セルフコントロールなんて幻想

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1名無しさん@お腹いっぱい。
内発的動機づけなんて話が出ました。
「意志がない」からといいわけをする人もいます。
安心してください。
好きなことはともかく、したくないことを自分自身で何とか実行する
ことはできないのです。自分1人で嫌なことでも出来る人は、それは、
ただ我慢しているだけで、実は外部からさせられているのです。

結局人間は外部から支配されないと何もできない。
自由とかセルフコントロールとかそういったものはすべて幻想です。
意志を強くしたいと願う人は、無理せずに誰かに面倒見てもらいなさい。
そんなものはないのです。
外的報酬によって内発的動機づけが低下するとかいう、過去の遺物にすがるもの
は回線切って以下略
2名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 13:58
>>1は,当該スレに書き込んで新たに駄スレを立てることを我慢すると言う行為が出来なかったもよう。
たしかに幻想と言える。
自律的動機づけという概念を知らない模様。
4名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 14:07
>>2
当該スレに書き込んで、混乱されてスレ違いだと言われるよりはましだと思って、
立てましたが。
我慢するのは行為ではないと思われます。
5SOS:02/02/26 14:18
したくないことを自分自身で何とか実行する=自分1人で嫌なことでも出来る

何が違うというのだ?
たぶん、俺のカキコに対するもんだと思うのだが。(当該スレでも良かったぞ?)
ではとりあえず、1の記述の論拠を上げてもらおうか。その上で、考察するから。
1の記述はあなたと主観と価値観しか表明されていない、と俺には見えるのだが?

で、当該スレの最初にカキコしたと思うのだが、
「全ては正規分布の中における現象である」と、注釈まで入れたんだが?
過去の遺物かどうかはともかくとして。
6名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 14:20
あと、「我慢するのが行為ではない」ってのがよく分からん。
なぜそう考えるのか。また、行為とは何か。
ってのを解答してもらいたいものだが。
7XYZ:02/02/26 14:27
オレは,>1がどういう意味で「外部」という意味で使っているのか興味がある.
おそらく,我々とは違う文脈で使っているような気配がするぞ.
あと,「我慢する」のは内面的ではあるが立派に「行為」だと思うのだが.
8名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 15:17
野球ヲタ逝ってよし!!

http://ime.nu/www.baseball-lover.com
9名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 15:19
>>6,7
おそらく「死人テスト」の話をしているのだと思われ.
死人にも出来ることは行為ではないというやつ.
我慢する、というのはつまるところ何もしないということだから、
厳密には行為ではない.サボる,無視する,なども同様.
異論はあるだろうが,こういう基準を設けることによって
観察可能で具体的な行動を測定したり制御できるようになる.
化石逝ってよし
11名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 15:33
>正規分布の中でのみ実証されている条件付きの方法論
これに関しては、いちいちいう必要はないでしょう。
まあ、正規分布であっても、無作為抽出か否かまではわからんでしょう。
近場の大学生捕まえて、過大に一般化した研究は豊富にありますからね。

>したくないことを自分自身で何とか実行する=自分1人で嫌なことでも出来る
これは同じこと、おっしゃるとおり。
問題は何によってその行動が制御されているか。
一見、「内在的な意志」というものが仮定されて、あたかも
自分自身で決めているように見える。
でも、内在だろうと外在だろうとわける意味が見当たらない。
結局は同じ強化随伴性の原理で説明できるのであるから。
12名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 15:36
化石と思われるかもしれないが、
内発的強化によって勉強なり、運動なりを続けるべきだということと、
金銭目的に勉強をすることがよくないなどと、
論じることは無意味ということだ。
不毛だ。
結果的に勉強なり、運動なりができればそれでよい。
そう思わないか?
13名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 15:45
哲学でも社会学でも,心理学以外の分野では
すでに「自発性」だの「セルフコントロール」など
という概念は幻想,あるいは(必ずしも実際には
自発したり,セルフコントロールされたりはしていない)
特定の行動に与えられたラベル,あるいは社会的構成物
だというのは常識じゃないかね。なんで心理学でだけ
こんなことが相変わらず議論になるんだ?
14SOS:02/02/26 16:03
11、12は1か? コテハン使えとは言わんが、せめて「1」くらい入れることにせんか?
混乱する……。(違うなら、スマソ)

で、レスだが。
結果的に同じ現象が起こるならば、という条件付きで、12には同意する。
が、残念ながら、まったく「同じ」とはならない。
組織心理や産業心理でよく言われることなんだが、(ジョブデザインなどの分野で)
「短期的スパン」における効果は、必ずしも「長期的スパン」における効果に繋がらない。
つまり、前者の総和と後者は等しくは無い。
外発だろうが何だろうが、短期的には勉強もするし、それなりに成績の向上も望めると思う。
けど、長期的に見たら、どうだろう?
錯覚だろうと何だろうと、原因が内的に帰属されている場合、勉強という行動に対するストレスは発生しない。
が、外的に帰属されると、ストレスが発生する。(原因が外にあるから、内では結局「嫌々」だから。)
組織心理風にいうなら、これは「人的資源の磨耗」であって、長期的な視点に立つとむしろマイナスである、という。

まあ加えるならば、俺が内発マンセーなのは極めて経済的な(?)理由もある。
「何か無いとしない」っていうのより、「何も無くてもする」って方が、経済的だ。(w

それと、該当スレで正規分布の話を持ち出したのは、主に某スレ1のため。
あと、一般化された理論っていうのを、あまりに直線的に某スレ1へのアドバイスに使っていたような気がしたので。
注意を喚起しようと思っただけ。深い意味は無いので、気にしないでくれ。
15SOS:02/02/26 16:08
>13
理由は簡単だ。
人間の行動を心理学的に理解する時に、極めて便利な(功利性に富む)概念・説明だから。

哲学や社会学でどう議論されているか、俺は正直よく知らん。
けど、「必ずしも実際には自発したり,セルフコントロールされたりはしていない」
ってのを承知の上で、説明体系として有益である(と思われる)から、利用している。
16付けたし。:02/02/26 16:12
内的−外的の区別は、原因帰属の元祖ワイナーを読めば分かるかと。
幻想だから研究に値しないと考えるか,
幻想ではあるが,あるいは幻想だからこそ研究に値すると考える人の
分かれ道だね。
幻想なんかじゃないと力説する御仁もいらっしゃるが(w
18SOS:02/02/26 16:25
俺の立場としては、「幻想」−「非幻想」の決定は人間にはできない、というもの。
それによってどこまで人間(現象)を説明できるか。
ってのが重要だと思ってきたんだが。
19名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 16:42
>>1
スキナリアンならば、専門用語の「セルフコントロール」と一般用語の
いわゆる「セルフコントロール」を区別しないと。専門用語の「セルフ
コントロール」であれば、幻想どころかハトでもできる。

>>14(SOS氏)
>「何か無いとしない」っていうのより、「何も無くてもする」って方が、
>経済的だ。(w
同意。いわゆる「内発的動機づけ」によって形成・維持されている行動
に対して、いわゆる「外発的動機づけ」をわざわざ付加する必要性は何も
ない。

問題となるのは、「内発的動機づけ」によって十分に維持されていない行動
に対して、「内発的動機づけ」を喚起するような対処を取るのがよいのか、
「外発的動機づけ」を付加する対処を取るのがいいのか、ということでは?

それを考えるのに、よろしかったら「内発的動機付けの低下」とは、操作的に
どのように定義されるのかを説明してもらえませんでしょうか。
20名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 16:52
self control 教科書はなにーも
self control 教えてはくれない
self control 明日の事なーど
self control だれもわからなーい
21名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 17:10
TMネットワークだね。なつかしい。
22さあどっちが勝つ?:02/02/26 17:15

セルフコントロール 対 マインドコントロール
23SOS:02/02/26 17:23
俺も専門ってわけじゃないからなぁ……操作的定義、とまで突っ込まれると、
異論他論を巻き起こしそうな気がするが、2chだし!(←免罪符)

要するに、人間っていうのは自他を問わず、或いは人間行動か自然現象かを問わず、
ある現象が起こったときに、その原因を探す傾向がある。
つまり、物事には必ず何らかの原因がある、っていう信念みたいなものを持っている。
で、その原因を帰属する場所ってのは、二分法的には「内−外」。
内発的動機ってのは、自己の行動が内的帰属されている状態、或いは「内的な特性による」と錯覚している状態。
(錯覚だろうが幻想だろうが、俺にとっては大した事ではないんだが。)
で、問題の「内発的動機付けの低下」っていうのは、相対的な問題なんだろうけど、
帰属の方向が「内的→外的」というようにシフトすることじゃないだろうか?
(操作的定義、とは少し違うか……?)

>>20、21
TMか! 見覚えはあるんだけどはっきり分からず、気になって気になって気持ち悪ぃ……。
曲名教えて!
というか、昨今ではTMと言えば「ナマ足魅惑のマーメード!」だもんなぁ。鬱だ……。
24ロボ:02/02/26 17:31
とりあえずこのスレの行動主義者氏は捨てハンを名乗るべきだと思う。
2521:02/02/26 17:33
>>23
そのものずばりの曲名だよ。
"self control"
26SOS:02/02/26 17:42
え゛? まぢ?! >>25
むぅ。アクセシビリティ低めだったようだな……。
替え歌として認知されたようだ。
「ビンラディンだ〜」以来のヒットかと思ったのに……無念。(鬱
27名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 18:28
>>23
でもそっちのTMは朝倉大介が師匠の小室哲哉に断ってから作ったんでしょ?
2819:02/02/26 20:13
>>23

(1)「内発的動機づけ」という「仮説構成体」により行動が維持されていると
いう説明と、行動により自動的に生じた観察可能な結果が行動を維持している
という説明は、どちらが妥当か。

結論から言うと、どちらが妥当かというのは嗜好の問題に過ぎないかと思います。
両者は説明レベルが違うので、相補的な関係になり得ます。

これは今後の話の前提です。

(2)「内発的動機づけの低下」をどのように定義するか?

「内発的動機づけ」の論点は、「外発的動機づけ」が「内発的動機づけ」を低下
させるかどうかということかと思います。

であれば、「内発的動機づけの低下」をどのように定義するかは非常に重要です。
SOS氏は「帰属の方向が「内的→外的」というようにシフト」と定義しますが、
「帰属」という厄介な概念が含まれてしまいます。

俺の定義では、「内発的動機づけの低下」とは、「外発的動機づけが付加されて
いない状態での行動の生起頻度の低下」となります。要は、「内発的動機づけが
低下したかどうかは、行動の生起頻度を見なくては分からない」ということです。
2919:02/02/26 20:14
(3)両動機づけによる行動の定義

・内発的動機づけによる行動:
 「外発的動機づけ」がない状態で、行動に内在する「結果」によりコントロール
 されている行動。

・外発的動機づけによる行動:
 行動に内在する「結果」以外(強化子、報酬など)によりコントロールされて
 いる行動。

以上を踏まえて、19の
 >問題となるのは、「内発的動機づけ」によって十分に維持されていない行動
 >に対して、「内発的動機づけ」を喚起するような対処を取るのがよいのか、
 >「外発的動機づけ」を付加する対処を取るのがいいのか、ということでは?
についてはどう思いますか?

ちなみに、今日はもうレス出来ないので、また明日します。
30:02/02/26 21:03
行動主義者であることは隠しておきたかったのです。
なぜかともうしますと、
たぶん行き着く答えが見えてしまうからです。
内発的というものは仮定すべき、そうでないという不毛な争うが生じる気がします。

>「短期的スパン」における効果は、必ずしも「長期的スパン」における効果に繋がらない。
>つまり、前者の総和と後者は等しくは無い。

だからといっていついかなる時でも内発的に行動がなされる訳ではないでしょう?
「今日は気分がいいから仕事がはかどるわ」という時もあれば、
「雨のせいでぶつぶつ、やる気にならない」、という時もあります。
状況によって帰属が変わるわけですから、一貫性のある内発的動機を
仮定して、動機を高める手続きを行ったとしても長期的に続くかどうかは不明でしょう。

また反例として、いくら内発的動機が高まったことが確認されても、
たった一つの失敗、叱咤などがきっかけで、その物ごとに対する「やる気」を
失うことだってあるでしょう?
31名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 21:32
このスレってどこからの派生ですか?
321:02/02/26 22:19
意志力の無さを克服したい
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1012152897/l50
の派生ですが、せっかく行動変容中の1の頭を
混乱させてはならないと思って。
35どの申し訳ない。

33名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 22:31
>>32
いえ、頑張って下さい。
俺やSOSさん以外にも結構あのスレに居るんですね。
安心してドキュソな事言えます。
341:02/02/26 22:42
行動分析からは、内在的強化につなげる方法を提示することができるでしょう。
きっと。
例えば、勉強嫌いな子どもがすすんで勉強をするようにするには、
私ならば、まず簡単な問題から解かせる、正解するとほめるだけではなく、
答えが合っていない時は、途中までのプロセスがあっていればほめるし、
間違っていれば、黙って修正します。
で、解けるようになれば、少し難しい問題を解かせるでしょう。
(もちろん軽く怒られる方がその子にとって強化につながるなら、ほめるよりけなす)
確かに見た目は外的強化かもしれませんが、
これを繰り返すことによって、勉強を好きになってもらうしかないと思われます。

で、随伴性だけで十分説明できるものを、あえて内発的どうこうなどと
仮定する必要は微塵にも感じません。
公文式の手法だな。
36名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/26 22:48
1さんこれどう思います?

79 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/02/24 23:06
意志力がないのが病的なもののように書いてる人もいますが、
そんなこと言ったら日本の大多数の人が病気ですよ?
高校生の35%以上は家に帰ってから1分も勉強しないのだから。
高校では勉強していたはずの学生も大学に入ると勉強しなくなるのが大多数。
もともと人間は強力なアメとムチがないと努力できないんでしょう。
大学はアメもムチもないから勉強を続けるのが難しいんだろう。
37あっちのスレの35:02/02/26 23:05
>>79
それ見るとティストはかなり優秀だよな。
ところで>>35はその文章でいったい何を聞きたいの?
38あっちのスレの35:02/02/26 23:08
不勉強でスマソが↓の具体例誰か教えてくれ、駄目なら何の本読めばいいのか教えてくれ。
>「短期的スパン」における効果は、必ずしも「長期的スパン」における効果に繋がらない。
>つまり、前者の総和と後者は等しくは無い。

俺の教科書には行動主義マンセーな事例しか載ってないので
アンチ行動主義の立場での見方が知りたい。
39こっちのスレの35:02/02/26 23:11
公文式という塾の手法が>34で言ってるようなやり方だなーと
ただそれだけのことだが。
実際、有効な手法ではあるよ、子供に対しては。
4019:02/02/27 14:48
>>34
>で、随伴性だけで十分説明できるものを、あえて内発的どうこうなどと
>仮定する必要は微塵にも感じません。

内発的動機づけで十分説明できるものを、あえて随伴性で説明する必要は
微塵にも感じません、って言われたらなんて答える?

俺が趣向の問題に過ぎないと言ったのはそういうこと。
41SOS:02/02/27 15:15
むぅ。レスが(゚д゚)イパーイ。認知資源(゚д゚)マズー。
一ヶずつ、地道に。

>>29(主に19氏へのレス)
「内発的動機の喚起」に一票。
人的資源の磨耗を防ぐのと、上記の経済的な理由から。

>「帰属」という厄介な概念
動機論だからな。けど、動機論は有用だと思っている。
(俺も一時、動機論なんて糞だ!ってさんざん叫びまくってたんだが)
認知的な「制約」(←発達心理学的な意味)と考えれば、それなりに納得がいくしな。
因果関係の仮定っていう制約があれば、学習においては概ね初期学習での効率は上がる。
原因帰属への動機ってのは、その名残だと俺は考えている。
少なくともそれで説明はつく。で、俺にとってはそれが最重要。

>内発的動機づけが低下したかどうかは、行動の生起頻度を見なくては分からない
そう。その通りだ。我々はブラックボックスの中を、出力と入力を見て予想している。
で、少なくとも正規分布を仮定した時、統計上はその予想が当たる。
つまり説明体系として有効である。しつこいが、俺にとってはこれが重要なんだ。
42訂正。:02/02/27 15:18
スマソ。頭がぼーっとしてるんで……。消し忘れ。

学習においては概ね初期学習での効率は上がる → 概ね初期学習での効率はあがる。
43SOS:02/02/27 15:34
>>30(>1)
行動主義の全てが悪いわけじゃないゾ?
あれほど心理学の発展に寄与した主義はないだろう。
ただ先達の意図を超えて極化した連中(化石)が一部いて、しかもsalienceになって目立つだけだ。
マトモで柔軟な行動主義者として、これからも頑張ってくれ。(w

>いついかなる時でも内発的に行動がなされる訳ではない
>たった一つの失敗、叱咤などがきっかけで、その物ごとに対する「やる気」を失うことだってある
その通りだ。だから「相対的」だと言っているし、「正規分布の中での現象」とも言っている。
初めから外発に頼ってやるA氏、内発に持っていった状態のB氏、二人の存在を仮定する。
上記のような環境的刺激を受けた場合に、A氏に較べてB氏の方が内発的動機度が高いだろうし、
多少の叱責や失敗は、内発的動機っていう「やる気」があれば跳ね返してしまうもんだ。
何ていうか、感情的でオポチュニストな発言かもしれんが、内発でない行動や課題遂行って面白くない。
そんな人生、俺は嫌じゃ。ってことだな。(w

>>34
いや、まさにそれは学習性無力感の逆、学習性効力感とでも言うべき現象だろ?
抑鬱の治療なんかに使われるやつ。
もう一ヶのスレでも書いた流れだが、「自己効力感の上昇→統制可能性の信念の上昇」。
まさにこれが、内発的動機の高揚ってやつなんだが。

それに、お前さんの言うのとは逆のことも言えそうだが。
「動機論」で全てが片付くのに、随伴性を持ち出さなくても良い、という具合に。
随伴性も動機論も、全ては説明体系だ。俺にとってはどっちでも良い。
前者の方が説明力が強い場合もあるし、その逆もある。と思ってるんだが。
(あ、今気づいたんだが、>>40で19氏が同じ事カキコしてるな……まあ良いか。)
そう、まさに趣味嗜好。場面対応による理論の使い分け、だな。
>>43
その融通無碍というか,いい加減というか,
不徹底なところが気に入らないんじゃないの,
徹底的行動主義者は。
45SOS:02/02/27 15:48
>あっちのスレの35 >>38
簡単に言うと、
@従業員に命削って作業させる。
A短期的な作業効率は上がる。(短期的スパン)
B命削った結果、作業員逝く。
C熟練作業員がいなくなって、作業効率、結局落ちる。(長期的スパン)

ま、これは組織での話だが。
某スレにそって言うならば、
@外発的に「嫌々」勉強する。
A短期的に成績は向上する。
B嫌々やってたんだから、受験が終わると逝く。
C大学入ってから、さてどうする……??

みたいな感じかなぁ。色々考えられるぞ?
例えば「外的要因」ってのは環境の変化でなくなりやすいが、
「内的要因」だと何に頼っているわけでもないから、相対的になくなりにくい。
しかも自己効力感とやらに繋がるから、勉強以外の行動にも積極性が増す可能性がある。
いわゆる、自尊心の向上、ってやつだが。
「こんな糞みたいな勉強、しょせん一時凌ぎ!」って割り切って、大学入ってからの目標もはっきりあるなら、
受験勉強に限っては「外発的動機」で良いかもしれない。
それを実践して受験に成功したのが、ウワサの和田だ。
で、それを人生にまで実践して、失敗しつつあるのも和田だ。(w
あいつは男子にとっておよそ最も強力だと思われるものを、外的要因として有効に利用することを勧めてるな。
もちろんそれは、アレとナニだが。(w
(下品でスマソ……)
46SOS:02/02/27 15:57
>>44
これは私見だが。
「人間」など、表面上は「自由意志」を持っているよう見えなくもない存在、
他の存在に較べて極端に可塑性に富む(臨界期が想定しにくい)存在、
そういうもんを研究対象にしている以上、物理学のような精度での実証は不可能だ。
脳が見え始めて、ようやくそっちににじり寄ることができるようになりつつはあるが……
結局は、そういう「融通無碍」の面は残るだろうな。
「人間」を作り出す全要因の想定がそもそも人間には無理だし、
それら全てのダイナミクスの解明なんて、ますますもって無理だ。
脳でも同じ。部分的な機能は別個に解明はされると思う。
けど、全機能を同時に観測することが人間の能力的制限で不可能な以上、
やっぱり場面対応の理論になると思う。

以前にもどっかでカキコしたが、「ココロ」は間違いなく物理現象だ。
だが、それが分かっているからと言って、人間には記述できない。
471はカルト擁護か?:02/02/27 17:41
>>1
なにがいいたいのかさっぱりわからん
4819:02/02/27 18:58
>>41、43
(1)説明概念としての「内発的動機づけ」or「随伴性」について

俺とSOS氏は同じ意見らしいことが分かりました。繰り返しになるが、嗜好の問題
に過ぎないということですね。

恐らく行動主義者は、「科学的な」説明概念としてはどちらが妥当か、と考える
のではないかと予想しますが、それですら嗜好の問題に過ぎないと思います。
すなわち、仮説構成体の存在を認めるパラダイムと認めないパラダイムの間の嗜好
の問題ということです。
4919:02/02/27 18:59
(2)臨床概念としての「内発的動機づけ」or「随伴性」について

つまり、どっちが実際の問題を解決する際などに役に立つのかということです。

論点1:「内発的動機づけ」の喚起を行うには具体的にどうすればいいのか?

