仏教 議論スレッド 72

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1神も仏も名無しさん
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2神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 14:37:41.26 ID:pW1o44jg
崇教真光の、前世は一在家氏は、最近名無しでも書き込んでします。
3パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/24(火) 14:38:04.73 ID:SQ18sXvL
前スレ 933
>私が言う〜は仏教ではない、というのは形而上の事を仏陀が積極的に肯定して説いたとするものを主に、
>仏像崇拝や祈願、誓願や念仏読経や瞑想等を仏教の骨格と主張するものに対してです。

仏像崇拝、祈願はともかく、大乗では誓願を重視するし、上座部では
(方法論としての)瞑想を推奨するわけですが、・・  それでは、
貴方は、「仏教の骨格」はどういうものだと思いますか?
何をもって「二割」とするのでしょうか?
4パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/24(火) 14:57:14.29 ID:SQ18sXvL
補足・・・・
念仏読経は、意図的に外したww
最近、浄土真宗は仏教か? という著書読んだのだが、今持って
はっきりとした結論に至れずww
(一代は文句なく、その底流に流れる通仏教性を指示すると思うがw)
5神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 15:00:54.83 ID:wMDXOP3Z
前スレ >>948 は下記の何れに近いですか? 
>業報輪廻転生論は、なんらの<現生的なる法>ではない一切外の妄想物語の無記事項←無視・相手にしない・肯定否定判断さえしない。

輪廻に関する代表的な誤解は以下のように過去に解決されてます(一代氏)

1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
 反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
    死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
 反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
    必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
 反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
    タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
    つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
 反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
    それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
 反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
    原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
    それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 15:01:29.42 ID:wMDXOP3Z
>>5 続き
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:常識論
 反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
    始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
7.輪廻や神々、地獄、餓鬼などは譬喩または、象徴表現としてとかれた。主要論者:望月海慧
 反証:方便説のヴァリエーション。仏典では譬喩は、かならず譬喩と説かれる。
    古今東西の文献・口伝の両伝承に譬喩であるという解釈はみつけられない。
7神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 15:40:19.29 ID:8FusQmLy
パーリー語経典ジャータカや法華経の常不軽菩薩品などは
釈迦の過去世の修行時代を現したもの。
それらをみる限り過去・現在・未来の三世を貫く因果律は、
厳然と貫かれているのがわかる。
8神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 16:56:19.75 ID:4tpiJ3VX
このシリーズみてきて賢い人は気付いていると思うけど、業報輪廻否定派。ゴータマさんは形而上のことは
一切説かなかったと全くのでたらめを信奉する人ほど非常に我が強い。彼らは他人の思想の自由を認めず、
公の場で仏教の話をするときでも業報輪廻転生の話はするだの、仏典にそんなことを書いていたのなら削除してしまえ
みたいなことまで言い出す人がいる。ま、書いてることも素直に読めず、自分のエゴイズムで捻じ曲げて読むような
人達だから当然と言えば当然だろう。我の強い人は助からないよ。よくできたもので、ガチガチの唯物論者ほど
我が強い。無神論者が支配する共産主義の国はえてして思想の自由を認めなかった。むしろキリスト教国のほうが
思想の自由を認めている。面白いね。
9神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 17:08:32.66 ID:q2p08Yuv
>>5
>前スレ >>948 は下記の何れに近いですか? 

いずれにも近くない。
1〜7の学者的な抽象的議論にはまったく興味はない。

それは仏道を<菩提心時凡夫のため>の実践的な機能と構造(のみ)から掴んでいるからだ。
★ゆえに菩提心凡夫の六処にとって明晰に検証納得可能でなければならない。
業報輪廻転生論は仏道の第二の法門である<一切法門>によって切り捨てられている(無記=肯定否定の判断そのものをしない)。

な〜〜んでか? 仏道実践にとっては明晰に検証納得可能ではないガラクタだからである。
『それ(一切外)は、他でもない、なんの利益もなく、清浄の行のはじめにもならず、
 厭離・離貪・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃にも役立たないからである。
 その故にわたしはそれらのことを説かなかったのである。』             (中部 63 )

もし業報輪廻転生論が仏道実践のうえでの一切内(相応部35-23)だというなら、
<一切法基準(相応部35-23)><ウパヴァーナ基準(相応部35-70)>に照らし合わせ、
現実にこの場で、直ちに肯定または否定の検証立証しなければならない。
なぜなら仏法は<現生的なる法>だからである。

とくに業報輪廻肯定論者に挙証責任がある。
何度も言うが、テキストに書いてある、そーゆー構造だ、はなんらの証明ではない。
そのテキストの内容自体が先ず<原生的なる法>であるか否かが問われているからだ。
109:2013/09/24(火) 17:13:17.76 ID:q2p08Yuv
訂正
× 菩提心時凡夫のため
〇 菩提心凡夫のため

× 原生的なる法
〇 現生的なる法

失礼    
11承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 18:03:59.20 ID:y0rgfH1Z
上座か飛び石の信者が輪廻転生を仏説とし、オウムなどのカルトが利用して宗教詐欺に使う。
普通に考えれば、
元来あった輪廻という迷信の上に仏教があると判る。
もし輪廻が仏教に於ける独自の基本思想なら、戒律と共に輪廻も教育したはずだ。
初期仏教教団がしたのは輪廻という迷信も含めた様々な細説化に類型化。
「転生」を仏説とするなら、脇腹から生まれて直ぐ直立歩行し言葉を喋ったのも仏説になる。


(^。^)とか以前書いたら「転生信じてないんならしね」とか書きやがったのが肯定派。(笑)


あと、経典にある比喩に必ず比喩と但し書きがあるとかデタラメ書いてるが、
むしろ逆。
反復表現すら略して簡潔にしてあるのが多い。
12神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 18:17:42.21 ID:wMDXOP3Z
>>8
>ゴータマさんは形而上のことは一切説かなかったと全くのでたらめを信奉する人ほど非常に我が強い。

>>9
>とくに業報輪廻肯定論者に挙証責任がある。

釈尊は形而上は無記だったから、輪廻は一切内か検証せよ!と主張する人が過世スレでもいつもおられましたね。

仏説では、正しく修行すれば輪廻のことは分かるようになる、とありますが全く信じられないようです。
仏教は信仰ではなく、哲学か科学か数学であれば、「この命題を証明せよ」はそうかも知れませんね。
13神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 18:26:01.13 ID:wMDXOP3Z
>>12
>仏説では、正しく修行すれば輪廻のことは分かるようになる、とありますが全く信じられないようです。
仏教は信仰ではなく、哲学か科学か数学であれば、「この命題を証明せよ」はそうかも知れませんね。

仏教は他の宗教と比べても実践にて教えを確認する実践主義(プラグマチズム)に近いように思います。
禅定の修行僧達ほど輪廻には肯定的だとかどなたかおっしゃってましたが、それこそ検証に近いと存じます。
14神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 18:31:55.31 ID:wMDXOP3Z
>>11
>普通に考えれば、元来あった輪廻という迷信の上に仏教があると判る。

>>5
>2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
>  反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
>     必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる

六十二見とか十四無記とか有名でございますが、本スレの一代氏分類の「七輪廻見」の何れかに近いように思います。
15承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 18:53:47.81 ID:y0rgfH1Z
>14
>輪廻説がなかったギリシャ、シナ、チベット

ウィキの輪廻にそう書いてるか知らんが、
転生という迷信は世界中にあり、死後の魂がどうなるかが異なるに過ぎない。

>必ず説いてある

当たり前。
当時の仏教教団にある「仏教」を広めたのだから「輪廻」も当然説く。

>聖者が〜

当たり前。
流布するのは民衆に受け入れられる教説。
西遊記では三蔵法師は前世で説法中に居眠りをしたので人に生まれ変わったとされる。
伝承が全て事実なら脇腹から人が生まれるとも認めなさい。
16承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 18:54:54.80 ID:y0rgfH1Z
>14
結論
上座崩れか飛び石信者か知らんが、世の中をバカにし過ぎ。
17神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 19:04:10.69 ID:wMDXOP3Z
>>16
>結論
> 上座崩れか飛び石信者か知らんが、世の中をバカにし過ぎ。

「七輪廻見」の分類者は私ではございませんので、落ち着いて正見のこと。
18神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 19:10:17.22 ID:dAbnDyTY
>>16
彼は、現存存命する伝統に“のっとった”伝承者から学んでいるわけで、
それを否定することは、現存伝統仏教(上座チベットは勿論、大陸日本の伝承も含め)も否定することになるが、
貴方はどこで学んだんでしたっけ?
19承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 19:14:41.94 ID:y0rgfH1Z
>17
一から十まで書かないと理解出来ない方?
若しくは釣りならもう少し解り易くたのんます。
20神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 19:15:36.25 ID:dAbnDyTY
>>18

私は、現時点では(『現存資料からの推論やその資料集成による蓋然性の高さから』)
「現象としての輪廻否定」を個人的見解を超えて発言する勇気はありませんよw
だから、例の彼の言い分に敵対者としてポジションを取りました。
もとより、ほぼ同じ見解であることは言うまでもありません。
しかし、現時点では、それは仏教でもブッダのおしえでもないのです。
21神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 19:16:38.30 ID:dAbnDyTY
>>19
一在家相手に何言ってんだ?w
22承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 19:20:12.64 ID:y0rgfH1Z
>18
元真言だが、立場的には中論を信奉するショウモン目標のシャモン的な?

(^。^)今時プトガラとか、もうね。(笑)
23承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 19:26:36.99 ID:y0rgfH1Z
未だに誰が一在家やら一代やらセブンイレブンやら判りません。(笑)

あと、俺もサンサーラって概念を否定なんかしてないからな。(笑)
「輪廻は仏説」として、オウムなどのカルトを増長させた上座のボケハゲカスは氏ねとは思うが。(笑)
249:2013/09/24(火) 19:34:02.94 ID:q2p08Yuv
>>12
>仏説では、正しく修行すれば輪廻のことは分かるようになる、とあります

なんらの<現生的なる一切法>の「検証」にも反論にもなっていませんが、何か?
⇒『テキストに書いてある、そーゆー構造だ、はなんらの証明ではない。
そのテキストの内容自体が先ず<現生的なる法>であるか否かが問われているからだ。』(>>9

正しい修業とは八正道の<一切法門>に入り、縁起の(間接)現実を徹底的に如理作意することです。

あなたは外道として『一切外』をゴロツキのようにうろついているにすぎない。仏道の法門には入っていない。
あなたによれば未達者には輪廻は分からない、分からないのなら棚上げしておけばどうですか?←それが無記です。
一切外に放逐しておけばいいのです。
あなたは頑迷に一切外にいるから、一切外を『迷妄』するしかないのです。
で悟達者は輪廻妄想から脱却しているなら、あなたにとっても仏道においても、輪廻論の位置する余地はありません。

>仏教は信仰ではなく、

「われは知る。われは見る。これはそのとうりである」という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している。
たといかれが見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。
★かれらは、正しい道を踏みはずして、他人によって清浄となると説く。」(Sn.908、同趣旨 相応部35-70(5)、同6)
25承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 19:47:24.69 ID:y0rgfH1Z
はっきり言って、輪廻転生とかどーでも良い。
だが阿羅漢位でも無い僧籍ですら無い部外者が、
「これこそ仏説!ホントの仏教!」
とか書いてるのには苦笑するわ。(笑)

(^。^)ハゲでも変なの多いがな。(笑)
26承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 20:02:47.87 ID:y0rgfH1Z
>18
前にも書いたが、
現存する日本の伝統的な諸宗派の本山で公式な教義として、
「輪廻転生が大前提」
とする所は無いと、俺は亡師から学んだ。
あるならアップしてくれよ。

(^。^)てか2Chでの伝聞を。(笑)
27神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 20:09:06.76 ID:75t/eP0q
私は「こんなのは仏教ではない、似非仏教だ〜」とは言いますが、「コレこそ仏教の真髄、本当の仏教」なんて言いません。
>>3
仏教の骨格はあなたが言うように仏典の2割に含まれているのだと思います。
8割はガラクタなのでしょう。8割か9割かその辺は知りませんが、要は半分以上
は後からの教義の付け足し、妄想、仏陀の神格化〜等で価値の無いものだということでしょう。

輪廻転生を信じるものは輪廻転生し、問題にしないものにとっては論外なので輪廻転生してもしなくても
どーでも良い〜という事でしょう。輪廻からの解脱すらどーでも良いと思っている人もいるでしょう。
28承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 20:12:45.83 ID:y0rgfH1Z
だいたい、死後に関してはナイーブな話なんだから、
門外漢の素人に安易にどうこう言う奴らはアタマがおかしい。
ましてや2Chなんぞで得意げに分類までして輪廻転生が現実にあるかの如くミスリードする奴とか、
もうオウムと変わらないド外道だ。(笑)

(^。^)てか転生とか、論理的に考えて有り得ないだろ?(笑)
29承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 20:24:45.92 ID:y0rgfH1Z
>27
名無しなんぞ識別出来んがな。(笑)

>輪廻からの解脱すらど〜でも良い

仏教が輪廻からの解脱だけの意味しか無いという意味ですよね?(笑)
それが「正しい仏教という主張」ですよ。(笑)
君が読んだ経典には、「菩提心とは輪廻からの解脱を望む事」とあるのか。
私が読んだ経典とは随分違うな。(笑)

転生から逃れれられる事だけを目標とするのが上座仏教か?(笑)
諸悪莫作諸善奉行自浄其意の意味すら、カルマを清める方便とする訳?(笑)

(^。^)オウムスレのバカ信者がそう断言してたよ。(笑)
30神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 20:29:52.60 ID:wMDXOP3Z
>>25
>だが阿羅漢位でも無い僧籍ですら無い部外者が、 「これこそ仏説!ホントの仏教!」とか書いてるのには苦笑するわ。(笑)

何故、僧籍や部内者による伝承にて、正法→像法→末法の世になっていったのかを、部内者も納得がいくまで議論、検証されましたでしょう。
その「因」や「縁」を探す為に原始仏典を調べながら、「こういう仏説がありますが、如何ですか?」と問う者です。

その問いに対して、「それは訳が悪い」、「それは解釈が間違っている」、「それは現生的なる法ではな
い」、とかの意見を本スレで住人各位と読んでおります。
そしてネタ、回答、議論にてスレタイ通りに「仏教 議論スレッド」は輪廻しておりますのが実相でしょう。
31神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 20:33:55.93 ID:Vt8BF+K/
32神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 20:41:57.45 ID:dAbnDyTY
>>23
阿含中の各種記述やジャータカ等が誕生してしまっている以上、
ブッダは、その方向へ往かないよう誘導する堰を設けなかった、と見做すこともできるからね・・。
或いは、閻魔流の謂いでいけばw、
滅後の潮流はマハーカッサパ教だから、
抑止に荷担する風潮は抹消された(伝承(…資料・文献)として残らなかった)という推論も不可能ではないけれど、
現在我々が触れ得る伝承の範囲内では、ブッダのサンサーラのスパンを短期に限定する決定的証拠はない。
すべて「推論」「予想・仮説」の域を出ない。(証拠の揃い方や蓋然性の高さは、圧倒的に『輪廻前提仏教』だよ。)

勿論、そうした推論を誘引するカギが資料の随所に散らばっている(特に古層新層の間に差異が見られる)、
ということも、一つの有力な証拠案件ではあるけれど。
33承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 20:42:38.01 ID:y0rgfH1Z
>30
私も仏門に僅かながら縁があった者として、
招入門として、あるいは方便としての「輪廻」を否定する気は無いよ。
だが、カルトの詐称が余りに酷い。
今後は一社会人として、人心を乱し、迷信を吹聴する輩にはそれなりの対応をする事にした。
34承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 20:47:52.52 ID:y0rgfH1Z
>31
(^。^;)あっ、真宗の方ですか?私はちょっと貴方方とは……

>32
はいはい、文献文献。(笑)
35神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 21:10:26.24 ID:dAbnDyTY
>>27


はい。(また?)言質とれちゃいましたね。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1378721068/945
>〜というのが仏陀の教えでしょう

(過去数日遡れば、同様の発言をサルベージすることも可能でしょう。)


  http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1378721068/837
  >私の言う事こそ「ブッダの言いたかった事だ」「仏教の真髄だ」なんて一言も言っていませんが?


┐(´ー`)┌
36神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 21:15:28.84 ID:dAbnDyTY
>>34
>はいはい、文献・・・

文献以外のどこに手がかりがあるんだい?w
37承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 21:20:54.32 ID:y0rgfH1Z
>36
仏教ってのは、文献学や論理学じゃなくて、
師子相伝の宗教なの。
「顕密は人にあり、声字は即ち非なり」って昔の人が言ってるけど、知らないよな?
38神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 21:24:24.02 ID:dAbnDyTY
>>37
だよね。師匠からだよね。

で、件の文献君は、まさに「それ」だったんだけどね・・w
39承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 21:28:40.72 ID:y0rgfH1Z
>36
ところで貴方はどちらの法流の方?
上座で得度された方なら、師からどう習ったか言ってくれないかね?

(^。^)まさか言えないような団体の方?(笑)
40神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 21:29:23.88 ID:dAbnDyTY
>>39
臨済
41承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 21:37:08.37 ID:y0rgfH1Z
>38
え?!(笑)
上座って文献学教えてんの!(笑)
上座の寺院の僧侶ってそんな楽なのか!(笑)
まさかサムも読経もしてないの?(笑)

(^。^)ひょっとして、金払って体験入山とかか?(笑)
42承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 21:40:32.10 ID:y0rgfH1Z
>40
臨済宗?
教学で「仏教の大前提は輪廻転生」って習ったの?
本山の教学部とか、そんな事言ってたの?

(^。^;)俺の知ってる臨済宗とは別の臨済宗だと……!?
43承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 21:59:08.24 ID:y0rgfH1Z
因みに、なんで他称上座僧侶の解説を自称臨済宗僧侶がしてんの?

(^。^)良かったら教えて?(笑)
44神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 22:02:25.56 ID:75t/eP0q
今の日本の臨済宗は名前こそ臨済だけど黄檗の弟子の人間臨済の宗派じゃないからねえ。
日本に中国南宗禅なんて生きていない。存在しない。

ところで、>>35が意味不明ですね。何が言いたいのか全く分かりません。

仏陀の教え〜というのと仏教の真髄をイクオールだと言いたいのでしょうか?
45神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 22:06:18.57 ID:dAbnDyTY
>>41
彼はチベットだろw
真言→チベットの現役学者

鳥頭だなw


>>42
あのね、そういうようにハッキリ言明して言うわけないやろw
真っ当な人は「わからない」以上のことは言わんよ。
全ての伝承(諸経)はあること前提だから、その上に全ての言辞は立てられる。
ただ、日々の説示(語録)に於いては、(例の彼や貴方や閻魔の言うようにw)脇へ放り投げたままなされるのいだけどね。
「今ここ」が説示されるのみ、なのが禅らしさとは言えるが。

>>43
彼はチベット(バリバリ大乗)だぞ?
共有できる部分があったからだよ。


馬鹿がおるw   >>44
46承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 22:13:49.67 ID:y0rgfH1Z
>45
すまんすまん。(笑)

つまり、仏教の僧侶じゃなくて、
高野山大学学生あたりからチベットの学者さんになった人?

俺は師って書いたと思ったが、君には先生に見えたのかな?
君が先生って書いたら俺には師に見えるって事?(笑)

(^。^)で?君は臨済宗の法流も知らない単なる在家さんって事でおK?(笑)
47神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 22:32:12.37 ID:kQ197oOr
都合のいいところだけ切り取って科学的な仏教を目指してる人は
現代では仏教から腹式呼吸という精神安定のための技術が抽出されてるから
そっちを学べばいいと思うよ、弓道でもやりなさいな。緊張する場面でも心を安定させる訓練になるから。

しかし、仏教は実存を抑える役割をもつものですから、
人生に対する諦観とともに喜びや心構えが据わるものなのですよ
およそ、そういう自己を含めた宇宙観を構築するものは宗教たらざるをえないものですから
仏教を宗教から別して立てることは不可能だと思います。
48承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 22:43:37.45 ID:y0rgfH1Z
仏教経典に書かれてるから輪廻転生を事実と公言する人は、
仏教云々言う前に、社会人として恥を知るべきと思うよ。
カルトが業報を脅迫に使ってる事も知らないとか言えないはずだしね。
それと脇腹から出産出来るって事も信じなきゃね。
てか、三衣一鉢で乞食生活しなきゃ、原理主義者じゃないよね。
49神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 22:46:06.93 ID:kQ197oOr
教判って知ってる?
50神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 22:48:47.72 ID:75t/eP0q
まあ、私は輪廻転生を信じている人が日ごろどのような修行をして輪廻から解脱しようと
しているのか知りたいですね。
1日30分の瞑想〜とかで実現可能な話なんでしょうか?
具体的に一日の修行の最初から最後まで教えていただきたいです。
実現できそうなら私もやってみたいです。
単に瞑想〜なんてのじゃなくて、超具体的に教えていただきたいです。
51神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 22:51:48.86 ID:kQ197oOr
信じているというより尊重しているという感じですね。
瞑想もなんもしてないです。浄土真宗だし、ずぼらなので勤行もしません、念仏オンリー
最近はゴワサンをパラパラ。それ以外はしてないっすねー。
52神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 22:57:07.28 ID:dAbnDyTY
>>46
いやw
僧籍&それなりの法階所持者だよ。
論文書いてるし、一般雑誌の短期連載も担当してたと思うよw


>(^。^)で?君は
さあねw
それ以上は、保身の為に秘すw
53承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 23:01:54.69 ID:y0rgfH1Z
少なくとも日本仏教の教学上では、
「輪廻転生から逃れる事が仏教の大事」
とは教えていない。
目的はあくまで彼岸に至る事であり、
インドの世俗の迷信を信じる事の強制などしない。
また、論理的に考えても、生まれ変わりは無い。
従って、一部の僧侶やチベット、上座などが「転生脱却の為の迷走」をしている訳だが、
それらも本来は「智度」を目的とした仏教式瞑想法である。
或いは、異教の瞑想法の流用。
従って、極めて私的な独自瞑想法と言える。
それならば、むしろヨガなどで習う方が無難だと。
54神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 23:06:34.84 ID:zJydjIih BE:905805252-2BP(0)
輪廻転生と社会人うんぬんわ関係ないね。
むしろマトモナ社会人面したきゃあリンネくらい理解できなきゃ認められないよ。
ある程度の霊能あるやつなら過去世何代も前まで見れるの常識。
それも知らない無知文盲がお前。

自分中心にもの考える奴多いからなーーーーーーーーーーーーー
因果応報は宇宙の法則。
どの星行っても同じ。  宇宙のはてまで因果応報で統一されてる。

それ知らないお前が愚かというだけのはなす。
55神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 23:07:48.93 ID:kQ197oOr
よく分からんのだが、彼岸に至るってのは、輪廻からぬけだすのと何がちがうの?
死んで来世がないなら、死ねばみんなすくわれるんじゃね?
56承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 23:08:03.02 ID:y0rgfH1Z
>52
そりゃ、学者なら金で買えるわ。
下座も知らない読経も出来ない僧侶じゃねぇ。(笑)

>ヒ、ミ、ツ☆

えー?いいじゃん!教えなよ!(笑)

(^。^)転生説を臨済宗の名前で公言してるんだから、
ハゲならたっぷり可愛がって貰えるぜ♪(笑)
57パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/24(火) 23:16:09.42 ID:SQ18sXvL
>ある程度の霊能あるやつなら過去世何代も前まで見れるの常識。

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
また、痛い奴が出てきたなww
58承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 23:16:21.34 ID:y0rgfH1Z
>54
アナタは霊能者の言う事を全て信じていなさい。(笑)

>55
生まれ変わりを信じててもバカはバカだし、
死後は無いと信じててもバカはバカ。
人格と迷信はあんまり関係ないのはご覧の通り。
因みに、私は死後が無いとも霊が居ないとも言ってない。
生まれ変わりが迷信だと言っている。
59神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 23:26:20.34 ID:5c//7qhv
生命とは「有情」「非情」にわたる。

人の身体に約せば、非情とは爪や髪の毛にあたる。
つまり、痛みを感じない部位を云う。宇宙もまた然り。
60承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 23:34:46.07 ID:y0rgfH1Z
隠居北ー♪(笑)

俺は承狂だから、ちゃんとしたキチガイには一歩引く。

(^。^)頑張れよ、ご隠居さん。
61神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 23:35:49.55 ID:dAbnDyTY
>>58
それはさすがに粗過ぎるだろw

>死後が無いとも霊が居ないとも言ってない
>生まれ変わりが迷信だと言っている

この両者は両立するぜ?w
死後があるとしたならば、生まれ変わりもあり得るだろうよw
霊があるとしたならば、生まれ変わりもあり得るだろうよw

つまり、
「>生まれ変わりが迷信だと」言うならば、「>死後が無いとも霊が居ないとも」言える筈なんだがなw
62承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/24(火) 23:55:06.58 ID:y0rgfH1Z
>61
Aは無いとは言っていない。
という意味と
Aは有る。
という意味の違いが解らないなら、もう少し勉強してきなさい。
63神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 23:58:47.49 ID:dAbnDyTY
>>62
ミスリード乙


「>生まれ変わりが迷信」であるならば
「>死後が無いとも霊が居ない」と言える筈。

「>死後が無いとも霊が居ない」とも言えないならば、
「>生まれ変わりが迷信」だとも言い切れんだろ?

そういうこと。 作文が下手で悪かったなw
64パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/25(水) 00:08:31.64 ID:opXRbzzF
(このスレで何ども繰り返してきたことだがww)

宗教というフレームを取り去って、この現世世界における現象として「生まれ変わり」
を見る場合→・・・問題外ww  そのような現象は現時点で観測、確認されていませんで終了www

要は「仏教という宗教内」ではどうか?  ということ→ ここで問題となるのは、
いわゆる「伝統宗教の教説」=「釈迦の見解」とは、必ずしも言えないことw
一代のように「テルマ」支持者ならばともかく、後世の付加、増稿、を許容するのであれば
「唯、単に仏典に記述があるから釈迦がそう言ったんだ」  とはならないわけだw
そこには自ずから取捨選択が必須となる。その基準をどうしますか?ってことだろww

思うんだが、歴史上の釈迦という人物をきちんとプロファイリングした研究ってないのか?
出来うる限りの後世の神格化などを排除し、「人間釈迦」を浮かび上がらせるようなやつw
空を飛び回るようなヒーロー談などは、もうホントにどうでもいいんだがwww
65神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 00:09:29.91 ID:BdTJY8BF
>>58
すまん、離れてたわ。
生まれ変わりて記憶があるとかいうやつか?
まあ、詳細がよくわからん
66承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/25(水) 00:15:29.85 ID:PVwhIvq4
人が五感と脳髄を介して外界を認識する以上、
存在しない故人を認識する事は当然ある。
それを単なる錯覚とするのは、人として、群生する一個体としては傲慢。
此を以て「霊は有るとも無いとも言えない」とする。
死後は誰一人として体験して証言した者は居ない。
従って、「死後が有るとも無いとも言えない」。
また、私の個人的経験から、仏教、並びに仙道に伝わる術式による「霊的な事象への介入が可能」だと断定している。
また、「魂が死後に別の肉体に移る」事は、簡単な論理的思考で否定出来る。

(^。^)ねる。
67神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 00:17:35.62 ID:vZAv8aLQ
六道輪廻なんてもんはありゃしませんぜ、つーの。

釈迦については、誰かさんがこう言っている。
「釈迦はヒントのヒントに過ぎない」
68神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 00:23:26.24 ID:8z4y5aLG
他の宗教だとよく耳にするけど
仏教にも「奇跡」なるものはありますか?
69神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 00:42:16.50 ID:WOGOFJY8
>>66
OKw

了解した。今までで一番解り易いw

70神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 00:53:59.96 ID:GT/u/1QN
>>31
>これなんかどう?
>http://www.youtube.com/watch?v=gCxx_tJwC80

ご紹介を有難うございました。三木先生の講義は99%腑に落ちました。
また、外見も私と似ているのでビックリした次第です。

(メモ)
現代仏教塾(三木悟講師)真宗大谷派 高明寺
4.無記の経典がある。近代仏教学で無記が常識になった。
でも死後のことを説いた経典もある。
誰に対しても無記では無かった。対機説法だったからです。
パーリ語の経典の中で、
アーナンダの質問「亡くなった人の往きつく所はでこですか?」
釈尊は一人一人の往き先を説明しました。
古層の法句経でも流転輪廻が説かれていた。
71神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 00:55:44.52 ID:GT/u/1QN
>>70 続き
5.釈尊のお悟りは十二縁起であった。
なぜ私達は人間として生まれたのか。
無明:自己を知らない
行:業
名色:心と体(受精卵に識が入る)
取:執着
無明から識まで前世
名色から触まで現世
受から老死まで中有〜
近代仏教学は十二縁起が論理になってしまった
世親菩薩、くしゃろん?
輪廻は認めるが、無我論では輪廻する主体はない
世親は部派から大乗に転向し唯識論を問いた
唯識:流転輪廻の主体を認めている、阿頼耶識
近代仏教学の2大過ち:無記説、無我説
現代の私達(迷いの自己)、仏教徒の責務、道を歩む人(目覚めつつある自己)になる
無我:目覚めた自己

6.人は死んだらどうなるか
霊魂という言葉は使わないが、輪廻の主体(阿頼耶識)を説いた
玉木さんの遺志、近代仏教学を問い直す
宮沢賢治に影響を与えた鈴木大拙氏の師は神智学の先生だった
神智学では5つの層の体、肉体、エーテル、アストラル、コーザル(卵型)
法然さんにも光の輪が見られた
チベット仏教でも同様のことを言っている、カルマの顕現
自尊心で人間に生まれた
くしゃろん?では中有(子供位の大きさ)、ユガシジ論
3層の内の一番微細な体が輪廻していく
欲界(アストラル、幽体)、色界、無色界(上位メンタル)、空(無我、コーザル)
72パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/25(水) 02:49:59.49 ID:opXRbzzF
三木悟ってやつのビデオ見たが、正直驚いたねwww

真宗大谷派って奴の教説を詳しくは知らんが、ホントにこいつが言ってるような
のが、宗派の公式見解なのか?www
幼稚なアートマン論で、無我も「自己に執着することなしに他人を思いやりましょう。」
って、「道徳論」になっちまってるww

現場の坊主がこれじゃあ、仏教離れも頷けるわww
73神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 02:59:14.75 ID:GT/u/1QN
>>72
>幼稚なアートマン論で、無我も「自己に執着することなしに他人を思いやりましょう。」

「私はない」ではなく「我執を離れなさい」という教えが無我
中国語で「無我」と訳されてから誤解が生じた
パーリ語では「アナッタン、not self、心も体も自己では無い」
74パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/25(水) 03:09:19.59 ID:opXRbzzF
>>73 www

だから、「我」と言えるようなものがあったら、アートマンだろうがww
「基体」を設定したら、ヒンドゥーと何ら変わらんw

霊魂、アートマン・・・・呼称は何でも良いが、他者との識別属性を
設定したらその時点で、仏教の無我論は崩壊w
最大目標の一つ「苦の滅」も論理崩壊だよww
(って、またこれかよw   アートマンシリーズのスレで散々、やったんだがww)
75パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/25(水) 03:13:01.90 ID:opXRbzzF
>「私はない」ではなく「我執を離れなさい」という教えが無我

「無我」が、非我説 飛び越えて、「滅私奉公」の道徳論にすり替わってるww
76神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 03:24:21.36 ID:PsGwVBV4
>>74
釈迦が、己の我を以って「無我」を説いた時点で、すでに崩壊してるじゃんw。
小学生にでも判る初歩的論理矛盾。その釈迦の単純ミス、勘違いに執着して
止まないのが釈迦カルト。

その浄土真宗のお坊さんも、このことが判っているから、苦心して釈迦の誤り
を是正しようとしていることくらいは理解しろよw。
77神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 06:08:21.81 ID:SUOx1Qtl
>>945 (前スレ)
>幽霊がいる、幽霊が見える、怖い怖い〜と怖がる人が幽霊を見るように、

人がいる、人が見える、当たり前だ〜と信じ込んでる人が人を見るのも同じだよ〜

>輪廻転生はあるに違いない、絶対に輪廻転生はある〜と頭から信じて疑わない人が輪廻転生するのです。

惜しい、輪廻に限らず、「何かがあるに違いない」と信じて疑わない人、
あるいは、疑っても何かしらの考えを持つ人が輪廻するんだよ。これを無明と言う。
78神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 09:18:56.73 ID:oia9A5mJ
これは、たんなる火遊びではない、明らかにテロだ。
他の神社仏閣も既にやられているところもあるだろう。

神社仏閣を心の拠り所にされてある方々も大勢いる。
その方々の純然たる思いを蹂躙する卑劣さだ。
しかもまともに報道されていない。
異常事態だ。

【東京】靖国神社に放火目的?で侵入、トルエンと見られる液体をまいて火をつけようとする…警視庁公安部、韓国人の23歳男を逮捕★18
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1380036820/
79パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/25(水) 09:33:26.14 ID:opXRbzzF
>釈迦が、己の我を以って「無我」を説いた時点で、すでに崩壊してるじゃんw

隠居か?w
んなこたあ、いいから、キチガイカルトどもに、しっかり噛み付かんかいw
80神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 09:44:11.93 ID:sGz5n4Z+
無常故に無我なり

一時なりとも同じ自分は居ないということですな。
奈良教授は、これを非我といったとか言わなかったとか、さて
81神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 09:51:54.21 ID:r4y/gWuL
縁起だから存在は言葉でしかない
82神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 09:53:35.13 ID:r4y/gWuL
当然、業報輪廻転生も言葉でしかない、実体はない
83神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 09:55:02.08 ID:mkhbRqlp
>>80
と、自分を判断している自分は誰?

「非我(我に非ず)」は、モロに「我」を前提とする。何と比較して「非ず」と言ってる
のか。

釈迦カルトがいかに足掻いても、釈迦の論理矛盾、勘違いは永遠に解消できない。
84神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:09:21.20 ID:r4y/gWuL
相対論で無限遠点は、いかなる天才でも解決できない。
せいぜいシュワルツらの超弦と仮設&仮説するのが関の山だ。
これでノーベル賞なんだから、ちょろいもんだ。
しかし超弦はひろがりをもつから、無限ではない。
ごまかしだ。

ならば逆に、相対思考そのものを放棄するというのが、釈迦のアイデアだった。
それが世に言う「悟り」=相対の放棄だ。だから、内容なんかない。
釈迦の悟りは何か?とアホ学者は論じるが、学者はこのレベルなのだ。
『想い=相対思考からの解脱』=仏法のゲシュタルトだ。
85神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:13:34.26 ID:r4y/gWuL
>>83
>と、自分を判断している自分は誰?

>>84
86神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:21:47.92 ID:mkhbRqlp
「諸魚無常」も誤り。「無常」も、刹那の時点における「常」の状態を前提
とする。それでは「空」は成立しない。

流れる河も、刹那の時点ではH2Oの塊。
87神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:24:07.33 ID:0El8L0qu
>>83
自分を判断しているのは自分ですよ。
生きている間の我は実在します。だから自灯明の自は我の事です。
仏陀は我に執着してはいけないと教えてくれます。我に執着するから苦に陥る。
死ねば我は無くなります。苦の元の我がないので涅槃です。
短い人間の一生の我があるからといっても、「常住」なんて言葉で表現できるような長さじゃありません。
死ねば、我と思っていた我そのものが何もかもなくなります。だから非我で無我で「輪廻や死後の事は無記」で
問題にしないのです。生きている人間の問題の方が遥かに大きくて、亡くなった後を気にするのは意味なしだから。
釈迦の論理矛盾はどこにも有りませんが?釈迦は輪廻を積極的に肯定しなかった。
インドの土着で広く民衆に染み渡っている輪廻思想を否定せず、肯定せず、ジャイナ教等他宗教の目的としていたものの
ひとつの輪廻からの解脱〜を方便として使い輪廻からの解脱を説いた。説いたから輪廻肯定した〜というのは全くものが
分かっていない人の考えです。
88神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:25:16.62 ID:r4y/gWuL
だから、存在は仮設&仮説(中論24-18)=仮観は正しいと仮説できる ×∞(無限大)

しかし、『想い=相対思考からの解脱』=仏法のゲシュタルトも言葉による仮説だ。
どこまでも、無限遠点のパラドックスがつきまとう。

だから、仏法のゲシュタルト崩壊にまでたどり着く。
涅槃だが、もう言葉はない。
89神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:28:17.17 ID:GT/u/1QN
>>73
> 「私はない」ではなく「我執を離れなさい」という教えが無我
中国語で「無我」と訳されてから誤解が生じた
パーリ語では「アナッタン、not self、心も体も自己では無い」

>>76 ご隠居氏
>釈迦が、己の我を以って「無我」を説いた時点で、すでに崩壊してるじゃんw。

真宗の三木住職の話だと、釈迦は「私はない」とは説かず、北伝の際に「無我」と翻訳した縁で現代の誤謬が起こったということでしょう。
今朝は、初めて貴兄の見解に一部賛同します。

現象界の心も体も自己(アートマン)ではない、こちらの仏説は「非我」でしょう。

>その浄土真宗のお坊さんも、このことが判っているから、苦心して釈迦の誤りを是正しようとしていることくらいは理解しろよw。

誤 釈迦の誤り
正 北伝時の誤り
90神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:33:22.94 ID:GT/u/1QN
>>89
>誤 釈迦の誤り
>正 北伝時の誤り ※間違ったまま日本で拡大

これでは、「末法の世」が来るのも必然ですね。一切智者の読み通りです。
91神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:34:46.56 ID:mkhbRqlp
>>87
生者がその生命を以って死後のことなど考えるのは、ナンセンスで滑稽。

死とは、感覚器官も思考器官も運動器官も腐敗するか灰になってそのすべての
機能を失った状態。従って、死後の世界があろうとなかろうと、死者には全く
無関係。
92神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:35:27.61 ID:2E9WE+k2
>>87
もし、死んだら涅槃というなら、死んだ方が早いわな。
みんな自殺すりゃいい。
解脱ってのは一生掛けても出来るもんじゃない。
1000人の修行者がいても、一人悟れるか怪しいもん。
そんなに困難なものを、たったの一生で実現出来るわけない。
一生できないようなものを、死んだら涅槃、解脱というなら、
死んだ方が早い。
そんなバカな教えを、お釈迦様が説くわけがない。
あなたは自分が無知にもかかわらず、自分の物差しで、
お釈迦様の教えを計ってる。
これは非常に愚かなことだよ。
仏教を語りながら、まったく仏教とはかけ離れた方向にいってる。
このような教えを捻じ曲げる人は、物凄く罪が大きい。
93神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:36:25.88 ID:0El8L0qu
>生者がその生命を以って死後のことなど考えるのは、ナンセンスで滑稽。
輪廻積極肯定の人達に言って下さい。
私には、無用の忠告です。
94神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:38:44.04 ID:r4y/gWuL
>>89

三木はアホだから相手にしなくていい。

一切外外道ゴロツキには仏法は見えない(⇔中論24-40)。
仏典の言葉じりではない。→>>84>>88
95神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:42:21.72 ID:2E9WE+k2
>>89
無我でも別に誤りではないと思うね。
我というものが無ければ、心と体があろうが無かろうが、関係ない。
むしろ、無我を体が無いことと思うほうが誤解してる。
我というのは、われという思いがあることと、理解するのが正しい。
我=私(心と体) じゃない。
私=我(わたくしという思い) というなら正解。
96神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:42:26.42 ID:GzKBe6GQ
>>81
実体が無いと云いながら、漏れがアンタをお生云うなとゲンコツ喰らわしたら
怒るのではないのか。
その怒るアンタは、一体なんなのか?言葉なら痛みは感じない筈だが、
97神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:45:00.12 ID:0El8L0qu
>>92
立花隆が臨死体験を本に書いて、NHKでも番組製作されてそれに著者の彼も
立ち会った時に「臨死体験の大半は気持ちの良いものだった」という結論をNHKは
出さないでくれ〜と立花氏に言ったそうです。そんなに気持ちが良いなら自殺しよう〜
と自殺者が増えると困るというのでねw 立花氏はそんな馬鹿なと思ったらしい。
その話を聞いた遠藤周作も馬鹿げた話とNHKの態度を批判した。
何を観るかは人それぞれ。あなたにはあなたの観方があり、私には私の観方がある。
私にはあなたの方が余程無知に見えます。ものを見る目が無いように思えます。
98神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:48:56.42 ID:2E9WE+k2
>>96
その論理はおかしいぞ。
そもそも、「わたくしが」という思いが、空ということだから、
わたくしの怒り、わたくしの痛みも空なんだよ。
叩かれるのも空なら、痛みを感じるのも空、怒り返すのも空。
そういう私がという思いから出てくるすべの思いが空だということでしょ。
99パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/25(水) 10:51:15.20 ID:opXRbzzF
>>87
>釈迦は輪廻を積極的に肯定しなかった。

wwwww
お〜〜〜〜〜、まるでオレの書いた文章だww
このスレの立ち上げ当初から、言い続けているが賛同者が少なくてな、このスレではww

全く、仏教の根幹たる「無我」をとっぱらって、仏教をオカルト宗教にしたがるバカが
群がってくるのは嘆かわしいwww

っていうか、三木っていう坊主の話だが、真宗ってのはマジであの程度の見識が宗派を
代表して物申してるわけか?w
そらあ、日本仏教は葬式仏教だなんだと揶揄されるのも仕方ねえぞww
法事の会食の場での法話なら、まだしも、「仏教講座」と銘打ってのはなしなら
もうちっと考えろとww
100神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 10:53:30.94 ID:2E9WE+k2
>>97
いやいや、あなたは、お釈迦様はこう説いたんだと、勝手に決め付けてるでしょ。
それも仏教の本当の意味を分からない、無知から出てるってよく分かる。
そもそもあなたは我がなくては人間が生きていけない、ただのカカシになってしまう、そういう思いがあるんだよね?
そこが間違いなわけ。
だから死後、我が無くる方向で考えないといけなくなる。
生きてるうちに我が無くなっては困るからね。
とにかく、あなたはこういう無知から理論展開してるってこと。
101神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 11:03:13.03 ID:0El8L0qu
>>100
>あなたは、お釈迦様はこう説いたんだと、勝手に決め付けてるでしょ。
私がそうなら、あなたも全く同じくそうですよ。
あなたはあなたの意見こそお釈迦様がこう説いたんだと、勝手に決め付けている事になる。

私の意見こそ真実であなたの意見は間違い〜なんて両者が指差しあって言い合っているようなものw

だから、>>97 >何を観るかは人それぞれ。あなたにはあなたの観方があり、私には私の観方がある。
と言っているんですが?
102神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 11:23:21.70 ID:WOGOFJY8
>>101
勿論そうです。
ただし、
例えば、「踏切がカンカンなって遮断機が下りている」という事象に対する見方として、
Aはこう思う。「これは、音響環境の一環として鳴っているもの。渡ることが可能だ」と。
Bはこう思う。「これは、電車がやってくることを知らせるもの。渡るのは危険だ」と。
乱暴に言えば、こういう図式なのです。

お釈迦さんが何かしらを言い残していたことは事象として存在する。
問題はその解釈だが、
各種現存資料や伝承から導かれるものとして、
貴方の考え方は分が悪い、つまり、お釈迦さんはそうは言っていなかっただろう、という蓋然性の方が高いわけです。
そして、その内容の差異が大変大きく重大なので、
「それは違うんじゃないの?」という指摘が入ることもまた当然なわけです。
103パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/25(水) 11:27:10.60 ID:opXRbzzF
>貴方の考え方は分が悪い、つまり、お釈迦さんはそうは言っていなかっただろう、という蓋然性の方が高いわけです。

ちと聞くが、これは「釈迦が輪廻転生を肯定していた蓋然性が高い。」という意味かな?
104神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 11:53:55.30 ID:0El8L0qu
>>102
>貴方の考え方は分が悪い、つまり、お釈迦さんはそうは言っていなかっただろう、という蓋然性の方が高いわけです。

これも全く同じ事ですよ。
私があなたに、貴方の考え方は分が悪い、つまり、お釈迦さんはそうは言っていなかっただろう、という蓋然性の方が高いわけです。
と言うことも出来るわけです。どこまで行っても水掛け論の域を出ない。

何をもって蓋然性が高いとするのか意味不明では何を言っても同じ事でしょう。
105神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 13:05:29.69 ID:WOGOFJY8
>>104
>何をもって


どこ読んでんだよ。

  >>102>各種現存資料や伝承から


>>103
それも含めて。
このシリーズの発端事案とか、他にも“色々”あるでしょw
106神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 13:19:23.72 ID:mkhbRqlp
>>95
思い、心は、生命現象の一部で、「生きた肉体」のみから発生する。

火葬場で拾う白骨に、心、思考、感情があるとでも思っているのかね。この時には、
遺族でさえも諦める。

そもそも、死体に生命現象としての感覚、感情、思考があるのなら、火葬、埋葬は
殺人罪となる。火葬の高熱に「熱い」と叫ぶ死人はいないよw。
107前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/25(水) 13:25:53.28 ID:GT/u/1QN
>>89
> 真宗の三木住職の話だと、釈迦は「私はない」とは説かず、北伝の際に「無我」と翻訳した縁で現代の誤謬が起こったということでしょう。

三木住職が提示した明治以降の「近代仏教学」の二大誤り。
1)無記:釈尊は死後のことは説かれなかった
2)無我:私は無い

明治以降の科学常識の台頭により、科学常識では分からないことは釈尊は説かれなかったとする学説や風潮が日本の仏教界に蔓延した。

7編で計2時間ほどのビデオ(youtube)の中で二大誤りへの説明をされてますので、ご覧になられてから議論いただければ宜しいかと存じます。
パーピマン氏と私は昨晩、深夜2時過ぎまで見ていたようです。
108神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 13:36:52.42 ID:mkhbRqlp
釈迦は、科学について無知蒙昧だった古代人の1個人に過ぎないことを忘れないように。

己の生命は、永劫の時間の中で唯一度きりの存在。死ねば永遠の無。

生は、限りがあるからこそ貴重なのである。生命の指示に従って、一日一日を
大切に、精一杯生きよう。生者が死後など考えることほどの、無意味で、無駄で、
滑稽なことはないよ。死とは、生者の思考が一切通用しない状態なのだから。
109前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/25(水) 14:00:07.66 ID:GT/u/1QN
>>107
>7編で計2時間ほどのビデオ(youtube)の中で二大誤りへの説明をされてますので、

2時間も見る時間が無いという方にタイトルをば
1.生死の道しるべ
2.仏陀は死後を語らなかったか
3.近代仏教学の誤り
4.お釈尊さまのお悟り
5.仏教は霊魂を認めるか
6.人は死んだらどうなるか
7.仏さまとは

5.では、日本仏教の祖師方が流転輪廻を前提として説かれたのに近代仏教が全て否定した
という矛盾にまともに向き合っていないという問題が提起されました。

ビデオ内で流転輪廻を説かれた書が紹介された祖師方:親鸞、法然、日蓮、道元、空海、最澄

祖師方よりも近代仏教学者の言を信じる方々はスルーでも宜しいかも。。
110神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 14:25:34.09 ID:0El8L0qu
>>105
>>102 >各種現存資料や伝承から導かれるものとして、
〜蓋然性が高い

その各種現存資料や伝承についても解釈は一つではありません。
あなたの解釈の方向から見て、一方的に蓋然性が高いと言っても説得力無いですよ。
あなたと反対の解釈の方向から見て、私はあなたに「私の意見の方が蓋然性が高い」とも言えるわけです。

どこで水掛け論が止まりますか?
111神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 16:04:49.22 ID:WOGOFJY8
>>110
ハァ?(゚∀゚)

伝承=解釈 だぞ?
実際に師資相承してきた膨大な人数と、君の立場と、どちらが信頼性(蓋然性)が高いか?
って話なんだが?

研究論文と一緒で、貴方一人(ではありませんがw)が提示するだけでは、
「通説(大伝統)を覆すに至らない」ということです。
マイノリティの発言はいつでも不遇なものです。
がんばって、伝統に連なる弟子達の考え方を転換させてくださいw
112神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 16:25:57.77 ID:0El8L0qu
>>111
伝承がひとつなら、釈尊の時代から現在まで仏教は仏教で宗派の存在する隙間は無い訳です。
しかし、現実には仏教と一口に言っても多数の宗派がある。これはその「伝承」がひとつでは
無かった事の証です。
Category:仏教の宗派 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%B4%BE
Category:日本の仏教 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
Category:中国仏教 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BB%8F%E6%95%99
Category:チベット仏教 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99
東南アジアの仏教 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99

で、色々な伝承(各派の解釈の違い)が有る中で、あなたは自分の立ち位置こそ真実で蓋然性が高く、
他は全て間違った解釈であり蓋然性が低いと主張するのか?

だから、>>97 >何を観るかは人それぞれ。あなたにはあなたの観方があり、私には私の観方がある。
と言っているんですが?
113神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 16:26:59.79 ID:r4y/gWuL
<伝承された仏法の基準>

1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)であり

2.時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)であり、

3.来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)であり、

4.よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)であり、

5.知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)なのです。

                              (相応部 35-70)
114承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/25(水) 16:31:07.37 ID:PVwhIvq4
伝承が適当とか言ってる奴は、
釈尊入滅より結集に至るまでの口唱の伝承、即ち初期経典すら適当と言う訳か?
115神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 16:33:32.94 ID:r4y/gWuL
>>112

<伝承された仏法の基準>によれば、80%はアウトでしょうねえw

パレートの法則(2:8の法則)は経験主義的に検証済みです。

もちろん、マヒカリなんて論外のカルト認定です。
116神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 16:47:38.51 ID:0El8L0qu
>>114
もっとも古いとされるスッタニパータでさえも最古層、古層と部分的に書かれた時代が異なり、
輪廻や神通等の表現は最古層と古層で180度方向性が異なります。
当然解釈も180度違ったものが現れて当然。
初期経典ひとつとってもこのありさま。ましてやその後の、作者が創作した経典に至っては
枝葉の様な分裂拡大の様相になるのは皆さんご存知の通り。
117承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/25(水) 17:09:54.98 ID:PVwhIvq4
>116
なら、アナタは仏教と係わらなければいい。
歴代の先達を不良品のコピー機扱いをするなら、仏教云々などどうでもいいでしょう?
118神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 17:21:30.90 ID:r4y/gWuL
>>114
マイ ノートより

『残念ながら、釈尊入滅前に没したサーリプッタに対する釈尊の教えは、原始仏典には、ほとんど残っていないのが実情です。
 @増谷文雄氏は、釈尊がサーリプッタに対して説いた深遠な教えは、圧倒的に多かったはずであり、それらの教えが原始経典にはほとんど残っていないと語っており(角川ソフィア文庫『仏教の思想1 知恵と慈悲』218頁)、
 中村元氏も『仏弟子の生涯』の中で、サーリプッタに語ったブッダの教えはどこへ行ってしまったのかと語られれています。

 Aまた、解空第一といわれたスプーティの教えが、『テーラーガーター』には一句しか残されていません。
 これは明らかに、大乗の空の教えが、経典編纂者(マハー・カッサパ後裔)により抹殺されたものであろうと中村元氏が語っています。(テーラガーター234頁)

 B仏性の教えについていえば、角川ソフィア文庫『仏教の思想4 認識と超越<唯識>』の中で、服部正明氏は、
  大乗仏教の仏性につながる、「自性清浄心」の教えは、釈尊の教えとして滅後まもなくは権威をもっていたそうですが、
  上座部はこれを無視し、また説一切有部においては、かえってこの教えに対して反駁し、
  その結果として、原始仏典には今日わずかに散在するのみとなってしまったと語っています。

このように見ると、大乗仏教の教えは、原始経典から、サーリプッタの経典結集前の死のような場合もあれば、
故意的に原始経典から抹殺される場合もあり、その最古を探すのを、極めて難しくしているように思います。』
119神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 17:28:03.35 ID:0El8L0qu
>>117
仏教≠仏陀の説いた直説です。
私にとっては、仏陀が何を説いたのか?を想像しながら読むだけで十分です。
私は仏教とは何ら関わりはありませんし、今後も関わろうとは思いません。(こう書くと
私が何か言う度に、仏教に関わっている〜と指摘される方がいますので、言っておきますが
私が言っている仏教とは現存する各宗派の宗教仏教の事ですw)
家は天台宗なので葬式の時にはお世話になります。しかし葬式仏教≠仏陀の説いた教えです。
120神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 17:33:49.13 ID:+pDPc1C4
>>114
お釈迦様直々の教えを受け、お釈迦様から阿羅漢のお墨付きをもらった人達が残した話と、
お釈迦様の死後2500年もたって口承で伝わった話じゃ、まず元の教えとは違ったものになっていると疑うのは当たり前の話だし、
ましてや阿羅漢達の残した経典と明らかに違う内容ならお釈迦様オリジナルの仏教とは違う
教えになっているのはほぼ確実だとみるのが正見というものだ。それ以前に日本の伝統仏教はお釈迦様オリジナルの仏教というより、
支那の仏教をベースにしたものだしな。ここは日本の自称伝統仏教をベースに語る場ではなく、
お釈迦様オリジナルの仏教をベースに語る場だ。勘違いするなよ。
121神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 17:34:15.80 ID:s3wL2TrT
大乗(はっきりいって大量殺戮肯定とかあったり、どうみても仏陀の教えとは思えない)側ってホントひどいな。
自分らが後世後付した屁理屈を肯定する文章が最初期の経典に残ってないのは、抹殺されたからだ! とか。
陰謀論レベルのアホさ。
122神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 17:39:57.62 ID:r4y/gWuL
>>117
>歴代の先達を不良品のコピー機扱いをするなら、仏教云々などどうでもいいでしょう?

おやおや、あなたは伝承の信仰宗教徒ですか、がっかりですねw
『不良品のコピー機』ならまだいいんですよ。それ自体で修復の可能性もあります。
 しかし、カットされ完全に意図的に『編集』された疑いが濃厚だから始末が悪い。
伝承なるものは途中で一人でもアホが入ると後継は全員アホになる可能性があります。

これを跳ね返すには、音楽でいえば、フルトヴェングラーがベートーベン演奏で行ったような、
根源的な<追体験と再創造>、これしかないのです。
これを仏教でやったのが龍樹、その人だと認識しています。
もちろん龍樹その人に対しても<追体験と再創造>を行わなければなりません。

釈尊その人の奏でられる教えは、音楽家では実にべ^トーベンの音楽を思わせます。
切磋琢磨して、それぞれの釈尊を演奏していけばいいと思います。
123神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 17:51:54.62 ID:s3wL2TrT
素直に「仏陀の教えにはなかったが、仏陀の教えに従った者達がさらに悟って付け加えた」ぐらいにいっておけばいいのに。
なんで経典を操作したんだ的陰謀論に流れるのかホントわからん。
124神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 18:03:25.92 ID:s3wL2TrT
他宗教の思想や風習を取り入れたりしたのは、インドでは衰退の一方だった仏教を救うための仕方ない手段だったかもしれない。
だけど後付理論の滅茶苦茶さをみると、中部経典でいう「毒矢のたとえ」の頭でっかちの愚にまさにハマってしまった観がある。
125神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 18:06:51.65 ID:r4y/gWuL
>>123
>がさらに悟って付け加えた」ぐらいにいっておけばいいのに

あなたのは、単なる護教のためのポジション・トークで、何の根拠もありません。
釈尊の代行も務めたといわれるサーリプッタの法話はどこへ言ったのでしょうか?
釈尊からもっとも教えを聴いたといわれるアーナンダがなぜこんなに不当に低く扱われているのでしょう?
釈尊の空の教えを最も的確に自得したといわれるスブーティがほとんど抹殺されているのはなぜでしょう?

釈尊を含め釈尊とともに生きた3人に共通するのは極めて優秀であったうえに、非アーリア人であったということです。
当事のインド支配のバラモンたちはインドを侵略したアーリア人種であったことに注目する必要があります。
126神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 18:27:39.80 ID:iGW65te8
>>124
それは、むしろ布教につながるものだと思うがな
実践すればそれなりに教えが通底しているのはわかる
127神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 18:30:14.20 ID:OoRSapUp
仏教はプラグマティズム(行為主義)だと誰かが書かれてましたが、
その事がこのサイトを読んでもらえればよくわかります。
http://www.mettakaruna.jp/pg71.html

この方は、おそらく日本で数少ない阿羅漢か、それに最も近い方だと思います。
上座部で最も釈迦の教えに近い修行方法を実践しているといわれる僧院で
修行を終えられてます。
様々な驚くべき体験が語られています。
128神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 18:31:56.50 ID:iGW65te8
やはり最近IDがすぐ変わるなー
コテハンつけるの嫌だしどうにかならんかな

>>66
なるほどわからん、だな
129前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/25(水) 18:41:39.82 ID:GT/u/1QN
>>118
>『残念ながら、釈尊入滅前に没したサーリプッタに対する釈尊の教えは、原始仏典には、ほとんど残っていないのが実情です。
 @増谷文雄氏は、釈尊がサーリプッタに対して説いた深遠な教えは、圧倒的に多かったはずであり、それらの教えが原始経典にはほとんど残っていないと語っており(角川ソフィア文庫『仏教の思想1 知恵と慈悲』218頁)、
 
>>125
>釈尊の代行も務めたといわれるサーリプッタの法話はどこへ言ったのでしょうか?

