「ネオダーウィニズム」は、分子進化の中立説や断続平衡説などの
対立項として使われるのではないの?
歴史を無視した態度だな、それは。
ネオ・ダーウィニズムがネオ・ダーウィニズムと
呼ばれなければならなかった理由はただ一つ、
ネオ・ラマルキズムもまた自らを正統な
ダーウィン進化論の後継と位置付けていたからだ。
行動主義と新行動主義が別物であるように、
歴史の中で学派が分立していけば呼称の区分は必要になる。
ま、つまるところネオ・ダーウィニストがそのようにして
ネオ・ラマルキズムを歴史から間善意抹殺しなければ
ならなかったほどに、進化論を巡る思想的対立は根が深いということだが。
>>934 そのへんは、ネオ・ダーウィニズムよりさらに新しい学説なわけだが、
それらを主張する人々が既存の理論の枠組みを批判するときにも
総合説進化論(淘汰と突然変異)を指してネオ・ダーウィニズムと呼ぶことが多い。
あるいは単にDarwinismというときはthe theory of evolution、
つまり進化論全体を指すものであり、とくに現在の主流派を示すことはない。
獲得形質遺伝だろうと断続平衡説だろうと、創造説以外は全部含まれるだろう。
いかなる科学理論も時代と思想の制約から完全に自由であることはないが、
およそ進化論ほど、イデオロギーの洗礼を浴び続けてきた科学理論は存在しないし、
現在の学説にしても、思想風潮と全く無関係に存在しているわけではない。
たとえば、個体の適応―利己主義が全体の利益に通じるというイデアは、
西洋思想史においてアダム・スミス以来の伝統の中に位置付けられる。
それはすなわち、資本主義思想のルーツに他ならないわけだが。
「個人が見えない手に導かれて、自らの意図しない目的をまっとうする。
個人が意図していないからといって、社会にはかならずしも悪ではない。
個人が自らの利益を追求することで、意図する場合よりも効果的に
社会発展に寄与できることも多い」
アダム・スミス 『国富論』
いずれにせよ、言語屋さんがネオとかネオネオ
いうときには、そういう意味で使っているのでは
ないような気がします。
引用文を見る限り、単に個体間淘汰を指して言ってるだけのようだけど。
ネオネオってのは分からん。中立説とかを指して言ってるんだろうか。
中立説への言及はまんざらでもないにゃ。ネオ・ネオ側からすれば、進化のあらゆる
段階を適応的と見る過剰淘汰主義としてのネオ・ダーウィニズム(ときにウルトラ・
ダーウィニズム)が批判の対象になってるのにゃ。
たとえば言語能力を持つこと自体が生存や繁殖を有利にすることはあっても、その
能力を構成する構造原理はむしろ反機能的・反適応的であり、それを説明するのは
自然選択ではない、ということなのにゃ。言い換えれば、表に現れる行動が適応的
であったとしてもその行動を細かく分析した時に見えてくるミクロな成分の逐一が
適応的だとは言えない、ということで生成の中で反行動主義と反適応主義が結びつく
ことになるにゃ。
自明にゃが、選択はすでにあるものにしか作用せず、そのもの自体の起源については
沈黙せざるを得ないにゃ。
>>929 生成派は二元論を採らないのにゃ。
参照レス
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1022592781/349
>940
おはようございます。
どこかでレスを拝見しましたが、言語能力を脳の文法中枢部位に帰属する事に懐疑的と仰っているのを見て・・。
デカルトの機械論は取ってなくとも、mindについては関心がお持ちなように見えたのですが。。?
チョムの生成文法は機能ではなく構造の理論(ですよね?)との事ですが、
言語に特化した脳モジュール+他のなにがしかの認知能力以外のプラスアルファの存在を標傍して印象を受けましたし。
デカルトはともかく、少なくとも唯物論的心身一元論ではないでつよね?
と質問厨ですみませぬ・・(汗
>>940 >表に現れる行動が適応的であったとしてもその行動を細かく分析した時に
見えてくるミクロな成分の逐一が適応的だとは言えない、
言語能力以外に,生物学でこのような例は具体的に何が挙げられますか?
