1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/10/10(水) 18:59:51.81 ID:vCipPzfT
3 :
神も仏も名無しさん:2012/10/10(水) 21:35:33.81 ID:Q/4q3Yzy
5の次は9にしたのか。
誰も立てなければ6として立てようと思っていた。
わざわざアンチは来なくても良いと思う。
建設的な方向で議論や意見・情報の交換が出来ればよい。
とりあえず乙と言っておきましょう。
4 :
神も仏も名無しさん:2012/10/12(金) 22:08:11.54 ID:iWCbdXqC
某スマナサーラの話題はなしで。テーラワーダスレがアンチカルトスレになる。
>>4 (・3・) 工エエェェ せっかく長老の説法書籍は分かり易くていいのに
6 :
神も仏も名無しさん:2012/10/16(火) 22:54:20.14 ID:dc1Ix8NO
まぁ、カルトはわかりやすい教義だよな(^^)
7 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 08:26:42.67 ID:lR6gYTGX
>>5 まあ他宗教批判と、特に大乗を批判しちゃったから敵が多いのは仕方ないね
大乗思想は日本人のアイデンティティみたいなもんだから
8 :
神も仏も名無しさん:2012/10/20(土) 09:13:26.94 ID:EhOyvJKP
最初は人気あったが日本の現代大乗以下のポンコツだってばれたから。
スマナサーラ長老の仏教が。今や単なるカルト扱い。
9 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 01:15:00.27 ID:mT4xjgNR
>>8 どゆこと?
要点だけでいいので説明してくれんか
10 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 04:20:00.02 ID:fsIK7fXj
何でスマナサーラカルトにはまったのかな?
11 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 12:38:00.92 ID:mT4xjgNR
なんでおれがカルトにはまったと思っちゃった?
12 :
神も仏も名無しさん:2012/10/21(日) 13:00:49.14 ID:fsIK7fXj
ブッダの実践心理学なんてトンデモ本の出版を喜んでるから電波さんかなって
13 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 16:01:50.69 ID:XeGtlUbb
お釈迦さまは輪廻する衆生が行き来するのを、道を行き来する人々をみるように
はっきり見えるとおっしゃったそうだが、それだって別に盲目的に信じているわけじゃない。
本当かな?と思いながら読んでる。
それでも、お釈迦さまがいった縁起を中心とした教理には、論理的総合性があるし、
お釈迦さまがウソをつくとも思えない。
だから、本当かなと思いながらも調べてるわけ。
それで、日本語で南方仏教のことを調べようと思うと、片山一良氏や前田專學氏の著作に
あたらないといけないわけだが、これがなかなか高価で、そこ行くとスマナサーラさんが
出してる本は安いし分かりやすい。
14 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 16:02:53.72 ID:XeGtlUbb
そういうわけで、ブッダの実践心理学も読んでいたわけなんだが、話を本題に
戻すと、具体的にどの部分をカルト的、あるいは迷信だと思ったのか、そこを
簡単にでもいいから教えてくれないかい?
という話をしたわけ。
15 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 16:03:27.55 ID:XeGtlUbb
わかるかな?
感情的にならずに、言ってることが何を意味しているのかわかrかな?
16 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 16:20:06.03 ID:XeGtlUbb
>>13-16 文章からしてブロークンなんだが、連投と狂った勘繰りがそれに拍車を
かけていてしかも全然、本人は気付いている様子もなくていい感じ。
ぜひ、そのまま続けてくれ。
18 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:10:32.80 ID:XeGtlUbb
あげとく
19 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:13:58.91 ID:XeGtlUbb
話をそらさずに、本題について話すことが出来る人はいないのか。
20 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:23:30.58 ID:5tumXYn+
またまた、お前が勝手に定めた本題に添わせようとして。
21 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:27:57.85 ID:XeGtlUbb
まず先に
>>8という発言があった。
次に、そのレスについて何故かと問うた。
繰り返しになるが、
まず先に
>>8という発言があった。
わかるかな。
22 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:31:32.06 ID:XeGtlUbb
君の前提認識として、スマ氏の言説はカルトだと思っているわけだから
それを攻撃、もしくは批判することは正しいことであると思っているはずだ。
だから、異論や反論を差し挟まれるとムカつくだろう。
つまり先に感情的になっているのは君の方なのだ。
わたしは異論や反論を呈したわけではない。
仏教関連書を読み進むうちに出会った本について、カルトだと言う人がいたから
「それは何故ですか?」と質問したまでのこと。
理由があるのなら説明できるはずだし、
説明できないのなら、説明できないと言えばいい。
23 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:33:09.91 ID:XeGtlUbb
そして君は、それぐらいのことが出来ませんか?と問われて
「本題ではない」と言った。
つまり、今のところ君は、自身の主張について何の根拠も示せていない。
24 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 18:39:35.48 ID:5tumXYn+
なぜ、俺を
>>8だと決めつけてるんだ?w
それにしても凄まじい連投だなw
カルト、カルト言ってる人は感情論で言ってるだけだから根拠なんかそもそも示せないってw
別に長老の言ってることってアンチでない人間からみても結構おかしい点もあるから
本当に分かってるならそれを提示すればいいだけなんだよね
26 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 23:24:22.25 ID:tKDGL48t
「悪い友は 話し相手にしないで指導するがよい」ローカニーティ102
27 :
神も仏も名無しさん:2012/10/22(月) 23:26:55.27 ID:tKDGL48t
レッテル貼りしてテーラワーダやスマナサーラ長老などから
初心の者を離反させたいだけなのでしょう。
>レッテル貼りしてテーラワーダやスマナサーラ長老などから
>初心の者を離反させたいだけなのでしょう。
スマナサーラからの離反は別に良いんじゃない?
上座部仏教界の中の重鎮というわけでもないし、
差別宗派から地位をもらっている小物でしょ。
彼はテーラワーダ基準から言ってもスタンダードな人物じゃない。
だからこそ、
>1
>※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、
>日本テーラワーダ仏教協会やそこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。
と釘を刺されてしまうのだし。
29 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 00:00:53.51 ID:tKDGL48t
>>5 気にしない。
>せっかく長老の説法書籍は分かり易くていいのに
と、自分が思うなら取り敢えずそれを受け保てば良い。
30 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 00:43:11.68 ID:SH3dDNps
今さら言うのは面倒くさいが、スマナサーラ長老は仏教でしか輪廻から
解脱できないし、僧伽や比丘に背けば地獄行きで、僧伽と比丘に貢げば
功徳になるなんて説いてるんだから極端な価値を掲げる団体、即ちカルト
だと俺は思うぞ。既出なんでこの期に及んで誰も言わないと思うが。
(こんな証明不可能で無根拠なことを、説いて金儲けしてる時点で科学ではない。
長老を嘘つきだと思いたくない人は本人に輪廻、業、解脱の証拠を要求しよう)。
それにアンチでなくてもおかしいと感じる長老だからこそ幾らでもカルト性を挙げられるだろう。
まぁ挙げてもシンパがキィキィ喚き煽ってくるのが関の山だと経験上、思うがな。
そもそもこの流れでスレをやれば、またスマナサーラ長老の異常性指摘スレになることは
自明なのに、テーラワーダスレで、釣り針垂らして何がやりたいんだろう。この人達は。
大体なぜ、スマナサーラ長老は自分の出身母体が異教徒大虐殺を行ったぐらい
触れないんだ?結果が屑ならどんな屁理屈の伽藍を建てようがダメだろ。
自分が教育された仏教しか真理を説いていないなんて言う前に、その結果を直視しろよ。
長老のカルト説法はとりあえず置いておいてもスリランカ仏教は問題だろう。
こういう自分の商品の欠陥を隠してよそを、貶め商売する奴を詐欺師っていうんだろ。
俺は日本テーラワーダ仏教協会は、カルト且つ詐欺集団だと思ってるよ。
31 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 12:41:39.68 ID:jVEmu5kf
お釈迦さまは八正道こそが解脱と悟りに至る道だと説かれ、その他を外道と呼ばれた。
これは経典でもなんども出てくる。
何度も何度も繰り返し強調されている。
外道とは、その当時インドで高く評価されていた六つの学派のことだ。
32 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 12:44:24.18 ID:jVEmu5kf
しかし、これにはちゃんとした理由、根拠がある。
六派哲学をはじめ、バラモン教(ヒンズー教)には永遠不滅の概念があり、それを信仰し
その信仰を前提にすべての宗教体系が構築されていた。
一方、仏教は一切が無常である(縁起によって生起している)という前提ですべての
教理体型がくみ上げられている。
このように
前提が違うのだ。
33 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 12:49:04.61 ID:jVEmu5kf
仏教で定義する最終目的は涅槃。
輪廻、つまり縁起によって生起し滅するものからの脱離である。
「永遠の○○」のようなものを求めたりしない。
その一方、仏教以外の他宗教で「永遠の○○」や「絶対の○○」を
信仰したり求めたりしない宗教はない。
ちゃんと理由があって言っていることだし、これは預流果以上の悟りに至った者ならば
誰でも理解できるし、同じことを言うはずのことなのだ。
これは数学や物理の問題同様、論理的に必然的に導き出される解であるから、気に入らない
からと感情的に批判したところで、何の説得力も持たないわけ。
34 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 12:51:32.97 ID:jVEmu5kf
>>30 六師外道と八正道とが対比されるのには、それ相応の理由がある。
あなたはおそらくヒンドゥー教かヨガの信者ではないのか?
あなたの言っている内容は、ヨガ信者の発言によく見かけるパターンだ。
35 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 12:54:01.38 ID:jVEmu5kf
仏教でしか解脱できないと言ったのは、お釈迦さまご自身だからね。
だからこそ、ヒンドゥー(当時はバラモン)教の禅定の最高の境地に達した師匠のもとを離れ
中道を発見して、“仏教の”悟りを開いたわけ。
仏教でいっている悟り・解脱は、ヨーガのそれとは違うんだよ。
ヨーガは真我に到達して永遠不滅の境地に至ることをもって最終地点とするが、仏教はそれを
捨てるの。
わかる?
36 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 12:56:40.93 ID:NG+OZVQy
>>30 長老は殺生しないほうがいいという教えを説いているのだから、
間接的にスリランカの虐殺なんかも批判しているのでは?
本国の本山でも煙たがられてる原理主義者、という可能性がある。
37 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 12:58:19.28 ID:jVEmu5kf
ヨーガでいってる解脱は、仏教で言う非想非非想処定。
お釈迦さまは、非想非非想処を捨てて、その先の滅尽定まで行くようにと指導されたわけ。
仏教の解脱は仏教でしか教えていないし、仏教以外の宗教は存在に執着しているので
「滅」に至ることはできない。
38 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 13:00:16.04 ID:jVEmu5kf
そして、上の方でカルトカルトと連呼している人は
「カルト」という言葉の意味を「迷信に違いない」という意味で使っている。
言葉の使い方が不正確なため、主張が不明瞭なのだ。
「カルト」の意味と「迷信」の意味では、だいぶ違う。
39 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 13:01:05.66 ID:jVEmu5kf
真我を信仰し、それを求めるヨーガ行者は
よく仏教を攻撃する。
40 :
神も仏も名無しさん:2012/10/23(火) 13:02:02.65 ID:jVEmu5kf
仏教は無我と無常を説くため、真我信仰と相容れないからだ。
この議論は、過去2500年ずっと繰り返されてきたが、その間、無常ならざるものが見つかったためしはない。
>>30 >仏教でしか輪廻から解脱できないし、
無我と縁起を説いてるのが仏教しかないからなー
はっきり言ってアートマンとかブラフマンみたいな恒常な存在を説いて
どうやって輪廻からの解脱を説くのか不思議でたまらんわ
>僧伽や比丘に背けば地獄行きで、
ソース
>僧伽と比丘に貢げば功徳になるなんて説いてるんだから
神道であろうとキリスト教であろうと、凡そどこの宗教も教団への喜捨に宗教的価値を与えてるし
だいいち喜捨の対象は一般人でもかまわないだろ
>長老を嘘つきだと思いたくない人は本人に輪廻、業、解脱の証拠を要求しよう
お前の言だと仏教=カルトってことにならないか?
42 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 00:26:31.38 ID:h9sw32bh
今まで出てきたスマナサーラ長老批判などで覚えているのを少し羅列した
●スマナサーラ長老が広めているマハーシ式の瞑想法は世界大戦後の創作瞑想である
●長老は新興の瞑想にありもしない伝統と結果が伴わない効能を吹聴し商売している
●本人や取り巻きがその効果を否定しているが、一向に省みる気配はない
●長老の指導を受け離反した著名人達は過去の長老との深交に触れず黙秘する傾向にある
●スリランカ仏教徒は現代に勃発したスリランカ紛争において異教徒大虐殺を行っている
●スマナサーラ長老のスリランカ仏教シャム派はカーストによる出家差別を行っている
●スマナサーラ長老は出身派閥の暗部に触れず称号まで貰い、異教の差別や戦争ばかり弾劾する
●長老は著書でスリランカ人を毛嫌いし日本人を馬鹿にするような発言を繰り返している
●スマナサーラ長老のスリランカ仏教シャム派から名誉称号を貰った人物には桐山靖雄がいる
●スリランカ仏教は世界大戦前の度重なる壊滅を経て戦後復興された新宗教である
●日本テーラワーダ仏教協会は本体の土着性、新興性を隠した上で作られた新宗教である
●スリランカ仏教が度重なる壊滅を、経たことに触れずに伝統を騙り他宗教を揶揄し
学問としての仏教や文献学まで否定し自派の優位を装う長老のやり口は異常である
●スリランカ仏教寺院ではヒンドゥー教のデーヴァを祀り、重要儀礼で占星術を執り行う
●長老はこういった事実に触れず自らも呪術を弄ぶくせ異教の呪術に対し批判をしている
●オカルト団体である神智学協会の庇護の下、漸く復興できたのがスリランカ仏教である
●スリランカで上座部が残っていた時期があるのは彼らが、王権に取り入った為である
●長老は過去のスリランカにおける大乗隆盛に触れずに「大乗は論破して追い出した」ことにしている
●長老は仏教は科学と謳う割に科学的知識と方法論に無知で文献学まで否定している
●科学と謳う割に重要部分で再現性や反証可能性を保証しない長老のやり方は筋が通っていない
●他人の誇大妄想的信仰をせせら笑いながら無謬で全知の一切智者釈迦を説く長老は二枚舌である
●長老は罪業の区分をサンガと僧侶中心の官僚機構優位に定め他の職業を差別している
●俗世間に衣食住を依存し、社会に寄生し自らへの寄付は功徳になると謳う長老は愚かである
43 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 00:27:52.42 ID:h9sw32bh
●サンガを重要視させながら消費、テレビや音楽の視聴等の破戒を行う長老は言行不一致である
●「怒ってはいけない」と言いながら長老本人は常に怒っていて言行不一致である
●そもそも長老には自らの言行不一致が人に悪印象を与えるという概念がないようである
●長老のように外部にばかり辛辣で同じ問題を持つ自分に甘い教祖として文鮮明が挙げられる
●信者によれば長老の怒りは「怒っているようにみえるだけ」らしい
●長老信者の主張によれば長老による外部に対する、批判は構わないが長老が批判されるのは
認められず佐藤哲朗に到っては「Wikipediaの監視を行っている」と公言している
●この様に日本テーラワーダ仏教協会は否定的情報の封殺に非常に熱心な組織である
●長老たちがよそを糾弾する場合、必ず自分達に全く同じような問題がある
●スマナサーラ長老による他宗教の問題点の指摘は長老の正しさを全く保証しない
●「自分はよくて他人はダメ」、これが日本テーラワーダ仏教協会の基本姿勢である
●長老信者は長老のおかしさを指摘されると「大した問題ではない、異教よりまし」等と逃げる
●スマナサーラ長老シンパは、長老批判を異教徒による妬みと解釈する傾向にある
●不都合な事実に触れたとき認識をねじ曲げるこのような態度を認知的不協和の発生という
●認知的不協和とは社会心理学用語で、カルト信者によく見られる反応である
●長老と旧知の中の長老の著書を出版するサンガ社長は物惜しみによる怒りに我を忘れ
タクシー運転手相手に傷害事件を起こし代金を踏み倒し強盗で逮捕されている
44 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 00:29:00.49 ID:h9sw32bh
俺は日本テーラワーダ仏教協会はカルトだと思うよ
●潟Tンガはアルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』の出版社である
●スマナサーラ長老は多くの著作で知られるが、本人は漢字がほとんどわかっていない
●スマナサーラ著となっている書籍の多くが口述筆記であると推測される
●スマナサーラ長老の説法は著書と違い不明瞭で聞き取りにくく支離滅裂であることが多い
●ブッダの実践心理学など専門書の出版が遅れるのは支離滅裂な語りを纏めるのに
難渋するからだと推測され同書の執筆は「長老が嫌いな浄土真宗」の住職藤本晃である
●スマナサーラ長老は漢字が余り読めないことを公言しているが自称道元研究者である
●長老は日本語を読むとき漢字と平仮名を分けて別々に読んで文章を綜合するので時間がかかる
●長老が古文で綴られた道元の正法眼蔵をどうやって読んだかは謎に包まれている
●Wikipediaの日本テーラワーダ仏教協会、アルボムッレ・スマナサーラ、スリランカ仏教
などの記述はajita氏、naagita氏により支配されている
●ajita氏、naagita氏両名は、佐藤哲朗氏のコテハンと出家名と同じであることが知られている
●スマナサーラ長老は「アートマンがないからこそ輪廻する、心のエネルギー保存則」など
という意味不明の理論で長年の仏教の無霊魂論に対する批判に対し思考停止している
●長老は輪廻と業思想に対する質疑には嫌悪感を露にし根拠を提示出来ずスッタニパータの
アートマン思想と自らの無霊魂論、仏典無謬説にも整合性を保てず詭弁に終始している
●輪廻と業思想が批判されるのはスリランカ仏教の如く差別と結び付き長老のような
詐欺師の金儲けの道具になるからである
●長老は宮崎哲弥や苫米地英人といった思想的敵対者を出版社のセッティングで無自覚に
取り込んでいるが、苫米地との対談を出版するか否かを決める裁量権も持たないようである
●これを決めるのは元一時出家者の日本テーラワーダ仏教協会事務局長佐藤哲朗のようである
●日本テーラワーダ仏教協会シンパは佐藤哲朗を筆頭にブッダダーサなどテーラワーダ系の
著名人の業績まで否定する傾向にある
45 :
安堂:2012/10/24(水) 00:31:59.00 ID:g8X/S7k5
>>42 スマナサーラも小乗の徒ってことだ・・・。
出家者優位主義だな。預流果に達したら出家せずにはいられない、とか馬鹿馬鹿しい。
そういう馬鹿馬鹿しい部分以外の良いところだけ私は頂いた・・・。へへ。
46 :
神も仏も名無しさん:2012/10/24(水) 03:36:46.81 ID:MIQBY5KR
長老がアビダンマ講義で言われているように、
不還果になるまでは欲も怒りも残っている。
仮にスマナサーラ長老が怒っていたとしても、
預流果や一来果の聖者であっても怒りはあるのだから、矛盾はない。
それでも、仏教者は、怒りが悩み苦しみの原因である事実は説かねばならない。
そりゃそうなんだけど
受講者の大半よりおこりんぼってのはどうかね?
スッタニパータのアートマン思想ってなんぞ
49 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 16:57:21.83 ID:wa4vtsh7
>>48 わかってない証拠が、そのひと言に集約されている。
50 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 17:13:05.47 ID:wa4vtsh7
アートマンのことを「霊魂」とか「魂」だと思ってるんじゃないのかな。
輪廻転生の主体のことだと。
独立自存、恒常不変、永遠不滅の性質をもった何かのことをアートマンというんだが。
51 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 17:14:18.93 ID:wa4vtsh7
心が不変なら、何も感じないし、思考することもできない。
独立自存なら、何ものとも関係性を持たないのだから、誰かがそれを認識することも
なければ、それが誰かを認識することもない。
そもそも関係性を持たないのだから、あったとしても我々には何の関係もない。
52 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 17:17:16.82 ID:wa4vtsh7
ただ、アートマンなんて無いよと言ったからといって
心がないと言っているわけではない。
(より丁寧に表現すると、無いというより、どこにも見当たらないという
言い方をする。まぁ無いだろうけど)
まー上座部圏の比丘の教えに触れてなくて、
日本の仏教学者のエッセイの方を有難がる人が主張してるのかな?>スッタニパータのアートマン思想
自州/atta-dipaとか我具足/atta-sampadaとか、アッタンはテーラワーダに於て世俗の了解として普通に使われる言葉なんだが
仏書マニアさん達は、永遠不滅のアートマンと誤解してるのかねえ?
54 :
神も仏も名無しさん:2012/10/26(金) 19:04:25.27 ID:wa4vtsh7
般若心経に代表される北伝の大乗仏教は、中国を経た段階で
道教と習合してしまったようで、経文の中で繰り返し唱えられて
いる思想は、まさしく道教の無の思想そのものだ。
釈尊が説かれた縁起思想とは大きく異なる。
(便宜的に縁起思想とは書いたものの、縁起は事実であって
厳密には、ただ縁起とのみ言うはず。
縁起に付随する教理は思想と言ってもいいかもしれないが。)
スマ長老が叩かれてるのは
単に層かの機嫌を損ねたから
カルト呼ばわりしてるのはそいつら
日本仏教のデタラメさがバレると
おまんま食い上げになるから
スマさんには徹底的にやってもらいたい
>>55-56 草加とか陰謀論とかはどうでもいいが、スマ長老の書籍は悪くないと思う
きちんと経典の引用もされているので、説得力がある
だから、ゴシップで潰されて欲しくない
結局、スマナサーラ教は輪廻からの解脱という意味にすがる単なる信仰に過ぎない。それだけならまだいい。
しかしその道は仏教の脅しと報酬の側面ばかりを強調し、他人を断罪し、凡人以下の
グルスマナサーラの優越を演出し、奴の言葉に無自覚な内に隷属させる単なる餓鬼道だ。
二束三文の凡庸なパラダイムが、誰にでも追認が可能で、普遍的な真理で
あるかのように錯覚するから、スマナサーラとその走狗は到る所で軋轢を
生じ、劣等感の裏返しとしての選民主義感情を抱く。
信者が欲と恐怖に動機付けられ、教団に刷り込まれた価値観をさも自分の
内発的欲求のように錯覚し、そもそもグルが信じていない境地を求め迷い、
心を病む事で利を得るのはスマナサーラと佐藤哲朗、教団上層部だけだ。
自分で理解、納得する理性がある人間がこんな妄想体系を信じられるわけがない。
呪詛を吐きながら心がきれいになったと主張し、狂信に浸りながら頭がよくなったと考え
悟りに近づいていると根拠のない優越感ばかりを募らせる、そんな連中の集いでしかない。
権威と欲と恐怖のこけ脅しで、なんと見事に操縦されていることだろう。
現代社会で阿片としての宗教の松葉杖なしには生きられない弱者達が
閉鎖的で他者不在の価値観内部で、自慰しているだけならまだしも衆目を
集め優越性を偽装する為に他者を口汚く罵る。グルの妄言に乗っかる。
与えられた修行体系とやらが破綻しているからこそ満足感を獲られず
外部に向かい呪詛をはく。この世が苦だからでもなんでもない。
そもそも精神的不具者が集い、自分の問題を投影しているのだ。
奴らが散々な罵詈雑言の後に、提示する価値観の貧相なこと。
日本のカレーは偽物だと冷笑し出して来たのはスリランカ人の排泄物だった。
日本の医療は遅れていると嘲り出してきたのはスリランカのまじないだった。
そんな徒労感と虚無感がスマナサーラ教にはある。
スマナサーラの露払い、鳥なき里の蝙蝠としての役割はもう終わった。
嘘と妄想が好きな連中は奴に囲って貰えばいい。他に迷惑がかからない。
マトモな上座部仏教がクローズアップされる時代が来ることを願う。
59 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 08:54:54.04 ID:RojSFI6Y
スマナサーラ長老を嫌っている
>>58も幸いであれ。
〈瞋恚相応心の起る原因〉@略,A略,B略,C不好所縁を所縁とすること
(気に人らないものとの出会い。),
>>58には嫌いなスマナサーラ長老が必要なのだ。哀れ。
60 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 12:08:35.68 ID:qNsNfrHD
>>58 誰もスマナサーラの話なんてしてないけど?
頭大丈夫?
61 :
神も仏も名無しさん:2012/10/29(月) 12:10:19.71 ID:qNsNfrHD
>>58 上の方のいくつかのレスを読んでみ?
仏教と日本仏教の比較について話しているのであって、スマナサーラのスの字も出てきてないだろ。
よほど危機感を感じぜざるを得ない人もいるようだね。
馬鹿みたいw
>>58 まともな上座仏教はスマナサーラ長老が語る上座仏教と何が違うのか知りたいです
てか、本当にそういう勢力が存在するなら組織を立ち上げて説法を日本全国に広めるのが
現代資本主義社会のセオリー
そうじゃないとメジャーに見えないのが欠点
だから良くも悪くもスマナサーラ長老は書籍を何冊も出版し、読経のCDまで出した
瞑想法のDVDも作った
上座仏教としてメジャーじゃなくても日本に上座仏教を広める努力をした所までは
スマナサーラ長老は評価できると思う
そうじゃないと本当に日本の仏教が形骸化してしまうからな
長老の存在は別の意味で刺激になったと思う
64 :
神も仏も名無しさん:2012/10/30(火) 00:44:03.81 ID:KVCQrIdZ
日本仏教が、仏教として間違ってるのは事実なんだから
間違いは素直に認めて直せないといかんだろ。
もう現代は、インドを天竺と呼んでいた時代とは違うんだからさ。
65 :
絶対神:2012/10/30(火) 02:39:38.48 ID:W/Kp6eg4
>>63 「上座仏教は、事実上、釈迦を唯一絶対の神と信じる」
日本人にとっては「ちょっとついていけないタイプの宗教です」
タイは上座仏教ですが、タイ人は、『本当に釈迦を人間的苦脳を一切持たない
超越者』だと信じており、人間的な側面について言及すると怒りだすくらいだ
そうです
つまり、日本人の目から見ると、あまり「まともな上座仏教」と「この宗派」に
は違いはないと思います
言ってみれば、上座仏教は、「仏教原理主義」なんです
66 :
絶対神:2012/10/30(火) 02:43:06.88 ID:W/Kp6eg4
「単純に言った場合」
『そもそも日本に「上座仏教」は「広まりません」』
日本人は原理主義的な宗教を嫌う為です
なんでも拝むような、大乗的な部分を持たない宗教は
「結局、日本では「駄目になります」」
真の仏教とか仏教でないとかいう事は、「関係ありません」
元々、なんでも手を合わせるような、神仏混宗のような部分を持っていたからこそ
日本に仏教が広まっただけの話なんです(もし、大乗じゃなかったら、元々広まって
ないと思われます)
67 :
絶対神:2012/10/30(火) 02:50:04.48 ID:W/Kp6eg4
「仏教とキリスト教を比べた場合」
『仏教が上回っている部分があるとすれば、「それは、積極的にローカライズ
してきた事です」』
神仏混宗の場合、日本では「神」が「仏」の「上」となり
『一番偉いのは、神道の頂点にある神となります』(日本の
仏教神話は大抵そうなっています)
「だから受け入れられただけの話です」
こういう「ローカライズを許す」部分がなくなった場合
『仏教という宗教の利点は、「何もなくなる」事になります』
キリスト教と「何一つ変わらない、日本人にとって馴染みのない宗教に堕する
だけの事です」
つまり、日本に仏教が広まったのは「真理」だからではなく、「柔軟」で「寛容」
な部分があったから広まっただけなんです
>>65-67 スマ長老はあなたのような言葉にどのように反応するか知りたい
ただ単に激怒するだけとは思えないのだが…
必ず仏法や経典の話を引用して何らかの否定をしてくると思う
特にスマ長老はキリスト教を「絶対神を盲目的にしか信じられない心の救いの根源にはならない宗教」
としか思っていないので
平気で「キリスト教の絶対神はなぜ人間を不完全に創ったのか?」って言いますよ?
それはただの無知で質問している訳ではないくらいあなたなら分かると思いますが?
>日本に仏教が広まったのは「真理」だからではなく、「柔軟」で「寛容」
>な部分があったから広まっただけなんです
仏教が寛容?頭、大丈夫?
仏教が広まったのは権力者を味方につけて、
反対者を殺戮したからに決まっているじゃない。
70 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 22:54:05.99 ID:dbBuhGIW
仏教のまがい物が広まったと言う話であって、
本物の仏教が広まるのはこれからだな。
71 :
神も仏も名無しさん:2012/11/06(火) 23:01:33.59 ID:zo8P45v8
まあ檀家制度も戒名もいずれ廃れるであろうから
これからどうなるかだな
日本仏教は内から改革するのは不可能だろうからな。
一度完全につぶれた方がいい。
それを言ったら仏教だけでなくローマカトリックの腐敗ぶりときたら…
ホームレスのキリストが説いた愛がこの有様…
仏教もキリスト教も原点からかけ離れ劣化して腐敗する。
それも諸行無常といったらそれまでだが…
他人のことばかり言ってないで、自分がその「理想的な仏教徒」になればいいだけ。
日本テーラワーダ仏教協会の伝統は嘘、行法は最近の贋作、家元は差別宗教
スリランカでは仏教徒が異教徒を虐殺、と来たら信じるメリットは何もない。
信仰で獲られるものは変なセクト特有の主観的満足度の増大だけ。
原始仏教を真剣に学びたいなら、まずは仏教学や文献学を学ぶしかない。
事実を歪め、利権を守り、排他的で拝金と信者獲得に必死な一宗教団体に学ぶ道理はない。
仏教に興味があっても宗教団体や指導者に奇怪なバイアスを植え付けられていたら仕方ない。
創価程度の歴史しかないスリランカ仏教、その亜種から洗脳されたら取り返しがつかない。
動機が真剣なら消去法で日本テーラワーダ仏教協会みたいな変な宗教は除外すべき。
自分で確かめるなどと称し妄想に導かれ、事実を事実と認められなくなったらもうオシマイ。
某長老のごとく邪な心で死ぬまで仮想敵と戦い続け、脳内勝利宣言を繰返すようになる。
日本には信仰の自由があるが、一面的尺度と妄想で人の信仰を嘲笑してきたのが某長老一味。
その裏には自分たちの問題隠蔽があることを看過出来ない。奴らは事実を見ようとすらしない。
某長老の説法や本は、単なる噴飯物のトンデモだが、背景を知ると、黒すぎて笑えない。
日本テーラワーダ仏教協会を、大乗、キリスト教、上座部などの伝統宗教と対比するのも誤り。
事実上、この宗教は幸福の科学、阿含宗、オウムなど仏教系新興宗教のカテゴリー。
伝統は存在せず変な教祖がいて権威付けに、仏陀や原始仏典を利用しているという点でも同じ。
(某スマナサーラが教祖を自認していないのは単に仏陀に責任を擦り付けているからだ)
どこの誰が原始仏教を学びに幸福の科学に、出入りするだろうか?
日本テーラワーダ仏教協会信者の詐病や原始仏教云々の箔付けに騙されてはいけない。
77 :
神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 17:37:16.25 ID:dnyPJA4n
スマナサーラ長老粘着厨も幸いであれ。
78 :
神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 17:39:41.27 ID:dnyPJA4n
日本テーラワーダ仏教協会粘着厨も幸いであれ。
79 :
神も仏も名無しさん:2012/11/08(木) 18:52:37.31 ID:xdw2lyeA
人を批判してばかりの人はいつもイライラして苦しいだろうな
80 :
神も仏も名無しさん:2012/11/09(金) 13:19:09.28 ID:ASIdduNZ
苦しみを感じているスマナサーラ長老粘着厨がその苦しみから解放される
ように。
苦しみを感じている日本テーラワーダ仏教協会粘着厨がその苦しみから解放
されるように。
81 :
神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 15:09:32.14 ID:DErQ1pV4
俺ニートなんだけど、ヴィパッサナー瞑想やってたら
将来への不安や、社会への不満が一切無くなったわ
ただただ、すがすがしい気分
82 :
神も仏も名無しさん:2012/11/10(土) 22:31:27.69 ID:njNSiMkv
よかったですね。
スマ禁止
まあ少なくとも法華経を酷評していたから
草加とか日蓮の方々には嫌われるだろうな
道元だって法華経信者だったんだから、曹洞宗にも嫌われる理屈じゃないの?
般若心経も貶してたから、なおさらかもね。
86 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 00:19:10.61 ID:ZDNhDNG4
というか、念仏も真言も酷評してたし、一神教も酷評してるわけだから、
スマナサーラさんのお気に召す宗教はスリランカ仏教しかないですよ。
なぜスリランカ仏教限定?
マハーシ長老やパユットー師の本に推薦文書いてるのに
なんか草加臭いな
気のせいだといんだがw
89 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 00:45:00.11 ID:RxpdytdE
道元さんは法華経だけは扱いかねて「法華転法華」という苦し紛れの擁護を書いただけなのに
法華信者って・・・
90 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:21:30.73 ID:QNAkAuNR
大乗仏教などの邪見の原因は貪根心。
出家の淫法は禁止されている。
淫の原因も貪根心。
出家者として淫を制していると言うことは
貪根心を制していると言うこと。
貪根心を制している者が貪根心が原因の邪見を批判するのは当たり前。
貪根心を制する事が出来ずに淫にまみれている者が長老を嫌うのも当たり前。
994、(他人を)訓戒せよ。教えさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざ
けよ。そうすれば、その人は善人に愛され、悪人からは疎まれる。
──サーリプッタ長老──テーラガーター
91 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:28:28.78 ID:QNAkAuNR
草加や日蓮や念仏や真言や一神教徒に嫌われてもそれは幸いな事である。
草加や日蓮や念仏や真言や一神教徒に誉められなくてそれは幸いな事である。
真の賞讃 (七七)
愚者に誉められても
罰が当ったようなもの
賢者に誉められてこそ
賢者にとって真の賞讃
(ローカニーティ)
92 :
神も仏も名無しさん:2012/11/12(月) 23:36:06.04 ID:tnxt2EML
>>91 絶対神や霊魂を否定している禅宗が上座仏教から批判されるのは何故?
今の禅宗の生臭ぶりは目を覆うものがあるが、道元のコンセプトはそう酷いものではないと思うけど?
93 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 00:33:59.71 ID:/rLEkg0Z
>>91に禅宗は含んでいないが...
私は道元にさほど詳しくない。
禅で教えている方法(坐禅)は正しいと思われないので批判するが...
94 :
91:2012/11/13(火) 00:37:40.79 ID:/rLEkg0Z
IDが変わっていた
95 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 17:59:23.14 ID:cm0PcKmt
すべての生きとし生けるものは、
健やかであり、危険がなく、
心安らかに
幸せでありますように
バッダンタ・ニャーヌッタラ長老訳
慈しみ(メッター)の言葉
96 :
神も仏も名無しさん:2012/11/13(火) 19:17:41.05 ID:Mr1gTazI
原始仏典スッタニパータに、
かれらは議論を欲し、集会に突入し、
お互いに他人をバカ者だと烙印して、
他人(自分の師)をたてにして、議論を交わす
みずから真理に達した者であると自称しながら、
自分が称賛されることを望んで
とあります
98 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 00:43:55.93 ID:xuykYOXw
99 :
神も仏も名無しさん:2012/11/17(土) 00:49:29.83 ID:xuykYOXw
般若心経が酷評されるのは仕方ないさ。
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
受想行識亦復如是
これ、まず龍樹の中論そのものと矛盾してるし、南伝仏教の見方からしても
間違いだし、論理的にも間違いだもの。
100 :
神も仏も名無しさん:2012/11/21(水) 04:30:54.03 ID:VdbhHIH5
>>99 翻訳すると、だいたいこんな感じ
「犬は動物に他ならず 動物は犬に他ならない
犬、これ即ち動物 動物、これ即ち犬
猫、牛、馬、鳥もまたかくの如し」
101 :
神も仏も名無しさん:2012/12/03(月) 07:02:12.49 ID:X+Uo7LQK
生きとし生けるものが、
健やかで、
幸せで、
危難から守られ、
心穏やかでありますように
102 :
神も仏も名無しさん:2012/12/06(木) 22:45:38.13 ID:knXy4HSN
9年ほど前、よく書き込んでた
電波男って どこきえたん?
103 :
aaa:2012/12/24(月) 05:05:01.40 ID:EiLFBljX
スマ長老についての疑者だのカルトだのの応酬を読むと
宗教系というのは誹謗中傷、足の引っ張り合いが大いねとあきれる。
考えるに宗教系は信じるということを前提にしているから、女の腐ったように
信じられるとか信じられないとかが問題になる。
原始仏教は宗教ではありません、修行道です、
105 :
神も仏も名無しさん:2012/12/29(土) 19:10:00.28 ID:sMBuzseZ
www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=L6ghzoueVfk#!
