記録はね〜
その人がタマタマみた数頭の馬で判断されることもあるし
戦国時代の宣教師の記録並みに怪しい・・・
188 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 17:01:26 ID:ezotujFu
人間と一緒で馬にも喧嘩っ早い奴もいれば、大人しい奴もいるんだろ。
189 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 02:14:00 ID:83Ju7Z79
だね
190 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 21:47:16 ID:iwaAbw9R
つか・・・馬をおとなしいとする見方自体がおかしい話。
そして馬同士のけんかなんぞ今でも普通に見れることだ。
特に食欲と性欲に関係すると馬の種類関係なくスゲー喧嘩するよ。
生きることと子孫を残すことは本能だから。
そして人間の指令にひたすら従順になるよう調教して乗る西洋馬術が
当たり前の人たちから見れば当時の日本の馬は荒く見えたんだろうな。
西洋ではあばれ馬はどちらかというと嫌われたし気性が荒い若い馬は
馬齢がある程度高くなっておとなしくなるまでは放牧と調教ばかりで
人前に出したり実戦で使ったりはあんましなかったらしいからね。
今でも、ヨーロッパでは例えばウィーンにあるスペイン乗馬学校等で
披露される馬術に使う馬は平均12歳ぐらいだし、障害競技などで
出される馬も8歳前後なんてザラ。
191 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 12:57:33 ID:QPJKQHUJ
明治になるまで、日本に馬車が無かったのも
国産馬の小ささが関係しているのでしょうか
192 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 19:58:29 ID:buDSk97W
西洋じゃ繁殖用牡馬を除いて基本的に去勢する。
一方、日本にはそもそも去勢の習慣が無かった。
去勢済みの馬を馬本来の気性だと思いこんでる一般西洋人が
当時日本の牡馬を見たら種固有の荒々しい気性だと思い込むだろうよ。
193 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 21:39:12 ID:B97w8n5A
194 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 22:31:53 ID:WUu/wThc
日本は去勢された人間もいないよな。
女性の文化が発達していたからだと言う説を聞いたことがある。
195 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 05:06:58 ID:WToX/319
>>190 戦国時代の感覚で言えば、
人に噛みつくくらい気性が荒い馬の方が良い馬らしいしな
196 :
人間七七四年:2007/04/06(金) 20:34:38 ID:vea2Cl4x
639 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:27 ID:CEb3VgHP
>>610 新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
197 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 01:33:53 ID:cUuv2Zan
小さい馬のほうが扱いやすくない?
車の運転でも大きい車より軽自動車のほうが扱いやすい。
スピードが遅く、着座位置が低いほうが、落馬しても怪我をしにくい。
乗り降りもしやすい。
足が短い小さな馬のほうが上下動が少なく、騎射のさいの命中精度が高い。
乗員の疲労も少ない。
198 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 06:11:30 ID:SYSgGj93
騎射は足の遅い馬の方(とは言っても程度があるが)が難しかったり
することもある。実は。騎射の命中精度って最後はタイミングだから。
馬の扱い方は人によるところも多いけど体格云々より性格が
一番左右すると自分は思う。
199 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 08:17:40 ID:BOHYQxhG
>>168の木曾馬を見たら、普段TVなどで見慣れてる馬と比べて貧弱に思えて馬鹿
にするのだろうが、体重80kg程度の猪と戦う事になったらその怖さは想像付くだ
ろう?裸で四角いリングに上がって、興奮させた猪と遣り合ったら先ず無事では
済まない。
此れがだ木曾馬だと300〜400kgある。しかもその上には武装した人間が乗ってる
んだ合計体重は更に増す。瞬発力は猪並にあり、その突進力の凄さが解る。
しかも野生動物とは違い、相手は確実に自分を殺しに着てる。
もうねこんな相手と「武装させてやるから戦え」なんて言われても普通に無理っ
て答えるよ。
200 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 14:00:37 ID:xXM1V+z8
小さい馬のほうが扱いやすいのは人間にとっては
いいかもしれないが、馬同士でみれば、体格がはるかに
大きな相手には萎縮してしまいそうだな。
201 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 15:13:29 ID:rAvhtCJI
だから性格によると何回言えば(ry
202 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 16:10:49 ID:rhXkTclb
競馬の馬の特徴を見る限り、従順な馬は臆病な傾向があるから、この場合は逆じゃない?
203 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 16:46:35 ID:xE+sFAxr
モンゴル軍は和馬より小柄な馬で戦っていたわけだが・・・
204 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 16:49:37 ID:8Viw9UXE
それは誇張。
同程度が正解。
205 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 19:44:21 ID:86QztVBx
噂の木曾馬も・・・ポニー。
206 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 20:15:08 ID:BMb9GAOG
だがそれがいい
207 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 20:37:08 ID:XYbSwdI8
現代の流鏑馬経験者のほうが鎌倉武士よりも弓に関してはレベル高いのかな?
208 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 01:29:29 ID:60YD7Fxv
>>207 どれをとっても実戦レベル向きなのは当たり前だが鎌倉武士。
そして流鏑馬経験者≠弓がうまいだよ。
一昔前までは弓が何段以上という規定があった流派もなくはないけど
様々な理由で今はこの流派も緩和されたし、指導する立場としては
弓も馬も初心者の方が変にクセがついていない分指導しやすいから
初心者の方が歓迎される傾向にあって、弓馬を始めるまで弓を引いたことは
ないなんていう人も少なくなくないんだよ実は。
それと弓(歩射含)に重きをおく指導なのか馬術に重きを置く指導なのか
流派や会によっても違ってくるから流鏑馬経験者と一口には言っても
本当に弓のレベルってバラバラだよ。歩射(弓道)と騎射(弓馬)は
似て非なるものでもあるし。
209 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 03:37:03 ID:XZ33EDEy
>>1 色々と本を読むとポニーはない
運耕馬とポニーの間くらいのサイズ
しっかりと勉強しなさい
210 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 04:06:16 ID:Ra3hq+89
戦国時代に下馬戦闘の機会が増えたのは明らかに鉄砲が原因
大鎧は騎乗戦闘のための鎧だし、南北朝時代には馬鎧の使用もしばしば見られた
戦国期の馬鎧ような装飾目的ではない
211 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 06:28:41 ID:EX1RUajg
というより南北朝時代にはすでに騎乗戦闘は無駄も多いから
意味がないと否定傾向にあったからじゃないかな。
212 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 21:08:54 ID:HCiNLOqY
だな。
南北朝期に多く見られる腹巻は、元は徒歩武者が使用していた物が次第に騎馬武者にも
使われるようになった武具だからね。騎馬武者が馬上戦だけを考慮していたのなら、防御性に勝る
大鎧が廃れる理由がないもんな。
213 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 22:58:14 ID:eBFhKUfi
騎射(大鎧)⇒馬上打物
214 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 13:31:15 ID:gvIF+zl6
今週末鶴岡八幡宮で武田流が奉納流鏑馬を
やるから騎射に興味があるなら見に行くがよろし
武田流の弓は日置系統らしいからいちよ実戦向き
215 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 03:21:01 ID:lNu2goIG
>>213 その通り。
兵頭二十八氏が南北朝の戦の最大の特徴は馬上打物と言っていたが、
馬上での斬撃に重点が置かれたため、動きを制限する大鎧は廃れていったということだ。
刀も1m数十cmもあるような大業物もよく使われた。
216 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 03:23:29 ID:lNu2goIG
兵頭じゃねえや。近藤だw
217 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 03:41:38 ID:lNu2goIG
弓を装備しない、太刀や薙刀のみで戦う騎馬武者があらわれたのもこの頃だそうだ。
218 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 05:43:49 ID:1qaIUDAi
>>215 その通りって、
>>213のレスでよく意味が分かったなお前。
因みに馬上で大太刀や薙刀の斬撃をする場合、人間工学からいって下馬した方が戦いやすいと思うがね。
生きるか死ぬかの状況で、わざわざ戦いにくいことをするとは思えんな。
219 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 07:06:30 ID:lNu2goIG
>>218 大太刀による馬上の斬り合いは南北朝のハイライトだからね。
馬鎧が最も使われた時代でもある。。
古くは源平合戦の頃から、騎馬集団で体当たりの如く敵陣に突っ込む崩す戦法があった。
南北朝では騎馬武者が腹巻を、徒歩武者が大鎧を着る例が増えた。
本来騎乗戦用の大鎧だが、徒歩の弓兵が増えたためだろうか。
220 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 07:26:20 ID:1qaIUDAi
>>219 颯爽と敵に突入して馬上で斬り結ぶって軍記物のハイライト表現みたいだね。
>南北朝では騎馬武者が腹巻を、徒歩武者が大鎧を着る例が増えた。
主人のおさがり説に一票。
221 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 19:49:06 ID:lNu2goIG
鈴木の騎馬不在説というトンデモはもはやネタ扱い。
どうみても妄想w
60 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/21(日) 00:56:40 ID:1iPJUm/G
鈴木の考え方の傾向として以下の特徴があるね。
1:今日伝わる歴史の通説は「天下人史観」に毒された嘘偽りのものである。
2:よって今日伝わる通説は信じられない。
これが鈴木の考えの基本線であり、根源だね。
絶対的な先入観と言っていい。
で、この先入観に基づいて、以下のように鈴木は研究を施す傾向がある。
1):通説は否定されなければならないので、
研究対象についての通説否定を唱える自分の考えと一致する他の研究者の論文を探す。
2):その論文を裏付ける史料を探し、自説に肉付けを施す。
3):通説を唱える人間の主張を独自に規定し、これを侮蔑的に否定しながら、
自説の優位性を強硬に主張する。
222 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 19:50:15 ID:lNu2goIG
61 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/21(日) 00:56:57 ID:1iPJUm/G
以上の特徴を有する鈴木の研究の何が問題かと言うと、
1:自分の先入観(通説は間違い)を絶対的に考え、これに異を唱える意見を一切否定する。
わかりやすくいえば頑固。
2:自説に都合のいい(納得できる)他の研究発表、史料のみを無批判に採用し、
これだけをもって高圧的に通説否定をしてしまう。以下例文参照。
例):「○○は通説とされるが、××さんの最近の研究では、
実際は△△だったのではないか、という通説とはまるで逆の考え方が示されている。
それを裏付けるように◇◇という史料には●●という記述があって、これを裏付けている。
常識的に考えれば、◇◇という史料とその時の情勢を考えれば、
××さんのように考えるほうが通説よりもはるかに自然のように思われる。
こうしてみると、○○という通説は実は天下人史観に毒された信者が、
バカの一つ覚えのように勝手に信仰しているだけなのである」
このように通説批判を行う他の研究者の論文を紹介しそれを裏付ける史料を紹介し、
自分がそれに納得理由出来る理由を軽く述べたあと、
それをもって「通説は間違い」と一方的に断言してしまう。
中には軍忠状などを元に合戦形態の分析を行ったような好例もあるが、
「天下人批判」などの際はこういう乱暴な分析を行う傾向がある。
実際、「信憑性が低い」と自ら述べていた小瀬甫庵の甫庵太閤記を史料としていたり、
戦国期よりはるか後にまとめられた常山紀談の記述だけを信用して人物批評を行っている。
通説・それに対する反論双方を多角的に分析するという視点が根本的に欠けており、
そのため非常に検証があいまいなまま強引に通説批判を行ってしまうのだ。
223 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 19:53:31 ID:lNu2goIG
極論とも言える決め付けは一見センセーショナルで人目を引く。
それで、単純でわかりやすいものに影響されやすい
若年層に人気が出たってだけ。
224 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 21:55:55 ID:o2xL70ph
>>214 鎌倉武士が見たら馬の大きさ、速さに圧倒されるだろうね。
225 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 22:05:51 ID:CfDD1rxz
あまりに馬が大きいと、足元に隙ができるとか考えないのか?
ポニーサイズでも短距離の早駆けなら、スピードはのる。
226 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 22:23:58 ID:yG1sCZxv
224は馬の急所を知らないんだろうよ。
下から急所切られれば即アボーンなのにな。
227 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 22:48:57 ID:o2xL70ph
228 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 23:08:26 ID:i19gocdZ
奇跡のポニー、ナリタブラリアンを知らないと見える
229 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 00:11:57 ID:Q4lJBGGi
230 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 00:44:47 ID:3RfXpHPi
231 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 05:20:32 ID:Wscs2QgC
232 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 07:46:44 ID:YJhEjCK/
233 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 07:54:00 ID:QwaoGOYB
234 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 09:19:48 ID:pF/cbptM
過去に猛威をふるった戦象部隊。
大きすぎたために、大斧で足のアキレス腱を切られ、壊滅。
馬の場合にも、大きな馬は自重で足への負担がかかるやすい。
レース馬もまめに足の手入れをしないと、すぐに足がだめになる。
235 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 12:37:32 ID:yZHfshfb
確かに競争馬のちょっとした事故からの安楽死は、見てて辛いものがあるね。
競争馬は足の故障もよくあるし。
ガラスの様に脆い足だなぁ、確かに。
236 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 00:28:57 ID:y7UP5gIi
競走馬に振り落とされる鎌倉武士
237 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 23:30:15 ID:LB0DwPYE
戦国武将のチンコのサイズはポニーサイズ?
238 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 10:28:07 ID:lk9zIw3v
何を今さらだが文庫書き下ろしの「絵解き・雑兵足軽たちの戦い」が面白い。
戦国期の足軽の生活や戦闘をイラスト付きでまとめた軽い読み物なのだが、
変にマニアックにならずに雑兵の成り立ちから武具の着方、陣中のインスタント
食品、バクチの現状、デタラメな治療法、味方の貴重品の略奪、略奪人狩り
までまとめてくれている。家康クソ漏らしの件についても「東照大権現様は
袴のあいだからどうやってウンチをはみ出させたのだろうとそればかり疑問に
感じていた」という筆者が、出陣用の袴は真ん中から左右に割れる構造を
していることを解説、「妙な胡座のかき方をした場合、股間が丸見え」とまで
開陳して大河ドラマの女武者の股間について体験談を述べるという代物だ。
ラストがまた凄く、足軽が江戸期・明治期と形を変えて被差別職として
生きつづけたことを述べて、こう結んでおり、イラストが秀逸。
「明治五年には卒族という地位そのものが廃止され、翌年に平民の一般兵士が
入隊。一見、近代的な軍隊のような体裁となったが、何のことはない、中味は
下級武士・足軽・軍夫・夫丸のピラミッド構造である。戦国期に逆戻りしたような
もので、階級間の差別感覚といじめが濃厚な分、初期の足軽社会より暗く始末の
悪い組織であった。これがそのまま明治大正と続き、太平洋戦争の敗北により
ようやく終息する」
239 :
238:2007/04/20(金) 10:29:22 ID:lk9zIw3v
「『足軽の出発点のひとつは検非違使の随兵や下部です。元は放免といった
隷属者が司法の末端を担いそのうち戦闘補助員となりましたが、明治に入ると
再び同じ形に戻った。もっと悪いことには、徴兵制によってごく普通の人々までが
足軽と同じ扱いを受けるようになりました。
他国の軍隊に比べて異常に待遇の悪い組織と上下の階級意識の差。
補給をさほど考慮せず兵を送り出し、敵地での『乱取り』を許す指揮官の
無能さ。江戸時代の大番屋や足軽長屋で行われたのと全く変わらぬ
兵士間のいじめ。スタイルも見てください。足軽と帝国陸軍兵士とを
並べてみると、驚くほどその姿が似ています』
なるほど氏の言うとおり、現代人の我々の目からすると、これはとても
近代軍隊の姿とは思えない。
昭和二十年、わずか数十年前、我々の父や祖父の代まで、「足軽雑兵」の
時代は続いていたのである」
240 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 09:34:06 ID:PYWhtrZl
>>238-239 なんか階級間の差別感覚とか階級意識の差とかをやたらと強調した挙句
それを帝国陸軍批判に結びつける手法に左翼イデオロギー臭を感じる。
241 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 12:59:32 ID:pUfBwCce
というか、軍隊なんてすべからくピラミッド式の組織だし、
指揮官の無能さだのイジメだのスタイルだの、軍制と関係ないことをあげて、
明治以降の軍の戦国の足軽を同一視するとはあまりにも浅はか過ぎる。
242 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 15:28:51 ID:NKHmKsOS
とはいえ大戦末期の日本軍の異常さは、明らかに軍隊そのものの
持つ性質と正反対だからなあ。
効率も補給も無視して兵力を浪費する体質は明らかに各国軍隊の
それじゃない。足軽の身分に因を求める方が「どこの軍も同じ」と
思考停止している人間より明らかにマトモ。
243 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 15:58:16 ID:35y/I6Ni
>>241 先輩、すべからくの使い方間違ってまっせ
244 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 16:56:45 ID:35y/I6Ni
>>219 近藤好和氏の著書読んできた。
馬上一騎打ちという戦士のルールに乗っ取った戦闘に於いてのみ馬上打物戦を行えるといった解釈でいいのかね。
245 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 19:42:40 ID:Mnhw64tk
>>238 面白そう!読んでみたいんですが、絶版書ですか?筆者、出版社等詳しく教えて下さい
246 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 22:16:58 ID:PYWhtrZl
247 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 11:11:16 ID:VeHH5R1B
>>
>>238-239 >>240 同じ作者の本を俺も持っている。
「絵解き・雑兵足軽たちの戦い」以前に、「絵解き・戦国武士の合戦心得」というものもある。
戦国武将の方はあくまで武将に絞って武器や武装を解説している。
どちらも面白いし、鈴木眞哉氏よりもずっと武具に精通しているという印象を受けた。
どちらも極めて分かりやすいのだが、足軽の本の最後で太平洋戦争まで話をつなげるのだけは止めて欲しかったな。
鈴木眞哉氏にも言えるが、旧軍隊批判(?)で結ぶのが唐突でちと蛇足だ。
248 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 13:05:51 ID:Es8xGqY2
旧軍批判で締めるのが型
249 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 22:17:37 ID:WYTYpXFp
で、それが馬と何の関係があんの?
250 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 14:56:21 ID:97dhQuDy
まああの年代の人間は、人生の一番いい時期を一番非合理な生活の中で
過ごさせられて遺恨コツズイだから。
戦争ってのが若い奴らみたいに思想や理屈じゃないんだよな、身体の記憶だし。
軍隊カフェなんてものを作る世代は伊達じゃない。
251 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 16:21:46 ID:nYvQsOpv
>242
日本軍は兵站を軽視していたわけではなくて、
戦闘艦・民間船を無差別に撃沈する通商破壊のせいで補給線が維持できなかったてのが真相らしい。
米兵が乾パンを食ってるときに、日本兵は飯盒で食事してたわけだし。
関東軍では兵站はそれなりだったんじゃないかと。
252 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 17:39:14 ID:KF9rUst4
>>247 「絵解き・雑兵足軽たちの戦い」
極めて分かりやすいのだが、
この本で、今ひとつ解りにくいのが、与力・同心の位置づけ。
内与力は町奉行(旗本)の家来らしいから、幕府の直臣ではなさそう。
その他の与力は、御家人?
旗本・御家人という身分と、奉行・与力・同心という、役職名がからまってるから
よけいに解りにくい。
与力も同心も足軽の事なのかな。つまり御家人は全員、もとの足軽なのかな。
だとすると、御家人が将軍への御目見えが出来ないことも納得しやすい。
253 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 22:06:27 ID:Jb+KHVNE
>>252 与力・同心は町奉行の指揮下にあるだけで主君はあくまで将軍だよ
254 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 20:14:41 ID:RFCW4qae
内与力は例外で、奉行本人がお役目遂行上必要として連れて来た家来の事。
奉行の家来だが俸禄は与力と同等で幕府から出る。
無論、何人も内与力に任命できる訳ではなく、最大10人までと決められていたそうだ。
255 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 23:38:31 ID:SGlKxviZ
256 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 04:24:35 ID:DnP8XeLF
257 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 23:36:14 ID:hV1jJu1c
戦国最恐 武田ポニー軍団
258 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 21:54:48 ID:4VDwVe6v
それ可愛すぎるW
259 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 10:41:00 ID:BMFNgmTC
ジョナサン・フィリップス著『第四の十字軍 コンスタンティノポリス略奪の真実』中央公論新社
P419
「クマン人は熟練した騎馬兵であり、遊牧生活で鍛えられた頑丈なポニーを乗りこなし、退くと見せかけて
一気に反撃に出る戦術を得意としていた。過去の十字軍はこの戦術を用いるトルコ人やシリア人に何度も
敗北を喫しており、このときもブロウ伯が性急に行動したせいで、また一つ同じような負けを重ねることに
なった。ラテン軍が広く拡散して猛攻の勢いが弱まると、クマン人はさっと向きを変えて雄たけびを上げ、
続けざまに矢を射ながら西欧人のほうへ突進してきた。」
260 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 18:42:12 ID:IYkLNRB9
日本の場合はポニーよりさらに小さいミニチュアホースクラス
しかも日本では馬の去勢も蹄鉄も知らず、馬具も騎馬突撃可能なものではない
従って日本には明治まで騎兵は存在しない
261 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 20:05:04 ID:K4v375BG
262 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 20:06:35 ID:lnjvVTz5
そういうことは日本古来からの馬具を
使っての乗馬法をこなせるように
なってから言おうなw
263 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 20:25:19 ID:swm0ohs9
鎧武者を乗せて木曽馬で走るのを見たが普通に走ってたぞ
全力疾走はさせなかったけど頑張れば40kmくらいでそうだとのこと
264 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 21:46:06 ID:Kg4UEv05
265 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 23:16:52 ID:GaNV84KA
ポニー=ジムニー
サラブレッド=スポーツカー
どちらが戦場向きかは言うまでもない。
266 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 23:44:03 ID:swm0ohs9
サラブレッドってできたのが18世紀だろ?競争用だし
中世ヨーロッパでは馬の速度よりも鎧の重量に耐える頑丈さが求められた
向こうで馬に速度が求められるようになったのは17世紀以降だね
鉄砲や大砲の列に突っ込むには鈍くちゃダメだからね
267 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 14:41:37 ID:8yB1rwkV
ポニー最強伝説
268 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 15:26:09 ID:U0Ob4oJk
平家物語のひよどり越えでは馬を背負って駆け下りた武者がいたといっている
が、フィクションにせよ「できなくはねぇよな」と思わせるほど馬が小さかっ
たんだろうな。今の馬だとそのフィクション自体がバカバカしすぎて成立しな
い。
269 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 19:11:20 ID:hgScNBvR
つうか現代だってアクションヒーローが
物理的におかしな動きを見せても
大概の人は気にしないのと同じだよ
軍記物語はあくまで小説の類だから
270 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 23:30:31 ID:oE9pnZhv
黒崎健時という空手家が「必死の力・必死の心」て本で400キロのオモリを
背負って稽古した!て話があるから2,300キロの馬を背負う事は不可能
ではないと思うけど・・・次の日動けなかったらしい
ひよどり越えについては崖を下る事をビビッテ嫌がる馬を無理やり引きずり・・・
て話なのでは?
271 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 08:32:50 ID:LACsOe58
>ビビッた馬を無理矢理
サラブレッドだとノイローゼになりそうだなw
前に自分でバケツを蹴ってその音に驚いて、高速道路を疾走した馬がいたなぁ
272 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 21:20:23 ID:Dg6JoVa8
義経は鹿が崖を駆け下りるのをみて馬でもできんことはないと思ってひよどり
越えの奇襲をやった。当時の馬が鹿とあんまり変わらん大きさだったおかげで
あの作戦ができたんかもしれん。今のデカ馬だったらこれはムリやな、で終わ
ってたかもな。
273 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 21:58:32 ID:xUIosehO
たしかに武田の馬は山岳地帯で使い勝手が良かったと聞く
274 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 17:27:30 ID:xOdbZ5i/
足が短くガッシリした体型を持った木曽馬は山岳地帯でも行動可能。
サラブレッドのような足が長く細い体型は、競馬場のような平坦地をひたすら高速で走るためのもの。
275 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 19:38:39 ID:bozFkjtJ
島津貴久や伊達政宗はペルシャ馬を、
蠣崎は15世紀の下北半島時代に蒙古馬を輸入していたそうだが。
276 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 01:49:24 ID:iGu1PUbN
朱印船貿易では日本の馬も輸出されていたよ
277 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 23:04:49 ID:fu2PrmRj
胴長短足は粗食に耐える証。
278 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 23:13:55 ID:Z0A3sO12
279 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 00:12:09 ID:9EXa+R+2
>>268 畠山重忠。
重忠は古今著聞集や吾妻鏡にも逸話が残るほど有名な大力の武者で、
平家では大力が伝説化されて取り入れられた。
大名である重忠の乗馬は秩父鹿毛という名馬、300`以上はあるだろう。
馬を背負ったのは架空の話だよ。
>>275 江戸時代の徳川家もペルシャ馬を輸入させて、房総・陸奥の牧で品種改良に用いたというけど
実際のところ成果は不明で、上手くはいかなかったようだ。
延宝4年の馬頭観音(オランダ様)があるという下総小金牧の輸入馬は、群れに馴染めず性格も荒れ、
周囲の作物を荒らし、上から命じられた牧士に殺されてしまったという。
280 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 10:43:25 ID:tNtkYUnc
現存する馬で騎馬戦をやるならアラブ馬が強そうだわ
サラブレッドなんか見た目がゴツいだけでムチャクチャ虚弱だからこれに乗って戦いたくはない
10キロも走らずに骨折するような代物だし
281 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 12:06:39 ID:WmXkLJeT
北海道のばんえい競馬のばん馬。
でかくて力があって、過酷な環境での労働にもよく耐えるから戦場向き。
あとは木曾馬。ジムニーのように乗り回せそう。
282 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 15:08:04 ID:9RKXV57Y
日本にはもともと馬自体生息しておらず、3世紀ごろ大陸から輸入したもの。
朝鮮半島を経由して入ってきた蒙古馬が日本馬の源流らしい。
283 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 18:15:48 ID:WmXkLJeT
確か馬の化石があったはずだが
284 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 21:00:43 ID:z7Ecl7Mw
285 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 21:51:50 ID:9RKXV57Y
>>283 新石器時代までにそれらの馬の先祖は絶滅したと考えられている。
286 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 23:56:00 ID:xHsN78TA
287 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 08:42:16 ID:j8bNuK4o
日本列島が大陸とつながっているときにきたはずでは
288 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 11:35:02 ID:edidQysT
馬は日本が朝鮮半島南部を支配していた4世紀末に持ち込まれた
289 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 16:50:25 ID:diip4E0v
290 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 16:52:56 ID:j8bNuK4o
考古学的にはそれが正しい。
でもそれ以前の馬の遺物だか骨だかが東北で見つかっているんじゃなかったっけ?
