テキスト:マンガ心理学入門 先生:誰でも 授業料:タダ まー、よろしく。質問あるやつは詳しい人が気づくまであげろ。
とりあえず作ったけどさー、もうマンガ入門読んで寝っから。
おお、よくぞ新スレを立てた。 おめでとう。 応援してるぞ。
あー、まずったー!なんか俺が教えるみたいなスレ名になっちまったー! 詳しい人来なさそー。 削除依頼出して、(玄人カモン)に変えなきゃなー。まーいいや。 明日考えっぺー。
ここは専門家がみな夏太郎というHNを騙るスレになっております。 回答者の方お間違えなく。
労スレがヨカソ
折角だから,オレも「基礎系シンパ」とか罵られないように/*育ちがそうだからしかたねぇんだよ〜*/ 臨床系のことも学びたかったり.
>>9 一度基礎系の考え方が染みついてしまうと、努力しても理解できないと思いますが、それが何か?
11 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 02:08
講師にロボさん期待age
>>10 いや,染み付くも何もオレは工学屋なんで,近しいのが基礎系だというだけですが?
そういう意味で言えば,まだ真っ白みたいなもんだと思うぞ.
臨床にしたって,知らないものは無闇に話に入れないだけでナー
>>10 同感。基礎にはまった臨床崩れは臨床に戻る気がなかなか起きない(ToT)>漏れ
>>13 臨床系崩れの犬Q者なんて聞いたことないぞ。
あ?お医者さまですか?
>>15 学部生のDQNにそーいうヤシがいるだけだ。気にするな。
>>3 .8おーありがとう!まぁマターリとやっていくわさ。
ちなみ今ヴントってやつの所でさー、 なんか世界で初めて 感覚と、時間評価と、反応時間と、注意の範囲、情緒とかの スレ立てたんだと。 そんで1は死んでもスレはまだ生きてて、なんだ、もうパート100くらいいって るらしいな。 その後は、なんだか哲学の授業で出てきそうな名前のオンパレード。 まー、いいや。とっとと歴史終わらせてリビドーとかパブロフとかに行くべ。
19 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 09:29
勉強してどうするべ? 院に行くか?
>>19 いかねー。別にそんなたいそうなもんじゃねぐて、
ジャンプ立ち読みしてんのとおんなじだぁ。
21 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 09:47
行かなくていい。ろくなこと無いぞ。
22 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 10:08
この夏いっぱいを使って僕に「ぼくの夏休み」の心理講義をしてください。 なぜ人は田舎で遊ぶ夏に憧れるのか? すでに「ぼくの夏休み」では夏休みに対するイデアができあがってると思うんですが。 もうコテハンはこりたので七氏です。
>>21 つまんねーのか?俺はよく知らねーけど。
>>22 あープレステのゲームね。先生来るの待て。なんだこのスレは。
24 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 10:19
では僕がちょっとしゃべってます。 ちかじか「ぼくの夏休み」シリーズを買って遊んでみようと思うのですが、このゲームはオジサン世代にも受けがよかったそうです。 一昔前の日本ではあたりまえの体験が、今ではゲーム商品になってしまうほど稀有な体験になってしまったわけです。
25 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 10:22
「夏の非日常体験」というのは、小説・映画・アニメの手法としてはかなりグローバルスタンダードな方法です。 その魅力はいったいどこから生まれてくるのでしょうか。 この夏はこれをテーマに、スイカでも食べながらマターリ話し合っていきましょう。
26 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 10:23
ゲーム板で話してね(はぁと)
27 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 10:29
うーん、ゲーム版だと、ゲーム内容が主になっちゃって、しかも心理学的考察ができる人はごくわずかでないかと・・・。
28 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 10:38
心理学的考察って何を期待してるか知らないけど、データも先行研究も何も無いところからは心理学的な話はできません。 社会学板にでも行ってね(はぁと)
>>24 、25心理学的考察って俺まだわかんないんだけどさー、
ふだんゲームなんぞやらないオッサンがなんで
「ぼくの夏休み」をやるかってことっしょ?
なつかしいから、とか田舎で夏休み過ごしたことないからとか、
あとは周りのオッサン連中がやってるからとか、普通にゲームとして面白そう
だったからとか、
ま、俺もやってみたいけど、「あそこまでベタな夏休みってどんなんだろう?」
っつう興味かな。面白かった?
30 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 11:05
ふだんゲームをやらないおっさんではなくてゲームをやって育ったおっさんが買うんじゃないのか? ファミコンが世に出た頃に小学生中学生だった人は今30前後で金があるぞ。 学生の頃ファミコンにはまった人は40前後だ。
31 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 11:07
そんなもん心理学でも何でもなくて単なるマーケティングリサーチによる経営戦略だろ。 広告の話は心理学の話になりうるが、そういったマクロな経営活動を心理学で話すのは無理がある。 どういう話題の絞り方をすれば心理学のまな板の上に乗るかということを勉強するのも今年の夏の課題だな>夏太郎
32 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 11:11
マーケーティングは「どんなものが消費者の購買欲を刺激するか」という心理学的要素がある
33 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 11:14
ただの調査でしかないから、そこから変数を特定して実験的に操作して何かを言おうとすれば心理学的要素があるが ただ数字だけ見て判断するなら心理学的要素があると言えるだろうか?ただの統計ではないだろうか?
34 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 11:15
それにその調査だって用いる指標、尺度は心理学的な問題を担ったものだろうか?単に企業活動上必要なものを 測っているだけではないだろうか?
名スレのヨカーン
>>30 でもそれだとよー24.25の質問に対して「ゲームが好きだから」で終わっちゃう
んだよなー。心理学的考察ってなんだよー。マジわかんねー。そりゃよ、
かっこよくなんかキメたいけどよ。コナンみてーに、真実は一つってか。
>>31 〜33 そうだな。どっからどこまでが心理学かわかんねー。
あのさ、コンビニの商品の配置って心理学的なの?
よく「あなたは知らないうちに買わされている!」とかいうけど。
ちなみに俺は「おーこれは心理学」なんてイメージ持ってたんだけど。
何がなにやらわかんなくなってきた。
37 :
没個性化されたレス↓ :02/08/01 17:11
まあ言いようによっては「ゲームが好きだから」で済む話を無理矢理小難しく解説してもらいたがる人間がいるってことでもあるな。
>>33 .34おー実験。
心理学的な実験とは、まず「こうなんじゃねーかな」という
予想を立てて、実験して
「やっぱそうだ」となるのが実験だ。
さっそくマンガ入門に書いてあること言ってみたりして。
そのときに、「”やっぱそうだ”なんつってるけど、本当はOOのおかげ
じゃねーの」みたいなOOをうまいこと除いて、やるべし。
お!つーことは売上を心理学的実験にするには、
「”ぼくの夏休み”はど田舎に里帰りするゲームですよ〜(PS2)」
とだけオッサンに言ったときの売上と、
「”ぼくの夏休み”は六本木に遊びにいくゲームですよ〜(PS2)」
とだけオッサンに言ったときの売上を比べれば
・・・・・いいのか?これで?
>>37 心理学的考察ってかっこいいもんなー。
女「あなたは何食べるの?」
俺「それを決めるにはまず俺の心理状態を性格に把握しなければならない。
昨日食べたものから考察してみようではないか。(以下略)
よって、トマトスパゲッティーに絞られる。」
女「素敵ぃー!ウフ☆」
ってなんねーかな。
先生ー。38のマルつけてくれ、マル。 どうせマルだろ?コノヤロ、ちくしょー!
先生は今学生どもの定期考査の採点で忙しいんだ。 少しおとなしくして待っていなさい。 ただでさえ糞暑いのに、ブツブツ・・・・・・
>>41 は〜い。つか、あんた先生か!
おおおお、おい、俺プロに教わってたりしてたのかよ!すげーなおい。
ぼくの夏休み・川のぬし釣り・牧場物語・太陽のしっぽ どきどきぽやっちお・ワールドネバーランド シムピープル・moon・どうぶつの森・・・。 これらを一つのカテゴリーにくくって 『村生活ゲーム』と評する人もいるらしい。 根底に同じ属性があるのかもしれない。 ところで 同じくノスタルジーを感じるゲームとして 夕闇通り探検隊をあげたい これ、ホラーなんだがかなりお勧めできる。
>>43 村生活っつっても俺田舎だからピンとこねーなぁ。
ずっと都会育ちのヤツはどうだろ。やりたくなんのかな。
あぼーん
ゲームのように、よく似た仲間を集めるのを「家族的類似性」というと、教科書に書いてありますが、 これは心理学用語ではないのですか?
そういえば ぼくの夏休み2で シゲルがゲシュタルト崩壊のことについて触れてたなあ。 これはカンペキ心理学だね。
前スレの数学厨はいないの?
>>48 家族的類似性ってのは心理学の教科書にも出てくる言葉だけどさ、
>ゲームのように、よく似た仲間を集める
ってのとは違うと思うんだよな。
53 :
没個性化されたレス↓ :02/08/02 11:24
>>36 コンビニの商品配列なぁ.
POSデータと動線解析して,買いやすいように並べるわけだから,,
まぁ心理学と言えんこともないし,心理学的思考に影響は受けてるんだろうけど,
が心理学だ!!と断言したら営学の人が怒るだろうな.
この手の問題は,学問の区分けをする必要はないんじゃないの.
多分,実際に商品配列とか考えてる人は「使えるもんは何でも使う」って考え
だろうし.
54 :
没個性化されたレス↓ :02/08/02 11:25
なんか文字が消えた. 「営学」→「経営学」
55 :
没個性化されたレス↓ :02/08/02 11:32
心理学だよ。 百歩譲って一種の人間工学。 マックを始め心理学使いまくりだよ。 マックは交流分析を使ってると聞いた。 シェーキの粘度が乳房か母乳の粘度と同じとか。 なぜ交流分析かはしらない。
>>55 マック・シェイクのストローがドナルドの股間から出てるのも
やはり心理学の成果だろうか?
>家族的類似性 ちょっと前までなら、>52のような生半可な答えを待つ前に、大御所たちがちゃんと答えただろうに。 が、彼らの案内のおかげでオレもこういうのを学ぶ機会を得たわけで、 これも2ちゃんの恩恵だ。 2,3年前なら答えられなかったはずだから。 家族的類似性とはウィトゲンシュタイン後期の哲学の有名なキーワードの一つ。 ゲームAとBは共通点があり、BとCにも共通点があるが、AとCには共通点らしきものが何もないとする。 このように、すべてのゲームに共通する要素がなくても、A,B,C,D,E,・・・は皆「ゲーム」と呼ばれる。 これらのゲームには「家族的類似性」があるとされる。 また、「ゲーム」という概念に限らず、概念には内包も外延もないということが示唆される。 心理学では、概念形成などの研究で引用されることがあるが、 哲学用語なので、哲学事典や「ウィトゲンシュタイン小辞典」等を参照すべし。 「家族的類似 言語ゲーム」で検索してもたくさんヒットするはず。
>>49 ゲシュタルトは紙をパラパラすると
絵が動いてるように見えるって言った人だぜ!
>>53 ふーん。じゃ、儲けとかに関わるのは心理学の話題としては良くないってかんじかな?
あ、でも心理学って無意識も扱うよね?
コンビニでフラフラ歩く順番とかいろんな人がつい同じ物を買っちゃうってのも
無意識だから、やっぱ心理学?あー俺レベル低いな、おい!くそ!
>>55 それだ。俺もそういうイメージだ。でも今わかんねー。シェイクトロトロが
母乳かぁ。そういえば昔テレビで母乳だけ作ったキャンディーっつのやっててさ、
道端のやつに食わせてたの。そしたら、みんな「なつかしい味」とか言ってた。
>>57 「血がつながってなくても似たもん同士」ってこと?
テレビゲームの”ゲーム”じゃないっつうことは俺でも分かった。
ちょっくらヒットさせてみる。
>>57 ヒットした!ヒットしたよ!まいった!
すぐには理解できねーけど、もう少しねばっからよ。
せめて”言語ゲーム”の意味くらい知りてーからよ。
>>57 ヴィトゲンシュタインは、若い頃
「この世の全てのことは言語で言い表せる!」と思ったんだな。
でも歳とって、
「やっぱ無理だ。俺は言語で遊んでただけなんだ。」と思った。
なんでそう思ったかつうと、
「言語っつっても人によって使ってる意味が微妙にバラバラだから、
俺が必死こいて世界を言語で表しても通じねー」と思った。
そんで、
「見た目は全く同じ言葉でも人によって微妙にバラバラ」ってとこを”言語ゲーム”
っつった。
どう?こんな感じ?俺ちゃんと理解してる?自信ねーんだ。難しい文章だから。
↑あ、間違えたー!”言語ゲーム”→”家族的類似性”ね。 ”言語ゲーム”は、「人は100%通じてるつもりでペチャクチャしゃべってる けど、実は通じてない」→言葉で遊んでるだけ。みたいな意味?
合ってんのかー!57の先生!ダメ?
もう一回読むべ。
ちげーな。”微妙に”バラバラじゃないな。 ヴィトゲンシュタインは全然違うっつってる。 えーと、ヴィトゲンは、 「”なんとなく仲間じゃん”的なものも実は、本質は全部 違くてバラバラ」っつってる気がするぞ!
>>ゲシュタルトは紙をパラパラすると 絵が動いてるように見えるって言った人だぜ! うん? ネタか? ゲシュタルトは人名ではないぞよ。
>>65 あ、間違えた。
ゲシュタルト心理学者ってとこの
マックス・ヴェルトハイマーさんだった。(マンガ入門P103)
人の名前じゃなかったかぁ。知ったかぶりはまだはえーな!っはっは。
ゲシュタルト主義っての調べようっと。
ゲシュタルト主義は 「人は見たり感じたりしたらまず、”これは〜という意味である”と思う (に決まってる)」と考えることだぜ!
あ、ゲシュタルトって全体って意味で、 赤の光と青の光を一緒に見ると、全体では紫になるから、 「人は細かくみてなくて、おおざっぱにまとめて見る」のがゲシュタルト なんだ。
ゲシュタルトという言葉はドイツ語のGestaltに由来するが、 日本語にも英語にも翻訳できないドイツ語独自の概念を持ち、 そういうわけでゲシュタルトとそのまま使われている。 その意味するところは「体制化された構造」であり、 「全体≠要素の総和」という主張を最大の特徴とする。 これはヴント以来の要素主義への批判として出現したものだ。 ゲシュタルト心理学は広く現代心理学の流れの一部となり、 独立した領域ではないが、その歴史的意義は大きい。
>>69 ロボさん、ありがとう!
「全体≠要素の総和」ってわかんねーから、マンガ入門よ〜く読んでみるよ!
そもそも、大昔の心理学ってのは、自分で自分の意識を「観察」して、 その直接経験を分析していくつかの要素に分け、要素間の関連性(結合) を明らかにすれば人間の心がわかる、っていうもんだったのよ。 ゲシュタルトの「形作られた全体が直接知覚される」という考え方は、 これに対するアンチテーゼとして生まれたという側面を持っている。 まあ103−104をよく読め。φ(ファイ)現象の実験な。
>「全体≠要素の総和」ってわかんねーから、マンガ入門よ〜く読んでみるよ! 普通は「全体とは部分の総和以上である」という文句が使われるけどな。 つまりだ。普通1+1+1+1+1+1+1+1+1+1=10と考えられるが、我々が知覚する世界は必ずしもそうでは無い、 ということを言っている。 この考えはある意味還元主義を心理学研究に持ち込むことの反対的な立場を示しているとも考えられる。 還元主義ってのは10の中から1を取り出してきて、これを徹底的に調べれば、部分の寄せ集めが全体なのだから 最終的には10が分かるはずだ、つまり先に言った1+1+1+1+1+1+1+1+1+1=10を地で行く考え方のこと。だがゲシュ タルト的な考えから行けばこれは失敗するとされる。
例えばゲシュタルト心理学の有名な知見である所の一連の群化の法則。 ○○ ○○ ○○ ○○ 今、上に○がそれぞれペアになって見えていると思う。これは群化の法則の中の近接の法則と言う。 「近寄っているもの同士まとまって一つのグループとして知覚される」というものだ。 次に ● ● ○ ○ ○ ○ ● ● 真ん中の○4つがまとまった一つのグループとして見えないだろうか?これは類似性の法則と言う。 大方予想がついているとは思うが「似通ったもの同士がまとまって見える」というものだ。 だが、この時 ● ● ○ ● ● ○ ○ ○ こんな風に○を一つ取り残して3つの○が動いたとしよう。すると動かなかった●と○で一つのグループ、動いた○で 一つのグループ、というように知覚される。これを共通運命の法則と呼ぶ。 まあこれは実際運動しているのを見るのが一番なのでAAだけで再現するのはきつかったかもしれないが。
さて、こういった群化の法則というものをだ、この○一つ取ってきて、我々が○をどのようにして見ているのか、ということを とことん突き詰めて研究したとして、果たしてこういったゲシュタルトの法則が見いだされるであろうか?答えはNOだ。 先に挙げたような現象はあくまでいくつかの個体が同時に存在し、互いに影響し合う中で生じるものであり、それは個々の 刺激を調べる中では分からないものである。つまり10個分の「○の見え方」に関する知識を寄せ集めても、群化の法則には たどり着けない、これはあくまで刺激と刺激の関係性の話だからだ。それが先に言った 「全体とは部分の総和以上のものである」 という表現に繋がるわけだ。気体の分子一つを取ってきてその性質をいかに調べようとも全体としての気体の運動を予測する ことはできない、ということだ。
75 :
苦悩するドナ :02/08/02 23:00
夏太郎お願いだから調べものしてヒットしたURLはここに貼ってくれない? なに?お前もやれって?だからお願いなの,うふ.
だいたい
>>48 はなぜ何の脈絡もなくいきなり言語ゲームのことを持ち出したのだ。
何とか説明しようと思ってアレコレと書き始めたんだが、大長文になりそうだし、どうしても上手く書けん。
ちと荷が重かった。よほど自分の物にしていないと分かり易い解説などできん。
まあオレは哲学屋じゃないし、所詮は耳学問だしな。
簡単に言うと、すべてに共通の単一の要素(内包)が認められなくても、互いに似ていると思えるものってあるだろう?
こういう類似性を、ウィトは「家族的類似性」と名付けた。
オリンピックの五輪のマークを思い出してみな。あれを5種類のタイプのゲームだとしよう。
二つの輪が重なっている部分がその二つのゲームの共通要素だとしよう。
他の3つの輪はそれを共有してないよな?
このように互いに共通要素があっても、全体としてみると、単一の共通要素はない。
にもかかわらず、その5つもの(例えばゲーム)には類似性があるとしか言いようがなく、5つとも「ゲーム」と呼べるとしよう。
こういう類似性が家族的類似。
言語ゲームっていうのは、言語は人の行為であって(後期の哲学)、世界を写し出す物(前期の哲学)なんかじゃないという発想からきている。
子供はゲームを覚えるように言語を覚え、人は生活の中で「言語というゲーム」を演じている。
語の意味とは、その指示対象のことではなく、言語ゲームの中で語が使われるときの、その使われ方のことである。使われ方が異なれば意味も異なる。
「りんご」という語の意味は、リンゴそのもののことではないと言い出したのだ。
言語ゲームにおける語の使用、それが語の意味であると。
だとしたら、「心」という語の意味とは何か?
等々といった面白い問題へと発展していくわけだ。
なお、最後の件について論じたのが、「心ってどこにあるの?」という名スレの第一部。
http://yasai.2ch.net/psycho/kako/974/974569037.html 夏太郎ならもしかすると面白く読めるかもしれん。
ウィトに興味があるなら、解説書は山のように出ているから(レベルはピンキリ)、簡単そうなヤツに挑戦してみ。 「ウィトゲンシュタイン入門」(大修館)や、 「ウィトゲンシュタイン」(講談社選書メチエ)や、 「ウィトゲンシュタイン小辞典」(大修館)あたりが比較的読みやすい。 ウィトの前期哲学はチンプンカンプンだが、後期哲学は面白いし心理学徒にも参考になる。 ただ、ここは心理学入門の勉強部屋なので、今は深入り(=脱線)は避けた方がいいかも。 分かり易くて突っ込んだ解説のできる人は、現在のこの板にはいないし。 哲学板で相手をしてくれるかどうかは保証できないが、試してみる価値はあるかもしれない。
>>71 プラモデルでいうとさー
「俺は部品だけ見ればガンダムだって分かるぜ!」って言ったのがヴントで、
それに違う!って言ったのがゲシュタルトで、
「人はガンダムを見ても部品の集まりだとは思わない」みたいなかんじ?
俺はゲシュタルト派だな!
ファイ現象見たら”これ以上小さな部分に分けることはできないのだ!”って書いてあった。
ガンダム見ても部品の形わかんねーから、やっぱそうかな。
>>その1〜3さんのでうっすら分かってたつもりになってたのが なんか分かってきた気がするぜ! やっぱガンダムでいうと 還元主義・・・一個一個の部品の形をよーく調べる→ガンダムってわかるはず んで、ゲシュタルトは「そんなの無理、無理」って言ってて、 あれ? 群化の法則と、類似性の法則と、共通運命の法則はガンダムじゃ説明できねー。 じゃその1〜その3さんの言う通り理解しようっと。
82 :
没個性化されたレス↓ :02/08/03 02:01
夏太郎は何者よ?
>>76 だはーっどうしてもゲームっつうと”テレビゲーム”のゲーム
が出てきちまう。
わかったような、わかんないような。
オリンピックの五輪のマークは、
お!「神経質なヤツが見ると違うけど、似てる」がはっ!
ダメだ!じゃ探検隊さんの言う通りに家族的類似性を理解しよう。
共通要素が無いのに、類似性があるのが家族的類似性で、
よく見ると違う類似性をゲームと呼ぶ。
>>77 言語ゲームを演じている・・・人はパズルを楽しむように言葉を
使いこなすのを楽しんでるってかんじかな!
言葉の意味は使い方・・・お!
ジグソーパズルでいうと、
「人は言語ゲームを楽しむ時に、人それぞれそのときに応じてピースの形を変えている。
だから、そのピースは本当の形じゃない。言語ゲームに使っちゃった時点で
本当の形じゃない。」なことを言いたいのかな。
そのスレ見てみるわ!
>>78 俺、脱線してたのかー!!じゃヴィトは心理学じゃただの道具なんだね。
大工があんまトンカチのこと研究してもしょうがねーからなー。
哲学どうすっかなー。一応見てみっかな。泥沼に入りそー。
>>82 何者って言われてもなー。
心理学教えてもらってるだけだしなー。タダで。
なんつうか、
「買ったばかりのドラクエの説明書読んでるようなワクワク感」があるんだよな、
心理学。
さー、もう少しで心理学の歴史が終わっていろんな実験のとこに入るぞー。 よっしゃ!
86 :
没個性化されたレス↓ :02/08/03 02:42
あんたナニゲに心理学向いてんじゃないの?
>>86 まー、俺のレス見てりゃわかると、思うけど、
恐ろしくボキャブラリーねぇし、
「それでよし!」って言われねぇと、本当に理解してんのか自信ねーし、
ちゃんとした心理学者にはどう逆立ちしても無理だっぺ。
面白れーけど。面白れーから向いてっかな。向いてるかもな!!
自分は、なんか心理学は頭に入らない。
というよりも、学問することに向いているのだ。 「知」への喜びを享受するのに専門家も素人もない。 半可通にだけはなってくれるなよ。
>>89 おおおおう、そうか、ありがとう。
たまに知ったかぶりしたくなるけどね。
>>88 みんな最初はそんなもんじゃねーの?マンガ入門いいぞ。挿絵が特に。
「心ってどこにあるの?」スレ、大長編スペクタクルだから明日読むべ。
今日もあちー
しかし、いくら有望でも素人への講義でいきなり心脳問題って、どうよ。
>>93 「これ読んでみ。」って言われたから読んだんだけどね。もしかしたら、小1が関数やって
んのかも。
「心ってどこにあるの?」スレ、途中経過報告!62スレ目!
はじめは
いったい何を調べれば”こころの研究”なの?ってとこで議論してて、
脳みそをよく調べればわかる説
↓
NO!脳みそは道具であって、こころは湧いてくるもんである
↓
なんで湧いてくるか
↓
それは環境による!
「おはよう」と言われて「あ、オレおはようって言われた」って感知して
パッ”オレもおはようって言い返そう”←コレがこころだ!
だから環境を調べるべし。
↓
それは可能か?
↓
環境を整えることは可能だから、なんとかなる。
↓
そうすると、言語からのアプローチもアリ。
たとえば、日本には英語でいう”アイデンティティ”の言葉はなかった。
だから日本人にはピンとこない?
言葉がもともとあれば日本人にも”アイデンティティ”の意識がうまれたのか。
それとも、
ある日本人が「オレ、”アイデンティティ”って言葉作ったぜ!意味はこうだ!」
とたとえ言ったとしても、それを聞いた日本人が「は?何言ってんのコイツ」だった
ため、定着しなかったのか。(それを聞いたのが西洋人なら「なるほど。いい言葉だ」)
なイメージかな!ちと今日は遅いので、これまで!
63〜5レス目! いきなり 「こころってどこにあるの?」の聞き方がおかしいって意見が出てきて、 ↓ 「大学はどこ?」のたとえ ↓ だから、環境→こころを表す言葉→行動の順番で考えましょうって話しになった。 たとえば、 親死んだ→「私、悲しい」→泣いた 研究者「おお、コイツ泣き出したぞ!なんでだ!”悲しい”っつってる! なんで”悲しい”って言い出した!親が死んだのか!」 みたいなことか。 さっぱりわかんねー。これがなんで「こころどこ?」につながるのか。 あースッキリしねーからもっと読む。ねみー
「こころどこ?」じゃなくて、 人はなぜ心的用語を使えるようになったか、と聞くべきっつってる。 心的用語って”悲しい”とかだよな。 なんで使うかって言われたって、 親が使ってた、としか言いようがないんじゃねーの?う〜ん。
「心は脳の中にある」=「大学は事務棟の中にある」 だから、「心は脳の中にある」はおかしいって。 じゃー体全体かしら。
夏太郎が今まさに哲学する事をはじめたようだ。 エキサイティング。
(オレ今ガックリきてる←言葉になってない意識) ↓ 「悲しいよ〜」と言う。 心理学・・・なんで「悲しいよ〜」と言ったのか調べましょう! それにはまず何すればいいですか? 1.機構を分析する・・・オイオイそこの君、「悲しいよ〜」と言ったのと F1の知識は関係ないでしょ。関係ありそうなことを 調べなさいよ。まったく。前の日競馬でスッた?ま、 それもあるかもしんないわね。一応とっとこうね。 親が死んだ?それメッチャ有力じゃないの。かなりそれっぽいわね。 機能を分析する・・・「親が死ぬ」親がいなくなる、墓場に行く、もう話せない、 あの世、葬式めんどっちい、相続、借金残しやがった、 親孝行してねー。などのどれかか、または複数のおかげで 彼は「悲しい」と言ったと予想していいんじゃないかしら。
100 :
没個性化されたレス↓ :02/08/04 03:25
心? こないだ八百屋で売ってたよ。
>>98 哲学してねーよ。抽象的な言葉の雨アラレでさっぱりピンとこねーから
全部オレ語に翻訳してる。
つーか翻訳しきれてねー!! お、今「こころは作用だ」という意見登場。 何が言いてーんだ、こいつ。
こころは心理学担当。 脳科学はまた別の学者担当。 こころが束になったときは社会心理学担当。
"悲しい"って言葉ができたから人は「今、オレのこころ悲しい」って 思うようになった。 心的言葉ができる前(なんかしんねーけど、涙出てくるぅ。) 言葉ができた後「悲しい」(だって俺の今の環境ってよぅ、周りのみんなが 「悲しい」って言うときの環境と酷似してるぜ!こうときだろ? 「悲しい」って言葉使うのは。たぶんそうだ。そっか。この気持ちか! 「悲しい」つうのは。) ・・・・明るくなってきた。やばい。
105 :
没個性化されたレス↓ :02/08/04 11:28
夏太郎がんばれ
106 :
没個性化されたレス↓ :02/08/04 13:53
誰か色々教えてやれよ。暇な人。 つい工房の頃の自分の姿を重ね合わせて切なくなってみたり。
108 :
苦悩するドナ :02/08/05 13:50
夏太郎も夏休みかな?
とりあえず,リンクありがとう.
ヴィトについては,平凡社から文庫が出ているようだ.
>ウィトゲンシュタイン・セレクション
>シリーズ名 平凡社ライブラリ− 324
で,
>>107 マルちゃんですか?
あげ
ずっと気になってたんだけど, このスレのタイトルの「厨」の文字, どーして「まだれ」になってるの? こういう文字は初めて見たけど,実際に使われてるの?
110 :
クラリス ◆LLaJzEzk :02/08/05 15:02
一緒に勉強させてもらってます。
111 :
考える名無しさん :02/08/05 15:26
112 :
没個性化されたレス↓ :02/08/05 20:16
>>107 そーいう晒し方もあるんですね
PPPさんのもきぼん
人工知能屋のほうでも,「『体』を持たない処理系では『知能』は生まれない」という主張があるな.
健全なる人工知能は健全なる人工身体に宿れかし ところで、夏太郎どうした?
「宿れかし」 >かし >(終助)〔係助詞「か」の終助詞的用法に強調指示の副助詞「し」が付いてできたもの〕 >(1)文末にあって、念を押し、意味を強める意を表す。「 なるほどなあ.
116 :
XYZ ◆XYZ/EQlg :02/08/09 00:28
デムパと会話を続けていると,日常の現実感がゲシュタルト崩壊しまつ. 「ゲシュタルト崩壊」ってよく聞くけど,あれは「漢字をじーっと見ていると,その意味が良く解らなくなる」 とか,ああいうのだよな? /*夏太郎召還のため,age*/
夏太郎は帰省中か?
ゲシュタルト崩壊癖になるよ。
こいつ本格的に帰省してるな
120 :
没個性化されたレス↓ :02/08/14 08:02
お盆ですね全国的に。
いやです。
お盆が終わったところで 夏太郎復活期待age
アフォやったage
125 :
苦悩するドナ :02/08/19 23:11
夏が終わっちまうぞ>夏太郎
ん?このスレに固着してる「厨」は俺だけなのか? 夏太郎はやはり,どこぞの「朕」の騙りだったのか?
正直、みんながあまり構ってやらないから来なくなった気が
しょうがあんめえよ,盆だったんだから. それにしても,あっさりいなくなったべや.
ここの板住人は夏太郎の強化に失敗してしまったのでしょうか? #難しいなあ
130 :
没個性化されたレス↓ :02/08/24 20:54
前スレで紹介された今井むつみ『ことばの学習のパラドックス』読んでます。 幼児の心理に興味があるので、幼児のことばを習得していく過程は、面白いですね。 概念的制約と、事物全体バイアス・事物カテゴリーバイアス・形状類似バイアス・コントラスト原理・相互排他性バイアスなど。 ところで「存在論的カテゴリー」とありますが、どの辺りが存在論的なんでしょう。
131 :
没個性化されたレス↓ :02/09/27 19:56
ひと夏の思い出あげ
132 :
没個性化されたレス↓ :02/10/20 02:07
夏太郎はとうとう帰って来なかったか。 せっかくだから続けませんか? 講談社ブルーバックス『マンガ心理学入門』を読む。 そのうち秋次郎や冬三郎が現われるやもしれません。
133 :
没個性化されたレス↓ :02/10/22 14:11
来たれ,秋次郎!
134 :
没個性化されたレス↓ :02/10/26 04:20
秋次郎が来ないうちに冬になっちゃうぞあげ。
135 :
没個性化されたレス↓ :02/10/26 11:49
質問箱があるから、位置付けが難しいのではないかとおもふ。
136 :
没個性化されたレス↓ :02/10/28 22:13
高校1年生君が来るべき場所はここかも。 何か質問してみてね。
>>136 わざわざ、親切にしていただき ありがとうございます。
でも話が難しいので、質問できるかわかりません。
138 :
没個性化されたレス↓ :02/10/28 23:08
なんでもいいよ。
>>137 たとえば,君は心理学者はどんな研究をしていると思う?
そうした思い込みを徐々に明らかにしていくことも意味があると思うぞ.
140 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 00:51
uma
現代心理学の系譜について教えてもらえないでしょうか。 ゲシュタルト心理学はニュールック心理学に完全に形を変えたのか、新行動主義は今でも健在なのでしょうか? 行動分析学はどこに位置づき、それ以外の行動学はと何が違うのか。 生態学的心理学、文化心理学、精神分析、認知心理学はどのような関係にあるのか。 人間性心理学の現在の学派の分裂など。 大雑把に描いてもらえるとありがたいです。
とりあえず「心理学史への招待」は読んだか?
読みました
が、認知心理に入るあたりでストップするので、その後が?です。
146 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 01:35
>>141 ゲシュタルト心理学とニュールック心理学は直接の系譜関係にはありません。
ゲシュタルト心理学の思想を現代に受け継ぐのは
アフォーダンス理論を中核とする生態(学的)心理学でしょう。
生態心理学を広い意味での認知心理学に含める場合もありますが,
メインストリームとは一線を画しています。
その認知心理学の主たる源泉は
ゲシュタルト心理学,ピアジェ学派,バートレット学派などですが,
スキナー学派(=行動分析)以外の新行動主義や
ニュールック心理学の影響も見逃せません。
147 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 01:38
現代の認知心理学者の多くも 方法論の上では自覚なきハル学派ないしトールマン学派だろう。
心理学史に付いて語るスレ
を見てきました。正直よく分かりません。
とりあえず、生態学的心理学、進化心理学、文化心理学が新たに力をつけているのは分かりましたが、途中からどうもロボトミーの話とかに脱線してます。
とはいっても、進化心理学は名前も知りませんが。
>>146 ではニュールック心理学はどこから出てきたのでしょう?
それとゲシュタルト心理学は今でも残っているのでしょうか、それとも認知心理学に影響を与えて、内包されていったのですか?
最後に、ピアジェと認知心理はどう関係があるんですか?
ついでに言うとヴィゴツキーやワロンはどこに属するのでしょう。文化心理学やナラティブに近いんですか?
