1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 20:52:59.94 ID:9FKyvTkX
死後については考えることしか出来ない
科学の対象分野なら、考える以前に、
観測、数式化、計算、実験が出来る
そういう活動の結果がそろった上で考える
なんのデータも無く、考えるだけで、
まともな結論がでるはずがない
だから考えるのが趣味や商売(哲学・宗教)の人をのぞいて、
死後については考えないのが得だ
3 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2012/07/08(日) 20:53:23.26 ID:MHn9FzdI
人間が死んだ後に「復活」するにせよ「霊魂が抜ける」にせよ、
「死んでも自分のことを覚えておいてもらいたい」というサヴァイヴという概念を
共有している。
このサヴァイヴという概念を年寄りに説明しても、まったく救済にはならないことを
痛感している。
年寄りは、「自分もそれを欲した」「しかし時間は戻らない」ということを基盤に
中年層を標的に復讐を始めるんだよ。
これを団塊の世代は団結して乗り切ったんだ。
今は年寄りの研究の必要性を感じるね。
4 :
ブッコク堂:2012/07/08(日) 20:57:10.76 ID:4ptg4lJ1
仏教史観から捉えた「死後の世界」について
とことん語りあいたいと思う御仁はいるかな?
5 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2012/07/08(日) 20:58:41.25 ID:MHn9FzdI
年寄りの復讐を止めるためには、結局、人生の最後にハッピーエンドを見てもらうしかない。
つまり、お金をぶち込むしかないんだ。
年金制度も「世代間仕送り式」と言って、若者から年寄りに仕送りをしている
という理論構成をとっている。
年寄りに人生の最後にいい風景を見てもらうというのが国の方針のようだ。
6 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 20:59:18.67 ID:W0/Ubgsz
>>2 科学は知性の対象です。芸術は感性の対象です。
宗教や死後の世界は霊性の対象です。
>>3 年齢は関係ありません。若くして事故や難病で亡くなる人も多いのです。
>>4 今日は時間がないので、またね!
じゃあ、みんな、オヤスミ!!
7 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 20:59:22.39 ID:YcFE7jy6
>>4 死後の世界という言葉の指すものが来世なのか霊界なのかをまずハッキリさせてもらいたい。
8 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2012/07/08(日) 21:04:44.07 ID:MHn9FzdI
葬式というのはいろいろ意味があると思う。
「自分が死んだときに何が起きるかが分かる」
という側面がある。
自分が死んだらあいつがこうやった喜ぶのか、ということが分かるんだよ。
田中角栄が葬式が好きだったというのも、本来はそういうデータをとるのが
好きだったんだと思う。
今の政治家はそういうデータを与える側に回っちゃっているね。
9 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 21:05:30.60 ID:5+bUfT96
>>7 魔境だw
(∩ ゚д゚)アーアーアー キコエナーイ
>>1乙
死後については、三通りの態度しかないんだな
1) 存在する前提
2) 存在しない前提
3) どちらでもいいように構えておく
あるなしを論じても仕方がないが、どの態度を取るかで生前の態度が違ってくる
11 :
糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2012/07/08(日) 21:10:58.37 ID:MHn9FzdI
死後の世界については、臨死体験をした人が一番参考になる。
@望んでそのような経験をしたのではないこと。
Aお金目的の証言ではないこと。
Bデータが豊富にあること。
を踏まえれば死に最も近付いた人の証言は研究の対象になる。
「光に包まれた」「過去を振り返った」「戻りたくなくなった」
などの証言はあるけれど、登山家がこれらの経験を「フェイタルフォール」
という酸欠状態ではないかと言っているようだ。
12 :
ブッコク堂:2012/07/08(日) 21:18:41.90 ID:4ptg4lJ1
>>7 霊界はキリスト教を初めとする死後観であり思考自体に矛盾をみる
また一部の仏典による地獄絵図や極楽の世界は比喩とみている
生命の永遠性は人類史始まって以来の願望
空という概念は「無」ではないということ
地獄も極楽も自分の生命を離れては存在しないということ
人間に生まれたことが何故偉大なことか
等などの視点を踏まえていきたい
テーマは必要に応じてその都度追加可能としたい
13 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/08(日) 21:22:24.56 ID:MHn9FzdI
輪廻とは六道輪廻のことで六道とは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界
をいい、普通はこの六つの苦しみを感じながら生きている。
15 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/08(日) 21:50:58.62 ID:MHn9FzdI
六道というのは、どうも英語媒体では異なる説明がなされているね。
簡単に言うと、共同体においてはとにかく「怒らない奴には何も言うことはない」
ということを始めに、「怒るやつはせめてみんなの役に立て」という発想だ。
共同生活を志向した中国・日本の方面でこのような発想が根付いたようだ。
16 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 22:05:39.26 ID:ZfudJxCV
生死相対に捉われて、
なんでこんなアフォばっかり跋扈してんだ?
17 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 22:17:11.25 ID:ZfudJxCV
悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)
18 :
神も仏も名無しさん:2012/07/08(日) 22:42:38.67 ID:pQTqyzcf
こんなところに興味がない人のほうが
健全な精神を持つ割合が高い
しかし精神を病んだことにより仏教等に出会い
昇華する可能性もあるとは思う
19 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/08(日) 22:44:38.65 ID:MHn9FzdI
生命の永遠というものに関しては「怒り」という議論と関わるね。
永遠の命を持った人の怒りはすべてのものを乗り越えてしまうんだよ。
人間はいろんな意味で死ななければならないんだ。
怒りがすべてを乗り越える人が登場してしまうのが「永遠の命」だ。
仏教は心の科学
科学と言ってもお釈迦様の時代は実験器具がないから
今の科学のように実験器具は使ってないけれど
21 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/08(日) 23:01:58.85 ID:MHn9FzdI
ブッダは、苦には原因があるとして、そのメカニズムを「十二縁起」として
明らかにしているね。
苦から逃れる方法を知っている人を「ブッダ」(目を覚ました人)と呼んでいて、
ゴータマ以外にもブッダはいるとされているようだ。
涅槃への道を知っている人はみんなブッダと呼んでいいそうだ。
入滅後、1世紀は全く記録が残っていないので、どのように発展したのかは
明らかでないことがあるらしい。
22 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/08(日) 23:16:19.25 ID:p5ijGS/v
>>前スレ991
>そもそも死後の世界が実在するかどうかさえ不明だし。
心霊存在によるポルターガイスト威嚇を目の当たりに目撃体験したこの私からすれば、
「在るのか無いのか?」などといった議論などは、チャンチャラ可笑しいレベル。
昔、たまたま浮遊霊の通り道と化したらしいけれど・・・
私のいる2階部屋に至る階段を足音をさせて登ってきて、
こいつが部屋の手前で立ち止まり、「ハァーハァー」と息遣いを聞かせている。
「こりゃー、ついに出たか!」と思った瞬間、
なんと15cmほど開けていた入口の襖戸(ドアノブ無しのただの引き戸)が、
いきなり瞬間的にパン!!と音をさせて凄い速さで閉まったわけ。
反射的に、私は間髪入れず戸を全開したけれども、何も見えなかった。
この日を境にしてこの足音と息遣いは約1ヵ月もの間、ほぼ連日のように続いた。
時間帯は深夜というわけではなく、夜8時〜11時くらいでカチッと決まってはいなかった。
もちろん、同居家族ではないことは確認済み。
おそらく、部屋の入口上部へと貼っていた
私が手書きした梵字の“光明真言護符”が効力を発揮していて、
部屋内へは侵入できなかったのだろうと思っている。
この異変は自然と静まった・・・。18-19歳、当時の実体験です。
理論的に当然いるものと見なしていたが、
それを実体験することで確信を得られたのは貴重で有意義なことでした。
23 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/08(日) 23:16:55.27 ID:p5ijGS/v
>>7 通常、一般的に“死後の世界”という場合には、
肉体を崩壊してから次の転生までの間のいわゆる霊界といった生存の状態を指すでしょうね。
仏教的に霊界という言い方が不適切ならば、それはお望みの言い方にお任せします。
>>9 魔境というのとは、チョット違う!
濃密物質としての肉体生存と、
肉体崩壊後の霊的な生存状態というのは、
繰り返し転生サイクルにおける必然的な過程に過ぎません。
ただ、いずれも本質的な意味としては実体(自己)ではないということ。
そのことを押さえておけば問題なし。
24 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/08(日) 23:21:49.69 ID:MHn9FzdI
「霊魂」というのも面白いね。
人間が外見を失ったら、はたして抜けた霊魂にどれほどの違いがあるのか
から議論しなければならないね。
1950年代あたりにその問題がアメリカで指摘されていて、
なぜか、手塚治虫がその議論を踏まえていて「どれも同じ」と言っているのが興味深いです。
25 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/08(日) 23:58:10.42 ID:p5ijGS/v
>>前スレ902-903
>古代インドにヴェーダの修法を在家の人間がやる、という発想があったのか気になる。
>在家の人間が報酬をとれるような本格的な修法を習得し実践することは可能だったのか?
あなたの疑問符は当然のことであり、そのまま的を得いていると思います。
私も一般在家がプロのバラモン司祭者と同程度か近しいレベルにあったものとは到底、
思えないし、一般在家がそこまで手を出そうという発想概念はなかったでしょう。
やはり、恐れ多くも禁止事項だったでしょうね。
私が主張するのは、
大乗僧侶(密教も含めて)というのは原始佛教の説く出家修行者の該等範疇ではないということ。
そして、その教えも在家信徒を対象として出発して発展を遂げたものだという意味です。
このことからすれば、要するにゴータマの説く“私の弟子(出家僧)にはバラモン呪法を禁ずる”
という禁則事項の適応外なのであると。
私は、(原始佛教が説く意味合いとしては)大乗僧侶を出家者とは見ていない。
26 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/09(月) 00:01:41.84 ID:Q+Gpsg5+
>>24 仏教はそういう問題については注目を注がないので、
当然、詳しい明確な解説はないでしょう。
神智学ならば詳細解説はある。
(欲する者には提供されている)
>>22 なぜそれを心霊存在だと思ったの?
潜在意識や場の影響とは考えなかった?
28 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/09(月) 00:08:45.35 ID:Q+Gpsg5+
>>27 一番、納得のいくものだからです。
自己内部のオカルト能力の自然発揮としての「潜在意識」ならば在り得る話でしょうが、
足音と息遣いからして、心霊存在に関与だと見るのが適切でしょう。
「場」の影響なる特別な変化点はありませんでしたからね。
心霊などあるわけがない的なご意見ならば却下します。
興味ないので。
29 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/09(月) 00:10:04.17 ID:Q+Gpsg5+
訂正:
×「心霊存在に関与」
○「心霊存在の関与」
30 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 00:21:03.71 ID:FEbf74+X
心霊という言葉からして
心が生み出した妄想の可能性が高い
護符が効力を発揮したなどという解釈もそれが心理現象である事を物語っている
31 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 00:27:36.25 ID:FEbf74+X
足音と息遣いが聞こえたとするとそれは貴方の心の中の出来事でありましょう
精神病棟に行くと「廊下に男の人が立ってこっちを見ている」真顔で訴える人とかが居ますが
本人にとっては現実的なんでしょうが
それはやはり本人の心の中の現実でしかない訳です
32 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 00:31:31.30 ID:FEbf74+X
霊には物理的な意味での肺や足がない訳ですから
足音を立てたり呼吸をすることは出来ないはずです
ですからやはり足音や呼吸音は貴方の心の中で鳴っている訳です
心霊現象はつまるところ心理現象と言えるでしょう
33 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/09(月) 00:34:54.74 ID:Q+Gpsg5+
>>30-32 だから、「戸が物理的に動いた」と言ってるでしょう!
ただの唯物論者なら消えなさいな!!
あなたと話しても無意味。
>>28 だから、ただのエレメンタルじゃね?っていう
場か潜在意識に偶然刻印されていたエレメンタルが、偶然活性化したんだろ
35 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/09(月) 00:45:22.27 ID:Q+Gpsg5+
>>34 意味がわからないので、
できれば詳細な説明をお願いしたいところです。
36 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 00:52:03.91 ID:9JLvDrJH
「心霊」とは、英語では、spirit, soul。単に「人間の精神」の意味。
多くの言語において、「霊魂」「聖霊」の原義は、「人間の生命」の意味である。
人間の肉体のみに宿り、肉体と生死を共にする。
古代人は、「人間が対象化できない唯一の存在」としての「生命」の意味を、
的確に捉えていた。
37 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 00:56:24.32 ID:9JLvDrJH
>>33 >ただの唯物論者なら消えなさいな!!
君こそ、「心霊」の物理的実在を信じて止まない、極端な「唯物論者」w。
38 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 00:58:59.00 ID:FEbf74+X
霊には手足が無いので襖を開けることは出来ないと思いますよ
夏休みに遊びに来てた親戚のいたずらとかでしょう
39 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/09(月) 01:06:52.92 ID:Q+Gpsg5+
>>36 >肉体と生死を共にする。
そんなものは心霊とはいわない。
>>38 いませんから。
肉体無き生命存在であるが故に、
その意味においてすでに濃密物質レベルを超越していますから。
まったくお話にならないので、以降スルー。
40 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/09(月) 01:08:33.18 ID:Q+Gpsg5+
ホント、幼児のようなレベルの否定論しか話せない可哀想な人たちですね・・・。
41 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 01:21:14.82 ID:FEbf74+X
肉体無き生命存在であるが故に、
その意味においてすでに濃密物質レベルを超越していますから。
↑意味不明
42 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 01:43:36.87 ID:9JLvDrJH
>>39 幽霊を信じるのは、子供の時までだよ。君は、歳何歳?w
43 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/07/09(月) 03:12:30.58 ID:WswirOp5
霊位による物理的作用は、殆ど無い。
しかし、何事も例外はあるので断定はすべきではない。
また、仏典などに書かれた事を無批判に盲信するのも論外。
(^。^)つーか、お前ら。そんな先の事妄想する余裕あんのか?(笑)
44 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 05:34:30.70 ID:C9rbr4nP
やっぱり、
悪貨(オカルト神痴学)は良貨(仏法)を駆逐する(グレシャムの法則)
これは世俗諦だ。
仏法には、無我にて候(蓮如)
護摩焚き、ご祈祷「仏教」は儲かるから、
坊主の専権事項にしておかないとライバルが増えて「営業」上拙い。
坊主のメシの種。
で、いろいろインチキ理屈をつける。
これが古代バラモンのやりかたで、それをパクっているだけだ。
日本人のおよそ反仏教的な「御利益」+「御先祖崇拝意識」ほど、
カルトにとってつけ込みやすいネタはない。
45 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 05:42:02.91 ID:C9rbr4nP
訂正
× 反仏教的な「御利益」+「御先祖崇拝意識」
〇 反仏法的な現世「御利益」+「御先祖崇拝」意識
46 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 05:59:52.29 ID:Ex4GUqPi
>>25 >大乗僧侶(密教も含めて)というのは原始佛教の説く出家修行者の該等範疇ではないということ。
「僧侶」である限りは範疇だよ。
修行する気が無いし、戒を保つ気もないのなら
最初から僧侶にならないか還俗すればいいだけの話。
法華経とか顕教経典に書いてある陀羅尼だけ唱えてればいい。
>私は、(原始佛教が説く意味合いとしては)大乗僧侶を出家者とは見ていない。
実はいうと、釈迦は修行者だけでなく「バラモン」が呪術で生計を立てるのにも否定的。
少なくとも彼が称える「真のバラモン」ではない。
47 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 06:00:55.14 ID:C9rbr4nP
ブッダの彼岸へ至る手法は
〇自灯明(洲)←世俗諦(仏道をならといふは、自己をならふなり:道元)
〇法灯明(洲)←勝義諦(無我・中道)であって、
断じて仏灯明ではない。
ましてや商業仏(葬式、観光、護摩焚き御祈祷、グッズ販売etc)に及んでやw
48 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 06:18:06.75 ID:Ex4GUqPi
「仏教の僧侶」でいる気が無いのなら、僧侶になったり名乗るべきじゃない。
かりにも三宝に帰依して、僧たらんと誓うんだろ?
僧侶でもないのに密教修法を行うのは、密教の教えに反する。
自分を仏教の僧侶とみなさず、在俗の身で密教の修法をやりたいのなら
伝統を捨て、新興宗教を旗揚げするしかない。
鞍馬弘教はその点、潔いとも言える。
もとの天台宗(それまでの鞍馬寺)と魔王尊の異なる見方をするようになった
そこで独立する程度の分別はあるわけだ。
49 :
47:2012/07/09(月) 06:20:37.11 ID:C9rbr4nP
訂正(すまん)
× 仏道をならといふは
〇 仏道をならふといふは
>>40 >ホント、幼児のようなレベルの否定論しか話せない可哀想な人たちですね・・・。
しかし、これも又、宝珠氏の個人的な体験で不特定多数人は体験していませんね
だから説得力が無いのは当たり前、すぐに怒る宝珠氏は逆におかしいかな?・・(笑
神秘体験とか霊能力とか来世がわかる、わからないのは凡夫だ!
みたいな、ガチで頭のおかしい人が何人か常駐しとるよねw
53 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 10:15:24.57 ID:wI9mw8hz
科学的で健全な宗教になってほしい
54 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 10:29:29.97 ID:C9rbr4nP
>>53 >科学的で健全な宗教
最初から自己の予断と偏見をもってどうする?
「科学」「健全」「宗教」・・これらの言葉には矛盾がある。
それなら「宗教」である必要はない。
仏教は仏教ではない、ゆえに仏教というのだ。
55 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 11:12:20.48 ID:4AxWa7+a
>>53 つか、それなら科学と常識だけでいいっしょ。
他に何を求めるっての? 権威かな?
宗教的行為には、科学的に見てこんな意味があったと研究されるのは別に珍しいことでもなんでもない。
多くが、擬似科学っぽいがな。
57 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 11:17:50.62 ID:FQEUqOkP
>>54 宗教も、古代人の生存の「手段」として発生した。当時の彼等なりの、生存の
ための「精一杯の現実性・合理性・科学性」の表れであったことを、忘れては
ならない。
人間のすべての営みは、その生存本能との関連において考えないと、ピンと外れ
になる。常に、生存が大前提である。古代人の、過酷な自然との絶え間ない
闘いの中での生存の労苦に思いを致すことが必要であろう。
58 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 12:40:20.77 ID:C9rbr4nP
>>57 隠居によって、初心者我迷わないために
>生存の労苦に思いを致すこと
我執前提の生存本能でいくら思い致そうが根本的解決はない。
仏法には、無我にて候(蓮如)
(仏)法の直覚において涅槃寂静。
59 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 12:42:47.63 ID:C9rbr4nP
× 初心者我迷わないために
〇 初心者が迷わされないために
60 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 13:43:09.90 ID:/lQgo14J
>>58 >隠居によって、初心者が迷わされないてめに
釈迦によって迷わされないことのほうが、より重要
>我執前提の生存本能でいくら思い致そうが根本的解決はない。
究極の飢餓状態にある者にとっては、「一碗の飯」が「根本的解決」である。
お釈迦さまが悟りを開く前にやってた苦行ってヨガなんだよな、
それをゴチャゴチャ小難しい漢字だらけの言葉でごまかして
仏教関係者がはっきり書かないから今まで気が付かなかったわ。
だから、インドで発見てきた座禅を組んでる仏像って
たいがいが、ヨガの足の組み方してる。
少林寺でインドからきた達磨大師が壁に向かって座禅組んでたってのも
ヨガの関係あるんでしょう。
このように、漢字で表現する事によって
何かが変わってしまっている中国仏教の翻訳では
我々日本人にとって仏教の本質の理解が難しくなるばかりだと思う。
翻訳の翻訳の翻訳ぐらいだろ、日本仏教は。
さまざまな教え・本質がオリジナルから変質していると思う。
密教を極めた弘法大師が仰っていたように「筆授」で本質を学びきれるものではない。
62 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 15:06:58.63 ID:Z3ptafDU
>>54-55 現実上の根拠皆無で荒唐無稽な妄想の<恐怖・脅迫と甘言>で人心を操るのを止めて欲しいだけ
↓
輪廻転生・カルマ・地獄極楽・解脱・原罪・永遠の命・天国地獄・最後の審判・・・等々
63 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 15:14:08.31 ID:Z3ptafDU
>>61 >それをゴチャゴチャ小難しい漢字だらけの言葉でごまかして・・・・
あははは・・・(笑
確かに小難しい漢字だらけの言葉でごまかされてる感じ〜
(=´∀`)人(´∀`=)
64 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 15:16:59.87 ID:r1xrnLei
ヨガというのはデカルトと関わっていると思う。
「心に自然にわき出てくるもの」を「価値に頼らずに感じる」という二つの直接性
を踏まえれば人間は全知全能になれるとしたのがコギトエルゴスムでした。
しかし、禅は日本の伝統や儀式と関わっていて、同じようなものを基盤にしながらも
異なる発展を遂げたようです。
禅に関しては、この動画で一部紹介しています。
下の方に解説があります。
http://www.youtube.com/watch?v=OJVNVEp_Xbw
65 :
絶対神:2012/07/09(月) 15:20:35.89 ID:gc7RZt9i
>>60 「いいえ」
『永遠にうえないことが根本的解決法です』
いっぱいの飯だけでは、「すぐにまたうえという問題が出てきますからね」
66 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 15:22:54.62 ID:r1xrnLei
「善」という概念の問題点は「上限がない」というのは事実ですね。
いいものを追求したらきりがない。
しかし、人間は自分にとって何が美しいのか、楽しいのかを経験して
死んでいくことの永遠の繰り返しだとされている。
ニーチェは現代文明がすでに確立した今の人間の宿命であるとして
これを「永劫回帰」と呼んでいるね。
| 絶対神をお迎えに上がりました
\__ _________
V
凸\_________/,凸、
ノ´⌒`ヽ三三三三三三三i三.ノ´⌒`ヽ、
[二ノ´金`ヽ二]二二二二二二i仁ノ´劵`ヽニフ
,.-┴―┬┴┐鬨鬩鬨鬩鬨鬨鬩鬨
/ΛΛ //ΛΛ||L匳匳||卅||匳匯||匳||
/_(゚д゚_//_゚Д゚,,)| |丗卅丗卅丗卅丗卅丗
_,,,.-―''''"_,,,.-―''''"|コ ̄ ∪i  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
i゛(}[王i王]I()0コ ―― |―――=|――――――――――〕
|_∈口∋ ̄_l_l⌒l ノ ノ ___l⌒l_ソ
 ̄ ̄`ー' ̄ `ー' ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄`ー' `ー'
68 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 15:26:03.11 ID:Z3ptafDU
69 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 16:09:28.05 ID:/lQgo14J
>>65 >『永遠にうえないことが根本的解決法です』
>いっぱいの飯だけでは、「すぐにまたうえという問題が出てきますからね」
そういう我のみ良しの上から目線が、「永遠の生命(救済)のために人を殺す」
などという、宗教最大の害悪を生み出しているのだよ。
「愛とは、土壇場で相手を助ける行為である。」
70 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 16:15:26.41 ID:/lQgo14J
>>65 イエスも、究極の飢餓状態におかれれば、一切れのパンに飛びついたであろう。
父なる神や宗教など、一切お呼びでない。「一切れのパン」のみが神である。
釈迦も同様。
71 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 16:19:42.07 ID:r1xrnLei
孟子は、生きるか死ぬかの乞食に「侮辱的に」食事を与えれば、乞食は
それを食べるよりも死を選ぶだろうしとして、それを根拠に人間の本質は「善」である
としているね。
面白いデータのとり方だね。
72 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 16:29:09.82 ID:/lQgo14J
>>64 デカルトは、すべてを疑えといいながら、結局、神は疑えなかったのだから、
心はすでに宗教観念によって犯されており、「心に自然に湧き出るもの」など
ではない。
73 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 16:33:01.55 ID:/lQgo14J
>>71 孟子のどこか。出典を挙げよ。
君の言う「善悪」とは何か。定義してみよ。
74 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 16:56:37.08 ID:r1xrnLei
75 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 17:01:49.49 ID:r1xrnLei
>>72 「コギトエルゴスム」というのは「自分の心は誰にも知られずに安全に探究できる」
という意味なんですが、そういう探求をしているうちにデカルトは、
「二つの直接性」を守れば人間は全知全能を感じるとしたのです。
なお「価値に頼らない」というのは「いい記憶も悪い記憶も排除する」
という意味のようです。
>>22 <私の不思議体験のひとつはオーブ>
目には見えない、でも写真には写るとか言う人もいるが・・私は、朝、目覚め
たら目の前に直径12cm位だったかな?・・・透明な球体のオーブがいた。
とび起きたら、スーッと左に動いて戸を突き抜けて出て行ったというもの
何か自分を見つめられて探られているような気がした
後にTVの座敷わらしかなんかの放送を見てオーブと知ったというもの
どのように宝珠氏は解釈されるかな?
>>61 ふ〜ん。。。なるほど
だから学者さんは学識はあるが誰も悟れないのかな?
78 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 18:21:32.65 ID:r1xrnLei
寛大さという概念がなければ、人間は「肯定」か「無関心」しかなくなるとされる。
自分が間違っていると思うことに対して寛大であることを言うが、
寛大であることは、他者を簡単に排除することなく、その人の文脈に沿うことができる
というメリットがある。
しかし、そもそも、簡単に「間違っている」と考えること自体寛大ではないという
パラドックスも指摘されている。
しかし、ネガティブな判断ではなく、非常にいい判断が「寛大さ」なのだ。
そのうえで、寛大さにも限界があることを理解しなければならない。
却下する理由が容認する理由を上回ってしまうポイントは誰もが持っているのだ。
>>78 哲学頭で仏教を理解することは無理ですよ。
西洋哲学はあらゆる例外を引用して何も定義できないことがあります
81 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 18:36:23.72 ID:r1xrnLei
寛大さには三つの段階がある。
規範的に容認できない物事への寛大さ。
実践的に容認できない物事への寛大さ。
ただちに却下すべきものへの寛大さ。
の三つである。
ただちに却下すべきものへの寛大さというのは、まさに寛大ではなく
苦しみや忍耐力に化けてしまう。
苦しみや忍耐力を強いられるのはそれを排除する力がないからなのだ。
ただちに却下すべきものからもたらされる心の状態がどのようなものであれ、
それを排除する力がないからその状態が続くのだ。
82 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 18:43:27.13 ID:SQ8BE/1l
我思う故に我在りと思う胡蝶の夢のまた夢・・・
答えを見つけるには
目の前にあるものを否定しない
そして
よく見る
こと
だと思う
>>81 なんだ、哲学頭(あたま)じゃなて、統失頭だったのか?
真面目に読んで損をしたよ。
85 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 18:49:58.06 ID:pmS0yob/
デカルトがいくら「我思う、故に我あり」と考えても、他者がデカルトの身体
を知覚しなければ「我はない」。単なる幽霊。
デカルトには、他者の観念、共同体観念が欠如している。
デカルトのコギトの命題は誤り。西洋観念論哲学の誤謬の根源である。
86 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 18:52:13.96 ID:r1xrnLei
人間が何かを成し遂げるうえでは、他人に自分の位置を教えてもらいながら
プロジェクトを動かしていくのは鉄則ではあるね。
他人にうまく自分の位置を示させながら、自分の空間でいろんな物事を
動かしていくんだよ。
87 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 18:55:06.45 ID:r1xrnLei
人間が「ただちに却下すべきもの」への寛大さ、つまり、忍耐力や苦痛
を排除する力がなければ、人間はそのはけ口を他者に向けるとされる。
暴力的衝動の存在を認めつつこれを禁じる法を作って
事情により処罰を加減する
↑
について仏教的見地から見ると?
>>88 仏教にも如来、菩薩、明王の区別があるでしょ
全員が善に従うなら、明王は要らなかったっていう
菩薩の教えにどれだけ従っていたかによって、明王の与える罰が加減される
と解釈すると面白いかもしれんね
>>35 神智学徒なら想念形態と言えばわかるかな?
他の家族が発光体や現象を確認していないなら、
あなたが霊媒になって想念形態を活性化していたんだろう
91 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 19:25:33.58 ID:pmS0yob/
>>70 愚かな人だ。
イエスや釈迦の話を読んだことがないのですか?
あなたのような凡夫の常識で計れる存在ではない。
両聖人とも自在力の持ち主です。必要なら空中から取り出しますよ。
>>91 神智学大要にも使われる標準的な用語なんだから、興味があるなら自分で調べろよ
同じ言葉を物理や数学の先生にも言うつもりか?
「意味不明がわからないので生活用語で説明してください」って
94 :
93:2012/07/09(月) 19:46:29.78 ID:5Ls+ufhO
誤字
意味不明が -> 意味が
せめて仏教用語で……
仏教では想念が形態を取るって発想がないと思うけどな
神智学徒の宝珠氏に説明しただけで、そもそも仏教とは体系が違う
そういうのがあるのは神道や道教といった、死後の霊を肯定する民族宗教に多い
この種の問題は、霊的体験(宗教体験の中でも特異な体験)の有無によって
意見が大きく異なってしまい、まともな議論にはならないのが通常です。
>>70 >イエスも、究極の飢餓状態におかれれば、一切れのパンに飛びついたであろう。
人間は、それまでの人生で体験や経験したこと位しか本当には解らない
大昔の釈迦もイエスも究極の飢餓状態になったことがなかったのだろう
大昔なら、一切れのパンに苦労した人も多い筈なのに、食べ物の一切れ
のパンの重要さが彼らには思い浮かばなかったのだ
ご隠居氏だって同じだと思うけど、彼の深く鋭い洞察力・眼力はイエス・
釈迦のそれをはるかに超越していて素晴らしい!
イエスも釈迦もその意味では全く只の凡夫でしかない
(^。^)ね!
>>98 コラ!! 駄文レスを書く暇があったら、仏典でも読んで仏教の勉強をしなさい!
>>99 ご自分で釈迦の金魚の糞の証明してる人です(笑
>>92 >両聖人とも自在力の持ち主です。必要なら空中から取り出しますよ。
又又、狂信者が見てきたようなことを事実のように平然と述べる
君の思い込み・妄想・盲信と事実は同じなのですか?
お先におやすみ☆
>>100 ミミズの糞を自認する人から言われたくないよ。
>>101 アメリカ人や英語圏の白人が集まる教会に行って
それを言ってきてくださいよ、妄想だと。
殴り殺されると思いますけど。
キリスト教徒なら誰でも信じていることです。
世界ではあなたのような人間こそ少数派です。
>>101 私の妄想じゃなくて聖書や経典に書いてある。
私に言ってどうするんだよ、この無知親父が。
105 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 21:07:43.56 ID:pmS0yob/
>>104 その聖書や経典が妄想だと言っているのだが。いずれも、精神病者の言行録。
>>101 だからそれをバチカンでも英国国教会でもエホバでもいいから
言ってきてくださいよ。
天才ユダヤ教徒とイスラムも旧約聖書を信じてるから何億人も敵に回すけどな。
107 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 21:53:55.98 ID:r1xrnLei
天国という概念は、本来は現世の人に犠牲を求める概念なんですよ。
そのためには退屈なだけの場所であってはならず、どの国もできるだけ
いい「天国」を描く研究をしています。
スタンフォードも、退屈な平和の楽園ではダメだろうとしていて、
自治という概念を取り入れて、いい場所に住むのも悪い場所に住むのも自由だと
考えたほうがより魅力的な天国になるだろうと考えています。
あくまでも現世の人に犠牲を求めるために魅力的な天国を研究するのです。
靖国神社の遊就館なんてのは国家プロジェクトとして心理学まで動員して
魅力的な絵を描いているはずです。
しかし、涅槃というのは「苦」のない世界だとされているので、
やはり仏教界の中枢はその絵に関しては沈黙しているのだと思います。
108 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 22:15:01.59 ID:r1xrnLei
ブッダは、苦を逃れる方法を「私」「私のもの」という発想をなくすことだとしたけど、
このような発想をスタンフォードは「哲学者としての合理性を失っているのではないか」
としているのだ。
しかし、日本でも「私」「私のもの」という発想をなくすことは崇高なものであるという
認識があったのだろうか。
岡林信康は「私たちの望むものは」という曲で「あなたを殺すことなのだ」と歌っている。
これも合理性を失っているのだろうか。
ちなみに、岡林氏は「善に上限はない」という現実に直面して
フォークの神様と呼ばれた時に失踪している。この時のことを「みんなそう思っちゃうよね。
本当のことは俺しか知らないんだ」と言っている。
http://www.youtube.com/watch?v=o6R13Nx2Nhg
>自治という概念を取り入れて、いい場所に住むのも悪い場所に住むのも自由だと
>考えたほうがより魅力的な天国になるだろうと考えています。
それって現世と何が違うの?
110 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 22:19:33.37 ID:r1xrnLei
>>109 それは平和と安楽の地だと退屈なのでちょっと地獄の要素を入れたほうが、
魅力的になるだろうという発想なのです。
どう魅力的に天国を描くかは各自で思い描けるのではないでしょうか。
日本人が「幸福のハードル」が高いのは現実で、このハードルの上げ下げを
メディアがやって、この国は結構痛みに耐えられる余裕のある国になっています。
111 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 22:32:44.48 ID:UjliJqHC
>>106 一神教がやってきたこと、やっていることを見て、基地外と思わないのが
基地外といえる。自分の宗教にそのまま跳ね返って来るからである。
死後の天国を信じ込まされて、自他の生命を奪い続ける自爆テロリスト。
テロ犠牲者の葬儀に会葬した人々の群に自爆し、悲しみにくれる人々の
生命をさらに奪う自爆テロリスト。「狂気」以外の何物でもない。
精神医学者は、「宗教的信念と精神病の妄想とを、実質的に区別するのは
不可能」と述べている(「心の科学(妄想特集)」(科学評論社発行)より」。
>>110 >平和と安楽の地だと退屈なのでちょっと地獄の要素を入れたほうが魅力的
まさに現実そのものに見えるけどね
それを仏教では六道と呼ぶわけでしょ
114 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/09(月) 22:42:23.47 ID:r1xrnLei
>>112 宗教の勧誘で「あなたは今幸せですか?」と聞くことがあるかもしれませんが、
研究してみると「人生を振り返ってみてだいたいよかった」「今興味があることがうまくいっている」
「答えようがないからとりあえず答えた」という理由で「幸せです」と言っているそうだ。
しかし、生活していて、いいことと悪いことの比率が3:1以上でなければ
人間は幸福感を感じないのです。
おそらくあなたは3:1をはるかに超えているのだと思います。
116 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 22:47:38.62 ID:qUa2HLfX
>>101 「衆人に訴える論証」をここでやることによって
どんな意味があると思っているのだろう。
イスラム圏や中世ヨーロッパやアメリカ南部では出来ない様なことができるのが
ネットというものの素晴らしさではないか。
>>106 >イスラムも旧約聖書を信じてるから
そんな単純なものではない。
彼らは聖書は改竄・捏造されており、
クルアーンに書かれているほうのエピソードが正しいと信じている。
117 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 23:00:51.65 ID:qUa2HLfX
118 :
神も仏も名無しさん:2012/07/09(月) 23:05:15.05 ID:UjliJqHC
>>113 >仏教にも跳ね返ってきますねw
釈迦仏教(小乗仏教)には明らかに跳ね返るね。開祖の盲信という精神状態
は、一神教に酷似している。大乗の浄土真宗も同様。浄土真宗は「仏教の
キリスト教」と呼ばれ、キリスト教に酷似している。浄土真宗(一向宗)の
「一向一揆」では、100年間以上殺戮を続け、日本社会に害毒を垂れ流した。
>>114 天国のように見える世界も、飽きたの刺激が足りないの言い出すやつがいるし、
欲望から自由ではないから、欲望に応じて六道を輪廻する
それが六道輪廻ということで、
あなたが言うスタンフォードの話は、まさに六道輪廻の話に見えるよ
そこから抜けだそうっていうのが仏教であり、涅槃じゃないのかな
120 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 00:32:24.30 ID:3FY7ROta
>>48 >かりにも三宝に帰依して、僧たらんと誓うんだろ?
そんなことをいってしまったら、
そもそも大乗(一括りで申し訳ないけれど)でいう「三宝」が、
本来の原始佛教のそれと一体、どこまで合致してるのと思うのですか?
批判的に厳しくいうと、こういうことになってしまう・・・。
つまり、大乗が帰依する「三宝」の実態とは、
「仏」---架空、空想の仏。創作の仏(必ずしも総てとはいわないが)。
「法」---道品法/菩提分法に依らない創作の教法(特に初期大乗は酷い)。
「僧」---肉食妻帯で家庭生活を営む指導者たちの集団。
>鞍馬弘教はその点、潔いとも言える。
>もとの天台宗(それまでの鞍馬寺)と魔王尊の異なる見方をするようになった
>そこで独立する程度の分別はあるわけだ。
神智学(ベイリー派)の導入によるものです。
121 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 00:35:42.60 ID:3FY7ROta
>>61 >お釈迦さまが悟りを開く前にやってた苦行ってヨガなんだよな、
「苦行」=「ヨーガ」(ヨガ)ではないです。
完成に向けては大きく二つの道があります。
一つは、“智慧(哲学)の道”で、実践としてはジュニャーナなどと呼ばれ、
哲学的には不二一元論など呼ばれているものがあります。
これと相対する道として、もう一つ。
大きく広義的な意味合いとしての“行為の道”というのがヨーガであって、
確かに、苦行の“行為の道”としてはヨーガに含まれますが、
通常、一般的には同一視いしないのがセオリーです。
古代インドにおける苦行という場合には、
普通、現在もシヴァ派サドゥーらによって継承されている、
もろ“苦行のための苦行”という内容の行為(修行)を指します。
たとえば生涯、腕を挙げたままとか、ツメを生涯切らないのか・・・
ペニスを縄で縛り岩をブラ下げるとか・・・。
そして当然、種々の瞑想も行う。
この瞑想修行が一般的にヨーガという扱いになります。
もちろん、仏教の瞑想も古代インドのヨーガを起源にしています。
122 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 00:36:16.69 ID:3FY7ROta
>>52 >ガチで頭のおかしい人が何人か常駐しとるよねw
これから、いよいよピーク時期だから、
コンビニ販売の冊子でも買ってきて「怪奇心霊スポット」にでも出かけたらどう?
何箇所もトライすれば何か遭遇できるかも?
(あまり、こういう推奨はすべきじゃないけれどw)
人間の意識を、
単に脳内の電気化学的現象に過ぎないものとする唯物科学の説明はまったく的を得ていない。
その脳内神経に反応現象を起している力の源泉は一体、どこから来るのか?
“肉は勝手には喋らない”
123 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 00:37:53.99 ID:3FY7ROta
>>76 >どのように宝珠氏は解釈されるかな?
心霊存在(一般語としての「不成仏霊」、または「未成仏霊」)と同種でしょ!
普段、(人型として)顕現化してない状態はこのようにして球体として浮遊してるのかも・・・。
私も画像撮影では捉えたことが何度もありますよ。珍しくも何ともない。
おそらく、そういうのが浮遊としている世界がこの外界として普通ということなのでしょう。
124 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 00:40:00.34 ID:3FY7ROta
>>90 「想念形態」はわかります。
>あなたが霊媒になって想念形態を活性化していたんだろう
まー、確認がとれないのでわかりませんが、
大体、誰か特定者の体験になるので・・・そうだと言われればそう言えるのかもしれません。
ポルターガイト現象というのは必ず、これを引き起こす能力者がその場にいるからだ
という超常現象研究の報告成果は確かにあるようですが・・・。
125 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 00:41:11.16 ID:3FY7ROta
>>96 >仏教では想念が形態を取るって発想がないと思うけどな
これがある意味で近しい内容かも。
死後の心霊存在とイコールではありませんが・・・。
『また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生身)
を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)形はあ
るが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(目や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体をつくりだ
します。』(『ディーガ・ニカーヤ第2経/出家の功徳(沙門果経)85』)
『父母から生まれた肉身ではなく、意によってつくり出された身体。 形はあるが、物質的ではない。 死後
の中有の存在や、禅定にはいったときの身体がこれに相当する。 しかし、ここでは、恵学を完成することに
よって、思いのままに、随意に、自分の身体を物質的な肉体から離脱させることをいうのであろう。』
(長尾雅人-訳註)
また、死後の生存についての仏典の言葉ならこれでしょうか!
『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅を知ら
ないので、再びこの世の生存にもどって来る。』(Sn.754)
ここで、“非物質的領域に住む諸々の生存者”と明記してるのですから、
それは肉体次元ではない生命や意識体に他なりません。
死者とは限らないけれど・・・。
126 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 00:44:49.93 ID:H906Iixj
>>120 だから最初から意識の問題なのよね。
「仏教の僧侶」でいるつもりなんだろ?と。
そうでいる気がないならやめればよろしい。
答えはあなたが引用しなかった部分に全てあると思うけど。
>神智学(ベイリー派)の導入によるものです。
鞍馬弘教を紹介した理由、論点はわかってくれたよね?
127 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 00:49:02.44 ID:3FY7ROta
>>126 わかりますが・・・。
当人達の大半は仏教の僧侶のつもりで自覚しているのでしょうが、
けれどもその内容は、“本来的には合致していない”ということです。
>そうでいる気がないならやめればよろしい。
まぁ、辞めた方がよろしい!
という僧侶もご指摘の通り大勢いるかと。
>>121 非常に明快な解説かつ深いお話をありがとうございます。
日本では仏教徒でもこのような知識を知らない人が
ほとんどなのではと思いますが・・・。
お寺の僧侶たちは知っているんでしょうか。
密教僧なら知ってますかね?
130 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 01:08:21.40 ID:cW72r/Pt
釈迦仏教(原始仏教)がカルトと直結している状況がよく判るね。
カルトは何故、竜樹や道元は絶対に引用しないのか。それが釈迦理解の鍵に
なる。
131 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 01:13:14.89 ID:3FY7ROta
>>129 平均的な僧侶というのは、自宗の教学修得だけというのが多いと思います。
どうしてもそれだけで精一杯であり、僧侶になったらなったで供養や法要行事でテンテコ舞い。
あとは、然るべき仏教系大学を出られた僧侶ならば、
基本的なインド宗教学の知識は広く浅く学んでいるかと思います。
たぶん、中でも密教僧は詳しい傾向があるかもしれませんね。
興味を持って(密教の起源と関連性なども含め)、
古代インドとかビンドゥーなんかについても調べるような方もいるでしょう。
このスレに常駐する方の中にも、
仏教の専門家(プロ/僧侶)でパーリ語にサンスクリット語まで読めるような方もいて、
仏教世界についてならば恐ろしいくらいに詳しいです。
132 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 01:22:25.45 ID:H906Iixj
話がズレてきてるなあ。
>>127 整理してみよう。
宝珠「大乗仏教の僧侶は、釈迦のいう「俺の弟子」(出家者)に該当しないので呪術を使って良い」
この主張の問題として
1.
「そもそも在家の人間がバラモン呪法を行うことができたか(出来なければわざわざ言うこともない)」
2.
釈迦はバラモンがやることにも否定的。
3.
「大乗仏教は自分のことを仏教だと考えその僧侶は仏弟子とみなす」
「当然、三宝にも帰依する(当然、三宝が真正なものとも信じている)」
「密教の修法は、修行者となり勧請を受け正式な師のもとで学ばないといけないし実行できない」
「当然、(本来ならば)戒は保つべきだし妻帯はもっての外(在家ではなく出家として位置づけられている)」
重要なのは3.だ。
「大乗の僧侶は、仏教僧じゃない」これは外の意見であり、大乗仏教の見解ではない。
外野が「別にいいんじゃねーの」と言うだけ(外部からの評価として容認するだけ)ならいいが、
当事者になればそうはいかないということだ。
133 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 01:30:48.14 ID:3FY7ROta
>>132 >当事者になればそうはいかないということだ。
当事者というのは、
要するに密教はバラモン呪法とは異なる。
これらはまったく違うものだから、ゴータマの禁には該等しない。
我々は仏教僧侶であり、バラモン呪法などは行じていない。
であるから無問題なのだ、としているのです。
ある真言宗の坊さんは、仏教か否かの基準は三法印だと言っていたな
三法印があるなら、どんなに破天荒に見えても仏教だと
三法印がないなら、どれほど見栄えよくても仏教ではないと
>>124 この手の現象は想念形態によるものと、気によるもの、
アストラルの抜け殻によるものと、霊体によるものがある
神智学の本をよく読めば、書いてあると思うよ
136 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 01:43:01.68 ID:H906Iixj
>>132で書いた「当事者になれば」というのは、
実際にどこかの伝統的宗派に属して、いろいろやる、という意味。
>であるから無問題なのだ、としているのです。
「僧侶」が護摩とかやっても無問題である理由はあくまで「密教というのは、バラモン呪法ではないから。その他」でなくてはならず、
「大乗の僧侶っつっても実際は釈迦の出家信者じゃなくて唯の在家信者だから」であってはならない。
別にそうであってもいいが、そうするなら、新興宗教を旗揚げしなくては
宗旨と一致しない。一致させるためには、伝統宗派における扱いとルールを実行しなくてはならない。
実行する気がないなら、やはりその宗派をやめて新興教団を立ち上げなければ一貫しない。
137 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 02:13:15.28 ID:H906Iixj
便利だからといって裏技を探求しなくていいんじゃないかな。
138 :
絶対神:2012/07/10(火) 02:22:34.98 ID:67USYriE
「結局、「奇跡」「オカルト」を抜きにして」
『「宗教」は成立しないって事』
釈迦が愚かなのは
「その事に気付いていなかった事」
>>103 >殴り殺されると思いますけど。
それが「宗教の狂気」を如実に証明しているわけ
その張本人は誰?