なんか違和感がありますのでコメントします。
サーリプッタに対する釈尊の教えは少なくとも長部経典には3つは残っております。
因みに何れも中村元先生が監修の春秋社「原始仏典第三巻 長部経典V」に記載されております。

二十八経「自歓喜経」:舎利弗は仏陀の教えの理解を順に表明し、これを聴いた仏陀は正確であると表明した。
三十三経「等誦経」:舎利弗は仏陀が説かれた229の法を集成し分類して説き、仏陀はそれを是認した。
三十四経「十上経」:舎利弗は仏陀が説かれた550の事項を比丘達に説いた。

>中村元氏も『仏弟子の生涯』の中で、サーリプッタに語ったブッダの教えはどこへ行ってしまったのかと語られれています。

これらサーリプッタに語ったブッダの教えが後世の大乗にあまり引用されていない、という意味でしたら中村元先生の言も無矛盾ですが。
130前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/25(水) 19:08:18.67 ID:GT/u/1QN
>>127
>仏教はプラグマティズム(行為主義)だと誰かが書かれてましたが

(水源禅師法話より)
アートマン(我)と、本当のアートマン(我)とは違いがあるはずだと私には見えました。
何故かと言ったら、「誰が体験するのか?」と。それでヒンズーでは、アートマンということが非常に大切なポイントになってきます。
で、仏教は「無我、無我」ばかりで、ここは説明できないで、ウヤムヤになってしまっている。
ところが大乗では、ハッキリと空の世界を体験してしまいますから、真我の存在がハッキリします。

本スレでも神智学の宝珠氏が「真我」の話をされましたね。
三木住職の講座でも、宮沢賢治に影響を与えた鈴木大拙には神智学の先生がいたとのことです。
131神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 19:27:53.84 ID:ntLEFfTU
「大乗は絶対で、しかも釈尊が言った事と合致している」という結論ありきからわめいてるから
時系列的に考えたらそれこそ自然な話ですら、陰謀論に仕立てちゃうんだろうな
132神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 19:29:01.00 ID:Jsy576Ng
「開祖の盲信」は、「すべて」カルト。

よって、釈迦とイエスが、カルトの元凶。
133前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/25(水) 19:31:18.76 ID:GT/u/1QN
Wiki鈴木大拙より
この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒のベアトリス・レインと出会う。
ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドのチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。
また釈宗演より大拙の居士号を受ける(「大巧は拙なるに似たり」)。

梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。
134神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 19:32:21.30 ID:ntLEFfTU
仏陀の教えに「真我」なんてものは無い
明らかにヒンドゥー(バラモン)系の思想の流入
空もしかり
むしろ、そういう「永遠の我」とかに依存する執着を否定した

素直に「仏陀のいったことなんか知らん、俺が瞑想した結果がこうだったんだ」とストレートに言ったほうがまだ軋轢も誤解も生じないだろうさ
135前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/25(水) 19:36:56.03 ID:GT/u/1QN
>>128
>コテハンつけるの嫌だしどうにかならんかな

決めセリフ「ノシ」とか、顔文字を入れたらどうですか。
136神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 19:47:42.40 ID:GT/u/1QN
セブン氏 ┐(´ー`)┌  ハァ?(゚∀゚)  ( ゚听)、

?氏 屮(_ ._)屮

一在家 (^o^)/
137神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 19:48:50.12 ID:PQj0qGbM
仏教の教えの原点が何かは分からないが、スッタニパータの序章から推測すると、
怒り、愛欲、執着の煩悩を絶ち、心の状態を平穏無事な状態に持っていくことだろう。
出家、瞑想、戒律は心の状態を良い状態に持っていくための実践法となる。
ただ肉食妻帯のなまぐさ坊主が多い世の中ではあるが。
138神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 19:52:31.07 ID:ntLEFfTU
「生きる苦しみとは何か、何が原因か、どう対処するのがよいのか」というある意味シンプルにまとまった仏陀の思想だけど
そのままだと、後世のように権力や大衆と結びついたりするのに不具合だからいろいろでっち上げられるようになっちゃった
特に元々国家権力と結びつく形で入ってきた日本とかの仏教は滅茶苦茶だね
戦争肯定、敵国を呪うのもやっちゃう、ついには戦場での殺人経験を堂々と自慢する坊さんまで出た始末
139神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 19:59:16.92 ID:Jsy576Ng
>>133
鈴木大拙の禅は、バター臭くて違和感あり。
140承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/25(水) 20:05:31.75 ID:PVwhIvq4
あー、うん。
俺の事はどうでもいいけど、
それぞれがそれぞれの伝承を継承して現在がある訳だから、
上座だか学者先生だかみたいな「この法流は間違い」という論法は、
他の信仰を尊重する意味で、
もう少し敬意をだなぁ、

(^。^)つってもお前らには判らんか。(笑)
141神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 20:11:36.01 ID:ntLEFfTU
神智学ってカルト宗教にもよく剽窃される代表だけど、なんで日本に影響大きいんだろうね
142神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 20:18:01.37 ID:STgv7dlJ
神智学の影響など微塵も感じないが、ヤラセかな?
143神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 20:19:21.40 ID:0El8L0qu
>>140
事の発端は私ではなく、
>>102 >各種現存資料や伝承から導かれるものとして、貴方の考え方は分が悪い、
>つまり、お釈迦さんはそうは言っていなかっただろう、という蓋然性の方が高いわけです。
貴方の考え方は分が悪いと、間違いだと言ってます。

私の主張は、>>97 >何を観るかは人それぞれ。あなたにはあなたの観方があり、私には私の観方がある。

そして、あなたの意見が、>>114 >伝承が適当とか言ってる奴は、釈尊入滅より結集に至るまでの口唱の伝承、
>即ち初期経典すら適当と言う訳か?
初期経典の解釈はただひとつしか存在しない〜とでも言いたげな書き方ですw

>>117
>歴代の先達を不良品のコピー機扱いをするなら、仏教云々などどうでもいいでしょう?
歴代の先達というのは多種多様、様々あるのに仏教の伝承は自らの理解するものこそ伝承というおつもりですか?
144神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 20:24:19.22 ID:ntLEFfTU
>>142
無知乙
鈴木大拙だけじゃなく、今東光とかも影響もろうけてるよ
仏教以外にも、キリスト教系関係者もかなり
現代のスピリチュアルとかカルト系なんて、完全に神智学のパクリの面も多い
145神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 21:12:43.68 ID:2E9WE+k2
>>138
あなたはほんの少しも経験がない、だから洞察も出来ない。
何に基づいてそういう結論が出てるのか。
答えは、何にも基づかないで、自分の頭で、答えを出してるってこと。
だから、一般常識的な答えしか出ない。
あなたの言ってることは、非常に浅いレベルの、一般常識論なんだよ。
もし本当に釈迦が自己啓発的な教えを説いたとしたら、そんなのは誰だってやれるし、
今でもそんな人たちはたくさんいる。
あなたがそういうレベルに釈迦を置くってことは、自分自身の洞察と経験が浅いことを意味してる。
レベルの低いものは、レベルの高いものの考えが分からない。
分からないってことにしておけばいいのに、往々にしてレベルの低いものは、
高いレベルの教えを、自分のレベルに合わせて解釈してしまう。
これが当然だ、ってね。
そこにはなんの洞察もない。
ただの当たり前論だけ。
頭の悪い人でも、誰だってこういう論は張れる。
もしも深い洞察に基づいて、あなたが自分の論を張ってるんならいいけど、
あなたの言い分には、深い洞察のかけらも見えない。
○○だから、○○だ。  こんなの子供でも出来る。
分からないなら、分からない。  こういう態度でいればいいのに、
あなたは分からないことを、自分の低いものさしで決め付け、主張している。
146神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 21:17:07.52 ID:Jsy576Ng
>>144

「禅キリスト教」などという本もあるが、禅とキリスト教とに一体どんな共通点が
あるのか?両者は対極的な思想だと思うが。それとも、単なる「西洋かぶれ」か。

禅の方、解説請う。
147神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 21:42:46.48 ID:SUOx1Qtl
>>145
>もし本当に釈迦が自己啓発的な教えを説いたとしたら、そんなのは誰だってやれるし、
>今でもそんな人たちはたくさんいる。
>あなたがそういうレベルに釈迦を置くってことは、自分自身の洞察と経験が浅いことを意味してる。

このあたりは、いいこと言ってるかなって思ったけど、>>138さんをそこまで責め理由が分からない…。

苦を説き、苦の原因を説き、苦の原因の滅へいたる道を説くというのは、
仏教全体の見取り図としては重要だと思うよ。四聖諦。
148神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 21:49:16.67 ID:SUOx1Qtl
>>76 隠居さん
>釈迦が、己の我を以って「無我」を説いた時点で、すでに崩壊してるじゃんw。

お釈迦さんに我はないよ〜。
だから、お釈迦さんを非難するのは、壁に向かって独り言のように非難するのと変わらないよ。

>小学生にでも判る初歩的論理矛盾。

小学生や凡人の持つ実有の論理体系からすると、確かに隠居さんのおっしゃるとおり論理矛盾だね。
そして、仏教はその論理を捨てるところに良さがあるんだよ。
149神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 21:49:29.94 ID:iGW65te8
>>145
ある意味ロマン主義なんじゃないかね
絶対者の存在を疑い、人間を絶対者の代わりにしようとしたから
自分がすべてのものさしたる絶対者になる。
いかなる解釈、批評よりも自己の意図が優先される。
模範が失われ、個性的な社会がすぐれているという方向へ向かうことになる。
教育が生きるための技術の習得となったのもだからだよ
150神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 22:08:17.99 ID:SUOx1Qtl
>>130 一在家さん
>何故かと言ったら、「誰が体験するのか?」と。

相手の我執を深めないようにするときには、「誰それが体験する」という言い方ではなく、
「体験がある」という説き方をお釈迦さんはしてるよ。四悉檀の各各為人悉檀だね。
実際、「○○が〜する」という言い方はすべて「〜がある」って言い換えられるから、
やっぱり無我だと思うよ。十二因縁もこの言い方だし。

>で、仏教は「無我、無我」ばかりで、ここは説明できないで、ウヤムヤになってしまっている。

ということで、そんなにウヤムヤにはなっていないような…?
151神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 22:10:12.19 ID:Jsy576Ng
>>148
(釈迦)「我はない」。
(小学生)「ちょっとちょっとオジサン。そこにいる貴方は誰?」
(釈迦)「?????」

滑稽極まりない釈迦の姿w。その釈迦の単なる勘違いに、何らかの意味を求めて
執着しまくる釈迦カルトは、なお滑稽。

師の誤りを是正するのが、弟子たちの義務であるはず。釈迦の勘違いを放置して
笑いものにし続けるのは、釈迦に対する名誉毀損。

釈迦死んだら、教えを説けたか。義務教育を現代人があまり荒唐無稽なことを
いうのは、もはや許されないのだよ。
152神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 22:47:18.16 ID:r4y/gWuL
>>151
>(釈迦)「?????」

(達磨)不識
    存在は縁起なんだから当然です。
    しっかり縁起を如理作意して関を突破できたら直覚できます。

仏道の第一の法門である菩提心門にさえ入っていないお方には無理です。
野球場外からバッテリーのサインプレーまで分かるわけがない。

>>84>>88

どうぞ、あなたの生命教の相対論で無限遠点の問題を解明してから、揶揄をしてください。
153神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 23:27:59.36 ID:Jsy576Ng
>>151の続き

この釈迦の姿と好一対なのが、神とは人間が対象化できない存在ということに
思い至らないで、明後日の方向を向いて、馴れ馴れしく「父よ」などと呼びかける
イエスの滑稽極まりない姿。

釈迦は、無我など唱える前に、少なくとも、己のほっぺを抓ってみるという
検証を行なうべきだったねw。

中論は、「無我」だの「無」だのというアホなことは一言も言っていない。
さすがである。
154神も仏も名無しさん:2013/09/25(水) 23:40:17.40 ID:Jsy576Ng
>>152
>存在は縁起なんだから当然です

縁起(空)なら、そもそも「無」の概念は生じない。
155神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 00:03:55.60 ID:GT/u/1QN
>>150 親切僧氏
>実際、「○○が〜する」という言い方はすべて「〜がある」って言い換えられるから、
>やっぱり無我だと思うよ。十二因縁もこの言い方だし。

「感興のことば」26.21
「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
 作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」

法華経の如来寿量品
訳1「仏の目から見た本当の世界は、このように不滅常住であるにもかかわらず、
  衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。」

確かに「○○が」という表現は無いですね。所謂、主語の省略ですね。
でも上記の2つの仏説を小中学生に読ませたら、主語は「仏様」だと言うでしょうね。(^o^)/

それにしても、昨晩視た真宗の三木住職の「現代仏教塾」は驚きでした。
本スレで幾度も申しました「四悉壇」における「無記」の話と同じことをおっしゃってましたので。
釈尊は死後の話や輪廻はある人達には「無記」で、別の人達には具体的に説かれ、また別の人達には
一部無記で残りは具体的に説かれているという考察です。

また親鸞、日蓮、道元、空海らは輪廻について説かれていたのに、明治以降の近代仏教学者らが
否定して、現代の多くの仏教徒達が科学常識で仏説を理解しているという三木住職のお話は
この2chでのやりとりを見ている私も腑に落ちました。

更に「無我」とは「我はいない」という意味でなく「我執を離れよ」という解説も目から鱗落ちでした。
156神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 00:15:08.95 ID:zxGwEHB5
>>144
>鈴木大拙だけじゃなく、今東光とかも影響もろうけてるよ
>仏教以外にも、キリスト教系関係者もかなり

よくご存じですね。
神智学の背景には5千年以上前から続く思想集団の「大白色同胞団」の姿が見え隠れします。

原始キリスト教を調べていくと、洗礼者ヨハネがエッセネ派ユダヤ教だったという論文も多く、
更にエッセネ派もまた神智学と同様に「大白色同胞団」の一派という話が出てまいりました。

スレ違いなので止めておきますが、皆様の御参考まで。
157神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 00:22:18.17 ID:RrQSlN8j
あー富士山だー!
というとき、
its a mt fuji
てなことだろうが、itsはなんの意味ももたない
主格ではないということだ
しかし、それでは主語を使うべき英語にあってはならないことだ
これはむしろi find 〜ということではないかな
だが、それなら大声で富士山を強調する必要はない
日本人がそう叫ぶとき
たいてい、みんなに知らせることを意図していると言っていい
ならば、こういうことではないか
みなさん、今、私たちは、富士山が見えるところにいますよ、それを今わたしは
誰よりも早く気づいたので、みなさんにお知らせしますよ、と。
しかし、日本人はそんなこと意識してはいないだろう。
日本人はわたしが見えているものはみんな見えていると思っている
極度の集団的な一致を求める村社会的な思考なのかもしれない
それゆえ、主語を略していると見るべきではないだろうか
158神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 00:33:51.67 ID:RrQSlN8j
無我というときの我とは本来永遠なる私ということであろうが
私たちは、この世界を認識する主体が私だけではないことを知っている。
にもかかわらず、私以外の意識によってこの世界が認識されることはない。
私は世界を共有しているのか、独占しているのか
無我が示すのは、その解決であろう
両方の枠組みを超えるとき、無我が見えてくる
159:2013/09/26(木) 00:54:28.69 ID:UYjn3qGD
 
> ?氏 屮(_ ._)屮

隠居先生の場合は?
160神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 00:57:36.30 ID:17Hp7bob
>>143
お前はホント愚かだな・・ ┐(´ー`;)┌

各種現存資料及び伝承は、(現存する伝統解釈は)、
全て、貴方の考え方と反対なんですよ。

過去スレ見てきなさい。
貴方と同じように、弟子達は誤って伝承したという説を唱えている神智学の人がいますからw

それくらい、貴方の考え方・現代日本仏教は、異端児なのです。
貴方方のような資料の読み方・解釈は、伝統の潮流の中には存在しないのです。
蓋然性と言った意味がまったくわかってないようですね。

解釈(≒伝承)に多様性は存在します。
が、しかし、
貴方の主張する解釈は、それらの中にないのです。(ここが最も重要な部分ですw)
近代日本仏教に至って初めて出現したのです。

メインストリームでない、というのがなぜわからないのですか?
161神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 01:09:09.88 ID:17Hp7bob
>>160

「俺様仏教」でないことを担保するのは、現存資料&伝承しか存在しない。
そして、
解釈の多様性もまた、多くの論書や経典中に散見される記述から限定されてくる。
奇抜な解釈を打ち出す学者は今も昔も居る。
が、その解釈の妥当性を担保するのも、資料や伝承なわけさ。
強いて付け加えるなら、「おしえを実践し、その果を見たとされる者」の見解が更なる担保案件ということだ。
そして、貴方の意見には、担保要件が何一つ存在しないのです。
ここだけは自覚すべきです。
貴方には、孤軍奮闘している自覚がない。貴方の解釈を裏付けるものは何一つないのです。
162神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 01:10:13.59 ID:lR7e+kd6
>>158
大分、核心に迫ってきましたね。

人間は、徹頭徹尾共同体。その最小基本単位は、個の我であるが、その個は、
他との関連においてのみ存在し得る。しかし、他も、「他の我」である。やはり、
「我」は不可欠。

中論の、「無条件の前提としての世間の一切の慣習」は、このことを意味している。

"It's Mt. Fuji", "It rains." 共同体における「他我」がすべて了解している存在。
163神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 01:38:54.33 ID:RrQSlN8j
人が死を迎えるとき、また生まれるとき、人はどうしようもなく孤独だ
独生独死独去独来
人が共同体ですごすのは生死のちょうど間にすぎぬ
ひとり去りゆくとき、こころに去来するのはどこへ往くかである
そこでひとりつぶやくとき、その主格は”私”であろうか
インドでは古来、それを私としてきた
今まではひとつの劇場だった。しかし、これまでも私は私であったし
これから永遠にその私がつづくのだと
だが、仏教はとう。わたしとはどこからがそれで、どこからがそれでないのかと
すべてがわたしであるなら、わたしという自覚すらない。
わたしとは常に対象と区別されるところにあるはずだからである。
では、itとは何であるか?
ただあるがままのそれである。そこに見るものと見られるものは存在しないのである。
164承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/26(木) 02:08:58.49 ID:D6TR/7+D
>160
参考までに、「私が主張した」内容とやらを教えてくんない?(笑)

(^。^)昨日の事とか忘れちゃったんで(笑)
165神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 06:12:39.83 ID:zxGwEHB5
>>159
> 隠居先生の場合は?

顔文字の代わりに、「生命とは」、「生命現象として」、「釈迦とイエスが、カルトの元凶」とかの決め台詞があります。

兎に角、釈迦は無知蒙昧なカルトと、バカに仕方が徹底しております。
スッタニパータに登場する「コーカーリヤ」と人物像が被りますので真に気の毒です。
166神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 09:30:13.06 ID:AyCsrIjk
>>162
>やはり「我」は不可欠。

アホ。『諸々のブッダは、(1)「我が有る」と仮説し (2)「無我である〕とも説き
            (3)また「我なるものは無く、無我なるものも無い〕とも説いた。』(龍樹 中論18-6)
    ブッダ・コンサルティンググループの『我』についての待機説法マニュアルだ。
    お前のような菩提心門外の(1)の外道にはブッダは(2)を説かれる。で、ついてこれないお前のような奴は放置する。

>>154
>縁起(空)なら、そもそも「無」の概念は生じない。

『我』は縁起ゆえに仮設&仮説(中論24-18)された言葉でしかない。
・『カーティやーヤナへの教えという経(*相応部12-15)において、「有る」と「無い」の両者が、
  有(ものの存在そのもの)と無(ものの非存在そのもの)とを正しく説かれる世尊によって、否定された』(龍樹 中論15-7)

・『仏道もとより豊見倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。』(道元 正法眼蔵 現成公案 冒頭)

中論や正法眼蔵は、お前にとってはカッコつけの夜店の香具師の道具でしかない。
167神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 09:42:48.53 ID:z/aFHLX0
仏教なんて簡単だよ理論としては。
戒律を守って心を清浄にするよう精進すればいい。それだけ。

だけど、それだけを実際にやるのが難しい。
いわゆる「三歳の子供でも知ってることを、八十の老人でも実践するのは難しい」というやつ。

理屈こね回して自分を偉くみせたり、事事しい儀式やって耳目集めたりするほうがずっと楽だからねえ。
どうしてもそっちに流れるのが大多数。
168神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 09:53:03.47 ID:AyCsrIjk
>>130
>何故かと言ったら、「誰が体験するのか?」と。それでヒンズーでは、アートマンということが非常に大切なポイントになってきます。
>で、仏教は「無我、無我」ばかりで、ここは説明できないで、ウヤムヤになってしまっている。
>ところが大乗では、ハッキリと空の世界を体験してしまいますから、真我の存在がハッキリします。

一切法門外道のカルト一在家ごときには無理。
水源禅師とやらの輩も、一切法門外道のクズ落第坊主だ。

こんな奴が居るのを見るとき、鈴木大拙や西田幾多郎がばら撒いた害毒は、真言宗とともに極めて大きいといわねばならない。
シャンカラ的不二一元論に毒された実質ヒンドゥ教だ。

ヒンドゥと縁起は相容れない。
仏法は縁起なのだから、「誰が体験するのか?」という問いそのものがナンセンスだということをまったく掴んでいない。(→>>166
すくなくとも、縁起の現実の徹底した如理作意ができていない落第坊主だ。
相対思考を消すのがブッダの悟りなのだから(>>84)説明不能なのは当然(→中論25-24)。
何らウヤムヤではなく、針一本の疑念の余地なく、極めて明快だ。
真我は一切外妄想である。

所詮、水源禅師とやらは不二一元論に毒された一切門撥無の外道でしかない。
169神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 10:34:25.07 ID:z/aFHLX0
言葉や理屈の上では自分の体験を誤魔化すことはできても、日常的な行動で誤魔化すのは難しい。

残念ながら護摩行だの加持祈祷だのをやっちゃう人は、偽物だろうね。
煩悩や欲望を消す喜びを体験したのなら、他人のそれらを煽っちゃうような儀式に興味を持つはずもない。
170166:2013/09/26(木) 11:05:45.80 ID:AyCsrIjk
訂正
× 豊見倹より跳出せるゆゑに
〇 豊倹より跳出せるゆゑに

# 念のため。「豊倹」を直訳すれば“多・少”だが、冒頭の二項相対を論ずる趣旨から見て、
        <非有非無の如き>になる。
       <(相対の)有にも無にも捉われないのだから>という勝義から世俗に還滅した、
       即生即滅、即迷即悟、即生(心)即仏という【空即是色】を示されているのだ。  
171神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 11:26:45.38 ID:rz8bvdrW
>>166
はい、はい。しっかり座禅やって、観念の遊戯に耽ってください。Snなどに
嵌ってしまっているから、そうなる。

人間は、徹頭徹尾共同体。物の有無は、その不特定多数人のほぼ同一の五感の
知覚により、「一義的に」定める。さもなければ、社会は瞬時に崩壊する。

我があるかないかは、友人集めて決めて貰ってください。自分で、自分がある、
ないを決めるのは、西洋哲学の誤謬の源泉である、デカルトのコギトと同じ。
172神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 11:50:49.15 ID:SnL0XTaB
仏教と佛教♪
173神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 11:57:37.50 ID:pYQXHzHL
>>160
>解釈(≒伝承)に多様性は存在します。が、しかし、貴方の主張する解釈は、それらの中にないのです。
要は、私の>>87の私の >「輪廻や死後の事は無記」で問題にしないのです。に対しての書き込みのようですが
大乗の中論や唯識はまさにこの立場でしょう。これらは伝承ではないと断定されるわけですか?

>メインストリームでない、というのがなぜわからないのですか?
毎度の事ながら、あなたは人の書いている事を読まない人ですねw
>>119 >私は仏教とは何ら関わりはありませんし、今後も関わろうとは思いません。
この私が、仏教(宗派仏教)のメインストリームにいる必要がどこにあるのですか?

>蓋然性と言った意味がまったくわかってないようですね。
蓋然性=確からしさという意味だと思いますが、多数決で多いから確からしさが高いとでも言いたげですねw
天動説が主流だった時代に地動説を唱えたガリレオが少数派だといって異端児とみなすようなものですね。

>>161
>奇抜な解釈を打ち出す学者は今も昔も居る。
学者では和辻哲郎、中村元が輪廻に対しては非肯定的ですねえ。
174神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 12:00:38.06 ID:pYQXHzHL
>「おしえを実践し、その果を見たとされる者」の見解が更なる担保案件ということ
つまり、ある人間が「私は悟った〜」と表明して、周りの人間(宗派の人間)がそれを認めてはじめて
独りよがりの仏教ではない〜だからそれ以外は全て独善的仏教であるというわけですか。

分母に現存の宗派仏教を置いて、輪廻を見れば圧倒的に輪廻肯定になるのは当然です。しかし1ではない。
(大乗の中論や唯識の存在)
分母に人間仏陀に関心を持って仏典を読んでいる人(当然これらの立場≠仏教)を置いて、輪廻を見れば
これは圧倒的に輪廻肯定にはならないでしょう。まさに多種多様の解釈の人間が混在します。

仏陀滅後、残された仏教徒達は自らの教団拡大のため大衆に説いて信者を獲得していった
であろう事は当然です。その場所は輪廻転生思想が深く遍く染み渡っているインドにおいてです。
そのインドで輪廻転生を声高に否定して信者を広く獲得できるとは考えられません。仏陀生存中は
積極的に肯定もせず、否定もせずの姿勢から積極肯定に変貌したのは容易に想像がつく事です。
片方で無我を説き、片方で輪廻転生を説く〜という論理矛盾に当時の仏教徒も苦労した事と
思います。無我を取れば信者を獲得できず、輪廻転生を取れば仏陀の教えを伝えられず〜
背に腹は変えられないというものであったか否かは想像できませんが、ともかく信者獲得の
ため後者を選択し、これを元に分裂拡大して現在の宗派仏教が成り立っているんです。
このようは成立背景を持つ宗派仏教のメインストリームが輪廻転生積極肯定なのは当然でしょう。
175神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 12:31:10.05 ID:17Hp7bob
大乗中論唯識が輪廻否定だとかwww

一代が聞いたら、目の色変えて大抗議してくるぞw
「全ての仏説は輪廻前提である。例外は現代日本だけ」とね。

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/1.html
176神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 12:47:19.39 ID:pYQXHzHL
>>175
肯定しないものは全て否定である〜という単純思考回路は何とかなりませんか?
非肯定≠否定

誰が大乗中論唯識が輪廻否定したと言ったんですか?
177神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 12:59:35.64 ID:YJb4bxcM
戯論のための隔離スレと化しつつあるな
178神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 13:12:25.50 ID:AyCsrIjk
>>175
>全ての仏説は輪廻前提である。

もうやりたくないけど、完全論破済み。
蒸し返すな。
179神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 13:19:43.80 ID:AyCsrIjk
>>171
アホ

>物の有無は、その不特定多数人のほぼ同一の五感の
>知覚により、「一義的に」定める。さもなければ、社会は瞬時に崩壊する。

仏道上『我』には三様相がある。(1)日常自我(2)菩提心自己(凡夫)(3)超(真)我(アートマン)

お前のは(1)仏道【菩提心門】外の日常自我のみ。無限遠点など薬にもしない。
この時点で論外だ。

(2)は仏道の少なくとも菩提心門を透過した者、しかし、多くの者が次の一切法門さえ透過できない。
   だから、無我⇔非我という簡単なところでさえで迷う。

これ以上の展開はもう無用・無駄だろう。
180神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 13:50:42.42 ID:39h5e0CF
>片方で無我を説き、片方で輪廻転生を説く〜という論理矛盾に

またこれだ・・・
なんで論理矛盾なの?
輪廻そのものが空なのに。
そこになんらかの自分がいても、それは空なんだよ。
輪廻の主体 = 常住 って考え方は、単純な発想だよ。
181神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 14:02:02.71 ID:pYQXHzHL
>>180
輪廻が空(輪廻に実体なし)、自分(我)が空(自分に実体なし)〜
で輪廻の主体(業や何らかの個性?)は非常住でこれも空(実体がない)のなら全く論理矛盾ではありません。

(業やら何らかの個性?)を輪廻の主体と想定して、これが生前、死後連綿と続いている〜という輪廻を説くと
完璧な論理矛盾です。

仏陀滅後の仏教徒は大衆に向かって説かなければなりません。インドの大衆に・・
前者の論理矛盾しない輪廻を説いたでしょうか?甚だ疑問です。
182神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 14:10:16.09 ID:AyCsrIjk
>>180
>輪廻そのものが空なのに。
>そこになんらかの自分がいても、それは空なんだよ。

その自分とやらは業報を背負って輪廻し、しかも空なんだから
そのカルマ軽減のために、気軽に殺せ!ポアしろ!!がオウムなんですが
当然お認めになるんですよね。
これが業報輪廻転生論+空論です。
183神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 14:13:10.64 ID:RrQSlN8j
俺が空で、空が俺で
色即是空、空即是色

空と友達になりなさい
184神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 14:30:01.25 ID:39h5e0CF
>>181
> (業やら何らかの個性?)を輪廻の主体と想定して、これが生前、死後連綿と続いている〜という輪廻を説くと
>完璧な論理矛盾です。

これも単純な発想だと思うね。
死後、連綿と続くってところが問題なんだけど、例えば、この世の人間は死んだらそこで滅するわけだよね。
この世の物質的に。
で、死後の世界でなんらかのものを引き継いだとしても、あるいは来世になんらかのものを引き継いだとしても、
その形は元の肉体人間じゃないんだよ。
常に形としては、変化偏滅してる。
意識も常に変化していて、経験を積んだり、あるいは後退したり、常に一定のものなんかない。
なんらかの我を引き継いだとしても、全く前と同じものを引き継いでいるとはいえない。
たとえば、中学生のころは思いやりの意味さえ分からなかった人が、大人になって人を思いやることに目覚め、
人に親切になった、このとき、前の我をそっくりそのまま大人が継承しているとはいえない。
不一不異ってこと。
「我」 という同一物としての名称で一括りにしてしまうから、輪廻とあの世になんらかの常住的存在を想定することになる。
継承するのは、私がある という思い、記憶であり、それを保管している何らかのものがあって、
それがいわゆるカルマというヤツだろうけど、その解脱しないと永久に消えないものでさえ、
無明を滅したら消えるわけだから、常住とはいえない。
輪廻が無我と論理的矛盾しないのは、最終的には、無明を滅して無我となれば、その我は滅するわけだから、
常住じゃないってこと。
185神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 14:31:23.68 ID:pYQXHzHL
>>180
連綿となにがしかが引き継がれるから輪廻というので、その輪廻そのものが空ということは
あっても一時的なもので実体がない〜という事ですよね。
これで当時のインドの大衆が納得するでしょうか?甚だ疑問です。
186神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 14:40:32.14 ID:39h5e0CF
>>182
親鸞の話でこういうのなかったっけ?
あるとき親鸞が、弟子に向かって 「お前は私の言うことなら何でも聞くか?」 といったら、
その弟子が、「はい、あなたの言うことならどんなことでも聞きます。」 と言った。
そこで親鸞が、「では人を殺して来いといったら、そうするか?」
弟子はあわてて、「いえ、それは出来ません」
「だろう」 と。
ようは、カルマってのはやる人はやってしまうし、やらない人はどんなことがあってもやらない。
教えにかこつけて人を殺す人は、どんな理屈でも殺してしまう。
それがカルマ。
だから、そんなどうにもならないカルマで苦しんでる世界を、超えろと、仏教は言っている。
我に捉われているから、いつまでもやりたくないことをやってしまう。
バカなことを、無知によってやってしまう。
カルマを超えればそういう一切の束縛を受けなくなる。
我は消滅し、自然の摂理と一体となって、ありのままの正しい行いそのものになる。
自然の摂理が殺人を奨励するわけない。
我があるから自然の摂理から離れる。
そして人を殺す。
187神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 14:54:33.14 ID:39h5e0CF
>>185
仏教は、輪廻もこの世もあの世も、一つの現象界として捉えていると思うんですよね。
現象界 = 幻のようなもの(空)
実質的には、この世は過去からも連綿として続いてるし、未来も続くわけでしょ。
でかいスパンから見えれば、宇宙もいつかは滅びる。
それと同じように、輪廻の世界も解脱によって滅びたり、なんらかの形で崩壊するときが来るかもしれない。
でもそれは、かなりの長いスパンで考えること。
その長いスパンを、輪廻は永久に続く・・・ というんでしょ。
宇宙は永久に続く・・・ という同じ感覚で。
現象世界はいつまでも続くかもしれない。
この宇宙が滅びれば、また別の宇宙が、という風に。
では、前の現象界が、後の現象界と同じかっていうと、そうであるともいえるし、そうでないともいえる(不一不異)
現象界は永久につづく、と、現象界という一つの名称で一括りにすれば、それは常住のような感覚になってしまうけど、
この体は、この時の故我は、感情は、というと、何一つ継承される常住なものはない、といえる。
全体的な我といえるものはあるかもしれないけど、それを継承する主体として、固定して捉えてしまうと、
常住的発想になると思う。
個人的には、たとえ一つの個我が変化偏滅を繰り返しながら、何万年あったとしても、
いつかは滅びるか、越えるか、ってときがあると思う。
逆に言えば、変化偏滅をするもの = いつかは必ず滅びる ともいえると思う。
188神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 15:08:59.05 ID:AyCsrIjk
>>186
ヒンドゥ的カルマ論と道教的無為自然論のごった煮で、仏教ではありません。

・業報輪廻転生論が菩提心凡夫の六処で現生的なる法であることを直ちに経験的に検証してください(相応部35-23.・70)
・また業報輪廻転生論が検証不能の「生まれ」(Sn.136・142)による差別(十二支縁起の(「生」←生まれる前の無明)の証明)ではないことを
  「書いてある」「信仰」以外で経験的に(相応部35-23)証明していただきたい。
・「自然の摂理」とやらは中国道教(老荘思想)であっても仏教ではない。
 「自然の摂理」とやらが一切外の妄想ではないことを証明してください。

できないのなら、どなたの「仏説」か知りませんが、「前提」などと大口を叩かないことです。
業報輪廻転生論は検証不能の一切外ですから、肯定も否定もしませんし、できません。無記です。
個人で夢想することは自由・勝手にどうぞ。
しかし客観的な真実だとか、前提だと主張はできません。
それは、証明できない狭義の「戯論」(形而上的妄想物語)だとの批判を免れません。
業報輪廻転生論を『前提』とする法とやらは、なんら<現生的なる法>(相応部35-70)とはいえません。

まさに業報輪廻転生があろうがなかろうが
『生はあり、老はあり、死はあり、愁・悲・苦・憂・悩はある。
そして、わたしは、いま現実にそれを克服することを教える。』(中部63)

仏法は検証不能の業報輪廻転生論なしで完全に成立します。
これが仏道の【一切法門】です。
189パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 15:09:11.42 ID:vC1EsUlY
>またこれだ・・・
>なんで論理矛盾なの?
>輪廻そのものが空なのに。

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
また、これだww

何で、輪廻支持派ってのは、どいつもこいつも頭悪いんかね?ww
言ってることは、宝珠の劣化板かw

こういうの見ると、輪廻と無我の論理的整合性の不可を認めて、
「そこは『信仰』に帰する。」という一言が言えた一代は、まさに「希少種」だww
190神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 15:11:35.09 ID:pYQXHzHL
>>187
その捉え方は、いわゆる当時インド全般に浸透していた輪廻思想ではありませんね。
だから、無我と輪廻転生は矛盾しないと〜
当時インド全般に浸透していた輪廻思想は、業なり個性なりが連綿と生前死後連なっている〜
とするものであったはずです。それを受け入れ、一方で無我を説き、一方で輪廻転生(インド全般の)
を肯定して説くのは論理矛盾です。
だから、なんとか折り合いを付けようとしてあなたのような捉え方が後代に出来上がったのだと思います。

私が言いたいのは、そもそも仏陀は生前に輪廻については肯定もせず否定もしない態度であったのではないだろうか?
ということです。現在の宗派仏教のメインストリームが輪廻肯定なのだから、これを肯定しないものは仏教を語る資格なしの
異端児〜と言うのは傲慢ではないか?と言うことです。
191パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 15:17:15.43 ID:vC1EsUlY
>この体は、この時の故我は、感情は、というと、何一つ継承される常住なものはない、といえる

wwwwwwww

→何一つ継承される常住なものはない

「業」が継承されるんだろうがw
そして、その業は、  A⇒Aの生まれ変わり  と「個別識別性」も同時に引き継がれていくww
業の一対一対応を許容する限り、無我は成立しないのw
(いい加減に、そのくらい理解しろよ、ここに書き込むならww)
192神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 15:41:32.05 ID:tMsFAlQk
>>182
そもそも、輪廻転生の有無にかかわらず、
仏教には不殺生戒という基本的な戒律があるわけだから、
簡単に殺人を犯す団体が非仏教であることくらい、
簡単に見分けがつきますよね。

それと、仏教的に考えれば、輪廻する自分を
救えるのは自分しかいないということも簡単に解りますよね。
だからポアなど無意味だとわかります。

それに、輪廻を否定した場合の方がもっと危険なことになりません?
死=即解脱なわけだから、どんどん自殺しろってなりますよね。

つまり仏教への理解が足りない人間が入るのがカルトって事なんじゃないでしょうか。
193神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 15:47:25.20 ID:pYQXHzHL
>>192
輪廻の肯定VS輪廻の否定 という図式ではないのですよ。
輪廻の肯定VS輪廻の非肯定 という図式です。>>176
194神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:14:27.66 ID:AyCsrIjk
>>192
>不殺生戒という基本的な戒律があるわけだから

ええだから、チベット仏教特に五戒完全否定のタントラヴァジリヤーナのニンマ派だとか
理趣経真言宗とかが問題になります。

>輪廻する自分を救えるのは自分しかいないということ

輪廻転生が検証されないので応えようがありませんし、
救済第一主義の大乗菩薩サマとかは昼寝中ですか?w
輪廻論によれば、ポアすることで、他者のカルマを軽くするのも救済回向ですよね。

>輪廻を否定した場合の方がもっと危険なことになりません? 死=即解脱なわけだから

そもそも、あなたは【一切法門】に入っていない。
一切法門では検証不能の輪廻論は無記事項の妄想ですから相手にしません、
死=即解脱とやらも勝手な妄想です。

>仏教への理解が足りない人間

一切法門にさえ入っていないあなたが『仏教への理解が足りない』というのはジョークですよねw
195神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:17:56.88 ID:17Hp7bob
>>193


そうじゃないw

釈尊が、輪廻する有情として説いたかどうか、だ馬鹿垂れ。
で、現時点では、「説かなかった≒無記とした)」という物証・証言が存在しないの。


んとに頭悪い奴っちゃな・・・。
196神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:20:25.45 ID:zxGwEHB5
>>187
> 仏教は、輪廻もこの世もあの世も、一つの現象界として捉えていると思うんですよね。(中略)
>個人的には、たとえ一つの個我が変化偏滅を繰り返しながら、何万年あったとしても、
いつかは滅びるか、越えるか、ってときがあると思う。

輪廻も現象界も作られたもの=有為法。
輪廻を通してカルマと経験を積みながら変化する有為法を阿頼耶識と唯識では呼んでます。

阿頼耶識も常住不変でなければ縁起、空、無我と言っても宜しいのでは。

また作られざるもの=無為法も観じられるのが仏。凡夫には無為法は当分無関係でしょう。

以上は私の現時点での認識ですが将来変化するでしょう。
認識も「空」ですので、固執して言い争う必要もないでしょう。 (^o^)/
197神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:25:10.39 ID:39h5e0CF
>>188
>菩提心凡夫の六処で現生的なる法であること

この意味がよく分からないんだけど、感覚器官的なものだから、現世の問題であり、
死後は感覚器官がなくなるから、輪廻転生でいわゆる(広い捉え方における)我というものの継承はない、ってこと?
十二縁起で生は後の方に出てくるよね。
最初のほうで感覚機能の出現が起こる。
これは人の一生を示していて、胎児の形成をいってるように見えるけど、
もし、人の一生のことならば、老死があるから苦しむのだ、という言い方は矛盾してるでしょ。
死んだらすべてが終わり。
感覚機能も滅びるんなら、苦しみは続かない。
老死にて終了・・・ こういう教えにならないとおかしい。
だが、老死があるから苦しむといっている。
ここがポイントなんだけど、浅はかな人は、ここを、老死になる前に苦しみを乗り越える術を、生きてるうち、若いうち、健康なうちに、獲得すべきだ、と
捉えてしまう。
老死ってのは例えば、髪の毛が抜けたり、細胞が死んだり、病気のときに機能の一時的な死があったり、
ありとあらゆるときに、十二縁起が存在している。
老死をもとに、苦しみが発生してるわけ。
この世だけを考えたら、死んだら苦しみが生ずるって、おかしいでしょ?
死ねば苦しみが終わるのに、なんで老死の後に苦しみが発生するのか・・・?
答えは、老死は単なる老いと肉体の死だけではなく、それも含めた、全体的な老死現象のことを言っていて、
赤ちゃんだろうが若者だろうが、この老死現象に支配されて(今現に。)、そしてそれは肉体的な死後にも存在するわけ。  そこから生じる苦は。
でなければ、普通は 「老」で終わりだよね。
死んだら楽になるというか、何もないんだから、苦はつづかない。
だから十一縁起でいい。
生存のことだけを考えればね。
感覚機能ってのは、この世だけの問題じゃないと思う。
肉体の死も含めて、肉体の死をも超えていく苦があって、それを乗り越えろと、
十二縁起は示していると思う。
198神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:29:46.62 ID:tMsFAlQk
>>194
>輪廻転生が検証されないので応えようがありませんし、

科学的に検証されるのはおそらく
数千年先でしょうねw

>ええだから、チベット仏教特に五戒完全否定のタントラヴァジリヤーナのニンマ派だとか
理趣経真言宗とかが問題になります。

それは、それ自体に問題があるのではなく、初期仏教を踏まえないことが
問題なのでは?

仏教を論理でのみ理解することが一切法門に入る事なら、
一切法門とかどうでもいいです。

仏教は実践あってのものだと思います。
199神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:32:30.81 ID:zxGwEHB5
>>195
>で、現時点では、「説かなかった≒無記とした)」という物証・証言が存在しないの。

@「無記とした」という物証は仏教テキストベースでならば有ります。
A「説いた」という物証も仏教テキストベースでならば有ります。
B「一部無記で、一部は説いた」という物証も仏教テキストベースでならば有ります。

@を明治以降の近代仏教学者の多数が担いだ縁で今日の日本仏教界の現状が起こっております。
Aは日本仏教界の各宗派の祖師達が文書で残しておりますのに。

科学常識 > 近代仏教学者の言 > 祖師達の教え  
  ↑トホホの末法の世の構図です。\(^^;
200神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:37:00.99 ID:zxGwEHB5
>>198
>仏教を論理でのみ理解することが一切法門に入る事なら、
一切法門とかどうでもいいです。

仏教を科学常識でのみ理解することが一切法門に入る事なら、
その門は捨てた方がいいですね。 (^o^)/
201神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:39:08.47 ID:pYQXHzHL
>>195
仏陀滅後100〜200年後にやっとそれまで口伝で伝承されていたものが書き残されはじめ
それが、初期経典として残り、我々はそれを元に推測するしか道はないわけです。(我々であって私ではない)
さらに初期経典に加えれば当時の仏教教団が置かれた状況、歴史背景等全てを元に推測する必要があります。
そのような中で >物証・証言とは何を指して言っているのですか?

十無記、十四無記、十六無記を推測に取り入れない〜という姿勢が正しいとでも?
202神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:40:38.28 ID:39h5e0CF
>>190
>業なり個性なりが連綿と生前死後連なっている〜

ここの「個性」というのが問題なんだと思うよ。 その捉え方が。
インドのもともとの思想も、仏教の的な輪廻も、まったく同じだったと思う。
むしろ、途中からアートマンという常住的存在を絶対視して、実在の神をあがめたり、目指したりするような、
勘違いが途中から起こったんだと思う。
だから仏教では、そういうところに捉われるな、と言ったんでしょ。
確かに勘違いしやすいよね。
無我になって、すべてを投げ出して、始めて得られる(仮に。)ものがあるのに、
常住アートマン的なものを求めてしまうと、我の延長線上になってしまう。
釈迦は、そういう本来の教えとは違ったものを、是正したかったんだと思うね。
分かり易く説くには、真我とか、そういう言い回しにしたほうがいい、けど、
それは誤解を生じ易い。
あ〜、真我なるものが、「ある」んだってね。
そういう誤解が古代にも当然起こったんだと思う。
だから、そういう点に注意したわけ。
我の延長線上に考える常住のものを、徹底的に否定しまくった。
すると、今度は別の弊害が出てくるわけ。
いわく、「死んだら個性は滅する」 と。
だから一度適正に戻す必要があるんじゃないかな〜、と思う。
203神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:52:35.14 ID:zxGwEHB5
科学常識 > 近代仏教学者の言 > 祖師達の教え

釈尊や龍樹の教えならば後世の付加・改竄等の可能性の議論も分かります。

しかし、少なくとも日本の各宗派の祖師達の輪廻に関する教えは真筆でも残っております。

もし皆さんの祖師が輪廻を説いているのに、「輪廻はない」というのも自由ですが、
その際は「科学常識宗」とか「近代学者宗」とか自称した方が宜しいかと存じます。

もちろん「非仏教徒」とか「生命教」とかもOKでしょう。
204神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:52:45.32 ID:39h5e0CF
>>191
だから・・・、継承される「常住的なものは」ない、と言ってるの。
広い範疇での我というものを想定すると、それが固体のように見えちゃうけど、
一つ一つを分解すると、例えば、そのときの感情、思想、思いかたなど、そういうものの寄せ集めにしか過ぎない。
我という確固たるものは想定出来ない。
便宜的に、我とか、個性と言っているだけ。  
だから、自分が輪廻するという言い方は、ある意味正しいし、常住非常住の考えたからすると、
間違ってるとも言える。
業も同じだよね。
業を継承する という言い方は、深く考えると適切ではない。
Aの業 → Aの業を引き継いだもの  は、異なってるとはいえないが、同一のものとはいえない。
Aの業を引き継いだものがいる・・・ というとき、業だけを切り離して、「ほら、ここに常住の業がある」 とはいえない。
業も引き継いだAも、すべて一体となってAを形成しているのだから。
205パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 16:57:37.55 ID:vC1EsUlY
>ここの「個性」というのが問題なんだと思うよ。 その捉え方が。

www
その死後も継承される「個性」を認知しなければ「業論」は成立しないし、
そのように永遠と継承される「個性」を認めてしまえば「無我」は成立しない。
この二律背反は今持って何ら解決されていない。
この何年にも渡る一連のシリーズは言うまでもなく、(俺が今まで調べた資料においても)
『唯の一人も』この問題を解決した者はいない。・・・・ただの一人もだwww)

そこは「信仰」しかないのw
「論理的に無矛盾」などと寝ぼけたこと言うんじゃねえぞw
206神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 16:58:20.47 ID:39h5e0CF
>>196
常住であるかどうか・・・、って言う前に、無常であるかどうか、を問題にすべきだと思いますね。
無常であれば、常住とはいえないのですから。
無常にもかかわらず、ほら、これは常住だ、って言ってる人が多いような気がする。
輪廻する何者かがいずれ滅するかどうかは別にして、無常であることは確かなんだから、
それは有為法ってことですよね。
207神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 17:03:59.64 ID:7ir/ic/0
もう既に何度もいわれてることだが、お前ら毒矢の譬えの教えから少しは学ぼうぜ
208神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 17:07:16.79 ID:MeWg35cW
>>205
「釈迦の勘違い」の一言で解決w。

それが出来ないから、精神科医が介入しなければならない。
209神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 17:07:55.37 ID:39h5e0CF
>>205
>その死後も継承される「個性」を認知しなければ「業論」は成立しないし

言ってることはよく分かるんだよ。
ただ、「個性」というのを、「ある一つの確固たるもの」 という風に捉えてることに問題があると思うの。
個性というのは○○だと、ハッキリと一つのものを示すことは出来ないでしょ。
個性個性と言ってると、なんだか個性という、自分というものが、一つの確固たる存在のように錯覚しちゃうけど、
実はその個性も変化してるわけ。
前世の個性が悪いことやって裁かれたとしても、今世の個性はそれに反省して、まっとな人間になってるかもしれない。
で、確かに同じ人が継承していると言えるわけだけども、種と芽は不一不異ということと同じで、
継承する何か特定のものがあるわけじゃない。
そういう確固たるもの、常住の変わらない個体があるわけじゃない。
ただ分かりやすく、個性とか、我とか言ってるだけなの。
そういう名称をつけてしまうと、そこに確固たる何かがあると思っちゃうのが、こういう話の問題点だと思うんだよね。
210神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 17:17:40.19 ID:MeWg35cW
12縁起は明らかに間違っているね。

感覚器官、思考器官、運動器官は、すべて「受精後」「胎生時」になって
初めて発生する。
211パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 17:17:40.85 ID:vC1EsUlY
>>209 業論で問題とされる「個性」とは、
「この人がAさんの生まれ変わり」といえるもの。Bさんではなく
Aさんの生まれ変わり・・・・すなわち「個識別性」なんだよw

それが必須なのw Aさんが積んだ悪行が、全く関係ない人のBさんの
生まれ変わりに背負わされたら大ごとだww

この「Aさんの継承者」といえる属性がすなわち「我」なんだよw
これを認めなければ業論は成立しないし、「Aさんといえるもの」を
認めてしまえば、『無我なんだから、お前さんが感じている苦なんてホントは
ないんだよ』っていう仏教独自の方向性も意味をなさないww

完全に排反事象www
212パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 17:27:41.98 ID:vC1EsUlY
「この人はAさんの生まれ変わりである」・・・・・これは何を持ってそう言える?
何やらわからんが、とにかく「Aさんの生まれ変わり」であると言えるものが
あるわけだw それがなければ、三世にまたがる悪因悪果など成立しないw

この「Aさんと言えるもの」・・・・・これが連鎖していることが必須なわけで、
「い〜〜〜え、それは常住ではありません。」と言お言うが、
実際、続いているでしょ?w  また、続かなければ、Aさんの生まれ変わりと
言えなくなっちゃうでしょ?
たとえ、変化しようが「これはAさんの生まれ変わり」と言える属性だけは
変化できない。  それがいえなくなれば業論が成立しなくなくるからw

どこまで行っても、論理的に不整合wwww
2131/2一切門と般若門:2013/09/26(木) 17:29:01.61 ID:AyCsrIjk
>>197
>>198
>>200

仏法のメルクマールは四法印です。
<“一切”行無常、“一切”法無我、“一切”皆苦(煩悩即菩提)>⇒涅槃寂静
仏法では一切=菩提心凡夫にとっての存在しか扱いません。

そもそも仏法の本懐は大前提の第一の【菩提心門】を透過した菩提心凡夫(>>179)の実存苦の根本的超克のためにあり【四諦】、
そのために仏道=八正道があります。

ですから仏法は菩提心凡夫に明晰でなければなりません。
菩提心凡夫に明晰であるとは、その六処で経験的に検証できなければなりません。
それが【一切法門】です(⇒相応部35-23参照)。

一切法門で菩提心凡夫が己事究明を中心とした縁起の(間接)現実を徹底的に如理作意(中部15)してゆきます。
如理作意は縁起の現実を『論理や科学常識でのみ理解すること』ではなく、
日常作務を含めた八正道の知行意の実践(三毒の超克)ですからその基準は「現生的なる法」でなければなりません。
2142/2一切法門と般若門:2013/09/26(木) 17:33:34.25 ID:AyCsrIjk
>>197
>>198
>>200
(続)一切法門=現生的なる法
仏典、テキスト、議論は以下の基準による<検証性>を満たさなければ『邪世俗』=間接現実の一切外の妄想・戯論・物語として相手にすべきではありません⇒無記。

 1 明証性:.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)であり、 *Sn.1053・1066
 2. 即時果報認証性:時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)であり、 *同上
 3. 客観的再現性:来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)であり、 *同上
 4. 涅槃合目的性:よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)であり、 *Sn.737
 5. 自力検証性:知者がそれぞれに自ら知るべきもの(仏法は信仰ではない)である。 *Sn.908

なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想・物語)を語っている一切外の『邪世俗』(シャーンタラクシタ)でしかないからです(相応部 35-23 一切)。
仏法の縁起の現実を無視した因果撥無の邪説です。

『実世俗』(シャーンタラクシタ)が間接現実「一切」であり、
★縁起の(間接)現実=<因果(時空)関係>を正確に如理作意(中部15)によって徹見することで、
遂に第三の法門である【般若門】を突破し、
般若智(無分別智)直覚 による縁起の(直接)現実=<如(時空際断)関係>を現観するに至るのです。

絶対神、ブラフマン、アートマン、真我、仏性、如来蔵、本覚思想、業報輪廻転生論、回向論、唯物論、観念論などは
上記検証基準に耐えられない一切外の『邪世俗』(シャーンタラクシタ)であり<無記=無視事項>です。
215神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 17:39:58.24 ID:39h5e0CF
>>211
>この「Aさんの継承者」といえる属性がすなわち「我」なんだよw
>これを認めなければ業論は成立しないし、

いや、確かに、「Aさんの継承者」といえる属性が、「我」 ということは分かるんだけど、
その我の定義なんだよね、問題は。
我というのは何をもって我というのか・・・?
もし確固たる「我」というものがあるんであれば、それはいささかも変化しない、
ある一定のものがある・・・ ってことだよね?
で、それを定義できるのかと・・。
我は常に変化してるでしょ。
考え方はくるくる替わるし、そのときの感情もくるくる変わる。
10年前の自分と、今の自分が同じ考え方、感性だとはいえない。
そういう一つの固体として捉えることが出来ない「我」を、あたかもそういう固体があるように扱って、
それが輪廻の主体だとか、継承されるとか言ってるから、おかしくなるわけ。
個性が継承されたとしても、そこには常住性はなく、確固たるものとして継承されるものは
何もないわけ。
「個性」 という文字が、ただ常住なだけなの。
実際の個性っていうのが、確固にあるわけじゃない。
だから個性が継承されるといっても、それは常住的な固体が継承されるわけじゃないわけ。
216神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 17:49:51.26 ID:39h5e0CF
>>212
ではね、「10時の自分」と、「今の自分」って、違うよね?
10時の自分を出せ! って言ったって、そんなものはどこにも無いわけ。
その無いものを、どうして今の自分が継承出来るのか・・・?
もし我というのが継承の主体として、確固たる存在としてあるんなら、10時の自分を継承出来るはずだよね?
どこにそんなものがあるのか・・・?
10時の自分の思い、感情、触感・・・ どこにそんなものがあるのか?
確固たる我があるというのは、間違ってるよ。
同じ存在であるともいえるし、違う存在とも言える。
中道なんだよ。
217一切法門と般若門:2013/09/26(木) 18:03:28.49 ID:AyCsrIjk
<悟りは要領>

<絶対神、ブラフマン、アートマン、真我、仏性、如来蔵、本覚思想、業報輪廻転生論、回向論、唯物論、観念論などは
上記検証基準に耐えられない一切外の『邪世俗』(シャーンタラクシタ)であり<無記=無視事項>です。>

こういったくだらないガラクタを無視して迷妄しなければ、
最短距離で最速でシンプルにゴールできると思いますよ。
小生は捨てました。

<至道無難、惟嫌揀択>これだけです。
218神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 18:13:35.12 ID:tMsFAlQk
>>217
それも一理ありますよね。
どこかのニューエイジ系の団体では、
「自分が悟ったと思えば、その時点で悟り」
と説いてるところもありますし。
219神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 18:24:13.63 ID:tMcAaVkk
生命を見たものはいるか、
 
自分を見たものはいるか、
 
それは確かにあるのに、だれも見たものはいない。
 
ということは、生命も自分も五蘊じゃないということじゃね?
 
生命も自分も物質じゃないのよ。わかる ?
220般若門と還滅門:2013/09/26(木) 18:32:46.87 ID:AyCsrIjk
>>218
>「自分が悟ったと思えば、その時点で悟り」

これは明確な誤りです。
即ち、修証一等=二相の相即的実践ですから、悟りそれ自体はありえません。


<【間接現実】自帰依(灯明・洲)←如理作意・大疑団―フィードバックー菩提心・般若智直覚→法帰依(灯明・洲)【直接現実】>
                      →崩壊 ⇒ 涅槃【還滅(間接)現実】

般若門の透過(色即是空)はそれ自体で完成ではありません。

あとは娑婆への【還滅門】(筏の喩えの法門)で、仏法のゲシュタルト(想いからの解脱)の崩壊で涅槃=慶安に存在することになります。
221神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 18:43:06.19 ID:39h5e0CF
>>213
>>214
修行の実践という意味においては、あなたの言ってることは正しいと思いますよ。
ある意味、釈迦が無記としたのは、修行者にとって不必要なこと・・・・ 修行者向けの言葉なんでしょ。
ところがそれだと、信じて付いて来る修行者にはいいけど、対外的に説明出来ない。
仏教とはこういう教えだと、広めることが出来ない。
そこでどうしても、無記ではいられなくなったわけ。
で、ここでも分かる人は分かるし、分から無い人は分からない。
言葉の説明でピンと来る人もいる。
その言葉を離れることの重要性も、理解できちゃうわけ。 言葉によって。
だから、人によって違うし、修行的には離れないといけないんだけど、一旦そういうのは置いといて、
まず仏教っていうのはなんぞや・・・? ってところから入らないと、対外的に説明出来ない・・
仏教の本質というか、そういうものを伝えることが絶たれてしまう。
だからあえて言葉で説く、ってことでしょ。
一方で言葉で説きながら、一方で言説を離れる工夫をする・・・
そういう感じがいいと思いますね。
関係ないけど、維摩経の一説をあなたに送ります。
222神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 18:50:23.26 ID:39h5e0CF
>>213、214
天女が問うた、
「長老さま。 大なる知恵があられるのに、どうして黙っていらっしゃるのですか?」

答えて言う、
「解脱はことばでは説かれないものです。  それだから、わたくしはここで何んと言ってよいのかわからないのです。」

天女が言うた、
「言説文字は皆解脱の相でございます。
なぜかと言いますと、解脱は内でもなく、外でもなく、両者の中間にあるものでもありません。
文字もまた内でもなく、外でもなく、両者の中間にあるのでもありません。
ですから、文字を離れて解脱を説くことはないのです。
なぜかと言いますと、ありとあらゆるものは、すなわち解脱の特質をもっているからです。」
223神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 18:55:52.80 ID:tMcAaVkk
つまらん戯論はやめにして、
 
まず生と死を明らかにしよう。死こそは苦の苦なんだから、
 
これを明らかにならなければ話にならない。
 
死が明らかになれば、命も明らかになるのと違う? 
224般若門と還滅門:2013/09/26(木) 19:06:38.57 ID:AyCsrIjk
>>222
>ありとあらゆるものは、すなわち解脱の特質をもっているからです

  解脱は解脱ではない。これを解脱と名づける。

ありがとうございます。
拝受いたしました。
225神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 19:09:58.52 ID:tMcAaVkk
>解脱は解脱ではない。これを解脱と名づける。
 
バカめが
226神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 20:28:40.07 ID:17Hp7bob
>>201
ハァ?(゚∀゚)
お前、自分が何言ってるかわかってる?

