ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 5
1 :
神も仏も名無しさん :
2010/07/12(月) 08:08:26 ID:lsnfhOaK ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース」とは
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストからのメッセージを
チャネリングし続けた末に出版された本です。
現在では19の言語で出版されています。
待望の日本語訳は2009〜2010年以降刊行予定
ACIMは本編とワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
過去スレ、関連リンクは
>>2 以降
お疲れ様です、ありがとう。
神は愛そのものであり、その愛を持って 前スレ存命中に新スレが立たなかったことを赦す。
9 :
神も仏も名無しさん :2010/07/12(月) 21:55:34 ID:pU65VRZs
10 :
神も仏も名無しさん :2010/07/13(火) 18:10:02 ID:lQiFEag9
ラメッシの言う「源泉」は、神の使者の「エゴ」とかぶってるね
うん。神の使者はACIMのひとつの切り口だからね。 最終的に全ての兄弟に感謝するなら、兄弟を作り上げた源泉にも感謝することになる。
12 :
神も仏も名無しさん :2010/07/14(水) 06:34:05 ID:rVb7DysR
エゴ(源泉)に感謝することになるなんてコースにあったっけ?
ラメッシの「源泉への感謝が沸き起こる」というのが、ACIMと矛盾してないと言いたかったんだ。 神使では世界の創造=エゴの策略のような言い方をしてるけど、それはACIMの序盤の一側面を強調してるに過ぎない。
14 :
神も仏も名無しさん :2010/07/14(水) 21:24:53 ID:Vy70YQX8
我々は、一見すると個々人が別々の存在として独立しているように見えるけど、実は一体であり、その一体なるものが「源泉」ってことじゃないかと。 で、それはエイシムにも通低する考え方かと。 エゴっていうのは、本来は一つであるものを分断させているものであって、幻影というか妄想というか実体のないものだから、エゴ≒源泉っていうのは違うんじゃなかろうかと。 漏れの理解に誤りがあったら指摘プリーズ
15 :
神も仏も名無しさん :2010/07/14(水) 22:07:00 ID:QJ/deQ45
>>13 >ラメッシの「源泉への感謝が沸き起こる」というのが、ACIMと矛盾してないと言いたかったんだ
むしろコースとの矛盾を感じるのは俺だけかな。
なんかラメッシとコースって似て非なるもののような気がしてきた。。。
16 :
神も仏も名無しさん :2010/07/14(水) 22:27:52 ID:Vy70YQX8
ラメッシって過激だよね マハルシ、マハラジ、プンジャジの誰よりも過激 あれって運命論とかカルバン派の予定説とどこが違うの?
大人になってから過去の辛いと思っていた出来事への解釈や本当の解放のために学ぶのは理解できます。 自分の罪悪感の投影、世界はない、過去はない、というのは。 でも圧倒的に周囲からの影響を受ける、その時点では被害者の立場しか取れない子供の今実際に感じている 心の痛みにはどう対処するのでしょうか? 子供にacimなんて理解できませんし、ないといっても本当にその時点では心が痛いのですから。
「もし次の世代に影響を与えたいと願うのであれば、 一番大切なことは自分が目覚めることです。 自分の人生の中で、本当の自由を体現してください。 そうすれば、深い影響を周りの人に与えることになるでしょう」 ステファン・ボディアン 「あなたが静寂であるとき、子供たちにもそれが伝わるのです」 クリシュナムルティ
19 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 12:45:40 ID:z2yN1bAK
ラメッシも過激だが、ACIMも十分に過激 「世界はない」っていうのは十分に過激 俺は早く死にたいクチだが、悟って目覚めたら世界が消滅するかといえば、そんなことはないだろうと考える 消滅するなら自殺する必要もないのだけど
20 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 15:13:28 ID:sgH5tWhj
>>17 >でも圧倒的に周囲からの影響を受ける、その時点では被害者の立場しか
>取れない子供の今実際に感じている心の痛みにはどう対処するのでしょうか?
「コースの理論だとこうなる」って回答するのはもちろん出来るんだけど。
何も出来ない被害者と、決して逆らえない加害者という状況に
じぶんのことを投影してませんか?
だって、その状況って、大人であっても経験することですよ。
そしてその答えはコースには書いてない、と思っている。
でも、ほんとうに「書いてなかった」のだろうか?
21 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 16:41:16 ID:3CuheN0S
>16 ラメッシって、「あなたがエゴだ」っていうんでしたっけ? AICMだと「本当のあなたは神の子」、「偽のあなたはエゴ」みたいな感じじゃないですか?
>>20 子供時代の当時の自分を投影しているのは自覚しながら書きました。
考えても分からない疑問だったので。そしてそういう痛みを実際に感じている
だろう子供のことも思って。
今の自分はその傷は癒せています。(完全かは分かりませんが)
そして神の使者と不死という・・を読みましたが、コース自体は英語では読めないので
学べていません〜。
このスレだから書きますが、何かちらっと責められてるように感じました。 隠されてた罪悪感が浮かび上がって来て投影するっていう私のレッスンでしょうね。
「自分が癒せたんだから、他の人も自分で癒せる」とは考えないのか 「自分だけ」癒されたと思って罪悪感持ってるとか?
>>24 う〜ん、子供のその後のこと(大人になってから)を信頼していないわけではありません。
逆に大丈夫だと思っている。
子供の時点での心の痛みが心配というのも変ですが、これは罪悪感とか、被害者意識とかではどうしようもない
事のような気がして。実感として「子供の時点」ではありますもの。苦しい耐える時間が。
それを癒せるのだって相当先になるでしょうし。今の自分からみた子供当時の自分、ではなく、子供で
あったそのものの自分と時間、今その苦しみを経験している子供、への対処と理解のことで疑問に思ったもので。
癒されたことへの罪悪感は全くありません。理解が不十分なまま書き込みしてしまってすみません。
26 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 18:34:04 ID:RRw9Y6Hr
エックハルト・トールのいう「ペインボディー」ってのは、子供にも理解しやすい概念っぽい。 つらい現実への対処というよりは、自分の心が動揺したときの対処方法として。
自分が見ている世界は自分しかいない。 今見ている世界は、自分の心の中の世界。 とすると、自分が見ている世界にだけ責任を取ればいいんだと思うし、 それしかやりようがないんだと思う。
28 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 19:16:58 ID:51yxWt4P
>自分が見ている世界は自分しかいない。 >今見ている世界は、自分の心の中の世界。 華厳経とかライプニッツの概念に近いのかな
29 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 19:27:29 ID:sgH5tWhj
> 子供の時点での心の痛みが心配というのも変ですが、これは罪悪感とか、被害者意識とかではどうしようもない > 事のような気がして。実感として「子供の時点」ではありますもの。苦しい耐える時間が。 「罪悪感」という言葉は日本語だと、「じぶんが悪い」というニュアンスですが、 もとのGUILTYのニュアンスでは、他人を責める気持ちもGUILTY(罪悪感)なんですよ。 「あんたが悪いんだ!(You are guilty!)」というやつですね。 事件が過ぎ去ってしまって、当事者と今、深くつきあう必要がないだけなら、 まだ完全に癒されたわけではないです。 25さんが子ども時代の自分を癒しきれば、 その答えはじぶんで伝えられるようになると思います。
30 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 19:40:03 ID:sgH5tWhj
「世界はないんだ」という概念自体は、子どもでもなんとなく分かったりします。 猫が死んだとき、6歳の息子に、こんな会話をした覚えがあります。 「パパも○○くんも、ほんとはここにいないんだよ」 「え?じゃあどこにいるの?」 「天国。天国から『神様のいない世界ってどんなのかな?』って ここをのぞき込んでるだけなんだよ」 「そうなんだー!」 「だから今もみんな神様といっしょにいるんだよ」 「じゃあシロは今もずっと一緒なんだね!」 問題は「世界はない」ってことがどうして「癒し」につながるか。 この答えの実感は、コースの理論そのものの中にあるわけではなくて、 傷つけ合う人間関係を、癒しをもたらす聖なる関係にしていく 毎日の実感のなかにしか、見いだせないのではないでしょうか。
31 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 19:49:23 ID:sgH5tWhj
で、具体的なかたちにしますと、 ・自己肯定の感覚を持てるように、サポートしてあげる(Sons of God) ・ひどいことをした人は、「間違えた(error)」だけであって、 その人も心のビョーキが治れば、やさしいひとに戻れる(not guilty) と教えてあげる ・でも○○がゆるしてあげなければ、その人はビョーキが治るチャンスが なくなっちゃう。(Healing) ・だから、いつかゆるしてあげようね。(Forgiveness) という形が、「世界は無い」というコースの理論を子どもに伝える一例 かと思います。
32 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 20:18:28 ID:sgH5tWhj
もうちょっとコースの理論を反映させると ・ひどいことをした人は、なにか「怖い(fear)」ことがあって「間違えた(error)」だけ。 その人も心のビョーキが治れば、やさしいひとに戻れる(not guilty) と教えてあげる ・でも○○がゆるしてあげなければ、その人はビョーキが治るチャンスが なくなっちゃう。(Healing) ・だから、いつかゆるしてあげようね。(Forgiveness) ・本当にゆるしてあげたとき、神様が○○の心にやってきて、 ○○の心のぐじゅぐじゅを、きれいに治してくれるんだよ(Atonement) かな。すごいクレーマーのせいで子どもの先生がおかしくなっちゃって クラスがあれたとき、こんなやりとりをしたことがあります。
>>17 >圧倒的に周囲からの影響を受ける
>その時点では被害者の立場しか取れない子供
>今実際に感じている心の痛みにはどう対処するのでしょうか?
ACIMや神の使者、不死という・・を読んだ大人側の租借する能力と
個々のお子さんの自我が理解できる言葉で伝達する能力によるかと思います。
神の使者でアーテンとパーサが登場した冒頭に
「言葉によって宇宙の消滅を助ける存在の象徴・・・」とあるように
自我の道具である言語の理解力を以って、自我の修正を強調しますので、
今のところの児童心理や傷ついた子供の心を癒す自我の方法を
応用されて差当たって接しても良いのではないかと思います。
>31-32さんのレスは非常に参考になるのではないでしょうか。
○○によって起こる○○は自分の中にある。 そしてそれが癒されないなら、○○を何度も繰り返すだろう。 だけど私は○○という感情を聖霊に預けることを決心した。 だから○○を癒すことを意図している。 意図したからにはそれらは癒されるだろう。 神の法則によって神のうちにて癒されるに違いない。
○○という状況は夢。 ○○は本当は起こっていない。 そこに登場してくる○○さんも、○○さんも、 本当は存在していない。 本当は起こっていないし、存在していないのだから、 私は○○を赦す。 **************** いまいち赦しといってもピンとこないことがあるし、赦せてるかどうかもわからないので、 このように紙に書くようにしているのですが、みんなどうやって赦しているんだろう・・。
36 :
神も仏も名無しさん :2010/07/15(木) 23:48:05 ID:sgH5tWhj
>>35 >このように紙に書くようにしているのですが、みんなどうやって赦しているんだろう・・。
ビルセトフォード伝に出てたエピソードを思い出したんだけど。
ビル兄さんが職場で、コースの実践を始めることにして、
まず犬猿の仲だった同僚の教授をゆるすことにした。
なにしたかっつうと、毎朝毎朝、相手の研究室に顔を出して、
「やあおはよう」という。
相手はぶすっとしてシカト。
ビル兄さんは、相手の机の前に椅子を出して、こしかけて一服。
ビル兄さんたばこをくゆらす。
相手は新聞を読むふり。お互い無言のまま。
で、一服したら「Have a good day!」って言って自分の研究室に戻る。
これを一ヶ月繰り返したら、ある朝、部屋に入ると向こうから
「おはようビル」といってきたそうな。
規制解除されてたら赦す
もう赦した
>>19 完全スレチだけど、自殺するくらい追い詰められてるなら食生活を徹底的に改善してみ。
動物肉と白砂糖を排除するだけでも感覚が全然違うぞ。最初はつらいが。
小食&時々断食に慣れると食費もかなり浮く。
マハルシは悟るために生活習慣を変えようとする人に常に反対したが、
サートヴィック(純粋)な食事だけは強く薦めていたよ。
クリシュナムルティも食事には細心の注意を払っていた。
不殺の理念もあっただろうけど、食物が精神に与える影響の大きさを
知ってたんじゃないかな。
>>35 赦しは、見えるものを無いと言い聞かせる事ではなくて、
むしろ積極的に見えるものに関わっていく姿勢が重要だと思います。
あらゆる関係に対し愛の姿勢を貫く思考プロセスとして、
全てを同一とみなす心の訓練と捉えてみてはいかがでしょうか。
ワークブックの実践とテキストの熟読は、その継続を助けてくれると思います。
>>39 ケイシーかじった身としては、その食事についても何か釈然としないところがある。
食事制限という名の足枷をわざと作ってるんじゃないかと。
使者で、罪無きチョコレートにニキビはないってアーサン言ってたけど、ケイシー的に言えばチョコレートは身体に悪い食べ物にあたる。
セスも食事について注意してたな。
食事すらも幻想なのに、それが影響を与えるってのがわからんのよ。
コースって、教えてることはすごくシンプルだと思うんだ。従来の修行だの、清めの儀式だの行う必要がないんだから。
そこに食事制限持ち出してくると、一気に複雑化してしまう気がする。
42 :
17 :2010/07/16(金) 05:57:36 ID:gn3XdabE
皆さんの様々な意見、ありがとうございました。読み返して自分なりに深く理解したいと
思います。
やはり子供時代の痛み(それを創りだした神との分離の痛み)が完全に癒されていず、腑に落ちて
いないので、苦しんでいる子供、に投影していた、様々な象徴というか部分への心配(と見せかけた
投影)をするより、自分の傷を完全に癒すことが世界を癒す(幻想を消す)ことになるのでしょうね。
そして、そのスケール(?)の話とは別に、子供そのものが感じている痛みについてですが、ここに
居られるような理解のある親や相談相手がいれば、事態は違うのかもしれませんが、私に照らし合わせて
見ると、もともとの罪悪感と無価値感、恐れのために自分が耐えなければいけないと思っていたし、恥
(自分が悪いと思っている)のために一切苦しんでいることを出せませんでした。
それほど恐れや罪悪感が強いからこそ、そういう体験を創りだしたのでしょうが、子供の時点では、それを
言っても無理で・・。
>>31 さんのような言葉を、誰かに伝えられたとしても、骨まで見えるような(精神的な)傷を抱えて
痛みに悶えて耐えている、しかもそれを恥じ、自分を責めている、そしてさらにその傷に日々新たな傷を
加えられている、というようなときに、子供の心と頭では受け止めきれない気がして。
(大人でも本格的に赦しを学ぼうと思う以前には、赦すより自分や人を責めてしまいがちですし・・)
いい本を渡されても理解や実践出来なければ意味がないですし、でも勿論周囲の愛や理解があるのとないの
では全然違うと思いますが。
(でもとても参考になりました)
やはり自分に残っている被害者意識、エゴを維持したい気持ちが問題ですよね。自分を癒し、赦す、というのは
それぞれが一生かかってやっていく大きなことだと思うので、人の心配(投影)をするのはやめます。
ありがとうございました。長文ですみません。
43 :
神も仏も名無しさん :2010/07/16(金) 09:50:35 ID:NXniffqO
>>42 このように整理してみてはいかが?