ある本のなかでどっかのえらい人が文献至上主義の考古学を批判していた。
291 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 19:18:08 ID:fK1Uxkrn
当時の平均身長が159cmぐらいだろ?
ポニーで調度いいサイズじゃん
292 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 19:59:02 ID:GdpIRTbv
木曽馬とアラブ種って、食事量が結構違ったりするんだろうか?
293 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 21:22:38 ID:aGx91HqI
ペルやばん馬みたく重種になると話は別だけど
軽種はさした差はないよ。馬体がでかくても
食わない奴は食わないし小さくても
食う奴はすげぇ食う。
294 :
山形義光:2007/07/21(土) 11:52:42 ID:gYV82p2q
日本の在来種はギャル曽根
295 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 12:49:50 ID:ik2WnLiJ
馬って汗と一緒に熱発散作用があるタンパク質を出すくせに
食べる量は激しい運動してない時とあんまり変わらないから
草以外のも飼料に混ぜてタンパク補給させないとないとダメらしいね
296 :
人間七七四年:2007/08/18(土) 02:33:17 ID:SGex5JQV
ここも鈴木真哉スレだな
297 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 23:40:07 ID:fPni+cUL
298 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 11:35:46 ID:YWkHOv6t
そもそも世界史では騎兵用の馬と言えばポニーサイズの方が一般的
299 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 13:27:37 ID:tAQER25+
鈴木眞哉の頭の中
世界ではサラブレット的な馬に乗って戦った。
日本では馬がシェトランドポニーのように小さかったので馬に乗って戦わなかった。
300 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 00:15:34 ID:3D/ufj+p
青森の南部地方の寒立馬もポニーの一種?
かなり頑丈そうだし騎兵に使えそう。
301 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 16:36:25 ID:6fU9hJZy
馬飼いたい。
302 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 07:38:00 ID:i1KBv7ML
大河ドラマ、騎馬は木曽馬とかポニーで撮影して欲しい。
303 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 17:51:50 ID:eXT2kuZN
木曽馬は数が少ないからな。
304 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 22:37:52 ID:My4CYWQh
古代ローマの騎兵もポニーでしたよ。
305 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 23:27:05 ID:JKvOoJfM
世界的に前近代ではポニーのほうが普通か
306 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 00:06:58 ID:qFsMH+tN
あかしやさんまの番組でやっていたポニーのレースだと、
130-160kg位のポニーが人を乗せた状態で100m16秒くらい。
当時の馬が鎧武者を乗せて100m20秒で走れたら立派なもんだろうね。
307 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 00:19:42 ID:j+yDeUeF
よく考えると大きい馬とか大きい人間とか合戦では不利なんじゃないか
と思うんだがなぁ
大きければ大きいだけ弓とか鉄砲の的になりやすいだろ
それがどんな力持ちでも飛び道具の前には一瞬で死ねるから
308 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 00:25:40 ID:B24i2W67
大河ドラマでガクト長尾景虎が乗っている白馬が
ちょうどポニー(最大)サイズじゃないか?。
競演している競走馬崩れと思われる馬より1回り小型。
力馬タイプでもないので、鎧を着込んだガクトを乗せて
河原を走るシーンとか、かなり重そうな様子。
309 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 00:27:52 ID:j+yDeUeF
あんな白馬に乗って先陣切ったら真っ先に討ち取られそうだねw
310 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 10:21:24 ID:VjI1t+hL
そういや朝青龍がさほど混血してないと思われるモンゴルの在来馬に乗って割り
とスピード出して走らせていたな
恐らく日本の在来馬では朝青龍が乗れてもあれ程のスピードは出せんだろうな
311 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 12:59:21 ID:IwR9CVBw
でも、モンゴル馬と日本在来馬って体格はそんな変わらんでそ?
312 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 18:52:06 ID:eCXRr4i4
DNA分析の結果
日本在来馬の先祖はモウコウマ
313 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 19:04:26 ID:eCXRr4i4
日本在来馬は350Kg程度あるけど
それを
>>306みたいに
130-160kg位のポニーを連想させといて
「日本の馬は小さかった!」
「こんな馬に乗って戦える訳ねーよ!」
ってのが鈴木眞也のズルイ手なんだな
314 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 20:28:02 ID:VjI1t+hL
問題は馬の大小ではない
まず日本では去勢技術がなかった
これは馬を集団的に戦闘用に使用するのにかなり重要である
実はローマや中世ヨーロッパの十字軍も当初、去勢技術を知らず、実戦で支障が
かなり出た
突然、牡馬がいな泣いて敵に位置を知られたり、戦闘中に勝手に敵の牝馬を追い
駆けたりしたのが記述されている
第2にハミや鞍や鐙、そして最も重要な蹄鉄が日本では集団使用の騎兵用に作ら
れていないことだ
モンゴルではもともと遊牧民であり、長距離移動に適した馬具であり、さらに日
本の軍装に比べ軽装である
サルマティア、ゴート、ローマ後期、ビザンティン、ササン朝、中世ヨーロッパ
北魏、突厥などは重騎兵(あるいは鉄騎)を使用したが、馬具も堅固なものに改
良されている
もともと農耕馬である日本の馬は戦闘用には適していない
しかも水田が多い泥寧地の多い日本では騎兵の集団使用が適している地形は少な
い
そのため日本では長い槍のファランクスのような槍兵集団戦術が発達したのだろ
う
315 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 22:15:13 ID:GBHWE9KA
日本の馬は古墳時代以降に大陸から輸入した蒙古馬で、農耕馬ではない。
遊牧民族の蒙古馬と同じ。
集団戦に向かないなら、鐙すらないアレクサンダー帝国やローマでどうしてあれだけ騎兵が活躍したのだろう。
鐙も鞍も蹄鉄もないヌミディア騎兵が、ローマすら敵わない最先端のカルタゴの包囲戦術の要だったのはなぜか。
サルマティア、ゴート、ローマ後期、ビザンティン、ササン朝、すべて鐙の存在すら知らなかった国じゃないか。
鐙がない時点で乗りこなしは日本の騎馬にはるかに劣る。
馬にまたがって手綱を握り、両足で馬の体をはさんでしがみつくしかなかった時代なのに、
なぜ軽騎兵ばかりでなく全身馬鎧で固めたカタフラクトがパルティアや東ローマで活躍したのか。
隋や金、清の鉄騎兵のように人馬ともに鉄の鎧で覆った超重騎兵は蒙古馬だったが?
316 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 22:53:00 ID:7PY3VexN
317 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 23:20:23 ID:VjI1t+hL
確かにローマやササン朝には鐙がないがそれは鞍の改良により多角支点で体の安
定を保った
ゴートはチャルニャコフ文化の遺跡から鐙の遺物が出土している
ゴートはサルマティアの騎兵技術を模倣しているからサルマティアも鐙を持って
いた可能性が高い
ビザンティンはアヴァールの侵攻前後に鐙を持っていたことは当時のレリーフ等
で確認できる
318 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 01:10:09 ID:EwXKog62
319 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 01:14:33 ID:EwXKog62
北条軍の騎馬は金色ピカピカですか。
時代劇では出て来ないけど、もしも再現したら驚くほど派手だね。
320 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 03:20:28 ID:KIUJ6X+2
和鞍や和鐙は実戦向きなんだせ。
和式乗馬は馬に負担をかけない方法なんだぜ。
馬の扱いは日本だって負けてないんだぜ。
みんなにもっと自信を持って欲しいんだぜ
321 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 02:09:22 ID:5X7BVnkW
源平合戦のころは、馬ごと敵陣に体当たりする戦法があったね
322 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 21:36:29 ID:OYbm0h0D
>>319 ギンギラギンにさりげないのが当時の関東の流行w
あと、メッキが光を反射して、馬がそれに驚くので騎馬突撃を防ぎやすいという効力もあったりするらしいぞ。
323 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 01:59:12 ID:Q8ZtZo+e
324 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 17:41:21 ID:dQti+UfB
山梨県の紅葉台木曽馬牧場という所で、
日本在来馬に乗れるよ。
案外大きくてびっくり。
流鏑馬団に入ってみれば?
325 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 19:08:35 ID:Ps3mA3mc
326 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 23:20:32 ID:Yjhy35VW
>324
牧場自体は馬もスタッフも凄くいいからお薦めだが
流鏑馬団はちと微妙だな。少し通ってから入会するか
どうかを決めた方がいいと思う。
327 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 15:32:18 ID:A9ypOOfh
源平合戦の騎馬突撃は、戦時動員で馬場なんかから馬に乗れる奴を根こそぎ集めたんで
馬上で弓を使える者の方が少なくなっちゃって、突撃しかやることがなかったんじゃないかと言う研究者がいる
328 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 23:10:14 ID:lqUp5mcW
>>327 その研究者は電波(神戸系)のT橋・K井とN口。
特にK井は城郭、動員数など論外の珍説。
騎射訓練は馬場でなく実戦的な狩猟を考えるべきで、その視点を全く欠いている。
329 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 19:30:05 ID:ByKJ8YC4
330 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 14:07:32 ID:Vf6KmjpG
>>497それ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/314 のコピペじゃんw
315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/10/09(火) 22:15:13 ID:GBHWE9KA
日本の馬は古墳時代以降に大陸から輸入した蒙古馬で、農耕馬ではない。
遊牧民族の蒙古馬と同じ。
集団戦に向かないなら、鐙すらないアレクサンダー帝国やローマでどうしてあれだけ騎兵が活躍したのだろう。
鐙も鞍も蹄鉄もないヌミディア騎兵が、ローマすら敵わない最先端のカルタゴの包囲戦術の要だったのはなぜか。
サルマティア、ゴート、ローマ後期、ビザンティン、ササン朝、すべて鐙の存在すら知らなかった国じゃないか。
鐙がない時点で乗りこなしは日本の騎馬にはるかに劣る。
馬にまたがって手綱を握り、両足で馬の体をはさんでしがみつくしかなかった時代なのに、
なぜ軽騎兵ばかりでなく全身馬鎧で固めたカタフラクトがパルティアや東ローマで活躍したのか。
隋や金、清の鉄騎兵のように人馬ともに鉄の鎧で覆った超重騎兵は蒙古馬だったが?
323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 01:59:12 ID:Q8ZtZo+e
日本の馬をポニーサイズとバカにしてる連中は、とりあえずこの文でも読めよ。
短く簡潔で、しかも思い違いを解消してくれるぞ。
ttp://www.sasakijo.com/kiba.htm
331 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 14:10:03 ID:Vf6KmjpG
うほ、誤爆ったwwww
332 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 18:50:21 ID:Tu/7j7jt
333 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 06:21:05 ID:lXzXiI1e
うちの女房が、130-140センチメートルというのを見て、「私より小さい」と、言い出しました。
身長と、体高の違いが理解していなかった、みたいです。
馬の場合、またがる高さが重要なので、体高、つまり背中までの(正確には地面から肩まで)高さで通常語らいます。
案外知らない人が多いみたいなので、念のため書き込みます。
鈴木さんもうちの女房と同じ勘違いをしてるのかもね。
334 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 07:19:48 ID:R79SgDNl
普通に知らなかった。
335 :
人間七七四年:2007/12/30(日) 08:56:21 ID:OUQrV/zv
>>333 余り関係ないけど、体長も勘違いしてる人多いよね。
336 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 23:38:35 ID:r5p8ObZ5
って言うか鈴木がダサすぎ。消したい過去になってんじゃねーのww
337 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 17:52:49 ID:BEwPX37R
>>333 もしそうなら、土下座でもすまない、ものすごい素人以下の勘違いだな。
338 :
人間七七四年:2008/01/13(日) 21:23:45 ID:vHQ+R5JS
鈴木は日本刀を首狩り道具とか言ってるくらいだからな。
首を取るのは脇差や鎧通しなんてこともわからなかったらしい。
だいたいこの人はアマチュアの史家という事を忘れてる人が多すぎる。本業は役所勤めの公務員だっけ?
イデオロギーや私情を交えないで研究するという最低限のモラルも守れてない気がするよ。
339 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 03:50:08 ID:x2rNswtL
まぁ、部分的に正解て感じのが多いんだよね。
脇差も日本刀に入れると一部正解と言えるが…
それだったら、武士が使った槍は両刃直刀の日本刀に長い柄を付けた中国なら矛に分類されるのがメインだし…
340 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 09:23:44 ID:NSQ/moCW
鉄砲が普及すると、
白馬に乗るって、高貴な階級(上官)だと教えてるもんだから、
狙撃の的になるので戦闘中にはしだいに乗らなくなった。
現在でも小学校で教える跳び箱は、元々はやく馬に跳び乗る特訓が目的だった
341 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 08:07:33 ID:3sTNOmZu
実際に飛び乗ったら驚いた馬が暴走して大怪我しますので、訓練の終わった馬であること調教師に確認してからにしましょう。
342 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 16:06:40 ID:gwONCzpy
343 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 07:51:22 ID:tAKM1fQg
>>342 専門家の方ですか。
素人の読む程度の本では体高が肩までの高さぐらいしか書いていないので、出来ればもう少し詳しく教えてもらえれば有難いのですが。
キコウ→? 馬の高さ? 騎高? どこ?
などと言う状態になっております。
344 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 09:16:23 ID:1B8Lh3zu
上手く言えませんが、首と背中の間に盛り上がったところあるでしょ、そこですキコウ。
345 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 10:29:20 ID:tAKM1fQg
346 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 10:39:12 ID:2rWVOSFV
馬乗りたいな
347 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 11:45:08 ID:yK1XSZei
狭山乗馬センターへどうぞ
348 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 05:56:04 ID:z7Dfz4ox
349 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 08:45:16 ID:UW3XNicz
馬独自の計り方だね
ペット屋で犬の体長が胸からお尻になるみたいなもんか?
一つ気になるのは、日本以外でもキコウまでの高さで体高になっているのかどうか?字から見て日本独自のものぽい
350 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 17:11:06 ID:CPnjWXvw
今現在の計り方がキコウから地面まで多分世界共通、逆に昔の日本には違う計り方があったのかもしれんねよくは知らないけど。
351 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 13:16:32 ID:70aXf7FN
木曽馬は草だけで飼育できるってwikiにあったが、平時は草のみ、戦時は大豆等で蛋白分補うって
飼い方をしていたのかな?
352 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 01:11:33 ID:byQaPNkQ
飼育可能なのと
良好な食生活を送るのとは違う。
353 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 02:04:47 ID:RZcSmpu9
馬は元々家畜ではなく、野生動物であった。その頃の食料は野草のみであった。
しかし、馬が家畜化されると、より栄養価が高く美味しい食料として、豆類や
穀物を与え、より良い食生活を送らせるようになった。
特に冬から春先にかけては新鮮な野草が不足するため、豆類や穀物で十分な栄
養を補給する必要があった。
354 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 06:01:29 ID:0btzdmVb
モンゴルの野生環境は、牧草が自然に乾燥冷蔵されて栄養価が高いらしいね
無機物の補給源もちゃんとあるし素敵な環境
戦国時代の馬鎧ってどれくらい一般的だったの?
356 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 00:22:00 ID:A9YdTcDI
>>355 少なからず小田原北條家の近隣諸国ぐらいまでは
普通に知られていたと思われ。
357 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 17:41:54 ID:iYDUkYKQ
「平家物語」に騙されるな!
義経の「鵯越(ひよどりごえ)の坂落し」。
そんなことはありえない!
ポニーのような小馬に乗った坂東武者…。
これが本当だ!
「技術」の視点から、源平合戦の通念をくつがえす。
『源平合戦の虚像を剥ぐ』(川合康著、講談社選書メチエ帯より)
(笑)
358 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 18:26:09 ID:adm0ITzV
同じ書くならもう少し和種や日本独自の馬具の特性、そして
日本式の乗馬・操馬法について調べてから書けって思うw
落としという表現は誇張かもしれないが険しい山道でも
平気なのが和種だろ。
斜面のきつい富士山やその山麓ですら登ったり下りたりを
してきたような馬だぞ。
359 :
人間七七四年:2008/08/24(日) 21:29:15 ID:nMadTa5h
>>355 ・唐沢玄蕃が厩橋城攻防戦で金の馬鎧を着用
・北条家で馬鎧の着用を義務付ける軍令状
・信長が初陣で馬鎧を着用
・1575年信長の馬廻衆百騎以上が馬鎧を着け岐阜に帰陣しているのを島津家久が目撃
・家康が信長に三百領の馬鎧を献上
・徳川家で馬鎧の生産を命じる記録複数
・朝鮮出兵の閲兵式で伊達隊が馬鎧の上に豹皮や孔雀の羽で着飾っていた
360 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 12:25:42 ID:AnUyQkqR
361 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 12:42:25 ID:uVE+OfOi
北海道行ったとき小馬じゃないと20-30キロは走れないと言われたが
競馬用のトレーニングしてない大馬でも長距離は無理なの?
362 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 14:11:40 ID:rEthkc33
>>357 全く覆せなかったから
電波本
電波先生としての川合があるんだよ
363 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 14:16:27 ID:rEthkc33
それにしてもサラ厨の川合はポニーサイズについても理解してなかったし
論外だわ
364 :
人間七七四年:2008/08/30(土) 16:17:30 ID:jFcYF4EQ
365 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 00:20:05 ID:p0DqN//4
日本の馬もカッコイイやん。
てか、合戦図に出てくるまんまの馬だ(;´Д`)ハァハァ
大河もこういう馬ばかりで作ってくれ!
366 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 15:46:46 ID:3zIpxFfu
・和種の個体数がもともと少ない。撮影に対応するとなるとなおさら少ない。
・今の俳優は背の高い人が多いから義龍のようなことになりかねない。
・今まで馬を貸してもらっていた牧場などの付き合い上
などの理由で大河で使うのは難しいらしい。
本当は和種の方が甲冑での騎乗も映える(合戦図にある武者のような感じが
出やすい)からN○Kとしては使いたくて仕方ないらしい。
関係者から以前聞いた話だと、風林火山では信玄の中の人がなかなか乗馬が
うまくならずスタッフは本番をどうするかと頭を悩まし、性格がのんびりしていて
従順な和種なら大丈夫では?とその路線で準備も進めていたらしい。
ところが、某人らが自馬を持ち込むこととなりその人らの馬が
サラブだったためやむなく断念したことがあったそうだよ。
367 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 19:15:24 ID:MiKz6InT
モンゴルにロケしに行って蒙古馬で代用すっか。
草原の風景がダダッピロすぎるならCGで誤魔化せ。
368 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 20:50:37 ID:Z8EP1i8X
>>366 今さらながらカピ亀には木曽馬みたいな馬の方がむしろ似合ってたと思う。
使いたいならせめてOPだけでも使えば良かったんじゃないかなと。
OPぐらいの頭数ならさすがに揃うべ?
369 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 01:46:06 ID:p9/UYJAY
日本馬に乗りたい
370 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 15:19:23 ID:WLc6B5mC
乗馬してるけどサラブレット種より大きいポニー種もいるよ。
結構強暴で油断してるとよくかまれそうになった。
371 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 20:14:20 ID:IG8Aumts
生食?
372 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 20:46:21 ID:RCuxf+BA
木曽馬の体高(肩までの高さ)130cmって
身長170cmの人間の胸ぐらいあるから、それほど小さくないよ。
まして当時の平均身長は157cm程度だから
並んで立った状態だと馬の胴体の上に人の頭が出るくらいになるから
乗り降りの便とかを考えると丁度扱いやすく実用的なサイズだと思う。
競馬のサラブレッドを見てると騎手の騎乗の際、他の人に補助してもらって乗ってるでしょ。あれじゃ戦場でイザというときヤバイと思うな。
373 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 01:40:52 ID:k0cRUYFP
競馬のサラブレッドはF1カー。
戦場ではF1カーよりもジムニーの方がまだ役に立つ
374 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 02:19:27 ID:dCHWg/WZ
ただ、明治以降の騎兵用軍馬としては和種はまったく役に立たなかったというのも
確たる事実なわけで、戦国時代にアラブ種などの大きな馬があったらそっちが
使われていた可能性も高いんじゃないかと思ったりもする。
騎馬武者は見栄えが重要だしね。
375 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 14:36:35 ID:bPVPiwRW
よく明治以降に近代馬種と在来馬とを比較して、在来馬は能力が低いとして
戦国時代においても在来馬は役に立たずであったかのように言われることがある。
しかしながらこれは、近代の後装ライフル銃と火縄銃とを比較して、
火縄銃は能力が低いとして
戦国時代においても火縄銃は役立たずであったと言うのに等しい。
あくまで明治以降では、品種改良が重ねられた近代馬種との比較において
相対的に能力不足になっていたのであって、
戦国時代にあって役立たずであったわけではない。
また明治という時代は、近代欧米技術の導入が積極的に図られた時代であり、
そのために、在来技術が実際以上に貶めて評価される傾向にあった時代でもある。
(在来の物をダメだダメだと言わないと、新規技術の導入は中々進まない。)
そいった時代背景も考慮に入れるべきであろう。
376 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 14:40:33 ID:bPVPiwRW
>>374 「帝釈栗毛」という加藤清正の乗馬は
丈六尺三寸あった大きな馬だったそうだ。
377 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 23:04:20 ID:WquCCxUH
西洋の馬と馬具は日本流の戦闘に向かない
戦えない
378 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 01:15:51 ID:KAGzM9z6
>>377 本当? 戦国時代は蹄鉄もなければまともにハミすら使わず、
日本流の戦闘への向き不向き以前に、まともな馬具がそもそも
なかったというべき。
379 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 01:27:58 ID:34WXfIsU
蹄鉄の問題については馬沓の効果と普及度が焦点になりそうだね。
380 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 01:47:39 ID:KAGzM9z6
wikipedia等によれば、日本在来馬は蹄が固いので、普通に乗るぶんには
蹄鉄がいらないそうだ。ただ、蹄鉄があれば蹄は柔らかいけれども大型化した
馬に改良する方向も出てきたはず。
日本では鉄が貴重品なので馬に使う消耗品にするにはもったいないので
蹄鉄が無視され続けたという可能性はあるかもしれない。
でも、鉄製農具が広く普及した鎌倉〜室町期以降なら、蹄鉄のような
鉄の消耗品というのにも耐えらえると思うんだけどなぁ。
381 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 14:12:20 ID:C8fYNvRe
>>378 立派な馬具がなかったって鞍と鐙の存在意義は・・・。
382 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 15:49:42 ID:KAGzM9z6
>>381 ハミがほとんど使われていなかったことの重要性が理解できない人?
383 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 23:05:36 ID:LunuOg3f
>>382 そういう方向で言いたかったのなら当時の乗馬法では馬具を
あまり用いなくても操馬ができ、馬も轡なしでも大丈夫な性質だっためと
いったような内容を前に書くべきなんだよ。
ここにいるみんながみんな乗馬、特に古くからの日本での
乗馬法に詳しい訳ではないのは最初から読めばわかること。
自分が理解している=他人も理解しているわけではないと
いうことを前提にレスは入れた方がいい。
そしてけんか越しでないのに煽るような書き方もどうかと。
ちなみに蹄鉄技術は去勢と同じで明治時代に入ってきたものだから
日本に無かったのは当たり前。日本には石畳のような路地は
あまり無かった上に蹄を痛めるような場所も少ないから
鉄を履かすという感覚が無かったんだろ。沓や草鞋だけで十分だし。
あと、蹄鉄って必ずしも必要なものでもない。必要時以外は
外しておくことも少なくないよ。鉄を履かせると基本的に複数頭での
放牧ができない(喧嘩をおっぱじめると大きい怪我のもと)し
冬場の凍った地面だと滑って危険だから。蹄鉄が主な原因で
罹る怖い病気もあるからリスクを減らすためということも。
384 :
人間七七四年:2008/09/06(土) 23:25:35 ID:LunuOg3f
>>383に追加
蹄の弱いタイプや競走馬、乗馬クラブなどではこの限りじゃないけど。
385 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 00:13:46 ID:2syIt/EH
馬具や去勢技術が未発達だったので、そういう気性・性質の馬しか
残れなかったとみるべきじゃないの? 見栄えのいい馬が賞賛されていた
のにも関わらず、一向にそういう方向に改良が進まなかったわけだし。
まあ、今の在来馬って意外と気性が荒いけどね。
大陸では普通に去勢をしていたし、蹄鉄も欧州に比べるとかなり遅かった
とはいえ、14世紀頃には一般化していたわけで、日本では馬具や去勢技術
など馬関連の多くの技術がなぜか非常に遅れていたのは厳然たる事実でしょ。
だからといって馬が戦力にならなかったのかとかいうのは別問題だけど。
386 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 00:26:05 ID:84eF+TuJ
387 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 00:53:48 ID:Wl7IwJXm
>>383 >当時の乗馬法では馬具をあまり用いなくても操馬ができ
?