ああ「?」だらけで見苦しいです。すんません。
149 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 02:16
>>148 ニュールック心理学の主導者であったJ.S.ブルーナーは
もともとラシュレイの弟子で動物心理学の研究をしていました。
第2次大戦中,連合軍の欧州最高司令部心理作戦部に所属して
ナチスの宣伝技術の研究を行なったあたりから社会心理学に傾斜し,
戦後ニュールックと呼ばれる社会的知覚に関する一連の研究を生み出しました。
若き日のブルーナーはゲシュタルト心理学の影響を受けたかもしれませんが,
むしろ英国のバートレットに近い研究志向を持っていたように思います。
150 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 02:27
>>148 そう言えばブルーナーの自伝が出版されています。
ブルーナー 『心を探して』 みすず書房
ニュールック心理学,認知心理学,そして文化心理学と
戦後一貫して心理学の最前線を走りつづけてきた彼の視点から20世紀心理学を眺めてみるのは
凡百の心理学史を何冊も読むよりずっと勉強になると思いますよ。
じつは私もまだ読んでいないのですが(苦
151 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 03:03
ゲシュタルト心理学そのものは すでに歴史的使命を終えて発展的解消を遂げたと言っていいでしょう。 主観的輪郭の三角形で知られるイタリアのカニッツァあたりが 最後のゲシュタルト心理学者か。 彼らが問題としたテーマは認知心理学に受け継がれ 情報処理という新しい光の下で研究が続けられていますし, 環境の中に説明原理を求める彼らの思想は生態心理学に受け継がれています。 またレヴィンによる集団力学の創始に始まり, ハイダーやフェスティンガーらが発展させた20世紀後半の社会心理学は ゲシュタルト心理学の影響抜きに語ることはできません。
152 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 03:26
ピアジェと認知心理の関係ですか? ピアジェの学問それ自体が認知心理学のひな型と言ってもいいぐらいです。 ピアジェは単なる児童心理学者ではなく, 認識の個体発生(=認知発達)と系統発生(=科学史)を重ね合わせて考察する 発生的認識論の研究に生涯を奉げました。 そして彼の影響を受けた研究者の中から認知科学の立役者が何人も現われます。 先のブルーナーもそうですし,プログラミング言語Logoの開発者パパートもその1人です。 ピアジェの構想は巨大過ぎて,凡百の心理学徒にはその全体像がなかなかつかめませんが。
153 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 03:47
ヴィゴツキーもワロンも発達における社会的要因を重視したことから ピアジェの好敵手と目されてきましたが, 比較的新しい分野である文化心理学の源流のひとつにも数えられています。 これ以上のことはボロが出るので書きません。 どなたか詳しい方にお願いしたいと思います。 以上,Ψがダラダラとお送りしました。
>590 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/01/19 03:12 > サイエンス社 新心理学ライブラリ15 > 梅本・大山編著 『心理学史への招待』★★ >院試や公務員試験対策の必読書と言っていいでしょう。 >ただ,この本,かなり大事なことが抜けてます。 >以前別スレにも書きましたが。 >まず,心理学に留まらず,今日の認知科学,神経科学にも大きな影響を与えた >Lashley,Hebb,Olds という神経心理学の系譜がほとんど紹介されていない。 >Lashley については1行だけ,Hebb,Olds に至っては本文に名前さえ出てきません。 >そう言えば,ソ連の神経心理学者 Luria も出てきませんね。 >また,今をときめくアフォーダンス論の J.J.Gibson も >Neisser を紹介する囲み記事の中で1回名前が出てくるだけで, >本文では取り上げられていません。 >あんまりだと思いませんか? >ついでに,肖像写真の下に生没年ではなく引用元の本の出版年が出ているのも変。
>>148 ところで勝手な憶測だけど,
初心者さんは他専攻で大学を卒業して
心理学系大学院を受験しようとしてる人じゃないのかな?
でなけりゃ,初心者がここまで心理学史にこだわる理由がわからないが。
156 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 14:28
>>147 認知心理学における結合主義vs表象主義の立場の違いは
ハルvsトールマンの内的過程に対する態度の違いに対応しているとは言えませんか?
157 :
没個性化されたレス↓ :02/10/29 15:31
>>156 内部表象を実在と見なすか否かという違いのことかな?
それならその対比のアナロジーはある程度妥当だが,
現代のコネクショニストがハル学派の直系の子孫というわけではないよ。
158 :
没個性化されたレス↓ :02/10/30 19:33
初心者さん、納得したのかな?
159 :
没個性化されたレス↓ :02/10/30 21:34
初心者さんの疑問のうちの 精神分析と人間性心理学の位置づけについては触れられていませんが, 実際のところ,どーなっているのでしょうか?
レスが遅くて申し訳ないです。何故か変なホスト扱いされて、書き込めませんでした。
で、レスしていただいた方々、どうもありがとうございます。
特にΨさんについては、本の紹介スレのまとめなどでもお世話になっているので、感謝です。
とりあえず、ゲシュタルトは、消えて認知心理や生態心理へと吸収された。
ニュールックはブルーナーが提唱者の一人。ゲシュタルトと直接の関係はなし。
ピアジェの認知発達論はそのまんま認知心理学と関係あり。
文化心理学はワロン、ヴィゴツキーの影響を受けているようだ。
と、このあたりは了解しました。
あと分からないのは、行動分析学、人間性心理学、精神分析の部分ぐらいです。
私の中でさっぱりなのは
1行動分析学とその他の行動主義心理学派の違い。
2人間性心理学は臨床分野のみにしか力を持っていないのか。
3精神分析は日本では何故か人気があるけれども、単なる異端に過ぎないのか。
といったところです。
>>155 そんなところです。思いっきり多専攻です。
臨床心理士になりたいわけではないですが。
おまけ 臨床の知、って何だ? と最近思っています。 なんだか著者が上手く説明できないときに「それは現場に出ないと分からない」と言うための言い訳的な部分もあると思うのです。 だったらそれは単なる経験主義じゃないのかなぁ、と思ったり。それって学問じゃな・・・以下省略、と思ったり。
>>2人間性心理学は臨床分野のみにしか力を持っていないのか。 マズローの「欲求五段階説」は、よく福祉学の分野で引用されている。 個人のニーズについての、とりあえずは分かりやすい図式だからな。
163 :
没個性化されたレス↓ :02/11/01 15:59
基礎系心理で人間性心理学って出てくるっけ? あんまし聞かないな
164 :
没個性化されたレス↓ :02/11/01 17:15
>37 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/06 11:43 >行動主義 研究対象や研究データを「観察可能な行動」のみとする立場 >1.方法論的行動主義 研究の方法論として行動主義をとる立場。 > 意識や内的過程は研究データとしない > 変形 1.1 認知心理学的志向 → 意識や内的過程自体は観察不能だが > 行動データを通じて推測可能という > 立場。行動主義を「道具」として使う > 1.2 化石行動主義 → 意識や内的過程は「観察可能な行動でない」 > から研究対象にすることもあいならんという > 立場。行動主義に道具として使われる(笑)。 >2.徹底的行動主義(行動分析学) > 意識や内的過程も「行動」であるという立場。 > 意識や内的過程などの概念そのものの批判的検討と行動的翻訳 > 意識や内的過程などの現象も > 環境と生体との相互作用(随伴性)の制御を受けると考える
165 :
没個性化されたレス↓ :02/11/01 17:16
>38 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/06 11:46 >ちなみにいまの心理学の主流は「1.1」。 >認知心理学も方法論的には行動主義。 >でも認知心理学は(心理学的な)内的過程は >行動ではなく行動に先行する過程と考えるので >徹底的行動主義とは対立する,という話。
>>164 方法論的行動主義と、化石的行動主義は何が違うんでしょうか?
書いてある部分だけからは、あまり違いがないように思います。もちろんニュアンス的な違いはなんとなく感じるのですが。
2の徹底的行動主義は、ハルが提唱したものですか?どこかで、ハルの心理学を徹底的行動主義と呼ぶ、と聞いたことがあるのですが。
またなんとなく感じることですが、文化心理学と徹底的行動主義は意識を環境(文化)と生体の相互作用によって生まれるものとしている部分では、類似しているように思いました。
とはいえ、文化心理学派は、意識を行動とは捉えないでしょうけれども。
167 :
没個性化されたレス↓ :02/11/01 20:12
化石行動主義というのは 一部の時代遅れの行動主義者を揶揄して言う言葉でして, 教科書や心理学事典を調べても出てきませんので, そこんとこよろしく。 >かせき【化石】 >@化石行動主義。またこれを奉じる心理学徒。 >行動主義の祖J.B.ワトソンの教えを頑なに守り, >意識や内的過程は「観察可能な行動でない」から >研究対象にすることもあいならんという。 >行動主義に道具として使われる。 >A転じて,いずれの学派においても >教義に忠実であることが目的化し >思考停止に陥った心理学徒を指す。
168 :
没個性化されたレス↓ :02/11/01 20:14
あと, スキナー派=行動分析=徹底的行動主義(radical behaviorism) ですので。
>>167 行動分析の位置付けは分かりました。徹底行動主義のことだとは、知らなかったです。
理解できました、ありがとうございます。
けれど、1のほうがやはり分かりません。
化石行動主義というのは、いわゆるトールマンやハルが出てくる前のいわゆるワトソンの行動主義+αだというのは分かります。
けれど1と、1.1 の関係が明瞭でないような気がするのです。
方法論的行動主義の一つとして、認知心理学的志向はあるように、表からは思いました。
そうなると1では意識はデータとしない、となっていますが1,1では意識は推測可能となっているのが矛盾しているように思えます。
推測可能というのは、データ化するというのとは違うのですか。
直接、意識を扱うかどうかの違いというところでしょうか?
170 :
没個性化されたレス↓ :02/11/02 10:09
>そうなると1では意識はデータとしない、となっていますが1,1では意識は推測可能となっているのが >矛盾しているように思えます。 >推測可能というのは、データ化するというのとは違うのですか。 >直接、意識を扱うかどうかの違いというところでしょうか? そういういことです。 初期の心理学のように安易に内観報告をデータとして扱わないということです。 「どういう風に見えますか?」とか聞くのではなくて、条件の操作によって「どういう風に見えているか」を 行動を指標としたデータに言わせるのが方法論的行動主義です。
夏太郎の勉強部屋(廚カモン) の初心者あたりが何か変だと思うよ。 偏見かなぁ
誤爆しました。
173 :
没個性化されたレス↓ :02/11/02 13:27
>>170 これで行動主義に関する大体の疑問は解けました。ありがとうございます。
あとは、人間性心理学、精神分析、進化心理学あたりですが誰か詳しい人はいませんかねぇ。
精神分析はここでは無視されそうですが。
>>171
変? 頭が変ってことすか?
174 :
没個性化されたレス↓ :02/11/02 21:49
>>173 粘り強いってことでしょ(w
さて精神分析ですが,
これは神経症の理解と治療を目的としてフロイトが構築した自己完結的な理論と技法の体系です。
狭い意味での精神分析は正統フロイト派のみを指しますが,
ここではアドラー派(個人心理学)やユング派(分析心理学)などの分派を含めた
広い意味で言っているものと解します。
一般に誤解があるようですが,
心理学の歴史の上で精神分析が主流だった時代など存在しません。
精神分析は現在でも臨床心理学の中ではひとつの重要な柱になっており,
発達心理学や社会心理学にも影響を与えては来ましたが,
心理学全体から見ればマイナーな学派と言わざるを得ません。
実のところ精神分析は心理学に含めるべきでないと考える心理学者も多いのです。
175 :
没個性化されたレス↓ :02/11/02 22:13
19世紀後半に哲学から独立して 実証科学として歩み始めた心理学の本流から見れば, 精神分析はその流れの外側で生まれたものです。 ただ,当時の欧州の精神医学および心理学アカデミズムからは ほとんど無視されていた精神分析をいち早く評価したのは 行動主義以前の米国の心理学者たちでしたし, ナチスの台頭と共に多くの精神分析家が米国に移住したこともあって, 米国では行動主義が支配的になった後も 精神分析を咀嚼し取り込もうとする努力が続けられます。 その代表格がHullとその弟子DollardとMillerらの研究です。 このような努力は十分に成功したとは言い難いですが, 後の行動療法の誕生と発展の基盤を準備したと言えるでしょう。 というわけで, 20世紀心理学の発展は精神分析抜きには語れないというのも事実です。
カタカナとアルファベットの人名が混在しちゃいましたね。
まあ気になさらずに。
>>173 進化心理学と文化心理学は
心理学史の中に位置づけるにはまだ新しすぎる分野であり,
それぞれスレッドが立ってますのでそちらを参照してください。
人間性心理学については
どなたか解説をお願いいたします。
177 :
没個性化されたレス↓ :02/11/02 23:13
「化石行動主義」というのは、2ちゃんねるの心理学板だけに存在する 仮説構成体です。この板でこの言葉が使われ出してから随分とたつつの ですが、いまだに実在を証明するデータが呈示されておりません。
矢田部達郎の「心理学初歩」をテキストに使う先生のいる大学, 教養の心理学の先生がバリバリの化石行動主義のため 進振りで心理学専攻の人気が最低だという大学等の報告はありましたが。
矢田部達郎の「心理学初歩」をテキストに使う先生のいる大学, 教養の心理学の先生がバリバリの化石行動主義のため 進振りで心理学専攻の人気が最低だという大学等の報告はありましたが。
180 :
没個性化されたレス↓ :02/11/03 01:24
初心者さんに秋次郎の称号を授与します。 パチパチ。
181 :
没個性化されたレス↓ :02/11/04 00:05
秋次郎召還あげ。
ここは秋次郎スレに変わりました(w
183 :
没個性化されたレス↓ :02/11/06 00:28
そこのキミ。 キミも秋次郎と一緒に心理学を勉強しないか?
184 :
没個性化されたレス↓ :02/11/06 00:48
あれマンガっつーよりも絵本じゃねえか。
その絵本レベルの知識さえ持たずに 心理学を批判したり勝手な幻想を抱いたりする輩が多すぎて, 心理学徒は疲れ気味なのだ。
必ずしもコマ割りがしてあってストーリー仕立てになっているものだけが漫画ではない。 言ってみればそんなのはごく新しい形式で、小説だけが文学でないようなもの。 新聞に載っているような一枚切りのデフォルメされた風刺画が本来の漫画。 だからああいった挿絵程度のものでも漫画と言えば漫画と言える。
『マンガ心理学入門』の原題は、INTRODUCING Psychology 要するに講談社の仕業
まあ,冒険ダン吉だって,マンガだというわけだし.
1コママンガっつーのもあるしな。
なんだなんだ。 残ったコテハン勢ぞろいかい? 誰か人間性心理学について講釈してやってよ。
詳しくねぇから嫌だ。
ロジャースとマズロー以外に語るものがないし
人間性心理学とは、人間が無意識に支配されているとする精神分析、 外的環境に支配されているとする行動主義に対して、人間を自由意志を 持つ主体的な存在として捉える立場である。人間性心理学の父、 マズローはこれを心理学の第三勢力であると称した。 この立場の先駆者として、人間が主体的に決断しうる存在だと強調した アドラーをあげることができる。またこの立場に属する理論家・臨床家としては、 実存分析のフランクル、現存在分析のビンスワンガー、階層的動機論の マズロー、クライエント中心療法のロジャース、体験過程理論の ジェンドリンなどをあげることができる。また、合理情動療法のエリスも 認知行動療法のみならず人間性心理学に分類することも可能である。 人間性心理学に依拠した実践として、Tグループ、エンカウンターグループなどがある。
結局、人間性心理学はあくまで一つの「立場」であって、
独自の理論体系や研究法があるわけではないわけで。
それ自体が学派を形成するに至ってすらいないから、
>>141 でいう「現在の学派の分裂」なんてものはない。
などと、マンガ心理学入門レベルの情報でまとめをしてみる実験
196 :
没個性化されたレス↓ :02/11/06 02:26
生徒はどこだ,生徒は?!
197 :
没個性化されたレス↓ :02/11/06 03:05
人間性心理学が深層心理学を取り込みながら ニューエイジ的に弾けたのが トランスパーソナル心理学ということでよろしいか?
198 :
没個性化されたレス↓ :02/11/06 14:55
>>187 あのIntroducingの絵本シリーズアメリカでは大学生協でよく見かける。
しかし絵がきたなくて、なんとなく読みにくいんだよね。Oxford大のポ
ケット版の入門シリーズのが好きだな。
199 :
没個性化されたレス↓ :02/11/08 20:17
秋次郎こと初心者召還あげ。
200 :
没個性化されたレス↓ :02/11/10 13:27
秋次郎,カモン!
>>187 闘う版元現代書館からもFOR BEGINNERSシリーズって
マンガ本出てたでしょ?フロイト、マルクス、ダーウィンとか。
シリーズの「資本論」(小阪修平氏訳)を試験の前の晩に読んで
般教の経済学(○K)で優を貰ったことがある(w
202 :
没個性化されたレス↓ :02/11/12 12:59
もっと続けて。
どうも、初心者です、かなりお久しぶりですが、召還されてみました。
というか、これからは秋次郎と言う名前に変わるらしいです、はい。
>>175 hullというのは、動因低減説などのHullなんでしょうか?
とすると、動因と言う概念は精神分析から拝借したと言うことですかね?
やはり、人間性心理学は、臨床っぽい人々による物のようですね。
認知心理学者の人間性心理学というのは、聞いたことがないですし。
レスがとんでもなく遅れてすみません。
204 :
没個性化されたレス↓ :02/11/14 00:42
>>203 そのHullですが,
動因の概念は精神分析からの拝借ではないと思いますよ。
人間性心理学の一部はニューエイジ・ムーヴメントと共鳴しあい,
トランスパーソナル心理学に発展していきますが,
これもまた学問としての心理学の仲間に入れるべきか否か,見解が分かれます。
>>204 ニューエイジ・ムーヴメントやトランスパーソナルはなんとなく、ユングっぽいんですが、関係はあるんでしょうか?
心理学史の質問はひとまず、一段落つきました。 レスしていただいた方々、どうもありがとうございます。 で、今気になっている御代があるのですがよろしいでしょうか? それは 「自然科学」とは異なる科学とは何か? です。 ポストモダンや構築主義、臨床の知などによって、従来の科学を相対化し、主観や、相互作用を取り入れた科学が求められていると言う話を聞きます。 例えば、参与観察であったりとか、看護学の方で(ほとんど知りませんが)そういった試みがなされているそうです。 果たして、これは科学なんでしょうか? というよりも、そもそも科学(的)とはどういう意味でしょうか。操作的定義に則った物を科学と言うのでしょうか。
>>206 とても良い振り方ですね。
科学について一家言持つ住人は多いので,
そのうちたくさんレスが返ってくると思います。
>>205 トランスパーソナルの一部は
ユングを都合よく取り入れて権威づけに利用しているようにも見えます。
東洋趣味という点で共通するものがありますし。
ユング派はトラパを快くは思ってないがな。
日本のトラパ学会が旗揚げしたとき, ちょっとだけ河合隼雄が関わった,と言うか, 利用されたことがあったような。 今は距離を置いてるようだけど。
210 :
没個性化されたレス↓ :02/11/15 06:46
あげとくから 秋次郎の疑問に答えてあげて。
例えば、 新しいシステムアプローチから引用 「科学的活動を特徴づける三つの形態が還元主義、再現性および反証である。 われわれは現実世界の多様性に起因する複雑な出来事を、 実験により単純なものへと還元し、 その実験は再現性により結果が保証され、 さらに仮説の反証によって知識の確立を図れる。」 とあるが、 還元主義では説明できないことがあることは証明済みだし(?)、 再現できない実験は多々あるし、 反証はま、いいか。 >「自然科学」とは異なる科学とは何か? 必要だがまだこれというものはないのが現状かな?
212 :
没個性化されたレス↓ :02/11/16 09:35
そして何も言えなかった・・・ ここのコテハンなんざその程度ってことさ 素人xは正しいね 所詮井の中の蛙
素人Xって誰ですか?
214 :
没個性化されたレス↓ :02/11/16 10:00
秋次郎様 多分先刻ご承知かと存じますが、『「自然科学」とは異なる科学』と 自然科学との間に相対性理論の世界があり、相対的に変移する関係を 科学するためには、(臨床心理学で言えば)自己の営みをいったん突き放して 観察する自己を確立する必要があるようだ、というあたりが今の私の認識です。
>>213 最近心理板で飼い始めた新種のデムパ猿。
「多重コテハン!」が特徴的な鳴き声。
主に、ロボ・XYZ・苦悩するドナ・PPPのレスを好む。
どーでもいい発言しかしないので気にするな。
216 :
没個性化されたレス↓ :02/11/17 01:50
冬三ちゃんをまちながら、あげ。
>>211 やはりそういう結論しかないですかね。
従来の自然科学ほど、明確でなくともそのはしりのような物はないですか?
>>213 216
従兄弟?(笑
>>214 「自己の営みをいったん突き放して観察する自己」
自己の営みというのは、観察を含まないんでしょうか?
この文章の意味がいまいちわからないです。
219 :
没個性化されたレス↓ :02/11/19 21:42
関与しながらの観察、といえば観察も含むともいえるでしょうね。 ただ現実には関与しているときは同時に観察しにくいので、関与する自己とは いったん離れて観察する、時間をずらせて、ということになるでしょうか。 しかし厳密には不可能なことかもしれないので、それでは科学にならない といってしまえばそれまでのことかもしれません。
>>206 真っ先に鯨岡峻を思い浮かべますた。(´д`)
フッサールやメルロ=ポンティの流れは、比較的心理学に近いと思います。
あくまで比較的。
ポストモダンというと、反ラカンの某大著がありますが、
通常の精神分析学の流れからは外れるものですよね。
精神分析学や心理学だけじゃなくて、
学の領域分けもへったくれもないようなものですが。
よくわからんのでsage
221 :
没個性化されたレス↓ :02/11/23 13:40
おもしろいのでage
>>217 例えば、カオス(現象)はどうかな?
還元主義、再現性からは遠く離れているよ。
ただ、カオスの応用となると、
1、2の例外を除きノイズの変わりに使う程度だが、、、
内部観測とかそこらへんの話とは繋がるのかな?
224 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 00:27
内部観測って何ですか 「内観」とは違いますよね
226 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 16:16
225さん どうぞゆっくりでいいですから、説明お願いします。 時々のぞいてお待ちしてます。(224)
ううむ.期待に答えられるほどの知識の持ち合わせが無いのでつが. 基本ラインとして,内部観測とは観測行為・手法のことではありません. 一種の問題意識というか,そんなものですな. 以下,引用. 内部観測:観測者自身がシステムのエージェントであるため, 観測を行うことによって結果として大局的に何かしらの影響を及ぼすことがある場合, つまり物質が外部からではなく相互作用を通じて相手を認識するような観測の仕方を内部観測という. シグナル伝達が遅い系(生物の体内など)で問題となってくる.
228 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 21:25
なかなか面白い展開になってきたぞあげ。
229 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 23:48
>227 その「内部観測」の場合、観測する者とされる事柄(あるいはされる者)とはいちおう別の個体 を意味するのでしょうね、 生物の体内、という話になると、分子化学的な話でしょうか。 人間が人間(の行動や感情等)を観測するような場合の話もアイデアとして 含まれるのでしょうか。(226)
230 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 23:51
心理学会でも、どんどん脳に関する研究がでてきましたが、 今後の心理学は、どのような方向に進んで逝くんでしょう
231 :
没個性化されたレス↓ :02/11/25 00:06
トラウマが脳の神経組織における物理的ダメージであるのは 当然ていや当然なんだけど、精神的な問題は精神的に解決す るのが基本。プロザックって、一時、鬱病の万能薬みたいに 言われてたけど、最近、聞いた話によるとリバウンドで自殺 が多発したらすい。
>>229 別個体を観測すると言うよりは,全体を俯瞰するような「神の視点」の否定ですかね.
脳が脳のことを考えるだとか,
>人間が人間(の行動や感情等)を観測するような場合の話
なども,こうした問題が発生するのではないかと.
それで,
>>223 のような疑問を持ったわけで.
含まれるかどうかの判断は,オレにはちょいと荷が重いですな.
>>231 どこが「当然ていや当然」なんだよ!
ほんとにそうなら物理的になおす方が早いだろ。
234 :
没個性化されたレス↓ :02/11/25 21:40
>233 ほんとにそれができるならね
無理に物理的に解決しようとすると、場合によっては世界を壊滅状態に 追い込んでしまったりすることもありますね。
236 :
没個性化されたレス↓ :02/11/26 09:41
>233 理解できる、ということと実現可能であることは別問題。 台風が生じるメカニズムは分かっていても誰も台風そのものを制御できないのと同じ。
>233はそもそも「トラウマが脳のダメージ」って話が ウソだと指摘してるんだと思うが.......
238 :
没個性化されたレス↓ :02/11/26 12:13
脳味噌を効率良く使いたければ、脳味噌のことなど忘れてしまうこと。
しかしカニ味噌はうまいという罠
242 :
没個性化されたレス↓ :02/11/27 22:43
ageておこうか。
243 :
没個性化されたレス↓ :02/11/28 02:52
せっかく内部観測の話題が盛り上がりかけてたのに。 つまらん方向に持ってくなよ。
244 :
没個性化されたレス↓ :02/11/28 03:12
心身一如
245 :
没個性化されたレス↓ :02/11/28 03:19
行動を強引に起こそうとすると身体が拒否することがある。 理由を探す。
「誰が」強引に行動を起こそうとするのですか? 「その人」と身体とは別々のものなのですか?
「やりたいこと」と「やらなきゃならないこと」は別だ。
ここは素人の雑談場所じゃねぇぞゴルァ! スッドレのタイトルとスレの流れを読みやがれ厨房どもが!
厨カモンと言って厨だけ来て先生が来ないのでこの有様です。
うるせえよ、学者馬鹿(藁
それじゃあお前はただの馬鹿(禿げ藁
>>251 それは強化因子ですか、抑圧因子ですか?
253 :
没個性化されたレス↓ :02/12/03 15:42
冬三郎の降臨期待あげ。
質問スレに行こうか、迷ったのですが、どなたか教えてください。 昔、理論などを知らずにTグループを合宿形式でやりました。 Tグループやエンカウンターグループというのは、ロジャースの発展と 理解していたのですが、正しいですか?
255 :
没個性化されたレス↓ :02/12/06 22:13
あげておかないと誰も答えてくれないよ。
256 :
没個性化されたレス↓ :02/12/06 22:28
>254 正しいかどうか知りませんが、私もそうだと思って ました。 ちなみにTグループとかエンカウンターとかいうのは 若い人が好みますよね、講師は若くない人も好みますが
257 :
没個性化されたレス↓ :02/12/06 22:55
クラリス、それは、違うよ。 Tグループの理念の源は、モレノ。 レヴィンが1946年に開催した人間関係ワークショップが、起源。 第1回のTグループは、↑の成果を生かして、そのスタッフが、1947年に実施した。
258 :
没個性化されたレス↓ :02/12/08 02:07
Tグループやエンカウンターはロジャースを基本にして、そこに操作とか 方向付けを加味した方法ということになりますか?
>>258 Tグループは違うって上の人が言ってるだろうが。
諸氏、ありがとうございます。 モレノ、レヴィンで少し調べてみます。 最近はちょっとした職場研修や自己啓発セミナーというような場所でもさかんに 行われています。体験学習のスキルの類も。 自分に向かい合う「気付き」や「振りかえり」は行われているようですが、それだけ 切り離して「自分をわかったつもり」で良いのかなと、思いはじめました。 トレーナーやファシリテーターもどういうものなのか、心理学の基礎を勉強するほどに 考えます。 また疑問が浮かんだらお伺いします。
261 :
没個性化されたレス↓ :02/12/09 00:27
クラリス、もう少し君の問題意識を教えてくれない? >それだけ切り離して「自分をわかったつもり」 ここ、よく分からなかった。
はい、説明が下手でしたら、突っ込んでいただくと言うことで。 Tグループやエンカウンターをスキルとして使用する講師の方には、背景としての 理論などが分かっておられるわけですが、受講者らは、「非構成的グループカウンセリング」 を数回体験しただけで、それを理解したかのような誤解を抱き、 「誰でも、何処でもやれる」 というイメージを持ちやすいと思うのです。私もその一人だったのですが。 自分も身近な家族や地域の対人関係の中で、ないよりあるほうが良い体験的知識と 思いますが、それだけで自己理解や対人理解を習得して、心理学を理解したかのような 誤解を与えないような、説明もトレーナーの責任であるように思います。 トレーナーやファシリテーターはTグループやエンカウンターを多く経験したらできる、という ものではないではないはずですね。その他のスキルも理論もよく理解した上でなければ。 それを「自分もトレーナーができそう」 と思わせてしまうのはなにが原因なのか、と考えるのです。
263 :
没個性化されたレス↓ :02/12/09 20:43
私も昔、ロジャースのカウンセリングのワークショップに少し参加して、 自分でもカウンセラーができそう、とうかつにも思った経験がありますが、 そうおもわせられてしまったのはなにが原因か、と考えてみたいと思いました。
クラリス、回答ありがとう。 たった数回の体験で、 「自分をわかったつもり」になっていいのか、 自分もグループや体験学習をやれると思っていいのか、 トレーナーやファシリテーターは、そういう誤解を与えない説明をすべきではないか、 ってことね。 トレーナーやファシリテーターをやるには、そのための訓練と知識が必要だと思ってる。 参加者として出たグループで、そういう説明を受けたこともあるよ。 自分もできそうと思うのは、ひとつには、簡単そうに見えるからかなあ。 特に、構成的なものの場合ね。
本当にやってしまっている方々も多々見うけられるのです. ソースは晒せませんが. 講習で齧った程度の方が、また「人間関係講座」などの講座でゲーム形式の 体験学習をワークショップなどといって実習したり・・・. 別に悪くはないのでしょうか.
>多々 かあ(+_+) >別に悪くはないのでしょうか. どんな悪いことがありそう? それとも、倫理的に許されるかを考えてるの?
使い方を間違えれば、洗脳に近いことができそうですが、 基本的に建設的であれば、指導者に専門性は不要なのでしょうか. カウンセリング全般に言える問題かもしれませんが、「共感」「気付き」 などの概念は、扱いが難しいですね. ・・・不充分ですみません。
>不充分ですみません いえいえ(^^)。 質問に応えてもらってるのは、こっちです(^^; 僕も勉強中。 >基本的に建設的であれば 基本的要件を考えてみた。 1)場の安全性に対する配慮 2)参加者の主体性の尊重 3)参加者の利益に資するものを提供できる知識と訓練 この三つ以外に何が、あるかなあ。 とりあえず、この三つとして(^^; これらが、時に、専門性と呼ばれるものだと思うけど、プログラムの内容によって、 必要度は、変わるよね。 >時に って書いたのは、“「餅つき」を体験しよう”だったら、専門性とは言わんから(^^) 参加者が、実習を体験した段階で、それらの必要度を判断できる保証はないから、 参加経験以上にそれらが必要な場合は、実習の指導者が言及しておくといいんだろうなあ。 これも、安全性に対する配慮だね。 僕にとっては、「自分がやるのと人にやらせるのは別」が前提で、実習はあくまで「体験するための」実習って端から思ってるけど、「自分がやったことは人にやれる」と思う人もいるんだなあ。 自分の当たり前とひとの当たり前は、違うのだ、っていう当たり前のことに、あらためて気づいた(爆)
269 :
没個性化されたレス↓ :02/12/14 01:04
ここはいつからクラリスの勉強部屋になったですか?
実は,クラリスは冬三郎だったのです.
〉268 〉参加経験以上にそれらが必要な場合は、実習の指導者が言及しておくといいんだろうなあ。 特にあの独特の場の空気で、説明しても聞いていないだろうということは考えられますが、 「自己理解」のための手法の一つにすぎないのでないかという疑問の芽が残るような 配慮が、どうも必要ではないかと考えます。
「アアタ、分かった気になっちゃア、いけませんヨ。」って、落語家の口調で言おうかな。 どなたか、上方の場合を教えてくらはい。
レヴィンはむしろゲシュタルトの影響を受けたそうですね. そして、ベーシックエンカウンターグループの方はロジャースの作ったものになるのですね. 結果的によく似た構成だけれども、目的も違ったようですね。 もう少し本などを読んで、自分なりに理解してみようと思いました。 ありがとうございました.
274 :
没個性化されたレス↓ :02/12/21 15:45
て言うか, レヴィンはゲシュタルト心理学者そのものなんだが。
どうしても,ロジャースとゲシュタルトのつながりが理解できません. ゲシュタルトをまだきちんと学んでいないのですが、「マンガ心理学入門」の次に 読むと良い本はありますか? できたら、レヴィンやTグループにつながるようなものですとありがたいのですが.
>>275 大山正・岡本夏木・金城辰夫・高橋澪子・福島章著 心理学のあゆみ 有斐閣新書
を見れ。
ゲシュタルト心理学の祖であるウェルトハイマーやケーラーは
もっぱら知覚・記憶・思考などの研究を行っていたわけだが
レヴィンは要求や行動までゲシュタルト心理学の研究分野を拡げた。
レヴィンはゲシュタルト心理学の立場から
人間の行動をばらばらの部分的反応の集合として見るわけではなく
行動の一つの全体として取り扱い
行動は人間と環境の両方によって決定されるとした。
ゲシュタルト心理学では全ての問題に「プレグナンツの法則」という一般原理が適用される。 プレグナンツの法則は 「心理学的体制は常にその際の条件が許す限り最もよくなろうとする傾向」と規定される。 で、レヴィンは人が何らかの要求や意図を持つと その人と環境で形成されるところの全体体制である生活空間は 何らかの不均衡な状態を生み出すと考えた。 そこでその緊張が解消して安定した平衡状態になるように体制が変化し これが行動となって現れるわけである。 これは本来知覚に関する理論として用いられていたプレグナンツの法則を 行動面に適用したと言えるわけで そういう意味ではレヴィンの立場ってのは あくまでもゲシュタルト心理学の枠組みに則っているのです。
こうしたレヴィンの考え方は後に グループダイナミックスを初めとする実験社会心理学の端緒になっていくわけですが レヴィンはグループダイナミックスの研究を現実場面に適用し 初めはエンカウンターという意識なしに集団討議などをしていました。 具体的にはレヴィンをリーダーとして地域の代表者が 地域の諸問題に対処するための集団討議していたのですが 一日の討議を終えてその日の反省会をしているうちに 討議内容よりも討議することそのものに意味があるのではないかという事に 気づき始めたわけです。 で、討議そのものを目的とした会合がもたれるようになり その集団がやがて「Tグループ」と命名されたますた。
レヴィンは初め、人種的偏見を除去する訓練として Tグループを用いたそうな。 初期のTグループでは集団相互作用の分析に重点が置かれ グループダイナミックスの理解や集団指導技術の向上が目的とされましたが 最近ではエンカウンターグループの考え方が取り入れられ 対人関係や集団における治療的側面が強調されるようになりましたとさ。 で、これは米国東部から誕生したエンカウンターの流れなのですが 西部でもまた別の流れがありますた。 参考図書としては 國分康隆 1981 エンカウンター 心とこころのふれあい 誠信書房 などもよいかと思われます。
なるほど.279のあたりだけは、聞いていましたが、分かりやすく要約していただき ありがたいです。 新書なら、すぐ買えそうですしね やはりゲシュタルトを理解しないと、その先をつなげることはできないかもしれませんが しかし、なんのことかさっぱり分からなかったことが、「分かっていない部分」が明確に なっただけで、進歩しました. ありがとうございました.
