1 :
又居:
学校がずっとプロテスタントなんですが、
中学生になってから聖書の授業で不審感を
いだくようになってきて困ってます。
うちの学校の宗教科の先生達ってとても
クリスチャンと思えないような人たちばかり
なんです。いつもなにか事件がおきると
そこからすぐ逃げて。でも無宗教の先生達は
熱心に対処してるんです。
しかも大の大人が「神様が・・」とか
言ってるのって私にはさっぱり理解できません。
聖書に書いてることが矛盾だらけなので質問しても
受け付けてくれません。
どうしてなんですか?
2 :
名無しさん@1周年:2001/06/17(日) 18:29
いまさら、驚いたって。ここの板みりゃーねえ・・。
3 :
元教員:2001/06/17(日) 18:32
中学生なら、もう少しいろいろなことを勉強したまえ。
不満を並べる前にすべきことはいろいろあるの、わかってるでしょ。
以上。
>3
いろんなことってなに勉強するの?
聖書の勉強?
すべきことってなに?
5 :
名無しさん1周年:2001/06/17(日) 18:41
>>1 ようするにこのセンコーは悪い事件が起きても自分の手をよごしたくないん
から他人のせいにする
6 :
あずみ:2001/06/17(日) 18:52
「クリスチャン」というのは特別の人間ではありません。普通の人
です。ただ、イエスという男を「主」と告白しているだけです。
クリスチャンだからといって、変な期待をするのはやめましょう。
>6
だって聖書の教えって弱い者や困ってる者を
助けてあげるんでしょ?
変な期待ってどうゆうこと?
あんたもクリスチャンなわけ?
8 :
名無しさん1周年:2001/06/17(日) 19:01
9 :
あずみ:2001/06/17(日) 19:37
キリスト教のベースは「信仰義認」なんだから....
おこないじゃないの、ただキリストを信ずる信仰なのよ。
わかる?
10 :
1:2001/06/17(日) 19:56
わかんない
11 :
nanashi:2001/06/17(日) 19:56
主とイエスは別物じゃないのでしょうか?
聖書でいう、主って、イエスのことではないですよね?
でも、どっちにしても、ただキリストを信奉するだけのクリスチャンは
じっさいには、なにもしてないのといっしょになると思います。
行いと、思考、を正さないとだめなのかな。
だから、1の行っている学校の宗教家の先生も実際にはただ弱い人
だから、多めに見るしかないのではないでしょうか?
12 :
名無しさん@1周年:2001/06/17(日) 20:06
>>1 >しかも大の大人が「神様が・・」とか
>言ってるのって私にはさっぱり理解できません。
>聖書に書いてることが矛盾だらけなので質問しても
>受け付けてくれません。
しかも、大の大人が「AV嬢が・・」とか
言ってるのって私にはさっぱり理解できません。
保健体育の教科書に書いてることが矛盾だらけなので質問しても
受け付けてくれません。
そんなとこ。
13 :
イエス・シンパ:2001/06/17(日) 20:24
>>1 >いつもなにか事件がおきると
>そこからすぐ逃げて。でも無宗教の先生達は
>熱心に対処してるんです。
それは、あなたの言う通りだとしたら
(別に信じないわけではありません、ただ、
実際にその場に立ち会ったことがないので
このように書くだけです)
ダメな教師であり、ダメなクリスチャンなのだと思います。
クリスチャンにも教師にもいろんな人がいますので。
>しかも大の大人が「神様が・・」とか
>言ってるのって私にはさっぱり理解できません。
>聖書に書いてることが矛盾だらけなので質問しても
>受け付けてくれません。
これは、ちょっと別のお話ですね。
クリスチャンとしてではなく、宗教科の教師として
ダメだと思います。
えーっと、大の大人でも神様や仏様を信じている人は
たくさんいます。
信仰には矛盾がつきものですので(人間は矛盾した生き物だからです)
クリスチャンに限らず、自分の信仰を、信仰の無い人、異なる人に
説明するのはだいたいにおいてタイヘンです。
けど、宗教科の教師が「質問しても受け付けてくれません」
ってゆうのは、まったくいただけませんね。
御愁傷様と思います。
14 :
名無しさん@1周年:2001/06/17(日) 20:46
あずみが最悪のクリスチャン、代表ってかんじ。
15 :
あずみ:2001/06/17(日) 22:13
そのキリスト教教育主事の名前、言ってごらん。
16 :
常識:2001/06/17(日) 22:25
あずみよ
お前さんなら 問題のあるキリスト者や
宗教関係者の実名をあげて
ここで論じることできるか?
自分がやれない、やらないことを
人に言うのはやめろ。
その発言こそ問題なのじゃ。
17 :
会員:2001/06/17(日) 22:26
ごらん高原(ゴラン高原)
18 :
嘆きの壁:2001/06/17(日) 22:50
聖書をよく読んでごらん。
聖書に出てくる「信仰深い人」っていうのは、
倫理的に全く完璧な人達だったといえるかな?
アブラハムにしたって、酒を飲んで酔っ払って裸で外で寝ていた、
という話しがあるでしょう。
あのダビデ王だって、自分の部下を戦地に追いやってその妻バテシェバを
奪ってしまったでしょう。しかも、その罪をナタンに訴求されてからも、
まんまと国王の座に居座り、バテシェバとはそのまま結婚している。
ナタンにしても、その事にはそれ以上突っ込みを入れていない。
(クリントン大統領の不倫事件に対するマスコミの突っ込みようと
この事件を比較してみたらいかがでしょう。)
聖書には、クリスチャンであろうとなかろうと人間とは妥協の産物である、
ということも書かれているんです。
19 :
キティ:2001/06/17(日) 22:50
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
★荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
20 :
まるちの:2001/06/17(日) 22:54
キリスト教徒だからと言って聖人君子ではありませんからね。
そして教師だからと言って何でもできる立派な人であるわけではありません。
質問を受け付けないのは単に教師失格というだけで(もちろんそれは問題だが)、
聖書やキリスト教とは直接関係ありません。
それから聖書には矛盾がいっぱいあります。
でも聖書は数学の教科書じゃないので、矛盾があるからといって聖書の価値が減ずることはありません。
ま、聖書の授業は教師が×のようだから自分で色々本を読んでみてはどうでしょう。
21 :
あずみ:2001/06/17(日) 22:54
シリア領ですね。現在、シオニストによって一部占領されてます。
住民は2万人程度で、多くはドルーズ教徒。その他アラウィ派の
ムスリムやキリスト教徒(ギリシャ正教徒、シリア正教徒)も少数
居住しています。
水資源が豊かで、ブドウがたくさんとれるため、ワインの産地としても
有名です。日本の自衛隊が国連PKO部隊(UNDOF)の要員として
南部のクネイトラで休戦監視活動に参加していることでも知られていま
す。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
荒らしは、完全無視&放置して下さい。煽られても大人らしくマターリと レスする事を心掛けましょう。
23 :
>1:2001/06/17(日) 22:56
なにをいまさら。
24 :
まるちの:2001/06/17(日) 22:59
問題から逃げいてるといえば、受難の時に弟子はみんな逃げちゃいましたね。
ペトロなんか「あの男のことなど知らない」なんて3回も嘘ついちゃいました。
でも、だから福音書は好きなんだなぁ。
25 :
嘆きの壁:2001/06/17(日) 23:02
>>18 自己レス。
「聖書には、人間とは妥協の産物であるということも書かれている」
は、少々言いすぎた。
「人間は完全な存在ではなく、妥協しながら生きている部分もあるのだ、
ということも、聖書をよく読むと分かります」
中学生のくせに、生意気言うんじゃねえ。
クリスチャンが気にいらねえ?
そういうバカは、あずみちゃんくらい
勉強してから言え!
27 :
嘆きの壁:2001/06/17(日) 23:04
>>24 同意。弱さを持つ人間をも神は受け入れられる。
そうでなければ、人間やってられない。
28 :
あずみ:2001/06/17(日) 23:11
コケコッコー >24
29 :
嘆きの壁:2001/06/17(日) 23:13
30 :
>27:2001/06/17(日) 23:13
にもかかわらず悔改めにかなう新しい人生をめざさねば。。。。
31 :
あずみ:2001/06/17(日) 23:18
84です....
32 :
凡人:2001/06/17(日) 23:25
毎日のように「医療ミス」の問題が
報じられていますね。
古い体質が医療ミスを隠蔽したり、
あるいはとんでもない過ちを繰り返したり
腹がたってきますね。
ところで、それだからと言って
医者の治療を受けない、と決めつけられない現実が
ありますね。
医者を調べて信用できる人を選ぶしか道はないですね。
信仰の道も同じじゃないですか。
信仰の指導者と言われる人たちにも問題があるでしょう。
そしたら、できるだけ信用できる人を選んで相談したら
どうでしょう。
33 :
名無しさん@1周年:2001/06/17(日) 23:27
34 :
あずみ:2001/06/18(月) 00:49
東急ハンズで包丁買って、職員室乗り込め!
35 :
一カトリック(:2001/06/18(月) 01:11
>>1 さんへ
あはは、そりゃそうだろうね。(妙に納得)
こんなやつがクリスチャンだったら、おらぁやめとく!
って思うだろうね。当然です。
こういう悪いお手本(人の信仰への障害となる人たちの
行い)のことを、「人に”つまずき”を与える行為」
というんだけど、こういうのはいけないことです、と
聖書にも書いてあるんだ。
つまずきをもたらす者は不幸である。
(マタイによる福音書 18:7)
ってなわけで、あなたの指摘は大いに納得できる。
で、私も同じ理由でキリスト教なんか絶対にいやだ!って
十年以上、近寄らなかった。
でもさ、結局、まずは自分と神様との関わりが大切で、
周りの人のことはその後の話だってあるとき気づいた。
他人の非難をいくら重ねても、自分は神様を見つけられない
ってことがわかったんだ。
自分が神様とかかわりを持つこと、そうすることによって、
他人と神との関係に対しても、人それぞれの形があるってこ
とを認められるようになったし、尊重できるようにもなった。
キリスト教って、思いのほか、「個人の自立(もちろん神と
共に)」が先にありきの宗教で、それがあってこそ隣人(他
人)との関係が生まれるものなんです。
あなたが嫌だな、と思う人たちもそれぞれ、駄目は駄目なりに
それなりに踏ん張って生きてるわけで。。。時には他人をつま
ずかせながらも進もうとはしてると思うのよね。大人のくせに、
っていいたい気持ちも良く分かるけど、正直大人もなかなかも
って駄目なんだわ。
我も含めて、ゆるしてたもれ。
っつこって、GOOD LUCK!
36 :
自称:2001/06/18(月) 01:21
自称「クリスチャン」が本物のクリスチャンであるとは限らない。
37 :
クリスちゃん:2001/06/18(月) 20:43
38 :
名無しさん:2001/06/20(水) 17:41
中学生の頃けっこう嫌われていた男の英語教師が「悪いことしても祈れば神様はゆるしてくれる
天国にいける」て言ってた
39 :
おたく、名無しさん?:2001/06/20(水) 21:37
>>1 どんなクリスチャンだったのか知らないですが、
逆に貴方の持ってたクリスチャン感にもビックリ。
マンガに出てくるみたいな人が多いとか思ってたの?
人間だよ?
勝手に想像して勝手にがっかりして忙しいこと。
無信教な人たちは…てのはクリスチャンじゃなかった
てことでしょう?
比率の問題じゃない。
本当に言っているならあまりに短絡的過ぎ。
聖書内の矛盾。
当たり前じゃない。
出来た時代背景、資料が違うんだもん。
そう言うことも知らずに下世話な読み物からの知識だけで
矛盾ジャン!なんて言う神経がわからないよ。
無知を晒しにきてんですか?
事件が起きたら、どう言うのが正しいクリスチャンなんですか?
神様に祈るとか?
適当に噛み付きたいならそうと書けば良いのに。
本当に嫌いならこんなとこで吹聴してないで
中はいって壊せば?
クリスチャンではないし、ましてや無信教だけど、
人の思想等に無遠慮に入るのはどうかと思うんで
40 :
名無しさん:2001/06/20(水) 21:44
>>39 そうそう。クリスチャンも普通の人間。
でもね、普段あまりにも立派なことを言ってるんで、
勘違いしちゃう人もいるんだよ。
41 :
39:2001/06/20(水) 21:49
>>40 うん、そういうのが多いんだと思う。
周りの人間もそれを逆手にとって、有事には
そういう矛先向ける人もいるじゃない。
なんかそれもおかしな話だよ。
42 :
俺:2001/06/20(水) 21:58
43 :
地獄大使:2001/06/20(水) 22:25
>42
この牧師も地獄行きです。
44 :
俺:2001/06/20(水) 22:32
あ〜あカトリックの連中がもう荒らしに来てるよ
45 :
名無しさん:2001/06/21(木) 15:51
宗教のババアが家のお母さんに「あなた子供降ろしたことあるでしょう」て言われた
家のお母さんは子供降ろしたこと一度もないのにそんなこと言うなんて失礼だなと思いました
46 :
名無しさん:2001/06/21(木) 15:52
宗教は毒
47 :
名無しさん:2001/06/21(木) 15:52
あげ
48 :
名無しさん@1周年:2001/06/21(木) 16:55
>1外国行ったら、神様信じてない人は変人扱いされるんだって。
科学で解明されていない領域だから、信じれないだけなのにね。
キリスト教?歴史を調べてみ。いろいろ分かるよ。
神のためなら人を罵る事も、人を殺す事もOKな宗教だよ。
俺って人を見てごらん?この人がキリスト教の本質を現してる人さ。
49 :
1カト:2001/06/21(木) 19:44
あはは。「俺」さん、来た来た!
48さんに
「俺って人を見てごらん?この人がキリスト教の本質を現してる人さ」。
って言われても仕方ないわなぁ。他のスレでもやっちゃってるからね。
ところで、俺さんも牧師に苛められたの?
なんか あなたの書き込みには目には目をっていう旧約的なものを
感じます。
自分がつまずかされたから、自分も他人をつまずかせるって〜こと
してたら、カトもプロも含めて、キリスト教の評判落とすだけだか
らやめてね。
どうしてそんなに視野が狭いんだろう。。。
>>1さん、前にも書いたけど、キリスト教の人間は私も含め、こんな
もんです。人間に期待しないで、あなたと神様のことを一番に考えて
ください。
日本でこんなに少ないキリスト教同士がこれですから、あなたの嘆き
は十分納得するですよ。
50 :
名無しさん:2001/06/21(木) 19:51
こんな人間が崇拝している神とやらもたかが知れてるな。
51 :
地獄大使:2001/06/21(木) 22:54
>人間に期待しないで、あなたと神様のことを一番に考えてください。
これは言い訳です!
信じるだけでは救われない。行いがともなければ信仰したことにならない。
で、人を見下したり馬鹿にしているクリスチャンが天国に行けると思っているのですか!
教会に来た人はどんな人でも歓迎する、大事にするのが本当のクリスチャンです。
それとも、もう自分の能力の低さを見て、天国にいけないとあきらめて適当に
生きているのでしょうか?
そのように教会に来て傷つけられた人がいるなら
そのようにならないように今後は気をつけるべきです。
52 :
原理のゲンコちゃん:2001/06/21(木) 23:02
クリスチャンだから特別聖人のようである必要はないと思うが、
普通の人より性格悪いんじゃ信仰しない方がいいのでは・・・
1はまだ中学生だよ?
べつに「ホラ俺みたいなのもいる、こいつみたいなのもいる・・」と
現実を突きつけなくても、彼らの純粋さゆえの長所もあると思うけど。
53 :
原理のゲンコちゃん:2001/06/21(木) 23:03
みんなおとなげないよm−mーっ
54 :
名無し:2001/06/21(木) 23:11
中学生だから、
人のせいにしないで、自分をしっかりもって生きていくように
薦めることは有益でせう。
中学生を侮ってはいけません。
55 :
名無し:2001/06/21(木) 23:21
地獄大使よ、教会に来た人は誰でも歓迎する、と言いながら他のクリスチャンを非難してるって〜のが、「へん」。
こいいう姿勢じゃ、人は教会に行こうとは思わんね。
まともなクリスチャンにあった事がない。
クリスチャンて嘘吐きで狭量で底意地が悪くて
根拠も無いのに気位だけは人一倍って奴ばっかり。
こいつ何様?って思う奴は大抵クリスチャン。
だからクリスチャンと聞くと虫唾が走る。
57 :
原理のゲンコちゃん:2001/06/21(木) 23:40
>>54 確かに。でも中学生なら夢を求める部分もあるのではないっすか?
ワタシがこの中学生なら、大人になってももう教会には行かないと思う。
原理のゲンコちゃん統一教会にナンパされたことあんねんけど、
はまっちゃう人たちって、やっぱ宗教に理想をもとめてるんだよねー
で、既成の宗教ってこのスレにでてくるような人が多いから、
カルトみたいなのにはまっちゃうの・・・カルト宗教って、言ってる事は
むちゃでも信徒には真面目な人が多いからね。
58 :
原理のゲンコちゃん:2001/06/21(木) 23:41
59 :
名無し :2001/06/22(金) 00:09
クリスチャンは別荘がお好き(藁
60 :
39:2001/06/22(金) 00:09
>>60 おまえは人に平気でキチガイといえるほど狂ってるんだな。
お大事に♪
62 :
五井教会の人:2001/06/22(金) 00:26
東京教会の亀井明智先生をご存知でしょうか?既にお亡くなりになられ
ましたが、彼は私にとてもよい影響を下さいました。まず初めに、私は
神様の存在意義について、とても疑問を抱いておりました。私には神様
の声など聞こえない・・・見ることも、その存在を感じることすら
ありません。早速明智先生(通称ミスター)に、これについて関する
お言葉を頂きました。それは、『神様の御言葉は、耳で聞くものじゃ
ないよ。心で聞くものです』というものです。現在に至っても、まだ
未熟な私ですが、ふと、いつも元気だった先生が天国へ参られてから、
ほんの少しですが、理解することができた気がします。話は少し変わり
ますが、どうして貴方が今ここに存在をしていらっしゃるのでしょうか。
私たちの知識では理解することが不可な事項が多くあります、それは
人類にとって永遠に未知の領域とでもいいましょうか。自分自身は
神様のお許しがなかったら、存在意義を認めてもらえないまま『無』の
状態だったと思います。(これは推定ですが)私は、これだけ私を愛して
くださいました神様にすら褒め称えることしかできません。無力感の中に
神様と交わることができるのは、それは喜びではないでしょうか?1の方に
一言記入しておきます、クリスチャンになることは簡単ですが、本当の
クリスチャンであり続けることはとても難しいものです。試練に備えて
迫害する者の為に祈りましょう。アーメン。
(あと、皆様はキリスト教について誤解している方々が多くいらっしゃる
様ですが、色々な疑問を持つことに心配しなくて結構です。人は必ず一度は
そういう場面に当たるものです。ご安心下さい、神様は必ず私達にご理解が
できます様に導いてくれます。心からとても悩んでおられる方は牧師先生に
相談してみてはいかがでしょうか?相談がありましたら、お答えしたいの
ですが、2chを訪ねる機会は少ないので、教会の親しい先生に聞くのが
よろしいでしょう。それでは、またいつか立ち寄りたいと思いますので
よろしくお願い致します)
>60=39
おまえのレスを読んだぜ。
おまえ何様?
思い上がりも甚だしいな。
ゴミはゴミ箱へ帰りなさいね(藁
64 :
名無しさん@1周年 :2001/06/22(金) 00:44
>>42 >出来るだけ人が傷付くような言葉を選んでるんじゃないか?って感じの人が多いですね。
相談を受けたりすると、故意にデタラメな助言をしたり、待ってましたとばかりに、相手が傷付くような事をいう人が教会にはいっぱいいます。
わたしの知り合いなんか牧師にイジメられてノイローゼで入院しました。本当です。
その牧師は教会から追い出されたけど、そいつが行った教会は大変だと思うよ。
ふ〜ん。なるほどね。納得。
65 :
ななそ:2001/06/22(金) 15:05
私が前勤めてた会社のオーナーもキリスト教の人で(カトリックとかそういう分類はわかんないけど)
賃金やら労働時間やらがとってもルーズで思いつきで決めちゃうし、人が傷付くこと平気で言うしで
優しさとか慈愛とかはみじんも感じさせないけど宗教臭さは感じるというような方で、
うんざりして転職しようと話したら、
「あなた躁鬱病なのよ。」と決めつけられました。
どう考えても躁でも鬱でもないし、感情の起伏が激しいタイプでもないので、
(友人に「私、躁鬱らしいよ」っていったら心底呆れてました。)
あきれるやら腹が立つやらでした。
66 :
原理のゲンコちゃん:2001/06/22(金) 16:26
キリスト教徒にもスバラしいひとは多いし、原理のゲンコちゃんでも
そういう人をたくさん知ってる。でも、キリスト教徒に限らないだろうけど
会社の役員とか学校教師、牧師、政治家などはリーダーシップを
取りたがる人間(仕切りマン)がなりたがるので、どうしても「目に付く
嫌な奴がキリスト教徒」ってことになりやすい。
ゲンコちゃん的には信徒より牧師の性格が悪いことの方が問題だと思うよう。
そして、そういう牧師を教会での立場が悪くなることを恐れて
野放しにする信徒もダメダメ。
まともなクリスチャンにあった事がない。
クリスチャンて嘘吐きで狭量で底意地が悪くて
根拠も無いのに気位だけは人一倍って奴ばっかり。
こいつ何様?って思う奴は大抵クリスチャン。
だからクリスチャンと聞くと虫唾が走る。
68 :
セブンイレブン:2001/06/22(金) 17:45
69 :
39:2001/06/22(金) 18:34
70 :
(´∀`) :2001/06/22(金) 22:49
62>いいね
71 :
「」:2001/06/23(土) 07:51
「」
72 :
会社員:2001/06/23(土) 08:38
無宗教ですが、私はこれまでン十年生きてきて、
クリスチャンと名乗る人に出会ったことがありません。
知人にエホバはいますが、彼もクリスチャンとは自分じゃ言わないですね。
>>67さんは、そんなに何人もクリスチャンに会うのは、何かの宗教の関係者ではないですか。
それとも、今まで会った1人か2人で判断しているとかでありませんか。
普通、クリスチャンが一般の人に、自分はクリスチャンですって聞きもしないのに言わないでしょう。
73 :
会社員:2001/06/23(土) 08:46
このスレも
>>67さんも、社会では通用しない論点でいろいろ
話し合っておられますが、大丈夫ですか。
犯罪を犯した警察官がいれば、警察官は全て犯罪者だ。
という破綻した論理をあれこれ論争しておられるようで、
中学生が立てたスレとは思っていませんが、(ネタっぽい)
中学生
>>1にも、はっきり教えてやった方がいいと思います。
74 :
地獄大使:2001/06/23(土) 09:33
>>55 信徒が他の信徒を排斥するなら、これは普通の人間だからわかるが
牧師が信徒を苛めるのは、考えられません。と言うかやる気がないのでしょう。
で、信徒に対する厳しい叱責や苛めは、牧師自らの首をしめているような
ものです。
これでも教会を擁護する立場と言うのは、いじめられた奴が悪いという
感覚でしょうね。弱者を擁護する立場の人間が、反対の事をすることじたい
やる気がないのでしょう。それともクリスチャンは倫理観が普通の人と違うと
考えられます。
75 :
名無しさん@1周年:2001/06/23(土) 09:36
>>73 同感。
世界的に見ればキリスト教は最大宗教だが、
日本国内に関して言えば信者数はたったの1%にすぎない。
単純に考えて100人の人と知り合いになって、その中に一人いるかいないか。
しかも73さんの言う通り自分からクリスチャンでーすっ!と公言してまわる人はほとんどいない。
クリスチャン全体をそうだと言い切るためのサンプルが10人くらいとしようか。
>>67が1000人の人と、自身の内面的な問題や信仰について深く語り合うほどに親密な関係を築いたとは思えない。
したがって、ここで「クリスチャンは・・・」と一般化してけなしてる奴等はみんなただの荒らし。
とっもだっちひゃっくにんでっきるっかなぁ〜♪
76 :
名無しさん@1周年 :2001/06/23(土) 10:26
>>75 自分が立派な発言をしていると思い込んでるところがいつも哀れだ(藁
78 :
75:2001/06/23(土) 11:40
いつもって?
このスレに書き込んだのは今回が初めてだけど。
もしかして電波さんですか?
79 :
>78:2001/06/23(土) 12:28
相変わらず短絡的で馬鹿な奴
80 :
名無しさん:2001/06/23(土) 14:32
81 :
75:2001/06/23(土) 14:45
だから相変わらずって誰と勘違いしてるの???
変な人。
82 :
:2001/06/23(土) 14:53
1の疑問は正論でしょ。
こうやってみんな大人になっていくんだね。
大体科学マンセーの今の時代にキリストなんて胡散臭い以外の何物でもない。
違う?_>ALL
>>82 神道・仏教・ユダヤ教・イスラム教はうさんくさくないと?
84 :
名無しさん@HOME:2001/06/23(土) 23:36
私の知っているクリスチャンの女性。いつもにこやかな笑顔で無言電話をかけ続けた
人です。
>>84 にこやかな笑顔を横で見ながら、君はイタズラ電話を止めなかったんだ?
「いつも」「にこやかな笑顔で」って言えるんだからずぅ〜〜っと一緒にいたんでしょ?
86 :
地獄大使:2001/06/24(日) 02:34
>>84 >>85 イタズラ電話する連中は多いですね。
聞きたくない話しを、いつまでもしているとイライラします。
そのようなに限って熱心なクリスチャンが多いです。
21世紀はキリスト教も戒律重視主義に陥るので、
イスラム教みたいな感じになると思います。
世間知らずの厨房が、神学校に行って牧師になって、伝統的な教えを潰して行きます。
まともなクリスチャンにあった事がない。
クリスチャンて嘘吐きで狭量で底意地が悪くて
根拠も無いのに気位だけは人一倍って奴ばっかり。
こいつ何様?って思う奴は大抵クリスチャン。
だからクリスチャンと聞くと虫唾が走る。
88 :
名無しさん@HOME:2001/06/24(日) 07:13
>85
職場で彼女が電話の受話器を持ったまま何も言わなかったり、保留にして少し経つ
と切ったりしていたので「何しているの?」と聞くと「電話番号を間違えた」とか
「受話器を置くのを忘れてた」とにこやかな笑顔で言っていたのです。
まわりが無言電話と察知し始めたらピタリと止めました。そういう勘は鋭くて
ずる賢い人です。
89 :
真正の偶像崇拝:2001/06/24(日) 07:58
結論を言いましょう。
私は20年間カトリックをやってますが、
よい人間か悪い人間は、信仰の有無には関係有りません。
信仰を持ってる人間は、正しく清くなければいけない、というのは
第三者的な勝手な思いこみです。
信仰あるくせに・・・・って幻滅すんなら、
そんな信仰に近づかなければいいだけの話であって、
無信仰者に信仰者を裁く権限はないでしょう。
第一、聖書を読んで、どこに信仰を持ったからよい人間になる、なんて
書いてありますか?そんなこと一言も云ってないよー。
信仰によって救われるとか、信仰を持ったのだからそれにふさわしい生活をしなさいって
言ってはいるよ。ってことは、2000年前だって、信仰を持ったふざけた人間はいっぱいいたんだよー
パウロが手紙の中で怒ってるのを読んだことがないのか??
「コリント書」を読め!すっげーー怒ってる、キリスト者の堕落にね。
つまり当時も堕落してんのはいっぱいいたってことだよ。
>87.むしろ、まともじゃないからせめて信仰によって救われたいわけだよ。
ついでに言っておくと、
90 :
真正の偶像崇拝:2001/06/24(日) 08:02
つづき)
精神を患ったり、引きこもったり、そういう病人もクリスチャンには
多いよーー
でも、そいでいいじゃん。
イエス様は「私は健康な人じゃなくて病人を、
正しい人じゃなくて罪人を招くために来た」って
はっきり言ってんだから、そのとおりになってんだよ、
めでたし、めでたし、ってわけだな。
91 :
あずみ:2001/06/24(日) 08:05
「我は罪人のかしらなり」とパウロも言ってます。
92 :
真正の偶像崇拝:2001/06/24(日) 08:06
そう、あずみのいう通り、
93 :
87:2001/06/24(日) 09:03
>>89 あんたの言う通りだと思うよ
だが、俺は実際に迷惑を被ってるので、
「そいでいいじゃん」だとか「めでたし、めでたし」
なんて気分にはなれんがな
94 :
名無し@カト:2001/06/24(日) 09:52
>>89 殆ど賛成なんだが、93の言うように、「それで良いじゃん」
とはいえない。とはいえ、何が言えるかといえば、「自分は
反省して頑張る」(ま、カト的に言えば日々回心する)くら
い。キリスト教徒は。。といえば、カトとプロで対立したり、
また同じカト同士でも現実、人それぞれのところがあって。
とはいえ日々、他人には一切意見しないかと言うとそうでも
なくて、「できるだけ」適切な方法で「間違いは間違い」と
言うようにしてるけど。
キリスト教、とかカトリックとか言う団体のまえに、まず、
個人と神の関わりがありきなんですわ。
むずいね。
ともかく、このスレ、信者は大いに反省すべきよね。
外からは団体として見られてるんだから、私たちは
クリスチャンと宣言しながら悪い手本になってどうする!?
まさに、個人が日々悔い改めていかなきゃいかんよね。
95 :
>89:2001/06/24(日) 10:58
「そいでいいじゃん」とか「めでたし、めでたし」なんて結論付ける神経が理解できん
やっぱりクリスチャンって馬鹿ばっかり
96 :
名無し@カト:2001/06/24(日) 12:39
>>95 「やっぱりクリスチャンって馬鹿ばっかり」
「 なんて結論付ける神経が理解できん」
*
「こういう奴がいる2chって馬鹿ばっかり」
「こういう奴がいる日本て馬鹿ばっかり」
「こういう奴がいる人類て馬鹿ばっかり」
(あなたも含まれる)
*
短絡的な結論は何も生まない。
97 :
真正の偶像崇拝:2001/06/24(日) 13:15
>96.そういうこと。
>87.あんた、自分が嫌いなヤツをキリスト教に投影してんじゃないの?
「おれはあいつが嫌い」「あいつ耶蘇」「だから耶蘇はみんなおかしいヤツ」って発想だな。
まさに短絡的。坊主にくけりゃ袈裟まで憎とは、よくいったもんだ。
クリスチャンだって、万に一つはマザーテレサやコルベ神父みたいのが出てくんだよー
98 :
87:2001/06/24(日) 13:26
>>97 おまえがものすごいアホってことは良くわかった
すぐ一般化したがる世界の狭いガキども。
あ〜ヤダヤダ。(ワラ
100 :
名無しさん:2001/06/24(日) 16:12
あげ
101 :
名無し:2001/06/24(日) 16:35
いつも上がってるから見てみたけど
駄スレの典型だな。
どっかのエセ宗教サギ団体の人間が
自作自演でやってるだけだろ。
しかも、キリスト教を批判する根拠として
あまりにも低レベルで話にならない。
ばかばかしい。
102 :
(´∀`) :2001/06/24(日) 19:08
お前ら62を少しは見習え、このスレでまともなのはこいつだけか?
>>102 レス貰えないからって自作自演はカッコワルイよ62さん(プ
>>102 はぁ
実のところ62は長文がウザかったので読み飛ばしておりました。
今、読んでみたのですが文字数が多いばかりであまり感動的ではな
い文章でした。
105 :
名無しさん:2001/06/24(日) 21:22
同意
106 :
名無し :2001/06/25(月) 08:05
だから自作自演は止めろ!世間に相手にしてもらえない糞野郎が。
俺と62以外どうせテメエ一人で書き込んだんだろ!!まともな奴すら
認められねえのかお前?まじでとっとと死ね!このスレうざいから
削除依頼出すか。
駄スレと思ったらあげるなボケ
この妄想馬鹿め!
ワラタキミは真性のキチガイだったのね
>>106 ウジムシくんは田舎の便所へ帰りなさいね(w
110 :
(´∀`) :2001/06/25(月) 15:56
102>そう!!正に62の文章は俺が書いた自作自演!!
まったく、大ヴァカが多くて誰も俺を相手にできないな。
103&104>こんな糞みたいな文章すらまともに読めない
読解能力0は死ね!!人間のクズが。
111 :
名無しさん@1周年:2001/06/25(月) 16:14
押し付けでない本当の良い家族愛に溢れて幸せに育った
天使のような良い子は宗教にはまったりなんぞしません。
そういう子を食べるのは無上の喜びです。
112 :
名無しさん:2001/06/25(月) 17:54
後弱い者いじめしない困った人助ける
>>39 >聖書内の矛盾。
>当たり前じゃない。
>出来た時代背景、資料が違うんだもん。
>そう言うことも知らずに下世話な読み物からの知識だけで
>矛盾ジャン!なんて言う神経がわからないよ。
>無知を晒しにきてんですか?
39のレスは、私の18に対するレスなのですか?
(もしそうであるならば)
貴方こそ、私の文をまともに読み込んでいないことを晒してますよ。
まず、「聖書内の矛盾」については私は一言も触れていません。
それはまた全然別の問題です。
念のために言うならば、
聖書の「出来た背景、資料が違う」から聖書に不完全な人間の性質が書かれているのだ
と貴方は言いたいのかもしれないが、私はそうは思わない。
もしも「出来た背景、資料が同じ」だとしても(そんなことはまず無いと思いますが)、
聖書に書かれる人間達はやはり不完全な人間たちばかりだろうと思いますよ。
もしも聖書の「出来た背景、資料が同じ」だったら、素晴らしい信仰者像ばかり
「現実そのままに」描かれることになっただろうと貴方が考えているのならば、
それこそおめでたい話です。
いずれにしても、
信仰者であろうとなかろうと、
1が言ってるような人間の性質は聖書にも書かれていて、
それは今に始まった事ではないのだ、と言っている訳です。
39は、何か勘違いしているのでは?
今度からは、文章をよく読んで的を得た生産性のある突込みをして下さい。
その方がこちらもやりがいがありますし、スレも充実します。
更に要点を言えば、
39から私は根本主義者と勘違いされてるっぽいね。
age
久しぶりに、宗教板に来たら興味深いスレを発見しました。
私も、この3月まで、○学○○教会という、日本キリスト教団の教会に属し、
教会学校を手伝ってきました。しかし、この度、教会を通うのを辞めました。
この教会、建物が洒落ていることもあり、NHKのドラマ、「ええ女房」で使われたこともあります。
それ以来、よく信者でもない人が結婚式を挙げてましたわ。
例えば、付属幼稚園の園長の娘。しかもできちゃった結婚。
教会員の身勝手さにも呆れました。
私の母は、婦人会長をしていますが、自宅の電話は年寄り教会員の電話相談と化しています。
「〜さんが睨みつけてくる」だの、「〜さんは礼儀がなっていない。」などなど。
朝の8時から、夜は、10時まで、・・・
私も、母が教会員というだけで半強制的に教会学校の教師をするように、仕向けられ、
私と仲が悪い人が青年会の中で実権を握ったため、私は、現在大学生ですが、
青年会から追放されてしまいました。
最近、長年勤められた牧師が隠居?したため、新しい牧師がやってきましたが、
その人の、やる気の無さは、怒りを通り越して、ただ、呆れるばかりです。
日曜日は、終日礼拝が終わるや否や娘夫婦の家に行ってしまって連絡が取れない、
牧師婦人はバザーでも、協力してくれないなど、沢山問題を抱えています。
このように、私はこの教会に於いて、スケープゴートにされました。
こんなことは、絶対あってはいけないと思います。
怒りがこみ上げてきて、上手く表現できませんでした、ごめんなさい。
でも、私が、この教会で、いかに、虐げられてきたか、皆さんに分かっていただけたらと思い、
カキコしました。
117 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 23:14
クリスチャンは性格わるいけど、
仏教徒は性格いいよね。
煩悩を肯定してるからかな。
118 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 23:19
>>117 仏教徒のほうがもっと陰湿で金と利権と名誉欲でドロドロだよ。
119 :
名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 00:15
120 :
名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 01:00
121 :
仏教徒:2001/07/06(金) 07:19
>117,>118
いや、仏教もキリスト教も変わらないよ。
大乗仏教の基本思想は、自分が罪人であることの認識と、仏の慈悲による救いで、
「自分だけは義人で、悪いのは世の中の連中だ」と考えている人は極楽から最も
遠い人だと教える。これは、イエスの教えとも一致する。
心から自分を罪人だと認め、「罪人らしく生きよう」とする人は、他人の罪をも
快く許せるはずだし、生き方も謙虚にならざるをえない。口先で「私は罪人です」
と言いつつ、「ただし、お前らなんかよりはマシだぜ」と心で思っている人が、
一般の目から見て「鼻につく」悪い信者なんだと思います。これは、仏教もキリスト
教も変わらない。
宗教の本質とは、「罪人で救いようのない自分の、神仏による奇跡的な救済」にある
のですから、「罪人の自覚症状」がないと、ありがたくもなんともないのです。
そのありがたさがわからないから、今度は自分を義人に祭り上げ、自分を尺度として
他人を裁き、攻撃するのです。
122 :
コーヒー牛乳:2001/07/06(金) 08:33
神を信仰し、宗教に属している人間が皆、清らかで良い人間なら、宗教戦争もおこらないだろうに・・・。
123 :
どなたもカキコして下さいませんの。:2001/07/10(火) 08:36
124 :
牧師:2001/07/10(火) 16:08
ほんとうにキリストの教えに叶ってる人間なんて100万人に1人もいないよ。
三人に一人ぐらいはそうなりたいと思っているだろうけどね。
125 :
名無しさん@1周年:2001/07/10(火) 16:20
キリストの教えにかなうも何も、現代にはキリストがいないのだから、
かないようがない。
126 :
名無しさん@1周年:2001/07/11(水) 19:19
遍在、のはずですけど
127 :
名無しさん@1周年:2001/07/11(水) 21:01
一体何を基準に「性格」が良いだの悪いだのと言っているのか。
そもそもイエス・キリストは「病人」を救いにあずからせる
ために「世」に来られたのではなかったのか?
1はさぞ「良い性格」なんだろうな。
だとすれば、自らが「病人」であるという認識もおそらく
もっていないのであろう。
おそるべき事実ではあるが、自覚がないのなら
いたしかたがない。
でなければ、人の性格を「良い」だの「悪い」だのと
言えるわけがないものな。
128 :
考える名無しさん:2001/07/11(水) 21:06
>>121 >大乗仏教の基本思想は、自分が罪人であることの認識と
こんな事言ってるのは親鸞など少数派でしょう
迷い・煩悩にある衆生との自覚は促されても、罪は重要視されない。
大体、創造主も自然法も仏教思想にはないのだから、ユダヤ=キリス
ト教で言う種の罪がある筈がない。(罪は法――ダルマじゃなく戒律
――を前提とするのだから。)
129 :
名無しさん@1周年:2001/07/11(水) 21:37
大の大人が「神様が」と言ってはいけないのか?
大の大人だからこそ「神」に救いを求めることも
あるのではないのか。
まぁ1が、まさかとは思うが、「小中学生」なら、
そのような世間知らずの物の言いも許されようが。
1も、もう少し大人になって、社会にでてしっかり
自分で御まんまの食い扶ちでも稼ぐようになれば、
分かるだろうが、いずれ嫌でも、「人間」という
ものが、いかに「複雑」で「矛盾」に満ちた存在
であるかを思い知らされる時がくるだろう。
その時には、「聖書」が「矛盾」に満ちている
理由を問うことが、いかに愚問であるかを
しかと自らの胸に受け止めるが良い。
130 :
名無しさん@1周年:2001/07/12(木) 18:46
>1
わかりましたか?
131 :
名無しさん@1周年:2001/07/12(木) 20:30
132 :
名無しさん@1周年:2001/07/12(木) 20:43
>>128 >迷い・煩悩にある衆生との自覚は促されても、罪は重要視されない。
その自覚をもとにする六根懺悔は基本としてあるように思いますが…
たしかに、キリスト教の罪の概念が戒律を前提としてあるなら、
罪としての性質は異なるのかもしれませんが。
133 :
良亜:2001/07/12(木) 20:56
>>1さんへ
綺麗ごとかもしれませんが、人は弱いところを持っています。
もちろんクリスチャンもそうです。
クリスチャン=心優しい ではありません。そうなりたいと思っている人は多いでしょうけど。
私もクリスチャンですが、自分で心優しいとは思いませんし、
行動にもとてもムラがあるように思えません。
クリスチャンは自分が罪人であることを知っているだけです。
(たまに忘れて自我に走ります・笑)
そしてその罪を神様に告白して許しを乞うただけです。
熱心になってくれないクリスチャンの先生がいたのは
あなたにとっても私にとっても本当に残念でなりません。
ただ、クリスチャンも人であることをわかっていただければ幸いです。
勉強の聖書はわたしは嫌い(笑)。
でも自分の為に読むのは楽しいですよ(^^)
授業とか学問とか思わず聖書に触れてみてください、
たとえあなたがクリスチャンではなくとも、
大変有意義なことが書いてありますから。
私は大学で英文学を学んだのですが、その時聖書読んでて本当によかったなと思いました。
いろいろあると思いますががんばってください。
つたない文章で失礼しました。
134 :
良亜:2001/07/12(木) 20:57
う!!文書間違ってる(笑)。
ムラがあるように思えますです。(><)
ごめんなさいっ!
135 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 01:42
>>1さん
スレタイトル『クリスチャンって性格悪くて驚きました』
クリスチャン全てが性格悪いと決め付けの言葉に聞こえます。
何を見て『クリスチャンは性格悪い』って言えるんですか?
あなたの知らないことたくさんあるよ。
>クリスチャンと思えないような人たちばかりなんです。
じゃあ本当のクリスチャンじゃないのでは。口先だけ。
136 :
仏教徒:2001/07/13(金) 11:04
>>128 おっしゃる通り、仏教思想にあるのは「罪」ではなくて、「因果応報」ですね。
しかし、実際には自分の行為に対して「罪深さ」を感じている人は多いし、法然
さんが念仏を勧めたのは、人を殺してしまった人とか、遊女とか、自分の罪と死後
の裁き(地獄落ち)に恐れおののいていた人々だったのです。大乗仏教が、仏教
思想を文字から吸収できない一般大衆を布教対象とするかぎり、人間が持って生ま
れた「罪の自覚」を無視することはできないでしょう。
>ユダヤ=キリスト教で言う種の罪がある筈がない。
これが、「原罪」と呼ばれるもの、ないしは神が一方的に定めた「律法」に対する
違反という意味であるなら、そんな「自覚症状のない罪」など罪でも何でもない、
単なる偽善者の「罪の告白」にすぎないでしょう。自分には罪の自覚はないが、神
の定められた律法に照らすと「罪」だから、自分は罪人なんだ、というのでは、
魂の底からの悔悟もなければ、神仏によるどん底からの救いも不要です。自分のな
した行為に対して、自分自身も許せず、どんな自己弁護も空しいと感じた時に、
本当の罪の自覚が生じるのです。
イエスが酒税人や売春婦の心を癒したのは、彼らが心の底からこういった「罪深さ」
を感じ、深刻さを覚えていたからで、「原罪」だの、パリサイ人的な「律法違反」
だのと言った、表面的なものとは無縁のものです。私見ですが、現在のクリスチャン
の多くもまた、罪の自覚の内容をパリサイ人的に理解しています。仏教徒もまた、
と言うべきでしょうが。
137 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 13:07
>136
クリスチャンでちゅけど、1つお聞きしたことがあるでちゅ。
仏教では「因果応報」のなかに
「罪」の概念が含まれ、説明されるわけでちゅね。
それで、よくわかりましたでちゅ。
やっぱり、仏教でいう「罪」と
キリスト教でいう「罪」は、
性格が異なるでちゅ。
全く違うものでちゅね。
キリスト教でいう「罪」は
良い「行為」によって、
取り消せる、無きものにできる
というものじゃないでちゅもの。
「罪」は、消すことができるようなものでは、
ないんでちゅよ。
犯した「罪」はどのような「行い」によっても
償うことはできないんでちゅ。
何か良いことをして、お詫びで、帳消しになるだなんて
あんまりにも、傲慢でちゅ。
キリスト教では、それこそ最大の「罪」でちゅよ。
いつのまにクリスチャンが仏教徒に因縁つけるスレになりつつあると思われ。
因縁めいた事いうクリスチャンは性格ワル〜でちゅね。
139 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 13:55
いったい誰が「因縁」をつけているんでちょ。
困ったチャンでちゅね。
いったいどこの「クリスチャン」が
「罪の自覚の内容をパリサイ人的」に、
理解しているんでちょ。
少なくとも私の周りにはいないでちゅね。
そういう悪い子ちゃんは。
人は生きている限り「罪」を
犯しつづけざるをえない。
「行為」だけじゃないでちゅよ。
「思うこと」「感じること」「考えること」
よーするに「生」すべてを含んで「罪」の内に
あるということなんでちゅ。
「殺人」や「遊女」だけじゃないんでちゅよ、
「罪」は。
クリスチャンにって「罪」を「自覚」するとは、
そういうことなんでちゅ。
だから、仏教徒の皆ちゃんのように、
「良いことをして罪を免じてもらおう」なんて
恐ろしいことは考えようがないでちゅね。
それはちょっと、厚かましすぎ、傲慢かましすぎでちょ。
クリスチャンの皆ちゃん、
聖書通読ちゃーんとしてまちゅか?
「信仰」の基本は「聖書」からでちゅからね。
140 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 13:58
>>139 「毒麦の種を蒔けば、毒麦の実をつける」
これは仏教の因果応報に通じる概念だと思うんだが。
君は聖書を偏った読み方してるんじゃないか?
>仏教徒の皆ちゃんのように、「良いことをして罪を免じてもらおう」なんて
そういうのを「”因縁めいた”ことを言う」と申しまする。
142 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 14:23
>>137他を傲慢と言ってしまった段階で、
既に自分が人より上と見ているのであります。
「人の上に立ちたければ人に仕えよ」
聖書にありませんでしたか?
他の論を検証する時にも必要な視点です。
今は迫害の時代ではありません。
物事の比較は感情を入れてはいけません。
143 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 14:59
>140
あなたは「因果応報」のお話をしてらっしゃるんでちゅね。
僕ちゃんは、繰り返して申し上げるようですが、
「罪」の概念を説明してるんでちゅよ。
「良いこと」をしたら「良い結果」が
「悪いこと」をしたら「悪い結果」が
というのは、日常生活のレベルにおいては当たり前のことでちょ。
クリスチャンにとっても、
社会に適応して生きてる常識人なら、
当然わきまえていることでちゅよ。
おっしゃている個所は、
「信仰」をもつ者に対する「戒め」の譬え話で、
とても有名な個所でしゅね。
「良いこと」をしたら「救われて」
「悪いこと」をしたら「地獄に落ちる」
ということではないでちゅからね。
もっとも、クリスチャンでないのでしたら、
誤読してもいたしかたないでちゅから。
>141
ということは、仏教徒の方々の皆ちゃんは、
「因縁めいたこと」を普段してらっしゃる、
ということなんでちゅか?
そうではなかったでちゅね。
親鸞上人は、「念仏」をとなえさえすれば、
弥勒菩薩が「浄土」に救い上げてくださる、
と言われた、と聞いていまちゅ。
とても、すばらしい教えでちゅね。
良くは存じていませんが、間違っているか、
より詳しいことがおわかりでしたら、お教えくだちゃい。
>142
けっして、感情的になったわけではないのでちゅ。
客観的に、冷静な立場から考えて、
おそらく多くの人たちが感じるだろうと思われる
「事実」を述べてみただけのことなんでちゅ。
ただ「今は迫害の時代ではありません」
ということについては、よく鑑みて考慮いたしまちゅ。
立場から「傲慢」
144 :
141:2001/07/13(金) 15:46
>>143 あなたの仏教理解には基本的な誤りがあるように思えます。
もし、仏教のことも理解されたいと思われるなら、ここのような風聞に頼るのでなく、
しかるべき解説書なりにあたられることをお勧めします。
では。
145 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 15:50
>>143ですから、傲慢という語句を入れることが
あなたの感情に基づいているといっているのです。
私もよくあります。お互いに気をつけていきましょう。
そういうところにサタンは宿るといいますからね・・・。
キリスト教会は今まで色んな間違いを犯してきました。
全ての教派の中で罪のない教会はありません。
サタンの挑戦に常に敗北してきました。
仏教で言う輪廻の中にいました。
これからはサタンに負けないようにしなくてはなりません。
神の国は気付かない内にやってきます。
146 :
仏教徒:2001/07/13(金) 15:59
>>137 >キリスト教でいう「罪」は良い「行為」によって、取り消せる、
>無きものにできるというものじゃないでちゅもの。「罪」は、消す
>ことができるようなものでは、ないんでちゅよ。
>犯した「罪」はどのような「行い」によっても償うことはできない
>んでちゅ。
その部分が理解できないんだよね。まるで、神様がヤクザかなんかの
ように因縁をつけて、「お前の先祖は、ワシんとこに莫大な借金さら
しとんじゃ、払わんかい」と脅しているように見える。神様は、そん
な悲惨な境涯でのた打ち回るのを見て楽しむために、人間をお造りに
なったのだろうか。
原罪という考えは、ヘレニズム思想の「霊は善、肉は悪」という幼稚な
二元論にかぶれたパウロが、原始キリスト教に持ち込んだもので、イエス
の根本の教えには見られないものです。もし、人間が何をやろうとも「罪」
から解放されないのなら、イエスが「ああせよこうせよ」と福音書で述べた
指示は一体何のためだったのだろうか?
仏教では、正式には「罪などない」と説くのです。「罪」もまた、凡夫
の妄想から勝手に作り出したものだ、と。「良いことをして罪を免じて
もらおう」というのは仏教ではない。仏教では、善悪一如、これは善だ、
悪だ、と一方的に決めつけられるものなどないと説く。「良いことをし
て」と考えてやったことが、別の観点からは「悪」になっている。
「罪」とは人の行動の中でなく、心の中にある。だから、心の持ちよう
さえ変えれば、人は「罪」から解放されるというのが仏教の考え方で
す。「食物を貪る」と「食物を楽しむ」とは行為の上で見分けがつか
ないが、心の状態は雲泥の差です。
こういう差もわからず、人を見たらみんな「原罪」の牢獄へ押し込め
ようとするのは、クソミソ一緒こたの思想としか見えない。
147 :
匿名希望さん:2001/07/13(金) 16:03
あずみさんは処女ですか?
148 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 16:18
>144
ですから、143の省略された部分に書いてありまちゅよ。
批判するんでちたら、最後まですべて目を通してからに
してくだちゃい。
>145
人は他人においてはもちろんのこと、
自らのことにおいてさえ、
常にすべてを熟知し、配下において行動しうる、
とは確かに言いがたい一面はありますでちゅ。
あなたのおっしやりたい「罪」の恐ろしさは
「信仰者」として肝にめいじていますでちゅ。
>146
人間は自ら「罪」に落ちていったのでちゅよ。
「神」はそのような人の姿を哀れんで
いらっしゃいますでちゅ。
キリスト教の根幹にかかわるテーマでちゅね。
いいがたい
149 :
仏教徒:2001/07/13(金) 16:22
>145
>仏教で言う輪廻の中にいました。
律法などで善悪を決めつけて、善と悪とを2分しようとするから、輪廻
をせざるをえないのです。パリサイ人にとって、善とは律法ゲームに
勝利することを意味していた。律法を守るものは善、守れないものは悪
と分けた。しかし、パリサイ人の善行は、他人を蹴落として天国の席を
勝ち取るためのもので、よきサマリヤ人のように、本来の隣人愛に基づく
ものではなかった。その偽善性をイエスは鋭く批判したのです。お前ら
の善行など、所詮は下心でやってるだけじゃねえか、と。
この意味で、自分の善行を誇るな、と指摘したパウロは正しかったが、
今度は善行を無視して、ひたすら信じることで救われようという偽善者
が増殖してきて、天国の席を「寝技」で勝ちとろうという、新種のパリ
サイ人で世界中が溢れ返ってしまった。
本当は、自分が死後、天国へ行くまいが地獄へ行くまいが一切構わずに
サマリヤ人のように行動せよ、というのがイエスの教えだと思います。
輪廻にとらわれず、自分が悪業を受けて地獄へ落ちるのを厭わなくな
った時、その人は真に輪廻から解放される。
150 :
仏教徒 :2001/07/13(金) 18:05
>>141 >親鸞上人は、「念仏」をとなえさえすれば、弥勒菩薩が「浄土」に救い上げて
>くださる、と言われた、と聞いていまちゅ。とても、すばらしい教えでちゅね。
>良くは存じていませんが、間違っているか、より詳しいことがおわかりでしたら、
>お教えくだちゃい。
正確には弥勒菩薩でなくて、阿弥陀如来ですね。また、それを初めて主張したの
は法然でした。親鸞は、僧侶でありながら妻帯し、流刑先にも「妻」を複数作った
らしいのです(熱心な信者の方は否定しますが、歴史的には否定できない事実
です)。
法然が聖者然としていたのに反し、親鸞は煩悩の塊、凡人でした。それで、パウロ
と同じように「肉との闘い」に破れ、絶望したようです。その結果出た思想が
「悪人成仏」で、仏は慈悲深い存在なので、善人よりも悪人に対して、より深い
慈悲を与えられるはずだと説きました。こういったことを説いた人は、中国でも
日本でも仏教界にはいなかったのです。
文献批判が進んだ現代、阿弥陀如来がすべての人を救うと宣言した「浄土三部経」
は、釈迦の没後数百年に、教団の一派によって創作されたお経であることが明らか
になり、阿弥陀如来の救済は、いわば反故にされたのです。
ただ、「浄土三部経」や「悪人成仏」が急速に広まった背景には、「仏とはこう
あってほしい」という人間の願望が投影されているわけで、そういう意味では
真理のひとつだと言えると思います。また、慈悲に溢れた神は、阿弥陀如来を信仰
する人の前には、阿弥陀如来の姿をとってお救いになるはずだと確信しています。
私としては、「自分こそは悪人だ」と認識した後の経過が興味深いと思っています。
その後に本当に謙虚になる人と、「盗人猛々しく」なる人に分かれるからです。
これは、仏教もキリスト教も同じ傾向のようです。
151 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 18:07
霊能者マリアがキリスト教にやたら批判的なのも分かるな。
152 :
名無しさん@1周年:2001/07/13(金) 18:19
決して差別して言うことでないが、日本人の中には、倫理、道徳、修身というか
その他、人間として生きるための「道」が大切にされてきた。けれども、「宗教」に
限っては、あまりにも、自由というか、教育のないのが現状である。
教え、導く、人を見失ってしまっている。指導者を望んでいないのがげんじょうである。
153 :
名無しさん@1周年:2001/07/16(月) 17:54
マリア様?
154 :
名無しさん@1周年:2001/07/16(月) 18:03
マリア様!
155 :
名無しさん@1周年:2001/07/16(月) 18:10
霊能者マリアは神道の巫女さんだよ。
オカマだが巫女さんしている一見物騒なやつだよ。
内容はとても面白いしまともなことも時には言う。
カウンセラーでもしてりゃ良かったのになぁ・・・。
156 :
名無しさん@1周年:2001/07/17(火) 14:05
神道の巫女さまが「マリア」を名乗ってらっしゃるのですか。
摩訶不思議なネーミングですね。
157 :
名無しさん@1周年:2001/07/17(火) 14:13
元カトリック信者だけどね。
158 :
名無しさん@1周年:2001/07/17(火) 14:24
元カトリックの信者の方が、神道の「巫女さま」を
されているわけですか?
正式に神社本庁から認められて、
されてるんでしょうか?
そのような「制度」があればの話ですが。
159 :
名無しさん@1周年:2001/07/17(火) 16:01
>151
よくわかりましたでちゅ。
「弥勒菩薩」ではなく「阿弥陀如来」だったでちゅね。
「念仏を唱えれば」と教えを説いたのも師匠の「法然」で、
「親鸞」は救ってくださることを「信じさえすれば」よい、
とおっしゃたのでしゅたっけ。
「念仏」は感謝の想いから、でちゅたね。
親鸞が流刑先にも「妻」を複数つくった、という話は、
今回はじめて知りましたでちゅ。
「救済」への願いが普遍性に裏打ちされた
「真理」を含んだゆえのものであることも、
しみじみと感じいるところがありますでちゅね。
160 :
名無しさん@1周年:2001/07/17(火) 20:05
>152
失礼ですが、御高齢の方でしょうか。
「宗教」はどのようなもので、
どのような働きをなすべきものと、
お考えでしょうか。
「倫理・道徳・修身」など、
ひとの生きるべき「道」を、
暗夜のうちに指し示す「常夜灯」のようなもの
と考えればよいのでしょうか?
若輩者として、ぜひご意見を、
よろしかったらお伺いしたいのですが。
161 :
159でちゅ:2001/07/17(火) 20:13
>151 は、
>150 のまちがいでちゅ。
150さん、ありがとうございますでちゅ。
>>159 ここにも来てやがったか。引きこもりの粘着質め。赤ちゃん言葉止めれ。
君、慇懃無礼という言葉をご存知?なぜ、でちゅとか使うの?好きだから
というなら、迷惑だから、止めてくれと言いたい。君の価値観を押しつける
のだけは、本当に止めてくれ。
163 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 14:45
>152
いらっしゃいませんか?
160を見ていただきたいのですが。
164 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 15:17
>>158従妹の名前を借りてやってるそうな。
家族が巫女をやっているだけだし、本庁の指図も受けない。
一見は本庁の指図どおりに通りに動いているようだしな。
集落の人間の前で霊能を見せたりすることもないみたいだ。
一見普通の女にしか見えないそうだし、いいんじゃないかな?
それに、一々そんなところまで本庁は管理しきれないよ。
霊の相談やってる神主もいるんだし。
本庁は明治に入ってそういうことを禁じていたけど、
今じゃそれを強制したら自分たちの否定にもなるから
曖昧にしてるよ。
俺は神道は何も強制しないから好きだからね。
キリスト教って何か色んな強制があるから嫌い。
信者たちも何やら普通でない感覚があるから
入り込めないな。
165 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 15:29
>164
キリスト教ってそんなに「色んな強制」があるんですか?
「信者たち」の「何やら普通でない感覚」って
どんなんでしょう?