388 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 21:38:46 ID:9rgHqW/R
四世紀末に馬骨やハミの発掘例はあるが、日本に乗馬の風習が伝来
したのは五世紀になってからである・・・
ハミの歴史は非常に古くデレイフカ遺跡と呼ばれる後期新石器時代の
遺跡からハミの断片と推測される加工した鹿の角が発見されている
この遺跡から同時に発掘された馬の前白歯にはハミの使用によると
思われる異常な磨耗が認められている・・・馬の博物誌より
戦国時代には普通にハミを使ってると思うけど?
389 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 21:55:58 ID:pDzrhcic
口取りといわれる馬を曳く人は、馬の口のあたりから曳いたようだが、
ハミがはさまってるんじゃね?
曳いた馬には、騎馬武者が乗ってる。
390 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 22:26:24 ID:capKuY1g
391 :
人間七七四年:2008/09/11(木) 22:45:16 ID:f0lh3l4e
ハミハミって・・・ハミ乳とかハミパンとかハミ尻しか思いうかばねーよ(´・ω・`)
392 :
人間七七四年:2008/09/12(金) 10:54:07 ID:I3g/EcIW
競走馬でも牧場では裸足で普通に調教してるし競馬場に来ても
暴れて蹄鉄打たせない馬はしばらく裸足で調教してる
普通に馬に乗る分には蹄鉄が無くても問題ないと思うけど
尖った石がゴロゴロ落ちてるような道なら草鞋はかしたほうが良いかも
昔は牛にもはかしてたらしいから
393 :
人間七七四年:2008/09/13(土) 05:07:27 ID:Cfiqhloo
騎馬戦法で有名なモンゴル帝国では蹄鉄は使用していないよ。
394 :
人間七七四年:2008/09/13(土) 05:28:11 ID:Cfiqhloo
ハミって轡(くつわ)のことだぞ?
蒙古襲来絵詞、大坂合戦図屏風絵等で、見た限りすべての馬にハミが装着されている事を確認。
轡取りなんて役もあるだろ・・・
そもそもハミがなきゃ手綱がつけられないだろうw
395 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 12:11:03 ID:ky7oFCTu
誤解してる人がいるようだが、戦国時代の馬は大きさが「ポニーサイズ」なのであって「ポニー」ではない
ポニーに鎧を着た武将を乗せるなんていう検証番組も全くのナンセンス
因みに同時代の西洋の騎士が乗る馬もポニーサイズ
396 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 20:45:52 ID:O9SktHBO
「ポニーサイズ」なら「ポニー」だ
397 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 21:28:50 ID:5ImQrdFE
>>ハミがなきゃ手綱がつけられないだろうw
あ、ほんとだね。
398 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 01:23:45 ID:7sgVTkEP
ポニー別に小型じゃねぇしなぁ
アラブ、サラブ系の足の長い貧相な馬が遙か昔からスタンダードっていう思い込みが恐ろしいよな
399 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 12:06:38 ID:XhNBtBzV
ポニーって音感が可愛らしいね。
そのせいでシェトランドポニーみたいな小さいのが
ポニーの典型であるかのような誤解が生じやすい。
「戦国時代の馬はポニーサイズ」というのは
そういう誤解を利用して、まるで戦国時代の馬が
シェトランドポニーみたいな小さな馬であったかのような
ミスリードを行ってるのよね。
400 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 17:19:34 ID:6J49MyK6
ロバにだって人が乗ることはできるよ。
走れるかどうかは知らないが。
ロバは主に物運び用だな。日本にロバが多くいたかどうかも知らない。
401 :
人間七七四年:2008/09/25(木) 06:46:45 ID:nak651rE
馬の埴輪には一通りのものが付いているけどなあ。
同時代の中東や欧州には存在しなかった(と言われている)鐙(あぶみ)も。
ミスリードする輩ってのは、意図的にミスリードしようとしているとしか思えんところがあるのが如何にも胡散臭い。
鈴木某とか。
402 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 22:38:28 ID:ghVsbaZR
ロバが日本で普及しなかったのが不思議
本などには案外気難しく扱いずらいとは書いてあるが
ロバ×馬=ラバ←これは走らせるとけっこう速い!
メキシコだったかな?ラバで競馬してる
403 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 23:38:54 ID:5StnpZoH
ロバ♂×ウマ♀=ラバ
逆がケッテイでこいつは気難しいらしい。
スペインだかに「ケッテイのように頑固だ」って言い回しがあった
日本にはこういう計画繁殖みたいなことって根づかなかったね
404 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 23:52:22 ID:EDFUNCfw
海外からアラブ系かしらんが馬は入ってくる事はあったみたいだが、増やそうとした
ってのはあんまりきかないね。吉宗の時はどうだったっけ?
405 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 18:24:14 ID:9aDNhgGa
アラブ馬と同時に蹄鉄と去勢のしかたを教えたをそうだけど日本人は
まったく興味をしめさなかったみたい
406 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 18:29:19 ID:1b3iznQs
別に変ではないだろ。
当時の日本人の平均身長なんて120cmくらいだろ。ポニーとかでちょうど良い。
407 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 19:46:07 ID:82fefCnn
平均身長120センチは貴方の家族の平均では?
408 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 20:11:41 ID:PZKyeI0f
戦国時代のチンポは馬サイズ
409 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 22:06:28 ID:9aDNhgGa
ハンニバルのゾウ軍団VS武田騎馬軍団どっちがつおい?
注意、あくまでも冗談ですょ〜
410 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 01:12:49 ID:ZUMsrhUf
ハンニバルの象軍団ってザマでコテンパンにされてたよな。見掛け倒し過ぎる。
411 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 03:34:26 ID:WBHsZzmR
戦国時代の日本男子の平均身長
A 150cm 弥生時代「最大」から江戸時代「最小」まで継続縮小説
B 157cm 戦乱期の戦国で一時最大 江戸期で縮小説
他説もあるかも。
412 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 22:46:24 ID:q9Yd4p9Q
象兵は数を揃えて相手を威圧するのが役目
相手を威圧できなきゃただのでかい的か暴れて味方に損害を与える厄介者
413 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 23:14:26 ID:5T5mXeOw
象兵は用兵の仕方によっては決戦兵種にもなる
ピュロスのローマ侵攻のときは象にビビったローマ軍が崩壊した戦いもあったし
ただザマみたいに隊列に間隔をあけてしっかり象対策されたりするとな・・・
414 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 00:45:36 ID:7Q9xjnof
一戦目は大抵相手がびびって圧倒されたりと結構役に立つんだけど、二戦目以降は対策取られてってパターンが多いよね。>象
象は群れのボスを調教すると、そのボスが群れの他の個体を教育するんで、調教、訓練は他の動物よりも楽って部分はあるみたい。
カウティリヤの「実利論」(ダルマシャーストラ)には戦象に関する記述もあるので、興味のある方はそちらも参照されたし。
415 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 07:55:31 ID:lA0Ks9Zu
騎兵には大きな効果がある戦象
次は訓練されてない傭兵
戦象が負けた相手は訓練された歩兵で
実はこれ、オリエントでは騎兵軍団より貴重
416 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 19:08:40 ID:+dsXcssA
ウイキみたら歩兵1万でゾウ100頭くらいみたいだね
ゾウで戦うというよりも権威の象徴ぽいね
まあ馬も同じようなかんじだけど
417 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 23:58:17 ID:WgRtJz6S
最近の大河に出てくる馬はノーザンテースト系より
サンデーサイレン酢系のほうがおおいのかな
418 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 02:13:33 ID:rmvh5vBn
ううむ
419 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 16:36:56 ID:AtXcPTVT
大河に出る馬の血統まではどうも。
とはいえ、日本では圧倒的にサンデーサイレンス系統が強いんで、増えてるかもね。
ただ、気性面で考えると断言しにくいけど。
420 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 21:57:15 ID:hIDlmZQc
>>411 >B 157cm 戦乱期の戦国で一時最大 江戸期で縮小説
平均に比べると、戦国武将って結構背高いよね。
やっぱ身体がでかくないと武将としてダメだったんだろうか。
日本在来馬って大分減っちゃったんだよね?
一番大きかった南部馬も絶滅して。
大河で西洋のでかい馬でてるとなんか違和感。
421 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 22:01:43 ID:hIDlmZQc
>>399 でも一応区分ではポニーじゃん。
それにやっぱ西洋の馬に比べれば小せえ!って思えるし。
俺は好きだけどさ、日本・中国・蒙古の馬。
てか中国はアラブ馬輸入してなかったのかな?
422 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 22:46:29 ID:zb/33nF0
多数の軍馬の馬骨の発見された材木座遺跡における分析結果
・中手骨(38例)―体高分布 121〜139cm:平均値 130.9cm
・中足骨(34例)―体高分布 109〜138cm:平均値 130.1cm
・とう骨(26例)―体高分布 117〜136cm:平均値 128.7cm
・脛骨(26例)―体高分布 109〜140cm:平均値 127.4cm
・上腕骨(3例)―体高分布 119〜139cm:平均値 128.5cm
・大腿骨(1例)―体高分布 128.1cm
◆全平均値 129.5cm
◇最も多い体高 126〜136cm
日本は幕末まで在外馬の流入、飼料の改良など行われなかったのでこの平均値が日本軍馬の平均値と思ってよいと思われる
423 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 22:50:38 ID:hIDlmZQc
良馬で140〜150くらいだったらしいしね。
その程度なんだろう。
424 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 23:47:56 ID:zb/33nF0
中世日本における軍馬分類
小馬―四尺(約121cm)
中馬―四尺五寸(約136cm)
大馬―五尺(約152cm)
軍記物で名馬と呼ばれる馬の体高はだいたい四尺六寸〜四尺八寸(約139〜145cm)の範囲
425 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 23:01:56 ID:6T+hDYEb
>>420 北海道和種(ばんえい競馬の馬じゃない方)なら元々南部馬だから
大河ドラマで走っててもおかしくないかも
426 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 18:47:14 ID:tDYzBXxz
>>422 やっぱ完全にポニーだな
これで完全装備の糞重い武者が乗ったら蹄鉄もまともじゃないから動き鈍そう
去勢もしてないから牡馬なら暴れそうだ
427 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:16:54 ID:PiQ8trH2
体高を馬の頭までの高さだと思い込んでいるのがまた一人現れたか
428 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 00:49:47 ID:4Pfkuwoc
>>427 何訳のわからんこと言ってんだ
そんなこと考えてる奴いるわけないだろ
もともと軍馬に向いていない日本馬を無理矢理軍馬にして馬具も技術も不完全なんだから言われても仕方ないだろう
429 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 18:29:01 ID:Sa6R+q3j
数字を見た上で言っているのなら、具体的に優れたものの数字を出して何がどうなのかを証明してくれるならば異論は無いが。
430 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 23:14:13 ID:WZfnL+NF
>>420 鎌倉時代のヨロイを測ると、大柄のものが多く、
人間の身長が180センチくらいだという。
なんでも当時は気温が高めで、人間も大きかったようだ。
もっとも、
>>422を見る限りでは、馬は大きくもないが。
431 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 23:19:23 ID:GYstk5vD
当時の絵画を見ると騎馬は大きいんだがな。
誇張だと言い切るのはちょっと無理がある。
432 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 23:20:52 ID:R966THOT
そりゃ180cmの人間が一人もいなかったとは言わないがww
つーか、気温が高かったら人間が大きくなるってwwww
お前いっぺん東南アジア行ってこいよwwww
433 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 23:43:57 ID:EkARjgVT
植物じゃねえんだから暖かくなると体がでかくなるわけが
434 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 00:56:31 ID:w7EhqNgX
体高120cm程度の大陸産蒙古馬が、馬体を鉄札で覆った重騎兵として運用されてたので無問題。
鎖で鉄騎を繋いで鉄の方陣を作ったり、
数千〜数万の楔となって敵戦列を破砕するなど、大規模な装甲騎兵の運用が見られた。
機動戦術を主とするモンゴル帝国の軍馬も蹄鉄を打ってない。
435 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 14:57:02 ID:RIm93HV4
>>432 温暖化により食糧事情が良化すると体はでかくなる。
逆に慣例化すると小さくなる。小氷期だった江戸中期〜後期なんて、
小人かと思うほどに小さい人が多い。
こんな常識すら、草はやして喜んでいるバカは知らないんだなぁ。
436 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 18:37:01 ID:99j/Qd3l
>>435 食糧事情が平均気温だけで決まると思ってるの?
気候その他の要因も大きい。
第一身分の差はなんも考えてないのか?騎乗身分ってどれくらい偉いか知ってるか?
バカにする前に当時の人間の平均身長の統計データぐらいもってるんだろうな?
俺の知る限りでは14世紀と16世紀の平均身長は殆ど変わらん。
180とかバカじゃないの?お前の身長より高いじゃん。
437 :
430:2008/10/23(木) 20:18:08 ID:HvzxRhYw
源頼朝 - Wikipedia
源 頼朝(みなもと の よりとも)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将である。鎌倉
幕府の初代征夷大将軍として知られる。 ...... 身長は大山祇神社に奉納された甲冑を元
に推測すると165センチ前後はあったとされ、当時の平均よりは長身である。
義経
身長に関しては義経が奉納したとされる大山祇神社の甲冑を元に推測すると150cm前後くらいではないかと言われている。しかし甲冑が義経奉納という根拠はなく、源平時代のものとするには特殊な部
49 :習志野権兵衛:03/08/17 23:15
確か足利尊氏もでかくて180cm。現存の遺品の甲冑もでかい。
10 :日本@名無史さん :03/07/10 07:47
徳川吉宗はよく分からない。愛知県岡崎市大樹寺にある
位牌では156cmしかないし。遺骨の発掘調査でもしないと
分からないかな。なお、
坂本竜馬:176cm 藤堂高虎:187cm 前田利家:179cm 加藤清正:181cm
伊達政宗:159cm 徳川秀忠:159cm 明治天皇:168cm 西郷隆盛:183cm
源 義経:147cm 東条英機:163cm 徳川慶喜:157cm 桐野利秋:177cm
ナポレオン156cm ヒットラー175cm ルーズベルト:191cm アラビアロレンス 165cm
仏人平均:176cm 独人平均:180cm 英人平均:178cm 米人平均:175cm
438 :
つづき:2008/10/23(木) 20:19:12 ID:HvzxRhYw
65 :日本@名無史さん:03/09/12 19:38
武田信玄は153?B(肖像画や鎧甲から計算)。伊達政宗は遺骨から計算して
161?B。
95 :日本@名無史さん:03/11/02 12:18
徳川将軍(遺体からの推定身長)
http://www.jah.ne.jp/~risuko/hone.html 家宣 160.0
家重 156.3
家慶 154.4
家茂 156.6
天親院(家定正室) 147.8
静寛院(家茂正室、和宮) 143.4
桂昌院(家光側室・綱吉実母) 146.8
殊妙院(家慶側室) 147.9
ついでに、徳川将軍中最も背が高かったのは八代吉宗らしい。183〜185センチ。
幼少の七代家継を除けば、一番小さいのは五代綱吉。135センチ。
十五代慶喜も小さく、侍女の回想談によると「今のお人が想像なさるより
はるかに小柄で五尺そこそこでした」とある。150センチ程度ですね。
ttp://ameblo.jp/urutora5963/entry-10106190674.html 人類学者の鈴木尚氏によると、日本人の身長には”大人期”と”小人期”の周期があり、
現代は”大人期”に当たっているのだという。つまり、食べ物や生活環境だけの問題では
ないということだ。
過去の大人期の代表としては、南北朝時代があげられる。たとえば、この時代に活躍
した新田義貞などは、180センチもある大丈夫(だいじょうふ)だったという。
一方、小人期の代表は、平安時代と江戸時代。とくに平安時代は日本史のなかの
”氷河期”ともいえ、寒冷期にも当たっているため、それが食物の生産に悪影響を与え、
当時の人々の身長をより低くさせたといわれる。この時期の日本女性の身長は、
140センチくらいだったと推定されている。
440 :
430:2008/10/23(木) 20:25:58 ID:HvzxRhYw
>>鎌倉時代のヨロイを測ると、大柄のものが多く、
>>人間の身長が180センチくらいだという。
情報源は本からだったが、
鎌倉時代の有名人がでかかったとあり(鎧から)、
それは源頼朝と思ったが、そうでなく、新田義貞のことだった。
441 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 23:23:59 ID:vXS89zyw
>>434 蒙古兵は革製のラメラ・アーマー程度で日本の武士みたいに重武装でないし
一日100`走れる人を乗せることが目的で品種改良されてきた遊牧民の馬と
農耕目的で品種改良もされず去勢も知らずや馬蹄、鐙、鞍など馬具の技術も低位であることを同次元で比べることはできない
鉄騎は中国や鮮卑族が多用したが、それも西域から馬をかけ合わせ品種改良された馬だ
442 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 01:03:42 ID:M59ajvCd
突進するならイノシシでも突っ込ませれば効果的
443 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 01:45:40 ID:MIl0AZPQ
>>441 日本の馬と蒙古や中国の馬は同種。
モンゴル騎兵は他の遊牧国家同様、弓騎兵の他に決戦兵力として重騎兵を持っている。
モンゴル重騎兵は鋼鉄製の札と鎖製のラメラーアーマー、鎖とプレートでできた籠手を身に着ける。
その上で鉄札を綴じ合わせた重厚な馬鎧を馬に着せている。
武器は槍や斧、メイス、片手用曲刀で武装していた。
そもそもこの手の重騎兵は鮮卑、宋、清代の鉄騎に至るまで中国・モンゴルで幅広く存在していた。
444 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 05:22:36 ID:VNPsJETD
モンゴルというと軽装の弓騎兵だけしかいないと思っている人多いんだよな
むしろ重騎兵のほうがやばいわけで
445 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 19:09:05 ID:fNKEkwoD
最近は鈴木史観が蔓延ってるから仕方ないね
446 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 01:21:13 ID:PG8U88JQ
447 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 06:44:46 ID:nDySs9GG
宮崎県都井岬の野生馬って、軍用馬生産の目的で放牧されたのが由来じゃなかったかと。
確かにサラブレッドみたいにデカくはないが、ポニーほど小さくもないし。
推古天皇が「馬ならば日向の駒」と詠んだくらい宮崎の馬は有名だったそうな。
448 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 08:23:57 ID:jZKGiib0
そこらの馬に鎧武者乗せたら走らなかった。だから騎馬武者はいない、って本気で思ってる奴はいるのかね?
そこらのニートに2〜30キロの鎧着せて、「戦どころか走るのもままならない。足軽なんていなかった」とか言うの?
449 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 10:31:06 ID:Bw2mlPMm
450 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 17:05:05 ID:Pb2Xg5Qn
ポニーとかいう輩は南部馬というのを知らんのだろうな…
日本=木曽馬の概念なんだろう。
鈴木氏の影響か?
戦国時代は運用以外にも馬の役目があった。
無論、戦闘用。
その為に品種改良を多く大型化させようとしていた。
騎馬隊は一応、大河のようなものではなかったが存在していた(馬は少ないが)
対抗策の一つに槍衾というのも生まれた
巨大な馬は突撃させるだけでも脅威となった証拠ともいえる。
ただ騎馬だけの部隊もなく騎馬は実質扱いにくく
相手の部隊が潰れた状態でないと槍衾で返り討ち。
移動用であり、奇襲用で戦う際は下馬するのが基本。
馬上で戦うのは難しいかったからだ。
士気の下がった部隊にとって槍衾は呼吸が揃っての代物。
ましてや、そんな状態で巨大な馬が走ってきたら…
天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。
戦う必要が無いのに巨大な馬を持って何とする?という具合。
時代が進むにつれ、軍馬そのものの需要が下がり。
役蓄馬の需要が高まった。道路網の発達で駅馬が大量に要求されたことなどから
体高のある馬よりも、がっちりと低く構えた力持ちの馬にとって代わった…
こんな所だろ。
451 :
450:2008/10/27(月) 17:08:41 ID:Pb2Xg5Qn
ミスったw
「その為に品種改良を行い、大型化さしていった」だw
452 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 18:44:05 ID:vr/DOL2p
おお、見事なまとめだな。
ほぼ決まりか。
453 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 19:19:05 ID:IMU6cB8W
>天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。
そもそもこれが立証されてないから憶測に過ぎない
つか日本在来種と言われてさえいない南部馬を引き合いに出す時点でオhル
454 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 22:02:18 ID:Pb2Xg5Qn
>>453 スレタイには『戦国時代の馬はポニーサイズ』とある。
答えはノー!
>>450にある通りの理由だ。
これが『日本の馬は元々ポニーサイズ』なら答えはイエスだ。
用は日本在来種にこだわる必要は無いということだ。
南部馬は実在しなかった馬でも、戦国時代にはいなかった馬でもない。
実在した馬ということと、戦国時代に大型化された事実。
南部馬は戦国以前に日本にいた馬。引き合いにだしても問題ないのでは?
>天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。
無駄に巨大な馬を飼育すると、幕府に何を思われるか…
一戦交えるつもりか?と思われるだろうしな。
幕府も小型化を推し進めたようだ。
そのような史料も確かあった筈だが…
戦国時代が終わり火縄銃が急激に消えていくのと同じ
戦闘用という役割がなくなった馬は消えていった…
巨大化した馬は絶滅している事実がある。
幕末。明治にかけて歴史は逆をいくわけだが…(再び銃の需要。馬の需要↑)
455 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 23:07:13 ID:IMU6cB8W
>>454 現存する南部馬は品種改良され大型化されたんだけど
だから日本馬事協会は日本在来種に南部馬入れてないんだぞ?
発掘された馬骨からポニーサイズなのは間違いないし、現存する和種の純血種は体高でもポニーサイズ
これは疑いようもない事実なんだが、今要る在来種でもっとも日本古来の馬に近いのは対馬馬と言われてる
南部馬を引き合いに出す時点で違う意味わかった?
フロイスの日本史でも馬
で一生懸命小型化したと力説してるが、それを裏付ける文献などの証拠は?
“小型化”を主張してる論説でも大きくとも体高140前後から、最大でも120超える程度まで小型化したというぐらいで、
基本的に日本馬が小中型の馬、いわゆるポニーサイズなのは疑いようもないんだが?
456 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 23:24:18 ID:oSiWqg3w
使われないからなくなったという論理が真なら、大名も兵力を持たない存在になってないとおかしいよな
457 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 23:44:02 ID:HPFQME39
>>454 南部馬が小型化していったのは事実みたいだが
さすがに戦国時代のウマの大半は147センチ以下だろ
分類でいえばポニーだ。スレタイは間違っていない
>>455 参考までに
http://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70.html 南部馬は一般に大型で、体高5尺(150センチ)を超えるものもしばしば出ました。
盛岡南部藩38代利済の栗毛馬の国一は、体高が5尺2寸5分(157.5センチ)もあって、
江戸藩邸に置かれて殿様のお国自慢のタネでした。
低い馬を好む傾向は徳川中期に顕著でした。宝暦9年(1759)の七戸代官所調査によると、
特に優れたメス馬で体高4尺6寸5分(139.5cm)というのもありますが、
平均すれば4尺3寸5分(130.5cm)にとどまっています。
オス馬はこれより2寸(6cm)ほど高いのが普通でした、
背の高い馬は荷を乗せるのに不便なため次第に敬遠されていきます。
馬産の主目的が軍用馬の生産にあったころは、騎馬戦に有利である点から大型馬がもてはやされた。
だが荷物運搬用には、積み下ろしが楽な背の低い馬が好まれる。
俗に南部九牧と呼ばれた藩牧は、いずれも良馬の産出で知られ、
なかでも本県上北地方にあった木崎野は大型馬の出どころだった。
ところが明和3年(1763)の2歳駒調査では、
すでに4尺4寸(1m32)を超える馬は無く、
ほとんどが4尺2〜3寸と小型化傾向が顕著になっている。
458 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 00:12:28 ID:ZrIpy0Jj
459 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 03:27:16 ID:xuBrwBmS
>>458 当時のヨーロッパはパイク(長矛)と銃を組み合わせたテルシオやオランダ大隊の隆盛で
騎馬の突撃は自殺行為とされていたが、
騎兵突撃戦術の復活に成功したウェーデン軍の軍馬は平均115cmくらい。日本馬より小さい
ポニーで軍用に耐えないという考えがおかしい
460 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 08:29:02 ID:FozEz3T0
>>455 南部馬現存してたのか…
品種改良されて巨大化している南部馬が…
昭和初期には絶滅していたものと思っていた。
火縄銃も本来日本のものではないのだから…
外国から馬が入ってきて、それが使えると思ったら
使う為に品種改良するなりするのが戦国大名じゃないの?
日本在来云々や日本馬事協会は関係ないんじゃない?
鎌倉時代のような戦い方が減ったのは
槍衾なり、槍が長くなったり、馬を大型化させた結果。
小柄な日本人には以前の様に馬上で戦うのが
扱いにくくなったからでないかな。 元々馬上では難しそうだが
流鏑馬みたいのがあるし、弓馬の道ともいったことだしね。
発掘された馬骨は戦国時代のもの? 日本全国調べた結果?