画質いいな。
>>84 ○価が神殿風建築造ってお布施せびってるの批判してるし日蓮系カルトは大嫌いみたいだな。
ただし前世の行いが運の良し悪しにかかわってくるカルマの法則やその先の身分制度が
あたりまえだと考えてるあたりが万民平等の世界で救いを求める人には相容れないところだな
107 :
神も仏も名無しさん:2012/12/29(土) 21:05:21.31 ID:NuLn0Kz5
スマナサーラ長老の本で、身分制度や差別を肯定するものは見た記憶がない。
スリランカの教団に所属しているからという理由で
スマナサーラ長老の思想を決めつけるのであれば、
そのような見方こそ差別的ではないでしょうか。
お金持ちの家に生まれるかどうかは前世でいっぱいお布施したかどうかできまる
と書かれたからこれはカーストを前提とした発言と思われる。
といいつつ本人は書記相手にしゃべってるだけなので書記のセンスと編集がへぼなだけかもしれぬ
109 :
神も仏も善行をなす:2012/12/30(日) 22:26:44.13 ID:EFG48hMC
>>108妄想しないの。
>お金持ちの家に生まれるかどうかは前世でいっぱいお布施したかどうかできまる
と読めば、ああ、あのお経や注釈書のお話か、と思い至らない君の勉強不足。
>カーストを前提とした発言と思われる。
思い過ごしです。
一般的にはカーストが上であればお金持ちとは言えるのかも知れないから、
当たらずとも遠からずと思いたいだろうがカーストの無い国でもまた、現代でも
時代を超えて通じるお話(教え)なので御座います。
それただのカルマの法則だろ。
だがそれはカルマ順位の高い低いを社会に当てはめたカーストに行き着いて
映画スラムドックミリオネアの主人公みたいなアンダーカーストに至ってはカルマ最下位で動物扱いさえて
子供に物乞いさせて食ってるヤクザ者が稼ぎふやすために子供の目をつぶすのもカルマの法則
とかんがえるのも妄想扱いされるわけだが欧米思想は皆妄想になってしまうわな。
それを突き詰めると他人を助ける必要なんかないということになる。
法則を発見した人が慈悲を説いている点にもっと注意を向けるべき。
そうだよカルマの高いものには豪華ディナーが与えられ
カルマの低いアンダーカーストは野良牛と一緒に残飯あさり。
そのうえ慈悲をちらりと見せて安い餌で尊敬を集める
これがインドの現実です
113 :
神も仏も名無しさん:2013/01/02(水) 11:22:50.59 ID:aJnOt3D5
怒りのカルマの強い者は、豪華ディナーでも満足できない。
徳の高い者は残飯あさりでも満足できる。
満足できるということは、それ以上必要ないということ。
生きることに満足できれば、それ以上生きる必要がなくなり無余涅槃に入れる。
「もっともっと」と満足できなければ、輪廻をくりかえす。
見た目が裕福だから徳が高い(善いカルマが多い)わけではない。
ほんらい修行者は一切何も持ってはいけないし肉体は不浄だから
ちり紙として捨てられたぼろ布をまとうことしか許されない
ご飯はお貰いで得たものだけで満足するのが修行者であったはずが
高僧として祀られてお布施で建設した宮殿のような寺に主人同様に住んで
不精進なお食事をささえるためにお布施せびってるのが現実。
坊主丸儲けは真言だな
掃除をし続けて悟りの境地に達したチューラパンタカの詳しい話をパーリ語と日本語の両方で紹介している
書籍はありませんでしょうか
来韓中のスー・チー氏 日本の歴史認識に苦言
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130201-00000023-yonh-kr
ああ翻訳があってるんか知らんけど
この程度であったか。
117 :
神も仏も名はある:2013/02/21(木) 01:30:02.53 ID:CBTP2BvY
チュッラパンタカについて、以下に詳細があります。(日本語のみ)
チュッラカ長者の話(その1)
www.j-theravada.net/jataka/jataka-0403.html
チュッラカ長者の話(その2)
www.j-theravada.net/jataka/jataka-0404.html
チュッラカ長者の話(その3)
www.j-theravada.net/jataka/jataka-0405.html
チュッラカ長者の話(その4)
www.j-theravada.net/jataka/jataka-0406.html
ジャータカのNo.4ですのでネット上からもこのパーリ語原文を手に入れる事が
出来ると思います。
>>117 ありがとうございます
パーリ語原文については追々入手したいと思います
パーリ語原文をネット書籍で探そうとしたら1万円近くかかるなぁ
ネットで部分的にプリントアウトするしかないのが現状なのか
A・スマナサーラ長老の書籍が流行るのが分かるわ
あの人きちんとパーリ語の原文載せて、さらに日本語読みと日本語訳を含めて解説までしているもの
別スレで叩かれている理由が分かるよ
ただ、ダンマパタならダンマパタで、スッタニパータならスッタニパータでまとめないのが飢餓商法的で、
多分不満の大半はここにあるのではないかと見ている
ジャーカタ物語も全部編纂しようなんて思わず、ただプラシーボな部分、つまり長老が信者を誘導しやすい教えだけを載せていて、
それでいて「仏教を検証してみましょう」という矛盾がアンチが増やす理由になっているのではないかと見た
>>120 それが、「ネットでプリントアウト」ということだと思っていたのです
それに、パーリ語の日本語音読みもないし、日本語訳もないし、
岩波書店にある中村元氏の翻訳を照らし合わせてみたとしても
載っていないジャーカタ物語に日本語訳があったかどうか未知数だし
そういう点でちょっと不安
駄目とかではなく、今の私の力量だと時間がかかりすぎたり正確さに欠けたりするのが心配です
122 :
神も仏も名無しさん:2013/03/02(土) 15:26:18.07 ID:M9Ao1eub
blog.livedoor.jp/nico3q3q/archives/67815433.html
韓国で見つかった日本の寺から盗まれた仏像について、韓国の裁判所は「日本に返還してはいけない」
という仮処分決定を出した
www.youtube.com/watch?v=I34U_bCKn3U
123 :
【東電 81.0 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/03/06(水) 20:05:45.95 ID:3Jjzf3on
あーあ
もう日本にブッダが今すぐ来てくれればいいのに!
そうすりゃこのスレのA長老とかあれやこれやで悩むことないのに!
本物のブッダ出せ!ブッダ!
相変わらず、スマナサーラアンチが活動しているのか
ヤレヤレ
>>124 あ、いえ、「ベストなテーラワーダ仏教のお坊さんはいるのか?」と思ったら「該当なし」ということもあるので、
このスレの皆が納得するならブッダそのものが日本に降臨していただきたいと思った次第
ブッダが千人日本にいて、各地に散らばって「仏教」として説法した方がものすごく楽かと
さらに、ブッダが現在の葬式仏教のお坊さんらを教生して成長させるためにも必要だと思いまして…
それに俺が救われたいし
昨日、友松圓諦訳「法句経」をポチッた 1200円くらいだ
A長老だけだとどうも不安だ 分かり易いけれど
その代わり、パーリ語原文と日本語音読みがないのが残念な限り
読みこなせればA長老がカルトか否かも分かるだろう
やっぱし日本にブッダが欲しい
普通に岩波から出てる中村元の「真理の言葉」買えば間違いないんでは?
安いし。
>>127 アリがd 持っています
ただ、平易過ぎて仏教用語が少ないのと
ちょっとした解説がないのと
パーリ語アルファベット原文がないのと
パーリ語日本語読みがないのが弱点です
パーリ語の原文を意味を考えながらそらんじて血肉にしたいと思っていたのですがそれができないのが残念で…
同様の理由で他の経典(スッタニパータ、テーラガータなど)も日本人が翻訳した経典は私にとっては評価が低いです
ハードカバーでいいので、上記の条件を満たして頂ければ紙媒体としては合格だと思っています
そりゃ日本語訳を丸暗記するのが近道ですが、パーリ語原文がない、しかも、日本人が音読できないというのは弱点です
そうすると、箭経とか沙門果経とかも取り上げているA長老に一日の長があります
それでも、カルト疑惑があるので心配は心配です
広く浅く読んでみてなおかつ人生の中で「お釈迦様の教えに気づく」ことが出来れば知恵につながると思います
129 :
神も仏も名無しさん:2013/03/10(日) 09:55:34.59 ID:in76js0e
>>128 スマナサーラ長老のとこは、ダンマサークルとかで素人相手にパーリ語の文法から教えてる。
>>129 それは本気で上座仏教の教義を習おうとしている人達(アビダンマッタサンガハを学習したい)なのでは?
キリスト教でいうところの神学者では?
>相変わらず、スマナサーラアンチが活動しているのか
>ヤレヤレ
手放しの絶賛でなければ「アンチ」ってことになるのか。
ヤレヤレ
スマナサーラさんがカルトだとはまったく思わないが、
面白いと思って本を読みだすと他宗教批判で急ブレーキ、
結局読むのをやめてしまう。
頭がいい人だと思うし、真面目な求道者だともおもうが、
いかんせんデリカシーや慈悲がない。
他宗批判をしなかった結果がオウム事件だね
134 :
神も仏も名無しさん:2013/03/11(月) 01:01:56.73 ID:4m7VQOOF
他宗教批判を不愉快だと感じる感覚が私にはないので、スマナサー
ラ長老をその点で批判する人の気持ちがわからない。
教えを批判していても、キリスト教徒をコロせとか言ってるわけじ
ゃないし。
スマナサーラ長老はきっと「上座仏教を勉強して欲しい・関心を持って欲しい」という思いで
他宗教を批判して、他宗教の人々にも認知してもらおうと必死なのではなかろうか?
そうじゃなかったら他の上座仏教僧みたいに淡々と活動しているとみるけど…
大乗仏教僧の小池龍之介も多くの著作を出しているけど他宗教批判までして関心を持ってもらおうとは思っていないようだ
質問です
出家すると200超える戒律を守るようにするそうですが
戒律の一覧は何かの本や経典に書かれてあるのでしょうか
出家された方々がどんなことに気を付けて生活されているのか気になります
137 :
ABC:2013/03/17(日) 10:03:42.63 ID:SgSzxnpX
中山書房仏書林から、「パーティモッカ二二七戒経」という本が出ています。
あきらめていたのに見つかるとは…どうもありがとうございます!
>他宗教批判を不愉快だと感じる感覚が私にはないので、スマナサー
>ラ長老をその点で批判する人の気持ちがわからない。
『幼稚な』他宗教批判は不愉快だけれどもね。
ブラフマンとブラフマー神の区別ができずにヒンドゥー批判する人
(例:スマナサーラ長老)とか見るとねえ。
なんだか、佐藤哲朗さんの「大アジア思想活劇」だけ読んで上座仏教を知ったような人間がいる
某A長老のやり方がうまくいっているからといって嫉妬して荒らしているように見える
さらに某教団をカルト呼ばわりして、マイナスイメージを与えている
言わば「大アジア思想活劇教」みたいなのがいる
仏教の元の言葉も知ろうとする好奇心も持たず、実際に瞑想を行おうとする好奇心も持たず
ただただ「日本人から一方的に見た上座仏教の概要」の書籍「たった一冊」を聖書にして
あがめている奴が宗教板に紛れ込んでいる
>なんだか、佐藤哲朗さんの「大アジア思想活劇」だけ読んで上座仏教を知ったような人間がいる
どこに?そういう人は珍しいんじゃないかな?
>宗教板に紛れ込んでいる
どこのスレ?
創作初期仏教
143 :
神も仏も名無しさん:2013/04/30(火) 01:47:04.41 ID:gzpOFBc5
セフレ狂いのおぼっちゃまが、死ぬのが怖くて自己暗示のために教えをひろめた
仏教はそんなもん
144 :
閻魔:2013/04/30(火) 02:10:55.47 ID:aL1LX0xs
死ぬのが怖いのではなくて
死にたくてしょうがないのが仏教だよ
自殺教
145 :
神も仏も名はある:2013/05/02(木) 11:47:07.87 ID:CN7INjLc
今日5/2は下弦です。
布薩日には布薩戒(八斎戒)。
146 :
神も仏も名無しさん:2013/05/08(水) 19:58:39.69 ID:plKB13d9
仏教の勉強すればするほど絶望して死にたくなるんだが
読んでみるわ
149 :
神も仏も名はある:2013/05/08(水) 22:18:27.15 ID:T0djg7/8
ブッダがある瞑想を弟子達に教えた。するとその瞑想をして弟子達には
厭世観が生じ、自殺する者、仲間に殺して貰う者などが続出した。
そこでブッダは厭世観を生じ易い、その瞑想に代えて入出息念の瞑想を
教えた、と言うのは有名な話。
人にもよるのだろうが、絶望したり、親族や関係者の死などにより苦が生じ
そこから仏教に入ってくる者もいると思うが仏教を勉強して死にたくなる
と言うのは俺には解らんが、呼吸の出入りを観察する瞑想(入出息念)は
>146君の役に立つかも。
大念住経の冒頭に入出息念があるのは、そういう事なんだと思ふ。
150 :
神も仏も名無しさん:2013/05/18(土) 20:24:50.86 ID:WlT8s7/i
法話が、音声とかtubeで見えちゃうんだね。
太っ腹。
151 :
神も仏も名無しさん:2013/06/01(土) 13:45:05.38 ID:G9WIJ1px
ミャンマーはまあお隣みたいなもんだからあれだけど
スリランカも中国と仲いいのかよ。
152 :
神も仏も名無しさん:2013/06/02(日) 12:15:21.17 ID:sMlu7xp1
インドネシアはイスラム教国家ですけど、小乗仏教の寺もありボトブドォール参詣しました。東南アジア各地から仏教徒が集まっていました
153 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 00:14:23.18 ID:85xs/Jjq
www.youtube.com/watch?v=YLFIm2UO3Jo
旧aumにぱくられてるぅぅww
プラムヴィレッジ?方式 がっかりだわ
www.youtube.com/watch?v=66GFqcCpjps
>>144 単に死にたいんじゃなくて、自分の魂そのものをこの世から消滅させて
なくなってしまいたい。そういうものに思える。
>>146 俺は逆に、人生が苦しくてしょうがなかったけど仏教を勉強し始めてから少しずつ苦しみが薄れてきた。
黒宮 ニイナ
>157
自分は自分の不安が一発で消失したことで、不安と思っていたことが
自分の捏造であったと気がつき
楽になった。
不安が捏造なら、怒りも、悲しみも、何もかも自分の捏造にすぎないと
理解できるから
そういうものがなくなれば喜びと楽しか残らない
その喜びも捏造だから
それも消え
静かな波も立たない山奥の湖の
様な不動で平安な静かな心を観ることができる。
>>159 すごい境地ですね。
悟りを開くと言うのはそういう感じなんですかね?
だれでも
そのくらいはわかるはずですよ
というか
普通の人に怒りの心を誘導して
その心を内観(心随観)してもらい
それが消失する様を実感してもらうと
すぐわかってもらえますよ
163 :
神も仏も名無しさん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:k+/mNlie
裾野が広がって、分散傾向だね。
///
165 :
神も仏も名無しさん:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:lf4jceZj
誰か、テレビアニメで慈経やパーリ語お経を唱えているのを流して欲しい
ニコ動で大乗仏教の「般若心経」を平気で垂れ流して、初音ミクに読ませたり、CDにしたりしたから
特に「魔法少女まどか☆マギカ」のマミさんのテーマとかで「梶原語」とか流しているのを聴いていると
そんなんだったらパーリ語のお経だって可能じゃないか?って見るけどどうよ?
瞑想とは関係無いけど「仏教=抑揚のないお経の唱え方」だけではないよ というメッセージが欲しいので
そんな煩悩はすてるんだ
しかし、日本ではこうでもしないと広まりませんよ?
そんな意味の分からない呪文流したって意味ないし
169 :
神も仏も名無しさん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:b6bFadYQ
>>42 >●スリランカ仏教は世界大戦前の度重なる壊滅を経て戦後復興された新宗教である
これは本当なんですか?
だとするとミャンマーやタイの方が昔の形が残り続いているのですか?
ミャンマーとタイとでは何か宗派的な違いはあるのですか?
170 :
神も仏も名無しさん:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:hJRaMnlI
世界ふしぎ発見で、昔はインドとスリランカをつなぐ砂の道があったと言ってた。
実際、空から見たらその痕跡がある。
スリランカにもお釈迦様が来ていたという伝承があるようだが、
道があったのならありえるなと思った。
【国際】タイのぜいたく僧侶、僧籍剥奪 性的虐待の疑いで捜査
自家用ジェット機に乗る様子が動画投稿サイト「ユーチューブ」に公開され、
ぜいたく過ぎると波紋を広げたタイ人僧侶ネンカム氏について、同氏が寺院を
構える東北部シーサケット県の宗教当局は13日、ネンカム氏の僧籍を
剥奪することを決めた。地元メディアが14日、報じた。
報道によると、タイでは僧侶が異性との性的関係を持つことを禁じられているが、
ネンカム氏が関係を持った「明らかな証拠」が見つかったためだという。
ネンカム氏には子供がいるとの情報もある。
一方、法務省の特別捜査局は、ネンカム氏が15歳以下の児童への性的虐待の
疑いがあるとして本格的な捜査を始めた。
2013/07/14 16:09 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201307/CN2013071401001334.html
172 :
神も仏も名無しさん:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:zQgTgC9P
>>169 ほかのところも滅びかけた時代があったが、
それらの国同士で補完しあってきている。
ハッピーライフを見に行ってきた。
174 :
神も仏も名無しさん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:JKqor6Nx
>>169 大乗仏教は、中国で、道教や儒教や老荘思想が入り込んだし、
江戸時代に、公的に、日本人の宗教観と儒教を組み込んでしまった。
同じように上座部仏教は、何度も廃れては、復興しての繰り返しだよ。
また土着の宗教の影響もあって、
ブッダの教えそのままとは言えなくなっている。
仏教に限らず、どの宗教も、宗祖の教えそのままというのはない。
>同じように上座部仏教は、何度も廃れては、復興しての繰り返しだよ。
>また土着の宗教の影響もあって、
>ブッダの教えそのままとは言えなくなっている。
いつのまにか金色の仏像をつくって拝むようになっているし、
カーストによる出家差別する宗派ができたりするしね。
尼僧も消滅しているし、出家が呪術や占いをしたりするし、
それなのに上座部教義を「金口の説法」と思い込む人がいるのは滑稽極まる。
176 :
神も仏も名無しさん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:pBMzd0MN
どの宗派も釈尊の教えそのままではないが、
どれぐらい「そのままではない」のかの程度には差がある。
結局は人それぞれの好みで宗派を選ぶしかない。
まずは、四諦八正道など、ほとんどの宗派に共通する教えを的に考えるのか、
「南無妙法蓮華経」などのように特定の宗派にしかない特徴的な教えを的に考えるのか。
177 :
神も仏も名無しさん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:E2ELSgS4
戒律はほとんど変わっていないんだよね
戒律から離れている教えほど劣化していると考えて良いのでは?
178 :
神も仏も名無しさん:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:DTQh7jmS
消火訓練準備中にアルコール飛び散り10人やけど 滋賀・東近江市
この事件、東北大震災で沢山の消防団員が使命感から 落命されたことが
周知された。それと自治会活動とが、セットになって、日本人の団結心と
信頼感を阻害する、ニュースですね?
角田美代子事件と山口のかつお事件も隣近所同士で 疑心暗鬼になって
日本人の団結心を こわそうとする動きみたい。この2つの事件は既存のシステムでは
救えないいじめや、犯罪がある→人権擁護法案が是非とも必要?の動きになるかも?
28 :名無しさん@13周年:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:l6rOuIqWP
いい加減、消防団と自治会と檀家制度とかいう土人文化を総括しろよ
>>175 尼僧はそもそもミャンマー、タイには存在すらしなかったんじゃないか?
発展の段階があるとはいえ、「上座部教義」自体が「金口の説法」というのは間違ってないでしょ
八正道にこそ釈尊の教えが存するのだから、大乗であれ上座であれ、八正道を実践する教えこそが「金口の説法」
上座部においては、尼僧サンガは消滅している
結局再建されなかった
尼僧もいるが建前として、正式なものではない
沙弥扱いのようだ
>「上座部教義」自体が「金口の説法」というのは間違ってないでしょ
「上座部仏教の思想形成」春秋社、馬場紀寿著が増刷されたようですよ?
読むとこの手の誤解は解けると思いますが。
「発展の段階がある」と言ったはず
私は基本的に八正道を実践する限り仏説という立場
「上座部仏教の思想形成」は図書館でチラ見しました
他部派の経典捏造は酷いもんだと思いましたよ。
経典範囲を確定して仏語が改変されないよう蓋をしたブッダゴーサは偉大だな、とやっぱり思いますね
また読み直してみたいな
183 :
神も仏も名無しさん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:Lte342dC
上座部教義自体が金口の説法なんてことはありえないが、
金口の説法だから特別価値があるというわけでもない。
お釈迦さんが言ってることも道元さんが言ってることと同じく
修行の参考になる程度だ。
>他部派の経典捏造は酷いもんだと思いましたよ。
他部派× 部派○
>経典範囲を確定して仏語が改変されないよう蓋をしたブッダゴーサは偉大だな
クソもミソも経典として確定してしまったのはまずいのでは?
経典が増えないのは良くても、削ることもできないわけだし。
>他部派× 部派○
いや、四部阿含を積極的に改変したことがマズいわけで
その点、アッタカター、小部をキッチリ分けた大寺派は一応の筋は通ってると思われ
>クソもミソも経典として確定してしまったのはまずいのでは?
義疏の類まで経蔵に入れたのは疑問符が付きますけど
クソと呼ぶほどのものは入ってないのでは?
ていうかそのクソ?たる後期正典や注釈書までアーガマに(!)組み込んだらもっとまずいでしょう(有部みたいに)
やっぱり他部派がデタラメ過ぎて・・・という印象が拭えません
187 :
神も仏も名無しさん:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:pzfCEGbP
蚊がブンブンとうるさく、そのうえ刺していくものですから、かゆくなるので
蚊取り線香をつけたいのですが、不殺生の戒を守らなければいけない身ゆえ
躊躇しております。
みなさまは、蚊に刺されても、不殺生を守り耐えてらっしゃるのでしょうか。
蚊帳とコップをお使いください。
蚊は風に強くないようにおもわれる。
寝るとき扇風機つけとくと刺される確率が少なくなる。
暑くないときは直接風が当たらないようにしたりしてる。
蚊取り線香は人間の体にも良くないよ。
192 :
神も仏も名無しさん:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:Xpqj7cGY
今現在、涅槃に到達された修行者はいるのでしょうか?
宗派を問わず。
ヨーギーならパイロットババ
ヴィパッサナを中心としてる宗派ではいないんじゃないだろうか
四念処や五蘊無我等の重要な瞑想が欠落してるから
まだチベット密教の方が可能性ある
194 :
神も仏も名無しさん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:26if+fj+
>ヴィパッサナを中心としてる宗派
そんな宗派はないぞ。
多分マハシ式のことを言ってるんだろうけど、上座部の修行は清浄道論に基づくもの
であって、ヴィパッサナ中心ということではない。
ヴィパッサナは清浄道論の修行過程の後半部分であって、全てではない。
マハシ式のヴィパッサナは、実は身念住というサマタだと思う。
在家や一般人が禅定にはいるのはなかなか難しいから、そういうやり方で教えているのだろう。
>実は身念住というサマタだと思う
鋭い、そうだと思う
直感的にビッパッサナとサマタは根源的に同じ
であるという認識であります。
観と止を両翼として、使っていくという理解です。
196 :
神も仏も名無しさん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:xAM5POH4
>>194 とすると、地橋秀雄は本来のマハシ式からちょっと逸れていることになるな?
197 :
神も仏も名無しさん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:pNW8WwFX
>>196 194ではないが、そうだと思う。
思考や概念の本質直観を重視しているから、実はかなり独自なところがある。
198 :
神も仏も名無しさん:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:o5h9pQbN
アヒンサは、ヨガでは非暴力、仏教では不殺生と訳されているが同じ言葉を訳したもの。
ガンジー師が非暴力でイギリス軍に抵抗したことは有名だけど、たちの悪い軍隊なら、
殺されてるよ。
君達は、戒を守るために命を落とすこともできるのか?
不殺生とかやって、虫も殺さない「いい人」を演じてるだけじゃないのか?
この世がたえず変化しているのであるから中道は、変化していく自在性を含むものである。
なのに戒を守りつづけるのは、中道の自在性を否定していることだよね。
この矛盾に気が付いている?
199 :
神も仏も名無しさん:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:o5h9pQbN
江戸時代の頃とか、戸籍簿にのるのは3歳以上からだった。
これは、3歳以下の赤ちゃんは殺してもいいということ。
確実な避妊法もない時代、貧しくて育てることができない赤ちゃんは間引きされた。
間引き=殺すということ。
インドも同じようなもんだったのではないのだろうか。
釈迦は出家以前は王子として女三昧に耽る生活だったとされる。
避妊法がない時代、釈迦は望まれない赤ちゃんをどう処理してたんだろうか?
後継者候補があんまり多すぎるのも問題だろうし。
不殺生を守るためたくさんの子をもうけたという話はない。
普通に考えれば、いくら出家まえのこととはいえ、釈迦も子供を間引きしてたと考えるしかないけど、
そんな釈迦が不殺生をとくのは、はなはだ疑問だと思わないか?
200 :
神も仏も名無しさん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:BA4skfhn
>>199 悟ったあとに、不殺生の大切さを知ったのでは?
悟る前と悟った後とは別人格と言えるくらい価値観が変わってしまうのではないでしょうか。
>>199 バカだな
乳児死亡率が50%を切ったのは近代以降
昔は1歳までに半分は死んでたんだよ
だから、戸籍がそうなってた
無知なキチガイは困ったもんだ
202 :
神も仏も名無しさん:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:yL5EtVxq
>>201 子供の生存率が悪かったのは知ってるよ。
「7才までは神のうち」といわれてたんだけど、「7才までは、病気などで死ぬ確率が高いよ」という意味だよ。
1歳までに半分ぐらいは死んでたというのも本当だろうけれど、間引きしてたのも本当だよ。
間引きしても罪にとわれなかったんだよ。
戸籍がそうなってたということは、間引きしても罪ではにということが理解できないのかな?
たとえ1才までに半分死んでたとしても、半分は生存していたのであり、戸籍にのせない理由にはならないよね。
確実な避妊法がなく、貧しい時代、不殺生を守るには、セックスしないということになるよね。
昔の日本の性は今より自由で、寄り合いで乱交があったり、12歳〜14歳の男子を集め大人の女性が性を教えたり(セックスさせる)
、夜這いとか・・・そういうことがおこなわれてたんだよ。
それで避妊法はないんだから、望まれない赤ちゃんはできてしまうよ。
君がなんといおうと間引きはおこなわれていたんだからしかたがない。
http://blog.goo.ne.jp/yun26/e/41b6cbabe00884340e8da0ba2c20aee2 >>200 悟った釈迦には、すべての生命が平等で尊いものに映っり殺生はあってはならないと思ったとしても、それを悟ってない人に外形的におし
つけるのはおかしくないか?
殺す方が重い罪を負って不幸になるから殺すなってことでもあるんだよ。
204 :
神も仏も名無しさん:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:yL5EtVxq
>>203 殺生をすると不幸になるという信仰ですよね。
あなたの個人的な妄想的見解にすぎないとおもいますけど。
安易に答えをだし、わかったような気になってるのは問題だと思います。
現代文明は、自然破壊のうえになりたっているものです。
例えば、干拓工事なら無数の微生物を殺しているのです。
あなたの住んでる家を建てるための整地のときに、いくらかの虫が死んでいてもおかしくないですよね。
それが罪であり不幸になるというのなら、
そして「生きとし生けるものの幸せ」を本願とするなら、
あなたは、現代文明の恩恵を否定し、どこか山奥でくらすべきです。
殺生をすると不幸になるというのは、
殺生が相手の業の浄化となるというオウム真理教のポアの思想と同じレベルの
信仰だとおもいますが。
殺生はやはりエゴイズムなのだがそれでも簡単にそれを否定して、
「はい死にます」というわけにいかないところが生きてるものの難しさであって
殺生是か非か?で割り切れないテーマなのだと思う。
>>204 殺生自体は仏教の中では罪が軽い方で、邪見が一番重いんだよ。
実際殺すときは殺意(意)+殺す行為(身)+場合によって言葉(口)で
結果的に罪が重くなる。個人的じゃなくて、仏教に則って言ってるんだが。
オウムのポアとか、そりゃ邪見だ。
>>202 キチガイは本当に困ったもんだ
1歳までに半分死んでたから、まともに大きくなるまで子どもを戸籍に
載せなかったんだろ
でないと戸籍の半分以上が死んだガキの名前で埋まって無意味な
過去帳になっちまうだろ
本当に思い込みの激しいキチガイは困ったもんだ
209 :
神も仏も名無しさん:2013/09/01(日) 17:09:40.19 ID:32WPv7dq
>>208 キチガイとののしるのは、非暴力の教えに反してるよ。
ことばの暴力もいけないんだよ。
せっかく蚊もゴキブリ殺さず、がんばってるのだろうにだいなしじゃん。
>でないと戸籍の半分以上が死んだガキの名前で埋まって無意味な
過去帳になっちまうだろ
思い込みの激しいのは君だよね。
その半分以上が死ぬというのも、間引きもまざってるし。
半分以下であろうが生きてる赤ちゃんがいるのなら、無意味でないでしょ。
人の命の尊厳を重視するなら、生き残ってる赤ちゃんを戸籍に載せるよね。
なぜ無意味なんだ?ん?
明確かつ合理的な根拠のある説明を求む。
>>209 知能が低いから理解できないんだろ(笑)
どこの国も公衆衛生が発達するまでは乳児死亡率が高い
周産期死亡、乳児死亡はその国の公衆衛生の指標
やたらアホのひとつ覚えのように間引き間引きとほざいてるけど
あんなものは貧しい東北や山村の話だわ
将軍家でも皇室でも、乳児死亡はめちゃくちゃ高かった
徳川将軍の系図でも見てみろ
まともに成人してるのはわずかだろ
そもそも戸籍とは、税金・年貢をとるためにお上が作ってたのに
年貢と関係ない乳幼児記載に労力をとって、何のトクがあるのやら(笑)
バカは死ななきゃ治らない
211 :
神も仏も名無しさん:2013/09/02(月) 00:49:10.06 ID:gC8Pjdx3
>>204 ブッダは、殺生しなくてすむようになる方法をみつけた。
それが輪廻からの解脱、「生きとし生けるもの」の世界からの卒業、平安なる滅び(涅槃)です。
輪廻から解脱しないとまた生まれかわってしまい、殺生をくりかえしてしまう。
解脱して生きものと関わらないなら生きものを殺すことはない。
涅槃に入ったお釈迦様は二度とこの世に現れない。
だからもう、お釈迦様は細菌一匹さえも殺すことはないのです。
>>211 それジャイナ教じゃねえの?
お釈迦さまはそこまで極端じゃねえのでは
213 :
神も仏も名無しさん:2013/09/02(月) 03:10:15.27 ID:oyLcit3T
>>210 >戸籍とは、税金・年貢をとるためにお上が作ってたのに
檀家制度により、坊主が戸籍を管理しての知ってる?
宗教統制のためにも戸籍はあったんだよ。
年貢をとるためには、家族が多いほうがよいのでは?年貢の取立ては家族の人数が基準だったんだよ。
>あんなものは貧しい東北や山村の話だわ
何を根拠に?
だいたい戸籍が3歳からなのに、3歳までの赤ちゃんが間引きされなかったということは
わからないよね。昭和初期ごろまで、間引きはおこなわれていたよ。
生まれてすぐ殺せばわかんない。現代でさえ、生んですぐすてたり、流産させたりする人いるんだから、昔なら当たり前だったと思うよ。
>どこの国も公衆衛生が発達するまでは乳児死亡率が高い
「7歳までは神のうち」というのを書いたよね。でも戸籍とは関係ない話だよね。
子供の死亡率と戸籍制度とは、関係ないよね。君は論点をずらしてるよ。
現代とちがって、栄養事情、医療レベル、経済レベルが低く赤ちゃんの死亡率が高いのはあたりまえだよ。
問題にしてるのは、完全な避妊方法がなければ、子供はできてしまう。貧しい時代、どうしてたのか?ということが問題なんだけど。
避妊法と殺生についての問題なのに、戸籍にこだわっているのは君のほうじゃないか?
>>213 1.戸籍に記載しなくていい=間引きは許されてた
というトンデモ仮説をぶったてたのは
>>199でお前
2.戸籍は奈良時代の租庸調の時代から、租税目的
だから江戸時代は武家は戸籍に乗らない(宗教統制?ぷぷぷ)
3.半分以上死ぬから乳幼児を記載しないと書いてるのに
戸籍制度と関係ないないと言うか?
論点ずらしでも何でもないだろ。無意味な労力になる
お前が自分の「戸籍に載せないガキは間引きしても良い」
というキチガイ仮説の理由に戸籍を持ち出した
わしは、子どもを戸籍に記載しないのは昔は乳児死亡率が高く
半分以上死ぬからである
という当たり前の事実を書いてやった
理解力が欠落してるのはお前
215 :
神も仏も名無しさん:2013/09/02(月) 11:30:39.66 ID:oyLcit3T
>>214 だから、生存率がわるいのには、間引きもはいってるの。間引きを禁止するなら、生まれたらすぐ戸籍に載せるべきで。
実際に江戸時代の一時期、間引き禁止令がでて、それで、人口が3000人増えてる。
君の言う生存率が悪いから戸籍に載せないとうのは、間引きや病気なので生存率がわるいから戸籍に載せないということなの。
つまり間引きは公認されてた。
江戸の町は、当時世界的にみても衛生的だといわれているけど、人口増加がなく、一定の人口が保たれていたからだよ。
なぜ一定の人口が保たれていたかというと、当然、間引きも、その要因の一つ。
女の子は間引きされやすく、だから江戸時代は女子の数が男性にくらべて、えらい少なかった。病気や栄養事情だけの理由で死ぬなら、男女の比率は同等のはずだよね。
もういちど言うよ。
(君の言う)生存率が悪いというのは、間引きがあったから(もちろん病気もあるけど)。
つまり間引きがあったかから戸籍に載せないということだよ。
>>215 あのな
1.戸籍作成の目的は年貢徴収のため
だからムダな乳幼児登録に人力は割かない
2.江戸時代の乳児死亡率は50%。間引きによる減少なんぞ誤算の範囲
3000万人の人口に対し3000人は0.01%。統計誤差だわ。
3.江戸は農村と比較し、著しく衛生状態が悪く、人口の蟻地獄
農村から江戸に出た奉公人の多くは子孫を残さず死んでいった
人口再生産能力が低い都市。そんな所を例に出すかよ
戸籍に載せない=間引きが許可されてた
というお前の仮説を立証できる証拠がひとつもない
>>215 江戸の町の男女人口の差は、参勤交代や奉公人で男が入府してたから
それも上方から入植者の多かった江戸前期は男女比の差が著しかったが、
後期には改善してる
男女比の差が著しい=間引きが横行の説が正しかったら
アメリカ西部の開拓時代は間引きだらけだったわけだ(笑)
「近代以前の乳児死亡率が低かったのは間引きのせい
本当はもっと高かったはず」
という珍説をぶっこくやつは
せめて学生の公衆衛生の教科書でも読んで勉強しろよ
219 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 10:43:21.14 ID:4/y1kvUS
>>217 >>218 もうすでに結論はついてるはずなのに、しつこいね。間引きはなかったといいたいのか?
3歳以下は戸籍簿外というのは、間引きを公認してたということじゃないのか?
間引きや中絶がなかったというのなら、避妊法がない時代、できた赤ちゃんは全部育てたのか?
(途中、病気などになったとしても)
貧しくて育てられない場合はどうしたのか?遊女などは、身ごもった赤ちゃんはどうしたのか?間引きはなかったいう根拠がだせるか?
>>216 >>間引きが許可されてた というお前の仮説を立証できる証拠がひとつもない
立証もなにも、3歳以下の子供は戸籍にのせないといことが、間引きを公認してたという証拠でしょうが。法には解釈というものがあるというのが糞馬鹿単純な脳ではわからないのか?あん?
>>210 >将軍家でも皇室でも、乳児死亡はめちゃくちゃ高かった
昔に赤ちゃんの死亡率が高いことぐらい誰でもわかっとるわ。
将軍が大奥でセックスしまくってできた赤ちゃんは全部育てたのか?間引きしなかったとしたらどうしたのだ?
戸籍が本来、税のためだというのもあたりまえのことだけど。
戸籍にのせないのは、死亡率がたかいからというのは根拠になってないのだが。
死亡率がたかいというのは、間引きも含んでのことだいし。
死亡率が高くても載せればいいだけのことですから。
手間を省くというためであれば、それだけ、命が重んじられてなく、間引きを容認してたということでしょ。
>「近代以前の乳児死亡率が低かったのは間引きのせい本当はもっと高かったはず」
間引きだけが原因とはいってないよ。君のいうとおり衛生面や栄養・医療の問題があったでしょうね。
単純な足し算引き算で、間引きがあれば死亡率は高くなるよね。間引きはなかったと証明してくれるか?
220 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 12:11:33.63 ID:4/y1kvUS
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130511/mds13051117420003-n1.htm ↑人身売買のための赤ちゃん工場摘発の記事。
これが悲惨なのは、赤ちゃん工場で生まれた赤ちゃんは戸籍がないから、たとえ抹殺されても失踪事件にすらならないということだ。
はじめからいない人なんだから、闇から闇へ葬られてもわかんない。
戸籍が税徴収のためであることは確かだけど、戸籍にのることによって初めて国民となる(←ここ重要)。江戸に存在している人になるわけだ。
江戸時代に3歳以下は戸籍にのらなかったということは3歳以下の子供は、江戸の民ではなく、人として認められてないということなんだよ。
3歳以下の子供は、いない人なんだよ。
だから間引きされようが殺人にはならない。間引きしてもはじめからいない人なんだから。
つまり、これを間引きを公認していたことといわずなんという?
ねぇわかった?これだけいってもわかんないなら、無理だから、リアルの世界で誰かに相談したらいいよ。
221 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 12:37:27.69 ID:zbQYatuU
>>220 システム上殺人がバレないことと、犯罪でないこととは、別では?
223 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 13:17:49.57 ID:4/y1kvUS
>>222 将軍が大奥でセックスしまくってできたこどもはどうしたのか?って聞いてるの。
間引きしてたのではないなら、どうしてたのか?
昔は死亡率が高かったことは、わかってるってイッテルだろうが。
肝心なことはスルーして、昔は死亡率が高かったと繰り返すだけ
結局逃げてるだけじゃん。
当時の間引きの動機は、まず生活苦からだろう。
どうして金満の大奥で間引きせにゃならんのか、動機からしてねーじゃん。
225 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 13:24:19.44 ID:4/y1kvUS
江戸時代、戸籍では春夏に生まれた子供は少なく、冬に生まれた子供は多かった。
年貢の取立てが厳しく、母親が農作業を休み、赤ちゃんに手間をかけることができないため、
農作業に忙しい春夏に生まれた子供は間引きされた、または世話をせず放置(消極的間引き)した。
冬は農作業がなくなるため赤ちゃんは間引きされず、結果生き残った。
当局も、事情はわかってるし、母親が農作業に専念して年貢がへってら困るから、黙認していた。
226 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 13:31:06.43 ID:4/y1kvUS
>>224 大奥といっても多いときで、2000人以上いたんだよ。
その全員とセックスしてたかどうかはわからないけど、とっかえひっかえセックスできたんだから、オウムの麻原でさえ数年間で10人以上の子供を作っていたから、
若いころから大奥でセックスしまくってたら、そうとうな数の赤ちゃんができてたはず。
そういのはどうしてたのかなと?
227 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 13:42:23.90 ID:4/y1kvUS
228 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 13:45:26.90 ID:4/y1kvUS
http://juneh.exblog.jp/13733250/ >軍家の場合、嫡男以外の男子は、家臣の大名家に養子に出されますが、その家を継ぐはずだった嫡男は、またさらに他家の養子になるか、隠居するかしなければなりません。
また、姫の場合、大名家に嫁ぐと、婚家は、住居用屋敷の建造や莫大な生活費が必要です。幕府側も大名家に「もらってもらう」ために、莫大な支度金や、幕府での特別待遇などを用意します。
いずれにせよ、将軍家にとっても、受け入れ側の大名家にとっても、多大な負担が発生するわけです。
「嫡男は欲しいけど他は・・・・・」
という心境になるのでしょう。
将軍 家慶の子供は、14男13女にのぼりましたが、成人したのは家定ただ1人。姫達の平均寿命は、わずか11歳。
陰には、乳母による育児放棄や虐待などが少なからずあったようです。
そもそもは釈迦が子殺しをしたかが問題なんだろ?
もうお前ら別の場所でやれよ。
それに釈迦が子殺しをしたかどうか記録が残ってないのに妄想だけでどうこう言っても仕方が無いだろ。
230 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 14:34:40.95 ID:4/y1kvUS
>>229 妄想だけではないよ。
出家まえは釈迦は、美女を何人もあてがわれてセックス三昧に浸ってたという話が残っているし。
当時、避妊法がなかったのは事実だし、普通に考えれば、釈迦は知らなくても、間引きしてたと考えて普通。
あと釈迦が生きてた当事の在家者は、避妊法がなく、できた赤ちゃんをどうしてたのか?
貧しくて生活に余裕がなかったのは江戸時代の農民と同じ。
釈迦が働き手である息子を出家させてしまうことで、農民から石を投げられたという話も残っている。
殺生をしない(間引きしない)とするなら、奥さんとのセックスもできないことになるけど、セックスしなかったとは考えにくい。
現代は豊かだけど、でも避妊法がなかったとしたらどうする?
