1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
質問する時はageで、
―【誰も答えてくれない放置される質問】―
★「〜の〜を下さい、若しくは掲載されてるサイトを教えて! 」等。
クレクレ君は放置です。
★検索すれば分かる、単 発の単語の質問は禁止です。
★マルチポスト(多重投稿)は逝ってよし。
★亀レス歓迎!知ってる人間がすぐ出てくるとは限りません。
―【質問する前にすること】―
★検索サイトでとりあえず検索。これ最強。→Google検索
http://www.google.co.jp/ ★自分と同様の質問がスレッド内(Ctrl+F)、過去ログ先に無いか必ずチェック。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 19:49:42 ID:gkuOWLtQ
: __,,,,,,,,,,yww,,,,、 .l゚“''''z l゚゚゚゚゚゚》
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.″ ゚!i、 ,r° .l : ┃ ,,/゜ .,r°゚''=@ .゙'┐ `'=x, ] ヤ° .゚'i、 ,,i´,m, ゙K
゙″ .l,,yvrr━・''''''““゙゚゚゚“゙゙゙”””` .゚'v、 ,r" ゙'┐ .,/ .l′ .セ'!l .,,ri、 ,ト.l, .《,,,ド┃
`゚V″ `='′ il,,,,_ l′'h,_._,,r''″ ゚!i,,,/゜ ゙=,,,,,,,r″
゙”゜ `″ .″
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 22:35:45 ID:7GPbHwYf
御館の乱で
何故上杉憲政は氏康の息子である景虎についたのでしょうか?
北条家に対する恨みは消えていたのでしょうか?
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 11:13:08 ID:C3tAjRdo
兵数誇張や石高誇張が目立つんだけど、
一万石につき三百人ってのは明確なんですか?
例えば武田の甲斐勢が二万の軍で諏訪進攻したのも、単純に考えて甲斐国に60万石強もあったとは到底考えにくいんですが。
>御館の乱で
>何故上杉憲政は氏康の息子である景虎についたのでしょうか?
そもそも父親を殺した為景の子(謙信)を頼った時点で恨みも何も・・・。
で、上杉三郎景虎は山内上杉の継承者だった(にできる)可能性(自分の後継者)
景勝は弾正少弼という官途から、越後上杉家の継承者。
そういう背景を抜きにしても、両者を和解させなければ自分の立場も危うい。
べつに景虎派だったわけじゃないし、和議のために春日山城に行く途中でアボン。
>一万石につき三百人ってのは明確なんですか?
百石あたり2.5〜3人という目安が、軍役を課せられる領主にとって
ムリもなく過剰でもなく。という程度の問題だな。通常の軍役衆の数。
ところが当時の史料に「地下人も引き連れ」とある場合は、可能な限り動員しろ。
という意味で、織田に攻められた時期の武田、武田と北条に攻められた時期の上杉、
小牧の時の徳川など。
そもそも一石(米が一升瓶100本分)あたり1人食べられる概算だから、
一万石で10000人、女子供老人を差し引いても1000人は動員可能だ。
七人役というのがあって、これは防衛戦のための軍役で一万石で700人。
>そもそも父親を殺した為景の子(謙信)を頼った時点で恨みも何も・・・。
為景に殺された上杉顕定は憲政の父憲房の養父な。
憲政誕生前の出来事だし。
景勝も一応為景の孫になるが、あまり重要ではないだろう。
>>3 1567年近辺だったかに正式に謙信より景虎に関東管領が譲られていたから。
ちなみに越後守護は景勝。それも関係してると思われ
>>8 史実にないない、ガセだ。
井上鋭夫氏が「景虎(関東管領)景勝(越後守護)に」説だが、それも推論。
・67年ごろだと景虎はまだ養子になっていない
・景虎の関東管領就任は間接的に北条の関東支配を認めてしまうことにもなる。
いくら相越同盟中とはいえ違和感を覚える。
・越後上杉は山内上杉の分家、断絶状態とはいえ、謙信の独断で守護就任させる
ことができるのか
このあたりどうなの。
>>10 謙信は山内上杉の当主(憲政の養子)
同時に、謙信は越後上杉(守護家)の実質的な当主(上杉定実の死とともに室町将軍から守護待遇に)
>>11 越後上杉は"山内の分家だし、断絶してるからその点は楽なのだが"って意味ね。
で、なるほど、義輝から国主待遇にされていたことはわかった。
ただこれは「三条長尾が越後の守護相当である」ということで越後上杉の当主
扱いになるのとは別の話じゃないだろうか?
上杉家相続をこの時点で認められていたなら国内安定の為に利用しない手はない
と思うんだが。
>>12 永禄4年暮れに輝虎を名乗る(将軍義輝からの関東管領職就任の追認と偏緯)
の段階で、越後上杉の継承も承認されたという解釈が成り立つ。
というのも、長尾一族筆頭の古志長尾十郎景信が上杉姓を名乗り、
上田長尾(政景)との格差が認められる。そのいっぽうで、
天正3年正月11日、吉日を選び養子の顕景を景勝と改名させ、
上杉の名跡と官途(弾正少弼)を譲る。[上杉文書・新潟県史890]
だから、この官途を越後守護職に固有のものとすれば、越後上杉の家督は
景勝に譲った説も成り立つ。ただし、三郎景虎側に旧上杉家臣や古志長尾
がついたことから、疑問視する研究者も少なくない。てのが史学界の現状では?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/15(木) 15:04:15 ID:ngZ8nnsl
石井進の本だったかに、貴人を焼くために真言宗の僧が原油を使った記録があると
紹介してた気がする
>>15 室町時代には瓶に詰め火縄を付けて、紐をくくりつけてぶん回して投げつけて火炎瓶のように
使ったんじゃなかったっけ?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:04:05 ID:FaNqNLC1
森蘭丸みたいな小姓ってどんな事をする人だったんでしょう?
他には有名な人はいないんでしょうか?
春日源吾とか樋口兼続とか
>>18 主君に穴を出す、掘られる。
簡単に言えば、美少年のメイドさんみたいなもの。
樋口兼続、加藤清正みたいに、小姓から出世して大名になったのとか結構いる。
農民や百姓出身で、実力者になった人は、豊臣秀吉だけですか?
田中角栄
戦国なら田中吉政だな
>>22 当時は言ったもん勝ちだから百姓とか区別ないよ。
秀吉は下級武士だった説もある。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 13:21:22 ID:P5Z393s6
つまり秀吉の出世というのも天下人になったからであるのね
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 01:24:07 ID:YukMO7q7
関ヶ原の戦いに不参加だった蒲生秀行が多大な恩賞を受けたのは何故?
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 12:55:29 ID:/8Gv59R9
業
振姫(家康の三女)の夫ですからね、秀行
前の減転封は重臣間の紛争により、秀吉から命じられたもの
関ヶ原時は宇都宮で上杉の牽制をする役目
信用されたのでは、家康に
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 12:46:54 ID:q902YF/c
質問です
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 12:51:28 ID:q902YF/c
30年以上前の映画だと思うけど、大阪の陣で真田幸村が討ち死にするシーン
で体中に矢を受けて壮絶な最後を遂げるシーンがあった記憶があります
が何て映画か教えてください。モノクロで大迫力でしたが、五社英雄監督
の3匹の侍にちかい演出かもしれない。
とにかく真田幸村の討ち死にシーンは凄かった。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 17:39:17 ID:eORHitTx
質問。当時の武将さん達の給料のシステムがしりたいです。よく〔何千石〕とか載っているけどそれは給料なんですか?お米?
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 17:56:47 ID:tksrS3sG
名目の石高と実質の石高が何倍も違うという話をよく聞くけど
なんで、そんなにかけ離れちゃうの?
土佐なんか20万石以上という話で行ったのに
実際は9万石程度しかなかったそうだし。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 19:26:41 ID:JU3KvlLH
まじめな質問は史板のほうがよさそうだな
>31 米の単位。給料というか、報償は米で支払われました。江戸になっても同じ。
領地を貰ってる人は別です。
一石は一○斗
一斗は一○升
>32
検地の後で、そんな例があるのかな。逆は聞きますが。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 21:54:03 ID:eORHitTx
なるほど、お答えありがとうございます。報酬って事は定期的にもらえるものではなかったのですね、米は換金なども出来るという訳か〜
>35
書き方が悪かったです。報酬=年棒と考えて頂ければいいとおもいます。
>>35 ついでに言うと、江戸時代になると現物支給じゃなくて札とかもらってそれを藩所有の蔵に持って行って
それで交換するシステムになったよ。そこから先物取引も生まれたりもしてた。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 05:03:08 ID:kQ27+nyg
なるほど!藩の紙か〜。でも米が無いと渡せないね!弱小藩はキツイかも
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 06:28:40 ID:JxyKkQRh
>>32 石高は20万でもそれを支払う農民が反抗したり疫病、貧困当で支払い拒否したから
実際江戸時代を通して農民の力はかなり強かった
武士が農民を虐待してたなんてのは捏造
考えても見ろ、幕末じゃ農民が腰に刀さして堂々あるいてたんだぞ?
かの新撰組も、武裝農民やな。武士も居るには居るが……。
特に土佐は一領具足とかで兵農未分離の地侍が多かったしな。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 07:47:57 ID:60bUcv5M
私的な旗本・大名の歴史ページ というHPが
表高と実高の関係詳しいです
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 20:51:48 ID:M4dBxHLD
戦死者の遺体はどうやって処理していたのですか?
まさか放置?
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 12:52:28 ID:rt8r+ppe
放置せずに手厚く葬ってるよ。戦前なんかは至る所に首塚があったりもした。
今は一箇所にまとめて大きく首塚を作り、そこに移設したりしてるけどね。
放置は疫病が流行する恐れがあるので絶対にしない。呪いや言霊、霊魂を信じる日本の風土らしい特徴。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 21:06:58 ID:t7Ob/kHT
織田信長とか豊臣秀吉とかが実在してたっていう証拠ってどこにあるんですか?
俺達が存在してるって言う確証もないのにそんなの無理、答えられない
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 07:45:52 ID:MZn5stiv
昔、大河ドラマで見たと思うのですが
合戦の時に、最前列で数人の子供が太鼓を叩いたり笛を吹いたりしたあと、
攻撃を仕掛けてくる武将は誰でしょうか?
15年ぐらい前だと思いますがインパクトがあって印象に残っています。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 08:55:09 ID:yR7qR729
それタイムボカンだろ
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 10:01:00 ID:7EguPHUK
>>48 「天と地と」じゃね?ありゃ監督の創作と本人が断言している。実際にはない部隊だよ
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 13:08:35 ID:wEtaq4Ps
>>30 亀レス=おおい!まだ見てるか??
「真田風雲録」1969と思うぞ。
変な茶化したアクションじゃなくて、大人のための映画だ。
>>50 ありがとうございます
やっぱり創作ですか。ちょっと残念。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 11:47:37 ID:IHIfv+ZC
>>32 石高は米の生産だから、イコール実際の国の豊かさ、とはならない。
蜂須賀の阿波(徳島)も特産の藍の全国独占販売による収入を加えると
豊かさは100万石の加賀に匹敵したというし。
戦国期は金山銀山があるし、大内みたいに貿易で、もあるし
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 19:11:24 ID:DbSZruD1
加賀は100万石ですか
加賀40万石
越中35万石
能登30万石
地元民はよく勘違いしてるけど
加賀藩が百万石なだけで加賀国単体では30万あるかどうか
加賀の実高
太閤検地 35万5千余石
寛永期 44万2千余石
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 00:18:20 ID:2r3WvDZH
能登が30万石もあるってなんか意外だ…。
あと、筑前筑後豊前も面積の割には高いよね。今の福岡県でゆうに100万超えてそう。
質問ですが、三津七湊を教えて下さい!安濃津、坊津までは覚えてるんだけど
待て、能登の石高は>59と同じと思われるソースだと、
二〇万石・一一万石だった筈。
俗に加賀百万石などといわれるが
まあ半分は越中ではないか?
実勢の伸びを勘定すると尚更に。
安濃津、博多津、坊津or堺津
北から十三湊、十崎湊、今町湊(直江津)、岩瀬湊、輪島湊、本吉湊、三国湊
石高は単純に面積ではなく、稲作に適した農業用地の面積や気候の方が大事ですから。
それこそ面積だけで言えば信濃は広いですけど、石高は尾張に劣りますし
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 01:19:16 ID:2r3WvDZH
>>62 ありがとうございます!
なんか七湊は北(日本海側)にかたよっとるんですね。
てっきり今治や赤間関、浦戸も入ってると思ってた…
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 23:38:32 ID:XDAa+/xH
加賀藩は越前もあった?
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 04:56:09 ID:FasUztPd
みなさんからしたら糞な質問になるのですが、旗本といわれる方々はいったい何なんですか?いわいる大名に使える武家ですよね??数千石でやとわれているサラリーマン武士ですか?
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 05:24:57 ID:xikL3Mvc
さむらい
大雑把に説明しますと、
戦国時代の旗本
・主君の直属部隊、つまり直属の(譜代)家臣
・独立性のある国人領主よりも大名の信頼度は上
・大名の軍旗(つまり本陣)の本で守る武士団
江戸時代の旗本
・将軍家直々の(大名ではない)であり、将軍に御目見得できる身分の家臣(御目見得できないのは御家人)
・特に石高が高い(大名待遇)、もしくは由緒ある家格(大名分家、改易大名家、名家)の旗本は交代寄合と呼ばれます(ex山名家、最上家)
・更に名族は高家として朝廷との連絡役や儀礼を司る(その為に官位は高い、でも石高少な目)
・幕府の役職(除く大老・老中・寺社奉行)を命じられる
・ちなみに石高は9500〜100と雲泥の差
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 06:26:54 ID:FasUztPd
お答えありがとうございます。なんとなく理解できました。よく暴れん坊将軍でしんサンが出会った人に「貧乏旗本の次男坊」と言っていたので気になっていたのです!
でも100石と言っても、
現代年収800万位あるんだけどね。
ただし軍費その他必要経費は全て自己負担だけどな
軍馬を世話するのはどの役目の人でしょうか?
百姓ですか?その馬を持ってる武将ですか?馬を世話する今で言う厩務員みたいな人ですか?
あと、関ヶ原の戦いにおいて、全体16万人?のうち、騎馬の割合はどれくらいでしょうか?
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 13:52:01 ID:WClm7kOt
>>64 無い
能登、越中、加賀のみ
越前は松平家
大河ドラマでやってた槍に旗まきつけてビューンって本当にやってたの?
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:53:57 ID:FasUztPd
八百万円?数千石の人はヒルズ族!?
その800万円相当でも石高によって家臣を何人雇え(当然自腹)等の義務を考えると、懐には厳しかったり。
一番多い200石の旗本(1600万)で家臣を5人雇い、召使を雇いとなると、実際手元にはあんまり残らない。
更に役職手当どころか出費する小普請組(修理費分の金銭か人役を出す、3000石未満の役)に編入されると商人に頭下げて……
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 19:29:46 ID:FasUztPd
ぐぉー痛い。商人に頭を下げるなんて・・貧乏暇なしか・・
>>71 よく分からんが騎馬ってのは騎馬武者の事か?
騎馬軍団とか騎馬隊とかなら無いぞ
>>77 大河ドラマとかの関ヶ原の戦いで馬に乗って槍をぶん回してる人です。
>>78 それは騎馬武者、侍大将とかの中級以上の身分の人達でつまり仕官
基本的には白兵戦では馬から降りて戦う、正確な割合は分かんないな
ちなみに平時でも戦場でも馬の世話は家臣がしてくれるよ
「伊達世臣家譜」と「同略記」の違いは何でしょう。
単に石高の低い藩士を削っただけなのか、記述された内容にも
何か違いがあるのでしょうか?
信康に使えた家臣って石川数、平岩親吉以外に誰が居ますかね?
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 16:12:49 ID:z438m1Hw
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:46:31 ID:mCR8VhIX
黒沢明監督の[乱]ってどこかの国や大名をモチーフにしてるの?さっき借りてみたけど三本の矢やとかがでてくるし、ってかあの映画はなんか切ないなー
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 02:48:09 ID:YIHSngnJ
架空の人物であって、モチーフなどは無いんじゃない。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 05:32:16 ID:ThKkq1bF
かな〜?
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 07:01:16 ID:ThKkq1bF
そうなんや・・゛やっぱりあったんや!今最後まで見たところやけど切ない。。盲目の弟がずっと姉を焼け跡の城でまっているところがラストなんて。。しかも姉は首取られてるし
87に萌え
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 19:10:16 ID:4VkT4HCL
戦国時代の与力制度って具体的にどんな感じですか?付け家老とか
いたらしいですが、実際は寄り親の直臣と同じように扱われていたので
しょうか?
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 20:20:22 ID:zQtOXTPL
>>89 読んで字の如く「与えられてる力」でござる。
つまり、秀吉には黒田と竹中とか柴田には佐々やら前田やら
とかねただ、長く寄り親に仕えてると家臣同然の仲になるとか。
形式的には黒田も竹中も信長の直臣ってわけさ。
解釈間違ってたらすまん。
信長=親会社
秀吉、柴田=子会社
親会社から派遣されてきた人間=与力
みたいな感じかと。
具体的にって言ってるな、スマソ無意味なレスだったorz
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 01:50:42 ID:Q7+28pej
徳川家康はなぜ信康には徳川姓を名乗らせなかったのでしょうか?
後に名乗らせようと思っていたけれど、その前に殺してしまっただけですかね?
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 01:51:49 ID:Q7+28pej
あ、名乗ってるのかな。。すみませんですた
いや、名乗らせてないはず
一応武田と内通した裏切り者ってなってるから、死後も松平のままで、
明治になってやっと一部で徳川信康って呼ばれるようになったとかだったような。
にわか知識で申し訳ない
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 04:14:12 ID:/hFViD47
与力質問したものです。お答え有難うございます。小説などで半兵衛とか普通に
秀吉を殿と呼んで家臣みたいな感じなのばかりで、意味として解っていても正直
違いが良くわからなかったのですが、例えば秀吉の与力はあくまで自分の殿=信長
で秀吉は上司のような感じなんですね
その場合は秀吉に対して「殿」
信長に対して「大殿」って呼ぶ
与力には監視・報告役と言う側面もあったりします
目付け
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 17:37:34 ID:esSMb2sz
<●>"←――ブスッ
>>96 与力はあくまで助っ人、家臣では無い。
有能な家臣に自分(主人)の家臣をそいつの家臣にすると
派閥が出来たり謀反を起こされ易くなる。
小国時代の家康は与力を多様してた。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 14:43:53 ID:3+PG3kiA
質問します
お江与の方の娘の千姫って、戦で大阪城が焼けた時にある武将に助けられたんですよね?
何か千姫を助けだした時その武将は顔が焼きただれてしまって
千姫に嫌がられて結婚出来なかったって聞いたんですが
その武将って誰ですか?
教えて下さい
>103
大阪方の堀内氏久が千姫を伴って、坂崎出羽守のとこに行ったのが真実。
可哀相な武将じゃ・・・坂崎。
改易はやっぱり宇喜多潰しなのかな・・・まさに命懸けの斡旋だな。
107 :
103:2006/07/14(金) 15:17:24 ID:3+PG3kiA
詳しく教えて頂きありがとうございます!
ついでと言ってはなんですが…
その後、千姫が惚れて結婚した男は本多タダトキ(漢字わからない)ですよね?
千が惚れたかどうかは解らんが縁組は御公儀の意向と思われる。
直盛は大坂の陣の後、公家と千姫の結婚の仲介(斡旋)をしていたが
公儀が行き成り千姫と本多忠刻の縁組を発表する!
きれた直盛は千姫奪還計画を企てる!公儀にその事が露見し、改易。
信玄って、上杉や後北条攻め続けて結局落とせないってある意味弱かったって事ですか?
信長は包囲網を組まれて絶体絶命に陥っても、連戦連勝できてるのに、
信玄って、家康を倒すだけの兵力持ちながらなぜ?って思うわけですが・・
責め滅ぼす意図が無かったからです。
>>109 >信玄って、上杉や後北条攻め続けて結局落とせないってある意味弱かったって事ですか?
そんなことはない。
事実:三方原で散々に負けた直後、信長は信玄に
「自分の身内が迷惑をかけて申し訳ない云々ー」
という詫び状と共に、西洋の名馬を送っているが、
信玄はこれを無視したたため、大いに困った。
土豪連合の限界だわな
113 :
某研究者:2006/07/17(月) 12:28:27 ID:0EWFBvnA
長篠で3段撃ちは無いと言う
意見が主流と言うが
長篠では土塁の銃眼から
銃兵が狙撃していたと言う
事だっただろうが
銃眼の数が銃兵の数より少なければ
兵が前後に入れ代わって
発砲していたと言う可能性は
無いのかだが
一部の兵は銃眼を使わず土塁の上等から
発砲していた可能性も
有る訳だろうか
114 :
某研究者:2006/07/17(月) 12:37:58 ID:0EWFBvnA
115 :
某研究者:2006/07/17(月) 12:43:39 ID:0EWFBvnA
116 :
某研究者:2006/07/17(月) 12:47:03 ID:0EWFBvnA
野戦でも密集隊形を組んで居る場合は
オランダ式大隊等の様に
兵が前後に入れ替わって発砲して居たと言う事は
無いのかだが
日本は密集隊形は
使用して居なかったと言う
事だっただろうか
117 :
某研究者:2006/07/17(月) 12:49:13 ID:0EWFBvnA
某研がこの板に!!!wwww
なんか、肝心な点を忘れているんじゃないか?
鉄砲は火薬が無ければただの棒。
火薬の元・硝石は信長とあと一部の九州勢が入手ルートを持っていたにすぎない。
事実、織田の(特に秀吉の)独占状態。
だから、長篠以降の戦術の中心に鉄砲が来ないというなら納得できるが。
三段撃ちは無いにしろ、長篠で大量の鉄砲が騎馬を倒したことの否定にはならない。
兵が前後に入れ代わって発砲というのは、当然行われていただろうけども
いわゆる3段撃ちのような整然と統制の取れた交互射撃という感じではないということですハイ。
121 :
某研究者:2006/07/17(月) 14:27:02 ID:dhF24vOZ
>いわゆる3段撃ちのような整然と統制の取れた交互射撃という感じではないということですハイ。
日本の場合は一斉射撃は無く
兵が一人毎狙撃していたと言うが
どの程度の距離から射撃を
して居たのだろうか
122 :
某研究者:2006/07/17(月) 14:30:20 ID:dhF24vOZ
全銃兵(1000−3000名)が
同時に使用出来るだけの
銃眼が矢張り土塁に有ったのかだろうし
銃兵は発射後入れ替わっていた可能性が
高いのかも知れぬが
>>121 250mくらいから撃ち始め、120mくらいで命中率が上がり、50mで体のどこかに当たる、30mでほぼ必中。
威力は50mで24mmの檜の板を撃ち抜きます。
感覚としては銃眼があったよりも、片膝撃ち(土塁は遮蔽物)であったの方が現実的と思います。
恐らく、
敵が柵に近づく→統制射撃→敵の攻撃隊交代を続けるうちに、
交代時に何らかの原因(誤報もしくは錯覚、疲労)により前線が崩壊、それに対して連合軍の突撃、
武田方の敗走なのかなと思ったりしちゃったりと
125 :
某研究者:2006/07/17(月) 16:15:06 ID:QFMI1qtD
126 :
某研究者:2006/07/17(月) 16:18:54 ID:QFMI1qtD
127 :
某研究者:2006/07/17(月) 16:20:27 ID:QFMI1qtD
所謂輸入品の南蛮胴なら16世紀後期の物だろうし
此れは防弾能力が有るのかも知れぬが
此れに匹敵する胸甲は
独自に作成出来て居たのかだが
厨臭い質問なんですが
歴史上の人物で火縄銃の名手っていますか?
129 :
某研究者:2006/07/17(月) 17:59:22 ID:QFMI1qtD
130 :
某研究者:2006/07/17(月) 18:07:18 ID:QFMI1qtD
>もともと数で劣る武田軍の犠牲者の多くは、鉄砲によってではなく、敗走時に討ち取られたものである。竹束柵を防御に幾度となく突撃を繰り返していく内に疲労困ぱいし、指揮命令系統が崩壊、まさにこの時織田・徳川連合軍の反撃を受けて、たまらず敗走したと思われる。
雨が降った後の泥の上を移動して疲労したのが
軍が崩壊した最大の原因と言う
事だっただろうが
雨が降って居なかったら
勝敗はどう成って居ただろうか
131 :
某研究者:2006/07/17(月) 18:10:23 ID:QFMI1qtD
無論雨が降らなければ
織田軍も勝算は無いと見て
戦わなかった可能性も
有るだろうか
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:12:32 ID:C+plg2A7
某研究者って軍板のコテ?