166 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 15:45
何か知らないけど、ああしろ、こうしろとうるさいな。
ちょっと考え方が違うと「罪だ」「異端だ」「悪霊だ」「地獄逝き」
とか平気で言う。
イエスはそんなことを平気で言う人だとは思えない。
マリア崇敬をするかしないかなんて方法の違いだけだろ?
って思う。どうも日本人には馴染めない感覚なんだよ。
どっちか言うとイエスは日本的感覚も感じるけどな。
厳しいけど優しい面があって好きだよ。
神道にはあまりそういう堅苦しい決まり事はない。
神道というのは心から湧き上がるものを大切にするからね。
俺は日本人だからキリスト教が理解できないのかも知れないがな。
167 :
仏教徒:2001/07/18(水) 15:45
>159さん
そうですねえ。基本的に念仏は「すでに救われている感謝の念仏」しかないと
思うのです。それが一番はっきりと現れているのは一遍上人です。彼は、念仏
と共に極楽行きを保証するお札(中世キリスト教の免罪符みたいなものですが、
無料で配ったところが違います)を配ったんですけど、ある時、ある僧侶が受け
取りを拒否します。自分は、仏を疑うつもりはないけど、今、帰依するだけの
気持ちがない。こんないい加減な気持ちでお札を受け取りたくない、と言う。
一遍さんは、これを聞いてハッとしますが、やがて夢の中で熊野権現が現れて
教え諭します。一遍さん、あなたの力が民衆を極楽往生させるのではなくて、
仏がされるのです。それを間違ってはいけない。あなたは、何も考えずにお札
を配ればいいのです、と。それ以来、「信じる者も、信じない者も極楽往生
間違いなし」という信念を強くします。これは「信じさえすれば」といった
パウロを超えた境地だと私は思います。
最晩年に、一遍さんは自分が書き記したもの一切を焼き捨てます。必要なのは
「南無阿弥陀仏」の六字のみ、という信念を最後まで貫いたのでした。
一遍さんにこっそりと「本当に阿弥陀如来が救済されるんだろうか」と尋ね
たら、「私は知らない。阿弥陀様に任せるだけだ」と答えたかもしれませんね。
168 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 16:18
>>166 >何か知らないけど、ああしろ、こうしろとうるさいな。
>ちょっと考え方が違うと「罪だ」「異端だ」「悪霊だ」「地獄逝き」
>とか平気で言う。
>イエスはそんなことを平気で言う人だとは思えない。
同意だね。
ギャアギャアうるさく騒いだのは、イエスではなくて、
ユダヤ教の学者のほう。だからキリスト教徒のくせに人に
ごちゃごちゃ難癖をつけたがる連中はイエスに信従している
のではなくて、保守的なユダヤ教に信従しているということだね。
前はこの板も結構自由な感じだったのに、
人を高みから見下して説教するのが三度の飯より好きな
超保守主義者が蛆虫みたいにわいて来て、かなり居心地が悪くなった。
169 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 16:49
>166
「ちょっと考え方が違うと」っていうのは、
さしあって「マリア崇拝」するかちないか、
ということでちゅか?
それは「宗派」によって違うということでちゅよ。
他宗教でも「宗派」が異なれば、
当然教えも違ったものでありまちょ。
基本的には、そういうことでちゅよ。
プロテスタント教会で「マリア崇拝」を言えば
そりゃ、もちろん良い顔はされないでちゅよ。
あたりまえのことでちゅ。
だからといって、聖職者・信者同士の間で
「悪霊だ・地獄行き」だと裁きあって、
いいわけがないことも当然のことでちゅけどね。
現実には、そんな「教会」ないでちゅよ。
ひょっとして「2ch」でのことを
おっちゃているんでちょうか?
もしそういうことでちたら、ボクにはわかりかねますでちゅね。
個人的に持ってらっしゃる信仰観に他人が口を挟むなんて
ことは本来できないことでちょうし。
教会の「教義」と個人の「信仰」が必ずしも常に合致しているとも
言いきれない部分があることは、むしろ見方を変えれば、
自然で当然なことなんでちゅね。
むしろ「組織」は大きくなればなるほど、秩序を維持するために
締め付けを厳しくしなければならない、という社会によく見受けられる現実に、
目を向けていただけたらと思いまちゅ。
「教会・教団」もひとつの「組織」であることに変わりはないんでちゅよ。
そのような意味で「マリア崇拝」が「方法論の違いだけだろ」
というのは、ちょっと違うかもしれないでちゅね。
非常に微妙な問題がそこにあるのだと思いまちゅが、
むしろそのようなところにこそ「人間臭さ」にみちた「宗教」の本来の姿が、
見えてくると言ってもよいのではないでちょうか。
170 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 17:12
>>169だから、キリスト教徒は他人のことを
ごたごた言いすぎるから、迷惑するわけよ。
人のこと言ってる暇があったら自分を磨けばいいじゃん?
伝道の文句が「悔い改めよ!」とか「地獄へおちたくなければ
ついて来い!」じゃ「テメーらは天国行き保証されてんのか?
そんな事はお前のとこの神しか知らんだろうが?」
と言いたくなるよ。
イエスはそんな性悪を言って信者を増やして
いたんじゃないと思う。
全ては愛と許しのでの交わりと言う点に
重点をおいていたと思う。
パリサイ人を否定しておきながら、パリサイ化している
ような気がしていると思うよ。
姦通した女を許すようなイエスが、人を裁くだろうか?
愛と許しの中で本人に気付かせるようにするのが
イエスの道ではなかろうかって思うよ。
だからなんかキリスト教徒のしてる事って胡散臭い。
171 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 17:14
>>168キリスト教徒の中にもそういう疑問を持ってる人は
いっぱいいるよ。
172 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 17:19
細かい事はどうでもいいんじゃない?
神がいて自分がいる。それで充分だと思うよ。
何でキリスト教徒っていうのは、
そんなことより細かいことにこだわるかが分からない。
173 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 17:53
>167さん
お返事ありがとうございまちゅ。
一遍上人の「信じる者も、信じない者も極楽往生間違いなし」
の信念はとても素晴らしく思いますでちゅ。
ただ、一遍上人ではなく「仏」が救ってくださるとのことでちゅが、
その「阿弥陀如来」さまの御手をもってしても、
「信じない者」を救うことが果たしてお出来できになるのでちょうか。
キリスト教ではよく「信じる者は救われる」と申しまちゅが、
これは「福音」がすべての人に述べ伝えられる、ことと
抱き合わせになっている言葉なんでちゅね。
すなわち「その人」が救われるか否かは、そのさし伸べられた
「福音」という「救いの手」を「その人」がにぎり返すか否かに
かかっているということなんでちゅ。
けっして「神」がえり好みして「ある人」に「救い」を差し出し、
「ある人」には差し出さない、ということではないのでちゅ。
そもそも信じて「御手」をにぎり返してこない「人」を
救うことなど出来るのでちょうか?
このことは「振りほどこうとする手」を無理やりにぎって引きずれば、
というような幼稚な譬え話ではすまないことなのでちゅ。
「何」が原因で、そこからどのようにして
「何」によって「救われるのか」ということは、
ただ「救われる」ということにもまして、
非常に大きな意味があり、そこにキリスト教の「救い」の本質が
あると言ってもよいことなのでちゅね。
これらのことが、慈しみ深き愛なる「神」「子なるイエス・キリスト」への
深い「信仰」・「御言葉」への信頼ゆえのものであることは、
もちろんのことでちゅ。
174 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 18:35
>>173それはパウロ説だね?
イエスがそのようなことを言ったとは
聖書に記されているのだろうか?
「私を信じない者は地獄へおちる」とか
「救われない」といった文書はありますか?
175 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 18:51
http://holinessyouth.tripod.com/choir/id19.html 僕は右側で3番目の2人組にはめられみんなからのけ者にされました。
クリスチャンなのにこんな事があっていいのでしょうか?
理解不能。性格悪すぎって言うかクリスチャンじゃない人だって
そんな事する人少ないです。
この2人のせいで心に深い傷を負いました。
大人も居たのに気付かなかったみたいです。
クリスチャンだとその人の為にお祈りしろとか許せとか言うけど、
僕にはそんな事できません。
クリスチャンなんて信じられるかってかんじっす。3年前の出来事。
176 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 18:56
>170
そうしたら、仮にでちゅが「そんな性悪を言って」
なかったということにしまちょ。
「全ては愛と許しでの交わり」のうちに「本人」に
気づかせる、ということでちゅが、
それじゃいったい「何」に気づかせるというんでちゅか?
「気づかせる」という言葉を使う背景には、
「行為」を正す、という思考が働いているのでちょ。
物の言いとは裏腹に、いかにも因果応報な考え方が
あるようでちゅけれども、それこそ聖書でいう
パリサイ人的でちゅよ。
イエスの「愛」の目的は、
ただ単に「罪」に「気づかせ」「許す」ことだけにあるのではなく、
「赦した」のち「罪にまみれ神から遠く隔たったところにあった人々」へ、
「神」との「和解」をもたらすためにあったのでちゅよ。
「悔い改めよ!」とイエスがおっしゃったのは、
もちろん「愛」の現われでちゅけれど、それは単に「あんた」の「悪さ」を
「許してあげる」というだけの意味ではないのでちゅ。
「神」との「交わり」の回復、ここがわからなければ
「イエス・キリスト」を理解したことにはならないでちょう。
それから「姦通した女を赦すようなイエスが、人を裁くだろうか」
と言われてまちゅが、さぁ、どうでちょうね。聖書を読んでみまちょ。
177 :
169以降でちゅ:2001/07/18(水) 19:09
>175
経過が全くわからないので、なんとも言いかねまちゅが、
今はどうしてるんでちゅか?
教会には通ってまちゅか?
178 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 19:19
>152 7月13日(金)18:00すぎ
失礼ですが、御高齢の方でしょうか。
「宗教」はどのようなもので、
どのような働きをなすべきものと、
お考えでしょうか。
「倫理・道徳・修身」など、
ひとの生きるべき「道」を、
暗夜のうちに指し示す「常夜灯」のようなもの
と考えればよいのでしょうか?
若輩者として、ぜひご意見を、
よろしかったらお伺いしたいのですが。
179 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 19:22
>177
月1位かな?もちろん奴らと関係ない教会に。
簡単に言うとアメリカに住んでる僕が気にくわなかったらしいです。
この2人アメリカに住みたいみたいな事言ってたみたいだし。
である事ない事みんなに暴露してそれをみんなが信じちゃった。
僕に反論する暇与えずみんながいっせいにシカトプラス笑い者。
弱い者を助ける場の教会から追放される俺っていったい…。
180 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 19:27
>179
なにはともあれ、教会につながって礼拝を
守ることは信者として大切なことでちゅ。
何かキッカケが、発端にあったんでちょ。
もし、よろしかったら聞かせてもらえませんか?
181 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 19:30
>>176神との交わりを本当に回復できたら
人の上に立っているというパリサイ的な
浅ましい考え方はなくなっているはず。
全ての者は全て神との交わりにいると
認識できるんじゃないの?
人が常日頃行っている罪も
「心が病んでいるせいだな?」
って受け入れられるんじゃないの?
他の神や仏を拝んでいる人の心も
理解できるんじゃない?
なのにどうして、自分たちは高くて
他は低いと容易に言えるわけ?
神以外のものはみんな同じじゃないの?
だから教会の教義や信者の行いが「胡散臭い」って思うんだよ。
182 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 19:38
>>179 その教会の他の人の意見と、
あなたの言う「加害者」二人の意見も聞いてみないと、
「イジメられた」と主張するあなたの意見だけでは
公平な判断はできませんが・・・
ハッキリ言って教会に集う人々もごく普通の人間です。
教会にいるんだからみんな善人だろうなんてとんでもない思い違いです。
そもそも、そんな完璧な善人だったら神様に救ってもらう必要がありません。
教会に来る必要もないでしょう。
教会に来るのは救われたいと願うフツーの人です。
そして、そのフツーの人の集まりだから
フツーの人の集まりと同じ性質を持ちます。
つまり協調性の無い人は馴染めません。
学校でも浮き、部活でも浮き、会社でも浮いてた人が、
教会だからって簡単に受け入れてもらえるわけがありません。
教会ならスネオみたいに「ミーはアメリカに住んでるざまーす!」
なんてイヤミな態度でも受け入れてもらえるとおもいましたか?
それは幻想というものですよ。
協調性が無い人はどこに行ってもダメです。
人を非難する前に、まずご自分が変わる事をおすすめします。
183 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 19:39
それから、思想については裁いているけど、
それは「悪は人から出る」として
出ているものを裁いているでしょ?
人本体を裁いている記述はどこにも無いよ。
184 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 19:41
それから、むしろ人は神の子と呼ばれている。
罪の塊とは呼んでいないよ。
なんかさ、この板の中でクリスチャンが一番極悪っていうか、悪質じゃない?
荒らしとか、コテハン叩きとか悪質だよあれ。
「汝の敵を愛せよ」が笑わせるよね。
マリア崇拝の賛否だのとか、あれが罪だこれが罪だのとばっかギャーギャー騒いでるけどさ。
186 :
169以降でちゅ:2001/07/18(水) 20:00
>181
でちゅから端的に言えば「罪」という概念をどのように
受け入れもちいるかによるわけでちゅよ。
まず第一にあなたはキリスト教がいう「罪」がわかりまちゅか?
この「罪」がクリスチャンとクリスチャンでない方が、
同じ共通の土台に立って話をしようとする時、非常に重要なポイントに
なるんでちゅね。いわば出発点でちゅ。
まず、その前に誤解を解きまちょ。
1.パリサイ的な考え方はありまちぇんよ。
少なくとも、人の上に立っている、という意識は。
2.他の神や仏を拝んでいる人の心も理解してまちゅよ。
「信仰」をもつことは他の「信仰」を否定することではないでちゅもの。
しっかりとした「信仰」をもてばなおさらでちゅよ。
3.自分たちが高くて他は低いと言ってまちゅか。
もちろん、誰だって自分は高くあってほしいものでちゅよ。そうでちょ。
だから「容易に」ならざるように注意を払っているわけでちゅ。
論点でちゅ。
1.全ての者が全て神との交わりにいるとどうして言えるんでちょ。
2.神以外のものがどうしてみな同じだといえるんでちゅか。
3.どうして、以上のような誤解・相違点から教会の教義や信者の行いが、
「胡散臭い」と言いきれるんでちょう。
あなたの「主観」なのは良く承知してますから、別に攻めている
というわけじゃないでちゅよ。
187 :
169以降でちゅ:2001/07/18(水) 20:11
>185
書いてあることを、大げさに風呂敷広げて言うのは
まだかわいげがあるでちゅ。けど、書いてないことまで、
さも書いてあるかのごとく言い含めるのは、
やめてくだちゃいよ。
188 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 20:38
>183.184
「人は罪の子」?
「人は神の子」?
189 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 20:59
>この「罪」がクリスチャンとクリスチャンでない方が、
>同じ共通の土台に立って話をしようとする
これについては同意。キリスト教の罪の概念は、
生まれてから誰もが背負っているものと捉えているからね。
>「信仰」をもつことは他の「信仰」を否定することではないでちゅもの。
> しっかりとした「信仰」をもてばなおさらでちゅよ。
ならば、どうして他の信仰も容易に「神のものでない」と断定できるのか?
イエスに拠らなければという気持ちは理解できるけど、
それが度を越しているように見えるけど?
他の宗教はなくならないと、
人は神の交わりと離されているという捉えも理解できない。
偶像崇拝という決め付けも、信者が決め付けていると思う。
偶像とは、人が作り出したものを指す。
正しい行いをしている人にも偶像崇拝をしていると
決め付けている態度が、何を基準にしているかが分からない。
190 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 21:03
>もちろん、誰だって自分は高くあってほしいものでちゅよ。
>そうでちょ。
> だから「容易に」ならざるように注意を払っているわけでちゅ。
えっ?全然注意を払っているように見えないけど。
親族の葬式のことまで、キリスト教にこだわるのは何で?
その後に、うちの近所の家は仏壇から神棚からみんな燃やしてたよ。
婆さんが泣いてたけど?(言っとくけど、エホ証じゃないよ)
今はカトリックのように寛容な教派も出てきているようだけど、
根底にあるものは「他教は撲滅して当たり前」そうなんしょう?
>全ての者が全て神との交わりにいるとどうして言えるんでちょ。
神が息を吹き入れたのは、キリスト教徒になる予定の人だけで
あとは違うものの仕業だったとするなら、
あなたたちの言っていることは正しいね。
>神以外のものがどうしてみな同じだといえるんでちゅか。
「信仰」の心を理解しているあなたたちが、
どうして「信仰」の心が理解していないのかが意味不明。
191 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 21:04
>どうして、以上のような誤解・相違点から
>教会の教義や信者の行いが、
>「胡散臭い」と言いきれるんでちょう。
良いも悪いも、我々から見たらそう見えるよ。
だから、多くの日本人はキリスト教を受け入れない。
非キリスト教徒たちに意見を聞いてごらん?
無関心な人は「よく分からない」というけど、
キリスト教に関心がある人は、大抵その点が引っかかっている。
イエスの教えとかは正しいと思ってもキリスト教の教義や
信者たちの行いから判断すると、聖書から連想するイエスの姿と
あなたたちの方針や行いは一致しないんだよ。
イエスはどの宗教にも共通したことを言っていて
宗教を超えたものと認識していた部分があると思うけど?
特に釈迦にはそれが顕著に表れているけど、
イエスも同じように感じるよ。
サマリア人の婦人を試しているような箇所もあるから、そう思う。
最後には彼女の信仰を誉めているね。
イエスなら信仰深い人なら誰でも
その心から出た信仰を見て誉めると思うよ。
全能の神であるならば、宗教の枠に囚われる必要はない。
むしろ、それぞれの宗教の中に埋もれている真理を
掘り起こす作業をしていって、一致を目指せばいいんじゃない?
だから、君たちのすることは、
「他にも真理があるけれど、うちの真理は
世界を創造した神が人として現れたイエスによるもの。
他の真理は、人が真理に触れて感じたことを表しているもの」
として布教すればいいんだよ。
「うちに来なけりゃ罪は消えない」とか「地獄に落ちる」とか
言うからみんな警戒するの。
192 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 21:05
長い文章でごめんね。
でもね、キリスト教の人たちは
他の宗教に対する理解が乏しく思うよ。
193 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 21:06
>189
文章がちょっと読みずらいですね。
もうすこしかみ砕いて書いていただけたら。
194 :
169以降でちゅ:2001/07/18(水) 21:15
>192
長い文章ありがとうでちゅ。
すみまちぇんけど、毎日そうなんでちゅけどね、
もうボク、お寝んねの時間なんでちゅ。
あした、また夕方までには返事書きまちゅので、
まっててくださいでちゅ。
おやすみなちゃいでちゅ。
195 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 21:21
>>190 > 今はカトリックのように寛容な教派も
(゚Д゚)ハァ?
カトリック教派がキリスト教の中で一番
「他教は撲滅して当たり前」
なんですが。
ローマのバチカンがじきじきに勅令まわしてるし。
196 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 21:36
>>193ごめんね・・・。
>>194君に対するレスは今日が初めてだよ。
無理難題かいてるとは思うけど・・・。
明日は来るかどうか分からないけど(仕事だから)
おやすみ。
>>195でも、知ってる限り日本にあるキリスト教の中では
他宗教の扱いは穏便だね。奥底には恐怖を感じるけど。
先日、人を見下すメールを書いてきたクリスチャンに「人を見下して
楽しかったですか?」と返信しました。これで、楽しくなかったと答えたら、
嘘吐きと言ってやります。あそこまで人を見下しておいて、何も感じていない
ところが痛いね。以上、個人的体験ですみません。
198 :
名無しさん@1周年:2001/07/18(水) 22:04
199 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 06:06
>>182 今までそんな事された事ないから書いてるんであって。
部活も水泳部で学校生活もずっとうまくやってきました。
だから始めてたの経験だったし、アメリカに住んでるからって自慢なんかすると思いますか?
さり気なく振舞ってきました。でもアメリカから来た友達とはどうしても英語で話しますよね?
そういうとこに腹が立ってみたです。
自分は完璧だったって書くつもりはありません。でもみんなに気を使って旅してたのです。
クリスチャンだと言った本人が裁かれると言うので、僕が裁かれるのでしょうかね。
今までだれにもその事を言った事ないっす。ここでもそんな感じっすね。
もちろん自分にもいとこはあったと思いますが。
奴だって教会の端っこでタバコ吸ってるような奴にどこが協調性があるというのですかね。
タバコ吸っちゃ行けないとは言ってないですが場所もわきまえない奴がね。
200 :
仏教徒:2001/07/19(木) 09:27
ここのところ、レスの流れが速いので、「時代遅れレス」になるのを覚悟しながら、
ゆっくり書かせていただきます。
>>173 一遍さんの「信じない人も」というのは、強制的に極楽へ連行するという意味では
なくて、むしろ「放蕩息子に対して無期限の猶予を与えて、帰りを待つ」という
意味だと私は捉えています。
パウロ(およびそれを基盤にするキリスト教会)が結局、一遍さんの境地を超えら
れないのは、救済に対する「代償」が頭から離れていないからです。パリサイ人は
律法を守ることを「代償」とした。それを批判して、イエスは「そんなものは本質
ではない」と言い切った。パウロもパリサイ派に属していたので、イエスの真意が
どうしても理解できなかった。それで「代償」をキリストの贖罪に求めたのです。
もし、神様が「放蕩息子の喩え」のように、いつまでもその帰りを待つような慈悲
深い存在なら、「今までの自分は間違っていた。それを知らずに何と罪深いことを
自分はしてしまったのか」と悔悟する人に罰を加えるでしょうか?神は「代償」など
一切お求めにはならないと私は思います。いや、人間の側が「それでは済まないから
罰してくれ」と申し出るのを「わかったのなら、それでいい」と改めて拒否される
でしょう。それなら、なぜ改めてキリストの贖罪が必要になるのか?
201 :
仏教徒(続き):2001/07/19(木) 09:27
「南無阿弥陀仏」が悔悟のはじめで、それが自動的に赦しの完了でもあるのです。
だから、「感謝の念仏」しかありえない。赦しは、悔悟すれば無条件だから、キリ
ストの贖罪という「歴史的事実」の真偽には左右されません。前にも書きましたが、
阿弥陀如来の救済は「歴史的事実」で見たら虚偽です。これは、文献批判が進んだ
新約聖書についても同様です。新約聖書は、歴史的事実を語っていない、というのが
聖書学者の共通見解ですし、キリスト教の根幹が揺らいだままの危機的状況にある
というのは21世紀も変わりません(八木誠一『現代とイエス』NHKブックス)。
イエスの主張する「アッバー」の神に従えば、どんな人も救われるのです。それに
は紙に書いて示せるような「条件リスト」など一切ない。救われるという保証も
いらない。「自分の愛する子を救済しようという親に、その保証を見せよという
子があるであろうか」とイエスになだめられるでしょう。「キリストの贖罪」も、
その「歴史的事実」を新約聖書に求めることも、「アッバー」の神への信頼感が
欠如している=イエスの教えに反してパリサイ人化している証拠です。
「私は悪人だから、死んで地獄へ落ちるのが本望だから、救済されるというのが
嘘でも構わない」と言う人だけが、神仏に救済されると思います。
202 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 10:46
>>199 まぁ落ち着け。
図星を突かれて感情的になるのはわかるが、
文章構成も破綻してるし、誤字脱字だらけだぞ。
それでは自分から
「その通りです、ボクは協調性の無いイジメられっ子です」
と白状してるようなものだ。
弁解を書くときは、もう少し心を落ち着けてからにしなさい。ね。
>>198 まったくです。私は、幸運にも「自分が正しく、お前は
間違っている」という態度で語らないクリスチャンを知って
いますので、このキティがいクリスチャンだけを見て、
クリスチャン全員がキティであるとは断じません。しかし、
そうは言っても、真面目なクリスチャンに対する態度までも
否定的にさせかねないので、こうした相手を裁いて悦に入って
いるのは、さっさと逝ってほしいと常々思っています。
204 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 11:58
>>203 残念ながら、あなたのような幸運な人ばかりじゃないからね。
基本的に人間は1を見て10を判断したがる。
中国人と聞けば太極拳や拳法の達人と思い込む。
インド人はターバン巻いてカレーばかり食ってると思うし、
黒人はみんなリズム感が良くてバスケがうまくて、
日本人はみんなサムライでチョンマゲで空手の達人だ。
クリスチャンはみんな善人でなければいけないと思い込んでる。
そんなワケないでしょー!って叫びたくなるよ。
205 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 12:02
人間なんだから、
どんなグループでも良い人もいれば悪い人もいる。
たまたま良い人が多いグループだって、やっぱり悪い人はいる。
でも悪い人がいるからって、そのグループ全員が悪人の集団じゃない。
206 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 12:05
>>202 まあいいですわ
こんな人と話しても無駄だしここから消えます。
否定的にしか考えられないようですね。
図星を突かれて?よく人の心を読めますね。
そういうあなたは神ですか?
すばらしい人だ人の心読めるなんて。
これ以上話しても無駄ですね。
さいなら
207 :
仏教徒:2001/07/19(木) 12:07
>>175さんのような体験は、別にキリスト教のコミュニティーに限ったことじゃ
ないと思うよ。私が小学生だった頃にも、スポーツ万能だった奴に嫉妬を燃やし
て、「なまいきだ」という理由で「決闘」やろうとしたのが居た。
人間、誰でも同じような偏狭な心を持っていると思うよ。「自分が他人よりも優
れてないと面白くない」という心理は、いわば人間の業(原罪)みたいなもので
しょう。確かに、他人のアメリカ経験に嫉妬する連中は「悪い」のだろうけど、
アメリカ経験を語った時に、心の中にわずかでもそれを誇る気持ちがなかったと
断言できるでしょうか。聖者でないかぎり、誇る気持ちはあったはずだよ。もし、
その誇りに他人が反応して嫉妬したのなら、仕掛けたのは貴方の方ということ
になる。
この世の不幸なできごとは、一方の人の「悪」のみで起こることは稀で、ほとん
どの場合には双方の「悪」が呼び合って起こるのではないでしょうか。日本に密
入国して、食うに困った外国人が犯罪に走る。これは絶対にあいつらが悪い。私は
被害者だ。しかし、彼らが自分の国で食うことが出来ないという政治の悪さを生み
出したのは、昔に世界を席巻したジャパンマネーだったかもしれない。その中に、
被害者の預金が含まれていたとしたら....。
こう見ていくと、どんな不幸なできごとについても、自分に対して必ずいくらかの
「責任」が見つかり、「自分には関係ない」とは言えない。人は、知らず知らずの
うちに罪を犯すのです。そういう「業」を認識するとき、とても他人だけを責める
ことはできなくなると思います。悲しい「業」を背負った人間同士、傷を舐めあい、
なぐさめ合うしかない。イエスが「汝の敵を愛せ、他人を裁くな」と言った背景に
は、そういう仏教的な世界認識があったのだと私は思います。
途中の考え方に相違があるかもしれませんが、私の結論は
>>181さんとほぼ一致し
ます。右の手で「私は罪人です」と書きつつ、左手で他人を裁くのは欺瞞でしょう。
それができるとしたら、「原罪」を他人事として捉えていて、全く自覚がないせい
です。
208 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 12:12
>>206 君のその文章、
協調性が無く、被害者意識が強く、ワガママそうな感じがにじみでてるよ。
209 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 12:37
>>207 確かにあなたの言う事正しいかもしれませんね。
言われてみると自分にも悪いところがたくさんあったと思います。
もう少し皆と話す場を作りたかった。
いきなり嫌がらせをさせられショックを受けただけの事です。
いろいろ御意見ありがとうございました。
>>208あんたシツコイ
210 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 12:44
ホントに性格悪いねえ。
211 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 13:40
あんたのほうが性格悪っ!
212 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 14:34
おまえらガキのケンカかよ!
まったく・・・
213 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 14:51
馬鹿という奴が馬鹿だって幼稚園で先生に習いまちぇんでちたか?
214 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 15:11
保育園でも習ってるはじゅでちゅ
215 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 15:15
まぁ、もちろんイジメた二人も悪いし、
アメリカ在住を誇らしげに言ってイジメられる原因作った方も悪い。
ケンカ両成敗だ。
でもこれ、このスレと何の関係もないじゃん。
子供同士でケンカがあった。
起こった場所がたまたまキリスト教会だった。
それだけの話じゃん。(笑)
話を元に戻しましょう。
スレ拝見。話戻してスンマソンが、207に同意。
>しかし、彼らが自分の国で食うことが出来ないという政治の悪さを生み
>出したのは、昔に世界を席巻したジャパンマネーだったかもしれない。
この論理を展開させれば、
”いじめられた者が教会に居続ける事ができない環境を作り出したのは、
教会を昔から形成して来た者たちだったのかもしれない”
(やろうと思えばいじめで人が去るような環境を極力減らす事もできただろう)
ということになりますかね。一歩間違えば過保護厨房だが。
もういっちょ。
ユダヤ人迫害を積極的に推進したのはナチス・ドイツであるが、
それを是認したのは当時のキリスト教会も含む・・・
219 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 14:02
age
220 :
169以降でちゅ:2001/07/21(土) 14:56
>200 仏教徒さんへ
どうも文章が理解しずらいのでちゅが、
要ちゅるに、あなたがおっしゃりたいのは、
「救済」に「イエスの死」は必要でなかったはずだと、
いうことでちょうか?
もし、そうならあなたは「神」と「人間」の関係、
「罪」に対する認識がやはりちょっと甘いようでちゅね。
「代償」のない「救済」など、考えられないでちゅよ。
「神」はその「御一人子」をお与えになったほど、
「この世」を愛されてるのでちゅ。
本来なら「罪」のうちに「死す」べきはずであった
「人間」が「神の子・イエス」の「死」の身代わりによってのみ
「救済された」ということは、ひっくり返せば、
いかほどに「人間」が「罪」深い存在かという、
そのことの証でもあるのでちゅよ。
「神」は「公正」で「正義」なお方でちゅから、
「罪」を見逃したり、甘くみたりなどということは、
ありまちぇんでちゅ。
キリスト教徒にとって「神」が「御一人子」を
犠牲にしてまで、私たちを「愛してくださっている」
という、その信仰の「核心」は、「自分たち人間」の
「罪深さ」の自覚を裏地にして、
はじめて成立するものだったのでちゅね。
221 :
169以降でちゅ:2001/07/21(土) 15:22
>200 仏教徒さんへ
ちょっと誤解されてるようですが、
「神」もずっと手を差し出して
「その人」がにぎり返してくれるのを、
まっているのでちゅよ。
もちろんその「救済」にはなんら「条件」は
ないのでちゅ。
なぜなら「御一人子/イエス・キリスト」が
犯した[罪」の身代わりになってくださったからでちゅね。
はたして、なんら「代償」を必要としない「救済」が、
「救済」と呼べるでちょうか。
(173)でも書きまちたが「救済」というとき、
「何」が原因で、そのようになり、そこからどのようにして
「何」によって「救われるのか」ということは、
ただ「救われる」ということにもまして、
非常に重要なのではないでちょうか。
そこにキリスト教の「救い」の本質が
あると言ってもよいことなのでちゅね。
これらのことが、慈しみ深き愛なる「神」「子なるイエス・キリスト」への
深い「信仰」・「御言葉」への信頼ゆえのものであることは、
もちろんのことでちゅ。
「罪」の問題について考えを深めてくだちゃれば幸いでちゅ。
222 :
169以降でちゅ:2001/07/21(土) 15:49
>196
遅れてすいませんでちゅ。
ちょっとまってくだちゃいでちゅ。
223 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 15:53
基本的に福音派は好かん。
街中で「イエスを崇めなければ地獄に落ちる」とか言うな。
キリスト教のイメージが悪くなる。
つか、福音派ってカルトであって、キリスト教じゃないしな。
224 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 16:08
>>223 だからそれはどこの福音派なんだよ!
ハッキリ言え!
よく知りもしないで叩くんじゃねえ!
福音派つったってリベラルから原理主義までさまざまなんだよ!
俺も福音派だがうちの教会はそんな勧誘なんか絶対しない。
なんでもかんでも「福音派=狂信者」みたいに決め付けんな!
おまえ、ほんの一部の犯罪者を取って
「日本人は小学生を平気で強姦して殺す異常でサイコな民族だ」
ってCNNで世界に報道されたらどんな気持ちになるよ。
お前がやってる事はそれと同じなんだよ!
225 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 17:59
>224
そのとおりでちゅ。
226 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 18:38
>197
クリスチャンを語って、人をこき落とす者が
いるようです。
おそらく、その人はクリスチャンではないでしょう。
気になさらないでください。
227 :
169以降でちゅ:2001/07/21(土) 19:58
>200 仏教徒さんへ
136のスレも仏教徒さんでちょうか。
「原罪」や「律法違反」を「表面的」なものと
書いておられまちゅが、それは違いまちゅよ。
「原罪」はすべての「罪」の根源にあるもので、
クリスチャンの「信仰」を考える上で、
非常に重要なポイントとなるものでちゅ。
「原罪」は「人間」が「神」から与えられた
「自由意思」を「自ら」のために用いたところに端を発しまちゅ。
創世記に「アダムとイブ」が楽園から追放されるくだりが、
ありますが、聖書で言いまちゅとちょうどあそこでちゅね。
この世には「殺人」だとか「窃盗」だとか様々な「罪」がありますが、
それらすべての「罪」は「自由意思」を「神」のために
ではなく「自ら」のために用いようとする「原罪」、
すなわち「神」から離れた「人間存在」のありようそのもの
が根っこにあったのでちゅ。
でちゅから、キリスト教徒にとって「原罪」は非常に
重要な意味をもちゅのでちゅよ。
いや、むちろ「信仰」と切って切り離すことができないものと、
考えてすらよいでちょう。
228 :
169以降でちゅ:2001/07/21(土) 20:11
>200 仏教徒さんへ
「律法」も、現在となってはもちろん適用できないものが多いでちゅが、
これも「信仰者」にとって大切なものでちゅ。
本来は旧約の教え、すなわちユダヤ教のものでありまちゅが、
キリスト教徒にとっても「戒め」として大切にされているものなんでちゅよ。
モーゼの「十戒」汝殺すなかれ、汝姦淫するなかれ、汝盗むなかれ、
などは有名でちゅね。
ゆえに「律法」も私たちクリスチャンにとって、
けっして「表面的」なものではなく、
日常生活に密着したところにあるのでちゅよ。
229 :
無宗教者:2001/07/21(土) 23:41
>>1 へ
宗教がいまひとつ信じられない、とか、聖書には矛盾があるから信じられない、
という思いは、あなたがとても当たり前の真っ当な感覚を持っている証拠ですよ。
無理して聖書やキリスト教を信じる必要などありません。
聖書の矛盾のあらさがしはキリがないし、時間の無駄。
どうせ信者である教師の護教論聞かされる。
ここのスレにも護教論がいっぱいだろ。
大人にはずるい奴もいる、そして
宗教の信者か否かは個人の性格やモラルの良し悪しとは関係がない、
といったことを、そのことから学べばよい。
それに、所詮学校教師なんてそんなもんだぜ。
だいたい、他人に説教や布教をする連中は、あまり信じないほうがいい、
と言っておこう。
これ見よがしの「信仰」を他人に見せる連中もね。
宗教なしで、健康でしなやかに創造的に生きていこうぜ。
230 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 01:39
なんか最初の方のレスに、日本ではクリスチャンはたかが人口の1%くらいしかいないのに、しかも日常的に生活しててクリスチャンという人種に会う確率が低いのに、たかが数人のクリスチャンに会っただけで、クリスチャン全体をこうだと決めつけないでくれ、てなご意見ありましたな。ま、それも一見ごもっともな意見のようにきこえますが、実際私も50人くらいのクリスチャンと出会ってますが、強烈にある種の傾向を感じるのは事実。だいたいこのレスの中でも、しょっちゅうでてくるのが、「クリスチャンだからって特別に優しい人だと期待しないでくれ、クリスチャンだってふつうの人間なのです」ってな発言。それがそもそも自分たちは特別な人間だっていう強烈な自意識の裏返しでしょ。ああヤダ。この強烈な選民思想。で、結論的に言えば、私がクリスチャンの連中とはなしていて、接していてまず感じるのは、やっぱ、こういう高慢さだもんね。自分できづかないのかね、自分の臭いは。別に私は、日本神話を信じる人がいるように、あなたがたが、ユダヤ神話だのキリスト伝説だのマリア伝説だの、矛盾に満ちたものを信じようとかまわんが、(不合理なるが故に我信ずというのも個人の自由だし)、でもこれだけは言っておく。あんたらは確かにゴーマン。そのゴーマンさに気づかず、あーだこーだと反論するんじゃねえ。これだけ複数の人間に「高見からものいうヤナ奴」と言われていることに、も少し思いをはせなさいよ。ま、言ってもムダか。神よ、彼らをゆるしたまえ、彼らは自分のしていることをしらないのだからってか?ほら、どこまでいってもタカビーじゃん。こういう独善的な
傾向性を持つ人々のいうことは受け流してしまいなされ。1の中学生よ。自意識過剰でしかも現実にまっとうに向かい合おうとしない連中のことなど気にせず明るい中学生活を送られたい。クリスチャンの実害にあってる人は、狂信者にはナニ言っても通じないので、なるたけ被害をさけることを工夫して生きるしかないですな、これこそ災難ってやつですね。最後にひとこと、確かにクリスチャンの中にもすばらしい人がいるのは認めますよ。中にはね。
231 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 13:08
日本人のクリスチャンは性格が悪いから、普及率が1%未満なんだよ。
欧米のクリスチャンは優しい人が多いぞ!
232 :
229=無宗教者:2001/07/22(日) 14:13
>>230 同意!
1よ、キリスト教とか聖書とか、うじうじ考えるより、
他のもっと自分の好きな楽しいことに貴重な時間を使え。
233 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 16:11
マザー・テレサやコルベ神父のようなものいる。
うちの爺さんが尊敬していた人で丹後地方にいた外人神父がいる。
福者になったとかならないとかいう噂をチラッと聞いたことがある。
でも、やっぱりそんなのより神道や日蓮系以外の仏教の方がいいわ。
この二つを最初のものを組み合わせれば完璧の感じがする。
キリスト教は、他を破壊したり潰してしまう要素がある。
本人等は全く気付いていないようだけど。それが気に食わんわ。
天皇家も当初は一神教だったけど国津系の影響を受けて交わったらしい。
ま、自分たちの支配に都合のいい部分を取り入れただけなんだけど・・・。
キリスト教もこれくらいになったらいいのにな。
少なくとも日本人のクリスチャンは自己批判精神が欠如しているのでしょう。
だから、選民思想に陥っていても、他者を裁いていても、その傲慢さを
疑ってみることをしないのです。
235 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 17:58
>>234確かに・・・。保守・原理主義者はいつも裁いてばかり。
私は「あなた方はいつか見になったのですか?」といいます。
236 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:46
おい、ちょっと、「169以降でちゅ」
「律法」とは「表面的」なことではなくて、戒めとして大切にされて、
日常生活の中に密着ちているわけでちゅね。
そうちゅると、クリスチャンっていう人たちは、
律法という歯止めがなければ
日常生活の中で
「姦淫」しちゃったり、
「殺し」ちゃったり、
「盗ん」じゃったり、
ついでに
「獣姦」しちゃったりちゅるのでちゅね。
237 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:51
>>236 意味不明
クリスチャンにとって
律法は心に書き記されているんです。
238 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 01:01
>>230 >それがそもそも自分たちは特別な人間だっていう
>強烈な自意識の裏返しでしょ。
>ああヤダ
>クリスチャンの連中
>自分できづかないのかね、自分の臭いは。
>でもこれだけは言っておく。
>あんたらは確かにゴーマン。そのゴーマンさに気づかず、
>あーだこーだと反論するんじゃねえ。
すごい語りっぷり!
すごい謙遜!!
あなたが一番!!!
239 :
:2001/07/23(月) 01:04
>>236 モーゼの当時は、ユダヤ人集団の間で、
そういう事をするやつがいるから禁止した。
でも現代日本社会でもやるやつはいるな。
「律法」って訳してるけど、意味は単なる「法律」。
(なんで漢字ひっくり返して訳したんだ??)
刑法で殺人、婦女暴行、姦通、強盗を禁じるのと同じ事。
あなたのクリスチャン批判は飛躍しすぎかな。
キリスト教嫌いの私が言うのもへんだが。
ここでクリスチャンの誰かが、
>「律法」とは「表面的」なことではなくて、戒めとして大切にされて、
日常生活の中に密着ちているわけでちゅね。
といったとしても、間に受けちゃいけない。
クリスチャンのいいそうなことだよ。説教の一つ、具体的な話じゃない。
最初から観念的にもの言ってるだけ。
(具体的に考えれば、殺さない、盗まない、だけで自慢してることになる。)
信徒ってどこの宗教でも、ああ言えばこう言う、ってところあるじゃない。
こういう観念的な語り方、ってクリスチャンがキリスト教話すときよくあるよ。
律法だって突き詰めれば、すごく厳しいことになるが、
そんなことクリスチャンはしやしないって。
甘っちょろい説教トークがすきなのさ。
240 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 01:07
>>236 じゃあ、あなたは日本の法律という歯止めがなかったら
日常生活の中で
「姦淫」しちゃったり、
「殺し」ちゃったり、
「盗ん」じゃったり、
ついでに
「獣姦」しちゃったりちゅるのでちゅね。
241 :
愛の要求は具体的??:2001/07/23(月) 01:25
神を愛するとは、どういうことか?
それを具体的に言い表したのが十戒だと思います。(申命記5章出エジプト記20章)
(私を愛するならば、)あなたは私以外に神とするはずがない。
(私を愛するならば、)あなたは私の名をみだりに呼んだりしない。
(私を愛するならば、)あなたは安息日を聖とする。
(私を愛するならば、)あなたは父母を敬わないはずがない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
と続くわけです。
イエスス・キリストは、律法の中で一番大切なのは、まず神を心を尽くし
精神を尽くし、思いを尽くして「愛する」ことだと仰いました。そして、
その愛で隣人を愛することだ。と言われます。(マタイ22:37-40など)
応える、待つ、赦す、などの重要なことが、「愛」の要素だと思いますが
パウロは次のように美しく「愛」を表現します(1コリント13章)。
「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は
騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも
、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に
等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を
死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、
自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。・・・・」
242 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 03:34
★★★みなさん!重大発表!!!!★★★
な、なんと。あの「俺」氏が精神病院に行き
悪霊追い出しを実践します。
もしこれが実現しなければ
「俺」氏は偽預言者、彼こそ悪霊つきです。
詳しい日時は、後日発表です!
こう御期待!!!
243 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 07:58
はっきり性格の悪さがわかるキリスト教徒はまだまし。
ユダヤ教徒なんて、すごく感じ良くて、性格良さそうに「見える」
のに、心の中では非ユダヤ人を激しく見下してるんだから。
もう、あいつらとは関わりたくない。
244 :
仏教徒:2001/07/23(月) 08:57
>>220-221,
>>226-227
これらはすべて、既存のキリスト教義の説明としてはよいでしょうが、ご自分の
頭で考えて「納得」された結論ではないでしょう?そこが問題だと思うのですよ。
仮定と事実とがごっちゃになっている。「もし、人が生まれながらにして罪人だ
と仮定するなら」キリスト教義の言っていることは正しい、とは言えるが、その
ためには、仮定が事実であることを証明する必要がある。仮定がそのままひとり
歩きしてよいのなら、「原罪」はイブとサタンの姦淫が原因になって発生したと
いう統○教会の仮定もあり、ということになる。
>それらすべての「罪」は「自由意思」を「神」のために
>ではなく「自ら」のために用いようとする「原罪」、
>すなわち「神」から離れた「人間存在」のありようそのもの
>が根っこにあったのでちゅ。
表現こそ違うが、仏教もギリシャ哲学(ストア学派)も同じことを主張している。
そして、神が望むこととは、このねじ曲がった人間との関係を修復することです。
罰とは、ある人の誤りを是正するために、反省の機会として与えられるものです。
人間の側が、悔い改めて「今まで自分勝手をして悪かった」と涙を流しているなら、
その時点で関係修復はなされたのです。そこで神が「お前は甘い。これまでのペナ
ルティーは、お前の体で払ってもらうぞ」と鞭を出してきたら、「放蕩息子」を
迎える神の姿がどこかへ吹っ飛んでしまう。仮に、「とは言うものの、私はお前達
を愛しているから、代わりに私のひとり息子を鞭打つとする」と言われたとしても、
まるで茶番のようにしか感じられない。そもそも「なぜ、悔い改めた人を鞭打つ必要
があるか」が疑問だからです。
喩えれば、今は日本語を自由にあやつれる大人が、小学生時代に国語の試験で落第点
を取ったことを責められて、ひたすら「あいうえお」を百回書かされるようなもの
です。この罰則は、今となっては何の役にも立たない。神がこんな無駄なことをされ
るとは、私にはどうしても信じられない。
245 :
名無しさん:2001/07/23(月) 12:35
>>231 そんなことないニュースで爆発事件の犯人死刑反対見るとアメリカのクリスチャン
て痛いなと思った。
246 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 13:20
>>189-191これについて「169以降でちゅ」さんは答えてね。
待っているよ。さて仕事仕事!
247 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 13:20
248 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 13:22
age
249 :
pistis:2001/07/23(月) 13:51
>>244 仏教徒さんの言われることに同感。かつ、これはキリスト教徒が奉じる
新約聖書中でも言われていることだ。少なくともパウロの言っているの
は、「・・・でちゅ」氏が言うような、後世になって成立したキリスト
教の主張とは全く違う。「自分の息子を人々の身代わりに鞭打つ」
というような意味の贖罪思想は、パウロにはなかった。
250 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 14:09
>229
「他人に説教や布教をする連中は、あまり信じないほうがいい」
「これ見よがしの「信仰」を他人に見せる連中もね。」
悪い宗教に引っかかった経験おもちなんでちゅね、可哀ちょうに。
一度、教会にいらっちゃいまちぇんか。
クリスチャンにはそういう人、幸いにしていないでちゅからね。
「宗教ありで、心の健康しなやかに生きていこうぜ。」でちゅよ。
251 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 14:43
>230
「独善的で、ゴーマンで、選民的で、自意識過剰で、
高みからものいうヤナやつ」でちゅって。
たくちゃん形容詞並べ立てられてまちゅけど、
よっぽど深く心の傷になってるんでちゅよね。
けど、ほら、そういう人たちって、
そこにも、あそこにも、あっちにも、見渡せばそこらじゅうに、
いっぱいおられまちぇん?
僕ちゃんの目の錯覚でちゅかね。
都会の人たちなんて、特にそんなふうにしか見えないでちゅよ。
多かれ少なかれ皆ちゃん、僕ちゃんももちろん含めてでちゅけど、
そんなものでちょう。
きっとご自分の「心」のうちに見たくないものを、
外へ投影して、嫌悪することで知らずのうちに
「抑圧」してるのでちょう。
クリスチャンにとって「心」の内に溢れる「醜さ」は
「罪」ゆえのこと。深く「自覚」してまちゅものね。
多くの日本人がするような「ごまかし」はしまちぇん。
クリスチャンが「罪」を「神」の前にさらけだして、
あまりにも晴々と生きているものだから癪に障ったので
ごじゃいまちょう。ご愁傷様でちゅ。
あなたもクリスチャンになって、
自らの「現実にまっとうに向き合って」生きてみまちぇんか?
252 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:02
>231
「信仰」って「普及」するものだったんでちゅか。
さすがの僕ちゃんも“知らなんだ”でちゅよ。
まぁ、でちゅけど日本は、
戦後の「冷蔵庫」や「テレビ」「洗濯機」などの
電機製品を見ても分かるように
「普及」する速さは「ピカ一」でちゅからね。ニッコリ。
「パソコン」や「インターネット」はどうでちたっけ?
その欧米のクリスチャンとは、どういう「状況」で
「優し」かったのでちょうねぇ。
日本のクリスチャンも「状況」しだいでは、
もちろん「優しい」のでちゅけれどもねぇ。
当然「状況」しだいでは日本のクリスチャン以上に
欧米のクリスチャンが「性格ワル〜」ということも
ありまちゅから、皆ちゃんくれぐれも、常識をおわきまえに
なられまちゅように。
まぁ、人間皆そうだ、と言ってしまえばそれまでなんでちゅけどね。
253 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:14
>233
「破壊したり潰して」しまいたくないのでちたら、
「原始時代」に戻られたらどうでちゅ。
もちろん「文明」はおろか「文化」も「科学・技術」も
ないでちょうが。
何事も用い方しだいということでちゅ。
より正確に申ち上げれば、使いようさえよいなら、
この場合、歴史解釈でちゅが、用いたいように用いるという
人々は幾らでもいらちゃっるということでちゅ。
254 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:21
>234
悪いことは申しましぇにゅ。
お言葉そのまま、お返しいたしまちゅから、
胸に御手をあてて、よ〜く我が身を
おふりかえりごじゃいまちぇ。
255 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:31
>236
ひょっとちて、日本語おわかりにならない方でちゅか?
いやいやひょっとちて「人間」がおわかりにならないとか?
「倫理・道徳」が「人間」ととんと違うのかもしれない
「地球外知性体」の方なら、ちょっと御説明不可能でちゅよ。
すみまちぇんが、お引取りくだちゃいまちぇ。
「戒め」が日常生活のなかで活かされる、ということくらい
常識でおわかりになりまちゅでちょ。
256 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:35
>238
そうそう、まさにそのとおりでちゅ。
「王様」なんでちゅよ、それも「裸」の。
257 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:37
ゆきさんでちゅか?
258 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 16:09
>241
ありがとうございますでちゅ。
「先生。律法の中で、大切な戒めはどれですか。」
そこでイエスは彼に言われた。
「「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、
あなたの神である主を愛せよ。」
これが大切な第一の戒めです。
「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。」
という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
(マタイ伝 22:36〜40)
クリスチャンなら一度は耳に聞き、
また、聖書を読み開いたことのある御言葉でちょう。
主を仰ぎ、主にとどまって、生きるものとされまちゅようにと、
祈らざるをえまちぇん。
(コリント人への第一の手紙 13章)
この個所を目にして、いつも思い出すのが、
卑俗な例で申し訳ないのでちゅが、「ダイアナ妃の葬儀」でありまちた。
彼女の実人生がどのようなものであったのか、
知るよしもないでちゅが、この個所の御言葉が、
彼女の今は亡き「人柄・人格」を、
いっそうひき立てたことは間違いないでちょう。
クリスチャンとして感慨深いものがありましたでちゅ。
259 :
169以降でちゅ:2001/07/23(月) 16:42
>244
189.190.191への回答、
もうしばらく、すこしだけおまちくだちゃいでちゅ。
時間がないので手短にお話しますが、
そもそも「信仰」とは頭で考えて「納得」するものではないでちょう。
だったら「信じる」のではなく「理解」すれば済むのでちゅから。
「信仰」と歴史的「事実」との間には何ら関係はありまちぇん。
まして、「人間観」そのものに関わることであれば、
なおさらのことでちょう。
あなたは「人が生まれながらの罪人ではない」ということを、
科学的な「事実」として「証明」できるのですか?
あえて言うと、
仏教徒の方々が「人間」に生まれながらの「罪」はない、
考えられるのがひとつの「人間観」なら、
また同じように、
キリスト教徒が「人間」には生まれながらに「罪」をもつ、
考えるのも、またひとつの「人間観」に根ざした
「信仰」のありようとして認められるのではないでちゅか?
何度か、仏教徒さんとはお話しをしてきましたが、
わたしは「仏教」のここがおかしいという「言い方」だけは、
一度もしてきませんでしたでちょう。
260 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 17:15
261 :
169以降でちゅ:2001/07/23(月) 17:59
>244
何度も申し上げまちゅが、
「罪」という概念を、キリスト教にもう少し歩みよったところで、
考えられまちぇんか?
最後に「どうしても信じられない」と書かれてありますが、
仏教徒であるあなたが別に「信じる」必要はないわけでちゅよ。
ただ「信仰」に即して考える場合には、
やはりその「宗教」が前提としているところに、
まず立っていただかないとどうしょうもないでちゅ。
わたしが「仏教」について考える時には、やはり
当然のことながら「仏教」が前提としている条件を、
踏まえるでちょうちね。
「人間」は「罪深い」ものでちゅ。
表面に見える「言動」だけでなく
「心」に溢れるすべての「思うこと」「感じること」「考えること」
それらのうちに「罪」が滲み出し、
外に現れてくるものを汚しているのでちゅ。
それは「神」から離れた「人間存在」そのもののありよう、
すなわち「原罪」に原因があるのであり、そこに、
すべての「罪」の根源があると考えるのでちゅ。
でちゅから、仏教徒の皆ちゃんが考えるような「罪」概念とは
ちがうのでちゅ。
262 :
169以降でちゅ:2001/07/23(月) 18:05
>244
189.190.191 については
後日、改めて回答いたちまちゅ。
263 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 19:46
age
264 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 01:16
ここは説教版か?
265 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 13:05
「説教版」じゃなくて「説教板」ね。
ちがうでしょ。
266 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 15:45
>189.190.191 について
いろいろ自由な意見、考えを
聞きたいなぁ。
267 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 21:11
>189 は明日、明後日あたりでちゅ。
268 :
1に同意:2001/07/25(水) 01:17
この訳の分からん語尾を使って説教しているのが、ひまな牧師だったら
笑えるね。
269 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 02:09
>>261それだけ知っているのに、
なぜキリスト教徒は他の信仰を裁けるのですか?
他の人をどうして裁くのですか?罪に定めますか?
あなた方は自覚しているなら、人を罪に定める事はできません。
神の名をむやみに使って人を裁いているとしか映りません。
なのにどうして罪に定める事ができるのですか?
古代のキリスト教は非常に物事を良く見つめていました。
釈迦でさえ聖人にしてしまったほどでした。
なぜこうなってしまったのでしょう?
お祭りで神輿を担ぐのはどうしてダメなんでしょう?
あれはあなた方の言う「神」ではありません。
土地の先祖です。先祖のお祭りですよ。
なぜ、参加してはならないというのですか?
なぜ先人をないがしろにするような行動をするのですか?
初めて土地にやってきた人があって、私たち人が住んでいます。
それに感謝して、これからも土地の発展があるように、
彼らの功績を記憶に留めるためにお祭りをします。
「人を愛しなさい」と言うわりに、
人を理解しようとしない姿勢でいるから、受け入れられません。
他の物は価値がない、
本当の神のものではないと断言できるのですか?
他は低いと断言できるのでしょうか?
なぜ仏壇を捨ててしまいますか?
邪なものとしてなぜ扱いますか?
先祖代々の大切なものを始末するんですか?
神と本当に交わりを回復したのなら、
人の大切な物を壊す事はしないはずですよ。
むしろ、故人の気持ちになって考えるはずです。
自らに罪があると認めるなら、罪を犯してしまうと
考えるのなら、なぜ人の立場に立って物事を
行おうとする気にならないのでしょうか?
私は大いに疑問があります。
270 :
おはつでちゅ:2001/07/25(水) 03:07
なんか罪の話、難ちいけど、ためになるでちゅ。
人はいろいろ。宗教もいろいろでちゅね。
そしていろんなクリスチャンがいるでちゅ。そしてクリスチャンでなくても
イエス様のような心を持つ人もいるでちゅ。
最近、入院してたのでちゅが、看護婦さんもいろいろでちた。
同じお勉強をして同じ資格を持っている人なのに、時間外でも声をかけに来てくれる人
がいたり、ただ事務的に事を済まして終わりの人もいるし、、、
もし、自分が冷たい看護婦さんが担当だったら、
きっと「看護婦さん」に悪いイメージしか持たなかったでちょう。
これからおいらも宗教のいろんな考えを知っていきたいデチュ。
そしてそれらを受け入れていきたいでちゅね。
271 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 13:49
>268
実は・・・・牧師なんです。
えっ、・・・・いや、
・・・嘘です。
「主よ、どうかこの罪深き僕(しもべ)を憐れみたまえ。」
「豊かな祝福と恵みを覚えて感謝いたします。」
「主の御名によってお祈りいたします。」
「アーメン。」
272 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 15:11
>おはつでちゅちゃんへ
そうでちゅ。
世の中にはいろんな人たちがいるんでちゅ。
けれども、すべての人たちは、
神様によって命を吹き込まれ、愛されて、
今、こうやって活かされてるのでちゅよ。
でちゅから、けっして人をあなたの「思い」で
裁くようなことがあってはなりまちぇんでちゅ。
すべての人は「神」さまから、それぞれに「賜物」をいただき、
それぞれに担わされた「お役」というものがありまちゅ。
「ある人」は軽かったり、また「ある人」は重かったり、
ということもおそらくあることでちょう。
「おはつでちゅちゃん」も「神」さまとの「お話」を
心がけてくだちゃいね。
「お祈り」のうちにきっと「神」さまが語りかけてくださることでちょう。
また、お話できるときを楽しみにしていまちゅ。
273 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 15:26
>269
ありがとうございまちゅ。
後日、改めてお返事いたちまちゅ。
274 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 15:34
赤ちゃん言葉で書き込むなよ。読みにくんだよ!!
275 :
でちゅ:2001/07/25(水) 19:21
>269
キリスト教徒が他の信仰を裁いてますか?
ならば、あえてお聞きしますが、
あなたがたはキリスト教徒を裁いてはいないのでしょうか?
「神」なんかいるわけがない。「信じる」だけでいったい何から救われるのか。
「罪」なんかあるわけがない、などなど。
あげていけばきりがありませんが、上のような例は、私などもよく耳にしますよ。
あたりまえの事ですが「信仰」は「科学」ではありません。
ゆえに「客観的事実」ではなく、「信仰」はあくまで「個人」の
「主観」による内面の「告白表明」でしかありえないものです。
誰もその真偽を問うこともできなれば、
また本来「信仰」それ自体の価値評価さえもしえないはずのものでしょう。
ですから、キリスト教徒がイエス・キリストによる魂の救済を信じること、
また、永遠の命を得て「主」とともに活きる、という魂の幸いを待ち望むことも、
すべては、私たちの「信仰」の「自由」のうちにあるべきはずのものなのです。
なのに、あなたがたは「なぜ人を罪に定めるのか」という。
私たちが「罪に定めている」のではない。
あなたがたが、私たちキリスト教徒を「罪に定めている」のではないですか。
あなたがたノンクリスチャンが「罪」に定められるか否か、は、
クリスチャンの誰にも知り得ようがない。
おそらく「神」だけがすべてを把握され、ご存知のことでしょう。
ただ、キリストを信じれば罪から贖い出される、という「信仰」上の「事実」を
私たちキリスト教徒は知っているだけのことなのです。(次番へ続く)
276 :
でちゅ:2001/07/25(水) 20:24
>269 (前番より続く)
「人を理解しようとしない」
でしたら、お言葉をそのままお返ししますから、わが身を振り返りみられたらいかがですか。
キリスト教がどのような「宗教」なのか、本当に理解されようと努められましたか?