コースではだれかを癒すことはじぶんが癒されること。
誰かを今ゆるすことは、じぶんの過去をゆるすこと。
やめたほうがいい投影とは、
子どもの傷は決して癒せないと言い切ること。
じぶんの傷は決して癒せないと、絶望することになるから。
癒しは聖霊の愛がもたらすもので、
僕らの仕事は、ゆるしを選び、人間関係のなかで
傷を癒そうと決意すること。
夏の酷暑を赦せません
>>41 レスありがとう。
夢の中で夢の食事を変えることで夢の身体と精神が鋭敏になって、
夢の中での瞑想や学習が捗るのはおかしいことじゃないと思うよ。
ついでに夢のお金も節約できる。
ドラッグも幻想だからといってドラッグ中毒だったら
ACIMのような精神的課程を学ぶのは困難でしょう。
アーテンとパーサも規則正しい生活は将来のマスターの証って言ってたし。
食生活の改善は、ほんとに執着が減って万事がシンプルになるよ。
まあACIMの本筋とは全く関係ないのでこのへんで・・・
46 :
17 :2010/07/16(金) 14:44:32 ID:gn3XdabE
>>43 ありがとうございます。そうですよね。
整理のために書かせて下さい。
そのころを思い出して苦しかったり、もやもやしたり、ということは本当にないので癒された
と思っていました。(浄化やエゴの死?の過程を自分なりに通って来たので)
でも子供そのものだった自分に焦点を当てると、エゴの思考形態では、損害を受けた、傷ついた
何故あんな思いを?という気持ち(被害者意識)が頭をもたげてきます。
そのエゴのフィルターを通して、苦しんでいるように見える子供のエゴを実在とすることで、過去の
自分も実在として、それが幻想だったと認めさせない、消滅させたくないエゴのパターンなのだな、
と思いました。
なので、そういう部分に焦点を当てずに、赦すことに専念したいと思います。
それとは関係ないですが、エゴの思考形態が当たり前の世界で、真実を話しても
受け入れられないものですね・・。反発を受けるって言うか。それも赦します。
47 :
17 :2010/07/16(金) 14:54:01 ID:gn3XdabE
上の被害者意識、というのは心で感じるというより、頭の方で損得を考える感じです。
直近の痛い目にあった過去の記憶って生生しく覚えているもんだし、 心の奥に隠している抑圧みたいなものも、 人それぞれあるもんですよね。覚えていないだけで。 子供の頃の記憶なんて典型で、自分で覚えていないようで、深層心理では、 しっかり記憶していそう・・。 玉ねぎの皮をむくように、赦しの実践で、癒された自分が現れてくればいいのですが・・。 赦しても過去の記憶がなくなるわけじゃないんですよね? 赦して、癒された場合、 記憶は覚えてはいるけど、そのことに関して心の引っかかりがなくなる、 くらいに理解している。葛藤がなくなるんだろうな・・。
>>36 >>40 赦しといっても、内省する赦しと、アクティブな赦しがあると思った。
苦手な人や避けている状況、なんかに赦しの種があるのではと思った。
ちょっと苦手な人にこちらからあいさつしてみるとか、
避けている状況を赦すために、あえてそこをやってみるとか、
そういったことも赦しじゃないかと。
赦しに専念するといっても、ただ気持ちいいだけじゃないんですね。
ビル兄貴はファンキーだニャ〜。
50 :
神も仏も名無しさん :2010/07/17(土) 19:33:54 ID:k+YWwEKC
日本語訳配布サイトからpdfで全訳が送信されてきた。結構巨大なファイル。 さっそく今日からレッスンに入るぞ。
あ、あつい・・。
独自で訳して売っている業者も横行しているようだから気をつけて。 イエスの真意伝達には訳の精度と訳者の霊的レベルが必要。 翻訳能力者はなんぼでもいるが霊的レベルに達している人は少ない。 どうして5回も和訳されて不合格になっているか、考えて欲しい。 成功を祈る。
>52 おかしな基準が出来上がっているように見受けられますが あまり神聖視するのもどうかと思いますよ。それこそエゴのやり口では? 「達している」訳者さんはいましたか? 原文しか受け付けない人だったらゴメンなさい。
この世界(目の前の状況)は私が作った
のほうが赦し(解放)しやすいんだが、これでもいいのかな?
これだと、目の前が完全に演劇になってしまって、他人を人間として扱えるかちょっと不安はある。
いまのところは、他人にリアリティがあるので問題ないけど。
学習レベルに応じて、目の前の世界に対する解釈に仕方を変えていけばいいのかな。
>>52 >>53 英語わからないで、なおかつコース読むのも初めてって人は、公式に認可されたもののほうが良いと思う。
原文にも当たることが出来るって人は、私家版でも、あとから修正きくんじゃないかと。
>>53 >あまり神聖視するのもどうかと思いますよ。
>それこそエゴのやり口では?
エゴのやり口と思う君の尺度を是とする君の態度こそエゴ的ではないか。
その考えは聖霊とともに思ったことなのか、それとも一人で考えたの?
それならば、5回も却下したこと自体がエゴの仕業なのかい?
>「達している」訳者さんはいましたか?
ACIMの場合は達してないとダメという基準がある。
おおよそ理解の結果、君のような自己満足&肯定派が生まれる。
>原文しか受け付けない人だったらゴメンなさい。
無意識に投影した慇懃な皮肉。
田中訳しか読んだことないんですが駄目なんでつか? 他に訳している人を知らない。 原文をニュアンスも含めて読み込む自信は自分にはない。 辞書引きながら読むのもつらい。ただでさえ長いのに。 正式版はテキストだけのような気が、、。 レッスンだけなら公開されている原文でもそれほど負担にならないか、、。
58 :
神も仏も名無しさん :2010/07/19(月) 13:13:36 ID:erw15By/
>>56 > 田中訳しか読んだことないんですが駄目なんでつか?
原初読みの僕がいい切りますよ。
よいに決まってます。
公認訳が出るまでレッスンに入らない方が害があります。
同じ事を別の言い回しで繰り返し説明するスタイルですから、
実践していれば多少の誤訳は乗り越えられます。
公認訳が出たらもう一度読み直せばいいんです。
どうせ一回でわかる内容ではありませんから(笑)
59 :
神も仏も名無しさん :2010/07/19(月) 13:16:16 ID:erw15By/
>>58 >原初読みの僕がいい切りますよ。
>よいに決まってます。
君は田中の身内なのか?
俺が言っているのは訳が上手という意味でなくて霊的レベルが
あってそれが訳のニュアンスに反映されているか?ということ
を言っている。まるで自分は霊的レベルが完成したとでもいうのかい?
>公認訳が出るまでレッスンに入らない方が害があります。
これはおかしいだろ。コースは源に繋がるためまでの
手段にすぎない。個人が学ぶ道はコースだけではないのだよ。
こういう霊的書物は真なる翻訳が吟味されている間に個人で訳して
それを公開するのは良い。ただ、なんで有料なんだということ。
有料でないのなら申し訳ない。全文を謝罪し取り消します。
霊的レベルがあれば寄付依頼でも良い。
正規の吟味がなされている間隙を利用して金儲けの手段として販売されている本が果たして
真意を伝えられるかを言っている。
確かに目的が儲けだろうと訳がそれなりに正確であれば、あとは
自分の真我と照らして道を学んでいくことは可能だから
成功を祈ると言ったのだ。
訳の正確さプラス霊的なものは自分のそれで補えれば良いだろう。
それは「神との対話」でも同じ。
ちょっと嫌らしい話だけど、 田中訳2000円。 仮に読者1000人として(こんなにいるわけないか?) 2000×1000=200万 翻訳に10年かけたらしいから、 1年で20万。月1.5万くらい。 どの道お金儲け目当てで出来ることじゃないと思うお。 値段としても妥当なんじゃ? そりゃー寄付依頼が一番理想だとは思うけど、 生活もあるんだし、妥当であればいいと思うお。
62 :
神も仏も名無しさん :2010/07/19(月) 16:17:58 ID:L2E5DLvG
「霊的レベル」クソワロタwww すげー久々に聞いたわw ニューエイジにはまってた時よく使ったなぁ
ID:vKapqCxmさんは良い人だよ。勉強していろいろ教えてくださいね。
>>62 レベルは無いと「神の使者」には書いてあるし、コースにもあるくらい
誰でも知っている。
しかし、心配しなくても君ははまってた時となんら変わりないよ。
卒業した奴は知性の無いアホ笑いはしないしね。
64 :
神も仏も名無しさん :2010/07/19(月) 19:42:23 ID:erw15By/
>>60 ああなるほど。
まず、神使は読んでるみたいだが、
霊的なレベルという考えはコースにはない。
だから、ワプニク博士が翻訳を許可しないのは霊的に精妙でない
とかそういう理由ではない。
次に、未公認なんだから有料だと偽善で無料だと霊的とかという判断は、
コースにはなじまない。いつかワプニク本の一冊でも読めばすぐ気づくと思う。
もちろんその判断を信じるのは自由だがそれはコースとは関係がない。
で、一番大事なのは、コースで何度も出てくるんだけど、
「ゆるしのレッスン」を先延ばしして、裁きの感情を正当化するのは
いかなる理由があっても「間違い」なのね。ここはいつか読んでほしい。
神対でもなんでもいいんだけど、
他の道でゆるしのレッスンを修養しても別にかまわない。
ただ、「ゆるしのレッスンは、納得がいくコースの翻訳が出るまでやらない。やれない」
ってのはコースに照らして間違ってるわけ。
65 :
神も仏も名無しさん :2010/07/19(月) 19:45:05 ID:erw15By/
別にそれに自分が該当しないならスルーすればいいし、 田中訳肯定派とか否定派とか、そういう話ではないのは分かってもらえるかな? 2chのカキコに限らず、コースでは間違いは罪じゃない。 間違いの指摘は罪の指摘ではないので、裁きに相当しない。 たとえ相手が裁きの感情を載せていても、間違いの指摘自体は問題がない。 問題があるのは裁きの感情。ゆるしの対象はこっち。言動のほうではない。 これも何度も出てくる。 あと、余計なお節介に聞こえるだろうが 「○○さんはいいひとだよ」と分ける発想も、コースにはないってば(笑)。 気にくわなかったら、レスしなくて読み流してくれてもいいよ。
>>65 まあ、次のレスで君自身を赦し、自分自身を赦しますと書きたかったから
、先に赦しという言葉を聞いて嬉しかったよ。
いつか、機会があればexistの訳についてでも話しましょう。
/⌒ ⌒\ |⌒| /( ⌒) .(⌒) \ _/ | 間違ってるのは裁いてる彼だけど /::::::⌒(__人__)⌒:::::\ (_ \ | ┬ |----| | (_ | 今日もユルシタ! \| `ー'´ / (_ | _|\∧∧∧MMMM∧∧∧/|_ _ ヽ| |ヽ ム ヒ / / | = / / ヽ. | ̄| ̄ 月 ヒ _/_ / |/ __ノ `/ / | ノ \ ノ L_い
この酷暑はどう赦せばいいのだろうか
たばこを吸うことでガンになると信じているとすれば、 それは、エゴの罠。 とすると、 肉食をすることを辞めて菜食にすることで、 霊性が高まると信じて菜食にしているとすれば、 それは、エゴの罠?