>>230 間引き間引きって
周産期死亡率や乳児死亡率という知識が欠落してるから珍説を妄想するんだよ
近代以前は多産多死社会であることをまず理解せよ
乳児死亡率が著しく1歳までに半分が死亡
成人するのはまれ
女は生涯子どもを産み続けてようやく人口が維持できるという状況
出産時の母体死亡率も著しく高く、10人に一人以上。
当時の20-40代は女の死亡率はお産のために非常に高い
今の、子どもは育って当たり前。母親も安産で当たり前という社会と全然違う。
お釈迦さまも摩耶夫人は出産時死亡してるだろ
飢饉の時や、貧しい東北の話を聞きかじってひけらかすから恥をかく
>>228 よくまあ、そんな珍説のバカ本を信じてるもんだ
将軍家のご子息・姫君の乳母なら栄耀栄華が思いのまま
ご子息なら、最低でもどこかの大名家の養子に行くから
お袋さま、乳母にとってはメシのタネだろ
お世継ぎ争いしてる相手を毒殺するならまだしも
自分でメシのタネを間引く云々なんぞ説なんぞキチガイ珍説
233 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 16:32:45.05 ID:4/y1kvUS
234 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 16:34:41.96 ID:4/y1kvUS
235 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 16:55:01.90 ID:4/y1kvUS
236 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 17:05:38.86 ID:4/y1kvUS
237 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 17:18:09.85 ID:4/y1kvUS
238 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 17:28:50.69 ID:4/y1kvUS
インドでは現代でも間引きは多いからね。
昔はもっとあったでしょうな。
>>234 まさに狂人
だから、アホな通俗本を読むより学生レベルの公衆衛生学の教科書でもまず読め
近代以前の周産期死亡が高い主原因が間引きかよ
まれな例を持ち出して、論拠を進めると間違う
東北など貧しい地域で一時期あったかもしらんが
そんなものなくても、公衆衛生が発達していない時代では
乳児死亡率は著しく高く、多産状態でも人口は増えない
公衆衛生が発達すると多産少死状態となり人口爆発がおこる
日本だけに限らず、世界中のどこの国でもそうだわ
こんな当たり前のことが理解できないのは
お前は脳に欠陥があるんじゃねえか?
>>199以降のID:4/y1kvUSの妄想・珍説をまとめると
1. 日本では子どもは将軍家を筆頭に間引きしまくり、それが主因で周産期死亡率が高かった
2. 子どもは戸籍に載せなくていいので、みんな喜んで間引きまくってた
3. お釈迦さまもセックスし放題だったので、きっと間引きしまくったはず
どこからどう見てもキチガイのたわごと
241 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 18:26:42.32 ID:4/y1kvUS
>>239 公衆衛生のみで人口の増減がきまるとでも?
それこそ馬鹿のきわみの発想ですな。
キチガイの発想ですな。
人口の増減に一番影響するのは食料の生産性ですよ。
あたりまえでしょうが。
こんな基本的なこともわかってないやつに理解させようとしても無駄だということがよくわかった。
馬鹿は死ななきゃ直らないというのは、まったくそのとうりだね。
江戸期は、海外との交易は、薬(漢方薬など)や貴重品などに限られていて、今の日本のように相当数の人口をまかなうほどの食料貿行われてない。
つまり、日本国内で取れる食料分しか人口はまかなえないから、その上限付近に達したら人口は増えない。
だから、農村では不要な胎児はおろしたり、間引きしたり、奉公や女郎屋に出して口減らししたたんだよ。
そうしないと、農村では自分達が飢えるからね。
江戸時代に間引きが頻繁に行われていたのは、研究の成果なんだが、
自分に不利なことは認めたがらないうやつはどこにでもいるもので、
どんな証言、どんな資料があろうと認めないのだからしょうがない。
自分に都合の悪いものは「俗説」「珍説」なんだから、話になんないね。
>>241 食料がいっぱいあった明治帝の子どもについてコメントは?
243 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 18:35:23.93 ID:4/y1kvUS
244 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 18:40:53.19 ID:4/y1kvUS
どんなに公衆衛生面をよくしても、食料がなきゃ人口が増えるわけないじゃん。
そして、江戸の町が当時、世界的なレベルでみても衛生レベルがたかかったといわれてるのは、人口が増えなかったからだよ。
人口が増えなかった理由の一つは間引きや中絶ですよ。
どうせ何回いっても理解しようとしないんだろうけどね。
>>243 明治帝のように日本最高水準の衛生・栄養状態でも
昔は子どもは満足に育たなかったのは認めるの?
認めないの?
1.日本の乳児死亡率が高かった主因が間引きだった
2.戸籍に記載しなくていい=間引きは公認し放題
という暴論は撤回するの?
そののままですか?
246 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:00:39.38 ID:4/y1kvUS
>明治帝のように日本最高水準の衛生・栄養状態でも 昔は子どもは満足に育たなかったのは認めるの?
認めないの?
人口は増えたのではないでしょうか?
私は学者でも研究者でもないので、あらゆることを知ってるわけではないので、「どう満足に育たなかったのか知らないので」返答できません。
それに衛生面さえよければ、人口が増えるというのはわたしの説ではないですし。
食料事情が人口増減に大きくかかわるのは事実ですし。
江戸期の話なのに明治期をだされてもまた事情が違うので知識もないので、返答はできかねます。
>1.日本の乳児死亡率が高かった主因が間引きだった
主因が間引きだったとはいってませんが。間引きや中絶も要因の一つでしょう。
>2.戸籍に記載しなくていい=間引きは公認し放題
という暴論は撤回するの? そののままですか?
暴論ではありません。
事実上、間引きを公認または容認または黙認していますよね。
違いますか?
間引きで罰せられたというのも、今のとこ知りません。
公認または容認または黙認であったのは事実ですからしかたありません。
撤回するしなの問題なんですね。君達にとっては。
歴史的事実などどうでもいいと。
歴史的事実がどうだろうと食って糞して寝るだけなんだよ
>>246 明治帝も将軍家でも同じだろ
栄養状態は日本最高水準だったが
史上最強の絶倫将軍・徳川家斉は子どもが53人いたけど成人したのは28人だ
半分近く死んでる
これが多産多死社会
また、現代ではアフリカ諸国は食糧増産がないのに、公衆衛生が発達して
周産期死亡が減少したから人口爆発がおきてる
お釈迦さまも間引きした!という思いつきの仮説のために
真実をねじ曲げて論じるのは止めろ
249 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:16:14.59 ID:4/y1kvUS
>>249 江戸は農村に比べて衛生環境は劣悪で、人口再生産能力が著しく低かった
奉公人の多くは子孫を残せず死んでいった(これは今の東京にも通じるが)
と
>>216で既にわしが書いてやっただろ
社会の発展段階は
多産多死から多産少死亡を経て、少産少死になると
どの教科書でも書いてあるだろうに
お前は出来の悪い高校生か?
お釈迦さまも間引きしたはず
というぶっ飛び論を展開するために、めちゃくちゃなことをほざくのはヤメレ
251 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:28:40.99 ID:4/y1kvUS
>>248 >現代ではアフリカ諸国は食糧増産がないのに、公衆衛生が発達して 周産期死亡が減少したから人口爆発がおきてる
衛生状態がよくなれば、病気がへるから人口はふえるでしょうね。
ただそれだけ。あたりまえじゃん。
食料事情がよくなってても人口は増えたっでしょうね。
両方がよくなればもっと人口は増えたでしょうね。
あたりまえじゃん。
>栄養状態は日本最高水準だったが 史上最強の絶倫将軍・徳川家斉は子どもが53人いたけど成人したのは28人だ
半分近く死んでる これが多産多死社会
栄養状態もよかったけど、衛生状態もよかったでしょうね。世界一衛生的な江戸の町で、そのうえ将軍さまのお子様ですから、
不衛生にするわけがない。
それでも半分は死んでるのですよね。
それに大奥にも間引きがあったと歴史学者が報告しているのでから、それが嘘であることを証明してくださいな。
で、世界一衛生面がよかった江戸でどうして人口が頭打ちになったのですか?
都合の悪いことはスルーしないでください。
真実をねじ曲げて論じるのは止めてくださいね。
252 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:33:16.09 ID:4/y1kvUS
>社会の発展段階は 多産多死から多産少死亡を経て、少産少死になると
これと間引きの在りなしとは直接は関係ないよね。
無理やり結び付けてるだけじゃん。
多産多死=間引きがなかったことの根拠にはならないよ。
253 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:36:00.36 ID:4/y1kvUS
俺は釈迦も出家前は、間引きした可能性があるといってるだけじゃん。
それを認めたくないくら、「多産多死」をお叫びつづけてるだけじゃん。
いいかげんにしたらキチガイさん。
>>251 1.はじめに、近代以前は都市の衛生環境は劣悪である。
江戸はパリやロンドンに比しマシだったかもしれないが
国内農村に比べ衛生状態は劣悪。人口再生産ができず、周囲の農村から
出稼ぎ、奉公人を吸引し続けた。
2.将軍家の衛生状態といえど、近代以前は今から見れば未開土人状態。
母子の死亡率は比べものにならない。
3.多産多死社会では人口がなかなか増えない。たくさん産まれてもたくさん死ぬから。
多産多死。多産少死亡。少産少死。の社会の発達段階を理解せず
間引き間引き間引き間引き。お釈迦様もセックスし放題だったら間引きしたはず
という論を始めたキミは頭がおかしい
255 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:40:31.57 ID:4/y1kvUS
>社会の発展段階は 多産多死から多産少死亡を経て、少産少死になると
多産多死になるのは、農作業のじゃまになる、貧しくて育てられないなどの理由から、間引きする。放置するからじゃん。
もちろん他の要因もあるだろうけど。
衛生面だけじゃないでしょうが。
それを認めるの?
256 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:41:37.44 ID:EYkQ5819
おい、支那朝鮮はどうなんだ?
日本ばかりを取り上げたら不公平じゃないか。
257 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:44:21.99 ID:AX6yfvpM
出家前の釈迦が仮に間引きしたとして、何の矛盾があるのかな。
高弟に大量殺人者もいるんだから、ぎゃーぎゃーさわぐなら空想の間引きじゃなくてそっちを言えばいいのに。
戒律というのは仏法修行上のマッピングでしょ。
戒律つくったあとにセックスして間引きしたなら、そりゃ矛盾だけど。
>>255 貧しい東北や山村などではあっただろうがと
>>210でわしは
論拠を進めておる
近代以前の乳児死亡の大勢に影響を及ぼすものではない
しかし
キミは豊かな王家でも金持ちでも
とにかく間引き間引き論者じゃなかったの?
食料は無関係なんでしょ(笑)
将軍家・皇室など
お家のお世継ぎを持つのが大切で、側室を用意するのが当たり前の
社会でも間引きしまくってた!
とID:4/y1kvUSくんが仰天論をほざいて
王家の生まれのお釈迦さまの間引きする必要があったを喚く
王家の生まれで子どもがバカスカ産れたら
王室としては大喜びだろうと
普通は考えるけどね
ここがID:4/y1kvUSくんオリジナルの素晴らしさだね
260 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 19:54:01.81 ID:AX6yfvpM
つーかさ、間引きした証拠なんて永遠に見つからないんだから、ほっときゃいいんじゃね
>>260 いや、このID:4/y1kvUSくんのぶっ飛び論はすごい
「豊かな王室生まれのお釈迦さまでも側室に子どもができたら、
間引きするはず」
こんなオリジナリティ溢れることを思いつくひとはなかなかいない
常識人では考えつかない
262 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:03:50.47 ID:4/y1kvUS
>>258 馬鹿に付き合うと疲れるわ。
大奥でも間引きがあったが、それは食料事情だとはいってないよね。
大奥でも間引きがあったことを歴史学者がいってるんだから、それを否定しうる論拠をださないといけないでしょうが。
江戸時代、一般的に間引きがあったことは歴史的研究であったとされてるんだから、なかった根拠をださないといけない。
俺が勝手にいってるんじゃないんだ。学者がいってるの。
公衆衛生面だけで、多産多死を論じるのも無理があるよね。
公衆衛生には食品衛生もふくまれてるわけだし。
食品衛生には、まず食料が必要だよね。
で、インドでは現在でも間引きはおおいんですけど。
間引きが多いのは事実として確認されてるんですけど。
事実なんですけど。
君の公衆衛生論や多産多死論がどうであろうと、現実に現代でもインドでは間引きがあるのですけど。
インドでの間引きは、どういう屁理屈で「なかった」ことにするつもり?
>>262 キミがあげた
>>227って学者が書いたものじゃねえだろ
「あったようです」ってナンデスカ
教科書レベルのものをもってこい
多産多死社会の次は多産少死社会
だから今のアフリカで人口爆発がおきて飢餓が生じてる
264 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:10:38.15 ID:AX6yfvpM
出家前には、釈迦はオナニーはしただろう。セックスもしただろう。
それらは戒律で禁じられてるけど、出家前なら問題ない。戒律ができたのは出家後だからね。
ちなみにこれが仏教の二百五十戒。
それらに対する罰則も、追放から懺悔ですむものまでさまざま。
http://www3.ocn.ne.jp/~zuiun/77gusoku.htm 五十二、水の中で遊んではならない。(比丘は泳いではならない)
五十三、指でもって他比丘をくすぐってはならない。
五十四、他比丘の忠告は謙虚に聞かなければならない。
釈迦も出家前はやっただろう。でも、それがなにか?ってなはなしだ。
>>264 女抱き放題だったんだから
お釈迦さまオナニーはしなくていいんじゃね
266 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:14:44.95 ID:4/y1kvUS
>多産多死社会の次は多産少死社会
だから今のアフリカで人口爆発がおきて飢餓が生じてる
だから?
江戸時代の間引きとどう関係あるの?
馬鹿の一つ覚えだよね。
江戸またはインドの話にしてくれる。
アフリカ関係ないし。
267 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:17:33.04 ID:4/y1kvUS
釈迦には奥さんが3人いたんだよね。
それで子供が3人だってっけ?(うろ覚え1人だったかも)
奥さん3人で子供3人じゃすくないよね。
多産多死だけですませられるかな?
>>266 根本的に理解力が欠落してるね
多産多死、多産少死、少産少死と社会が発達していくとき
人口爆発がおきるのは多産少死のとき
人口調整が必要なのはこの段階
キミがあげた現代インドは多産少死社会に移行したわけだ
逆に多産多死社会では人口調整は必要ない
めいっぱい生み続けてようやく人口が維持できる社会だから
社会の発展段階をアホに噛んで含めるように書いてやってる
269 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:19:14.25 ID:AX6yfvpM
>>266 君は江戸を持ち出さずに、釈迦の時代とインドの王族環境と釈迦の肉体的特質と、まあどうでもいいから
釈迦が間引きをした論拠を出してみてよ。
時代も場所も遥か離れた江戸時代をださず、推論でもなく、確証を。
で、絶対に三段論法以外で。
270 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:27:05.25 ID:4/y1kvUS
>>269 俺は、間引きしたんじゃないかという推論しただけで、「していた」と断定してはないから、確証をだせといわれる筋合いはないし。
断定はしていないのに確証をだせということじたい馬鹿だし。いいがかりだし。
釈迦が間引きしてたかもしれないと思う論拠はすでにかいたし。
それに経典なんて確証のだせるものどれだけあるんだ?
釈迦の手には水かきがあったなんて、確証をだせるやついると思う?
271 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:33:37.59 ID:4/y1kvUS
>>268 屁理屈とこじつけはもういいから・・・・現代のインドでも間引きはあるの。
嫁入りにお金がかかるから女の子を間引きする。
昔からあるわけ。
でもそれを許してるわけでもなく、問題視されてるわけ。
だから「多産少死社会」で人口調整・・・・とは関係がないわけ。
インドでの間引きと人口増とは関係がないの。
272 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:37:55.04 ID:4/y1kvUS
俺は釈迦が間引きしてたんじゃないかという推論をしただけ。
それなりに論拠もだしたけど、憶測でしかないの当然のこと。
それぐらいで、必死になるというのは、それぐらいで、信仰に傷がつくということか?
しょうもない。
こういう意見のやつもいるのだな、と思えばいいだけのことじゃん。
273 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:41:39.36 ID:4/y1kvUS
>>264 がいってるように、たとえ釈迦が間引きしてたって、出家前なんだからいいじゃん。
おれは、出家まえとはいえ、間引きしてたら、在家信者に「不殺生」をいうのはおかしいとは思ったけど、個人的意見なんで。
憲法により表現の自由は許されてますので。
274 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:41:47.66 ID:AX6yfvpM
もう、「殺した、間引きした」でいいんじゃないの?
ついでに髷を結ってて日本刀を帯びて緑茶飲んでた、でも。
彼のいう推論を否定しても、確認なんてできないしね。
275 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 20:47:09.35 ID:AX6yfvpM
そもそも戒ってのは別に押し付けでなく、信者に
仏教的悟りへ導くためのガイドラインなんだけどな。
健康になりたきゃ禁煙しろみたいなもんで。
自分で望んで信者になった奴が、
「以前タバコすってたお前が言うのはおかしい」とかいうのはヘン。
「おしつけ」とかどっから来た発想なんだか。その発想が馬鹿すぎるって話だよ。
276 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 21:03:26.83 ID:AX6yfvpM
お前の論争してた相手も釈迦が間引きしてた論拠は薄いといってただけじゃないの。
それなりに論拠もだしてたけど、憶測でしかないの当然のこと。
それぐらいで、必死になるというのは、それぐらいで、お前の人生観に傷がつくということか?
しょうもない。
こういう意見のやつもいるのだな、と思えばいいだけのことじゃん。
278 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 21:20:39.56 ID:4/y1kvUS
釈迦には奥さんが3人いて、それぞれに1人づつ子供がいた。
少ないよね。
それに各1人づつなんて、うまいことよくそろえたもんだ。
多産多死で死んだなら、それなりにその話も残っててもいいもんだが、ないんだよね。
釈迦の父は、釈迦が出家することを恐れて、常時、釈迦に女をはべらせた。
奥さんのほかに女がいたということですかね。うらやましい。
そういった女とセックスして子供ができないとは考えにくいけど、どうしたんですかね。
多産多死で死んだなら、それなりにその話も残っててもいいもんだが、ないんだよね。
不思議、不思議、不思議。
釈迦は膣外射精の達人だったのかも!
それとも間引き?たぶん間引き。きっと間引きかもね。
279 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 21:22:01.44 ID:EYkQ5819
日本とかインドの話はうんざりしたよ。
それより支那朝鮮の間引きの歴史をくわしく頼む。
280 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 21:23:20.00 ID:AX6yfvpM
>>202 >悟った釈迦には、すべての生命が平等で尊いものに映っり殺生はあってはならないと思ったとしても、それを悟ってない人に外形的におし
>つけるのはおかしくないか?
俺は信者じゃないからセックスするけど、あんたも別に釈迦にセックスするなって言われたわけじゃないんだろ?
釈迦みたいな奴もいるんだ、って思っとけばいいじゃん。
釈迦は修行の後悟って、信者に対して、セックスや殺生が悟りを妨げるのだと提唱しただけ。
それなりに論拠もだしたけど、宗教だから実践しなきゃわからないの当然のこと。
それぐらいで、必死になるというのは、それぐらいで、お前の人生観に傷がつくということか?
しょうもない。
こういう意見のやつもいるのだな、と思えばいいだけのことじゃん。
憲法により信仰の自由は許されてるんだから。
281 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 21:49:59.12 ID:4/y1kvUS
>「おしつけ」とかどっから来た発想なんだか。その発想が馬鹿すぎるって話だよ。
スマナサーラ長老を拝見したとき、殺生について質問したら「殺生はしないでください」
ってハッキリ言われたよ。努力目標ですからと言われたなら「おしつけ」とはおもわなかっただろう。
そのうえ、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と唱えるわけで、
それで、俺はおしつけられてると感じるんだから、しかたがないじゃん。
殺生してるのに「生きとし生けるものが幸せでありますように」と唱えなきゃならないんだから、苦痛であり押し付けられてると感じる。
唱えなくていいなら、戒はたんなる努力目標だとおもえるけどな。
出家者は説法では不殺生を説きながら、信者が殺生した肉の食事のお布施を受ける。
これって、どろぼうに「窃盗はいかん」ってどろぼうに説教しながら、どろぼうが盗んできたお金をお布施として受け取るのと同じようなもんだ。
282 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 22:03:49.24 ID:TMZkF4n5
>>281 それでおしつけられたと感じるならお前は何しにいったのw
自分のために殺された生き物を食べてはいけない。
労働は禁止。食事はすべて他人からもらう。
だから一刻も早く解脱しないといけない
>>281 だからさ、もうやめたらいいじゃん。やめなよ。だれかに、信者になれって言われたの?そうじゃないよね?
君が納得いかないなら、だれもやれなんて言わないよ。そもそもなんで君はそんな間引き男の宗教のところに、瞑想なんかを学びにいったのぉ?
間引きのことなんか君にははじめからわかってたことじゃん?瞑想にしろ戒律にしろ、君が矛盾を感じる間引き男のおしつけなのにさ、
なんでそんなところにいったのぉ?瞑想を「おしつけ」るようなところにさ。そこいくと、「瞑想してください」なんて言われちゃうんだぜぇ?
ひどいよね!仏陀は、自分は出家前は瞑想をしてなかったくせに、信者には瞑想しろなんていうんだぜぇ?
矛盾だよね。
これも、君の理屈だと、押し付けだよね。自分は「以前は瞑想してなかったくせに」ねぇ!「瞑想しろ」だなんて!
「出家前には間引きしてたくせに」信者に「殺生するな」、と押し付けるのとまったく同じことだよね?
しかし、なぜ君がそんな間引き男の瞑想センターにわざわざでかけて、思想やら瞑想やら「押し付け」られに行ったのか、
ぼかぁわからないなあ。貴重な時間と交通費をかけて!
行かなきゃ玄関で靴を脱げともおしつけられなかったし、下半身丸出しにしちゃいけないようなことも押し付けられなかったと思う。
殺生するなともいわれなかったでしょう。
でも行ったのは自分の意思だろ?行ったからにはあちらの言うことを耳に入れなきゃいけない。それって君には「おしつけ」だよね。
やめなよ。さあ。今すぐ。このスレにもいる必要ないだろ?誰もいてくれともいってないし。
いたっていいけどさ、君にはなにもかも押し付けになるんだし、誰も君に押し付けたくないんだよ何も。
285 :
神も仏も名無しさん:2013/09/04(水) 01:24:49.06 ID:CkwfQc4D
仏教徒であるなら、悟り(煩悩の消滅)や解脱を目標にしているはず。
その目標に近づくためには、殺生しないほうがいい。
仏教の長老にわざわざ質問しに来た人がいたなら、長老は、
上記の目標に近づくにはどうしたらいいかという意図で質問していると思うだろうし、
そのような方向で回答するに違いない。
286 :
神も仏も名無しさん:2013/09/04(水) 05:47:10.91 ID:9h1dvo5c
>>284 君に言われなくても辞めるか辞めないかは自分で決めるよ。
というかまだやり始めてもいないよ。
求道歴はながいけど、原始仏教とどうかかわっていくか検討中なんだよ。
そのためには、精査しないといけないだろ。
安易な信仰は思考停止をまねくからね。
非常にくだらない、レベルの低い君のおせっかいなど無用だよ。
自分のいってることがレベルが低いとわかってる?
スマナサーラ師のセミナーにいったのは、超有名な人が地元へきたのと、殺生への質問をするためだよ。大御所に直接質問しにいったらいけないのか?
行くまでは「押し付け」と感じてないわけだから、そして知るためには行く必要があったから、行ったことまで非難されることはないよ。
セミナーへの人を集めてたのは、協会のほうなんだから、それに乗っただけであり君に非難される筋合いはない。セミナー開いた教会に文句いえば?
押し付けだと感じているのは、個人的なものであり、押し付けだと感じてる理由はかいたよね。
その疑問に返答するならまだしも、疑問や異論をとなえるなら「出て行け」「辞めろ」・・・・・・とは、まったくレベルが低い。
疑問をもつなということか?
そして疑問や異論をとなえられると、いままでまともに考えてこなくて、返答もできないし、自分の仏教におけるアイアンディティに傷がつくから、非難し
「出て行け」「辞めろ」なんだよね。最低!やね!
スマナサラー師のことは、非常に尊敬しているよ。
287 :
神も仏も名無しさん:2013/09/04(水) 16:24:55.55 ID:oWLu/tEH
>>284 なんで「殺生はしないでください」がおしつけで
「努力目標ですから」といわれたらおしつけじゃないの?
普通は自分の意思の自由な部分に他人から強制されればおしつけと思うけど
努力目標だとなんで納得できるの?
結局は押し付けじゃないの
目標を勝手におしつけてくるんだから
288 :
神も仏も名無しさん:2013/09/04(水) 21:08:13.16 ID:CkwfQc4D
>>287 医者に来た人が、「ここの医者は健康になる方法ばかり押し付けてくる」と言うのはおかしい。
同じように、仏教の指導者に話を聞きに来て、
「悟る(煩悩をなくし)ための方法ばかり押し付けてくる」と言うのもおかしい。
そういう場所のそういう指導者の元に自分からやって来ておいて、そりゃないよネ。
戒律が悟りのためのものなら
在家で悟りを目指してない人もいるだろうけど
(お布施して功徳を積んで天界に生まれたいとか)
そういう人は殺生やセックスは自由?
仏教徒じゃない人の殺生やフリーセックスにも仏教は批判や反対しない?
仏教は悟りのための方法論のみであってキリスト教みたいに
社会のための道徳や福祉などの役割は担わない?
あとこのスレ見て以前思った疑問思い出したんだけど
出家者はみんな坊主頭なのになぜお釈迦さんは坊主頭じゃないの?
>>278 バインだったって言う言い伝えもあるし
その後の禁欲を見ると、もともと性欲少なかったんだろ
291 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 17:05:24.43 ID:2gD/Bjim
>>289 悩み苦しみを少なくするためには戒律(在家は五戒のみ)を守るほうがよい。
来世以降の悟りのために功徳を積むためにも戒律は守るほうがよい。
もちろん、悩み苦しみをなくすという仏教の方向性に賛同していないなら強制はできない。
正式に仏教徒になった場合は仏陀や僧侶の教え子の一人になるんだから、
教え子(生徒)が先生からあれこれ指導されるのはあたりまえ。
>>291 戒律を守ってるだけで功徳を積めるの?悪いカルマをつくらずにすむとかじゃなくて?
それとも戒律を破ると功徳が減るの?
自分の経験や世の中や歴史を見てると、
五戒を守ってても悩み苦しみにあまり効果があると思えないんだけど。
293 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 19:35:22.18 ID:IrpTYakv
スマナサーラ長老を尊敬する人が多い中わるいけど、
マハシ式のヴィパッサナーはパオからするとヴィパッサナーではなく
四界分別観の一部らしい。
つまりサマタ瞑想ね。
詳しくはyoutubeで「ウ・アローカ講演会」で検索してもらうとわかる。
マハシ式を実践しても解脱は難しいらしい。
まぁもともとマハシは在家向けの瞑想として説いてるから
仕方ないんだが・・。
あと、長老が説いてる「般若心経は間違い」っていう主張も間違いらしい。
水源禅師というパオで悟った方がその事について批判してる。
その方によると長老は「法を曲げた」ということで、
仏教的には、五逆罪よりも重い罪になるらしい。
らしいらしいって他人事みたいな書きかたせず自分で確認したこと書きなよ。
295 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 20:04:28.56 ID:s4pg8VTY
仏教は哲学としてすごいと思ってるのだが
一つ自分の中で「輪廻」という概念を信じていない問題が立ちふさがっている
つまり死んだら誰もが強制的に解脱すると思っている
それが無という状態ではあるけど
そういう考えを持ってる人間に仏教は無理なのかな?
仏教が生まれた地域は輪廻思想がかなり根強く(今もだろうけど)
そういった概念を入れざる終えなかったという話もちらっと聞いたがどうなんだろう?
にしても俺は仏教を学ぶにはここの住民と同じように初期仏教以外有り得ないとは思っている
大乗仏教は大衆を救済するために都合よく変容させたんだろうけど
かけ離れすぎてしまって仏教とはとても思えない
他者を間単に救済できるような甘いもんじゃないよね?仏教ってさ
296 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 20:07:22.98 ID:s4pg8VTY
そもそも救済じゃないよね?
悟りだよね?
死ねば解脱するなら、仏教は「お前らすぐ死ね」という宗教でなくてはならない
298 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 20:36:00.72 ID:s4pg8VTY
>>297 そうなるか・・・
でも無という状態が解脱と呼べるかどうかなんだよね
輪廻から外れることはたしかだから解脱の範疇に入るのか・・・
俺には仏陀という人物は超現実主義者として映ってるんだよね
輪廻という概念はやっぱ神秘主義的で無理に入れたような気がしてならない
根深すぎて輪廻を切り捨てることが出来なかったということを信じたいんだが
都合よすぎるかな?
>>298 何度も言うけど
輪廻がないなら、それからの解脱を中心に据える仏教は
完全な虚構になってしまうじゃないの
輪廻ってのは生きてる間もするもんでしょ
301 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 21:04:49.49 ID:s4pg8VTY
>>299 でも本当に仏陀は輪廻というものを実在として捉えていたのかな?
以下コピペだけど
もし釈迦が、「輪廻」を実在として説いていたのであれば
「輪廻」と「無我」、「無記」、「無常」とは、明らかに矛盾であり
それらは、如何にして、同時に両立させることが可能であるのか
そして、そもそも、常住論(常見)と断滅論(断見)とを斥け
その両極端の片方のものを捨て置いていた釈迦(『サンユッタ・ニカーヤ』12・17参照)が
何故に、常住論(常見)たる(実在としての)「輪廻転生の思想」を、新たに持ち出してこなければならないのか
という新たなる問題が生じてくることになる。
俺もこう思ってる
いわゆる「霊魂がないなら輪廻の主体はいったい何なのか」問題だな
波に実体はないが、波という運動は存在する そういうことだと自分は理解してる
303 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 21:18:52.76 ID:s4pg8VTY
う〜ん
やっぱ方便として輪廻という概念を使ったという説を信じるよ
そうじゃないと俺にとって仏陀はちっぽけな存在になってしまう
304 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 21:19:25.24 ID:f5ih9u1a
その問題は、アートマン(真我)と魂(心)を混同していることに起因する。
305 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 21:22:32.21 ID:s4pg8VTY
それぐらい輪廻思想っていうのが
誰も疑うことのない、言わば常識であったことは間違いのないことであっただろうし
別の思想が混入した可能性も否定できない
>>303 輪廻もしない数十年で全て消えて無くなってしまう生なら
ちっぽけも大きいもないじゃない
全て消えてなくなる
今が楽しければそれが全て
正に刹那的
308 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 21:53:24.65 ID:f5ih9u1a
まぁ、わざわざ説得しようとも思わないしな。
もし知りたければ、仏陀がすでに答え全部教えてくれてる。
309 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 21:54:56.49 ID:f5ih9u1a
先入観なしに素直に経典を読めば、それがすでに答え。
お釈迦様がもし輪廻は無いと知っていたとすると
来世、地獄もないし
輪廻が無いんだから修行したって解脱なんか無いのに
解脱を信じさせて出家させ
全ての楽しみを捨てさせたなんて悪魔じゃないか
311 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 22:35:29.05 ID:s4pg8VTY
やっぱ輪廻思想に対して否定的な人って上部座仏教徒の中にも結構いるみたいだね
「釈迦は輪廻説を前提としておらず、インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を直接的に否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」
俺もそう思うよ
断見派って言うらしいけど俺もその断見派なんだろうね
無常を説きアートマンを否定している仏陀が輪廻を実在として捉えているとは思えない
無常を説いたからアートマンを否定したなんて短絡的な話じゃないだろ
当時のインドで仏教がアートマンを否定したなら
一大事なわけだから、そのゴタゴタや論争、イザコザが膨大に起こっているはず
アートマンを否定しないでも仏教は成立する
だからこそ断見派は一部なんだろ
仏陀がアートマンを否定したなら
インドの文化の根底を全非定することになるんだぞ
その重みがわかってないんだろ
314 :
神も仏も名無しさん:2013/09/05(木) 22:44:38.18 ID:f5ih9u1a
いつも思うんだけど、経典も読まず、瞑想もしないのに仏教の真髄がわかった
と言う人は、必ずといっていいほど「釈迦は〜」って呼び捨てにするんだよね。
これ、下らないと思うかもしれないけど、ほとんど100%そうだから、今度気を
つけてみててみ。
歴史上の人物だと誰にでもそうしてるし別にいいやん。
ほとんど100%って。そうやって敬語を強制して
権威主義になる方が怖いよ。
316 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 00:04:14.11 ID:FjlR7yCY
仏教の真髄がわかったとか言わない人なら気にしない。
瞑想してる求道者は真髄が解ったなんて言わないからね
えてして部外者の表面をかじっただけの人間が
偉そうに全て解ったかのような顔をする
釈迦と呼び捨てにする人はほとんど100%
経典も読まず、瞑想もせず仏教の真髄がわかったと
ほざく愚か者なんですよね。
これでは誰も中立的、客観的な立場で人間釈迦を議論できません。
釈迦と呼んだら愚か者にされてしまうわけですから。
>>318 人間を語りたいなら知ってる人はゴータマシッダールタって呼ぶからね
敬称も付けずに呼び捨てにする人は
お釈迦様の偉業、深みを知らないことを露呈してるんだから当然だね
320 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 00:34:00.97 ID:FjlR7yCY
議論なら同意を得られる場合もあるし、得られない場合もあるのだから
気にせず議論すればいいと思うよ。
現に、あなたは私の意見に同意しておらず、同意を得られないけれども
こうして会話はできるでしょう。
321 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 00:36:47.31 ID:FjlR7yCY
ただ、瞑想の実習をしている人は、あまり議論を好まないでしょうね。
おしゃべり、特に議論は瞑想中に雑念を引き起こし集中を妨げる大きな
障害になり易いので。
だから、こういう場所には実践的な人はあまり来ないと思います。
いま来ている人たちも、来なくなっていくでしょう。
お釈迦様があんたと同程度の見識?
あんたが修行もせず厳しい修行をしたお釈迦様と同じ真髄が解ったって?
そんなことあるわけ無いだろw
ってことも解らない人たちは
はっきり言ってどうしようもないけどね
>>319 ゴータマシッダールタならいいんだ。わかんねー。
ゴータマかシッダールタのどっちかでもいいの?
ちなみに私は釈迦とか言ってないからね。お釈迦さんと言ってる。
権威主義に疑問なだけ。
324 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 01:29:38.30 ID:l1Y8k0R5
その通りだ。瞑想者は議論を好まない。というかしない。
議論するとすれば、自分の瞑想の深さを確かめるためにする。
議論自体に靡かないかどうか、自己の瞑想の深さを知るために・・・。
瞑想者が議論を好まないというのはわかりますが
スマ長老は私は議論で負けたことがありませんとか仏教は論理的ですって
言ってるのはなんなんですか。どっちなんですか。
瞑想の実践と教義は別なんですか?
326 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 03:51:46.55 ID:xlW2Mds+
>>292 功徳(善いカルマ)も罪業(悪いカルマ)も、カルマは心の「癖」だと思います。
善い癖を積んで善い思考の癖がつくと、悩み苦しみが少ない思考回路、ストレスの少ない性格になる。
そうなると、より悟りやすい性格にもなる。
逆に、悪い癖を積むと、悩み苦しみやすい、イライラムカムカしやすい性格になってストレスが増える。
怒れば怒るほど怒り癖(罪業)がついて、日常性格でムカついて嫌な気分になりやすい。
殺せば殺すほど殺意(怒り)が芽生えやすい。
盗めば盗むほど盗み癖がつく。
327 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 04:03:57.52 ID:xlW2Mds+
>>292 行為や思考をすることで、心に癖を貯めることを「薫習」と言います。
薫りを染み付かせるかのように、習慣(癖)を上書きしてゆく。
たとえば、私は、以前は蚊をパチンっと平気で殺してたのが、
あるときからできるだけ殺さないようにしていたら、
最近は殺すことに抵抗を感じるようになり、蚊が近づいてきても
手ではらうとか息で吹き飛ばすとかして済ませるようになりました。
蚊が近くにいても不愉快ではないようになり、その分、
日常生活で不愉快のネタが減ったわけだから、悩み苦しみがひとつ減ったと思います。
まぁ、仕事で後輩の女の子がパチンと殺って、
「なんで殺さないんですか!」って言われますけどね。
328 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 08:14:47.78 ID:FTnCtrzn
初期の頃、在家も出家者も戒はなかったんよ。
慈悲の瞑想については、スマナ師が使ってるものは、すごい意訳がされていて、もともとの原文と全然違うし、
慈経がもとになってるんだけど、釈迦が〜のようにするべきだと語ったのであり、それを詩にして朗読しなさいなんていってないし、
そもそも釈迦はお経を読むことを禁じていたんだよ。
それにお経をよむことが瞑想だといってるのがおかしい。
たとえば国語の教科書を朗読するのは、瞑想か?
本当に初期の仏教には、戒もなかったし、慈悲の瞑想もなかった。
だから戒も慈悲の瞑想も悟りのための必要条件ではない。
ここで自分からテーラーワーダの教えを聞きにいきながら、押し付けだと言ってる屑は
社会に出ても業務命令を押し付けだと感じて使い物にならない社会不適合者の引き篭もりニートだから
相手にしないように。なぜ彼らがそういうふうになるか?それは彼らの恐ろしく強いエゴにある。
もちろん恐ろしく強いエゴの持ち主にこの道は相応しくない。彼らは仏教を学ぶ前にまず社会に出て、
他人の指図にも従えると言う基本から学び、その恐ろしく強いエゴを制することから学ばなければいけない。
ま、2chはこのような引き篭もりニートの屑が多数生息してあっちこっちにしゃしゃり出てくるので邪魔でしょうがないやね。
>>311 だから仏教のいう無我というのはヴェーダから来ているアートマンは無いという意味で、
そのアートマンとは自性と言う意味で、ゴータマさんはあくまでこの世の一切にはアートマン=自性は
ありませんよと言ったまでで、唯物末法仏教徒の邪見のような、無我=無とは言ってないんだよ。
ただ一切には自性はありませんよと言っただけ。だから本来無常、無我には頭に一切が付いて
一切法無我。一切行無常。と言うわけ。わかる?君のように無我=無なら、ここに我々の自我があること自体
矛盾だろ。業報輪廻転生の主体は行いと結果という業。業は恒久普遍なものではなく、変化するもの=無常。
そして今の宇宙あってのものなので、永遠不滅なものでもなく、始めもあれば終わりもあり縁起して成るものだから
そこに自性は無い=無我。だから業報輪廻転生を認めてもなんらゴータマさんの仏教とは矛盾しないわけ。わかる?
たく、原始仏典のどこをどう読んでもゴータマさんは業報輪廻転生を説いているのにゴキブリのように
ゴータマさんは業報輪廻転生を説いていなかった。都合が悪ければそれは方便だと、詭弁。詭弁。詭弁。詭弁を駆使して
説いていなかったことにしてしまう輩が沸いてくる。なんだろこの不快感は。君らは詭弁の達人原発の御用学者と
同じ穴の狢なんだろ。
では一切外についてはどうか?そこに自性=アートマンはあるのかないのか?
