1 :
没個性化されたレス↓:
というのを聞いたことがあるのですが、世間では
やたらと母性本能、母性本能と言っているので、
ホントのところどうなんでしょう。
2 :
没個性化されたレス↓:04/05/06 14:52
|┃三 ______________
|┃ , __ /
|┃ ≡ /_、_\ < 母性本能と聞いちゃー黙ってられねー
____.|ミ\___( <_,` ) _ \
|┃=___ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ≡ ) 人 \ ガラッ
3 :
没個性化されたレス↓:04/05/07 01:33
>>1 以前見たテレビ番組では、母性本能というのは存在しないということを言っていました。
これはゴリラを使った実験で証明したそうですが、群からはぐれて育ったゴリラは
子育てを放棄する、つまり、母性は本能ではないという話でした。
しかし、いつかみた「あるある大事典」では、母性は女性ホルモンの作用によって
引き起される衝動であり、本能に近いものであると説明されていました。
4 :
没個性化されたレス↓:04/05/07 02:01
母性本能は『本能』じゃなくて
学習していくもんなんだよ。
『母性本能』とはなんぞや?
と聞かれたら
『女性らしい』
『子供を慈しむ気持ち』
とか馬鹿馬鹿しい答えが返ってきそうだな〜
男から。
本能を忘れるかよ。
忘れないのが『本能』なんだよ。
5 :
没個性化されたレス↓:04/05/07 11:44
母性本能は自分が産んだ子供に対して母親が持ちうる物らしい。
それも母親が母親たる精神の余裕を持っていて、自分の子供に
対して自然に出るものらしいです。
大人の男に対して女が示す「母性本能」とは深層心理では「自分
に持ってないペニスを自由にして喜ぶ男性反抗の一種」だとか。
これと関係あるかどうか知らないが、母親が産んでより喜ぶのは
男児の方だそうで、女児は「あまり手がかからない」と言うように、
あまり愛着を持って育てる事は少ないらしい。母親があまり女児
を溺愛しすぎるとエディプス期に女児の愛情が自然と父親に向く
のを妨げる事があるそうです。
半可通理論花盛りだな。
手が掛かる子ほど可愛いとは聞くが
あれ、嘘だな。
おれはぶっ飛ばしたくなったがな。
男児も女児も育てる苦労はかわんね〜よ
9 :
没個性化されたレス↓:04/05/07 21:15
>自分に持ってないペニスを自由にして喜ぶ男性反抗の一種
じゃあ男のばやいは
10 :
没個性化されたレス↓:04/05/07 21:19
>>5 > 深層心理では
恥ずかしいから心理学板でそんなこと書くなよ ( ´,_ゝ`)プッ
12 :
没個性化されたレス↓:04/05/09 18:40
>>11 あちゃ、心理学板では深層心理、特にフロイト派は出入り禁止ですかな?
うむむむ・・・・・
まあさ、そのフロイト理論にも続きがあってさ、
「自分の子供に対して自然な母性愛を出せる母親は少ないのです。
多くの子供を産んだ母は精神的には未熟でまだ愛されたい、自己愛
の段階で止まっており、自分の子供に母性愛を出せるにはまず母親
自身の心の成長が不可欠です。そのためには男性である夫の愛情
を十分に受ける事も必要です。」
と言って、他者愛の段階まで成長するのが大切だと言っているけど。
つまりは母性本能が正しく働くにはいくつかの条件をクリアーしてない
とダメって事ですよ。第一は自分の子供に対して、第二は母性愛が
出せるほど母親が精神的に大人になっている事。第三は夫がいて、
しかもその夫が他者愛を出せる事。そんな理想的な家庭は滅多に
ない罠。どれかが不足している。
>>14 木田恵子氏著の本にあったような気がする。今でも売ってるのかな?
16 :
没個性化されたレス↓:04/05/11 21:45
父性愛は?
17 :
没個性化されたレス↓:04/05/12 11:39
新生児室のたくさんの赤ん坊の泣き声のなかで
ひときわデカイ声ではげしく泣いているのは
どの子かと思って見たら自分でさっき生んだ子だった。
とか、我が子の泣き声を聞くと突然乳が張るとか
私自身経験していますし、他の母さんたちからも
似たような経験談を聞きますね。
本能ってそういうものではないでしょか?
18 :
没個性化されたレス↓:04/05/12 12:13
男が育児に目覚めるってのなんていうの?父性愛でいいの?俺がそうなんだけど。
19 :
没個性化されたレス↓:04/05/12 16:23
中学生の頃から子供が欲しいといっていた友人がいましたけど・・・
友人に子供として教育されたり、説教されたりした覚えがあります
どの友人も私を見ると赤ちゃんと思うらしく
説教したりしつけたがります。
ボーダーに赤ちゃんと認識されたときは大変でした(´・ω・`)
私を思うとおりに操ろうとしたり
思うとおりにならないときは精神的虐待をされたりで・・・
父親の働きは精神分析学的には男児と女児で根本的に違う罠。
男児の場合、父親は超えなければならない壁として自分の前に
厳然として立ち、「トーテムとタブー」に象徴されるようにやがて
父親を超えて父親そのものを自分の中に取り込む(同一化)対象
となる。
これに失敗すれば「去勢不安」が生じて社会不適合を起こす。
女児の場合、人生で最初の「異性愛」を向ける対象となり、それ
以降の恋愛のモデルとなる。父親が女児の求愛にうまく応えれば
女児は「男根羨望」を解消し、対象愛が女性から男性に移る。
これに失敗すれば反動形成あるいは否認が働き、結婚しなく
なったり一生男性を憎んだり(若しくは憎まざるを得ない状況に
自分を追い込む反復強迫になる)、あるいは従順過ぎて個性を
発揮できなくなる。
エディプス・コンプレックスは一般的に対象愛が母親から父親に
移動する女児の方が複雑で屈折している。
エディプス期の女児にとって最も脅威になるのは実の父親による
性的虐待である。この体験により女児は男性一般を「とても愛を
向ける対象ではない、自分の体だけが目当てなのだ」と思うよう
になり、それが以降その女性の男性観になってしまう。
不幸にして女児の性的虐待は非常に多く起きていると考えられ
ており、特に日本という国は性的ないたずらに寛容であり、闇に
葬り去られた女児の心の傷は予想以上に多い。女性が男性の
2倍の確率でうつ病に罹りやすいのは肉体的、脳の性差以外に
もこの当たりと関係があるかもしれないとまで言われる。
23 :
没個性化されたレス↓:04/05/15 21:52
人間社会において、女性はどの子供に対しても愛情がある、でなければ
異常のような感じがある。女性だからといって、ガキをけしかけられる
と嫌いなひとにとってはたまったもんじゃない。
しかし確信しました。女性が子供と見るとすぐなんでも愛情を注げる
というのは、幻想です。なぜなら、自然界においても、自分の子以外
であればたとえ同種族であっても殺すことがあるのです。
何匹かハムスターの子供を、複数のメスばかりがいるところへ、一緒にいれると
全部残殺されました。自分のこどもならともかく、よその子供なんて
可愛くなくてあたりまえなのです。
フロイトなんてオカルトに引っかかるなよ・・・
25 :
没個性化されたレス↓:04/05/19 00:25
そうだよ
26 :
没個性化されたレス↓:04/05/19 23:14
人間でも、
他人の赤ん坊にオッパイ吸われると乳でるの?
サルの赤ちゃんを保護した女性が
母乳が出るようになり,あげている
というニュースは見たことがある。
28 :
没個性化されたレス↓:04/05/19 23:35
29 :
没個性化されたレス↓:04/05/20 02:41
30 :
没個性化されたレス↓:04/05/26 20:29
>>24 フロイトとユングを対比したらどちらかと言うとユングの方がずっとオカルトだよ・・・・
フロイトがユングと決別したのもフロイトがユングの集合的無意識という概念を
全く受け入れなかったからだ。おまけにユングはエディプスコンプレックスの概念
をひどくバカにしてたしね。
フロイトとユングが決別したのは学問的内容だけじゃないぞ
フロイトはユングのことを弟子だと思っていたけど
ユングはフロイトのことを同僚だと思ってたからな
>>23 ハムスターを檻かなんかに入れて飼っているんでしょ。
そういう自然界から引き離された動物の本能はすでに壊れている可能性が高いので
本能の話の時には使えないと思う。
人間の母親の母性本能は、私も幻想だと思いますが。
>>23 ハムスターを檻かなんかに入れて飼っているんでしょ。
そういう自然界から引き離された動物の本能はすでに壊れている可能性が高いので
本能の話の時には使えないと思う。
人間の母親の母性本能は、私も幻想だと思いますが。
>そういう自然界から引き離された動物の本能はすでに壊れている可能性が高いので
ぢゃあ,人間も本能が壊れてるんだな!
って,岸田かよっ!
人間は本能の壊れた動物です。
人がわざわざ
>って,岸田かよっ!
って一人ツッコミをしているのに,
>>35のコメントは
あまりにも失礼だと思います。
ただの,もの知らずかもしれないけれども。
37 :
没個性化されたレス↓:04/05/30 09:37
岸田秀〜♪
史的唯幻論だったけか?
ドナは岸田なんて読んでるの?
>>38 そりゃ,向学のためと思って読もうと思ったことはあるわよ。
拾数ペ−ジで本を投げつけましたけどね。
ということで,岸田については実はよく知らない.....
まぁ,根っから合わないだろうということは自認しているけど。
1の言うとおり
「母性本能って、何だろう」と考えるのも勉強になりそうです。
>39
その岸田なんとかって方の本、読んだほうが良いですか?
41 :
没個性化されたレス↓:04/06/04 02:38
>>40 岸田○の精神分析モドキの本は、日本精神分析学会会員の人が出している本の
中で酷評されているよ。彼は教育分析も受けず、臨床に立ち会ったわけでもないのに
精神分析をネタにして自分勝手な世界を展開しているって憮然とされてました。
だから精神分析を正しく学びたいなら読まない方がいいでしょう。ただの読み物として
読むには結構面白いんですけど。
42 :
没個性化されたレス↓:04/06/04 07:52
>>41 知ってて言ってるのかどうかわからんが,
日本精神分析学会というのは
精神分析家の集まりではなく,
精神分析研究者の集まりなのだよ。
会員には独文学やら社会学やらといった分野の研究者もいるわけで,
教育分析も受けず臨床に立ち会ったこともないからといって
精神分析を語る資格がないということにはならないのだよ。
精神分析療法をする資格はないとしてもね。
「精神分析を正しく学ぶ」ということの意味を
もう一度考え直してみることをお勧めする。
金子書房の「児童心理」などを見ると児童心理といいつつ
(児童心理学者って言葉自体が死語なんだけど)そういう人が
全然いなくて、いろいろな有名な著者が児童心理について
語っているわけですし。
精神分析についても精神分析家が語らなくとも良いということですか?
ドナ先生も「児童心理」に投稿してほしいな。
>>42 お説ごもっともなんですが、メタメッセージとゆーか
どうやって縦読みすればよろしいのかご教授きぼん
45 :
没個性化されたレス↓:04/06/04 22:27
>教育分析も受けず臨床に立ち会ったこともないからといって
>精神分析を語る資格がないということにはならないのだよ。
こりゃまた、奇妙な話だ。ソースきぼん。
>>42 つーかまだこんなド素人みたいな事いう奴が残ってたんだなー。
精神分析を「正しく学ぶ」には理論だけでは半分しか学んだ事にならず、
「教育分析」を受けて自分の心の歪みを自覚し、逆転移に捕らわれにくく
なると共に、臨床に立ち会ってスーパバイザの指導を受けながら一人前
の分析者になって行くことでしょう。
それこそ自分の心の澱は自分の無意識の中にあり、自覚する事が困難
だからこそ教育分析を受けるのですよ。それを受けずに他人を分析する
なぞキチガイに刃物のようなもんだ。恐ろしい。
>>46 >「教育分析」を受けて自分の心の歪みを自覚し、逆転移に捕らわれにくく
>なると共に、臨床に立ち会ってスーパバイザの指導を受けながら一人前
>の分析者になって行くことでしょう。
前に新聞に書いてあったのですが、日本で精神分析を広めようにも、教育分析が出来る
技術者が数えるほどしかいないため、広めるに広められないと厚生労働省が頭を抱えている
と言うような事が書いてあったと思う。
それについては、どう考えられるのですか?
>>47 日本では教育分析をほとんどやっていないため海外で受ける事がほとんど
のようです。それと治療に時間がかかりすぎるため分析者、患者共に時間と
金銭的負担が大きく日本ではなかなか普及は難しいとの事。
故古沢平作博士、故小此木啓吾博士の門下生には正統派精神分析者が
結構いるようですよ。患者はお金と時間をたっぷり掛けられる有閑階級の
ご婦人がほとんどだそうですが。
大学病院では時間の掛かる抵抗分析、徹底操作をなるべく簡便にした、
「精神分析的心理療法」が今ではよく行われています。療法的には短期
力動的精神療法に属し、あまり深い解釈は行わず、治療の期間を先に
定めておいて患者の抵抗除去を促します。
しかしこの方法は根が深い重症の患者に明らかに不向きであり、忙しい
日本という国に流行したのはいいのですが治療率が今ひとつ、という結果
になっています。その点では医者が患者を選ばないといけないのです。
また毎日分析するなど夢の夢で、よくて週二、大抵は週一ぐらいしか分析
を実施できず、当然アクティングアウトが現れ、それが患者やその身近な
人にとって大変大きな精神的負担になっているのも事実です。
そういう現在の日本の精神分析の世界では概ね母性本能を
どのように理解していると考えたらよいのでしょうか。
基本はフロイトですか。
>>47>>48 詳細な説明ありがとうございました。日本の精神分析の状況が少し分かりました。
獣医臨床でも、行動療法を本格的にやろうと思うと、やはり外国に留学しないと今の
日本では無理です。ただし、もう何人もが行動療法のためだけに留学していますので
その人達が帰ってきて日本に普及される時代が来るのではないかと思います。
現在でもペットの問題行動は多く、愛着のあるペットを処分することもできずペットの問題行動と
処分の間で悩み続ける飼い主は多いです。獣医も専門に勉強したわけではないので
重症な問題行動を出すペットには対処のしようがないです。
したがって確実に日本でもペットの問題行動に対するニーズはあると思いますので
後は技術者の養成待ちという所です。
>>50 精神分析の礎を築いたのはフロイトですが、その後多くの分析学者が輩出して
現代の精神分析の姿になっています。
フロイトは自分自身をも分析しましたが、彼は何と言っても精神分析を興した人
そのものですから、彼を教育分析する人がおらず、どうしても意識化する事の
できない部分が残ってしまい、患者に逆転移(抵抗)を起こして治療に失敗して
いる例があります。それでも彼はその失敗を教訓に驚くべき洞察力を発揮して
転移という現象を発見しています。
フロイトは当時のドイツの文化を反映して母性よりもむしろ父性に重きを置きま
した。彼は主としてエディプス・コンプレックス以降の患者を治療する事に専念
し、未熟な母性に原因があるとされる精神病や人格障害についての研究はまだ
浅かったとされています。
もう一つ、母性についての分析が進まなかったのには大きな理由があります。
精神分析は治療に言葉という道具を用いますので、言語化しにくい3才以前の
心理状態を掘り起こして調べるのがとても困難だという理由もありました。
しかしこの困難はフロイト以降の精神分析者の研究によって次第に克服されて
いきました。よく知られているようにまずメラニー・クラインが分裂や抑うつの原因
となる時期を突き止めました。そしてフェアバーン、ウィニコットという流れで対象
関係論が確立して行きました。この流れはマスターソンに至って境界型人格障害
の治療に精神分析を応用する事を可能にしました。
もう一方の大きな流れ、ナルシシズムを重視した自己心理学はコフートに始まり、
「同情、共感」が大きな特徴になりました。ここでは解釈の重要性は薄らぎ、ひた
すら患者を理解しようとする治療法が特徴的で、自己障害のうち精神病と境界例
は精神分析による治療は不可能と言っています。
ところで、日本は諸外国に比べ独特の精神構造が存在すると言われており、
西洋の精神分析をそのまま適用するのではなく、日本風にアレンジした方が
良いと考えた日本の精神分析学者が多くいました。
古沢平作、土居健郎らがそうです。古沢博士は「阿闍世コンプレックス」、土居
博士は「甘え」について注目しました。土居健郎著の「甘え」の構造は内容につ
いてはよく知らない人が多いと思いますが、ベストセラーになったので名前を
知っている人は多いはずです。
古沢博士の阿闍世コンプレックスは未熟な母親のエゴにより破壊的な自己を
持った子供が誕生してくる様を論文にし、土居博士は日本人独特の心性「甘え」
が西洋的な心理分析の接近を許さず対象関係論に近い治療関係の確立に組み
していると考えました。しかし、実際は彼は「甘え」とは日本人に特有の物ではなく、
あらゆる人間に普遍的に存在するものだと考えていたようです。たまたま日本人
はその要素が強いだけだったようです。
あーもうだめだ。こんなのまとめて書けるはずがない。マーラーの分離−個体化
についても書かなければならないし、スピッツの発達心理学についても書きたい。
誰か続き頼む⊂⌒〜⊃*。Д。)-з
なかなか適した本を探し出して読む時間がないけれど、
教科書では物足りないので大変参考になります。
ぜひゆっくりでも構いませんので続きをお願いします。
とても分かりやすい説明で、他分野の人間には勉強になります。ありがとう。
心理学においては心理学史が獣医学とは比べものにならないほど、大切な学問的分野だ
と言うことが伝わってきます。もし、良かったらがんばって残りも書いて頂けると嬉しいです。
>>56>>57 精神分析の発達史ですか〜?故小此木啓吾著の本で良書がいっぱい本屋に
並んでますよ。外国の精神分析医が書いた本は難解な用語がたくさん使われて
おり、読み通すのに一服しますが、日本人が書いたものなら読めるでしょう。
故小此木啓吾氏はエッセイ風の精神分析的読み物もたくさん出されております。
どうしても文体が受け付けないならマンガでもいいでしょう。フロイト、ユング両巨星
をモチーフにしたマンガは結構いけてると思います。前もって精神分析的な知識を
ある程度得て置いてから読めば得るものは多いと思います。
また、「精神分析事典」という名前で外国の邦訳の本が何冊か出ております。これ
らを読んで専門語の造詣を深めれば、難解な専門書も割と楽に読めるはずです。
>よく知られているようにまずメラニー・クラインが分裂や抑うつの原因
>となる時期を突き止めました。そしてフェアバーン、ウィニコットという流れで対象
>関係論が確立して行きました。この流れはマスターソンに至って境界型人格障害
>の治療に精神分析を応用する事を可能にしました。
いつだったか、子育てスレか、3歳神話スレで尋ねたのですが返答をもらえなかったので
ぜひ伺いたいのですが、その後の国内の理解はどう発展しているのでしょう。
やはり、ウィニコット、クライン、フェアバーンあたりを理解していたら
現職の精神科医との話ができますか?
>>59 日本の精神科医は本人の性格に直接働きかけて徹底操作を行う治療を
まずしないだろう。精神科医は不足気味で多忙だし患者も費用の負担が
大きすぎる。
精神科医よりも心理学科卒で臨床心理士の資格を持っているカウンセラー
の方がまだ精神分析にこだわっている人が多いと思うよ。でも日本じゃ
苦しい職業だろうねえ。
>>60 >でも日本じゃ苦しい職業だろうねえ。
技術を身につけると言う意味で日本では苦しい職業だと言われるなら
そうだと思う。だけど、技術力のある人間が経済的に自立できる土壌が
日本にないとはどうしても思えない。
だって、日本では約一万人の開業獣医が食べていけるだけの収入を得ているんだよ。
別に健康保険も行政からの優遇措置もあるわけじゃないのに、技術力さえあれば飼い主は
疑うことなしにお金払ってくれるもの。
医者の場合って診察の単価が安いじゃないですか。だから一日に数多くの患者さんを
診察しないと、食べていけないかも知れないけど獣医の場合は飼い主が患畜連れてくる時は
飼い主は、万単位でお金を取られる事は覚悟して来るものね。別にそれでも、おかしい
とは思っていないみたいだよ。
飼っている犬や猫のために多くの費用を払っても何とも思わない人たちが日本には一杯
いるんだよね。心理療法でも技術的に確立され、受けるメリットがあると患者に認識されれば
自費でも受ける人はいると思うし、心理療法の技術者を雇い入りる病院、学校、企業、行政
等は一杯あると思う。
そうなっていないのは実力のある技術者が少ないため、お金を払うことに社会が躊躇している
ためだと思う。
下記は精神分析的心理療法スレよりのコピペです。
>648 名前:かわず ◆N2PE0i..9k 投稿日:04/05/20 19:40
>上記のことは、クライエントがどのような治療法を求めているかとか、本当に効果
>のある治療法なのか、という話とは全く別の次元で起きていることです。
>日本での精神療法の点数は、「通院精神療法」が300点(3000円)くらいだったと思
>います。実際は、数分の診察でも請求されているでしょう。ところが「標準型精神
>分析療法」は390点。1時間かけて3900円より、1時間に何人も「通院精神療法」を
>した方が良いに決まっています。どだい精神分析の訓練を受けた医師が、1時間の
>面接で3900円ということ自体、社会通念から逸脱しています(ちなみに私は臨床心
>理士で、医師ではありません)。
>精神分析的な治療は、治療者にとっても負担のかかる行為です。保険診療の枠内で
>やっていくには、無理があると言えるでしょう。興味がおありなら、自由診療で開
>業している治療者を訪れて、何回か面接を受けてみられるのが良いでしょう。「役
>に立ちそうかどうか、何回か受けてみて決めたい」とおっしゃっても、気を悪くす
>る人はいない(もしそういう人だったら、やめた方が良い)でしょう。
>かりに1回1万円としても、週に1回、1年通って52万円。2年で104万円。歯列の
>矯正は軽く100万はかかりますが、「高い」と言う話はあまり聞かないのが不思議で
>す。子どもを矯正歯科に通わせている私に言わせれば、精神分析にくらべてかなり
>おいしい料金設定だと思います。余計なことまで、書いてしまいました。
かわずさんはかなり実力のある心理士さんのようなりので、このように堂々と書き込みが
できるんだと思います。
私も一年で52万、十年通ったって520万。それで人生面白くなく、人に嫌われたり、生きずらさを
感じながら生きて行かなくても良く薬付けにされなくて良いなら、決して自分に対する投資として
高いモノではないと思います。
そこまで、自分を託せる治療者が日本に何人いるのでしょう。それが今の心理療法が
抱える難しさ、苦しさではないのでしょうか。
スレ違い。すみませんでした。
64 :
没個性化されたレス↓:04/06/15 01:13
本能って何?
母性本能は知らんが「かわいい本能」はあるような気がするな。
>>65 「かわいい」という感情は母親の自己本位な感情なので
母親が自分の子をかわいいと思うその感情を大事にすると、
子供のためにならない事をいっぱいする事になる。
「かわいい」という感情は子供にとってしばしばはた迷惑な感情である。
>>67 そいつは「過保護」だ。
前にも書いたかもしれないが、「反動形成」って奴だろう。子供を憎む心を無意識に
抑圧していると、表面的には必要以上に子供を可愛がってダメにしてしまう。
真の愛情は自ずから中庸を得ているものだ。
69 :
没個性化されたレス↓:04/06/20 11:21
母親の愛情は、父親の愛情とは質が異なると思います。母親は情緒的な環境を、父親は社会性を教える。役目が違うわけです。
70 :
没個性化されたレス↓:04/06/20 11:34
この議論は心理学よりも社会学の人なんかがよく言ってることだね
構築主義なんか典型でしょ
母性本能の学習的側面を強調して、社会的なモノとして帰属させようとする
すると、男性/女性という役割が実は人間によって作られた価値(意識)によってのみ
機能する産物なのである、となる
そこからいわゆる女性解放などの文脈につながる
生物的性決定論から社会的性決定論へというお話だな
71 :
没個性化されたレス↓:04/06/20 13:12
>>69 母親は情緒的な環境を、父親は社会性を教える。役目が違うわけです。
そんなはっきりしてるかなぁ。。
72 :
没個性化されたレス↓:04/06/20 14:16
はっきりと分けなくても、自然と決ってくるもの。母性とは理屈だけでは、説明できないもの。
精神分析から来た臨床の現場では69のようなことを
疑いもなく信じていて、それを理論的に、とか科学的に考察するとなると
意外と難しいものですよね。
社会学などで科学的に説明した文献とか教えていただけるとありがたいです。
>>73 >精神分析から来た臨床の現場
どういう意味だろう?
>>68 「真の愛情」が自然に母親に備わっている訳ではない。
大多数の母親に備わっている訳でもない。
「自ずと中庸を得ている」ような愛情は存在しない。
母親が子どもを持てばどこかから自然に湧いて来るような
「真の愛情」はこの世には存在しない。
母親が「かわいい」と思う気持ちはすべて自己中心的な感情である。
行き過ぎない適度な「かわいいと思う気持ち」はない。
あったとしてもそれは、母親が、その努力によって子供をかわいいと思う
自分の気持ちを相対化して、その気持ちを抑えることを身につけている場合に
限られる。そして、そのようなことを身につけている母親はほとんどいない。
母親は「自分の子供がかわいい」と思うことがあくであることを知るべきだ。
愛情は子供をかわいいと思う感情を止揚した所にしか存在しない。
愛情は子供をかわいいと思う気持ちに打ち勝った者にしか手に入れることはできない。
子供をかわいいと思う自分の気持ちに流されれば、
それは子供を疎外し虐待することにしかならない。
76 :
没個性化されたレス↓:04/07/19 21:10
可哀相に。。母親に愛を与えられなかったのでしょう。赦すとか受け入れると言う愛を知らない者は、相手にも同じように返してしまうと思います。愛は理屈抜きの世界ですから、単純ではないです。
「子供を可愛いと思うから虐待する」=「可愛さあまって、憎さ百倍」
ファーブル昆虫記のTV見てたら出てきたけど
フンころがしが巣の中で卵から成虫になるまで3ヶ月も
何も食べずに育児するという話も
母性本能なのだろうか。
あるといったり、ないと言ったり
不思議なものね。母性本能。
そりゃ,操作的にすら定義されていないものを
あるとかないとかいうのが滑稽なだけでな。
獣医の世界は母性本能がないと言う人はいないと思う。そうでなければ誰も教えないのに、
出産したり哺乳したり育児したり、自分の餌をもどしてまで子に食べさせたり、子を取り上げられると
荒れる母親の行動が説明がつかないからです。
>>80 人の話を聞かないで自分の意見を垂れ流すような奴は来ないでよろしい。
「母性的動因」という定義はあるのですね。
ドナ氏ご指摘のとおり心理学において「母性本能」は定義されていませんでした。
驚きです。
83 :
没個性化されたレス↓:04/07/20 22:26
どんな事情があったとせよ、子どもを見捨てる親にはなりたくない。傷ついた子どもの心は、取り戻せないから
84 :
没個性化されたレス↓:04/07/20 22:36
本能って、たしかめちゃくちゃ数ありすぎて何でもありになるから
使用を慎みましょうってなってたような
政治的に利用しやすい言葉ではある。
86 :
没個性化されたレス↓:04/07/21 00:13
なんか、心理学っぽくないね。
「母性本能」
あ,
>>81は俺宛ではなく,見えない人宛てだったのか。
こりゃまた失礼
>>81。
89 :
没個性化されたレス↓:04/07/21 07:13
昔、幼子だった息子を見失った事があります。彼が見つかるまでの一時間は、気が狂わんばかりでした。泣き叫びながら、息子の名前を叫びながら探しました。もちろん見つかりましたけど。。そういう本能的な感情こそが母性なのかな。
今は、胸がぽっかりと空いたような寂しさを感じます。
息子もいつか立派に成長すれば飛び立って行かねばなりません。
それを見送るのは母親の勤めなのです。
母性本能という言葉を使わずに「間主観性」を使っているのです。
関係発達の立場では。
生物学的・生理的な「本能」とどこかで切り分けるとして
89のような不可思議な感情を、母親と子どもの一体化した
主観と呼んでいるのかなと思います。
91 :
没個性化されたレス↓:04/07/21 10:25
人間としての情緒は、どちらかと言うと母親からのものだと思う。それがなければ、まるで、海にいる魚が砂漠にいるように干涸びていくのだと思う。
92 :
没個性化されたレス↓:04/07/21 17:41
>>90 マリリンさん
いまいちよくわかりません
間主観性ってこの場合、どういうことですか?
90はクラリスだよ
どちらにしても明解は期待できないが。
94 :
没個性化されたレス↓:04/07/21 18:47
「間主観性]なんて実存哲学から出てきた概念で
なっかなか理解は難しい
共同主観性とか使ったのは吉本だろ
M・ポンティやフッサールを読んでいないのですが
鯨岡先生は母子関係を現象でとらえるべきだと
この概念を関係発達心理に取り入れられたのだということです。
哲学的理論というのはロボ氏らが詳しいので
ご教示願うとして、母子関係の中の理屈で説明できない
独特の感情を一般には「親ばか」とも呼びますが
母と子の間に一体化した感情・・・子どもが頭を打つと
親が「痛い」と首をすくめるような、と鯨岡先生は例を出されてます・・・
客観的ではなく、互いを互いの感覚や感情でつないだ状態のことです。
わが子がいじめにあったとき、子どもが迷子になったとき、
子どもの留守に救急車のサイレンを近くで聞いたとき、
病気で苦しんでいるのを見ているとき・・・自分のこと以上に
狂おしいような感情を持つことを支持する親は多いと思います。
学徒諸氏にもわが子にこうした感情をもったことを不思議に感じられる
方はみえるのではないでしょうか。
それを一般には「心理学的母性本能」と解釈しても不思議はないのですが。
96 :
没個性化されたレス↓:04/07/21 19:11
クラリス自身の間主観的感性が如何にして障害を受けて、頓珍漢なレスを
しているかについて。
探求のしがいのあるテーマだと思う。マジで。
>>76 あなたは母親から愛を与えられたと思っているのでしょう。
それが単なる思い込みだと言っているのです。
あなたは子供を愛せるのでしょうか。
かわいいという気持ちを克服できるのでしょうか。
100 :
没個性化されたレス↓:04/07/24 15:33
>>83 親に見捨てられた方がよっぽど子供のためになるというような親もいます。
親が子供を見捨てない事が子供にとって大迷惑という事があります。
見捨てる親は最低ですが、見捨てないからと言っていい親かと言うと
まったくそんなことはないのです。
>>99 まるで「愛情」と「かわいいと思う気持ち」は違うということを
厳然とした事実のように語ってるが
何か根拠があって言っているのかな?