>因果関係の仮定っていう制約があれば、概ね初期学習での効率はあがる。

俺は、不勉強のため具体的にどうすればいいのかが分からないので、もしご存知で
したら教えて下さい。できれば「マンセー」と連発すること意外で。

論点2:好ましい結果を生じさせる「外発的動機づけ」について

「外発的動機づけ」はお金などの「報酬」だけではなく、注目・承認といった
社会的なものから、行動の結果に対する「フィードバック」など様々であり、
「報酬」以外の「外発的動機づけ」が、ベースラインにおける行動の頻度
(「内発的動機づけ」により維持されている行動の生起頻度)を上昇させ、それ
が後々まで維持されているというリサーチは、非常に沢山あります。

なぜ維持されるのかというのを内発・外発的動機づけで説明すると、「外発的
動機づけ」によって引き起こされた行動が、後に「内発的動機づけ」により
コントロールされるからです。つまり、外発→内発のシフトです。というか、
上述の定義上、そのようにデータを「説明」する、というところです。
5019:02/02/27 19:01
(3)おまけ:「外発的動機づけ」は「内発的動機づけ」を低下させるのか?

行動主義の側に立ったリサーチによると以下の3点が指摘されています。
 (1)「内発的動機づけ」が低下するのは、「外発的動機づけ」を適切な方法で
   付加しなかったため。
 (2)「外発的動機づけ」は「内発的動機づけ」を低下させない。
 (3)「外発的動機づけ」は「内発的動機づけ」を一時的に低下させるが、のちに
   それは以前「内発的動機づけ」によって維持されていたレベルに復帰する。

まず、(1)は論外です。きちんとしたトレーニングを受けていない研究者が間違った
方法で行った実験の結果については何も言うことはありません。

(2)(3)については、行動主義者はDeciらの実験の結果の妥当性を問題としています。
(2)については、Deciらの実験の結果には再現性がないとし、(3)については実験
デザインの問題について指摘しています。

以上のことから導き出される控えめな結論は、「外発的動機づけ」は「内発的動機
づけ」を低下させないではなく、低下させるかどうかはまだ結論できない、という
ことかと思います。
5119:02/02/27 19:02
連続書き込み、ならびに横レス失礼。

>>45
>@外発的に「嫌々」勉強する。

「嫌々」何かをさせるプログラムと言うのは、もっともだめな「外発的動機づけ」
の例です。つまり、「外発的動機づけ」がだめと言うことではなく、だめなものは
だめ、ということです。
結局のところ
外発的動機付けが内発的動機付けを低下させるかどうかは
外発的動機付けのやり方の良し悪し次第である、
という極めて平凡な結論でファイナルアンサー?
53名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/27 23:35
>結局人間は外部から支配されないと何もできない。
>自由とかセルフコントロールとかそういったものはすべて幻想です。
>意志を強くしたいと願う人は、無理せずに誰かに面倒見てもらいなさい。
>そんなものはないのです。
>外的報酬によって内発的動機づけが低下するとかいう、過去の遺物にすがるもの
>は回線切って以下略

これ読んですぐ引き篭もりを例に考えちゃったw
上4段読んでると、自分自身でなんとかできないんだから
親に援助してもらわないと引き篭もりから脱出できないと読んだw
下2行はいまいちよくわからんが

で、>>14で書かれている「短期的スパン」長田百合子効果は
「長期的スパン」における効果に繋がらないって感じかw

>>9
もうちょっと具体的にどういうことなのか教えてもらえませんか?
541:02/02/28 01:38
>>48
>(1)説明概念としての「内発的動機づけ」or「随伴性」について
>俺とSOS氏は同じ意見らしいことが分かりました。繰り返しになるが、嗜好の問題
>に過ぎないということですね。

40で言われると、確かに答えられません。
しかし、いかに物事を簡略な形で説明できるかという節約性を目指すのも、
科学の方向としてあってもよいのではと思います。
ただし、「随伴性マンセーだから内発的はいらん」という態度はよくないですね。
申し訳ありません。

SOS殿
>で、少なくとも正規分布を仮定した時、統計上はその予想が当たる。
>つまり説明体系として有効である。しつこいが、俺にとってはこれが重要なんだ。

これは行動分析とその他統計手法を使う主義のスタンスの違いを
明確に示していますね。
ここまで自分の立場を把握し、大切になさる姿勢に感激しました。
551:02/02/28 01:39
>>50
>(2)(3)については、行動主義者はDeciらの実験の結果の妥当性を問題としています。
>(2)については、Deciらの実験の結果には再現性がないとし、

はい、それを述べようと思っていましたのですが…。もっとも控えめな反論でしかありませんが、実験に要した時間、回数が少ないことですよねえ。
選択行動の研究においても、1回きりの選択場面と何回でも選択できる場面では、
その選ばれ方が異なっていることが示されています。

どなたか、
Deci以降の研究成果を概観するには何を見ればよいかも教えてくれるとありがたいです。
561:02/02/28 01:40
>>53
ひきこもりとは関係ないよ。

あと、
9ではないが、行動分析学では「〜しない」ということは行動とみなさず、
その代わり逆を行動と捉えます。
ここでは「勉強しない」は行動ではなく、
「勉強する」という行動の頻度が低い、と捉えるものです。

571:02/02/28 01:45
>19
>なぜ維持されるのかというのを内発・外発的動機づけで説明すると、「外発的
>動機づけ」によって引き起こされた行動が、後に「内発的動機づけ」により
>コントロールされるからです。
これが説明になっていない気がしてなりません。
「内発的」と考えられているものが、
実際は「外発的」なものであるものの、観察が不可能であったために
原因の特定ができなかった。
だから、本人へのインタビュー、日常の観察を綿密に行うことで、
さりげない一言の誉め言葉、自分一人で問題を解けたという経験、
あるいは逆に勉強の合間に漫画を読んで、また勉強する気になるとか、
こういったものの組み合わせであると思いますが、
このような考え方は甘いでしょうか?
甘いんじゃなくて徹底的なんだと思うが。
59SOS:02/02/28 03:10
とりあえず、元凶(?)となったスレを張っとく。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1012152897/l50

>19(>>49
>論点1:「内発的動機づけ」の喚起を行うには具体的にどうすればいいのか?
これに関しては、具体的に応用するとしたらこんな感じだろうな、みたいなのを、
認知的不協和の説明も交えた上で、上記スレのレス91番あたりからカキコしてる。
読んだ? あれでは不満か?(というか、発端となったスレ、読んだ?)

>>因果関係の仮定っていう制約があれば、概ね初期学習での効率はあがる。
これについては、少しカンチガイを与えてしまったかもしれんが、動機付け方略の具体例ではなく、
「原因帰属への動機なんてあるかヴァカ!」って言う人への、反論というか異論。
「認知的な制約」っていう発達心理学の考え方をすれば、動機の存在可能性はあながち否定できない。
それも、先天的なものである可能性が出てくる。という意味だ。(「制約」って分かる?)

あと、これも少しカンチガイされてしまったようだが。
>注目・承認といった社会的なものから、行動の結果に対する「フィードバック」
これについてだが、俺は両者を内的要因だと思っている。
例えば、後者の方が分かりやすいと思うんだが、「フィードバック」それ自体は誘因とはならないと思う。
誘因となるのは、フィードバックに付与される主観的価値観、ってやつだ。
つまりこれらは極論、「自己満足」要因と言ってしまって良いと思っている。
で、それは結局、内的な誘因によって発生する内発的動機の部類に入るんじゃないか?

まあ、この辺りになると、操作的な定義を厳密にせんと議論ができんな。
俺も別に外的要因の全てが悪いとは思っていない。
で、お前さんも内的要因が悪いとは思っていないように見受けられる。
これらの議論を発展的に進めるとしたら、外的要因と内的要因のダイナミクスへと繋がるだろうな。
どういう外的要因が内的要因の良点を緩衝せずに、しかも促進的な関係にあるか。
つまり、内発的動機を低下させない外発的動機とは? それらの誘因は?
ってことかな?

というかな、専門じゃないんでなぁ……>>50の実験の真偽や正当性は、読んでないから分からん……。
ドキュソなこと言ってたら、訂正してくれ。
60SOS:02/02/28 06:21
仮眠から目覚めて、ややすっきりした頭でもう一度>>49を読んでみたんだが。
特に最後の方。
で、気づいたんだが。(早く気づけよな俺……)

説明体系が違うだけで、生起すると予想する現象は同じじゃん?!
例のスレで俺が認知的不協和理論と一緒に言ってたやつ。

というか、たぶん俺と19の理論展開が微妙に噛み合ってないのは、
たぶん要因とか動機とかのタームを、をそれぞれの定義で無秩序に使ってるからでは。
俺は「外的−内的」要因(誘因って書いてる事もあるな)と「外発的−内発的」動機ってのを使い分けてるし。
ふー、やれやれ。(w

まあ、俺としては最終的に内発的動機が発生すれば、或いは自分の行動が内発的(自発的)だと“錯覚”すれば、
それで万事おっけー。
外的誘因→内発的動機ってのも、想定しても良さげだな。
介在要因はたくさんありそうで、まさに擬似相関の様相を呈しているが。
しかし、どうやら1が感激してくれた(w)俺の立場からして、大した問題でもないな。
実践においては擬似相関であろうが何だろうが、A→Cって関係が観察されればそれで良し。
間にBが介在していようが何だろうが、生態学的に環境変数が安定しているなら、統計的な検定しても有意に出るだろ。
俺にとってはそれが全てだ!(行動主義にとっては、それがスタートだろうが……)

さて。寝不足でテンションが高めだ。一仕事して、夕方まで眠るか!
61どっかのスレの35:02/02/28 18:21
>SOS氏
スマソ。SOS氏が向こうで提案する具体的な
介入法は「何も介入しない事」じゃないですか?
ですが、現実に普通何も介入されずに勉強してる奴等ばっかりだと思うのですが、
大学入ってまで「高校の勉強が好きだから」と勉強してる奴の話は聞いた事が
無いのですが。

またそのやり方が今まで効果が無かったからこそティストは悩んでいたわけで、
それ以外の方法を考案するべきなのでは?
62どっかのスレの35:02/02/28 18:48
連カキコスマソ。
「短期的スパン」と「長期的スパン」の例が長田百合子(30分で直すって人だよね?)
だとするなら、
行動分析をかじった事のある人なら、
嫌子消失により行動を起こさせていた(学校に行かせていた)が、
長田塾をやめて、嫌子が無くなったので
登校しなくなったと考えられるんじゃないかな?
これなら当然の事だと思うんだけど。
63SOS:02/02/28 19:09
はー、寝た寝た。睡眠十分……寝ぼけ中。

>>61(どっかのスレの35)
俺は臨床屋じゃないからなぁ、介入とはよう言わんが。
しかし環境への示唆はしてるだろ? あとは知らん。
無理矢理(例えば暴力的に)やらせるわけにはいかないんだし、結局はそこまで。
あとは本人の意志次第だ。そこまで面倒見切れんし見る気も無い。
俺は基本的に「やる気の無い奴は逝ってよし」って主義だから、病的な行動でもないのに、
行動療法のような介入をして勉強をさせたくは無い。

現実の普通の高校生ってのは、勉強しないでも良い環境で、
っていう協和を保っているんだ。
で、ごく希に奇特なやつがいて、「勉強しなければならない」○「勉強する」となっている。
で、更に希には、「勉強マンセー!」○「勉強する」って奴もいる。キモイが。
要するに、勉強せねばならない環境に如何に追い込むか、ってことだ。

「勉強したくない」○「勉強しない」
             ↑
 こっちをどうにかして「勉強する」に持っていけば、
         認知は割と勝手に歪む。

で、それにはどういう要因が良いのかって話だが、具体的にはやっぱり本人を知らんとできん!
よって話を抽象化して、「内的−外的」要因のどちらかによって引き起こされる、
「内発的−外発的」動機のどっちが、色々な意味で「有効」なんだろうか、と。
それも、持続性などを含めた「長期的スパン」において。

ところでだな、長田百合子ってダレ? よく知らんのだが。
64127:02/02/28 19:10
>>54
>しかし、いかに物事を簡略な形で説明できるかという節約性を目指すのも、
>科学の方向としてあってもよいのではと思います。

あとで、SOS氏へのレスの所で触れます。

>>57
>これが説明になっていない気がしてなりません。

正直言って、なぜ行動分析学をやっていて「外的」→「内的」のシフトというの
がわからないのかがわかりません。介入後しばらく経った後の「フォローアップ
期間」でも、行動が介入なしでも維持されているというのは聞いたことはあり
ませんか?

>さりげない一言の誉め言葉、自分一人で問題を解けたという経験、
>あるいは逆に勉強の合間に漫画を読んで、また勉強する気になるとか、

>>29の定義をもう一度見て下さい。誉め言葉、漫画は「外発的動機づけ」の
例です。一人で問題を解けたことは、「内発的動機づけ」の例です。
65127:02/02/28 19:11
>>59
>認知的不協和の説明も交えた上で、上記スレのレス91番あたりからカキコしてる。
>読んだ? あれでは不満か?(というか、発端となったスレ、読んだ?)

結果を説明する概念としてはいいかもしれませんが、臨床概念としてはどうなの
かと思い前回のレスをしました。

他スレの内容で恐縮ですが、俺がSOS氏が「臨床ではこうしろ」と言っていると
思われるところを抜粋します。
 >>108
 >つまり、嫌でも「勉強しないといけない」状況ってのを人為的に作り出して、
 >「勉強(゚д゚)マズー」×「勉強している自分」の間に不協和(×)を起こす。
 >で、状況が行動の変容を許さない(そう設定している)から、不協和を解消
 >するには、「勉強(゚д゚)マズー」→「勉強(゚д゚)ウマー」にするしかない。こうすると、
 >「勉強(゚д゚)ウマー」○「勉強している自分」と認知と行動が協和(○)して、
 >結果として内発的動機とやらが発生する。

確かに、いやいや勉強を始めた結果、勉強が嫌でなくなった事例をこのように説明
するのは、ある一点(後述)を除いては納得できます。

しかし、上記の主張からは「嫌でもやれ」という以外のことは読み取れません。
臨床の場にて必要となることは、「嫌だからできない(やらない)」という
問題をどうするかだと思うのですが。つまり、どうすれば嫌なものをやることが
できるか、という視点ではないですか?

でも、案外「嫌でもやれ」で片付いちゃったりしたら、ほんとに楽で良いですよね。
で、更にそれにしっかりしたリサーチがあったりしたら、私は「嫌でもやれ」派に
転向します。で、それがうまくいかない時だけ、「外発的動機づけ」を考えるよう
にします。
66SOS:02/02/28 19:13
スマン。コピーしたつもりが切り取ってたようだ……

現実の普通の高校生ってのは、勉強しないでも良い環境で、
っていう協和を保っているんだ。
      ↓
現実の普通の高校生ってのは、勉強しないでも良い環境で、
「勉強したくない」○「勉強しない」 っていう協和を保っているんだ。
67127:02/02/28 19:15
>>59
>「認知的な制約」っていう発達心理学の考え方をすれば、動機の存在可能性は
>あながち否定できない。それも、先天的なものである可能性が出てくる。という
>意味だ。(「制約」って分かる?)

良くは知りませんが、概念とかラベルとかその辺に関連したものなら多少は知って
います。でも何故それが動機の存在可能性は否定できないとなるのかは分かりません
が、論から逸れるので説明はいいです。

>>で、それは結局、内的な誘因によって発生する内発的動機の部類に入るんじゃ
>ないか?

定義によります。まず、SOS氏が「内的な誘因」をどのように定義しているのか正確
には分からないので、これは保留です。「内発的動機」に関しては、俺の>>29
定義からは、「注目・承認」と「行動の結果に対するフィードバック」は行動に
内在されていないので、「内発的動機」には含まれません。ちなみに、ここでいう
「フィードバック」とは、専門用語で、一般的には「他者からの」という条件が付き
ます。ただし「セルフフィードバック」という意味では、「内発的動機」に含むと
考えてもいいものもあるようには思えます。

>これらの議論を発展的に進めるとしたら、外的要因と内的要因のダイナミクスへ
>と繋がるだろうな。

「外発的動機づけ」→「内発的動機づけ」へのコントロールのシフトという意味では
そうだと思います。あるいは、「外発的動機づけ」を付加している途中でも、「内発
的動機づけ」は低下しないという前提に立てば、両者が並立的に作用しているという
ことも考えられます。
68127:02/02/28 19:17
>>60
>説明体系が違うだけで、生起すると予想する現象は同じじゃん?!
>例のスレで俺が認知的不協和理論と一緒に言ってたやつ。

上記で説明した通り、「説明概念」としては嗜好の問題としても良いとは思い
ますが、「臨床概念」としては別のことを差しています。

>たぶん要因とか動機とかのタームを、をそれぞれの定義で無秩序に使ってるから
>では。

いえ。>>29で定義したものに沿って話をしているつもりです。もっとも、それが
分かりづらいというのであれば話は別です。
69SOS:02/02/28 19:19
あー、俺は臨床屋じゃねぇからなぁ。
どうしても、現象の記述ってやつをやってしまうのかもしれん。

でも、外的誘因で行動を導いて、ってのは書いたつもりなんだが。
つまり外的要因として「やりたくなる(魅力のある:例としては「お金」)要因」(好子)じゃなくて、
むしろ「やらないと不利益」(嫌子)を用いると、内発的動機が発生する、ということ。

というか、好子とか嫌子とか、普段使わないから……使い方、あってる?
70127:02/02/28 19:19
>>60
>まあ、俺としては最終的に内発的動機が発生すれば、或いは自分の行動が内発的
>(自発的)だと“錯覚”すれば、それで万事おっけー。

ここから「外発的動機づけ」の付加→「内発的動機づけ」の発生/内発的(自発的)
と錯覚→行動の生起、という図式を読み取りましたが、それが正しいという前提で
話を進めます。

1氏も>>54
>しかし、いかに物事を簡略な形で説明できるかという節約性を目指すのも、
>科学の方向としてあってもよいのではと思います。
と指摘しているように、いわゆる「オッカムの剃刀」についてはどう思いますか?
(どうか「数百年も昔のスコラ哲学を今時分持ち出すんだ?」とだけは言わないで
下さい)。

つまり、
 「外発的動機づけ」の付加→「内発的動機づけ」の発生など→行動の生起
という説明は、
 「外発的動機づけ」の付加        →       行動の生起
に比べ明らかに冗長です。

「内発的動機づけ」か「随伴性」かというのは、嗜好の問題ということができますが、
お分かりだとは思いますが、これは嗜好の問題ではありません。
71127:02/02/28 19:21
以上、長々と連続書きこみすいません。こりゃ荒らしですね。

いろいろと書きましたが、俺の聞きたいことは、
 ・臨床概念としての「認知的不調和」、「内発的動機づけ」というのはどれ
  くらい有効なのか。
 ・説明概念として、冗長性をどのように考えるのか
の2点です。

あと議論を始めておきながら勝手を言って申し訳ないのですが、所用により
今日この後からしばらくはレスができない可能性が大です。でも、俺の言い
たいことは全部書いたので、あとはSOS氏の返答を聞かせてもらえればそれで
いいです。

帰ってきてもまだ話が続いているようだったら、またレスをします。
721:02/03/01 00:05
>正直言って、なぜ行動分析学をやっていて「外的」→「内的」のシフトというの
>がわからないのかがわかりません。

わからないわけないでしょう。「行動内在化」のことでしょう。
疑問に思っているのは説明をしているようで説明になっていない、
外的強化なしに行動が続いている→内発的動機づけがなされたから
内発的動機づけがされているとは→外的な強化が他に見られないから
というような形で説明されているように感じたからです。
文章が悪いのであれば申し訳ありません。

73SOS:02/03/01 00:30
いやー、何だか俺の意図を超えて、難しい話になってるなー。

要するに、外的要因を与えても良いんだが……
と言うか、一番最初の段階では外的要因に頼らざるを得ないんだろうが、
それを魅力的なもんにしてしまうと、内発的動機は発生しない、ってことなんだが。

>つまり、嫌でも「勉強しないといけない」状況ってのを人為的に作り出して、
 >「勉強(゚д゚)マズー」×「勉強している自分」の間に不協和(×)を起こす。
 >で、状況が行動の変容を許さない(そう設定している)から、不協和を解消
 >するには、「勉強(゚д゚)マズー」→「勉強(゚д゚)ウマー」にするしかない。こうすると、
 >「勉強(゚д゚)ウマー」○「勉強している自分」と認知と行動が協和(○)して、
 >結果として内発的動機とやらが発生する。

と説明したけど、仮に外的要因が魅力的なものであったら、
「勉強(゚д゚)マズー」→「勉強(゚д゚)ウマー」とならない。
「勉強(゚д゚)マズー。けど、報酬おいしい」○「勉強している自分」ってことになる。
    ↑
 俺が変容させたいのは、
  ここの認知。

>>69にも少し書いたが。

解答になってるかな? ま、また来る機会があったら指摘してくれ。
上げといてくれたら、たぶん気づくから。
74名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/01 00:31
つまりだな、外的要因に「金」とか、物質的にプラスになるもんを使うべきじゃない、と。
一方的にマイナスになるもの、或いは精神的な何かが良い、と思ふ。
強い外的要因が内化されるよりも、
弱い外的要因が内化されるほうが持続されやすい、と。
76SOS:02/03/01 01:44
ちょっと思考を整理してみたんだが。(俺ってば理解遅い……)

要するに、外的誘因を
「勉強する」という行動に対する好子(それによって、勉強すると利益になる何か)として使ってはいけなくて、
「勉強しない」という行動に対する嫌子(それによって、勉強しないと不利益になる何か)として使えば、
内発的動機は発動するんでは?
77SOS:02/03/01 01:48
もっとも、行動分析とかでは、「勉強しない」ってのは「行動ではない」となるんかな?
よく分からん……。
1氏、どうやらお前さんはそちらの道の人のようなんで、教えてくれると幸い。
78どっかのスレの35:02/03/01 07:40
>>77
「勉強しない」というのは死人でもできるので
行動にならないとされてます。(少なくとも教わった範囲内では)

>「勉強しない」という行動に対する嫌子(それによって、勉強しないと不利益になる何か)として使えば、
これは嫌子が消失する事により「勉強する」というが強化されると考えます。(直接、もしくは間接的な意味で)
791:02/03/01 10:20
>>77
そっちの道のものですが、
基本的な随伴性は4種類ありまして、

勉強する→お金をあげる(好子出現)
勉強する→怒られなくなる(嫌子消失)
勉強する→遊ぶ時間がなくなる(好子消失)
勉強する→友達に付き合い悪いといわれる(嫌子出現)