臨床やってると心理学史なんて忘れちまうんで
自分のためにもなるのでつ。
>>276 の『心理学のあゆみ』は心理学徒は必携の書でしょう。
内容は多少古いが、少なくとも自分がやっていること、やりたいことが
心理学の歴史上、どんな位置づけになるのかがわかるってのは
非常に重要なことではないかと思われ。
しかし
>>257 が言うように、モレノがTグループの理念の源なのか?
確かにモレノが創始したサイコドラマは
技法としてグループ・エンカウンターやTグループに導入されているだろうし
そもそもグループ・サイコセラピー全般の祖とも言えるだろう。
ただ、Tグループとモレノに直接的な関連はないと思われ。
ついでに、クラリスは自身のグループ・エンカウンター体験から
リーダーやファシリテーターが簡単に出来そうと思ったようだが
自分はそうは思いません。
集団を見るってのは個人を見るよりも数倍難しいと思われます。
ただし、クラリスが参加したグループのリーダーなりファシリテーターが
それを自覚していたかどうかが問題なのであるが。
最近ロテ職人がんばるなぁ…
Tグループだと、どうかすると、井戸端会議で終ってしまうこともあり得ますね. Tグループとエンカウンターグループの相違点と類似点について、論議している場に 参加した折の参加者の考え方では、ほぼ同意で使われている現状ながらも、 枠組にややはっきりとした「指導性」があるエンカウンターのほうが効果がわかりやすい というような指摘がありました. 「井戸端の纏め役」でよいのならば、そこらのおばさんでも十分と感じさせる点は ロジャース派の技法なんかが、カルチャーセンターの「カウンセリング講座」 で受けがよい理由と重なりますか.
285 :
没個性化されたレス↓ :03/01/02 23:54
クラリスが冬三郎ということで,あげ。
(^^)
287 :
没個性化されたレス↓ :03/01/07 01:47
勉強部屋保全あげ。
288 :
没個性化されたレス↓ :03/01/07 02:30
日本屈指の駄目人間である亀型荒らしの生徒になりたいチンパンジーっているんですか?
まだいたのかおまえ。
290 :
没個性化されたレス↓ :03/01/07 02:34
亀型荒らしはなんで亀なのに反応はやいんですか? こんな時間なのに。
なかなか自分のお勉強モードに入れません。 どうぞしばらく時間ください。 えーい、早くガッコはじまれー!!
292 :
没個性化されたレス↓ :03/01/07 12:30
クラリス=ロボ=ロテ職人=PPP=XYZ
そういえば,内部観測の話が立ち消えになったままだなあ……
>ロテ先生 「心理学のあゆみ」お取寄せします。 >XYZ先生 子育てスレでずいぶん前に教えていただいた 「統計でウソをつく法」講談社ブルーバック やっと手に入れました。式が出てこないので、読みやすいです。 >ドナ先生 3歳神話スレで伺った「夢の中悪夢の中」 有斐閣新書と一緒にお取寄せしようと思ったら絶版でした。しくしく。 以上皆様のアドバイスありがとうございます。 今後ともハーレクインロマンス程度の値段の推薦図書がありましたらお願いします。 ゲシュタルトに関する新書はないのでしょうか。
>>294 >ゲシュタルトに関する新書はないのでしょうか。
「心理学のあゆみ」の第2章 ゲシュタルト心理学 を読めば大筋は分かる。
とりあえずそれを読むべし。
>295 届いたら早速読んでみます。 臨床のロテ先生がいらっしゃるので、勇気をだして臨床のことをお伺いしますが、 日本評論社の「母子関係の臨床心理」松田恒子という本、図書館で見つけて 読んでますが、なんというか、実際に子を育てている自分にとって、 非常にしっくりくるというか、無理がないのです。 臨床はこの板ではあまり信憑性がないように言われることがしばしばですが、 どう受けとめたら良いのでしょうか。
>>296 「臨床は信憑性がない」とはどういう意味ですか?
心理療法・カウンセリングは効果がないということですか?
それとも臨床心理学的研究には信憑性がないということですか?
その辺が明確でないと答えようがありません。
臨床心理の手法の一部が,いわゆる科学的実証主義にそぐわないってんなら, まあ同意しないでもないが. そら信憑性が無いということとは違う気がするなあ. むしろ,違う土俵だと言うか.
臨床臨床といいながら、臨床が分かっていないのでしょうが、 やはり、非論理の部分がありますよね。 しかし、子育て自体が非論理な部分があるからなのかな・・・と。 皆さんに自分の何が明確でないのかを導いていただけるのは素晴らしいことと 感謝しておりますが、やっぱり、なんだかわかりません。すいません。
300ゲットでございます。
個人的には,子育てとか発達とか,TryOnceで膨大なファクターがあるものは科学的手法になじみにくいと思うのでつ. 再現性を保証する手法が無く,しかも分析的アプローチも通用しにくいからね. だから,膨大な事例研究から普遍性や法則性を見出す方向に行ってるんだと思うんだけど, それはそれで凄いなあと. でも,一個人の情報の蓄積量は限られているし,その解釈も個人の資質が絡んでくるようだし. そうなってくると,やはりScienceよりもArtの香りが強くなってくるような. オレはそのArtの香りが好きだったりするのだが,科学原理主義者にとっては, 胡散臭く感じられるのではなかろうかと.
>TryOnceで膨大なファクターがあるものは科学的手法になじみにくいと思うのでつ. だからと言って,何もしないよりは何かが出来るのではないかと, 少年少女は荒野を目指す.
荒れ野で呼ばわる声がする!
臨床にアートな部分を求めていけないということではないという見方もあるんですね。 ところで、質問スレででてきたように、心理板にも「女性」なり「母」なりに 対するステレオタイプへの帰属錯誤(って使い方あってるのかな)が時々 みられるように思います。よく出てくる『素朴心理』なのでしょうか。 素朴心理を学ぶ手がかりってありますか? 子育てを発達だけでなく、臨床・社会・教育・認知・学習・・・全ての面から 絡めて理解してゆこうと思うと、もう一つ、素朴心理学を知る必要があると考えました。
>臨床にアートな部分を求めていけない と言うより,アートな部分を持つものを純粋科学/*って,あるのか?*/の俎上に乗せるのは間違ってるとか, もっと過激に,科学とは言えない=学問じゃないとか,そういうスタンスじゃないのだろうか. とかく原理主義な人たちの言うことは,オレには理解しがたいことが多いので,自信は無いが.
>>304 つーか、臨床なんてもろにアートなわけだが。
ただ、アートだけでやっていてはほんとにアートになってしまうわけで
サイエンスの要素がなければその技術や理論を構築することは不可能です。
もし完全にアートになってしまっては
師匠の技を見て盗むといったような職人の世界になってしまうでしょう。
言語化して伝えていくというのは少なからずサイエンスの要素がないとできないわけだし
個々のケースから得られる知見を一般化し、再現性を高めるといったような考え方は
正にサイエンスなのではないかと思われます。
>>305 XYZ氏がどっかのスレで書いていたような気もしますが
そもそも研究ってのはアートの要素がないと成り立たないと思うです。
話しをものすごく単純化すると
独立変数や従属変数としてどんな概念を用いるかを選択して仮説を立てたり
実験・調査などから得られた結果を基にモデルを構築したりといった過程ってのは
正にアートなのではないかと思うんですがね。
そうした要素がない、例えば調査をして基礎統計量を算出するだけの研究がもしあったとしたら
それはまさに純粋にサイエンスのみからなる研究なんだろうけど
そんなもん、一体何が楽しくてやってるのかと小一時間(略
>>301 >>302 個性記述的研究と法則定立的研究ってのは
相互補完的研究にあるってことはオールポートも言っており
事例研究ってのも馬鹿にしたもんじゃあないと思うんですが・・・
まあ、いわゆる「り ん し ょ う」系の研究ってのは
事例「研究」と称した事例「報告」が大半であるってところが問題なわけで。
>相互補完的研究にあるってことは 相互補完的「研究」? まぁ,両者が相互補完的な関係にあることは充分承知の助です. しかし,「仮説探索型研究」と「仮説検証型研究」の両者は, 「相互補完的」ではないという罠. もっといっちゃうと,俺の言う「り ん し ょ う」研究は 個性記述的でも,仮説探索型研究でもないという罠.
研究とか説明ってのには,ある種のメタな文法ってのがあって,それを身につけられるかどうかは たぶんにアートの部分だと思う. 理系だから論理的かというと,"AorB?"の問いに"X!"と答えたり,論理的に積み上げつつ あさっての方向へ旅立ったりするヤシは珍しくないし. ただ,そこらへんは適切な指導と訓練で,ある程度改善されるものだし, >事例「研究」と称した事例「報告」が大半である ってのは,「臨床はアートだから」と開き直れない部分なんだろうなあと思ったり. >そんなもん、一体何が楽しくてやってるのかと小一時間(略 ちなみに,XYZは研究計画を立てるところまでが楽しいでつ. 「データとって,プロットして,計算.データとって,プロットして……」ってのが嫌で 研究者にならなかったんだもーん. FFで言うと,ラストダンジョンまで行くとゲームを止めちゃうタイプなのよ.
>>310 >>事例「研究」と称した事例「報告」が大半である
>ってのは,「臨床はアートだから」と開き直れない部分なんだろうなあと思ったり.
しかし、そこで開き直っているどころか、自分の言っている「研究」が
実は「報告」でしかないことに気づかない臨床家も数多くいるのが問題だ罠。
>ちなみに,XYZは研究計画を立てるところまでが楽しいでつ.
その楽しさについては禿しく胴衣。
個人的にはSPSSをぶん回すのも楽しかったりはするんですが
なんかしっくり来ない結果を考察できないで寝かせておいてしまう漏れもまた
FFのラストダンジョンで延々とレベル上げをしてしまうタイプだったりします。
>>309 間違えますた。
× 相互補完的研究
○ 相互補完的関係 ですた。
自分は素人なのにも関わらず、すごくよく分かると自分で思うのを 年の功と言うのかもしれませんね。(泣 ロテ先生引き続きお伺いしたいのですが、ロテなどで取るデータは 少しでも客観性を持たせるためのものと理解したら良いのですか。 心理統計の話を聞いていても、結局個々の心の中を 仮に数値的に表現しているだけのようで、なんとなく 頼りないのですが。
>>313 ほんとに分かったのか?
個人的な意見を言わせてもらえば
時間をかけてものすごく丁寧に面接出来るのであれば
ロールシャッハやその他の心理検査なんていらんと思う。
端的に言えば、ロールシャッハってのは図版という共通の枠組みから見ることで
その人らしさを見出す方法だと思われ。
それは多くの被験者に対して、統制された同一の環境下で
実験を行うことで、変数の統制を図るのに似ている。
そういった意味で客観性を持たせるものと考えて良いのかも
(言ってること、ほんとにわかるのかな?)。
>結局個々の心の中を仮に数値的に表現しているだけのようで、 >なんとなく頼りないのですが。 なんなら文学的に記述しようか? その方が伝わるものは大きいかもね(藁 人間(の心)ってのを可能な限り客観的に理解しようと思ったら 仮説的な構成概念を用いて数値化する以外にないと思うのだが。 心ってのはメスで切り開くことはできないし 取り出して重さを測ったりできないわけで。
このスレで、ロテ氏がおっしゃることはよく理解できます。 個人的な意見を伺ったところで、ロテ先生がロテ職人を選んだ理由って 特にありますか? 今、別のスレで臨床心理士≒カウンセラー志望の主婦とお話しているもので、 参考までに伺いたいのですが。 クライエントとおぼしき人にも歯切れ良く現実をおっしゃいますが、それにも 何か信念のようなものがあるのかな、と。
>>316 その「理解できます」って言葉がくせ者だって分かってる?
その言葉を吐いた瞬間に理解したつもりになっちゃうんだよね。
それはほんとに相手の枠組みで理解できているのか?
例を挙げれば、相手の言っている「青」と
自分が思う「青」ってのはほんとに同じ色なのか?
もっと言えば、相手の言っている「痛い」は自分の思っている「痛い」と
ほんとに同じ物なのか?
結局、そういう意味では真の理解ってのは不可能なのだが
その誤差を少しでも縮めようとする試みが「共感的に聴く」という事であり
できる限りその誤差が小さくなった状態が「共感できた・わかった」ってことだと思われ。
まあ結局、俺が言いたいのはあなたの「わかった」ってのは 非常に怪しいってことなのだが・・・ あと俺は好きで「職人」をやってるわけではない。 それはドナが好きでドナをやっているわけではないのと同じ。 ついでに「先生」って呼ぶのもやめてくれ。 なんで臨床に進んだかってことか? 色んな香具師に出会えて面白いからに決まってるじゃねーか。 そして、クライエント様は大事なデータです。 (とメンヘル板で書いたらものすごいことになってしまったのであった)
>クライエントとおぼしき人にも歯切れ良く現実をおっしゃいますが、それにも >何か信念のようなものがあるのかな、と。 別に信念なんかないよ。ただ、ここが2ちゃんでさらに「心理学板」という学問板だから。 クライエントであろうと患者であろうと、学生だろうと専門家だろうと ここは学問的におかしなこと・誤ったことを書く場ではない。 そういうことを書く香具師に優しくする筋合いはないし だからといって、いじめているわけでも煽っているわけでもない。 さらに、ここは治療の場でもない。 下手に専門家であることを振りかざして、治療的な行為を試みるとしたら その方が数倍問題が生じると思われ。
>とメンヘル板で書いたらものすごいことになってしまったのであった だって,世俗の人はワシ等/*と、敢えて一括りにする*/がどれほどデータを大事にしてるか知らんからよ. データを大事にするって事は,その観察対象にある種の敬意をはらって扱うことなんだけどさー まー,後は「観察」というニュアンスでとらえて,共感がないと感じたのかとか. >クラリス氏 ちなみに,ロテ氏の言ってることは非常に重要だとオレも思うよ. 学問の本質は,「わかること」でなく「わからんと感じること」にあるのだから.
〉317 このレスはよく心に留めておくようにします。 〉318 臨床を選んだのは「面白いから」 〉319 >心理板での発言としては適切と判断している,と言うことでよろしいでしょうか。さらに、ここは治療の場でもない。 >下手に専門家であることを振りかざして、治療的な行為を試みるとしたら >その方が数倍問題が生じると思われ。 臨床家として誠実な態度だと、私も考えます。 ありがとうございました。 あと、早く「心理学のあゆみ」来ないかなと楽しみにしています。
>>320 そう。データってのはほんとに大切なのよね。
誤解された一つの原因としては、「データ」ってのは根掘り葉掘り質問することで
得られるって思われたことじゃないのかなーと思ってます。
治療者の枠組みではなく、クライエントの枠組みで
クライエントの言っていることを理解する、つまり共感的に理解することからしか
治療上有用なデータってのは得られないし
そのデータがあってこそ初めて心理療法が成り立つわけで・・・
「共感する」ってことがすごく大事に思われているけど
むしろ共感的に「理解する」、そしてクライエントが「理解してもらえた」と
感じることこそが大切なのではないかと思われ。
クライエントに「理解してくれた」「話しを聴いてくれた」と感じてもらえれば
少なくともその面接は非常に良い面接なのではないかと思われ(もちろんケースバイケースだが)。
>>321 >臨床を選んだのは「面白いから」
そう。これは非常に重要なのではないかと思われ。
てか、「人の役に立ちたい」って動機づけだけで
この仕事ができるのかなぁと非常に疑問に思う。
どんな仕事でもそうだと思うのだが
「面白い」と思えないと続けられないのでは?
ついでに自分がそんなに役に立ててるとは思えないし
個人的には「誰かの役に立ってる」って思ってしまうことは
実はものすごく不遜なことなのではないかと思われ。
ドナせんせ >しかし,「仮説探索型研究」と「仮説検証型研究」の両者は, >「相互補完的」ではないという罠. うちは学部で探索型研究で仮説を生成し、実験的研究でそれを検証する、 って習ったんでつが。なにが違うんでせう・・・
>個人的には「誰かの役に立ってる」って思ってしまうことは >実はものすごく不遜なことなのではないかと思われ。 同意です。
>「面白い」と思えないと続けられないのでは? 人と関わることが好きでないとできませんね。 ただ、「面白い」だけですか?
>>326 ただ「面白い」だけでは何か問題が?
もちろん、人間が好きだからってのはあるがね。
人の苦しみや痛みを、「面白い」から扱っていると?
人の苦しみや痛みを面白いと思っているのではないんだが。
むしろそれを扱うのは苦しく痛いことなのだが。
簡単に「人の役に立ちたい」ってこの仕事を目指す香具師は
その苦しさをわかっているのかと小一時間(略
俺が面白いっていっているのは
前で挙げたデータの収集ってのを含めたアセスメントと
そのアセスメントに基づいて面接を行うことそのもののこと。
>>307 で挙げた、研究をやる上での面白さと似たようなもんだと思うが。
もちろん研究ってのも辛さを伴うものだし(・・・実は辛さしかない研究もあるが)
でも、みんな研究やりたくてやってるんだよな。
「面白い」は「いとをおかし」ですね。 なんだか古文の授業みたいですね。 でも、いろいろな方の「臨床への動機」を伺うことができて、ありがたいと 思っています。 素朴心理学は、どうなんでしょうか・・・どなたかご存知ありませんか。
>>324 >探索型研究で仮説を生成し、実験的研究でそれを検証する、
>って習ったんでつが
↑コレは正しい.
で,言葉の問題なんだが,
俺はこうした「仮説探索型研究」と「仮説検証型研究」の関係を
「相互補完的」とはいわないと考えている.
なぜかというと,探索型で見出した「仮説」は次に「検証」されるというように,
「生成→確証」と方向性は一方通行なわけ.
でも,まぁ両者を「相互補完的」という表現も可能だとは思う. では,なぜ俺がわざわざ「補完的じゃない」といったのかというと, 「個性記述的研究」と「法則定立的研究」が「相互補完的であること」を 強調したかったから. 実は,「個性記述的−法則定立的」という研究の対比軸と, 「仮説探索型−仮説検証型」という研究の対比軸は別物であって, 「個性記述的な仮説検証型研究」というのも研究スタイルとしてはあり得ると 考えている. なんつって,福村出版の「発達研究の技法」に, こんなようなことが書いてあって,なるほどなぁと思った次第.
>>332 「個性記述的−法則定立的」研究という対比軸と
「仮説探索型−仮説検証型」研究という対比軸が別物であり
「個性記述的な仮説検証型研究」や「法則定立的な仮説探索型研究」ってのは
理論的には成立しうるってのは理解できる。
しかし理論的には成立しうるとは言っても
それってまともな研究に成りうるんでしょうか?
で、こちらも福村出版の「臨床心理学研究の技法」から。 質的研究=個性記述的研究、量的研究=法則定立的研究と言えると思うんですが 質的研究法と量的研究法の方法論的比較(Korala & Suzuki, 1999)では 質的研究法の目的は「仮説生成」であり 量的研究法の目的は「仮説検証」であるとされています。 対比軸としては次元の異なる話しなのかもしれませんが やはり「個性記述的な仮説検証型研究」ってのは成立しないのではないかと・・・ ついでに、多くの「り ん し ょ う」研究がDQNなのは 質的研究でありながら、仮説生成などは端から眼中になく 感想しか述べていないからではないかと思うんですが、いかがでしょ?
あら,やぱーりバレタ?(笑
最初二つを「独立」って書いたんだけど,
そうすっとご指摘のとおり象限の一つに,
「法則定立的な仮説探索型研究」ってのができちゃうのよね.
ただ,さすがにコレは語義的に間違いだろうと(笑
で,一般的な認識では
>>334 のとおりなのだろうけれどね.
あくまでもまだ見ぬ研究法を拓こうという立場をとれば,
仮説検証型の質的研究もあるのではないかと.
仮説検証が,事前の変数関係を想定して,
各々の変数について妥当性・信頼性のあるデータを収集することで行われるとすれば,
それを質的データでやればよいだろうというだけの話.
問題は,事前の変数関係をきちんと想定できるかと,
質的データをいかにコーディングするかになるんだろうけれども.
いやまぁ,なんつーか,DQSドナの戯言です.
で, >ついでに、多くの「り ん し ょ う」研究がDQNなのは >質的研究でありながら、仮説生成などは端から眼中になく >感想しか述べていないからではないかと思うんですが、いかがでしょ? 同意っす. つまり,「り ん し ょ う」研究の多くはこの議論の埒外にあるという罠.
で、「戯れ言」に敢えて反論(いぢわる?)。 >仮説検証が,事前の変数関係を想定して, >各々の変数について妥当性・信頼性のあるデータを収集することで行われるとすれば, >それを質的データでやればよいだろうというだけの話. この部分が騎乗の九龍と思われ。 てか、この領域に到達できていたら、ドナはドナではなく サトウ○ツヤになっていると思われ。 ・・・いや、サト○ツもその領域には到達していないわけだが。
>335 ピアジェスレの暗示はこういう方法もあるということでしょうか。
>>337 いや,軌条の九龍といわれてもだな,そんなことをいったら,
発達研究における純然たる実験デザインなんつーのも,およそ不可能である訳で.
(話が違うか,w)
まぁ,個人的にこういうことを考えるのは好きだが,
実際に研究するのは○トタツセンセにお任せという罠.
>>338 違います.あれはあくまでもピアジェについての話.
>333 >335 見過ごされているようですが >「法則定立的な仮説探索型研究」 行動分析がやっている反転法や多元ベースライン法など、単一被験体法に 基づく記述的・帰納的な研究がこれに当たるのでは。
スキナーの初期の実験にしても、仮説はまったく無いところから ハトにいろいろなスケジュール下での反応を記録し、仮説の探索と検証を ほとんど同時に行うようなものが主流です。 例えば定比率強化スケジュールでは強化後に反応休止が見られるが 変比率強化スケジュールではそれがほとんど見られなかった、というように。 臨床は詳しいわけではありませんが、応用行動分析においても、 特定の介入法が行動修正に有効かどうかを反転法などで 「検証」することは多いでしょうが、それでも例えば、どのようなモノや刺激が そのクライエントに強化子として有効なのかを調べるアセスメントや、 どのような強化子や弁別刺激がクライエントの標的行動を制御しているのか、 という機能的分析は「法則を探索かつ検証する量的研究」といえるのではないかと。
それで、件の「仮説検証型の質的研究」ですが、友人がそのような研究の インフォーマントになったことがあると。子育てに関するインタビューだったのですが、 非構造化面接なのだから自由に自分の見解や体験を述べようとしても、 その面接者は「でもこうこう、こういう心境もあったんじゃないですか?」とか、 どーしても自分の持っている仮説に沿うような発言を引き出そうと躍起だったとか。 下手すれば都合のいいデータだけを選り好みする、 単なる確証バイアスの補強にしかならない諸刃の剣かも・・・
>行動厨氏 いや,一応,応用行動分析なんかのシングルケースデザインも考えてはみたんだが, 私自身,よくわかっていないので,あえて触れなかったという(笑 で,私の考え方で言えば, >どのような強化子や弁別刺激がクライエントの標的行動を制御しているのか、 >という機能的分析は「法則を探索かつ検証する量的研究」といえるのではないかと。 というのは,探索も含めた「仮説検証型研究」ではないかと思うの. 上で,仮説生成と仮説検証は相補的ではないって書いたところと関係するんだけど, 研究の目的はあくまでも法則定立にあり,そのためには仮説検証が欠かすことができないであろうと.....なんて書くと矛盾してるな(爆 ちょっと待って,思いつきで書いてきたからボロが出てきた. 考えを整理しなきゃ.
とりあえず,仕事が入ってきたので,元ネタだけ. 「規範研究で目指されるのは,一般に,仮説ないし予測の検証である.研究の分類のひとつには, 仮説検証型と探索的研究(あるいは仮説発見型研究)というものがある.過去の研究結果からは仮説を 立てるまでの十分根拠が得られない場合や,既知の要因と関連すると考えられる新たな要因の影響を 明らかにしようとする場合に,いわゆる探索的方法がとられることになる.しかし,その場合も, 事前になんの予想ももたないまま研究がはじめられるわけではない. (中略) 一方,事例研究では,数が少なく統計的手法が適用できないため,仮説検証はできないと考えられがち であるが,これは必ずしも正しくない.むしろ有意差とは異なる判断基準によって, 仮説を検証するという手続きがとられる.一般に,仮説ないし予想を確かめるためには, なんらかの変化,違いが必要である.規範研究の場合,サンプルの代表値の変化, 違いに焦点があてられることになる.一方,事例研究の場合は,個人の機能間連関の違いや 時間的変化が取り上げられることになる.すなわち,複数の事例間で共通の連関が認められる, ある要因の変化にともなって別の要因が変化するといった事実によって判断されることになる. また,時間的な変化や教育的働きかけと発達的変化との関連に焦点をあてた場合には, 対象としているのがたとえ1事例であったとしても,仮説の検証は可能だと考えられる.(後略)」 「発達研究の技法」3章2節「規範研究と事例研究」pp54-57
まぁ,いいや,考えを整理する前に,行動厨氏に対するコメントだけ. >法則を探索かつ検証する量的研究 先に書いたように,「探索かつ検証」するのであれば,「仮説検証型」でいいんでない? >子育てに関するインタビューだったのですが、 この方と同じかどうかはわからないが,私が仮説検証型の質的研究を考えるようになったのも, 発心研あたりに載っていた母親対象のインタヴューだったように記憶している. >単なる確証バイアスの補強にしかならない諸刃の剣かも・・・ だから,こそ量的な法則定立を欠くことはできないし, また,量的が主流であるべきではないかと思ったり思わなかったり.
>行動厨氏 上の方でDQNな素人さんの相手をしてたら、もう昼休み終わりです。 色々と書きたいことはあるんですが、また夜にでも。
>343-344 なるほどです。既に検証された形で発見されるのなら、 探索をしていてもそれは「仮説検証型」である、と。 私個人はむしろ探索と発見のほうに強調を置きたいから 「仮説探索(発見)型」とみなした訳ですが。定義の差ですね。 >事前になんの予想ももたないまま研究がはじめられるわけではない. 確かにある程度の枠組み無ければ研究デザインそのものが立てられないですね。 ただ、「こういう条件下ではどのような振る舞いが見られるだろう」というのと、 「こういう条件下では本当にそのような振る舞いが見られるだろうか」というのとの 違いはやっぱり大きいんじゃないかなあと思うわけですが。 書き漏らしていたけど、「仮説検証型の質的研究」の話は別にそれを 非難しているわけではなく、私はあのような失敗例(?)しか見ていないので、 生産的であるとすればどのような形になるのだろう、という興味からです。 特に>337の話について、よく分らないので・・・ >ロテさん よろしくです。
しかし考えてみれば、応用行動分析では法則定立を目指さない場合もあるなあ。 その場合はシングルケースデザインによる「量的で探索的な個性記述」という、 これまた枠に収まりにくいパターンになる。 ああ、こんがらがってきた。
質的で探索的な個性記述→本来の質的分析研究 量的で検証的な法則定立→一般的な実験心理学 量的で探索的な法則定立→行動分析の基礎研究 量的で探索的な個性記述→行動分析の応用実践(機能的分析?) 量的で検証的な個性記述→行動分析の応用実践(アセスメント?) 質的で検証的な個性記述→ドナ氏の創案? 質的で検証的な法則定立→ドナ氏の創案? 質的で探索的な法則定立→多数の質的研究の総括? 突っ込みどころ満載(笑
「量的で探索的な法則定立」には因子分析もあったな。
>>347 いや,非難されたつもりもなく,ただ自爆した訳で....
で,さて,
>>349 のおかげでずいぶんと整理されたな.
ここまで出てきた研究の分類についてまとめてみると,
1)規範事例
2)法則定立個性記述
3)量的質的
4)仮説検証仮説生成(仮説探索or発見)
でまぁ,1)=2)はいいかな.
で,2),3),4)で考えて,それらをすべて独立とすると, 量的で検証的な法則定立 量的で検証的な個性記述 量的で探索的な法則定立 量的で探索的な個性記述 質的で検証的な法則定立 質的で検証的な個性記述 質的で探索的な法則定立 質的で探索的な個性記述 になるんだろう. しかし,個人的には「探索的な法則定立」ってなんやねん!と思わなくもない.
あくまでも,科学的な研究のあり方は「実証的な」仮説検証が必要であると考えるゆえ.
と,ここまでは
>>343 で書いたこと.
すると,
>>332 で書いたような
個性記述的研究での実証(=仮説検証)っていうのが存在しないと俺は主張してしまうことになる.
それに気づいたので,
>>343 で自滅したと.
しかし,俺自身が
>>332 で書いたことって,実は「質的」といった方が,
適切だった気がする.
すると,俺的には
「仮説検証型」と「法則定立」
「個性記述」と「質的」ってのがごっちゃになってたということ.
と,考えて,改めて
>>349 を見てみると,
俺自身「個性記述的研究」っていったいなんなのかが,
実は理解できていなかったことに気づく.
その点,行動厨氏の
>>341 や
>>348 あたりは
自分の理解できていないところでもあり,今後の展開にきたーい.
ということで,前座のドナはこの辺りで幕を引き,
ロテ氏に「個性記述的研究」とはなにか?について,
伺ってみたい.
どぞ.
夜にゆっくりカキコするつもりだったのだが 今日は無理でつ・・・ いや、ほんと小人さんが出てこない限り終わりません。 どっかのスレでDQN受験生に「臨床心理士になるのはお勧めしない」と言ったら 「(臨床心理士は)重労働だと聞きましたが、そのためですか」などと返された。 今はそれを否定しない。 週末まで仕事しつつネタを熟成させまつ(腐らない程度に)。
こんなところで研究方法論議をしてたのか
では,ロボ氏どぞ↓
ロボ氏じゃなくてすんません。ちょっと暇ができたロテ職人です。 一連のレスの流れは一通り読んでるんですが なかなか理解できない自分のために概念の整理をしたいと思います。 法則定立的方法(monothetic method): 人間一般にあてはまるような法則や理論について検証することを目的とした研究法。 通常、多くの被験者から集めたデータの平均値などによって検討を行う。 法則定立的方法は、理論から仮説を導き、収集したデータがその仮説と一致するか 否かを吟味する仮説検証的方法と、収集したデータの中からなんらかの法則や 新たな研究仮説を見出すことを目的とする探索発見的研究に大別される。
個性記述的方法(idiographic method): 法則定立的方法とは対照的に、人間の多様性を重視し、 統計的ないし計量的な方法では見落とされがちな 各個人が独自に有する側面について検討しようとする研究法。 事例研究がその典型である。 以上 小川一夫(監修) 社会心理学用語辞典 北大路書房 より
まず、法則定立的方法の定義によると
「法則定立的な仮説検証」と「法則定立的な仮説発見(探索)」ってのは成り立つと。
院生の頃に学部生の卒論指導をしていてよくあったのが
学撫生「Aという尺度とBという尺度を見つけてきたんで関連を見たいんです」
漏れ「で、仮説は?」
学撫性「ないんですけど。とにかく関連が見たいんです」
漏れ「・・・」
というやりとりですた。
この手の「法則定立的な仮説発見(探索)」研究ってのは
>>353 でドナ氏が主張しているところの
「科学的な研究のやり方」ってのは反するかもしれませんが
例えば、研究1でこうした形での仮説探索を行って
研究2でその仮説を検証するってのは、論文の形式としては十分に考え得るし
問題と目的の部分の内容をしっかりと煮詰めれば
科学的研究としても問題ないのではないかと思います。
次に「質的研究」について (参考文献:下山晴彦(編著) 臨床心理学研究の技法 福村出版) 「質的(定性的)」とは主に記述的データを使って、言語的・概念的な分析を 行うという意味であり、数量的データを用いた伝統的研究と対比される。 様々な理論的背景(エスノグラフィー・エスノメソドロジー・ライフストーリー法etc.)を持つ 質的研究の共通の特徴が以下の3つ 1)研究室内の実験ではなく、自然なコンテクストの中での観察や面接を重視する。 2)客観的な行動よりもむしろ、研究対象者の主観的な体験や作為に対する 意味づけに焦点を当てる。 3)仮説を前もって立ててから該当するデータを集めるのではなく 雑多なデータから帰納的に仮説や理論を立ち上げる。
ということで3)より、質的研究というのは
あくまでも仮説や理論を立ち上げるためのものであると言えます。
上記の参考文献の中には質的研究法の手続きとして
1)大まかな問題や関心のあるトピックを見分ける
2)探索的リサーチクエスチョンを発展させる
3)最初のデータを集め、解釈する
4)追試的な仮説を発展させる
5)追加データを集め、解釈する
6)試験的仮説を洗練する
7)より特定の仮説を発展させる
8)理論を生成する
ってのが書かれてますた(Korala & Suzuki, 1999より改変)。
「研究」ってのをどう定義するのかにもよりますが
実はこの3)〜7)辺りのプロセスってのは実は
>>335 でドナ氏が言っている「仮説検証型の質的研究」ではないかと・・・
なんてぇのは、DQNロテ職人の戯れ言だったりするわけですが。
ただ、色々調べてみると
>>335 でドナ氏が主張しているこの部分↓
>仮説検証が,事前の変数関係を想定して,
>各々の変数について妥当性・信頼性のあるデータを収集することで行われるとすれば,
>それを質的データでやればよいだろうというだけの話.
>
>問題は,事前の変数関係をきちんと想定できるかと,
>質的データをいかにコーディングするかになるんだろうけれども.
はやはり気丈の九龍なのではないかと思われ。
質的研究と量的研究ってのは単なるデータの種類の違いではなく
研究のパラダイムが異なっており、そこに要求される「科学性」ってのも
異なるのではないのでしょうか?