念のために書いておきますと、突然変異と自然選択が進化の原動力で
あるということと、その結果が「適応的」であるということはイコール
ではありません。
たとえば1回対戦型囚人のジレンマゲームではD戦略がESSですが
D戦略が「適応的」だという人は少ないでしょう。
お話を伺っていると自然選択=適応的という誤解が背後にあるような
気がするのですが。。
それはそうとして、
>言語能力を構成する構造原理はむしろ反機能的・反適応的
というのは、どういう点が反機能的で反適応的と考えられて
いるのでしょう? (多分、向こうのスレに書いてあるんで
しょうけども、探すのが困難ですw)
?? 冗長(に見える)表現が可能な点が反機能的で反適応的?
多分そこではなくて、どこかで構造原理の反適応性を論じて
らっしゃるところがあるのでしょう。
>能力を構成する構造原理はむしろ反機能的・反適応的であり、それを説明するのは
自然選択ではない、ということなのにゃ。言い換えれば、表に現れる行動が適応的
であったとしてもその行動を細かく分析した時に見えてくるミクロな成分の逐一が
適応的だとは言えない
この言明は、ちょっと怪しさ大爆発ではないでしょうか?適応的だ、というのも
難しいモノですが、適応的でない、というのは何をもってそう主張されるのでしょう?
また、「適応的でない=個体の適応価(子供の数)を減らす」?
「適応的でない=個体の適応価に大した影響をあたえない」?
どちらでしょう?
終らないぞー、この議論は。
言おうと思えば言うのは簡単なんだよ、これくらいのこと。
┌────┐::::::::: :::::::::::::::::;;;;;;;;
│ │ ::::::::::,,,,,,,,,,::::::::::::::: ;;;;;;:::::::::::::::::;;;;;;;;;;;
│ ┓ 魔 │ :::::::::::::::::: ::::::::: ::::::::::::::: ;;;;;;;;:::::::::::;;;;
│ ガ │ | ;;;;;;;;; :::::::::::::
│ ッ .城 │ .| ::::::::::::: ∧
│ デ │ || . . | ;;;;;;;;;;::::::: .____丿 \∧//
│ ム │ | _| |__ || \ 不 ┐ /
│┗ │ .|;| /。 。ヽ |,;| ゴ ). 完 総 /
│ │ |.;;| ヾi||i;;,,,ノ ,-'。'-, ロ < 全 .合 (
└────┘ ノ ヽ .|,l.|iii|/。。。。ヽ ゴ ノ で 説 ゝ
ガ ..|| <。。。`)イ。ヽ|ヾiiii;;;''""ノ ロ < す . (
.ラ .|;;| |ii;;;"''(。。。。);;|ii;; ;:| ゴ . く ! ! └ (
ガ .| ;;,| /'~~~';;; ヾii;;:iノ. . |;; ;| ロ ヽ .は (
.ラ .ノ ;;ヽ_ ヾミlli;;∧;|i;;;i.| ||;∧.|| || //ヽ ヘ\
ガ /。。。。\|ミ,-' '-,i;;;| ll いノヽ |.| ヽ /
ラ /o o o o o o .Y。。。。ヽ,, ll .|i; |。。\,-'-',_ ::::::::::::: V
ヾミi;U;;o""''∧'~ヾii;;;;:''/ii ll ..|i; .|;;;;:::::''ノ______ヽ:::::::
|iii;;;:∧::ヾ(,,,,,,,,,)ii|.ii;;'' |ii ll |ii; |;;;丿iii;;;/ ;;;;;;;;
|iii;;;| |::ヾ`|ii..|´ ii|. ヾ|ii _,ノii;; ヽ_ii;;::/
/'~'\ノ::ヽ .|i;.| iiii .ヾii,-'~。。。。。。 `\ .|
でもここまで踏み込むと進化心理学から遠ざかる一方になるんだが。
ともかくの、総合説進化論というのは、高校生物レベルで習う話だが