火縄銃の工夫のように、戦国大名によって馬の目の付け所も違うだろうし
大型化さした所もあれば、そうでない所もあっただろう。
中には馬なんかもう時代遅れだろうという所もあった筈。
馬は分類的にはポニーとされるものが戦国時代の大半ではあったが
武将クラスが乗る馬は巨大であるのが多かった。
小柄な馬なら馬鹿にされるし目立たない…という所でしょ。
まあ、今のサラブレッドが巨大すぎるだけだから
ポニーサイズ=小さい。
ポニーサイズ=木曽馬という概念であることに問題があるんだろう。
逆に世界=巨大な馬という概念が日本に生まれてきているのが問題。
461 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 18:39:20 ID:n4w8DghT
軍勢の移動経路が
よく雑誌に地図で表示されているが、
すんごい距離だぞ。
桶狭間の戦いで、織田信長は清洲城から馬を走らせている。
立ったまま飯をかきこんで、鎧をつけさせ、それから10キロ以上走らせてる。
供の者は徒歩だが。
桶狭間の戦いでは、馬から降りて、信長自身もヤリをもって突きまくってる。
馬の使い方として、移動および、敵前で下馬しての戦闘、
のまさに典型例。
462 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 18:42:44 ID:2NiAntc3
>>460 品種改良って…
それよりも遥かに導入しやすい馬具や技術ですら、
戦国期に蹄鉄も去勢も導入されなかったことすら知らないのか?
調べもせずに妄想だけで語るバカなのはわかったから、消えろ。
463 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 23:06:41 ID:Yhs30aLr
>>462 絶対必要というもんでもない
>蹄鉄、去勢
464 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 23:21:09 ID:YpdIJB+s
>>460 >昭和初期には絶滅していたものと思っていた。
そうだね、どこぞのサイトにはそう書いてるねw
寒立馬も南部馬の一種だし、純血種としての南部馬はもう絶滅してるねw
>発掘された馬骨は戦国時代のもの? 日本全国調べた結果?
発掘だから鎌倉期から江戸期まであり、戦国期(室町期も含む)もあるんだけど
JRAの博物館行って聞いてきたらいいぞw
でそっくり返すが、ポニーサイズ否定する君の物証は?
>武将クラスが乗る馬は巨大であるのが多かった。
これもね
大きい馬が好まれるのは疑いようもないが、南部馬が体高150超えても特筆されるぐらい珍しかった時代に、
さも巨大だったように誇張表現してるのが君
日本馬がポニーサイズなのは疑いようもない事実で、否定するなら物証だしてくれ
小柄だったら馬鹿にされるとあるが、平均しても140前後なので、今で言う小型馬が標準なんだよ
つか木曽馬に拘る理由が謎
それと
>外国から馬が入ってきて、それが使えると思ったら
>使う為に品種改良するなりするのが戦国大名じゃないの?
品種改良する知識も技術もなかったんですけど?
思い込みで語ってるのか?
465 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 08:34:44 ID:wlZ6rm7F
>>462 7・8世紀ごろには蹄の裏を焼いて
硬質にする方法や繊維質のもので保護する護蹄方法
また万葉集にも護蹄を示す記述がある。
護蹄手段を耐久性のある素材として鉄にもとめ
鉄沓(てつのくつ)として鋲を打った鉄板を着用したのは
わが国では、戦国時代であったとされている。
只、雨でも降ろうものなら、道がぬかるんで滑る等し
日本の地形にも合わなかった。
変わりに馬の蹄に蹄鉄をつけず、馬にも藁で作ったクッションと滑り止めを
兼ねた馬ぐつを履かせることが多かったとある。
去勢は雌馬の方が扱いやすいという考えも確かにあったが
荒々しい方が威力はあるからな。 敢えてしなかったんだろ。
雌馬放して、去勢してない馬を使っている騎馬隊から
難を逃れた武将の話云々が戦国時代にあった筈。
雄馬興奮して大変だったそうだw
466 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 09:48:09 ID:LePU9D2o
>>465 羽柴秀長が放された雌馬に大混乱起こし敗北した話があるね
467 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 13:56:15 ID:9BIgawTa
そもそも人間のサイズも
ポニーサイズだったのだから問題ないのでは。
現代人でもポニーサイズの人いるでしょ?160以下の人
戦国時代にサラブレッドみたいな馬がいても
当時の日本人からすれば
馬の図体がデカ過ぎて、一度落馬したら乗れないよ。
468 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 14:14:36 ID:IwKhStLA
サラブレッドは近代に成立した種だし、
速度が出るが怪我が多すぎて軍用に使われていないよ。
469 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 15:08:32 ID:zIbqiCBQ
470 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 17:48:47 ID:WoYdUDN3
武田厨ホイホイスレ
471 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 00:10:47 ID:8rNE0Pg0
そもそもポニーを言葉の響と歓楽地で子供を乗せるちっこい種としか認識していないのが間違いだな
472 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 03:15:07 ID:vjhQ4GSs
サラブレッドの三大始祖の一頭が体高152cm(一説には144cm)だからな。
現代でも、アラブ種は140〜150p程度。
戦国時代はアラブ種もポニーサイズなんだけどなあw
473 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 05:44:58 ID:u2o73BgD
>>472 嘘つけ
食性も変わらず、外国馬との交配もない日本の馬が急激に10cm以上も高くなるわけないだろ
鎌倉〜南北朝時代には良馬の奪い合いで武士同士殺し合いまで発生してんのに
とにかく去勢技術、蹄鉄がなければ集団使用やギャロップは絶対無理
474 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 07:06:48 ID:mcodsaoV
>>473 日本じゃ多くて50騎に各種足軽隊が付くのが基本単位なので、問題なし
475 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 08:41:33 ID:WAcVQLOz
馬にあんまり早く走られても、各種足軽隊が付いていけませんな。
476 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 09:40:10 ID:vjhQ4GSs
>>473 馬鹿なの?
日本種の話しなんかしてないのに、なんで日本種の話しに見えるのかな?
477 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 09:50:25 ID:u2o73BgD
>>476 おーそうかい、だったら戦国時代〜なんて語句入れんな糞虫
478 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 11:42:03 ID:YTqNUrX0
横からいらんことを言うけどさ、お前の日本語能力までは面倒みれんだろ・・・。
479 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 16:33:52 ID:95NlSgpT
460が再登場せんなぁ
480 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 17:27:40 ID:vjhQ4GSs
本当の事を書いて糞虫呼ばわりされるなら、デタラメ書けば褒めてくれるのかねw
481 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 17:55:44 ID:WTU2mPhP
>>473 モンゴル帝国では旗信号による一糸乱れぬ集団機動戦術(偽装退却、円陣射戦法等)
で他国を圧倒したが、蹄鉄は打っていないよ。
482 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 18:02:22 ID:WTU2mPhP
>>475 西洋騎士も徒歩の従者が随伴して戦っていたけどね。
日本だと鎌倉時代は従者も騎乗しているし、馬当てという突撃戦法も源平合戦以降見られる。
蒙古襲来絵詞で百騎の騎馬集団で攻撃をかける場面では、
従者の馬が射られて血を吹き、しかたなく徒歩で旗を持って従うシーンもある。
483 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 18:58:56 ID:vjhQ4GSs
西洋の騎士達は、雌馬に乗る事は恥としてきた。
乗るのは当然牡馬。
十字軍関係の史書には、発情期に馬が嘶いて敵に見つかったとか、そういう逸話が山ほど。
(ちなみに、古代のローマ軍にも似たような逸話がある。)
つまり、西洋の古代〜中世時代、彼らは馬の去勢を知らなかったのだが、騎馬の集団運用が存在しなかったと言う人はいない。
去勢も蹄鉄もあった方が良いに越した事は無いが、絶対条件でも必要条件でもない。
484 :
人間七七四年:2008/10/30(木) 19:01:51 ID:WAcVQLOz
ほう、そんなシーンが描かれてあったか。
馬が射られて血を吹き出しながら、騎馬で突撃する武者(主人公ね)しか
知らなかったよ。この騎馬武者の武器は、弓だったな。
485 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 08:38:07 ID:i/gOd7B5
>>462 戦国時代には、既に去勢や蹄鉄というのは一応伝わっている。
>>405にあるように、日本人が余り興味を示さなかったのは何故か分かるか?
>>465に理由が少しあるし、外国の攻城兵器も日本で普及。
使われなかったのも日本の地形が異なる点にある。
運搬という面が大きいだろう。
馬を運搬や戦闘(時代により需要に差があるが)にと重宝する日本は
馬の数が多く必要であるのに去勢してどうするんだ?
競走馬にでもするつもりか?
去勢すると攻撃的な性質が失われるし、生産力が落ちる。
>>401を見れば、日本が馬を重宝していた事が分かるだろう。
馬の技術や馬具も使えると思えば使っている。
486 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 08:51:29 ID:ruK13YGL
>>485 去勢すると生産力が落ちるって…
お前、底が抜けるほどの馬鹿だな。
487 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 21:47:11 ID:/qvQHpyb
ママ 見て! 釜の底がぬける!
488 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 23:04:14 ID:HHzdFL/F
>>486 去勢すると馬の攻撃性が失われる為
日本の戦国時代に必要とされていた軍馬としての生産力が落ちると
思っていたのだが違うのか?
荒馬を乗りこなすことが誉れとされていたということ等もあるだろうが
日本と外国では兵器や環境も違うように
馬に求められていた性質も異なる筈なのだが…
489 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 23:29:23 ID:A+ExcVyy
馬の繁殖は基本的に優秀な少数の牡馬を
多数の牝馬相手に繁殖させるから
あぶれた多数の牡馬を去勢しても馬の生産力は落ちない
ということを
>>486は言いたかったのだろう
490 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 00:04:23 ID:Qjghewc1
現代の競争馬の去勢に関しても、日本とそれ以外の地域では異なる。
種牡馬になれない/なれそうもない馬が去勢されるのは世界的な常識だといっても差し支えない。
しかし、成績の優劣に関わらず、牡の競走馬の去勢は日本では殆ど行われていない。
これは商業的合理性とかそういうのとは別のものと言わざるを得ないw
それはそれとして、
サラブレッドの三大始祖の一頭とされるバイアリータークは、元々はオスマン朝の軍馬だった。
英国軍人が戦利品として得、その後も戦争で活躍し、最後は種牡馬として生涯を閉じたとされる。
軍馬→種馬だから、当然ながらこの軍馬も去勢はされていないという事になる。
491 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 23:01:26 ID:1elfdu71
>>473 >とにかく去勢技術、蹄鉄がなければ集団使用やギャロップは絶対無理
珍説だなーw
それって人間に例えるとニューハーフになってスパイク履かないと
全力疾走も集団行動もできないってことだよ?
悪いこと言わないからさ、一ヶ月・・・いや2週間で十分だから
どっかの馬牧場か乗馬クラブでスタッフバイトして本物の動くお馬達と
存分に戯れてきなよ。
492 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 07:44:58 ID:Px4qUOAc
無知なおばかさん1人を弄るスレに成り下がってしまったな
493 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 14:59:51 ID:8FLMm887
>>490 日本では血統なんだかんだと口では言っていても、結局は馬を
単数で見たり数打てば当たる感覚が古くから残っているから
どうしても種牡馬選別が及び腰だったり甘かったりなんだよね。
これは競走馬の世界だけではなく乗馬界なども同じ。
だから、一部の種にばかり頼って偏ってしまうきらいもあって
名馬があまり出ないし、出てもうまく継いでいけない・・・orz
和種は使えないと絶滅推進運動やったのでもわかるけど
結局、日本の場合は血統を重んじるという意識が現代でも
まだまだ低いんだよ。
494 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 15:06:15 ID:8FLMm887
ごめん、下三行は少し言葉足らずだった。
こっちでお願いします。
和種は使えないと絶滅推進運動やったのでもわかるけど
結局、日本の場合は血統を重んじると言う意識がもともと
あまり無かったんだろうし、それは現代になっても
少しは改善されてきてるとは言ってもまだまだ低いんだよ。
495 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 22:34:53 ID:tVrIJhex
まぁ確かに日本は血統保存にかなり疎いつうかそういう考えが
無かった感じなのは否めんな。
名馬という記録はあっても、そんじゃあその子は?孫は?となると
記録はもとより逸話すら残っとらんしね。
そういえば、サンデーサイレンスの子で幻の三冠馬とまで称された
フジキセキ。種牡馬としても悪くない成績を残していたにも関わらず
今では外国に出してしまったらしいぞー苦笑ー
496 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 23:54:48 ID:yAEverCI
>>494 まあ一応血統保存の意識が無かったわけではないみたいだけどな
三春馬の場合
天明年間に名馬と言われた日暮を種馬にしてその後も名馬を得てるわけだし
当時の人も血統の重要性は認識してたと思うよ
日暮ー小桜
巻衣ー花月ー岩船ー雲竜
花山 旭
村雨
497 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 23:57:03 ID:7A1/BV88
維新前は血統うんぬんどころか、馬の品種改良概念すら薄いような気が。
498 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 04:14:57 ID:jSalY8re
日本馬に乗ったことあるやついるの?
499 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 09:21:50 ID:0Dkco4cI
牧場のアラブ馬を含めて、乗ったこともない。
牛にさわったことすら、ない。
500 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 11:52:36 ID:8LnzQuud
馬事公苑に行けば?
でも臭いよ
501 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 14:17:22 ID:eV7Xb5M2
502 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 16:13:19 ID:Lk52QiKY
>>501 そんな奴いないよ
南北朝より前に突撃騎兵がいないと言う奴はいたけど
503 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 18:13:49 ID:y45jK+5a
ポニーのような馬格だから騎馬戦術がなかったなどという、モウコウマの
馬格すら知らない鈴木的なヤシはさすがにおらん罠。
ただ、海外に比べて馬具や馬産関連など、馬周りのほとんどの技術が劣っていた
のにも関わらず、それらの技術を受け入れようとしなかったのは確かで、それは
なぜなのかという話になっている。
504 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 19:42:43 ID:ip4iSUda
牛馬の去勢については江戸時代に長崎近辺で行われていた
というから、技術や知識の伝来自体はあったんだろうね
505 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 19:54:02 ID:qJaEUjV+
信長公記でも下馬して戦ったとあるけどね
馬は貴重品なんで、そりゃ下手に突っ込んで怪我でもさせられたらタマランからね
506 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 21:21:23 ID:cFqvgxUd
>>503 馬産関係が劣っていたのは認めるが馬具関係は劣ってなぞいない。
むしろ、山岳地帯を騎馬をする場合は日本の馬具の方が有利なこともある。
507 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 23:09:10 ID:KHmq/ghe
>>503 乗り崩しという戦法や馬に関連するの多多ある事実があるからな。
馬周りの殆どが異国より劣っていたというのは言い過ぎ。
馬産関係はまだしも
海外の技術は必ずしも当時の日本で使えたものでもないからな。
山岳地帯での馬に関連するのは日本の方が上かもしれんしね。
単純に優劣は決められない。
>>506 細かいことですまない。自分が間違っているのかもしれないが
正しくはこうだと思う。
×劣ってなぞいない ○劣ってなどいない
508 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 01:34:29 ID:436kVgNd
鐙一つとっても草鞋のように底がペッタンコの履物が
主流だった日本では海外で使われていた鐙は足の裏が
痛くなるからまず使い物にはならないだろうしね。
509 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 02:06:17 ID:bOQn7ESz
>>507 …横入りですが……
これは戦国時代から使われ出した”なんぞ”が変化した”なぞ”じゃないでしょうか。
元々の”なんぞ”は、代名詞「なに」に副助詞「ぞ」の付いた「なにぞ」の音変化で、ある事物を例示する意を表します。
ですから、これを誤用とするには無理があるかと。
510 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 11:47:52 ID:+2PSaXpp
>>460 スレ違いだけど、火縄銃は本来日本のものでない〜というけれど、
じゃあ火縄銃が本来どこの国のものかあなた言えますか?
火薬発明あり、製鉄技術あり、いろいろな国の文明が絡んでできているのですよ
511 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:02:57 ID:xSEuOSRT
大陸とは環境も違うし、馬術の体系もめちゃくちゃ違うので、
馬具も違うのが当然とはいえ、西欧はもちろん中国の騎馬民族的な
知識すらまるで導入されなかった。
部分的な導入では意味がなく、今までの常識をかなりひっくり返さないと
導入できないと判断され、馬に乗ることが武士の特権だったというのに
影響があまりにも大きすぎると判断されたのかな? にしても、去勢ぐらいは
導入されてもよかったのに。
512 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 19:51:49 ID:PvZfEKyG
日本じゃ、その辺りの仕事をやる人間は、いわゆる賤民に分類されてるから難しかったのかもね。
513 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 21:32:19 ID:+2PSaXpp
家畜の去勢は牧畜という生産形態と密接に結びついているから、
牧畜文化のある地域にはすんなりと受け入れらるけど
日本は牧畜文化がないからよほどのメリットがないと浸透しない・・・のだと思う。
ついでに牧畜文化のある国では人間の男を去勢した宦官というものも、
ひろく行われる・・。
514 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 00:05:47 ID:oRzTJuOQ
外国から馬を何度も輸入しているから知識も一緒に来ていそうだけど
浸透しなかっただけじゃないの
コストや風習などでそれほど魅力を感じなかったとかで
515 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 02:53:45 ID:KaSFvji2
ポニーというか、ロバ
516 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 17:48:22 ID:tvR0+Yq6
>>513 中国の宦官と家畜の去勢では、切る所がけっこう違うんだな。
中国の宦官だが、ペニスごと切り落とす。もち激痛があるはずなので、男なら
想像できると思う。ブルルーッ。
家畜の去勢では、キンタマ袋に切れ目を入れて、睾丸だけ引っぱり出して、取り除く。
後ろ足で蹴られることもあるらしいが、事が終わると、家畜は何事もなかったような
動作をとるそうで、そうは痛くないらしい。
人間でやった場合はどうだか知らないが、西洋でも音楽隊のために
声の高い男子を作るために、玉だけ取る手術が行われた。
たぶんやっぱり痛かったと思うが。
おまけとして、イスラム教徒がする「割礼」というものがあるが、
包皮を切り取るだけ。砂漠で洗いづらい環境ゆえに生じた風習。
517 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 17:55:48 ID:d4pC1oIa
松風を知らんのか?
518 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 19:20:12 ID:0drEAMvl
>>517 体高140cmぐらいのポニーのことか?
519 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 20:22:33 ID:oRzTJuOQ
体高140cmを舐めているアホはいつになったら消えるんだろうね
520 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 21:32:04 ID:0drEAMvl
いいや舐めてませんよ
140cmもあれば立派なポニーですよ
521 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 18:16:34 ID:ZR5mh2wL
要するに、ヨーロッパの19世紀のものさしで測らにゃならんような軍隊だったって事なんだろw>16世紀の日本
522 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 20:23:00 ID:pW9HuYWQ
523 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 22:40:27 ID:ULrg6XSi
帝釈栗毛がいるんだが?
524 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 01:26:02 ID:aJbRYMEg
>505
同じ頃、西洋でも下馬して戦っていたりする
この傾向は16世紀半ばまで続く事になる
百年戦争でもフランス騎士がロングボウに備えて下馬戦闘しているな
525 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 01:41:31 ID:aJbRYMEg
騎兵戦術が花形だった古代マケドニアや、
馬まで鎧で覆いローマに恐れられたカタフラクトで有名なパルティアの馬は
日本の馬より小さい。
しかも鐙がないので足で馬体にしがみつくしかない。
なのに騎兵が大規模運用され決戦兵力だったのは注目に値するな。
ゲルマン部族の馬は極めて小さかったらしく、カエサルのガリア戦争でローマを支援したときは
貧弱で知られたローマの馬のほうがまだ使えると即座に乗り換えさせている。
526 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 17:29:17 ID:gOyjLI0d
メンアットアームズの下馬と武者の下馬戦闘は意味合いが違うと思うが
527 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 17:58:32 ID:1tHNnOZN
時代を大きく下らせて、南北戦争でのネイサン・フォレストの下馬戦闘というのもあるな。
528 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 12:35:22 ID:3DqoJALn
529 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 15:20:29 ID:/qFnqwdm
>>525 目ざとい嘘つくなよ
アケメネス朝時代の馬は15ハンド=150cmぐらい
とオスプレイに書いてあるじゃないかよ
530 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 19:28:45 ID:B7sExDTW
531 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 00:42:54 ID:pFh9v3qS
>528
うわ、小ぃせ!
幕末期の、平均身長150cmぐらいだった日本人と較べて、その馬高か。ポニーより多少は大きいとは言え、大差ないんじゃね?
>530
これはこれは、すごく参考になる。サンクス
532 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 01:49:55 ID:qqr6kLXd
>>531 何が言いたいの?
古代ローマ人の男性の平均身長は150cmぐらいといわれている
後に南イタリアに侵入したランゴバルト人はローマ人より背が高かったが
そのランゴバルト人が雇ったノルマン人(フランス化したノルマンディー地方に住む北方人)は
ランゴバルト人から巨人と言われたが、ノルマン人の平均身長は167cmぐらいといわれている
栄養状態が良いとは言えないそれらより古い古代人ならさらに低いだろ
これの上の方のレスに誰かが書いてあった日本の遺跡から発掘された複数の軍馬の骨から推定された体高だと
日本の軍馬は120〜140cmぐらいだろ
よっぽどこっちの方が小さいと思うがね
533 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 18:07:16 ID:49+YbEdT
南北朝時代の有名な騎射戦について、図書館で読んだ。
(藤本正行の「鎧をまとう人々」)
騎馬に乗ったAと敵の騎馬兵Bが、
一対一で弓で射ち合うシーンがあった。元の記載は当時の文献による。
戦闘はお互い接近するところから。
A→ ←B
でも、騎馬に乗ったままなので、弓は左側に向ける。右側だと弓の弦が馬の腹にあたって
しまい、引けない。
だから、実際にはこのように近付いていった。
←B
A→
だが、騎馬Bは弓の名手として名高い源為朝だとわかったため、
騎馬A(大庭景義)は不利と感じ、予想外の行動にでる。
←B
A↑
方向を急に変えて、騎馬Bの直前を突っ切る策にでた。
A↑←B
騎馬Aは右方向には矢は射てず、騎馬Bも自馬の頭が邪魔で矢を討てず、
お互い射てないまま、交差した。
↑A
←B
騎馬Aは左旋回を続けながら、騎馬Bと同航態勢にした。
←A
←B
これにより、騎馬Aは左に矢を討てるのに、騎馬Bは右には矢を放つことができず、
騎馬Aが一方的優勢に立つことができた。
だが、騎馬Bは弓の名人ゆえ、窮地に陥りながらも、矢を放つ。
騎馬Aの左の膝に当たり、騎馬Aは敗走する。
騎馬A(大庭景義)が後に語った回顧として、
騎馬B(源為朝)が不利な状態だったためで、自分は左足負傷だけで済んだ、という。
以上。
本によれば、この騎馬戦は、もっとも代表的だという。
534 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 18:12:48 ID:49+YbEdT
この騎馬戦は、もっとも代表的だという。
ではなくて、
この騎馬戦は、もっとも有名だという。
と書いてあったように思う。
535 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 18:25:17 ID:49+YbEdT
鎌倉時代の鎧が、なぜ大鎧と言われるのかについては、
実際に大きな鎧だからであり、馬に乗ることが前提であるため、
つまり、自分で歩くわけではないので、重い鎧となったという。
武者と鎧あわせて、合計100kgの重さで、馬は超大変。
だが、駄馬でも、米俵を馬の両腹脇に下げて運んで(1俵60kgを計2つ)
いたりするので不可能でもない。
のちの戦国時代には、足軽という(←この表現からして、鎧は比較的軽く、
馬にも乗らないことがわかる)武者による戦闘が主流になったため、
大鎧を装備しての騎射戦は廃れてしまっている。
536 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:27:49 ID:sgtEFra2
537 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 21:03:01 ID:49+YbEdT
大庭の言葉は「勇士はただ騎馬に達すべき事なり。」という説教に続く。
馬を乗りこなせるかどうかで生死が分かれたわけなので、この主張は当然であろう。
馬に乗らざねば武士にあらず、と言いそう。
538 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 23:10:57 ID:vimDscUk
>>529 いや、カスピ海東部の遊牧民発祥のパルティアは軽種馬。
しかも鐙は乗り降りでしか使わない片鐙ね。
539 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 23:46:15 ID:7bUJvTbX
>>537 そのサイトは昔の馬術を探求している会が開いているようだから
どうしても騎乗(騎射)重視になってしまうだけなんじゃね?
540 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:54:52 ID:jYrP5ZbS
>532
人間に身長から推定して、馬の大きさが随分と小さいよな、と書いた@531
だから、この写真の馬の大きさが120〜130cmぐらいの高さだよな、って意味。
「日本の軍馬は120〜140cmぐらいだろ 」という>532 の記述と一致してるんだから、問題ないだろ?
541 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 10:36:12 ID:G2xczSiV
>>540 阿呆ですか
写真があるということは幕末で外来馬が流入して交配ぐらいさせてるし
飼育法や飼料も西欧化されてるのは容易に考えられる
幕末の幕府軍はフランスの指導で騎兵隊編成してるんだから馬や馬具が流入して当然
革命時、フランスは体高148cm以下の馬を軍役適さずとしてそれ以下を農耕など使役馬として放出した
あと日本に去勢法なくても・・・
とほざいた馬鹿いたけど
去勢はただ馬を従順にするだけではない
去勢馬は骨の太さをあまり変えずに長くなり通常の牡馬、牝馬より体高で10ハンド=10cm程高くなり
顔も小さく面長になる
出自が同じ中国大陸にも関わらず西域馬との交配や去勢馬のある中国馬に比べ
和製馬は体高も低く、その割には顔が馬鹿でかいのである
542 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 16:36:49 ID:9OG/jj61
去勢馬は10cmも体高でかくなるのか!。しかも従順。
これはすごい技術だ。
ただ、去勢しようとして馬に蹴られた人物は確実にいると思う。
現代でも牛の去勢は、蹴られやすくて危険な作業。
543 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 16:42:10 ID:G2xczSiV
>>542 ほう
そうかい馬の文化史関連の書籍調べてその著者たちに抗議文書けや
はったり野郎
544 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 17:06:17 ID:x73QzxwQ
すさまじい読解能力www
545 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:19:20 ID:PKzOPyWX
546 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 03:53:28 ID:vu+4blV7
【質問】
戦国時代の馬って小さかったの?