このうち上2つは勉強する頻度があがる、下2つは勉強しなくなる
という随伴性であります。

なお、基本的に罰の随伴性(嫌子出現)は確かに効果はあるのですが、
その場面でしか通用しないことが多いです。
例えば、家庭教師を2時間するとして、がみがみ怒りながらすると
確かにその2時間中はまじめに勉強するが、それ以外の時間は
何もしなくなると思われます。
801:02/03/01 10:32
>「勉強しない」という行動に対する嫌子(それによって、勉強しないと不利益になる何か)として使えば、
>内発的動機は発動するんでは?
それは思いますねえ。たぶん、勉強をすることの価値を高める、
確立操作という手続きのようです。
たぶん、確立操作=動機づけ
と考えられることが多いです。

確立操作は行動をする価値を高める(あるいは低める)手続きで、
実際に行動が何によって制御されているかという部分は随伴性、
という形でわけて考えております。

「数学を勉強するとほかの科目もわかりやすくなるよ」
「英語ができる人はかっこいいよね」などと教示することで、
「やる気」を出すのは確立操作。
一方、「遊んでばかりいないで勉強しなさい」
「いつになったら勉強するの」などは、嫌子出現の随伴性に
なりそうです。
なぜなら前者は勉強の後にいわれる台詞ではない。
後者は「だらだらしたり、遊んだり」するときにいわれる台詞だから。
もっともその場面を実際にみないと判断できませんが。
811:02/03/01 10:35
>>75
>強い外的要因が内化されるよりも、
>弱い外的要因が内化されるほうが持続されやすい、と。
こうは考えられないです。なぜなら弱い外的要因で本当に勉強行動を
強化することができるのか?
最初は強い外的要因で強化するしかないでしょう。
その後徐々に弱めていく。
これは以前言われたことですが、今になると
連続強化→部分強化への移行が行われていると考えるのも面白いと思います。
8275:02/03/01 14:59
>81
この場合弱い要因でも勉強行動が生じる、という前提なんだが。
例えば、勉強をする気のないやつがいるとして、
「次のテストでいい成績を取ったらパソコンを買ってやる」と言われるか、
「勉強しないと落第だから勉強しよう」と自分で考えるかの二つがある。

行動主義理論の上では外的要因の強度は好子>嫌子なわけだが、
認知的に考えると前者の場合は好子に動機の原因帰属が生じ、
後者の場合認知不協和を解消するため内的動機(勉強好き認知)が生成される。
よって嫌子によって作られたやる気は好子によって作られたやる気より持続する。

SOS氏が言ってたのはこういうことではないのか?
ま、要するに仮説なわけだから俺には真偽は分からんが。
83SOS:02/03/01 15:17
理論上は、そうなるわな。>>82(75氏)
弱い強いの問題ではないが。

>1氏、どっかのスレの35氏
ご教授、どうも。
それにしても、よく分からん……。
動機論、ダメ?
随伴性も似たような(というか全く同じ)もんだと思うんだけどなぁ。
件の「動機=制約」だと考えれば、納得もいくんだが……。
8475:02/03/01 15:20
とりあえず後は理屈より実験あるのみだと思う、
などと無責任なことを言ってみるテスト

>83
少なくとも徹底的行動主義とは相容れないだろ。この発想は。
85:02/03/01 20:38
>>84
>少なくとも徹底的行動主義とは相容れないだろ。この発想は。
確かに。けれども相容れないとわりきると、初期の頃のように
わからないのに相手を批判する羽目になるので、何とかお互いを知った上で、
意見を交換したいと思っています。少なくとも私は。

>「次のテストでいい成績を取ったらパソコンを買ってやる」と言われるか、
>「勉強しないと落第だから勉強しよう」と自分で考えるかの二つがある。

「テストでいい点とったら、自分で自分にパソコン買おう」と自分で思うのはどうでしょう。
認知的不協和を起こすには別に嫌子にこだわらなくてもいいのではと思ってしまいます。
でも、現実にやっていることと理想との間で葛藤を起こすには、現状を変えなければ嫌な事態になる
と思うのが一番効果的なのでしょうねえ。
86:02/03/01 20:39
>とりあえず後は理屈より実験あるのみだと思う、
>などと無責任なことを言ってみるテスト

あっちのスレで実験中ですよ
8719:02/03/04 15:37
127=19です。失礼しました。

>>72
>疑問に思っているのは説明をしているようで説明になっていない、
>外的強化なしに行動が続いている→内発的動機づけがなされたから
>内発的動機づけがされているとは→外的な強化が他に見られないから
>というような形で説明されているように感じたからです。

まず、1氏が>>29の俺の定義をしっかり理解し、かつ「内発的動機づけ」が
「行動内在的随伴性」に、「外発的動機づけ」が「付加的随伴性」に対応して
いることを理解しているかどうかを確認したいです。>>57を見る限りでは、
正直俺には1氏が理解しているようには思えなかったので、>>64のレスをした
次第です。

次に、上記のことを理解しているというのを前提に話を進めると、「内発的」
→「外発的」のシフトというのは、別に何かを「説明」しようとしているのでは
なくて、現象の「記述」に過ぎないということを理解して下さい。少なくとも、
俺は何も「説明」しようとはしていません。

もっとも、行動分析学の諸概念は、それが単に現象を記述しているだけなのか、
因果関係を記述(=説明)しているのかは分かりにくいものも多いので、1氏が
混乱するのもわからんでもないです。

もし万が一、なぜ「行動内在的随伴性」が行動をコントロールできるのか、と
いうことを聞きたいと思っているなら、教科書を読んで下さい。

8819:02/03/04 15:38
>>73
>要するに、外的要因を与えても良いんだが……
>と言うか、一番最初の段階では外的要因に頼らざるを得ないんだろうが、
>それを魅力的なもんにしてしまうと、内発的動機は発生しない、ってこと
>なんだが。

SOS氏が「外発的動機づけ」の使用に強行に反対している訳ではないことは
分かりました。

ただ、俺の聞きたかったのは、>>41にて
 >「内発的動機の喚起」に一票。
 >人的資源の磨耗を防ぐのと、上記の経済的な理由から。
とSOS氏が発言していることに対する根拠です。

つまり、「外発的動機づけ」を使用しないで「内発的動機づけ」を喚起する
にはどのようなやり方があるか、ということです。

これは決して粗探しをしている訳ではなく、単純に興味として聞いています。
俺は決して「外発的動機づけ」を使用するのがいつでも正しい、と考えている
訳ではないので。

あと、「冗長性」に関しては、
>いやー、何だか俺の意図を超えて、難しい話になってるなー。
というのであればいいです。

ただ、「内発的動機」をどのように定義するのかには興味があります。
8919:02/03/04 15:39
>>82
>行動主義理論の上では外的要因の強度は好子>嫌子なわけだが、

いえ、それは違います。もっとも誠実な答えは、好子(強化子)・嫌子(罰子)
のどちらの外的要因が強いか(どちらがが条件づけを容易に成立させることが
できるか、あるいはどちらが行動の維持を容易にできるか)というのは、刺激の
種類・強度、条件づけする反応、条件づけを行う状況、固体差、などなど様々な
条件により決定されるので、一概には何も言えません。

ただしざっくりとした答えは、概ね動物においては嫌子>好子ではないかと思い
ます。例えばネズミにレバー押しを条件づけるには、食べ物よりもショックを
使った方が容易であるということは言われています。ヒトに関しては、一概には
名にも言えません。

>よって嫌子によって作られたやる気は好子によって作られたやる気より持続する。

はっきり言ってケースバイケースですが、行動分析学の目指すところは、好子
(強化子)により行動を維持することです。
90どっかの35:02/03/04 16:35
スマソ。
>よって嫌子によって作られたやる気は好子によって作られたやる気より持続する。
とありますけど、好子より嫌子の方が消去抵抗が高いのでしょうか?
そういった話は聞いた事がないのですけど。
911:02/03/04 17:21
>>89
認知心理学で、罰の方が、報酬より感受性が強い
(詳しい用語知りませんが)、という話があって、
下の曲線があった。罰の方がより、傾きが大きい。


罰                   報酬
           |         /
           |        _/
           |      _/
           |    __/
           |   _/
________|_/______
        /  |
       / . |
      _/    |
     /     |
     /      |
    /      |
921:02/03/04 17:30
横軸はもらえる(取られる)金額の大きさ、
縦軸はなんだかわすれました。

>行動分析学の目指すところは、好子
>(強化子)により行動を維持することです。

大切なことですが、好子による制御がうまくいかないことの方が、
世の中には多くありませんか?
一つには、普通に生活していると一つの好子だけを得るためにだけに
人間生きているわけではないということです。
たとえ、勉強することが楽しいということが行動内在化されたとしても、
ただ楽しければよい、ではすまされないことも多いはずです。
受験などいい例です。楽しいからやる、多すぎると義務になるからしない、
なんか言っていると、勉強してのびる余地があるのに、放棄することになります。
これを長期的な目(まさにセルフコントロールですが)でみると、
人生における可能性を狭めることになることも大いに考えられます。
93SOS:02/03/04 17:34
>嫌子によって作られたやる気は好子によって作られたやる気より持続する。
直接の証拠ではないけど、影響力の大きさとして、「嫌子>好子」ってのは十分に考えられるんじゃないか?
行動主義者からすれば、「また曖昧な議論を……」となるかもしれんが。(w

普通人間ってのは、情緒価がポジティブな刺激よりも、ネガティブな刺激により多くの認知資源を使う(傾向がある)。
その方が生存上、明らかに有利だからそういう傾向(動機)が残った、とよく言われるが。
遠ざかっていく物体よりも、近づいてくる物体により多くの注意を振り向ける「動機」が、人間にはあるらしいしな。
(あえて「動機」としてたのは、行動主義に対する挑戦だ!(w)
とまあ、個人的な嗜好はさておき。
つまり、人間は嫌子に対してより大きな注意を向ける、とは言えるかもしれん。

ま、もっとも純然たる行動主義なら、「行動の変容度」みたいなもんから要因の大きさを測定するだろうから、
現象としては絶対に観察できない説明ではあるが。
この辺が、俺が行動主義に疑問を感じるところなんだよなー。
目的論的というか、結果論的というか。昔は手法に限界があったから、それで仕方なかったけど。
今は脳の中とか、コンピュータでのシュミレーションとか、
かつてのブラックボックスへの具体的なアプローチ法が開発されつつあるんだから、
あえて人間の一連の活動における「結果(行動)」のみを論証としないでも良い、と思うのだが。
どうだろ?

そういえば、どこで読んだかは忘れたが、行動主義を自認する何とかいう教授が、
「脳の活動も即ち行動の一種であり、脳内における血液量の変化なども行動として扱える」
などと、逃げ口上とも思える発言をしていたんだが、ここにいる行動主義者さんたちは、これについてはどうだろう?
行動主義の行動主義たる所以、またその長所をすら否定する愚劣な発言にしか思えん。
短所を覆い隠すために長所を捨てるってのは、本末転倒もいいところ、だと思うんだが。
94SOS:02/03/04 17:37
おや、サクサク文章書いてる間に、似たようなことが、>>91に!
しかもグラフ付き……1氏の気合に乾杯。
9519:02/03/04 18:57
>>90-92
失礼ですが、もう一度>>89を読んで下さい。それで分からないところがあれば
聞いて下さい。

それでもまだ疑問があるなら、好子と嫌子を比較する際にはその強度が同等で
あることが比較の条件だと思いますが、どうすれば両者の強度が同等であるか
を確認できるかを教えて下さい。

いずれにせよ、過度の一般化は意味がないと思います。
9619:02/03/04 18:58
>>93
>あえて人間の一連の活動における「結果(行動)」のみを論証としないでも良い、
>と思うのだが。
その問題を振るために、>>70で「オッカムの剃刀」を持ち出したのですが・・・
すいませんが、まずは「オッカムの剃刀」を調べてもらって、その上で話をして
下さい。でも、これ以上は難しい話になります。それでもよければレスをして
下さい。

>「脳の活動も即ち行動の一種であり、脳内における血液量の変化なども行動と
>して扱える」
この内容がどのような文脈で話されたのかは知りませんが、別に逃げでもなんで
もなく、単なる事実(もし実験の結果を基にしているのなら)以外のものは何も
表していないように思えます。

というか、SOS氏が何を言わんとしているのかがわかりません。つまり「血液量の
変化」を「行動」として扱うことが、なぜ行動主義の長所すらを否定することに
なるのですか?

ちなみに、行動分析学の応用分野の1つに「行動医学」という分野があって、そこ
では「バイオフィードバック」というのがあって、高血圧患者の血圧の値をコント
ロールするなんてこともやっています。
97SOS:02/03/04 20:31
いや、俺って別に偉い奴じゃねぇけどよ、オッカムぐらいは知ってるさ。
心理学徒なら普通は知ってるだろ?

で、「現象の記述」と「理論」の違い、って分かるか?
俺はその後者をやりたいのであって、
行動主義の長所は前者を突き詰めていくことにある、と思っているんだが?
行動医学は行動分析学の応用じゃあないだろ
行動分析マンセーよ?
>刺激の種類・強度、条件づけする反応、条件づけを行う状況、
>固体差、などなど様々な条件により決定されるので、一概には何も言えません。
>ただしざっくりとした答えは、概ね動物においては嫌子>好子ではないかと思います。

別に読んでいないわけではなく、過度の一般化もする気はないのですが。
あなたはいつも私を見下げた口調で話しますね。
92はともかく、91は既に公刊された論文を元にして話しているのです。
この場合、好子、嫌子(人によっては好子消失かもしれない)となるものは
お金のみ。そこで○○円までなら、あなたは払いますか?などと書かれた
質問紙に回答された結果を基に、グラフのような疑似曲線が描けるのでは
ないかと、結論づけたものです。
この結果が過度の一般化になりますか?
誰か代わりに説明してあげてください。
ということで、たたかれてばかりで、話を発展させようと
いう気が感じられないのでもう来ません。
SOS氏ありがとう。
101名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/04 21:34
1へ
2chだからそんなもんだよ。
気にせず戻っておいで
102SOS:02/03/05 03:36
何だ? 結局逝ったのか?
俺は叩いたつもりはないんだが……。
質問、というか私見に対する1の意見程度は聞いておきたかったな。
独善はいかんぞ? 2chとは言え。
ちと、視野が狭い気がせんでもないなぁ。人のことは言えんかもしれんが。(w
化石にならんようにな。ちらほら、そういう傾向が見られる。と俺などには見えるな。

というか、行動医学? 寡聞にして知らないんだけど、誰か良ければ教えて。
詳しいホームページとかでも良いから。m( _ _ )m
103SOS:02/03/05 03:38
ああ、スマン! 1じゃねぇや。19だ。
104SOS:02/03/05 06:14
あー、一個レポート書き終わったー。
ここでカキコしたネタもチラホラ散りばめつつ。(ちょっと行動主義批判なんかもしつつ。w)
というか、今気がついたんだが、>>88を読み飛ばしていた。
これに答えなかったから、叩かれたと思ったんかな? だとしたらスマソ。
本当に気付いてなかっただけだ。今更遅いが……。

で、今更遅いついでに、19との議論が微妙に噛み合わないのは、やっぱり定義が違うからかな。
行動主義と俺の立場との違いというか、暗黙の了解としている前提が違う。
(もっとも、行動主義者にとっては、「暗黙の了解」など反吐が出そうな発言かも試練が。w)
彼(彼女?)は「動機」と「要因」の使い分けが出来ていないね。(俺の使用した意味で、って話。)
だから、上の方に書いた俺の文章も、今一つ理解できていなかったんじゃないかなぁ。

あえて行動主義に反する言葉の使い方をするけど、
「勉強しない」っていう“行動”に対する嫌子として外的“要因”を使用すると、
理論上は内発的“動機”が自動的に発生する(傾向にある)。

ま、戻ってくる気が出たら、こういうことだ、ってところから議論しよーや。
寝るベー。

ところで、逝ってしまった行動主義者以外の行動主義者に聞くけど、
ナゼに動機論はダメなんだろう?
行動主義的に、「動機論のココが許せない!」みたいなんをカキコしてくれると、とても嬉しい。m( _ _ )m
105メンドクセェ:02/03/05 11:54
>104
>ところで、逝ってしまった行動主義者以外の行動主義者に聞くけど、
>ナゼに動機論はダメなんだろう?
徹底的行動主義だからじゃネーノ?
行動主義といっても方法論的なものと徹底的なものに分かれて、
さらに方法論的なものはたくさん分化しているからねえ。
ただ、言い方は悪いかもしれないけど廃れてしまった行動主義も多く、
徹底的なものが生き残って、行動主義=スキナリアン
のようになっている一面はみのがせんよ
106 としゆき:02/03/05 11:59
>1

俺さ、
肉体が死んで分かったんだけどさ、
健康な時は
「自分の意思」で何でも出来るんだけど
肉体が死ぬとそれがムリなんだ・・わ
壁にぶつかった。

頭が死んでると、
「どんなに頑張ろうと思っても」頑張れない
物理的にムリなんです。

・・・やっぱり、人間の感情とか意志は完全に物理状態に左右されています
強制的に遮断されて

俺は今死んでいます・・
1さん
マジレスでした
さようなら
10719:02/03/05 16:29
>>97
>いや、俺って別に偉い奴じゃねぇけどよ、オッカムぐらいは知ってるさ。
>心理学徒なら普通は知ってるだろ?
それは失礼しました。でも、それなら話は早いですね。

では、>>70
 > 「外発的動機づけ」の付加→「内発的動機づけ」の発生など→行動の生起
 >という説明は、
 > 「外発的動機づけ」の付加→行動の生起
 >に比べ明らかに冗長です。

 >「内発的動機づけ」か「随伴性」かというのは、嗜好の問題ということができますが、
 >お分かりだとは思いますが、これは嗜好の問題ではありません。
に対するSOS氏の考えを聞かせて下さい。もし、既に答えていると言うのなら、
俺はそれが答えだと気づかなかったので、その番号を教えて下さい。

>>104
>ナゼに動機論はダメなんだろう?
に対する答えがこれに当たります。

>で、「現象の記述」と「理論」の違い、って分かるか?
>俺はその後者をやりたいのであって、
>行動主義の長所は前者を突き詰めていくことにある、と思っているんだが?
徹底的行動主義は、「理論」を否定しません。少なくとも、スキナーはそう
です。否定しているのは、「仮説構成体」の存在ですが、「仮説」に関しては、
消極的ではありますが、否定と言う所までは言っていないと思います。

徹底的行動主義=「現象の記述」というのは、ありがちな誤解です。
10819:02/03/05 16:30
>>98
>行動医学は行動分析学の応用じゃあないだろ
行動医学は学際的領域なので、行動分析学「だけ」を基にしている訳ではない、
と言いたいのであればわかります。

>>102
>というか、行動医学? 寡聞にして知らないんだけど、誰か良ければ教えて。
>詳しいホームページとかでも良いから。m( _ _ )m
行動医学とは、医学、生物学、行動分析学(行動主義的心理学)の3つの領域から
なる学際的な学問で、行動に一応の焦点を当て、病気の治療・予防を行っていく
ものです。

行動分析学と行動医学のつながりとしては、97年の両学会が共同開催されたこと
などがあります。

ホームページは良いのを知りません。
10919:02/03/05 16:31
>>99
>あなたはいつも私を見下げた口調で話しますね。
なんだかなあ・・・

見下げているのではなく、行動分析学を一生懸命勉強している学部生だろうから
手加減してるんですけど。

もしまた帰ってくるようなら、なぜ>>99が過度の一般化と俺が考えているかを
説明します。
11019:02/03/05 16:32
>>104
>で、今更遅いついでに、19との議論が微妙に噛み合わないのは、やっぱり定義が
>違うからかな。

>彼(彼女?)は「動機」と「要因」の使い分けが出来ていないね。(俺の使用した
>意味で、って話。)

俺の方からは、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」という言葉しか言い
出してしていないので(>>29で定義済み)、SOS氏が言い出した「動機」と
「要因」という用語を定義してもらえませんか?