>>101 自明です。
母親が子供をかわいいと思うその気持ちが、親の利己的なものであることは明らかです。
母親が子供をかわいいと思うその気持ちの中に、
親の利己的な匂いを感じない人には分からないでしょう。
>>102 >母親が子供をかわいいと思うその気持ちの中に、
>親の利己的な匂いを感じない人には分からないでしょう
それは貴方の親御さんがそういう人であっただけで
>「愛情」と「かわいいと思う気持ち」が違わない親御さんも沢山おられます。
他人の母親の愛情を貶めないようにして下さい。
>>102 >自明です。
いや、自明って言われても困るんだが・・・。
>>89 なぜ「気も狂わんばかり」だったのでしょうか。
その時の気持ちはどんなものだったのでしょうか。
「子供がかわいいから、何でも好きなようにやらせたい。」
「子供がかわいいから、何でも好きなものを買ってやりたい。」
>>105 その時の気持ちはどんなものだったのでしょうか。
気も狂わんばかりの気持ちだろうが。
108 :
没個性化されたレス↓:04/07/26 23:35
母性本能の希薄な母親に育てられた人は、情緒的欠陥があると思う。砂漠の魚なのでしょう。
109 :
没個性化されたレス↓:04/07/27 14:51
生物的に母と子って閉じててそれを外から見るとエゴには見えるだろう
しかし母と子の間では愛情の関係なんだよ
生物学的エゴと社会的関係から派生するエゴとがごっちゃになっている
ひと一人をそれぞれわけて一個の完結したものとみなす個人主義から見れば
愛情はなにか賃借関係に似たやりとりのようにみえるわなあ
ようは視点の違いだろ
110 :
没個性化されたレス↓:04/07/27 16:58
情緒的に欠陥のない人間なんているのですか。
111 :
没個性化されたレス↓:04/07/27 17:19
112 :
没個性化されたレス↓ :04/07/27 19:18
「頭の中に爬虫類が住んでいる」
アメリカ国立精神研究所ポール.マクリーン教授
人間の脳は、三層になっている。1億5000年前に、人は先ず爬虫類から進化した。
1 一番深いところ 爬虫類脳 R(Reptiles)複合体
2 真ん中部分 哺乳類脳
3 一番外側 霊長類脳
人間の進化が早すぎたために、爬虫類脳−哺乳類脳−霊長類脳の間の連絡が上手くいっていない。
その為に私たちはときとして爬虫類の行動をしたり、哺乳類の行動をするのである。
>>107 「失敗した。」「しまった。」とかの気持ちはなかったのだろうか。
そもそも、なんで気が狂いそうになるの?
>114
交通事故で自分の腸が道路に飛び出したのを見るような気持ち。
言語化できない絶望感でわ。
116 :
没個性化されたレス↓:04/07/29 01:35
己の腸、見たことあるんか
117 :
没個性化されたレス↓:04/07/29 12:30
因縁〓悪縁の事を指します。駄目人間やひきこもりやハッカー、ストーカーなどとは、積極的に因縁を絶つべきです。2chでは、現実で人と関われない精神病者が集うコミュニティーなので、書き込み自体、ほとんどが妄想なのでしょう。気味の悪い集団です。
118 :
没個性化されたレス↓:04/07/29 22:27
ストローハット
ママン。。
119 :
蚊取り線香:04/07/31 23:24
いろんな人がいるからいいんじゃないか117サン?
120 :
没個性化されたレス↓:04/08/01 01:53
>106
かわいい子には旅をさせよう。意味わかる??
121 :
バカのカバ:04/08/03 01:03
罵声本能ならあると思うぞ。
122 :
バカのカバ↓:04/08/03 01:23
>>112 頭の中に白いワニがいる・・じゃないけど
トカゲがいたらヌルヌルして気持ち悪いだろうな〜
123 :
没個性化されたレス↓:04/08/04 23:27
女らしさとは「ホイミ」であると思う。
ホイミとは、回復のことです。
つまり、癒し。
癒すことは女性の大きな務めです。
美しい女性、かわいい幼女を見るだけで癒されます。
逆にブスはなえます。
ブスをみると、その人生を思い、涙があふれます。
女性は「ホイミ」でなければならないのです。
124 :
バカのカバ:04/08/04 23:30
なんだ、ドラキュラかー。
>>109 人間以外の動物と人間とは別問題。
人間の場合、愛情関係はないと思う。
まず、愛というものは西欧人が作ったフィクションです。
神の人間に対する愛が、西欧人の「愛」の原形でしょう。
そもそも人間には不可能な代物だったのです。
127 :
没個性化されたレス↓:04/08/08 01:02
ま〜るいミドリのヤマノテセン。
ヤマテセンです。間違えないように
128 :
没個性化されたレス↓:04/08/08 01:02
神の人間への愛の原型は、人間の愛でないのかい?
>>129 そうではありません。
人間の愛の原形が、神の人間に対する愛です。
131 :
没個性化されたレス↓:04/08/15 16:23
>>130 なに宗教色プンプン臭わせているんだよ。
人間は人間でしかない。現実を見つめろよ。
子供を産んだ実の母親が子供に愛を注げなかったら、この世はもっともっと
殺伐として犯罪も今よりずっと増えていただろうよ。
三つ子の魂百までって言葉を知らないのかい?
>>130 神はよほど殺し合いがお好きとみえるね。戦争がなくならない世界に
神は何を感じるだろうか?もっとやれ?
そうでないなら、今すぐとめたらどうだ?
>>132 人間は自由という最大の贈り物を神より賜ったのです。
134 :
没個性化されたレス↓:04/08/19 21:02
>>133 その代償として責任もついて回るけどね。責任のない自由とは放縦の事。
本能って自由かよ?
神は何で、人間に自分のマネさせるんだよ?
心理士だから?
>>134 まさにその通りです。
人は死したる後、神々に裁かれるのです。
>>139 死後の世界の事まで心理学は定義していない。それは宗教の範疇だ。
責任は生きている間に問われるよ。自殺したり不慮の事故で刑務所で
罪をあがなう前に死んだらもはや心理学はそれには言及できません。
だからあなたはスレ違い。
>>120 「かわいい子には旅をさせよう。」という観念が
本能的に母親の心の中に湧いて来るわけではないでしょう。
そういう観念と
「かわいい子には何でもやってやりたい。」という観念とが
母親の中で葛藤しているでしょう。
>「かわいい子には旅をさせよう。」という観念
これは理性的な判断でしょうね。本能的にというわけでは
ないようです。
動物に子育てをさせる原動力が「母性本能]だとすると、
人間の親の中にはそのような原動力は備わっていません。
「母性本能」だけに限りません。
種族保存の本能も、個体保存の本能も、
人間は見失ってしまっているのです。
人間の本能は壊れています。
人間は、壊れた本能の替わりに様々な観念を持ち、思考力を持ち、
それらの力によって何とか生きているのです。
>>131 子供を産むと母親の中に自然と子供を愛する感情が生まれてくる訳ではない。
子供を産んでも子供を愛さない親もいる。
(私は子供を愛さない親は、一般に考えられているより
ずっと多いと個人的には考えているが・・・)
親が子供を愛するのは本能なのではなく、文化から強制された観念だと考えられる。
>>132 神は実在しない(たぶん・・・)。だから神が何かを感じることはない。
殺し合いや戦争が好きなのは人間だ。
>>135 本能に従えば、特定の行動をとるわけですから、
本能があるという事は、基本的には個人に行動の自由がないということでしょう。
人間は本能が壊れているので何でもできてしまう「行動の自由」を手に入れたのでしょう。
(人間は本能ではなく、個人に内面化された文化の強制に従っていると考えられます。)
>>143 >「母性本能」だけに限りません。種族保存の本能も、個体保存の本能も、
>人間は見失ってしまっているのです。
人間の中に本能が全く残っていないとは思いません。
それこそ心理学で言う「無意識」のように、人間の中に眠っているし、人間の行動に深く
関わっていると思う。
例えば犬や猫やイルカなどの動物は、子供同士で遊ぶことによって自然に社会性を
身につけるわけでしょ。多分人間もそういう本能って残っているんだと思う。その本能の
まま従えば、うまく子供は育っていくのに、貴方の言う所の観念や思考力で
子供が本来持っている遊びの本能を封じ込めてしまった時に、問題が生じて
くるんじゃないのかなぁ
人間は自分に本能が残っていることを、類希なる思考力で認めず無視してしまう時がある。
それでうまくいく時もあるけど、そのためにスムーズでリラックスした行動が
起こせなくなることも多々あると思う。それが心の病を産む一つの要因になっていると
思うんだけどね。
>>144 >親が子供を愛するのは本能なのではなく、文化から強制された観念だと考えられる。
私は生みの親や育ての親が子供を愛するのは本能によるモノだと思う。なんだかの文化が
人間の思考力に働きかけた時、親は子供を愛せなくなると思う。
もちろん親の生存に関わるほどの非常事態が起きた時、育児放棄をするのは、
これも本能のうちだとも思うけどね。
>>147 >人間の中に本能が全く残っていないとは思いません。
>それこそ心理学で言う「無意識」のように、人間の中に眠っているし、人間の行動に深く
>関わっていると思う。
本能の断片はどこかにあるのかもしれませんが、全体として機能するような本能のシステムは
壊れているのではないでしょうか。
もし本能が機能しているのであれば、そもそも人間は意識とか自我とかを築く必要もないし
不可能だったでしょう。
人間の場合、本能は欲望に変質しているのではないかと思われます。
本能は個体保存や種族保存などのきちんとした目的を持っていますが、
人間の欲望は、人間の抱く自分勝手な観念や妄想などに基づいていますから
きちんとした目的などあろう筈はなく、
そのため人間は何をどうしていいのか分からない状態から出発しているのだと考えられます。
人間の成長の過程は、何をどうしていいか分からない混沌の状態から、
文化の強制に従って、だんだん自分なりの行動規範を身に付けていく過程だといえるでしょう。
もし、文化の強制がなければ、人間は混沌とした自閉の状態から抜け出すことはできないでしょう。
>>148 神は人間の作ったフィクションです。
その神の人間に対する愛も、観念的なものです。
その観念的な愛を人間が自分に取り入れたものが、
人間の人間に対する愛です。
ですから、愛は観念的なものです。
観念的な愛が本能から生まれるはずはありません。
>>149 >本能の断片はどこかにあるのかもしれませんが、全体として機能するような本能のシステムは
>壊れているのではないでしょうか。
崩れているんではなくて、人間は
>>147でも書いたように>類希なる思考力で自分が本来
持っている本能を認めず無視してしまう動物なのではないでしょうか。
>人間の場合、本能は欲望に変質しているのではないかと思われます。
と貴方はおっしゃいますが、欲望は人間以外の動物にも十分ありますよ。大好きなメスや
食べ物や縄張りの取り合いで、死闘を繰り広げることだってある。
>人間の欲望は、人間の抱く自分勝手な観念や妄想などに基づいていますから
>きちんとした目的などあろう筈はなく
人間の欲望って、目的がないとは私は思えないんですけど。
>文化の強制に従って、だんだん自分なりの行動規範を身に付けていく過程だといえるでしょう。
>もし、文化の強制がなければ、人間は混沌とした自閉の状態から抜け出すことはできないでしょう。
これも良く分からないな。動物だって、生きていくための知恵って、成長していく過程で身につけて
行くでしょう。特に群れで生活する動物は、子供同士で遊んだり、群れ自体で若い動物の教育を
していくよね。これが本能によるモノかどうかは分からないけど人間独自のモノではないと思う。
生まれてからの環境の違いで、同じ犬や猫でもペットと野良の違いが出てきたりするよ。
>>150 >神は人間の作ったフィクションです。
これはマリリンは同意します。
>観念的な愛が本能から生まれるはずはありません。
これが同意できません。人間には本能による愛情が先にあったと思います。
その愛情を観念化し「>神の人間に対する愛」を人間が創作したんだと
私は思います。
動物をよく観察していると、仲の良いもの同士どんなに愛情豊に暮らしているか
分かります。愛情は人間だけのモノではありません。そう思うのは人間の奢りだと
私は思います。
なんかこのスレ話があっちこっち飛びまくって
女の議論の典型という感じがするな。
>>153 そうですか。マリリンはあんまり気が付かなかったけど、女だと分かりますか......
マリリンは理論性が乏しい所があるからそういわれても仕方がないけど、>149さんは
男の人かと思っていた。
そういえば、行動分析スレのhayateさんのレスを読んでて、学問的に難しいことは
書いてるけど、女の感性だなぁと思ったことがある。
何だろうね、この違い、やっぱり本能のうちかなぁ。オリンピックに出てきた男のような
女の人たちも感性は女のモノなのだろうかねぇ..... 不思議だねぇ
マー良いや。マリリンはそれで生きていくしかないから。女であることを楽しもうっと。
>>154 > マリリンは理論性が乏しい所があるから
論理性だろ。
いい加減覚えろ。
女であることと、論理性がないことは
関係があるかどうか分かりませんが。
おそらく名無しで書かれている多くの発言が女性でしょうし。
凸(`、´メ) Fuck You! タコに言われたくないわ。
マリリンだって頭付いてるんだからね。モノは考えてるわ。だから論理性がないわけないわよ。
勉強が足りないから、あっちの理論、こっちの理論を持ってきて組み立てられないだけよ。
言葉遊びをして、それが論理性だと思っている人たちと一緒にしないでくれる。
カウンセラーさんのなかでも尊敬できるような方は
とても論理的に問題を整理されます。
その上に感受性が備わっているから優れているのだなと
思います。
論理性の欠如した女性、というのはステレオ・タイプでは。
と思う一方で、それこそ本能や直感で活動する場所が多いのは
やはり社会的には女性の領域が多いなと。
ケッ。クラリスさんとかぶった。上記のレスはクラリスさんに向けたモノでは
ありません。PPP宛です。誤解されませんように。
名無しの発言は女性のモノが多い?そうですか。この板の名無しの女性は
攻撃的で口の悪い人が多いですねぇ
>直感で活動する。
この直感が男の人と女の人は違いますよね。女の人って直感で感じたまま、モノを
言ってしまっても会話になるけど、男の人は、例え屁理屈でも理論ずけしてからでないと
会話が成立しない様に思う。
また、マリリンの偏見だと叱られそうな発言ですね。先に言っておこっと(笑
>>157 え〜とですね、何か勘違いしているようですが、
「理論性」という言葉はありません。
>おそらく名無しで書かれている多くの発言が女性でしょうし。
これを
>名無しの発言は女性のモノが多い
こう訳してしまうところで、ずれが起きるんですね。
私の書き方も不十分でした。
「おそらく名無しの発言の中にも女性はいるだろう」
と書かなければいけませんでした。
162 :
没個性化されたレス↓:04/09/11 10:43:49
しどうあげ
ドナも言ってるが、ここで人間の本能が壊れてるなんて言ってる奴は岸田信者だろ。
岸田信者は本能でなく、大脳の方が壊れているので
あんまり相手にしない方がいいぞ。
歴史的にも精神分析を作り上げてきた学者の中には女性が多いよ。
アンナ・フロイトやメラニー・クライン、カレン・ホーナイなど。他の学問に
比べて女性の率が圧倒的に高いのは、精神分析を正しく理解するには
女性の感性も必要なのではないかと思った次第。
人間は女と男がいるのに、フロイトは男性だったので、女性の心理を
正しく理解できてはいなかったのでは?
>>152 >動物をよく観察していると、仲の良いもの同士どんなに愛情豊に暮らしているか
>分かります。
動物には本能的な愛情があるのかもしれませんが、
人間にはそういう本能的な愛情はないと思います。
>愛情は人間だけのモノではありません。そう思うのは人間の奢りだと
>私は思います。
ですから、本能的なものとして愛情は動物だけのものでしょう。
そういう意味で、人間の持っている愛情はニセモノです。
観念的に設定されているだけです。
人間の場合には、観念以前の自然な動物的な本能的な愛情というものは
存在しないと思います。
自分の子供が「かわいいっ!」と思うその気持ちはたぶん愛情とは関係のないものでしょう。
(あまり関係がないというよりも対立するものと言った方がいいかも。)
子どもをかわいいと思うのは、自分をかわいいと思う気持ちの延長線上にある気持ちです。
実はかわいいのは自分自身なのです。
自分の子供に投影された自己愛です。
自己愛は利己的なものであり他者に対する愛情とは別のものです。
自己愛を止揚するところにしか他者への愛情はあり得ないのではないでしょうか。
子どもに自己の延長を見ていたり、子どもを自分の価値を支える為の道具にしていたり
自分の所有物のように思っていたり、自分の一部であるかのようにみなしたり
自分の思い通りに動かしたいと思っていたり
している親は、子供に愛情を抱いているとは言えないでしょう。
>>151 >欲望は人間以外の動物にも十分ありますよ。大好きなメスや
>食べ物や縄張りの取り合いで、死闘を繰り広げることだってある。
人間の欲望は目的を見失っています。
お腹がいっぱいになっているのにまだまだ食べ物を詰め込むなんて事を
人間はしょっちゅうやってます。
お腹が減っているのに食べないなんて人もいっぱいいます。
本能に従って行動している動物は食べ過ぎやダイエットなんてしないでしょう。
動物の摂食行動は個体保存本能に沿ったものでしょう。
人間が物を食べたいと思う欲望は、そういった動物の摂食行動とはまったく違うものです。
食欲は人間の個体保存とはズレてしまっているのです。
人間の欲望はすべて本能的なものからズレているのです。
そういうズレた欲望は動物にはほとんどないのではないでしょうか。
>>164 >精神分析を正しく理解するには 女性の感性も必要なのではないかと思った次第。
同意。伴侶動物の獣医もいろんな人がいて、人それぞれの臨床を実践しているんだけど
女性と男性では、カテゴリー分けができるほど、やり方が違うと思う。
もちろん全員の男女がそのカテゴリーに当てはまる分けではなく例外はあるし、獣医の場合は
基礎学問や臨床技術の土台は男女ともかわりはないから、心理臨床ほど男女の差は出ないかも
知れないけどね。それでも微妙な所で違いが出ると思う。
私は学問や技術の発展には男性のダイナミックさも女性の直感も必要だと思うので、
両方の良さを包括できると良いと思う。社会はまだまだ男性の力が強いから、バランスが
うまくいってないと思う。
当たり前の様で、なかなか気が付かない課題だね。
>>165>>166>>167 >人間の場合には、観念以前の自然な動物的な本能的な愛情というものは
>存在しないと思います。
>自分の子供が「かわいいっ!」と思うその気持ちはたぶん愛情とは関係のないものでしょう。
>(あまり関係がないというよりも対立するものと言った方がいいかも。)
こういう発想は、人間である貴方が考えた事であり、頭脳が発達しているためによけいな
ことを考えるから自分が本来受け継いだ、動物的本能が分からなくなっているんだと思う。
人間は全員が貴方のような人ばかりではない、自分の中に潜む動物的本能を素直に
認め、自然の感情を楽しめる人だっている。そういう人を貴方の理論では否定することに
なる。
自分自身をよく観察してごらん、動物と何ら変わらない行動をとっていることに気が付く
時があるから。
>>169 少なくとも人間の母性本能は壊れているか、もし仮に壊れていなかったとしても
母性本能で子供を育てているのではないでしょう。
もし母性本能で子育てをしているのなら、本屋さん数多く育児書が並んでいるのは何故でしょう。
これは多くの親が子育ての仕方に自信がなく不安に思っている証拠です。
本能に指示するままに子育てをしてうまく子供が育つのならば育児書は必要ありません。
しかし、実際には本能がそういう指示をしてくれないのです。
だから親は悩むのです。(子育てに悩む猫はきっといないでしょう。)
人間は親になれば誰でも自然にうまく子育てができるようになる訳ではありません。
子育ての仕方をどこかで学習しなければ子育てはできないでしょう。
親になる人は上の世代や周囲の他者から子育ての仕方を教わらないと子育て出来ないのです。
人間は文化によって子育てをしているのです。
文化から吸収したあるいは強制された観念に従って子育てをしているのです。
(子育て以外のいろいろな行動もべて文化から強制されたものでしょう。)
だから、子育ての仕方を文化から吸収できなかった人はたとえ親になっても
子育てをすることができないでしょう。
赤ちゃんに語りかけをしない母親の話を聞いたことがあります。
彼女は子供は年齢がくれば勝手にしゃべりだすものだと思っていたそうです。
「母親に母性愛がある。」というのは、人類が母親に子供を育てさせる為に作り出した神話だと思われます。
人間と動物は生きる長さが違うんだよ。人間はずば抜けた考える力も言葉も文字も持っている
だから、現代人として生きるためらには教育が必要なんだと思う。
だけど、人間が誕生した歴史の中で、母親に子育てを強制したなんて考える人が
出てきたのは、つい最近の事じゃないの?それまでの人間は他の類人猿と変わらない
群れによる子育てをしていたんだと思うよ。
>もし母性本能で子育てをしているのなら、本屋さん数多く育児書が並んでいるのは何故でしょう。
>これは多くの親が子育ての仕方に自信がなく不安に思っている証拠です
育児書ねぇ。知り合いが言っていたけど、あんなモノは時代によって人によって書いてることが
まちまちで信用出来ない。育児書より自分が幼少だった頃、親がしてくれた事の中で、良かった
と思うことを子供にもやってやると言っていた。獣医仲間の話にを聞いてると、人間の子供だと
思うと怖くて育てられんから、オラウータンの子供だと思って育ててると言っていた人いたよ。
人間の子でも生まれて1〜2年はそんなもので良いんだよ。きっと。
>親になる人は上の世代や周囲の他者から子育ての仕方を教わらないと子育て出来ないのです。
>人間は文化によって子育てをしているのです。
犬や猫でも、初めての子育てと経産の子育てでは、要領良さが全然違う、やっぱりちょっとは
何か学んでいるんじゃないの?
子供のウンコ舐めるのをいやがる個体も産んだ子供を遺物としてみる個体もたまにいる。
その場合、飼い主が手伝って子育てするから子供は育つけど、自然界ではそういう個体の
子供は育たないだけだから問題にならないだけではないかなぁ
>「母親に母性愛がある。」というのは、人類が母親に子供を育てさせる為に作り出した
>神話だと思われます。
私は人間と動物の原始的な感情は、そんなに代わりがないと思うけど。これ以上は
良く分からないから 、ドナかロテかクラリスさんに聞いて下さい。
>>172 よし,二度とこのスレに顔出して荒らさないでくれ。
>>170さんは,最近迷い込んだ,大日向信者みたいだ。
より修行に励まれてくださいね。
>>173 凸(`、´メ) Fuck You! 悪いが、そんな約束はできんわ。
もっともマリリンは他のスレで忙しいから、しばらく来たくても来れないわよ。
理由なんぞどうでもいい。
オレの目につかないところにいてくれれば。
アイ○ルのCMのように
「かわいい!!」と感じる気持ちはおじさんにもあるってことですよね。
あの「かわいい」と感じる気持ちこそが関心を対象に向かわせるのですから
母に限らない何かよい言葉ありませんかね。
保護本能とかなんとか・・・。
「かわいいっ!」って気持ちが本能的なものとは思えないんですが。
自己愛の延長だとか投影だとかそういったもんなんじゃないかと思うんですが。
人間の母親が自分の子供を「かわいいっ!」って表現する時って、色々な感情が
あって決して単一ではないと思う。貴方が言うように親が子供を支配するために
使う愛情?は動物ではないように思う。
だいたい、そういう支配的な母親の子供に対する感情を愛情と表現してしま
うこと事態が誤りではないかと思う。
動物の子供に対する本能的な愛情は、もっと単純で決して子供に危害を
加えるようなものではない。人間には貴方はそういう「愛情」はないと言い切るけど
私にば人間はオシッコをしません、息をしません、心臓は動いていません
と言うのと同じように聞こえる。とても生理的な現象で生きていくために必要な
事なのに何故否定するのでしょうかね。
>>178 愛情は子供にとって非常に重要だとは思います。
しかし、決定的に必要なのは、
子供が親から愛されているのだと思い込めるかどうかです。
子供が親から愛されているのだと思い込むことができなければ生きていくことはできません。
この思い込みは子供が生きていくためには必要不可欠です。
だから、子供は親の”愛情ではないもの”を、たやすく”愛情”と取り違えてしまうのです。
親が実際に子供に愛情を抱いているかどうかは重要ではないと思います。
そして、私は親に危害を加えるようなものを愛情とは呼んでいません。
親が子供を「かわいいっ!」と思う気持ちは子供に害をなすものなので
愛情ではないと言っているのです。
子供を支配しようとする気持ちも愛情とは別のものだと考えています。
実際にはそういう嘘(かわいい=愛情、支配=愛情 という嘘)は、親が子供につく嘘なのです。
子供を支配する親が、子供に向かって「私はあなたを愛しているの。」と嘘をつくのです。
>>179 訂正:
中段あたり・・・
(×) そして、私は親に危害を加えるようなものを愛情とは呼んでいません。
(○) そして、私は、親が子供に危害を加えるようなものを愛情とは呼んでいません。
>>179 >子供が親から愛されているのだと思い込めるかどうかです。
これは動物には多分ない。動物の赤ん坊にとって必要なのは、親や周りの成獣の世話や庇護で
あって、愛されていることを信じ込む必要はない。だけど、親の方は子を可愛いと思うから
世話をし庇護を与えるのだと思う。また、世話や庇護を与えられなかった赤ん坊は生きていけない
だけだから自然界ではたいした問題にはならない。
>子供が親から愛されているのだと思い込むことができなければ生きていくことはできません。
>この思い込みは子供が生きていくためには必要不可欠です。
これって絶対に、そうなんだろうか。親から愛された実感がなく育った人など、一杯いるような
気がする。人間は群れで生活する動物だから一人では生きていけないと思うけど、子供って
誰かからの世話や庇護を与えられれば、別にそれが親じゃなくても生きていけるのでは
ないだろうか。群れで生活する動物の場合、他の個体と仲良く寄り添って生きていくことが
大切なのであって、それが母親である必要はないと思う。
もっとも野生動物の場合は人口ミルクがあるわけではないので、その世話をしたり庇護を与える
成獣は産みの親である可能性は人間より高くなるとは思う。
>親が子供を「かわいいっ!」と思う気持ちは子供に害をなすものなので
>愛情ではないと言っているのです。
こんな事は絶対納得できない。可愛いと言う感情にも色々あると言っているでしょうが。
例えばだよ。へその緒のついた子犬や子猫を哺乳瓶で人間が育てたって”可愛いって”思う。
それは悪いことなの?人間の子供を育てている母親だってお乳やりながら、その子を可愛い
と思っていると思う。とっても自然な感情じゃない。それが悪いことなの?
だったら、母親は子供にお乳をやりながら、どんなことを感じることが貴方流に言う
正しいことなわけ?
>子供を支配する親が、子供に向かって「私はあなたを愛しているの。」と嘘をつくのです。
これと、子供にお乳をやりながら子を純粋に可愛いと思う母親の感情を一緒にしない方が
良い。問題が複雑になりすぎると思う。
ストリートチルドレンなんて、母親はいないけど子供同士支え合って生きている例にならない?
他にも野生児とか、少年兵とか
子供が親から愛されているのだと思い込まなくても、生きていける例はたくさんあるさ。
ほとんどが負の方向だが。
>>185 >ほとんどが負の方向だが。
そうだね、きっとそこが動物と人間の違いなのかも知れない。その違いに
>>179さんが言うような
>子供を支配する親が、子供に向かって「私はあなたを愛しているの。」と嘘をつくのです。
と言う複雑な親子関係が成立する余地が人間にはあるんでしょうね。
動物の思考は単純だから、彼らの親子関係を本能によるものと言い切れるのかも知れないけど
人間の場合は、親も子も色々考える力を持っているから、親子関係がねじれて、おかしな事に
なるんだと思う。
>>179さんも、もっと素直に、自分の中の動物的本能の存在を認めて受け入れれば、
別の角度からものが考えられるし、気分的にも楽になると思うよ。
>>181 >子供が親から愛されているのだと思い込むことができなければ生きていくことはできません。
>この思い込みは子供が生きていくためには必要不可欠です。
に関してですが・・・
私達は、現実と非現実をどのように弁別しているのでしょうか。
私達の「現実感(リアリティー)」の根拠はどこにあるのでしょうか。
「これぞ現実だ。」という確かなものはどこにもないように思えるんですが。
どの「現実」も「私達が現実だと思い込んでいるもの」にすぎません。
確かな現実は何もないのです。しかし、私達は現実感を持っています。
リアリティーがあるモノとリアリティーがないモノとの区別はあります。
この現実感はどこから生まれたのでしょうか。出発点は何なのでしょうか。
私は、現実感の出発点は「親から愛されている事」ではないかと思っています。
子供にとって「親から愛されている事」は「疑いようのない事実」
だと思い込んでいるのだと思います。
これが現実でなければ不安で生きていけません。
親からの愛情が事実である事を出発点として、
例えば「私に愛情を持っているこの親が現実だと思っているんだからこれは現実なんだろう」
といった感じで(意識的にそう考えるのではないと思いますが)
現実のモノが増えていくのだと思います。
私達の現実感は「親から愛されている事実」を核にしていると私は考えています。
確実な根拠を挙げよと言われても、みんなを納得させるようなものを示せませんから
こんな事を書いた所で議論のしようはないんですが・・・。すみません。
>>187 続けて書きます。
生まれて間もない人間は無能力です。何も出来ません。
誰かに世話をしてもらわないと生きていけません。
赤ちゃんも、多分始めの頃はそういう事情は知らなかったでしょうが、
いくらか成長すれば、自分が無力で誰か(=母親またはその代理)の
世話にならなければ生きていけないという事にも気づくでしょう。
この時、「この世話をしてくれる人は自分に対して愛情を持っているのだ」、
「好意を持って世話をしてくれているのだ」と思うことが出来ないと
赤ちゃんは不安で不安で生きていけないでしょう。
私達が無能無力の状態で誰かの完全な世話にならないと生きていけないとした時に
その世話する人が私達に悪意や殺意を持っていると判ったら、どれほど恐ろしいでしょう。
赤ちゃんは世話をする母親が「自分に対して好意を持ってくれている」と信じ込めないと
不安になるため、赤ちゃんはそう信じ込むのです。根拠があって信じ込むのではなく
そう信じ込むことが出来なければ不安で仕方がないのでただただ「親の愛情」を盲信するのです。
言い方を換えれば、
世話をする親の行動の一つ一つを「愛情の表われ」「愛情の結果」だと赤ちゃんが思い込むのです。
この親の愛情に対する「盲信」が、たぶん他者に対する「信頼」の原型となるのでしょう。
>>181 >人間は群れで生活する動物だから一人では生きていけないと思うけど、子供って
>誰かからの世話や庇護を与えられれば、別にそれが親じゃなくても生きていけるのでは
>ないだろうか。
必ずしも親でなくてもいいと思います。代理になる人さえいればいいと思います。
だから、細かく言えば
「親またはその代理から愛されているという盲信」という事になるかと思います。
ゴメン。マリリンとっても単純にできているから貴方が何を言っているのか良く分からないんだ。
マリリンはこのスレタイに沿って、人間に母性本能があるかどうかを話している。
人間特有の現象を言っているわけではない。
人間に動物のような母性本能があるかどうか問われれば、人間も哺乳類の一員で
ある以上、乳で子供を育てる動物であるわけだから母性本能がないとは言えないよと
言うことを言っているに過ぎない。
>私達は現実感を持っています。
現実か非現実かの区別は人間以外の動物にはさして重要なものではないでしょう。
もっと言ってしまえば人間以外の動物には現実しかないと思う。
だから
>私は、現実感の出発点は「親から愛されている事」ではないかと思っています。
と言われても、それと動物的母性本能を人間が持っている事と何の関係があるのかな
と思ってしまうのです。
ちなみに、私個人としては現実感の出発点は親の愛情を信じる事ではなく
自分自身を信頼できるかどうかだと思っています。
また、赤ちゃんの時に動物的母性愛を与えられなかった人は精神の発達にゆがみが
出るのではないかとも思っています。
ただし、私が言っている動物的本能というのは、貴方が考えているほど難しい事ではなく
赤ちゃんの、生理的欲求(乳が欲しいとかだっこして欲しい等)をかなえてやるだけの
事なんですけどね。
「親から愛されている事」ナシでは現実感が得られなと言うのでは、この世に一杯いるだろう
親の愛情を信じられない、または現実に親から愛情を得られなかった人が救われないじゃ
ないですか。
幼児の頃にちゃんと動物的母性愛(母親である必要はない)に守られて育つ事さえできれば
後は、人それぞれ、親の愛情を信じられなくても自助努力で自分を信じ逞しく生きていく人は
きっといると私は思います。
>>191 自己レス
なお、人間は幼児の頃に動物的母性愛が得られなかった人は精神の発達にゆがみが
出るかも知れないけど、動物の場合は生存すること自体できないと思います。
そのくらい動物的母性本能というのは、哺乳類にとっては大切なものだと思います。
書いてもどうしようもないんですが・・・・。
私は、人間に限って言えば、母親は「動物的母性愛」で子育てをしているのではないと思っています。
母親の「動物的母性愛」がもし残っているとしてもそれは既に壊れています。
母親の中に「動物的母性愛」が生きていて、その「母性愛」に従っていれば子育てができるのであれば、
子育てに悩む親はいないはずです。どの親もその「動物的母性愛」に従ってうまく子育てができるはずです。
しかし、実際には子供を嫌う親がいます。イジメる親がいます。虐待する親がいます。
子供を捨てる親もいます。殺してしまう親さえいます。
そして、そういう親が年々増えているようにも見えます。
(統計的なことを知りませんから、そう見えているだけかもしれませんが)
この事実は、人間の親の場合、「母性本能的な動物的な行動指針」がすでに壊れている事を
示しているのではないでしょうか。そういう「動物的な行動指針」が壊れてしまったから、
人間は文化を作り、その文化に従うことによって生きるという道を進むしかなかったのではないでしょうか。
人間は壊れた「動物的母性愛」の替わりに「育児文化=如何に子供を育てるべきかについての指針」を
作り、それに従って子供を育てるようになったのではないでしょうか。
だからこそ、民族が違えば育児文化も違うのではないでしょうか。
それぞれの民族の育児文化は「次世代を如何に育てるべきか」についてのそれぞれの民族独自の
見解なのです。そしてそれは、きっと、本能で次世代を育てられなくなった人間の発明品なのです。
えー、まだ、続けるの?