戦争も圧倒的多数人が勝利を信じて参戦したわけだけど・・
信じるということは自分の全人生を投げ打つようなこと
だから、安易に信じたり行動してはいけないのでは?
>キリスト教徒なら誰でも信じていることです。
何故、信じるようになったのか今、検討しても別におかしな問題ではない
とかく宗教はトラブルの張本人になっている歴史がある
>>104 >私の妄想じゃなくて聖書や経典に書いてある。
聖書や経典に書かれてると何故、事実だと君は認識出来るわけ?
かぐや姫は、竹から生まれたわけだけど信じてる?
141 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 09:18:56.46 ID:fSwNFUVa
前スレで中論自注が近刊ってどなたかが書いてたんですけどいつ頃出るんですかね?
142 :
絶対神:2012/07/10(火) 09:27:33.82 ID:67USYriE
「人は文字通り何も信じないでは生きていけないし」
『人の価値観というのは客観的に見れば大なり小なりおかしなものだ』
つまり「理性的な生き方」など元々あり得ないし、あるていど、事実や真実を
まっさつしないでは人は生きられない(神様じゃないんだからいちいち全部なんて
検証できない)
「つまり結局、「ある種の信仰を持つ事なしには人は人生観を構築できはしない」」
143 :
絶対神:2012/07/10(火) 09:30:27.88 ID:67USYriE
「つまり、そういう意味では」
『人が結局、実践できるのは「正しく生きる」事なんかではなく』
「自分なりの生き方をする事でしかない」
それは、他人から見れば間違いだらけなんだろうけど
「ある程度のところで割り切って、切り捨てなければ」
『人は生きられない』
そういう意味では、正しい人も、良い人もいない(長く生きる人ほど、それなりに
癖を持っている事が多い)
144 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 10:49:56.26 ID:t7boNmBW
>>122 >その脳内神経に反応現象を起している力の源泉は一体、どこから来るのか?
>“肉は勝手には喋らない”
それこそ、「生命」だ。
生命というのは、全ての人間に・・・・なんちゃらかんちゃら・・・・
wwwwwwwww お前、いつから「生命教」信者になったんだ? 宝珠wwww
145 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 11:23:19.27 ID:L3PYAeMM
>>116 >イスラム圏や中世ヨーロッパやアメリカ南部では出来ない様なことができるのが
>ネットというものの素晴らしさではないか。
ほんとにそう思う。ネットの恩恵は確かにある・・・けど目が疲れるなぁ(笑
>>111>>118のご隠居氏の明確な指摘=宗教の「狂気」は、常に発信していくべき♪
イエスの統失・釈迦の鬱病の感染=「感応精神病」で覆われてる世界って異常でしょ!
(^。^)ね!
148 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 12:42:28.16 ID:bycq1E+/
>>144 お前、いつから「生命教」信者になったんだ? 宝珠
生命教は実質アートマン(生命と称する)肯定論だから、
非我→アートマン(真我)論者の宝珠と整合性はある。
これも論破済み。
149 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 12:52:31.87 ID:bycq1E+/
>>134 >三法印がないなら、どれほど見栄えよくても仏教ではない
一切行無常、一切法無我、涅槃寂静、(一切皆苦)
中論冒頭で「不生」を宣言した龍樹は生成否定論者である。
一切は諸縁起の総体関係の仮設現象であって、
生成はなく、実体もあるわけではない。
これによって一切行無常は事実上否定されたといえる。
龍樹は仏教者なのか?
150 :
148:2012/07/10(火) 12:53:44.03 ID:bycq1E+/
訂正
× お前、いつから「生命教」信者になったんだ? 宝珠
〇 >お前、いつから「生命教」信者になったんだ? 宝珠
151 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/10(火) 13:01:52.32 ID:9fLsw1Wt
チベット・モンゴルに伝わった仏教ってのがあるけど、特徴は「秘儀」を使うことだとされる。
日本にも一部の教団が秘儀を使うとスタンフォードは言っている。
しかし、もっとも豊かな地域である中国・日本に伝わった仏教は共同生活を重視している。
共同生活を送るうえでの道が「六道」で、「怒らない人には何も言うことはない」
とされていて、「怒る人はせめて集団の役に立て」というスタンスだ。
たとえば、「カオスの状況の中で真実を見抜く眼力を養う」などが求められている。
この、漠然たる世界の中にも人間の行動メカニズムがあって、そのメカニズムにあらゆる哲学者が
より真実(イデア)に近い仮説を立て続けているのだ。
その人間社会に仮説を立てて、そのデータをとり続ける作業は哲学なのですが、
仏教では「知恵」と呼んでいるようだ。
152 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 13:14:40.63 ID:bliSFVNp
>>140 >龍樹は仏教者なのか?
竜樹は中論で、「釈迦の縁起・空に新たな意味を与え」「換骨奪胎」した、
古今東西比肩する者のない、天才的大哲学者。仏教・非仏教などというチンケな
概念は超えている。その思想の核心は、釈迦のような「因果関係」ではなく、
「相互依存性・関係性」である。「もろもろの存在」が、「関係性」という
抽象概念で構成されているから、「執着すべき自性はない」ということ。
153 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 13:19:47.44 ID:L3PYAeMM
>>149 いやいや、否定してない。
そりゃ、問いてるレヴェルが違う。
八不・不生の縁起は勝義で、生滅の縁起は世俗なんす。
龍樹菩薩もそう説いてるよ。
『六十頌如理論』21, 22を読んで、『空七十論自註』23以下を読むと分かるかも。
要するに生滅は仮設なんす。
まあ、こういっても分からないでしょうが。
154 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 13:32:27.03 ID:bliSFVNp
>>153 竜樹について、中論以外を持ち出すからおかしくなる。中論は、それだけで
完結した理論体系。龍樹の著といわれる作品は多数あるが、全体として統一
されている訳ではない。竜樹について語るときは、その主著である中論に限定
しないと、竜樹も迷惑だろう。
「仮設」という言葉は、あくまで説明の便宜のため。すべてが仮設なら、すべてが
常住となり、龍樹の空は成立しない。
中論を人間が認識を起こす際のメソッドについて解説したもの以上に取り扱えばオカルトまっしぐらだと思うんだ。
156 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 13:54:03.14 ID:uxn5Jq0L
前に言ったことのある突込みをまた言い直すって疲れるよね。
157 :
絶対神:2012/07/10(火) 13:58:50.38 ID:67USYriE
>>155 「単純に言うと一切を支配する法則のように考えると」
『全部駄目』
そんな考え方もあるねえ、程度のもんだと思うけど
158 :
絶対神:2012/07/10(火) 13:59:36.27 ID:67USYriE
「一切を支配するものなんて」
『神様以外知らないよ』
そういう意味では「真理」とは、『元々、神様以外知らないんだよ』
>>149 >一切は諸縁起の総体関係の仮設現象
故に一切行は無常
>生成はなく、実体もあるわけではない。
故に一切法は無我
だと思うけど、なぜ否定だと思うんだ?
三法印を論証しただけに見えるよ
>>130 >カルトは何故、竜樹や道元は絶対に引用しないのか。それが釈迦理解の鍵になる。
確かに出てきませんね。これはやはりおかしいなぁ!
末法時においては意味がない
162 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 16:38:07.19 ID:0kzqW6Gc
163 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 16:43:24.76 ID:0kzqW6Gc
164 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 17:08:13.55 ID:ou6rKGPt
>>152 >なぜならわかりやすいイメージと決まり文句があるから。
>なので利用しやすい。
なるほど。利用しやすいかw。カルトの人は、教学には、殆ど無知だと思う。
ところで、「釈迦の思想」に近いのは、竜樹・道元、それとも新興宗教のどっち?
KKの人が、竜樹をこともあろうにキリスト教的に解釈しているのは、KKその他
のカルトが、実質はキリスト教であることを示している。日本のカルトの源流で
ある大本も同じ。
仏教って昔からなんでもかんでもごっちゃだからね。
そうやって生き延びてきた。
道教、神道、ヒンドゥー、はては一神教系からつまみ食いばかり。
カルト的なのが生まれやすい要素はもってきたからな。
中世の教団なんて、今なら間違いなくカルト認定されるだろうな。法主の指示で、大名から領土奪ったりしているんだもん。
166 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/10(火) 17:33:58.37 ID:9fLsw1Wt
神道は宗教ではない、という言葉は浄土真宗セクトが主張したんだよ。
神道は「政府にしたがえ」「天皇を敬え」以外に言葉を持っておらず、
仏教界が宗教界独占を狙って明治時代に主張した。
これを当時の明治政府が「政教分離の説明に都合がいい」として採用したのだ。
神道は帝国カルトであり、教義に儒学を採用した。
そのことから儒学とのつながりが生まれている。
この帝国カルトは、おみくじは天台宗の観音くじを真似している。
おまもりなども資金源だし、奉賛会・崇敬会・町内会なども資金源だ。
いかなる新政府も過去の批判から新時代をスタートさせるので、
明治新政府が標的にしたのが「仏教ブランド」だったけど、
浄土真宗セクトの主張を明治政府が受け入れたころに廃仏毀釈は収束したようだ。
>>135 気功などでは、人を倒れさせたりジャンプさせたり転がしたり・・する先生はいる
ドアだって多分、可能かもね
<2> ポルターガイストの原因究明
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-4.htm から抜粋
ポルターガイストの周辺には普通,鍵となる人物が見られる。その人物が外出していたり,
眠っていたりすると現象が起きないことから,容易に特定できる。そして,現象を発生させ
ていると疑われる人物は,典型的な特徴を持っている。(すべてではないが)ほとんどが未成年
であり,6,7割が女子であり,大部分は家庭環境に問題を抱えている(両親の離婚,再婚,養子
にされるなど)。そして多くは,親から精神的に疎外されていて,親への敵意を持っている。
>>162 >道元禅師霊示集―現代的悟りへの道
それは道元禅師の名を借りた大川隆法の妄言集に過ぎないのだよ。
169 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 19:39:37.52 ID:I7Nxnp0T
>>168 道元が「霊」などあほらしいことを語ったのかね。それとも、後期道元?仏教
で「霊」を語った人ってダーレダ?
>>169 アンカー付けが間違っているんじゃないのかい?
大川隆法はありとあらゆる過去の偉人の名前を勝手に使って、
自らの大妄想をぶちまけ続けている人だよ。
171 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 23:21:36.17 ID:3FY7ROta
>>136 >一致させるためには、伝統宗派における扱いとルールを実行しなくてはならない。
>実行する気がないなら、やはりその宗派をやめて新興教団を立ち上げなければ一貫しない。
ですから、私は一貫して、
“大乗は仏教の看板を降ろせ!”と主張してきたわけですよ。
それでも、十分に勝れた宗教ということでは間違いはない、と。
>>134 確かに、
三法印を思想として真理として説いているところが、
唯一の救いでしょうか・・・。
その内容は随所々で伴っていないとは思うけれど。
172 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 23:22:48.87 ID:3FY7ROta
>>144>>148 んなわけないでしょう!
私は、“肉は勝手には喋らない”といっているのです。
要するに、脳内神経の反応現象が意識だというのは間違いであって、
逆に、意識存在によって脳内神経に反応現象が生ずるのだと。
その意識こそが“魂”(ウパニシャッドのアートマンでない)です。
ご隠居の説くアートマンなどバラモンのアートマンに非ず。
あの人はただ、元々の語源的意味合いを指摘してるに過ぎず、
“呼気(息)”=アートマンというのは、生きている証というほどの象徴的意義から来たもの。
バラモンが説くアートマンは肉体死によっては消滅しませんから。
173 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/10(火) 23:24:31.20 ID:3FY7ROta
>>147 >神仏のお力の結晶体だと思っています
そういった神聖なものじゃないと思う。
殆どの場合には・・・。
>>167 ウェブ説明は読みました。
その諸条件の幾つかはこの私とも見事に合致していますが、
しかし、全く該等せずの部分がより大きい。
ここでは当人のESP能力によるものという結論付けをしていますが
(そういう説を私はとっくに知っています。このベージ解説も以前に読んでいます)、
それでも私は、やはり心霊存在との接触であったものと解しています。
その方が普通に自然ですよ。不自然な説明や無理にこじつける必要性を感じませんからね。
また私は、心霊科学的な知識についてもある程度を把握しています。
174 :
神も仏も名無しさん:2012/07/10(火) 23:44:06.38 ID:4he+T7iC
>>172 >ご隠居の説くアートマンなどバラモンのアートマンに非ず。
語源自体の意味を勝手に変更することは、永遠に不可能。変更したとすれば、
その変更が誤りであるということ。
175 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 02:04:50.84 ID:VKVjVUoO
>>172 >バラモンが説くアートマンは肉体死によっては消滅しませんから。
つまり、「自分の方が、死後も存続するんだから、隠居のよりも性能が良い。」
・・・・・・ こういうわけねwwwww
176 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 02:17:11.62 ID:gJ114sNn
梵我一如とは、人間がその心理作用で、梵と一如になるのだから、結局は人間の
心理作用。即ち、人間が神に成るということ。素晴らしいことではないか。
釈迦は何故、この素晴らしい概念を捨てたのか。我は、梵の被造物なのだから、
むしろ当たり前のここと。否定する釈迦が間違っている。
梵我一如って、梵がブラフマンで、我がアートマンだっけ?
178 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 05:37:13.39 ID:tiP7CQAX
>>176 >我は、梵の被造物なのだから、むしろ当たり前のここと
おやおや、生命教は遂に「神」を設定したぞ。
縁起撥無の有神論へ大きな逆転進化だ。
ミイラ取りがミイラになったわけか、ご愁傷様w
179 :
絶対神:2012/07/11(水) 05:51:18.88 ID:urgkPCQ+
>>176 「ならねーよ」
『お前は全知全能で永遠に生きる不死身の超越者ですか』w
「超能力や奇跡の力を持ってるんですか」w
『馬鹿ですか?』ww
180 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 08:08:33.36 ID:qA95Ft5V
>>179 神はあるがままの人間なのだから、全知全能でもなければ、不死身でもなければ、
超能力でもなければ、奇跡もない。君こそ「バカですか」。
>>179 神は、全知全能ではない。お金など出せないから信徒に献金させる
超能力や奇跡の力はマジシャンが上手で可能
>>179 天災があっても神は無力、人間のみが協力して被災者を救うことが出来る
それは、明確に誰もが認識可能なことですねン!☆
やはり、<神仏=生命=人間==自然>・・・ですね♪
(^。^)ね!
183 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 09:09:35.79 ID:qA95Ft5V
>>178 縁起・空を考えているのも、人間の生命である。
釈迦の縁起(因果関係)と龍樹の縁起(空)(相互依存性・関係性)とは、内
容的には全くの別物であることを理解すべき。竜樹は、釈迦の縁起に「新たな
意味を与え」「それを換骨奪胎した」のである。
不明なことを神仏のせいにして、人々の欲望を増幅させ商売にする
のが宗教者、そのまま科学等で解明されるまで待つのが大多数の人達
↓
■簡単なトリックや思考の落とし穴を回避することで可能となるものを、
なにも複雑で不思議な超能力と いう結論に達する必要はないのです。■
■トリックで可能なことを説明するのに、超自然的な解釈をことさらに
優先させるというのは、果たして賢明と言えるだろうか?・・・■
>>183 因果関係も結局は相依性でしょう。
原因と結果は同時生起です。
結果があって始めて原因が生まれる。
結果がないのに原因は生まれません。
まさに禅問答w
言葉遊び。
原因と結果という言葉がすでに言葉遊びなんですよ。
189 :
神も仏も名無しさん:2012/07/11(水) 13:04:12.31 ID:pBBvBOKz
>>195 >原因と結果は同時生起です。
ならば、業報は成立しないな。現世と来世という、大きな時間差がある。
>結果があって始めて原因が生まれる。
ならば、「因果」という前後言葉は相当ではない。「果因」とでもすべきw。
190 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/11(水) 13:06:52.51 ID:7PB8PgoE
「全知全能」を名乗る人間にはまず「この重さを持ち上げてみろ」という重さという課題が与えられる。
どの人間にも持ち上げられる重さには限界があるからね。
一定程度の重さを持ち上げることを反復することで各自がそれぞれの「ムラ」の主に
なっていくんだよ。
「重さ」と「反復」によってそれぞれの人がムラの主になっていくんだ。
>>185 キリスト教で当てはめると、神の命令(聖絶)=聖書と侵略・虐殺の蛮行が同時生起ですか?
聖書と侵略・虐殺の蛮行という結果があって、始めて原因=神の命令(聖絶)=聖書が生まれる?
聖書と侵略・虐殺の蛮行という結果がないのに、原因=神の命令(聖絶)=聖書が生まれません?
↑
何か解ったような解らないような?・・・やはり、違うでしょw
>>190 どこから「全知全能」を名乗る人間が出てきたの?(笑
>>189 「前後」 という言葉に時間差はありません。
「後」がないときの「前」はありません。
「後」が出て初めて「前」という観念が生まれます。
現世と来世も同じです。
>>193 でも、「認識」には必ず先後があるよね?
>>194 具体的に言うとどういうことでしょう?
認識の先後とは?
>>195 たとえば、横断歩道を渡る際の左右確認みたいなものです。
人間が「一方向しか向けない」という制限により、必ず「どちらかを先に見る」、
ということです。(この例は肉体的構造の問題ではありますが・・。)
縁起から時間性を排除できない理由も、この辺りとリンクしている筈です。
「先」あるがゆえに「後」あり。
「後」あるがゆえに「先」あり。
この二つは相互依存関係です。
先と後に時間差があるなら、後のない先があることになります。
後のない先などありません。
原因と結果が時間差によって分断されるなら、結果のない原因が先にあることになります。
結果のない原因などありません。
>>196 原因と結果は一体で、分断できません。
原因と結果をAとすると、このAは分解できません。
A=原因+結果 というでもありません。
原因+結果なら、この二つはすでに分断されています。
原因と結果は不一不異です。
>>198 ハァ?(゚∀゚)
>>196読んだか?w
原因を認識しているとき、同時に結果を認識することはありえない、と言ってるの。
結果を認識している時、同時に原因を認識することはありえない、と言ってるの。
Aを認識している時は、Aしかないの。Bを認識しているときはBしかないの。
解る?
人間の認識はシングルタスクじゃないと思うんだけどねw
少し説明すれば、
>>187で御自身が触れているように、 >原因と結果という言葉がすでに言葉遊び な面はある。
だが、貴方は、御自身でそれを言っておきながら理解されていない。
>>185で >結果があって始めて原因が生まれる とあるけれども、
これは「AあってBが存在し得る」ということと思われるが、勝義に於ける実相としてはそうでしょう。
しかしながら、重大な誤認をしていらっしゃる。
>>197で
>原因と結果が時間差によって分断されるなら、結果のない原因が先にあることになります。
>結果のない原因などありません。
とあるけれども、
それらはもはや、原因でも結果でもないのです。(だから、心経的に印も果も無しと言えるわけです。)
だから、認識に先後があっても、それが原因と結果とは限らないわけです。
双方が認識されて始めて、両者は因と果へと変貌するわけです。
それまでは、因でもなく果でもなく、只の事象でしかありません。
貴方が言うように、それら「単なる事象」が、認識&分別によって(或る意味言葉遊びによって)
「原因」や「結果」へと変貌するわけです。そしてその「原因と結果という関係性」は、確かに相依性なわけです。
ただ、勝義に於いては、「原因」や「結果」もまたラベルにしか過ぎません。
>>200 そうでしょうか?
(少なくとも凡夫には)複数認識は不可能だと思いますが?
>>201 今この瞬間も「認」と「識」をつなげて「認識」と読んでる。
文字と文字、単語と単語を同時に認識出来なきゃ文章を理解できませんがな。
単体としての認識を複数つなげて全体も同時に認識できる、普通の人間はマルチタスクですよ。
認識の問題ではないと思うけどね
例えば猫を箱に入れて蓋を閉めたとして、
蓋を開けて出てくるのが馬だろうが富士山だろうが火星だろうが、意外性はないことになる
結果を見るまで原因も存在もしないのだから、
解答は必ず「何が出てくるかわからない」でなければならず、「猫が出てくる」ではいけない
もし「猫が出てくる」と答えれば、猫を入れたという因が事前に存在したことになる
ある一つの因果が完全に独立である以上、
因果律が存在しないから、玄関を出た先がアリスの国でも文句はいえないことになる
>>202 それは本当に同時でしょうか?
そこに、些かのタイムラグも無いと断言できますか?
>>203 そこはウィトゲンシュタインで。
たしかに昨日までは猫を箱に入れたなら、猫が箱から出てくるという再現性が世界にはあったかもしれない、
しかし、今日、猫を箱に入れた場合、必ず猫が出てくるという保障は無い。
>>204 えぇ、できますよ。
もし認識が断続したものであるなら全体を永遠に捕らえることは出来ないからです。
認は認、識は識で永遠にそのままです。
やはり、仏教の誤算その一は文字化されたことにありそうだな。
音声言語のままであれば、皆、もっと時間的危機を感じたであろうに・・・。
>>205 問題は、火星でも富士山でもなんでも出るってことだけどね
物理法則が果を導くと想定出来ないから、当然そうなる
>>207 常々、諸法無我に諸行無常と口にしている仏教徒が、
原因がAなら結果は絶対にBだという因果律だけは恒久不変の我であると考える片手落ちに首傾げてます。
たえず生成変化し同じものは一つもない
→この推理は単なる経験則であり根拠がない
>>208 仏教の大前提はダルマだと思うよ
まずダルマがあるという前提にないと、三法印自体が無常になる
それに法則があるという前提がないと、何も保証できるものがなくなってしまう
私達が形状を保つことさえ保証出来なくなるでしょ
周りを見ればわかる通り、世界は無秩序ではなく、法則に従っているんだよ
>>210 だからなんで、保障されなければならないの?
付け加えるなら、どうして保障を絶対だと思い込むん?
突き抜けが足りないなと常々(ry
212 :
糖質ですが ◆Kj8i0y5KqTcY :2012/07/11(水) 23:04:07.40 ID:7PB8PgoE
世の中を普通に眺めれば漠然とした世界ですよ。
その中にいろんな法則なり真実(イデア)が複雑に錯綜しているのは事実です。
プラトンがその仮説を最も大胆に立てた哲学者だとされていて、
プラトンに並ぶ哲学者はアリストテレスとカントだけだろうとされています。
西洋の哲学は実は人間の行動分析データブックの集まりなのです。
たとえば、相手に許してもらうためには「自尊心を満たすことを狙え」とか、
モテない男は「女の空腹を狙え」とかのデータがアメリカにはたくさんある。
仏教でいうと「叡智」に含まれてしまうのがアメリカの名門大学の哲学で、
仏教は非常に寛大かつ普遍性を持つことになると思います。
>>199 あなたは原因と結果というラベリング(認識)を先にして、それから原因と結果を独立した
存在のように扱ってるからこんがらがってくるのです。
>>201)で言っているように、「原因を認識しているとき」は、まだ結果が起こっていないので、
それは単なる事象で、原因とはいえません。
なのになんで「原因を認識しているとき」という言い方をするのでしょうか・・・?
まだ原因になっていないのに。
事象は本当は禅的に言えば 「即今」 しかないのでしょう。
変化を認識するから時間が生じて、因果関係が生まれる。
種は種であり、芽は芽です。
同じとはいえませんが、違うともいえません。
>>211 よくある問いだね
物理学は『物理法則は存在し、かつ探求可能なはずだ』という前提に立つけど、
『本当にそうか?』と問われれば誰も答えられないでしょ
それは前提なんだよ
仏教だろうとキリスト教だろうと、
宗教には色々な前提があるけど、反証不可能なものも多い
『イエスは本当に神の子か?』とか、『仏陀は本当に悟りを開いたのか?』とか
そういうものを前提にするから、宗教なんだよ
>>214 まぁまて、それは趣旨が違う。
物理法則がないと言っているわけでも、不変ではないと言っているわけでもない。
諸行無常に諸法無我を信条にしながら因果律を絶対のものと見る姿勢が「ダブスタになり仏教徒として間違ってる」んじゃないかいな?
ってことだ。
>>215 さっきも答えたけど、
仏教にはまずダルマという前提があると思う
それがないと三法印自体が無常になる
換言すると、三法印が自己矛盾しない以上、法は諸行ではないんだ
因果律や縁起も法則であって、諸行ではない
ダルマに属しているんだと思うよ
これでいいかな?
>>216 だから有部の立場をとるのは分かったって。
で、俺はそれを突き抜けが足りないなって首を傾げ続けるだけだって。
>>213 ハァ?(゚∀゚)
まさに、私はそう述べているのですが?
そして、(竜樹が「言語(習慣)に依らねば提示(説示)し得ない」と言ったように、そのように)、
>「原因を認識しているとき」という言い方をする しかないのです。
今の対話の流れでいけば、「原因」というラベルがベストなのです。
勿論、AでもBでも、オッペケペーでもラインハルトでも田中一郎でも構いません。
が、それでは脈絡が把握しづらいので、対話の流れの中にある「原因」というラベルが採用されるわけです。
それ(「原因」というラベルがその場面で採用されること、そのこと)もまた、縁起ではありませんか?
>>217 因果律はあくまでも仮設の足場だとか、そういう話がしたいのか?
言いたいことがなんなのか、正直言ってよくわからんね
>>219 世界を支動かす諸法則が、昨日と今日と明日で違う可能性を
「同一であることが前提だから」で何か説明を果たしたような姿勢は諸行無常を掲げる仏教徒としてどうなんだろうねと。
前提だからで終わりたいならそれでべつにいいけどさ。
>>220 それは説明ではなく、あくまでも前提なんだよ
有名な毒矢の喩えも同じ事を述べていると思うよ
>>222 あなたは数学の問題を解くとき、出てくる公式すべてを再検証してから使うのか?ってことだよ
検証が正しいことを検証すれば、キリもない
私なら公式と記憶が正しいことを前提に、問題をまず解くよ
>>223 はぁ、つまり、何処かの誰ぞが正しいと言ったから正しい。
他灯明ね。そうけそうけ。
>>218 「原因」と「結果」というラベルを説示に使うのはいいんですが、
「原因」と「現象」を別々にしているのが問題なんです。
たとえば、「風が吹いて」(原因) 「木が倒れる」(結果) という場合、
「風が吹く」を認識しているとき、「木が倒れる」 という認識は同時には出来ません。
それはおっしゃるとおり。
ところがこれは、「原因」と「現象」を別々に切り離してます。
どういうことかというと、「風が吹く」 だけでは、結果がどうなるかわかりません。
結果が分からないのに、それを 「原因」 と呼ぶことは出来ません。
「木が倒れる」 という「結果」をもってきて初めて 「風が吹いて」 を原因に出来ます。
だから 「風が吹いて」 を 「原因」 というとき、そこにはすでに、「木が倒れる」という結果が想定されています。
『「風が吹く」という「原因」を認識しているとき、「木が倒れる」という「結果」を同時に認識することは出来ない』 というのはおかしな話です。
>>224 2chに書き込んでいるつもりで、変なサイトに誘導されているかもしれないぞ?
検証してみたほうがいいんじゃないか?
>>226 ったく。
法体にかこつけて強固な因果律、決定論が前提とかやっちゃう仏教徒なんざもうしらねぇや。
過去に猫が入った箱から未来に出てくるもの? そもそも出てくるかどうか知らんがな。
228 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 07:06:12.14 ID:LT2huib7
ラベリングって仮設、プラジュニャプティ、パンニャッティのことだよね。
229 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 07:19:19.08 ID:u2/I1Rkh
>原因」「結果」 「現象」
分別(ことば・概念・思考・モノサシ)で
無分別(中道)を掴まえるのは不可能です。
230 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 07:46:12.30 ID:u2/I1Rkh
上記の論争は無門関 第二十九則「非風非幡」(ひふうひばん)を
想起させます。
非風非幡非心
慧能さんは心が動いているなどといいましたが、
実は動くもの(ことば)などなにもありません。
慧能さんが言いたかったのは、
心を動かすな→「内乱れざるをもって定となす」でしょう。
231 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 08:10:17.23 ID:u2/I1Rkh
>>216 >仏教にはまずダルマという前提があると思う
>それがないと三法印自体が無常になる
このような思考は言語論理に捉われた思考です。
ダルマも三法印もことば=筏でしかありません。
無常、無我、涅槃寂静、一切皆苦もことばでしかありません。
勝義も世俗もことばです。
仏法は仏法ではありません、ゆえに仏法と称しているのです。
232 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 08:56:19.62 ID:LT2huib7
>>231 それは正しいと思うけど、仮設された道、方便の側面も尊重すべきでしょう。
仮設された道、心を定める方便を認めず、心が定められる人はほんの一部でしょう。
違いますか?
233 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 09:47:16.90 ID:u2/I1Rkh
>>232 >仮設された道、方便の側面も尊重すべきでしょう。
同意。
しかし、上記論争は筏の縄切り、月を指す指に捉われていると感じました。
235 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 11:32:06.63 ID:u2/I1Rkh
>>231 216の書き込みは論理的な検証をやっているとわからなかったか?
数式がウランの代わりになるなんて誰も思わないよ(数式発電?)
もう少し常識で考えようや
237 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 11:52:52.08 ID:u2/I1Rkh
>>236 >もう少し常識で考えようや
はいっ!(爆笑
238 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 12:08:23.14 ID:LT2huib7
>>235 オイラなら、こういうけど。
勝義である戯論寂滅に煩悩が還滅されたのが涅槃・不生不滅の法性、
世俗である戯論はまさにただの適当な言い習わしで、
ウィトゲンシュタインの言語ゲームに近い
そして、勝義に至るためには適当な言い習わしを用いた教えという道を
歩まないといけないし、それぞれの言い習わしという仮設された因果は、
軽んじてはいけない。
239 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 13:50:24.36 ID:erJ+bW5H
お前らのこのくだらない議論の先に悟りがあるんだよな!?
>>239 あるわけないじゃんwww
2chの掲示板読むだけで悟れたら苦労ないわw
241 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 14:13:26.90 ID:LT2huib7
>>239 もちろんだ。オイラ的には、釈尊と龍樹菩薩の本質を結構ついてると思ってるよ。
少なくとも文献学者のほとんどよりは掴んでると確信してる。
>>240 そりゃそうだ。読むにしろ聞くにしろ。それだけじゃ悟れないは、普通は。
その後、納得するまで考えて、納得してから行しないとね。
これが聞思修だよ。
しかし、この部分、縁起・空性・仮設が分からないと
なかなか仏教は辛いと思う。
まあ、本物の師匠に就ければ、大丈夫だと思うけどね。
242 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 14:15:56.16 ID:erJ+bW5H
それじゃただの造地獄業で
ここへの書き込みは執着心の現れに過ぎないということで理解してよろしいかな?
243 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 14:22:49.95 ID:LT2huib7
>>242 アナタがそうとりたいなら、どうぞ。
オイラはそういう動機ではないつもりだけど。
244 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 14:27:15.97 ID:erJ+bW5H
すまん、ちょっと釣りたくなっただけだ
そのまま議論を続けてくれ給え
245 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 14:39:24.22 ID:wMljpseW
師匠なしに出来る仏教は称名念仏くらいだろうか。
観想念仏は師匠についたほうがよさそうね。
246 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 15:02:25.92 ID:296k4iHm
偉い人すら理趣経をエロパワーを転用とかいう解釈する真言系は
もうだめじゃないの。
247 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 17:51:29.13 ID:u2/I1Rkh
>>246 >もうだめじゃないの
もうもなにも、相対分別まみれで最初から「すべてが清浄」と分別肯定しまくる
理趣経の大日如来なんてハナからだめでしょ。
で、反中道の「すべてが清浄」観念の上に理趣経は組み立てられているのだから、
この観念が崩れると理趣経は崩壊する。
「佛性常清淨 明鏡本清淨」の慧能(敦煌本:実は神会の創作)も同じ。
248 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 18:31:09.38 ID:u2/I1Rkh
無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相←無分別空であること(中道)に、
たとえ「すべて」という語句をつけても清浄観念は分別であることに変わりがない。
殺人は是でも非でもない。
250 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 20:40:23.21 ID:54vsgQC9
十二支縁起説を網羅的に解説した本でおすすめの本ないですかね。
大乗系はカルト化しやすってどっかで見たな。
要するに個人の信仰や修行で満足せず、世界を救うんだとかの発想が下地にあるから、必然的に他者への干渉が正当化されるから。
実際、日本発のカルトって多くが大乗系が母体になっているって実例も引かれていた。
252 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 12:48:49.99 ID:ck2tu6yw
しるべし、薪は薪の法位に住してさきありのちあり、前後ありといへども前後際断せり」
253 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 12:55:01.92 ID:ck2tu6yw
生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。
たとへば、冬と春のごとし。
冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。
254 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 17:54:51.47 ID:ArIQVp7U
>>247 >一切法C淨句門(理趣経)
>佛性常清淨(慧能 敦煌本:神会)
『浄に依存しないでは不浄は存在しない。われわれは不浄に縁って浄があると説く。
故に、浄そのものは存在しない。』(龍樹 中論23-10)
『不浄に縁らないでは浄は存在しない。われわれは浄に縁って不浄があると説く。
故に、不浄そのものも存在しない。』(同上 23-11)
ゆえに、たとえ勝義からの還滅語(無分別の分別)だと強弁したとしても、
一切法C淨句門(理趣経)、佛性常清淨(慧能 敦煌本:神会)の表現はありえない。
作者が「一切」「常」をつい使って「浄そのもの」の存在を主張してしまったところが痛すぎる。
一切法も仏性も単なることばであって、清浄でも不浄でもないのである。
また道元はいう。
「この法は、人々の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし、」
257 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 20:33:43.93 ID:6JzZx7dD
>>235 実のある話と、実の無い話との違いもわからず、実の無い戯論に過ぎない言葉遊びに夢中になる愚かさよ。
仏教は駄目だな。詭弁と、ただの言葉遊びになっている。もちろんそこには
救いも無ければなんにも無い。結局なんにも無いのがアホ共の悟りだから仕方ないか(苦笑)
いつまでも実の無い戯論と戯れて、一生を棒に振ってください。仏教は本当に駄目だな。
>>257 なんか大きな勘違いをしているようだけど、
それは、「仏教が駄目」なのではなくて、「個々人が駄目」なんじゃないの?w
259 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 21:00:40.96 ID:WHg/WLdP
>>258 こういうこという人は単に自分が正しいと言ってるだけだから
260 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 21:12:13.54 ID:6JzZx7dD
>>259 正しいも糞も君らの話は糞の役にもたたないただの言葉遊びじゃん。
本当のこといってなにが悪い。
261 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 21:23:37.16 ID:WHg/WLdP
>>260 本当のことじゃなくて、君が思ってることだろ。
まあ、仏教のことは全く分かってないじゃないか。
違うっていうなら、役に立つ仏教をいってみてね。
ヌーエイジは勘弁してね。
五章と六章の間違いだった
264 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 22:41:00.09 ID:WHg/WLdP
265 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 23:15:11.94 ID:QYjY4kxc
日本の陰湿ないじめ社会は
この宗教の影響だろう
266 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/13(金) 23:25:49.78 ID:k4yHlNVt
>>254 『中論』のような勝義は“現実には殆ど役立たない”。
同じことが、ヒンドゥーのジュニャーナ及び不二一元論にも言えること。
このことが分らない勝義に“酔った”知ったかばかり・・・。
真の賢者たるもの、
勝義の意味を知りつつ実践ではこれを摂らず。
267 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 23:44:54.16 ID:ArIQVp7U
>>255 >清浄は聖者の境地と見るべきだね。
>維摩経「仏国品」:「その心 浄きにしたがって、仏土 浄し」
「これ盲者の過(とが)にして、日月の過(とが)にあらず 」
「舍利弗、我がこの土(ど)は浄けれど、汝は見ず」(維摩経「仏国品」の釈尊とかいう人)
⇒廓然無聖 廓然無浄
維摩のおっさんは安酒で酔っ払って二日酔いで妄想・フィクションを語ったのだろう。
焼きがまわったなw もう隠居しとれって!
>原始仏典では段階を得た後の最終の境地とみるものもある。
>【清浄であり最高にして無上な空性】
「小空経」『マッジマ・ニカーヤ』第121経の作者って、馬鹿だろう(爆笑
淨⇔穢という二項相対価値観にまだ捉われっぱなしではないか!
空なることに、「清浄」「最高」「無上」などの比較相対属性があるのか?
形容などできようがないではないか!!
頭の悪い執着囚われ坊主の、レトリック形容詞による
シロートあいてのこけおどしだよw
!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!
268 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 00:48:13.52 ID:1wdCRQah
>>266 >『中論』のような勝義は“現実には殆ど役立たない”
・「現実」を定義せよ。
・坐水月道場(色即是空)
修空華万行(空即是色)
どこがどう「現実」とやらに役立たないのか御教授願いましょうか。
269 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/14(土) 01:40:57.56 ID:Rz6jrqeI
>>268 『中論』を知って、
これで最高の真理に到達できたかのように陶酔している内は、
まず決して分らないでしょう。
「“現実”とは何れのことか?」という問いはとてもいい。
その現実とは、たとえどんなに中論を読もうが・・・
また明日には会社の出勤なりの生活へと身体を維持活動しなければならない状況のこと。
これでも分らなければ会話しても無理。
270 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 02:58:48.57 ID:E2HGRnLd
>>261 君らは実の無い、ただの言葉遊びに耽っているだけだってのは、本当の話だろ。
日頃屁理屈ばかり考えてると、そんなこともわからないんだね。
>>267 >空なることに、「清浄」「最高」「無上」などの比較相対属性があるのか?
などと言っているあんた自身がある。
担板漢。
272 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 06:21:51.86 ID:ouJtHYc4
>>270 なんだヒステリックに吠えるだけか
なんで自分の理解力がないとは思わないのか不思議だ
中論や理趣経腐してる連中も、
273 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 07:07:56.06 ID:1wdCRQah
>>269 >これで最高の真理に到達できたかのように陶酔
こんな寝言をいっているようじゃあ、アウトやな。
(1)→『空なることに、「清浄」「最高」「無上」などの比較相対属性があるのか?
形容などできようがないではないか!!』(
>>267)
(2)不生不滅の中道(時空際断)において、定まった教義や自らの主張をたてることはありえないし不可能だ。
・『わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない』(龍樹「異論の排斥」より)
・『如来によって説かれた法というものはなにもありません』(スプーティ「金剛般若経」13-b)
・『マーガンディアよ。「わたくしはこのことを説く」、ということがわたくしにはない』(スッタニパータ837)
・『ブッダはいかなる教え(法)も、どこにおいても、誰のためにも、説かなかった』(中論25-24)し、 また説き得ないのである。
>その現実とは、たとえどんなに中論を読もうが・・・
そりゃそーだw
中論には、現象界⇔超越界に分けて「現実」とは現象界のことだなんてパンクな軽薄妄想戯論は書いてない。
そーゆー妄想戯論を排斥して曰く、
『世間(生死の世界)には、ニルヴァーナといかなる区別も存在しない。
ニルヴァーナには世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない』(25-19・20)
274 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 07:10:41.09 ID:1wdCRQah
*
>>271 >担板漢
私の板は無色透明のガラス板ですが、あんたのはベニヤ板のようですなw
>>273 >(2)不生不滅の中道(時空際断)において、定まった教義や自らの主張をたてることはありえないし不可能だ
という主張があるんですな。
276 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 07:23:31.99 ID:1wdCRQah
>>275 >という主張があるんですな。
無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相←無分別空であること(中道)に、
主張(分別観念)はありえない。(→
>>248)
278 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 07:36:38.73 ID:1wdCRQah
>>277 >分別観念ですか?
ちゃいまっせ。
二項相対ちゃいますから、
否定、批判、沈黙、奇声、比喩、無関係語・・・
使って示唆(隔靴掻痒)せざるをえないのでふ。
典型は般若心経
280 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 07:50:28.01 ID:1wdCRQah
念のため、
否定、批判→無・非・不・ちゃいまっせ・〜ない・アウトなど・・
281 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 07:54:23.31 ID:1wdCRQah
>>279 >般若心経を担いでお帰りください。
わらじを頭に乗せて、逢引へ
282 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 08:23:11.83 ID:ouJtHYc4
>>275 >>277 >という主張があるんですな。
〜である。〜でない。といった主張・分別・観念は全くないよ。
戯論寂滅の境地に導き入れる道として、戯論である言葉・分別・観念を用いるわけ。
283 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 08:42:18.10 ID:ouJtHYc4
>戯論寂滅の境地に導き入れる道として、戯論である言葉・分別・観念を用いるわけ。
戯論である言葉・分別・観念を用いるといっても、単に凡人が平凡な散乱した意識で、論理的にxでなく、非xでなく、xかつ非xでなく、非{xかつ非x}でない、と納得するのではないよ。
その前提として止、三昧という精神集中状態にあることが暗黙の了解になってる。
そして止、三昧という精神集中状態は、外道にもあり、それだけでは悟れないことが、仏伝の外道ニ師の話や『梵網経』に明らか。
だからこそ、この縁起・般若・観こそが仏教の核心であり、『中論』は、その縁起・般若・観を釈尊が説くままに、無駄をそぎ落とし、明解な論理で差し出したから尊重されるんだよ。
ここが分からず外道的に止、三昧という精神集中状態への道と、仏教を考えてるヤツが、『中論』を言葉遊びと考えるんじゃないか?
そりゃ単なる無理解なだけなんだが、言っても「言葉遊びオツ」ぐらいの反応しかないだろうなあ
284 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 08:47:07.73 ID:E2HGRnLd
>>272 心配しないでも実の無い話だとも気付かない君らより理解力はあるよ。
中論など現象世界の理を語っているだけで、知ったところで、だから何?で終わる話だ。
それも(中論)ただの言葉遊びだし。現象世界の理を知りたいだけなら別に宗教である必要はないわけだし、
そんなものはサイエンスにまかせればいいわけ。言ってる意味わかる?君は理解力あるんだろ?(苦笑)
285 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 08:55:17.89 ID:E2HGRnLd
>>265 少なくとも日本人の詭弁家ぶりは、この宗教が影響してるんじゃない。
原発村の御用学者や官僚共の詭弁は超一流だろ。まるでこいつらをみるようだ。
ちなみに禅坊主の詭弁家ぶりも大したもんだぞ。まともな会話が成立しない(苦笑)
286 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 08:56:03.69 ID:ouJtHYc4
>>284 ぜんぜん、理解力ないじゃないか
全く
>>283 で書いた理解。
分かってないなあ。
要するに中論を現象がどうなってるかを記した縁起だと考えてるんだろ。
で、そうじゃなく実在に入るにはヨーガだとか。
実在の記号や、説き方は色々あるが、それら全ては戯論妄想だというのが『梵網経』以来の仏教の伝統なんだよ。
だから、そういう陳腐な現象と実在という、二現相対的な理解じゃどうしようもないんだよ。
もしかして、名無しカラスか? だったら、コテ入れてくれ、スル〜するから。
>>285 >まともな会話が成立しない(苦笑)
お互いにそう思ってるんだろうな
288 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:07:20.10 ID:3plQTFG1
>もしかして、名無しカラスか?
wwwww 誰が見ても、カラスww
スルー推奨www
289 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:11:16.55 ID:E2HGRnLd
>>286 ハイハイ。言葉遊び乙。
で、それを知ったところで何になんの?え?知るとか知らないと言ってる時点で
おまえは理解力が無い。中道だ!!てか(爆笑)
一生やってろや。
290 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:20:34.85 ID:ouJtHYc4
>>288 だよね〜、
カラス、2ちゃんだから、書くなとはいわん。
せめて、コテつけてくれ、新人さんである可能性を考えてレスしてしまうじゃないか
>>289 まあ、机の悪影響もあるんだろうが、自分が分かってないと考えた方がいいぞ。
なぜなら、『中論』は仏教・外道問わず、圧倒的に尊重されてるんだよ。
もっとも仏教内でも外道でも文献学者でも君みたいな、理解力がないのを棚に上げて、『中論』を腐してるヤツも結構いるのは認めるけど、そいつらは単に無能なだけだ。
291 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:27:57.63 ID:Gs03vsG+
得意げに戯論寂滅を語る御仁が、実のない戯論に夢中になる愚かさよ。
292 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:29:20.50 ID:ouJtHYc4
>>291 オイラはエロオヤヂだから、そりゃ仕方ない。
293 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:46:46.02 ID:1wdCRQah
>理解力がないのを棚に上げて、『中論』を腐してるヤツ
このスレではカラス(
>>289)と宝珠(
>>266>>269)のようなパンク外道が典型。
やはり類友だなあw
ウマがあってる。
295 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/14(土) 17:00:22.93 ID:Rz6jrqeI
>>291 はて?私と同意見の『中論』不支持派?