それから、どこでどのように使い分けが出来ていないか指摘してもらえると助かり
ます。それから、俺の>>29の定義で問題があるなら、必ずそれを指摘して下さい。

俺はSOS氏と議論がかみ合わないのは、SOS氏が俺の質問に答えてくれない(ある
いは答えてもらっていても答えと分からなかった)こともあるのではないかと
考えています。俺は一応SOS氏の質問に全て答えているつもんなんですが。

>>70>>71>>88あたりに答えてもらえませんか?答えているならそのレス番号を、
答えたくない(答える必要がない)ならその理由を説明して下さい。
111SOS:02/03/05 17:19
おや、戻ってきたんかな?
というか、答えてるつもりなんだがなぁ。まあ、1ヶずつ答えなおすか。
抜けてるところがあったら、問1、みたいな感じで明示してくれ。(w

まず、オッカムやら冗長性やら「現象の記述と理論」やらの話だが。
これは俺と行動主義の間にある志向の違いだ。
まず俺の行動主義に対する理解だが、
@「Aという介入によってBという行動が生起」という事実(統計としては分散分析系?)から、
A「Aという要因はBという行動を生起させる」という結論を導く。
で、化石などはここで終わるのだろう。化石でないのなら、これをもう少し一般化するのかもしれない。
俺が「現象の記述」と書いたのは、これについてだ。
俺がしたいのは、もっと大きく「解釈」という段階にまで持っていくこと。
つまり抽象的だが、俺は「人間」を知りたいのであって、「行動」を知りたいわけじゃない。
で、そうした場合に、俺は@のような実験結果を、他の場面や機能にまで拡大させて解釈する。
人間の一般的な傾向として、どこまでその仮説が通用するか、反証可能性を探って更に検証する。
それを繰り返すことで、理論としての洗練度を高めていく。つまり、説明力を強めていく。
これを「仮説構成体」「過度の一般化」と呼ぶならそれでも構わんが、実際に予想できるんだから俺としてはこれで十分。
AとBの間にCという「仮説的な説明体」を打ち立てるんだな。
で、Cというのは人間の他の側面も包括した理論(仮説)だから、この次元においては冗長とは考えない。
人間を説明するには、多くの行動主義的な「記述」を積み重ねるよりも、より一般化した少ない「仮説」の方が、
それが真実の説明かどうかは別にして、効率が良い、と俺は信じている。俺のオッカムはここにある。
このスレだったかは忘れたが、どっかにカキコしたことがあるんだが、
ある特性を持つ人間は、ある場面である行動をとりやすい。という相関分析があったとする。
で、行動主義者は相関を擬似相関と捉えて批判するかもしれんが、現実の世界ってのは比較的安定していて、
生態学的環境はそれほど劇的に変化するもんでもないから、この相関関係は説明体系として十分機能する場合が多い。
擬似であろうがなんであろうが、それはこの際、俺にとっては重要ではない。

だらだら書いて分かり難くしてしまったが、まとめるとこういうことだ。
「A→Bという構図の間に、Cを割り込ませる。確かにこの場面の説明としては、冗長だろう。
しかし他の場面に対してもCが説明力を持つなら、それを冗長とは考えない。むしろその逆。
無数の二者関係を“記述”するよりも、たった一つのCを想定することでその多くを説明できるなら、
むしろオッカムは有効に機能していると言うべきだろう。説明できるのだから。
俺はそれを“理論”と呼ぶ。なぜなら結局、科学的説明というのは常に確率論から自由ではないのだから。」
俺のスタンスってのは、そういうことなんだが。
で、動機論ってのは、まさにそういう意味で有効なんだ。
しかも俺は「原因帰属への動機」は先天的なもんだと考えていて、動機があっても不思議ではない、とも考えている。
より控えめには、あるとしても問題ないし、多くのことを説明できるからいいや。ということ。
見てる次元が違うのだと思うよ、俺と行動主義では。だから、冗長性とやらに対する基準も違う。
112SOS:02/03/05 17:44
まあちょっとちゃかして書くと、行動主義のようなお堅い「理論」を、
俺は「記述」と呼ぶのであって、俺にとっての理論ってのはもう少し柔らかい、ってことかな。

で、あと細かいところ。
>臨床概念としての「認知的不調和」「内発的動機づけ」というのはどれくらい有効なのか。
心理臨床、って意味か?
はっきり言って、知らん。理論を応用したらこうなるってことを、軽い気持ちで、向こうのレスにカキコしたのが発端。
だから、最初はそんなに真剣でもなかったし。これを調べるのは臨床家の役割だ。
でもまあ、実験室場面や、もう少し柔らかい実際の「教室」場面ではそれなりに有効らしい。
俺ってばデカイ口たたいてるらしいが、この分野の専門じゃないからなー。
理屈を知っているだけで、具体的な研究は概論本とかで一読した程度だ。という事を、臨床の質問をする時は覚えておいてくれ。

>SOS氏が「外発的動機づけ」の使用に強行に反対している訳ではないことは分かりました。
いや、分かってねぇな。要因と動機の話にもなるが、俺は反対している。強硬(ちなみにこの場合はこっちの漢字だろ?)にではないにしろ。
短期的な効果のみを狙うなら、外発でも良いかもしれない。けど、長期となるとまずい。
その理由は上述したはず。人的資源の磨耗、とやらになるからだ。
で、これが定義になるかどうかは不安だが、「要因」っていうのは動機を発生させる「きっかけ」であって、「動機そのもの」ではない。
何て言うかな、外的要因を与えたからと言って、外発的動機が発生するわけじゃないし。
要は「勉強する自分」っていう現象の原因を、どこに帰属させるのか。
その帰属場所が内か外か。前者なら内発だし、後者なら外発。
で、どこに帰属するのか、っていうことに対する一つの道筋をつけるのが、要因。
だから構図としては、
「要因」→「原因帰属」→「動機」となる。

分かるかな? 実は俺も、自分の文章を見て「分かりにくいな」と思ってるんだが。
図とか書ければ良いんだが、そういうわけにもいかんしな。
ノンバーバルの重要性を痛感してるよ、今。
113SOS:02/03/05 17:51
全部答えたつもりだが。抜けてるところがあったら、明示してくれ。手数をかけるが。

あと、行動医学の説明、サンクス。
医者が行動療法家を兼ねる、みたいな理解で良いのか?

で、これがメインの議論になっていると思うので、もう一度書いておくが。
「要因」→「原因帰属」→「動機」
っていう説明は、「原因帰属への動機」を間に入れた分、この場面においては冗長かもしれない。
けど、他の場面への応用・説明力を考えれば、冗長とは俺は考えない。
114SOS:02/03/05 18:11
   1  1  1  1  2  2  2  2
   | | | | | | | |
   | | | | | |
   | | | |
   | |

また混乱するといけないので、具体例を示しておこう。
この実験、知ってる? タジフェルの1960年くらいだったかな?
全て同じ長さ分、短くなってるのは、冷静に見れば分かると思う。
けど、1,2っていうラベルが付与されることによって、1と2っていう棒の集団が形成されて、
1と2の間にある差を過剰に見積もってしまう認知的な傾向が、人間には見られるらしい。
つまり、「一番長い棒−二番目に長い棒」の長さの差を5と見積もったとしたら、
「二番目に長い棒−三番目に長い棒」の長さの差を6とか7に見積もってしまう。
1と2っていう集団として、棒がカテゴライズされた結果、人間の視覚的な認知判断が歪んだわけだ。
で、これはあくまで視覚的な認知の実験だよね?
けど俺なんかは、これをもっと大きく解釈して、
「あ、もしかしたら社会的なステレオタイプとかもこういうメカニズムなんじゃ?」と考える。
つまり、視覚的認知を社会的認知の機能とオーバーラップさせて考えるんだけど。
これが、俺の言う「理論」。もちろん、後続の研究で反証可能性は模索するけどね。
11519:02/03/05 19:51
>>111
真摯なレス感謝。

ただ、SOS氏は俺(19)と1氏の区別がついていないことが判明。ブルー入った。
>>103の意味がわかった。俺も逝こうかな・・・

>(行動主義が)無数の二者関係を“記述”する
これに関しては、何と言うか、SOS氏の行動主義観が分かった次第。

一言でいうと、行動主義は無数の二者関係を記述せず、SOS氏の言う「理論」
を構築します。っていうか、いったいどこでそんな話を聞いたのですか?

>たった一つのCを想定することでその多くを説明できる
「その多く」とは何を指していますか?それがAとBであるならば、それを
指してCが冗長である、と言っているのですが。

問1:「その多く」が何を指しているか説明して下さい。

>>112
>はっきり言って、知らん。
・・・
11619:02/03/05 19:52
>>112
>「要因」→「原因帰属」→「動機」
問2:「帰属」が生じたことを、どのように確認することが出来ますか?
   (「帰属」の操作的定義は何ですか?)

問3:「動機」が発生していることを、どのように確認することが出来ますか?
   (「動機」の操作的定義は何ですか?)

問4:操作的定義についてどう思いますか?

っていうか、前から思っていましたが、結局、問4に集約されますよね。俺と
SOS氏の違いは。

俺は説明概念としての「原因帰属」とか「動機」は否定しません。俺の素朴な
感情によくマッチするし、これらによる臨床的効果も少なからずあると思います。
ちなみに、俺自身は自分の発想(というか妄想)に関してはかなり自由にさせま
すが、他の心理学者と話をする時、ならびに実験を考える時には、操作的定義を
まず第一に考えます。

>>113
>医者が行動療法家を兼ねる、みたいな理解で良いのか?
いえ。学際的な領域なので、いろんな人がいろんなことをやっている、としか
言いようがないですね。

今日はここまで。
>問4:操作的定義についてどう思いますか?
話がそれますが、操作的定義のどの部分を強調しているかのちがいでは?
仮説的操作(理論)と具体的操作の2つがあり、
・観察が他者に対してなされる点(客観性)
・観察を受ける事象が観察手続きと相対的に客観化される(相対性)
が操作によって客観化される意味である。
スティーブンス自身は操作の客観性を重視し、物理的過程としての操作によって
心理的概念が客観化されるとした。
一方でプラットやスキナーは理論的構成(説明)は究極において具体的操作から
つくられるとし、説明は循環的であると考えている。
このこと?
118SOS:02/03/05 21:42
だって分からんもん。俺の中では行動主義ってカテゴライズされてて……曖昧。
ちなみに、まだ分かってないゾ? 1が逝ったのか? ま、どっちでも良いが。

>問1:「その多く」が何を指しているか説明して下さい。
>それがAとBであるならば、それを指してCが冗長である
この考えをして、俺に「二者関係の記述」と言わしめているんだが。他の場面への転用を考えない、という意味で。
この場合は、原因帰属理論っていうものの一つの証拠として、A→Bの関係を位置付けるんだが。
だから端的な解答としては、「他の場面における人間の活動」ということになる。
行動主義の考えでは、この場面の説明でしかない、ってことにするんじゃないのか?
行動っていう「結果」の説明を志向しているんだから、当然そうなるんだと思うが。
俺がやっているのは、「結果」を引き起こすメカニズム(「過程の説明」)の構築。
それを仮説と呼ばれようが、俺はいっこうに構わん。俺にとっては、説明力があれば即ち「理論」だ。
つまり多分、「場面を極限まで限定しようとする行動主義」に対して、「場面を極限まで拡大しようとする俺」ってことかな?
(行動主義への誤解があれば、指摘して欲しい。化石と語り合ってる内に、誤解が生じている可能性はありすぎるほど、ある)

>問2:「帰属」が生じたことを、どのように確認することが出来ますか?
この辺が、我々のやっている心理学を理解してもらえていないところだ。
化石などにこの話をすると、「ヴァカ?」って思われて無視されるんだが。(w
入力と出力を見て、その過程を説明できるもの、しかもより多くの人間の活動を包括して説明できるもの。
それを模索しているのであって、直接確認する必要は無い。説明できるか、できないか。それが全て。
要するに、結果から予想される人間の内的な機構。俗に言うブラックボックス。
その暗黒の部分について、周辺的な手がかりからどこまで迫れるか、っていうのが重要なんだ。
例えばAIを作る時など、全く人間と同じ機構にする必要はなくて、入力に対する出力が人間に近ければ、それで良いだろ?
そういうイメージで考えてもらえると、たぶん理解を助けると思うのだが。
実際に人間が原因帰属をやっているとか、そういうことはどうでもいい。
やっているように見える。或いはやっていると仮定すれば、入力と出力の関係を説明できる。
帰属理論が気になるなら、ワイナーを読めば良いと思うぞ?

>問3:「動機」が発生していることを、どのように確認することが出来ますか?
同上。
我々が言う「内発的動機が発生している状態」と、我々が言う「外発的動機が発生している状態」
両者の間には差がある。これは古典的には、例の「絵を書かせる実験」でも言われている。
で、これは価値観も含まれるかもしれんが、総合的に見て前者の方が、特に長期的に考えた時は有効であろう。
そう考えられるから、そう分類しているだけ。
ま、最近はそういうのを「動機の違い」じゃなくて、「脳内物質の違い」と説明しようとしている人がいて、
かなり攻撃的な論調で面白くはあるんだが、俺は「動機」でも十分だと思っている。

>問4:操作的定義についてどう思いますか?
いや、これは質問の意味がちょっと分からんのだが……。
必要か不要か、ってことなら、モチロン必要だ。だが、限界も感じているな。
身元がバレそうで嫌なんだが、某スレで某行動療法家と語り合った事もあるんだが、
もっと直感的な定義を採用しても良いんじゃないか?と思える場面もある。
たとえば、行動療法による治癒度などその典型。(あまり関係ないので詳しくは書かないが。)
しかしまあ、操作的定義ってやつは、それぞれの研究の目的にそったもんを選んで、必要な範囲に限定してやるもんだ。
特に調査的な研究をするときに、調べたいもの、或いは尺度の選定なんかするときには、絶対に欠かせない。
過度の一般化を戒める上でも、絶対に必要だと思うが。
119SOS:02/03/05 21:53
で、長いな、相変わらず……まとめる能力のなさを痛感するよ。鬱だ。

>学際的な領域なので、いろんな人がいろんなことをやっている
要するに、心理学と同じく若くて無節操な分野、ってことだな。(w
ポジティブな意味で、だぞ?

ちなみにだな、俺は当初、行動主義には大賛成だったんだ。化石に出会うまではな。
「相関系の研究は全てクズ」なんていう発言をされちまうと、萎える萎える。
意義や目的による研究技法の使い分け、ってのを考えないのか、あの化石どもは!

行動主義ってのは場面を小さくとる代価として、その場面における強力な説明力を手にした。私見だが。
だから、人間にとってクリティカルな、例えば心理臨床への応用的な場面を考えた時、強力なツールとなる。
曖昧さを極限まで排したからな。前にも書いたが、俺はアンチ行動主義者じゃねぇぞ?
よく誤解されるんだ。概ね批判ばっかしてるから。(w
俺が嫌いなのは、化石行動主義者だ!

ちなみに、最近ちらほら「化石」ってのが他スレでも見られたりするが、多分2chで最初に使ったのはこの俺だ!
……自慢にもなんねぇな。(鬱
12075:02/03/06 03:20
SOS氏の今の発言、聞き覚えがあるぞ(藁
ところで、オッカムの剃刀というのは、
「 まったく同じ予言をおこなう2つの理論が手元にあったときには、
単純なほうの理論が、よりよい理論である。 」だろ。

徹底的行動主義理論と認知行動主義理論が同じ予言を行うわけはない。
現象の説明としてコンパクトなのは事実だが、
それは同じ現象をコンパクトに説明しているのではなく、
説明対象に含める現象の幅自体に差があるというだけのことであろ。
121SOS:02/03/06 03:54
>聞き覚えがあるぞ
    ____
    __|____|__   ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( 》 ゚Д゚)  < >75氏、その記憶は約5秒後に自動的に消滅します。
   ( '⌒つ )    \______________________
   /  / /
   (___)__)


     ∧ ∧
   ( 》 ゚Д゚) ヽヽヽ     < ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   (    )つ┬──┬  | ほらな?
   | ||  └──┘   \_____
    (___)__)


というか、諸事情と話の流れで口調やネット人格が変わってたりする。
よって、掘り起こすことを厳に禁ずる!(#゚Д゚)。(wというか(鬱というか(恥
12275:02/03/06 03:56
気にするな。
俺も捨てハン・口調をいくつも使い分けてるから、気持ちはよく分かる。
……例のスレの参加者の一人でもあるしな(藁
123名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/06 11:42
>「相関系の研究は全てクズ」なんていう発言をされちまうと、萎える萎える。
>意義や目的による研究技法の使い分け、ってのを考えないのか、あの化石どもは!

そこまで言い切る化石、スキナリアンは希少としても、
「相関研究?ふーん、あっそー、好きにすれば」というスキナリアンは多いのは事実。
124名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/06 11:53
1です。やっぱり寂しいので戻ってきました。
たたかれながら成長しようかと思います。

>「相関系の研究は全てクズ」なんていう発言をされちまうと、萎える萎える。
>意義や目的による研究技法の使い分け、ってのを考えないのか、あの化石どもは!

行動分析を学んでいて、非常に悩むところです。
方法論的行動主義は詳しく知らないのですが、徹底的行動主義を学んだから
といって、それですべての現象を考えていく立場のみに固執するのは
いかがなものかと思っているのであります。
もっとも行動分析学もまだまだ浅いところなので、えらそうなこというな
といわれるとそれまでですが。
125:02/03/06 12:05
>118

>行動主義の考えでは、この場面の説明でしかない、ってことにするんじゃないのか?
>行動っていう「結果」の説明を志向しているんだから、当然そうなるんだと思うが。
それは群間比較の研究でも言えることです。ひとつの研究から結論付けられることは限られています。
たしかに単一被験体法の研究は一般化がどこまで出来るかという点が批判されますが、
他の被験者に対しても繰り返す、違う場面で応用してみるなどとレプリケーションを繰り返すことで、
「理論」というものが作り上げられると思います。
しかも、この理論は「こういう対象ならばうまくいく」や「この場面では無理」といった一般化
適用の範囲をしっかりと踏まえた、精緻なものです。

>化石などにこの話をすると、「ヴァカ?」って思われて無視されるんだが。(w
そう思わないような行動主義者になろうと思います。
12675:02/03/06 14:12
向こうもなかなか面白くなってるぞ。行動主義の分類が出てる。
行動心理学について★★★★
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1014429672/

ところでなかなか見所のありそうな若者らしき>1よ、
そんなことを言っている君は既に徹底的行動主義者ではない。
大いに結構なことだが。

ところで、SOS氏の言う認知系の立場は演繹的アプローチ、
行動系の立場は帰納的アプローチということなのか?
ここでの会話を見ているとそのように見えるが。
127SOS:02/03/06 15:02
>1
うむ。場面や目的に合わせて技法と思考を柔軟に変化させられる、
柔軟な行動主義者になってくれ。そして化石を駆逐してくれ。

>ひとつの研究から結論付けられることは限られています。
そう、その通りだ。それをちゃんと認識しているだけでも、キミは俺より偉い!(w
要するに、俺から見ると行動主義ってのはマジメすぎて、お堅いっていう印象がある。
考える順序が、俺とは違う、ってことだな。
行動主義者は操作的定義をきちんとして、「この研究はここまで」と先に限界線を引っ張る傾向があって、
それは科学者としては賞賛に値する行為だと思っている。
けど俺はそうじゃなくて、操作的定義はするけど、たぶん行動主義者がやるのよりも柔らかい。
「この研究はどこまで拡大できるだろうか」と、まず考える。
例えば、認知的になればなるほど、サンプルは少なくても一般化して良くて、
しかも単純な(低次の)機能になればなるほど、他の機能への影響も大きいから、他の高次の活動に対しても拡大できる。
その単純な機能を調査や実験によって推測して、反証可能性を模索して、理論を修正しつつ拡大していく。
それが俺のスタンスなんだが。
俺にとっては、これは「当たり前」なんだと思っている。
だって、脳で考えた時に、同じような場所で行われている活動は、脳の同じ機能を使っている、と考えた方が自然だ。
真実そうだとは思っていないが、人間とコンピュータをオーバーラップさせて考えることが多い。
低次の機能ってのは、DLLになるのかな。
Windows(脳システム)が用意している基本的なDLL(低次の機能)は、色々なソフト(活動)が重複して使っている。
(とか言いつつ、機械には弱いので、説明あってるか不安……)
だからってわけでもないけど、「勉強しない」っていうのも行動として考える。
脳の中で考えたら、前頭葉が運動系の箇所に指令を送るか送らないかってだけの話で、基本的な前頭葉での活動は同じだから。
表出されるかされないかの違いしかない。と俺は思っている。
(ちなみに、僭越なことを言っているが、脳も最近勉強し始めたところ……)

>オッカム
俺流に解釈すると、「より少ない理論で、より多い現象を説明せよ」ってことかなぁ。

>演繹−帰納
状況によるなぁ。思考としては演繹、実験としては帰納になるかな?
>>SOS
君の書き込みをオッカムの剃刀でバサッと切ってもらいなさい。
12919:02/03/06 19:36
>>117
そこまで具体的には考えていませんでした。ポイントを明確にしてもらって
ありがとうございます。でも、下の書き込みを見る限り、無駄になってしまった
ようですね。

>一方でプラットやスキナーは理論的構成(説明)は究極において具体的操作から
>つくられるとし、説明は循環的であると考えている。
俺自身はスキナリアンなのですが、このアプローチが、有機体の行動の更なる理解
のために有効なのか、むしろ理解が滞ってしまう(あるいはできない)ことになる
のかを考えているのですが、いまいちまだ考えがまとまっていません。もちろん、
具体的に何を理解しようとするのかにもよるとは思いますが。
13019:02/03/06 19:38
>>118
>だから端的な解答としては、「他の場面における人間の活動」ということになる。
「活動」だけでなく、「要因」に対する「活動」ですよね。

「要因」により「活動」が説明できるならば、なぜそれらの間に「原因
帰属」「動機」という概念をはさむ必要があるのかと聞いているのですが。
でも、もういいです。

それから、「行動主義の説明は場面が制限される」とか関係ないことを言うのは
やめて下さい。徹底的行動主義でも「原因帰属」「動機」でも説明できる事象に
ついてどうするかというのを問題にしているんですから。

>行動主義の考えでは、この場面の説明でしかない、ってことにするんじゃない
>のか?
全く違います。行動主義(に限りらず心理学)では、実験結果なり理論の適応は、
出来るものにはして、出来ないものにはしません。

>行動主義への誤解があれば、指摘して欲しい。化石と語り合ってる内に、誤解が
>生じている可能性はありすぎるほど、ある
誤解しかないですね。

>(「帰属」・「動機」が生じたことを)直接確認する必要は無い。
言いたい放題ですね。参りました。

>>118
>(操作的定義の)限界も感じているな
操作主義に対する懐疑心、みたいなこと一般に関してならわからんでもない
ですが、操作的定義の限界なんて軽々しく言わない方がいいですよ。「生物自発
主義者」を彷彿とさせますよ。
13119:02/03/06 19:39
>>120
>徹底的行動主義理論と認知行動主義理論が同じ予言を行うわけはない。
なんか問題を大きく取り過ぎてるんじゃないですか?行動主義のパラダイムと
それ以外の主義のパラダイムのどちらが優れているか、みたいな話なんてして
ませんよ。単に、「帰属」「動機」という概念の妥当性について話をしている
だけです。

それよりも、「認知行動主義理論」って何ですか?トールマンの認知行動主義?
それとも、認知行動療法の基になっている理論?いずれにせよ、そんなものと
徹底的行動主義を比較したら、「同じ予言を行うわけはない」どころか沢山あり
ます。

>>125
>しかも、この理論は「こういう対象ならばうまくいく」や「この場面では無理」
>といった一般化適用の範囲をしっかりと踏まえた、精緻なものです。
なんだ、分かってるんじゃないですか。>>91-92に対して俺が思ったのはそう
いうことです。

>>126
>そんなことを言っている君は既に徹底的行動主義者ではない。
徹底的行動主義者=スキナリアン=行動分析家です。

>行動系の立場は帰納的アプローチということなのか?
SOS氏よりはわかっているようですね。帰納というのは「理論」に結び付き
ますからね。

ただ、徹底的行動主義の立場は、「帰納的アプローチを取ることが多い」と
いうのが正確なところです。
13219:02/03/06 19:40
>>127
横レス失礼。

>行動主義ってのはマジメすぎて、お堅いっていう印象がある。
>行動主義者は操作的定義をきちんとして、
>操作的定義はするけど、たぶん行動主義者がやるのよりも柔らかい。
行動主義を一般的な心理学に置き換えれば、大体あっていると思います。

>その単純な機能を調査や実験によって推測して、反証可能性を模索して、
>理論を修正しつつ拡大していく。
「反証可能性を模索」って何ですか?