>>128 明智光秀。
織田に仕官するにあたり、信長の前で50mほど離れた的を36発撃ち、
30発を的の○印の中に命中、残り6発も○は外すが、的板に当てた。
このことで、鉄砲オタクの信長を喜ばせた。
仕官の決め手は義昭とのコネだけど、文官として以外に武人としても使えるヤツと
売り込みに成功した。
あぼーん
136 :
某研究者:2006/07/19(水) 04:18:53 ID:9aLH8Wf9
ワーテルローの時は
スルト元帥がグルーシーに
伝令を1名しか出さなかった為に
負けたと言うが
戦国時代の日本の場合は1ダース等の
伝令を出して居たのか
どうかだが
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:11:48 ID:iL1zR9ej
戦国・安土桃山・江戸初期時代には、大虐殺とかあったのですか?
あったのならば、特に酷いものを三つ教えてください。
どの武将が、何人、どのような人たち(女子供なのか)を殺したのか詳しく教えて頂ければ幸いです。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:12:54 ID:iL1zR9ej
戦国時代とか、それこそ虐殺とかあったんですよね?
戦の後には女子に対する強姦や略奪とかあったのですか?
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:14:38 ID:kmd/Tkpd
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:15:22 ID:iL1zR9ej
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:30:55 ID:iL1zR9ej
当時の人たちはそれこそ何の為に戦っていたのですか?
郷土愛からくる、いわゆる現在の"愛国心"に似たような感情が動機となって
合戦に参加していたのですか?
やっぱり、恩賞や俸給と言った実利の面のものですよね?
略奪のためです
143 :
義弘:2006/07/19(水) 23:00:27 ID:e3kgbUms
大きく言うと野心だね
それは名誉か
領土か
財か
群雄割拠の時代は初めから領土たくさんもっとる奴なんか少なかったし、隣国が肥沃な土地持ってれば欲しくなったろうし。
最初はほとんど私利私欲さ。
繰り返すうちに戦なんて無くしたいって思う奴も現れて当然。
野心と義心両方持った奴が天下人に近かったろうな
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 00:13:08 ID:lhwTTMVb
>>136 鳥居強右衛門や村越茂助の例から
一人だったと思いますよ。
隠密にしなければなりませんし。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 09:41:26 ID:CTFEhLlR
滝川一益主人公の小説とかある?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:32:06 ID:9smHoKQz
朝鮮出兵(文禄慶長の役)に参加した日本兵って、
愛国心があったから参加したんですか?
それともやっぱり俸給や報酬が目当て?
愛国心を理由に戦い始めるのは、
明治政府が作り出したつい最近の事なんですか?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:35:01 ID:9smHoKQz
戦国・安土桃山時代の武将の甲冑を調べてみると、
ずいぶんハデだったり、ファッションのような甲冑も多いですよね?
アレって、純粋に防具として役に立つんでしょうか?
ファッション性を追求したものだから、
やっぱり防具としては無意味なものですね?
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:39:02 ID:9smHoKQz
戦国・安土桃山・江戸初期の合戦って、
日本刀はメインウェポンではありませんよね?
と言うより日本刀は戦場に置いて武器の主流なのですか?
日本刀って実際の合戦では役に立つのですか?
足軽が使うか使わないかということなら、使わない。
朝鮮出兵…大名からすると命令で仕方なく+加増狙いなんじゃ
甲冑…源平時よりは軽いんだろうけど
よくわからん
刀…
>>149
>>147 あれらの大半は直接戦闘しない指揮官用、あるいは後年作の装飾品
>>148 どの時代や場所でも剣や刀は基本的に装飾品や限定されたルールや空間でのみ
使用されるサブウェポンですよ
戦場のメインはあくまで槍、鉄砲、弓
槍、騎馬の他に、抜刀隊というのがあったよねぇ。
大抵は、趨勢が決してから「撫で切りにせよ!」
とか大将に言われて殺戮の限りを尽くすんだが・・・・
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 21:30:00 ID:hX1srl5k
日本号って槍、誰がもってたんだっけ
>>154 1. 福島正則が小田原攻めの功績でGet
2. 飲み比べで勝って黒田家の母里太兵衛がGet
3. 朝鮮出兵時、太兵衛の窮地を救った礼で後藤又兵衛がGet
4. 又兵衛が黒田家を出奔する際母里家に返却
書き忘れた
5. 現在は福岡市博物館がGet
関が原の戦いで一族が西軍東軍に分かれて戦ったのは
前田家、真田家、津軽家ぐらいですか?
九鬼
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 22:54:00 ID:+Up0F6nj
無双厨のようなドラマチックかぶれで歴史を何も知らない愚物か、とてつもなく歴史に詳しい方がほとんどでしょうか?
あんま中間層はいないのかな?
中間層に手ェ挙げとく。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 23:59:42 ID:axhTHFwn
俺も中間層だと思う。
中間ゆえにたいていの話は知ってるが、事細かく答えられるほど知らないから、
発言ができなくいから、あんまりいないイメージになるのでは?
ぷらっとが中間層なら俺も中間層だな
ここは史板ほど気合入れてやってるわけでもないし
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 01:45:56 ID:yduno/+Q
マジで戦国武将って実在してたんですかね?
いまいち信用できんのですが
うんうん信用しなくていいよ
まず君がこの世に存在するという証を立ててもらおう。
話はそれからだ。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 06:18:51 ID:7zKdeA/e
質問です。一番(人気)使われていた陣形ってなんだったんですか?それとゲームとかの陣形って実際には役にたつのですか?飛鳥とか
>>167 「飛鳥」は光栄の創作でしょ?
人気はどうかわからないが
<イラストで見る合戦の基礎知識>
:静岡大学教授・小和田哲男 に書かれているのには
中国大陸から伝えられた八陣形が基本として使われた。
魚鱗、蜂矢(ほうし)、鶴翼、方円、雁行、長蛇、偃月(えんげつ)、衡軛(こうやく)
の8つ。
長蛇は前衛も後衛も攻撃できる陣形で、光栄の解釈とは違う。
偃月は後ろに山や川があって敵を迎え撃つ時の陣形。
衡軛は山での戦い用
あとの5つは有名だから略。
よく使われたのは、鶴翼、魚鱗、蜂矢
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 15:12:33 ID:WCmvZqti
↓の信憑性は?
127:日本@名無史さん :2006/07/22(土) 14:22:25
信長は、普段住んでいた安土城天主閣1階、京都宿舎である本能寺の自分の寝室の地下に
巨大な火薬壷を埋め、そこから導火線を寝室の床の間に出しておいて、
謀反が起こった際に、自分の首が晒し首にならないように、
床の間にある導火線に蜀台の火を放って自爆できるようにしていたんだって。
信憑性は低い気がする。
第一に合戦になった時に火を放たれて引火した場合、危険極まりない。
それこそ晒し首以上の恥辱だしね。
第二に、この返の記述とか資料は見たことないから詳しくないんだけど
信雄が安土を焼いた時の記述に特に「城が爆発した」とかなかったと思う。
追記ですが…
本能寺については、いまの寺のイメージと違い
「ちょっとした城郭のようだった。」なんて話もありますから、ひょっとしたら鉄砲や火薬やらの備蓄はあったかもしれません。
また、京や堺の商人の鉄砲やら火薬やらの売買の談合を行っていた場である。
という説なんかもあり、それでまた火薬やらが寺にあったかもしれません。
いずれにしても「本能寺で信長は爆死した」という、説はあります。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 18:47:12 ID:WCmvZqti
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 23:37:32 ID:7zKdeA/e
168 ありがと。飛鳥は創作のようですね、太閤立志伝の陣形で解釈文が攻撃型最強陣形とかかれていたので「ほんとかいなー?」とずっと思ってたんですよね
>>171 「骨すら跡形も無い」と言うほどの火力は建物が燃えるだけでは無理。
それで、火薬による爆死説が今は有力。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 00:28:27 ID:C8O7Kz6l
阿弥陀寺の上人が火葬した骨(多分頭部だけ)を持ち帰った説が一番有力
本能寺で死んでない、という説はなぜだか無力。
家康は、本当は豊臣家をどうしたかったのでしょうか?
天下を渡す気はまったくなかったと思うのですが、
それにしては豊臣家滅亡まで時間がかかっている気がします。
それと、山岡荘八の小説なんかは読んだことがあるのですが、
あれはあくまでフィクションだと思うので、
歴史研究家や学者が書いた良書があれば教えてください。
178 :
魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/07/25(火) 14:38:54 ID:sSK0VjXg
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:44:13 ID:m14yURdX
初歩的な質問ですいません。
紀伊、伊勢、伊賀などの畿内の近くで
有力な戦国大名が出現しなかったのは何故なのでしょうか?
天下を狙ううえで立地的には最高だと思えるのですが・・・
紀伊も伊賀もただの山奥だからだろ
伊勢方面には北畠だったか畠山だったかの由緒ある大名いるでしょう
それと戦国時代は全ての大名が必死に天下取り目指してたわけじゃないよ
そんなの信長くらいで他は領土拡張か守備が本意
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:02:07 ID:qxif18K4
伊勢は北畠氏がいましたね!
北畠氏は何故、伊勢一国を掌握できなかったのですか?
伊勢は物なりのいい豊かな国だったと思うし、
天下を狙うのには尾張とならんでいい立地だと思うのですが・・・
やはり一向一揆の勢力が強かったからなのでしょうか?
>>181 大体だけど北畠氏が制圧したじゃん。長野氏も養子出して継がせたし。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:43:16 ID:qxif18K4
北畠氏の勢力圏は南伊勢(南勢)中心で北伊勢(北勢、中勢以北)は
掌握できていなかったのでは?後、伊勢といえば関氏とかもどうなったの
でしょうか?
南勢は北畠、中勢は工藤長野、北勢は関、
最北部は北勢四八家といわれる豪族衆が割拠。
南部は1558年に長野藤定が北畠具教の次男具藤を養子に迎えることで
実質上長野氏は北畠氏の麾下に入った。
関盛信は蒲生定秀の娘を娶ってたこともあって六角氏に属していた。
北勢四八家の神戸具盛も同じく六角氏所属。
長野氏と関氏も抗争関係。
以上、信長が来るまでの伊勢の状況。
この後もいる?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 02:05:53 ID:qxif18K4
はいその後もください。お願いします。
1568年の信長の侵攻により関・神戸は織田に降り、
神戸氏は信長三男・織田信孝を当主として迎える。
神部具盛は蒲生賢秀降伏にも一役買うが、信長の不興を買い、
関盛信共々蒲生氏の日野城に幽閉される。
神戸信孝が四国方面軍の大将となると、赦されて
関盛信軍勢に加わり、神部具盛は隠居。
しかし、渡海直前に本能寺の変発生で軍は分解。
その後、具盛は織田信包を頼り、安濃津で死去。
子がいたのかはわからんので、信孝自刃で神戸氏断絶?
関盛信は信孝を離れ、蒲生氏に所属し、奥州へ。
その子関一政は関ヶ原で西軍に付くものち東軍へ。
この戦功が認められて旧領伊勢亀山に復帰するも、1618年家中内紛のため改易。
養子(弟勝蔵の子)の関氏盛が近江国蒲生で5000石を与えられ、
家名存続だけは許された。
以上、関氏と神部氏のその後。
北畠氏と長野氏もいっとこうか?
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 03:46:41 ID:qxif18K4
よろしくです。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 04:10:16 ID:04HDc5c7
昔のアニメで「サムライトルーパー」というアニメが有りまして
登場キャラのが戦国武将の末裔とゆう設定だったのだけど
その中に「シュウ=レイファン」と名乗るキャラがいまして
「レイファン」(おそらく中国系だと思うのですが漢字が解りません)
って誰なのかググッてもわかりません 教えてくださいな
上述の通り、1568年の信長の侵攻により北伊勢は織田に降る。
長野氏も信長の弟信包を当主に迎えたため、
北畠具教の次男具藤は地位を失い、北畠家へ戻る。
長野藤定は72年に死去したので、長野氏はここで完全に織田に吸収された。
北畠具教は長男具房に国司の座を譲りながらも実権を握り、
あくまで反織田を貫き大河内城に籠るも、兵力差と弟木造具政の寝返りで和睦。
信長次男信雄(この頃は具豊と名乗ってる)を具房の養子として当主に迎える。
具教はその後隠居したが、1576年信長と信雄の命で暗殺される。
同時に、次男具藤をはじめ一門の主だったものも信雄の居城田丸城において殺害された。
生き残った具房は伊勢を領する滝川一益に幽閉され、1580年死去。
その間に、いつの間にかできてた具房の子昌教が脱出し、
奥州で北畠氏の血脈を残している。
以上、伊勢諸豪族の戦国における戦いっと。
余談だが、塚原卜伝に剣を学んだ具教は、織田の襲撃時にも太刀を手に
19人の敵兵を斬り殺すという伝説を残してる。
>>188 wikiで調べたら、漢字は秀麗黄とあった。
誰の末裔かとか軽くググっても調べられなかったが、
単なる雰囲気設定じゃない?
での他のメンバーが 真田、毛利、伊達、羽柴だから
きっと武将がらみだと思うんだよなね
悪いが、俺にはこれ以上のことはわからん。
秀が通字の大名とかでもなさそうだし。
懐かしアニメ板とかでサムライトルーパーに詳しい人に聞けば、
当時の設定を覚えてる人がいるんじゃない?
>>177 亀レスで・・・
二条城で対面するまでは、一国に封じ込めれば問題ないだろうと考えたが、
目の前に秀頼が現れると、こいつはヤバイと思った。
秀吉の遺伝子というよりも、信長、長政の血を引いたと思わせる
カッコイイ若武者だったから。
その時、どうしても滅ぼさなくては、と強く決心した。
〜ということらしい。
>>188 華僑の出の秀麗黄、
たしかチンギス=ハンの子孫とか言うのを匂わせてたと思う。
ってことで番組としての先祖は源義経じゃないか?
>193
177です。ありがとうございます。
秀頼と家康は、何度も会ったことがあったと思っていたのですが、
成長した姿を見るまでは、ブランクがあり、印象が違ったということなのでしょうか。
秀頼は、秀吉の種ではないという説も聞きますが、どこかで、
「秀吉が猿顔であったというのは誤り」という話を見ました。
仮に、そのどちらかであったとしても、それ以上に織田家の血が強く出ており、
それを恐れたということでいいのでしょうか。
良書スレの方もありがとうございます。
まだスレが伸びていないようですが、のんびりと見させていただきます。
>>189 遅レスだが
>その間に、いつの間にかできてた具房の子昌教が脱出し、
>奥州で北畠氏の血脈を残している。
有馬なんとか卿の話かな。
この話はwikiと某サイトでしか出てこない。ちょっと眉唾説なのじゃないかな。
花の慶次に出てくる本間一族ってのは実在?
実在ですよ
佐渡本間氏かな
>>198 >>199 ありがとうございます
こんなに早くレスが帰ってくるって事は結構有名なんですね。
201 :
189:2006/07/27(木) 15:31:27 ID:UWPxsr/Y
>>196 俺も覚えてること適当に書いててその整理にWiki見てたから。
時間見れば分かるけど、早朝のテンションで
「ふ〜ん、そうなんだ〜」くらいで書いてしまった。
一応複数のサイトで確認はしたが、別の説のことは考えてなかった。
別の説の解説頼める?
>>201 従来の、北畠氏滅亡説では
具教、天正四年(1576)殺害
子の具房、天正八年(1580)没
具房の養子(中院通勝の子)寛永七年(1630)没〜完全に滅亡
ある事典とある本ではそうなっている
ただし有馬氏説は新説なのかもしれないので、間違ってるとは言わない
昌教のサイトも有馬のサイトも有名だけど、正直昌教の方は眉唾だね
伝承の域を出ないと思う
>>189 漏れも北畠末裔の別の説というのは知らないw
ただ、wikiに載ってる有馬なんとか卿というのが伊勢北畠氏が津軽氏を頼って落ち延びた末裔…
というのは眉唾臭いと考えてます。
津軽氏はご存じのように北畠氏分家といわれる浪岡氏をぶっ滅ぼしていますし
そこを頼って落ち延びるというのはかなり不審です。
某サイトが書いている「有馬氏は明治維新後にすべての史料から削除され(以下ry」
という説は大室天皇説とか半島史観論者がよく言う
「証拠は日帝が消却してないニダ」
…といういいわけと同じかおりがします。
実際、某サイトが主張しているように有馬なんとか卿が維新時にそれほど活躍したなら
すべての史料を抹殺することはそう簡単ではないことは容易に想像が付きます。
維新時関係の史料(手紙類)は今でも田舎の蔵から不意に発見されることが多いですしね。
ところで
ネットで伊勢北畠氏子孫=有馬なんとか卿と書いてあるサイトの
ネタ出元を探ると有名な某サイトに集約されるんだよね。。。
こういうこともあるんだなあ、と関心した
206 :
189:2006/07/28(金) 21:57:28 ID:hcjvB9G9
>>202-
>>204 解説ありがとう。
やっぱwikiを頼りに適当に説明すべきじゃないね。
ちょっと控えときます。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:40:26 ID:f380OUlO
よく武将の名前で○○守。って、ありますよね?
羽柴筑前守、直江山城守。。。などなど
これって、どういう基準で国をつけるんですか?
官位みたく、朝廷や将軍からもらえるんだと思いますが
好きに選べるんなら、どう考えたって山城や摂津とかの方が偉そうですよね
逆に、蝦夷守とか壱岐守、佐渡守、隠岐守とかの武将とかもいるんですかね?
蝦夷守・・誰かいますか? そんな武将。。。
官位みたくじゃなくて、朝廷から貰える官位そのものだ
もともとは朝廷から任命される官位そのもの
県知事みたいなもんだ
戦国時代などはほとんど全部自称だけどな
支配の正統性の大義名分で実際に申請して実際にもらった連中もいるけど
どの国がいいとかは趣味とかこだわりとか先祖とかじゃね
赤見山城守
織田上総介信長
カルサ様
当時の文書ではよく個人が官職名で呼ばれていますが、
官職が途切れている時期、例えば結城秀康なら参議を辞職した
慶長8年1月11日から中納言になる慶長10年7月26日までの間は
どう呼ばれていたのでしょうか?
兼任していた三河守では位が下がるし、辞職前の官職に前を
付けるとか?
自称が多いのが事実、信長の上総介も
ちょっとズレルけど、なかには実際の支配地域や、支配したい国の国守を朝廷からもらっている例も
織田信秀、今川義元、徳川家康の三河守
大内義隆の周防介や筑前守、土岐頼芸の美濃守などなど
変わったところでは
島津貴久や毛利元就の陸奥守、吉川元春の駿河守などなど
好みもあるんでしょ
高野山を追放されてから死ぬまでの三法師を教えて。
えっと、その間に何がどうなったかが気になるんです。
だれをたよったとか、どうなって、向副ってとこに行ったのか。
そこで何してたのか?とか
>>217 正直わからないな。
誰か地元の歴史に詳しい人でもここにいればなと思う。
個人的には、そこに隠れキリシタンの里でもあれば秀信に救いは残った、と。
北畠流有馬で盛り上がってたのは、ここでしたか。
はじめまして♪
有馬家綜合スレでも様々な有馬氏について話しているので、
一度覗いて見て下さい。
>>218 そうなんだ。日本史板の質問スレで自分で調べろと罵倒されたんで、よく知られたことなのかとおもた。
レス、さんくす。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 22:51:39 ID:f380OUlO
>>208〜
>>214 サンクスです ヾ(=^▽^=)ノ
しかし、問題の蝦夷守となると・・さすがに、いませんか?
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 22:59:44 ID:f380OUlO
もう一つ、教えてください
先ほどTVを見ていましたら双子のコメディアン「タッチ」が出ておりました
そこで、思ったのが・・双子の武将や大名って誰かいますか?
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:08:32 ID:tdjOgtmz
いない 双子は畜生腹と言われ タブー
うまれても居ないことになる
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:17:08 ID:KwgswuJ9
>>222 徳川家康の子供の(結城秀康)が双子だった?
という話はあります。
>221
蝦夷守と言う官職は記憶が定かであればありません。
松前家は志摩守ですが、志摩=(蝦夷)島という感じで。
この○○守は律令制度が出来た時の物ですから、当時の東北は蝦夷(えみし)の勢力がまだ強く、
蝦夷地まで勢力が届かなかったと思われます。
更に付け加えるなら、自称ですけれど織田信長が上総介であって上総守でないのは、
上総守は親王クラスに与えられる官職だからです。(ex常陸、上野)
ゲームで疑問に思うかもしれませんが、従五位上から従六位下まで○○守を貰ったと言うことがありませんか?
国によってランクがあり、それによって位階が決められるのです。
親王国(四位)>大国(従五位上)>上国(従五位下)>大国介=中国(正六位上)>上国介(従六位上)>小国(従六位下)
つ【変り種の亀井琉球守】
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 10:47:33 ID:5ft+2jOF
>>147 弓を主武器にしていたのだから役に立っていた
そもそもが 派手に飾った甲冑で格闘することが前提に考えていないから構わない。
供まわりの護衛がいるから。
ただし格闘することが前提にある雑兵にはそれなりの技が要る。
その体術が 柔術で 危険な技を減らして現在の柔道になった。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 19:40:32 ID:oqNl4WOz
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 20:52:48 ID:5D3eBH75
松永久秀の最期は爆死とあるのですが、
具体的にはどのように死んだのですか?
戦国時代に爆死ってどうもイメージがつきません。
>>222 中川清秀。
双子の兄がいたが、大筒の訓練中に大筒の爆発に巻き込まれてあぼ〜ん。と2chで見た。
ソースはシラネ。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 09:28:19 ID:+HAuewi6
>>228 【茶器バカ】松永久秀【爆死】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150695069/ より転載
115 名前:バロン曽志崎[sage] 投稿日:2006/07/14(金) 20:05:38 ID:Nm0LKVf3
久秀の爆死については初出かわかりませんが、「織田信長家臣団人名辞典」
に「老人雑話」が出典とあったので調べてみました。
しっかり見てはいないのですが、「鉄炮の薬に火をかけ、自ら焚死す」とあ
るのが、それにあたるのでしょうか?
若干、爆死とはニュアンスが違う気がするのですが?
「老人雑話」違いでしょうか。
あと、これは知らなかったのですが、同書に久秀は「修理大夫(長慶)の
乳父也」とありました。久秀の出世の糸口が見えた気がした。
>>228 同じく松永久秀スレからですが
多聞院日記 腹切自焼
兼見卿記 切腹し、全てが焼き尽くされた
と史料では自刃+焼けるになっていますので
本当に爆死なのかは?です
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 12:19:34 ID:HS8c9BsF
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:57:01 ID:PDI0cYC6
秀吉はどうして家康を野放しにしておいたのですか?
明らかに死後、危険な存在になることは目に見えてましたし、
生前に秀吉も家康を警戒していたとも聞きます。
ならいっそ、色々と難癖をつけて戦を仕掛け、小田原攻めのように各地の大名を集結させて
毛利・長宗我部・上杉等オールスター軍団で家康を潰せば良かったのではないですか?
難癖つけられないようにしかも逆に信任を厚くするように家康が行動した結果だろ
家康が豊臣を滅ぼしたって結果論だけで当時のことも調べもせずに
>明らかに死後、危険な存在になることは目に見えてましたし
みたいな結論導き出してする質問じゃねぇ
家康を警戒して、利家に秀頼を任せたのではないのですか?
秀吉ほどの男だ
家康が天下を取るのは
すでにわかり切って居たろう。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 18:57:29 ID:BWgKut+y
>>202-204 あと、明治期に村上源氏の誰かが恩典として北畠の家名を貰って独立した筈。
勿論、伊勢北畠とは無関係。
戦国時代の下着について質問させて下さい。
江戸時代と同様、男性は褌、女性は襦袢+湯文字が一般的だったのですか?
資料or良サイトあれば教えて下さい。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 22:41:10 ID:isDd72KG
>>93-95続き
秀吉の下に養子に行くまでの
於義丸は何姓になるんだろう?