ここで言う突然変異とは、見かけ上ほとんどオリジナルとの違いが
現れない、ごく小規模なそれである――、総合説進化論は、完全に
内発的でいっさい外部環境の影響を受けない、偶発的な突然変異の
力のみに全面的に依存することで、その理論体系を維持してきた。
突然変異はまったく無方位に、一定の頻度で種個体群の中に現れる。
そのほとんどは、その生物の生息環境の中では個体の生存にとって
不利なものであるから、この個体は子孫を残すチャンスに恵まれず、
すぐに消えてしまう。しかし、まれに、個体の生存にとって都合のよい
有利な突然変異が生じると、この個体は自然選択によって生き延び、
ほかの者に比べてより多くの子孫を残すチャンスに恵まれる。
このような個体を、「適応度」が高い個体と呼ぶ。その結果、
この種個体群の中には、有利な突然変異が広がり、ほんの少しだけ
種のしての形質が変化する。このような積み重ねが何百、何千世代
にもわたって繰り返されるうちに、種は最初のものとは全く変わって行く――
というのが、現在の総合説進化論者の、現在でも公式に掲げる、
唯一絶対の進化の法則である。
『大進化する進化論』
60年代までの進化論は、顔文字氏のいうように
「ミクロな成分のそれぞれが、適応的だったから残った」
という考え方が主流だったといっていい。
そして定着しうる個々の突然変異はミクロ的な影響しか及ぼさない。
ゆえに新種が誕生するほどの進化には数十万年単位の時間と、
奇跡的な偶然の積み重ねが必要になる。
そのような淘汰の力を、J・ハックスリーはこのように表現した。
馬は存在しえない。しかし存在する。
ゆえに、淘汰と突然変異の力はそれほどまでに大きい。
ところで誰か新スレよろしく。俺はムリ。
>>943 そのような発想は、現実問題としてD戦略者が多くの子孫を残している、
というデータが示されない限りここでは意味をなさない。
現実問題として子孫が多いならD戦略者は適応的であり、
そうでないなら適応的でなく、また理論モデルの誤りが証明されるだけだ。
なにが適応的であるかを正しく予測することができなかったのだから。
現実に子孫が多いのがC戦略者であるなら、C戦略は適応的だし、
ゆえにD戦略者が適応的であるという考えは多くの人に疑念を抱かせる。
総合説進化論の本来の考え方のうえでは、
進化の結果は常に適応的である、は定義により真なんだよ。
生成文法を獲得することや、生成文法を獲得するまでに必要な
個々のミクロ的な変異の蓄積が適応的か不適応的かは
俺にはわからないし、どうせ誰にも厳密なデータなど出せまい。
ただし、これと類似の問題じたいは、古くから注目されている。
総合説進化論に従えば、変化は少しずつ蓄積されるのだから、
表現形質自体も少しずつしか変化しない、つまり、化石資料を調べれば
断続的な変化の様子が観察されるはずだ、と考えられていた。
ところが現実にはそうではなく、進化の過程における中間型の
生物化石が見つからないケースは非常に多い。
コウモリの祖先は突然空を飛べる姿で出現したし、
魚竜ははじめから泳ぐ事のできる姿で現われた。
中途半端に首が長いキリンの化石はどこにもない。
そして、ネオネオでもポストネオでも何でもいいが、
断続平衡説と中立説はこの問題に一定の解答を見出している。
60年代後半、出現したばかりの中立説に対抗する立場をとった一人に
「進化的安定戦略理論」――ESS戦略理論の提唱者メイナード=スミスがいる。
多分続きを書いてる途中っぽいので、しばし待ちましょう。
ただし中立説はあくまで非表現形質における遺伝的浮腫をとらえたもので、
表現形質レベルでは自然選択の力が働くことを否定するものではない。
しかし、古生物学上の進化の記録の上では、
将来的に獲得する能力にとって必要な表現形質レベルの「準備」が
進化の初期段階から獲得されていたという例が多く見られる。
たとえばゾウの祖先に近いメリテリウムは切歯の伸張、
臼歯の減少、頭蓋内の気室などの長眉目の特徴の萌芽を持つが、