>「より少ない理論で、より多い現象を説明せよ」ってことかなぁ。
斬新な解釈ですね。
133SOS:02/03/06 20:22
もういい、って言われてもなぁ……「要因」に対する、ではないんだが。
勝手に解釈しないでほしいなぁ。他のところもそうなんだけど。
ちゃんと読んでくれてる? 長すぎて申し訳ない、とは思ってはいる。
けど、「行動主義の説明は場面が制限される」とか関係ないこと、とか。
大いに関係しているんだが。俺の話の流れでは。

あと、反証可能性って、オッカムよりもぜんぜん基本だと思うのだけど。
論理実証主義って知らん? ちと古いが、俺は科学哲学の基本だと思ってる。
調べてみ。……というか、もういいか?
どうやら俺の文章は、お前さんには理解してもらえんようなんだが……(鬱
134SOS:02/03/06 20:33
というか、化石なの?
化石、というと響きがネガティブだから、徹底的行動主義者、にしても良いけど。
そうとしか思えない文章が、ところどころにあるんだが。

徹底的行動主義者=スキナリアン=行動分析家、とか。
操作的定義の限界なんて軽々しく言わない方がいいですよ、とか。
行動主義を一般的な心理学に置き換えれば、とか。

そもそも、文章を理解してもらえないところとか。
えらく強圧的なところとか。皮肉屋なところとか。
確固たる信念、とやらを持っていそうなところとか。

だとしたら、絶対に折り合いがつかないだろうなぁ。過去の経験から。
13519:02/03/06 22:42
>>133-134
>「要因」に対する、ではないんだが。
>勝手に解釈しないでほしいなぁ。他のところもそうなんだけど。

>けど、「行動主義の説明は場面が制限される」とか関係ないこと、とか。
>大いに関係しているんだが。俺の話の流れでは。

「他の場面において説明が出来ないから帰属・動機という概念を用いることは
冗長でない」というSOS氏の主張に対して、「行動主義の説明は場面が制限され
る」というSOS氏の脳内にのみある行動主義のイメージが間違っていることを
SOS氏が分かるようにしっかり説明しなかったのは確かに俺の落ち度かもしれ
ない。しかし、それが間違っていることは指摘しているつもりだし、俺が何を
問題としているかは以前から、そして>>130でも指摘しているつもりです。

>あと、反証可能性って、オッカムよりもぜんぜん基本だと思うのだけど。
反証可能性を「模索」するっていうのがおかしいって言ってるんですけど。

>徹底的行動主義者=スキナリアン=行動分析家
これは単なる事実。別に専門としている訳じゃないから知らなくてもいいけど、
行動分析学っていうのは、徹底的行動主義者であるスキナーが創始したものです。

>行動主義を一般的な心理学に置き換えれば、とか。
意味がわからなかったのならそれでいいです。

最後の方で、我慢の限界でややあおり気味だったのは申し訳ないです。

これ以上は話をしても無駄だと思うので、この辺にしておきましょう。
今までどうも。
13675:02/03/06 22:43
ミネルヴァの梟は夕暮れと共に飛んでゆく。
たしかに、帰納法は科学(特に物理とか)の強力な手段だが。

「先に理論を立て予測し、現象と照らし合わせ検証する」というアプローチも、
ものと次第によっては有効だし、「そうするしかない」という分野も多かろう。
例えば、生物学における進化論のセントラル・ドグマ。あれは演繹法そのものだし、
どうやったって帰納的に理論を構築することは困難だ。現象が観測できんから。

もっとも、徹底的行動主義もその根底には巨大なドグマが横たわっている。
「あらゆる行動は刺激と反応の強化によって説明できる」。これだ。
認知系とではこの前提を信じるかどうかが違うのだから、どだい歩み寄りは難しいのが当然だ。
スキナーと対話したロジャースは、最終的に「哲学の差」だと言ったそうだが。
13775:02/03/06 22:53
なんだ、終わりか?つまらんな。
どうにもスキナリアンとの対話は難しくてかなわんよな。
何が問題って、徹底的行動主義者は徹底的だから、徹底的行動主義アプローチ
が「一つの方法論に過ぎない」と言われるのが我慢ならないんだよな。
実際のところこちらとしては「方法論の一つとしてはかなりアリだろう」ぐら
いにしか思ってないわけだが。
一つのドグマに身を捧げるにしても、「たとえこの道が間違っていようとも、
私はこの道を往きこの道に果てる覚悟だ」とでもいうならカコイイとも思うが、
他の方法論を全面否定する態度は、はっきり言って、化石そのものだ。
たとえその方法論が完全に正しいと、してもな。
138SOS:02/03/06 22:59
結局、やっぱり最後まで言ってることが理解してもらえなかった……。
俺の主張していることと、彼が「SOSが主張していること」と思い込んでいることの間には、
1万光年以上の差があるんだが。(愛読書?がバレそうだなw)

哲学の差、か。確かにそうかもしれんなぁ。俺と化石が理解し合えない理由。
文化の差、と言い換えてもいいかもしれない。

俺は「人間(というシステム)」が知りたいのであって、
その結果として表現される「行動」が知りたいのではない、とどこかに書かなかったかなぁ。
この文章が、化石には理解してもらえないらしい。経験上。
「行動」ってのは、俺にとっては内的な過程を探る手がかりの一つに過ぎない。
研究として俺がやりたいのは、脳科学でいうところの「理論家(演繹)」であって「実験家(帰納)」ではない。
脳科学だと綺麗に棲み分けてるのにね……。
まあ心理学では、純粋の理論家とはたりえないだろうし、そういう気もないんだけど。

あと、スキナリアンは俺の近くにもいる。というか、教官の一人がそうなんだが。
少なくともその先生は、徹底的行動主義者じゃねぇなぁ。
その方はナゾの多い人(w)で、まさにスキナーのように若い頃は動物の実験とかやっておられたらしいが、
最近では社会心理っぽいことにも詳しいし、脳にもやたら詳しかったりするし。
方法論も多彩だ。論文発表の時とか、切り口が鋭いの何の。すげぇ人だと思うんだがな、個人的に。
その人も、自称他称スキナリアンだがなぁ……。
13975:02/03/06 23:10
まあ、ベジタリアンにもヴィーガン(動物由来品目完全忌避者)から
セミベジ(少しは肉も食う奴、なんちゃってベジ)までいるわけで。

スキナリアンにも徹底的行動主義者から行動主義的心理学者までいるということだろう。
ヴィーガンがセミベジをなんちゃってベジと呼ぶように、
徹底的行動主義者にしてみればそんな連中はスキナリアン失格なわけだが。
140SOS:02/03/06 23:15
「確固たる信念などというものは危険極まりない」っていうことかな?(w
14175:02/03/06 23:21
俺はセミベジだが、信念を持ってヴィーガンであることを否定はしない。
なにしろ、それは多くの場合文字通り「信仰」の問題だから(高位聖職者に多い)

ただ、街角に立って「人よみなヴィーガンであれ」と主張する馬鹿がいたら、俺は石を投げる。
「俺はヴィーガンだから天国に行ける、他は皆地獄行き」という奴がいたら軽蔑する。
確固たる信念を持ち従うのはいい。ただ、それが己の信仰に過ぎぬことを知れ。
他者の信仰に寛容であれ。自分達だけが正しいとは思うな。

要するに、こういうこと。
142SOS:02/03/06 23:26
それは「確固たる信念」なのか?(w
十分に柔軟だと思われ。
訂正の余地の無い、唯一無二の正しさを己の信念に帰属させること。
即ち他者を否定すること。
異教徒を弾圧したキリスト教の十字軍は……止めよう。
あまりに話が逸れすぎる。(w

んじゃま、そーゆーわけで。
14375:02/03/06 23:30
いや、確固たる信念と他者への寛容は両立すると思うよ。
一人、知ってる。キリスト教の聖人、マザー・テレサ。

個人レベルでは並大抵の精神力、並大抵の自省力では無理だと思うけど、
イスラム思想には「啓典の民」への寛容なんて観念が組み込まれてたりする。
って、ここまで来ると関係なくなってくるな。

心理学においてこれが可能かというと……難しい問題であるな。
14419:02/03/07 11:57
>>137-138
本当の最後に一言だけ。なぜ俺が議論を止めたか全然分かってないようだから。
確かに何も説明しないで議論を止めるのは無責任なので、これくらいはちゃんと
説明しておいたほうがいいかもしれない。

俺が議論を止めたのは、行動主義に限らずあらゆる心理学が前提としている
(あるいは少なくとも努力目標としている)いわゆる科学的態度をSOS氏に感じ
られず、これ以上は「科学教」と「非科学教」の不毛な言い合いになるから。
俺は非科学的な「人間の解釈」自体を否定するつもりはないけど(むしろ臨床的
価値は認めている)、そういうことを目指している人と話をしても、お互い目指
しているものが違うので、理解は極めて困難。

初めは科学を前提に話をしている人かと思っていたが(というか、そうではない
ということを考えなかった)、実際のSOS氏がどうかは知らないが、少なくとも書き
込みは科学を前提としていないことに気づいたので、その時点で話を止めたまで。

俺を化石と呼ぶのは全く構わないが、「科学的心理学」をやっている人はSOS氏に
とって多かれ少なかれ全員が化石であることを理解した方がいい。

ttp://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1014429672/51
 >ていうか,データは観察可能な環境刺激と行動データ(のみ)で,
 >それをつなぐ仮説構成体を推測していくという,認知心理学は
 >もとよりいまの心理学のほとんどが採用している「科学的心理学」の
 >方法論がハルそのものなんだから,わざわざハリアンを自称しなくても
 >「反科学臨床」とスキナリアン以外はみんなハリアンなんだよ。
SOS氏の目指す「人間(というシステム)」を知る、ということが、3つのうち
どれに一番近いか考えてみて下さい。

それから前にも書きましたが、75氏ともに行動主義の分類が全然違います。わざ
と書いてるのなら別にいいですけど。
14575:02/03/07 13:07
俺もいろんな科学系と論じ合ってきたが、
科学は必ずしも科学的態度を前提としていないし、
科学者がみなスキナリアンのような科学教徒なわけでもないよ。
科学とはこれすなわち、現象を追求する哲学。
科学的方法論が科学そのものなわけでは、決して無い。

>多かれ少なかれ全員が化石
「スキナリアン以外の」心理学をやってる人は多かれ少なかれ19氏に
とって大半が「非科学的」であることを理解したほうがいい。

>お互い目指しているものが違うので、理解は極めて困難。
これだけは同意する。

それにしても、スキナリアンは自分達がドグマティストであることに何故気付けない?
>「あらゆる行動は刺激と反応の強化によって説明できる」
俺ははっきり言ってこんなものは科学的態度でもなんでもなく、
勝手な決め付け、仮的な前提に過ぎないと思っている。
だからスキナリアンのやり方が真に科学的だとも思わんのだよ。
14619:02/03/07 15:57
>>145
SOS氏と議論をするのは止めようと思いますが、75氏にはレスをします。

確かに、俺が「SOS氏は非科学的だから話にならない」と言ったのは言いすぎ
だったかもしれません。正確には、
 ・操作的定義は必要ない、との発言
 ・オッカムの剃刀を「より少ない理論で、より多い現象を説明せよ」と解釈
 ・反証可能性を実験の後に「模索」するとの発言
などを読んで、この人と俺は根本的にバックグラウンドが違うから話をしても
無駄だ、と言うべきだったかもしれません。

また、「操作的定義の限界」のようなことを、「操作的定義ができない概念は
本当に科学の対象ではないのか」というような、操作主義への懐疑論のような
観点から論じていたのであれば、それはわかります。しかし、「説明できるか
どうかが全てだ」などという発言からは、そのような慎重な態度は感じられま
せんでした。
14719:02/03/07 15:58
>>「あらゆる行動は刺激と反応の強化によって説明できる」
恐らく「あらゆる行動は刺激と反応の関係によって説明できる」という意味か
とですよね。

まず、徹底的行動主義者=スキナリアン=行動分析家(しつこいですね)が目指
しているものから説明させて下さい。それは、「刺激と反応の関数関係を追求して
いくことにより、有機体の行動の予測・統制の精度を上げていくこと」です。
そして、徹底的行動主義による事象の説明とは、予測・統制が可能になって始めて
達成されるものです。つまり、予測・統制が出来ない状態では(例えば認知心理学
でよく行われるモデルの構築など)、まだ事象の説明がなされていないと考えます。
つまり、実験を行い、事象の予測・統制が可能となったことを確認して始めて説明
がなされたと考えるということです。これが、徹底的行動主義が帰納的であると言
われる所以です。

次に、「あらゆる有機体の行動は刺激と反応の関係によって説明できる」と徹底的
行動主義者がいう場合には、ドグマティストが盲信してそのような発言を行う場合
が多いかと思います。

ただし、「(全てではないにしても)有機体の行動を刺激と反応の関係によって
説明するというアプローチは有効である」と徹底的行動主義者がいう場合には、
 >ていうか,データは観察可能な環境刺激と行動データ(のみ)で,
 >それをつなぐ仮説構成体を推測していくという,認知心理学は
 >もとよりいまの心理学のほとんどが採用している「科学的心理学」
の中で言われている「科学的心理学」において、
 ・内部過程は様々であっても、「刺激」と「反応」というのは「ファイナルパス」
  であり、両者の関係を追及するアプローチもまた重要である
ということか、
 ・「刺激」と「反応」の関係にて説明が可能であれば、その中間に仮説構成体の
  存在を認めることは冗長である
のということのいずれかが考えられます。
14819:02/03/07 16:00
(続き)
徹底的行動主義は内部過程をブラックボックスとみなし軽視いている、という
批判は非常にありがちですが、確かに認知主義とは折り合いはよくありません。
しかし、脳・神経科学との折り合いはそれ程悪くはありません。すなわり、徹底
的行動主義と脳・神経科学とは説明のレベルが違うため、両者は相補的な関係に
ということです。

確かに、徹底的行動主義者と脳・神経科学者が共同で研究を行っている例はすく
ないです。でも、霊長研でレスポンデント条件づけ(古典的条件づけ)の成立時
に脳内でなにがおこっているか、というような研究もありましたし、アメリカで
はBehavioral Neurologyという分野で、多少は共同研究も行われているようです。

>だからスキナリアンのやり方が真に科学的だとも思わんのだよ。
上記の内容を読んで、まだ疑問があるようでしたら言って下さい。

あと全然関係ありませんが、徹底的行動主義者が、他分野の誤解している人に
時として攻撃的な態度を取るのは、心理学をやっている人が、「心理学ってカウ
ンセリングのことですよね」などと誤解している素人に時として攻撃的になるの
と非常に似ています。両者共に誤解・無理解にはうんざりしているということです。

以上、スレの内容に全然関係ない話で失礼。
14975:02/03/07 18:51
>上記の内容を読んで、まだ疑問があるようでしたら言って下さい。

何の説明になると思って脳科学の話などするのかが既に疑問だが……
俺が言っているのは科学哲学レベルの、「何をもって科学とするか」の話だよ。
「スキナーとワトソンの前提が間違っているとしたら、
 刺激と反応の間には実は関数関係などは無いかもしれない。
擬似的にそう見える部分があるだけで。」
ということ。
これを検証する方法は徹底的行動主義それ自体の中には存在しない。

ちなみに、脳科学の還元主義も「内部過程」の追及においては無力だ。
クオリア問題が解決されない限りは。

科学は現象の追求を旨とする。クオリアにすら挑もうとしている。
自らの方法論で把握できる部分だけを把握することを志向して、
それ以外の部分は「非科学」と切り捨てる態度は科学の名折れだ。
150SOS:02/03/07 19:42
あのなぁ……。別にレスよこせとは言わんし、短くまとめるから、読むだけ読んでくれ>19

まず、俺とお前では研究のスタンスと科学に対するイメージ(定義と言い換えても良いが)違う。
だからお互いの言っている事に違和感を感じる。だから折り合いがつかない。
その点では、たぶん俺とお前の意見は同じだ。
で、それらについては既に75氏が言っておられるので、特に追記はしない。

俺が最も問題にしたいのは、「俺が言ったことの意味を取り違えている」っていうならまだしも、
「俺が言ってもいないことを、言ったと主張する」のは止めてくれ! ってことだ。

 @・操作的定義は必要ない、との発言
 A・オッカムの剃刀を「より少ない理論で、より多い現象を説明せよ」と解釈
 B・反証可能性を実験の後に「模索」するとの発言

AとBについては、スタンスの違いから俺が意味するところを読み取ってもらえていない。
これは俺の説明力にも問題がありそうだし、お互いのバックグラウンドや目指すべき場所が違うので、最早とやかく言うつもりは無い。
だが、@については、まるで虚偽の記述ではないか? 俺がどこで「操作的定義など不要」などと言ったんだ?
俺は逆のことを、>>118の最後に書いているはずだが? これは俺の目の錯覚か?
それとも、俺の言ったことをまたしても勝手に拡大解釈しただけか?
なら、もう一度はっきり言うが、俺は操作的定義は必要なものだと思っている。
ただし、操作的定義には限界もあり、むしろ直感的な定義にしたがった方が研究目的に則する場合もある。
15119:02/03/07 21:36
>>150
議論にならない程度にレスをする。

確かに。これは失礼。正確には「原因帰属」と「動機」を「操作的定義する
必要は無い」。でも議論の展開上、俺を萎えさせるには十分だった。

「オッカムの剃刀」と「反証可能性」については、どうやら俺の知っている
ものとは違うらしいというのが俺の結論。
15219:02/03/07 21:37
>>149
>何の説明になると思って脳科学の話などするのかが既に疑問だが……
これは徹底的行動主義に対する説明の一環で付け加えたものなので、関係ない
と思ったら読み飛ばしてもらって結構です。

>「スキナーとワトソンの前提が間違っているとしたら、
> 刺激と反応の間には実は関数関係などは無いかもしれない。
>擬似的にそう見える部分があるだけで。」
そういう懐疑論を打ち出すことは勝手ですが、それで何が言いたいんですか?
心理学をやってるなら、口だけでなくて、それを検証してみたらどうですか?
擬似的かそうでないかを操作的に判断する基準まで考えての発言なら話は別で
すが、そうでないなら75氏の単なる思い付きには興味はありません。

唯一考えられるのは、関数関係(独立変数に対して従属変数が定まる関係)の
中において、まだ特定されていない変数が存在するかもしれないということです。
ただしその新しい変数は、既存の関数関係が擬似的であるなどと証明するような
ものでは決してなく、既存の関数関係の精度を上げるものでしかないと思います。

それから、ワトソンの「あらゆる反応は刺激に誘発される」という前提は間違
っていたと言ってもいいかと思います。「スキナーとワトソン」と同列に論じて
いるのを見ると、そんなことは無いとは思いますが、ワトソンの行動主義とスキ
ナーの行動主義が別物であることを知らないでの発言だったりして、という気が
ちょっとしてしまいます(違うとは思いますがたまにそういう人がいるので念の
ための確認です)。スキナーの徹底的行動主義に対する批判的な意見は歓迎なの
ですが、それは正確な理解に基づいたものであることが好ましいです。
15319:02/03/07 21:40
>>119
>自らの方法論で把握できる部分だけを把握することを志向して、
>それ以外の部分は「非科学」と切り捨てる態度は科学の名折れだ。
俺は徹底的行動主義以外は全て非科学的だ、などと考えてもいないし、そんな
ことを言ったつもりもありません。

「科学的心理学」の定義として、「データは観察可能な環境刺激と行動データ
(のみ)で,それをつなぐ仮説構成体を推測していくという,認知心理学は
もとよりいまの心理学のほとんどが採用している」心理学、という他の人の
定義は借用しましたが、それはあくまで定義の問題です。何をどう勘違いした
のかは分かりませんが、「名折れだ」とかいう訳のわからない非難ではなくて、
定義が気に食わないなら自分で定義をして下さい。それだけのことのはずです。

それから、俺が「科学的心理学」の定義からもれるものを「切り捨てる」と考え
ているようですが、そんなことも一言も言っていません。逆に、そのようなもの
の価値を認めている、という発言を何回もしています。

今日はここまでにします。
154SOS:02/03/07 21:52
だ・か・らぁ……もういいかぁ。
もういいけど、これだけは聞いておいてくれ。
キミが「俺(SOS)の考え」だと思っているものと、
俺が「俺(SOS)の考え」だと思っているものとは、かなり違う。
だんだん分かって来たんだが、キミと俺では研究手法に対するベクトルが正反対だ。
だから、キミが勝手に誤解している分には全く構わない。
だがそれでも、すさまじく誤解された文章、しかも「俺(SOS)の意見」だと自称する文章を、
曲がりなりにも公共の(ダレでも見ることが出来る)場に晒されると、個人が特定されないとは言え、すごく気持ち悪い。
もう議論する気もないんだろうし、俺もないし、お前と75氏が議論することにケチをつけるきもないけど、
俺との議論を止めるなら、140前半の幾つかのレスのような、煽りとも取れるような、しかも俺のコテハンを出したレスは頼むから止めてくれ。

以上だ。ちゃんと守ってくれよ。
前半じゃねぇな、中盤か。

キミの知らない「科学的パラダイム」ってやつがある、ってことも、
ついでに銘記しておいてもらえると嬉しいがな。
15675:02/03/07 22:16
>それで何が言いたいんですか?
科学哲学を使ってスキナリズムの方法論的正当性を検証しているだけだが?
懐疑は哲学最強の武器の一つだ。こちらは反証を挙げるまでもない。
そちらが提唱したドグマなのだから、証明義務はそちらにあるのだよ。
「現象の中に刺激と反応の関数関係では説明できない要素がある」というだけで、
スキナーのドグマは打ち砕かれる。背理法によってな。
「全ての行動が説明できるはずだ」というドグマは、
「全ての行動を記述し終えたとき」ようやく「正しいのかもしれない」という位置に立てる。
俺はスキナー教を信じてはいないんでな、懐疑主義に走るまでもなく、
自分の立場からそちらの立場を眺めての率直な感想に過ぎない。

帰納可能な現象が擬似的かどうかなど、操作的判断の手法などでは決して解析できんさ。
だから言ってるだろ、徹底的行動主義には自分の正当性など立証できないと。

ま、そうは言ったところで、刺激と反応についてのこれまでの行動主義の知見が
みんな間違ってるなどと言うつもりはさらさらない。
ただ、「刺激-反応」だけでは説明できない現象も多くある、
言い換えればスキナリアンが説明してきたことなど、
人間という現象のある一側面に過ぎない、というのが俺の本音だ。
157SOS:02/03/07 23:10
ああ、あと最後に一方的に聞いておきたいことがある。>19
一方的に聞くだけで、議論に発展させるつもりはない。が、できれば答えておいて欲しい命題。二点。
俺もいつだかにキミの質問に答えたので、これくらいは許容してほしいところだが。
幾人かの行動主義者に聞いて、未だ満足のいく回答が得られていないので、君にも聞いておきたい。

@言語の習得において見られる生成性という発達過程を、行動主義はどのように説明するのか?
(ちなみにスキナーは、大人を模倣することによる学習過程により、その発語が大人に理解され、子供の望むように大人がなすことで強化される、
 というように説明したが、これでは生成性は説明できない。現在の行動主義ではどう捉えているのか、後学のために是非知りたい。)

A制約という、先天的に備わっていると見られる認知的傾向(嗜好)、或いは脳の機能所在における定位性を、
 行動主義はどのように説明するのか?
 つまり、強化などの過程に拠らない反応が先天的に備わっていて、しかもそれは人間の発達過程を補助する役目を負っており、
 あらかじめ「認知すべき対象」を絞り込むことで、意味ある刺激のみを取り込もうとする認知的傾向が生後間もない赤ちゃんにも見られる。
 この「制約」は、無意味な刺激の無秩序な羅列によって発達が阻害されることを防ぐために、進化論的に発達してきた、と言われている。
(ちなみにずっと以前に「制約」の話をしかけたと思うが、俺はこの「認知的な嗜好性」こそが動機の原初的な形態であると考えている。)
 その一形態として、赤ちゃんには「物事には何らかの原因がある」という信念、
 まさに「原因帰属への動機」そのものとも言える認知的な嗜好性が備わっていると思われる節がある。
 物音がした時にそちらを確認しようとする、などの行動例が、これらの主張の傍証として上げられることが多い。
 俺はこれらの現象を「動機」とひとくくりにして考えているが、行動主義ではどう考えるのか?