で、以下は「DQN臨床家」のロテ職人の戯れ言としてお聞き流しください。 私は臨床実践というか心理療法ってのは 「質的で探索的な個性記述的研究」と「質的で検証的な個性記述的研究」の 連続なのではないかと思っています。 つまり、面接を通じて治療的な見立てを行い(=質的で探索的) その見立てに基づいて治療を行う(=質的で検証的)ということです。 その妥当性ってのは恐らく「治療が成功したかどうか」で検証できるでしょう。 ひじょーにDQNくさい空気が漂っており、それが科学なのかと問われたら 返答には困ってしまいます。 ただ、自分の臨床に関しては常々「科学的でありたい」というロテ職人であります。
なお、そうした「科学的な臨床実践」(藁 によって得られた知見を統合し 例えば新しい治療の枠組みを構築できたとしたら それは「質的で探索的な法則定立」ということになるでしょうし その治療的枠組みが本当に効果があるかどうかということを いくつかの事例研究から検証するとしたら 「質的で検証的な法則定立」ということになるのではないでしょうか? で、ふと思ったこと。 ロールシャッハってのは質的データを用いて 個人のパーソナリティや病理を記述するという観点からすると 「質的で探索的な個性記述」ってことになるように思われますが 質的データをコード化(数量化)した時点で、それは「量的」になるのではないかと思われ。 ただ、ロールシャッハってのは数量化されたデータの解釈(形式分析)以外に 各図版の特性等を踏まえた質的分析(継列分析)も行います。 ってことで、ロールシャッハの解釈は「量的で探索的な個性記述」と 「質的で探索的な個性記述」を組み合わせたものであると言えるでしょう。
で、ようやく残業に戻れるロテ職人だったりします。 昨日はたくさん寝たので元気いっぱいです。がんがります。 ご静聴ありがとうございますた。
>ロテ氏 乙. 今宵のドナは疲労にて頭が動きませんので明日にでも. 長レスさんきうでした.うん,勉強になったので,もうちょっと整理してみます.
さて,一日中雑務と学生の応対に追われ,頭が心理学モードになっていないドナでつ.
しかも,むー,ビール缶1本でクラクラスルヨウデハ,どなモオワリデツナァ...
ということで,さらに先延ばし....(藁,DQSさらしてるだけでごんす.
まぁ,個性記述的というのが
>>359 であることを確認すれば,
ドナは自分の間違いを認めざるを得ないことだけ書いておこう.
で,恐らくドナ的に整理すべき点は以下.
>>358 >法則定立的方法は、理論から仮説を導き、収集したデータがその仮説と一致するか
>否かを吟味する仮説検証的方法と、収集したデータの中からなんらかの法則や
>新たな研究仮説を見出すことを目的とする探索発見的研究に大別される。
>>334 >質的研究=個性記述的研究、量的研究=法則定立的研究と言えると思うんですが
>質的研究法と量的研究法の方法論的比較(Korala & Suzuki, 1999)では
>質的研究法の目的は「仮説生成」であり 量的研究法の目的は「仮説検証」であるとされています。
ところで,この
>質的研究=個性記述的研究、量的研究=法則定立的研究と言えると思うんですが
というのも「臨床心理学研究の技法」からの引用なのでつか?>ロテ氏.
>>369 なんだか忙しくてレスが遅くなりがちですんません。ロテです。
えー、ご指摘の点
>質的研究=個性記述的研究、量的研究=法則定立的研究と言えると思うんですが
についてですが、
これは
>>359 の個性記述的方法の定義の
>統計的ないし計量的な方法では見落とされがちな
>各個人が独自に有する側面について検討しようとする研究法。
という点から推測したことです。
ただ、行動厨氏が
>>349 でまとめたように
行動分析ってのは恐らく、例外なのではないかと思われ。
つまり、「量的な個性記述」ってのも例外としてありうると。
「臨床心理学研究の技法」には法則定立的・個性記述的という観点からの
記述はありませんでした。
こちらもなかなかレスが出来ずおり、スマソです。
ロテさん、まとめありがとうございます。
「量的な個性記述」や行動分析の研究法については
また後日説明を試みたいと思います。
しかし
>>366 のスレを見ていると、質的という言葉にも
様々な異なる次元が含まれているんだなあと気づかされたり。
↑名前を入れ忘れた行動厨ですた。
ドナ的まとめ.
DQSなドナは,個性記述的=質的ということにとらわれていたのでつな.
個性記述的方法とは,
>>359 なわけで.
で,
>>358 にあるように,仮説探索も検証も法則定立的研究に包含されるのでつ.
個性記述的研究というのは法則定立的研究を補完するものであり,それは
検証された仮説を理論的背景として,個別的なケースをより精緻に描き出そうとするものと考える.
なお,その際,用いられるデータは質的なものが多い印象がある.
そのため,ロテ氏の
>>370 のように,
>質的研究=個性記述的研究、量的研究=法則定立的研究と言えると思うんですが
という推測が成立しそうに見える.
で,ドナがゴネているのはここのところなんだと.
>>371 で行動厨氏が指摘しているように,
>しかし
>>366 のスレを見ていると、質的という言葉にも
>様々な異なる次元が含まれているんだなあと気づかされたり
「質的」にもいろんな次元のデータがあって,
その中には,質的でも法則定立的仮説検証型に馴染むものもあるのではないかと.
また,機上の九龍といわれそうでつな.
しかも,なんだかまとまってねえし.
デスマ中につき,と言い訳しておいて,
今後の展開をきたいしまつ.
>>374 >「質的」にもいろんな次元のデータがあって,
>その中には,質的でも法則定立的仮説検証型に馴染むものもあるのではないかと.
「行動分析は質的研究である」スレの51、その辺がよくまとめられてますな
>1.行動(データ)
>質的:デジタルな判定困難(演奏とか絵画描写の上達)
>量的:生起頻度や強度、
>2.データ収集方法
>質的:観察、検査、調査、面接、事例
>非質的:実験−実験群(期)と統制群(期)
>3.データ測定方法
>量的:数量化
>質的:非数量化
>4.考察
>質的:個性記述的
>非質的:法則定立的
4はともかくとして、1〜3の次元については納得です。
>>375 ども,そのレスさらとスルーしてたまま読んでなかった.
というか,良くわからん.
ども,あそこは行動分析に限定した文脈ゆえ,なんか自分の思い(考えではない)とかみ合わない気がしゅる.
でも,こうして考えてみると,4.はともかく,1〜3は検討するべきところかもしれない.
すんません。ただ貼っただけで、その後仕事に戻っちまったんで 考察してませんでした。 まあ、挙げられている例はともかくとして 「質的」という水準には ・データの種類 ・データ収集の方法 ・データの測定方法 の3水準があるのではないかと・・・ しかし、この「データ収集の方法が質的」ってのも なんだか微妙な感じではあるのですが。
で,ドナ的に,質的で法則定立的仮説検証といったのは, 恐らく3.のデータ測定法の部分なんだろうな. これ,測定法というか,エンコーディングの話だと思うんだが, 質的=非数量化なんだけど,そこのコーディングにおいて, つまり非数量的データであってもその処理段階のカテゴライズいかんで, 検証的にならんかと..... しかし,ふと思ったのは質的データをカテゴライズしてその頻度を扱うのって, 量的データといえるのか?そりゃちがうだろと....
ありゃ,かぶった(藁 ちと頭冷やしてきます.
>>378 かぶっちまいましたな。
>質的=非数量化なんだけど,そこのコーディングにおいて,
>つまり非数量的データであってもその処理段階のカテゴライズいかんで,
>検証的にならんかと.....
しかし、何のためにコーディングするのかというと
それはデータを数量的に扱うためなのでは?
仮説検証ってのは結局、客観的(つまり信頼性・妥当性が保証されている)で
量的なデータによるのではないかと、どうしてもDQN職人は思ってしまうですよ。
>しかし,ふと思ったのは質的データをカテゴライズしてその頻度を扱うのって,
>量的データといえるのか?そりゃちがうだろと....
漏れは量的データだと思いますが・・・どうなんでしょ?
なんか自分が理解していないような気もしてきますた。
いや,DQSな俺と横並びに話をするもんだから, >なんか自分が理解していないような気もしてきますた。 ということになると思われ. 考えてみれば, >しかし,ふと思ったのは質的データをカテゴライズしてその頻度を扱うのって, ってのは,量的データでしかないだろう(藁. ただ,例の「行動分析は質的...」スレを見ていて, 被験者のターゲットの生起頻度のように,そのまま量的データになりうるものと, 研究者の枠組みによって量的データに(変換されるもの)があるのかなぁと. 実は量的-質的の間も明確な境界はないような気がしてきたぞ....
やっぱり質的データを名義尺度レベルでコーディングした時点で それはもう変数になるわけだから、量的データになってしまいます。 質的データを質的なまま扱うというのは、やはり困難であり 従来の心理学的手法に毒された(あえて言おう!毒されている、と!)我々は そこで混乱してしまうのではないかと。 ただ、上のスレで出てきているグラウンディッド・セオリー。 あれも実はコード化はするんですけど、にもかかわらず質的研究法だったりします。
グラウンディッド・セオリーについて、ほとんど分かっていないんですが とりあえずの自分の理解というところでまとめてみまつ。 (参考:臨床心理学研究の方法 福村出版) グラウンディッド・セオリーとは、データの中から帰納的に生み出されてくる 現象理解の枠組みのことで、「データ対話型理論」とか「データ密着型理論」と訳されることもある。 グラウンディッド・セオリー法は、研究対象の人々の体験に則した形で 彼らが用いる概念や諸特性を明らかにしていく方法である。 普通、「データの処理」というとデータ収集が完全に終了してからの手続きを想像するが この方法ではデータ収集の段階からすでにデータ処理が始まっている。 この段階では (1)コード化など次の段階の分析が容易になるような形でデータをテクスト化しておくこと (2)初期にはあいまいであったリサーチ・クエスチョン(研究を方向づける設問)を より明確化・特定化しつつ、次のデータ収集を方向づけること が処理の目的となる。
データがある程度たまったら本格的なコード化の段階となります。 最初にそれまでの記述的データを何度か読み返して全体の文脈を頭に入れた後 要素的なコードを生成するという作業を行います。 この段階ではまず、リサーチ・クエスチョンを念頭に置きながら 関連箇所(句・文・段落など)を広く選択します。そして個々のことがらに関して 「これはどういうことを意味しているのか」とか 「これはどういうカテゴリーの事例なのか」と問いかけながら それを表現する短いことば(コード名)を記述的データの余白に記入していきます。 たとえば、交通事故で頭部外傷を受けた被面接者が 「俺、事故の前のこと少しも覚えてないんだ。だから、俺は今の俺で いるしかないってわけさ」と言ったとします。 この部分に対しては「不連続な人生」とか「記憶の欠落」といったコード名がつけられるでしょう。
この処理においては、データの他の部分との内容的な比較が絶えず行われます。 この段階のコード化は分類の基準があらかじめわかっているわけではなく 類似の内容のデータに対しては同じコード名がつけられるし 比較の中でより適切なコード名を思いついたら、コード名をつけ直すことも必要になります。 ふー、一休みと。
>>383 ご解説ありがd.
どうも,ちと自分で手に入れないと.
ってことで,「日本語で」GTAについて検索したらこんなの見っけました.(情けなし)
http://www.nii.ac.jp/sokuho/articles/ncid/AA11209872/20020301_5.html (真ん中よりちょっと下)
小松 良子/片桐 千鶴/三澤 寿美/藤澤 洋子
「Grounded Theory Approach による母性発達課題に関する研究(第1報)−妊娠による気持ちの変化と行動の変化−」
藤澤 洋子/小松 良子/片桐 千鶴/三澤 寿美/町浦 美智子
「 質的研究への取り組み−Grounded Theory Approach による研究のプロセスー」
ともに,山形保健医療研究 5 らしい.
この手の医療・保健系には多大な期待をしないドナですが,
久しぶりに取り寄せたくなりました.
え?原著を読め?
DQSにはつらいでつ.
あ,
>>383 でおわりではなかったぽ.
またあとで,じっくり読むでつ.
今日は残業のはずなのに何か違うことをしているような気がするのは きっと錯覚ってことで続き。 要素的なコードの生成が一区切りしたら、今度はそれまでにつけたコードを いくつかのグループにまとめ、その相互関係を考えていくという作業に移ります。 これがコードの分類整理の段階です。 まずは暫定的にいくつかのコードを比較して似た物どうしを(ワープロ上で)近い所に並べ グループが形成され始めたらそのグループに名前をつけます。 次いで浮かび上がってきたグループについて、その間にどのような関係があるか考察しながら さらに大きなカテゴリーを構築します。
コードをカテゴリー化しその関係を仮定していくなかで データ全体として何がいえるかという点についても徐々に考察を進めます。 これを「理論への統合」の段階と呼びます。 中核となるカテゴリーを1つか2つ選択し、それと他のカテゴリーを関連づけながら 全体を再編成するのがこの段階における作業の中心となります。 さらに相互に関係づけられたいくつかのカテゴリーは その適切さを試すため、仮説的なモデルとして今度は別のデータにあてはめられます。 研究者はそこでカテゴリー名を変更したり、分離や統合によってカテゴリー自体を修正したり カテゴリー間の関係を組み替えたりします。 つまり、データとデータを繰り返し比較することを通じて いっそう広範なデータを包括的に記述できるようモデルが精緻化されていくわけです。 モデルに反するように見えるデータがわざわざもってこられて モデルを鍛えていくことも行われます。 そして、そのモデルがたいていの新しいデータの分類や記述に役立つようになった時点で グラウンディッド・セオリー法の分析はとりあえず終了となります。
自分なりにまとめる、と言いながらほとんど丸写しなのですが
要するに、質的なデータを質的なまま(=数量化せず)扱うことで
広範に適用可能なモデルを構築するというのが目的ですな。
ということは
>>352 の類型に基づくと・・・
おそらく「質的で探索的な法則定立」ということになるんですかね。
で、この手の研究法で得られたモデルってのは臨床実践の土台になったりします。
メジャーどころではキューブラー=ロス(対象喪失の人)による
「死にゆく過程の段階説」ってのはまさにこうした質的研究の結果であると言えますが
ターミナル・ケアにおいては重要な参照モデルになってます。
・・・で、この手のデータの水準ではやはり仮説検証は無理だと思うんですよね。
さて、どうします?>ドナ氏
むー.気がつけば漏れが冬三郎になっていたという罠. ともあれ,改めてご解説アリがd. で,まだわだかまりは残っているのですが, >さて、どうします?>ドナ氏 (笑)わかる.わかるんですが,敢えてがんばってみれば, >要するに、質的なデータを質的なまま(=数量化せず)扱うことで >広範に適用可能なモデルを構築するというのが目的ですな。 どうもこの部分に質的=探索的という「前提」があるようにも思える. というか, >そのモデルがたいていの新しいデータの分類や記述に役立つようになった時点で というのは,モデルが立てられた時点(=仮説生成)であって, それがたいていの新しいデータの分類や記述に役立つってのは, 生成された仮説が帰納的に検証されたってことにはならんのか? ................ドナ,オマエは今一度「演繹-帰納」と「仮説検証」について学びなおせとの 心の声が聞こえる............. やあねえ,ヨッパライって....などと,アルコールをセルフハンディキャップにして逃げるドナ.
少し仕事しました。そろそろ帰ろうと思ったのですが・・・ >どうもこの部分に質的=探索的という「前提」があるようにも思える. というか、私が参照している文献がことごとくその前提に基づいているわけです。 色々探してはいるのですが。 >というのは,モデルが立てられた時点(=仮説生成)であって, >それがたいていの新しいデータの分類や記述に役立つってのは, >生成された仮説が帰納的に検証されたってことにはならんのか? 私の現時点での理解に基づいてお話しますね。 前にもどこかに書いたと思うんですが 質的研究(ここでは質的データを質的データのまま扱うものと定義しましょう)って 最初に仮説を立ててそれで終わりではなくて その仮説を洗練する過程が必要だと思うんですよ。
仮説が役に立つ仮説であるためには洗練が必要であると。 で、その洗練の過程ってのはある意味では検証的なわけです。 ただし、その検証の際の基準になるのは量的な外的データではなく 仮説を立てる際に用いた内的データであり さらに新たに追加した質的な外的データであると考えられます。 その過程をもって帰納的に証明されたとするのは・・・どうなんでしょうか? あえて外的基準を持ち出さないところが 質的研究の持ち味なのではないかなあと、ちょっと思い始めてます。
で、やっぱりそれって臨床実践じゃんって感じがするんですよ。 外的基準がないところでの仮説検証って非常に困難だとは思うのだが まともな心理臨床家であれば、それやってなきゃいけないはずなんだよな〜。 そういう意味で、漏れは臨床に携わる人間は 最低限の研究の思考法・方法論を知っておくべきだとさんざん主張してるんでつが・・・ 最近の若いもんってのは何でそれがわからんのですかね? ってすれ違いですかな? コメントよろしく>all
>ロテ氏 どもどもども. どうも,「研究」というものの枠組みが広がってきたのかなぁという思いを抱きます. 従来は「先行研究のまとめ→仮説→データ収集・分析→結果・考察」という一連の手続きが 「研究」というひとつのパッケージになっていたんだが, 今は,「先行研究のまとめ→データ収集→仮説立て」(仮説探索型)とか いろんなものが成立するようになってきたってことかな. で,ごめんなさい. >内的データ,外的データ についてご解説きぼんぬ. >最近の若いもんってのは何でそれがわからんのですかね? ホントにね. この手の話は,例の店でしましょうか.
内的データと外的データ・・・ 漏れの造語でした。すまんです。 「外的データ=外的基準」です。 で、内的データは・・・その検討するデータそのものであると・・・ 言いたいこと伝わりますかね?
いや・・・自分のカキコを読んでみたらちょっと違うと思いますた。
>>393 >ただし、その検証の際の基準になるのは量的な外的データではなく
この「外的データ」は外的基準
>仮説を立てる際に用いた内的データであり
この「内的データ」はその仮説探索に用いたデータ
>さらに新たに追加した質的な外的データであると考えられます。
この「外的データ」は外的基準ではなく
仮説探索のために追加した質的データ
ちょっとわかりにくいがこんな感じでつ。
人は自分の認知処理にあわせて,一つ一つ歩むが如し. ということで,回りくどいが,整理しまつ(スマソ >仮説が役に立つ仮説であるためには洗練が必要であると。 >で、その洗練の過程ってのはある意味では検証的なわけです。 >ただし、その検証の際の基準になるのは量的な外的基準ではなく >仮説を立てる際に用いた内的データ(仮説探索に用いたデータ)であり >さらに新たに追加した質的な外的データ(仮説探索のために追加したデータ)であると考えられます。 とこんなところか?
で,ドナ的に言い換えると,
仮説を生成するために必要な「洗練」とは,
仮説生成の過程として得られたデータをきちんと検討し,整理しているかであり,
それは,更なるデータ収集によって洗練の度合いを増す,と.
(これでいいでつか?>ロテ氏)
ここまでが
>>393 の言質であると.
で,ドナ的には,このまとめがまさにGTAであるのかと思いつつある訳ですが,
(GTAについては)原著をあたった訳でもないので置いておくとして,
もともとドナが世迷いごとを言っていたことに戻ると,
>>393 の
>その過程をもって帰納的に証明されたとするのは・・・どうなんでしょうか?
というところに戻るような気がする.
以前のドナはもどらねえよ,って所だったんだろうが,
今の認識では,
>質的研究(ここでは質的データを質的データのまま扱うものと定義しましょう)(
>>392 )
ってあたりで,自分の「質的研究」の定義を問い直すべしというところに落ち着いたという罠.
しかし,まだいくつか腑に落ちないこともある気がするヨパラーイでつ.
まず,お聞きしたいのが,
>>394 >で、やっぱりそれって臨床実践じゃんって感じがするんですよ。
この辺りについて,もうちとご解説いただければ....
しかし,このような底辺ドナに懇切丁寧に対応してくださる辺り, やはりロテ氏は筋金入りの臨床家なのだなぁと,思いつつ,400ゲトー
>>400 質的研究の定義と臨床実践との類似については少し整理したいので
ちと待っていただきたいのですが
>しかし,このような底辺ドナに懇切丁寧に対応してくださる辺り,
>やはりロテ氏は筋金入りの臨床家なのだなぁと,思いつつ,400ゲトー
聞き捨てならないことを!
こちとら優しさや人格で臨床やってるわけじゃねぃ(藁
いや、ほんと臨床場面ではその優しさ(あるいは優しさ類似のもの)が
足を引っ張るってのは往々にしてあるわけで・・・(鬱
>>401 ちとどころか,かなり待ちます.(藁
とりあえず,今回の件では漏れの「質的研究」の観念を問い直す機会になりますた.
>こちとら優しさや人格で臨床やってるわけじゃねぃ(藁
おっしゃることは半分ぐらいわかる気はすますが,
あちきは
>>400 で「優しさ」とも「人格」とも一言も言ってないという罠.
ドナの考えでは「懇切丁寧な対応」が臨床家として大事だと思うのでつ.
しかしそれが,「優しさ」とか「人格」などというものといかに関連するかについては,小一時間......
漏れもSCなんぞやってて思うのでつ.
「優しさ」も「人格」も言及する前に,クライエントに対して,
どんな対応が出来るか.....
難しいでつ.
>>402 ロジャースの言うところの「誠実さ」ってのは
おそらくその「懇切丁寧な対応」ってのにつながるんでしょうな。
それもまた大切な技術・技法であります。
いやぁ。臨床はむずかしいっすよ。
正直、漏れは自分が臨床に向いているとは思えません。
>いやぁ。臨床はむずかしいっすよ。 >正直、漏れは自分が臨床に向いているとは思えません こりゃあ例の店で吐く科白ですな。
あげようと思って覗いたら寮スレなのであげるのやめた。
>>402 亀レスでつが,
>ドナの考えでは「懇切丁寧な対応」が臨床家として大事だと思うのでつ.
>しかしそれが,「優しさ」とか「人格」などというものといかに関連するかについては,小一時間......
「マメであることが女性にモテるために大事だが,それが誠実さだとか優しさに関連するかどうかは......」
と読み替えても良いでつか?
泥酔者が答えまつ. >「マメであることが女性にモテるために大事だが,それが誠実さだとか優しさに関連するかどうかは......」 >と読み替えても良いでつか? このレスを読んで私も気づきますた. >マメであることが女性にモテるために大事だが, これは「マメ」であろうとする男性側の視点でつ. で, >それが誠実さだとか優しさに関連するかどうかは というのは,他者(女性)の評価基準なのでつ. 評価者が異なる以上,そこに単純な相関が見られるかどうかよりも, 後者の基準を内化するほうが,手っ取り早いのではないかと思う 泥酔ドナでつ.
>>407 そこで,「男のマメさ」の中に「誠実さ」の存在を保証して欲しい女がいるわけで.
まあ,いろんなところでアナロジーができまつわね.
仕事疲れた。ちょっと一休み。
上の方で化け猫さんのお相手をするのもイヤんなったので再開しまつ。
>>399 仮説を生成するために必要な「洗練」とは,
仮説生成の過程として得られたデータをきちんと検討し,整理しているかであり,
それは,更なるデータ収集によって洗練の度合いを増す,と.
まとめサンクス。まさにこれが私の言いたかったところです。
(日本語下手でスマソ)
>で,ドナ的には,このまとめがまさにGTAであるのかと思いつつある訳ですが,
私もそう思います。正確にはGTAってのは、この洗練の過程を
ある程度システマティックにしたものではないかと。
今回質的研究について色々と調べてみて、このGTAのアプローチについては
目から鱗って感じでした。
んで、ドナ氏の(今現在での)質的研究の定義ってのはどんなもんになりましたかね?
>>409 引用符抜けてた(恥。
>>339 以下の3行でつ。
で、質的研究と臨床実践との類似についてなんですが
最近また色々と調べてて
個性記述・法則定立の定義について述べている文献を見つけたので
とりあえずそこからちょっとまとめまつ。
(山本 力・鶴田和美(編著) 2001 心理臨床家のための「事例研究」の進め方 北大路書房
を参考にいたしますた)
事例研究ってのは2つのアプローチに大別できます。
一つは探索的・記述的な方向を目的とする研究で
このアプローチは対象に対する詳細で濃密な観察と調査、
それらに基づく詳細な物語叙述を特徴とする、いわゆる個性記述的で
「リアリティ構成的」な研究法であると言えます。
続き リアリティ構成的な事例研究とは事例自体の明確化が目的であり 事例検討会で提出される事例報告は、面接状況で生起している本質的事態を ストーリーとして書き出すことが求められます。 で、事例研究のもう一つのアプローチが、特異な個性記述を目指すのではなく 事例の本質にあるアーキタイプやモデルを仮説的に抽出しようとする方法です。 これは「理論モデル構成的」研究であり、統計的手法とは異なる もう一つの法則定立的な道であると言えます。 ↑ ここ重要! まさに「質的」で「法則定立的」ってことじゃないすか!
さらに、事例研究における一般化について。 そのまま引用したい部分がありますたので以下引用でつ。 実験系の心理学研究は推測統計学の発展に支えられてきた。 この推測統計学に依拠する科学主義からみると 心理臨床の事例研究は「文学もどき」の非科学的な研究として批判されてきた。 方法論に厳密さを欠くこと、条件の統制や操作ができず 事後研究であることなどが問題とされてきた。 そして、最も頻出する批判が次のような声である。 「一つの事例からみえてきたことが、どうして全体へと一般化できるのか」 という疑問である。
引用続き 事例研究に対する大きな批判は、この一般化(generalization)への疑問であろう。 科学的な実証研究が一般化を志向する以上 事例研究はそのような意味での研究ではないと考えられてきた。 したがって事例研究は「個」の特異性を記述(particularization)する方向ですすめていくか せいぜい現実から仮説を見出すためのパイロット・スタディであると位置づけられてきた。 理論モデルを構成する事例研究をめざす以上、これらの疑問を検討していく必要がある。 きわめて困難な課題であるが、筆者の考えを少し整理してみよう。 ---------------- 以上、引用終わり。
上記の文献ではこの後、「一般化」のための考え方などが述べられていますが
とりあえずそれはおいといて、ここでようやく
質的研究と臨床実践の類似点についての私なりの考えを述べたいと思います。
どこかのスレで遙か昔に書いたことがあるような気がするのですが
私は臨床実践というのは、従来の仮説検証型の研究と
似たような枠組みを持っているのではないかと思っています。
>>395 でドナ氏も言っていますが、従来の研究の枠組みってのは
>「先行研究のまとめ→仮説→データ収集・分析→結果・考察」
で、さらに「→(得られた結果をもとに)新たに仮説を立てる→データ収集→・・・(以下同)」
という形で進んでいくものが主だったと思います。
で、まともな臨床実践ってのは 1. インテーク面接などに基づく情報収集 2. 集められた情報に加え心理検査なども含めたアセスメント・見立て 3. 見立てに基づいて治療目標(治療戦略)を立てる 4. 治療目標に到達するための方法(治療戦術)を考える 5. 方法に基づいた面接を施行する 6. (何度か面接を行った後)変化があったかどうかさらに査定する (7. 査定の結果、変化が見られない、あるいは悪化した場合には 4.に戻り治療戦術の変更、時には3.に戻り治療目標の変更を行う) 8. 治療戦術・戦略が適切であれば5.に戻り面接を継続する。 9. 治療目標が達成されれば終結 とまあ、かなり大雑把に言えばこんな流れになると思います。 もちろん、7の過程はなければないに超したことはないですし 治療目標の変更なんてのは、治療構造そのものに関わることなので 普通はしないはずですが・・・
で、
>>415 の流れを従来の研究の流れに当てはめると
1〜2は先行研究、3は仮説、4は仮説を検証するための方法の設定、
5が調査・実験の実施(=データ収集)、6・8が考察というように
まさに従来の研究の枠組みと同じ流れなのではないかと。
恐らく7は仮説が支持されなかった場合であり
調査・実験の方法を見直すか(=4に戻る)、仮説そのものを考え直すか(=3に戻る)
という過程に当てはまると思われ。
ここ再度、上に挙げた文献より・・・
心理療法の過程では、クライエントの行動の似通った行動パターンが
繰り返して確認されます。そこで、治療者はクライエントの本質的な心のダイナミズムや
構造を理解することができ、それを整理し明確化していくことになります。
長期のプロセスをたどるとこの反復性が確認されるので
理解した内容の内的妥当性が高まると言えるでしょう。
つまり、一般化のための一つの方法として、繰り返しによる検証を考えるわけです。 ここで、御大(藁)河合某氏の言葉が出てきます。 「(心理療法の旅路という)長い期間に生じる両者の人間関係のあり方を一回一回、 一つの実験として考えてみるならば、1人の人間の事例とはいいながら、 それは被検者100名に値する重みを持っている・・・。一つの事例の記述の中に 何回もの仮説と検証の過程が組み込まれている」(河合, 1976) ・・・すげえ良いこと言ってんじゃん!という気がしまつ。 てか、筆者も言ってるんですが、この発言は 「スキナーの単一被検者の実験デザインに関する発言とも軌を一にするのは 不思議なことである」。 で、そのスキナーの発言ってのは 「1時間ずつ1000匹のネズミを用いて研究するかわりに、あるいは100匹を10時間ずつ 研究するかわりに、1匹のネズミを1000時間研究する方が見込みがある」というものでした。
我ながら長すぎ。とりあえずこの辺にしたいと思いますが・・・
結局、何が言いたかったかと言うと
臨床実践ってのは質的研究(というかGTA)同様
「仮説生成→仮説検証→生成→検証→・・・」という
仮説を洗練していく過程なのではないかということです。
さらに、
>>399 にあるように
>更なるデータ収集によって洗練の度合いを増す,と.
まさにそういう意味では臨床実践は質的研究に似ているというよりも
臨床実践は質的研究そのものなのではないか、と。
もっと語りたいことがあるんですが
そろそろ「いい加減にしろ!」と怒られそうな気がします。
時間があるときでいいんで、レスお待ちしております>ドナ氏 または >ALL
>>408 まあ、それが転移という奴なのでしょうなぁ・・・と
DQN職人がメンヘル板に乗り込んだ時のことを思い出してちょっと鬱になった。
>>407 後者の基準を内化するほうが,手っ取り早いのではないかと思う
どういう意味でつか?説明きぼーん
また引用符つけ忘れた・・・ダメだ。逝ってきまつ・・・
・・・一休みの間に厨房むけ質問箱を再開して良いですか? ロテ氏のお勧めにしたがって、「心理学のあゆみ」を読みました。 系列的に各分野の概論が述べられ、どの分野がどういう発展をしてきたか ということは、理解しやすかったです。 学部レベルの各論が一つにつながった感じで、学ぶ身としてはありがたいものでしたが、 はじめの疑問「認知のレヴィン」から「グループダイナミックス」への関連は まだよく分かりません。ゲシュタルトからレヴィンが人の社会的認知へと 発展させた部分がわかる書物はなにかありますか。
422 :
没個性化されたレス↓ :03/02/09 05:06
できればクラリスは引っ込んでてほしいage
・・・では、下の方で、誰かに聞きます・・・
>>421 >>276 以降で説明したと思うんだが・・・
>レヴィンはゲシュタルト心理学の立場から
>人間の行動をばらばらの部分的反応の集合として見るわけではなく
>行動の一つの全体として取り扱い
>行動は人間と環境の両方によって決定されるとした。
ゲシュタルトを単に知覚の問題として扱うのではなく
社会心理学的に応用したということ・・・じゃダメなのか?
>>422 つーか、地下でまたーりとやっていたので
できればあげて欲しくなかったsage
>ゲシュタルトを単に知覚の問題として扱うのではなく >社会心理学的に応用したということ・・・じゃダメなのか? 最初にTグループの体験から入ってしまった私には、どうしてもゲシュタルトからきた というつながりがぴんと来ないのですが、まあ、それは問題ではないですか。 また心理板にいるうちに、出会うことがあるかもしれませんし。 下がっています。
さて,このスレに書き込むときは酔っ払っているドナでつが,
「酔えるとき=じっくりと腰をすえられるとき」なのか,
「書き込む恐怖=酔っ払いというセルフハンディキャップ」なのかがわからなくなっているわけで.
ともかく,
>>409 >んで、ドナ氏の(今現在での)質的研究の定義ってのはどんなもんになりましたかね?
むー,スレの流れを見失っているようなきもしますが,
>>377 読んでてまたわからくなくなってしまったなり.うむ.
で,GTAのところを読んでてふと気になったんだが,
Q-sortなんてのもありますわな.あれは,データの種類や方法は質的なんだろうが,
測定方法ではどうなんだろうと思ったりしますた.
ともあれ,現時点でもドナはやっぱり整理できてまへん.申し訳ない.
ただ,やぱーり「質的=個性記述的」ではないと思うのでつ.
そこで,
>>410 以降は非常に面白く読ませていただきました.
で.もっと「あぁなるほど」と思ったのは,
>>415-418 ですわ.
すなわち,例の
>臨床実践は質的研究そのものなのではないか、と。
というところなんですが,
これを基盤とすると,やはり臨床心理士の業務のひとつ「調査・研究」というのは,
自らの臨床実践の上でも極めて重要であるのだなぁと思ったのでつ.
ということで,実はそろそろ脱落しかけている気がするドナでつ.
で,かなりヒクツになっているのはこのための前振りであったかと.....
>>419 >どういう意味でつか?説明きぼーん
いや,あの,その.......
こちらの基準にこだわるよりも,評価者の基準にそってしまえば,
結果を得るのは早いと.
もちろん戯言ですので,心理臨床のアナロジーではございませんのことよ.
........はい,流して流して......
>>427 質的研究の定義をドナ氏に委ねるのは
自分の考えがまとまらなかったりするためであったり・・・
>Q-sortなんてのもありますわな.あれは,データの種類や方法は質的なんだろうが,
>測定方法ではどうなんだろうと思ったりしますた.
測定ってのは、ソート時のことですかね?
だとしたら、カテゴリー分類になるわけで、質的・・・なのかな?うーむ自信がない。
>>428 >これを基盤とすると,やはり臨床心理士の業務のひとつ「調査・研究」というのは,
>自らの臨床実践の上でも極めて重要であるのだなぁと思ったのでつ.