【回答】
「戦国時代の馬はポニーと同等以下の大きさ」というのは,それを言った歴史研究家が日本の
在来種である木曽馬が「ポニー」に分類される大きさというだけで小さいと早とちりして広めた話.
実際には木曽馬はポニーに相当すると大型の部類ということになるサイズだし,一般に
ポニーとしてイメージが定着している種類は,ポニーの中でもかなり小型の部類の特定の一種の事.
でもって,発掘された戦国時代の馬の骨の復元からすると,当時の馬は木曽馬よりも大型だという
(つまり,違う種類というわけで…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22.html#09398
547 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 08:35:50 ID:575pFsYl
躑躅ケ崎館から発掘された馬骨の体高は120cm前後
これは甲府市教育委員会に問い合わせれば、資料付きで証明してもらえるぞ
>>546みたいな2ちゃんがソースなんてのじゃないのであしからず
548 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:35:50 ID:opiYd8Cc
武田騎馬隊だけはサラブレッド
でなきゃ・・・・・・
色々と都合が悪いだろ?wwww
大人の事情ってのもあるしなwwwwwww
549 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 22:15:58 ID:dqlZQ2vG
550 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 10:16:13 ID:LxstCHCF
>>548 今時そんな
古い考え持ってるやつはいないよ
あほかと
551 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 16:14:43 ID:AtQ2jzoj
今川義元も乗ってて足が地面についたなんてエピソードもあるし相当小さかったんだろうな へこむわ
552 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 16:54:33 ID:y7xT7KG4
ポニーをこよなく愛してるのよぉ〜
553 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 18:05:12 ID:QlL/hHq+
>550
横レスだが、548が言ってる「大人の事情」とか「色々と都合が悪い」って、
ドラマの演出って意味であって、歴史的事実って意味じゃないような気がするんだ。
554 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 19:20:32 ID:+8JEvV0x
馬を「山に登る道具」についてだが、
秀吉が小田原城を降伏させたあと、奥州に向かっている。
会津に入ろうとして、猪苗代南方(だったと思う)の峠を越えるさいに、
それまで御輿に乗ってきた秀吉は(義元みたいだ…)、
馬に乗り換えて、峠を越えている。
555 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:20:46 ID:1atfwFic
ポニ、ポニ、ポニ
ぶしのうま〜
556 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 15:13:21 ID:HdmOreWk
当時の人の
足の速さってどれくらいなの?
飛脚みたいに右手右足左手左足
一緒に前に出して走ってたの?
557 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 16:29:11 ID:r4JsWZZb
一日20kmぐらいのようだが…、宿場町の間隔でわかるはずだが。
時速4kmとして、8時間歩くと、32kmということになる。
松尾芭蕉は、奥の細道の旅行では、福島あたりで1日50kmも歩いている。
558 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 22:27:23 ID:WY3JXPzU
明治になって変わるまではナンバ走り以外の走法あったのか?
手を振って歩くのは速度は出るが手を振ることによりエネルギー消耗が激しいので歩くのには不向きだと思うが
あと宿場宿場で泊まるわけではないから一日40kmあたりは移動していたはず
559 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 00:11:19 ID:rj1i/3nh
成人男性なら一日10里くらいだろ
あとナンバ歩き説は眉に唾つけて聞いといた方がいいぞ
560 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 00:20:51 ID:4+kLYN9q
>558
着物姿で走る関係上、手と脚を同じ方向に出さないと、着衣が乱れてしまうだろ。
身体をねじらないで歩くためには、手を動かす方が適切だと思う。
もちろん、手と脚は同時に前へ出すんだよ。現代のとは逆に。
561 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 23:17:23 ID:GgAeD1xI
早馬ってどれくらいの速さだったんだろう?
江戸〜京の間は何日くらいで着いたのか
562 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 23:20:04 ID:GgAeD1xI
遊牧民でもないのに、大鎧を着ての騎射戦が盛んだったのは何でだろう?
563 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 23:47:46 ID:dQVplt/s
>>562 武士は関東から興った
関東は広いので、騎馬の機動力が役立ち、狩猟も行うので
弓術が上達した
そしてある程度の小領主なので、重い鎧を維持する財力があった
564 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 00:39:04 ID:y0fijUvz
>>560 それはわかっているが
というか何故その説明をする?
565 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 00:41:37 ID:RkykxGxn
北面武士のような宮中警護の中級軍事貴族層というのを考えに入れておくべきでは?
宮中警護なら集団戦は考えにくく、壬申の乱のような本格的な内乱なら
ともかく、保元の乱や平治の乱程度ならかなり動員兵力は少ない。
各藩がかなりの兵力を動員可能だった幕末でさえ、千人も動員すれば
それだけで政策がひっくり返るような状況だった。
集団戦ではなく、しかも担当しているのが貴族層なのだから、
自分の名前を売るために個人の武勇を磨く。
566 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 19:05:28 ID:sLLM5zVQ
弓の腕ってのはわかりやすい武の証明だよな
西洋は身代金戦争が進みすぎてさくっと死ぬ弓の価値は下がったが
威力はみとめてるのに
567 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 01:36:44 ID:ChRgNr0N
>>533 【吾妻鏡】
鎮西八郎(源為朝)は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。
八男弓を引かんと欲す。
景能(大庭)潛かにおもへらく。
貴客は鎮西(九州)より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。
老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。
568 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 21:24:52 ID:QjS/2TqW
>>567勝手な翻訳
鎮西八郎(源為朝)は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
(鎮西八郎(源為朝)は吾が国の無双の弓矢の達者である。 )
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
(しかし弓の腕前を論じるには、過分な言い過ぎか)
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。
(その理由は、大炊御門の河原において、景能八男の左手側に逢う。)
八男弓を引かんと欲す。
(八男、弓を引こうとした。 )
景能(大庭)潛かにおもへらく。
(景能(大庭)、ひそかに思った。 )
貴客は鎮西(九州)より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
(貴客(源為朝))は、鎮西(九州)の出身のため、馬に乗っている時は、弓の扱いは心に思うままにできないだろう)
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
(景能(相模国出身)は、関東において、馬乗りに馴れている。 )則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
(すなわち八男が、妻手(相手の右手)に駆けて回り込んで、距離が縮まりお互い擦れ違い、身を低くして矢をかいくぐるに及びて、 )身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
(身体にの中央に当たるべきの矢が、膝にの中ほどに当たった。 )この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
(この故実(西国武士は舟がうまく、東国武士は馬乗りがうまい、という当時の一般常識)を知らなかったら、すなわち命を失うところだったろう。)
勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
(勇士はただ乗馬に熟練すべき事である。 )
壮士等耳の底に留むべし。
(壮士等の耳の底に留むべし。 )
老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。
(老人の説、嘲笑するなかれ、と云々。)
569 :
568:2008/11/30(日) 21:31:11 ID:QjS/2TqW
一部間違えたのと、改行ミスのため、部分修正
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
(景能(相模国出身)は、関東において、馬乗りに馴れている。 )
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
(すなわち八男「の」妻手(右手)側に駆けて回り込んで、距離が縮まりお互い擦れ違い、身を低くして矢をかいくぐるに及びて、)
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
(身体の中央に当たるべきの矢が、膝にの中ほどに当たった。 )
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
(この故実(西国武士は舟がうまく、東国武士は馬乗りがうまい、という当時の一般常識)を知らなかったら、すなわち命を失うところだったろう。)
570 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 00:29:45 ID:Oxdg7eNQ
南船北馬の日本バージョンか。
571 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 16:09:18 ID:nK5t7IGt
>>557 現代の道で計算しているんじゃない?
昔の道は直道だよ。
山があっても、迂回ししない
自動車道路は、出来る限り迂回する
572 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 16:28:10 ID:RF2lCfU5
573 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 19:08:49 ID:eNdD9X3s
ポニーサイズとは関係ないですが
バトゥータを観に行ったところ、騎乗して駆けたまま両手で色んな作業をやったり
地面に落ちているものを拾ったり、馬の横腹に体を沿わせて反対から隠れたり
2頭の馬の上に片足ずつ乗ったり…
と、スゴイ武将の逸話や花の慶次にでてくるようなことって本当に出来るんだ!と感動しました
574 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 22:01:12 ID:ODjshFg8
明治時代の武術の本にも馬術の業として
落ちてる矢を弓の先ではね上げて取るというものや
体を横に倒して馬の体に隠れ矢をよける、といった事が紹介されていました
こういった技術は恐らく洋の東西を問わず存在したのでしょうね
575 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 22:49:06 ID:VDFuhKq4
∧ ∧
/ ヽ‐‐ ヽ
彡 ヽ
彡 ● ●
彡 ( l
彡 ヽ | 保守だウマー
彡 ヽ l
/ ` ( o o)
/ __ /´> )
(___|_( /<ヽ/
| / ´
| /\ \
| / ) )
ヒl ( \
\二)
576 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 00:52:17 ID:FeUcB0yO
この辺りで「なぜモンゴル軍の重騎兵というのはあまりにも知名度が低かったのか?」
という点についての議論をですね……
577 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 01:49:20 ID:wZrjhgVe
578 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 08:57:07 ID:FeUcB0yO
そういえば上の方でサラブレッドは案外脆いという書き込みがあったんだが……
だとすると現在の競馬というのは一体何なんだろうというのがですね。
>>577 戦国板というのは理解していますよw
ただ日本では
>>443-444で言われているような
モンゴル軍の重騎兵というのはそんなに知られていないと感じたので。
元寇の時に来日していたら知名度も上がっていたのか?
579 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 09:46:35 ID:vzQ4ouaX
580 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 10:14:16 ID:onf6ggrk
>>578 お前、競走馬がいかに故障しやすいのかぐらいお勉強してこい。
581 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 11:05:31 ID:FeUcB0yO
>>580 だからそんな故障し易い馬を競走馬に使うというのがね。
いくら競争に使うのが第一目的な品種とは言ってもチョット気分の良くないものを
感じてさ……現代では丈夫な馬というのはあまり必要じゃないんだろうか。
582 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 12:57:18 ID:5STMx4g7
「馬場を速く走る」ことを追求したから故障しやすくなったんだって
丈夫な馬が必要とされてた仕事には機械が使われてるし
競走馬以外に家畜としての馬の需要なんてほとんどないでしょ
583 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 17:37:10 ID:K+C5KOPt
戦前は軍用馬育成の目的もあったから、無事で長距離走に強い馬が良い馬とされた。
戦後〜昭和50年代位までは、その名残があったが、
昭和59年のグレード制度導入以降は、スピード重視にシフトして行った。
サラブレッドやアラブ以外の品種も嘗ては競走馬として優秀な品種も居たが、
英国のサラブレッドがスピードでそれらの品種を上回って以降は、
サラブレッド・アラブ以外の品種は他の用途にまわる為に丈夫になるようだんだん重たい品種を掛け合わせるようになり、
今ではサラブレッドのスピードには遠く及ばない品種になっています。
つまり、軍用とかの目的がない限り、サラブレッドはより速くを求められる訳で、結果、足元が弱い品種になってしまった・・と言えるのです。
584 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 19:06:51 ID:fE5GfFbC
>>581 品種的にっつーのもあるがどんな生物も全力を出す機会が
増えれば故障する率は高くなる
585 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 12:20:24 ID:YmYrZyzr
>>578 あんまり日本じゃ有名じゃないね・・・
モンゴル軍は騎兵の四割が重騎兵だったそう
金とかホラズムとかの半端ない騎馬隊と戦ってきたから重装化したのかな
中東の影響か顔に着ける鉄仮面や目だけ穴の開いた鎖面がかっこいい
586 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 14:06:57 ID:iO4Q+i2o
日本史板か世界史板でやれよ・・・
587 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 21:59:01 ID:jRzbI9F3
>>586 まあ戦国時代の日本の装備と比較すれば良いんですかね。
と言う事でモンゴル軍の重騎兵と日本の戦国武士とではどちらが重装備なんですか?
何となくですが日本の方が軽そうなイメージがあるんですが……
>顔に着ける鉄仮面や目だけ穴の開いた鎖面
それっぽい装備は日本にもあったような気が。
588 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 22:08:09 ID:L8vFFhPf
589 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 22:23:43 ID:tXWFHr2H
>>587 ラメラアーマーは双方とも同じ、但し日本は鉄が一部から全部に用いられているが、
モンゴルは総革鎧
またモンゴルは馬甲を備えていたが、日本の馬も備えていた者もいる
日本の方が重装甲ですな
590 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 18:38:19 ID:wVAMiHRT
>>589 いや、第三代モンゴル皇帝グユクの即位式に列席したローマ教皇使節、プラノ・カルピニの
ジョヴァンニ修道士の報告書によると、当時(1247年)のカラコルムなどのモンゴル宮廷にいた
モンゴル兵も皮革だけで四枚重ねにした胴鎧とかあったけど、皮革製や鋼鉄製の小片を紐や皮革で
束ねて重ねた鎧を肩とか各パーツごとに作ってそれを身につけていたそうだ。兜は頭の部分は鉄や
鋼鉄で作り、しころみたいに首廻りは皮革の小片を束ねたパーツで覆ったりして、弓矢は2、3張り、
他に槍、斧などを常備していた、っていうから重装備の場合なら、質的に大鎧あたりとあまり
変わらないように思う。
これはモンゴル帝国だけじゃなくて、当時の中東から中央アジアのテュルク・モンゴル系の騎馬兵は
だいたいどこも事前に戦況に応じて装備の軽重を変えていたらしい。
こういった重装備の兵は遠目で見ると黒光りしている、プラノ・カルピニは言っているようだ。
591 :
人間七七四年:2009/03/21(土) 19:05:24 ID:mnNYEIvw
チンギスの時代とグユクの時代じゃ、何から何まで全く違うので。
まあ、モンゴルという枠組みでは同じかも知れんが。
592 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 22:05:20 ID:Oz5ulT6a
>>589 向かい合った人間が札に映りこむくらい磨いてあったというから
金属鎧。
593 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 18:36:01 ID:xqy3A1Bt
モンゴルポニー軍団に席巻されたユーラシア大陸。
594 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 19:06:08 ID:vyLXYP5d
モンゴルポニーでは重騎兵を乗せられるのに
日本在来馬はどうしてだめなの?
595 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 19:18:36 ID:nuKzxOIW
大鎧は30k前後と重装備すよ
596 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 23:30:55 ID:P7YQPytd
というか大鎧は騎乗前提の構造なのに。
597 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 19:59:50 ID:q4NGZ0w6
直刀だった古代刀が
湾曲した日本刀に変化したのは
馬上からの斬撃がしやすいようにするため
と日本刀の解説書に書いてた。
598 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 13:15:22 ID:Uk5Qv9Kx
599 :
人間七七四年:2009/04/25(土) 18:32:16 ID:NUPL/spj
日本の軍馬の場合は平均130cmにも満たないポニーより小さい極小ポニーじゃねぇかよwww
これに蹄鉄も着けずに鞋履いてたら超鈍足間違いなしってかww
600 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 04:38:22 ID:4bpO2M2r
>>599 蒙古馬は蹄が硬い。
モンゴル帝国でも蹄鉄は打たなかった。
機動戦闘を好む弓騎兵はポニーに乗る事が多い。
639 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:27 ID:CEb3VgHP
>>610 新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
601 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 00:24:50 ID:ITdoEDSV
つーか、この時代ホースサイズの馬なんて世界中捜してもあんまりいない。
現代のモノサシで言うとポニーサイズが世界標準。
アラブ馬もポニーサイズ。
602 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 00:47:34 ID:wX9Wk8Pn
ペルシュロンやシャイヤーの元になった
フランスあたりの在来馬はでかかったろう
603 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 13:25:31 ID:ycKL3QrH
オスプレイの本には鉄の鎧を着たモンゴル重騎兵がリーグニッツで活躍する絵が出てたが。
モンゴルは総革鎧という根拠って何かあるの?
604 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 18:49:12 ID:g1rIpQoV
605 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 20:56:16 ID:2kFRY5vE
テムジンの時代は革製の鎧がメイン。
二代目のオゴタイ以降は、カラコルム等で製作された鉄製の鎧が主流になった。
大体こんな感じで。
606 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 21:12:41 ID:pO1AnOht
>>605 今の内モンゴルにあたる地域には、チンギスの時代から既に巨大な製鉄工場があった。
モンゴルの拡大は豊富な鉄器が支えた。
607 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 23:05:29 ID:2kFRY5vE
>>606 そういえばそういうのもありましたね。
こりゃ失礼。
608 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 16:08:24 ID:od0cfS8n
騎士の馬上槍試合にも使われたアイスランドポニーは体高132cm以下。
どっかの動物図鑑にそう書いてあった。
609 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 23:17:37 ID:RbI6eHJ2
北欧の馬は小さいよね
寒いと大きくなりそうなもんだけど
610 :
人間七七四年:2009/05/06(水) 00:42:27 ID:lF13GaLn
でかいと食い扶持かさむしなぁ
611 :
人間七七四年:2009/05/06(水) 21:34:42 ID:9jogpu5m
ジョン・セーリスの日本馬の感想
「馬は丈高からず、我が国の中等の子馬の大きさなり、首は短くして、肋張り、頭小さくして、勢い強し、
予の考えでは、勢力においてはイスパニア馬に勝れり」
612 :
人間七七四年:2009/05/06(水) 21:52:13 ID:O9n5PAKI
勢いっていうのは日本で言う悍威のことかな
613 :
人間七七四年:2009/05/06(水) 22:20:11 ID:9jogpu5m
>>612 恐らく、日本では馬は昔から悍馬が好まれるといいますから
614 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 21:04:39 ID:hDE94iae
ナポレオンの愛馬もポニーサイズ
615 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 21:57:17 ID:qWa5SHFO
マレンゴ長生きだよな
616 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 22:44:48 ID:bzuMOq56
鈴木眞哉の言い訳まだ〜 (AA略)
617 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 23:15:41 ID:hDE94iae
川合の言い訳まだ〜 (AA略)
618 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 15:27:45 ID:DUn5t0nA
桶狭間合戦で、信長の行動に、馬の使い方がはっきり出てる。
今川軍が砦攻撃を始めた報告を聞いて、信長は立ったまま朝メシを食いながら
鎧をつける(つけてもらう)。
馬に乗って出発。殿様の鎧は重装備だったろうから、徒歩ではつらいが、馬に
乗って進むのなら馬が重さを負担してくれるから大丈夫。
一気に熱田新宮まで駆ける。全力疾走ではなく、ギャロップと思われる。
徒歩の足軽も随伴したみたいだから。
桶狭間に到着。馬を降りて、信長も槍をもって突撃する。以上
619 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 15:50:01 ID:LrzJ8vOo
620 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 15:54:45 ID:DUn5t0nA
じゃあ、長篠の戦いでの織田側での馬の使い方。
信長、全員(自分を除いて)馬を降りて徒歩で戦うことを命じる。
ただし、武将3人が馬に乗ってもいいかと申告してきたので、許す。
その3人は、敵からも味方からもよく目立った。移動指揮台としての使い方。
621 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 16:13:53 ID:LrzJ8vOo
>>620 だって長篠は織田徳川が野戦築城に籠って戦った合戦じゃん。
つーかわざわざ「徒歩で戦う事」を命じている以上、それは普段はそうで無かった、という証拠ですな。
622 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 16:28:16 ID:DUn5t0nA
んだ。
623 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 17:38:00 ID:Gh/AVivL
>>618 お前がギャロップの意味を知らないことと、鈴木同様に馬を全然知らないくせに
馬を語るバカってことは理解してあげた。
624 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 18:28:20 ID:DUn5t0nA
ギャロップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
* 馬術における全速力の指示
全速力のことだったのか。全速力で走ったらすぐ疲れてしまうな。
625 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 18:30:13 ID:DUn5t0nA
626 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 18:30:18 ID:flWH6zy+
真面目だな
627 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 18:42:25 ID:DUn5t0nA
速歩 (trot )
か、
駈歩・駆歩 (canter )
だな。
間違いのおかげでかえって勉強になった。
628 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 10:41:04 ID:lE0yqNHv
>>623の馬の知識は
競馬からだよ。ギャロップ(全力疾走)とか。
629 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 11:45:30 ID:tD3W5+VY
騎馬はどうやって戦ってたんだ?
馬ごと体当たりは強そうだが馬が嫌がってやらなさそうだし、
したときは数人もやれば馬が使えなくなりそう。
持った武器で攻撃する場合は、馬を攻撃されてきつそうだ。
で、攻撃されない離れた距離なら馬に乗らずに弓や鉄砲で済む。
移動が速い以外はわからん。
630 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 11:55:24 ID:idtIRMUM
馬上での剣術、槍術、格闘術が存在してた。
631 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 13:18:36 ID:2x2gJIle
日本じゃ悍馬が好まれてたので、馬同士の接触を嫌う、ってことは無いと思う。
632 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 14:12:55 ID:idtIRMUM
接触どころか、馬自体が、噛み付いたり蹴っ飛ばしたりして敵兵と戦ったって話もいくつもある。
633 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 18:34:37 ID:KGhuUEiA
>>629 源平合戦では馬ごと体当たりする「馬当て」
これは当時馬に乗れる者まで大量動員したので、
弓を使えない者はこれしかやることがなかったという説もある。
戦国時代は「乗り崩し」とかあと何個かあったね。
634 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 19:18:27 ID:58uCPB6E
>>631 時代はちょいと異なるが、西欧の騎士たちは「メス馬に乗るのは騎士の恥」といった風潮があったようで、そんな意味の歌があったりする。
(乗っていたのもいたんだろうけど、チキン扱い。)
あちらでは軍馬の他に、儀仗馬、乗用馬と使い分けはしていたみたいだけど。
635 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 20:32:38 ID:lE0yqNHv
メス馬は、農民の家で欲しがるだろうな。
子馬が生まれて売れれば大金になるだろうし。
また騎馬武者用には使えなかったとしても、兵糧運びとかで馬は活躍するだろうし。
木材運びだって、普通は川で流すだろうけど、馬で木材をひきずって運べばいい。
戦地では、陣立て用に小屋は作るんだから。
思い出したが、武田の木曽氏が、新府への材木提出を拒否して謀反となった件だが、
木曽地方から、甲府盆地へ材木を運ぶのは、超・大変な作業だったと思うぞ。
木曽川を河口まで筏流しできないからな。
636 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 23:04:34 ID:s0Ot+G4s
ポニーに乗った武田騎馬軍団かわゆすwww
(騎馬軍団あったという事でw)
637 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 23:06:35 ID:idtIRMUM
ポニーという言葉だけに反応する
>>636のような馬鹿が出てくるわけです。
638 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 17:59:04 ID:BLAZTb+r
現代の馬がでかすぎるんだよ。
先日、五月の連休中に、行楽地で馬を見たけど
柵によりかかって見ると、馬でかすぎて、チンコが真正面に見えて
そればかり気になって仕方なかった。ピンクで剥けてた?ように見えた。
639 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 18:00:51 ID:PWwXAnJT
>>629 去勢してない猛獣だから体当たりぐらい問題無いはず
640 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 22:40:33 ID:0FYnaHGs
641 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 03:37:46 ID:xmajSao/
642 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 06:18:10 ID:Euwk07w5
ポニーちゃんのアラブとかすげぇパワーなんだぜ?
サラブレッドの比じゃねえ。
速さだって、サラブレッドに勝った事例も結構ある。
昔は馬鹿っ早の化け物アラが中央でサラと激突したこともあったが、今はアラブレースが衰退して淋しいよ。
643 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 07:03:23 ID:Uh7/UKlg
まーでも気性的に
ポニーじゃないと戦場では邪魔でしょ
サラブみたいに気性が荒いと邪魔
644 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 11:13:06 ID:uyixbAeS
モンゴルの馬が、戦国時代に
よく似合う。
騎馬ラグビー「コクボル」の馬はこぶりだし。
645 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 15:43:15 ID:Shgzai6U
日本、外国の馬事文化を知れば知るほど、鈴木の発言がどんなに
馬鹿げていたのかがよくわかるけど、鈴木本人の言い訳ってどんな感じなの?
646 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 14:37:20 ID:aFeqej0N
>>640 ルイス・フロイス
「武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。
多くは菜食主義で、下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ暑さや寒さに強かった。
武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった」
>敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
敵に、というからには戦いでの鎧着用時のことを言っているんだと思うけど、それで落馬しても怪我せずに再び騎乗し直すことができたというんだから
アクロバットとはまた違う意味で凄い。まあ、馬上組討が戦法の一つなんだから伝統的に受身はうまいだろう。
647 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 18:15:23 ID:aFeqej0N
というか「馬から引き摺り落されても」って馬上組討のことを言っているのかな?
648 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 00:05:02 ID:J3agSHC/
んー、馬厨がナカナカ出てこないな?
おまいらは無知!って文句つけてくるのに。
649 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 01:21:29 ID:Wh471N+X
>>640 そこのスレ、最近また充実し始めてるな。
勉強になることも多いし厨の混じり加減もいい塩梅なんだよね。
あのスレとこのスレを合体させたらおもしろいだろうにと思う。
650 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 02:23:38 ID:ED1ziiV6
>>648 628乙
どうしてそんなに自分が馬鹿だと大声で叫びたいの?