>>293 カラスさんほどのレベルともなれば、
この私の言わんとすることなどはすべて分ってると思いますよ。
296 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/14(土) 17:01:50.06 ID:Rz6jrqeI
>>292 ズバリ、一代にお尋ねします。
では実際上、大乗信仰-修行の生活においては、
この『中論』がどのように生かされ使用されているのですか?
これを教えて下さい。
また、法門内における伝統系譜の中で、
このわたしのように、『中論』は役立たずである(寧ろ、弊害が生じることの方が圧倒的だ)
といった論争が起こったことはないのですか?
297 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/14(土) 17:28:39.74 ID:Rz6jrqeI
>>294 麻原はたけしさんを、
前世ではすでに神々か「不還」(天上界に生まれてこの世には還らないレベル境地)
にあると大いに持ち上げているなぁ・・・。
しかし、これほど弁が立つのにザンネンだねぇ
ほとんどの人が字も読めない時代に書かれたのに
あんたはなんだとかなんだとか・・・・・・・・
299 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 18:17:37.05 ID:i+/v06jX
300 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 19:20:06.13 ID:1wdCRQah
仏法の本懐って
『照見五蘊皆空 度一切苦厄』(般若心経:スッタニパータ1119)がポイントであって、
一切が「空」であることの内容を間接的かつ批判的に示唆解明(隔靴掻痒)(せざるをえない)したのだから、
めちゃめちゃ役たち、重要であることは明々白々。
なに寝言いうてんねんw
今で言うと「ネットのうそにだまされないこと」
般 羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 摩
若 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 訶
心 羯 即 除 大 耨 竟 ,r'""´`゙゙''、, 識 舌 不 利 色 空 在 般
経 諦 説 一 神 多 涅 / l, 界 身 減 子 即 度 菩 若
呪 切 呪 羅 槃 rヽ .,‐- ,- |. 無 意 是 是 是 一 薩 波
波 曰 苦 是 三 三 ヾ `゙" ,l ゙´| 無 無 故 諸 空 切 行 羅
羅 真 大 藐 世 . _> -=='./ 明 色 空 法 空 苦 深 蜜
羯 実 明 三 _/|, `゙ヽー--ノヽ、,_. 聲 中 空 即 厄 般 多
提 不 呪 rー'""l, 'l, / .| ||/`>、、 無 相 是 舎 若 心
虚 是 / | 'l, / .|./》/ ∧ 色 不 色 利 波 経
波 故 無 / , | ヽ ヽ,、/.@ / 《l,l / ヽ 無 生 受 子 羅
羅 説 上 / 、,ヽ|/ ヾ。ツ`' 「ゞ / /《ヾ /゙ヽ 不 想 色 蜜
僧 般 ./ ///l`゙'゙ー-'" / // ノ// //`l、 滅 行 不 多
羯 若 ,|. /// | |___,,,ノ≡≡ツノ//_,,-‐'"".l, 不 識 異 時
諦 波 | /// /| /二=‐'"´´/ /`゙゙'ー-、,_.l 垢 亦 空 照
羅 |/// / | /|三="´ / //"´´゙'ー、| 不 復 空 見
五蘊つーのは、仮設された自我、
つまり自分無くなってはじめて般若があるわけ。
つまり、自分あったまま対象としてものを追っても般若とは言えん。
分からないものは仮設仮定とするしかないが、分からないときは断定しないこと
さらに定義できたとしても例外があったりするので西洋哲学の日本語訳ようになってしまうことがある
305 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 20:06:19.26 ID:ouJtHYc4
>>296 >では実際上、大乗信仰-修行の生活においては、
>この『中論』がどのように生かされ使用されているのですか?
観ですよ。ヴィパシャナー、ヴィパサナー。
なんども言うように『梵網経』で外道の三昧どまり、つまり、アートマンなどという記号で呼ばれる実在への執着という戯論を寂滅に導く行法として。
これはインド・チベットでは当然ですが、シナ・日本でも三論、天台、華厳、真言はそう解釈しています。
三論、天台、華厳は、観法として用いますよ。
>また、法門内における伝統系譜の中で、
>このわたしのように、『中論』は役立たずである(寧ろ、弊害が生じることの方が圧倒的だ)
>といった論争が起こったことはないのですか?
例えば、テーラワーダの『清浄道論』の注釈者、ダンマパーラはそういう解釈をとっています。
ただし、私が観る限り『清浄道論』の著者、ブッダゴーサは否定してないどころか、同じ不生、不転移を支持しています。これは寧ろ当然です。
ですが、大乗の伝統で『中論』というか、龍樹菩薩を否定した人は知りません。
もしかすると居るかもしれませんが、そういう人はダンマパーラ同様、理解力に問題があるとしか思えません。
すみません、また質問しに来ました!
吉蔵、および三論の竜樹理解はどれ程合っていますか?or合っていませんか?
もう1つ!般若心経のむーげんにーびーぜつしんにー無色色声香味触法
の部分って、仏教的に正しいことなんですか?
ただしくは、色声香味触法が無いのではなく、色声香味触法に惑わされない、
色声香味触法に対して新たな業を作らない、という方が正しいような気がするのですが。
307 :
に:2012/07/14(土) 20:27:58.12 ID:ShgHwbLW
曹洞宗の研究家によれば、
吉蔵、および三論は老荘思想に影響されているらしい。
般若心経の、その内容は、既存宗派によって全く異なる。
業をつくらない、は唯識的かもね。
308 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 20:36:08.58 ID:ShgHwbLW
正法眼蔵で、「セン二外道」てあるが、それを意味するらしい。
なるほど、常見的である、というわけですな。
310 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 20:45:30.19 ID:ouJtHYc4
>>306 >吉蔵、および三論の竜樹理解はどれ程合っていますか?or合っていませんか?
私の理解ではほぼピッタリ正確です。ただ、華厳宗の法蔵菩薩の方が、型を理解した上でそこからも抜けているので、より理解が深いと思います。
>もう1つ!般若心経のむーげんにーびーぜつしんにー無色色声香味触法
>の部分って、仏教的に正しいことなんですか?
>ただしくは、色声香味触法が無いのではなく、色声香味触法に惑わされない、
>色声香味触法に対して新たな業を作らない、という方が正しいような気がするのですが。
全く正しいと思います。この場合の『般若経』の無というのは、na だし、
文脈的に「〜がない」というより、「〜でない」という意味で、
仮設された一切諸法が、xと仮説されるけど、それは勝義としてはxではないという意味です。これが空です。
これは中論の八不と同じで、単なる論理的な否定ではなく、縁起・般若・観なのです。
ですから、般若・経ですし、最初に「深い般若ハラミツを行じている時、五蘊が皆空であることを照らし見て、一切の苦から開放された」とあるわけです。
ここでは五蘊で、ですから色から始まって諸法が無い、つまり空だと説かれるわけです。
全く正しいとしか私には思えません。
尚、無いのではないという考え方は、ゲルク派で説かれますが、それは上のような常識を超えた教えが理解できない人のための方便だと考えます。
311 :
に:2012/07/14(土) 20:52:52.20 ID:ShgHwbLW
なるほど、このスレに居ついたのは華厳好きなのね。
吉蔵を語るんだが、
吉蔵は空をさらに空ずるとかいうんじゃねえの?
312 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 20:56:48.98 ID:ouJtHYc4
>>311 空を空ずるは、インドでもいうよ。
空性空性という十六空の一つ。
これはなぜ、そういうかというと、空・空性というのはxである、xでないという掴み、戯論、認識、分別を寂滅に導く道としての戯論なんだけど、
その道の戯論を「ははん、空なのね」分かった、分かったと「空である」という完全な戯論として掴んでしまうのを導く道として説かれるのです。
>>307 そうなんですか、中華思想のレンズを通した解釈は免れないのでしょうか
>>310 うお〜、いつもありがとうございます^o^
ちょっとそこから派生する質問なのですが、勝義としてxではないことを見極めた者が、
再びxを仮設するという形で世界を再構成することで、説法や食事ができる、ということですか?
また、「色即是空、空即是色」はそのように空観を得る、そして空観から仮説に帰ってくる、
というような解釈もできますか?
314 :
に:2012/07/14(土) 21:07:11.54 ID:ShgHwbLW
313氏の、「色即是空、空即是色」か、
立川武蔵氏の解釈て、そんなのだったような・・
既存宗派だと、結構複雑だと、
解釈は多々あるが、既存宗派の多くは同時性に空観と仮説。
315 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 21:09:14.81 ID:ouJtHYc4
>>313 そういう面もありますが、本来空なんです。本不生とも言われます。
ところが、無明・煩悩によって、業を作り、いろんなものが仮設して縁起する。
仮設というのは、諸業・諸行という潜在力が、諸縁・言い習わしによってラベリングされる、記号づけられ、表象されるというような意味です。
その諸表象は本来空なんですが、それを実体視して執着し、煩悩によって業を作るという終わりなき苦るしみの円環運動が輪廻です。
それを抜け出すために本来のあり方に戻るために、空性や般若・縁起という道を用いるわけです。
もっともその道を用いるためには戒律を守り、三昧によって精神集中できる状態にないと機能せず、単なる妄想戯論、思弁哲学になってしまいます。
316 :
に:2012/07/14(土) 21:16:35.80 ID:ShgHwbLW
このスレにしちゃあ、315のスタンスはともかく、
真面目に勉強しているな、という感じだ。
>>314 ああ、最近、立川さんの本を読んでいたから無意識に思い出したのかもしれませんw
確か、空にいたって縁起の世界に戻ってくる、みたいな図式を描いた部分にありましたっけ
>>315 もやもや〜っと理解できた・・・と思います。
輪廻という言葉を見てもう1つ疑問を思い出しました。
石飛氏が「輪廻の主体が無いと輪廻が成り立たないとする説は誤り」としていたと思いますが、
どのように輪廻の主体を説かずに輪廻を説くことができるのかが理解できませんでした
また、輪廻は形而上学的なものではなく、知覚できる一切諸法の1つと自身のHPで位置づけていたと
記憶しますが、このことも今ひとつ、つかめませんでした。
これらのことについても、教えていただけるとありがたいです><
清浄道論は1000ページぐらいあるんだね。プリントアウトするか迷う。
319 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 21:52:47.95 ID:ouJtHYc4
>>317 >石飛氏が「輪廻の主体が無いと輪廻が成り立たないとする説は誤り」としていたと思いますが、
>どのように輪廻の主体を説かずに輪廻を説くことができるのかが理解できませんでした
それは無我なら、主体がないから輪廻がないという和辻の詭弁ですよね。
例えば、こう考えてください。無我なら、主体がないから、現在の私も成り立たない。でも、成り立ってますよね。それは無明によって有我、自分が有る、実体が有ると思っているからです。
輪廻も同じです。無明によって有我、自分が有る、実体が有ると思っているから、輪廻する。その場合、意識、魂、自相続などと呼ばれるものが、輪廻します。
ですが、それらは仮設であり、無我であり、空性です。現在の自分や諸法と同じです。
>また、輪廻は形而上学的なものではなく、知覚できる一切諸法の1つと自身のHPで位置づけていたと
知覚できるというのは、聖者あるいは死後と思われます。
以上は、石飛先生の説を離れて私の理解ですから、あるいは石飛先生の説と異なるかもしれませんが、大差ないと思います。
320 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 22:14:37.58 ID:WOkyv5Gc
サンスクリット語、パーリ語で「形而上学」に対応する語って何だろう。
「戯論」じゃないよね。形而上学をディスる時の形容の一つではあっても
形而上学そのものとイコールな単語ではない。
321 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 22:20:53.24 ID:ouJtHYc4
>>320 本質、実体という意味のアートマン、アッタンか、ブラフマンあたりかな。
もっとも、アルケーかイデアなんかに対応すると思うけど。
ダルシャナ、スターナ、スティティあたりのがいいかも。
>>319 はい、和辻の詭弁のことです。
なるほど、えーと、ということは、無明によって我が生み出され、その無明によって
生み出された我が輪廻する、逆に、無明を滅すれば我もない、我が無ければ輪廻しない、
という感じですかね。あれ、これはまさに十二因縁・・・うーん、いろいろ繋がってきました
>知覚できるというのは、聖者あるいは死後と思われます
あ〜…そうか確かに、輪廻はあるとすれば、それは知覚する類のものですもんね
ところで、例えば私は聖者でも死者でもないので、輪廻を知覚したことはありません。
そのような人(極端に言えば輪廻を知らない人)に対しても、「無明→有我→輪廻」ということを釈尊や竜樹は説くのでしょうか。
説くのだとすれば、「なぜ死者ではないのに、輪廻すると分かるのですか?」という疑問に
どう答えればいいのでしょうか。
>>322 過去世の記憶が瞑想中に現れることがあると小池さんが本でちょっと書いてたな。
ただあんまり大っぴらに語るのは避けるべき部類の話みたい。
324 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/14(土) 23:57:25.49 ID:Rz6jrqeI
>>305 解答ありがとうございます。
なるほど・・
観法としての使用ならば意味あるでしょうね。
これについては了解しました。
追質問として、
この『中論』を用いた観法は、
実際、何と呼ばれているのですか?
>なんども言うように『梵網経』で外道の三昧どまり、
>つまり、アートマンなどという記号で呼ばれる実在への執着という戯論を寂滅に導く行法として。
確かに、サマーディの境地において、
自己の魂(輪廻の主体)との一体化を以ってすべてが完成したものと勘違いを起し、
その悦へと浸ってしまった多くのバラモンたちの間違いについて、
ゴータマが指摘されたものであったろうことを、この私も認めます。
究極の完成は、この自己(魂)の破壊と死の更に先にあります。
この最大の恐怖に打ち勝つものが勝者である、と。
325 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 00:05:18.84 ID:FJss6X9V
>>319 では実際上、『中論』を読むことによって、
このスレにも登場してくるような輩に見られる誤解を起こす弊害については如何お考えですか?
殆どが、仏教思想の輪廻の否定に使われると思われますが・・・。
最悪の場合には机氏のような
「もうすでにすべて悟っているのですよぉ〜」
みたいなアホ禅境地が説かれる始末です。
326 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 00:14:04.52 ID:Phfb99m1
>では実際上、『中論』を読むことによって、
>このスレにも登場してくるような輩に見られる誤解を起こす弊害については如何お考えですか?
「そこまで面倒みきれない」が正直な感想では。
彼のwikiでまとめてるし、たびたび提示もしているので、
話を聞く気もない相手にはもう処置なし。
327 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 00:38:25.75 ID:FJss6X9V
328 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 01:03:17.43 ID:sLIU0/Eu
悟ればすべては幻ということがわかる
悟れば肉体など分子、原子の集合体に過ぎないと直感でわかる
一般大衆は意識が粗いからそういうミクロの世界の直感が働かない
329 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 01:42:00.96 ID:FJss6X9V
多くの場合には、
『中論』を読んでも弊害にしかならないから、
一定レベルに達しない者には読めないようになっていれば良かったものと思います。
大王のような勘違い者がでないように・・・ね。
こうなってしまうと、そこから抜け出ることはまず無理でしょう。
私は仏典さえあれば、特に『中論』は無用だと思いますね。
>>328 直感ねぇ・・・。
直感的にどれが正しいかは読めても、
それを体験体得するのは殆ど困難です。
究極的な境地です。
330 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 01:56:10.85 ID:8dwVyQeZ
>>325 >仏教思想の輪廻の否定に使われると思われますが・・・。
もう、相変わらずウンザリするほどの馬鹿だな。
批判はしても、否定などしてないの。
>>319の説明を使えば、
A<有我、自分が有る、実体が有ると“思う”> ⇔ B<輪廻(転生)する>
AとBとは全く別問題だ。
B(過去・現在・未来世での生まれ代わり)が明白に証明されたことはない。
では、AとBを直結させることができる根拠は?
→後代のスコラ部派経典に『書いてある』というだけ。
およそ、知り得ないことについて知っているかのように語られるあらゆることは物語である。
業報輪廻転生も嘘でも本当でもない。文字通り物語でしかないのである。
勧善懲悪物語をホントウだと主張する精神はあまりにも馬鹿げている。
また無明であることは善でも悪でもない。
お仲間うちのオハナシだけにしときなさいよ。
331 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 04:49:18.99 ID:zr6en+9j
>>322 >そのような人(極端に言えば輪廻を知らない人)に対しても、「無明→有我→輪廻」ということを釈尊や竜樹は説くのでしょうか。
>説くのだとすれば、「なぜ死者ではないのに、輪廻すると分かるのですか?」という疑問に
輪廻にいるという、状況を確信し、その上で苦諦を修習しないと、
一切皆苦なら死んだら終わりになるなど、いろいろ道を説く場合に破綻するからだと思います。
輪廻というのは、現状確認だと思ってます。
332 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 04:53:26.76 ID:zr6en+9j
>>324 >この『中論』を用いた観法は、
>実際、何と呼ばれているのですか?
縁起観、もしくは空観というのが一般的だと思います。
>究極の完成は、この自己(魂)の破壊と死の更に先にあります。
>この最大の恐怖に打ち勝つものが勝者である、と。
そこでアートマンと掴んじゃ、解脱しないというのが仏教の一貫した立場で、
外道は、アートマンなどが無いのは虚無論であるという立場だと思います。
後者については、大した知識はないので、あるいは違っている可能性も考えられます。
しかし、仏教から見た外道は、一貫してそう見られています。
333 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 04:58:42.07 ID:zr6en+9j
>>325 >このスレにも登場してくるような輩に見られる誤解を起こす弊害については如何お考えですか?
>殆どが、仏教思想の輪廻の否定に使われると思われますが・・・。
そういう誤解は、どうしようもないでしょう。
>最悪の場合には机氏のような
>「もうすでにすべて悟っているのですよぉ〜」
>みたいなアホ禅境地が説かれる始末です。
机の場合は、言葉はそれほど違わないんですが、単なる現状肯定論なので、どうしようもないでしょう。
一応、違うと指摘し、それでも認めないなら放っとくしかないでしょう。
>>326-327 でしょ。
>>329 実際、『入中論』などでは空性はだれにでも説くべきではないと説かれますよ。
でも、今更無理でしょう。
334 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 05:12:01.29 ID:FJss6X9V
>>332-333 一代、返答に感謝です。
「空観」ね!そっか、なるほどぉ。
>実際、『入中論』などでは空性はだれにでも説くべきではないと説かれますよ。
ほぉー、よく分りました。
335 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 06:42:43.19 ID:sLIU0/Eu
悟ったら原子、分子、ヒッグス粒子、そのレベルまで実験器具なしで観察できるからね
豪邸、フェラーリ、美人、おっぱい、マンコ、すべて原子の固まりに過ぎない
超ミクロまで観察できるとそんなもんに執着するのがアホらしくなるw
過去世、輪廻転生もしょせん原子の集合体だからそんなもんに興味もわかないw
336 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 07:51:57.04 ID:8dwVyQeZ
ブッダの中心思想は、中道⇒四聖諦です。
輪廻の賛否のどちらも、 認識の届かないことについての妄念(戯論)ですから、
放っておく(無記)→物語・フィクションとするのが賢明な態度です。
>知覚できるというのは、聖者あるいは死後と思われます(
>>319)
こんなのも推測・妄想物語の一部です。スコラ経典に書いてあるだけが根拠です。
輪廻については説かないということこそが、ブッダの思想に相応しいことです。
世俗の不条理を業報輪廻でなんとか合理化したいモラリズム動機は判らないではありませんが、
世俗にもたらしている『害』のほうがはるかに大きいことは厳然とした歴史的事実です。
もはや業報輪廻転生論からは離れるべきです。
説くべきでないのは、中論よりも密教まがいのオカルト修行のほうだろ。
特殊な体験をもって何か前進したと勘違いしてオウムのような増上慢を生み出し、
クンダリーニによって心身を破壊される素人のことを思え。
338 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 09:36:34.51 ID:8dwVyQeZ
>>329 >私は仏典さえあれば、特に『中論』は無用だと思いますね。
punk外道にとっては、同じオカルト溶暗信仰宗教体質の
マハーカッサパ教スコラ部派経典がご都合主義的引用がし易いだろうなw
中論は無用ではなく、不都合だとはっきり言えよ。
たとえば、
<溶暗宗教性punk外道の主張>
『生存するものは無明に覆われ、渇愛に束縛されている。
彼は業の報いを受けるものである。
また彼は、業の主体(業を作る人)と異なっているのでもないし、
またそれと同一人なのでもない』(中論17-28)
<龍樹の反駁偈>
『この業は、縁から生起したものではないし、
また縁から生起したのではないもの(非縁より生起しているもの)でもない。
それゆえ行為主体(業を作る者)もまた存在しない』(同17-29)
『もしも業が存在せず行為主体もまた存在しないのであれば、
業から生ずる報いは、どうして存在するであろうか。
また、報いが存在しないのならば、業の報いを受けるものがどうして存在するであろうか』(同17-30)
339 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 10:25:44.12 ID:nbSrw83x
なんでマハーカッサパを陰謀論の主体に用いたんすか?
340 :
に:2012/07/15(日) 14:14:07.02 ID:TiQqOAjP
宝珠@神智学徒と机が同じ穴のムジナに見えるのは私だけでしょうか?
341 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/15(日) 16:30:23.05 ID:FJss6X9V
>>338 だから、
これは視点が違う場合の話にしか過ぎません。
それが勝義なんですよ。
これと殆ど同じ教えなんでのは、ちゃんとヒンドゥーにもあるから。
輪廻も最初からないし、行為主体も存在していないと説かれていますよ。
はい、あなたが馬鹿にする外道パラモンヒンドゥーと同じですねぇ!
分らないねぇ・・・あなたは。
今、Nスペで、体操の内村選手の特集やってたけど、
一つ、興味深い考察(実験)があった。
演技をイメージする際の脳のMRI撮影。
通常は、第3者的なイメージ操作らしい。つまり【その様子を観察する形でのイメージ】といったところだろうか。
しかし内村は、その時、脳の《高次運動野》という所が活性化しているらしい。
普通は、実際に筋肉を動かしている時にしか活性化しない部位とのこと。
それは【自分が演技している形でのイメージ】と言えるという。
見ながら頭をよぎったのは、
「トンレン」という言葉と、「わが事として観る」ということと、「腹の底からの頷き」ということと、
「慈悲心」ということ。或いは「冷暖自知」か・・。
内村選手が「他者の演技を自身の演技として」イメージし得るが如くその如く、
仏者もまた、「他者の苦悩や何がしかを、様々を、自身の何がしかとして」イメージすべきなのかもしれない。
(そしてその助け(―というか手段そのものか―)が三昧なのだろう。)
■<ヨガスタジオ>霊感商法と女性2人が損害賠償求め提訴へ
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/spiritual_sales/?1342399326 「拒否すると悪霊がとりつく」などと精神的に支配され多額の出費を強要されたとして、
岡山市と広島市の女性2人が近く、ヨガスタジオ「イルチブレインヨガ」を経営する
「ダンワールドJAPAN」(本社・名古屋市)と幹部らを相手取り、約5600万円の
損害賠償を求める訴訟を岡山地裁に起こす。
全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、全国で同社をめぐる被害相談が相次いでおり、
同連絡会の河田英正弁護士(岡山弁護士会)は「恐怖を植え付け大金を支出させる。
ヨガ修練に名を借りた霊感商法だ」と訴えている。(毎日新聞)
344 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 10:50:52.25 ID:Y3prmiqS
煩悩がなくなっていくと、「気力」がなくなり、
死んだ目の人間になってしまうのでしょうか?
私は、怠けの煩悩が減退すれば、欲や怒りによって「気力」(モチベーション)を上げなくても、
サクサクっと、集中力も切らさず活発に行動できるので、
煩悩がなくなっていってもいわゆる「無気力」にはならないと思うのですが。
>>344 煩悩というか、欲望をなくすと無気力になるよ
苦を避けようとする原始的な本能は残るから、却ってコントロールし辛くなったりする
>>344 彼が言っているのは、
(たとえば「アメリカンドリーム」のような、或いは、情熱に溢れた「サクセスストーリーの追及、邁進」
といった性格を持つ気力でしょう。
散々、そうした「(大きく力の入った)モチベーション」ではなく、淡々と、且つ何の抵抗や忌避もなく、
必要な時に必要なことを粛々と遂行してゆく心の在り方
(それは、「よし、やらなきゃ!」「頑張らなきゃ!」という義務的或いは脅迫的な後押しの力を要しないものですが)
を言っているのに、そうした“淡白なやる気”を気力と定義していないようですから。
”「今この場面で、(必要な)何がしかを為さねばならない」という淡白な意志”を
「気力」と定義するかどうかというスタンスの問題になるんでしょうかね・・。
その意味で行けば、仏教は『無気力推奨』ではなく、
常に充実し、枯れること無き“気力”の維持を目指すもの、とも言えるわけで。
だから「凪」なんだけどね・・。
波乗りサーフィンはできないけれども、水浴びから泳ぎまで色々できることはたくさんあるw
波に翻弄され、呑まれるリスクを減らす、避ける、ってことなんだけどね・・・。
で、世俗的気力、やる気、情熱、意気込みってのは、
リスクを覚悟して敢えて大きく勢いよく歩むってことだから。
彼には理解不能な次元だとは思うけど・・・。
煩悩と欲望は区別しないといかんね
三学や四弘誓願、八正道なんかも欲望ではあるんだが、
煩悩(無明)に基づく欲望と区別出来ないと、混乱することになる
で、ああいう人達って、
誘導しても、こっち(議論専用スレとか)には来ないんだよね・・w
350 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 15:10:59.38 ID:6MbQ+Tba
>>349 その方は、前にいたキリスト教を顕彰したい人なんじゃないか?
351 :
絶対神:2012/07/16(月) 17:03:07.80 ID:9EUMUgEU
『占いは当たるか?』
「この間、宝なんちゃらが実証したように」
『当たらない』(大笑)
去年の大地震を予言した人物も
「ひとりもいなかった」
『できたのは、「私」だけである』
地震や天災は、人間と違って誘導して喋らせる事が出来ないから
「純粋に超能力で当てるしかない」
占いでは「当てようがない」
352 :
絶対神:2012/07/16(月) 17:06:15.79 ID:9EUMUgEU
「未来を知ると言う事に関しては」
『科学は「無能」である』
「地震予知のあてにならなさは、かなり厳しく指摘され、まったく無意味である
というレベルにまで叩かれていて、地震学者も認めていた」(あれほど大きな地震を
予測できなかった時点でどーしようもない)
『経済学者の言う事など、「はずれまくり」であり』
天気予報も「しばしば外れる」
「未来予言についてあてになるのは」
『証明してやったように「神様」だけ』w
353 :
絶対神:2012/07/16(月) 17:11:35.49 ID:9EUMUgEU
『お前たちは、もう「知った」』
『この世には、「本当に未来を知る事ができる」』
「「神」がいる」
『本当にいるんだな、これが』(大笑)
宗教が古くから恐怖を人に植え付けたりしなかったら、皆、寿命がきたらもっと安らかに死ねたかも・・
355 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 18:50:28.95 ID:/U4jnRVM
>仏者もまた、「他者の苦悩や何がしかを、様々を、自身の何がしかとして」イメージすべきなのかもしれない。
もしリアルでそんな奴いたら、弟子入りしないだろうが、お友達にはなりたいなwwwww
>>355 以前一代が言っていた(チベットでの)手法は、まさにそれだと思うが・・。
また、そうでなくとも、
慈悲の「悲」は、まさに“文字通りの”「同情」だと思うしね。
>>353 言っておくが、数十年生きてるとそこそこの経験が蓄積されるので
結果的に「先が分かる」のであって、本物の占い師のそれも同様であるので
話す相手を間違わなければまんざらでもない結果が出る。
じいさんばあさんは孫の顔を見ただけで何があったかわかる。
キミは修行が足りんよ
>>352 それは違うよ。
科学による未来予知が、ハズレが多い理由は
予知する科学的材料に乏しいからです。
天気予報が、かなりの確率で当たるようになったのも
人工衛星のおかげで、多くの予報材料が得られるようになったから。
しかし、地底や海底に関しては、まだまだ未知なことが多いから、ハズレる。
359 :
338:2012/07/16(月) 23:27:11.11 ID:nKHZMysn
>>339 >なんでマハーカッサパを陰謀論の主体に用いたんすか?
私は、「陰謀」と決め付けているわけではありません。
第一次結集をプロデュースしたマハーカッサパにとっての宗教のイデアル・ティプス(理念型)体質が、
ブッダという存在の桎梏から解放された自由人とほとんど異質と言えるほどの断絶があったのではないか、
仏教状況の混乱も最初のボタンの掛け間違いにあるのではにかという仮説的な直感が動機です。
そうすれば仏陀没後の仏教の矛盾混乱をある程度統一的に理解できるし、
逆算して私のブッダイメージも確立できるのではないか、
それを通じて「仏法」を掴みうるのではないかとの想いが動機です。
その仮設の検証を叩かれながら過去スレであちこち書き散らしましたのでうまくまとめられません(セブンさんにはこの点で脱帽です)、
纏める気もありません。ブッダも自分の(待機)説法を教義として纏める執着などまるで無かっただろうと思います。
「わたしとわたしの言葉を信じることなかれ」。
生存苦からの解脱は(矛盾があっても)個別的具体的妥当性をもったコンサルタント機能を持てばいいのであって、
それぞれの「滅」とともに消えればその目的は果たせたからです。
仏法はありえても、固定化された教義としての仏教は成立できないパラドックスにあるというのが私のブッダ像です。
ゆえに、まさに「仏教」を創始したのは第一次結集というイベント・プロデューサーのマハーカッサパだというのが私の仮説的結論です。
360 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 23:35:10.79 ID:/U4jnRVM
>セブン すまんw ちと聞きたいことがある。
パーリにおいて、「覚者」という語彙が指示するものとは一般的にどういうものだ?
オレ的には、いままで、「最終解脱者」「修行完成者」「涅槃に達したもの」
もっと一般的言い回しであれば、「悟った者」「阿羅漢」などのように、
『解脱した者』・・・・という意味合いにとっていたのだが、
→「少しでも煩悩を消した形跡がある者」・・・・(もちろん、執着、煩悩残しまくり
のものだがw) これらも「覚者」と呼称することが、パーリでは一般的であったのか?
361 :
338 1/2:2012/07/16(月) 23:43:05.57 ID:nKHZMysn
>>341 温泉レジャーから帰ればpunkが記してあったw どこも暑いわ。
>分らないねぇ・・・あなたは。
そっくりそのまま熨斗をつけてお返しするよ、punk外道さまw
>あなたが馬鹿にする外道パラモンヒンドゥーと同じです
どこがどー同じなのか、具体的な文言を出してみてみろよ。
いわば、“似ている”から(?)と、オチンチン付きオカマ(ヒンドゥ)を子宮のある女(仏法)と「同じです」と
言い放つ宝珠さまの無神経な愚者ぶりは痛すぎる(爆笑
バラモン−ヒンドウの中心にあるのは、ヤージュニャヴァルキア“創作”の梵我一如論(不二一元論)という形而上的(存在論的)論議であって、
「中論」の核心はそのような戯論を根底から批判することにある。
当然セット販売になっている車輪の一方の輪であるマハーカッサパ教が(ジャイナ教から)密輸入した業報輪廻転生論も同様だ。
362 :
338 2/2:2012/07/16(月) 23:47:08.78 ID:nKHZMysn
存在についての、苦しみをもたらす「誤解」(中論17-29・30→同17-28)のままでは
無常のまにまに「生」と称する一時の位(道元)の縁起現象(苦しみ)があるのであって、
しかしそれとて空であるとpunk外道&仏典を批判しているのだ。
「存在」の相を曇りなく透徹して直覚し、(間接)提示する。
無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相⇒無分別中道であって、執着しうるものは何もない。
(ちなみに「清浄」などの価値判断は中道ではなく、月称も理趣経も慧能(神会)もその他有象無象の大乗仏教徒も、清浄という価値への執着を生む誤りを犯している。)
苦しみをもたらすものは過去業フィクションなどではありえず、存在(自己)についての「誤解」(←既成観念)による⇒執着だ。
自己誤解が解けたら、世間という誤解共同幻想で慶安に解放されて自由に生きればよい。
俺の好きな趙州従諗、至道無難、一休宗純などの自由闊達な生き様は素晴らしい。
ここに業報輪廻転生論ごとき密輸入フィクション異物が介入する余地はなく、Punk「仏教」は無用。
「誤解」を脱し、可及的速やかに仏法を体得して慶安で自由であれというのが仏道だよ。
・出世間のまなざしを獲得し 色即是空:坐水月道場:分別→無分別
・世間の只中で慶安に生き直す 空即是色:修空華万行:無分別⇒無分別の分別
これによって、ブッダの本懐は成就される。
現象界⇔超越界というようなpunk戯論構築はナンセンスな反仏法である(中論25-19・20)
363 :
338 :2012/07/17(火) 00:02:41.19 ID:EOJEhySa
山の中も暑くて、疲れた。
寝るわ。
>>358 いや、地震の予知が出来ないのは、情報不足じゃなくて、原理的な物だよ。
鉛筆に力を加えて行って、いつ折れるかを予測できないのと一緒。
「大体このぐらいエネルギーがたまってるから、そろそろ折れるかも」程度の予測が精々で、「何時折れるか」は予測不可能。
365 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:33:32.96 ID:YdR4Fkga
>>362 >月称も理趣経も慧能(神会)もその他有象無象の大乗仏教徒も、清浄という
>価値への執着を生む誤りを犯している
スッタニパータを読むと、釈迦の価値への執着だらけだがw。
367 :
338 359補足:2012/07/17(火) 08:33:41.14 ID:EOJEhySa
『まず第一に仏教そのものは<特定の教義というものがない>。
ゴータマ自身は自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、
機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をしていた。
だからかれのさとりの内容を<推しはかる>人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。』
(『ゴータマ・ブッダT』p417〜418)
仏教そのものは<特定の教義というものがない>⇒仏法そのものには<特定の教義というものがない>
仏教を仏法に変えてもらえば、上記の中村元博士の説を支持します。
まさしく動いて(方便)やまぬはずの仏法を固定化してしまって「仏教」は、
普遍「(信仰)宗教」として成立して混乱状況に陥ったのですからのですから。
*ちなみに「仏教かく始まりき」の宮本啓一(はじめに)は上記中村説を
「かくもニヒリスティックな結論」と批判するが、
http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/hon/daihon.html この仏典丸呑みゴックン主義者こそ文字は読めても、
仏法は掴めない外道「学者」なのだろう。
368 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/17(火) 09:10:54.80 ID:6SVzdIFT
>>361 大王は見てなかったのか・・・
これまで何度か紹介投稿してきましたが、一応、ここにまた再掲しておきます。
あなたは、輪廻思想というのはバラモン教の特徴だと考えているのでしょ?
ところが、このように否定する教えもちゃんとあるじゃないですか!
『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性
に立ち帰るわけですが、その明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言っ
て、正反対に理解している。また行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、
(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)存在しない》(と、正反対に考えている)。
-----これが無明なのです。」』(散文篇.第2章49-50)
(前田専学訳/シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』岩波書店刊)
『無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない。
いまも、いままでも、そしてこれからも。これが真理である。』
(福間巖訳『あるがままに--ラーマナ・マハリシの教え』ナチュラルスピリット刊)
369 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 09:17:41.28 ID:MBzFNylv
>>367 その方は、仏教を現象/実在解釈する方ですよ。
非常に単純な方だと思う。
370 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/17(火) 09:40:41.68 ID:6SVzdIFT
「輪廻思想はバラモン教のものであり、本来の仏教では説かない」というのが彼の主張なのですが、
そのバラモン教においても輪廻を説かない教えが存在するのだということ。
これで、「輪廻思想=バラモン教」という間違った固定概念は崩壊です。
大王の本音はただの唯物主義者なのであって、単純に超自然的な事柄のすべてが“信じられない”だけのこと。
371 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/17(火) 09:45:33.33 ID:6SVzdIFT
「輪廻がある」と言ったり、「ない」と言ったりするのは、
ただどの視点から語ったものか・・・という違いにしか過ぎない。
ゴータマの説く視点は、「ある」という視点に基づくもので、
仏教の姿勢は本来、これしかないのです。
372 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 10:01:22.49 ID:MBzFNylv
>>371 オイオイ、それをいうならxを「有る」とか「無い」とかいうのは世俗の言い習わしであり、勝義では「有る」とか「無い」という言葉も分別も寂滅するでしょ。
まだまだ、分かってないなあ。
373 :
338 :2012/07/17(火) 10:11:56.76 ID:EOJEhySa
>>368 ・シャンカラは反仏法です。
「最高我」 :仏法は無(空)我にて候。
輪廻する/しない、
行為の主体でない/である
永遠に存在する/しない
仏法は不生不滅の中道にて候
・マハリシも反仏法です。
輪廻転生が存在する/しないとどちらかに断定することこそ
戯論であって、中論で真っ向から批判される思考です。
また真理は中道に相応しくありません。
反仏法です。
以上、シャンカラもマハリシも戯論(形而上学的論議)に終始しており、
戯論の消滅(中道)という仏法に反する無明外道に他ならない。
両者とも、オチンチンのついたオカマです。
というより、これらを仏法と同じと断定する宝珠こそ
あかんのとちゃうか?
374 :
338 :2012/07/17(火) 10:17:30.92 ID:EOJEhySa
>>370 >「輪廻思想=バラモン教」という間違った固定概念
実質ジャイナ教のマハーカッサパ教がジャイナ教から密輸入した(
>>361)と
指摘しているのに、勝手な妄想をするな!
375 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 10:17:32.13 ID:MBzFNylv
>>373 > というより、これらを仏法と同じと断定する宝珠こそ
> あかんのとちゃうか?
ずっと言われます。
それらは否定しないが、仏教でないことは認めろと。
特にシャンカラ、ヴェーダーンダは自分自身でも仏教を否定し、
仏教側からもシャンカラ、ヴェーダーンダは仏教でないと言われてるのでありえません。
376 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 10:21:26.11 ID:MBzFNylv
>>374 >実質ジャイナ教のマハーカッサパ教がジャイナ教から密輸入した(
>>361)と
>指摘しているのに、勝手な妄想をするな!
これも妄想だと思うけどね。
なぜなら、輪廻は聖者にとって直接知覚だし、法身や報身などからの教えであり、マハーカッサパ編纂のアーガマ・ニカーヤとは系統の違う大乗経典、テルマでも輪廻は前提になってるから。
この点は何回かやったと思うんで、繰り返さないけど。
377 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 10:51:39.06 ID:DvZigx9j
陰謀論は直観からはじまるものです。
911陰謀論然り。
「不自然に見える」ここから壮大な埋め合わせが誕生してます。
>>359 ひとつ、疑問なんですが。
貴方や私を含む日本人のアイデンティティ形成に何の影響も与えていない、
とくに感心の無い、名の上がっていない思想家が相手だったら
そんなことしてましたか?
378 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 11:10:38.77 ID:MBzFNylv
>>377 「不自然に見える」のは、仏教の場合大抵、その見える人の無理解だと思う。
>>360 それが「ブッダ」ということであるなら、
そして、滅後の体系化を踏まえてのことであるなら、
(一代も言うように)「法(おしえ)を示すその人」に他ならない。
よって、今劫に於いては釈迦牟尼以外にはありえない。
覚者(ブッダ)とは釈尊只一人であり、他は阿羅漢である、と。
故に、 >→「少しでも煩悩を・・・・・・と呼称することが――― ということはありえない。
また、歴史的推移を遡り、当時の現実的様相を推測し、また術語の初期語義に視線を投げるなら、
律蔵大品にある「世に6人の阿羅漢」「7人、11人、61人の阿羅漢」といった記述も、
それぞれ「覚者(ブッダ)」であると見るべきでもあり、
中村元が「一時期の仏教は舎利弗に代表されていた」と考察するように、
且つ、「ブッダ(覚者)」が一般的普通名詞であることを踏まえれば、
>「最終解脱者」「修行完成者」「涅槃に達したもの」 であり、 >『解脱した者』・・・・という意味合い
であり、(釈尊)只一人と限るものではないにしても、
それでも、
>→「少しでも煩悩を消した形跡がある者」・・・・(もちろん、執着、煩悩残しまくりの者だがw)
>これらも「覚者」と呼称することが―――
ということはありえない。
少なくとも、かなりの初期であっても、それらはまだ途上の者であって、覚者とは呼ばれないであろう。
明らかに「目覚め切っていない」のだから・・・。
ここでの「目覚め」は、単に「気付く」ということだけでなく、
「行の成就」(定型表現を借りれば「良家の子が、出家し求めるところの目的である梵行の完成」)「不退転の境地」「不足無き、無上正覚の顕現」を意味する筈だから。
と、未達の者が邪推してみましたwww
380 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 11:39:57.41 ID:7AsP/Wcr
>一代 にも聞いておきたいことがあるんだが、w
「煩悩即菩提」・・・・言うまでもなく大乗のキャッチフレーズだwwww
(勿論、以下は部外者が各論説から学んだ範疇の話だがwww)
これっていわゆる「勝義視点からの言辞」だろうが?
すなわち、覚者の視点からすれば、「煩悩も悟りも区別なし。その根幹は等しい」・・
共に『空性』であることにおいて一致している ってことで、空観に達していないものが
言っても、害があるだけだろ?w
それこそ、「悪しき」本覚思想にどっぷり浸かって、「修行?んなもんいらねww」となったり
「煩悩? 全然OKww」で女とやりまくったりww
まさに、無事禅、自然外道にまっしぐら だと思うんだがww
空観に達していないアホが、「煩悩を消す必要は全くありません。」と言っても
単なる「現状肯定」にしかなるまい?
とりあえず、仏教の方向性としては、「執着をなくす」「煩悩を消す」ことによって
「心をととのえる」・・・・こういう方向で良いと思うのだが、その辺りどうよ?
(菩薩の請願は、ここでは無しねwww)
只なw、浄土門はよくわからんw
あれは、どこまで煩悩を許容してるのか?w 「安心」という概念もってきて、
(世俗で悪人たらざるを得ないものを救済するため)
「煩悩の害性を限りなく希釈している」ように思われるがw
あれも確か、浄土において阿弥陀仏の下で(執着、煩悩を消し)解脱する・・・・
こんな感じではなかったかいな?
381 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 11:45:30.86 ID:7AsP/Wcr
>>379 お〜〜〜〜、早速のレス、いつもながらすまんww
だよな?w 俺もそう思うわw
それが、通常の見解としていいよな?
ちなみに、一代にも併せて、聞きたいわ
>>360 「少しでも煩悩を消したものを覚者と呼称することは、伝統的仏教の
語彙の使用法として一般的かい?」
382 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 13:30:51.86 ID:MBzFNylv
>>380 基本はそう全く同感。
だから、『入中論』には空性の教えは誰にでも説いてはいけないとある。
ただ、仏教は完全に対機説法なので、これだけが正しいという教えはありません。
その人にあった教えがあるだけ。
だから、完全に間違いとも言えない。
煩悩即菩提の基本的な意味は以下の通り:
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html 私としては基本は、自分には因果を、他人には浄観を。
だと思ってます。浄観は、よく見るという意味。
浄土門は本来、煩悩を許容しているわけではないです。
浄土門の核心は、アミダの誓願に対する信ですよ。
これを信じて念仏する。念仏は、アミダ仏を心がけるというのが本来の意味。
親鸞上人の教えは、高度な信を要求しているので、ある意味見解が高いのです。
383 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 13:34:20.67 ID:MBzFNylv
>>381 ブッダという意味なら、全然一般的ではないですね。
完全なブッダ以外用いない称号です。
ただ、言葉は適当なもんだから、人それぞれ使い方が違うので、
現代日本仏教だと、結構、軽く使ってるかも?