>>69 そういう見方だったら
規則正しい生活によって健康になると信じるのだって
エゴの罠になってしまうよ。
そしてここですること殆ど全てをエゴの罠扱いしなくてはいけなくなる。
物事に対して判断するのは、自分の役割ではない。
71 :
神も仏も名無しさん :2010/07/19(月) 23:10:50 ID:erw15By/
>>66 ゆるしてくれてありがとう。
贈り物、確かに受け取りました。
>>69 極端に言えば悟り開く瞬間まで俺がやってることは全部エゴなんじゃね。
でも逆に言えば全てが起こるべき通りに起こって悟りに至ったとも言えるね。
俺がやることは全てエゴだけど、全てはあるがままで完璧。
考えても仕方ない。
実在しないエゴが罠をしかけるってどーゆーこと?
飯の話だが、感謝して食えばいいんじゃないの? 元は命なんだから。 選択的に食べないのもありだけど、俺は半額引きで放置されている鶏肉や生魚を放っておけない。 勿体ないし、命を無駄にする感じがして。 もちろん金がなかったらスルーするけど、そのとき罪の意識はない。誰か俺と同じ考えのやつが拾っていくだろうし。
75 :
神も仏も名無しさん :2010/07/20(火) 09:41:45 ID:hem8oVv4
>>63 なんでそれが知性のないアホ笑いだと思ったの?
自分が書いたんだよわかってる?
76 :
神も仏も名無しさん :2010/07/20(火) 12:26:53 ID:CRPT0WRd
>69 肉食、菜食よりも自分が体だと思う時点でエゴの罠のようですね。 霊的レベルって考え方はないけど、 心がどれだけ訓練されてるかとか、 エゴの玉ねぎの皮がどれだけ剥けてるか、っていうのはありそうですね。 それから、 Love holds no grievances. ですから、どれだけ不平不満を持たないかっていうのも一つの指標にはなりそうですね。 lesson71に、誰かが違った風に話したり行動したり、環境や出来事が変われば自分は救われる、 っていうのはエゴの救済の計画だ、とありましたし。 それから、環境や出来事が変わればうんぬんとはいっても、 この世の人生について、アーテンは「不死」で、 「もちろんすべては幻想だが、その幻想のなかにいるあいだは、どんな人生が最善か常に聖霊に尋ねるべきだよ。」p212 とも言ってるお。 個人的には、タバコや酒や肉食が減っていく方が「善い」のかなとは思いますが、 物を大切にするのもまた「善い」生き方だと僕は思います。
たばこを吸うことでガンになると信じているとすれば、 ・・・以下略 問題はエゴの自己保存だと思うお。 エゴの罪悪感を何か外のものに投影しておいて、 自分は責められまい、と安心する。 そして、自分(エゴ)の延命をはかる。 「求めよ、されど見つからない。」 のパターンにそれとなくもっていき、そのパターンを延々と続けさせる。 エゴは、本当は関係ない外の世界に注意を向けさせておいて、 「いやいやワタスは関係ありません。ワタスはただの変なおじさんです。」 と、しらーん顔して生き残る。
田中さんは確かプレスリーの映画にも出ていた女優に会いに行って それがきっかけでアメリカで修道女になった人。 その女優は会いに行ったとき修道女になっていたので 修道院に会いに行ったわけだね。 だから彼女はアメリカで修道女になった時点で この世を一度捨てている。 それがACIMに出会って、そのとき彼女のすべてであった キリスト教を捨ててしまったわけで ちょっとまねのできない人生を送ってきた人。 修道女だから簡単にキリスト教を捨てるわけにはいかず、 正式に破門されて教会から出てきたはず。 彼女の部屋にあったACIMはジュディスからもらったといっていた。 ワプニクのもとで勉強していたとき、ドイツ人か誰かの寄付があって それで翻訳に取り掛かることができたようだ。 翻訳が完了したのは日本に帰ってきてからだけど、 どうして日本に帰ることになったのかは忘れたな。 彼女が一生をかけて取り組んだ翻訳に多少の誤訳があっても、 許しましょう。それ言うなら、ワプニクだって編集ミスしているんだからw
書き忘れたことがひとつ。 田中さんはACIMの版権が無効になった後 自分の翻訳を公開する許可をもらっている。 版権が切れているので許可をもらう必要はないはずだが、 Second Edition で修正された脱落部分を補っているので 許可を求めたんだよ。 版権をめぐる裁判の判決で認められたのはSecond Edition の ナンバリングだけなので、脱落部分の修正箇所の版権を気にする必要は なかったはずだが、版権の切れたのは初版だけと判断して許可をもらったらしい。 律儀だね。
81 :
神も仏も名無しさん :2010/07/21(水) 12:35:16 ID:UYdULZtj
田中さんってそんな人だったんですね。 いいこと知りました。ありがとう。
普通の在家信者であれば、コースを学びつつ教会にも通う、 ということも出来たけど、修道女という立場上、 伝統的なキリスト教は捨てないといけなかったんだろうね。 なかなか出来ることではないですね。 心の中の真実を求める声は、無視できなかったのでしょうね。 そうやって訳したものを、こうして読んでるのも、ご縁なのでしょうね。 神の目から見たら、20年前からこういったことがわかっていたりして。
83 :
神も仏も名無しさん :2010/07/21(水) 20:30:32 ID:2Jq1g3BZ
田中さんのこと詳しいですね。 ひょっとして関係者でしょうか。 それとも、田中さんって元々有名な方なのかな。 2千円のPDFファイルは、累計で1,000部も売れてないだろうな。 1,000部しか売れないってことは、持ってる人は12万人に1人の割合だ。 公認版が出たところで、一体何部売れるんだろうか プンジャジとかガンガジの本が増し刷りされないところをみると、そういう系統の本って売れないんだろうな。
●『天国から離れて』近日発売のお知らせ
長らくお待たせいたしましたが、 『天国から離れて』の発売は、八月下旬と決まりました。
初版第一刷の発行部数は比較的少数となりますので、確実に入手なさりたい方は、お早めに、
最寄の書店に予約注文されることをお勧めいたします。
題名: 天国から離れて − ヘレン・シャックマンと『奇跡講座』誕生の物語
著者: ケネス・ワープニック
訳者: 加藤三代子、澤井美子
出版社: 中央アート出版社
定価: 3,800円
総頁数: 575ページ
JACIMの読者の皆様には、ひと足さきに、表紙の写真と、目次、および本文からは、
「はじめに」のページをご紹介いたしますので、どうぞご覧ください。
http://www.jacim.com/acim/?p=1894 もっと小さめの本かと思ってたら、総頁数575ページの大作です。
すごく楽しみ。
奇跡のコースの副読本ではなくて、なんていうか個人の伝記みたいな本なのかな?
みんな夏をどう赦してるのか教えて
88 :
神も仏も名無しさん :2010/07/22(木) 13:34:34 ID:4x5fMTyT
「はじめに」だけでも面白いですね〜。 充分コースの副読本になるような気がします。 みんな蚊とかブヨをどう赦してるのか教えて
89 :
神も仏も名無しさん :2010/07/22(木) 19:46:51 ID:IGsEuAPK
>>86 伝記。Urtextに載ってて現行版には載らなかった
Jisusの個人的アドバイスが、ヘレンとビルの当時の状況と一緒に
たくさん出てくる。
ビル・セトフォード伝と共に、
学習者ならマストの本だとおもう。
個人的には、夢に出るほど感動した。
>>88 自然のシステムの一部と考えている。赦すも赦さないもそういうシステム。
4年くらい前から蚊に刺されても気にしない生活(いちいち気にしてられないくらい刺される)してたら、
いまは刺されたすぐあとの弱い痒みだけで、あとは何も感じない身体になった。かいても30秒ほど痒くなるだけ。
免疫が出来たのだろうか。
ここまで来ると、蚊は居ても居なくても同じ。しかしマラリアを媒介したらゆるさん。
91 :
神も仏も名無しさん :2010/07/23(金) 12:54:46 ID:AG7W9oWE
この猛暑はっていうか、自然災害は、共通に見ている夢の中で、共通に赦すべき事柄なんだろうか。
誰かまのAmazonレビュー見たら
エゴが悟ってキリストになると思ってる人と
もっと抽象的な考え方のできる人で見事に評価が分かれてんな。
それも全て御心のままに、か。
>>92 貴方の見ている夢で、貴方が赦せばいいんだよ。
夢の中の人々が赦すか赦さないかは気にしなくていいのさ〜。
暑い・・・
94 :
神も仏も名無しさん :2010/07/24(土) 16:13:44 ID:1qjX5CO1
ゲイリーさんの3作目ってまだ出てないんですか?
95 :
神も仏も名無しさん :2010/07/24(土) 19:32:55 ID:suRm6eTz
>>94 まだ未定みたいねー。
ゲイリーのこと検索してたら、おもしろい話見つけたよ。
ゲイリーと、日本生まれ・アメリカ育ちのヒーラー、マイケル・タムラ氏。
互いをパラレル・ライフだって認めあったらすぃ。
http://bit.ly/cZtS0P 共通点
・過去生の記憶が共通
(合衆国建国時代の政治家 ロジャー・シャーマンなど)
・元ロック・ミュージシャン
・若い頃、ESTでトレーニング
・瞑想好き
・側彎症をカイロプラクティックで克服
・自称シャイだが講演は笑いの連続
・最初の嫁の名がカレン
タムラ氏はゲイリーの本を推薦してた。
試しにマイケルタムラの本を注文してしもたw
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´∀`)< モナーだよ ( ) \_____ | | | (__)_)
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V`Д´)/ ←
>>97 (_フ彡 /
あんまり自分を責め過ぎないで
99 :
神も仏も名無しさん :2010/07/26(月) 14:54:29 ID:isaJ241A
エゴはそれ自身のことを憎む、みたいな表現もコースにあるんだけど、 それと、エゴの自己保存とは、どうやって両立させているんだろう? それとも憎んだふりをしているだけなんだろうか?
エゴはエゴ自身のことを憎むことによって、 エゴが実際にあるものと仕立てあげて、 ないものをあるものとして存在させているんじゃないの? 幻想であれば、憎むこともない。 幻想でないと思っているから、憎むことになる。 信じればその人にとっては本当のこと。 だから自己保存される。
101 :
神も仏も名無しさん :2010/07/26(月) 20:52:01 ID:Cyw65RnL
ACIMのいう「赦し」とセドナメソッドのいう「手放し」って、類似の概念だと思うんだが、どうよ?
102 :
神も仏も名無しさん :2010/07/26(月) 21:25:07 ID:+YP5OmJ4
セドナメソッド(通称リリーステクニック)。 潜在意識下にある感情を解放するテクニックのこと。 @今、感じている気持ちに注意を向ける A「この感情を手放すことが出来ますか?」 「この感情をそのままにさせておくことが出来ますか?」 「この感情を歓迎して受け入れられますか?」と立て続けに自分に聞く。 B次に「その気持ちを手放せますか?」と聞く。 C「手放しますか?」と聞く。 D「それはいつですか?」と聞く。 以上のステップを繰り返し行います(3〜5回程)
E 次に服を脱ぎます。
赦しと手放しが類似かどうかはわからないけど、 重なる部分はあるのでは? ACIMとセドナを組み合わせると効果的かもしれないよ。 例えば・・ ACIM(レッスン187課) 病気になったり嘆き悲しんだり、貧困や飢餓や死、こうしたことの裏には 犠牲を払うというひとつの考えが潜んでいる。 そっと笑って済ますことで、そうしたことは癒される。 錯覚だと見分けられたらそんなものは必ず消えてなくなる。 苦しみを受け入れないこと、そうすれば苦しいという思いを取り除ける。 自分は犠牲を払えるなどと決して信じないこと。 ・・・とある。 だから、ここでリリース。 〜セドナメソッド〜 この犠牲を払うという考えを手放すことができるだろうか? この犠牲を払うという考えをそのままにさせておくことが出来るだろうか? この犠牲を払うという考えを歓迎して受け入れられるだろうか? 手放したい?手放す?いつ?みたいな。 この場合感情が考えになっちゃったがww
癒し板のセドナ・スレでチラッと話題になっていた、 バイロン・ケイティのワークも相性がいいかもしれない。 まあ、まだ肝心のACIMの邦訳が出ていない以上、 そういった類似のメソッドで肩慣らししておくのは 決して時間の無駄にはならないと思う。
「A Course in Miracles Monk」のサイトで
ワプニク博士へのインタビュー記事が載せてあった。
博士にとってはベートーヴェンが最も偉大なスピリチュアルの教師だったとか、
個人的な人生についても知ることができる興味深いインタビューだった。
ttp://www.acimmonk.com/
107 :
神も仏も名無しさん :2010/07/28(水) 01:06:15 ID:JEUwy5YT
>>106 すごく質の高いインタビューだった。
インタビュアーが達人だとワプニク先生は普段とは違うところまで
話すんだなあと感心した。
紹介ありがとう。
「コーストと出会って変わりましたか」
「ぶっちゃけ変わりませんでした。もともと決して怒らない人間だったからです。
子供時代から内面で進んでいたプロセスが、外に表現された感じでした。」
「なぜコースを瞬時に全て理解できたのですか」
「ヘレンを通じてJisusに聴いたところ『時間がないからだ』
とのことで, たしかにその通りでした」
というあたりにたまげた。ワプニク先生、パネェっす。
天国から離れて予約した。楽しみ!