>そのような中で >物証・証言とは何を

まさに
>それが、初期経典として残り、我々はそれを元に・・・

>当時の仏教教団が置かれた状況、歴史背景等全て
に決まってんじゃねーかw
他に何があるって言うんだ? 高次元存在からのお告げか? アカシックレコードの読み取りか?
釈尊の生まれ変わりの説法か?

現存資料上の蓋然性を言ってるの。

中には(このスレにも?w)いるよ。
「現存資料には、抹消されて残っていないだけ。本当は、違う教えが説かれていた」
と主張する者がね。  それこそ、言ったモン勝ちだなw 


解釈の次元の話だというのはその通り。
ただ、その解釈が意訳に過ぎる(―もっと言えば、或る期待する結論を先に織り込んで訳されている―)ということ。

随分前に、「大人の童話、大人の昔話」として、各種昔話のストーリーは、
本当は或いは元々はコレコレこうだった、というムーブメントがあった。
残酷な部分、或いは風刺的部分、或いは道徳的に時代的に公序良俗上疑問視される部分等が
削られた改変されたりしたものが、絵本を始め子供用として流通しているわけだが、
まさに、そのように、或る意図(現代社会の常識、価値観)の方へ引き寄せて解釈する風潮を指摘しているのです。

 *勿論、私個人は三世の輪廻には懐疑的ですがね。
  が、それと、仏説がどうであるかは別問題です。
227神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 20:49:50.41 ID:MeWg35cW
>>226
何故、現存資料の信憑性にもっと疑問を持たないかが不思議。

仏典には、釈迦が書いた仏典はもとより、釈迦の言葉と証明された言葉は、
唯の一語もない。釈迦がー、釈迦がーと騒ぎ立てるのは、全く無意味で滑稽
極まりない。

すべて、後世の弟子達による伝聞と解釈。当然、多くの誤りや、故意の改竄が
含まれている。

現代の裁判では、このような「伝聞証拠」は、「証拠力なし」として、原則として
初めから証拠として採用されない。仮に採用されても、途中で伝聞であること
が判明すれば、異議の対象となる。
228神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:07:59.70 ID:RrQSlN8j
>>226
童話や教訓、冒険譚などと宗教の真髄を同じと見ていいものかね

よくインディアンの伝承が白人の影響を受けているところから
またその伝承の微妙なちがいの記録によって、伝播と異本の形成についての学問
が生まれ、伝承の信憑性に対する疑問という傾向をもつに至ったが

たとえば、童話のシンデレラの話は熊楠が漢文で書き取られた似たような伝承があることを
突き止めているが、確かに類似点を多数確認することができるし
まったく別の話のようにも見える。だが多くの欧州で見受けられる類型、
地域のあるいは当時の価値観の影響が色濃く残っているように思える。
しかし、イソップ童話のように、古代ギリシアの時代から知識人の教訓として、その間で
人口に膾炙されてきたような話にしろ、またグリム童話のように地域で残っている異同のある
興味深い話を作者名義によって王に献上するためにアレンジして作った話にしろ
また古事記のように文字文化がなかったところに、中国文明化する上でその文字化に
試みた話にしろ、アメリカインディアンのように大らかさをもって人々にこころに雄大さをもって
生きるように説いた教訓譚にしろ、それらを十把一絡げにして扱うのはどうも私は
納得できない。もちろんそれは私の妄執であると言われればきちと反論する根拠もないわけだが。
素直に雑だと思うこの感情にもある程度の説得力があるものだと思う。
229神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:08:39.17 ID:17Hp7bob
>>227
で、陪審員が、コイツ生意気だから・・と有罪判決を出すわけだなw

俺様読み俺様解釈のみで行くってのはそういうこと。
230神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:11:44.88 ID:pYQXHzHL
>>226
いや、あなたの>>195の書き込みが、まさに >高次元存在からのお告げか? アカシックレコードの読み取りか?
釈尊の生まれ変わりの説法か?のようなものを想定しているような雰囲気だったので念のため釘をさしたのですよw
で、解釈の次元、結論ありきの解釈〜等のブーメランはそのままあなた方宗派仏教のメインストリームの立場の方に
投げ返す事も可能なのですよ。
十無記、十四無記、十六無記を推測に取り入れない〜という姿勢からも色濃く疑う事が出来ます。
>>227
その通りです。
宗派仏教のメインストリームの立場の方にとって所詮、人間仏陀を想像することは無意味で無価値なのでしょう。
だから、仏陀滅後の仏教集団が犯したであろう誤りですら、伝統だからの一言で後生大事に信じて疑わない。
最初の段階で躓いたら、その後2500年躓きっぱなしで問題なし〜とする姿勢はいかがなものでしょうねえ。
231神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:27:16.55 ID:RrQSlN8j
それはさておき
たとえば聖書、これはラテン語で記録されているが、これはローマ人の使った言葉だ
イエスはアラム語を話していたと伝えられている(はず)だったかな、だが
これとて、記録されるまでは口伝で代々伝承されていたと見るべきだろう。
それはおそらく、羊飼いたちが、放牧の途中にそらんじながら記憶しつづけたものであり
かつての琵琶法師のごとく、極めて専門的な集団、当道座のような盲人集団のような
によって伝えられてきたものと思う。
童話などの多くは、伝承の際は車座になって語り手が多くの聞き手たちに
聞かせ噛み締めさせるものであっただろう。それゆえ好きな部分がよく記憶され
アレンジや別の話の付け加えという形もあっただろうと思う。
聖書などは童話とはその伝承形式が異なるのではないだろうか?
図書館の創設は個人用の読書部屋とセットであったとされており、図書館によって
個人主義の萌芽やエクリチュール、テキスト崇拝への流れが起こったとされる説があるが
それは同時に記憶の軽視と、多くの記録への欲求でもある。
ある集団が、生きる指針であるならまだしも、生きる理由とするために
ひたすらにそらんじ、たもちつづけてきたものにその内容の基本について大きなちがいが
見られるということがあるのだろうか。
仏典においては浄土経にしても五悪段とよばれる付加が推測されているし
盂蘭盆会経にしても、中国の祖先崇拝を尊重して受け入れやすい形の模索の結果であろう
ことが疑われているが、同時に、それは仏教がある程度そのようなひろがりを
許容していたと言えるのではなかろうか?
たとえば、閉じればこぶしに、開けばたなごころに、手になるが、地域の習慣の差によって
意味の展開がなされるとて、同じ手であれば問題ないと見ることもできるのではなかろうか。
232神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:29:46.40 ID:zxGwEHB5
>>197
>肉体の死も含めて、肉体の死をも超えていく苦があって、それを乗り越えろと、
> 十二縁起は示していると思う。

真宗の三木住職も「現代仏教塾」の中で貴兄と似たことをおっしゃってました。

http://www.youtube.com/watch?v=8hY-nFQpTsM ←是非22分のビデオをご確認下さい。

お釈迦様のお悟りは「縁起」ですが、十二の具体的な内容を持った縁起です。
なぜ私達は人間として生まれたのか。
無明:自己を知らない
行:業
名色:心と体(受精卵に識が入る)
取:執着

無明から識まで前世
名色から触まで現世
受から老死まで中有〜
ところが近代仏教学では十二縁起が論理になってしまった。
233神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:32:59.36 ID:RrQSlN8j
うわあ・・・急いで書いたから、文章むちゃくちゃだ・・・
すまない。でも、おもしろい指摘に触発されたのはたしかだ
234サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/26(木) 21:37:20.60 ID:UwV1i46w
>>231
旧約聖書は最初から祭司 レビ人たちが伝承し 恐らく口承で
新約は使途の時代から筆記されてまとめられていたと思われます
使徒の長ペテロの秘書であり通訳でもあったであろう マルコによる福音書の筆記者マルコの
存在はよく知られていますから
聖書の写本は断片であっても内容に大きな異同はみられません
仏典とは宗教文書としての性格が違うからでしょうね
聖書は神と人間の 契約書 でもありますから
235神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:51:16.33 ID:MeWg35cW
>>231
>ある集団が、生きる指針であるならまだしも、生きる理由とするために

そもそも、創唱宗教は、「生存努力」とは無関係。寧ろその対極。創唱宗教、
例えば佛教やキリスト教に、「生存のための知恵」がどこにあるか。その知恵を
追求し、築き挙げたのは、専ら生活者であり、宗教者ではない。

開祖の精神病の症状としての「観念過剰」により、古代人の自然宗教における
生存との関係を断ち切ってしまい、本来「生存の手段」として発生した宗教を、
「生存の目的」とする倒錯に陥ったのが、創唱宗教である。

精神病は、伝染する。従って、創唱宗教とは、開祖の精神病の集団的一大感染と
いう、精神医学的現象である。釈迦が、双極性障害(躁うつ病)であったことは、
仏典から明らか。聖書でも、イエスを身近に知る家族、郷里の人々、仲間のユダヤ
教徒は、イエスは、基地外、悪霊憑きであったと証言している。
236神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:55:18.35 ID:RrQSlN8j
なんだか、そういう人系好みの文章だったかw
とにかくレスありがとう
237神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 21:58:01.67 ID:MeWg35cW
12縁起は、現代の産科学の知見からは、全くの誤り。順序が滅茶苦茶。

仏教者は、まず産科学の基本を勉強されたし。
238サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/26(木) 21:58:44.41 ID:UwV1i46w
>>236
ユダヤ・キリスト・イスラム系は聖典への後世の付加は認めない いちおうね
宗教の枠組みが違うから
239神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:01:37.49 ID:zxGwEHB5
>>235
>聖書でも、イエスを身近に知る家族、郷里の人々、仲間のユダヤ
>教徒は、イエスは、基地外、悪霊憑きであったと証言している。

家族にも理解されない時もあったでしょうが、後に母も兄弟もイエスの教えに
帰依して随行しております。

釈尊も家族をおいて家出しましたが、妻も子も帰依して随行しておりますでしょう。

イエスのことを本当に理解できたのは当初は洗礼者ヨハネ位でしょう。
イエスも洗礼者ヨハネをモーゼを含む全ての予言者達よりも偉大だと保証しております。

至高の聖者はある意味「孤独」ですね。 (^o^)/
240神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:11:12.09 ID:MeWg35cW
>>239
開祖の精神病に感染してしまっただけの話。だから宗教は恐ろしい。

精神医学者は、患者からの精神病の感染(逆転移)を極度に警戒する。
当時は精神医学がなかったし、素人たちは、感染に対して全く無防備だった。

また、精神病者は希少だから、却って珍重された、という事実もある。
現代の「見世物小屋」と同様。
241パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 22:15:10.06 ID:vC1EsUlY
>>216  あのなあ、誰も「確固たる我がある」なんて一言もいってないのww

仏教的に言えば、「この私」というのは,「縁起による『現れ』」に過ぎないわけw
それを無明によって我々は「自分」とみなしてるの。言うまでもなく、それは
無常であり、常住するものではないw   言い換えれば、「昨日の私」が縁となって
「今日の私」が現出しているとも言えるw

んで、仏教的言い回しを避けて、もっと世俗的な視点から考察すると、
「何をもって自分」と言えるか? 「この人は何故、AさんであってBさんではないのか?」
・・・・・昨日のAさんは、勿論、今日のAさんとは異なるw  しかし、我々は「Aさん」
と見るわけだw  昨日のAさんと今日のAさんを結びつけるものは何?w  それは

@身体の空間的連続性
A記憶の連鎖        この二つのファクターによって、そこに同一性を見るわけw

この要因の担保によって時系列上の各Aさんに同一性をみるのww
では、生まれ変わりは?w  二つともないでしょ?
それにもかかわらず、同一性を担保しようと思うならば、それ以外の要因・・・・
霊でも魂でも心でも業でも、呼称は何でも良いが、そういうもの・・・同一性を担保する
何かしらのものを設定しなければならなくなるのw  でないと業論は成立しないのww
 んで、そのような同一性を担保する属性(解脱するまで永遠と継続するw)ものを
設定しちゃったらもうそれは、アートマンでしょうが?www

業論⇒AさんとBさんを識別できる属性が必須
無我⇒上記の属性がすなわち我

どうやっても論理的不整合は解消不能wwww
242神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:21:32.64 ID:zxGwEHB5
>>240
私の家族も精神科医だけど貴翁と違って、釈尊をめちゃ尊敬しております。

あなたの釈尊やイエスに対する異常とも思える憎しみの心因を一度他の医者に診てもらえば良いかも。
243サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/26(木) 22:21:48.26 ID:UwV1i46w
>>241
おひさしぶり^^
持続する縁起の集合は個を識別する担保になりませんか?
今生きている私たちも縁起による結果の集合として存在してるし
244神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:21:56.29 ID:MeWg35cW
精神病の感染(「感応精神病」)に関する最新の論文集を読んだが、その症例の
殆どが、宗教関連である。

日本における新興宗教の開祖たちを見ても明らか。大本、踊る宗教、璽宇教、など。
特に女が多いようだ。「産後鬱病(maternity blues)」も関係しているのかも知れない。
245神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:30:01.02 ID:MeWg35cW
>>242
宗教などに嵌ったら、精神科医の資格はない。患者やその家族からからクレー
ムが出ることは確実。

現代精神医学において使用されている唯一の宗教由来の治療法である内観法も、
「宗教的要素を一切取り除いて」用いられている。
246神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:34:41.90 ID:17Hp7bob
>>241
お見事。

なぜ、その図式(説明)を前々シリーズで出さなかったw


(一代のアレに対抗する)懐疑派テンプレとして採用だな。
247神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:37:54.62 ID:zxGwEHB5
>>245
>宗教などに嵌ったら、精神科医の資格はない。患者やその家族からからクレームが出ることは確実。

欧米の精神科医達からは、「イエスは狂人」と唱える貴翁はどのように診断されると思いますか。
それから仏教徒の精神科医も多いでしょう。
248パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 22:40:03.37 ID:vC1EsUlY
>>243 おひさ〜〜〜ww

>持続する縁起の集合は個を識別する担保になりませんか?
> 今生きている私たちも縁起による結果の集合として存在してるし

この「今生きている私たち」・・・・・これを仏教的に捉えるならば、
まさに「縁起によって、そのように現出」しているという見方だろうw

問題は、Aさんとその生まれ変わり・・・・なぜこの人はAさんの生まれ変わりと
言えるのか?  Aさんとこの人を結びつけるものは何か?
今のところ、仏教は「縁起による」という回答しか用意できていないと
思うぞw  そこはブラックボックスとして「信仰」するしかないw
論理的整合性を飛び越えて、「信仰」の範疇の話だよw

Aさんとその生まれ変わりを結びつける属性を設定してしまうと、無我と
矛盾するw
249神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:40:17.60 ID:MeWg35cW
>>242
>あなたの釈尊やイエスに対する異常とも思える憎しみの心因

「憎しみ」ではなく、患者たちを「病苦」から救いたいだけ。医師の治療は、
「患者に対する憎しみ」からか?「人間に対する大いなる愛」からだろう。
だから「病気を憎む」のである。
250神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:45:29.04 ID:MeWg35cW
>>247
精神科医やその他の医師が、宗教色を少しでも出したらアウトだな。神棚や仏壇や
十字架が飾ってある病院に行く患者がいるか?w
251パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/26(木) 22:46:05.72 ID:vC1EsUlY
>>246  

>なぜ、その図式(説明)を前々シリーズで出さなかったw

あれ?  書かなかったかな?w
SF的な話と絡めて一度、書いた気がするのだがww
他スレだったか?ww
252神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:48:55.88 ID:MeWg35cW
>>246
散々やったではないか。君が、読まなかった、読みたくなかっただけだろw。
253神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:49:55.04 ID:zxGwEHB5
>>241
>業論⇒AさんとBさんを識別できる属性が必須
>無我⇒上記の属性がすなわち我

業論⇒Aさんのカルマと経験は阿頼耶識に蓄積されてBさんに引き継がれる
無我⇒阿頼耶識は蓄積メディアに過ぎず、思考する主体の知的システムではない

(言い古された譬え話)
Windowsシステムは過去世の95→XP→VISTA→7→8と改良とバグを蓄積しつつ輪廻
しかしWindowsは識別され、MacOSとかUnixとかに識別されることはない
Windowsシステムは質量は零で不可視で「空」
254神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:50:34.21 ID:b2xAEWbT
>>223
生死の原因については、このスレに何度か登場しているが毒矢の譬えを調べるとよいだろう。
結論から言うと、生老病死の原因をあれこれ議論して苦しみながら死んでいくよりも、
生老病死から生まれる現実世界の苦しみを取り除き、克服する方がよいと説いている。
255神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:51:37.95 ID:17Hp7bob
>>251
いやwわからん。

ただ、無駄な言葉無駄な要素(→理解の方向性をミスリードする言葉・要素)がない、
端的な表現になってるからさ。
256神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 22:52:44.33 ID:17Hp7bob
>>252
他人の手柄を横取りするようなことはやめようねwww
257サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/26(木) 22:57:29.19 ID:UwV1i46w
>>248
信仰というより仏教は悟りへの階梯が示されているから
体験による確認じゃない?
キリスト教はまさに信仰によるけど
258神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:02:26.39 ID:MeWg35cW
>>255
それは、パーピが、宗教そのものは肯定しているから、君の気に入っている
だけ。

私は、すべての創唱宗教は、「原理的には」全く同じだと分析している。
麻原が処刑されれば、「信者にとっては」、釈迦、キリストになるのは自明だろう。

宗教信者は、己の宗教の正当化のために藁をも掴む心理だから、少しでも
肯定すると、彼等の宗教的確信は、飛躍的に高まる。その意味で、本当は、
パーピのような一部肯定が最も危険。

精神医学者は、宗教的信念と妄想との間には、実質的な相違はない、と言って
いる。
259神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:03:51.64 ID:RrQSlN8j
>>241
事実として同一性はないのに、
同一性を見るって性質を継承することが輪廻じゃないの?
ふつう我々はそれをあなたの言うように@Aによって一生の間のみ
同一性を見る錯誤が起こると見るが
仏教は、@Aではなく、業というものを仮定して、その錯誤が継承されていくと見る。
論理的に不整合なのではなく、
現代人の見方では不整合に見えるだけな気がするが
260神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:08:37.71 ID:pYQXHzHL
>Windowsシステムは過去世の95→XP→VISTA→7→8と改良とバグを蓄積しつつ輪廻
>しかしWindowsは識別され、MacOSとかUnixとかに識別されることはない
>Windowsシステムは質量は零で不可視で「空」

これが輪廻を例えているのなら、
Windowsシステム→人間のDNA、Windows→人間、MacOSとかUnix→チンパンジーやゴリラに置き換えて言っているようなもの。

人間のDNAは過去世の猿人→原人→旧人類→新人類と改良とバグを蓄積しつつ輪廻
しかし人間は識別され、チンパンジーとかゴリラとかに識別されることはない
人間のDNAは質量は零で不可視で「空」

みなさんの輪廻観というのはこういうものだったんですかw
てっきり、インドに根付いている、個々人の業なり個性なりが生前〜死後と連綿と連なる輪廻思想を前提に語っているのだと思っていましたよ。

単なるDNAの連鎖が輪廻ですかw
261神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:11:43.80 ID:17Hp7bob
>>258


アホやなぁ・・。
宗教は、或る種のファンタジーなんよ。君はそれを嫌うのだろうけど。
けど、ファンタジー、物語によって、人は支えられるの。
(君が声高に叫ぶ様々な現代常識や価値基準もまた、今現在の(今現在通用している)物語・ファンタジーなの。)
262神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:13:24.66 ID:MeWg35cW
>>256
宗教者って、本当にいやらしいなw。「記憶の同一性」が人格の同一性に
不可欠であることは、真っ先に出てきた話。過去スレ読んでいないか、都合の
悪いレスは直視できなくて眼を反らしたのだろう。
263神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:15:09.23 ID:17Hp7bob
>>260
真光相手にマジレスしてどうすんだよw

>>262
それを指摘したのは多分俺wwwww
264神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:20:11.89 ID:RrQSlN8j
>>260
アナロジーとしては正しいと思うが
仏教的ではないわな

ただ仏教が科学のように実証によって再現性が担保されるような仮設ではないのは、
道徳性をもっているからだと思う。倫理性というか。

たとえば、人を殺してはいけない。
これは、科学的な真理ではないが、道理ではあるだろう。
なぜ道と言われるかは、ちょうど道が人々が通う合ううちに人知れず自然と形成されるものだからだろう
つねに踏みならしていなければ道も消える。あるときは草がはえて通るのが困難になることがあれば
また人通りが増えて道幅が広くなることもある。再現性はあるが、それは自分の意思も含めて
内在している再現性なので、それ(道理)の外からそれをながめて観察することができないのだろう。
そういう意味において業論も同じ部類に入ると思う。

その必要性は社会的安定性の面から考慮することはできるし
アナロジーをつかうことで論理的な無矛盾を示すことができるが
ただ、反証可能性がないという点では欠点があるというべきだろう。
265神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:24:41.75 ID:MeWg35cW
>>261
宗教は、生来の人格を不可逆的に変容し、現実感覚と社会常識を奪い、その結果、
本人の社会関係・家庭関係を破壊するという、重大な害悪を生じる。

その点で、ファンタジー、芸術、演劇、映画などとは全く異なること位は理解
せよ。宗教は、開祖の精神病の感染という精神医学的現象だからだ。すでに感染
し切って君には、理解はもはや絶対に不可能だろうが。
266神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:33:35.14 ID:RrQSlN8j
記憶によって自己同一性が担保されるのはたしかだろう
だが、人格が、性格や性癖、傾向性のことであるならば、そのようなものは
記憶をまったくもたない虫にも存在することから考えて、記憶によっておこるものと
断言するのは妥当とは言えないだろう。
人格の認識なら、記憶から起こるとは言えるであろうが。
267神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:33:41.11 ID:pYQXHzHL
>再現性はあるが・・・内在している再現性なので・・・観察することができない
現代の言葉ではこういうのは「再現性はある」とは言わないでしょう。
仮に輪廻がこのようなものであると仮定したなら仏陀の無記の姿勢の蓋然性がますます高まるという事になります。
仏陀の輪廻転生の積極肯定を前提にに発展してきた現存の宗派仏教というのはイカサマ宗教と言うことになります。
268神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:34:54.98 ID:MeWg35cW
>>263
>それを指摘したのは多分俺wwwww

君は偉いw。しかしそれは、反カルト者の「常識」。机師あたりも言ってたと
思うよ。
269神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:38:30.27 ID:MeWg35cW
パーピ氏は、「宗教の一部肯定」の危険性については再考慮すべき。「否定しながら
それとなく肯定する」のが、カルトの常套手段。
270神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:43:51.05 ID:RrQSlN8j
ふむ。
たしかに再現性とはある行為に対する現象の予測であるから
〜するなという禁止に対して、再現性もくそもないかもしれないな
だが、ならこういいかえてもよい
同じ人でありながら、人を殺すものは、罰される。

人を殺せば悪果をうけるという道理を人間という種がもつことは
たとえば虫には共食いなんてことが起こりうるわけだから、あらかじめ決まったこととは言えないが
私たちにはなぜか、その道理を守らなければ種を守りきれないという予感がある。
よって、自分にもよからぬ報いをうけるであろうという予感がある。
それは、社会によってつくらえたか、生来のそれかは分からないが
今現在において、我々社会において、仮に外から我々をながめる者がいたとしたら
生き物には意思があるのだから決定論的に決めることはできないが、
再現性の高い法則と言うことができるのではなかろうか。
271神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:46:05.15 ID:17Hp7bob
>>268
偉くもなんともないw

少し、人の認識(の傾向・癖)に想いを致したことがあれば、すぐに気付く。
272神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:46:35.80 ID:zxGwEHB5
>>260
>Windowsシステム→人間のDNA、Windows→人間、MacOSとかUnix→チンパンジーやゴリラに置き換えて言っているようなもの。
人間のDNAは過去世の猿人→原人→旧人類→新人類と改良とバグを蓄積しつつ輪廻
しかし人間は識別され、チンパンジーとかゴリラとかに識別されることはない
人間のDNAは質量は零で不可視で「空」

あくまでアナロジーで、輪廻のモデルとしては不十分です。
その理由はDNA(塩基の組合せ)では肉体的な特徴は記憶できますが、経験した精神的な記憶には情報量と書換速度が不足しております。
過去世のシーン(動画像)を記憶するにはどれだけの情報量と書換速度が必要かを考えれば分かります。

やはり経験した精神的な記憶にはDNAではない「阿頼耶識」のようなメディアを仮設する必要がございます。
阿頼耶識を仮設した唯識の世親菩薩?の智慧に敬意を表します。
273神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:54:30.02 ID:RrQSlN8j
>>270
殺生など十悪を再現性ある道理であるとの推論の上に
業論について意見を述べたいが、ちょうど業論は十悪などの悪論と補完関係にあると言うべきだろう。
一生の間についてのみ考察するとき、十悪についての再現性をなんらかの方法によって
モデル化しようと思えば、自然、業論へと流れざるを得ない。
しかし、当然、死を境にして理不尽な悪をした場合はどうなるか。
報いをうけなければ一生の間のその道理も影響をうけてしまうことになるのではないか。
274神も仏も名無しさん:2013/09/26(木) 23:55:50.44 ID:pYQXHzHL
>>270
仏陀が道徳的な意味合いで輪廻を肯定しただろうという事は容易に想像できますよ。
善因善果、悪因悪果〜いわゆる方便ってやつです。
しかし、自らの教えを説くにあたって積極的に輪廻を肯定して説いたというのは想像できません。
輪廻思想の色濃いインドにおいてですから否定せず、肯定せず(方便で肯定しても)教えを説いただろうと思います。

それと、人間が共食いをしないのは病気を避けるためです。牛に牛を与えてBSEとか問題になっているでしょう。
あれと同じでヒトがヒトを食べるとヒトが持っている病気をそのまま受け入れることになって具合が悪いからです。
ヒトが牛や豚を食べて平気なのは種の壁があって病原がうつらないからです。生物学者の福岡伸一さんが言っていました。
275神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 00:09:01.19 ID:rWkXSiuW
すみません
>>267をもうすこし詳細にお願いします。
無記は如来についての死後ではなかったですか?
私自身、死後は分からないとしたほうがよいと考えていますが
基本的に、仏教は伝統を重んじたいと思っています。
その教えるところを感得するには伝統に則ってし、
その味わうところは個人個人の体験知識に則ればよいと思っています。
よって、私は釈迦の教えが現代の観点からみて、おかしなことを言ってたとしても
その根本が同じならあまり頓着しないのです。
ところで、
私自身、無記についてのテキスト解釈には不慣れなので、得意な方の意見に従いたいと思います。
もし、釈迦が衆生の死後について無記であると断定できるならそれに従います。
断定できなければ、どちらでもよいです。
276神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 00:10:55.56 ID:k0utQO2J
>最後にネットで1万年前 ムー大陸・アトランティスがあり、天皇が統治していた

真光初代、岡田光玉の、アトランティス霊障説は、アメリカで1950年代に流行った
<シェーバーミステリー>が引用元でしょう。SFマニアなら大抵知っているハズです。

この手の翻訳本も昭和三十年代に、Rディクホフの「アガルタ」とか密教科学社なんていう
処から出版されている。

「アガルタ」の口絵は、仏教徒と称するRディクホフの怪しい写真が載っていた。
この手の本を読んだんだろう岡田教祖は、どう見てもペテン師に思ったけど、気付かなかったのか?
岡田光玉のUFO(宇宙)の話は、アメリカの<シェーバーミステリ>ーの影響でしょう。
今の信者さん達は知らないようですなあ。 
277神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 00:19:50.87 ID:rWkXSiuW
>よって、私は釈迦の教えが現代の観点からみて、おかしなことを言ってたとしても
>その根本が同じならあまり頓着しないのです。

正確じゃなかったですね。
釈迦の教えが現代的に見ておかしなものと見えたとしても
釈迦の教えと伝統の教えとが根本において同じであると言えるならばよいという感じでしょうか
278神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 00:35:41.28 ID:lNYjuapv
>>275
>釈迦が衆生の死後について無記であると断定できるならそれに従います。
断定できますよ。

>その根本が同じならあまり頓着しないのです。
伝統と釈迦の直説が同じか否かは輪廻ひとつみても疑問です。

>仏教は伝統を重んじたいと思っています。
宗派仏教の教えが伝統ですので、輪廻肯定の立場でいくしかないでしょうねえ。

無記は形而上の事は肯定も否定もせずに回答を拒絶する事です。
無記は仏教では十、十四、十六〜といくつかあります。
ちなみに輪廻転生は立派に形而上の事です。
279神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 00:47:26.00 ID:SYbE6+AE
>>278
けど、十無記十四無記には入ってないのよねんw
280神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 00:51:58.08 ID:SYbE6+AE
>>278
おお!

>伝統と釈迦の直説が同じか否かは輪廻ひとつみても疑問です
貴方は、「伝統(伝承・現存資料)」以外のどこから、お釈迦さんの直説を知ったのですか?
281神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 00:58:15.30 ID:SYbE6+AE
そうそう。

>>278
>無記は形而上の事は肯定も否定もせずに回答を拒絶する事です

『形而上のことだから』 無記なのではありませんよw

「avyAkata」なのです。
282神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:14:06.63 ID:8lM+6+Vy
しっかし、まあ、親でもない赤の他人の大昔の開祖に、何故これほどまでの、
もはや生理的ともいえる愛着が可能なのだろうね。宗教者は、己の心理を分析
してみて欲しい。

すべてを、何一つ証明されえいない開祖の言葉から演繹しようとしているようだが、
真理探究の方法論として、これは明らかな誤り。真理とは、「開祖が言ったから」
ではなく、「誰が言っても真理」のことではあるまいか。
283神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:19:34.16 ID:SYbE6+AE
>>282
誰(親)が言ったか、ではなく
何が言われたか?が重要だからに決まってんじゃんw

親が何を言おうが、学校の先生に影響されて進路を決める学生・生徒は沢山居るぞw
或いは、歴史上の人物の言葉を座右の銘にする者もいる。
学校の先生の言葉も、親の言葉も、歴史上の人物の言葉も、
その重さは何も変わらない。
もし、親が「出会う者全てを殴って生きなさい」と教育したとしたら?
(アングリマーラは、師匠との関係からそこへ陥ったわけだが。)


隠居は、結局、全てに於いて洞察が浅いんだよな・・・(^^;
284神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:27:46.77 ID:lNYjuapv
釈迦の直説は初期経典、仏陀滅後の教団の置かれた状況、インドの歴史的背景などを踏まえて想像するよりないでしょう。
この想像する直説と現在宗派仏教が説くものが同じとは到底思えない。
この仏陀滅後の初期教団が誤ったとしても、それが元で分裂拡大していき現在残っているのが宗派仏教です。
だから、この最初の教団が誤ったと仮定しこの仮定が真なら現存する宗派仏教は全て誤りということになります。
2500年もの間伝統を守り、釈迦の直説を想像する事を軽視し、ただ「伝統」こそ守るべきものと伝統に依存してきた事になります。

形而上の事について非肯定、非否定で回答を拒絶する事が無記です。

輪廻転生が十無記十四無記に入っていなくとも、推測する一資料にはなります。
285神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:33:24.76 ID:SYbE6+AE
>>284
だからw

それが誤りでないと言えるの?ということ。

貴方が常に反駁の決め台詞としているものが、そっくりそのまま、284のレスの反駁として返るのです。


なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょう。
そして、更に付言すれば、
貴方や、現代の学者は、《文字を追うことのみから、或る解釈を導いている》わけですが、
貴方が「嫌悪する」w「伝統」は、文字や理のみでなく、実際の行を収めた上で伝承されてきている、
ということです。
貴方の発言は、これまで全て、ここに触れずにきているのです。
286神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:36:47.93 ID:SYbE6+AE
>>285

ま、貴方は、
≪歴代の弟子達は、禅定という陶酔でラリってただけで、真の教えから道を踏み外した≫
と言いたいのでしょうけどねwwwww
287神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:45:08.57 ID:lNYjuapv
>>285
>それが誤りでないと言えるの?ということ。
まったく、このブーメランも投げ返せますね。
どこまで行っても水掛け論の域を出ません。

行を収めた伝承こそが仏教で唯一信用できるもので学者や非仏教徒の戯言など聞く耳もたない〜
と言うことでしょうが、私の様な単なる外野の人間は全体を見て判断します。そこが強みという側面もあるわけです。
井の中の蛙大海を知らず〜という諺がありますね。教団内にいては狭い教義や伝統に縛られ全体が見えない。
288神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:47:44.84 ID:SYbE6+AE
>>287
だからぁw

>私の様な単なる外野の人間は全体を見て判断し

その《全体》が、伝統以外のどこにあるの?と、ずっと尋ねているのですよw
289神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:48:17.49 ID:8lM+6+Vy
>>283
>何が言われたか?が重要だからに決まってんじゃんw

それは違うだろ。君達は、只管、「釈迦が言ったか言わないか」で大騒ぎしてるでは
ないかwww。

小学生にでも判る初歩的論理矛盾を犯し、人類の法の中の法(五感による物の有無の判別)
にも思い至れなかった釈迦が「洞察が深い」などとは到底言えない。彼の「一切皆苦」は、
鬱病の最もありふれた症状。「因果関係(縁起)」なら、原始人でも現代の幼児でも知っていること。輪廻転生は、バラモン教徒であった釈迦の、バラモン教の洗脳から離脱しえて
いないだけの話。釈迦の我が、無明であっただけ。
290神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:50:43.19 ID:lNYjuapv
全体は伝統の外から見えるものです。
木を見て森を見ず。近くにいると見えないものでも外に出て離れれば見えるものもあるでしょう。
それが全体です。
291神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 02:01:54.03 ID:SYbE6+AE
>>290
ハァ?(゚∀゚)

頭沸いてんのか?
現存資料及び伝承以外の、どこに、何があるというの?w

当時の考古学的資料は「現存資料」に込みだぞw
(というか、マジレスすれば、『(古代インドの)当時の様子』ってのは、仏教以外の物も含めてだが、
 貴方の嫌う「伝統」の中に散見される描写から導き出してるんだぜ?)

いったい、貴方は、どこで仏教を知り、どの仏教(文献)を見、解釈を導き出しているのですか?
「行」もない「テキスト」もない。
それが、独りよがりの妄想でなくて何でしょうか?
御隠居と全く同じです。
292神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 02:17:30.55 ID:8lM+6+Vy
>>291
>御隠居と全く同じです。

私は、常に、釈迦の「上位次元」である生命の見地から語っている。

釈迦という「下位次元」に執着し、足掻きまわるのは、いい加減で止めたらどうか。
一度きりの貴重な人生の時間の無駄以外の何物でもなかろう。

下位次元に過ぎない「宗教」という閉鎖空間内では、真理など成立し得ないのである。
世の中とは、もっと広いものであることに気付け。
293神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 02:18:43.46 ID:tAWHDI1E
 
>> 隠居先生の場合は?

> 顔文字の代わりに、「生命とは」、「生命現象として」、「釈迦とイエスが、カルトの元凶」とかの決め台詞があります
> 兎に角、釈迦は無知蒙昧なカルトと、バカに仕方が徹底しております
> スッタニパータに登場する「コーカーリヤ」と人物像が被りますので真に気の毒です

隠居先生の場合は ↓ こんな感じ?

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm

第3大いなる章 10コーカーリヤ
コーカーリヤはブッダに向っていった
「ブッダよ。サーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求にとらわれています。」
  _  _  _

 ↓ 隠居先生のセリフの場合は

『釈迦が、カルトの元凶であり
 邪念があり悪い欲求にとらわれて
 釈迦に洗脳される
 と言う心の働きが現れるのであるっ!』
294神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 02:20:45.80 ID:k0utQO2J
ムー大陸はあった?いいえ。ありませんでした
http://www.arito.jp/oth_Mu.shtml
アトランティス大陸
http://www.nazotoki.com/atlantis.html
伝説の超大陸
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/samata/folk23.htm
大陸地殻とはどういうものか?
    ・・・本来は「ムー大陸」批判で書いた文章です。
http://www.h-hagiya.com/es/contine2.htm
295神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 02:21:30.40 ID:k0utQO2J
296神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 02:35:53.00 ID:tAWHDI1E
 
> 私は、常に、釈迦の「上位次元」である → 生命の見地 ← から語っている

 ↑ 隠居先生かしら?

( ↑ 陰ながら応援してるので、これからも隠居先生も頑張って下さい!)
297:2013/09/27(金) 03:39:20.07 ID:mG5y0eZ8
書けるかなぁ
テステス
298:2013/09/27(金) 03:46:43.40 ID:mG5y0eZ8
>>292
隠居かな?
何気にすげえこと語ってんなw
すげえっておこがましさがすげえってことな

とうとう教団でも立ち上げたのかい?w
299神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 03:54:17.54 ID:tAWHDI1E
 
>>257 サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A ID:UwV1i46w さんへ
> 信仰というより仏教は悟りへの階梯が示されているから

『 戯論を滅してない状態から ↓ 戯論を滅させる 』 と言う段階がある、と思います

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章 96ページ
『 戯論を滅して寂静を示す 』
このような境地を達成するには
心の汚れを滅させて
空に一点集中する禅定によって
空を直接体験として理解する智慧によって …

134ページ
無明(根源的無知)を滅したなら
行(行為)などのすべても生じない
無明(根源的無知)の断滅は
〔縁起という〕真如を知って
それに瞑想することから〔得られる〕
300神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 04:13:31.63 ID:tAWHDI1E
 
>>299 の続き

悟りへの階梯として四念処を実践する為の信仰↓と言う意味もあるかも

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm

1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
301神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 04:27:40.71 ID:tAWHDI1E
 
>>299>>300 の続き

明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて

四念処じゃなくて ↑ 五根・五力かも

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81

五根、五つの能力
信根・精進根・念根・定根・慧根

五力、五つの行動力
信力・精進力・念力・定力・慧力
302承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/27(金) 05:32:12.31 ID:Ng6t/kpk
暁さん、おひさwww

その節はいろいろとどうもwwwww

(^。^)私は全く進歩ナシですwwww。(笑)
303神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 06:31:46.07 ID:S3V57Wbq
まぁ、なんだかんだ言ってみんな瞑想なんかしてませんよね?

瞑想体験者のお話
http://www.geocities.co.jp/noboish/case/syukyoka/sujuki-issyo.htm

これを読めば釈迦が体験した事が少しわかるかもしれませんよ。
304神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 07:12:15.31 ID:S3V57Wbq
サマタ瞑想で禅定に入り、第一禅定に自在に出入りできる状態(五自在)
をマスターしてから第二、第三、第四禅定と入って行き、
第四禅定の状態で四念処の各項目をニミッタ(心の光)を通して具体的に
映像として見ていくという瞑想(ヴィパッサナー瞑想)をして初めて悟りです。
これが上座部での常識なのにみんなこの事を完全無視ですよね?

解説
http://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/sayalay.anupassana.htm
305神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 07:53:58.71 ID:SurSZL0a
@異教徒や修行入門者への無記
四聖諦には役に立たないから沈黙

A禅定(無処有処など)の進んだ修行僧への無記
あらゆる言語表現(名色)を離れた(成り立たない)から沈黙
言語論理世界を離れて現象界をありのまま観じる

四悉壇により、死後のことを説いたり、説かなかったり、両方だったり、両方でもなかったり、
が因で混乱が起こったようですね。  (^o^)/
306神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 07:56:20.79 ID:SurSZL0a
>>305
龍樹の中論想定読者は少なくとも四聖諦の実践者ですね。
307神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 09:29:55.79 ID:SurSZL0a
>>306
>龍樹の中論想定読者は少なくとも四聖諦の実践者ですね。

四聖諦の実践者は十二支縁起の8番目の「渇愛」を滅する人ですから
少なくとも哲学的な論争をしない人達でしょう。
308神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 11:56:12.37 ID:xlf0GCRA
>>307
>少なくとも哲学的な論争をしない人達でしょう。

一切外の迷妄に安住して毒戯論放射のおまえがゆーなw
309神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 12:00:38.66 ID:y6qq/vWa
>>298
>とうとう教団でも立ち上げたのかい?w

すべての人間、すべての生物は、その発生以来「生命教」の信者である。

チンケな教団や宗教など、必要としない。
310:2013/09/27(金) 12:11:18.94 ID:mG5y0eZ8
>>302
承狂さん、いえいえこちらこそあの節はどうも( ^_^)

数年振りに野次飛ばしてみましたよ

私こそ進歩はおろか後退してますw
311神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 12:21:05.77 ID:Mkco5TVQ
>>291
>現存資料及び伝承以外の、どこに、何があるというの?w
>>284

>独りよがりの妄想でなくて何でしょうか?
伝統の宗派仏教という囲いの中に安住して、伝統の宗派仏教の教えだけを仏陀の教え直説の全てであると錯覚し
そこから外れた意見や見方は全て独りよがりの妄想と切って捨てる。まさにこのようは姿勢こそ独りよがりの妄想
以外の何者でもない。
312神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 12:24:59.11 ID:Xwcf6ejN
生命を見たものはいるか、
 
自分を見たものはいるか、
 
それは確かにあるのに、だれも見たものはいない。
 
ということは、生命も自分も五蘊じゃないということじゃね?
 
生命も自分も物質じゃないのよ。わかる ?
313:2013/09/27(金) 12:30:58.13 ID:mG5y0eZ8
>>309
隠居よ
いくら宗教を超越した高次元なものだと宣っても、宗教のカテゴリーからは抜け出せんよ。

それをあんたは言語表現で説明しなきゃならん訳だからなw
314神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 12:40:33.14 ID:Xwcf6ejN
生と死の区別はできるよね? そしたら生とは何、死とは何。
 
どなたか答えられる方はいませんか。
 
315神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 12:50:54.72 ID:Xwcf6ejN
中論を読めばわかるが、
生命も自分(アートマン)も五蘊の中で論じられている。
  
五蘊でない場合を除いたり、神の存在を除いたりするところが、
大乗の祖・龍樹の巧妙なところだろうか。
316神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 13:55:31.37 ID:tAWHDI1E
 
>>299>>300>>301 の続き

龍樹の中論

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama17.pdf
第十七章 行為/カルマ〔業〕とその果実の考察
15.
捨てること(断)によっては、それは捨てられない
放棄は瞑想(修道)によって見いだされる
したがって、失効しないもの(不失法)によって
行為の果実が生ずるのである

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
11.
無知(無明)が止まると
行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は
瞑想と知恵(智)を通して生じるのである
317神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 14:26:54.62 ID:Mkco5TVQ
【輪廻転生についての個人的結論】

・積極肯定
宗派仏教の殆どが主張する立場。仏教の基本思想と位置づける。根拠は仏典。仏典の成立背景に対する考察ななし。
輪廻転生とはインドに定着している信仰。個人の個性なり業なりが生前-死後と連綿と連鎖する事。
無我の教えと論理矛盾しており、この矛盾は未解決。後代になり矛盾を解決すべく輪廻転生の方の概念を変える。
変わったこの概念はもはや当初の「個人の個性なり業なりが生前-死後と連綿と連鎖する事」ではない別物となっている。
仏陀の無記の姿勢とも相反するが輪廻転生だけは例外扱い。

・無記
学者、非仏教徒の一部が想像する立場。形而上の事について仏陀が無記の姿勢をとる人だった事を尊重。
無我との論理矛盾なし。教えの中では縁起や無我に比べて比重が小さいと見る。
道徳的な意味で方便として肯定することはあっても、自らの教えを説くにあたって積極的に肯定したとみなさない。
仏陀滅後インドのカーストで輪廻思想が根付いている中で布教をせねばならない教団がこれを受け入れ形を変え積極的に
利用するようになったのが発端と見る。
仏典に散見される仏陀が形而上の事を具体的に語ったとするものを排除。仏典に見られる後代の教義の付加、
仏陀の神格化-偉大化を排除。

当然私は非仏教徒ですので後者を支持します。
318神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 14:29:04.19 ID:tAWHDI1E
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama27.pdf

第二十七章 見解(邪見)の考察

15.
もし人間が神(天神)であるなら
そのような見解によれば永遠(常恒)というものが存在することになる
神はまだ生まれることのないもの(不生)であろう
永遠なるものはいかなるものも、生まれることのないものだからである

16.
もし人間が神とは異なるなら
そのような見解によれば無常というものが存在することになる
もしそのような人間が神とは異なるなら
連続体(相続)は妥当なものではなくなるだろう
319神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 14:38:12.16 ID:y6qq/vWa
>>313
>>315

宗教も五蘊も、対象化可能な生命現象として生命の機能。死者には一切不可能。

生命そのものは、人間の生命を以って対象化が不可能な「唯一の」存在。
320神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 14:57:41.65 ID:y6qq/vWa
>>314
生とは、肉体に現れる生命現象。死とは、その不可逆的喪失。

従って、生命とは「生命現象を現す肉体」と定義しても差し支えない。
生命現象は、肉体の隅々にまで現れているからである。

死後は、生者の思考の対象には成りえない。思考・感覚を初めとする生命の
機能が一切通用しない状態だからである。
321神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 15:03:41.65 ID:y6qq/vWa
>>313
生とは「説明する」ものではない。唯生命の指示に従って只管生きるもの。

生を思考し、説明することは、生きていることではなく、もはや死んでいる
ことである。
322神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 15:34:54.30 ID:nxaLWDN7
「有に非ず無に非ず・・・」と形容詞が続く無量義経の一節。

これは何を示しているのか、よくよく考えてみてくれたまえ。
人生観が変わるかもしれんよ。
323神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 15:50:00.86 ID:S3V57Wbq
(水源禅師法話より)
理論仏教と実際の仏教とは全然、違うということ。
そこからまず分からなければ、理論だけではこの世界は見えないわけ。
なぜかといったら、理論を証明するのは、今最高なものは物理化学のそういう手法しかないわけ。

ところが、心の世界は無限の速さで解析できるから、
そういう電子の速さは、この空間時空では1秒間30万kmでしょう。
てんでお話にならないわけ。それすら光をストップさせるくらいの力あっても、まだ無理なわけ。
結局、瞑想に入っていったら、ほとんど時間を止めるくらいにしてしまいますからね。
そこで初めて現象が分かるから。

だから、その現象を観ない限り「あーだ、こーだ、何だ」と言ったって、それはすべて空論になります。
分からないものを分かったようにして理解しているから、全くの無駄。

http://www.mettakaruna.jp/cn24/cn27/pg175.html
324神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 16:20:52.10 ID:S3V57Wbq
(続き)
ただ本に出た仏教を「日本の仏教」と言っているだけであって、
結局、私を教えてくれた護摩焚きの方は8000回、護摩焚きをやって、素晴らしい行をもって、
私の観た体験全部、知っているわけです。同じ体験している。

「それを本に書け」と言ったって「不動明王が火から出た」それだけで、
あなたは観てないものだから、ただ絵で想像するだけで、
実際観るのと想像とは全然違うわけなのです。
325神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 16:41:30.71 ID:Xwcf6ejN
>>320
>生とは、肉体に現れる生命現象。死とは、その不可逆的喪失。
その定義では、現象の変化を生と名づけ、死と名づけたに過ぎない。
かってあったはずの生はどこへ消えたのか。そこが知りたい。
  
>死後は、生者の思考の対象には成りえない。
当然、他人の生死を見て、自分の死後を想像するのではないだろうか。
死とは何だろうかと思考することはありえる。
326神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 16:45:30.40 ID:Xwcf6ejN
>>321
>生とは「説明する」ものではない。唯生命の指示に従って只管・・ 
そんなことはないよ。もっとよく生きようとか、死ぬのは嫌だとか、
だれしも生や死を普通に考えている。生や死を多少知らなければ、
生や死を考えられないはずなんだけどね。
327神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 16:46:25.14 ID:oA7g+mVV
浅いと云わざる得ないな。
悟りとはいえないが、正しき学は道路標識と云えよう。

目的地を目指すに道路標識は不可欠となる。
328神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 16:50:44.78 ID:Mkco5TVQ
>>323
その水源禅師法話の↓を興味深く読みました。

だから、「龍樹菩薩(150頃-750頃)が600年、生きた」と言っても想像できないでしょう。
今回、ウ・コビタさん探して、マグウェ(註5) のミンブに行ったけれども、本人は1046歳、生きているわけなのです。
また、758歳のウ・パンディッタさんに私は頭を付けてみたら、私の場合はルーパ(物質)が分かるから。

大真面目にこういう話をされるのは、「食事をせずに空気からエネルギーを取れるので何年も食べずに生きています。」とか
「水中でも溺れることなく生きる事ができます」とか「空を実際に飛べるのです」とか「1万年生きています」とか以前言っていた
人と同じですね。瞑想をするとこういう世界に入って非可逆的にもどれない〜という事でしょうか。恐ろしい世界です。
329神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 16:55:44.28 ID:S3V57Wbq
>>328
そう捉えるのも自由です。
330神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:01:04.40 ID:Xwcf6ejN
中論第18章1詩
もしも我が・・・五蘊であるならば、我は生と滅とを有するであろう。
もしも我が五蘊と異なるならば、我は五蘊の相をもたぬであろう。
← 龍樹は後半部分を除いてしまう。前半だけなら断滅論だ。

中論 第27章17詩
もしも一部分は神的で、一部分は人間的であるならば、無常でもあり、
常住でもあることになるであろう。
しかしそういうことは理に合わない。← ここが龍樹の巧妙さ
331神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:05:50.76 ID:Ewmht+kX
道理を離れて仏教(仏法)はなし。

絵に描いた餅もなく、棚からぼた餅もない。
332神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:22:20.05 ID:Mkco5TVQ
>>326
死後の世界は語れません。何故自分が生きてここに存在するのかという生についても語れません。共に形而上の事だからです。
そもそもどこからが生で、どこからが死かという線引きも非常に難しい話です。
受精の瞬間から生か?受精卵が細胞分裂して心臓や目などが形作られたところからが生か?子宮から外に出てオギャーと
肺呼吸を始めたところからが生か?
心臓が止まったら死か?心臓が拍動していても脳死なら死か?脳死はどこからが脳死か?神経系のインプット系、アウトプット系
両方死んだ状態ではないのか?アウトプット系だけ死んだら脳死とみなしている現状は許されるのか?等など〜

分かっている事→生命を獲得するという事は一定時間後に予定された死を獲得する事。

分からない事→生とは何か?死とは何か?ここはどこか?いまはいつか?わたしはだれか?
333神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:37:09.14 ID:NHlhFT3E
>>332
生命を以っていくら生命を考えてもみても、思考主体と客体とが同一だから、
思考の正しさの担保は皆無。定規は、自分で自分の長さは測れない。それが、
「生命とは、人間が対象化できない唯一の存在」の意味である。

生死は、「身体の問題」だから、医学の見解に従うべきである。宗教の出る
幕ではない。
334神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:46:31.01 ID:PyGPPhhh
>>241
宿命通ってあるでしょ。
今まで自分の転生を繰り返してきた生を、全部見通せる能力。

>「自身の過去の生存の境涯を想起する知(宿住通(宿命通))を獲得する」ことができる
>「1つ、2つ・・・10・・・100・・・1000・・・10000の過去生を想起できる」
>「それも、具体的・詳細な映像・内容と共に想起できる」 wiki

これなどは、輪廻において、自分が継続しているってことでしょ?
で、無我ってのは、常住のアートマン的なものがない・・ って言ってるわけで、
常住じゃない、空、幻のような我はあるわけ。
で、輪廻を超えるのが解脱ってことだから、当然、輪廻もまた空なわけ。
そしてそこに継承する何らかのものが在っても、空なわけ。
で、そこでなぜ空なる継承されるものを、常住と決め付けるのか・・? ってことなの。
それは、継承されるものを、ある固定的な存在と決め付けてる発想から、そういう結論になっちゃってるわけ。
いわく、「継承される個性というものがある、個性という実体がある」 とね。
確かに輪廻思想では個性が継承されるんだけど、じゃあ、その個性というのは、確固たる存在なのか・・? ってことなの。
あるエネルギーが変化を繰り返しながら継承されたとしても、そのエネルギーは常住とはいえないわけ。
変化するってことは、まったく同一物がつづくわけじゃないってこと。
しかし、そのエネルギーの個性はつづいていく・・・
個性というのは一つの枠にはめて、常住物のように扱うものじゃない。
だからといって、まったく別のものに変化するわけでもない。
この、まったく別のものに変化するわけじゃない、というところを捉えて、「これは常住だ」 って、
決め付けてるわけ。
335神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:56:18.86 ID:PyGPPhhh
>>317
>個人の個性なり業なりが生前-死後と連綿と連鎖する事。
> 無我の教えと論理矛盾しており、この矛盾は未解決

あなたもそう。
業なり、個性なりが、固定した常住的存在なのか・・・? ってこと。
そんなものはどこにもないわけ。
もしあるんだったら、一時間前の自分を、今の自分がそっくりそのまま継承してないといけない。
来世どころか、一時間前の自分さえ、継承されないわけ。
一時間前に感じたあらゆるものは、今現在の私に、そっくりそのまま、何一つ継承されていない。
それでいて、自分という認識は継承されるわけ。
「自分がある」 という空幻のような認識を、存在を、継承してるわけ。
記憶というか、もっとその深く・・・ 自分があるという思い.
それに基づく記憶というか、とにかく、そんなもん。
継承 = 常住主体 という、浅はかな発想が、そこにあるんだよ。
336神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:57:51.19 ID:Xwcf6ejN
>>332
生と死が形而上かどうかは疑問ですね。
生きているという実感もあるし、死者を見れば死が物質であることを
知る。こういった感覚があるからこそ、もっとよく生きよう、
死ぬのは嫌だなどと思う。人間であれば、生とは何か死とは何かと
考えることは、むしろ当たり前のことでしょう。
 
死ぬと命はどこへ消えてしまうのか。断滅でも常住でもなく、
この疑問に上手に答えてほしいものです。
337神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 17:59:01.54 ID:+7nfrZTe
要するに自分が消えてなくなる、という現実が怖い
だから輪廻とか魂の不滅とかを人間は妄想する
338神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:09:31.08 ID:Xwcf6ejN
>>333 
>「生命とは、人間が対象化できない唯一の存在」の意味である。
だからこそ、生命は物質ではないのであり、五蘊ではないのですね。
ここに五蘊だけを論じた龍樹の致命的なミスがある。

>医学の見解に従うべきである。宗教の出る幕ではない。
医学は単なる現象に、生と名づけ、死と名づけたのに過ぎない。
死が物質化であることは明白だが、生の正体が不明。
しかし生が五蘊でなければ理解できる。
 
死者の命はどこへ消えたのか? これに答えてほしい。
339神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:14:28.15 ID:tAWHDI1E
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama18.pdf

第十八章 自己と実在物の考察

1.
もし自己が集合体(五蘊)であるのなら
生起や消滅(という特性)を持っているはずである
もしそれが集合体ではないのなら
集合体の性質を持ってはいないはずである

4.
内的にであろうと外的にであろうと
「私」と「私のもの」という観点が消滅するとき
自己に固執する者(取著)は消滅する
これが消滅すると、誕生することも止まる

5.
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
340神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:18:50.39 ID:NHlhFT3E
>>336
>死ぬと命はどこへ消えてしまうのか

「生命」とは「生命現象を現す肉体」と定義できるから、肉体の死(生命現象
の不可逆的停止)は、即、生命の喪失である。

「生命」は肉体という「神殿」のみにしか宿れず、それと生死をともにすることが、
生命の特質である。死者には、人間としての如何なる営みも不可能。腐敗するか
灰になり、原子に分解して、母なる大地へ帰り、自然を循環するだけ。
341神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:24:40.75 ID:Xwcf6ejN
337 
>要するに自分が消えてなくなる、という現実が怖い
>だから輪廻とか魂の不滅とかを人間は妄想する
 
ほとんど正解のように思う。しかしもうちょっと掘り下げれば、
死を恐れるのは、神や霊魂を考えさせるためだと考えれば合点がいく。
 
人間を含めた、あらゆる生き物は死を恐れる。
それは生きて行くためでもあるけど、神や霊魂を考えさせる契機でもある。
こういった奥行きは、偶然の結果では不可能だろうと思う。
342神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:25:28.71 ID:tAWHDI1E
 
> 瞑想をするとこういう世界に入って非可逆的にもどれない〜という事でしょうか。恐ろしい世界です

(D)四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅を成就する
(C)は
想受滅(滅尽定)においては
諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している

と言う事であるらしい

想受滅(滅尽定)
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
343神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:32:01.51 ID:Xwcf6ejN
>>340
それはまさしく断見・断滅ですね。
仏教は非常非断をベースにしており、断見・断滅は否定される。
残念だが、そういった考えは仏教ではありません。
344神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:38:48.06 ID:Mkco5TVQ
>>336
>人間であれば、生とは何か死とは何かと考えることは、むしろ当たり前のことでしょう。
おっしゃるとおり。そして考えても答えが出ない問いである。

>生と死が形而上かどうかは疑問ですね。
答えが出せない問題を形而上と言うので、まさに形而上です。
科学的に生前、死後の世界を説明できません。科学的に宇宙の果ての先を説明できません。
このような問題はまさに形而上です。

分かっている事→生命を獲得するという事は一定時間後に予定された死を獲得する事。

分からない事→生とは何か?死とは何か?ここはどこか?いまはいつか?わたしはだれか?
345神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:49:34.70 ID:tAWHDI1E
 
> 死者の命はどこへ消えたのか? これに答えてほしい

瑜伽師地論(ゆがしじろん)
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424

人が死ぬときに
過去の長い間の経験により蓄積された我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始のとき以来つづいてきた執着された戯論と善悪業により
中有が形成される

その中有が次ぎに生まれるべき処を求めて母胎に入り
ここで父母の精子が結合するとき
中有が滅すると同時に生有が生じ
一切種子たる阿頼耶識がこれに結合し
種子が成長して胎児を形成し、出生に至るのである
346神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:49:44.98 ID:Xwcf6ejN
>>344
>おっしゃるとおり。そして考えても答えが出ない問いである。
 
それはどうだろうか。答えがある可能性が高い。
この辺は簡単ではないが、たとえば坐禅のようなテクニックがある。
坐禅は答えを見つけるために開発されたものだろう。
347神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:52:45.13 ID:SurSZL0a
>>334
>宿命通ってあるでしょ。 ょう。(中略)
>これなどは、輪廻において、自分が継続しているってことでしょ?