私はキリスト教文化の背景にある「罪」の概念について、
考えを深められるように、それこそ何度となくクドクなるほどに、申し上げてきました。
少しは考えられましたか?
仏教の各宗派について詳しい知識は持ち合わせていませんが、
ここにいらっしゃるノンクリスチャンの方々が「罪」について心に留められることに比べれば、
はるかに深く「仏教」について関心を深めてみよう、と私自身は努めてきた自負があるつもりです。
なにもここに来てからのことではありません。
もちろん、私がそうした中で得た、持ち合わせている「知識」など微々たるものであることは間違いない。
しかし、問題は「知識」の量ではなく、その「姿勢」でしょう。
あなたがたが本当にキリスト教を、その「罪」の問題について少しでも
「理解」を深めようという「姿勢」を持ち合わせていたなら、
「キリスト教は日本にはなじまないんだよ」だの「日本人には罪などないんだよ」「キリスト教徒は業が深いんだよ」などと、
たとえ心のなかで思うことはあろうとも、口に出して、なおもキリスト教徒のまえで言えるはずがない。
はっきり、申し上げましょう。
あなたがたノンクリスチャンにキリスト教を、理解しようとする気持ちは、なんと言い訳をされようとも微塵とない。
このことだけは断言できるでしょう。
「罪」について言われたように考える機会を持たれたのなら、
キリストの救いについて、わたしが仏の教えに感じたように、少しは心に感じられたことも、おありのはずだ。
もし、それさえ何もないと言うなら、あなたがたはもはや「人間」ではない。
277 :
でちゅ:2001/07/25(水) 20:34
>269
残りについては、
>189.190.191 他と、
あわせて書かせていただきまちゅ。
278 :
:2001/07/25(水) 23:45
>>276 >あなたがたはもはや「人間」ではない。
でたでた。あんたたちクリスチャンて何様?
279 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 23:48
276のキリスト教徒いわく、『あなたがたはもはや「人間」ではない。』
このコトバで、歴史上、どれだけの人々が虐殺されてきたことか。
キリスト教は、ダントツで、「もっとも人を殺してる宗教」で〜す。
この間もセルビアがやってましたね。
280 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 02:19
>>275-276どうしてそこに陥ってしまうのでしょう?
非常に悲しく思います。
281 :
問:2001/07/26(木) 02:49
キリストが殺したわけではないでしょう?
キリストは人間の一つの生き方を示しただけで
その生き方を、宗教という理念に利用した人間が人を殺しただけ。
キリストの生き方と死に方を見て
苦しみも喜びも同伴者として生きる天国を得る
ということが
キリストの望むことだと思う。
282 :
仏教徒:2001/07/26(木) 07:53
>281
そうですね。確かにキリスト教にも仏教にも、「偏見」と呼ばれても仕方が
ないような、独特の価値観を頑なに守っているところがあって、それが
お互いに「臭くてかなわない」と感じているのでしょうね。
しかし、原点に戻って考えたら、教祖であるイエスや釈尊が説いた教えは、
「社会的に立派な人」とか「役に立つ人間と立たない人間」というような、
人間が勝手に作り出した価値観を破壊して、人間の原点=神対人間の立場
で人間の尊厳を認識することだったと思うのです。だからこそ、目指す
ゴールが「慈悲」に統一される。他人を責めるな、許せ、というのはどちら
も主張していることです。
ところが、後世の「後継者」があまりに愚かだったせいか、その根本精神が
キリスト教にも仏教にも伝わっていない。「外から押しつける価値観」に
すぎないんだよね。「○○でない者は人間でない」、「△△しない人間は地獄
へ落ちる」という具合。そもそも、イエスも釈尊も、そういう種類の一切の
「決めつけ」を否定したはずなのにね。いつの間にかパリサイ人の側に立って
いるんだから恐い。
283 :
でちゅ:2001/07/26(木) 14:20
>278
文章読むときは、最初から最後まで途中を読みとばさず、
文脈に沿って、きち〜んと正確に文意を
理解するように心がけまちょうね。
ちなみに、国語のお時間は良くできた方でちたか?
さすがに中学校では習ったはずなんでちゅけれどもねぇ。
>「罪」について言われたように考える機会を持たれたのなら
>キリストの救いについて……少しは心に感じられたことも、おありのはずだ。
と、私は条件をつけていたはずなんでちゅけれどね。
ひょっとして節穴?いやいや失礼でちた。
284 :
でちゅ:2001/07/26(木) 14:34
>279
論理が飛躍しすぎでちゅよ。
歴史・地理学をしっかりとお勉強しなおしまちょうね。
むしろ、そのような地域だからこそ、キリスト教のような
「愛」の宗教が求められたのだ、という言い方もできるでちょう。
ノンベンダラリンと平和ボケに酔いしれる日本には、
確かにキリスト教のような「愛」の宗教は
必要でないかもしれないでちゅねぇ。
いやいや、これもまた失礼いたしましたでちゅ。
285 :
でちゅ:2001/07/26(木) 14:35
>281
そのとおりでちゅ。
286 :
でちゅ:2001/07/26(木) 14:47
>281
そのような「聖性」に名を借りた争いは、
普遍性をもって、世界中、いつの時代にも、
どこにおいても見られた現象でちゅね。
もちろんアジア地域、儒教・仏教文化圏も、
この日本を含めて、しかりでごじゃりまちゅけれどもね。
287 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 14:55
>キリストが殺したわけではないでしょう?
>キリストは人間の一つの生き方を示しただけで
>その生き方を、宗教という理念に利用した人間が人を殺しただけ。
つまり、キリスト教徒が人を殺しただけか。
>キリストの生き方と死に方を見て
>苦しみも喜びも同伴者として生きる天国を得る
>ということが
>キリストの望むことだと思う。
そういう真のキリスト教徒がこの世に何人いるんだか。
288 :
マリア:2001/07/26(木) 15:06
269,189,190,191
こういう意見を、なぜキリスト教徒が真摯に受け取れないかは
後世の人たちの作り出した「教義」という壁があるのよ。
あたしは過去にキリスト教にいたから、よく分かるわ。
外部の目から見れば、キリスト教の教義は
イエスの説いたことと一見矛盾はするわね。
でも、キリスト教流というか、ユダヤ流に解くなら正統なのよ。
そういう解き方は、どう見てもイエズスは嫌ったはずなんだけど、
それを認めれば、キリスト教ではなくなる。
原始仏教と、さほど変わらなくなるのよ。
だから、釈迦も聖人として初期は認められていたらしいわ。
イエズスが唱えたのは「愛によって生きること。
互いに許し合うこと。これがなくては律法は生きない。
律法は人を裁くためのものでない」よ。他の説は後世のもの。
詳しく解説しようとしたために陥るのよ。
あたしはそれに対して、霊的に得られたもので
おかしいと指摘したけど、これは良くなかった。
でもね、やはりどう考えてもおかしいのよ。
律法至上主義ではない生き方を、イエスは提案しているのだから。
人は人らしく生きればよいという意味よ。
人は生まれついて、みんな罪を持っている。無くせないのだから。
289 :
でちゅ:2001/07/26(木) 15:10
>282
>確かにキリスト教にも仏教にも、「偏見」と呼ばれても仕方が
>ないような、独特の価値観を頑なに守っているところがあって、
具体的にどのような「偏見」があるのか教えてくれまちゅか?
わからないでちゅねぇ。
もちろん、それぞれの宗教には、それぞれに独特の価値観があるものでちゅよ。
そこに善悪などの価値判断をむやみに介在させることは、危険で無謀なことでちゅ。
>教祖であるイエスや釈尊が説いた教えは、
>「社会的に立派な人」とか「役に立つ人間と立たない人間」というような、
>人間が勝手に作り出した価値観を破壊して、人間の原点=神対人間の立場
>で人間の尊厳を認識することだったと思うのです。
そのとおりでちゅねぇ。少なくともイエスについてはでちゅよ。
>その根本精神が、キリスト教にも仏教にも伝わっていない。
>「外から押しつける価値観」にすぎないんだよね。
>「○○でない者は人間でない」、「△△しない人間は地獄に落ちる」という具合。
外から押しつける価値観ってなんでちゅか?
キリスト教には、「○○でない者は人間でない」、「△△しない人間は地獄に落ちる」
という考え方はないでちゅねぇ。仏教だけではないでちゅか?
キリスト教では「善人でなければ、善行つまなければ、救われない」ということは、
幸いにしてありまちぇんからね。
仏教は輪廻転生の思想がありまちゅから、そうなのかもしれまちぇんが。
290 :
でちゅ:2001/07/26(木) 15:27
>287
キリスト教徒だから「殺す」わけでも、
仏教徒だから「殺される」わけでもないことは、
小中学生でもなければ、おわかりになることでちょう。
「キリスト教徒が人を殺しただけか。」
そんな当たり前のことを聞いてどうちゅるの。
「仏教徒が人を殺しただけか。」と言い換えても意味が同じなのはわかりまちゅか?
あまりに能の無いことを聞いてくるので、
さすがの僕も不安になってきたでちゅよ。
きちんと学校でお勉強ちてきまちか。
ひょっとして何も学んできていないの、ボク?
「真の仏教徒がこの世に何人いるんだか。」
あえて同じことを聞き返せばわかりまちゅかね。
いかに愚かな質問か、よ〜く噛み締めて考えてみてくだちゃい。
291 :
問:2001/07/26(木) 15:39
外から押しつける価値観とは
仏教で言えば「分別をすること」
キリスト教で言えば「裁くこと」ではないでしょうか。
仏陀にしろ、イエスにしろ
その考え方や方法はどのようなものであるにしても
時を越えて今に伝わっているのは
かれらの「分別しない」「裁かない」という
あり方だと思います。
分別し、裁くことすなわち
善悪や好き嫌い、美醜や老若、貧富や賢愚によって人間を裁断せず、
裁断しないことによって人間への憎しみや妬みをもたず
慈悲と愛を持ってあるがままに
世界を見る…
少なくともイエスや仏陀はそうあろうと
努力していたように感じます。
292 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 16:05
>>289ご自分の発言と矛盾することは言ってはいけません。
また、
>>290そんなのに一々構うあなたは既に混乱してます。
愚かと指摘するあなたは既に愚かです。
もっと気をしっかりお持ちなさい。
293 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 16:20
>291
そのとおりでちゅね。
>292
僕のどの発言と矛盾してるんでちゅ。
別に混乱してまちぇんちょ。
間違え、は正すべきでちょう。
294 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 16:40
>281.287
>キリストは人間の一つの生き方を示しただけで
>その生き方を、宗教という理念に利用した人間が人を殺しただけ。
掻い摘んで要約すれば、
「キリストの生き方を、宗教という理念に利用した人間が人を殺した」
ということでちょうか?
もう少し噛み砕いてわかりやすく説明しなおしていただけまちぇんか?
「生き方」を「宗教」という「理念」に「利用」してって、
皆ちゃん、読んですぐに理解できまちゅか?
まぁ、そんな訳のわからない「人間」なら、「人」を殺しても
おかしくはないか、という変なところで妙な説得力のある
言い方だとは、確かに思いまちゅけどね。
もう少し、皆ちゃん、日本語に習得されたほうが良いでちゅ。
「キリストの生き方」を「根本理念」に立てられた「宗教」というなら、
かろうじて意味を汲み取れないこともないでちゅが、
いずれにしろ「キリスト教」は「キリストの生き方」を通じて、
「道徳」を教えるものではないでちゅからねぇ。
あくまで「道徳」はあとからついてくれば「良かれ」というもの。
295 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 16:44
↑偽でちゅ氏か?
296 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:06
イエスさんの言葉を拾って読めば心は荒々しくなりようがないと思う。
ただ、新約聖書を作った人々の何人かは、
イエスさんと自身の差にコンプレックスを感じて罪悪感を感じ、
その苦しみの原因を直視せずに逃げて、
結果的には、他人にのろいをかけるようにその苦しみを転嫁して押し付けてしまっている面もある。
その悪影響が、歴代の神父さんや牧師さんに連綿と遺伝してしまっている。
まるで、最近話題の虐待が受け継がれるようなものだと思う。
もちろん、すべての神父さんや牧師さんや信者さんがそうだとは思わないよ。
宗教以前に、根は悪い人じゃなくても、人の心に楔を打つ言葉しか言えないことは
やっぱり恥ずかしいことだと思う。
自覚は、他人に強制されたときに、精神暴力になってしまう。
だから、自覚は、なるだけ穏やかな方法で、持てるようにありたい。
297 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:11
>281.287 (294番より続く)
「主」の「福音」をつうじて「罪」の淵にあるすべての「人々」を
「救い出す」のが「キリスト教」の「精神」でちゅよ。
「キリスト教」を誤解してるんじゃないでちゅか?
しかも「キリストの生き方」を、その「宗教という理念」とかいうものに
「利用」して「人」を「殺す」だなんて?
(全くもって僕ちゃんには理解不能な表現でちゅが、そもそも「利用」するものなわけ?)
もし「信仰者」なら「風下」にもおけない「輩」でちゅよね。
クリスチャンでないから、というよりも、
おそらく「宗教」がどういうものなのかが、分かってないからなのでちょうけど
こういう意味不明な文章は読む人を混乱させるし、
キリスト教に対して誤解さえ生み出しかねないものでちゅ。
僕ちゃんも、うっかり読み過ごしてしまうところでちたが、
以降は気をつけてくだちゃい。
「キリスト教徒がかかわった人殺し」にそこまでこだわるというのも、
本当に不思議な感覚を持ったお人たちでちゅ。
298 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:11
このスレのテーマは、
仏教で言えば、中途半端に空性の一端だけを知っただけで天狗になって
他人に無神経な言動を続ける、困った修行者の問題に近いね。
仏教だと、空性だけを単独で追求すると、そうなってしまうと言われてる。
キリスト教だと、霊性だけを、しかも偏った視点からだけで、
保とうとすると、そうなりやすい気がするんですが。
私には、そう感じますが、実際のところはわかりません。
愛とかいうと、難しく感じますけど、
他人の痛みを感じて、考えて、考慮して、
他人に失礼のないように気を付けることはそんなに難しいことではないと思います。
299 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:11
>>293バカにしたように言っているでしょう?
そういうふうに受け取られている事にも目を向けるべきです。
煽りというのは、そういう部分に目を向けます。
ですから、言葉には気を付けなければいけません。
あなたはキリスト教徒と宣言している以上、
これには気をつけましょう。
ここはキリスト教を罵倒するスレッドと化しています。
あなたの一言が大変重要な意味を持っています。
私もかつてのキリスト教徒の過激主義に警戒を持っています。
他の宗教の過激主義にも同様に警戒を持っています。
神道の世界でも、天孫系の民が国津系の民を誅しています。
仏教徒もキリスト教徒を殺しています。
そして、現在の方向にも憂慮しています。
現に仏壇・神棚・葬式等々の扱いについての
キリスト教徒と伝統宗教信者とはトラブルはあります。
教派や信者により違いがある等々のことは
一般日本人には理解できません。
オウムなどカルト宗教が出ているから警戒しているのです。
300 :
でちゅ:2001/07/26(木) 17:13
>295
>293.294.297 は「でちゅ」でちゅよ。
名前いれまちゅので。
301 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:19
仏教とキリスト教の本来の教えどうしを比較することは意味はありますが、
それぞれの現状の腐った部分だけを取り上げて、
都合の良いように批評、批判しても各自の自己満足になってしまいます。
ただ、構造的に、成立過程などで、きわめておかしな部分があるならば
それはまじめな態度で、話し合えばいいと思います。
それ以前に、そういうことの双方の合意を得ないまま、
勝手に都合の悪い部分だけを羅列しても、本当に意味はないですよ。
特に290以前の方々。
嫌らしいディベートをしても、無意味な傷しか残りません。
宗教がらみのテーマは、ディベートの嫌らしい技術を用いることだけで、
自身の心の卑屈さを表しているようなものなのです。
302 :
でちゅ:2001/07/26(木) 17:25
>299
ご忠告ありがとうございます。
けっして「馬鹿」にしているのではありません。
ただ、皆さん、キリスト教を誤解されている方が多いようですから、
それで心ならずも、少々キツイ口調となってしまいました。
もし、不快に感じられた方がおられましたら、
他意はありませんので、お許しください。
私自身は、過激主義でもなんでもありませんよ。
一介の穏健な福音主義派のプロテスタント信者です。
「主」の「救い」にあずかり、
「日々の霊的な守護と導き」を覚え感謝をしています。
皆様の上にも「「主」の豊かな「祝福」と「恵み」が
望みますように、お祈りいたします。
303 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:27
嫌らしいディベートをしても、無意味な傷しか残りません。
本当に注意してください。
304 :
でちゅ:2001/07/26(木) 17:30
>298
>愛とかいうと、難しく感じますけど、
>他人の痛みを感じて、考えて、考慮して、
>他人に失礼のないように気を付けることは
>そんなに難しいことではないと思います
そのとおりでちゅね。みなさん気をつけまちょう。
人を裁いてはいけないでちゅ。
305 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:32
>「主」の「福音」をつうじて「罪」の淵にあるすべての「人々」を
「救い出す」のが「キリスト教」の「精神」でちゅよ。
しかし、勘違いをしている信者は宗教が違えば救われていないと解きます。
それには、これからの時代は気を付けなければいけません。
キリスト教の「救い」が必要な人はキリスト教を選びます。
しかし、必要がない人はキリスト教を選びません。
これを裁いてはいけませんね。それを裁く人がキリスト教の信者にいます。
これには気をつけて頂きたいと思います。
もう他の信仰を裁くような時代は終わったのだと思います。
これからは、他の宗教の真髄に気を付けなければなりません。
306 :
でちゅ:2001/07/26(木) 17:33
>303
ディベートを仕掛けている人がいるんでちゅよ。
皆ちゃん気をつけまちょう。
307 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:45
それぞれが求めるものを選ぶことには誰も干渉できませんからね。
ただ、注意すべきことがあるとすれば、
求めるものが本当にその宗教や教えで得られる(★「得る」とはあくまで仮の表現です)
かをある程度下調べはしたほうが良いでしょう。
これは、各教えや宗教の良し悪しの問題ではなく、
物事の道理や、筋道の問題だと思います。
掃除機とホウキは、似た機能を持ちますが、
完全互換ではありませんよね?
どうしてもどちらかしかなくてしょうがないこともあるかもしれませんが、
その場合は、それを自覚しないといけません。
あと、似たような成果や境地があるからと言って、
妙にどの宗教も究極は同じだと思ってしまうことも、
あまり好ましくないと私は思います。
両方の宗教を同時に持つことはできないし、それは失礼なことだし、
そうである以上、現状ではなく、各宗教の本質そのものに対しては、
互いに敬意を払うほうが、お互いの幸せになると思います。
求めてるものが、完全に同じでない以上、しょうがないよ。
308 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:51
でちゅさん。実は、私はカトリック教徒です。
少々意地悪なことを書きましたが、わざとです。
その点はお許しください。
実は、私もこのような道に一時陥りかけていたんです。
教会内で権力を持つ保守派信徒たちの影響を受けて。
主(非教徒として現れた主)のお叱りを受け
改心することが出来ました。
仏事・御祭、今では何の抵抗なく出ています。
309 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 19:25
ありゃりゃ、みなさん。改心かー。
改心したとたんに全員にわか説教師…
まず神の前で懺悔してこないといけないじゃないの?
310 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 19:26
そうそう今までの嫌らしいディベートについてねー。
311 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 19:40
もしここに仏教徒が書き込んでいたなら、自らの過失について、
自らと一切衆生に対して、そして内にも外にも何処にも遍満する仏に対して
懺悔(さんげ←仏教では zangeでなくsangeです)したほうがいいかもね。
312 :
でちゅ:2001/07/26(木) 21:00
今日の午後はちょっと疲れてしまいましたでちゅ。
「裁いている」クリスチャンが自分も含めて廻りにいないものでちゅから、
言われていることが、よくのみこめてませんでちたよ。
「裁いている」クリスチャンがおっしゃるように、
おられるのなら、注意を促す必要があるのでちょう。
313 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:10
>>312いろいろといるものです。
そして自分が知らず知らずの内に裁いていることもあります。
そういう意味で、外部の方(私は主や天使が姿を変えて
来られていると思っています。その方のことをお調べしても
実在の人ではなかったりもしたものですから・・・)の御意見には
常に耳を傾けて気をつけていくべきだと思います。
314 :
でちゅ:2001/07/26(木) 21:15
>288
キリスト教は「律法主義」ではありませんでちゅ。
そのような意味で、こんにちの「キリスト教」も
当時の「イエスの教え」も基本的に同じものだとは、
考えられないでちゅか?
キリスト教徒は「パリサイ人的だ」と言われますけれど、
よくわからないでちゅね。
わたしたちクリスチャンは、ただ「キリストによる贖い」を
「信仰」上の事実として知っているだけのことで、
実際のところ、それ以上でも、それ以下でもありまちぇんもの。
少なくとも私のまわりでは。
ですから「裁き」ようがないでちゅ。
189、190、191のような事例が身近になかったので、
どのようにお答えすればよいのか、本を読んで勉強してただけでちゅよ。
315 :
でちゅ:2001/07/26(木) 21:22
もちろん知らず知らずの内に裁いていることはあるでちょうね。
自戒しなくてはならないことでちゅ。
クリスチャン以外の方々については「神さま」が良きように
計らわれるのだ、と教えられていまちゅ。
すべての人が「神さま」の御手の内にあるのですから、
それでよいのでちょう。
「神さま」にお出来にならないことはないのでちゅから。
それ以上のことについては、クリスチャンは一切知りえないことでちゅ。
316 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:49
>>314運用の仕方で陥ってしまうものです。
パリサイ人的姿勢というのは我々の無意識の不注意から
滲み出ているものなのです。
「救いに導いてあげよう」と考えるのが
既にパリサイ的なのです。
「共に救いに預かる」と考えればよいと
かつて思い知らされました。
189,190,191の事例についてはカトリックには
あまりありません。神父が注意します。
しかし、カトリックでは教会内の保守派が
よく他の考え方の人を裁きます。
また、キリスト教会内では
互いの教派の教えを裁き合うこともその一つです。
自分と違う道を歩む仲間には敬意を払うべきでしょうね。
そのため私はバチカンの近年の対応にショックを受けています。
私の教会内の多くの信者の方もショックを受けています。
ヨハネス23世の時代は活気にあふれていましたから・・・。
それ以後プロテスタント教会とは早朝合同礼拝を行ってきました。
ドミヌス・イエズス後、カトリック内では保守派の力が
増してきています。神の国が来るようにいつも祈っております。
317 :
でちゅ:2001/07/26(木) 22:08
>189
いつ他の「信仰」を容易に「神のものでない」と断定したでちょう。
少なくとも「信仰者」であれば、
そのように断定することは、けっして「容易」ではないでちょうね。
私たちクリスチャンにとって「救い」は「イエスに拠らなければ」得られない、
という、あくまで「信仰」上の事実なのでちゅから。
「科学的」に「実証」された「客観的事実」ではないということを、
よくよく考えてみられてくだちゃい。
275番をもう一度よく読みなおしてくだちゃれば、理解できるでちょう。
偶像崇拝はそのとおりでちょ。
なぜなら「神」はこの世にあって「姿」のあるお方ではないのでちゅから。
「正しい」行いをしていようがいまいが、
偶像崇拝の正否の判断には関係がないはずでちゅね。
「交わり」というのは双方向の関係を意味するのでちゅ。
でちゅから、「神」の御手の中にあって、働きを受けている、という意味においては、
確かに私たちは「神」とのあいだに「関係」をもっているのでちゅが、
しかし、それは「交わり」とは違う性格のものなんでちゅね。
いったい、どれだけの人たちが「自覚的」に「神」との関係を、
ひとときでも持とうと努めていることでちょうか。
祈りの時をもつということは「信仰」をもつクリスチャンにとってさえ、
それはなかんずく「意志」を必要とするものなのでちゅ。
考えれば、おのずとわかるはずのことでちゅね。
とりあえず、189番についてお答えしましたでちゅ。
318 :
でちゅ:2001/07/26(木) 22:12
>316
ハンドルネームお持ちなのでしたら、そちらを使っていただけませんか。
話のつながりが確認しずらいので。
319 :
でちゅ:2001/07/26(木) 22:32
>190 (190の前半)
ですから「親族の葬式についてまでキリスト教にこだわる」という
ケースを私は知らないのでちゅよ。
お婆さんが生きてらっしゃるのに「仏壇や神棚」を燃やしてしまう、
というのも聞いたことがないでちゅ。
そのお婆さん、もちろんノンクリスチャンなんでちゅよね。
そういう例って、どうなんでちょ、かなりレアなケースなのではありまちぇんか。
そのような特殊な場合における対処の仕方というのでちゅか、
考え方というのがちょっと検討もつかないんでちゅね。
詳細や経緯がわからない以上、軽はずみな発言はできないでちゅ。
当然のことでちゅけどもね。
なにか、よほどの事情が、そのご家庭にあったのかもしれないでちょうし、
ただ、とにかく、キリスト教界において、
けっして日常的にあるようなことでないことだけは、
間違いなく言えることでちょう。
カトリック教会については、よくは存じ上げておりまちぇんので、
なんとも申し上げられまちぇんが、いずれの「宗派」にしろ
「他教は撲滅して当たり前」という考え方はないはずでちゅよ。
すくなくとも「当たり前」は、明らかに表現が過ぎますでちゅ。
320 :
でちゅ:2001/07/26(木) 23:05
>316
「救いに導いてあげよう」と考える「クリスチャン」が本当にいるなのなら、
その人はちょっとおかしいのかもしれまちぇんね。
なぜなら「導く」のはあくまで「神」であって、
私たち「信者」はそれを見守るだけのことしかできないでちゅもの。
「信じろ」と言って「信じれる」ものではないことぐらい、
まっとうな「信者」ならわきまえているはずのことでちゅよ。
「神」さまに「その方」をおゆだねしてお祈りするだけでちゅ。
幸いにして、私の廻りには「導こう」などという「無謀」な「願望」を抱いた
「クリスチャン」はおりまちぇんけれどもね。
「他派」を「裁いている」教会などというのが、本当にあるんでちょうか。
私はあいにくにして知らないでちゅね。
すべては「神の御心のうちに」と聞かされていまちゅから、
それ以上のことは何とも考えようがないでちゅ。
もちろん「裁き」という意味においてでちゅよ。
敬意は当然払うべきはずのことでちゅ。
というよりも、他宗派の方を知り合いや友人、結婚相手にもってらっしゃる方、
廻りにいらっしゃらないんでちゅか。
おられまちゅでちょ、どうされてまちゅか、皆ちゃん。
私の廻りでも結婚を含めてつながりをもった方は、もちろんいらっしゃいますが、
皆さん、仲良くやってられるようでちゅよ、教会にも来られまちゅし。
繰り返すようでちゅが「裁き」あうのは本当にいけない事でちゅね。
321 :
でちゅ:2001/07/26(木) 23:14
今日は、以上でちゅ。
>190の後半以降については、また後日でちゅ。
322 :
横槍:2001/07/26(木) 23:49
ナザレのイエスが人を殺したわけがありませんが、
欧州のキリスト教が宗教を理由として、虐殺としかいいようのない
他民族、他人種、他宗教信者の迫害(直接間接の殺人を大量に含みます)
を行った歴史は、まさか否定されるわけではないですよね。
少なくとも歴史で我々が知る範囲内では、キリスト教が最もその宗教の
名において人殺しを正当化して実行してきたことは、中南米、アフリカの歴史を
見れば明らか。なお、仏教徒にも人殺しがいたとか、そういう反論は変です。
迫害・虐殺を堂々と宗教が正当化した、というのがキリスト教の歴史の特徴ですから。
現代日本のキリスト教徒がそういう負の側面を共有しているとはまさか思いませんが、
歴史は直視してもらわなければ...
セルビアの例を見ても、前の書き込みの人の指摘は外れているとは思いません。
323 :
横槍:2001/07/26(木) 23:56
それに、ナザレのイエスがその行動と共に示した主張・思想と、
キリスト教とは、ぜんぜん別のものでしょう?
キリスト教って、誰かが書いてたけど、イエスを飛び越して、
実はユダヤ教につながっちゃうところ多いですよね。
ナザレのイエスは、当時のユダヤ教が民衆に強いていたこと(イコール
後のキリスト教が踏襲したこと)をぶっつぶそうとしたんだと思います。
イエスがもしホントに生き返ってたら、
絶対キリスト教と闘ったでしょうね。
>イエスがもしホントに生き返ってたら、
>絶対キリスト教と闘ったでしょうね。
感動とともに同意します。
325 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:09
>キリスト教が最もその宗教の名において人殺しを正当化して実行してきたことは、中南米、アフリカの歴史を
見れば明らか。
要するに、原住民がキリスト教徒にずいぶんポアされたってことね
326 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:40
↑ これらに対するクリスチャンの反撃は
さぞ激しいものか、あるいは、
さぞしつこいものになるであろう。
327 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 00:44
そのとおりです。宣教師の一部は本国やローマへ
訴えましたが逆に虐殺されて果てました。
328 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 03:20
過失より 過失を直視 しないのが
一番心を汚す 原因
人間は 毎日過失の お祭りさ
だから過失を 直視すべきだ
人間は 安易な道に 流れ易い
開き直りの信仰 最悪
神様に 許されることも 大事だが
あなた自身が 神を許せよ
神様を 許してはじめて 皆さんは
すべてを愛する 用意が整う
329 :
でちゅ:2001/07/27(金) 15:12
>322.323
主導的な働きをしたかどうかは、ともかく、
容認してきたことは認めざるをえないでしょう。
しかし、それらさまざまな罪を犯してきた「カトリック」が、
今日、どのような働きを成しているか、成そうとしているか、
についても考察を加えることは、
過去を批判するばかりでは得られない有益な「実り」を、
あなた方にもたらすことも、また、
間違いのない事実でありましょう。
「佛教」は「カトリック」が犯してきたような、
「罪」をただ犯さずに済む「環境」にあっただけなのだ、という
「謙虚」な認識を「仏教徒」の方々は持つべきでありましょう。
おうおうにして「人」は、
「宗教」に使われているような気になりながら、
いつのまにか「宗教」を自分たちの都合のよいように、
使ってしまいがちなものです。
間違えてならないのは「罪」を犯すのは「宗教」ではなく、
「人間」であるということ。
「仏教徒」の方々も、そのような意味で「裁く」わが身のうちに、
破滅にいたる「穴」がぽっかり口を開けていないかどうか、
よくよく確かめることですね。
330 :
でちゅ:2001/07/27(金) 15:39
>323.324
>ナザレのイエスがその行動と共に示した主張・思想と、
>キリスト教とは、ぜんぜん別のものでしょう?
あなた方は、キリスト教の各宗派について調べられましたか?
受け売りでものを言うのはよくありませんよ。
>イエスがもしホントに生き返ってたら、
>絶対キリスト教と闘ったでしょうね。
個人的にどのような見解を持とうが、それはあなた方の自由。
しかし「絶対」という言葉を使うということは、
よほどの確信があるのでしょうか。
(根拠も無しに、ということもままあるようですが)
でなければ、単なる「思い込み」?
まずは「聖書」をよくお読みになられることを、
お勧めします。
>325.327.328
あなた方も、329番に目を通し、胸に手を当てて、
よく考えてみること。
考える「ふり」はだめですよ。
331 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 18:02
人って、自分の過失を反省すればそれでいいんじゃないの?
自分の過失を反省するときに、他人や他教のことを言及する必要があるかなあ。
仏教徒が自身を反省するのにキリスト教徒にトゲのある言葉を吐くのも意味ないし、
キリスト教徒が自身を反省するのに仏教徒にトゲのある言葉を吐くのも意味ないよ。
同じように、仏教徒が自教の正当性を説明するのにキリスト教徒の話を無意味に持ち出す必要もないし、
キリスト教徒が自教の正当性を説明するのに仏教徒の話を無意味に持ち出す必要もないと思う。
いかに、自身の信仰または信心する教えで、自らよく吟味しながら、
妥当な有り様をしているかを見つめていけば、それでいいと思うけどなあ。
話題がないのに、無理に話題のテーマを作って、自らの正当性を主張することを
不毛なディベートって言うんだと思うよ。あるいは、マッチ&ポンプ。
このスレは、ただ、この不毛で自己満足なマッチ&ポンプの繰り返しになっている。
332 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 18:29
「今回敢えて」みたいに言いながら、
ほとんど毎回人の心をえぐることだけを目的とした言葉しか
使ってないのは問題ありだと思います。
それは、目的のためなら手段を選ばずで事件を犯した
あの教団と変わらないと思います。
厳しい言葉と、人の心をえぐる言葉とは違うと思います。
それに、厳しい言葉を使うのは、
穏やかな手段を尽くした最後の手段って認識ないと危険だと思います
本当に、穏やかな説明の手段を尽くしたのでしょうか?
それに、愛を持って敢えて厳しい言葉で相手を諭す人間が、
果たして後から「実は〜だった」とタネ証をするでしょうか?
リスクを負う愛の表現を使ったのなら、最後までその責任を負うのが
人の道だと思います。
これも、宗教以前の問題だと思います。
333 :
ペトロ・マルコ:2001/07/27(金) 18:41
でちゅさん、外国ではよく教派を問わずクリスチャンが
他の宗教の像に害を加えることは多々あります。
宣教師が改宗者に捨てるように指示したりします。
それが現地の宗教の反感を買います。そこから暴動が起こります。
そういうことはニュースでもたまに報じられます。
非信者の方はこういう記事には敏感です。
我々信者は信じられないので鈍感になりやすいですね。
我々がしていなくても、している信者もおります。
現にそれは事実です。いのちのことば社のことがこの板でも出ています。
未確認ですが、ある本には仏壇や神棚を捨てると肯定されているようです。
多分、原理主義の単立教会と推測はするのですが、
福音派と名乗っているようです。知っておられますか?
私の身の回りには非信者のことには関心がなくとも
信者については関心があるようで、裁く保守信者がいます。
ヤフーのカトリックトピのカツラさんのようなお方です。
また、2chではマリア崇敬に対する問題提起でもめています。
互いの教義に基づき「罪」と言い合う姿しか
非信者の方には見えないのです。
こういう人たちと一緒にされても非常に困りますが・・・。
それから327は私です。
宣教師のある一団が原住民をかばって逆に殺されてしまいました。
日本でもキリシタン大名がいた頃は宣教師たちは
神社仏閣を取り壊すように指示したこともあります。
これと長崎が教会領として寄進されたことが
豊臣家の不信感を招き、禁止令が発令されました。
徳川家は当初は寛容でしたが、
スペイン・ポルトガルの植民地政策を知り退けた結果が
キリシタン禁制です。彼らは宣教師を用いました。
アジア諸国でキリスト教が嫌悪されるのはこのような理由です。
それからキリスト教の教派を問わず、
今でもアメリカには魔女狩法が残っている州もあります。
実際には運用されませんが・・・。なんだか怪しい雲行きのようです。
このことも非教徒は知っています。それで危機感を抱くのです。
危険がないことをもっと知らせねばなりませんね。
334 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 19:02
別にクリスチャンが性格悪いとは思わんけど、
この場所に限って言うならば
もう少し他人とのコミュニケーションの仕方は考えたほうがいいと思うぞ。
宗教やってるからって人格者とは限らんし、むしろ逆だから宗教やる人もいるだろうし、
だが、それなりに痛みに敏感な人たちなんだろうからさあ、
せっかくのその痛みの体験をもっと生かして人に優しくできないものなのか?
おれは、もったいないと思うぞ。
深く傷ついたことがある人ほど、それを癒していく過程で
自然に優しくなっていくって言うじゃないか?
もったいないぞ。もっと生かせよ。その体験を。一概には言えんのかも知れんけどな。
335 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 19:03
↑もしこれ読んで不快になったのならすまん。
ただ、言わんとしていることはわかってくれ。じゃあな。
336 :
でちゅ:2001/07/27(金) 19:39
>331
そのとおりなんですよね。
仏教徒なのか、はたまた仏教徒を装ったキリスト教徒なのか、
誰だかわからないんですが、キリスト教、いや「宗教」のことさえ、
よく理解できてもいないようなのに、「キリスト教」について、
色々と批判をしてきて困っているんですよ。
>話題がないのに、無理に話題のテーマを作って、自らの正当性を主張することを
>不毛なディベートって言うんだと思うよ。
その通りなんです。
>323.324.325.327.328の方々に聞いてほしい言葉ですよ。
337 :
でちゅ:2001/07/27(金) 19:59
>332
>厳しい言葉と、人の心をえぐる言葉とは違うと思います。
そのとおりですね。
私自身、それぞれの「問いかけ」に相応しい「答えの出し方」を
心がけてきた自負はあるんですけれど、
どうも「キリスト教」への「無反省」な「批判」が相変わらず
飽きもせず、繰りかえし湧いて出てきているところからすると、
期待していたような効果が、もう一つでてないようなんですね。
ちょっと、優しい表現しすぎたかな、と思ったりはするんですけれど、
「信仰」を持ってない人に、その内実を説明するのは、
本当に至難の技ですよ。
>愛を持って敢えて厳しい言葉で相手を諭す人間が、
>果たして後から「実は〜だった」とタネ証をするでしょうか?
優しい「人間」なので「厳しい言葉」というのが苦手なんですよ。
どうしても「甘さ」が滲みでてしまいますから。
「実は…だった。」と言うのは、ちょっと、表現の意味が掴みかねますが、
私自身は、少なくとも「信仰者」として一貫した責任ある「態度」を、
とっていますよ。
338 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 20:12
みんなもうちょい肩の力抜いて話そうよ。
肩の力抜いてに話したからって言っても、ふざけたことにはならないのだしさあ。
キリスト教徒どうしが他宗教の話したいのなら、
他教徒の人が見に来ない場所で話すのが失礼がないと思うけどな。
もちろん、これは私の考えであって強制はできないけど、
だってさ、他宗教の専門家じゃないんだから、他宗教語れば明らかな誤りあるわけで、
それを他宗教の信者が見たら、あまりうれしくないと思うんだよね。
だいいち、ここには誰が来てもいいんだしさあ。
面倒くさいことだけど、こういう小さい気遣いを積み重ねるセンスってのも大事だと思うよ。
これは偽善と違うわけだし。
だれだって、痛いと感じたものは痛いんだもん。
それは何教徒でも同じだよ。
ある人にとって痛くないことでも、他人には痛いこともある。
その逆もある。
だからといって、どちらの痛みが大きな痛みかなんてわからないよね。
痛いものは、誰の痛みであっても、痛いんだって。ほんとに。
と思ったら、もうちょい配慮しあわない?
信仰持つ人、持たない人、他教徒でも誰でもいいけど。
339 :
でちゅ:2001/07/27(金) 20:31
>333 ペテロ・マルコ様
ありがとうございます。
あなたは「カトリック」の方ですね。
このような言い方は、恐らく言い訳にもならないでしょうが、
一つ意を汲んでお聞きいれください。
私は、この間も書きましたように、
「穏健派の福音主義プロテスタント教会」の一信者です。
よくご存知のこととは思いますが、福音教会のご多分に漏れず、小さな教団で、
カトリックのような世界規模の組織を持って海外宣教をしてる、
というようなところでもないものですから、
私自身、海外の状況については、あまり深い関心は抱いておりませんでした。
マルコさんがおっしゃっているような事態が「海外」の宣教の場で
起こっているとは、実は、露ほども知らずにおりました。
本当のところを言うと「未信者」の方と「対応」するにあたって、
私の認識に「甘さ」があったかもしれない、という後悔はあります。
もう少し早く、このようなお話が出きる機会が持てたら良かったかもしれない、
と思っていますよ。
私の周りに「未信者」他の方々が言われてくるような事態が、
起こってないものですからね、実際のところ。
仏壇や神棚の話にしても、ちょっと信じられないですよ。
私自身は、言われているような「教団」も「教会」も存じ上げていないですね。
いろんな「信仰観」をもった方が、
世の中にいらっしゃることはもちろん承知してますが、
本当に「未信者」の方々を「信じなれば地獄に落ちるぞ」とか言って、
裁いている人たちっていらっしゃるんですかね。(次番へ続く)
340 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 21:13
>本当に「未信者」の方々を「信じなれば地獄に落ちるぞ」とか言って、
>裁いている人たちっていらっしゃるんですかね
どの宗教や宗派であれ、まともな伝統系の宗教者にはそういう人はいないでしょ。
一部にそういう人がいたとしても、そういう極端な人は社会のどんな世界にも存在している訳ですし。
やっぱり、そういうのは、単立系や新興宗教系が多いと思いますよ。しかし、それも、あくまで、傾向であって、
新興宗教系でもちゃんとしているところもあるとは思いますけどね。
341 :
でちゅ:2001/07/27(金) 21:14
>333 ペテロ・マルコ様 (339番より続く)
「キリストの救い」は、あくまで「信仰」上の「事実」ですからね。
「信仰」を持っていない人を、それを理由に「裁く」ことはできませんよ。
「未信者」の方が「信者」の「信仰」について、とやかく言われることも、
同様に、差し控えて欲しいことではありますけれども。
私自身は、「マリア崇拝」のような宗派間の教義を巡る問題には、
はっきり言ってあまり興味はありませんよ。
不毛な議論になりますでしょ。
「他宗教」との対話も同じようなものなのかもしれませんが、
本当に疲れますね。こういう話は。
自分の方から入ってきて何をぬかすか、といわれそうですが。
私たち「キリスト教徒」は「キリスト」の「贖罪」による「救い」を
「信じている」だけじゃないですか。
どうして、パリサイ的だとか、キリスト教は「イエスの教え」でないとか、
皆さん、言われるんでしょう。どうも理解しずらいですね。
そういう質問に対して「キリスト教徒」はどのように答えればいいんでしょう。
あいにく「聖書学」の専門家でもありませんし、
お答えしてあげたい気持ちは山々なんですけれど、いい加減な「知識」では、
返事もできませんからね。
よく「未信者」の方が言われる間違いに、
イエスを「道徳の教師」として扱う捉え方はありますよね。
私も「未信者」の方の犯す「間違い」について少しは知識を、
持っていたつもりでいましたが、ちょっと浅はかではあったようです。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
342 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 21:23
信仰者としての道徳というより、
一般社会に生きる者としてのたしなみは、やっぱ必要でしょう。
というか、現代の信仰に生きる者こそ、気を付けなければ。
343 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 21:28
ああ、私キリスト教徒じゃないですけど、キリスト教徒の方が
おっしゃっていること(特有の信仰の問題)は言葉としてはわかりますよ。
もちろん、キリスト教徒じゃないので、心からわかることはないでしょうけどね。
ただ、心穏やかに暮らすことは、そんなに難しいことではないと思うと
言っているだけですから、あまり気になさらないでくださいね。
344 :
でちゅ:2001/07/27(金) 21:48
>342
>一般社会に生きる者としてのたしなみは、やっぱ必要でしょう。
それは当然でしょう。
「信仰者としての道徳」という意味も含めてですけれど、
「旧約」の「律法」も、現代を生きる「信仰者」に対して
「戒め」たりえてるのですから。
あくまで「戒め」ですけれどもね。
345 :
マリア:2001/07/27(金) 21:56
>私たち「キリスト教徒」は「キリスト」の「贖罪」による
>「救い」を 「信じている」だけじゃないですか。
それだけならいいけど、やっぱり色々問題点はあるのよ。
あたし達は多神教だから、
イエズスを神の一人として受け入れられるの。
イエズスに共感する非信者は、
「主なる神の御霊を宿した方のお一人」
「または偉大な宗教家の一人」としてね。
まぁ、前者は神道の世界の考え方だけど・・・。
でも、逆は絶対に無理でしょう?
教義と合っているか、点検しないといけないから・・・。
だから、ほとんどの非教徒は戸惑うのよ。
それに、信者さんの中にイエズスに対して過ぎた崇拝があるの。
イエズスのように裁いて良いと解く人がいるのよ。
それが、イスラム過激主義者同様に目に付くのよ。
今ではイスラム教徒といえば、すっかり過激派のイメージ。
本当は全然違うのだけどね・・・。
だから、キリスト教に対しても、漠然とした不安があるのよ。
過去もあるし、現在も不注意な極少数の人がいる。
あたしも、そういう人を何人か知ってるわ。
それに、エホバの証人のイメージも重なっていると思うわ。
あたしも信者時代に、よく問い合わせを受けたからね・・・。
346 :
横槍:2001/07/28(土) 00:34
変な語尾で書き込んでる人へ
>まずは「聖書」をよくお読みになられることを、 お勧めします。
『イエスがもしホントに生き返ってたら、 絶対キリスト教と闘ったでしょうね。』
と書き込んだのは私です。
>まずは「聖書」をよくお読みになられることを、 お勧めします。
私は信徒とは「聖書」の解釈が違うので、信徒の方とは別の結論に達します。
私は、いかなる宗教の味方でもないが、キリスト教のような宗教は、だれか人間が作った人間精神抑圧のイデオロギーとして批判します。
私は、キリスト教のような宗教は、歴史的に人間の自由や解放を抑圧してきたイデオロギーであったので、
批判し克服すべきものと見なす立場です。
ナザレのイエスは生身の人間に過ぎず、しかし当時としては卓抜した精神と行動の持ち主であり、体制的イデオロギー(政治のみならず宗教イデオロギー=教義)
により自らのみならず他者をも束縛・抑圧しようとすることに反抗し、
行動をもって別の生き方を示そうとし、そして体制ににらまれて捕まり処刑されてしまった
一人の人間、そういう人間でした。
彼を神様にしてしまったのは、彼の反抗精神=彼の思想・行動のエッセンスを
否定し無害化することであって、だからキリスト教がイエスの思想を殺した、ということです。
>あなた方は、キリスト教の各宗派について調べられましたか?
>受け売りでものを言うのはよくありませんよ。
イエスを神に祭り上げた時点で、すべてイエスの思想と相反すると判断するので
各宗派の教義の差異を知らなくともいいのです。
また、受け売りはしてませんよ。キリスト教徒達こそ「聖書」の文言をのべつ受け売りしてるではありませんか。
新約聖書は、イエス死後最低数十年以上、多くは百年以上経ってから、各地のキリスト教徒
(既に多くはイエスの考えとはかけ離れた思想をキリスト教と称していた。パウロ君もだよ)
がばらばらに書いたものを、後で教会が収集して取捨選択・適宜改変したものでしょ。
イエスが言ったと書いてある事の大半が創作であることは
現代の新約聖書学が認めている事です。
347 :
横槍:2001/07/28(土) 00:45
>どうして、パリサイ的だとか、キリスト教は「イエスの教え」でないとか、
>皆さん、言われるんでしょう。どうも理解しずらいですね。
あなたは誠実な方のようなので、あなた個人への攻撃と思われるのは本意ではないし
クリスチャンには鈍感というかそもそも理解の余地を閉じてしまう人が多いので
言っても無理かもしれませんが、いちおう真面目に言っておきますと
クリスチャンが熱心に「キリスト教」の戒め教えに忠実に従おう、
特に、形式的教義・戒律じゃなくて心の底からキリスト教的に善く振舞おうとするほど、
イエスが批判したパリサイ人たちと同じ轍を踏んでしまう、
ってこと、落ち着いて考えてみてくださいな。
イエスの批判って、すごく日常生活の倫理に触れながら、
おそろしく切れ味良く深みに切り込んでくる恐い批判です。
キリスト教徒になっちゃうとわかんなくなるらしいけど。
348 :
子羊:2001/07/28(土) 00:55
349 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 10:39
イエスとキリスト教とを、分けて捉える考え方があるのですね。
新鮮でした。
でも、ほんと、そうかもしれませんよね。
イエスって、嫌われ者の罪人や売春婦と付き合うのも、
石打ちで殺されそうな女を助けたのも、
「キリスト教の教え」を実践するためにそういうことをしたのではなくて
自分がいいと思うからそう行動した、ってことですもん。
動機がクリスチャンとは微妙に違うように思います。
イエスって飲み会よくやってファンの女達も従えて楽しくも激しく活動してたんでしょ。
せせこましい「キリスト教の教え」なんて似つかわしくないイメージだよね。
>イエスとキリスト教とを、分けて捉える考え方があるのですね。
>新鮮でした。
あなたは「クリスチャン」ですか?
それとも「キリスト教徒」ですか?
351 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 15:13
私は仏教徒ですが聖書内のイエスさんの言葉は、
文脈を読めば非常によく理解できるものが多くあります。
一方、神父さんや牧師さんの言葉はどうしても心に響かないです。
申し訳ない。悪口ではなくただの感想です。
352 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 15:19
>>351 確かに、そういうことが多いです。
神父さんは存じませんが、牧師さんは、難しい神学を語るか、
時事問題を語るかのどちらかの人が、多いからでしょうね。
でも、そうではなく、イエス様の言葉を、きちんと分かりやすく語ってくださる牧師も、
いますよ。
少数ですけど。
353 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 15:26
>イエスとキリスト教とを、分けて捉える考え方があるのですね。
たしかにはじめのころはイエスとキリスト教はつながっていたけど、
時が経つほどに、乖離し始めていったんだね。
最近その反省から、イエスを見つめ直す気運が盛んになってきているけれど、
そういうことをされると、せっかく長い時間かけて築かれてきた教会の神学が
揺らいでしまうのをおそれて、ケチをつける声が大きくなってきている。
悲しいことだ。
354 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 15:27
>>352 たまたま私のであった聖職者だけの話かもしれませんが、
あなたのおっしゃることのほかにも、こう・・・・なんというか・・・
自分が高みに立つために嫌味っぽい説教する人が何人かいたので、
あまり良い印象ないんです。ごめんなさい。
でも、何らかの理由があるかもしれないので、安易に批判したいとは思いません。
それに、誰でも機嫌が悪いときもありますしね。
355 :
352:2001/07/28(土) 15:35
>>354 私が出会った牧師さんも、大方そうでした。
とっても残念なことでした。
しかし、それでも私が教会へ行きつづけているのは、
やはり、聖書がもつ魅力と言うか、力でしょうか。
聖書は、とても深いものがあります。
その魅力を伝えてくださる牧師と出会えた私は、幸せです。
356 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 15:45
351と354です(ファイヤウォール設定が原因で名前欄書けません)。
聖職者も迷える子羊の1人または凡夫でしょうから
色々内面事情があるんでしょうね。
現状はどうあれ、心や精神や霊性についてその人なりに考えたり悩んだり
する機会を持とうとする気持ちの証拠でしょうから、
今では温かい目で見ることはできますけどね。
キリスト教の信者の方から見れば批判はあるかもしれませんが、
ダライラマさんが聖書のイエスさんの愛について
本を書いたり、カトリック系のどっかの教会で説法のような講演
しましたね。
キリスト教関係者にもそれなりに好評だったみたいですよ。
357 :
352:2001/07/28(土) 15:50
>>356 聖書のいいところの一つは、世界中のほとんどの人が、自分の母国語で読むことができる、
と言うことでしょうね。
ダライラマさんだって、誰だって、聖書を読んだり、イエス様の御言葉について瞑想したり、
自由にできる…すばらしいことではないでしょうか。
でも、その御言葉を、深いところまで知るためには、やはりそれなりの学びが必要だと
思います。
そして、牧師さんは、その学びをしておられる方のはずなのですが。
やはり、人間学問を積むと、傲慢な心も起きてくるのでしょうね。
あるいは、神学をきちんと修めることができなかった牧師さんは、
社会運動に走るのかもしれません。
でも、やはり聖書を深くとらえて、信徒に語っていただきたいものです。
358 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 15:56
やっぱり、人の上にというかそういう立場にある方は、
各宗教とか哲学について、その本当の意味はわからないとしても、
とりあえずは一通り目を通すんですよね。
英才教育または個人的な勉学で。
だからこそ、余計に他の教えをいたずらに批判することはないのだと思います。
大きな目で見れば、それぞれに合う着物をまず着ることが大事だと思いますし。
359 :
352:2001/07/28(土) 16:01
>>358 おっしゃるとおりだと思います。
学位を取るためだとか、出世するためだとか、そういうった「目的があって」
学問を積んでも、結局、高ぶった思いに心が支配されるだけなのかも知れませんね。
学問をすると共に、人間的な修練も必要だと思います。
つまり、自分が学んだことを、ひたすら隠しながら、他者のためにそれを役立てる。
考えてみると、学問とは本来、そういうものではないでしょうか。
そして、宗教者はまさに、そうあって欲しいと思っています。
360 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 16:17
基本的には隠しながら修練を続け
たまたま他教から講演とかの要請があったときに、
「こ、こ、この人、他教徒なのに それなりにではあるが 知ってるんじゃん。只者ではないな」
ってパターンだと、
他教徒がその宗教に対してそれまで持っていた偏見解消にも役立つでしょうし。
361 :
352:2001/07/28(土) 16:27
>>360 私は、人を指導する立場にある人は、自分の専門については深く学び、
それ以外のことについては、広く浅く学ぶべきだと思いますね。
他宗教のことについてもきちんと学んでおくなら、
そもそも、偏見自体がなくなるのではないでしょうか。
偏見と、教義の批判とは、別だと思いますよ。
だから、他の宗教の教義に対して、疑問点は持ったとしても、
それで相手を非難したり、偏見を持ったりすることは、
なくなると思います。
362 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 16:38
他の宗教の教義の矛盾を発見したところで、
批判しても無意味だからしないのでしょう。
人の心の仕組みを理解していれば、ほとんどの場合、
冷静な批判ですら、無意味な傷や争いしか生まれない可能性が高いのは、歴史的に明らかですから。
宗教の目的は、相手を傷つけて自らの正当性を証明したり、誇示することではないのですし。
たとえ妥当で、筋のとおった批判でも、それを言わなければならない場面など、そうは存在しません。
状況や相手によるとはいえ、
どういうことを言えば人は冷静さを失いやすいかということを知っていれば、
余計な干渉はしないのだと思います。
誰にも、他人の心に苦悩をもたらす権利はないのですから。
自覚は自分で持つから自覚なのであって、
他人からの干渉は精神暴力以上にはなりえませんしね。
宗教って本当に難しいです。
363 :
352:2001/07/28(土) 16:48
宗教は、人間を高めもし、また堕落もさせる、と思います。
それはあくまでも、自分自身の問題。
その宗教の教義によって、自分自身が人として完成へと近づいて行くなら、
そういう自分自身を持って、他者とかかわりをもつべきでしょうね。
自分が信じている教義でもって、他者を裁くのではなく。
現実は、そこまでなかなか到達できませんが…
けれども、「自分はまだ、こんなに低いところにいるんだ」
と言うことさえ分かっていれば、
他者を傷つける、等ということをせずに、
自分を高めるために精進できるのかもしれません。
自分自身を知ることは、大切ですね。
364 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 16:55
感情的な暴力は血を流し、肉を切る。
相手の器量や機根を考慮しない冷静な批判は、人の心に楔を打ち、心を暗くする。
古今東西、聖者と呼ばれる者は、
愛を抱いて、状況に応じてふるまう。
365 :
352:2001/07/28(土) 17:00
聖者と呼ばれる者は…そう、聖者とは、人からそう呼ばれるのであって、
決して、自分が「我聖者也」と、宣言するものではない、と思う。
ところが実際には、自分で聖者になってしまっている人が多いのでは?
366 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 17:09
単なるものの喩えでしょうから私は突っ込みません。
367 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 18:00
スレタイトル酷すぎと哀れんでフォローしてる人がいるのに
どうして・・・・・・はぁ。
368 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 18:07
>>365 聖者でもなんでもいいんですけど、
宗教に限らず、まあどの世界にもいるんじゃないでしょうか?
ことさら広げる話題でもないでしょう。
そういう存在こそ、愛や慈悲の眼を向けるか、
それ以上おかしな方向に行かないように
そっとしておいてあげるほうが良いと私は思います。
他にも考え方はあるんでしょうけどね。
一介の個人が急にどうこうできる訳でもできないですから。
良くも悪くも、他人には意志がありますからね。
369 :
365:2001/07/28(土) 18:11
…何だか、一部で(あるいはもっと?)顰蹙をかっているようなので、
私はこの辺で。
370 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 18:19
>>365 別にそれほど気にすることもないでしょう。
ただ、意図が見えない質問は、誰でも戸惑うと思いますよ。
そして、これまでのスレのパターンを思い出して、またかと思うのでしょう。
そういう部分が、キリスト教徒以外に、誤解されやすいのかもしれません。
もちろん、あなたには何らかの意図があっての問いかのかもしれませんから、
それはみなさんわかっておられるはずです。
一概にそれが悪いわけではありませんが、ちょっと損しているなと思います。
371 :
石:2001/07/28(土) 18:45
>>1 許しの宗教です。もしクリスチャンならば、大目に見てあげてください。
372 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 19:53
クリスチャンに対して悪いイメージは無いですが
信仰者と非信仰者はやはり噛み合わないのかなーって感じます。
クリスチャンの方に、「あなたは信じてないから
何を言っても無駄」といわれたことがありましたが、それが現実
なのかもしれないですね。
信仰者は信じる、という立場から者を見ているし
非信仰者はそうでない立場、たとえば思想史的にとか歴史学的に
見ていたりして、結局すれ違いの話し合いになったりすることが
多かったです。
373 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:00
でも非信仰者が信じてないわけでもないんだよね。
前に誰かがちょこっと書いてたけど
キリスト教の教義のようには信じてないってだけであって。
もちろん、それが大きな違いなんでしょうけど。
374 :
372です:2001/07/28(土) 20:11
>>373さん
イエス(の言葉、生き方)は好き、でも教会とかクリスチャンは嫌い!