そこはよく分からない。
384 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 15:29:29.50 ID:7AsP/Wcr
>>382 383 レス乙。 了解ww
だよな〜ww
385 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/17(火) 17:20:03.66 ID:6SVzdIFT
>>372 私は輪廻について(のみ)、ここでは述べています。
ゴータマは、「有るでも無いでもなく(それは世俗の言い回しに過ぎず)」
などとは説いていないでしょう。
ゴータマは輪廻については、一貫して「在る(輪廻している)」
という言い方しかしていないものと思いますが。
386 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/17(火) 17:20:34.28 ID:6SVzdIFT
>>367 カッサパ陰謀論とも合わせて、なかなかイイ線いってる感じはあるけれど・・
しかし所詮、根本的な出発点が、
>大王の本音はただの唯物主義者なのであって、
>>370 にあるだけ。
>>373 >・シャンカラは反仏法です。
>「最高我」 :仏法は無(空)我にて候。
仏法の及び範囲は現象界に限定されます。
それが仏教の説く“一切”ということ。
最高我はこれらを超越したものであって、
それ故、仏教的に否定されません。
>というより、これらを仏法と同じと断定する宝珠こそ
>あかんのとちゃうか?
完成ゴールは同じ。
梵網経は間違ってるバラモンたちへの指摘。
輪廻とはおおよそ人間の存在することが永遠に続いていた前提で書かれているので現代においてはアウト
仏教的になんたらかどうかは知らん。
私のご先祖はじいちゃんばあちゃんヒイじいちゃんヒイばあちゃんでありそれ以前は考えたことも無い
都合の悪いことは「合理的理由」をもって「排除」
魔女狩り
かと言って宗教以外に支えになるものが無いので
一歩間違うと戦争だ〜とかになってしまうから無くても困る
>>386 >完成ゴールは同じ。
仏教のゴールは涅槃だと思うけど、
そもそも「涅槃とは何か」を論じないと仕方がない気がするなぁ
一見同じに見えても、実は違いがあるかもしれないでしょ
392 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 18:52:21.06 ID:2Z+I+mE2 BE:2395239757-2BP(3)
質問です。
先祖崇拝というのは、儒教なんですか?
393 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 18:54:58.52 ID:MbWFkKys
>>391 「生死の世界は涅槃といかなる区別もない。また、涅槃も生死の世界といかなる
区別もない「(中論25:19)
「涅槃の限界がそのまま生死の世界の限界である。この両者の辺際には、何らの
微細なる区別もない」(中論25:20)
394 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 19:08:18.78 ID:2Z+I+mE2 BE:4379866188-2BP(3)
おれは、仏教の経典を実際に読んでみた結果、
中論はまちがっている、だから、般若心経はまちがっている、そもそも、諸法無我がまちがっている、
という結論に達しました。
大乗仏教は、まちがっています。
395 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 19:48:02.89 ID:MbWFkKys
>>394 >大乗仏教は、まちがっています。
どこが間違っているか、具体的に。なお「釈迦個人が言った言わない」は、論理的に
何の基準にもなりえないから念のため。真理とは「誰が言っても真理」のこと
である。
396 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 19:54:52.95 ID:2Z+I+mE2 BE:1094966382-2BP(3)
>>395 「空なりと観ぜよ」というのがまちがってます。
物自体の存在を信仰し、より近く近似するように脱構築するべきです。
397 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 20:03:05.00 ID:MbWFkKys
>>396 >「空なりと観ぜよ」
それは釈迦のミスだ。
大乗仏教は、「相互依存性・関係性」という「もろもろの存在」の構成原理を
発見しただけ。対象は「厳然たる実在」である。「空」とは「無」ではない。
誤解してはならない。
398 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 20:08:22.76 ID:8KFK05tP
>>386 >梵網経は間違ってるバラモンたちへの指摘。
そのような但し書きはありません。
「ある沙門・バラモンたちは、」と色んなアートマン解釈を
持つグループを紹介し、断滅論とともに「このように執着され固執された見解は、
このような赴く先をもたらす」と語っています。
同じ表現を定式的に繰り返しています。処々のアートマン論とその支持者への扱いは同じなのです。
その中に貴方が支持してるであろうアートマン論も含まれます。
「死後も存在し、物質的要素からも精神的要素からもならず、心理作用を持たないアートマン」です。
春秋社版の「原始仏典」では一巻の38ページにあります。
399 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 20:09:13.89 ID:2Z+I+mE2 BE:1916192047-2BP(3)
>>397 ナーガルジュナは「中論」で本質などないといっているが、
本質(物自体)はあると思います。
だから、中論、および、般若心経はまちがってます。
400 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 20:16:31.48 ID:MbWFkKys
>>399 物自体は厳然として存在するが、それが「相互依存性・関係性」という「抽象
概念」で構成されているから、「執着すべき自性はない」といってるだけ。
物質なら兎も角、「抽象概念」に執着しても無意味ですからね。だから、一神教
のように、物質にあらざる「神概念」に執着するのは無意味なのです。
中論は、「世間の一切の慣習」を「無条件の前提」としています。すべてが
世間の常識に基づいています。
401 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 20:19:55.94 ID:2Z+I+mE2 BE:2189933748-2BP(3)
>>400 物自体を
>「相互依存性・関係性」という「抽象概念」で構成されている
としているのは、カントの主張とは関係なく、
わたしはまちがった物自体の解釈だと思います。
物自体という認識できない本質は存在するのであり、それを信仰するべきであり、
造物主への信仰も、空への信仰も、まちがった思想です。
402 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 20:25:55.09 ID:8KFK05tP
>>393 それが涅槃なわけではないでしょ
ルビーのモース硬度は9だが、モース硬度9だからといってルビーなわけではないよ
>>401 認識できない本質ってのは、認識できない以上、仏教では取り扱われないと思うよ
そもそもそれは恒久的に不変なの?
404 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 20:43:54.04 ID:2Z+I+mE2 BE:2737416285-2BP(3)
>>403 物自体は、流動的だと思われます。
仏教で扱わないから、仏教はまちがってるといってるんじゃないですか?
>>404 >物自体は、流動的だと思われます。
それが色即是空ってことじゃないの?
>仏教で扱わないから、仏教はまちがってる
物理学は人間の心理も病気も扱わないけど、
だからといって間違えているとはいえないと思うよ
仏教は認識できない本質を扱わないけど、だからといって間違えているってのはどうだろうな
406 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 20:55:38.52 ID:kyZvKAR9
物は流動的であるなら必然的に真理も流動的となる
これがオレの色即是空だ
407 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 20:56:46.03 ID:2Z+I+mE2 BE:2053062656-2BP(3)
>>405 >それが色即是空ってことじゃないの?
詳しく。
正直、意味不明。
仏教は、存在論や認識論を扱ってるんじゃなかったの?
408 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 20:58:21.64 ID:2Z+I+mE2 BE:1231837092-2BP(3)
>>406 真理が流動的なのは、必ず流動的なのか、時々、固定的になるのか?
おまえの色即是空は、たいしたことないな。
409 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 21:04:19.86 ID:kyZvKAR9
>>408 たいしたことなくて結構。
他は是我にあらず
>>407 何がわからんのかよくわからんけど
物や概念のことを色や法と呼び、
それらの本質が空であるっていうのが色即是空だと思うよ
411 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 21:25:37.42 ID:2Z+I+mE2 BE:2737416858-2BP(3)
>>410 だから、本質が空ってのが、まちがった信仰だといってるの。
キリスト教の創造論みたいに、古代のまちがった思想だよ。
>>410 >それらの本質が空であるっていうのが色即是空だと思うよ
じゃあ、空即是色 は?
413 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 21:34:53.25 ID:2Z+I+mE2 BE:3079593959-2BP(3)
般若心経はまちがってんだよ。
>>411 物自体が流動的なら色即是空ってことだと思うけどね
何か一つでも変わらないものがあるかってことだけど
>>412 空であるものが色(万物)と言っただけだと思うよ
416 :
記憶喪失した男:2012/07/17(火) 22:26:22.21 ID:2Z+I+mE2 BE:3695512469-2BP(3)
>>415 色即是空って、不死、永遠、絶対者の否定のことなの?
珍しい宗教観だね?
>>416 まあ珍しいかもしれないね
宗教にはそれぞれ特徴があるし、宗派による違いもあるから、
適切に理解しないといかんと思うよ
色即是空の「色」は、人間の認識によって分断された世界のことで、
空即是色の「色」は、認識による分断のない世界。
つまり、あるがままの世界。
あるがままの世界は本来一つなんだけど、我が生まれることによって
これは木、これは川、あなた、わたし、と、世界を分断していく。
それらは空で、空のその先に本来の一なる世界・・・あるがままの世界がある。 ってことじゃね?
万物は無常である(色即是空)
無常なものが万物である(空即是色)
という、ただの置き換えだと思うけどね
まあ本当かどうかは知らん
あるがままの世界を涅槃と捉えると、
例えば思考能力のないプランクトンは悟りの境地ってことになるんだよなぁ
420 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 23:49:58.25 ID:EOFy+Bxe
色は他のものごとに支えられて現れるので、色は独立した「それ自体」を持たない。
つまり、色は縁起で成り立っているから無自性である。
色は無自性であるから、色は空(夢・幻みたいなもの)である。
受・想・行・識も色とおなじく、縁起であるから無自性であり空である。
たとえば、受想行識を通さないと色は認識できない。
この2ちゃんねるは、今私が見ている夢にすぎないのかもしれない。
私が「こうだ」と認識している物事は、不確かである。
421 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 00:12:49.02 ID:7ne8WF9e
結局、お釈迦様は医者みたいなもんかな?
患者の苦痛がなくなればそれでいい
422 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 00:19:53.97 ID:/g29fte4
>>419 >という、ただの置き換えだと思うけどね
仏教を語りながら、「色即是空」「空即是色」を併置したことの深い意味が
判らないとは。セブンさん、仏教の基礎を講義してやってくれ。
プランクトンも、過酷な環境の中で長い長い年月を生きている。少なくても
釈迦よりは悟ってるなw。
>>419 プランクトンが悟ってるっていうより、
宇宙と一体となって何も区別がなくなった状態・・・・
「プランクトンに悟りの境地が現れている」、と言ったほうがいいんじゃない?
424 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 01:24:07.31 ID:2PAx32cw
>セブン すまんww どうにも納得出来ないらしいw
>煩悩を少し消した形跡のある者(執着、煩悩を残した者)を預流果として、もう一度聞いて
>みてください。
との、ことだww
「 預流果」 なんて、それこそスタートで問題外だろうが、とりあえず、
リクエストなんでw
パーリにおいて、「預流果」のものを「覚者」と呼称するのが一般的なのか?w
(なお、記述経典の提示は、できないそうだ。 正確な記憶が欠落しているらしい)
何も考えられなくなればなるほど悟りを体現しているならば
植物ほど悟っている生き物はいないな
人がもっとも悟りに遠いではないか
426 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 03:21:44.69 ID:/g29fte4
>>425 釈迦とは異なり、一切衆生は、ひたむきな生存努力の中に「我を忘れる」即ち、
「無我」を実現している。悟っていないのは、生存努力という選択不能な
「大修行」を避けた釈迦や修行者のみ。「悟ろうとする者、悟ったと思った者は、
悟ってはいない」(道元)
427 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 07:20:36.13 ID:mp5ujjEN
>>425 >何も考えられなくなればなるほど悟りを体現しているならば
大きな誤解があるようだが、「悟り」は何も考えられなくなることではない。
徹底して考えるべきだ。
何も“考えない(想わない)”⇔何かを“考える(想う)”は同次元の相対だ。
<考える=分ける←相対分別知>と<直覚する=分けない←非相対無分別智>は別次元の相(コード)だ。
言語表現は難しいが、前者はコードそのものだが、後者はいわばコードなきメタ・コードだといえる。
コード相(分別相)とコードなきメタ・コード相(無分別相)が融合空(不一不二:ここが超えがたき関だ)であることを
実感として直覚しはじめる(→中論25-19・20)。
ここが哲学(相対知)と仏道(実践智)の分水嶺だ。
禅で公案を徹底して考えさせる(相対)のも、非相対(中道)の直覚(無分別智)へ至らせるためだ。
例えば「隻手の音声」をいくら考えようが筋の通じた回答はありようがない。
いくらへ理屈をこじつけてもダメだ。
そのうち“隻手”や“音声”という分別そのものに問題があることに気づきはじめる・・・・・。
>>426 ←こういう錯視妄想者もピエロとして置いておこう。
428 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 07:47:07.49 ID:yjWBadna
>>425 仏典かジャータカか忘れたが、植物に宿っている神様というのがでてきた。
植物そのものは有情ではない扱いなのでしょう。
つまり、ただの入れ物。
受精前の精子とかと同じでは。
悟ったら死ねばいいんだよ。
悟ってなお人間らしい生き方を望んでるようじゃ現世の価値観に執着してる証拠だ
430 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:13:29.78 ID:mp5ujjEN
>>377 >貴方や私を含む日本人のアイデンティティ形成に何の影響も与えていない、
>とくに感心の無い、名の上がっていない思想家が相手だったら
>そんなことしてましたか?
“なぜか?”という関心が無いことには、対応しようがない。
“なぜか?”という関心があれば、
アイデンティティへの影響の有無、
その思想家の知名度に関わらず、
走りながら、仮説思考で考える。
考えるとは、無数の既存諸要素の(新しい)組合せを試みることだ。
>>424 それでも、そういう例は無いと思う。
もし、考え得るとするならば、
有余涅槃と無余涅槃とを別した如く、肉体や生理的事象を残しているが「覚者」と称し得る、
という形かな。これならば、仏典の各所で様々に述べられる事跡に於いて
「如来の身に降りかかる様々な案件が、如来にとっては、俗事・雑事・些事として煩わしき一事象である」
という考え方から伺えるように、五蘊を残し、社会とかかわり、人とかかわり、日々生きる上で生じうる様々な事象の感受があること、
そのことを、まだ(煩悩の)残余があると見ることも不可能ではない。
まさしく「有余涅槃」的なものとして。
また、そうした、或る種入り口的な立ち位置の者を「覚者」と称さずに済ますための四双八輩とも言えるわけで・・。
受け止め方、個々人の解釈としてざっくりとした括りとするならば、
四双八輩の者を覚者と括ることも吝かでないかもしれないが、【『術語』として及び伝統的『(語義)解釈』として】は、
379、383、(360)、にあるように、「ブッダ」が指し示す人物は特別でなければ(修行完成者でなければ)なりません。
また、言い回しの問題もあります。
「(少しの、一部の)煩悩を残す者」という言い方と、
「煩悩を少しでも消した【ことのある者】、(一部の、少しの)煩悩を消したことのある者」という言い方では、
そこで示される状態(境地)に差はないだろうか?
(たとえば後者の場合、その消された煩悩の復活可能性が残っているし、
生存の大半はまだ煩悩まみれであるというニュアンスを大きく含む。
それを「覚者」と称することには抵抗を感じるべきだろう。
ここでの前者と後者には、天と地ほどの開きがあると思う。)
432 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:17:47.86 ID:TTSKgnKk
>>427 >
>>426 ←こういう錯視妄想者もピエロとして置いておこう。
そっちが錯視妄想なんだかw。部外者は、厳しい目で宗教者を見てるぞ。
433 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:21:49.63 ID:TTSKgnKk
434 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:25:13.40 ID:mp5ujjEN
>>429 >悟ってなお人間らしい生き方を望んでるようじゃ現世の価値観に執着してる証拠だ
坐水月道場
修空華万行
悟ったら(不生不滅の中道)『>死ねばいいんだよ。』という発想が消える。
>>434 はいはいご都合主義乙。
「死ねばいい」を否定したくなるのがそもそも現世への未練の証拠
436 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:30:58.45 ID:mp5ujjEN
>>432 >部外者は、厳しい目で宗教者を見てるぞ。
それじゃ、『両手を打つと“拍手”の音がする。
片手の人の拍手を聴いてきなさい』
この公案をその部外者と君に解いてもらおう。
逃げるなよ。
437 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:32:59.17 ID:sIsNkb3w
>>436 いいよそんなことしなくて、答えも見えるし、みんなどうしようもないって知ってるから、その人は。
438 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:36:13.05 ID:mp5ujjEN
>>435 >現世への未練の証拠
俺は『発想が消える』と言っている。
二項相対思考に拘らなくなるからだ。
苦しみの(可及的)消滅だからだ。
お前、オバカラスか?
なら、スルーする。
439 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:39:33.82 ID:sIsNkb3w
>>438 >オバカラスか?
懐かしい言い方だね。アホダラちゃんがよく使ってたなあ
440 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:42:34.21 ID:2PAx32cw
wwwwww
オバカラス??wwww
何、それ? おばさんのカラス?ww
441 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:44:03.25 ID:2PAx32cw
あ!!! わかったww
おばかさんの カラスだwww
442 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:47:15.72 ID:mp5ujjEN
443 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:49:36.55 ID:2PAx32cw
>反応がおせーよw
wwwww
すまんw
444 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:50:34.36 ID:mp5ujjEN
>>443 頭の回転が遅いことがわかったら、
お引取りを。
445 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:53:40.58 ID:2PAx32cw
>頭の回転が遅いことがわかったら、
>お引取りを。
お断りしますww
446 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:57:12.68 ID:DUmNIfwN
>>430 関心でなく感心、と書いたのは意図的なものです。
シンパシーを感じるあまり、自分の考える合理性に合わせて
(時代の制約という可能性や、自分には不合理に見えても、
相手にとっては筋が通っているのだろうという可能性を無視し)
ある対象の人物像を加工したくなるという心情です。
このスレで宝珠愚者氏が釈迦に、ご隠居が竜樹に対してやっていることを
したくなる心情です。
447 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 10:03:19.15 ID:DUmNIfwN
思うに、ヤージュニャヴァルキャが相手なら貴方はそんなことしていません。
448 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 10:07:49.12 ID:2PAx32cw
>>431 度々、すまんww
異論なしw 俺もそう思うわww
唯、彼とのやり取りは、「有余涅槃と無余涅槃」の話ではないし、
また、「(少しの、一部の)煩悩を残す者」・・・・すなわち、煩悩の
大半は滅し、解脱直前のもの・・・というようなものではない。
(預流果を指してることからも明らかww)
まあ、とにかく、ありがとさんww
449 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 10:18:21.40 ID:mp5ujjEN
>>446 >自分の考える合理性に合わせて
>ある対象の人物像を加工したくなるという心情です。
なるほど。
人間、非論理的情緒が80%でしょうからそういう側面が強いでしょうね。
だからこその相対「仮説思考」なのですが。
無量因無量果(多因多果)の縁起の中で、
業報輪廻転生論を決定不可能な一因一果(特因特果)後出しご都合主義ジャンケンと揶揄してきましたが、
多様な「仮説」思考のなかの有力筋と認識しておかねば刃がこちらにも向かうでしょうね。
450 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 12:30:04.43 ID:yjWBadna
>>431 一度消えた煩悩は復活しないでしょう。
木の影を幽霊と思い込んでいた人が、一度木の影だと気づいたら、
二度と幽霊だと思い込むことができなくなるように。
>>450 かもしれません。(というか、確かに、理論上あってはいけませんね、そういうことは・・w)
が、それでも、
そのことによって「覚者(ブッダ)」という名称を付し得る理由とはならないでしょう。
ただ、諸法が、因により縁により生起するものなれば、
単体で消し得た(と自覚した)煩悩が、
関連する別の煩悩に誘引されて(或いは或る種の条件が整うことにより)再び生起する、
ということはありそうです。少なくとも、未達の者に於いては・・・。
またたとえば、大般涅槃経(P)に次のような場面があります。
阿難の、「女性に対してどのように接したらよいですか?」という問いに
釈尊はこう答えています。「見ないことです」と。
「見なければならないなら、話さないように。話さねばならないなら、念を確立するように」と。
ここに見られるように、条件付けを操作することで生起を止めるのが行の(実践の)テクニカルな面だと思われますが、
(一切の)諸縁の放下を成し得ていないなら、そのように生起を妨げる努力が必要ですし、
そのような途上の者を「覚者」と称することには、依然として抵抗が残るものと思います。
452 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 16:12:27.80 ID:Dy9EX2m0
>>173 >そういった神聖なものじゃないと思う。殆どの場合には・・・。
何故、そう思われるのですか?
453 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 16:35:22.34 ID:xldTwH0s
>>446 >ある対象の人物像を加工したくなるという心情です
すべての経典は、弟子たちの伝聞や解釈による釈迦の加工。釈迦の直筆など
「皆無」w。
454 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 17:57:10.65 ID:uNNFcr5w
隠居の議論の仕方は似非同和の恐喝と同じ
455 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 18:34:33.59 ID:xldTwH0s
>>454 すぐに感情的にならないで、冷静かつ論理的に反論してね。
456 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 18:39:15.44 ID:uNNFcr5w
論理的に話す奴が、その論理通りの人生送っているわけでもないから、
隠居とネットでダラダラ話し合うこと自体が時間の無駄
457 :
絶対神:2012/07/18(水) 18:51:08.79 ID:4A9VMZWP
「何度も言うようだけど、運命を知る事は「神様」以外には「不可能」である」
「つまり、縁起だとか因果応報の法則とかは」
『元々、「無いの」』
人間に判る形でそんなものがあったら
「誰も苦労しないの」
458 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 18:54:43.03 ID:yjWBadna
>>451 預流果になって無常・無我・苦を悟っても、
欲や怒りはまだ消えていないそうなので、そのような人の場合、
愛欲を防ぐ方法として女性を見ないのは有効でしょうね。
日本の禅僧でも(たとえば一休さん)、預流果の人はいそうな気がします。
459 :
絶対神:2012/07/18(水) 18:54:48.17 ID:4A9VMZWP
「もしそんなものがあるのなら」
『原因があって結果があるのなら、未来が判らなければおかしいでしょう?』
「多様な原因だからという理由なら」
『そもそも縁起の理法とやらが実在するのかどうかも「証明できないじゃん」』
証明できもしない事を信じ込むのは非仏教とよくいってるじゃない?w
「釈迦自身がもろにそうだよ」
人間の知恵ではそもそも判らない事に関して、
『理屈をもてあそんでいるだけ』
460 :
絶対神:2012/07/18(水) 18:57:08.57 ID:4A9VMZWP
「前から言っているように」
『仏教は、「初手」から駄目なの』
「人間が悟りを開いたり、解脱したりする事がある訳もないでしょう」
『誰だって一生、自分の欲望に苦しめられるし、死ぬのは怖いさ』
461 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 19:00:03.16 ID:xldTwH0s
>>458 人間の愛欲を否定したら、人類は滅亡し、すべての宗教も消滅するよ。
あまりアホなことは、考えるべきではない。
462 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 19:01:15.99 ID:yjWBadna
>>459 怒りやすい性格だとムカつくことが多いから大変、
怒りやすい性格をなおしたほうがムカつく回数が減って快適、
というような、煩悩の苦悩の因果関係がわかれば仏教的には充分だと思います。
463 :
絶対神:2012/07/18(水) 19:01:16.63 ID:4A9VMZWP
「仏教は「キリスト教」に及ばない」
『何故なら、あり得ない、「人間を神」としようとする宗教だから』
「悟りも解脱も、欲望の超越も」
『「神様」じゃない限り『無理』です』
元々、最初から人間の能力を越える事をやろうとしているので
「最初から破綻しているのです」
女を見るななんて、それこそ不自然でしょうがないですよ
キリスト教も山上の垂訓というものがありますが
『あれも「神」がいて成り立っているのです』
464 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/07/18(水) 19:16:10.54 ID:z0XWHtt9
彼は相も変わらず、「絶対者」などという幼稚な妄執と同化するという変態っぷりだが、
諸君はこの変態オナニストを笑ってはならない。
仏を判ったつもり、法を判ったつもりで様々な権威に盲従する決意表明は、この厨二病患者と或る意味同レベルだからだ。
(^。^)……だから笑ったらダメだってば。(笑)
>>455 論理的に反論すると黙っちゃうじゃんwwwww
>>458 そういう問題(話題)じゃないでしょ?
何の話をしてるの?
意味不明なんですけど・・・。 (´・ω・`)
一休さんの名言。
「気にしない」
これが、仏教の奥義。
まずは「気にしない」練習。
それが土台となって、集中ができる。
集中することにより、物事を理解できるようになる。
分かりやすく言うと、こういうことです。
「気にしない」と「集中する」は同時進行で行うと、効率的であります。
あなた方の興味のあることならなんでもようのです。
そうしたら、あなた方は幸せな道を歩むことになるでしょう。
470 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 20:42:19.27 ID:MM6we21K
自分の肉体の中の細胞、原子、電子、微粒子が見えるまで
瞑想が進まないと真理を語る資格はないわな
自分を肉体としか見れないような一般大衆俗物と同レベルの人間には
>>470 下手に仏教やるより、自然科学(特に物理学・数学)から学ぶのが、いいと思います。
これは、時代的ムードやイデオロギーに左右されないですからね。
472 :
記憶喪失した男:2012/07/18(水) 20:57:59.23 ID:6XC7JVtM BE:1642449683-2BP(3)
いちおう、ここでもいっておくと、
キリスト教、イスラム経の造物主と救済者と絶対者を同一視するのは、
愚かな信仰だと思います。
造物主は救済者でも絶対者でもありません。
>>463 >>472 インターネットでその人の自分の意見が書かれてしまうとなぜかそれは真実に見えてしまうのですが
可能であれば本を読んだりお坊さんと会話してみましょう。
474 :
記憶喪失した男:2012/07/18(水) 21:48:18.67 ID:6XC7JVtM BE:2053062465-2BP(3)
>>473 あなたは般若心経が正しいと思ってるの?
おれはまちがってると思ってる。
475 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 21:50:02.37 ID:yjWBadna
>>466 「覚者」の定義うんぬんの話の流れです。
日本の禅などでも、おそらく預流果じゃないか
と思われるような「悟り」に達した人はいる。
しかし、怒りや欲を完全に消せていない(不還果や阿羅漢果ではない)ので、
「悟っている」が「覚者」ではない、と言いたかったのです。
476 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 21:59:58.34 ID:KxWPs1qG
仁丹でもぶちまけたように夜空に星が光っている
この星ぼしは一体何のためにあるのだろうか
なんと言う神秘的な世界に我々は生きているんだろう
477 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 22:03:36.39 ID:uNNFcr5w
あるがままを本気で実行するなら命を捨てる覚悟が必要
これが仏教の本質
478 :
記憶喪失した男:2012/07/18(水) 22:12:11.79 ID:6XC7JVtM BE:1026531353-2BP(3)
>>477 あるがままというのは、仏典のどこに書かれているのですか?
479 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 22:15:20.74 ID:uNNFcr5w
>>478 そんなの関係ねえ
オマエは文章を崇拝してんのか?
480 :
記憶喪失した男:2012/07/18(水) 22:25:37.12 ID:6XC7JVtM BE:4311430597-2BP(3)
>>479 わたしが調べたかぎりでは書いてなかったです。
このスレ住人も、書いてないと考えているようです。
481 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 22:41:24.31 ID:2PAx32cw
> セブン、一代
度々、すまんがw
上座部では、預流果のものを「覚者」と呼称するのが一般的なのか?
482 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 22:44:04.07 ID:uNNFcr5w
483 :
記憶喪失した男:2012/07/18(水) 22:48:41.13 ID:6XC7JVtM BE:1368708645-2BP(3)
>>482 普通の仏典には、
諸行無常、一切皆苦、諸法無我、の三つが併記してあることが多いです。
このうち、一切皆苦と諸法無我はまちがった教えだと思います。
>>468 それ、大きな間違い
やってみりゃ分かるよ
485 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 01:03:47.43 ID:m3O+ypTa
>>483 諸行無常(全部が全部使うとすぐにボロがでる不良品ばかり)、
一切皆苦(次から次へとどんどん新しい不良品が送り付けられてくる)、
諸法無我(どの商品もよくみたら思ってたのと違う)、
という世の中の一連の状況を説明しているのです。
一生涯それが続く通販会社と契約をしてしまったので煩わしいのです。
だったら契約を切ればいいんだけど、
それはなんかもったいない気がして切れない、でも毎日そんな状況で煩わしい。
486 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 03:33:47.76 ID:dieeZkAp
>>462 怒りやすい性格ってありますか?
生まれた時はそんなのないし、何か原因がなければ不快になったり怒ったりしないのでは?
本能的に誰も怒りたくて怒ってる人っていないのでは?
488 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 05:37:23.21 ID:as/1Mx8G
>>481 >上座部では、預流果のものを「覚者」と呼称するのが一般的なのか?
分からない。上座部の一般性をオイラに求めるのは無理
489 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 08:01:37.06 ID:m3O+ypTa
>>487 怒りたくないなら、怒りたくなる原因を消すしかない。
しかし、他人の行動や周囲の環境はなかなか変えられないので、
自分の考え方を変えましょうというのが、仏教の因果の教え。
逆に、自分の考え方を変えられないから怒りが出てしまうというのも、
やはり因果関係で説明できる。
490 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 08:09:53.10 ID:m3O+ypTa
>>487 たとえば、考えただけで怒りたくなるようなことがあるとします。
しかし、いくら頭の中でその件を百回考えても新しいアイデアは出てこなくて、
ただ考えてる時間が怒りの時間になるだけだとする。
だったら、百回そのことを考えて百回怒るのは無駄に不快になるだけであり、
一回だけ考えて一回だけ怒り、そのあとは二度と考えないなら、99回分の怒りを回避できる。
いくら考えても思考が堂々巡りになり感情のみが増幅するようなことは、
妄想・雑念であると位置付けて、考える必要が生じるときまで考えずに放っておけばよい。
491 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 08:49:18.01 ID:Hsxbn65+
仏教で自慰行為は不浄ですか?
不浄はトイレのことでいいんですか?
この不浄という意味を教えてください。
もし、自慰が不浄ならやめる覚悟できてます。
492 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 09:23:26.62 ID:as/1Mx8G
>>491 >仏教で自慰行為は不浄ですか?
不浄です。律でも禁止されてます。
不浄は煩悩に汚染された心による行為です。
煩悩とは、自分に愛着すること、他を害すること、縁起・空性に蒙昧なことです。
縁起・空性に蒙昧なこととは、現象や自分が実体があって、恒常で、気持よいものであると考えることです。
これは難しいので、とりあえず、十善戒を基本に行動してみてください。
十善戒とは、殺さないで生かす。盗らないで与える。性的に淫らにならず清静である。嘘をつかず真を話す。
仲違いさせるようなことを言わず宥和するようなことを言う。荒々しく語らず優しく語る。無駄口たたかず必要なことだけ話す。
害すことを考えず利することを考える。愛着しない。邪見をもたず縁起・空性に留まる。
493 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 09:59:36.62 ID:Hsxbn65+
ありがとう。
では、宗派による不浄も同じ意味ですか?
真言宗とかなど。
インドでいう不浄がそういう意味なら
日本では、かなり欲望でみんな不浄になりませんか?
セックスも不浄なら
結婚は子供は?
それで、仏教者が不浄な行為で子孫残すなら
今の仏教や人はいませんよね?
矛盾してませんか?
不浄ってそんなんですか?
意味不明
494 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 10:14:11.45 ID:as/1Mx8G
>>493 宗派による違いはないでしょう。
密教の見解は、果を道とするという意味で、単純に言えば輪廻即涅槃を道としてやれという意味で、これは最低、空性体験がないとできません。
一般に言われているような生の肯定とか、欲望の肯定というのは、全く密教の理解がない単なる誤解です。
インドでという意味でなく仏教での不浄の意味です。
仏教では世俗の行為は基本的に否定されますよ。
本来、出家者に子孫はいません。日本の現在の形態が異常な仏教の形態なだけです。
ただし、仏教は全て理想通りやるかやらないかという立場でなく、ちょっとでもいい行為をして少しでも苦を軽減しようという立場です。
ですから、完全に不浄な行為を断てない人は、在家行者として出家をサポートするなどいろいろな関わり方があります。
また出家者でも完全に不浄を断てる人ばかりではありません、寧ろ、現在では仏教が生きているビルマやチベット系でさえも、少数だと思います。
釈尊の時代でも結構、適当な出家者がいたのですから、当然です。
つまり、正しい道は示された。しかし、それを全く正しく行える人は少ない。これが世の中ですよ。単に論理、理論通りに行かないのは子供でも分かるでしょう。
495 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 10:29:54.52 ID:vgruNJFv
>>447 すまぬ、見過ごしていたわ。
>思うに、ヤージュニャヴァルキャが相手なら貴方はそんなことしていません。
ところがね、そんなこと(仏法にとってのヤージュニャヴァルキャ批判)をやっちゃってるんですよ。
困った奴だ、閻魔大王って野郎はw
これもマハーカッサパと同様にそのときの機縁に応じて各所に書き散らしましたので、
うまく纏められません。
特に、一番の気づきはヤージュニャヴァルキアが業報輪廻転生論に秘めた(だから彼は絶対に表立っては書かない)「毒の論理」です。
バラモン教にとって(特にブッダにとっては恐るべき)超天才(謀略)イデオローグだったというべきです。
現代のインドにおいても尚、ヤージュニャヴァルキアの縛りから解放されてはいないのだから。
ヤージュニャヴァルキアに較べたら、マハーカッサパなんかチンピラ小物でしょう。
ヤージュニャヴァルキアに対抗できたのは、
ブッダとサーリプッタぐらい、と言う「物語」(〜たら、〜れば:仮説)を
胸に秘めております。
496 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 10:30:36.38 ID:Hsxbn65+
じゃあ在家はしてもいいんですかね?
497 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 10:39:51.03 ID:as/1Mx8G
>>496 いいってわけじゃない。
不浄なのには変わりない。
清静な苦のない状態に少しでも近づこうというのが仏教なんですよ。
性欲は傷跡みたいなもので、疼くがそれを掻くとより傷が深まるので、放っとくのがいいというのが基本姿勢。
しかし、仏教なその人ができるだけのことをすればいいという道でもあり、どんな行為も強制することはないので、各自が会ったようにやればいいわけ。
あくまで自分次第なんすよ。そこが厳しい。
>>475 了解。
>>481 少なくとも資料(テキスト)的には無い筈。
尤も、自分はフィールドワークの者ではないし、
現行上座部についてしっかり情報収集してるわけではないので、
>>475 >「悟っている」が・・・ 的なニュアンスで、ざっくりとした表現方法としてあり得るのかどうかはわからない。
たとえば、日本での「和尚さん」「僧侶」というような“呼称”“括り”“カテゴライズ”の一種として・・。
つまり、その練度・程度を五月蝿く言わずに、
その領域にある者(属している者)、その領域・境地に片足踏み込んでいる者を『ひっくるめて』“総称”する
ということが、習慣的にあるのかどうかは、現状に詳しい人に聞かないとわからない。
(で、ワシはそういう人脈を持っていない(育んでこなかった)からwww)
国内の幾つかある上座部施設に電突してみたら?w
499 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 10:57:21.83 ID:as/1Mx8G
>>498 >国内の幾つかある上座部施設に電突してみたら?w
おお、それいいね。オイラの予想。
ビルマ、伝統。
タイ、中間。
スリランカ、文献学。
だとおもう。実際に会ったこと一応あるが、そんな濃密な体験じゃないので、信憑性低いが、世間の評価も同じだと思う。
500 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:07:03.46 ID:y0U1J2cD
>>498 ww 了解、
オレも自分なりに、てらわだでどのような使用法をしているのか?調べてみたw
少なくとも、文字化されているもの中では、全て、『覚者』は「最終解脱者」というような
意味で使用されていたw
(正田大観、藤本晃、スマナサーラ等の著作w)
まあ、仲間うちでの会話での使用法、云々まで話を広げられたら、それこそ
「あんたたちは、そうなんでしょうが・・・・・」というしかないだろ?wwww
501 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:10:34.89 ID:y0U1J2cD
>>488 了解w
さすがに、電凸までは、めんどいんで(宝珠ほどの気力はないww)
てらわだのHPの質問コーナーくらいで聞いてみようかいな?www
502 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:17:55.81 ID:jLEjjXb3
>>447は
>>446の続きです。
>>495 >仏法にとってのヤージュニャヴァルキャ批判
違います。
「自分の考える合理性にあわせて相手の意見を改変し、
『弟子や他人によってゆがめられる前の原型』として設定すること」です。
503 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:21:44.42 ID:vgruNJFv
>>497 >不浄なのには変わりない。
>清静な苦のない状態に少しでも近づこうというのが仏教なんですよ。
廓然無聖 廓然無浄
⇒
>>247>>248>>254>>267など。
ちなみに「清浄」などの価値判断は中道ではなく、
月称も理趣経も慧能(神会)もその他有象無象の大乗仏教徒も、
清浄という価値への執着を生む誤りを犯している。(
>>362)
この清静へのキレイゴト執着が「仏性」「如来蔵」「本覚」「清浄門」などの
ナンセンス思想となって、仏法を徹底的に歪めて逝くことになった。
まさに無明仏教であって、<無無明亦無無明尽>。
504 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:30:19.67 ID:as/1Mx8G
>>503 それで分かってるつもり?
困ったもんだ。
505 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:43:52.16 ID:vgruNJFv
>>502 >自分の考える合理性にあわせて相手の意見を改変し、
>『弟子や他人によってゆがめられる前の原型』として設定すること
⇒『ヤージュニャヴァルキアに対抗できたのは、
ブッダとサーリプッタぐらい、と言う「物語」(〜たら、〜れば:仮説)を
胸に秘めております。』
>相手の意見を改変し
実像を仮説思考することを「改変」といわれるなら、
すべての学問と、文学は成立しません。
506 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:45:02.09 ID:vgruNJFv
507 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:58:41.92 ID:jLEjjXb3
>>505 >⇒『ヤージュニャヴァルキアに対抗できたのは、
>ブッダとサーリプッタぐらい、と言う「物語」(〜たら、〜れば:仮説)を
>胸に秘めております。』
ええ、ですから、ヤージュニャヴァルキアに対しては
「自分の考える合理性にあわせて相手の意見を改変し、
『弟子や他人によってゆがめられる前の原型』として設定すること」を
していませんよね?「ヤージュニャヴァルキア本来の教え」を改変した人物を想定して
その人を槍玉にあげることもしていません。
少なくとも私は見たことが無いのですが、過去スレのどれかでされていたのでしょうか?
>実像を仮説思考することを「改変」といわれるなら、
>すべての学問と、文学は成立しません。
自分の理想を投影し、それを自明のものとして
「改竄された」後代の仏教を叩くことをもって「改変」といっています。
508 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 12:19:28.30 ID:m3O+ypTa
>>503 欲の回路を使えば使うほど欲の回路がぶっとくなり、
欲の煩悩による苦悩が増える。
それを「不浄」という言葉であらわしているだけで、
「きれい」「きたない」という言葉のままの意味とはズレがある。
509 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 12:39:16.98 ID:jLEjjXb3
時代も違う、文化風土も違う。
ということはものの感じ方、リアリティの抱き方も違うはずです。
外野の人間から見れば、わざわざ設定、定式化された教義に見えるものでも
当の本人、少なくとも開祖や「聖者」と認定されるようになった行者にとっては
はなはだリアルなものです。
(インド思想を語る場でリアルとかいう語を使うのは語弊があるかもしれませんが、
われわれにとってのパソコンや埼玉と、来世や超常的存在が同じようなノリで存在するという感覚です)
神秘体験の無い一般信徒にとっては、我々にとっての「視認できない遠い星星」「地球内部」についての情報のようなものとなるのでしょう。
自分で行って見聞きはできないし、学問の場に進んでデータの意味を理解できるようになるわけではないが、
その情報を現実のものとして信用はする。そのように彼らも信じる。
外部の人間が「ただの物語だ」と言った所で彼らは気にしないでしょうし、
(「信用できる人」が言っている以上、いま以上の「証明」は必要不可欠ではない)
外部の人間にとって「ただの物語」だからといって
相手にとってもそうだ、とするのは無意味なことです。
510 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 12:53:11.23 ID:jLEjjXb3
釈迦が神秘体験をしたのなら(仮にそれが真理でなくとも)
彼にとっては、地獄や天もフィクションではなく、
祇園精舎や霊鷲山と同じく語られうる「一切」のうちです。
業によって来世に影響が出るのも、
ガンジス川の上流から下流に水が流れるのと同じ「実際に起こっていること」です。
「実際に起こっていること」という文章に対し、中論のように解体するとしても、
どちらも同じまな板の上にあります。「ガンジス川の上流から下流に水が流れる」
のみが残ったりはしません。
511 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 13:18:29.70 ID:vgruNJFv
>>508 >それを「不浄」という言葉であらわしているだけで、
>「きれい」「きたない」という言葉のままの意味とはズレがある。
そーゆーのを後付けジャンケン、インチキレトリックというのですよ。
縁起(pratītya-samutpāda)が事実判断であるのに対して、
清浄(pariśuddhi)は価値判断であり、
両者を等しいとみなす(>言葉のままの意味とはズレがある。)ことは
戯論としても限界を越えておりできません。
まさに反仏法のインチキレトリックです。
>>489-490 そんな大雑把で括られても色んなケース・環境・条件・・・があるのだから無責任すぎる
怒るということは、エネルギーがいるし不快で疲れるし・・誰も怒りたくて怒ってる人はいない。
>自分の考え方を変えましょうというのが、仏教の因果の教え。
例えば、君の伴侶に浪費癖があり金使いが荒らく何回注意しても聞かなかったら?
君の娘が宗教にのめり込んで君の言う事を聞かなかったら?
君の父親が女癖が悪くて不始末ばかり起こしていても反省がない時は?
注意しても注意してもギヤンブルにのめり込んでいる友人がいたら?
詐欺ばかり起こして他者を不幸にする人達が知人にいたら?
↑ このように誰が考えても納得しないようなことばかり繰り返す人が家族にいたら?
どんな風に因果関係で説明して考え方を変えるのですか?
>>512 走ってつまづいたこととかあるでしょう。
自分の体さえ自分の思いどおりにならないのに、
他人の身心が自分の思いどおりにならないのは当然。
ですから、最初から親族と思わずに、初対面の人に対するようなニュートラルさで、
そのつどそのつど対応するしかないのでは。
夫婦だったら離婚すればいいのだし、
親子でもどうしようもない相手なら縁を切ってもいい。
また、たとえば、浪費癖のある妻に浪費癖の苦情を言うとき1分間だけ怒っても、
次の瞬間には普通に笑顔で夫婦の会話をする、とか。
ある禅僧のエピソードで、同居人が毎日同じオモシロ話をするんだけど、
その禅僧はまるで初めてその話を聞いたかのように毎回笑ったそうです。
「また同じ話か」と過去をひきずって聞くのではなく、常に新鮮な感情で接する。
514 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 18:55:23.84 ID:m3O+ypTa
相手が知人でも、犯罪行為は警察に通報すべきでしょう。
「知人だから」という過去の事情は別の話。
もし初対面の詐欺師をあなたがみつけて通報したら?
直後にでも、その話を笑いながら家族とかに話せるでしょう。
515 :
絶対神:2012/07/19(木) 19:07:13.86 ID:Q7Vwdn7/
「当たり前だけれども」
『他人のせいで不幸になる事は幾らでもあるし、自分の力が及ばない
事で不幸になる事は幾らでもある』
「更に自分の性格だって変えられない事は幾らでもある」
なんでも自己責任にする考えと言うのは
『実にあっさり限界が来てしまう』
516 :
絶対神:2012/07/19(木) 19:08:13.40 ID:Q7Vwdn7/
>>513 「意味不明」
『お前実際に身内関係で悩まされた事ないだろ』
「あまりふざけるなよ」
517 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 19:10:14.57 ID:3kYnTSTN
この金剛手大菩薩、「世の欲すべて浄らなり」
この教えをば示さんと、お顔怡(やわ)らげ微笑みて、
「金剛印」の印結び、右手に五股杵動かして、
進む勢い示したり。
大なる楽は金剛の、不壊なる上に空ならず、
この境地をば示さんと、聖音「フーン」と唱えたり。
518 :
絶対神:2012/07/19(木) 19:10:29.56 ID:Q7Vwdn7/
「私が仏教が嫌いな最大の理由のひとつは」
『小賢しいからだ』
『そんな事が出来たら苦労しねーよ馬鹿野郎』
この世界には、「どんな理屈をつけようがどうにもならねー不幸が幾ら
でもあるんだよ」
519 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 19:20:32.30 ID:3kYnTSTN
すべてのものは如来となる
清浄(きよき)を内に蔵したり。
それはなぜなりや、
ひとはみな、個我を離れてそのままに、
すべての人に行き亘る、一切我の徳をも兼ねてもてばなり、
この徳表す仏をば、普賢菩薩と我は呼ぶ(大円鏡智)
また、この世なる一切は、その源に帰るとき、
変わらざること金剛の、智慧の水にて灌がれる(平等性智)
520 :
絶対神:2012/07/19(木) 19:24:21.28 ID:Q7Vwdn7/
「君たちが思いつく事くらい大抵の人間は思いつきます」
『それでも逃れられないのが、この世の不条理というものであり』
「不幸です」
前から言っているように、仏教なんかに帰依するよりは
『「神」に縋った方がまだ救われる可能性が高そうです』
>>520 また、絶対神が鉄格子を壊して出て来ているんだな。
早く病院に戻って、お薬をもらいなさい!!