まあ
>>415-418 は持論というか、こわーい先輩の受け売りなわけでつが・・・
実際、日々の臨床の中で改めて研究的な視点の大切さってのを感じている職人でつ。
「指定大学院は研究する場所ではないよ☆」などと言っている臨床系DQN大学院生が
漏れの発言を読んだらどう思うのやら・・・
>ということで,実はそろそろ脱落しかけている気がするドナでつ. つまらん議論につき合わせてしまって申し訳ない。 臨床漬けの毎日を送っていると、こういう視点って忘れがちなのでとても貴重なのでつよ。 Q-sort法なんて、かなり久しぶりに聞いたし 前掲書だって、こんな機会がなければ本棚の肥やしになっているところでつ。 というわけで、ドナ氏や行動厨氏(そういえば最近「このスレでは」見ない)には感謝しております。 >で,かなりヒクツになっているのはこのための前振りであったかと..... ドナ氏がヒクツなのは、今に始まったことではないのでは、と・・・
へえ,自分というものを考えるとヒクツにしかなりえねえんでさ,だんな. んでもね,あんまりバカさらして,返ってロテさんを無理につき合わせてるんじゃねえかと, ちと心配になるときもあるんでげすよ. なんつっても,こちとら,研究はおろか最近は教育者でもなく, 「授業もする事務員」みたいになってきてるもんでねぇ.... あ,ここは例の店と違いましたね.失礼. 個人的にはここで勉強させてもらうのは楽しみなのでつよ. ただ,あちきのペースだとなかなか話も前にすすまねえような気がして. どうにもダイアログってのが俺の性にあわねえんだろうなぁ. 傍観者的立場から適当なことを言うのがお似合いだぁねえ. でもまぁ,今後ともヨロシク. で,どなたか >測定ってのは、ソート時のことですかね? >だとしたら、カテゴリー分類になるわけで、質的・・・なのかな?うーむ自信がない。 ってのはどう? ソートが正規分布に順ずるとはいえ,質的のような気もするんですがねぇ.
433 :
没個性化されたレス↓ :03/02/17 02:10
良スレあげ・・・
>>415 >>416 興味深く読まさせていただきました。>415>416に書かれていることは、臨床をするも
のなら、当たり前のことです。その当たり前のことを心理学をする人は、こんなに難解
な芸術的な文章に書き上げるのかと驚かされました。おそらく、医師薬獣医の連中が
臨床を話す時は、このようなことは、当たり前のこととして会話を進めているはずで、
この辺りから話さないと会話も成立しないのだと言うことを知りました。
ありがとう>ロテ職人
>恐らく7は仮説が支持されなかった場合であり
>調査・実験の方法を見直すか(=4に戻る)、仮説そのものを考え直すか(=3に戻る)
>という過程に当てはまると思われ。
>7の過程はなければないに超したことはないです
臨床では7はとても重要で、新米であればあるほど、頻回の軌道修正をよぎなくされ
ます。そうしながら、ベテランになって行きます。ベテランでも、症例が難しいもの場合、
何度も軌道修正は必要とされるます。
7の過程は私たちにしてみると、なければ、楽な仕事だったねとは思うけれど、
絶えず頭の中に入れておいて、医療過誤を防ぐ調整弁に使っています。
プンスカプン
>>433 良スレだからageた方が良いとは限らないのだよ・・・
むしろ,現状では良スレこそS/N比を下げないためにも地下潜行すべきだと思われ……ナムナム
>XYZ 仲間内でだけで、話を望むならそれもいいでしょう。
>>438 厨房の来襲でスレが腐るのに比べれば,少人数でレスが付かず朽ちていくほうが遥かにましですが,何か?
臨床sy(略
ロテ職人の考え方を読んでると、臨床家ではなく、大学の臨床系の先生の みたいなんだよね。 私たちは疾病のモデルというのは、、新しく出てきた病気じゃない限り、 症状も治療法も予後もある程度あり推測もできる。そこの中で自分あるいは 患畜や飼い主にあう治療法を選べば良いから、こんなお気楽なことを言って られるのかな。 新しく出てきた病気だって私たちが解明しなくても、どこかの大学の研究者 か、臨床やる獣医の中でも研究が大好きな先生が採算度外視して、原因の特定 から治療法から予後まで研究してくれる。だから、私たちは、研究は私たちの 必須の仕事ではないと、思っている。 その代わり私たちは、できる限り多くの患畜を正確に直す義務を負ってる。 前、XYZが臨床をする獣医などと言うのは機械直す技術屋と同じゃないの みたいなこと言っていたけれど、私は、そうかも知れないなと思っている。 その代わり大学の臨床系の先生は、自分の研究に必要な少数の症例を、経済的 負担を無視して、徹底的に研究するよね。 それって一般の臨床家に必要なレベルなのだろうか。 それとも、ロテ職人の臨床の経験の段階が、勉強しながら、臨床の考え方、 方法論を身につけていく臨床を初めて、4〜5年目、やっと、臨床のおもし ろさがわかりだし、実力をつけだした頃だから、こんな厳しいことを言うの だろうか。その辺がちょっとわからない。
ドナの考え方は、ロテ職人に比べると、一般の臨床家に近いんだよね。だだ 臨床始めて2〜3年、まだ臨床がなんたるかわかってない段階のような気もす るけど、私は、貴方のクライアントならなっても良い。どうしてかというと、 貴方はどうしてもしなきゃいけない治療でも、私が「辛い」と言えば、 止めてくれはしないだろうけど、ちょっとのお休みはくれそうな気がするから そういう、安心感を貴方はクライアントに与える。多分、臨床では相手に与え るこういう印象ってとても大切だよね。 ロテ職人はそれは、技術力だと言ってた。多分、それは正しい。 でも、相手が人間である限り、私は技術力だけではカバーできないと思う。 今までに培ってきた貴方の生き方が、相手に安心感を与えるのだと思う。 それを、大事にするといいと思う。 おわり
燕雀焉知鴻鵠之志 若, 子曰,「由誨女知之乎.知之為知之,不知為不知.是知也」
>XYZ >知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが >知るということだ。 これでは、私がこの板に残った意味がありません。分かっても、分からなくても 話しておくことに意味があると私は考えています。いつか、分かってくれる 時がある。それで、良いじゃないかと 私が臨床心理学と言う学問の細部にまで入り込んで、知ったかぶりをして 批判していると、思われる箇所があれば、それは批判されて当然ですが 私としては、そういうことは極力避けるようにしています。そういう 箇所がありましたら、具体的に指摘してください。
>444 まず自分が分かっていて周りが分かっていないというその前提からどうにかしましょう。
>>432 >ソートが正規分布に順ずるとはいえ,質的のような気もするんですがねぇ.
Q-sort法で、ソートが正規分布に準ずるってのをすっかり忘れてました。
てか、Q-sort法で得られた結果って、統計的にはどう処理されるんでしょう?
またまたあんちょこ「臨床心理学研究の技法」登場。
この中にAblon & Jones(1999)がアメリカ国立精神保健研究所で行った
うつ病の心理療法過程の研究が紹介されています。
対人関係療法および認知行動療法による治療の記録を
心理療法Qセット(Psychotherapy Q Set:PQS)により評定。
これは治療者と患者の相互作用を臨床的に記述した100項目からなるQソート法で
治療過程の共通言語として開発されたものなのだそうな。
対象となった短期療法は平均16.2セッションの長さであり 治療初期の第4セッション、および治療後期の第12セッションの全逐語録を 評定者が読み、100項目をそのセッションの最も特徴的なカテゴリー1から 最も特徴的なカテゴリー9までの9カテゴリーに分類し、「統計的に分析」したとのこと。 で、治療初期の第4セッションと治療後期の第12セッションでは それぞれの短期療法内での差は見られなかったと。 (これは量的な分析ですな) さらにもっとも特徴的であると分類された項目群をみていくと それぞれの治療法の特徴がよく示されていた、と。 (これは質的分析でしょう)
さらに、治療効果をBDIとハミルトンうつ評定尺度で測定し PQSでこの効果との関係が統計的に有意に見られた項目群を検討すると 治療方法による検討はみられず、短期療法における 治療因の非特異的因子というべきものが抽出されたそうで・・・ これってどういう統計手法を用いたんですかね? その辺がヒントになるのではないかと思われ。 すぐに元の文献が手に入るわけではないので ちょと誰か参照できる人がいたら、教えて欲しいでつ。 文献は Ablon, J. S. & Jones, E. E. 1999 Psychotherapy process in the national institute of mental health treatment of depression collaborative program. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 67, 64-75. でつ。 昼休み終わりだー。
>>445 >まず自分が分かっていて周りが分かっていないというその前提から
>どうにかしましょう。
それでは、煽りではない。私に分かる言葉を使って、具体的にどう
すれば良いか、教えてください。
まとめにならないかもしれないまとめ・・・ 応用行動分析での一事例実験も、PQSを用いた過程研究ってのも 本来質的な物であるはずの臨床実践ってのを数量的に扱える形にしたものである、と。 で、(私が考えるところの)臨床実践ってのは 質的なデータを質的なデータのまま測定し、分析するという過程であり GTAってのはその過程の妥当性を高めようとするための試み?であると思われ。 従来の研究では普遍的な法則を客観的、論理的に検証できることが 研究の妥当性の証明となったわけだけれども 近年出てきている質的研究の妥当性は いかにして研究者自身が理解・納得できるか さらに読者が納得できるかにかかっているのでは?
で、強引に操作的に定義してみると 質的研究とは・・・ 「質的データを質的なままの形で扱いながら仮説検証または仮説探索を行う研究であり その研究の妥当性(=よい研究であること)が客観的・論理的に証明されることにあるのではなく 研究者自身及び読者が納得しうるかどうかにある研究」 となるのではないかと。 ややDQN臭の漂う定義ではありますが、個人的には納得できまつ。 # ふと思ったのでつが、“PQS”ってのは一歩間違うと“DQN”になってしまいますな。 ・・・我ながらつまんね。逝ってきたいと思いまつ。
>ロテ職人
貴方、他人とまともに会話する気があってこんな文章書いてる?
これは、人にモノを分からせるための文章ではないと思うけど。
>>417 >1時間ずつ1000匹のネズミを用いて研究するかわりに、あるいは100匹
>を10時間ずつ 研究するかわりに、1匹のネズミを1000時間研究する方
>が見込みがある
この考え方は、ある意味、クライアントさんにとっては辛い治療だね。
私は、そんな被験者にはなりたくないな。
ネズミの生態を観察してるわけじゃないんだから。私は、1000匹の
ネズミを診察して、治療して、似通ったグループに分けて、共通する
パターンを見つけ出すほうが、患者さんにも負担が少ないし、より、
一般的な結果が出るような気がするけどね。
>>451 個人的には,普遍性の網をかぶせてはいかんものってあると思うんだよね.
たとえば心理臨床であったり,幼児の発達であったり,文化特性とか.
量的な研究というのは,普遍性の俎板の上で腑分けをしようという試みで,
腑分けした途端にこぼれ落ちるものもあるわけで.
そういう意味ではロテ職人の操作定義には素人にも頷ける部分があるなあと.
ただ,そこでの言わば「説得力」とか「説明力」というものを,どう評価するかということ自体には,
普遍性の網を被せたいところだねー
でないと,結局は流派の争いにしかならん気が.
>>453 >ただ,そこでの言わば「説得力」とか「説明力」というものを,どう評価するかということ自体には,
>普遍性の網を被せたいところだねー でないと,結局は流派の争いにしかならん気が.
確かにこの点については「質的研究」スレでも指摘されていたような・・・
そもそも質的研究に「普遍性」なんて求めるのが間違いなのでは?
実は普遍性を求めるのであれば、こうした科学的(と思われるような)研究の俎上に乗せるのではなく
文学的に表現してくのが一番良いのではないかと思われ。
ただそれだと、科学からは遠く離れてしまうわけで・・・
流派内だけでも納得できれば良いのでは・・・って考えは甘いのでつかね?
>>446-448 あ,「正規分布に順ずる」(「準ずる」だよなワラ)ってのも,オレッチってばよくわかってないなぁ.
うろ覚えで書いたので,かなり怪しいな.
で,どなたか
>>448 の文献をあたってみてはくれまいか?
臨床系のある大きな大学なら図書館にあるだろうし.
甘いでつ、と言ってみるテスト、
>>455 >あ,「正規分布に順ずる」(「準ずる」だよなワラ)ってのも,オレッチってばよくわかってないなぁ.
>うろ覚えで書いたので,かなり怪しいな.
いや、確かに正規分布に準ずるってのは正しいはず。
遥か昔、学部時代の講義で聴いたことがあったのは既に記憶の彼方ではあるが。
>>450-451 どうもこの辺で,見解の相違がありそうですね.
>近年出てきている質的研究の妥当性は
>いかにして研究者自身が理解・納得できるか
>さらに読者が納得できるかにかかっているのでは?
この辺はサトタツ先生あたりも言っていたように思うのだけれども,
>「質的データを質的なままの形で扱いながら仮説検証または仮説探索を行う研究であり
> その研究の妥当性(=よい研究であること)が客観的・論理的に証明されることにあるのではなく
> 研究者自身及び読者が納得しうるかどうかにある研究」
客観的,論理的な証明を目的としないのであれば,
そこにおいて「仮説」とはいったいどんなものなのかと.
むしろ,仮説や法則定立にのらない「個性記述」的な側面を埋めるための
「研究者自身及び読者が納得しうるかどうかにある研究」であるとするのなら,わかるんですが.
>>454 を読むとそのあたりにロテ氏の思いがあるようにも思えるのですが.
>>458 何か一番大事な定義の部分の書き方がまずかった気が・・・(汗
>客観的,論理的な証明を目的としないのであれば,
>そこにおいて「仮説」とはいったいどんなものなのかと.
客観性ってのはあり得ないわけですが、論理性は失ってはいけないでつね。
>>418 でも述べたように、ある一定の手続きを踏む型の(例えばGTAのような)質的研究は
「仮説生成→仮説検証→生成→検証→・・・」という仮説を洗練していく過程なのであると考えられます。
これはドナ氏の
>むしろ,仮説や法則定立にのらない
っていう仮説や法則定立には当たらないのでしょうか?・・・
うーん、もう少し考えなきゃいけないようです。
>>456 確かに甘いと思いまつ
あぁ,そうか.ごめん.俺もごっちゃになってる.
まず,整理するために仮説や法則定立については,
1) 人間一般,もしくは特定集団を対象とした法則
2) 特定個人を対象としてその個人の行動予測のための法則
の2水準があるってことでどうでしょう?
1)は従来の法則定立的な量的研究に多く見られ,
2)が
>>418 にあるような過程は臨床における実践的なアプローチであると.
>>454 >そもそも質的研究に「普遍性」なんて求めるのが間違いなのでは?
一部同意.でも,一部非同意.
つかね,せめてある流派でそれなりに評価されてる見解は,
他流派でもそれなりに評価されるくらいには共通の基盤がいるのじゃないかなと.
杞憂かもしれないけど,180度ベクトルが異なる見解を「流派の違い」で片付けられてはいかんのじゃないかと.
>>461 で、その場合の評価基準は「何かをしようとする場合にどの程度役に立つか」
という自然科学一般の評価基準であることが望ましいと思います。
その意味で「本人の納得」を基準にするのは、同意しにくいです。
>>145 の方向性が、よろしいかと思いますが。
>>462 >で、その場合の評価基準は「何かをしようとする場合にどの程度役に立つか」
>という自然科学一般の評価基準であることが望ましいと思います。
確かに・・・つまり、臨床領域における事例研究を例にとれば
「治療的に役に立つかどうか」ということですね。
>>461 そうした「臨床的・治療的有用性(=妥当性?)」は、少なくとも臨床領域に限定すれば
流派を越えた普遍性は持ちうるのではないかと・・・
>>460 >まず,整理するために仮説や法則定立については,
>1) 人間一般,もしくは特定集団を対象とした法則
>2) 特定個人を対象としてその個人の行動予測のための法則
>の2水準があるってことでどうでしょう?
概ね同意しますが、2)の「行動予測」という語は誤解を受けやすいのではないかと。
恐らくそこには認知や感情も含まれると思われます。
化石の人に怒られないでしょうか?(自分はあまり化石の人について詳しくないので・・・)
あと質的研究を数多く集めることで、2)の「特定個人」が「人間一般」になったりはしないのでしょうか?
もちろん、現実的にはそれが質的研究のみでなされ
さらにその結果がある程度の普遍性を持つのは困難だとは思うのですが・・・
ここまでで思ったこと。 質的研究に妥当性を持たせるというのは非常に困難な事の様に思われます。 しっかりしとした手続きを踏まないと(あるいはそうした手続きを踏まえても) 質的研究ってのは単なる作文になってしまうのではないかと思われ。 妥当性を持たせるという意味では 従来の量的研究?の方が数倍やりやすいのではないでしょうか? 少なくとも、今の私には妥当性の認められる質的研究をする自信はありません。 臨床系大学院では修論でケース研究を認めているところもありますが そうした香具師らには「お前のやっているのは本当に『研究』なのか?」と 小一時間問いつめたい所存であります。
訂正 × (あるいはそうした手続きを踏まえても) ○ (あるいはそうした手続きを踏まえても、時には)
ここで質的研究って言われているともの、本当に研究なの? 私には、臨床家が育っていくときに、誰でもが通らなければ いけない、試行錯誤の過程とごっちゃになっているような気がする。 それ以外で質的研究するのなら、先に量的な研究をし、普遍的な法則 があってはじめて、そこからはずれた例外的な研究として意味があるの ではないかな。 >質的研究に妥当性を持たせるというのは非常に困難な事 普遍的な法則があれば、そこからはずれたものとしての妥当性は 持たせられるのでは
新人特別教育スレがいつのまにかパラダイム討論スレになってるな、おい。
結局話はプラグマティズムに帰るのか。 カウンセリングの父、C・ロジャースの出発点はまさしくそこにあったわけだが。
>>465 への自己レスっていうか
>>460 へのレスの訂正
仮説や法則定立の2水準については
>1) 人間一般,もしくは特定集団を対象とした法則
>2) 特定個人を対象としてその個人の行動予測のための法則
とするのはいかがなものかと思われ。
むしろ
1) 統計的・客観的妥当性に基づく法則
2) 質的データの蓄積により洗練される過程の仮説的法則
と・・・
特に2)の法則ですが、これってのは
どこまで行っても「仮説」でしかないのではないかと思われ。
てか結局、
>>470 でロボ氏が言うようなプラグマティズムってのがなっとくできない職人でつ。
あまりにもそのまんまな操作的な定義で我ながらあきれかえってしまいまつ。
混乱してきますた。
>>455 そういや確か
Q分類法のソートってのは正規分布に準ずるのでz得点に変換できるってのを
学部時代の講義で教わったのを思い出しますた。
で再度お願い。
誰か
>>448 の文献をあたってもらえないですか?
Ablon, J. S. & Jones, E. E. 1999 Psychotherapy process in the national institute
of mental health treatment of depression collaborative program. Journal of Consulting and
Clinical Psychology, 67, 64-75.
です。
>>471 あちきもわけわかんなくなってきたぞ.
ってことで,思い付きのみを.
>2) 質的データの蓄積により洗練される過程の仮説的法則
>と・・・
>特に2)の法則ですが、これってのは
>どこまで行っても「仮説」でしかないのではないかと思われ。
むー.
ロテ氏が
>>415-416 で述べている臨床実践のあり方.
これを研究論文として具体化できないかなぁというのが,
>>460 で
>2) 特定個人を対象としてその個人の行動予測のための法則
って書いたところなんですけどね.
プラグマティズム?
ジェームズ引っ張り出さねばならんのか?
だめだな,ごみレスでつた.
>448 の文献、手に入れました。ただ、 > これってどういう統計手法を用いたんですかね? のこれが、何を指すのか定かでなかったのですが、 >PQSでこの効果との関係が統計的に有意に見られた項目群を検討すると のところは、 偏相関係数で、相関関係があるかどうかの検定をし、 有意なQ項目は何を記述したものかを見ると、例えば、「助けられている、あるいは、理解されているという患者の感じ」であった、とか、そういうことのようですが。 ps.「批判するやつは」スレで、昨日はお疲れ様でした。放っとけなかったんですね。その後もスレ伸びているようで、あとで読ませていただきます。
>446 >Q-sort法で得られた結果って、統計的にはどう処理されるんでしょう? これが、もともとの疑問だったんですね。失礼しました。
>>474 情報サンクスです。
>>475 で書かれているように、その辺がもともとの疑問なのでつ。
つまり、データの種類、分析の手法が質的なのか量的なのかということで・・・
>476
現物、ハケーン!!
↓件の論文、そのまま載ってます。
ttp://www.mgh.harvard.edu/endowment/downloads/nimh_collaborative_study.pdf ただ、どうやって得点化するのか、については、あまり詳しく書いてありません。
参考文献に載っているPQSのマニュアルを見るほかないかも。非公刊だけど(藁
Qソート法では、強制的に正規分布するように分けるんですね。
たとえば、
least← middle →most
1 2 3 4 5 6 7 8
------------------------------
□ □ □ □ □ □ □ □
□ □ □ □ □ □ □ □
□ □ □ □ □ □
□ □
のように。
だから、上記のようになっていれば、カテゴリーの番号をそのまま得点として
よいのかな?で、あるカードの平均得点は、評定者が3人いて各々2,3,1に分類した
としたら、2+3+1/3=2で、2.0とか。
来週にでも統計本、当たってみますが、ご存じの方は、お教えください。
478 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 05:15
どうしてこの板ってばかばっかなんですか?
479 :
没個性化されたレス↓ :03/03/02 05:42
>>478 ageんなゴラー
>どうしてこの板ってばかばっかなんですか
このスレを理解できない馬鹿は去れ
480 :
世直し一揆 :03/03/02 09:49
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され るな!!) ●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い) ●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない) ●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする (ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた いてい、内面的・実質的に負けている) ●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!) ●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本 の常識は世界の非常識) ●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる) ●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす) ●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗) ●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ) ●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量) ●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険) ●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい) ●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、 世間体命) ●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度 も言ってキモイ) ●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い) ●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う) ●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬 する(不合理な馬鹿) ●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ) ●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷) ●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男 前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
>>477 >現物、ハケーン!!
サンクスです!いやあ、こんなのがあるとは。便利な世の中になったものですな。
漏れも斜め読み(しかも方法と結果の一部だけ)なのでつが
確かにカテゴリー分類がそのまま得点になるみたいでつな。
あ、あと確か分類法は most から least まで順番にならべて
それを項目数が正規分布するように9つに分ける・・・だったような気が(うる覚え)。
で、ある心理療法の技法に特徴的な項目が抽出されるわけでつが
これは量的な分析です罠。
で、それらを統合して、「この心理療法の特徴は〜ということです」と結論づけるのは
質的な分析だと思われ。
・・・ってこれは単に「考察」ということになるのだったりして・・・
あ、結局
>>447 と同じ話しになってしまいますた。
・・・あれ?元々Qソート法の話しってどういう文脈で出てきたんでしたっけ?
えと・・・ドナ氏の発言、
>>427 か。
>Q-sortなんてのもありますわな.あれは,データの種類や方法は質的なんだろうが,
>測定方法ではどうなんだろうと思ったりしますた.
恐らくデータの種類は質的→量的に変換し
量的に分析した後に、質的な結論を導き出す・・・と。
測定方法はどうなんだろ?
んでも、カテゴリー分類という時点(つまりデータを質的から量的に変換する時点)が
「測定」ということであり、量的な測定ということに・・・なるのかな?
一応、疑問はすっきりしたのだが、スレの流れが読めなくなりますた
(ぐだぐだになってるってことでつな)。
ちと読み直して、ここまでの自分の理解をまとめてみようかと思います。
ドナ氏及び皆様も疑問点などありましたらどうぞ(ってもうあきれていなくなったかな?)。
こんな所に良スレが、、、仕事をかたずけたらまた来ます、、、ちあ、、、
>>482 いや,あきれてるのではなく,スレを読み返すだけの気力が.....
>>483 復活おめ.
化け猫スレで疲れますた。私も、こちらで議論させてください。 測定に関しては、私も(自身)の拙い研究にも関連していること ですし、勉強させていただければと思っています。
>>485 おつかれさま.
しかし,今日も今日とて,意味のない質的データに翻弄されるドナなのでした.
>>485 乙。ありゃあ疲れる罠。
というか、コテハンの多くが幾多のスレで既に同じことをしているのだが
あの化け猫は全く変化の兆しが見られない。
>私も、こちらで議論させてください。
いつでもどうぞ。元々このスレは新人特別教育スレであったのを
流れで使っているだけなので・・・
なんだったら、遅れてきた「冬三郎」を名乗るか、あるいは新たに「春四郎」を名乗るかして
別の話題を振ってくれても良かったりするのだが
(議論もぐだぐだになってきてるし)。
>>487 >遅れてきた「冬三郎」を名乗るか、あるいは新たに「春四郎」
笑。それもいいですね。関係ないけど、ロテ職人氏は、別スレで頭のカチンカチン
の学部生に煽られてましたね。
>別の話題を振ってくれても良かったりするのだが
私の議論の参加は、もう少し過去レスを拝見させてからと思っていました。
どうしましょう。本日、教育心理学会員、全員に送られてきた教育心理学
ハンドブック(有斐閣)の話題でも振りますか?
私は、着たばかりですし、しばらく傍観させて頂ければと思っていたの
ですが・・・
>>488 >関係ないけど、ロテ職人氏は、別スレで頭のカチンカチンの学部生に煽られてましたね。
煽られ過ぎて、既にどのスレでの話しなのかがわからないわけなのだが・・・
>私は、着たばかりですし、しばらく傍観させて頂ければと思っていたのですが・・・
まあ、マターリとやりましょうや。
「進化心理学」スレや「言語発達」スレなんかとはまた
違う空気なのではないかと思うんで・・・
>どうしましょう。本日、教育心理学会員、全員に送られてきた教育心理学 >ハンドブック(有斐閣)の話題でも振りますか? .....全員? ウチにはきてねえぞぉ! 田舎だから遅いのか?それとも,あたしの登録は抹消されたのか? いやぁああああああああああああ あ,スレ汚し,スマソでし.
>>490 ドナ先生、多分、明日にでも届くのではないでしょうか?
なかなかよさげな感じです。ぱっと見ですけど。
じっくり読んだら・・・ブツブツ言い出すかも知れませんが(笑)
ハンドブック キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ ぱらぱらとめくってみたけど, 確かに良さげな感じでつな. しかし,何故にして今全員に配布なんでしょう?
>しかし,何故にして今全員に配布なんでしょう? 本を出版するために、出版社に会員が売られたとか(笑)
>>493 あー,でもありそうでつな.
学会費から計上してでも,出版部数を増やして
1冊の単価を下げようとするってことでね.
出版業界も不況ですからなぁ....
逆に言えば,大きな大学での非常勤でのパン教を数校持てば,
テキスト書けるかもしれないなんちて.
まぁ,田舎にはそんな大学はあるわけないのでしが.
カール・ロジャースがはじめて本を出版したとき 「この本は売れるのか」と出版社の人に聞かれて 「私が授業で使いますから」と説明したそうな…… その後大ベストセラーになったわけですが
>>495 そりはロジャーズだから逸話として残る訳で,
その他凡百の研究者たちが,
「私が授業で使いますから」と説明したにもかかわらず,
学生も買わなかったりするわけで......
かあさん,
不況の風が身にしみるでつ................らーらーらららららーらー(富良野風
厨房ながら『ヒルガードの心理学』を読み始めますた。 なんとか読み切ろうかと。
>>497 厨房はブルーバックスのマンガ心理学入門から始めろ。
無理すんな。
>>498 でも、翻訳本の方ならいいんじゃない? 時間はかかるけど。
ブルーバックスのマンガ心理学入門さえ読まずに臨床を語る
化け猫よりは、好感が持てます。
>>499 化け猫はブルーバックスのマンガ心理学入門だけは読んだと
他スレで言ってたぞ。
>>500 500ゲトおめ。
それはともかく,読んだって理解できなきゃ同じだからなあ。
「マンガ心理学入門」で理解できるのなら, 俺はこんなに苦労はしない!
あれ、全体としては浅いけど妙なところで突っ込んだネタがあったりして 読み返すと再発見すること多いよね
>>503 例えば、最初のリビドーのところは、よく誤解されているところかも
またスレがあがってると思ったら・・・
>>505 “sase”って何だよ?おさせ番長か(PTAで問題になり回収)?
てか既に「コテハン検討中」というコテハンになってしまっている気がするので
そのままトリップをつければいいんじゃねーのとおもた。
ファミ通のアレ(仮題)みたいだな
すんません、行動分析と質的研究の両立を図ろうとしながらも、 現実の苦労に押されまくっている向こうの1です。 私も混ぜて勉強させてください。 主観と恣意的の話を大雑把に述べることは不可能なので、 上のほうで、 仮説生成→検証→生成→検証と果てしなく続くため、仮説はいつまでも仮説である という話が出た。 同時に、質的データも量的データもそれ程変わらないのじゃないかという話もあった。 量的研究において、ある法則について検証、一般性を確立したとしても、 結局はその法則に修正可能性が残る。だから、完璧な、究極的な法則、 理論になることは不可能で、検証によって出された法則はやはり何らかの程度内 において通用する「法則」でしかないのでしょう。 この場合の「法則」を、質的研究では「仮説」と呼んであり、一般性の程度の差は あれ、実際のところ同じものを指しているような気がするのですがね。 ああ、もっと早く議論に参加できていれば(ini)
>>509 白でも黒でもない灰色なら味噌もくそも一緒では乱暴でないですか?
うん、乱暴だねえ(笑 究極的な話をしてもしょうがないよね。 仮説生成型の研究で生まれた仮説が何も手をつけていない天然素材だとすれば、 仮説検証の過程は、その素材を活かす、洗練するプロセスなんですしょうか。 で、恣意と主観の混同を避ける方法ですか……。 例えばKJ法では、必ず自分以外の人に分類を手伝ってもらうというプロセスを 取ります。これは、自分だけじゃない、他の人がやっても同じように分類され ました、という恣意性を排除する、一応の手順として存在すると思います。 もっとも、分類している人に、「あれー」とか、けげんそうな顔をして 自分の好む分類にさせてしまうような輩も存在するのですけど……。
気分転換にマリリソスレをみたりしてますが、ああいう人が大学や学会でも増えている ような傾向にあるように感じて末恐ろしいものです。 今回はとりあえず、問題提起をしたいのでつ。 実は質的研究でもある程度の一般性を求められます。それは自然科学でいう一般性の ことですが、実際はある領域、範囲内に限定した一般性を求める事がおおい。 んで、一般性を高めるためにまず思いつくのが、「似たような事を言う事例を多く集める」 ということだと思います。 でも、一人の人から詳細に聞き出すことで、人間一般に当てはまるような特性が 発見できるのが強みであるにも関わらず、それじゃ弱いから人数集めろっていうのは どうも納得がいかないのです。 例えば、やまだのように何百人と聞く労力と費用をかける必要はあるのかと、 思ったりもするのですが、一般性を考えると致し方ないのだろうか
マリリンは、心理系じゃなく(自称)獣医さんなので、お間違えなく
でも臨床系の学会(どことは言いませんが)マリリンと大差ないこと言っている人(主に学生)が 結構いることもまた事実です。 彼らにとっては学術探究よりも教義信奉の方に専念しているらしいのです。
えっと、確か心理臨床学会等は、学部生(一般の方?)は参加できなかったような 気がしますが・・・
まぁ,院生だって学生さんだし.
(^^)
>>516 あ、どこにも学部生なんて、書いていなかったですね。よく読まないと・・・マリリンと呼ばれそうだ(爆)
sageと入力せず、saseと入力しちゃったり(恥) 頭の中に「何でだろう〜♪」という歌が流れていまつ
多分、臨床心理士の指定校になったDQN校の子達なんでしょうか?確かに、あの指定
校乱立から? 一部の大学院が専門学校と化し全体的には、ますます研究しなくなった
ような気もします。その一方では、全体的な層は厚くなったためか、少数ながらオォ〜
と思えるような研究をされる院生さんもいるのも確かですね。これも気のせいかも(笑)
そして509はスレを移ってからも、元のスレと同じように関係のないネタで 質的研究の話をスルーされてしまうのでした。
本業が忙しいので最近は煽り系のレスしかできない・・・
>>509 >質的データも量的データもそれ程変わらないのじゃないかという話もあった。
こんな話ありましたっけ?よかったらどの発言か教えていただけますか?
>この場合の「法則」を、質的研究では「仮説」と呼んであり、一般性の程度の差は
>あれ、実際のところ同じものを指しているような気がするのですがね。
そもそもパラダイムが異なるものを「一般性」という尺度で測ろうとすること自体
無理があると思われ。
似たような所を目指してはいるが、同じものではないと思われ。
>>511 「恣意」と「主観」って何さ?それらが異なる物だとしたら
それぞれの定義を教えていただけまするか?
「恣意と主観の混同」って何?客観性を高めるということ?
>>512 >実は質的研究でもある程度の一般性を求められます。それは自然科学でいう一般性の
>ことですが、実際はある領域、範囲内に限定した一般性を求める事がおおい。
一般性って何?普遍性のこと?
用いている用語が曖昧でいまいちよくわからないのでつが・・・
前にも述べたが、質的研究と量的研究はそもそも研究のパラダイムが異なっており
質的研究の妥当性は必ずしも「一般性(?)の高さ」によらないと思われ。
>>512 Yin(1994)は社会学的視点から事例研究を体系的に研究していますが
彼は一般化(generalization)への推論を2つの水準に区分しています。
第一水準の推論が統計的な一般化をなしうる推論で
抽出された多数のサンプルから母集団の特性を推論するという手続き、
第二水準の推論が調査や実験の知見から理論モデルを組み立てる過程であるとしています。
で、例えば典型例の事例研究による推論の過程は
この第二水準の推論過程に相当すると述べています。
(以下Yin, 1994より引用)
なぜ、単一事例から一般化を推し進めることができるのか。この疑問に手短に答えるなら
事例研究は理論的命題へと一般化するのであって、全ての人たちに
一般化しようとするものではない。この意味において、ケースは母集団の一つのサンプルではない。
研究者の目標は理論的命題へと一般化することである。
(引用終わり)
>でも、一人の人から詳細に聞き出すことで、人間一般に当てはまるような特性が >発見できるのが強みであるにも関わらず、 この部分が間違っているのではないでしょうか? つまり、一人の人(=典型例)から導きだされるのは 人間一般に当てはまるような特性(=母集団の特性)ではなく 理論的命題(=一種の仮説?)なのではないでしょうか?
>>519 そういうなよ.
年度末ってのはいろいろと忙しいんだよ.
それに加え,まとまった休みを取ろうとしてるもんだから....
あ,書き忘れ. ロテ氏乙.