って人、いるでしょうね。
わたしもそのひとりですが、クリスチャンの方にそういったら
「それは間違っている、駄目です」と言われてしまったので、
やはり大きな違いなんでしょうね。
375 :
372です:2001/07/28(土) 20:13
↑嫌い、というののは言いすぎでした。言葉のあやです。
「(洗礼とか主日礼拝とかは)ちょっと受け入れられないけど
イエスキリストの言葉はいい」という感じです。
受け入れられない=悪いイメージではないです・・・
376 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:18
キリストなんて性格の悪い人間の代表なんだよ
そんなこともゆるせないおまえらは
やっぱり記リスト以下だな・・
377 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:29
>>376 そのような乱暴な表現はあなた自身を傷つけるだけですから、
お控えになったほうがよろしいでしょう。
378 :
真:2001/07/28(土) 20:33
379 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:35
因みに」377
は包茎のマザコンであろう
なむ
・
380 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:37
極端にまじめすぎるのかもしれないな。
まじめは良いけど、ユーモアで返答すれば
別にイメージは悪くならないし、誰への皮肉にも嫌味にもならない。
381 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:37
すこし日のあたる外へ出向かれることを
おすすめする。
・
382 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:39
どんな理由があっても荒々しい言動は誰のためにもならないよ。
それでは手段を選ばずの何かと同じになってしまうよ。
383 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 21:21
384 :
へへへ:2001/07/28(土) 22:46
えらそうなこと抜かすな
クリスチャンの本心はこうだろ
122 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/28(土) 22:30
断罪なんてしてません。神への道を求めるなら、天皇制を擁護する警察官は辞めなければならないと言っているだけです。
385 :
thankyoujesus:2001/07/28(土) 23:05
私はクリスチャンですが、結構性格いいかもしれない。
386 :
へへへ:2001/07/28(土) 23:06
おまけだほら
135 名前:警察逝ってよし 投稿日:2001/07/28(土) 22:56
職業は何でもいいよ。でも神社の神主や寺の住職がキリスト教の洗礼は受けられないだろ。
警察官は天皇制国家を護持する存在だから、広い意味で神道の一部なんだよ。
単なる公務員ならいいよ。人のために働いてるわけだからね。
でも警察は駄目だ。
387 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 23:13
警察官は即刻くびつるべきでしょう。
これほんと
388 :
ふらんちぇすこ:2001/07/29(日) 01:10
なるほど。キリスト教徒はこのように嫌われているのであるな。
そういえば「非信者」「未信者」という言葉もキリスト教業界では、
日常良く散見できるがこういうのもなんだかなと思ってるよ。
389 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 01:18
そんな一斉にみんなで言わなくても・・・・・
どこの世界にも哀れむべき人はいるんだしさあ。
390 :
kansya:2001/07/29(日) 10:25
お初、ヨロシク!!
私は、クリスチャンを20年以上しているが、性格はあまり良く無いかもしれない。
ま〜〜、許された罪人だから、こんなもんでしょ!!
多くの日本人の様に、自分が猿の子孫だと思っている人よりは、
まともな判断力は、有ると思うな〜〜!すぐ切れる人の気がしれない。
391 :
detyu:2001/07/29(日) 13:24
>
392 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 13:49
クリスチャンですけど、クリスチャンにはたしかに性格悪いのいますね。
上から人を見下すような。熱心な信者ほど、そういう傾向が強い感じがします。
性格が悪いのがクリスチャンに集まるのか、それともクリスチャンになると
性格が悪くなるのか、どちらなのかよくわかりませんが。
393 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 14:07
性格悪いのがクリスチャンに集まるに一票。
私がそうだもん。くくく。
394 :
でちゅ:2001/07/29(日) 14:10
>345 マリア様
おっしやっていることはよくわかりまちゅでちゅ。
「信仰」上の事実ということでご理解くだちゃい。
イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。
今から、あなたがたは父を知る、いや、既に父を見ている。」
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
イエスは言われた。
「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。
わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、「わたしたちに御父をお示しください」と言うのか。
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。
わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。
わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。
もし、それを信じないのなら、業そのものによって信じなさい。
はっきり言っておく。
わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。
わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。
こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
ヨハネによる福音書 第14章6節〜14節
395 :
でちゅ:2001/07/29(日) 14:20
>392
そうすると、あなたは「熱心な信者」ではないということでちゅか?
皆ちゃん、「人を見下す信者」が必ずしも「熱心な信者」というわけでは、
ありませんから、くれぐれも誤解なされまちぇんように。
「人を見下す信者」がおうおうにして内実のない「熱心でない信者」ということもありまちゅからね。
396 :
きょうこ:2001/07/29(日) 14:36
キリストのゆーことはぜんぶ当たってるけど
実行するのはむずかしーよね。
397 :
でちゅ:2001/07/29(日) 15:16
クリスチャンの人達のなかで、未信者の方へ「信仰」について、
お話していただける方、どなたでもよいでちゅから、
出てきていただけまちぇんでちょうか?
できれば、福音主義の立場から「聖書」に立脚した「信仰」に
ついて語れるお方、よろしくお願いいたしまちゅ。
スレの内容も「未信者」の方々からの「真剣」な質問も増えてきたようでちゅので、
良い勉強の機会にもなるのではないか、と思いまちゅ。
僕ちゃん自身、いろいろと勉強させていただいてる立場はであるのでちゅが、
なにぶん、付け焼刃的で、逆に「未信者」の方々を混乱させてしまったのでは、
まじゅいという思いもありまちて、なおかつ、
相応の時間もなかなか割けそうにない、という状況にあるわけでちゅ。
どうぞ、「聖書信仰」の立場から「福音」をわかりやすく述べ伝えてみたい、という
宣教の熱き想い?に燃えているキリスト教信者、もしくは神学生などなどの方々、
ぜひぜひ、このスレッドをご活用くだちゃい。
また「未信者」の方々も、「クリスチャンへの悪口」を書き込むための
スレッドとして、忌憚ないご意見をこれからもどうぞよろしくでちゅ。
お互い「感情の応酬はしない・論理性重視・論点を明確する」などの
ルールに則ってお互いに「実」のある「悪口」の言い合いを楽しみたいものでちゅ。
これからは僕ちゃんも気をつけまちゅので、よろしくでちゅ。
398 :
マリア:2001/07/29(日) 15:32
>>394あたしは理解しているわよ。両方の立場で見ることも、
信者時代を思い出せばできるわよ。
ユダヤ教の選民思想はともかくとして、
イエズスの言葉は、神道的に見ても
全く破綻していないことも付け加えておくわ。
神道は、色んな宗教が合わさった要素を持ってるの。
面白いから、一回研究してみるといいわよ。
何と言っても、シルクロードの最終地点だからね。
信仰の最終的に行き着く場所は、みんな同じだと思う。
そうね・・・。ただ、色んな定義が違うから、別世界に
見えても仕方がないわね。
もし、人が天国や地獄を見ることが出来たとして、
ある人から見れば、地獄に見える世界でも、
ある人から見れば天国だったりするでしょうね。
だから、宗教の違いを罵りあったり「あの宗教は
間違っている」と言った時点で、
その人の信仰は、罪なものに変化している可能性はあるわね。
逆にあたしは良く、キリスト教のスレが荒れている時に
「あたしの霊感では・・・だからあんたたち間違いよ!」
と使ったけどね。荒れて荒れてあたしが出て行った後の
あの静けさ。あれがキリスト教の本来の世界だもの。
いつも出て行った後に見て「これよ、これ!」と微笑んでいたわ。
マリア崇敬スレで誰かに見破られたから、
もう行っても意味ないから行かないけどね。
399 :
ヌマツダ:2001/07/29(日) 20:59
400 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 21:18
401 :
マリア:2001/07/29(日) 21:36
>>399いいえ。どちらが正しいなんて、ナンセンスよ。
どちらも正しいわよ。
どちらにも等しくイエズスのお力は働いているわ。
402 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 02:28
>>397 >「聖書」に立脚した「信仰」に
というときに、聖書は一字一句間違いがないもの、という形で信仰されていらっしゃるのでしょうか。
現代の聖書の文献研究では、後世の編集や創作があるということは、既に認められていると思いますが、
そのあたりの難しい点はないのですか?
(そういう研究は、主にプロテスタント系の学者がかなり究明してきています。)
決して、意地悪な質問をしようとしてるわけではないですが、
どのような見方をするのか、関心があります。
403 :
イヒ:2001/07/30(月) 02:35
クリスチャンで女性を見て欲情を起こした経験のある者、
イエスの言う通り、即刻、両目をえぐり出しなさい!
404 :
thankyoujesus:2001/07/30(月) 02:56
性格?!
いいよ。
405 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 03:02
片方の頬を打たれたら、もう片方の頬も差し出す、
なんて、実際にやるとしたら、すげー性格悪くきゃできねえだろ。
>>405 ワラタ…
相手は気味悪がって逃げるかも。。。
407 :
ふらんちぇすこ:2001/07/30(月) 03:34
このスレで性格がいいなと思ったのは仏教徒さんだなぁ。
408 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 03:43
もう一人、ふらんちぇすこさんを。(笑)
409 :
仏教徒わ:2001/07/30(月) 03:43
>407
どこが?
そりゃ同じ宗派や教団どうしならいいけど、違うと
犬畜生以下の中傷、悪口の言い合いじゃないのか、
それにわけのわからない屁理屈こねる奴も多い。
410 :
ふらんちぇすこ:2001/07/30(月) 03:48
>>409 ハンドル名「仏教徒」さんのことだよ。
キリスト教のことよく理解してたし。
411 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 04:00
>>410 キリスト教よく理解してると「性格いい」の?
412 :
ふらんちぇすこ:2001/07/30(月) 04:03
413 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 12:19
age
414 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 13:13
>346.347
とてもユニークな「キリスト教観」を,持っておられるようですね.
具体的に「どのような生き方」をイエスは指し示そうとされたのか,
お教えください.
おそらく,あなたの究極の関心から言えば「いかなる世界」をイエスは
提示しようとしたのか,という問いかけのほうが,よいかもしれまんね.
そのような観点からでもかまいませんが.
1.イエスが「自身」を単なる「人間」に過ぎない,と考えていた証拠はありますか?
2.イエスが「政治的」な活動・目的をもっていた,という証拠はありますか?
3.「イエスの考えとはかけ離れた思想をキリスト教と称していた」という証拠はありますか?
以上,3点にもお答えください.
415 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 13:51
>351.352.354.355.356.357
聖職者はそれぞれに「神」からの「招き」に応じて,
「牧会」にたずさわっています.
いただいている「賜物」もそれぞれであり,
「牧会」のスタイルもさまざまなのも,当然のことです.
しかし,もし「牧会」の場で「御言葉」と関係のない,
「政治・時事問題」ばかりを語るような所があるならば,
注意を払うようにしましょう.
「教会」は「聖書」の「御言葉」を語る「聖なる場」であり,
「会衆」とともに「キリストの体」となるものでもあります.
政治的な関心を持ち,活動に携わろうとすることは「一私人」としてならともかく,
「聖職者」としてはふさわしいものではありません.
「説教」の「場」で「政治」を持ち出すことは,できうるだけ控えるべきことです.
「信徒」ひとりひとりの「信仰の成長」の上に,恵み豊かな「教会」が,
育て上げられますように,祈りたいと思います.
416 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 14:17
>402
>現代の聖書の文献研究では、後世の編集や創作があるということは、
>既に認められていると思いますが
私自身は,専門家でありませんので,いずれの立場をとるにしろ
「明言」は避けたいと思いますが,あなたのおっしゃるとおりだとすると,
「イエスの真実の姿」や「イエスの真実の教え」について,
いまや,2000年後の未来に生きる我々にとって,少なくとも,
「客観的な歴史的事実」としては知りえない,ということになりますか?
残念なことに,あらゆる説を立ててみたところで,すべてが「仮説」.
その「事実」を確かめようがない,ということになっちゃうわけですねぇ.
当時のローマの書物に“なんでも奇跡を数多くおこなっているナザレ人がいるらしい”
という「イエス」に関する記述があったりもするそうですが,それも疑わしい?
いずれにしても,私たち「信者」にとって,
「イエス・キリストの救い」は「信仰の領域」「信仰上の事実」なので,
何ら影響は受けませんけれどもね.
今,勉強してますので,また後日,詳細をお聞きしたいと思います.
417 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 15:42
現在、あなたの近しい人の真の姿だってわからないでしょう。
2000年前のイエスについての話を伝え聞いた人の書いた福音書や手紙を
ある目的に基づいて編纂した聖書に関し、真実がどうかを論議しても時間の無駄でしょう。
聖書の内容を事実と認識し(真偽に関わらず)、鵜呑みにすることを信者は求められているのです。
それが信仰というものでしょ。
419 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 20:33
420 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 22:42
イエスは律法学者を激しく非難している。
しかし、現在の自称クリスチャンの多くは律法学者だ。
421 :
山菜:2001/07/31(火) 00:20
>>420 残念ながら同意します。
神殿= キリスト教の教会(会堂)
律法学者やファリサイ派= キリスト教の信徒
祭司= 牧師
と読み替えると新約が身近にわかる現状って一体????
422 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 09:32
>>421 聖書をろくに読んでいない牧師が多い、ということだよ。
ろくでもない「神学書」はよく読むくせに、
聖書はちっとも読んでない。
だから、聖書に自分たちのことが書かれていることを、知らないんだよ。
423 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 10:31
↑
というより、聖書を自分に都合よく利用しているヤツが多いってことじゃないかな。
まずいことには目をつぶり、都合の良い箇所を都合良く解釈するヤツが多い。
そして、どんどん拡大解釈してゆくとカルトに発展していくのだろう。
そこまでいかなくても、プチカルトなやつらが多くて迷惑なのだ。
424 :
ぽむ:2001/07/31(火) 10:59
キリスト教は、もともと腐敗している邪教だとは確信
していたけど、あらゆるレベルの奴ラも腐敗しているのだな。
>>417 浅草とかで、キリスト教=真実、といっている阿呆な
連中がいることは知っているか?
>聖書の内容を事実と認識し(真偽に関わらず)、
>鵜呑みにすることを信者は求められているのです。
これは、信者に対して言っているのであれば、一般
大衆に対して真実と主張しているのは一体どういう
ことだ?
キリスト教(俺にとっては、人類最悪の負の遺産と
しか思えんがね)が一般大衆に対して真実、と主張
するなら、いわば、客観的な真実と主張するのでで
あればな、
>ある目的に基づいて編纂した聖書に関し、真実が
>どうかを論議しても時間の無駄でしょう。
これはねーだろ。「教義」ならいいんだぜ。だが、
あの連中は「真実」と言っている。
>>416 「イエスの真実の姿」=最悪の悪魔&人類の真の敵
「イエスの真実の教え」=人類腐敗の教え
だね。人間の行動が間違っているのであれば、なぜ、
イエスの馬鹿野郎は正しい道、とやらに導かんのだか?
例えば、十字軍の件では、導いておらんよな。
その結果、多数の死者が出てる。
あとな、これは結構良くあるネタだがね。
現地人、といわれる連中の独自の宗教を排除して、
(排除の方法は調べればわかるだろ。但し、
キリスト教信者が主張しているのは全然アテに
ならん。)キリスト教を押し付けているよな。
これも、「真実の教え」なのか?笑えるよ。
他の宗教をぶっ潰していく邪教に何の正義があるんだかね?
世界平和の前提条件は、キリスト教の絶滅だね。
世界最大の伝染病だよ。
425 :
ぽむ:2001/07/31(火) 11:06
あ、一個言うのを忘れてた。
俺自身は、別に寂しい心、とか、同情を受ける
ような心根ではない。ごく普通のまともな人間だよ。
邪教(キリスト教)信者にとっては、俺はまともに
見えないかもしれないが、俺にとっては、邪教
(キリスト教)信者はまともな人間とは思えない。
オームと同じだね。根幹は特にそうだろ?
小さなウソはすぐにばれるが、大きなウソは本当になる。
キリスト教の存在=人類における最大最悪の伝染病
だね。
邪教(キリスト教)の信者君達も、はやくそれに
気付いて、まともな人間に戻ってもらいたいものだ。
426 :
デビルマン:2001/07/31(火) 13:27
>>424 >>425 うむ…
ぽむ君。
君は、もしかしたら、「折伏経典」をもとに、キリスト教を非難しているのではないかな?
キリスト教に対する、この手の非難は、世間においては、今までにもなされてきた。
しかし、それだけではキリスト教を絶滅することは、不可能だ。
もし、このような非難で、それができるなら、キリスト教はとっくに消えているはずだ。
だが、現実はそうではない。
別の方法を考えた方がいい。
427 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 13:54
>424.425.426
君たち、何者?
「草加」だったら、悪いこと言わないから、
さっさと「草加・高明板」へ逝っておしまい。
君たちのような「人間」が来るところじゃないんだよ。
428 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 14:04
>420
>現在の自称クリスチャンの多くは律法学者だ。
ふ〜ん、きっと「自称」と書いてるところに、
この文章を解くカギがありそうね。
どっちみち、なんの根拠もない、思い込みだけで書かれた
つまらないスレではあるのだけれど。
ところで、あなたは「自称」なんなわけ(笑)?
429 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 14:18
>421
>残念ながら同意します。
別にあなたが「残念」に思う必要はないのよ。
あなたが「クリスチャン」ならうれしいけれど。
>読み替えると新約が身近にわかる現状って一体????
「読み替える」のは、あなたの勝手だけれど、
ひょっとしたら「身近にわかる」っていうの、
あなただけかもしれないって思ったことない?
そこまではっきり言いきるのも、まぁ、たいした「度胸」だとは思うけど、
考えようによれば単なる「馬鹿」か「アホ」にも、
とられかねないから気をつけてね。
ひとつお聞きするけど、あなたの周りに、深くお付き合いでもしてる
「クリスチャン」でもいるのかしら。
でなかったら、もちろん言えるわけないですものね。
一度、その方々にお会いしてみたいものですよ(笑)。
430 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 14:29
>422
何を勘違いしてるの?厨房君たち。
「聖書」をしっかり読みこなして理解していなければ、
「神学書」に手をつけられるわけないじゃないの。
もちろん「聖書」もろくに目をとおしたことのない人間が、
「ろくでもない神学書」を読みこなせるわけないわね。
ひょっとしたら「ろくでもない」のは、
「神学書」じゃなくて、あ○たじゃ……。いやいや、失礼いたしました。
431 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 14:49
>423
な〜るほど、新興宗教はこうやって教義を捏造していくのですね。
「まずいことには目をつぶり、都合の良い箇所を都合良く解釈するヤツ」が、
どんどん自分勝手に拡大解釈してゆく結果、「カルト」ができちゃうと。
「キリスト教信徒・牧師」にとったら、本当に迷惑ですよね。
「聖書」の周辺でうろうろして、自分に都合よく利用している「プチカルト」な皆さん、
「聖書」についてしっかり講義してあげますから「教会」におこしなさい。
「キリストに仕える者」と、してさしあげましょう。
あなたも、いっしょによかったらどうですか(笑)?
432 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 17:36
>424
>これは、信者に対して言っているのであれば、一般
>大衆に対して真実と主張しているのは一体どういう
>ことだ?
>キリスト教(俺にとっては、人類最悪の負の遺産と
>しか思えんがね)が一般大衆に対して真実、と主張
>するなら、いわば、客観的な真実と主張するのでで
>あればな…
申し分けないが、もうちょっとわかりのいい日本語を書いてくだされ。
わしのような、耄碌しかかった年寄りもおるでな。
無理をせんでもええ。小学生レベルの文章でよいのじゃ。
くれぐれも感情にまかせて、
言葉を不用意にあっちゃこっちゃ投げつけんようにな。
ガキが駄々こねてるような文章書いとったら恥ずかしいやろう。
おまえさんの「つばき」があっちの板にも、こっちの板にも、
飛び散ってるらしいやないか。
くれぐれも、たのんだでなぁ。
433 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 19:11
>425
>あ、一個言うのを忘れてた。
>俺自身は、別に寂しい心、とか、同情を受ける
>ような心根ではない。ごく普通のまともな人間だよ。
ひょっとして、君、さみしいのかい。
こうやって人の気を引くようなことを書いて、
相手をしてもらいたいんだな。
よしよし、いい子だ。もう、いいんだぞ。
お母さんが心配してるから、早くおうちに戻って寝なさい。
>邪教(キリスト教)信者にとっては、俺はまともに
>見えないかもしれないが、俺にとっては、邪教
>(キリスト教)信者はまともな人間とは思えない。
>オームと同じだね。根幹は特にそうだろ?
>小さなウソはすぐにばれるが、大きなウソは本当になる。
「俺はまともに見えないかもしれないが」と書いてるが、
君はいったい、自分のことを分かってるのか、分かってないのか、
どちらなんだ?
「俺はまともに見えない」と分かってるんなら、
「(キリスト教)信者がまともな人間」かどうかも、
分かるわけがないだろうに。
だったら「キリスト教」自体もようわかっとらんのだろう?
君のほうこそ「まともに見」てもらえるように、
「まともな人間に戻っ」たらどうなんだ。
「まとも」でない自分を「まとも」と言いきってしまうのは、
「本当」に大きなウソだからなぁ。
434 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 19:23
>425 (433番のつづき)
「まとも」でない自分を「まとも」と言いきってしまうのは、
「本当」に大きなウソだからなぁ。
それともなんだ、「大きなウソは本当になる。」と思ってたからか?
>426
>キリスト教に対する、この手の非難は、世間においては、今までにもなされてきた。
>しかし、それだけではキリスト教を絶滅することは、不可能だ。
>もし、このような非難で、それができるなら、キリスト教はとっくに消えているはずだ。
君にとっての「世間」って、いわゆる「あれ」?
君自身が認めているように、当然「あれ」では、
「キリスト教を絶滅すること」は「不可能」だろうなぁ。
うんうん、「別の方法を考えた方がいい。」と思うよ。
435 :
デビルマン:2001/07/31(火) 19:26
>>434 こら、434!
我輩の言うことに、同意するでない!
我輩の立場がなくなるではないか!
436 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 19:39
>435
同意は、「あれ」の内輪でしてもらえたら、
それで良いものなのよねん?
437 :
デビルマン:2001/07/31(火) 19:43
>>436 まあ…
そういうことか…我輩、そういう優しい言葉で語りかけられると、弱い。
438 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 19:45
>437
まぁ、なんて素直な心をお持ちの方なんでいらっしゃいましょう。
一度、教会にいらっしゃいなさいよ。
「主」を賛美して、楽しいひとときですわよ。本当に。
439 :
デビルマン:2001/07/31(火) 19:54
>>438 いかん、これではいかん!
「誘惑する者」が、誘惑されてどうする?
我輩、あくまでもキリスト教には対抗するのだ。
主を讃美するのが、そんなに楽しいか?
音楽に酔っているだけではないか!
440 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 19:59
>439
その前に、あなたにひとつだけ、
お聞きしておきたいことがあります。
あなたは、特定の宗教団体に入られていませんか?
入られているのなら、その宗教名を明らかにしてください。
それから、いろいろとお話できるのならしましょう。
441 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 20:17
age
442 :
デビルマン:2001/07/31(火) 20:18
443 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 20:30
>>442 キリスト教に真摯な関心をお持ちでしたら、
いつでもお越しください。
444 :
横槍:2001/07/31(火) 21:28
>>416 おっしゃるとおり、2000年前の、歴史の霧の中にあるような「真実の」イエス(学者が「歴史のイエス」というものでしょうか)の姿を客観的な歴史的事実をして知ることなどもはや不可能ですよね。それで何か不都合ありますか?--少なくともキリスト教徒でない私には、聖徳太子が本当はどんな人物だったのか伝説とごちゃまぜで今では良く分からないのと同じで、当たり前のことにしか思えません。困りもしないわけですね。
でも、テクスト(正文)批判に基づいた新約聖書研究は、今の福音書の中で、どの部分・語句はそれより前の文章に後から修正・加筆されたものだとかなり説得力のある推論を与えてくれています。たとえば、わかりやすい例だと、イエスの誕生物語などは明白にイエス死後しばらくしてできた伝説ですね。(だから福音書で一番古いマルコには、一切イエスの子供のころの伝承は載っていません。)これはあまりに単純な例ですが、かなり細かくそういうテクスト批判が行われています。
尤も、それで接近できるのは、福音書かその元になった資料・伝承の古い姿であって、所詮それが実際のイエスの言動とどれだけ一致するかはわからないわけですが。しかし、イエス死後、三十年とか五十年くらいの頃の文書や伝承に接近できれば、まだイエスに直接会ったことのある人や、あるいはイエスと行動した人たちの思い出話はリアルだったでしょうから、かなり「まし」な手がかりですよね。
445 :
横槍:2001/07/31(火) 21:29
>>416 (続き)
聖書は、後(といっても古代)のキリスト教団が、自らの教義や教団維持に都合の良いようにかなりの修正・加筆・創作を加えてきたものです。どんどんイエスが、宗教臭く、神の子らしい姿に脚色されていきます。
詳しいことを反対者に論証するだけの学術的能力は私にはありませんので、きちんとした書物を読まれればわかると思いますが、そうしてイエス伝承の原像に近づいていくほど、「教祖」でも「宗教者」でもない人物の姿が浮かんできます。同時代の弱者(嫌われ者、差別を受けていたような人たち。「道徳的」な人たちから蔑まれていた人たち、などね)の側に立って、目の前の社会の偽善や抑圧に反抗して行動していた人間の姿ですね。
正文批判の結果を受け入れれば、もともとイエスはあまり神様だの神の国だのについて頻繁に言及はしていないようです。彼の関心は、あまり天国とか神様とか来世とかそういう宗教的な観念(現実逃避)には向けられず、もっと具体的に眼前の社会の矛盾や小市民的偽善(パリサイ!)への批判に向いていた。
そう考える立場から、イエスの思想や行動と思われるものは、死後作られたキリスト教とはぜーんぜん違うだろう、と私は言うわけです。イエスがもし復活したら、きっとキリスト教と戦っただろう、というのも、こういう意味を込めての言葉です。
むろんイエスに、現代的な「革命家」像を投影するのは馬鹿げてます。イエスも神を信じてるかどうかと聞かれれば、もちろん信じてると答えたでしょう。ただ、彼のやろうとしたことは、決してキリスト教ではなかった。人類の罪の贖いのため磔になったなんてタワゴトでしょ。彼は今でいう政治犯みたいなもんで、危険人物とされて死刑になった男です。
446 :
横槍:2001/07/31(火) 21:36
とこんなこと非キリスト教徒の私がなにりきんで議論してるの?
って質問が来るんでしょうけど、
それは、キリスト教は、偽善を通して、人間の抑圧(精神的jのみならず社会的な抑圧)に静かに加担する宗教だから。歴史的にほぼ常にそういう機能を果たしてきた宗教であるし、現在も偽善と抑圧のイデオロギーですよ。
(なお、私、別に左翼じゃないです。っつーか、左翼嫌いのナショナリストです。)
447 :
横槍:2001/07/31(火) 21:45
>>414 >とてもユニークな「キリスト教観」を,持っておられるようですね.
>具体的に「どのような生き方」をイエスは指し示そうとされたのか, お教えください.
(中略)
>以上,3点にもお答えください.
すいぶん高飛車ですね。ご自分のキリスト教観と違う意見がそんなに不愉快ですか?
すでに上記の書き込みが、ほぼ答えになると思います。
なお、私のような意見は別にそれほど珍しくもないですよ。むしろ月並みですらあります。
ユニークというのは褒め過ぎです。
キリスト教徒の方々がそういう本や主張に耳を貸さないだけです。
あと、わたしアナタの生徒でもないので、あなたの3つの質問に律儀に答える必要もないんですよ。
なんですぐ教師みたいな態度になるのかなあ。
ご自分で、パリサイっぽいと思いませんか?
448 :
thankyoujesus:2001/07/31(火) 22:00
まあ、まあ、皆さん、いろいろと言いたいことはあると思うけど、
クリスチャンの人は結構、性格が人が多いよ。
そうじゃない?
私の教会はいい教会なのかなあ?
ああ、きっとそうだな。
私の教会はいい教会だからなあ。
牧師さんもいいし、兄弟姉妹も面白い人が多いからなあ。
なあーんだ。
449 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 22:25
↑たしかに 思考停止、偽善的といえるね
450 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 22:43
教会内の兄弟姉妹が仲良く見えるのは当たり前。
ノンクリに対する高圧的、排他的独善的な態度に関して、
また、協議に疑問を感じつつある信者に対する同様の態度が
このスレを生んだのだ。
451 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 23:57
448みたいな
自分たちは、それ以外の人たちよりましな人たち、
それ以外の人よりも道徳的、
「よい」人たち(「よい教会」)
っていう感覚が
まさにイエスが批判した
パリサイ人なんだよね。
452 :
律法学者:2001/08/01(水) 09:35
マタイ23章でイエスはバリサイや律法学者をしつこいほど糾弾しているのに、
なぜか、クリスチャンはバリサイ的な人が多い。
アダムとエバは神が食うなといった実を食っている。
クリスチャンはイエスが見習うなといったバリサイになっている。
この、イエスにより救済されているはずのクリスチャンを救済する
新たな宗教が必要だなあ..
453 :
そこが間違い:2001/08/01(水) 09:48
>452
いや、キリスト教は存在するけど、信者がいないだけだよ。ほとんどの
信者は「贋キリスト教」に在籍している。
キリスト教とは、イエスが罪を自覚する人のために作られた教えだから、
いろいろと足枷を設けて、それを守らないから地獄落ち、などと公言で
きるような、「罪なき善人たち」には無縁なんだよ。裁くことが大好き
な教会には、イエスさまはお立ち寄りにならない。イエスさまが探して
おられるのは罪人だからね。
454 :
デビルマン:2001/08/01(水) 09:49
諸君。
「横槍」君のような議論が、キリスト教を叩くためには、必要なのだ。
感情に走って、糞だ小便だと言っているだけでは、彼らは喜ぶだけなのだ。
頭を使おうではないか。
455 :
律法学者:2001/08/01(水) 10:09
>453
「贋キリスト教」に属していると言う罪を自覚するための宗教が
必要と言うことです。
「真キリスト教」を彼らに説いても無駄でしょうから、別の形で
救済できる手段がないかと思います。
救済するよりポアしたほうがよいのかしら?
456 :
そこが間違い:2001/08/01(水) 10:23
>455
たいへんに残念なことですが、仏教でも神道でも「自分だけは正しい」
と信じている人だけは、救済手段がないのです。イエスの言うこと
(義人よりも罪人が先に天国にはいる)は、実に全宗教に当てはまり
ます!
一番の薬は、自分がどうしようもない立場に追い込まれて「罪」を犯
し、「罪人の苦しみ」を知ることです。死ぬまでにこのような体験を
できる人は恵まれています。私もそのひとりです(^^)。
457 :
デビルマン:2001/08/01(水) 11:22
ワハハハハ!!
諸君が批判している律法学者、パリサイ(ファリサイ)派の人々に、
君たち自身がなっておるぞ!!
面白い。
もっとけなしあえ。
458 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:23
459 :
律法学者:2001/08/01(水) 11:27
救済手段のない人ほど自分は救済されていると思っているところが悲しいね。
そのくせ、周りの人を救済したがる。
そして、自分よりひどい律法学者を作る。(マタイ23章)
460 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:32
自分でも何か「面白い」こと書けよ。そして笑わせてくれ。
オマエの低脳さに
>>457
461 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:34
人間の本来の姿は宗教が望むような形じゃないですよ。
否定しようがされまいが
宇宙には初めと終わりを司る力があること(何と呼ぶかは自由・創造の根源)
宗教の言う神様のような存在はいないってこと(天罰で人を管理するような)
人間は物理のみの存在ではない(不滅の霊性を担っている。
故に人生の責任大、愛や認識の育成をしなければならない)
僕が確信をもって言えることは上の3つですね。
462 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:37
463 :
デビルマン:2001/08/01(水) 11:39
>>458 よかろう。
では、クリスチャンと名乗る諸君に、質問する。
創世記1章1節。
口語訳「はじめに神は天と地とを創造された。」
新共同訳「初めに、神は天地を創造された。」
新改訳「初めに、神が天と地を創造した。」
新共同約旧約聖書の底本である、「BIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA」によると、
「ベレシート バラー エロヒーム エット ハシャマイム ヴェエット ハアレツ」と、なっておる。
この中の、「ハシャマイム ヴェエット ハアレツ」は、どんなにこじつけても、「天と地」であって、
「天地」という言葉にはならない。
つまり、天という、神の領域と共に、地という領域さえも、神は創造された、という思想だ(悔しいが)。
口語訳、新改訳、共に正しく訳されているのに、新共同約は、なぜこんな変な訳にしてしまったのだ?
天地を創った、という風にしてしまったのでは、天だけでなく、地さえも創った、という聖書の思想を、
十分に表現してはいないのではないのかな?
聖書は、教会の聖典ではないのかな?その聖書が、こんな訳では、諸君の教会も大したことはない。
答えたまえ。
464 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:39
465 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:46
>463
聖書の間違いスレでやってくれ。
それに、この部分はエロヒームのほうが問題ではないかね?
466 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:48
>天地を創った、という風にしてしまったのでは、天だけでなく、地さえも創った、という聖書の思想を、
>十分に表現してはいないのではないのかな?
そう?
467 :
デビルマン:2001/08/01(水) 11:52
>>465 この書き込みは、聖書の間違いスレの方が、ふさわしい。
エロヒームの方が問題。
情けない…あまりにも情けなさ過ぎる。語るに足らん奴だ。
他に誰かいないのか?
我輩は、いつまでも待っておるぞ。
468 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:57
つーか人間が宗教(民族主義的なものも含む)から脱皮しない限り
エルサレムでの紛争は永久になくならんぞ!
今日も事件起こっとるがな・・・まったく
宗教に真実なんてないの!早く大人の人間になりなさい。
469 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 11:58
>467
これが答えじゃ、これ以上デビルマン氏に問いかけるのは酷じゃな。
470 :
デビルマン:2001/08/01(水) 12:05
もっとましな答えをするクリスチャンも、いると思われるが、仕方がない。
なぜ、こうなったか。
これは、新共同訳聖書の翻訳委員の一人であった、某国語学者の意見によるものなのだ。
つまりだ。もとの聖書に忠実に訳すなら、「天と地」となる。それ以外にはならない。
ところが、この某氏、日本語の体裁を考えて、この方がよいと意見したのだ。
そこで、このような訳となった。(誤解を恐れず、あえて簡単に言うと、そういうことだ)
我輩が言いたいことは、こうだ。
聖書の内容がどうしたこうした、ということではない。
そうではなく、教会にとって、聖典であるはずの、
そして、ある意味では神の霊によってなったはずの聖書の言葉を、
人間の側の都合で、勝手に変えてしまうことがあるではないか。
そういう個所は、他にもあるのだ。
それが、君たちクリスチャンのやることなのだ。
言うこととやることとが、違っているのだ。
他のスレの批判的書き込みを、見たまえ。
結局、根本には、そういう君たちクリスチャンの態度が、あるではないか。
471 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 12:06
>>467 どのように情けないのか、できるだけ詳細に学術的に解説キボーヌ。
472 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 12:37
聖書は聖霊の導きにより人間が書いた。
新共同訳も人間側の都合により勝手に変えたように見えるが、
すべて、聖霊の導きなのだ。
だから、聖典の正当性は揺るぎないのだ!
473 :
http://the-east-garden.com/:2001/08/01(水) 12:39
474 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 12:42
神様はいないってマジで
人間が権力を維持し獲得するための姑息な手段のために
作られたしろもんなんだよ。
実際のイエスも神の存在は否定しただろうよ
彼は「宇宙の英知」を人々に説いて廻ったに違いない。
それからイエスは神ではない。
私たちと同じ呼吸をする人間であり、良き友であり、良き兄であり、
良きおっちゃんだったのだ。
475 :
デビルマン:2001/08/01(水) 12:48
>>472 このような言葉だけを繰り返しているから、馬鹿にされるが、わからんのか。
では、一つ聞くが、それではどうして、あのような訳になったのだ?
聖霊の考え方が、変わったとでも言うのか?
476 :
472:2001/08/01(水) 12:54
>475
天も地も両方作られたという趣旨に変わりはないわよ。
聖書から伝わる神の声に耳を傾ければ、あなたにもわかると思う。
一字一句にケチつけるより、何が言いたいかを考えてほしい。
477 :
デビルマン:2001/08/01(水) 13:08
>>476 やっと、少しまともな返事が、返ってきたな。
天も地も、両方創られた。悔しいが、そのとおりなのだ。
認めたくはないが…だが、事実なのだから仕方がない。
また女性か。我輩は、どうも女に弱い。
我輩は、昼寝をする。おやすみ。
478 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 13:56
この世にもあの世にも何かを「裁く」存在はいません。
人間が猿や猫を裁かないように、もし人間より高い次元の生命があったとしても
彼らもまた何らかの使命と活動を時間が与えられる限り担っていると考えるべきです。
決して高見の見物から自分たちより認識の浅い使命を裁いたりはしないでしょう。
479 :
478:2001/08/01(水) 13:57
訂正=(最後の行)使命→生命
480 :
でちゅ:2001/08/01(水) 14:01
>>444>>445>>446>>447 でちゅからね、何度申し上げたら、わかっていただけるんでちゅかね。
「信仰」は「科学」ではないんだ、と繰り返し言ってまちゅでちょ。
まぁ、こういう時代でちゅからね。
「宗教」よりも「科学」のほうが頼りがいがあるというのは、よくわかりまちゅわ。
人間は弱い存在でちゅからね、何かを信じなければ生きていけない、
というのは、あなた自身の「科学」への深い「信仰」を見てても、そりゃ、よくわかりまちゅよ。
でちゅけど、ひとつ忠告しておきまちゅけど、
「科学」は「信仰」の対象じゃありまちぇんからね。
あなたも「科学」への「信仰」を振りかざすなら「科学」の限界を知って、
「科学」を「理解」の対象として捉えるように努めなさい。
私たち「信者」にとって,
「イエス・キリストの救い」は「信仰の領域」「信仰上の事実」なので,
「科学」の影響は何ら受けませんからね。
あなたが、いくら「聖書」の文献批判をもちだしたところで、意味ありませんよ。残念でしょうが。
それに修正・加筆・創作されたものだと言いながら、
どうして、あなたは断言的に、
「イエス伝承の原像に近づいていくほど、「教祖」でも「宗教者」でもない人物の姿が浮かんできます。
同時代の弱者(嫌われ者、差別を受けていたような人たち。「道徳的」な人たちから蔑まれていた人たち、などね)
の側に立って、目の前の社会の偽善や抑圧に反抗して行動していた」
などといえるわけですかね。
あなたのそういう意見そのものが「正文批判の結果」という
「科学」への「信仰」によりかかっているものだ、ということを知りなさい。
自身の勝手な「主観」と希望的観測で、もの言うのはやめましょうね。(次番へつづく)
481 :
律法学者:2001/08/01(水) 14:06
「裁く存在」を設定し、その存在に対し、自分が正しいと裁かれるよう
努めるのがキリスト教でしょう。
だから、自分が「裁く存在もどき」として振る舞うので嫌われるのだ。
「裁く存在」いるいないは水掛け論だよ
482 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 14:08
裁くのが大好きな生命=人間
だから神や悪魔ってのは人間の生み出した発想そのもの
空想の産物なのさ。
483 :
でちゅ:2001/08/01(水) 14:17
>>444 >>445 >>446 >>447 >正文批判の結果を受け入れれば、もともとイエスはあまり神様だの神の国だのについて頻繁に言及はしていないようです。彼の関心
>は、あまり天国とか神様とか来世とかそういう宗教的な観念(現実逃避)には向けられず、もっと具体的に眼前の社会の矛盾や小市民
>的偽善(パリサイ!)への批判に向いていた。
>そう考える立場から、イエスの思想や行動と思われるものは、死後作られたキリスト教とはぜーんぜん違うだろう、と私は言うわけで
>す。イエスがもし復活したら、きっとキリスト教と戦っただろう、というのも、こういう意味を込めての言葉です。
>むろんイエスに、現代的な「革命家」像を投影するのは馬鹿げてます。イエスも神を信じてるかどうかと聞かれれば、もちろん信じてると
>答えたでしょう。ただ、彼のやろうとしたことは、決してキリスト教ではなかった。人類の罪の贖いのため磔になったなんてタワゴトでし
>ょ。
>それは、キリスト教は、偽善を通して、人間の抑圧(精神的のみならず社会的な抑圧)に静かに加担する宗教だから。歴史的にほぼ常
>にそういう機能を果たしてきた宗教であるし、現在も偽善と抑圧のイデオロギーですよ。
以上、あなたの「正文批判の結果」に対する深い「信仰」の「証」を称えてあげましょう。
「アーメン」
484 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 14:19
だからといって僕は
世界の初めと終わりを司る力の存在を否定したりはしない。
その気流が人間に何を求めているのかも、ある程度理解できる。
485 :
でちゅ:2001/08/01(水) 14:21
>481
あなた、馬鹿ですかね。
「正しい」と裁かれる人間が「この世」に一人もいないことを
自覚するのが「キリスト教信仰」ですよ。
なにを分かったようなことを言ってるの?
486 :
でちゅ:2001/08/01(水) 14:25
>482
「神や悪魔ってのは人間の生み出した発想そのもの」?
たしかに、あなたのそういう発想を見れば、
人間がいかに「空想」を好むかということが、
よくわかりますわ。
それも“くだらない”空想を。
「神」は概念じゃありませんからね。すなわち「空想」じゃないの。
487 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 14:27
488 :
でちゅ:2001/08/01(水) 14:28
今日は忙しいので「僕ちゃん」はここでおしまい。
489 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 14:29
僕は空想と言い切れるよ、確信をもって。
490 :
でちゅ:2001/08/01(水) 14:31
>487
まさか、あなた「神」の存在証明をここでしろ、っていうの?
冗談でしょ。
「信仰」の領域においては、もちろん「存在」しますよ。
というより、「存在そのもの」でしょ。
私たち、存在するものすべてを、存在せしめる「根源の存在」。
491 :
でちゅ:2001/08/01(水) 14:35
>489
あなたの頭の中にしか存在しないんだろうから、
当然、あなたにとっては「空想」でしょうよ。
確信をもって「空想」と言えなかったら逆に怖いわ。
「ひょっとして精神病」?って。
492 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 14:36
一般世間がイメージする神って
髭をたくわえて杖をもったじいさんとかでしょ?
もしあなたが神を人間じみたものではなく
存在の中の存在、意味の中の意味、エネルギーの中のエネルギー
愛の中の愛というのであれば、あなたのいう「神」を受け入れてもいいでしょう。
493 :
律法学者:2001/08/01(水) 15:22
>485
「正しい」と裁かれる人間が「この世」に一人もいないことを
自覚するのが「正しい」と裁かれる道なのですよ。
それと、知ったかぶりして人を馬鹿扱いするところが
クリスチャンの特性ですね。
494 :
そこが間違い:2001/08/01(水) 16:10
>493
「裁く」というのを、武器に喩えるとすると.....
イエスは「人間である限り、誰も武器は持つべきでない」と武装解除
を主張した。キリスト教の主張も同じだが、そこに大きな違いがある。
それは、全員に武装解除させたあと、イエスに「剣」を持たせて、
自分の価値観に合わない連中に斬りつけさせようとしているところ。
同じ期待を抱いて、強国を裁いてくれる救世主が現れることを信じて、
神に対するオベッカをしまくっていたのがパリサイ人。それで、2千年
も待ちぼうけ。全く同じ発想だな。
すべての人が「剣」を捨て去った時、イエスの教えが成就するのだよ。
>>492 >一般世間がイメージする神って
>髭をたくわえて杖をもったじいさんとかでしょ?
ドラゴンボールの「わしゃ、カミじゃ。」みたいな感じのやつでしょうか?
聖書にあらわされる神とは唯一・絶対の「創造主」であり、他は全て被造物です。
よって、創造主とは被造物の想像を超えた存在です。
(多神教の「神」とは区別して考えなければなりません。)
ですから、
>もしあなたが神を人間じみたものではなく
人が神に似せて造られたのであって、神を人に似せて作ったら「偶像」です。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>存在の中の存在、意味の中の意味、エネルギーの中のエネルギー
創造主は初めから「ある」のですから、そこから他の存在やエネルギーが出てくるのです。
(「意味の中の意味」と仰るのはよく分かりませんでした。)
>愛の中の愛というのであれば、あなたのいう「神」を受け入れてもいいでしょう。
これも同様に、創造主なる神は「義」であり「愛」であるお方ですから、
神から出た「愛」によって、人は「愛」を知るのです。
言い換えれば、
先ず神が人を愛してくださったから、その愛に気づいた人が神を愛し、
そして隣人を愛するのです。
受け入れていただけるでしょうか?
496 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 22:32
>>495 ならばなぜ分派が生まれるに至るのですか?
彼らがもし、あなたの仰るような人間じみたものでない
裁きの大官でない、「それ」をしっかり認識していれば
決して統一性が崩れたりしなかったでしょうに。
(なぜならば、ある認識に至る者の答えは一致するからだ)
彼らが勝手に想像し偶作した神において新たな宗派が生まれ
本末転倒な解釈を引き起こし
宇宙の誠実なる法則は踏みにじられるに至ったのです。
キリストは神ではなく誠実な人間でした(他の賢者もまた人間でした)
それをあなたがたは神に祭り上げたのです。(自分たちの都合のいいように)
宇宙の法則である”それ”は決して一部民族を優遇したりはしませんし
個人を特別扱いしたり致しません。
何者にも裁きを下すことはございません。
正当な儀式など存在するはずもなく(必要としない)
”それ”が供物や供え物を強制するはずもございません。
宇宙の法則は全宇宙の生命に等しく働いているのです。
人間には宗教が必要なのではなく、真実の認識が必要なのです。
497 :
thankyoujesus:2001/08/01(水) 22:59
まあ、まあ、君たち。
私のようにいい教会へ通うことをお薦めするよ。
いや〜〜っ。
私の教会は現在絶好調ですな。
笑いが絶えないからね。
ほほほほほのほ
みなさんも、よい教会に恵まれますように。
498 :
ベレーシート:2001/08/01(水) 23:54
>>496 >ならばなぜ分派が生まれるに至るのですか?
教派が分かれてしまっていることは悲しい現実だと思います。
何故?ということに関しては、歴史に学ぶしか知りません。
お言葉を借りれば、大きくなりすぎた組織から、
「それ」をよりしっかり認識しようとしてきた結果とも言えるでしょう。
そしてまた一致に向けての動きがあるのも事実です。
父なる神・子なるキリスト・聖霊の三位一体の神を信じるのが正統キリスト教であり、
そこにあっては、すべての教派の信徒とも主イエスの救いにあずかる兄弟・姉妹です。
>人間には宗教が必要なのではなく、真実の認識が必要なのです。
仰るとおりだと思います。
そして、私たちは聖書に真実を求め、神様から伸ばされた御手を知り、
恵みに感謝しているのです。
499 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 23:55
. ) ( 、
; ( ) '
o___, . (、. ' ⌒ ` )
/ ~ヽ (. : ) , ( '
/ /// / ̄ ̄; ) ( . ⌒ )
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/ ヽヽヽ \__/ /// /
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ /
( ´∀`) /
( )つ
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(__)_)
500 :
横槍:2001/08/02(木) 02:32
>>480 >>483 「でちゅ」氏へ 「横槍」より
これまであれだけ議論を書いてきた貴殿には、
もう少しまともに考えた答を期待したので、
些かがっかりしました。
今回のレスの貴殿は、どうも甚だしく非論理的ですね。
わざわざ書込みした私としては、時間損した気分。
まあ、非論理的な乱暴なレスにあまりまじめに答えるのも無駄だけど、
いちおう簡単なことだけ言い添えておくと、
私が正文批判研究の成果をもとに書いていることについて
アナタは私も「科学」を「信仰」しており、「信仰」する「科学」の限界をわきまえろというが、
これは滅茶苦茶な理屈になっちゃってるよ。
まず、私は正文批判を万能であるかのように書いてもいないし、
ちゃんとそのアプローチの限界も文章の中で明記してるでしょ。
次に、もっと大事なことだけど、
僕が科学を信じてるといえるとしたら、
「キリスト教よりは科学の方を信じる」ということ。
あなたのキリスト教の「信仰」は、思考と停止して聖書+キリスト教は正しいんだ、
と信じること。わざわざ自分で科学と信仰は違う、って力説してるね。
私は、自分の頭で思考することを止めない、絶対。
自ら考えることを捨ててない私の精神を、
あなたがたの言う「信仰」とを、一緒にされては困ります。
理性的な立場から宗教教義の矛盾を指摘すると、
「あなたも『科学信仰』に過ぎない」っていうのは、
むかしからよくある一種の負け惜しみだが、
さすがにその手は古いよ。
一般にクリスチャンは、議論が苦しくなると、
「存在」「信仰」「真実」とか、こういう単語にさらに「根源」とかいろいろ抽象的な単語を
つなげちゃったりして、誰にも肯定も否定もできないくらい抽象的・観念的な単語で煙に巻こうとするが、
ちゃんと思考できる人間なら、そういうのは単語を口走ってるだけだとすぐわかっちゃうよ。
その手はくわない、って。
ちゃんと普通のコトバでわかりやすく言ってみて、クリスチャンの皆さん。
われらがナザレのイエスは、民衆にすごーくわかりやすいコトバでしか話さなかったでしょう?
(こ難しい言葉で信仰を語りはじめるのも、パリサイ症状ですよ。)
こんなこと書いてると、私の方がイエスに近いような気がますますしてきた(笑)
501 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 02:36
人間のエゴでこんなになっちゃってさ、
ほんとキリストもいい迷惑だよね。
502 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 06:05
熱心なクリスチャンの友達と一人知り合ってから次から次ぎに
クリスチャンの友達を紹介された。みなおたがいに彼女はとても心の
きれいないいひとよー、彼女もほんといいひとよー
とかいってクリスチャン同士ほめあってる。みなバイブルスタデイーとかも
やってて、わたしにもすっごい親切にしてくれるし
やっぱり、彼女たち信心深いだけあっていいひとたちだなって
信用しておつきあいしはじめたけど
バイブルスタデイーに誘われたときに断ったのね。
わたし、クリスチャンじゃないし、無宗教っていうか日本人なんで
なんとなく仏教かな?って答えたの。そしたら
仏教なんて神だなんて思ってないから、、って、いきなり
つーんとした口調で切り捨てられた。こわーって思った。
あと、貴金属とか、身につけるのもよくないみたいなこといわれた。
わたしがいつもダイアとかゴールドのアクセサリーつけてるので
さりげなく批判する。クリスチャンになるとそういう欲を捨てられるとかいわれた。
この人も夫婦で熱心なクリスチャンなんだけど 普段、生活保護うけてる貧しいこどもたちの
ために一生懸命、教会でお手伝いしてるんだけど (教会自体貧しい地区の教会だそうです)
まわりのクリスチャンのお友達からはえらいよねーーーー彼女とかいわれてるのね。
でも彼女、自分の子どもにはいいお友達を、教育は良い教育受けさしたいからって
となりの、自分の子は金持ち地区の教会に通わせて、私立の学校に行かせる事にしたって
電話で話してた。あたりまえのように話してるから
その矛盾に気ずかない彼女の人間性を疑った。ほんとに。
ちなみに某国在住です。
503 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 10:24
↑典型的ですね。
>クリスチャンになるとそういう欲を捨てられるとかいわれた。
自分では欲を捨てたつもりになるだけでなく、人の欲を非難する。
>普段、生活保護うけてる貧しいこどもたちのために一生懸命、教会でお手伝いしてるんだけど
「クリスチャンはとってもいい人よ」と外部にアピールする。
墓を白く塗るひとですね
504 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 10:32
>>498 問題はキリストを神だと言い切っちゃうとこでしょうね。
彼もまた天皇と同じ様に、神ではなく人間であることを宣言しなければならなかった。
もちろんキリスト本人が自分を「神」と宣言したしたことなど一度もなかったはず・・・
これはキリスト教に限ったわけではない、全ての宗教にも言えること。
実際、今現在ここで、『私は神によって選ばれた』などとぬかす奴は
100%イカサマ師であることはみなさんにも想像は付きますよね?
その発言が元で階級闘争が生まれ、周りの人間の自立性が脅かされるのは明白です。
あらゆる宗派に属する方々にお尋ねしますが、
「なぜ組織に加わる必要があるのですか?」(そして争い事を始めるのはなぜ?)
505 :
そこが間違い:2001/08/02(木) 10:40
>500
そうだなあ。「天国は空にある、司祭や牧師の言うことは神の声である」で
「ハハ〜ッ」と信者が平伏す時代は「でちゅ」さんの論理でよかったんだけど、
信者が科学的知識を持って、なかなか納得しなくなってきた。それに対して満足
の行く答えを用意できないところにキリスト教会の悲惨さがあるね。
正文批判も含めて、科学的知識に矛盾して淘汰されてしまうような宗教など、
所詮は消え去る運命なんだよ。世界中すべてそうだろう?矛盾を克服して生き残った
ものだけが真理として残っているんだよ。
真理は虚偽よりも強く、真理同士に矛盾は生じない。
科学的知識に照らして矛盾するのは、キリスト教が間違っている証拠だ。なぜなら、
科学的知識は実験でその正当性が確認されているが、キリスト教の正しさは誰も
証明していない。単なる仮説にすぎないんだよ。矛盾に目をつぶって逃げ回って
いるだけでは、すぐにキリスト教が淘汰されてしまうよ。
506 :
横から槍が入った:2001/08/02(木) 10:46
>>505 どうも、そこが間違いさんの書き込みを見ると、レスを入れたくなってしまう。
そういう矛盾に対して、整合性を求めているのが、いわゆるリベラル、といわれる
神学的立場、だと思う。
彼らは、聖書の科学的な批判を素直に受け止めながらも、
聖書に記されている、一粒の真理を求めているように、思える。
それに対し、昔ながらの教理を持って、頑強に抵抗しているのが、いわゆる福音派。
で、2チャンネルには、福音派の人が多いような気がする(書き込みをみて思った)。
だから、ここは一つ、リベラル派の人の意見も聞いてみたい。
507 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 10:47
キリスト教のどの辺が科学と矛盾しているのかね?
聖書を一言一句字義通り鵜呑みにしている人ばかりではないよ。
508 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 10:50
日本は福音派が多いらしいね。土地の文化に根付いていないと
そうならざるをえないのかな。
509 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 11:06
Q:なぜ神が存在すると思うのか
A:神が存在するのが事実だから
なんて答えるのがクリスチャンなんだから
科学的に正しいとか違うとかいっても無駄じゃないかなあ。
510 :
そこが間違い:2001/08/02(木) 11:08
>507
例えばですけど、人間は神の前にどのようにふるまうべきか、について
議論すると(ちょうど、502さんの貴金属の問題に関連するね)、決まって
引用されるのが「牧会書簡」です。これは、正文批判によって、パウロ
の直筆でないことがほぼ確実とされている。だから、この書簡は当時の
教会指導者の考えをパウロの名を借りて書いたので、パウロ自身の考え
とは「科学的に見て」言えないのです。
こう諭すと、今度は、「いや、それが本当でも神の霊感を受けて書かれた
から神の意図なんだ」とおいでなすった。こうなると、もう「科学的視点」
の枠外でしょう?「科学的視点」から言えば、「それはそうかもしれない
し、そうでないかもしれない。わからない。」というのが正しい答え方で
す。
「わからないことをわからないと認識する」ことこそが、真理への第一歩
だと思うんですけどね。
511 :
横から槍が入った。:2001/08/02(木) 11:16
>>510 だから、リベラルの人の意見を聞きたいわけだよ。
をい、誰かいないのか??
512 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 12:23
>>493 >正しい」と裁かれる人間が「この世」に一人もいないことを
>自覚するのが「正しい」と裁かれる道なのですよ。
よくわかりませんが.あなたは何を言わんとしてるんですか?
「自覚」することが,「救い」に至る最初の一歩,という意味に
おいて「正しい」という言葉を使ってらしゃるのなら,
なんとか通じないわけではありませんが.
「知ったかぶり」ってあなた,そうしたら「クリスチャン」の
信仰がどういうものか,わかってらっしゃるんですかね.
人にものを言うときには,まずわが身を振りみなくっちゃ,「恥」をみますよ.
513 :
律法学者:2001/08/02(木) 12:58
人は生まれながらにして罪を背負っており、それを自覚することが
救いの道であるということです。
話の流れ上、493の様な表記になりましたが、わかりづらかったらスマソ。
信仰がどういうものかわかっているかどうかを判断するのは難しいですが、
自分は信仰の中にいて、わからせていただいてると信じてます。
514 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:03
>>496 >彼らが勝手に想像し偶作した神において新たな宗派が生まれ
>キリストは神ではなく誠実な人間でした(他の賢者もまた人間でした)
>宇宙の法則である”それ”は決して一部民族を優遇したりはしませんし
>個人を特別扱いしたり致しません。
>何者にも裁きを下すことはございません。
あなた,なかなかの想像力の持ち主のようね.
「新興宗教」の「教主」になってみられたらいかがかしら.
少なくとも,あなたに「牧師」は無理なようだけど.
彼らは「神」を勝手な想像で偶作したのではないし,
「イエス」自身,自らを単なる「人間」だとは一度も言ってないわ.
「宇宙の法則」ってなにそれ?
「法則」が,そもそも人格を持ちえようがないのに,
「優遇」もなにもないでしょうに.
ひょっとして「万有引力の法則」が「ユダヤ民族」を優遇したりするわけ?あはは.
まぁ,そんなことが万が一にでもあるんなら,「イエス」が天に上げられた
ひとつの説明にはなるでしょうけれどもねぇ.あなたが,大好きな「科学的」なね,
「個人を特別扱いしたり,裁いたりしません」って,
そりゃ,まぁ,誰だってエコひいきされたり,罰を食らわされたりは
イヤですけれどもね.「願望」を勝手に他人に押しつけちゃいけないわ.
あなたも悪しき戦後民主主義教育の犠牲者なんだろうけど,
「現実」を直視できるようにならなくっちゃ.
「神」さまはこの「現実」の只中におわしますのだからね.
515 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:08
上の人は、496の言いたいことをもっと良く理解してから
書いた方がいいぞ
516 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:26
>515
あなたも,キリスト教をきちんとお勉強してから,
スレするようにね.
517 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:37
>501
>人間のエゴでこんなになっちゃってさ、
>ほんとキリストもいい迷惑だよね。
よくわかってるじゃない.
「エゴ」こそが罪のなかの罪「原罪」なのだから.
キリストは別に迷惑じゃないよ,
君自身の「エゴ」を贖う為に,
この世にお越しになられたのだから.