入胎の法では阿羅漢以上は前世の意識を持ったまま母胎に宿ります。
でも意識を持ったまま出胎できるのは菩薩のみとの仏説です。

この「入胎の法」と「宿命通」は長部経典二十八経「自歓喜経」にて具体的に説かれております。
舎利弗が自分の理解している法を順番に表明し、最後に釈尊から正しいと保証されて、めっちゃ歓喜したのが経典名の由来です。

では阿羅漢でもない衆生はどうかと言いますと、母胎に宿る時に意識、記憶を失ってしまいます。
でも唯識では、潜在意識ともいうべき阿頼耶識にカルマと記憶は残っておりますので、正しい禅定にて想い出すことができるようです。

現代でも記憶喪失の人が何かのショックで記憶を取り戻す事例が沢山ありますので、よいアナロジーでしょう。
記憶喪失する前のAさんと、記憶喪失したAさんと、記憶を取り戻したAさんとは「同じ」であり、「同じでない」とも言え、
「同じとも同じでない」とも言え、「同じとも同じでない」とも言えないかも。。変化する空性にて。

以上、宿命通は仏説であるという貴兄の見解へのコメントです。
348神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 18:55:55.80 ID:Xwcf6ejN
>>345
それは、あなたが実際に体験した話だろうか。
だれかの話の丸写しだろうか。
 
もちろん全部そろえば言うことなしだが、 
体証、理証、文証はこの順番で値打ちがあるかと思う。
349神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:03:19.37 ID:Mkco5TVQ
>>346
>坐禅は答えを見つけるために開発されたものだろう。
そして、水源禅師のような世界に陥り>>328 見えた妄想の世界こそ真実と妄信し
分からない世界を分かったように語り始めるのです。
350神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:07:14.35 ID:tAWHDI1E
 
> それは、あなたが実際に体験した話だろうか

落武者の霊を見た事がある

だけど

私の場合は、記憶力が悪いので

前世の事は記憶してないけど

『 記憶がないから前世がない 』

と断定する事は出来ないと思う
351神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:22:13.17 ID:Xwcf6ejN
>>342
五蘊は色受行想識だが、想受滅は想と受が滅するわけです。
坐禅によって色と行はすでに滅しているから、残るは「識」のみになる。
ここで意識があれば想受滅にならないから、意識はない。
何が残っているかと言えば無意識。無意識はマナ識とアラヤ識にわかれるが、
業識(輪廻転生の原因)であるアラヤ識を捨てたから
想受滅(滅尽定)に入ったと言うことでしょう。
>>349
水源禅師のサイトを少し見たけど共感できなかったよ。
352神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:26:06.83 ID:tAWHDI1E
 
>>350 の続き

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04b.htm

中論觀涅槃品第二十五

諸の因縁を、受けるが故に、生死の中を輪転する

如実に、顛倒を知らないが故に、五受陰に因って、生死を往来する

( − これに対して − )

諸の因縁を、受けなければ、是を、涅槃と名づける

如実に、顛倒を知るが故に、則ち、復た、五受陰に因っては、生死を往来しない

無性の、五陰は、復た、相続しないが故に、説いて、涅槃と名づける
353神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:31:49.96 ID:Xwcf6ejN
>>350
>『 記憶がないから前世がない 』 と断定する事は出来ないと思う
 
その通りですね。
個人的には、前世はあるのではないかと思ってます。
354神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:35:19.80 ID:NHlhFT3E
>>343
単純に、現代科学の知見からは、「仏教の誤り」ということ。全面的に
訂正されるべきもの。誤りは、次々に訂正しなければ、仏教の進歩はないよ。

現代、ヒポクラテスの技術で治療する医師などどこにいるか。
355神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:44:14.48 ID:Xwcf6ejN
>>354
まちがえたのは竜樹ですよ
 
釈迦ではない
356神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 19:47:40.78 ID:xlf0GCRA
水源禅師とやらの輩も、一切法門外道のクズ落第坊主だ。
>>168

それにしても、なんでここまで愚かな妄想心霊主義が仏教内にはびこるのか?
「伝承」とやらのなかにも猥雑な仏教政治主義の輩も多数混じっていただろうし、
縁起の現実に対する徹底的な如理作意=広い意味での禅定が行われていないからだろう。

その結果は、水源のような超越夢想坊主か、算盤坊主だ。

トコロテン式ででてくる坊主にはカタチの葬式仏教経営はできても、
悟達の域に達しうる者はほとんどいないのは当然だ。
357サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/27(金) 19:48:43.29 ID:l9LkgmT4
>>299
レスありがとうございます
仏教は悟りへの階梯の体験によって信仰を証明できますよね
358神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 20:02:38.42 ID:Xwcf6ejN
>>356
それだけ悟るのが難しいということと、
 
ソロバンでしょうね。
359神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 20:12:51.44 ID:omE5EBxi
>>350さんは
一在家さんですか
あやしい
360:2013/09/27(金) 20:24:19.15 ID:mG5y0eZ8
>>353
何が永続してんの?プトガラ?大我?小我?マナシキ?アラヤシキか?

人間の記憶力って甘くみちゃいかんらしいよ。
記憶するつもりがなくとも、人間は見てる、聞いてる、嗅いでる、触ってる。
落ち武者も記憶だよ。

前世の記憶とかオカルトは置いといてね。
361神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 20:29:21.16 ID:NHlhFT3E
>>355
>まちがえたのは竜樹ですよ
>釈迦ではない

釈迦は間違えない、とでもいうのか。その「開祖の盲信」が、カルトの最大の特徴。
362神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 20:38:20.84 ID:O+NcSj+Y
キリストは間違えない、とでもいうのか。その「キリストの盲信」が
カルトの最大の特徴。
363神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 20:56:49.76 ID:NHlhFT3E
釈迦とイエスとが、すべてのカルトの源泉であることは、明らか。

この両者、若しくは一方を信じないカルトはない。

伝統宗教の信者がカルト対策に従事しているのは、とんでもない筋違い。
364神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 21:33:59.98 ID:JwPgO7Wc
>>363
あなたにとって
宗教は不必要ですね
365神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 21:45:10.14 ID:Xwcf6ejN
>>360
意識が継続している。「私」というのは意識のことではないだろうか。
意識の流れが蓄積して「自我」になる。
>>361
釈迦の間違いって何?
我をもって無我を説いたのは、龍樹ではないだろうか。
それを釈迦にするのは濡れ衣じゃないか。
366神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 21:52:44.19 ID:0ziNh2J8
竜さんはなにを間違えたの
素人の質問で申し訳ない
367神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 21:58:42.20 ID:WjyB5YVQ
>>365
>我をもって無我を説いたのは、龍樹ではないだろうか

中論では、批判する場合を除いては、「無我」だの「無」だの、アホなことは
一言も言っていない。また、釈迦の「因果」も、明示的に否定している。
368神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 22:32:16.24 ID:rWkXSiuW
しかし、TVなどで宗教的な話がでてきたときにいやーな気分になるのはなぜだろう?
きっと、裏で特定の宗教団体が布教のためにそれとなく感動的な話をはさもうとしているためだろう
と疑うからだと思う。しかも、宗教団体がすべてがすべてよいものなどと言えるほど
私は宗教を信用しているわけではないし、同じ宗派だからと言って安易にそこへ誘導しようと
思うほど信用してもいない。それは自分の経験によっているのだけど、結局、信仰は自己のこころに
保つもので、特定の団体にもたれかかって保つものではないと考えるためだと思う。
それに自分の信じる宗教は自分にとって大切なものであると自信をもって言えるだろうし、
いかにそれがすばらしいものか、ときには自慢も含めて表現したくなるものであるが
他人に、とくに赤の他人にそれを教えようと試みることは私はとてつもなく迷ってしまう。
私の話を聞く分にはおもしろ半分に聞いて欲しいのである。
それは、自分の信仰は所詮自分のこころで確かめて、その答えを聞いてほしいということでもある。
だから、私は別段仏教にこだわるつもりはないが、共同体は昔から信頼をつちかってきた
宗教施設、日本では神社やお寺なのであるが、そこで信頼ある人が責任をもって
自分の宗派なり信条はこうである、と述べた上で布教なりその人が自己の精神を修めるべく
指導をしてほしいと思うのである。
369神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 22:34:45.89 ID:Xwcf6ejN
>>366
たとえば五蘊には生と滅があるわけだから、龍樹のように
五蘊だけで論じていたら必然的に、断見あるいは断滅論になってしまう。
370神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 22:37:15.48 ID:Xwcf6ejN
>>367
>中論では、批判する場合を除いては、「無我」だの「無」だの、
>アホなことは一言も言っていない。
 
中論第1章1詩
もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも、自体からも、
他のものからも、二つからも、また無因から生じたものも、あることなし。
 
この個所は無我あるいは無を述べているように思われるけど?
371神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 22:45:31.87 ID:SYbE6+AE
>>368
「家制度」「家の宗教」については、どういう見解?
372パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/27(金) 22:56:56.81 ID:G4t/whMQ
>>334  wwwwwwwwwwww  んったく、ホント、な〜〜〜〜〜〜んも分かってないねww
論点が何かさえも理解できてなかったわけかw

「過去スレで何度も繰り返されてきたこと読み直してこい」・・・・と、一言で終わらせても
良いが、もう一度だけ簡潔に説明してやるww  いいか?w

現在のAさんと昨日のAさんは異なるのw  変化しているわけw しかし、我々は
@「身体の空間的連続性」とA「記憶の連鎖」によって、そこに同一性をみて同じAさんと
するわけ。仏教的に言えば、本来、Aさんと言えるようなものはないけど、無明によって
我々はAさんというものがあるが如く錯覚しているわけw   本来はAさんと言えるような
ものはないのに@Aによって、そういうものがあると思い込んでるわけww

ところが、業論ってのはそうでないのw 『Aさんと言えるもの』が本当にあるとするわけw
「このひとはAさんの生まれ変わりだ。」と言える根拠が『根拠』が必須なのw
もし、「この人はAさんの生まれ変わりです。」と言える根拠がなければ、業論自体、崩壊
してしまうのw  その根拠がどのように変化しようが構わないのww
⇒  ただし、この 「Aさんと言える」・・・・ここだけは変化できないわけw
そこが変化してしまうと、もう「生まれ変わり」と言えなくなっちゃうからwwww

いいか?  その継承されるものがなんと呼ばれようが、どのように変化しようが関係ないのww
唯、一点、絶対に変化できず、永遠に不変に継承されていくものがあるわけ・・・・
それは、「この人がAさんの生まれ変わりである」と言える根拠、そう言う属性・・・・
そこが変化してしまったら、もう「生まれ変わり」といえなくなるから、そこだけは変えられないのww
373神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:07:28.01 ID:p4T+illE
ダライラマさんはどうなの
374神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:09:53.92 ID:Mkco5TVQ
ダライラマの輪廻転生はインチキと認定されてます。
375パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/27(金) 23:10:45.75 ID:G4t/whMQ
この「Aさんと言える根拠」・・・・・ここだけは変えられないでしょ?www
他の部分が、変化しますだの固定ではありませんだの言っても
「Aさんと言える」部分は、その属性は常住で固定でしょうが?ww
ここが変化したら、もうAさんといえなくなっちゃうから、生まれ変わりじゃなくなっちゃう
もんねwwww  このコアは(解脱するまで)永遠に継続してくんでしょ?
とちゅうで、なくなったり、Bさんのと入れ替わったりしないんでしょ?ww

いくら、言葉上、「固定ではありません」「常住でなありません」といっても
実質「固定」で「常住」なのww

(っていうか、お前さんの言ってることは全て、かつてこのスレで出てきた説
・・・・・宝珠やその他の者の劣化板でしかないんだがw  参考のために
過去スレ読んできてねw)
376神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:13:47.39 ID:k0utQO2J
>>347

既存宗教を超えた崇教、自分のところの教えには不思議な力(真の光)があると
ウソを吹き込んで信者を勧誘し金を巻き上げる教団はみな同じ穴のムジナの金集め教。
金を多く積めば功徳がおおきい、100円より200円の方がご利益が多いなんて全く噴飯もの。
ある貴人が法然上人に自分はこんなに寄進をした、この功徳はどうだろうと尋ねた。
上人いわく、「罪にはならじ」と。

施光だの受光だの利他愛だの下座だのなにをやっても「罪にはならじ」だ。
自分の稼いだ金や、1000円拾ってネコババして、教団に貢いでも「罪にはならじ」と信じて行えば罪にはならじか(笑
377神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:33:15.42 ID:WjyB5YVQ
>>370
>中論第1章1詩

「もろもろの事物」で、すでに「存在」を前提としている。

「無因から生じたものも、あることなし」で、「無」もまた否定する。

この詩の趣旨は、いかなる存在も、「関係性の産物」であるということ。
即ち、もろもろの存在は最初から肯定し、「因果」の概念は否定している。
換言すれば、「もろもろの存在は、相互依存、相対的である」ということ。

「また、いかなる我もなく、無我もないとも説かれた」(中論18:6)

もろもろの存在は、関係性という抽象観念の産物だから、「有無」の概念は
生じないということ。これが中論の「空」の意味。

従って、釈迦の「無我」「無」は、単なる断見である。
378神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:38:07.56 ID:m6WXhgVm
あたまパーピマンさん
過去スレは膨大で読むのに金がかかるよ
でもここの住民はいつも同じで新参はいないな
たまに来ても退散だな
379神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:41:41.22 ID:SurSZL0a
>>355
>>まちがえたのは竜樹ですよ
>釈迦ではない

釈迦も龍樹も間違っていないのでは。。
釈迦は衆生に四聖諦を説き、龍樹は菩薩候補者に名色を離れた空を説いた。

もし間違いがあったとしたら、想定読者(八正道の実践者)以外が中論を読んだ
ことでしょう。
相応の功徳を積んでいない者が「菩薩用の薬」を飲んだ場合は、主作用は効かずに
副作用の方が生じるリスクが高いことは現代の科学常識でも明白でしょう。
380神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:45:00.10 ID:SYbE6+AE
>>37
例のモデルは?w


つか、少し援護すれば、
「《Aさんの“続編”》として継続しているかどうか」は、
イ:宿命通を得ないとわからない ロ:覚者等神通を有する聖者の指摘としてしか知り得ない
ハ:例のモデルの如く、或いは今のそのレス等の分析の如く、客観的に、分析的に、他人事として考察して見られる図式
としてしかない。
つまり、当人にとっては、実は『連続している』という実感はない。
あるのは、一瞬一瞬(一生一生)の今だけ。
Aさんとして継続しているという感覚・実感は存在しないし、また必要もない。
覚者による視野として、図式として、例のモデルの如く諸因諸縁による連鎖があればいい。
(ここは、隠居が批判する如くw、原罪ならぬ「継承される私という想い」という刷り込み・解釈をさせることができればいい。
それが、倫理道徳として機能してゆく)
Aさんとして継続している、というのは、「外野、第三者、箱庭の外」からみた図式でしかなく、
人々は、(実際の所はわからないけれど)そうなのだろう。私が継続し、次の生でも苦を受けるのだろう、
という受け止め方(思い込み)をしているだけ、―それこどが無明かもしれんがw―と言うことはできないだろうか?
381神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:45:50.74 ID:SYbE6+AE
あ、アンカー確認し忘れた。>>380>>375
382神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:47:18.41 ID:SYbE6+AE
>>378

なんでお金が居るの?
383神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:52:20.78 ID:SurSZL0a
>>359
> >>350さんは
>一在家さんですか あやしい

>>350さんは、「?さん」でしょう。
落武者の霊を見たことを本スレで数回告白してますよ。

因みに一在家は数々の霊動体験を通して肉体無き霊(意識)達と間接的に
出会ってますが、直接に幽霊を見たという体験は皆無ですね。 (^o^)/
384神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 23:55:27.76 ID:WjyB5YVQ
「縁起と空性とを破する汝は、世間の一切の慣習を破壊するものである」(中論
24:369。このことから、「世間の一切の慣習を破壊しないもの」が「縁起
と空性である」。従って、「世俗諦=勝義」となる。
385神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:03:25.68 ID:JAk3wNoa
>>384
3行目の「従って」が、まったく従っていない件www
386神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:07:54.24 ID:SurSZL0a
>>375
>このコアは(解脱するまで)永遠に継続してくんでしょ?
>とちゅうで、なくなったり、Bさんのと入れ替わったりしないんでしょ?ww
>いくら、言葉上、「固定ではありません」「常住でなありません」といっても
>実質「固定」で「常住」なのww

例のWindowsの譬え話でもコアの箇所は継続し、MacOS,UNIXと入れ替わったりしないんで、
実質「固定」で「常住」なのwwと言ってもよいけど、Windows95とWindows8とが同じか?
と問われると、同じとも、異なるとも言えないかと思います。

本スレでかきこがありましたが、前世は極悪人で、死後地獄に往き、改心して現世は真面目人間
という場合もあり、実質「固定」で「常住」なのww と言われても、そうかな??と疑問が生じます。
387神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:11:02.87 ID:JAk3wNoa
Zを否定する者は、Aを否定する者である。
Aを否定しない者は、Zを否定しない者である。
が、だからといってA=Zにはならない。
なぜなら、Aを許容する、受け入れる形で(Aとは別に)Zが構築されることがありえるから。

で、(特に中論に於ける)“それ”は、
まさに、世間の言い回し(A)に準拠して勝義(Z)が「述べられる、示される」ということでしかない。

384は200%の誤読と言わざるを得ないw
388神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:13:36.02 ID:TVptQwLG
 
> 何が永続してんの?プトガラ?大我?小我?マナシキ?アラヤシキか?

http://semi.natura-humana.net/2003/contents/genzemi/bunken/2004-aki/abidaruma.pdf

仏教では輪廻もまた、無明(avidoya)によって生起した迷妄にすぎず
そのゆえに、解脱とともに消滅してしまうのである
だが、輪廻を否定すると業の主体や因果応報、また人格の連続性を否定されてしまう
そこでアビダルマで考え出されたのがプトガラ(人我)という考え方であるが
『ミリンダパンハー』では、このプトガラの存在を認めず
かわりに業の相続、つまり行為の連鎖的持続という考え方で
この難問をかわしたと考えられるが、これではまたアビダルマの
小乗的な法の恒有に戻ってしまうのではないだろうか

そこで、このアポーリアをクリアするために
仏教の深層心理学である唯識思想が登場してくる
(アビダルマは大乗仏教への架け橋 世親もここから出発している)
唯識では阿頼耶識という無始以来のすべての有情の
記憶が(大脳新皮質と古皮質の問題と考えあわせると興味深い)存在し
それが末那識(いわゆる無意識層)に働きかけ
結果的に意識上に表象された(業によって影響されているが)世界
つまり、識転変こそが我々の認識のすべてである、世界そのものであるとする
業(行為)はまた、その阿頼耶識に沈潜されて上記のプロセスを経ることで
我々の業を形成し続け、無明の世界の我々の存在となる
389神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:15:18.59 ID:WJRhEJcu
>>384
>従って、「世俗諦=勝義」となる。

まず、世俗諦は言語で表現できますが、
勝義諦は言語表現を離れ(四句分別)、名色を滅して、世界をありのままに観じること
だと、現時点では理解しております。
まあ、この理解も空にて近い将来に変化するでしょうが。。
390神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:17:14.77 ID:JAk3wNoa
>>386
だからw

そうは言っても、
「ああ・・俺はまた(あのことによって)苦を受けている・・・(´;ω;`)」
「ああ・・俺はきっと、このことにより苦を受けるのだろうな・・・(´;ω;`)」
という受け止めが、凡夫の思考だろ。
で、そこには明らかに、《継承されている(と見做される・受け止められる)「俺」》があるわけ。
それを「“アートマン”と見做す」立場の人も居れば、
「“真我”と見做す立場」の人も居れば、「“霊”と見做す立場」の人もいれば、「“魂”と見做す立場」の人も居る。

が、それらは、(無明(≒我がいるという想い等)による)顛倒妄想である、と宣言したのがお釈迦さんでしょ。
391神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:19:48.43 ID:IyVsDWbW
>>347
経典にも確かに、自己が輪廻において継承するってことが
書かれてるってことですよね。
宿命通っていうのは、そういうことですね。
宿命通を見れば、確かに自己が継承してるって、経典が示してることが分かる。
ところが学者は浅はかにも、無我という言葉に捉われて、勝手に自論を展開し、
輪廻する自己というものを否定しちゃった。
そこで辻褄あわせに、輪廻とは何かっていうことを、勝手に、学術的に、説を作り上げてしまった。
これは説一切有部が、まるで説一切有部が、三世実有法体恒有を編み出したのと、似てますよね。
ある教えを元に、自分が勝手に学術的に追求して、結論を出してる・・・
もうそれはその人たちの教えであって、釈迦の教えじゃない。

記憶については、記憶がないから、継承されたその人ではない、と、断定は出来ませんよね。
記憶は深いところに眠っていてる、ということも想定できます。

不一不異ってのは、同一物の時間的経過において、常住性の継承の主体はないが、そのものが継承されるってことが示せますよね。
継承するもの、とも言えないし、継承するものではない、とも言えない・・・ ってことは、裏を返せば、
継承しているように見える何物かがあるってことですから、非常住の個性の継承があったとしても、
別に論理矛盾じゃない。
前A → 後B ならば、明らかに「不一」ですが、 前世A → 今世A ならば、
不一不異として、非常住の個性の継承は、論理矛盾がないと思います。3
392神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:21:31.68 ID:uVHnNOHv
>>371
俺は日本人だからか、基本的にすでにその土地あるものへの尊重の気風がある。
その土地に住むからにはその土地を敬い、その土地の者になるよう努力するべきであると。
しかし、現代にあっては子孫たちもそこに住み続ける覚悟で土地に来る人たちはいない。
いわば一世代だけの間借り程度の気分でいる人がほとんどであろう。
そういう人たちは既存の共同体の邪魔にならない程度に、その土地の礼儀作法を学び
付き合えばよいと思う。ならば、宗教にしても、同じだ。間借りなら、そこに元からあるものに心から
信仰を保とうと思う気持ちは希薄であろう。それが世俗化の傾向であろうと思う。
家族に宗教の作法を教えてもらい、その土地にあるものはいざというときの助けぐらいの
認識でいるべきなのではなかろうか。
だが、一つ注意すべきであることは、外国人でもないかぎり、同じ国に住む者としての共同体意識は
宗教に優先すべきものであると思う。これも日本人の気風なのかは分からない。
日本人はみな同じ民族だからであろう。しかし、宗教そのものが民族の結びつきとなっているところもある
彼らはたいてい商売を生業としていて間借り意識が特に高いためなのだろう。
とにかく、私としては、家族の宗教というものがあっても、共同体のために
他人に迷惑をかけないことを言い含ませる必要があると感じる。
393神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:24:44.32 ID:WJRhEJcu
>>388
>仏教では輪廻もまた、無明(avidoya)によって生起した迷妄にすぎず
そのゆえに、解脱とともに消滅してしまうのである
>『ミリンダパンハー』では、このプトガラの存在を認めず
かわりに業の相続、つまり行為の連鎖的持続という考え方で
この難問をかわしたと考えられるが、
>唯識では阿頼耶識という無始以来のすべての有情の
記憶が(大脳新皮質と古皮質の問題と考えあわせると興味深い)存在し

おー、数日前に見ました真宗の三木住職の「現代仏教塾」でも貴兄と同じ講義がございました。
結構、「ミリンダ王の問い」〜世親菩薩の「阿頼耶識」は有名なお話なんですね。
394神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:28:22.64 ID:YGLHdpv/
>>387
「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示されえない」。ということは、
第一義が「世俗的なこと」から一歩も踏み出せない」ということになるね。
踏み出したら、それはもはや「世俗的なこと」にはならない。

「世俗的なこと」が唯一の基盤だから、「菩薩候補者」もへちまもない。
395神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:29:39.48 ID:uVHnNOHv
つづき
たとえば、体育に参加しないとかのしばりはあまり私は快く思わない
休みでもないのに、家族旅行のために学校を休むというのも
あまり関心しないのと同じように、宗教的理由のために学校を休むのも
あまり関心しない。でも、それは同じ共同体の仲間としての軽い嫉妬なのかもしれない。
私自身、休みなどをとったことがないので、知らず威圧的になっているかもしれないから
少し慎重でありたいと思うが。たとえば、旅行に出かけるというとき、
子供の知見を広げるという意味で必要なこともあろうと想像はできる。
だから、別に学校を休むなとは言わない。しかし、ある程度の心苦しさは感じて欲しいと思う。
だからこそ、心苦しさを感じているだろうと予測するからこそ、もどってきたときに
相手が心苦しくないように、つとめて明るく接そうと思うのだし
仲間はずれにしたり、経験が異なってくることから自然に仲間はずれになってしまう事態を
さけようとも思う。そのために情報の共有をはかったり、その人との距離感はだいたい
こういうものであろうとさぐったり、その距離感に慣れるための訓練としたりすることになる。
だが、もし相手が、あるいは私が、そういう心苦しさそのものをもたなくなったとしたら、
共同体はお互いに無関心となってしまうと同義であると思う。
それは、個人主義への傾向であろうか。いや、神との一体一でさえ決して孤独に逃げるための
論理ではないはずだ。ならば極度の縁故主義への傾向であろう。
私は、共同体に付属する宗教でなく、宗教のための共同体となってしまう事態になることを喜ばない。
なぜなら、私は宗教は心の救いであると思うし、生活をつづけるための身体の救いのシステムが
政治であると思うが、宗教のための共同体は政治より宗教を上位に置くことになってしまうと思うから。
政治が混乱すると戦争を産む。私は、宗教のために戦争がおこることを望まない。
396神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:32:47.66 ID:JAk3wNoa
>>392
なんとなく、間をとって妥協案を探るスタンス、という感じは伝わってくるが、

たとえば、或る酒蔵に於いて、
初代は阿弥陀信仰の浄土門、故に商品に浄土関連や阿弥陀関連の名称が付いているとする。
二代目は不動尊及び大日如来信仰の真言を選んだとする。
三代目はカソリックで、キリストやマリア信仰だったとする。
さて、
二代目三代目は、商品名を真言系に変えるべきだろうか?
変えることへの抵抗は?或いは自身の信仰と違う形で仕事を続けることに苦悩は生じないだろうか?

商売の仕方、価値観、客との接し方と別にしていられるだろうか?
また、従前の客は、上記のような変更を受け入れられるだろうか?

日本的云々、ってのは、具体的現実的には、そういう問題として表面化するんだよね。
最も、高度成長期以降、サラリーマン家庭が日本の標準となっているから、
個中心となるのも已む無しだけど。
397神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:32:56.83 ID:TVptQwLG
 
>>388 の続き

熏習(くんじゅう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92
無明薫習
衆生は無始からの(輪廻によって)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずるのである
  _  _  _

渇愛(タンハー )
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる(輪廻によって)過去から終わりなく
苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう
客観的に自分を観ることによって
無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
398神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:35:24.89 ID:IyVsDWbW
>>372
いやいや、あなたの言いたいことは、手に取るように分かるんですよ。
あなたは論理矛盾をきたしてます。

>その根拠がどのように変化しようが構わないのww
>その継承されるものがなんと呼ばれようが、どのように変化しようが関係ないのww

と言いながら、

>、「この人がAさんの生まれ変わりである」と言える根拠、そう言う属性・・・・
>そこが変化してしまったら、もう「生まれ変わり」といえなくなるから、そこだけは変えられないのww

と言ってる・・・。

あなたの言ってる属性とは、そういうものを想定している、その人が枠にはめちゃったものなんですよ。
「生まれ変わりというからには、 その人の何らかのものが、継承されないといけない・・・
その属性を変えてしまっては、その人の生まれ変わりとは言えない。
変えられない属性・・・・ それは常住なものである」 と、 勝手に自分たちの中で、作り上げちゃってるの。
属性が継承されると想定した上で否定するなら、その想定した属性とはどういうものか、
常住と想定した属性とは何か・・・?  逆に説明できないといけない。
これこれこういうものを想定すると、常住になって、釈迦の無我と矛盾するとね。
ところが、属性属性言うけど、その属性がどういうものか・・・ はっきりとした想定が出来ない。
当然だよね。
あなたのいう属性なんてものは、確固たるものなんてのは、存在しないんだから。
存在しないというのは、輪廻において、って意味じゃなくて、「想定においても」 って意味で。
もし厳密に、想定する属性とはいかなるものか、っていう説明が出来たとしたら、
完全に反論の対象になると思う。
399神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:41:31.14 ID:uVHnNOHv
>>396
例えが悪いように思う。
そんな銘柄がころころ変わる酒は飲みたくないし、商売のことをもっと考えろと忠告したくなる。
だが、初代作、次代作とブランド化するのはよい傾向だろう。その曰くとして初代は
これこれの宗教に思い入れがあって、夢か何かが会って閃いてできたのがこの銘柄とか
言われると、フーンぐらいに記憶に残るかもしれない。
400神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:42:00.31 ID:JAk3wNoa
>>398
でも、倫理面で、或いは凡夫の受け止め方として、
「私Bが、前生Aでの業果をうけており、私Bの業果として後生Cが苦を受ける」
という図式は必須だ。
ここで、勝義においてそこには縁起の連鎖しかない、と言うにしても、
それはあくまで仏の視座でしかない。
仏の視座に立てていないものが、「継続する属性が無い」と受け止めたなら、
人によっては、(あくまでも人によってはw)、
「なんだw “俺が”苦を受けるわけじゃないんだ。安心した。好き勝手生きよう」
となるかもしれない。 ここへのブレーキが、継続する属性ではなかろうか>
401神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:42:49.89 ID:sk4eFN0k
分からない世界に対する対処の仕方

1、知る価値が無い、そもそも存在しない
2、自分(人間)にとって都合の良い世界があるに違いない
3、分からないものは分からない、判断中止

輪廻転生や死後の世界をあーだ、こーだと言うのは2の人
唯物の科学一辺倒の人は1の人
仏陀等賢者は3の人
402神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:44:12.00 ID:YGLHdpv/
とにかく、釈迦カルトたちは、その釈迦盲信故に、何が何でも釈迦の「無我」「無」と
いう断見に合致させようとするから、際限のない混乱を招いている。「我も、相互依存的・
関係的存在(実際にそうである)」とすれば、一発で解決できる問題。
403神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:44:21.72 ID:WJRhEJcu
>>390
>「ああ・・俺はまた(あのことによって)苦を受けている・・・(´;ω;`)」
> 「ああ・・俺はきっと、このことにより苦を受けるのだろうな・・・(´;ω;`)」
>という受け止めが、凡夫の思考だろ。菩薩の「阿頼耶識」は有名なお話なんですね。

釈尊の「入胎の法」では凡夫(衆生)は前世のことを全て忘れているので、
(あのことによって)苦を受けている、とかこのことにより苦を受けるのだろうな
とは思わなくて済みます。うまくできている法です。

また世親菩薩の「阿頼耶識」だと、顕在意識では前世のことを全て忘れているのに、
潜在意識は「悪業を積めば地獄で苦しみ、徳を積めば天で楽しむ」と覚えているので
前世が悪人の方が案外現世では善人、真面目人間と呼ばれているかも知れませんね。

逆に阿羅漢以上は前世の悪行も全て想い出すので、慢心どころか自虐に陥るかも知れません。
「ああー、俺はなんという極悪人だったのだ!」とね。そこで衆生済度を発願とかあるかも。
404神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:52:38.95 ID:IyVsDWbW
>>375
>この「Aさんと言える根拠」・・・・・ここだけは変えられないでしょ?www

逆に聞くけど、その根拠って何ですか?
どういう想定のもとで、根拠と言ってるんでしょうか・・・?

>「Aさんと言える」部分は、その属性は常住で固定でしょうが?ww
>ここが変化したら、もうAさんといえなくなっちゃうから、生まれ変わりじゃなくなっちゃう

属性は常住で固定・・・・  確かに、確固たる属性があると、想定してしまうと、常住で固定ということになりますよね。
で、「ここが変化したらAさんと言えなくなる・・・・」 と、完全常住であるものを想定して、それを否定しているわけです。
自分で勝手に決め付けて、そして否定している・・・

>いくら、言葉上、「固定ではありません」「常住でなありません」といっても
>実質「固定」で「常住」なのww

もう完全に決め付けちゃってますよね。
確かに、AさんがAさんに生まれる、というなら、Aさんの変わらぬ属性を想定したくなるのも分かります。
そういう考え方は、よく分かる。
ただ、属性って考え方は、そういう、前世A → 今世A ならば、継承される変わらぬ何かがあるはずだって、
勝手に人が、頭で、枠組みを作ってるんですよ。
変化しようが何しようが・・・  ってところまではいいんだけど、「変わらぬAさんの属性が続いている」 ってのは、
自分の思考の中で作り上げられた、枠組みなんです。
「〜だから、〜に決まってるだろ。 それが属性なんだよ、」 と。
何度も言うように、過去世から今世にその人の、その人たるものが継承されたとしても、
その人をその人たらしめる、「属性」 という存在があるわけじゃない。
変わらぬ属性とは、学者の思考の中で作られた枠組みであり、実際に存在を想定されるもんじゃない。
405神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:53:59.75 ID:YGLHdpv/
「苦」という言葉を使うのは、いい加減で止めよう。憂鬱になる。こちらも釈
迦と同様鬱病になりそうだw。

「苦」の代わりに「楽」という言葉を使ってくれ。「苦・濁」は相対だから、
どちら使っても同じだろ。
406神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:55:03.57 ID:JAk3wNoa
>>399
そだね。
自分でも的確でないなとは思ってたw

が、基本の図式はそういうこと。
墓を立てないという方針で、立てずに居たなら別だけど、
既にある場合はどうするか? (これは、リアルタイムで、今現在日本仏教が抱えている問題だがw)

妻はカソリックで洗礼を受けていた。
結婚生活もいろいろあったが、さて、妻の葬儀をどの形式でするか?どこに葬るか?
病気がちだった父が、改宗した。
遺言は無かったが、葬儀はどの宗教ですべきだろうか?代々の菩提寺に義理を欠かないだろうか?
このまま寺院墓地へ納めたら本人の遺志は? 先に眠っている祖父母へは義理を欠かないだろうか?

勿論、全部、残った者の迷いでしかないわけだけどw
407神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:55:53.35 ID:JAk3wNoa
ますます宗教染みて来たwww  >>405
408神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 00:58:30.94 ID:WJRhEJcu
>>402
>「我も、相互依存的・関係的存在(実際にそうである)」とすれば、一発で解決できる問題。

「縁起」は相依相関関係ではないでしょう。←この議論は5回は輪廻したかも。次回は6回目かな。。

「AならばB、BならばA」は論理学では成り立ちますが、現実世界では大半は一方しか成り立ちません。
よく出る事例として、「渇愛あれば、苦生じる」ですが、「苦あれば、渇愛生じる」というのは変です。

現実世界では不可逆な因果関係ですので、少なくとも世俗諦で説かれる「縁起」は相依相関関係ではないですね。
409神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:01:37.19 ID:JAk3wNoa
隠居の思考シミュレーションは、現実に当てはめると齟齬でまくりなんだよな・・・(^^;
410神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:04:52.29 ID:TVptQwLG
 
> 「苦」という言葉を使うのは、いい加減で止めよう
> 「苦」の代わりに「楽」という言葉を使ってくれ
> どちら使っても同じだろ

それ自体の自性で成立しているのではなく

因だけではなく
縁だけでもなく

因と縁の依存によって
現れ滅して

又、次の、この世の生(来世)に戻り来る
と言う事が苦である

と言う事なのかも
411神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:07:46.62 ID:IyVsDWbW
>>375
>このコアは(解脱するまで)永遠に継続してくんでしょ?

コアって何ですかね?
例えば、空に流れる入道雲のコアって何ですかね・・・?
あなたの言ってる属性とは、そういうことなんですよ。
コアがなくても、入道雲というコアなき仮物は、仮に存在できるんです。
412神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:10:33.76 ID:YGLHdpv/
>>408
>「渇愛あれば、苦生じる」

楽も生じるのだから、命題自体が誤り。問題にならない。

「存在(実在物)」に限れば、すべて相互依存。すべての物質は、「粒子の相互依存的
集合体」である。中身はスカスカ。即ち、自性はない。

一方向的因果関係と見える場合でも、よく観察すれば、相互に関係していることがわかる。
413パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 01:11:21.54 ID:VvdV7iXk
>>398 >>404  は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????wwwwwwww

んじゃ、「何をもって、」  『この人はAさんの生まれ変わりというわけ??』
そういえる何かしかのものがあるわけだろうが??
おれはそれを、「属性」といってるのwwww

何の根拠もなしに「この人はAさんの生まれ変わり」と言ってるの??
それじゃあ、キチガイだろうがwwwwwwwwwwwwww
414神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:14:43.61 ID:YGLHdpv/
>>410
「楽」でも同じw。
415パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 01:16:24.00 ID:VvdV7iXk
お前は真正のアホか?www

何の根拠もなしに「この人はAさんの生まれ変わり」ですってなるわけ??
ww

どうやって、それが決まるの?  なんでBさんの生まれ変わりではないの?ww
その違いは何???

Aさんの生まれ変わりというからに、「そう言える根拠があるんでしょ?」www
416神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:17:01.53 ID:WJRhEJcu
>>409
>隠居の思考シミュレーションは、現実に当てはめると齟齬でまくりなんだよな・・・(^^;

多分、「生命教」の売りは現実に即していることでしょうね。
それなのに、無理に世俗向けでない「中論の勝義諦」を適用しようとするから齟齬が出るのかなと分析しております。

まあ、年配者には慈悲をお願いします。
417神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:17:50.42 ID:YGLHdpv/
「輪廻転生(reincarnation)」は、現代ではホラー映画の世界。専ら娯楽用w。

科学的には、問題にならない。
418パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 01:18:38.89 ID:VvdV7iXk
>コアって何ですかね?

ホントに頭悪いな、こいつはwwwwww

コアという語彙で表現したのは、「Aさんの生まれ変わりといえる根拠」・・・・
それくらい普通のもんなら解かろうにw
419神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:21:33.85 ID:YGLHdpv/
輪廻転生と唱えれば唱えるほど、釈迦はその主導者としてカルトの元凶の
汚名を着せられ続けることになるよ。
420神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:22:39.04 ID:IyVsDWbW
>>413
だから・・・、入道雲にコアがあるか・・・ってことなのよ。
「私が在る」 という思い・・・
つまりこれは、入道雲にコアがあると思ってることと、同じことなの。
もともとこの世の人間存在も、現象界も、そしてあの世も、輪廻する何者かも、
入道雲のコアのようなものなのよ。
あると思っちゃってる。
でも、入道雲の場合は、人がつけた名称であり、人が勝手にそういうものがあると、
想定してるわけ。
輪廻するものも、今世の自己も、自分が、そういうものを勝手にあると思ってる。
ところが入道雲のコアのように、そんなものは空(自性がない)わけ。
雲のようなものにコアを求めて、それが輪廻する・・・って、ところまではいいんだけど、
じゃあ、なんでそのコアが常住と決め付けるの・・・? ってこと。
あなたの言ってることは、
「雲があるからには、コアがあるだろ!!」  って言ってるのと同じなんだよ。
421神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:25:39.12 ID:YGLHdpv/
>>416
私は、中論は、実質的に「生命教」だと解釈する。

「如来の本性であるもの、それがそのまま、生類の本性(即ち生命)である」。
422神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:26:19.24 ID:3DBPPwiE
コアは素抜けだったりする
423神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:28:36.49 ID:sk4eFN0k
>>418
404さんは、輪廻という概念を変えて物を語っていますので話が通じないのです。
一般的な輪廻転生の概念は、個人の個性なり業なりが生前-死後と連綿と連鎖する事です。
過去世-今世-来世と個人を繋ぐ「個性」なり「業」なりのロープを想定したものが輪廻転生です。
しかし404さんは、そんなロープは存在しない、存在しても空であると言っています。
空であると想定するする事は、輪廻転生を肯定しないという事になります。
424神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:31:00.93 ID:IyVsDWbW
>>415
あるけれども、それは「根拠」という型枠にはめられた、何物かがあるわけじゃない
ってこと。
根拠はいろいろな要素で形成されていて(仮に)、 一定の変わらぬ根拠というものがあるわけじゃない。
だから、常住とは言えないけど、(空の)輪廻において、Aさんが継承されると言えるわけ。
核というのはあるように見えるけど、それは雲のコアのようなもので、「自分が在る」 という無明によって引き起こされたものが、
そのように見ているだけなの。
コアとは常住ではないが、自分の我が作り上げてるもの、それが輪廻するってこと。
425神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:32:34.59 ID:JAk3wNoa
>>420
そうじゃなくて。

「前世の報いを受けている」という言明を承けるなら、
前世で田中さんだった存在が現世で鈴木さんであることを繋げる要素が必要なの。

貴方が言ってるのは、
「前世では田中さんだけど現世では鈴木さんじゃないw 繋がってないでしょ?」
ということ。

これが、三世に跨る業報を踏襲してないことはわかるよね?
426パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 01:35:44.88 ID:VvdV7iXk
もう一度言うがなww 

業論というのは、『この人はAさんの生まれ変わり』というのが確定されなければ
成立しないのww
Aさんが前世で積んだ悪行を今世のAさんの生まれ変わりが引き受ける・・・・
こういう構図が三世に跨る業報論の基本なのww
だから、必ず「この人はAさんの生まれ変わりであって、Bさんの生まれ変わりでは
ない」と、される基準、根拠が必須なわけwww

んじゃ、何を持って、「この人がAさんの生まれ変わりとするわけ」
何かあるんでしょ?  そう言えるだけの何かがw
何にもないのに勝手に「はい、あんたはAさんの生まれ変わり」「あんたはBさんね」
って決めてるの?ww  そうなら、悪因悪果もあったもんじゃねえなw

俺が言ってるのは、この「Aさんの生まれ変わりといえる根拠」・・・・これなのw
それがたとえ,霊だろうが魂だろうがなんだっていいんだよw  どのように変化しようが
構わないのw  だけど、ただ一つ「Aさんと言えるだけの属性」・・・これは変化できないでしょ?
ってのwww  そこが変化しちゃうともう、Aさんの生まれ変わりといえなくなるからwww
Aさんの生まれ変わりと言える根拠だけは継承されなければいかんでしょ?wwww
この人はAさんの生まれ変わりであって、Bさんの生まれ変わりではない・・・・
こう言えるだけの「個の識別属性」が継承されなければ、業報論は成立しないのww

わかった?www
427神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:36:05.04 ID:IyVsDWbW
>>423
あなたの文章読んでると、輪廻の主体は常住であると決め付けてる人の思考の間違いが、
手に取るように分かるよ。
428神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:38:32.78 ID:YGLHdpv/
>>411
雲には、「水滴」というコアがちゃんとあるよ。

いい歳して、そこまで釈迦の尻を追い掛け回すのは止めたら。みっともないよ。
429パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 01:40:24.54 ID:VvdV7iXk
>>427 wwwwwwwwwwwwwwwww  
セブンも>>425 で言ってるが、 お前、業報論ってしってるの??ww

「この人はAさんの生まれ変わりであって、Bさんの生まれ変わりではない」
このような識別がつかなければ、そもそも業報論など成立しないんだがww

このような、「個の識別属性」の継承が必須なの、業報論にはwww
430神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:43:10.95 ID:sk4eFN0k
>>427
それ(輪廻の主体を常住とみなす)が輪廻転生なのですよ。→常住は無明を滅ぼせば滅するから無常と言っても意味なしです。
輪廻の主体が空ということは繋ぐものが無いと言うことです。
繋ぐものがないと言うことは過去世-今世-来世がバラバラだという事です。
それはもはや輪廻転生ではありません。
431神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:45:29.51 ID:JAk3wNoa
>>430
繋ぐものがないわけなかろう?w

それは、縁起の全否定だぞ。 その辺“解”ってる?
432神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:48:50.11 ID:sk4eFN0k
>>431
過去世-今世ー来世と繋ぐなにがしかを想定したら輪廻転生です。
縁起とは全く関係がありません。
433神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:49:10.11 ID:IyVsDWbW
>>429
あのね・・・、

>Aさんが前世で積んだ悪行を今世のAさんの生まれ変わりが引き受ける・・・・
> こういう構図が三世に跨る業報論の基本なのww

これは分かってるの。
その上で言ってる。
本当にあなたたちの勘違いは、手に取るように分かるよ。
喩えていうなら、入道雲が東から西に移動したとする・・・・
そのとき、西の入道雲が、東の入道雲になった・・・、西の入道雲から、東の入道雲にたらしめてる、
コアがあるはずだ・・・・、って言ってるのと同じなの。
コアは幻のようなものなの。
自分の認識が作り出してる。
人間の認識が作り出してる。
だから、コアが継承するように見えても、そこには実体がないわけ。
実体が無くても、コアが継承してるように感じ取れるわけ。
コアを常住と決め付けたそのときから、自己流の教えが始まっちゃうんだよ。
434パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 01:51:16.11 ID:VvdV7iXk
>だから、常住とは言えないけど、(空の)輪廻において、Aさんが継承されると言えるわけ。

wwwwwwwwwwwww  だから、何でAさんなんだよww
Bさんじゃいけないの?ww
Aさんが継承したんでしょ?ww
Aさん⇒Aさんの生まれ変わり・・・・って、 ちゃんと、「Aさんと言えるもの」が
継承されてるじゃんwww  それ以後もずっと継承されてくんでしょ?w
この「Aさんと言えるもの」がwwww

完全な常住論だろうがww
何でも「空」くっつけりゃ常住でなくなるなんて思ってんのか?www
435神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:51:23.94 ID:JAk3wNoa
>>432
ハァ?(゚∀゚)
436神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:52:42.29 ID:YGLHdpv/
「輪廻転生」については、まず、中論27章「邪見の考察」を読まれたし。

中論は、完璧に否定している。
437パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 01:55:10.89 ID:VvdV7iXk
>>433 wwwwwwwwwwww  何言ってんだ???www

例えにも何にもなっちゃいないんだがwwwww

>喩えていうなら、入道雲が東から西に移動したとする・・・・

「東から西に移動した」だけだから、『同じもの』だろうがwwww
位置が変わったというだけだろうが?ww

何いってるの?ww
438神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 01:56:05.52 ID:IyVsDWbW
>>430
>輪廻の主体が空ということは繋ぐものが無いと言うことです

ここの認識がそもそも間違ってるし、

>それ(輪廻の主体を常住とみなす)が輪廻転生なのですよ

ここが完全に決め付けですよね。
それは学者が決めたことです。
無我から考察したことです。
釈迦の教えじゃない。
勝手に学者が無我から学術的に究明して、答えを出したものです。

空というのは、無い、ということじゃありません
便宜的に、無い というときには、それは常住ではない、ということです。
常住ではないけれど、そう見えるものがある・・・・
そう感じられるものがある・・・・
そこから抜け出せない。   で、そこから抜け出すのが解脱なわけです。
解脱もしていないのに、なんで繋ぐものが消えるんですか・・・?
消えないでしょ。
自分ではあると思ってるんだから。
幻のようなものを、しっかりと掴んでいるのだから。
だから輪廻するんですよ。
439パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 02:02:45.92 ID:VvdV7iXk
>>438

「この人はAさんの生まれ変わりである」・・・・・このように決定づける
ものが、あるの?それともないの?

はい、まずこれから答えてねww
440神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:03:22.00 ID:IyVsDWbW
>>437
いやいや、入道雲を入道雲とたらしめてる、コアが移動したのか・・・? ってこと。
雲は移動すると形を変えるよね・・?
例えば、西にいるときは、全長100mくらいの、丸いものだったとする。
それが東に回ったら、全長10mの、小ちゃい四角い雲になっていたとする・・・。
形的には全然違うよね?
しかし、あきらかに西から東に途切れなく移動したのだから、コアがあるはずだよね・・?
無ければ西から東に移動した雲が、同じ入道雲とは言えないわけだよ。
あなたたちの議論は、すべてこういう形なの。
441神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:04:30.03 ID:JAk3wNoa
>>438
全面同意w
442神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:06:29.33 ID:IyVsDWbW
>>439
だから・・・、空、幻のようなものとしての、「決定付けるもの」 は、「在る」
常住としての決定付けるものは、「無い」

正しく言うと、  在るとも言えないし、無いとも言えない。
443神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:06:40.01 ID:sk4eFN0k
>>438
あのですね、輪廻転生は学者が決めた事ではありませんし、釈迦が教えた事でもないのですよ。
インド土着の信仰です。
過去世ー今世-来世と個人を繋ぐ個性なり業なりのロープが存在する〜ロープで繋がっていると信じるのが輪廻転生です。
空というのは実体が無いということです。あっても未来永劫あり続ける事が無いと言うことです。

>常住ではないけれど、そう見えるものがある・・・・
>そう感じられるものがある・・・・

何も見えないし、何も感じませんけど?という事ですよ。何を想定して見えるとか感じるとか言ってるんですか?
444神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:07:23.88 ID:YGLHdpv/
>>438
>釈迦の教えじゃない。

また釈迦かw。釈迦カルトは、完全な基地外。
445パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 02:09:45.26 ID:VvdV7iXk
>>440 wwwwwww
大きさや形が変わろうとも、それは構成分子数の変化とその位置関係の
相対的変化に過ぎんよww

コアがあるはず??  なんのこっちゃ?  構成分子のことか?
勝手に入道雲にコアを設定してわけの分からん話をしてるが、はっきり言って
どうでもいいwwww  とりあえず、
>>439 に答えてww
446神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:10:15.30 ID:TVptQwLG
 
>>416 ID:WJRhEJcu さんへ
> 無理に世俗向けでない「中論の勝義諦」を適用しようとするから
> 齟齬が出るのかなと分析しております

チベット ゲルク派の場合は
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
自立論証派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
( − これに対して − )
帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します

末那識(まなしき)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
一切の有情には仏性があるといわれるけど
「 解脱すれば仏だ 」 と言う事に 「 気づくまでは、気づくことは難しい 」
447神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:10:47.42 ID:JAk3wNoa
>>440
喩えとして不適切ではない。

だが、重要な点を捨象している。
その例では、三世に跨る輪廻で言えば、
「五蘊(の特に色)」が位置を変えただけで存続し続けている、
というのに同じだから。

三世に跨る輪廻はそうではない。
それこそ、長野の竈で火をつければ、鹿児島の鍋の湯が沸く、ということを担保しなければならないからです。
雲の譬えは、長野の鈴木さん宅の右の竈で火を焚いたから、左の竈が温まった、ということでしかないのです。

尤も、例の彼の如く、そこまでのみを縁起と見做すのも、一つの見識ではあります。
448パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 02:29:24.32 ID:VvdV7iXk
>>442

>だから・・・、空、幻のようなものとしての、「決定付けるもの」 は、「在る」
> 常住としての決定付けるものは、「無い」

>正しく言うと、  在るとも言えないし、無いとも言えない。

お前はなめとんか?wwwww
「空」という冠つければ何でもOKだと思ってんのか?www

「これはAさんの生まれ変わりであり、Bさんの生まれ変わりではない」・・・
このように決定付けるものは、あるわけだww
そして、この「Aさんと言えるもの」は、(解脱するまで)永遠に連鎖して
いくわけだww    100%の常住論だろうがwww

勝手に「常住」ではないなどと言っても、実質、常住そのもだろうがww


>在るとも言えないし、無いとも言えない。

困りますなあwwwww  そんないい加減なことではww
見に覚えのない「殺人者の業」など背負わされたんじゃ、たまらんぞwww
449神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:32:06.87 ID:TVptQwLG
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama27.pdf

第二十七章 見解(邪見)の考察

3.
「私は過去(世)に存在していた」と言うことは妥当ではない
過去(世)に存在していたものは
その者(現世の私)と同一ではないからである
450パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 02:32:57.21 ID:VvdV7iXk
結局、最後は、あるとも言えないし、無いとも言えない・・・・・

もわ〜〜〜〜〜とした、わけの分からん言い回しで終了か?ww
だったら、始めから「論理的無矛盾」なんて言うんじゃねえよwww
451神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:37:15.91 ID:IyVsDWbW
>>443
輪廻転生の{主体が常住である}・・・ ということについてですね。
学者が決めた、というのは。

少なくとも仏教の輪廻は、輪廻転生もそれにつながるロープも、
「空」 ということだと思いますよ。
452神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:42:19.22 ID:IyVsDWbW
>>447
そういう突っ込みはあると思いましたね・・・。
だが、他に喩えが見つからない。
なるべく実体物の移動のように思われないために、「雲」 という表現を使ったんですが、
それでも移動は移動ですからね・・・。
ただ、輪廻における常住のコアというものを、雲のコアという概念に結び付けて、
常住ではなくとも、コアという概念は継承されるってことを言いたかったのですが。
ともかく喩えが難しい。
今後いいたとえが見つかるかもしれないですけど・・・。
453神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:44:49.01 ID:sk4eFN0k
>>451
そういう解釈はあったとしても大乗以降の話で、当初は積極的にインド土着の正真正銘の輪廻転生を
取り入れて変貌していったと見るのが正解でしょう。だから無我と論理矛盾に陥って、あなたの様な
新解釈が生まれたのですよ。その新解釈はもはや輪廻転生ではありませんけどね。
そして正真正銘の輪廻転生は確固たる紐、ロープを想定して繋がっていると信じているわけです。
学者が常住である〜なんて決めたわけじゃない。
454神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:54:04.53 ID:TVptQwLG
 
>>449 の続き

業(ごう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
アートマンを認めない無我の立場をとる思想では
心の流れ(心相続)に付随するものとされた
現在日常的にこの語を使う場合は
行為で生じる罪悪を意味したり(例えば「業が深い」)
不合理だと思ってもやってしまう宿命的な行為という意味で使ったりすることが多い
  _  _  _

袖振り合うも多生の縁
http://kotowaza-allguide.com/so/sodefuriaumo.html
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも
前世からの深い因縁であるということ
人との縁はすべて単なる偶然ではなく
深い因縁によって起こるものだから
どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく
455神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 02:56:25.88 ID:IyVsDWbW
>>448
常住というからには、変化があっちゃいけない。
永久に続くように見えるってだけで、常住と決め付けてはいけない。
で、その決定付けるものは、いろいろと変化する要素で成り立ってるわけ。
もちろん、個性が崩壊してしまうほどの変化じゃないにしても、いろいろと変化する。
例えば、輪廻の主体を精神的なものとすると、その精神は、いろいろと思いを変え、
時間の経過とともに成長したり、堕落したり、いろいろ変化するわけ。
だから常住ではない。
では、その精神という受け皿・・・・  そのいろいろと変化する思いを出してる場所・・・
そういう受け皿が想定できるか・・・? っていうと、そんなものは想定出来ない。
言葉の問題で、 「精神はいろいろな要素で変化しながら成り立っている」 というとき、
「いろいろな要素で成り立っているもの」 を、「精神」 というとき、 つまり、イコールで結ばれているのにも関わらず、
常住な「精神」 というものを、抽出することは出来ない。
そこを抽出しちゃてんのよ。
だから上に上げたような自己矛盾が起きる。
これは言葉の問題。
いろいろな要素で変化しながら、それは個性を崩壊させるような変化じゃなく、継承していくもの・・・・
それが、空なる輪廻の主体ってことでしょ。
で、ここでまた個性という言葉を使うと、またそれに捉われて、「じゃあ、その個性というのがあるんだな?」 ってことになるんでしょ?
「個性を崩壊させるような変化」 というのは便宜的に言ってるのであって、
いろいろな要素で変化しながら継承される・・・ ということ。
そしてそれが、(空なる)個性として見られるわけ。
456神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 03:05:15.47 ID:sk4eFN0k
>>455
輪廻の主体を空と言えばそれはもはや輪廻ではない。
457神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 03:06:52.69 ID:IyVsDWbW
>>443
輪廻転生の{主体が常住である}・・・ ということについてですね。
学者が決めた、というのは。

少なくとも仏教の輪廻は、輪廻転生もそれにつながるロープも、
「空」 ということだと思いますよ。
458神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 03:09:52.10 ID:IyVsDWbW
>>457 ミス

>>453
インド土着の輪廻思想ってのも、もともとは実体があるってことじゃなく、
そういうものを超えていけ・・・ って思想だったと思いますよ、個人的には。
それがいつの間にか、説かれてる間、取る側のほうが、そこに固執するようになった・・・。
超えなきゃいけないものを、そこに執着してしまった・・・
で、お釈迦さまはその危険性を知ってるからこそ、あえて、そういう方向に向かせるようなことを伏せた。
ただ、上位のものには言っていたと思いますね。
これは個人的な考えですが。
だから新解釈でもなんでもなくて、もともと正しい教えが、途中で間違った方向に行った・・・・
それを元に戻すために、今度はそういうことに触れないようにした・・・・
あるいは、空であるということを、強調した。
これは自然なことだと思いますね。