なんかロテ氏がいらいらしているのだが、それはあのスレのせいか。 まあいいや。 量的研究と質的研究では同じ一般性でも違うものをさしていることは わかりました。 では、KJ法で他の研究者に結果を見てもらう手続きや、 GTAにおいて、スーパービジョンを受けるということの意味は何なのでしょう? この手続きは、理論的命題への拡張というよりもむしろ、 だれがみても納得の基準が同じだという、公共性として一般性の保障の 手続きのように思えるのですが。
>521 >「恣意」と「主観」って何さ?それらが異なる物だとしたら >それぞれの定義を教えていただけまするか? >「恣意と主観の混同」って何?客観性を高めるということ? 恣意・・・ふと思いついた気ままな考え 主観・・・その人独自の見方・考え方・判断の仕方 (旺文社:国語辞典) 俺の勘違いだったかなあ・・・。確かこの2つには違いがあった気がするけど。 フィールドに入って身をもって感じる・見聞きする及び解釈する過程には、 必然的にワーカーの性質・特性というもの(=主観)が入ってくるので、 これを完全に無くすことはできない。だから、フィールドで何を行うにしても 常に自分の主観性が伴うことを意識することが大切だという話。 一方、「恣意的な解釈」とかいわれるように、恣意は意図とでもいうべきか、 自分の都合のよい考え方のこと。 データを分析する際に、自分の都合のよい解釈をしがちだが、そこに気づく ために「恣意的な解釈」はやめる必要がある。 ただし、得られたデータを分析するにあたって、実際にフィールドに入った経験、 自分自身の感じたこと、見解といった感覚は、分析にあたって非常に有用なものに なりうる。この部分は排除する必要がないと。 で、結局何の話でしたっけ?
528 :
没個性化されたレス↓ :03/03/15 18:05
>510 >>質的データも量的データもそれ程変わらないのじゃないかという話もあった。 >こんな話ありましたっけ?よかったらどの発言か教えていただけますか? 381 :飲酒するドナ ◆oyDevpsyVg :03/02/01 00:09 いや,DQSな俺と横並びに話をするもんだから, >なんか自分が理解していないような気もしてきますた。 ということになると思われ. 考えてみれば, >しかし,ふと思ったのは質的データをカテゴライズしてその頻度を扱うのって, ってのは,量的データでしかないだろう(藁. ただ,例の「行動分析は質的...」スレを見ていて, 被験者のターゲットの生起頻度のように,そのまま量的データになりうるものと, 研究者の枠組みによって量的データに(変換されるもの)があるのかなぁと. 実は量的-質的の間も明確な境界はないような気がしてきたぞ....
529 :
没個性化されたレス↓ :03/03/15 21:04
どうせならこっちを.
>>510 375 名前:ロテ職人 ◆D0BH3.etDo 投稿日:03/01/31 17:28
>>374 >「質的」にもいろんな次元のデータがあって,
>その中には,質的でも法則定立的仮説検証型に馴染むものもあるのではないかと.
「行動分析は質的研究である」スレの51、その辺がよくまとめられてますな
>1.行動(データ)
>質的:デジタルな判定困難(演奏とか絵画描写の上達)
>量的:生起頻度や強度、
>2.データ収集方法
>質的:観察、検査、調査、面接、事例
>非質的:実験−実験群(期)と統制群(期)
>3.データ測定方法
>量的:数量化
>質的:非数量化
>4.考察
>質的:個性記述的
>非質的:法則定立的
4はともかくとして、1〜3の次元については納得です。
あ、みなさん ご存知だと思いますが、 質的研究のうちのフィールドワークについて 寝転びながら1時間で理解できる本を紹介します。 佐藤郁哉(1992)フィールドワーク 書を持って街へ出よう 新曜社 や○だ路線もいいけど、佐藤先生のは、初学者にも理解できる言葉で、 核心をついているのですばらしい。 どうぞお読みくださいな。
すっかり迷走しているドナですが.
>>531 この本だけは読んどけスレにあがってなかったよね.
書き込んでおいて下さいまし.
個人的には「暴走族のエスノグラフィー」新曜社もお勧め.
533 :
没個性化されたレス↓ :03/03/19 07:31
>>526 遅レスすまそ。
>だれがみても納得の基準が同じだという、公共性として一般性の保障の
>手続きのように思えるのですが。
元データが恣意・意図・主観を廃して分析できない限りは
誰が見ても「納得の基準が同じ」ということはありえないのでは?
つまり、量的研究においては誰が見ても基準が同じということはあり得るが
質的研究においてはあくまでも「公共性・一般性を高める」という
方向性しかないのではないかと思われ。
それが
>>520 でいうところの
「パラダイムの違いから生ずる一般性の差異」ということなのではないかと。
あ、
>>533 は俺の発言です。名前入れるの忘れてました。
んで、ちと整理したいのですが
509氏の言うところの「質的研究」とは何なんでしょう?
>>375 >>530 で挙げたように
「質的」と言ってもいくつかの次元があるように思われます。
もともと509氏は「行動分析は質的研究である」というスレを立てられたわけですが
そこで考えていた「質的」とはどの水準での話しなのでしょうか?
質問ばかりですまぬ。
>>532 >個人的には「暴走族のエスノグラフィー」新曜社もお勧め.
漏れも読みますた。なかなか面白かったでつ。
ageてしまった。ごめん・・・
536 :
没個性化されたレス↓ :03/03/27 13:33
春四郎召還あげ。
537 :
没個性化されたレス↓ :03/04/14 14:11
ハル四郎というのは今田寛先生のことか?
新人はどうしたあげ
呼んだの? あーそー。
テキスト:マンガ心理学入門 について聞かせてくれない? レス全部読むの大変。
>ゲシュタルトの「形作られた全体が直接知覚される」という考え方は、 >これに対するアンチテーゼとして生まれたという側面を持っている。 >まあ103−104をよく読め。φ(ファイ)現象の実験な。 φ(ファイ)現象の実験とは何ですか?
543 :
没個性化されたレス↓ :03/04/16 22:27
本に書いてある
んー。 二つのライトをすばやく交互につけたり消したりすると、 それが「動く光」に見える、という実験。1912年、 マックス・ヴェルトハイマーによって発表された。 内容自体は非常に単純だが、ここで見出された知見は その後の心理学の歴史に大きな影響を及ぼすことになる。
だからね、その前にお礼を言います。わざわざどうもです。 本が無いから読めないんでしょ。
>>544 >その後の心理学の歴史に大きな影響を及ぼすことになる。
具体例をお願いします。
具体例っつーかなんつーか。 ヴェルトハイマーが創始した立場をゲシュタルト学派というのだが、 これはその後発展的解消を遂げ、認知心理学の源流の一つになったといわれる。
548 :
没個性化されたレス↓ :03/04/16 22:55
まーキリなさそうなので、本買ってから にします。 なんちゅうか、
(^^)
φ現象の発見に代表されるゲシュタルト学派の功績とは 19世紀以来の恒常仮定(刺激と感覚は1対1に対応するという仮定) の否定だとされる。
551 :
没個性化されたレス↓ :03/04/17 16:20
あげといて。
552 :
没個性化されたレス↓ :03/04/17 19:35
>>550 それはどのようにして実証されましたか?
>>552 だから、ヴェルトハイマーがφ現象を発見したことによってさ。
554 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 01:24
やる気のある奴はこっちに来て勉強しな。
555 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 01:52
本まだ買ってないのよ。
556 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 02:06
土曜に本屋で探してみる。
557 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 02:11
>>553 それが大発見なんだから、科学者ってほんとに枠にとらわれて
ものが見えてないよね。
>>557 誰もが経験してるのに指摘されるまで気づかない現象なんて山ほどある。
枠に囚われてものが見えてないのは市井の人々だろ。
もちろん科学者だって専門分野以外では市井の人に過ぎないわけだが。
>>557 街頭にネオン掲示板があふれる今の俺達にとっては当たり前のことでも、
当時の人たちにとっては大発見だろ。
560 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 02:57
あー,言っときますが, ゲシュタルト心理学者が仮現運動を発見したわけではありませんよ。 19世紀末にはすでに映画が発明されていたし, それ以前からパラパラ漫画のようなものはあったでしょう。 ゲシュタルト心理学者の功績は恒常仮定の否定という純理論的なものです。
561 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 03:06
要するに映画フィルムの1コマ1コマをいくら詳しく調べても そこに動きの知覚を生み出す要素は見つからないぞと。
562 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 03:12
>>558 精神分析、行動主義、側抑制といくらでも心理学者の専門故の思いこみ
の例などいくらでもあるが?
563 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 03:16
つーか科学者が枠にとらわれてものが見えてない、というのは科学者として 常識だと思うけど。せいぜい極端に走らないように自戒が必要かと。
逆に枠にこだわるからこそ見えてくるものもある。
565 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 05:20
例えば?
>>565 心理学にも枠組みはいろいろあるわけだが。どれがいい?
567 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 05:35
は?「例えばどういう枠組みがあるのか」と聞いてるんだが? なんだその受け答えは。
>>567 「枠にこだわるから見えてくるものは何?」と聞いてるんじゃなかったのか。紛らわしいな。
569 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 05:52
どっちでも大してかわらん。 例えばどういうものが「逆に枠にこだわるからこそ見えてくるものもある」 のかと聞いてる。 はぐらかしてるだけか(w
ふんじゃあ行動主義の枠組みで。
他人になかなか興味を示さない自閉症の子供をいかに訓練するべきか。
昔は、週に1回療法家がトーク・セラピーを施すだけだった。
しかし、行動主義の枠組みからは、それでは必要なスキルは見につかないと考える。
そこで開発されたのがこの手法。
http://www.tsumiki.org/nanika.htm これは行動主義という枠組みにこだわらないと出てこなかったものといえる。
極端な見方をすれば残酷ですらあるから。しかし効果は上がり、現在も広まりつつある。
571 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 06:23
なるほど勉強になったよ。 ところで動物のように、自閉症児に「積み木を積む」ことを覚えさせて、 それが何になるわけ?
572 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 06:24
で、何が見えたわけ?
>>572 「人間も動物も、初歩的な行動は、その行動によって得られる結果によって形成されるものである。」
576 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 06:31
なるほど。行動主義の枠に囚われた結果、突破できた壁もあるということだな。 それはすごいことだ。
577 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 06:35
なるほど勉強になったよ。
教育的指導ありがとうございますた。
579 :
(´д`;)ハァハァ :03/04/19 07:06
580 :
bloom :03/04/19 07:18
581 :
没個性化されたレス↓ :03/04/19 22:58
行動主義は否定されたとか過去のものだとか思ってるなら半可通。 ワトソン流の化石行動主義は論外としても, スキナーの徹底的行動主義=行動分析は独自の道を歩んで新しい領野を開拓しているし, 認知心理学だって方法論的には新行動主義を受け継いでいる。
>>581 そんなのはこのスレの誰もがわかっていることですが何か。
>>582 わかってないと思わる書き込みがあったから,
改めて書いたまで。
この板に長くいる者にとっては常識に類することでも
新参者の素人さんには説明が必要でしょ。
心理学徒でもわかってない奴はいるし。
ここは厨房の為のスレだもんな。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
厨房の為のスレというのは同意だが、 現在厨房以外の「心理学徒の為のスレ」で活性化している ものがあるのだろうか。 主ら「心理学徒」「外様でも板住人歴の長い順・心理学徒」の回答求ム。 偉そうなことばかり言って、この勉強進めていった後の高みが見えんのよ。 臨床強化に努めて参りましたが、倦んできましたんで。 読んでも理解はできないだろうが、 たまには専門家同士の高度なレベルの話題を展開してみて欲しいと 思う所存。
ま。そういう人ばかりじゃないけど。<偉そうなことばかり言って また、煽り素人を擁護するための発言でもないです。 しばらくこの板を離れようと思います。
ここ最近のオレの心理板に対するスタンスは,週刊誌の購読に近いものがあるかなあ。 雑談スレでちょっとした考えのヒントを貰ったり,突発的に面白いレスが集中したりするが, 普段はだら〜りと読み流してる。 血眼になってためになる話を求めると萎えてしまうが,意表をついた面白いレスを見つけるとワクワクする。 とはいえ,進化心理学とかゲーム理論とかは真剣に面白かった。 言語スレは,宿題が溜まってるのでログとっただけだが。
∧_∧ age ∩´∀`∩) \ ) ( ( / ((_)
本屋行ったんだけど、このスレのテキスト ブルーバックスのマンガ心理学入門なかったんで、 注文しといた。 多分2〜3週間かかるだろう。何せイナカだから。 代わりに兼高かおる著「私の好きな世界の街」を買った。 まーこれもおもしろそうだ。
>ななし〜 本見つかったら皆集まって我先にと教えてくれると思われ。 素人に(偉そうに)と教える 素人をなぶる 雑談 という三項に、この板のほとんどのスレが分類かれるので 君が板のメインゲストになる日も近い。 心理学板の住人の自尊心を満足させられれば教えて君でも気に入られるだろう。 ただし他の分野や職業の話は避けるたほうが良い。 ところでサル学は盛り上がらないなあ。 ネタだけ落として、後は猿回しの曲芸よろしく踊ってみろと言う感じだからかね。
という事で。
593 :
没個性化されたレス↓ :03/04/23 12:38
594 :
没個性化されたレス↓ :03/04/24 03:11
こっちでやってもいいぞ,春四郎!
595 :
bloom :03/04/24 03:16
新規参入者へのアドバイスのつもりだったけど、残り半分の板住人への皮肉には気付いてないのかね(苦笑。
ああ、やる気ありそうな素人さんが来たのね。 あれは厨房装ってる人と見た(笑)
598 :
没個性化されたレス↓ :03/04/24 06:17
>>574 ちなみにこういう結論は必ずしも引き出せないと思われ?
600 :
没個性化されたレス↓ :03/04/24 07:11
むっぅっぱぁぁーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
601 :
没個性化されたレス↓ :03/04/24 07:15
,ィイリ川川彡!ヽ /ミミl川川川川三ヽ iミ'´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヾミ! iニ! ::::::::::::::::::: iミ! ヾ! ,,-‐‐ ‐‐-、 iリ }ト. 、_(o)_,: _(o)_, !:7 l.| ::::.!::} l /L__ 」、 ::l‐' <うんわぁぁぁぉぉぁぁっっ!! __,. -‐/ /( [三] )ヽ :: ─- _ _ -‐ ''" / \ /!\  ゙̄ー- 、 ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ | ヽ く ! .>ーく / > / ! | | _> レ'-、 r‐/ <_ / ! .∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧ / \ | \ ∨ ! / | / ハ ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ / \ | ヽ. | ./ / | // \ / \ | \ ∨ / | /- ' ヽ /, -──‐-ミ」 , ‐''二二⊃、 |/ / ̄ ̄`ヽ! レ′  ̄ ̄ ̄`ー─---、_/ ′二ニヽ' \--──┴'' ̄ ̄ ヽ |
>>591 ふ〜ん、そうなんだ。ずっと分からなかった謎が解けたわ。でもねぇ〜
さんざん荒らしちゃった後で、今頃分かっても、どうしよう。
>602 それを確証バイアスといいます。 591ですが、貴方の場合はあてはまらないですよ。 貴方が手に負えないのは獣医という肩書きや知識があるはずなのに、 心理学については無知であるにも関わらず思い込み(脳内イメージ、妄想に近い)だけで心理学板で「指導」を始めるから。 本当に早く気付いた方が良いですよ。
貴方は本当にわからない人のようなので簡単な例え話を。 あなたのやってる事は、「同じ『球技』だから」という理由だけで、 野球選手が、サッカー選手の集まりに乗り込み、 一方的にコーチをしようとする位の不自然さであります。 そしてそのような勘違い野球選手は、サッカーの基本ルールすら知らないわけで。 この野球選手はおかしいと思いませんか?
>>604 >この野球選手はおかしいと思いませんか?
それは、おかしくないと言ったら嘘になります。
でも、野球選手とサッカー選手が話すのに意味が無いとまでは
思いません。問題はそこでどんな話をするかです。
臨床心理学の人間に獣医が色々、話すのだから、やはり、普通から
言ったら やはり、奇異でしょうね。そのような事は私は百も承知しているつもりです。
その奇異な事がおこるのは、ここの臨床系の話は、獣医から見ても突っ込み所があり
過ぎるのだと解釈してもらえませんか。
私だって馬鹿じゃないですから、突っ込みようの無いところには出しゃばったり
しませんよ。
>605 >ここの臨床系の話は、話獣医から見ても突っ込み所があり >過ぎるのだと解釈してもらえませんか。 あれを真に受ける方が間違い。 ほとんど、メンヘルのカキコミだと思われますよ。 本当に。 2ちゃん初心者なんですか?
>2ちゃん初心者なんですか。 多分、もう初心者ではありません。ただ、2ch以外、他の所を知りません。 自分でスレッドを立てた事もありません。 >あれを真に受ける方が間違い。ほとんど、メンヘルのカキコミだと思われますよ ドナもロテもロボもPPPもその他すべての人がメンヘルだと貴方は言うの? 私は少し変わった人たちだと思うけど、マリリンも十分変わっていますのでメンヘル とまでは思えません。 ただ、貴方が言うように私が知らない。奥の深い臨床心理学を実践している人たちがどこ かにいて、この板を覗いているだけの私には、その実体を知ることが出来ていない のかも知れない。 しかしながら、獣医学や医学は2chでも、その概要は十分知り得るので、臨床心理学の 実践にダイナミックに携わっている人たちは数が少ないし、その教育力は末端まで 及んでいるとは思えないのですが。違いますか?
すでに沢山の誤解をされてますね。 一つ一つ行きます。 「『ほとんど』メンヘルの書き込み」≠「『全て』メンヘルの書き込み」です。 まず、ここを混同されていますよ?
#なんか話の流れが掴めなかったが,やっと気が付いた。
>>608 ここは学ぶ気がある厨房さん用のスレなので,学ぶ気も無い腐れ獣医の相手をするのは
やめたほうが良いと思いますですよ。
>609 >学ぶ気も無い腐れ獣医の相手 その通りでしたら、打ち切ります。 >607 マジレスと煽りレスの見分けがついて、はじめて2ちゃん初心者でないと言えます。 また煽りに一々マジレスで反応しているうちは、まだまだです。 ドナもロテもロボもPPPは準メンヘルでしょう(笑)。 というのはまぁ冗談ですが、 ところで、貴方はロボも臨床心理学徒だと思ってますか? メンヘルとは言いませんが、 ドナは発達屋ですし、PPPはあまり専門的な話はしない、 ロテは過剰反応しやすいし、 ロボは上記に書いたとおりで、 クラリスは見習いです。 ほかにも沢山コテハンはおりますが割愛しますけど。 >奥の深い臨床心理学を実践している 話を知りたければ、とりあえず「発達障害児の認知障害」スレはもう読みましたか?
>>608 >『ほとんど』メンヘルの書き込み」≠「『全て』メンヘルの書き込み」です
分かりました。これは言い過ぎました。
>>610 お返事をするので、少し時間がかかりますので、お返事レスは宿題と言うことで
「発達障害児の認知障害」にスレッドはどこにあるか分かりませんので場所を
教えて下さい。
>XYZ
どうして、私が学ぶ気がないと思うの?
学ぶとは、反抗してはいけないと言うことなの?
>612 >「発達障害児の認知障害」にスレッドはどこにあるか分かりませんので やっぱり2ちゃん初心者なんですね。 (これは煽りに「そんなことも知らないのか」と暴言レスをつけられる 巻き餌のように機能します。2ちゃんでは。) 答: windowsならCtrl+Fで検索 >>XYZ >どうして、私が学ぶ気がないと思うの? >学ぶとは、反抗してはいけないと言うことなの? ラポール形成の失敗だと思います。 ドナもそうだと思いますが、貴方を「煽り」と思っている人が殆どと推測します。 貴方は気づかずそう思われても仕方ないことをしていたので。 代弁しますが、XYZさんは良心を実装したコテハンですので、 「学ぶとは、反抗してはいけないと言うことなの?」という考えは毛頭ない筈です。
>>613 教えて頂いた方法で発達障害児の認知障害のスレッド探せました
お返事はこのスレッドを読んでからと言うことにさせてください。
615 :
没個性化されたレス↓ :03/04/26 16:25
マリリンの宿題待ちアゲ
>どうして、私が学ぶ気がないと思うの? >学ぶとは、反抗してはいけないと言うことなの? 自分が理解していないものを理解しようと努めない限り「学ぶ」とは呼べません。 反抗するだけならそれは「反抗」であって「学び」ではありません。
>>615 >>618 このスレッドに来て、少し話してみよかなと思った時より、内心ドキドキ、先生の
前に呼び出しをくらった悪ガキの気分なんだから、お願いだから上げないで。
いたずらもしないで。
>>610 >>617 >自分が理解していないものを理解しようと努めない限り「学ぶ」とは呼べません。
>反抗するだけならそれは「反抗」であって「学び」ではありません
私は、この板に来てから実に色々な事を学んできました。私にとって自分に得る
物があり、かつ楽しいから、まだ こうして時々この板を覗いているのであって、私の
心的現実においては、「こんなに理解しようと努力しているのに何で、ここの人は分
かってくれないの」と思ったりしています。
ただ、XYZが言うように、私が自分は臨床については、全くの素人ではないと思って
いるので、素直になりきれない所があるのかもしれない。 これから、話して行く中で
貴方の気分を害することがあるのかもしれないが、そのような事のないように気を付けて
行くので、そういうことがあったときは指摘して欲しい。
>>613 >ラポール形成の失敗だと思います。
これは、全く同意です。クラリスさんのように完璧に受け入れてもらうことは
できないにしても、何でこんなに嫌われるのか不思議だったのですが、
>>591 の説明で納得しました。
もともと、ここで臨床を話しはじめたきっかけが(というか今でもそうなのですが)
臨床について話して聞かせたい人たちがいる。ここの臨床についての話は、
負の面ばかりを強調しすぎて将来に希望がもてない。
臨床の明るい面も話して聞かせたいという物でしたから、ラポールの形成よりも
臨床の基本的考え方について是正するレスを書くことを重要視したため、
このような事になったのかも知れません。
また、ここの人たちの話し方を見ていると「御教授ありがとうございました。」などの
丁寧な言葉使いをしていますよね。
私たち獣医は、普段、教えたり教えられたりするのがのが当たり前すぎてこのような
言葉遣いをしたことが無く、それも問題だったのかなと今は考えています。
>ところで、貴方はロボも臨床心理学徒だと思ってますか?
彼がそうでないことは知っています。ただ、彼の膨大な知識、洞察力、
柔軟な思考性、対人関係の駆け引き等の能力は臨床に向いていると思うので
彼に臨床をさせたら良い仕事をするのだろうなと思っています。
>とりあえず「発達障害児の認知障害」スレはもう読みましたか?
最初から読みました。
今日は疲れたので、もう 来れないかも知れない。
>クラリスさんのように完璧に受け入れてもらう 以前クラリスは皆からコテンパンに叱られて、 それ以来、本人なりに自粛しているのだ。 それでも時々うざい。 だが、いまのところ特に問題にはなっていないだけの話。 多少なりとも学習能力やTPOをわきまえる能力があったからだ。 貴様のおかげで馬鹿獣医よりずっとマシだということが分かって、 相対的にクラリスが利口に見えるのは皮肉なものだ。 とっとと消えろ。二度と来るな。>マリリン
おい! ロボが臨床に向いてるわけないだろがっ 自分の思いどうりにいかないと平気で無視する奴だぞ あいつのせいで、最近某コテハン達もこなくなったぞ マリリンといっしょだ そういう共通点に親近感を覚えるんだろ
>>618 頼むから心理学板の恥になるような真似はやめてくれ・・・
>>623 そういうあんたは心理学板でどんな有益なネタを振れていると言うのよ。
>>626 ちゃんとコテハン使ってください。NGにひっかからないので困ります
628 :
没個性化されたレス↓ :03/04/26 21:14
マリリンの尊大な言い訳age ここからマリリン節が炸裂しだしますよ!
629 :
没個性化されたレス↓ :03/04/26 21:24
こうして毎度善意の心理学徒が誠意以て誤解を諭そうと試みるわけだが・・・・・ そして歴史は繰り返す。
632 :
没個性化されたレス↓ :03/04/26 21:32
なんでてめえらは このスレを荒らすんだ? マリリンに粘着するのはやめろ マリリンもいちいち荒らしに レスするな
>>610 ひでーな。
俺だって専門的なネタは振ってるじゃねぇーかよ。
赤ちゃんスレとか。
>>631 おまえいちいち出てくんな、ジャマ。
マリリンに粘着すんなよ。
635 :
Student ◇HuJTtestJI :03/04/26 21:53
>621 あなたが善意からそのような行動を取ってるのは分かるんだけど、 分かりやすいたとえ話ですが、不妊症で悩んでいる女性に対し、 出産経験のある女性が、「大丈夫、こんなのはコウノトリが運んでくるものだから」 「考えすぎよ、悩まなければ自然に生まれてくるわよ、気を明るく持って」と 応援し、子育ての楽しさを語ろうとしている状況に似ている気がする。 その人の悩みはひょっとしたら、旦那が無精子のせいかもしれない。 昔中絶をして妊娠しにくい体なのかもしれない。 そういう悩みの本質を知らずに、ただ気軽に応援したり励ましたり しているような感じ。 「発達障害児の認知障害」スレを読まれたようなので、 そのスレ出ていたような心理臨床の話と獣医臨床の共通点と相違点を 明確に出来たら、もしかしたら少しは実りある話になるかもしれませんが、 如何でしょう?
オレは人間性が「欠如した人工無能で,女心をかけらも理解できないかもしれないが, 学問の末席を汚すものとして,「己が何も知らない」という姿勢を貫く所存。 子曰「知之者,不如好之者。好之者,不如楽之者」 子曰,由,誨女知之乎。知之為知之,不知為不知。是知也。 否定や反論や批判や提言は,その対象を誰よりも深く理解しない限り気軽に行ってよいものではないと思う。 #へっ。酒に任せて青くせーこと書いてるよな。XYZさんよ,ってか?
何気にこのスレは秋も冬も越してきたんですね・・・・。 初代の夏太郎はどこへ行ったのやら。
>638 ママのスレにお酒の席を御用意しておいたので、そちらで飲みませんか。
はあ、またかよ。 よそのスレでやれ。 このスレはお勉強スレだ。 何度いったらわかるんだ?
これだから心理学板の住人は駄目なんだな
>>642 まぁ、今日のXYZだけは嗤って許してやれや。
事情が事情だ。
………( ´,_ゝ`)プッ
> ひでーな。 > 俺だって専門的なネタは振ってるじゃねぇーかよ。 > 赤ちゃんスレとか。 おもしろすぎて、コーヒーをキーボードに吹きこぼしちまったじゃねぇかよ。
年度はじめは何かと授業の準備や雑務が大変で、久しぶりに 2chに来ました。 が、・・・化け猫発見・・・まだいたのか・・・
>>646 見える人にしか見えません。
俺にとっては存在しないに等しい。
うざい、とか言われると悲しいです.
いい加減、雑談はやめてけろ。
研究方法論についてお尋ねしたいのですが、このスレ使用中のようなので、 適当なスレを教えてください。
雑談を自重してくれと言ってるだけでしょう。 煽りや、侮蔑、皮肉はもう結構。 猫は悪いがあんたらも大人気ない。 第三者からみればどちらも欝陶しいのです。 と感じていた人もいたという、ただそれだけな訳でして。
>>651 「クラリスとロテ職人って…」スレを立ててそこを使うよろし
煽りや侮蔑や皮肉なくしてなんの2chですか。
煽りや侮蔑や皮肉なくしてなんの2chですか。
煽りや皮肉、侮蔑されるべき対象は一歩間違えば猫でなく臨床心理学徒側の方だっただろうということ。 人の尻馬に乗ってたかるハイエナなハエのようなレスをつけるだけの人ならば、 関係ない話だろうと思いますが・・
>煽りや皮肉、侮蔑されるべき対象は 略 臨床心理学徒側の方だっただろうということ。 だからさあ、ここには臨床はほとんどいないんだって。 例えばどのレスが臨床心理学の学生やプロパーに思えるの? つーか、あんたは猫又かい?
猫関連の騒動は黙殺していた基礎系ですが何か。
猫一人くらいで板を挙げての大騒ぎ、みっともないですよ。 ちなみにねえ、本当の臨床心理学徒はほとんどいないだろう、と書いたのは、私ですよ。 いないでいて欲しいという願望が入ってますが。 まさか実態が2ちゃんほどレベル低いとは信じたくないですしね。 杞憂だと思いますがね。
>>659 猫又の荒らしっぷりは凄かったと思うぞ。
荒らしがさらなる荒らしを呼び込む構図は、ロテのデビュー時を想い起こせば分かることじゃん。
…猫又は本人には悪意がないつもりで、天然なだけに余計始末が悪いが。
つーか、ありゃどー考えても病的なパーソナリティだし、本物の白痴にしか思えん。
猫のパーソナリティは掲示板ではなんとも言い難いのですが にちゃん初心者ではあるようですよ。 だからレベルの低いスレの状況を真に受けてしまっているように見えますが。 それを説明しないで煽ったり、叩いたりして遊んでいる人の気が知れない。 荒らしに育てようと臨床強化しているようなもの。 まあ、これ以上この話題には深入りする気はないですが。
猫叩き厨叩き厨も十分うざいよ。
>>662 奴に教育的指導や啓蒙は無意味だ。
かくいう俺様も何度か教示したことがあるが、すっとぼけられるのが関の山。
あれで獣医を詐称するのは百年はやい。ごんぞう以下。
…心理学に限らず、科学一般とディスィプリンをなめくさっている。
ス レ 違 い ! バ カ 馬 鹿 心 理 学 徒 皿 仕 上 げ
668 :
没個性化されたレス↓ :03/04/29 00:23
あげ忘れ、スマン。
このスレも被害にあったのか。(呆 しかし、この猫の行動パターンはとっくの昔に判明しており、 予測容易であるだけに、 相手をする(してきた)一部の諸兄の責任だぞ。 こういうバカ猫を相手にして面白がるやつも阿呆だが、 猫に意見してやろうなどと無駄なことをするやつが今でもいるとはな。 いい加減にしろ馬鹿野郎ども、と言いたい。(怒 相手にするな。無視しろ。臨床消去だ。 いや、そもそもヤツは存在しないのだ。 いるように見えたらそれは幻覚だ。 そう、幻覚。(w よろすい?
見えないはずが,最近はトリップ外しやがりなさってるので迷惑なことこの上ない。 XYZ困っちゃうのココロ。
まぁ中にはこの春からこの板に闖入してきた真面目な心理学とがいるかも知れずと.... 無闇と希望と夢を語りたいドナですよ(失笑......
>>670 トリップ外しやがりなさるのは、それが猫ではないからだ。それ以外に理由はない。
つまり、もう心理板には猫はいないのココロ。
はい、雑談終了。
やっぱ、ダメみたいだな。
ム、そうか、新入りさんの問題か。 そのたびに教え諭すしかないか。 そこら辺は、常駐する諸兄の責任の下でヨロピクということか。 ただ、親愛なる諸兄のことを今ひとつ信用できないという問題もあるな・・・。w
>ただ、親愛なる諸兄のことを今ひとつ信用できないという問題もあるな・・・。w DQSな俺が言うのも間違いだとは思うのだが, 「親愛なる諸兄」という言葉の意味合いに怖さも含まれる気がするのでつ. その意味でやはり「しょせん2ちゃん」 だと思うのですがね.いかがですか? >ム、そうか、新入りさんの問題か。 かどうかも誰にもわからぬ問題ですし.
要するにみんなサル。
でもまぁ,「サル」にもいろいろいるわけで.......
探検隊氏お手ずから立てられたスレッドだけに愛着もひとしおなんでしょうねえ。。 とか言ってみるテスト
心理学板最強の風紀委員を捕まえて「叩き厨叩き厨」とか抜かしてるサルのいるスレはここですか?
しかし最強の風紀委員と猫叩き厨の喧嘩なら見てみたい。まあ、逃げるんだろうけどな。
このスレって探検隊氏が建てたスレなんだ。知らなかった。 名スレスレだけかと思ってた
探検隊の立てたスレは何本かあるけど……ここ、1に夏太郎って書いてあるぞ?
探検隊氏は一度すでに戟を交わらせているはずだが・・・。 珍しく激昂していたので氏を知るスレ住人は驚いたものだ。 それを境に氏はすっかり板の表舞台から遠のいていたが・・・。
臨床強化・臨床消去のコンボを決めたあとは 全く他人事のような態度を取り続ける第一級戦犯のロボです
というか探検隊氏の啖呵がその後のこの板を背負わねばならなくなった不幸の前兆であったのだと 今になって思えてくるのだが。 いち早く警鐘を鳴らしていたような・・・・。
俺も鳴らしたぞ。女に道理を説いても無駄だ、と。
「2ch心理板における猫又刺激と各コテハンの反応に関する一考察」で 一本レポート書けそうな予感。見事にそれぞれの個性が現れていると思うのですが。
むー−−− >俺も鳴らしたぞ。女に道理を説いても無駄だ、と。 その「女」は「惚れた女」ではないのかと, 突っ込みたくなる俺のヒューリスティック. でもなぁ,惚れてなくても無駄だよなぁ....確かに......
多重コテハンは全部同一人物による自作自演なので無意味です。
>>691 そうやって韜晦してるんだよ,いつもよ(笑
>>480 俺はもう話すことないけど、ネタがあるなら振りたまえ
なんなんだ。
このスレはオレが立てたわけでもないし、
オレはあの猫と一度たりとも戟なんか交わしてはいないぞ。
あの猫に対する諸兄の対応に少々苦言を呈したのだ。
それもあのときは「もう少し教育的指導をしれ」というものだった。
・・・その点は完全に間違っていたわけだが。(藁
自分が攻撃されていると猫が勘違いして(勘違いするのも無理はないのだが)、
オレを悪党呼ばわりなされやがりなさったのだ。
善人で温厚で色男のこのオレをだぞ。
ま、どういう馬鹿猫かは大体分かってきたし、ロボも
>>688 のようにも言うし、
あとは「ひたすら臨床消去」ね。興味もなくなったし。
しかし、コテハンをやたらとお変えになりやがりなさるので、
知らずに読んでしまうことがあるので閉口したが。(w
誤爆すますた
韜晦・・・・韜晦・・・・・
>>694 >オレはあの猫と一度たりとも戟なんか交わしてはいないぞ。
そうですた。戟を交わらせたというか向こうが一方的に突いてきた、って感じですた。
あのときもなんであんなに氏にとげとげしく当たるのかが解せませんですた。
男に「女に道理を説いても無駄だ」という道理を説くのは 女に道理を説くのと同じくらい難しいという俺の確証バイアス。
それでも「男女」に関する言説を否定したがる 俺のジェンダーフリーバイアス(藁
>>690 惚れるということは道理をかなぐり捨てるということですよ
少なくともロボにとっては
>>700 その言葉に賛同するドナですよ.