(元服前に姓が付くものかどうか知らんけど)
永見とか。
>>234 難癖つけようにも二人は既に血縁関係にあるんだぞ
いくら太閤でも北条や九州の国人にやったみたいな事は出来ないだろ
親家康派の勢力も馬鹿にならないしな
>>234 小牧長久手の直接決戦で羽柴軍が負けてると見られてるから
現状で友好的なのに無理やり戦闘を起こしてまた負けようものなら
流れは完全に豊臣から徳川に流れてしまうよ
今川義元にしても武田信玄にしても
戦国時代ってなんで大将が死んだら
急にダメになるんだろうな
残った勢力は大きいのになんでなのかな
あつい…あつくてねむれん
この時代の人たちってどうやって熱さしのいでたんだろう
風通しを良くしたり、水を撒いたり。
着る物もスースーするやつだわな。
つかクーラーなんて50年くらい前は普及してなかろう?
田舎の夜は以外と涼しかったりする事もあるよ
戦国時代なら昼間は暑くても夜は何とかなったんじゃない?
>>246 明快な答えは出来ないけど、
企業に例えれば、戦国大名はワンマン経営者(合議制みたいな大名もあるけど)
急に倒れると社内は右往左往
それでもしっかり支えられる、後継者次第と思います
決して勝頼がどう、氏真がどうとはいいませんが
戦国時代あたりの宗教で、救済と語ってカラクリを使って公開殺人を行い
邪教扱いされていた一派があると昔ネット上で読んだ覚えがあるんですが
度忘れしてしまいました。詳細を教えてください
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 22:58:02 ID:79vdGJml
>>253 おぉ!たぶんそれです
江戸時代だったのか
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 08:07:18 ID:hMupZbLz
また宗教絡みの質問ですが、何故キリスト教は弾圧されたのでしょうか?
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 09:02:04 ID:LJtb+2qq
兵糧の扱いってどうしてるんでしょう?
普段から、城に抱えて保管してるんでしょうか?
それとも、必要なときに商人から買うんでしょうか?
商人から買った売ったという例がある事は確かなようですが、
それが通常なのか非常事態だったのかわかりません。
年貢が銭納だったとすると、戦の前になって急いで買ったんでしょうか?
秀吉が中国大返しした際切腹した毛利の人って誰でしたっけ?
清水宗治
>>259 あと右近の高槻、明石での神社仏閣破壊と
(野見神社や宝蔵寺のことかな)
右近が多くの人々(小西行長・蒲生氏郷・黒田孝高とか)を
入信させたことへの危機感、なんかも理由としてあげられる
>>255 普通に答えるなら、
スペインがイエズス会を通じて、スペインが大陸を侵攻するとき
先陣としての出兵を要請して来たから。
武器や商品は欲しいが、そこまでして兵を消耗することは御免だよ、
ということ。
当時、キリスト教がヨーロッパの侵略の先鋒であることは、
権力者なら知っていた。
262 :
261の続き:2006/08/12(土) 17:31:24 ID:BDa457Mz
日本を植民地にすることは考えてはいない。
日本にある鉄砲の数と軍隊の数は、ヨーロッパ人にとっても脅威。
日本全体が軍事国家だという捉え方をしていた。
植民地にするための軍隊派遣の費用や、船、兵士の数を考えたら、
武器取引で軍事同盟を結ぶほうが得策。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 08:31:28 ID:qlo+m/gm
上田宗固ってどんな人だったっけ
今更だが、家康が
名門武田より新興織田を伴侶に選んだ理由って?
俗説では信玄の寿命への不安からとは聞くけど
ああこの時点では信康か、失礼
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:23:27 ID:2wAA+9oA
フェリペ2世が秀吉に贈った品の目録がある寺はどこだっけ?
てか観れるのかな?
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:39:34 ID:QdPC214d
家康の家臣で織田の秀吉や光秀みたいに軽輩や浪人
から大名になったのっているのかな
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:34:24 ID:8kO/aKtt
>>269 本多正信は一度裏切って帰参、鷹匠から謀臣にまで登りつめたけどどうだろう
273 :
269:2006/08/20(日) 21:42:38 ID:QdPC214d
>>271-272 ありがとうございます。やっぱり所領を大きく広げた
家中では居るもんですね。素性にとらわれない人材
登用では織田が有名だったんで他がどうかと思って
質問した次第でした。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:03:41 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
旧三戦板のイェニツェリスレを見てしまってから
戦国時代にどっぷり浸かってしまいました者です。
素人だった時は漠然と信長ファンだったのですが
調べれば調べる程、徳川家に傾倒してしまいます
無論、織田家・豊臣家・武田家・上杉家・松永家等
好みの別れる所ですが実際この戦国板的には
戦国時代のどの勢力のファンが多勢を占めてるもんなんですか?
三戦に来始めた頃からの疑問なんで解る方がいたら宜しくお願いします
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 03:43:56 ID:Koz/Bdk2
この板ではやっぱり信長ファンが一番多いと思う。
アンチもそれに比例して多いけどね。
後は武田家と伊達家のファンが多い。
武田・伊達関連のスレはかなりある。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 07:04:25 ID:2KR6oXrD
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 07:06:52 ID:2KR6oXrD
>>277のような甲冑って、ファッションを意識したものであって
防具としては余り役に立ちませんよね?
大将は采配を振るうものであって・・・・
な?
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 08:31:53 ID:LtRBE1Wt
天頂脇立以外は特に華美でファッショナブルだとも思わんけど。
頭形兜に伊予札威具足なんて珍しくもないし、実戦向けでないとしたら
これらが兵卒にまで普及してる説明がつかん。
色のこといってるなら、戦国期の人は今では考えられないぐらい派手派手なものを好んだよ。
赤い甲冑は珍しいものではないし・・・・
特にこれは徳川家臣井伊家のもの。井伊家の軍勢は家康の命令で全て赤く染められた。
元は武田家臣山県昌景の軍勢を意識したもので、家康はそれを丸ごと井伊家に移した。
指揮してる人間どころか、井伊家の武士は全員この色。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:23:44 ID:+u3seTEC
>>276 伊達ファンは多いが、武田は圧倒的にアンチが多いけどなw
どのスレもぐうの音も出ない程に論破されてるもんな。哀れだよ。
そのせいか狂信武田信者の一人がウサ晴らしに上杉スレ荒らしたりして
色んな意味でみんなに武田は愛されてる。
>>276>>282 ありがとうございます。
やはり織田強しですか
天下をとって肩を並べても徳川は日陰ですかそうですか
武田に関してはここでコケにされてる程弱くはないかなとw
何にしても疑問は解消しました、ありがとうございました。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 21:32:59 ID:Atq8iTcN
三成が処刑されたのは六条河原のどの辺なのでしょうか?
>>282 武田は織田徳川タッグに恥をかかせた武門なだけに
変質的織田厨が暴れてるんだろ。アンチ武田の実態。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 01:03:40 ID:wHaMPfps
>>277の九代とか十三代とかって江戸時代に入って
だいぶ経ってからのヤツとちゃうの
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 01:33:56 ID:g/VD2U+r
[age]
板の広範囲でアンチ謙信がコピペばらまいてます。ウザィんですが、なでそんなにシツコイの?
日本史の教科書の朝鮮の役の項で、島津義弘ら武将名が載ることはないが、
李舜臣の活躍が彼の名前入りで記載されるのはなぜでしょう?おかしくないですかね?
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:44:55 ID:sY96lpNq
毛利家って、兵農未分離なのに年中出兵したり、数年間城を包囲したりしているようなんですが、
農繁期の田の手入れはどうしていたんでしょうか。
織田家も最近では兵農分離が否定されていますが、そちらも田の手入れはどうしたんでしょうか。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 11:48:06 ID:+ST332O6
>>288 あの国には李舜臣しかいない。
日本は大勢いすぎて武将名だけで何ページも費すわけには行かない。
ほう
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 08:01:27 ID:NJTuuKy+
茶人としても有名な武将にキリシタンが多いのはなぜでしょうか?
>>293 高山右近の影響でキリシタンになった人が多い、
その右近は結構な茶人だったから、
じゃないかな?
呼び名について質問です
当時は苗字と官位(ない者は形だけでもor権六などの通称)で呼ばれてたみたいなんで
軍記ものなんかだとその通りみたいなんですが
じゃあ本当の苗字と元服した名前で書に書く時、
呼ぶ時、呼ばれる時とはどんなときでしょうか?
意味のよくわからない文章だな
同僚同士だと官位で呼びあうし、幼名や通称で呼びあう場合もある
主君が目下を呼び付けるときも幼名や通称だろう表だった場合は官位を使う
信長は禿鼠や金柑頭などあだ名を使ってたみたいだけど
目上を呼ぶときはもっぱら官位+敬称だな
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 07:19:43 ID:Jxa4b414
武田軍団が鉄砲導入が遅れた理由に武田軍の投石部隊があまりにも華麗過ぎたから鉄砲導入を渋ったてのは本当ですか??
>>297 別に遅れてないです。それなりに数は揃えてます。
しかし地理的な関係上、織田や畿内勢力に比べると入手は難しかったのでしょう。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:02:14 ID:UnuVn4kT
変な質問で申し訳ないが、今で言うフェラチオとはいつ頃から日本にあったんですか?西洋から流れてきた文化なのか、自然の摂理で日本に昔からあったのか疑問です。分かる人お願いします。
>>298 鉄砲の数はいいとして、火薬はどうだったんだろう?
内陸部の武田が輸入に依存している火薬をそこまで集められるものなのかな?
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:33:09 ID:1jV77c6K
接吻伝来は1869年(イヤシックスナインと暗記してください)
口淫伝来は1896年(イヤナインシックスと暗記してください)
試験に出ます
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:37:21 ID:uhW4J2cL
世界史ならクレオパトラの頃からあったけどね>フェラチオ
クンニリングスをしている様子を描いた艶本は、安土桃山時代にはあります。
フェラチオをしている様子を描いた艶本は、江戸時代に入ってもありません。
なんかの本で、
ちんこくわえる時にガブッとやらないように
大奥に歯が抜かれたフェラ用女性がいたって見た気がする。
非常におぼろげな記憶だが。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 05:42:04 ID:bloqaJzI
1896に口淫伝来って、歴史がまだまだ浅いですね〜。
大奥に前歯無しの女がいたなんて・・しかも口抜き専用とは・・孕ませたくないとはいえ・・
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:28:16 ID:kjuyS6JO
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:32:22 ID:kjuyS6JO
>>300 火薬の原料の硝石の輸入ルートを織田に押さえられてしまっていたみたい
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:10:53 ID:d0qCVKdx
「源平籐橘」ってよくいうけど橘姓の武将って誰か居ましたっけか
立花道雪
即レスd
‥て、マジかよwwww
籐 は わざと?
いや誤変換。しかも指摘されるまで気づかず。
楠正虎とか。
そーいや公家の橘って室町中頃には堂上公家としては断絶してますね。
しかも橘氏長者はナゼか藤原氏に乗っ取られてるし(笑
あくまでも是定ですケド。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 01:14:29 ID:UXkhmvgH
「橘氏」は字面が「商家」なんだよね。
だから越前の豪商「橘屋」の如く、ビジネスの分野に進出したのではないのかな。
と、私は勝手に思っています。
NHK教育で戦国時代
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:57:41 ID:iqfS8D/P
信長の生まれた1534年頃は大内や細川を除いて
織田に合わせたかのように武田・長尾・毛利・島津も
小大名や1国支配もままならない時代。
それが信長上洛頃になると歩調を合わせたかのように
武田・長尾上杉・毛利・島津らも台頭。
これって何か社会的理由でもあるんですか?
織田が大きくなるなら勝手に1家だけが大きくなればいいだけのこと。
この中で挙げた武田辺りは対今川や美濃等で間接的に影響して
両家が大きくなる理由は説明できても
毛利や島津の台頭に結びつかない。
ねえ、最近知ったんだけど、
なんで三国志・戦国板と戦国時代板と2つあるの?
どうちがうん?
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:42:52 ID:/Uezaswn
ここは三国志・戦国板の糞っぷりに耐え切れなくなった住民が作った新設板。
大きな違いはIDのあるなしと三国志が語れるか否か。
向こうは三国志のスレが大部分を占めるのでスレが落ちやすい。
サンクス、なるほどね戦国ファンのためか。
大抵は三国志も戦国も二つとも好きっていう人ばかりだろうけど。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:25:13 ID:Ugrr2300
291 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/09/05(火) 19:08:48 ID:+7Isozqn
>>319 光栄のSLGシリーズの人気があったころはそれで良かったんだがね、
三国志無双が出てからは三国志、それも無双基準のわけのわからないスレばかりになったってことよ。
今では三国志と戦国が一緒の板という意味が全くわからない(正論だが)世代も増えたことだし。
ここの誤爆だと思うので貼っとく。
やさしい奴だなw
下らないんですがどうにも気になって仕方ない事なので質問させて下さい。
三好長慶や立花宗茂の幼名「千熊丸」はどう読むのでしょう?
「せんゆうまる」なのか、「せんくままる」なのか、他に何かあるのか。
諱の読みを振る書籍やサイトは多いですが、幼名の読みを表記したものは
少ないので正誤の判断が付かなくて。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 17:01:04 ID:865XD9wO
羽柴○○守秀吉にあるように○○守って誰が決めるのですか?
またどんな意味があるのでしょうか?
>>322 長慶に関しては「仙熊」と書いてある文献があるから(人物叢書三好長慶を参照)
「せんくままる」でよろしいのでは。
>>323 ほとんどの人は勝手に好きな官名を名乗っていました。
また、○○守とはその国の国主という事です。
ちなみに、常陸や上総等の親王任国は次官の○○介が
国主の代わりをしていました。
官位ネタは結構よくある質問だよね。
>>207であったばっかだし。
よくある質問はテンプレでも作ると楽かも。
>>323 大半は自称でいいけど、中央と交渉のあった勢力の中にはちゃんと任官してる者もいる。
織田家臣の羽柴筑前や明智日向とかはそう。
ただ、「筑前」とか「日向」であることの意味はまた別問題。
大名クラスだと、大義名分にもなるから、せっせと献金してちゃんと官位を貰ってたりする。
今川義元の三河守とか、武田信玄の信濃守とか。
>>325 ちゃんと朝廷から叙任された人と自称○○守が出会っちゃったら
自称の方は気まずくなんないのかなぁ・・・こんな時でも2人は官位で呼び合うのかな??
秀吉の天下統一以降、豊臣家が公家の頂点に立って
朝廷の権威がそれなりに復活した後も自称○○守はアリなんだろか
江戸時代に入ってからの話だけど、陪臣クラスならまだ普通に自称したりしてた。
ただ、前田家の加賀みたいに、どこかの大名が一国丸ごと支配してる場合は
名乗るの禁止されてたみたいだけど。
328 :
323:2006/09/07(木) 13:00:17 ID:U1k4Y+i1
勉強になりました。ありがとうございます。
戦国時代の官位自称、土佐長宗我部氏の家中には
吉田備後守・江村備後守という親子が同時に仕えていますね。
この場合は親子なのでそれぞれ大備後・小備後と呼び慣わされていたそうです。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:08:37 ID:ylI+F1jT
日本の戦国時代の各家の領土が分かるサイトを知りませんか?
勢力地図を見たいです
主な大名家が載っていれば大雑把でもかまいません
時代ごとの変遷が分かればかなり嬉しいです
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:11:34 ID:+yohcuht
ビンゴ!
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:16:51 ID:+yohcuht
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:16:58 ID:ylI+F1jT
>>331 即答の上にすごいサイトの紹介、ありがとうございました!
これはまた・・・
秀吉の時代の金山や銀山の埋蔵量
わかるサイトはないでしょうか?
>>336 とても見やすいサイトを教えてくださって
ありがとうございます。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:49:49 ID:G1H/eNnm
慶長の役のおり、小西行長らの撤退のために
島津義弘らが損害を出してまで救援に向かったのは何故ですか?
すでに秀吉も亡くなり、次の世がどう転ぶかもわからぬ時に、
少しでも戦力を保ったまま引き上げたかったと思うのですが。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:55:55 ID:sbQqKy+O
朝鮮の現地に遠征していた諸将には秀吉の死はが隠されており、
無事日本に戻ってから情報がもたらされた可能性があるのでは?
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 08:03:00 ID:LrTknajB
小西行長は撤退しようにも順天倭城を完全に包囲されており、脱出できない状態だったからでは
小西行長は一万以上の大軍を率いていたし、それが全滅してしまったら豊臣政権は大きく揺れてしまう。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 08:17:49 ID:G1H/eNnm
>>339-340 島津義弘は秀吉の死を知らず、
豊臣政権の存続のために自らの部下を犠牲にしたということでしょうか?
島津に限らず、豊臣に屈している大名もそのほとんどは
心から服従しているのではなく、現状で敵わぬから屈しているだけかと考えていました。
342 :
316:2006/09/12(火) 13:12:38 ID:c493Rk4T
で、信長誕生頃は1国支配もままならないような勢力ばかりだったのに
信長上洛頃にはあちこちに大大名が現われ始めた理由、
社会的背景など何か条件でもあるの?
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 14:02:50 ID:ChS8lZbz
室町時代は荘園制度こんがらがって有って、江戸時代のような、地方国家のような独立性は薄かった。
公家への収入になる制度だったが、地方で実際に税取ってる連中がピンハネしたりそのまま、居座ったりして戦国大名化していった。
太閤検地までは一つの土地に所有者が複数いたりして、勢力が複雑で複雑で、そのうち戦国になって実力社会になって、戦国大名化かな。
尾張美濃あたりは見かけは織田斉藤だけど、蜂須賀なんかも中立な国人領主であっても結構な勢力だったしな。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 14:17:08 ID:ChS8lZbz
何代も続いているでっかい名家でも、家臣が権限持ちすぎたり、土地土地の権力者がうじゃうじゃいるいし
独裁権の有る戦国大名と言える存在は見かけ石高低くても、国人領主や寺院や海賊商人を味方につけて、やたらと強かったりする。
でも助けて貰った連中にもでかい顔されるし、領地は思ったように広がらない。
当主が有能なら10年20年かけて大国になっていく。
大内とか細川-三好とか昔からでかいとこも有るけどね。
信長頑張る時代まで、半農の足軽が主体だから軍事力だけで領地拡大は時間が掛かるしな。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:33:37 ID:3BxlsBiv
信長軍は別として他の大名の雑兵は志願兵なの徴兵なの?
>>345 「雑兵」についての質問ですね?では「雑兵」について説明します。
信長軍も別の大名も雑兵は徴兵です。臨時に雇う場合もあり口入れ屋に仲介してもらう場合もありました。
中には雑兵内のさまざまな職種を兼任したり、世襲したりする者もいました。
近世になると明確な軍役規定と身分制度が出来、帰農させられました。
一部に二本差しが許される者も出てきましたが基本的には農民です。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 08:06:18 ID:qg37diky
信長の鉄砲部隊はかなり練度の高い専門兵であった。
信長の時代はまだまだ半農も混じっていたが、秀吉以降の時代になれば、一年中長期にわたって数十万単位の軍隊を動かしてる。
それは太閤検地と刀狩りの成果が大きい。
>356
安土桃山時代にが近世か?
>>341 秀吉の死を知った上での退却戦で戦功を上げたんだよ
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 00:45:59 ID:qIIZlbab
ちと某番組観てて疑問が起こったんですけど、実際の城攻めで落城時に負けた側が
自城に火を放つなんて事はあったんでしょうか?
つか、あんなに燃えるもんでしょうか?燃えちゃダメだろ…。
木造住宅は良く燃えるからな
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 21:26:30 ID:qIIZlbab
城の事知ってる人間が火を放つんだから、その城よく把握してるということでいいんじゃね?
あと、内からなら燃え易いってことだろうと思うけど。
火薬保管してるとこに火を放てば一発だね。
防火対策として壁に泥を塗る、というのは聞いた事あるけど。
白塗りの城壁も燃え難くする為じゃなかったけか?
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 02:44:48 ID:e+iOp8sM
吉川広家は大江姓を名乗っていたようですが吉川家の姓(藤原)を名乗らなかったのか、それとも養子(とその子孫)は実家の姓しか名乗れないのでしょうか?
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 03:53:08 ID:iDOqKf4l
>>341 豊臣政権上層部は隠しているつもりだったがすぐに敵の上層部にもバレバレ
>>355 火矢なんかには有効だったと思うけど、中から出火したら手がつけられないかと。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:28:28 ID:FfEfjftP
江戸城とか結構何度も消失してるしな。
あと、戦国中期くらいまで、石垣の城はそれほど多くないしねえ。
>>356 相続を目的とする養子は、養子先の家の本姓を名乗るのがセオリー
実家の本姓を名乗る例としては頼朝の弟・阿野家を継いだ日野氏が
本姓を藤原にしたものがわずかにあった位で、ほとんど類例を見ない
吉川広家が大江を用いたのを聞いたことがないのでよくわからんが
この場合は以下の理由が考えらる
1.相続を目的としない(経安系が存続してるから?)
2.毛利家の一門意識があった。
どちらかなんだろうか?
ちなみに明治に編纂された「武鑑」には広家の末裔、岩國藩知事吉川從五位經健の出自として
「吉川 藤原 本國駿河」としてるから、広家の子孫は他聞に漏れず上記の法則に当てはまる
「藩翰譜」や「寛政譜」など、明治に至るまでの代表的な家譜を見ても
吉川は本姓を藤原にしてるな
吉見氏はどうだったっけ。
そういえば希義流を自称する吉田はどうなんだろうな。あと八田=小田とか
自分で調べろw
いまニュー速で忙しいんだ。
明日まででいいから調べといてよ。
ベネディクト十六世か?手元に武鑑あるからこれなら調べてやる
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:14:10 ID:Y9UMPyRr
>>360 流れぶち切って、むちゃくちゃレベル低い質問でスマソが
戦国時代陣に矢避け?のためか紋所の入った板あったよね
こんなやつ
┌──┐
│====│
│ @ │
│ │
└──┘
あれの正式名称教えてもらえませんか?
どういう用途の物かも不明で検索のしようもなく…
よろしくお願いいたします。
>>365 楯もしくは掻楯(かいたて)。地形によって呼称も様々で、籠城の際に櫓を作り楯を並べて
その間から射掛ける場合は櫓掻楯という
楯を並べて矢を防御しながら前進するのを持楯軍(もちだていくさ)といった
ちなみに楯を用いる戦を楯突軍(たてつきいくさ)矢を射掛け合う戦を矢軍(やいくさ)というのだ
おけ?
>>366様、ありがとうございました。
近々篭城予定ですので非常に参考になります。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:48:43 ID:T/1m1qiK
前々から気になってたんですが、当時は今と違い、西洋語を話せれる人なんて
いなかったと思うんです。それなのにどうやって外国人と会話してたんでしょうか?
通訳を交えてということも考えれますが、全く未知の国の言語なんて
話せれる人はいないと思うんです。
ザビエルは漂流民を使っていた。
>>368 宣教者達も商人達も既に中国にネットワークを持っている。
つまり、中国人を連れてくることができる。
中国人は日本語が話せなくても、漢文でやり取りができる。
漢文でのやり取りは昔からやってたことなので、教養のある人間がいれば十分。
で、時が経つにつれ双方に言葉を学ぶ者が出てきたわけだ。
確か、アンジローという漂流者を一緒に連れてきていたと思う。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 16:05:22 ID:4Cm30HJt
戦国板がJaneで見られません。
戦国板を見られる専ブラは無いでしょうか?
当方環境下では、
OpenJane Doe α 0.1.12.3
という奴で見れておりもうす。
>>373 失礼しました。
板一覧を更新してませんでした。
お恥ずかしい・・・。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:00:54 ID:bm7JMCzf
1貫=12.5石(1,000貫=12,500石)
つまり
知行40貫=知行500石(公35:民65として実収175石)=切米(現米)175石取り=500俵取り=100人扶持取り
そして
現米1石=1両=10万円
ちなみに100人扶持の100人とは自家の使用人や家臣の家族も含むので、軍役上の動員家臣はせいぜい10〜15人
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:28:52 ID:yqw8KRSX
疑問なんですけど
騎馬兵って歩兵に比べて強いイメージあるじゃないですか?
でも、イメージすると騎馬兵と槍持った歩兵なら明らかに
動き回れる歩兵の方が有利のような気がするんですけど・・
騎馬兵は上から、動き回る相手を刺さなきゃならない
歩兵は下から槍を突き上げる分には不利だけど
相手は馬に乗ってんだから狙いやすいし
何なら馬の目を刺して、相手が落馬した隙に殺すってのもできるし・・
どうなんですか? えろい人
馬が自分に向かって走ってきたら怖いよ
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 11:17:11 ID:fgLLYNsa
問注所→引付→雑訴決断所
の流れっことで理解していいでつか?