522 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 19:51:35.62 ID:3kYnTSTN
また、この世なる一切(すべて)には、姿形に差のありて、
調伏(うちかた)るべきものなれど、その源にかえるとき、
差もなくすべて平等(ひとし)かり。
世にあるものは皆すべて、その大元は一つなる、
法の現ぜる姿なり。 金岡 秀友 『理趣経』
>>513-514 残念ながら、因果関係の説明が全くありませんね
>>516 >『お前実際に身内関係で悩まされた事ないだろ』 「あまりふざけるなよ」
↑ と同じく、宗教者はご苦労無し、言葉だけの空しいカラ回り!
全く説得力無――――し!(笑
524 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 20:12:10.43 ID:vgruNJFv
>>517>>519>>522 「仏教そのものは特定の教義というものがない。
ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことを欲せず、
機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をした」
「ゴータマはその臨終においてさえも、仏教というものを説かなかった。
彼の説いたのはいかなる思想家・宗教家でもあゆむべき真実の道である。
ところが後世の教典作者は右の詩に接続して、仏教という特殊な教えをつくってしまったのである」
(中村 元 「釈尊の生涯」より)
525 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 20:32:55.73 ID:vgruNJFv
「スパッダよ、私は29歳で善を求め出家した。私は出家してから50年余となった。
正理と法の領域のみをあゆんできた。これ以外に<道の人>なるものは存在しない」
言うまでもなくブッダの臨終時のことばとされている。
自灯明(世俗)法灯明(勝義)ではありえても、
仏灯明(仏者、仏教、仏典)ではない。
仏法は動いてやまぬ(方便:非動非止:縁起)。
仏法の教義としての固定化、
戒律運営の形式化
ブッダを帰依対象とする信仰宗教化
これらはブッダの最も望まない常呂だろう。
仏教の歴史は、ブッダの鋭い『縁起の思想』を
愚昧な連中が迷妄溶暗宗教性へと変節堕落させてきた
愚かな過程だったと総括することもできるのだ。
526 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 20:39:59.28 ID:vgruNJFv
× 常呂
〇 ところ
527 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 21:06:27.59 ID:as/1Mx8G
>>525 結構、いい線いってるけど。縁起は思想じゃないぞ。
それに貴方より、伝統仏教者の方が縁起が分かってると思う。
特に龍樹菩薩とか、ジャングン・ミパムとかは。
528 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 01:59:03.42 ID:kl9eX+Ki
>>516 >>523 実際に身内に悩まされ続けたことがあるし、
その結論として、相手が変わってくれるまで待ってたら幸せなんかいつまでも来ない、
自分の思考の癖をみぬいて改善していく方が早い、と思います。
そのために仏教では修行があるのであり、
具体的に思考をコントロールする実践は可能だと思います。
いろんなジャンルで、訓練してまったく進歩しないということのほうが希で、
他人と比べたら進歩のスピードに差はあっても、やったらやっただけの効果がでることが多いのでは。
なんで、仏教の修行だけは最初から効果がないと思うのでしょうか?
自分で自分をマインドコントロールするのは全く無理でしょうか?
529 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 02:02:27.93 ID:kl9eX+Ki
>>525 仏は修行をして修行の効果があった人。
その経歴を信じることは、自分も修行したら何らかの進歩があるはずだという励みになる。
「机上の空論だ」とか「きれいごとだ」と言われても、
「実際にやってのけた人がいるんですが」と言える。
530 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 02:07:40.97 ID:kl9eX+Ki
>>515 何でも自己責任にするのは、グルグルと恨みつらみ妄想の堂々巡りをするのを
スパッと止める効果があります。
「あいつのせいで」とか色々考えてたら怒りが増幅されて頭に血が上って冷静さもなくなる。
「これも過去世の業の報いかもね。(思考終了)」で、怒りの妄想巡りはやめにして、
次の瞬間からは具体的にやるべきことをやるための思考を始めるほうがいいのでは。
>>530 >「これも過去世の業の報いかもね。(思考終了)」
証明も不可能なことを盲信して思考の奴隷にならなくても
怒りのエネルギーを別の方向に向けれと、、、、かように言葉だけなら簡単に言えるな
実際はいろんなしがらみがあってもっと複雑な世の中・生活・・・だから君は単純でご苦労無し(笑
忙しいのでノシ
532 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 07:29:50.81 ID:d2oHWkZ7
>>527 >縁起は思想じゃないぞ
では「縁起の法」に訂正する。
法(則)であっても、創作概念体系(いわゆる戯論)ではないのはたしかだ。
しかし、一般的表現に従った(たとえば、三枝充悳「縁起の思想」法蔵館)
>伝統仏教者の方が縁起が分かってる
>>517>>519>>522の『理趣経』が縁起を掴めているとは思えない。
まさに縁起撥無の神秘主義思想のたわごとだ。
縁起・無我と如来蔵・仏性思想<心性本来清浄⇔不垢不浄(般若心経)>との間には連続性ではなく断絶をみる。
さらに不二一元論も仏法ではない。どう表現しようと、現象の背後に実体(本質・本体)を認めるのは反仏法だ。
533 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 08:01:17.39 ID:kl9eX+Ki
>>531 単純でご苦労なし になろうとすればよいのでは。
534 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/20(金) 08:42:37.21 ID:Y3S+myWq
535 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 09:11:31.41 ID:hmXI5yyI
>>532 三枝なんか、縁起が分かってない典型的な文献学者でしょ。
>
>>517>>519>>522の『理趣経』が縁起を掴めているとは思えない。
>まさに縁起撥無の神秘主義思想のたわごとだ。
そりゃ、『理趣経』が分かってないだけだよ。君も彼らも。
月称菩薩も『理趣経』を典拠にしてるし、弘法大師も諸チベット中観者もそうだ。
オイラの理解でもなんの矛盾もない。
>縁起・無我と如来蔵・仏性思想<心性本来清浄⇔不垢不浄(般若心経)>との間には連続性ではなく断絶をみる。
>さらに不二一元論も仏法ではない。どう表現しようと、現象の背後に実体(本質・本体)を認めるのは反仏法だ。
如来蔵・仏性も空性だぜ。相応部経典『縁経』で説かれる法界となんの違いも感じられない。これも龍樹菩薩、月称菩薩も、弘法大師も諸チベット中観者もそうだ。
寧ろ君が文献学者やゲルク理解に囚われてるだけでしょ。
536 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 09:13:31.87 ID:IQ8o3cwn
仏教はこの世の不条理に関しては全面的に認める立場だと思う
「一切皆苦」なんだからね
それを踏まえた上で修行を通して生死を超える道を説いた訳だ
537 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 09:16:15.79 ID:2VBi0W1U
「ブッダガヤはネーランジャヤー河のほとりにある」
「トゥシタ天はヤマ天の上方にある」
後者のほうは「教義」と言われるんだろうけど、
釈迦や行者にとってはどっちも同じようなものなのかな、と。
538 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 09:27:21.37 ID:hmXI5yyI
>>537 そう。どちらも言い習わしでしょ。
ただし後者は物理的上方と捉えるのは、アビダルマ的誤解だと思う。
単に禅定的に上なだけで、言い換えると集中力が高い人に現れる世界としての言い習わし。
539 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 10:36:54.47 ID:d2oHWkZ7
>>535 仏法は無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相の無分別中道(時空際断)です。
ブッダの本懐は実存苦の超克にあるのであって、
苦しみの直接的原因は相対に対する『我執』であり、
我執の原因は無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相の無分別中道であることを掴めない
⇒有我(実在)であるとの“誤解”にあります。仏法は無我にて候。
ゆえに「仏教」レベルでもあらゆる執着原因となる相対を認めない中道でなければならない必然性があります。
縁起(pratītya-samutpāda)が法則事実であるのに対して、
清浄(pariśuddhi)は「有」価値判断であり(
>>511)、清浄への執着原因⇒苦そのものとなります。
この相対有価値判断(清浄)を前提に丸ごと肯定構築された理趣経は
苦しみに原因となるキレイゴトの神秘主義権威主義の反仏法です。
〇〇元論は現象(一切。仏教は苦しみの原因となる縁起現象のみを問題にし、
他には無記を貫徹する)の背後に実体を認めるもので反中道です。
しかしあなたの権威主義体質丸出しは恥ずかしいですよ。
それに、『空性だぜ』を付ければ何でもありの全面肯定(お嫌いな机さんと同じ)になっちまう。
>>532も『空性だぜ』なんだから否定できないでしょ?(爆笑
540 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 10:56:58.43 ID:hmXI5yyI
>>539 笑うのは勝手だが、三枝なんか根拠にしてもらっちゃ困るは、
そんな人に権威主義とかいわれてもね。
>仏法は無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相の無分別中道(時空際断)です。
>
>ブッダの本懐は実存苦の超克にあるのであって、
>苦しみの直接的原因は相対に対する『我執』であり、
>我執の原因は無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相の無分別中道であることを掴めない
>⇒有我(実在)であるとの“誤解”にあります。仏法は無我にて候。
>
>ゆえに「仏教」レベルでもあらゆる執着原因となる相対を認めない中道でなければならない必然性があります。
>
>縁起(pratītya-samutpāda)が法則事実であるのに対して、
>清浄(pariśuddhi)は「有」価値判断であり(
>>511)、清浄への執着原因⇒苦そのものとなります。
まあ、ここまではまあまあ。
>この相対有価値判断(清浄)を前提に丸ごと肯定構築された理趣経は
>苦しみに原因となるキレイゴトの神秘主義権威主義の反仏法です。
これじゃ、批判仏教みたいな常識主義と何ら変わんない。
単なる観念的な理解としか思えない。
>〇〇元論は現象(一切。仏教は苦しみの原因となる縁起現象のみを問題にし、
>他には無記を貫徹する)の背後に実体を認めるもので反中道です。
オイラはそんなこと言ってないんだが。
541 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 11:00:51.61 ID:hmXI5yyI
>しかしあなたの権威主義体質丸出しは恥ずかしいですよ。
そうすか。まあ、こういう言い草は大抵、論理に行き詰ってヒステリックにキーって叫んでるだけだと思うんだが、そういうのは恥ずかしくないわけ?
>それに、『空性だぜ』を付ければ何でもありの全面肯定(お嫌いな机さんと同じ)になっちまう。
>
>>532も『空性だぜ』なんだから否定できないでしょ?(爆笑
そんなこと言ってないな。オイラが言ってるのは、如来蔵、仏性、法界とっいってもアートマンと言われるような実在ではなく、空性なんだということ。
それは諸経典や諸論が一致して言ってるよ。ほとんどゲルクとか批判仏教みたいな一部の文献学者以外はね。
それを無視して、勝手な妄想広げなさんなって話だ。マハーカッサパとかも同じ。大乗の伝統は彼と違うテルマみたいなもんだからね。
まあ、貴方のしょぼい妄想には何度も付き合ってられないからこの辺にしとくは
542 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 11:00:58.20 ID:d2oHWkZ7
>>540 >三枝なんか根拠にしてもらっちゃ困るは
一般的表現に従った、といっただけですよw
権威主義は大嫌い。
ばあちゃんを病院へつれてゆくので、ちょっとタイム。
またあとで。
543 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 12:21:48.28 ID:kl9eX+Ki
>>541 悟る(煩悩がなくなる)可能性が誰にでもあるとしても、
悟らないかぎり悩み苦しみはなくならない。
如来蔵なんて「基本的人権」とかと大差ない、
プライドの煩悩(慢)を満たす甘い蜜、慰めにすぎないのでは。
もちろん、慰めの効果は認めます。
544 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 20:03:38.23 ID:d2oHWkZ7
>>540 >この世なる一切は、その源に帰るとき(
>>519)
>その源にかえるとき、 差もなくすべて平等(ひとし)かり。
>世にあるものは皆すべて、その大元は一つなる(
>>522)
事実上buddha-dhātu (仏の基体・界・根源的存在)=大日如来(ブラフマン)を
設定する理趣経は、
・大日如来との「合体」を夢想する梵我一如の反仏法であり、
・根源的実在・諸法の発生根拠という意味をもつ“dhātu"なるモノを認めることは無我説に反し、
・またいかにキレイゴトを並べようと、根源的実在(不二一元論)への執着⇒苦を生む反仏法である。
545 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 21:31:55.10 ID:fps2TMPd
この世は幻だけど
真理がわからないと幻と見抜けない
だから瞑想して常に真理に接するべきである
546 :
神も仏も名無しさん:2012/07/20(金) 22:32:09.36 ID:d2oHWkZ7
>>545 >真理
無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相の無分別中道(時空際断)において、
偽理を相対とする『真理』はありえない。
真理は執着⇒苦を生じさせる反仏法である。
したがって、龍樹の中論24-8・9・10の表現は誤っている。
真理はないっていうのは
クレタ島の嘘つきのようになってるね。
真理がないなら真理がないという真理もない
548 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 04:57:14.95 ID:0/wkseaT
>>547 もちろん、“世間での「理(=理性論理分別)」解としての真理(世俗諦)”(中論24-8)は想念できる。
問題は、無分別中道(勝義諦)においては、執着を生む二項相対分別概念たる【真理】は中道ではありえないことにある。
ここが悟り=勝義を体得するための乗り越えるべき「関」のひとつだ。
以前(
>>503)に出た【清浄】という価値観念も関だ。
だから、理趣経は仏法に反するインチキ仏教と批判した。
だから、『究極の立場から見られた真理』(中論24-8:中村元 訳)などと言う表現は
ありえないと龍樹を批判している。
まさに廓然無聖 廓然無真 廓然無浄。
さすがに達磨大師は掴んでおられる。
550 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 07:21:37.22 ID:i2QmNnAZ
551 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 09:09:45.14 ID:LZEL4YPM
>>534 まづ、一度位、各宗派でそのテストをして結果・効果を出してみて欲しいわ(笑
552 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/21(土) 09:23:18.51 ID:49cxskjU
>>551 各派各寺院での効力の比較検討ということ?
それじゃー、まるでマスコミの噂検証番組の世界ですね・・・。
553 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 10:45:03.94 ID:bZYz2QQ/
ついで世尊は、分別と、議論をすべて離れられ、
およそすべてのことばをば、自由自在にあやつりて、
ことばの理趣を説き給う。
(それは文殊の智慧といい、四つの門より成り立ちぬ)
554 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 10:54:12.85 ID:bZYz2QQ/
一、 すべてのものに体はなし。 すべて空にて、体はなし。
二、 すべてのものに相はんし。 その性(さが)、定める相はなし。
三、 すべてのもに願はなし。 その性(さが)、特に願立てず。
四、 すべてのものは空にして、固定の相も願もなし。
かくてものみな自由にて、光り輝き清浄(きよら)なり。
これぞ般若の理趣ならん
555 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 12:03:12.96 ID:bZYz2QQ/
教えを説ける毘盧遮那は、 文殊の姿となり給い、
この教えをば示さんと、 お顔怡らげ微笑みて、
智劔(ちげん)揮いて、 世の仏、
みなことごとく斫(き)り捨つる、
強き姿となり給い、 聖音 「アム」 と唱えたり。
金岡 秀友 『理趣経』
>>533 その辺が解らないのはさすがご苦労知らずの宗教者、
だから怒りやすい性格云々・・なんて単純に言う
自分一人でいて怒りやすい性格なら多分、病気でしょ
自分から怒りたい人なんていないの、自然ではないの
仏教は、人間の本質から理解出来ていないの?
皆、自分の周りの態度・行動・言葉・・・等で怒らされてしまうの
その条件・環境等も各人多様で複雑w
.| ,. '"::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、 |
失 や 精 |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ. | 気 お
せ る 神 |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ |. ち . い
ろ か 安 |,. '" / `ヽ、::::::::::〉 |. が !
ら 定 | / / i ハ ヽ 、 ヽ::/ |. い
. 剤 ノ/ /.ゝ!、ハ i ! ,!ィ! ハ !ハ / .ど
ヽ i ハ ハ'T7ヽ!ヽ! レ7'"7T'! / i  ̄|, も
`''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!'ト___リ ト__,.リ レ' / .| ! !
ほ 〈ヽ、 ! " "/! rイ |
れ ヽ. ヽ.ヽ、 r─ 、 ,.イノ ノ ヽー-------‐
! 〉ヽ、ヽ.>.、.,,___-' ,.イハイ
ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
__ rイ、__、___ iヽ--‐ヘ::::::ヽ:::ヽ.
と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::、
,. '", θ:..`ヽ、!,イ . 十::::::::::!、_r:、_rン
/./7 ,. . !ン ` - ''^:::::::-イ、 ヽ.
`´ / /7 ハ !ヘ 十::::::::iィ´ ノ
558 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 14:49:26.57 ID:1J+9wQhf
>>552 >まるでマスコミの噂検証番組の世界ですね・・・
結果・効力が今まではっきりしないのだから仕方がない
無料ではないし、一度位、効力を確かめるのはおかしなことでもないでしょ
559 :
?:2012/07/21(土) 15:58:36.40 ID:TRpwTm9S
560 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 16:12:28.03 ID:2b4Gd/JY
>>556 周りの人の言動が同じでも、怒る人と怒らない人がいますよ。
たとえば、予防接種の注射を迫られたとき、
幼児なら泣きわめくほど怒りますし、お菓子をもらえなかったときも、
楽しみにしていた遊園地に家族の都合で行けなくなったときも、
幼児なら泣きわめくほど怒ります。
しかし大人なら、同じ条件でも泣き叫びたいほどの怒りや苦悩は感じないでしょう。
幼児からみたら、遊園地に行けないのに泣きもせず平気でいられる大人は、
「ご苦労知らず」なんですか?
また、あなたが、今のあなたよりもっと「大人」になれば、
もっと怒りにくくなるとは思いませんか?
561 :
神も仏も名無しさん:2012/07/21(土) 16:24:17.55 ID:2b4Gd/JY
>>560 もし、若いときから、80才のお年寄りのように「まるい」(怒りにくい)性格になれたら、
人生のイライラやムカムカの大半はなくなり、
かなり快適な精神状態で人生を過ごせるのではないでしょうか。
>>513 >ある禅僧のエピソードで、同居人が毎日同じオモシロ話をするんだけど、
>その禅僧はまるで初めてその話を聞いたかのように毎回笑ったそうです。
全ったく解っていない 理想論なのか嘘なのか・・人間にできそうな事と
できない事の区別がつかなくなるのが宗教者の特徴のよう
ある女性は、結婚したら夫の行動に嫌なところがあった。
それは誰でも嫌になるようなことだ。しかし、愛していたし
良い妻になりたかったので5年間不平も言わず耐えて我慢した。
その結果は、6年後大爆発となって出たそう。。。。
これが人間の本質・限界
宗教は、精神面で理想ばかり追い求め要求し、際限がない
肉体にも限度があるように精神面でも人間には当然、限界がある
肉体は死を越えられないし、精神も同様にその限界を越えられない
無理を続ければ必ず肉体同様に精神にも反動が出る
563 :
不説 ◆pnwp1PtdUe3C :2012/07/21(土) 18:40:53.52 ID:wgTlyQuG
長期規制解除記念です。
流れとしては、公明党と共産党の話を知人としていました。
私「いずれも、外部の人間が、政策の適否の評価だけで、支持(投票)し辛い感じ。
基本的に、支持者(プレイヤー)=活動員(プロ)という性格の強い政党。
一方、民主や自民(その他みんな・社民等もおそらく)はそうでもない。現代のテーラワーダ
・チベット仏教のように、出家(プロ)と在家(アマチュア)の二層レイヤー構造となってい
る底辺に寛容性のある集団(現代の日本仏教は伝統的なオリンピック競技のようにアマチュア
イズムが優勢)。
公明党・共産党はその点でカルト新興宗教的な色彩を帯びており、実際にその政策面以外の部
分で、隠された「爪」がある。
そういう点で、公明党や共産党に対しては、政策面だけの是非では語れないね」
と、無所属の純粋な一選挙民としての立場で述べようとしたわけです。
※1件目の書き込み
>>563はトリップ入力を失敗した模様です
その後、彼が政治を活動する側(メーカーサイド)としての経験からの(上からの)視点によ
る意見で、こちらの「一選挙民」(ユーザーサイド)としての立場で物事を考えようとする立
場(思考方法)を軽視しようとするので、(彼や私のプライベートも絡んでいるので、具体的
な経緯はざっくり省いて以下抽象的に述べますが)皮肉で返したら、どうも彼のプライドスイ
ッチに触れたらしい。
プライドスイッチをポチっと行くと、個人対個人の話で、争論の「勝ち負け」の問題になって
しまいます。「俺は俺は(優れている)」「お前はお前は(劣っている)」で、我(アートマ
ン)と我(アートマン)の対決で勝ち負け(優劣)に持って行く方向になるわけです。私とし
てはそういう(俺俺対決を巡って躍起になる手の)やりとりになること自体、2ちゃんねるで
嫌というほど見(読み)厭きているので、ああ、またかと。まあ、世俗事でも、特に政治とい
うものはそういう風になることが、物事の自性として備わっていることが明らかなので、仏教
の出家者戒律では、政治の話題に触れること自体が禁じられているわけでしょう。
政治という公のための活動が、結局は他人に「俺は俺は」をアピールするための感情充足を理
由とする潜在意識的な根源的動機に基く。元来「我(アートマン)」というものはそういうも
の以外の何物でもないわけですね。一切是皆俺俺症候群也。
565 :
?:2012/07/21(土) 21:30:51.07 ID:TRpwTm9S
>>564 不説先生
> 個人対個人の話で、争論の「勝ち負け」の問題になってしまいます。
> 「俺は俺は(優れている)」「お前はお前は(劣っている)」で、
> 我(アートマン)と我(アートマン)の対決で勝ち負け(優劣)に持って行く方向になるわけです。
> 私としてはそういう(俺俺対決を巡って躍起になる手の)やりとりになること自体、
> 2ちゃんねるで嫌というほど見(読み)厭きているので、ああ、またかと。
この2ちゃんねるにおいても、私【?】が頭ごなしにコテンパンに叩かれていると言う事は一旦おいといて
秘密経典・理趣経 八田幸雄 178ページ参照
〔世間一般的な〕人々は
自分の考え方、観方が最も正しいものと確信し
自己が正しいからこそ相手の考えを誤ったものとして退ける
立場を変えてみると
他の人からみれば自分の考えは誤りである
と言われる事になる
自分も他人も
本来確固たる真理に基づいている訳ではなくて
あたかも浮き草が流れていくように
拠り処がないのに
自己が正しい〔相手が間違いである〕として
お互いに相争う結果となる
これを戯論(けろん)と言うのである
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331725479/l50 仏教 議論 33 (←私【?】が立てた分家版)
↑ こっちもよろしく
>>565 ?氏
我にも色々なスケールのものがあると思うわけです。
必ずしも、一私個人としてのスケールにおける自己の感情充足に基くものだけではない。
政治のように組織、国家、民族に自我を代替して、その充足を目的とする場合もあります。
有名人に自分の欲望を投影して代替させる場合もあります。
フィクションのキャラクターに投影する場合もあります。
知識人の見解(言論)に代替させて投影する場合もあります。
例えその言葉自体が真理や仏教者にとっての仏法(ダンマ)であっても、その言葉をどうい
う形で用いるのかということがポイントで、要するに、使っている人の動機次第ですね。
言ってる情報が正しい(真理である)か、どうかというのは、本質的ではないと思います。
人を傷付けるために振り回しているのであれば、例えば、それがどんなに自然科学的に再現
性のある“科学的真理”であったとしても、それは仏教的に重要なことではないと考えます。
そのような悪意に基づかない場合でも、特に、大して重要な必要性もないのに、高邁な理論を
暇潰しのオモチャにするようなことも戯言・妄言として、仏教では戒めています。
さて、?氏は、どのような動機(意図)で書物からの引用を繰り返されているのでしょうか?
妄語ではなく、ご自分で、これはと思う何らかの「法」があるのでしたら、それを実用に供
されればよろしいのではないかと。2ちゃんねるでの書き込みのネタとして消費するのでは
なくて。悪因悪果善因善果ゆえ諸悪を避けて諸善を為す。仏教の基本理念です。妄語も悪行
の一種だということは忘れないでください。言ってる理論や内容が真理か否かじゃなくて、
結局、行為(業)がどうなのかに着目するのが仏教だと私は思っています。
567 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/22(日) 03:36:27.87 ID:YaMw1+AZ
>>558 ご指摘とおっしゃる意味については理解します。
検証の価値はあると思いますが、マスコミの仕事ですね・・・。
私個人は、
本物の開眼仏(開眼作法を修した本当に開眼された仏像仏画)や
護摩祈祷を修したお札やお守り類のパワーは直に強力に感じとれるので納得しています。が、
“有難いものだ”という思い込みのプラシーボ効果に過ぎない、
といった批判を完全に払拭することはなかなか容易ではありません。
とても見れたり聞こえたりはできないので、
ただパワーを感じるだけなので弱いところです。
私自身はこの2年で、
この不動尊信仰との出逢いで人生のあらゆる面で道が切り開かれて、
それ以前では想像できなかったほどの開運を体験中なのですが、
そのことを第三者に、それが不動尊と護摩祈祷の効力の後押しに拠るものとして示すことは殆ど無理ですね。
何かもっと、客観的な事実としての神秘現象でも起こればいいのですが。
それはなかなか・・・。
568 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 04:15:03.13 ID:WRly1YcP
>>565 >秘密経典・理趣経 八田幸雄 178ページ参照
>
>〔世間一般的な〕人々は
>自分の考え方、観方が最も正しいものと確信し
>自己が正しいからこそ相手の考えを誤ったものとして退ける
>立場を変えてみると
>他の人からみれば自分の考えは誤りである
>と言われる事になる
>自分も他人も
>本来確固たる真理に基づいている訳ではなくて
>あたかも浮き草が流れていくように
>拠り処がないのに
>自己が正しい〔相手が間違いである〕として
>お互いに相争う結果となる
>
>これを戯論(けろん)と言うのである
これは戯論にピッタリ嵌らないな。
戯論というより見執でしょ。
八田さんなんか根拠にするなよ。
>>560 >周りの人の言動が同じでも、怒る人と怒らない人がいますよ。
それは、人生・環境・生い立ち・容姿顔つき・指紋・職業・地位・周囲・・・etc.
が全〜部一緒と言う人はいないでしょうからね、当然と言えば当然のこと
他人と比較しても仕方が無い。言葉だけなら何でも言える
比較する気なら
>>557にはこんなことも言える
返答に詰まったからって怒るな怒るな→
>>513 宗教者は幻と解っているなら批判されてもクササないで笑っていたら?・・とね(笑
>>513のレスなど絵に描いたモチ的な例できれい過ぎる感じで宗教話の特徴、
だから、宗教者は選択の余地のない世俗の人達の修行には及ばないと言われるのでは?
570 :
?:2012/07/22(日) 09:53:17.79 ID:j0GKfYiX
>>566 不説さん
>?氏は、どのような動機(意図)で書物からの引用を繰り返されているのでしょうか?
私【?】の場合は
小学四年生の頃に、落武者の霊を、はっきり、くっきり、目撃して、それから
オカルト → 密教 → 瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき) → 根本仏典 → 中論
と言う順番で
仏教関連などの解説書を読んで、それを土台として
それから自分なりの総括をする
と言う順番が良いと考えてます
− − −
もし仮に
仏教関連などの解説書からの引用をしないと
いきなり 「 落武者の霊は存在するのだ! 」 と言う主張になるので
中論も勉強して、それを土台として、それを踏まえた上での
自分なりの主張をする
と言う順番が良いと考えてます
571 :
?:2012/07/22(日) 11:02:39.81 ID:j0GKfYiX
572 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 11:02:51.16 ID:YYCCsGOt
>>562 その話の妻は5年間我慢しんですよね。
我慢するということは、怒ってるけど夫には言わなかったというだけの話であり、
怒らなかったわけではありません。
また、仏教では執着も悩み苦しみの原因と説いています。
怒らないように思考を変えるか、執着せずにさっさと別れるかすればいいのです。
>>569 他人との比較だけでなく、同一人物でも、
時間の経過とともに精神的に成長することは可能だと思いますし、
同じ成長するにしても、意図的に方向性を意識しながらなら、よりその方向に向かうと思います。
数年前の自分をふりかえってみて「あのときの私は若かったな」と苦笑することはあるでしょう。
それは世俗の生活しながらでも心は成長できるということです。
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i: : : : : : !TT 爪: : : :.| /{f心∨: : : : :.|: : : ',
|: :|: :!: : N r テメ \: :| v少 }: : : : : :|: : :.ハ やだ、このスレ、宗教臭い!
|: :i: :' ,: : 代 Vrリ `' ー',厶イ: : イ|: : : : : \
|: :ハ: : ヽ: :ヽ ¨´ ' /: : : :.〃: : : : : : : :\
',.:.| \: :`込、 v ⌒> /:/: : : /: : : : : : : : : : : \
ヾ! \|: : :> 、 ,. イイ/: : : /、: : : : : : : : : : : : : :ヽ
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/: : :./: : { ィ介/: : / / ⌒ ヽ: : : : :.\: : : :/
/: : ,イ: : :.ハ 〃//: :,イ | |: : : : : : :.\/
/: .イ人__/: :|{V./: /:./ | ',: : : : : : : : :\
!:./ | /: : |Y/: : : :{ | '⌒ !: : : : : : : : : : ヽ
V: : \/: : : | |!/: : :.| ', |: : : : : : : : : : : :)
574 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 15:10:31.50 ID:6Fv8sSOv
迷いがなければ仏教に救いを求めることもなかったろうに
お布施と加持祈祷の効果は、現代人ならばそろそろ追跡調査の結果が欲しい
気休めでは無いと宗教者が主張するならばね
川崎大師に行って護摩祈祷、他でも祈祷してもらったことあるけど効かなかったなぁ
576 :
?:2012/07/22(日) 16:44:33.79 ID:j0GKfYiX
密教においては
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
双方が相応一致することで仏と衆生の持つそれぞれの三密が入り混じて他を己におさめ持ち
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
「 加と持の双方が相応一致しなければ効果は現われない 」
と言う事なんじゃなイカ?
577 :
?:2012/07/22(日) 17:30:40.82 ID:j0GKfYiX
スッタニパータ 568
火への供養は祭祀のうちで最上のものである
サーヴィトリー〔賛歌〕はヴェーダの詩句のうちで最上のものである
だけど
スッタニパータ 927
わが徒は
アタルヴァ・ヴェーダの呪法と
夢占いと相の占いと星占いとを
行なってはならない
578 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 17:41:31.26 ID:NA1pJrAU
>>530 >「これも過去世の業の報いかもね。(思考終了)」で、怒りの妄想巡りはやめ ・・・
君の思考でいくと、オウムに殺された人も、後遺障害を負った人も自己責任で怒りを納め、
津波にさらわれた人も、先天性障害者も、交通事故に合った遺児家庭も、いじめで自殺した
中学生の家族も自己責任=「これも過去世の業の報いかもね。(思考終了)」で、怒りを速やか
に納めろと言うこと?
君は、「過去世の業の報い」を証明してから言ってくれ!
何で怒るとグルグルと恨みつらみ妄想の堂々巡りをすると決め付ける?
皆、悲しみに負けずに具体的にやるべきことをやるための思考を始めているのだから・・
579 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 18:11:13.62 ID:YYCCsGOt
>>578 悲しみも怒りの一種です。
大事なのは怒りを速やかに静め、怒りを長続きさせないことです。
「過去の業の報い」が事実かどうかというよりも、
そう思ったほうが他人を恨まなくてすむため怒りが長続きしなくてすむ、ということです。
過去のできごとは、いくら怒っても戻せませんし。
また、具体的に思考・行動するときに怒りが静められるのなら、
具体的に思考・行動するのもいい。
誰かに恨みを抱いている人でも、トイレットペーパーをちぎる瞬間は
恨みを忘れてトイレットペーパーのことを考えている。
そのように、具体的なことに集中することで、怒りを長続きさせないのも重要でしょう。
交通自己については、怠けの煩悩が引き起こす場合が多いと思います。
運転に集中すべきところを集中できないのは、怠けの煩悩があるから。
煩悩を捨て去ろうとしている人は、煩悩を捨て去るのは簡単なことではないことも理解しますので、
怠けの煩悩によって事故を起こしてしまった人に対して、寛容になれると思います。
自殺については、自殺者の9割は「うつ」だと言われています。
いじめのことをグルグル怒り妄想した結果「うつ」になる可能性はあります。
自殺願望が2週間以上続くなら「うつ」の可能性がありますので、
「うつ」の原因となったいじめの解決も大事ですが、
医師に相談するのも大事です。
神経的に健康な状態でいじめられても自殺しないかもしれない人が、
うつのときに同じいじめをされた場合には自殺してしまうかもしれないから。
国語辞典的の意味での鬱なのか、病名としての鬱病なのかで意味が全く違うんだけどな
曖昧な表現は控えてもらいたいね
581 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 18:20:50.57 ID:YYCCsGOt
>>578 煩悩がなくなれば死後は涅槃に入りますから、
災害や事故にあうこともないし、先天的にも後天的にも病気になることがないし、
被害者になることも加害者になることもないし、
この世に生きていないから自殺する必要もありません。
過去世で煩悩を残したまま死んだため四苦八苦のこの世に生まれてしまったわけで、
この世に生きていること自体が過去世の業の報いなんだから、
この世で受けるあらゆる苦しみも過去世の業の報いです。
582 :
神も仏も名無しさん:2012/07/22(日) 18:30:31.46 ID:YYCCsGOt
>>580 脳神経の病としての「うつ」ですが、「うつ病」だけを限定していません。
要は、骨が弱っている子供が、健康な子供と同じ体育の授業を受けても骨折する可能性が高くなるし、
風邪をひいている人は同じマラソン大会にでてもぶっ倒れる可能性が高くなる。
「うつ」になっている子供がおなじいじめを受けても自殺を決行する可能性が高くなる。
初めていじめられてすぐに自殺することはまずなくて、
くりかえされるうちに「うつ」になって神経的に弱っているところに、
いじめられてポキッと折れるのでしょう。
逆にいえば、「うつ」に対して医療的対応ができていれば、
いじめられていても自殺は防げたかもしれない。
とにかく、長い人生の中で中学3年間なんて、ふりかえってみれば短い期間なわけで、
死なずに生き延びさえすればあとの人生は開けてきますから、
「うつ」の可能性があるなら医療期間に相談が大事で、
その目安として、自殺願望などが2週間以上続いている場合などが挙げられているようです。
>>576 / // / // ______ / // /
/ // /| r'7\ ,.ヘ‐'"´iヾ、/\ニ''ー- 、., / /
/ / | |::|ァ'⌒',ヽ:::ヽrヘ_,,.!-‐-'、二7-ァ'´|、__
`'ー-‐''" ヽ、_'´ `| |:::::|'" 二.,_> ,.へ_
/ //__// / / / `ヽ7::/
カ っ も | / // メ,/_,,. /./ /| i Y //
ァ て う. |'´/ ∠. -‐'ァ'"´'`iヽ.// メ、,_ハ , |〉
| 約 ク ヽ! O .|/。〈ハ、 rリ '´ ,ァ=;、`| ,ハ |、 /
| 束 ソ > o ゜,,´ ̄ . ト i 〉.レ'i iヽ|ヽ、.,____
| し ス / ハ | u ,.--- 、 `' ゜o O/、.,___,,..-‐'"´
| た レ | / ハ, / 〉 "从 ヽ! /
| じ は |,.イ,.!-‐'-'、,ヘ. !、_ _,/ ,.イヘ. ` ヽ.
ッ .ゃ .立 |/ ヽ!7>rァ''7´| / ', 〉`ヽ〉
! ! な て .', `Y_,/、レ'ヘ/レ' レ'
イ .な ヽ、_ !:::::ハiヽ. // /
い ./‐r'、.,_,.イ\/_」ヽ ', / /
/ `/:::::::/ /,」:::iン、 / /
〈 ,,..-‐''"´ ̄ ̄77ー--、_\.,__ /
,.:'⌒ヽ ´ | | , i |ノ `ヾr-、
584 :
侵略?イカ娘?:2012/07/22(日) 18:47:46.24 ID:j0GKfYiX
>>583 ↑ そんな約束したかしら? おじゃる?
>>572 >また、仏教では執着も悩み苦しみの原因と説いています。
↑ オウムも確かにそう説いていた
>怒らないように思考を変えるか、執着せずにさっさと別れるかすればいいのです。
だったら、オウム信者も執着せずに犯罪犯したのだからさっさと別れればいい
君も釈迦の論理に矛盾が解ればさっさと別れればいい
>若いときから、80才のお年寄りのように「まるい」(怒りにくい)性格になれたら・・・(
>>561)
君の ↑ も執着でしょうが・・さすがご自分のことは、見えないようで・・(笑
まっ、換言すれば、宗教者は心が完璧主義というか、相当に欲深なんだね
>それは世俗の生活しながらでも心は成長できるということです。
世俗の生活をする方が年齢と共に成長できると思うがね
君に言われなくても時間の経過と共に色々成長するのは誰でも当たり前のこと
しかし、オウムは出家して修行して何が成長し、信者達は心のどこが成長したのか?
人に言える程、君もオウムも執着が本当に取れてなくなってるのか疑問〜?・・
586 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 07:45:48.72 ID:wfxo9lvz
>>585 オウムは関係ないでしょう。
オウムは殺人を企てる時点で教団自ら不殺生戒を破らせようとしているわけで、
仏教に反するのは明らかですし。
普通に生活をしていても成長できる場合にでも、
意図的に鍛えればもっと成長できるでしょう。
587 :
商業仏教 :2012/07/23(月) 07:57:11.62 ID:a7jdErKE
・観光仏教
・葬式仏教
・祈祷仏教etc
これら金銭取引の対象となるサービスを売る「仏教」とはなんなのか?
いわゆる『回向』ではない。
スッタニパータ929 修行者は、売買に従事してはならない。
>>584 (´・ω・`)
/ `ヽ. お薬増やしておきますねー!
__/ ┃)) __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\
(´・ω・) チラッ
/ `ヽ.
__/ ┃ __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\
(´・ω・`)
/ `ヽ. 今度カウンセリングも受けましょうねー!
__/ ┃)) __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\
589 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 08:33:27.81 ID:5fEIGlqA
座禅とか瞑想を実践してる人っています?
>>579 >交通事故については、怠けの煩悩が引き起こす場合が多いと思います。
>運転に集中すべきところを集中できないのは、怠けの煩悩があるから。
相変わらずのご苦労知らず、中小運送業の過酷な労働・ノルマ・・
の実態を理解するか自ら働いて体験してから言って下さい
>>561 お年寄りがまるい性格になるとは思わないね・・介護したことのある人なら、
かなり頑固さや短所が加齢と共に出てくる気がするのが理解出来る筈
>>572 君が怒りやすい性格、怒りやすい性格・・・と言うからレスしただけだけどね
単刀直入に聞くけど、自分から怒りたい人っている?
そんな人いないと思うけど・・良い環境を与えれば、「過去世の業の報い」なんて不要
自分一人でいて怒りやすい性格なら多分、等質でしょ?
まっ、自分は怒りやすい性格ではないので、君の説教は時間の無駄だし望んでもいない
↓
故に・・終―――――了!
Bye〜☆
>>588 > お薬増やしておきますねー!
> 今度カウンセリングも受けましょうねー!
「ご助言いただき真に有り難う御座います!」とお礼の言葉を述べて置こうじゃなイカ?
そして
闇に惑いし哀れな影よ。人を傷つけ貶めて。罪に溺るる業(ごう)の魂(たま)。いっぺん、逝ってみなイカ?
593 :
ドン引き次郎:2012/07/23(月) 11:57:59.35 ID:jd2KT6mY
>>592 /_______ \
/ アイロン命 \
.} ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
{ ノ =≡=-、 ,r=≡=i
| / `ー=・-、 (r=・-'(
ノ {ヽ ノ / | ヽ l
ノ ノヽ/ ,、_) ノ
.フ | ゙i 「 ト / オイは九州男児でごわす!www
) | ヽ \二=- ノ
`ゝ.| ヾ /
|  ̄ ̄ ̄,
594 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 12:27:29.34 ID:wfxo9lvz
>>591 世間の多くの人は、自分から怒ろうとしています。
嫌なことがあったときに、わざわざそのことを何回も考えたりします。
怒ってしまった自分をいち早く反省すればいいものを、
相手が悪いんだから怒るのは当然だと思ってる人が大半でしょう。
阿羅漢になって怠けの煩悩がなくなれば、何十時間でも集中しつづけられるでしょう。
まぁそれは悟っていない人には難しいですが。
過労をさせる企業には怒りを伴わずに「違法ですよ」と指摘すればよい。
通行人に「ハンカチ落としましたよ」と教えてあげるときのような静かな感情で、
「違法ですよ」と指摘すればよいのであり、
指摘するときに怒りを伴わせるのはやめたほうがよいでしょう。
>>593 ドン引き次郎 アイロン命 オイは九州男児でごわす! さん
「ご返事ありがとう御座います!」とお礼の言葉を述べて置こうじゃなイカ?
そして
「君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ、
蒼火の壁に双蓮を刻む、大火の淵を遠天にて待つ!