これらの特徴が当時の彼らにとって適応的な意味を持ちえたとは考えにくい。
同様に、キリンの祖先に似たオカピは、首が伸びたときはじめて必要になる
特殊な血管構造ワンダーネットを、彼ら自身は首が短いのに、身につけている。
ただし、非適応的形質の存在は、それだけで総合説に致命傷を与えるものではない。
なぜなら、一つの遺伝子のもたらす表現形は一つであるとは限らないからだ。
この代表的な例として、アフリカで発見された鎌形赤血球が知られている。
鎌形赤血球は悪性貧血の要因であるが、同時にマラリア感染に抵抗力をもつので、
マラリアの病原がいる環境下では生き延びることができた。
このように、、適応的な形質と非適応的な形質を両方持つ遺伝子は、
そのバランスがプラスに傾けば非適応的形質を伴って定着することがある。
これを非適応的進化論という。
以上、半可通によるまとめ。
では、出かけてきます。
どうも、お疲れ様。週末のお仕事でしょうか。
「適応的」という言葉はあいまいな言葉なので、きちんとものを考えるときは
「淘汰圧」の方を使います。ある戦略やある形質を持つ個体が増える方向に
自然淘汰がかかっているのか、減らす方向にかかっているのか、を示す概念で
「変化」(=進化)に直結するのはこちらです。
「淘汰圧」の方は、複数の戦略や形質が同時に存在しているときに初めて
て定義できる概念であるのに対し、「適応度」の方は他の戦略が存在しなくても
定義することができます(単に子供の数の期待値なので)。
自分しかいないときに適応度の高い戦略でも、他の戦略が侵入したときに
適応度で負けてしまう戦略には、それを減らす方向に淘汰圧がかかります。
社会的ジレンマにおけるC戦略とD戦略の関係はまさにそうで、「適応的」
というあいまいな概念では問題を捉えそこなうことになります。
(C戦略の方が「適応的」だから進化して当然、みたいに)
規制くらっててレスが遅れてるにゃ、すまんにゃ
いえいえ、お忙しいところ申し訳ありません
お手すきのときにでも、よろしくお願いします。
「YAhooBBからのアタックがひどいのでYahooBBは規制しています」
アタックで思い出したが洗濯もんが溜まってるにゃ
あったらうれしい自然洗濯……
>>941 だいぶ誤解されたかにゃ
>言語能力を脳の文法中枢部位に帰属する事に懐疑的
言語機構(言語器官)という見方は大脳機能局在論の正否に影響されない、ということですにゃ。
>プラスアルファの存在
UGが個別言語を説明するとして、そのUG自体を説明するのは進化生物学であり、そこに作用した
物理的・数学的法則だろう、という部分かにゃ?
上のネオ・ネオは自然選択よりもそのような法則を重視する態度表明ということでもいいのにゃ。
あるいは、いまあるものはすでにあったものの使い回しに過ぎずそのすでにあったものを説明
しないといまあるものを説明したことにならない、といったあたりにゃ。
>>942 パンダの親指
……ウソにゃ
まあ古典的な議論にゃが、目は完全でなければ目としての機能を果たせず目になりかけのものに対して
選択が有利に働くとは思えない、ということがあるにゃ。ドーキンズが指摘するとおり、目の
できそこないでもないよりはマシにゃが、その目の出来損ないを作るにも光を感じる細胞がまず
なければならず、それ自体の出現は選択や適応でどうやって説明するのか、ということですにゃ。
>>944〜
ここでは適応的でない、というのは繁殖を有利にすることにつながらない、という意味(947でいえば
両方)で使ってるにゃ。で、言語の原理がそうだというのは、例えば移動の局所性が生成可能な表現を
厳しく制限することになり、そうでなければ表すことのできる意味が表せない、言いたいことが
伝えられない、という反機能的側面を指すにゃ。
*What do you hate the girl who loves? (cf. I hate the girl who loves jazz.)