以上だ。これは煽りとかではなく、マジで学術的な興味から質問する。
お答え頂けると嬉しい。(75氏の私見も欲しいな。今後の肥やしにしたいので。)
158SOS:02/03/07 23:21
Aについては、より端的には、
「先天的な認知、或いはそこから導かれ、表出される行動」について、
学習による強化などを説明体系の主体に据えている(と俺は考えている)行動主義者は、
どのように考えているのだろうか、ということだが。
15975:02/03/07 23:24
そういえば俺も聞きたいことがある。
徹底的行動主義者は今でもタブラ・ラサ、環境決定論を信じてるのか?
16075:02/03/07 23:35
>157
自然言語処理とフレーム問題か?そりゃ。俺は「学習」というのは
「言語使用や認知的情報処理と並ぶ、脳の持つ能力の一つ」としか見てないから、
徹底的行動主義の論法で説明がつけられないのは当たり前だと思う。
161SOS:02/03/08 08:18
脳(或いはこの場合、思考と言っても良いけど)の情報処理表象、情報獲得過程、などのモデル構築は、
俺にとってのメインのテーマだからなぁ。特に「自己」「言語」といったものについて。
もっと俺がパソに強い人であれば、工学部の院に入ってコンピュータ・シュミレーションでもしたいところなんだけど。
自分の説にあったプログラミングを組んで、実際の動きとどこまでマッチングさせられるか、とかね。
個人レベルでも、集団レベルでも。
行動主義では説明できないのだろうか? それとも、研究の対象としないのだろうか?

あと、最近大胆な説があるのをご存知?>75
実際には脳が情報処理を担当しているのは自明として、現象を説明する「表象」としては、
コミュニケーションによる情報処理には文化(つまり個人と個人の間に存在する、「社会」)が大きく関与している。
で、幾つかの現象は、文化それ自体が処理してると考えても説明が出来るし、
むしろその方が効率が良い、とされる説。文化継承なんかを、これだと上手く説明できる。
ステレオタイプの流布など、その典型だと言われているんだけど。
言語っていう圧縮された情報を、人間は「文化」に代表される形式を利用して、解凍して理解するんだけど、
文化の取り込みの段階で、圧縮の規格に差がでる。生育環境や遺伝的素因などによって。これが「個性」。
同じzipでも、解凍する個人のプロトコルによって、またその時の環境によって、全く同じものが生成されるわけじゃない、って話。
コンピュータの圧縮・解凍の連続的な取り込み過程や結果に何らかの可変性を持たせてやると、「誤解」という振る舞いをするんじゃないか、っていう。
素人に話すと、「ロボに「間違い」を付けたして意味あるの?」ってことになるんだが。(w
で、ここからが俺のテーマだけど、もし誤解を生じさせることができて、何らかの学習機能によって自己修正を付与してやれば、
次からは「誤解」しないよう、その修正に情報処理資源(メモリーやら)を使うことが予想される。
まあ他にもHSM(知ってる?)の2過程を用意したり、認知処理に情緒価を付け足したりと色々しなければならないんだけど、
上手くすれば、「抑鬱」とかいう「感情」現象が、コンピュータの上で表現できるかも……。
16275:02/03/08 13:54
情報処理の場面によって、いくつかの「態度の集合」からなる認知の大枠が切
り替わるということ?その中には「文化・社会レベルの枠組み」があると。
想像だが、「家族レベルの枠組み」や「個人レベルの枠組み」や「人類共通の
枠組み」もあるかもしれんな。

しかし、人工知能スレでも問題になってることだが、どうやってコンピュータ
に「認知処理」をさせるのだ?工学的にはそのへんをクリアしないと。
今のコンピュータはあくまで、思考機械ではなく計算機械であるゆえ。
16375:02/03/08 13:57
HSMって分からんけど、ハードウェアセキュリティ?
それしか検索にかからん。

ところでSOS氏、認知系の「これ一冊で基礎から一通り」的な
お勧めの本ってある?
さすがに心理学辞典だけでは話についていけそうもない。
16419:02/03/08 15:04
>>154
もうやめましょう。あなたの言いたいことは分かっています。でも、もう少し
文字によるコミュニケーションというものを考えてみた方がいいですよ。
16519:02/03/08 15:05
>>156
理解されていないのは分かってますから、別にいいんですけどね。でも、ちょ
っとひどすぎますよ。

>そちらが提唱したドグマなのだから、証明義務はそちらにあるのだよ。
そういう質問は、(もし居るなら)ドグマティストを探してその人に言って
下さい。少なくとも、まともなスキナリアンで「あらゆる有機体の行動は刺激
と反応の関係によって説明できる」なんて考えている人はいませんよ。それに
俺はまともでない人のことまで面倒みきれません。

>>147でちゃんと書いています。
>「あらゆる有機体の行動は刺激と反応の関係によって説明できる」と徹底的
>行動主義者がいう場合には、ドグマティストが盲信してそのような発言を行う
>場合が多いかと思います。

>ただ、「刺激-反応」だけでは説明できない現象も多くある、
>言い換えればスキナリアンが説明してきたことなど、
>人間という現象のある一側面に過ぎない、というのが俺の本音だ。
そんなの当たり前じゃないですか。そもそも、1つの学問の体系で、あらゆる
事象を説明可能なんて可能だと思ってるんですか?そんなものがあるのなら
教えて下さい。

それから、上でもちょっと触れましたが、75氏の「科学的心理学」の定義を示
して下さい。あれだけ非難しておいてそれを提示しないのは、無責任すぎです。
もちろん、どういう定義をしているのかにも非常に興味があります。
16619:02/03/08 15:07
>>157
帰属・動機についての議論はちょっとという感じですが、そういう話であれば。

質問に答える前に、今後誤解が生じないように、簡単に前提となることを説明
させて下さい。

まず第一に、スキナーだけではなくワトソンですら、行動における遺伝的特性が
重要であることを指摘しています。

第二に、「言語の獲得」において、「学習」(つまりは後天的なもの)が果たす
役割は少なくないとは思いますが、それだけで説明できるとも思えません。単純
過ぎる例ですが、ヒトに生まれた時から育てられたチンパンジーがヒトと同じ言語
を習得できないことを見れば、様々な遺伝的特性が果たす役割を無視しての議論
は意味が無いことは自明です。

むしろ問題は、どこまでが生得的で、どこまでがそうでないのかということかと
思います。例えば「言語能力は生得的か」スレで言われたことですが、「学習」の
1つである「般化」を説明するのに、UGの存在を認めるかどうかということなど
です(読んでいるとは思いますが)。スキナリアンである俺としては、UGの存在
を認めるなんて言おうものなら周りから白い目で見られてしまうこと請け合いですが、
実際の所は、まだなんとも結論付けられないということかと思います。

最後にまとめとして、「言語の獲得」などという大問題を、そう簡単に説明できる
とは思えません。単純な理論分析などならできますが、そんないいかげんなことは
慎むべきだというのが俺の考えです。
16719:02/03/08 15:10
>>157
>@言語の習得において見られる生成性という発達過程を、行動主義はどのように
>説明するのか?
ちょっと調べてみたのですが、いまいち「生成性」という用語がわからなかった
ので(それは発達過程なんですか?)、もし違うことを言っているようだったら
指摘して下さい。

「生成性」の1例としては、よく引き合いに出される「went」を「goed」と間違える、
というのであってますか?だとしたら、行動主義ではそれを「般化」であると説明
します。般化については「言語能力は生得的か」スレの終わりの方を見て下さい。

ちなみに、チョムスキーなどのスキナーに対する批判というのは、全てとは言いま
せんが、かなりの部分誤解・無理解により生じていた、というのはよく言われる話
です。これについては、俺はあまり詳しくないので、伍長さんの説明があるのでそれ
を見て下さい。URLのスレの33・34です。
ttp://piza.2ch.net/log2/gengo/kako/957/957193783.html

>A「先天的な認知、或いはそこから導かれ、表出される行動」について、学習による
>強化などを説明体系の主体に据えている(と俺は考えている)行動主義者は、
>どのように考えているのだろうか
上の前提で説明したように、スキナーは行動における遺伝的特性、つまりは「先天
的な行動」というものも重視しています。

いずれにせよ、言語の獲得などという大問題を考える時は、生得的かそうでない
か、などという極端な考えは意味がない、というのが俺の考えです。
16819:02/03/08 15:11
>>159
>徹底的行動主義者は今でもタブラ・ラサ、環境決定論を信じてるのか?
昔から誰も信じていません。いいかげんにして下さい。
16975:02/03/08 15:37
「もし自分に生後間もない健康な子供を預けてくれるならば、
その子供をどんな性格にでも、どんな職業人にでも育て上げてみせる」

ワトソンの悪名高き発言だが、これが「精神白紙説」以外の何だと?
ワトソンの認めた範囲の遺伝的特性というのは、「石版にも性質がある」
という次元の話だろ。
17075:02/03/08 16:06
「徹底的行動主義からみると、私的出来事と公的出来事、両者は行動により統
合されている。ゆえに心理学者が対象とすべきは行動のみであり、行動を研究
することによって取り残してしまう何ものもない。」
徹底的行動主義者のサイトで見かけた文章だが、こいつはまともでない徹底的
行動主義者か?そういうことなら考え直さねばならんな。

しかし、どうも見る限り「スキナリアンの主張」と「スキナーの主張」は若干
違うようだ。スキナリアンの主張が誤解されてるなどと言うなら、スキナリア
ンの主張の要点、スキナー本人との違い、ワトソン派との違い等々、要点だけ
箇条書きにでもしてまとめてくれんかな。

>チンパンジーがヒトと同じ言語を習得できないこと
遺伝と環境の問題は、そんな当たり前のレベルのことではないぞ?
どこで聞いた話だか忘れたが、蛇に対する恐怖を観察学習していないサルは蛇
を恐れないが、大人が蛇を恐れる様(VTR)を観察すると蛇を恐れるようになる
。これだけ見ると蛇への恐怖は遺伝でなく後天的学習のようだが、実は全く同
じ条件で「大人が兎を恐れる様」(合成画像)を観察させても、兎への恐怖は
学習されない。つまり、サルには「大人が蛇を怖がるところを見たら蛇を怖が
るように学習する」という性質が遺伝されている。
ところが、ワトソンは教育によってサルに兎恐怖症を植え付けられる、という
主張をしていたわけだ。スキナーも、自分の子供を箱に突っ込んで育てたとこ
ろなど見ていると、その点は同じように考えていたとしか思えないが。
環境と遺伝がどちらも重要なのは当たり前だが、遺伝の性質をどこまで認める
かというのは非常に重大な問題だ。「ヒトとチンパンジーが同じではない程度
において遺伝は重要である」などというのは非環境決定論ではない。
17175:02/03/08 16:22
>「科学的心理学」の定義
心理学の一般的定義と何も変わらんよ。
ま、スキナリアンの「心理学の一般的定義」は我々とは違うのかもしれんが。

問題はただ一つ、どのようなアプローチを可とするかの違い。
俺は「科学」の側から科学本来の方法論を論じたのであって、
「科学的心理学」の立場で論じてはいない。
そんなことはここでの議論とは関係がないのだが。
17219:02/03/08 18:29
>>169
違いますが、そう思いたかったら勝手にそう思っててもらって結構です。
何が違うのかを知りたかったら、本を読んで下さい。

>>170
>徹底的行動主義者のサイトで見かけた文章だが、こいつはまともでない徹底的
>行動主義者か?そういうことなら考え直さねばならんな。
そんなことこれだけの情報で判断できません。それから、75氏がその文章が何を
意味しているのかを、スキナリアンが理解するように理解できているのか疑問が
残ります。

>スキナリアンの主張が誤解されてるなどと言うなら、スキナリアンの主張の要点、
>スキナー本人との違い、ワトソン派との違い等々、要点だけ箇条書きにでもして
>まとめてくれんかな。
75氏が考えているような単純なものではありません。無理に簡単に書いたら必ず
誤解が生じるかと思います。だからそれはできません。75氏も忙しい中レスをして
くれているのだとは思いますが、俺も時間がありません。

でもそれよりも、75氏は心理学を思いっきり誤解している素人に、ここで心理学
を一から教えますか?知りたかったら自分で勉強して下さい。学問を学ぶっていう
のはそういうものではないですか?「行動理論への招待」という本でも読んでみて
下さい。大体、行動主義に限らずWebでちょっと調べた位で理解できるようなもの
は少ないですよね。まあ、実際に75氏が読むとは思いませんが。
17319:02/03/08 18:36
>>170
それから俺が行動主義の説明をするのは、議論の中で必要だと思ったからするので
あって、匿名のこの場で、誰だかも分からない75氏に行動主義を理解してもらう
ことには俺は興味はありません。75氏の行動主義に対する疑問を俺を使って次から
次と解消しようとするのは止めて下さい。

>サルの観察学習の話
それはMinekaらの1984年のものです。この実験で重要なことは、サルが他の刺激
よりもヘビに対して観察学習により生じる恐怖症をより引き起こしやすいという
ことです。更に言うとどのような刺激が恐怖症を引き起こしやすいかは、種によって
違うがあるということです。「遺伝か学習か」などといった単純な話ではありません。

>スキナーも、自分の子供を箱に突っ込んで育てたところなど見ていると、その点は
>同じように考えていたとしか思えないが。
論理の飛躍があり、かつ全く違います。でも、スキナーの子供は精神分析家になっ
てしまったそうなので(うろ覚え)、その意味では問題があったのかもしれません。

>環境と遺伝がどちらも重要なのは当たり前だが、遺伝の性質をどこまで認める
>かというのは非常に重大な問題だ。
遺伝を軽視しているように誤解されてしまったようですね。今までのを忘れて
もらって、この文章をそっくり俺の考えと思って下さい。俺がそう考えている
ことは、上のサルの話から分かりますか?

>心理学の一般的定義と何も変わらんよ。
それ(心理学の一般的定義)を聞いているんです。俺もこれだけ質問に答えてきた
んだからそれくらい教えて下さい。

今日はここまでにします。
17475:02/03/08 18:54
こちらはスキナリアンが理解するように何かを理解し、
スキナリアンと同じ前提に立つつもりなどさらさらないのだが。
何しろ、「スキナリアンは間違っているかもしれんという前提」に立っているのでな。
スキナリアンが思うように行動主義を捉え、
スキナリアンが思うように現象を解釈すればそりゃ行動主義に問題などないように見えるだろうさ。
「誤解している」「違う」と言い捨てられたんでは、話にもなんにもならん。

何か勘違いしているようだが、俺はスキナリズムを学ぶつもりはない。
その正当性を哲学レベルで検証しようとしているだけだ。
「まず自分と同じ前提に立て、誤解するな」
いつぞやの社会心理学崩れの1と全く同じ論法だな、こりゃ。

「スキナリアンでない奴にスキナリズムを批判する資格はない。
 だがスキナリアンはスキナリズムを批判することはない。」
無敵の論法なんだよ、議論に際しては。
知ってるか?
「いかなる議論においても決して論破されぬ者がいる。それは愚か者だ」。

自分の立場、自分の拠って立つ論点を簡潔に説明し、
なおかつ相手の立場と主張を読み取る理解力と論理構成力がなきゃあ、
まともな議論などできるはずもないのだが……
17575:02/03/08 19:04
>心理学の一般的定義

「マンガ心理学入門」の12、13ページを読め。
俺は別に特定の方法論を指して科学的とかどうとか言ってるわけじゃないぞ。
176SOS:02/03/08 20:27
解答になっていないんだが……。
バックグラウンドが違うと、質問の意味まで理解してもらえんのか?
まあもういいが……レスしてくれたことには御礼を述べておく。
>あなたの言いたいことは分かっています。
というのが、そもそもの誤解だな。

>認知系の「これ一冊で基礎から一通り」的なお勧めの本ってある?
ないです。(w
こればっかりはねぇ……俺は社会心理学・発達心理学・認知心理学の間に位置していて、
情報処理やらに興味があって、今現在は脳の勉強を始めた、っていう無秩序なことをやっている。
で、社会的認知に限定するならば、一冊最新の名著がある。『社会的認知の心理学』(ナカニシヤ出版)。
これはタジフェルやフェスティンガー以来、脈々と続いてきた認知的な考え方を取り入れた社会心理学の集大成、とでも言うべき本。
著者も一流(だと俺が思っている人たち)ばかりだし。
概論本で説明できるほど認知系の領域は狭くないし、個別に上げるときりが無い。
まあ、俺が言う程度のことは、上記の本と、あと発達心理学の言語系の本を一冊読んで、
柔軟に思考を膨らませれば理解できる程度のこと。

俺としては、最近ミラーニューロンに注目してるんだけど、まとまった著作が無くて鬱だ。
それについて何か知らん?
177SOS:02/03/08 20:47
>HSM
ヒューリスティック・システマティック・モデルの略。
社会的認知の分野で「認知処理の2過程モデル」と言えば、これとELM(聖地化可能性モデル)。
似たような理論なんだがね。
人間の思考には「自動的処理(H)」と「意識的処理(S)」がある、っていうモデル。
ある情報を分析しなければならない時、その分析結果について重大な関心がある時、
つまりまさに分析・処理することへの「動機」が高い時、人間はその情報をより詳しく分析するだろうから、Sの回路を情報が使われる。
で、どうでもいい時、Hの処理回路が使われる。
まあ、二つの回路のどちらを使うかは様々な要因によって変動すし、両回路の特性も様々言われているので、
詳細に書くと一ヶ論文が書けてしまう。
しかも最近は、どちらが重きをなすかが問題であって、基本的に2過程同時に走る。と言われているし。
直感的にも、それが正しそうだし、そういう実験結果も提出されてる。(前述の著書に詳しい)
そういうモデルのことデス。

>どうやってコンピュータに「認知処理」をさせるのだ?
これは大問題なんだよねー、実際。工学系のやつに言わせると、
「人間の情報処理体っていう側面に限定すれば、計算機と見なしていいだろ」ってなるんだけど。
さすがに節操の無い俺でも、この意見には躊躇するし。一応、心理屋だからね。
まあ、確かに擬似的なシュミレーションは成功していたりするので、認知処理の一側面の記述だって最初から思っておけば、
問題はないのかもしれないなぁ、とも思う。(Nowakって人がいるんだけど、この人のやった「自己知識の自己組織化」のシュミレーションは感動もの。)
処理様式の違いは、決定的だけどね。コンピュータは情報を時系列に沿って処理するけど、人間はそれに加えて時間を超越して同時に処理できたりする。
でも、左脳の言語的な処理だけをシュミレートしてるんだと思えば。
複数の処理系統して、上位のコンピュータで統制すれば、何とか近い処理様式は作れるかもしれないらしいし。
その辺りの脳機能に関するものは、現在勉強中。ついでにコンピュータにも強くなろうとあがいているけど、こちらは見込みが無い……(鬱
17875:02/03/08 20:47
経験から言うと、19の論の立て方は科学系より数学系に似てる。
自分が無条件で採用している公理を相対化して把握しておらず、
概念レベルでの思考、理解も必ずしも得意ではないタイプ。