では。
459神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 03:27:03.72 ID:TVptQwLG
 
> インド土着の輪廻思想ってのも、もともとは実体があるってことじゃなく
> そういうものを超えていけ・・・ って思想だったと思います

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

輪廻を土台として
輪廻を前提として
その輪廻から解脱する為には

永久不滅・常住不変のアートマンを土台として
善行に励み、永遠ばかりを探して
凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れてない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない人達を

: 無我 ・ 縁起 ・ 空 : の観察によって 『 悟りへの道に導く為に 』

およそ、禅定に入ろうとする人は …
… この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
460パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 03:58:42.82 ID:VvdV7iXk
>>445 wwwwwwwwww  だから何どもいってるだろうが?ww

何がいくら変化しようとも、「この人はAさんの生まれ変わり」と言える
ことだけは変わらないんでしょ?www
そこだけは、固定なんでしょ?  他はいくら変わっても、
「この人はAさんの生まれ変わりであると言える『何か』」だけは変わらないんでしょ?
それが、「Bさんの生まれ変わりである言える『何か』」に変わったりするの?www
 他の要素は
いくら変わろうともそこだけは変わらんのだろ?  それを「コア」といったのwww

この「Aさんの生まれ変わりと言える『何か』」が、変化して「Bさんの生まれ変わり
と言える『何か』」になったりすることあるの?
もしあるならば、そりゃ確かに常住ではないわなw
そんなことあるの?wwww
461パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 04:00:12.99 ID:VvdV7iXk
445⇒455
462パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 04:04:32.52 ID:VvdV7iXk
>もちろん、個性が崩壊してしまうほどの変化じゃないにしても、・・・

自分で言ってんじゃねえかwww
「個性は崩壊しないんでしょ?」wwww
「個性は継続していくんでしょ?」www

んじゃ、個性は常住じゃねえかwww
463神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 06:08:58.70 ID:09XPUzaO
(水源禅師法話より)
【参加者】
 前世を見せてやるとか言ってだます、というお話がありましたが、
そのようにして見せられるビジョンと、禅定によって見えるビジョンと、
同じような気がするのですが、違いというのは分るものなのでしょうか。

 もちろん分ります。なぜかと言ったら、サーリプッタの第五の方法。
それから釈迦牟尼仏陀の第一法。
二つとも同じビジョンが見えなければいけません。
次に、縁起観で、過去の物質と現在の物質と未来の物質とが合わなければいけません。
その時に、一切の物質とナーマ・ルーパ(精神現象と物質現象)が合わなければいけません。
それは1回、2回は成功するかもしれないけれども、
過去6回、未来2回ちゃんと正しく折り重なったときに、
「お前は見た」ということになるのです。
464神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 07:09:03.53 ID:TVptQwLG
 
サーンキヤ学派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE

サーンキヤでは精神原理であるプルシャは永遠に変化することのない実体である、とし
それに対し物質原理であるプラクリティを第1原因とも呼び
サットヴァ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(翳質)という、相互に関わる3つの構成要素からなるとし
これら構成要素が平衡状態にあるときプラクリティは変化しない、とする

しかしプルシャの観察を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開してゆくことになる
プラクリティ→理性→自我意識という順序で原理が現れ、自我意識からは思考器官・知覚器官・行為器官が生まれる
知覚器官には耳・皮膚・眼・舌・鼻があり、行為器官には発声器官・手・足・排泄器官・生殖器官がある
また、自我意識は他方では元素としての(音・触感・色・味・香)を生み、元素は五大の要素(虚空・風・火・水・地)を生む
これらの対象は知覚器官に対応している

プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない、とする
人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが
本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている

サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている
465神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 07:23:49.24 ID:TVptQwLG
 
>>464 の続き

我(が)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91

五蘊仮和合

… ここで説かれるような実我を常一主宰と規定付けた
すなわち、我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである

( − これに対して − )

釈迦はこのような実我観念を批判し
「 我として認められるものはない 」 として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
466神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 07:44:03.47 ID:WJRhEJcu
>>443
>過去世ー今世-来世と個人を繋ぐ個性なり業なりのロープが存在する〜ロープで繋がっていると信じるのが輪廻転生です。
> 空というのは実体が無いということです。あっても未来永劫あり続ける事が無いと言うことです。

かなり輪廻議論がループしておりますので、失礼かも知れませんが横レスします。

・過去世ー今世-来世と個人を繋ぐ個性(経験)なり業なりのロープ(リンク)が存在する←同感です。
・空というのは実体が無い←今は同感です。リンクの阿頼耶識も作られたもの(有為法)で変化する「空」なので。

従来の輪廻肯定論者は阿頼耶識を常住のアートマン(霊魂)と認識しておりましたので、
貴兄の見解は輪廻を肯定しつつも別モデルだと私には観じられます。

またこの見解は水野先生の仏教要語にある解釈と近く、宝珠氏や私の見解(現時点)ともほぼ一致しております。
たぶん、パーピマン氏らは従来の「阿頼耶識は常住」説をベースに反論されているようにも読めます。
467神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 07:49:59.07 ID:WJRhEJcu
>>466
>・過去世ー今世-来世と個人を繋ぐ個性(経験)なり業なりのロープ(リンク)が存在する←同感です。
>・空というのは実体が無い←今は同感です。リンクの阿頼耶識も作られたもの(有為法)で変化する「空」なので。

また現代の科学的譬え話で恐縮ですが、
パソコンを買い替える際に私達は前のパソコンのソフトやデータをディスクやUSBメモリにコピーして
新しいパソコンに入れます。

パソコン:肉体
ソフトやデータ:カルマや経験、質量は零で2500年前ならば「あるとも、ないとも、両方とも言えない」
ディスクやUSBメモリ:阿頼耶識、いずれは壊れて廃棄される
468神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 07:55:55.60 ID:WJRhEJcu
>>467
こうして私の古いパソコンと新しいパソコンとは「不一不異」と呼ぶしかないのではないでしょうか。
現代の科学的用語を用いて表現できる「世俗諦」ですが、2500年前ならば「勝義諦」かと存じます。
469神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 08:15:11.97 ID:TVptQwLG
 
唯識(ゆいしき)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
論としては弥勒(マイトレーヤ)を発祥として
無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された
無著は「摂大乗論(しょうだいじょうろん)」を

世親は「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」「唯識二十論」等を著した
「唯識二十論」では「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方

 → 言い表すことのできない実体がある ← とした
  _  _  _

瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を得て教理にまとめた。
とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)

最終的には → 阿羅耶識もまた空である ← とする(境識倶泯)
470神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 08:36:45.25 ID:TVptQwLG
 
>>469 の続き

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14110195644

唯識では
依他起相(他に依存する存在形態)と
遍計所執相(仮構された存在形態)となっています
異なっているのは、中論では縁起に重点がおかれ …

私達が実在と思っているものは実在ではなく、因縁によって仮合したものにすぎないのに
それを言葉で実在として捉えて表現しているから顚倒妄想が出てくるのだ、というのが中観で

唯識では、仮構された存在形態が先で、それは識の表象に過ぎないのであり
それを言葉が実在の如く誤解して表現するから顚倒妄想が生じるのだ、と理論展開しているわけです

そして、中論ではなかった修行法が明示されたというのが瑜伽唯識派の最大の特徴であり
それが最終的に後期大乗(秘密仏教)にて中観と唯識は融合され現在に至っているわけです
471パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 09:02:48.84 ID:VvdV7iXk
『T』   ≪無我と輪廻業報論の構造的矛盾≫


先ず初めに「私」とは何か?
仏教的に言えば、「この私」というのは,「縁起による『現れ』」に過ぎないわけです。
それを無明によって我々は「自分」とみなしてるわけです。言うまでもなく、それは
無常であり、常住するものではありません。   言い換えれば、「昨日の私」が縁となって
「今日の私」が現出しているとも言えます。

では、仏教的言い回しを避けて、もっと世俗的な視点から考察すると、
「何をもって自分」と言えるでしょうか? 「この人は何故、AさんであってBさんではないのか?」
・・・・・昨日のAさんは、勿論、今日のAさんとは異なります。  しかし、我々は「Aさん」
と見るわけです。  昨日のAさんと今日のAさんを結びつけるものは何でしょうか?  それは

@身体の空間的連続性
A記憶の連鎖        この二つのファクターによって、そこに同一性を見るわけです。

この要因の担保によって時系列上の各Aさんに同一性をみるのです。
(勿論、仏教的に言えば、この「私」は虚構であり、本来的な「私」すなわち、『我』はありません。)

では、輪廻業報論においてはどうでしょうか?
この二つの要因が共に欠落してしまいます。 よって、「この人はAさんの生まれ変わりである」・・・
このように言うためには、それ以外の要因を導入しなければなりません。
同一性を担保するためのBの要因が必要となるのです。
古来、それに使われてきたのは、いわゆる霊魂というものです。
勿論、霊魂でなくとも良いのですが、「この人はAさんの生まれ変わりであり、Bさんの生まれ変わりではない。」
・・・・・これを決定付けるものでなくてはなりません。 つまり
Aさんから⇒Aさんの生まれ変わり    へと継承される何か、連鎖する何か・・・これが必須なのです。
Aさんの生まれ変わりであって、Bさんのではない・・・とする「個識別属性」が継承されなければなりません。
472パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 09:06:18.24 ID:VvdV7iXk
『U』
では、業報論におけるこの「Aさんと言えるもの」は、どういうものでしょうか?
仏教では解脱するまで永遠と輪廻を繰り返すと言われています。つまり、解脱するまで、この
「Aさんといえるもの」は永遠と継承されていくわけです。  これが常住でない???
それこそ、もしかしたら宇宙の終わりまでも継続していくものが常住でない?
まさに常住の最たるものでしょう?

このように業論を成立させるためには、永遠と連鎖する「Aさんと言えるもの(すなわち『我』)」
を設定しなければなりません。

一部の輪廻業報論支持者は、「いえ、それは空であるから常住でなく、無我と矛盾しません。」といいます。
確かに、この「Aさんと言える根拠」となるもの・・・・これは現世(世俗)においては「空」でしょう。
上記の@Aが、「Aさんであると言える根拠」であり、これらは本来的には存在しない「Aさん」というものが
存在するかの如く誤謬を引き起こす因なわけです。  勿論、これらは無常であり、死後は共に消失します。
では、「生まれ変わりにおける」  「Aさんと言える根拠」・・・・これはどうでしょうか?
上記の@Aは喪失していますから、「それ以外の何か」ですが、それは、「永遠に継承されていくもの」
なわけです。 解脱出来ずに生まれ変わる度に、永遠と継承されていくのです。
これが「空」ですか?

「空」という概念は、原初的には「無常」から引き出される概念です。
(竜樹の無自性、相依的視点は置いとくとして)
無常⇒実体はない=空・・・  こういうベクトルです。

(「空」は原初的には時系列上の視点を基因 としていた。)  ⇒(仏教徒でもない俺がこういう話をするのはマジで嫌なんだがww)
 永遠と継続する「Aさんと言えるもの」・・・・・これが空ですか?  これが常住ではない?
「・・・」は空である・・・・このような但し書きを添えれば全てOKではありません。

業報論⇒これには、永遠と継続する「Aさんと言えるもの」・・・これが必須
無我⇒上記の属性がすなわち我 であり、そのようなものは無いとする

どうやっても論理的不整合は解消不能なのです。
473神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 09:24:19.07 ID:09XPUzaO
>>472
そりゃ、真理を言葉で考えてるからこんがらがる。

Don't think. FeeeeeL!(考えるな、感じろ!/ブルース・リー)
474神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:03:38.09 ID:2z9XUahp
>>473
アホはすっこんどれ。

「理」は言語・論理による<コトワリ>だから言葉で考えるのが当然だ。
それが正確に縁起(間接時空関係)を見る(中論24-40)、即ち如理作意(中部15)するということだ。

パーピマンは彼なりに一切法門(相応部35-23 意と法)を実践し、
<ありもしないもの>=一切外妄想をはじき飛ばしカットしているのだ。

文句があるなら、直ちに検証(相応部35-70)してみせろ。
475神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:05:29.56 ID:09XPUzaO
>>472
では、
こう考えたらどうだろう。
Aさんが死んだとき、
Aさん+Bさん=Cさん
となり、CさんにはAさんの要素を含んでいるが、常駐ではない。

そしてCさんが死んだら、
Cさん+Dさん=Eさん
となり、これもCさんの要素を含んでいるが、常駐とは言えない。

つまり、死んだら次々と輪廻の主体は合体を繰り返すため、
常駐と呼べるものは無い。

これで矛盾はしない。
476神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:08:46.22 ID:1FUhLjRP
>>465
>五蘊仮和合

すべてが『仮』なら、『仮』が常住。釈迦の初歩的論理ミス、勘違いの一つ。

一体、何に対して『仮』なのかw。
477神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:20:47.54 ID:09XPUzaO
>>475
>つまり、死んだら次々と輪廻の主体は合体を繰り返すため、
>常駐と呼べるものは無い。

もしくは、分離でもよい。
478神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:24:03.56 ID:2z9XUahp
>>476
ドアホ

>一体、何に対して『仮』なのかw。

問いそのものがナンセンス。
不識 ⇒>>152

おまえは二項相対思考でいかなる天才も達成できていない<無限遠点>を解決してから出て来い。
だから、天才たちも(現代の高校生も)仏法道理の<仮設&仮説>とせざるを得ない、ということがお前は分かっていない。

二項相対思考(想い Sn.1072)を放棄するという驚天動地なアイデアがブッダの悟りなんだから、
もしブッダを攻撃するのなら、二項相対思考の放棄などありえないということを、
二項相対思考で証明しなければならないのだ。

ついてこれるか?
479神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:26:53.54 ID:TVptQwLG
 
>>470 の続き
> 中論ではなかった修行法が明示されたというのが瑜伽唯識派の最大の特徴であり …

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八

八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
  _  _  _

諸法の、実相は、即ち、是れは、涅槃であり、涅槃を、滅と名づける

是の、滅は、涅槃に向うものをも、亦た、滅と名づける

一切の、心行は、皆、是れは、虚妄であり、虚妄の故に、滅するはずだ

諸法の、実相は、諸の心数法を出て、無生、無滅であり、涅槃のように、寂滅の相だ、と

それ故に

諸の禅定の中で、滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する
480神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:28:12.48 ID:1FUhLjRP
>>476
輪廻転生(Reincarnation)は文字通り「身体」の問題だから、現代の進歩した
科学の知見に任せよう。科学について無知蒙昧だった、釈迦や仏教の出る幕で
はない。

「釈迦が現代に生きていたら」何を語るか、を考えよう。科学で検証された
事柄か、それとも時代錯誤のホラー映画の世界かw。
481神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:38:27.48 ID:1FUhLjRP
>>478
大昔のカルト書Snなどに依存する点で、君は現代人として既に終わっている。
Snは、釈迦の精神病理をモロに表している。こんなもの読めば、間違いなく
人間が狂う。読んではならない、読ませてはならない悪書No.1。

しっかり座禅をやって、まず、その「開祖に対する執着」から離脱せよ。
482神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:41:45.78 ID:TVptQwLG
 
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm

1072
あらゆる欲望に対する貪りを離れ
無所有にもとづいて
その他のものを捨て
最上の < 想いからの解脱 > において解脱した人
かれは退きあともどりすることなく
そこに安住するであろう
483神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 10:57:30.65 ID:1FUhLjRP
>>482
欲望は、人間が状況に応じて生存するために不可欠の心的作用。即ち法である。
欲望をすべて棄てたら、人間は生存できない。生存できなければ、安住もへちまも
ない。

釈迦は法に反している。これも釈迦の初歩的論理矛盾、誤りのひとつ。
484神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 11:01:39.07 ID:2z9XUahp
>>481
>大昔のカルト書Snなどに依存する点で

アホ

ポイントはその文言が経験主義的に検証・納得できるかにある。
これは古代でも現代でも変わらない。
それが縁起(間接時空関係)の現実を正確に見る(如理作意)=中論24-40→四諦を体得するということだ。
坐禅も四諦・八正道のひとつ正(禅)定(集中して縁起を見る・直覚する)だ。

お粗末すぎて揶揄にもなっていないw
ブッダは筏のひとつだよ。
485神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 11:23:27.54 ID:TVptQwLG
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf

第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察

40.
依存的に生じること(縁起)を理解する者は
誰であれ苦しみ(苦諦)をも理解し
そして、それが生じるということ(集諦)を理解し
そしてその方法(道諦)とともに
それが消滅するということ(滅諦)を理解するのである
486神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 11:29:19.92 ID:IyVsDWbW
>>471
まず、この世では、Aさんの個性を確認するのは、@Aのファクターが必要で、
あの世では、Bのファクターが必要だってところが間違ってます。

もし、@Aのファクターで個性を確認するとするならば、例えば、Aさんに全身整形を受けさせて、容姿を変貌させ、
その上記憶を喪失させたとするならば、誰もAさんと確認出来ないわけです。
では、Aさんに全身整形を受けさせ、記憶を無くさせたら、Aさんという個性はなくなってしまうかというと、
そうではありません。
そこにはAさんの個性が存続する、何かがあるはずです。
そしてそれはこの世の中の現象世界においてあるものですから、その「何か」は、
常住じゃないってことです。
その何かこそ、Bの要素ですが、もし、その何かを常住と決めつけてしまうなら、
常住の存在はこの世に無いんですから、 Aさんの個性は、全身整形と記憶の喪失により、
消滅してしまうことになる。
つまりAさんの個性は、輪廻において継承されるもの、という、特別なものとして想定されるものじゃなくて、
この世においても、空なる存在として、想定されるわけです。
ですがそれは、>>467さんも言うように、USBの中身のようなもので、はっきりと固体として定義できるものじゃない。
「中身」・・・というのは、中身という存在があるわけじゃないのです。
そうした個としての存在は、輪廻の主体として想定出来ない。
「中身」というのは、外側からみて いろいろな要素で複雑に絡み合ってるものがある・・・・ その全体を仮に総称して、「中身」 というのです。

>>462
やっぱり個性に引っかかりましたね・・・
何度も言うように、個性とは、複雑に絡み合って継承されていく空のようなものを総称していて、
それは人が仮につけたものです。

あなたは「中身」とか、「個性」とかが、USBメモリやディスクのように、
存在するものとして、設定し、そしてそれもとに、否定しているのです。
問題は外側の名称ではなくて、中身です。
487神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 11:42:29.70 ID:IyVsDWbW
>>450
在るとも言えないし、無いとも言えない・・・  あなたはこれを曖昧なものとして受け取っていますが、
そうではないのです。
「なんだか分からないもの・・・」 というニュアンスじゃなくて、
実際に継承されるように見えるものに対して、ハッキリと、常住性はない、と言っているのです。
実際に継承されるように見えるものが在る・・・ そのことに対して、言っているのです。

例えば、種が芽になった、と言うとき、その植物としては同じだ・・・ということが出来ますが、
ですが形態はまったく別物です。
同一物ということは出来ません。   しかし、違うとも言えない・・・・
そのように不一不異による喩えは、 ある継承されているように見えるものは、継承されるとも、されないとも、言えない・・・と、
言ってるわけです。
「在るとも言えるし、無いとも言える・・・」 ってのは、世俗的に実際にあるように見えるものに対して、言っているのです。
決していい加減なことじゃないし、わけの分からんことでもないのです。
488nirodha:2013/09/28(土) 11:43:26.71 ID:2z9XUahp
>>483
>欲望は、人間が状況に応じて生存するために不可欠の心的作用。

その通りだ。
しかし、欲望そのものを否定している(滅)わけではない。
→<貪りを“離れ”(Sn.1072)>といっている。

かつて、仏法の基本命題四諦の滅諦<nirodha>の意味が問題となったことがある。
中村元博士(般若心経・金剛般若経 岩波文庫p31)は『制するという意味』といわれるが、
セブンは辞書的に見て『滅する』だと主張した。
小生は仏法趣旨から見て検討すべきで、結論を留保した。

今はやはり中村説が納得できる。
・友人の医者に聞いたのだが、現代の脳科学では、貪瞋痴を滅尽(破壊)するには視床下部の近くの⾷の中枢と性の中枢を外科切開する必要があるという。
 事実上の廃人だ。娑婆で慶安に暮らす様相ではない。「そんな馬鹿を仏教では教えるのかw」と医者に笑われた。

・滅=破壊・滅亡では「第二矢を受けず(相応部36-6)」「二念を継がず(白隠)」との整合性がない。

nirodhaは、制する・止める・離れる・支配する・コントロールするの意味だと受け止める。
489カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/28(土) 11:43:52.03 ID:RwZc0rzu
>>472
おまえは未だに仏教の無我思想を理解していないようなので教えてあげる。仏教における我(アートマン)とは自性のことだ。
では自性とはなにか?それは縁起によらず、単独で成立しているもの。変化することなく、恒常不変であるもの。
始めもなければ終わりもない、元からある無始無終であるもの。これが自性だ。さて業報輪廻転生の主体である業だが、
行い(因)と結果からなる業は縁起によるものなので、単独で成立していない。もちろん因果の法なので恒常不変なるものではなく
常に変化しているもの。もちろん個性も変化する。業報輪廻転生の主体である業は、たとえばBさんが今生において
解脱を遂げ、臨終後、涅槃に入れば業は滅び無くなる。これのどこが常駐なんだ?たとえば凡夫。彼は無明のまま永きに渡り
輪廻転生を繰り返してきた。でもこの宇宙は永遠ではない。始まったものには終わりがある。今の宇宙が消滅すれば
行き場の無くなった業も消滅してしまう。これのどこが常駐なんだよ。おまえは目の付け所がおかしいんだよ。
皆さん。このバーピマンという人は典型的な無明に囚われた凡夫です。彼は主に詭弁で反論するか、相手に的外れなレッテル
貼って侮辱してくるか、キチガイなどの正語に反する汚い言葉で相手を罵倒して逃げるかしか能が無いのであまり実のある
話は期待できないでしょう。原始仏典を素直に読めば小学生が読んでもゴータマさんは現象世界の現象として業報輪廻転生は
あるものとして法を説いているとみるのに、それを自分が気に入らないからと説いていないことにしてしまう人は
悪人です。彼らは詭弁をとても好みます。詭弁を好む人にろくな人はいません。パーピマンはそのいいサンプルなのでよく観察
すればいいでしょう。
490神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 11:52:46.55 ID:JAk3wNoa
>>486
そうじゃなくて、
そもそも、「三世を越えて」「個性が継承される(連続する)」ことが担保されない、ということです。
一晩寝て、とか麻酔から冷めて、とか、幼少時と老境等といったこととは、大きく一線が画されてしまうのです。
もとより縁起の流れの中「時制」に意味はありませんが、
或る条件下で、都度都度時制が定まる際には、その間の連絡・連関を避けることはできません。
(世俗的)事象はそのようなものだからです。

Bを常住と見做すという話でなく、
Bという要素そのものが、欠けている、ということです。
そして、Bこそが、(同一性(の根拠)であり)世俗の行為規範を下支えする基礎基盤なのです。
491パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 11:55:06.94 ID:VvdV7iXk
>>486 wwwwwwwwwwwwwwww  全身整形だ???wwwww

何勝手に設定を自分の都合のいいように矮小化してるんだ?wwwwww
@身体の空間的連続性・・・・これの喪失ってのは、単なる全身整形なんかじゃねえわいw
いくら整形しようともそれはAさんに決まっとろうがwwww
お前マジで言ってんの?www
俺の言う「身体の空間的連続性・・・これの喪失ってのは、『完全なる身体の喪失、
それこそ原子レベルでの分解』・・こういうものww
A記憶の連鎖・・・・これの喪失も、単なる一時的記憶喪失などではない。
事故、または疾病による記憶喪失であるなら、それの回復の可能性はある。
俺の言ってるのは「不可逆的な喪失」、記憶基盤の完全なる破壊・・・そういことww

はい、身体は原子レベルまで分解されています。 記憶もその基盤の完全なる破壊により
不可逆的に復活される可能税はゼロです。  この二つの条件下でAさんが、どこにいる?ww
「Aさんと言えるもの」は何?  どこにそんなものが残されてるの?ww

>やっぱり個性に引っかかりましたね・・・
>何度も言うように、個性とは、複雑に絡み合って継承されていく空のようなものを総称していて、
>それは人が仮につけたものです。

wwwwwwwwwwww  お前自分で、「個性は崩壊しない」って言ったのもう忘れたの???

空だろうが、総称だろうが、人が仮につけたもの、でも何でもいいが、それは「崩壊しない」んでしょ?www
んじゃ、「常住」だろうがwwww

⇒「空っていえば、何でもOKではないの」wwwww
お前は空だ空だと言っておきながら、その実、全く空でない属性を付加してるのw
そんなこともわからんのか?wwwwww
492パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 11:58:31.36 ID:VvdV7iXk
うわ〜〜〜〜〜〜〜〜、真正キチガイのカラスまできたああああwwwwwww
493神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 12:00:55.19 ID:JAk3wNoa
このネタが、仏教に関する議論の一ニを争う醍醐味だからでしょw
494パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 12:03:57.10 ID:VvdV7iXk
>・・・・キチガイなどの正語に反する汚い言葉で相手を罵倒して逃げるかしか能が無いので・・・・

いやあ〜〜〜〜、俺だってさすがに対論相手は選ぶわwwww
真正のキチガイ相手にしても、対話自体が成立しないし、時間の無駄だからwwwww
495カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/28(土) 12:05:27.93 ID:RwZc0rzu
今の宇宙が始まる前、そこには何も無かった。いや何も無かったというのは正確ではない。なぜならそこから全ては
生まれたからだ。そこは無と無限大。有と無が同時に成立しているような存在。彼は我々の知識領域を超えている。
基点のゼロ。全てはそこから始まり、滅しては生ずる今も、彼は全ての根源である。

さて、ここには重症な空理空論教患者の人がいます。彼らの思想のベースは竜樹の、縁起=中道=空。です。
さてこの現象世界のどこに中道を意味する竜樹の空があるのでしょう?それは彼らの頭の中の言語が作り出した妄想の
中でしかありません。さのさ、いくら君らが、この現象世界の中で苦楽など無いのだ、中道だ!と得意げに語っても、
有り余る金を手にし悠々自適に生き、うまいもん食っていい女抱いて暮らしていける間は楽だし、借金地獄に嵌って借金取りに
つかまってシバキまわされて毎日自殺を考える暮らしは苦だ。君がいくら生死など無いのだ。中道だ!と、
得意げに語っても、今の君は生きているし、時がくれば君は死ぬんだよ。その時は遅かれ早かれ確実に来る。
実の無い空理空論に耽る人ほど愚かな人はいない。さて、賢い人は中道を意味する空とはどこにあるか?お気づきでしょう。
一切法無我。ゴータマさんはあくまで、一切には我(アートマン)は無いと説いたに過ぎない。一切外については無記。
なぜ無記なのかは何度もこのシリーズで書いてきたので書かない。戯論寂滅した先に中道がある。名称は識別するもの。
この世界は「言」が創り出した相対世界。空理空論教患者は大変な思い違いをしている。
496神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 12:14:19.57 ID:WVvARoy1
無我なら輪廻しないってのは流石に詭弁だと思うな〜

それなら、無我なら何も知覚されない、
目の前のパソコンもスマホもあり得ない、って言わなきゃ辻褄が合わんでしょ

で、もちろん、それも1つの回答なんだけど、それだと
「今の苦しみは気のせいだ、本当は始めから涅槃にいる」
っていう論になって、方便を破壊するだけだよ。

だから、仏教では輪廻と涅槃を中道によって説くの。
497パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 12:18:31.90 ID:VvdV7iXk
>>487

>例えば、種が芽になった、と言うとき、その植物としては同じだ・・・ということが出来ますが、
>ですが形態はまったく別物です。
> 同一物ということは出来ません。

は〜〜〜〜〜? 何言ってんだ?ww
例えば、実験室のある植物・・・仮に「被検体A]とでもしておこうか?
これは、時と共に成長して、その形態はもちろん変わるw
種から芽になろうが、それは単なる形態の変化に過ぎず、空間的連続性の喪失は
起こってないので、変わらず「被検体A]だぞww
どこかで「被検体B」になったかい?ww
同一物だろうがww  これを同一物と認知しないのであれば、赤ん坊のときは
Aさんだったけど、大人になったときはBさんになっちまうwww  
498カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/28(土) 12:21:52.39 ID:RwZc0rzu
>>494
ま、お前には豚に真珠だろ。気の毒にな。
しかしあらためて原始仏典など読むと、巧妙に滅びの道へと邪見を誘うように書かれているな。
これ邪教だぞ。いや、書いてることは間違いじゃないんだよ。でも書き方に問題がある。これ意図的だろ。
ま、選ばれた人は迷わず仏典を読んでも正見するからいいということだろうな。仏教はアーリア人ではなく違う人種
に向けて説かれ、広がった。つまり違う人の為に用意された宗教なのだろう。愚かな仏教徒達は仏教だけは
特別なもので他の宗教とは違うと思っているようだが、仏教と言えどもヴェーダを基にした新興宗教にしか過ぎない。
基本はヴェーダだ。ヴェーダのテーマと言えば、自性(アートマン)と、ブラフマン(真我)だ。
ブラフマン(真我)には自性は無い。彼の性質を理解すればそのことをよく理解するだろう。彼はこの現象世界そのものだからな。
ゴータマさんは自性については無記通した。ゴータマさんが無我だと説いたのはあくまでこの一切には我(アートマン)は
どこにも無いと言ったに過ぎない。一切外については無記。理由はあるしその態度は間違いでは無いが、仏典の筆者の真意は
君らを騙すことにある。もちろんゴータマさんはブラフマンそのものは否定していない。真理は一つだ。二つのものは無い。
ヴェーダの自性を、天の父。ブラフマン(真我)を、人の子と呼び名を変えればキリスト教になる。
ま、わかる人だけわかればいい。
499パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 12:27:43.86 ID:VvdV7iXk
>>498 うんうん、わかってるってww
アートマンだよねw  あるんだよねw
お前の、「ルシファー教」にはあるんだよねww

・・・・・・でも、それ仏教じゃありませんからw

どわっはっはっは〜〜〜〜〜wwwww
⇒「混ぜるな危険」wwwww
500カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/28(土) 12:45:04.38 ID:RwZc0rzu
>>499
相も変わらずルシファーという単語に条件反射して煽るだけしか能の無い無智無能だな君は。
ルシファーとは明けの明星という意味だ。皆、滅尽定から、明けの明星を認識して全てを悟るんだよ。お前には関係の無い話だがな。
闇に光が当たらなければそこには何も無いぞ。我々が熟睡時の無を認識できるのは目覚めることができるからだ。
目覚めることがなければ無を認識する術も無い。もう一度言おう。光が闇を照らさなければ、そこには何も無いぞ。いと高き子
ルシファーとは至高の存在と同等の者だった。だが彼は地に落ちた。地に落ちた彼をサタンと呼ぶ。つまりエゴイズムに支配された
心を持ち、繰り返し自我を生んでいる我々の事だよ。彼があなたと私を分つエゴイズム(エゴ)滅ぼし、再び天に昇るのなら、
元のいと高き子へと立ち戻るだろう。神話とはこうやって読むんだよ。
501神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 12:48:22.67 ID:IyVsDWbW
>>490
言ってることは分かるんですが、形而上のことについて、論理的な証明は不可能です。
そもそも仏教は解脱とか、輪廻とか、形而上のことを問題にしてるのであって、
それを一般常識論で理解しようとしても、不可能です。
ですが、あらゆる論理を使用して、論理的な説明を試みることは出来ると思います。
ですが最終的には、形而上のことは論理的証明は不可能です。

で、論理的な証明は不可能だからといって、学者が一般常識において理解しようすることは、
間違ってると思います。
自分では想像もつかないよう世界を、仏陀は獲得した・・・・ 想像も出来ないような世界を、
一般常識で説明するということは、不可能です。
形而上の説明を論理的に説明出来ないということは、一般常識においても説明出来ない・・・してはいけないということです。
で、ここでそんなことを言っては話が終わってしまうので、確たる証明は出来ないまでも、
論理的に外堀を埋めるというか、そういうことは出来ると思います。
で、今問題となっているのは、死後、輪廻するものに常住の設定が出来るかどうか、
非常住の設定が出来るかどうか、・・・ってことです。
あくまで仮定による設定ですから、証拠云々という話ではないと思います。
確たる証拠は論理的には不可能にしても、もし、輪廻の何者かに常住の設定は可能かどうか、・・・ということだけでも、
その設定が適切かどうかは分かるわけです。
そして、そういう常住の「設定」は、出来ない、といってるわけです。
これは否定派のいわゆる輪廻の常住たる主体はない・・・ ということではなくて、
そもそも否定のための設定が間違ってる・・・ってことです。
輪廻する主体があるとすれば、それは常住だ、っていう、否定のための設定自体に問題がある。
で、別の言い方をすると、 「輪廻の主体に非常住のものを設定することは不可能か・・・?」 ってことなんです。
あくまで設定ということで、そのこと自体の証明じゃありません。
502神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 12:52:25.38 ID:clfcxD5i
輪廻の主体は空である〜なんて主張は縁起と輪廻転生を混同して語っているようなものでしょう。
輪廻転生が生まれ変わりを言っているのは間違いない事でしょう。生まれ変わりというのは特定の個人の
個性なり業なりが特定の個人に継承されるから生まれ変わりなのですよ。縁起は不特定多数が不特定多数に
時空を越えて影響を及ぼす事ですよ。
縁起と輪廻を混同するから輪廻の主体は空である〜なんて事になるんです。特定の個人-特定の個人を結ぶものを
想定しなければそれは輪廻ではない。
503神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:00:50.92 ID:IyVsDWbW
>>491
あなたは 「人から見て」 ・・と言ったでしょ?
あるいは、「自分から見て」 でもいい。
自分という認識が完全に無くなれば、それはAさんじゃないってことになる。
それがいわゆる解脱でしょ。
で、肉体の喪失によって自分という認識が無くなれば、それは解脱ということになる。
そんなバカな教えをお釈迦様は説きますかね・・・・?
それだったら、「老 → 死 によって、解脱するのだ。」 で、終わりでしょ?
何も、「老死があるから、苦しみがあるのだ・・・」 と、言わなくていい。
肉体の死によって自己という認識が終わるのなら、それは解脱ということです。
ならば、解脱を求めている人に対しては、 「あなた死になさい」 で、終わりです。
教えも減った暮れもない。
死のうが生きようが続く苦しみがあるから、それを超えなさい、と言っている。
では、その苦しみの主体は常住なのか・・・? っていうと、これはあきらかに非常住でしょ。
非常住の苦しみが生死を越えてつづく(永遠不滅という意味ではなく。)からこそ、老死の「死」によって完結しないのです。
504神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:18:36.44 ID:IyVsDWbW
>>502
だから・・・、特定の個人と特定の個人を結ぶ、ロープのようなものが、非常住の存在として在る(世俗的に。)と、仮定する・・と言っているのです。
空だから無いってことじゃない。  世俗的に。

>生まれ変わりというのは特定の個人の
>個性なり業なりが特定の個人に継承されるから生まれ変わりなのですよ

これ・・・・  これははなから輪廻の主体は常住だって、決め付けてるってことですよね。
個人そのものから、時空を超えて、個人そのものへ・・・・   確かに世俗的にみればそうでしょう。
世俗的に見れば・・・。(空なる存在を実際にあるように見えること)
で、そのあるように見えるものは、空と設定できる・・といってるわけです。
仮に輪廻を継承するものに、空という設定が出来ますか? 出来ませんか? ってこと。  仮に。
仮にも出来ないようなものが、論理的に説明が出来るか・・ってことなの。
証明が出来ないから○○だ、じゃなくて、証明云々はおいといて、仮に設定できるか、出来ないか、設定出来ないとすれば、
そのもの自体の証明じゃなくて、論理的に仮に説明できるか、出来ないか、・・・ってことなの。
いつの間にか実際物の証明に話が摩り替わってるんですよ。
もし、実際物の証明ということであれば、それは形而上のことで、証明は不可能です。
もしそうであるんなら、仏教は形而上、形而下関係なく、経典によって従わなければいけない、というしかありません。
そして経典には、宿命通という、個性(仮)の継承が説かれているのです。
もし、輪廻の主体の証明を、一般常識にしないといけないというなら、それは経典から外れたものになります。
事実、なってます。
505神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:24:39.16 ID:clfcxD5i
>>503
>死のうが生きようが続く苦しみがあるから、それを超えなさい、と言っている。
仏陀はそんな事を言っていないと思いますが?

無明、煩悩が生きている人間の根底にあり、この無明、煩悩が全ての苦の源である〜と言ったのですよ。
十二支縁起の両端は「老死」-(間に色々あって)-「無明」です。

>何も、「老死があるから、苦しみがあるのだ・・・」 と、言わなくていい。
老死があるから苦しみ〜なのではありません。無明があるから老死に苦しむのです。

どんな人間にも驕りがある、健康な人間は病気の人を見て「あーはなりたくない」と思い、若い人間は老人を見て「あーはなりたくない」と思い、
老人や病気の人は死にかけた人を見て「あーはなりたくない」と思い〜この人間の根底にある驕りとは何か?
という所からスタートしたのが仏陀ですよ。

仏陀は死後の世界や輪廻を積極肯定した人ではありません。 >>317
506カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/28(土) 13:30:08.22 ID:RwZc0rzu
>>505
>仏陀は死後の世界や輪廻を積極肯定した人ではありません。

原始仏典のどこをどう読めばこういう見解になるのか不思議に思う。こういう人達は結局自分の好み、願望、思い込みでしか
語っていないんだろうね。言っとくけど我の強い人は助からないよ。
507神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:30:37.56 ID:clfcxD5i
>>504
>これ・・・・  これははなから輪廻の主体は常住だって、決め付けてるってことですよね。
輪廻転生の概念ですよ。これ以外の輪廻転生観をお持ちの様ですが、それはオリジナルの概念ではないという事です。
508神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:37:14.38 ID:IyVsDWbW
>>497
だからそこに、空間的連続性を起こしてる主体と呼べるものは在るのか・・・? ってことなの。
もし主体があるというなら、それはこの現象界において、常住ということになるから、
そんなものは無いでしょ。 ・・・というのです。
輪廻はおろか、この現象界においても、主体は無いのです。
しかしあなたは、この世の時間的な連続を継承するものにおいて、主体を設定しているのです。
根拠とか、個性とかいうものですね。
それを常住主体のように扱ってる。
今世において、主体のようなものはない、空だ、常住性はない、・・・と言いながら、
一生懸命、AさんがAさんたるべく常住の主体を説いているわけです。
赤ちゃんAさんが、大人Aさんになったと言うとき、それが 「同一」のものである・・・と言った瞬間に、
常住性のものを認定していることになるのです。
だから、常住性のものを否定するために、「あるとも言えず、ないとも言えず」 という言い方に変換してるのです。
輪廻に常住の主体は無いといいながら、今世に常住性の主体を設定しているのです。

>お前は空だ空だと言っておきながら、その実、全く空でない属性を付加してるのw

この言葉は、そっくりそのまま返したいと思います。
「やられたらやり返す・・・・ 一倍返しだ!!」
509神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:41:58.85 ID:2z9XUahp
>>506
>原始仏典のどこをどう読めばこういう見解になるのか不思議に思う。

相応部35-23・70
510神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:42:44.03 ID:JAk3wNoa
>>508
だからw

業報による倫理規定として効力を持たないと言っているのです。
511神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 13:58:24.56 ID:WVvARoy1
>>497 パーピマン
その被検体Aを、Aたらしめてる同一性がまさに自性と言われるものなんだよ〜

AがBになることは、パーピマンの言うとおり、あり得ないけど、
AがAのままであり続けるのも、あり得ない。
これを不一不異というんだよ。
512神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:00:29.82 ID:JAk3wNoa
>>510
ま、そうは言っても、
紡がれた縁の上に各種ラベルが貼られるものだとしたなら、
諸縁の転変こそが(のみが)、継続し、そのラベルAからの継続の上にラベルA´が貼られている、
ということにはなるんだろうけどね。
そこには主体もないし常住なるものもないし、継続している具体性もないし、
何ものも継承されていない。
ただ、諸縁が転じているだけ、なのはその通りなのだろうけど。
だから、「諸縁の転変という連関の上にラベルA´が生じる」というところに、
行為規範の根拠を持ってくることは可能だけれど。
513神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:05:59.78 ID:clfcxD5i
>「諸縁の転変という連関の上にラベルA´が生じる」

特定の個人-特定の個人を結ぶものを想定するのが輪廻で諸縁の転変なんてものを
想定した時点でそれは輪廻とは言わない。
514神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:18:51.15 ID:JAk3wNoa
>>513


オリジナルネタは同人誌でどうぞ。
515神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:22:25.91 ID:oj3cGnVM
>>488
><貪りを“離れ”(Sn.1072)>といっている。

欲望は、満たされれば止む。どんな美味いものでも、腹いっぱい食べれば、
見るのも嫌になる。どんな美女でも、やるだけやれば飽きる。美男美女の離婚が
多いのは、周知の通り。

意図的に抑制しなくても、「生命」が自動制御する。意図的な制御は、生命の
指示に反する邪道である。

キリスト教聖職者の性犯罪の多発は、イエスが、「淫らな目で女を見た者は、
姦淫の罪を犯した」などと脅迫して、性欲を人為的に抑圧したことの結果である。
516サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 14:25:37.49 ID:dqR8A7cg
>>499
パーピマンに質問
輪廻する縁起の流れが例えば中有でも意識を構成するXという科学的に測定できない要素であるとして
その要素自体が縁起によって生成消滅する
そして中有の意識そのものも生きている身体やそれに伴う意識のように常に変化する

この場合はどうですか?

人間の身体だって常在のように見えるけど絶えず変化している諸要素の仮説
死後中有から転生に至る存在も肉体のように絶えず変化していて諸要素の仮説
では仏教的におかしいの?
517パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 14:31:17.41 ID:VvdV7iXk
>>508
>だからそこに、空間的連続性を起こしてる主体と呼べるものは在るのか・・・? ってことなの。

ってか、まじでお前は脳みそあるのか?  それとも、人の書き込み全く読んでねえのか?
いい加減にせえよ、バカタレがw

「空間的連続性等による同一性の担保」というのは、「あくまでもこの現世において
我々が個体認識するため要因」・・・・仏教的に言えば、本来は「私と言えるもの」
などないのに無明によって「そういうものがあるという錯誤に陥る」と、何度も
書いとろうが?www  主体など(仏教的に言えば)ないのに、主体があると
看做す。  それが、我々凡夫の認識w  しかし、そういう@空間的連続性もA記憶の連鎖
も死によって消失する・・・・・・ よって死後もAさんと言える何かしかのものを存続させようと
するのであれば、Bの要因を新たに導入しなければならない。
この人はAさんの生れ変りであると決定付けるもの・・・・それが必要になるの。

お前はそれを「個性」とよんでいるが、そういうものが必要になるわけ。 そして、業論では
それが、永遠と継続するの。 お前も「個性は崩壊しない」と言ったな?wwww
当たり前だあw 途中で崩壊したら、もうAさんの生まれ変わりと言えなくなるからなww
こんな「崩壊することなく」永遠と継続するものは、空ではないのwww そういうのを常住って
いうのww

勝手に論点ずらしてんじゃねえぞ?  それともマジで論点を把握できないほどバカなのか?
518パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 14:42:25.93 ID:VvdV7iXk
>>503 それはもう、歴史上の釈迦がどのように言ったか?  ということに関する
お題であって、「論理的に業報論と無我は整合するか?」  からはずれるのw

まあ、俺的に『釈迦は、死後に関しては無記、少なくとも積極的に説くことは
なかった。』・・・・と、考えるがねw
無記であるなら、当然、「死んだら解脱、さあ、死になさい」なんて言うわけねえなwww
519神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:45:28.89 ID:oj3cGnVM
解決困難な問題が生じたら、「世間の一切の慣習」に立ち帰れ。中論がちゃんと教えて
くれている。

人間界における真理は、その「世間(生活者)の生存努力」の中にのみ存する。

座禅や瞑想や修行は、単なる「お遊び」「趣味」に過ぎない。「生存努力」と
いう「大修行」には、遠く及ばない。
520神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:54:16.90 ID:clfcxD5i
分からない世界に対する対処の仕方

1、知る価値が無い、そもそも存在しない
2、自分(人間)にとって都合の良い世界があるに違いない
3、分からないものは分からない、判断中止

輪廻転生や死後の世界をあーだ、こーだと言うのは2の人
唯物の科学一辺倒の人は1の人
仏陀等賢者は3の人
521パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 14:57:20.68 ID:VvdV7iXk
>>516

>輪廻する縁起の流れが例えば中有でも意識を構成するXという科学的に測定できない要素であるとして

ポイントはここ。 その中有に存在する意識X・・・・これがAさんの意識であると
するなら、意識(これは記憶、その他の精神作用を含む)の連鎖なわけだw

これは、自分がAであるという認識を有したり、その他のAさんとの関連性を持ってなくては
ならない。(それがなくては、Aさんの意識といえないからねw)
そのような一体一対応が継続する限り、もうそれは「無我」に抵触するww

仏教における苦の滅(無我説による)は、
「ちょっと考えて見てください。これはAさんですか? 違いますね。
それではこれはAさんですか? それも違いますね。 ほら、Aさんいえるもの
など何もないでしょう?  Aさんと言えるものがないのに一体、誰が苦を
感じているのですか?  それは錯覚に過ぎません。」・・・・こういう方向性の
ものw  つまり苦を感じる主体そのものを否定することによる「根本治療」
みたいなもの。対象療法ではないw  よって、「Aさんと言えるもの」が
あったら困るんだよww  それが変化しようが何しようが、とにかく
「Aさんである」「これは自分である」・・・・・こういう我が存在したらあかんのw
(もちろん世俗視点では、また別の話しww)
522神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:57:58.26 ID:oj3cGnVM
仏教も、今や煩悩全開。いい傾向だw。

女人禁制も今は昔、「美坊主」が女性癒す寺
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130928-OYT1T00451.htm?from=ylist
523サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 15:13:10.31 ID:dqR8A7cg
>>521
>ポイントはここ。 その中有に存在する意識X・・・・これがAさんの意識であると
>するなら、意識(これは記憶、その他の精神作用を含む)の連鎖なわけだw

Aさんの意識を構成する諸要素の仮設された集合でそれたは絶えず変化生成消滅してますよね
生前のAさんとおなじく

>これは、自分がAであるという認識を有したり、その他のAさんとの関連性を持ってなくては
>ならない。(それがなくては、Aさんの意識といえないからねw)
>そのような一体一対応が継続する限り、もうそれは「無我」に抵触するww

いや生前のAさんも常に身体や意識を構成する諸要素は生成変化消滅を繰り返しているので
一瞬一瞬別人といえるでしょ?
死後中有にある意識もそれと同じで

その変化し続けて常在不滅ではない Aさんが自覚する 『わたし』 が常在であると思い込む 不滅でありたいと
執着する そこから苦が生まれるわけで
それに対して正しい見解を持てばその変化し続ける意識から離れた 『わたし』 に達することが出来る
それが無我だと思うけど

繰り返しになるけど Aさんの存在を構成する諸要素が変化し続ける限り 無我 であり続けると思いますよ?
524神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 15:15:23.10 ID:TVptQwLG
 
>>516 サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A ID:dqR8A7cg さんへ

例えば
西洋文明を根底としてる人の場合は
@身体の空間的連続性
A記憶の連鎖
この二つのファクターによって、そこに同一性を見る

 − これに対して −

西洋文明が根底としてるものから離れる事が出来れば
『 この現世においても過去と現在は同一ではない 』
と言う事がわかるのかも

龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama27.pdf
第二十七章 見解(邪見)の考察
3.
「私は過去(世)に存在していた」と言うことは妥当ではない
過去(世)に存在していたものは
その者(現世の私)と同一ではないからである
525サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 15:20:55.82 ID:dqR8A7cg
>>523
訂正
Aさんの意識はそれを構成する諸要素の仮設された集合で それは絶えず変化生成消滅してますよね
生前のAさんとおなじく

>>524
同意です
526パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 15:39:48.30 ID:VvdV7iXk
>>523 いやいや違うw
>いや生前のAさんも常に身体や意識を構成する諸要素は生成変化消滅を繰り返しているので
>一瞬一瞬別人といえるでしょ?

一瞬一瞬、別人であるという見方もできるよ。  それが無常であって、無我へと繋がるw
しかし、そういう視点から見ると、「Aさんと言えるもの」がないわけw
しかし、一方では我々は「Aさんというものを認識」するわけ。 これは
@Aによる誤謬なんだけれども。
では、中有における意識がAさんのものと言えるためには、何かが必要だよね?
「この中有の意識はAさんのものです」・・・と言えるには、そう言えるだけの
「何か」がいるわけ。それが意識であって、  死後もずっとAさんとしての意識が継続するなら、
それこそ「我といえるもの」・・すなわち『我』の永久的連鎖になってしまう。

無我説における『我』というのは、縁起によってほんの僅かな間、現出している
に過ぎない誤謬なんだよ。  その意識も、 老⇒死  によって消失する。
・・・・正確には無記、すなわち、継続することが担保されていない。
もし、このAであるという意識が永久に継続するなら、それこそ有我であり、
「ほら、貴方と言えるようなものはないでしょ? 貴方が今、感じている苦は
錯覚です。」・・・・なんて言えなくなるww
意識が永久に継続するんだからw
527サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 15:51:58.47 ID:o3CsHpT/
>>526
>しかし、そういう視点から見ると、「Aさんと言えるもの」がないわけw
>しかし、一方では我々は「Aさんというものを認識」するわけ。

例えばある日 パーピマンが髪をモヒカンにして金色に染めて出社しても
同僚や上司はパーピマンと認識できるでしょ?
髪型や髪の色が変わっても顔立ちなどでパーピマンだと認識できるわけよね
でも昨日までのパーピマンとは明らかに違う

中有におけるAさんもそれより微細な変化生成と死滅を縁起の流れで繰り返すとしたら
べつに常在の我が存在することにはならないと思いますけど

つまり私は

>「何か」がいるわけ。それが意識であって、  死後もずっとAさんとしての意識が継続するなら、
>それこそ「我といえるもの」・・すなわち『我』の永久的連鎖になってしまう。

大雑把に対象の継続を識別できるけど 縁起による生成変化消滅を持続している状態であるなら
それは常在の 我 とはいえないという立場です

それと
「ほら、貴方と言えるようなものはないでしょ? 貴方が今、感じている苦は
錯覚です。」
は縁起による応報無視してるからその言い方が誤謬だとw

あとご参考までに
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation2.html
528神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 15:52:53.10 ID:2z9XUahp
業報輪廻転生論なんか
菩提心凡夫にとって検証不能の一切外だから、
八正道の一切法門外に捨て置くこと。

こんなくだらないことで迷妄に陥っていては、悟達は不能だ。
529神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 15:53:22.52 ID:JAk3wNoa
    .a
●   →  ○
╂────╂
■━━━━□
    .→
    b
530神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 16:00:03.55 ID:clfcxD5i
>>527
>大雑把に対象の継続を識別できるけど
大雑把であろうがなかろうが、特定個人と特定個人を結ぶ紐を想定したら輪廻転生。
どのように識別できるのか?過去世Aと今世Aのどんな紐が見えると言うのか?
妄想以外の何者でもありません。
531サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 16:02:11.11 ID:o3CsHpT/
>>530
縁起の流れだと思いますけど?
日常でも意識が生まれては変化し消えてゆくのと同じでしょう
532神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 16:14:16.43 ID:clfcxD5i
縁起は特定個人-特定個人を結ぶ紐ではない。
533神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 16:26:16.67 ID:1HOdwLXG
生命=生の側面(顕在)、死の側面(冥伏)

中有(死より次生までの間)での意識の状態は空の状態。
五蘊仮和合の肉体もなければ精神作用もない。
534パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 16:29:58.89 ID:VvdV7iXk
>>527
>例えばある日 パーピマンが髪をモヒカンにして金色に染めて出社しても
>同僚や上司はパーピマンと認識できるでしょ?
>髪型や髪の色が変わっても顔立ちなどでパーピマンだと認識できるわけよね
>でも昨日までのパーピマンとは明らかに違う

見かけ、形態は変わっても「同一性」は担保されてるのw
だから、どのように変わろうとも「私は私」w

例えばね、西洋でいうゴーストね、  あれって、死後も相変わらず
意識を有していて、時には生者とコミュニケーションもとる。
意識は絶えず変化する死後存在だ。  形態は変わっても相変わらず
Aさん(のゴースト)として、存在し続ける。  ああいうのは明らかに「有我」
でしょ?  形態はゴーストに変化してても、Aさんであることには変わりないw
生前のAさんの記憶を有していて、Aさんとしてコミ二ケーションもとれる。
別の誰かではない。  そういう永遠に継続するものを設定してしまうと、
もう「無我」ではなくなるよw
535サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 16:39:48.14 ID:o3CsHpT/
>>534
>見かけ、形態は変わっても「同一性」は担保されてるのw
そのパーピマンは現実の彼と違って気分高揚して今まで鬱積したものが。。。ヒャッハーとかw
同一性のある部分 微細な部分が変化し続けるっていうか それはもう外部の判断の問題に
なってしまうでしょ
_な μな単位でも変化が起きてそれが常に連続していれば常在の 我 とはいえないと思います

ゴーストにしてもで 生前の人間が常在でないならゴーストも当然そうだと思いますけどね
536パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 16:40:13.03 ID:VvdV7iXk
仮にだね、(まあ、そんなことは有り得んがww)

我々が「不老不死」、身体は永遠に老いることもなく、病気や事故などによって
損傷、変化することもない。 意識も消失することはなし。勿論、刻々と変化する
状況に対応して意識も変化するだろうが、「私」という認識に変化なし。
(なんか、宝珠のいうスーパー覚者みたいだがww) もし、我々が
こんな超越的存在だったとしたら、釈迦も「無我」なんて説かなかったと
思うなwww

解決すべき苦は生による実存苦のみかww
さて、もしそうなら、釈迦はどんな人生送ったかね?w
537神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 16:49:48.59 ID:1HOdwLXG
煩悩(苦)即菩提(悟り)
故に煩悩は生命の働きとして生滅する事は無い。
538サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 16:53:03.22 ID:o3CsHpT/
>>536
意識という存在と認識ごっちゃになってるのでは?

認識は微細微小な 感覚で捉えられないような差異は切り捨ててしまうでしょ
でも意識はその微細微小なレベルでも刻々と変化し続けていますよね
肉体の条件に関わらず 意識が昏睡したりしなければ

その変化を縁起の流れと考えて 生前の意識の発生と消滅に至る流れを
死後の 仮に中有で持続するとすれば 縁起の流れに従って変化する意識は
常在の 我 とはいえない

あとAさんの同一性も『その意味で変化し続けているでしょ
他者や自己が認識できないレベルででも
539神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:01:37.26 ID:clfcxD5i
>>538
私はあまり賢くないので、あなたが何が言いたいのか理解できません。
今、話題になっている事は輪廻転生ですよね。
それと、全てのものは刻々と変化するものである→無常となんの関係があるんですか?
540パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 17:01:42.13 ID:VvdV7iXk
>>535 たとえ何がどのように変化しても、(死後に)
Aさんを 「Aさんと言える何か」・・・・すなわち同一性を担保する何か
は変化しようがないの。 それが変化してしまうと、もうAさんと言えなくなるから。
それが魂でも霊でも「個性」でもいいんだが、そのような「不変の」
属性を設定することが無我に抵触してしまうんだよ。

現世における「Aさんといえるもの」・・・これは縁起によってほんの僅かの
間だけ現出してる錯覚w
しかし、死後のそれは違うでしょ?
未来永劫、継続されていくことが前提なの。
「Aさんといえるものがあるという錯覚」と 「真実、未来永劫、Aさんと言えるものが
継承されていきます」という見解を同列に扱ってはダメw
541神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:04:52.09 ID:zFFQ30du
>>536
>解決すべき苦は生による実存苦のみかww
>さて、もしそうなら、釈迦はどんな人生送ったかね?w

釈迦は、「一切皆苦」を説くことに実存の「喜び」を感じ、80歳まで長生きしたw。

これも、釈迦の多くの論理矛盾と誤りの一部w。
542サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 17:14:08.52 ID:o3CsHpT/
>>539
Aさんという存在の同一性も無常であり輪廻の間に変化を続けているということ
だからAさんは個別性を持ちながら無我であるということです

>>540
Aの同一性を常在不変と設定することが??ですね

>さんを 「Aさんと言える何か」・・・・すなわち同一性を担保する何か
>は変化しようがないの。 それが変化してしまうと、もうAさんと言えなくなるから。

縁起による変化の度合いの問題ですね それと縁起の果報が因になり。。。
という具合にAさんの要素が引き継がれていくこともあるでしょうし

>しかし、死後のそれは違うでしょ?
>未来永劫、継続されていくことが前提なの。

生前の死後も同じだと思います つまり縁起による変化は止むことがない

>「Aさんといえるものがあるという錯覚」
これには同意です

>「真実、未来永劫、Aさんと言えるものが継承されていきます」
これは?通俗仏教でしょこの種の主張って
543神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:17:28.04 ID:zFFQ30du
>>527
石飛氏はその引用で、はっきりと「縁起=因果関係」としているね。しかし、「因果」の
概念を否定したのが、まさに中論である。中論第一章では、釈迦の「これがあるから、あれ
がある」を、明示的に否定している。

石飛氏が釈迦カルトで、釈迦の忌むべき「業報論」を何とか維持しようとしているだけ。

「釈迦の縁起に新しい意味を与え、それを換骨奪胎したのが、中論の空である」
(中村、三枝等)。
544サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 17:18:46.78 ID:o3CsHpT/
>>542
中有ではAさんは同一性が変化してもそれを失うことは考えにくいのですが

縁起の流れによって次の生涯を得るときに動物になったりBさんになってしまうことはありうる

ただ完全にAさんとしての要素を失うことがありうるのか
だとすると回向は成立しなくなる
ここら辺はどうなるのでしょうね
545神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:28:52.08 ID:zFFQ30du
>>542
>Aさんという存在の同一性も無常であり輪廻の間に変化を続けているということ
>だからAさんは個別性を持ちながら無我であるということです

「存在の同一性の無常」と「個別性を持ちながら」とは、論理的に全く矛盾して
いるではないか。釈迦の矛盾と誤りまで猿真似することはないのだよw。
546パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/28(土) 17:30:19.46 ID:VvdV7iXk
>だからAさんは個別性を持ちながら無我であるということです

それはもう仏教じゃないでしょ?
個別性を認知するのはあくまでも、世俗視点でのこと
勝義は無我・・・・・両視点をごちゃまぜにしてるw

我執が苦の最たる因⇒ところが「我などない」=無我 ⇒苦を感じる主体がないのに
何で苦があるの? ⇒ 苦なんてホントはないでしょ?