518 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:48
↑その通り!!
「罪の贖い」のためにはまず「罪」をこの世に作らなくてはならない。
人間のエゴの様な原罪がないとキリストの存在意義がなくなるから
人間がエゴでない方がキリストには迷惑なのだ。
519 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:57
>>502 >仏教なんて神だなんて思ってないから、
じゃ,なんと言ってほしかったの?
仏様は神様と一緒なのよね,とでも答えてほしかったのかしら.
だったら,教会にはいかないことね.
教会は「神」さまを賛美するところで,「仏」さまを拝む場ではないし,
第一,仏様と神様を一緒にするようなことを言ったら、
神様に対してはもちろん,仏様にも失礼じゃないの.わからないかしらねぇ?
>自分の子どもにはいいお友達を、教育は良い教育受けさしたいからって
これのどこが矛盾なの.
お母さんがボランティアで教会のお手伝いをするのは,お母さんの勝手.
アピールするもしないもお母さんの自由じゃないの.
だけど,子供を自由にするということは,お母さんの勝手にすることではありませんからね.
親には子供を保護し,子供が望まれるように養育する義務がある.
子供を愛する親なら,
当然,子供のことについては子供を最優先にして考えるべきことでしょう.
矛盾に気づかないって,
そういうあなたが,ひょっとして常識がないだけじゃないの?
520 :
デビルマン:2001/08/02(木) 14:02
ワハハハハ!
おもしろい。
久々にここを覗きに来たら、何とも、言葉の遊びのような議論で、
盛り上がっておるわい。
本質からは離れたところでのののしりあいは、我輩が喜ぶところだ。
もっとやるがよい!
そうやって、おまえらクリスチャンは、品位をなくし、
ますます軽蔑の対象となって行くのだ。
521 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 14:04
>>504 >キリスト本人が自分を「神」と宣言したしたことなど一度もなかったはず・・・
という「証拠」がありますか?
「なかったはず」と頼りのない書き方をしてるくらいだから,
たぶん確信などないのだろうけど,もちろん「事実」としてもないわ.
>実際、今現在ここで、『私は神によって選ばれた』などとぬかす奴は
>100%イカサマ師であることはみなさんにも想像は付きますよね?
これは,そのとおり.
今,日本には沢山の「神」さまがいらっしゃるわ.それこそあきれるほどに.
522 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 14:07
>520
どこの宗教団体にはいってるんでしたっけ?
「クリ性悪スレ」利用の皆さんへ
デビルマンは無視ください.
523 :
デビルマン:2001/08/02(木) 14:15
>>522 その方がよろしい。
我輩の忠告、例えば、「本質的な話をするように」「聖書に基づいて議論するように」
等と言う忠告を聞いていたら、クリスチャンの方に軍配が上がってしまう。
…そうすると、我輩は困る。
大いに無視して、このままくだらん喧嘩を続けるがよかろう。
そうすれば、クリスチャンの知性も品性も、ますます地に落ちよう、というものだ。
ワハハハハハ!
524 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 14:23
514以降(517,519など)、典型的なクリ性悪な書き込み方をしているが、
クリスチャンを陥れるためのヤラセか?
525 :
あんちゃん:2001/08/02(木) 14:23
>>505 >科学的知識に照らして矛盾するのは、キリスト教が間違っている証拠だ。なぜなら、
>科学的知識は実験でその正当性が確認されているが、キリスト教の正しさは誰も
>証明していない。単なる仮説にすぎないんだよ。矛盾に目をつぶって逃げ回って
>いるだけでは、すぐにキリスト教が淘汰されてしまうよ。
「神」そのものが「科学」では知りえようのないお方なのに,
なにを「科学的知識に矛盾してる」などと早合点したことを言ってるんだろ?
「信仰」は「科学」でないともう何度となく繰りかえしていってるつもりだけど,
まったく聞いてなかったかな.
「宗教」の正しさは科学的に「証明」されるような性質のものでないことぐらい,
小中学生でもなければわかるだろうに.まして「仮説」じゃないだろ.
「宗教」は「物理方程式」か?言葉の使い方に気をつけたまえ.
「科学」がすべてというならば,とうの昔に「キリスト教」は滅びてるよ.
欧米に行ってみたまえ!
彼らに「矛盾」を感じませんか?と聞いてみてごらんよ.
あきれ顔で見られることまちがいなし,あはは.
526 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 14:25
>>523 だからさー、つまんねーんだよ、お前。気付よ。
527 :
あんちゃん:2001/08/02(木) 14:36
>>518 キリストにとって「迷惑」じゃないっていうのは,
キリストご自身が,神から与えられた「盃」として「贖罪」の身になることを
受け入れていた,という意味なんだよ.
お馬鹿ちゃん,わかりる?
問題は,君自身が,自分の「存在意義」に思いをはせられるか否かにありそうね.
528 :
デビルマン:2001/08/02(木) 14:37
>>526 そうそう、それでよろしい!
我輩が「つまらない」と思えるようでなくてはな。
ワハハハハ!!
さて、我輩は昼寝をするとしよう。
529 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 14:39
「クリ性悪スレ」利用の皆さんへ
デビルマンは今後,無視ください
530 :
ここが間違い:2001/08/02(木) 14:49
>525
いいかい?科学というのは、物質の法則についての学問だ。つまり、
「神の実態」を物質の法則から明らかにするんだよ。石を投げ上げれば
落ちてくる。善人がやっても、悪人がやっても同じだ。それが、神の
意志だということ。
もちろん、物質の世界だけが神のすべてではないけど、神を語る上で、
科学は欠かせないのだよ。
宗教は、物質ではなくて、精神を扱う学問と言えるが、それもやはり
神を別の視点で描こうとするのだから、科学と矛盾してはいけないん
だよ。喩えれば、同じリンゴを真上から映した写真と、真横から映した
写真は、同じリンゴを映している限り、お互いに矛盾してはいけない
んだ。
もし、2つの写真が矛盾しているとすると、私は科学の方が正しいと
判断する。それは、科学とは「万人に対し、すべての状況において
正しい事実」だけを集めたものだから。そして、その正しさを証明
したければ、誰でも実験で確かめることができる。
科学と宗教は、お互いに「住み分ける」べきなんだよ。科学は物質、
宗教は精神の分野に。意外と、宗教が科学の領域を侵犯しているケース
の方が多いんだぜ。地動説の否定とかね。
>「信仰」は「科学」でない
そういう、科学と矛盾するような誤った信条のことを「迷信」と呼ぶ
のだよ。
531 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 15:03
>527
この世に罪人がいなければ、キリストの贖罪の意味がなくなるってことだよ。
だから、正確には罪が存在しなければキリスト教徒に迷惑ってことだね。
わかりる?
532 :
地獄大使:2001/08/02(木) 19:43
キリスト教の福音派やイスラム教は戒律主義宗教です。
人間的道徳心はどうでもいいのです。
戒律さえ守っていれば自動的に天国に行けるのです。
天国に行く為に戒律を守るのです。
たとえば
教会内での苛めが原因で自殺しても、クリスチャンの感覚だと
『苛め』は罪に当たらないです。
最も悪いのが苛められて自殺した本人だと言う事です。
そのように考えてしまう原因は『見返りを求める御利益主義』だと思います。
『神と自分の関係』を重視すれば、戒律さえ守れば、隣人はどうでも良いのです。
その意味では、パリサイ人と同じです。
533 :
デビルマン:2001/08/02(木) 20:03
諸君。
別に、我輩を無視しても、一向に差し支えないが…
>>522 我輩は、草加ではない。これだけは言っておく。
さて、寝るとしよう。おやすみ。
534 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 01:31
>>519さん
ごめんなさーーい、わたし願いを請うとき
かみさまーーほとけさまーってこころのなかでつぶやいてるんだけど
そういうのってだめ? わたしみたいにキリストのまえでもかみさまー
でお寺のまえでかみさまーっておねがいしちゃだめですか?
一般の日本人ってかみさんもほとけさんもべつにこだわらずに
ひとまとめにかみさまっていううでしょ。でも
いっしょくたにしたら神がおこるのね。失礼だって!
すみません、きょうから改めます。
535 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 01:43
>>519さん
自分の子を最優先ということでしょ。これつきつめると
自分の子以外はどうでもいいってことじゃないの?
たしかクリスチャンの奥サン 汝は他人を自分と同じように愛せ
みたいなこといってたような気がするけど、、
まちがってらごめんね。ただいいんですよ
自分の子は特別だって思うのって母親なら普通ですよ。
あたりまえ。ただね、それだけ熱心なクリスチャンの奥サンだったら
我が子もおなじようにそのびんぼーな(彼女が言ってる言葉ですよ)
教会で奉仕でもさせて、、っていうきれいなストーリーを
わたしとしては期待してたんだけど
自分の子はその教会をやめさせて越境して金持ち地区の教会へって
いう話に、なーーんだわたしたちとおんなじなんだ
ってちょっとがっかりしただけ。
536 :
横槍:2001/08/03(金) 01:51
こんばんは。「横槍」です。今夜は3連発で書き込むよ。
>>506 「横から槍が入った」氏へ(...しかしこのHN....)
>そういう矛盾に対して、整合性を求めているのが、いわゆるリベラル、といわれる
>神学的立場、だと思う。
>彼らは、聖書の科学的な批判を素直に受け止めながらも、
>聖書に記されている、一粒の真理を求めているように、思える。
>それに対し、昔ながらの教理を持って、頑強に抵抗しているのが、いわゆる福音派。
なるほどそういう流派の違いがあるのですか。ここに書き込んでいるクリスチャンとは違う思想jのクリスチャンもいるはずというわけですね。私が議論したかった相手は、そういうクリスチャンだったんですよね。
もし私が、キリスト教批判しようとしても手強いかもしれないと思うクリスチャンがいるとしたら、
「神などいないと知りつつ神に祈る」(シモーヌ・ヴェイユ)、という人、あるいは、
「聖書など後世の創作で真実ではないと知りつつ、キリスト者たることをやめない」という人。(もちろん教会などという偽善の極たるものには所属しない。)
そういうのがいたら、こりゃホンモノで、手ごわいね。それでも多分論破はできるけど、相手に敬意を持たざるをえないかも。
537 :
横槍:2001/08/03(金) 01:52
>>530 「ここが間違い」氏へ
一部のクリスチャンが「科学」と「信仰/宗教」を意図的に混同させようとしているのに対し、わかりやすく説明してくれましたね。
>科学と矛盾するような誤った信条のことを「迷信」と呼ぶのだよ。
激しく同意
538 :
横槍:2001/08/03(金) 01:53
>>532 「地獄大使」氏へ(....しかしまたしてもHNが.......)、少し長いけど。
クリスチャンの戒律主義に対してはその批判でOKです。
でも気をつけてください。それに対してクリスチャンから反論のネタが残ってます。(キリスト教は、ああ言えばこう言う、という護教論のパターンをたくさん蓄えてますよ。)
キリスト教には伝統的に2つの異なる志向が埋め込まれて、それがくるくる使い分けられるところに特徴があります。
まず、たとえばマタイ福音書などを読むと印象に残る戒律主義、倫理主義。もともとは、形式的戒律主義ではなく、厳しく倫理を徹底化しようとします。(マタイ福音書は、この意味で偽善(=中途半端な道徳)が嫌いなんですね。)姦淫しなくても色情を抱いて女を見ただけでにたような罪だ、という極端までつきつめる倫理主義。ここでは、当時のパリサイよりもさらに徹底した倫理観念をつきつけます。キリスト教の厳しい顔です。
なお、今のキリスト教徒は、このような厳しい倫理に本気で付き合っている人はいません。教会の説教で得意げに引用し「そのぐらいの気持ちをもちましょう」程度の教訓談ですますに過ぎなくなっています。
(続く)
539 :
横槍:2001/08/03(金) 01:54
もう一つはひたすら「愛と許し」の顔です。パウロやルカ福音書の世界です。
すごーく甘ったるいあのキリスト教の説教は、このへんから湧き出てきます。聞き覚えがあるでしょ。
悔い改めれば、みんな許されます。神を愛しましょう。みんな愛しましょう。アーメン。非信徒はそういうのをきくと「馬鹿か(関西では、あほか)」「付き合ってられん」と匙を投げて遠ざかるわけですが。
ね、両方あるでしょ。これはキリスト教草創期に、互いに異なる別々の流れがあったんですが、後世のキリスト教は、相互矛盾を気にしないでとりあえず両方取り込んだ。そして逆方向の要素を、都合のいいように使い分けてきた。
だから、われわれが、キリスト教を「戒律主義」「厳格主義」と批判すれば、「いやいやこれ(パウロ)を読んでください、許しの宗教です、悔い改めれば神様の愛で許されます、だから戒律主義、厳格主義ではありません」、と反論してくる。
一方、反対方向の批判に対しては、マタイを引用して「キリスト教には倫理の厳しさもあるんです」と、来ます。
単純な手だけど、非信徒は、聖書の引用などを添えられると、なんとなくひっかかちゃう。
聖書なんてまとまりなく、相互に逆のこともあちこち書いてあって、引用するならなんでも引用して言えちゃう。そういうものなんだから、非信徒の皆さんは、騙されたり、まるめこまれたりしないように。
540 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 02:01
>>512さん
わたし502ですけど、わたしべつにどの宗教にもこだわってません。
だから神様も仏様も私の中では一緒なんです。わたしはそういう感覚なんだけど
そのクリスチャンのおくさんにとってはあなたと同じで
仏様信仰のひとが教会にいくと失礼なんですね。
わたしは神様、仏様ってもっと心が広いかただと思いたいんですよ。
それと、そういう信心深いひともわたしたちなんかより
ずっと心が広い人って思いたかったんだけどみながみなそうじゃないってことが
わかった。あなたも怒りまくってコメントするしね。
541 :
幸せな鳥:2001/08/03(金) 02:05
私はクリスチャンですが、性格はまあまあです。
私の教会はいい人が多い。
教会はお薦め
542 :
だめクリスチャン:2001/08/03(金) 02:45
確か、黙示録の中で、一番大事なことは信仰と祈りと愛であり、その中でも一番大事なのは愛だと書いていた気がする。
だから私はこの中に希望を置いた。
543 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 02:46
↑だからそれがお前らの偽善だって、ここでは結論もう出てるんだよ。
544 :
543:2001/08/03(金) 02:47
545 :
:2001/08/03(金) 02:51
でも黙示録って....新約の中でも、すごく外れてる文書ですよ。
当時のヘレニズムの黙示文学の系譜のキリスト教版の作品。
聖書にこの文書を加えるかどうかで随分後まで議論があった。
あなたの希望にけちをつける気はないのですが、
黙示録からキリスト教精神を読み取るのはかなり珍しいことではある。
それに「一番大事なのは愛だ」という考えは、キリスト教以外にも
いくらでもありますから。
546 :
だめクリスチャン:2001/08/03(金) 02:54
そうかな?でもキリストは良い、よく出来た人のために来たのではなく、不完全な愚かで悪行ばっかりしている自分みたいな人のために来たといっている。
健康な人に医者は要らないと。
547 :
:2001/08/03(金) 03:19
>>546 そうだよ。キリストは、ではなくて「イエスは」といいたいけどね。
イエスは、当時の律法を守ることもかなわぬ人々のために、律法を守って満足し、他人にも律法を守るよう薦めていた連中を批判した。
当時、律法をきちんと守るのは一定の環境に生きてることが必要で、
「地の民」といわれた下層民は律法なぞ守れない。
取税人はローマの手先で不道徳としてユダヤ人の裏切り者として嫌われてた。
売春婦が軽蔑されることは言うまでも無い。
そういう、道徳秩序から外れて、「不道徳」「汚らわしい」という見なされていた人たちの
イエスは味方だった。
そこまではキミも同じことを行ってるね。OKだろ。
問題はその先、これを今の我々自身にひきつけて考えてみるときさ。
キミらの教会も含めて、キリスト教会は、自分達が道徳的である、
あるいは、宗教的に正しい(ないし少なくとも非信徒よりマシだ)、
と思っている人間の集まりだろ。
キミらが自分達の教会はいい人の集まりだと言えば言うほど、
あるいはクリスチャンがキリスト教的に「善い人」であればあるほど、
そうでない不道徳な人・正しくない人(=イエスが愛した仲間たち)から
自分たちは切り離される。
正しくない人たちは、もはや慈善と同情の対象となる。
キミらは、イエスが連帯した穢れた下層民たちと何の関係もない
現代のパリサイだよ。
自分たちが宗教的に正しいという認識に安住してるんだから。
548 :
だめクリスチャン:2001/08/03(金) 03:48
いま自分は教会に言ってないので、ていうかたぶん自分も「地の民」の部類の人間なんで、・・・
でも、キリストは信じています。
だからこの立場で世間を見ると、高い場所から話す人たちを見上げる形になるのですが、そうすると、その人々の靴の汚れや、鼻毛が良く見えるのです。
それに多分、「宗教的に正しいという認識に安住している」と言うよりも自分が正しいと思う傲慢な心に対して、神の御心の目的よりもその手段に固執してしまった人たちに対して、言ったと思う。
549 :
律法学者:2001/08/03(金) 10:04
>538,539
キリスト教の「ああいえば上祐システム」がわかりやすくかかれていてよいですね。
クリスチャンは「宗教的に正しい」「救われた」「選ばれた」というように、
クリスチャンになった時点で目的を達成してしまった感がありますよね。
だから、その時点で思考停止してしまうのではないかな。
そして、それ以上向上しようとしないで、ノンクリを蔑んだり、糾弾したり、憐れんだりして
満足感を得ている。
550 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 11:17
>>549 いろいろなスレを見て思うのですが、
結局、そこが問題だと思います。
つまり、「クリスチャンとして、一体どう生きてゆくのか」と言うところが、甘すぎるのです。
問題を起こすクリスチャン、牧師、教会…
「あなたは、キリストを信じている。それは分かった。では、信仰をもつ者として、どう生きているのか」と、
問いたい。
普通の人と何も変わらないのなら、止めてしまえばいい。違いますかね。
551 :
律法学者:2001/08/03(金) 11:56
普通の人とは違いますよ。
「救われた」「選ばれた」「正しい」といった優越感
「罪から赦された」という安堵感
これらを手放すのは難しいですよ。
薬中に「クスリ止めたら」って言ってもなかなか難しいのと同じ。
552 :
550:2001/08/03(金) 12:21
>>551 なるほど、そうですね。
でも、彼ら自身、そのことに気がつかない。
自己陶酔の果てに、他者を傷つけることを平気で行う。
こういった、世間の評判に対し、きちんと答えることができるクリスチャンは、
いないのでしょうか……
553 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 12:26
554 :
550:2001/08/03(金) 12:29
>>553 別に、優越感に浸ってはいませんが。
と言うことは、反対に、あなた方クリスチャンは、
ノンクリスチャンを攻撃することで、優越感に浸っているですね?
「私たちは、サタンに勝利しました、ハレルヤ!」とか何だとか言いながら。
555 :
律法学者:2001/08/03(金) 12:34
クリスチャンを攻撃しているのではないんですけどねえ。
クリスチャンの立場にいれば、性格が悪くなる人が多くなるのは
仕方がないんだと擁護しているつもりですが..
556 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 12:38
>553
攻撃って感じる方こそ、変な被害者意識があるんだよ。
表現は厳しいが、549-552なんか的を突いていると思うぜ。むしろ、
図星を指されているからキツク感じるんだよ。ニーチェのツアラトス
トラに書いてあるキリスト教批判読んだことない?キツイ批判から
逃げ回っていても問題は解決しないよ。
「裸の王様」に対して、「王様、あなたは裸ですよ」と教えてあげる
のが攻撃とは思わないね。
557 :
553:2001/08/03(金) 12:39
わたしはクリスチャンではありません
「あなた方」?誰よ?
558 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 12:41
>>556 オナニースレでお前が833に言われたことそのまんまだね
559 :
律法学者:2001/08/03(金) 12:42
>557
なるほどそうでしたか。
クリスチャンなら攻撃とは思わず、あわれな救われない人だなと思って
くださるでしょうからね
560 :
550:2001/08/03(金) 12:42
>>557 私はNo.550(ダブルファイブオー) (藁
561 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 12:47
>と言うことは、反対に、あなた方クリスチャンは、
>ノンクリスチャンを攻撃することで、優越感に浸っているですね?
さっさとコレ撤回したら。私はクリスチャンじゃないんだからよ
562 :
ふらんちぇすこ:2001/08/03(金) 12:47
>>555 律法学者
なんで、そうなっちゃうのか僕も不思議なんだよね。
今カトスレにもそういう人が居るんだけど、
彼が一番救いを必要としてみえるんだな。
神の存在を忘れてるように見えるんだよね。
客体化して自らを見るという事が出来ない人間は何処にでもいる。
キリスト教の場合、自らの思想を聖書や、例えばカトリックなんかでは
カテキズムも含め、そういうものを借りて語ろうとするから
自ずと、その人の意見=キリスト教思想という見られ方をされる。
選ぶ言葉は本来その人の恣意的解釈に過ぎないんだけど。
あと、キリスト教の聖典たる聖書そのものが、律法的発想から
産まれてるから、厳しくとろうと思えば厳しくなれる。
本当は、イエスはそういう態度こそあらたむるべきだと
福音を説いているんだが。読解力の問題かな?
563 :
550:2001/08/03(金) 12:51
>>561 まあまあ。ずっとここ覗いているわけではないんだから。
それじゃあ、あなたに対する言葉としては、撤回しましょう。
けれども、その他のクリスチャンに対しては、撤回しませんよ。
実際、そういうクリスチャンが多いですからね(全部、とは言いません)。
564 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 12:58
>562
>選ぶ言葉は本来その人の恣意的解釈に過ぎないんだけど。
これには激しく同意!
「パリサイ的志向」の持ち主は、キリスト教をやめて仏教に転向しても
変わらず、仏典を持ち出してきて隣人を裁き続けるだろうね。
「善良な人間は倉から良い物をを取り出し、邪しまな人間はいかがわし
い物を取り出す」というのは至言だね。この場合は、「倉」が聖書。
565 :
550:2001/08/03(金) 13:02
>>564 う〜ん…名言だと思うけど、
>「善良な人間は倉から良い物をを取り出し、邪しまな人間はいかがわし
>い物を取り出す」というのは至言だね。この場合は、「倉」が聖書。
これこそ、
>>選ぶ言葉は本来その人の恣意的解釈に過ぎないんだけど。
と違いますか?
566 :
ふらんちぇすこ:2001/08/03(金) 13:04
>>565 それを言っちゃぁ、おしまいよ。
僕らそれぞれに恣意的なんだから。
どんなに客体化を目指しても、主観から離れられないだろうね。
その事を自覚しておくしかないってだけで。
567 :
律法学者:2001/08/03(金) 13:13
恣意的であるってことを自覚するのは大事ですね。
恣意的解釈を真理にしたいがために聖書やら神やらを持ち出してくる
人が問題なんだね。
568 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 13:14
>566
それと、何よりも大切なのは、一方的な視点だけで物事の是非を判断
しないことだと思うよ。そのために一番役立つのは、反対意見なんだ
よね。ちょうど逆さまの視点からの意見だから。そういう視点でない
と見えない部分ってあると思う。
神を一旦捨てたおかげで、神に拾われる人もいるわけよ。
569 :
550:2001/08/03(金) 13:18
>>566 >>567 >>568 結局、クリスチャンの中でも、特に福音派といわれている人たちが陥っている間違いが、そこにあると思います。
最初から、全てが決まってしまっている。そして、それを弁償するために、聖書を持ち出す。
きちんと聖書を読んでいないクリスチャンの、なんと多いことか。
そして、「自分たちはきちんと聖書を読んでいる」と、思っているようです。
つまり、恣意的な聖書の読み方だけが、大手を振って歩いているのではないでしょうか。
570 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 13:29
>569
その聖書すら、いわば恣意的に編纂されてきたわけです。だから、
余計に恣意的な読み方になりやすい。
マルコは、パウロの「自分は復活のキリストにしか興味はない」という
独断を正すために「生けるイエス」の姿を残そうとして福音書を書き、
マタイ派は、パウロが戒律を軽視して非ユダヤ教徒を受け入れたのに
抗議するために戒律重視の福音書を書いた、などなど。パウロ書簡に
至っては恣意の塊と言ってよい部分もある。
最低限、こういう聖典自体が持つ恣意性について了解しておくべきだと
思います。
571 :
550:2001/08/03(金) 13:35
>>570 実は私、昨日の別スレの210。よくお会いしますね。
私が書き込むところには、必ずあなたがいらっしゃる。
いや、その逆なのかな?
これは、恣意的にしていることではありません。
ところで、昨日の続きみたいですが、
その「聖典」ということを、クリスチャンはじっくりと考えてみなくては
ならない時が来ているように思います。
護教のためだけに、都合が悪そうなところには一切触れない、というのは、どうかと。
もし、あれこれといじくりまわして、それで崩れるような聖典なら、
それだけのものでしかない、ということになりますね。
572 :
律法学者:2001/08/03(金) 13:38
聖典の恣意性もその読み方の恣意性もすべて聖霊の導きとし、
すべて真理である。
これ以上は思考停止
もう一歩踏み出せた人こそ救われるのではないか?
573 :
あんちゃん:2001/08/03(金) 13:38
>530
君,宗教と科学の区別がわかってるの,わかってないの,どっち?
万有引力の法則が神の意志なわけないじゃないの.
科学はあくまでこの世に生起する様々な諸現象から客観的な事実として認めうる
「法則」を導き出す為だけのもの.
科学は,この世の「存在」の原因を突き止めることはできても,
この世の「存在」の意味や理由まで問うことはできないのだよ.
科学が「魂」を救済できるわけではない.
だから,聖書の記述にある数々の奇跡やイエスの復活も,
信仰上の事実としてクリスチャンは皆,受け入れることができるんだよ.
わかりるかな?
でも,まだなんか誤解されてるような不安があるんだけど,
「地動説の否定」ってなにかな?
いまどき,信者で「天動説」信じてる人なんているわけないじゃないか?
もしかして,そういう意味で「信仰」は「迷信」だといってるわけ.
君は本当にクリスチャンがわかってないねぇ(笑).
574 :
あんちゃん:2001/08/03(金) 13:50
>>531 罪人がいなければキリストの贖罪の意味がなくなる?
よくわかっってるじゃない.
でも,罪がなければ,キリスト教徒が迷惑するっていうのは間違えね.
我々に罪がもしなければ,イエス・キリストが十字架にかかる必要も,
なくなるのだから.
この言葉の意味,君の頭でわかるかどうかわからないけど,
とにかく考えてみな.
私たちクリスチャンにとってイエス・キリストと,彼の十字架上の死は,
それくらい特別な深い意味をもってるんだよ.
あんまり「信仰者」をちゃかさないようにね.
575 :
でちゅ:2001/08/03(金) 13:57
>>573 >>574 あんちゃん.こんなところにきてたんでちゅか?
お仕事いいんでちゅか.
これからもよろしくおねがいいたしまちゅね.
理由もなくクリスチャンの悪口言う人たちが,
いっぱいいるんでちゅよ.
悪いノンクリスチャンの人たちが多くて困ってるんでちゅ.
576 :
でちゅ:2001/08/03(金) 14:02
>>573 >>574 あ,それと聖書信仰からはずれたクリスチャンの人たちも,
おられまちゅね.たくちゃん.
「主」に捨てられないようにお祈りするだけでちゅね.
彼らに「地の塩」としての働きをなさしめてくだちゃいますように.
577 :
あんちゃん:2001/08/03(金) 14:10
>>575 >>576 でちゅ,お前の言いたいことはわかったよ.
あんちゃんにませておきなさい.
お前は「イエス様」の言われることを,ちゃんと聞いていればいいんだよ.
きちんとお寝んねのまえには「お祈り」するように.
578 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 14:12
キリスト教信仰が無ければありえなかった優れた文学・芸術は多いよね。
信仰を失ったら、芸術の世界は寂しくなるね。
579 :
律法学者:2001/08/03(金) 14:16
>我々に罪がもしなければ,イエス・キリストが十字架にかかる必要もなくなるのだから.
だから十字架上の死の意味がなくなるって言ってるのに、「特別深い意味を持ってる」じゃ
話になってないね。
580 :
あんちゃん:2001/08/03(金) 14:24
>579
どこが話になってないのかなぁ.
よく考えてみるんだよぉ.
「イエス・キリスト」を救い主として認め,
「主」を深く「愛している人」なら,誰でもわかるはずのことだ.
ひょっとしたら,君,クリスチャンじゃないのかな?
581 :
でちゅ:2001/08/03(金) 14:29
>>579 あんちゃん,ひょっとちたら,この人,
イエス様を「愛して」ないのじゃないでちゅかね?
まぁ,クリスチャンじゃないのだったら,しかたないでちゅけど.
「信仰」がわかんない人は苛めないでおきまちょ.
582 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 14:33
あんちゃん氏、でちゅ氏
君たち一人芝居はやめたら?
バレバレだぜ
583 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 14:34
>>578 キリスト教が滅亡させた(虐殺しまくった)多くの土着宗教の芸術のことを無視すればね。
584 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 14:41
>>583 ん?なぜ?
あるキリスト教作品が優れていると言うことと、他の土着の芸術が優れていると言うことは
矛盾することなの?
585 :
あんちゃん:2001/08/03(金) 14:53
>>532 >キリスト教の福音派やイスラム教は戒律主義宗教です。
>人間的道徳心はどうでもいいのです。
>戒律さえ守っていれば自動的に天国に行けるのです。
>天国に行く為に戒律を守るのです。
君,まさか,これがキリスト教だなんて言うんじゃないだろうね.
クリスチャンを身近に知らない,教会へも行ったこともない,
という人間だから,こういうでたらめを書けるんだろうねぇ.
クリスチャンにいくら品行方正な人間が多いからって,
こんなやっかみ書くのやめようね.僕ちゃん.
クリスチャンで天国行く為に戒律守るなんていう人いないよ(笑).
聖書信仰からはなれてしまった人は知らないけどね.
>教会内での苛めが原因で自殺しても、クリスチャンの感覚だと
>『苛め』は罪に当たらないです。
>最も悪いのが苛められて自殺した本人だと言う事です。
本当に教会内の苛めが原因で自殺したような事例があるのなら,
中途半端にほのめかさず,はっきりとここで明らかにしなさい.
作り話なら別にいいんだけどね.
はっきりいえば,クリスチャンの誰も君の人間性信じてないだろうから.
(次番へつづく)
586 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 15:19
>573
すべての物質にも神は宿っているということだよ。神は遍在するからね。宇宙の
至るところに神はおわします。いや、神の中に宇宙があると言っていい。
人間が「真理」を探究する時に手がかりにしていることは、「矛盾が生じず、それ
自体で完結している」ことなんだ。そうでないものは、「虚偽」と見なす。同様に、
神もまた、「矛盾なく、かつ自分のみで完結」していなければならない。それを
物質レベルで見たのが物理法則だよ。それが、科学の目で見た神の姿さ。別の言葉
で言い換えれば、神は「無心」であり、善人にも悪人にも平等にふるまわれる、と
も表現できる。イエスも太陽と雨でそれを指摘している。どのような状況において
も、必ず同じ物理現象が起きるというのは、「神の義」とも捉えられるのだよ。
これを裏返すと、神は人間に対して、絶対的な自由意志を認めていることになる。
悪人が幼児に振り下ろすナイフもまた、物理法則を変えることはない。神はあくま
で「無心」だ。神が物理法則を無視して「奇跡」を起こしたら、それは神自らの否
定になるんだよ。
確かに科学は物質相手の学問だから、魂の救済には役立たない。しかし、神の姿の
一部を映し出している以上、矛盾があったらおかしい。矛盾なきものが神だからね。
科学的常識を逸脱する宗教は誤っている。それを素直に認めるべきだ。
587 :
あんちゃん:2001/08/03(金) 15:26
>>532 (585番から続く)
>そのように考えてしまう原因は『見返りを求める御利益主義』だと思います。
>『神と自分の関係』を重視すれば、戒律さえ守れば、隣人はどうでも良いのです。
>その意味では、パリサイ人と同じです。
君,パリサイ人のことはよくわかってるんだよねぇ.
なんだか,2000年前に調査したんじゃないか,と思わせるくらい(笑)
だけど,クリスチャンのことは本当に理解できてないよ.
ひょとしてイエスが布教しだす前の「エルサレム」へ行ったのかな.
「御利益主義」ってクリスチャンには全く無縁だけれど,
他宗教の信者には,よく見かけるよねぇ.
自分が「主人」になっちゃって,
「神様」は願いをかなえさせる「僕(しもべ)」になってしまってるの.
日本の「神々様」って本当に大変だと思うよ.
だからだろ,誰もクリスチャンになりたがらないのって.
「現世主義」の「ご利益」ばかりもとめるから,
「罪の赦し・永遠の命」といっても日本人にはありがたみがないのさ.
キリスト教徒は,自己の深みで「神」と出会ってるから,
「神」ご自身をためそうだなんて考えようもない.
ゆえに『神と自分の関係』を知るからこそ,隣人を愛せるんだよね.
我ながら納得(笑).わかりるかな?
588 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 15:40
>587
日本の宗教のほとんどが、「ご利益宗教」になっているのは私も認めるよ。
来世の極楽往生をも「ご利益」として捉えるならね。
ただ、キリスト教徒のすべてが「自己の深みで『神』と出会ってる」とは到底
思えないね。出会ったことのある人なら、つまらん形式的な律法主義には見向き
もしないはずだからね。考えても見ろよ、イエスの直弟子だって、死後はイエス
の左右に座を占めて、全イスラエルの民を支配してやろうって考えてたんだぜ。
「私はそんな悪どいことは考えていない」って?深層意識では果たしてどうかな?
私自身だって「ご利益宗教はやっていない」と断言する自信がないよ。これはマジ
レス。
589 :
ねぇちゃん:2001/08/03(金) 16:09
>>586 >神の姿の一部を映し出している以上、矛盾があったらおかしい。
>矛盾なきものが神だからね。 科学的常識を逸脱する宗教は誤っている。
君,なんかいつも面白い「たとえ」を使うわねぇ.
さっきはなんだっけ「りんごと写真」.今度は「ナイフと赤ちゃん」?
イエス様も譬えはたくさん話されたけど,
べつに譬えでなければ,理解できないという話でもないし,
別に下手な譬えなら使わなくても良いわよ.
理科を学習してる小学生なら,あなたの言い分もおそらく百点満点.
だけど「宗教」の話をしてるんだから,
せめて,ここでは高校生レベルで語ってもらわなくっちゃ.
まず,「神の義」についてだけど,これは「必ず同じ物理現象」を生じさせることと同義ではないわ.
なぜなら,「神」は人格的存在であって「法則」ではないのものね.
君自身は,「法則」のことを科学の目でみた「神の姿」だといってるようだけど,
だったら,全知全能絶対の無限の不動者である「神」の全体が
「科学」で知られる「法則」がすべてだとどうして言いきれるのかしら.
「科学」は知られた「事実」については語れるけど,
いまだ知られていない「事実」については断定しようがないはずよ.
人間に自由意志を認めていることと,物理法則を変えるか否かということは,
なんらつながりがないわ.
「神」は「無心」かもしれない,けれど「神」には絶対的な自由というものがあるの.
非キリスト教徒にはわかりにくい概念かもしれないけれど.
「奇跡」をおこすもおこさないも,それはすべて「神」の「御心」ひとつなのよ.
もちろん「御心」は「科学」ではなく「信仰」の領域だけれどもね.
590 :
でちゅ:2001/08/03(金) 16:14
ねぇちゃんまでこんなところに.
家の用事はいいんでちゅか?
ぼくひとりでもよかったんでちゅよ,ほんとうに.
あんちゃんやねぇちゃんにまで出てきてもらったんじゃ,
ぼくもがんばらなくっちゃいけないでちゅ.
591 :
ねぇちゃん:2001/08/03(金) 16:16
でちゅも,もっとしっかりしなくっちゃ.
おねぇちゃん心配でしかたがないわよ.
きょうもちゃんとお寝んねの前に,
ちゃんと「お祈り」するのよ.
592 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 16:20
腐苦陰め
ついに三位一体となったか
593 :
でちゅ:2001/08/03(金) 16:22
は〜い.わかりましたでちゅ.
きょうもちゃ〜んとお寝んねするまえに,
聖書の御言葉を読んで,神様とお話するでちゅ.
「お祈り」もちゃんとしまちゅから,
ねぇちゃん,心配しなくてよいでちゅよ.
「アーメン」
594 :
ふらんちぇすこ:2001/08/03(金) 16:31
>でちゅ
人物を使い分けるなら、句読点を変えなよ。
行変えとかさ。細かい芸を見せてくれると嬉しいけどねぇ。
ま、でちゅ氏のなごみ系方法論というならそれもいいかもな。
595 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 17:57
「でちゅ」さんも頭が固いなあ(^^)
>「科学」で知られる「法則」がすべてだとどうして言いきれるのかしら
私は、科学でもって神の全部がわかるって言った覚えなんてないよ。
>「科学」は知られた「事実」については語れるけど,いまだ知られていない
>「事実」については断定しようがないはずよ.
その通り。だけど、わからないことをわからない、と正直に言っている分、仮説を
真実だと断言するキリスト教のドグマよりも良心的だ。
>「神」は「無心」かもしれない,けれど「神」には絶対的な自由というものが
>あるの. 非キリスト教徒にはわかりにくい概念かもしれないけれど.
>「奇跡」をおこすもおこさないも,それはすべて「神」の「御心」ひとつなのよ.
もし、神が「奇跡」を使って人間を助ける用意があるんなら、今すぐに行使すべ
きだ。その当てにならない奇跡を待つうちに21世紀になっちまったのが、ユダヤ
教徒じゃないの?キリスト教徒はあと1000年位待つつもりなんだろうか(^^;)。
石を投げ上げて、石が落ちてこなかったら、それは神が偽りをなしたことになる
んですよ。ルール決めた本人が、ルール破ったら、誰もあほらしくて守れない。
596 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 19:03
神仏にすがっているうちは、救われないんだなあ。奇跡を待っていても起きない。
実はそれこそが神の慈悲なんだよ。
戦後、シベリアで強制労働させられた人が、両足切断という悲惨な目に会い、
目の前が真っ暗になって、来る日も来る日も観世音菩薩に祈ったんだそうだ。
それで、とうとうある日、いくら祈っても観世音菩薩は救ってくれない、観世音
菩薩は自分を見捨てた、ときっぱり祈るのをやめ、自分は今日、「両足のない
自分」として生まれてきたんだと割り切って生きることにしたんだそうだ。
その時に初めて、観世音菩薩の功徳をいただいたことに気付いたそうだ。宗教を
やる人は誰でも、神にすがる自分をも捨て去るという試練を経験するのだと思うよ。
私もそういう時期があったなあ。こんなに「いい子」にしているのに、なんで神仏
は私をこんな酷い目に会わすのかって怨んだことが。そういう場合、いくら祈って
も助けてくれませんね。ただ、じっと耐えるしかない。そういう経験を積み重ねて、
だんだん「ご利益信仰」を卒業していくんだろうなあ。
597 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 20:38
596にとっては結局信仰=ご利益信仰なんだな。
ご利益以外の信仰があることが理解できないからそれを否定しようと懸命になる。
深層心理まで持ち出した。
598 :
ここが間違い:2001/08/03(金) 20:45
>597
あなた、頭の論理回路がおかしいよ。
599 :
:2001/08/03(金) 22:53
597さん
御利益以外の信仰ってなに?
600 :
律法学者:2001/08/03(金) 23:07
>597
わざと逆にとらえてるのかなあ
よく読めばわかると思うんだけど...
わざわざ人を罪人にしたいのかい?
601 :
横槍:2001/08/04(土) 03:05
>>548 >いま自分は教会に言ってないので、ていうかたぶん自分も
>「地の民」の部類の人間なんで、・・・
>でも、キリストは信じています。
>だからこの立場で世間を見ると、高い場所から話す人たちを見上げる形になるのですが、>そうすると、その人々の靴の汚れや、鼻毛が良く見えるのです。
ちがう、ちがう。もう。
イエスが付き合った「地の民」とかって、もっと道徳的に軽蔑されてたひと。つまり、「あのひとたちは神を知らないどうしようもない人たちだ。ああはなるまい。自分たちはああでなくてよかった」と思われてた人たちの側に、イエスはいて、しばしば彼らのために行動した。
だいたいあなたがほんとに現代の「地の民の部類の人間」なら、なんでパソコンでインターネットなんかやってんだよ? そういうことしゃあしゃあと言うからクリスチャンてのは.......。
>そうすると、その人々の靴の汚れや、鼻毛が良く見えるのです。
きみの言ってることは、単なる卑屈と世間では呼ばれるよ。それに高い場所から話す人、って誰の事だかはっきりさせて書くべきです。政治家ですか?教会の聖職者ですか?それともあなたの気に食わない人はだれでも該当させ得るように曖昧にしたのですか?
602 :
横槍:2001/08/04(土) 03:07
(続き)
宗教理念や教義や戒律を掲げて、他の人たちに説教したり、お前らは天国にいけないぞとおどかしたり、これ見よがしに自分の宗教熱心をひけらかしたり、宗教や信仰にばかり熱中して現実社会の不条理は平気で容認したり、人間を救われる者と救われない者に分けたり、そういう宗教「信者」たちが作る宗教的圧力に対してイエスは反抗した。
当時はそういう連中といえばパリサイが代表格だったということだ。
今ではだれがあてはまるかな?
といえば、私が、キリスト教会のクリスチャン達がパリサイだ、という理由わかりますか?
それからね、あなたが今は教会に行ってなくても、教会のキリスト教のイデオロギーを受け入れてるのなら同じ事だよ。
イエスを、当時の宗教支配や偽善への反抗者として捉えるのでなく、神の子あるいは現世より天国を重視した宗教家として捉えるなら、あなたはナザレのイエスという男の精神を殺す側にいる。
>それに多分、「宗教的に正しいという認識に安住している」と言うよりも
>自分が正しいと思う傲慢な心に対して、神の御心の目的よりもその手段に固執してしまった人たちに対して、言ったと思う。
そうじゃない、イエスは周囲に対して「神を信じろ」なんて言っていないの!
今の聖書に書いてあるのは後世の付加だよ。簡単に言うと、イエスは、すぐに話を神様や宗教の話にもってっちゃうやつらが嫌いだったんでよ。神サマ説教するやつらが嫌いだったの。
イエスは神様や天国について説教なんてしてないよ。「山上の垂訓」なんてもろ後世の創作。
603 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 10:31
横槍サン
>そうじゃない、イエスは周囲に対して「神を信じろ」なんて言っていないの!
>今の聖書に書いてあるのは後世の付加だよ。簡単に言うと、イエスは、すぐに話を神様や宗教の話にもってっちゃうやつらが嫌いだった
>んでよ。神サマ説教するやつらが嫌いだったの。
>イエスは神様や天国について説教なんてしてないよ。「山上の垂訓」なんてもろ後世の創作。
の根拠きぼーん
604 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 14:19
「でちゅ」君は、議論でキリスト教批判の人たちにうまく反論できなくなってしまい、「あんちゃん」「ねぇちゃん」というHNを次々に作って、わかっているだけで少なくとも3人を演じて、相互で会話を捏造してキリスト教擁護を試みましたが、582、592に一人芝居を見破られ、さらに594ふらんちぇすか氏に、3人とも句読点の独特の打ち方が同じであると暴露されてしまいました。どうしてるかな今頃。
でちゅ君、嘘つくと天国いけないよ。
605 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 23:36
>でちゅ
典型的な服院の意見が聞けておもしろかったのに
芸はいまいちだなあ
606 :
横槍:2001/08/05(日) 00:27
>>603 根拠ねえ、はいはい。
まず「イエスは周囲に対して「神を信じろ」なんて言っていないの!」という発言は、もっと正確に言おうとすれば「イエスのメッセージは、(神や天国の)信仰のすすめではなかった」ということ。この根拠を十全に示すには、膨大な新約聖書学・正文批判研究の学術的な成果の集大成を持ち出さなければならないから、細かい論証は学者ではない私の能力を超えてるし、そもそも本何冊分にもなるからどのみち2チャンネルの字数では無理。本をいくつか探して読んで見て下さい。
しかし、典型例をひとつ挙げると、キリスト教がイエスの教えの基本的な部分としている「悔い改めよ、神の国は近づいた」(福音書で最も古いマルコのはじめのほうにもう出てくる)という言葉。これは今では多くの学者が、イエス自身の言葉でなく、彼の死後、原始教団がイエスの主張と考えていたことを簡潔にまとめようと作った言葉だと判断しています。しかも、「悔い改めよ、神の国は近づいた」は、ナザレのイエスの思想を集約したというより、むしろほぼ同時代の洗礼者ヨハネの思想を取り込んでそれをイエスにくっつけた、との推論がなされています。
(続く)
607 :
横槍:2001/08/05(日) 00:27
(続き)
次に、山上の垂訓。まず揚げ足を取られないように、「山上の垂訓なんて、福音書を書いた筆者・教団の思想に合うように元の伝承を都合よく変更し、いろいろ付加した創作だらけの文章」と言い直しておきますね。山上の説教は、マタイとルカに出てくる話。この2つの福音書は、Q資料と呼ばれる現存しない先行資料を主な情報源にして書かれたもの。これは一般にもよく知られた事ですよね。日本の新書版程度の本でも書いてある。
山上の垂訓は、Q資料の文がもとがあった。で、キリスト教が特に重視するのはマタイの山上説教だと思うが、これは、徹底的にマタイ(というより彼の流派の教団)の思想で脚色・書き直され、彼らの思想で塗りたくられています。マタイ福音書を書いた連中は、自分たちこそユダヤ教律法の真の遵守者であるという意識を持っている。原始キリスト教はそういうものだったんですね。俺たちこそ、形式的なパリサイと違って、(ユダヤの)律法の「精神」を正しく徹底してるんだ、と。律法が人間を縛るのを嫌ったイエスと正反対です。で、マタイはQにあった伝承に改造と付加を加える。だからルカの並行記事と随分違っている。マタイの5:17〜20など、まさにマタイ福音書の思想の中核ですが、全部創作。
608 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 00:29
クリスチャン氏ね
609 :
横槍:2001/08/05(日) 00:37
(続き)
四福音書中、最も古いマルコ福音書には、山上の垂訓が載っていないことも、
山上の垂訓はQ資料系の伝説(創作)であることを示唆しています。
つまりマルコは山上の垂訓の話を知らなかったと思われ、それは山上の垂訓の
伝承がマルコの時にはまだ普及していなかった伝説と考えれば
合理的に説明ができるから。
(マルコが、そんなに重要な山上説教を知っていたら、書かないわけはない。)
610 :
でちゅ:2001/08/05(日) 13:54
あんちゃん、横槍さんていう人が、
聖書は創作だ、イエスの教えじゃないって、いいはってまちゅよ。
この人、クリスチャンでちゅかね。
どういう信仰もってるのか聞いてみたいでちゅね。
611 :
イエスは死後禽獣の餌:2001/08/05(日) 14:05
ま、マルコは直接的な復活物語もかいてないしね。
612 :
あんちゃん:2001/08/05(日) 14:25
>>605 君ねぇ、俺は芸でやってんじゃないの。
「俺」は「俺」わかりる?
芸でやるほど、楽しいことじゃないよ。こういことは。
もし、本当に芸だと思ってるのなら、キリスト教について、
もうちょっとマジに考えてくれたまえ。
でちゅ、横槍君はだな、ようするに「聖書信仰」を否定したいだけなんだよ。
どういう意図からだか、知らないけどな。
しかし、われわれ信仰者には「文献批判」は所詮、どちらでもよい事なんだ。
でちゅが、別に心配する必要はないんだよ。
「文献批判」している人達のなかにも、もちろん「主」への信仰をもってらっしゃる人達は、
いるだろうしね。
「主」の御心にかなっていることなら人々の信仰を養い、成長させるはずなんだ。
しかし、横槍君は、聖書を創作だと断じることで、
かれに都合のよいイエス像を語っているにすぎない。
だから、彼の言うことには耳を貸さなければ良いんだよ。
以前、彼にイエスが「自身を単なる人間にすぎない」とか「社会体制を改革しにきたのだ」と言った証拠があるのか、
と聞いたことがあっただろ。でちゅは覚えてるかい?
彼は答えなかっただろ、というよりも、答えられなかった。当然なんだよ、何の証拠もないのだから。
彼は単なる未信者か、でなければ、ユダのようにイエスから見捨てられた奴なんだ。
でちゅはもうわかってるだろうが、聖書は単なる歴史の書ではない。
イエスの贖罪による救いを信じる者のための「信仰の書」なんだ。
このことだけは忘れちゃいけないよ。 (次番へつづく)
613 :
あんちゃん:2001/08/05(日) 14:36
>>604 ここにいるよ。
いつ、俺が「議論でキリスト教批判の人たちにうまく反論できなくなっ」たんだい。
俺はただ、単に黙ってただけだよ。
くだらない「文献批判」にいちいち付き合ってられないからなぁ(笑)。
そんなにお暇じゃないのよ。わたくし。
君達の方こそ、嘘ばっかりつかないようにな。
イエスが「自身を単なる人間にすぎない」とか「社会体制を改革しにきたのだ」と言った証拠があるのか?
ちゃんとあげてから、ものを言い給えよ。諸君。
でないと、雀に舌、引っこ抜かれちゃってもしらないよ〜(笑)。
↑ この「あんちゃん」やっぱり「でちゅ」と三位一体ですか?
今日の「でちゅ」登場が13:54、そんで「あんちゃん」が14:25。
「あんちゃん」の文章は書くのに20分くらいってこと?
皆、どう思う?
句読点は変わって、すこし進歩したって誉めたほうがいいの?
615 :
あんちゃん:2001/08/05(日) 14:58
>>603 文献批判する連中に、いちいち証拠なんて聞かなくてもいいんだよ。
自分の知っている知識をご披露したいだけ。
彼等が直接、文献にあたったわけでもないし、得た「知識」を鵜呑みにしてるのは明かだろ。
でなければ、自分たちの都合のよいように解釈してるだけ。
彼等に、聞いてみたらいいよ。
イエスが「自身を単なる人間にすぎない」とか「社会体制を改革しにきたのだ」と言った証拠があるのか? って。
おもしろいぞ〜。
仮に文献批判によって得られたそれらの「知識」が事実としたところで、
「イエス」が「あがない主」か否かという「真実」はなんら明かにされるわけではないのだから。
当時、イエスとともに生きた人々以外にはね。
だから、信仰者であるわれわれが「聖書」をとおしてできることは、
御言葉をとおして「主」の「御心」を知ることだけだよ。
祈り求めれば「主」は「聖書」をとおして語りかけてくださるのだから。
616 :
でちゅ:2001/08/05(日) 15:01
>>614 あんちゃん、なんか僕たちのこと言ってる人いるでちゅよ。
617 :
あんちゃん:2001/08/05(日) 15:04
>>614 ほっておきなさい。
だけど「反対しない人達は、私達の味方だ」
とも主はおっしゃっているから、
くれぐれも粗相のないように接する様に。
618 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 15:20
>でちゅ
痛いからもうやめてくれ
619 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 15:25
>>604 は、
>「でちゅ」君は、議論でキリスト教批判の人たちにうまく反論できなくなってしまい、
と書いたんだろ。それなのに何で
>>613 で「あんちゃん」が
>いつ、俺が「議論でキリスト教批判の人たちにうまく反論できなくなっ」たんだい。
と返事してんの? クスクス
620 :
ねぇちゃん:2001/08/05(日) 15:38
>>595 >その通り。だけど、わからないことをわからない、と正直に言っている分、仮説を
>真実だと断言するキリスト教のドグマよりも良心的だ。
君ねぇ、何度言ったらわかるのかしら?
「信じる」から「信仰」なのよ、「仮説」を「仮説」と言ってたら「信仰」にならないじゃないの。
これだから「宗教」がわかってない人に「信仰」を理解させるのは一苦労なのよ。
そう、せっかくの機会だから申し上げておくけど「科学」のドグマよりも、
「宗教」のドグマの方がまだ「信仰」が前提になってるだけ安心よ。
「科学」は一見すると誰の目にも確認可能な客観的事実を装うだけに、
うっかりすると「理解」してるつもりでいつのまにやら騙されることもあるからねぇ。
「わからないことはわからない」なんて言ってる君みたいな人間が、一番やられやすいのよ。
くれぐれも「科学」を拝んじゃわないように気をつけてね。
>もし、神が「奇跡」を使って人間を助ける用意があるんなら、今すぐに行使すべ
>きだ。
今すぐに行使すべきだ。と言うのはもちろん君の自由。
だけど神様は君の奴隷じゃないのよ、なぜ、貴方の言うとおりにしなくっちゃならないのかしら?
>石を投げ上げて、石が落ちてこなかったら、それは神が偽りをなしたことになる
>んですよ。ルール決めた本人が、ルール破ったら、誰もあほらしくて守れない。
またヘタクソな譬えをして。
石を投げ上げて、石が落ちて来たり、落ちてこなかったりすることが、どうして「主」の救いと関係あるの。
君は神様がそういう奇跡でも見せてくれたら、信じてもいい、とでも思ってるのかしら?
だったらあきらめることね。神様はそういう偽りの信仰のためにルール破るのは一番やなはずだから。
621 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 15:40
>>619 彼等は「三位一体」なんだよ。
よくわかんないけど。
622 :
あんちゃん:2001/08/05(日) 15:44
>>618 そういうセリフは、
横槍君たちに言って差し上げた方がお似合いだよ。
623 :
ねぇちゃん:2001/08/05(日) 16:01
>>597 「596にとっては結局信仰=ご利益信仰なんだな。」
そのとおりだと思うわ、そして…
「御利益以外の信仰ってなに?」
「あなた、頭の論理回路がおかしいよ。」という、
>>598 >>599の人達は、典型的日本人の「信仰観」持つ人たち。
こういう人達にキリスト教信仰を説明するのは不可能でしょう。
「わざと逆にとらえてるのかなあ」
「よく読めばわかると思うんだけど...」
「わざわざ人を罪人にしたいのかい?」
そしてきわめつけが、この
>>600なんですけどねぇ、
わざわざ人を罪人にしたいのかい?というのが、ほんとに意味不明。
624 :
でちゅ:2001/08/05(日) 16:11
今日は日曜日、主の日でちゅ。
主日礼拝を守ることは、クリスチャンにとってとてもたいせつなことでちゅ。
クリスチャンの皆ちゃん、礼拝きちんと守ってまちゅか?
日々の守りと導きに感謝いたちまちゅ。
主の御名をとおしてお祈りいたちまちゅ。アーメン。
625 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 22:00
同じ内容を3回聞くのはuza
けっこうためになることも書いてあるんだから
マルチハンやめたら
うっとうしいな。
クリスチャンになるとこんなのになるのか?
再来月洗礼受けようと思ってたけどやーめた。
627 :
横槍:2001/08/06(月) 01:11
>>615 他、三位一体の「でちゅ」=「あんちゃん」=「ねえちゃん」(そのほかにも騙ってるかもしれんが)へ
しつこい!!
これがあなたへの最後のコメントです。あまり長いレス続けてるとさらに人に迷惑かけちゃうので。
>イエスが「自身を単なる人間にすぎない」とか「社会体制を改革しにきたのだ」と言った証拠があるのか?
あのね、イエスは単なる人間です。神様なんて存在しないのだから。私はクリスチャンじゃないですよ。だから、彼が「自分は単なる人間に過ぎない」とわざわざ言った証拠がないから、彼は神様である、というのは全く噴飯もの。普通、人間が「自分は神でなくただの人間です」なんていうシチュエーションがありますか?あなたらの理屈では、ヨゼフもピラトもマグダラのマリアもみんな「私は人間です」と言った証拠がなければ神様ですか??クスクス
「社会体制を改革しにきたのだ」と言ったなどと私は主張してないですよ。よく読んで下さいね。
私の「むろんイエスに、現代的な「革命家」像を投影するのは馬鹿げてます。」(
>>445)とちゃんと書いてる。
それから、私は聖書のテクスト全部が勝手な創作だともいってませんよ。それも書いてある。
628 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 01:16
「でちゅ」=「あんちゃん」=「ねえちゃん」
いいね〜。もっと書いてよ。
629 :
横槍:2001/08/06(月) 01:18
(続き)
>>615 他デチュとその化身へ
それにしても、あなたが、自分の信仰と異なる信条を持っている私に対していう
「それなら×××について、どうなのか、答えてみろ」という物言いは、
福音書で何度もイエスを試したり陥れようとして意地悪な質問をしにくる
パリサイ人そのものであることに いい加減気付きませんか?
以上、これから「でちゅ」君及びその化身の相手はしないので、もっと別の人がまだ愛想つかしてなかったらコメントください。何もキリスト教のイデオロギー批判するからといって、クリスチャンを毛嫌いしているわけではないですから。
あと、現代の日本のキリスト教の中のことよく知らないのですが、「でちゅ」君は福音派っていうんですか?
他にはどんな流派があるのでしょう。みなプロテスタントはこんな感じ?とも思えないし。
他の流派の方々は、私の書き込んだことについてどんな風に思われたでしょう。お互いけんか腰でなくコメントいただければと思うのです。
630 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 01:22
>>596 は、信仰というモノが理解できなかったのなら自分には理解できなかった
と素直に肯定すればいいだけのこと。分からないものを分からないと
認めるのが科学だと自分でも言ってるだろ?
信仰者や宗教を否定するのは、何らかのインセンティブがあるからで、
恐らく嫉妬とか、自分が分からないものを分かるという人がいるのが我慢できない
とか、そういうモンだろ?
631 :
ええかげんに:2001/08/06(月) 02:13
信仰は理論武装をコテコテにしてするもんと違うんとちゃうかな?
要は、自身がどこまで素の状態で神に向き合えるその姿勢が信仰なんと違うかな?