まるで祖チンの露出狂だな、お前
651 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 22:24:57 ID:YKWBbeS0
・騎馬隊は基本、足軽兵数名+1指揮官騎馬武者のセット
足軽は、長槍攻撃に弱い騎馬武者を守るのが第一の役目である
足軽は騎馬隊長と共に行動するため走る。そのため軽装が基本である
騎馬隊は花形部隊で軍の顔的役目。そのため、馬具など飾りが派手でカネが掛かる
騎馬に付き添う足軽はエリート部隊でもあり、あらゆる戦闘に長けた強兵でもある
騎馬隊の用途は、威嚇、宣伝の道具と言ってよい
勝敗が、ほぼ決まった時、敗走する敵軍を蹴散らすのが騎馬隊の役目である
敗走する敵軍に恐怖を植え付け、他国へ強しと語らせ、宣伝する情報戦
武田徳川の赤備え部隊は、例として分かりやすい
そのため騎馬隊は基本、後詰隊である。
戦国前期は騎乗突撃が行われいていたようであるが
足軽の増大と彼らが繰り出す対騎馬隊戦法
(騎馬武者に対する長槍による槍衾、鉄砲隊による射撃は双方とも馬を狙う事が肝要とされている)により、
先ず西国から、後には全国的に馬から降りて徒歩で突撃する様になった
勝敗が決しての登場で、騎馬隊強しと誤認されている
その他、機動力を生かし伝達、錯乱などに使う
騎馬の用途は荷駄の運搬が多数であったようだ。戦闘に用いた馬の数は少ない
騎馬騎乗は旗本クラスでその数が伺える
騎馬武者の戦闘は平安、鎌倉時代の一騎打ち戦の印象で
戦国期には適用されない
652 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 22:55:46 ID:VgAOAPU2
>>651 だから自分でブログ作ってやれ。場違いだから。
653 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 14:40:12 ID:shnR7VIC
654 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 16:03:26 ID:RFgbIrdy
鉄砲や長槍が主流ってアンタw
俺からいわせりゃ、そりゃ中期か後期だぜ。
ほぼ、天下大勢決まってる時だよ。
そんな時代に騎馬も何もなかろうもん。
大砲とか出てきた時代だぜw
騎馬なんて時代遅れに決まってる、何を今更だよ。
戦国時代、多くの大名が凌ぎを削った戦国初期に騎馬突撃は無かったと言い張る、もしくは捏造するから駄目なんだよ。
無いわけ、無いだろう、馬鹿w
さも、戦国時代全期に渡り騎馬隊など無いとか捏造すんじゃねえw
中期、後期は時代遅れになったんだから、あたりめーだ。
655 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 22:37:53 ID:2KHslE3y
>>654 ゲームやドラマみたいな
騎馬武者特化の騎馬だけの軍ではなかったってことでしょ
戦国の騎馬隊は
騎馬武者の比率が高かっただけってことw
あと騎馬突撃はなかったなw
やってそうな野戦、例に上げてみて
武田も野戦が少なかった
656 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 22:48:37 ID:R823WZIU
三方が原の戦いはどうかな?結構大規模な野戦があったイメージだが。
657 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:00:34 ID:Dx721VtV
>>655 > あと騎馬突撃はなかったなw
> やってそうな野戦、例に上げてみて
あったに決まってるじゃん。長篠の馬防柵は何のためにあったんだよ。
しかも家康の書状に武田の騎馬隊に気をつけるようにって内容の物が残っているというのに。
658 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:06:19 ID:2KHslE3y
>>657 あれは創作臭いよ
あんな足場の悪いとこで突撃はないでしょw
659 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:14:19 ID:IUr+h8D8
660 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:17:38 ID:U9vuwZcB
>>650 フッ。
わかちゃいないね。
馬スレ初心者だね。
馬がちっちゃい云々言ってるスレに、必ず文句つけるお決まりの奴が出てきてない、って言ってるだけ。
君は馬並なんだろナニが。
オホホッ
661 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:21:53 ID:2KHslE3y
>>659 決戦場って
田園地帯で雨が降ってて相当、足場は悪かったんでしょ
で馬防柵ってあるけど
段になってる軽い丘の上に設置されてたようだ
662 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:25:03 ID:Dx721VtV
>>661 そう言う場所だけに柵が置かれた訳じゃ無いだろうに。常識的に考えて。
663 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:33:25 ID:Pp2GxE0Y
いや、まあ言いたい事はよくわかるよ。
「今日コンビニで戦国時代の本を買ったら、今まで教えられてきた事と全然違う真実が書かれていたので、みんなに教えたくなった」でしょ?
664 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:36:42 ID:IUr+h8D8
665 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:51:06 ID:RFgbIrdy
武田陣地側が雨で織田陣地側は晴れじゃなかったかな?
武田が織田に突撃したのだから晴れかと。
まあ、でも足場が悪かったのは多分確かだよ、設楽原ってのは今でも山奥だし。平地なんてほぼ無い。田舎すぎて愛知から除外してほしいほどであるw
ただ、昔の日本の馬がポニーだ、蒙古小馬だというなら、足場なんて関係ないよ。パワーが取り柄なんだから。
サラブレッドなら足場が悪けりゃ走らないだろうけどね。
666 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:51:07 ID:2KHslE3y
>>663 でもさぁ、騎乗して走らせながら
片手で槍を振り回せるかってとこが、普通に疑問になるでしょ
漫画の花の慶次じゃあるまいしw
>>664 まー耕す感じなら動けるかもねw
鈍足突撃って感じですかw
667 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 00:19:45 ID:l2d6W7WR
>>666 別に、鐙があるし両手で持ってもよいし
鋤を牽いてるのと同列で語られても
668 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 00:38:45 ID:l7DdSD0v
ID:2KHslE3yが湧いてくると同時にID:U9vuwZcBも湧いてきたのか。
にしても、いまだに鈴木信者をやっているだけあって、すさまじい知能のなさだな。
669 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 00:39:45 ID:kIA74w1K
>>666 そういう訓練してるんだよ戦国の騎馬侍はさ。
馬上剣術馬上槍術馬上体術。実際に存在するんだよ。君がどれだけ脳内で否定しようともな。
670 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 01:12:48 ID:Gt8504F6
まあ、いずれにせよ 馬に関して見方を変えた方がいいのは確かだなw
だぶん、早い=パワーがあると思っているw
むしろ、その逆で早い馬はパワーがなくて、パワーのある馬は遅い。
稀にパワーもスピードも両立した馬が生まれてくるが本当に稀。競馬でいえば、ダートも走るし芝も走るという稀なタイプ。
別にポニーちゃんが弱っちいわけではないのだよ、むしろ現代のサラより全然たくましいw
まあ、サラブレットがひ弱、気性難すぎるというのはあるのだかwww
671 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 10:52:52 ID:X6cDgCG7
>>666 基本的に騎兵の槍は突いて抜くだけですよ。
騎兵槍が20世紀まで世界中で使われてたのを知らない人ですか?
672 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 11:19:30 ID:nJKzoe6J
673 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 11:28:18 ID:VsyixGXV
>>668 おまいが噂の荒らし?
って、鈴木信者?
わけわからん!
決めつけ杉
674 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 16:46:42 ID:C8JV0FqR
>>666 確かに蹄鉄がなく、鞋みたいなものはかされ異様に重い武装した人間に乗っかられたら馬は嫌がって走りたくないだろう
去勢技術が日本にはなかったのだからまず牡馬は従わないだろうな
675 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 17:53:01 ID:nJKzoe6J
ルイス・フロイス
「騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた」
676 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 18:15:45 ID:kIA74w1K
>>674 おまえは「調教」と言うものを知らないんだな
677 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 20:10:12 ID:eOlfRFH5
戦国期の一般的な馬はサラブレッドに比べて体高は低くて絶対的なスピードは遅いけど、牛の様にゴツくて頑健だったって事?
678 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 21:17:08 ID:sL7MD2/m
サラブレッドより体高低いけど、160センチって結構でかいよな。
木曽馬は足がしっかりしてるなと思った。
679 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 21:47:07 ID:Tvc2r/lE
近頃の日本人も背が高いけど足が細くて悪路に弱いな。
680 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 21:47:09 ID:hSVEgriI
>>675 こんなトリッキーな兵って、実際少ないでしょ
まー騎馬兵の割合は相当ひくかったのかな
681 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 21:56:05 ID:kIA74w1K
>>680 悪いけどちゃんと調べてから書き込んでくれや。
682 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 23:02:10 ID:F9jOjMi4
騎馬として戦場出るにはかなりの訓練(馬も人も)が必要だと思うんだけど
騎馬として戦場出る人はみんな士分のひとなの?
いろんな場合があると思うんだけど、全兵種の中の割合はどの程度のもんなの?
683 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 23:24:50 ID:moQmwX6L
684 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 23:45:56 ID:hSVEgriI
>>683 残念ながら馬上組討が描かれてるのは
源平盛衰記や太平記ぐらいまでw
結局、足軽主体の戦で機能しなくなったのが戦国時代
騎馬隊は騎馬vs騎馬戦が主流で
足軽増大で騎馬が機能しなくなったってのが現実のところでしょ
685 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 23:47:22 ID:kIA74w1K
>>684 そう言う軍記物でいいなら戦国期の軍記にも何ぼでも馬上組討の例はあるが
686 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 08:38:03 ID:OJbgzEBK
というか、いくら時代遅れとはいえ第一次世界大戦でも騎兵部隊はあったんだからさw
主力ではないが。
世界大戦時、騎兵部隊があったのは日本だけじゃないぉ。
たしか、イギリスとかもあったんじゃないかな。
687 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 10:21:50 ID:+liEFnnL
2次大戦でもあった。
つーか現代ですら存在自体は残ってる。儀式用に近いが。>騎兵部隊
688 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 10:29:20 ID:F5+3vvAs
戦うまではドイツ軍兵士がポーランド騎兵にビビッてたし。
689 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 21:28:00 ID:QMrGk9tr
>>687 西部劇みたいなのかな?
突っ込むと武器が軽量化されて連発できる銃なだけなんだよなw
槍、刀の騎馬武者突撃は足軽増で消えていったってことでしょ
690 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 23:04:10 ID:+liEFnnL
>>689 んなわきゃねーだろ。戦国期〜近世初期の鉄砲の性能で、そこまでの変化が起こせるかよ。
キミみたいな発言を、卓上の空論って言うんだ。
691 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 23:36:24 ID:yA4LddhW
>>689 せめて、ナポレオン戦争ぐらい調べてこい。
そして、その次にライフル銃と大砲の榴弾が一般化した南北戦争との違いを調べろ。
692 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 23:36:42 ID:OJbgzEBK
確か騎兵部隊は山岳部隊だったキガス。
車両が使えない山岳で主に運用されたとか。
いずれにせよ、近代まで騎兵があったということはそれなりに活用方法があったんだと思われ。
いくら足軽や鉄砲にボッコにされたとはいえ、戦国時代に消えたってのは無いかとww
693 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 16:23:40 ID:OHoNS7fj
美智子妃が結婚したとき(って何年前だか?)
騎兵の護衛がついていたな。
新郎新婦は、白馬の馬車に乗っていたけど。今からみれば西洋かぶれのぶっとび映像。
騎兵は、当時も昔も、上流階級のシンボルみたいなものか。そうでない者は当然、徒歩。
694 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 16:30:54 ID:qOjc+qgt
むしろ西洋で騎兵が本当の意味でその力発揮するようになったのは17世紀〜19世紀だろ。
695 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 16:46:35 ID:nBB6fUsg
696 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 21:20:12 ID:GRW1r2hv
>>694 その頃の騎兵は移動目的が主でしょう
で武器の発展で騎兵歩兵関係なく戦っていたと思う
戦国時代は騎兵は人と馬とが一体化した兵器
移動目的ではないな
江戸時代、馬を持つことは旗本以外禁止されてるし
カネが掛かるから一般じゃもてない
697 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 00:43:44 ID:mSbqZjTb
本格的に馬鹿だろ。何で自分で調べる事すらせずに妄想垂れ流すんだよ
698 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 02:08:22 ID:6uH/++Gm
699 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 21:11:33 ID:cwG4BCu3
タイマン戦をするとします!
バイク乗り、武器は長い鉄パイプか金属バットのどちらか
VS
素、武器は長い鉄パイプか金属バット+道端に落ちてる石ころや砂を投げておk
どっちが強い?
あなたならどちらを取る?
700 :
人間七七四年:2009/05/30(土) 21:20:47 ID:rEqSiNFW
前提が既にありえない
701 :
人間七七四年:2009/05/31(日) 05:36:03 ID:lhgBYpTC
バイクに乗ってトンズラ
702 :
人間七七四年:2009/05/31(日) 08:39:40 ID:psacgWr8
>トンズラ
力石に殴られて落車。
703 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 00:32:19 ID:0qxz9f1I
バイクの乗り手によるかと。
騎馬も同じ。
バイクで飯食っている、例えば白バイとかには絶対勝てん。
これも、騎兵と同じ。
騎馬兵は命かかってんだぞ?w
そりゃ一所懸命、騎馬練習するよw
まあでも、やっぱり個々の戦闘力と運だがなあwww
集団戦だとまた違う気がしないでもないが、やっぱ個人戦は騎馬の方が断然有利かと。
俺みたいな素人が騎馬乗ったら逆に戦闘力マイナスだがなw
どっかの本で昔の「強い」というのは馬の扱いが上手いか下手かで計られるみたいに書いてあったぞ。
704 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 02:29:29 ID:2Z6aoeVu
それ言ったら印地打ちの達人相手だと騎馬不利過ぎだろ。
技量は抜きで考えるんだ!
705 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 11:30:40 ID:iXo79VV4
戦国時代の馬がポニーってことは、実際に見た目もポニーっぽいってこと?
種類とかも分からないのか?無理言ってたらスマソ
706 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 11:34:43 ID:RLKeOabC
707 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 11:39:09 ID:iXo79VV4
>>706 親切にありがとう
現代の馬と比べて足が短いなあ・・・
708 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 11:41:09 ID:xkRZTdP/
格好は良くないが頑丈な馬。一般にイメージされるポニーと比べて3倍くらいの体重がある。
ここで再三言われているように蒙古馬の系統だよ。
709 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 12:58:55 ID:ZCQm3JJ3
710 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 17:28:10 ID:vZxFN14t
>>705 モンゴル人もポニーで世界帝国を築きました。
711 :
人間七七四年:2009/06/01(月) 18:45:56 ID:4DN3Dr98
>>705 サラやアラブに比べたら小さいけどポニーって思ったより大きいよ
見慣れてるポニーはポニーの中でも小さいミニポニーみたいなもんだし
712 :
人間七七四年:2009/06/02(火) 22:04:13 ID:kBcKXkdC
ミニポニーね。
小柄な馬でありながら、ほっそりとしていたなあ。
713 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 01:26:07 ID:XSxRLAzu
こんなゴツいのに完全武装の鎧武者の集団が雄叫びあげながら突進してきたら…
怖くて漏らしちまうよwww
時速30〜40キロぐらいで走るのかね?
714 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 01:55:08 ID:WGNF2ahv
空馬ならそのくらいは出るだろうが、鎧武者乗っけて不整地走らせるんだから
もう少し遅いくらいじゃないかな
715 :
人間七七四年:2009/06/07(日) 05:32:09 ID:synrW0UX
たとえ20km/hだとしても、オリンピックのマラソンランナー並なわけで、
かなり速いしね。
716 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 17:48:35 ID:0einKznC
騎馬に乗っているのは、基本的に重武装の鎧を装備しているだろうから、
敵陣に到達すれば有利だわな。騎馬に随伴している足軽たちは、鎧は軽量なぶん
防御力に弱いだろうから。
717 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 23:50:35 ID:Jh9dANvo
718 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 00:16:23 ID:ZnC6nCpQ
>>716 騎馬に付くのは武器持ちの従者で、基本的に戦闘には参加しないみたいです。
古代ローマ騎兵エクィテスの従者のように、主人に付いていかず自陣で待機するのか、
西洋騎士の従者のように、騎士の後を追って随伴してくるのかまではわかりません。
719 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 05:45:51 ID:P5fyCb1r
720 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 10:50:05 ID:/e/8zwwO
蹄鉄なしで重武装の武者を乗せたら農耕馬から派生したような小柄な和製馬は走っても踏足の速さの半分の速度の速足がせいぜい
しかも長時間の戦闘は事実上不可能
おそらくは乗り潰してしまうため合戦時には一人の騎馬武者が複数の馬を連れて来ていただろう
まあ欧州のノリーカ種より平均体長が20cm近くも低い超小型の和製馬の速足なら
徒の足軽が引き離されず随伴できるメリットもあるが
敵に鉄砲集団がいると逆に徒の兵の中で騎馬武者は際立ち格好の射撃目標と化しただろうことは容易に想像できる
721 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 10:57:48 ID:5SmTCH6H
>農耕馬から派生したような小柄な和製馬
蒙古馬の仲間ですが。
722 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 11:02:12 ID:PttN1fTh
>>720 どうしてこんな馬鹿な事を恥ずかしげもなく堂々といえるんだろうなあ?
洗脳って怖いわ。
723 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 12:20:53 ID:iiXNBFZl
鈴木信者は思い込みだけで話すからなぁ。資料をあさることすらしない。
鈴木本人は資料はあさるものの非常に恣意的に取り上げるし。
あと、鈴木本人も信者も、実際の馬については非常に無知。
724 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 21:27:10 ID:SOaEIgma
外国のことをよく引き合いに出す割りにその外国の軍馬について無知だよな。
ポニーでは戦えないなんて方が逆に珍説だぞ。
725 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 19:29:45 ID:6FG5T3hq
むしろ、サラブレッドで戦う方が無理w
「F1カーでサファリラリーに出場すれば、ぶっちぎりで優勝間違い無しだぜ!」
「いや、無理だからそれw」
という単純な話しなんだけどね。
726 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 20:55:30 ID:ejs2pLIV
>>720 >農耕馬から派生したような小柄な和製馬
>一人の騎馬武者が複数の馬を連れて来ていただろう
自作ファンタジーですか?
727 :
人間七七四年:2009/06/16(火) 16:06:33 ID:/+vkSN6n
>>720 とりあえずセンゴクスレで、この通説には疑問が残る(笑)
とでも言ってろやw
728 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 11:04:02 ID:Ul7IfPcj
♪ウッウ〜ウマウマ
729 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 13:21:14 ID:/oExTnoL
日本でいう江戸時代初頭辺りに活躍したスウェーデン王、グスタフ・アドルフも
体高130cm程度しかない超小型の欧州馬に跨った騎兵を率いてたね
730 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 14:16:34 ID:2keKsKaw
別に超小型ではないとおもうが。
731 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 15:23:11 ID:/W7RfxXk
>>729 大嘘もいいとこ
欧州でまだ品種改良以前軍馬として使用されていたノリーカ種の平均体長は147cm
イギリスのヘンリー8世が軍馬として使用される馬の基準体長を決め
基準以下の馬を処分するよう飼育業者に強制したのは有名な話
732 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 18:00:38 ID:xLQu5yk2
イギリスとスウェーデンの区別がつかない人がいる。
733 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 18:33:18 ID:iw+5MCbz
よくわからんが、
>>731はアンカー間違えてるのかな?
734 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 18:52:26 ID:QnZ6u7H2
>>731 ノリーカー種って軍馬にも使われてたの?
平均体高が147センチは今と比べるとずいぶん小さいけど
いつの資料?
735 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 19:43:03 ID:/W7RfxXk
さすが2chだな
揚げ足取りや専門家ぶるのは一流だな
スウェーデンは歴史的に閉鎖的、排他的な日本じゃないだろ
家畜の交易なんかあたり前のようにやってるだろう
ましてやスウェーデンはカルマル同盟で大陸側のデンマークと同君同盟結んでいるしな
大陸の物産なんか当たり前のように入ってくる
たかがどっかのサイト、本単体の誤植かなんかを誇張してミスリードされてもねぇ
736 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 19:56:35 ID:M7XWHW+T
737 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 20:13:51 ID:vUBmtoC3
鈴木信者の脳はポニーサイズ
738 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 20:36:39 ID:iw+5MCbz
なんだ真性か。1622年と1623年の装備品目録によるとスウェーデンの騎兵用の馬の平均身長は
1メートル12センチから1メートル33センチだよ。オスプレイの『グスタヴ・アドルフの騎兵』参照。
739 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 20:42:11 ID:bzQQ7QwE
>ましてやスウェーデンはカルマル同盟で大陸側のデンマークと同君同盟結んでいるしな
グスタフ・アドルフの時代にはとっくに離脱しておるわ
だから小型のフィン馬を使っていたわけだ
740 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 21:30:18 ID:xLQu5yk2
>>731 >>735 イギリスの馬産の例を出して
スウェーデンの馬が小さかったという話を大嘘と言うのは
論理的に飛躍していて無理がある。
因みにモンゴルは歴史的に閉鎖的、排他的でもなく
各地と交易を盛んに行っているが
日本の馬と同じくらいの蒙古馬を使い続けている。
特にモンゴル帝国時代は蒙古馬の騎馬軍団を率いて
中東やヨーロッパまで進出しているので
モンゴル人は当地の馬にも接しているはずだが
彼等は中東やヨーロッパの馬に乗り換えることはなく
その後も日本の馬と同じような体格の蒙古馬を使い続けた。
またその後もモンゴル人にとって蒙古馬は主要な輸出品でもあり
特に明とは馬市が開かれ盛んに輸出されていた。
741 :
人間七七四年:2009/06/18(木) 22:41:59 ID:pavvUTqi
つか、鈴木信者、馬なめすぎwwww
足元弱かったり、虚弱体質、気性が荒いのは現代のサラブレッド。
なんでかっつーのはサラブレッドは元々、三頭の馬が源流だから。
同じような血脈を人為的に交配しているんだよ。
だから、体が弱くなり、足元も弱くなる。
その変わり、スピードは早いがな。
体がでかい=強い、丈夫、は間違い。
蒙古馬のことは知らんが
競馬でいえばむしろ、ポニーなアラブの方が強い、丈夫。
742 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 00:03:14 ID:yp8pTM1V
実際は献上などであちこちから馬の種類はいくつかいろいろといたんじゃないかな
日本人は当時小さくて体格に合っていたんだろう
743 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 00:33:14 ID:7/CAzszr
大河ドラマの馬でかすぎ!
体高が役者の肩くらいの馬を使いなさい!(`・ω・´)
744 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 02:38:01 ID:zI/yVIo6
アラブは当時からいたんでしょ?
大陸には結構いたみたいだし、日本にも渡ってきてたんじゃ?
745 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 07:55:55 ID:bxShLDij
品種改良できるほど頭数が揃わなかったんじゃね
746 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 22:08:26 ID:VLvSxS/m
欧州の馬は
騎兵はますます重装備になっていたので、いきおい馬もますます重種になり大型化していくことになる。
13世紀から15世紀の頃には、体高17〜18ハンズ(およそ170〜180cm)くらいあったというから
だいたいのところは大型馬の時代だったといっていいだろう。
中世ヨーロッパ社会では軍隊の主力は歩兵よりも騎兵に置かれていた。
完全な重装備をほどこした戦士を背に乗せるのだから、大型の重種馬を軍馬として用いるようになる。
入念な交配をくりかえした結果、14世紀には、体高17ハンズ(約170cm)の馬はざらにいるようになった
『馬の世界史』より
著者は史学教授であり、馬についても詳しい人物
参考文献は内外合わせ73冊に及んでいるから怪しげなサイトよりは十分信頼に値する
747 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 22:59:49 ID:44qFKqHg
>>746 アホか。本村凌二先生の専門は古代ローマ社会史。
中世〜近世は既に専門外だ。
ついでに言うとこの著作も2001年といささか古い。
最新の物を読め。
748 :
人間七七四年:2009/06/19(金) 23:33:48 ID:MaPqCvBc
スカンジナビアは草の伸びが悪いから馬が小さい。中世ヨーロッパなんて大雑把な話をしているんじゃなくて
スウェーデンの話だろ。スウェーデン軍の1622年と1623年の装備品目録を否定する根拠はなんなんだよ?