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:51:22 ID:ZRTrCopY
ぼくはえろいけど教えなぁーい
戦国時代に猫おったん?
奈良時代くらいに経典をねずみから守るために輸入したのが始まりとされている。
枕草子や源氏物語に出てくる位なので、戦国時代にはむろんいるだろう。
有名な猫間の中納言も平家にでてくるしね
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:27:13 ID:YX+p2Wnu
どこかを征服するにはそこの総人口の何割の兵を投入すれば勝てる?
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:32:56 ID:Qdm5vo4J
2割かな
日本の戦国期の人口は2000万くらいだと思うけど400万の兵が必要?
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:08:58 ID:iKOABfLb
兵数だけで征服は無理だろw
中世の兵運用は100万でも多すぎる、やった連中もそれなりにいるけども
リスク一杯でまともな政治家ならやるべきではない。
ピサロは150人でインカを征服したしな。インカは人口一千万、兵力10万
アステカは人口2500万、兵力20万がコルテスは500人で滅ぼしてる。
まあ史上まれに見る極端な例だけどね。
日本で言えば楠木正成とかは数百人程度の少数で、足利の20万からの相手を
翻弄したりしてる。
太平記は史実か怪しいけども
まあ日本は山多いから兵力多くても無理です。
兵の質も世界を比べれば段違いに勇敢ですし。
輸送封鎖して爆撃と原爆でも落としまくってもなかなか降伏しない人種ですよ。
インカもじゅうぶん山多いと思うけどな。
兵の質は違うかしらんが。
ピサロは帝国中枢まで乗り込んで皇帝を人質にしたんで
日本が相手でも通じる戦略かもしれんぞ。
というか実際GHQのやったことも同じようなもんでは。
あの時代ならまだしも戦国じゃ天皇の代わりなんていくらでもいるとか考えなさそうだ。
むしろ天皇の御命を狙う極悪人、朝敵というレッテルが張れて相手方が喜びそう。
しかしそんなレッテルを貼ろうっつったって、
「たえがたきをたえしのびがたきをしのび
外国人に従え」という勅命が出るんだけどな。
あれ、俺388の言ってること誤解してる?
つまり、外国人が天皇を手中に収めれば
排外主義の日本人をすべて朝敵にできる
ということを388も言ってるのかな。
千早城攻略の鎌倉軍の軍勢って実際のところはどんなもんだろ。
20万はありえないとして2万くらいいたのかな?
流れ断ち切って質問です。
戦国時代では挙げた首の数を記載し、論功の要素としていたと聞きました。
やはり有名どころの武将だと、それなりに多い数になるのでしょうか。
また、1回の戦いでの首級数で
最も多い首を挙げた武将というのは誰なんでしょうか。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 09:28:31 ID:ypzMde7Q
武将の血液型って判明しているのですかね?
信長はB型かな〜なんて思っているのですが、
どなたかご存知ないですか。
戦国時代に猫がおったんなら、サザエさんもおったん?
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 11:44:31 ID:VW8uEjsF
>>393 信長は遺髪からA型と判明している。
遺髪が信長のものではないという向きもあるが……。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/05(木) 12:06:39 ID:U8NDO6og
大坂冬の陣に西軍で織田頼長っているけど誰?
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:16:54 ID:ypzMde7Q
>>395 あぁ、そうなんですか!!。信長のちょっとコレはヒドイ…って
のを見てると(比叡山の焼き討ちや老臣のリストラ等)しつこさ?
でB型かなこの人はと思っていました。奥さんに律儀な前田利家や
武田勝頼はA型かな…?。
血液型信じてるバカハケーン
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:30:54 ID:P0c3FhS8
伊達政宗がB型なのはずいぶん前に遺体をほっくりかえして
調査したから判明してる。
あと上杉謙信もB型じゃなかったっけ?(これはうるおぼえ)
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:54:40 ID:m1bXHC6+
謙信はABのはず。
占いはともかく血液型は親子判定に使えるからなあ
秀頼の父親とかこれでわかればいいのに。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/05(木) 23:58:30 ID:U8NDO6og
石田三成は骨あるのに血液型わからないの?
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 00:49:10 ID:H00sBzh7
俺の勝手な決めつけだと
家康、信玄、政宗、信長はO型
謙信、義弘、元就、如水はB型
三成、光秀、氏康、清正はA型
秀吉はAB型
流れをぶった切ってすみません…
戦国系のオフ会ってどこでやってますか?
知ってる方いましたら教えてくださいっ
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:08:58 ID:H00sBzh7
今度、関ヶ原決戦地で行います
西軍、東軍どちらに属するかの
意思表示カードを首からぶら下げて当地で待機して下さい
尚、私は西軍です。 裏切ったら殺します
わー!嬉しいですー!!いつですか?
某も西軍です!!
う、裏切るなんてとんでもない…!アハハ☆
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 14:01:36 ID:vfqJA/v8
>>404 三成と光秀は400年たってもクソ真面目さが伝わってくるので
多分ビンゴかと。そういえば三成の頭蓋骨に復顔(正確な名称が
わかりませんが)作業した写真ってありましたよね。
今時血液型で性格うんぬんするなよ。アホらし。
2chにもまだ血液型信じてるアホがいるとはねえ
ルイス式で考えろよな
血液型による性格診断は否定できないぞ。
昔は否定されてたが。時代は違うぞ。
血液型によって血が違うために免疫に違いが出て性格形成も違ってくるらしい。
全員が全員そうなるわけではないが、統計的には根拠がある。
さらに、同じ血液型を持つと言う事は、他の遺伝子も同様に遺伝している可能性が高い。
簡単にいうと先祖が近い、って可能性ね。
このことも、性格が似寄りやすい根拠。
フランスを発祥として歴史も古いし、国柄と血液型人口の関係もかなり証明されている。
まぁスレ違いだけど。あまりバカにするものでもないよ。
統計的には根拠をだしてみろ
ルイス式で考えろよな
O型はチョンの血が混じってるしな。
猿の血液型もみんなO型だというし、血液型は進化の度合いも表してる。
O型は原始人
A型は現生人類
B型はちょい進化
AB型は新人類
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 20:54:35 ID:DzUbIQ7+
飛騨の大名で、地震で城が一夜にして崩れ
滅亡した人がいるって聞いたことあるけど
詳しく教えてください えろいひと
その後、領地はどうなったんでしょうか?
帰雲城だっけ?
小さな集落として残ったけど。
今の白川郷あたりで。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 23:20:30 ID:Ru7qAABg
戦国武将には同じ「〜守」(駿河守とか)がいっぱいいますが、これはなぜ?
守って幕府から選任されるものでないの?
ほとんどは勝手に名乗ってるだけ。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 23:55:53 ID:m191Dsks
1貫=12.5石(1,000貫=12,500石)
つまり
知行40貫=知行500石(公35:民65として実収175石)=切米(現米)175石取り=500俵取り=100人扶持取り
そして
現米1石=1両=10万円
ちなみに100人扶持の100人とは自家の使用人や家臣の家族も含むので、軍役上の動員家臣はせいぜい10〜15人
ただし、防衛戦総力戦の場合はこの3〜5倍は動員可
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 05:39:17 ID:euRQvcvT
>>416 あの時点で金森の与力になっていたから金森領に編入では?
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 14:37:44 ID:elJRor01
織田頼長は信長の弟有楽斎の次男。津田左門とも。
冬の陣の後大坂城を出てます。京都東山に墓があります。
質問です。
元就の妻妙玖の本名を「おそらく玉、あるいは久」とする説を見たのですがこれは
当時一般的に女性の法名には本名を織り込むものだった、と考えて良いのか、
それともある宗派なり地域なりのローカルな習慣だったのでしょうか?
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:45:34 ID:euRQvcvT
今でも戒名に一字丸々使ったり一部を用いたりは普通に行っているが。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:58:08 ID:ZvhuBxDL
>当時一般的に女性の法名には本名を織り込むものだった、と考えて良いのか
それは一概に言えない。
完全に当てには出来ないが(w)wikipediaで戦国有名女性を調べると法名・戒名ものっているものがあるが
必ずしも存命中の呼び名とは関連がない物が多い。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 23:28:49 ID:Bz+6N7AS
↑↑↑
精神ブラクラ。クリックするとウイルス感染の可能性あり
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 12:54:05 ID:3YCdpc4h
>406
いつやるんですか?
是非参加したいです。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:34:03 ID:WZCT2qBp
あげ
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 14:54:55 ID:5Q0oPrEE
虚実剛柔と言えば誰だっけ
剛柔虚実なら尼子経久だね
戦国時代って、正室=正妻、側室=愛人みたいな感じ?
正室を娶ってから、側室もって感じなのかな。
正室いなくて側室ハーレムみたいなことした人いない?
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:13:28 ID:QSa0NlW8
>>435 いるよ、足利義昭
ハーレムって程じゃないけど、正室いなかった。
>>435 そもそもの前提で側室=愛人が間違えてる
>>436 ありがとう
やっぱいるんだ。なんかわからんがすげぇ
>>437 うん、まあ俺の勝手なイメージと言うか。
そんな感じなのかな、程度の認識だったから…。
信長の好きな「敦盛」の歌詞の意味を詳しく教えてください
>>440 ありがとうございます
詳しいサイトだなぁ
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:39:24 ID:C7pSUeNz
自分は川越に住んでいて、最近戦国時代に興味持ち出したんですが、
いろんなサイト見てもよく解らないんで質問します。
太田道灌って人が河越城を建てたのは小さい頃から聞かされて知ってます。
んで、上杉一族が住んだんですよね。
そんでいつの間にか北条一族が住んで、
上杉が取り返しに関東連合軍で攻めたけど、少ない兵力で守りきったんですよね。
んで徳川幕府になって徳川家のものになった。
↑これで合ってます?
あと、川越って城下町で蔵づくりである程度有名だと思うんですが、
岐阜とか岡崎とかは大名が住んだことあるけど、川越はないですよね。
そう考えると、川越ってわりとしょぼいんでしょうか?
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 05:09:53 ID:6FWjF3u+
質問なんですが、たとえば越前守とか〜守って、かぶる事なかったんかなー、織田家にも、徳川家にも同じ〜守は、いなかったん?
>>442 地元じゃないで詳しくはないんですが、ものの本によれば
長禄元年(1457)扇谷上杉持朝が、太田道真・道灌親子に命じて築城した
太田親子がこのあと在城していたわけじゃなく、扇谷上杉が在城したりしなかったり
天文六年(1537)七月北条氏綱方に敗れ、扇谷上杉朝定は河越城を捨て、城は北条方に
北条為昌や北条綱成が在城している
天文十四年(1545)九月、山内上杉憲房、扇谷上杉朝定が河越城を攻略
同十五年(1546)四月、河越合戦で北条方勝利し、城を奪還
このあとも北条綱成が在城したのかな
>>443 自称が多いからね
朝廷からもらったものは、かぶらないはずだけど
>>444 ありがとうございます。
もっと勉強してみます。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:16:15 ID:/lYXJi+e
質問です。
岐阜城へ行ったのですが、
とても険しい山金華山山頂に天守閣があり、
まさに難攻不落のお城って感じがしたのですが、
なぜ度々落城しているのでしょうか?
水源の確保が難しかったと言われてる
はい次↓
成政が最期中国に行ったってのは本当なんですか。
船長が言っていた話なんですが。
佐々なら結城秀康の家臣になったとかいう説もあったね。
がんばって逃げたわけだ。
義経や為朝伝説のたぐいかwww
・・・ではそれを真剣に調べてみるorz
無知よのう( ^∀^)ゲラゲラ
さて困った、
船長の言うことはおかしなことばかりだから、もういいよ。
約束は果たす。期待に添えないかも知れんが待ってて
458 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 21:22:40 ID:h1nZ5ek6
>>382 猫間はどっかの場所の名前。
息子の代かなんかで途絶えた。
459 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 20:39:39 ID:0akirOMw
10mは流石に初耳。
6.3mまでは聞いたことがあるけど。
三間半。
三間半ってのが、
6m30pか。
そんな6mの槍なんてまともに振れんのかね。
昔の人は強かったんだろうね。
槍って叩くのか?
振り上げて、まっすぐ正面に振り落とすのが槍だと思ってたが
>振り上げて、まっすぐ正面に振り落とすのが槍だと思ってたが
それが叩くって行為では?
叩っ斬る。か。
長柄槍の穂先は短いし、極端に長い代物だから狙って切るのはまず不可能だと思うぞ。
刺突なら可能だろうけどな。
色々調べた結果、成政は天正十六年閏五月十五日に尼崎で切腹
中国に逃げた逸話はついに見つけられなかっただ
469 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 05:01:50 ID:ARHOrLtQ
日本の武士は盾を持たない、
西洋の騎士は盾を持つ
日本の武士が盾を使わなかった理由は何ですか?
教えてくださいませ。
470 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 05:04:42 ID:+Llh/CI3
槍が主要武器だったからじゃね?
>>469 一応手盾というのを使ってはいました。
メジャーな防具ではなかったのは動きを阻害しないこと、両手で強い打撃を加えることのほうが重視されたからではないでしょうか。
盾が無くても槍や太刀で防御できるわけですから。
あと、片手で使うわけではありませんが全身が隠れるようなものは良く見かけますね。
↑
P.S.手盾同様主に矢を防ぐ為のものです。
474 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 05:35:15 ID:Nl+kElki
よくある質問
宮川一朗太の「太」はいらないんじゃないか?
答え
◆一朗太の名前の由来◆
両親が祖父の「朗」を入れた名前を考え最終的に候補に残ったのが「一朗」と「太朗」
どちらも甲乙つけ難く、悩んだ末に左から読むと「一朗」右から読むと「太朗」となる「一朗太」と名付けられた
「一太朗」という名前も最終候補まで残ったが、さすがに一太朗という名前はおかしいだろうという話になり一朗太に決定した。
475 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 09:38:53 ID:wm6v7iPt
戦国時代に北海道のことがほとんど触れられていないのは何故ですか?
当時は外国扱いだったの?
蠣崎とアイヌ民族は無かった事ですか?
蠣崎家があったのは知ってる(存在だけですが)んですが、
アイヌ民族って、日本人という認識だったのですか?
なぜこんなことを聞くかというと、ゲーム(太閤立志伝)をやっていて、
北海道が少ししか出てこないからです。
和人ではなくて、蝦夷と呼ばれていたわけだし、当然日本人という認識では無かったと思うよ。
何故触れられていないかというと、蝦夷地に日本人の目が本格的に向くのはもっと後世の事だから。
松前藩はアイヌと貿易をしていたけど、ゲームで語る程ではないんでそ。
日本と同じような社会システムで動いて無かったから
琉球だって出てこないだろ?
481 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 05:05:22 ID:2qaKansn
何百人、何千人も篭城する場合はトイレはどうしてたんだろ?
穴掘って埋めるにしても膨大な量になるだろうし
数日ならともかく長期間じゃ埋める場所も無くなりそうだしなぁ
臭いとか衛生面で考えても良く無さそうな気はする
今みたいに雑食に近い感じじゃ無かったからそこまで量とか臭いとか無かったのかな
1日で食べる量も篭城してたら少なかったかも知れないし
もしくは近付いて来た敵に向かって何らかの方法でかけるとかか?
しかしそうなると有事の際にすぐに行動出来る様に保管に近い事をしないといけないし
城外に捨てると言う意味ではそれが実用性もあるし一番な気もするんだが
便所番みたいになのがいて管理してないと難しそうだしなぁ
何かの漫画、花の慶次だったか?で城壁登って来る敵にシッコかけてたシーンがあって
老兵みたいなのが「これは見事ないちもつじゃ」と言うんだ
それが言うには、普通はこういう場面では縮こまってしまってとても見せれる物じゃないみたいな感じで書いてあったが
普通と言い放つからには自分以外の大多数の人間がそうなると解釈出来る訳で
となるとその老兵を含め、当時の兵卒はそこらで並んでシッコしてたのか?と疑問に思う訳です
他人のいちもつを見る機会があると言う意味でそういう想像になった訳ですが
そこら辺(トイレ関系)はどうなんでしょうか?
葵徳川三代で、津川雅彦演じる徳川家康が ござそうらず と発していたのですが
どういった意味でしょうか。
「ござそうらず」に似た言葉で、御座候(ござそうろう)というのを聞きますが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%BA%A7%E5%80%99(御座候)
その、回転焼の商品名の説明のページの中に
<社名・品名はお買い上げ賜り、ありがたく御座候という感謝の意に由来する。>
と、あるのですが、「ござそうらず」が御座候の反対語とすると、ありがたくない、感謝しない ってことでしょうか?
ちなみにこの作中では、小山評定で、福島正則が「豊臣家ご奉公のお志に異変有りや無きや」と問うた場面で
家康が「露ほど異変も、ござそうら御座候ずっ!!!」と発するのですが。
あと、ござそうろうが御座候と書くのなら、ござそうらずは漢字でどう書くのでしょうか?
色々候補を検索してみたら、御座無候が比較的ヒットしたのですが、御座無候が実際どう読むのかはわかりませんでした。
お願いします。
483 :
482:2006/12/26(火) 13:09:18 ID:+HpmCpfv
最後から3行目がおかしくなっていました。
家康が「露ほど異変も、ござそうらずっ!!!」と発するのですが。
の間違いです。
484 :
482:2006/12/26(火) 13:09:49 ID:+HpmCpfv
4行目でしたorz
>>482 御座はそのまま「ござ」
候は「います」
ずは「走る」「走らず」のように否定
よって「ございません」だね
雰囲気で分かれ
空気を読むんだ
487 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:16:30 ID:Jo0882pS
>穴掘って埋めるにしても膨大な量になるだろうし
今みたいにコンクリで固めて無いから、染み込むんじゃない?
488 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:21:34 ID:Jo0882pS
戦国史に興味を持ち出した、赤穂浪士と新撰組や
明智光秀と石田三成の違いが分かってないバカ者に
織豊時代の流れを理解させる教科書的な本ってどういうのが良いでしょう?
今のところ学研のマンガ日本史の年代系シリーズなら
600円で安いし良いかなと思ってるんですが、より良い方法ありますか?
489 :
489:2006/12/27(水) 21:36:18 ID:yAcdvNlv
今、年賀状を作っています。
書状の様に昔詞で作りたいので翻訳できる方、どなたか教えてください。
「新年明けましておめでとう御座います。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。」
だいたいこういう文章で細かいところはおまかせします。
割と堅苦しい感じでお願いします。
>>485の感じだと、
「新年明けまして祝着至極に存じ奉り御座候。」とかでしょうか?
490 :
489:2006/12/27(水) 23:25:43 ID:yAcdvNlv
どうも、かなり人が少ないようですので日本史板で聞いてみます。
ありがとうございました。
2時間足らずで退却するとは、余程急いでいたのかなあ。
兵糧が尽きたとか、
自分とこの大将がクーデターでやられて、引き返さなきゃならなくなったとか?
もう幾つ寝れば歳も明けようかというこの時期になって文面を考えている事に驚きだ。
493 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 08:48:55 ID:dsMHr3Jc
安土桃山時代をカバーする板が複数あるから
質問スレですら盛り上がらないんだよな、、、(′・_・`)
「誰かがもの凄い勢いで」ってタイトルにつけたとしても、
この板の人達は、どうせ誰かが答えるだろって思って、
全然勢いがなさそう。
495 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 10:16:29 ID:eSKte5Mc
質問スレが乱立して無い以上、スレタイなんて関係ない。
しかも板自体が閑散としている。
496 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 10:36:36 ID:vm/6RDky
>>488 真の初心者には学研の漫画は確かにお勧めだと思う。
後は『イラストで分かる図解日本史』がお勧めです。
題名の通り、カラーイラストや写真で分かりやすく紹介しているので、入り込みやすいです。
それで戦国に興味を持った場合は「戦国武将ものしり辞典」がお勧めです。
故奈良本氏が書いた本でライト層に分かりやすく戦国の情報全般を羅網しています。
マニアックな事もよく乗ってるし、
書店でもよく見かけるので手に入りやすいと思います。
正直、当時の年改めにおける祝賀の挨拶は年明け最初の便りが年始挨拶にあたるのであり
相手が遠方であればあるほど年始挨拶が遅くなったのだ
今のように正月に着くように書くなどきっちししたことはやらないのだ
手紙の文面にこだわるのであれば
>>489は当時の様式にもこだわって
年賀状は年明けに出したらどうか。急いで書かなくてもいいぞよw
ついでに当時の一般的な書状の形式だが紙の真ん中を上下外側に二つ折りにし
上半分に書面、下半分は何も書かずにおく
次に書状の右端に幅1センチほどの切り込みを書状の上から下に向かって入れておく
書状の上下の長さに対して半分程度でよい
書いたあと書状の左側を内巻きに丸め筒状にし、最後に先程切り込みを入れた紐状のもので
筒の真ん中を縛り完成
498 :
初心者お勧め本:2006/12/28(木) 20:26:56 ID:uczoegw9
アドバイスありがとう。
>後は『イラストで分かる図解日本史』がお勧めです。
学研が600円なので、800円くらいまでで何とかなりませぬか?
499 :
489:2006/12/28(木) 20:50:14 ID:0mA6G5bp
>>491-492 御指摘のとおりです。急いでいました。
急いで描いていたのであと文面があれば完成!だったのですが、
結局、古典板でもひとりのレスもつかずにひっそりと下がっていってます。
地方も地方なので明日出しても元旦に届く田舎です。
引き続き、お答え頂ける方をお待ちしたいと思います。
>>497 貴重なお答え、反応をありがとうございます。
しかしながら今回は年賀状での挨拶を考えていますので、
本格的な書状は別の機会に是非とも参考にさせて頂きます。
放置が少し寂しかったので、このスレに帰ってきてよかった。
_
ヽ '´ ヾ 'ヽノ
i |ノリノLL|
| l| ゚ ヮ゚ノ| <唯一神ヴァルキリークララ様が500GETよ! 悪く思わないでね!
..ノル/)充iつ
.f〈/j_|ト>、
《/〈_j/ヽ》
>>1ンフィニティー
ワープしてみなさい? ほこら待ちで返り討ちにしてあげるからw
>>3ーペント
戦闘時発動能力もない子は引っ込んでなさいw
エレ
>>4ト
私を踏むだけ時間の無駄よね(プ
ダ
>>5ナイト
先制持ちで残念w青属性じゃなくてさらに残念w
>>6ータン
+6に即死無効……まあ、それなりってとこかしら?
>>7イトキャット
な、なんでその耐久値で即死しないのよ! イライラするっ!
>>8壊の業火様
白だけは! 白だけはやめてください!!
>>9 え!? 9!? 9……え、えっと……
名
>>10の刃紋様
ごめんなさい
調子こいてました。
501 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 05:36:45 ID:vYPoML2a
502 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 09:00:02 ID:awmLBoax
僕は長崎市出身何ですが、一般的なご当地の武将は誰になるのでしょうか
龍造寺・鍋島・松浦・大村家は違いますよね?
503 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 09:34:17 ID:ACBXQdIP
天草四郎 (^_^)
筑前ならノブヤボで取り上げられてる関係で、
竜造寺・大友あたりがシックリ来るのではないか?
出島とジャパネットたかたの国で良いではないか。
もういい!
505 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 00:16:32 ID:WgC++Lpz
なにが?
506 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 19:56:04 ID:M92sCY35
TV見てて思ったんだけど、
徳川秀忠の奥さん(お江与)って明智光秀を恨んでたのか?
父、浅井長政を討った信長を倒したのは明智光秀じゃん。
その光秀を倒したのが秀吉なわけで、秀吉の方を恨んでたんでは?
>>506 あの悶絶の大河ドラマ『春日局』全50話一挙放送!を御覧になってられるんでしょうかw
複雑な関係だけど信長はお江与の伯父にもなり、
幼少時のお江与の保護者は信長でもあったわけだし
あと春日局とお江与の方が不仲だったのは史実なので
(日光東照宮の文書にある春日局の文とされる物はお江与の方を
極端におとしめる内容なのが証拠になるかと)
そこから橋田御大が「お江与は明智光秀が嫌い」という発想を膨らませたのではないかと。
508 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 22:25:51 ID:52D7lGC2
>春日局の文とされる物はお江与の方を 極端におとしめる内容
あけおめ、ふーん。
しょーむない質問ですが、浅井はあさい?あざい?