jazzの部分について質問できないことにどういうメリットがあるのか、などなどにゃ。
後付けであれこれ面白いjust-so storyをでっちあげてもそれはもはや説明ではないにゃ。
>>952 >進化の結果は常に適応的である、は定義により真
最適者生存は単なるトートロジー、とも言うにゃw
オカピのワンダーネットは言語板でも既出にゃが、あっても致命的ではないのでそのまま保存され、
たまたま将来役に立つことになっただけ、そのようなその時点ではどうでもいいものを丸抱えに
したまま(無駄や余剰を許しながら)生物は進化する、と見れば、上の言語の局所性もそれが
致命傷ではないので存在する、といったあたりのことしか自然選択では言えないのにゃ。
では局所制約は(ワンダーネットは)そもそもどうやってできたのか、と考察のレベルを深めたら
どうなるのか、ですにゃ。
無駄な形質や余剰な形質が「偶然に」定着する、というアイデアは
1930年代、集団遺伝学の開祖の一人ライトが既に示していたりする。
ライトの提唱する「平衡推移理論」によれば、種個体群が多数の
小さな地域的集団に分かれている場合、次のような過程を踏んで、
急速な進化が起こりうると言う。まず第一に、それぞれの小集団の中で、
遺伝的浮動によるさまざまな変異が増える。集団が小さければ小さいほど、
その内部では遺伝的浮動によって新しい形質が定着する速度が速く、
もとの種とはやや違った遺伝的な平衡状態に移行しやすい。
次に、このようなプロセスの中から、単独では不利だが、他の形質と
合わさると逆に有利になるような新しい形質の組み合わせが生まれ、
その頻度がある一定のレベルを超えると、自然選択が働いて、
それが集団の中に定着する。そして、第三段階では、こうしてほかよりも
有利な形質を持つようになった集団がほかの地域的集団と接触し、
ここで競合により、ほかの集団を打ち負かして、その集団のもつ
有利な形質が種全体に広まっていくのである。地域的な隔離によって
集団が小さくなれば、その集団の遺伝子構成は安定性を欠き、
環境からの影響と偶発的な浮動と、二つの要因によって急速に「進化」する。
そして、それら独自に進化した集団同士が相互に接触すれば、
さらにそこからより優れた形質が出現する。このようにして、
連鎖的に急速な進化が進む、というわけである。
『大進化する進化論』
このようにライトは自然選択に対して中立な突然変異が実在すると考えたが、
結局突然変異は自然選択に対して有利か不利かのどちらかしかありえない、
遺伝的浮動は存在しない、というフィッシャーの考え方が有利になり、
それが総合説進化論として確立されることとなる。
ところで、複数の形質があるときに
どれか一つだけが勝ち残るんじゃなく
均衡状態が生じることがある、って考え方を
はじめて進化論に持ち込んだのは
メイナード=スミスってことでいいのかな。
>961
だいぶ誤解していたようです。失礼しますた。
>語機構(言語器官)という見方は大脳機能局在論の正否に影響されない、ということですにゃ。
脳のある文法中枢部分だーと分かっても、統語的機能を説明した事にはならないという事なんですね。
>上のネオ・ネオは自然選択よりもそのような法則を重視する態度表明ということでもいいのにゃ。
私は、今面白楽しく進化心理学的なものをお勉強させて頂いておりまつが、
進化論もちゃんと勉強せねばなぁ…(当然ですね。
でも、高校生物で習ってたんでつか? 涙)と思ってますが、
「最適者生存」とか全ての機能や構造が自然選択の結果である…という
強行な進化論ってメジャーなのかな? と疑問に思うのですた。。
ですが、
>上のネオ・ネオは自然選択よりもそのような法則を重視する態度表明ということでもいいのにゃ。
そういう事なら納得でつ。
チョムスキーのイメージは好戦的な感じなのですが、
戦わんでも良い相手まで攻撃しそぉでつ(汗
ロボ氏の進化論のまとめと関係するかどうかは分かりませんが、
部類の鳥好きの動物行動学者ローレンツさんが、
こんなことを書簡で書いてますた↓
「私たち人間が脳で達成することをカイツブリ類は本当に尾腺でやってのけますよ!
私たち自身は脳を重視する生き物ですから、脳を使った業績を好みますが、
カイツブリだったらたぶんつぎのように書くでしょう。
『ホモ・サピエンスは脳を異常に発達させたことで袋小路にはまり、
にっちもさっちもいかなくなり、そのために唯一の正しい道(尾腺の発達)
を見失ってしまったのだ』と。」
ちなみにカイツブリはフクロウ科の鳥で、尾腺は羽の耐水性に役立ちます。
最適者生存というのは極端でつが、少なくとも人間という群れがこれだけの
数で安定的に生存しているのを見ると、適応度が高く、進化的安定戦略を
取っているとは言えそうです。
人間が他の動物と比べて特に目立つ特徴は、限りなくあるけれども
二足歩行、言語能力などで、二足歩行は脳の発達と影響してるそうだし(本当か)
言語能力もそうだと。