多分、貴方と私はお互いが話し合っているように見えて、実は考えている内容の
次元が違うのかなぁと少し思う。
後、私は、「母性本能的な動物的な行動指針」みたいな言葉を使われると、理解するのに
一苦労するのです。ですから、貴方の言っていることをちゃんと私が理解できていないかも
知れない。と言っても私なりにお返事を返すように努力はしています。でも、ついて行けて
ないのかもしれない。その時はゴメン。
貴方の>193を読んだけど、お返事がちょっと複雑になるので少し考えさせて
欲しい。まとまった時間がある時にお返事します。では、後ほど。
>>193 >母親の中に「動物的母性愛」が生きていて、その「母性愛」に従っていれば子育てができるので
>あれば、子育てに悩む親はいないはずです。どの親もその「動物的母性愛」に従ってうまく
>子育てができるはずです。
私は動物的な母性愛が人間にはあると言っただけで、人間の子育てと動物の子育てが一緒
だとは言っていません。人間は言葉も文字も操ります。生きる長さも長いです。子供時代が
他のどの動物に比べてとてもも長いのです。
貴方は
>母親の中に「動物的母性愛」が生きているのなら、どの親もその「動物的母性愛」に従って
>うまく子育てができるはずです。
とおっしゃいますが、動物には言葉を教えたり文字を教えたり、文字や言葉を用いて生きるすべを
教える必要はありません。そのような子育てをせねばならぬのは人間だけです。動物的母性愛だけ
で子供が育つわけがないのは当たり前です。
だからといって、乳をやったり糞尿の世話をしたり、だっこして子供の体を温めたり、その他色々な
危険から我が子を守っり、心安らぐ環境を作ってやる動物的母性愛が人間にはないとは言えないと
思います。
生まれて1〜2年の子供に取っては、この動物的母性愛の方が、人間独自の子育てより
重要だと私は考えます。
>人間は壊れた「動物的母性愛」の替わりに「育児文化=如何に子供を育てるべきかに
>ついての指針」を 作り、それに従って子供を育てるようになったのではないでしょうか。
>だからこそ、民族が違えば育児文化も違うのではないでしょうか
と貴方はおっしゃいますが、乳をやったり、だっこしたり、糞尿の世話をしたり、安全を
確保するという動物的本能に基づく子育ては、どの民族も変わらないでしょう。
太古の人間だって変わらないと思います。言い換えると、この動物的母性愛に基づく
子育てがなかったら、いくら頭脳の発達した人間でもまともに子が育つとは思えません。
それぞれの文化によって、子育ての内容が変わってくるのは、動物的子育てがある程度
終わって以後の人間独自の子育ての事ではないですか?
人間独自の子育てなら、文字や複雑な言葉がなかった太古の人間と現代人では全然
違う子育てをしていると思うし、文化によっても個々の母親によっても違いが出るのは
別に間違っているとは思いません。
ただ、私にはここで人間独自の子育てについて貴方と意見を交わすだけの知識はありません。
それが話したいのなら私では相手に不適切なので他の人をあたられるとよろしいでしょう。
私に話せるのは人間の中に眠っている動物的と同じ次元の感情や行動や体の機能だけです。
そう言う私が貴方のレスに食い下がったのは、貴方が人間には動物的な母性愛はないか崩れて
いると言い切ってしまわれるからです。人間に動物的な母性愛がなかったらどうやって、ふにゃ
ふにゃで生まれてきた赤ん坊が育っていくことができるのでしょうか疑問に思われませんか。
>実際には子供を嫌う親がいます。イジメる親がいます。虐待する親がいます。
>子供を捨てる親もいます。殺してしまう親さえいます。
と貴方はおっしゃいますが、動物にだって動物的母性愛が育たないことによって育児が
うまくできないという親はいます。子供が育たないだけだから別に問題にならない
だけだと思います。
ただし、 自分の欲のためにとか、男のためにとかで子育てを放棄する事は人間以外の動物には
ないように思う。要するに頭で深く考えなきゃいけないような子育ては動物はしないと言うだけのこと
です。これは、ずば抜けた考える力を持った人間の宿命でしょうね。
だからといって動物的母性愛が人間は崩れているとどうして言い切れますか。そう言う
人も中にはいると言うだけの事ではないですか。
私は子育てに限らず、人間の行動の基本は、動物的本能に支えられている部分が
大きいのではないかと考えております。
動物的本能の上に人間独自の考える力によって、発展、変化した多様な行動が成立
するのではないでしょうか。
ですから基本的な人間の行動の原動力である、動物的本能を否定してしまっては、
人間を対象にした学問のほとんど精神医学にしても心理学にしても学問が学問として
成立しないように思うのですよ。
少なくとも、私は人間の中にあるだろう動物的本能を否定した意見は、外面は立派な
論文であったとしても、その一点のみで認めることはできないです。
以上、動物側の専門家の一人、マリリンの意見でした。
あなたは、人間が基盤として動物的本能を持っていて
さらにその上に言語や文化と行った人間特有のモノを築き上げているのだという
イメージを持っているのではありませんか。
私はそのイメージは間違っていると考えています。
人間が本能的基盤を持っているという事は、人間は本能に従って生きていけるという事です。
しかし、もしそうであったのならば、人間は何故言語を持てたのでしょうか?
人間は何故文化を作ったのでしょうか?
本能に従っていれば言語や文化は必要ありません。
必要がないモノを作る事は不可能です。
(動物にも言語があると言われていますが、 ここでいう言語は
人間が人為的に作った言語の事です。 何万何千と語彙があり、
それらを駆使して対話したところて、やたら誤解ばかり起こしてしまうような、
機能不全の役立たずの言語の事です。)
人間が本能に従って生きていけなくなったため、仕方なく発明したのが言語であり
文化だったのではないでしょうか。
私は、人間は本能が壊れるようになったから言語を持つようになったと考えています。
人間も動物の一種ですから、本能を持って生まれるのは間違いありません。
私も、人間が本能を持っていないとは思っていません。
しかし、人間の場合は、生まれてすぐ本能が壊れてしまって使いものにならなくなるのです。
私は、壊れて使いものにならなくなった本能が、
衝動とか欲望とか言われるものに変質してしまうのだと考えています。
そして、人間脳行動の基本は本能ではなく衝動や欲望に支えられている部分が大きいのです。
衝動や欲望は本能とは似ているように見えますが、実際にはまったく違うものだと私は考えています。
母性本能も、たぶん自己愛の延長線上の何かに変質してしまっているのでしょう。
マリリンもそろそろ議論していて嫌になってくる頃だろうと予想。
マリリン、相手してあげないのか
じゃあ、かわいそうだから、漏れが相手をしてあげよう。
>私は、人間は本能が壊れるようになったから言語を持つようになったと考えています。
>人間も動物の一種ですから、本能を持って生まれるのは間違いありません。
>私も、人間が本能を持っていないとは思っていません。
>しかし、人間の場合は、生まれてすぐ本能が壊れてしまって使いものにならなくなるのです。
もし「本能が壊れると言語を持つようになる」という仮説が正しければ
「人為的に本能を壊した動物は、言語を持つようになる」と予測される。
しかし、実験によって飢餓中枢や満腹中枢が破壊された犬を見てみると
食行動が促進することや抑制することはあれ、言語を持つようにはならなかった。
よって、食本能を壊しても犬は言語を持たなかった、という結果から
「本能が壊れると言語を持つようになる」という仮説は、正しくないことが証明された。
糸冬 了
>>203 あははは
>もし「本能が壊れると言語を持つようになる」という仮説が正しければ
>「人為的に本能を壊した動物は、言語を持つようになる」と予測される。
おもろい仮説ですね。
多分私とこのスレで議論してきた人は、人間がずば抜けて考えることができる頭脳を持つ
動物というだけではなく、その優れた頭脳で生み出された知識を共有し、蓄積することを
可能にした唯一の動物だと言うことを忘れてしまわれているのでしょう。
>>199 >人間が本能的基盤を持っているという事は、人間は本能に従って生きていけるという事です。
>しかし、もしそうであったのならば、人間は何故言語を持てたのでしょうか?
>人間は何故文化を作ったのでしょうか?
大昔の人間はおそらく動物と変わらず本能と単純な考える能力のみで生活していたのでしょう。
それが何百万年の間に生み出された小さな知恵や技術が蓄積させ続けて現在の言語や文化という
型になったと思います。
その人類の歴史の中には、蓄積された技術や知識がなんだかの理由で途絶えてしまった事も
あったでしょう。現代人でも天変地異や病気などの理由で蓄積された知識が途絶えてしまうことが
あれば、人間の中にはまた一からやり直し、動物と変わらぬ生活をできる能力があるんだと思う。
>>200 >必要がないモノを作る事は不可能です。
これは違うと思うよ。人間に言語や文字を作る能力があったから、蓄積された技術や知識で
文化を築いたのであって、別に必要とされて人類は現在のように高度に発達した文化を築いた
のではないでしょう。
現在の文化を作り上げている言語や文字だって、生まれたばかりの頃は単純で簡単な
ものだったんだと思います。現在のような文化は人間の他の動物にはない知識の
共有と蓄積する能力のなせる技ではないでしょうか。
>衝動や欲望は本能とは似ているように見えますが、実際にはまったく違うものだと私は
>考えています。
>母性本能も、たぶん自己愛の延長線上の何かに変質してしまっているのでしょう。
人間の衝動や欲望の原動力は動物的本能そのものでしょう。
それと自己愛に基づく母親の子供への支配を一緒にするのは納得できません。
母親が自己愛によって子供を支配する時は、人間しかない発達した頭脳を使ってどのように
子供を言いくるめるか考えてから行動に移されていると思いますよ。これは人間の中に
眠っている動物的母性愛ではありません。
一つ面白い例を出しておきましょう。
野良猫や野良犬の生まれたばかりのへその緒がついた赤ん坊を拾ってきて、人間が
哺乳瓶で育てると、彼らは親とは似ても似つかぬ性質を持った犬や猫になります。
(ここで言う所の野良猫・犬はオオカミや山猫とは違うからね。)
奴らは愛嬌たっぷり振りまいて、餌の取り方も知らなければ、ねぐらの探し方も知りません。
多分、山の中に捨ててきたら生きてはいけないでしょう。貴方の言う所の本能の崩れた状態です。
たった一代でも育ち方の違う環境を与えると、動物でもこのように変わります。多分、ペットと
して飼われていたものでも、半野良になって、野外で子供を産み、その子が人間を知らなければ
簡単に野良の性質(動物的本能により生きる道を選ぶ)が戻ってくるのでしょう。
こういう現象を、本能が崩れていると表現しても良いものでしょうか?
>>203 「本能が壊れたならば言語を持つようになる」というような仮説を信じている訳ではありません。
本能が壊れてしまえば、その種は滅びるしかないのではないでしょうか。
ただ、人間の場合はたまたま優れた頭脳を持っていたために言語を発明してしまったのです。
本来は滅びる種だったはずの人間が何かのいたずらによって言語を発明し、文化を作り出し、
たまたま変な種のまま生き延びてしまったのだと考えています。
動物とはまったく違う生き方をする変な種として残ってしまったのです。
>>206 >奴らは愛嬌たっぷり振りまいて、餌の取り方も知らなければ、ねぐらの探し方も知りません。
>多分、山の中に捨ててきたら生きてはいけないでしょう。貴方の言う所の本能の崩れた状態です。
その通りです。この野良猫は何故本能が壊れたのでしょうか。何故、何も出来なくなったのでしょうか。
それは、人間に育てられたからではないでしょうか。
本能の壊れた人間が育てるから野良猫も本能が壊れるのではないでしょうか。
>>207 >本能が壊れてしまえば、その種は滅びるしかないのではないでしょうか。
>>208 >その通りです。この野良猫は何故本能が壊れたのでしょうか。
マリリンが続けて「ペットでも半野良になると、簡単に動物的本能が戻る」といってるんだが
これにも同意しているのか?
すると「本能が壊れると、その種は滅びる以外ない」という主張と矛盾することになるぞ。
>ただ、人間の場合はたまたま優れた頭脳を持っていたために言語を発明してしまったのです。
じゃあ、人間が言語や文化を発明したのは、人間固有の優れた頭脳があったためともいえ
単純に「人間が言語や文化をもっていることから、人間の本能が壊れている」とは言えない
そういうことで、よろしいですか?
>>209 >マリリンが続けて「ペットでも半野良になると、簡単に動物的本能が戻る」といってるんだが
>これにも同意しているのか?
同意していません。
人間は無能無力な状態で生まれる為、本能に従う行動ががとれないまま
母親またはその代理に世話を受けつづけざるを得ません。
人間の赤ちゃんは、本能にまったく従う事の出来ない期間が長く続くのです。
その結果、本能が壊れるのだと考えています。
無能無力な状態で生まれる事・・・・これが人間の本能が壊れる理由です。
猫とは違うと思います。
無能無力で生まれて来ない赤ん坊が何処にいるか?馬鹿たれ。
>>211 馬などの動物は生まれてしばらくすると自力で立ってお乳を飲みに行く。
猿などは自力で母親にしがみついてお乳を飲んだり世話を受けたりできる。
それらに比べて人間の赤ちゃんは無能無力。何も出来ない。目も見えない。
>>209 >じゃあ、人間が言語や文化を発明したのは、人間固有の優れた頭脳があったためともいえ
>単純に「人間が言語や文化をもっていることから、人間の本能が壊れている」とは言えない
優れた頭脳があったため言語や文化を発明したのでしょう。
そして、言語や文化を発明した時と人間の本能が壊れる運命背負った時とは同時だった
のではないかと思っています。
(人間の言語とは、人間の精神と自然環境とのズレを表していると考えています。)
人間は自分の抱いた観念に従って行動します。
例えば、人が朝食を食べるのは、その人の中に「朝の何時ごろには朝食を食べるべきだ。」
というような観念があるからです。
そういう観念のない人は朝食を取らないでしょう。
逆に言えば人間は、観念を抱きさえすれば行動できるのです。
「あいつは邪魔だ。消えてもらおう。」などという観念を持ては人を殺してしまうかもしれません。
「死んでもらおう。」などという観念は動物的本能から出てきたものではないでしょう。
これに限らず、人間の抱く観念は動物的本能から出てくるのではないと考えられます。。
>>210 >同意していません。
何故?
猫は一度ペットになって本能が壊れると、何世代子孫を増やしても
本能を修復して野生に帰れないとでも言うのか?
>そして、言語や文化を発明した時と人間の本能が壊れる運命背負った時とは同時だった
のではないかと思っています。
それらが同時に起こったという証拠でもあるのか?
ないなら、そんなのただの妄想に過ぎんね。
>>214 >これに限らず、人間の抱く観念は動物的本能から出てくるのではないと考えられます。
だからさ〜
動物的本能が人間の行動の契機となる部分で働いている、っていう話をしてるんだろうが
例えば条件付けなんかが、人やラットや犬の行動に同じように作用するということからも
人間に、ラットや犬と同じような動物的本能が備わっているのが分かるだろ。
じゃあ逆にきくけどね
もし仮に人間に動物的本能が備わってないのだとするなら
なんで条件付けといったような、動物にも人間にも当てはまる共通の行動原理が存在するわけ?
>>212 >馬などの動物は生まれてしばらくすると自力で立ってお乳を飲みに行く。
>猿などは自力で母親にしがみついてお乳を飲んだり世話を受けたりできる。
>それらに比べて人間の赤ちゃんは無能無力。何も出来ない。目も見えない。
だからって、動物の赤ちゃんが無能無力で生まれて来ないとは言えないでしょ。
馬だって、生まれてすぐ立つと言うだけでお母さんのおっぱい貰わないと生きていけないし
サルは木の上や岩の上で生活するから、母親にしがみつけないと落っこちて死んじゃうんだよ。
犬や猫の赤ちゃんだって生まれてすぐは目など見えないよ。人間が動物の中で
一番無能無力で生まれて来ると言っていたら、パンダや有袋類の子供はどうするんだよ。
タラコのような姿で生まれて来るんだよ。それでもね哺乳類である以上、みんなお母さんの
お乳とお母さんの世話がなければ自然界では生きていけないんだ。
人間だけ特別ではありません。
>>213 >優れた頭脳があったため言語や文化を発明したのでしょう
進化心理学スレ読んでる?このスレでずっと言われているでしょ。急に現在のような言語や
文明を人間は獲得したわけではないと。人類の何百万年もの歴史の中で知識が蓄積されて,
今のような言語や文化ができあがったと。
貴方も高校の時、歴史の教科書で千年ぐらい前の人間と現代の人間では話す言語も文化も
全然違うって習わなかった?ここ千年の間の人類の知識の共有と蓄積は凄まじいものが
あったんだろうね。
突然、話が変わるけど私はコンピュータやネットの発明で文字や言語の発明時よりも、もっと
凄まじく知識の共有や蓄積が進んでいくように思うんだ。
そんでもってね。人類の文化が進んだからと言って人間の中の動物的本能が崩れて
いるとはならないと思う。
>>214 >逆に言えば人間は、観念を抱きさえすれば行動できるのです。
>「あいつは邪魔だ。消えてもらおう。」などという観念を持ては人を殺してしまうかもしれません。
>「死んでもらおう。」などという観念は動物的本能から出てきたものではないでしょう。
死んでもらおうとまでは動物は思わないかも知れないけど、>「あいつは邪魔だ。消えてもらおう。」
とは、どの動物でも思うでしょ。だから縄張りや異性や食べ物の取り合いで、死闘を繰り広げるんじゃ
ないの。人間が違うのは、どうやって、じゃまな相手に消えてもらおうかなと姑息な手段を考える
ところうが違うだけだよ。
>人間は自分の抱いた観念に従って行動します。
>例えば、人が朝食を食べるのは、その人の中に「朝の何時ごろには朝食を食べるべきだ。」
>というような観念があるからです。
>そういう観念のない人は朝食を取らないでしょう。
あのね。ちょっとだけ生理学を勉強すると、こんな事言えなくなるよ。人間が朝食を
食べるのはお腹がすくからだよね。お腹がすく現象は血液中の血糖値が下がった事を、脳の
飢餓中枢が察知して、生体に教えてくれるこの機構は哺乳類であれば変わらない。
つまり、ものを食べたいと思う行為の根本的な原動力は犬も猫も人間も変わらないと
言うことだよね。どうしてそれで人間に動物的本能が崩れていると言えるの?
>>215 「ペットでも半野良になると、簡単に動物的本能が戻る」という事が
実際にあるのかどうかについてはよくわかりません。
でも人間に関しては、本能が戻るという事はないだろうと言いたかっただけです。
ちょっと話が飛んでしまったようです。すみません。
人間は、生まれた時に、本能に従った行動をとれない状態が
ずっと続くため本能的行動がとれなくなってしまうのです。
ちょっと意味がズレますが、本能的行動をずっととれない為に
本能的行動を忘れ去ってしまう・・・そんな感じですね。
>>205 >母親が自己愛によって子供を支配する時は、人間しかない発達した頭脳を使ってどのように
>子供を言いくるめるか考えてから行動に移されていると思いますよ。これは人間の中に
>眠っている動物的母性愛ではありません。
私は、人間の行動はこの様な行動ばかりだと思っています。
すなわち、いろいろな観念を持ち出してきてあれやこれや考え、
出来上がった観念に従って行動する・・・・これが人間の行動だと思います。
人間の場合、観念に先導されない行動ってほとんどないでしょ。
人間の観念は恣意的で何でもありです。
そういう観念に先導される行動は本能的とは言えないでしょう。
>>215 >それらが同時に起こったという証拠でもあるのか?
証拠はありません。
でも、「人間の本能が壊れている」というのが妄想ならば
「人間の本能は壊れていない」というのも妄想になるのでは。
人間の精神に関して科学的な根拠を示すことは無理ではないでしょうか。
>>216 条件付けって何ですか。学習とか強化とかそういうのですか。
それと本能とは何か関係があるのですか。
そういう方面には暗くて・・・すみません。
例えば、ゴミが入りそうになったら目をつぶるとか、コケそうになったら思わず手が出るとか
・・・反射って言うんですか?・・・そういう反応は残っていますよね。
そういう部分まで壊れているとは思っていません。
(それじゃあどこまで壊れているのかといわれそうですが。)
人間の場合、行動を決定するのが本能ではなく観念であると言っているのです。
観念は言語化された観念です。意識化された観念です。
人間には意識があって、言語でモノを考え、言語に従って行動を決定する。
それは、本能とは別の次元だと言っているのです。
>>217 >だからって、動物の赤ちゃんが無能無力で生まれて来ないとは言えないでしょ。
>馬だって、生まれてすぐ立つと言うだけでお母さんのおっぱい貰わないと生きていけないし・・・
馬は自力で立って自力で母親のおっぱいの所に行って自力でおっぱいを探し当てて飲みますよね。
これは、本能で定められた行動ではないですか?人間の赤ちゃんはそういう行動は一切とれません。
>>217 >サルは木の上や岩の上で生活するから、母親にしがみつけないと落っこちて死んじゃうんだよ
猿の赤ちゃんは母親にしがみつく能力を持っています。それは生まれつき持っている能力です。
猿の赤ちゃんが母親にしがみついてお乳を飲むという行動は本能で定められたものではないでしょうか。
しかし、人間の赤ちゃんはそういう能力はありません。
自力で母親のおっぱいにたどり着くことはできません。
母親がおっぱいの所に赤ちゃんの口を運んでいってやらないとお乳も飲めません。
人間の赤ちゃんがおっぱいを飲むための本能的な行動は存在しないのです。
>>217 >パンダや有袋類の子供はどうするんだよ。 タラコのような姿で生まれて来るんだよ。
有袋類の赤ちゃんは生まれた直後に、母親の袋に入ろうと自力で這い上がっていきます。
そして、その袋の中にはおっぱいがあり、それによって赤ちゃんは生きていく事が出来ます。
有袋類の赤ちゃんの行動は本能で定められた行動なのではないでしょうか。
人間の赤ちゃんにはそういう生きていくために意味のある行動はできないのではないでしょうか。
>>218 >急に現在のような言語や
>文明を人間は獲得したわけではないと。人類の何百万年もの歴史の中で知識が蓄積されて,
>今のような言語や文化ができあがったと。
単純な言語でも何でも、とにかく観念を指示する言語を持ったときには人間の本能は壊れていた
と考えています。
>>219 >死んでもらおうとまでは動物は思わないかも知れないけど、>「あいつは邪魔だ。消えてもらおう。」
>とは、どの動物でも思うでしょ。
動物が「あいつは邪魔だ。消えてもらおう。」と言語で考えて、例えば他の動物を攻撃するとは考えられません。
動物が、縄張りやらの取り合いなどで他の動物を攻撃することは知っています。
しかし、それは個体や種の保存という本能的な目的のための行動であって、
「消えてもらおう。」という観念に先導された行動ではないでしょう。
>>219 >人間が朝食を食べるのはお腹がすくからだよね。お腹がすく現象は血液中の血糖値が下がった事を、
>脳の飢餓中枢が察知して、生体に教えてくれるこの機構は哺乳類であれば変わらない。
血糖値が下がった事を脳が知覚するのは人間の場合も同じでしょう。
しかし、人間の場合、その事が直接「食事をする」ということには結びつきません。
「腹が減ったなあ」とか「そろそろご飯が食べたいなあ」とかの観念を持たないと
食事をするには至りません。
「忙しいから今日は昼食は抜きだ」とか「太りすぎたから絶食しよう」などと思った場合は
血糖値が下がっても食事はしません。
また、何かに熱中していて腹が減った事にも気が付かないとか気が付けば食事時をはるかに過ぎていた
などという事もあります。
つまり、人間が食事をするという行動は血糖値の減少が引き起こすのではなく
「食事をしよう」という観念が引き起こすのです。
この意味で、人間は本能によって食事をするのではありません。
食事をするという、固体保存のために非常に重要な行動さえ、人間は本能に従っているのではないのです。
乳さがし反射:指・乳首で頬をなでる:刺激の方向に向けて口をあけて吸啜運動(吸啜反射)を
はじめる。
吸啜反射:口唇、口腔粘膜への刺激:乳さがし反射によってさがしあてた乳首を口唇などの
特有の運動で吸う。
私は人間が人間固有の頭で考えた上の行動をしないと言っているわけではないですよ。
人間以外の動物にも種による固有の行動もあるでしょうし。私は人間の中には動物的本能が
残っていると言っているだけです。
それが、なくては人間は、それこそ生きてはいけません。>230 >231が言う吸啜反射も
その一つです。思春期に異性を求めるのもその一つだと思います。自分の排泄物を嫌悪する
のも生活空間を汚したくないと言う動物的本能の一つでしょう。例を挙げたらキリがありません。
私には貴方はどう説明しても人間に動物的本能が残っていることを認めたくないように思えます。
それなら、ここで話合っても無意味です。これで終わりにしましょう。
232の補足
「ユング心理学入門」の「個人的無意識と普遍的無意識」の章で普遍的無意識は動物にも
あると書いてあるから、ユングは普遍的無意識というカテゴリーで人間に動物的本能が
残っていると認めているのでしょうねぇ。
マリリンは自分に残った動物的本能は生理学を勉強したり、動物の行動を観察していると
意識化できるので、その点でユングの考えに賛成できなかったんだ。
それでも、貴方みたいに全く人間には動物的本能は崩れてしまってないと言うよりは
ユングの方がましだと思うよ。
>>222 >証拠はありません。
>でも、「人間の本能が壊れている」というのが妄想ならば
>「人間の本能は壊れていない」というのも妄想になるのでは。
論点がずれてる。
お前はある現象の説明に「それはAとBが同時に生じたからだ」と言った
しかし、その現象を起こすためには、Aが生じれば十分であり、Bも一緒に生じる必要はない
だから、俺は「AとBが同時に生じたという証拠があるのか?」と聞いた
お前は「それはない」と言った
だったら「ある現象が起きたのは、AとBが同時に生じたため」というお前の説明は妄想に過ぎない。
>>人間の精神に関して科学的な根拠を示すことは無理ではないでしょうか。
「科学的な根拠」なんて言った覚えがないんだが
自分の言うことになんの根拠も示すことができない人間は、議論しないでほしい
「何故自分はそう思ったのか」ということをもっとよくつきつめて考えろ。
>>人間には意識があって、言語でモノを考え、言語に従って行動を決定する。
それは大きな間違い
人間は言語でものを考えていないときでも、過去の経験や記憶を思い出して
自分の行動を判断している。
参考文献
ttp://www.sky.sannet.ne.jp/mikeneko/psychology/cognitive04.htm
>>234 同時に起こったと私が考えている理由を言えばいいのなら、それは示すことはできます。
ちょっと長くなるかもしれませんが、とりあえず書き出しますと・・・・
まず言語を持っているという事は意識を持っているという事と同じ事だと思います。
人間が持つ言語は人間特有のもので他の動物にはないモノですから、
人間が持つ意識も人間特有のもので他の動物にはないと思われます。
そして、人間は意識でモノを考えます。意識が行動を決定します。
(私は無意識がないと言っているのではありません。
人間には意識と無意識があり、そのどちらもが人間の行動に影響を与えている
と考えています。つまり人間の行動には意識的動機と無意識的動機があると考えています。
そして、行動する当人からは意識的動機しか見えないけれども、無意識的動機も
同時にその行動を支えているという事も承知しています。
ただここで主張したいのは、
動物が本能で行っている行動を・・・食事をする、セックスをする、攻撃するなど・・・・
人間は意識で行っているという事です。)
人間の場合、意識が行動を決定します。
「そろそろ食事の時間だからいつもの食堂へ行って食事しよう。」だとか
「君が好きだからセックスしたい。」だとか
「許せない奴だから痛めつけてやろう。」だとか、意識がいろんな観念を持ち
それに基づいて行動します。
>>235 意識は人間特有のもので他の動物にはなく、そして、人間は意識によって行動を決定します。
この意識は本能から出てくるものでしょうか。
そうとは考えられません。
何故なら、意識による行動は、個人差が非常に激しく、また、個体の保存や種の保存を保証してくれません。
本能による行動によって個体や種の保存が出来ないというのはナンセンスです。
ですから意識による行動は本能的なものではありません。
意識による行動は本能から逸脱した行動です。
>>236 では、人間は基盤として本能的な部分を持っていて、その基盤の上に
意識だの言語だの文化だのといった人間特有の部分を築き上げているのでしょうか?