510 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 22:47:24 ID:4/30wpZy
浅井って言うと通っぽく見えるけど
浅井って言うと素人っぽく見えるよね(^_^)
あざいが正しい。
民放のしょーもないドラマだとあさいと呼ばれることもあるけど。
513 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 00:29:14 ID:HbfVsQ2I
爪を噛む癖があるのは、性的に未熟だからだ。という話を聞きました。
天下の徳川家康様は爪を噛む癖があったと聞きます。
ですが、晩年まで子作りしてた家康が性的に未熟だったとは思えません。
実際の所はどうなんでしょうか。
精神面で不安なことがあると爪を良く噛むようになる、ともいうぞ
この癖があるからこうだ、というふうに直結で決めつけることは簡単に出来ないと思うが
秀吉にお前より出世したぞって言われ、落馬で死んだのは誰ですか?調べても十河しかでなくて…
確か頼朝だろ?
お前は武士という身分で天下を取ったが、俺は農民から天下を取った、
そんな感じの事を鎌倉に寄った際に言ったんじゃなかったけ?まぁ、本当かどうかは知らんが。
517 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 11:22:19 ID:jUWnc/Ab
>天下の徳川家康様は爪を噛む癖があったと聞きます。
御家のためにわざわざ経産婦ばかり相手してたりしてたくらい
我慢の人なんだから、爪噛む位は許せ
幼児性の残存と、実際に子作りしてるかは別物でしょ
むしろ幼児性が強いほど、女性への依存が大きくなるから
軍役について質問です。
武田家だと家臣の軍役を〜騎と表していますが、これは士分の数なのでしょうか?
それとも足軽まで含めた総兵数なのでしょうか。
教えていただければ幸いです。
520 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:31:02 ID:O1NxzKXu
足軽なんて馬持って無いんじゃない?
>幼児性の残存と、実際に子作りしてるかは別物でしょ
実母の於大の方を早く引き取ってなかったっけ?
戦場で沢山死人が出た場合、その後始末はどうしたんしょうか?
野ざらしあるいは地元の住民なんかが埋葬してくれたりしたんですかね。
522 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:52:29 ID:ZixpEYfv
金に成りそうな物は、追い剥ぎにされて
残りは両軍が小遣いで雇った住民と共に片付けたんじゃなかったけ?
あと坊さんがふらふら来て供養してふらふら去っていくらしい
526 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 16:12:35 ID:lNzrADiO
伊達家と上杉家(旧長尾)、仲はどうでしたか?
528 :
525:2007/01/14(日) 17:38:55 ID:jKyZGWth
529 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 11:46:31 ID:zjfzpQHz
質問です。
武田信虎は武将としては有能だったのですか?
敗戦勝利それぞれについて
代表的な合戦で考察してもらえるとありがたいです。
>>529 かなり有能。14歳で家督を継いだにもかかわらず傀儡化せず、17歳で家督争い相手の叔父を滅ぼす
周辺の北条氏や今川氏などの後援を受けた反対勢力を撃破して甲斐を統一
上条川原合戦では一万余といわれる今川軍を二千で迎え撃って大勝、敵大将福島正成(後の北条綱成の父親)を討ち取る
暴君のイメージが強いけど、小山田氏らを婚姻政策で取り込んだり他国の有能な浪人をリクルートしたり、後の春日虎綱や馬場信房を低い地位から抜擢したりと柔軟で先進的な政治センスも持っていた
暴君でもなんでもないよ。
甲斐は家臣がしゃしゃり出すぎ。
晴信はその意見を聞きすぎたから結局天下取れなかったし
勝頼は晴信ほどきかないってんであんなだろ。
優秀な武将なのにかわいそうだよな。
532 :
513:2007/01/19(金) 20:56:10 ID:Rsg6t9Tt
533 :
質問:2007/01/20(土) 14:01:44 ID:PofXMWNu
質問です
砦とかに常備されている矢ってどれくらいだったんでしょうね。(城ではなく)
数千本単位でしょうか。数万本単位かな。
あと、弓兵って戦のときどれくらいの矢を携帯してたんでしょうか
二十本ぐらい?
さらに、鎧って矢で貫通させられるもんなんでしょうかね。
よく大河なんかでは、背中に矢が刺さってるけど鉄に矢が刺さるのかなあ
ご回答よろしこ
足軽の持つ矢の本数はその位、ただしそれはあくまで非常用。
通常は組で管理する矢を渡されるのでそちらを使用するらしい。
あと鎧が鉄で出来ているとは限らない
535 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 15:27:44 ID:/mKBVkPJ
大河ドラマとかでよく大した身分でもない人間が、
黄色や紫やピンクの服を着ていますが、あれってありえるのですか?
当時あんな服が流通していたとは思えないんですが。
まあ「かぶき者」ってのがいたから一概には言えまい。
あと、戦場では目立たなきゃ出世はできないし。
537 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 15:20:25 ID:bhv62Erq
古来、紫という色は抽出に難しく、少量しかとれない大変貴重な塗料でした。
そのため紫色を使うことができたのは、支配者や権力者など力のあるものだけでした。
江戸紫が普及した江戸時代ならともかく、戦国時代などにあんな庶民がいる事はありえません。
中田有紀様と甲斐まり恵さん、僕はどっちを選ぶべきでしょうか><
>>535 大河ドラマは小説を素にした作り物なので、時代考証とか考えるだけ無駄です。
サラブレッドに乗ってるのも有り得ないもんな、本当なら。
542 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 01:02:21 ID:+KDy3pZq
香里奈さんと相沢紗世さん、僕はどっちを選ぶべきでしょうか><
543 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 13:51:00 ID:fKDAo2es
質問です。
真田は信玄に味方する前は
どこに仕えていたんですか?
それとも独立した豪族ですか?
つ【弱小豪族】
545 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 02:07:28 ID:g59Eq0zh
個々の人物にスポットを当てたものは数多くありますが、戦国時代全般を描いた「小説」というのはありますか?
言ってみれば、日本版三国志のような。
戦国小説スレもありますが、そこで多く話されているような「小説として脚色してあるもの」よりも、
わりと史実を重視しているものがあればなお助かります。
あと、上のほうで教科書的なものとして薦められている「イラストで分かる図解日本史」「戦国武将ものしり辞典」
などの他にも良いものがありましたら教えてください。どうぞよろしくお願いします。
548 :
546:2007/02/05(月) 06:51:49 ID:bVjiIyXy
どうもありがとうございます。
やはり、そこまで広くカバーしているものはありませんか。
まあ、三村氏や二本松氏のことまでこまごまと書いてある必要もないのですが、
「織田が○○していたその頃、武田は〜」みたいな感じで
主要なところを押さえてくれていれば助かるのですが。
1つの作品でなくても結構ですので、これとこれとこれを読めば
だいたい通史的なことがわかるといったものがあれば、よろしくお願いします。
質問です。
武将達が戦評定をする際、布陣図の上に置く凸の形をしたものがありますよね?
アレの名前はコマ、でいいんでしょうか?
ずっと気になっていたんですが、名前がわからないのでぐぐりようもなく、
布陣図でぐぐっても別のものばかりひっかかってしまい・・・。
どなたかご存知でしたら教えてください。宜しくお願いします。
アレ好き。名前はわからんけど。
>>549 確か兵棋と呼ばれる物で、日本に伝わったのは幕末〜明治以降のはずです
552 :
549:2007/02/06(火) 16:05:24 ID:vryCfhOy
>>551 兵棋というんですね!
幕末〜明治以降に伝来ですか・・・。
てっきり戦国時代からあるものだと思っていました。
本当にありがとうございました。
553 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 22:26:19 ID:sOo0c5qF
質問です。
今川義元というのは海道一の弓取りだったはずの人ですよね?
それがなんで最後はデブっちゃってたの?
上洛の意思があって公家気取りだったってだけでは納得できないんですけど
554 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 23:32:18 ID:11eR7zvv
よく漫画で弓の木のとこを剣で切って落としてor避けていますが
防げるものなんですか?
555 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 01:32:37 ID:IkJtPJRJ
553
二代目海道一の弓取り、徳川家康をごらんください。
っていうか、そこそこの栄養状態で歳が40にもなれば、中年太りくらい普通に起こりえます。それが人間です。
556 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 12:41:41 ID:rp1GN4FS
公家趣味とデブってたのとは関係ないの?
貴族の食生活はものすげー偏ってたって聞くんですけど。
てか、なして義元は公家趣味に走ったん?
557 :
項龍 kouryuu123A:2007/02/10(土) 12:51:55 ID:+m5ZAlp1
義元は公家趣味に走ってはいない、
仮に公家趣味でもそれは家の家格に高さをあらわし
けっして弱いわけではない。
もし走っていたら都から逃げてきた公家衆の影響ではないのか?
>>546 長いのでは山岡荘八の徳川家康>伊達政宗>徳川家光
あたりが、かなり広く扱ってる、特に徳川家康は26巻有って長いが、評価は高い。
政宗家光は戦国後期と江戸初期の政治の話が中心だな。
俺的に司馬より良い。
横山光輝の漫画出てるので、それ読んではまってから、小説読んだが、濃かった。
559 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 16:57:39 ID:r13OI4py
武田勝頼にはなぜ信の字が名前に入ってないのでしょうか
560 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 18:14:06 ID:gtgGtAO/
諏訪氏のあと取りだったからでは
561 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 16:15:07 ID:ZwiT4FAL
世良田二郎三郎元信=酒井淨慶って実在したの?
影武者〜のほうじゃなくて、その元になった「史疑徳川家康」に出てくるほう。
元々そういう名前の人間自体は当時存在してたの?
それともそれすらも想像の産物なの?
562 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 16:17:42 ID:sTR4WhTL
質問・戦国時代ってどのくらいの数の合戦があったんですか?
563 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 17:00:26 ID:DO/e9e6o
数って・・・
豪族同士の小競り合いを含めば無数にあるよ
564 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 17:38:46 ID:sTR4WhTL
>563
すごい。ありがとう。
565 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 20:25:21 ID:ZI8lNACO
肖像を描いた絵などにたまに書かれているのですが
戦国武将が手のひらを合わせるように左右の足の裏を合わせて
あぐらをかいてるように座っているのはなぜなのですか?
566 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 07:24:56 ID:IulijH29
弾正ってどういう意味ですか?
弾正台の官職に因んだからから弾正台には関係します。
568 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 23:46:41 ID:8Ba87KxU
散歩しながらふと思ったのですが、戦国時代(限らず)の
人たちの履物は草鞋ですよね?耐久性に乏しいのに
旅をする時はとても不便だったでしょうね。。?
569 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 01:16:23 ID:ty0I8Erv
>>568 だから旅をするときは何足ももっていく。
浮世絵とかで、旅人が草鞋を肩にかけている所見たことない?
570 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 23:38:43 ID:lR1R04te
>>568 草履でアスファルト歩いたら足がめちゃくちゃ痛かったのを思い出した(まあ、その草履もお土産用だったからな〜)
そのかわり、土の上(公園等)では何ともなかったのに感動してたw
571 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 01:43:02 ID:krUdPTVN
>>569 草鞋を肩にかけてる場面は何度か見ていますが、それでも
足りない時は買ったり、作ったりしてたのでしょうね。
当時の旅は一日どれくらい歩いたのでしょうね・・?
よく、〇〇や、ちと上方の様子を探ってきてくれんか。
のような場面がありますが、まず足許のことが気になりました。
572 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 01:45:31 ID:krUdPTVN
>>570 おぉ、現役とは素晴らしいです。縄を結ったことはあるけど
草鞋は履いたことがありません・・w
573 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 01:50:06 ID:jKA8XU1j
574 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 23:20:30 ID:y9adOmqc
質問
信玄のあの有名な絵
畠山なんとかという説があったけど、あのあとどうなったの?
山梨の大反対で、沈静化ですか?
笹本正治に聞いてみ
576 :
初心者すぎてご免なさい:2007/03/06(火) 17:41:09 ID:XITYZngE
過去ログを何度見てもうまく理解できないことがあり、
質問させていただきます。
先日、功名が辻のDVDを見ていて思ったのですが、
「からくに?四百石を与える」と、山内一豊が信長から
言われるシーンがあったのですが、これは米四百石分を
現物で貰えるということなのでしょうか?それとも、
「からくに」という場所の四百石分米が獲れる土地が
貰えると言うことなのでしょうか?
大河ドラマなどでも「加賀百万石」とか「土佐二十二万石」
などの表記があるのですが、これは百万石とか二十二万石の
米が獲れる土地を持っているという解釈でいいんですよね?
まさか、百万石分の米を現物支給されていたということでは
ないと、私は考えているのですが・・・。
ということは、仮に「からくに」という場所に「四百石」分の
米が獲れる土地を山内一豊がもらったなら、米の生産性を二倍向上し
て「八百石」にすることも可能と言うことなのでしょうか?
そうなると、山内さんは「俺は、からくに八百石を有しているぞ」と
吹聴しても良いと言うことなのでしょうか?
このあたり、どのホームページを読んでもうまく理解できませんでした。
意味不明な抽象的な質問で申し訳ありません。
詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授お願いします。
577 :
初心者すぎてご免なさい:2007/03/06(火) 17:51:39 ID:XITYZngE
もう一つ単純な質問が。
江戸時代を扱ったドラマ等で、
「3人ぶち」とか「5人ぶち」という言葉が出てくるのですが、
「@人ぶち」とは「あなた専用の家来を、あなたのために幕府が
@人雇ってあげますよ」ということなのでしょうか?それとも、
「@人雇えるだけの給料(もしくはお米)を幕府があげますよ」と
いうことなのでしょうか?
ふざけた質問で大変恐縮です。
ご意見をお伺いできれば幸いです。
578 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 20:25:25 ID:C6I2Dz/L
戦国時代の甲冑の値段って現代の円にするといくらくらいですか?
579 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 20:39:15 ID:pf3/koWD
特急電車で上洛しようと思うのですが
どこに行けば爵位をもらえますか
580 :
.:2007/03/06(火) 21:19:57 ID:XITYZngE
この時代が戦国時代って呼ばれるようになったのはいつからですか
581 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 21:32:29 ID:hILbX6Z1
俺もそんなに詳しくないけど
>>576 からくにってのは近江国浅井郡唐国(からくに)、現滋賀県虎姫町のあたりだとか
で、米じゃなくて土地。
で、この○○石の石高ってのはそのまま武士のしての格付けにも影響してくる。
逆にいえばその格に見合ったものをその都度その都度用意する必要がある。
「唐国四百石を与える。」ってのは
「(お前は中々いい仕事をする。もっといい働きが出来るように)唐国四百石を与える。(今度からはこれまで以上に頑張って働けよ!)」
って意味合いが含まれてるのよ
ここまで書けばある程度わかると思うけど石高が増えた分を正当に申告するのは可能。
でも増えたことを言うってのはそれに伴う義務も増えるってこと。
気位の高い人は高めに触れ回ってやりくりに苦労したり
逆に増えた分を内緒にして丸儲けっていう悲喜こもごものドラマがあったりした
582 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 21:43:55 ID:V0nOxQSd
>>578 新聞とかでよく甲冑の広告が出てるけど
ウン十万もするよ
583 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 22:21:42 ID:hILbX6Z1
早乙女流の9代目の家久の作の冑 1千万
伊達家の鎧冑 500万
芥田悪六兵衛門の鎧兜 1200万
掛川城主太田摂津守の火事兜と鎧兜 450万
元ネタに使った何でも鑑定団HP、鑑定士が好きなセリフを英訳すると priceless
584 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 02:12:13 ID:TQxmnBtg
585 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 03:56:38 ID:q7sbxNpV
伊達政宗のことを、独眼竜って言い出したのは誰ですか?
586 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 06:50:20 ID:gaKU3Pib
伊達成実が言ったみたいだよ
587 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 22:00:54 ID:2r72RDvk
家康の長男、信康が織田信長の命令で死に追いやられた
というのは江戸時代になってからの徳川家の息のかかった史書
にしか登場しないにもかかわらず何故未だに定説の如く
語られているのでしょうか?
それほど徳川史観が根強いということでしょうか?
588 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 16:31:51 ID:q640A9Mp
今現在血筋が完全に途絶えてしまった、大名や有名武将ってどういった人が
いるんでしょうか?
589 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 19:41:42 ID:kmBP8RlN
すいません。山本勘助の息子で甲陽軍艦を書いたとされる「鉄以」とは、
何と読んだらいいのか教えてください。「てつい」でしょうか?
よろしくお願いします。m(_ _)m
590 :
セックス大好き:2007/03/14(水) 22:16:51 ID:wM//3ubq
あんーちんこしゃぶりたい
591 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 07:15:18 ID:LmvcAbu9
592 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 10:45:54 ID:1mM3tqnw
593 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 14:05:06 ID:aT3xBwIw
594 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 23:05:39 ID:oIspPVZE
戦国武将が合戦の時に自らも戦うことは一般的だったのですか?
信長、秀吉、家康、三成、義元、政宗、元就、道三、信玄、謙信といった面々は、
合戦の際には自らも弓矢や槍をとって戦っていたのですか?
そして武将が弓矢や槍をとって武将自らも戦うことは一般的だったのですか?
595 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 23:06:55 ID:oIspPVZE
戦国武将は合戦の際には指揮官としての役割しか果たさず、
武将自らが武具をとって戦う事はあり得たのでしょうか?
596 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 08:51:05 ID:3Lm6qE46
>>595 信長は林佐渡守の弟を合戦で討ち取った記録がある。
597 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 18:51:59 ID:sDKcP8sJ
>>594 小早川秀秋が、勇猛果敢に自ら槍を持って、包囲された友軍を救出。敵兵を何人も討ち死にさせた結果として、
秀吉に怒られて処罰までくらってる。
598 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 23:58:13 ID:RCeDdro2
後は大坂の陣での片倉ジュニアのエピソードとか。
「大将がみだりに刀を振るうもんじゃない」って親父に怒られた話も。
599 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 10:43:20 ID:51YkxE/+
水野勝成も有名だね。
600 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 15:34:03 ID:Dqlj+CFs
近所のじいさんの何回忌だかでふと思ったのですが、切腹って刀を真横一文字に引くとか
十文字にかっさばくとか、正しい切腹の仕方などはあったのでしょうか?
切り方はそれぞれ自由だったのですか?
601 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 02:34:49 ID:789HsXQr
十文字にかっさばいて、右の乳首の下を刺すって俺は習ったよ。
602 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 08:24:31 ID:u0DO5TFd
600
切腹法には数種類の方式がある。
どれを採択するかは各々自由。
603 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 08:36:56 ID:6tUUSDMU
日本史の面白い小説とか漫画ってあります?
自分日本人なのに中国の歴史物ばっかり読んでる。
何か自分の中の日本史のイメージって小さい国がちまちま戦争やってるって
イメージしかなくてどうも読みもしないうちから敬遠してしまう。
まず、漫画なんて読んでてもチョンマゲってだけで登場人物に感情移入できない。
名前が舌を噛みそうな名前ばっかりで読む気が失せる。(日本人なのに読むのに
苦労するのが悔しくて途中で断念してしまう。)
これは間違ってるかもしれないけど、日本の戦争ってどうしても天皇家の身内の
くだらない争いばっかり。ってイメージがあって有史以来同じことを繰り返してる
みたいで幻滅する…
604 :
仙台藩百姓:2007/03/29(木) 09:20:56 ID:/FGXgWhU
中国に移住するといいお( ^ω^)
605 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 11:09:46 ID:odJSlAx5
初めて仙台藩百姓に同意。
606 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 13:38:40 ID:b+5707KL
>>603 人的・物的な面で日本より勝るのは、中国とインドくらいなもの
中世までの欧州の諸侯の動員力や国力の低さは逆に驚く
まあ、日本にいるより中国に移住した方がいいよ
607 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 15:07:58 ID:p6/uaxir
わざわざ戦国板に来て中国マンセーしてる奴なんて釣りだろ。
それかただの馬鹿。
608 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 18:30:15 ID:vnnqio1Q
>600
何故切腹を連想したんですか?
その近所の爺様が切腹したとか?
609 :
600:2007/03/29(木) 22:45:39 ID:XER7hvkI
>>608 その通り。
和室で着物、正座、小刀?で腹を十字にかっさばいて自殺なさったそうです。
偶然見た血染めの畳は未だにちょっとしたトラウマ。
610 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 23:32:14 ID:ffw4WI6f
切腹というのは介錯まで含めて成立するものであり、
ただ腹を掻っ捌くというのは、人外の所業ですな。
こないだ読んだ本に書いてあったんだが
先の大戦中アメ公が空中からフィリピンのジャングルに向かって撒いたビラがあるそうだ
日本兵への投降を呼び掛けるビラだ。そこには白砂が敷かれた畳に中央に短刀を乗せた四方を据え
背後に逆さ屏風を立て掛けるという、いわゆる切腹の場面を描いたものである
裏には日本語で切腹するな、身内が悲しむぞ投降しろ、などと書かれてる
アメリカの白痴どもは日本人はみんな切腹すると思ってたんだなw
612 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 01:13:51 ID:nh2CjdrU
海外では「侍」や「武将」が人気みたいですが
誰が人気なんですか?
613 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 09:27:18 ID:TDXxu161
渡辺謙
614 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 11:32:37 ID:HXeVhs0g
615 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 11:15:00 ID:N9er17x2
南北朝がどういう経緯で収束したか、おせーて
616 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 12:10:03 ID:Me6wQP5q
中国の南北朝なら板違い 世界史板にいきませう
日本の南北朝でも板違い 日本史板にいきませう
↓↓↓
以下何もなかったように次の質問どうぞ
617 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 12:27:52 ID:N9er17x2
南北朝がどういう経緯で収束したか、おせーてYO
618 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 14:29:01 ID:hlbHF7WQ
今川了俊による九州平定、山名氏清による畿内の平定をもって、
南朝方は吉野周辺などに勢力を持つ程度となった
更に明徳の乱で山名満幸、氏清らを討って体制を磐石にした義満は、南朝へと和議を持ちかけた
交渉役は大内義弘だったようだ
両統迭立の甘い餌に窮地の南朝が飛びつた、というところではないでしょうか
619 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 14:31:52 ID:N9er17x2
やっぱりこの板で聞いてよかった。
ありがとうございます。
620 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 17:28:54 ID:R9Y1tnCQ
親切ぶって厨に教える方も厨
621 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 17:51:06 ID:jV0l3R16
エラー嵐の中乙!
622 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 17:52:07 ID:jV0l3R16
誤爆orz
623 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 22:18:49 ID:KjOb+aRZ
この板ってジョジョスレ以外に
パロディスレってあります?
624 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 22:32:44 ID:xGGmKTSb
カイジとか
625 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 18:41:06 ID:8bWRoJHN
はじめましたて。
知り合いに、「大名ぶかんしょ」という本を探して欲しいといわれました。
その本は、すべての大名の成り立ちや家紋などが書かれていてとても役に立つ本らしいです。
ネットで探してみましたが、「ぶかんしょ」の漢字が分からず困っています。
「ぶかんしょ」の漢字をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください
626 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 18:41:48 ID:G8V182FE
武官書か?
98.82%の確率で武鑑だろ。
武鑑には幕府分限帳改役が編纂した大名名鑑の「大名武鑑」と幕府諸役人名鑑の「御役武鑑」がある
その他民間が発刊した武鑑と呼ばれるものもあるでよ。
系譜なんてもんは時代の下るに伴って絶えず流動し、内容も変遷するから
中には記載が古かったり内容が間違ってるもんもある。
また江戸時代には民間の出版事業が拡大して武鑑と名の付くものがおびただしい数出回ったから
取り扱いにはかなり慎重を要するわけよ
俺様は各種武鑑を集めたやつ持ってるが、見比べてると軽く半日潰れるw
なお編年武鑑だと全巻そろえると軽く60万超えることを友人には言っておくがよい
629 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 20:03:25 ID:8bWRoJHN
いいなそれ。たしか歴史読本かなんかの別冊でその天保の写潟図を転載して
幕末藩主の総覧本を出してたな。興味があれば買ってもいいんじゃね?
俺様なら明治初年刊行の武鑑を買うがまあ人それぞれだな
631 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 09:55:45 ID:v8t9PGoK
神田の古書店街で見比べるのもまた楽し
632 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 12:56:18 ID:4AU/k5Sl
戦国時代ってなんでこんなに英雄が多いんですか?
まるで戦をするために生まれてきたようなもんですね。
633 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 15:17:17 ID:lPlTCWNc
萌え絵を書くために生まれてきたような人が多くなったことと同じ原理です
634 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 16:26:56 ID:4AU/k5Sl
日本は現代もアニメによって他国に侵攻しているという意味ですか?