ゴータマさんは ”そこは無記とした” なにせ基点のゼロである彼は有るとも言え無いとも言え。有るとも無いとも言える存在で、
識別知である言葉では決して正確には言い表せないからね。だか彼はそれを仏と呼び、仏の教えとして
仏教を残した。でもな、彼の教えは滅びの教えなんだよ。仏教はここにいいる原始仏典をどう読んでもゴータマさんは
業報輪廻転生を説いているのに己のエゴによる詭弁で説いていないことにしてしまうような見込みの無い業=魂を早く始末する
為に残されたようなものでな。でも見込みの有る業=魂が縁あってゴータマさんの仏教に触れても迷わないよう
原始仏典には間違ったことは書かれていない。選ばれた人々はあえて誤謬を誘うような書き方をされている仏典を読んでも
迷うことも無く正見でもって理解する。それは原始仏典にも書かれているようにだ。なぜそのような記述があるか?
それは筆者が意図的に誤謬を招くような書き方をしていることをよく知っているからだよ。
332 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 09:32:11.34 ID:FTnCtrzn
>>329 まずは、1回はセミナーなどにいかないとスマ師がどんなことをやってるのかわからないし、参加者を募集しているからいったのである。
セミナーを教えを聞きにいったから、100%納得しなければいけないのか?
>>286でもかいたけど、戒が努力目標だとしても、
「生きとし生けるものが、幸せでありますように」というのは、「すべての生き物殺さない」ということだ。スマ師は、慈悲の瞑想は、自分への宣言だといっているので、「すべての生き物を殺さない」と宣言していることだ。
「すべての生き物を殺さない」というのは、100%無理であり、無理なことを宣言させあれことを「押し付け」と感じるのは、至極まともなことだと思うが。
君は、100&生き物を殺さないで生きることができるのか?
>>328でもかいたが慈悲の瞑想の文は、まったく意訳されていて、本来、詩のような形態の文ではないものが、詩にされてしまっている。
本来でないものを(行法として)付加しているということでも押し付けだし、初期の仏教では、慈悲の瞑想なんてやってなかったのに(行法として)付加しているということでも押し付けだし。
釈迦は、お経を読むのを禁じてたのに、読ませるというのも押し付けだし。
押し付けだらけなんですが・・・・・・。
なにをかこうが、とにかく、君の態度は、「不快なものは排除」するというのが目的だから、理解したくないんだろうけどね。
「不快なものは排除」するというのは、不快だからゴキブリや蚊を殺すのと同じことなんだよ。つまり君は、戒を守ってない。
333 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 09:37:26.22 ID:FTnCtrzn
>>293 同意。
スマ師のやり方は、マントラを唱えるかわりに、始終実況中継をして言葉を唱えつずける。
つまりマントラを唱えてるのと同じ。
釈迦はマントラを唱えることを禁じていたのに、その禁をやぶっている。
334 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 09:44:51.79 ID:FTnCtrzn
>>314 俺は長年瞑想してるけど。
真髄がわかったなんて思ってないし。
自分でやったぶんだけ、少しはわかっただけ。
でも釈迦と呼ぶよ。
客観的にとらえたいと思っているから釈迦とよぶ。
お釈迦さまなどというと、そこにもう信仰が含まれてる気がするからね。
>>332 屁理屈乙。ちなみにいい年こいて、口とんがらせて必死で屁理屈で口答えするのも
引き篭もりニートの特徴な。彼らの精神年齢は子供のまま。詭弁を好む悪人達も精神性の低さじゃ
同じようなもんだろ。
336 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 09:55:58.78 ID:FTnCtrzn
>>329 ニートって何を根拠にいってるのか?
根拠なり証拠をだせ。
君のほうこそエゴのかたまりじゃないか?
>社会に出ても業務命令を押し付けだと感じて使い物にならない社会不適合者の引き篭もりニートだから
つまりスマ師の教えは、業務命令のようなもので、命令にしたがうのは、あたりまえだと。
それなら、すべても生命を殺さずに生きるることができるのですね。
アキレルハ、スマ師教えは業務命令とオナジヨウナモンダトハ!
それにしたって、昨今、ブラック企業が問題化されていて、厚生労働省も調査に乗り出しているというのに。
命令したがってあたりまえだというのは、もしかして協会はブラック企業なみの教団ですか?
337 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 10:01:19.15 ID:FTnCtrzn
>>335 おまえのは、屁理屈にもなってないじゃん。
攻撃排除するのが目的なんだろうけど。
いいかげんにしたら?
>>336 嫌だったらやめりゃいいんだよ。誰もお前に来てくれなんて言ってねぇだろ。
わかったか?屁理屈大魔王。
339 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 10:16:30.42 ID:FTnCtrzn
>>338 「押し付け」だというのはおかしいと何度もほざくから返答してやったら、
今度は、ニートだとか、なんだかんだといちゃもんつけて、イヤだったら来るなですか?
きてほしくないなら、レスしなきゃいいのに。
なんども「おしつけ」というのはおかしいといったろ。
屑はおまえだろ。
おまえこそ、イヤナラ来るな。
340 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 10:53:57.05 ID:FTnCtrzn
「押し付け」と思うなら離れればいい。そのとうりである。
ではなぜ関心を持つのか?
それは、スマ師がとても高いレベルの人だとわかったから。
スマ師のもとで瞑想指導を受けたと思った。
だから、関心をもち、スマ師の教えの中に飛び込むか検討していたんだよ。
スマ師のやり方や仏教に疑問があってかいただけなのに、まあ、あきれるほど攻撃してくるわ。
スマ師のやり方は、本来の仏教でないものがまじっているとは思う。
でも修行法としては間違ってるとは思わない。
いろいろな意見を聞きたかっただけなのに、不快なものは、排除したいという、戒なんて口先だけの人たち。
こんな人たちと瞑想するかもしれないと思ったらぞっとするし、スマ師のやり方は間違ってはいないけれど自分にはあわない。
ということで、スマ師に仕えることは、辞めとくことにした。
こんなにレベルの低い人たちの集まりだとは思わなかったよ。
それではバイバイ。
341 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 10:56:21.82 ID:r3dy8uHO
言葉では言い表せないもの、そして、元々から存在し得るもの、
それを「仏」と称するのなら、その仏とは何か?
仏典には「皆成仏道」とある。
この言葉をそのまま受け止めるとするなら、
人は誰しも「成仏」出来得る存在である事を示しているに他ならない。
342 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 11:02:57.26 ID:r3dy8uHO
言葉では言い表せないもの、そして、元々から存在し得るもの、
それを「仏」と称するのなら、その仏とは何か?
仏典には「皆成仏道」とある。
この言葉をそのまま受け止めるとするなら、
人は誰しも「成仏」出来得る可能性を秘めた存在である事を示しているに他ならない。
343 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 15:12:54.00 ID:h7zJ9A9p
スマナサーラに言えばいいだろw押し付けないでくださいってw
>>341 人が無となり仏と書く。その存在は全ての根源だと思えばいい。あれあればjこれあり。これなければあれもなし。
縁起の法を逆観で思推していくと必ず根源にぶち当たる。根源が無ければ縁起そのものが元からあったなんてへんてこな
ものになるからね。二項から成る縁起そのものは無自性なもので、あれあればこれありの縁起はもちろん始めもあれば
この宇宙が無くなれば存在し得ない有限なものだからね。もちろん宇宙が始まったものなら、終わりもある。
その存在は、宇宙の始まる前を想像してみればいい。そこには何も無い。だがそれを完全な無だと捕らえるのは間違いである。
なぜなら、完全な無からはなにも生まれないからだ。それは、無と万物を生み出す無限大のエネルギーが同時に
ある状態。まさに中道の性質を持つものだ。彼は全てに勝る至高の存在。彼を昔の人は自性と呼んだんだよ。
末法仏教徒達は自性を肯定する無我思想に相反するものだから強烈な拒否反応を示すだろう。だが原始仏典をよく
読めばわかるが、ゴータマさん自身はこの現象世界。一切には自性は無い=無我だと断言したが、一切外については
無記を通して明言を避けた。なぜならそれは自性と呼べば無自性という相が現れるように、縁起によらず単独で成立している
それを識別知である言葉では正確に表現し得ないし、基点のゼロである彼の性質は無と無限大が同時にあるような
ものでそれを有ると言えば常見になるし、無いと言えば断見になるからね。だから彼は有るでもなし。無いでもなし。
有るでも無いでもなしなんだよ。彼は中道そのものだからね。だから本来彼を自性という名称で呼ぶのは誤り。ただ便宜上
自性と言う名称で説明している。彼は本来は、名前の無い存在。
>仏典には「皆成仏道」とある
その通り。人は。いや万物そのものは、ほっといても始原から根源へと解消されていく。だからほっといても君らはゼロへと
解消されていくんだよ。それは滅びの教え。本当はね。この道にはもうひとつ大事なものがあってね。人は根源である彼と、もう一つのものを
認識して初めて救われるんだよ。
スマナサーラさんに涅槃とはなにかと尋ねても「それは言葉では言い表せない」
というだけで理由の説明は得られない。無我無我無我と凝り固まった彼らは答えを知らないので
伝承で言い伝えられたことをおうむ返しで答えているだけだろう。ここまで答えを書いてあげているのは大サービス
なんだぜ。あとね。本当の意味での救いを求めているのなら仏教はやめておいたほうがいい。
知恵ある選ばれた人々なら現代の末法仏教の邪見に惑わされることも無く仏教でも認識へと至れるだろうが
今の末法仏教は雑音が多すぎる。宗教的な真理を目指すのならヨーガを学んだほうがいい。
無我無我無我と凝り固まった今の仏教の瞑想法は一番大事なメソッドが奪われている。彼らの瞑想では
いくら座っても認識を得られない。ま、君らが滅びの教えを信奉し、それを目指しているのなら何も言わないけどね。
>或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。
>このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の<道の人>は同一の事をを語らないのであろうか?
>真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。
>それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。 「スッタニパータ」より
釈尊は、あなた方のような人たちのために上の様な言葉を残しています。
>>314 釈迦は〜の部分は丸々wikiのコピペだから
文句があるなら書いた人に言ってね
俺のレスに対してじゃないかもしれんけど
>>330 不快感?
お前の方が不快だわ
原発の御用学者と同じ狢?ふざけんなってw
お前みたいに人間性の低い奴に上から目線で長々書かれたくねえんだよ
色々読み耽ったところで屑は屑なんだなってことを体言してて笑えるぜ
大体、俺がどう解釈しようがお前には関係ないことだろ?
もし釈尊が輪廻を方便じゃなく実在として説いているなら
それは俺にとって関心を持つ対象じゃ無くなるってだけだ
輪廻が方便じゃなきゃお話にならないんだわ
どのスレでもコテハンてアレな奴多いよな?w
同じ穴の狢ってやつかなwww
350 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 09:36:22.39 ID:R/uW1YF0
>>348 仮に輪廻が方便だとしても、方便だと種明かししてしまったら方便でさえなくなるのでは?
方便としての効果を期待しているのなら、方便だと言わないほうがよいのでは?
輪廻転生が常識の古代インドで
その常識を否定しないで話を進めた
よって、輪廻を肯定していなかった可能性も無くはない
これが常識的な結論だろ
輪廻否定論者達は我論を強弁するなよ
付け加えて
しかし、輪廻転生が無いとお釈迦様が考えていたとすると
教理に根本的多くの矛盾が生じることから
輪廻転生を前提に法が説かれたと考えるのが妥当であろう
輪廻からの解脱を説き、輪廻は苦しみの巣窟であると説く仏教では
輪廻を否定したということは、一面正しいが、意味を取り違えているといわざる得ない
>>348 おや。ちゃんと論理的に無常、無我思想があってもなんらゴータマさんが説いた業報輪廻転生を肯定しも矛盾しない
ということを論理的に説明してあげてるのに、罵倒しか返せない君に人間性を言われてもね〜。
文句があるんだったらお宅の願望でしかない方便説を論理的に証明してみろよ。ちゅうかこの話題は仏教議論スレの
シリーズで散々やってきた。どうしてもゴータマさんの業報輪廻転生は方便だと言い張るなら議論スレで勝負して濃いよ。
その前に膨大な過去スレ読めるから読んでこいよ。ゴータマさんは業報輪廻転生を説いていたとなんら
エゴによるフィルターにかけることなく原始仏典を素直に読めばそう読める事柄をそのまま伝える人達はちゃんとテキストベースで
論理的に述べているに比べお宅のようにあらかじめゴータマさんは業報輪廻転生を否定していたというほとんど
日本にしか見られない典型的な邪見の輪廻転生を否定したと言う人達の反論はほとんどが詭弁か言葉遊びでしかなく、
結論も、原始仏典を読む限りどうみてもゴータマさんは業報輪廻転生を否定した方便だとみるのは無理があるというものだ。
もっともお宅はこうあってほしいというエゴのフィルターかけてしか読まないようなのでそのシリーズ読んでも正見ではなく
邪見するだろうけど。さて、邪見とは何が因して起こるとゴータマさんは言っていたのか、君、知ってる?詭弁で事実を曲げてしまう
輩は、原発の御用学者と、どう違うってんだよ。同じ穴の狢だろ。あとな、君らのような断見論者をゴータマさんははっきりと
私の教えとは違う外教。つまり外道だと言ってるんだよ。六師外道の話。
http://mahorobanomori.web.fc2.com/spiritual-Rokushigedo.html http://todaibussei.or.jp/izanai/02.html たく、六師外道の話も知らないでどや顔で断滅論を仏教だと語るんで呆れてものがいえん。
君はどうしても業報輪廻転生を認めたくなければ仏教を捨てるんだね。
大体原始仏典を読んで、ゴータマさんは業報輪廻転生を説いたか否かなんて議題にあがること自体ナンセンスなんだよ。
でもなぜかこういう輩がゴキブリのように沸いてくる。
>>346 そこに書かれている文章で重要なのは、
>真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。
ここな。つまり真理は一つということ。その後に続く
>かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。
と一見矛盾する文章が続くのは、たとえば、キリスト教も、ゴータマさんの仏教も違う文化、違う宗教であっても
目指すゴールが同じものであれば、表現が違うだけで、根本は同じ教えである。ゆえに彼らは争うこともなければ
お互いに褒めたたう。もろもろの道とはそれぞれ違う道(違う宗教=違う入り口)ゆえに彼らは同一のことを語らない
のである。これが正見な。現にゴータマさんは自分と違うゴールを説く六師外道ははっきりと否定しているし、
ヴェーダを誤謬しまくっていた当時のバラモンの教えも否定していた。
『聖なるものを犬に投げるな。豚に真珠を与えるな。彼らはあなたに感謝することもなく噛み付いてくるだろう』
結構ここでは、大サービスで重要なこと書いてあげてるんだけど、君らには豚に真珠だったかい?
>>355 >現にゴータマさんは自分と違うゴールを説く六師外道ははっきりと否定しているし、ヴェーダを誤謬しまくっていた当時のバラモンの教えも否定していた。
六師外道は、あくまで仏教側から見た呼称。バラモン(ヒンドゥー)教からみれば、仏教とジャイナ教のほうを「ナースティカ」(非正統派, 異端)、六派哲学など(シャド・ダルシャナ)を「アースティカ」(正統派)となる。
誤解を恐れず例えるなら、ヴェーダを誤謬しまくっていた当時のバラモン教(現在のヒンドゥー教)は、宗教が堕落しきった中世カトリックの時代。その時、宗教改革が起こったように自由思想家たちが登場。
と言った所かな。あくまで神は唯一無二なのは変わらないのにね。
>>356 キリスト教徒ってことで敢えて聞くんだけど
>『聖なるものを犬に投げるな。豚に真珠を与えるな。彼らはあなたに感謝することもなく噛み付いてくるだろう』
ここで言ってる犬や豚って、「価値を理解しない者」のことだよね。
聖なるものっていうのは、聖書の教えのことだよね。つまり、これって一種の選民思想じゃない?
縁なき衆生は度しがたし
>>357 聖なるものとは真理だよ。真理は一つだ。道は違えど同じゴールに達した者の教えは、
教え(表現)は違えど互いに褒めたたえる。そういう話をしているのになぜ僕が聖書だけが正しいといっているという
偏見になるのかな?僕は原始仏典も否定しないし、ヴエーダ・ウパニシャッドも否定しないし、もちろん聖書も否定しないし、
グノーシスも否定しない。表現は違えど同じ真理を語っているものは全て否定しない。
360 :
つくつく法師の鳴きかた創造:2013/09/07(土) 17:08:12.35 ID:My5DotdE
原始仏教は外道の脳内マインドを段階的に解く観察理論となっている。
預流果には、まだ輪廻が残っているが阿羅漢果には輪廻がない。
預流果には、まだ輪廻の洗脳が取れていないからである。
で解脱した阿羅漢果には輪廻がない輪廻をもう信じとらんからさ。
で求め修行していた解脱の境地も妄念としり、我が無く、あるがままの状態になってしまった状態が解脱だと知る。
我は脳が認識し死んだら終わり。
本当の我などない。
だから無我である。
輪廻する主体は無いが五蘊が相続して輪廻するといいたいだろう。
結婚して娶り子供を作ったら、それが五蘊相続だ。
それが次ぎの生存であり作ったのである(行為)。
だがそれは君か?違う。
だから無我だ。
前世の記憶意識は遺伝子情報&集合無意識のパイプによって起こる心理作用であり
イエスが生まれた頃の地球の人口の統計学は1億人弱であり釈尊降誕時代は、さらにそれ以下であり
今の地球の人口の100分の1程しかない。
全てが平等に輪廻転生しているなら、ありえない数字だ。
361 :
つくつく法師の鳴きかた創造:2013/09/07(土) 17:08:47.26 ID:My5DotdE
輪廻転生は集合無意識=梵天界=神の分御魂によって起こっているから、こうなるのである。
釈尊が観た始まりもなければ終わりもない無間の輪廻は生きとし生きる全ての生存である。
何故それを釈尊一個人の輪廻としてみたか答えは一即一切一切即一であるかである。
釈尊時代当時はこれらの統計学もなく輪廻転生を根深く信じるインド人には釈尊も無記の理由で
見ざる言わざる聞かざるである。
後の部派仏教(アビダルマ・上座)が釈尊が梵我一如=一即一切一切即一を否定したと誤解したのが大きな要因である。
まあそこまでもが五蘊であり五蘊を短絡的に斬った結果でありヴイパサナーも自分の体(主体=因)の観察一本で客体(外=縁)を内側で観察(サーマディ)が
ないがしろになったのが原因である。
だから解っていない者は己が無我と思っても外界(客体)は外に残したままである。
本当の無我は己の内側で外界(客体)も消滅することを知ることである。
南伝大蔵経も玉石混合で、まず提婆達多が狂象を使い釈迦を殺そうとし無間地獄に堕ちた話やインドにある、その穴など
後世の作り話を経典に付け加えたことが判っているからである。
現代の歴史学では提婆達多は、より厳しい戒律を求めて追従する者と山岳へ入りさったのみである。
上座といえど多くの分派とマウリヤ朝との政治的係わりなど影響しているだろう。
禅宗の教えはゴータマさんオリジナルの教えとは違うものになってるよね。
八正道を語らず、八正道すら知らない坊主がお釈迦様の仏教とはと語っているのには呆れた覚えがある。
あげくに八正道すら迷いだと来るんだからどうしようもない。
>>360 輪廻転生を信じなくなれば阿羅漢だってよ。そんなこと原始仏典の何処に書いてんだよ。お宅の願望を仏教だと強弁されても困るんだよ。
輪廻転生を信じなくなれば阿羅漢なら、現代教育を受け、元々輪廻転生など信じていない多くの日本人は元から阿羅漢なんだから
あらためて仏教など学ぶ必要もないよな。君、こんなとこでなにやってんの?で、お宅、座って無を観たか?俺は光を観たぞ。
仏教はなんかの能力を身につけるためじゃなく、人格を磨いて悟りを開き、
他人に自分も仏教学ぼうと思わせる人間になるためにあるんだよ
364 :
神も仏も名無しさん:2013/09/08(日) 00:50:17.69 ID:8DxkIHRY
>輪廻転生を信じなくなれば阿羅漢だってよ。
凡夫は輪廻転生を信じていなくても五蘊の執着を残しているから輪廻を解いていないと観るのである。
それぐら無我を知っているなら簡単で説明などいらん。
>俺は光を観たぞ
光は闇があって存在し闇は光があって存在をする故に二元であり両方表裏一体として観て不二一元である。
すなわちこれも五蘊である。
そのどちらにも属さないのが不二不一元である。
これがブッダの観察した境地である。
365 :
神も仏も名無しさん:2013/09/08(日) 01:15:03.81 ID:8DxkIHRY
>お宅、座って無を観たか?俺は光を観たぞ
私が観たのは光(神)と闇(悪魔)の表裏一体の宇宙である。
先に挙げた不二一元でありバラモンは梵我一如として観、
禅定は一即一切一切即一と観る。
天魔はそこにいる。
アーラーラカーラマなどの元で釈尊はここまでは観察しただろう。
そしてこれを越える観察へ入る。
仏教スレなのになぜか戸塚宏みたいな人がたくさんいてニートが悪口の代名詞みたいになってるが
比丘=乞食。お釈迦さんもたぶん生涯の中で労働経験ないだろ。聞いたことない。
当時のインドの思想は労働者=身分が低い=過去のカルマ、行いが悪い人だから。
日本人ってそのとき支配的なイデオロギーでしかものをみれない
思考停止してる人が多い。
禅宗の坊さんも戦時中は無我の教えを悪用して積極的に戦争協力してたらしいね。
いろいろ短絡的。
ニートと比丘の共通点なんて働いてないことだけ。
別に働いてればえらいとも働いてなければえらくないとも思わんが、
両者を同列に並べるのも同じくらい短絡的だろ。
あと、今の支配的な価値観で、80年前の思潮語るのもどうかと思うぞ
368 :
神も仏も名無しさん:2013/09/08(日) 11:04:05.32 ID:+0EUrDiu
ニートの定義って、就労も求職も勉学もしていない人じゃなかったっけ?
僧侶はそれにあてはまらないでしょう。
しかも35歳未満 35歳以上はニートですら無い ただのごくつぶし
僧侶は仕事ですか金儲けですか。たしかにそういう人だらけですけど。
勉学してても学校に通ってなかったらニートの定義に当てはまります。
そのとき支配的な世俗の価値観に支配され、ステレオタイプで人をみ社会的弱者を馬鹿にしたり戦争利用する。真理を追求する求道者や哲学者ではありえないし
人格レベルも低すぎじゃないですか。
比丘とニートが同じなら、戸別訪問して乞食するニートがいるんだろうな
>>364 光あれば闇あり。善あれば悪もあり。生あれば死もあり。これら二つは切っても切れない兄弟である。
私は闇夜に鳴く一羽のカラス。一は全てであり、全ては一である。
日に満ちた老人は命の場所を七日の幼子に尋ねるのを躊躇してはならない。そうすれば彼は生きるであろう。
多くの始めの者は最後の者となり単独者として生きるであろうから。
熟睡している間は無である。その無を認識するのは我々が目覚めることができるからだ。あなた方はいつまで
眠っているのか。いつまで自分でないものを自分だと思っているのか。
さて、光がなければそこは闇。そこには何にも無いぞ。
373 :
神も仏も名無しさん:2013/09/08(日) 22:10:22.75 ID:+0EUrDiu
>>370 親以外の人間からお金や食べ物を与えてもらえる人間になるには、
何らかの魅力なりスキルなり知識なりが必要でしょう。
ただのニートに近所の人々が食べ物をくれません。
他人から金品をもらえるほどの存在価値がニートにあるでしょうか?
少なくとも僧侶にはそれがあるから、他人から金品をもらえる。
374 :
神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 02:38:09.03 ID:OiJSNwyz
>>372 @>光あれば闇あり。。善あれば悪もあり。生あれば死もありこれら二つは切っても切れない兄弟である。
はいはい、だからそれを二元性と呼ぶと既に回答済みです。
A>一は全てであり、全ては一である。
はいはい、だからそれも既に不二一元性と呼ぶと既に回答済みです。
B>熟睡している間は無である。
はいはい、熟睡しなくてもカーラーマ仙人の精神統一で良いのです。
無も認識していません。
Bは因である。 @Aは縁である。
>光あれば闇あり。善あれば悪もあり。生あれば死もあり。これら二つは切っても切れない兄弟である。
で、あなたは悪も兄弟であるから悪の存在もOKと行為(業)を犯しますか?ブッダの教えというのは、世の一切皆苦であるもを知ることである。
まず苦の原因を作っている自ずの行為(業)から正すのは必然である。
>>372 おや、君には豚に真珠だったようだね。誰も君に不二一元論を知っているかなど聞いていないんだが。
君は誰と戦っているんだい?大体たとえで書いた文章全体の文意も汲み取れない。もちろん意味も見出せないで
チンプンカンプンな言いがかりを付けて来られても話にならないんだよ。善悪の下りも全くわかっていないし。
ちなみにこれでも僕は他のスレじゃ道徳を否定する末法仏教徒達と随分やりあってね。道徳の完成こそが真理への道だ。
それはエゴを殺す道でもある。右の者も左の者も互いに兄弟だ。王はその真ん中にいてどちらも彼のものだ。
時が終われば左の者は全て失うが、右の者は王の遺産を相続する。ま、はなから、いいがかりをつけるためにレスを返してくる
人に話しても豚に真珠なのでこれくらいにしとくわ。せいぜい頑張れよ。
最新の宇宙学では、かつての「地球は丸かった」発見と同様に宇宙も丸いモノだという説が有力だ。
何故そう言えるのかといえば、ハっプル望遠鏡で宇宙の果てを見ると、何処を観ても編み目模様にしか見えないという。
それを宇宙学では最端と捉えているのだ。
そして、その最端の向こうでは終焉を迎える宇宙や、新しい宇宙が誕生しているという、
人類の持つ時間の概念や距離の物差しを遥かに超えた、
まことに壮大なドラマが繰り広げられているという。
宇宙は無限大だといわれているが、それは、この宇宙が無限大だということではなく、
新しく誕生する宇宙や消えゆく宇宙を含めた「宇宙」全体を指して言うのである。
377 :
神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 12:40:17.97 ID:MSBcV51S
>>375 アンカーw自分で自分の事を言っているんだw
王=パピアスマラーに執着してるんだ。
君のいいたい論はキング・ソロモンの鍵を見れば判るさ。
王権と栄華=乞食と貧乏も表裏一体である。
王権と栄華に執着したキング・ソロモンは堕ちたのだよ。
中心の王も栄華と衰退を繰り返し無常でしかない。
禅の世界では一切万物が網状に繋がっているのを阿弥陀と呼び
宇宙全体が禅定では大昔から宇宙の網を知っていた事になる。
現代の科学では宇宙(果て)が脳細胞の網に酷似しているのが判っているそうだ。
そしてこれから何が起きるか?宇宙の消滅。
すなわち欲界の崩壊である。
起源経に書かれている通りである。
378 :
神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 12:48:04.81 ID:V+5KveKZ
>>376 阿弥陀経の世界観を連想します。
無数のミクロコスモスと無数のマクロコスモスが、お互いにお互いを光明(智慧)で照らし合っている。
379 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 11:16:51.49 ID:ucDk8mqq
無我とは。
今、おもってる自分というものは、赤ちゃんのときから大脳にインプットしてきた情報なんだよ。
生まれたばかりのときは、自我がなく「私」というものがないからね。
瞑想をつづけていると大脳が停止したような状態になる。
インプットしてきた情報がなくなったような状態になる。
それが無我の境地。
まだ自我のない赤ちゃんは始終笑ってる。
あれが「法悦」。とにかく喜びの「気」がわきあがってくる。
瞑想のときだけではなく、歩いていてもそういう「気」がわきあがってくる。
そういうふうになれるんだよ。
380 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 11:43:57.04 ID:ucDk8mqq
>>375 道徳というのは、脳の前頭葉に発する動物的衝動をコントロールする力、利己心を抑制し他者の利益をも考えて協力する理性。
「戒」というのは大脳辺縁系の脳を強化するもの。
でも大脳レベルでの悟りでしかないんだよ。
道徳だけで悟れるなら、瞑想なんてしなくてよいことになる。
大脳より下層にある脳のレベルでの悟りがより重要なんだよ。
原初の生物は、そんなに発達した大脳をもっていたわけでない。
生存や性の情報を得るために大脳を発達させていった。でもそれは、エゴの強化でもある。
人間の場合、前頭葉を発達させることによって、理性・道徳を獲得したのだけど、エゴの力の根本をかえるには力不足なんだよ。
「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間だからね。
前頭葉も大脳に属する部分であり、エゴの根源は大脳辺縁系にある。
つまり理性と道徳の前頭葉もエゴの根源である大脳辺縁系にささえられているものなんだよ。
というより、大脳がもエゴの根源である大脳辺縁系にささえられているものであるからこそ、理性・道徳の前頭葉の発達が必要であったともいえる。
先にもかいたけど、大脳より下層にある脳のレベルでの悟りがより重要なんだよ。
具体的には、小脳。そして最新の脳の研究では、小脳が大脳の情動に関与してることがあきらかにされている。
足の裏の感覚をまず見ていくのは、なぜか?それは小脳へのアプローチなんだよ。
381 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 11:45:24.63 ID:ucDk8mqq
>>380 >「戒」というのは大脳辺縁系の脳を強化するもの。
訂正
「戒」というのは前頭葉系の脳を強化するもの。
382 :
トンビの詩&シャイニングウィザード:2013/09/10(火) 19:20:09.93 ID:e1T+JJ5g
>>379-381 なあぁ〜んだトマブツモドキ君の脳科学w
>>379の赤子については同じことを釈尊に言って釈迦に斬り返される話があるのを
知らないんだwキサ・ゴータミーの話と同様に誰でも知ってると思ったがw
いつの時代になっても同じ屁理屈で、ごねる人間がいるから昔から智恵を伝承してるのにねw
[111]神も仏も名無しさん [sage] 2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:9cjAtUxY AAS
俗にいうあの世なるものに「天国」や「地獄」があるというものでもない。
なぜ、それが言えるのか、つまり、肉体と霊魂は、二にして一つだからである。
地獄とは、自分の不注意で子供が亡くなってしまったとか、道楽で大借金作り、
一家離散してし まった、などと取り返してのつかない苦しみを味わうことが、「地獄」の苦しみであり、
「天国」は、文字どおり楽しくて仕方がないなど、有頂天に浮かれている様をいう。
これら天国といい地獄というのは、この現実の世の中で自分が感じる精神作用をいうのであ る。
生命は元々宇宙と共に在るもの。それが「縁(法)」によって顕在化したり、
滅したりするのであ る。
人が死ねば、これ迄の「縁」により、また生を受けるであろう。
しかし、また人に生まれてくるとも言えないのだ。
たとえ人に生まれても、幸福になるとは言えないのである。
それは誰かが決めるのではなく、それまでの自分の生きざまが決めるのである。
今を、大切に生きる事がどれだけ大事なことか、 人の為に役に立つことが、
何れだけたいせつなことか、はかり知れないのである。
384 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 21:38:19.64 ID:MG1W1T5f
静かだなw
385 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 23:23:56.23 ID:ucDk8mqq
>>381 苫米地氏は脳と悟りの相関性については、まだ明らかにしてないと思うよ。
脳科学モドキではなくて、大脳辺縁系が、個体維持、種族保存、群居の欲、原始感情の宿すところであるのは、脳科学で明らかにされていることであり、もう一度いうけど
「決して脳科学モドキ」ではなくて、アカデミックな脳科学で明らかにされていることだよ。
大脳辺縁系を中心とした領域で、排他と利己という衝動は発動する。それは進化史的に見て大変古い動物の脳だ。仏教的にいうと『 貪瞋痴=マーラ 』の部分と言ってもいい。
小脳が大脳の情動に関与しているのも同じく正当な脳科学で認められていること。
>赤子については同じことを釈尊に言って釈迦に斬り返される話がある
知りませんでした。出典を明らかにしていただければありがたい。
>同じ屁理屈で、ごねる人間がいるから昔から智恵を伝承してるのにねw
ごねてるわけではないよね。自分の体験にもとずいてかいただけ。もちろん修行中の見であり、絶対的正解だなんて思っていない。
ごねてるのは君のほうでは?
一見頭のよさそうな君が「道徳だけで悟りを得れるなら瞑想は不必要だ」という簡単なことになぜ気づけないか?
それは思考をたよりにしすぎているからだよ。男に多いタイプだけど。
思考を捨てなきゃいけないよ。
よけいなお世話というだろうけど。
経典を読むことを止める、本を読むこと止める。
それか徹底的に「Who am I(哲学のヨーガ)」を追求するか。
386 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 23:38:44.62 ID:ucDk8mqq
前頭葉が理性や思考を制御している部分であることも、脳科学で明らかにされていること。
スマ師は「慈悲の瞑想」は大脳レベルの悟りであるといってたと思うけど、厳密にいえば、前頭葉レベルでの悟りであるといえるね。
道徳や戒や慈悲の瞑想は、前頭葉の強化をしているといえる。
前頭葉は「人間らしさ」の部分であるから大事ではあるけれどもね。
「道徳」や「戒」を完全否定はしないけど、それだけだと、ただ与えられた「価値観」を実行しているだけの人になってしまう可能性がたかい。
もっと根底的な脳へのアプローチが必要だ。
小脳だけでなく呼吸へのアプローチもしているよね。呼吸こそ根源的活動であり、呼吸中枢の強化・活性化は生の基盤を強くする。
そのうえでの悟りだ。
387 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 23:50:25.66 ID:1bHzYDlQ
エラ呼吸や皮膚呼吸の鍛錬はどうなんだ?
388 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:02:29.84 ID:f7gb6veZ
389 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:08:11.47 ID:mIUtbigj
>生命は元々宇宙と共に在るもの。それが「縁(法)」によって顕在化したり、
>滅したりするのである。
客観的な立証は出来ないのだろうか?
390 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 17:59:04.81 ID:48PMt1wQ
>>389 成住壊空を繰り返す全ての存在は、「有情」「非情」にわたって生命の側面だと、
仏教では捉えている。
そう言う意味では汎神論に似ているといえる。
その生命が何故最初から存在するといえるのかということだが、
それは、宇宙それ自体が生命そのものだからである。
生命の持つ特性を定義するるならば、「コップの大きさにして小さからず」また、
「地球の大きさにして大きからず」である。
そして、始めもなく終わりもない「無始無終」だということ。
その中で、「生の側面」と「死の側面」を延々と繰り返していくのである。
但し、空中に飛び交う塵一つを執って生命だと教える仏教(仏法)では、
人に生まれてくるのはごく稀だと説いている。
釈尊は小乗経で六道を説き、大乗経で六道からの脱却の道を示した。
衆生の機根を重視した釈尊は、その都度衆生の機根に合った法を説いたのだ。
そして、最終的に自分が成道した「法」を説き顕したのである。
これって何か人の為になってるの?
392 :
神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 08:04:57.89 ID:r6y+Rf+d
>>391 なんとなく言いたいことは分かるw
悟りとかビッグなことはいいから、
テーラワーダ仏教を実生活にうまく役立てることはできないだろうか?
アビダンマはうまく活用すれば、いろいろできそう。
解脱したり預流果になるのが本筋だって分かってますので、
そういう批判はしないでちょ。
394 :
神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 08:00:41.41 ID:dhur/VzM
>>393 日常生活の悩み苦しみを制御したり消したりするスキルが仏教にはあります。
悩み苦しみが全く起きなくなったら阿羅漢。
395 :
神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 09:52:32.58 ID:QTr0EToz
>>352 だから言っているのだが、輪廻は六道を前提としていると、
そこからの脱出が灰身滅智となるわけだ。
しかし、大乗が説かれることにより六道からの脱却の道が示されている。
それが菩薩道を始めとする四聖の道では無いのか。
釈迦滅後、部派仏教と大衆部とが分裂したころ、まもなく菩薩思想が起きている。
これまでの修行では、なかなか悟りを得ることが困難であった為、
釈迦の過去世の修行(ジャータカ)などから導き出されたものだろうと推測する。
396 :
神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 11:19:11.25 ID:7WTj6Eic
>>394 そういうのもいいけど、頭がよくなったり、
仕事が出来るようになったり、健康になったりですね。
それと自分自身はテーラワーダが
日常の悩み苦しみに対するスキルを提供してる
とは思えないんですよね。瞑想方法は提示されてますが。
テーラワーダが具体的スキルを提供してて
それが有効なら世間にいろんな方法論が
溢れることはなかったと思います。
397 :
神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 12:47:47.28 ID:dhur/VzM
>>396 冥想こそが悩み苦しみを解決する手段。
煩悩に気づき、煩悩をいち早くコントロールすれば、日常生活のストレス軽減される。
仕事ができるようになりたいという裏にプライドの煩悩があるなら、
悩み苦しみの原因になる。
他人と能力や社会的評価を比較すること自体が煩悩(悩み苦しみの原因)である。
どうせできることしかできないんだから、仕事でも何でも、今できることをやればそれでいい。
そう思えたら平安な心になれると理解したうえで、
実生活の中で実際にプライドの煩悩が騒ぎだした時に、速やかに気づくようにする。
気づけば感情は冷める。
これはプライドの煩悩だと気づくだけで、プライドの煩悩は沈静化される。
398 :
神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 13:39:05.33 ID:7WTj6Eic
>>397 説法聞いてるときは楽になるが、
現実世界に巻き込まれてるとうまくいかなくなるよ。
そう思ってる人多いんじゃないかな。
煩悩が悪い怒りが悪い執着が悪い。
分かっているが止められない。
あなたは瞑想が解決するって立場だから
俺とは噛み合わないと思う。
あなたの立場はそれはそれで筋が通ってるよ。
俺が思っちゃうのはたとえば
一定の心所を育てれば有能になれちゃうん
じゃないかなってこと。
スマナサーラ長老のブッダの実践心理学にも
それらしきこと書いてある。
例えば、sannaは違いを認識する機能を持つ。
これがすぐれてると勉強ができたり知識を
多く持てる。で、sannaは育てることができる。
←ここまで書いてある。
じゃあ悟りはいいからSannaの育て方教えろと。
何度もいうが俺が本筋からずれてるのは重々承知。
399 :
神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 21:18:54.80 ID:dhur/VzM
>>398 たしかに、冥想で頭の回転がよくなるとか、
睡眠時間が短く済むようになったとかいう話は聞いたことありますけどね。
400 :
神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 01:24:23.09 ID:KTsTdHCl
輪廻とかアートマンとかアドヴァイタとの共通性のこととか
語ってたやつらどこ行ったんだ?
アビダンマの細かい話になったらトンズラか?
ざっくりとした理解でよくそこまで偉そうに語ってたなw
401 :
神も仏も名無しさん:2013/09/27(金) 22:57:01.00 ID:Yx/BFbT9
>>398 sannaを育てる方法なんて仏典が扱ってないんだからスマナサーラ長老も説法しようがないんじゃないのか
空海みたいに虚空蔵求聞持法を修行したら記憶力が増してsannaが増えるかもしれんがw
ブッダの実践心理学が終わる前にフクロウ先生の偈文を紹介して欲しかった…
パーリ語習得の近道として
403 :
神も仏も名無しさん:2013/09/28(土) 14:57:42.25 ID:KtzkkKLb
>>402 パーリ語勉強するとかすごいな。
上の方でブッダの十無記無視して
持論たれながしてる連中とはえらい違いだ。
>>402 パーリ・シンハラ対訳だから日本人には意味ないと思われ
>>403 多分
>>402がやるかどうかは別でしょう
でもブッダの実践心理学で紹介した以上は「多分誰かが望んでいる」と思っているのではないでしょうか
>>404 パーリ語→シンハラ語→日本語(+英語)
長老の学習経験ならパーリ語の日本語翻訳は可能ではないでしょうか?