これは以前にも書きましたが、私は「NO」だと考えています。
個人差の激しいような、個体保存や種族保存という目的を持たないあるいはそれと反するような
そういう部分を本能的な部分の上に築くという事は考えられません。
そういうモノを築いてしまえば、それこそ個体保存や種族保存がうまくいかなくなり
本能は機能しなくなります。
だから、意識的な部分は本能の上に築かれたのではないと思われます。
>>236 >何故なら、意識による行動は、個人差が非常に激しく、また、個体の保存や種の保存を保証してくれません。
現に人間は種の保存や個体の保存に成功しており
地球上でこれ以上ないくらいに繁栄していますね
したがって、やはり人間の意識も本能的な部分によるものが大きいようです。
>>238 人類が繁栄したからと言って本能が機能しているとは言えないと思っています。
人間がたまたま繁栄できたのは本能的な部分によるのではなく文化によるものです。
人間が壊れた本能の代用品としての文化を作り上げた結果です。
>>239 何故、個体の保存や種の保存を保証してくれない、意識による文化が
人類を繁栄させるんですか?
>>240 人間が抱く観念は元々は好き勝手な何の目的もないような妄想的なものばかりで
成長するにつれ、現実を知り文化を取り入れ、それによってある程度現実的な観念を持つ事が
できるようになると私は考えています。
人間の意識は、出発点においてはそういう好き勝手な無目的な観念しか持たないものです。
始めは何ら個体保存や種族保存に有益な観念を生み出さないのです。
人間の意識はそういうモノとして出発すると私は考えています。
それが何故、個体保存や種族保存ができるようになるかというと、それは文化によるものです。
人間は文化に強制されることによってはじめて個体保存や種族保存をできるようになるのです。
だから文化は個体保存や種族保存を一応は保証してくれると思っています。
(「一応」と書いたのは文化の強制から外れて
個体保存や種族保存できない人間もいっぱいいるからです。)
>>241 >人間は文化に強制されることによってはじめて個体保存や種族保存をできるようになるのです。
つまり、文化が個体保存や種族保存を保証すると言うことは
文化に本能的な側面があるからでしょうね。
文化が完全に人間の意識による行動の産物だとしたら
個体の保存や種の保存を保証してくれるわけはないでしょうし。
>>242 文化は本能の真似をしたのだと思います。
文化が強制している個体保存や種族保存のやり方は
見かけは本能に似ていますが、実際には別物だと考えています。
(例えば種族保存を目的とすると思われているセックスなどは性器の結合という部分が
本能的なものと似ているだけで、それ以外のモノ・・・性欲とか性的魅力とかなどなど・・・
はすべて本能とは関係ないモノです。)
文化は本能的なのではなくて、文化は本能に似せているニセモノなのです。
きみは、反射行動をどう考えてるの?
>>230-231とかは、生まれたばかりの子供がやる反射だけど。
>>243 >文化は本能的なのではなくて、文化は本能に似せているニセモノなのです。
文化と本能は似て非なるものであることが、あなたにどうして分かったんですか?
ただの直感ですか?
>>244 >>223を見る限り
反射行動とか条件付けなどは、おそらく本能だと考えてないのだと思われ。
つまり、議論の前提である本能の共通の定義がはっきりしてない
というかそもそも、本能なんていう定義の曖昧な言葉について議論しているからこそ
この「人間の本能が壊れている」=「岸田信者」さんはがんばり続けていられるわけで。
多分この人にどれだけ「本能が機能している」ように見える証拠を示しても
頑として、「本能が機能しているように見えるだけで、本当は壊れている」と言い続けるんでしょう
本能なんていうのはどうとでも捉えることができる概念だから。
まあ、漏れは「岸田信者とまったりしゃべるスレ」だと思ってるからいいけどね
マリリンがいなくなって、かなりつまんなくなったけど。
>>244 そのような反射行動は人間に本能が残っている証拠でしょうね。
そういうことはあっても不思議ではないと思います。
本能が壊れたと言っても全面的にぐちゃぐちゃになった訳ではないと思っています。
本能は、動物を行動に駆り立てる動因(本能的欲求)と
その欲求を満足させるべき行動(動因に導かれた行動)とに分けられると思いますが、
人間の場合、無能無力で生まれる為、本能的動因があっても行動が出来ないという状態が続きます。
そのため、この本能的動因と本能的行動の結びつきが壊れ、その結果、
本能が本来の目的を達成できなくなったのだと、それが人間の姿なのだと考えています。
私は、本能的欲求を現実的な行動で満足させるのが無理な為、様々な妄想と結びつき
衝動あるいは欲望になったのだと思っています。
そして、人間の行動は本能的欲求と切り離されて本来の目的を失い、
欲望と結びついたのだと思っています。
>>245 我々は欲望に従って行動します。そして、この欲望は本能とはあまり関係がないのだと思っています。
というのは欲望は人間が抱く妄想、幻想、観念と結びついているからです。
幻想に基づく行動は本能とは関係のないモノでしょう。
だから、本能のように見えてもそれは似ているだけなのです。
我々の行動を観察すればその事は分かると思います。例えば、物を食べるという行動について見てみましょう。
一般には、腹が減るから食事をすると考えられています。そして、腹が減ったと感じるのは本能的なものだから、
食事も本能的な行動だと考えられているでしょう。
しかし、実際には食事は本能とはあまり関係がありません。人間は腹が減ってもモノを食べないことがあります。
例えば、「忙しいから食べる暇がないから食べない」とか、
何かに熱中してて「これを続けたいから食事を後回しにする」とか・・・。
腹が減っている事に気が付かないこともあります。
また、食事が本能的なものであれば、満腹になったらもう食べないはずですが、
実際には「満腹だけどこれが美味しいからもっと食べる」とか、「デザートは別腹」とか言ってもっと食べるとか、
過食症のように満腹になっても食べることを止められないとか、
大食い競争をしているので満腹かどうかに関係なくガンガン食べるのだとか・・・。
また、お腹が空いてなくても「口が寂しい」などと言ってモノを食べたりとか。
以上のように、空腹である事と物を食べる事は関係がありません。
人間は食べたいときに食べるだけなのです。人間は食べたいという衝動に動かされて食事をします。
空腹であるというのは参考資料にしか過ぎません。
このように、人間の行動は本能的に見えて実は本能によるものではない行動ばかりです。
お前は、間違っている。人間に本能など全くないんだよ。
>>248 >以上のように、空腹である事と物を食べる事は関係がありません。
じゃー聞くが、腹がぺこぺこの時、目の前にある食べ物、本当は他人のものなので食べては
いけないものでも、我慢でききれずに食ってしまったと言うのは、動物的本能のなせる技で
はないのか?
高所恐怖、頭では安全だ落ちたりしないと分かっていても、怖くて仕方がない
と言う奴も本能ではないのか?何処が動物と違う?
幻想はなぜわくのだろう?本能から?
>>235 >まず言語を持っているという事は意識を持っているという事と同じ事だと思います。
何で?動物だって単純だけど意識は持っている。言語はあるかないかは分からないけどね。
>人間が持つ言語は人間特有のもので他の動物にはないモノですから、
>人間が持つ意識も人間特有のもので他の動物にはないと思われます。
>そして、人間は意識でモノを考えます。意識が行動を決定します。
ここが私と貴方の考え方の決定的な違いなんだね。
私は人間の場合、意識と言語で表現されるモノは同じモノではないと考えている。だから無意識
と言う考え方も出てくるんじゃないの?
私は人間でも、意識より先に行動してしまう事って多々あると思う。そして後付で、私はどうして
こんな行動をしてしまったのかと考えるんだ。その時に人間は言語を使って自分のした行動の
理由付けをすることができる。正直に本当の理由を探すこともできるし、自分を正当化するために
嘘の理由付けをすることもできる。
本当は女の子がが好きなんだけど、そんな感情は認めたくないとか、ないとなくあいつ嫌い
なんだけどそんなことは言い出せないとかね。
動物はこういう自分の感情について自分に嘘をつくことはできないからね。(他の動物には
嘘をつくことはあるかもしれない。)
だから
>人間が持つ意識も人間特有のもので他の動物にはないと思われます。
これは、同意はできない。動物だって自分の本能や感情に従い単純ではあっても、モノを考えて
行動する。
一度、犬でも猫でも飼ってみると良い。彼らがどれだけ感情豊でモノを考える力があるか分かるよ。
貴方はそれを知らない。人間も動物も好きとか嫌いとか嬉しいとか悲しいとか言葉で考える
より先に感じるだと思う。そして、その感情にしたがって行動する。人間が言語で考えて人間独自の
行動するのはその後のことだと思う。
考えるという行動は動物的本能とは違う、もっと高度な行動だと思うけど、貴方が人間とは違う
と考えている動物にも、そうした行動を取ることもできると言うことを分かって欲しい。
人間だけは違うというのは、現実を無視した貴方の奢りにしか過ぎない。
>>251 腹が減るというのは確かに生理的な現象がベースにあるでしょう。
しかし、動物的本能というのは腹が減る事それ自体ではなく、
腹が減った時に食べ物を探したり食べたりという行動をとる事だと思います。
もし、本能が機能しているのであれば、腹が減ったその瞬間に、
意識的言語的に「腹が減った。」と表現する事なしに
ただちに食べ物を探したりする行動をとるはずです。
それが本能に従った行動でしょう。
また、腹が減った時に他人の食べ物を食べるかどうかという事は、
食べたいという本能と他人のものに手を出してはいけないという道徳的観念とが
対立しているのではありません。
腹が減ったという状況をめぐって
「他人のものでもいいから食べてしまいたい。」という観念と
「他人のものだから食べてはいけない。」という観念とが葛藤しているのです。
食べるか食べないかは観念の問題です。
高所恐怖は、個人の自我とエスの構造の問題だと考えています。
自我が己の一貫性を守るためにエスへと抑圧している諸観念の内の何かが
自我に入ってこようとする・・・・それに対して自我が感じる恐怖の内の一つだと思っています。
多分本能とは関係ないと思います。
>>253 >何で?動物だって単純だけど意識は持っている。言語はあるかないかは分からないけどね。
私が「意識」と呼んでいるのは、言語でモノを考えている意識の事です。
>私は人間の場合、意識と言語で表現されるモノは同じモノではないと考えている。だから無意識
>と言う考え方も出てくるんじゃないの?
言葉の使い方が私とは違うようですね。
私は、人間の心には意識と無意識があり、そのうち言語的な部分が意識だと考えています。
そして、前にも書きましたが、人間の行動は意識的な動機と無意識的な動機との両方の動機に
基づいているんだろうと考えています。
自分のとった行動に説明がつかない場合というのは、
たぶん無意識的な動機が本人から見えていないからだろうと思われます。
貴方。論理が破綻してますよ。
>私が「意識」と呼んでいるのは、言語でモノを考えている意識の事です。
こんな事、これだけくっちゃべった後に勝手に決められても....
言語でモノを考える事が意識って?それ何?
>257もマリリンのレスね。
じゃー、動物がモノを考えて、行動する時の意識は何なの?彼らは決して人語でモノは
考えない。だけど、あの人嫌いだから側に行きたくないとか。今日は飼い主に怒られて気分が
悪いから遊んであげないとか。大好きなお友達が来たから一緒にお散歩行きたいとか彼らが
考えているとしか思えない本能では説明のつかない複雑な行動を取るよね。
あれは彼らの意識ではないわけ?
人語で考えていないから無意識なわけ、動物馬鹿にするのもたいがいにしといたら。
人間でも動物でも麻酔から覚醒した時に意識が戻ったというのは何?
外界の刺激に生体が普通に反応することができる状態も一般的には意識下と言うん
じゃないの?
自分の都合の良いように勝手に、言葉の意味を決めないでよ。私は心理学の人の事は
よく知らないけど、意識について貴方のように考えている人は多いわけ?
だったら、動物関係の人とは永遠に分かりあえないね。
>>258 私は、人間の人格のうち、言語化されている部分が意識で、
言語化されていない部分が無意識だと捉えています。
最初からそのつもりで書いていました。
勝手に決めて申し訳ありませんが・・・。
動物の場合は、強いて言うならば、全部が無意識だと想像しています。
言語を使わずに考えているのですから無意識的に考えているという事に
なるのではないかと思っています。勝手に決めてすみません。
また、私は心理学の素人です。単なる岸田ヲタです。
だから心理学で「意識」がどのように扱われているかは分かりません。
人間の活動はすべて本能に基づくか幻想に基づくと考える岸田さんの主張は
幼稚な二元論だと思います。
>>260 259は岸田オタを自認している人なのに、どうして人間には本能はないと言うのですか?
259の発言を聞いている限り、人間は幻想によってのみ行動すると言っているように受け取れます。
もしかして岸田さんも、そのように言っているのでしょうかね?確かに幼稚です。
>>261 つまり岸田は「人間の活動はすべて本能に基づくか幻想に基づく」ということを前提にして
その上で「人間の本能が壊れている」のだから「すべての人間の活動は幻想に基づいている」
と考えているらしい。
まあ、常人には理解できないよな、こんなこと・・・。
>>259 >動物の場合は、強いて言うならば、全部が無意識だと想像しています。
>言語を使わずに考えているのですから無意識的に考えているという事に
>なるのではないかと思っています。勝手に決めてすみません。
勝手に決めてすいませんと言っている限りは、マリリンの言っていることも、ちょっとは
分かってくれたのかなぁ
動物の場合の無意識とは、麻酔下とか眠りこけている時とか、気絶した時等、文字通り、意識の
ない時を指す。人間以外の動物は、例え類人猿と言えど、自分自身に嘘がつけないし、
貴方が
>>187で書いていた現実と非現実なんて区別はなく、彼らにあるのは現実
のみ、だから覚醒状態で無意識でモノを考えるという事はありえないと思うんです。
マリリンも単純な思考をする人だから、貴方は無意識でモノを考えている言われても、そんなこと
あるのかないのか良く分からないよ。先に怒っちゃって、後から何で怒ったんだろうって考える
みたいに感情が先に表出して後から理由を言語的に考えることはあるけど、よーく考えてみると
自分自身にはそれなりに納得いく説明はつく。
こう言うのを人間の無意識って言うのかな?それならなおのこと動物にはないよ。
>>262 教えて下さってありがとう。やっと、長々とマリリンと話して来た人の考えの基本部分が
分かったような気がする。
>「人間の本能が壊れている」のだから「すべての人間の活動は幻想に基づいている」
マリリンには、何で上記のような説明で納得する人がいるのか不思議です。大変失礼な言い方
だけど、こういう人に心理療法するのとマリリンみたいな人に心理療法するのでは、全然
違った話し方をしないと受け入れられないんでしょうね。
やっぱり、人間の行動や考え方が複雑なだけあって人間の心理療法は難しいですねぇ。おしまい。
一つ言い忘れたので、補足
ペットとして人間に飼われた動物は、人語を全く理解しないんだろうか。犬や猫、牛や馬、象、類人猿
等知能が高いと言われる哺乳類は人間と長い間暮らすと、ちょっとは人語を理解するようになるんでは
ないかと私は思う。
彼らは言葉がしゃべれないし人格みたいなモノが認められていないので、動物は人語を
理解しないと、人間が勝手に思っているだけではないかと思うのです。
私がそう思う根拠を出しておくと、飼い主さんでペットの前で動物病院に電話をすると、ペットが
そそくさと逃げ出して困ると言う人が結構いるんだ。多分これは何処の動物病院の先生でも
そう言うと思う。
ペットは飼い主さんの電話の声を聞いているだけで、自分が動物病院に連れてこられる
と言うことを理解するんだよね。最近経験した例だと、シャンプーをお願いした時は逃げない
けど、注射をお願いしますと言ったら逃げたとか。
いつも、その子が大好きな動物看護師さんなのに、「今日は血液検査をするからね」と言った
途端に逃げたとか、彼らが人語を断片でも理解してなきゃ説明のつかない行動を取るんだよ。
私たち動物関係者でも、言葉が分かってないと思って不用意な事を彼らの前で言ってしまう
事があるけれど、気をつけなきゃいけないなと思うもの。
もちろん、これらは私が彼らと暮らして経験的に感ずる事だからソースもなければデータも
しめせないけどね。だけど動物の行動は無意識下だけでおこなわれるというのはどう
考えても納得できません。
まだやってんのか。
それぞれの用語の定義を共有していないと,こういうことになってしまうという見本みたいなスレですね。
>>266 (^▽^笑) そう思う?マリリンもそう思う。
言葉の定義なんて、日本語だから大して変わらんと思っていたけど、初めて定義の重要性
を思い知った議論でした。
と言っても、マリリン定義なんて日常生活で摺り合わせたことないから、これだけ言葉の
意味が違う人と、どうやって用語の定義をして、それを用いてどうやって議論すれば良いか
やり方が分からない。
だってだよ意識の定義付けと言われても、岸田オタさんは
>人間の人格のうち、言語化されている部分が意識で、
>言語化されていない部分が無意識だと捉えています。
と言うわけでしょ。私は意識というのは言語化されないモノだってある。そうでなければ、
人間以外の動物の意識が説明できないと言っているわけでしょ。これだけ意識という言葉の
定義が違っている人と、言葉の意味のすり合わせをどうやってするんだろう。
多分、岸田オタさんも同じように思っていると思う。だから延々と話が続いてしまっている。困ったね。
ロボだったら途中で、えらい罵倒が入りそうだな。そんなやり方はマリリン真似できないしな。
結局、議論する実力がマリリンは非弱だと証明される結果になったね。
>>262 本能に基づかず幻想にも基づかない行動ってどんな行動のこと?
>>265 人間に飼われたペットは人間の言葉を理解していると思いますよ。
人間の言葉をいくらか理解したとしても、ペットが人間の言葉を用いて思考する
というのはなさそうな気がします。だから、ペットは、私の言う意味での意識は持たない
のだと思っています。
動物は言語を使わずに思考し決定する・・・・これは私の言う意味での無意識です。
私の言う「意識・無意識」は精神分析の用語です。
だから動物に適用していいものかどうか・・・。そのへんは分かりません。
>>267 >これだけ意識という言葉の
>定義が違っている人と、言葉の意味のすり合わせをどうやってするんだろう。
すり合わせは多分無理でしょう。議論になりませんよね。失礼。
>>268 問題は「本能にも幻想にも基づかない行動」があるのかどうかってことじゃない。
「この世には二種類の行動があります
本能に基づく行動と、そうでないものに基づく行動です」
なんていう二分法をするのが幼稚でおかしいといってるんだよ。
つまり岸田は「この世には二種類の人間がいます
朝食にご飯を食べる人間と、そうでない人間です」
といってるのに等しい。
>>269 >岸田ヲタ
すり合わせが無理かどうかは別として、私の考えでは
人間の場合、自分に嘘がつける動物故、言語化された考えが意識化されていない意識を
率直に表現してるモノばかりではないと思います。つまり意識と言語化された考えは私は同じ
モノではないと考えています。
そうでなきゃ心理学の色々な概念、例えばペルソナだとか防衛とか同一化のような考え方
は出てこないでしょう。
動物の場合も、貴方も言うように
>ペットが人間の言葉を用いて思考するというのはなさそうな気がします。
と言うように、彼らの思考方法は分かっていないんですよ。だけど、高等な哺乳類の場合、彼らなりに
思考した上で行動に移すことはあるわけです。その時の彼らの意識をミミズのような下等生物と
同じ分類で無意識な行動と表現するのは納得できません。
その意味で>271さんの
>二分法をするのが幼稚でおかしいといってるんだよ。にマリリンも同意します。
後>私の言う「意識・無意識」は精神分析の用語です。という部分についても
かわずさや浦島先生の説明によると、精神分析の考え方でもこれ以外に「前意識」というモノが
あるらしいですよ。
ぢゃあ,マリリソに
>「前意識」というモノが
を説明してほしい!
>>271 >朝食にご飯を食べる人間と、そうでない人間です
前者が本能に従っていて後者が従っていない訳ではないでしょう。
両者とも本能に基づいて行動しているのでありません。
両者は二種類ではなく一種類です。
>>274 >両者は二種類ではなく一種類です。
貴方の中の動物的本能はどうか知らないけど、少なくともマリリンは自分の中の動物的本能に
したがって行動している人間です。私の中の動物的本能は崩れたりしていな。
私にはそれにプラス人間的に考える行動があるだけです。
>>273 >「前意識」を説明してほしい!
精神分析の考え方は私は良く分からないけれど、お前に「無意識」ががあるのかないのか
問われたら、眠っていたり、自分では気づかずに、どっかを掻いていたとか、モノを置いてきたとか
以外、自分に「無意識」があるのかないのか分からないです。
マリリンみたいに単純思考する人は、自分の行動について良く考えれば意識化できる。
岸田ヲタ さんが言うような動物的本能でさえ、マリリンは動物を観察し生理解剖を
勉強しているので、そんなに苦労することなく意識化できる。
だから、私の行動に関する言語化されていない意識は、「無意識」と言われるより「前意識」と
言われる方が納得できるのです。
精神分析スレで浦島先生は「無意識」と「前意識」は臨床現場では、分けて考える必要はないと
おっしゃっていました。
>>277 自己レス
私の場合は、言語化された考えと自分の自覚された意識がほとんど変わらないのは
私は他人に対して嘘をつくことがあっても、自分に対して嘘をつく事はないし、
その必要もないからだと思う。ひょっとしたら、人間だから過去にあったのかもしれないけど
自分に嘘をついた記憶がない。
私の場合、動物と同じように自分の自然な感情を素直に受け入れているので、
変に複雑に考えて理論化し自分に言いきかせるような事もしないしね。
生きていくのに楽チンで良いよ。
>>275 朝ご飯を食べる人は「朝ご飯は食べるものだ。」という幻想(観念)を抱いている人で
朝ご飯を食べない人は「朝ご飯は食べるものだ。」という幻想を抱いていない人です。
どちらも幻想(観念)に基づいて行動している人だと言う点で二人は同じです。
>>276 食欲は動物的本能がそのまま発動しているとは思わないんですけど。
人間なりの歪みを含んでいると思っているんですけど。
動物はどんな時に物を食べたくなりますか?
食べる時間は決まっているんでしょうか?
あなたはどんな時に物を食べたくなりますか?
食べる時間は決まっていますか?
>>279 ・・・いや、朝ご飯云々は
人間を二つに分けることの愚かしさ表したつもりなんだが。
まあいいや
それで岸田の「この世には二種類の行動があります
本能に基づく行動と、そうでないものに基づく行動です」
なんていう二分法は幼稚だってことはおk?
>>281 >朝ご飯云々は
>人間を二つに分けることの愚かしさ表したつもりなんだが。
どう二つに分けたのかいまいちよく分かりませんが・・・。
>それで岸田の「この世には二種類の行動があります
>本能に基づく行動と、そうでないものに基づく行動です」
>なんていう二分法は幼稚だってことはおk?
幼稚だとは思いません。
人間は本能によって適応できなくなって他の方法に頼るようになった・・・
非常に分かりやすい説だと思いますが。
とりあえず「本能」の操作的定義がわからんことにはどうにもならね。
>>283 確かにそうです。
ただ、マリリンは言葉の意味をどうやって摺り合わせるのか、定義するのか、やり方が
分からないので、違っていたら違っていたで、話し込んでいると「本能」についてのとらえ方の
違いが、「意識」の時のように浮き上がってくるのではないかと考えています。
ただし、この方法、延々と話が続いてしまいそうで怖いでのですが。
とりあえず、マリリンは「本能」は、ある種が生得的に誰にも教えられなくても自然に湧いてくる、
生理的現象や原始的感情(言語化はされていない)によって動かされる行動だと考えています。
食事については良い例なので、書き込みたかったのですが、眠くて考えがまとまりません
ですから、今日はこれで落ちます。。お休み。
>>284 自己レス 補足
>マリリンは「本能」は、ある種が生得的に誰にも教えられなくても自然に湧いてくる、
>生理的現象や原始的感情(言語化はされていない)によって動かされる行動だと考えています。
生き残るために各々の動物種に残った本能は、動物種事に違いがあると思われます。
>>225 >猿の赤ちゃんは母親にしがみつく能力を持っています。それは生まれつき持っている能力です。
>しかし、人間の赤ちゃんはそういう能力はありません。
>母親がおっぱいの所に赤ちゃんの口を運んでいってやらないとお乳も飲めません。
>人間の赤ちゃんがおっぱいを飲むための本能的な行動は存在しないのです。
これは動物種による本能の違いであって。人間の本能が崩れているわけでは
ありません。人間は母親にしがみつく能力は太古の時代からなかったと考えられます。
これは、犬と猫との間の能力の違いと同じ事だと思います。
動物種による能力の違いを捉えて、だから人間の本能は崩れている言われても納得できかねます。
>>280 >食欲は動物的本能がそのまま発動しているとは思わないんですけど。
>人間なりの歪みを含んでいると思っているんですけど。
それは、何度も言っているように人間は理性で自分の本能を押さえ込むことができる
動物ですから、食事を取る行動一つとっても、人によって多様な行動があるのでしょう。
しかし、食欲が湧くシステムは、血糖による満腹中枢や飢餓中枢の刺激が自律神経に作用し
インシュリンやアドレナリン、グルカゴンなどが分泌され調整されるシステムはどの哺乳類でも
変わらないと思いますよ。それにくわえて動物には体内時計というシステムがある。
一日に何度食事を取るかは動物種によって、ずいぶん違いがあるのですが、人間の場合は
2〜3回、犬の場合は1〜2回、猫の場合5〜8回ぐらい(個体差あり)です。その回数にあわせて
決まった時間に餌を与えていると、その時間にお腹がすくように体内時計がセットされる。
つまり、朝、餌をいつもやっていれば、犬だって猫だって朝食をほしがるようになるのです。
人間も、多くの人が体内時計のセットと血糖、飢餓中枢、満腹中枢のシステムでお腹がすくので
朝食を食べているのではないですか。
別に頭で考えて朝食を食べているわけではないと思います。人間以外の動物も同じです。
食欲みたいな生存に関わる部分は、もっとも本能が現れ易い事柄で、どのようにして人間の
本能が崩れていると貴方は主張なさるのでしょう。
>>286 >つまり、朝、餌をいつもやっていれば、犬だって猫だって朝食をほしがるようになるのです。
>人間も、多くの人が体内時計のセットと血糖、飢餓中枢、満腹中枢のシステムでお腹がすくので
>朝食を食べているのではないですか。
人間は血糖値が下がったからと言って食事をする訳ではありません。
何かに熱中したりしていると空腹であることにも気が付かないことがあります。
朝から「今日は昼飯を抜こう。」と決めていたりすると空腹を感じない事もあります。
空腹を無視するって事もあるでしょう。
人は「お腹が空いた。」と言葉にしないと、食事をしようという気にはなりません。
空腹に気がついていても「ダイエットをしているから。」などの理由で食べない事もあります。
ハングリーストライキをしている人はどんなに空腹でも物を食べません。
自己を主張する為に物を食べないという選択を人間はするのです。
満腹だからと言ってそれ以上物を食べないという事もありません。
もうだめと分かっていても「あと一口。」と言って無理やり物を詰め込んだりします。
満腹でも物を食べ続けないと安心できない人もいます。
大食いの競争をする人もいます。
もし本能が機能しているのなら、誰もが空腹の時にすぐに空腹を感じ、すぐに適度な食事を
摂るでしょう。しかし、実際にはまったくそうなっていません。
みんなが思い思いのタイミングで食事をしているだけです。
>>287 人は観念に従って食事をするのです。
「あっ、もう夜の7時か。そろそろ食事の時間だな。」などと言って、常識に従って食事を
したりするのです。
空腹が本能的なものだとしても、人間の観念(意識)は本能に逆らいます。
あるいは本能からかなり自由です。
人間はもし本能的なものが残っているとしても、それに従って行動しているのではなく
それとは別の次元の「観念」あるいは「意識」に従って行動しているのです。
本能が人間の行動を決定しているのではありません。
はて、犬も思い思いのときに食事しているはずだが?
>>287 動物のこと、貴方は分かっていませんね。
>人間は血糖値が下がったからと言って食事をする訳ではありません。
そんなことは、どの哺乳類でも当たり前です。(ややこしくなるので哺乳類限定の動物の話をします。)
血糖値が下がったからと言って、いつでもすぐに餌にありつける動物(哺乳類)はそんなに多くは
ありません。
ただし、血糖値が下がれば空腹を感じるのは、人間を含めてどの哺乳類でも同じです。
>何かに熱中したりしていると空腹であることにも気が付かないことがあります。
>朝から「今日は昼飯を抜こう。」と決めていたりすると空腹を感じない事もあります。
空腹を感じない時の血糖値を計った上で、貴方はこのような事を言っているのですか?空腹を
感じていないと言うことは食事の時間であっても血糖値が下がっていないか飢餓中枢を興奮
させる刺激が遮断されているためでしょう。別に人間だけの現象ではありません。
>空腹を無視するって事もあるでしょう。
別に動物でもできます。無視している間に肝臓のグリコーゲンや脂肪、アミノ酸からブドウ糖が
生成されて血糖がもとに戻り、食事をしなくても空腹を感じなくなるのです。このシステムが
なかったらハングリーストライキをしている人だって苦しくて食事を食べない事なんてできませんわ
空腹と言うのは生体に食事をしなさい、そうでないと死んでしまうよと言うアラームで
この機能がないと、動物も人間も食事を取るのが苦痛で食べることができなくなり
死んでしまうのです。
>満腹だからと言ってそれ以上物を食べないという事もありません。
>もうだめと分かっていても「あと一口。」と言って無理やり物を詰め込んだりします。
これも別に人間だけの事ではないでしょう。生きるために必要である司令塔である哺乳類の脳は
ブドウ糖をエネルギー源で動いています。そのため人間を含めて動物(哺乳類)は大昔から、
絶えず安定した食べ物が供給されるわけではないので、食べれる時に食べて、余った栄養分は
グリコーゲンや脂肪等にして蓄え必要に応じてブドウ糖に変換して使用する能力を備えているのです。
だから、必要以上に食べ物が与えられるペットの場合、体に脂肪を蓄えるシステムが災いして
ついつい食べすぎで肥満が問題になっています。人間でも同じでしょ。肥満は体に悪いと分かって
いても、食べるのが止められない肥満者なんて一杯いるでしょう。何処が動物と違うのでしょうね。
もう一度確認です。
>もし本能が機能しているのなら、誰もが空腹の時にすぐに空腹を感じ、すぐに適度な食事を
>摂るでしょう。しかし、実際にはまったくそうなっていません。
本能が機能しているから、人間は空腹を忘れることができ、適度な食事以上にモノを食べ過ぎて
肥満になってしまうです。すべての人が頭で考えて食事量が調整できればこのようなことは
おこりまわよ。
つまり、アラーム(空腹)が鳴ったからと言ってすぐに餌にありつけるわけではなし、
アラームの鳴りっぱなしでは、低ブドウ糖血漿で脳の活動が低下するし苦痛過ぎるので、
生体にはアラーム(空腹)を自動的に止める機能も備わっているだけのことだと思います。
マリリンも人間以外の動物には頭で考えた上での食事量の調整はできないとは思うけど
それができない人間なんて、たくさんいるでしょう。貴方も私もそのうちではありませんか?