死んでから神さんの前で言訳しても見苦しいのと違うかね。
わしゃそう思う。。。。
632 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 02:30
宗教や宗派とかで「人間」を分ける事自体が間違っている。
信じる者しか救わない神様なんて非道だし。
聖戦はただの殺し合いじゃないのかな。
633 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 09:07
>630
私は信仰を否定しているわけではありませんよ。ただ、義人に便宜をはかるような
神など贋物だ、と言いたいのです。多くのキリスト者は否定しますけど、人間の
深層心理には、この世で自分の受けた不義理を、自分の代わりに神に裁いてほしい
という感情があるものです。イエスが否定したユダヤ教の信仰は、そういう隣人同士
の「冷戦構造」があったのです。自分が自ら手を出すことなく(たいていは、社会的
な弱者であるなどの理由で、自分の手では遂行できないので)、神に裁かせようとする。
この心がある限り、罪人を冷淡な目で見て、死後の地獄落ちを想像し、快哉と心で叫ぶ
のです。
>631
そのとおりだと思います。要は、自分自身で考えて、神の前にいい訳することなく
毅然としていられるか。逆に言えば、「信仰」の名の元に、隣人を地獄へ落として
歓喜するような悪魔の心が一片たりとも自分の心にないか、チェックすることも
「素の状態で神に向き合えるか」ということだと思います。自己欺瞞が恐ろしいの
は、本人に自覚症状がないことです。パリサイ人もまた、そうでした。
>632
卓見だと思います。「裁く」神を想定する限り、「聖戦」は終わりませんよ。
あれは、人間のエゴが神の権利を請け負って、正々堂々と裁きあいをしている姿
です。神をマフィアのボスに貶める行為です。
634 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 09:32
非難を覚悟して、喩え話をふたたび。
母親が、兄弟達にケーキを分け与えたとします。しばらく平和な状態が
続きましたが、ある時、兄が弟にこうつぶやく。「おい、お前のわけ分
は僕のよりもいつも大きい気がするが、これってエコヒイキじゃない
かい?」。弟は、まさか、と笑い飛ばしたが、その日以来、ついケーキ
の大きさを気にしてしまう。母親への疑いが大きくなって、とうとう目
を逸らすようになってしまった。
母親は、異変に気付き、弟を問いただした。弟から事情を聞き、母親は
それを笑い飛ばす。これでこの「馬鹿らしい」偏見は消えたが、一旦
芽生えた不信感は消えることはありません。兄はもちろんのこと、弟の
場合も。
これは楽園追放の改作ですが、神(母親)の与えたもうものを、素直に
受け取るうちは平和が続いたのです。それをぶち壊したのは、人間の側
の「屁理屈」で、神との関係を疑ったからです。疑ったから、神を恐れ、
戒律で我が身も他人も苦しめねばすまないのです。これ位、キツイ目に
会わなければ、厳格な神はお許しにならないだろう、というわけ。実は
これこそが「屁理屈」の最たるものなわけですが。
これを人間の「原罪」と呼ぶならば、原罪がパリサイ派の律法主義を
産み、キリスト教の禁欲主義を作り出したのです。イエスは、パリサイ
人からは「大食でだらしない男」と言われていた。原罪に染まったキリ
スト教徒もまた、パリサイ人と同じ視点でイエスを捉え、物足りないの
でマタイ伝に多くの「戒律遵守要綱」を書き足したのです。
635 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 09:41
>>634 これが、もし創世記第四章の改作だと言うのなら、釈義的にむちゃくちゃな間違い。
聖書を元にした創作だと言う方が、むしろ良いと思います。
釈義的に、といったのは、「伝統的なキリスト教会の教理に基づいて」という意味ではありませんので。
念のため。
636 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 09:42
イエスは、赤子のような心でなければ天国に入れない、と宣言しました。
赤子が始めて母親のオッパイに吸い付くとき、罪の感覚はありません。母親と
赤子の間にも「疑い」はない。たとえ、母親が「明日の朝、コインロッカーに
捨ててこよう」と考えていたとしても、赤子は「大安心」でオッパイを味わう。
罪の意識が芽生えるとすれば、子供が成長して、兄弟同士で嫉妬しあい、「あれ
はズルイ」とか言って、相手を裁くようになってからです。裁くことによって、
最初にはなかった罪を作り出し、その咎は、もちろん作り出した人のところへ行く
のです。
637 :
律法学者:2001/08/06(月) 09:57
赤子には罪の意識はないが、胎内ですでに原罪を背負っている。
だから、人がどう生きても罪から逃れられないシステムにしているのがキリスト教だ。
そうしないと、贖罪の意味がなくなってしまうから。
反面、イエスは罪のない人(神?)とされている。ここは疑ってはいけないらしい。
子供が成長して疑う心を持つようになると、素直な気持ちがなくなり、幸福な生活が送れなくなります。
という話を自己啓発セミナーの勧誘の人から良く聞きます。
疑うことが罪で、何事も疑わないことが良いことだという理屈は
勧誘側にとってはとても都合の良いものです。
638 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 10:16
>636
>子供が成長して疑う心を持つようになると、素直な気持ちがなくなり、
>幸福な生活が送れなくなります。
実は、ここにも真理が含まれているから、なかなか話は難しいですね。
トルストイの『イワンのばか』は、もし赤子の心のままで「愚者」として
生活したらどうなるか、という実験小説だと思いますが、「結果オーライ」
になっているのが面白い。
問題は、「疑う心」を捨てさせた上で、自分の都合のよいドグマを吹き
込んで自分の支配下におく、あらゆる種類の団体ですね。本当は、「疑う心」
を捨てさせたまま、神の支配に任せるべきだと思うのです。人間にはちゃん
と足があるのだから、エデンの園の入り口に立たせれば、ちゃんと中に
歩いて入れるでしょう。
639 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 11:42
懺悔ばかりしてるからでしょ?
640 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 13:46
>>627 >しつこい!! これがあなたへの最後のコメントです。あまり長いレス続けてるとさらに人に迷惑かけちゃうので。
あのね、しつこいのは君のほうだろ。
だ〜れも聞いていないのに「文献批判」を次から次へとのべつくまなしに上げてきたのはどこの誰?
「長いレス続けてる」のは君のほうだろ。
>イエスは単なる人間です。神様なんて存在しないのだから。私はクリスチャンじゃないですよ。
言うほうも馬鹿に思えてきて、何度も口に出すのは本当はやなんだけれどもね。
君がまったく「信仰」というものを理解できてないようなので、繰り返し言わしていただくよ。
君が「イエスは単なる人間です。神様なんて存在しないのだから。」と思うのは自由だよ。
だけど、それは君にとっての「事実」、それも「主観的」なものでしかないだろ、
はっきり言わせていただくと君自身の「信仰」、「科学的」に実証された「客観的事実」ではないよ。
「イエス」が単なる人間だったかどうか、
それは当時イエスとともに生きた人々でなければ、わからないことだ。
もちろん「奇跡」を起こしたから「神の子」とも言いきれない。それこそ「信仰」の領域というやつだろう。
「神」は至高至善無限の超越存在だよ。時空間を超えた存在をどうやって「科学的方法」で認識できるの?
もちろん、だからキリスト教徒は「神」を「信仰」の対象にしてるのだよ。
わかりる?いいかげんわかってよね。
だから……
彼が「自分は単なる人間に過ぎない」とわざわざ言った証拠がないから、彼は神様である、というのは全く噴飯もの。
……という、その君の言い方じたいがおかしいの、よくわかるだろ。
われわれキリスト教徒はイエスを神の子と「信じている」だけ。現代を生きる誰にもわからないこと。
それを君がさも「イエスは人間だった」と見てきたようなふうに断言するから聞いてみただけのことだよ。
幼稚な言い訳はしないでくれたまえよ。 (次番へつづく)
641 :
あんちゃん:2001/08/06(月) 14:05
>>627 >>629(前番からつづく)
>「社会体制を改革しにきたのだ」と言ったなどと私は主張してないですよ。
>私の「むろんイエスに、現代的な「革命家」像を投影するのは馬鹿げてます。」(
>>445)とちゃんと書いてる。
そうだったね、書いてあった。
彼はあくまで人々の「罪」を贖い「神」との「和解」を果たさんがためにこの世においでになったのであって、
この現実世界を変革するために来られたのではないからね。
この世に義人は一人もいない、すべての人は罪人である、というのが
キリスト教の「信仰」のベースをなす考え方。
だけどどうも、横槍君はまったくそこらあたりがわかってないんだよな。
今まで、何度となく繰り返して言ってきてるんだけど、いいかげんわからないか。
642 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 14:17
>641
横からゴメンよ。ちょっと気になったことがあったんでな。
>彼はあくまで人々の「罪」を贖い「神」との「和解」を果たさんが
>ためにこの世においでになったのであって
これはイエス自らがそう宣言しているんだろうか。私にはそう思えな
いんだけど。確かにパウロはそう考えていた。彼は厳格なパリサイ人
で、戒律を完全に守れない自分に絶望し、イエスキリストがそういう
自分達の罪を背負って十字架に架けられたのだ、と信じた。ユダヤ人
の「裁く神」からは自然な発想だけど、もしパウロが非ユダヤ人(た
とえばサマリヤ人)だったとしたら、戒律が守れないという罪悪感は
なかったわけだから、そういう解釈はしなかったんではないだろうか。
「あんちゃん」はどういうご意見ですか?
643 :
あんちゃん:2001/08/06(月) 14:19
>>629 >それにしても、あなたが、自分の信仰と異なる信条を持っている私に対していう
> 「それなら×××について、どうなのか、答えてみろ」という物言いは、
>福音書で何度もイエスを試したり陥れようとして意地悪な質問をしにくる
>パリサイ人そのものであることに いい加減気付きませんか?
質問に答えられないからって、質問を出したほうにふられても困っちゃうよ。
自分に都合のよい、答えられる質問だったら意気揚揚と返事を書いて、
いざ、立場を悪くして足をすくわれるようなことを聞かれると、
言い訳をして逃げ出すというのは本当に男らしくないな。
答えられないなら、答えられないとあの時にはっきりと釈明すればよかったんだよ。
「イエス」が人間だったとも、神だったとも、2000年後の今を生きるわれわれには、
その事実を知りようがないということだよ。
というよりも「神の子」という定義づけが「科学的」に可能と思うかい?
だから我々キリスト教徒は、信じているだけのこと。すなわち、これ「信仰」というのだけどね。
いいかげんわかった?
644 :
あんちゃん:2001/08/06(月) 14:28
>>642 イエスが語られた言葉として書いてありますよ。
旧約聖書に預言されていた「贖い主」が、自らのことであり、
神から与えられた盃であることを、彼は受け入れてましたね。
旧約聖書もあわせてお読みになられたらよくわかるでしょ。
あなたはクリスチャンですか、
もしそうならイザヤ書はよくご存知のはずでしょう。
イエスの御言葉は福音書のなかで、何箇所かありますでしょ。
ちなみに
>>640も私です。
645 :
素人:2001/08/06(月) 14:40
どうして、神様を信じるんですか?
聖書について力説するのはいいんですけど、
その書かれている事が本当に真実だと思って
いますか?
646 :
あんちゃん:2001/08/06(月) 14:49
>>631 >信仰は理論武装をコテコテにしてするもんと違うんとちゃうかな?
>要は、自身がどこまで素の状態で神に向き合えるその姿勢が信仰なんと違うかな?
>死んでから神さんの前で言訳しても見苦しいのと違うかね。
>わしゃそう思う。。。。
おっしゃるとおり「信仰」は理論ではありませんよ、理屈であれば「理解」ですみますからね。
ですが「信仰」をお持ちでない未信者の方には「理解」していただくしかないわけですから、
「理論」だててお話するしかありませんでしょう。「武装」ではありませんよ(笑)。
「素の状態」がどのような状態なのか、にわかには判断しかねますが、
すくなくとも「自らの罪深さ」と向き合うような性格のものではないようですね。
どんなに無心であったとしても、われわれ人間は「素」にはなれない。
キリスト教ではそのように考えます。
そこで、クリスチャンにとって「自らの罪深さ」に向き合うとき、神がそこにご臨在くださる、
という信仰が生まれてくるのです。
ゆえに、死んでから言い訳する、ということではないですね。
647 :
あんちゃん:2001/08/06(月) 15:02
>>645 >どうして、神様を信じるんですか?
未信者の方であれば、当然の質問なのでしょう。
ですが、このようなことは信者であっても、即答できるようなことではないのです。
あえて、語弊を恐れずに言うならば「その方がいらしゃるから」ということになるでしょう。
>書かれている事が本当に真実?
ですから「真実」だと信じるのが「信仰」なんですよ。
誰もイエスが「神の子」であるのか、
「罪」から「救済」してくださるのか、本当のところはわからない。
もし、あなたも「御心」に触れられるなら「主」がきっと信仰の道に、
いざなってくれることでしょう。
「信じる」のではなく「信じさせて」いただけるのですよ。
648 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 15:04
>644
よくわかりました。解説いただいてどうもありがとう。
私はクリスチャンでなくて、イエスチャンなんですけど、その分かれ目
が「贖い主」の一点にかかっているような気がしましてね。
新約聖書の中で引用されている旧約聖書の聖句のほとんどは、歴史的に
新しいのではないか、と思っているのです。別にそれをとやかく言う
つもりはないのですが、ユダヤ人にとっては、イエスが旧約聖書に約束
された救世主でなければならなかった。イザヤ書も、もともとはユダヤ
経典で、「異教徒」には預かり知らぬものでした。だから、ユダヤ経典
あっての「罪の贖い主」イエスキリストという構図は否定できないと
思うのですよ。
ユダヤ教徒が、イエスをユダヤ教の救世主と信じ、自分達が抱えている
罪の意識(多くは戒律を守れない後ろめたさ)を肩代わりしてもらった
と信じる分にはよいのです。しかし、パウロは異邦人にも教会の門戸を
開いた。その時点で、イエスの位置付けがおかしくなっちゃった。もと
もと、異邦人はユダヤの戒律など何とも思っていないのです。もともと
罪の自覚がないのに(多分、この感覚は現代日本人も同じでしょう)、
罪を贖って云々、と言われても「はあ?」としか言えない。
そこで登場したのが、ユダヤ人に限らずすべての人類に罪を課す「原罪」
という概念ではないか?
まあ、推測はこの辺にしておいて、「あんちゃん」さんはどういうきっか
けでユダヤ的な発想をお持ちになられたのですか?ユダヤ的な神がご自分
の世界観と一致したということなんでしょうか?
649 :
あんちゃん:2001/08/06(月) 15:50
>>632 >宗教や宗派とかで「人間」を分ける事自体が間違っている。
宗教や宗派が「人間」を分けてるわけではありませんよ。
「人間」を分けるために宗教や宗派を「人間」が使っているのです。
ちなみにひとつ誤解のないように申し上げておきますが、私はクリスチャンの一人として、
「キリスト教」を信仰していない人々が「救われない」などとは心の片隅にも思っておりません。
おそらくほとんどすべてのキリスト教徒はおなじように考えていることでしょう。
なぜなら「信仰」はそれをもつ人にとってのみ明らかなものなのであり、
「信仰」がもつその基本的な性格上から、他者を裁くようにはできていないからです。
「信仰」を持っていない方々には、その人々にふさわしいように「神」がなさることを、
クリスチャンは信じてると思っていただいて間違いありません。
他宗教との関連でもうひとつ。宗教に関心をお持ちの方とお話をしてると、
「すべての宗教はひとつの真理を共有してるんだよ、すべての道は、ひとつの救いにつながっている」
というお考えを拝聴したりする機会があります。これはいかがでしょうか。
よく富士山の頂きにたとえらえて、持ち出される話ではあります。
ですが、よくお考えになられればおわかりのことと思いますが、
誰であっても自分がもつ「信仰」以外の他宗教については知り得ようがないわけで、そのような意味で、
本来ひとつの真理、ひとつの救いなどとは根拠のないことであり、けっして言えないはずのことです。
ですから、各宗教は歴史や文化・地理的といった学問的分類はまた別として「信仰」上は、
まったく違うものである、という認識を私はもつべきであると考えています。
すべての宗教がひとつの真理・ひとつの救いという考え方は、特に国際化の今日、魅力があるものです。
ひょっとしたら、そうなのかもしれませんが、しかしひとつ間違えれば、他の宗教はもちろんのこと、
自身の「信仰」さえも汚してしまう可能性があることには注意を払うべきでしょう。
互いの信仰を認めあうことと、いっしょくたにしてしまうことは似て非なることです。
650 :
あんちゃん:2001/08/06(月) 16:02
>>648 633以降、あなたのお考えにいろいろ意見したいところはあるのですが、
残念ながらいかんせん限られた時間のなかで、
ひとつひとつお答えしているゆとりを、もちあわせておりません。
すみませんが、お返事は後日、明日以降ということでよろしくお願いいたします。
今日、また時間がありましたら、カキコさせていただきます。
651 :
素人:2001/08/06(月) 16:12
>>あんちゃん
私、一度信者の方に聞いてみたかったんですよー。
神様を信じる以上に、他人という人間を信じる事が出来るほうが、ずっと
価値があるものだと私は思うのです。神様は人間の弱い心が生み出した幻
想にすぎないのではないでしょうか。
神様が人間の望むもの(神の存在自体であっても)を与えてくれるのは、
当たり前なのです。なぜなら人間が都合のいいように造り出したのだから。
652 :
律法学者:2001/08/06(月) 16:23
神が存在し、それを信じるところから宗教は出発しているのです。
だから、神がいないとか幻とかいう議論は信者に対して意味のないものです。
また、神さまが人間の望みを叶えてくれるというのも逆です。
現実が自分にとって望ましくなくても、神の望んだものだと理解(納得)するのです。
質問箱の方に書き込まれると良いと思います。
653 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 16:41
>650
ご丁寧にどうも。また、時間に余裕のある時によろしくお願いします。
>651
私も悩んだ時期がありますよ。ヒューマニティーだけでなぜダメなん
だって。カミュの『ペスト』の中で、罪もない子供が目の前で死んで
いく。神父は「神の思し召し」なんて最初は澄ましているですが、この
できごとを契機に考え方が変わるんですね。それで、最後は自分もペスト
に苦しみながら死んでいく。あれは、クリスチャンには必読の本だと
思います。
神は、現実に行われる「理不尽な出来事」には無干渉なのです。今日は
原爆記念日だけど、当時、広島型は予行実験さえやっていなかった。ウラン
の絶対量が足りなかったので、ぶっつけ本番。こういう場合は、予測しな
いミスで失敗に終わるものだが、ほぼ完璧に成功してしまった。神は20万
人の被害者を黙殺した。
私は、これを「人間の都合のいい解釈」で神をかばっても独善に陥るだけ
だと思う。神は自ら手を出さない。人間が沈黙を守る神に代わって、活
動するしかない。祈りも告解も二の次です。宗教家に求められるのは、
隣人を助ける活動に身を投じること。
祈る者が信仰者ではない。祈りを捨て、神に頼らず、隣人に手を貸すのが
本当の信仰者だと思っています。その上で、祈る余裕があるのなら、神に
祈ればいい。集団で集まって祈るなどもってのほか。集まっているメンツ
で他にできることがあるはずだ。祈るのなら、たった一人で深夜、ひそやか
に。私が言っているのではない、イエスさまがそう言っている。
654 :
律法学者:2001/08/06(月) 17:23
教典の解釈や他人が律法に適っているかにばかり気を取られ、
自分の心に響いている神の言葉を聞こうとしない信仰者が多いのではないか。
募金やボランティアなどの他人にわかりやすい善行をしてラッパを吹き鳴らしている
人が多いのではないか。
>653
祈りを捨て、神に頼らず、隣人に手を貸すのでは、信仰者ではなくただの善人ではないか?
隣人に手を貸す際にも神の声が心に届いていると思いますよ。
また、隣人を助けることができたことを神に感謝し祈ることも大切ではないでしょうか。
もちろん、人に見せるためではなく。
655 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 17:27
ここが間違いさんは、どういう立場の方ですか。
独自の解釈もいいですが、ひとつ間違うと噴飯ものになっちゃいますよ。
もちろん、クリスチャンでなければ、部外者の珍説で済ませられるんですが。
くれぐれも気をつけて。
656 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 17:37
>>654 あなたはクリスチャンですか。
ネームを律法学者とされてるのは何か特別な意味があるのですか。
657 :
素人:2001/08/06(月) 17:41
>>652 こっちでごめんなさい。
>神が存在し、それを信じるところから宗教は出発しているのです。
そうですね、クリスチャンの人に対しては愚問でした。
>また、神さまが人間の望みを叶えてくれるというのも逆です。
望みを叶えてもらう、とは言っていませんよ。
神様の存在自体が人間の望むものだと言いたかっただけでして。
>現実が自分にとって望ましくなくても、神の望んだものだと理解
>(納得)するのです。
そこです!それも疑問に思うのですが、明らかに個人の失敗が招
いた事であってもそうなのですか?神様の試練だと?私は、神に
祈ることで、その人の自己責任の意識が低くなる事があるのでは
ないかと思うのですが・・。
>>653 >祈る者が信仰者ではない。祈りを捨て、神に頼らず、隣人に手を
>貸すのが本当の信仰者だと思っています。
おお、解りやすいように書いてくれて嬉しかったです。
こういった考え方もあるのだなあと思いました。
ただ私には「神に頼らず、隣人に手を貸す。」というのは当たり前
の事であって、それを信仰に繋げて考える事はできません。それは
人間の良心であって、それこそ神に勝るものだと思います。
658 :
律法学者:2001/08/06(月) 17:42
名座連ですね。
私はイエスのお叱りをよく受けるので、律法学者です。
659 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 17:49
>654
「隣人を助ける」にしても、助ける自分と助けられる相手の区別がある
内はダメなんだと思います。そこが「ただの善人」と「信仰者」の境目
だと思うのですよ。助けられる相手があっての、助ける自分でもあるの
で、助ける側が「感謝」するような感情が湧かなければ本物ではない。
その時に、助け、助けられる関係を超えて、一つの気持ちに溶け込んで
泣き笑いするとき、お互いに「神」を見、「神」に一瞬触れるのです。
それは魂がしびれる位の悦びです。人間は、隣人を鏡として「神」を
見るのです。
そんな、額にいれて飾るような善行でなくってもいいのです。スーパー
で並んでいるオバちゃんが落とした10円を拾ってあげるんでもいい。
渡すときに、自分が無くした10円のように、心から喜んであげれば
いいのです。自他を排して、心がつながった一瞬、「神」に通じている
のですから。
>655
珍説なのはしかたがないですね。自分の試行錯誤で到達した結論だから。
正真正銘の部外者ですから、ご安心ください(^^)
660 :
律法学者:2001/08/06(月) 17:50
657>
>神様の存在自体が人間の望むものだと言いたかっただけでして
そうでしたか。いずれにせよ逆ですよね。まず、神の存在があるのですから。
>神に祈ることで、その人の自己責任の意識が低くなる事があるのでは
>ないかと思うのですが・・。
その通りです。逆に、何でも神のせいにして悪行を働くものも出てきます。
包丁を使えば、おいしい料理も作れますが、人も殺せます。
責められるべきは包丁なのでしょうか?
661 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 17:58
>>659 受洗したクリスチャンではないのですね。
ですが、そうしたらキリスト教の「神」がわかりますか?
クリスチャンに通ずるような意味で「神」という言葉を使われてるのでしょうか。
ちょっと、不安が。
662 :
律法学者:2001/08/06(月) 17:59
659>
>「隣人を助ける」にしても、助ける自分と助けられる相手の区別がある
> 内はダメなんだと思います
神に感謝すると言うことは「隣人を助けた」ことで
自分も救われたことを感謝すると言うことです。
それと、助けた相手を通じて、そういう機会に巡り合わせて下さった
ことも感謝します。
趣旨としてはここが間違いさんと同じかな?
それから部外者かどうかより書き込みの内容が大事だと思います。
ただでさえクリスチャンは排他的と思われているんだから。
663 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 18:07
>>658 名座連ですか。
あなたは教会を愛してますか。
信者であることを重荷に感じていませんか。
クリスチャンに対してちょっと厳しいような言い方を感じるのですが。
664 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 18:13
>661
ごもっともな不安です(^^)。
しかし、イエスの言葉から類推する神の姿と矛盾しないと思います。
助けを要する人と、助けられる人が、出くわす。それこそが神の支配
ですよね。そして、実際に「神の手足」となって隣人を助ける人が神
の義にかなうのです(よきサマリヤ人の喩え)。イエスが言う本当に
偉い人とは、隣人に尽くす人のことですし、最も大切な掟とは、汝の
神と隣人を、汝自身のように愛せよ、です。「神の手足」である以上、
明日のことを思い煩う必要もなく、感謝の心で楽しく暮らせるのです。
私は仏教や神道も経験していますが、これらの教えからも外れません。
>662
そうですね。神様のお役に立てた、という喜びですかね。毎度、おおき
に、またご入用の際にはご用命を、という感じですね。不思議なことに、
そういう風に思っていると、機会がどんどん与えられますね。
665 :
律法学者:2001/08/06(月) 18:14
私とここが間違いさんに質問している名無しさんは同じ方なのかな?
でしたらコテハン使って、あなたのことも教えて下さいよ。
660にも書きましたが、信仰は使いようなので、自戒の念を込めて
書いているつもりです。
教会自体は愛する対象だとは思いません。
666 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 18:26
>>665 コテハン使うのは遠慮させていただきます。
そのほうが、気楽にお話できるでしょうし。
>教会自体は愛する対象だとは思いません。
もちろん建物としての教会ではありませんけれども、
信者の方々が集う場所として、あなた自身交わりを楽しんでらっしゃるのかなと
そのような意味でお聞きしたんです。
667 :
律法学者:2001/08/06(月) 18:33
>666
話の流れ上、クリスチャンかどうかは教えてもらいたいですね。
交わりを持つ機会を与えて下さったことを神に感謝しますが、
内容自体は正直言って世間話の域を出てないんじゃないかなあ。
668 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 18:41
私が律法学者さんと違う部分は、恐らく「神を自分の内側に見るか、
外側に見るか」ということだと思います。
この部分については、西田幾多郎『善の研究』がうまく説明していま
す。
「われわれが神意として知るべきものは自然の理法あるのみである。
この他に天啓というべきものはない。もちろん神は不可測であるから、
われわれの知るところはその一部にすぎぬであろう。しかしこのほか
に天啓なるものがあるにしてもわれわれはこれを知ることはできまい、
またもしこれに反する天啓ありとすれば、こはかえって神の矛盾を
示すのである。」
「われわれが神を敬し神を愛するのは神と同一の根底を有するがゆえ
でなければならぬ、われわれの精神が神の部分的意識なるがゆえで
なければならぬ。」
つまり、神は人間が理解できる価値観(一歩突き詰めるなら、赤子
にでも理解できる価値観)で天啓を下している。また、神が人間の
内部にないならば、人間は神を敬愛することができない(ユダヤ教の
神のように、一種の主人と奴隷の関係では、真の敬愛にはなりえない)。
さらに言えば、神が人間の内部に在るのなら、神と人間をむすぶ第三者
(具体的に言えば教会)は不要になるのです。イエスの時代、第三者と
して神の支配を妨げていたのは、パリサイ人だった。現代においては...。
669 :
素人:2001/08/06(月) 18:44
>>660 >まず、神の存在があるのですから。
キリスト教の方にとってはあたりまえですよね。
しかしこの事は私にとって、視野の狭い人間の意見にしか聞こえないのです。
実際、世界にはキリスト教以外の人間も数多くいます。
キリストを信じることで、他者を受け入れる事ができていないようにしか思えません。
宗教は自由に生きようとする人間にとっては足枷にしかならないと思います。
>その通りです。逆に、何でも神のせいにして悪行を働くものも出てきます。
でもその行為は彼らが言うとおり本当に神が望んだものかもしれない。
嘘という証拠も、真実と言う証拠も何も無いのですから。
宗教とはあやふやなものです。見えないものを手探りでいるよりも、
そこに存在する誰かを信じた方がいいです。少なくとも私は。
670 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 19:02
>>667 プロテスタントのクリスチャンですよ。
私自身は、教会での交わりを楽しませていただいてます。
教会生活を楽しんでらっしゃるのかな、と思ったんですよ。
>>668 キリスト教の場合、神は内在するものではないですね。
ゆえに人間の意識が神の部分的意識にもなりえないでしょうし。
よって、教会が不要になることもないですね。
ただ、その神と人との関係は、主人と奴隷の関係ではないですよ。
反論するだけであれば、言葉のあやでどのようにでも言い含められるものですね。
気を悪くなさらないでください。
ただ、キリスト教の本質は、
やはり日本の伝統的な宗教観とはあきらかに違うということなんです。
あなたがここで、いやイエスの本当の教えは、そういうものじゃないんだ、と言ったところで、
それはやはりあなた自身の個人的な解釈ということでしょう。
671 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 19:13
>670
>ただ、キリスト教の本質は、やはり日本の伝統的な宗教観とはあき
>らかに違うということなんです。
どなたか(クリスチャン)が、こんなことを言っておられました。
キリスト教というのは、砂漠の民の教えである。それを日本のような
気候のところに持ってくれば、その時点で異質のものになるのだ、と。
確かに私のイエス論は「個人的な解釈」を出るものではありませんが、
それは「日本キリスト教」においても同じことだと思います。
個人的な意見ですが、日本人の血では、ユダヤ教のような「契約の神」
は到底理解不能だと思います。また、もともとキリスト教のために人間
があるのではなく、人間のためにキリスト教があるのですから、日本人
の血になじんだキリスト教ができてもいいと思う。それが、偶然にも
私のイエス感とぴったり重ならないとは断言できますまい。
672 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 19:14
>>669 >キリストを信じることで、他者を受け入れる事ができていないようにしか思えません。
あなたのまわりにそのようなクリスチャンがいるのですか?
あなたの先入観で、ゆがめてしまってはいませんか?
あなた自身の否定的な自己意識をクリスチャンに投影していませんか?
わたしのまわりにはそのようなクリスチャンはいませんけれど。
>宗教は自由に生きようとする人間にとっては足枷にしかならないと思います。
わたしたちクリスチャンは神さまと向かい合い、わが身をゆだねる事で、
はじめて自由を知りましたよ。
どうも同じ「自由」という言葉を使っていながら用法がくい違ってるようですね。
673 :
律法学者:2001/08/06(月) 19:16
>670
神の存在、神の導き、そうしたものを心の中の意識として持っているということを
内側に見ているという意味を668で言っているのではないですか。
神の部分的意識ということも、自分と神とが共感しているということだと思います。
あなたの述べているキリスト教の本質もあなたの個人的解釈と言うことですか?
個人的でない解釈とはどういうものを指すのですか?
674 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 19:21
>>671 そうですね「日本キリスト教」というものが、もし成立しうるなら、
あなたが言うようなものになるかもしれない。
わたしは別にあなたの考え方を否定してるわけではないですよ。
ただ「罪」の「赦し」というイエスの救いの本質がどのように
扱われるのか、そのあたりに非常に関心がありますね。
キリスト教徒ならみな、おなじように考えるでしょう。
675 :
律法学者:2001/08/06(月) 19:21
>669
視野の狭い人はクリスチャンに関わらずいると思います。
「自由」については672に同意です。
そこ存在する誰かを信じている人もたくさんいます。
麻原○○とか文鮮○とか大川隆○とか。
676 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 19:32
人間が神に服従して「自由」であるためには、人間がその内面から自発
的に湧き上がってくる意志である必要があると思います。ただ単に、
主人である神が義とすることだから、では不十分だ。神の命令が、
「人間として当然の行為」と一致するものでなくては。いわゆるヒュー
マニティーを離れるような「神の支配の元の自由」など有り得ない。
聖戦など、もってのほかです。それを称して「私は神の支配の元に
自由だ」という人がいるなら、それは単なる奴隷の思いあがりです。
677 :
律法学者:2001/08/06(月) 19:37
676>
神に服従と考えるとそうでしょう。
でも、信仰は握手のようなものだとよく言われます。
自分からも、神からも手を差し伸べないと握手はできません。
だから、自分から手を差し伸べる意志が明確にないとならないのです。
678 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 19:48
>677
握手ですか。見事な説明ですね(^^)!!
679 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 20:00
>674
日本人の場合、「罪」の赦しが先取りされていると思います。いわゆる
「禊(みそぎ)」の思想です。神道では「宣り直し」というのをやかま
しく言います。同じ事柄を表現するにも、事を荒立てずに済ませるよう
に言葉を選び、場合によっては「言い直す」。基本的に、神道では罪は
過ちによって起こされるものだ、という「性善説」を取っています。
神道では、基本的に本人が悔い改めた後、祝詞を唱えて神に詫びれば、
禊を専門にする三体の神(瀬織津比売、速秋津比売、佐須良比売)に
よって、罪が洗い清められるとするのです。
だから、原則としてキリストの出番はないのです(^^;)。
680 :
デビルマン:2001/08/06(月) 20:02
…わけのわからんスレになってきておる、と感じるのは、我輩だけかな?
681 :
ここが間違い:2001/08/06(月) 20:12
>680
そろそろ打ち止めにしますから(笑)。
ただ、こういう日本文化のバックボーンを知っておくと、なぜ日本人
には「罪」の意識が希薄か、キリスト教のように「罪」を表立って
出したり、「善悪」を厳密に立て分ける宗教をうさんくさく感じるか、
についてのヒントになると思います。
682 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 23:21
結局クリスチャンで閉鎖的だね。
クリスチャンでない人に「クリスチャンでなきゃわからない」
なんてわざわざいろんなクリスチャンが書き込んでる。
コミュニケーション閉ざされてる。
なして?
他の宗教のひと、そんなことあまり言わない気がする。
あ、オウムは言うかも。
なんで、神はいない、っていう人をそんなに敵視するのかな。
これじゃあ、クリスチャンが多数派の社会になったら、
非クリスチャンはたいへんな目に遭うかも、って心配になるのはわたしだけ?
683 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 23:27
>>683 そういう宗教だからだよ。
待ってろ、そのうちあんたに
「そんなことわれわれはちっとも書いてない」
「あんたの読み方が間違ってる」
って、くるよ。
反論をだまって聞いておけないのが、彼らみたいだから。
これがこのスレのタイトルへの答えかも。
「あんちゃん」「ここが間違い」「律法学者」
みなさん月曜の昼間っから書き込める境遇の人たちなんだ.....
社会人じゃなくて夏休みの学生さん?
なんか内容からもそんな気がしてきた。
もしそんなにお若いなら、もすこし謙虚でもいいような....
(もし職業をお持ちの社会人ならごめんなさい。
でもその場合は職業できれば教えてくれるか、またはヒント下さい。
どうして平日昼に仕事してないか。信用させてもらうために。
マルチハン使うひともいるのでクリスチャンに対してすっかり疑い深くなった私。)
685 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 00:02
もともとは1の質問というか提起に対するスレだったんで、それに答えるか、
1がもういなくても似たような疑問を持つ人に答え得るスレであってほしい。
私はクリスチャンですが、そうでない人も参加しないと、
1みたいな疑問に答えるスレにはならない。
わたしもここ読んでクリスチャンの偏狭さにちょっと鬱...
686 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 00:22
>>682 >>683 神の存在を信じない人とコミュニケーションしても無駄。
こちらの魂が汚れる気がするよ。
イエス様はお前らを哀れんでるよ。
本当のことを言えば、クリスチャン以外は、真の人間ではない、とも言える。
早く改心したほうがいいよ。
687 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 00:46
>>686 お前クリスチャンじゃないだろ
キリスト教徒の評判下げようと騙ってるだろ。
やめてくださいませんか、
あなたみたいなひとはクリスチャンにはいない
688 :
おいおい:2001/08/07(火) 00:49
>>687 クリスチャンの罪を、非キリスト教徒になすりつけるなよ
689 :
八丁堀:2001/08/07(火) 01:33
というより、信仰心は信じ仰ぐ心。当たり前の事だが、そもそも、外国に広まるキリスト教。外国語すら理解せずに、日本語で書かれた聖書を見、解釈している我国のクリスチャン達、本当に真のキリシタンと言えるのか?勝手に広めて良いのか疑問に思うべきだろ!私は、生憎宗教に根ざしていない為好き勝手に言うが、生半可な気分で信仰心を煽るべきではないだろう!神は、キリストや他の者に到底立ち向かえぬ己自身に存在するまたは、している自分自身だとかんがえたら、管理者も楽になれると思うのだが・・・。
>>686>>687 いや、この板をはじめとするネットでクリスチャンが一番醜い偽善者だってことを
しみじみと感じ知った無宗教の者です。
腹の底では686のように思ってるのがキリスト教徒なんですよ。
691 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 02:52
>なんで、神はいない、っていう人をそんなに敵視するのかな。
>これじゃあ、クリスチャンが多数派の社会になったら、
>非クリスチャンはたいへんな目に遭うかも、って心配になるのはわたしだけ?
激しく同意
692 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 06:57
由あって、クリスチャンになりたいと思っている者です。
信仰心はある程度定まっているので問題ないのですが、
私の知っているクリスチャン達が、あまり尊敬できない人間だったので躊躇しています。
その人は高校の同級生なのですが、身を持ち崩して(要は援交)しまいました。
しかし、「神様に祈ってるからいーの」とあっけらかんと言うのです。
その他にも、日頃は暴言吐きまくってるくせに、クリスマスだけは信者面する奴。
「信心無いくせにクリスマス祝うんじゃねー」と、お決まりの文句です。
皆、罪の意識が薄いように見えるのです。
私は罪の意識に苦しんだ末に、入信したいと思うので、
うまくやっていけるのか心配です。
どなたか、実際にいる(もしくは現実的な)
理想のクリスチャン像の例を示してくださいませんか…
693 :
熱いプロテスタント:2001/08/07(火) 07:12
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カチャ!
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|(,,゚Д゚)||o | < 優しさが欲しけりゃカトにいけ!
|/ つ | \_血が熱いならプロに来い!うぎゃおう!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↓
パタン
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694 :
プロテスタント:2001/08/07(火) 07:25
__ _ ______ ┌───┐ ___
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>>1 の母でございます
>>1の妹ですぅ
>>1のクラスメイトだけど
>>1の担任ですが
____ | ̄|
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|_|| ‖=‖| ========= :''''''/\'''; \ /
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(|  ̄ | ̄|) (|  ̄ | ̄|) :゙: ̄ | ̄ : (|  ̄ | ̄|)
\ - / \ - / ,, - ,, ´ \ - /
____| ̄|____ _____| ̄|___ ,, ,, , ,,:'''':, ,,, ,, __| ̄|___
|  ̄・| | |  ̄ | : '' ' : | |└─-┘| |
>>1の主治医だが
>>1の家臣でござる
>>1の背後霊です…
>>1の使用ストUキャラっす
695 :
プロテスタント:2001/08/07(火) 07:26
o o
/\__∧ ((___(( . _____ /\
|,i =☆= | / == \ . | | |-┬-┐ / ̄ ̄\
|┌──┐| |_____| | |  ̄ | ̄ | |三,| | |
| |  ̄ | ̄| | []_||___||] .\|____-_____| | ゜| |  ̄ | ̄ |
/  ̄ ̄ ̄ \ \\ (ミ]/ (___□____)\|__|) \ - /
/ ||. |======| || \ ^| T|=| \;;;;、;\ θ | ̄|
/ || |-|-|-|-| || \ | ̄ ̄ |=| ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ .. |≡|
>>1のエクソシストである!
>>1ノ宇宙人ナノダ
>>1のパソコンだよ
>>1の精子であります!
696 :
プロテスタント:2001/08/07(火) 07:28
ヾ'_____
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||o .| |
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↓
カチャ!
______
|∧ ∧.|| .| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|(,,゚Д゚)||o | < 疑問を持つのは良いことだ!
>>1 |/ つ | \_______
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↓
パタン
ヾ'_____
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697 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 09:22
>>684 私は社会人ですよ。勤務形態が不規則なだけ。夜中に集中して仕事することもあり
ます。そうだなあ、作家みたいなものだとお考えください。ただし、業種は技術系
です。
>>689 ごはんを一粒でも残すと、もったいない、というのも広義の宗教心だと思うのです。
その場合、ごはんという「自分感覚」に根ざしたものだから、真理だと感じること
ができる。ところが、正統キリスト教の説く「罪」は、外からの押し付けにすぎな
いので、誰もが真理だとは納得できない。納得できるという人は、どこかに自己
欺瞞があると思う。
誰の目からも真理であれば、黙っているだけで共感者が現れる。一部の真理にすぎ
ないものを真理を認めさせようとするから、声高に叫ばざるをえない。実はその
こと自体が、究極的な真理でないことを暴露しているのです。
>>690 それは仕方ないですよ。
というのもネット上の掲示板のほとんどは保守的キリスト教徒によって
占められていますからね。この2ちゃんねるにしても、保守的キリスト教徒の
割合が多い見たいだし。
信じられないことですが、彼らは中世のキリスト教徒同様に、キリスト教が編み出した
特殊な神話的世界観に基づいて思考しています。科学的世界観においては、
批判的検討が許されない聖域など存在しませんが、彼らには批判的検討が許されない
聖域が存在するのです。
そしてなお悪いことに神話的世界観は科学的世界観とは違って、「理性」ではなくて
「信仰」に基づいて受け入れられています。理性によって受け入れているのであれば、
発展的な議論の余地もありますが、相手は信仰に基づいていますからね。
同じキリスト教徒でも、彼らの神話的世界観を突き崩すことは容易ではありません。
ましてや無宗教者であるあなたの話しなど、彼らは聞く耳を持たないでしょう。
なお彼らの神話的世界観を突き崩す努力をした神学として、ボンヘッファーとか
神の死の神学などがあります。ボンヘッファーの著作は、キリスト教の問題点が
どこにあるかを知る上で役立つと思います。まだ読んでいないのなら、是非読んでみてください。
699 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 10:17
>>690 >>698 普通のクリスチャンなら、こんなところをうろついてみたり、激しい書き込みをしたり、というようなことは、ないでしょうね。
第一、日曜日にそんなことしているクリスチャンなんて、どうかと思います。
私は、2ちゃんに書き込んでいるクリスチャンを、全く信用していません。
>684
前の名無しさんと同じ人?
2ちゃんであまり個人を詮索しても意味ないですよ。
特にあなたや699みたいに人を信用していない人に答えたところで信用しないでしょ。
それでも答えますが、私は社会人です。
698のように科学的世界観において批判的検討が許されない聖域が存在しないなら、
ここが間違いさんの言う「誰の目からも真理」というものは存在しなくなります。
また、批判的検討が許されない聖域が存在しないとしたら、ある事象について
永遠にさかのぼって検討を行わなくてはならなくなるはずです。疑えばきりがない状態ですね。
701 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 11:18
>700
>科学的世界観において批判的検討が許されない聖域が存在しないなら、
>ここが間違いさんの言う「誰の目からも真理」というものは存在しな
>くなります。
これはそうなんでしょうか?対立する意見について、ひとつひとつ矛盾を
解決し、統合していったなら、最後には全員が納得する真理に到達する
と思うのですけど。もちろん、無限時間かかりますけど。
物質の世界では、科学がそのアプローチを取っていて、かなり「好成績」
を上げていると思いますよ。いまさら「万有引力」を否定する人はいない
でしょう。「万有引力」はもはや「誰の目からも真理」という状態に限り
なく近い。同じような統合が、精神世界においても可能だと思います。
客観的な裏付けがない主観的真理=個人の妄想、だと思うのですけど。
>ある事象について永遠にさかのぼって検討を行わなくてはならなく
>なるはずです。疑えばきりがない状態ですね。
結局、「気の済むまで疑い、さかのぼって検討する」のが正しい道だと
思います。それをやらないから自己欺瞞に陥る。
702 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 11:26
神を信じるとは、神を疑いぬくのと同じ意味なんです。
最初に「神を信じる」という状態は、主観的事実にすぎない。疑いを
起こしつつ、それをクリアすることによって、主観的事実が客観性を
帯びてきて、最後には「疑いようのない真実」になるのです。批判的
検討とは、「自分の妄想」を「誰の目にも疑いのない事実」に鍛え上げ
るための唯一の手段なのです。
703 :
律法学者:2001/08/07(火) 11:33
>701
>対立する意見について、ひとつひとつ矛盾を解決し、
>統合していったなら、最後には全員が納得する真理に到達する
>と思うのですけど
帰納法的な話ですね。真理と言うより合意に達するのではないですか。
キリスト教は演繹法的ですから、神の存在を認める所から出発しています。
また、ここが間違いさんと議論始めたらデビルマンさんに怒られそう...
704 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 11:37
感想。
ずっと読ませてもらったが、「ここが間違い」さんの考え方は、宗教哲学だと思う。
しかし、それでキリスト教という、一つの宗教の教理的な側面にまで踏み込むものだから、
わけが分からないばかりか、無用な混乱を招いているのではないだろうか。
宗教哲学は宗教哲学で、その方面で議論していただかないと、
他の人たちが困るのではないだろうか。
キリスト教関係スレの「渡海難」になってますよ。
705 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 12:17
>703
>真理と言うより合意に達するのではないですか。
それは大丈夫。私は神が人間の内側にあると考えるので、合意=真理
になるのです。
>704
哲学もまた、科学と同様に人間の理性の働きなのです。キリスト教は
哲学の範疇を超えている、というご意見ならば、それはそのまま
「キリスト教は万人の目にも明らかな真理ではありえない」という
ことを意味します。つまり、キリスト教においては、人間が理性で
判断できないような神の勝手な真理を(あえてこの表現を使わせて
もらいますが)盲信する人だけを神は救う、という結論になります。
706 :
704:2001/08/07(火) 12:21
>>705 私が言いたいことは、あなたの議論は、このスレの趣旨には合わない、ということです。
あなた、やはり「渡海難」になってしまっていますね。
人の意見を聞いているようで、実は、自分の意見を主張しているだけ。
人の意見からは、何も学ぼうとはしない。
「俺の言うことは正しい。」
あなたに足りないのは、宗教的知識でも、学問でもありません。
謙遜さ、です。
こういうと、おそらくあなたは、「それこそキリスト教徒に足りないものだ」と、
言うのでしょうね。
つまり、人の意見を、自分のこととして受け止めることができないのです。
707 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 12:35
>706
このスレの趣旨に合わないのでしたら、退場しましょうか。
>人の意見を聞いているようで、実は、自分の意見を主張しているだけ。
>人の意見からは、何も学ぼうとはしない。
去る前に、後学のためにひとつだけお願い。
私が学ぶべき意見というのを、具体的にお示しください。
708 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 12:38
>707
つべこべ言わずに早く退場してください。
709 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 12:42
>>707 >このスレの趣旨に合わないのでしたら、退場しましょうか。
それはあなたが決めることでしょう。
あるいは、あなたの意見をもっと読んでみたい、という人もいるかもしれませんから、
私がとやかく言うことではない、と思います。
>私が学ぶべき意見というのを、具体的にお示しください。
それも、あなた自身が読んで、判断することではありませんか。
子どもではない、と思いますから(社会人と書いておられた)。
今の自分にとって、どの意見から学ぶべきかを判断できなくては、
困ると思いますよ。
このことでも分かると思います。
今まで、どれほど自己主張だけを繰り返してこられたか、ということに、
どうか気づいてください。
横槍をはさんでしまい、失礼しました。では。。。
710 :
律法学者:2001/08/07(火) 12:46
デビルマンさんにも言われましたが、キリ性悪スレっぽくない話が
多かったですね(←おまえもなー)
まあ、でも目くじら立てて追い出すほどでもないでしょ
名無しで捨てぜりふだけ書いていく人よりよっぽどいいと思うよ。
それに、煽り荒らしは神仏に任せて放置するのがこの板の方針だしね。
711 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 12:55
>709
私としては、自説に対する批判を聞きたかったんですけどね。残念
ながら、実のある反論は聞けなかった。
こう議論をする時、なぜ本質的な部分でなくて、態度がどうとか、自己
主張が強いとか、そういう枝葉の話になるんでしょう?
そういう枝葉に逃げること自体が自己欺瞞だ、と言ったら、また不謹慎
って言われるんだろうな(^^)。
私は、相手の言葉使いが粗悪だろうが、押し付けがましかろうが、どう
でもいい。自分の魂から真理の火花を打ち出すような意見を聞きたいで
すね。
712 :
698:2001/08/07(火) 13:12
>>700 >疑えばきりがない状態ですね。
現代はある意味宗教にとって不幸な時代なんですね。
キリスト教が世俗社会に開かれた宗教であり続けようとする限り、
「疑えばきりがない」という言葉で納得してもらえない時代なのですからね。
キリスト教が世俗社会から自らを閉ざしセクト化の道を選ぶのでない限り、
疑うこと・疑われることは現代キリスト教の宿命だと思いますよ。
それから現代の神学者で「誰の目から」みても納得できる神学の理屈を
構築している人はいないと思いますよ。今は模索の時代でしょ。
神学者でない我々一般信者には模索すら難しいかもしれませんが、
今がそういう時代であって、盲信しないように自戒することは必要だと思いますがね。
逆にいうと、批判に対しては謙虚に受止める理性が必要だということでしょうか。
713 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 13:19
>712
フォローをいただき、ありがとうございます。
>>698で引用されていた、ボンヘッファーはさっそく探して勉強したいと思います。
どうも、本当の意味で私の主張を理解してくださったのは、698さんだけだったよう
な気がします。
私も、いらぬ哲学用語を濫用して顰蹙を買ったことを反省すると共に、それによ
って気分を害した皆様にはお詫びします。
それでは、さようなら。ごきげんよう。
714 :
律法学者:2001/08/07(火) 13:20
>712
>疑うこと・疑われることは現代キリスト教の宿命だと思いますよ。
その通りですが、信者は神を信じることから始めていることをまず理解していただきたいのですよ。
謙虚さは必要なのですが、神に選ばれた民であるとして、高みに登ってしまうクリスチャンが
いることが残念です。腰を低くというのもイエスの教えなのですが..
715 :
あんちゃん:2001/08/07(火) 13:29
ここが間違いさん他、聖書信仰に基づいた正統派キリスト教に批判的な方々へ。
あなたがたは、きっと思いのほか近いところに神がいらっしゃるに違いないと信じておられるのでしょう。
いや、ひょっとすると、このわたしのなかにも神はいらっしゃるのじゃないかと。
ですが、その一点においてキリスト教徒と他宗教の方々の間には、
決定的な自己認識の違いがあるわけなのですよ。
よく「無の境地・素の状態」などといわれてますが、
それは一体どのような心理状態のことをいうのでしょう?
「ここが間違いさん」は「神が人間の内側にあると考える」と言われてますが、
それは誰の目にも明らかにされた「客観的事実」ですか?
あなたは、馬鹿のひとつ覚えのように「科学的世界観に基づいた批判的検討」を言われてますが、
そういうあなたの論拠自体が、そういった「批判的検討」に基づかない
自分勝手な「主観的事実」に則っているのではないですか。
自分に都合のよいごまかしの理論を振り回すのは、いいかげんやめにした方がいいですよ。
キリスト教がもつ真理は確かに、どう控えめに言っても現代の「科学」によって、
知られるようなものではない。
しかし、そのことによってキリスト教の価値が微塵とも損なわれることはないのです。
なぜなら、キリスト教は科学でなく宗教なのだから。
「真理」は神によって知られるのです。
716 :
でちゅ:2001/08/07(火) 13:37
にいちゃん、
どうして他宗教の人たちは、自分たちの「罪」を認められないのでちょ。
717 :
デビルマン:2001/08/07(火) 13:38
昼飯にうなぎを食って戻ってみたら、意外な展開になっておった。
諸君。ここはやはり、クリスチャン連中の性根について、
討論をしあう場にしようではないか。
あまり抽象的な議論ばかりでは、このスレの趣旨に反するというのは、
確かに、名無し氏の指摘のとおりだ。
もちろん、我輩も反省する。
718 :
律法学者:2001/08/07(火) 13:42
>715
神が存在するしないを証明することは不可能でしょう。
ただ、クリスチャンが神の存在を信じていることは、
ノンクリスチャンにとって「自分勝手な「主観的事実」に則っている」
と映っていると思いますよ
だから、あんちゃんさんのノンクリ批判もノンクリによるクリ批判も
同レベルに思います。
それから、正統派キリスト教という言葉はあるのですか?
719 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 13:43
716>
でちゅ
おまえもなあ
720 :
あんちゃん:2001/08/07(火) 13:46
でちゅ、
それはとってもむずかしい問題なんだよ。
ひとつは自己省察の習慣が身についてないこと。
幼少からの生育環境が影響してるだろうなぁ、きっとね。
自身を無自覚に「神」へ近づけてしまうことは本当に恐ろしいことだよ。
「日本社会」を見渡してもわかるだろう。
それほどに「罪」は根の深い問題なんだよ。
721 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 13:48
なるほど、クリスチャンの性格は、確かに悪いな。
議論するまでもないことだった。
722 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 13:48
性根の悪いクリの実例がおいでなすった
723 :
あんちゃん:2001/08/07(火) 13:59
>>718 >神が存在するしないを証明することは不可能でしょう。
そのとおり不可能ですよ。
私はノンクリ批判はしてませんよ。
いつ、キリスト教信仰が「客観的事実」だと言いましたか?
一貫して、キリスト教は「科学」ではないと訴えてきたのですよ。
いいかげんなことを言わないように。
>正統派キリスト教という言葉はあるのですか?
神学用語として使ったのではなく、
書いてあるように「聖書信仰」に基づいたものを、
説明するために便宜的に用いただけです。
神学上の学問用語としても、もちろんありますよ。
自由主義に対する正統主義というカテゴリーの説明に用いられますね。
724 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 14:04
>>721 >>722 言われていることが図星だったようだね。
ノンクリスチャン諸君。
なんなら、事実かどうかよく吟味してみたらどうかね。
725 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 14:08
>>724 結局さあ、クリスチャンなんてのは、人の意見に耳を貸さないんだよね。
他の書き込み見てても思うけど、自分と違う意見の人は、全部間違い、
そう思ってるんじゃない。
ノンクリもそうかもしれないけど、クリスチャンもひどいもんだ。
726 :
でちゅ:2001/08/07(火) 14:23
>>725 クリスチャンは「人の意見に耳を貸さない」でちゅか?
いつ貸さなかったんでちょ。
>724は、単に「事実かどうか吟味してみたら」と言ってるだけじゃないでちゅか?
「自分と違う意見の人は、全部間違い」と思ってるのは、多分貴方のほうでちょ。
もし「自分と違う意見の人は、全部間違い」と思わない気持ちが、
ほんの少しでも、ほんとうにおありなら、よ〜く吟味してみたらどうでちゅか。
なんなら。強制はしまちぇんよ。
727 :
725:2001/08/07(火) 14:34
>>726 そいじゃあなんで、デビルマン氏が提案していることを、無視しているわけ?
無視しているのがノンクリの人だとしても、一応受け留めるべきじゃあない?
728 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 14:36
クリ性悪スレ利用の皆さんへ
デビルマンは無視してください。
729 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 14:39
728>
なんか恨みでもあんの?
730 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 14:39
731 :
725:2001/08/07(火) 14:54
732 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 14:58
クリ性悪スレ利用の皆さんへ
デビルマンは無視してください。
733 :
725:2001/08/07(火) 15:01
>>732 それじゃあ聞くが、もし彼(あるいは彼女かな?)が、
正しい意見を述べたとしても、彼が「デビルマン」であるがゆえに、
その意見を無視する、とでも言うの?
734 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 17:40
一仕事終えて、再度登場!
>733
悲しい現実だけど、答えはYesなんじゃないの?自分の頭では考えられない。
これこそが「盲信」の根源なんだけどね。
ある意味で純真な人たちなんだね。悪魔は、いつも邪悪な形相をして、「私は
悪魔」という名札をつけて、悪魔然として、神を冒涜しつつ登場すると思い込んで
いる。しかし、世の中を見てもわかる通り、大悪は善を装って現れるもんだ。悪魔
の正体を初めから見せるまぬけな悪魔などいないよ。聖人を装って、信者達が法悦
にむせぶような、ご立派なことを言ってのけるものさ。悪魔は聖人のふりをして
いる。だから、相手が誰かではなく、その意見が真理かどうかで判断すべきなん
だよ。
念のため、「悪魔」というのは比喩ですので、私が基地外になったなんて早まらな
いでね >愛すべき純真無垢な人たちへ
735 :
725:2001/08/07(火) 17:49
>>734 そうか。
でも、何だかなあ。私は、デビルマン氏が言っていることも、大切だと思うけどなあ。
だから、彼(もしくは彼女)が、どういう人であれ、その意見は尊重しなくては、と思うけど。
こいつは気に入らんから、何言っても無視、というのは、う〜ん…
晩飯食べてこよう。
736 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:05
>734
>相手が誰かではなく、その意見が真理かどうかで判断すべきなんだよ。
それなら答えはNoじゃないの?
737 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:19
738 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:22
いつの間にかキリ性悪(2)が出来てるぞ
739 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:23
740 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 18:25
>735-736
私は
>彼(もしくは彼女)が、どういう人であれ、その意見は尊重しなくては
という意見に賛成だよ。だけど、725さんがこの問いを投げかけた732さん
はそうは思わないんだろうな。まず、聖書を開いてみて、書いてあったら
正しい、書いてなければ間違い、という判断をする。いや、それならまだ
いい方で、デビルマン氏が自分と同じ価値観を持たないという理由だけで、
間違いと即断する。
これって、昔からキリスト教会がやってきた「伝統芸」なんだよね。
トマス・アクイナスですら、最初は教会から異端視されていた。彼の場合は
ラッキーなことにすぐに異端は撤回されて、今度は聖人に祀られたの
だけど、迷惑な話だ。これだけでも、いかに教会の決める異端の基準が
いいかげんだったかわかるよ。ドミニコ会が異端にされた理由は、禁欲
主義が強すぎて、享楽三昧だったバチカンが立場をなくしそうになった
せい。このとばっちりでトマスも異端の烙印を押されたわけ。
741 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:31
だから、何で答えがYESなの?
742 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 18:36
手元にエックハルトの『神の慰めの書』(講談社学術文庫)があるから、
その序から抜書きしておきましょう。私が尊敬してやまないエックハルト
も教会に葬られた「真のキリスト者」です。
エックハルトは伝記の示すごとく、死後間もなくその著作、その書写を
すべて異端として禁ぜられ、発見されたものはすべて破毀され、それの
保存者まで極刑をもって罪せられたのである。(中略)カトリック教会
の禁が解かれ、一度葬られたエックハルトが教会そのものによって、
トマス・アクイナス等に並ぶ学聖として祝福せられたころには、もはや、
彼の文献の収集は困難を極める状態にあっただろう。(p.6)
743 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 18:40
>741
734は、私が732さんの代わりに答えた形になっているからだよ。
長時間、沈黙が続くのは、答えがYesだからでしょう、という意味。
これで納得した?