でも、だからと言って、カイツブリの尾腺という別の戦略だってある訳で、
正しい道が一つとは限らない、と進化論は言っている気がするのでつが。。
(進化論にも色々な立場があるようですのですが。。)
ちなみに脳のモジュール仮説の成否は疑問でつが、(あったら面白いと思うのですが…)
それで全てが説明できるとは思っておりませんでつ。
まだ初学どころか入門もできてないので、言語能力スレではすみませんでした。
でも、言語学者さんがUGを支持するのは、言語学をつきつめていくと
どうもあるんじゃないの?としか思えない何かがあるからだと
思うのでつが、その辺りを理解するには、例文判定等を積み上げていくしか
今はないのでしょうね・・。
まとまらず、すみません。
会社の家畜なので、出勤いたしまつ(汗。
厨な質問にご解答頂き多謝です。
>>965 頻度依存淘汰のアイディアは、すでにRAフィッシャーが性比の進化
(なぜオス:メスの頻度は1:1に近いか)を考察するときに提出しています
ので、メイナード・スミスが最初というわけではありません。
ただ、彼の進化ゲームの定式化で一般性のある形で広く知られるようになりました。
>>962 言語というものはシグナルの一種なので、送信者のエンコード戦略と
受信者のデコード戦略が一致していないと、お互いの適応度を一般に
下げることになると思います。
単語レベルでいえば、車両のすれ違いのときに、「右!」といってる
のに相手がそれを「左」と思って動けば、お互いに不幸な結果を招く
でしょう。ゲーム論的には調整ゲームと呼ばれるゲームで表現できますが
このタイプのゲームはESS(進化的に安定な戦略・状態)が複数
あるのが特徴です。どのESSが実現するかは偶然の影響を受けますが
一度実現すると、集団の状態がそこから動くことは起こりにくく
なります。
ある特定の文法規則(エンコードのお約束とデコードのお約束)が
定着する背後にも同様のダイナミクスが働いている気がします。
何が定着するかはチャンスレベルで、説明をつけようにもお話にしか
ならないと思われますが、それが「定着していること」そのものは
進化ゲーム論的に説明がつくと思います。
う〜む、規制情報板のトップにYahooBBが……(きぃぃー!
メイナード・スミスはneo-Darwinianにゃがらチョムには大筋で賛同しているわけだけどにゃ
We are satisfied that the debate between the behaviourists and the proponents of a special
linguistic competence has been won by the latter. (Maynard Smith & Szathmary, The Major
Transitions in Evolution.)
>>970のような見方は思いっ切り大目に見ても同じ文法原理がある言語社会で共有されることの
利点を述べているに過ぎず、その原理自体の由来を知ることにはならないと思えるのにゃ。
しかも、この場合の原理とは「ある特定の文法規則(エンコードのお約束とデコードのお約束)」
という現象論的なレベルで語れるものではないのにゃ。(規則ではなく自然法則だといえば分かり
やすいにゃ。)ESSなどはたとえば微少な歴史的変化(いま起きつつある例としては「ら抜き」
ことば)や毎日繰り返される新語造語とその特定サブカルチャにおける急速な伝播などをモデル化
するのには有効にゃろ。しかし生成が扱う文法原理は、例えばヒトの肉眼でのモノの見え方は種に
共通かつ固有でありイヌとは違う、その特性はどうやって決まり、またなぜそれでなくては
ならないのか、といったのと同種の問題設定を要請するのにゃ。みんな違うモノが見えたら
「不幸な結果を招く」から、というのは答えになってない、本末転倒もはなはだしい、とどうしても
感じてしまうわけなのにゃ。誤解があれば指摘お願いするにゃ(ぺこり
>>970 やっぱり良くわからないのは、文法原理と一口に言っても「何」を
話題にされているのでしょうか?仮に、シンボリックな表象を扱う
認知能力が文法を支えていると主張されるのならば、「表象を扱う能力は
(言語から切り離しても)適応価を持つのか?」という問いを立てることが
できます。
が、「例えばヒトの肉眼でのモノの見え方は種に共通かつ固有でありイヌとは違う」
というのは、そりゃ当然そうだと思いますが、「具体的」に言えば「何」ですか?
それがある程度明示的に示されない限り、「〜は適応的ではない」とも何とも
言えませんが。これは、あちらのスレでの疑問とも重なります。
>例えば移動の局所性が生成可能な表現を厳しく制限することになり、
そうでなければ表すことのできる意味が表せない、言いたいことが伝えられない、
という反機能的側面を指すにゃ。
これは「文法構造における局所性」という「何か」は「言語によって伝達可能な
意味の範囲を狭める」が故に「機能的でない=適応的でない」ということですよね?