わだすも、予約したでごんす。
ぬるぽ
>>110 ガッ
ゴーズウィズミー
エヴリウェアアイゴー
112 :
神も仏も名無しさん :2010/08/01(日) 22:00:42 ID:84Au3t6D
違うとか同じとかが問題かね? それを気にする「私」がいる限り違いは現れ続けるだろうね。
居るという現象が「在る」という現象が「在る」という現象(という概念が「在る」という現象が「在る」という・・・・ 限りは現れ続けるだろうね
115 :
神も仏も名無しさん :2010/08/02(月) 15:16:19 ID:/97cLMFZ
なんでアキマーって無職多いの?羨ましいわ
・sageを知らない。 ・ACIMを読んでる人のことをアキマーって言っちゃう。 あんた誰www
117 :
神も仏も名無しさん :2010/08/02(月) 19:05:52 ID:9Lcm9IqQ
>>113 「私」が存在し、「違い」は現れ続けているから
問題にならざる得なくなるんだろ?
118 :
神も仏も名無しさん :2010/08/02(月) 20:27:57 ID:/97cLMFZ
>>116 >・ACIMを読んでる人のことをアキマーって言っちゃう。
過去スレよめば?なにか不都合でも?
sage知ってるよ。ネラーだし
無職の過剰反応こわー
119 :
神も仏も名無しさん :2010/08/02(月) 21:24:18 ID:IEcZW1Aa
罪悪感の投影、攻撃って独り芝居だよね。 赦しだけが突破口か。
あなたの粘着気質の方がこわいと思うよ。
121 :
神も仏も名無しさん :2010/08/03(火) 01:46:18 ID:d6qAU+A3
みんな、ジーザスがほほえんでいるよ。
このスレ「無職」がNGワードなのwww? 赦すチャンスじゃんwせっかく罪悪感刺激してくれたんだからww
>>122 そう感じるのは君自身が無職か、職業について劣等感を抱いているからだろうw
124 :
神も仏も名無しさん :2010/08/03(火) 17:46:19 ID:iJwB0mOx
正直イライラしてる時、怒ってる最中に赦せたことがない。赦すことを思い出しもしない。 時間が経った後で。 頭で分かったつもりと、実際に赦せるのでは全然違います。
125 :
ミーシャ中川 :2010/08/03(火) 19:37:25 ID:j287DYz3
英語できないのに、英語本買ったよ〜。 早く大内さんでもいいから全訳本が欲しい。 奇跡コースの要約はジャンポで納得しえない。
@この感情を手放すことが出来るだろうか? Aこの感情をそのままにさせておくことが出来るだろうか? Bこの感情を歓迎して受け入れられるだろうか? 強い感情(激しい怒りであったり、意気消沈であったり) が沸いてきたときに、ふと立ち止まって、その感情を感じつつ、 上の3つの言葉を3回くらい、繰り返してみると、その感情は去っていくみたい。 30分くらいすると、確かにその感情はなくなって平安になってる。 (30分じゃ遅いかw) 何回もそうやってやっていると、同じような場面に出くわしたときに、 同じような感情がわいてこなくなるんじゃないかな、 と思って最近試してる。
ACIMでは、頭でわかったつもりでも、平安でないならば、理解していない、 みたい。 赦してないときって、自分の場合、強い感情や抵抗が伴うから、 それがわいてこなくなったら、 赦せた、癒されたっつーことになるんだろうなと。 あと、なんだか相手がやさしくなってるみたいな。 理屈で赦すのと、実際に赦すのとは、違うというのは実感している今日この頃。 〜抜粋〜 自分の心は平安だと言えるかどうか試してみて、たしかにそうだと言えるまで、 何一つ自分が理解しているとなど思わないように。心の平安とよく分かったという 思いとは一緒に生じることであり、決して片方だけを見出すことは出来ないの だから。この二つは分離しないというのが神の法則なので、どちらもがもう一方 を伴ってくることになる。互いに原因と結果とうい関係にあるので、一方を欠いている ときにはもう一方も欠けているのである。(ACIM 14章‐11)
129 :
神も仏も名無しさん :2010/08/03(火) 23:38:39 ID:N2GA7+jk
>>126 >>127 ありがとう、参考になります。
今度強い感情が湧き上がって来た最中に、ふと立ち止まれるか(難・・)挑戦してみます。
癒されていない怒りってあるんだなあ。
どうも殺す赦しになってしまう。
赦すことに葛藤が出てくると、どうしても 「殺す赦し(Forgiveness-to-Destroy)」になってしまうよね。 そして自分の望むことが明確になっていないと 何故赦すのかが分からなくなってしまったり 立ち位置がふらふらしてしまう。 自分の望むことは「聖霊の解釈を聞く、あるいは見せてもらうことだけ」 と決めていたら、何が起こっているように見えても、自分の判断を脇において 聖霊の解釈を求める姿勢が出来てくるよ。 それが「救済のための赦し(Forgiveness-for-Salvation) 」。
普通一般に許しっていうと、 殺す赦しのことを言わない? 許すって時点で、相手の罪を瞬間的に認めてる、みたいな。 ACIMの赦しっていうのは、許す対象がそもそもないってことだからな。 その辺りのニュアンスが掴みにくいよね。 もし、赦しというコトバに縛られるなら、 赦しというコトバから離れてみて、 自分の望むことは「聖霊の解釈を聞く、あるいは見せてもらうことだけ」 と決める。一見何が起こっているように見えても、自分の判断を脇において 聖霊の解釈を求めることにする。 と、その都度頭を切り替えればいいのかな。 赦せてないときって、自分の解釈にはまり込んでる時だからな。 聖霊の解釈を求める姿勢を身につけれるように、 ちょっとやってみる。ありがと。
133 :
初心者ですが :2010/08/04(水) 20:42:03 ID:8Ue+Dl9a
すみません、「殺す赦し」って言葉の出典は何でしょう? 初めて聞いて、すごく物騒な訳語に思えたので、びっくりしました。 ACIMのどこかに、そういう言葉でてきます?
「殺す赦し(Forgiveness-to-Destroy)」は ACIM別冊のパンフレット「THE SONG OF PRAYER」 (現在発売されているACIM第3版では補講として含まれています) こちらの2章2節のタイトルであり、さらにその節で詳しい説明がされています。 ちなみにForgiveness-to-Destroyを「殺す赦し」と訳しているのはACIM wikiで 公式の日本語版では別の言葉が当てはめられるかもしれません。
135 :
134 :2010/08/04(水) 21:18:22 ID:0Y6UoLKV
>ちなみにForgiveness-to-Destroyを「殺す赦し」と訳しているのはACIM wikiで >公式の日本語版では別の言葉が当てはめられるかもしれません。 一つ訂正 ACIM wikiでの訳は「殺す赦し」→「殺す許し」でした。
136 :
133 :2010/08/04(水) 23:19:27 ID:8Ue+Dl9a
137 :
神も仏も名無しさん :2010/08/05(木) 18:20:37 ID:a4cocra1
幻想世界で何でも赦してたら、幻想世界での相手のエゴを増長させてしまうことはないの? 何も起こってないといっても、それは注意しないといけないよね?
138 :
神も仏も名無しさん :2010/08/06(金) 00:22:24 ID:K25b0Vxd
139 :
神も仏も名無しさん :2010/08/06(金) 00:39:16 ID:K25b0Vxd
で、こういう大事な疑問が浮かんだら、 テキストや副読本をひっくり返せばもちろん答えは 書いてあるんだけど、まずは自分で答えを出してみるのが、 いいと思うんだよね。 そうしてると自然と内なる教師と相談する感覚が 身についてくると思う。 例えば、上の疑問だったら、 「なぜ、例外のない赦しがマストなのか? 赦す目的ってなんだっけ? 赦しと奇跡ってどう関係するんだっけ?」 と考えてみる。 「分離」「恐怖」「傷」「助けを呼ぶ声」「癒し」 といった、コース的キーワードと一緒に考えてると自然と 「あ、なるほどー。奇跡ってそういうことね」ってふうに 何かを掴める。
神使は悟りって言葉を連呼してるし純粋な悟りの教えだと思うんだけど ACIM本体を読んでみるとそうでもないよね。 どこまで行っても私と聖霊、私と神、私の祈り、私の許し、、だよね。 それが良いとか悪いとかではなく、ゲイリー&ワプニク流の解釈って イエスが決して東洋の聖者達に劣ってないことの主張のようにも見えるんだが・・・ 日本では実感がないけど、アンチキリストのニューエイジ運動への 反論みたいな意味合いも、無意識のうちにあるのかもしれないし。
ワプニクには悟り志向はあまりないんじゃない? 「この世界で聖霊と一緒にいる時間を増やしていきましょ。そしたら心は平安でいられるし そのうち神の一歩があるかもね〜」 くらいのもんだ。
142 :
神も仏も名無しさん :2010/08/06(金) 19:03:43 ID:MNKVrxZY
>>138 たとえば、怒ると物に当たる癖のある人を赦す場合、
心では彼は無罪としながらも、物には当たらないようにと注意できるってこと?
まあ注意の仕方が難しいんだが・・・
>>140 文章が見えん。
>どこまで行っても私と聖霊、私と神、私の祈り、私の許し
が何で
>イエスが決して東洋の聖者達に劣ってないことの主張
になるんだい?
そもそも、東洋の聖者はイエスより優れていると誰か言っているの?
釈迦−イエス・キリスト−シルディサイババ この3人は実は同一の系譜、つまりわかりやすく言えば同じ魂だという人もいる。 智−愛−力 をそれぞれ象徴していると。
>>143 イエスも東洋の聖者たちと同様に純粋な非二元性の悟りを得ていた、
完全に解脱して輪廻の宇宙の外にいた、それどころかイエスの教えが
いちばん進んでいると主張してるように見えるんだよ。
ACIM本体を見ると大部分は二元性の赦し、癒し、祈りなんだけど、
ゲイリーの先生たちとワプニクはやたら非二元的な解釈を強調したがる。
東洋で一番有名な聖者の仏陀がまだJと同じレベルじゃなかったと言って、
クリスチャンのマザーテレサや西洋人のシェイクスピアが悟っていたと
わざわざ言うあたりもね。
>>138 >>139 心の中では完全無罪、としながら、形の上では注意する、っていうのは芝居みたいな
ものなのかな。この世界の行動全てがそうなるのかもしれないけど。
以前に皆から非難されていた人を、形の上で注意しながらも赦したり庇って、(心では
本当の赦しができていない)その相手がその後自分の想像以上の行動をとっていた
(前兆はあったけどお金の問題、欲や見栄のために他人に迷惑をかけたり)事を
知った時、その相手に自分の罪悪感を投影して、攻撃の思いが湧いてくるのと同時に、
責任を感じたり疑問が生じて。形が無意味とは言え。
今の自分がすることは赦すことだけなのだけれど。
Forgiveness-to-Destroyに関するACIMのテキストは、何章ですか。 僕の持っているのは、第2版とオリジナルテキスト版です。
>>145 言わんとすることは分かるし、同じ考えだ
、が、
>東洋で一番有名な聖者の仏陀がまだJと同じレベルじゃなかったと言って
>イエスも東洋の聖者たちと同様に純粋な非二元性の悟りを得ていた
この2つ、矛盾が無いかne?