744 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:45
743>
「732の答えはYESでしょう」ってことですね
734だけじゃわかんないよ。
745 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 18:47
>744
そうだな。734読み直してみたら、やっぱり舌足らずだったよ。
スマン、スマン。
746 :
725:2001/08/07(火) 18:49
ご飯食べて、再登場。
それにしても、数字だけで人を特定するのって、案外面倒 (^^;
読むのに時間がかかった。仕方ないけどね。
とにかく私は、デビルマン氏が言ったことも、一理あるよ、っていうわけ。
それで、このスレの話をもとに戻そうじゃないか、という提案をしただけなんだけどね。
だから、私の書き込み自体が、このスレの本筋から離れているんだよ。
それで、740さんの書き込みで、ようやくもとに戻ったかな、と。
747 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 19:06
>746
そうですね〜。また私が抽象論を持ち出して話のコシを折らないうちに(^^;
上の方に流れちゃったんですが、
>>692さんのは具体的でいい問いかけだったと
思います。この辺からつながれば、ここのスレらしい議論ができるのでは?
話に出てきた同級生だという人、見殺しにできない気がするな。ネタかもしれん
けど、本当かもしれん。それとも、クリスチャンは、そういう人は見捨てるのが
当たり前なんだろうか?他のスレなら、ネタでも暖かい言葉のひとつふたつ出る
もんだぜ。ちと冷たすぎやしないかい?
748 :
725:2001/08/07(火) 19:54
>>747 ふむ。
クリスチャン(特に福音派)は、そのあたり非常に冷たいと思うことがある。
積極的に「救い」を求める人には、それなりに接するけれども、
頭から否定したり、非難したりする人には、結構冷淡だよね。
同じクリスチャン同士でも、ちょっとでも立場が違うと、
「あれは異端だ」「あれはリベラルだ」などといって、
もう鬼か悪魔を見るみたいな眼で、にらむことがある。
でも、クリスチャンに言わせれば、それなりの理由があるのだろうな。
そこのところを、ぜひとも聞きたいものだな。
749 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 20:15
>747
私の知り合いのクリスチャン(カト)も、そういうタイプでしたね。
普段はすごっくいい人。しかし、「敵」だと認識したら、憎悪を露わ
にして徹底的にやっつける。「白か黒か」しかないのね。また、「勝ち
か負けか」しかないから、相手がグウの根も出なくなるまで攻撃する
か、一目散にトンズラし、遠くから罵倒を浴びせる。
ここに出没するクリスチャンにも共通のパターンが見えるように思うよ。
非クリスチャンのいる場には、最初から剣で武装して乗り込んでくる
感じ。表面は平和的でも、内心は最初から喧嘩腰。だから、まともな
議論にならないうちに、一方的に追い出されるか、それともトンズラ
されてしまう(^^)。今日のはいい体験だった。
750 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 20:25
クリスチャンは人を嘲笑う人が多い
それも物凄い、相手を自殺に追い込んでしまう
位の嘲笑い方なのだ。
どのような場合に嘲笑うかというと、相手が未熟な事を
言った時。教会に来て間もない人が未熟なのは
当たり前だ。
それから相手と意見が衝突し、相手が正しい場合
自分の間違いを認める代わりに相手を嘲笑う。
751 :
デビルマン:2001/08/07(火) 20:27
さて、クリスチャン諸君。
これらの意見に対して、どう反論するつもりかな?
抽象論では反論できても、諸君らの具体的な行動については、反論できまい。
それとも、「デビルマンの言うことは無視」ということで、
知らん顔を決め込むつもりかな?
悪魔より卑怯な連中だからな、お前達は。
ワハハハハハハハハ!!
752 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 20:36
>750
そうですよね。初心者が未熟なのは当たり前です。
未熟なことを聞きとがめられるような雰囲気では、みんな、口と腹が
違う偽善者になってしまいますね。安心して本音が話せる教会でない
と、私は嫌だな。教会って、日常に抱えている鎧兜を脱ぎ捨てて、
あるがままの姿で神の前に立つ場所だと思ってましたが、実情は逆
なんですね。
753 :
725:2001/08/07(火) 20:38
>>751 デビルマン、あなたが相手を嘲笑ってどうする?
出てくるんだったら、もっと真剣になりなよ。
754 :
ここが間違い:2001/08/07(火) 20:43
>751
そうだよ。あなた、結構いいこと言っているんだけど、そういう態度だ
とクリスチャンの人に通じないぜ。正直、もったいないと思うよ。
755 :
デビルマン:2001/08/07(火) 20:58
う…わ、我輩は…寝よう。おやすみ。
756 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:54
原因は何か?(仮説である)
1、神学校に問題があり、神学生の性格が歪み、性格が歪んだまま牧師になり、信徒まで性格が歪んでしまう。
2、フリーメーソンの陰謀
3、某国の金さんの陰謀
757 :
広告:2001/08/07(火) 22:59
758 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:39
結局、クリスチャンが、自分達の気に食わない人たちを追い出しつつあるこのスレ。
批判派でも、クリスチャンに気を使ってるひとだけ煽られずに残れてる。
横槍氏とか何人かいた、ほんとの批判派、どうしたのかな。
小気味いい鋭いこと書いてた人もいたのに。
759 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 23:52
760 :
692:2001/08/08(水) 00:09
ネタではないです。
その娘、卒業文集に
「高校生活で悲しかったことは、マザーテレサ様が帰天された事です」
などと、しれっと書いてました。
私はカトリック希望なのが、この様なカトリックの方とは正直言って
うまくやっていく自信は有りません。
人嫌いが激しいもので。
きっと、彼女より私の方が器の小さい人間だからでしょうけど・・・
また、>750さんの言う通り他人を嘲笑う人も多い気がします。
(自分に対する批判に耳を貸さない人と同種だと思う)
私は、他人を嘲笑うことが出来ない所まで来てるダメ人間です。
キリスト教は私のようなダメ人間の、心の拠り所になってくれるのですか。
それとも、また人間に対して失望させてくれるのですか。
761 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 00:25
>>760 「高校生活で悲しかったことは、マザーテレサ様が帰天された事です」
要するに、いいこぶりっ子が多いってこったかな?
>キリスト教は私のようなダメ人間の、心の拠り所になってくれるのですか。
通常、人間は皆、駄目駄目なんだがな。
僕なんか怠け者だし、日頃の行いは酷いし、クチは悪いし、駄目の塊だな。
それでまぁ、教会を拠り所にしてるよ。安心していいよ。
で、自分がそんなだから、教会の人間の酷いのに出会ってもあんまり
腹が立たないな。人間の集まりに理想は持って居ないからね。
でも、そういう駄目人間の集まりがわりと好きなんだけどね。
正直なんだと思うから。人間的って言うか。
逆に綺麗事ばっかりなところってどうも苦手なんだ。
だからこうして2chを徘徊してるんだな。
762 :
律法学者:2001/08/08(水) 00:41
初心者を嘲笑う傾向はカトに多い。
カトは歴史があるので、伝統をいかに知っているかがステイタスとなる。
当然初心者が嘲笑のターゲットなのです。
あと、比較的信心が薄い傾向にある。
プロはムラ意識が強いと思われる。派閥も多いしね。
派閥間では聖書解釈の仕方が紛争の種。
私自身はプロですが、ここに書かれているようないやな場面を実際に何度も見ているし、
それについては、反論する気にはなれない。
キリスト教の信者であってもイエスの信者である人が少ないのだと思う。
そういう私もいやなやつに見られてるんだろうなと思うけどね
ただね、デビルマンさん、「デビルマン無視」の書き込みはクリの仕業なのかい?
この書き込み、ほかのスレにもいっぱいあったけど、なんか恨みかってんの?
763 :
692:2001/08/08(水) 00:51
>760
言ってみれば、免罪符さえあれば大丈夫〜みたいな精神構造が嫌なのですが。
しかし落ちついて考えれば、これまでの言葉で言うほど、
彼らの事を嫌っているわけでも無い気がします。
顔を突き合わせている時は、どうしても腹が立つのですが、
ひとりになって考えると、意外に愛すべき存在のように思えてくるのです。
私も、基本的に人間は好きです。
ただ、腹立たしいことが多いのと、現実的なリスクを考えると、
なんだかんだ言っても実は皆を愛してる、などと示すことは出来ません。
だから、仏教でも神道でもヒンズーでもイスラムでもなく
愛の宗教であるキリスト教を選んだんです。
パートナー以外の人に愛情を示すことの出来る人間になりたいです。
764 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 01:02
>>763 まーどうしたって、やなやつとか居るからね。
ムカツイて御免。とかも思うけどね。
>免罪符さえあれば大丈夫〜みたいな精神構造
大丈夫ってことはないよ。そう思う事自体がおかしい。
反省が伴ってないと、免責はないんだよ。
大丈夫と言う人は、自己責任という大切なこと忘れてると思う。
デビルマンさんは、何となく実はいい奴っぽい気がするな・・・妄想かも。
この版(時には他の版でも)に出てくるような嫌な経験は、私もすることありますね。
逆に他人に嫌な思いをさせていることもあるでしょう。
私は、教会に行ってある人を見ただけで少なくともその日のうちは
激しく嫌な気分になり、どうにもならなくなってしまいます。
その事と、各教派の礼拝を経験してみたい、という理由で
最近は自分の籍のある教会の礼拝にはあまり出席していません。
今まではそんな事は無かったのですが。
766 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 08:40
>763
>仏教でも神道でもヒンズーでもイスラムでもなく愛の宗教であるキリスト教を選んだんです。
本来は、どの宗教も「愛の宗教」なんですけどね。
キリスト教は「愛」を看板にできるほど、他宗教に比べて「愛」が抜きん出ている
とは思えません。このスレでも指摘されているように、現実は「看板に偽りあり」
というのが実態に近いのではないかな?少なくとも、初心者に対する扱いは、仏教
教団などの方がもっとましだと思うけど。宮沢賢治(法華思想に傾倒した)の作品
などから溢れてくる「愛」は、キリスト教の「愛」をある点では超えていると思い
ます。これに匹敵できるのは、トルストイ位?しかも、彼は「貧者への愛情過多」
のせいか、ギリシャ正教から破門された。
767 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 08:51
>763(続き)
>パートナー以外の人に愛情を示すことの出来る人間になりたいです。
極論かもしれないけど、イエスはこのこと以外、実は何も言わなかった
という気さえする。これこそがイエスの遺言なのでは。
768 :
イエスの精神をさがして:2001/08/08(水) 09:44
わたしが考えるイエスのメッセージは、神を信じろとか悔い改めろとかではなく
(それは死後に別の人たちが考えたことじゃないかな)
「宗教の正典や律法や教会(当時はユダヤの神殿、教会。今ならキリスト教の)
に人間が縛られてなるものか!」っていう部分が強かったのではないかと思ってます。
当時は、随分ユダヤ教の宗教が人々を縛ってたので、
その行き過ぎを戒めて、もっとおおらかに生きろ、と身をもって活動したように思うのです。
769 :
律法学者:2001/08/08(水) 10:05
イエスの語りかける相手は社会的弱者が多かった。
彼らに、神を信じることで自分の心を強めること、
自分が強くなったら、隣人も愛することが出来ること
その点を重視したと思う。
イエスはバリサイや立法学者を厳しく、何度も非難している。
聖典や律法ではなく、神からメッセージを受けることが大切なのである。
770 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 10:42
十分の一税を払おうとしても、払う余裕のない人がいたそうだ。それ
でも容赦なく、「律法を守らない者=罪人」という烙印を押された。
片や、神殿税を独占したユダヤ司祭は肥え太り、豊作の年には、大土地
所有者の倉に収めた食料が腐るほどだったという。その裏で餓死する
人がいたのに。
律法学者は、神への服従を口にしながら、その実は「人間による人間
支配」を黙認し、隣人を見殺しにしていたのです。隣人への愛なき
神への愛は、「悪魔礼賛」と何ら変わりがなくなる。イエスはそこを
突いたのだと思う。
771 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 10:59
768さん、769さんのご指摘のように、「戒律で人間を縛る」ことの
理不尽さはもちろんあるのですが、それは決してユダヤ司祭達が
「愚か」だったからではないと思うのです。むしろ、彼らは「確信犯」
だった。自分達の権益を保証するためには、実に好都合なシステム
だったのです。もちろん、看板には「神」の名を掲げて、権威を高める。
こうやって、神の名のもとに人間を支配するのです。
ローマ帝国は、当初はキリスト教を迫害しますが、やがて国教にする。
これは、選民意識が強烈で不従順なユダヤ教よりも、無抵抗主義のキリ
スト教の方が、帝国の体制保持からは好都合だったからです。
今は政教分離がうるさく言われていますが、歴史的には政教一体がむ
しろ当たり前だったことの反省から来るのです。
772 :
イエスの精神をさがして:2001/08/08(水) 12:14
>>771 司祭たちはそうでしょうね。
でも、それなりに宗教教義に忠実なパリサイは。
自己意識としては「自分たちは純粋で宗教上正しい道を歩んでいる」と思っていたし、
(それは確かにそうなのです)
宗教的に正しい生活を実践し、他人にも道徳を薦め、その結果
イエスにコテンパンに批判されることとなった。
誰かが、クリスチャンがよきキリスト教徒であろうとすればするほど
皮肉なことにパリサイ的になると書いてましたよね。
わたしも同感です。宗教ってそんなもんに過ぎません。
773 :
律法学者:2001/08/08(水) 12:39
宗教やイエスの教え自体はそんなもんに過ぎないと言うことはないです。
ただ、自分がよき信徒であるということを他人に認めてもらいたい
気持ちがバリサイ的信者を生むと思います。
神と自分とのよき関係を保つよう努めることが大切です。
774 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 12:44
>772
なるほど。パリサイ人には「自覚症状」はなかったのでしょうね。
しかし、イエスは潜在意識レベルにまで踏み込んで、自己欺瞞を暴く
という形の「追及」をしていると思われるふしがあります。
金持ちの青年が、自分は生まれてこの方、律法を守ってきた、とイエス
に宣言した際、イエスは、全財産を貧しい人に恵んで私についてこい、
と言い放ちますね。あれは、結局のところ「あなたは義人のつもりで
いるが、隣人の犠牲の上に立っている社会にアグラをかいている以上、
それは偽善にすぎない」という事実を自覚させたのだ、と解釈できま
す。金持ちの青年は、この言葉によって自己欺瞞に気付いたから、
悲しそうな顔をして去ったのです。
彼が潜在意識の中で自分の「罪」がわかっていなければ、イエスに公然
を反論したでしょう。「言われて図星」だった。
775 :
デビルマン:2001/08/08(水) 12:49
少しおとなしく登場するとするか。
結局、クリスチャン達の間違いの一つが、ここにあるのではないかな?
つまり、自分を認めてもらおうという願望がありはしないか、ということだ。
自分と神との関係、などと言いながらも、実は、神との関係で生きている自分を、
見て欲しいという願望が、心の底に潜んでおるような気がするが。
>>765 そんなこと言うな、照れるではないか。。。
776 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 13:23
>>774 「富者が天国にはいるのは、らくだが針の穴をとおるより難しい」
しかし「神におできにならないことは、何ひとつない」のでした。
富者の皆さん、心配はいりません。
お金を持つこと自体は罪でもなんでもありません。
お金に使われないようにすればよいだけのことです。
金持ちであろうが、貧乏人であろうが、すべての人はイエスの罪の許しのゆえに救われます。
金を持っていることが偽善だとイエスは言いたかったのではありません。
「自分」をすてなければ、私についてくることはできないと言われたのでした。
777 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 13:36
age
778 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 13:58
age
779 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 14:34
>>775 そういうクリスチャンも、ひょっとするといるかもしれないね。
世界中に18億人もいるのだから。
780 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 14:45
>>775 君は、つまり、そういうクリスチャン達の間違いをあきらかにしたような気になることで、
自分の存在を「見て欲しいという願望が、心の底に潜んでおる」のだろうな。
もういいよ、プププッ。
781 :
デビルマン:2001/08/08(水) 14:50
>>780 では聞くが、クリスチャンには、そういう願望は全くないのかな?
誰に見てもらえなくても良い、神様が見てくださっているから。
心底、そう思っているのかな?
それならばなぜ、教会の中で、そういうことをめぐった醜い争い、人間関係のもつれが生じるのかな?
「自分はそうは思っていない」というクリスチャンほど、偽善的に見えるが。
讃美歌第二編195、聖歌521の歌詞は、確かに一時的にはそういう気分になるかもしれないが、
生涯それを持続することは、無理なのではないかな?
782 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 14:51
>776
もし、人が自分を完全に捨てて、イエスの言うように「明日のことは
思い煩うな」をモットーにして生きるなら、もはや富を所有する必要
などないではありませんか。
自分を捨てることは、富を捨てることよりも難しいのです。富を捨て
なくてもいい、と言われてホッとするのは、自分が捨てきれていない
証拠です。これも自己欺瞞の好例。
783 :
デビルマン:2001/08/08(水) 14:54
我輩が思うに、今のキリスト教に一番足りないのは、悔い改めではないかと思うのだ。
価値観が相対化されてしまった結果、罪さえも相対化されてしまい、
状況倫理、などという考え方が生じてしまった。
もちろん、それを否定するつもりは毛頭ない。
しかし問題は、それによって、クリスチャンの中から、罪に対する意識と、悔い改めの心が、
失われてしまっている、ということにある、と思うが。
784 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 15:25
クリスチャンであろうが他の宗教者であろうが無神論者であろうが無関心者
であろうが、人間は皆それぞれ異なった長所・短所を持っている。ただ、
イエスは、確かに、神が人間のために死なれたとしたら、確実に最も
「へりくだった者」ってことにはなるだろう。
785 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 15:49
神なら永遠の命を持ってるはずだ
だから、イエスは死んだふりしただけなのさっ!
786 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 16:21
>783
この「価値観の相対化」の問題は、キルケゴールが『不安の概念』で
詳しく論じているね。うろ覚えだけど、アダムというひとりの人間が
犯した原罪を、キリストというひとりの神人が償う、というのは、
あまりに相対的すぎて、深刻な個人の問題にはなりえない。罪の自覚
も、その償いも、自分が手を汚してみて何ぼのもんだと。アダムの原罪
をいくら想像で反復してみても、それは自分の罪の自覚にはつながら
ない。キリストの「贖罪」についても同じ事。
露骨な表現になるけど、キリスト教徒が日頃は別に罪の意識を持たず、
日曜日に教会の門をくぐるときだけ「罪人」になるのは、自己欺瞞だ
とキルケゴールは言いたかったんだろう。
787 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 16:54
>>781 >>782 なにを言ってらっしゃっるのかしら。
イエスを信じる前はもちろん、信じたあとも、
人間である限り罪にまみれて生きていかざるをえない。
あたりまえのことじゃないの。
だから、ノンクリスチャンは幼稚だって、心の底であざわらわれちゃうのよ。
あなたがた、年おいくつなのかしら?
まぁ、社会人でこんな時間にレスしてらっしゃるなんて、
よほどおひまなのかもしれないけれど。
クリスチャンだからどうのこうのという言い方する人って、
だいたい自分のことを棚にあげてる現在版パリサイ人ね。
788 :
デビルマン:2001/08/08(水) 17:04
>>787 >だから、ノンクリスチャンは幼稚だって、心の底であざわらわれちゃうのよ。
諸君、見たまえ。クリスチャンはノンクリを心の底で嘲笑っているそうだ。
笑顔でトラクトを配り、伝道しているその心の底には、
ノンクリスチャンに対する嘲笑が、渦巻いているのかもしれない。
それに、罪にまみれて生きていくのだと、開き直っていらっしゃる。
あなた方クリスチャンは、神を信じて救われた者として、
どのように生きてゆくつもりなのだ?
キリスト教のことで、2chで批判されているのは、
結局そのことが多いのではないか?
そこを問いたい。
>まぁ、社会人でこんな時間にレスしてらっしゃるなんて、
>よほどおひまなのかもしれないけれど
我輩、文章をパソコンで執筆しているので、同じことなのだ。
(かう言ふレスを、「余計なお世話」と言ふ)
789 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:09
>>783 デビルマンよ、もういいからさっさと去りたまえ。
君はまったくキリスト教の信仰というものが、分かってないようだな?
ここが間違い君も、その点では同様だが。
>価値観が相対化されてしまった結果、罪さえも相対化されてしまい、
>状況倫理、などという考え方が生じてしまった。
いったい、君にとって「罪」とはなんなんだ。「法犯罪」しかイメージにないのではないか?
馬鹿か?キリスト教徒にとって、「罪」とは神から離れた己の姿そのものだ、とここのスレでも、
何度となく書き込みされておっただろうが。
「信仰」の「し」もわからないくせにいいかげんなことをぬかすな。
君のような人間が
「クリスチャンの中から、罪に対する意識と、悔い改めの心が失われてしまう」
といったところでなんの説得力もないぞ。
キリスト教徒も人間だ、悔い改めようが、悔い改めまいが罪は犯す。あたりまえのことだ。
神から離れてしまった己を自覚してるだけ「ノンクリスチャン」よりはましということだよ。
790 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:22
>デビルマン
悪いことは言わない。
去りたまえ。
791 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:33
>>791 デビルマンよ、おまえはいったい何年、この世に生きてきたのだ?
誰も、自ら望んで罪を犯す人間などいるわけがないだろうが。
「罪にまみれて生きていくのだと、開き直っていらっしゃる。」だと。
開き直ってるのは、おまえのほうだろが。
人間は「神」ではない。「神」にはなれない。日本人にとっては違うのかもしれないがな。
「主」を仰ぎ見上げながら日々悔い改めて生きていくしかないということだろう。
それくらいのこともわからないのか?
「神」から見て人間が犯す「罪」に大きいも小さいもない。
しかしそのような「罪」深い人間存在においても、
「神」か遠くはなれてある己の姿に思いが及ばないとは、まったく絶望的ではあるな。
誰のことだか、わかるだろ。おまえのことだよ。
792 :
デビルマン:2001/08/08(水) 17:35
嫌われたものだな。
まあいい。悪魔というものは、嫌われるものなのだ。
罪とは、神に背を向けること。違うかね?
創世記に登場する最初の女性は、初め蛇の誘惑を、見事退けた。
なぜか?御言葉に堅く立っていたからだ。
蛇は、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」と、問うた。
だが、神はそういうことは言われなかった。
神が言われたのは、こうだ。
「園の全ての木から取って食べなさい。」
神は、産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよという、その祝福の言葉どおりに、
全ての果実(善悪の知識の木は別)を、彼らに与えられた。
しかし、その御言葉を、ほんのわずか変更して、蛇は女を誘惑した。
この時女は、御言葉に堅く立って、その誘惑を退けた。
だが、次の瞬間におそってきた誘惑には、勝つことができなかった。
(続く)
793 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:36
>デビルマン
悪いことは言わない。
去りたまえ。
794 :
デビルマン:2001/08/08(水) 17:39
女は、その木を見た。それは、おいしそうで、賢くなるようにそそのかしていた。
その誘惑に、負けてしまったのだ。
そこに、大きな罪が生じてしまった。
神に背を向けて、生きてゆかなくてはならなくなってしまった、人間。
だが神は、決して人間を捨てはしなかったのだ。
神は、神の前に罪を犯してしまい、神に背を向けたまま生きる人間に対して、
怒りのこぶしを振り上げられた。
だが、そのこぶしは、ついに人間の上に振り下ろされることなく、
御子イエス・キリストの上に、振り下ろされたのだ。
主イエス・キリストは、全ての人間の罪を背負って、ゴルゴダの丘の上で、その命を捨てられた。
(続く)
795 :
デビルマン:2001/08/08(水) 17:42
クリスチャンの信仰は、この唯一真の救い主イエス・キリストを主と仰ぐことではないか。
そして、救われた喜びと感謝の中で、神に仕え、隣人に仕えて、「神と人とを愛する」ことではないか。
だが、現実はどうだ!
今の日本のクリスチャンの中に、このお方に対して、本当にひざまずき、
悔い改めにふさわしい実を結んでいる人が、一体どれだけいる、というのだ。
…まだまだ言いたいことはあるが、これでひとまずやめておく。
796 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:44
>794
続けなくてもいいよ。
デビルマンってもしかしてソウカ人?
797 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:46
>>792 あなたはクリスチャンではないのでしょう。
以前にどこかの「新興宗教団体」にはいってるかのように意味ありげに匂わせて、
追求されていたではないですか?
後ろめたいことがないのなら、その時にはっきりと表明すればよかったところを、
口を濁したものだから不信感抱かれてるんじゃありませんか?
とにかく、あなたはキリスト教徒を馬鹿にしてますね。
ここが間違いさんもそうですが。
去られたらいかがですか?
798 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:50
>>795 そう、もう続けなくていいよ。立ち去りたまえ。
デビルマンって、ソウカだよ。
「ソウカ・コウメイ板」に逝けばいいんだよな。
799 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/08(水) 17:58
>デビルマン
一人でも隣人へキリストの述べられる愛を実践なされるならば、
それで十分である。「今の日本」というのでくくるのはおかしい。
なぜならば教育制度自体が、宗教的観念とは逆の信義をかかえ、
人と人とを競争させる土壌となっているからだ。
そうした中で「愛」が育つはずもなく、他人と自分とを見比べ自我
を強固にする社会となってしまう。昔の殉教なされていった隠れキリ
シタンのような強い信仰というのとは、結局、時代が違うんだよ。。。
800 :
デビルマン:2001/08/08(水) 18:01
嗚呼…何度言ったら分かるのだ。我輩は、草加ではない。
それにしても…
「クリスチャンって性格悪くて驚きました」というスレに、
支持するような書き込みをしただけで、追い出されるとは。
801 :
デビルマン:2001/08/08(水) 18:06
わ〜ん、みんながいじめる〜…
802 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:06
>>795 あなた、人がなぜ「信仰」をもつかおわかりになってらっしゃるのかしら?
というよりも「人間」というものを本当にその実像を嘘偽りのない姿を、
把握しようと、理解されようと努めてこられた方なのかしら。
文章を読ませていただいてる限りでは、とてもそのようにはお見受けできないわ。
あなた、本当にクリスチャンを、
というよりも人間そのものを馬鹿にしてらっしゃるわ。
あなたにその自覚がないというのはよくわかってるのよ。
そのことであなたを責めるつもりはないわ。
おそらく、あなた自身のこれまでの人生が今のあなたをつくってきたのでしょうし、
責められるべきは、あなた自身の過去の人生そのものなのだわ。
>今の日本のクリスチャンの中に、このお方に対して、本当にひざまずき、
>悔い改めにふさわしい実を結んでいる人が、一体どれだけいる、というのだ。
って言ってますけど、あなた、自身でそのような発言をする権利がおありだと、
もしかして思ってらっしゃるのかしら?
だったら、あなた、自分で気づいてらっしゃらないのでしょうけど、本当に傲慢だわ。
はっきり言って、救われようがないわ。
あなたは「信仰者」ではなく「哲学者」なのよ。
「信仰」の意味するところが、どうしてもわからないのでしたら、
お願いですから立ち去ってください。
803 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:17
クリスチャンが性格悪くて驚いたそうですが、
私は、性格の悪い仏教徒も知ってるし、
過激な無宗教者もしってるし、
更に気の弱いイスラム教徒も存じています。
804 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 18:19
>802
もし、あなたのおっしゃる信仰というのが、人間の理性を全部放棄して、盲目的
に信じることなのなら、私はゴメンですね。
もっとも、こういうのがキリスト教の信仰だと決めつけられるのを憤慨する方も
おられると私は信じるが。
805 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:19
>802
お前はわかってんのかあ?
806 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:19
>>800 だったら、どうしてあのとき「折伏経典」などという言葉を使ったのだ。
私は精神科医だから知っているが、あれは本当に「精神病者」をつくる凶器だぞ。
うそをつくな。
とにかく、おまえはここの場で一切信用されてはいない。
わかったら、さっさと立ち去りなさい。
「宗教哲学」としてのキリスト教にしか興味がないのだとしても、
本当に極めたいのなら、「信仰」がわからないとものにならないと思うぞ。
十字架上で苦しまれた「主」の姿を謙虚に仰ぎ見る心が、
ほんのお少しでも君にあればよいのだがな。
807 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 18:23
>803
その通り。しかし、ここで論じられている問題は、キリスト教には、
信仰することで性格が悪くなる要素があるのでは、ということなの
ですよ。ここの体験談などを総合すると、否定しきれないと思う。
808 :
デビルマン:2001/08/08(水) 18:27
>>802 はい、素直に立ち去ります。。。(涙
今の日本の教会について持っていた問題意識を、ここに書き込んだのが間違ってました。
…というより、デビルマンになったのが、間違っていた。
「サタンは、こんな風に、私たちクリスチャンを見ているのかもしれない」などと、思ったものだから…
最後に。
読みたくないかもしれないけど、聖句を贈ります。
シェマア イスラエル アドナイ エロヘーヌ アドナイ エハッド
ヴェアハウダ エット アドナイ エロヘーハ ベホル レヴァヴェーハ
ウヴホル ナフシェハー ウヴホル メオデーハ
(聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力をつくして、あなたの神、主を愛しなさい。)
申命記6、4〜5
我らの神、聖なる三位一体のに栄光あれ!いつでも、またどこにおいても。
皆さん、さようなら…
809 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:32
>>804 あなたは、言葉をもて遊ぶくせがあるようだな。
>人間の理性を全部放棄して、盲目的に信じること
とはどういうことなのか、ではここで具体的に説明してみなさい。
理性を全部放棄するとはなぁ?盲目的に信じきれる?。プププッ。
>>805 おまえさんよりはわかってるだろ。
>>802
810 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 18:33
>808
おいおい、デビルマン君、私をおいてきぼりかい?
こんな羊の皮を被った狼の群れの中に、私だけ置き去りとはあんまり
じゃないかい?
>799
ムム、どさくさにまぎれて、鋭いこと書いてるじゃないか(^^)。
811 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:38
>809
あなたは人を非難するばかりで建設的じゃないなあ。
クリスチャンでもないんだろ?
812 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 18:41
>809
ほいきた。例によって、たとえ話でな。
信者「あの〜、この薬、本当に私の病気に効くんですか」
教会「あたりまえです。神様はあなたを愛しておられるのですから」
信者「それは疑いませんが、どういう有効成分がはいっているから効く
んでしょう。副作用だって心配だし。中身位教えてくれてもいいでしょ」
教会「何を罰当たりな。このお薬をおつくりになるために、主がどんな
に苦難の汗と涙をお流しになったと思っている?つべこべ言わずに飲め」
信者「ですから、苦難の汗と涙はわかってますってば。中身を聞いてる
んだけどな。」
教会「ええい、お前のような呪われた奴には、この薬の資格などない、
早く立ち去れ。病気が悪化して死んじまえ!!!」
813 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:43
>>807 ここが間違い君よ、君はクリスチャンか。
もしそうなのなら、もうちょっと言葉を選んで語りたまえよ。
自分と同じ信仰を共有してる人たちのことだろう。
仮に信仰に非難されるべき点があろうとも、ものには言いようというものがある。
君には、どうもイエス様がおっしゃるところの「愛」が足らないようだな。
誰でも、キリスト教徒になるのは簡単だ。
しかし、キリスト教徒でありつづけることは、決してたやすくはない。
この言葉を送って、君の信仰が少しでも養われ成長することを祈ろう。
814 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 18:51
(続き)
信者「あの〜」
教会「何だ、もう地獄へ行ったかと思ったら、また舞い戻ってきや
がった」
信者「あの〜、私は本当に病気なんでしょうか」
教会「そうだ、病気だ。人間は生まれつき、病気なんだよ。」
信者「診断もしないで、どうしてわかるんですか。それに、全員が
病気だったら、病気って呼べないでしょう?それこそが正常なんじゃ
ないかな」
教会「うるさい。神様がそう決められたんだ。」
信者「あなたが神様の代理人なのでしたら、その証明書を見せてくだ
さい」
教会「お前のボンクラな目には見えんだろうが、聖霊の導きがあるの
だよ」
信者「では、その聖霊を私にも紹介してくださいよ。ついでに、聖書
に書いてある悪霊との見分け方についても。悪魔が神に化けたら、
悪霊だって聖霊に化けるでしょ?それをどうやって見分けるんでしょ」
教会「だから、お前のような呪われた奴は救われんのだ、早くここか
ら立ち去れ!!!」
815 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:51
>>813 そのとおりですね。
クリスチャンになるのは簡単。
ですが、真にクリスチャンとして生きていくことは、決して容易くない。
私自身、自戒をこめて祈りたいと思います。
もちろん、多くのクリスチャンは分かってらっしゃることですけれどもね。
>>812さん、あなたも本当に見苦しいわ。
早く立ち去られたらいかがかしら。
816 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:55
>>812 >>815 ここが間違い君
君、ちょっと見苦しいよ。
デビルマンは去ったのだし、君もあとに続いたらどうなんだい。
クリスチャンなのだとしたら、同じ信者として本当に恥ずかしい。
立ち去ってください。
817 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 18:59
>>816の一番上の行
>>815 は
>>814 の間違いだな。
ここが間違い君、君は本当にクリスチャンの恥さらしだ。
悪いことは言わない。
立ち去ってくれたまえ。
818 :
律法学者:2001/08/08(水) 19:01
神に生かされ、共に生きるという気持ちが足りないんだよね。
ここが間違いさんは信者になった時点で盲信、思考停止し、
神の奴隷のごとく生きているクリを批判しているんだと思うよ。
それから、神の権威をかさにきて排他的になっているこの近所の名無しさん達も
少し考え直してほしいね。
キリ性悪の板なんだから、ノンクリがクリを批判して当然でしょ。
819 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 19:02
>807
私は正式な意味でのクリスチャンではありません。
また、クリスチャンの方をこきおろすために書いているわけでもない。
表現が厳しすぎる、配慮が足りない、というのはその通りで、反省の
余地があると思いますが、社交辞令だらけの表現では、自分の主張は
絶対に伝わらないと思います。「あんちくしょ〜、こんなこと書き
やがって」と感じてもらえば本望ですね。そこから本当の議論がスター
トするのかもしれない。
820 :
縦槍:2001/08/08(水) 19:07
「クリスチャンって性格悪くて驚きました」という題名のスレでありながら、
よってたかってノンクリを追い出す。
ひどいものだ。呆れてしまった。
これなら、どんなに立派なことを言っても、だめですね。
どうやらデビルマンさんは、クリスチャンのようではないですか。
それでも、意見が違うと許せないようですね、あなたたちは。
821 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:15
>>819 正式な意味でのクリスチャンではない、ってどういうこと?
主張するということは、あなたが主観視したものを、
身勝手に撒き散らすことではありまんよ。
頭の悪いガキが、わめき散らしてる姿ほど哀れで見苦しいものはありません。
くれぐれも「立ち去られる」ことがないようお祈りしてますわ。
822 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 19:22
>821
私はイエスチャンです。生けるイエスの言いつけを守って、隣人を
勝手に裁いたり、2chから追い出したりするパリサイ人達と闘って
いるのです。
823 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:22
>>820 縦槍君って、ひょっとして横槍君?
私、読ましていただいてたわよぉ。
最後には、随分ぼろくそに手痛くやられてしまったようね。
また、復帰するのかしら。
でも「信仰」がわからないようでは生き残るのも難しいかもね。
>主張するということは、あなたが主観視したものを
>身勝手に撒き散らすことではありませんからね。
ということよ。
824 :
縦槍:2001/08/08(水) 19:26
>>823 横槍ではないから、縦槍と名乗ったのです。
このスレでのやり取りを見ていて、腹が立って仕方がなかったから、
乗り込んできたのです。
またあとで。
825 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:29
>>822 あなた自身が
「隣人を勝手に裁いたり、2chから追い出したりするパリサイ人」
になってしまわれないように、くれぐれも自戒なさいませ。
同じキリスト教徒として、心配申し上げてますから。
頭の悪いガキが、わめき散らしてる姿ほど哀れで見苦しいものはありませんからね。
「立ち去られる」こともよくお考えくださいませ。
826 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 19:33
ふと感じたんだけど、結局のところ、このスレがすべてを語っている
ってことじゃないかな。
クリスチャンになれば、嫌でも「こういう人たち」を付き合っていか
ねばならない、ということ。それが嫌だ、と思う人はクリスチャンに
ならなければいいし、それでも構わないのなら、クリスチャンになれ
ばいい。あとは本人の好みということだね。そういう意味では、キリ
スト教スレの中でも一、二位を争う「お役立ちスレ」になったね。
今思えば、クリスチャンの実態を暴露するために、書きたくもない
悪口を散々書かされていたのだな。神様のいじわる!
827 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:36
>主張するということは、あなたが主観視したものを
>身勝手に撒き散らすことではありませんからね。
>ということよ。
ふむふむ・・・・「○○ではありません」か、カンタンな台詞だな。
じゃあ、どういう事よ?と訊いても応えないんだろうな。
つーか、このスレ、悪臭プンプンだわ。
まぁ、その腐れたものを撒き散らしながら踊るがいいさ。
828 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:39
>>820 縦槍君って、ひょっとして横槍君?
私、読ましていただいてたわよぉ。
最後には、随分ぼろくそに手痛くやられてしまったようね。
また、復帰するのかしら。
でも「信仰」がわからないようでは生き残るのも難しいかもね。
>主張するということは、あなたが主観視したものを
>身勝手に撒き散らすことではありませんからね。
ということよ。
829 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:48
>>822 「クリスチャンの実態を暴露するために」だって。
こいつクリスチャンじゃないんだろうな、きっと。
ソウカ人か、ひょっとして。
気をつけないといけないな。こういう人間。
830 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:52
これからは
「ここが間違い君がきたら無視してください」
ってなるんじゃない?
デビルマンのときのように。
831 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 19:55
>>826 「クリスチャンの実態を暴露するために」だって。
こいつクリスチャンじゃないんだろうな、きっと。
ソウカ人か、ひょっとして。
気をつけないといけないな。こういう人間。
いやいや、ソウカであろうがなかろうが、
こういう人間は危険だよ、近づかないように。
832 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 20:00
>>826 あなた自身が
「隣人を勝手に裁いたり、2chから追い出したりするパリサイ人」
になってしまわれないように、くれぐれも自戒なさいませ。
同じキリスト教徒として、心配申し上げてますから。
頭の悪いガキが、わめき散らしてる姿ほど哀れで見苦しいものはありませんからね。
「立ち去られる」こともよくお考えくださいませ。
833 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 20:03
>>832 だから、
>>826 はクリスチャンじゃないんだってば。
ソウカだよ、ソウカ。
気をつましょうね、皆さん。
834 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 20:07
>>826 悪いこと言わないから、ソウカ・コウメイ板へ逝きな。
835 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 20:11
>>826 そりゃ、さすがに「クリスチャンの実態を暴露するために」とは、
クリスチャンだったら書けないだろうな。
さっさとソウカ・コウメイ板へ逝くことだな。
836 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 20:16
個人的に批判したいのではないことをあらかじめことわっておきます。
あくまでも、みなさんに呼びかけたい。
私たちクリスチャンが信仰の自由の上に安穏としていられるのは、せいぜい
この100年やそこらでしょう。それより前はクリスチャンだからといって虐げ
られたり、少し違うといって正統じゃないとして迫害されたりした。それでも
いつしかキリスト教が認められるようになったのは、広く信仰の自由が認められた
ためでもあるし、キリスト教は危険ではないし、不快でもないと考える人が増えた
ためでもある。だが、現代には不快なクリスチャンがいる。少なくない。
これでは馬鹿にされるかもしれないし、性格が悪いと思われるかもしれない。
主を愛し、隣人を愛してこそのクリスチャン。信仰義認を曲解して開き直ったり
しないでほしい。
どこの教派であっても、私たちはキリストを信じているし、罪の赦しを信じている
はずです。これらはすべて主による賜物です。どうかこれを受け取る者として、
ひとりひとりが、ふさわしいと思う態度をとってほしいと希望します。
837 :
ここが間違い:2001/08/08(水) 20:21
はいはい、去りますよ。最後に、神と主に愛されているクリスチャン
の皆様に以下の引用を贈ります。心をこめてね。イエスチャンとして
の私の気持ちを代弁しているのでね。
「イエスの行きざまに共鳴した人間がイエスへの想いを胸に秘め、
イエスのように生きていけばそれでよい。人間が自らの可能性を自由
に追求して生きていけばそれでよい。『万人の奴隷』として他者に
仕え、他者を愛するように生きていけばそれでよいのである。
そのような教会はもはや『教会』ではないのかもしれない。イエスが
めざしていたものは、本来的な意味における『無教会』というもので
あったのかもしれない。」(滝澤武人『人間イエス』講談社現代新書)
皆様に、神のお恵みがありますように。イエスを敬愛してやまない
「ここが間違い」から愛をこめて。
838 :
縦槍:2001/08/08(水) 21:18
やれやれ…(吐息)なんてこった。
クリスチャン(と称する人も含めて)の方々と、ぜひともお話したいことがあります。
少し、落ち着いて話をしませんか?
私は今夜は、もう戻らなくてはなりませんので、
もしよろしかったら、明日にでもお話しましょう。
もし、その気になられたなら、レスください。
「クリスチャンでない人は、来なくても良い(??)」と思われたなら、
無視してくださって結構です。
では、また。
839 :
ふらんちぇすこ:2001/08/08(水) 21:42
あれ?なんか紛糾したみたいだね。
どうしてこうなるかな。
このスレの会話それ自体が、スレの命題を証明するようで後味悪いよ。
840 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 21:49
ここでクリスチャンに対して攻撃している人たちは
クリスチャン=聖者 見たいに思っているのでしょうか。
信仰があっても生身の人間ですよ。腹も立てれば泣きもします。
右もいれば左もいます。宗派によって信仰のとらえ方が違っていて
そこからトラブルが出てきますが、基本的にはイエス・キリストを
主と信じている人たちだと思います。
だから、クリスチャンだからとかノンクリスチャンだからとかで
言い切れないと思います。
ねえ、そろそろこのスレやめようよ。
あまりいい議論だとは思えない。
結局、性格の悪いクリスチャンもいるし、
性格のいいクリスチャンもいるんだよ。
840さんの言う通りだよ。
842 :
さらしあげ:2001/08/09(木) 00:11
>>940 >>841 いや、1の話は宗教に対する疑念だったんではないの?
信仰が良い人を生むわけではない。とな。
まぁ、そんなもんだよな。迷ってる人はコレを見れば
少しは目が醒めるかもねぇ。
843 :
マリア:2001/08/09(木) 00:14
クリスチャンにはいろんな人がいるわ。
あたしもいろんな人を教会の中で見てきたわ。
844 :
ノンクリ:2001/08/09(木) 00:52
クリスチャンでない人間がその世界観を理解するのは容易ではないが、
クリスチャンは日本人口のせいぜい2%弱のその世界が普遍だと思いこむ。
さらに言うなら宗派、教派で分けたらさらに小さな世界になる。
要は、視野が狭くなりがち。
友人が最近洗礼を受けたが、明らかに宗教的視野は狭まった。
「三位一体でわからなかったら、これあとどうやって説明すんだ?」
つい最近までノンクリで、沢山の文献あたって沢山調べて沢山悩んだ挙句日本基督教団で洗礼を受けた結果が、これ。
説明できないならそれは理解してないってこと?それともノンクリのときの価値観をすっかり忘れたってこと?
いずれにせよ、特定の宗教に属すると視野が狭くなるように思う。
宗教はナイフと同じ。リンゴの皮もむければ人も殺せる。使い方次第。
宗教に属していようがいまいが、ヴァカはヴァカ。ただ、視野の狭い奴にはヴァカが多いがな。
2000年弱人の手をわたって汚れて変形しまくった宗教に入ろうとは思わん。まあ、一人で勝手に救われててくれ。
>>844さん
俺はずっと教団の教会員だけど、三位一体なんてわかんなけりゃ
わかんないでいいんだよ。そんなの何回か説明されて理解するものじゃない。
ある人はお天道様を拝み、ある人はお釈迦様を拝み、ある人はアラーの神を
拝み、ある人は先祖を拝む。
それと同じように、俺はイエスキリストをつかわした神が
本物の神だと思って拝んでるだけなんだよ。
キリスト教の信仰を持ったからいい人間だ、なんてことは言えない。
信仰を持っていても犯罪を犯す人、児童虐待などをしてしまう人は
この世にいくらでもいる。実際
>>1に出てくる先生より
俺のほうがもっと性格が悪いかもしれない。
でも、本当にそうなれるかどうかはわからないが、信仰を持ち続けて
少しでもいい人間になれるよう努力はしよう、それは思っている。
いうまでもないが、君が宗教に入るも入らないも全く君の自由だ。
クリスチャンだけが救われるかどうかは、俺にはわからない。
846 :
イエスの精神をさがして:2001/08/09(木) 02:07
>>774 「ここが間違い」さんへ
>しかし、イエスは潜在意識レベルにまで踏み込んで、自己欺瞞を暴く
>という形の「追及」をしていると思われるふしがあります。
同感です。イエスを試そうとしてイエスに質問する者たちに対する、イエスの切り返しも、相手が自覚していなかった偽善をつく鋭さをもっていることが多いですね。
金持ちの青年の話、あなたの解釈とだいたい私の読みも似てますが、私の解釈はこんな感じ。
頭でっかちの観念的なおぼっちゃま求道者に対して、イエスは、「財産捨てて多くの弱者と同じ境遇になってから、モノを言ってみろ」とばかりにかなり冷たくあしらってしまう。人間的ですねえ。
イエスの行動からみて、金に不自由しない楽な暮らしを享受しつつ、苦悩を気取るやつなど、イエスは、はなから相手にしたり仲間になる気はなかった。
(続く)
847 :
イエスの精神をさがして:2001/08/09(木) 02:07
(続き)
>>776 のような解釈は、まさに後世の教会が、世俗権力にすり寄るために都合の良い解釈だと思うのです。(すみません776さん、恨みはありませんが、自分の考えを説明するため引き合いに出させてもらいます。)
イエスは、「まず財産すてて無一文になってみろよ」と言ったのでしょう。比喩的に「財産を捨ててもいい気持で」とか「捨てたつもりで」じゃなく、実際にお金を捨てなければ俺達としては話をする気もおきないぜ、ということですよ。
金持ちのぼっちゃんののんきな宗教的苦悩などに、イエスとしては付き合う気は無かったでしょう。イエスは、底辺であくせく働き、律法なんて守ってたら生活できない人たちの側で活動したんだから、当たり前の反応ですよ。
と思います。
ところで「ここが間違い」さん、あなたの立場が他の人からいろいろ言われてるようですが、も少しここに居てくださいよ。あなたくらいしか問答の相手になってくれそうな方がいないし。
いろいろ過去のスレ読んだら何人も自分の考えた中身のあることをきちんと述べる人もいたけど、みんなクリスチャンが追い出しちゃった。ああ、このレスもクリスチャンから酷い文句をつけられるでしょうな。彼らは他人の発言への寛容というものがない。そして自分達と違う考えを執拗に攻撃し、イエスについて発言する権利を独占しようとする。ここのスレのテーマ
>>1を見れば、ここがクリスチャン専用の場所でないことは明らかなのに。
848 :
イエスの精神をさがして:2001/08/09(木) 02:12
>「富者が天国にはいるのは、らくだが針の穴をとおるより難しい」
>しかし「神におできにならないことは、何ひとつない」のでした。
「神におできにならないことは、何ひとつない」は、文献批判上は、
たしか後世(福音書作者?)の付加でしょう?
849 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 02:25
「ここが間違い」は、ラエリアン・ムーブメントに入ったらいいと思う。
850 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 02:34
>>847のイエスの精神をさがして さん
激しく同意です
いとも簡単にアメリカとかに移住しちゃうって事を何度か聞いたことがあるが。
852 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 12:23
>847
お気持ちはありがたいですが、私がこの調子で書きつづけると、クリスチャンの
皆様に罪を重ねさせるのみという気がして心が痛みますので、できるだけ批判色
を薄めて、徐々に書かせていただきます。
イスラム教が成立した背景には、実はキリスト教に対する同じ批判があったのです。
彼らの基本信条は
「信者であれ、ユダヤ教徒であれ、サビア人であれ、キリスト教徒であれ、神と
終末の日とを信じて善を行う者は、恐れることもなく悲しむこともない」(コーラン、
『真髄の章』5:69)
で、これは人の善悪を決めるものは信仰の対象で決まるのではない、という私の立場
により近い。
彼らの「善」とは、アッラーの神がよしとする道を生きることです。誰でもその道
を歩む者は、アッラーの神の子ということになります。ところが、キリスト教では
イエスのみを「神の子」としたために(文献批判から、時代とともにこういう解釈
に傾いていったことがわかる)、一種の偶像崇拝に陥っていると見なされたのです。
「『神は、すなわちマリアの子メシアである』などと言う者どもはすでに背信者で
ある。しかもメシアは言っているではないか、『イスラエルの子らよ、私の主にし
ておまえたちの主なる神を崇めよ』。神に他のものを併置する者には、神は楽園に
はいるのを禁じたもう。(中略)『まことに神は三者のうちのお一人』などと言う
人はすでに背信者である。唯一なる神のほかにいかなる神もない。マリアの子メシア
は、ただの使徒にすぎない」(同、5:72-75)
まあ、私を初めとして、ここで何人かの方が主張しておられる批判は、イスラム教
の人にも納得のいく考え方なのです。
853 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 12:58
>>848 君は、本当に馬鹿だな。
「おできにならないことは、何ひとつない」のが「神」なんだよ。
キリスト教をちゃんとお勉強してからおいで。
854 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 13:34
>>846 >>847 >>848 イエスの精神をさがして君よ。
君、信仰者だろうか。聖書をちゃんと読んでるかい。
金持ちの青年の話。
金をもつことが悪だといってるのではないのだよ。
金持ちのぼっちゃんの「宗教的苦悩」がのんきだとどうしていえるのだろうな。
弟子は「そうしたら、いったい誰が救われるのですか?」と聞いてるだろ。
苦悩を気取るやつなど、はなから相手にしたりしない、というイエスが、
そうしたら、どうしてあとで「神にはおできにならないことはない」と語るんだ。
金持ちも貧乏人も、神様からみたら同じ罪人ということがわかんないか?
おまえそうとうに偏向した考え方してるぞ、気をつけろよ。
金持ちが「悪人」で、貧乏人が「善人」だとまさか思ってるんじゃないだろうな。
おまえまるで、時代遅れの共産党員みたいだぜ、馬鹿が。
すべての人々が罪びとなんだ、というイエスのメッセージから離れてるおまえは、
もはやキリスト教徒ではない。
そんなに、ある特定の階層の肩をもちたいのなら、君こそこんなところで
カキコしてないで、政治団体へ入って運動すればよいだろ。
イエスは、下層の人々にも働きかけられたが、それは彼等が善人だったからではない。
ただ彼らもイエスの愛を、罪の赦しを必要としていたからだよ。
イエスは慈善活動や政治活動が目的だったのではない、
このことくらいはクリスチャンでなくてもわかってるはずだよな。
イエスはこの世にあるすべての人々に罪の赦しを得させるために来られたのだよ。
君も誰かさんのように、叩き出されないように気をつけろよ。
まるでここが間違い君そっくりだぜ。ひょっとして、プププッ。
855 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 13:50
>>848 >>852 ここが間違い君にイエスの精神をさがして君。
お二人とも、いやいやお一人かな、プププッ。
キリスト教徒よりも「ラエリアンナントカ」の方が
きっとお似合いよ。
856 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 14:30
>>837 >「イエスの行きざまに共鳴した人間がイエスへの想いを胸に秘め、
>イエスのように生きていけばそれでよい。人間が自らの可能性を自由
>に追求して生きていけばそれでよい。『万人の奴隷』として他者に
>仕え、他者を愛するように生きていけばそれでよいのである。
>そのような教会はもはや『教会』ではないのかもしれない。イエスが
>めざしていたものは、本来的な意味における『無教会』というもので
>あったのかもしれない。」(滝澤武人『人間イエス』講談社現代新書)
こうあるためにも、まずすべての人々が「罪」の自覚をまずもたなくてはだめね。
「罪」の赦しあっての「隣人愛」じゃないの。
すべての人々は神によって創られ、等しく愛されている。
ゆえに私たちは互いに・・・・・・。
「罪」の自覚など必要でない、互いに偽りなく愛し合うことさえできれば、
などと口先だけで語っていればそれで気が済む無責任な人たちは本当にいいわねぇ。
誰もが、そのような「愛」を自らに課そうとし、そして他者へ望みながらも、
しかし現実には、けっしてこの世において実現されえないことだからこそ、苦しむのに。
それがわかってないお馬鹿さんたちばかりなのよ。「人間」は本当に愚かで惨めな存在。
「罪」がわからないという人たちはいったいどこに目をつけてるのかしら。
もっと謙虚に神を仰ぎ見上げて主に祈りつつ歩まなくてはいけないわ。
イエスが制度としての「無教会」を目指していたとは思えないけど、実現するとしたなら、
私たち「人間」の体が「主」の宮であることを、すべての人々が自覚し、
「主」を心のうちにお招きして誠の想いで礼拝するときにこそでしょう。
「無教会」の「夢想」も「罪深さ」ゆえに意味をもつということでしょうか。
857 :
でちゅ:2001/08/09(木) 14:48
あんちゃん
なんか、とっても静かで過ごしよいでちゅよ。
でてきまちぇんか?
神さまについて語り合いまちょ。
ねぇちゃんもどうでちゅか。
もうお買い物すんだでちょ。
858 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 15:17
あぁ、でちゅ。
ようやく静かになったようだね。日和も穏やかな薄曇りで、いつになく過ごしやすそうだし。
ちょっと、神様についてお話でもしようか。
>>651があっただろ。あれについて、そうしたらでちゅにお話ししたげよう。
彼、いや彼女だったかな。
>「神様を信じる以上に、他人という人間を信じる事が出来るほうが、
>ずっと価値がある」
と書いてただろ。これ読んででちゅはどこもおかしいと思わなかったかい。
神さまは当然信じるほかないものだ。だけど人間はどうだい?
彼女は、また、神様を信じるよりも人間を信じたほうが「価値」があるとまで書いてるんだ。
僕たちクリスチャンが神様を信じるのは「価値」があるからだろうか?
でちゅは、何かご利益があるから神様を信じるんじゃないね、あんちゃんももちろんそうだ。
クリスチャンにとって神様を信じることは、自分のお父さんとの関係を回復することであって、
何か与えられるだとか、良い事があるだとか、そのような利益を求めるためのものではない。
行方知らずになっていた自分をお父さんと和解して仲良くやっていきたいと願うことは、
ごく自然なあたりまえのことであって、いちいち価値を問わなくちゃいけない、という
性格のものではないんだよな。
でちゅも、もう察しがついてるだろうが、
彼にとってきっと神様はお父さんでもなんでもないのかもしれないな。
だから、人間とその関係性の「価値」を比較しなくっちゃならなくなるんだよ。
それから、もうひとつ言えば人間は、そもそも信じる対象ではないはずなんだ。
人間はあくまで理解の対象だよ、彼はひょっとすると人間がよく見えていないのかもしれない。
人間を信じれるほど、自分ができた存在なのか、でちゅもよく考えてみるんだよ。
859 :
ふらんちぇすこ:2001/08/09(木) 15:19
>>856 854と併せて、でちゅ君の文法に似ていると思うのは僕の気のせいか?
860 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 15:21
気のせいでしょ。
861 :
ふらんちぇすこ:2001/08/09(木) 15:27
>>860 そうか。
いよいよでちゅ君の独壇場が始まるようだから
僕は遠慮して、引っ込んどこう。
862 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 15:30
>854
では、その直後に出てくる「金持ちが天国にはいるよりも、らくだが
針の穴を通るほうがやさしい」の意味は?明らかにイエスは「貧乏人
の方が金持ちよりも天国に入りやすい」と宣言しているよ。
その後、ペテロは「自分達は何もかも捨てて従って参りました」と
証言しているし、イエスもそれに対して「(捨てたもの)の百倍の報い
を受ける」とその行為を肯っている。
とくに、マルコを読む限り、この文脈であなたのような解釈を適用する
のは無理があると思うが?
863 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 15:38
>856
>まずすべての人々が「罪」の自覚をまずもたなくてはだめね。
罪の自覚って、もつように努力するものなんだろうか。憐れみも、努力
してもてるものだろうか。努力してもてるなら、それは偽善じゃない
かい?人は、自分の行為に対して「罪」を感じるか感じないか、それ
だけだ。自分は悪いことしていない、と思っているのに他から強制して
それを罪を認めるというのはおかしい。
東南アジアのある国では、ツバをはいたら高額の罰金を課せられる。
多くの日本人は、この法律を理不尽だと感じるはず。同様に、自分の
感覚で罪とは感じないものを、どうやって罪の自覚を持つのだろう。
具体的にお伺いする。あなたが日常において、自分の罪を自覚する場面
の例をあげてくれ。
864 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 15:41
>>651について引き続いて考えてみよう。(858番から続く)
>神様は人間の弱い心が生み出した幻想にすぎないのではないでしょうか。
でちゅはもうわかってるだろうが、神様は、人間の心が弱かろうが、弱くなかろうが、
いらっしゃるお方だ。われわれ信仰者にとってはね。
神様を信じていない人たちにとっては、馬鹿げた観念遊戯、もちろん幻想だという言い方も
されるかもしれない。
そもそも「信仰」の内実は、信じているその人にしかわかりえないことだからね。
だから「信仰」をもっていない人が、もっている人のその「信仰」の内実について、
口を挟んだりしちゃいけないことなんだよ。わかり得ないことなんだからね。
彼は、
>「神様が人間の望むもの(神の存在自体であっても)を与えてくれるのは、
>当たり前なのです。なぜなら人間が都合のいいように造り出したのだから。」
と書いているんだけれども、これなんかまさしくそうだよな。
なぜなら「信仰」の内実を彼は知りようがないのだから。
どうして彼は、神を「人間が都合のいいように造り出した」と言い切れるんだろうな。
一度、あんちゃん、彼のような人間の頭の中をのぞき見てみたいくらいだよ。
865 :
ふらんちぇすこ:2001/08/09(木) 15:57
>>863 ここが間違い
でちゅ君の講演が始まるのかと思ってたが、君が来たね。
金持ちの喩えについて
えっと、話の流れは、自己欺瞞を暴くイエス。といったところか。
どうなんだろうな?確かにこの箇所は物理的な話から発生した
物事だが、それで終らせたらふくらみがないように思えるんだよね。
確かに誰だって安全なところから人を批判する人間に対しては
欺瞞を感じる。イエスがこの箇所で批判したことはそういう
意味合いがあるだろう。特に貧富の差が激しく、また貧者には
富むものの特権すら与えられて居ない時代に、貧者の苦悩を
顧みれば、この言葉は強烈だ。
この時代、律法を完全に守る事が出来るのは、富んでいる階級の
人々であって、貧しい人々は、律法を守る事が困難だったらしいね。
ただ、一つの物語はまた他の物事にも応用出来る場合も
ある。だから、
>>854の読み方も出来得ると思うんだが、
どうだろうか?一歩離れ、物理的に富んだ国にいる我々は、
苦悩を抱えて居ないかというとそうでもないし。
「心の貧しい人」という言葉もまたイエスは言ってるね。
ただ、854さんがこれを言うなら別の箇所を引いたほうが
良かったかもね。
866 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 15:57
(863補足)
今、ふといい喩えを思いついたよ。
彼女が君にこう言って迫るとしよう。「愛して。愛してくれなきゃ、嫌よ。」
それで、じっと顔を覗き込んで、改めて大真面目に尋ねるんだ。
「ねえ、私を愛してる?」
本心は変わんないんだよ。愛しているか、愛していないか。彼女に
頼まれても、無理には愛せない。汝の敵を愛せ、がむずかしいのは当
たり前だ。外から強要されてできることは、「愛するふりをすること」
だけ。
同様に、罪の自覚がない人に、外から強要できることは「罪を自覚する
ふりをすること」だけ。
867 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 16:01
でちゅ、申し訳ないがお話しは中断だ。またあとでね。
>>862 いったい君、何歳?今まで生きてきて分からなかったの?