少なくとも,5年前なら.
いや,いまでも賛同するのでつが,
それだけで,「ケコーン」までは行き着かないと思うのでつ.....
すみません,最近,いろんな意味で微妙な立場のドナでつ.....
一方で、惚れることに道理を求めようとする性(さが)もあるわけで。 情動の二要因理論とか。
俺が言ってるのは女性の前で合理主義者であることの愚かしさであって、 情動体験における環境認知の重要性を問題にしているわけではないのだが。
ああ、そういえばアシモフの死後にSF作家が競作でファウンデーションシリーズの続編書いてたりするけど あれ面白いんでしょうかねぇ?アシモフが一応ファウンデーションに完結を与えた形になっていると思うので 読まなくてもいいかという気がしないでもないんですが。
>>699 実際この男女差に異議を唱えた研究はあるの?
生まれて初めての誤爆 なるほど、誤爆はこうして生まれるのか、というエスノメソドロジー
>>705 ないと思うよ.
というか,「現状(現代社会において先行するジェンダーを内化すること)」と,
「理想(理念的にジェンダーフリーを想定した上でのありかた)」というのは
同列に扱えないからね.
今,データを集めたからといって前者に対応するものしか実証できないという罠.
あくまで,フェミの概念は「実証」できないと思うんだけどね・.
道理の通じない女と、それに道理を説こうとする馬鹿な男なんて構図は、 それこそ何百年・何千年前からあるようなステレオタイプに過ぎない罠。 マーガレット・ミードじゃあるまいし、おそらくこれは普遍的な性質だと たとえ確証バイアスだろうとも俺はそう信じているけどな。 ジェンダーフリーなんてものは、両性の相違への理解から始めるものではないかと。
>>709 悪かったな.未だに
マーガレット・ミードの「神話」を信奉してるドナなのでつよ.
というか,「サモア」の反証が出ても,それ以外で耳を傾けるべき知見は
(ミード以外にも)あると思っている......
...........のだが,元ネタを見失って迷走しているドナだったり.....(ケラ
>ジェンダーフリーなんてものは、両性の相違への理解から始めるものではないかと。
そうね.おっしゃりたいことはわかる気がするのよ.
ただ,こだわりたいのは「両性の相違」ってのが,なんなのか.
そんなところだと思ってるのよ.
我ながら,つまんないこだわりだと思うのだけれどね.(藁
俺が「女に道理を説いても無駄」というときの「女」というのは ジェンダーとしての女性性でもセクシャリティとしての女性性でもなく ステレオタイプとしての「悪しき女性性のモデル」に該当する人物のこと。 TStFの中にも同様の意味で「道理を説いても無駄な」奴はいるかもしれんし、 現実的な性そのものはこの文脈ではあまり重要じゃない。 わざわざ相互作用とか輻輳とか言うまでもなく、両性の相違をもたらすものは 「なんだかよく分からない生得的な何がしかの縛り」に過ぎないし。 そうはいっても、「道理の通じない女に悩まされる合理主義者の男」と 「道理の通じない男に悩まされる合理主義者の女」では いかなる文化圏においても前者のほうが多いとやはり信じてやまないロボだが
というか、ドナママか卵娘スレ向きの話題だったな
むー.からんですまなかったですよ. ラスト3行は意見の相違だとしても(データ見たことねえしな), >ステレオタイプとしての「悪しき女性性のモデル」に該当する人物のこと。 というのであれば納得でつ. 補足すれば,「悪しき」の後には「男」もありうるわけで... (いや,本当に蛇足なのはわかっているが,この気遣いがバカフェミに対する気遣いだったり...) ということで,スレ違い失礼.
スキーマの形成にデータは要らないのです。 バイアスにまみれヒューリスティックにまみれ、そんな対人認知。
ロボは詭弁家かな。 自分の確証バイアスについてはデータによる裏付けはいらぬ事を正当化する。
715 :
テキストマイニング :03/04/29 13:29
研究あげ
716 :
没個性化されたレス↓ :03/05/01 19:29
新入生歓迎あげ
書店から本が来たんで金持ってきてねつう電話あったんで、 まー何とか始められそ。
718 :
没個性化されたレス↓ :03/05/04 02:41
本,来たか?
>>718 お待たせ。
たった今、買って帰ったところです。
>>720 P12 には、”いかがわしい心理学”とか出てるけど、
そういうのを研究対象とするのかな?
>>720 紹介のサイトの女はどうしてアンダーヘアまで見せる
なんつう行動したのか?
見たところ変態でもなさそうだし、イカレてるよう
でもなし。
何だよ? だいたい想像してた通りだなこりゃ。
まず、心理学とは何か? やはり、心理学は科学でなければならないが、 仮説を実証するために実験を行おうにも、 現実的、倫理的に限界がある。・・・・・・・とある。 倫理的なら、何となく想像出来るが、 現実的限界とは、具体的に何が考えられるのだろうか?
たとえば,タイムスパンとかコントロールすべき環境要因の数とか。
>>725 なるほど、行動の決定因子が多すぎるとか、成長にともなって
少しづつあらわれる長期にわたる変化とかですか。
心は本当にあるのでしょうか? だいたい、心とは何ですか? 自然現象の1種とみなしてよろしいのでしょうか。
言いたいことはこういう事です。 私が思うこと考えること、それが全て自然法則に拘束 されているのだとしたら、この私とは何なのでしょうか? 何々の法則で全て説明されてしまうとしたら、単なる物と 単なる生命としてではない意味での「生きている」という ことの間には本質的違いは無いということになります。
729 :
bloom :03/05/04 20:22
よく、自由意志とか聞くけど、 そらあ錯覚だよつうことになる。 そーかもしれないしそうでないかも知れない。 そんなの心理学は研究対象じゃなのかな? 思うに、そんなやっかいなのは避けて通ろうと するだろな心理学者は。
>>731 こんなスレもあったな。
「自由意志」はあるのか?
ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1013983734/ >>728 #オレは工学屋なので,心理屋さんのスタンスとは違うと思うので,以下は戯言だが。
>それが全て自然法則に拘束されているのだとしたら、この私とは何なのでしょうか?
という疑問自体に共感できないんだよね。
心的現象も,自然現象の一部だとしても別に不都合は無いんでない?
/*そらま,個人の宗教的・心情的に同意できないとかはあるかも知れんけど。
生物と無生物に,明確な線引きは出来ないと。で,知性の有無も明確な線引きは出来ないと。
どこかに量的差異が質的差異に変化するポイントがあるかもしれんが,
それは明確でないと。それではアカンのだろうか?
>どこかに量的差異が質的差異に変化するポイントがあるかもしれんが, >それは明確でないと 多分、言語を獲得した時点がポイントだと思う。
>>733 その言語とは何?言語の定義は?
どこから言語でどこからが言語じゃない?
>>733 その前に知性の定義が現状ではちゃんとできんから,ダメぽ。
それに,ポイントが一箇所で良いかどうかも議論の対象となるだろうし。
生物屋も引っ張り出してこんとダメだろうなあ。
>>734 初心者には優しくいこーべ。
攻撃的なんだよねー、いつも。 2ちゃんだから?
それとも素なんですか?
まず,「知性=言語使用能力」という定義の妥当性を検証しなければならんし, その次には,「言語」の定義が必要になるし,「言語使用能力」の検証方法なんて 皆目検討つかんしなあ。 ちなみに,「道具の使用」を重要視する見方もあるよな。サル系の実験でよく見るけど。 「道具の使用」と「言語の使用」ってのは違うし,抽象的概念操作の能力とか, 継時的な事象把握能力とか,いろいろあると思うのだが。
>>734 一応、夏厨だから、
むつかしゅうこと聞かんといてよ。
言語と鳴き声との境界は?
つうことで言えば、やっぱ鳴き声は
何か感情や何かの合図を表す記号の
役割してるんだろね。
で、言語はそれが論理的構造を有している
つう点が鳴き声と違うところ。
ボノボやイルカは,ある程度の文法理解能力を持っているという話を読んだことがあるが, それと彼らが音声でコミュニケーションをとっているかどうかは別だろうし。 我々が音声や文字でコミュニケーションをとっているのは, たまたま視覚や聴覚が他の感覚より優れていたからかもしれんし,実際には ノンバーバルなコミュニケーションのほうが対人関係には影響があるとも聞くし。 もしかしたら,非言語的コミュニケーションで用が足りている高度知性体ってのも, 充分考えられるしなあ。 結局,「如何に人間に近いか」を知性評価の基準とするやりかたと, もっとメタに「そもそも知性の構成要素は何だ?」と問うやり方の間には, 深くて暗い川が流れている気がするのだが。
>>736 お前質問スレで管巻いてた奴だろ。
コテハンに粘着か、おめでてーな。
このコテハンがいつも攻撃的だって?
PPP見てから物言えよサル
知性とはなんぞや?って方向に行くと泥沼のような気が。
話を戻しませんか?
>>741 人違いだす。
あいつはコテハンとしては まだ弱いからな
言語ゲームにもっていっちゃだめ?
粘着されてこそ一人前とは某コテハンの言葉. 言語が無生物/生物の試金石になるのであれば言語を獲得する以前の乳児,もしくは何らかの障害で 言語の獲得が困難となっている人は無生物となりますか?
というか漏れが「攻撃的」ならPPPは「殺人的」ですな
>>742 >話を戻しませんか?
どこまで?
一応,
>>727-728 の流れのつもりなのだけれど。
個人的な見解を披露してそれで良しとするなら,
>本質的違いは無いということになります。
本質的な差異は無いだろうし,あるほうが不思議。
「私」「自我」「心」とは何か?という問いに対しては,
おそらく現状の自然科学系の方法論では無力。むしろ哲学とかそっちのほうじゃなかろうか。
……てなところだが。
>>747 というよりもまず
>>727-728 の流れの中で「私」というものを特別視しようとする考えが
知ってか知らずか根底にあるように思われ.
そこに執着すると「知性とはなんぞ」という話とはまた違う部分で話がこじれそうでつ
>>745 だから人違いだってば・・。 どーでもいいけど……(脱力)。
いやさ、折角向学心に溢れている人に畳み掛ける
質問せんでもえーんちゃうかなーと思ってしまっただけなんだが・・
PPPの場合は、愛があるから見ていても安心なんだけど・・
ま、俺基準なので適当に流しておいて。
>>747 心のある/なしの話であれば、一気に言語まで駆け上がらなくても
よいかな〜と思ったのです。
言語をもたない動物でも、「こころの理論」はあるようですし。
また、知性の問題であれば、
>>740 に異論なしなので。
>>744 むしろ好み。
でも、よく知らないけど、興味あり。
というか>>ななし〜はどこへ?
よりによって自由意志論に言語論かよ。 少なくとも心理学「だけ」で扱える問題じゃないし、 簡単に答えが出るようなことでもないぞー
>>736 コテハンには優しくいこーべ。
攻撃的なんだよねー、いつも。 2ちゃんだから?
それとも素なんですか?
ここは夏太郎の勉強部屋だ。 少なくともミルクを相手にするようなわけにはいかんぞ
>>748 なんかロボがそんなこと言ってた気がするが。
>>749 あー。そうかも。
本来の科学的パラダイムで言えば「扱えないものは扱わない」ってだけの話で,
もし「私」というものが自然法則で扱えないとすれば,そら無理して扱うべきではないと。
で,心理学のメインストリームとして自然科学的手法を採用してるんなら,
そういった問いには答えられんよなあとか。
大体,方法論なんて便宜上のもので,すべてを説明できる手法なんて存在しないわけで。
もし,既存のパラダイムで答えられない問いが創発されれば,新しいパラダイムが必要になるわけで。
そうなれば今の学問体系にも少なからず影響があるだろうし,
心理学や社会学なんかはそのあおりをモロに受けるんじゃなかろうかとか。
>本質的な差異は無いだろうし,あるほうが不思議。 >「私」「自我」「心」とは何か?という問いに対しては, >おそらく現状の自然科学系の方法論では無力。 P13 には、心理学の定義が掲げられてて、 ”心理学とは、人間および動物の心と行動を科学的に研究 する学問である” とあります。そうすると、何か中心に穴があいてるような 感じになりますが。
756 :
没個性化されたレス↓ :03/05/04 22:03
>>754 >言語が無生物/生物の試金石になるのであれば言語を獲得する以前の乳児,もしくは何らかの障害で
>言語の獲得が困難となっている人は無生物となりますか?
突然誰も言ってない、こんなことを言い放つから
訳がわからなかったので聞いただけです
失礼
心を魂か何か,抽象的ではあるけれどモノとして扱おうとしているあたりが初々しい.
ずっと前に言ったような気がするんだけど
相手を自分の土俵にあげてからじゃなきゃ相撲が取れない、
というのでは素人との対話は困難だよ
>>755 開いてるっていうかね
もちろん、最初はそこから心理学をはじめようとしたの。
でも、それを研究するのは実はすごく難しい。
んで、心とはなにか、より先に、
心の働きはどのようなものか、
に着目する研究というのが広がっていった。
これがざっと今に至るまで100年くらい続いている。
心理学はまだ未完成で不完全な学問だ。
完成するなんてことがあるのかどうかも分からんし、
学問というのは本当はみんなそういうものなのだが。
>>755 「心」という言葉を心理学の文脈の中で用いる時に留意することとしては,
一般に使われる意味での「心」=心理学で扱う「心」ではないということ.
さらに心理学で扱う「心」というものもアプローチによってそれぞれ異なったとらえ方をされうると言うこと.
つまり>754で言っている「心」というのは日常で用いられる意味での「心」であると考えられ,その場合
>”心理学とは、人間および動物の心と行動を科学的に研究
>する学問である”
の文言に特に矛盾することは無いと思われ・
>>755 あ,そういうことね。
そこら辺はオレも同じ門外漢として,むず痒かったり。
おそらくは,「心的現象⇒行動」というプロセスを仮定して研究なさってるんじゃないかと,
オレは理解してるんだけど。一種の操作的定義によって「心」を扱ってますよ〜みたいな。
少なくとも,「行動」という表出を扱わずに心的現象を客観的に扱う手法って今ンとこないだろうし。
/*内観ってのは,個人的にはあんまり信用できないので。*/
「心」そのものを科学の俎板に載せる方法ってのはまだ無いんじゃないの?
だからといって,無意味だとは思わないけど。
ドーナツの穴みたいなもので,周辺を緻密に埋めていけば結果的に穴がクリアに
浮かび上がってくるんじゃないか,とかね。
俺が初心者にマンガ心理学入門を勧めるのはだ、 とりあえず今までの心理学というものが どのようなことを興味の対象にしてきたか、 それを大雑把にでも理解してほしいからだ。 で、自由意志についても、中心の穴の問題も、 今まで心理学がそれを扱ってこなかった理由は、単純だ。 むずかしくってできないからだ。
>>756 >732
>生物と無生物に,明確な線引きは出来ないと。で,知性の有無も明確な線引きは出来ないと。
>どこかに量的差異が質的差異に変化するポイントがあるかもしれんが,
>733
>>どこかに量的差異が質的差異に変化するポイントがあるかもしれんが,
>>それは明確でないと
>
>多分、言語を獲得した時点がポイントだと思う。
上記を受けての
>745
>言語が無生物/生物の試金石になるのであれば言語を獲得する以前の乳児,もしくは何らかの障害で
>言語の獲得が困難となっている人は無生物となりますか?
でつが何か?
あんま局所的に反応されても困りまつ
心の存在は今のところ、仮説上のものだとして 心の適当な定義があればいいんですが。
>むずかしくってできないからだ。 これ受け入れることは実はとても大事かと. 「科学の発展において絶対に忘れてはならないのは、わからないという事実を 認めることです」 某SFドラマのアンドロイドの台詞
>>763 適当な定義ならできるが、
みんなが納得する定義はない。
それはある意味天文学者に向かって
「宇宙とは何ですか」というのと同じくらい難問
>>763 >心の適当な定義があればいいんですが。
それは十人十色かと.
極論言えば研究者の数だけ定義があるかもしれません.
>>763 そこらへん突き詰めて考えると,我々が確かだと思っていたモノが
結構曖昧なモンだったと気づいて戦慄したり,怖い考えになるからなあ。
とりあえず,「なんかよぉ解らんが,ワシらの行動をドライブするモノのうちで,
一番直接的に行動の起点になってるもの」とかなんとかあたりでごまかすことを提案しておく。
>>763 よし.
じゃ,おれがその場しのぎの定義をしてやる.
【心=内的な機能】
これでいっとけ.
内的ってなに?ってなったら,「化学や物理学で扱えないやつ」くらいに思っとけ.
>>768 その勢いなら
「生体の行動を説明する時,目に見えないけど何かそこにないと困る場合の「それ」を心とする」
というのもありかと.
そうすると、心そのものについての認識は古代ギリシャの時代 とそう大して進歩していないつうことですね。
\|/ /⌒ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ゜Θ゜)< そうでもないよ | ∵ つ \__________ | ∵ | \_/
>>769 なかなかナイスなトートロジー.
まぁ,768のポイントは,「心が機能する」んじゃなくて,
「機能を指して心って言うのさ」ってところ.
>>770 そうか?
人間の行動を説明するモデルとして、 入力=刺激=X 出力=行動=Y Y=F(X) で表した時の関数である とか見た憶えがあけど。 やっぱブラック・ボックスで考えればいいわけですね。 今のところは。
それもそれで古いモデルなのだが
新しいモデルはどうなってますか?
たとえばマンガ心理学入門113Pに載ってる「コンピュータ・モデル」。 これもいい加減古くなりつつあるが。
いきなり最先端のモデルまで到達する必要はないがな とにかく、心理学はそうやっていろんな「心」観を立てて発展してきたということ
113Pの脳の各機能をコンピュータに当てはめ て説明した図ですが、F(X)を詳しくしたもの ということですか。
アタマ痛くなって来たんで、寝ます。 ありがとうございました。 少なくとも、この本が要求してる程度は理解できたの ではないかと思います。 明日もよろしく。
>>776 コンピュータ・モデルで重要と思われるのは、
記憶の機能で、
例えば、行動の変容とか、自発的行動なんかが
F(X)では不十分ということですか?
心のモデルは物理学の原子モデルの変遷にたとえれば
よろしいのではないでしょうか。
>>779 個人的にはこういう占い師みたいな理論は嫌いだ.
>>782 >個人的にはこういう占い師みたいな理論は嫌いだ
23Pには、非科学的理論として、宗教的概念、政治的概念、
フロイト派的概念、星占いがあげられていますが、
心理学はそのような概念を用いることなく理論を展開していく
べきということになります。
信頼性と妥当性を問題とするなら、心は機械の機能 のようにとらえざるをえない訳で、この方針で追求 し続けた結果、限界に達し、これを超える新たな理 論が要求されればその時点で修正を加えるというふ うになるだろうと思いますがいかがなもんでしょ。 心とは脳の働き、でよろしかろうと。
26P 信頼性とは、「何度でも繰り返すことができる」ということである。 条件が同じなら、同じ結果が出てくるはずだ。 →ここで、疑問なのは、心的現象が同じ条件なら、常に同じ結果となる という前提ははたして正しいのか? ということ。例えば、思いつき、ヒラメキ、気まぐれなど。
>>784 なに言ってんのかわかんない.
おれが作文の先生なら落第点を与えるな.
それはさておき,「心とは脳の働き」.
始めのうちはこれでいいと思う.
細かい反論もあるところだが,今は話が通じないだろうからね.
とりあえず「心とは脳の働き」で勉強していって,もうちょと心理学が
わかってきたらまた考え直せば良いさ.
{考え直し→勉強→考え直し}の無限ループは大切さ.
>>786 ヒラメキは偶然に支配されている要素があるのでは
ないかと思います。
ですから、同じ条件であったとしても、同じ結果に
ならないこともありうる。つまり、ヒラメかない
とか。
こうした脳の働きは無視されてしまうおそれがある
のではということ。
>>788 >ヒラメキは偶然に支配されている要素があるのではないかと思います。
ご自分で「〜と思う」って言っているように,それは推測に過ぎないし,
今のところ検証のしようが無いでしょ?
もし偶然に左右される要素が非常に大きいなら,そもそも科学的手法に乗っからないということだし,
ある程度の回数を繰り返せばキャンセルされる程度なら,初手から無視しても大過ないということですな。
>前提ははたして正しいのか?
という問いに対しては,「その前提が正しいとして取り掛からない限り,
科学的手法が使えないのだから仕方が無い」ということになるんじゃねぇかなあと。
だから自由意志論はやめとけというのに
知恵の輪は解けないから面白いわけで。 ……と混ぜっ返してみるテスト。 まぁ,下地が無いと語るにもしんどいさね。ボチボチオレも限界。
解けないからムキになる奴もいる。ミルクのように。 危ないよ、自由意志論は。 現象学と自然科学の三十八度線なんだから。
795 :
bloom :03/05/05 16:22
あなたは中々の熱血漢です。 正義感が強くて 曲がったことが大嫌い。 しかも人には親切です。 こんな性格ですからあなたは誰からも好かれています・・・ と言いたい所ですが 実はそうでなかったりします。 それは如何してでしょうか? あなたもきっと不思議でしょう。 それは他の皆はあなたほど強くないからなのです。 弱い面をいっぱい持っています。 だから、あまりに強いあなたと一緒にいるのと疲れてしまうのでした。 あなたも自分の弱みをもう少し人に見せるようにすれば・・・ 親しみを持たれるのかも知れませんね。 でも悪い性格ではないので・・・ 無理に自分を変えようとする必要は無いでしょう。
>>796 >>番号 付けてもらわないと誰にいってるのかわかりません。
私だとしたら、現実の私は正直、軽んじられています。
もし、強いとすれば私ではなく、宗教的心理(真理?)
ではなかろうかと。
>>793 理解するのに時間かかりそうです。
ゆっくり読ませてもらいます。
そのいくつかは、ここに出てきた問題ですね。
多分
>>796 はコピペだと思われ。
ミルクは,その昔一世を風靡したコテハンだ。
そのうち誰かが過去ログを教えてくれるんじゃないかな。
「信頼性のある検査であれば、同じ条件なら同じ結果となる ということについて」 では、同じ条件でも別の結果が出てしまうような検査とは 例えば、どのようなものが考えられるでしょうか? 私としては、条件が同じで同じやり方で検査すれば同じ結果 しか出てこないのではと思うのですが。
>条件が同じで同じやり方で検査すれば同じ結果 >しか出てこないのではと思うのですが。 例えば同じ検査を同じ集団に対して、3ヶ月や半年というスパンを置いて実施したとします。 この時にその検査が「被験者の気分によって大きく結果が変動する」ものだった場合には、 3ヶ月前と3ヶ月後の結果が大きく異なってしまいます。 >例えば、どのようなものが考えられるでしょうか? 普通に使われている検査は大体標準化されているので例に出しにくいのですが、 例えばSTAI(状態−特性不安尺度)というのがあります。 これは個人が特性として持っている不安(MASで測れる不安)と、その時の気分的な不安という 二種類の不安を測る尺度です。 特性不安はいつ測ってもそれ程変化は起きないのですが、 気分的な不安は、その時々で値は変化しますねえ。 って、説明が中途半端ですねえ。出直してきます。
「条件」と簡単に書かれていますが、どの範囲の条件 なのかはっきりしません。 全ての条件が同じなら、決定論的に言えば同じ結果しか 出ない訳で、例えばP26のマンガの吹き出しにあるよう な、安物のプラスチックを使えば同じ長さでも、温度が 違えば伸びたり縮んだりして同じ結果が得られません。 また、P24にあるニセの相関関係にあるように、本質 的原因でないものについて調査すれば、やはり別の結果 になるので、これの事でしょうか?
条件統制の問題じゃないのかね? >安物のプラスチックを使えば同じ長さでも、温度が >違えば伸びたり縮んだりして同じ結果が得られません。 たとえば,これは長さに影響する,「温度」という条件を見落としたためで, 「全ての条件が同じ」とは言えないわけで。 仮に,全く同一の条件で結果が違うようなものを考えるとしたら,プロセスの中で セルフフィ−ドバックがかかっていて,そのフィードバックのかかり方が完全にランダムだとか。 心的現象が上記のようなプロセスかどうかわからんが,少なくとも現時点で 心的現象にどのような条件が影響を及ぼしているかが洗い出されていない状況では, 「完全に同一の条件」という概念自体が絵に描いた餅だと思うのだが。
うむ。まあ心理検査で言う同一条件とは、 「同じ検査者が同じ被験者に対し、同じ手続きで同じ検査を行う」っていうものだから。 それ以上の条件まで同一するのは現実的に無理やねえ。角度とか。
よく読むと、26Pの「安物のプラスチック定規」とは、 最初から目盛りがいい加減な定規という意味であって、 温度の影響で変わるということを説明するために用いら れていない。安物でも、信頼性(=再現性?)はあるが、 アテになんないということ。 ニセの相関は妥当性の説明のようだから、これも信頼性 とは何なのかには当てはまらない。 結局ワケわからん。
>>804 「同一性」を保証するためには,明確で厳密な基準が必要だということ。
806 :
ヘレ夫は煽られると反応止まらない :03/05/05 21:38
あげ
>>805 なるほど。
同一の調査対象で同一の検査法を実施する、と言っても実際は
には主観的に同一だと言ってるにすぎないということですね。
基準があいまいだと実施する時、同一条件が成立していない事
が多くなり、その結果もあいまいな評価しかできない。
>>807 そういうことですね。
同一性が保持できない理由としては,
1.影響する条件が明確に特定できていない
2.技術的に条件統制が困難
3.条件統制の精度が低い
etc.
があるわけで。
ここらへんが自然科学が定義だとか再現性だとかにうるさい一因でしょうな。
で、このように考えて信頼性の定義をすればどうなるのでしょうか。 信頼性とは、「何度でも繰り返すことが出来る」ということである。 →信頼性とは、「その主張している事柄がいつでも同じ結果として現れる」 普遍的真理としての性格を持つ。 みたいな気もしますし。
信頼性があるくらいで普遍的真理にはなりまへん
>>810 それはそうなんで、「性格」って言ってるでしょ。
>>808 信頼性(同一性が保証されている)が欠けた結果となる原因の一つに
1.影響する条件が明確に特定できていない
がありますが、これは妥当性があるかどうかがはっきりしないということ。
すると、妥当性のないものは信頼性もないということでしょうか。
しかし、P24で、トマトの消費数が媒介変数みたいになっているのですが、
この関係が成立している限り、信頼性には影響しないつうことですね。
この媒介変数の関係が偶然とか、他の変数によって変化する時、信頼性を下げる
ワケであると理解してますが、どうなんでしょうか。
どうも信頼性と妥当性がごちゃまぜになりそう。
妥当性、即信頼性のような気もするけど?
>>812 信頼性には,確率的なものもあるんじゃねぇかと。たとえば降水確率とかね。
つまりは,ある/なしでは評価できないものもあるでしょうねってことで。
妥当性ってのは,文字通りある仮説が妥当かどうかですから,ちょっと違う気が。
#どうしても,手前ェの専門領域に持って行きそうになるんで,心理畑はどうかは
#よぉわからんのですけどね。
まず,科学の理論は全て「仮説」から始まると。 で,その仮説が「妥当なものかどうか」を検証するために,実験が行われる。 このとき,その実験の「信頼性」を評価するためには,それが充分に条件統制されているか, 再現可能かが問われるわけで。 で,充分に吟味した上で,ある程度信頼のおける実験により仮説の妥当性が保証されて, 初めて広く認められた理論となると。 こんな感じかなあ?
>>815 日常的会話に直せば、
信頼性:「いつもこうなるな、どうも関係ありそうだ。」
妥当性:「考えてみたらやっぱ、それに違いねえ。」
信頼性→帰納的に見た確からしさ
妥当性→演繹的に見た確からしら
でしょうか?
>>XYZ よくがんばるね.
ていうか板の自治うんぬんというならコテハン祭りなんかやってないで 夏太郎の相手をしてやるべきだと思うのだが
>>816 う〜む。
「信頼性」ってのは結論を導き出したり仮設を検証したりするプロセスの評価軸で,
「妥当性」ってのは,その結論や仮説,実験構築の考え方の評価軸だということでしょうかねえ。
仮説−検証マトリックスで考えてみれば,4パターンできるでしょ?
いくら仮説が妥当なものでも検証に信頼がおけなければそれは採用できないし,
綿密に実験しても,その結果に妥当性が無ければ無意味だし。
>>817 うぃ。こういう対話は自分にも役立つので。
八百屋尺度を作ったとき、 同じ人に対していつも同じ八百屋度を提示してくれるかどうかが信頼性 Aさんに対して昨日は八百屋度80、今日はマイナス50、とかだと信頼性が低い。 で、八百屋尺度で八百屋かどうかが正確に計れるかどうかが妥当性 八百屋に対して八百屋度が低く出れば妥当性が低い。 妥当性が低くて信頼性が高い場合、 八百屋尺度のつもりで魚屋尺度をつくっている可能性もある。
>>818 その「してやる」という態度が他住人の怒りを買っていることに気づけ。
>>821 その「他住人」を勝手に代表しているかのような態度が
俺様の失笑を買っていることに気づかなくていいぞ。
>>822 その一言で、
某スレで噴出しているロボへの非難のほとんどを読んでいない
ということを表明していることに気づいてる?
>>823 このスレでその話を続けることの迷惑に気づいてる?
826 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 00:17
コンピュータ・モデルって古いんですね……(
>>776-777 )
わかりやすいんですが……
ヒルガードの方にあった「コンピュータ・モデルの祖がデカルト」というのがいまいち理解できませんですた。
使えないほど古くはない。 でも少なくとも完全ではない。
高│妥 ・決定因子不足 │当 ・十分な決定因子 │性 │ 低 │ 高 ────────┼────────── │ 信頼性 │ │ ・決定因子でない│・ニセの決定因子 │ 低│ こんな感じにまとめてみましたが、どんなもんでしょ?
830 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 00:33
>>827 なるほど。
>でも少なくとも完全ではない。
たとえば、どんなんでしょうか?
(やっぱ入門レベルでは聞いてもわかんないんでしょうか)
「コンピュータ・モデルの祖がデカルト」のソースが知りたいです。
デカルトじゃなくてホッブズだと思うんですが……
決定因子ってなぁに?
>>828 オレとしてはそんな感じで良いと思うが。
ここは専門家のコメントを待ったほうが良いかも知れず。
身長測って体重を推測するという行為は信頼性があるが,妥当性がない. という話では駄目か? 決定因子とは何だろう. 相関の決定係数みたいなものか?
>>833 決定因子:用語としてあるのか、無いのか知らないが
とりあえず、ある現象を決定づけている
原因の一つ一つ(factor)
因子分析で出てくる因子の事かな。
想だろうと思ふ。
>>834 なんか,信頼性,妥当性の話とごっちゃにしてない?
信頼性や妥当性ってのはあくまでも研究の際に扱う変数や尺度の話でしょ.
だから,独立変数でも,従属変数でも,それぞれ妥当性,信頼性は大事.
ちなみに,
>>828 は「決定因子」というのを「尺度」とすると,
概ね理解できますが.
なんつーかだな,評価の軸と,評価対象と,評価そのものを混同すると 行く行くエライことになる気がするので,早急に何とかしるべきだと思うXYZです。
>>837 ねむくなって来てアタマが十分働きません。
一眠りさしてもらいます。
>>839 おやすみ.
ただ漏れも
>>833 の
>身長測って体重を推測するという行為は信頼性があるが,妥当性がない.
を見て,自分の知識を超える可能性に気づき戦慄すますた.
変数間の推測に「信頼性」はあるのでつか?
>>833 しゃま.
>>830 「アーキタイプ」スレで昔XYZと議論したような気がするから見てみ。
パソコンはソフトウェアドリヴンで脳はハードウェアドリヴンだ、って話。
>840 漏れも眠たい頭で適当に例を挙げてみただけなんでつが,何か突っ込み所のあることを書いてしまったでしょうか? 変数間の推測というのが具体的にどういう部分を指して言われてるのかが,すぐに理解できないわけでつが, 先の例で信頼性があり妥当性が無いとした理由を簡単に解説すると ・身長と体重は変動が少ない ・よって身長を何度測ってもほぼ同じ値が測定される=信頼性有 ・身長と体重には相関がある ・しかしそれは「標準体型」であるという条件間のみにおいて可能である ・よって比較の中にデブや痩せぎすなどの特異値が入っている場合,身長の序列が必ずしも体重の序列と一致しない ・つまり「身長」という概念が「体重」というものを適切に推測し得るとは言えない=妥当性無し 信頼性=何度測っても一定の値が得られること,妥当性=その尺度が測定しようとする概念を適切に反映していること と平たく捕らえた場合に,信頼性が保証されている測定法でなおかつ,一見妥当性があるような場合でも,それが「偶然」 という好都合の中で実現されていることもあり,簡単に妥当性の有無を語ることはできませんよ. という主旨の話をしたかったわけでつ.
>>842 むぅ,こちらも不明瞭な点でつっかかって申し訳ない.
いや,ご教授賜りたく.
えっと,ちょっとわかりかねるのが,
>・つまり「身長」という概念が「体重」というものを適切に推測し得るとは言えない=妥当性無し
というところの「推測」なんですよ.
>>837 で書いた漏れの理解のうえでは,
「身長」と「体重」を適切な機器でその値を測定できているかどうか,
つまり,精度の高い身長計と体重計を用いているかどうかが妥当性についてであると.
で,ここで漏れが書いたのは恐らく「内容妥当性」と呼ばれるものについてでつ.
一方,上記の身長・体重の話は,基準関連妥当性として不適切な例として
挙げられているように思えます.
その意味で,
>信頼性=何度測っても一定の値が得られること,妥当性=その尺度が測定しようとする概念を適切に反映していること
>と平たく捕らえた場合に,信頼性が保証されている測定法でなおかつ,一見妥当性があるような場合でも,それが「偶然」
>という好都合の中で実現されていることもあり,簡単に妥当性の有無を語ることはできませんよ.
とおっしゃることは正しいと思うのです.
ただ,基準関連妥当性に関しても,「推測」というので良いのかどうかと.....
むぅー,俺もヨレヨレになってるな. まぁ,「推測」という用語への執着はともかくとして, >一方,上記の身長・体重の話は,基準関連妥当性として不適切な例として >挙げられているように思えます. というところにコメントいただきたく.