>>138 >>146 どうなんだろうねえ。
心の中では例外一切なく全部ゆるす。
ただ、間違いは指摘したって構わないし、
危険だと思ったら注意するのも構わない。
例えば、
小さい子供が川に近づいて危なそうだったら、注意する。
あんまり聞かなかったら、叱る。
そういったことは全然構わない。
また、自分の権利を侵害されそうだったら、
そのことに対して適切な対処をしたり、
場合によっては逃げたりするのも構わない。
一事が万事そんな感じ。
心の中でのゆるしと、実際にどう行動するか、というのは別次元の話で、
コースでは心のことを言っているのであって、
行動のことは特に言っていないような気がするね。
間違いを指摘するのはいいけれども、 非難するのは駄目だと思う。 非難することは、きょうだいの中に罪をみているし、攻撃することになるから。 (きょうだいを攻撃したら自分を攻撃している。外に罪を投影していることになるから。) 要するに言動というよりは、心の問題、なんだろう。 でも、相手がその言動に対して、批難と感じはしないか? という疑問が出てきそうだけど、自分の心の中だけを考えていればいいというか、 自分の中に批難(攻撃、罪)がなければ、それでいいんだと思う。違うか?
間違いを全く正す気がない人だったらどうすりゃいいのだろうか。 たとえば呆けや精神病。
>>147 敢えて言うなら
第9章4節の「自我の赦しの計画」の部分とか
後ワークブックの134課の前半部分かなあ。
コースでいう真の赦しではない赦しについて書かれたところは
みんなそう。みんな赦す者と赦される者の同一性ではなく、違いを強調する。
150続き じゃあ、 ゆるしさえすれば、どんな行動をとってもいいのか? 極端な話、ゆるしさえしていれば、人を殺したって、 戦争に加担してもいいとでも言うのかね? と言われてしましそうだけど、 自分の心の罪があがなわれているかどうかが問題。 自分の心が贖われていれば、相手の心も贖われているのはないか、 と思う。自分の心が解放されていれば、相手の心も解放されているのでは ないかと思う。 あなたが今みている世界はあなたの心そのもの。 だとすると、あなたの心が贖われていれば、あなたの世界は贖われている。 だから、自分自身の心の赦しに専念すること。 一事が万事そんな感じだと思った。 うまくまとまらないけどせっかく書いたからカキコした。
更に補足。神とは別の存在であると認めた上での許しも (私たちは皆罪人だが、神は許してくれる、というような) 「Forgiveness-to-Destroy」の一つ。 要するに、赦しの形に見せかけた、神の子に対する攻撃のことを 「Forgiveness-to-Destroy」と表現している。
ありがとう、赦しさえしていればいくら夢の中でも相手がもし殺人や犯罪を犯しても いいのだろうか?責任はないのか?ということを書こうとしていました。 本当に赦すことができていれば、私の夢の中にそういう場面が出てくることはあり得ない ということなんだろうか、そういう場面を例え見ても一切揺らがない心になっているのかな。 実際に問題行動を繰り返したり、犯罪者、心の闇が深い人と長く接する立場や職業の人って いると思うのだけど、自分の心の赦しに専念することで世界、投影が変わったと実感できる ものなのだろうか、というのは自分の想像以上の行動をとる人はいつでもどこでもいて、 その人を信頼することと、その人の夢の中での行動は別な気がしてしまうから。
>>148 すまんな論理的な文が苦手で。
東洋の聖者たちというのは、当時アメリカで有名だったクリシュナムルティとかヨガナンダと思ってくれ。
70年代ころのアメリカではアンチキリストのニューエイジ運動が盛んで、
お祈り=ダサい、東洋の悟り=クールみたいなイメージが一部の人に広まっていた。
ヒッピーの若者たちの間ではLSD持って悟り求めてインド旅行ってのが流行ってたんだ。
ACIMにまつわる運動で重要な役割を果たすチャンスを得たワプニクやゲイリーが、
東洋思想のオイシイ所をACIMに持ち込んで、ACIMこそ純粋な非二元論だと宣伝してる可能性も
あるってことだよ。あくまで可能性として、な。
東洋の非二元論とイエスの赦し・祈りを合わせた最強の道になるからな。
さりげなく仏陀を貶めてる、元ギタリストが書いたチャネリング本をワプニクが全面的に支持したのもな・・・
仏陀についてはもはや検証しようがないからな。
とりあえず東洋の代表格を悟ってなかったことにして、一般民衆には仏教やヒンズーやニューエイジより
ACIMのほうが何か凄そうだと印象づけられる。
あくまで可能性な。
スピリチュアルだろうが何だろうが、アメリカは巨大ショービジネスの国だよ。
少なくとも俺は、神使を読まずにACIMを読んだら解脱の教えだとは思わなかったと思う。
もちろん読んで良かったし、日常生活での効果は大きいけどさ。
>>156 ワプニクがレナード支持したとかないだろ。出版認めただけ。
両者の主張はかなり違うと俺は思うんだけどね。
>>156 自分もACIMを和訳してブログに発表していた。おもしろかったし、
勉強にもなった。そして検索順位はずっと一位だったよ。
しかし、ある時やめるような指示の声が心に響いた。
それは自分にとって一番高い声ではないのだが、あまり頻繁に聞こえる
のでいやいやながらやめた。確かに和訳はニュアンスも感性も必要で
膨大な時間がかかる。
つまり、日常生活でも神とともに過ごせばそこからアクティブに
そしてクリエイティブに学べるというものだ。
おっと、これは余談でした。
ACIMはほんの一部しか見てないが良い本だろうと思う。
「神の使者」は発売と同時に購入して2chにも紹介した。
「神の使者」については??の部分をかなり見つけている。
それと反極に座させられる「神との対話」は数年読んでないが
内容は大体把握している。
これにバーソロニューという本があるが、これは「神との対話」と
「神の使者」の内容が同時に存在するような内容でまだ自分の
レベルでは理解できない部分がある。
つまり、この世と神世界は関係ないがすべては神であるという内容。
すべてではないが、「神の使者」も「神との対話」も肯定しているような
気がする。
>>157 もしよければ、ワプニクとレナードの主張がどう違うのか教えていただけますか?
161 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 00:54:00 ID:zLhwbtVW
>>140 >どこまで行っても私と聖霊、私と神、私の祈り、私の許し、、だよね。
「救済」(Salvation)を「悟り」に置き換えて読んでみて。
あとエゴからの解放はコースのメインテーマ。
>>140 >イエスが決して東洋の聖者達に劣ってないことの主張のようにも見えるんだが・・・
特にトマス福音書と真理の福音書を読んでみて。
>>141 >ワプニクには悟り志向はあまりないんじゃない?
The Vast Illusionを読んでみて。
>>145 >ゲイリーの先生たちとワプニクはやたら非二元的な解釈を強調したがる。
グノーシス的キリスト教を調べてみて。
162 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 00:59:06 ID:zLhwbtVW
>>156 >東洋思想のオイシイ所をACIMに持ち込んで、
>ACIMこそ純粋な非二元論だと宣伝してる可能性もあるってことだよ。
>>145 >ACIM本体を見ると大部分は二元性の赦し、癒し、祈りなんだけど、
ほんとかー??(笑)
>>145 >東洋思想のオイシイ所をACIMに持ち込んで、
>ACIMこそ純粋な非二元論だと宣伝してる可能性も あるってことだよ。
ビル・セトフォードが「ACIMはキリスト教的アドヴァイダ・ヴェーダンタである」
と発言しているのを調べてみて。
>>150 >間違いを指摘するのはいいけれども、
>非難するのは駄目だと思う。
あってると思う。「間違い」の修正は「癒し」、すなわち愛。
「罪」の非難は「攻撃」、すなわち恐怖。
「間違い」の指摘は、幻想を幻想として扱うので正気。
「罪」の指摘は、幻想を現実として扱うので狂気。
163 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 01:08:43 ID:zLhwbtVW
>あってると思う。「間違い」の修正は「癒し」、すなわち愛。 >「罪」の非難は「攻撃」、すなわち恐怖。 補足。 要するに、「修正」なのか「裁き」なのかは、 心の問題ってこと。 相手の「内なる平和 」を増やすことを 意図したのかどうか。 一時的に、相手のエゴから反撃を食らうけど、 そこですかさず心の中で「赦す」のが いちばんのキモだね。
>>160 「判断なしに自我をみつめる」というのがワプニク的にACIMの中心的な実践。
そうすれば自動的に横に聖霊が来てくれて癒しが起こる。霧が晴れれば真実が差し込む。と。
「ミラクルワーカーの仕事は真実の否定を否定することである」(T-12.II.1:5)
とあるように障害物に注意を当てようという考え方。
レナードの方はそうじゃなくて非二元の真実の方を肯定しようという意識が強いように思う。
極言すれば「世界はない。世界はない。世界はない」とずっと言っているのが実践。
象徴的なのは「真の祈り」てやつで「自分と神が一体であるのを思い浮かべる」という実践を勧めていること。
そういう発想はワプニクには見られないと思う。
「聖霊に具体的なことを聞け」と言うレナードと「聞くな」と言うワプニク。
「ACIMは特別だ」と言うレナードと「そうじゃない」と言うワプニク。
「自我の脚本とは別に聖霊の書いた脚本がある」と言うレナードと
「脚本を書いたのは自我。それを聖霊の解釈で見るのが聖霊の脚本」と言うワプニク。
非二元論(純粋でない)の定義が違う。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265818239/405参照 。
>>164 神使は少し発刊を急ぎすぎたように感じる。いろんな矛盾点を整合してない
>「世界はない。世界はない。世界はない」とずっと言っている
「
世界はない」という言葉は前後を省略し過ぎの様な気がする。
This world cannot exist without our awareness
「現世は私たちの認識なしで存在できません」みたいに、条件付かな〜。
条件付物事は生まれては消えて行くので、それを鏡として赦しの
対象として利用するのはよいが、それだけがリアリティと思って追っかけ、
実現することだけが目標となるといろいろ問題が起こるということ。
>>164 下の5行は吟味してない。最初その上の文章に少し違和感を
感じて吟味したが、すればするほどよく勉強していると見直した。
URL405の紹介はおもしく、物理世界を否定する神使自体が本の中で
それを肯定してしまっているようにも思えます。
167 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 10:36:21 ID:zLhwbtVW
ゲイリーって、
マリアンやジャンポルスキー、ジョン・マンディとかと比べると、
理論面ではワプニク博士にいちばん近いと思うな。
>>164 >「判断なしに自我をみつめる」というのがワプニク的にACIMの中心的な実践。
>レナードの方はそうじゃなくて非二元の真実の方を肯定しようという意識が強いように思う。
1 聖霊(真我)を選ぶ、呼ぶ決断をする
2 聖霊と共に、自我をありのままに見つめる
3 聖霊と共に、神の子の実相を見る
みたいに赦しのプロセスをまとめたとして、
ワプニク博士は、確かに2の比重が高いね。
ただ3がないかっつうとそうでもないかも。
ゲイリー本に2のことは書いてあったとしても
かなり比重が軽いと思う。
>「聖霊に具体的なことを聞け」と言うレナードと「聞くな」と言うワプニク。
>「ACIMは特別だ」と言うレナードと「そうじゃない」と言うワプニク。
ヘレンやビルは、いちばんタクシー捕まえやすい場所はどこかとか、
コンサート満席だけどみたいとか、細々したところまでサポートを受けてたね。
(ヘレン伝・ビル伝参照)
で、ワプニク博士は
>>106 でじぶんでも言ってるけど、
そういうのに当時から違和感があったと。
そういうとこは自分の個性だと、自認してるんだよね。
acimハードカバー版のハードカバーにカビ生えたみたくなった。
169 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 10:49:43 ID:1G+TnOl2
人類は現状維持を拒否して生きてきました。
170 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 10:50:33 ID:1G+TnOl2
生き物は現状維持を拒否して生きてきました。
171 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 11:01:13 ID:zLhwbtVW