ざっくり言うとこれが大まかな流れw
ここに個別性持ち込んだらもう、わやでしょうが?
547神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:35:27.00 ID:zFFQ30du
>>540
要するに、釈迦の「無我」と「輪廻転生」がトンデモだった、という結論だね。

バラモン教の「輪廻転生」の洗脳が抜けきれないまま、釈迦は「無我」「無」と
いう己の「大発見」を得意になって説いた。まさに、混ぜるな、危険の愚を
犯したのである。
548神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:39:59.47 ID:clfcxD5i
>>542
ますます分からないんですけど?

輪廻で仮に業を紐として過去世から今世ー来世と繋がると仮定して、
その業の内容が過去世-今世-来世で変化する〜という事を言っているのでしょうか?

そもそも、原点に立ち返って考えるべきと思います。
輪廻転生は過去世の業がその内容そのまま今世に引き継がれ引き継がれた業が今世で変化したら
その最終内容の業を来世に引き渡す〜という流れじゃないんですか?

引渡しの間で何もないのに大幅に業の内容が変化する〜なんてのを想定してないでしょ。

何が言いたいのサッパリ分かりません。
549サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 17:42:49.91 ID:o3CsHpT/
>>546
無明によって縁起の流れに従うAさんが前提でしょ?
だから本来は無我であるのに縁起によって同一性を保持し続ける
中有に存在するのも縁起に流されるからじゃない?

我執が苦の最たる因⇒同意

ところが「我などない」=無我⇒無明に囚われてるから我があると思い込み苦に至る道に入る
                  無明によって行がある。行によって意識がある。意識によって名称と形態がある。
                  名称と形態によって六つのよりどころがある。六つのよりどころによって接触がある。
                  接触によって感受がある。感受によって渇愛がある。渇愛によって執着がある。
                  執着によって生存がある。生存によって老いること・死ぬこと・愁・悲・苦・憂・悩がある。
                  このように、これらすべての苦のあつまりが集まり起こる。   さっき貼ったブログより

苦を感じる主体がないのに何で苦があるの? ⇒我という主体という妄想を生み出してそこで生きてるから 

苦なんてホントはないでしょ?⇒無明が残りなく離れ滅することによって、行の滅がある。行の滅から意識の滅がある。
                  略……このようにこれらすべての苦の集まりが滅する。」 さっき貼ったブログより
550サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 17:47:18.93 ID:o3CsHpT/
>>548
中有の間にも意識は状況を認識しているのですから
意識の変化も持続すると思いますけど?
私は
>引渡しの間で何もないのに大幅に業の内容が変化する〜
とは書いていません
生前も死後の中有も意識は持続しAさんの同一性を変化させ続けている
と書き込んでいるつもりです
551神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:50:57.54 ID:clfcxD5i
>死後の中有も意識は持続しAさんの同一性を変化させ続けている
これと、
>引渡しの間で何もないのに大幅に業の内容が変化する〜
と何が違うんですか?
552神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 17:52:33.17 ID:zFFQ30du
>>550
>生前も死後の中有も意識は持続し

死後に意識があったら、火葬も埋葬も殺人罪だよ。何を寝惚けたことを言ってる
のかw。

少しでも意識があったら、脳死判定は絶対に出来ない。
553サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 17:55:05.90 ID:o3CsHpT/
>>551
中有の間でも知覚が維持されたり さまざまな試練を受けたりするといわれています
それによって意識に変化は起きるでしょうね
だから中有の間に何もないとは思いません
それと
大幅に業の内容が変化する〜の意味が私にはよくわかりません
554神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:00:18.97 ID:zFFQ30du
>>553
相変わらずサロメは、「どこかの本に書いてあること」だけの猿真似。
意味なし。

自分の頭は、どこにおいてきたの?
555サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 18:07:20.41 ID:o3CsHpT/
やっとパーピマンの主張がなんとなくだけどw

勉強になりますよ ありがとう^^
556神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:07:57.75 ID:4pd5CQk4
>>547
だいたい釈迦は無我を説いているのだろうか。
 
その資料をあげてほしいな? あるの? ないの?
557神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:10:08.00 ID:zFFQ30du
>>555
これからは、パーピさんの猿真似かw。
558神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:11:20.31 ID:clfcxD5i
>>553
つまり、あなたの輪廻転生観というのは、個人の個性なり業なりが生前-死後と連綿と連鎖する事を肯定した上で
仮に特定個人間を繋ぐ紐を業とし、業の内容を色で表すとすれば前世のAの赤い業の紐が刻々と変化して今世でピンク色に
なり来世で白に近い薄いピンク色になる、しかし色は変わっても同じ業だ〜という事ですか?
ますます、特定個人の紐に違いない〜って言えなくなりますよね。人間は一人じゃない。生き物は1個じゃない。
複雑に無数の数存在し、それらが輪廻転生を繰り返し、特徴とするものが変化し特徴でなくなり誰の目にも識別不可能〜
これを輪廻として、何が言いたいのか分かりません。
559神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:11:57.11 ID:4pd5CQk4
>>552
>死後に意識があったら、火葬も埋葬も殺人罪だよ。
 
死とは身体から意識(命)が抜けることでは?
560神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:17:26.59 ID:uVHnNOHv
なんだか、議論が白熱してますね
レスに気づきましたので遅れましたが書いておきます
>>406
それ以前での書き込みから類推で分かると思うのですが
私としては、その人の信仰を尊重すればよいと思います。
その人は間借りとしての意識で宗教を保っていたのでしょう。
そして共同体もその距離感での付き合いを是認していたことでしょう。
共同体は間借りの者に対して席を譲る必要はないと思いますが
ある程度寛容であるべきだと思います。
その人個人の信仰に関してのみはその人の望むであろう形を尊重するべきではないでしょうか?
どうしても譲れないものがあるのだとしたら、結婚以前に両者や家族の間で
あらかじめ決めておくべきなのではないでしょうかね。
561神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:18:03.11 ID:zFFQ30du
>>556
釈迦カルトたちが、「無我」だの「無」だと大騒ぎしているのだから、多分
あるのだろうね。あったとしても、命題自体が初歩的論理矛盾で誤りだから、
興味は全くない。
562サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 18:24:33.84 ID:o3CsHpT/
>>558
個人の縁起もあれば個人を構成する諸要素 個人の外界の存在を構成する諸要素の縁起など
複数存在しますが
ここではパーピマンと個人の輪廻の流れの中で自己同一性は?
と議論しています
563神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:24:58.21 ID:4pd5CQk4
中論第1章1詩を読んで、龍樹の空は
 
なんか変だなという違和感は、みんなにはないのだろうか。
 
もろもろの事物は・・・あることなし 
 
なんか変だよね。
564神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:25:04.30 ID:uVHnNOHv
私としては仏教が輪廻を認めたとしても論理矛盾とは思いませんね
現代人と考え方がちがうだけだと思います。まあ以前にも書きましたが。
これも以前書きましたが、言葉の定義が不明なんですよね。
生まれ変わりというのは、記憶も受け継ぐということなのか
そういう具体的な一切の自己同一性を継承することを意味しているのか、ということであれば
個人的な経験からありえないというのは言うまでもないことだと思いますが
あくまで前世の行為の結果を受け継ぐという程度のものなら、記憶を受け継ぐとは言えないし
かと言って、生まれ変わりではないとも言えないわけで
そういうことに対する推論をきちんとして発言しているのかと言えば
ここの議論はあくまで感情的に自己が信じるものを前提に物事を争っているだけなので
不毛な感じがするのですよね。冷静な議論ができなさそうなので遠慮させていただいている
というわけなのですよ
565神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:32:47.10 ID:zFFQ30du
>>563
君が文章を理解できていないだけ。

中論は、もろもろの事物の「構成原理」を述べている。

釈迦とは異なり、中論には、論理矛盾は皆無である。両者は、頭の程度が全く
異なる。
566神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:34:10.97 ID:4pd5CQk4
もろもろの事物は・・・あることなし
 
これが龍樹の立場であり、これでは縁起などまったく関係ない。
 
龍樹は頭から、この世は「空」であると決めつけている。
567神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:40:39.89 ID:4pd5CQk4
>>565
そういう話は、釈迦が無我を説いた資料を出してからでしょ。
 
あなたは釈迦が無我を説いた資料をまったく出せてないじゃん。
 
はよ、出してくださいヽ(^o^)丿
568神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:43:12.33 ID:zFFQ30du
>>566
だから中論は、「釈迦の縁起に新しい意味を与え、それを換骨奪胎した」と
評価されているのだよ。

中論の空は、現代においても、すべての事物、すべての人間に通用し、将来の
人類に対する極めて優れた指針であると言える。

釈迦の縁起(因果関係)は、原始人にも、現代の幼児にもわかること。わざわざ
教えられる必要はない。彼の縁起(因果関係)に基づく輪廻転生は、多くのカルト
の「営業手段」として、巨大な害悪を流し続けている。
569神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:46:18.76 ID:JAk3wNoa
>>560
晩年にキ教へ改宗する人って結構多いよw
特に大病したり、難病患ったり不治宣告されたり・・。

その意味でも、日本仏教は力不足を否めんよな・・w
今はまだ、血脈という点の崩壊だけで済んでるが、
いずれは、老舗とか歴史性も、個の思想信条の乱立に埋もれていくんじゃないかという気はするね。
「代々続くこと」に意義を見出さない社会、というか・・。

公と私(個)の対立軸は、特に戦争・軍隊・戦前日本、或いは大企業・政治と絡めて、
どうしても『公=悪・誤、私(個)=善・正』という図式が大手を振るうわけだけど、
本当にそうなのかな・・・とは、いつも思うんだよね・・。
570神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:48:40.46 ID:zFFQ30du
>>567
「無我」「無」と大騒ぎしている釈迦カルトたちに出して貰え。私には、興味がない。

そもそも、仏典には、「釈迦の言葉である」と「証明された」言葉は、唯の一語もない。
571サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 18:51:15.81 ID:o3CsHpT/
>>569
日本もグローバルになっているので上座部やチベット仏教に惹かれる層も多くなってくると思われ

日本の伝統仏教も相互交流で活性すると良いですね

キリスト教はカルト化の問題とか色々あるので
とくに仏教なら新興宗教はすぐにわかるけどキリスト教は歴史が浅い教派教団が多いので
見分けにくいです
572神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:54:38.46 ID:4pd5CQk4
>>568
釈迦を換骨奪胎しちゃダメだよ。
 
それより龍樹は、第1章10詩で縁起を否定してるね。
 
事物はあることなし、なんだから縁起もないということだろうか。
 
そうだとすれば中論を大誤解していたことになる。
573神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:59:11.74 ID:clfcxD5i
>>562
個人の流れでも構いませんが、輪廻転生=自己同一性の肯定ですよ。
あなたは、自己同一性は否定するが輪廻転生はある〜と言っている。

インドでそんな事言ったら皆に「それは輪廻転生とは言わない〜」って言われますよ。
574神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 18:59:57.79 ID:zFFQ30du
>>569
葬式仏教だけは、社会に日常的に貢献している。人の嫌がる死後の後始末をやって
くれるし、遺族は、会葬者や僧侶への接待、僧侶へのお布施の支払い、訳のわからん
読経を長々と聞かされるだけで、しばし悲しみを忘れることが出来る。お坊さんが、
下手な説教などしないで、お布施を貰うと自家用車でさっさと帰ってしまうところ
が、またよいw。

また、真言宗系の声明は、素晴らしい芸術品。死者も生き返る迫力だ。

キリスト教の牧師は、大げさな身振り手振りで説教し、ここぞとばかり布教する。
575神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:13:00.99 ID:4pd5CQk4
>>574
うん、いまの仏教は葬式仏教だろうね。
 
ないよりはいいんだが、仏教が職業になってしまった。
 
釈迦の乞食行とはまるで違う。
576サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 19:15:23.73 ID:o3CsHpT/
>>573
輪廻の過程で たとえば同一性が変化しうると私は考えています
パーピマンはそう考えないようですけどね

インドのヒンドゥは自己同一性をになう常在のアートマン肯定でしょ?
仏教は否定すると思います
577神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:16:21.75 ID:uVHnNOHv
>>569
ふむ。そういうものですか。
むしろ、私はかけこみ寺としての役目を仏教が果たさなくなったことによる現象だと思いますね
敷居が高くなったと。
だから、外から来た者であってもやさしい声をかける人たちに情が湧き、引きずられる
恩を感じれば断れなくなるという流れになるのだと思います。
正直、私<も>、と言ってはなんですが、今の寺のやり方が好きではないのですよね。

しかし、私個人としては、キリスト教がその広がる過程において多く見られたように
布教だけが自己目的化したような集団には危険を感じてしまいます。
キリスト教はとくにその傾向が高いように思うのですよね。
国を破壊しかねない災いをうむ可能性がある
もちろん、仏教も当初は布教に熱心であったでしょう。一応世界宗教となったのですから。
でも国家の恩恵に預かっていたから広まった点
共同体をゆるやかにまとめる方向への触媒として機能した点などを配慮する必要があると思います。
その一つの影響が方便という土着宗教を尊重する方向性ではないでしょうかね。
まあ、そうとう前書いたことがありますが、私はその土地に根付いている統治構造の一つに
宗教があると思うのですよね。それを無理やり変えてしまうのは混乱を招くと思うのです。
公私の単純な対立構造を否定することだけで物事を見ているわけではなくて
もっと全体的に見つめる必要から、そうだと思うのです。
578神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:18:46.51 ID:zFFQ30du
>>575
釈迦も、お布施を貰うために説教した。昔も今も、宗教者は「職業」。生きる
ことが最優先。出家すれば、食いっぱぐれはなかった。
579神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:20:16.03 ID:2z9XUahp
>>567
>釈迦が無我を説いた資料

『比丘よ、またここに、一人のひとがあるとするがよい。
 彼は、すでに覚者を見、覚者の法を知り、覚者の法に順い、あるいはまた、すでに善知識を見、善知識の法を知り、善知識の法に順い、
 したがって、彼は、色(肉身)は我(アートマン)であるとも、我は色を有すとも、我が中に色有りとも、色の中に我有りとも、見ることはない…。
 一切は因縁の結ぶがままに有り、一切は因縁の結ぶがままに壊するものであることを、ありのままに知ることができるのである。
 かくのごとくにして、彼においては、色・受・想・行・識、すべて壊するものであるがゆえに、彼は、

  ★われ(アートマン)というものはない。
  ★また、わがものというものもない。
  ★すでにわれなしと知らば、
  何によってか、わがものがあろうか。
          と知ることができるのである。』
                  ( 相応部22-55)

こういう極基本的な経典ぐらいは前提にしていただきたい。
ブッダは明確に、一切内において経験主義的に我(アートマン)の存在を検証し、
一切内においてアートマンは無い!(有⇔無の相対の無)と断定している。←非我などという甘っちょろいインチキは説いていない。
<一切法無我(なし)>だ。

もちろん、八正道修業の菩提心凡夫に検証不能故<一切外無記>である。
580神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:22:21.98 ID:4pd5CQk4
釈迦のやった乞食を職業と言うのだろうか。
 
職業とは言わないかも。
581神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:25:20.42 ID:clfcxD5i
>>576
輪廻転生とは-という定義から定めて話さないと意味がありません。
インドにある一般的な輪廻転生をベースに話しているつもりでも、相手は
それとは別の似ても似つかぬ輪廻転生を持ち出すのでは議論の意義がないです。
582神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:28:59.88 ID:4pd5CQk4
>>579
五蘊では無我だろう。
しかし、五蘊ではない場合はどうなんだろう?
龍樹はここを除いている。
 
では五蘊でない場合をどうやって知るのか。
それが坐禅じゃないか。
583神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:29:19.18 ID:zFFQ30du
>>580
職業でなければ、生きてゆけない。人間が生物である以上、「生きること」
が最優先。

釈迦に多くの弟子を奪われて、血を吐いた教祖もいるようだ。釈迦は、当時の
超カルトだったわけだから。

宗教も職業の一つなのだから(宗教分類参照)、何か偉い人間という選民意識
を持つのは、根本的に誤り。
584神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:36:16.18 ID:zFFQ30du
>>583の訂正
×宗教分類
○職業分類
585神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:38:36.93 ID:2z9XUahp
>>568
>中論は、「釈迦の縁起に新しい意味を与え、それを換骨奪胎した」と評価されているのだよ。

龍樹の功績はブッダの<追体験と再創造>というダイナミックな仕事であって、
なんらの『換骨奪胎』ではない。⇒>>122

>>543
>「因果」の概念を否定したのが、まさに中論である。

龍樹はなんら因果を否定していない。
縁起の現実とは、・間接現実(世俗諦)においては相対時空関係(因果関係もその一種)であり(ブッダの説明は間接現実での意義)<中論24-40>。
        ・直接現実(勝義)においては(如)非相対時空際断関係(相対観念そのものが如非有非無)だと言おうとしたのだよ。

ブッダも『空』を説く(SN.1119)。ただし、ブッダの勝義の示唆を最も体得したスブーティはマハーカッサパ後裔に抹殺されてしまったから残資料がほとんどない。
そもそも龍樹の空を「相互依存関係」などと相対言語で「理解」するから誤解を招く。
勝義を相対論理で「理解」しようとするから、陥穽に陥る。
基本が分かっていない。
586神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:40:02.56 ID:4pd5CQk4
>>583
釈迦だけでなくイエスもそうだけど、
乞食など、食べることを周囲の善意に委ねるという行為は、
自分を神に任せるのと同じだと思う。
 
乞食をやっている人がすべて聖人だとは思わないけど、
聖人なら運を天に任せて生きることだろう。
587神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:47:14.06 ID:TVptQwLG
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html

第一章 原因(条件/縁)の考察

1.
それ自身からでなく
他のものからでもなく
その両方からでもなく
原因(因)のないところからでもないのなら
いったいどんなものが
どこに生ずるというのだろうか
588サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 19:49:47.99 ID:o3CsHpT/
>>581
パーピマンの見解もそれなりに議論に値すると私は思っています
589神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 19:50:05.75 ID:2z9XUahp
>>572
>龍樹は、第1章10詩で縁起を否定してるね。
 
なんら否定していない。
→・間接現実(世俗諦)においては相対時空関係(因果関係もその一種)であり(ブッダの説明は間接現実での意義)<中論24-40>。
・直接現実(勝義)においては(如)非相対時空際断関係(相対観念そのものが如非有非無)だと言おうとしたのだよ。

如無自性の非相対時空際断関係(勝義)では仮設としての世俗相対時空関係(増上縁)とは様相が異なることは当然だ。
簡単なことだよ。
590神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 20:08:42.33 ID:4pd5CQk4
>587
それはどこのだれの翻訳だろうか。中村訳を書いておくよ。
 
中論第1章1詩
もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも、自体からも、
他のものからも、二つからも、また無因から生じたものも、
あることなし。
591神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 20:13:16.61 ID:4pd5CQk4
>589
 
中論第1章10詩
それ自体の無いもろもろのものには有性が存在しないが故に、
このことがあるとき、このことがある、ということは可能ではない。
592神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 20:37:14.87 ID:2z9XUahp
>>591
>このことがあるとき、このことがある

それは世俗相対時空関係(増上縁)としての仮設&仮説<仮観>。
無自性空においては相対観念そのものが如非有非無だから、
有・無と言語では表せない<空観>といっている→「不實而生(滅):第一義空経」。

もう一歩進めてこのことを還滅すると<即有即無>となり中道である(中論24-18:「生已盡滅」第一義空経)。

言葉は不自由だ。
しかし仏法は深遠だ。
593神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 20:42:39.50 ID:2z9XUahp
サービスで
>>590の中論1-1も、
無自性空においては相対観念そのものが如非有非無だから、
有・無と(相対)言語では表せない<空観>といっている→「不實而生(滅):第一義空経」。
594神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 21:00:40.76 ID:4pd5CQk4
>>592-593
日本語にだいぶ不自由しているようですね。
 
中論レベルでお願いします。
595神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 21:22:19.75 ID:1ohJB6HD
>>578
>宗教者は「職業」。生きる
ことが最優先。出家すれば、食いっぱぐれはなかった。

僧侶も生活費を稼がんといかんしね
いわゆる聖職者で人がやらんことを引き受けてるし
他人の死体にお経をあげる

葬式もお墓も坊主もいらないならそれでいいし
596神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 21:31:20.02 ID:clfcxD5i
>>576
私はパーピマンさんと殆ど同見解だと思いますが、輪廻転生において自己同一性を否定して尚且つ輪廻を認めるという例で、
紐に業を想定して、その業が刻々と変化する(中有において)が、同じ業が連綿と連なっている〜では、この「同じ業が連綿と連なっている」
という点で無我と論理矛盾になると思います。変化して内容は異なれど同じ業(紐)を想定しているわけでょ?
輪廻を肯定するというのは、この紐を想定するという事です。紐の色が色々と変わっても同じ紐であると想定する以上論理矛盾は免れません。
597サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 21:55:22.73 ID:o3CsHpT/
>>596
自己の同一性が常在ではなく刻々と変化する仮有の存在であるなら
別に仏教の無我と矛盾しないと思います
598神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 21:58:42.88 ID:clfcxD5i
変化で紐を想定しなければ矛盾はありません。
紐を想定して内容が変化〜と言ってもそれは矛盾です。
599サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 22:06:49.11 ID:o3CsHpT/
>>598
あなたの仮定を押し付けられても困りますので^^
600神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:17:44.60 ID:clfcxD5i
過去世Aと現世Aは業においても個性においても全く異なるが、関連している。

何故?

輪廻の紐で連なっているから〜

どうして過去世Aと現世Aが紐で連なっているのか?

覚者のみぞ知る。しかしそういう連なる我というものは無い〜

という世界を信仰しているという訳ですね。分かります。
601サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 22:21:18.03 ID:o3CsHpT/
>>600
あなただけにしかわからない喩えをここで披露されても^^

それ
誰のご意見ですか?^^
602神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:22:32.52 ID:clfcxD5i
あなたのご意見です^^
603神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:25:40.92 ID:JAk3wNoa
>>600
一行目が違うw >業においても個性においても全く異なるが

業においてのみ、連関してるんだよ。


>という世界を信仰しているという訳ですね

勿論その通り。
それが「枠組み」というものだ。
嫌なら関わらなければ良いことです。
個々人が胸に抱くの座右の銘なら何でもいい。
604神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:29:36.60 ID:clfcxD5i
過去世Aと現世Aは業において全く異なるが、関連している。

何故?

輪廻の紐で連なっているから〜

どうして過去世Aと現世Aが紐で連なっているのか?

覚者のみぞ知る。しかしそういう連なる我というものは無い〜

という世界を信仰しているという訳ですね。分かります。

関連しているが、連なる我というものは無い〜しかも関連は覚者にしか分からないw
605神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:32:18.18 ID:JAk3wNoa
>>603

他者の生の批評では、本当は意味が無い。
すべて、我がこととして受け止め、頷かれなければ意味が無い。
誰それがどこそこへ行った、生まれた、コレコレの報いを受けた・受ける云々じゃない。
自身の行為がどうか?だ。
自身が、その言動によってどこへ赴くか(→どういう結果を背負うのか)?だ。

どこかの誰かの因縁、縁起(十二縁起)じゃない。
自身こそが、縁起して顕われている諸法・事象である、と見なければならない。
同じように、どこかの誰かが輪廻するのじゃない。
今、輪廻の中にある自分を自覚するところがスタート地点なんだよ。
そのように見るとき、業の連関のメカニズムというブラックボックスを解体する必要はなくなる。
606神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:36:47.42 ID:clfcxD5i
>>605
そういう方便としての輪廻転生は私も肯定します。
607サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 22:37:16.78 ID:o3CsHpT/
>>602
私はそんなことを書き込んでいません

中有の仮有である自己の同一性も変化し続けていれば
仏教的に問題ないと書いているだけです

私はヒモの例えも同意していませんので^^
608サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 22:38:41.91 ID:o3CsHpT/
>>606
輪廻転生否定論者の方ですか^^

では議論がかみ合わなくて当然ですね
609神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:39:01.97 ID:1ohJB6HD
サロメさんの信じる宗教からすれば輪廻なんて考えられないだろね
仏陀も内心はわからんと思う
自分の前世はなになにと言ってないし
610神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:41:37.61 ID:clfcxD5i
>>608
分からない世界に対する対処の仕方

1、知る価値が無い、そもそも存在しない
2、自分(人間)にとって都合の良い世界があるに違いない
3、分からないものは分からない、判断中止

輪廻転生や死後の世界をあーだ、こーだと言うのは2の人
唯物の科学一辺倒の人は1の人
仏陀等賢者は3の人

私は、3の人です^^
611神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:43:18.20 ID:JAk3wNoa
>>604

だからw
少なくとも >業において全く異なる なんてことは言われてないの。寧ろ逆なの。
それは、現生中の業と果の連関のスパンが長くなっただけだから。


親鸞だったっけか?
兎の毛先ほども、己の積んだ業による果報でないものはない、と言ったのは・・・。
612サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 22:44:34.57 ID:o3CsHpT/
>>609
キリスト教では人生は一直線で仏教で言えば常見に相当します

パーピマンの書込みが面白かったのでレスつけています
613神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:46:16.13 ID:JAk3wNoa
>>606
そ。
で、その枠組みが、現時点では
釈尊その人に於いても採用されていたと見る説が(“内外”共に)有力なの。
逆転勝訴は未だまだ成功していないw
614神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:47:26.60 ID:clfcxD5i
>>611
>業において全く異なる なんてことは言われてないの。寧ろ逆なの。
サロメさんの境地を代弁しただけですよ。サロメさんは紐すら否定との事ですが、要は中有で
変化する〜と。
全く異なる→異なるでも大して意味は変わらないと思いますが?
615サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 22:50:32.91 ID:o3CsHpT/
>>614
中有でさえ仮有の意識は働くらしいので 我 は常在ではありませんよ
そうパーピマンに答えているだけです
紐とか強引に結びつけるのはあなたの思い込みです^^
616神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:55:10.11 ID:JAk3wNoa
>>614
そうじゃない。
未だ果を結んでいない業が途切れるということがない、ということ。
少なくとも、そこを切ってしまっては、四諦も八正道も成立しなくなる。
行を修めるという行為(業)の果が結ばれなければ、行を修めたという業が異ならず続かなければ、
滅諦の顕現を担保できない。
身口意の三業において、その行為の影響力を切ってしまうことは、
それこそ道を歩む・行を修める意味を喪失させるのさ。
617サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 22:55:18.74 ID:o3CsHpT/
スマ長老は中有を認めない立場なので臨終のときに働く強い渇愛が転生に強い影響を与えると述べていますが
道元の正法眼蔵 道心章では中有でも三宝帰依を念じろと教えています

その意味で生前のように中有でも仮有ですが意識は働きそれで刻々と変化する
微細微小でも変化するのなら常在とはいえないのでは?
というのがパーピマンへの問いかけです
618神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:56:08.79 ID:clfcxD5i
>>613
つまり仏陀の輪廻転生方便説ですね。積極的に肯定はしなかった〜という。
>>317の後者ですか、私はてっきりあなたは宗派仏教伝統オンリーの前者だと思っていましたが、
これは失礼いたしました。
619神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 22:59:29.64 ID:JAk3wNoa
>>618
だからw
個人の見解と通仏教的な王道とは別モンだってこと。
そして、(貴方のように)個人の見解を釈尊にかこつけるようなことはしないだけだよw
三世輪廻否定は証拠不十分だからね。
未だ不起訴なのさw
620神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:00:43.50 ID:sDpCMMhj
>>587
中論1:1の平川彰訳は次のとおり。

「もろもろの存在は、どこにおいても、いつでも、決して自己より生じたもの、
他者より、両者より、さらに無因より、生じたものとして存在するのではない。」

これは「因果性」の完全否定。>>587引用の訳は、中村、平川訳とは意味的に
全く反対。単なる因果関係に過ぎない。釈迦カルトの人が、釈迦の因果関係と
合致させるために行なった、故意の誤訳ではないか。
621神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:01:25.38 ID:2z9XUahp
>>594
>日本語にだいぶ不自由しているようですね。
 
大脳前頭葉の機能がかなり落ちる方のようですね。

かなり正確に、龍樹の<追体験と再創造>(>>122参照)を厳密に行っているのですが。
622神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:02:28.78 ID:clfcxD5i
>>619
分からない世界に対する対処の仕方

1、知る価値が無い、そもそも存在しない
2、自分(人間)にとって都合の良い世界があるに違いない
3、分からないものは分からない、判断中止

輪廻転生や死後の世界をあーだ、こーだと言うのは2の人
唯物の科学一辺倒の人は1の人
仏陀等賢者は3の人

三世輪廻否定は1の人で私は3の人であなたは2の人という事ですね。
623神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:05:40.74 ID:1ohJB6HD
サロメさん
>キリスト教では人生は一直線

とは思いは 善も悪も
永遠に引き継がれて行くてことかな
悪も永遠 怖いよ
624サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 23:17:53.74 ID:o3CsHpT/
>>623
神と人間の救いの契約の宗教ですから
ユダヤ キリスト イスラム ここら辺は同じ構造です
契約を結んでそれを遵守すれば救われる

キリスト教は遵守の部分は強調されず信仰が問われる
浄土真宗の教えに近いですね 宗教としてはまったく違いますけど
信仰あるいは信心のあり方がです
625神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:28:32.18 ID:JAk3wNoa
>>622
いやいやw

>(人間)にとって都合の良い世界 を構築しているのは貴方自身じゃないですかwww
626神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:28:44.77 ID:2z9XUahp
>>620
>これは「因果性」の完全否定

アホ

因果性を否定すれば、世俗諦において四諦は成立しない(→中論24-40)。
従って、仏道は成立しないことになる。

因果撥無は仏法ではない。

>>589
627神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:31:02.93 ID:clfcxD5i
>>625
ま、私は賢者ではありませんので2の人でしょうねえ。で、あなたは何番の人ですか?w
628神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:32:31.15 ID:JAk3wNoa
>>622
つか、過去スレ(少なくとも輪廻関連の二つくらい)読んで来い。
さすが説明すんの疲れるわ。
全部、既出の話題だから。



あ、それから、2に関しては全く真逆のパターンがあって、
(一代的謂いをなぞればw)貴方はその一方の、現代常識への阿諛という形で2なんですけどね・・・。

ちなみに、私個人は1ですよw スレシリーズの当初からね。
629623:2013/09/28(土) 23:33:59.77 ID:1ohJB6HD
私は契約してない人にはなにをやってもいいんだと傲慢を感じます
中世の侵略とか原爆とか異教徒だから
傲慢では日蓮さんかな
630サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/28(土) 23:45:59.39 ID:o3CsHpT/
>>629
異邦人には親切にせよと三宗教共通で教えています

政治と癒着して利用されるとどの宗教も堕落するのは同じです
631神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:52:07.51 ID:clfcxD5i
>>628
過去スレは読みましたし、輪廻転生が既出の話題なのは私のせいではないw

まさに私は現代常識の立場で仏典を読み、生存中の仏陀を想像しながら読み、仏陀滅後の教団の置かれた立場を想像しながら
読み、インドのカーストでその中での布教を想像して読んでます。

>あ、それから、2に関しては全く真逆のパターンがあって、
これは1になります。人間(私)にとって都合の悪い世界があるかもしれない→そんな世界は存在しない。

ま、人間にとって都合の良い事を想像しても駄目って事です。死後の世界は極楽浄土で死んでもより良い転生をして〜
なんてのは全て妄想。

健康的で正しい選択、分からないものは分からないとして判断を中止するのが最も賢明な人間のとる姿勢です。
632神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:57:22.62 ID:sDpCMMhj
>>631
「釈迦が現代に生きていれば何を教えるか」を、常に考えることが必要。

釈迦は、当時の状態における当時の人々に対して説いたのである。現代人に
対してではない。勘違いしてはならない。
633神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 23:59:11.42 ID:clfcxD5i
>>632
時代はともかくインドでない別の場所で活躍したなら輪廻転生なんて全く語らなかったと想像します。
634神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 00:04:14.17 ID:lZFFOd+f
ここは不健康な人のたまり場
わけのわからん前世とか魂とか一生考え続けるの
ある意味 幸せ者の暇人でいっぱい
635神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 00:10:38.05 ID:rOzQMK/T
>>634
ここ暫くは、そんな話題出てなかったんだけどな・・。
誰かさんのせいで蒸し返されちゃっただけだよw
636神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 00:22:25.98 ID:3gESa+PP
.公開シンポジウム「これが応用哲学だ!」 - 2:51:07
http://www.youtube.com/watch?v=T2aIfzgUaAI
637神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 00:43:31.42 ID:AvzcxmeM
>>505
>無明があるから老死に苦しむのです。

その通り。  確かに老死に苦しむということです。
死も苦しみの対象になるんです。
死が苦しみの対象になるということは、いってみれば、死を超えた自己(仮に。)があるということです。
もしそれが無ければ、死は苦しみの対象になりません。
苦しみは老までで、死は苦しみの終焉です。
638神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 00:48:56.31 ID:AvzcxmeM
>>512
なんとなくそんな感じですが、ただ、「ラベルAからの継続の上にラベルA´が貼られている」、っていうのは、
どういう感じなんでしょう?
「そこには主体もないし常住なるものもないし、」 というところまではその通りだと思います。
その次の、 「継続している具体性もないし、 何ものも継承されていない。」 というところが、どういうことなのか・・・ ってことですよね。
これが勝義の上においてであり、世俗としては、Aを継承しいる何者かがある・・・ という解釈が出来るんでしょうか。
それとも、世俗的にも、何も継承されるものもない・・・ ということでしょうか。
諸縁の転変の中に、ある一定の枠組みを設ける・・・・ それがラベルAとするならば、
凡夫が、 「個々の事物は別個に存在する・・・  われが在ると思う・・・」 ということがラベルを貼るってことならば、
そのラベルが継承する・・・・  つまり、凡夫の認識作用によって、張られたラベルが、
継承されていくが、実際はそれは空であり、 「継続している具体性もないし、 何ものも継承されていない」 ・・・
あるのは諸縁の転変だけであり、凡夫は認識作用によって、そこにAがあると見える(諸縁の転変に一つの一定のラベルを貼る・全体の中から個を認識作用によって抽出する・
全体の諸縁の転変の中に、自分がある・・という枠組みを作る)
それが継承しいるように認識する・・・が、本来はそのような我はないし、我が無ければ、継続するものもまた本来無いものだ・・・
っていうことなら同意なんですけど、そうじゃないですよね?w  やっぱりw
そもそも、死んだのに認識作用があるわけないだろ、って言われるような気がしますw
639神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 00:58:29.63 ID:K2nkIeMF
「釈迦が現代に生きていたら、輪廻転生など説いたか」。これが最も重要。

過去の教えは、人々の知識水準も社会常識も全く異なるのだから、問題に
ならない。単なる時代錯誤である。
640神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:02:20.81 ID:blpEkJrr
>>637
>いってみれば、死を超えた自己(仮に。)があるということです。
今日と明日は1週間で唯一お酒が飲める日なので相当酔っ払ってますが、一言申し上げたいです。

死を超えた自己があるのかないのか分からない〜とするのが賢明な人間のとる姿勢だと思います。
断定してある〜というのは賢明ではないと思います。

人間の死に対する恐れは、「死ぬ瞬間は痛くて苦しいのではなかろうか?」「死の世界は未知の世界で全く暗黒で分からない」
という様なもので、それ以外には無いように思えます。死を超えた自己があるから死が苦しみの対象になる〜というのは想像できません。
641神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:12:46.95 ID:AvzcxmeM
>>517
「同一性の担保」 という言葉は、非常に危険な言葉なんですよね。
>>511さんのレスを見てください。
「あくまでもこの現世において 我々が個体認識するため要因」  もしそのような要因があるとしたら、
一時間前にも今にも、この先にも、その要因といえるようなもの・・・ 同一性を担保するものがあるとすれば、
それは常住性のあるものになります。
もし、@空間的連続性が、 「我々が個体認識するため要因」・ということであれば、
やはり全身整形でその要因は失われます。
たとえ肉体が失われなくても、我々が固体認識するときは、外見上で判断するからです。
仮に、20のAさんが80近い、よぼよぼの状態で目の前に現れたとしたら、
しかも顔が完全に整形されていたとしたら、誰もAさんだとは思いません。
肉体や記憶を要因とするならば、結果としてこういうことになってしますのです。
で、パピーマンさんは、そういうことじゃなくて、同一性を担保する、何者かを求めているんですよね・・・?
で、世俗的な担保なら、さっきいったような、外見とか、記憶とかっていうことになります。
しかしそれだと正確な担保とはいえない。
なんらかの変更によって、担保が消されてしまうからです。
もし、消されない担保があるとするならば、それは常住という、誤謬が起こってしまいます。
その消されない担保は、肉体的外見、記憶の範疇にないわけですから、当然、肉体の崩壊にも影響を受けません。
つまり、常住ということになります。
つまりパピーマンさんは、 「この現象世界において常住な担保を設定しながら、しかもそれは肉体の死とともに滅びる」 という、
論理的な矛盾を起こしているということが、いえると思います。
そしてその延長線上に、 「B輪廻における同一性の担保」 という、現象世界と同じような担保を求めているのです。
現象世界でもそのような担保はありません。
なにゆえ輪廻において、そのような担保があるでしょうか・・・?
たとえそのような担保がなくても、現象世界の自分というものは、時間毎に継承されていきます。
なにゆえ輪廻において、 そのような担保がなければ継承されない、というのでしょうか・・・?
642神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:18:38.42 ID:rOzQMK/T
>>638
いや、ほぼ、まさにその通りだよw
少なくとも、私が以前示した、(仏典の記述の向こう側を類推してモデル化した)図式は。(>>529

小出ししてw、別の図を貼ってみれば以下の如く。

  私        私
  ↑        ↑
●五蘊  →  ○五蘊   ・・・・・・ この一行が、(今は五蘊が事例だが)
      業              「諸法が縁起している」ということとなる。


  私B          私A
  ↑           ↑
●事象B    →  ○事象A
(行為(業)B)    (行為(業)A)


仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/16

卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難所】
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/240
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/243
643神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:21:12.36 ID:l+dXY7EZ
 
龍樹〔竜樹〕)の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama01.pdf
第一章 原因(条件/縁)の考察
10.
もし事物が
本質抜きでは存在しないなら
「 これがそのように存在するので、これが存在する 」 という言い回しは
了承できないものとなるだろう
644神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:26:00.76 ID:blpEkJrr
>>641
全く違います。
「継承」=「紐」ですよ。誰かさんは紐は認めないとか言ってましたが、継承という以上何かと何かが繋がっていなければ
継承なんて言えないし、輪廻なんて言えません。
何かと何かが繋がってはいるが、その繋がっている主体は無い〜という事は言っている事が論理矛盾で破綻しているでしょう。
極めて簡単な指摘だと思いますが?これを簡単な指摘だと思わないのは輪廻転生は有り、しかも無我である〜という事を頭から
疑わないからです。自らの綻びを無視する目に入らない〜こういうものを信じて良いんですかねえ?

ヒンドゥー教の輪廻思想の方がまだスッキリしています。我は無いが輪廻はする〜って、ハァ?って聞き返されるでしょうインドでは?
645神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:30:04.86 ID:rOzQMK/T
>>641
全身整形は筋違いw

三世に跨る五蘊の繋がりは無いからです。
(ここは非常に重要です。全身整形は、肉体をミンチにして粉にして、風に撒き散らして、
 その後(何らかの方法でwww)それを集めて、また人型に整形して、甦生処置を施して生き返らせる
 というようなこととは違うからです。そこには、物理的連続性が残存しています。)


>>640
>人間の死に対する恐れは ・・・・・・ それ以外には無いように
それは浅過ぎだろwww

「疎外感」「孤独感」「離別感(自分だけが連れ去られる感)」こそが、
最も素朴な「死への恐れ」の形だと、俺は思ってるけど。
*(だからこそ、「独りじゃない」「繋がりを持ち続け得る」「また会える」「消えてしまうわけじゃない」
  という形での死後、来世が希求されるんじゃないかい?)
646神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:33:10.55 ID:rOzQMK/T
>>644
>「継承」=「紐」ですよ
どんだけ唯物思考だよwwwww

大砲の弾の弾道と言ったら、そこに筋が付いていってるとでも思ってんのか?w



やっぱ、アンタ浅過ぎるわ・・。掘り下げも何もかも・・。
647パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 01:38:03.54 ID:9iIFCkau
>>641  だから人の発言を勝手に改ざんするんじゃねえっての。

だれがいつ、>つまりパピーマンさんは、 「この現象世界において常住な担保を設定しながら、・・
こんなこと言ったか?
「常住な担保」だ?   お前が勝手に >同一性を担保するものがあるとすれば、
それは常住性のあるものになります。   と規定してるだけだろうが? バカタレ。

>もし、@空間的連続性が、 「我々が個体認識するため要因」・ということであれば、
>やはり全身整形でその要因は失われます。

これもそうw 勝手に「見かけだけの判断」で同一性が喪失するとか勝手に規定しているww
んじゃ、その全身整形でDNAも変化したの?全ての 分子レベルにおける同一性は変更されたの?ww

人の見解を自分で勝手に改ざん、規定して「それは違います」だと?
アホか?ww
648神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:38:05.61 ID:blpEkJrr
>>646
>大砲の弾の弾道と言ったら、そこに筋が付いていってるとでも思ってんのか?w
弾道の軌跡はあるし、弾道の軌跡を想定しない大砲の撃ち方があるのかね?
アンタは比喩が下手すぎw

輪廻は紐で繋がっている=継承している、という以外の概念を聞かせてくれ。
それが輪廻といえるか?という事なんですが。
649サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 01:40:01.45 ID:07Bwlq9w
>>644
仏教とヒンドゥは別ですよw
650神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:42:33.71 ID:blpEkJrr
>>649
ヒンドゥの輪廻思想の方がアンタ等の言う、無我ではあるが輪廻転生する〜という輪廻転生よりスッキリと分かりやすい。
と言っただけです。
651神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:42:34.67 ID:rOzQMK/T
>>648
あのなw

そこは
 「【紐で】繋がっている」
ではなくて
 「【紐の如く、それ以外に無い一つのラインで】」
と言うべきなの。たとえ譬喩でもね。


下手なのはお前さんだw
652パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 01:46:04.90 ID:9iIFCkau
ったく、「全身整形すれば見かけが変わるから同一性が喪失する」ってか??www

オレは、今までこんな程度の見識のやつと対論してたのか?ww

見かけが変わろうが、Aさんに変わりなかろうがww
んなこたあ、小学生でもわかるわw

交通事故で、ほぼ全身整形を施して生き延びた息子を他人と思う親がどこにいるか?ww
アホがw
653神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:47:40.81 ID:blpEkJrr
「【紐で】繋がっている」と「【紐の如く、それ以外に無い一つのラインで】」の違いが分かりませんw

何を言いたいのでしょうか?
言いたい事を分かりやすく表現する手法が比喩なのですよ。
言いたい事が伝わらない喩えは・・
654神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:50:01.78 ID:rOzQMK/T
>>648
>弾道の軌跡はあるし
【どこに】【ある】んだ?w


つか、達磨安心って公案知ってるか? 知らなかったらぐぐって来い。 ノシ


>言いたい事が伝わらない喩えは

自己紹介かよwww
655神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:51:14.82 ID:AvzcxmeM
>>642
これはよく分かりました。
まさに、私の言ってることと同じです。

前世の私  →  今世の私   という流れを考えるとき、それはそっくりそのまま(前世の容姿)を保ったまま、
あるいは、 外見的要因(現象的要因・確固たる存在のA・前世に抽出されたA)を保ったまま、生まれ変わるのではなくて、
現象的には、 私A → 私B となりながら、 その「私」 というところの継承は、「業」が担保している・・・ということですね。
この説明は、まったく真実に近いと、私は思います。
656神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:53:24.43 ID:blpEkJrr
弾の通り道が軌跡で、大砲を撃つ時に軌跡を想定せずに撃つのは阿呆ですよw
【どこに】【ある】のか見極めて撃つものです。
657サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 01:53:43.74 ID:07Bwlq9w
>>650
アートマンが月に上って雨と一緒に地上に降って 水や作物などになって女性の身体に入る
って言うアレが??

凡夫が無明による煩悩で仮有の 私 に固執してそれが縁起の流れで輪廻に巻き込まれる
これはこれで筋が通っていると思いますけど
仮有であって無常だから生前も死後も変化は度合いがさまざまだけど続く

ユダヤ=キリスト教のようにひたすら信じる信仰ではない分 理解しやすいと思いますね

>>652
同一性も変化は免れない
微細で微小な変化で人間が認識できない範囲でも違いは違いでしょ?
658神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:55:21.10 ID:AvzcxmeM
>>640
断定するのはよくない・・・  確かにその通りですね。
これは仮定として受け取っていただきたい。
断定もよくないですが、完全な否定もよくないと思います。
「そんなもんはないんだ〜」 というのは、やっぱり自分の独断だと思います。
あるか無いか分からない・・・ ならば、無い、とは断定出来ないはずです。
659サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 01:56:02.71 ID:07Bwlq9w
>>655
あなたの書込みでさらにわかりやすくなった感じ^^
660神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:56:27.01 ID:blpEkJrr
>>655
業という紐を想定して輪廻を肯定すれば、無我と論理矛盾。
矛盾解決不可能。矛盾地獄に堕ちます。
661神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:57:12.02 ID:l+dXY7EZ
 
>>643 の続き

それ自体の自性で成立しているのではないので
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅する事が出来る
と言う意味だと思う

漢訳 第一義空經
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html


… 此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く

俗數法とは
謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す
比丘、是を第一義空法經と名づく …
662神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 01:58:10.61 ID:AvzcxmeM
>>659
ありがとうございますw
663神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:00:38.68 ID:rOzQMK/T
>>654

>>648>>660
あのな・・。
今、俺らは、物凄くデリケートな話題を話してるの。
微妙な表現の(譬喩法の)差異が、大きな見解の相違に繋がるの。
そこで「紐」と言いきり、尚且つ、それを別の表現に言い換えもしない。
それは、単なる「ラインとしての、【紐的なもの・こと】」を越えた、
物理的連続に準じた繋がりを言っていると受けとられるわけ。
糸電話の如くねw


一代が一目置いただけあって、パープーマンの方が遥かに聡明だな・・w


ノシ
664神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:00:55.54 ID:blpEkJrr
>>658
無いと断定しません。あくまで分からないものは判断を中止する〜です。
さも、あるのが当然〜のごとく色々書かれると、反論したくなりますし酒の肴として書いてますw
665パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 02:07:56.39 ID:9iIFCkau
しかし、何で業報輪廻論支持者ってのは、同じような誤謬ばっかしするかね?ww

Aさんに継承されるものも変化しますから、無我に抵触しませんwwww
そのくせ、この「Aさんと言える『何か』」だけは、決して変化させないww

そしてこの現象世界で「Aさんを決定付ける要因」(仏教的にいえば、
それは錯覚でそんなものはない)・・・・・を死後の生まれ変わりに
勝手に投影して、同じもの扱いするww
それがまったく違うことが全然わかってないwww

業論支持者ってのは、論理的思考の欠落した奴しかいねえのか??www
666神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:08:29.94 ID:blpEkJrr
>>663
アンタは全く比喩が下手ですねw
その糸電話ですよ。紐が気に入らないのなら糸でも構いませんし、もっと無形な無線LANでも構いませんよw
要は繋がっている〜と言うことが要ですから。
667神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:09:51.94 ID:AvzcxmeM
>>645
>三世に跨る五蘊の繋がりは無いからです。

言ってることはその通り。  よく分かります。
分からないわけじゃない。
ただ、パピーマンさんは、  (前世における)私A → (今世における)私A の、担保を要求しているように感じるんですよ。
私A → 私B ではなくてね。
だからそんなものは無いと、否定するのです。
668神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:12:24.63 ID:rOzQMK/T
>>665
彼の言ってることは、(若干、踏み出し過ぎな点もあるけど)
最初から、ほぼ大筋>>642だったぜ?w


>>666
>無線LAN
もはや糸じゃねーよwwwww
669パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 02:13:14.26 ID:9iIFCkau
>一代が一目置いただけあって、パープーマンの方が遥かに聡明だな・・w

何か俺のこと、持ち上げてるがwww  セブンと相手のやり取りほとんど
読んでないので、何が論点でどういう見解の違いがあるのか全く把握できてないwww
すまんwww  何やらヒモがなんちゃらと・・・www
670神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:14:13.76 ID:rOzQMK/T
縦の糸は貴方
横の糸は私
織りなす布は、いつか誰かを暖め得るかもしれない
671サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 02:15:16.34 ID:07Bwlq9w
>>665
Aさんといえる何かは縁起によって仮設されていて
無常だから常に変化してるけどその変化の度合いの問題でしょ?

凡夫が仮有にすぎない 私 の固執する度合いが強いから
その分 Aさんの自己同一性も強固に見える
でも実体においてはそれは存在し得ない

自己同一性が確固としたものだって言う設定が??ですけど
672神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:16:00.79 ID:rOzQMK/T
>>669
気にすんなw

おやすみ ノシ
673神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:20:22.23 ID:blpEkJrr
>>669
輪廻転生とは個人の業なり個性なりが生前-死後と連綿と連鎖するものと定義して、
その連綿と続く業なり個性を「紐」と例えたわけですよ。
この場合、継承される〜と言うのが要なのでまさに紐で繋がっているという状態でしょう。
それに対して、>>646 >>651 >>666というわけですw

継承はされるが、継承されるモノは無い〜って意味不明以外の何者でもありませんよねえw
674パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 02:24:34.34 ID:9iIFCkau
>>668 業論ってのは、今更言うまでもないが、「業の引き受け」が大前提。
であるからして、今世のAさんは、「前世のAさんの生まれ変わりである」
と決定付けられるだけの根拠が必須。

では、その根拠は?・・・・・まず、これが第一のツッコミだが、オレは今回は
そこはあえて「何であるか?」は問うてないw
問題としているのは、それがたとえ何であれ・・・・霊魂だろうが、「個性」であろうが
何でもいいわw その呼称はw・・・  それは如何なる属性を有するものか?・・ここだけw

この「Aさんの生まれ変わりであると決定付けるもの」・・・BさんではなくてAさんのと
言える根拠・・個の識別属性がそれには必須であって、さらにこの「何か」は
未来永劫、永遠と継続される属性を有する・・・・・んなもん認めたら、即、
ア−トマンでしょ?っての。
675神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:25:40.04 ID:AvzcxmeM
>>647
では、常住性のない担保だと、言うんですね・・・?
常住性がないのに、どうして空なる存在である昨日の自分と、今日の自分の、
同一性を担保するというのでしょうか・・・?
現世の自分は、存在は、・・・空ということでしょう?  これは間違いないですよね?
空なる自分に、どうして確固たる担保などがありましょうか・・・?
体が連続してる・・・ 途切れない・・・  だから私があるのだ・・・   もしこういう担保ならば、
それは確固たる担保じゃなくて、空です。
空ゆえに、 肉体の崩壊とともに滅びます。
そしてあなたは、この現象界と同じような担保を・・・  「一時時間前の自分は今の自分と同じだろ〜」 という担保を、
それが、「輪廻にもないと、継承してるとはいえないだろ〜」  と、輪廻に現象界と同じような同一性の担保を求めているのです。
にもかかわらず、 「輪廻する主体、担保は、常住でないとおかしい。」 といっているのです。
現象界と同じような担保を求めるなら、輪廻の担保も空です。
もし、現象界と同じ担保でない、というなら、今までの現象界の担保の喩えは、輪廻には関係ない・・・ということになります。
676パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 02:30:16.16 ID:9iIFCkau
>>671  

>Aさんといえる何かは縁起によって仮設されていて
>無常だから常に変化してるけどその変化の度合いの問題でしょ?

その「変化の度合い」がね、「Aさんと言えなくなるほど変化」したら
アウトなの。  つまり、「Aさんと言える範囲」は常にキープして
そこは不変のまま保持する必要があるわけw

「個性は崩壊」しちゃまずいのwwwwwww
そこは、ず〜〜〜〜〜〜と崩壊せずに継承されなくてはならないのw
⇒  よって常住ww
677サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 02:32:48.55 ID:07Bwlq9w
いいなぁ仏教の考える姿勢って^^
キリスト教の側から見るとすごい新鮮
678神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:35:03.04 ID:AvzcxmeM
>>664
問題は、書き方・・・ってことですね。
どうしても断言しないと、やりにくいです。
いちいち、○○と思う・・  こう思う、ああ思う・・ と言ってると、
話が進まなくなるような気がします。
あくまで本人の意見として、仮定というか、そういうのを前提として、ある程度断定的な意見をいうのも、
ありなんじゃないかな〜 と思います。
そうした方が話しやすい。
でも、誤解を生じることは確かですね。
679神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:35:29.49 ID:blpEkJrr
>>675
担保って前世の特定個人と今世の特定個人が間違いなく連なっている〜という担保なんですけど。
これがあやふやで輪廻なんて言えますか?という事なんですけど。
それでもこれは輪廻〜と言うのなら、それはもはや輪廻ではないと言っているんですけど。
680サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 02:37:23.40 ID:07Bwlq9w
>>676
俗的な表現で言えば
伝言ゲームですかね
Aさんから始まって世代を重ねて輪廻する過程でAさんとはにても似つかない存在Zになる
無常で変化は避けられないからそうなる
その場合 輪廻を見通せる存在ならAさんの変化が理解できるけど
凡夫には無理ですよね

パーピマンからするとAさんとZは別の存在と考える?
681神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:40:03.14 ID:AvzcxmeM
>>652
揚げ足ととるようで、本当に申し訳ないんですが・・・・

>交通事故で、ほぼ全身整形を施して生き延びた息子を他人と思う親がどこにいるか?ww

もし、母親が、記憶を喪失していたら、息子だとは認識できません。


こういう反論が成り立つのです。
そして、このような反論を回避するには、常住の担保を設定しないとなりません。
682パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 02:48:38.83 ID:9iIFCkau
>>675 お前、マジでな〜〜〜〜〜〜〜〜んにも分かってねえじゃねえか?
今まで俺の書き込み読んできたのか?

>常住性がないのに、どうして空なる存在である昨日の自分と、今日の自分の、
> 同一性を担保するというのでしょうか・・・?

俺が言ってきたのは、「仏教的視座では」 そこに同一性があるように
見えるがそれは錯覚、誤謬で本来的には「Aさんと言えるようなものない」
ということ。  「世俗視座」では、@身体の空間的連続性 と A記憶の
連鎖  により「確固としたAさんがいると認識するが」 仏教的に言えば
それは無明による誤謬なわけw
そして、「世俗視座により」 そのように見える「Aさんを決定づけるもの」
も、 無常であり、死ねば消失する、ほんの僅かな間だけ現出している
非常住なものに過ぎないわけw

ところがだ、 生まれ変わりにおいて、「これはAさんです」と決定づけるもの・・・
これはそんなんじゃないわけw
未来永劫、永遠と継続するものなの。  これが常住でなくて何なの?
まさに常住の最たるものでしょうが?    変化する?ww
そりゃあ、非重要部分は変化もするだろうよ。 但し、「Aさんと決定付ける『何か』」
この核心部分だけは決して変化しないでしょ?  ここが変化したらもう、
「Aさんと言えなくなるから」ねww
ここだけは不変なのw  そうでなければ業の引受がなされないの。
683パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 02:53:02.36 ID:9iIFCkau
>>681
>こういう反論が成り立つのです。

お前、それがマジで反論になってると思ってるの??????