846 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 13:57
>>845 最後の場面は、青の的なら命中精度が高い(信頼性大)
けれど、赤が見えないので、でたらめに打っている様子
であると解釈される。
ここで問題なのは、この場合、「同じ条件」とは、同
じ的をねらうことに対応するので、命中精度が高い者が
打てばばらつかないはずだということ。
848 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 14:25
信頼性と妥当性が混乱している原因と思われるもの 1.信頼性という言葉自体が妥当性をも連想させてしまう。 (だから、統計で信頼性といってるものは便宜上のもの ではなかろうか)本当の定義が与えられていないような。 2.「同じ条件」といっても、測定対象の条件なのか、測定方法 側の条件なのか、それとも両方についてなのか? 3.信頼性を左右するもの、妥当性を左右するものがはっきりしない。 しかも、両者にまたがるものも考えられる。 混乱してる本人がいってるので、これ自体妥当性に欠くのかも知れない。 相関関係についての調査の信頼性についてだと思うので、これで考えて みたけれどうまく行かない。 信頼性=ばらつきの少なさ 妥当性=ばらつきの少なさ
850 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 15:47
で、考えてみたんだけれど、測定に先立って誰も何が相関してるのかは 分からないからこそ、調査・実験しているわけで。 結局言えるのは、これこれについてはこれこれよりも確からしいという事。 信頼性=原因は問題とせず、同じ条件の調査対象を同じ方法で測定したら、 とにかく何回やっても近い結果が出る割合。(だから、見かけの相関 は排除出来ないへれども。) 妥当異性=考え違いとか、見落としがあるかも知れないが、 原因と結果に対して合理的な説明が付けられるか どうかという、もっともらしさの程度。 (これで見かけの相関かどうかを排除を試みる) で、信頼性は実験・調査の数字に表れる現実そのもので、妥当性は 結果に対する考察または、実験・調査の前の仮説によるもの、いわば 思考の中にあるもの。 で、両方を満たしている場合、とりあえず正しいんじゃないの? とする。
851 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 16:28
漏れには846のいってる意味がわからん。
852 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 16:36
853 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 16:44
>>845 ご苦労さま。
ただ,ちょっと気になるのは
射撃手の腕の話になってしまっていること。
通常,信頼性,妥当性は測定手段の属性と見なされるわけで,
この場合,銃の性能の話にすべきなのでは?
赤い的を狙って撃つと確実に青い的に当たる銃は
信頼性はあるが妥当性はないとか。
(どんな銃やねんなんてツッコミはなしよ)
854 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 17:10
>>851 このお話しの登場人物のキャラクター
私:信頼性と妥当性を合わせ持つヒットマン
君:不明→色んな解釈が出来るが、青の命中精度が
高かったのはまぐれとか、赤が見えない色盲
とか、・・・ふざけてるとか
素直に、君は腕はたいしたもの(信頼性は高い)という事で
考えると、赤を狙えと言われて的はずれの場所を狙って打っ
ているから、赤だと誤解している所に狙いを付けている。
が、赤が複数に見えているとか、色々可能性が考えられるが、
これも素直に考えて、どこか一カ所を狙ってる。
とすれば、腕が確かなら赤だと誤解している一カ所に集中する
はず、という固定観念に導かれた考え。
855 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 19:06
>信頼性=何度測っても一定の値が得られること, >妥当性=その尺度が測定しようとする概念を適切に反映していること >と平たく捕らえた場合に,信頼性が保証されている測定法でなおかつ, >一見妥当性があるような場合でも,それが「偶然」という好都合の中 >で実現されていることもあり,簡単に妥当性の有無を語ることはでき >ませんよ 理解しやすいのですが、信頼性とか妥当性は例えば19Pのマンガに あるような”少年は1人のときより2人のほうが釣りのリールを早く 巻き取る”という仮説について言ってるのか、それとも仮説を検証 するための実験について言ってるのか、ちとあやふやです。
本の書き方からいえば、方法においての妥当性と信頼性 ということですね。やっぱり。 ただ、仮説が妥当性を欠いた場合は、最初から信頼性とか 妥当性など意味がないので、この意味で方法について言う 場合は、既に真である理論について追実験するようなもの で、言うなれば発見的実験ではなく、学生実験を指しています。 ところが、実験とは不確かな仮説を確かめるために行う ものですから、仮説自体の不確かさが実験結果の信頼性に影響 しますから、実際見分けがつかない事があると考えられます。 ま、ここでは方法についてとしておきます。 でないと、先に進めないので。
「心理学の誕生」でヴィルヘルム・ヴントが登場しますが、 本の書き方が断片的で全体像がつかめません。 どうも、内観と新しい科学が重要ポイントらしいですが・・・
回答が無いので、中断します。
何を知りたいのか よくわからん
とりあえず,
>>857 あたりの理解で先に進めばよかろう。
ヴントってのは心理学の祖らしいが,詳しくはオレも知らないので良い機会だし,
いっしょに勉強させてもらおうかな。
>>845 に対する反応ありがとう.
ただ,すまんがおれも
>>854 の言ってる意味がイマイチわからん.
ちなみに,最後の場面は“左手で”撃っているの,読み落としてない?
まぁ,もちろんここでは,それまでの場面は右手で打っているという仮定が
あたりまえのようにされているんだけどね(w
やフーで検索してみたんだけど、めぼしいのが出て来ない。 誰か適当なサイト紹介きぼうん。
で、33−34Pはどうもバラバラで個々の記述の繋がり がイマイチつかめない。 分かってる人には簡潔でいいと感じるかも知れないが、 初心者には不親切と言いたい。
このスレなにげに勉強になりますね。
ごめん、ちょっと戻りますけど、「妥当性」と「信頼性」について・・。
>>857 # 仮説については、「妥当性」という言葉が用いられ
# 仮説を検証するための実験については「信頼性」という言葉が用いられる
# のではないかなあ?
>仮説自体の不確かさが実験結果の信頼性に影響しますから、
とは必ずは言えるかな?
例えば、「仮説の妥当性は低くても、仮説の実験結果は信頼性がある」という
事例があるような気がして、ずっと探してました。
分かりやすい例がないんだけど、こんなのはどうかな?↓
例えば、今は私達は答えを知ってるというのは度外視してね、
ある観察実験(A)をしてみて「光は直進する」という結果が得られたとする。
よって、「光は微小粒子の流れである」という仮説(A´)を立てたとする。
何度観察実験(A)を行っても実験結果は100%同じであり、
「直進する」という結果が得られたとする。
観察実験(A)の信頼性は高い。
ところが。2スクリット実験により、この光は「微小粒子の流れ」に対して
反証例が出され、「衝突を繰り返す微笑粒子群であり、波である」という
新たな仮説が立てられている。
上述のAの実験の信頼性は100%の確率で高かったのに、
仮説A´は誤りであった。
仮説A´が誤りだと知っている今日でも、Aの実験自体の信頼性がある。
こういう場合は、
>>845 の「信頼性は抜群だが妥当性がないな.」
にあてはまる。
難しいっす。
混乱しているので、もしかしたら
>>871 はガイシュツの話だったり、
関係ない話だったりするかも・・・・
だったら、すみません・・。
>>871 理論を支持する実験事実は複数あり得る訳で、1つの事実で理論の正しさを完全に
実証しているとは限らない。信頼性のある結果を得たからと言っても、理論のある
側面を実証したにすぎず、完全にその正しさを実証するには別の観点からも実験を
行わなければならい場合がありうる。 と、こういう事ですか?
直感ですけど。
>>873 まとめてくれて有難う! 明晰。 ブラボー!
そういう事が言いたかたったのですが、自分も自信はありません。
(実はレスがつかない間、XYZさんに見てもらおうと呼びに行ってたところです)
実験には、 1)ある理論を支持するのに、その実験が「妥当」かどうか? 2)その実験や統計自体の「信頼性」 の二つがあって、 その実験結果が支持する理論(仮説)自体が妥当かどうかは、 上記2つによって測れる。 とか。 もしかしたら、漏れ、たわ言云ってるのかもしれないけど・・。 実際実験とかよくやっているらしい、Studentさんとかはどう思うかな? 聞いてみたいっす。
875訂正 × 2)その実験や統計自体の「信頼性」 ○ 2)その実験自体の「信頼性」
>>874 これはどうも。
ところで、ヴントの話ですが、やっぱ英語を翻訳しなくちゃ
なりませんか?
実は電気機器の英文を勘をたよりに翻訳してるんですが、
少しなれてきたところです。機械・工学板で質問してましたが、
ヒンシュクをかってしまい聞きづらくなってしまいました。
はっきし言ってかなり時間かかります。
>>877 ごめん、ヴントは「実験心理学の祖」という位しか知りません。
>やっぱ英語を翻訳しなくちゃなりませんか?
どうだろう?
上手い訳本と、できれば、理解の深い人がいれば一番有り難いんだけど・・。
もしいなければ、頑張って一緒に英訳してってみる?
漏れあまり時間ないけど、ゆっくり時間かけてだったら一緒に頑張るよ・・。
あ、和訳してってみる?の間違いでした。 訂正。
もっかい英語に訳してどーすんねん
>>878
>>877 実は心理学専攻の人間のほとんどが,ヴントの心理学を
“意識過程を要素に分けてその結合の法則を明らかにしようとした”
ということくらいしか知らない(と思う).
「純粋感覚」とか「実験的内観」って用語がヴントがらみであることは知っていても
ぼんやりとしか知らないひとがほとんどじゃないかな?
必要ないからねw
おれも知らん.
だからななし〜さんがその道の生き字引になってくださいw
>>879 辞書が見あたりません。
ちょっと探してみます。
まー時間がなければ、無理をなさらずとも。
ワタクシはヒマですから、眠くなるまで翻訳を試み、
そんでもって、多分心ならずも笑いを振りまく事でありましょう。
おまえらヴントの何を知ろうというのだ。 「心理学史への招待」でも押さえりゃ十分だよ。
んと。
通常検証実験っていうのは仮設から導出されるものなので,ある種不可分かと。
>>871 氏の例でいくと,「光は微粒子である」という仮説Aに対しては,
「光が粒子なら〜という結果が出るはず」という予測の元に,検証のための
実験計画を立てるわけで。
ここで,仮説Aに対して,「光が粒子なら直進するはず」という検証実験aを計画したと。
このとき問題なのは,光の粒子性と直進性の間の関係性を説明できないことです。
つまり,仮説A→実験aという「プロセス」が妥当でないということですわな。
で,仮説Aに対して,「光を金属に当てれば電子が飛び出す(光電効果)はず」という検証実験a’を計画したと。
今度は,ボールの衝突などの例から,上記のプロセスの妥当性を説明できそうですわな。
ここまでが妥当性の話。
ところが,光の強さや当てる向き,金属の種類や厚みなどが適当な場合,
得られたデータに再現性がない。すなわち「信頼性がない」実験になると。
別のたとえをすれば,「背が高ければ体重が重いはず」という仮説を検証するのに,
声の大きさを測ってしまうのは妥当性がない実験。身長を見た目で「高い/低い」と
表現するのが信頼性のない実験ということでしょうかね。
>>880 ヴィントについてはそれほど重要性がないみたいなので、
別の関心を持った事柄
非科学的理論は何故、全てのことが説明出来るのか?
についてお聞きしたいと思います。
単純に、都合良くデッチアゲたこじつけ理論だから?
あ,
>>844 の「適当」は「いいかげん」と読み替えておいてくだちい。
>>881 りおかいです。
>>880 >“意識過程を要素に分けてその結合の法則を明らかにしようとした”
なるほど。 それ位を押さえとけばいいのですね。
>>882 >どうも文脈を違えていたようでつな.
どういう意味なのか、さっぱり分からない・・。
漏れが文脈読めてないみたいです。
>>884 >>886 実験の「信頼性」という意味は取り違えていたようです。 多謝です!
それで、
>通常検証実験っていうのは仮説から導出されるものなので,ある種不可分かと。
そうなんですか。
レス有難うございます。
「こころ」については、仮説から「妥当性」のある実験計画を導出するのは、
も難易度が高いような気がしますね。
>別のたとえをすれば,「背が高ければ体重が重いはず」という仮説を検証するのに,
>声の大きさを測ってしまうのは妥当性がない実験。身長を見た目で「高い/低い」と
>表現するのが信頼性のない実験ということでしょうかね。
この例え分かりやすいです。 すっきり納得。
議論の合間に有難うございます!
28Pのイドとかエゴについては検証不可能なのでしょうか? で、本当に全て説明出来ますか? まーフロイド自体ここで説明されていませんのでわかりませぬが。
>>888 そういう方向性の疑問に答えを出すのなら
ポパーの反証可能性テーゼをひととおり理解せにゃならんぞ。
君は勉強熱心はいいが、厄介なところに首を突っ込みすぎだ。
890 :
没個性化されたレス↓ :03/05/06 23:38
>>888 てめぇは、ちゃんと本を最後まで何回も
しっかり読めや
>>889 >単純に、都合良くデッチアゲたこじつけ理論だから?
ぐらいに考えておけばよろしいのでしょうか。
>>887 このスレで「仮説の妥当性」とか,「実験結果の信頼性」という用語を見て,
あぁ,そういう水準の話でも,こうした言葉のつかい方もあるのかと知ったこと.
俺にとって,「妥当性」「信頼性」ってのは測定方法についてであって,
「仮説の妥当性」というのは,その仮説で用いる変数(尺度)の妥当性であるし,
そこの妥当性が保証されない実験結果に信頼性もクソもない.
とはいえ,まだこのスレの話が理解できないDQSな俺.
>>892 この理由について、この本は説明していますか?
っつーかねー、あんまり性急に「分かった」気になっちゃだめだよ そんな一日や二日でそうそう進歩できるものじゃないのが学問だ
>>893 ああ、そう意味かぁ。 なるほど。
>その仮説で用いる変数(尺度)の妥当性
これって、きっと心理学の(沢山あるうちの一つの)パラダイムの
妥当性という事になるんだろうか。
要するに、心理学は「パラダイム探し」をしているのだという事でしょうか?
(パラダイム=プロトタイプ的因果過程、という意味で)
例えば、初等力学理論では、
自由落下する物体において、「時間」と「落下距離」には相関関係があり、
それはプロトタイプ的因果論があり、パラダイムとなり、
それを中心として理論を発展させていく。
科学的な理解の単位はいわゆる「パラダイム」の集合だという事らしいのですが
心理学の場合は、
例えば、子供において、年齢と社交性に相関関係があるかどうかは
まだ分からない。
パラダイムを打ち立てるのが難しいが、
沢山提案が出されているという事になるのでしょうか?
>>893 ↑と書きつつ、漏れもよく分かってないので、沢山書いて
色々な意見を聞いてみたい次第・・。
900
俺の乏しい理解では,たとえば「社交性」という概念は存在しても社交性そのものを図る術がない。 そこでたとえば,「他者に話しかけた発話数」といったものを社交性尺度を定義するわけだよね? これは暗黙に「社交性が高ければ,他者への発話が多いはず」という仮説があるわけで, その尺度設定の妥当性が問題になるってことなのかな?
>>898 >これって、きっと心理学の(沢山あるうちの一つの)パラダイムの
>妥当性という事になるんだろうか。
そういうことかな.
特に,質問紙なんかでやってるおいらなんかは,
この板の心理学徒の多くからは「心理学じゃない」といわれるし.
>>895 のリンク先でも「相関関係」は「因果関係」と区別されてるでしょ.
>>901 >これは暗黙に「社交性が高ければ,他者への発話が多いはず」という仮説があるわけで,
>その尺度設定の妥当性が問題になるってことなのかな?
いや,むしろ「他者への発話が多いことを社交性が高いこととする」といった操作的定義をして,
研究を進めているのが心理学といいたい.俺は(藁
>>843 なんかこのスレむちゃく盛り上がってるし,一晩過ぎただけでもハゲシク遅レスになってしまって
ドナセンセももうどうでもいいと思っているでしょうが,一応レスしておきますと
>
>>837 で書いた漏れの理解のうえでは,
>「身長」と「体重」を適切な機器でその値を測定できているかどうか,
>つまり,精度の高い身長計と体重計を用いているかどうかが妥当性についてであると.
むしろ漏れの言葉足らずで,想定としては体重を直接量る手だてが無い場面,もしくは体重計の存在しない
世界のようなものを想像してものを話してました.
つまり我々が通常研究の中で直面するような「測定してみたいが測定法が今現在無い概念」というのを体重に
あてはめてみたお話だったのです.だからもうその辺で誤解,というかハゲシク漏れの説明不足だったわけで
当然「推測」という言葉にその文脈上眉をひそめるかと.
ドナセンセの疑義が挟まるのも当然かと思われますた.
まあ6時間ぶっ通しで試験受けてべらべらに飲んで酔っぱらって女の子と遊んで帰ってきた後のことだったので いい加減な「脳内設定」も含んだ発言をしたことは多目にみてくらさい.
>>901 >>902 社交性の話は、京都大学霊長類研究所のサイトから認知系ページにとび
正高氏の発達ページに載っていたものを思い出して書きました。
保母さんは年令の高い児童を「社交性が高い」とび思う傾向がある、というような話でした。
>>903 いや,ご解説ありがとうでし.
>想定としては体重を直接量る手だてが無い場面
了解です.だからこそ,
>・身長と体重には相関がある
ってのがあったわけですな.
で,俺の疑問は氷解した訳ですが,補足を.
>>842 にあるように,構成概念について,その尺度を基準連関妥当性が確かめられたとしても,
その基準(criterion)が明確でなければ,それは共倒れにしかならんのでつ.
あたりまえのことなんですが,教育・発達系ではときとして見過ごされがちなのでつ.
蛇足なりが
>>904 試験乙.で大目に見ようと思ったりしたが,女の子と遊んできたそうなのでちゃら(笑
>>905 その正高先生のページってわかります?
むー.
>例えば、子供において、年齢と社交性に相関関係があるかどうかは
>まだ分からない。
確かに.しかし,発達研究のパラダイムでいえば,
「相関関係があるかどうか」は
「社交性」の操作的定義によって,いかようにもできる.
だから,発達はDQSだ.というのも一つの立場だろうし,
その定義(妥当性)を追求するという楽しみもあろう.
社交性そのものは行動ではないし,
一つの行動で操作的に定義したところで,
それが通年齢的な指標であることは乳幼児発達おいてはきわめて難しい.
>保母さんは年令の高い児童を「社交性が高い」とび思う傾向がある、というような話でした。
そりゃ,保育士さんの素朴な対人認知.
まあ心理学徒な癖に専門より教養の方が点数良かったりする時点ですでに(ry
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
915 :
没個性化されたレス↓ :03/05/07 13:59
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━━━!!!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ ☟ฺฺ
☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☝ฺ ☟ฺ 自作自演厨キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!! ☝ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺ ☟ฺฺ ☟ฺฺ
(☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!! (☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ!!
(☞ฺ・∀・)☞ฺゲッツ これ一太郎に書けないんだけど□になっちまう。
925 :
bloom :03/05/07 20:21
で、28Pのカール・ポパーの言ってる 事は非常に重要だと思う。 なぜかと言えば、オウム問題とか、過去の 戦争とか、魔女裁判とか色々。 多大の犠牲者を出した。 知性が高いと思われる人でさえ、基地外みたい なことをやってしまったのは、非科学的なものに支配 されたため。
へえ
ちと考えてみりゃ分かるような変な行動を
人間はやらかしてしまう。
>>925 の写真なんか見てるとつくづくそう思う。
はて、ここまでは感想なんだが、実は深く理解 した上での感想なわけでもなく、というか、 分かれと言われても無理つうもんよと自己弁護してみる。 で、科学的理論とは、これを否定する試みが可能で、なおかつ この試み(反証)の結果が否定されるもの。 カール・ポパーは哲学者なんだそうで、これも哲学的に主張 したんだと考えられる。どうなもんでしょ、もちっと詳しく知り たいんだけど。
「意味無し」つうのは、何となく哲学的響きのする言葉ですね。 んーーーー、数学用語にも「意味なし」なかったけか? ま、28Pの下3行分の記述から想像するに、「あんたの 言ってること正しいかもしんないし、間違ってるかもしん ない。だけどどれだか決めようがないから、それ、空想 に過ぎんのよ、そんな話つきあってらんないわ、もっと 確実な論理を基礎に話しを組み立てるべきよ。」 と言ってるみたいですが。
君は何を知りたいの? これまでを見ててよくわからん ただの暇つぶしなの?
934 :
ヘレ夫、どこまでも追いかけて殴ってやるぞ :03/05/07 21:09
バカヤロー、スレ返せ。 新スレ立てて殴り続けたるぞ・・ ( ・∀・) | | ガッ と ) | | Y /ノ 人 / ) < >__Λ∩ _/し' //. V`Д´)/ (_フ彡 / ←ヘレ夫
>>933 実は、大学卒業したくせに自分は大学卒業した
と言えるほどの実力があるという気がしない。
女にだまされ、貴重な時間を棒にふってしまった
んで、一種のあせりがある。
この板に来たのは、まったくの通りすがりがきっかけ。
ジャンヌ・ダルクの話題が出てたんで、レスして、
このスレ紹介されたの。
冷静な態度で宗教と心理学との関連を知ろうという、おぼろげな
目標はあります。
私自身の表現力が稚拙であるため、言葉の切れ味が鈍く、
「何を知りたいのか?」という印象を与えてしまうのでしょう。
>>933 29Pで、カール・ポパーの言ってる事が
>>930 で「 」の中のような内容なら、
大した事はなさそうだが、実はもっと深い
意味なり、背景とか(他にもあるかも)が
あるような予感がする。
また、これをもっと明確に表すとどうなるか?
図式的にとか。
こんなもやもやした霧のようなものがアタマの
中に立ちこめているわけで、とりあえず、
「詳しく知りたい」とカキコしました。
937 :
ヘレ夫、どこまでも追いかけて殴ってやるぞ :03/05/07 21:29
∫ ∧,,∧ ∬ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ,,゚Д゚彡っ━~ < おめーら!! ヘレ夫見かけなかったか? と~,, ~,,,ノ_. ∀ \________________ ミ,,,,/~),│ ┷┳━  ̄ ̄ ̄じ J ̄ ̄| ┃  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ┻
938 :
没個性化されたレス↓ :03/05/07 21:37
宗教とか科学的に証明できなくても 意味がないわけない
意味があるとか無いとか、どのような意味を問うているのか明らかにさせないまま言うのは不毛。
940 :
没個性化されたレス↓ :03/05/07 21:42
<科学的に検証する>ことに意味がないだけ
28Pの言ってる「意味なし」は 日常的に使ってる意味なしとは違う のではないかと思います。 通常の意味無しは「価値無し」も含んで います。
942 :
没個性化されたレス↓ :03/05/07 21:44
そういえば、教心の年報が届きましたね。
で、ぱっとひらめいたのが、命題というやつです。 命題は科学的理論と非常によく似た性格を持って います。 命題とは真偽の判定が定まるとことの、 「・・・は・・・・・である」 形式で表した文ですから。 論理を展開する場合、真なる命題のみを 用いないと、とんでもない結論が導かれる 場合があります。 ですから、アテになる論理を展開するには 科学的論理であらねばならないのだと。 こういうことですかね?
28Pの「意味なし」は >>933の 君は何を知りたいの? これまでを見ててよくわからん ただの暇つぶしなの? のレスとよく似ています。 論理的立場から言えば それが真であるかどうかわからない=論理として採用出来ない=意味無し =存在しないに等しい=キャンセルすべきもの 933氏の立場から言えば 何言ってるのか不明=情報として処理不能=意味なし=放置しとこう
946 :
動画直リン :03/05/07 22:21
947 :
没個性化されたレス↓ :03/05/07 22:23
命題は真でなくてはならないのだね? では、その真はどうやって見極めるの?
948 :
没個性化されたレス↓ :03/05/07 22:30
君は興味深いね まあ、正直分かりずらいけど よくいろんな発想がでるもんだよ この板の人達は知識の運用は得意だけど 考えるということは苦手だからね そういう俺もよくわからないんだよ 話をちょっと戻してくれないかな?
30−31Pの記述から言えば、 「いかなるものも厳密には、真である であるかどうか知ることは出来ない。」 ということになります。 ただ、「偽」は現実の世界には存在せず、 偽は人間の意識(錯覚とか)にしか無い と私は考えています。ですから、偽は 実現しません。 実験は実現するかどうか(真であるかどうか) を判定する唯一の方法であると言えます。
>この板の人達は知識の運用は得意だけど >考えるということは苦手だからね 自分が苦手なことも他人にまで広げないでください
>>951 これは失礼した
それでは、あなたはお得意?
でしたら、ぜひ「ななし〜」さん
にお付き合いしてください
ぼちぼち次スレの用意しておいたら?
>>952 ななし〜はどうやら面白そうなことを言っているようだが,
正確に伝わってこないのも事実.
よって,「お付き合い」するのはなかなか骨の折れる作業だったり.
このスレ見てる人で,ななし〜の文章力にイライラしている人もおおいんじゃない?w
>>956 >正確に伝わってこないのも事実.
たしかに。
哲学的な話なら抽象的でもいいんだけど、
心理学の方法論についての話として読むと、
あまり意味がないようにも思える。
>>950 それって、プラトンのイデア論みたいだね。
>>954 ご紹介感謝.
で,
>「社交性」の尺度に限定して書いただけです。
というのも了解.しかし,その上で,
>>907 のようなことを書いたんだが.
確かに,SCBEの手続きや項目を見ると,
>保育士さんの素朴な対人認知.
なんてぇのは,つっかかりすぎだとは思いますけど,
この正高さんの場合でも,
>「社交性」の操作的定義によって,いかようにもできる.
ことの1側面であることに違いはないと思われ.
というか,
>>907 で俺が書いたことは,
「発達心理学研究において「真の」妥当性なんてものを保証することは不可能である」
ってことなので,通常禁句とされているものだし,
通常の文脈で言えば,この研究は非常に面白いでつが.
>>950 >それが真であるかどうかわからない=論理として採用出来ない=意味無し
>=存在しないに等しい=キャンセルすべきもの
ある命題が真であるかどうかは実証できない。
(数学でも実証されている定理は一つか二つと聞いたことが
ありんす。 間違ってたら、訂正お願いします。)
とあえずその命題を「偽」とする反証がないので、
反証が出る迄の間はその命題をかぎかっこ付きの「真」にする、
というのが、ポパーの科学哲学だったような。
で,
>>958 に補足をしようと思ったら,
俺自身が間歇に陥っていることに気づきますた.
要は,パラレルに進行している話的に言えば,
「反証」はあくまでも「反証例」によってなされなけりゃならねぇな.
スレ汚しすまそ.沈没しますだ.
>>957 >哲学的な話なら抽象的でもいいんだけど、
>心理学の方法論についての話として読むと、
>あまり意味がないようにも思える。
確かに。ですが、基本原理を理解するには
いったんは抽象的にならざるをえないわけで。
適当な具体的例を引っ張って来れるつう
ことは既に理解しているということ。
また、心理学の知識が豊富でなければ
例すら思いつかんでしょ。
分からない事、あやふやな事があるから
こそ、ここにカキコしてる訳ですから
ご了承下さい。
ならず、
>>960 ご存知かもしれませんが
「反証例を挙げられない命題」も存在するとの事で、
そこが、科学−非科学の分かれ目になると聞きました。
(ポパーは非科学的な形而上学の意義を認めています。
この場合「非科学」という言葉はその学問を貶める言葉ではありません。)
>>961 りおかいしてるよ。
これでも、応援しているのですよん。
>>962 御意.
>>960 はちょっと思慮の浅い書き込みでしたね.
ただ,おいらの言いたかった「反証」はあくまでも上記の正高さん論文についてだったのです.
つまり,実証的科学論文に対する反証.
ななし〜は,自分の考えを整理するためにただ書き込みたいのか, それとも,誰かとの対話の上で考えを整理したいのかどっちだ? 後者なら,そんなに慌てずに,一つ一つ言葉の整理をするところから始めないと。
>>965 ノートとかに書き出してみるとかせにゃならんみたい。
作ったはいいがやっぱ立てられねえし。
同じく立てられましぇんですた.
漏れも駄目でつ
あげ
あげるぐらいなら新スレ立てくらさい
今日はやめとこ思っていたけれど、まぁ下の問いかけの意味までわからん とかは言われないだろうと思う。 <マンガ入門 28P より> 非科学的的理論には、すべてのことを説明できるという魅力がある。 しかし、それが弱点でもあるのだ! それらの理論を科学的に検証 しようとするのは不可能で、したがってそれらは無意味ということ になる。 <問いかけ> 1.「すべてのことを説明できる」 2.「科学的に検証しようとするのは不可能」 1が原因で2が結果の関係にあるように読めますが、 どうして1だと2になるのか説明して下さい。
正誤表 (誤) (正) 非科学的的理論 非科学的理論
では、このような問いかけも・・・・ <問いかけ> 非科学的理論が全ての事を説明出来るのに対し、 科学的理論は全ての事を説明出来るとは限らない のは何故ですか?
そうきたか!
978 :
タンポ子 ◆2kcAKcZEyo :03/05/08 20:44
科学的理論には「価値」があるのでつ。 それは、科学的理論に従って得られた知識は、 地球上のどんな人にとっても理解と利用が可能な 共通した知識になるからなのでつ。 だから、科学的であることに結果として価値が生じるのでつ。
979 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 20:52
981 :
タンポ子# :03/05/08 21:01
もちろん非科学的理論にも価値はあるのでつ。 でも、これらが<全世界で共有される価値>は 生み出すことはあまり無いのでつ。 ある人にとっての宗教的信仰は、他の国の人にとっては ただの電波と見えることもあるのでつ。
<問いかけ> そもそも、どういう理由で非科学的理論だと全ての事が説明出来る のですか?
984 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 21:04
科学的理論にあてはまらないもの
トリップ失敗したのでつ。 逝ってくるのでつ。
986 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 21:10
(・∀・)
987 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 21:16
\ (゜Д゜) / / \\ つ つ━━━━━━━舟 \ つつ//
おわりでいいのかな?
>>982 本を見たら、「非科学的理論には、すべてのことを説明できるという魅力がある」
と書いてあるだけで、
「(すべての)非科学的理論は、全ての事が説明できる」という命題を挙げている
訳ではないようだね。
なので、「非科学的理論の中には全ての事が説明できるもの」があり、
逆に「現時点において、科学的理論は全ての事を説明できていない」
というのが肝だろうと思うが、どうかな。
でもって、なぜこのような事になるのかというと・・・
簡単に書いてみるね。
ポパーによれば、何が科学であり何が科学でないかの境界は、反証可能性の有無。
「説明」=「因果関係を記述」とすると、非科学的理論の述べる「原因」は
現実には存在するかどうか不明瞭のものである為、その反証例も挙げられない
(=反駁できない)。
逆にいえば、非科学的理論は、現実的に存在しない「原因」を作り上げる
ことが出来るので、全てのことが説明可能になる。
ってだけの事を言ってるような気がするんだけど。
>逆にいえば、非科学的理論は、現実的に存在しない「原因」を作り上げる >ことが出来るので、全てのことが説明可能になる。 の部分訂正させて。 非科学的理論は、現実に「事実」として存在するかどうか吟味をされていない概念を 「原因」とする事ができる為、被説明対象(結果に相当)に合致した「原因」を 作り上げることも可能である為、全てのことが説明可能になる。
991 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 21:49
>>989 >非科学的理論は、現実的に存在しない「原因」を作り上げる
>ことが出来るので、全てのことが説明可能になる。
そうだとすれば、それまで主張してきた理論と矛盾する事実が
新たに認められた場合はどうするのでしょうか?
992 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 21:56
そうすると、その都度新たな「原因」を作り上げるのでしょうか? それとも、非科学的理論により、最初に作り出された「原因」は 永久に事実をうまく説明し続けるのでしょうか? それとも、それを否定する事実は生じることはあり得ないのでしょうか? それは「反証」不能な理論だからでしょうか?
993 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 22:03
>>990 具体例で説明していただけると、理解しやすくなる
ので、実例をあげて下さい。
>>991 >それまで主張してきた理論と矛盾する事実が
>新たに認められ
る可能性を反証可能性と呼びます。
ポパーによると、そのような可能性のある命題を扱う場合は
「科学的理論」である事になるらしいよ。
なんか質問ばっかりだね。
たまには自分の意見をいおうや。
ま、いっけど。
>>992 は、
>>994 の通りでオッケーだよね。
で、
>>993 は、
>>895 で進められているサイトに
ポパーが科学的理論と非科学的理論と呼ぶ実例がそれぞれあるよ。
見てみ。
995は、「進められている」は「勧められている」の間違いね。
で、
>>992 の
>非科学的理論により、最初に作り出された「原因」は
>永久に事実をうまく説明し続けるのでしょうか?
全ての非科学的理論は全てのことを説明できるとは限らないけど、
例えば、「神様が世界をつくって、この世は神様の見ている夢なのだ」という
宗教的概念があった場合には、全てのことは説明できちゃうんじゃないかな。
997 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 22:33
十戒に「神を試してはならない」というのがありますが、 それをしても空しいからなのですね。
ちなみに、「全てのカラスは黒い」という命題を反証するには、
黒以外のカラス(例えば白いカラス)を見つければよい。
他のカラスが全部黒くても、たった1羽白いカラスを見つけることができれば、
命題は反証される。
よって、「全てのカラスは黒い」という命題は科学的な命題である、
ということになる。
このような反証可能性がない理論を、非科学的な学問(形而上学等含む)
と分類することにしたのが、ポパーの科学哲学。
>>997 現段階では土台、「なにがあれば反証となるのか?」すら分からない
理論を、非科学的理論と呼んでいるみたい。
それを、
>>997 でいう
>それをしても空しい
ことになるのかな。
でも技術の発展で、反証可能性は変わる。
例えば、「地球はまるい」という命題は、航海技術のなかった時代には
地球の形を確かめる術はなかったので「反証可能性なし」であったが、
航海技術を持った後、「地球が丸ければ、ずっと直進すれば元いた場所に戻る」
という反証可能性を持てた。
上のは、現段階では反証可能性がなにか?すら思いつかない理論を
非科学的命題と呼ぶけれども、それは100年後には科学的命題に
なり得る場合もあるという一例なのだったりする。
1000 :
没個性化されたレス↓ :03/05/08 22:41
そうだとすれば、聖書を書いた人はポパーよりも 何千年も前の人で、非科学的世界観のなかで暮らしてた 訳だからすんげー天才つうことになるど!! 天才でなければ霊感だなこりゃ。
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。