個性を横に置いても、ワプニク博士って 「聖霊のアドバイスが聞けないことを悩んでもらうより、 聖霊の声が聞こえない障碍を取り除くことに専念してもらったほうがいい」 って信念があって、ふつうの人が実践しやすいことを大事にしてる 印象。そういうセンスって教師にはとっても大事。 >「自我の脚本とは別に聖霊の書いた脚本がある」と言うレナードと >「脚本を書いたのは自我。それを聖霊の解釈で見るのが聖霊の脚本」と言うワプニク。 テキストではどっちにも取れるんだよね。 「自我の脚本を聖霊の解釈で見だすと、 自分の歩くところが聖霊の脚本に書き換えられていく」 ってふうに自分は捉えてるけど。歴史はエゴが書いた脚本だけど、 ジーザスやマザーが歩いた箇所は、聖霊の脚本になってるわけじゃん。 喩えれば、雑草ぼーぼーの地球の歴史に芝刈り機をかけていくイメージ。 ゲイリーはエソテリックの色彩が強いけど、 Jisusという存在はエソテリックなところがもちろんあったよね。 対してワプニク博士は、ふつうの人がまず実践できるように 入り口のプロセスを、温厚に紹介する意図が強い。 理論面は過激さをしっかり継承しつつも、実践面では保守的。 そこがJisusの弟のようで、ワプニク博士ってば微笑ましいのです(笑) 俺は、ゲイリーもマリアンもジェリーもケンもキャロルも、 みんな大好き。ぜんいんを尊敬してるよ。
172 :
156 :2010/08/07(土) 12:28:57 ID:TuL98lO+
>>158 バーソロニュー面白そうだね、いずれ読んでみる。
俺の中ではイェシュアとかラザリスもなかなか良い本で、ACIMだけが
チャネリングの中で別格って印象はなくなってきたな。
解脱を求めるとかじゃなく、クリスチャンのためのより良い祈りと心の解放の道って感じかな。
>>161 そうなんだけど、純粋なインド系アドヴァイタの教えでは救済される「私」も救済する神も
最後は消え去るんだが、ACIMはそこまで行かないと俺は感じたよ。
A・ギーターの最後「何も存在せず、無も存在しない。これ以上何が言えるだろう」
インド系アドヴァイタでも
「真我は世界(幻想)の創造に全く関与していない。
世界は存在せず、真我が存在する全てである。
あなたが世界だと見誤っているものさえ、真我である」
こういうのが基本だよ。
>>162 なんせ長大すぎて色々な側面があって、東洋的な部分もあり、ニューエイジな部分もあり、
もちろんキリスト教的なところも。でも多くは神への帰依と日常生活での赦しの教えだよ。
何ヶ所か「もう時間がない」「予定より遅れている」という表現があるのが少し気になった。
奇跡を起こし、死者を蘇らせ、幻想の時空間を完全に超越したイエスが、印刷技術の発展を待って
チャネリングという方法を取って7年かけて本を書かせたとか、そんで翻訳に何十年もかかるとか、
ほんとかよって思う時もある。
ACIM自体は良い本だよ。ただ、その宣伝方法がね。
173 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 13:01:42 ID:zLhwbtVW
>>172 >そうなんだけど、純粋なインド系アドヴァイタの教えでは救済される
>「私」も救済する神も 最後は消え去るんだが、
いや、それ、コースにあちこち書いてあるよ。
一連のカキコを見て思うんだけど、精読すれば別の感想を
持つ人にあなたのことが見える。
ただしコースは、それを究極の真理と踏まえた上で、
その体験の準備に専念してもらうと宣言してる。
なぜなら「体験するまでは、[消え去った状態のことを]
話してわかるものではない」から。
>でも多くは神への帰依と日常生活での赦しの教えだよ。
うん。コースは、上記の理由で
心を、二元論的な状態から離れさせる訓練に専念してる。
コース流の「赦し」は二元論ではなくて、脱二元論の方法なのね。
赦しは真理でなくて方法。はっきりそう書いてある。
キリスト教の二元論的赦しを、
コースに投影すると読みが混乱する。ただFAQだし、よい視点と思う。
174 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 13:10:09 ID:zLhwbtVW
>何ヶ所か「もう時間がない」「予定より遅れている」 >という表現があるのが少し気になった。 HLC版、FIP版、共にそこは削除された。 誤解を生むと「気になった」からだろうね。 ヘレンによれば、そこはJisusの意図によって出版時に削除された箇所。 (最初の4章はもともと日記スタイルの個人的やりとりだった) ワプニク博士のコメントは 「[その箇所が削除されたのは]初めの頃のヘレンに伝わりやすい言い回しを とっただけだったのだろう。そもそも時間は幻影だから」 >ACIM自体は良い本だよ。ただ、その宣伝方法がね。 FIPは宣伝に消極的なことで文句を言われてる団体なのだが(笑) どこの宣伝見ましたか? Urtextをネットに載せてる団体のなかには ぶっちゃけいかがわしい解釈の団体もあったよ。 そういうところは改竄だの自分たちこそだのと 必ず書いてあるんで、微笑ましいほどにわかりやすいけどね。…
バーソロニューじゃなくてバーソロミュー。 懐かしいな、十数年前に読んだ記憶があるが、 中身をすっかり忘れているということはその程度の内容だったんだろう。
>>173 しばらく前に2周目の途中で投げ出したんだ。
イエスの有名な教えに「偽善者よ、まず己の目の中の丸太を取り除け」というのがあるが、
ではACIM運動の中心にいる人たちは皆悟っているのだろうか?
悟ってないのに、自分にはイエスから重要な役割が与えられたと喜んで行動しているのか?
トールは完璧な絶望の中で、マハルシは強烈に死を思うことで一瞬で悟り、
禅やヒンズーでは師の臨在のもとで数秒〜数年で悟るというが、
ゲイリーが悟るのは来世の終盤だよね。
なのにゲイリーの先生たちはACIMこそ最高の解脱の教えであるかのように言う。
実際にACIMを読んでみると、そうでもない。
悟りを中心的に取り扱うチャネリング本はラザリスとか色々あるが、
ACIMだけが特別、ACIMこそ最速という主張には俺は賛同できないよ。
穏やかな心で日々を送れる恩恵は大きいし、イエスには今も親愛の念を持っているがね。
読み返すかどうかはわからない。
>>174 ワプニクの言うことは合理的で、ワプニクを批判する連中はエゴなのかい。
177 :
173 :2010/08/07(土) 14:11:17 ID:zLhwbtVW
いやいやいや(笑) その逆だよ。そういう団体ってワプニクを攻撃する話ばかり やるんだけど、どうしてだろうねー中身に集中すればいいじゃない ってことね。 あと登り最速伝説について。 あれ、Fastestの訳ね。マハルシもfastestでないかな。 fastestに一番の意味はないよね。 ただ個人的には日本人にとってコースはfastestでない場合が 多いと思うよ。 日本には心理学もキリスト教も普及してないから。マハルシの方が日本人には速いだろうね。
178 :
173 :2010/08/07(土) 14:25:17 ID:zLhwbtVW
明日以降、コースとアドヴァイダ系のインドの聖賢との 相違点を、俺が気づいてる限りで書くよ。 ただ、あなたならピンと来てくれると思うが、 そういうのってコースのレッスンを続けてると どうでもよくなってくるんだよねー。 コースって3ページに要約できるもん。そこポイントじゃなくなってくる。 俺の返事は喫茶店で茶しばいてたら、話しかけてくれたんで会話したぐらいに 軽く捉えてくれるとありがたいっす。
アドヴァイタとACIMの両方を読んでいる人は FACIMのQ&Aの#933を読むと、役に立つかもしれないね。
>>177 なるほどね、日本人だからってのもあるかもしれないな。
ACIM運動の中心にいる人達もエゴの塊だって言ってるわけじゃないよ。
たぶん神対、バシャール、シルバーバーチとか他のチャネリングの活動を
やってる人達も、多くは誠実で精力的な人たちなんだと思うよ。
同時に、どれもムーブメントでありビジネスでもある。
偉大な活動に携わってる自意識だってあるだろう。
彼らも霞を食って生きてるわけじゃない。
そのへんはもっとニュートラルに考えていいんじゃないかとね。
神使を真に受けて、ACIMを純粋で最速の解脱本みたいに
考える人もいるみたいだからね。
自己の根絶は、どんな本とも活動とも関係ないんだよ。
>>178 俺は逆に、今はインド聖賢の教えを中心に学んでて
ACIMとの差異とかはどうでもよくなったな。
だから長大なACIMを読み返すのも、とりあえずはないと思う。
181 :
神も仏も名無しさん :2010/08/07(土) 15:16:07 ID:MH8A9CHf
1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2010/08/02(月) 15:51:08 ID:???0 ★大阪・西淀川の女児虐待死、母親の内縁の夫に懲役12年判決 ・大阪市西淀川区で小学4年、松本聖香ちゃん(当時9)が虐待を受け死亡したとされる 事件で、保護責任者遺棄致死と死体遺棄の罪に問われた無職、小林康浩被告(40)の 裁判員裁判の判決が2日、大阪地裁であり、樋口裕晃裁判長は懲役12年(求刑懲役 17年)を言い渡した。 小林被告は共犯として同罪に問われた聖香ちゃんの母親、松本美奈被告(35) =一審で懲役8年6月の実刑=の内縁の夫。これまでの公判で弁護側は「虐待では なくしつけであり、聖香ちゃんが極度に衰弱しているとの認識はなかった」と保護責任者 遺棄致死罪について無罪を主張していた。 検察側の主張によると、小林被告は松本被告と共謀。聖香ちゃんを殴るなど日常的に 暴行を加え、十分な食事を与えないなどの虐待を繰り返し、極度に衰弱した状態でも 医師の診察を受けさせず、昨年4月、自宅ベランダに放置して衰弱死させ、遺体を 奈良市内の墓地に遺棄したとしている。 赦し 赦し 赦せーーん!
追記
>>174 > その箇所が削除されたのは]初めの頃のヘレンに伝わりやすい言い回しを
> とっただけだったのだろう。そもそも時間は幻影だから
俺はニューエイジ色だと感じたよ。
ACIMには色々な側面があり、それで良いと思っている。
でもワプニク先生は都合の悪い所を削り、
やっぱりACIMは純粋なアドヴァイタだ、と主張する。
そんでヒンズーを不完全なアドヴァイタとか言い始める。
>>156 にも書いたとおり、時代背景やビジネス的な理由かもしれないよ。
こういうところ、ニュートラルに見ていいと思うけどね。
>>172 よく覚えてないのだがバーソロミューでもACIMへの言及があったね。
「ACIMでさえ感動させなければその人にとってなんの意味も無い。
ACIMでなくとも人はそれぞれに源へ至る道がある」だったかな。
>判断なしに自我をみつめる」というのがワプニク的に
バーソロミユーを思い出した。
引用
「自分の想念を批判することなく、注意深く観察したらそこからそっと
自分の意識を離して下さい。・・自分の思考から離れ、自分の内部の
あの場所へ向かって下さい」
ラザリスも懐かしい。特にあの表紙が良い。
『インドの光』というラーマクリシュナの簡易版伝記本の中に、 トータプリというアドヴィタ派の行者と若きラーマクリシュナとの興味深い遣り取りが出てくる。 ラーマクリシュナは、自分は砂糖そのものになるより、ずっと砂糖を舐めていたい、 と言ってるが、最初はラーマクリシュナを見下していたトータプリも、 やがてラーマクリシュナに感化され、多少考え方は修正したようだ。
赦し続けると 性欲や物欲は無くなるんですか
Jisus って Jesus のこと?
>>185 いま現在実感してることだけど、
これにこだわるのは意味がないなと思えてくる。
まあ、まだこだわってる最中だけど、簡単に手放せるようにはなってきた。(手に入らなかったらそれで良し)
>>174 Urtextを改竄して公開してるところもあるってこと?
>>187 そうですか、ありがとう御座います。
逆に、無理に欲を無くそうと修行僧のような生活は
良くないのでしょうね・・・(多分)
仮に・・・今生、又は幾つか先の来世で解脱できるとして
比較的簡単な状況で赦しを行えるか
厳しい状況で赦す事になるかは、
やはりカルマが関係するんでしょうか。
今生、利他愛や奉仕に生きた者ほど
来世で解脱し易いという事もあるのですか。
>>189 カルマとか関係ないんじゃないかと個人的には思うんだよな。
あと、利他愛や奉仕が、やってあげてるって心じゃなくて、
本当に純粋な愛で行われてるものなら、それはすでに解脱してると言うんじゃないだろうか。
>>189 ないよ。何度か話題に出てるはず。
カルマの借金を少しずつ返していって
ゼロになったら解脱できるなんて話ではない。
カルマに囚われている幻想の自己がそもそも実在しないと知ったとき、
カルマもまた全く存在しなかったことを知り、
解脱だけが常在していたとわかる。
解脱は時間の中のある時点で手に入る何かではないよ。
解脱を将来いつか手に入れる何かだと思うことこそ、 心が仕掛ける最大の罠なんだよ。 「私はまだそれを得ていない、早く手に入れて苦しみから解放されたい」 誰が何を手に入れるのか? 今でさえ存在する全てがそれなのに。 『完全な抽象こそ、心の自然な状態である』 ACIM
いつ悟れるのか?そうなるときに、そうなる。 そうなるまえに幸せすぎて、いつ悟ろうがどうでもよくなる。 でいいんじゃね?