406 :
神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 22:04:28.65 ID:YcQmBvtF
長老に死ね言われて飛び降り自殺した青年の話や高飛車ババアの話題がもう出なくなってきて良かったねさとうさん
407 :
神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 23:10:27.92 ID:cbDm1Rpe
ああそれね
無常だから
408 :
神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 01:01:29.36 ID:tL533WeE
オイラは仏門に入り労働せず修行に打ち込もうと考えた怠け者です。
で、其の時考えた、もし皆が修行者に成ったら誰が飯の支度をするのだ
米はどうする食べなきゃ死ぬし、結局働かなきゃいけないことが分かった時
仏門に入る意味が無くなった。
釈尊は森で木の実を食べて修行したよ
410 :
神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 01:17:07.07 ID:QbGGkVEo
>>408 仏教徒全員が出家者になることは確率的に低い。
仮にそうなった場合は、いったん出家した人でも還俗できるわけだし、働ける人が還俗して働けばよい。
411 :
神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 12:10:24.76 ID:Cvw3VPLR
自殺者の話kwsk
スマ長老以外の本で良書ありましたら
教えてください
413 :
神も仏も名無しさん:2013/10/19(土) 01:35:29.48 ID:sdab7Zwl
>>408 呉智英がつぎはぎ仏教入門でそこが原始仏教の
アキレス腱だと言ってたな。
俗世を否定するが俗世がなければお布施もなく
生きていけない。
在家信者で覚りを開いた人もたくさんいると
仏典に書かれている
在家でも不還果までなら到達できる
415 :
神も仏も名無しさん:2013/10/19(土) 02:20:16.52 ID:sdab7Zwl
>>414 色んなことで恵まれてればね。
人間関係でストレスあるともうだめわ。
心が落ち着かない。
結婚してて子どももいて解脱した人なんているのかね?
お釈迦様直伝のヴィパッサナー瞑想のやり方が載っている本ってありますか?
あれば教えてください
>>417 見当たらないから仏教界が混乱している
もし存在していたらそれ1つで日本に浸透しているだろう
マハシ・ゴエンカ・アーナパーナ、その他土地ごとの瞑想法が散逸しているから収拾がつかない
>>418 ヴィパッサナはそれほど中心の瞑想法ではない
四念処や五蘊無我の瞑想や四諦による思索の方が
お釈迦様直伝の瞑想
420 :
神も仏も名無しさん:2013/10/19(土) 19:06:20.95 ID:ZXnjxEml
>>417 そもそも、お釈迦様の説いた冥想が一種類だったかもわからない。
チューラパンダカ尊者のように、お釈迦様から拭き掃除を命じられ、
ひたすら掃除しているうちに悟ったお弟子もいる。
まずは、何を悟るか、何を目指すかという目標が重要であり、
ひとつの手段にこだわる必要はないのかも。
421 :
神も仏も名無しさん:2013/10/19(土) 20:23:13.72 ID:nf8PRvof
上座部仏教に出会ったのはかれこれ10年前になるが、その頃に比べたら
苦しみなんて10000分の1くらいになったぜ。
周りの連中が、あれが気に入らない、あれが欲しい、などということで
一々苦悩してるのをみるとあほだな〜と思う。
簡単に言えば精神的に自立できることにより苦悩が減る、森羅万象の無常
や縁起に基づき自分の意思とは無関係に絶え間なく変化するという字にすれ
ばごくごく当たり前のことを深く理解していけば俗世間の悩みだのストレス
だのはほとんどなくなる。
この辺りまでなら悟りもいらないし、瞑想すらいらない。書籍を徹底的に
読見込んで理解を深めて自分のものにしてしまえばこの程度は誰にでも可能。
422 :
神も仏も名無しさん:2013/10/19(土) 20:34:15.54 ID:nf8PRvof
学べば学んだ分だけ苦しみが減るのが仏教のすごさ。
ひとえに真理であるからこそこまで力がある。
宇宙の創造と破壊を何回もくりかえす中で覚者の教えが残っている
今はとてつもなく貴重なんだぞ。まさに仏教がなければ暗黒であり
苦しみ流転するだけの世界だったんだ。
ありがたく学べ。
423 :
神も仏も名無しさん:2013/10/20(日) 00:20:01.83 ID:fRKIaGzB
日本テーラワーダの協会での自殺者の話題で思ったんだけど
テーラワーダって葬儀とかどう関わるの?
葬儀は執り行うの?
424 :
神も仏も名無しさん:2013/10/20(日) 00:25:03.38 ID:Y4zhm2IB
ヴィパッサナ意外の瞑想?
>>415 ゴータマ・シッダールタって人がそうなんじゃね?多分。
あーあの人修行の天才だからなー
参考になんねぇよ
まぁ、出家しないで悟る人は
上座部にはいねぇべさ基本的に
天才的な資質があれば
チベット仏教系にはいるみたいだが
日常生活で手一杯なのに
悟りまで欲張っても無理だべ
428 :
神も仏も名無しさん:2013/10/20(日) 01:12:13.53 ID:BKePB1TD
>>425 妻子ども捨ててんじゃん。
ラーフラくんと仲直りしたのも解脱したあと。
サンガでは明確に結婚禁じてる。
家庭あってもいいけど、
子どものことなんて気にならないような
図太い神経じゃないと厳しそう。
>>420 チューラさんは知的障害者でお釈迦様の説法を全く理解できなかッた
でも掃除している時の体の動きをヴィパッサナーすることで覚りを得た
理論よりヴィパッサナー瞑想が大切だということかな
430 :
神も仏も名無しさん:2013/10/20(日) 11:45:32.72 ID:sfipT1HY
>>421 結局、苦諦・集諦・滅諦・道諦の四諦説の中に始めから答えは語りつくされている。
煩悩が悩み苦しみの原因、つまり、すべては心の問題。
仏教書などを読めばいの一番に書いてあり、
「はいはい四諦くらい知ってますよ」と読み飛ばしたくなるくらいの基礎なんですが、
その基礎の基礎さえわかればいつのまにか修行のスタートをきっているんですよね。
431 :
神も仏も名無しさん:2013/10/20(日) 12:53:37.97 ID:nj1GKvt2
仏教、特に上座の方勉強したいんだが初心者には何がおすすめ
あと瞑想てセミナーみたいなのあんの?
自分で本呼んで、実践すんのか?
>>431 ポー・オー・パユットー『仏法 テーラワーダ仏教の叡智』
433 :
神も仏も名無しさん:2013/10/20(日) 16:37:50.34 ID:sfipT1HY
>>431 私は数年前に、日本テーラワーダ仏教協会のホームページで、
スマナサーラ長老ね初心者冥想指導の日程を知り、それに参加しました。
本だけで勉強するより、実際に指導を受けたほうがわかりやすいし。
スマ先生は預留には覚ってるのかしら?
>>433 最近はDVDつき指導書売っていますよ>スマナサーラ長老の瞑想指導
全国的に、かつ、街に一件精舎があるわけじゃないから瞑想指導を乞うてもなかなか行けない人が多いと思うの
だからじゃないけど、もう少し普及するのを待った方がいいような希ガス>上座仏教
マハーカルナー禅師は天眼通と宿命通を体得したと
ちゃんと経歴に書いてる
スマ長老は神通力を持ってるのかな?
ブッダのサンガ同士を対立させるのは、十悪のひとつだったはずだが。
いや、五逆罪の
殺母
殺父
殺阿羅漢・・聖者を殺す
出仏身血・・仏身を傷つけ出血させる。
破和合僧・・教団を破壊する。
破和合僧に匹敵する
スマ長老は長老になるぐらいの修行を積んでいるんだから
預留果には覚ってるだろう
日本テーラワーダ仏教協会(JTBA)の本に出てくる基準だと、おれも預流果なんだが
そんなに甘くないよな、とは思う。
事務局長の佐藤さんは
高橋信次の元弟子ですね
>>441 自分の肉体を構成する素粒子が消滅する瞬間をハッキリ観たら預流果
そのためには自分の集中力を光速に近づけないといけない
光速を突破すると過去世が見えるようになる
上座部を教えてくれるのは
テーラワーダ教会とオバタセヤドーしかないよね
オバタセヤドーってどうなの?
スマさんの本に預流果とか不還果とかは単純に大悟の回数だって書いてなかったか
4回大悟すればそれで上がり 自我がきれいさっぱりなくなった状態
>>445 四禅定以上の集中力を体得しないと
不還果にはなれない
お願いですからテラワダ同士で喧嘩しないで。
っていうか、喧嘩売るような真似はしないで。
スマ先生のところはインチキだという人がいるので
だったらオバタセヤドーは良いのか知りたいですね
スマ先生の本で勉強するしか上座部を知る方法がないのです
まともな団体はどこなのか知りたい
サンガが出している本でしか勉強できない
中村元さんの本はただ原典をダラダラ翻訳しているだけで
具体的な修行方法が体系的に書かれてないので困る
マハシは別にインチキじゃないだろ。
難易度落としてあるだけで。
452 :
神も仏も名無しさん:2013/10/22(火) 08:07:27.89 ID:8D1i7/lK
七覚支とか、冥想の習熟の段階に応じて指導する体系があるようだしね。
在家むけの入り口レベルを見ただけで、出家を含めた宗派全体を判断なんかできない。
結局、本気で知りたいなら出家するしかないか。
>>451 たぶん正解
俺等現代人の中にはこれすらできないという現状を嘆く必要がある
>>450 片山一良先生の著書(ハードカバー)ならお手頃価格でかなりのことが分かるのでは?
ただしダンマパタだけ(パーリ仏典入門だけ全体像が分かるかってところ)
「ダンマパタ 全詩解説 仏祖に学ぶ一筋の道」 大蔵出版 9100円(税別)
「ダンマパタをよむ」 サンガ 2850円(税別)
「パーリ仏典入門」 大法輪閣 3100円(税別)
「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む」 大法輪閣 2500円(税別)
水野弘元先生の著書もある
「仏教の基礎知識」 春秋社 1700円(税別)
「仏教要語の基礎知識」 春秋社 2000円(税別)
まだまだ日本人の仏教学者はいると思うけれど、お手頃価格&メジャー性を考慮するとこのくらいかと…
お釈迦様はヴィパッサナー瞑想のときに
ラベリングしろと言ったのでしょうか?
心の中で喋り続けていると、言語脳が異常興奮を起こしてノイローゼになりませんか?
ラベリングは自転車の補助輪のようなもんで、ラベリングしなくても集中が途切れずに
いられるなら必要ない。
でも、そんな段階に達してないでしょ、我々の大多数は。
老と死って本読んでるけど、なんか絶望的な気分になる
仏教ってこんなもんですか?
458 :
神も仏も名無しさん:2013/10/23(水) 19:21:57.35 ID:CmGo6NL+
>>457 絶望って、具体的にはどんな感じでしょうか?
眠いときに昼寝すると気持ちいいよね。
ヴィパッサナーの効果はこれと似たようなものじゃないかな。
悟りにはつながらないと思うのだが。
>>458 病気になることは自然だから受け入れなさいみたいな論調で終始こられるところ
老いはしょうがないとしても病気は治したいと思うのが人情じゃないかなって思う
誰も治療することそのものを否定してるわけじゃないでしょうが
そもそも論として病気になるのは当たり前だということでしょ そこに噛み付くのはどうかと・・・
老・病・死からは逃げられないというのは仏教の大前提で、
それが嫌なら加持祈祷でも勧めてくる宗派にお願いすればいいと思う
いや、でも病気を治すための努力や病気にならないようにするための努力まで否定してるじゃん
それより心を充実させろと
話はわかるけど例えばタバコやめたりダイエットしたりってのは当然すべきのことだと思うけどな
それによってストレス溜まるならやめろって
ただ堕落して成人病まっしぐらになるじゃん
463 :
神も仏も名無しさん:2013/10/24(木) 00:21:06.47 ID:S0+ziANg
でもさ
自殺者を出すなんて破和合僧的だよ
464 :
神も仏も名無しさん:2013/10/24(木) 00:27:45.78 ID:dhWK0x2s
ストレス溜まるならやめろなんて誰がいったんですか?
仏教の教えは中道。心身を痛めつける極端な苦行も快楽におぼれることも否定。
必要な最低限の栄養・睡眠はとること、人間が健康を維持するための最低限の
ことは認めてる。
タバコにしろ美食にしろ五蘊を楽しませることへの執着を無くして行く。
また同じように病苦・誹謗など五蘊の苦しみに対する執着を無くして行く
同時に、智慧(瞑想修行・仏法の理解)を開発して聖者まで精進することを
推奨している。
欲に対する執着が無くなれば自然と律せられた健康的な生活になるし、
それでも因がそろえば様々な病になる。治療はするけれども、淡々と受け入れ
病による身体的な苦しみがあっても、それに不幸だ!辛い!苦しい!などと
思い悩まず理性・冷静・忍耐をもって平然としていなさいということ。
一の矢(身体的苦痛)は受けても、二の矢(脳苦)は受けないということを
推奨している。
>>464 いや書いてるから
老いと死に就いてって本で
466 :
神も仏も名無しさん:2013/10/24(木) 01:33:55.35 ID:dhWK0x2s
書いてあるのか。話の前後の脈絡がわからないからなんともいえないけど。
おそらくそれは、『老いと死』と壮大なテーマな割りに仏教超初心者向けに
書いたものなのでは?対機説法も仏教のひとつの特徴だからな。
467 :
神も仏も名無しさん:2013/10/24(木) 01:42:02.26 ID:dhWK0x2s
有名な経典に沙門果経というのがあるのだが、
あらすじは王様が高名な宗教家に出家するとどんないい事があるんですか?
と様々な高名な出家者に質問するが、頓珍漢な答えしか返ってこず、悶々と
していた。そこで有能な臣下の一人が仏陀に質問してみてはいかがかというこ
とで問うたところ。
ブッタは『奴隷だったものが出家したことで、様々な供物を得るようになった』
これが第一の果報です。 と答えたんだ。
もちろんそんなことは仏教の真髄から言えば枝葉のことであるが、これに大いに
納得した王様はどんどん仏陀の話に聞き入り最後には仏教に感激する。という
お経なんだが、これと同じことだろう。
468 :
神も仏も名無しさん:2013/10/24(木) 01:58:40.71 ID:8vyrvdBH
不思議と、質素な食事しか食べていない昔の僧侶が80才とかまで長生きしてるんですよね。
特に健康法とか気にしなくても、余分な間食はせずに規則正しい生活してれば、自然と健康維持につながるのでしょう。
お釈迦様が留守の間に弟子が大量自殺する事件が起きたことあるね
470 :
神も仏も名無しさん:2013/10/24(木) 13:41:11.05 ID:dhWK0x2s
地獄の有様を生生しく仏陀が語るとそれを聞いた弟子があまりの
おそろしさに自殺していまう。というあれか!
人生は無意味で苦しいだけだというお釈迦様の言葉に絶望した弟子が
集団自殺した事件があった
日本の禅宗でも、肉体は汚ない肉袋であると教えたためにたくさんの自殺者を出した歴史がある
仏教徒は一人で自殺し、イスラム教は他人を巻き込んで自殺する
仏教のほうがマシかな
472 :
神も仏も名無しさん:2013/10/25(金) 08:06:20.64 ID:twCniUlo
>>471 イスラムは自殺禁止。
だから、自爆テロは自殺ではなく戦いだからオッケーなのかな?
一人で自殺したら地獄行きになるけど、聖戦で戦士したらオッケーだとしたら、
もともと自殺したいがために自爆テロをやる人もいるかも。
俺、すげえ馬鹿だから
慈悲の瞑想も難しく
チューラパンタカみたいだけど
悟るような方法ないの?
スマさんのような人に会うと悟れるのかな?
>>473 ヴィパッサナー瞑想をやればいいです
ラベリングしないで体の動きだけを観察するといいですよ
しかし勉強すればするほど暗くなるな
真理は真理だと思うんだけど
重すぎる・・・
すべての努力が否定されまくってる気がする・・・
>>475 私も片山一良先生の著書「ダンマパタ 全詩解説」を読んでいた時「愚者の章」で思い当たる所がバリバリで凹んだ…
パーリ語仏典の日本語訳で、それも解説付きで読むだけで修行になりそうなそんな気持ちだった
それをさらに瞑想やら日常生活の行動やらに当てはめると「その先」が見えるのでしょう
ちなみに真理でかつ「慰め」が欲しかったら「聖書」と神父・牧師の説教を聞いた方がいいです
A長老は「非論理的で読むと頭がおかしくなる」と言っていましたが
でもほんとうの意味で理解できると前向きになれるのかもね
心は情報を認識する働き
肉体は動く働き
思考は脳の働き
この三つはそれぞれ別のもの
心の認識力が思考のスピードより早くなると
全ての苦は消える
479 :
神も仏も名無しさん:2013/10/28(月) 12:37:26.63 ID:970j2zTh
>>478 興味深いが、いまいちよくわかりません。
そもそも思考(脳)と心のスピードの違いがある場面は、具体的にどういう場面?
>>479 瞑想をしていると雑念に沸いてきてイライラします
瞑想に集中するのが心の働き
雑念を沸いて起こすのは脳の働き
イライラするのは雑念に心の働きが飲み込まれた状態
雑念に負けるのは
心のスピードが脳のスピードに負けている状態です
心のスピードが雑念が沸くスピードを凌駕すると、雑念は入ってこれなくなります
さらに心のスピードが加速すると光速さえも超えます
すると時空を通り抜けて過去が見えます
482 :
神も仏も名無しさん:2013/10/28(月) 18:42:50.88 ID:aePrj158
シャブラメンダスシャブラメンダス
コメオマオコメオマオルールパッ
っと唱えるといいでしょう
>>480
483 :
神も仏も名無しさん:2013/10/30(水) 11:41:59.05 ID:Z8qaxwvE
いい加減に警察も踏み込めよ
ブッダの実践心理学 文庫
難し過ぎ
ようわからん
それが普通
486 :
小さなヨハネ◇5tq8mh1C:2013/10/31(木) 14:28:05.01 ID:IPsMKF6I
仏教なんか大嫌い
487 :
神も仏も名無しさん:2013/11/03(日) 22:17:50.93 ID:dLlEvgRv
仏教とまったく無関係にマインドフルだけやるのがいちばん。
ヴィパッサナー瞑想を仏教教義による汚染から救い出すべき時だろう。
仏教の教えは教えで楽しみたいのですが…
ダンマパタなんて一万円で片山一良先生の著書で全部載っていますから
それだけ読むのも時間費やすよ
費やした分だけ楽しめるよ
瞑想なんて危険要素の高いもの今すぐやれるかっての
医学で臨床試験して安全性を確認してからやれっての
489 :
神も仏も名無しさん:2013/11/04(月) 22:21:36.44 ID:BcL/+Og2
>費やした分だけ楽しめるよ
確かに読んだからといって賢くなる訳でもないしな
ヴィパッサナー瞑想をしないと
覚りを開くことはできない
>>489 読んで覚えてから生活の中に活かせるように本の内容を吟味しながら生活する
それだけで何か手応えあるんじゃないかな?悟りとかは別にして
悟りを目標にするから悟りに遠くなるとA長老も書籍に書いていたようですし…
ゲームするようにダンマパタの真理と照らし合わせるのが良いかと
お釈迦様直伝の瞑想のやり方が載ってる本ってあるの?
大念住経
その注釈・解説書が清浄道論
片山さんの「パーり仏典にブッタの禅定を学ぶ」には
瞑想のやり方が載ってますか?
載ってるといえば載ってるはずですけど、スマさんの解説本のような
マニュアル形式にはなってないと思いますよ。
私は極度に怒りっぽいのですが、どうしたら解消できるでしょうか
日々の生活で怒りを観察する余裕もありません
瞑想して15分も経たないうちに「もう充分座ったかな…」と思うと10分も経たないです
ヴパッサナー瞑想でベストはどの本?
マハシなら「ミャンマーの瞑想」。
パオなら「Knowing and Seeing」と「Teaching and Training」。
BuddhaNetで英語版のPDFが無料で読める。
中国語版からの日本語訳は「如実知見」と「智慧の光」で、菩提樹文庫からリンクをたどれる。
で、マハシの場合
ゴエンカ氏の合宿に行くならゴエンカ氏の本を
テラワダ協会の合宿に行くならスマさんの本を
地橋氏の合宿に行くなら地橋氏の本を
それぞれ読んでおけば良いのでは。
>>497 集中力が足りないのです
怒りの感情に飲み込まれないように
集中力を養成することです
怒りが沸くスピードより集中力のスピードが早いと
怒りは心の中に入ってこれません
>>501 いえ、瞑想していて腹が立つというわけではないので…
怒りっぽいのは日常での生活で、未熟な私ではまず集中力で怒りを観察するのが難しいと思っています
瞑想できる時間が短いのは「もう30分くらいだろうな…」と思って目を開けてみると10分くらいしか経っていない
という自分の気持ちと時間とのズレみたいなのがあると思っているからです
その時に怒っている気持ちがあることが頻繁にあるわけではありません むしろ無いに近いです
>>502 まず慈悲の瞑想をしてみてください。
「怒り (dosa)」の対極にある心所が、「慈しみ (mettaa)」なのですが、
mettaa と dosa は同時に生起することはできないはずですから、慈悲の瞑想で
mettaa を生起させる訓練を繰り返すことにより、怒りは治まっていくはずです。
>>502 マラソンと同じようにちょっとずつ時間を伸ばせばいいでしょう
タイマーを使うと良いです
いまの段階で怒りをヴパッサナーすると
たちまち怒りに飲み込まれてしまうので
お勧めできません
ビルから飛び降りたスマナサーラ長老の信者って
どういう心理状態だったのかなあ。。
何とナローパ
>>475 「ある人たちにとっては」真理だって、ただそれだけ。
合わなきゃ捨てれば良いんです。
輪廻転生にした所で、インド人が言い出したってだけで、
ユダヤ教系にはないわけだから。
ユダヤ教の天国にいった人が、その天国で死んだら
その次どこにいくのか、っていう視点で見るのが仏教徒。
天界の神も寿命があるからね。
仏教はじめた人が「死後の事は語るな」って言ってるのになぁ。
テーラワーダ仏教で?
「仏教始めた(ばかりの)人が語るな」
とある、仏教をはじめた人がそう言っていた。
どっちの意味かわからん。
512 :
神も仏も名無しさん:2013/11/19(火) 23:06:16.01 ID:TObv892n
ともあれ、瞑想によって自分の悩み苦しみを無くすというのだけはやめた方がいい。
あくまでも、もっと現実的な解決を模索すべきだ。
そうしないと、結局は人生全体を棒に振ることになる。
宗教はみんなそうだが。
他人の悩みって割りとたいしたことない
コツは自分の悩みを他人の悩みと区別しないこと
>>511 仏教をはじめたゴータマ・シッダルタとかいう人は
死んだ後どうなるかを語らなかったというではないの。
>>512 シッダルタ自身が、
責任放棄して世捨て人になっちゃったそうだからねw
現実的な解決を求めるなら、方向性が違うんだろうね。
覚りを開くとホームレスになる他はないんだよ
性欲がなくなるので家庭生活ができないし
金を儲けようとする欲望もなくなるので
なんの仕事にもつけないから
なくなるのは欲求ではなく執着では
欲望=執着
食欲も執着か。
>>515 悟りか覚りかしらんけど、
そんなんだったら開かない方が良いじゃんw
教祖がホームレスだし
出家っていうか、家出しちゃったもんね。
覚りを開くとホームレスになる他はないと
スマナサーラ先生がちゃんと本に書いてる
覚りを開いてホームレスになるのが幸福で、覚りを開かず健康で長生きするのが不幸である
普通の人間はアベコベ感覚で生きている
普通人の幸福とお釈迦様の幸福は全然違うからね
涅槃とはすべての感覚が滅することであると
お釈迦様が言ってる
阿羅漢は死後、完全消滅するのでは?
如来は死ぬと、死後の世界ではなく涅槃に逝くのです
涅槃とは言葉では説明できない世界なので
お釈迦様は自分で確かめよと語りましたとさ
『如来は死後存在する』というのは、わたしによって語られなかったことである。
『如来は死後存在しない』というのは、わたしによって語られなかった事である。
『如来は死後存在し、かつ、存在しない』というのは、わたしによって語られなかったことである。
『如来は死後存在するのでもなく、存在しないのでもない』というのは、わたしによって語られなかったことである。
なぜ、これらのことが、マールンクヤプッタよ、わたしによって語られなかったのか?:
これらは、マールンクヤプッタよ、利益をともなわず、最初の清浄行のものではない。
厭離に導かず、離欲に導かず、止滅に導かず、寂静に導かず、証智に導かず、正覚に導かず、涅槃に導かない。
それだから、これらは、わたしによって語られないことである。
阿羅漢は死後
完全消滅するのでもなく
幽霊になるわけでもなく
シュレーディンガーの猫になるわけでもない
言葉では説明できないわけですね
絶望したッ!!!
有益じゃないから語らないのだ!と開祖が言ってるのに、
勝手に輪廻転生を採用しちゃう仏教に絶望した――ッッ!!!
輪廻転生がある前提ですべての話が組み上がってるのに
経典読めばわかることなのに。
形而上学的議論がしなかった、無記だ、とかいって
「輪廻転生を説かなかった」とか、さらには「輪廻がないという見解に至ることこそ悟り・解脱だ」とか
言いはじめる人、多すぎ。
まず、ブッダが語った内容を見ることさえしないで、勝手に内容を創作して
納得のいく範囲内に納まるように変更してしまあdsdfjkじゃ
利益をともなわず!清浄行でもなく!
厭離に導かず!離欲に導かず!止滅に導かず!寂静に導かず!
証智に導かず!正覚に導かず!涅槃に導かない!!
こうまで口を酸っぱくして酸っぱくして酸っぱくして言ってるのにッ!!!
仏教の入り口の段階で、仏教に対して懐疑的な人たちを遠ざけないように
するために黙っているだけで、知識としての仏教ではなく、瞑想実習を含めた
実践的仏教をしていけば、どのみち遅かれ早かれ、必ず輪廻転生や、業と
業果の話が当然の前提として出てくる。
どこを探しても、輪廻からの解脱を説かないテーラワーダの長老なんていませんよ。
そんなのブッダダーサ (プッタタート)氏くらいでしょう。
スマナサーラ師だって、日本人の価値観に合わせて「科学」を強調されているだけで
スマさんのスッタニパータにも、沙門果経にも、輪廻転生が前提の記述が随所に出てくる。
それらは全て、開祖の言うことを無視して、
後の人たちが勝手にはじめたことなんだってヴぁぁ
536 :
神も仏も名無しさん:2013/12/13(金) 08:26:00.19 ID:yGCFNEi6
>>382 >>388 第78経「五支物主経」の幼児の喩えについて
今日は暇なので書いておきます。
赤ちゃんは無我の状態だよ。だがそれは中道によるものではない。
そういう意味では釈迦が否定するのの間違いではない。
赤ちゃんは、いずれ立たねばならない。立つことによって無我を消滅させていくんだよ。
「釈迦は生まれてすぐ天と地を指さした」という逸話(作り話)が残っているけれど、人間は立つ行為により、重力(地)、反重力(天)が生じる。
だがどうしても重力(地)に偏った立ち方になってしまうんだよ、そのほうが安定するから。
そこに中道が必要になるんだよ。天と地、極と極、これが矛盾なく成立している立ち方が中道であり、そのときには脳も中道になってるんだよ。
>棟梁よ、なぜなら仰向けになって寝ているかよわい幼児には
「仰向けになって寝ている幼児」には中道は必要ない。立っていないから。
立つことによって人間となった。立つという行為のうえに大脳を発達させ、言語を獲得していったんだからね、人間は。だけど、それとともに苦しみも生じるようになったんだよ。詳しくはかかないけど。
原始仏教の足の裏を地につけてラベリングするのは、立つことをとらえなおしていくプロセスのほんの入り口なんだよ。
お釈迦さまのことを、「釈迦」と呼び捨てにする人が語る仏教解釈は100%に間違ってるの法則。
というか、お釈迦さまと、そのダンマを理解できていたら
「要するに釈迦の思想ってのは云々」だとか、「釈迦が言ったことはつまりねぇ」だとか
そういう表現、そういう態度には絶対にならない。
なんか釈迦よばわりする奴って2重に腹立つわ
不遜なのと、加えて姓を呼び捨てにする頭の悪さ(せめてガウタマかゴータマにしろw)
腹をたてるのは釈迦自身であって他人ではない
釈迦はいい人だったから〜
どろろろ脳ずいぃぃいいい
しゃらら しゃらら しゃらら釈迦釈迦
542 :
神も仏も名無しさん:2013/12/15(日) 19:39:21.54 ID:fFqlqSuQ
瞑想すると始めたとたんにころっと眠れるわー
面白いくらいにころっとねれるわー
ちょっとウトウトしたところでやめてみるともうぜんぜん眠くないの
でもつづけるところっと眠っちゃうの
いかんのう
ほんとはここで眠気にあれするんでしょ?
マジで不眠とはおさらばだわー
姓に「お」をつけるのはいいのか?
っていうかそんな瑣末なことに執着するのが仏教的なんでしょうかね。
もう日本語でしゃべんなと
些末なことに見えるだろうけど、そういう些細なところに表出するんだよね。
理解の程度が。
そうだな。でも「釈迦」がまずいなら「お釈迦さま」も変じゃないのかな?
それとも「おシャカームニさま」なら納得なのかなククク
何か批判、もしくは指摘できたつもりなのだろうが
理解の程度が態度に出ていて、それを見透かされているという問題について
なんの対処にも解決にも回答にもなっていないのだよね。
仏教理解しても釈迦を呼び捨てにされると怒るもんなんだな
>>545 バカにかまってもしょうがないけど一応反論あげとく
反論できないから黙ってると思われるのもアレなので
・「お釈迦さま」は釈尊などのように姓+r敬語である。そもそも姓の呼び捨てではないし
・シャカ・ムニ(釈迦族の聖者)だけで敬称になっているので「お」〜「さま」という過剰な三重敬称は
むしろ無作法
>>547 間違った仏教解釈を吹聴していることについて反応しているのであって、
君は何を指摘されているのか全く分かっていない。
釈迦は自分を釈尊と呼べと説法してたといいたいのかな
>・シャカ・ムニ(釈迦族の聖者)だけで敬称になっているので「お」〜「さま」という過剰な三重敬称は
>むしろ無作法
↑
インドの言語と日本語をごっちゃにするお前がバカ、
なんでそこまで馬鹿なの?
論点を逸らしはじめたのでお終い。
>>551 インドの言語と日本語をごっちゃにしていないんだったらなぜ「ムニ」をつけたの?
いちいち敬称つけないといけないなら フロイト様とかマルクス様とかめんどくさいな
仏教は科学なんだから呼び捨てでいいんだよ
文学部哲学科
科学的ではあるが、科学ではないだがなぁ。
スマさんが科学を強調するのは、現代人の理解力の限界がそこだから
という、ただそれだけの理由だと思うぞ。
上座部の比丘が、本気で釈尊の教えを科学だなんて思っているはずがない。
スマさんも、「科学は心を扱えない」と語ってるし、そちらが本音だろう。
557 :
神も仏も名無しさん:2013/12/19(木) 23:07:34.07 ID:DlDkKClD
もうめんどくせぇ、呼び名にこだわる奴らはこのスレで日本語一切使うなよ。
当時の言葉で当時の呼び名と当時の礼にのっとって語れ。
釈だの迦だの漢字も使うな。失礼だろ。
本当に科学であるなら、とりわけ現代科学であるなら
理論を実験によって検証せねばならないが、心を取りだして見せるわけにはいかないし
そもそも、そんなことは出来ない。
(脳内物質や電流は、心そのものではない。心と連動して動いた物質でしかない)
現代科学は物質しか扱えない。
心を扱うことはできない。
なぜなら、(仏教的観点から言えば)心は物質ではないから。
論点をずらしまくった挙句ちゃぶ台返しで議論そのものを放棄するんかい
まあ個人の自由だから別に強制するつもりは端からないよ
>>557 >釈だの迦だの漢字も使うな。失礼だろ。
意味が分からんのだけれど
サンスクリット文字のほかは禁止!!
これは世界共通のルール!
サンスクリット文字ってなんだよ
やればやっただけの効果がある 善因善果悪因悪果だから科学なんだろ
おまえら理解浅いわ
理解と習得度はまったく別の話。というのが仏陀の教えなんだがな。
人殺しじゃなく、動物殺しも植物殺しもカルマを負うの?
ブッダは中道を説いたと言っても、
その前にとんでもない苦行をやってるわけなの。
苦行をヤる前にはとんでもない豪華な贅沢な生活をしていた。
最高ランクの出自の良い完璧美女と結婚、セックス、子供も残してるのね。
だからなんでもまずは社会的な成功をして生活の質を上げまくる、
その物質的な豊かさに虚しさを感じたら精神的な師匠を探して歩く、
そして教えを請う(最初から一人でやらない、複数の師匠を試すことが大事)、
そして(自分にとっての)苦行をとことんやってみることも大事だと思う。
こうした経験を踏まえた上での中道なのね。
そんな作為的なもんじゃない。それだとどこまでいっても跡を残す。
569 :
神も仏も名無しさん:2013/12/21(土) 13:14:54.04 ID:b0TKp6EM
ちょっと何言ってるのか理解できないわ
570 :
神も仏も名無しさん:2013/12/22(日) 12:00:23.39 ID:u97BUDCK
>>539 信仰にしたくないとおもってるから、お釈迦様とは呼びたくないし、
だいいいち、今のこってるものは全部、後世の人がつくった「お釈迦様」でしかない。
水の上を歩いたとか、お釈迦さまの手には水かきがあったとか・・・・・・嘘が多いから、信用できない。
見たことも会ったこともない人に、いわば空想上の人に敬語つかうのは妄想的リスペクトでしかないよね。
不遜でもななんでもなく、過去の歴史上の人のことをいうときには敬称はつけないのはよくあることだし。
仏教を客観的に捉えて、修行をすすめていく、修行の実践者として、釈迦のメソッドをやってるだけであって、「法」に拠ればいいのであって、
「お釈迦さま」は修行には関係ないんだわ。直接指導してくれるわけでもなし。
アラカンであるスマ氏には尊敬もしているし敬語つかうよ。。
>>566 自我に基づいた行為はすべて大なり小なりカルマを伴うんだってさ
いかにも無宗教日本人らしい考え方だなぁ。
>>567 だったらそういうはずだろう。極端から極端に修行しろと。
574 :
神も仏も名無しさん:2013/12/22(日) 15:06:07.75 ID:u97BUDCK
>>539 阿羅漢というレベルにおいては、釈迦も弟子も同じとされている。
悟りのレベルでは釈迦も弟子の阿羅漢も同じということ。
つまり、釈迦の悟りは再現性があるということ。
これは、とても大事なことで、だからこそ修行する意義があるし仏教が本物であるという証。
阿羅漢というレベルにおいては悟りは同じなんだけども、「お釈迦様」を先覚者として絶対的権威をあたえ、信仰する。
これが仏教が宗教であるゆえんだけども、それには利点もあるし弊害もある。
そういった「宗教色」を排し、もっと自由な立場、広い視点から初期仏教を捉えなおしていく立場があってもいいし、
その場合「釈迦」という呼び方になる。
「釈迦」と呼ぶことじたいが、そういう立場であるということを表明しているんだよ。
問題は「釈迦」と呼ぶものが掲示板にあわわれただけで、感情を害されてしまっている「あなたのマインド」
それも信仰の弊害といえないだろうか。
過去の諸仏もいるわけだから、釈迦が最初の仏というわけでもない
説法したのが最初だから偉いんだな
結局は内向ヲタクのための、厭世世捨て宗教なんだな。
>568
でも経験がなかったら中道なんて出てこない。経験が重要なんだよ。
女を捨てなければ、女を捨てたことの意味なんて解らんだろ。
じゃあインドで王子に生まれて妻と子供を持たないと悟れないってことになるな
>>577 女を捨ててオナベになる意味は
経験しないとワカランだろうなぁ。
>アラカンであるスマ氏には尊敬もしているし敬語つかうよ。。
アラカンであるスマ氏には早く来日してもらって、破戒僧であるスマ氏
(シャム派のスマナサーラさん)を駆逐してもらいたいですね。
>578
あったりまえだろ。同じことなど二度と起こらんよ。全てが移りゆく。
悟りも二度と起こらない。あの時代にあの場所で仏陀に起った一過性のものだよ。
これは全ての真理も教えも免れることはできない。すべては移りゆく。
昔のスマと今のスマは違う。悟ったと思ったらすぐに悟っていないのだよ。
583 :
神も仏も名無しさん:2013/12/24(火) 02:33:07.14 ID:zHN/DDFx
>>567 君の中道観はギャグだ。他の方も指摘しているように全然おかしい。
『快と不快』『好きと嫌い』『喜びと悲しみ』『愛と憎』『恐怖と安心』『静と動』『天と地』などの両極性、そういうような対立するものが、融和や調和して対立でなくなったものが中道だよ。
また中道は仏教だけの専売特許ではないよ。
大衆は極に偏るという。極と極しかない。
クオリティの高いアーチスト、レベルの高いスポーツ競技者は中道を体現しているよ。まさしく大衆から抜き出た人でもある。ただ「自覚がない中道」だから悟ってるとはいえない。
たとえば歩く(経行)という動作。
右と左の足を交互に使っていくわけだけど、右と左の極の間、中道の人は、重心の移動までを細やかに認識しているよ。
大衆は、自分の重心さえ認識できなくなってる。歩く意味においても極と極しかないんだ。
歩く、立つという人間の基本的行為さえも自覚を深めていくことで、それは修行だし、中道への道なんだよ。
584 :
神も仏も名無しさん:2013/12/24(火) 09:54:39.89 ID:zHN/DDFx
>>581 例えば、それまで解けなかった難しい数学の問題が、解けるようになった人は、明日も同じような問題は解けるし、明後日も解ける、ずうっと解ける、それが当たりまえのレベルになる。
悟りもそれと同じだよ。
一瞬一瞬変化はしているけど、固有の存続性を保ちながら変化してるのだから悟りも継続性のあるものだよ。
そんな事よりクリスマスでも祝おうぜ
ふっひっひ〜
>584
悟りと数学の問題が同じレベルなら、数学の問題を解いた方がいいだろ。
わからんものを対象にするより判ってるものから始めた方が良い修行になるだろ。
悟りって何のことから解らんようなものをほんとうは何のことか分かってないやつが
分かったつもりになって一所懸命説明しようと試みている。それがこの世界じゃないの?
だれが解ってるんだね?