食事などの生存に関わる部分で、本能が機能していないと考えるのは無理がありすぎます。
>>290 >そんなことは、どの哺乳類でも当たり前です。(ややこしくなるので哺乳類限定の動物の話をします。)
>血糖値が下がったからと言って、いつでもすぐに餌にありつける動物(哺乳類)はそんなに多くは
>ありません。
餌にありつけないことも多いでしょうが、動物の場合、空腹になったら餌を探す動作を
始めるのではありませんか?餌を求めるのではありませんか?
動物でも「お腹が空いているけどダイエットしなきゃいけないから食事を抜こう。」
などと考えて餌探しをしないって事はあるんでしょうか?
人間は空腹になっても餌を求める行動をとらない事ができるのです。
動物も同じですか?空腹になってもあえて餌を探さないという事をしょっちゅうするんでしょうか?
>>291 >だから、必要以上に食べ物が与えられるペットの場合、体に脂肪を蓄えるシステムが災いして
>ついつい食べすぎで肥満が問題になっています。人間でも同じでしょ。肥満は体に悪いと分かって
>いても、食べるのが止められない肥満者なんて一杯いるでしょう。何処が動物と違うのでしょうね。
人間に飼われているペットと自然界にいる動物は区別してください。
人間に飼われているというのは動物の本来の姿ではないでしょう。
犬や猫は人間の精神の影響を多分受けていると思いますよ。
それに、人間が飼っているから、人間が食べものを与えるからペットが肥満になるんでしょう。
肥満になるペットだっているから人間と同じだというのは話を曲げすぎでしょう。
自然界に肥満になっている動物はいるんでしょうか?
アラームを無視して食べ続ける動物はいるのでしょうか?
人間は空腹のアラームも満腹のアラームも無視をする事ができる唯一の動物だと思いますが。
無視するという事はアラームと関係のない行動を自由にとる事ができるという意味です。
>>289 人に飼われている動物や動物園の動物は別です。
人間の影響を受けていますから。
思い思いのときに食事をしている豹とかライオンはいるんでしょうか?
思い思いとは、空腹であるとか満腹であるとに関係なく
自分が食事するタイミングを選んで食事をするという意味ですが。
>>293 >動物の場合、空腹になったら餌を探す動作を
>始めるのではありませんか?餌を求めるのではありませんか?
えっ。人間だって多くの人がそうなのではありませんか?
>お腹が空いているけどダイエットしなきゃいけないから食事を抜こう。
確かに、動物はダイエットを考えて食事の量を制限するなんてできません。だけど、人間
だって、動物的本能に負けてダイエットに失敗したり、リバンドを起こしたりするのはごくありふれた
現象ではありませんか。
私は人間がモノを考えた上の行動をしないと言っているのではなく、人間の中に動物的本能が
残っていると言っているだけです。そして、その残った動物的本能によって人間も行動せざる
終えない時があると言っているだけです。
>人間は空腹になっても餌を求める行動をとらない事ができるのです。
>動物も同じですか?空腹になってもあえて餌を探さないという事をしょっちゅうするんでしょうか?
餌を探しても無駄だと理解すると動物も「空腹でもあえて餌を探さない」という行動は取るよ。
>>294 >人間に飼われているペットと自然界にいる動物は区別してください。
どうして区別しなければいけないの?人間だってアフリカの人と日本人とアメリカ人では
肥満率が全然違うではないですか。どうして動物的本能の話をしているだけなのに野生と
ペットを区別する必要があるの?
>自然界に肥満になっている動物はいるんでしょうか?
食物連鎖を学校で習いませんでしたか?大地が実り豊になれば、ネズミがまるまると肥え
数を増やす。そうするとネズミを補食する動物が.....って奴です。
>アラームを無視して食べ続ける動物はいるのでしょうか?
もともと、人間を含めて動物たちの空腹のアラームは鳴り続けるモノではありません。
血糖が上がる事によって時間がたてば食事をしなくても空腹は感じなくなります。
満腹のアラームは食いだめができるように、必要エネルギー料よりかなり高めで
設定されています。ですから満腹のアラームを無視しなくても人間でも動物でも肥満は
おこります。また、満腹のアラームを無視して食べ続けるのは人間でも、かなり苦しい
事で、よほどの変人しかやらないと思います。
ここで重要なのは、人間がアラームを無視すると言うことではなく、人間でも動物でも、空腹や
満腹のアラームが鳴ると言う事実です。こういうのが動物的本能と言うのではないのですかねぇ?
>>295 >思い思いとは、空腹であるとか満腹であるとに関係なく
>自分が食事するタイミングを選んで食事をするという意味ですが。
貴方は空腹感や満腹感に全然影響されず、食事タイムを取りますか?私は
そんな仙人みたいな食事タイムは取れませんです。Real timeでと言うわけには
いきませんが、やはり空腹感や満腹感の影響を受けて食事をしています。
なお、満腹感と空腹感と捕食の時間がずれるのは人間だけではなく動物も同じです。
>>296 >えっ。人間だって多くの人がそうなのではありませんか?
人間には餌を求めない自由があるという事が重要だと考えています。
動物は空腹の時餌を求めない事は出来ないんです。本能に従っているからです。
本能に縛られています。
しかし、人間は誰も空腹の時餌を求めない自由を持っています。
それは本能から自由だからです。「本能」を無視できるからです。
個体の大幅な自由を許す「本能」が本能として機能していると言えるのでしょうか。
各個体が無視してもいいような「本能」が本能として機能していると言えるのでしょうか。
人間の本能が壊れているというのはここの所を指しています。
「空腹」をアラームで知らせ、かつ、個体を食事するように強制できて初めて
本能が機能しているといえるのではないでしょうか。
>>296 >動物的本能に負けてダイエットに失敗したり、リバンドを起こしたりするのはごくありふれた
>現象ではありませんか。
これは動物的本能ではなくて、人間特有の「衝動」によるものです。
動物的本能には個体の生命を維持するという目的があり、それに適った食事を摂るように
個体に仕向けます。だから、本能に従う動物は過食になったりダイエットしたり出来ません。
しかし、人間の衝動は(私は、本能が衝動に変質したと考えていますが、変質した結果)、
個体の生命の維持という目的からズレています。
人間の衝動は「個体の生命の維持」という種族維持に繋がる普遍的な目的よりも
自分の精神の安定という個人的なモノを大切にします。
個人の自尊心や道徳観と言った個人的なモノを優先させます。
本来の目的からズレている「衝動」は本能の壊れた結果だと思います。
>>300 >個体の大幅な自由を許す「本能」が本能として機能していると言えるのでしょうか。
「空腹の時餌を求めない自由」が個体の大幅な自由なんですか?
違うでしょ。
動物も人も、ある程度は空腹の時でも餌を求めないことできる
動物の場合だったらそれは、群れで移動している時や、外敵に狙われているときで
人間の場合だったらそれは、仕事がおしている時や、ダイエットをしてる時だ。
だが、完全に食事を取らなくなれば餓死する、そこに個体の大幅な自由はない。
>>302 動物が移動していたり外敵に狙われていたりして食事をしないのと
人間がダイエットで食事をしないのは本質的に違います。
人間は食事をしないという選択ができるのです。
食事をしてもいい時に食事をしない自由があります。
動物にはそういう自由はないのではありませんか?
動物は、空腹で他に特に理由がないのに「体重が気になるから今回は食べるのを止めよう」
というような事を選択できないのではありませんか?
人間には餓死する自由さえあります。本人が望めば餓死する事ができるのです。
餓死してでも食事を取らないという選択が人間にはできるのです。
このことを指して私は「人間は本能から自由だ。」と言っています。
>>296 >私は人間がモノを考えた上の行動をしないと言っているのではなく、人間の中に動物的本能が
>残っていると言っているだけです。そして、その残った動物的本能によって人間も行動せざる
>終えない時があると言っているだけです。
本能的なモノが残っているというのは分かります。
しかし、私はそれは「狂った本能」だと考えています。
本能から変質して本来の役目を見失った「衝動」の仕業だと考えています。
>>296 >餌を探しても無駄だと理解すると動物も「空腹でもあえて餌を探さない」という行動は取るよ。
それは、 個体の生命を維持するためには、これ以上無駄に餌を探すよりも
ここはいったん空腹に耐えてまたの機会に餌探しをした方がいいだろうという「本能」の戦略
なのでしょう。
それは、人間が個体の生命の維持に役立たないようなダイエットをするのとは
本質的に違う行動ではないでしょうか。
>>297 >どうして区別しなければいけないの?人間だってアフリカの人と日本人とアメリカ人では
>肥満率が全然違うではないですか。どうして動物的本能の話をしているだけなのに野生と
>ペットを区別する必要があるの?
ペットは人間の影響を受けています。本来の動物の姿ではありません。
動物園に飼われている動物と野生の動物は同じ行動をとるとは思えません。
実験室に飼われているマウスが野生のマウスと同じような行動をとるとは思えません。
動物の本能はその自然環境と調和するように出来ている筈ですから
その環境から引き離せば調和的な行動はどれず、壊れていってしまうのではないでしょうか?
動物と動物の住む自然環境を切り離しても問題ないと考えるのはどうかと思いますが。
>>297 >食物連鎖を学校で習いませんでしたか?大地が実り豊になれば、ネズミがまるまると肥え
>数を増やす。そうするとネズミを補食する動物が.....って奴です。
できるだけ個体の生命の維持をしようとする本能の戦略でしょう。
人間が無意味に肥満になることとは本質的に違います。
>>297 >ここで重要なのは、人間がアラームを無視すると言うことではなく、人間でも動物でも、空腹や
>満腹のアラームが鳴ると言う事実です。
本能が目指すのは個体の生命の維持なのではないですか?
そうだとすれば、
アラームを鳴らして空腹を知らせた上に、その個体が捕食活動をするように強制しないと
ダメなのではありませんか?
そして、動物の場合は、アラームが鳴れば捕食活動を始めるようになっているのではありませんか?
本能というなら、ここまでがセットになっていないとダメなんじゃないでしょうか?
アラームを鳴らしただけで、その先は人間個人個人が好き勝手にする・・・では、本能の目的を
達成できていないでしょう。
本能のアラームは個体の生命の維持に役に立っていないのです。
この状態を「本能が機能していない」と言っているのです。
あるものを〜ずべて食べたら個体維持はできませぬ〜
人間のダイエットは異性の気を引くための本能的な行動であり
本質的な種族繁栄の戦略です。
もちろん、本能が個体維持よりも種族繁栄に本質的なウェイトを置いているのは明らかです。
>>300 >人間には餌を求めない自由があるという事が重要だと考えています。
餌を求めない自由は犬や猫にもありますよ。
例えば、自分に気に入らない人が餌をくれたって、どんなにお腹がすいていても食べて
くれない犬や猫は多いです。獣医はペットには嫌われやすいので私が餌を与えても拒否
されるのはしょっちゅうです。
こういう行動は私は犬や猫の本能ではないと思うのです。「あんなモノが餌を持ってきても食べて
やらんわ」と犬や猫が考えているような気がするのです。
その証拠に私が拒否された直後でも飼い主や看護婦さんが餌を与えると食べる事も
多いですから。
このように動物にも空腹でも餌を食べない行動を取る自由はある程度あり得ます。ただし、彼らが
言葉で考えてこのような行動を取っているのかどうかは分かりませんが無意識では絶対
ないと思います。
貴方はペットと野生は別に考えろと言うかも知れませんが、野生の動物の行動観察は至難の業で
動物をペット化することで人間と生活を共にし、動物の行動や能力を詳細に観察する以外動物を
知ることはできません。
そうした観察を通して私は貴方の理論に反証しているのであって、反証されたからと言って、
ペットは除外してくれと私の反証の可能性を禁じられては議論などしようがありません。
訂正
反証しているのであって ×
反証を提示しているのであって ○
>「空腹」をアラームで知らせ、かつ、個体を食事するように強制できて初めて
>本能が機能しているといえるのではないでしょうか
あのですねぇ。動物にも知能の高いモノから下等なモノまでいますので、空腹が食事の強制に
直結しない動物も多いと思います。ミミズや毛虫と高等生物を一緒に考えない方が良いです。
そんなことを言っていたら本能が崩れていることを認めなければならなくなる動物は一杯
でできます。貴方の定義で本能を考えるとしたら、犬や猫、牛や馬は完璧に外れますので、
どの動物までが本能を持っていると言えるのでしょうか?
最近では海に住むタコでも、記憶する知恵があるのではないかと言われています。タコに
迷路の実験をしたら、回数を重ねるにしたがって、より早く餌までたどりつくようになったんで
すって。タコも本能が崩れている動物の一つになるのでしょうかね。
>>301 >これは動物的本能ではなくて、人間特有の「衝動」によるものです。
貴方は、人間の中に残る動物的本能を人間特有の「衝動」と表現しているようですが
何故、そのように人間だけが動物と違うと頑強に考えられるのでしょう。
そんなに人間って偉い存在なのでしょうかね。
>人間の衝動は「個体の生命の維持」という種族維持に繋がる普遍的な目的よりも
>自分の精神の安定という個人的なモノを大切にします。
>個人の自尊心や道徳観と言った個人的なモノを優先させます。
そんなことはないでしょう。人間でも、どんなに綺麗事を言っても、動物と同じで生命維持と
種族保存のために、異性を求め、餌を探し、富を求めるであって、衣食住が満たされて初めて
>個人の自尊心や道徳観と言った個人的なモノが大切にされるのです。生命維持や種族保存
より個人の自尊心や道徳観が優先されると言うのは人間の本質を知らなさ過ぎだと思う。
自尊心や道徳観で飯が食えるわけではありません。
>>303 >食事をしてもいい時に食事をしない自由があります。
>動物にはそういう自由はないのではありませんか?
この自由は犬や猫にもあることは先にも書きました。
>人間には餓死する自由さえあります。本人が望めば餓死する事ができるのです。
>餓死してでも食事を取らないという選択が人間にはできるのです。
>このことを指して私は「人間は本能から自由だ。」と言っています。
こういう事ができるのは、精神の病んだ人でしょ。決して健康な人はこういう事はしません。
精神が病めば人間は共食いだってする動物なんですよ。ちなみに共食いは人間以外では
豚がやります。
食事を取れる状態なのに脳が病んで、餓死を選ぶのは猫がやります。飼い主が気がつかない
でいると猫は餓死するまで餌を採らない事があるのは動物業界の人には良く知られた
現象です。別に人間特有の疾病ではありません。
何で、人間だけ特別なモノだと考えるのでしょうね。
>>308 >アラームを鳴らしただけで、その先は人間個人個人が好き勝手にする・・・では、本能の目的を
>達成できていないでしょう。
>本能のアラームは個体の生命の維持に役に立っていないのです。
人間だって、本能のアラームを無視することは精神を病んだ人以外できないでしょう。
それは、死や苦痛を意味しますからね。
>>316 自己レス 補足。
本能のアラームを無視するのは、一時的なら人間にもその他、高等な
生物にはできます。ただし、死に至るまで無視し続けるのは精神(脳)が
病まない限り誰にもできないと思う。
バカ獣医ですか?
>>311 >餌を求めない自由は犬や猫にもありますよ。
以前にも書きました通り、ペットは自然界の動物とは違います。
あなたは、自然界と調和するように出来ている動物をその自然界から引き離しても
動物は壊れないと思っておられるようですね。
芸をするペットと自然界の動物は同じだと考えておられるのですね。
人間に関係する話は意味がないと私は思っています。
餌を求めない自然界の豹やライオンの話を聞かせてください。
犬や猫ではない自然界の動物は餌を求めない事ができないでしょう。
人間には餌を求めない自由があります。
>>319 >>餌を求めない自然界の豹やライオンの話を聞かせてください。
野生のライオンでも人間の匂いのついた餌は食べないとかじゃないか。
>>313 >あのですねぇ。動物にも知能の高いモノから下等なモノまでいますので、空腹が食事の強制に
>直結しない動物も多いと思います。
腹が減っても食べ物を探さない動物が多いという事ですか?
そういう動物は何をきっかけとして食べ物を探し始めるんでしょうか?
それらの動物はそれで生命の維持ができるのですか?
>>314 >貴方は、人間の中に残る動物的本能を人間特有の「衝動」と表現しているようですが
>何故、そのように人間だけが動物と違うと頑強に考えられるのでしょう。
人間の衝動は動物の本能と違って個体保存や種族保存という目的を持っていません。
そこが両者は根本的に違っていると私が考えている根拠です。
人間が自分の衝動に従っていれば、その人間は破滅してしまいます。
「理性で衝動を抑える。」という表現がありますが、理性で抑えなければその人間がちゃんと
生きられないような、そんなものが本能なのでしょうか?
本能とはその個体がちゃんと生きられるように発動するのではないでしょうか?
>>314 >種族保存のために、異性を求め、餌を探し、富を求めるであって・・・
あなたは、人間が本能によって異性を求め、餌を探し、冨を求めると考えておられるようですが、
私はその人間観は間違っていると考えています。
人間は本能ではなく文化に強制されて異性を求めるのです。
人間には男を求める男や、女を求める女が存在しています。
本能に従って異性を求めるのなら何故このような人たちがいるのでしょうか?
私は、これらの人たちは、文化の強制から漏れた人たちだと考えています。
人間は本能の代替物として文化を作りました。
人間は、自分の所属する集団の文化を受け入れ、文化の強制に従う事によって
その集団の中でちゃんと生きていけるようになります。
しかし、文化は所詮ニセモノです。
どうしても文化の強制から外れる人間が一定の割合で存在するのです。
人間以外の動物で、オスしか求めないオスやメスしか求めないメスが存在するという
種はあるんでしょうか?
>>323 人間が食事をするのも本能によるものではありません。
もし、本能によるものなら、モノを食べられないほど貧乏でもないのに
インスタントラーメンばかりを食べていて体を壊して死ぬ人がいるのは何故でしょうか?
過食症や、拒食症の人がいるのは何故でしょうか?
なぜ人間は料理をするのでしょうか?
塩などの調味料を使わないと食べられるものにならないのはどういう訳でしょうか?
「五大栄養素をバランスよくとりましょう。」という事をよく聞きますが、
人間はこういう事を意識的に注意しないと健康を維持できないのは
本能が機能していないからではないでしょうか?
人間は本来食べるべきものをすでに見失っているのではないでしょうか?
こういう事を意識的に注意しなければ健康を害するので、こういう注意を
怠らずに心掛けている野生の動物っているんでしょうか?
動物は、本能のままに食事をとり、それがそのまま個体維持に繋がるように
なっているのではありませんか?
人間はそうなっていません。
人間が思うままに食べると死ぬ危険があるのです。
本能によって食事をするならこんな事にはならないでしょう。
>>323 富を求めるのも本能によるものではないでしょう。それは欲望(衝動)によるものです。
1000万円稼いだ者は5000万円、5000万円稼いだ者は1億円、
1億円稼いだものは10億、20億・・・・と、限りなく冨を求める人間がいっぱいいます。
どこまでも限りなく富を求めて、それでも安心しない人間がいっぱいいます。
どこまでも限りなく富を求めつづける欲求は本能でしょうか?
どこまでも満足しない本能的欲求と言うものがあるのでしょうか?
さほど冨を求めない人も結構いると思いますが、それは何故なのでしょうか?
本能ならどの個体も同じように備えている筈です。
富を求めるよりも他の人々と仲良く暮らすほうがいいと考える人がいるのは何故でしょうか?
>>315 >こういう事ができるのは、精神の病んだ人でしょ。決して健康な人はこういう事はしません。
即身成仏をめざした坊さんは精神が病んでいたという事でしょうか?
どこの宗教家は知りませんが、そこのお坊さんは、精神が病んだ人と同じ事をするという事でしょうか?
あなたの意見によると、普通の人間は動物と同じように本能を持っているが、
精神の病んだ人はその本能が壊れていても不思議はないということでしょうか?
普通の人間と動物は同類で、精神の病んだ人は違う類に入るのでしょうか?
あなたのいい方に従えば、私が言いたいのは、人間はみんな精神が病んでいるという事です。
人間はみな精神が病んでいるので、健康な動物がやらないような事をいっぱいやると言っているのです。
私は、普通の人間と精神が病んだ人間を区別する規準はないと考えています。
>>315 >精神が病めば人間は共食いだってする動物なんですよ。
人間が人間を食べる話はあまり聞いた事がありませんが、
人食い族のような人たちを指して精神が病んでいるとおっしゃるのでしょうか?
それとも、どこかで集団で遭難して食べるものがなく、仕方なく死んだ仲間の
肉を食べて生き延びたらしいといったような話を聞いた事がありますが、
遭難して人肉を食べた人を精神が病んでいるとおっしゃのでしょうか?
それとも、単に、殺し合いの事をおっしゃっているのでしょうか?
もし、「人間は精神が病めば殺し合いをする」とお考えなら、それは違います。
人間は精神が病んでいなくても殺し合いをします。
人間がしょっちゅう戦争や殺戮をしているのがその証拠です。
>>316 >人間だって、本能のアラームを無視することは精神を病んだ人以外できないでしょう。
>それは、死や苦痛を意味しますからね。
ハンガーストライキをする人は精神が病んでいるんでしょうか?
空腹をがまんして急ぎの仕事を一生懸命やっている人は精神が病んでいるのでしょうか?
空腹を忘れてプラモデルに熱中する人は精神が病んでいるんでしょうか?
即身成仏となった坊さんは精神が病んでいたのでしょうか?
私は、人間が最後の最後まで空腹に抵抗するとは思っていません。
しかし、人間は本能のアラームに従って食事をする訳ではありません。
人間が食事をするのは「そろそろ食事にしようか。」などと意識的に判断する時です。
ただ、「今、食事をするべきだ」という観念に従って食事をしているだけです。
本能のアラームはその参考資料の一つにすぎません。それも参考にするとは限りません。
確かに、生理的な条件は、人間がどういう行動をとるかという事に影響を与えます。
しかし、それはほとんどの場合参考資料でしかなく、あくまでも観念が決定的なのです。
>>319 貴方の意見ではまず
>ペットは自然界の動物とは違います。
>あなたは、自然界と調和するように出来ている動物をその自然界から引き離しても
>動物は壊れないと思っておられるようですね。
>芸をするペットと自然界の動物は同じだと考えておられるのですね。
以上の部分が私には承諾できがたいです。動物も人間も環境との相互作用で行動や考えが
決定されていくんだと思うのですよ。最初から自然界に調和するように動物ができて
いるわけではありません。
すでに
>>311で私はそのことについては説明しています。野生の動物の行動や考えは
観察することは不可能です。動物を知ろうと思うと餌付けしたりペット化したり、限定された
地域に閉じこめないと彼らを理解することはできません。
そして、私はそうしたペットや家畜の観察を通して貴方の意見に反証を突きつけているのであって、
それに反論できないから、ペットではなく野生のライオンやヒョウの話を聞かせてくれでは虫が良す
ぎます。野生動物の行動や知能、能力の観察など本当の断片的なモノは見たことがありますが
詳細は世界中何処の動物学者に聞いても分からないと思いますよ。
それを知っていながら、私に人間のに影響を受けた動物ではなく野生動物の例を出せと、
できるはずのないことを貴方は要求する。それ自体が貴方の理論が現実を無視した、貴方の
頭の中だけの空想にしか過ぎないと思います。私は現実主義的考え方をする人間なので
貴方の空想的な考え方に賛同はできかねます。
>>319 >人間には餌を求めない自由があります。
人間にも動物にも餌を求めない自由はないよ。あるというなら、貴方が実験台になって餓死するまで
食事を取らないでいたら?どっかの精神を病んだ僧侶が餓死したからって貴方には餓死はできない
でしょう。それが貴方の中の動物的本能と言うモノよ。
私も食べるものがあるのに餓死するまで食べないなんて、精神が病んでいるわけではないので
そんなことはできない。
>>322 >人間の衝動は動物の本能と違って個体保存や種族保存という目的を持っていません。
>そこが両者は根本的に違っていると私が考えている根拠です。
この考え方がそもそも間違っているんじゃないの?人間の本質的行動は、やはり根底に
個体保存や種族保存があるよ。どうやって考えてもある。ないと言い張る事自体
動物と人間を一緒に考えたくないという貴方の差別的偏見にしか過ぎないよ。
だって、私は生きるために働いているし食事をしている。、まだ種族保存はできないで
いるけど(涙
>>323 >人間は本能ではなく文化に強制されて異性を求めるのです。
これは、絶対違うでしょ。どんな文化を持つ民族でも、原人でも古代人でもその他動物でも
種族保存のために異性を求めるでしょう。文化に強制されると言うなら、男同士、女同士しか認めない
と言う文化が何故ないの?
>人間以外の動物で、オスしか求めないオスやメスしか求めないメスが存在するという
>種はあるんでしょうか?
人間でも、こういう人は例外的に出現しただけでしょ。一種の奇形でしょ。動物でも犬と猫を
飼っていると猫や飼い主にさかる犬がいたりするよ。雄同士、雌同士の猫や犬もいるしね。
要は環境に異性がいない時の性欲の処理は動物でも異常な形になると言うだけの事じゃないの?
>>324 >インスタントラーメンばかりを食べていて体を壊して死ぬ人がいるのは何故でしょうか?
>過食症や、拒食症の人がいるのは何故でしょうか?
過食や拒食は完璧な精神の病気でしょ。他に食べるものがあってインスタントラーメンしか食べない
人も精神が病んでいる人だと思う。貴方はそんなことできる?自分ができるかできないか考えた方が
良いよ。自分にできない例を出されても説得力ないよ。
>「五大栄養素をバランスよくとりましょう。」という事をよく聞きますが、
>人間はこういう事を意識的に注意しないと健康を維持できないのは
>本能が機能していないからではないでしょうか?
そんなことを考えるようになったのは最近の人だけでしょ。過去の人間は手に入るモノで
食べれる時に食べたいものを食べていた。これも動物と一緒。そして、寿命三十歳ぐらいで
死んでいったんだね。そう言う時代の人も人間だよ。
>動物は、本能のままに食事をとり、それがそのまま個体維持に繋がるように
>なっているのではありませんか?
動物だって、思うままに食事を取らせると栄養のバランスを崩して早死にするモノも多い。人間が
管理してバランスの良い餌を与えるペットは野生種の何倍も生きる。
>>326 >即身成仏をめざした坊さんは精神が病んでいたという事でしょうか?
>どこの宗教家は知りませんが、そこのお坊さんは、精神が病んだ人と同じ事をするという事でしょうか?
死に至るまで食事をしなかったとしたら、精神が病んでいるとしか言えないですね。
>あなたのいい方に従えば、私が言いたいのは、人間はみんな精神が病んでいるという事です。
>人間はみな精神が病んでいるので、健康な動物がやらないような事をいっぱいやると言っているのです。
失礼しちゃうわね。少なくとも貴方は病んでいるかも知れないけど。私は精神は病んでいないので
自分の中の動物的本能をちゃんと認められる。貴方と一緒にしないといてくれる。
ずっと、貴方と話してきて思った事だけど。もう少し動物についても、人間についても勉強したら。
自分の思いこみだけで頭の中で理論をこねくり回しても、全然説得力ないよ。
>>327 >人間が人間を食べる話はあまり聞いた事がありませんが
これなんか、ちゃんと情報を仕入れていれば、餓死に食面した人が
人肉を食べたと言う例等いくらでも出てくるでしょう。
後、人間でもある栄養素が不足したりすると死に至る前に、不足した栄養素が入った食べ物を
体が欲するようになるよ。貴方はそうした経験したことない。私は良くあるよ。これも本能の
一種なんだと思う。インスタントラーメンだけ食べ続けて死ぬ前に、ちゃんと生体はアラームを
ならしてくれるんだ。
初恋の時って、貴方は頭で考えて今からあの人を好きになるって始めた?私はハッて気がついたら
ドキドキ胸が鳴っていたけどね。この感情は何なのだろうと自分に自分で驚いたよ。
そうした、自分に湧いて出てくる自然な現象も貴方は認めることができないのかなぁ。
>さほど冨を求めない人も結構いると思いますが、それは何故なのでしょうか?
>本能ならどの個体も同じように備えている筈です。
>富を求めるよりも他の人々と仲良く暮らすほうがいいと考える人がいるのは何故でしょうか?
ワラタ
これはジョークですか?
それとも、人間には色々な性格の人がいるから本能が壊れていると
マジに主張しているんですか?
ここで一つ根本的な質問
何の変哲もないブザーの音を聞いただけで唾液を流す犬は
食べるべきものを見失った、本能の壊れた動物だと言えますか?