そうはいっても以前数学者に論争を吹っ掛けた時には、
「お互いの対立点がどこにあるのか」
「自分達はそもそもどのような前提に立ち、どのような考え方をしてきたのか」
「自分と対立する主張をする相手(俺)はどんな前提でどう考えてるか」
一通り理解してくれた人がいたんだがな・・・(欝

>SOS
どーも。探してみるとする。「行動理論への招待」と一緒に。
ひー。聖地化だって。正しくは精緻化だ。(w
スマソ。
18075:02/03/08 21:00
>ミラーニューロン
残念ながら俺は「脳のメカニズム」をこれから読もうというところ。

ところで、「自動的処理」は必ずしも「どうでもいいとき」なのか?
いわゆる「脊髄反射」みたいな「緊急性の高い場合の行動」もそうじゃない?
あるいは「直感」、ひらめきと呼ばれるような、劇的に結論を導く思考とか。

まあ、本読んで勉強したほうがよさそうだけど。
181SOS:02/03/08 21:05
その通りだよ。>75
もう少し正確に書くと、認知資源に余裕がない時、或いは認知資源を使う気がない時に、H回路を利用する。
Sよりも精度は落ちるけど、スキーマなどを利用して一瞬で結論が出るから、
生態学的に安定した現実社会では、概ねその推論や分析は的を射ていることが多い。
けど、「偏見」に繋がることも多いから、少し問題があるんだけどね。

極端な話、死の危機が迫った時に見るという「走馬灯」が、H回路の究極だろうね。(w
18219:02/03/08 21:50
>>174
これ以上文句を言われないうちに・・・

冷静に読み返してみると、確かに俺の書込みには問題があったかと思います。
それで不愉快な思いをさせてしまったことはお詫びします。匿名性を盾に
攻撃的になるのは良くないですね。

>自分の立場、自分の拠って立つ論点を簡潔に説明し、
>なおかつ相手の立場と主張を読み取る理解力と論理構成力がなきゃあ、
>まともな議論などできるはずもないのだが……
これはごもっともです。

仕切り直しで、まずは75氏の主張を俺がちゃんと理解できているのか確認させ
て下さい。75氏の主張のポイントは「科学哲学レベルで徹底的行動主義を検証
している」だと思います。具体的に今まで話題に上がったのは以下のことかと
思います。

 命題1:あらゆる行動は、刺激と反応の関係により説明できる(>>145
  これに対する75氏の意見は、
 (1)スキナリアンは自分達がドグマティストであることに何故気付けない?
   (>>145)
 (2)刺激と反応の間には実は関数関係などは無いかもしれない。擬似的にそう
   見える部分があるだけで(>>149)。

 命題2:あらゆる行動は、環境により(学習により)決定される(>>159
  これに対する75氏の意見は、
 (3)徹底的行動主義者は今でもタブラ・ラサ、環境決定論を信じてるのか?
   (>>159)
 (4)環境と遺伝がどちらも重要なのは当たり前だが、遺伝の性質をどこまで
   認めるかというのは非常に重大な問題だ(>>170)
18319:02/03/08 21:52
あと、「科学的心理学」というのもありますが、これは定義の問題に過ぎす、
「科学的方法論」とは別物であるというのも納得できます。

以上で俺が理解できていないことがあったら指摘して下さい。

ただ1つ気になるのは、75氏が本当に主張したいことは上記の(1)-(4)では
なく、もっと他に何かあるのではないかということです。それは俺が読み取れ
なかったのか、それともまだ説明がなされていないのかはわかりませんが、
もしあるのであれば、それを説明してもらえるとありがたいです。

それからワトソンに関しては、徹底的行動主義を論じるのにそれほど重要では
無いように思えますし、俺もしっかりと説明するのに骨が折れるので、ここで
はあまり触れないということでいいですか?少しだけ説明をすると、ワトソン
の後期はやや硬化してしまい、>>169で槍玉に挙げられるようなことをしている
ことは事実です。それからワトソンは「反応は刺激により誘発される」という、
いわゆるS-R行動主義を唱えています。

今度こそ、今日はここまでにします。
18475:02/03/08 22:19
俺の本音?
「刺激は認知処理との間に関係を持つ」
「認知処理は行動との間に関係を持つ」
「刺激と行動の因果関係は直接的なものではない」
「刺激と行動の間の関数関係は、中間過程を無視しているため
 擬似的にしか記述できず、現実場面においてイレギュラーが生じる」
「ただし、認知処理プロセスそれ自体は、観察不可能である」。
「よって人間の行動予測も擬似的なものでしか有り得ない」。

〜のではないか、と、こんな感じ。行動主義理論を最初に習って以来の疑問。
18575:02/03/08 22:24
だけど、その「観測不可能」な認知処理プロセスの中で何が起こっているか、
情報処理方式にどのような傾向があるかを実験データから検証すれば、
「環境と行動の因果関係」だけで見ていくよりも、
もちろん完全ではないがある程度大きな枠組みでの行動予測が可能になる。

これが認知心理学というものだと思ってるが、OK?>SOS氏
18675:02/03/08 22:28
徹底的行動主義は「言語行動≒認知」という立場らしいが、
それについては非常に疑問だ。
もちろん言語行動も認知処理プロセスの一つだが、
認知処理過程の中には、言語に依存しない段階、
先ほどあがった「自動的処理」というものも含まれる。

メタ概念の存在、記憶野における情報処理過程など、
記述も説明も不可能な部分が多すぎる。
18775:02/03/08 22:36
ワトソンだが、ワトソン自体の主張は化石だからまあどうでもいいんだけど、
「ワトソンの主張であって、スキナーは否定したもの」の中で、
スキナリアンでもなければ区別が分からないようなもの、つーのがあるわけよ。
SOS氏も言ってたけど、部外者はごく大まかなところしか知らないから。

それの区別がつけられない限り、
こちらが的外れなスキナリズム批判を続ける可能性は残る。

S-R行動主義に対して、スキナーがオペラント条件付けを唱えたくらいは分かるが、
環境を調節することで個体の行動を統制できるという立場には違いがないように見えるが。
188SOS:02/03/08 23:19
>>184>>185
大枠はそれでグッドジョブです。(・∀・)イイ!!
より進めるならば、行動とは、刺激を認知的に処理した結果の一つであるにすぎず、人間の活動のごく一部であるに過ぎない。
ヴント批判から生まれた当初の心理学は、当時の様々な状況(科学技術のレベルなど)を鑑みるに、
直接観察可能な「行動」に研究対象を絞った(と俺は考えている)。それは当時としては正しい選択だった。
しかし、コンピュータの爆発的発達、或いは光トポグラフィ法の開発、などなどの諸要因が揃った現在、
表出されない内的な過程に(擬似的にであれ)メスを入れることが可能となったので、
より精度の高い「人間に近きもの」を模索しても良いだろう、というのが俺の意見であり、認知系のスタンスだと思っている。

極端な話、仮説を立てる。それに対する反証可能性を「模索」する。(←この意味が理解してもらえなかったようだね)
で、模索して得られた方法で、仮説の説明力を検証する。(反証可能性がないものは破棄。)
これを繰り返し、おかしいところが出てくれば、理論を修正する。(オッカムで無駄な部分を削り、必要な部分は付け足す。)
つまり、一定の研究方法や主義なんてものは、認知系には存在しない。
様々な科学的基準と様々な科学的方法論で多角的に検証して、最も強い理論を残す。
結果として、その理論は最も広汎な範囲を説明する理論となる。
189つまり。:02/03/08 23:37
>最後にまとめとして、「言語の獲得」などという大問題を、そう簡単に説明できる
>とは思えません。単純な理論分析などならできますが、そんないいかげんなことは
>慎むべきだというのが俺の考えです。
無節操と言われるかもしれんし、無責任と言われるかもしれんが、良い意味にとってもらえるならば、
認知系や社会系はフロンティア精神に満ち溢れている。もちろん古い部分もあるが、基本的に柔らかい分野だ。
「いいかげんなこと」の積み重ねとして、理論は洗練されていく。
初めから正解に辿り着けるとは思っていないし、完璧な答えが最終的に得られる、とも思っていない。
けど、慎むことはしない。思いつきで議論もするし、思いつきで軽く調査的な実験をしてみたりもする。
その姿勢は間違いや失敗も多く堕胎したけど、より多くの「新しいこと」を発見した、と自負しているしな。

でだな、話のついでにカキコしておくが、
>どこまでが生得的で、どこまでがそうでないのかということ
それが重要との仰せだが、まさにその通りだ。
で、俺が聞いたのは、行動主義ではどこまでを生得的と捉えているのか、ということを聞いたつもりなんだがな。
より端的には、行動主義は「制約」を認めるのか認めないのか。
もし認めないとしたら、我々が「制約」だと説明するそれを、どのように行動主義は説明するのか。
もし認めるなら、どうしてそれを「動機」と呼んではいけないのか。
主義主張(個人の嗜好)以上の意味が、その否定の中に含まれているのか?

まあ、生成性についても少し誤解があるようだが、大過なさそうなのでこのままにしておくが、
般化なんてのは何かのS−Rの学習過程を経たものではなく、既にある知識(学習によって得られたもの)を認知的に広げる過程だと、
俺などには見えるのだがな。つまり、行動主義が忌避する(ことと思う)認知過程を説明体系の中に取り入れいている、と俺などには見えてしまう。
19019:02/03/09 21:58
>>184
>俺の本音?
ご提示ありがとうございます。

返答をする前に、誤解があると困るので確認させて下さい。

>認知(もしくは認知処理)
どのように定義しているのでしょうか。ここでずれるとその後ひたすらずれ
続ける可能性があるので、ここでの議論で限定のもので結構ですので、定義
をしてもらえますでしょうか。別にかっちりしたものでなくていいです。

>現実場面においてイレギュラーが生じる
これをもう少し説明してもらっていいでしょうか。これだけでは75氏の主張を
誤解する可能性が大ですので。

現実場面とは、実験以外で変数の統制がかっちり取れていない状態を言っている
のでしょうか、それとも理論以外という意味なのでしょうか。あるいはどちらでも
ないのでしょうか。それからイレギュラーがどの程度の頻度で生じると考えている
のでしょうか(常に/多い/少ない)。

これらによって俺の解答が変わりますので、返答をお願いします。

>>185
>情報処理方式にどのような傾向があるかを実験データから検証すれば、
インプットである刺激(環境)、アウトプットである反応を考慮することなし
に、実験において情報処理方式の検証を行うことは可能だと思いますか?
19119:02/03/09 22:03
>>186
>徹底的行動主義は「言語行動≒認知」という立場らしいが、
>それについては非常に疑問だ。
こういう議論を、用語の明確な定義なしで行うのは誤解が生じる可能性が高い
ので、これも定義待ちです。ちなみに、徹底的行動主義では専門用語として
「認知」という言葉は使われていないと思います。

>>187
>S-R行動主義に対して、スキナーがオペラント条件付けを唱えたくらいは分かる
>が、環境を調節することで個体の行動を統制できるという立場には違いがない
>ように見えるが。
ひとまずは、徹底的行動主義の方法論について話を絞りたいので、詳細の説明は
ここではしませんが、必要とあれば説明します。

ここでは、スキナーは「レスポンデント(古典的)条件づけ」と「オペラント
条件づけ」の2本柱を有機体(ヒトだけでなく)の「学習」の原理として立てて
いて、それ以外の生得的に生じうる行動(反射反応、本能的反応、フリーオペラ
ントと呼ばれる明確な誘発刺激がなくても生起する反応、など)と区別してる、
という説明に留めておきます。

ちなみにここでいう「学習」とは、「固体の経験の結果によって生じる変容の
過程、ならびにその産物」、というような意味で使っています。
19219:02/03/09 22:04
>>189
>「いいかげんなこと」の積み重ねとして、理論は洗練されていく。
俺も内部では思い付きレベルの話をしょっちゅうやっていますが、他の分野の
人と話す時は、そういうことは慎むというのが俺の考えです。

>より端的には、行動主義は「制約」を認めるのか認めないのか。
上の方を読んでもらえれば分かるとは思いますが、行動主義では諸々の生得的な
制約を重要視し、それが行動に与える影響と言うものを考えます。実際にそのよ
うな実験があるかは分かりませんが、いわゆる「認知的制約」も当然考慮すべき
ものだと思います。

>もし認めるなら、どうしてそれを「動機」と呼んではいけないのか。
いろいろ考えてみたのですが、どうしても>>67でも書いているように、認知的制約
→動機の関連が見えません。すいませんが、定義と説明をお願いできませんか?

>まあ、生成性についても少し誤解があるようだが、大過なさそうなのでこの
>ままにしておくが、
これは後学のために説明してもらえるとありがたいです。

>行動主義が忌避する(ことと思う)認知過程を説明体系の中に取り入れいている、
>と俺などには見えてしまう。
「般化」というのは「弁別」の失敗であり、かつ現象に過ぎません。詳細はこれを。
 ttp://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1005233144/762
もちろん、般化が生じた時に脳内で何が起こっているかというのは別の話です。


今日はこれ以上はレスできないと思います。
193SOS:02/03/09 23:00
認知的制約ってのは、上に書いたが、要するに行動主義風(?)に「刺激」って言葉を使って言えば、
「刺激に対する先天的な嗜好性」だ。これは分かるか? 分かったとして、先に進める。

「刺激に対する先天的な嗜好性」ってのは、ある刺激に対する処理を優先的にする傾向であって、
これがそもそも動機だと言えると思うし言ってるんだが、この際は議論の中心たる「原因帰属への動機」に話を絞る。
その嗜好性の一つに、「物事には原因が存在する」っていう認知的制約があると言われている。
赤ちゃんが原因の探索行動などを傍証としているわけだが、これがあると確かに発達にとっては有利だ。
進化論的に(系統発生として)発達してきた、ってのは、俺にとっては納得のいく説明なんだがな。
194SOS:02/03/09 23:09
赤ちゃんが原因の探索行動 → 赤ちゃんがする原因の探索行動

「失敗」ねぇ……俺にとっては「発達の成功」だ。
これなど、現象を解釈してるようにしか見えんし、それこそまさに俺などが初歩としてやってることなんだがなぁ。
そこからもう一歩進むところに、認知系の面白みがあるんだがね。
195SOS:02/03/09 23:17
まあもうこれ以上はいいか。議論になっちまいそうだ。
どっかに議論と書いてしまったような気もするしな。
とりあえず、そういう分野があって、一定の成果も収めていて、
それなりの科学的基準とやらで検証も行っていて、
ついでに言うなら、行動主義が採用している「科学的基準」とやらも絶対的なものではなく、
科学哲学それ自体が、極端な話、個人の嗜好にすぎない、ってことも覚えておいてくれると幸いだ。
何をもって科学とするか、ってのは、分野と目的による、ってことだ。
あえて科学の必要条件を挙げるとしたら、「自分が採用している科学的定義や仮説に対して、常に“疑う”態度を捨てないこと」。
デカイ口で、あえて化石と俺が言う人たちの短所を挙げるとしたら、(俺はお前さんのことをよく知らんので、真実「化石」なのかどうは知らんが)
その「方法的懐疑」を往々にして捨て去っているところだな。
以上の「独り言」を、どういう意味で取るかは、あなたに任せる。

フー( ´ー`)y-~~{ 人生の間もなく休暇終了。明後日からは多忙だ……(鬱
19675:02/03/10 00:28
さすがに自分で勝手に定義を語る気はしないので
「認知は感覚器に入力された情報が変換、整理・単純化され、表現を与えられ、
記憶に貯蔵され、必要に応じて再生、利用される全ての過程と関係する」「外界
から関連情報が入力することなしに起きる心像(心的イメージ)や厳格も同様に
認知に関係する」(Neisser,U.1967)


19719:02/03/10 19:03
>>193
>認知的制約→動機の関連
イメージとしてはなんとなく分かったような気がします。説明ありがとうござ
います。

で、以前の質問の
 >もし認めるなら、どうしてそれを「動機」と呼んではいけないのか。
に答えると、別に「動機」と呼ぶのは別に問題ないと思います。もちろん行動
主義では「刺激に対する先天的な嗜好性」と呼ぶことを好みますが。

>その嗜好性の一つに、「物事には原因が存在する」っていう認知的制約がある
これはそう断言するだけの根拠があるのですか?もしこれを他の研究の発展の
ための仮決め的な前提としているとしたら、俺であれば、まずはこの命題に取り
組みます。これは簡単に仮決め出来るような問題だとは思えませんから。

>と言われている。赤ちゃんが原因の探索行動などを傍証としているわけだが、
>これがあると確かに発達にとっては有利だ。進化論的に(系統発生として)発達
>してきた、ってのは、俺にとっては納得のいく説明なんだがな。
納得はいきますが、それが正しいかどうかは別問題なのでは、などと俺は疑って
しまいます。
19819:02/03/10 19:04
>>194
>「失敗」ねぇ……俺にとっては「発達の成功」だ。
失敗と言うと確かにネガティブな意味がありますが、これは特に価値判断を
含むものではありません。弁別の失敗は般化であり(厳密にはこれだけではあり
ませんが)、般化の失敗は弁別です。どちらの側面から見るか、というだけの
ことです。

行動主義の次のステップは、どういった場面では般化・弁別が生じ、どういった
場面では生じにくいのか、どういった刺激であれば生じやすく、どういった刺激
であれば生じにくいのか、などなどです。般化・弁別というのは、それが生じた/
生じない現象を見て説明することは簡単ですが、それらのメカニズムまでが単純
ということではありません。

>「自分が採用している科学的定義や仮説に対して、常に“疑う”態度を捨て
>ないこと」。
SOS氏のやり方を非難するつもりはありませんが、俺は自分の直感はもちろん非常
に重要視しますが、それだけに全てを任せるつもりはありません。また、将来的
なことを考えたら、一度は科学のドグマにどっぷりとつかることが必要だと考えて
います。でも、仰せの通り「“疑う”態度を捨てない」ことは重要だと思います。
ただし、他分野の人と話をする時は、思いっきり行動主義のドグマをぶつけます。
19919:02/03/10 19:05
>>196
俺は「認知」=「情報処理過程」というように考えていたのですが、これは
やっぱり違いますか?
20075:02/03/10 22:20
>19
ナイサーの説明は要するに「認知は情報の処理の様々な過程に関与する」ということだと思うが。
それより、あんたにとっての「科学のドグマ」って、なに?
201:02/03/10 23:51
どうも話が非常に難しく、何をカキコすればいいかわかりませんが…。
ともかく心理学に従事するものの持つ科学に対する信念というものを非常に強く感じます。
数学や物理など他の理系に比べても、心理学ほど使われる用語、概念の定義、方法論
についてしっかりしている学問はないと思います。
理系のように教授の捨て駒として、いわれるがままにしておけばいいというわけでは
ないですからね。
それに科学者の態度というものはこうあるべきだ、というものはないと思います。
「疑う態度は捨てない」「思考停止は人生停止」のように最低限必要なことはありますが。
202:02/03/10 23:58
とりあえず、
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1014429672/l50
行動心理学について
スキナーのいう行動主義は徹底的行動主義であり、
その他は方法論的行動主義に分かれます。
方法論的行動主義はさらに細分化されています。
ここで、ワトソンは何主義かといわれると、行動主義の流れの
源流に当たるのではないかと思われます。(最初はソーンダイクだけど)

ワトソン=スキナーでは断じてないのですが、
「ワトソンの主張であって、スキナーは否定したもの」ということについて
説明できなければ、誤解が解けないままだと思いますので、
自分なりに調べてみます。
203:02/03/11 00:05
>スキナーのドグマは打ち砕かれる。背理法によってな。
懐疑主義ですか。徹底的行動主義の人間はこれを踏まえた
発言をしない人が多いのでしょうか?
確かに行動主義者は実験屋か臨床屋の2種類しかおらず、
理論的な人間が少ないことが、ただスキナーを追従するに終始すると
いわれる点なのかもしれません。
言語行動について考える時痛切に感じます。
あれをもっとわかりやすい形に記述できないものなのでしょうか
20435:02/03/11 02:19
>SOSさん
視覚的な刺激は生得的好子と言われてますから、
赤ちゃんが音をした方を見るのは、
音を弁別刺激として右みたり左みたりするのが強化されたと行動分析では考えると
思います。
そんでもって原因帰属への動機ってのはたぶん言語行動が関わっているのでは無いかと。

自分も難しい話は嫌いなのでちょっとだけ。
205SOS:02/03/11 03:22
上がってるじゃないか! 下でこっそりやってたのに……シクシク。

>生得的好子
制約だな。これをもって、俺は主義主著、個人の嗜好、研究目的の違いに過ぎない、って言ってたんだが。
結局同じ現象を方法で、それぞれの分野に適した説明しているだけ。
そう思わんか?>ALL

>19氏
でだな、まったく話題を変えて申し訳ないが、風呂入りながらふと思った。
行動主義的に、「動機」を学習するってことは考えられないのか?
行動主義を知らん素人の戯言かもしれんが。(用語の使い方とかよくわからん……。)
つまり、「ある現象の発生→原因の発見」って強化を、我々は概ね生まれた時から経験している。
で、理論はどうあれ、我々は反射的に「物事には何らかの原因がある」って考えるだろ?
どこかにその原因を帰属させたがる、って傾向も、経験的に頷けると思う。
こうすれば、行動主義が忌避することと思う「原因帰属への動機」も、学習によって説明できてしまう、と思えたんだが。
「原因がある」っていうのは上位の概念で、個別的に分解して他の「原因の探索と帰属」も説明できてしまいそうな気がするが。

こうなってくると、ますます嗜好の違いってことになる、と思うんだが。
俺はあくまで、先天的なものだと思っているが、現実問題としてはどっちでもいい。説明できさえすれば。
論証としては、「原因探索行動」。端的には、204でも取り上げてくれている「音の例」など。
何か世界に変化があった時、赤ちゃんは不安げな表情を見せ、辺りを探索するらしい。
その行動をどう「解釈」するかは、目的と主義による、と俺は思うんだが。
専門ではないので、もっと多くの具体例を、と言われると困ってしまうのだが、調べれば出てくると思う。
興味があれば調べてみてほしい。俺も具体例は知りたい。

ちなみに、あなたの「認知」に関するイメージは、良い悪いは別にして、少し狭義にすぎると思う。
「処理」は中心的な命題だが、それだけに限定されると少し寂しい。
20635:02/03/11 05:03
ちなみにさげでも読んでましたよん>SOSさん。
20775:02/03/11 16:22
俺は「抑圧」もアンアクセサブルな記憶領域における認知処理の一種だと思う。
なんて言うと叩かれるかしら。
208SOS:02/03/11 16:46
accesibleのこと?
「抑圧」ねぇ……フロイトと聞くだけで鬱になるのは、一種の条件付け?