破道の七十三 双蓮蒼火墜(そうれんそうかつい)」
いつまで、阿羅漢とか寝言ほざいてんだか・・・
いねえよ、そんなヤツ
人間、生きてる限り怒り憎しみからは逃れられん
そうとも
深くて底の知れねえ、怒りと憎しみよ
それがないヤツあ人間じゃねえ
生きてる価値もねえ
597 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 12:56:00.25 ID:xe2ge1Ai
598 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 15:25:19.55 ID:LYyL86O8
>>597 ビルマには「非人間」がいるということか。日本にはいないよ。
599 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 16:14:06.16 ID:xe2ge1Ai
>>598 そりゃ、日本は大乗だから。
これからでるかもね。
どうせ、カルマ・「これも過去世の業の報いかもね。(思考終了)」なんて証明されないのだから、
怒りを静めるのなら、今生苦しい思いをしているのは過去世で恵まれた生活をしていたから、
今生で恵まれた生活をしている人は過去世で苦しい思いをしたからと、――――――――
これなら順番だから、誰を恨むことも羨むこともないし、自分を罪深い人間のように
卑下する必要もない
つまり、順番に修行の為にこの世に生まれてきているのだから公平で納得し易い。
そして誰かを馬鹿にしたり卑下したり、反り返ってお偉いさんになったりしないし、
お互いが明日のわが身なのだから大切にしあえるし、差別もなくなるかもね(笑)
601 :
絶対神:2012/07/23(月) 16:28:46.96 ID:E+i62oEg
>>599 「永遠にでないよ」
『ビルマにもそんなやついねーよ』ww
後進国でマスコミの力がまだまだ弱いから聖者とやらの化けの皮がはがれ
ねーだけさw
602 :
絶対神:2012/07/23(月) 16:31:16.49 ID:E+i62oEg
>>600 「そんなんで本心から納得するガキがいるかっつーの」
『いい加減、聖者という幻想を捨てたまえ』
人を憎まない精神というのは正常な活動をしていない
「他人から攻撃を受けた時にきちんとやりかえしておかないと相手の悪を
助長してしまうだけ」
『そんなおとぎ話で差別がなくなるんだったら苦労しないよ』
現に全然なくなってねーだろ
603 :
絶対神:2012/07/23(月) 16:32:33.46 ID:E+i62oEg
>>600 「そんなあるかないかも判らない、死後や前世なんかで」
『現実の苦しみが僅かでも軽くなる訳ないじゃん』
「大丈夫か? 君は」
>>602 「これも過去世の業の報いかもね。(思考終了)」=自己責任では、
自分を卑下して卑屈になり他者に支配されてしまうから、(今まで
の世界がそう)・・・・・それよりはましかな?と思っただけ
>>603 このスレには、輪廻転生・カルマを事実のように盲信してる人達が沢山いるでしょ(笑
606 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 17:50:24.10 ID:wfxo9lvz
>>603 いかに早く苦悩につながる思考を終了するか。
赤ちゃんは、注射された瞬間に一瞬べそをかくだけだが、
幼稚園児は注射されるとわかった時点で注射される前から、
まだ痛くもないのに数分間にわたって泣き続ける(怒りを継続させる)。
注射される瞬間まで注射のことを考えず、
注射されたあとも注射のことを考えなければ、
最低限の現実の痛みだけしか苦しみがない。
それを、注射される前から悩み苦しみ、
注射されたあとは医者を憎み怒り続けるとしたら…
607 :
絶対神:2012/07/23(月) 17:52:43.21 ID:E+i62oEg
「単純に言うと、『死後』や『来世』ではなくて」
『今、この世界で、「奇跡の力」を使って』
「お前を救える「神様」を探しなさい」
実際、お前がどうしようもない事で悩んでいるのだとするなら
『それ以外、「救われる道」など『無いです』』
即物的な意味でも、永遠という意味でも、『お前を救えるのは結局、神様だけです』
「まあ、探して見つかるものでもないと思いますが」
人間の力ではどうにもならない苦難がお前を塞いでいる時は
『それ以外、どうしようもないです』
608 :
絶対神:2012/07/23(月) 17:54:31.61 ID:E+i62oEg
『「死後」でもなく』
『「来世」でもなく』
「「今」、お前を救える「奇跡の力を持つ存在」」
でなければ、結局、『救われません』
609 :
絶対神:2012/07/23(月) 17:56:47.95 ID:E+i62oEg
『まあ、という事は結局』
「多くの人間は救われない訳ですけどね」
『だって、大抵の人間は、本当に奇跡の力を持った「神様」になんか出会える
訳ないですから』
「ただ、現実的に言うと、それ以外、「救われる手段がないです」」
(宗教の教えや法に、本当に奇跡的に人間を善化していく、あるいは奇跡的に
救済していく『力』なんてある訳もないのですから)
610 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 17:57:26.40 ID:Uf3+/tns
この世も輪廻転生もカルマもすべて幻
幻と思えないのは瞑想の量と質が足りない未熟者だから
611 :
絶対神:2012/07/23(月) 18:06:13.17 ID:E+i62oEg
「つまりですねえ」
『「死後」や「来世」ではなく、『今』、救えないと『嘘』なんですよ』
「本当に困っている人間はどうにもならないんですよ」
『人を救うという要素が、「嘘」であっては『何にもならないのです』』
612 :
絶対神:2012/07/23(月) 18:10:49.02 ID:E+i62oEg
『単なる「人生哲学」としての『宗教』なんかに』
「何の意味があるのです?」
『業病にとりつかれた人間にとっての「救い」とは「病気が治る事です」』
「借金で苦しんでいる人の「救い」とは「金をやる事です」」
『受験勉強で自殺するほど苦しんでいる人の「救い」とは「受かる能力を授ける事」です』
『それ以外に、「救い」なんてないですよ』
そして、奇跡のようにそれを他者に与える事ができるのは
「当たり前だけど、「神」だけです」
『これが、「現実」です』(そういう意味では私は「宗教」には
完全に失望しています)
613 :
絶対神:2012/07/23(月) 18:14:08.76 ID:E+i62oEg
『いいかげん長くなったのでこれで最後にしますが』
「「精神論」や「哲学」なんかでは、『人は救われません』」
本当に病気になったりすれば、これは嫌というほど痛感すると思います
「そんなものがいようがいまいが」
『「人」を救えるのは『神』だけです』
614 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 18:14:21.05 ID:Uf3+/tns
だから、すべて幻と見抜ければ救われるだろ
苦しいのはこの世が現実と勘違いしてる未熟者だから
615 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 18:28:33.85 ID:wfxo9lvz
>>612 じゃあ、死ぬのが嫌だと悩んでいる人が救われるのは、
永遠に生き続けるようにすることですか?
どうせ死ぬんだ、それがあたりまえだと受け入れて救われるのはムリ?
受験に受かってもどうせ死ぬんだし、受験なんかたいしたことねーや、
どうせ老いて病んで死ぬんだから、病気でもたいしたことねーや、
どんな金持ちになっても死んだら財産は捨てることになるんだし、貧乏でもいいや、
という思考の転換も救いになりませんか?
>>612 塾の講師が「受験に受かる能力」を授けたケースはたくさん知ってるが、
神がその能力を授けたってケースは聞いたことがない
617 :
神も仏も名無しさん:2012/07/23(月) 18:34:44.46 ID:wfxo9lvz
>>611 今すぐここで「ま、いいか。」と思えるのが救いだと思います。
618 :
ベゲザン:2012/07/23(月) 20:44:50.57 ID:ctpi37ZF
金魚すくいってそれで金魚すくわれるの?なんてテレビでやってたけど
面白かったなぁ。
619 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/23(月) 22:56:23.18 ID:se1fWtfz
>>589 純粋、仏教系譜ではないものならば。
神智学系の伝導瞑想(トランス・ミッション・メディテーション)、
及び、ババジ直系列パラマハンサ・ヨガナンダのクリヤヨーガの一部を少々。
仏教の瞑想については、
他に詳しい方がココには何人も参加しています。
620 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 00:56:28.51 ID:tEZirOrY
621 :
?:2012/07/24(火) 01:38:34.52 ID:GnF/NAEZ
622 :
?:2012/07/24(火) 02:10:55.71 ID:GnF/NAEZ
さざなみが聞こえる美しい海を
どこまでも見通す事が出来る小高い丘の上で
あたたかい太陽の日差しを受けて身体を休めていると、やがて
小鳥たちが集まり話し掛けてくる
「疲れた時には、ここに来れば、いつでも私たちと話が出来るよ、この大自然と一体になる事が出来るよ」と
− − −
このくらいの初心者的な瞑想(妄想)なら、やってみた事があります
623 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 03:19:45.10 ID:VqA5VRDj
資本主義、民主主義だってカルトだろ
洗脳された信者が圧倒的多数なだけ
>>620 やはり、キリスト教・仏教・イスラム教・・・等の伝統宗教も
最初はカルトと皆に思われていたんだ!
ご隠居氏の説が正しいということが証明されました!!
素晴らしい!!
ヽ(^。^)ノ
625 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 08:54:07.17 ID:8BJOubtq
>>614 幻と思えば苦がなくなる?
幻と思っても今の苦はなくならないよね
ならば、幻ではないものは何?
626 :
しろありミイラ党 :2012/07/24(火) 12:23:13.56 ID:qYiEsUFx
賃貸マンションのベランダ室外機横に、
留守をしている間に
土鳩が巣をつくり、二羽孵化しました。
洗濯物も干せず困っています。
仏教的にどの対応が正しいのでしょうか。
@親子ともども捕獲して水中殺し、燃えるゴミとして処分する
A親子ともども捕獲して、美味しい焼き鳥にして命を頂く
B近所の野良猫を捕獲して、ベランダに放つ。あとは知らん。
C小鳩が巣立つまで約一ヶ月デートと洗濯を我慢してクサイ服ですごす
Dベランダに防鳥網を掛け、孵化した小鳩はハトが群がる近所の神社の草むらに放置する。
627 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 12:49:58.55 ID:38VTAfOX
>>626 理想は、そのままあたたかく見守り、
洗濯は室内に干すとかすれば。
それか、殺さないように別の場所に移動させる。
私は、家でゴキブリやヤモリやムカデをみつけたら(田舎の山寺なので普通に入ってくる)
ホウキとチリトリで捕獲し、屋外に出しています。
伝統宗教(創唱宗教)の信者が、自分達はカルトではないと思い込んでるのって笑える
629 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 13:39:03.94 ID:qYiEsUFx
>>627 >理想は、そのままあたたかく見守り、
ご回答ありがとうございます。
ですが、非常な迷惑なのにあたたかく見守るなどできません。
それに、野良猫やカラスが鳩を食料として殺しても問題ないのに、
なぜ不殺生戒で人間だけが問題になるのか、理解不能です。
むしろ、生物界では食料としての殺生は当然の基本法則=縁起であって、
こんな当然の事に反する教えは仏教とジャイナ教ぐらいでしょう。
生命とは生命を食料として食べることがあるがままです。
フランスや中国では鳩はジビエ料理として高級料理です。
>>626 どのアクションを起こすにしても、それは貴方の因果であり宿命ですから
好きなようにすれば?と言うしかありません。仏教は博愛主義では無いですよ。
631 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 14:47:36.65 ID:qYiEsUFx
>>630 >それは貴方の因果であり宿命ですから好きなようにすれば?
ご回答ありがとうございます。
仏教が宿命論だとは知りませんでした。
現在の苦しみの超克は宿命論や厳正因果論ではありえません。
宿命では、自由意志がないのですから、
結果に対しては私は責任を取る必要はない、ということが理解できます。
鳩を駆除することにいたします。
ありがとうございました。
“
>>626の「選択肢」の作り方”からして、最初から貶す目的なのは見え見えじゃんw
(→ある評価へ誘導するための限定的選択肢の列挙)
スルー推奨だったと思うよwww (´∀`)b
633 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 15:00:31.31 ID:qYiEsUFx
追記
>宿命では、自由意志がないのですから、
>結果に対しては私は責任を取る必要はない、ということが理解できます。
行為(業)に対する責任を取る(報)必要がないのなら、
業報輪廻転生論って倫理的な戒めとしても、矛盾しており、
いわばマイナス要素の回向論ですね。
妄想物語ですねw
慈悲とかいいながら他の生物の命を奪うのが仏教です
635 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 15:38:13.49 ID:g2gZbIVl
>>629 >それに、野良猫やカラスが鳩を食料として殺しても問題ないのに、
>なぜ不殺生戒で人間だけが問題になるのか、理解不能です。
問題なくないですよ。だから、殺生ばかりする畜生は、ほとんどよい転生を望めない。つまり、より苦しくなる一方。
人間だけが問題になるのでなく、因果を認識し、それを信じる人間だけが、自然な縁起という輪廻の苦海から逃れるチャンスを持つ。これが自洲です。
つまり、輪廻という激流の中で人身という洲に流れ着いた。この洲から、仏法という船に乗って、解脱という彼岸に渡るチャンスを得たという意味です。
>>633 倫理や道徳は博愛主義と同様に仏教には不要な概念です。
罪を犯さ無い理由は全ては虚しいと理解しているからですよ。
>>635 君は野菜を食べるでしょ?
ブームの家庭菜園やってる人なんて、害虫は見つけ次第
捕殺と言って殺してるの知らない?
農家の人達も似たようなものだと思う。
それでないと野菜なんて出来ないでしょ?
638 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 16:10:08.21 ID:g2gZbIVl
>>637 肉も野菜も食べるよ。もちろん、死体の山だと思って食べる。
だからこそ、食べ物は粗末にできない。
そして仏教では、現象でなく意志が最も重要なんだよ。
だから、殺生の末にテーブルに出された罪深いものを慈悲を持って食べるのはいいけど、
自分の欲望で生き物を殺すことは、最も避けるべきことなんです。
つまり、対象としての物より、心の動き意志が重要なんです。
ここらへん、客観主義で何でも物質を基準に考えてる現代人には理解しずらいとこだろうけど、
仏教を学ぶには、先ずここが重要。
まあ、生命教徒の君に言っても仕方ないが、他の人のために
639 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 16:13:39.24 ID:qYiEsUFx
>>635 >因果を認識し、それを信じる人間だけが、自然な縁起という輪廻の苦海から逃れるチャンスを持つ。これが自洲です。
人間以外の生物は『輪廻の苦海から逃れるチャンス』がないといいたいのですか?
輪廻の苦海そのものが妄想でしかないのではありませんか?
他の存在が捕獲流通させた生命食糧をあなたは平然と食べている。
要するに、自分の手を汚さなければいいのですか?
仏教が宿命論であり、厳正因果論なら、自由意志で変えられません。
矛盾です。
>>636 >倫理や道徳は博愛主義と同様に仏教には不要な概念です。
世俗諦として極めて重要ですが。
>罪を犯さ無い理由は全ては虚しいと理解しているからですよ。
意味不明。
仏教には「罪」の概念があるのですか?
一切皆空における「罪」観念はありえないのではないですか?
仏教はニヒリズムですか?
640 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 16:22:05.55 ID:g2gZbIVl
>>639 >人間以外の生物は『輪廻の苦海から逃れるチャンス』がないといいたいのですか?
ほぼ、そうです。それが伝統仏教です。
>輪廻の苦海そのものが妄想でしかないのではありませんか?
アナタがそう思うなら、仏教を信じなければいいだけです。
>他の存在が捕獲流通させた生命食糧をあなたは平然と食べている。
>要するに、自分の手を汚さなければいいのですか?
手より、心です。仏教の場合、因果というのは個人の行動に限定され、社会運動などは考えられません。少なくとも私はそう思います。
>仏教が宿命論であり、厳正因果論なら、自由意志で変えられません。
>矛盾です。
仏教は宿命論ではありません。因果というのは決定されたものではありません。
もちろん、行為の結果はある、しかし、これをしたから必ずこうなるというものではありません。それは単純化した方便説か誤解以外のなにものでもないでしょう。
アナタは何がしたいのかよく分かりません。自分の行為を仏教に照らして図りたいなら、仏教に従えばいいだけです。
そうでなく仏教の説くことを信じられないなら、アナタが思うようにすればいいだけです。
アナタの思いと仏教の道が食い違うからといって、仏教を貶してどんな意味があるのか私には理解できません。
641 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 16:25:09.05 ID:qYiEsUFx
>>635 >だから、殺生ばかりする畜生は、ほとんどよい転生を望めない。つまり、より苦しくなる一方。
あなたはこのことを証明出来ますか?
単なる妄想であいかないのではありませんか?
多くの動物にとっては『殺す』と言う意志ではなく、
単なる食料捕獲というあるがままの事実を実行しているに過ぎないのではありませんか?
規範分別があるとは思えない(動植物に確認したわけではありませんので想像です)。
>>639 縁無き衆生は救い難しとは真理ですねぇ!www
貴方はニヒリズムの何たるかを理解しているのですか?
643 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 16:37:17.07 ID:g2gZbIVl
>>641 私は仏教の体系内の話をしているのですが
私は信じるし、アナタは信じない。
それで終わりでしょう。
慈悲を持つなら食べるな死ね
何が慈悲だ。都合よすぎるだろ
645 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 16:49:48.25 ID:qYiEsUFx
>>640 >アナタは何がしたいのかよく分かりません。
⇒
>>626 →
>>631 >仏教を貶してどんな意味があるのか
あなたの「仏教」を貶しているわけではありません。
百家争鳴の仏教を貶すのは不可能です。
土鳩撃退という個別具体的な問題を通じて、
百家争鳴の筏としての仏教なら、
どういう見解がありうるのかを知りたかっただけです。
残念なのは、個別事例の具体的妥当性より
確立された「教義」優先の姿勢だということです。
これが固定化された『伝統』仏教、待機説法なのでしょうか?
ブッダならどう解答されたでしょうね。
『仏教に従えばいいだけです。』などと言い放たれたでしょうか?
釈迦の前世は空腹の虎に食われて死んだが
なんでお前らは食われないんだ?
647 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 16:55:26.82 ID:qYiEsUFx
>>642 >貴方はニヒリズムの何たるかを理解しているのですか?
勝義、ニルヴァーナはニヒリズムではない、と掴んでいます。
少なくとも、『全ては虚しい』という見解がナンセンスだと思っています。
>>645 >ブッダならどう解答されたでしょうね
626の中だけで言えば、C番一択だろjk www
>>646 それは大昔の創造物語だと知ってるからですょン〜(笑
650 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 17:07:27.75 ID:g2gZbIVl
>>645 >『仏教に従えばいいだけです。』などと言い放たれたでしょうか?
「自分の行為を仏教に照らして図りたいなら」という仮定節を省くとは、
>残念なのは、個別事例の具体的妥当性より
それはアナタが、常識もしくは科学信仰を妥当だと考えているだけでしょう。
>確立された「教義」優先の姿勢だということです。
>これが固定化された『伝統』仏教、待機説法なのでしょうか?
まあ、待機説法を行うには私はあまりに器が小さいし、
まず、釈尊なら沈黙したと思いますよ。
なぜなら、アナタは聞いてないから。
651 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 17:11:35.47 ID:g2gZbIVl
>>646 例えば、19世紀チベットに罪人の身代わりになって死んだ人や、
20世紀チベットで中共の収容所で食べ物を他人に与え、労働を代わりにやって死んだ方がいますが、そういう方は高い境地なんです。
こんな2ちゃんで話してるエロオヤヂにそれを求めるのは無理だ
まっ、イエス・釈迦は大大大大大・・・昔の人なのだから、
現代人よりあらゆる面で劣るのは当然で仕方のないことです
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
PCどころか、ラジオも、自動車も、飛行機も、電卓も、洗濯機も、一切知らなかった、
想像さえできなかった釈迦やイエスを、現代人が信じることは、全くのナンセンス。☆♪
釈迦やイエスが、現代の科学の驚異的発達を目の当たりにしたら、腰を抜かして、
早速、「宗教撲滅」を説くだろうw。
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
654 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 17:35:41.61 ID:qYiEsUFx
>>650 >「自分の行為を仏教に照らして図りたいなら」
→洗濯物も干せず困っています。
仏教的にどの対応が正しいのでしょうか。(
>>626)
>常識もしくは科学信仰を妥当だと考えているだけでしょう。
意味不明
>釈尊なら沈黙したと思いますよ。
>なぜなら、アナタは聞いてないから。
たしかに、「仏教とは何か」と聞けば沈黙せざるを得ないでしょう。
わたしはそうは聞いていない。
病原菌を撒き散らす大量の糞と孵化による早朝からの鳴き声、
洗濯物も干せないで、迷惑して困っている、どうすればいいか?
ーと世俗への還滅の具体的妥当な策を具体的に聴いている。
世俗の立場から言うと、鳩は鳥獣保護法の対象になっているので
殺しちゃ駄目。最悪逮捕されちゃうよ
たとえ仏教徒でも日本に生きる限り日本の法律には従わないとね
656 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 18:15:21.05 ID:38VTAfOX
>>655 その国の法律に従うことは戒律にもあったと思います。
鳩をなんとかしたいなら、市役所の環境衛生担当窓口にでも相談すればよいかも。
よく、蜂の巣とかを駆除してくれる窓口ね。
仏教的には、怒れば怒るほど怒りの煩悩が強くなるので善くない。
たとえば、「殺してやりたい」と怒りをこめて鳩を睨むのと、
ついうっかり物干し竿を落としてしまい鳩を殺してしまった場合とでは、
怒りをこめて睨むだけのほうが罪業(煩悩強化)は大きいと思います。
実際に殺さなくても殺意(怒り)の念をくりかえすだけで、殺意・怒りは強化されてしまう。
逆に、怒りを捨てて許し慈しむ念をくりかえせばくりかえすほど、
怒りの癖(罪業)は弱くなり、慈しみの癖(功徳)が強くなる。
>>647 ではお尋ねするが貴方にとって(仏教徒としての)この現世で
虚しく無いものとは何ですか?是非お聞したいですね!www
658 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 18:51:07.76 ID:g2gZbIVl
>>654 >病原菌を撒き散らす大量の糞と孵化による早朝からの鳴き声、
>洗濯物も干せないで、迷惑して困っている、どうすればいいか?
>ーと世俗への還滅の具体的妥当な策を具体的に聴いている。
いや、聞いてない。ようするに最初から始末したくて、
その根拠を仏教から引き出したいだけでしょう。
なぜなら、私は仏教の立場を述べたら、それに反論しているからです。
つまり、最初から始末することが前提、それは問いから分かるし、
まあ、なんかいっても無駄だと思ってましたが、ここに書いたのはアナタのためでなく、他の方が誤解しないようにです。
以上でアナタに対しては終わりにしますね。
659 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 18:58:26.04 ID:qYiEsUFx
>>657 >虚しく無いものとは何ですか?
直接現実としての勝義
それは何かと問われれば、沈黙せざるを得ない。
660 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 19:00:38.49 ID:qYiEsUFx
>>658 >以上でアナタに対しては終わりにしますね。
めちゃくちゃ誤解がありますが、
OKです。
>>659 達磨大師の言葉の中にヒントが有るかもね!www
>>654 あほか?w
そんなの『仏教的に』一律同じ答えなんかあるかいwww
10人仏教徒がいたら10通りだw
以前、このシリーズでも何度か書いたが、
《「世俗の、世俗的問題」を解決するのは仏教じゃない。行政等を始めとした様々な対策》だよ。
よく、貧困や犯罪を解決、根絶、させるどういう方法を説くのか?などと聞く馬鹿がいるが、
何も解っていない。
そういう方向の事象が生じないように心の向きを操作することが説かれるだけだ。
その後の具体的解決方法の模索は、仏教としてのものじゃない。
世俗として、社会としてのものだ。
>>662補足
仮に、もし、一律同じ答えが『原則として、基本“方針”として』あったとしても、
国が違えば、文化が違えば、環境が(情況が)違えば、諸条件が違えば、
違った具体的方法が顕われてくるだろうよ。
世俗は欲望や執着、道徳など仏教とは無縁のもので成り立ってる。
それを仏教徒が守る理由なんてないはずだが。
>>664 ふ〜ん・・。
仏教徒は信号守らなくてもいいんだ。
ふ〜ん・・。
666 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 21:15:34.37 ID:g2gZbIVl
>>664 そういう見方は対象・現象が自立的に実在しているという前提から作られるでしょう。
その前提を変えないと、仏教は全く分からないでしょう。
結局、
仏教「だけ」が中道主義なのだから、
仏教以外は「すべからく」反中道=極(端)道主義
ということになる。
極道者が世間のデフォルトなわけです。難癖イチャモンもつけたがるわけですよ。
「こちらが食わなきゃ、自分が食われる」的な弱肉強食思考に満ちあふれています。
でもそれは、極道者同士の世間において。自分も極道であれば、他の人も自分同様極道だろう、
という思い込み・前提において、あたかも常識として成立しているかのような錯覚がまかり通る。
実は、中道者(仏教者)にとっては、そのような極道思考は全然、常識でも、正当でも何でも
ない。
極道以外の道である中道があると仏教は説く。
668 :
神も仏も名無しさん:2012/07/24(火) 23:34:14.99 ID:Wo9QIgeK
動物を殺さなくても生活できる人
お肉を買うくらいに留める。害獣の駆除、巣の処分の際にもこいつめ、と思わないようにする。
動物を殺さなくては生活ができない人
牧畜の場合は屠殺のときまではせめて優しく扱う。
漁業、猟業はとれた幸に感謝を忘れない。
それでも殺生していることには変わりないため
馬頭観音や阿弥陀仏あたりに祈っておくのが無難。
仏教的にはこんな感じか。
669 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 00:37:04.11 ID:10Q7VHko
勝手な仏教マニュアルを作るのはよくない
仏教「的」という発想が、色のみを見て空を観ていない
670 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 00:53:57.69 ID:7LlSwRAp
大津いじめ事件が話題になってるけど
人間いじめを避けることは不可能
人類歴史上一番の人格者のお釈迦様でさえダイバダッタなどにいじめられてたわけだから
人間がいじめを受けるのを回避するのはどう考えても不可能
671 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 00:58:16.35 ID:10Q7VHko
自殺するまでイジメ続けられるのを避けることは出来るだろ
大津は学校や市の対応がずさんすぎる
ブ落利権最悪
672 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 01:13:26.98 ID:7LlSwRAp
悟ったら素晴らしい人間になるからみんなに好かれていじめなど受けなくなるとか考える人もいるのよ
そんなことはないぞ
お釈迦様みたいな人類史上ナンバー1の人間でもいじめられるんだからなw
>>668 >害獣の駆除、巣の処分の際にもこいつめ、と思わないようにする。
駆除(殺す)という行為を決定している意識には違いがないわけです。
その行為の遂行と平行して沸き起る情緒的なものがポジティブであればいいという話で
はないと思います。感涙にむせびながら、殺生すればその分、罪業が緩和されるという
ことでもないと思います(犠牲を祭儀とするバラモン教的ではあります)。
悪業は悪業。
どうやれば、自分が恒常的に犯している悪業を、減少カーブに持っていけるか、そこに
最大限、意識的な努力を絞るべきだと思います。
畜生を殺生するようなことを生業にしている境涯にある人が、(仏教には殺生戒があるのだからと)突然、
原理主義的に殺生をやめるべきというような言い方は極(端)道の言い方です。仏教は中道。
例えば、原発を推進してきた過去の政権(とそれを支持してきた世論)のために、今日本は比較
的高濃度のストロンチウムが東日本に飛散するなどひどいことになっています。
原発を減らしていく努力は長期に渡る問題として取り組んでゆくべき。これは原発事故発生の前
から元々ずっとあった課題(事故の危険性も環境汚染の問題もずっと昔から明らかだった)だし、
事故後の今後も同じです。
だけど、経済その他の問題と絡む電力の供給を突然パッタリ絶つという話は、一応別問題。
だから、安全点検のために一時的に停止していた原発の再稼動に今回の事故にかこつけて「にわかに」
デモとかして圧力をかけようとするのは、極端なやり方だと思います。中道ではありません。
しかし結局のところ、世間というものは、極道がデフォルトですが……
快楽(経済的繁栄の優先)をむさぼり、惨劇が実際に起るまで無反省に突走る。
惨劇があって初めて悔いたかと思うと、理想を掲げて原理主義に走ろうとする。
極端から極端へ。三毒まみれですから、当然です。
674 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 01:35:32.00 ID:7LlSwRAp
要するに素晴らしい人間でもいじめは回避できないが
ハードないじめを受けても平然としていることはできるってことだな
675 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 01:46:10.83 ID:10Q7VHko
イジメを受けて平然としていられる人間なんていないだろ
平然を装う人はいるが・・・
イジメから脱することを考えない、
もしくは脱することを許されない環境にいる人が自殺するまで追い込まれるんだと思う
676 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 01:51:41.00 ID:10Q7VHko
仏陀は不当に屈するくらいなら戦って死ぬとスッタニパータで言っている
イジメられたまま止まっていてはいけない
動きつづけることが大事
677 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 01:51:55.81 ID:4PFCaNPA
>>673 >どうやれば、自分が恒常的に犯している悪業を、減少カーブに持っていけるか、そこに
>最大限、意識的な努力を絞るべきだと思います。
>>688はそういうものと考えてかいてます。
預流向をめざして近い将来、解脱できるようになるか、
正当な師について顕教をしっかり学び密教を修め解脱を早く成就できるよう頑張るか。
ストレートコースを歩めれば、かなり早く輪廻から出られそうですが、
途中で脱落すれば人間の境涯からすら脱落して再び仏法を収めるのが大変になる。
しかし極楽浄土に行けば、劫単位の時間はかかるが確実に往生できる。
確実さをとるか、スピードをとるか。
罪業対策にも同様なことが言えそうです。
自分の器と引き比べて徹底した削減が持続可能か、
それともある程度見切りをつけて(より確実に)善き一般人のラインまでにしておくか。
後者が
>>688です。少なくとも私はそのつもりです。
678 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 01:55:08.47 ID:4PFCaNPA
×往生 ○解脱
679 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 02:04:30.12 ID:4PFCaNPA
劫ごとに人間に転生できる平均回数、というものが仏教において設定されているのなら知りたいものです。
密教や念仏をとくに尊ぶ人は、どのように天秤にかけているのか。
680 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 02:54:43.34 ID:H7gmt4uL
>>679 浄土教に関して言えば、天秤にかけた結果、
極楽に往生することが悟るためには近道だということで、
この世では悟るための修行は後回しにして、往生のための念仏に絞るという考えです。
善人往生す、悪人尚以て往生せん!
スッタニパータ 426
(悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて、言った、
「あなたは瘠せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。」
スッタニパータ 439
ナムチよ、これらは汝の軍勢である。
黒き魔の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。
勇者はうち勝って楽しみを得る。
スッタニパータ 440
このわたくしが敵に降参してしまうだろうか?
この場合、命はどうでもよい。
わたくしは、
敗れて生きながらえるよりは、
戦って死ぬほうがましだ。
683 :
絶対神:2012/07/25(水) 05:12:21.71 ID:rRl9Ojy6
「で、仏教の考え方を見てるとよく判るのは」
『仏教に比較して、西洋風の考えが正しいという事』
「虫けら一匹殺す事も気にしていたら、「まともに生きていけません」」
「当たり前ですが、生き物を殺す事に必要以上に神経をとがらせていたら
精神がおかしくなってしまいます」
『文字通りのカルト宗教的偏見です』
「単純に言った場合、西洋風の考えは「現実に即しているのです」」
仏教は「非現実的」なの
『極論すれば、人間にしたところで、食料がなかったり、資源が乏しければ
どんどん死んでいかざるを得ないんです』
「ある意味、釈迦ってやっぱり「王子様」だったんだな」
とつくづく思わされる
684 :
絶対神:2012/07/25(水) 05:26:40.60 ID:rRl9Ojy6
「ようするに、『仏教的観念』は」
『そういう「生命に関する偏見」という事に関して言うなら』
「突き詰めて言えば「不気味なもの」です」
神道にそういう観念なんじゃない?
『神道の場合、寧ろ、ふつうに邪魔な虫はどんどん殺していくんじゃないでしょうか?』
>>683 善人では無く、悪人ですら無い。
唯の虫ケラですな、君は!www
> しかし結局のところ、世間というものは、極道がデフォルトですが……
> (極端なまでに何かに執着しようとする心の働き)
スッタニパータ 778
賢者は、両極端に対する欲望を制し、
感官と対象との接触を知りつくして、
貪ることなく、
自責の念にかられるような悪い行いをしないで、
見聞することがらに汚されない。
スッタニパータ 779
想いを知りつくして、激流を渡れ。
聖者は、
所有したいという執着に汚されることなく、
煩悩の矢を抜き去って、
つとめ励んで行い、
この世も、かの世も、望まない。
− − −
想いを知りつくして ← 渇愛〔タンハー〕を滅し尽くして
687 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 05:44:55.81 ID:10Q7VHko
> 仏教に比較して、西洋風の考えが正しいという事
西洋文明の洗脳教育によって
「西洋文明こそが正しいのだっ!」と言う
妄執の想念に取り憑かれているんじゃなイカ?
>>687 > 卍仏陀卍最強卍
ご返事頂きまして真に有り難く存じ上げます
ちなみに、私の場合は
バラモン(ヒンドゥー)も
仏教の、南伝も、北伝も、チベット伝も、幅広く勉強して逝きたいと考えています
>>638 >つまり、対象としての物より、心の動き意志が重要なんです。
>私は信じるし、アナタは信じない。 それで終わりでしょう。(
>>643)
終わりではないでしょう。君のように宗教的に考えれば・・
証明不能なこと(過去世のカルマ・自己責任・輪廻転生・・・・)を事実のように
ペラペラ喋って他者を脅すような行為は心の働きとしてはどうなんだろうか。。。
私の場合は
小学四年生の頃に、落武者の霊を、はっきり、くっきり、目撃して、それから
オカルト → 密教 → 瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき) → 根本仏典 → 中論
と言う順番で
今は 中論 も勉強してるところだけど
>>687 さんは
どのような経緯で 「 卍仏陀卍最強卍 」 と言うところに到達したのでしょうか?
もし宜しければ
ご教示願います
692 :
伝統仏教?? 1/2:2012/07/25(水) 09:54:47.63 ID:TLSanPoi
>>662 >あほか?w
>そんなの『仏教的に』一律同じ答えなんかあるかいwww
勿論、それは承知しています。
だからポイントは、
『土鳩撃退という個別具体的な問題を通じて、
百家争鳴の筏としての仏教なら、
どういう見解がありうるのかを知りたかっただけです。
残念なのは、個別事例の具体的妥当性より
確立された「教義」優先の姿勢だということです。
これが固定化された『伝統』仏教、待機説法なのでしょうか?』 (
>>645)
ID:g2gZbIVl氏の
・なぜなら、私は仏教の立場を述べたら、それに反論しているからです。(
>>658)
・仏教の体系内の話(
>>643)
・それが伝統仏教です。(
>>640) アナタがそう思うなら、仏教を信じなければいいだけです。(
>>640)
などの姿勢への疑問です。
693 :
伝統仏教?? 2/2:2012/07/25(水) 09:57:29.05 ID:TLSanPoi
>>626(ID:qYiEsUFx)以下は、この大部分の『仏教』諸派にみられる
伝統的体系的固定化教義仏教への、
>>525の視点からの疑問試行でした(試してゴメンなさい)。
中村元博士の指摘される以下のゴータマ・ブッダの姿勢に反しているのではないか。
・第一に仏教そのものは特定の教義というものがない。
・第二に、・・既成の信条や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとする
・★第三に、人間の理法というものは固定したものではなく、具体的な生きた人間に即して展開するものであるということを認める。
・ 第四に、「ゴータマはその臨終においてさえも、仏教というものを説かなかった。
彼の説いたのはいかなる思想家・宗教家でもあゆむべき真実の道である。
ところが後世の教典作者は右の詩に接続して、仏教という特殊な教えをつくってしまったのである」 (『ゴータマ・ブッダT』)
結局「仏教」は上記を掴み得ないマハーカッサパによって固定化された教義として編集・確立され、
後継諸派は大乗小乗を問わず、体系的固定化教義仏教+商業仏教をやっているといえます。
694 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 10:05:05.07 ID:FvbpFB9k
仏教の立場云々ではなく、
喧嘩腰で突っかかってこられたらイラッとくる、という単純な話だと思われます。
ご自分の書いた文面をもういちど見て、挑発的になってないか確認されてみては。
あなたは閻魔大王氏でしょうか?
もしそうなら既に貴方にとっては今更な話なんじゃないですか?
スッタニパータ 874
ありのままに想う者でもなく
誤って想う者でもなく
想いなき者でもなく
想いを消滅した者でもない
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は
想いにもとづいて起るからである
スッタニパータ 1037
識別作用が止滅することによって
名称と形態とが残りなく滅びた場合に
この名称と形態とが滅びる
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解を打ち破って
世界を空なりと観ぜよ
スッタニパータ 1115
無所有の成立するもとを知って
すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って
それをこのとおりであると知って
それから(出て)それについてしずかに観ずる
安立したそのバラモンには
この < ありのままに知る智 > が存する
>>694 >あなたは閻魔大王氏でしょうか?
>もしそうなら既に貴方にとっては今更な話なんじゃないですか?
>貴方にとっては今更な話
w 丸っと同意w
敢えて
>>693に反応しておけば、
仏教は、《その理念として(理念体系として)、世俗を誘い得る》としても、
《“具体的に”、良き方策を示し得るものではない》ということだと思います。
書き順は同じでも、(同じように習っても)、具体的字形(筆跡として)の現れは様々です。
だからこそ、この21世紀は、仏教にとって大きなターニングポイントでもあろうと思うわけです。
貴方が指摘するように、(一代が牽制するように)、
『世俗への積極的具体的働きかけ』が求められる時代なのだろうか・・? と・・・。
ポイントは、そうした『具体的働き』はまさしく『応用』であり、
「教義、ドグマ、理念、理想」等々の中には“無くて当然”ということです。(だから、禅が異端且つ直系なわけです。)
697 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 12:16:38.18 ID:boZwCT/2
>>672 >お釈迦様みたいな人類史上ナンバー1の人間・・・
そういう発想が既にマイコンされてる証明
完璧な人間はいません。仏陀・イエス・アサハラ・・・も同じ人間
698 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 12:31:28.52 ID:H7gmt4uL
>>692 家に住み着いた動物を慈しむ気持ちから、
人間がちょっと不便を辛抱する、これはよくある話であり、
妥当な対応と言えると思います。
鳩の子は何ヵ月もたたないうちにいなくなりますし。
洗濯を他の場所でやるとか、本気で対応しようと思えばやり方はあるはず。
家に動物が来ない都会の生活に慣れ親しんでいるお方なんでしょうか。
しかも、洗濯物を干す場所が他にない狭いアパート暮らし。
田舎暮らしで動物や虫がいっぱいくるけど洗濯物を干す場所などいくらでもある私から見ると、
鳩くらいでいちいち怒ってたら疲れるだろうな、と思います。
699 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 16:12:28.53 ID:fH70OV7C
>>699 売僧のURLなんぞ貼り付けて馬鹿共から
寄進でも巻き上げるつもりかね?
701 :
阿修羅:2012/07/25(水) 20:35:59.39 ID:hfwZabIK
問う
縁起とは何ぞや
702 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 20:49:17.03 ID:IzlXyn10
>>701 因果で、空性で、仮設だよ〜
それを「これあらばこれあり、これなくばこれなし。これ起こらばこれ生じ、これ滅せばこれ消ゆ」と簡潔に表される。
あるいは『中論』24.18ね
703 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 20:51:46.03 ID:hfwZabIK
縁起と心の関係はどのように説かれてますか
704 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:04:39.28 ID:IzlXyn10
>>703 心あれば知覚あり、心なくば知覚なし
心も仮設で、空性ですよ。
心というのも五蘊によって縁起したものを仮設しただけのことです。
705 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:07:29.65 ID:hfwZabIK
五蘊とは何ですか?
仏教では五蘊こそが根本原理と説くのですか
706 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:09:12.38 ID:10Q7VHko
>>705 身体と心的作用のこと >五蘊
根本原理ではない。なぜなら、五蘊もまた、所縁によって顕現、生じているものだから。
708 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:12:56.08 ID:hfwZabIK
心的作用も五蘊に含まれるのですか
要するに現代では当たり前の事を説いている訳ですよね
709 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:15:05.99 ID:Vx8QtPfa
スッタニパータって、キリスト教の聖書みたいな感じか
>>708 そうです。 色(受)―身体、(受)想行識―心的作用
>現代では当たり前の事
そうです。
けど、本当に「人間存在は五蘊に尽きる」ということが理解されているかどうかは別問題でしょうね。
独我論ですか
>>709 そこまでの拘束性はないですけどねw
また、(内容、中身、精神(スピリッツ)はともかく、テキスト自体は)大乗仏教ではそれほど珍重されていませんし。
713 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:21:41.18 ID:hfwZabIK
人間存在が五蘊につきると言う事と苦しみからの解脱とはどう関係があるのですか?
714 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:25:56.62 ID:IzlXyn10
>>705 色受想行識です。
根本原理はありません。だから、空性・空っぽなもので、仮設・現れとしてラベリングされるだけのものです。
色受想行識も集まりで、そう仮設されただけのことです。
>>706 もちろん。身体にしても心にしても還元される基体はない空、空っぽだというのが仏教ですよ。
しかし、虚無ではなく因果はあると。
715 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:29:02.09 ID:hfwZabIK
では人間存在を構成する因とは何ですか?
> 人間存在が五蘊につきると言う事と苦しみからの 解脱 とはどう関係があるのですか?
龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 中論觀法品第十八
先づ諸法は無我、無我所にして、非実、非不実なることを明し、次いで愛論、見論の二戯論無きが故に実相と名づけることを明す。
− − −
破根品中に、見、見者、可見破るるが故に、神も亦た同じく破る。又眼に麁法を見るすら尚お得べからず。
何に況んや虚妄、憶想等に、而も神有るをや。
是の故に無我なりと知る。
我有るに因るが故に我所有り。
若し無我なれば、則ち我所無し。
八聖道分を修習して我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て智慧を決定す。
− − −
答えて曰く、諸法の実相は即ち是れ涅槃なり。
涅槃を滅と名づく。
是の滅は涅槃に向わんが為の故に亦た名づけて滅と為す。
若し心は是れ実ならば、何んが空等の解脱門を用いん。
諸の禅定中には、何の故にか、
滅尽定を以って第一と為し、又亦た終に無余涅槃に帰せん。
是の故に当に知るべし、一切の心行は皆是れ虚妄なり、虚妄なるが故に応に滅すべし。
諸法の実相は、諸の心数法を出で、無生無滅にして涅槃の如き寂滅相なり。
普段冥伏している心の状態、
すなわちカルマは縁によって引き出されます
718 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:33:30.22 ID:hfwZabIK
因果の思想は「これあればこれあり」ですから
根本原因を想定しているのではないですか
もし一切空ならば原因を想定出来ないのではないですか
一切空とは換言すれば「この世の現象にかくたる原因なし」と言う思想ではありませんか
いや因果はあると言うならば空とは言えないのではないですか
719 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:35:17.56 ID:IzlXyn10
>>715 色受想行識ですが、それは妄想です。
無明によって、我があるとするので、そのように縁起が止まらないのです。
つまり、煩悩>業>苦の円環運動が輪廻です。
この輪廻は火の輪のように幻なのですが、無明によって実体視することから縁起が止みません。
そもそも何か基体がなければならないという思考法が実在論・我見によるものです。
720 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:41:07.36 ID:IzlXyn10
>>718 違います。縁起は空なるものが仮設として現れ、それは実体・本質が空というもので、虚無とは違います。因果も仮設・空性です。
この点は、なかなか難解で直ぐに理解するのは難しいでしょう。
中論觀涅槃品第二十五
− − −
諸の因縁を受くるが故に、生死中に輪転す、
諸の因縁を受けざる、是れを名づけて涅槃と為す
− − −
如実に顛倒を知らざるが故に、五受陰に因り生死に往来し、
如実に顛倒を知るが故に、則ち復た五受陰に因って生死に往来せず。
>>713 五蘊として仮設されたものであるならば、
それを至宝として(不変にして侵されざるべきものとして)珍重、防護することに躍起になる必要がなくなります。
「俺が俺が」「私が私が」「俺のもの」「私のもの」「俺・私という存在の保身(プライドや体裁の保全)」
といったことを最重要事項とするところに、苦悩は生じてくるわけですから。
勿論、そうでない「苦」もあります。それらはまたそれらの因や縁を探り(観察し)、
成立を阻止してゆくことで、苦の緩和や減殺、消滅を目指すことになります。
しかし、「これあればかれあり、これなくばかれなし」という構図には変わりはありませんけれど・・。
因果とは観察から得られる推論だから
五蘊こそが根本原理だろう
724 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:52:27.09 ID:hfwZabIK
一切皆空である根拠はなんですか?
725 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 21:56:53.64 ID:IzlXyn10
>>724 そうなってること。自然の法則です。これを法性といいます。
それを釈尊がありありと体得し、仏教の諸聖者も体得してきました。
それを信じるかどうかでしょう。
もちろん、アーガマ・ニカーヤや『中論』などにきっちり説かれていますが、
その論理も上を信じるかどうかになると思います。
>>723 それは、(隠居流に言えばw「前提」であり)、
「原理」とは違うのではありませんか?
勿論、唯識的には一切唯心造ですけれども(―ここを独我論と比較することにはそれなりの意味があると思います―)、
「乾季に池の水が干上がる」ことを五蘊を根本原理として見るということは、
かなり難易度が高いと思いますよw
中論觀四諦品第二十四
一切法の性は空なるも、
世俗諦とは、而も世間は顛倒の故に虚妄の法を生ず。
世間に於いては是れ実なり。
諸の賢聖は真に顛倒の性を知るが故に、一切法は皆空にして無生なりと知る。
聖人に於いては是れ第一義諦にして、名づけて実と為す。
五蘊仮和合・・これが自身の今の姿です
人として生まれてくること自体奇跡いっていいほど稀
生命それ自体は宇宙大規模の器をもっても大きからず、
またコップの大きさをもっても小さからず云々
729 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 22:01:18.24 ID:hfwZabIK
釈迦は「信じるな」と言ったそうですが
中論の信者は釈迦の教えに反してませんか?
あーw
ID:hfwZabIKも貶したいだけの人かwww
最近また、そういう人が増えてきたなぁ・・・w (;´ー`)y━~~
731 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 22:09:45.66 ID:hfwZabIK
中論を称える事が苦悩の滅却に繋がるならばいくらでも讃えますが
それでは仏教の趣旨に反するのではないですか
732 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 22:12:25.01 ID:10Q7VHko
>>729 釈迦の言うことは絶対の王様ゲームするために生きているわけではない
君自身が自分自身を偽っているからこそそういう質問が出てくる
迷信する仏教徒をバカにする前に、
君自身の迷信を打破するべきだ
733 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 22:14:36.99 ID:10Q7VHko
>>731 仏教の趣旨に反すれば苦悩が滅却できるなら仏教の趣旨に反するべきだろ
なにを迷うことがある?