>>337 これ難しい質問ですね。即答できなくて少し考えていた。ブザーの音を聞いて唾液を流す
犬が本能が崩れているとは思わないけど、人間が食事の時間にいつもブザーを鳴らされて
いたとしてもその音を聞いただけで空腹でもないのに唾液を流すのだろうかと考えてしまったのです。
ある一定の音で餌がもらえると言うことを学習すれば、魚でも鶏でもその音で集まってきます。
多分、音と餌の関係を理解するのは人間でも、かなり下等な動物でもおこる現象なのでしょう。
しかしながら人間の場合動物とあまり知能が変わらない小さな子供なら、こういう現象も出てき
そうだけど、色々な事を知り尽くした大人の人間がブザーだけで、空腹でもないのに唾液を流し
たりするのでしょうか。
正直、私には分かりません。
>>329 >以上の部分が私には承諾できがたいです。動物も人間も環境との相互作用で行動や考えが
>決定されていくんだと思うのですよ。最初から自然界に調和するように動物ができて
>いるわけではありません。
動物が環境との対話をしているのは確かだと思いますが、人間と関係を持つと、
人間と対話すると動物はどんどん変になっていくと思いますが。
肥満になる猫などはその例で、人間と付き合ったために変調をきたしたその結果だと思います。
以前、動物園で、同じ所を行ったり来たりしかしないシロクマを見た事がありますが、
あれは正常には見えませんでした。その神経症的な動きは、明らかに壊れているようでした。
動物は人間に捕らえられ檻の中に入れられたりすると壊れてしまうのです。
育児拒否のゴリラだったかをテレビで見た事がありますが、あれも人間と関わった結果、
自然環境から引き離された結果でしょう。
>>329 >すでに
>>311で私はそのことについては説明しています。
>例えば、自分に気に入らない人が餌をくれたって、どんなにお腹がすいていても食べて
>くれない犬や猫は多いです。
>こういう行動は私は犬や猫の本能ではないと思うのです。「あんなモノが餌を持ってきても食べて
>やらんわ」と犬や猫が考えているような気がするのです。
>その証拠に私が拒否された直後でも飼い主や看護婦さんが餌を与えると食べる事も
>多いですから。
犬や猫が人間と付き合うようになった結果でしょう。
人間と付き合った結果、本能的な部分が変になるのでしょう。
人間は観念(幻想)を抱く存在です。
観念と言語を結びつける事によって対話をする存在です。
人間の言語は観念を表現するためのものです。
観念を抱き、その観念を言語で表現する変わった存在(=人間)と付き合ったために
人間の変な部分が写るんだと思います。
犬や猫は人間の意識的言語的思考をコピーしている可能性があります。
人間の言語を理解する動物は、すでに本来の動物ではないでしょう。
>>330 >どっかの精神を病んだ僧侶が餓死したからって貴方には餓死はできない
>でしょう。それが貴方の中の動物的本能と言うモノよ。
>私も食べるものがあるのに餓死するまで食べないなんて、精神が病んでいるわけではないので
>そんなことはできない。
人間は、動物的本能に基づいて食事をするのではありません。
人間の意識的な判断によって食事をするかしないかを決めるのです。
観念に従って食事をするのです。
私が、今食事をしたとしても、それは本能に従って食べるのではなく、「今食べよう。」
「そろそろ食事にしよう。」「今、食べておくべきだ。」という観念に従っているのです。
人間は大体の場合、そのように意識的に判断しなければ行動を起こすことはできません。
即身成仏になった僧侶は、別に精神が病んでいた訳でもなんでもないでしょう。
そうする事がその僧侶にとっては「いい事」だったのです。自分が尊い人間である
素晴らしい人間であるという事を示したかったのでしょう。
自分の自我の安定の為に即身成仏という道を選んだのでしょう。
自我の安定の為、あるいは自我の高揚のため、この僧侶は食べない事を選んだのです。
この僧侶が食べる事を選択する為には、自分が尊い人間ではないという事を認めなければ
ならなくなります。死んで尊い存在になるという道を断念しなければなりません。
そのような自我の変更は難しいでしょう。
人間の行動は自我が決めるのです。自我という行動規範に従って決めるのです。
>>330 >この考え方がそもそも間違っているんじゃないの?人間の本質的行動は、やはり根底に
>個体保存や種族保存があるよ。どうやって考えてもある。ないと言い張る事自体
>動物と人間を一緒に考えたくないという貴方の差別的偏見にしか過ぎないよ。
歌を歌ったり、踊りを踊ったり、スキーに行ったり、競馬を見に行ったり、
酒を飲んだり、戦争をしたり、フランス料理を食べに行ったり、
金ピカの着物を着てみたり、アナルセックスをしてみたり・・・
私は、人間の行動はどれも、個体保存や種族保存の本能に根ざしたモノではないと思っています。
人間の行動を個体保存本能や種族保存本能と結びつけるにはかなり無理なコジツケが必要でしょう。
セックスでさえ種族保存本能とは別物だと思います。
>>342 誤解のないように書いておきますが、
人間が種の保存を目指していないと言っているのではありません。
人間も文化を築き、不完全ながら種の保存に一応成功しています。
(これに成功していなければ、現在、人類はいない筈ですから)
ただ、人間は個体や種の保存を、動物のように本能によってやっているのではない
という事が言いたかっただけです。
人間は本能ではなく文化でもって、一応は種の保存を目指しているのです。
人間においては個体保存の本能は自我を防衛する欲望(衝動)に、
種族保存の本能は性欲に変質していると私は考えています。
>>341 これに答えてちょ
>>320 >野生のライオンでも人間の匂いのついた餌は食べないとかじゃないか。
>>337 >何の変哲もないブザーの音を聞いただけで唾液を流す犬は
>食べるべきものを見失った、本能の壊れた動物だと言えますか?
>>320 >野生のライオンでも人間の匂いのついた餌は食べないとかじゃないか。
人間の匂いに何か危険なものを感じるんでしょうね。
個体保存本能か何かが「食べるな。」と指示するのでしょう。。
しかし、それは、ライオンは餌を食べない自由を持っているという事にはなりません。
個々のライオンが、人間の匂いのついた餌を食べる食べないの選択をして、
それぞれ好き勝手やっているなら、それは自由があると言えるでしょうが。
私が主張しているのは、
人間は空腹という生理的な条件に突き動かされて食事をするのではなく、
「食事をしよう。」という観念(判断)に従って食事をするのだという事です。
空腹は、その判断材料の一つに過ぎないという事です。
>>337 >何の変哲もないブザーの音を聞いただけで唾液を流す犬は
>食べるべきものを見失った、本能の壊れた動物だと言えますか?
犬を実験室に繋いで「ブザーと同時に餌を出す」という実験を繰返した結果
そういう風になるんですよね。
人間と接する事によって、変な事を植え付けられたのですから
変になったことは確かでしょう。本能が一部壊れたと言えるでしょ。
ただ、犬は元々人間と対話していますから、すでに本能は一部壊れていると思います。
ずでに犬は本来食べるべきモノをずっと昔(人間と付き合い始めるようになった時)
に見失っているでしょう。
>>330 >動物と人間を一緒に考えたくないという貴方の差別的偏見にしか過ぎないよ。
動物は本能に従って生きていけますが、人間にはそれができません。
だから文化を作り自我を作り・・・という不自然な事をして生きていかなければ仕方がない。
動物にできること(本能で生きる)を人間はできないという差があると私は思っていますが。
それを差別的偏見と言われてもなんとも言い様がありません。
人間は、
本能が壊れているから自然との付き合い方も忘れ、同じ種同士殺しあったり、
他の種を虐殺したり、自然を破壊したり・・・と無軌道な事を繰り返し、地球や他の種に
多大な迷惑をかけ続けている存在なのではないでしょうか。
>>330 >だって、私は生きるために働いているし食事をしている。
誰もが生きるために働いています。
しかし、それが個体保存本能に根付いているかどうかは別の問題です。
人間は「生きるためには働かなければならない。」などの観念に従って
働いています。意識的に考えてその結果、働いているのです。
人間は自我が判断し、行動します。
その判断が、直接、個体保存本能から出ているという訳ではないでしょう。
私は、人間の自我は「自我の保存」を第一に考えていると思っています。
人間は、ある時期がくれば当人が何も判断しなくても自然と働き出す・・・というのであれば
本能に従って働き出したんだと思えるかもしれませんが。
>>331 >男同士、女同士しか認めないと言う文化が何故ないの?
その文化は次世代を作れません。
だからそういう文化を築く可能性はあったでしょうが、
そういう文化を築いた人々はすぐ滅んでしまったでしょう。
>>345 >個々のライオンが、人間の匂いのついた餌を食べる食べないの選択をして、
>それぞれ好き勝手やっているなら、それは自由があると言えるでしょうが。
もちろん野生のライオンにも個体差がある
人間の匂いに過剰に警戒するライオンもいれば
あまり警戒心もなく、そのまま餌を食べるライオンもいる
おそらく、人間と同じように育った環境からそのような違いが生まれるのだろう。
ん、ということはライオンには自由があるということでつな。
>>331 >これは、絶対違うでしょ。どんな文化を持つ民族でも、原人でも古代人でもその他動物でも
>種族保存のために異性を求めるでしょう。
人間の幼児の性欲は、対象に向かう時、まず胎内回帰願望として現れると言われています。
これは、自分と母親とは別の存在なのだという事に気づいた幼児が不安になり、
その結果抱く「再び母親と一体化してかつての安定と快感を得たい」という衝動です。
これによれば、人間の性欲は元々種族保存とは関係のないモノです。
人間は成長する間に、この胎内回帰願望を、異性を求める性交欲へと変換していかなければなりません。
この変換は文化によるものです。そして、その努力は成功するとは限りません。
その努力が失敗した例が、同性愛であったり、フェティシズムであったり、覗視症であったり、
露出狂であったりするのでしょう。
>>351 もっと言えば、男の性欲は最初から女性の性器を目指すわけではありません。
初めはマスターベーションという自閉的な欲望の満足を目指します。そして、それは幻想に支えられています。
男はそれまでに見たり聞いたりしたポルノグラフィー(エロ本、猥談、ビデオなど)を頼りにして、
いろんな幻想(妄想)を抱き、それによって興奮してマスターベーションをします。
つまり男の性欲はいわゆる「いやらしい幻想(妄想)」に支えられた「いやらしい欲望」です。
この「いやらしい欲望」は、自閉的に満足できるわけですから種族保存本能とは関係のないモノでしょう。
あるいは種族保存本能に関係していたとしてもそれは壊れた本能でしかないでしょう。
(種族保存には異性との共同作業が不可欠ですから。)
この自閉的な「いやらしい欲望」を、女性に対する性交欲に結び付けていく事によって
種族保存という目的は達成されますが、
男の性欲がうまく女性性器を目指すようになったとしても、その性欲は自閉的な「いやらしい欲望」である
事には変わりないのです。
>>331 >人間でも、こういう人は例外的に出現しただけでしょ。一種の奇形でしょ。動物でも犬と猫を
>飼っていると猫や飼い主にさかる犬がいたりするよ。雄同士、雌同士の猫や犬もいるしね。
>要は環境に異性がいない時の性欲の処理は動物でも異常な形になると言うだけの事じゃないの?
他の動物にも同性愛者は同じ割合で存在しているのでしょうか?
人間における同性愛者は他の動物に比べて非常に多いのではありませんか?
では、何故、人間だけ例外がそのように多く出現するのでしょうか?
そこには人間特有の原因があるのではないですか?
私は、それは文化による強制から洩れたからだと考えています。
人間は異性愛すら文化によって強制しなければ達成できないから、そして、
その強制から外れる人は必ず一定割合出てしまうので、他の動物に比べて
非常に多い例外者が出てくるのだと考えています。
「動物にも例外がある。」というだけでは説明はつかないでしょう。
それから、異常な形の性欲は異性がいるいないに関係はないでしょう。バイセクシュアルだっていますよ。
>>332 >過食や拒食は完璧な精神の病気でしょ。
あなたの考えによれば、普通の健全な人は本能が壊れてはいないけれど、
精神が病気の人は本能が壊れていても不思議はないという事ですよね。
精神が健全かどうかによって本能が壊れていないかどうかが決まるという事ですか?
では、今まで壊れていなかった本能がどうして壊れてしまうんでしょうか?
精神が正常な人と精神が病気な人とはどこに違いがあるのでしょうか?
それから、拒食や過食が治った人もいますが、それは本能が壊れた後、
また元に戻ったという事ですか?
私は食欲は本能に根ざしていないと考えています。本能に根ざしていないから
簡単に食べすぎたり、反対に全く食べなかったりできるのだと思います。
確かに、過食や拒食は精神の病でしょう。
しかしこれは、人間が、生命よりも自我の安定を優先している結果だと考えられます。
自分の健康よりも、過食や拒食することによって精神が安定する方を選択しているのです。
私は、人間は本能が壊れてしまい、その代わりとして文化を作り、自我を作り、
その自我を行動規範として行動しているのだと考えています。
従って、人間の精神が病気になるのは、自我が本能に根ざしていない作り物で
どこにもその基盤を持たず、その為、ちょっとした事で壊れてしまうからだと、
すぐに変調をきたしてしまうからだと考えています。
精神が正常な人と精神が病気な人との間には明確な境界を引くことは不可能で、
違いはごく相対的なものでしかなく、どちらも本能が壊れているという点で、
どちら作りものの自我を持っているという点で、全く同じだと思っています。
>>332 >他に食べるものがあってインスタントラーメンしか食べない
>人も精神が病んでいる人だと思う。
この人は誰からも「インスタントラーメンばかりを食べていると健康を害する」という事を
教えてもらわなかったのでしょう。
あるいは、生理的な危険信号が出ていたかもしれませんが、それを読み取る能力がなかったのでしょう。
それも、危険信号の読み取り方を誰からも教えられていなかったからでしょう。
この人が精神が病んでいるとすれば、
「こういう事は危険だから注意しなさい。」という事を教えられないと注意する事が出来ない人間は
みな精神が病んでいるという事になります。
そして、全ての人間は他者から教えられる事がなければそれをすることはできませんから、
あなたの意見に従えば、全ての人間は精神が病んでいる事になります。。
>>332 >そんなことを考えるようになったのは最近の人だけでしょ。
という事は、少なくとも最近の人は本能が壊れていると認めるという事でしょうか?
もしそうだとすればいつ頃から壊れだしたんでしょうか?
>過去の人間は手に入るモノで食べれる時に食べたいものを食べていた。
昔の人が食べられるとき食べたいものを食べていた訳ではないでしょう。
文化に従って、「食べるべき」「食べたほうがいい」と思えるものを食べていたのでしょう。
人間は、長い歴史をかけて食文化を築き、その食文化に従って食生活をしていたのでしょう。
その食文化の強制に従っていれば、個々人がとりたてて意識的に栄養のバランスを
考えなくて済んだでしょう。
>>332 >動物だって、思うままに食事を取らせると栄養のバランスを崩して早死にするモノも多い。
ペットの話でしょ。人に飼われた動物は、本能に従って食事をするという事ができなくなって
早死にしたりするんでしょう。
>人間が管理してバランスの良い餌を与えるペットは野生種の何倍も生きる。
野生の動物は、本能によってどのような食事をするかが決まっていて
それで一応ちゃんと生きていけるようになっています。
その食事のために寿命が短かったとしてもそれはその種の運命でしょう。
その種の戦略がそういう風になっているだけのことでしょう。
>>333 >死に至るまで食事をしなかったとしたら、精神が病んでいるとしか言えないですね。
人間は自分の自我の安定を守るために死ぬ事はあります。
人間は精神が病んでいなくても、合理的でないことをいっぱいやります。
犬は、人間以上に合理的じゃないことをやりまつ
>>357 >野生の動物は、本能によってどのような食事をするかが決まっていて
>それで一応ちゃんと生きていけるようになっています。
>その食事のために寿命が短かったとしてもそれはその種の運命でしょう。
>その種の戦略がそういう風になっているだけのことでしょう。
何か、動物の中には本能という別の存在がいて
そいつが犬とか猫とか他の動物とかを操って、種の行き着く先を決定している!
っていう風に聞こえるんですけど。
もしそう考えているんだとしたら、それは漫画の読みすぎですよ。
>>357 続き
>遺伝的に決められた個体の形質状態は戦略と呼ばれる。
>戦略ということばには生物があたかも損得を計算しているかのようなニュアンスがあるが
>進化生態学の用語としてはたんに形質状態を意味するにすぎない。
>〜講座進化7生態学からみた進化」東京大学出版会 1992 「 植物の性の生態学」矢原徹一 寄稿
上の定義に従えば、「野生の動物が貧相な食事をとることで寿命を短くさせること」は戦略ではない
なぜならそれは動物の行動であり、形質状態ではないからだ。
ちなみに形質状態とは、例えば馬の蹄の形とか、雄のクジャクの派手で大きい尾羽等といった
自然選択によって得られた産物のこと。
>>334 >ずっと、貴方と話してきて思った事だけど。もう少し動物についても、人間についても勉強したら。
>自分の思いこみだけで頭の中で理論をこねくり回しても、全然説得力ないよ。
あなたは食事をする時、まず「食事をしよう。」と意識的に判断して、その判断に従って
食事をしようとするのではありませんか?
意識的に判断するから「食事をする前には食事を作らなければならない。」とか
「それでは美味しそうなレストランを探そう。」とかそういう行動に移れるのではありませんか?
そして、その結果、食事をする事ができるのではありませんか?
「食事をしよう。」とか「さあ食事の時間だ。」とかを意識的に思ってはじめて
人間は食事をする為に行動を起こせるのではありませんか?
>>335 >初恋の時って、貴方は頭で考えて今からあの人を好きになるって始めた?私はハッて気がついたら
>ドキドキ胸が鳴っていたけどね。この感情は何なのだろうと自分に自分で驚いたよ。
そういう事は誰でもが経験する事でしょう。
でも、感情が突然沸いてきたからと言って本能によるものだとは言えないでしょう。
>>334 >これなんか、ちゃんと情報を仕入れていれば、餓死に食面した人が
>人肉を食べたと言う例等いくらでも出てくるでしょう。
あなたの説明によると、
飢餓に直面して人肉を食べた人は、精神を病んでいたからそういう事をした
という事ですね。
空腹の時に、生きるために目の前にあるモノを食べているのに、この場合は
精神が病んでいるんですか?
>>362 >あなたは食事をする時、まず「食事をしよう。」と意識的に判断して、その判断に従って
>食事をしようとするのではありませんか?
あなたは「飢え」という感覚を体験したことがないんですか?
>>365 >あなたは「飢え」という感覚を体験したことがないんですか?
何を聞きたいのか分かりません。
人間が「食事をしよう。」と意識的に思わないと食事をすることが不可能であるという事と
私が「飢え」を体験したかどうかという事はどういう繋がりがあるのでしょうか?
私は貴方のレスを読んで何か悪い新興宗教の教祖を相手にしているような気がする
のですがねぇ。全く人間の中の生物学的現象を無視して、たまに誰かがしてくる
質問に答えることもせず、自分の空想のみで人の考えをねじ伏せようとする。
貴方は貴方でそれで良いい。そして貴方の意見に盲信できる人だけを
集めて慰めあっていたら良いじゃない。多分、数は少ないでしょうけどね。
ドナが本能について定義付けするようにと注意してくれたので私は一応>284で
>とりあえず、マリリンは「本能」は、ある種が生得的に誰にも教えられなくても自然に湧いてくる、
>生理的現象や原始的感情(言語化はされていない)によって動かされる行動だと考えています
と説明しています。何故貴方は自分の本能に対する定義付けを明らかにしないで批判ばかり
するの?そのやり方は卑怯です。
>>364 >あなたの説明によると、飢餓に直面して人肉を食べた人は、精神を病んでいたからそういう
>事をしたという事ですね。
誰が、そんんなことを言ったのよ。勝手に人の意見をねじ曲げないでよ。共食いは豚がする
って言ってるでしょ。飢餓に直面した時に人肉を食らうのは、ひょっとしたら人間が持つ本能が
飢餓に直面することで現れたのかも知れないと、マリリンは思っている。
>>339 >以前、動物園で、同じ所を行ったり来たりしかしないシロクマを見た事がありますが、
>あれは正常には見えませんでした。その神経症的な動きは、明らかに壊れているようでした
これは人間にもある脅迫性神経症の一種だと誰かが他スレで説明していたよ。動物にも
人間にもおこる神経症がある。それが何で本能が崩れている事の説明になるのよ?
>育児拒否のゴリラだったかをテレビで見た事がありますが、あれも人間と関わった結果、
>自然環境から引き離された結果でしょう。
だから、どうだって言うの?知能の高い動物は、外界からの刺激(環境)に対して、みんな
同じ反応を返したりしない。自分で考えてそれぞれの個体が多様な行動を取ることができる。
ミミズや蟻などと違っていたって本能が崩れていると言えないでしょ。何のために彼らに
大脳がついてるわけ。動物馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ。
>>362 >あなたは食事をする時、まず「食事をしよう。」と意識的に判断して、その判断に従って
>食事をしようとするのではありませんか?
>「食事をしよう。」とか「さあ食事の時間だ。」とかを意識的に思ってはじめて
>人間は食事をする為に行動を起こせるのではありませんか?
私はお腹がすくから、食事をしようと人間は考えるんだと思うけど、貴方の言い方を聞いてると
腹が空かなくても、人間は食事をしようと思えば食事ができる動物だと聞こえる。実際は
空腹感が全くなくて、食事を定期的に取る事を続けるとしたら、それは苦痛に満ちた世界だと思う。
そんな苦しいことを続けられる人間は、本当にごくわずかしかいないよ。交通事故かなんかで
臭いを奪われた人が、食物の美味しさが半減してしまった悲しいと言っていたよ。
貴方の、食事をしようと考えたから、食べると言う行動を人間はとると言う考え方をを認めたとして、
じゃあ、人間以外の動物が、彼らの言語で、「腹が減ったなぁ。餌食べよ」と考えてないと
何故言える?貴方の言う人間だって、国によって言語なんか違うんだからね。犬や猫に
だって、彼らなりの言葉があるかもしれない。
何故、人間だけが特別だと言い切るのよ。
>>363 >そういう事は誰でもが経験する事でしょう。
>でも、感情が突然沸いてきたからと言って本能によるものだとは言えないでしょう。
性ホルモンの働きについて、お勉強しなさいよ。そんでもって性ホルモンって、人間にも
動物にも等しく分泌されるモノだと言うことも知っておくことね。
最後に
>>352 貴方は性欲を「いやらしい欲望」と表現するけれど、私は人間にも動物にも「美しい営み」
だと思える。この私と貴方の違いはどこから来るのでしょうね。
それこそ、フロイトじゃないけど、自分の性欲を歪んだ形で抑圧しているんじゃないの?
だから、何とかして人間は動物の一種でないと信じ込もうとしている。私には貴方の
考え方は自分自身の自由の感情を解き放すことのできない痛々しい可哀相な人に思える。ゴメン
>>336 >ワラタ
>これはジョークですか?
>
>それとも、人間には色々な性格の人がいるから本能が壊れていると
>マジに主張しているんですか?
「人間は本能によって富を求めるのだ」と主張されていたので、
「本能であるのなら、何故、富を求めない人がいるのか?」と聞いただけです。
私は、人間が富を求めるのは、自我の安定の為だと考えています。
しかし、実際には、自我の究極的な安定というのは実現不可能なので、
冨を蓄える事で自我を安定させようという試みは、どこまで行っても達成できず、
富を蓄えても蓄えても満足できなくて、冨を追求し続けるという事になってしまうのでしょう。
「何故、富を求めない人がいるのか?」といえば、
それは、自我の安定を富み以外のモノに求める人がいるからです。
それは、権力であったり名声であったり人との和であったりするかもしれません。
いずれにせよ、人間は本能に従って富を求めるのではないと思っています。
>>359 >犬は、人間以上に合理的じゃないことをやりまつ
どんな事をやりますか?
>>360 >何か、動物の中には本能という別の存在がいて
>そいつが犬とか猫とか他の動物とかを操って、種の行き着く先を決定している!
>っていう風に聞こえるんですけど。
本能とは、動物が生得的に持っているもので、
@動物に行動を起こさせる動機(エネルギーのようなイメージ)
Aその動機(目的)の達成のための行動形式
の2つの面をもっているものだと思っています。
さらに、本能には個体保存と種族保存という目的があって、
その目的に従って動物が行動するようにできていると思っています。
それぞれの種は、思い思いのやり方でその目的を達成しようとしているのでしょう。
それぞれの種の本能的行動は、与えられた環境で「如何に生きていくべきか。」の
それぞれの種の独自見解であり、種が決めた戦略であると言えるのではないでしょうか。
私は「戦略」という言葉をそういう意味で使いました。「進化論」の用語として使ったのではありません。
(この話とは関係ありませんが、、
種の一部が集団で戦略を変更する事を「進化」と呼ぶのではないかと思っています。)
種は個体保存と種族保存という目的を達成するための戦略を持っており、
種の各個体は自分達の戦略を実践しているのだと思っています。
だから例えば、空腹の時にどう行動するかは、その戦略によって決まっているのだと思っています。
これは、やはり、動物の中に別の存在がいるというイメージなのでしょうか?
どうなのかは自分ではよく分かりません。
>>367 >私は貴方のレスを読んで何か悪い新興宗教の教祖を相手にしているような気がする
>のですがねぇ。全く人間の中の生物学的現象を無視して、たまに誰かがしてくる
>質問に答えることもせず、自分の空想のみで人の考えをねじ伏せようとする。
私は人間の生物学的現象を無視している・・・あなたは人間の人間的現象を無視している・・・
お互いに全く違う幻想を抱いているのですから、互いが互いを理解できないのは仕方ない事でしょう。
あなたは私が妄想を抱いているとお考えのようですが、確かに私の抱いているモノは妄想かもしれませんが、
そうであれば、あなたの抱いているモノも妄想です。
人間は皆、幻想を抱いています。
人びとがその幻想に賛同すれば、その幻想は”その人たちにとって”現実になります。
人びとがその幻想に賛同しなければ、その幻想は”その人たちにとって”妄想になります。
現実と妄想の違いは共有できるかどうかの違いだけです。
どちらかが正しくてどちらかが間違っているという訳ではありません。
あなたは、私の幻想が少数意見だと思っているから、私のことを「何かの悪い新興宗教の教祖だ」
と言っておられるんでしょう。
「悪い」というのは「薄気味悪い」という意味ですね。精神が病んでる人は傍目には薄気味悪いですからね。
「新興宗教の教祖」という事は「精神が病んでる人」という意味ですね。
新興宗教の人たちは、私たちが信じられないようなとんでもない妄想を信じているように見えますからね。
どう見ても精神が病んでるとしか見えませんもんね。
>>370 >私は人間にも動物にも「美しい営み」だと思える。この私と貴方の違いはどこから来るのでしょうね。
動物の営みは、種族保存のために必要なオスとメスの共同作業ですから、「美しい」とまで言えるか
どうかは分かりませんが、自然な営みですよね。
でも、人間の場合は自然でも何でもありませんから。
強姦や痴漢や覗きが美しい営みに見えるのでしょうか?
男にそういう行為をさせている原動力と、男に性行為をさせている原動力源とは
同じモノなのではないでしょうか?
一方はいやらしいけど一方は美しいといえる根拠は何なのでしょうか?
>>370 >自分の性欲を歪んだ形で抑圧しているんじゃないの?
私は私の性欲を歪んだ形で抑圧しているだろうと思います。
いや、歪んだ形で抑圧しているのではなく、歪んだ形の性欲を持っているかな。
それを抑圧している事は確かです。誰でも抑圧しているでしょう。
自由に表現すれば大変なことになります。
しかし、歪んでいない性欲ってないと思いますよ。
と言うより、正常な性欲とか標準的な性欲とか理想的な性欲とかそんなもんはきっとないでしょう。
性欲は個人が個人の幻想に基づいてというか支えられて持っている個人的な衝動でしょう。
その形は千差万別、みんな違うでしょう。
>>368 >これは人間にもある脅迫性神経症の一種だと誰かが他スレで説明していたよ。動物にも
>人間にもおこる神経症がある。それが何で本能が崩れている事の説明になるのよ?
そのシロクマは、もう自然界では生きていけないでしょう。
個体保存も種族保存も達成できないでしょう。それを壊れているって言ってるのですが。
>だから、どうだって言うの?知能の高い動物は、外界からの刺激(環境)に対して、みんな
>同じ反応を返したりしない。自分で考えてそれぞれの個体が多様な行動を取ることができる。
>ミミズや蟻などと違っていたって本能が崩れていると言えないでしょ。何のために彼らに
>大脳がついてるわけ。動物馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ。
母性本能が壊れたゴリラが、それは多様な行動をとることができるようになった結果だと、
だから何の問題もないじゃないかとおっしゃるのでしょうか。
育児拒否という事は母性本能が壊れたって事ではないのでしょうか?
>>367 >何故貴方は自分の本能に対する定義付けを明らかにしないで批判ばかり
>するの?そのやり方は卑怯です。
本能とは、種が環境に適応する為に身につけている生得的な、行動の原動力と形式のシステムである。
本能は、種族保存という第一義的な目的を持ち、その達成の為に個体保存という目的を持っている。
定義と言われると難しいですが、大体上のような感じだと思います。
でも、これらの事は今までに書いてきたと思うんですが。
>>368 >飢餓に直面した時に人肉を食らうのは、ひょっとしたら人間が持つ本能が
>飢餓に直面することで現れたのかも知れないと、マリリンは思っている。
人は飢えている時に、何の躊躇もなく人肉を食べるのでしょうか?
何の躊躇もなく人肉を食べるのであれば、それは本能的な行動だといえますが、
実際には、ほとんどの人は躊躇するのではありませんか。
飢えている時に食べ物を求める・・・そういう本能的な欲求に対して
大きなブレーキをかけるモノは何なのでしょうか?・・・人の肉を食う事に対するタブー・・・
なぜブレーキがかかるんでしょうか?
人間が本能に従って生きているなら、そういうブレーキはかからないのではないでしょうか?
人肉を食えば今までの自分ではいられない。自分のことをいい人間だとは思えなくなる。
もし、人肉を食えば、この場は生き残れるかも知れないが、この先、
私はタブーを犯した人間として生きていかなければならない。
周囲の人間も私を「人肉を食った奴」として扱うだろう。
そうなっても自分は耐えられるのか。
今生き延びるために、自分の自尊心を捨てていいのか。
そういうような事をいろいろ考えるのではないでしょうか。
そして、考え悩みぬいたあげくに、人肉を食べるか食べないかの結論を出すのでは
ないでしょうか。あるいはそれでも結論は出ないかも知れませんが。
そして、それが「人肉を食べよう。」という結論でなければ、人肉を食べることは出来ないのです。
そうではありませんか?
人肉の場合は分かりやすいですが、それに限らず、人間の場合、物を食べる事は
自我の安定や世界観と関わっているのです。本能で食べるのではありません。
人肉の場合は、自我の大きな変更、世界観の大きな変更を迫られる事になるので
食べることに躊躇するのです。
食事は自我や世界観の問題なのです。
>>378 >本能とは、種が環境に適応する為に身につけている生得的な、行動の原動力と形式のシステムである。
>本能は、種族保存という第一義的な目的を持ち、その達成の為に個体保存という目的を持っている。
そういう抽象的な定義ではなくて、具体的な定義が聞きたいんだと思うが。
例えば、純粋な本能的行動とは何なのか?とか
本能が一部壊れたといってるが、では本能の構造は具体的にどういうものなのか?とか
欲望的行動と本能的行動の具体的な違いは?とか
もちろん「人間の行動はまず思考するから欲望的行動だ」なんていうのは却下ですよ
そんなの外から見て本当かどうか判断できないんでね
はっきりと分かる形で欲望的行動と本能的行動の違いを定義してね。
あとこれにコメントをどうぞ
>>345 >個々のライオンが、人間の匂いのついた餌を食べる食べないの選択をして、
>それぞれ好き勝手やっているなら、それは自由があると言えるでしょうが。
もちろん野生のライオンにも個体差がある
人間の匂いに過剰に警戒するライオンもいれば
あまり警戒心もなく、そのまま餌を食べるライオンもいる
おそらく、人間と同じように育った環境からそのような違いが生まれるのだろう。
ん、ということはライオンには自由があるということでつな。
>>369 >私はお腹がすくから、食事をしようと人間は考えるんだと思うけど、
私は何度も書いているんですが、お腹が空いても「食べよう。」と思わない事があるでしょう。
急ぎの用事をやってる時や何かに夢中になっている時や、ダイエットをしている時など・・・
そういう事は数限りなくあるでしょう。
お腹が空いている事と意識的に「食べよう。」と思う事は直接には繋がっていないでしょう?
お腹が空いたから即「食べよう。」と意識的に考える訳ではないでしょう?
違いますか?
上で書いた人肉の例を見ても、お腹が空いているという事と「人肉を食べよう。」という事は
直結していないでしょう。
お腹が空いても、食事をしようと考えない事が人間にはしょっちゅうあるのです。
違いますか?
意識的に「食事をしよう。」と決断するのは空腹を感じたその時とは限りません。
重要なのは空腹を観じたかどうかではなく、意識的に「食事をしよう。」と決断したかどうかです。
そして、この決断がなければ、人間は食事できないのです。
そうではありませんか?
もう一度質問します。
あなたは食事をする時、まず「食事をしよう。」と意識的に判断して、その判断に従って
食事をしようとするのではありませんか?