分からんものなんて修行になるわけない。WWW
この世界・・・×
2chの世界・・・○
トランス状態に入ると能力が高まる。不要な感覚は遮断されるので集中力が高まる。
例えばバイオリニストは演奏の時は完全にあっちの世界に往っている。
ある種の憑依状態ともいえる。音楽する人と普通の人が一人の脳内に共存していて
演奏をするときは音楽する人にスイッチする。違う脳を使っているのは目を
みればわかる。修行はそういうもので普通の人のままでは修行できない。儀式によって
そっちの世界に入ってそこで最高度に集中して練習を積む。2万時間以上練習を積むと
別の世界が開ける。それが芸術家だ。演劇でもおなじ。
宗教する人も同じで宗教をするときはそっちの脳にスイッチする。いかれてくると
完全に往ってしまってもう戻ってくることは少なくなる。それが涅槃だ。理想郷は
いわばそういう演劇世界、芸術世界の中にある。
君たちは仏陀から芸を仕込まれているのだ。この感覚を持ちなさい。ガイオン夫人が
素晴らしい祈りの方法を教えているが先ずは取り決めた簡単な儀式を使って
「神の臨在の内に入る」ことから始まる。これは脳を演劇脳にスイッチすることだ。
トランスは脳をスイッチすることだ。だから阪神タイガースの応援も芸能人の
追っかけもオタクも女装もSMもトランスだ。そういうくだらないトランスが蔓延している。
瞑想はトランスの手段なのだ。ところがくだらないトランスならだれでも簡単に
嵌ることが出来るしドンドンエスカレートする方法も知っている。
それなのに、瞑想は特別難しいとでも思っているのだろうか? 一流という意味では
愛ちゃんも松子デラックスもスマ氏も同じなのだ。
瞑想は簡単だ。要は戻ってくるかこないかだ。戻ってこなくてもいいのであれば
つまりはチンチンを切ってしまえばいい。一線を越えればアラカンだ。
590 :
神も仏も名無しさん:2013/12/25(水) 08:27:41.94 ID:RLNOFoFh
一線を越えると芸が変わる。まずは舞台に立つか立たないかが一つの分かれ目だ。
舞台にたつことで何かが変わる。
自宅で瞑想していてもだめで、いくらやっても深まらないし悟りなどおとずれない。
キリリスト教徒なら伝道活動をすることで深まっていくが仏教は内に籠りやすい。
仏教もキリスト教徒のように訪問伝道とかボランティア活動とか辻説法みたいなことを
始めるとドンドン深まっていく。
>アラカンであるスマ氏には尊敬もしているし敬語つかうよ。。
アフォだろお前は。
「御釈迦様」と呼ぶところから世界が始まるのだ。入口で拒否していては全くダメだろ。
仏教は科学だと哲学だ信仰する宗教じゃないとかいいつつ教祖には様をつけろよデコスケ野郎か
釈尊は草葉の陰で泣いておるぞ
593 :
神も仏も名無しさん:2013/12/25(水) 14:55:54.09 ID:KlOVPivR
釈迦のメソッドは、ラベリングするというということは「意識化」するということなんだよ。
常に意識はしっかりもっていることが前提。
トランス系じゃないんだな。
浄化がすすんでないのにトランスばっかはいってると、キチガイになるから・・・・・というかもう。
魔境というやつね。
支離滅裂になるんだな。自分ではマトモなこと、すごいこと言ってるつもりなんだろうけど。
スイッチなんていらんし。
潜在意識は常時稼動してるし。
悟った人は、潜在意識と顕在意識のつながりがよくなるんだよ。
マナヤシキという蓋が浄化されると潜在意識と顕在意識が連動するようになるんだよ。
マナヤシキは、身体にかかる意識の層だ。
実践者と能書きだけの人とで、話が合うわけがない。
595 :
神も仏も名無しさん:2013/12/25(水) 18:35:48.05 ID:KlOVPivR
>>593 >悟った人は、潜在意識と顕在意識のつながりがよくなるんだよ。
単純に路心(顕在意識)があるときは有分心(潜在意識)は存在しないだろ、という間違いと、
悟った人は〜という前書きで独自説を唱えるあなたは悟ってるの?っていう疑問
あとマナ識とアーラヤ識が混ざってるって
>>595 もしかしてご本人のブログ?
お釈迦さまのことを、「釈迦」と呼び捨てにする人が語る仏教解釈は100%間違ってるの法則。
598 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 02:48:58.35 ID:rOGiAojz
>>596 >マナ識とアーラヤ識が混ざってるって
混ざるとはかいてないつもりだが。
マナ識が浄化されるとかいている。
本人のブログじゃありません。
>悟った人は、潜在意識と顕在意識のつながりがよくなるんだよ。
>マナヤシキという蓋が浄化されると潜在意識と顕在意識が連動するようになるんだよ。
>マナヤシキは、身体にかかる意識の層だ。
通路じゃない。
重要なのは蓋がどちらに開くかだ。いくら一生懸命引っ張っても開かない。蓋は押して開く
ようになっている。つまり「あちら側に行く」ことしかできない。御釈迦様の世界に
往くのだ。
瞑想して意識をしっかり持って、頭を研ぎ澄まして、賢くなって、、あわよくば
潜在意識をフル活用して大金儲けをしようと思ってもそういうことにはならない。
だいたいが演劇世界は貧乏人の集まりと相場が決まってる。もっとも棚ぼたで大金を
掴むことはままある。
>597
お前はなかなか素質がある。しかし同じような役はそんなには要らんので
お前の場合は「地獄で火あぶり」に抜擢しておく。
600 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 07:33:37.23 ID:rOGiAojz
>単純に路心(顕在意識)があるときは有分心(潜在意識)は存在しないだろ、という間違いと、
中道とは矛盾が矛盾でなくなることだよ。
潜在意識はいつもある。いつも存在している。いつもはたらいている。
潜在意識はいつもいろんな情報をとらえている。
なのに顕在意識で意識できない。
中間にある、まな識が汚れているから。
意識の層なんだから混ざらない。
つながりが良くなる。関係性が良くなる。ツーカーの仲になる。
リラックス(脱力)し、顕在意識を弱め潜在意識を表出させたりしてるけど、
リラックス(脱力)するとナマ識は、身体にかかる意識層だから、潜在意識とのつながりが少しは良くなるというだけ。
マナ識が汚れているから、潜在意識の情報がゆがんで伝わる
601 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 10:31:15.83 ID:ZI9S9Iz+
ウコサラ西澤が出てった理由は、
教えた中で一番出来がよかったやつがミャンマーへ行って出家しようとしたら、その人の
親から、「頭がおかしいから帰るように」って電話がかかってきたんで、テラワダは、日
本人通訳を通して圧力かけたらしい。
実際には、その人普通で、おかしいのは親で、案の定出来もいい上に温厚なので、どうし
てこんなことをしなきゃいけないの?って通訳が西澤に問い合わせたらしい。
「会って話したこともないのに、そんなことをしたのか、もういや」って言い出して、ミャ
ンマーへ行ったらしい。
602 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 10:35:23.94 ID:ZI9S9Iz+
この詳細が知りたい。日本語通訳が日本に、直接その人にスポンサーシップレターをもってきた、って
僕の周辺では話題になってる。その人は、山下さんを信じていて、テラワダ関係ないらしいw
詳細キボン
603 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 14:06:18.46 ID:rOGiAojz
>>599 質問1、
「あちら側に行く」ことしかできない世界で、一度はいったら戻ってこれないのになぜあなたは現世にいるのですか?
質問2、
その世界がお釈迦様の世界だとどうしてわかったのですか?
お釈迦様がいたのですか?
604 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 17:28:27.19 ID:rOGiAojz
>>599 質問3、
なぜ、あなたは馬鹿の振りをしてるのですか?
605 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 18:44:18.14 ID:vyYBNrTR
「怒らないこと」読んだよ。意外と読みやすいのね。
>>600 >中道とは矛盾が矛盾でなくなることだよ。
>潜在意識はいつもある。いつも存在している。いつもはたらいている。
>潜在意識はいつもいろんな情報をとらえている。
>なのに顕在意識で意識できない。
>中間にある、まな識が汚れているから。
>意識の層なんだから混ざらない。
>つながりが良くなる。関係性が良くなる。ツーカーの仲になる。
一応ここはテーラワーダスレなので「私の悟り体験」はそれに見合ったスレに書き込んだ方が適切かな、と思います
607 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 20:34:25.85 ID:rOGiAojz
>>606 例えば、スマ師はある説法会で聴衆にたいして「あなたがたは、リラックスしてない」「日本語にはリラックスに相当する語がない」といわれてます。それ以上の解説はありませんでしたが、これはどういうことか?
聴衆のかたがたは、ふつうにあぐらをかいて座っていたのです。通常でいわれるリラックス状態であったでしょう。
リラックスしてないということは緊張しているということです。
人間はその体重を支えるために必要以上に力をこめ緊張して立っているのです。それが脳に悪い影響を与えているのです。
縛られるようにして立ってしまっているのです。そのことにさえ気が付いていません。
なので、足の裏の感覚から立つと言うことを捉えなおしていくのです。
堅く立ってしまっているその堅さが溶解していく最初がプロセスが足の裏からなんですよ。
スマ師が立禅を指導するときにエネルギーというのは気のことです。
スマ師が瞑想中、身体を動かすなというのは、身体の動きを止めていると身体内の気が動き出すのです。
なぜ、瞑想で腹を意識させるのか?これは秘密にしておきますが、中道にいたるターニングポイントともいえる大事なポイントがあるのです。
真理はひとつです。プロセスは同じなんです。人間の構造はみな同じです。だいたい慈悲の瞑想以外は、気功と同じです。
私の悟りは、テーラワーダのプロセスと同じです。
あなたに他所へいけなどといわれる筋合いはありません。
>なぜ、瞑想で腹を意識させるのか?
丹田を意識するとかじゃないですよ?w ワーヨー・ダートゥ(動きの要素)を観察するためです。
別に鼻の空気の出入でも、歩行時の足の動きでもいいのです
>私の悟りは、テーラワーダのプロセスと同じです。
名色分離智も生じていないようですので、明らかに違うと思います
610 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 22:19:46.56 ID:rOGiAojz
>>608 そう、鼻の息でも、歩行時の足の動きでもいいのに、なぜ腹に限定させているのか?ということです。
ワーヨー・ダートゥ(動きの要素)を観察していったら、どうなるのか?ということです。
表面的な観察ならだれでもできます。微細で深いレベルまで観察できてきたとき、どうなるのか?ということです。
自覚がない部分は観察できません。気が至らないと自覚できえません。意識が気を導きます、だから、意識続けるのです。
中道へのターニングポイントが自覚できえたとき、実は、そのとき、呼吸の動きにたいするある自覚も生じます。
>>609 「名色分離智」をあなたがどう解釈しているかわからないので、なんともいえません。
「解釈」じゃないんだよ。
頭で考えたことや、本で読んだ知識じゃないんだから。
612 :
神も仏も名無しさん:2013/12/26(木) 23:48:24.65 ID:rOGiAojz
>>611 解釈ではないというなら、
「名色分離智」をどういう意味でつかっているのか、教えてもらわないと話あえるわけがない。
いってるがわかりますか?
たとえば、プラユキ氏の名色分離智慧
http://hpcgi1.nifty.com/manikana/honeynew/honey.cgi?mode=res&no=44403 この人は確か、「仏教のすべてが苦」といのは間違いだともいっている。
この人と同じ意味での「名色分離智慧」ですか?
名色分離智慧⇒「名」「色」は別のものであるとわかる智恵。
これにおける「名」とは何なのか?
「色」は何なのか?
定義しないと話しにならない。
あと君が、どの文章を読んで、どう判断して私に名色分離智慧がないと判断したのか?
たぶん私のある文章を理解できずに独自に判断して、そう判断してるだけなんだろうけど。
>>600 >中道とは矛盾が矛盾でなくなることだよ。
釈尊が悟りの内容を問われた時、「わたしの悟ったものは中道である」と答えたわけですよね。
つまり、中道とは四聖諦のことであり、仏教教理全体を包摂するものであるはずです。
そうでなければ中道を説明できたことにはなりません。
テーラワーダ仏教は、「ぼくが考えた悟り」とか「マイオリジナル仏教スタイル」といった
ものに迎合することはないでしょうし、認めることもないと思います。
他の部派だというなら何も言いませんが、「テーラワーダと同じだ」というなら
こちらも「違うものは違います」といわねばなりません。
615 :
神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 01:06:43.14 ID:xGM58vpg
>>613 中道は、中道として中道を説明するのが正解であり、他のものと結びつけて、どうのこうのいわれてもあなたの理屈であり、同意しかねます。
あなたこそ仏教を違えているのではないでしょうか?
中道のあとに八正道や四聖諦がくるのではないでしょうか。
中道=四聖諦であるという説明をしてください、そういう珍説ははじめてききました。
少しだけ説明するなら中道なしに八正道はありえませんね、何をもって正しいというのか判断できませんから。
また、中道の体現においてレベルも存在します。私はスマ師や釈迦のレベルではございませんので。
相対立するものが融合、調和する、矛盾するものが矛盾でなくなるのが中道です。
これ以上説明するのは、時間、労力的にしんどいので、そのうちするかもしれませんが、いまはこの程度まで。
本当に話だせば、すごく長くなるので、そこまで説明しなければいけない義務もないはずです。
>>614 あなたの判断が正しいかどうかもわからないのですよ。
あなたに判断する力があるかどうかもわからないのですよ。
判断できるというのなら、きっちり、テーラワーダにおける中道とは何かを具体的に説明してください。
中道というものがわからないのに判断できるはずがないですよね。わかってるから判断できるんですよね。
また、中道とは普遍的原理であるはずで、テーラワーダ独自の中道があるというのはおかしな話ですよ。
>>615 本当の説明なら、お釈迦さまの教説がパーリ経典に残っているわけですから
それを見ればいいんですよ。
それが上座部のスタンスなんですから。
そこから離れて、色んな人がマイ仏教を語るからおかしな事になるんであって。
>>610 >なぜ腹に限定させているのか?ということです。
鼻の息を観察しないのはアーナーパーナが清浄道論でサマタ瞑想に分類されているので
ヴィパッサナーではなくサマタ瞑想を教えていると非難される恐れがあるから
(Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法 P.51-52
http://gotami.txt-nifty.com/mahasi_pa_japan.pdf)
>歩行時の足の動きでもいいのに
歩行瞑想と呼吸瞑想の区別がついてないのかな
>>612 >たとえば、プラユキ氏の名色分離智慧
プラユキさんの名色分離智「解釈」は間違ってます。思考が現実でないと気づくことが名色分離智(nāmarūpapariccheda-ñāṇa)
ではありません
このSatyaという人があなたですか?文章が似てる気がするけれど
>これにおける「名」とは何なのか?
>「色」は何なのか?
名(ナーマ)とは心であり、色(ルーパ)は肉体
具体的にはおなかの膨らみ縮みや、足の動きなどの動作が色(ルーパ)で、
その動作に気づく心が名(ナーマ)
名色分離智とは心と肉体とが別々の働きだと智慧で知ること
>どう判断して私に名色分離智慧がないと判断したのか
悟ったという割りに、潜在意識と顕在意識がどうたらとか、気功がどうたらとか、悟りに関係ない話ばかりしてるから
カンポンさんの本を読みましたか?あれのP.125に出てくるのが名色分離智ですよ
619 :
神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 03:13:19.03 ID:xGM58vpg
>>618 >歩行瞑想と呼吸瞑想の区別がついてないのかな
腹に限定している事実があり、腹に限定するには理由があると私はいった、
そしたら、あなたが「別に鼻の空気の出入でも、歩行時の足の動きでもいいのです」といったんですよ。
だから、私は、それに対して、だからなぜそしたら、「腹」に限定するのかといってるんです。
自分のいってることわかってる?話の流れわかってるか?
歩行瞑想と呼吸瞑想の区別ぐらい馬鹿でもわかるわ。
鼻の息に限定しない理由=腹に限定するではないですよね、腹に限定する理由の話をしてるんですが!あなた論点ずらしすぎですが。
結局、なぜ腹に限定するかあなたは、説明してませんが。
>プラユキ氏の名色分離智慧
私は、あながち間違ってるとも思いません。深いレベルでとらえられてるという見方もできます。
Satyaは私ではありません、全然知らない人です。簡単に同一人物視しないでください。
620 :
神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 03:14:26.72 ID:xGM58vpg
>>618 >悟ったという割りに、潜在意識と顕在意識がどうたらとか、気功がどうたらとか、悟りに関係ない話ばかりしてるから
関係ないとあなたが思うだけですよね、あなたのレベルでの判断ですよね。悟りに意識が関係ないとでも。関係ないことを説明できますか?
スマ氏は脳の本やらいろいろだしてますよね。スマ師がいろいろ語る分には悟りに関係あると思えると、まったく独善ですね。
スマ師がいうエネルギーというのは気だといったのです、立禅は気功にもありますし、中国拳法の内家拳系武術でも立禅はやります。
だから気功は関係あります。気功は身体に気をめぐらせていくメソッドです。スマ師は悟りに関係ない、まったく無駄な「立禅」を指導しているということですか?
仮に関係ない話ばかりを私がしていたとしても、それが、私に名色分離智慧がないのとは結びつきませんよね。あなたの独善ですよね。
結局、レベルの低い言いがかり的なことをいってるだけですよね、きちんとした理由説明は一切できてないですよね、あなたの幼稚さを自覚してください。
>カンポンさんの本を読みましたか?あれのP.125に出てくるのが名色分離智ですよ
カンボンさんて誰?知らんがな。一般的な名色分離智ぐらいわかっとるわ。まず定義しないと話あえないといったの。
621 :
神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 04:49:30.25 ID:xGM58vpg
>>616 >>617 経典と違うというのならどう違うのか説明するのが筋ではないでしょうか?
記憶では経典では、中道のことは説明されてなかったと思いますが。
大衆は極に偏る⇒悟った人は中道を行く⇒八正道の説明
「悟った人は中道を行く」としかかかれていなかったと思いますど。
経典にはかかれていないのに、上座部のスタンスもなにもありませんが。
あなたが理解できないから「マイ仏教」としか思えないだけですよね。
自分の理解できないレベルや世界があるとは思えないんですよね。
顕の教えと密の教えがあるというのがわからないのでしょうね。
スマ師なら何かいても、仏教だと思えるのですよね。
私のかいてることぐらいあたりまえに理解してもらえて、意見交換できるグループもあります。
別のグループでは私は指導してもらってるのですが、指導者とは会ったことも、話したこともない人で遠距離の人ですが、会わずとも話さずとも離れていても、
私の身体の状態、意識の状態を読みとりアドバイスをブログのコメント欄にしてもらってます。
信じられないでしょうが、わたしの想念まで正確に読み取られてます。そういうレベルの世界もあるのです。
まあ、ここはあまりにもレベルが低すぎます。書くだけ時間の無駄ということがわかってきました。
>>619 >だからなぜそしたら、「腹」に限定するのかといってるんです。
>鼻の息に限定しない理由
>結局、なぜ腹に限定するかあなたは、説明してませんが。
まず根本的な誤解がある
マハーシ長老はお腹の動きに限定してないし、アーナーパーナでも、方法論的に変わらないと思うと言ってる。
ヨギが望めばマハーシ長老は許してると書いてるしね
なぜアーナーパーナを自分から指導してないかということはすでに書いた通り、清浄道論で〜だね
勝手に憤激する前に人の話をもうちょっと聞いてね
>簡単に同一人物視しないでください。
ごめんなさい。。
>>620 >スマ氏は脳の本やらいろいろだしてますよね。スマ師がいろいろ語る分には悟りに関係あると思えると、まったく独善ですね。
ん?俺一言でもスマナサーラ長老がどうとか言ったっけ?長老が脳の本出してるかどうかなんて知らないよ
で、長老が脳の本で、悟ると潜在意識と顕在意識がつながると言ってるの?
>スマ師がいうエネルギーというのは気だといったのです、立禅は気功にもありますし、中国拳法の内家拳系武術でも立禅はやります。
で、スマナサーラ長老がエネルギーと言ってるからなんなの?
>だから気功は関係あります。
実践してる姿を外から見たら似てるだけで、理論は全然違いますね。テーラワーダでは気なんて概念は扱わない
パーリにないことを、自分がそう思うからという理由だけで勝手に取り入れられても、あっそで終わりですよ
2chとかネット界隈では頭のおかしい仲間が同調してくれるかもしれないけど
>スマ師は悟りに関係ない、まったく無駄な「立禅」を指導しているということですか?
いいえ、「立禅」は悟りに大いに関係があります。気という概念と絡めた気功もどきの「立禅?」が悟りに関係ないだけで
>それが、私にそれが、私に名色分離智慧がないのとは結びつきませんよね。慧がないのとは結びつきませんよね。
顕在意識と潜在意識がどうとかいうヨタ話を語ってる時点で確実に智慧はないと思いますけどね
あと、矛盾が矛盾でなくなる〜というのは単なる神秘主義です。
どの段階の悟りの智慧がそれらの話と関係あるんですか?壊滅智ですか?過患智ですか?
まともなテーラワーダの人は誰もそんなことはいいません。だからここで自分の悟り体験を披露することに益はないと思いますよ。あなたにも、他の人にも。
>カンボンさんて誰?
プラユキさんの本に出てくる人ね。プラユキさんを出してくるから当然知ってるかと思って
>>621 >顕の教えと密の教えがあるというのがわからないのでしょうね。
アーナンダよ、いったい、比丘僧団が、
わたしに何を期待しているのか?
アーナンダよ、内もなく、外もなく行い、
わたしは、法を説いたのである。
アーナンダよ、そこには、如来にとって、
師の握り拳(隠された教え)はない。
(大般涅槃経)
625 :
神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 08:52:54.07 ID:xGM58vpg
>>623 >実践してる姿を外から見たら似てるだけで、理論は全然違いますね。テーラワーダでは気なんて概念は扱わない
パーリにないことを、自分がそう思うからという理由だけで勝手に取り入れられても、あっそで終わりですよ
2chとかネット界隈では頭のおかしい仲間が同調してくれるかもしれないけど
では立禅は何のために行うのか、立禅の説明のとおきにスマ師がエネルギーというのは何のことか説明してください。
気功や武術でおこなう立禅とどうちがうのか?なぜ同じことをやってるのに、違うといえるのか説明してください、
普遍的真理を求めてるのではないですか?仏教だけ立禅で違う結果がでるのですか?
気という概念を扱うかどうかではなくて、修行がすすめば、当然、気の感覚は芽生えてます。そこまでのレベルにでさえ達してないからわからないだけです。
同じ人間が同じことやって違う結果がでるというのは、おかしなことですよ。
>あと、矛盾が矛盾でなくなる〜というのは単なる神秘主義です。どの段階の悟りの智慧がそれらの話と関係あるんですか?壊滅智ですか?過患智ですか?
中道そのものが矛盾が矛盾でなくなることだということです。中道であるからこそ智慧というものがでてくるのです。
まず、あなたのいう中道、または、テラワダでいう中道とは何かを説明してください。
自分では中道がなにかわかってないのに、否定することだけはできるというのはおかしな話です。
>まともなテーラワーダの人は誰もそんなことはいいません。だからここで自分の悟り体験を披露することに益はないと思いますよ。あなたにも、他の人にも。
まともとまともでない判断は誰がどのような基準でおこなうのでしょうか?
俺にもわかることがあるな・・・
それは君たち二人が怒っていること
627 :
神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 09:47:23.08 ID:xGM58vpg
中道とは、「矛盾が矛盾でなくなること、対立するものが調和、融合、和合すること」
これが神秘主義だというが、悟りを得ない人には神秘としか思えないのはわかる。
頭の理屈だけで理解できる、理屈だけで完結するなら悟りではない。
通常は中道は「極端に偏らないこと」というふうに説明される。
これはいいかえれば、バランス感覚が大事だということになる。
それなら、はじめから、バランス感覚といえばいい。
でもこれが悟りといえるだろうか?
628 :
如是我観:2013/12/27(金) 10:48:37.84 ID:L2tqqIDD
>>624 >アーナンダよ、内もなく、外もなく行い、
受け売りのまま、
これを無いと誤見したら有の対極が立つ二元性であり
虚無に堕ちるだろう。
また不二一元にも非ず不二不一元とする中道をとる。
だれがこんな誤解する言葉で伝記か誤訳したんだかw
アーナンダよ、内に執着せず、外に執着せず行い、
わたしは、法を説いたのである。
が正しい見解です。
>>625 >立禅の説明のとおきにスマ師がエネルギーというのは何のことか説明してください。
俺が長老から瞑想指導を受けたときはエネルギーがどうとかいう話はされなかった
長老が書いているヴィパッサナーの本にもエネルギーがどうとは書いてない
・・・ので知りません
>なぜ同じことをやってるのに、違うといえるのか説明してください、
気功では足の裏の感覚や立っている姿勢、立っている時に心の内に起こる事などなどを価値判断なく観察しますか?
それらをやって無常を発見するなら、同じといえるのかも
>修行がすすめば、当然、気の感覚は芽生えてます。
ひとつ言えるのは、そのような感覚が起きてもテーラワーダでは、これは悟りの智慧だとか価値を入れてないということです
価値があるなら、必ず修行の体系に組み入れられて、仏典に記録されているはずですから
>中道そのものが矛盾が矛盾でなくなることだということです。
つまりあなたは、その中道体験を、思惟智から随順智までの10のヴィパッサナーの智慧の
どれにも関連付けられないということでしょーか?
>あなたのいう中道、または、テラワダでいう中道とは何かを説明してください。
二つの極端によらないこと、です。苦でもなく、楽でもない、実践を行うこと(具体的には八正道)
それをバランス感覚にすぎないからつまらない、というならあなたの勝手だけど
>まともとまともでない判断は誰がどのような基準でおこなうのでしょうか?
無常・苦・無我の発見につながるかどうか、執着をなくすことにつながるかどうか
なぜならそれが仏道の目的だから
630 :
神も仏も名無しさん:2013/12/27(金) 23:10:51.93 ID:xGM58vpg
山下良道というビッパサナの指導者がいます。
http://www.onedhamma.com/?page_id=33 ↑のワンダルマ・メソッドの音声ファイルの中で、「身体に流れるエネルギーを感じてください。そのエネルギーをなんとよんでもいい」といっています。
私は「気」と呼んでいます。
http://www.onedhamma.com/?page_id=1361 ↑の時間表のところに、「立禅(站桩気功)」とありますね。
気功や中国武術では、立禅のことを站桩功(たんとうこう)とか站桩気功とか呼びます。
山下氏は、立禅のことを站桩気功という気功だと認識しているということです。
>つまりあなたは、その中道体験を、思惟智から随順智までの10のヴィパッサナーの智慧の どれにも関連付けられないということでしょーか?
中道体験というのはあまり適切ではないですね。状態とか在り方とか、そういうものですね。
なぜ関連つけないといけないのかよくわかりませんし、そういった発想もないですし、知恵のもとが中道としかいえないですね。
中道にもレベルがありますので、レベルがあがるにつれて、そういった、あなたの指摘している智が現れるとしかいえませんが、
山下良道氏はいろいろなメソッドは根本は同じだといっていますが、私にしたらあたりまえのことですね。
山下氏のこと少しだけ調べたりしましたが、表現は違いますけど、山下良道氏は私と同じこといってますね。
>二つの極端によらないこと、です。苦でもなく、楽でもない、実践を行うこと(具体的には八正道) それをバランス感覚にすぎないからつまらない、というならあなたの勝手だけど
それは、山下氏のいうところにシンキングマインドのレベルでの中道なんです。スマ師のいう大脳レベルでの悟りなんです。
悟り・中道にもレベルがあるということです。
631 :
神も仏も名無しさん:2013/12/28(土) 17:28:56.72 ID:QHdTRPPm
http://www.buddhachannel.tv/portail/spip.php?article15500 ↑どこかの国のお坊さんたちのホームページのようだ。
ここで後半から中道についての解説がある。
以下は、その抜粋
>對立的な存在として見なされた質量とエネルギーが融和し、一つの塊になってしまうことです。ところが、よく中道とすれば、中道は中間であるというが、それは佛ヘを全然知らない人の話です。中道は中間ではありません。
>中道とは、矛盾․對立している兩邊の生滅を超越し、生滅が互いに融和して、生が卽ち滅に、滅が卽ち生になることです。
>中道は、すべての對立を離れて、對立が融和して互いに合することだが、
この方は「融和」という言葉で表現しているが、私のいっている
「中道とは、相対立するものが、融和、調和、融合、和合すること、または矛盾が矛盾でなくなること」
と同じようなこといっていますよね。
君たちは、私の言うことには仏教でないと反発するが、どこかのお坊さんがいえば信じるのだろうね。
632 :
神も仏も名無しさん:2013/12/28(土) 18:16:22.60 ID:QHdTRPPm
>>621 『南伝大蔵経』巻17のp491に中道について説明がありました。
>>632 その大乗の退翁性撤さんが言ってることとテーラワーダの中道になんの関係があるの?
だから他所のスレでやってねって言ってるのに我見を宣伝したくてしょうがないのね
635 :
神も仏も名無しさん:2013/12/28(土) 20:50:16.48 ID:SUPLCk0O
するどいツッコミの応酬でどっちを応援してえーかわからんのう
ぜひ白黒はっきりつけてもらいたいんもんだ
636 :
神も仏も名無しさん:2013/12/28(土) 20:57:43.19 ID:SUPLCk0O
ちなみに、スマナサーラ氏が気功のようなエネルギーについて語っているのは、また聞きで聞いたとはある
山下氏がかたっているのも知っている
だからどうというわけではないが、マメな
637 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 02:45:20.60 ID:KKMq5C0O
>>634 あなたはあさはかですよね。たんなるアラさがしですよね、大乗だとつ込む馬鹿はいるだろうとはじめから想定してましたが、やっぱり馬鹿があらわれた。
大乗の坊主だとわかっていなかったら、あなたは、どう判断したのでしょうか?
テーラワーダでさえ初期仏教ではあるけど、原始仏教ではない。不純物はまざっている。
釈迦を信奉し「お釈迦様」と呼ぶなら、
退翁性撤氏の語る内容が真実か真実でないか、釈迦のものであるかないかが大事なのですよね。
退翁性撤氏は仏教としての中道を語ってる、たまたま、立場が大乗なだけである。
そのうえ科学的な面からも説明をしている。
テーラワーダの中道とこが違っているとかどう違うとか、なぜ関連性がないかとか・・・
具体的に意見してください。
あなたのは、たんなる中傷ですよね。恥を知りなさい。
いままで、私の中道を非難はするけど、具体的に中道を説明した人は1人もいませんが。
>>637 どう判断したのでしょうか?って俺の今までのレス読めば分かるでしょ…
>具体的に中道を説明した人は1人もいませんが。
…orz
>>637 まあ気を取り直してツッコミは入れときますか…
テーラワーダの中道では基本的に苦楽の二辺を扱うのであって、なんでもかんでも二項対立するものを俎上にあげたりはしません
生と滅とか天と地、男と女とかね
(あなたが言いたいのは中道というより、大乗でいう「不二」の論理でしょうね)
中道は二辺を離れて、それらと違う道を行くことだけど
あなたたちの言ってる「中道」は
>對立的な存在として見なされた質量とエネルギーが融和し、一つの塊になってしまうことです。
>相対立するものが、融和、調和、融合、和合すること
というように概念一般の二項対立を扱い、しかも二項を捨てるのではなく、むしろそれらを「掴んで」融合させようとしてる
生も滅も捨ててない。どっちも両取り
しかも
>矛盾․對立している兩邊の生滅を超越し、生滅が互いに融和して、生が卽ち滅に、滅が卽ち生になることです。
これは大乗の不二(不一)の論理からも外れてる
大乗は不二(別ではない)というけど、不一(同一ではない)とも言うからね
不一を外した「生が卽ち滅に、滅が卽ち生に」という融合論はむしろヒンドゥー教などの外教的な考え方だと思います
これは龍樹や般若心経がいう不生不滅とも全く異なる
龍樹たちが言ってるのは、生ずるとも滅するとも見ないということですから。
龍樹たちがいう二項を離れることは概念を消すこと(空性)
生が滅になりますよ〜、滅が生になりますよ〜ということではない
これでは生という概念も、滅という概念も結局残ってしまってる
>>637 >具体的に中道を説明した人は1人もいませんが。
↓
>>あなたのいう中道、または、テラワダでいう中道とは何かを説明してください。
>二つの極端によらないこと、です。苦でもなく、楽でもない、実践を行うこと(具体的には八正道)
ざっと調べると、中道についての説明は
「律蔵」「増支部」「相応部」等で見つかりました。
要約すると、
「欲に貪著することと自らを苦しめることの二邊をすてて中道。
中道とは即ち八聖道」(南伝3巻p18)
「両極端は避けられるべき。
両極端とは欲に専心することと、自分の難苦に専心すること。(略)
中道とは八正道。」
(南伝16巻上p36)
「三つの道がある、諸欲に堕落する道、劇苦道、中道(世に対する貪と憂を除く等)」
(南伝17巻pp488-490)
「中道とは、未だ起こっていない悪不善の法が起こらないようにするため、
既に起こった悪不善の法を断つため、
未だ起こっていない善法が起こるように、
既に起こった善法が倍増するように、
欲を生じて策励して、(略)
正見〜正定を修習する。これを中道という。」
(南伝17巻p491)
643 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 11:59:01.82 ID:KKMq5C0O
>>639 >テーラワーダの中道では基本的に苦楽の二辺を扱うのであって、なんでもかんでも二項対立するものを俎上にあげたりはしません
生と滅とか天と地、男と女とかね
扱わずとも、極と極があるのは事実ですよね。相反する極の対立や矛盾で人は悩み苦しむのですよね。仏教が人の悩みや苦しみに答えをあたえるものならば、それらに答えがないと意味がないですよね。
つまり、テーラワーダは人の悩みや苦しみなんか関係ないと、解決できるものではにといってるのと同じですけど。
644 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 11:59:45.47 ID:KKMq5C0O
>>639 >苦楽の二辺
修行は苦にも楽にも偏らない修行をする、それが中道・・・ということですよね。
立禅という立つ修行があります。
立つ修行という修行において苦にも楽にも偏らずに立ってください。それが中道です。私の言いたいのはこれです。私のいう中道はこれです。私はテーラワーダと同じこといってますけど。
楽(脱力)を極めれば寝るのが楽なんですけど、寝てはダメです。立っていて下さい。
だからといってしっかり立つことで力み(苦)すぎてはいけません。
問題は、人は力んで立ってしまっていること(苦)に気がついてないことです。
人間の大脳は、動物に比べて大きく重いのです。赤ちゃんのときに、まず首が立ちます。そのときから意識して最小限の力で頭を支えることを意識してきましたか?
重い体重を支えるのに、腰や足首に力を込めすぎていないか意識してきましたか?
常習化されてしまい、気が付くことさえできなくなってしまっているのです。
力みが首の付け根、腰、足首を中心に身体じゅうに広がってしまい、筋肉が固まってしまっているのです。高岡英夫という学者はそれを「拘束」と呼んでいます。
精神的にも人を拘束してしまっているのです。脳に悪い影響を与えています。それが苦の原因です。
力むことが、その力みが執着にもつながっているのです。
645 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 12:00:33.23 ID:KKMq5C0O
>>639 重力と反重力がある(→事実)
重力と反重力を利用して立っている(→事実)
力んで立っているということは、重力(↓)と反重力(↑)の相反するベクトルのバランスが偏っているということです。
重力という法則のもとに立っているのは、扱わずとも事実ですよね。
力むのと力まないのではどっちが楽ですか?
各宗派の理屈を並べるのは結構ですけど、事実や真理がいくつもあるのですか?
テーラワーダが真実かどうかは別問題で、それは〜の考え方だ・・・・といってるだけですよね。
テーラワーダの真実性は、何によって担保されるのですか?
修行との関連はあるのですか?ないのですか?
テーラワーダの修行はなんのためにあるのですか?修行をすすめるとどうなっていくのですか。
修行をすすめていくとなぜ苦がなくなるのですか?
テーラワーダの修行で得たものをもとに自分の言葉で説明していただきたいものです。
>>641-642 おお、勉強になります
やっぱ法話や他人の受け売りじゃなく経典に直に当たるのって大事だなー
>>643 >仏教が人の悩みや苦しみに答えをあたえるものならば、
四諦で苦の滅を説きます。苦の滅に至る道、八正道があります
たしかに二項対立は色々あり、人はそれに苦しみますが、執着がなければ問題ありません。
自分への執着がなければ、背が高かろうと、低かろうと、どうでもよいことなのです。
>>644 >立禅という立つ修行があります。
いちおう言っとくと立禅はテーラワーダではそんなにメジャーな教えじゃない気がします
自分の見た限りですが、純粋なテーラワーダの指導者でこれを教えてるのはスマナサーラ長老だけです
>>645 >テーラワーダの真実性は、何によって担保されるのですか?
文献学的に最も信頼性の高い仏典を扱っていることなどもありますが
最終的には個人の信に関わってきます。絶対的な何かには担保されないかと
>修行との関連はあるのですか?
あります。実際に効果があるから続けます。なければ本物ではないのかも…となり、捨てられます
>修行をすすめていくとなぜ苦がなくなるのですか?
妄想と執着がなくなっていくからです。ぐるぐると妄想することは実は苦しいです。なにかを求めないということは凄く精神的に落ち着くことです。
自分がいるという執着が微妙にでもなくなるだけで恐ろしいほど安楽な気持ちになれます
647 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 15:21:54.14 ID:KKMq5C0O
>執着がなければ問題ありません。
簡単に執着がなくならないから悩むんだよね。
私は、なぜ執着してしまうのか・・・・ということから言っている。
>いちおう言っとくと立禅はテーラワーダではそんなにメジャーな教えじゃない気がします
自分の見た限りですが、純粋なテーラワーダの指導者でこれを教えてるのはスマナサーラ長老だけです
立禅がわかりやすいから、それを例にとっていってるけど、瞑想のときに身体を立てるのも同じことなんです。
重力に対してたててるし。
それに歩く瞑想も重力にたいして立って歩いているわけだし。
>あります。実際に効果があるから続けます。なければ本物ではないのかも…となり、捨てられます
そうそれを私は、脳科学で認められていること、他のメソッドであっても、指導者レベルと同じ認識や体験にいたったこと・・・などをもとに語っている。
特に脳科学で認められていることは、認めるべきだと思うが、悟りに関係ないとか、テラワダでないとかいって批判する人がいる。
テーラワーダの修行方法については否定したことがない。
>妄想と執着がなくなっていくからです。ぐるぐると妄想することは実は苦しいです。なにかを求めないということは凄く精神的に落ち着くことです。
自分がいるという執着が微妙にでもなくなるだけで恐ろしいほど安楽な気持ちになれます
それは、すばらしいことだと思います。経典の受け売りを並べるより、よほど価値のあるご意見だと思います。
648 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 15:35:09.60 ID:KKMq5C0O
>>646 八正道はあとから挿入されたという説もあります。
問題は、何をもって正しいというのかです。
実生活においては、あとからでないと正しいかどうかなんてわかりませんよね。
そのときは正しいとおもってやったことでも、全然、的外れだったとか。
犯罪者や政治犯、確信犯・・・・・・でさえそのときは正しいとおもいながら犯罪を実行していたりするわけで。
正しいと思われることをやって、結果、適切だったと、その正解率の確率がすごい高いのと、
正しいと思われる答えを出すまでの時間が瞬時であること、
物事の本質から捉える能力が高いこと、
これが中道の人の能力(智慧)です。
私は中道を現実生活で活かすのが八正道であるというのなら同意しますけど。
何をもって正しいと判断するのかわかりませんので、実行はできませんし、
八正道で悟りにいたれるとは思えません。
649 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 17:41:29.02 ID:KKMq5C0O
>>639 >というように概念一般の二項対立を扱い、しかも二項を捨てるのではなく、むしろそれらを「掴んで」融合させようとしてる
生も滅も捨ててない。どっちも両取り
理にかなえば融合してしまうのであり、無理に融合させてるわけではありません。
つかむとしても力んだり、こちらに我欲があれば相手は逃げるでしょう。
動物なら、人間の緊張する表情をよみとり、攻撃的になったりします。
そもそもまったく性質がことなるものを、つかんで融合させようとしても、できないものはできない。
極と極というのは、現実生活にあるもので、どうやって捨てるのですか?