カルマはない。輪廻転生も現世と同じただの幻想。 …と考えると純粋不二一元論とACIMの共通点が多いような気がします。 しかし、ACIMの Manual for Teachers の24章では、輪廻転生を信じてる人には 無理にその考えを捨てさせる必要はない、とも言ってます。 ところが「神使」「不死現」は、ガッチガチの輪廻転生論なので、 自分としては、この二冊はフィクションだと解釈してます。 ただしゲイリー・レナードの創作という意味ではなく、 アーテンとパーサと名乗る‘何者か’(霊的存在)が、 ACIMの普及を促すために打った‘方便芝居’を、ゲイリーが固く信じて、 文書化したという解釈。 地球人の前世には火星人もいるとか、何ヶ月も先の出来事を完璧に既視できる とかっていう話は、いかにもオカルト好き大衆向けの設定だと思います。
今この状態からスタートするしかないんだよ。 能書きだけなら誰でも言える。 今自分には何ができるか。できることをやればいい。 できもしない能書きを並べて悦に入っても、 それはマスターベーションにしかならん。
>>193 本当はそれでいいのだが、「そうなるときにそうなる」では
なかなか満足できないと思ってね。
もう一つ例を書くと、海の表面の白波が、
自らの崩れ行く運命を嘆いて
「海を手に入れたい」というようなものだね。
今でさえ海だけが存在している。
だが白波の現れだけに心を奪われている者には
「波(世界)は存在しない。裁かないように。執着しないように」と教えられ、
もう少し抽象的な考え方のできる人には
「存在する全てが海(解脱)である、それはいつか手に入れるものではない」
と教えられる。
>>194 どんな教えにも釣り餌は必要さー。
でも神使でも輪廻転生は幻想の一部だと強調されているよ。
ゲイリーが解脱する時を決められちゃってるのは、少しかわいそうかな。
彼は信じてしまってるだろうし。
>>195 どうぞどうぞ。スタートしてください。
ワークブックは終えたの?毎日瞑想はしてる? 悟り関係の本はいろいろ出てるけど気にいったのを実践すりゃいいと思う。 俺もまだまだだけどそれでもいつ悟ろうがあんまり気になんなくなったし。 ACIMはエドガーケイシーさんも勧めてるみたいだし。 神秘体験を求める気持ちは自然におさまってくよ。
何で人によって罪を信じる度合いに差があるわけ?
199 :
173 :2010/08/08(日) 09:59:56 ID:bteCslss
>>194 今度、邦訳が出る「天国から離れて」(ヘレン・シャクマン伝)や
ビル・セトフォード伝を読めばそこに一部記載されてるけど、
Jesusの個人的メッセージには前世話が少なからず入ってたのさ。
だから、その判断は間違い。
個人的メッセージは、Special Messageと呼ばれ、
テキストとは区別されて伝えられた。
なぜ、過去生話が出版時には削除されたのか?
ヘレン、ビル、ジュディ、ケンの過去生のヒントがコースに載っちゃうと
宗教になっちゃうから。
それはJesusの意図ではないし、特にそんな形で人前に出たくなかった
ヘレン、ビルにとって受け入れがたい状況を作るからでもあったのね。
そこをごちゃごちゃいう困ったちゃんは絶えないみたいだが、
ま、しょうがないね。エゴはすぐ焦点ずらして内容から逃げようとするから。
200 :
神も仏も名無しさん :2010/08/08(日) 10:41:29 ID:bteCslss
>>182 > でもワプニク先生は都合の悪い所を削り、
> やっぱりACIMは純粋なアドヴァイタだ、と主張する。
> そんでヒンズーを不完全なアドヴァイタとか言い始める。
判断の根拠にしてる情報に錯綜が見られるから
整理しておこうか。
まず、ヘレン・シャクマンとビル・セトフォードの
二人がUrtext(原稿)を出版用に編集した。これをHLC版と呼ぶ。
ここで現行版(FIP版)に載らなかった内容の大部分が二人によって
削除された。
次にヘレン・シャクマンとケン・ワプニクの二人で
さらに編集が加えられた。ここで削除された量はHLC版に比べて
少ない。
いずれもヘレン・シャクマンが常にJesusの同意をリアルタイムで
確認しつつ進められた。
変更箇所はトータルの1パーセント。表現ではなく字義通り1パーセント。
変更箇所の90パーセントは1章から5章。
理由。1章から5章はまだ日記形式でやりとりが進められてて
講義形式へ大体的に編集しなおす必要があったのがひとつ。
ヘレン・シャクマンとビル・セトフォードへの個人的悩みへのアドバイスが
多く含まれていて削除したり、一般化する必要があったのがふたつ。
(ビルのゲイの悩みへのアドバイスが載ってたら唐突だしビルが辛いでしょ)
201 :
神も仏も名無しさん :2010/08/08(日) 10:46:54 ID:bteCslss
そしてコースをキリスト教的アドヴァイタと呼んだのは、ワプニクではない。 ヘレン・シャクマンのco-scribe、ビル・セトフォードが初期の段階で そう言及した。 さらにアドヴァイタを不完全と書いたのは ゲイリー・レナードの本。 ワプニクは講義でクリシュナムルティやラマナ・マハルシを 敬意をこめて言及することが多い。 このトピックスに関してこれ以上、コメントするつもりないです。 でも、ゆるしてちょうだいね。
前スレだっけ? 不完全な非二元論の例としてワプニクがヒンドゥイズムを挙げた、 と書いてあった気がするけど。 ワプニクについてはそんなに知ってるわけじゃないんだ、すまないね。 個人的にはACIM形成の物語にも活動してる人たちにも全く興味ないし、 アブセンスも読むつもりはないよ。 上に書いたことは、ただ自分が田中訳を読んだ感想を正直に述べたまでだよ。 ワークブックも終えたし、大きな気付き・癒しがあって今でも良い本だと思ってる。 ただACIMだけが特別、ACIMだけが純粋な非二元論とは全く思ってないってことさ。 40年前のチャンリングの本で、しかもチャネルしたご本人は他界してるのに Jがワプニクを校訂者として選んだから間違いないとか、 Jがここを削除しろと言ったらしいから削除したワプニクは正しいとか、 それがニュートラルでないと言ってるのさ。宗教だよ。 時空を超越した非二元性の権化のJが、乗り気でない女性を説得して7年かけて本を書かせ、 今度は完璧な翻訳のできる人がなかなか見つからなくて邦訳は数十年経った今も出ません、と。 日本のファンの多くはそれに疑問を持たずに待ってると。 今ここにいる自己を知るのに、いつ出るかわからない究極の本が必要だから、と。 クリシュナムルティが生きてたら馬鹿馬鹿しくて卒倒するよ・・・
203 :
神も仏も名無しさん :2010/08/08(日) 13:55:47 ID:5/NRvMCd
ワプニクはKやラマナを完璧に悟った人だと見ていたんですか? なんかインドの聖者の真我実現ってどんなのかいまいちよくわからなくて。 パーテンたちのいう釈迦と同じ境地なのかと思ったりして。 ACIMでは、天国での真の創造があるでしょ。 真我は、創造も何も無いって感じちゃうんだけど、至福の状態なんですっけ? ちゃんと愛の拡張っていうのがあるのかな?
逆に問おう、ACIMを誰よりも理解しているワプニクはマハルシやクリシュナムルティと 同じ境地にいるかね?全文を書きとめたヘレンは? おそらくACIMを学び、自らもJの導きを受けたマーク・ハマーは今何を教えている? ACIMマニアを自負するこのスレの諸兄らの中にヨガナンダはいるかい? 悟りに段階があるかのような奇妙な考えは、 全て学習者のために用意された方便に過ぎない。 アメリカにはチャネリング活動で生計を立てている人が大勢いて、 それぞれが悟りの段階、霊的進化の段階などもっともらしい理論を提示してるよ。 実際の解脱者でそんなアホなことを言う人はいない。 存在する全てが海だと気付いたら、波の優劣を気にするかね?
だが、極めて良い質問だと思います。 それは海の表面の白波が、「私のほうが海に近い」「彼のほうが海を多く得ている」 「彼女は完璧な海だ」と言うのに似ている。 帰依とは、ひとつの波が「私は海に全てを明け渡します」と言うようなものだ。 明け渡すべき何がどこにあるのか? 彼らのそんな奇妙な考えや言葉や行為さえ、海でしかない。 「悟った人はどう生きるべきか」という理論も、ジョークのようなものだよ。
>>204 そう言う君は今どんな境地にいるんだね?
ワークブックを終えた、とはどういう意味だろうか? 何が終わったのだろうか?
いやー、お疲れという感じだ。
今回、左脳と右脳は、噛み合わなかったね。
間違いを正す行為とジグソー完成は別の問題。
>>201 はそれを感じて引いたのかね。
ID:KQz7hH6vのレスも感覚的に眺めたら何を言いたいのかわかるような
気がする。
やりとりの詳細に関しては当事者のみ理解で、周りの人間にとっては
おおまかな理解のみ。
楽しくてやってるからいいんだぜw それにしても伝わらねーなー。 コース形成の物語とかワプニク正当の根拠とかマジどうでもいいんだが。
で、君が言う“ワークブックを終えた”ということの意味をどうぞ。
もう出かけんだよw ある程度指示どおりにに最後までやったってことさ。 毎時間ごとに1回とかは結構忘れたけどな。 2年近くかかったけど、もともと瞑想が習慣だったし楽しい体験だったよ。
彼はACIMの生成過程を誰よりも知っているが、こっちは専門用語や いろんな聖者の固有名詞には詳しくないんだ。 知識に詳しいのは良いが、それをひっくるめてもそれを・・博士なんかの 当事者に持っていったとしたら実際、実情はかなり違ってくるんじゃないかと 思うんだ。 だから、これらの知識の基本的スタンスは個人的なことでそれでからんで 論議してもACIM本質の理解には繋がりにくい。無駄な、エネルギー使いになるんだよ、 って感じだ。 実際、俺はワブニクと言われてもワニがどうしたって感じてあまり興味ない。 よく見るとワとニの間にブかプが入っているのにこの頃気付いた。
>>211 終わった、と言える理由を訊ねたわけだが、
一通り読んでやってみた、という程度のことだったのか。
なるほど。
>>202 不完全な非二元論の例としてワプニクがヒンドゥイズムを挙げているのは事実。
でも言葉の見かけだけで優劣を言ってるとか、悟りに段階があるとか捉えるのは間違い。
両者には方便の上であきらかな違いがあると明言しているだけ。
「優れているんじゃなくてユニークなんだ」としょっちゅう言ってる。
215 :
211 :2010/08/08(日) 17:57:38 ID:AYc5EZvK
>>213 じゃあ君は完璧にやればいいさねー。
君は今ここにいるのに、いつ出るかわからない「完璧な翻訳」の本が待ち遠しいかい?
ACIMが純粋な非二元論で最速の解脱本でないと、みんな困っちゃうのかい?
でもそういうスレだからね、これ以上の野暮はやめとくか。
おお間にレスがついてた。
>>214 ACIMが悟りに段階はないと言ってることも、ワプニク先生が
他のスピリチュアルに携わる多くの人々と同様
誠実な人なのも重々わかっとるつもりだよ。
ただ、解脱者でもない限りどんな人にも無意識の意図があるし、
先生だって霞を食って生きてるわけじゃないからね。
そして40年も前のチャネルなんだよ。
では今度こそ、さらば。
>>215 そんなことは一言も言ってないんだがw
被害妄想の塊であるところを見ると、やはりダメだったんだろうなw
>>217 ID:AYc5EZvKはよく分からんとこもあるが、自分の意見を全部言っている。
が、君の考えがよくわからん。
何が気になるのか、君の話を展開してくれんか?
いや、だから、ワークというのはこれで終わった、と言える類いのものなのかどうか、 そこを訊いているだけなんだが。 エドガー・ケイシーは毎年一回は聖書を最初から最後まで通読していたらしいが、 たしかACIMのワークに毎年取り組んでいる人がいる、ということも聞いたことがある。 ちょうど365あるから一年間で一巡するということもあるのだろうが、 ワークとは一通りやっただけでもうOKと言えるものなのかどうか、それを実践したという人に訊いているわけだ。
>>219 そうか、それだったら疑問は無いよ、悪かった。
>>204 でACIM最大の理解者でも聖者になってないじゃないか、と言う
事に対して、俺は神対でもあるようにワプニクは単にメッセンジャーとしての
役割があるのではないかと思った。
だから、ワプニク自身が聖者の境地になる必要はないかもしれない
と思った。
>同じ境地にいるかね?全文を書きとめたヘレンは?
この境地という言葉を使って君は
>そう言う君は今どんな境地にいるんだね?
と言った。 この2つの境地にどういう繋がりがあるんだい?