「お母さんが、知的障害者で認識できませんでした」
「残念ながら、その事故の直後にお母さんが心臓発作で死んでしまい
認識できませんでした。」・・・・・・いくらでも、「創作」できるんだが
それが、反論と??????
684サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 02:57:26.23 ID:07Bwlq9w
>>682
>未来永劫、永遠と継続するものなの。  これが常住でなくて何なの?
無明に囚われてる限りは でしょ?
つまり解脱に至る可能性 輪廻から抜け出す可能性があるのだから常在とはいえない 
って言い方もできるよね

さて楽しいのですがお先に休みます
皆さんおやすみなさい

シャンティ シャンティ シャンティヒー^^
685パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 02:57:39.74 ID:9iIFCkau
>>680 wwwwwwww  もうそうなったら、業報輪廻と無我の「論理的整合性」
の是非の問題じゃないぞww

「佛の視座』 を導入して、「佛だから、いくら変化しようがそれはわかるのです」
とやってしまったら、それはもう「信仰」の問題だよ。
686神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 02:58:26.76 ID:AvzcxmeM
>>679
そうですよね・・・ >>642でいうところの、 私A → 私 Bの、直接的担保ですよね・・・?
で、ここのところの説明は、非常に難しいと思います。
しいて言うなら、 「私がある」 という思いが、継承するということで、それが証明出来れば、担保ということになる。
だけど、証明は困難です。
「想い」 とか、「認識」 とかって、形があるものじゃない。
たとえそれが継承されたとしても、 縁によってその時その時の状況が違うので、
まったく同一のものとはいえない。
さりとて、「自分がある」 という想いがつづいているので、まったく継承されないともいえない・・・
理屈だけでいうと、こういうことになります。
ただ、あなたは 「確固たる証拠を出せ」 といっているように見えます。
そうなるともう理屈ではどうにもなりません。
証拠は置いといて、理屈でとりあえず話してみましょう〜 というのが、今のスタンスだと思います。
687神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 03:01:43.87 ID:blpEkJrr
そもそも、自己同一性が変化するから自分ではない〜という意見は、本当に自分でそのように実感しているのか?
と問いたい。1秒前に髪の毛が1本抜けたから1秒前の自分と今の自分は別人である〜なんて本気で信じているのか?
自分という認識は意識であり、寝て夢見て目が覚めたら、昨日を記憶しているし目に入る景色はいつものとおり〜であるから
我は「自分」という事を意識で判断しているのでしょう。
生きている間の我というのはある。我の肯定ですよ。だから生きている間は自灯明なのですよ。自=我に頼れという事です。
死んで初めて我が無くなるのです。我が無くなるのにその我の何かしらの性質が生まれ変わりで次の生に引き継がれる〜
というのでは無我にはなり得ないでしょう。なり得ないならそれで構いませんが、お釈迦さまは無我を説いた。我に執着するなかれ〜
自分のモノとみなしているモノは全て自分のモノではない。自分の体さえ自分のモノではない。自分というものは無いのだ〜
でも我の何かしらの性質は存在して継承されていく〜のでは自分というモノが無いと仰った仏陀の面目丸つぶれですよね。
688神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 03:04:04.88 ID:AvzcxmeM
>>683
>いくらでも、「創作」できるんだが

その通りです。
いくらでも反論できます。   
常住の担保を設定しない限りは。

反論出来る要素を相手に与えているんですよ。
そしてもし、反論出来ない要素を組み立てるとしたら、「輪廻に常住の担保がなければ、輪廻とはいえない」 という
ことの矛盾が明らかになってくるのです。

>>687
今日はこの辺で。
また反論を考えときますw
689サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 03:06:01.61 ID:07Bwlq9w
>>685
だって
『仏』教じゃないのw

輪廻転生ってそういうものでしょ?
人間→人間だけではなくて

人間→畜生 とか 人間→餓鬼 人間→地獄 あるいは人間→天だってありうるし
人間→畜生→人間などバリエーション豊かじゃないですか^^

仏が人間のそういった多種多様な輪廻を追跡できるのなら それはそういうことでしょ^^

では本当におやすみなさい^^
690パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 03:38:44.15 ID:9iIFCkau
>688 wwwwwwwwwwwwww

>その通りです。
>いくらでも反論できます。   
>常住の担保を設定しない限りは

wwwwwwwww  違うわいwww  お前が勝手にそう思い込んでいるだけで
「反論になってないの」wwww

「全身整形」したからと言って、別人になる・・・・なんて思うやつはいないのww
そりゃ、見かけは変わるが、それで別人になるわけではないのwwww

ちなみに、ちょっと俺以外の誰かにも聞いてみww
「Aさんが全身整形して見かけが全く変わってしまいました。 この人は
もうAさんではありませんよね??」  ってww
間違いなく精神疾患を抱えてると思われるからwwwww

んで、スルーされたまんまなんだけど、DNAはどうなの? 全身整形で変わるの?
それとも、DNAは同じまんまでもいいわけ?


>つまり解脱に至る可能性 輪廻から抜け出す可能性があるのだから常在とはいえない 
>って言い方もできるよね

これは、かつて「宝珠」が言ってたのと全く同じww
「解脱すれば、消失するんだから常住ではない」・・・・ってやつww

逆に言えば、「解脱するまで継続してしまう。」・・・・そして仏教的は
この解脱にはそれこそ途方もない年月が必要と記述されてるんだわw
それこそ「永遠と言っても良いほどの時間」がww
その間継続するものが常住でないなんて、とてもとてもww
691神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 04:34:53.75 ID:X7AGycc2
お前ら、一体何時の時代の話をしているのか。科学がいかなる宗教の奇跡も及ばない
驚異的な発達を遂げた現代において、2500年前の知識水準でいくら論じても
全くのナンセンス。

「輪廻転生」など荒唐無稽なことはないことは、場末の産科医に聞いても、親切に
教えてくれるよw。

釈迦は、人間の生命が精子と卵子との結合(受精)によって発生することも当然知ら
なかった。すべて古代人釈迦の科学についての無知蒙昧に基づく妄想。お話にならんw。
692神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 07:12:39.02 ID:l+dXY7EZ
 
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空經
… 此の陰滅し已らば異陰相續す、俗數法をば除く …

http://www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html
我慢を断滅することぜざるがゆえに
此の蘊を捨て己(おわ)りて異蘊相続して
又、次の、この世の生(来世)に戻り来る

http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
渇愛(タンハー)
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう
客観的に自分を観ることによって
無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
仏教はインドの輪廻と解脱の考えに基づいている
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる
その苦しみから抜け出すことが解脱であり
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった
693神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 07:44:15.59 ID:l+dXY7EZ
 
>>692 の続き

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

輪廻を土台として
輪廻を前提として
その輪廻から解脱する為に

(それ自体の自性と言う妄執の念に、とらわれて)
善行に励み、永遠ばかりを探して、凝り固まり
ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を
見ることがうまくない人達の為に練習が必要だ

およそ、禅定に入ろうとする人は …
… この吐いて吸う大きな長い息を十数え
何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます

一切の有情には仏性があるといわれる
なぜなら、縁起によって空から生まれた無我なる現象
それこそが仏なのだ。解脱すれば仏だという

しかし 『 解脱すれば仏だ 』 という事に

気づくまでは、気づくことは難しい
694神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 07:54:51.58 ID:14i9RUka
 
 
死後の話に嵌っているが、それは死んでから議論すべき話題だろう。
 
そんなことより、自分の中に今現在、
 
霊魂があるのかどうかを議論した方がよっぽど有意義だろう。
  
それを知る技術まである。議論の前に坐禅をやれ。
 
 
695神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:04:15.23 ID:P15+vXgj
ホント、業報輪廻転生論論争ってナンセンスだわw

経験主義的検証ができない「一切法門」外の場外論闘でしかない。

マトモな者は文字通り<卒業>しています。
696神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:05:50.99 ID:14i9RUka
中論第1章1詩
もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも、自体からも、
他のものからも、二つからも、また無因から生じたものも、あることなし。
中論第1章10詩
それ自体の無いもろもろのものには有性が存在しないが故に、
このことがあるとき、このことがある、ということは可能ではない。
 
★ 龍樹は何を言っているのだろうか。
この世の事物は有るように見えるが実は無いのであり、
事物がそのようだから縁起も成り立たないと、大胆に主張している。
697神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:21:10.81 ID:l+dXY7EZ
 
>>692>>693 の続き

四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず
非想非非想処も捨てて
想受滅(滅尽定)を成就する事が出来れば

心作用のうち、受、想、行、を滅させる事が出来れば

睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として
それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識)を滅させる事が出来れば

自性が あるのか? ないのか?
霊魂が あるのか? ないのか?
その他の何かが あるのか? ないのか?

などの妄執分別の念も、受・想・行と一緒に滅するのかも
698神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:26:54.88 ID:OhNeS6SN
最近思うことを書かせて頂きます。
一生で色んなことを学ぶことはとても難しいように思います。
極端な例えでは、言葉、文字、政治、医学、義務教育などの基本的なことは、
多くの先人達が苦労を重ねた歴史の上で、私達が「パクッて」います。

手かざしは、イエスや釈尊の時代から伝わる古代の霊術で尊い先人達が苦労
をなされた歴史があると、私は勝手に思っています。
この先、人達の素晴らしいところを学んで、より素晴らしいものにしていく
ことが、後に続く私達の使命であるよう、私は思うようになりました。

その意味で「パクリは大いに素晴らしいこと」と私は思っています。
私は、神様が、救い主様に、分別されて「パクらせた」と考えています。
699神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:34:53.74 ID:K1QOspqG
>>682 パーピマン
>それは無明による誤謬なわけw

さすが!よく分かってる。無明によって、

>そりゃあ、非重要部分は変化もするだろうよ。 但し、「Aさんと決定付ける『何か』」
>この核心部分だけは決して変化しないでしょ?  ここが変化したらもう、
>「Aさんと言えなくなるから」ねww ここだけは不変なのw  そうでなければ業の引受がなされないの。

いや、不変じゃないよ。なぜなら、それは無明を滅ぼすことによって、滅するものだから。

AとAは「変わらずに、同じである」というのも、AとBは「変化したため、異なる」というのも、
どちらも無明を前提にしてるのはOK? Aの個性とBの個性を認めないと、同も異も言えないから。
700神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:36:28.32 ID:P15+vXgj
>>696
>★ 龍樹は何を言っているのだろうか。

縁起の直接現実<不生>

存在=仏法(縁起の現実)のゲシュタルトを中論24-18で示している。
だから縁起の現実をベースに24-18を念頭によめばいいだけだ。
他はそれのヘタクソな編集による説明でしかない。

中論交響曲は序曲から終楽章25-24のコーダに至るまで一貫した美学があるけれども、
未熟不要な章(26・27)や矛盾箇所・整理不足も多数あり、全面改訂版が望まれる。
701神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:43:58.08 ID:H8lfjaUT
3.近代仏教学の誤り (真宗の三木住職の現代仏教塾)
(メモ)
近代仏教学での主張では、お釈迦様のお悟りは縁起と無我である、全ては関係性なので私はない、
独立した不変の実体はない、と。
現代の物理学でもその程度の気付きは分かってるが、それで皆が仏になれるわけでもない。
「私はない」という教えではなく「我執を離れなさい」という教えが無我。
私達は様々な「縁」で生かされているから、お年寄りにも親切にし、食べ物をいただいたら有難うと感謝する。

初期の仏典結集でもあった誤解が、中国語で「無我」と訳されてから混乱、誤解が生じた。
「私が、私がという、我に対する執着を離れなさい」という教えだった。
パーリ語では「アナッタン、not self=自己ではない→我は無いと誤解、変化する心も体も自己では無い」

無我論で有名なお経はミリンダ王門経、王の質問に比丘は回答。
車を分解しても部品を調べても「車」は存在しない、と考えた。
要素の集合体、この考えは現代の還元論と似ている。人は分子の集合体という考え方。

しかし車でない生き物は説明できない。生物は単なる要素の集合体ではない。
生物を生物たらしめている3つのシステム、@免疫、A遺伝子、B動的並行がある。
従ってミリンダ王門経にある無我論は成り立たないことが分かる。

釈尊は「自分が、自分がという意識は真実の意識ではない。真実の意識に目覚めなさい。」と説かれた。
初期経典を読むと、釈尊が「自己」について語る説法が多い。
「法は自ら見るべきもの、自ら観じるべきもの」、「怠ることなく勤めなさい(誰が?)」
「自燈明、法燈明、自己(アートマン)を拠り所とせよ」

http://www.youtube.com/watch?v=gbTXF38kJkY  (^o^)/
702パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 08:45:05.05 ID:9iIFCkau
>>699 
>いや、不変じゃないよ。なぜなら、それは無明を滅ぼすことによって、滅するものだから。

俺が、ここでいう「不変」とは⇒「解脱するまでは永遠とそれが継続されるということ」
そして、そのように永遠に継続すると設定されるものを指示して「無常である」とするならば
アートマンさえも許容されることとなる。


>AとAは「変わらずに、同じである」というのも、AとBは「変化したため、異なる」というのも、
>どちらも無明を前提にしてるのはOK? Aの個性とBの個性を認めないと、同も異も言えないから。

このへんは(説明が足りないので何とも言えんが)・・・・
閻魔大王の領域wwwww 彼が繰り返し、述べる二項相対を超越した言語表記の向こう側の
勝義の話だねww
今の「論理的」どうか?  というお題にはなじまないww
703神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:50:35.85 ID:H8lfjaUT
日本の各宗派の祖師達(道元、空海、最澄、日蓮、法然、親鸞ら)が輪廻を説かれていることを再確認し、
近代仏教学者が縁として起こった誤解から早く解脱される仏教徒の一人でも多からんことを祈念申し上げます。 合掌
704神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 08:57:56.71 ID:rOzQMK/T
>>687
>本当に自分でそのように実感しているのか?
そりゃそうでしょw
禅定(瞑想)をそれなりに修めきったレベルとまではいかずとも、その方向で考え、自己観察した者なれば誰でも、
少なくとも、サイズダウンした相似形で、―髪の毛一本の違いはないだろうがw―
「ああ、そうか・・・」と一瞬一瞬に(或る時或る時で)転じている自己に気付くだろう。
きちんと行じ修めた者なら、もっとダイナミックな転変を見るのかもしれない。
もとより、肉体的変化だけではない。というより、それは二の次三の次。
まず第一には「心の在り様」について言われることだ。
これは、ほぼ全ての教えに言えること。
心経も、色即是空ばかり取りざたされるが、
(―五蘊も、肉体として言われるのは一要素だけで、他四蘊は心について言われている―)
本当は、後四蘊が空であることが重要だ。

自身の心の在り様の観察こそが、仏教の肝じゃないかね?
705神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:02:12.92 ID:K1QOspqG
>>702
>俺が、ここでいう「不変」とは⇒「解脱するまでは永遠とそれが継続されるということ」

そうだね、解脱するまでは永遠だね。

>そして、そのように永遠に継続すると設定されるものを指示して「無常である」とするならば
>アートマンさえも許容されることとなる

どゆこと?
個我が輪廻するんじゃなくて、今世に意識が生じたように、
死後もいつかは意識が生じてしまうというだけで、「○○が輪廻する」ということはないと思うけど…。
706神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:02:34.98 ID:14i9RUka
>>692-693 >>697は ?氏?
カビの生えた古文書からの引用だけでは解脱できないよ。
古文書同士でも内容が食い違っているし、
その現代語訳も翻訳者によって微妙あるいは大幅に食い違う。
 
その時、あなたはあなたの都合で選び切り捨てる。
どこまで行っても「あなたの都合」だね。
ここで大問題なのは、古文書漁りが不足しているのではなく、
じつは、どこにでも顔を出す「あなたの都合」だ。
707神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:03:00.09 ID:rOzQMK/T
>>704

勿論、病的に「自己分裂」「自分でない感覚」を生じている事例も
精神医学の方では多々あろう。(紙一重な面もあるだろうことは言える。)
だからこそ、(教義・教学もそうだがw)特に瞑想の独学は危険と言われるのさ。


隠居が喰い付いてきそうだな・・w
708神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:03:57.94 ID:rOzQMK/T
>>706
IDが ルカ w
709神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:04:43.33 ID:l+dXY7EZ
 
> 未熟不要な章(26・27)や矛盾箇所・整理不足も多数あり、全面改訂版が望まれる

17-15 と 26-11 は重要な↓ところであると思う

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama17.pdf
第十七章 行為/カルマ〔業〕とその果実の考察
15.
捨てること(断)によっては、それは捨てられない
放棄は瞑想(修道)によって見いだされる
したがって、失効しないもの(不失法)によって
行為の果実が生ずるのである

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
11.
無知(無明)が止まると
行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は
瞑想と知恵(智)を通して生じるのである
710神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:14:23.76 ID:K1QOspqG
>>702 パーピマン
>今の「論理的」どうか?  というお題にはなじまないww

どういうことかっていうと、今世に僕らが生まれてきたからには、何かしらの原因があるってことでしょ?ないとすると、偶然生まれてきたことになるから、そうすると、死後も偶然に再び生まれる得ることになって、解脱もできなくなるよね。偶然には抗えないから。

すると、自分が生まれた原因は、自分が作ったのか、他者が作ったのかってことになる。
これは、業を作るものAと、果報を受けるものBは同じなのか、異なるのか、と言い換えられる。
前者の自業自得を不変の真理として考えると、おっしゃるとおり矛盾が起こるよ。
パーピマンが隠居さんを殴ったら、パーピマンの顔から鼻血が出ることになる。
しかし、自業"他"得も、理屈に合わないんだよ。
パーピマンが大盛りご飯を食べたら、隠居さんのお腹が膨れることになるから。
そこで、生まれた原因を、このような矛盾した思考に至らせる無明に求めたのよ。

じゃあ、なぜ自業自得が最も説かれるかというと、
世俗的には、苦の原因を他者か、偶然(運)に求めるものが多いからだと思うのです…。
711神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:18:07.45 ID:14i9RUka
>>701
>生物は単なる要素の集合体ではない。・・・
>3つのシステム、@免疫、A遺伝子、B動的並行がある。
この三つのシステムではまだ「断滅論」を免れない。
 
> 釈尊は「自分が、自分がという意識は真実の意識ではない。
>真実の意識に目覚めなさい。」と説かれた。
意識とは、自分が自分であるという自己認識のことを言う。
意識に真実も虚偽もない。釈迦の誤り? 三木氏の誤り?
712神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:27:36.57 ID:14i9RUka
>>700
>だから縁起の現実をベースに24-18を念頭によめばいいだけだ。
>他はそれのヘタクソな編集による説明でしかない。

あなたは中論を完全に読みそこなっている。
中論のすべては第1章1詩にある。ほかはこれの証明なのだよ。
事物は・・・あることなし、これが龍樹の世界認識だ。
713パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 09:37:45.99 ID:9iIFCkau
>>705
>死後もいつかは意識が生じてしまうというだけで、「○○が輪廻する」ということはないと思うけど…。

死後に意識が生じる??  これはAさんの意識?
今世において(無明によって)現出しているAさんの意識が死後も継続すると?
記憶も連鎖し、「我という思い」・・・すなわち「自分はAである」という認識も継続されると?

んなら、まさに永遠と継続する「我」でしょうが?
一体、どこが無我なんだ??wwwww
714神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:38:10.53 ID:14i9RUka
>>708 
>IDが ルカ w
 
気づかなかったよ(^^)
磔刑具や人間イエスを拝む趣味はないけど、
仏教徒であっても教養として「聖書」を読まなくてはいけない。
特に旧約は物語としてもおもしろい。
715神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:39:36.61 ID:l+dXY7EZ
 
> あなたはあなたの都合で選び切り捨てる

私の場合は

諸の因縁を、受け
如実に、顛倒を知らないが故に、五受陰に因って
戯論を生じて、慧眼を破り
妄執分別の念が現れているので

私は私の都合で取捨選択しています
  _  _  _

> どこにでも顔を出す 「 あなたの都合 」 だ

私の場合は

睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として
それを自分であると考えて執着し続けている
この深層的な自我心(末那識)を滅してないので
我愛が現れているので

私の都合で色々なところに顔を出してます
716神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:42:42.15 ID:K1QOspqG
>>713
>んなら、まさに永遠と継続する「我」でしょうが?
>一体、どこが無我なんだ??wwwww

もちろん、実感としては無我ではなく「我」だよ。無明だし。
717神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 09:46:59.89 ID:14i9RUka
>>709 ?氏・・・?
>17-15 と 26-11 は重要な↓ところであると思う
 
引用の仕方を見てると、あなたは説一切有部に近い考え方だね。
718パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 09:54:08.35 ID:9iIFCkau
>>710 (勝義視座なら、因⇒果 という構図も意味をなさないので世俗オンリーということで
いうが)、

言うように、「自業自得」もあれば「他業自得」もあるでしょうw
よって、自己が生まれた因を何も「前世の業」に求める必然性もないわけで
単に両親の行為に帰すれば、それはそれでOKでしょ?

>じゃあ、なぜ自業自得が最も説かれるかというと、
>世俗的には、苦の原因を他者か、偶然(運)に求めるものが多いからだと思うのです…。

何故、業論が説かれたのか? そりゃ、倫理的要請が最たる理由でしょw
自己を律する最も有効な方法と考えらたからでしょうw
719神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:01:33.68 ID:14i9RUka
>>715 ?氏・・・?
>睡眠中でも深層において働き続け
>根源的な心である阿頼耶識を対象として
>それを自分であると考えて執着し続けている
>この深層的な自我心(末那識)を滅してないので
>我愛が現れているので
 
前世からの業を背負っているのがアラヤ識だよ。
だからアラヤ識は捨てるべき識。マナ識の方が本当の自分に近い。
知らないで古文書漁りをしていると間違える。
720神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:04:14.05 ID:H8lfjaUT
>>717
>引用の仕方を見てると、あなたは説一切有部に近い考え方だね。

宝蔵菩薩の唯識に近いように観じられますが。。
721神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:10:27.75 ID:14i9RUka
>>720
>宝蔵菩薩の唯識に近いように観じられますが。。
 
宝蔵? そんな菩薩がいるんですか。
722神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:16:40.69 ID:K1QOspqG
>>718 パーピマン
>単に両親の行為に帰すれば、それはそれでOKでしょ?

無理だね〜、それだと、自我意識が生じてくる必然性まで説明できないから。
なぜ、他の人が生まれてこなかったのか、
自分ってものが、はじめから"一回も"生まれてこないことも、
論理的には考えられ得るでしょ?
723神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:18:28.73 ID:l+dXY7EZ
 
> 引用の仕方を見てると、あなたは説一切有部に近い考え方だね

私の場合は

アルボムッレ・スマナサーラの本と

仏法 テーラワーダ仏教の叡智/ポー・オー・パユットー を読んでいるところです
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4901679643/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
724神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:18:35.55 ID:H8lfjaUT
>>720
誤 宝蔵菩薩の唯識に近いように観じられますが。。
正 世親菩薩の唯識に近いように観じられますが。。
725毛利:2013/09/29(日) 10:25:34.41 ID:O6sQe1P2
不正融資 樟蔭東学園前理事長に有罪 大阪

産経新聞 9月5日(木)7時55分配信

■地裁判決「自己保身に走った」

 学校法人樟蔭東学園(東大阪市)をめぐる3億8千万円の不正融資事件で
背任罪に問われた前理事長、
高橋努被告(67)の判決公判が4日、大阪地裁で開かれ、
村越一浩裁判長は「学園運営に与えた悪影響は大きい」として
懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡した。
判決理由で村越裁判長は、不正融資について、学園を実質支配していた元理事、

小山昭夫被告(82)=同罪で公判中=から依頼され、
「従わなければ学園での自分の地位が危うくなると判断し、自己保身に走った」と認定した。
小山被告は自身の公判で「融資は私腹を肥やすためではなく、
学園のためにも使った。理事会の承認も受けたと聞いていた」などと無罪を主張している。
判決によると、
高橋被告は小山被告と共謀。平成22年3〜4月、理事会の決議を経ずに
学園から小山被告に計3億8千万円を無担保で貸し付けさせ、損害を与えたとされる。
726神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:26:34.39 ID:14i9RUka
>>723 ?氏・・・?
ネットでスマナサーラの瞑想方法を見たが、
数息観ではなく、実況中継という観法を説いていた。
これは南方仏教に共通する観法なのだろうか。
727神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:33:09.33 ID:l+dXY7EZ
 
> アラヤ識は捨てるべき識。マナ識の方が本当の自分に近い
> 知らないで古文書漁りをしていると間違える

末那識と相応するものは
我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩と言う事であるらしので

末那識(我愛)を滅させて
無我行を実践することができる
と言う意味だと思います

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)の
二種の障害を根絶することによって、阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
728神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:35:16.00 ID:14i9RUka
>>724
了解。 >>723 を読むと南伝仏教かもしれない。
もともとは、部派(説一切有部)とか上座部とかの系統でしょ。
729神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:46:44.15 ID:14i9RUka
>>727 ?氏・・・?
マナ識とアラヤ識の関係を眺めたら理解できるかもしれない。
マナ識 → アラヤ識(自分であると執着されている偽の自分。業識)
 
この関係から、マナ識の方に主体(選択権)があることになる。
そこでアラヤ識を消滅させれば四煩悩は自然消滅する。→ 解脱
あとはマナ識に残っている残滓を清算する。→ 悟後の修行
730神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 10:56:17.03 ID:l+dXY7EZ
 
> 実況中継という観法を説いていた
> これは南方仏教に共通する観法なのだろうか

 ↑ これについては私にはわかりません

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4904507169/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ)
アルボムッレ・スマナサーラ

326〜327ページのところに

渇愛によって輪廻を繰り返しているので
その渇愛を滅させる為に
過去を観察する為の智慧が必要である
と言う事が記述されているので

瞑想とかに興味があるのなら
最寄りの書店などで御確認くださいませ
731神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 11:12:25.02 ID:P15+vXgj
>>709
>失効しないもの(不失法)によって行為の果実が生ずるのである

中論17-15は龍樹が批判する反対者の論です。

『不失法』なるものは検証不能の一切外業報輪廻転生論を前提とする妄想ですから、
何度も言うように、相応部35-23&70の基準でその存在を検証立証できないなら
「一切法門」の仏道場外妄想ですから、関知しません。

龍樹による『不失法』論批判は、業報輪廻転生論批判でもあります。
732神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 11:15:47.84 ID:l+dXY7EZ
 
> マナ識 → アラヤ識(自分であると執着されている偽の自分。業識)
> この関係から、マナ識の方に主体(選択権)があることになる

例えば、中有↓肯定派の場合なら

瑜伽師地論(ゆがしじろん)
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
人が死ぬ時に、自己に愛著し
無始の輪廻によって続いてきた執着された

我愛(末那識)と、戯論と、善悪業によって
中有が形成される

 − これに対して −

我愛(末那識)が滅すれば
中有は形成されない

と言う事になると思います
733神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 11:16:14.02 ID:14i9RUka
>>620
> >>587中論1:1の平川彰訳は次のとおり。
>・・・これは「因果性」の完全否定。
>>587引用の訳は、中村、平川訳とは意味的に全く反対。
>単なる因果関係に過ぎない。釈迦カルトの人が、釈迦の因果関係と
>合致させるために行なった、故意の誤訳ではないか。
 
明晰な指摘ですね。参考になった。
734十二支縁起論批判の一断面:2013/09/29(日) 11:22:45.06 ID:P15+vXgj
>>709
>無知(無明)が止まると

そもそも起発点を無明とする十二支縁起論では、無明以前を問えないのではないでしょうか。
十二支縁起論が、縁起の名に値するかも極めて疑わしい。
むしろ、縁起の対極的レトリックといわざるをえません。

無明とは真相とくに無我を知らないことですよね。
で、無明(真相を知らないこと)の原因は、知・不知の知覚である以上、脳の発達による分別と自己意識感覚によるものであり、
記憶が生じるまでに何らかの障害(事故、薬物・放射能障害など)が生じた場合、無明とはいえませんよね。
知るも知らないもないんだから。

脳の発達による分別と自己意識感覚の原因はDNA(設計情報)によるものであり、
DNAとは結局「微塵衆」(素粒子×α:金剛般若経30)であり(点か超弦かはともかく)、
微塵衆は無限遠点として不可得であるがゆえに中道である(金剛般若経18)といわざるを得ません。

だから無明が起発点ではありえないし、
そもそも無量の諸要素の集合(無我)変化(無常)を伴うネットワーク<的>関係性(密度濃度変化:方便)の如くという縁起の様相に
根源的な起発点(無明)などありえないのではないのでしょうか。
特因特果論が十二支縁起であり、無量因無量果(多因多果)の縁起とは整合性がありません。
現代超弦宇宙物理学からみても、哲学的にみてもまったくナンセンスといわざるを得ません。
<風が吹けば桶屋が儲かる>と同じのナンセンスなレトリックです。

第一義空経で十二支縁起が批判排除され(除俗数法)ているのは当然で、
それに伴って、ワンセットである業報輪廻転生論も批判排除(一切法門外に放逐)されたと見るのが自然です。
勝義では『不實而生(滅)』=不生不滅(生滅の相対に非ずの様相)、
世俗への還滅で、『生已盡滅』=生成即消滅(生滅相殺の様相)ですから、
業報輪廻転生論が世俗のことだとしても『生已盡滅』=生成即消滅(生滅相殺の様相)に転生論の立論の余地はありません。

広大な荘園を抱えて超リッチな貴族階級生活の宮殿の奥でヒマを持て余していたスコラ坊主たちの理論は、
精密だが、実は砂上の楼閣の如き妄想様相だったといえましょう。
735神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 11:34:32.97 ID:l+dXY7EZ
 
> 中論17-15は龍樹が批判する反対者の論です

 ↓ 反対者の論ではなくて龍樹側の文言だと思う

15.意訳

カルマを捨てようと努力しても、そのことによってはカルマを無効にすることはできない
カルマの放棄というものは瞑想によってのみ見出せるものなのである
したがってカルマというものは失効しないものなのであり、その失効しないカルマの法則によって
特定の行為に対応する結果が(瞑想の成果という意味においても)生じるのである

自己や世界への執着を捨てることで輪廻から解脱できるとしても
捨てようと決意しただけで、あるいは行動を制御しようとしただけでできるようなことではない
事物の性質と空性というもののあり方についての瞑想を深めることでこそ、それは可能になるのである

このように言うことは
カルマを負債の覚書にたとえることにも対応すると言えるかもしれない
負債というものは借り手が自分の意思だけで取り消そうとしても取り消せるようなものではない
借用書が残っているからである
736神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 11:48:16.48 ID:14i9RUka
>>732
常識的に考えても、業識であるアラヤ識を残してはダメだと思う。
 
たとえば、マナ識(主体)に選択権がある時、
目の前の焼肉(アラヤ識)を食べないために、マナ識(主体)を抹殺すれば
焼肉(アラヤ識)を食べないですむ、と考えるのは転倒妄想でしょう。
選択権を行使して焼肉(アラヤ識)を見捨てればいいのです。
 
想念の中で、自分で自分を見捨てることができるのかどうか疑問だし、 
マナ識(主体)を見捨てようとしたら断滅論でしょう?
737神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 11:50:36.79 ID:viPvwZ1D
現代人なら、幼稚な「自分探し」は中学生で卒業せよ。

いくら自分で自分を考えてみても、それを考えているのは、もう一人の自分、
そのもう一人の自分を考えているのは、さらにもう一人の自分と無限に連続し、
何処まで行っても結局は自分の主観以外にはありえない。

自分とは何かが知りたければ、他者に見てもらえ。それ以外の方法はない。

釈迦は、この幼稚な自分探しの元祖。

中東まで自分探しに行って首をちょん切られた、幼稚なクリスチャンの若者がいたね。
738パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 11:54:06.58 ID:9iIFCkau
>>722
>無理だね〜、それだと、自我意識が生じてくる必然性まで説明できないから。

は? 「自我意識」など、生まれ落ちてから起こる精神作用、認識、判断、記憶などの過程において形成される
観念・・・・で十分、説明可能w
何も、自我が生じる原因を前世の業にする論理的必然性こそ皆無だよww

>なぜ、他の人が生まれてこなかったのか、・・・

母親Aと父親Bがそのような行為をしたから、二人の遺伝子を共有する自分Cが
誕生した・・・・それで十分w  寧ろAとBから全く関係ないDが誕生したら、それこそ驚異ww


>自分ってものが、はじめから"一回も"生まれてこないことも、・・・

そらあ、両親がそういう行為をしてくれなかったら誕生しないわなww

「ある人間が特定の家族に特定の状態で誕生する因を前世の業に求めなければ
ならない論理的必然性など 『皆無』」

信じたい人は信じてください  ・・・・という信仰の範疇の話だよww
739パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 12:02:04.74 ID:9iIFCkau
>>734 その無限の面的広がりを持つ縁起から、説法のために一部を
「切り取って」因果を成立させて話すしかなかったんだろうww

その必要性も理解できるが、反面そのような一体一対応で説くことの
弊害は計り知れないww
740神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 12:10:03.53 ID:viPvwZ1D
釈迦の「幼稚な自分探し」は、彼の精神病の症状としての「自己肥大」の
結果に過ぎない。健常者にとっては、自分探しは、ミーハーの中学生だけ。
741神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 12:14:30.43 ID:14i9RUka
>>737
>・・・さらにもう一人の自分と無限に連続し、
基本は二項対立(縁起)であり、無限に連続するわけではない。

>何処まで行っても結局は自分の主観以外にはありえない。
主観の中に霊魂があるかないか、という二項対立だね。
 
>自分とは何かが知りたければ、他者に見てもらえ。
>それ以外の方法はない。
自分の心の闇は他者に見えない。自分で気づく以外にない。
742神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 12:18:21.14 ID:l+dXY7EZ
 
> 目の前の焼肉(アラヤ識)を食べないために、マナ識(主体)を抹殺すれば …
> 想念の中で、自分で自分を見捨てることができるのかどうか疑問だし 
> マナ識(主体)を見捨てようとしたら断滅論でしょう?

受・想・行を滅させて
深層的な自我心(末那識)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
と言う意味だと思います

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm

初期仏教の解脱・悟り=想受滅
(1)教説を理解することではなくて、想と受が滅する体験である
(2)文字の理解ではなくて、生が尽きた、すなわち、自己がないという体験である
(3)種々の文字で表現された依所となる事実を体験することである

四禅を超えて想受滅
原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている
「四禅」の後に、さらに、無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い
想受滅は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅の直後に「解脱」するとされる
「想受滅」を出た直後に解脱するとするが、経典によりその効果の説明が多少異なる

四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅を成就する
想受滅においては、諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している
743神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 12:18:42.68 ID:14i9RUka
>>740
>健常者にとっては、自分探しは、ミーハーの中学生だけ。
 
この文章から、 
あなたが心の闇に気づいてないことはよくわかる。
744神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 12:20:28.27 ID:viPvwZ1D
>>743
「心の闇」って一体に何?具体的に。「幼稚な自分探し」こそ、「心の闇」で
あることを知れ。
745十二支縁起論批判の一断面:2013/09/29(日) 12:24:28.56 ID:P15+vXgj
>>735
>カルマというものは失効しないものなのであり

『『不失法』なるものは検証不能の一切外業報輪廻転生論を前提とする妄想ですから、
何度も言うように、相応部35-23&70の基準でその存在を検証立証できないなら
「一切法門」の仏道場外妄想ですから、関知しません。

龍樹による『不失法』論批判は、業報輪廻転生論批判でもあります。』(>>731
746神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 12:34:52.37 ID:viPvwZ1D
共同体では、個人の内心など、他者の知ったことではない。あくまで観察可能な
「行為」によってのみ判断する。

広い世間では、君ら宗教者の「内心」「心の闇」などには、一切興味がないこ
とを知れ。

心とは、状況に応じて肉体(生命)を維持するために発動する機能。「心のた
めに心を使う」のは、心の目的外使用、心の濫用、心のオナニーであることを
自覚せよ。
747十二支縁起論批判の一断面:2013/09/29(日) 12:54:20.47 ID:P15+vXgj
>>735
>カルマ

カルマ(業)は過去のデータベースがすべて記録されたハードディスクのようなものですが、
<その存在証明および存在の変転(転生)事実の立証、世代を超えて確実に特定人の責任負荷になる>ということが
経験的に立証されねばなりません。

そもそも『(1)この業なるものは、縁起したものでもないし、縁起しないものでもない。
     (2)それゆえ、行為主体(業を作る者)もまた存在しない』
つまり(1)で仏法の根幹である縁起の現実に依拠しない「一切」(相応部35-23)外の妄想であることを明確にしているのです。
      業論は縁起撥無の反仏法です。
   (2)でデータベースを乗せるべき業もその主体も存在しない<一切法無我>と宣言して、一貫させています。

で、これを受けて『(17-29)ならば、業報そのものも、業報を受ける者も存在しない』と
         明確に、業報輪廻転生論を批判しています。

貴殿の業報の経験主義的立証を求めます。
748神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 12:55:47.85 ID:14i9RUka
>>742
>・・・非想非非想処も捨てて、想受滅を成就する。
>想受滅においては、諸根(眼耳など)の働きはあるが、
>心作用のうち受、想、行が滅している
 
五蘊は、色(身体・物質)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(意志作用)
識(認識作用)である。このうち受想行が滅していると言うのだから、
残っているのは色(身体)と識(意識・マナ識・アラヤ識)になる。
これを理解するには、実際はどうなのかを知らなければ無理だろう。
知らないで古文書を盲信するからダマされる。


 
749十二支縁起論批判の一断面:2013/09/29(日) 13:01:54.22 ID:P15+vXgj
>>747付加
そもそも『(1)この業なるものは、縁起したものでもないし、縁起しないものでもない。
     (2)それゆえ、行為主体(業を作る者)もまた存在しない』 ★(中論17-29)

ちなみに、17-28は反対者の論です。それを17-29で龍樹が批判しています。
750神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 13:18:57.95 ID:14i9RUka
坐禅(止〜精神集中)で何をしているかと言えば、
自分の周囲にある刺激を遠ざけ、意識を意識そのものに還元する
作業である。意識そのものになれたら非想非非想処。
 
この状態では色・受・想・行が鎮まっている。鎮まっているとは、
外から刺激があれば再び活動するという意味だ。
残るのは識(意識・マナ識・アラヤ識)だから、滅尽定はこの三識の
関係から説明される。滅尽定の最大特徴は意識を失うことにある。
では最後の最後に残るのは、マナ識か、アラヤ識か。
意志のない、業識であるアラヤ識が残っても? 仕方ないだろう。
751神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 13:23:04.65 ID:viPvwZ1D
人間は、「我を忘れて」己の我を精一杯「生きる」ことによってのみ、文字通り
「無我」が達成される。生存努力なく「無我」などを意識的に追求することは、
「自意識の肥大」以外の何物でもなかろう。釈迦が、その「自意識肥大」の典型。
752神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 13:27:30.44 ID:14i9RUka
空を信じ、滅尽定で過去世の業であるアラヤ識を残せば、
その人はそこで死ぬ運命にある。
なぜなら、アラヤ識にはものごとを選択する能力がないから。
 
だれかが異常に気づかなければそのまま死ぬ。
これが坐禅の恐さですね。
753神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 13:31:36.44 ID:1KNq/4nq
過去不確定性
754神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 13:32:57.92 ID:14i9RUka
>>744 >>746 >>751
心の闇とは無意識、マナ識、アラヤ識の世界ですね。
坐禅をやれば新世界を発見しますよ。
755神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 14:29:21.95 ID:S4ks71Jn
水源禅師のような世界は怖くて行けませんw
756神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 15:15:00.48 ID:14i9RUka
虎穴にいらずば虎児を得ず
 
 
 
757神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 15:18:22.98 ID:S4ks71Jn
君子危うきに近寄らず
758神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 15:38:57.73 ID:14i9RUka
小人の腹は満ちやすし
759神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 15:47:58.29 ID:S4ks71Jn
当たらぬ蜂には刺されぬ
760神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 16:07:30.47 ID:14i9RUka
一文惜しみの百知らず
761神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 16:16:36.99 ID:S4ks71Jn
貝殻で海を干す
762神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 16:24:07.49 ID:14i9RUka
良薬口に苦し
763神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 16:34:07.39 ID:S4ks71Jn
蜘蛛の家に馬を繋ぐ
764カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/29(日) 16:34:30.29 ID:HNzwuCkY
>>690
どれだけ長い時間がかかってもいずれ消失するならそれは常住とはいえないだろ。
たとえば、今の宇宙だって終わるのに途方も無い時間がかかる。だから永遠か?君、頭大丈夫?
君の主張は、いずれそれが消失しようと業という単語=記号自体は変わらないので永遠だ。だから常住。と言ってるようなもので、
こんなのは詭弁というんだよ。業というものは記号に過ぎない。記号は記号。本質的な話は業と言う現象について
考察しなければいけない。君の詭弁は、宇宙が永続しているのはビックバンという因から始まりその結果という因果と言う時間の
流れだ。この因果=縁起という記号自体は未来永劫同じなので常住だ。と詭弁を使っているのと同じ。
もちろんこれを認めるなら無常、無我の仏法に反する。もちろんこの考察は誤りである。なぜならその記号自体宇宙が滅びれば
滅びるし、論点は記号ではなく、その現象自体が常住であるか否かであるから、君の主張は論点からずれている。
しかしよくもまぁ次から次へと下らない詭弁ばかり思いつくものだ。君らの種族ほど詭弁を好み、詭弁の達者なものはない。
原発村の御用学者の詭弁を聞いてると殺意を抱いてしまう。ここのゴータマさんは業報輪廻転生を説いていなかったと
主張している連中は、原発村の御用学者らと同じ穴の狢だろ。和辻なんていう学者はその際たるものだ。
どのみち詭弁を好む奴にろくな奴はいない。
765神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 16:44:30.82 ID:14i9RUka
濡手で粟 一攫千金 逃げた魚は大きい
766カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/29(日) 16:52:14.79 ID:HNzwuCkY
>>702
解脱するまで永遠と続くならそれは常住なんて、言ってることがおかしい。これも詭弁だな。
君は救いようのない悪人だと思うよ。

ちなみに業とは行いと結果。因果の法は縁起物そのもので、単独で成立しない自性無きものだ=無我。
業は解脱した者に対しては滅び、この宇宙と共に縁起して成るものだから、永遠ではない。宇宙は有限である=無常。
三世に渡る業報輪廻転生の主体を業と認めても、今の自我が縁起により仮設されたものと同様、業も
縁起により仮設された実体の無い無自性なものなので、なにも仏法と反するものではない。

ところで君のように三世に渡る業報輪廻転生を否定する者や、業報そのものを否定する者ははっきりと外道だと言える。
六師外道。http://mahorobanomori.web.fc2.com/spiritual-Rokushigedo.html http://todaibussei.or.jp/izanai/02.html
六師外道の話のリンクを貼るのもこのシリーズで何度目だろ。君らにとっては馬の耳に念仏。猫に小判なんだろうな。
767パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 17:09:48.38 ID:9iIFCkau
 ≪ カラスの唄≫     


カラス科   アホカラス属

通常、カラス科は知能が高いことで知られているが、この種だけは
例外的に全ての鳥類の中で最も低い部類に分類される。

食性⇒ 雑食・・・目に入るもの全てを食すと言われ、特に人間の
    出すゴミを好み、しばしば人家に侵入するので害鳥として
    認識されている。

習性⇒ 「きべん、きべん」と鳴くので、別名、「きべん鳥」とも言われる。

     非常に攻撃的で、自己以外の鳥類を見ると攻撃せずにはいられない
     性質を持つが、知能が低いので鏡に映った自分の姿に攻撃を仕掛ける
     光景がしばしば目撃されている。

                           (Wikiより) 
768カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/29(日) 17:09:55.87 ID:HNzwuCkY
パーピマンの信奉する末法仏教はこうだ。苦を感じる我なんて本当は無いのだ。だから苦なんてないんだ、わははは〜
てなもんで、まともな人ならこんなのはただの気休めにしかならない価値のない話だとすぐに気付く。
たしかに今の自我は縁起により仮設されたものだが、いまここにはある。いずれ消えてなくなるにしてもね。
さて、いくら私の自我は本当な無いのだと言い聞かせたところで病に倒れ、病魔の苦痛にどれだけの者が耐えられ、
目の前の、自分が完全に消えてなくなると言う死と言う現実を心平穏にどれだけの人が受け入れられるかはなはだ疑問だ。
前に多くの癌患者を看取ってきたという医者の人が書き込んでいたけど、仏教系の坊主ほど死を目の前にすると
取り乱す人が多いそうじゃないか。これが現実だろ。唯物末法仏教。これだけ下らない宗教は無いわけで、晩年キリスト教などに
改宗する人が多いのもうなづける話ではある。人も60代後半。70代、80代となると明日死ぬかも知れない。いつ死んでもおかしくない。
と、常に死を身近に意識するだろうからね。今の教会が教えるキリスト教も単なる御伽噺にしか過ぎないが、
洗礼を受けて、私はもう救われている。死んでも天国にいけるんだと信じて、平穏な心で死を迎えたほうがよほど救いになるだろ。
パーピマンもいずれその時が来る。その時に俺の話をよく思い出すといいよ。
769神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 17:44:04.66 ID:S4ks71Jn
>>768
それは御利益宗教を志向せよと説いているんですか?
この世の中に、何かを崇拝しての御利益などというものは無い、と仏陀は言ったのでは?
仏教は宗教にあらず、仏教は生き方の指針を説いたもの。
仏教に御利益なし。
770神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 17:50:27.75 ID:S4ks71Jn
石橋を叩いて渡らず
771神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 17:52:04.34 ID:K1QOspqG
>>738 パーピマン
>は? 「自我意識」など、生まれ落ちてから起こる精神作用、認識、判断、記憶などの過程において>形成される

いや、だからそれだと、他我意識でも、いいわけでしょ。「自分の」である必然性がない。

>母親Aと父親Bがそのような行為をしたから、二人の遺伝子を共有する自分Cが
誕生した・・・・それで十分w  寧ろAとBから全く関係ないDが誕生したら、それこそ驚異ww

ううん、おかしい。その二人の遺伝子を共有しているものCに、
別の人の意識が宿ることもできたわけでしょ。思考実験では。
それとも、唯物論的に、その遺伝子そのものが、その人の意識そのものってこと?

>>自分ってものが、はじめから"一回も"生まれてこないことも、・・・
>そらあ、両親がそういう行為をしてくれなかったら誕生しないわなww

いやいや、両親がそういう行為をして、ある人間が生まれても、
そこに「自分の」意識が宿らないことも可能でしょう。
パーピマンは、パーピマンの意識も、他者の意識も、その存在は認めてるんでしょ?
他者の意識だけでもこの世は成り立つのに、なんでパーピマンの意識が生じたと考えてるの?
772パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 18:29:25.60 ID:9iIFCkau
>>771
>いや、だから
>それだと、他我意識でも、いいわけでしょ。「自分の」である必然性がない。

何が言いたいのか? さっぱりなんだがw 「他我意識」???

>ううん、おかしい。その二人の遺伝子を共有しているものCに、
>別の人の意識が宿ることもできたわけでしょ。思考実験では。

意識が宿る?  意味不明w
意識は誕生からの精神作用、経験等により、形成されていくものでしょ?
「宿る」????  どっかから与えられたり、入り込んだりするものだと思ってるのかな?

>いやいや、両親がそういう行為をして、ある人間が生まれても、
>そこに「自分の」意識が宿らないことも可能でしょう。

これもそう、w  「意識」ってのは、脳を基幹部分として、その人間の時間経過に
伴い形成されていくものでしょ?
どこからか、やってくるものでもないし、入り込むものでもない。
換言すれば、脳を基幹とする精神作用の総称だよw

爆弾で脳みそ吹っ飛ばされたら、意識も糞もないwww
773神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 18:38:14.67 ID:14i9RUka
勇者は恐れず 鯉の滝登り
774パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 18:40:00.14 ID:9iIFCkau
この >別の人の意識が宿ることもできたわけでしょ

これがわからんw
まさか、「意識」が個体と分離して存在可能と考えてるのかな? 霊魂みたいにw
「意識」というの「ある個体の精神作用の総称」・・・・
つまりAさんの意識は、「Aさんが行なっている精神作用」を指示しているわけだから
Aさんと乖離しては有り得ない。  「別人の」 意識が入り込むなんて
SFやオカルトならあっても実際ありえないよw

もしそれが、あり得るのならば、  その入り込んだ意識・・・・もうそれは
十分、基体性を有しているが、それをAさんと看做すことも可能になる。  
775ノスタルジア:2013/09/29(日) 18:51:00.58 ID:E2La/qZT
>>カラスの唄さん

キミは仏門に入ったのか?
776サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 19:04:35.76 ID:07Bwlq9w
>>774
議論が入り組んでいるし 別の議論が同時進行しているので
私はパーピマンにロックオンww

パーピマンに改めて質問
Aさんが無明によって縁起の働きによって輪廻し続け 生まれ重ねて
とうとう犬になったとする 仏教的にはありうるのだけど

ブッダのような輪廻の外に出て輪廻を把握できる存在がAであった犬を見た場合
ブッダのような存在はその犬がAさんだって理解できるよね??
Aさんの同一性が犬というまったく別の存在になっても歯それを把握しうる存在がいるのなら
輪廻する仮有の 私 が変化し続けても何の矛盾もないですよね
777サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 19:13:48.99 ID:07Bwlq9w
>>776
でも
ブッダを輪廻を見通す超人的存在と考えるようになったのはかなりあとでしたっけ?
上座部と大乗部分裂の後でしょうかね
778神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 19:14:48.11 ID:l+dXY7EZ
 
> 非想非非想処
> この状態では色・受・想・行が鎮まっている
> 鎮まっているとは
> 外から刺激があれば再び活動するという意味だ

http://www.bukkyouoshie.com/tenkai/hisouhihisousyo.html

空無辺処(くうむへんしょ)
識無辺処(しきむへんしょ)
無所有処(むしょうしょ)
非想非非想処(ひそうひひそうしょ)

非想非非想処とは、限りなく意識がゼロに近い、消滅寸前のような状態の世界です
かすかに想念が動く世界ともいいます
微細な心の働きしかしない世界ですが
非想非非想処は 「 涅槃ではない 」 ということです
非想非非想処に達すれば
ほとんどの人は 「 これは涅槃だ。悟りの境地だ。解脱した 」 と勘違いするでしょう

仏教では、非想非非想処の瞑想の上にさらに深い瞑想を発見しています
それが涅槃の世界 「 滅尽定(想受滅) 」 です
779パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 19:15:20.67 ID:9iIFCkau
>>776  だから、仏教的にいえば、そうなのw
仏陀は、犬になったのは、前世のAさんであるとわかるのw

でも、仏教では何故、そう言えるのか?  については沈黙してるのw
「仏陀だから分かる」としか、言ってないわけw

つまり、論理的説明過程が欠落してるのw
だから、そこは「信仰」なわけw  仏陀を信じるか信じないか・・・だけw
論理的整合性の問題ではないんだよ。  そして、今までやってきたのは
その「論理的整合性の話」・・・ブッダの超越性に丸なげするんじゃなくて、
仏陀を信じない人にも納得できるような説明体系を提示できますか?
できないでしょ?   っていう話ww
780神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 19:18:38.30 ID:puR2SnxG
そりゃ仏教は理屈じゃなくて自分で戒律守って修行する、実際にやってみろ系だし

大乗が入ってからは、他宗教からのパクりや後付理論肉付けのほうに熱心になったけど
781サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 19:21:04.11 ID:07Bwlq9w
>>779
それを言ったら仏教も宗教なんだからwww

ブッダの解脱から全ては始まっているのであって論理的整合性で積み上げる体系じゃないでしょ^^
ブッダは輪廻から抜け出して 輪廻を知ることが出来る これは大前提で
その結果 ブッタはAさんが犬になった仮定を確認できる
であるなら。。。って考えていくことも可能ですよねw
782パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 19:26:31.83 ID:9iIFCkau
>>781  オレは、「信仰」を否定してるわけではないよw
だから、基本、「信じたい人は信じてください。」だよ。

ただ、「論理的に無矛盾です。」   って言うなら、ブッダを信じてない
人にも納得のいく説明体系が提示できなきゃあかんでしょ?ww
だから、「ちょっと待てや!」となったんだよwww
「私は信じます」なら、オレは絡んでないwww
783サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 19:31:48.22 ID:07Bwlq9w
>>782
仏教の教え自体 ブッダの解脱の体験から生まれたのだから
ブッダと同じ体験した人間は存在しないのだから
彼の証言=教えから 彼が説いたインドの従来の輪廻転生観とはちがう
輪廻転生の概念を説明するのはひとつの手段でしょ

ブッダはかつてAさんであった犬がAさんであったということを知ることが出来た
そこから 輪廻する縁起の流れは時間や空間と関係なく 輪廻の外から把握することが出来る
。。。ってことは言えますよね?
784神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 19:38:20.85 ID:S4ks71Jn
輪廻と縁起を同列に語るべからず。輪廻と縁起は全く別概念。
785神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 19:41:31.91 ID:K1QOspqG
>>772 パーピマン
ええと、宿るという言い方がまずかったかな、別に形成されるという言い方でもいいよ。
そして、「自分は、生まれて、今、ここにいる」っていう、実存的なレベルでの意識、感覚、実感だよ?