利害関係者がいて悩むし、武術、スポーツなら敵がいるし・・・・・・・・・。
私の言う中道とは形而上的なものではないのです。
例えば、バレーというスポーツなら、敵からのサーブをレシーブでセッターにボール送ります。
時速100k以上のスピードのサーブを球の勢いを殺し、セッターがトスを上げやすい角度、高さでボールをあげなければいけません。それもセッターは移動しながら、ジャンプしながらトスを上げるのです。
球の勢いをレシーブで殺すには、極力、力を抜いて球を受け止めなければなりません。だけども、ゆるいスピードで球をセッターに送ると、相手に読まれてしまいますので、早い球で、移動中のセッターがトスを上げやすいように
球をコントロールしてセッターに送らないといけません。
球をコントロールには、力を使わないといけません。
つまり、球の勢いを殺すには脱力しないといけないけど、球をコントロールするには、力をつかわないといけません。
このように矛盾することを同時に高レベルでやってるのが、全日本やプロの選手たちです。
大衆ではできないことをあたりまえにやってるからプロなのですが、矛盾が矛盾でないのです。
これは一例でしかありませんが、現実ですよね。
私のいう中道は、考え方ではないのです。現実なのです。
650 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 19:04:33.83 ID:KKMq5C0O
>>639 >テーラワーダの中道では基本的に苦楽の二辺を扱うのであって、なんでもかんでも二項対立するものを俎上にあげたりはしません
生と滅とか天と地、男と女とかね
釈迦が中道をガンガー河に流れる丸太に例えて説いている(相応部)
>こちらの岸に流れつかず (六根(六内処)に囚われることなく)
>向こう岸に流れつかず (六境(六外処)に囚われることなく)
>中流で沈みもせず (悦楽・欲望に囚われることなく)
>中州に打ち上げられもせず (自我の妄執に囚われることなく)
>人によって持ち去られもせず (社会性・人間関係(付き合い・同情)に囚われることなく)
>人でないもの(鬼神)によって持ち去られもせず (神秘主義に囚われることなく)
>渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)
>内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)
>ならば、海(悟り、涅槃)へと到達するであろうと説かれる。
↑では中道を苦楽の二辺いがいにもあてはめてとかれていますので、苦楽だけの中道をあつかっているという主張はおかしいですね。
いろいろな極と極にたいしての中道でないとおかしいですね。
あともっと根本的なことからもうしますと、大脳自体がもともと2極的に判断をするとこなんですよ。
大脳優位性(山下氏のいうシンキングマインド)の状態だと、とくにそれが顕著になるんです。
だから大衆は極と極に偏るということなんですが。
それに対しての中道ですね。小脳が関与してくるんですが。
そのうち暇があればかくかもしれませんが。
経蔵(スッタ)
論蔵(アビダンマ)
注釈(アッタカター)
複註書(ティーカー)
八正道における正しいとは何か
中道とは何か
この辺に全部書いてあるでしょ。
たとえば、正見の正しい見方とは
ものごとの実相を無常、苦、無我であるとみること
過去、現在、未来の縁起が、因と果の連なりであることを見ること
と説明されているし、
正思惟とは、慈悲喜捨に基づく思いであると定義されているし、
正語、正業、正命、正念、正精進、正定、それぞれに定義がある。
正定は四つの禅定のこと。
>>650 どこの経典か分からないので同じ経典を題材にしたらしい法話を見ながら書きますね。。
http://www.j-theravada.net/dhamma/hou-no-takara1.html >釈迦が中道をガンガー河に流れる丸太に例えて説いている(相応部)
これは中道の説明ではないと思います
中道は2つの極端に(ubho ante) 近づかずして(anupagamma)と表現されるからです
これは「8つの障害に合わなければ海にたどり着く」ということで、極端に近づかない事とは説明されてません
2辺の組み合わせが4つあるのだというかもしれませんね
では
>渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)
>内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)
というのは2つの対立項でしょうか?違いますね?
しかし、この8つの例え自体が八正道の説明になってる可能性はあります。
ならばこれは苦楽の中道とみるべきでしょう
>苦楽だけの中道をあつかっているという主張
誤解です
「基本的に」と書きました。「だけ」とは言いませんでした。有無の中道もあるからです。(カッチャーナ・ゴッタ経)
>いろいろな極と極にたいしての中道でないとおかしいですね。
では釈尊が生滅の中道を説いたという経典を教えてもらえますか?
ないと思います
「生じたものは滅する性質のものである」というのが釈尊の教えですから
654 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 21:07:09.95 ID:KKMq5C0O
>>653 釈迦は最初に苦楽と有無の中道をといたが、そのごは、ことあるごとに中道をといたのが正解だと思いますが。
たとえば
>>628 の
>内に執着せず、外に執着せず行い、
これも中道ですよね。
655 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 21:16:02.33 ID:KKMq5C0O
>>653 >「生じたものは滅する性質のものである」というのが釈尊の教えですから
私はまえに中道とは、状態・在り方であると書きました。
生成と消滅のなかで生じるのが中道です。
>>654 >>内に執着せず、外に執着せず行い、
>これも中道ですよね。
違うと思います
Sn 949 過去にあったものを涸渇せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。
のように、すべての考え得るケースを列挙して否定しているだけだと思います
ていうかそれは628氏の改変だし。。
657 :
神も仏も名無しさん:2013/12/29(日) 23:59:42.42 ID:KKMq5C0O
>>656 改変じゃなく解釈の違いですよね。
私はパーリ語読めないので日本語のもので理解するしかありませんが、
>>653 川の対極という極に丸太が引っかからなければ、最終的に海という悟りにたどり着く
と私は解釈したんですけどね
658 :
神も仏も名無しさん:2013/12/30(月) 00:26:42.34 ID:VtDNspJn
いくら議論しても、実際にそれを見ないと全貌はつかめない。
逆に遠ざかる。
とおざかるわけねえだろ。W
妄想の世界で「それは妄想で、これが瞑想」というような議論が宗教の全貌。
その考え方はよくわかる。
その枠組み、フレームワークはよく見かける。
アフリカゾウの特徴を1000挙げてみる。
出来上がったのは化け物。
中道の定義を10000挙げてみて、出来上がったのはグロテスクなただの概念。
どちらも、自分の目で見れば一発なのに。
まあグロテスクじゃなくて、一見美しい概念かもしれないけど。
グロテスクだろうが美しかろうが、どちらも同じ役立たず。概念にとどまる中道に、
口角泡を飛ばして議論するほどの価値はない。ただ自意識を強化するだけ。
知りたければつかめばいい。語ったり、仮に論破できたりしても、なんの得にもならないよ。
664 :
神も仏も名無しさん:2013/12/30(月) 07:21:20.74 ID:lBaAHdRC
>>623 >実践してる姿を外から見たら似てるだけで、理論は全然違いますね。テーラワーダでは気なんて概念は扱わない
パーリにないことを、自分がそう思うからという理由だけで勝手に取り入れられても、あっそで終わりですよ
2chとかネット界隈では頭のおかしい仲間が同調してくれるかもしれないけど
仏教に4大元素で火地水風がありましたよね。そのうちの風が「気」です。
終わってるのはあなたのほうです。
気の感覚もないのに退翁性撤禅師をあれこれ見て取るようなことするなんてことは、大それたことです。
経典ごっこの世界のあなたには、退翁性撤禅師の修行の重みがわからないのでしょうね。修行歴だけみてもすごい人です。
まだ算数もできない幼稚園児が大学生にむかってアレコレいってるようなもんです。
あなたを貶めるためにいってるのではなく、本当に幼稚園児レベルなのです。
あなたは、ただの経典マニアです。シンキングマインドの世界の住人です。
まえに堅く立ってしまってるその堅さが溶解しはじめるのが、足の裏からだと書きましたが、こんなことは経典にはのってません。
気をまず感じ始めるのは、手からなんです。こんなことは経典にはのってません。
経典の世界と悟りの実体の世界とは別の世界だとお考えください。
仙道では気、仏教では風、ヨーガではプラーナ・・・・・共通項ですよね。悟りに絶対必要な感覚なんです。
気を扱うとかそういうことではないんです。
修行がすすんでいったばあい、感知するものなんです。
ヴィッパサナーで風(気)も観れないようでは悟りなどまだまだです。
悟ってないものがなぜ、悟ってる人(退翁性撤禅師)を見て取ることができようか?
見て取るとは、たとえば、私は山下氏の音声ファイルの声を聞いて、この人は本物だ、中道の人だ。
話している内容よりも、その声に聞きほれてしまいました。
反重力にのった立ち方をしている人でないと出ない声なんです。
http://www.bukkyouoshie.com/suta/kyoutencyuui.html
>>664 >仏教に4大元素で火地水風がありましたよね。
>そのうちの風が「気」です。
ではないよ。
上座部仏教の四元素は色(ルパ)の構成要素。
つまり、物質を構成する要素としての風。
あと、山下氏はパオ森林僧院から破門扱いされてて
スダンマチャーラの比丘名も没収されてる。
いまは他の人がスダンマチャーラの名前をもらっている。
>>664 >ヴィッパサナーで風(気)も観れないようでは悟りなどまだまだです。
ヴィパッサナーでナーマ・ルーパ(名色)を識別できる人なら、そんな勘違いは絶対しませんけどね。
宇宙空間から地球の形を見た人が、地球は平らだとか、いや六角形だとか、いやいや八角形だとか
そんなこと言うわけないからね。
668 :
神も仏も名無しさん:2013/12/30(月) 19:20:29.71 ID:lBaAHdRC
>>665 あなたの言いたいことがわかりませんけど。
その物質を構成しているうちの風が気といってるんですけど。
あなたのいう風は何ですか?
あといっておきますが、あたりまえですが、「気」に「風」とか「空」とかかいてあるわけじゃないですからね。
>>666 それで、だから?何か犯罪でもしたのですか?
何を言いたいのかはっきりしてください。
>>668 だからね。
テーラワーダ仏教の比丘サンガってのは、「マイオリジナル仏教」とか独自解釈で
釈尊の教法を変更したりする行為には厳しいんですよ。
認めるわけない。
>>665 風界というのは動きの要素だから、歩行瞑想で足の動きを観察してるだけでも立派に風の観察なんだけどね
動き(気)の感覚があるもないも、ないんだけど
なんか風界のことを、神秘的なエネルギーのことだと思ってるみたいで
>気をまず感じ始めるのは、手からなんです。
って言っても別にワーヨー・ダートゥを観始めるのに足でもどこでもいいのだけれど・・
この人は「すべての教えは同じ」でないと気がすまない人だから、まあ何を言っても無駄だと思うよ
テーラワーダの解釈の方を、気功の方に捻じ曲げてくるから
671 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 02:24:21.89 ID:qP6KXdM1
>なんか風界のことを、神秘的なエネルギーのことだと思ってるみたいで
>>670 「気」が神秘的なものだというのは、あんたの勝手な解釈だよな。私は1回もそんなことはいってない。
>風界というのは動きの要素だから、歩行瞑想で足の動きを観察してるだけでも立派に風の観察なんだけどね
動き(気)の感覚があるもないも、ないんだけど
はぁ?じゃあ歩いてないと風の観察はできないわけだ?瞑想では身体を動かさないということを求められるよね。
>この人は「すべての教えは同じ」でないと気がすまない人だから、まあ何を言っても無駄だと思うよ テーラワーダの解釈の方を、気功の方に捻じ曲げてくるから
ビッパサナがなぜ気功といえるのか。
中国の言葉で「意が気を導き、気が動きを導く」というのがある。意識が気を導くのだ。これは法則である。ビッパサナは身体を意識化していく作業である。つまり、結果的にそれが気を導くのだよ。
君は修行が浅いからわからないのだよ。
気を身体に巡らせていくのが気功だといぜんかいたけど、これは一般的な説明レベルでのこと。気功は身体に意識を巡らせていくのだよ。
「気が動きを導く」つまり、動きを教えてくれるのだよ。つまり、動きの要素なんだよ。
。自灯明の道を行きなさいと釈迦はいった。
「気」が動きを教えてくれるとは、つまり身体が教えてくれるということで、こうなってくると、メソッドとかあまり関係なくなってくる。メソッドなんかいらなくなってくる。自(みずから)の身体が教えてくれるから。
自ずから(おのずから)気が教えてくれる。これが深い意味での自灯明の解釈です。経典の上澄みしかすくいとれない君にはわからないだろうけどね。
>「すべての教えは同じ」でないと気がすまない人
たくさんの人の体験の結果が同じだから、そういってるのです。
672 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 02:25:51.71 ID:qP6KXdM1
http://77713696.at.webry.info/201107/article_22.html >スマナサーラ長老は、ブッダの実践心理学1(サンガ)において、「四大元素だけ直接体験できると言いましたが、実際には、地と火だけ、身体に触れることによって、直接体験できます。
眼、耳、鼻、舌では何も直観できません。水と風は、身体の体験を通じて、意、つまりこころで理解します。こころで物質を理解するのですから、直接体験ではなく、厳密には推測ということになります。」と仰っておられます。
足の動きの観察が「風」を観るということなら、動きは目でも観察できるし、動きは触れることでも感じとれる、直接体験できるから、スマ長老のいってることを否定していることになるけどな。
意が気を導くのだから、意で観る(推測)するしかないんだよ。私は推測より推定という言葉のほうがあってると思うがね。
673 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 05:42:33.72 ID:qP6KXdM1
http://arana-vihara.blogspot.jp/2012_04_01_archive.html しかし初心者はそれが起こるたびに気付くことはできないでしょう。
ですからはっきり見え、楽に知覚できる現象から気付き始めるべきです。
呼吸によって起きる腹部の「膨らみ」「縮み」は常にはっきりしています。
これは『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られています。
腹部を熱心に観察する心によってこの動きに気付き始めなければなりませ
ヴィパッサナー瞑想法においては実際に知り知覚することが重要です。
何と名づけ言い表そうが構いません。
>>671 >瞑想では身体を動かさないということを求められるよね。
座っている場合は、お腹の膨らみ縮みや、息の出入りを観察するよ
>>672 >動きは目でも観察できるし
いや、眼で見るのは色(いろ)の変化だから風の観察ではないと思う
675 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 07:29:13.18 ID:qP6KXdM1
>>674 >いや、眼で見るのは色(いろ)の変化だから風の観察ではないと思う
あなたは足を動かすのを観るのが風を観る瞑想だといった。
スマ師は、風は直接体験できないし、目では見えないといった。
それならば、足の動きは目で観ることができるし足の動きは直接体験できることだし、あなたのいう足の動きを観ることは、風を観ることではないといってるの。
だから、あなたのいう風とはなんなのよ。
>座っている場合は、お腹の膨らみ縮みや、息の出入りを観察するよ
身体の動きを観るのと風を観るのとは違うよ。
あなたの理屈では止めたままの腕の「風」は観る(意識で推測)することはできないということですよね。
風が物質の構成要素なら、止めた腕でも「風」は観ることができないといけないよね。
>>673をよく読むように
676 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 07:43:38.53 ID:qP6KXdM1
>>673 http://arana-vihara.blogspot.jp/2012_04_01_archive.html しかし初心者はそれが起こるたびに気付くことはできないでしょう。
ですからはっきり見え、楽に知覚できる現象から気付き始めるべきです。
呼吸によって起きる腹部の「膨らみ」「縮み」は常にはっきりしています。
これは『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られています。
腹部を熱心に観察する心によってこの動きに気付き始めなければなりませ
ヴィパッサナー瞑想法においては実際に知り知覚することが重要です。
何と名づけ言い表そうが構いません。
>しかし初心者はそれが起こるたびに気付くことはできないでしょう。
ですからはっきり見え、楽に知覚できる現象から気付き始めるべきです。
呼吸によって起きる腹部の「膨らみ」「縮み」は常にはっきりしています
初心者には、気付くことは無理だから、腹の動きを観ていくことからはじめましょうといってるわけ。
立ってる場合は足の動きでもいいし。
つまり、つまり初心者は風を観るのは無理だから、とりあえず腹や足の動きを観ていきましょうということ、
>これは『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られています。
>ヴィパッサナー瞑想法においては実際に知り知覚することが重要です。
何と名づけ言い表そうが構いません
腹の動きをしっかり見ることによって観ることができる「これは」、『動きの要素』ヴァーヨ・ダートゥ「風界」という物質的性質として知られている。
風という物質要素を何と名づけ言い表そうが構わないが、実際に知り知覚することが大事だ
(だけどの風を知覚することができない初心者は腹の動きを観ていくことで、風を知覚できるようになることが重要だ
677 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 07:52:56.05 ID:qP6KXdM1
678 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 08:04:28.35 ID:qP6KXdM1
風という物質要素がある。
その物質を何と呼ぼうが自由だが(山下氏と同じことをいっている)
だけど初心者は観ることができないので(私もおなじことをいったよね)、腹や足の動きを観ていきましょう。
ということなの。
身体の動きを観るのと風を観るのは違うよということ。
>>675 >あなたは足を動かすのを観るのが風を観る瞑想だといった
足の動きを観ること「も」だね。で、「観る」というのは眼で足を見ることじゃなくて、
足の動きに「気づく」ことね。動きを意識、知覚すること
>動きは目でも観察できるし、
だから、それは色(いろ)=視覚情報の変化だから、動きそれ自体の観察にはならないってことです
>足の動きは直接体験できることだし、
そうですね。でも、スマナサーラ長老の「風」の定義は、「水」と対になる「引き離す力」ですからね(実践心理学 vol.1 p.93)
マハーシ長老とも違いますし、もちろん、あなたとも違いますよね。
アビダンマの専門家の定義も参照しましたが、
アシン・ジャナカービワンサ長老:the element of motion support
ナーラダ大長老:the element of motion
で、スマナサーラ長老は、かなーり特殊だと思いますね。この辺はよく分かりません
ただ、スマナサーラ長老が「動きの要素」という定義も認めていると仮定して話すと、
足の動きは感じれるから「眼、耳、鼻、舌では何も直観できません」といって「身」は外してあるんだと思いますよ
「身」の触を通じて、「意」で理解する(=「身体の体験を通じて、意、つまりこころで理解します。」)
という手順を踏むんだと思います
>止めたままの腕の「風」は観る(意識で推測)することはできないということですよね。
身による触がないから、そうですね。風界(ワーヨー・ダートゥ)は「動きの要素」ですからね。
腕が動いている感覚を感じない時に、動きを推測することはできません。
>風が物質の構成要素なら、止めた腕でも「風」は観ることができないといけないよね。
んー、それはどうなんだろう?それだったら「水」(結合力)も観ることがでないといけないけど・・
物質の構成要素を、いつでも人間が知覚できるというのは、またちょっと違う気がしますね
680 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 14:00:42.54 ID:qP6KXdM1
>>679 >スマナサーラ長老の「風」の定義は、「水」と対になる「引き離す力」
これは知らなかった。実践心理学を買う気はないし、スマナ氏の「風」ついてはわからないので、勝手ではあるが以後、パスにする。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1193937566 ↑一般的にいっても風は「気」と解釈されている。
また、ネットで調べるとすぐわかるけど、風を呼吸としたり、呼吸と関連つけたりするのは、プラーナ(気)は大気中にあり、それをプラヤーナ(呼吸法)
で体内に取り入れることにあるから。
>止めたままの腕の「風」は観る(意識で推測)することはできないということですよね。
身による触がないから、そうですね。風界(ワーヨー・ダートゥ)は「動きの要素」ですからね。
腕が動いている感覚を感じない時に、動きを推測することはできません。
>風が物質の構成要素なら、止めた腕でも「風」は観ることができないといけないよね。
んー、それはどうなんだろう?それだったら「水」(結合力)も観ることがでないといけないけど・・
物質の構成要素を、いつでも人間が知覚できるというのは、またちょっと違う気がしますね
動きの要素というのは、生命をなりたたせている活動(動き)の要素ということだよ。
細胞レベルでも活発に活動(動き)しているわけで、そういった生命活動にかかわる動きにかかわる「動きの要素」「動きを推進させるもの」
が「風」なんだよ。
腕を止めてても当然、生命活動は行われているのであり、止めてたら観れないというのはおかしいでしょ。
仏教の場合、生命活動を成り立たせているものは、まず命根(ジーヴィティンドゥリヤ)。
地水火風は物質の構成要素(色(ルーパ))。
心の構成要素は、心(チッタ)と心所(チェターシカ)=名(ナーマ)
生命は名(ナーマ)と色(ルーパ)の複合体
(※欲界と色界においての話。無色界ではナーマのみ)
だから、風や気功の気だけ感じて、それが全てだというのは間違い。
アビダルマではもっと細密に生命を分析している。
アビダルマというのは、経、律、論という三つの経典(三蔵)の中の論。
経の内容について論理的に解説した注釈書のようなもの(注釈書そのものではない。注釈書はまた別にある。)
経と論の内容を知らないで話しているようだけど、違うものは違うとしか言いようがない。
683 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 14:54:14.86 ID:qP6KXdM1
>>681 >だから、風や気功の気だけ感じて、それが全てだというのは間違い。
意味をはきちがえないように。
あなたが身体を神経で自覚的に動かすようなレベルを「風」における動きのことであるというから、それにたいして
細胞レベルの活動を含めた動きのレベルのことだといってるだけですけど。
腕を止めても細胞は動いてますよといってるだけですが。
細胞も物質だよね。生命活動の物質の動きには、細胞レベルの動きもあるといってるだけですけど。
心のことなんか一言もいってないよね。
生きている心がなければ、物質は生命活動できませんよ。
685 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 14:57:46.01 ID:qP6KXdM1
何か仏教でないものを感得して、そのことに感動し
その感動の延長で「これは仏教と同じだ、釈迦の悟りと同じものだ!」と言いたがる人
思いたがる人は、本当に多いんですよ。
後から後から出てきて際限が無い。
688 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 15:01:28.12 ID:qP6KXdM1
>>684 何がいいたいんでしょうか?意味がわかりませんが。
689 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 15:03:57.68 ID:qP6KXdM1
>>686 途中ででてきて、勘違いしたこといって、場をあらすのやめてくれませんか?
話の流れをキチンとつかんでからにしてください。
690 :
アラフェス:2013/12/31(火) 15:05:49.99 ID:s/otT4oU
私の心眼師にすれば瞑想などたやすいもの。
かくりしまては、このアラフェスが実践してくれようというもの。
いっけぇー・・・、ぐばっ。
>>688 あなたは知らないもののことを「自分の体験と同じだ」と言っているわけですが
そろそろ自覚できないかな。まだ無理かな。
693 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 15:27:45.98 ID:qP6KXdM1
>>684 >>691 私はいぜんから、意が気を導くといってますけど。
これは、意で気をコントロールできることも意味します。
気で心や意識が動かされるとはいってませんけど。
いいがかりはやめてもらえますか?
そんなに仏教に詳しいなら、
>>676 にも返答してもらえますか?
694 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 15:33:31.75 ID:qP6KXdM1
>>692 テーラワーダと関係ないか関係あるかを議論してきたのですが。
>>676 に返答できないんですよね。
風とは「それを何と呼んでもいいけど、知覚できるものである」
ということは、経典にない言葉で呼んでもいいということですよね。
確かに経典にが「気」という言葉はでてこないけれど、それを理由に
仏教で気は扱かっていないとは断言できないということだよね。
それを認めますか?
>>680 >これは知らなかった。実践心理学を買う気はないし、スマナ氏の「風」ついてはわからないので、勝手ではあるが以後、パスにする。
ほんとうに勝手だね
よく調べもせずにプラユキさんやらスマナサーラ長老やら勝手に引用して、都合が悪くなったらパス
分からないのにあれだけ知ったかぶって断言してたんですか?
スマナサーラ長老がエネルギーがどうこう言ってて、あなたによるとそれは風であり、気に他ならないんじゃなかったんですかね?
結局、自分の気功フェチありきでテーラワーダを云々するからこういうボロが出るってこと
いい加減、他スレに移動してくださいよ
>>694 >何と名づけ言い表そうが構いません。
もうちょっと文脈を読んでください
なんと名づけようが構わないというのは、
「腹部に生じる膨らみと縮み」を
「膨張、収縮」とラベリングしようが、「膨らみ、引っ込み」とラベリングしようが構わないということですよ
697 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 15:48:36.15 ID:qP6KXdM1
>>695 ミスはミスとして認めてるじゃないですか。
あなたは絶対ミスしないんですか?
スマ師の「風」の説明は、相手のかたもいってたように特殊なんです。
ですからわからなかったし、知らなかった。
いいがかりつけて出て行けとは、それが仏教実践者の態度ですか?
私がどれだけ時間を使って説明してきたか。
自分たちの立場が悪くなったら出て行けですか?
あなたが出て行けばいいんじゃないですか?
私が気のことを話ていたら・・・・仏教で気は扱わないから出て行け。
仏教でも気は扱われている可能性が出てきたら・・・・・それでも出て行け。
勝手ですよね。そんなエゴ丸出しでなんのための八正道なのでしょうか?笑えますね。
本当に求道の気持ちがありますか?
>>697 >ミスはミスとして認めてるじゃないですか。
で、また自説に都合が良さそうだから、この人を引用しよう、ってなるでしょ?
同じことの繰り返しになるだけなんですよ。。
>私がどれだけ時間を使って説明してきたか。
それにいちいち反論する為にこっちがどれだけ調べ物してるかも分かってくださいよw
>仏教でも気は扱われている可能性が出てきたら
さっき可能性が一つ潰れたところでしょうに・・・
699 :
アラフェス:2013/12/31(火) 16:01:45.21 ID:s/otT4oU
俺は神だ。天皇陛下よ、全盛の時あらず。
700 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 16:08:35.54 ID:qP6KXdM1
>>696 >この膨らみを心で「膨らみ」縮みを「縮み」と念じ気付かなければなりません。
念じ方(ラベリングの言葉)は文中でしっかり示されていますけども。
スマ師もラベリングの言葉は指定されてますよ。
現象を見るのですから「膨らみ」であり、「膨らんでいる」ではダメなんだそうです。
そこまでこだわるのですから、自由にラベリングしていいというのもおかしいと思ったのですが。
「膨張、収縮」とラベリングするのは、動詞であり微妙だとおもうのですが、これでもいいのでしょうか?
ただ、私は原本を読んだわけではないです。
701 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 16:19:46.54 ID:qP6KXdM1
「あるがままに観る」から精密に観れる。
精密に観ることは、あるがままに観ることですよね。
身体の動きや身体のあり方をあるがままに観るのがビッパサナななら、
武術は命のやりとりが前提ですので、どれだけ身体を精密に動かせるかが課題となりますが、そのためには身体を精密に知覚できなければなりません。
身体を観るという点においてビッパサナと変わりないと考えますが、武術は気は当たり前のように扱いますが、ビッパサナでは気は関係ないというのはあったくおかしいす。
立禅が練習のメインという武術さえあります。
また、気功もおなじで、身体を観ていくという点においてはビッパサナと同じです。
釈迦は、武術の達人だったそうです。
http://www.sportsclick.jp/combat/01/index03.html 同じ人間でありながら、同じことをしているのに、ビッパサナでは気は関係ないというのはまったくおかしいです。
703 :
神も仏も名無しさん:2013/12/31(火) 17:07:52.09 ID:qP6KXdM1
>>702 どうもです。
気は仏教には関係ないなどと簡単に否定されますが、
私が一番してたときで、立禅を1日4〜5時間を4〜5年続けましたかね。
それだけやった人いますか?やってる人いますか?
経典もとに能書きたれるのはいいですけど、どのくらい修行してるんですか?やらなければわかるはずない。
高校生の頃から求道がはじまり、まだ道の途中ですが、こんな大変だとは思わなかったというのが本音です。間脳レベルの悟りまであと5〜10年はかかると思います。
釈迦は王子の頃から瞑想はやってたようですよ。
釈迦が武術の達人だったということは、釈迦の悟りは、達人レベルの身体性のうえに成り立っていたということですよね。
その意義わかりますか?わかんないでしょうね。小脳の話しただけで、仏教には関係ないといってのける人たちですからね。
あなたたちが、修行をつづけ何年後か何十年後か、わかるかもしれないですね。少しは。あの人のいっていたことは本当だったと。
ではバイバイ!
>>703 >私が一番してたときで、立禅を1日4〜5時間を4〜5年続けましたかね。
ぜんぜんやってますけど。
自分の勉強不足を棚に上げて何を言ってるんだかな〜。
こちらが瞑想してないと勝手に思い込んで決めつけてるし、思い込みが激し過ぎるんじゃないの。
仏陀が成道されて後、弟子たちに武術や身体技法の指導なんてされてませんよ。
弟子たちに指導していた修行法は、大念住経、四念処経に記されている通りであって
気功だの武術だの、身体性だのといったことは的外れ。
その立禅だって気功のやつじゃないの?
しかも昔やってたっていう話でしょ。
わたしがやってるのは経典通りの瞑想だし、やる時は一日八時間以上はやる。
座ってやる瞑想が全てではなくて、歩く瞑想、立つ瞑想と、一日中やるのが本来のあり方。
悟りというのは要するに「すべては無駄だった」という深い理解だから
その程度では駄目だろうね。W
もっともっと頑張りなさい。
>思いたがる人は、本当に多いんですよ。
>後から後から出てきて際限が無い。
それを雑念という。仏教は雑念の歴史的集合体だ。
悟りについて師に問うてみるがいい。まともな師ならば「私はしらない。しかし私の師は
知っていたと信じる」というのが一般的回答だと思う。それが永遠に続いてきたのだ。
なんの根拠もないメッソッドは「何かをしている」感覚をもたらす。実際上はまったくの
出鱈目であっても「どこかに向かっている安心感」をあたえてくれる。
仏教は雑念の塊であり何トンもの経典という勿体ないゴミに囲まれたいわばゴミ屋敷の
ようなものだ。勿体ない心からゴミは日々集積するのでこのゴミを始末することは並大抵
のことではできない。
よく「ゴゾンジ」ですね
>>707 本当に多いんですよ。
後から後から出てきて際限が無い。
「中部」の141経"Saccavibhaṅgasutta"に八正道が説明されてます。
昨日のスマナサーラさんの説法講演行った人いる?
中部経典で、初禅に入る準備段階では
「相を取らず、細かな相を取らず…」とありますが、
具体的にどのようなことをするのか分かる方いらっしゃいませんか?
世界ふしぎ発見で今、ブータンの仏教やってる、こちらは大乗仏教ですが。
アホか。
716 :
神も仏も名無しさん:2014/01/21(火) 12:57:31.75 ID:1pN5/DUB
>>679 実践心理学を読んだ地水火風の意味のイメージとしては、
水(ひきつける)と風(おしのける)
の組み合わせで総ての物の動き(移動)を説明でき、
それに、火は変化・反応を早める働き、
地は変化・反応を妨げる(遅くする)働きという、
火と地で変化の早さの増減を説明できることを加えれば、
あらゆる物の動きと変化を地水火風で表現できる
という意味をイメージしました。
比丘らよ、親族の喪失、財の喪失、病の喪失、戒(道徳)の喪失、見(正見)の喪失、
という五つの喪失がある。
このうち親族・財・病の喪失によって、生命が死後、悪趣・地獄に生れることはない。
戒・見の喪失によって、生命は死後、悪趣・地獄に生れるのである。(パーリ増支部5-130)
(Sampadāsuttaṃ)
30. Pañcimāni bhikkhave byasanāni. Katamāni pañca:
Ñātibyasanaṃ, bhogabyasanaṃ, rogabyasanaṃ, sīlabyasanaṃ, diṭṭhibyasanaṃ.
Na bhikkhave sattā ñātibyasanahetu vā bhogabyasanahetu vā rogabyasanahetu vā
kāyassa bhedā parammaraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjanti.
Sīlabyasanahetu vā bhikkhave sattā diṭṭhibyasanahetu vā
kāyassa bhedā parammaraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjanti.
*byasana [=vyasana], 「損失」,「不幸」
ñāti-, 「親族の不幸」
bhoga-, 「財の損失」
roga-, 「病の不幸」
sīla-, 「戒の喪失」
diṭṭhi-, 「見(解)の損失」
やっぱ増支部は勉強になるなー
おれ頭痛持ちなんだけど、ラベリングで「頭痛、頭痛・・・」ってやると痛みに集中しちゃって気が狂いそうになって困ってたんだ。
でも、サンガジャパン13のプラユキさんの記事を読んで、ラベリングは体の動作だけにするようにしたらうまく頭痛をやり過ごせた。手動瞑想も効果的だった。
すごく嬉しかったんでカキコ。
仏教はクソゲーの如し
セバスチャン
>>721 プラユキさんの記事は別書籍に書かれそうでしょうか?
その部分だけわかりやすくかつ詳しくしりたいです
確かにあまぞねでみたら他のいろんな記事も面白そうですが、
>>712さんは極めて重要なことを書いていると思うので是非ご紹介ください
プラユキさんが紹介して下さった手動瞑想などの瞑想が「自分を変える気づきの瞑想法」(A・スマナサーラ著)
くらいにわかりやすく書籍で紹介して頂いたら興味を持つ人も出てくると思うのですがね…
A・スマナサーラ長老が教えるマハシ流瞑想改訂版みたいなのですべての人が満足しているかどうか心配です
726 :
721:2014/02/01(土) 16:32:31.13 ID:B1N6DlYd
どうも、721です。サンガジャパン13のプラユキさんの記事「たかが言葉、されど言葉」では、
・感情や思考をラベリングする際に「怒り…」「妄想…」といった否定的な言葉を使うと、ネガティブなイメージが増幅されて精神が不安定になってしまうことがある。
・痛みがあるとき「痛み…」とラベリングしていると痛みが増幅されて手に負えなくなることがある。
・言葉選びに気を取られ、今ここの、あるがままに気づけなくなる。
といった問題が起きることがあると紹介され、対処法としてラベリングする対象を身体の動きだけにとどめること、または否定的な言葉をラベリングに使わないことが挙げられていました。
727 :
721:2014/02/01(土) 16:43:25.67 ID:B1N6DlYd
また、プラユキさんの経験では日本人はラベリングで問題を起こすことが多いそうで、その原因として、
タイやスリランカの言葉が表音文字なのに対して日本語は表意文字であるため、
文字自体が意味を表し、直感的にイメージを喚起させやすいのではないか、とのこと。
728 :
721:2014/02/01(土) 17:02:33.84 ID:B1N6DlYd
>>726 ありがとうございました
いずれプラユキさんがまとめて書籍に出して瞑想法をまとめて頂いた時に改めて考えてみたいと思います
>>726 >・痛みがあるとき「痛み…」とラベリングしていると痛みが増幅されて手に負えなくなることがある。
これは体験的にないわ
むしろ逆
瞑想ですべてを解決しようなんて愚。
瞑想はビタミンCに過ぎない。効果がある対象は限られる。取り過ぎても無駄。
プラユキはよくいる「仏教社会コメンテーター」と変わらん。
ティク・ナット・ハンや大拙のような「仏教者」ではない。
>>732 タイで出家して20年以上坊さんやってるのに?
タイで出家して20年以上坊さんやってる人間が全員あんなタレントになるとは限らん。
735 :
神も仏も名はある:2014/02/13(木) 13:13:40.98 ID:Wv8O1wLO
カベサコさんのような残念な例もあるけれど、それでもカベサコさんの方が
日本の根性なしのニセ坊主詐欺よりはマシ。還俗してから結婚したようだし。
そもそも禅を賞賛する者がテーラワーダのスレに来て書き込むこと自体が
精神集中力のない何よりの証。集中力もなければプライドも無いのか..
736 :
神も仏も名無しさん:2014/02/13(木) 15:10:21.17 ID:tDD79Qj8
>>736 だからなんなんだw
それならカトリックのシスターの鈴木秀子さんとも本出してるからキリスト教も語っていいことになるw
プラユキさんの新著出たね(脳外科医との対談書)。
「脳と瞑想〜最先端脳外科医とタイの瞑想指導者が解き明かす苦しみをなくす脳と心の科学」
早速読んでみたけど、対談書だから読みやすいし、
それでいて随所にインスピレーションを喚起させてくれる内容も濃い良い本だよ。
このスレ住民にお勧め
>>738 今頃言うなよ…・゚・(ノД`)・゚・
今月は本買わないって決めちゃったじゃないか…
ポイントで引き替えるとは思ったけど、仏教書ばかりじゃないんだよ 欲しいのは
740 :
神も仏も名無しさん:2014/02/16(日) 21:25:52.35 ID:pC5fcJf6
プラユキさんとか、スマナサーラさんとかって欧米でも著名なんですか?
マハーシ長老やゴエンカ氏はかなり有名なようだけど。
別に欧米で有名だからえらいといってるわけじゃないが、
ただ、ゴエンカの名前ってケン・ウィルバーとか思わぬ人の本で名前が出てきたりするんで
びっくしりた。
741 :
神も仏も名無しさん:2014/02/16(日) 21:30:35.27 ID:pC5fcJf6
あと、このスレで出家した人、しようと思ってる人いる?
それができなくとも、五戒はきびしく守ってる人とか。
やっぱそれができなきゃどんぐりの背比べですよね。
主著が『Sex, Ecology, Spirituality: The Spirit of Evolution』(「セックス、エコロジー、スピリチュアリティ:進化する心」ってとこ?)
ってかなり怪しい本読んでるのね>ケン・ウィルバー
しかもWikipeの略歴がまあアレですな…
>>743 批判することに対して無明と言ってるなら
こんな貪瞋痴まみれの「グル」に傾倒してること自体が無明そのものだな
五戒の最初の「不殺生」が実行不可能って言われるけど、
原語のアヒンサーって「非暴力」の意味だよね、正確には。
これなら在家でも実行できる。
あと「不邪淫」は、在家の場合は不倫しなければOKだったよね。
エロ本読んでオナニーしても、在家なら違反じゃないよね、ね?
747 :
神も仏も名無しさん:2014/02/19(水) 02:49:56.79 ID:hmbPQhzt
>>745 >原語のアヒンサーって
原語は「パーナーティパーター ヴェーラマニー」で「離殺生」だよ
>エロ本読んでオナニーしても、在家なら違反じゃないよね、ね?