そりゃ、お金は持ってないよりは、持っているほうが罪はよりおかしやすいでしょうが。
お金をよりもってなければ罪が少ないという意味ではないよ。
お金をもってようがなかろうが人間はみな罪びと。
君、まだわからない?
>>776を読み直してみたら。
イエスさまは「完全になりたければ」とおっしゃたんだよ。
君もペテロのような弟子として歩みたいのなら、いや歩めると思うなら、
お金だけとは言わない、親兄弟、全財産捨てて彼に従ったらどうだい。
すべての人にそのような生き方を強いてらっしゃるわけでもないことは、
まっとうな信者ならわかるはずだ。現に今の君もそうだろ。
ひょっとして君はイエスの教えをすべての人が信じれば、理想社会が到来するとでも
思ってるんではないだろうな。
まさかなんでもそんな子供じみた思いつきはせんだろと信じていたいが。
イエス様は、永遠に不備なこの現実を生き抜いていかなくてはならないわれわれを、
力づけ励まして下さってるんだよ。これなら君でもわかるだろ。
868 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 16:11
>>863 ふらんちぇすこさん、お願いですから挑発するのは控えてください。
ナーバスになられてる方が、たくさんいらっしゃるんですから。
そんなこと言ったら、きのうやおとついのレス、
だけじゃなくて、いままで全部がそうなっちゃうじゃないですか。
これでも、書き込みに応じてネームには気を使ってるんですよ。
869 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 16:14
>865
ようやく、まともなレスをいただけました。
私もまた、この句に「つまづいた」ひとりです。人は財産を放棄しな
ければ、天国へ行けないのか、と思い悩みました。私は財産家ではあり
ませんが、将来のために人並みの貯金をしています。それを捨てること
はものすごく勇気のいることです。
確かに、イエスの時代背景を考慮して、「裏読み」することは可能だと
思いますが、それは「富める者」の論理にすぎないのではないでしょう
か。
アメリカ人は、先進国の平均の2倍ものカロリーを消費しています。
彼らがダイエットに励めば、その何倍かの人が餓死から救われる。
飽食する側も餓死する側も罪人だ、と決めつけて、無為徒食を続ける
のは偽善です。もともと、富の元になるのは、神が無償で人間に与えた
ものです。ところが、人間が人間を支配してから、富は「本当にそれを
必要とする人」のところへ廻らなくなった。
巨富は、必要以上の富が流れ込むから溜まるのです。今のシステムでは、
富はもっぱら「本当にそれを必要としない人」=富者に集まるような
仕組みになっている。
私は共産主義者ではありませんが、イエスの言う「神の支配」を想い
描くとき、富とは「神の支配」の敵としか思えないのです。人間同士
の支配が始まったのは、富を持ち出してからですからね。その意味で、
「神とマンモンには兼ね仕えることはできない」という言葉は重い。
870 :
ふらんちぇすこ:2001/08/09(木) 16:15
>>あんちゃん
・・・・君の文法の方が挑発的だと思うんだが。。
もちょっと優しく話しなよ。内容はいいこと言ってるんだから。
871 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 16:16
しかし、ま、
>>1 みたいな疑問を持つ人がいて、
その疑問が巷間に共有されているとするならば、
この国の宗教教育というものも考え直すべきかも知れんね。
聖書でも仏典でも読めば分かるようなことで躓いている人はとても多いからな。
872 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 16:16
>>868 の文章。
>>863 は
>>859 の間違い。
ふらんちぇすこさん、あなたはカトリックですね。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
873 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 16:22
(869続き)
もうひとつ、私の心に残るのは、トルストイの行為です。
彼は旧家の大土地所有者でしたが、やはり聖書のこの句に悩んで、一時は土地を
手放そうと決心します。結局、家族の猛反対に会って挫折しましたが。
たとえ挫折したとしても、この問題を正面から取り組んだ彼の誠実さは高く評価
すべきです。また、実際に身をもって実践したマザーテレサや、田中正造といった
人々ならば、なおさらでしょう。
874 :
ふらんちぇすこ:2001/08/09(木) 16:30
>>869 ここが間違い
確かに、富めるものの理論かもしれない。
「人はパンのみに生きるにあらず。」
と言われても実際に飢え乾く人間にとっては、抽象的な事より
「御託は沢山だ。パンをよこせ。」と言いたくなるだろうからね。
>富とは「神の支配」の敵としか思えないのです。人間同士
>の支配が始まったのは、富を持ち出してからですからね。
集団で、社会生活を営むようになって、社会は確かにそのような構造
を持つようになったと言える。
ここで、宗教とはいったいなんなのか?という性質が問われるね。
宗教は精神的世界のものである。だから、地上の価値とはまた別の次元を
持つと言えると思うよ。だから逆に、地上の価値の間隙をついてはっとする
言葉があったりするわけだ。君が引いたイエスの言葉もまさにそういう思考
から発してる。
僕のハンドル名のフランチェスコの精神はよく、50年代、60年代の
ヒッピームーブメントに引用されたみたいだけど、万民の平等を
説くマルキシズムとはまた違う。マルキシズムは君の概念と同じく
世界を支配するもの、支配されるものという階級があるという前提
だが、フランチェスコの精神にはそれはない。すべてが水平方向
にあるフラテルニタス(兄弟)という概念が基本。
富で判断する事は人間が作り出した概念に過ぎず、
富めるものも、貧しきものも、神の前には同じである。
丁度例えば、地球を離れてみたら単なるボールに過ぎないように見えるけど
近づいたら、ものすごい高低があるよね。でも神からすると、それほどの高低
があると思わないんだろうね。超越してる。
けど、実際僕らはその高低の間に生きてるんだから、ま、思い煩っちゃうんだ
けどね。そっちの方がより現実的な問題だしね。ただ、時々そういうことから
離れた視点を与えてくれるのが、僕にとってのキリスト教かもね。
875 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 16:31
>>869 君ね、政治家か経済学者にでもなったほうが良いのではないの。
少なくとも宗教家向きではないわ。
「富、富、富、富」って君、こんなところで、
まさかロックフェラーやロスチャイルドみたいな大富豪もちだすんじゃないだろうね。
「神と富の両方に仕えることはできない」って聖書に書いてあるでしょ。
常識的に考えればよいのですよ。
世に属することと、神に属すること、について考えを深めてみましょう。
「神のものは神に、カイサルのものはカイサルに」ってあるでしょ。
イエスは金持ちと貧乏人の関係を批判するためにこの世に来られたのではない。
876 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 16:33
とりあえず、きょうはここまで。
877 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 16:42
>874
人間同士のつながり(隣人愛)が不要な場合は、確かに
>近づいたら、ものすごい高低があるよね。でも神からすると、それ
>ほどの高低があると思わないんだろうね。超越してる。
ということで済むのでしょうけど、もし、隣に住む貧者が困窮して行き
倒れになった場合はどうでしょう。今度は、「よきサマリヤ人」の状況
になって、助けねばならない、ということになりますね(^^)。
結局のところ、「程度問題」としか言えないと思うのです。どこまでの
「高低差」をよしとするか?相手が餓死しない限りは許されるのか、
などなど。それはその社会、その時代に生きる人間が判断するべきもの
ですよね。幸いに現代には、昔のような露骨な奴隷制もなくなりました。
マルクス主義とイエスの目指すものは共通点が多いと思います。むしろ
大きな違いはその「動機」です。マルクス主義は、富者に対する「恨み」
が原動力になっている。「恨み」で「恨み」を制するのだから、その
「恨み」は永久に終わることはない。イエスは、主に富者が貧者に愛を
与え、貧者もまた愛で答えることによって、それを実現しています。
878 :
ふらんちぇすこ:2001/08/09(木) 16:52
>あんちゃん、でちゅ
またね。
>ここが間違い
マルキシズムのルサンチマンは確かに剣呑だな。
ニーチェに言わせりゃ、キリスト教の方がルサンチマンの塊らしい
けどね。
ま、色んな見方でキリスト教を捉える人もいる。
ほんと、色々だよ。だからそれぞれにヒントを与える存在として
考えられるけどね。
結局、宗教は自分のなかで完結する営みに過ぎないなと思う時もある
よ。ただ社会での不平等などに出くわすとき、その宗教概念
で培われた判断によって考えるね。そういう事が君にとっては例えば
社会の問題だったり、或いはでちゅさんや他の人ひとが言うところの
それぞれの個の苦しみだったりするんだと思う。
879 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 17:06
>878
まさに、人さまざまだし、そうあってよいのだと思います。
ちょっとだけ突っ込ませていただきますが、「社会の不平等」という
のは、痛くも痒くもない「一般論」で、われわれにも罪の自覚はあり
ません。ところが、これが夫婦の家事の分担だとか、職場での正職員
とパートの賃金格差だとか、自分にからんでくる話になると、たちま
ち牙をむいて襲い掛かってくる。その場面で、何を感じ、どう行動す
るか、がその人間の本質を決めると思います。同様に、その時に
「本当の自分」が神の前に明らかになるのでしょう。
すべては個人の中で完結する営みで、他人の介入を許さない。「自分」
に対する試練に立ち向かい、「自分」が行動を選択し、「自分」で自分
の本性を暴露し、それに対して「自分」で罪を自覚するのです。最後に
「自分」で罪の許しを願い、罪を贖う(この時にはキリスト教でいう
贖罪というのもありとします)。
ここの「自分」にひとつでも「他人」が入ったなら、宗教的な誠実さ
が消えうせてしまう。
880 :
ふらんちぇすこ:2001/08/09(木) 17:16
僕もそう思うときがあるね。
他者の価値が入り込む時、自らに対しては確かに不誠実になる。
その時、自らの価値と他者の価値とのずれに拠って生じた結果
「罪」という概念が生じる。
>ここの「自分」にひとつでも「他人」が入ったなら、
>宗教的な誠実さ が消えうせてしまう。
うーん。なんとなく言いたい事は判るんだけど、その前に君が
書いた「個人の営み」ということの流れからすればね。
神に与えられた自由意志には責任があるんだよね。
ただ、上に書いたように、宗教的な誠実さが求められる場面と
は、自らと他者の関係において生じるものだとも思うんだよ。
そして君が書く自分の世界に完結する意識のなかでの葛藤が
始まる。ってかんじかな?
881 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 17:33
>880
>宗教的な誠実さが求められる場面とは、自らと他者の関係において
>生じるものだとも思うんだよ。
これこそが、隣人との関係だと思うのですよ。人間は隣人との関係に
おいて、神の前に自分の正体をさらけ出す。隣人を愛せない者は神を
愛さないものだ(Tヨハネ?)。私の表現で言えば、人は隣人という
鏡を通して神に出会う。
>自分の世界に完結する意識のなかでの葛藤が始まる。ってかんじかな?
すばらしい表現力ですね。
882 :
ねぇちゃん:2001/08/09(木) 17:47
>881
>隣人を愛せない者は神を 愛さないものだ(Tヨハネ?)。
>私の表現で言えば、人は隣人という鏡を通して神に出会う。
君、神と自分をいっしょにしてしまってない?
いっておくけれども、神は人間のなかに現れてくるものではないわよ。
ひょっとして君がいってるのは哲学ではないのかしら。
ヨハネ伝にそういう個所ありましたっけ?
883 :
ねぇちゃん:2001/08/09(木) 18:03
>881
わたしが知っているヨハネ伝の有名な個所はねぇ、
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
だったわよ。ひょっとしたら引用ではないんじゃないの。
「隣人を愛さない者は神を愛さない者」という言い方は、
一見聖書の表現に似て、意図するところは実は全く違って非なるものね。
なぜなら、人は神ではないから。
あなたに、神と人をいっしょにしてない、と聞いたのはそういう意味よ。
それからひとつ言ってさしおいてあげるけれど、
神が「愛はすべてを完成させる」と語られたのは、
この世のすべてが完全なものになることはない、という前提があるからなのよ。
だから「愛」は何者にも増して価値をもつの。
もしあなたが、主義でもなんでもよいけれど、
これがあれば「完全」な世界を実現できると思ってるようなものがあって、
そのために「キリスト教」を、イエスの愛を利用しようとしてるなら、
本末転倒してるわよ。
なぜなら現実は永遠に不備なものであり、われわれがそのような世界を生きていくために
イエスさまの愛があるのだから。
884 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 18:04
>882
>ヨハネ伝にそういう個所ありましたっけ?
いや、ヨハネ書です。
いまだかつて神を見た者はいません。しかし、わたしたちが互いに
愛し合うならば、神はわたしたちの内にいつもおられ、神の愛がわ
たしたちの内で実現しているのです。(Iヨハネ4:12)
目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することがで
きないのです。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきであるというの
が、神から受けた掟です。(Iヨハネ4:20-21)
私のは、「兄弟」が「隣人」になっているだけで、主張の内容はヨハネ
書と変わりませんよ。
885 :
でちゅ:2001/08/09(木) 18:10
ねぇちゃん、来てたんでちゅか。
穏やかに静まってきましたでちょ。
またこんど、あんちゃんといっしょに神様についてお話しまちょ。
さっき、あんちゃんにお話聞かせてもらってたんでちゅよ。
楽しかったでちゅよ。
886 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 18:15
>883
>現実は永遠に不備なものであり、われわれがそのような世界を生きて
>いくためにイエスさまの愛があるのだから。
いや、あなたからこのような仏教的な叡智を聞くとは思いませんでし
たよ。ほんとに驚いた(^^)。
もし、隣人を愛することが当たり前になって、世界中どこを探しても、
「よきサマリヤ人」の喩えに出てくるような行き倒れの旅人がいなく
なったら、よきキリスト教徒もまた、善行の機会を失う。
悪あっての善、善あっての悪、ですね。仏教の言葉で言うと、善悪不二
という。仏教の悟りというのは、もともと「善悪」一体のものを、善と
悪に分けることから、人間と神の分離が始まったのだから、「善悪」を
分けずに「ありのままに見る」という智慧です。決して、「善悪」の
区別がない、ということではなくて、「善」と「悪」の二つに分離して
見ること自体が一種の「錯覚」だということです。これを理解すれば、
戒律主義も「錯覚」だということが証明できる。
あ、何だか話がずれっちゃって、ゴメン。
887 :
ねぇちゃん:2001/08/09(木) 18:24
>884
「隣人」ではなく「兄弟」ね。わかったわ。
ですから、引用したあとの文章をお読みなさなさい。
「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきである」という「掟」でしょ。
もちろん、この戒めを神から授かっていることは、クリスチャン皆が承知してるわよ。
それから、引用文の前の部分もお読みなさい。
「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからである。」
と書いてあるわ。
だから、とにもかくにもとにかく隣人と愛しあえばよい、ということではないのよ。
神が愛してくださってるのだから、互いに憎しみあわずに愛しあいなさい、という
むしろわれわれの現実を戒める御言葉なの。
あなたが最初に挙げた引用文は前と後の文章をセットにしてはじめて文意が、
主がいわんとするところが読み取れるものなのよ。
888 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 18:50
>887
そうだね。厳密にはヨハネ書と意見が違っている部分があるみたいだ。
何よりも、私は「兄弟」ではなくて、「隣人」という語を使うべきだ
と思う。イエスなら、きっとそう説いたに違いないとも思うな。これは
単なる想像だけども。「兄弟」と言っちゃうと、「同じ教団内」みたい
に対象が限定されてしまう。今日の昼、私が引用したコーランの一節を
見てご覧(
>>852)。
「信者であれ、ユダヤ教徒であれ、サビア人であれ、キリスト教徒であれ」
と言っていて、宗教の枠を越えているんだよ。隣人愛が売り物のキリスト
教がイスラム教よりも偏狭では、イエスの面目が台無しだよ。
889 :
ねぇちゃん:2001/08/09(木) 18:54
>>886 あのねぇ、そこがよく言われるところなんだけれども、
キリスト教と仏教で解釈が二分するところなのよ。
仏教では善悪不二といって善悪一体で考えるでしょ。だけど、キリスト教は違うのよ。
善と悪はひとつにはできないの。仏教のように見え方の問題としては捉えないのよ。
なんていうのかしら、ちょっと説明しにくいのだけれど、実体があるのね。
「悪あっての善、善あっての悪」って書いてるけれど、キリスト教にも似たような考え方はあるわ。
「悪がもちいられて善をなす」ってね、だけどこれはほとんどレトリックの世界でのみ通用するものよ。
仏教ではカルマの法則といって、為した悪を善の行いで帳消しにするような考え方がるでしょ。
だけどキリスト教では、悪が結果として善を生むようなことがあったとしても、
悪の存在自体が許されるわけではないのよ。
だから、仏教と違って為した悪は「悪」それ自体で「善」と区別されてきちんと裁きの対象になるのよ。
そこを、きっとあなたは誤解してるわね。
「善」と「悪」の二つに分離して見ること自体はキリスト教の場合「錯覚」でもなんでもないわよ。
戒律主義が「錯覚」というのではなくて、887番やそれ以前に書いた内容とだぶっちゃうけれど、
われわれは所詮、罪びとだっていうことなのよ。
「悪」をなしてしまうが、それは「主」の愛によって赦されるしかないっていうことなの。
だからこの世が永遠に不備だ、ということの意味は、
永遠に不完全な人間が、この世にあるからということなのよ。
891 :
ねぇちゃん:2001/08/09(木) 19:10
>>888 >神と終末の日とを信じて善を行う者は、恐れることもなく悲しむこともない
って書いてあるわねぇ。
ひとつお聞きしたいのだけれど、
ここにある「神」ってやっぱりアラーの神でなければ、まずいんじゃないのかしら。
>彼らの「善」とは、アッラーの神がよしとする道を生きることです。
>誰でもその道を歩む者は、アッラーの神の子。
ともあるんだけれどこの「善」もアラーの神が認めるところのものでしょ。
けっきょくのところ、どうなのかしら。
クリスチャンに言わしたら、イエスも預言者の一人として取り込んだ、
とどのつまりはキリスト教と同じ排他的な一神教としか思えないのだけれど。
もちろん、教えの具体的な内容については別にしてね。
892 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 19:13
>889
そうねえ。確かに「善」をやったつもりが、いくぶんかの「悪」が
含まれるのなら、それは「罪人」と考えられるかもしれないな。
「善悪」の分離が「錯覚」だと言ったのは、たとえばこういうこと
です。「善」も「悪」も比較するから生まれるのです。あるクラス
があって、成績のよいグループと悪いグループを分ける。これで、
「悪」はなくなった、と喜ぶのもつかの間。残った「善」のグループ
にはやっぱり「善悪」の区別ができてしまう。ただ、その基準のグレ
ードが上がっただけの話で、「善」と「悪」が分離されることは永遠
にない。戒律を設けて、「善」と「悪」を切り分けると、やっぱり
キリがない。どんどんグレードがエスカレートしていって、ほとんど
が「悪」という烙印を押されていく。
これは自慢じゃないですが、私はいわゆる受験名門校の出身です。
そこで、中学3年の時に親友が自殺した。彼は、その学校へ来るまで
は常にトップだったのが、来た途端に最下位になった。おまけに、
担任のお情けで落第を免れた。それがかえって彼の自尊心を傷付け、
彼は自らの命を絶った。
彼は「善」と「悪」の錯覚によって死んだのです。どの学校に入ろう
が、そいつはそいつ。トップも最下位も、要するに比較の問題なので
す。そんなものを気にして死ぬことはなかった。
893 :
ここが間違い:2001/08/09(木) 19:30
>891
>ここにある「神」ってやっぱりアラーの神でなければ、まずいんじゃないのかしら。
そうだなあ。しかし、彼らはアッラー=ユダヤ教の神だと信じているよ。
絶対神である限り、名前が違うだけで基本的には同じ「神」と考えるべき
なんじゃないかな。
これは単なる私見なんだけど、新しい宗教が生まれるときには、それなり
に理由があると思うのです。プロテスタントが出たのも、司教達の堕落
ぶりに愛想をつかす人が増えたせいだし、その反動でカルヴァン派なん
かは超禁欲主義に走っちゃった。イスラム教が出た背景には、恐らく、
キリストの贖罪を先取りして、罪を犯し放題のキリスト教徒に反発を
持ったからじゃないだろうか。そうだからこそ、コーランでは「善行」
がすごく奨励されているんだろうね。
新しく出る宗教というのは、いつも古い宗教の合わせ鏡になっている
わけよ。だから、新しい宗教の人たちの意見を素直に取り入れること
ができれば、これ以上の益はないと思うのです。
894 :
ねぇちゃん:2001/08/09(木) 19:49
>>889 ひとつ注意してほしいのは、キリスト教で「罪」という場合、
類としての人間が等しく背負っている「原罪」と現実存在としての個人が犯す「罪」と、
二種類に分かれるということなのよ。
つまり、個別の諸々の「罪」は、神との交わりを絶ち、神から離れてしまった根幹にある「原罪」
につながって、原因となってるの。
だから、あなたが言ってるような、学校で受験競争を背景にした「クラス分け」のような
現象も、個別に表面へ現われてくる「罪」、この場合、どうなのかしら、
譬えの意がもうひとつ汲み取りにくいのだけれど、上と下に分別することが「罪」なのだとしたら、
そのような罪を生み出している人間の「心のあり方」「原罪」のほうをむしろ問題にすべきなのよ。
というのは、あなたは際限なく分裂が引き起こされるっていうけれど、分裂を引き起こす原因自体は
意識においても、現象においても、人間の側にあるわけでしょ。
こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけれど、「区別」するという行為、たち現れる現象自体は、
価値的に中立なものよ。意味や価値は人間が与えているのよ。
「区別」や「競争」すること自体が悪なわけではないわ。
だから個別の「罪」ではなく人間存在の根源にある「原罪」に立ち返って考えるべきだと、
キリスト教では考えるのよね。
そのように考えたら、けっして善や悪の問題が、見え方の問題、錯覚ではないのだということが、
わかるのじゃないかしら。
「悪」という場合、キリスト教では「神」から離れた「存在」のありようそのもののことなんだ、
ということを納得していただけたら、たぶん理解も早いと思うわ。
895 :
ねぇちゃん:2001/08/09(木) 19:56
896 :
あんちゃん:2001/08/09(木) 20:02
ねぇちゃん、そろそろ帰らないか。
もう夜も遅いし、でちゅも待ってるぞ。
こんなところに寄り道してなにしてるんだ。
買い物行ったきりで、夕食作ってねぇだろうが。
頼んだよ、ねぇちゃん。
897 :
イエスの精神をさがして:2001/08/09(木) 23:13
>>854 >おまえそうとうに偏向した考え方してるぞ、気をつけろよ。
>金持ちが「悪人」で、貧乏人が「善人」だとまさか思ってるんじゃないだろうな。
>おまえまるで、時代遅れの共産党員みたいだぜ、馬鹿が。
>すべての人々が罪びとなんだ、というイエスのメッセージから離れてるおまえは、
>もはやキリスト教徒ではない。
>>855 >ここが間違い君にイエスの精神をさがして君。
>お二人とも、いやいやお一人かな、プププッ。
>キリスト教徒よりも「ラエリアンナントカ」の方が
>きっとお似合いよ。
わたしはキリスト教徒じゃないもん。どんな宗教も信じてないですよ。共産主義でも左翼でも右翼でもありません。特定のイデオロギー信奉するタイプの人間ではないから。自分で選び取った情報、自分のアタマで考えたこと、を頼りに生きてます。
イエスも私にとっては一人の人間です。すごい人だけれども。彼が何をしようとしたのか、何を周りの人たちに訴えようとしたのか、自分で考えてみたいだけです。
キリスト教徒とは違う立場だからといって、あれこれ私の考えや意見を感情的に罵倒されても困りますよ。何人かの真面目に考えを述べられている立派な人もここにはいますから、そういう人たちと願わくば対話してみたいと書き込んでいるのです。私の意見がキリスト教の教義と違っていて、気に食わなければ、そういう人は単に無視してください。論理でない罵倒や誹謗は筋違い、かつ、みっともないです。ここは教会の中ではないのですから、非信徒が意見を述べてもおかしくないでしょう?
それにしてもお二人は、キリスト教徒のわりにはずいぶん品性のない書込みをされますね。匿名のネット上ならいきなり他人を罵っても平気、という感覚をお持ちなのですか?そういう人がこともあろうにクリスチャンであると自称し、他人をやたら汚く罵った直後に神への信仰やイエスの愛を語ったりする、まさにこういうこが、
>>1ではじめに提起された問題なのでしょうけれども。
信徒、非信徒にかかわらず、あまりに品位を欠くようなことはやめませんか。
898 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 23:46
age
899 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 23:59
理性(科学)崇拝者「ここが間違い」は、ラエリアン・ムーブメントへ!
900 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 00:26
このスレでは新約聖書の正文批判への言及は 禁止なのですか?
901 :
ノンクリ:2001/08/10(金) 01:12
激しく遅レススマソ。
>>845 阿呆か。ちゃんと読めっての。
俺が言いたいのは酸味一体の中身でもなきゃ救われる救われないの話じゃない。
洗礼を受けた奴が世界観狭くなってたってそれだけ。
これだから世界観の狭い連中は…。俺が教義知ろうとか洗礼のこと考えてるとか勝手に考えただろ。それが世界観狭いっつーの。
教徒とか牧師とか何人か会ったけど、やっぱり宗教のことになると世界観狭い。人の話聞いてるようでも帰ってくる返事はキリスト教的価値観にやたら偏った解釈からの返事だし。3回4回訂正してようやくまともな返事になる。
自分の中でキリスト教色が強すぎるんだろうな。俺が何言っても条件反射で聖書前提の発言にされちまう。会話が滞るったらありゃしない。
いいから、人の話を相手の価値観を想像しながら聞いてくれ。話しててつまらんったらありゃしない。
俺も思うぞ。クリスチャンには性格悪い奴多い。かなわんわ。
>>でちゅ=あんちゃん=ねぇちゃん
脳内会話はよそでやってくれ。なれあいとかなりきりとかされると最高にイタい。
「おふくろさん」かなんかに変えて統一しろ。
902 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 01:19
性格のいい人は、宗教を信じません。
903 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 01:59
かといって、無宗教も性格悪いです
904 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:03
って、そもそも1さんは性格いいの?
905 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:06
>>903 でもクリスチャンの場合、それに偽善が加わってるから
906 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:08
>905
一応、同意見。
ただ、いいたかったのは、
無宗教にも偽善はあるし、宗教やってるのも偽善があるし、
ということ
907 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:10
>>905
ノンクリスチャンで、ボランティアとかやってる人も偽善でしょ?
ところで君の言う善とはなんぞや
908 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:15
>ところで君の言う善とはなんぞや
簡単なようで難解な質問。
他人によって生きること。とりあえずの答えとして。
ノン栗のボランティアはぼくは偽善に入れてない
909 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:19
人は誰も性格悪いんだ
910 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:20
あー、1000いく化と思ったら
まだ90はのこってた
いやあ、「ねぇちゃんさん」と「ここが間違いさん」の今日の議論は見ごたえが
あったよ。二人ともよく勉強して、聖書をよく知っている。
平日はほとんど聖書を開かないクリスチャンより、よほど真剣に
聖書を捉え、知ろうとしていることがわかったよ。
ここ最近で一番楽しかったし、勉強になった。ほんとに。
「イエスの精神をさがして」さん。
俺もクリスチャンだが、クリスチャンの中には聖書解釈や教義について、
学問的に否定されると、それが何より耐えがたいと感じる人も多いんだよ。
聖書には創作が多いとか、イエスは新約聖書が描いているような人物では
なかったとかね。(ここが間違いさんがいってるような)
そういうことには嫌悪感を感じるがために、きっと攻撃的な態度に出てしまう
のだと思うよ。
どちらにしても、昨日までの議論のように、
相手の人格まで否定したり、頭から馬鹿にするような態度は、
いくら2チャンネルでも、この板ではやらないでほしいな。
少なくとも、この板の人たちはキリスト教の教義を否定しようと
思ってるんじゃなくて、単なる疑問をぶつけているだけなのだから。
罵倒したり、けなしたりする傲慢な態度では、中身のある議論もできない。
いや、これはそういう態度をとるクリスチャンに言ってるの。
だから、あなたが
>>897で言っていることは、正しいと思うよ。
>>901ノンクリさんへ
やっとでてきたか。まあまあそう怒らんと。
>俺が教義知ろうとか洗礼のこと考えてるとか勝手に考えただろ。
>それが世界観狭いっつーの。
君が受洗を考えているとは思わなかったが、君の友達が君に一生懸命
「三位一体」を説明している姿を少し想像しただけだよ。それで、
そんなのは聞いてすぐにわかることじゃないといったんだよ。
君は牧師とか信徒と宗教の議論をしたんだな。
それでその世界観の狭さに失望したということだな。
う〜む、君が会ったのがキリスト教徒やその牧師だから、
他の宗教のことはよく知らんだろうし
見解がキリスト教中心になるのは仕方ないとも思うが、
それが君にとっては度量の狭い見識に思えたんだろうなあ。
具体的な論点は君の文からはわからんが、
確かに狭いと言われれば狭いかも知れん。
一度、君の持つ世界観をここで教えてくれ。
>>俺も思うぞ。クリスチャンには性格悪い奴多い。かなわんわ。
君がそう思うのは仕方ないが、本当にいい人もいるぞ。
913 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 02:57
>君がそう思うのは仕方ないが、本当にいい人もいるぞ。
確かにいる。しかし、そういう人はクリスチャンでなかったとしてもそうなのだ
>>913さん その通り。
それから、900番代の「偽善」関係の方々へ。
偽善でいいんだよ。偽善で。
どうせ。どうせ世の中、その偽善で成り立ってる部分もあるんだから。
915 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 08:23
916 :
ここが間違い:2001/08/10(金) 08:44
>>894,
>>911 レスを頂いて大変うれしいのですが、ほとんど眠らず仕事したもので。
今は全く頭が働きません。お昼まで寝させてください m(_ _)m
ではおやすみなさい。
917 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 08:47
性格の悪くなる霊に取り付かれてるのかも?
918 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 09:01
919 :
敬虔なクリスチャン:2001/08/10(金) 10:20
偽善者がクリちゃんになって、ますます
偽善に磨きがかかる
920 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 10:25
=====謹告=====
このスレをごらんになっておられる皆様へ
このスレに登場しておられる「自称クリスチャン」は、
普通の教会に見られるクリスチャンとは、かなり様相が異なっております。
ご注意くださいますように、お願いいたします。
以上
921 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 10:27
>「自称クリスチャン」
霊の*@非信者みたいなこと言いやがる
922 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 10:28
>920
これは間違いなのである。
本当のクリスチャンなのだ。
923 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 10:46
>>921 >>922 次の言葉を読んでから、このスレのレスを読んでください。
「柔らかな応答は憤りを静め
傷つける言葉は怒りをあおる。」
箴言15,1(新共同訳聖書)
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテ二 4,2)ではありませんか?
福音は、宣べ伝えられていますか。
924 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 10:49
福音は、教会のあずかりしらぬところで
宣べ伝えられている
925 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 10:51
>>924 ここは、教会ですか?
それから、一体どこで宣べ伝えられているのですか?
926 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:02
>>897 >>854 と
>>855 で言ってることのどこがおかしいのかしら。
確かに言い方はきついようだけど、内容は至極まっとうよ。
あなたがクリスチャンでないからといって、イエスの教えや考え方を勝手に
ねじまげて解釈していいという法はないのよ。
あなたのような自分勝手な意見を、何も知らない人たちに鵜呑みにされちゃったら、
わたしたちクリスチャン皆、困ってしまうもの。
あなたの頭のなかだけで留めておいてくれればいいんでしょうけれど。
そういうわけにはいかないのでしょ。
信者から反論されるのが嫌なら、書き込みはするべきでないでしょうに。
少々、感情的な文章ではあるけれど、
あなたの書いてる文章読んだら、まぁ許される範囲内だとは思うわね。
なぜなら、あなたは自分の意見がさも史実かのように語るからよ。
お馬鹿さん。
イエスはすべての人に「罪」の赦しを得させるために来られたのよ。
キリスト教の本質についてぐらいしっかり頭に入れてからおいでなさい。
イエスの精神をさがして君とここが間違ってる君へ。
927 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:05
>>926 「柔らかな応答は憤りを静め
傷つける言葉は怒りをあおる。」
箴言15,1(新共同訳聖書)
928 :
名無し@歴史調査団:2001/08/10(金) 14:23
バカなキリスト教徒はほっておきましょう。
でちゅ・あんちゃん・ねえちゃん。バカの典型です。
929 :
名無し@歴史調査団:2001/08/10(金) 14:25
思想オナニーを死ぬまでやって逝って下さい。
さぞ周囲から見れば地獄の天国に逝けることでしょう。ハイ。
930 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:30
賛成。内容ないもんなあ>928
931 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:35
>>901 >3回4回訂正してようやくまともな返事になる。
って具体的にどういうことなのかしらねぇ。
牧師に質問したのならキリスト教の立場から答えが返ってくるのはあたりまえじゃないの?
キリスト教的価値観に染まった意見を聞かされるのが嫌なんだったら、
どうして教師や牧師にわざわざ話を聞きにいったりしたのよ。
あなた、馬鹿じゃない?
独り善がりに「人の話を相手の価値観を想像しながら聞いてくれ。」なんて、
話を聞きに来てくれ、と頼んだわけでもない人間にこんな台詞吐かれたんじゃ、
その牧師先生もたまったものじゃなかったでしょうね。
「話しててつまらんったらありゃしない。」ってそれはその牧師先生の言う台詞よ。
何勘違いしてんのかしら。
それから世界観が狭い、ていうけれど、それじゃあなたの世界観っていかほどのものなのかしら。
ひょっとして、いまはやりの国際人きどりのお馬鹿ちゃんかしら。
ワールドワイドに生きてやるぜ、みたいな?馬鹿というよりもほとんどアホね。
いっておくけれど、世界観を確立することと、世界観を狭くすることはまったく違うのよ。
あるひとつの世界観をまず確立できなければ、どうして他の世界観に目を開いて理解できるのよ。
「特定の宗教を信じると視野が狭くなる」って書いてるけれど逆でしょうが。
あなたみたいに「僕ちゃん無宗教で〜す」みたいな人間、確かに日本には多いようだけれど、
そんな人間、はっきり言って世界のどこへいっても本質的なところでは何の信用も得られないわよ。
ひとつの世界観をまず確立する、すべてはそこからはじまるんじゃないの。
あなたは、あれもありこれも、といったタイプなんでしょうけれど、そういう人間は、
いざ、窮地に立たされたら右往左往するたちね。なぜなら自己を確立できないのだから。
あなたが性格悪いもんだから、クリスチャンの人たちもついつい嫌気が顔に出ちゃっただけよ。
932 :
名無し@歴史調査団:2001/08/10(金) 14:38
ああいう人はほかの者から見れば
地獄と考える場所を「天国」と捉えます。
933 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:43
>>928 バカからバカと言われて喜んでいいのかしら。
当人たちに聞いておくわ。
934 :
名無し@歴史調査団:2001/08/10(金) 14:46
喜んでください。悲しんでください。ハイ。
ネカマさん。
935 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:50
>>931 「柔らかな応答は憤りを静め
傷つける言葉は怒りをあおる。」
箴言15,1(新共同訳聖書)
936 :
名無し@歴史調査団:2001/08/10(金) 14:55
>>935出来ないから憤りや傷付け合う人の集まる
天国へ逝けばいいのです。
937 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:55
>>929 そうね、クリスチャンが行く天国は、あなたがたにはちょっとつらいかもね。
うそ偽りのない、赦しあう愛だけが命の世界だから。
自分を省みず人を平気で偽善者呼ばわりする人間には、
さぞ居心地の悪い場所でしょうよ。
残念ながら、いや、こんな台詞無意味なのよね。失礼。
938 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:10
>>923 >>924 ここは教会ではないのですよ。
それに主の福音に耳を傾けようなどという奇特な未信者は、
残念ながらいらっしゃらないようです、ここには。
主の贖いに与かる喜びを伝えていきたいとは思っていますけれど。
939 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:21
ここのネカマさん
典型的にイヤなクリスチャンを演じてますね。
みんなで遊んであげましょう。
940 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:23
>>923 >>924 それと、主の福音に与かる信仰から外れてしまったクリスチャンも見受けられるようですよ。
塩気を失った塩のような。
贖いによる罪の赦しの信仰に堅く立って、福音を述べ伝えていきたいですね。
塩気を失って主に捨てられるような塩にはなりたくないものです。
941 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:30
>>939 君はクリスチャンなの?
というよりもここがどういう場所なのかわかってるのかしら?僕ちゃん。
イヤな人たちのまえでは、誰だってイヤな人間になるものよ。
クリスチャンであるまえに、人間としてね。
それくらいのこともわからないのかしら、ひょっとして小学生?
小学生がこんなおとなの遊び場に来ちゃだめじゃないの。
お母さん、心配してるわよ、早くお帰りなさい。
私だってあなたみたいなお子様お相手してるひまないのよ、ごめんなさいね。
942 :
なな氏:2001/08/10(金) 15:33
偽善が度を越して殺しあうのがキリスト教の世界。
やり方考え方が違えは勝ったもの勝ち。
少数派は異端と断罪されて終わり。
許し合う愛の世界ではなく
偽善から出た裁きの世界が信者の世界。
違いは許されないのがあなた方の世界。
これは歴史でも現状を見ても明らかですよ。
ほら、あなたの対応を見れば明らか。
いい加減偽善を認めて本来の信仰に立ち帰ればいい。
「あれは罪」「これは罪」「それは罪」
あなた方の世界はこればかり。
罪が何なのかを考えて苦しんで裁き合う世界。
それを隠すための偽善の愛の世界。
なぜ旧約では虐殺が肯定され
新約になっても引き摺ったのか・・・。
自然崇拝を禁じる魔女狩法が生きつづけるのか。
他宗教を偶像崇拝と忌み嫌うのか。
あなた方こそ偶像を崇拝しているから他の信仰は偶像。
イエス・キリスト以外は神でなく悪魔。
他の宗教を見つめれば神が宿っている事は明らかに確か。
聖書になどに縛られ何も見えない。
それがキリスト教。
943 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:42
>一体どこで宣べ伝えられているのですか?
福音の宣教という言い回しをすれば、
教会が教会外の人たちを啓蒙するというような傲慢さがみられる。
神の偏在を信じられれば、
「どこで?」なんてきくこともないはず。
そう、それはどこででも。
944 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:45
>「柔らかな応答は憤りを静め
傷つける言葉は怒りをあおる。」
箴言15,1(新共同訳聖書)
ご自分に当てはめていればよろしいのでは?
イエスも聖書に忠実な人々に対しては激しい言葉を以って批判したし
945 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:52
>941
>クリスチャンであるまえに、人間としてね。
そりゃあ、偽クリスチャンだよ。
クリスチャンがそんなこと言うわけないぞ!
946 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:55
>>942 あなたクリスチャンなのかしら、だったらおかしな信仰もってらしゃるのね。
偽善が度を越して殺しあう?
私の日本語の読解力が足らないのかしら、もうひとつ意味がピンとこないわ。
偽善から出た裁きの世界?あなたいまそういう信者の世界にいらっしゃるのかしら?
だったら不幸なことね、私の教会にいらっしゃいよ。
偽善を認めて本来の信仰に戻るのではなくで、
そもそも偽善という罪を認めたところからしか、信仰ははじまらないものでしょ。
罪が何なのかを考えてるですって、それはご自身のことじゃないんですか。
なにも無理をしてわかる必要はないのよ、わかろうとしてわかるものではないもの。
だから、苦しんで裁きあう世界を心のなかにつくってしまわれるのでしょ。
罪を素直に認められないから「隠すための偽善の愛の世界」になっちゃうんですよ。
イエス・キリストによる罪の贖いを信じて、
あなた自身「偽善の愛の世界」から脱出しませんか。
福音を信じて「真の信者」になりましょうよ。
947 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:07
>>946 「柔らかな応答は憤りを静め
傷つける言葉は怒りをあおる。」
箴言15,1(新共同訳聖書)
948 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:11
>>942 >あなた方こそ偶像を崇拝しているから他の信仰は偶像。
>イエス・キリスト以外は神でなく悪魔。
>他の宗教を見つめれば神が宿っている事は明らかに確か。
>聖書になどに縛られ何も見えない。 それがキリスト教。
あなたの主観ね。
キリスト教は偶像崇拝じゃないわよ。カトリックはどうなのかしら?
キリスト教徒はイエス・キリスト以外は悪魔だなんていってないわよ。
それもカトリックなのかしら?
「他の宗教を見つめれば神が宿ってる」なんて誰にもわからないことよね。
その他宗教の「信仰」をもってる者のみが言いえるのよ。キリスト教もだから然り。
聖書に縛られてるんじゃないのよ。
聖書をとおしてしか神を知りえないからよ。勘違いしてるのじゃないかしら。
カトリックのように秘蹟によって、というところもあるようだけど。
それも縛りと言えば縛りなのかしらね。
949 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:13
キリスト教もいろいろ誤解が多くて大変だ。
しかし人間には誤解がつきものだからね。しょうがないやね。
それに人間は間違うものだからね。
私も含めてね。
950 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:28
キリスト教と言ってもプロテスタントとカトリックでずいぶん違うからねぇ。
>>942 は、どちらかと言うとカトリックについての批判に近いのだろうね。
951 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:30
>>949 そのとおりですね。
とにかく、人の意見にきちんと耳を傾け、改めるべきは改める。
たとえ異なる意見でも、自分自身の向上のために役立てる術を
心得ていないと、だめでしょうね。
そういう意味では、失礼かもしれないが、
ここに書き込んでおられるクリスチャンの皆さんは、
もう少し人間として成長することが必要かとも思います。
論争で勝っても、人間として勝ったことにはなりませんし。
952 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:34
>>945 >クリスチャンである前に人間としてね。
どこがおかしいんだい?
ここは信仰告白の場じゃないんだよ。
学生である前に人間として、社会人である前に人間として、と言うのと意味的には変わらないよ。
わからない?クリスチャンだって感情はもってるわけだろ。
役割身分を離れて、一個人の人間として、ということだよ。
もちろん、クリスチャンであることは単なる役割身分ではないが、
しかし、クリスチャンであることを自らに重く受けとめているからこそ、
あえてそのような言い方になっていることに気づかないか?
945番の君よ。
953 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:41
>>951 あなたの意見、
ぜひイエスの精神を探して君とここが間違ってる君にも聞かせてやりたいよ。
彼ら自分たちの解釈がまるで歴史的事実であるかのように、ここで語るんだぜ。
仮説なんだという自覚もなしに自説を強弁されたんじゃ、
ノンクリスチャンからみても滑稽だし迷惑だよな。
954 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:42
>>942 まあよく日本人にありがちな勘違いだね。
表向きは平和な日本で生まれ育ち、
左翼教育でもの凄い自尊心を育まれた
一般的な日本人には想像しにくいだろうが
キリスト教は争いが避けられない過酷な世界で生まれた宗教なの。
キリスト教では、人間は罪を避けられない弱い存在なの。
そんな中で、キリストは最高の手本を示したわけであって、
すべてのキリスト教徒が、もう片方の頬を差し出す必要はないの。
そんな不完全でだめな人間でも、神は人間を見捨てずに愛してくれていて、
人間がたとえわずかでも神を愛し返すことができれば、その代償として
神は大いなる愛で哀れんで、人間の足りない分を補って
救ってくれるというのがキリスト教なの。
偶像云々は、君の宗教への侮辱になるといけないから触れないね。
なんとなくでもイメージをつかめてもらえたら嬉しいよ
955 :
でちゅ:2001/08/10(金) 16:44
あんちゃん、ねぇちゃん。
どこにいったんでちゅか。
でちゅ、ここにいるでちゅよ。
956 :
なな氏:2001/08/10(金) 16:46
946,948終わっているね。完全に・・・。
ついでにあんたはキリスト教徒ってか?
ほんでカトリックに対してもそう。
勘違いしてる。教会を移れとか変なことばっかり。
そういう思い上がりこそ偽善の証しって言ってるの。
外国での布教のやり方でも見ておいで。
キリスト教の本質がよーく分かるから。
>>950どっちも一緒。ある権威に基づいて人や事象を裁くの。
それがおかしいって言うの。
神道にもあんたたちのおかしな価値観が流入して
国家神道が誕生した。これは事実だよ。
957 :
なな氏:2001/08/10(金) 16:47
魔女狩法存続に対する意見もどうぞ。
958 :
でちゅ:2001/08/10(金) 16:48
959 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:53
図らずも…ここに書き込んでいるクリスチャンは、
このスレの題「クリスチャンって性格悪くて驚きました」を、
地で行っている。
960 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 16:54
>>956 誰に向かっていってるの?
もうちょっと意味のとおった日本語で語ればどうですか。
961 :
あんちゃん:2001/08/10(金) 16:56
でちゅ。
心配いらないよ。
あんちゃん、ここにいるよ。
962 :
ここが間違い:2001/08/10(金) 16:59
945さんと952さんの論点はものすごく重要だと思うよ。
イエスが「よきサマリヤ人」の喩えで教えようとしたものは、人間の
本質的な価値は、ユダヤ教の信者で戒律を守っている、異教徒で戒律
を守っていない、という問題ではなくて、行き倒れになって困ってい
る旅人を助けるかどうかだ、ということだと思う。
つまりは、クリスチャンの前に人間であれ、と説いたのだと思うよ。
少なくとも、945さんの言うクリスチャンは、イエスの追従者という
意味ではないようだね。そういう部分に今のキリスト教会が持つ
「自己矛盾」を感じてしまう。
963 :
ねぇちゃん:2001/08/10(金) 17:00
でちゅ。
ねぇちゃんもここにいるよ。
心配いらないからね。
さ〜て、今日は夕飯、何を作ったげようか。
でちゅ、何がいい?
そろそろ帰ろうか、あんちゃんはどうするの?
964 :
ご利用は計画的に:2001/08/10(金) 17:08
飛翔会だけど神子志望の子は股は開いてくれないので注意する事。
965 :
954:2001/08/10(金) 17:10
962さんがキリスト教徒なら、
私の言う「神に愛を返す」と言うことは、
あなた達の言うところの、「イエスに追従する」
ということだとすぐに理解していいただけると思います。
966 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 17:12
>>962 君、いったい何を早とちりしてるの?
クリスチャンとしては当然、冷静に理解ある態度でノンクリスチャンに接しなくてはならない。
しかし、一個の人間として、やはり感情的にならざるをえないこともある、
という人間の罪深さを踏まえて言ってるんだよ。
さては、まだ「罪」について理解ができてないようだな。
>>954 をよく読んで勉強するように。
967 :
ここが間違い:2001/08/10(金) 17:19
>965
悪いけど、954を読んでもよく理解できなかった。
イエスに追従するとは、結果がどうあれ、ちょっと位は左を頬を前に
出してみることだと思うのです。自分のできる精一杯を尽くすことが、
神に対する義ではないでしょうか。
私が学生時代、家庭教師をやったことがありますが、「自分はできない」
と決めつけている子ほど、自分で何もやらずにブラブラしているのね。
「できない」のじゃなくて「やらない」のです。「やればできる」とは
言いませんが、「やらなければ、いつまでもできない」。
もし、かんしゃく持ちの私が、相手に対する悪口をぐっとこらえて、
三言口にするのを二言で抑えたとしたら、一番それを喜んでくれるのは
神さまだと思う。
968 :
965:2001/08/10(金) 17:30
>>967 >もし、かんしゃく持ちの私が、相手に対する悪口をぐっとこらえ
>て、三言口にするのを二言で抑えたとしたら、一番それを喜んで
>くれるのは
>神さまだと思う。
それこそが、神を愛すと言うことでしょ
969 :
ここが間違い:2001/08/10(金) 17:37
>968
そういうことでしたら、
>すべてのキリスト教徒が、もう片方の頬を差し出す必要はないの。
は、余分ということになりませんか? イエスは「自分についてこい」
と明言しているし、「教えを聞くばかりで実行が伴わない者は、砂の
上に家を建てるようなものだ」とも言っている。
970 :
ここが間違い:2001/08/10(金) 17:55
そろそろ、新スレに移りませんか? >ALL
971 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 17:55
クリスチャンは神とか教義とか言ってるくせに
イエスに追従するなどというくせに
まずは人間であるなどとも言う。
その場の都合でいろいろ使い分けているね。
972 :
ペトロ・マルコ:2001/08/10(金) 17:59
あらら・・・。何かめちゃくちゃだね。
確かに至らないキリスト教徒はいっぱいいるね。
でもね、人間だから仕方がない。人間には全員そんな可能性がある。
それが「原罪」という捉えだよ。ここからはみんな逃れられない。
本来は悪いことをするのは人だから仕方がない。
それを知っていて、信仰の道に生きるのがクリスチャンの本来の姿だよ。
後世の人たちが道を踏み外したのも、
現在もまだ罪を犯しつづけているのも、人ゆえの定めだよ。
宗教者であっても罪を犯しつづける。
ローマも教えを守ろうといろんな勅令を出し続けている。
私はリベラル派のカトリックだから、間違っていると思う。
儀式については古い伝統の儀式も好きだよ。
昔、侍者(神父の手伝い)をしていて、
そういう典礼に遭う機会があった。荘厳で良かったね。
他の宗教との対立は、これから徐々に改善されていくはずだよ。
他の宗教にも真理があるのは、誤解が解ければ容易に分かることなんだから。
今、これは相対主義といってほとんどの教派から退けられている。
でも、いずれ時が来るはず。
その時こそが、キリストが再臨する時だと思うよ。
973 :
ここが間違い:2001/08/10(金) 17:59
>972
いや、私の言いたかったことは、イエスが説いた「神の義」とは、
人間の人倫を離れていないということなんです。人間として守るべき
「人の道」を外れないことが、イエスに追従するということではない
か、と思っています。そうでなければ「赤子の心になればわかる教え」
にはなりませんので。私はイエスチャンで、いわばキリスト教では
異端の立場なんで、別の意見の方が多いと思いますけど。
974 :
ここが間違い:2001/08/10(金) 18:02
ゴメンなさい。引用番号を間違えました。973は >971です。
975 :
名無しさん@:2001/08/10(金) 18:09
カトリックあるいはキリスト教に入信するすべての人が性格が悪いとは言えないよ。
悪いとすれば、貴女の出逢っている人達は、まだ、回心していない性格の悪いクリスチャンばかり
何だろうね、きっと。
976 :
クリスチャンって性格悪くて驚きました:2001/08/10(金) 18:27
ということです。
これが結論。
977 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 18:39
=====謹告=====
このスレをごらんになっておられる皆様へ
このスレに登場しておられる「自称クリスチャン」は、
普通の教会に見られるクリスチャンとは、かなり様相が異なっております。
ご注意くださいますように、お願いいたします。
以上
978 :
霊能者マリヤ:2001/08/10(金) 18:40
よいのもいるし悪いのもいる。
ここに来て傲慢ブチかましてるでちゅは最悪。
979 :
笑点:2001/08/10(金) 20:53
980 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 15:30
>>978 あらあらマリア様、何をわけのわからないこと言ってらっしゃるのかしら?
傲慢かましてらっしゃるのは、あなた方のほうですってよ。
あなた方、キリスト教の信仰を愚弄してるんじゃありませんの?
キリストの十字架上の死による救い、罪からの贖いを、非科学的だ、歴史的な史実に則っていないと、
一方的に、さも事実かのように強弁なさっていたのはそちらのほうよ。
私たちは、何も自分たちの信仰が科学的に確かめられた事実であるとか、聖書に書かれてあることは、
旧約も含めて一語一句守らないといけない、などとは一度も申し上げてませんですってよ。
そもそも「信仰」の領域、心の問題は本来、科学の埒外のはずでございましょ。
あなたがたが、わたしたちクリスチャンの信仰を、コケにして侮辱するような、
たとえあなた方にはその気はなかったとしても、
少なくともそのようにこちらが感じてしまっても仕方がないような書き方をされるのが悪いんじゃありませんこと?
ここが間違い君や、もう立ち去ってもらえたようだけど、横槍君の文献批判など、彼らのあの書き方ご覧になられてどうかしら?
掃いたくずゴミでいっぱいになったような彼らの過去レスがあるけれども、その典型じゃないの?
あなたひょっとして日本語がよくおわかりにならないのかしら?
信仰者でないのだから、もちろんキリスト教に対してどのような解釈、考え方をされても、
そりゃ基本的にはあなた方の自由ですわ。ここのスレですってクリスチャンの悪口を書くところですものね。
だけど、ここをクリスチャンが除いてはいけないという法もどこにはないのよ。
学問的には仮説でしかないものを、さも自分たちの都合のよいように解釈し引用して、
キリスト教信仰を愚弄するために利用してるだけじゃ、そりゃ反論したくもなりますわ。
「信仰」を頭ごなしに否定して、クリスチャンが不快に感じるような物の言い方だけは、
常識的に考えてもやめていただきたいわね。
わたしたちクリスチャンが、他宗教のスレッドで同じようなことしたら、あなたがたどう思われるかしらね。
「罪」の概念やその取り扱い方などキリスト教の信仰の基本も、わかってないようなのによくもまぁ、
ここまで馬鹿にしてくれるものだわ、と腹立たしいのを通り越して、呆れてしまいましてよ。
981 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 15:34
ほらでた。勘違い害基地が。
982 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 15:35
>>980 「柔らかな応答は憤りを静め
傷つける言葉は怒りをあおる。」
箴言15,1(新共同訳聖書)
983 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 15:41
解ってないのではなくて解ってるから言ってるの。
だから傲慢だって言うの。出直しておいで。暇人が。
984 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 15:47
>>981 勘違いはあなたのほうでございましょ。
罵声をかけて愚弄などしたら、品性うたがわれますってよ、マリア様。
あなたもいいお年なのでしょうから、ガキのように感情的になるのではなく、
言いたいことがあるのでしたら、きちんと理性的に反論されたほうがよいんじゃありませんこと?
皆が見てますわよ、恥ずかしくないのかしら?
985 :
クリスチャンって性格悪くて驚きました:2001/08/11(土) 15:50
…つまりは、そういうことでした。
986 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 15:54
>>983 何を解かってるの?
あなた、カトリックやめちゃってるんでしょ。
少なくとも信仰を持ちつづけている人たちの信仰は、
解かってないという証拠じゃないの。
神道とカトリックの二つの信仰をあわせてもちあわせてるなんて
非常識な馬鹿げたこというんじゃありませんでしょうね。
987 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:00
>>985 愚弄されながら、笑顔を見せられる人間はよほどの人格者か、
でなければ白痴よ。
あなたはどちらなのかしらねぇ。
もちろん、馬鹿にして見下してるからこそ、
平気で笑顔を見せつけられる、ということはあるのよ。
馬鹿かアホでもなければよく考えてからレスすることね。
988 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:04
989 :
霊能者マリヤ:2001/08/11(土) 16:05
いつから私がカトリックだったのでしょうか(藁)
人違いではないでしょうか?
非常に暇人ですね。面白いです。
990 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:11
991 :
名無し@歴史調査団:2001/08/11(土) 16:23
バカばっかりですね。面白いです。ハイ。
992 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:42
993 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:43
マリアって不思議。
何の知識も持ってないクセに
「自分は全てわかってる」って態度でどこにでもしゃしゃり出てきて
突っ込まれて答えに窮すると
「知識の無い人に何を言っても無駄だわ」と逃げる。
じゃああなたは何処でその知識を得たの?と聞くと
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・霊感よ」
マリアって不思議。
994 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:45
>>989 あなた、キリスト教徒だった頃があるんじゃないの?
だったら、なおさらキリスト教わかるわけないわね。
私も暇人じゃないのよ。ごあいにくさま。
995 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:48
>>993 マリアはキリスト教徒だったって書いてるの見たことがあるんだけど、
違うのかな?
あ、俺はまったくの部外者だけどね。
どっちにしたって彼女、きっと何もわかっちゃいないよ。
996 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:54
>>990 おまえ、ちょっと痛いところありそうだな。
いじめられっ子か、おまえ?
おまえ自身、ばかにされないようがんばるんだぞ!
997 :
でちゅ:2001/08/11(土) 16:58
あんちゃん、ねぇちゃん、
どこでちゅか。
きょうもとっても暑いでちゅね。
汗たらたらでちゅよ。
998 :
でちゅ:2001/08/11(土) 17:00
でちゅ、
あんちゃん、ここにいるよ。
心配いらないからな。
ところで、ねぇちゃん、どこにいっちゃたのかなぁ。
999 :
ねぇちゃん:2001/08/11(土) 17:02
でちゅ、あんちゃん、
ここにいるわよ。
きょうも本当に暑いわねぇ。
なんとかならないかしら、この暑さ。
1000 :
あんちゃん:2001/08/11(土) 17:05
でちゅ、かってにあんちゃんやるんじゃないよ。
あんちゃん、これから仕事があって忙しいんだ。
それじゃね。また。
ねぇちゃん、でちゅを頼んだよ。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。