635 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 16:35:11 ID:lPlTCWNc
( ゚д゚)
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
636 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 17:27:57 ID:4AU/k5Sl
日本すごいですね
637 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 01:26:14 ID:46Ky3cGm
狩野派のような画を描く現代の画家を教えてください
638 :
つる:2007/05/13(日) 21:23:55 ID:IcmbNRM9
はじめまして
石田三成公の家紋 大一大吉大万 の意味をご教授願います。
いったいどういう意味があるのでしょうか
どうぞよろしくお願いします
639 :
人間七七四年:2007/05/13(日) 22:20:07 ID:5KASF7A7
「大とは天下を意味し、天下のもとで一人が万民のために、万民が一人のために・・・という世の中になればすべての人が吉(幸福)となり、太平の世が訪れる」
640 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 04:54:11 ID:2Q11N+Q1
あるゲームに日野惟久という人物が登場するんですが、
この人の列伝を知ってる人はいませんか?
1594〜1629年 35歳で没らしいです。
時期的に大阪の陣あたりで活躍した人かと思って調べたんですが
全然情報が出てこず難儀しています。
641 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 17:24:44 ID:2uN4VwA0
前から疑問に思っていたんですが
関ヶ原の戦時、守備力の弱い落城必至の時間稼ぎにもならない伏見城に
家康は守備将として鳥居元忠をあてていますが戦略的意味あったの?
伏見城攻撃はただの開戦合図くらいしか思いつかない。
家康は子供のころから世話になっている元忠が嫌いだったのか?
642 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 22:25:36 ID:uXEk5h7K
・・・守備力の、低い?
伏見城が?
関ヶ原の城攻めに於いては、岐阜城のように驚くほど短期間で終わるケースが多い。
そんな中、十倍近い大軍を二週間以上足止めさせた鳥居の能力もさることながら
伏見城の頑強さがあってこそだろう。
戦略的には西軍旗揚げの確報を伝える重要な役目を担っている。
実際鳥居発の確報を持って、家康は反転西上を指示しているわけだし。
643 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 22:10:48 ID:M2cbMAYZ
>>641 伏見城が落城必至だったのは残した兵力が少数だったから。
伏見城は秀吉が自分の東日本を睨む重要拠点として築いた城で、
秀吉が晩年を過ごした城。当然巨城で守備力が低いとは言えない。
実際、鳥居元忠は小勢では手が回らないから本丸と二ノ丸以外最初から放棄している。
鳥居元忠については
>>642の言っているのの他に、
・三成が家康に敵対したことをはっきりさせるため戦う必要がある
・まだ加藤福島等が家康に従うことが決まったわけではないので、
徳川が弱いと思って寝返らないように、精強であることを印象付ける必要がある
・西軍が余りに東進してしまうと、これまた寝返る武将が出てくる恐れがある為
なるべく長期間西軍を足止めする必要がある
以上の理由から、降伏も逃亡もせず長期間城を守るという役割を与えられている。
当然全滅必至なわけで、家康が能力も忠誠心も信頼している武将しか任せられない役目だな。
644 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 00:12:16 ID:HsGKrMNX
>>640 検索しても一件もヒットしないぞ?
誤記じゃないか?
そのゲームは天下統一?
645 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 02:27:20 ID:7aonQwcy
石田方が事を起こすまでは、『徳川方は闘いを起こす気はない』という形を作っておく必要があったんじゃないかな。
だから重鎮の誰かを置いておく必要があった。
646 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 03:09:36 ID:p4ZtpiBg
>>644 確かに日野惟久という人です。
ゲームは天下布武という昔のもので、相当マイナーな武将も出てくるので、
同じく検索しても出てこず、お手上げと思い質問しました。
後出しで申し訳ないですが、もう少しわかってることを書くと
1610年山城から登場します。あとこのゲームは商人、知識人といった人もわずかですが
登場するので、もしかしたら必ずしも武将ではないかもしれません。
647 :
つる:2007/05/17(木) 03:53:45 ID:sEVk9+K+
648 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 04:49:10 ID:YhBz8Cqw
「古之軍将達、天下を望みて戦れ或いは利運の将も多く申伝候けれども、
それは其将之手柄計(ばかり)にてあるまじ、一端まハり来る計(ばかり)にて、
尊氏卿十三代も名計(ばかり)之天下なり、太閤秀吉公之天下計、
是は其器量も有之たる人なれとも、末久敷治る仕置はあるまじと思ひしか勿論也。
御生付(うまれつき)之御器量と云は、大権現家康公之御智仁慮、
誠以不及事(まことにもっておよばざること)は、日本は扨置(さておき)唐にも双ひあるまじ。
前代之名将達の器量を計り合するに、聊(いささか)右に及人無之(およぶひとこれなく)、
御家末代迄御相続目出度かるべし。是社(これこそ)誠之治世とは云べけれ、
彼是を思案するに、天下之望杯(など)と云事は、夢にも見たらば勿体なし。
然は仮初(かりそめ)にも口外無用之事也。此外之望は、
分別さへ加へたらば安かるべしと思ふ也、誠に御粉骨之御咄(はなし)之由」
難しくて意味がわかりません。申し訳ございませんが
現代の文章に翻訳をして頂けるとありがたいです。
鍋島直茂のセリフのようです。
649 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 16:25:09 ID:ANXrvjRU
「英雄なんてそえそうあらわれねーんだから、
身のほどわきまえて家を残すことに力を入れようぜ、な?」
650 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 18:41:25 ID:Twj3lDNi
伏見城と鳥居元忠の件、良く解りました。
皆様、ありがとうございました。
651 :
人間七七四年:2007/05/18(金) 19:19:11 ID:XJrJjdAm
なんでこの板は馬鹿ばかりなの?
652 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 08:33:10 ID:2zuUKox6
653 :
人間七七四年:2007/05/21(月) 14:18:17 ID:/w4AyMFF
前田利家が愛妻家だと聞いたんですがホントに愛妻家だったのでしょうか?根拠とかあるんでしょうかね?
654 :
人間七七四年:2007/05/21(月) 23:27:30 ID:un8AYiEe
戦国物でお勧めの漫画って無いですかね?
655 :
人間七七四年:2007/05/22(火) 03:04:52 ID:RomLPOxb
>>653 正妻に生ませた子の数とその年齢分布なんてどうよ。
656 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 10:07:12 ID:AIicEQqt
657 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 09:16:24 ID:z0LOv2S4
松永久秀や三好義興が任じられた「相判衆」ってどんな役職なんですか?
658 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 11:17:02 ID:HEwZS1KC
>>654 プレイコミックの「比興の者」なんかどう?
真田昌幸が主人公。
今はもう秀吉の北条征伐の時代だけど、毎回これだけ立ち読みしてるよ。
単行本、出ているかな??
659 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 13:45:54 ID:WBtHITJj
>>658 コミック出てるね。6/20に二巻目発売予定。
絵柄も嫌いじゃない方だし見てみるか。ありがとう。
しかし問題は秋田系列は田舎には無いことが多い。orz
660 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 17:42:30 ID:rVvEpImN
なんか意味もなく( ´゚ω゚` ) のAAがよくレスされてるんですが。
一体これは何なのですか?
662 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 15:49:12 ID:5uJ287OW
上杉景勝が上杉家を次いだ後、上田長尾家の家督はどうなったの?
663 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 17:30:59 ID:0AfqWrdl
徳川が幕府を開いて後の御家人(与力・同心)って、それ以前の足軽のこと?
町奉行所の与力・同心、火盗改めの与力・同心、八王子の千人同心など
例えば町奉行所の与力は、明治維新後に士族になったのかな?
それとも卒族になったのかな?
664 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 20:38:56 ID:a/rRaCgw
騎馬鉄砲というのは本当にあったんでしょうか?
もし実在したならば、それが通常の鉄砲足軽に比べてどう優れていたのか教えてください。
馬に乗って鉄砲を撃ったところで何のメリットがあるのかいまひとつ理解できません。
665 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 23:30:56 ID:cz6Mk8lV
参考になるかどうかはしらんが、
カラコールで検索してみるとちょっとは幸せ
666 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 00:16:12 ID:EtnK9JFu
>>664 つ馬上筒
"騎馬鉄砲隊"が実在したかは知らん
メリットあまり無いんじゃない。弓の方が安いし連射も利くし。
片手で扱える、熟練度が低くていいあたりがメリットかな?
667 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 01:06:56 ID:kl2Moqr7
>>664 あっても実用には向いてなかったんじゃないかと。
当時の鉄砲を再現したのを触らせてもらったことがあるんだけど、馬上じゃ絶対ムリ。
重いわ連射は出来んわスコープ(?)が役目果たしてないw
668 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 13:42:30 ID:g9FLCrmO
この板のスレって大体何日ぐらいレスないと落ちる?
669 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 19:26:30 ID:YcGjZ1Ib
一週間二週間放置していても落ちない
670 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 19:35:34 ID:0A71qnj0
そうね
時と場合によるからね
671 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 14:31:05 ID:faBm5rHq
徳川じゃなく豊臣が天下を取ってたら
今の日本は違う日本になってましたか?
672 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 14:35:33 ID:dl/A498B
日木とか目本になってたかも。
673 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 23:37:19 ID:HNHgqXdM
豊臣は天下を取っていますがなにか?
674 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 23:50:43 ID:6ah5M0Av
675 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 00:07:29 ID:4UtyW2ZD
>>664 『芥砲(あくたづつ)』という小型の手銃があったらしい。ただ火縄を使わず新しい火薬を使うらしいから戦国時代ではないかもね。
676 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 16:16:46 ID:zmSwU5G0
俺の先祖は誰ですか?
677 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 16:29:02 ID:SpYgTs1J
農民だろうな
678 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 00:09:47 ID:4hos/CT5
俺の先祖は平安時代は貴族で戦国時代は武士だ。お前ら愚民どもとはレベルが違うんだよ!
679 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 14:14:12 ID:xsqtZA/w
言うだけならなんとでもいるからな
680 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 14:24:46 ID:GPznlBZ5
ボクは織田信長の子孫だよ
681 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 14:49:43 ID:ZcfZlOyI
織田以外に兵農分離がおこなわれていた大名ってどこがありますか?
682 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 22:47:16 ID:do+Pno8V
>>680 あの人でなしの系統?それとも別のほう?
683 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:36:01 ID:xsqtZA/w
684 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:41:24 ID:iYCLv/9m
いわゆる雑賀孫市=鈴木重秀ですか?
それとも左太夫?
685 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 00:07:30 ID:I+fviI23
>>683 いやいや現代的だよ。
先進国の大半が志願制。徴兵制は半島国家やロシアなど。
686 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 07:12:48 ID:kYwqzG2W
>>681,683,685
近代的とかそういう問題ではなく、
戦乱が激しければ、大量動員に努めるため、一般の人間を動員する。
戦乱が小さく割と平和であれば、職業軍人のみで済ます。
一般の民衆の武力は、反乱を防止する為極力排除する。
それだけのこと。
大体、この辺を誤解して兵農分離に幻想持ってる人間は、
兵農分離が「できている」「できていない」
と書く。
その点681は
「おこなわれていた」と書いている。
だから、マジメに答えないといけないと思う。
687 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 07:22:11 ID:kYwqzG2W
平安時代から室町時代までは、
基本的に兵農分離でした。
鎌倉幕府創立までの戦いにおいては、もしかしたら多少の動員はあったかもしれませんが、
特に記録はありません。
そこらの野武士を、傭兵として使う事はあったようです。
応仁の乱以降、戦国時代になっていく中で
より戦力が必要になってきました。
ここで、農民の動員が始まります。
一方が、大量動員すれば、相手も大量動員しないと対抗できません。
こうして、農民の動員が増えていきます。
地侍は、そもそも半農半士的なところがあります。
織田家全盛の時代では、
柴田領の越前で、行われました。
理由は、一向一揆の防止です。
以降は、太閤検地まで待つ事になりますが、
平和になった土地から徐々に自然と動員が減り、兵農分離されていったと思われます。
688 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 12:16:59 ID:5IxpEwlf
>>687 農民(庄屋などの支配層は除く)は挑発されても、
非戦闘員として活用されることが多かったみたいだが?
動員兵力の全てが戦闘員ではない。
689 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 14:59:43 ID:qb9LN8Ej
度忘れした
なんとなく気になるんだけど元総理の細川って誰の子孫でしたっけ?
今川義元か明智光秀だった気がするんだけど。
690 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 15:21:37 ID:jqyG5zCq
細川
691 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 19:41:00 ID:r8FN1PAb
天王寺口
これってなんて読めばいいですか?
てんのうじぐち ですか?
692 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 19:45:38 ID:5BO61mFQ
あまおうてらろ
693 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 19:47:14 ID:dZoI5sby
694 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 20:19:20 ID:wJDL7jh+
>>691 >天王寺口
てんのうじぐち
家康が布陣した場所だな。
今じゃ、駅の出口の名称だけどな。
695 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 20:21:34 ID:r8FN1PAb
696 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 01:14:06 ID:ymczMkJJ
一行リレー小説で頻出している中村一氏は何かすごいことをしたんですか?Wikiを見る限りでは大したことないような気がするんですが。
697 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 01:39:39 ID:cUtVtlFy
嫌がらせで無理矢理話を一氏に持ってこようとする輩がいるだけ
698 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 01:46:13 ID:iY6OaMFs
>>689 ついでに母親は近衛家の人で、
近衛家の嫡男が早世したのでお兄さんが現近衛家当主。
699 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 04:56:59 ID:b9PmJSgj
700 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 07:55:13 ID:DOzeDaqr
701 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 11:05:54 ID:ddjsCZPr
>>699 おそらく、忠興の妻のガラシャのことを覚えていたと思われ。
ガラシャは光秀の娘。
702 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 13:55:03 ID:xfBvP3/z
光秀が農民に討たれた事は有名だけど、
当時は農民が敵兵を殺して首を持っていくと金になったってこと?
703 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 15:26:14 ID:DOzeDaqr
704 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 13:23:44 ID:5jay8PxP
クダラナイ質問ですみませんが、女郎は妊娠したら子供どうしてたんですか?育ててるイメージないんだけど…
705 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 13:31:40 ID:gvYk5k0L
堕胎させる。
他に高級遊郭などなら、生ませる場合もあって、女の子ならそのまま仕込んで
花魁候補にする。男の子なら遊郭の下働きにするか、里子に出す。
706 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 18:11:38 ID:5jay8PxP
レスありがとうございます。
厳しい世界だったんですね…当時の技術で堕胎なんて考えただけで…orz
707 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 18:18:36 ID:gvYk5k0L
江戸時代は遊郭だけじゃなく、町娘でも当たり前のように堕胎してたよ。
中条流っていうメジャーな堕胎法もあったし、お灸を使った堕胎もあったし。
708 :
人間七七四年:2007/06/15(金) 20:55:33 ID:5jay8PxP
そうなんですか…!!
お灸とか凄く意外です。不謹慎ですが感心しました、ありがとうございました。
709 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 01:45:06 ID:9tSvZQLS
戦国時代は外国からは何と呼ばれているのですか?
710 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 01:46:51 ID:s/5UHqBl
711 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 04:56:43 ID:S3jngFAw
黄金の国ジパング
712 :
人間七七四年:2007/06/17(日) 06:18:37 ID:BMF/VDPk
sengoku era
713 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 08:41:52 ID:cgodBj2W
隆慶一郎氏が書いていた小説に道々の輩とかいたんですけど、じさっいに
いたんですか?
714 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 10:36:20 ID:zjUbaNpc
今でもいるんじゃない?
715 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 16:06:36 ID:/CqxvSeQ
大阪城や姫路城クラスの大きな城を
現代に建てるとしたら
いくらくらいかかるのですか?
716 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 16:32:12 ID:+CowluRH
>>563-564 村同士の小競り合いまで入れたら数え切れない。
刀狩の目的の1つには村同士の小競り合いを防止する意図もあった。
717 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 17:45:30 ID:YujWmTCX
現代の事なんですが、例えば徳川さんの分家で跡取りが居なく、おじいさんが
死ぬのを待つだけとか言うケースありますよね?
こういう場合に面倒見る代わりに養子になるとかの縁組取り持っているとこないですか?
養子になれば自分は徳川姓になれるわけでしょ?
718 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 21:00:28 ID:eED2dVKw
>>717 徳川姓の一族は結構少ない。
あと、徳川以外でも旧華族の間では近衛と細川のように養子のシステムは完成されてる。
伊東ぐらいの婿養子になら可能性あるかもな。いや、内情は知らないけど。
719 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 02:42:40 ID:/8LDAq4c
>>717 別に養子にならなくても改姓すればいいんでない?
720 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 14:10:13 ID:QnpLJPXy
改姓なんて出来るの?
721 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 14:13:41 ID:8VYjcpCi
722 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 14:17:07 ID:5AoYf8Ey
出来ない事はないけど、余程の理由が無いと裁判所で認めてはもらえない。
723 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 17:09:06 ID:J5QbSyRY
どなたか顔の下半分を(病気かなにかのせいで)マスクで覆っている
武将をご存知な方いらっしゃいませんか?
725 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 03:16:43 ID:TMjoNSTV
>>722 では裏テクを。
結婚し同時に改姓、改姓後即離婚。
結婚ではなく養子縁組でも可。
戸籍を汚させてくれる人を探す必要があるが、
本当に養子縁組したり結婚するより説得しやすい。
カードローンの多重債務者がこの手で改姓し、
新たなカードを作りまくる事例を聞いたことが有る。
726 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 12:22:30 ID:2+l8fAjR
合戦の時などに、陣営を囲むように布が張ってある
あれは、名称はあるのですか?
どなたかご存知でしたら教えてください。
727 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 01:14:00 ID:wiBFpB9D
陣幕
728 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 19:49:16 ID:dJyzK3N7
上杉謙信って男色家ではあるけど童貞ってことでいいんですか?
729 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 00:52:00 ID:WqOqaAlK
百人並みの武勇でお馴染み百武賢兼が「百武」を
与えられる前はどんな苗字だったかご存知の方いますか?
730 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 05:33:52 ID:sb5Xs6Nf
731 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 15:28:37 ID:lBLVRelc
昔の人って身長とか測ってたのかな?
よく戦国武将とかで身長6尺みたいなこと言われてる人がいるけど
昔は「偉丈夫 = 身の丈六尺」みたいな認識なんじゃないかね
そこらの人よりはデカくて立派な体格の持ち主への褒め言葉が「六尺」って感じで
残された着物や甲冑から、確かに6尺以上あったと類推される人っている?
733 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 01:50:49 ID:wrhxZHtI
現代にいる羽柴って名字の人は、遡れば豊臣秀吉となんらかの関係があるんですか?
また、現代に豊臣という名字の人は存在するのでしょうか?
>>773 秀吉に許され羽柴姓を名乗った人もいる。
しかし徳川の世になりその名は捨てたという。
今でも東海地方に羽柴姓が多いのは、
苗字義務化の際、人々が地元の英雄の苗字を名乗ったという説もある。
しかし、その前の江戸期からすでに尾張では羽柴姓が多い。
豊臣姓はうろ覚えですが、九州にもあったようです。
現在、全国に豊臣姓は20軒程あるという。ただ、どれも秀吉とは血の繋がりはないと思われます。
>>733 羽柴姓の方も、秀吉との繋がりがある人はごく稀だそうです。
736 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 04:24:02 ID:wrhxZHtI
737 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 04:38:05 ID:y1v0HS5H
戦国時代板初心者なんですが、上杉謙信や真田幸村好きが
他に好きなりそうな戦国武将教えてください。
738 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 04:49:14 ID:TBY3XBsy
>>737 略奪・奴隷売買で国を潤わせた方じゃない、
戦国最強・義と正義の武将、上杉謙信が好きで
背が小さく小太りで歯が抜けていて
焼酎を貰うのに「こぼれないようにしっかり蓋を閉めて送ってくれ」
とか言っていた真田信繁じゃなく、
義のために負けると分かっている豊臣方に加勢して
徳川家康を後一歩まで追い詰めた真田幸村が好きなの?
>>737 あくまで個人的な意見だが、石田三成とか長宗我部盛親とかかな?
740 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 06:07:58 ID:LXAZzQWv
>>737 本多忠勝を推す
僅か手勢500で羽柴軍数万を翻弄したのは有名
741 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 07:31:16 ID:Yp1qqgE9
>>737 うーん打算でなく戦をする武将が好きってこと?
なら大谷吉継。
742 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 22:10:12 ID:C6RKYpzI
信長・秀吉の時代の「おやや」は
漢字でどうかくんですか?
743 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 12:22:21 ID:MCEocoVG
>>742 浅野長政のかみさんの「やや」のことかな?
一応「弥々」と書くが、あの当時の人名の漢字はものすごくいい加減だからこれ以外にも表記はあるだろうね。
安藤守就なんて苗字を「安東」「案堂」と書かれているぐらいだし(しかも安東表記が意外と多い)。
744 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 00:40:44 ID:vtyMbj63
>>724さん
ありがとうございます!!
参考になりました
745 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 15:31:25 ID:I00uqzR0
すみません どなたかお願いします。
何故、豊臣秀吉の姓と名の間に「の」を挟んで 「とよとみ の ひでよし」と言わないのでしょう?
教えて下さい。
746 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 22:02:02 ID:fb7sRtDH
質問です。
摺上原の戦い本能寺の変、大阪の陣、高松城攻防戦、石山合戦、応仁の乱、文禄の役・・・
あと戦国時代じゃないけど満州事変、五・一五事件とか第一次世界大戦とか
「〜の戦い」「〜の変」「〜の陣」とかって
どういう基準でついているんですか?
747 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 15:14:09 ID:kJLZkGvS
乱と変についてだけ
・承久の変(乱とも言いますが)、正中の変、元弘の変などは共通項がありますね
(主上絡み)
壬申や 保元は何故か乱
・安和の変、応天門の変
橘奈良麻呂の乱や嘉吉の乱は変ともいいますね
(変事というか謀略的な事件なのでしょうか)
本能寺はこの類かな
・ 承平・天慶の乱、: 藤原仲麻呂の乱、 応永の乱、永享の乱などなどなど
これらは叛乱でしょうか
使われ方はいろいろあるように思います
748 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 17:16:16 ID:y3Az9V3/
ブログやってる戦国好きさん、戦国関係のバトンがあったらやりますか
749 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 17:34:38 ID:ld5JnHxz
>>745 何が聞きたいのか分からないけど、「とよとみのひでよし」って言うよ。
世間一般で何故「とよとみひでよし」っていうか聞きたいなら明確な答えなんぞ出るわけ無い。
恐らくは、「豊臣」は秀吉の為に作られた新しい本姓である為、
本姓自体が彼を象徴する呼称となり、その内名字のような使われ方をしたんだろうけど。
750 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 12:48:10 ID:oGXPdcAi
>>747 乱は軍事衝突の有無
変は政変の有無
じゃないのか?
751 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 15:42:30 ID:gVhSQnc6
>>745 当時はそう呼んでたかもしれんがね。
源平藤橘豊臣その他の朝廷から賜った姓には、のが付きますな。
752 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 19:28:43 ID:wHfNjF06
戦国時代の衣服について、普段着から鎧まで絵や写真入りで
くわしくまとめているサイトか本ってありませんか?
753 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 20:50:59 ID:gcrc9QjU
>>749 ただの語呂の問題。藤原氏あたりも"の"をつけない呼び方が一般的な人物もいる。
もちろん姓の場合は"の"をつけるのが正しいのは間違いないが。
姓には「の」を。
氏はそのまま。
郡上の東氏を例に挙げられると辛い説ではあるけどね。
姓氏研究家の故丹羽基二先生なら知ってたかもね。
756 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 17:17:12 ID:mdXDtTfl
757 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 21:14:37 ID:d6XTbtUa
よく戦国武将で男色がだめだったのは平民出の豊臣秀吉・秀長兄弟くらい、
という話をきくけど、同じような出自で秀吉の下で育った加藤清正や福島正則は
男色平気だったんですか?
それとも、あくまで"特に"有名どころの武将では豊臣兄弟が挙げられるだけですか?