「カーメース ミッチャーチャーラー ヴェーラマニー」=「諸々の欲において間違った行為をしない」だから
やり過ぎは五戒に反する、という意見もある、一応
748 :
神も仏も名はある:2014/02/19(水) 11:44:10.95 ID:P8x0zNWE
きびしく五戒というなら八斎戒をやって見るといい。
八斎戒の場合には「不邪淫」ではなく、「不淫」だからマスもダメ。
他に「午後からの断食」と「歌舞音曲を見聞きしない」を含む。
上弦・満月・下弦・新月と満月、新月の前日を含めて六斎日というが
上弦・満月・下弦・新月の4日は憶えやすいから、この日に布薩戒を
をする手もある。これが出来るなら、更に進んで年間通して布薩戒を
守れる人もいるだろう。
>>747 辞書で「不殺生」を調べると ahimsa と出てくるのです……
ちなみに使った辞書は中村元の仏教語大辞典。
>>749 たしかに元になったヒンサーにはPTS辞典によるとkillingの意味があるんだけど
否定形のアヒンサーは
PTS辞典でnot hurting, humanity, kindnessだし
水野辞典も不害、無害
しかも純粋なパーリ辞書であるConcise P-E辞典だとヒンサーにすらteasing; injury; hurtingの意味しかなく、殺のニュアンスは全くないからなあ
さすがに中村元先生でも不殺生=アヒンサーはちょっと厳しい解釈だと思うわ
751 :
神も仏も名無しさん:2014/02/19(水) 18:46:27.20 ID:pmmauGzz
聖書にはモーセの十戒がある。そこには「殺すなかれ」という戒があるが、
これは他の人間を殺すなという意味に解されている。
だからキリスト教徒は、牛羊豚などの家畜を平然と食い散らかしている。
しかし仏教の不殺生戒はもっと厳しい。殺人だけでなく、食べ物についても、
無用な殺生をやめなさい、ということを教えている。
生き物を殺して食べなければ生きられない。
これがわかった上での不殺生戒である。もちろん殺人はダメだが、
不殺生戒には「はば」があるように思う。その「はば」を埋めるものが、
食事の際の「いただきます」かもしれない。
752 :
神も仏も名無しさん:2014/02/19(水) 19:20:16.60 ID:pmmauGzz
ケネディー米大使が太地のイルカ漁を批判したが、
牛豚羊七面鳥なら食っていいのか、という疑問が湧いてくる。
欧米人は家畜だからと弁解するが、犬猫はペットだからと拒否する。
家畜かペットかという人間のご都合で生き物の命が左右される。
どっちも生き物であることに変わりないのに。
そんなことを思えば、人間の食い物などは、その土地、
その環境によって左右されのであり、イルカでもカンガルーでも、
あまり目くじらを立てるべきではないのかもしれない。
無用な殺生をしない、これにつきる。
本当に悟らないと、不殺生戒の真の意味はわからない。
不殺生戒が「無用な殺生をしない」という程度で矛を収めるのは
食べないと生きていけないからに他ならない。
こういった殺生は罪でも業でもないし、輪廻にもまったく無関係だろう。
完全に殺生を禁止したら、人類はすぐに滅びてしまう。
人類が生き物を殺して生きることは、神によって最初から許されている。
>>752 食用に畜産養殖できるものとそうでないものと区別してるんだろうけどな。
どっちにしても人間の勝手ご都合でしかないけど。
756 :
神も仏も名無しさん:2014/02/20(木) 21:02:46.73 ID:CRThj2FI
人間のご都合! 人間は殺す理由を求めているのかもしれないね。
家畜だから、奴隷だから、黒人だから、黄色人種だから、敗戦したから。
弱肉強食の強者は、自分を正当化する理由を探している。
757 :
神も仏も名無しさん:2014/02/20(木) 21:27:08.36 ID:CRThj2FI
それだけ、殺すことに「罪の意識」があるということかw
USAの原罪は、無差別殺人の原爆、やはり無差別殺人の空襲にある。
東京裁判は、そういった戦争犯罪をチャラにし、
悪いのはお前たちだ、殺されて当然だという、居直り強盗風だよね。
こういったことも含め、改めて考えたいと思う。
自分たちが生きるためには殺していい理由と殺しちゃいけない理由が必要になるんだよ。
うん
759 :
神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 21:33:57.04 ID:7vjGBxX4
アップデートする仏教 (幻冬舎新書)レビュー
...内山興正老師に入門の際に「君の病いの原因は、思いの過剰さにある」と、
老師に喝破されたとのことですが。さて、どうでしょう。
30年以上、純粋に瞑想修行に励まれた後も、結局の所、「思いの過剰」は、
治癒出来なかった、ということでは?
2chでは、小池ちゃんだけがいろいろかかれてるけど..
USB 3.0の人...
>>754 人類の繁栄は仏教の目的じゃない そもそも人類がみな悟れば人類は滅びる
亡びない人類などいない。
せいぜい120年で全員死ぬ。
仏教をやったから死んだんじゃない。
仏教がなくてもみんな死ぬ。
亡びていないように見えるのは、輪廻が続いている状態のことではないの。
762 :
神も仏も名無しさん:2014/02/25(火) 20:40:56.44 ID:VjmI1cz8
>>722 > 仏教はクソゲーの如し
ムリゲー、サ
763 :
神も仏も名無しさん:2014/03/09(日) 23:18:38.76 ID:BO0EBmeT
実践してみよっと
アップデートする仏教 (幻冬舎新書) [新書]
たしかに、amazonの3,2,1付近のレビューとそれの返信コメまで
チェックすると、いろいろでてきてるな。
藤田さんの方はなんにもないのに...。
amazonのレビューコメント見たけど、アンチ山下の一人が粘着してるだけじゃん。
766 :
神も仏も名無しさん:2014/03/11(火) 21:21:44.64 ID:2YKxjYOR
瞑想会ではどうやって時間を計るのでしょうか?
各自それぞれの時間でアラームを鳴らしたら迷惑ですし、
アラームが無いと時計をちらちら見ないといけないし。
>>765 粘着は一人だけど、ふたりほどは経験的見地から
現状をレビューしてるじゃん。
>>766 瞑想会の運営の人が知らせてくれない?
バイブレーションで通知するタイプのアラームもあるけど。
坐禅の接心の時は交代で鐘を叩いて知らせる。俺は寝てしまって鐘を忘れて
た。W
パフィーが出てきたときの解説 →的外れ
USB3.0が標準になることによって、世界がガラッと変わる →むしろまだ2.0 3.0以降次の規格でさえそんなにそれによってどうこうは..クラウドのほうが
google+によってSNSてきなものはすべてこういうふうになってゆく →yubeほか統合により、本名登録など崩壊
wordpressが主流に → 一部を除いてはそれほどでも
USB3.0からヒントを得た話が、いつのまにかver1.0 2.0 3.0へ
こんな方でしたね アップデートする仏教 の片方の先生。
先を見る目、洞察
ベビシッターの事件あったけど
この界隈もおかしな人が多くなってきたな。
簡単に確認できるのでは、
web上のいろんなとこに自分の実名で書き込みしまくって
仏教と縁切りましたみたいなことと書き込んどきながら
平気でいままでどおり寄り付いてたりする輩とか。
6927.teacup.com/zennow/bbs
ここに書き込んでるひととかか?
773 :
神も仏も名無しさん:2014/03/25(火) 00:29:45.75 ID:ThUe9gqu
そういえば先々週の三田、法話中うるさかったなぁ。
鈴がついたペンを空ノックしたり、チリチリ鳴らしながらメモしてるひとがいたり
わめく乳児を連れてきてたり。
スマナサーラの教えに惹かれる男女がいるのはわかるが
外人で出家で午前中にしか食事できなくてセックスも禁止で
などという坊主のマネをしようとする危険性に気付いてほしい
775 :
神も仏も名無しさん:2014/03/27(木) 22:55:30.55 ID:z8mao9Hw
お釈迦さまの時代、息子が出家してしまったといって怒り狂っていた母親もおられたらしい。
無理からぬことと思うが、世間の常識こそ迷信に基づいているのだから、如何ともし難い。
776 :
神も仏も名無しさん:2014/03/28(金) 07:20:00.80 ID:gwgXtw8T
777 :
神も仏も名無しさん:2014/04/01(火) 17:54:11.34 ID:VJJQ8X5W
itipi so bhagavā arahaṃ sammāsambuddho
vijjācaraṇasampanno sugato lokavidū
anuttaro purisadammasārathi
satthā devamanussānaṃ buddho bhagavā'ti
778 :
神も仏も名無しさん:2014/04/01(火) 20:43:15.08 ID:+OZ6gmi3
仏の九徳だな
779 :
対戦相手募集w:2014/04/05(土) 00:05:44.29 ID:HoOsLRjo
780 :
神も仏も名無しさん:2014/04/08(火) 03:17:05.94 ID:m8TOrr/7
宮元御大のヴァイシェーシカ本を読んでたらば
sktで「疑い」のことをサンシャヤっていうのを氏ってちょっとビックリ
もしかして六師外道のサンジャヤ・ベーラッティプッタって名前に「疑い」のニュアンスがある??
あと固有名詞ってパーリの各国版によって異動が激し杉内カ
ちなみにビルマ版ではサンチャヤ・ベーラッタプッタ
ケンチャナヨ〜
781 :
神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 02:17:27.55 ID:sna0aMt5
namo buddhassa
namo dhammassa
namo saṅghassa
782 :
神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 01:08:36.50 ID:gCfHuryg
五戒を知らずに酒を飲むのと
五戒を知っていながら酒を飲むのとでは
大きな開きはあるものの賤民であることには
変わりがない
どうせ守れないのだから1戒だけにして酒は自由にしたらいい。
酒やタバコなんてやってない人間からすると守るの超簡単
そういう人には「酒とたばこを毎日飲む」というのが戒になる。
戒の中身は全く関係ない。
お、早速不妄語戒を破っているなw
787 :
神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 17:45:49.81 ID:CDYKN3my
>>785 じゃあさっそく毎日覚せい剤でもやったら。君にはいい修行なんだろ。
788 :
神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 19:01:33.20 ID:sZX/tqM2
789 :
神も仏も名無しさん:2014/04/27(日) 13:18:01.90 ID:UhokpoT4
生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように
なぜ、五戒に不飲酒があるかってことだよ。
その人がなぜ酒を飲むかって事だよ、要点は。
酒の生物学的作用そのものは、たまに飲む程度ならそんなに妨げにならない。
けど、人はよく苦しみから逃れるために、自我の束縛から逃れるために酒を飲むだろ?
それが弊害になるんだよ。
座禅の際にアーナ・パーナ・サティを取り入れ、時々ヴィパッサナーも実践しています。
先日なのですが、自分の身体が粒子の集まりにしか感じられなくなり、
目に入るあらゆる物も粒子の集まりに見え、全てに空気が溶け込んでいて
境界線はあるようでないものという視点・感覚になりました。
身体も粒子と粒子の間は空洞だらけでスカスカという感じでした。
そして、全てのものが経年劣化してく、昨日と同じように見えて実は刻々と劣化していっているように見えました。
その夜、一瞬なのですが、自分が消えた・自分がいないという感覚を味わいました。
視界に手が見えたのですが、その手が空な感じでした。
一晩寝た後は、その先日の感覚は薄らぎましたが、今まで塞がっているような感じで
あまり感覚を感じ取れなかった喉の内側やお腹の中の感覚を感じ取れるようになりました。
アーナ・パーナ・サティは、心地良いし、カタルシスも経験できますね。
過去のトラウマが出てきた時、呼吸が激しくなって瞑想続行が難しくなった事もありますが、
段々と慣れてきました。カタルシスによって心身のブロックが解れたり消えていくのを経験できました。
続けていって、もっと集中できるようになったら本格的にヴィパッサナー瞑想を始めたいとおもいます。
792 :
神も仏も名無しさん:2014/04/29(火) 10:26:01.59 ID:MOgC5gRt
天界は真理ですか?
神々の大きさとか寿命とかどうやって’確かめましょうか?
>>791 細かなことだけど、「アーナ・パーナ」じゃなくて、
「アーナーパーナ」ね
「アーナ」(入息)と「アパーナ」(出息)の
合成語だから、「パーナ」で区切るとわけ分からなく
なってしまう
「アーナ・アパーナ」
→「アーナーパーナ」ね
一応念のため
?
自分が消え、自分がいない時、それを観ているのは、だれ?
アートマンすなわちブラフマン(白目)
マジレスすると脳みそが錯覚してるだけ
ちゃんと自分の目で見てるよ
視覚から入った情報がうまく再構成されない
状態ってだけ
瞑想とかドラッグとかやると、脳機能が
変調来たして、部位によって世界と一体化
したり、空中浮遊したり、光明を見たりする
何の不思議も無いただの物理現象
昔の人は不思議だっただろうけどね
802 :
神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:35:09.63 ID:zXuJ2I6V
私も独学だけど
非会員でも瞑想会に参加できるし、基本的にテーラワーダで何かの組織に属する恩恵ってあまりないような
比丘の絶対数が少ないので説法会に参加するチャンスが限られてるのが何ともだけど
個人的にあまり在野の瞑想指導者というのは信頼してない
YouTubeのスマナサーラ長老の瞑想の講話は分かりやすいね。
情報は数あるけどスマ長老の話が一番役立つよ。
なんていうとまたアンチは騒ぐだろうがw
俺はお金の悩みを持ったまま、瞑想やってるけど、矛盾してるよね。我執を捨てる覚悟も出来てなくて、日々苦しくて。でも、我執を手放すなんて無理だよね。だから、少しでも煩悩を潰せたら楽になれそうだから、瞑想を始めた。
瞑想中に金の思考に入り込だのに気づかない時もある。こんなの俺はだけかな?
みんなは我執や欲望を手放す気持ちを持って瞑想してるんでぢょうか?
>>805 その手の我執に気づくだけでも凡人にとっては充分レベル高いと思う
そこからいろんな僧侶・比丘が言っている「小欲知足」の説法を聞いて内容を知り、どれだけ実行できるかがポイント
シンガーラ教の「収入の配分を4等分にして、1を自分のために、2を仕事のために、1を生活のために」
という教えなども味わい深くなるよね どれだけ守れるかは別として
出家僧じゃあるまいし、完全に我執や欲望を手放そうとして瞑想する人は少ないんじゃないか?
そもそも「自分に我執がある」ことすら気づかないで過ごしている人の方が多いんじゃないか?
その中で「自分は我執があるから瞑想しようと思ったけれど、瞑想している他の人は我執を手放す気持ちを持っているんだろうか?」
と思ってみても他人の心の中までは分かるまい
>>806 ありがとう。
日々、渇愛を減らすように実践するしかないデスね。
ここは上座仏教のスレなので、他の方の瞑想の目的や心持ちが気になった次第です。
ここで質問し、貴方のレスを読み、今のまま悩みながら、瞑想を続けようと思う事が出来ました。
808 :
神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 00:12:12.18 ID:dCYcsl3v
趣味ってどうゆう位置づけなのだろう?
瞑想の息抜きにって言う考えはだめなんだろうか。。
独学による瞑想は危険じゃないの
素人なのでわかりませんが
指導されないと
麻原みたいに独善的なりそう
>>810に評価された
>>791がうらやましい
アーナパーナは仏典であれこれ規定が書かれていてやりづらそう
そもそも鼻づまりのひとはどうすんの?耳鼻科行っても万年だから治りそうもない場合どうすんの?
普段の息を観察すればいい。
アーナパーナじゃなくてアーナーパーナね
アーナ(入息)とアパーナ(出息)
アーナ・アパーナ
アーナーパーナね
814 :
神も仏も名無しさん:2014/05/15(木) 18:15:03.76 ID:suernDR0
ヴィパッサナーをビッパサナーとか呼んでる人もいるくらいだしな
無理に直させようとしても無理じゃないか
815 :
神も仏も名無しさん:2014/05/15(木) 19:08:06.66 ID:P54B+qkp
無理に直させようとしても無理
wwwつぼった
ネットでそのように書いている人達が多いからね。
このスレに書き込む人も常駐している人達ばかりでなく、
ネットなどで瞑想の事を知った新しい閲覧者が書くことだってあるだろうし。
パーリでなく、上線抜けてる英語他表示は、Anapanaだし、
カタカナ表記は別にアナパナでもどっちでもいいわ
良くないね
アーナ・パーナじゃ意味が通じない
じゃあこれから法のこともダンマじゃなくてダハンマと呼びましょうか
damma(調御さるベき)と区別がつかない
十六羅漢図などの伝統的音写も抗議して撤回するように求めていきましょう
rahanじゃ意味が通じないからね
アーナ(入息)とアパーナ(出息)という
用語・概念は仏教だけじゃなくて、ヨーガ
でも一般的に使う語
「パーナ」で区切ったりせずにちゃんと
原語を覚えておいた方がいい
アーナ・パーナとわざわざ区切ってるのは貴方じゃないの?
普通の人はアーナパーナで一語だと思ってるでしょ
じっさいはアーナ・パーナで区切ってるんじゃなくて
日本語の音韻上アーナーパーナでアの長母音が三連続するのを嫌ってアが一つ短くなってるだけだろう
>>821 それならアナパナになってないとおかしい
ですね
そんな詭弁まで吐いてあなたは一体何が
したいのでしょうか
ちなみに実際、
>>791のような例も
あるので、口うるさいくらいに言って
誤りを生まないようにしておいた方が
いいですね
仏教である以上、仏陀の言う通り、
誤りは直していかねば
なりません
ああ
>>791氏は区切ってるね そこは謝ります
長母音が3つ連続するのは日本語として違和感があるでしょうという話ですので
アナパナになってないのはおかしいという批判は理解できかねます
>>791です。
あるHPで見かたままに吸収してしまいましたが、
>>793さんに指摘を受けて了解してます(
>>796)。
>>810さん
レスありがとうございます。
その後は、そのような経験はないのですが、
以前より身体が軽くなりました。
>>811さん
鼻の調子が悪いと辛いですよね...
その後は治りましたか?お大事にしてくださいね。
>>824 私は、アーナーパーナを選択するけど
別にアナパナだろうとアーナーパーナーだろうとかまわんとおもうよ。
直したい方は毎回慈悲を持って指摘すればよろしいかと。
ついでにミャンマーにまで行って、是非ゲッサーミを
パーリ読みのガッチャーミに直しましょうよと根気よく指摘し続けてほしい。
828 :
神も仏も名無しさん:2014/05/17(土) 19:45:52.84 ID:wRmE60Ii
>>826 皮肉にそういうレス返されるとどういう反応していいか困るのん
>>827 >私は、アーナーパーナを選択するけど
>別にアナパナだろうとアーナーパーナーだろうとかまわんとおもうよ。
>
>直したい方は毎回慈悲を持って指摘すればよろしいかと。
賛成('ω')ノ
そしてワイはボウッダン・タラナン・ギッサーミで何の問題もないと思ってるよ
829 :
神も仏も名無しさん:2014/05/17(土) 19:55:36.11 ID:wRmE60Ii
あと個人的にはアーナーパーナ派です
アーナパーナを推進する意図は全くございませんし
「日本語としての語感至上主義」の主張を行ったつもりもありません
アーナパーナ派の人にもそれなりの理由はあるだろう、
だから一概に矯正させるというのは如何なものかという事が言いたかっただけです
アンパンでいいだろ。
子供さんにも受けますよ。
「おいらアンパンマンだ」って。
ツッパリ兄ちゃんにも一目置かれる。
「今日もアンパン決めてきたぜ」
ID:wRmE60Iiは知識はあるけど本質的じゃないことにはこだわらないって感じでかっこいいね
「(自分が)本質的でないと思っている
ものはいい加減でいい」
これってテーラワーダとは対極を成す
発想だと思うけどね
須磨さんは、(自分が)本質的でないと思ってるものは、くだらないくだらないいいますが。
「ブッダの実践心理学 第八巻」買って来た。 これスマ爺が書いたんか? 〜ちゅうくらい難しく書いてる。
〜と思ったが、スマ長老やっぱり分かりやすく書いてるわー! ヤル気出る。
ブッダの瞑想法 (地橋 秀雄) 読んだな。
838 :
神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 12:50:37.55 ID:25uU/30E
今さら知ったんだけど
ウ・コーサッラ長老還俗してたんだな
いつくしみの瞑想ですでに躓いてます
いきとしいけるものが幸せでありますようにと思っていると
「今日電車で割り込んできた人も幸せになりたいんだろうな」
「割り込んで座れたんだから幸せなんだろうな」
「なんで私だけ我慢しなきゃいけないの」
「私も幸せになりたいから私も割り込んでいいのか」
とこうなってしまう
「自己犠牲」と「わがまま」がいつも出てきて瞑想してるとどっと疲れます
どう考えればいいのかアドバイスありますか
割り込んで座るような奴はロクな奴じゃないのでそれなりの結果が待ってる。
そういう奴のようにならないのは自分への思いやりだろ。
自己犠牲なんてないだろ
841 :
839:2014/05/21(水) 20:10:59.36 ID:PWQ5peLE
思いやり…我慢することが思いやりなのか
自分の幸せはどこにあるんだろう
自己犠牲っていうのは
割り込んだ人に文句も言わずに自分が座れたであろう席を譲った形になってる結果に対して、ね
本当だったら「並んでるんですけど」って言えばいいんだろうけど
相手の幸せも願ってるから言えなくて
そしたら我慢してる自分は幸せじゃないし
こういうことをずっと考えてしんどくなる
在家だからね。
世俗にまみれながら生きて行かなきゃね。
結構、限界あるよね。
俺も慈悲の瞑想が辛い時があるんだよね。
843 :
神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 22:04:26.58 ID:/0JJOvg5
>>841 そんな瞑想しても偽善を育ててるだけでなんにもならないよ。
本当の愛情がやおもいやりが出てくる時は、
人間は何を考えても何をやっても愚かなことしかできないと認識した時。
そういう事実に気づいて自分の誤ちも他人に傷つけられた記憶も許せるようになるんだ。
その時本当の優しさが湧いて出てくる。
キリスト教の「罪人」「許し」も仏教の「愚者の自覚」もそういうこと
それがわかった時にもう何もする必要はないと分かる。
事実をありのまま見ることが自分たちのやることだけで、そんな瞑想法で自分を欺くの止めた方がいい。
このスレで言うのはどうかと思うけどスマナサーラ長老のこと盲信するのやめたほうがいい。
>>839 その慈悲の瞑想をするにあたり、ひとつの障害があるんだと思います。
それは「わたしが誰誰にこうしている」という、「自分と他を区別する」心があります。
では、どうしたらいいか?
わたしならこう思うようにしています。
「すべての人々にはわたしと同様に仏性がある」と
絶対的な平等心を持つならば、慈悲の瞑想は効果があるでしょう。
>>841 私が嫌いな人も、まあ幸せになりますように
と唱えると矛盾がなくなります。
実際相手のことは何も知らないのだから、もしかしたら、ひどい
家庭環境で育った人かもしれないし、いまもひどい状況の人かもしれないし。
あと、
>本当だったら「並んでるんですけど」って言えばいいんだろうけど
>相手の幸せも願ってるから言えなくて
これはウソだね。別に並んでるんです、と言ったところで相手の幸せ壊してるわけじゃない。
>>843 >キリスト教の「罪人」「許し」も仏教の「愚者の自覚」もそういうこと
>それがわかった時にもう何もする必要はないと分かる。
そこを最高の目的とするのはパウロとか親鸞の教えであって仏教はそこで終わりじゃない
>事実をありのまま見ることが自分たちのやることだけで
あるがままに見るのはヴィパッサナーの智慧だからサマタ瞑想とは関係ないよ
煩悩をあるがままに認めて安住する自己肯定が仏教ではない
>スマナサーラ長老のこと盲信するのやめたほうがいい。
もちろんその必要はないんだけど、慈悲の瞑想は上座仏教で当たり前に説かれる修行法だから誤解なきよう
スマナサーラ長老の本を読んでわくわくした気持ちでyoutubeの講演会?見たらがっかりした
第二次世界大戦がどうのこうの〜
子供が死んだからなんだっていうの〜とかで引いてしまった
お釈迦様ですら自分の言葉は忘れなさいっていうんだから
なんでも一歩引いて自分で歩まないとね
これじゃあ苦行者と一緒
盲信しないように
自力は厳しく感じる時あって、俺は在家なんだから、他力でいいじゃないか?阿弥陀様がいいじゃないか?と思う時がある。
849 :
神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 13:50:48.78 ID:2e6XdG/W
>>846 別にね議論したいわけじゃないんだけど。
自分は仏教がそこで終わりとは言ってないし
あるがままを君は誤解しているみたいに思えるし
上座仏教が言ってることだから信じろっていうの?
なんか2重3重に間違ってる上に反論にもなってない
>>849 >自分は仏教がそこで終わりとは言ってないし
あ、誤読してたのか そこはごめん
こっちも議論がしたいんじゃなくて、説法してほしくないだけなんだよ
「人間は何を考えても何をやっても愚かなことしかできないと認識」することは確かに道徳的かもしれないけど
そういう特殊な自己の理想を「それがわかった時にもう何もする必要はない」とか「本当の優しさ」みたいに説法するのはやめてほしい
ここはあなたの宗教を宣伝する場ではないのだから
>上座仏教が言ってることだから信じろっていうの?
教条主義は確かによくない事かもしれないけど、ここはテーラワーダスレだよね?
慈悲の瞑想は偽善だからやめろというのはおかしいよ
(
>>841さんが考えすぎだということは置いておく)
851 :
神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 18:38:55.96 ID:u1uLTYlY
>>850 いやね
俺は
>>841さんへ返答しただけなんよ。
なのに841さんでもない君に説法されたくないとか言われる意味が分からない、
それと君は何も分からないで書いているみたいだけど
勝手にそれが道徳的だとか、特殊な自己の理想とか
レッテル貼りしてるだけでほとんど意味も感じない。
ここはテーラワーダスレなのはもちろん分かっているけど盲信するのは良くないし
反対意見は書いちゃいけないってのも変。
最後の2行に答えるけどそ、こは書き方が悪かったかもしれない。
俺の言いたかったのは、その瞑想をしている「私」とは誰?ということ。
>>851 俺にじゃなくてテーラワーダスレで変なチャンポンの教えを吹聴してくれるなという意味なんだ
>レッテル貼りしてるだけでほとんど意味も感じない。
そうかい
>ここはテーラワーダスレなのはもちろん分かっているけど盲信するのは良くないし
そりゃ慈悲の瞑想をする上で自分なりのオリジナルな工夫を紹介するとかなら分かるけど、
「人間は何を考えても何をやっても愚かなことしかできないできないと認識」とか明らかに変な教えを宣伝するのは、おかしいでしょ?
これはキリスト教とか歎異抄の教えをミックスしてあなたが考えた教義じゃないのかな?
頭で考えたんじゃなくてそう実感したということかもだけどさ
>俺の言いたかったのは、その瞑想をしている「私」とは誰?ということ。
いきなり唐突にそんな問いを持ち出しても意味が分からないんだが
無我だって言いたいのか?慈悲の瞑想はやめてヴィパッサナーだけやってなさいってことか
853 :
神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 20:38:26.10 ID:hmd15g7K
>>852 もうあなた話にならないからレスやめて・・・・
>「人間は何を考えても何をやっても愚かなことしかできないできないと認識」
「人間はみな病気なのです」といった坊さんもいたな。
生まれたときから死に向かうしかないからな
医者に病気のレッテルを付けてもらったかどうかの違いかもw
857 :
841:2014/05/23(金) 05:43:18.40 ID:+5mVr1Ka
アドバイスありがとうございました
じっくり読ませてもらいましたが
>>843が的確でした
本当に偽善です
(これはいつくしみの瞑想が偽善と言ってるのではなく私が悪い)
生きとしいけるものはやればやるほど気分が落ち込み苦しくなります
それは偽善だったんです
気づいてはいたんですが認めたくなかった
>事実をありのまま見ることが自分たちのやることだけで、そんな瞑想法で自分を欺くの止めた方がいい。
少し盲信気味になっていた私の頬を叩いてくれてありがとうございました
目の前が晴れた気がします
今後続けるかどうかはわかりませんがお釈迦様も自分の見たものだけを信じろ
ということをおっしゃってましたしこの経験が自分にとってプラスになるよう歩んでいきます
本当にありがとうございました
この
生きとし生けるものをやればやるほどなんですが それで
気分が落ち込み苦しくなった時、それがかたまりとか、モヤモヤのくもみたいな物にみえませんか?
自分を覆っている物
もしみえるような、その瞬間からそのかたまりを、否定も肯定もせずに、ただ静かに観て下さい。
苦しいと思います。が 一度試してみて下さい。
>>858 横から失礼。
858さんの書き込みに感謝。
今朝やってみたんですよ。
そしたら頭から丹田にかけての広範囲に靄のような塊が見えましたよ。
あと、喉から心央点にかけて黒い栓のような塊が刺さっていて、
書かれている通りに否定も肯定もせずに観てみたんですよね。
そしたらその栓が溶けました。
頭から丹田にかけてあった靄のような塊も薄くなりました。
今までは、過去に禍根があったあるの人物の事が頭に浮ぶと
胸がギュッと締め付けられるような苦しみが生じたのですが、
その後はその人物の姿が浮んでも、締め付けが弱くなりました。
お腹の辺りが軽いです。
ありがとうございました。
やはり観える人がいる
否定も肯定もせずができるとは、たいしたものです。
おそらく名色分離ができている
これを敵と思ってはいけませんよ、苦しんでいるんですよ 理解してあげてください。
あ!苦しんでいるのは、その人ではありません あなたご自身ですから
わたしは幸せでありますように
わたしの悩み苦しみがなくなりますように
わたしの願い事がかなえられますように
わたしに悟りの光があらわれますように
観ているものから、この苦しんでいるものにメッター(慈)とカルナー(悲)を
静かに、ほほえむように観てあげてください。
通りすがりの者ですが、
慈悲の瞑想って、そうゆうことだったのですか。。。
ほんの少しだけ慈悲の瞑想を行う意味が分かりました。
>>860 ありがとうございます。
書き込みを拝読して胸が暖かくなりました。
実践してみます。
863 :
神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 09:01:12.82 ID:dkKfDaEY
最近瞑想を始めて思うことが1つ
煩悩が無くなるというよりも我慢している
という感覚です。なので、ダムのように溜まって
ていると感じています。このまま瞑想を続けていれば
霧のように消えるのか疑問です。
このスレは実に実践的でいいね
つまらん教理問答するより、仏教は
こうでなくちゃね
意識の奥深くに台風の目のような空な空間を感じられた方っていらっしゃいますか?
なんというか、内面観察していたら自分がいないんですよね...
あるのは我執がミルフィーユみたいな層をなした大きなボール。
今までそのミルフィールボールの中で踊っていたんだなって思いました。
我執の層と層の間は空、中心も空っぽで自分はいない。
虚しいけど、奥には寂静が広がっているのを感じました。
でも、トラウマとエゴがまるで酸性の餅・火焔の餅状のようになって、
意識と身体のいたるところにへばりついている感じでした。
一歩引いたところから観て、そっと触れるとフワッと消えたり爆ぜていったりしました。
それから、意識って新陳代謝というか変容しながら動いていないですかね?
台風の渦のように感じました。
激しく動く雲の渦の中に、水晶のような水面という感じの心があるのが一瞬見えました。
でも、そこと繋がることが出来るようになるのは相当先だと思いました。
866 :
神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 22:18:19.57 ID:K4dGjWPt
>>863 煩悩が霧のように消えるというより脳が段々変化していくんでしょう、それこそ十年二十年かけて
瞑想に即効性は期待しない方が良いと思います
もしただ我慢しているというより怒りをため込んでいると感じるようでしたら瞑想のペースを緩めたらいかかでしょうか
867 :
863:2014/05/26(月) 00:47:48.46 ID:LeIw1lUa
>>866 スマさんは2週間で激減とおっしゃっていましたが
それ程の変化を感じてませんでした。怠けがあるんでしょうね。
効果を観てるから、我慢してるって感覚が出てくるのかな。
期待も妄想の内なのかな。アドバイスありがとう。
>>863 このため込んでいるというのは、よくわかります。自分もそうでした。
じゃあどうすればなんですが、それがよくわからないんです。
一番の山であることは、間違いないんですけど
溜まっていると感じるなら、消えることはなかったです。
でも何かあるなというのに、気がつくというか、みえることが
じつは、もう進み出しているという事なんです。
ふつうの人は、それすらもみえないんです。
手放すとか、投げてしまう、あきらめる、捨ててしまう。
事なんですが
頭の切り替えみたいにみたい、説明がつかない
けど、どこかに鍵があるんです。と観ています。
もっと、簡単な
ダムのように溜まっているものを
それ自体を否定も肯定もせずに観る ただ観る ではないでしょうか
いいですね ただ観る
消え去れといって消せるものでもなく ただ観る しかないのですけど
家系が浄土宗の檀家なのですが上座部のほうに興味が出てきました。
どういうとこから学べばいいでしょうか?
和尚さんには他のことも学ぶなんて聞き辛いので・・・。
>>873 どういう所に興味を持ったかで変わると思うのですけど・・・
とりあえずアーチャン・チャーの『手放す生き方(サンガ文庫)』が取っつきやすいと思います
>>873 都内ならパオ森林僧院の集会に毎週末
出ればガチンコの勉強ができるよ
876 :
神も仏も名無しさん:2014/05/29(木) 20:18:43.06 ID:NcS0joon
>>873 私は以下のサイトで学びました。
仏教の教えと瞑想〜原始仏教の世界
自分は法華経系から、上座系の勉強をはじめて
なぜ大乗がでてきたのか、なんとなく理解できる様に
というか、どちらも大切な物なんだと
たぶん大乗ができたとき、上座部の修行方法は
当然ぜんぶわかった上で、経典ができたのだと
思えるのです。
でも時とともに、南と北に分かれて行く内に
なにか大切な物が落ちたんじゃ無いかと
880 :
神も仏も名無しさん:2014/06/12(木) 00:32:51.55 ID:7ws02DGA
身体を鍛える人がいたとしよう。
ある人は筋トレをする。ある人は、ジョギングをする。
そのことを、筋トレに頼るとは言わない。
また、ジョギングに頼るとも言わない。
身体を鍛えていると言う。
ある人が心を鍛え、整えていたとしよう。
瞑想によって。
そのことを瞑想に頼るとは言わない。
心を鍛え、整えていると言う。
882 :
神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 22:58:29.00 ID:k7wGdI0L
サンガから出てるマハーシ長老のヴィパッサナー本の在庫が少なくなってきてるね
アマゾンでも補充されてないみたい
近いうちにハードカバーは絶版かも
883 :
神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 12:01:27.30 ID:pLqhcI/d
マラナーヌッサティ(死随念)
>>881 せめてアップデートする仏教の
amazonレビューくらい読んでからスレたてろよ。
885 :
神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 23:12:13.37 ID:HrjTV91y
>>884 ウチンナ長老のとこの正統な流れのお坊さんは、別でしっかりやり始めてるわけだけど
もし正式な上座部のお坊さんなら、スダンマなんとかで本をだすべきじゃない?
Y下なにがしで出すんなら、もう糞掃衣は脱いで活動したらどうか?
と私は思うね。
887 :
神も仏も名はある:2014/06/30(月) 01:00:34.73 ID:3veEYvPz
>>886 私はどうも胡散臭い感じがして彼の本を全く読んだ事がないのだが、ついこの間
NHK教育に出たのを初めて観て「ああそうなんか」と思った。彼は禅僧なんだね。
恐らく彼は禅僧を辞めずにテーラワーダ出家をしているんじゃないか。
釈尊の僧団においてこのような二重僧籍が果たして許されるのだろうか?
888 :
神も仏も名はある:2014/06/30(月) 01:05:39.04 ID:3veEYvPz
経典には「前の師を捨てよ」とあったと思うがそれも捨てていない。
キリスト教の神父や牧師がテーラワーダの瞑想を習うと云うのはあるようだが
彼らが神父・牧師の身分のまま、テーラワーダで出家するなんて有り得ない
だろう。クリスマスにはパーティやって、正月は神社へ、人が死んだら....
こういう芸当が出来るのは日本人ならではの様な気がする。
889 :
神も仏も名はある:2014/06/30(月) 01:08:00.30 ID:3veEYvPz
カンボジアで活動している日本人上座部僧が帰国して講演会を行った。
講演を聞いた後、顔見知りのスタッフから「一緒に来ないか?」と
打ち上げの食事処へ誘われた。当日は満月か新月かの布薩日だったので
私は在家だが非時食戒を守るためウーロン茶とオレンジジュースで
付き合った。為になる話が聞けるんじゃないかと思ったからだ。
890 :
神も仏も名はある:2014/06/30(月) 01:12:09.57 ID:3veEYvPz
するとその坊主、普通に、煙草吸って、ビール飲んで、おでん食ってました。
久しぶりの母国で気が緩んだのかも知れないが糞掃衣を纏っている以上
それは許されないことで呆れた。仮に糞掃衣を脱いだとしても還俗していない
限りは、それは許されないのだ。こいつは二重僧籍ではないみたいだが...
連投すまん。
891 :
神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 05:11:22.91 ID:GWYdLl1+
タイ・ビルマ・スリランカ以外で活動してるなら上座部僧というより発展途上国の支援もしくはフィールドワーク的な意識で出家してるのかも知れないですね
佐々井秀嶺師も基本不可触民の支援家で袈裟はユニフォームだとか言ってたような
しかしスマナサーラとかいうジジイホントに世間知らずで口わりいな。
40代でリストラされる奴は自己責任とか親の子供に対する虐待事件
が頻発してるのに子を愛さない親はいない。そう思うのはお前が悪いとか。
〜しやがってというのは口癖なのか?ニヤニヤしながら瞑想初心者をコケにする様
には本当にびっくりだわ。
893 :
神も仏も名無しさん:2014/07/06(日) 22:20:16.85 ID:Nthbe2J9
あの口で慈悲とかいうんだから笑っちまうよな
ティク・ナット・ハンやダライ・ラマみたいに戦争や虐待の悲惨な修羅場を見てないからだろうね。
しょせん世間知らずでお勉強だけしてきたボンボンだから
いやいや、スリランカもなかなか修羅場の
国だぞ
というか、ウクライナ以上の民族闘争は抱えてるよね >>スリランカ
昔読んだだけでうろ覚えだけど、ティクナットハンの本で、兵士が
迷い込んできて、僧の仲間が怒りをぶつけようとしたけど、慈悲の眼で見たら、
まだ少年の年齢で海外に送り込まれて人を殺すような状況に追い込まれた
兵士も実は状況の被害者なのではないか、という結論に至ったとか。
スマナサーラさんの場合は徹底的に徹底的につるし上げるね。そこは。
なんでスマナサーラみたいな人の心を動かすどころか、不快感を
与える説法しかできない人望なさそうな奴がトップやってるんだ?
教団のイメージダウンにしかならないと思うが。
普通に考えてもっとマシな奴いるだろ。
日本語がしゃべれるスリランカ僧という存在がレアだから担ぎ出されたとしか思えない。
>いやいや、スリランカもなかなか修羅場の
>国だぞ
修羅の国出身の多数派(弾圧側)だから高圧的になれるのかも。
カーストによる出家制限のあるシャム派で坊主になれたんだから、
スマさんは高位カーストなんでしょ?弱者への共感とかなさそうだよね。
仏教徒による異教弾圧は良い弾圧なんでしょうな。彼らの中では。
タミル人は制圧できたようだけれども、ムスリムの浸透は防げるかな?かな?
良く考えたらミャンマーは軍政だし、
タイも特に平和主義国ではないし(エメラルドブッダは略奪品だし)、
上座部仏教国に変な幻想を抱かない方が良いよね。
>>899 スマサンからは、
ダライ・ラマの「自分の代でダライ・ラマ制度がついえても、なんの痛痒も感じない。
何もかも、無常だから」というセリフは出てこないね。
こういうセリフは、仏教ではなく仏法に信頼を置いている人でなきゃ出ないと思う。
901 :
神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 11:24:06.01 ID:70c/FzsV