734 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 22:18:37.05 ID:hfwZabIK
しかし中論を馬鹿にされたら嫌な気持ちになり突然怒り出すとしたらそれは苦悩が滅却されていないことになるではないですか
今そのときこそ「ああ五蘊皆空だったわい」とラベリング瞑想した方がいいのでは?
735 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 22:25:45.47 ID:10Q7VHko
>>734 オレならまったく怒ってないけど?
君は思い込みが激しいな
釈迦だろうが中論だろうがどちらでもいいんだよ
釈迦か竜樹かキリストか日連か、
そのなかでどれが正しいか考えたりするのはバカのすることだぞ
4人とも他人なんだから、君は君自身を問うべきだろ
736 :
ノスタルジア:2012/07/25(水) 22:34:04.47 ID:ExfNIJkD
>>731 悪いねw
どっちかというと、ワシも中論不要派なんでねwww
つか、君にとっては ≪「貶さない」=「褒め称える」≫ なの? (´・ω・`)
実に見事な二元論ですなwwwww
二元論じゃないかw
ちゃんと「二項対立的世界観」とすべきだったね。 脳内訂正よろしく。
739 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 23:04:33.01 ID:IzlXyn10
>>729 >釈迦は「信じるな」と言ったそうですが
それは誤解ですよ。「信仰を捨てよ」というのは、かつての信仰を捨てよということでしょう。
三宝帰依は仏教の基本であり、戒定慧という道の本質を教える前に、帰依、あるいは施・戒・生天という教えは信があるかないかを問うものとと考えられます。これは水野弘元先生も同じ考えです。
また、信は三十七菩提分法の五根、五力にも入っていますし、七聖財にも入っているように仏教に欠かせないものです。
これは大乗・小乗に限らず通仏教的にです。
上のように書いているような仏教書は先ず信用できないと考えて間違いないでしょう。
740 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 23:23:22.43 ID:hfwZabIK
だとすると釈迦はありがちな新興宗教の教祖みたいな事を言ってた人だったのでしょうね
マインドコントロールと言われても仕方がない
「信ずる」に足りません
だったら『中論』の方がまだマシでしょう
741 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 23:26:46.93 ID:10Q7VHko
『信』についてだけど、
人間て信じようと思っても信じられなくない?
だから浄土教でも『信心決定』なることを言うと思うんだけと、
この中で『信』を持っている人いますか?
ただしオウムみたいな脅されたりすかされたり、
場の空気で信じさせられるのは除外で
742 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 23:27:54.13 ID:IzlXyn10
>>740 『中論』も釈尊への信で成り立ってますよ。
頭から最後まで、釈尊の言葉だけが詰まってます。
それとアナタは何かを信じないで生きてると思っているなら、
それはとても愚かだと思いますよ。
今、アナタが知覚していることを信じるでしょう。
また、科学が妥当だということは信じないのですか?
それと釈尊を信じることは違うというなら、それは思慮が足りないだけでしょう。
>>742 指導者を信じるという点ではどの宗教も同じ
だが、内容は単なる田舎のオラんちの先祖自画自賛宗教もあれば(キリスト教など)
そうではなくエゴの塊にならない宗教もあるんだよ
>>742 >>730>>632 彼は昨日の ID:qYiEsUFx でしょw
もう最初から敵意丸出しじゃんwww
テキトーにあしらうのが吉でしょ(´∀`)b
745 :
神も仏も名無しさん:2012/07/25(水) 23:56:50.98 ID:hfwZabIK
科学は信じるものではないですよ
ニュートン力学しか信じませんなどと言ってたら科学の発展は無いでしょう
彼はきっと、
>>737もスルーしたまんま有耶無耶にするんだろうなぁ・・w
小物臭がキツイ・・w ID:hfwZabIK
ほらほらw
>>745 なぜ、皆、スーパーの品物を『確かめもせずに』!買うのでしょうね?w
なぜ、皆、安心して飛行機に乗るんでしょうね?w
関係スタッフへの信頼は勿論のこと、飛行機が飛ぶ理屈や原理(の情報)への信ではありませんか?
いったいどれだけの人間が、あの巨大な鉄の塊が空中を疾翔する理屈と妥当性を確認しているでしょう?
なぜ、科学者は他分野の成果を参照し得るのでしょうね? 『自分で確かめたわけでもないのに』!w
なぜ、何とか素粒子の存在を『探す』ということがされるのでしょうね?
仮説が立てられ、諸事象からの推測によって、○○があるであろうということを信じるから、
その確認の実験に躍起になるのではありませんか?
なぜ、人は、紙切れで商品を手にいれることができるのでしょう?なぜ、紙切れを受け取ることで品物を渡せるのでしょう?
その紙切れが紙切れ以上であることは、何によって担保されているのでしょう?
いや、そもそも、明日もまた同じように日が昇るということも・・・。
明日また目覚めて布団から起き上がれるだろうということも・・・。
それが「信」でなくて何でしょうかw
解脱や涅槃、苦の滅尽(の提示)も、構図として大して変わりませんよw
748 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 00:15:12.94 ID:2Is6Zjlr
仏教徒ってバーゲンセールのおばちゃんみたいな人たちなのか?
「安物買いの銭失い」にならないよう注意した方がいいと思うけど
>>748 w
両極しか見えない人か・・w
君は、スーパーの食品の産地を、諜報機関並はオーバーとしても、
それくらいの確認をした上で初めて買うのかい?
750 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 00:32:51.59 ID:2Is6Zjlr
要するに釈尊ブランドを信じる人たちな訳だよね
竜樹は大人なのでこう言った感覚的仏教徒に配慮して「釈尊に礼拝たてまつる」とか言っといたんじゃないか
>>750 『ブランド』の評価が継続する理由を、ミーハー的なものだけだと思ってんのかw
おめでたい奴だな・・。
おやすみ ノシ
あ、それに
>>749は「ブランド」の話じゃないんだが?
マイナーな田舎の小売店でも同じだよw
宗教って、イエスや仏陀・・・等の開祖を理想の人間に持ち上げ、それに
おんぶして同じ人間が信徒の行為や感情を上から抑圧し自己責任と責め
上げ、罪悪感を植え付けて宗教者に依存するように心理状態を誘導する
卑劣・巧妙なマイコン・洗脳術です
「あれがあるからこれがある」とはどういうことですか?
例えば、目の前にある鉛筆を例にするとどういうことになりますか?
756 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 01:04:52.91 ID:1No0VFgj
>>751 広い外部社会から見れば、「ミーハー」以外の何物でもないのだが。
釈迦・イエス崇拝も麻原崇拝も、「原理的には」全く同じ。
麻原が処刑されれば、信者にとっては、間違いなく「釈迦・キリスト」
になる。
757 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 01:07:24.76 ID:2Is6Zjlr
755
そもそもそのスレを立てたのは私ですw
> 鉛筆を例にするとどういうことになりますか?
「削られて、やがて鉛筆としては使えないものになる」とか?
>>757 > (瞑想クラブ)
> そもそもそのスレを立てたのは私ですw
そうだったんですか? 失礼致しました
760 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 01:52:40.62 ID:KkLGuVC1
>>756 オマエも釈迦や麻原と同じ人間なんだから、
オマエのレスも麻原の教説と同じようにオレは感じてるよ
なんか宗教の迷信を打破してやろうと勝手に思ってんだろうけど、
麻原が現代体制を壊そうとしたのとさして変わらない
761 :
悟空:2012/07/26(木) 03:46:57.33 ID:zZJWH6hr
何か質問あるかい。
762 :
悟空:2012/07/26(木) 03:57:53.22 ID:zZJWH6hr
糞竜樹の言うことは糞であることに気付かないうちは悟ったとは言えないね。
763 :
悟空:2012/07/26(木) 04:33:54.53 ID:zZJWH6hr
>>754 どおいうことってそういうことだよ。3歳児でもわかる。
もしその件に関して質問するならば
「この方便らしきものはどう役立てたらよいのですか」
だな
764 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 06:43:46.02 ID:q+oBe1r9
>>762 >糞竜樹の言うことは糞であること
>>701〜
>>728のような教義の教科書的知識としてではなく、
仏とは,クソカキベラ(今風だとトイレットペーパー)だと気づいているお方は
少数ですがおられますよ。
あなたはそれ以前の問題でしょうが。
でも、『大疑団』を抱えていることは大切です。
仏法は自灯明ですから。
仏法は信仰宗教ではありません。
765 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 07:02:25.14 ID:MFaD9Kcy
>>754 眼に色彩の刺激が入り、その色彩を分析して「鉛筆だ」と判断して、
そこに鉛筆が見える結果となる。
たとえば、鉛筆という概念がない人が見たら、鉛筆としては認識されない。
766 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 08:14:40.24 ID:MFaD9Kcy
>>765 身(体)は不浄である。
受(眼耳鼻舌身意から入ってくる刺激)は苦(ウズウズさせる衝動)である。
心は無常である。
法(概念・観念)は無我(縁起・仮和合・空)である。
以上をふまえて鉛筆を見れば、見方が変わる。
767 :
昨日の ID:qYiEsUFx :2012/07/26(木) 08:17:27.98 ID:q+oBe1r9
>>744 >彼は昨日の ID:qYiEsUFx でしょw
違いますよ。
あなたも思い込みと推測キメツケの強い方ですねw
768 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 08:43:42.83 ID:MkFF1YlU
>>764 >でも、『大疑団』を抱えていることは大切です。
>仏法は自灯明ですから。
その自灯明は自分によるという誤解じゃないか?
本来は
>>635の意味に他ならない。
もしかして机かと思うが、いずれにしろアナタのいう仏教は近代の偽禅、野狐禅のものみたいだぞ、気をつけてね。
まあ、言っても無駄だろうけど
769 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 08:48:36.91 ID:q+oBe1r9
『道流、・、如法の見解を得んと欲さば、但だ人惑を受くること莫かれ。
裏に向い外に向かって、逢著せば便ち殺せ。仏に逢うては仏を殺し、
祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、
親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得ん。』(臨済)
臨済の無分別絶対自由の境地は、いかなる権威も価値も認めない。
世俗的にはまさに狂気の悟りだろう。
一休宗純もここまで至りついている。
一休は臨終で俺の悟りを智り得る者は誰もいないと豪語した。
ここには「宗」教などという俗物は成立する余地がない。
しかし、愚かにも臨済宗が成立している。
ブッダも臨済もその愚かさに苦笑するしかないだろう。
770 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 08:59:20.64 ID:q+oBe1r9
>>768 >その自灯明は自分によるという誤解じゃないか?
『仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長々出ならしむ』(道元 正法眼蔵 現成公案より)
771 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 09:29:07.81 ID:MkFF1YlU
>>770 その道元禅師の言葉はいいとして、自灯明をアナタはどういう意味で使ってるのか?
自分によれというなら、明らかに間違いだよ。少なくとも道元禅師は以下のように自分の認識では分からない、師匠に依らなければ危ういとしているよ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html この師匠に依らなければ、無理というのは伝統仏教の必然だ。
自分の認識なんか全く当てにならないというのが共通認識。
釈尊、完全なブッダである釈尊だけは例外とするのが、小乗。
大乗では、第七地で一切如来から驚愕されるとする。
私は大乗なんでこっちに従うよ。
つまり、大乗では師匠によらない覚りなど全くないということ。
近代禅宗の一部は、その点倒錯している。全く誤った伝統だと思う。
>>767 それは失礼致しましたw
「似ている→同一人物では?」
という“推測”を成立させ・補強・担保する情報(文体・内容(の傾向)・レスの仕方(態度))が多く、
逆に「違う→別人だ」と判断するに足る情報が少なかったので、あのように判断しました。
情報の収集分析が甘かったようですねw 精進致しますm(_ _)m
773 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 10:53:14.27 ID:q+oBe1r9
>>771 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世を知
り、生と死を超越した人、――このような人がまさにその故に〈道の人〉
と呼ばれる。(『スッタニパータ』520)
>その道元禅師の言葉はいいとして、自灯明をアナタはどういう意味で使ってるのか?
それにしてもムズイことを平気で聞くね。
→
>>47 ときには理不尽で残酷な様相をもみせる圧倒的な無量の縁起の中で、
人間主体(自我)は自己を頼みとするしかありません。
自己は実体ではないのは当然ですが、また断じて単なる幻や仮設として軽く見られるものでもありません(非実体非仮設)。
ブッダは残酷な様相を見せる縁起を受け入れよと言われます。
そのためには、「自己」と「法」(なにも説かれていない)との“大疑団”を媒介とするフィードバックによって
このような残酷な縁起→苦の超克を掴み取ってゆくしかありません。
しかし道元さんの古文は超ムズイ。
くれぐれも誤解されないように言っときますが、
仏灯明ではないといっても、増上漫になったり、仏を謗ったりしているのではありませんよ。
無条件絶対の『超越者』ブッダを開祖とする宗教の信者―いわゆる仏教徒ではないと言っているのです。
それは筏のひとつでしかないと言っているのです。
沈没必然のニセモノ筏カルト筏はうじゃうじゃいますよ。
774 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 10:59:52.77 ID:kw0PiD6G
そこである日私は師範に尋ねた、
「いったい射というのはどうして放されることができましょうか、
もし“私が”しなければ」 と。
「“それ”が射るのです」 と彼は答えた。
「そこのことは今まですでに二、三回承りました。 ですから問い方を
変えねばなりません。
いったい私がどうして自分を忘れ、放れを待つことができましょうか。
もしも“私が”もはや決してそこに在ってはならないならば。」
「“それ”が満を持しているのです。」
「ではこの“それ”とは誰ですか。 何ですか。」 (弓と禅 オイゲン・ヘリゲル)
775 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 11:02:51.59 ID:MkFF1YlU
>>773 >人間主体(自我)は自己を頼みとするしかありません。
>自己は実体ではないのは当然ですが、また断じて単なる幻や仮設として軽く見られるものでもありません(非実体非仮設)。
いや〜、こんなこと偽禅以外で初めて聞いたは。
根拠は何? テキストで示してくれ。
机じゃないのは分かったが、もしかしてマハーカッサパの陰謀とか言ってる人?
776 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 11:04:15.74 ID:+Coo3tty
川岸から5メートルくらいいったところで筏からナイルの大河にダイブ!
こうですか?
鰐に食われますね。
777 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 11:04:50.39 ID:MkFF1YlU
>>774 そりゃ、問いが間違ってる。
何かが有る、実在する。あるいは基体があると思ってる。
それが間違ってることを師匠は言葉で示してる。
しかし、彼は気がつけない。
それだけだと思う。
778 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 11:15:09.76 ID:jTtvAPZD
俺式仏教は大抵、結局「とらわれのない人生論」に着地するなあ。
779 :
悟空:2012/07/26(木) 11:16:42.14 ID:zZJWH6hr
>>764 何も理解していない自分に気づきなさいw
780 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 12:38:05.09 ID:q+oBe1r9
>>775 >根拠は何? テキストで示してくれ。
こんな移ろいやすいこの世の中で、自己自身(非有非無:非実体非仮設)を頼まずして、
何を頼みとすんねん?
あのね、俺はあなたのよーな頭でっかち仏(テキスト)灯明信仰主義者とちゃいまっせ。
いやー何も説きえない法(法灯明)なのに、参考程度ならともかく、テキスト(仏灯明)なんかに依拠するわけないじゃんw
しかし敢えてあげれば・・
★林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、
聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(『スッタニパータ』39)
★「いまいふところの佛向上事の道、大師その本祖なり。自余の仏祖は、大師の道を参学しきたり、
佛向上事を体得するなり。」「而今の示衆は、佛向上事人となるべしとにあらず、佛向上事人と相見すべしとにあらず、
ただしばらく佛向上人ありとしるべきなり。」「ただひとへに佛向上なるゆえに非佛なり。
その非佛といふは、脱落佛面目なるゆえにいふ、脱落佛身心なるゆえにいふ。」
「いはゆる佛向上事といふは、佛にいたりて、すすみてさらに佛をみるなり。」(道元 正法眼蔵 仏向上事)かな。
それにしても“ただひとへに佛向上なるゆえに非佛なり”は凄いことばだね。
★さらに、→
>>679 >>もしかしてマハーカッサパの陰謀とか言ってる人?
閻魔大王は閻魔大王ではない、ゆえに閻魔大王とよばれる。
781 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 12:43:02.66 ID:q+oBe1r9
782 :
神も仏も名無しさん:2012/07/26(木) 14:47:38.45 ID:MkFF1YlU
>>780 それじゃ仏教でもなんでもないは
単に仏教をネタに妄想してるだけでしょ
784 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 10:36:54.48 ID:oW6tdscE
>>783 >正に虚空に吠えるが如しじゃ!www
『あら楽や虚空を家と住みなして 心にかかる造作もなし』(一休宗純)
>>782 >仏教でもなんでもないは
一休は当然、仏教徒などではない(→
>>769>>773)
785 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 10:44:23.77 ID:hpbWd/a7
786 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 11:58:40.70 ID:wvTSwor2
阿弥陀の本願に実体はありますか?
787 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 12:33:45.29 ID:rD5fTtXW
>>786 本願とは、阿弥陀仏がまだ成仏していない修行者時代に
師匠の前で誓った48項目の誓願ですよね。
その18番目が「念仏往生の願」。
それらに「実体」って、質問の意味がよくわかりません。
788 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 12:50:03.26 ID:hNU6KDdc
けっきょく、浄土って認識を越えた世界のことだよね?
念仏に統一して無我になったとき、始めて現れる世界・・・
789 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 12:50:43.74 ID:wvTSwor2
>>787 では質問をかえましょう
『願い』とは意念だから実体を言うこと自体がおかしいという意味ですか?
意念とは身命から発するものだから、
仏教は身命に実体はないとするから、実体のないものから発する意念も実体がないのですか?
790 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 12:55:07.71 ID:n7UxL2u6
境地を言葉で表現した部分を引っぺがし、
自分の意見を代弁させたのが閻魔教か。
791 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 12:56:31.91 ID:rD5fTtXW
>>788 経典どおり理解するなら、物理的に存在する別世界です。
もちろん、物質も空であることは前提ですが。
地球も無我だし浄土も無我。
浄土は地球や銀河系みたいに物理的に存在する世界であり、
念仏者が地球で死んだら浄土に生まれかわる、という単純な話です。
あまり難しい話をもちこむと、誰でも救われる易しい教えという
浄土門の特徴が活かせない。
792 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 12:59:41.82 ID:rD5fTtXW
>>789 「情報」と同じです。
情報を伝える媒体は物理現象ですが。
>>788 なるほど。そうですね。
与えられたお題の文字のみで考えると、
「浄土」 = 綺麗に掃き清められたお墓周りの土
ではないでしょうか。
浄土系宗派の特質からしても、どことなく符合するような気がします。
794 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 13:12:08.39 ID:hpbWd/a7
>>789 はい、一切皆空なんで、実体は一切法にありません。
795 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 13:30:14.70 ID:0YUE3m8D
794,縁起の法を言うと世の中で人が認識できる(事物と精神的なことも含めて)
一切は、起縁によって我々の五感に触れるのだ。
君が今見ている、PCだとて設置する縁あって君が操作している。
今だってスイッチで入電する縁が生じなければ暗闇のままだ。
常に常に止まることなく万物は縁に依って変わっている。
これを無常という、言葉は似ているが無情ではない。
一切皆空とは縁起の法の云い替えである。
796 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 13:52:14.39 ID:oW6tdscE
>>785 >アナタや机みたいに法や道を軽視する人
今更な話(
>>694>>696)なのだそうで、何度も繰返さない。
閻魔さんは本道を見ておじゃる。
法帰依(勝義)だからこその自帰依(世俗)とのフィードバックが本道なのであって(
>>773)、
仏(固定化された経典テキスト、仏教など)は筏のひとつでしかない。
逆に、仏法を『仏教』として固定化・教義化・マニュアル化すること自体が『仏法が形式化してダメにな』る原因であって、
仏教はパラドックスでなければ成立しないと何度も指摘した。
仏法は仏教となった瞬間に仏法ではなくなる。世俗文化のひとつとなるだけだ。
ゆえに >『法や道を軽視する人』とはまったくのトンチンカンな誤解であって、失当だ。
逆に重視するからこそ、(伝統と称する)『仏教』固定化に固執する態度を批判してきた。
ちなみに、俺の好きな趙州従諗は南泉普願(馬祖の弟子)の弟子だったが、
南泉普願も趙州従諗も『臨済宗』(臨済も不本意だろう)などと言う仏教など作らず、軽やかに一陣の舞を舞って去った。
一休も『臨済宗』の系譜だからこそ、法≒自帰依と宗・仏教との狭間で格闘し、風教スタイルとなったのだろう。
今更ながら、一休の凄みに打たれる。
797 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 14:25:39.40 ID:hpbWd/a7
>>795 もちろん、縁起・空性・仮設・中道は、同じことの一面を強調した言い換えだけど。
それが何か?
798 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 14:28:55.35 ID:hpbWd/a7
>>796 閻魔大王とか言ってた人? だとすれば、結構、変わったね。一皮向けたかんじ。
まあ、君みたいなこと言うヤツは沢山いるが、それが本当に言えるのは完全なブッダだけだぜ、そりゃ不遜極まりないことを自覚したらどうだ?
オイラの目の前に現れるぐらいの神通も示せないような低い境地で、言えることじゃないんだは。
799 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 15:12:56.44 ID:wvTSwor2
インド人の表現方法は素直に受け取る日本人にはちと理解しずらいよな
現実と利益の中国通って日本に仏教がきたのはよかったと思う
仏教徒ならば(サイの角の様に唯一人歩め!)じゃ
徒党を組んでも更なる迷いが湧き起るだけじゃよ。www
801 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 16:18:20.50 ID:0YUE3m8D
797,そんなもんじゃろな。
794氏の思考を生かじりすると虚無的になって終了する。
慈悲心を専らにすべしという先徳の注意は無に帰する。
802 :
絶対神:2012/07/27(金) 16:36:56.72 ID:Mdm/6iXl
>>795 「それは縁起とは何の関係もない単なる物理法則です」
『それと人間関係は物理法則ですらない偶然によって支配されているまったく別のものです』
人生における法則と、物理法則は「まったく別のものです」
「それをいっしょくたにしているところが所詮、釈迦が古代人であるというよい所以でしょう」
803 :
絶対神:2012/07/27(金) 16:38:59.33 ID:Mdm/6iXl
>>795 「古代人は、人生の法則と物理法則の区別がまだついていなかったんです」
『だからどんな事にも原因があると考え』
今悪い境遇にいるのは前世で悪い事をしたからだと考えました
「偶然という考えを理解できなかったらしいです」
804 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 16:39:39.48 ID:hpbWd/a7
805 :
絶対神:2012/07/27(金) 16:40:30.33 ID:Mdm/6iXl
「つまり、この世の中のすべてのものは」
『仏教で言う「縁起」とも「縁」とも関係ないです』
それは、キリスト教が「一切の運命は神が支配している」というのと
一緒で
「宗教が勝手に言っているだけの事です」
所謂、「縁」なんてものは元々ないんです
多くの場合、「ただの偶然です」
806 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 17:45:10.86 ID:0YUE3m8D
805,儘ならない偶然に支配されて生死を繰り返す人間の存在を厭い
それを苦しみと見解し釈迦は離脱したくて何かを成し遂げたわけである。
当時のインド人に相当な衝撃的事件対象「成仏した釈迦ご自身」ってのは何者?
人が生きてる毎日は選択と被選択の縁により成り立つそして死ぬるのである。
さて803と804両氏はどんなに他人から侮辱されても怒るのは間違い偶然だからである。
又どれほど他人から優遇されても感謝すべきではない偶然だからで在る。
807 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 18:05:49.25 ID:rD5fTtXW
>>801 無常・無我・苦を思い知って(悟って)怒りが減っていけば、
反比例して慈悲が増えるので、必然的に慈悲深くなっていくのでは?
808 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 18:14:39.33 ID:rD5fTtXW
>>806 事故に逢うか逢わないかは偶然に見える要素もありますが、
じゃああなたは安全運転など心がけずに、運を天に任して信号無視もやりますか?
そうではないはず。
事故の確率を下げるように務めるでしょう。
しかし、安全運転に務めていても事故に逢うこともある。
完全にコントロールはできないから無常・無我と言うが、
原因をコントロールして結果を制御できることもあるので縁起と言うのです。
809 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 18:30:16.09 ID:0YUE3m8D
808,これぞ不昧因果ですね。
己のなした行いの道理からは逃げることは出来ません。
良縁良貨 悪縁悪果 因果応報が現れるのです。
810 :
796:2012/07/27(金) 19:43:26.50 ID:oW6tdscE
>>798 >オイラの目の前に現れるぐらいの神通も示せないような
この言葉はスルーして忘れることにする。
>>809 仏教ってのは運命論・宿命論だったわけか。
どんなに努力しても、どれだけ心を入れ替えて精進しても、
効果は無いわけですね。 じゃ、なんで修行しろと言われるんだろ?(´・ω・`)
決まってるなら何もしなくてもいいじゃん。
なんで色々な教えがあるの?(´・ω・`)
決まりきってるなら、教えなんかいらないじゃん。
812 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 19:54:25.97 ID:hpbWd/a7
>>810 なんでやねん
>>811 ちゃうちゃう。因果が縁起することと、宿命・決定論は違う。
虚無論か実在論かとか、そういう考え方は縁起・空性・仮設・中道を理解してないからなんですよ。
813 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 20:39:31.97 ID:0YUE3m8D
ある人が、諸法皆空を説明して「物事は条件次第で成り立つしそれが
揃わねば成り立たない」と言う。たとえば
ある人が物凄く他人に嫌悪される人格 そのような条件を完備したわけだ。
天然美人はそのような条件を完備すると美人になると こうなるのである。
理論はいい加減聞き飽きたので、自分の条件を変更する方法が欲しいと願いますね。
俺こそそれを知っていると言う人募集中です。
814 :
三昧堂 究一:2012/07/27(金) 20:43:47.22 ID:bF82T7Z8
仏教学と称して悦にふけっている輩が多いな
知識を得ることは良いがそれを使いこなす知恵がないときている
まあ、アクセサリー代わりに戯れていればいい
815 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 21:11:41.32 ID:wvTSwor2
>>813 最終行はおっしゃる通りかとも思うが、
無常なのだから自分が得することを思うより、
どんな境遇にも覚悟を決めるべきなのかとも思う
>>802 >>803 >>805 絶対神どの
物理法則とか、偶然とか
「すべて一切の運命は神が支配している」とか言う事じゃなくて
色即是空 → 空即是色
因 → 縁 → 果 → 報 → 因 と言うように
ぐるぐると、まわって、輪廻しているんじゃなイカ? おじゃる?
817 :
神も仏も名無しさん:2012/07/27(金) 22:27:12.45 ID:0YUE3m8D
816,それって法華経でいう十如是な、あれは空をうまく説明しているよ。
そこから抜ける方法論が出なきゃいけない訳だ。
まさか題目唱えて十如是体得OKなんて言わんよな?
これを日蓮は言ったようだ 題目唱えて諸法皆空を満足するなんてね。
縁起を論理で知ったところで救いにならんな
縁起と執着は両立するもん
あーーー、縁起と因果と相依相関について分からなくなりました。
中村氏は中論の第1章と第20章で諸法が因と縁によって生ずるとする説を攻撃する一方で、
縁起することを肯定していることから、縁起を「原因によって」と解することは不可能であり、
中論の説く縁起は相依性を表す…ということが、『竜樹』の180頁前後で書かれています。
一方、石飛氏は『ブッダと竜樹の論理学』の69頁で十二因縁を「因果の連鎖」と解釈しています。
この「因果の連鎖」とは、竜樹が中論1章で原因を批判した部分と矛盾してしまわないのでしょうか。
また、端的に「他に縁って起こる」ということが具体的に何を指すのかも分からなくなりました。
「長があるとき、短がある」の事例は、私には石飛氏が否定する相互依存の関係にしか見えません。
私は何を誤解しているのでしょうか。
822 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 03:23:59.09 ID:PI4Cag7s
>>820 まず、縁起は因果です。
しかし、因果は、空性であり、仮設であり、中道です。
つまり、因果として仮設されたものは長といい、短といっても空性で、
幻のように実体はありませんが、習わしによって仮設されます。
次にxが長と仮説されたとき、yは短と仮説されて縁起し、知覚されます。
こういった知覚は瞬間的に認識されるので、無時間に思われますが、
よく心を見つめる時、時間性が分かるかもしれません。
『中論』1-25は不生の縁起、あるいは勝義への導きなので、
xとして仮設された諸法を「xではない」と遮断し、空性に導き、
それによって戯論寂滅という勝義に導きます。
何か見解を論証しているのではありません。
中村先生はここらへんが分かってないので、訳の分からないことになっていると思います。
823 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 08:38:30.83 ID:aHKvRinl
>>822 >中村先生はここらへんが分かってないので、訳の分からないことに
>なっていると思います。
君の言ってることこそ、訳が判らん。自分の言葉一つ一つをもっと吟味
してください。
「相互依存・関係性」でなければ、「空」など成立し得ない。君は何とかして
「忌むべき業報論」を維持したいという下心が見え見え。「業報論」は、現代
人の常識では、もはや通用しません。
中論の「空」は、「釈迦の縁起・空・中道に新しい意味を与えて、換骨奪胎
した」のです。
釈迦カルトは去ってください。
824 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 09:04:09.38 ID:NRZ7AuUm
>自分の言葉一つ一つをもっと吟味してください。
お前は何を言っているんだ(AA略
825 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 09:08:02.20 ID:f0Z9b7NE
>>813 自分の条件を変更する方法は、八正道、戒・定・慧の三学でしょう。
そこには、2つの側面があります。
ひとつは、毎日の積み重ね(習慣)の力により、
罪業(心の悪い癖)を弱めて功徳(心の善い癖)を強め、
感情を煩悩に支配されにくくすること。
もうひとつは、そのくりかえしの中で苦・無常・無我に気づき、
煩悩を滅していくことです。
ひとつめについては、他の宗教の善行や一般的な道徳によって
善い生活を心がけても効果があるでしょう。
826 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 10:37:04.10 ID:OmoSjFOv
>>822 >次にxが長と仮説されたとき、yは短と仮説されて縁起し、知覚されます。
>こういった知覚は瞬間的に認識されるので、無時間に思われますが、
>よく心を見つめる時、時間性が分かるかもしれません。
つまり、長と認識された後に、短が認識されるってこと・・?
縁起っていうのはそんなモンじゃないと思うよ。
長と認識された時点で、その裏に短があるんだよ。
長短という相対的な認識が起こることを、縁起というんだよ。
長の次に短が起きることを、縁起っていうんじゃない。
長の中に、すでに相対的な認識が起きてるんだよ。
827 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 10:47:07.13 ID:PI4Cag7s
>>826 それは相依相待説ですか?
相依相待説は、もはや過去の説のように思いますが。
根拠はなんですか?
これ(無時間的相依性)も、外縁起でしか考えないからそうなるw
内縁起で考えれば、(自身の心の動き(様相)で考えれば)、
「無時間的相依」が、どれほど滑稽な考え方か判ろうものに・・・。
>>822 820です、解答ありがとうございます。
私の考えていた相互依存関係とは、
「長があるとき短があり、短があるとき長がある」というような、
長と短が同値であり、片方を無くしてはもう片方を成立させることができないような関係です。
長があるから、短は「長くないもの」として、短があるから長が「短くないもの」として成立するようなソシュール的な発想です。
23章の10詩と11詩もまさにそのことを言っているように見えます。
この考え方は無自性や不生不滅にも矛盾しないように思えます。
しかし、この相互関係の考えは十二因縁にどのように応用できるのか分かりませんでした。
また、石飛氏が強調する時間性や順番がそこにはありません…
822さんの言うところによれば、長という言葉から短を連想することを縁起すると呼ぶのですか?
>因果として仮設されたものは長といい
この場合、どのような因果から長が仮設されたのですか。
また、竜樹の批判した因果は、自性ある原因から自性ある結果が生まれるというような、
実有的な因果を批判したのであって、無自性の因果を説く竜樹の縁起説とは一線を画するということでしょうか。
>>828 まさに、その「自身の心の動きと時間性」を含んだ縁起を知りたいです><
たとえば、上に挙げた23章の例でいえば、12詩の
「浄(不浄)なるものがないのにどうして貪欲(嫌悪)が起きようか」
の「起きる」という部分が、まさにそういう意味での「縁起する」ということなのでしょうか。
だとすれば、821さんの「時間性・不可逆性」も腑に落ちます。
そういえば十二因縁も確かに不可逆的ですね…
横から一言。
>>829 (竜樹については詳しくないけれどもw)
「概念(理屈)の上での」同時成立と、「事象としての」同時成立は
違うと思うんだよね・・。そして、因果にしろ縁起(≒12縁起)にしろ、それは事象について述べられることだとも思うしね。
たとえば、「色(rUpa)」には「質碍(ぜつげ)」という漢訳が充てられることがあるけれども、
それは、「同じ場所を(同時に)占めることができない」ということではなかったかと記憶する。
そして、同じことが「(受)想行識」としての心的事象についても言い得るのではないか? と。
「長い」「短い」始め「明暗」や「高低」「表裏」等、様々な「対照性を持つ概念」はあるけれども、
そのことによって《「縁起」を無時間的相依性を顕すもの》とするのは、あまりにも愚昧だと思うわけです。
>>830 たとえば、今でこそ文献として、文字情報として仏典を読み、
複数の内容が、あたかも同時に存在して(説かれて)いるように思えますが、
もし、音声として聞いていたらどうでしょう?会話をしていたら、講演・法話を聴いていたら?
自身がしっかり記憶して留めていかない限り、前の事柄と次の事柄を比べることはできないでしょう。
なにごとかが(因により縁により)生じるとき、因と果、縁と果は同時にそこに“ある”のでしょうか?
貴方の心に、何事かが(因により縁により)去来したとします。
そのとき、その想いと【同時に】、そのことの因なり縁なりがそこに“ある”でしょうか?
或いは、怒りと喜びが“同時に”ありえましょうか?
「刹那滅」という考え方が誕生する理由も、それなりにあるわけです。その見解が正しいかどうかは別にして。
少し即物的になりますが、野球場の電光掲示板、点数表示の1マスで、複数表示が可能かどうかという譬えはどうでしょう。
0点と5点の同時表示がありえましょうか?
仮に、0と5が、対立概念・相対的概念であったとしましょう。0があってこその5、5あってこその0だったとしましょう。
しかし、それでも、或る1マスに表示されるのは、0か5のどちらか一方です。そこに同時に表示されることはありません。
イメージとしてはこういうことです。
833 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 13:30:56.47 ID:PI4Cag7s
>>829 もうちょっと、先に書いたものをよく読んで考えてみてください。
因果というのは、仮設ですよ。
これあらばこれあり、これなくばこれなし。
上の先行する法が、因と仮説され、後者が果と仮説されるわけです。
正に実体的な因果でなければ、縁起・空性・仮設・中道と考えるの妥当でしょう。
それこそ『中論』24.18に他なりません。
そして『勝義空性経』や『カーテヤーヤナへの教戒』などがその根拠に他なりません。
>長と短が同値
とはどういうことでしょう? もし、観念的、西洋論理的に考えているなら、それは間違っていると思います。西洋論理を一度捨てないと、縁起は理解できないと確信します。
834 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 13:38:43.53 ID:PI4Cag7s
>>833 そうそう。仮設というのは、過去の業が、世間の言語習慣などの諸縁によって、ラベリングされて表象されることをいいます。
それぞれの人にそのように仮設として現れるというような意味です。
もちろん、空性ですから実体はありません。
>>831、
>>832 なるほど、まさに概念として同時成立してもそれは現象としてはあり得ない話でしたね。
丁寧な説明ありがとうございます。気付かされました。
>>833 縁起は因果を表すが、因も果も無自性空であり、仮設されたものに過ぎないとことですね…
話がずれてしまうのですが、「仮設されたもの」だと言われても、言葉を尽くされても、
無自性空性であることを今一つ体感できないのですが、これを体感レベルまで持っていくためにはやはり"修習"しかないのでしょうか。
それとも、しっかりと釈尊と竜樹の縁起観を"理解"しただけでも、その空性は実感できるのでしょうか。
私が相互関係の論に拘ってしまった理由は、無自性を実感レベルでイメージしやすかったというのがあります。
836 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 14:45:54.20 ID:Kd4lnLVy
『もしも、なんらかのものに縁って時間があるのであるならば、
そのものが無いのにどうして時間があろうか。
しかるに、いかなるものも存在しない。
どうして時間があるのであろうか。』(龍樹 中論19-6)
837 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 14:56:38.66 ID:PI4Cag7s
>>835 本質的にはきっちり修行するしかないと思いますが、
疑似体験、比喩はいろいろあるとおもいます。
例えば、だまし絵、3Dドット、単純な話、今見てるモニタ画像もそうですし、
そこに映る各国の文字記号が有意味なことなんかもそうでしょう。
その言語習慣の外にいるものには、単なるドットが創りだした形にしか見えない。
しかし、その習慣内の者には、有意味な文として立ち現れる。
ですが、どちらも本質はなく空であると。
838 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 14:58:32.69 ID:PI4Cag7s
>>836 もちろん、勝義では時間も空に決まってるでしょ。
そういう勝義への導き文脈と、世俗での仮設の説明を混同しては何もわからないし、虚無論になるだけでしょう。
839 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 15:30:23.05 ID:iJdr1zUC
>>833 「仮設」という言葉はおかしい。「仮」というなら、「仮ではない本物」の
存在を前提としている。また、すべてが「仮設」なら、「仮設」が「常設」
ということになる。
さらに「仮設」を考えている人間の生命は「常設」である。
仮ではない本物が前提論キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
中論卷第四 觀如來品第二十二
諸法の実相は性空なるが故に、応に如来の滅後に於いて
若しは有、若しは無、若しは有無を思惟すべからず
如来は本より已来、畢竟じて空なり
何に況んや滅後をや
如来は戯論を過ぐるも
而も人は戯論を生ず
戯論は慧眼を破すれば、是れ皆仏を見ず
戯論を『憶念して相を取り、此彼を分別して、仏の滅不滅等を言う』と名づく
是の人は戯論の為に慧眼を覆わるるが故に、如来の法身を見る能わず
中論觀顛倒品第二十三
無常に於いて常に著す、是れを則ち顛倒と名づく
著を憶想して此彼、有無等を分別すと名づく
顛倒は種種の因縁に破れたるが故に、不生に堕在す
乃ち無漏法に至るまで、尚お名づけて不生の相と為さず
顛倒無きが故に何んが顛倒の者有らん
顛倒に因って顛倒の者有り
中論觀四諦品第二十四
世俗諦とは、一切法の性は空なるも、而も世間は顛倒の故に虚妄の法を生ず
世間に於いては是れ実なり
諸の賢聖は真に顛倒の性を知るが故に、一切法は皆空にして無生なりと知る
聖人に於いては是れ第一義諦にして、名づけて実と為す
> さらに「仮設」を考えている人間の生命は「常設」である
↑ 生命教の教祖さまの、ご隠居阿闍梨さまかしら? おじゃる?
ご隠居先生は顛倒の故に虚妄の法を生じて
そして、西洋文明の洗脳教育によって
「目で見たり、触れて感じたりする事の出来る何かが存在するのだっ!」とか
「人間の生命は常設であるっ!」とか言う
妄執の想念に取り憑かれているんじゃなイカ? おじゃる?
>>841 その様な薬の効能書きを、自慢気に書き込んでいる
貴方は地獄行き確実ですな!www
845 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 23:23:20.28 ID:PI4Cag7s
>>844 >その様な薬の効能書きを、自慢気に書き込んでいる
>貴方は地獄行き確実ですな!www
なんで?
話したいなら、言い方があるっしょ?
そりゃ、仏教以前の問題じゃないか?
そして悪口は、悪業だって釈尊も説かれてるのは知ってるよねえ。
846 :
神も仏も名無しさん:2012/07/28(土) 23:27:26.17 ID:W53Zf8ry
834,例えば 或る個人が過去の業とそれに相応しい縁が生じて
大変化してどうかなったとしても、実体はないのだなあ。
でもさ自家中毒的に苦しんでいる人が沢山いるのは、どう説得するの?
長年の習気で病気になった人に「貴方それは空ですので糖尿病は
実態はありません」と言える?一切万物は空なんだが個人において
実体化しているわけだ
人生上の応用問題が解決できない宗教の問答は無意味だな。
何かに苦しみそれを解決したところに真の価値がある、それは釈迦ご自身のことである。
>>845 >なんで?
本当に意味が分らないの?
そして批判と悪口の区別がつかないの?
君こそ仏教以前の存在だよ。
一知半解の仏教マニアこそ悪業其のものだよ!www
848 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 00:02:14.79 ID:BmPUn/78
845 縁起や空の基礎理論は当然知っております。
但しですね役に立たない戯論をもて遊んでいませんか?
もし834氏が僧侶だったらどうでしょう。
小生は現代とは学究において僧俗平等と思います。
>>844 >
>>841 > その様な薬の効能書きを、自慢気に書き込んでいる
> 貴方は地獄行き確実ですな!www
>>847 >>845 >> なんで?
> 本当に意味が分らないの?
> そして批判と悪口の区別がつかないの?
> 君こそ仏教以前の存在だよ。
> 一知半解の仏教マニアこそ悪業其のものだよ!www
− − −
なぜ薬の効能書の様な中論を自慢気に書き込むと地獄行き確定なのか?
なぜ一知半解の仏教マニアこそ悪業其のものなのか?
中論初心者は議論に参加してはいけないのか?
↑ ご教示してくれなイカ? おじゃる?
>>851 >
>>850 > ググレ粕でおじゃる!www
意味がわからないんだけど?
何をググレば良いのか?
具体的に、ご教示してくれなイカ? おじゃる?
>>852 他人任せじゃ無く少しは自分で解決する努力を惜しんじゃダメだよ!
>>853 > 他人任せじゃ無く少しは自分で解決する努力を惜しんじゃダメだよ
意味がわからないので
何をググレば良いのか?
何を何の為に解決するのか?
わからないんだけど? おじゃる?
855 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 05:51:50.25 ID:vwBFNoj9
ハイヌウェレ信仰の要素を加えてください。 エルサレムは仏教の聖地ですよね?!
856 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/07/29(日) 06:32:48.42 ID:ycNGDiYX
>>823 >中論の「空」は、「釈迦の縁起・空・中道に新しい意味を与えて、換骨奪胎した」のです。
>釈迦カルトは去ってください。
その龍樹は因果の法を否定せずにいくつかの事例の解説をしております。
著書「大智度論」にて。
「中論」を読まれた方が、「大智度論」を30巻まで読み、また「中論」を読んだら新たな目覚めがあるかも知れません。
以上、このコメントの輪廻は5回目位でしょうか。
857 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 06:53:53.59 ID:V7l2CqfA
>>847 ネラっすね。
その断定だけで説明なし、自分だけが正しいって口調。
オイラには悪口にしか見えないないなあ。
仏教徒だというなら、批判などしない導きがあるだけだと思うよ。
858 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 06:55:05.92 ID:V7l2CqfA
>>848 まあ、エロオヤヂなんで、そこは勘弁して
859 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 08:04:16.98 ID:NEQ0EYQp
>>854 ?