「食事をしよう。」とか「さあ食事の時間だ。」とかを意識的に思ってはじめて
人間は食事をする為に行動を起こせるのではありませんか?
>>380 >そういう抽象的な定義ではなくて、具体的な定義が聞きたいんだと思うが。
とりあえず、マリリンは「本能」は、ある種が生得的に誰にも教えられなくても自然に湧いてくる、
生理的現象や原始的感情(言語化はされていない)によって動かされる行動だと考えています
これは具体的な定義ですか?
あなたの具体的な定義をお聞かせください。
>>380 >欲望的行動と本能的行動の具体的な違いは?
動物の本能は、種族保存と個体保存という目的を持っているが、
人間の欲望は、種族保存や個体保存という目的からはズレているという所です。
>>381 >もちろん野生のライオンにも個体差がある
>人間の匂いに過剰に警戒するライオンもいれば
>あまり警戒心もなく、そのまま餌を食べるライオンもいる
人間からの餌を食べるライオンは野生のライオンではないのでは・・・。
>>384 人間の欲望は人間の抱く幻想に支えられています。
人間の欲望は幻想の満足を目指します。
こんなにレスくれても答えるのに困るでしょう。まったく。
>>371 >「人間は本能によって富を求めるのだ」と主張されていたので、
>「本能であるのなら、何故、富を求めない人がいるのか?」と聞いただけです。
富を求めない人なんているのかなぁ。茶碗だって箸だって、パンツだって食物だって富じゃ
ないの?人間、裸のまんまじゃ生きていけないし食べ物だっている。人によってそれぞれ満足する
のに程度の差があると言うだけではないの?
権力とか地位とかがないために物理的に、富の追求を諦めさせられる人たちだっている
だろうしね。
犬だって、サルだってその他動物だって、権力争いに負けたモノは、富の追求を諦めざる
終えなくなるのは人間と変わらないよ。だからといって彼らが満足してないわけではない。
ちゃんと群れの中で寄り添いながら生きて行っている。群れの中で生活している限り、
彼らは精神の安定を得ているのかも知れない。貴方流に言う自我の安定ね。
生きるために精神の安定を求めるのは人間だけの特徴ではありません。
>>372 >>犬は、人間以上に合理的じゃないことをやりまつ
>どんな事をやりますか?
どんな事って?彼らだって生きてるんだから色々お間抜けな行動も取るよ。
例えば、高い塀を穴を掘って逃げようとして、地面を掘ったは良いけど土を垂直には掘れたけど
横穴が掘れなくて逃走失敗とか。池に浮いていたビニールの上に乗って転落、ずぶ濡れになっとか、
飼い主の「待て」の命令で餌を食べるのを我慢できるとか。まむしにちょっかい出して、鼻をかまれて
顔がぼんぼんに腫れたとかね。彼らと付き合っていると面白いよ。
>>373 >本能には個体保存と種族保存という目的があって、
個体保存かどうかは知らないけど、生物の本能的行動は生きるためと子孫を残すための
行動であると思うのでこれについては同意。
だけどこれと下記が何の関係があるのかな?
>本能とは、動物が生得的に持っているもので、
>@動物に行動を起こさせる動機(エネルギーのようなイメージ)
>Aその動機(目的)の達成のための行動形式
「エネルギーのようなイメージ」何のことを言っているの?
>それぞれの種は、思い思いのやり方でその目的を達成しようとしているのでしょう。
>それぞれの種の本能的行動は、与えられた環境で「如何に生きていくべきか。」の
>それぞれの種の独自見解であり、種が決めた戦略であると言えるのではないでしょうか
犬や猫などの種によって、動物はすべてが同じ行動を取るって貴方は考えているわけ?
彼らに個性は認められないわけ。彼らの与えられた環境に適応できると言う能力は認めて
もらえないわけ。ペットや家畜は彼らの持てる能力で環境に適応しただけとどうして
考えられないの?
>種の一部が集団で戦略を変更する事を「進化」と呼ぶのではないかと思っています。
何言ってるの?こんな勝手な用語の使い方が許されるわけ。ある程度、用語は一般的に
通用する範囲で使ってもらわないと、話も何もしようがないでしょう。呆れてしまうわ。
>種は個体保存と種族保存という目的を達成するための戦略を持っており、
>種の各個体は自分達の戦略を実践しているのだと思っています。
>空腹の時にどう行動するかは、その戦略によって決まっているのだと思っています。
本当に、勉強不足だよね。もっと人間以外の動物を観察してごらんよ。彼らは与えられた環境に
適応しながら、生存と子孫を残す営みを行っているから。同じ種でも与えられた環境によって
全然違う行動を取るんだよ。本当に動物の行動をこんな大まかに分類されたらかなわないわよ。
今日は疲れたのでこれで落ちます、続きはまた後で。お休み
話があっちこっちにいって分かりづらいんだが
これまでのおおざっぱな議論の流れ
岸田信者「人間の本能が壊れている」
→「何故?」
信者「人間は母親が子供を育てないから(母性本能がない)」
「人間は食べ過ぎたり、まったく物を食べなかったりするから(食欲がおかしい)
「人間はホモやレズやロリコンがいるから(異常性愛)」
→「人間は理性が働いて本能に反する行動を起こすことがある」「異常性愛の人間は例外」
「子を育てない動物もいる」「食べ過ぎたり、まったく物を食べなかったりする動物もいる」
信者「異常な行動をとる動物は人間と付き合って本能が壊れている」
「野生の動物の示す異常な食行動は本能による戦略」「異常性愛は例外じゃない」
こんな感じか
本能が壊れて幻想や自我がどうたらこうたらは岸田もどきのオナニー理論なので割愛。
>>385 >人間からの餌を食べるライオンは野生のライオンではないのでは・・・。
人間が与えた餌を食べたライオンは、野生じゃなくなるんですか?
>>391 まとめて下さってありがとう。動物たちをこんなに貶められては臨床を貶められる以上に
私には許せないので、岸田オタを深追いしています。もう少しレスをさせて下さい。
>>374 >確かに私の抱いているモノは妄想かもしれませんが、
>そうであれば、あなたの抱いているモノも妄想です。
私の考えを妄想と言われても、私は犬や猫と暮らし彼らを観察した実例を提示しているし
生理学や解剖学などの基礎獣医学も学んでいる。そこからの所見をお話しているのであって
貴方の意見は妄想だと言われても納得できません。
貴方の場合、知識が足りなくて動物や人間の生理的現象を誤解していると考えられる部分が
見受けられるので、その辺を誤解したままで考えをまとめられても、賛同する人は
やはり、同じように生物学的知識の足りない人のみとなると思います。
>「新興宗教の教祖」という事は「精神が病んでる人」という意味ですね。
新興宗教の教祖というのは、精神が病んでいるかどうか知らないけど、自分に取って都合の
良い理論ばっかり持ち出して、自分が勉強不足な事は絶対認めない。抽象的で観念的な
事ばかり言って人を言いくるめ、具体事例で反論されると無視するか怒ると言うイメージが私には
あります。
>>375 >強姦や痴漢や覗きが美しい営みに見えるのでしょうか?
>男にそういう行為をさせている原動力と、男に性行為をさせている原動力源とは
>同じモノなのではないでしょうか?
人間や動物に存在する本能の話をしている時に、人間の問題行動の話をされて美しくないだろう
言われても私は教育学者でも社会学者でもないので返答に困ります。今回のような話題の中
では人間の問題行動を持ち出すべきではありません。
以前にPPPと言うコテがいたのですが、男性ホルモンの固まりのようなコテでね。雌犬の
檻の前で僕の彼女と、いつまでも寄り添う雄犬を連想させましたね。可愛いコテでしたよ。
私は良く分かりませんが、男の人なんて多かれ少なかれこんなモノなのでしょ。問題行動を
出す一握りの人を例に出しても仕方がないと思います。奇形はどんな生物にもいますよ。
人間の場合、思考する動物のため、問題行動の程度も他の動物より奇異で重症化し易い
だけのことではないですか。社会生活も人間には必須ですしね、これについては、貴方が
言うように社会のルールから照らして問題行動となるモノも多々あるのでしょうね。
でも、そんなことをまで話を広げていては、動物的本能が人間に残るかどうかの話など
できようもありませんし、獣医である私は専門外ですしね。
>>376 >性欲は個人が個人の幻想に基づいてというか支えられて持っている個人的な衝動でしょう。
>その形は千差万別、みんな違うでしょう。
性欲って、男性ホルモンや女性ホルモン、下垂体のホルモンの働きでおこるモノでしょ。
ホルモンが分泌されるから性的な幻想が湧いてくるのであって。ホルモンなしで幻想だけで
性欲ばかりは何とかなるモノではありません。
そして、性ホルモンは動物も人間も等しく分泌されます。何度も言いますが、これは貴方の
ホルモンに対する勉強不足です。
>>377 動物園のシロクマと子育てができないゴリラは本能が崩れてのではなく、環境に適応した
結果、そのように生きるようになったと思います。
野良犬のへその緒のついた子供を半分は野良のまま育て、残りを人間がミルクで
育てると、似た遺伝子を持った犬だとは思えない性質の犬に育ちます。ああいうのを
見ていると人間の子供でも、育つ環境と言うのは重要なんでしょうね。
心理学板では環境より遺伝的性質の方が重要と言うレスを散見しますが、動物の環境に
対する適応の違いを見ていると子供が育つ環境って、人間に取っても、ものすごい影響を
与えるモノではないかと思えます。
動物の場合は、環境に適応できる臨界期があって、その時期を過ぎると環境に適応するには
するのですが、小さかった頃ほど影響は受けません。猫や犬の場合その臨界期というのは
生後12週齢と言われているのですが。私は経験的に6週齢以前に人間が身近にいた子犬や
子猫と、それ以後、野良から人間に育てられた子犬や子猫とは性質が違うとおもうのですよ。
つまり、子供の時に環境に適応して成長してしまった場合、それが幼少であればあるほど
環境の影響を大きく受けるし、是正がしづらいと言うことだと思います。
つまり、動物園のシロクマが他の環境で生きていけなかったり、育児拒否するゴリラは
小さい時に、そのように環境に適応して成長した結果であって、本能が崩れたから
このような行動を取っているわけではないと思います。これは、動物には環境に適応できる
と言う本能というか能力がある結果だと思います。
>>379 これは、全く賛同できかねます。
>人肉を食えば今までの自分ではいられない。自分のことをいい人間だとは思えなくなる。
>もし、人肉を食えば、この場は生き残れるかも知れないが、この先、
>私はタブーを犯した人間として生きていかなければならない。
こんな事を考えられる余裕があったら、誰も人肉なんて食べない。餓死を選ぶ。私は
犬や猫がしないことを何故、豚や人間がするのか、それはいまだに分からないとしか
言いようがないですね。人間という種の持つ独自の本能なのでしょうかねぇ。
後、ちょっとだけど、今から出かけるんで、また、後で....ふー、疲れた。
>>382 >私は何度も書いているんですが、お腹が空いても「食べよう。」と思わない事があるでしょう。
>急ぎの用事をやってる時や何かに夢中になっている時や、ダイエットをしている時など・・・
>そういう事は数限りなくあるでしょう。
私も何度も言ってるよ。腹が空いた事と食事タイムがずれるのは、人間だけの特徴ではない。
だけど、餓死するまで食事を取らないとしたら、それは人間にも動物にも精神(脳)に異常を
来さない苦しくてできないと。
>あなたは食事をする時、まず「食事をしよう。」と意識的に判断して、その判断に従って
>食事をしようとするのではありませんか?
>「食事をしよう。」とか「さあ食事の時間だ。」とかを意識的に思ってはじめて
>人間は食事をする為に行動を起こせるのではありませんか?
人間は食事をしようと思って食事をするのかも知れない。だけど、その前に、空腹のアラームが
鳴っているでしょう。それがなくて食べないですむならマリリンは食べないでいたいよ。だけど、日に
三度、体内時計の御陰でお腹がすくから食べないでいられないでしょう。
動物だって人語が話せないから食事をしようと思っているかどうか確認が取れていないだけかも
知れない。彼らだって、空腹のアラームで餌の事を思い出すんだよ。
空腹のアラームがなかったら、食べないと言うことに苦痛が伴わないから
人間はもっと餓死する人が一杯出てくるよ。特にやせ願望の強い女性はね。
>>384 >動物の本能は、種族保存と個体保存という目的を持っているが、
>人間の欲望は、種族保存や個体保存という目的からはズレているという所です。
この書き方だと人間は種族保存や個体保存から自由で解き放されていると読み取れますが
実際には、人間という種族全体を考えると生きることと子孫を残す事から自由にはなりえない。
生存と種族保存という目的が人間種族として達成された時のみ、個体の自由が許される場合が
あると言うだけのことだと思う。
>自分の子供2人を殺そうとしたとして長野県警松本署に逮捕された同県松本市芳川村井町、
>無職○○○○容疑者(37)が、育児を巡り夫からしっ責を受け、長女○○ちゃん(9)と
>長男○○ちゃん(3)と無理心中を図った可能性が高いことが28日、同署の調べでわかった。
母親が子供を殺す・・・母性本能が壊れている証拠です。
日本では母子の無理心中はよくある事ですが、これは、母親による子殺しです。
子供を殺した後で自殺を図るんでしょうが、子殺しには違いありません。
そして、子供を愛していなかった事に間違いありません。
とりわけ、無理心中を図って生き残る母親はえげつないと思います。
子供を殺しておいて、その殺人の責任から逃げようとしているのですから。
こういう事ができるのは、人間の母親が本能に従って子育てをしているのではないからです。
本能に従っているのなら子殺しという選択はできません。
>>400 >>そして、子供を愛していなかった事に間違いありません。
ふざけるな
たかがニューストピックスを読んだくらいで、何故そんなことが判断できる?
人間の本能が壊れてる云々な馬鹿なことを口走っている分にはかまわないが
そうした事件で細かい事情も知らないくせに、知ったような口を聞くのはやめろ。
>>401 子供を殺しているのだから愛していない事は間違いないだろう。
何故こんな事も判断できないんだ?
28日午後、大阪府富田林市で主婦が長男から殺害された。
携帯料金について口うるさく言われたので殺そうと思ったと供述じつしている。
親殺し・・・他の動物はやりませんよね。
本能が壊れているからできるんでしょうな。
>>397 >こんな事を考えられる余裕があったら、誰も人肉なんて食べない。餓死を選ぶ。
あなたは餓死を選ぶのですね。精神が病んでいる訳でもないのにですか?
人間は本能に逆らう選択をするという事ですね。
>>398 >人間は食事をしようと思って食事をするのかも知れない。だけど、その前に、空腹のアラームが
>鳴っているでしょう。それがなくて食べないですむならマリリンは食べないでいたいよ。だけど、日に
>三度、体内時計の御陰でお腹がすくから食べないでいられないでしょう。
一日に三度アラームが鳴るのは、日本の食習慣で食事が一日三食になっているからです。
つまり、あなたが「本能からの指示だ」と考えているモノの中には
実際には文化的なモノが含まれているという事です。
あなたは、文化的なものを本能的なものと見なしてしまっているのです。
>>402 マジレスするのも馬鹿馬鹿しいが
子供を殺したからって母性本能が壊れていると判断できないのは
他にいくらでも代替仮説が考えられるから。
お願いだから、岸田を信奉しているばかりじゃなくて
クリティカルシンキングというものを少し身に着けてくれよ・・・。
>>399 >この書き方だと人間は種族保存や個体保存から自由で解き放されていると読み取れますが
>実際には、人間という種族全体を考えると生きることと子孫を残す事から自由にはなりえない。
以前書きましたが、個体保存の本能は自我保存の衝動に、種族保存の本能は性欲に
変質していると考えています。
そして、自我保存は個体の生命の保存に優先すると考えています。
性欲に関しては、自閉的な欲望から出発しますから種族保存に繋がらないケースがかなりあります。
個体保存、種族保存から完全に自由だとは思っていませんが、
人間には自殺する自由がありますから個体保存からある程度自由であると言えますし、
また、現在子どもを作る作らないは個人の裁量に任されていますから、
人間には種族保存しない自由があると言えると思います。
>>396 >動物園のシロクマと子育てができないゴリラは本能が崩れてのではなく、環境に適応した
>結果、そのように生きるようになったと思います。
子育てをしないゴリラは本能がおかしくなったのではなく、ただ環境に適応しただけだ
とおっしゃるんですね。子どもを育てないゴリラは正常の範囲だという事ですね。
それではこれ以上話のしようがありませんね。
私は、例えば子供のない夫婦がペットを我が子のように思って
「かわいい。」と思う気持ちと、母親が子どもを「かわいい。」と思う気持ちとは
同じものだと考えています。
もっと言うと、
もし子どものない夫婦が、ペットではなくぬいぐるみを我が子のように思って
「かわいい。」と思っている場合があるとすれば、その気持ちも同じものだと
考えています。
親が子供をかわいがる気持ちは子供がぬいぐるみをかわいがる気持ちと
同じ種類のものなのです。
母性本能が人間にあるのかないのかに関わりなく、その気持ちは母性本能とは
関係がないでしょう。
>>406 細かい事ですが、>402 で私は
子供を殺しているから母性本能が壊れていると判断できる
と書いたのではなく
子供を殺しているのだからその子供を愛していないと判断できる
と書いたのです。反論がズレています。
>>410 姑息な揚げ足取りですな。
そもそもお前が、
>>400 で
>母親が子供を殺す・・・母性本能が壊れている証拠です。
と書いているから、それをふまえて
>>406 で
>子供を殺したからって母性本能が壊れているとは判断できない
と書いたんだが、何か問題でも?
それと他に代替仮説がいくらでも考えられるという批判に対しては
反論はないの?
>>412 人間が本能的行動を必ずしもとらないのは
大脳皮質が発達したことで、理性や自由意志の力を得たため。
>>413 理性や自由意志は、本能が壊れた結果だと考えられますが。
本能が壊れていないのならば、人間もただ本能に従って生きるはずです。
他の動物を見ても分かるように、言語や文化を持つ必要はありません。
そんなものなくても本能に従っていれば個体も種もうまく保存できるのですから。
人間が本能に従って生きていたのならば言語や文化が発生することは不可能です。
言語がなければ理性も自由意志もない訳ですから、理性も自由意志も不可能です。
青森県で母親が1歳3カ月の長女の腕を骨折させ、傷害の疑いで逮捕された。
意識不明の状態で病院に運ばれ死亡した。
長女には体の数カ所に内出血など古い傷があり、日常的な虐待があったらしい。
生後7カ月の長女に暴行を加えたとして、愛知県警は1月8日愛知県住む主婦(18)を
傷害の疑いで逮捕した。長女は意識不明の重体。
>>414 >理性や自由意志は、本能が壊れた結果だと考えられますが。
違います
高度に発達した大脳新皮質は人間のみが有しており
理性、抽象的思考、言語コミュニケーション、目標設定能力などの能力を司っています。
ちなみにアルコールを摂取すると大脳新皮質の働きがマヒし
大脳辺縁系の本能的、原始的な働きが一時的に強まり、興奮状態になると言われています。
>>418 >高度に発達した大脳新皮質は人間のみが有しており
どの程度が高度か知らないけど大脳新皮質は哺乳類なら持っているからね。
誤解されませんように。鳥類には大脳新皮質はないけれど、それに変わる構造は
持っているらしいですよ。
人間でなければ、彼らが取る行動はミミズや毛虫と一緒なんて動物に対して
失礼極まりないです。
動物によって程度の差はあるかもしれないけど、本能以外の考えてとる行動は
脳の構造にそれほどの違いがない以上、どの哺乳類にもできる可能性はあるわけす。
考えて取る行動が本能が崩れた結果だと言うなら、どのレベルまでの
動物が本能が崩れていると岸田オタは言うのでしょうね。これは以前にタコの例で出した
繰り返しですが、お答えを頂いておりません。
>>400>>403>>416>>417 人間の虐待や親殺しや子殺しの例を出しているようですが、そんなモノはとるに足らない
数の人間が犯し問題行動で有り、それによって大部分の人間の行動を一般化しようなんて
間違っています。
私は、ごく一部の精神を病んだ人の話をここでしてしているのではありません。何処にでもいる
一般的な人の話をしてください。
>>404 >あなたは餓死を選ぶのですね。精神が病んでいる訳でもないのにですか?
>人間は本能に逆らう選択をするという事ですね。
私が餓死を選ぶ等とは何処にも書いていませんよ。
>>379に書いてあるような事を
考えられる余裕のあるうちは人間は人肉など食べないと言ったまでです。死ぬまで
そのような事が考えられるのなら、人間は犬や猫のように本能に身を任せ餓死を選択
できるのではないかと言ったまです。
実際には豚や人間は餓死を選ばず共食いをする事があるようですが、それとて本能が崩れた
結果だとは思えません。
>>405 >一日に三度アラームが鳴るのは、日本の食習慣で食事が一日三食になっているからです
>あなたは、文化的なものを本能的なものと見なしてしまっているのです。
そんなこと誰が決めたの?私の周りには一日に二回しか食事をしない人もいるし、間食や夜食で
一日に五回ぐらい食事をする人もいる。私の場合は間食も夜食もしないので日に三回ぐらい
お腹がすくよと言ったまでです。私のお腹の空きぐわいは別に日本の文化が決めているわけではない。
私の体が一日に三度の食事を許す環境の中で体内時計を日に三度、アラームを
鳴らすようにセットした結果に過ぎない。
お腹がすくと言う現象は人間でも動物でも等しく起こりえます。これは本能の一つでしょう。
>>407 >個体保存の本能は自我保存の衝動に、自我保存は個体の生命の保存に優先すると考えています。
そんなことあるわけないでしょ。最終的には生きるのが最優先。自我なんかぺしゃんこに
なったって、人間は生きるためにあがくのよ。自我の方が個体保存より優先するなんて
言っていられるのは貴方が衣食住に足りてるからよ。机上の空論もたいがいにしたら。
>性欲に関しては、自閉的な欲望から出発しますから種族保存に繋がらないケースがかなりあります。
ケースがあるからそれがどうしたのよ。動物だって雄はいつでも交尾したいと思っている種類は
多い。雌が発情期以外雄に興味を示さないんだわ。人間だって、女性と男性の間は性に関する
考え方は違っている。
>人間には自殺する自由がありますから
そんなモノは普通の人間にはありはしない。嘘だと思うなら、貴方自殺してごらんよ。
できやしないから。心の病んだ人が自殺するからって、全員の人間に自殺の自由が
あるわけではない。
>現在子どもを作る作らないは個人の裁量に任されていますから、
>人間には種族保存しない自由があると言えると思います。
個人が子供を産まない選択ができるからと言って、人間種族全体が子孫を残さない
自由があるわけではない。必ず誰かが次の世代を産み育てなければならないんだわ。
種族保存しない自由とは、人間種族が絶滅を選べる自由があって初めて成り立つ
ものではないの?そんな自由は人間にはない。何処がで誰かが次の世代を育てて
いる。だけもそれは止められない。
>>409 >親が子供をかわいがる気持ちは子供がぬいぐるみをかわいがる気持ちと
>同じ種類のものなのです
冗談じゃないわよ。貴方ね。子供を持った母親に叩かれるよ。ぬいぐるみが可愛いと
思う程度で、乳が出ると思うの?陣痛が始まると思うのか?馬鹿じゃないの。
出産、育児を通して、親が子供に抱く感情は多分経験した人でないと分からないでしょう。
ぬいぐるみ程度と一緒にするのではないわ。
母性本能をなんだと考えているのよ。そう言う戯言は子供産んでから言いなさい。
>>418 本能が壊れていないなら、なぜ人間は言語を持っているのでしょうか?。
>>419 >考えて取る行動が本能が崩れた結果だと言うなら、どのレベルまでの
>動物が本能が崩れていると岸田オタは言うのでしょうね。これは以前にタコの例で出した
>繰り返しですが、お答えを頂いておりません。
動物が考えてとる行動が本能の壊れた結果だとは思っていません。
動物は自然の環境と対話し経験し生きやすい方法を学んでいくという事はあるでしょう。
重要なのは、動物の場合はそれらの行動が個体保存と種族保存という目的に適ったものに
なっているという事です。
動物が考えてとる行動は本能的な行動かあるいはその延長線上にあると考える事ができるでしょう。
しかし、人間が考えてとる行動は、個体保存や種族保存と関係のないものかあるいは
それに反するものがいっぱいあるのです。
人間の欲望、欲求に関しては、純粋に生理的な欲求はあるでしょうが、
ほとんどの場合本能とは関係ありません。
(何度か書いていますが、食欲だって純粋に生理的な欲求ではありません。)
(性欲に関しても種族保存とは関係がない事は以前書きました。)
人間の本能が壊れていないとすれば、この事実をどうやって説明するのでしょうか?
>>420 >人間の虐待や親殺しや子殺しの例を出しているようですが、そんなモノはとるに足らない
>数の人間が犯し問題行動で有り、それによって大部分の人間の行動を一般化しようなんて
>間違っています。
「殺人や子殺しはごく小数の人間しかやらない問題行動だ。」というのはどういう意味ですか?
一般の人間とは違う行動だから「問題行動」なのですか?
問題行動をする人の精神は一般の人の精神とは違うのですか?
この人たちは精神が病んでいるのですか?
あなたの言う「問題行動」をとる人たちの本能は壊れている・・・という事はあなた認めますか?
それとも、問題行動をとる人も本能は壊れていないと考えておられますか?
>>421 >私が餓死を選ぶ等とは何処にも書いていませんよ。
>>379に書いてあるような事を
>考えられる余裕のあるうちは人間は人肉など食べないと言ったまでです。死ぬまで
>そのような事が考えられるのなら、人間は犬や猫のように本能に身を任せ餓死を選択
>できるのではないかと言ったまです。
考える余裕がなくなると人肉を食べるのですか?
人間は食べようと決断しないと食べられませんよ。
自分でも気付かぬうちに自分は人肉を食べていたなんて事は起こらないでしょう。
決断するためには悩みますよ。
悩んだ後に決断してその後に食べるのですよ。この順序は変わらないのですよ。
あなたの書いておられる事がよく分かりませんが・・・。
人間はどんな時に餓死ではなく人肉を食べる事を選ぶとお考えですか?
>>425 人間が言葉を持っていることが人間の動物的本能が崩れることとどのように
関係する。
確かに動物は言葉はしゃべれない。それは、彼らが声帯と咽頭の構造が人間と
違うんだから仕方がないでしょう。九官鳥なんか、はっきり言葉を話すよ。だけど
言葉が意味するモノは理解していないよ。
それに比べて、ある程度高等な動物は言葉を話すことはできなくても、言葉の意味
することを、ちょっとだけなら理解することはできる。だから、人間は犬や猫と一緒に
生活していく上で困らない程度の意志の疎通は図れるんだわ。
言葉がしゃべれないからと言って彼らが何も考えていないと思わないでくれる。
動物を馬鹿にしないでよ。
>>429 >それに比べて、ある程度高等な動物は言葉を話すことはできなくても、言葉の意味
>することを、ちょっとだけなら理解することはできる。だから、人間は犬や猫と一緒に
>生活していく上で困らない程度の意志の疎通は図れるんだわ。
私が人間を比べている動物の中には犬猫は入っていないんで話はなかなか噛み合いませんが・・・。
人間と一緒に暮らせば犬や猫や猿などの動物は人間の言語を理解するようになる
のはよく分かります。私が言いたいのはそんな事とは関係ありません。
人間と対話する必要のない野生の動物は人間のような言語を必要としません。
動物はそんなモノがなくても自然の環境や仲間と対話でき、
それによって生きていくことができます。
しかし、人間は言語がなくては仲間とも対話できないし
社会の中で生きていくことが出来ません。
そして、この言語が対話するには非常に不便な代物なのです。
自分の言ってる事が伝わらない。
意味が通じない。
真意が伝わらない。
誤解される。
わざと嘘をいうことだってあります。
こんな事はしょっちゅうです。何故、人間の言語はこんなに不便なのか?
それは、人間の言語が個人のイメージとしか繋がっていないからです。
私の発する言葉は私の中のイメージとしか繋がっていないのです。
誰かと対話する為の言葉が私の中のイメージと繋がっているだけで、
私と相手を結びつける保証がどこにもないのです。だから、誤解が生まれるのです。
言語は自閉的なのです。
人間は自閉的な言語しか持っていないので対話に誤解が生まれるのです。
言語が本能から生まれたものならこのような自閉的なものになるはずはありません。
>>422 >お腹がすくと言う現象は人間でも動物でも等しく起こりえます。これは本能の一つでしょう。
1日に2回お腹が空く人と5回ぐらい空く人がいる・・・これで本能と言えるでしょうか?
本能ならば1日にお腹の空く回数なんかは同じぐらいなのではないですか。
>私の体が一日に三度の食事を許す環境の中で体内時計を日に三度、アラームを
>鳴らすようにセットした結果に過ぎない。
それが文化的な環境なのです。日本ではだいたい1日3回食事をとるのが標準的
だったんじゃないでしょうか。そういう文化の影響を受けているという事です。
あなたは和食は食べないんですか?ご飯が主食ではないのでしょうか?
そういうモノを食べているという事が文化を受け入れているという事です。
>そんなこと誰が決めたの?私の周りには一日に二回しか食事をしない人もいるし、間食や夜食で
>一日に五回ぐらい食事をする人もいる。私の場合は間食も夜食もしないので日に三回ぐらい
>お腹がすくよと言ったまでです。私のお腹の空きぐわいは別に日本の文化が決めているわけではない。
たぶん1日3食という日本の一般的な食事回数を受け入れなかったか、受け入れた後その形が
崩れたかしたのでしょう。いずれにせよ、2回や5回の人がいるという事は食事の回数は
個人個人が好き勝手に決められるという事です。食欲は個人的な欲望なのです。
>>431 あなたはお腹が空いて食事に行こうと思っている時に、道端に誰かに踏み潰されたよく熟した柿の実が
落ちていたとします。あなたはこれを食べますか?食欲が本能によるものであれば、この柿を食べる
はずです。空腹なのですから。しかし、あなたは食べないはずです。
これは、あなたが、空腹を食べ物(落ちた柿)で満たすというチャンスを自ら放棄するという事です。
これは本能に逆らった事ではありませんか?
これが野生の動物であるならこの柿を食べない事は出来ないでしょう。
空腹の時に見つけた餌を食べる。それがストレートにできることが本能だからです。
以上のように人間の食欲は本能とはあまり関係がないのです。
>>426 >動物が考えてとる行動は本能的な行動かあるいはその延長線上にあると考える事ができるでしょう。
>しかし、人間が考えてとる行動は、個体保存や種族保存と関係のないものかあるいは
>それに反するものがいっぱいあるのです。
だから何度も言っているように、細かく見れば人間の行動は個体保存や種族保存に関係ない
ような行動をするかも知れないが、人間種族全体では生存と子孫を残すための行動から
自由にはなりえない。何で分からない?
一頭一頭の行動を個別に取り上げていたら、動物だって生存や子孫を残すための行動とは
相反する行動は取る。何で人間だけ個別の行動を問題にし、動物はその種族全体の行動を
問題にする?