もし輪廻がないとすると、この実感がたった一度だけ生じて、死ぬと消滅するってのは、
それこそ、論理的に美しくないと思うなぁ。
ちょっと、自分の考えをネタばらしすると、論理的に最も綺麗なのは、
(1)永遠に輪廻し、解脱はできない。
(2)自分たちは一度も生まれたことがない。当然、輪廻もない。生まれたという感触は気のせいである。
という、この2つのどちらかだと思うのだけど、どう思う?
もちろん、仏教はこのどちらもとらない。
786神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 19:43:43.40 ID:l+dXY7EZ
 
> ブッダを輪廻を見通す超人的存在と考えるようになったのはかなりあとでしたっけ?
> 上座部と大乗部分裂の後でしょうかね

超人的存在と考えるようになったのは何時からなのかはわからないけど

雜阿含經で … 此の陰滅し已らば異陰相續す、俗數法をば除く … となっています
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/T0099_,02,0092c11:0099_,02,0092c26.html

「 異蘊相続によって輪廻を繰り返す 」 と言う意味です

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空經
… 此の陰滅し已らば異陰相續す、俗數法をば除く …

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4904507169/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (初期仏教経典解説シリーズ)
アルボムッレ・スマナサーラ

326〜327ページのところに

渇愛によって輪廻を繰り返しているので
その渇愛を滅させる為に
過去(前世)を観察する為の智慧が必要である
と言う事が記述されているので

瞑想とかに興味があるのなら
最寄りの書店などで、ご確認下さいませ
787神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 19:46:44.32 ID:P15+vXgj
>>783
「ブッダは知る。ブッダは見る。
ブッダはかつてAさんであった犬がAさんであったということを知ることができる」という“見解”によって
 清浄になることができる、とサロメは理解している。

 たといブッダが見たとしても、それを見られないサロメにとって、何の用があるだろう。
 サロメは、“正しい道を踏みはずして”、他人によって清浄となると説く」(Sn.908)く。
788神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 19:51:40.96 ID:14i9RUka
>>778 ?氏
>非想非非想処とは、限りなく意識がゼロに近い、消滅寸前のような・・・
違います。識のうちの意識は研ぎ澄まされている。
>かすかに想念が動く世界ともいいます
違います。想念はまったく動かない。
 
>非想非非想処は 「 涅槃ではない 」 ということです
>「 これは涅槃だ。悟りの境地だ。解脱した 」 と勘違いする・・・
これはその通りです。この禅定を超えたことがないから当然ですね。
ネットでもどこでも、詐欺的なものを除外した真面目なもののすべてが、
この禅定を悟りだとカン違いして語っている。
789サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 19:57:40.11 ID:07Bwlq9w
>>786
なるほど
勉強になります ありがとう^^
790神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 20:11:15.26 ID:14i9RUka
意識についての誤解があると思う。意識は時間の流れと共に働き、
今現在の自分を自分だとわかっている識をいう。
だからそれは常に、今現在と共にある。
 
意識の流れが蓄積したもの、それが自我である。記憶は自我に蓄積する。
この意識それ自体を、その人らしさが覆っている。
791パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 20:34:29.67 ID:9iIFCkau
>>783 「ブッダを信じる人には」という限定条件付きならねw

>>785 >それこそ、論理的に美しくないと思うなぁ。

美的論にするなら終了だw  しかし、毎回思うが、貴方はかわすのがうまいねw
こっちが(まあ、ある意図を持ってだが)挑発的態度で望んでも絶対乗ってこないww

んで
>(2)自分たちは一度も生まれたことがない。当然、輪廻もない。生まれたという感触は気のせいである。

これはマトリックス的世界観の発展版か? 全てのキャラは、閉じられた被造空間内の
データ存在である・・みたいなww
ま、理論的には最強で全ての否定反論を排斥することは認めるがww
792神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 20:48:48.40 ID:14i9RUka
アラヤ識は業識であり、輪廻の原因になった前世以前の汚れた識であり、
前世以前の識だから実は死んでいる識ということになる。
そんな識を抱えて解脱することなど不可能だよね。
 
アラヤ識は死んでいる識だから前世の記憶を発信することはない。
だから解脱しても、自分の前世も、他者の前世も解読することはできない。
ただ、前世らしきものが存在することを知るだけ。
 
マナ識の判断によってアラヤ識を捨てれば滅尽定に入る。
なぜ滅尽定に入るかと言えば、捨てたアラヤ識の中に霊魂があったから。
アラヤ識と一緒に霊魂を捨ててしまうから意識を失う。
793サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 20:50:29.63 ID:rzYZ6JWK
>>791
ブッダを信じないのなら死後の存続自体 説明のしようがないので終了ですし
パーピマンの論点も 下記の論点から掘り下げたほうがわかりやすいと思います

ブッダはかつてAさんであった犬がAさんであったということを知ることが出来た
そこから 輪廻する縁起の流れは時間や空間と関係なく 輪廻の外から把握することが出来る

ブッダは輪廻する主体はない 無明に囚われた人間は縁起によって輪廻を続けると教えた
縁起による流れは時間や空間に制約されず 輪廻の外にいる存在によって認知しうるものである
しかし仏陀は無常も教えているので輪廻する 私あるいはAさん は仮有であり常在ではなく変化し続ける

私あるいはAさんの同一性は輪廻の外にいる人間によってのみ認識されるってことじゃないですかパーピマン?
794神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 21:00:04.79 ID:S4ks71Jn
輪廻する縁起などという概念は無い。
輪廻の履き違え以外の何者でもない。
795パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/29(日) 21:07:13.80 ID:9iIFCkau
>>793 だから、それは根本が「ブッダの超越性、神通」を信じるひとのみに
通じる論理なんだってw  

オレは、そもそも釈迦は、「少なくとも積極的に輪廻業法を説いたということはない」・・という
説をとってるのw (否定はしなかったろうし、方便としては、あるいは
倫理的教訓を説く時などは当然、言及もしただろうとは思うがねw)・・・・それについての
論証はこのシリーズのいっちゃん最初だよw
だから、当然、六神通も支持しないw   よって前提が成立しないのw
796神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 21:13:46.18 ID:H8lfjaUT
>>786
>渇愛によって輪廻を繰り返しているので

まず四聖諦の実践により渇愛を滅し、
次に禅定によって名色を滅するのが釈尊の教えた修行の段階でしょう。
797サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 21:14:10.86 ID:PkeBX3hV
>>795
いや
だから
『私』あるいはAさんの同一性は輪廻の外にいる人間によってのみ認識されるってことじゃないの?ってことだけど
それ以外の人間には認識し得ないとしたら?
798神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 21:17:37.71 ID:14i9RUka
アラヤ識の中に霊魂があるなどと思わないから霊魂を捨ててしまう。
だれが? マナ識が。そうするとマナ識は霊魂なしで生きていられる?
その辺は魂魄、魂と魄に分裂することに関係あるのかもしれない。
 
マナ識は、霊魂とは別の存在として、ある程度の時間は存在できる。
マナ識と霊魂が分かれるから、滅尽定になり、霊魂を見ることもできる。
霊魂の中に純粋意識がある。これが常住になる。
 
ところで、今までの話はマナ識に判断力がないと成立しない。
ではどうやって無意識のマナ識に判断力がつくのか。これが問題になる。
これが観(自己観察)の課題である。止(精神集中)ではない。
799神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 21:23:30.64 ID:S4ks71Jn
>>797
仏陀が仮に輪廻の外にいた人だとして、全てお見通し〜だとして、現在、そのお見通しの人は居るのかね?
誰ですか?仮に、ダライラマがその人だとして、ダライラマが「オマエは雀が前世で来世はムカデ」なんて言えば
そうですか、と信じるのか?水源禅師でも構わない、水源禅師が「オマエはナメクジが前世で来世はアサリ貝」なんて
信じるのか?
そんなのは信じられない〜もっと別の形があるに違いない〜って自分に都合の良い覚者に行き着くまで探し続けるのか?
そのような、妄想自体が下らないと切って捨てるのが賢い人なんですよ。
800神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 21:38:39.33 ID:S4ks71Jn
分からない世界に対する対処の仕方

1、知る価値が無い、そもそも存在しない
2、自分(人間)にとって都合の良い世界があるに違いない
3、分からないものは分からない、判断中止

輪廻転生や死後の世界をあーだ、こーだと言うのは2の人
唯物の科学一辺倒の人は1の人
仏陀等賢者は3の人

輪廻を頭から信じて疑わないのは、それが倫理規定や道徳観念上なくてはならないモノとする
まさに、自分にとって人間にとって都合の良い世界を妄想しているに過ぎない。
賢者は分からないものは分からないと判断を中止する。
仮に輪廻があったとして、それを分からない世界にいる人間があーだこーだと推論する事は全く無意味。
あってもよし、なくてもよし〜の姿勢こそ尊い。
801ノスタルジア:2013/09/29(日) 22:00:51.49 ID:E2La/qZT
>>800 俺、最近、他スレでレスされるんだけど、なんて言われると思う?
ありがたいことに、豚って言われるんだ〜w

キミだよ、その業を引きずらないといけないのは・・・
まず、豚つまり愚痴をやめることだよ大事なことは・・・。

あのインドの釈迦と名乗った糞坊主を信じているの、キミは?ww
そのために、僕は漏らされたものを、修正するために生まれたわけで、
こんな、ことをしているんだけどね・・・
802神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:05:18.41 ID:/RCrFPBE
>>734
その反論大分前に書いたよ
無明とは、智慧のない状態であって、記憶のない生物にもありうる
803神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:07:57.18 ID:/RCrFPBE
>>737
法鏡で自分を見よというのが仏教だよ
804神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:09:02.71 ID:S4ks71Jn
>>801
仮に私に豚だろうがフンコロガシだろうが何の業があったとしても、構わないw
釈迦は実在の人物です。言った事は仏典でしか窺えませんが、仏典を丸々信じてはいません。
仏典から、仏陀が形而上の事を語った場面を排除し、後代の教義の追加を排除し、仏陀の神格化、偉大化を
排除して読んでます。
漏らされたものを修正するために〜意味不明。
805神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:09:37.26 ID:/RCrFPBE
>>738
その年でお母さんにすべての責任を押し付けるのはどうかと思うぞw
806ノスタルジア:2013/09/29(日) 22:16:29.54 ID:E2La/qZT
>>804 意味分からないか〜w 釈迦という言葉にしても、悟りという言葉にしてもだよ!
それが漏らされたものであり、このような動物がほのぼのとしているところに
やってきた、地球の賊が、この人間という名の猿たちだからね〜w
しっかし、猿も可哀想だよ・・・こんな猿の種類ができて・・・。
もはや、おぞましい・・・

印度のボロ船が、日本のノアの箱舟に勝てるわけないんよw
その譬えで分かる?w

釈迦も、梵天勧請されたもんされたもん?だから教えるんだもんって
言っているけど・・・ま、キチガイの部類だね、キミたちに分かりやすくいうなら釈迦という猿はね。
大丈夫、キミたちも僕も猿だからw でもそれで満足? 
807神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:19:47.08 ID:S4ks71Jn
>>806
仮にあなたが大麻等の酩酊状態にあるのなら、大麻は止めて酒にしなさいw
酒の方が遥かにマシ。
酒は百薬の長。大麻は人を阿呆にさせる妙薬。
808神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:27:20.40 ID:K1QOspqG
>>791 パーピマン
>美的論にするなら終了だw  しかし、毎回思うが、貴方はかわすのがうまいねw
>こっちが(まあ、ある意図を持ってだが)挑発的態度で望んでも絶対乗ってこないww

マジかw 挑発されてることにさえ気づかなかったwww
いや、パーピマンの意見の方が鋭く輝くから、口調の荒さが気にならないんだろうね〜。
あと、パーピマンならきっと、輪廻を認めた見方も理解できるって期待しちゃうんだよ。
なんせ、俺が元々、超アンチ輪廻だったんだけど、論理を尽くしていくと、
案外、輪廻を認めない立場も論理的にかなり怪しくてね〜。
809ノスタルジア:2013/09/29(日) 22:30:25.47 ID:E2La/qZT
>>807 キミは過激派か?w まあ、そこがキミの行くことのできる
幻想の限界だもんな〜w でも、僕の家族の親戚になるなら、その内、
分かることがあるんだけどな。もちろん、それは、俗人の限界点な
だけなんだけど・・・。キミは家族を殺す殺賊(阿羅漢)には
なるまいが・・・三毒を見た方がいい。
810神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:32:52.30 ID:/RCrFPBE
だから、輪廻の問題は、実証不可能な業というものを仮定していることから生まれているのだから
論理の問題じゃないと何度言えば分かるんだろうな
論理的に筋が通っているが、確かめようがない。だから、分からないということなんだよ
そこをあえて置くと、信じる信じないという話になるわけ。
仏教の伝統的な主張だから尊重しようというのがたいていの仏教徒。
有機的に結びついた教えというものに、アミバよろしくこうやればもっといい教えになるぅってのは危険だろって思うからな
業論は倫理と密接に関わっているもので、人間の社会性にも関わってくる問題。
人をなぜ殺してはいけないに答えることはできないように
輪廻もなぜ否定してはいけないも仏教徒の多くは答えられないだろ
それをバカにするのは人間の限界というものを知らない、科学万能主義者か設計主義者、人間中心主義者あたりだろ
でも、実際のところ科学者は自分たちが垣間見れるのはほんの少しの部分だってことは知ってるよ
不肖の弟子ども、虎の威を借りるだけの文系あたりが愚かなんだよなぁ
811神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:35:24.98 ID:S4ks71Jn
wikiより
>俗に、「妬む、怒る、愚痴る」を「仏教の三毒」として紹介することがあるが、そのような用例は仏典にはなく、誤りである。
812神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:38:47.65 ID:/RCrFPBE
>>811
どういうこと?とんじんちの三毒はWikiにもあるみたいだが
813神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:39:14.52 ID:S4ks71Jn
>>810
あなたは、本心科学万能主義者で建前輪廻あるに違いないを信じましょう〜って人ですねw
その両方がアウトだと自覚したほうが良いと思いますよ。
814神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:40:12.23 ID:/RCrFPBE
>>813
意味がわからないわけだが
どこに科学万能主義だと書いてる?
815神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:45:05.33 ID:S4ks71Jn
>>814
いや、あなたが>>628と同じ人の様に見えただけで違っていたら御免なさい。
816ノスタルジア:2013/09/29(日) 22:48:50.76 ID:E2La/qZT
>>811

wikiを見て学習するのは良いことだけど、三毒の解釈を、僕は仏教である
なんて言っていないぞw キミは、まず三毒を見た方がいいと
言っているだけだよ・・・ あとwikiはキミの脳じゃないんだぞ?w
817神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:49:56.66 ID:/RCrFPBE
宮台真司じゃないが、ネタがベタになるって現象なんだよな
自分たちを鼓舞するために科学者は何か発見するために、ほら俺たちすげーだろって
まわりに可能性を吹聴するわけだが
それに憧れて入ってきた弟子たちやそのおこぼれに与ろうとするやつらってのは
たいていが憧れてるもんをただただ拝むだけだからアホなことになるんだよなあ
仏教も実際にやってみろってのってへんなところに行くんじゃねえと思うが
まあ、行くところまで行けば分かるもんなんだがなあ
818神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:52:49.15 ID:S4ks71Jn
>>816
だからあなたはまず大麻をやめなさい。
見る人が見れば分かりますよ。
あなたが何故そのような文章を書くのか。
819サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/29(日) 22:56:45.21 ID:PkeBX3hV
>>810
>だから、輪廻の問題は、実証不可能な業というものを仮定していることから生まれているのだから
>論理の問題じゃないと何度言えば分かるんだろうな

同意
仏教はブッダの体験によって成立してるので それを無しには議論は成立しないと思います
だからどうしても 信 が関わってくるかと
820神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 22:58:48.25 ID:S4ks71Jn
信じるものは救われる、信じないものは救われない〜
だったら、私は救われなくても良いですw
821三毒の制御は八正道の根本:2013/09/29(日) 23:01:04.24 ID:P15+vXgj
>>811
>俗に、「妬む、怒る、愚痴る」を「仏教の三毒」として紹介することがあるが、そのような用例は仏典にはなく、誤りである。

これは、完全なウソ。

「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである」(相応部38-1)

仏法は本当は<苦の滅尽>の教えではなく、三毒の制御の教えである。

キッチリ、パーリ原典を精読してでて来い!
いくら2ちゃんねるでも、ウソは戒律に反する。
822ノスタルジア:2013/09/29(日) 23:02:27.95 ID:E2La/qZT
>>818 なんで、僕がああ言ったら、今度はこう言うのだろう?
キミが、なぜ僕が三毒を見なさいと言っているのが分からないのか?
キミはそれを三毒であると思ってないようだが、毒を以て毒を制している
だけなんだよ、キミのその文章は・・・ 何を言っても、何をしても、
キミがいるから、芽が潰れている猿たちがどれだけいると思う?
823神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:10:42.97 ID:rOzQMK/T
>>813
>その両方がアウトだと自覚したほうが良いと思いますよ

ほらw 本音はそこだろ?w

「私はこう思う」と言ってるだけです、
色々な解釈があるでしょう、他者のそれは尊重します、私はそうは考えないだけです、
とか殊勝なフリしてw
結局は、「お前等馬鹿じゃんw」(現代的考え方のできない、古代人の狭い了見のままの人種)と言ってるに同じい。

だから、下衆な野郎だと最初に言った。
で、ワシのその人物評は見事に的中してたわけだw

んと、在家並に虫唾の走る野郎だよ、お前は・・・。
824文系:2013/09/29(日) 23:14:23.78 ID:G7i2m3Uw
>虎の威を借りるだけの文系あたりが愚かなんだよなぁ

理系は数学で神の存在を証明して欲しいよ
825神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:15:34.92 ID:S4ks71Jn
>>821
では、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%92
のwikiの三毒の誤解の項をあなたがあなたの持論で修正されるのがよろしいかと。
私はwikiの出典を断ってペーストした。その私が正しいと思っているモノを嘘だと言うのなら
あなたにはwikiを修正する義務がある。別にしなくても良いけど、所詮自らの説の押し売りとしか
言われないでしょう。

>>822
毒でもって毒を制する〜というのも良いのではありませんか?
所詮、制されるのは「毒」なんでしょ?
826神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:18:02.87 ID:rOzQMK/T
>>810
アミバの譬えは良いなw (耳も痛いけどw)
一代の「阿諛」より、ずっとダイレクトに感覚的に理解できるなw
827神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:21:40.73 ID:S4ks71Jn
>>823
ああ、こちらの方が、>>810の方と誤解した本家の人ですねw
まあ、結局、同じ事ですけどね。
>あなたは、本心科学万能主義者で建前輪廻あるに違いないを信じましょう〜って人ですねw
>その両方がアウトだと自覚したほうが良いと思いますよ。

ちなみに「お前等馬鹿じゃんw」なんて一言も言ってませんし、「そのような考えは止めれ」と言っているだけ。
それをあなたが、馬鹿にされたと感じたのなら謝罪します。御免なさい。
828三毒の制御は八正道の根本:2013/09/29(日) 23:23:04.26 ID:P15+vXgj
>>825
 <南伝 相応部経典 38ー1>

『かようにわたしは聞いた。

ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。その時、ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サーリプッタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にして慇
懇なる談話を交えて、やがて傍らに坐した。

「友サ−リプッタよ、涅槃、涅槃といわれるが、いったい、涅槃とはなんであろうか」
★「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである」 
「では、友よ、その涅槃を実現するに道があるであろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、その涅槃を実現するには道がある。そこにいたる方法がある」

「では、友よ、その涅槃を実現する道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、聖なる八支の道こそは、その涅槃を実現する道である。
 それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
 これが、その涅槃を実現する道であり、そこにいたる方法なのである」
「友よ、この涅槃を実現する道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。「友サ−リプッタよ、それはまた勤め励むに足る」
               ( 増谷文雄「阿含経典(筑摩書房)第3巻87頁より抜粋)
829神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:25:12.06 ID:rOzQMK/T
>>827
>「そのような考えは止めれ」と言っているだけ

余計に性質が悪いわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



( ゚听)、
830神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:26:38.74 ID:S4ks71Jn
>>828
で、あなたは私のリンクのwikiを見たのですか?
wikiと断って書いた私が嘘つきで、あなたの説の方が正しいのですか?

回答してください。
831神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:27:10.13 ID:rOzQMK/T
「妬み」と「貪り、貪欲、(欲求・欲望)」がイコールかどうかを、まず考えるべきでは? >>Wiki関連ネタ
832ノスタルジア:2013/09/29(日) 23:29:54.81 ID:E2La/qZT
>>825 これ以上言ったら、だめだよ。そっちじゃないよ。
http://www.youtube.com/watch?v=P7akpging7o ←家族になろうよ ・・・。
833神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:30:13.22 ID:S4ks71Jn
性質なんて悪くて結構w
そんなどこに行っても歓迎されるお人好しに価値なし。
834三毒の制御は八正道の根本:2013/09/29(日) 23:32:27.60 ID:P15+vXgj
>>830

できの悪い大学生じゃあるまいし、
日本語訳でも言いから、確認検証することは【如意作意】(中部15)の根本であり、
八正道と姿勢として当然だ。
カーラーマ経の精神であり、仏教リテラシーの根本だ。

だから、ここのアホ連中のように八正道一切門さえ透過できない連中ばかりとなる。
835神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:34:56.87 ID:AvzcxmeM
>>682
だんだん分かってきたよ。
つまりあなたは、こう言いたいわけだ。
「生きてるうちは、Aさん → Aさん と続く、絶対の根拠(DNAなど)がある。  それだから、
Aさんが間違いなく、Aさんだということが分かる。
しかし、その根拠も、死とともに崩壊するから、常住ではない。」 と。
そして・・・、
「過去世Aさん → 今世Aさん ならば、そこにも絶対の根拠があるはずだ、
しかし、それは、肉体の消滅に影響されない世界にあるのだから、 今世の根拠のように、肉体とともに滅びるということはない。
だから永遠に残り続ける・・・・ だから常住だ。」 と。

それでこの文章に違和感を感じるんです。
>、「世俗視座により」 そのように見える「Aさんを決定づけるもの」 も、 無常であり、死ねば消失する、
>ほんの僅かな間だけ現出している 非常住なものに過ぎないわけw

多分あなたは、生きてる間の「根拠」を、 絶対化し、一時的な常住状態においてるんですよ。
なぜならその根拠は、変化しないものを前提としているから。
この世の根拠は無常というときには、根拠も空で、無いも同然です。
変化していて、一定の根拠というものはないからです。
ですがあなたは、 「生きてる間は絶対に変化しない根拠がある・・・」 といっているのです。
そして、死ねばなくなるから、無常だと。
生きてる間は常住(変化しない)で、死ねば無常というものは、ないです。

あなたはですから、
>「Aさんを決定づけるもの(自性)」も、死ねば消失する
>ほんの僅かな間だけ『現出』している  = ほんの僅かな間だけ『常住』である
と言ってるのと、同じなんですよ。
非常に矛盾したことを言っているのです。
836神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:35:08.03 ID:S4ks71Jn
>>834
で、あなたのwikiの確認検証はいかがでしたか?
837三毒の制御は八正道の根本:2013/09/29(日) 23:35:32.36 ID:P15+vXgj
× 【如意作意】
〇 【如理作意】 
838神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:38:12.72 ID:XKMwxDi2
>>834
八正道も無意味だね。釈迦は「正しい」を八回も繰り返しながら、「正しさ
とは何か」を定義できない。自分でも意味の判らない言葉に、自己陶酔して
いるだけ。
839神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:40:29.69 ID:XKMwxDi2
八正道こそ、中論のいう「戯論」の典型。
840神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:40:35.64 ID:G7i2m3Uw
先生
三毒の制御は八正道の根本さん
はちょっと傲慢すぎると思います
相手のレベルに合わせて説法した方がいいと思います
841三毒の制御は八正道の根本:2013/09/29(日) 23:42:31.59 ID:P15+vXgj
>>836
アホ?
ここまで、原典を出しているんだから、
自力で如理作意するのが当然だろう。
842神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:45:54.24 ID:S4ks71Jn
「三毒の制御は八正道の根本」さんの三毒の見解とwikiの見解は異なる様ですね。
まあ、見解なんて異なるのは当然で、
>キッチリ、パーリ原典を精読してでて来い!
>いくら2ちゃんねるでも、ウソは戒律に反する。
のような意思表示とか、
>んと、在家並に虫唾の走る野郎だよ、お前は・・・。
のような意思表示はいかがなものでしょうねえ。
少なくとも私はこんな汚い言葉を言ったりしませんよ。

八正道:正語(しょうご、samyag-vaac, sammaa-vaacaa)とは、妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、
両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。
843三毒の制御は八正道の根本:2013/09/29(日) 23:46:06.52 ID:P15+vXgj
>>839
>八正道こそ、中論のいう「戯論」の典型。

『縁起を見るものは、すなわち、苦・集・滅(制)・道を見る』(中論24-40)
844神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:46:16.03 ID:AvzcxmeM
>>682
>身体の空間的連続性 と A記憶の
>連鎖  により「確固としたAさんがいると認識するが」 仏教的に言えば
>それは無明による誤謬なわけw

無明による誤謬なんですよね・・・?
だったら、「確固とした根拠」は、「空・無常」ですよね・・・?
>「そこに同一性があるように 見えるがそれは錯覚」、 と、あなたも言っています。
これは、「同一性があるように見えるが、それは無常で、空だ」 ということですよね?
で、ここで問題なのは、その「同一性が空」ということならば、その根拠もまた、「無常で空」だ、・・・ということです。
あなたは必死になってDNAだとか、記憶だとか、変わらない何かを根拠にしようとしてますが、
死んだら変わるんじゃないです。  死んだら無常になるんじゃないです。
生きてるうちもその根拠・記憶も無常で、変化していて、一定の記憶や根拠というものがあるわけじゃない。
そういうのは無明による誤謬だというのです。
一方で無明による誤謬だといいながら、一方で絶対なる根拠を出してくる・・・ そして、もう一方で、死による消失による無常を説くわけです。
これだから、いつまでたっても話がかみ合わないのです。
845神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:48:58.25 ID:S4ks71Jn
>>841
>>836
アホ?

これが駄目w
八正道:正語(しょうご、samyag-vaac, sammaa-vaacaa)とは、妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、
両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。
846三毒の制御は八正道の根本:2013/09/29(日) 23:51:45.66 ID:P15+vXgj
>>838
>「正しさとは何か」を定義できない。

『教法は世尊によりて善く説かれた。
すなわち、この教法は、@現に証せられるもの、    *明証性  Sn.1066、1053参照
           A時を隔てずして果報あるもの、*果報認証性  同上
           B来り見よというべきもの、  *客観的再現性 同上
           ★Cよく涅槃に導くもの、    *合目的性   Sn.737   
           D知者がそれぞれに自ら知るべきものである。』*自力性 Sn.908
                 <相応部 35-70『ウパヴァーナ(優波婆那)』>

   上記の教えを満たしていなければ、検証性のあるブッダの二相の相即実践的な教えとは認めがたい。』
847神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:56:37.97 ID:rOzQMK/T
>>835
いや、彼の指摘は筋が通っているよ。
間断なく転じる諸法縁起の中、時制(→現世A‐来世B、前世A-来世B)に意味は無い。
それは、3日のA-4日のBに意味が無いのと同じ。
だが、それは同時に、 3日→4日の間に同一性を担保する要素がある如く、(それなければ社会は崩壊するw)
現世A‐来世B、前世A-来世Bも繋がれねばならんだろ?
そこ(―3日と4日の間も前世現世の間も―)にはいかなる差異もないのだから。
同じように、凡夫にとっての同一性が担保されていて然るべきだろ?ってこと。
少なくとも私は、そこに潜む問題は、常住か否か?という表現及び内容のものでは無いと思うよ。
848神も仏も名無しさん:2013/09/29(日) 23:59:25.10 ID:rOzQMK/T
>>833


キ教の葬儀に参列すれば聖句を唱え、浄土門に参列すれば名号を唱え、
ムスリムの儀式に参列すれば、(教えて貰ってw)コーランの一節を共に唱和するさ。
貴方や信長のような態度はとらない、ただそれだけです。
849神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:01:25.26 ID:ts1ZQHjf
>>843
釈迦と中論とでは、「縁起」の意味が全く異なるのだから、初めから
話にならんw。「中論は、釈迦の縁起に新たな意味を与え、それを換骨奪胎
したもの」。「一方向的因果関係」と「相互依存性・関係性」とでは、意味・
内容は180度異なる。前者は、忌むべき業報論を導くためだけのもの。
850神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:05:47.00 ID:nPQ0Tf7e
>>687
>我は「自分」という事を意識で判断しているのでしょう。

その意識こそ、業 ということじゃないですか?
自分でやっているように見えるけど、すべては業に動かされてる。
あなたが左手を上げたり、右手を上げたりするのも、自分の意思でやってように見えるけど、
その意思さえ、すべて業かもしれない・・・。
そうなると、自分と呼べるものが無くなる。
自分がやっているという思いも、行為も、すべては業のなせる業・・・  ってことになります。

>我が無くなるのにその我の何かしらの性質が生まれ変わりで次の生に引き継がれる〜
>というのでは無我にはなり得ないでしょう。

無我ってのは、輪廻から抜け出す・・・ 解脱することで得られる・・・ ってことでしょ。
その、我を引継ぎ引継ぎ〜の、輪の中から、解脱する・・・  ってことでしょ。
だから何世にも渡って修行が必要になってくる。
今世だけの問題じゃないと思います。
851三毒の制御は八正道の根本:2013/09/30(月) 00:15:17.93 ID:HfS5BFTw
>>849
>釈迦と中論とでは、「縁起」の意味が全く異なるのだから

完全論破済み
→『龍樹の功績はブッダの<追体験と再創造>というダイナミックな仕事であって、
  なんらの『換骨奪胎』ではない。』⇒>>122>>585

なんらの反論さえ行わずに、ほとぼりが冷めればまたまた同じ繰言を繰り返す。

東京都立松沢病院精神科を受診することを勧める。
852神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:15:25.21 ID:XrPdcN3o
>>850
分からない世界について、あーだこーだ言っても仮説の範疇を出ません。
最終的には信仰の問題です。信じるか信じないか?
信じたい人は信じれば良い。しかしその信じているものは仏陀の無我と論理矛盾する。
論理矛盾しないように頭をひねって色々な説を立てても構いませんが、この矛盾は解けません。
なぜなら、輪廻が我を大前提とした概念だからです。輪廻するのは何でも構いませんがつまるところ我です。
この我を想定した輪廻転生論は無我と矛盾するのは構造的なもので解決不可能です。
853神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:19:28.79 ID:yFt3uIc3
>>852
>信じたい人は信じれば良い。  ←→ >>827>「そのような考えは止めれ」




>しかしその信じているものは仏陀の無我と論理矛盾する
しませんwww

貴方の独断オリジナル仏教ではそうなのでしょうけどねw
854神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:24:57.93 ID:ZHnMEvyd
>>799
>水源禅師でも構わない、水源禅師が「オマエはナメクジが前世で来世はアサリ貝」なんて
信じるのか?

横レスで恐縮ですが、霊動現象で「この者は前世は○○村の○○△△という名の武士だった。」と前世が語られる場合があります。
たいていは、ふーん、そうですかで終わりますが、実際に調べてお墓が見つかった事例がいくつかあります。

もし水源禅師が「お前は200年ほど前の先祖の○○の生まれ変わりだな」言った場合には系図がある家ならば調べれば確認できます。
自分がまったく知らなかった先祖と彼の行為(系図に記載がある場合)を読んで自身のカルマを知るということです。

系図記載の事例:宇治平等院で祖父とともに戦死、上の身分の人を切ってお家断絶、無事士官をしお家再興
855神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:25:18.93 ID:XrPdcN3o
>>853
そのような考えは止めれを前提に信じたい人は信じれば良い〜と言っているつもりですが、分からない人には分からないw

我を前提とせず輪廻転生を肯定する〜というのが理解できません。
何ですか?そのウルトラスーパー輪廻転生は?
インド人にも分かるように解説願います。
といっても、所詮無理やり無我にこじつけるような「仮説」に過ぎない訳ですから意味なしですね。
856神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:26:06.00 ID:Pg8HAOxw
スレすすみすぎ
857神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:28:51.17 ID:yFt3uIc3
>>855


仮説はお前だw
858ホルスタイン:2013/09/30(月) 00:31:11.52 ID:Wdv1E/I+
業とは身・口・意にわたる種々の所作のこと。
未来にもたらされる果の原因となるので業因とも云う。過去世の業を宿業といい、
現世の業を現業という。

この業とは、第六識(意識)と相応して起こる心所をさしている。
すなわち、身を動作する思いを身業、語を動起する思いを語業、
意を作動する思いを意業としている。
859神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:31:46.34 ID:XrPdcN3o
>>857
輪廻転生と無我が矛盾なしと言うのは、輪廻転生する、しかし輪廻転生しない〜と言っているに等しいw
もはや、何が言いたいのか?という世界ですw
860神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:33:37.70 ID:nPQ0Tf7e
>>847
まず、3日のA → 4日のA に、意味が無いです。    勝義諦で言えば。
勝義諦、世俗諦の用法が難しいんですが、
世俗的に考えると、 3日のA → 4日のA には、時間的な連続性があって、根拠がありますが、
それをそのまま、前世A → 来世A に求めると、実際の証明(世俗的な証明)ということになって、
仏教の話から逸脱します。
たぶん、「輪廻の主体は常住なものとなるから、輪廻の主体は存在しない」 といっている人たちは、
世俗的な証明を求めてると思うんですよ。
で、仏教は、世俗的なものと相反する、です。
仏教の枠組みを外れて、世俗の論理で考えると、それはもう仏教じゃありません。
あくまで仏教の枠組みの中で、仏教の論理で話し合うべきだと思います。
で、パピーマンさんは、前世A → 今世B をつなげる根拠、「業」 も、常住としいるのではないですか・・・?
パピーマンさんに聞いてみたいのは、 3日のA → 4日のA をつなげる根拠が、
一切変化しないかどうかです。
確たる根拠・・・ 一切の変化しない根拠が、あるかどうかです。 
これは死後、滅しても構いません。
生きてる間だけでも、このような 「変化しない一定の根拠」 があるかどうかです。
で、もし、あるとするなら、 それは無常を否定していることになります。
たとえ死後滅したとしてもです。
で、もし、無いとするならば、世俗的な設定はもはや否定されたわけですから、
世俗的な証明を求めることは出来ません。
いわく、前世A → 今世A(仮に。) に、一定の根拠を求めることが出来なくなります。
861神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:36:07.92 ID:yFt3uIc3
>>857

>我を前提とせず輪廻転生を肯定する〜というのが

だから、従前のインド思想、インド輪廻と一線を画しているわけ。
だからこそ、ブッダの教えが、異質且つ強烈だったわけ。
舎利弗目連の出家譚がどこまで史実かを疑い出せばキリないがw、
そこに何を見るかは、それこそ貴方が言うようにそれぞれでしょうよ。

>>859
過去スレ読んで、まだそんな幼稚なレベルにいるとしたら、
あまりにも幼い思考と言わざるを得ない。
862神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:39:45.24 ID:yFt3uIc3
>>860
う〜ん・・・w

>といっている人たちは、世俗的な証明を求めて
勿論、世俗的な説明なんだけど、
それが、「3日のA → 4日のA」だけにあって、「前世A → 来世A」に無いというのは片手落ちでしょ、ってこと。
どちらも同じ諸縁の転変なのだから。スパンが違うだけなのだから。
極端に言ってしまえば、三日後と一ヵ月後のようなものなのです。
863神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:43:07.44 ID:XrPdcN3o
>>861
本音は科学一辺倒で知る価値もなく存在しない〜でありながら、建前でスーパーウルトラ輪廻転生を売り出しているわけですか?w
そんな商売止めたらいかがですか?
本音と建前が違うのが大人の態度〜って阿呆らしくないですか?
過去スレ読んで確信しました。私は例の奴の3の立場でいたいですが、本心はアナタと同じ1ですw
864神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:46:36.81 ID:nPQ0Tf7e
>>852
「死んだら我が無くなる」  という前提で話をしているから、「死んでも我があれば、無我と相反する」
ということになるのです。
一般常識で言えば、世俗的に言えば、死んだら我は無くなります。
しかし、経典では、宿命通を見れば分かるとおり、死んでも我はなくなりません。
仏教的に言うと、我はなくならないことになってる。
しかし、世俗的に言うと、我は無くなる。
それで、仏教的に言うと、その無くならない我は輪廻して、そして、解脱により輪廻の輪から外れることによって、
無我となる。
だから、仏教的な無我とは別に矛盾してないです。
ただ、無我という仏教的な教えに、世俗の 「死んだら我は無くなる」 という考え方を取り入れると、
矛盾が起こります。
ようはゴッチャにしているってことですよ。
もちろん、一般的、世俗的に、輪廻はある・・・ という風に、ここで議論してるわけじゃないです。
仏教的にみて、そういうことじゃないか・・・ というのです。
で、あなたが、世俗的に輪廻というものを見るんであれば、それはそれでいいと思います。
世俗的にものを見ている人に、仏教的な価値観、論理を押し付けてはならないからです。
反対に、仏教的な論理で話をしているときに、世俗的な価値観を持ち出しても、話がうまく噛み合いません。
865神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:48:28.90 ID:ZHnMEvyd
>>835
>「生きてるうちは、Aさん → Aさん と続く、絶対の根拠(DNAなど)がある。それだから、
> Aさんが間違いなく、Aさんだということが分かる。
>しかし、その根拠も、死とともに崩壊するから、常住ではない。」 と。

遺伝子のネタ振りなので、横レスをば少し。。

3年前のAさんと現在のAさんとは細胞が入れ替わっており、分子レベルで見れば別人ですね。
DNAレベルで見ればコピーの劣化は少しあるでしょうが、ほぼ同じ人です。

さて「DNA」とは物質ですか? 非物質ですか?
「DNA」を物質だと見れば、たんぱく質は3年前と分子レベルで見れば別物ですね。
「DNA」を非物質だと見れば、個人情報(質量は零)は3年前とほぼ同じ物ですね。

要するに情報(質量は零)のみがロープ(リンク)ということです。

以上の話は3年という短い期間での話ですが、輪廻にも拡張してモデル化できます。
前世のAさんと現世のAさんとは細胞が入れ替わっており、分子レベルで見れば別人ですね。
でもカルマや経験という個人情報(質量は零)は前世とほぼ同じですね。
勿論、情報には乗り物が必要ですが、世親菩薩は「阿頼耶識」という法を説かれております。
866神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:52:12.88 ID:XrPdcN3o
>>864
>宿命通を見れば→宿命通があると仮定すれば、と言うべきでしょう。
>仏教的に言うと、その無くならない我は→仏教で我がなくならないなんて言ってません。
>仏教的にみて、そういうことじゃないか・・・ というのです。→仏教的に見ても違うと思うから書いているのですが?

輪廻非肯定=世俗、輪廻肯定=仏教ではありませんよ。
867神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:54:13.37 ID:yFt3uIc3
>>863
>3の立場でいたいですが、本心はアナタと同じ1です

最初からそう宣言してればいいものを、(一在家みたいに慇懃無礼に)
「いや、他の人の考えは尊重しますよ」「(王道がどうであるかは知りませんが)私はこう考え、主張します」
なんて言うから、裏の本音が馨って来てイヤラシくなるのさw
そういう猫かぶった態度をとると攻撃(≒批判、指摘)しづらくなるのは当然だろ。


>本音と建前が違うのが大人の態度〜って阿呆らしくないですか

そうじゃない。
例えば、世の中に五万と学校があるが、それらの建学の精神に賛同もあれば異論もあろう。
だが、だからと言って、学校の教育方針を変えろ!という権利や資格は、経営陣(及び在校生)にしかない。
外部の人間がそれを言うのは筋違いだ。
それは宗教でも同じこと。 貴方は「外の人間」「仏教徒ではない」「実人生に、自分に必要な形で活かす」
と言った。 外部の人間に、>「そのような考えは止めれ」 >その ○○は仏陀の 教えと 矛盾する
などという資格も権利もねーと、俺は思うよ。
868ホルスタイン:2013/09/30(月) 00:56:01.67 ID:Wdv1E/I+
小乗経の業「倶舎論」より

「造作を業と名づく」とあり、更に身体の造作を身業。音声の造作語業としている。
即ち、視聴覚的な身および語を直接さしてこれを業としている。
869神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 00:58:11.82 ID:ZHnMEvyd
>>855
>我を前提とせず輪廻転生を肯定する〜というのが理解できません。

我を前提として輪廻転生を肯定する〜というのが正しいです。

「無我」は元々「非我」であり、「現象界の心も体もアートマンでない。アナッタン」ということだったそうです。

初期経典を読むと、釈尊が「自己」を語る説法が多いからです。
「法は自ら見るべきもの、自ら観じるべきもの」、「怠ることなく勤めなさい(誰?)」
「自燈明、法燈明、自己(アートマン)を拠り所とせよ」
870神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:03:53.81 ID:XrPdcN3o
>>867
私は以前は完璧に3の人でしたよw 過去スレ読んで1を確信しただけです。あまりにも2が酷いのでねw
でも、1ではいけないと3の姿勢を志しているわけですよ。実際、あってもなくても良いと思っていますから。

で、後半の部分ですが、それはあなたが仏教を宗教だと思っているからそうなるんです。
私は仏教を宗教だとは思っていないから好き勝手言っているのです。
仏教は世界○○大宗教〜なんて言われ方をしますが、根本的に宗教ではありません。
仏陀の教えは宗教より上の位置づけにあるものです。
人間の生き方の指針を示すものです。
だから、キリスト教徒やイスラム教徒が読んでも価値のあるものです。
これらの既成宗教と横並びに仏教を捉える姿勢が根本から間違っています。/というとまたうるさく言われそうだww
871神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:05:57.77 ID:9PZ9OM4P
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf

第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察

40.
依存的に生じること(縁起)を理解する者は
誰であれ苦しみ(苦諦)をも理解し
そして、それが生じるということ(集諦)を理解し
そしてその方法(道諦)とともに
それが消滅するということ(滅諦)を理解するのである
872神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:07:18.89 ID:nPQ0Tf7e
>>862
>どちらも同じ諸縁の転変なのだから

確かに、どちらも諸縁の転変ということでいいと思います。
これは仏教的な論理ですよね。
だけど・・・

>「3日のA → 4日のA」だけにあって、「前世A → 来世A」に無いというのは

この、『「3日のA → 4日のA」だけにあって 』 というところは、世俗的に考えて・・・ ってことですよね。
勝義諦や世俗諦じゃなくて、世俗的に・・、一般的に見ているわけです。
一般的な見方を、仏教的なものにすると、仏教を破壊してしまうような気がします。
一番簡単なところでは、 「空空というけれど、実際に物があるだろう、  実際に苦しいだろう」 というのが、
世俗的な見かたですよね。
で、そういう証明の仕方でいくと、ものの在る無しの証明になって、収集がつかなくなります。
確かに論理的には、世俗的にこういうものがあるから、前世来世のつながりにも、こういうものがあるはずだ・・・ って言いたくなるのは分かりますが、
そうだとすると、世俗的な見かたと仏教的な見かたがミックスされることになって、
矛盾してしまいます。
論理的に考えることはいいと思います。
諸縁の転変から考えると、3日A →4日A において、「変わらぬ根拠」 というのはありません。
大きい視野で見ると、そもそも自分というものが無いのですから、
その継続において、根拠を求めるほうがおかしい・・ ということになります。
で、全く無くなるかっていうと、そうじゃなくて、諸縁の転変・・ということで、
不一不異 ということになります。
仏教的な論理と、世俗的、一般常識的な論理を、分けないといけないと思いますね。
873神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:08:45.76 ID:ZHnMEvyd
>>865
>さて「DNA」とは物質ですか? 非物質ですか?
> 「DNA」を物質だと見れば、たんぱく質は3年前と分子レベルで見れば別物ですね。
> 「DNA」を非物質だと見れば、個人情報(質量は零)は3年前とほぼ同じ物ですね。

(参考)スッタニパータ754
物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、
再びこの世の生存に戻ってくる。

今晩も電波に乗って世界中を情報(智情意)が飛び交っておりますが、これらの情報を全て加算しても
質量は零で非物質的領域ということでしょう。
874神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:10:20.97 ID:yFt3uIc3
>>870
奈良康明という人の著作を幾つか読んでみるといい。(最近は駒大の学長も務めてたようだがw)

「人間釈尊(個人としての釈尊)」「初期の行としての仏教」「後期の宗教としての仏教」、
全てをきちんと見据えている人だから。(専攻も「インド仏教文化」だしね。)
875パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/30(月) 01:17:16.84 ID:EsXrDc+X
>>860 wwwwwwwwwwwwwww  もう、ホント、マジでお前に説明するの嫌になってきてるんだけどw
理解力なさすぎww  同じことを何度、説明しても、勝手に妄想してわけのわからんこというしw

>パピーマンさんに聞いてみたいのは、 3日のA → 4日のA をつなげる根拠が、
> 一切変化しないかどうかです。

これも何度もいったでしょ?ww
三日のAさん⇒四日のAさん・・・・  そこに同一性を見るのは、
@身体の空間的連続性・・・・全身整形したら、もう別人とかじゃないんだよ?
 わかってる?  身体は、その構成要素の一部分は、変化し続けてるが、身体が
一度、原子レベルまで分解されて、そのあと全く同じに再構成される・・・
こんなことが起こらない限り、身体の連続性は担保されてるのw
分った?

A記憶の連鎖・・・はい、これも同じねw  記憶、意識・・これらも変化し続けているけど
 「Aさんの記憶」であることは変わってないでしょ?  途中でBさんの記憶になったりしない
限り、連鎖は担保されてるのw

この@とAで、我々は、三日のAさんと四日のAさんを「同一人物」と認識するのw

「根拠が一切変化しない」??・・・・
@Aが成立している=身体の空間的連続性及び記憶の連鎖の変化なし⇒同じAさんである
@Aが不成立=身体の空間的連続性または記憶の連鎖に変化アリ(身体の消滅、別人Bさんの
記憶にチェンジ等)⇒同一人物ではない

なんぞ問題でも?wwwww
876神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:19:24.76 ID:nPQ0Tf7e
>>865
DNAを常住とすることは出来ない・・・ってことですね。
「根拠」 「一定の変わらないもの」 を設定しようとしても、世の中は無常なわけですから、
かならず否定することが出来ますね。
顔ならば整形で、記憶ならば、喪失で・・・ という風に。
いくら常住的な根拠を設定しようとしても、不可能です。
DNAはやっかいだな〜、と思っていたんですがw、  科学的に見てもやっぱりそうなんですね。
絶対なる一定の根拠というのは、たとえ肉体の死とともに滅するとしても、わずかな間でも、
絶対にないと思います。
877神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:22:47.96 ID:yFt3uIc3
>>872
だからw

>仏教的な論理と、世俗的、一般常識的な論理を、分けないといけないと

そもそも、
≪>「3日のA → 4日のA」≫が、世俗論理であり、
≪>「前世A → 来世A」≫が、仏教的論理、
という分類が誤りだと私は思いますよ。
どちらにも、世俗論理と仏教論理がある。
だからこそ、「仏の視座から見れば・・・」という言い方が「一切」に通用する。
一方だけを仏の視座で見て、一方だけを世俗の視座で見る、という区分は、
(そういう手段・アプローチが必要な場面というのはあるでしょうが)
おかしい、ということです。
だから、 >スパンが違うだけ >三日後と一ヵ月後のようなもの
と言ったのです。
878ホルスタイン:2013/09/30(月) 01:23:55.14 ID:Wdv1E/I+
奈良さんは曹洞宗の僧籍も持っている人だね。

「無我」は誤訳ではないのか「非我」が正解ではないのか?と、
無我説に疑義を唱えていたがその後どうなったのかな?
879神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:27:52.44 ID:nPQ0Tf7e
>>865
>個人情報(質量は零)は3年前とほぼ同じ物ですね。

ああ、なるほど
物質的には入れ替わるが、DNAの配列は同じ・・・ ということですね。
で、その配列を作ってる何かは、もはや物質的なものではない・・・ ということですね。
情報というか、そういう、形態じゃないもの。
どんなことでも、科学的にも突き詰めれば、結果、無常・・・ってことになると思いますね。
880神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:33:00.46 ID:ZHnMEvyd
>>861
>だから、従前のインド思想、インド輪廻と一線を画しているわけ。
>だからこそ、ブッダの教えが、異質且つ強烈だったわけ。

当時のインド思想、輪廻が正しければ否定する方がおかしいことです。
尚、エジプトや欧州にも輪廻思想がございました。

ブッダの教えが、異質且つ強烈だったわけは、具体的に「輪廻から解脱する法」を説かれたことかと存じます。

また譬え話で恐縮ですが、二人の医者がおりました。
医者Aは「あー、この症状は○○という病気ですね。」と診断しただけ。
医者Bは「あー、この症状ならば、次のことを注意すれば治りますよ。」と示唆。
何れが名医でしょうか。

因みにブッダは前世でバラモンでその時は弟子達に「梵天界に転生する法」を説かれました。
(参考:長部経典十九経「典尊経」)
881神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:36:00.38 ID:XrPdcN3o
阿頼耶識という目に見えない紐が前世Aさんと今世Aさんを結んでいる。
しかし、その阿頼耶識を仮説した時点で無我と矛盾w

輪廻と無我は両立しない。
882神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:38:22.67 ID:yFt3uIc3
>>881
だからw
矛盾してない、つーのw

ほんとに過去スレ読んだのか?www
883神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:40:55.22 ID:XrPdcN3o
構造的矛盾は論理的に展開不可能。
884パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/30(月) 01:43:26.98 ID:EsXrDc+X
そろそろ、データオチの可能性w
俺はこのスレ作ったばっかだし、作成不能w
誰ぞ、よろしくw
885神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:45:30.82 ID:XrPdcN3o
1を貼って立てるだけなら私がやります。立てれればw
886神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:46:35.02 ID:ZHnMEvyd
>>878
>奈良さんは曹洞宗の僧籍も持っている人だね。
> 「無我」は誤訳ではないのか「非我」が正解ではないのか?と、
> 無我説に疑義を唱えていたがその後どうなったのかな?

真宗の三木悟住職も「無我」は誤訳ではないのか「非我」が正解ではないのか!と、
現代仏教塾(youtube)で幾度も繰り返されました。
外道や異教ではなく、仏教界内部からそのような声が上がっていることは大変素晴らしい
吉兆だと存じます。

吉兆と思う理由は、正法の世を末法の世へ変えた因が分かり、それを正せば末法の世を正法の世に還すこともでき、
衆生済度を展開されている貴い方々も微笑まれていることかと存じますので。
887神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:48:17.34 ID:nPQ0Tf7e
>>875
分かりました。
つまり、身体が連続して時間を横切っている・・・・ ってことですよね・・?
姿形の認識じゃなくて。
あなたは時々この話をする時に、姿形の認識のように扱うから、話がこんがらがるのです。
で、身体の連続性において、仏教的には、「3日のAさん → 4日のAさん」 は、同一とは言えないんじゃないですか?
・・・・ってことなんです。
>身体の連続性は担保されてるの  ← これは世俗的な見かたですよね。
一時的にせよ、身体の連続性が担保されているわけですから・・・。
仏教の無常と、矛盾するのではないですか?
もちろん、世俗的な見かたとしては、正しいです。

記憶の連鎖も、それを同一性の担保とするなら、一時的な常住の設定です。
記憶や身体は刻々と変化します。
同じものは継続しません。
もしも、変化はするが、同一性は担保する・・・といわれるなら、それは論理矛盾です。
たとえ世俗的に同一に見えても、仏教的論理では、同一とは言えません。

>@Aが成立している=身体の空間的連続性及び記憶の連鎖の変化なし⇒同じAさんである

大いに問題がありますね。
つまり、身体は変化する・・・ 記憶は変化する・・・  しかし、同一性が担保される何者かがあって、
それは変化しないわけです。
変化しない何者かがあるわけです。
これは仏教的な論理ではありません。
・・・というか、変化しないということは、仏教的な論理というよりも、
世俗的にもありえない・・・ ということです。
世俗的に論理的に考えていっても、常住なるものは考えられない・・・
こういうのを世俗諦というんでしょ。
888神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 01:58:43.61 ID:nPQ0Tf7e
>>877
すみません、ちょっと訂正します。
「世俗的の論理」 ・・・という言い方は間違いのようです。
世俗的にも論理を追求していけば、道理は同じだからです。
仏教的な論理と、世俗的な論理と、真理を追求すれば、結果は同じ・・・ということですね。
世俗的に真理を明らかにすることが、「世俗諦」 というこですね。

それで、世俗的に・・・ というのは、普通の人から見て・・・ ということですね。
論理の追求ではなくて、一般的に見て、ということです。
世俗的に論理を考えて・・・・ ってことじゃないです。
で、世俗的に論理を考えてみても、「一切、同一性を保持できるものはない」 ということになると思います。
これは仏教的な論理だけではなく、一般的にも論理的にみて・・・ ということで。
つまり、世俗的に見てもそう見えるかもしれないけど、世俗的にも論理を尽くせば、3日A → 4日A の同一性は、
担保できないでしょ、 ・・・ってことが言えると思います。
889パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/30(月) 01:58:52.54 ID:EsXrDc+X
>>887 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

何言ってんだ?  俺が、>>875 で書いたことは「世俗視座」に決まっとろうが??ww
仏教的に言えば、「Aさんと言えるものなどない」だよww
さらに言ってしまえば、「言える、言えない・・・ある、ない」など、判断、認識自体が
もうダメww 論理的遡及自体が却下ww (これは、閻魔大王がよく言及する勝義視座だがww)
890神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:02:30.52 ID:XrPdcN3o
>>887
自己同一性〜という言葉は何かなじめません。>>687の通りです。
仮にそれが変化して、だから自分が分からなくなった〜なんて有り得ないでしょ?
瞬間瞬間変化しているのに何で自分を自分と認識するのか?というのはパーピマンさんの言っている通りです。

ちなみに、
>変化しない何者かがあるわけです。
>これは仏教的な論理ではありません。

仏典のどこに書いてありますか?私は見た覚えがありません。
891パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/30(月) 02:03:59.78 ID:EsXrDc+X
>つまり、世俗的に見てもそう見えるかもしれないけど、世俗的にも論理を尽くせば、3日A → 4日A の同一性は、
>担保できないでしょ、 ・・・ってことが言えると思います。

wwwwwwwwwww
つまりこういうことか?
三日にAさんが殺人事件を起こしても、論理をつくせば、四日のAさんと
同一性を担保できないわけだから、罪にとえないとww

そりゃ、大変だwww
892神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:07:04.84 ID:yFt3uIc3
>>891ネタは、非常に面白いし、また、重要なポイントでもあるので、
(アングリマーラとも絡められるし)、(スレ変わってもw)後日触れたいと思う。


ノシ
893神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:07:59.17 ID:nPQ0Tf7e
>>889
「世俗視座」 と、「仏教的論理」 は、違います。
「世俗的論理で真理を明らかにする」 ということと、 「仏教的論理で真理を明らかにする」 ということは、
同じです。
あなたは・・・・  「世俗視座」に立つんじゃなくて、  「世俗的論理」で真理を追求すべきだと思いますよ。
「世俗視座」とは、一般的な見方のことです。
「世の中の人はこう見えるじゃないか〜」 というのが、「世俗視座」です。
「世なのかの人はこう見えるけど、待てよ・・・  同一性を保持できるものって、ないんじゃないか?」 
というのが、「世俗的論理の追求」 です。
894神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:12:03.02 ID:yFt3uIc3
>>893
だからw

≪>「前世A → 来世A」≫においても、凡夫が納得する論理の提示がないと、
倫理道徳規範の番人として機能しないのでは?ということです。

ノシ
895神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:13:15.77 ID:nPQ0Tf7e
>>891
それはまさに、「世俗視座」 ですが・・・、また後で反論します。

今日はこの辺で。
896神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:15:57.97 ID:XrPdcN3o
世俗の人の視線でものを見て、世俗の人の論理でものを考える。視座と論理で言葉は違うけど同じですねw

輪廻転生と無我の両立があるとすれば、輪廻転生の概念を変えるか、無我の概念を変えるかしないと無理。
どっちを変えても構いませんが、結論は「そんなの分からない〜」という事です。
897神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:17:06.74 ID:9PZ9OM4P
 
大乗仏教の考え方の基礎は
この世界のすべての物事は縁起
つまり関係性の上でかろうじて現象しているものと考える
一人一人の人間は
それぞれの心の奥底の阿頼耶識の生み出した世界を認識している(人人唯識)
他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは
他人の阿頼耶識の中に自分と共通の種子(倶有の種子)が存在するからであると
唯識では考える

阿頼耶識と種子のはたらき

人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると
その影響は種子と呼ばれるものに記録され
阿頼耶識のなかにたくわえられると考えられる。これを薫習という
ちょうど香りが衣に染み付くように行為の影響が
阿頼耶識にたくわえられる(現行薫種子)
このため阿頼耶識を別名蔵識、一切種子識とも呼ぶ
阿頼耶識の「アラヤ」という音は「蔵」という意味のサンスクリット語である
さらに、それぞれの種子は、阿頼耶識の中で相互に作用して
新たな種子を生み出す可能性を持つ(種子生種子)
898神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:18:24.54 ID:XrPdcN3o
もう同じ仮説の繰り返しはいいよ。お腹一杯w
899神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:22:53.02 ID:ts1ZQHjf
「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示されえない」(中論24:10)。

「世俗的なこと」から一歩も踏み出さないよう、ご注意くださいw。踏み出したら、
第一義ではなくなります。
900神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:25:50.13 ID:9PZ9OM4P
 
>>897 の続き

また、種子は阿頼耶識を飛び出して、末那識・意識に作用することがある
さらに、前五識(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に作用すると
外界の現象から縁を受けることもある
この種子は前五識から意識・末那識を通過して
阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される
これが思考であり、外界認識であるとされる(種子生現行)
このサイクルを阿頼耶識縁起と言う
最終的には心にも実体はない

このような識の転変は無常であり
一瞬のうちに生滅を繰り返す(刹那滅)ものであり
その瞬間が終わると過去に消えてゆく

このように自己と自己を取り巻く世界を把握するから
すべての「物」と思われているものは「現象」でしかなく
「空」であり、実体のないものである

しかし同時に
種子も識そのものも現象であり
実体は持たないと説く

これは西洋思想でいう唯心論とは微妙に異なる
なぜなら心の存在もまた幻のごとき
夢のごとき存在(空)であり
究極的にはその実在性も否定されるからである(境識倶泯)
901神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:31:47.65 ID:XrPdcN3o
つまり、モノも心も情報も全て無〜というのが結論ですね。
そしてその無からモノやら心やら情報が生まれる。→空即是色
902神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:33:27.28 ID:ts1ZQHjf
>>897
>>900

一切検証されていない妄想を語るのはお止めください。貴重な2chのスペースの
無駄使い。
903サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/30(月) 02:36:16.94 ID:ihc2Y8Rj
>>900
唯識は中観派から批判されることが多くて大変ですね

========

パーピマンの論点に対してはブッダの視点で反論
。。。かなりの方が私より的確にされているのでしばらく様子見^^

それと今は●のスレ建て機能が停止しているのでご注意を
ラウンジやシベリア板でスレ立て依頼したほうが良いかもです
904神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:39:13.24 ID:9PZ9OM4P
 
第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察

8.
ダルマについてのブッダの教えは
二つの真実(二諦)に基づいている
この世の現象的な真実と
究極の真実である

9.
この二つの真実の間に引かれた区分を
理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも
理解しないであろう

10.
現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない
905神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:46:39.68 ID:ts1ZQHjf
>>900
>このように自己と自己を取り巻く世界を把握するから
>すべての「物」と思われているものは「現象」でしかなく
>「空」であり、実体のないものである

人間にとっては、その世界を「現実(実在)」と呼ぶのですよ。何故なら、
人間はその世界でしか生存できないから。「色即是空」、されど「空即是色」。

あなたは、いつから人間ではなくなったのですか?w
906神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:48:28.32 ID:9PZ9OM4P
 
> 唯識は中観派から批判されることが多くて大変ですね

瞑想肯定派の場合は
『 唯識も中論も瞑想によって変化させる 』

瞑想否定派の場合は
『 中論は瞑想を否定している 』

瞑想否定派の場合は↑このような勘違いをしている

と言う事だと思います
907神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:53:05.55 ID:ts1ZQHjf
>>904
中論では、「仏陀」は「諸仏」として複数です。釈迦一人だけではありませんよw。
908神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 02:57:02.31 ID:ts1ZQHjf
>>906
瞑想も空のはずだろ。それとも瞑想だけは常住なのか?w
909神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 03:04:58.96 ID:9PZ9OM4P
 
> 「色即是空」、されど「空即是色」

それ自体の自性で成立しているのではなく

因だけではなく
縁だけでもなく

因と縁の依存によって現れ
因と縁の依存によって滅する
  _  _  _

瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を得て教理にまとめ
とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)
最終的には

 → 阿羅耶識もまた空である ← とする(境識倶泯)
910神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 03:15:26.49 ID:9PZ9OM4P
 
> 瞑想も空のはずだろ。それとも瞑想だけは常住なのか?

それ自体の自性で成立しているのではなく
因だけではなく
縁だけでもなく
因と縁の依存によって現れ
因と縁の依存によって滅する

それ故に

八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する

中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法によって

悟りに至ると言う意味だと思います
911神も仏も名無しさん:2013/09/30(月) 06:18:51.18 ID:SyY4VVbY
人間の記憶なんて曖昧でいい加減なもんさ。
それは脆弱でときに不規則に変化していく肉体に依存してるからだよ。
常住不変の自己とかその置き代わりの阿頼耶識とか観察力のないバカの
妄想だわ。
912神も仏も名無しさん
>>886
>「無我」は誤訳ではないのか「非我」が正解ではないのか!と

三木悟住職はアホ。誤訳ではない。
三木は阿弥陀如来をブラフマン同等に捉えたい成り済まし仏教に他ならないのだろうw

「非我」なる表現が他処での有我(自性アートマン実在)を示唆・予定しているなら、事実上の梵我一如論であり、
我に対する執着⇒苦を予定する彼岸なき<毒の論理>←ヤージュニャヴァルキアのアーリア支配・カースト制度維持のための奥深い謀略論だ、
ということが洞察できていないのだ。
もし洞察できているなら悪質な奴だ。

<無我 &(如)非有我非無我>が正解。
還滅(間接)現実 (1)一切内(検証可)→★一切法無我(有⇔無の無)   一切外(検証不可)→無記
         (2)勝義示唆  ★(如)非有我非無我 *四句第4形式の利用。空=中道示唆であって、上記の俗物「非我」論とはまったく真逆。

『弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、★真実として捉えられるものではない★のであるから、
 このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」
「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」 』
                              (中部22 増谷文雄訳)
『★一切は因縁の結ぶがままに有り、一切は因縁の結ぶがままに壊するものであることを、ありのままに知ることができる★のである。
 かくのごとくにして、彼においては、色・受・想・行・識、すべて壊するものであるがゆえに、彼は、
      われ(アートマン)というものはない。
      また、わがものというものもない。
      すでにわれなしと知らば、
      何によってか、わがものがあろうか。
            と知ることができるのである。』(相応部22 増谷文雄訳)

一切は<縁起の現実>として、検証によって真実として捉えられ、
一切外は縁起の現実を撥無した検証不能の妄想→無記だと繰り返している。