758 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 14:13:54 ID:nOsYWL6x
元服するまでセックスに関する知識を教えてもらえなかったというのは本当でしょうか。
759 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 00:54:34 ID:0WXSFFJi
>>757 >よく戦国武将で男色がだめだったのは平民出の豊臣秀吉・秀長兄弟くらい、 という話をきくけど
漏前の脳内話だろ。キリシタンはガチでカアチャン一穴主義。
有名どころでは黒田勘兵衛、高山親子、和田是政。
あと、キリシタンではないが明智光秀も同じだったはず。
760 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 08:03:31 ID:EE+WpqLq
光秀は側室いたけどね。
761 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 10:29:14 ID:G1EFRTlf
芝増上寺と上野寛永寺は徳川家菩提寺だそうですが、寛永寺は天台宗で徳川は代々浄土宗と聞きます
天台宗だという側近の天海の影響もありそうですが。
なぜ2つの宗派にまたがって菩提寺があるのでしょうか。それとも当時は複数の宗門を持つのが一般的だったのですか?
762 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 23:54:23 ID:+5YU02OT
戦国時代だけど、琵琶湖北部の東岸は浅井氏が治めてたんだよね?
じゃあ西岸は何処が治めてたの?
あとよく浅井氏を北近江の戦国大名って言うけど戦国時代当時も近江国を北近江と南近江って分けて呼んでたの?
>>762 西岸は朽木氏とか
坂本周辺は延暦寺の勢力範囲内かと
北近江南近江に関しては当時の史料でそう書いた物を今のところ知らないのでパス
有名な人って大体辞世の句があるけど戦死の時とかどうしてんの?
出陣前に遺書みたいな感じで記しておくわけ?
そう。大概は普段から用意しておく。
766 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 03:17:50 ID:7VZxodyd
そうなんだ
殺されそうになったとき「辞世の句を読むからちょっと待って」みたいなの有ったのかな
767 :
人間七七四年:2007/07/29(日) 21:41:38 ID:NBrg5LKL
柿崎景家の死について質問
なぜに北上や神保やらも幾度か離反して帰参を許されてるのに
柿崎だけは一度、しかも可能性があるってだけで死罪になったんだ?
上記二名より遥かに功績もあったろうにいまいち納得いかんとです。
そこらへんに詳しい方是非スッキリさせてください。
768 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 00:03:39 ID:H78QjluI0
最期
死因については謎が多い。「景勝公一代略記」という史書によると、景家は天正3年(1575年)12月に謙信に従って越中水島に出陣していたが、ここで織田信長と内通しているという噂が流れ出し、
そしてその噂を信じた謙信によって死罪に処されたという。享年63。
ただし、子の晴家は謀反の罪に関わらずに連座で処罰されていない点、さらに信任厚い景家をその程度のことで謙信が殺すかどうか信憑性に欠けているため、この説は疑問も多い。
さらにいえば、長男の晴家は御館の乱で上杉景虎を支持して景勝と敵対したため、上杉景勝の史書にその父である景家を貶めるような記述があっても不思議ではない。
ちなみに同じく子で晴家の兄弟の憲家は御館の乱で景勝を支持し、柿崎氏を存続をさせている。
769 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 00:16:11 ID:9QxHNnpA
>>768 いやはやwikiもみたんですが
真相について中々曖昧だったもんでイマイチ納得できなかったんです
様々な説が飛び交ってますが前述の物が疑問視されていてもやはり一番有力ですか?
もしくはその他の説をご存知の方お教えください
770 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 00:16:54 ID:3vGNSinG
>>763 朽木氏は将軍家の奉公衆じゃなかったっけ?
771 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 01:31:56 ID:t1Zd68e6
奉公衆であることと国人であることに何か矛盾があるのか?
772 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 10:49:45 ID:Jb3/ObHx
>>762 >西岸は何処が治めてたの?
高島郡は高島七頭と呼ばれる佐々木一族が支配していた。
のち浅井方から織田方に寝返った磯野員昌が入るが、天正6年(1578)逐電。
以後、本能寺の変まで信長の甥・津田信澄が支配。
滋賀郡は堅田湖族による自治が行われていた。
>北近江と南近江って分けて呼んでたの?
江北とか江南と呼んだ。
773 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 21:32:16 ID:WcBCNjeY
戦国時代の武将事典みたいのでお勧めみたいのはあるかね?
中々決まらなくて困ってるんだけど、皆が推す一冊があれば教えて欲しいんだが。
世に人名事典数あれど 織田信長家臣人名辞典 の前に辞典なく
織田信長家臣人名辞典 の後に辞典なし
ただし絶版
775 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 22:50:27 ID:4Cbt/42N
止めてくれ。これ以上織田厨を増やさんでくれ
しかし今の所あれに勝るものはないよマジで
777 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 22:54:38 ID:WcBCNjeY
>>774 そうなんだ?
しかし絶版だと…
>>775 織田は余り好きじゃないんだw
ってか戦国時代の武将全体を知る為の事典はやっぱり無いのかね…
>>777 > ってか戦国時代の武将全体を知る為の事典はやっぱり無いのかね…
吉川でも山川でもいくらでもあんだろうがwwwwwぐぐれや
クソ意地悪いなお前。
新人物で十分だろうに。
クソ意地悪かったらそもそもこのスレにまともな答えを書き込まんだろ。普通
ネットでググる以上、アマゾンに行ったら負けだぞ。
782 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 23:07:40 ID:WcBCNjeY
>>778 スマンな。
戦国の知識が浅くて解らんかった。
>>779 有難う。
それを探してみるよ。
ぶっちゃけ沢山武将を知りたいなら
ノブヤボの武将辞典を片手にノブヤボやるのが一番手っ取り早いと思う
煽りじゃなくマジで
蒼天録とかその前とかなら同意。
戦国前期が充実してると萌えるよな
786 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 00:41:07 ID:I65Q4gin
萌えとか意味がわからん
787 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 00:45:39 ID:fOeQirxt
>>783 有難う。
それも参考にしてみるよw
>>784 ググッてみたら中々良いのが見付かったから書店で頼むよ。
マジで有難う!
788 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 04:29:20 ID:D0bQMvlD
桐のマークっていつから使われ始めてどんな意味があるんですか?
789 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 05:58:54 ID:VH+AY/cQ
VIPで上杉謙信ちゃんとちゅっちゅしたいよ
と言う書き込みをみたんだが何事だ?
女性説は知ってるが若い頃は尼だし、だいぶ年もいってるだろうに
790 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 09:02:58 ID:lNcAynZr
謙信女性スレでは髪を伸ばしてるとされている。
791 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 20:16:12 ID:kTD1b4Az
家紋はいつから決められ、どんな意味があるの?
792 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 21:38:38 ID:chxooWoe
>>789 多分それ戦国ランスって言うエロゲ
俺も最初似たようなの見て太閤立志伝のイメージのおっさん出てきていぶかしんだ
793 :
人間七七四年:2007/08/07(火) 22:28:08 ID:MaAY9Qaw
質問します。
高山右近って何故改易されたんですか?
調べると「キリスト教の信仰を云々」という話が出て来ますが、
小西行長や有馬晴信など、バテレン追放令のあとも信仰を続けている
大名も普通に見られます。なぜ右近だけ改易という処分になったのでしょうか?
794 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 00:08:52 ID:SSeEOmLY
秀吉や信長にとって右近の利用価値はキリシタン信徒という事だけだったんだろうね。
能力があるわけでもないし、用済みになったらすぐ捨てられた。
795 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 08:05:10 ID:mwIl3pE5
織田信長に寵愛された小姓・万見仙千代と
信忠の寵童だった美少年・万見仙千代とは
どういう関係なのでしょうか?
796 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 22:54:47 ID:IVw4HQuo
>>794 しかし、高山右近は後年前田利長の元で高岡城の縄張りを担当するなど
それなりに才覚のある人物だったようですが、やはりそれでも小西などの
ようには行かなかったのでしょうか?
797 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 13:49:43 ID:gQRSKcwr
>>796 高山右近は正面から秀吉の政策に楯突いたから改易された。
右近は有能な武将だっただろうが、天下人であった秀吉にとっては
右近程度の人間は変えの利く人材で、それより自分に楯突く者がいると言う方が重要だった。
因みに、他のキリシタン大名は表面的には禁教令に従っている。
>>794 キリシタンであることが利用価値?
新説だな
798 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 20:08:22 ID:WeG9MrC8
むしろ、小西行長は実父も御用商人として豊臣政権を支えていたから実質2人分の働きをしているからな。
799 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 01:32:51 ID:oQU9TRks
戦国時代には当時の論理道徳からも許しがたい虐殺や強姦、略奪は
発生したのでしょうか??
800 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 05:32:18 ID:8FvXD0hm
信長の比叡山は目茶苦茶非難されたみたいだが
801 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 06:37:36 ID:ZGB7HIWU
延暦寺自体光秀も一枚噛んでるしな、根絶やしを初めに支持したの
光秀なんだよ
802 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 02:43:23 ID:9Lz1jNdh
ありがとうです。
戦国時代には虐殺・レイプ・略奪と言う行為は
日常茶飯事的に発生したのでしょうか??
戦国時代の各大名の軍隊の規律は高かったのですか??
803 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 14:58:07 ID:mxD/erjd
信長が京に入ったときはかなり厳しかったらしいが、基本的に略奪、強姦が兵士の褒美みたいなもので、逆に農民も敗残兵には酷かった、はず。
すこし不安なので他の人のも参考にして。
804 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 18:43:31 ID:9Lz1jNdh
ありがとうであります。
805 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 18:46:20 ID:Xj2aDDOT
宮本武蔵が槍の名手宝蔵院と戦った経緯って何ですか?
806 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 02:15:23 ID:16vKwZqR
>>801-802 ついでに信長が派手にやったので忘れ去られているが、先に浅井・朝倉軍が延暦寺の建物に火を放ったらしい。
807 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 21:08:16 ID:aUL9EooY
この時代の「言葉」に関して詳しい本やサイト
なんかはありますか?
ご存知でしたら教えてください
808 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 01:19:02 ID:5TdpaPxE
>>807 その手の話は日本史板で聞いてみた方が良いと思われ
809 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 08:55:36 ID:CvotwoPX
口語か?腐るほどあるぞ
三河物語
湯殿上日記
雜兵物語
おあむ物語
日葡辞書
節用集
フロイス日本史
イエズス会会報
811 :
中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/08/20(月) 21:22:03 ID:qUUcZ1Qm
ようし 俺様少し暇だからおまえらの質問にどんどん答えてやるぞ
かかってこい!!!!!!11111!
812 :
takeda:2007/08/20(月) 21:55:31 ID:6o/MwJfu
竜造寺四天王の死に様を教えて下さい。
813 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 21:59:10 ID:CwGiR0pj
宇喜多直家の臨終間際のあの話は事実でしょうか
814 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 22:03:58 ID:SEvUKmij
宇喜多秀家は本当に泳ぎが達者だったのですか
朝鮮出兵の時も他の軍勢は船で行ったのに
宇喜多勢は大将を初めとして泳いで対馬海峡を渡ったという話を
この板で見たような記憶があるのですが
それはガセですか
815 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 22:04:28 ID:CwGiR0pj
ガのセです
>>812 その質問をする前にまず龍造寺四天王という括りに疑問を持つべきだな
>>813 備前老人雑話か?
>>814-815 八郎が泳いで渡る話は百年後くらいに通説になったりしてなwwwwwww
817 :
813:2007/08/20(月) 22:14:16 ID:CwGiR0pj
818 :
takeda:2007/08/20(月) 22:15:03 ID:6o/MwJfu
木下昌直をいれたで御願いします
俺様は軍記は信用せんタチでな。
軍記以外に傍証があれば検証するに値するが
軍記の中にしか存在しない記述ならその記述はそれ以上でもそれ以下でもない
わかるな?
>>818 悪いが知らん。百武あたりが鍋島に仕えたくらいの知識しかない
軍記でも何でもいいが現代語訳してくれとかないか?
822 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 22:24:55 ID:CwGiR0pj
しかし一応殉死者1人も無しの事実があります。
あともう一つ岡山関連で聞きたいのですが、備前龍口城落城は
あの有名な岡清三郎によるものなのか、
それとも三村氏の征服によるものなのかどちらでしょうか。
地元でも伝えられているのはまちまちです。
まずは伝えられてる〜町史とか〜市史とかを疑ってかかったほうがいい
こんなの役人の片手間か市町村長の肝煎りで自分らの名誉や実績作りのためにやったとしか
思えんのが多すぎる。編集は地元の自称郷土研究家に丸投げぽいとか
しかも役人にはそれを校正する気力も知識もないんだからさ
疑問に思ったらそれぞれを検証してみたらどうだ?
ヒントとしては落城当時の瀧口周辺の寺社をしらみつぶしに当たってみ
こういう場合は新たな征服者が必ず禁制と呼ばれるものを発給するし
その禁制が残りやすいのは圧倒的に寺社が多い
824 :
822:2007/08/20(月) 22:37:01 ID:CwGiR0pj
親切なお返事ありがとうございます。
しかし寺社にはなんと言えば見せてくれるのでしょうか?
>>824 普通は見せてくれん。大檀家でも無理だろ
直接無理なら郷土史家に手紙でも書け。あるいは地元の郷土資料館の職員に紹介してもらえ
岡の家中か三村の家中で禁制(もちろん大名の名で)を出していたらそいつがブン取ったと考えられるし
単に禁でもいい(大名傘下の武将が出したのなら禁あるいは文の末尾が「仍て件如」など)
書式さえわかればそれが禁制かどうかわかる
ちなみに俺様は郷土資料館の職員か資料館が主催する郷土史セミナーなどに参加して
人脈を作った。ゼミの先生の紹介状でもあれば一発だったけどな
827 :
824:2007/08/20(月) 22:44:38 ID:CwGiR0pj
>>825 なかなか大変そうですが、頑張ってみます。
中野区さんには親切な助言をいただき感謝しています。ありがとうございました。
よし次!他にはねえか?
>>822 こんな資料がある。
五月十九日附 禰屋七郎兵衛外一名宛 三村家親状
今度は至龍口城、敵及行既二三丸迄伐入候處、薬師寺殿、與七郎殿、
以御粉骨被代退、剩可然衆數人被討捕之由、一味中面目之至、大慶不過之候、
最前之衆御油断、不粉候、外聞不可然候、仍岡權右衞門、此方へ被罷越、
一昨十七日歸路候、直に可被参旨候、津山南御知行、御公物員敷、萬艘可被相證之條、
自某も別に使は添可申候迚、於旨趣は申明候問、御爾所迄可申之覚之儀、
無左と御請被成を、掟可被申、内證と聞へ候、於員敷之樣體は、被仰理堅固御請被成候て可然候。
直々も此旨申候、猶以御被露専一候。急候て具に不申入候、恐々謹言。
家親
五月十九日
禰屋七郎兵衛殿、土屋四郎左衛門殿
「ここに登場する人物のうち、家親は三村家親、薬師寺殿は弥五郎、与七郎は禰屋七郎兵衛久秀の嫡子。
また、土屋四郎左衛門の名も見える。本来浦上方だった岡權右衞門(将監)らが備中方についた
という内容もあり、『中国兵乱記』に「沢田城守岡将監・中村次郎太夫・寺尾久五も龍口で相随し、近
城へ相働候節者、先陣を承る」と記されていることと符合している。これらのことから、この資料は『
中国兵乱記』のいう龍ノ口城合戦の直前の永禄七年五月上旬に起こった小競り合いを伝えているのでは
ないかと推定される。」
これらは『備前軍記』『中国兵乱記』に違いがあり、微妙なんだが・・・
最所元常の死に様もはっきりしない。あまり参考にはならないか…
830 :
824:2007/08/20(月) 23:13:35 ID:CwGiR0pj
>>829 なるほど、これを見るとこの当時は龍口城は浦上方だったようですね。
中国兵乱記にもこの事は見えますし、縁戚の中島某も参加しているなどある程度は信用できるように思います。
永禄7年の三村方の面々もほぼ同じですし、興味深い資料ありがとうございます。
831 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 23:21:31 ID:CwGiR0pj
>>828 ではお言葉に甘えてもう一つ聞きたいのですが、
宇喜多直家に敗れた浦上宗景のその後の消息は諸説ありますが、
一体どれが正しいと思われますか?
832 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 23:21:54 ID:rHfJcmWb
すいません、質問です!
板部岡江雪斎、安国寺恵慧などの主に外交僧を取り扱ったスレってありますかね??
ずいぶん前に見た記憶があるんですが…
>>829 > 津山南御知行、御公物員敷、萬艘可被相證之條、
国人風情が相当な計らいだな
>>831 それこそ直家信者に聞くべき質問じゃねえのか
蛇足だが
> 自某も別に使は添可申候迚、於旨趣は申明候問、
正しくは
自某も別に使は添可申候、迚於旨趣は申明候間、
ではなかろうか。原文読んでないから知らんけど
835 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 04:37:58 ID:y7OMKghU
丹羽長秀は十五歳で小姓として信長に仕えた
と聞き及びますれど、その典拠とされる
文献と出典箇所を教えて頂き度う御座います。
よしなに頼み参らせまする。
836 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 05:41:35 ID:xRLM9/xS
戦国時代には日常茶飯事的、
毎日ではないにしても日本人は殺しあっていた訳でしょう??
戦国時代には信長、秀吉、義元、家康、三成といった色々な人たちがでてきますが
恨みを買う事はなかったのですか??
肉親を殺されたりすれば恨んだりする人もいると思いますけど
武将たちはあだ討ちを受けないように日々、
脅えながら暮らしていたのでしょうか
837 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 13:22:58 ID:Ql8LlT6J
>>836 仇討ちかどうかはともかく、一日に二度服を着替えるなど、暗殺対策
はしてたらしい
838 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 06:50:44 ID:3SNUdOaz
ありがとう御座います。やっぱり現実はそんなもんなんですね。
839 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 20:53:36 ID:c2m3C0hp
宮本武蔵が関ヶ原の戦いに参戦して負け戦に終わったのは知っていますが
その時どこからも拾われなかったのはパッとしなかったからでしょうか?
840 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 21:30:53 ID:vOhJMa9r
けんとくです。
あなたたちは馬 ▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅
▄▇▓::▃▃ ▃▃ ▓▇▄
▄█▓░◤ ◥ ◤ ◥ ░▓▇▄
▄█▓░ ◢ ◣ ◢ ◣░▓▇▄
▄█▓░ ▐ █▋▐ ▐ █▋ ▐ ░▓▇▄
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█▓░▒ ◤▀▀◥ ▃ ▃ ◤▀▀◥▒:░▓█
█▓░ ::::▒░░::▊ ▲ ▐ :::░░▒::::░▓█
█▓░:: ◥▃▃▅██▅▃▃◤ ░▓█
▀█▓░ ███████ ░▓█▀
▀█▓░ ▐▓▓▓▓▓▓▌ ░▓█▀
▀█▓░ ▀▀▀▀▀▀ ░▓█▀ 鹿です。
841 :
takeda:2007/08/30(木) 20:30:01 ID:BwNzRp/k
明智軍の勇士っているの?
四王天但馬守政孝
他は常連だが、
明智秀満、明智光忠、斎藤利三、あたりじゃないか。
844 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:48:55 ID:WPtSDV05
さすがに藤田伝五は入らないよな…
845 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 10:07:30 ID:amKK6dlj
武田、上杉はそれぞれ上洛してるが二人の寿命が長ければ京都を占領できたのでしょうか?
武田と織田。上杉と織田の戦力、国力で分かりやすく教えて下さい
846 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 15:25:46 ID:nEEtRFDq
信玄・謙信二人とも京都を占領するつもりなどないが(特に謙信は
信玄が2万の軍勢で家康を破った時の織田は、いわゆる織田包囲網でけっこうピンチだった
浅井朝倉三好本願寺など信長の周りは敵ばかりで、戦力をどこかに集中するわけにもいかず
三方ヶ原の時は家康に3千の援軍しか送れてない
しかし信玄が長生きしたとしたも家康を滅ぼしてたか、もしくは家康が信玄の臣下になってたくらいかと
謙信はもともと関東平定しか興味は無く、常に足利将軍ありきの関東管領として動いている
また越後内部もいろいろあってそんな余裕は無い
10万近くの軍勢で北条を攻めたこともあるらしいが、上杉が集められる兵力はせいぜい3万
武田・上杉両国が織田を破る可能性があるとしたら、信玄が生きていた頃に武田上杉北条の
三国同盟+織田包囲網が実現してたらいけるかもしらん
847 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 20:50:39 ID:9yDoNW2o
織田信雄の長所を教えて下さい
849 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 21:29:40 ID:9yDoNW2o
保身術以外もあったのか
850 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 04:05:30 ID:j6Zqbsdt
〃 i, ,. -‐
r' ィ=ゝー-、-、、r=‐ヮォ.〈 /
! :l ,リ|} |. } / .こ
. {. | ′ | } l れ
レ-、{∠ニ'==ァ 、==ニゞ< | で
!∩|.}. '"旬゙` ./''旬 ` f^| | 五
l(( ゙′` ̄'" f::` ̄ |l.| | 千
. ヽ.ヽ {:. lリ | 石
. }.iーi ^ r' ,' ノ |
!| ヽ. ー===- / ⌒ヽ ッ
. /} \ ー‐ ,イ l !!
__/ ‖ . ヽ、_!__/:::|\ ヽ
851 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 11:42:31 ID:rzfM/xi/
丹羽長秀は十五歳で小姓として信長に仕えた
と聞き及びますれど、その典拠とされる
文献と出典箇所を教えて頂き度う御座います。
よしなに頼み参らせまする。
852 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 11:58:41 ID:rzfM/xi/
織田信長に寵愛された小姓・万見仙千代と
信忠の寵童だった美少年・万見仙千代とは
どういう関係なのでしょうか?
853 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 19:56:20 ID:v49quej+
子供が切腹した記述などもありますが、
武家の男子は幼いうちにその家々で切腹の仕方を教わっているものなのでしょうか?
それともその場に居合わせたものが手順を説明して切腹したのでしょうか?
854 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 20:37:19 ID:/ieIQp3w
教わっていると思われる
切腹した最小年は何歳だろうか
三村勝法師丸の8歳じゃないか。
856 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 21:10:23 ID:TVUhBOzJ
元服のときに切腹の作法を教わるんじゃなかった?
857 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 21:36:28 ID:/ieIQp3w
北条氏政の初陣はいつでしょうか?
858 :
中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2007/09/06(木) 21:51:50 ID:UygwTBD5
>>852 おそらく親子
父 万見重元 幼名仙千代
子の仙千代は父と同じ幼名を名乗ったとおもうよ
859 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 09:53:43 ID:0eYY6pps
三河後風土記って史料としての信憑性はどれほどのものなのでしょうか?
また、信長公記以外に信憑性が高いとされる戦国期の史料を教えてください。
860 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 22:21:20 ID:cUHQeF9T
戦国時代を通観出来るような書籍はありませんか?
三国志なら正史・演義それぞれ文庫で8巻読めばたいていの話しにはついていけますが、日本の戦国時代は地方ごと、個別に展開していたりして分かりにくいです。
以前、書店で講談社の『クロニック戦国全史』というちょっと高価でかさ張る本を見かけましたが、これ一冊あればだいたいOKですかね?
何かお勧めがありましたらお願いします。
861 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 21:57:00 ID:LiMsEudl
最近は新説続出でどれがいいかとなるとね
862 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 18:46:37 ID:kmuELEqF
明智光秀が信長を本能寺で
自害までに追い込んだ理由は
光秀の領地を信長が取り上げたからですか?
DVDでそう言っていたのを聞いたのですが・・・。
863 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 01:17:35 ID:0lEA2Hho
それは誰にもわからない
864 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 06:26:45 ID:ohZ0nEYM
和睦などの場合の人質は、普通は相互に差し出すものでしょうか?
それから、人質は本拠に置かれるのが普通でしょうか? 支城に置かれる場合とかもあるのでしょうか?
865 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 05:21:22 ID:at/xIrBm
ケースバイケース。
双方手打ちと言うことで、兵を引く間一時的に家臣同士を人質に出し合うこともあれば、
城下の盟を強いられた場合は屈服した側が人質を出す。
866 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 15:32:50 ID:8Z8OFdZk
諱ってどういう時に使ってたの?
文章とかくらい?
867 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 22:10:12 ID:4VY2DIK9
公文書かな?
868 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 00:09:19 ID:7yDnvsLQ
陪臣の家臣は何と言うのですか?
869 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 01:45:17 ID:NemjL+pl
郎党とか家来とかで一緒くたにしてるんじゃないか
陪臣は殿様から見た立場だから、その家臣は気にするような存在ではないと思う
870 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 02:11:39 ID:JzFuWads
麻呂aaの人、あれは誰なんですか?