原因は貴方自身が動物の個別な行動を知らないために人間の行動と比べようがないため
ではないのかな。
>(何度か書いていますが、食欲だって純粋に生理的な欲求ではありません。)
>(性欲に関しても種族保存とは関係がない事は以前書きました。)
何言ってるの?食欲が純粋に生理的欲求でないわけないだろうが。性欲が種族保存と
関係ないわけないだろうが。なんて事言うのよ。こんなおかしな事言われたって私には
分かりませんわ。
>>427 >問題行動をする人の精神は一般の人の精神とは違うのですか?
やっぱり、子殺しや親殺しをする人の精神状態は現在の日本では一般の人とは違うので
はないですか。周りを見ても事故や自殺で死ぬ人はいるかも知れないけど、殺人で死んだ
人は知らないです。
>あなたの言う「問題行動」をとる人たちの本能は壊れている・・・という事はあなた認めますか?
>それとも、問題行動をとる人も本能は壊れていないと考えておられますか?
問題行動を取る人たちも本能は崩れてないと思っています。だいたい、人間であろうが
動物であろうが、生体として生まれモノか゛本能が崩れると言うことがあり得るのでしょうか。
人間の問題行動は群れて生活する人間が、その群れで生活していく上で不都合になるから
問題行動になるのであって、それ自体が本能的なモノなのかどうかは私は専門外なので
分かりません。
例えば、殺人と言う行為一つとっても戦時下なら、一般的な行動であって問題行動にはなら
ないでしょう。
それが人間が本来持つ本能に基づいているかいないかは誰にも即答なんてできないですよ。
ただし、人間は単独行動を取る動物ではなく群れで生活する動物だと言う事は紛れもない
事実です。この人間の習性は人間の持つ本能の一つでしょう。
>>428 >自分でも気付かぬうちに自分は人肉を食べていたなんて事は起こらないでしょう。
>決断するためには悩みますよ。
人肉を食べる時人間は悩まないでしょう。悩んだら食べられない。私が思うには
人間が自分の道徳感と相反する行動を取る時、多分、この悩むと言う感情を
ストップさせ思考停止の状態になると思う。それか自分の行為に肯定的な
動機付けをするかだ。
それは思考する動物である人間の持つ本能的な自己防衛機能なのかも知れない。
この辺りは心理学の人の方が専門なので、獣医のマリリンがつたない言葉で説明して
いてはお笑い草かもしれないね。
>人間はどんな時に餓死ではなく人肉を食べる事を選ぶとお考えですか?
この答えは、悩むと言う思考が停止した時か、自分の行為に肯定的な動機付けができた
時だと思う。
>>431 >本能ならば1日にお腹の空く回数なんかは同じぐらいなのではないですか。
何で?どうして同じでなければいけないわけ?動物が持つ個体差はないわけ?
>日本ではだいたい1日3回食事をとるのが標準的
>だったんじゃないでしょうか。そういう文化の影響を受けているという事です。
これって、本当にそうですか?食べ物が豊な環境で生きる人間種族なら、
世界中何処に行っても日に数回、お腹がすくようになっているのではないですか?
そう言う人間の生理的欲求に基づいて文化の方が後から作られたように思うのですけどねぇ。
>あなたは和食は食べないんですか?ご飯が主食ではないのでしょうか?
>そういうモノを食べているという事が文化を受け入れているという事です。
日本人が穀類主食なのは文化の影響か、そのように進化したためか私には分かりません。
とにかく、肉食中心の欧米人より腸の長さが長いようです。体の構造自体が穀類中心の人間と
肉食中心の人間で違っているというのは、文化より進化に近いような気がするのですけど。
動物で言うなら肉食動物より草食動物の方が断然、腸の長さは長いですから。
>2回や5回の人がいるという事は食事の回数は個人個人が好き勝手に決められるという事です。
そんなことはないでしょう。体質も関与しているでしょう。飼養効率の遺伝子は現に存在する
わけですからね。2回で食事の回数が良い人が5回も食事をするのは苦しいでしょう。
食事の回数についてはある程度の自由度はあるでしょうが、自分の体質や生理的欲求を
無視して勝手に決めれば、肥満や痩せなどの問題が起きて来ます。
もうダメ。今日はこれで落ちます。お休み。
>>425 だから人間が言語を自在に使えるのは
大脳新皮質が発達した結果
何度も言わせるな。
>>425 お前も本能について語りたいなら、もう少し脳のことを勉強しろ
お前が知りたそうな情報を引用しておいてやるから。
>>脳の巨大化を下等動物から高等動物への進化の過程、つまり系統発生として考えると
古い脳に新しい機能を持った脳が、次々とつけ加わっていったと見ることができます。
一番原始的な脳は、爬虫類にもある脳で、脳幹と大脳基底核です。
次は、鳥類や下等哺乳類になって発達してきた大脳辺縁系です。
そして最後に、高等哺乳類になって発達した大脳新皮質です。
このように、次々と新しい脳がつけ加わっていったのは、以前からある脳の機能を、より高度化するためだと考えられています。
したがって、あとからつけ加わった上位の脳は、以前からあった下位の脳を、よりきめ細かにコントロールする機能を受け持っていると推測することができます。
実際、脳のこうした階層性は、脳科学のなかで明らかにされつつあります。
たとえば、脳の神経線維の配線を細かく調べていくと、あとから追加された上位の脳が、以前からあった下位の脳をコントロールしている配線が見つかっています。
まず、一番原始的な脳幹と大脳基底核ですが、生物としての個と種の保存に関するさまざまな機能をつかさどっています。
具体的には、食欲とか性欲、なわばり、仲間づくり、攻撃、危険回避など、動物の持っている本能そのものです。
しかし、脳幹と大脳基底核だけでは、外界の刺激に対して、決まりきった反応しかできません。
爬虫類では、これより上位の脳がほとんどないため、こうした本能的行動がそのまま現れるだけです。
大脳辺縁系では、恐怖や怒り、嫌悪、愛着、喜び、悲しみなどの情動といわれる、動物でも持っている感情をつかさどっています。
たとえば、空腹のときには空腹の情動を感じます。近くで大きな音がすれば、恐怖を感じます。自分のなわばりを侵犯されれば、怒りを感じます。
大脳辺縁系のコントロールがあると、いつも決まりきった行動とはなりません。さまざまな状況に応じて行動に変化が生まれます。
空腹のときには、まず空腹の情動が発生します。そして、そのときの状況に応じた方法で、餌を探し始めます。
なにかの刺激によって恐怖の情動が発生した場合でも、そのときの状況に応じて、すぐに逃げ出したり、安全な場所に隠れたりします。怒りの情動の場合でも同様です。
鳥類や下等哺乳類では、これより上位の脳がほとんど発達していないため、情動によって、ほとんどの行動が引き起こされます。
情動の働きのおかげで、決まりきった行動から解放されたとはいっても、まわりの状況の変化に対応した行動が、多少可能になったという程度のものでしかありません。
最後につけ加わった大脳新皮質には、状況に応じて適切な行動をするための高度な学習能力があります。
この高度な学習能力があるからこそ、高等哺乳類特有の高度な状況判断と、より合理的な行動が生まれてくるのです。
大脳新皮質はその解剖学的な位置によって、後頭葉、側頭葉、頭頂葉、前頭葉の四つに大別されます。
後頭葉は視覚、頭頂葉は運動や体性感覚、側頭葉は高次の視覚や言語や記憶、前頭葉は意欲や興味の維持、高次の判断、脳のほかの部分に対する抑制を主としたコントロールなどを受け持っています。
また、それぞれに連合野と呼ばれる、一番あとからつけ加わった部分があり、より高次の処理を行います。
特に前頭葉の連合野である前頭前野(前頭葉連合野、前頭連合野、前頭前連合野とも言います)は、自我とか意識の座ともいわれ、ヒトでもっとも大きく発達しています。
この前頭前野へ、大脳新皮質のほかの連合野から、情報が集められる神経線維が見つかっています。また、前頭前野からほかの連合野をコントロールする神経線維も見つかっています。
つまり、大脳新皮質全体のなかでも、前頭前野が、もっとも高次の処理をしているというわけです。
ttp://yukitachi.cool.ne.jp/psystory/psect12.htmlより引用
d(>_・ )グッ!すげー、マリリン脱帽。
何でこんなに上手に説明できるんだろう。言い訳のようだけど獣医は脳については下位脳中心に
勉強するし、後、体の仕組み全体でモノを考えようとするから、岸田オタのあっちこっち飛ぶ論法に
乗せられて、議論に終始がつかない所でした。ありがとうございました。
さすが心理学の人。脳から言語や食欲、性欲、群れる習性、情動等の感情や思考や行動を
説明した方が、血圧や心拍、血糖、ホルモンで説明するより手っ取り早いですね。
補足すると鳥類に関しては、確かに大脳新皮質はないのですがそれに変わる構造が
あるようで、カラスや大型の寿命が長いオオム類などはかなりの知能を有しているのでは
ないかと言われています。
しかしながら鳥類の行動はかなり哺乳類とは違うので、まだ推測の域を出ていないようです。
443 :
没個性化されたレス↓:05/02/23 21:58:46
トリビアの種あげ。
江原センセなにをショートコントやってるんですかsage
>>445 ゴメンね。マリリン今、現実世界で新たなプロジェクト組んでいるんで滅茶苦茶忙しいんだ。
ゆっくり相手してしてあげられないから、また時間ができたらね。動物の話ならリンク先のスレは
目を通しておくわね。 バイバイ
447 :
没個性化されたレス↓:05/03/15 18:57:58
春だからあげてみる。
448 :
没個性化されたレス↓:2005/04/26(火) 20:23:50
保守
このスレ久々にのぞいたら嵐が過ぎていた。
また参加させていただこうかしらん。
それにしても実母による虐待は増えるばかり。
警察庁の統計でも確実に増えてますね。
4月1日から児童福祉法でも
同居の人間からの虐待から子を守らない親も虐待
ということを明文化しましたね。
>>439 人間がなぜ言語を持っているのかについて何も説明していないと思うが・・・。
母親が11歳の娘の首を絞めて殺したという事件があったそうな。
この母親の母性本能はどこに行ったのだろうか?
>>450 遅れレスだが、俺は
「人間がなぜ言語を持っているのか」ということについて話していたんじゃなくて
「人間の本能は壊れていない」ということを言いたかったんだと思うが。
つまり、俺の話相手は「人間の本能が壊れる⇒人間が言語を話すようになる」という図式を
描きたかったようだが、「人間の本能が壊れる」なんてことは観察不可能で、どう考えても説得力に欠ける。
にもかかわらず「人間の本能が壊れてないとしたら何故人間は言葉を持っているのか?」と聞いてきたので
そもそも人間の本能が壊れているなんて言うのは幻想で、客観的に見れば脳は何かしらの能力を失うのではなく
古い脳に新しい脳が加わっていくという感じに、進化するにつれ段々と新しい能力を得てきている
その結果として人間は言語を使えるようになったんだ、という論旨だったと思うが。
>>452 >「人間の本能が壊れる」なんてことは観察不可能で、どう考えても説得力に欠ける。
人間のやってる事を見れば「本能が壊れている」ってのは明らかだと思うんですが。
人間のどの行動を見ても本能の指示に従っているようには見えませんが。
(純粋に生理的な欲求を満たす行動は別でしょうが。でも、人間の場合、物を食べるという行為でも
純粋に生理的欲求に従っているわけではないですから。観念に引きずられていますから。)
>>453 人間のやってる事を見れば「本能が機能している」ってのは明らかだと思うんですが。
人間のどの行動を見ても本能の指示に逆らっているようには見えませんが。
「建設会社社員寮で、高校1年の少年(15)が両親を殺害した。」
子が親を殺す動物なんて聞いたことがありません。こんなことをするのは人間だけ。
本能が壊れてる証拠じゃありませんか。
「父親(77)が息子(47)に生活態度を注意され、カッとなって息子をカッターナイフで切りつけた。」
こんなに高齢になるまで親子が一緒にいるという事がまず変でしょ。
本能に従って同居しているのではないというのは明らかです。 子供が親に説教するというのも変。
一番変なのは、子供を育てるべき親が子供を殺そうとした事。本能が壊れているとしか思えない。
拒食や過食があることから見て人間の食欲が本能から出ているのではないことは明らか。
また、同性愛者やセックスを嫌う人間がいる事から見て、性欲が本能に基づかないモノである事は明らか。
セックスが本能によるものだとすれば、発情する時期だとか、
互いに発情している事を確認してセックスに至る道筋だとか、セックスの仕方だとか
セックスにまつわるものがすべて本能によって決まっているはずだが、
人間の男がどのような女に欲情するかどのようなシチュエーションに欲情するかは人それぞれであり、
人によっては女でなく同性の男に欲情する場合もあるし、ハイヒールや靴下などに欲情する場合もあるし、
発情期なるモノは存在せず、こうすればセックスがうまく行くというような本能で決められたやり方はなく
個々人がこれがいいと思う方法を自分勝手にやっているだけだし、欲情したからと言ってセックスに
辿り着くとは限らず、セックスできたからと言ってそれがうまくできるとは限らない。
何故そうなっているのかといえば、それはセックスが本能で決められた一定の形式をもっていないからだ
と考えられる。セックスは本能によるものではないのだ。
>>455 じゃあ質問
ある人間が他の動物に見られないような行動をとると、なんで本能が壊れていることになるの?
>>458 他の動物に見られないから壊れていると言っているつもりはないんですが。
。
子が親を殺したり、親が子を殺したりするのは本能が壊れているからなんじゃないか
と言っているんです。
性欲の形というんですか、それが個人個人に違うのは性欲が本能によるものではない事を
示しているのではないかと言っているんです。
>>459 >子が親を殺したり、親が子を殺したりするのは本能が壊れているからなんじゃないか
>と言っているんです。
なんで?
もしかすると普通なんじゃないの?その行動は
他の動物と比較しないなら分からんけど。
>性欲の形というんですか、それが個人個人に違うのは性欲が本能によるものではない事を
>示しているのではないかと言っているんです。
どうして?
もしか(ry
あんた、また、アホな議論続ける気?
人間も動物のうちだと言ってるでしょうが。毛虫やナメクジの本能と高等動物の本能を
同じに考えるなんてアホがすることだわ。馬鹿者。
アホにアホといわれるほどアホらしいものはないわな。
おかげでスレが止まってるじゃないか。
463 :
没個性化されたレス↓:2005/09/16(金) 21:31:32
全部読んでみました
結論:マリリンってかなりのアホなんですね
464 :
没個性化されたレス↓:2005/09/17(土) 04:42:16
全部読んでみました
結論:あなたもあほです
私には母性本能は確かにあります。ソレが湧かない全く無いひとは母の暖かい
愛情を受けていればそんな事にはならなかったと感じます。悲しい連鎖。
466 :
没個性化されたレス↓:2005/09/18(日) 12:25:37
そうですね、私にも母性本能があります
危険を感じたら子供を食べてしまうネコのように・・
それは食欲本能
食欲って感じじゃないよ、アレは何の本能なんだろな?
野性動物でも自分で生んだ子供食べちゃう時あるよねぇ
469 :
没個性化されたレス↓:2005/09/18(日) 15:52:37
不毛な議論、水掛け論延々とやっても無意味でござんすかい
>>465 >私には母性本能は確かにあります。ソレが湧かない全く無いひとは母の暖かい
>愛情を受けていればそんな事にはならなかったと感じます。悲しい連鎖。
母親の愛情を受けていなければ子どもに対する愛情が湧いてこないというのであれば
その愛情は学習の結果ではありませんか?母親から貰ったという事でしょう?
という事は、本能として持っている訳ではないという事ですよね。
>>467 食欲は人間の欲望です。本能ではありません。
472 :
没個性化されたレス↓:2005/09/24(土) 15:42:19
人間は母親から愛情を受けて、愛情というモノを学習し、その結果、他者や
自分の子どもに対して愛情を持つことができるのです。
母親が子どもに示す愛情は、母親が自分の母親から示された愛情と同じモノ
だと思います。
母親の子どもに対する愛情は、本能ではなく文化です。文化を学習した結果です。
473 :
没個性化されたレス↓:2005/09/24(土) 15:49:25 BE:35608436-#
>>472が至言を吐いている。
母性本能については知らんが、母性幻想は確実にあるな。
母親は子どもにやさしくなければいけない、みたいな。
それで子どもがあんまり手が掛かるもんだから戸惑う。
そっから「本能」がズレて「共依存」という病理になる。
その結果お受験とかを盛んにすすめて、結果としてガキを捻じ曲げる。
この辺りの家庭病理を知りたい香具師は斎藤学ちう医者の本を読め。
474 :
没個性化されたレス↓:2005/10/31(月) 16:37:59
母性=母性本能(本能)+母性幻想(文化)
比率は分らんが。子供を生んだら母乳が出る、というのは本能による。
文化が変わってもこの点に違いはないから。母乳を出させるホルモンが
同時にさまざまな肉体的、感情的変化を作り出していることでしょう。
別に議論がしたい訳じゃないのね。
476 :
没個性化されたレス↓:2005/11/07(月) 20:31:33
479 :
没個性化されたレス↓:2006/04/16(日) 17:48:06
>>473 共依存というのは母親が子どもに依存するという事ですか?
480 :
没個性化されたレス↓:2006/05/02(火) 00:46:23
母性は本能でも学習でも無いことを
実例を挙げて証明できた。
483 :
没個性化されたレス↓:2006/05/03(水) 13:25:41
484 :
没個性化されたレス↓:2006/09/19(火) 01:09:18
↑おい
ニックネーム:渡野川
自己紹介:あっしですかい? 名乗るほどのこともねえ、渡野川という名のけちな遊び人でさ。もろ肌脱いでべらんめえ、桜吹雪を拝ませながら、天下御免の向こう傷、あばよ!と言い残し、
馬にまたがり去ってゆくぅ〜。(俺は鞍馬天狗か!遠山の金さんか!大河内伝次郎か!誰も知らんやろな)
AB型。しし座。土星人(-)。
よって結婚運なしやて。すまんの〜。
寒いオヤジだな。
その上占い信じてるしw
486 :
没個性化されたレス↓:2007/02/02(金) 10:43:29
あげ
487 :
没個性化されたレス↓:2007/02/08(木) 02:47:54
はげ
ないない。
母性本能って言葉に騙されたに過ぎないよ。
心理学板で本能を論ずること自体無理がある。
生物学板にでも移れ。
大量の新生児用意して実験すれば一発
492 :
マリリン ◆IxLejT1KUU :2008/01/06(日) 22:39:01
昔のスレだ懐かしい。マリリン保守しておこっと。
493 :
没個性化されたレス↓:2008/02/21(木) 20:03:06
あげっ!
ほんとのところはどうなんでしょうね…
494 :
没個性化されたレス↓:2008/02/21(木) 20:18:13
実際、母性本能は生育過程で身に付く後天的なもの。
がしかし、昔の育ちの女の場合、自然と母性本能が身についていたので、誰の目にも本能だと思ったのだろうね。
現在、きちんと育っている女が少なくなって、母性本能も身に付いていないので、母性本能を欲求されても大変困るんだよね。
自分は女らしくない、女じゃないんだ!と。
495 :
没個性化されたレス↓:2008/02/21(木) 20:31:26
>母性本能を要求されても大変困るんだよね。
>自分は女らしくない、女じゃないんだ!と。
こういう女達が、男女差別。女が差別されるのは社会的文化的に作り上げられたものだ!
女だって男と同等だ!と、叫び、逆に女らしい(母性を持っている)専業主婦たたきをはじめたんだよ。
それも、ココに来てそんな主張、アフォらしくて耳を傾ける人も少なくなったけどね。
496 :
没個性化されたレス↓:2008/02/22(金) 09:38:17
母性本能云々よりも、世の男性方、
自分の配偶者の書き込みをチェックしたことがあるんだろうか?
と思いますね
本当にびっくり、うんざりですね・・・
497 :
没個性化されたレス↓:2008/02/22(金) 10:28:03
妄想激しい女性
嫉妬の塊
勘違いなうぬぼれ
争い好き
知性教養常識の乏しさ
粘着
吐き気がする
寒気もする
498 :
没個性化されたレス↓:2008/02/22(金) 10:50:58
女とは本来そういう愚か者なのかもね・・・
そういう女にはなりたくない
>>494 後天的に獲得するものならば、それは「本能」とはいえないと思います。
そういう意味で「母性本能」はないと言えます。
人間の母親は、本能によってではなく、自分の中に作り上げた文化によって
子育てが出来るようになるということだと思います。
500 :
没個性化されたレス↓:2008/05/17(土) 12:54:51
母親が自分を犠牲にして子供の為に何かする、みたいな
ドラマや映画。昔は感動してたけど今はなんか変だと思う。
母性というより子供の為なら大人は犠牲になって当然
っていう子供至上主義に疑問を感じる。
母親がいやな目にあっても、子供の為なら
むしろ幸せみたいな変に美化した描写も腹が立つ。
母性を美化するなら父性も美化しとけよ
501 :
没個性化されたレス↓:2008/05/17(土) 15:06:47
妊娠出産に伴うホルモンバランスの変化からくる心理状態の変化なんかを母性本能に含めて考えることはできないだろうか?
飼っている鳥の頭上を +- こんな図形を飛ばしてみせると、
頭が長いときは逃げずに、向きを逆にして頭が短いと逃げるそうです。
本能かも、ということですが、どうやって伝わってるんでしょうね。
本能は親から子に遺伝すると思う
だから母性本能も全ての女性に成る訳では無いし、
親が子を愛する気持ちが少なかった場合は、その子も子を愛する気持が少なくなるのではないか?
オレは遺伝を通じて伝わる種としての記憶、本能と
魂が持つ個人の記憶と性質、人格があるんじゃないかなと思ってるけど
こういう考えはNGですか?
遺伝で伝わるというのは、遺伝子が伝えるけどDNA配列でなくて別の何か
という仮説ですが、
とりあえず魂は保留で、本能の遺伝という説の感想をお願いします
肉体−>本能−>体験や学習−>精神
オレの理解だとこんな順か
肉体や本能は先祖から受け継ぎ、体験や習慣は親や社会から影響を受け、精神は自分で育む
よって精神は行動の灯りとなり道標の役目を果たす
精神が道標の役目を止めた時、人は習慣と社会の奴隷と成り、
社会が乱れるとそれも失い本能のままに行動する
おそらく本能は遺伝してる
人間だけでなく動物も虫も遺伝してる
>本能は遺伝してる
「遺伝しているものを『本能』とする」としてしまえば,そのとおりだろうな。
実証ということは,言葉をいかに定義するかとは切り離せない。
自分の「言葉」を人に伝える「言葉」にできたとき,
ようやく,私たちは心理学の入り口に立てるのかもしれない。
そして,悲しいかな,
自称「心理学者」だけでなく,社会的属性として「心理学者」と称されていても,
そうした入り口にすらいない人たちがいることは間違いがない。
ほんとに,国内の学会誌ですら,
そんなことを踏まえない査読が増えたね。
ホルモンの話は聞いた事がある。配信ものの性的ネタを扱う番組でw
子供を抱っこした時最大に分泌されるホルモンなんだけど、エクスタシーにも関わってるとかww
因みに男女とも、エロ関係の思考回路が出来やすいのは18までらしい
注意しとけよ
>>503 人間の母親に「母性本能がある」という事は、人間の母親に、
未熟な自分の子どもを保護・養育しようという気持ちや行動が
生得的に備わっているという事ではないでしょうか。
だとすれば、子どもを愛する気持ちを持っている母親も、持って
いない母親も本能の指示に従って子どもをちゃんと育てる・・・
あるいは育てようという気持ちを持ち、育てる行動をとるという
事になるのではないでしょうか。
そうではなくて、子どもを愛する気持ちを持つ事が母性本能に
よるものなのでしょうか。もしそうなら、すべての母親が子どもを
愛する気持ちを持っていなければなりませんが、現実にはそう
ではないようです。これはどう考えればいいのでしょうか.
1か0ではないのでわ。生まれ持ったものと後天的に得るものあるいは前者を発達させることで得るもの。
線引きは難しい。
先天的にも後天的にもすごく子育てに向かない人はいるだろう、そういう人は無理して子供持たない方がいい。
でももっちゃったのなら、しょうがないから母親の母性的なものを育てたり他の人に助けてもらったりしなきゃしょうがない。
510 :
没個性化されたレス↓:2009/05/23(土) 14:18:10
>>500 いくら貴方の腹が立っても、それが母性の姿なのだから仕方ないのでは
父性が美化されてないということについて詳しく説明してください。
1週間前のレスだと思ったら一年前のだったw
>511
もう書いた本人見てないだろうね。お疲れ様でした。
私のレスを511さんも見てないだろうし、お疲れ様、俺。
>>503 母性愛は本能ではない。本能ではないから遺伝しない。
だから母性愛のない母親が存在する。
母性愛が本能であって遺伝するなら、親なら誰でも母性愛があるはず。
ところが実際には虐待する母親は後をたたない。
これは、母性愛が本能でないことを示している。
だから遺伝しない。
514 :
没個性化されたレス↓:2009/08/13(木) 14:11:31
母性本能のない動物はあまり見かけないが、母性のない人間の母親は
掃いて捨てるほどいる。これほどヒドい母親がいっぱいいるところを見ても
母性は本能ではないことが分る。
515 :
没個性化されたレス↓:2009/08/14(金) 06:38:36
子どもを苛める母親、子どもをコインロッカーに捨てる母親、ごみ箱に捨てる母親、
子どもに保険金をかけて殺す母親・・・どれも母性があるとは思えない。
人間の本能は壊れているんですよ。
516 :
没個性化されたレス↓:2009/11/08(日) 15:46:17
私は多分、母性がない
でも趣味や服装、外見はとても女らしい
意識的に女性らしく振る舞って、私は女なのよと自己暗示をかけている
私は自分をおかまみたいなもんかと思っている
おかまって女以上に女の子らしいところあるよね、しぐさにしても話し方にしても
母性がないから、そういったもので補填しているかのようにみえる
そんな本能、生物学上で存在するなんて聞いた事無いし、
文化や学習・教育によるものじゃね?
人間では失われてるけど
多くの動物は子育てするでそ
子供食っちゃう親もいるだろうけど
巣から落ちた雛鳥を親鳥は普通助けようとはしないし、
ライオンでもオスに自分の子を子殺しされれば、メスはじきに発情するのが普通。
母性は神話であって科学ではない。
520 :
没個性化されたレス↓:2009/11/09(月) 17:58:17
動物園の動物達の多くに、育児放棄が目立つが。
落ちなかった雛を育てるのは
学習ではなく本能だろうな
>>517 そうだと思う。
人間は文化によって学習によっていろんな事を身に付けて行くんだよ。
本能じゃあないよ。
>>518 動物は本能に従ってちゃんと子育てできるんだと思うよ。
でも、人間にはそれは無理なんだよ。
>>520 自然環境から切り離された動物は、きっと本能が壊れるんだよ。
525 :
没個性化されたレス↓:2009/12/15(火) 20:53:52
和歌山で起こった、生後7ヶ月の我が子を風呂場の床に足を持って頭から落として死なせた女。
「育児に疲れた」と言っているが、母性が本能ならこんなことはしない。
セックスは本能だからするんだろうが、育児は違う。
昔の女性は、何人もの子供を育てたが、今の女は我が子よりは我が身の方が重要なんだろう
526 :
没個性化されたレス↓:2009/12/15(火) 20:56:12
和歌山で起こった、生後7ヶ月の我が子を風呂場の床に足を持って頭から落として死なせた女。
「育児に疲れた」と言っているが、母性が本能ならこんなことはしない。
セックスは本能だからするんだろうが、育児は違う。
昔の女性は、何人もの子供を育てたが、今の女は我が子よりは我が身の方が重要なんだろう
しっかり学習して欲しいところ
528 :
没個性化されたレス↓:2009/12/17(木) 17:47:51
母性 vs 冷酷
529 :
没個性化されたレス↓:2009/12/20(日) 22:18:32
つまり母性本能とはS心なのか?
530 :
し:2009/12/20(日) 22:25:13
じゃあどうするよ?
531 :
し:2009/12/20(日) 22:39:28
思いっきりが大切だと思うよ。
まあ心中考慮はするがね。
どうすればいいかは君が言うか方法がないなら何もない。
福田康夫が言うようにあの種の人間には思慮分別と客観性がある。
安心したまえよ
532 :
没個性化されたレス↓:2009/12/20(日) 22:47:04
母に本能があるんじゃなく子に本能があるんだよ。
ハーロウの実験でわかるように、子は本能的に柔らかく温かいものに
依っていく性質がある。
それは生物種としてのヒトが持ち備えた生存本能のひとつなんだ。
これはすべての動物種に共通の本能だ。
実際、動物園のような子育ての技能の世代伝達が難しいような状況に
置かれた動物は子育てをほとんどしないばかりか、子を力でもって
威嚇・攻撃することも珍しくない。
ヒトだって同じで、子育て技能の正常な伝達が行われなければ
虐待のような結果になり得るし、そこでは伝達の主体の性別なんて
ほとんど関係ない。
子育てに関係があるとすれば、保護者と子の間の相性の問題だろう。
533 :
没個性化されたレス↓:2009/12/22(火) 23:25:07
1>造られた言葉と思うといいよ。
>>525 育児が嫌なお母さんはいっぱいいるみたいですね。
>>532 >実際、動物園のような子育ての技能の世代伝達が難しいような状況に
>置かれた動物は子育てをほとんどしないばかりか、子を力でもって
>威嚇・攻撃することも珍しくない。
そうなんですよ。動物だって人工的な環境に置かれると本能が壊れて
子育てしなくなったり凶暴になったりするんですよね。
人間は動物園よりも人工的な環境で育っているんだからもっと本能が
壊れていて不思議じゃないですよね。
人間って元々本能が壊れているんですよね。
馬鹿らしい!
母性があったって、必要なときに子殺しするよ。
人間も同じ。
母性と子殺しを二項対立でとらえるほうがおかしい。
どちらも本能。
↑未だに母性を本能だなんて言ってるよw
539 :
没個性化されたレス↓:2010/01/26(火) 20:44:19
>>537 人間は本能を見失った動物なんだよ。
いつご飯食べる?朝・昼・晩じゃない?それって本能とは関係ないよね。
人間は「文化」というルールがなければ何も出来ないでしょ。
ヒトには本能もあるが、思考の方が優位になっており、
それぞれの社会での文化や習慣などで規範が出来上がっているため、それらに依存しやすい傾向がある。
母性=社会的役割や規範
と仮定する。
母性がない女=社会的役割や規範を持たない女
∴ 母性がない女は社会的欠陥を抱えており、社会から排除される
最後はいきなり論理の飛躍かよw
>>541 人は本能ではなく文化に従って行動しています。
ライオンが「そろそろランチの時間だ。」とか「今日のディナーはフランス料理かな。」などと
考えることはありません。
人間だけがそういうことを考えるのです。
いつ食べるのか、いつ寝るのか、いつ風呂に入るのか、
そんな事は本能が指し示す訳はありません。
すべて文化によるものです。
人間は文化に従って行動しているのです。