というか、右脳左脳スレにカキコしながら思ったんだが、
19氏は「どこまでが先天的で、どこからが後天的か」という問題の立て方をしていたように覚えているが、
それに加えて、「いつまでが先天的で、いつからが後天的か」という問題の捉え方が良いのかも。時系列的に。
俺は動機がある種の先天性によるものだと思っているが、何だか学習もできそうだし、
しかも下位に位置する様々な動機は、場面ごとに学習されていると考える方が自然なわけで。
本能行動が随意行動に取って代わられるように、認知的な機能も先天的で自動的な「制約」から、
後天的で半意識的な(内在化され、普段は意識されないにしても)「認知・行動システム」へと変化してそうだ。
つまり、先天的な特質の一部は、後天的に環境から与えられた特性によって置き換わる、という。
そこで先天的な特質は、発達に対して一定のベクトルを与える。連続的発達過程も、これで説明できるな。
学習のされ方を規定している、と考えるならば、行動主義と認知系の中間になるんかな?
(作業しながら考え中……)

って、これも思いつきで適当なことを書いているだけだで、無責任と言われればそれまでだが。
209つまり。:02/03/11 17:07
@最も低次なものは、先天的に決定されていて、

A次に低次なものは、先天的な要因によって「何がどのように学習されるか」があらかじめ(ある意味で先天的に)決定されていて、
 当初は代価物として先天的にあった能力が消失して、後天的に獲得された能力と置き換わり、(「いつ」そうなるかが重要)

Bやや高次なものは、先天的で潜在的な資質に対して、適切な時期に適切な刺激を与えることで、
 先天的には全くなかった能力が、ほぼ完全な意味で後天的に「開発」されて、

Cもっと高次なものは、先天的な制約がないところで「学習される」のではないか、と。

「動機」がどの段階に当たるのかは、解釈と定義次第だけど、俺は@とAの中間だと思っているし。
つまり、……あれ? 何が言いたかったんだが忘れてしまった。(鬱
作業に戻るか。夜また考えよ。
210:02/03/11 22:18
>俺は「抑圧」もアンアクセサブルな記憶領域における認知処理の一種だと思う。
>なんて言うと叩かれるかしら
いえ、いろんな意見が飛び交う方が面白いですし、筋の通ったことしか
言えない状況は、創造性を潰すことになるのではと思います。
ブレインストリーミングをするときは、批判しないでとにかく多くの意見を出すことが重要です。
たしか。
21119:02/03/11 22:18
>>200
>ナイサーの説明は要するに「認知は情報の処理の様々な過程に関与する」という
>ことだと思うが。
>>199はちょっと説明不足でした。俺のイメージは、狭義の認知=情報処理過程で、
これが現在の認知科学の研究の主流の1つとなっている(違ったら言って下さい)
という感じだったのですが、75氏の定義ではこれはしっくりこないですか?という
意味です。

>それより、あんたにとっての「科学のドグマ」って、なに?
それ程「ドグマ」という言葉に意味は無いのですが、あえて言えば、反証可能性と
再現性をベースに、俺の「認知の歪み」を加えたものです。反メンタリズムでも
いいです。

もう話題が他のものに移り気味ですが、もし>>184の話を続けるのであれば、>>190
 >現実場面とは、実験以外で変数の統制がかっちり取れていない状態を言っている
 >のでしょうか、それとも理論以外という意味なのでしょうか。あるいはどちらでも
 >ないのでしょうか。それからイレギュラーがどの程度の頻度で生じると考えている
 >のでしょうか(常に/多い/少ない)。
に答えてもらえますでしょうか。

>>SOS氏
今日はちょっとてんぱっているので、明日レスします。
212SOS:02/03/12 08:37
別に無理してレスしてくれんでも構わんゾ?>19氏
俺もそろそろ、多忙を極めだしてきたからな。
メモ帳の代わりに、小休止中にちょこちょこっと思い付きを書いただけだし。
ふー、深夜バイト明けで鬱だ。昼間で寝るべ。
21319:02/03/12 21:55
>>205
>>生得的好子
>制約だな。これをもって、俺は主義主著、個人の嗜好、研究目的の違いに過ぎ
>ない、って言ってたんだが。結局同じ現象を方法で、それぞれの分野に適した
>説明しているだけ。
おそらく、「生得性好子」は「認知的制約」と関連するものの一例に過ぎないの
ではないかと思います。つまり、全ての「認知的制約」に「生得性好子」が関連
する訳ではなく、また、全ての「生得性好子」が「認知的制約」に関連している
訳ではないのかと思います。

それから、これは前から聞きたかったのですが、認知科学のいう「選択的注意」と
SOS氏の言う「認知的制約」の関係はどんなもんですか?

>「原因帰属への動機」も、学習によって説明できてしまう、と思えたんだが。
原因を探索する(帰属させようとする)「言語行動」ってなものを考えれば、恐ら
くそれは「学習」によるものでしょう。単純な言い方をすれば、原因を考える、口
にするということです。

しかし、「原因の帰属」という概念(行動ではなく)は、俺個人はメタファーなの
ではないかと思います。少なくとも現状では。

>204でも取り上げてくれている「音の例」など。
赤ちゃんの音のした方を振り向くという行動は、恐らく生得的な「定位反応」では
ないかと思います。例えば、動物に新しい視覚刺激や音を提示すると、いったん活動
を止めて、その刺激の方に向きますよね。これと同じではないかと思います。

この反応が「学習」によるものではないことを確認するには、その刺激を繰り返し
提示して、その反応の強度が減少する現象、すなわち「馴化」(簡単に言うと慣れ)
が生じるかどうか、そして時間が経つとまた元に戻るか、を見ればいいと思います。
21419:02/03/12 22:00
>>208
>「抑圧」ねぇ……フロイトと聞くだけで鬱になるのは、一種の条件付け?
レスポンデント(古典的)条件づけです。たぶん。

>>209
まあ、多少の用語に関しては違いはありますが、基本的な考えには同意です。

ちょっと付け加えるとしたら、「先天」→「後天」とシフトするものもあれば、
同じ反応が、場合によって「先天」と「後天」のどちらかで(あるいは両方で)
コントロールされる場合もあり、さらには、先天的なもので、時間の経過と共に
なくなってしまうものもあります。例えば、大人が赤ちゃんの手のひらに指を
置くとそれを握り返すという反射反応は、成長と共に消えてしまいます。
215SOS:02/03/14 01:24
二日連続の徹夜は、さすがに鬱だ……

選択的注意というと、カクテルパーティー効果とかか?
あれは普通、アクセシビリティ(accesiblity)の差で説明されるが。
注意と一言で言っても、色々な水準があるからなぁ……
けど認知的な制約も、一種の原初的な選択的注意と言えないこともないだろうな。
より低次の注意に関しては制約で、乳児期は高次の処理が行えない。
高次の注意に関しては、制約によって方向付けられた後天的な学習の結果、と言えるかもしれない。
カクテルパーティー効果なんて、最も高次な処理の一つで、ほぼ完全に後天的なもんだろう。

関係をまとめるとなると難しいが、
選択的注意っていう大きなカテゴリーがあって、その低次にして原初的な部分が「制約」と言えるかもしれない。
あ゛、ageちゃった……(鬱
21719:02/03/14 18:52
>>215
説明どうもありがとうございます。

選択的注意には、先天的なもの・後天的なもの両方あり、先天的(原初的)な
選択的注意と認知的制約が関連があると。

で、選択的注意の実験では、刺激に対する反応を見るのが一般的かと思うの
ですが、認知的制約の実験はいかがなもんなんでしょう?

質問ばかりですいません。
218SOS:02/03/15 07:50
さて……発達臨床マンセーな俺の某友人に聞けば、かなり高等な解答が望めるんだが、
俺はそっちの専門じゃないからなぁ……。

基本的には同じだよ。刺激に対する反応を見る。
俺も多くの実験例を知ってるわけじゃないが、一つ最も有名な例を上げるとするなら、「顔」の注視。
丸く切り取った紙に、@白紙、Aデタラメな模様、B顔(目鼻口などを書いた奴)に対する、
新生児の注視時間を測定する。
すると、見事に@<A<Bになるそうだ。ファンツだったかな、実験者は(正確ではないので、そのつもりで)。
つまりここから推測されることは、おそらくは先天的に人は「顔」っぽい刺激を好む。これは認知的な嗜好性、つまり制約。

で、更には顔のパーツをデタラメに並べたものと、ちゃんと定位置に並べたものの比較では、
新生児では注視時間に差はないそうだ。つまり、赤ちゃんには認知的統合機能は備わっていない。
部分は認知できるが、全体としての意味付けができない。(ま、当たり前だな。概念などは明らかに後天性だから。)
これらの意味統合活動は主にウェルニッケ野でやる。で、ウェルニッケは、ご存知かと思うが、感覚性の言語野だ。
ここに損傷を受けると、眼鏡を見て自転車と答えたりする。丸と棒っていう部分把握しかできず、全体の意味把握ができない。
で、言語的な概念が何とか形成され始めるのが生後6ヶ月〜1年(これは定義によって異説が様々あるが)。
それと同時に、つまりウェルニッケ野がある程度の発達を終えると、デタラメ顔と定位置顔の注視時間に差が出始めるそうだ。
つまり、これは後天的な選択的注意。概念の駆動が必要条件となる認知に関しては、後天的と言えるんだろうな。
それ以外が、制約と呼ばれる先天的な選択的注意。けど、「顔認知」なんかは明らかに制約の影響を強く受けている。
これをもって、制約の発達に対する方向付け、と一般的には言っているんだと思うが。
219SOS:02/03/15 08:00
要するに、人間ってのはある程度、世界の「部品」を持って生まれる。
それをどう組み立てるのかは後天性と言ってしまっても良いが、
基本的な部分は設計図が既にあって、その通りに作られる(←制約の発達誘導)。
よほど劣悪な(特殊な)環境でないかぎりは。(狼少年などは、その典型例だな)
そういう意味で、予定運命的な先天性、とも言えるかもしれない。
それこそ定義の問題だな。俺にとっちゃ、先天−後天どちらかって問題は重要じゃない。
絶対に決着がつかんだろうな。
分かっているのは、人は遺伝的素因と環境のダイナミクスの中で、
人格とか性格とか言われるような認知的な面での個性を形成していく。
で、形成が終わると、今度はその認知的な個性と環境のダイナミクスの中で、様々な内的な現象が起こる。
抑鬱なんてのは、その典型だな。
220名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/16 12:31
age
22119:02/03/16 19:44
レスが遅くなりましてすいません。

もう他の話題になっていますが、一応75氏>>184当てのレス。

SOS氏も>>218
 >基本的には同じだよ。刺激に対する反応を見る。
と言っているように、方法論的行動主義に立脚する認知科学でも、刺激と反応
の関係というのを考慮しています。「擬似的だ」との疑いはあるのかもしれま
せんが、少なくとも外的変数をしっかりコントロールした環境において得られた
実験の結果は、全ての変数が同定されていない可能性は残るにしても、擬似的
以上のものは表しているのではないかと思います。

それに、環境からの刺激と有機体の反応の間の関数関係が擬似的であると仮定
したとしても、その擬似的な関数関係をもとに環境に適応し、生存してきた
有機体が存在するという事実をどのように捉えるかの疑問は残ります。

それからこれは俺の私見ですが、あらゆる有機体(あるいはその一部)は、イン
プットによりアウトプットが特定されるという意味で、システムと考えていいの
ではないかと思います。そのシステム内のメカニズムの解明に注力するのが認知
科学のアプローチであり、そのシステムの動作の解明に注力するのが徹底的行動
主義のアプローチなのではないかと思います。もちろんヒトの場合は、インプット
とアウトプットは恐ろしく複雑で、そう簡単に単純化できるものではない、とは
思いますが。

それから、インプットといっても、それは外部の環境からのものだけではなく、
有機体の内部から生じるものもある(そういう意味ではインプットなしで生じる
アウトプットもある)と俺は考えています。
22219:02/03/16 19:45
>>218、219
説明どうもありがとうございます。

>おそらくは先天的に人は「顔」っぽい刺激を好む。
ヒトが高度な抽象化能力を持っていることは間違いありませんが、ヒトが顔っ
ぽい刺激を好むことが、先天的かどうかには俺はちょっと疑問があります。

ファンツの実験に参加した新生児が生後どれくらいだったのかは知りませんが、
恐らくは生まれた直後に実験に参加した訳ではないと思うので、実験に参加する
前に、人の顔が近くにある時にミルクをもらった、などという経験をしている
可能性は高いと思います。であれば、この経験が顔の注視に影響を与えている
(親の顔などを注視するという反応が、紙の上の顔の絵に対して般化した)、
つまりはヒトが顔っぽい刺激を好むのは先天的ではない、という可能性は残り
ます。

ただし、ヒトに限らず言語を持たない動物ですら、概念形成能力を持ちうる
ことは示されています。「自然カテゴリー」と呼ばれているものです。具体的
には、ハトなんかでも、葉っぱの有無や葉の色の違いなどがあっても、木という
カテゴリーを正確に弁別することが可能であることが示されています。そして
その弁別は、新規の刺激に対しても同様に示されています。

要は何が言いたいかというと、概念形成能力は先天的なものであると思われるが、
どのようなカテゴリーに対して概念形成がなされるのかについて、そしてどこまで
がヒトに固有な能力なのかについては、まだまだ分からないことがたくさんある
ということです。

>分かっているのは、人は遺伝的素因と環境のダイナミクスの中で、
>人格とか性格とか言われるような認知的な面での個性を形成していく。
これには同意です。
223SOS:02/03/17 01:52
科学者である以上、100%とか言い切りたくはないが、
>経験が顔の注視に影響を与えている
というのは、ほぼ否定できる。
注視が起きる必要条件に、当然ながら「ある程度は目が見えていて、首や頭或いは眼球との協応ができる」というものがあるだろ?
だから生まれて直後にするわけにはいかない。見えてないし、頭も動かせないから。
で、これは同時に学習の必要条件でもある。
それらが駆動し始めるのは生後3日〜5日。ファンツがサンプルとして使用したのは、確か生後5日の赤ちゃん。
「顔」の学習が始まる前の段階だ。
しかも、顔が学習されているとしたら、デタラメ顔と定位置顔の間に差が出てしかるべきだろうし、
「白」や「デタラメ模様(実際の実験では何種類かあったと思う)」を学習している確率が、同程度あるとして良いと思われる。
それに俺の行動主義のタームの理解が正しいかどうか、甚だ怪しいものだが(w)、
般化が起こるに必要な認知的な機能は、まだこの段階では発達していない。もっと後の話。
前頭葉(おそらく左側)の働きだったかな? まだ脳は勉強を始めたばかりなんだが、この時期はほとんど前頭葉は動いていない。
もっとも、低次の知覚機能に関してはそうじゃないかもしれないし、そこまで勉強できていないので断言はしないが。
224SOS:02/03/17 02:18
>要は何が言いたいかというと、概念形成能力は先天的なものであると思われるが、
>どのようなカテゴリーに対して概念形成がなされるのかについて、そしてどこまで
>がヒトに固有な能力なのかについては、まだまだ分からないことがたくさんある
>ということです。

分からないことは多いな。
まあ、分からないことがなくなったら、研究する必要がなくなって鬱なんだが。(w
しかし、先行研究などから制約の存在のその誘導性はある、と俺は思っている。
で、何度も言ってしつこいかもしれんが、俺はそこの段階で十分だと思っている。
つまり、極端な話、システムの中身(ブラックボックス)が説明できるかどうか。

人間の能力的な限界として、「真実」なんてものには絶対に到達できない。
だからより「真実」に近い擬似的な説明体系を構築せんとしているのが、「科学」だと思っている。
説明できるという未来の予想における功利性を確保できるなら、それは即ち科学だ、という認識だが。
まあ、科学哲学のセンセなんかに言わせると、性急な議論で危険だ、ということになるらしいが。(w
どちらにせよ、行動主義にしろ認知科学にしろ、或いは物理学にしろ、擬似であることを免れることはできにない。
それぞれの特性を活かして研究をして、知見を交換し合うしかないと思っているんだが……
どうも同年代のスキナリアン運(w)が悪いのか、方法論からして否定され、交換も何もできない、というのが多くてな。
何というか、自分のやってることが唯一であって、擬似であるなんてことは一切考えない。いわゆる「化石」。
まあ、そっちから見たらこっちにも「化石」はいるのかもしれんが。

で、行動主義の特性っていうのは、厳密に刺激と反応の関係を見る、つまり「ある状況下」でのシステムの動作を解明すること。
これは「ある状況下」「刺激の種類」(場面)っていうのを厳密に定義するから、その範囲においては強力な説明力がある。
これをもって、遥か上の方で「場面限定」と言っていたんだが。
あらかじめ操作的定義で場面を区切ってやるから、厳密性が保たれて、だからこそ「療法」への応用がしやすい。

で、認知科学っていうのは、場面を限定しない。あらゆる場面で駆動しているシステムのメカニズムってやつを模索する。
パソとかでも、windowsっていうシステムがいつも安定して駆動してるのであって、いきなりMacになったりはしない。
完全なシステム全体像が記述できる、とは思っていないしできもしないのは確実だが、
認知科学がやってるのは、おそらく行動主義がやるのよりも遥かに(善悪は別にして)場面限定性が緩い。
だから「より多くのことを説明できる」ことが重要になるし、場合によってはさほど操作的定義に厳密性を持たせる必要もない。
そういうことをやってるんじゃないんだから。
たった一つの前提、「人間は常に、全体として同じシステムによって動いている」ってのを認めた時に、認知科学のやってることが理解できると思うんだが。

行動主義がボトムアップ・アプローチなら、認知科学はトップダウン・アプローチだと俺は思っている。
225SOS:02/03/17 07:52
うーむ、結局仮眠だけで徹夜してしまった……(鬱

読み返して意味不明な箇所があったんだが、
>ヒトが高度な抽象化能力を持っていることは間違いありませんが
ってのが、何を意図して「抽象化能力」って言ってるのか分からん。
赤ちゃんは抽象化能力は持っていない、ってのが通説であり、おそらくは正しい説でもあるんだが。
発達心理系から見ると、抽象化能力ってのはいわゆる形式的操作に他ならないんだが……。
それは小学生高学年〜中学生にかけて、ようやく完成される能力。
22619:02/03/17 21:42
>>SOS氏
今日はちょっとレスできないので、また明日レスします。すいません。

>>218
これにはすぐに答えられるので、これにだけレスをします。

俺が考えていた抽象化というのは、カテゴリー化とほぼ同義で、詳しくは
知りませんが、ピアジェの形式的操作で言われているものとは違うと思い
ます。
22719:02/03/18 21:28
>>223
初めに断っておきますが、俺は可能性の話をしているまでで、注視の先天的説・
後天的説のどちらが正しいなどと大それたことを言うつもりはありません。

>注視が起きる必要条件に、当然ながら「ある程度は目が見えていて、首や頭或い
>は眼球との協応ができる」というものがあるだろ?
極端な言い方をすれば、注視が起きる必要条件の成立と実験の開始が完全な連続で
なければ、つまり実験の前に1回でも誰かの顔を見る可能性があるならば、学習の
影響を受けている可能性を否定することは出来ません。

>しかも、顔が学習されているとしたら、デタラメ顔と定位置顔の間に差が出て
>しかるべきだろうし、
これはそうとも限りません。顔の弁別が正確に生じていない可能性を考慮すれば、
差が出ていなくても問題ありません。

まあ、俺の話は多分に極端過ぎますが、本当に新生児の顔の注視が先天的かを調べ
るなら、注視が起きる必要条件の成立後全く何も見せない状態で、@白紙、Aデタ
ラメな模様、B顔の絵を見せて、顔の絵を注視する時間が最も長いことを確認しな
ければならないと思います(倫理上可能ならばの話ですが)。

ただし、このことで分かるのは、顔の方が、白紙やデタラメな模様よりも先天的に
注視時間が長いということだけであり、ヒトは先天的に「顔」っぽい刺激を好むと
いうことにはならないと思います(「好む」の定義にもよりますが)。
22819:02/03/18 21:31
>>233,234
>どうも同年代のスキナリアン運(w)が悪いのか、方法論からして否定され、交換
>も何もできない、というのが多くてな。

ここまで読んでくれば、SOS氏はなぜ行動主義者が発達系などと折り合いが悪いか
分かりますよね。他の分野の人が発達系をどのように思っているのかは知りませんが、
俺から見ると、発達系は多くの疑問が生じうることを前提として認めているので、
その辺がしっくりこないところです。

ただし、認知系の人がやっていることは、行動主義からみて理解できるものが多い
のではないかと思います(好き嫌いは別として)。もちろん、認知系の人が、行動系
のやっていることを理解できるということは少ないと思いますが。

>般化が起こるに必要な認知的な機能は、まだこの段階では発達していない。もっと
>後の話。
般化という現象は、おそらくSOS氏が考えているような高度な認知機能は必要とし
ない、もっと単純なものかと思います。般化はネズミやハトでも十分に起こります。

>行動主義の特性っていうのは、厳密に刺激と反応の関係を見る、つまり「ある状況
>下」でのシステムの動作を解明すること。
これは俺の認識とは異なりますね。俺の認識では、行動主義に限らずあらゆる実証
科学は、その理論の適応範囲には非常にシビアである、というものです。

もちろんこのことは、理論を緩やかに様々な現象に当てはめ、現象を説明するという
こととは別です。

SOS氏は、後者のことを指しているように感じますが。
229名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/29 15:12
SOSは就職したのか?
230名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/20 01:58
わたしは、少なくとも睡眠に関しては、セルフ・コントロール不可。
231没個性化されたレス↓
アゲ