749 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 00:24:28 ID:sKIukP6J
>>746 17世紀のペルシュロンでも15、6ハンズといわれるのに
中世の馬デカすぎワロタw
750 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 01:07:18 ID:6UuzqP+c
中世の軍馬の大きさは、長い間議論の主題であった。伝説によれば、騎士の馬は頑丈な軍用馬であり、
これは、現代の荷馬車用の馬と同じぐらいの大きさがあったことを意味するが、そのような馬の遺物は
十四世紀以前には発見されていない。中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
せいぜい一四二・二センチであった。
J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』
751 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 12:04:22 ID:yTqyj0Le
>中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
>せいぜい一四二・二センチであった。
当スレは『中世ヨーロッパの馬はポニーサイズ』に変更になりました。
752 :
人間七七四年:2009/06/20(土) 13:22:02 ID:6UuzqP+c
おまけ
ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)は、彼自身体重が決して軽くはなかったが、王国全域にいる馬
の大きさや体力を改良することに特別な関心をもっていた。彼は一五三五年、実質上の土地所有者は、
一三二センチかそれ以上の雌馬を最低でも二頭は飼わなければならないという布告を出した。そして
一五四一年には、イングランド中部および南部の州の所有地では、一四二センチ以下の種雄馬の放牧を禁じた
753 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 09:32:01 ID:N8fM5pcV
>639 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:27 ID:CEb3VgHP
>
>>610 >新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
>126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
>グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
>モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
>北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
754 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 15:26:29 ID:N8fM5pcV
755 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 15:27:09 ID:N8fM5pcV
誤爆った
756 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 15:28:30 ID:Y1rrLAbs
757 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 16:42:24 ID:H2lWurYe
馬上射撃はあるかなぁ、下馬射撃はあるだろうけど
758 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 17:58:51 ID:Klc/kYM1
>>757 現実に「馬上筒」なる武器があるわけで。
759 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 18:03:53 ID:H2lWurYe
>>758 あれは馬の上で撃つというより、馬上してても邪魔にならないという意味が強そう
760 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 18:15:49 ID:6h8Mmk00
鈴木の『謎とき日本合戦史』(講談社現代新書)P48の「騎馬武者の刀は指揮刀」に安芸武田流の弓馬軍礼を伝えていた
金子有鄰という人の説が伝聞のように引いてあったので氏の著作を探してきた。
金子有鄰・著『日本の伝統馬術・馬上武芸篇』(日貿出版社)
・元来、戦場における騎士の刀は指揮するためのもので、敵と渡り合うためには長物がある。p74
・馬上では長物は容易に振れるものではないので、そのため刀が馬上使いに案外繁昌するに至った次第である。P204
という箇所が鈴木の論拠なのだと思うが、ここ以外には
・馬上の刀で敵に打撃を与えるには「迎え撃ち」と申して敵と我れとの摺れ違いの勢いを利用して霞打ちに叩くのをもって
最も有効とされている。これで敵の馬の面を打てば馬はそれだけでたおれる。P71
・平素より槍を叩き折るのを目的としてがんじょうな大太刀を持っていた者もおり、この場合は必ずしも太刀が不利とはいえない。P139
という箇所をはじめ、刀の使い方や有効性などを書いている箇所はたくさんある。そして金子氏は
・今ひとつ、長巻の特長は槍を叩き折ることができることである。刀でさえ槍を叩き折れるのであるから、長巻で叩かれたら
槍は往々にして折られる。P201
・したがって対等の腕前ならば、刀も槍も長巻の敵ではなく P203
とあるように、馬上においては長巻を槍や刀を凌ぐ武器とする長巻最強論者。
これだけ事細かに馬上打物を解説している本から自分の都合のいい箇所だけを抜き出して
騎馬武者などいなかった、という愚説の根拠の一つにしているのは本当に腹立たしい。
こんなことに使われては金子氏もさぞ無念だろう。
761 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 18:17:41 ID:6h8Mmk00
古流の伝書からも馬上の刀槍について。
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、
馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。
・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、
みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらを
すかし、すみのくらにてきりたるよし。
馬上の槍は「わがやりつよくもち」、つまり乗り手は保持することに専念し、「馬につかせる心持」
「馬にてつかせたる」とあるように馬を走らせる勢いで突くことが大事。槍を片手で振り回すのは無理だとかの
書き込みを見たが、想定が初めから間違っている。漫画的な想定を自分で勝手に出した挙句にそれは現実的ではない、
なんてバカか?
新陰流のものを長々と書き出してみたが(ただしこれですべてではない)、馬上での槍・刀使いの事細かなセオリーが
存在していたことはわかってもらえると思う。新陰流の槍術以外にも、大島流や神道流系槍術の伝書にも
馬上の槍はある。『一刀流兵法目録』にも「馬上切合之事」がある。鈴木の説に従うなら、これらは必要とされていない技術を
頭で考えて作った机上の空論となるがねw
762 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 18:54:25 ID:6h8Mmk00
槍を片手で振り回すとか書いたのは
>>666だった。
763 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 20:59:19 ID:H2lWurYe
>>759 修正
あれは馬の上で撃つというより、騎乗の際に邪魔にならないという意味が強そう
764 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 22:31:51 ID:foDQdqaK
馬上でも撃てるように、だと思う。馬上で邪魔にならないようにしたいだけなら携行方法を
変えればいい。
765 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 22:42:27 ID:H2lWurYe
>>764 長い銃を騎乗時に有するのは問題がある
だから後世の騎銃も短い、これらも下馬してが普通
それに前装銃は馬上では一発撃ったらお終いだから、効果が薄い
766 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 22:47:26 ID:Klc/kYM1
>>765 ピストル騎兵って知ってるか?
一発打って離脱すると言うヨーロッパの兵制だが。
767 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:00:04 ID:H2lWurYe
>>766 あの手のは火打石式になってからの産物では?
768 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:08:19 ID:Klc/kYM1
>>767 言ってる事が既に矛盾しているんだがキミは
769 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:16:33 ID:H2lWurYe
騎走しながら撃つという事は、火縄の保持という面からも非合理的という事
770 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:25:42 ID:foDQdqaK
なんで走りながら撃つ?騎乗よりも安定して撃てる鉄砲足軽ですらそんな無謀なことはしないぞ。
771 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:33:24 ID:H2lWurYe
>>770 えーと、つまりあなたのいう馬上射撃は止まった馬に乗ったまま撃つという事?
772 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:36:09 ID:Klc/kYM1
>>771 機動的な騎馬兵に鉄砲持たせるんだから、敵の背面や側面に回りこんでダメージを与えるに決まってるだろ。
キミは火縄銃での戦い方を全くイメージできてない。
773 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:39:55 ID:H2lWurYe
>>772 ああ、そういう使用法は日本ではありません
備が基本的運用法の日本ではそういう騎馬兵だけを回り込ませる運用はありません
774 :
人間七七四年:2009/06/21(日) 23:55:04 ID:YsXrw4cM
775 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 00:00:40 ID:LLVbACo5
776 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 00:08:34 ID:9Zk1FODV
・長銃を馬上で(静止して)撃つ
・馬を走らせながら火縄式ピストルを使う
・ピストルを撃ちながら突撃
日本ではともかく、全部西欧では実現されているね
777 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 00:15:49 ID:YGQOshFa
走りながら撃つとか片手で槍を振り回すとかわざわざ非現実的な想定をした上で
そんなことはできるはずがないと結論づけるのがこの人たちの常套手段だね。
778 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 00:18:17 ID:NjCJmT+u
779 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 00:21:41 ID:NjCJmT+u
>>775 羽黒の戦いでは下馬鉄砲で高級将校を狙撃ですから、この場合は後続させるような従者は
いない編成かもしれませんね
780 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 00:28:41 ID:NjCJmT+u
個人としては下馬鉄砲の方が使いやすいと考えています
それではおやすみ
781 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 05:03:19 ID:AZ0JwFb0
>>760 その人もかなりなお人だからトントンで別にいいんじゃねw
782 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 05:32:57 ID:eu6r+zvg
騎乗射撃は江戸時代の射撃術の本にも載っているしあったとは考えているけど、
日本の合戦で実際に使用されたのは殆どないし
まして役に立った場面なんてないのでまあ、その程度に考えている。
783 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 07:17:25 ID:kpHxzY81
役に立ったかどうかということと、馬上筒が馬上射撃も視野に入れて製作されたかどうか
ということはまったく別の問題だな。
784 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 07:34:34 ID:eu6r+zvg
だから騎乗射撃があった以上、馬上筒の製作意図に関わらず
馬上で撃てる性能を持っていたのは確実じゃん。
だからどうでもいい。
785 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 07:56:16 ID:3fz1xQVB
馬上でも白兵戦に移る前に発砲すると、絶大な威力を発揮するけどね>ピストル
フス戦争では乱戦で至近距離からのピストルに、騎士の鎧は無力だったし
胸甲騎兵はピストルで敵を崩してから突撃していた
786 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 11:32:08 ID:xat3hTRH
>>746 確かに
その頃の同時代人のティツィーノらの画家が描く軍馬の頭は人と同じ背丈かそれ以上だな
当時の欧州人の平均身長から考えて
>>746の出してる体高は妥当だろう
787 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 12:08:05 ID:kpHxzY81
788 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 12:13:45 ID:jkIDcLRl
それはひょっとしてギャグで言ってるのか・・・
789 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 12:20:41 ID:7UDjW9Bn
790 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 12:31:47 ID:kpHxzY81
元々はグスタフアドルフの騎兵がポニーに乗っていたかどうかで始まっているのもお忘れなく。
スウェーデンの装備品目録を覆せる史料があるのか?
791 :
人間七七四年:2009/06/22(月) 22:24:00 ID:SUSNFJno
>>786 軍馬の頭が人と同じ背丈程度なら、体高はそれより数十センチ低くなるんだが。
ひょっとして
>>746の数値は馬の頭の天辺までの高さのことかな。
792 :
人間七七四年:2009/06/23(火) 16:42:20 ID:zX4EHNzN
体高160といったら現代のサラブレットと同等だからなあ。
ちなみに体高=肩のたかさな。
頭までの高さではない。
だから、786の絵なら、150弱ほど。
793 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 15:21:24 ID:T2BjZk2+
ポニーで突撃なんて無理じゃんw
映画の見すぎwww
794 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 17:01:35 ID:dMcfxStj
795 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 18:21:19 ID:bFF2F748
テンプレみたいなもんだから仕方ない
796 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 18:56:04 ID:2zXuy0uG
>>793さんは
スレが過疎らないようにあえてネタ投下してくれるてんだろ?
797 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 19:32:19 ID:bFF2F748
でも、受け答えも同じだからなぁ。
話題ないならスレが落ちてもしょうがないしなぁ。
798 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 19:46:11 ID:dMcfxStj
んじゃ、「日本の軍事革命」って本に、戦国期の日本で合戦に大砲を使う例が少ないのは、
日本の馬の運搬能力が低かったためだ、何て事が書いてあったんだが、
そんな事ありうるのか?むしろ日本の馬、特に荷馬は、運搬能力に優れていると思うのだが。
799 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 19:48:45 ID:T2BjZk2+
じゃあどんな燃料がいいんだよ?グスタフ・アドルフの騎兵は軽装だったから
ポニーでも突撃できたんだとか、蒙古騎兵は革の鎧だったとかにするか?
でもプラノ・カルピニが蒙古の金属鎧を見てるというし、グスタフ・アドルフも本当は
鎧を着せたがったが必要な量を調達できなかったし、それに現場の兵士が着たがらなかったという
事情もあるようだしな。
800 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 19:59:59 ID:5kH+bPrl
>>798 泥地山地を踏破出来ない方が悪い、って馬に責任を押し付けてしまえばまぁ間違っちゃいないね。
801 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 20:09:40 ID:Bisb4Jxv
>>798 どちらかというと荷車による運搬が不可能というのが実情かと
自転車で上り坂を登るのはつらいでしょ
802 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 20:28:05 ID:T2BjZk2+
大砲は地形の問題もあるし、石積みの構造物ならともかく、日本の城の多くの部分を構成する土塁に対しては
それほど効力を発揮しない。カエサルはガリア人の作った木を骨組みにした土壁には攻城兵器に強かったと報告してたし
火砲時代に入ってからのヨーロッパでは石壁を土で覆って大砲に対する防御を高めた例もある。
そういう問題を差し置いて馬の運搬能力云々は筋違いじゃない?日本在来馬と同じ系統の馬を使っていた
モンゴル軍は輸送に関して蒙古馬以外の種類を導入した記録とかあるかね?
803 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 21:36:49 ID:JdE1nVtX
まぁそれに馬に運ばせやすい大砲が作れたのか、
とかそもそも大砲がどれだけ作れたのか、ってのも疑問だしな
804 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 23:23:10 ID:RDjpHyQt
>>798 幕末の馬は在来馬だったけど大砲は多様されてる。
なので、その本の説はちょっと説得力がない。
805 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 23:31:13 ID:Bisb4Jxv
>>804 その本では人力輸送とされている
それに攻城砲の様な重砲は運用できなったし
806 :
人間七七四年:2009/06/27(土) 00:18:51 ID:j2qXETO8
>>798 当時の大砲の重量なんてタカがしれてるでしょ
ひかせるだけなら可能だったはず。
馬車文化のない日本では
大砲に車輪をつけて馬に引かせるという発想がなかっただけなんじゃないかな
そもそも大砲一門作る材料があるなら
そのぶん鉄砲を何丁もそろえた方が合戦では有利だと思うんだが
807 :
人間七七四年:2009/06/27(土) 00:39:37 ID:JAuoegsH
馬車はなくても荷車はあるべ。
牛車もあるし、発想としてないというのはちょっと不思議。
808 :
人間七七四年:2009/06/27(土) 00:48:14 ID:Ts1sdzLe
馬車が無いから車輪も無いって短絡的だな
809 :
人間七七四年:2009/06/27(土) 01:04:42 ID:JpQYwF60
当時のスウェーデン騎兵は機動力が軽快で、重厚な胸甲騎兵は至近のピストルで倒され、
歩兵や接近戦に消極的なピストル騎兵は、射撃する前にあっという間に突撃され長剣で串刺しにされた。
810 :
人間七七四年:2009/06/27(土) 01:22:30 ID:i31hCh32
>>806 少なくとも大阪の陣の時には、大砲は砲架に乗ってるな。
811 :
人間七七四年:2009/06/27(土) 07:35:30 ID:kCZayMHS
大体大砲を買うときに砲架だの車輪だのってついてくるんじゃないのかな?
812 :
人間七七四年:2009/07/01(水) 02:14:32 ID:V1eKnL+h
当時は道も悪かったろうし
重いものは船で輸送って考えだったんじゃないか?
813 :
人間七七四年:2009/07/01(水) 02:50:16 ID:oVPa+kR2
>>597 中国の刀と剣の用い方の違いから来た説明じゃないかな
刀は片刃であるから峰の部分を厚く作ることができるために剣より丈夫であり
丈夫であるから刃を剣より薄く作れたために切れ味にも優れ
より大きな衝撃を受け、すれ違いざまに切る戦法を用いる騎兵が使い
剣は両刃であるから峰を持たず衝撃にもろく刃を薄くすればさらにもろくなるため切れ味が鈍く
歩兵用の武器として用いられていた、ってやつ
もっとも、時代が下ると剣は淘汰され刀が歩兵にも普及したが
814 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 06:20:44 ID:/ECp2Hnu
>>581 亀だけど
俺、この前いい馬を手に入れたんだ
お前の馬とどっちが早いか決めようぜ
俺がまけたら、この荘園をやるよ
その代わりお前がまけたら云々
からサラがスタートしたとか
815 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:15:29 ID:/SFr9prW
816 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 18:36:11 ID:8v2FbVAQ
サラブレッドは、現役中多くは故障ばかりしている。
現役中に大きな故障を経験しないほうが珍しいくらいの虚弱体質であり
故障が原因で引退に追い込まれるケースも極めて多い。
最悪の場合、レース中やトレーニング中に骨折で死に至る馬も少なくない。
彼等の体は、ひたすら速く走るために、心臓が巨大化し、
それは通常の哺乳動物では考えられない大きさに達している。
その反面、強度は犠牲になっており
この虚弱体質は生物としては異状なまでの次元に達している。
兵器は武人の乱用に耐えうるものでなければならないといわれるが
サラブレッドは、とても武人の乱用に耐えうるものではない。
817 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 21:23:35 ID:tadLU96t
サラかわいそうです(;ω;)
818 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 13:56:57 ID:UP6tHfIM
共同馬主って知ってる?
普通のサラの持ち主(権利?)は普通、一人の馬主か牧場が持っているのだが、
株式のように何口かでサラの持ち主を集う場合がある。
一般低取得、中取得の競馬好きが馬が欲しいけど高くて買えないって奴が、共同で馬を買うシステム。
大体、こういう馬は足が遅くて、勝てないが健康は折り紙付きっていう馬が売りに出されるのだが、(多く出走して5着内で賞金を稼ごうという魂胆)
俺はかつて三回、共同馬主を一口づつ買ったが、
三回とも故障で引退したwww
しかも、一匹は出走前だぞ?w
一度も走らずに故障して、引退www
まあ、こういう場合は保証がきいて、その一口は別の馬に振り当てられるのだが。
ちなみに、その三匹、全部、未勝利で終わったw
819 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 20:09:49 ID:Ce75XOQs
まれにGI勝ったりする馬も居るのにな
820 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 21:58:51 ID:tX9fMnd3
早く走るため「だけ」に数百年に渡って品種改良されてきたからねい。
気性もおかしい馬が多い。
821 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 22:03:04 ID:IDyj0I/A
>>818 いや、共同馬主の馬もピンキリで相当良血で高額の馬もいる。
>三回とも故障で引退したwww
>しかも、一匹は出走前だぞ?w
>一度も走らずに故障して、引退www
吹いたwww
822 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 00:24:41 ID:jpZR1g1Z
ほとんどのサラが余生を送れずドックフードなんだっけ?
823 :
人間七七四年:2009/07/06(月) 10:11:29 ID:jZBJjh0x
いまの日本の年間生産頭数が8000頭強なのかな
繁殖に上がれるのは一割にも満たないだろうね
ほかに乗馬とかもあるけど、実際には屠殺されてたりするし
脚元の弱いサラよりも乗馬用の大人しくて丈夫な種のほうがクラブなんかはありがたいんだろうな
社台なんかセルフランセの種牡馬とか導入してたりするもんな
824 :
人間七七四年:2009/07/16(木) 01:35:09 ID:M9wkjhNH
馬の需要(生きたまま)が全然無いのと供給が過多だから潰されてる訳であって
サラが貧弱なこととはあまり関係ない
825 :
人間七七四年:2009/07/17(金) 18:21:38 ID:JvtzRhe9
826 :
人間七七四年:2009/07/18(土) 10:25:56 ID:Rw284zyj
>>825 小さいときならともかく競争に使われた馬は美味しくないよ
桜は競争に使ってない馬の肉じゃないのかな
827 :
人間七七四年:2009/07/19(日) 18:26:18 ID:iV2jjDMv
828 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 23:14:31 ID:Snz1s5dC
829 :
人間七七四年:2009/09/15(火) 02:17:04 ID:F/qp8sCs
これいいフレーズだよな
ポニーと言われればシェトランドポニーしか日本人は想像しないもん
釣り放題だべ
830 :
人間七七四年:2009/09/23(水) 16:45:59 ID:ueVxcqQy
鈴木某は長篠は起伏の多い地形だから騎馬戦なんて行われたはずがない、とか言うが、馬は平地でないと走れないというのが間違い。
例を挙げると西欧のコブと呼ばれるタイプの馬は比較的小柄だが、足が太く頑健で、急な坂道やぬかるみでも楽に動けるという。
http://www.mmjp.or.jp/freedom/FR37-1.html オプスレイ社の『中世フランスの軍隊』によれば、コブタイプは西欧騎士の乗馬としても使われていた。
日本には鵯越の逆落としという故事があるが、真偽はともかく、これも日本の在来種が山岳地帯に住む生き物だから生まれた話であろう。
サラブレッドではたとえフィクションでも思いつかなかったに違いない。
831 :
人間七七四年:2009/09/24(木) 23:24:02 ID:+sTiHNZP
三国志・魏書東夷伝・高句麗条
「その馬皆小、登山に便。」
832 :
人間七七四年:2009/09/26(土) 11:12:04 ID:zRtwZ5Tf
彼らの所有する馬は我らのものよりも背丈はみな小さく
たとえば山を登ろうとすると疲労のあまり排泄すると動けなくなってしまうほどであった
833 :
人間七七四年:2009/09/26(土) 16:06:03 ID:bAxRysPN
出典どこ?
834 :
人間七七四年:2009/09/26(土) 22:27:27 ID:N/V2lC65
>登山に便
>たとえば山を登ろうとすると疲労のあまり排泄すると動けなくなってしまうほどであった
はいはいワロタワロタ。
面白いから次からはじゆうちょうにでも書いてね。
835 :
人間七七四年:2009/09/27(日) 09:39:34 ID:nAlAj9p5
じゆうちょうかって
おじちゃん
836 :
人間七七四年:2009/09/28(月) 12:07:25 ID:NEOrfgEK
藤井の城郭研究の師である故鳥羽正雄博士の家に、
藤井は子どものころからよく遊びに行っていた。
そこで鳥羽博士から聞いた話がある。
鳥羽博士が、地方の山城の調査を頼まれて現地に行ったところ、
小型馬が用意されており、山の上へ馬で登って調査した、
と言うのである。
昭和30年代までは、山に登る道具として馬が認識されていたのである。
戦国時代の馬も同じだった。貴人は馬で山を登ったのだ。
山城は馬の存在があって始めて築城と運用が可能だったのである。
ttp://www.sengokushi.com/gote/b00200.html
837 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 22:00:01 ID:n61SV9Gm
そもそも
>>1は「戦国時代の馬はポニーサイズ」なのが
>>だっせーのw
といっているだけで、それは本人の主観だから議論の対象にはならないし
ここのスレでワーワー議論されているような「そのような体格の馬で、どのように戦闘が行われたか?」という議論は、的外れである。
とういうつまらない答えを出す俺。
838 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 23:49:22 ID:ftCevoSS
そんなのはとっくに過ぎてて再利用してるんだけどな
839 :
人間七七四年:2009/10/06(火) 00:31:38 ID:dVjotMjS
840 :
人間七七四年:2009/10/06(火) 23:35:30 ID:uJule3Lc
ポニーもシェトランドポニーとかじゃ無い限り
大袈裟に言うほど小さくはないな
むしろこの程度が普通にみえる。
841 :
人間七七四年:2009/10/12(月) 12:22:23 ID:zRAKD2/B
ポニーはダサイという発想自体が無知な間抜けのやること
842 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 01:11:24 ID:QmsqR5+a
川合だな
843 :
人間七七四年:2010/01/15(金) 21:56:50 ID:rtFXSrl4
保守
844 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 08:22:01 ID:Hn3kR4CX
>>841 全くだな。ナリタブラリアンを知らない若造はこれだから困る。
まじめな話、ポニーでも調教次第で上がり2ハロン40秒で走るんだから在来馬だって近いところまでやれるだろ。
(陸上400m走の世界記録は43秒台)
845 :
人間七七四年:2010/02/28(日) 11:09:22 ID:EWnGS4bv
ナリタブラリアンは凄まじかったな
846 :
人間七七四年:2010/03/24(水) 23:15:27 ID:s0/tOn+y
847 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 21:42:22 ID:11tPz/0l
横浜の馬の博物館で「戦国の馬と城」展をやってて、
武田館で発見された馬の骨が展示しているよ
848 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 23:03:38 ID:+pXQa6kz
あの120センチくらいの小さいやつ?
849 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 04:53:22 ID:8TZ88JvU
そう、その120cmくらいのやつ
850 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 13:18:04 ID:0Oun9P+g
当然のことながら戦国でも平地の多い関東では騎馬合戦が多かった。
851 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 22:23:11 ID:bGcJ1zfD
鈴木が騎馬武者否定の根拠としている甲陽軍鑑にもこんな記述が。
確か『関八州古戦録』にも同様のがあったはず。
「安房上総両国の府君、里見義弘公一家の正木大膳といひしもの、十二三の歳より馬を
ならふに、片手綱にて、のらんことをこのむ。馬訓ゆるもの怒て云ふ、片手綱と云は、
能々馬を乗覚え、功者に成てのうへ、片手綱にてめすべきに、未だ鍛錬もまゐらずして
左様にめせば、其身なりも悪しくおはします程に、必らず片手綱無用と制す、大膳申やう、
侍の将たらん者、馬よりおりて鑓を合せ、高名する事多くは有まじ、馬上にて下知をし、
其まま勝負を決せんならば、片手綱を達者に覚てこそと、をさな心に申せしごとく、
度々馬上にて勝負を決す」
852 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 21:07:51 ID:k7ttqh4n
今日、乗馬クラブのわきを通ったら、
人が乗っていた馬が小走りで走っていたが、
ものすごく上下に揺れるのな。
これじゃとてもじゃないが、馬上で片手なんて無理。
853 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 09:53:36 ID:LKEkPNsX
人が皆、自分と同じ運動音痴だと思い込んでいる馬鹿がいるスレはここですか?
854 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 11:15:20 ID:WQrrrjwg
855 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 19:19:55 ID:HdHwWzRV
流鏑馬にしても、現代の流鏑馬はひと昔まえとは
走りがずいぶんと早いのだそうだ。
856 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 19:38:18 ID:mNb6zFqD
「こんなことができるはずがない」ってのは鈴木の本にも多く出てくるね。
戦国時代の話なのになぜか感覚が現代基準。
857 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 20:47:35 ID:4AvSrDqd
858 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 21:15:26 ID:gE/lgDYv
ちっこいポニーのナリタブラリアンがあんだけ走れてたんだから
おっきいポニーな和馬ならもっと走れるはず
859 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 04:39:29 ID:nzsBWjbV
「ブラリアンが特別だった」という反論があるかもしれないが、
メジロリャイアンというポニーもいたしな。
860 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 09:15:53 ID:OyC5Dbfx
>>858 ちっこいマキバオーがあれだけ走れたんだから、
おっきいポーニーな和馬ならもっと走れるはず
861 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 19:35:17 ID:HPhhmkir
受けると思って書いたんだろうな
862 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 04:59:29 ID:LcuVE+mc
触れてやるなよ。
863 :
sage:2010/05/25(火) 20:40:21 ID:AUhlZidz
>>852 流鏑馬なんて両手放してやるのに、片手ぐらい何だって思う
864 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 21:28:12 ID:k4APM8HI
間違えたorz
865 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 22:36:27 ID:bOElBax1
このあいだテレビで藤岡弘が馬乗りながらぶんぶん刀ふりまわしてたな
866 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 19:55:23 ID:sXF7fHoK
中国のテレビドラマの三国志で劉備やってた役者さんは、それまで馬に乗ったことも殆ど無かったけど、役の為に懸命に練習して馬上での殺陣が出来るほどにまでなったとインタビューで話してたな。
ちなみに三国志演義の劉備は、両剣(二本の剣)が武器。
867 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 22:09:00 ID:kimSu2mf
それ吉川英治の創作じゃなかった?