つまりその「何か」は「言葉でどれだけたくさん/正確に伝えられるか」という基準で
「適応的か否かが判断されている(べきだ)」という主張にもとれますが。
これって「言語そのものが持つ適応価でなく、言語を支える認知構造そのものが
持つ適応価を見ると、適応的でない」という、顔文字さんの過去の主張からズレて
いるように思いますが。
#生成文法なる「何か(遺伝子型)」は「言語という表現型」によって淘汰される
と考えるのですか?あるいは、言語は「何か」の副産物であり、その「何か」は
言語とは無縁の起源を持ち「人間の適応価に何の影響も与えなかったが故に徐々に
蓄積され、ある時突然、言語という表現型に結実した」というストーリーですか?
>文法原理と一口に言っても「何」を話題に
これまで関連スレで何度もガイシュツなわけにゃが……
人間言語の階層構造依存性、句構造の自己相似的な規則性、句構造を組み上げる
過程(派生)に働く局所性・極小性の制約(最短連結条件、下接条件)、統語
構造から意味解釈を引き出す際の(非)同一指示条件、などなど、要するに
(俺らの目から見れば)経験的に獲得不能と映る、普遍的かつ抽象的な人間言語の
特性すべてだにゃ。例えば
>>962の例
>*What do you hate the girl who loves?
はloveの目的語の位置からwhatを文頭に移動させる操作が無制限に許されるのでは
なく、ある境界の中でしか適用できない、ということが母語話者の知識に含まれる
ことを示しているにゃ。この例に限らず(多少の変動はあるが)原則、すべての
考えられる移動現象についてすべての母語話者が等しい知識を共有しているのにゃ。
どういうものがその境界になるのか、と聞かれて明確に答えられる人は一人もおらず、
またどうやって学習したかも誰にも言えないのに、にゃ。最前線にたつ言語学者でも
その制約を過不足なく定式化することに成功していないというのが現状にゃが、
不完全ながらもある程度は明確化しているその制約が、どうやってそれを経験的に
学べるのか、またその制約が人間にとってどんな適応的価値を持つのか、という問題を
考えるわけにゃ。
機能主義者の目からみれば、言語は情報や意志伝達のための道具であり言語構造の
特性もそういった観点から(目的論的に)説明されることになるのにゃ。しかし
現実には上記のような制約がくわわることにより、言語の伝達手段としての機能は
むしろ反機能的であり、適応的でないということになるにゃ。言語を持つこと自体
の適応価と、その言語を構成する原理の適応価は分けて考えなければならない、
前者は後者から帰結しているのではない、と考えるにゃ。
>#生成文法なる「何か(遺伝子型)」は「言語という表現型」によって淘汰される
>と考えるのですか?
よく理解できんにゃが、元々いろんな人間言語があってそのうちの一つがもたらす
表現型が他のものより適応的であり現在では一つしか残っていない、という意味かにゃ?
それは生成のシナリオではないにゃ。むしろ与えられた進化の条件下で、言語は最初
から一つのもの(現在の人間言語)しか生じ得なかった(単一起源説とは区別するにゃ)
ということだと思うにゃ。
>あるいは、言語は「何か」の副産物であり、その「何か」は言語とは無縁の起源を
>持ち「人間の適応価に何の影響も与えなかったが故に徐々に蓄積され、ある時突然、
>言語という表現型に結実した」というストーリーですか?
こっちとは相性がいいにゃ。言語はexaptationであり、spandrelみたいなもんだ、と
グールドもいってたにゃ。
ところで複数のスレで同じことを繰り返すのも疲れてきたので、できたら進化論も
含めて言語生得性に関する意見交換は、
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1011801342/l50 か
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1039926852/l50 にまとめてもらってもいいにゃろか。
今のところ、言語板から俺らが一方的にこちらへ乗り込んできてお相手してもらってる
にゃが、逆に心理学諸賢にも是非言語板にお越し願いたいもんですにゃー(ぺこり
んー。
空を飛べないことにどういうメリットがあるのか、
右肘を左肩に接触させられないことにどういうメリットがあるのか、
*What do you hate the girl who loves? と言えないことにどういう
メリットがあるのか。
あってもなくてもいい気まぐれな制約なのか、あると裏で役立つ制約なのか。
「表現力が弱いから適応的でない」と言えるのは何故?
よくわかんないや。
まだ書いていいのかにゃ?