マジレスでお願いします
871 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 23:44:25 ID:7yDnvsLQ
872 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 19:07:36 ID:2rtGg/3d
戦国期の馬廻と旗本の明確な区別ってあるんですか?
873 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 01:26:00 ID:v7OczKYo
>>870 口にするのも憚られる、非常に優秀で高貴なお方だ。
なお、戦国板の有るスレでは天下を統一されたという事になっている。
874 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 02:22:20 ID:hMxYR0lF
>>870 一条三位
水戸黄門に出てきた悪役の公家
875 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 08:27:30 ID:urC/MQos
テレビで見たけど武田信玄と徳川家康は親子なんでしょうか
よく、○○の戦いで○○人の兵を動員したとか
○○の戦いでは○○人が戦死、あるいは虐殺されたと聞きますが
ああいうのはどの程度の信憑性があるのでしょうか?
戦国時代の日本の人口なんて正確にはわからないでしょうけど、そもそも信長や秀吉
家康が登場する以前から戦乱は続いていて(小競り合い程度でしょうが)ただでさえ
人が減っていたと思うのですが・・・・・
877 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 12:38:18 ID:qZrnl+HS
ところがどっこい、戦国時代は人口が増えているミステリーw
冗談は(嘘ではないが)置いておいて、
何人動員、何人戦死というのはあまり信憑性がない、参考程度と割り切るべし。
勝った方からすれば、こんだけの逆境でこんだけ戦果収めた俺らちょーすげーと誇張するので、
敵の動員兵数や戦死者は爆発的に増える。
負けた方も、戦果を誇張し、自軍の被害を少な目に喧伝することで自軍の勢力が健在であることをアピールする。
よって、一次史料であっても勝者・敗者ともに誇張が混じる可能性は高い。
878 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 14:48:42 ID:fucEkIrO
>>875 テレビ局が最重要視するものは視聴率であって情報の正確性ではない。
そのため人目を引きやすいdでも説をろくに検証せず垂れ流しにするなど日常茶飯事。
テレビで流されるものは八割がた疑ってかかった方が正解。
879 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 15:28:13 ID:urC/MQos
>>878 ありがとうございます。これからは気をつけて、テレビを見ます。
>>877レスありがとうございます。
おっしゃるように誇張されてる部分はかなり(あるいは多少は)ありますよね。
他のスレで読んだんですが、関が原を始め実際に戦があった場所へ行かれた方が
「想像してたよりも狭かった」と感想を書かれていたのを見ると、数百人ていどなら
ともかく、万単位の人間がひしめきあってたら戦もやりにくいはずですよね。
もちろん一箇所に集中してるわけではなく、ある程度は分散させていたんでしょうけど。
それともうひとつ、例えば一万人の軍勢を動員したとして、その全てが戦闘に参加して
いたのでしょうか。湾岸戦争みたいに後方支援のような役割を担った人たちも含まれていたと
思いますか?
881 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 18:41:16 ID:rdLQ4ndd
>>874 京都編で出てたあいつだったのかwwww
>>880 二割くらい後方部隊でもおかしくないと思う
両軍の大名もまさか一日で決着とは思わんだろうし、どっちも遠征軍だ
883 :
takeda:2007/09/24(月) 23:25:26 ID:o2kEejqX
三村家親
884 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 23:58:19 ID:IxC54sFN
が、どうした?
885 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 00:38:39 ID:ph4pDLN2
質問です。
信玄の時代の武田家臣には、
「昌」が付く武将が多いのは、何故でしょうか?
信玄の曽祖父は「信昌」ですが、偏諱にしては世代が離れているので、理由がわかりません。
分かる方、教えてください。
886 :
takeda:2007/09/25(火) 00:50:29 ID:pZevFY/U
三村家親てなにしたの
887 :
takeda:2007/09/25(火) 00:51:41 ID:pZevFY/U
三村家親てなにしたの
888 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 01:15:40 ID:t6YRyHKt
三村氏スレ行けよ
889 :
中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2007/09/25(火) 12:11:01 ID:wKMNNVKC
>>885博識で有名な中野区氏の見解を参考までに
中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/24(土) 21:42:28 ID:pv8uGSO7
話はかわるが戦国期にゃ各家に伝わる諱字(いわゆる下賜用の字)というもんがある
一門など特別な場合については大名家の通字や当主の一字を書出や拝領として与える
しかしそれ以下の階級や単に被官に与える場合は諱字や佳字を用いて
明確に一字拝領との差別化を行なう。長尾の場合「長」の字が
いわゆる諱字拝領用の名なんだよ。発祥はわからんが武田の「昌」もこれにあたるんだろ
890 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 12:53:50 ID:UDIzGHl5
891 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 19:19:54 ID:5VxLjNXH
>>885 信昌が甲斐統一の礎を築いた人だからじゃないかな
ただしその次の世代が内輪もめしたせいで信虎は幼い頃から苦労ばかり
信玄は「虎」も偏諱に使っているし、甲斐統一がそれだけ困難な事業だと信玄がわかっていたからだと思う
892 :
885:2007/09/25(火) 21:06:59 ID:ph4pDLN2
>>889 >>891 拝領用のがあるとは初めて知りました。
中には祖父の代から「昌」を使っている家もあるみたいなので、
拝領だけでなく、その家代々の諱字にしている場合もありそうですね。
有難うございました。
893 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 13:57:27 ID:Rh0B+NXK
2つ質問があるのですがよろしいですか?
1.戦国大名で生前に親から子へ官位を譲る時…
必ず朝廷に奏上しなくてはいけないのでしょうか?
2.朝廷に奏上せずに官位を譲られた息子は、
(譲られた官位を周囲の大名から)認めてもらえるのでしょうか?
レス宜敷お願いします!!
894 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 02:36:04 ID:ppzTSM4W
中川秀政は秀吉の養子になったりしたことはあったんでしょうか?
895 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 16:03:44 ID:ZyWU9SHw
真田信繁って実際には何て呼ばれてたんでしょうね?
左衛門佐では語呂が悪いし。
字が源二郎だから源左とか?
896 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 19:15:19 ID:rn1DFM3e
呼び方は人にもよるとは思うが、叙任前は真源とか源次とか
叙任後は真左とか左衛門とかじゃないかな。金吾とか左金吾っていう可能性は、小早川がいるからないか
真田殿とか左衛門佐とか源次郎と呼ぶ人も普通にいたとは思う
もしかしたら他にニックネームがあったりもしたかもしれないし
例えば福島正則とかも市松って呼ぶ奴も右衛門大夫って呼ぶ奴も清洲侍従って呼ぶ奴もいたんだし
現代と同じでやっぱり人それぞれに呼んでたんじゃないかな
場所や状況にもよるしね、呼び方は
897 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 21:38:34 ID:WhdUdXHu
戦国時代に双子の武将はいたのでしょうか?
898 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 23:29:21 ID:l+uEC1/m
>>897 それって『シグル(ry
冗談はおいといて。
管見では双子とはっきり判明している武将はいないのでは。
日本では双子などの多胎児を不吉として嫌う風習があったから
記録でもわざと日をずらして書いていることが多い。
双子説があるのは
・結城秀康、永見貞愛
・松平忠輝、松平松千代
偶然にも家康の子息なのだが
899 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 23:30:47 ID:PsXZbqU4
>>898 えぇっ!?
シグルイ?
誰が双子なの?
俺単行本しか見てないから分からない。
900 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 23:37:02 ID:i/78T/Fp
/`l ,-、
ト‐ ' `ー ' /
ノ x┼、 /
ヽ (,メ o! l
丶 ゝ 丶、
l し ) ヽ ノ
l ,ニ、 (
( ノ ゝ、
ヽノ⌒丶、_f´
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l r==ュ ι l r==ュ ι u,,,,シミミミミ1
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レ'ー─- '' ''′ι .レ'ー─- '' ''′ι u にニノ7
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901 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 00:29:07 ID:fArFCx01
902 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 00:31:29 ID:OPd6AcRt
>900
仕事が速すぎるw
903 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 02:52:57 ID:4L1igwPk
信虎とか信長は家臣に本拠地への屋敷の移転を強要したけど
妻子もずっと本拠地に置かれたの?
例えば城主とか国主になった場合とか、もしくは寄騎(直臣)から寄親の家臣に転じた場合とか
そういう場合はどういう扱いになったのか、詳しく教えてください
904 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 10:35:07 ID:V1O02RqU
>>903 天正6年(1578)に、信長直属の家来衆120人の妻子を強制的に、『尾張』から安土城下に移住させた
という記述が信長公記にある。
つまり、岐阜には行っていない(者が多い)、ということだと思われる。
905 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 14:51:24 ID:owuz7ABr
>>904 そっか、ありがと
やっぱり武家屋敷を本拠に集めるのは中央集権の一過程でしかなかったのかな
906 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 00:42:04 ID:6+TSZSiV
>>898 千葉良胤と千葉邦胤
ただし、良胤は架空説有。
とはいえ、江戸期に千葉氏再興を唱えていた連中はみんな良胤の子孫を名乗っていて、浅草の鳥越神社を除いて邦胤の子孫を名乗った家はいないんだよな。
907 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 00:46:04 ID:041Qzyzw
千葉半島人の捏造家系図に捏造歴史なんて何の役にも立たんとです・・・.
908 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 19:50:33 ID:JqcPa29M
武田家は五百から千挺ほどの鉄砲を所有していたそうですが、組織的な運用はされていたのでしょうか?
やはり鉄砲隊として編成されて奉行がつけられた、とかではなく、各隊の所持の合計が五百なり千という数なのでしょうか?
そうである場合、武田家が直接管理する鉄砲というのはどれくらいの数だったのでしょうか?
909 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 20:46:34 ID:JqcPa29M
すみません、sageてました
910 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 01:00:26 ID:JPLZlIx1
鉄砲があっても火薬がなかったからなぁ
果たして、鉄砲の数を知る事に意味があるものかどうか
勝頼の時代には、無理して高額な火薬を買い揃えて
長篠の戦などで使用していたようだが
あまり、上手くはなかったようだ
911 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 21:30:24 ID:nZYpRxRO
質問です。大御所の信号がゲル・ドルバ線上で確認されたのでありますが、どうも・・・。
912 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 00:31:01 ID:k239gLIz
総帥を父殺しの罪で射殺汁
913 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 18:23:20 ID:bctbAD0E
なぜ歴史家の人たちはその当時の資料がなくて江戸時代に書かれたものとか
自分の仮説と違う文献を創作物又は偽物指定するのですか?
914 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 20:00:01 ID:yPVtdR2J
例えば俺が、雑誌やネット、ご老人の話を頼りに日露戦争の通史を書いたとして、それに史料価値があるかね?
江戸初期に成立した軍記物ですら、50年前〜100年前の出来事であり、
しかも今よりも史料を見るのが困難な状態だからな。
北条五代記のように己の体験をあらわした部分があるケースもあるけど、
ほとんどは曖昧な誇張まみれの伝聞(五代記も贔屓の引き倒しの上、作者が生まれる以前のことは割と適当)。
他の一次史料との整合性があればともかく、それ単体ではあまりにも微妙と言わざるを得ない。
とはいえ史料価値が全くないというわけでもないが。
915 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 22:36:56 ID:sRJ4ruI2
板についてなんですが、県ごととか、古い国ごとのスレは立てていいんですかね?
といっても全部立てるつもりなんて無いですけど
916 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 22:43:47 ID:7SmxF+5s
ルールがないてことは、いいってこと。
917 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 22:52:53 ID:sRJ4ruI2
了解しました
確かにローカル見ても禁止事項が無いので
918 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 22:59:49 ID:WcpkvByC
その手のスレ立てはかまわんというか。すでにいくつかスレ立ってるが
「禁止のルールがないからいい」って論理は駄目だろ・・・
小学校低学年並みの道徳観しか持ち合わせてないのか?
919 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 20:31:03 ID:PskdVE8w
質問です。戦国時代の合戦って、兵站の管理はどうしてたのでしょうか。
身軽で行って現地で集めたのかあるいは結構な量を持ち歩いていたのか。
教えてください!
920 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 22:26:42 ID:dIk78O8O
数日分は自弁だが、長期戦だと主家が持つことになる。
921 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 15:24:13 ID:oGz26LwK
あげとかないとわかんなくなるから、あげ
922 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 10:45:01 ID:TAfAo3Wa
質問です。
戦国時代では現代のドラマとかと違って本名では呼ばないとききました。
目下の人間からして通称の名前ではなく官名で呼ぶ場合
官名に「様」や「殿」はつけるもんですか??
それとも名前+官名+様(殿)が基本でしょうか…
後、江戸時代でもそうなんでしょうか?
例えば将軍である家康は「殿」とか「将軍」とかで呼ばれて
「家康公」や「家康様」っていうのは実際には無く、
家臣同士でも上記のように名は口にしないのが普通だったのでしょうか?
923 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 13:35:14 ID:mIYVh0xb
大御所様
924 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 01:33:23 ID:IRsVYWXH
現代だって「鈴木良男課長」の事を
「良男さん」とは呼ばんわな。
大抵は「鈴木課長」若しくは「課長」だろ。
ファーストネームで呼ぶのなんざ毛唐の習慣。
925 :
922:2007/10/16(火) 04:23:21 ID:DAhUpj5t
官名のまま口にしたら呼び捨てにしてるみたい?と気になっていたので…
分りやすく教えて頂いてありがとうございます。
926 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 09:50:08 ID:q0Lj4GtD
>>922 江戸時代の将軍は尊称で「上様」、旗本は親しみを込めて「旦那」と呼んでいたようです。
927 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 23:32:04 ID:EWnMaNfr
蓬菜宮のカンテンってどういう意味?
928 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 00:22:11 ID:0cCXTPbk
929 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 00:48:56 ID:qbIRDlPu
九州の海賊松浦氏が奥州で滅亡した安倍氏の末裔で、それがさらに安倍前総理につながっているというのは本当ですか?
>>897 はっきりとはしてないが、千葉良胤と千葉邦胤。
931 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 11:26:59 ID:luMsmMWs
>>929 松浦一族は摂津源氏出身の豪族・渡辺氏の分流
932 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 20:13:13 ID:jnRzHUaY
>>929 たしか安倍晋三は、安倍宗任が九州へ流刑となった、その末裔とのこと
933 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 20:47:29 ID:P/LCw35m
934 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 19:52:37 ID:L4B92qKk
丹波亀山城なんだけど、豊臣秀勝が死んで小早川秀秋が入るまでの間
誰が城主だったかってわかりますか?
調べてみたんだけど、何人かいたってことしか分からなかった。
935 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 21:33:13 ID:ZoUCRCo0
そもそも秀秋は秀勝の後釜じゃね?
羽柴(織田)秀勝→豊臣(三好)秀勝→羽柴秀俊(小早川秀秋)
じゃなかったっけ
936 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 01:29:16 ID:9xQtMY78
失礼した
938 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 23:42:01 ID:DAb/Mymy
武田氏関連ですが、武田義信には、正室今川氏との間に
女子がいたとのことですが、義信死後はどうなったのでしょうか?
また、義信には他に子女はいなかったのですか?
939 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 07:12:05 ID:IxOw7+Z5
そもそもその子の存在自体がいたのかいなかったのかはっきりしていないからな
嶺松院が駿河に帰ったのは義信死後だから、いたとすれば母に従ったんじゃないだろうか
義信派が一掃された状態でわざわざ義信の娘を嫁にしたいっていう家臣もいなかったろうし
940 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 17:36:43 ID:zKUjQInI
愛妻家で有名な武将を教えてください
どの小説でも奥さんがかわいそすぎる
941 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 18:23:19 ID:2DwdNNrM
側室だって妻だから一概にどんなのが愛妻家かってのが曖昧過ぎるな
ちょっと上で話題になってる義信なんかは正室一筋だったらしいね
弟の勝頼も身内にはとことん優しいな
942 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 19:06:51 ID:zKUjQInI
なるほど、ありがとうございます
武田一門は中々情に厚いですね。信玄はあまり良い話を聞きませんが。
側室の存在は忘れていました、中途半端な質問ですいません
943 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 17:11:47 ID:zvDlePfh
ファンタジー小説を書いているのですが、西洋騎士と対決する侍を登場させる事にしました
名前が思い浮かびません‥。
父:ヤマト国の王、かつて国内で多くの武将と覇権を争い勝利を得た
領土を増やす野望に満ちた人物。
息子:領土を増やすより戦いの中に自分の価値を見い出そうとする男
できれば史実にはないけどそれっぽい名前を教えてください。
944 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 17:25:22 ID:zvDlePfh
一応
獅向井王牙
獅向井竜児
小説ではではシムカイ王とリュウジ‥どう?
945 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 19:04:38 ID:PuUCx/pm
>>943 中二病臭いけど
尾川信茂
尾川時茂とかどうよ?
946 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 19:27:23 ID:zvDlePfh
>>944>>945ありがとう、他版でも募集したので選考に漏れても何かの形で使わせていただきます。
一応映画『天と地と』の武田と謙信がモデルなんです
今まで西洋史中心でしたが戦国時代スバラシイ!!!
947 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 19:39:19 ID:Y5NCeK/l
今、ひどい自演を(ry
948 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 20:11:28 ID:v3XrUiC8
甲陽軍鑑で悪名高い跡部勝資についてです
いろんな資料を見るとさも当然のように第四次川中島戦に名を連ねていますが
当時十五歳のはずです
同年の真田昌幸なども従軍説があることから年齢に関しては問題ないのですが
武田家中で、十五歳以下で侍大将になったのは甘利昌忠だけっていう話もありまして
こういう食い違いって、どういう風に検証してけばいいでしょうか
戦国遺文の武田全巻買え。妙法寺記と高白斎記なども忘れんな
あとは寺社の安堵状とか禁制とかも用意
で軍鑑との比較検討やりゃいいじゃん。そんなオナニーできねえつうんなら
柴辻でも笹本でも読んだらいいじゃんよ
950 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 23:03:52 ID:v3XrUiC8
軍鑑との比較検討って意味があるんですか?
なんか信憑性がないっていうイメージしかないんですけど
高白斎記は時期が合わないからいいかなとスルーしてました
もしかしたら跡部の父親とかの関連で記事があるかもしれないので金銭の問題もありますけど前向きに検討します
寺社の安堵状とかって、写しでも用意できるもんですかね?
951 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 23:30:08 ID:LZsrtrtQ
952 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 18:25:02 ID:UnnVyXyH
お聞きしたいのですが、よく戦国大名(武将)同士が自分の息子や娘を
人質に出して同盟を結びますが、その場合の人質の扱いはどういうもの
なのですか?やはり大事な同盟の証なので大事に扱われるのですか?
昔戦国系の小説読んで気になったので...。よろしくお願いします。
953 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 23:08:21 ID:KtETW5PH
戦国時代の防寒着(特に戦場での)ってどんなものがあったのでしょうか?
頭巾くらいしか想像できないのですけど
手袋とかって結構あったんですかね?
954 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 22:41:54 ID:M5zdI+z4
大声で開城させた武将はだれですか?
955 :
保守:2007/11/08(木) 11:41:02 ID:gz82mXDY
956 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 12:14:34 ID:iKKghFmC
史実の仙石権兵衛秀久は小田原攻めの際、「死ぬ覚悟で武功を立てる」という名目で、目立つ格好で戦闘に臨みました。
確かに味方からの目に留まるでしょうが、同時に敵からも目に付き、狙われる危険があります。
この辺りのきわどい一線、「必死の覚悟を見せること」と「本当に討死すること」の境界線について当時の武士たちはどのように計算していたのでしょうか。
あるいはその二つは重なり合ってグレーゾーンとなっていて、自らの技量で生き残る確率を可能な限り高められる、もしくは仮に死んでも名前が残ればいいとさばさば考えていたのでしょうか。
957 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 15:23:30 ID:e4qxHEea
>>956 仙石のように罪を得て追放された者は領内で再仕官などできない
まして主君が秀吉では殆どが秀吉の影響範囲であり
はっきり言って秀吉に許されなければ野垂れ死にするほかない
死んで元々と思って戦うしかないわけだ
そもそも大概身分が高いほど装飾は派手になる
それに反比例して身分が高いほど討ち死にする確率は低くなる
身分に比例して供廻りが増えるからだ
武将クラスは周りをがっちり固められてそう簡単に矢弾に当たるものではない
958 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 17:40:35 ID:vIkPCm0U
石田三成の苗字「石田」家の家系はこの人だけなんでしょうか?武将の苗字であんま聞かないので
石田も脇坂もあの辺の地名だ
>>958 相模の桓武平氏三浦氏一族の末裔や伊達家臣にも石田氏の名が見えます。
あとは壱岐にもあり、三浦氏の流れのようです。
961 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 15:02:20 ID:NZNzOnrK
伊達家には三成の子孫が身を寄せてたな
962 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 17:20:51 ID:0fY8blOz
>>959-960-961
レスありがとうございます
そうですか何はともあれ絶えてなくてよかった…と普通の感想です
963 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 21:36:00 ID:CPNnts0C
964 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 22:04:57 ID:BwZgo48e
965 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 22:43:32 ID:x+ZaJTgR
ふと思ったんですが、一人っ子の武将はいたんでしょうか?
腹違い・種違いの兄弟姉妹もなしで、完全に一人っ子と言うのはやはり少ないんでしょうか
毛利輝元がそうかなと思ったんですが、姉か妹がいたっぽいですね
966 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 22:52:40 ID:V+AuPHls
967 :
961:2007/11/13(火) 23:27:33 ID:NZNzOnrK
ご指摘の通り勘違いだった
申し訳ない…
968 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 00:25:14 ID:WrX90JB7
>>965 生まれた時代が微妙なところだが
上杉定勝
景勝はもうちょっと子作りに励んでも良かったと思う
定勝が若死にしたらどうするつもりだったんだろう
おとなしく徳川幕府に改易されるつもりだったんだろうか
早死にではなく、またある程度名将でありながら子が1人の武将は、
蘆名盛氏ぐらいしか思いつかない。
子は盛興1人だったはず。
970 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 01:44:43 ID:YS0unhai
なんか歴史のタブーに触れるような質問です
戦国時代の武将の多くは男色というのが普通だったようですが
その、なんとういうか愛し合う時はお互いの凸凹を使ったんでしょうか?
971 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 02:04:28 ID:iFwhej15
武田信玄は一向宗の本願寺顕如と親戚だったようですし、
信長包囲網でも一向宗と親密に協力しているようですが…
家臣にも一向宗門徒になった武将とかいたんですか?
972 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 20:22:18 ID:1S5EcjfI
973 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 22:39:25 ID:TqM4Djec
尼子晴久って一人っ子じゃなかった?
974 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 23:37:16 ID:+/O1fBMv
975 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 17:23:49 ID:1JLs23W9
再来年の大河の主役になるらしい直江兼続についてです
今までずっと景勝に対する直江は、武田勝頼に対する跡部勝資みたいな立場だと思ってたんですが
小説読んだり他の人の話を聞くと軍師?だと一般的には言われてるようで・・・
直江を軍師と言わしめる軍事面での活躍を教えてください
976 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 00:25:32 ID:TTazeYcy
新発田の乱鎮圧
長谷堂城からの撤退戦
977 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 01:42:24 ID:eVqc8AGM
>>975 軍事面よりも内政面での働きの大きい人ではあるな。
景勝時代の内政にかんしては大体が此の人が統括していた筈。
978 :
カキコ:2007/11/18(日) 01:07:45 ID:MYUR4/dS
今日、初めて質問します。
・応仁の乱を起こした日野富子(8代将軍足利義政の妻)は公家の日野
家の出身だけど、彼の息子義尚が亡くなったあと日野家はどうなっ
たの?
・義尚以降の足利将軍は、公家の姫を娶ったりしなかったの?
979 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 01:27:02 ID:Wut8SjnG
>>976 「大河に出れるほど実績ない」と一部スレで叩かれているw
>>978 11代将軍義澄の妻も日野家。
その後は近衛家へ移った。13代義輝とともに殺された母の慶寿院とかそう。
日野家は江戸時代も存続している。
980 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 02:19:55 ID:OFp/hCmb
>>978 日野氏は江戸初期には輝資が当主。
義晴が慶寿院、義輝の正室が近衛前久の妹だったはず。
>>979 まあ、あのスレのアンチは半ば病気みたいなもんだからな。
なんつうか、どうあっても叩き台にしたいだけというか。
正直、他のスレッドにまともな住人が移って行った残りかすだわな。
981 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 00:50:25 ID:9FRChG9s
982 :
人間七七四年:
胤違いなら久松系が幾人かいた筈。
あと、広忠の後妻にも子がいたようないないような