868 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 22:28:11 ID:uOmlNy7z
869 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 18:48:09 ID:O6a1jZY3
870 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 13:59:59 ID:LtTVcoQk
871 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 21:57:24 ID:vDLRcuvk
872 :
人間七七四年:2010/07/19(月) 14:22:23 ID:rXit5n0L
後期のローマ軍がそのサイズの馬に鎧を着せて突撃兵種として運用していた事を考えれば、サイズ云々は本当に意味が無いことがわかる。
873 :
人間七七四年:2010/08/06(金) 22:45:24 ID:xvaimjXl
平均130センチもあれば、ナポレオン時代の軽騎兵や槍騎兵のポニーより大きいじゃん
プロイセンの精鋭、髑髏軽騎兵の馬なんてほんとに小さい。
まあ向こうの軽騎兵用ポニーは中騎兵や重騎兵より高速で日本のとはちょっと違う
874 :
人間七七四年:2010/08/08(日) 12:25:16 ID:E2H1CiS8
東京近郊の人は馬事公苑やJRAの博物館へ行くといいよ
実際の映像で各国の「ポニーの騎馬」風景が見られる。
俺自身もなめていたけど、蹴り殺される人間がいたのもわかるわw
875 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 07:40:57 ID:epmB7ZXJ
戦国時代の馬のサイズが小さすぎるのか、または俺たち現代の馬のサイズが異常なのか……どっちなの結局は?
876 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 09:39:58 ID:6kYQPtYw
F1とバギーを同列で語るなという話
877 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 18:47:57 ID:q2u26l7O
去勢し蹄鉄をつけている外国の馬と去勢せず蹄鉄もつけずに鞋を履いてる日本馬
これだけでも大きな違いだ
878 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 18:57:50 ID:6kYQPtYw
>>877 去勢しないと扱えない気性と、蹄鉄がないと割る弱い蹄
879 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 21:38:58 ID:ylXd0ksk
>>875 当たり前だけど品種改良の進んでいない昔の馬は、
洋の東西を問わずにポニーサイズが主流だった。
そして栄養状態の悪い当時の人々も小柄で、
現代に入るまでは平均で150cm前後(18世紀のモーツァルトが150cmちょいで普通ぐらい)、
巨人と呼ばれた北欧系でも165cm辺りが平均だった。
880 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 23:00:23 ID:svlGsXne
>>877 あと馬の運動能力に蹄鉄の有無は関係ないことは証明されておる
881 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 23:16:20 ID:q2u26l7O
>>879 あのねぇ
イギリスのヘンリー8世は
小型の馬を軍から排除するためにある程度の体長に達しない小型の馬を飼育する者を厳しく罰する法を作ってるんだがね
882 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 23:24:13 ID:dEgM30kI
何度目のループだよ…
883 :
人間七七四年:2010/08/20(金) 23:24:23 ID:svlGsXne
>>881 つまりわざわざ法律で罰せねばならぬほど、軍務に向かないほど小型の馬がはびこっていたということだ。
884 :
人間七七四年:2010/08/21(土) 14:03:34 ID:u+wDc75f
現在でも体高130センチ以下のウェルシュやエクスムア種が残ってる事から見ると
ヘンリーの法令はあんまり守られなかったようだな
885 :
人間七七四年:2010/08/21(土) 21:21:52 ID:ZsZgU/fq
現存している馬鎧や絵画などから中世欧州の軍馬は体高140〜150cm程と推定されている。
確かに日本のそれよりは大きいが極端な差ではない。
886 :
人間七七四年:2010/08/22(日) 19:40:19 ID:zq4rmAeo
源平の頃の主だった武将の愛馬の体高は140cm強だったらしい。
それから、源平の頃の一騎打ちは今の感覚だと機関砲による空中戦が近いように思います。
887 :
人間七七四年:2010/09/02(木) 01:18:06 ID:biHedDAa
>>884 品種改良というほど積極てきなもんではないからね
888 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 18:51:19 ID:OUZM5L97
「子は親に似る」的な遺伝の概念自体は結構古くからあるんだけど、科学的に考えら
れるようになったのって、正直二十世紀に入ってからなんだよね。
889 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 16:55:12 ID:SkEPT5qr
軍馬改良のために大型化を目指していたら、
百姓たちが徴発されるのを嫌がって小型の馬を好んで生産したとか言う話が島津にあったような
890 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 22:42:11 ID:Iv60ZKxg
>>884ヘンリー8世の馬の'ボブサップ・曙・チェホンマン'路線は、
クロムウェルが捨てたからね。
西洋でも馬のモンスター化に熱心だったのは、フランスくらいだろう。
891 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:45:51 ID:xGIKKpVg
892 :
人間七七四年:2010/09/29(水) 20:44:08 ID:BeyI3/i1
893 :
人間七七四年:2010/11/03(水) 21:45:21 ID:gglJgy58
でかい馬はかっこいいけど金がかかりすぎる
894 :
人間七七四年:2010/11/06(土) 22:35:25 ID:5fWpooFd
895 :
人間七七四年:2010/11/17(水) 23:37:13 ID:wza+PTM4
ええと...
戦国時代の馬に限らず、どこの地域の馬も、当時はだいたいがポニーと同レベルの小柄さだったんだろ?
896 :
人間七七四年:2010/11/18(木) 00:17:48 ID:0M4uE14F
欧州なんかでは、ばんえい競馬なんかで使うような1トン近い種も使ってたよ
897 :
人間七七四年:2010/11/18(木) 00:18:11 ID:rQgo9qW5
898 :
人間七七四年:2010/11/18(木) 11:52:37 ID:T3NMB9x9
899 :
人間七七四年:2010/11/18(木) 13:58:59 ID:I0opfsV7
900 :
人間七七四年:2010/11/23(火) 01:43:49 ID:LN3VUKTG
901 :
人間七七四年:2010/11/23(火) 11:22:22 ID:L8cA9cIk
かわいいなあ
確かに歩幅が小さくて上下動が少なそうに見える
902 :
人間七七四年:2010/11/25(木) 15:33:39 ID:jW4xaQYN
>>895 日本、中国、モンゴルは同種の馬。
モンゴル系王朝が続いた北インド、
典型的なポニーを使う中央アジア〜中東のモンゴル・トゥルク系諸国家、
その流れを汲むセルジュークトルコや東欧・中東に進出する前の前期オスマン帝国、
前出の北欧
少なくともこの辺は馬格が日本と似たり寄ったりと思う
ロシアの馬はどうだったんだろう?
弓騎兵が多くて、短弓に曲刀、ラメラーアーマーやミラーアーマーといった
モンゴル・イランの影響を受けた武装だが
903 :
人間七七四年:2010/11/25(木) 15:44:17 ID:jW4xaQYN
逆に馬格が大きいのは、
中世以降のイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・スペインなど西欧
アラビアを中心とする中東だろうか。
ローマ帝国時代の馬はポニーサイズで、当時のドイツ周辺の馬は更に小型だったと「ゲルマニア」にあったと思う。
732年にイスラム帝国が今のフランスに侵攻したとき、フランク軍はアラブ馬の大きさに驚いたらしい。
904 :
人間七七四年:2010/12/25(土) 09:18:58 ID:rGy7sA4y
>>900 だったらアイヌの人たちは騎馬武者の様な事はやってたのかな、と。
905 :
人間七七四年:2010/12/25(土) 11:49:27 ID:S4WEEx4i
そもそも北海道に馬持ち込んだのは和人だから
906 :
人間七七四年:2010/12/25(土) 11:57:49 ID:SRNyEtql
907 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 22:13:35 ID:hMScHtME
908 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 22:44:54 ID:hMScHtME
909 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 23:48:25 ID:IhxQMOPs
十分だわな
910 :
人間七七四年:2010/12/31(金) 00:11:26 ID:16+3lU/7
>>908 軍用には全く問題なさそうだな〜。
頑丈らしいし。
911 :
人間七七四年:2010/12/31(金) 06:07:44 ID:hBPx+EW2
>>5 原種のアラブはもっと昔からいたじゃん。
って超遅レスw
912 :
人間七七四年:2010/12/31(金) 15:59:40 ID:uXugFeqL
戦国時代の馬はミニチュアホースサイズ
913 :
人間七七四年:2010/12/31(金) 16:12:10 ID:6GyCOzQS
914 :
人間七七四年:2010/12/31(金) 18:10:36 ID:Qd/9JTia
なんとなくかわいく見えるのはサラブレッドを見慣れたせいなのか
当時のこのタイプの馬しかしらない人間にもかわいく見えるのか
915 :
人間七七四年:2011/01/01(土) 00:17:04 ID:/M4ozy09
サラブレッドは競争用で軍用に適さない
916 :
人間七七四年:2011/01/04(火) 13:23:54 ID:gSWBSjjy
小さい小さい言われてるけど、そこまで小さく見えないな
917 :
人間七七四年:2011/01/04(火) 20:50:35 ID:6dY3b268
高田馬場の流鏑馬見たときに、サラブレッドと木曽駒が来ていたが、
競走馬上がりのサラブレッドは速く走り過ぎで、2射目以降は矢の準備が全く間に合わなくてワロタ。
ゆっくり走らせれば良いのだろうが、流鏑馬専用に調教してない借り物なので
簡単には行かないらしい。
木曽駒は確かに小さいが、足もしっかりしていて、非力な印象は無かった。
タテガミも長くてかっこ良かった。
918 :
人間七七四年:2011/01/05(水) 23:49:25 ID:LcNGbvyh
サラブレッドは馬として異常
というより生物として異常
他の動物に比べて心臓が異常にデカいし
足が異常に弱い
919 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 08:25:07 ID:/8LodR9d
920 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 08:25:47 ID:/8LodR9d
誤爆った・・・
921 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 09:22:14 ID:0gtwu4P3
>>903 アドルフ・グスタフの時代の騎兵の馬でも、
120cmを超えることは稀だったそうだ
ブライテンフェルトでは、
この馬の数個中隊(1個中隊125騎)の抜刀突撃で3万5千の軍を中央突破して分断、撃破した
922 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 14:03:12 ID:e58Fm5bL
飯の都合を考えると、まともに乗れる範囲でできるだけ小さい方がいいかもな
923 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 15:49:48 ID:a81FPY1A
おんなじ仕事させりゃ同じだけ食うじゃね
924 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 18:34:33 ID:EsuG+w6l
925 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 20:39:33 ID:cQwwKcMb
昔の図鑑には、実用馬の品種紹介の項目には
「粗食に耐える」ってのが重要ポイントとして
書かれていたよ。
日本在来馬の紹介文には、どれも「粗食に耐える」が
記載されてました。
サラブレッドは極端な例だけど、牧草だけだとダメで
高カロリーな豆類を食べさせないといけない。
お腹も壊し易いので、体調悪い時は一度加熱した物を与えたり、
とにかく手間がかかるやつだ。
926 :
人間七七四年:2011/01/09(日) 22:07:36 ID:Phv56Vsc
927 :
人間七七四年:2011/02/08(火) 00:52:51 ID:mWUv+CE3
明治に入ってからの西洋式競馬で体高150センチ程度の農耕や駄載に従事してた
南部馬が、サラブレットやアラブ馬をぶっちぎって優勝したなんて言う話もあるし、
体格の割には足も速かったのかな?
日本馬の共通点として粗食に耐えその割に蹄、骨格が丈夫というのがあげられるらしいね。
928 :
人間七七四年:2011/03/02(水) 15:59:46.12 ID:v4CETYGt
>>916 むしろ戦国時代の平均身長から考えるとでかいんじゃね?って気すらしてくる
929 :
人間七七四年:2011/03/02(水) 19:59:14.56 ID:mzCAnmKt
>>927 競馬に出るような南部馬はアイノメ型の乗用馬だろう
農耕や駄馬やるタイプじゃないよ。
速くても不思議じゃない。
930 :
人間七七四年:2011/05/13(金) 09:40:47.56 ID:YwVll1ab
保守
931 :
人間七七四年:2011/07/05(火) 23:37:52.70 ID:Y9QwbXDj
ho
932 :
【東電 74.0 %】 :2011/07/15(金) 23:50:49.13 ID:WdwJDIsj
そういやモンゴルはじめ騎馬民族の皆さんは騎馬戦闘しかしてなかったんですかね?
場合によっちゃ徒歩戦闘する事などは在ったんだろうか、と……
933 :
人間七七四年:2011/07/15(金) 23:55:19.29 ID:hsy2b/if
モンゴル騎兵団の編成は
3分の1が重装騎兵。3分の1が軽装弓騎兵、
残りの3分の1が戦場に付いたら馬から下りる騎乗歩兵でなんたらと聞いた
934 :
人間七七四年:2011/07/15(金) 23:57:36.62 ID:q6ZnPKyJ
蒙古兵士も基本、城攻めは降りて戦ったのでしょう。
最前線は異民族の投降兵だったかもしれないけど。
長城攻めは騎馬での機動を活用したという話しもあったようですが。
935 :
人間七七四年:2011/07/22(金) 20:24:07.28 ID:JUvvFhSL
御崎馬終了のお知らせ
天然記念物の岬馬を殺処分=伝染病感染で12頭―宮崎県
時事通信 7月22日(金)16時36分配信
宮崎県串間市の都井岬に生息する野生馬で、
国の天然記念物に指定されている「岬馬」(御崎馬)の一部が家畜伝染病の馬伝染性貧血に感染していたことが判明し、
宮崎県は22日、ウイルス検査で陽性だった12頭を殺処分した。岬馬の数は計85頭となった。
県によると、今年3月、宮崎市の日本中央競馬会の宮崎育成牧場で1頭の感染が確認された。
この馬が都井岬生まれだったため、今年4月から5月にかけて岬馬に行った血液検査で、12頭の感染が分かった。
馬伝染性貧血は、口蹄(こうてい)疫などと同じく家畜伝染病予防法で規定する伝染病の一つで、
県は陽性だった12頭を現地で隔離して対応を検討。
野生種は同法の対象外だが、昆虫がウイルスを媒介するため、感染の拡大を防ぐために殺処分はやむを得ないと判断した。
936 :
人間七七四年:2011/08/16(火) 08:36:28.51 ID:rFTLPbfI
937 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 22:14:30.20 ID:KO1+lYUx
ポニーって言葉の罠で現代人が想像するポニーは小さいのは仕方ないよね
ちゃんと肩までの高さが147cm以下の馬をポニーと言いますって説明しないんだから
戦国時代の馬は肩までの高さが147cm以下ですって文と戦国時代の馬はポニーサイズって文じゃ受け取られ方が違うのは当然
938 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 15:56:49.93 ID:va2XMsUe
そう。ポニーと言われて想像するサイズではない。
当時の平均身長160センチ弱からすると可笑しなものではない。
939 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 23:18:13.37 ID:kWE8ZaWc
現代人から見てもおかしなサイズではないと思う。
木曽馬の体高は平均で130cmぐらいだから、
乗り手の足の長さが130cm以上ない限り足が地面につくなんて事はあり得ない。
いや、馬上で足をまっすぐにする事はできないから、150cm以上かな?
940 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 01:04:47.41 ID:G5MK7mnQ
海外で乗馬トレッキングコース走ったことあるけど
クォーターホースの体高でも枝で顔に切り傷できた
小型じゃないと森林なんか抜けられないわ
脚短いと階段状の岩場でもピョンピョン鹿みたいに飛び上がれるんだよね
下りはさらに怖いからデカい馬ではイヤだw
ついでにスタートダッシュの瞬発力は小型の方が速いくらい
ダッシュした直後に急カーブも曲がりやすいし
体重軽い方が蹄への負担も少ない
大型にこだわる理由はないと思う
941 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 22:58:14.23 ID:WGkMcZx7
海外でも斥候や撹乱・急襲を任務とする軽騎兵は軽種馬だね。
まあ日本の木曽馬なんかは足回りが頑丈らしいので、
向こうの軽騎兵みたいに快速タイプではないかも。
942 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 11:42:30.00 ID:HGbriStF
木曽馬を戦国期の軍馬と一緒にするなアホが
943 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 13:54:29.19 ID:JRbKNXSe
戦国期の軍馬ってのの資料があるんかな?
後世の伊達正宗は、外国産馬の輸入をしたらしいけど。
どちらかというと、現代の木曽馬より小さく弱い馬だったんじゃないか?と思う。
944 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 18:02:45.68 ID:A/1u7tl5
最初から武士の乗用馬として繁殖されてた、
リアル日向の駒、御崎馬にもっとスポットあててください。
木曽馬よりずっと走るのに向いてそうな体つきしてるから。
伝染病でもう85頭しかいないから、そろそろ絶滅しそうだけど。
945 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 00:28:09.26 ID:ZKSdRLed
946 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 01:59:43.87 ID:Xtk0Dpwf
御崎馬は交配やめたから江戸時代より小さくなってるんだってな
947 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 21:04:32.02 ID:syE//hh7
馬の体格も気になるけど、和鞍の装着の仕方がよく分からない
博物館で見るときは人馬との接触部分が取っ払われてるから(腹帯もない)
馬 - 布 - 鞍(木製)- 布 - 人
でいいんだろうか?
布部分は綿入れ状態じゃないと痛そうなんだけど、実際どうなってるのー?
あと鐙の形状、つま先がカバーされてるスリッパ状なのはスペイン式と同じだけど
踏みつける部分が平じゃないから、鐙の上には立てないよね?
その分、人間側は動きが制限されるし、どうやって馬とボディコンタクト取ってるんだろう?
狩野派の絵ではかなり踵が前の方に出てるフォームだし、様式乗馬のフォームと違い過ぎて謎が多い
948 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 23:45:21.59 ID:ohdBcc0k
949 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 19:46:02.58 ID:0Kim12l+
おお、分かりやすい動画ありがとう
甲州和式ってことは武田流かそれに近いものって考えていいのかな
駆け足初心者が練習する”立ち乗り”みたいな状態なのか
きっと膝の緩め方とか腿の使い方が違うんだと思うけど
馬格が小さめだと人間の方のフォームにも余裕が出るからできる感じ
ブリティッシュと完全に違うのは踵の使い方かも
鐙が逃げない構造だからつま先が多少下がっても大丈夫で
手綱の扱いはウェスタンみたいに緩めなんだね
手綱の素材まで分かってよかったけど綿の国内生産がほとんどなかった時代は大変だっただろうな
また博物館で鐙見るとき内側をじっくり確認してみるよ
蒔絵より鐙の内側や鞍の裏側見たいヤツなんて少ないだろうから非常に見えにくい展示なわけですが…
950 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 01:20:00.29 ID:HWMxRTGb
951 :
人間七七四年:2011/11/10(木) 21:07:39.83 ID:YIMqTpm4
952 :
人間七七四年:2011/11/11(金) 02:21:13.56 ID:Z8PAfkRT
953 :
人間七七四年:2011/11/29(火) 01:44:52.38 ID:FOfsqZ+9
954 :
人間七七四年:2011/12/16(金) 00:34:02.27 ID:envhS+Lj
a
955 :
人間七七四年:2012/01/09(月) 21:06:24.59 ID:B4aywgG4
956 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 03:31:33.71 ID:jw+XfI1t
結局一般的にポニーと言われて連想するのは
かわいいシェトランドポニーであることを利用した言葉のマジックだな
957 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 17:29:30.48 ID:gvH+wZbM
マスタングとかカマロとかコンパクトなスポーツカーのことを
ポニーカーというのであった
958 :
人間七七四年:2012/03/18(日) 14:30:51.96 ID:m7E5xNY8
【明治19年における国別牛馬飼育頭数(第三次農商務統計表)】
▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉
▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎
▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山
▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島
▽馬10,000頭 牛10,000頭
静岡、石川、高知、福岡、佐賀
▼馬10,000頭 牛10,000頭
福井、徳島、愛媛、長崎
▼馬50,000頭 牛50,000頭
大分
▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪、香川
▼馬10,000頭 牛50,000頭
三重、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口
▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山
959 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 00:49:06.93 ID:y+gdF2rD
やっぱ関東のが騎馬で戦闘する傾向が強かったんかな?
960 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 21:37:07.31 ID:3RSF1iug
日本の馬の中では最大級の南部馬が手に入り易かったから
関東では馬が多く使われてたんじゃないのか。
961 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 21:46:47.37 ID:FyYs3FaX
馬の運用は大きさよりも量だっつーの
962 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 15:49:51.80 ID:vZAmwFpo
963 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 19:03:57.56 ID:R098FdQJ
南部馬の純潔種は絶滅したはずだから混血馬かな。
一言断りくらい入れてくれてもいいのに。
964 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 13:37:35.62 ID:axcV8hnD
南部馬は純血種でも140〜150cm、記録の上でデカい奴だと
サラブレッドと比べても劣らないお化け馬もいたみたいね。
965 :
人間七七四年:2012/05/14(月) 17:00:42.60 ID:RLlht0cO
オマンコ舐められクイーン、長野美郷
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966 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 19:31:54.64 ID:beCnwr4t
戦国時代の過酷な環境で育った馬は今では想像できないくらい野生的で荒々しいぞ
967 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 19:53:23.94 ID:G8LmGvRA
と、見てきたかのように言う。
単純に去勢してないからでしょ。
968 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 20:14:55.69 ID:1C1lOoPK
鎌倉時代から「名馬」の条件は悍馬(あばれ馬)だったり……
969 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 20:34:32.68 ID:tMrT0nmD
ていうか木曽馬は性質が温和しいことで有名なんだが
どっからそんな話が出たんだ?>日本の馬は暴れるばかりで騎馬隊編成は無理
970 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 23:13:57.37 ID:G8LmGvRA
フロイスが日本の馬は去勢しないから荒いねーと言ったからそれだけ
971 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 23:23:05.72 ID:cIkgQSrg
木曽馬が大人しいと言われるのは、現代に残っている木曽馬が、
明治〜昭和のお百姓さん達が大人しさと扱いやすさを優先して
こっそり繁殖させていた農耕馬の子孫だからだろ。
明治時代の記録では性質がよろしくないと書かれているし
当時は木曽馬と言っても、その気性は様々だったのだろう。
木曾馬は西筑摩の山間の馬にして粗食に堪え剛健
能く山地を跋渉するに巧みなリ
體格は矮短、三尺七寸乃至四尺四寸にして頭は重く
眼は小に、頸は厚く躯幹長く、尻は傾斜して四肢軽細
関節強靭、蹄小にして其質堅牢なり
青毛多く駄用に適するも性質柔順ならざるもの多し
972 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 10:27:48.68 ID:s5K1xAE6
そのフロイス自身が「騎馬侍は騎士みたいに落馬しても死なないし、すぐ体勢立て直す」
って書いてるのに鈴木さんは無視するんだよね。
973 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 11:21:15.06 ID:Pfn0wDti
ひんひんお!
974 :
人間七七四年:2012/05/19(土) 14:40:30.00 ID:OiiYM48U
えーと、けっきょくこのスレは
>>1がだっせーってことでおk?
975 :
人間七七四年:2012/05/19(土) 15:01:36.51 ID:5zjZgNq0
614 :S字型金具 :2011/02/19(土) 01:31:36 ID:hlQDpnLA
1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。
私が日本の情報について閣下に送付した第一の文書においては、甚だ簡略にですが、私はその土地において行なわれている宗教と神の礼拝に関する主要な事柄のみをいくつか書き認めました。
その他の世俗的な事柄は、私の職業にそれほど相応しくなく、また必要であると私には思われないため、余り熱心に知ろうとしませんでした。
しかし、閣下が、私が前述の世俗的な事柄に関して質問するように私に命じていますので、私はたくさんの恩義を受けている方に従わない訳にはまいりません。
閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将のところへ持っていくのが習わしです。そして、首を持参することができない時には、勇しさの証拠及びしるしとしてその耳を切り取って持っていきます。
日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。領主達は自分達の牧場に飼育のために数え切れないほどの雌馬を持っていることを誇りにしています。
日本の船はすべて小型であり、その最大のものでもカラヴェラ船ほどであり、丈が短く、私達の船とは別の様式です。すべての船は櫂で漕ぎ、ござ帆を持っています。あの土地に見られる強い風の時には、投錨する度毎に帆柱がおろされます。
日本の商人達はシナ人達と取引を行なっています。彼等は日本からシナに銀、武器及び硫黄や扇子をもたらし、シナからは硝石や多量の生糸を持ってきます。また同様に陶磁器、水銀及び麝香の固まりをも持って来ます。
日本人達はまたシナの下方、東にあるコレー(高麗)と呼ばれる別の人びととも取引を行なっています。
彼等はそこにも銀や貂の皮を持っていきますが、それは、同島にはそれが多量にあるからです。彼等はまた扇子をも持参し、朝鮮からは綿布を招来してきます。 ・・・・・
この島のいくつもの地方に大量の銀があり、僅かではありますが、金山も幾つかあります。また多量の銅、鉛、錫、鉄があり、鋼鉄も非常に豊富にあります。また水銀若干量と硫黄がたくさんあります。 ・・・・・
976 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 22:58:23.77 ID:cPdznH6o
>>971 気性が荒いくらいでないと戦では使い物にならなかったらしいぞ。
大人しい馬は臆病なんで火薬と怒号の入り混じる戦場だと
すぐに逃げ出そうとするらしいし。
977 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 23:06:00.29 ID:h5hU+fot
そんなこたない
978 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 23:06:43.33 ID:HD1d/NdV
武田は牧で鉄砲を鳴らしまくって、戦場に出たとき鉄砲に驚かないように調教してたんだよな
979 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 11:01:04.68 ID:Q7+h7V32
>>976 >気性が荒いくらいでないと戦では使い物にならなかったらしいぞ。
で、それは誰に聞いたの?
980 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 12:38:40.72 ID:mmqziK5o
ま、歴史研究は人づての又聞きの集大成だもんなぁ
絶対に正解は無い
981 :
人間七七四年:
このスレが立った2006年と比べると鈴木信者は少なくなったよなw