>>856 前世は一在家
君ら、せめて「中村元・田辺祥二、『ブッダの人と思想』、NHKブックス」(入門書として名著です)あたりを、
しっかり読みこなしてから出て来いよ。
これで仏法のなんたるかの80%は満たせる。
仏法は説きえないものだと言うことが掴めれば、知的理解としては十分だし、
後の知識は学者趣味だし、余計なコトだ。
後は実行あるのみだろう。
理解できない難しい本を読んで半知半解で迷妄樹海の海をさ迷っている様にみえる。
みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。
それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。
これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故でしょうか。
何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタニカーヤ 33.1.3)
861 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 08:12:56.27 ID:NEQ0EYQp
ホントは難しい本を書いているやつが、
掴んでいるとは限らない。
ニセモノである可能性が高い。
別に龍樹のことを言っているわけではないぞw
著者の理解が深ければ深いほど、
どんどん判りやすく、やさしく書けるはずだ(吉本隆明)。
862 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 08:54:19.45 ID:V7l2CqfA
オイラは中村先生は勧めないな。
やっぱ、以下でしょ。
水野弘元『仏教要語の基礎知識』
片山一良『パーリ仏教入門』
山口益『仏教思想入門』
石飛道子『龍樹』
パユットー『仏法』
ダライラマ『智慧の眼を開く』
この内、どれか一冊でいいと思う。
それとその二人は、知識の問題じゃなくて、動機が自分の主張に仏教をどうすり寄せるか、だから。何を読もうと関係ないよ。
この問題は、二人だけでなくここに登場する多くの人に当てはまる。体験仏教派たちの人もおんなじだと思う。体験は重要だが、人と仏教の是非を話す時に自分の体験なんか基準になりっこないは。
なぜなら、それは自分の体験を語ってるのであって、その体験が仏教と一致するかどうか保証するものは何もなく、あるのは自分の体験こそが真実で、それとブッダの体験が同じだという彼自身の信仰があるだけだから。
諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり
864 :
861:2012/07/29(日) 09:08:39.29 ID:NEQ0EYQp
>>841>>844 >その様な薬の効能書き
ほとんど初心者には意味不明な『効能書き』だが、
「中村元・田辺祥二、『ブッダの人と思想』、NHKブックス」では、
p13・14・47・49・90・94・99・101・103・104・141・147・153・154・179・184あたりに
達意かつ明快に繰り返し書き込まれている。
著者の理解の深さと情熱に脱帽する。
865 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 09:12:11.56 ID:0ahkI+Pu
>>862 またお決まりの小乗とチベット仏教。開祖盲信のカルトだね。
866 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 09:16:11.72 ID:V7l2CqfA
>>864 >著者の理解の深さと情熱に脱帽する。
どんな理解でしょう?
>>865 山口益先生は、大乗を中心に論じてるし、龍樹もあるっしょ。
つか、君のいう大乗は生命教という妄想で、大乗と全くの別ものだと、分かる日が来ることを祈る
867 :
861:2012/07/29(日) 09:30:56.17 ID:NEQ0EYQp
>>866 >どんな理解でしょう?
仏法の中核問題「自己」とはなにか?
868 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 09:36:00.85 ID:V7l2CqfA
>>867 >仏法の中核問題「自己」とはなにか?
え、そりゃ倒錯してない?
中核問題とも思えないし、仏教的に〈「自己」とはなにか?〉という問い、文は仏法が分かってない人の言い方でしょ。
なぜなら「自己」なんて仮設だし、「なにか?」という問いは、言い習わしとして現象が何と名付けられるのかを問うならありだけど、本質・実体といった形而上学的問題を問うことは、仏教が分かってないと告白しているようなものだから。
870 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 09:42:19.67 ID:V7l2CqfA
>>869 何いってんの?
オイラは禅とはほとんど関係ないぜ。
871 :
861:2012/07/29(日) 09:44:19.81 ID:NEQ0EYQp
>>868 >え、そりゃ倒錯してない?
⇒
>>47(自灯明:己事究明⇔法灯明)
「説示一物即不中」(上掲書 p104)
872 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 09:48:03.85 ID:V7l2CqfA
>>871 倒錯してるは。だから、自洲だって。
やっぱ中村先生はだめだは。
873 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 09:57:04.31 ID:NEQ0EYQp
>>872 ⇒それは
>>862の体験を語ってるのであって、その体験が仏教と一致するかどうか保証するものは何もなく、
あるのは自分の体験こそが真実で、それとブッダの体験が同じだとい
>>862自身の信仰があるだけ
874 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 09:59:56.39 ID:V7l2CqfA
>>873 君は仏教理解も倒錯してるが、文も自分の直感だけを書いて相手に理解させようとする配慮を全く欠いていることを反省した方がいいと思うよ。
まあ、君ならもう何度も話たので、言うことは他にない。
875 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 10:01:16.09 ID:V7l2CqfA
>>873 ああ、念のため、そこで「自身」と書いているのは仮設に他ならない。
そういうことも分からないから、勝義と世俗がごっちゃなんだよ。
876 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 10:06:34.42 ID:NEQ0EYQp
>>875 非実体(実体にあらず) 非仮設(仮設にあらず)
では。
877 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 10:11:30.76 ID:V7l2CqfA
>>876 分かってないな。四句分別を用いるのが何のためだと思ってんの?
なんか見解・分別を掴ませるためじゃないぜ。
あらゆる見解・分別・思想・戯論を寂滅に導くためだ。
分かってないことを、自覚されたし。
878 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 10:20:28.21 ID:NEQ0EYQp
説似一物即不中
仏教は仏教に非ず、ゆえに仏教と「説似」す
>>870 誰もそんなこと言っとらんだろwww
「己事究明」って言葉くらい知っとるやろw
それが禅の骨子であり(
>>867)、それは仏法じゃないという意見もあり(
>>868)、
2つのレスを総じれば
>>869ってことで、何の問題もなかろう?w
880 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/07/29(日) 12:11:29.71 ID:ycNGDiYX
>>856 一在家
>「中論」を読まれた方が、「大智度論」を30巻まで読み、また「中論」を読んだら新たな目覚めがあるかも知れません。
「中論のみ読みの龍樹知らず」という言葉も輪廻します。
「龍樹伝」著者の訳聖クマラージュは「大智度論」も龍樹作と記載しております。(通説では100巻中の30巻でしょうが。)
尚、中村元先生の著書「龍樹」にて、「龍樹伝」を読みました。
クマラージュは嘘つきだと思う方は彼の関わった本は参照されない方が宜しいかと思います。
この板の他称一代氏(自称オイラ氏)は中論、大智度論、方便心論を読まれてコメントされているように思います。
石飛先生と似たようなスタンスだなと時々感じる次第です。
_, -───- ._ __,
, ': : : : : : : : : --へ `マ二.ノ
く\ /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : \
へ \\/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : i: : : : : ヽ \
/___>ク7 : : : : : : : : : : : : : : : : : : : i : : i : : ヽ ヽ ヽ.
/ : : l レ' : : : : : ヽ. :/: : : :ハ: : : ハ: : ト、: : :i: : ト、ハ
/: : /イ TTl : : : : :/ト、/ l : / メ. | ヽ: :l: :N} リ
/: : / : ヽ i : : /__ レ_.ヽ l // _V__ j 小 l ヽ
/: : / V: :以イ{丁‐ーtッ─ レ ,ーtッー ハハl: :ハ
./: : / ヽ,ム{ハヽゝ ノ ゝ ノ { ヽハ
/: : / { ム.ハ ''` ̄´  ̄ '' } V i 仏法は理屈でも学問でも無いでしょう!www
' : :/ ヽ.__ムハ ___ , イ! i i
l : :i ヽi> ._f´ __ノ_,. < ! !
|: :i /  ̄ ̄二¨¨77フ ̄カつ ! !
l: i l { {{ ノノソ l l
| i l ムイ ̄´ l |
|.l } 'ヽ=ーr┬<〈 ハ. l |
l.! l |:::ハ i. ヘ l |
|l l l:::::::〉 l ヽ l.|
|| | \/ li ヽ l.|
水野弘元『仏教要語の基礎知識』
片山一良『パーリ仏教入門』
山口益『仏教思想入門』
石飛道子『龍樹』
パユットー『仏法』
ダライラマ『智慧の眼を開く』
ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元(著)大村次郷(著)田辺祥二(著)
龍樹(講談社学術文庫)中村元(著)
ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章
ご教示頂きまして真に有り難うご座います おじゃる
>>881 > 仏法は理屈でも学問でも無いでしょう
順番としては、まず教学として、中論も勉強して、その後に
中論觀法品第十八
八聖道分の修習
滅尽定を以って第一と為す
と言う段階を踏まえる
と言う事で良いんじゃなイカ? おじゃる?
884 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 15:27:30.07 ID:XLbRpoqR
>>880 >この板の他称一代氏(自称オイラ氏)は中論、大智度論、方便心論を読まれ
>てコメントされているように思います。
一代氏の目的は、釈迦盲信のあまり、その「業報論」を固守したいだけではないの。
885 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 16:24:51.70 ID:XLbRpoqR
>>880 中論は、それ自体で完成された思想体系。竜樹の著と「言われろ」大智度論や方便心
論と必ずしも論理一貫している訳ではないのだから、これらの著書と混同される
のは、「中論の竜樹」にとっては却って迷惑だろう。
886 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/07/29(日) 16:51:16.72 ID:ycNGDiYX
>>884 >一代氏の目的は、釈迦盲信のあまり、その「業報論」を固守したいだけではないの。
「業報論」については、龍樹も大智度論の五巻で詳しく解説されております。
龍樹は 90 日において般若経を読破し深い意味を悟る(龍樹菩薩伝)。
この後に大品般若経の解説書「大智度論」を書いたというのがクマラージュの説。真偽は如何に議論中。
887 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2012/07/29(日) 17:01:11.39 ID:ycNGDiYX
>>885 >中論は、それ自体で完成された思想体系。竜樹の著と「言われろ」大智度論や方便心論と必ずしも論理一貫している訳ではないのだから、
一例では、釈尊は「言い争うな。」と説き、もし龍樹が論争に明け暮れておれば、論理一貫も言行一致もないことでしょう。
石飛先生は「方便心論」こそ、龍樹が釈尊の教えをよく守り、言い争わない為の方法を取り纏めた物だと著書で検証済み。
中論と大智度論も同様に、「必ずしも論理一貫している訳でない」ようで実は「論理一貫している」ことが多いそうです。
> 中論と大智度論も同様に、「必ずしも論理一貫している訳でない」ようで実は「論理一貫している」ことが多いそうです
相手の能力や素質にふさわしく法(教え)を説く
「人をみて法を説く」とか「随機説法」と言う事で
良いんじゃなイカ? おじゃる?
889 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 19:39:53.72 ID:V7l2CqfA
>>879 だったら、オイラにアンカつけんなって
それにそりゃ字面と偽禅に囚われてるだけだと思うが
>>889 w
だからw
867と868がセットでなきゃ869にならんわけ。
で、868だからこそ、禅は異端であり且つ直系なんじゃないかw
何度言わせんだよwwwww
891 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 20:00:17.95 ID:V7l2CqfA
>>890 お、セブンか、そりゃちょいと、違うじゃないか?
自己とか、おのれっていっても仮設でしょ。間違いなく。
>>891 だから、そういうものだと気付くために、“仮設の己”事を究明すんでしょ。
趙州の無字や臨済の真人が「実体的起点」としての何がしかを想定しているかどうかは、
もはや解釈の範疇を超えることはないわけだが、
そこで、『そういう「自己」がある』と見れば、顛倒であろうし、
そうでなく、『所縁によって顕現して何ものかがある(いる)』と見るならば、
それを『“己”の“事”を(空なる存在として)“究明”すること』と読む(解釈する)ならば、十分系譜足り得る。
もし、禅というものを
前者だと見做せば異端のままだし、(貴方が嫌う日蓮同様w悪しき仏法ということになるし)、
後者だと見做せば、きちんと行じて境涯を極めた禅者なれば、系譜にある釈子として評価し得るだろう。
勿論、後者の人物が、長き【禅の歴史上】存在したかどうかは検討の余地があるかもしれんがwww
893 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 21:14:41.11 ID:V7l2CqfA
>>892 後者しか禅とは認めません。前者こそ野狐禅でしょ。
> 動機が自分の主張に仏教をどうすり寄せるか
> 体験は重要だが
> 人と仏教の是非を話す時に自分の体験なんか基準になりっこないは
中論觀顛倒品第二十三
無常に於いて常に著す、是れを則ち顛倒と名づく
著を憶想して此彼、有無等を分別すと名づく
顛倒は種種の因縁に破れたるが故に、不生に堕在す
乃ち無漏法に至るまで、尚お名づけて不生の相と為さず
顛倒無きが故に何んが顛倒の者有らん
顛倒に因って顛倒の者有り
中論觀四諦品第二十四
世俗諦とは、一切法の性は空なるも、而も世間は顛倒の故に虚妄の法を生ず
世間に於いては是れ実なり
諸の賢聖は真に顛倒の性を知るが故に、一切法は皆空にして無生なりと知る
聖人に於いては是れ第一義諦にして、名づけて実と為す
> なぜなら、それは自分の体験を語ってるのであって
> その体験が仏教と一致するかどうか保証するものは何もなく
> あるのは自分の体験こそが真実で
> それとブッダの体験が同じだという彼自身の信仰があるだけだから
中論卷第四 觀如來品第二十二
諸法の実相は性空なるが故に
応に如来の滅後に於いて
若しは有、若しは無
若しは有無を思惟すべからず
如来は本より已来、畢竟じて空なり
何に況んや滅後をや
如来は戯論を過ぐるも
而も人は戯論を生ず
896 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 22:23:54.91 ID:V7l2CqfA
>>839 御隠居殿
>「仮設」を考えている人間の生命は「常設」である。
人類もいつかは滅亡するので、あくまでも期間限定の「常設」ってことになりますね。
かつては地球の生物界における人類の立ち位置に相当するポジションにあって
繁栄を誇った恐竜類も結局は滅びました。
結局、常設だと常住だとかは、何らかの「ただし書」なしには成立しない話です。
仏教的な文脈ではそういう「ただし書」の必要か否かということも、「ちゃんと」織り込んだ上で、
なおかつ、無常か常恒かを述べます。
想定外の条件(ただし書)が浮上して(で原発事故発生→放射能ダダ漏れ)みたいな言い訳は、なしです。
結局、前提条件(ただし書)なしでは成立できないことならば、それこそ、仮に成立しているもの、
仮設だということになるでしょうね。
899 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 23:18:50.80 ID:xKPj5uDv
>>897 「生きている間」は、「常設」である。
釈迦も仮設、君も僕も仮設、万物は仮設。すべて仮設なら、仮設が常設である。
簡単な論理。色即是空、されど空即是色。
期間を限定したらそれは常ではなく「常設」じゃねーじゃん。
902 :
神も仏も名無しさん:2012/07/29(日) 23:51:03.49 ID:V7l2CqfA
>>901 ああ、アンタか。できればオイラにコメントしないでくれないかなあ。
縁起というのは、「縁りて起きている」その状態のことをいうんであって、
「縁りて起こる」その過程のことを言うんじゃないと思う。
過程と見るから、縁起そのものを因果と誤解する。
因果と見るから、そこに時間性が出てくる。
12個の過程そのものが、縁りておきてるわけだから、
12個全体が起こっていることを、縁起というんであって、1から2、2から3という風に、
2や3が生まれることを縁起というんじゃないと思う。
(
>>903)補足
「2があるから3がある」状態が縁起であって、
「2(原因)から3(結果)が生まれる」ことが縁起じゃない。
自称オイラさん(他称一代さん)が
私にコメントしてくれるので
その、お返しにコメントをしている
と言う事で おじゃる
906 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 02:06:23.84 ID:wyAXgNh9
>>900 >期間を限定したらそれは常ではなく「常設」じゃねーじゃん。
君は「無期限」「永遠」「無限」を信じているのかね。そんなものはない
のが「大自然の摂理」「法」だ。従って、「涅槃」など存在しないのである。
907 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 05:35:53.60 ID:btVrEMNp
>>905 コテつけてくれればスル〜しますよ。
アナタと別な人だという可能性がある場合、コメントしてるだけで。
これは他の止論とした名無しさんについても同じ。
908 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 06:06:15.53 ID:DkqdkAfn
>>906 >「大自然の摂理」「法」だ。
二項相対の世俗言語ゲームとして、ある。
909 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 09:48:30.78 ID:02v7Lftm
欲望も執着も世俗として仮設されるからしょうがないだろ
911 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 11:27:38.21 ID:02v7Lftm
>>910 世俗ではなく、修行者のことではないの。世俗は、生存努力という選択不能な
大修行によって、既に悟っている。修行者の修行は、単なる「趣味」「お遊び」。
パクリ?競争じゃあるまし、いろんなところから参考になる部分を取り入れて何の問題があるの?
913 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 13:20:08.53 ID:TyE86OSB
趣味、お遊びから偉大な学問や芸術が生まれた例は沢山ある
914 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 14:34:50.68 ID:9UV1yea4
西嶋和夫氏の「中論」の梵和対訳が書店に出ているが、その表紙に、「中論は
実在論である」との趣旨の副題が付いていた。
未だに、幻だの仮設だの言っている人は、釈迦盲信の一代氏と真光・神智学などの
カルトだけではないの。「釈迦の教え」である「業報論」が否定されると、自己の
人格が否定されたように感じるか、「営業の手段」が無くなるからだろう。
915 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 15:34:24.12 ID:TyE86OSB
中嶋の中論研究も趣味、お遊び
916 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 15:38:49.96 ID:TyE86OSB
中嶋<西嶋
917 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/07/30(月) 15:45:21.93 ID:Qsph/F59
>>916 中嶋<西嶋
中嶋より西嶋が、ウエストが、でかい。。。の意・・・岩 |_・) チラリ!
918 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 16:00:16.36 ID:hisw0JU3
今まであらゆる困難を事前に察知し先手を打って、それが尽く徒労に終わって結局先手を打った
手間の分苦労がかさんだ挙句、どうにもならなくなっても自殺は罪なの?
920 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 16:22:09.11 ID:hisw0JU3
もう打つ手無いし、疲れた
921 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 16:25:48.92 ID:btVrEMNp
922 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 16:28:06.75 ID:TyE86OSB
頑張るのをやめたら毎日リッチな生活している
人生摩可不思議やね
923 :
吉祥天女:2012/07/30(月) 20:07:15.09 ID:tFD1omd4
>>922 / : : : : : : : : : : : : : : : :\
. / : : : : : : : : : : :/: : : : : : : : : : :
. ,′: : : : : : : : : :/-‐:/ : ∧ヽ:_: : : :}
i.: : : : : : : :i: :.:/|//イ / ハ∧ト、: :|:
|.: : : : : : : :|: /,ィア心.j/ r心 ∨l:
|: : : : : : : : V/ ん:::゚j ト::゚j i ハ:|
|: : : : i : : : :|:c弋/ソ Vソっ: j:|
': : : : i : : : :| ::::: ' :::::: j: リ:{ それが貴方の因果なのよ!www
ヽ : : ',: : : :ト (^7 . イ:.八
\:{\: :V ≧:y -rv‐</|:ノj:
`⌒ゝ'〈__>く_}(`ーr
/ ヘー
さて、大法輪8月号が出ましたよw
926 :
神も仏も名無しさん:2012/07/30(月) 22:04:51.19 ID:DkqdkAfn
仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて、執心なかれとなり。(鴨長明 方丈記)
西嶋和夫は馬鹿だろう。
「諸部派に共通する情報が古い」という仮説が真であるためには、
諸部派間に交流が皆無であったという前提が必要であるが、その保証が得られない。
或る部派で作られた新しい要素が、別の部派にも採用された場合、
今の私たちから見れば【複数の部派が】【同じ情報を共有していると見える】から、
《【実は新しい】それ》を、古い情報と見做してしまうだろう。また、情報の付加のみがあり、
情報が削除されることがないという前提も必要であるが、これも保証されない。
或る部派が自身の主張に不都合といった理由で、或る情報を削除した場合、
《【古い情報が】【一部派にのみ保存される】》といったことが考えられる。
すると、《せっかく【残っている古い情報】》を、私たちは、【後から付加された新しい情報と見誤る】だろう。
(p.76岩井昌悟)
結集に参加しなかったプラーナという長老がおり、彼は結集の終了後に五百人の弟子とともに王舎城至り、
結集に参加した諸比丘から「結集された法と律を受けよ」と言われると、
「私は私で釈尊から直接に聞いておりますのでその通りにします」と言って拒絶したと伝えられる。
〜略〜 注意すべきは、プラーナ長老に関する記事が、【結集がすべてではなかった】ことを仄めかしていることである。
(p.78同) 〔→結集の伝承以外も存在、継承されたであろう。また、【“古い情報”が後から付加される】こともあり得ることの示唆。〕
一般的に抱かれている、
≪【第一結集の時には簡単な綱要程度のものが確認されたのみ】であり、
原始仏典がかなりの期間をかけて、あとから新たに創作された情報を付加されつつ、成長していく≫イメージ
には必ずしも首肯できない。
≪口授で伝えられている間は形が定まらず、内容がどんどん変わってしまい、
文字にされてからは形が定まり、内容も定まる≫といった思い込みも危険である。
≪【文字にされてからの方が大掛かりな改編を受け易く】、口伝ではそれが不可能であるとする見方≫もあるからである。
(p.78同) 〔→口伝の方が、形式や内容のブレを許さない(手法上からの変容の制限がある)〕
(各種括弧は引用者付加)
----- 空と無相と無願と無作と不生と無起と非有と滅との声や、寂静と遠い
寂静と近い寂静の声や、大慈と大悲と大喜と大捨すなわち〔四無量心〕の声や、
<諸々の事物には自体というものがなく、生ずることもないと認容すること>(無
生法忍)の声や、灌頂の境地を得たことの声を聞くのだ。
かれらはこのような声を聞きおわって、遠離に伴なう、貪欲を離れることに伴う、
寂静に伴う、(迷いを)滅ぼすことに伴う、法に伴う、覚りを完成する善根に伴
うところの広大な喜悦を得るのだ。
ーーーーー また、アーナンダよ、かの仏国土には、火とか、月とか、太陽とか、遊星とか、星宿
とか、星群とか、暗黒とか、闇とかいうような名称をつけて表現することも全くない。
また、夜とか昼とかいう名称をつけて表現することも全くない。
ー ただし如来がそのような名称をつけて表現される場合は別である。
家屋を所有するという思いもないのだ。
ーーーーー そうして、かれらは、〔仏の〕音声につれてさとる覚り(音声忍)と、〔真理
に随順するという〕柔順さによって得られる覚り(柔順忍)と、<諸々の事物には自体
というものがなく、生ずることもない>と認知する覚りという、三つの<認めてたしか
に知る働き>(忍)を得るのだ。
〔それが得られるのは、〕かの無量寿如来が過去に立てた誓願の力によって、過去の勝
てる者(=仏)に奉仕をつくしたことによって、また過去の誓願と行いとがよく為しとげ
られ、よく練磨し、足らないところもなく、損なわれたところもないことによってである。
『浄土三部経 (上) 無量寿経』 (中村 元・早島鏡正・紀野一義訳註)
誰か初心者にお勧めの本教えてください。
> 誰か初心者にお勧めの本教えてください
↓ 本屋さんで内容を確認してからの方が良いですよ
◎図説 地図とあらすじで読むブッダの教え[大型本]高瀬広居(監修)
◎図説 あらすじで読む日本の仏教と経典[大型本]廣澤隆之(監修)
◎図解 ブッダの教え(歴史がおもしろいシリーズ!)田上太秀(監修)
◎ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元(著)田辺祥二(著)大村次郷
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チベットの生と死の書
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◎魔のJR中央線―自殺霊の撮影で判明したこと 斎藤斎霊(著)
↑ 仏教ではなくて 神道系 でございます
936 :
吉祥天女:2012/07/31(火) 08:17:40.19 ID:yG2Ke+3Y
>>931 / : : : : : : : : : : : : : : : :\
. / : : : : : : : : : : :/: : : : : : : : : : :
. ,′: : : : : : : : : :/-‐:/ : ∧ヽ:_: : : :}
i.: : : : : : : :i: :.:/|//イ / ハ∧ト、: :|:
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': : : : i : : : :| ::::: ' :::::: j: リ:{ それなら臨済録をお勧めしますね!www
ヽ : : ',: : : :ト (^7 . イ:.八
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/ ヘー
937 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 08:30:08.71 ID:c31BkhC9
>>931 >>882 >水野弘元『仏教要語の基礎知識』
>片山一良『パーリ仏教入門』
>山口益『仏教思想入門』
>石飛道子『龍樹』
>パユットー『仏法』
>ダライラマ『智慧の眼を開く』
>>937 今思ったんだけど、これって信仰としての仏教と中観系に偏ってね?
>>938 推薦者の傾向が反映してしまうのは致し方ないでしょw
水野要語が入ってることでかなり中和されると思うけど。
全般でというなら、
>>931 “お釈迦さんの伝記系”(「釈尊の生涯/水野/春秋社」が良いとは思うけどw)とか、
岩波青で「般若心経・金剛般若経」とか「法華経」とか、
岩波新書緑で「仏教」「お経の話」「日本の仏教」(どれも渡辺照宏)とか、朱鷺書房「宗教史地図/古坂紘一」とか、
>>938 そういうとこ↑から攻めるしかないしねw
で、
インド仏教か日本仏教か、禅か密教か念仏か、唯識アビダルマか、はたまたチベットか上座部(パーリ)か 等々
興味の湧いた方向へ行く、と。
それによって、全然変わってくるからね・・。
940 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 09:49:52.89 ID:c31BkhC9
>>938 信仰抜きの仏教なんて意味あんの?
そう信のある著者を意図的に選んでいるから。
逆にいうと信のない著者は、大抵、実在論を信仰してて仏教として話にならないんだよね。
あと、禅とか華厳とか高度な内容は初心者に無理だし、密教に至っては本から入るもんじゃないから。
宗教史地図/古坂紘一は、簡明な仏教史として優れてるとは思う。
結構、地図が載ってるのもいいけど、その点は半端で取ってつけたかんじ。
>>940 敢えて横槍を入れればw、一代の紹介の仕方って、
「信者の勧誘」「修行者、学者の募集」 的
なんだよね・・。
だからみんな、一歩身構えて用心しちゃうのさ。
「そんな真剣に、全生活をかけてやるつもりじゃないんだけど・・・」ってw
内容(各著者のスタンス)に不満があるのもわかるけど、
方向性の限定と共に、“いきなりハードルが高い”っていうトコもあるよ。
極端に言えば、
上に挙げた大法輪とか、その他雑誌とか(最近学研のムックで色々出てるw)とか、
或いは色んな人の古寺巡礼とか、そういうのもあるし、
仏教系の手に取りやすい安価な雑誌をパラパラ見てみるってとこから始めてもいいくらいの話だとも思うんだ。
(「最初の入り口で間違えちゃ駄目だ!」と言うかもしれないけど、あなたが助言し得ない人も沢山居るわけじゃない?
貴方の助言を聞けず、貴方が批判する書を手にとる人もいるわけじゃない。
そういう人は、縁無き衆生ということになるのかな?彼等は誤った道を進んじゃってる可哀想な人たちなのかな?
そうじゃないでしょ。その後の調整、修正は利くのだから、進行方向を定めていない人にとっては、
やはり、全方位的なものであるべきだと思うよ。)
942 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 10:38:02.60 ID:HsJAbUdN
>>940 >信仰
それでは、ブッダ(ゴータマブッダさん)は何を信仰していたんだね?
943 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 10:40:12.42 ID:HsJAbUdN
信仰って独善の別名でもある。
944 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 10:43:37.16 ID:HsJAbUdN
天上天下唯我独尊という伝説の
「我」とはなにか?
> 「我」とはなにか?
五蘊皆空
色即是空 − 空即是色
諸法空相
無色、無受・想・行・識
無眼・耳・鼻・舌・身・意
無色・声・香・味・触・法
無眼界
無意識界
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 と呪文を唱えよっ!
さすれば、おのずと道が開くなり
中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二
若し如来が五陰和合の故に有るならば即ち自性は無い
何故ならば五陰和合に因って有るが故に
空は則ち説けない
空でなくても説けない
空、非空は共であろうと共でなかろうと説けない
但だ 仮名を以って説くのみだ
如来は戯論を過ぎるが
而し人は戯論を生ずる
947 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 12:06:25.28 ID:HsJAbUdN
>>945 >羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 と呪文を唱えよっ!
般若心経は、
『三世諸仏〜』以下は無用。
948 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 12:32:34.58 ID:mCRY2qVd
>>942 三宝帰依は仏教の基本。
お釈迦様も過去のブッダや独覚達を尊敬していたはず。
修行すれば悟れるはずだというのは仏教の信仰。
お釈迦様が煩悩を克服されたのは事実だ(机上の空論ではない)というのも信仰。
たとえば、物理学的に最も効率のよい走り方を割り出せたとして、
その動作を実際にマスターした生身の選手が表れるかどうかは別の話ですが、
仏教徒は、実際にマスターした選手が過去にいたこと、
これからも表れるはずだし、自分がそうなる可能性もあることを、信じる。
>>899 御隠居殿
>すべて仮設なら、仮設が常設
>簡単な論理
「白馬非馬」みたいな短絡的な論理接合ですね。
御隠居が、中国の公孫龍の流れを汲む思想家の一派に属するとは。
>> 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 と呪文を唱えよ
> 般若心経は、『三世諸仏〜』以下は無用
どの様な理由で『三世諸仏〜』以前は有用なのか?
その理由を、ご教示してくれなイカ? おじゃる?
ちなみに私は密教呪術、呪文、神通神変などの肯定派で おじゃる
密教とかを仏教として認めると
オカルト教義やオカルト団体が仏教を名乗って乱発できるから
危険
952 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 13:48:42.06 ID:nQFjiN3p
私【?】は、どこか特定の宗教団体には所属してないけど毎年、年末年始になると
伊勢山皇大神宮 − 神奈川県横浜市西区宮崎町64
成田山横浜別院延命院 − 神奈川県横浜市西区宮崎町30
神社、仏閣、霊場、巡りで、お参りをさせてもらっているけど
天台宗も真言宗もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
天台宗の天海がたずさわっている、とされている
日光東照宮もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
それらの現世利益を願う団体は
ヒンズー教と同じレベルのものと思うべし
すくなくとも釈迦の教えとは違うとおもうべし
955 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 14:24:43.31 ID:nQFjiN3p
私の場合は
バラモン(ヒンドゥー)も
仏教の、南伝も、北伝も、チベット伝も、肯定派で おじゃる
そして今 ↓ この書籍が届いたので
◎ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元(著)大村次郷(著)田辺祥二(著)
◎ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章
中論 も勉強しているところで おじゃる
956 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 14:27:50.75 ID:HsJAbUdN
>>948 >お釈迦様も過去のブッダや独覚達を尊敬していたはず。
そんな程度なら『信仰』とは言わない。
“不条理なれど、吾信ず”(埴谷雄高)が信仰だ。
ブッダの本懐命題は“実存苦”の超克。
そのためにブッダがとった手法は典型的な仮説思考による経験主義手法だ。
・アーラーラ仙:識無辺処→無所有処
・ウッダカ仙 :無所有処→非想非非想処
・業論を背景とする流行の苦行主義
いずれも有用性はあっても、智・覚・涅槃に導かないというのが体験的結論。
で、中道の悟りによる『無師独悟』となった。
ここには不条理なれど吾信ずの溶暗迷妄信仰の一片の影もない。
957 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 14:38:59.51 ID:HsJAbUdN
>>950 仏法の本懐は実存苦の根本的克服にある。
苦しみを生み出す執着の原因を取り除く(縁起法)
執着原因:我執→無我
執着しうるもの すべきものは,なにもない(空である)。
執着対象(特に利己的自己)が無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相←無分別空であること(中道)を
体得<無相の心三昧(滅尽定)>する⇒涅槃寂静。
無分別の分別で示すなら、執着しうるなにものもない境地に立たせる構成が必要だ。
しかるに、般若心経『三世諸仏〜』以下は無分別の分別としても誤った
比較相対分別矛盾に陥った『無上・大』への執着を生むヒンドゥ的呪文主義であり、
化け狸の尻尾が丸見えとなっている。
このあたりの作者の発想は法華経と大して変わらん。
*『師(ブッダ)は、(われわれのこの)生存と非生存(についての執着)を捨て去る(断ずる)ことを説いた。
それゆえに、「ニルヴァーナは存在に非ず、非存在に非ず」というのが正しい。(中論25-10)←中道
『(およそ)戯論(形而上学的議論)を超越していて不壊なるブッダ(如来)を、いろいろと戯論する人々は、
すべて(その)戯論に害されて、如来(そのもの)を見ることがない。』(同22-15)
958 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 14:55:36.88 ID:ioh/lLwM
>>951>>954 それは、当時における原始教団の出家修行者には
(道品法の修得に専念すべく)禁じたということであって、
これらを読むならば、ただ単純に全面否定されたのではなかったことは瞭然。
使われ方によっては素晴らしいものとなると明確に讃えられています。
ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元 40ページ参照
非想非非想処
想うのでもなく想わないでもない境地
滅尽定(想受滅定)という最高位の禅定の一歩手前の境地であるといわれております
960 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:07:16.84 ID:ioh/lLwM
『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、その(世
俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458)
『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受けるにふさわ
しい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生
まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509)
『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうち
で最上のものである。王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のもの
である。』(Sn.568)
961 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:09:12.40 ID:ioh/lLwM
悩め苦しむ一般衆生に対し、
“仏典を読めだの悟りを求めよ!”だのと言っても無理。
そのような崇高な世界に対する集中力などはありません。
とてもそういう心境にはなれない。
簡単に言う人は、
本当に人生の苦悩を味わったことがない人ではないか?
と思ってしまう・・・。
私自身も経験上、
自己の身体のことや明日の仕事や生活に思い煩い悩む心境においては、
とても崇高な世界には意識を向けることはできませんでした・・・。
その苦境を打開することで、ようやくこうして精神を落ち着けることができる。
加持祈祷は、苦悩者の努力を後押しする有難い神秘力を発揮するものです。
私の場合は一応、法華経の解説書も持っているけど
> 般若心経『三世諸仏〜』以下は無分別の分別としても誤った
> 比較相対分別矛盾に陥った『無上・大』への執着を生むヒンドゥ的呪文主義であり
> 化け狸の尻尾が丸見えとなっている
> このあたりの作者の発想は法華経と大して変わらん
>>957さんの主張するところの思惑は、理解致しました おじゃる
>>958宝珠さん ← 了解致しました おじゃる
963 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:12:55.67 ID:ioh/lLwM
>>957 残念ながらそういった話は、
苦悩に喘ぐ大衆には殆ど役に立たない・・・。
---これが現実。
加持祈祷は心を開かせ、
崇高な世界に導くためのキッカケの一つ。
964 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:24:00.79 ID:ioh/lLwM
>>962 >>958宝珠さん ← 了解致しました おじゃる
(仏教者ならば)道端で倒れている人がいたら手を差し出してあげるでしょう。
苦悩している人のことを祈ることはごく自然なことあり、そして信仰者として当然のこと。
祈祷というのは、宗教者にとっての手助けの一つです。
965 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:26:35.69 ID:ioh/lLwM
>>924-925 たまたま書店で手に取ったら、
特集記事が良かったので珍しく購入しました。
『特集=今こそ読みたい ブッダのことば−原始経典の世界』
まだ、読み出したばかりですが、
いつもながら、この方の良識ある見解は爽やか(セブンの先生か?)。
『ブッダの「直説」の魅力−奈良康明』 p66
966 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 15:30:02.04 ID:nQFjiN3p
>>963 宝珠さん
> 加持祈祷は心を開かせ、崇高な世界に導くためのキッカケの一つ
↑ 了解 おじゃる
密教といえば
承狂さんは密教系の先生だと思うけど
承狂さんは、なんで輪廻否定派なのかしら?
承狂さん元気に暮らしているのかしら? おじゃる?
967 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 15:38:12.54 ID:nQFjiN3p
968 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 16:17:34.05 ID:nQFjiN3p
ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元 51ページ参照
四如意足(四神足)
神通力の基礎となる力で
意欲、努力、思念、観察へのそれぞれの集中力のことで
それを修めて悟りを開いたというものです
意欲、努力、思念、観察は悟りへの必須の条件でもあります
969 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:18:10.64 ID:ioh/lLwM
>>966 >密教といえば
>承狂さんは密教系の先生だと思うけど
>承狂さんは、なんで輪廻否定派なのかしら?
単純に唯物主義者だからでしょうね!
基本的にいって、唯物主義者というのは自分自身が直接、
超常体験をしない限りにおいてはこれを認めることはできません。
信じられないのです。
こういう人というのは一代のいうように、
「現代常識でもそのまま分る部分だけしか仏教を読んでいません」から。
唯物主義者ではなくて、
現代自然科学の範疇を超えた超常なものを認める人の中で
輪廻転生を否定する人を私は見たことはありません。
輪廻転生を否定する人というのは、まず絶対的にただの唯物主義者です。
そういう人には、
神秘な自己体験の経験が起こらない限りは何を話しても無理です。
(できれば、客観的な現象を伴っていればよりベスト)
970 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:27:54.89 ID:ioh/lLwM
補足:
この私が「唯物論」と呼ぶ場合は、
単純にこういう意味合いで使用しています。
『世界の理解については、原子論と呼ばれる立場がよく知られている。これは原子などの物質的
な構成要素とその要素間の相互作用によって森羅万象が説明できるとする考え方で、場合によっ
ては、森羅万象がそのような構成要素のみから成っているとする考え方である。非物質的な存在を
想定し、時にそのような存在が物質や物理現象に影響を与えるとする二元論や、物質の実在につ
いて否定したり、物質的な現象を観念の領域に付随するものとする観念論の立場と対立する。』
(『唯物論』wikipedia)
「唯物主義者」とは、
この唯物論を絶対的に正しいものとしている人のことをこの私はそう呼称しています。
971 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:38:24.35 ID:ioh/lLwM
>>952-953 >天台宗も真言宗もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
>日光東照宮もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
こういう人にとっては、
現代自然科学では認められていない超自然力を認め、
肯定する宗教というのはすべてオカルト団体扱いであって、
カルトなどといって馬鹿にするのです(「カルト」というのは本当は意味が違うのですが)。
いずれ恥じることになるのはその人です。
ゴータマ仏陀を謗る行為を続ける人も同様、
いずれ後悔で自責の念に駆られることになる。
なんだかな
味噌も糞もいっしょというかんじ
密教はそれはそれで救われてればそれでいいんじゃない?
ただ釈迦の初期仏教とは明確に違うということは
どんなおばかさんでも理解できる
ヒンズー教でも救われる人は救われる
だが釈迦の教えとは違うという事実だけは覆らない
守るべきものは守らないといけない
974 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:49:07.77 ID:ioh/lLwM
>>972 ですから、
「密教」という呼称なんだからそれでいいでしょう。
仏教の看板を掲げてもいいかは確かに微妙・・・。
しかし、三法印(四法印)を教えとして学び理解しているのならば、
辛うじてこれも仏教の潮流の一つとして認めざる得ないでしょう。
あくまでも本流から外れた“派”として。
975 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 17:50:11.69 ID:HsJAbUdN
>>968 >神通力の基礎となる力
あのね、「その他の伝承」って諸雑説の括りであって、こんなオカルト話をいう奴もいるという
スタンスなんだよね、中村元さんは。
インド人の苦行主義はオカルト神通力大好き獲得信仰が動機(業論カルマ落とし信仰も)だけど、
苦行を捨てて、中道坐禅(心の平安)に至りついたってことは、
ブッダの仮説試行体験検証の結果、「神通力信仰」も「業論カルマ落とし信仰」も捨てたということもできる。
ところが、仏典編纂したインド人は生来のオカルト話大好きだから(その他イロイロある)、オカルトを書き入れたいって衝動は判るが、
ブッダの苦行主義放棄の意義が掴めていないというしかない。
当時インドが社会構造的歴史的転換点にあったことの把握が大切だが・・
で、中村博士は、仏法にはドグマがない(⇒
>>693)という重要な叙述(p52〜)へと入ってゆく。
976 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:52:29.62 ID:ioh/lLwM
>>973 >だが釈迦の教えとは違うという事実だけは覆らない
>守るべきものは守らないといけない
それは認めます。
それは、最も近しい上座部系がその責務に相応しいのでは?
日本テーラワーダ仏教協会はその一つ、もしくはキッカケでしょう。
977 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:58:48.36 ID:ioh/lLwM
>>975 ははっ(苦笑)
「苦行」によっては悟りに達しない。
苦行と快楽といった両極端を捨てるということであって、
苦行が無意味だったわけではないから!
そういう読み、扱いしかできないから浅墓の極み・・・。
寧ろ、その体験の果てに究極の三昧を得て解脱に達したのです。
978 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 18:02:21.76 ID:ioh/lLwM
>>975 大王さんにはホント疑問・・・。
すみませんが、
あなたは何か仏教信仰者としての実践行や修行はされてるのですか?
例えばどんな??
979 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 18:05:10.67 ID:HsJAbUdN
>>970 >『非物質的な存在を想定し、時にそのような存在が物質や物理現象に影響を与えるとする二元論や、
>物質の実在について否定したり、物質的な現象を観念の領域に付随するものとする観念論の立場』
これって、超越主義オカルトの宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk のことだよねw
仏教は唯物論VS観念論という戯論(形而上的論議)の消滅という
吉祥な縁起=中道のことわりである。
980 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 18:34:54.20 ID:HsJAbUdN
981 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 18:43:21.46 ID:HsJAbUdN
>>977 >苦行が無意味だったわけではないから!
⇒いずれも有用性はあっても、智・覚・涅槃に導かないというのが体験的結論。
ここには不条理なれど吾信ずの溶暗迷妄信仰の一片の影もない。(
>>956)
俺はもっと「浅墓の極み・・・」にもなって遊べるでw
982 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:00:36.04 ID:1OHlZBbI
>>949 >「白馬非馬」みたいな短絡的な論理接合ですね。
世の中の住宅が、すべて仮設住宅だとしたら、それはもはや「仮設住宅」とは
呼ばないね。現実界とは、人間の五感で知覚できる対象に過ぎないから、空
なのかも知れないが、人間はその現実界においてのみしか存在できないの
だから、その空の現実界が実在となる。「色即是空」されど「空即是色」。
白馬非馬の論理は、「物体」とそれを指示する「名称」「観念」との関係において
面白い。現在では再評価されているそうだ。例えば、「涅槃」を「地獄」と
「呼んでも」ちっとも構わないのである。宗教とは、まさに「白馬非馬」ごっこ。
983 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:21:44.89 ID:1OHlZBbI
例えば、「悟り」という言葉の意味(観念)は、特定の状況、時期、使用者に
よって多様に異なる。だから「悟り」を「迷妄」と呼んでも、ちっとも構わない
のである。「正義」「正誤」「清濁」「美醜」などの他のすべての「観念語」も
同様。但し、物体を指示する語に限り、「共同体における共通の合意」による。
984 :
ノスタルジア:2012/07/31(火) 19:42:58.68 ID:l2racCG3
美が重要なのだ。←子供の戯れ言と思ってもらって良い。
985 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:47:26.05 ID:1OHlZBbI
>>984 「美しい花がある。花の美しさなどない。」(小林秀雄)
986 :
ノスタルジア:2012/07/31(火) 19:52:38.91 ID:l2racCG3
987 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:13:37.56 ID:0MDmNIjZ
だとすると釈迦はある種の実在論者であった可能性も高いな
あらゆるものを仮象と切り捨てられるのは切り捨てられないものを掴んでいたからとも言える
「現代人は無常と言うものを鎌倉の生女房ほどわかっていない
無常ならぬものを見失ったからである」小林秀雄
988 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:19:26.26 ID:HsJAbUdN
>>985 >美しい花がある。花の美しさなどない
美しい花はない。花の美しさなどもない。
柳は緑 花は紅
中二病的言葉遊びが、最近のはやりなのかね
現実が思い通りにならないからと言って
現実を無価値だと罵倒する
まさに酸っぱいブドウ
991 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:28:22.24 ID:HsJAbUdN
>>987 >現代人は無常と言うものを鎌倉の生女房ほどわかっていない
>無常ならぬものを見失ったからである
不生不滅
心が花は美しいと「感じる」のだから、花は美しいという認識で問題はない。
それは「人」としての共通認識。
993 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:43:54.95 ID:HsJAbUdN
>>990 >現実を無価値だと罵倒する
直接現実(あるがまま)は無価値・中道である。
執着罵倒すべくもない(涅槃寂静)
間接現実(知覚記憶現実)は我執・有価値と誤解夢想する。
執着罵倒もやむを得ぬ(苦)
両者共に「現実」であることには寸分の変わりがない(中論25-19・20)
994 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:48:04.97 ID:vuCW0iqX
夏休みになったんだなあとひしひしと感じる。
995 :
993:2012/07/31(火) 22:51:14.18 ID:HsJAbUdN
訂正
× 寸分の変わりがない
〇 寸分の区別も存在しない
996 :
993:2012/07/31(火) 22:53:59.64 ID:HsJAbUdN
>>989 >中二病的言葉遊びが、最近のはやりなのかね
還滅世俗での言葉遊びについて来れるのか?
997 :
993:2012/07/31(火) 22:58:27.43 ID:HsJAbUdN
>>992 >心が花は美しいと「感じる」のだから、花は美しいという認識で問題はない。
⇒間接現実(知覚記憶現実)は我執・有価値と誤解夢想する。(
>>993)
>>997 だから、 >花は美しい【という認識】で問題 ないじゃないwwwww
999 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/08/01(水) 00:00:55.47 ID:GcCaEvHc
1000 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/08/01(水) 00:01:57.83 ID:GcCaEvHc
1001 :
1001:
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