言語がコミュニケーションのツールであるという機能主義の立場からすれば、
その伝達力を弱められることは即ち機能の低下であると思われるからですにゃ。
もちろん理屈をこねることはいくらでもできるにゃ。例えば制限が強いほうが
(表現可能性が低いほうが)伝達の効率はあがる、とか、曖昧性を排除できる、
とかにゃ。ある種のtrade-offの関係があるのは明白にゃ。
しかし問題は、それが生存や繁殖に有利に働くので選択された、と言えるのか、
例えば What do you hate the girl who loves? をOKとするような文法を
持つ者がそうでない者との生存競争に敗れ完全に姿を消さなければならない
ほどのデメリットがどこにあるのか、ということなのにゃ。
開き直れば、そういう原理があるのだからしょうがない、それに機能的な説明を
求めるのがそもそもおかしい、適応価があろうがなかろうが、致命的に不利で
なければよいだけのことであって、その原理自体が成り立つ理由を考えたほうが
よかろう、というような感じですにゃ。
>>974 言語を構成する原理の適応価
という概念は進化生物学にはない概念ですので解説をお願いします。
「適応価」は「適応度(子供の数の期待値)」と同義でしょうか?
「原理の適応価」というのは「原理をもつ個体の適応度」の意味
なのでしょうか?
それとも、それらとは別個に「原理の適応価」という概念が
言語学では立てられているのでしょうか?
>>977 例えば What do you hate the girl who loves? をOKとするような文法を
持つ者がそうでない者との生存競争に敗れ完全に姿を消さなければならない
ほどのデメリットがどこにあるのか、ということなのにゃ。
そういうことがおこるのが調整ゲームの特徴なのです。右側通行は
左側通行に比べて、決定的なデメリットはなくても、ある集団では
姿を消すことがあります。ある戦略が姿を消すということは、その
戦略に決定的なデメリットがあることを、必ずしも含意しませんし、
その戦略が姿を消さなければならない「原理」が存在することを
必ずしも含意するわけでもありません。
>>971「不幸な結果を招く」から、というのは答えになってない、
本末転倒もはなはだしい、
というのもよく分かりません。この場合、何が「本」で何が「末」で
どういう風に転倒しているとお考えでしょう?
>>975 むしろ言語生得性についての議論は向こうに任せて、
ここでは、言語進化に関連する淘汰圧について考えてみたいと
思っています。
適応価は特に専門タームのつもりもないにゃが、adaptive valueのことにゃ。
全言語のページからadaptive valueを検索しました。� 約609,000件
>>978で仰るような意味で結構にゃ。逆に教えてクンにゃが適応度というのは何の訳
ですかにゃ? fitness ナントカ?
>そういうことがおこるのが調整ゲームの特徴
例えば右側通行についてどうやってそういうことが起こるのか、例を出してもらえん
かにゃ? まあ素人考えでは、右側通行は通行の混乱を避けるという目的を先に設定して
取り決めることのできる人為的ルールで、集団が違えば同じ目的のために別の戦略を選ぶ
こともできるにゃ。それと同じことが言語の構造原理(接触のないすべての個別言語に
ついて成り立つ普遍法則、無意識的知識)についてもあり得るのか、考えてみたいですにゃ。
>何が「本」で何が「末」
キリンの首はなぜ長いか、と同じ話しだけどにゃ、構造や法則(本)が先にありその
帰結として機能(末)が生まれるのであって、その逆ではない、ということにゃ。
今の例でいうと、たとえば伝達効率を上げるため(結果)に摘出不可能領域(の知識)
が生じる(原因)という見方が本末転倒なのにゃ。どうもそちらではいまだに目的論的
説明が受け入れられているのかと心配になってくるにゃが?
Yahoo規制のせいで(原因)レスが遅れる(結果)のにゃ、すまんにゃ。
>>981 これらに対する返事は、まとめて「言語スレ」に書きます。
進化心理スレ3では、177さんの以下の提案もありますので。
>そんなわけで、ここで進化生物学のロジック(の延長)で、いかにして
利他的に見える行動の進化を説明することができるのか、その説明から
どのようなインプリケーションが導けるのか、を考えることは、その
まま進化生物学のロジックの有用性を検証することにつながります。
というわけで、このスレでは非ランダムモデルの説明とそれについての
考察を続けることにしましょう。