とは思っていんだ。とりようでは皮肉にも聞こえたからね。
地球卒業者「18人」の過去生って書籍にカルマに関係するかもしれない話が出ている。 ケイシーの輪廻を見ていくと、一度地球に生まれなくてもいいくらいに魂のレベルが向上したんだけど、 地球の人たちの助けになりたいと、また地球に生まれてきた。そこで、恨みを抱くような出来事があったため、 ケイシーとして生まれるまでに輪廻を繰り返してきた(ケイシーになる直前か何回か前に、霊能力使ってギャンブルやって堕落した過去生もある) ここから個人的な感想。 この例を見ると、魂のレベル云々関係ないように思える。 霊的に向上した魂=地球に生まれる必要が無くなった魂ってことなら、恨みを抱いたり堕落したりして、再度地球へ生まれ変わる必要が出るってことはないんじゃないかと。 完成していようといまいと、常にぶれ続けるのが魂ならば、運が悪ければ、一生向上できない環境に生まれ続ける魂だってあるんじゃないかと思う。 衣食足りて礼節を知るって言葉は真実だと思うよ。難民とか、赦しの概念すら持てなさそうな状況で、どうやって魂を向上させろというのだろうか。 神がなんとかしてくれるなら、最初からきれいさっぱり争いを無くせばいいって話になる。つまり根本から矛盾してるように感じる。
難民の状態で耐えてることが赦しかも
それはカルマの精算に値するんじゃないかな。 赦しって耐えるとは違うと思う。 耐えるって、少なくとも、その状況に対して不満の心があるから。 ねこちゃんに引っかかれたけど、我慢して怒らないっていうのと、 ねこちゃんに引っかかれても、痛いでちゅよー(^^)って感じで受け流すのはずいぶん違うでちゅよ。
あまりにもひどい状態だと、自分はここにいない、とかこれは本当じゃない、みたいに 自分をマヒさせる、みたいなことってあると思うけど、これは夢だから、って平気でいる のと紙一重だよね。普通から考えたらあぶない。 自分や身内の肉体が壮絶な状態だったり、悲惨な現実を見てもこれはイリュージョン、って。
本当に夢だと悟るために苦行みたいな方法を辿る人の努力は無意味ってコースでは言うかもしれないけど そういう方法でしか悟れない人もいるのかも。
プンジャジの言葉だけど、 「そのとき、私は自分の輪廻転生の物語すべてを見たのだ。 それがどのようにはじまり、異なった種の生命から生命へと転生していくのかを私は見ていた。 その中で私はあらゆる種類の海洋生物、魚だけではなく、数知れない海中の生き物の生命を通り抜け、岩石としての生命、植物としての生命、動物としての生命を経て、人間としての生命に辿りついた。 そこには別の惑星での生命さえあった。」
なんかサルにもなってそうだけど、なってないのかな? それとも、人にもいろんな種類があるのかな? 他のアドヴァイタの聖者は何て言ってるんだろう? 輪廻も幻想だといえばそれでおしまいだけど、 悟るためには、進化して人間にならないといけないのかな? 他の生命にはできないのかな?
>>217 >>219 あいつはダメだった、ダメじゃなかった、いつまでそんなこと言ってんのさw
境地を尋ねられてたね。俺は俺だよ。君は君じゃないのかい?
それ以外の何の「境地」を手に入れる必要があるかね?
今持ってないけど後で手に入るものに、どれだけの永続性があるかね?
覚者たちは、輪廻は自我(肉体=私と思いこんでいるエゴ)においてのみ 適用される法則のようなものとして述べています。 そして、解脱をした覚者には輪廻とは無縁です。 輪廻の存在を支える自我がないためです。 そして覚者たちいわく、私たちもまた本当は自我ではなく、 覚者たちのいうところの本物の「私」であるのだから、輪廻はない。 「私=自我」という認識における世界の中では、輪廻はその法則に従って 働きかけているといえると思います。
>>228 そうやって誤魔化すくらいなら、最初から何も発言しなければいいんだよ。
>>230 おいおいw 繰り返すぜ。
今持ってないけど後で手に入るものに、どれだけ永続性があるかね?
あんたは将来いつか「解脱」を手に入れて「解脱者」になると思ってんのか?
それが心が仕掛ける最大の罠だ、と言ったはずだぜ。
ちょっと横槍を入れるようですが、 解釈の問題でもめている人たちがいるのを利用させて頂き、ついでに書かせてください。 もしかしたら、他の方の役にも立つかもしれないので。。。 色々な本に目を通せばわかることばかりですが、 私見ではなく、ラマナ・マハリシ、プンジャジ、マハラジ、ラメッシといった方々は、 本物の解脱者です。この方々の言葉を知るのはとても役立つと思います。 もちろん、ブッダ、キリストも同様です。仏教書や聖書は歴史的な隔たりがあり (特に聖書に関しては捏造された部分が多く含まれることもあるし・・・) 難解になってしまいますが、上記の方々の言葉は現代の言葉で知ることができます。 で、覚者たちは大雑把にいえば、 (↓つづく)
>>231 境地、という言葉を使ったのはお前じゃないのか?w
確かに解脱はいつか手に入れるようなものではないだろう。
しかし、それをお前はただ、観念としてそう信じているだけだ。
誰もが、この道の先に解脱があると思い、それを目指す。
そのこと自体はマーヤだが、しかしそこから始めるしかない。
お前は、本で読んで知った、単なる情報、観念を、得意になってオウム返しに繰り返しているだけなんだよw
>231 > 逆に問おう、ACIMを誰よりも理解しているワプニクはマハルシやクリシュナムルティと > 同じ境地にいるかね?全文を書きとめたヘレンは? とか > ただ、解脱者でもない限りどんな人にも無意識の意図があるし、 とかあなたの発言なんだけどどういうこと?
235 :
232 :2010/08/09(月) 02:19:30 ID:S4bYMr+Q
232のつづき 解脱とは → これが私であるという思い込み(幻想・自我)を捨てていき、 最後の最後に残るものが「本当の私」であると気づくこと。悟り。 つまり、解脱とは新たに何かを手に入れるのではないということ。 我々の自我は肉体を私と信じている。わたし、あなた、という区別された 存在を受け入れている。本当はそうではない。 意識の覚醒は個人的なものではなく、Aという人物を通して覚醒が起これば、 その影響はA以外の全てにも及ぶ。つまり、Aが覚醒することが、Bの意識の高まりや C,D・・・にもプラスに働きかけるということ。覚者たちは、愛ある行為をとることは もちろんのこと、もっとも世界の役に立つ働きかけは、自らの本質に気づくことだと 主張している。※これは覚醒に限らず、いわゆる意識レベルの高低すべてにいえることです。 社会的に正しいと言われる行為をするかどうかは覚醒の必要条件ではなく、 自らの内側に目を向けていくことが気づきには不可欠。 ただ、本質的な愛の行為には「私がこれをやった」「結果を期待する」という エゴの性質が無いため、ACIMのようなハートの道は、社会においても望ましく、 実践し習慣化することで「私=エゴ」という意識を手放すための影響力が あると思われます。 まだ、いくつか書こうと思うことがありましたが、ひとまずこれで終わります。
>>235 > ACIMのようなハートの道
・とはどんな道?
・他にはどんな道があるの?
・誰の分類?
>>233 あんたが真剣なのを知ってるからこうやってレスしてんのさw
知識集めて利口になりたがってる人にはレスしねーよ。
ここから始めるしかない、という表現をよく使うね。
そうだね。
で、どこにゴールがあるの?
「解脱は遥か遠くにある。それは至福の境地である。不断の努力で手に入れなさい」
なんて言われたら、また心は大喜びして罠に嵌るのさ。
境地ねー。俺は俺だよ。それが境地と言えば境地だね。他に何と答える?
顔も知らない俺が本で読んだ知識を披露してるかどうかが、そんなに重要な関心事かい?
あんたは今そこにいるだろうに。
>>234 そういうことだよ。何か困ったことがあったかな?
>>237 苦しそうだなw
まあ、そうやって誤魔化すしかないんだろうw
>「解脱は遥か遠くにある。それは至福の境地である。不断の努力で手に入れなさい」
>なんて言われたら、また心は大喜びして罠に嵌るのさ。
そうそう、その通り。
しかし、本を読んだだけでわかったつもりになっている、お前さんのようなおめでたい人間に対しては、
頭をゴツンと叩いて、まずはそういう罠に嵌ることが出来る地点までは連れてってやることが必要だわなw
そんな段階にもない馬鹿が、したり顔で、解脱はここにある、我々はすでに悟っているのだ!
と叫びつつ、人生を無駄に浪費するような例は、今までも、そしてこれからも枚挙に暇がないんだろう。
あっ、時間なんてものは幻影で存在しない、なんて、理念としてはとっくに知ってるから
今さら訳知り顔で説教しなくてもいいからねw
でもさ、ワークブックを一通りとは言えやり終えたんだよな? それでこのザマということは、ACIMも使えねぇ〜ってことなんでは? いずれACIMの邦訳も出るんだろうが、それ読んで実践できる人、 ACIM読者の中のほんの数パーセントにも満たないかもしれないな。 結局ACIMが人を選ぶことになるのだろうし、人もまたそれを察知し、 分不相応だと判断したならば取りあえず保留にしておく勇気が試されると。
無駄な人生ってどんなの?人生ないのに?
ホントに人生ないってことを体感してる? 体得してる? 体現してる? そうじゃなかったら、今のところ人生あるってことじゃんw
>>237 あなたの境地に興味はないし。困ったこともない。
ただ矛盾してるよ〜て言っただけ。
道具が使う人を選ぶのではなくて使う人が道具を選ぶんだけどな。 使えないのは自分ではなくて道具がなんとかしてくれると思ってるから。
道具が何とかしてくれると思っている人は、その道具は使えない、 そのことを、道具が人を選ぶ、と言うんだよw 道具を使えるだけの資質が要求される。 で、自分に果たしてACIMを使いこなすだけの資質があるだろうか、 と自省してみることが必要な人もいるんでは?と言ってるんだが。
さて道具を使うのは誰か
モヤモヤがあるので皆さんに質問していいですか? もうすでに終わった夢なら(存在すらしてないそうですが)なんでイエスは赦しを進めるのでしょうか? 完璧に幸せのなかにいるならなぜエゴの存在達に(存在すらしてないそうですが)語りかけたのでしょうか?
>>246 終わった夢を繰り返し見ている状態の心の欠片がまだあるからじゃないかな?
少なくとも、俺という欠片は、あと一回は生まれ変わりを経験しそう。
もっと多いかもしれないが、できることなら、これ以上暑い場所には生まれたくないね。
>>245 道具を使うのは聖霊というのが模範解答かもしれないが、
さて、ではあなたは聖霊にすべてを委ねることができる状況にあるのか。
そういう状況にないのなら、やはり道具は何も機能しないだろうね。
>>238 伝わらんかねー。
俺をACIMを読むに値しない愚か者と思ってくれて構わん。
あんたが遠くに探している天国は、あんた自身だってことだよ。
これも散々言われてることだがな。
あんたは自分の「目」を直接見たことはないだろう?
鏡や写真を使わず、直接だぞ。
だが自分に目があることを疑わないだろう?
なぜなら、世界が見えるからだ。
同じように、あんたは「自分自身」を直接捉えたことはないだろう?
身体じゃないぞ。思考や感情でもないぞ。
「これは俺の体だ」「これは俺の考えだ」と言ってる「俺」、意識主体だ。
だが、自分が「在る」ことを疑わないだろう?
なぜなら、人生を経験している、考えたり行動している「私」が、どこかに「在る」はずだからだよ。
その「私」を、掴み取ってみろって話だよ。それが「われ在り」だ。
目が目を見ようとすると外界の景色は締め出されて気にならなくなるように、
「私」が「私」を捕らえようとすると、外界の出来事に一喜一憂することなく、
「われ在り」が自分のアイデンティティの中心にシフトし始める。
ACIMを読んでも同じだ。
結局は自分自身の中に天国を見出すことになるんだ。
なぜ今やらない?
遠い将来発売される本の中に解脱があるわけじゃねえよ。
俺を最低の愚か者だと思って構わん。やってみろ。
>>249 我すら無い がACIMの教えじゃないの?
>>249 救いようのない馬鹿タレだなお前はw
お前は、お前の信じているただの観念を述べているだけで、
お前はその境地にはいない。
準備のできていない人間が、解脱はここにある、解脱はここにある、
とお題目のように唱えてどうする?
解脱はここにある、と唱えるだけで解脱がここにある、
と自ら体感し体得し体現することが今のお前に可能なのか?
可能ではなかろう。ほとんどすべての人がそうだ。
だからこそ、方便が必要になってくるんだよw
ACIMのようなやり方、ラマナ・マハリシのようなやり方、
しかも、それを本だけを頼りに実践出来る人はほとんどいないと言っていい。
>>250 その通りだ。
この「我」は、他の対象物を得れば得るほど強くなる。
俺の金、俺の女、俺の車、俺の名誉・・・
俺の、俺の、と言って外側に意識を向ければ向けるほど強くなる。
一心不乱に内側に潜り、外側の対象物を全て締め出し、
その「俺」を見出したときに何が起きるかを見てみなさい、という話だ。
ACIMの赦しは、「嫌なことを我慢する」ではなく、無執着・無判断だ。
結局は同じところ、自らの内側に天国を見出すことになる。
>>251 なぜ俺が馬鹿かどうかにこだわる?
「解脱はここにある」と唱え続けろなんて言うつもりはない。
それを唱えている「自分」を掴み取れ。
あんたににぴったりの方便か、身体を持った先生が現れるまで待つつもりか?
やってみろ。
253 :
232 :2010/08/09(月) 12:58:06 ID:Ozw23d0b
>>236 ハートの道というのは、愛、明け渡し、善行などから二元性を超える方法とされています。
もう一つあるのがマインドの道で、頭、精神の側面からとられる方法。
それぞれが絡み合い、どちらか一方の道を通っているわけではないと思いますが、
キリスト的な道は、やはりハートの道に重きが置かれているように感じます。
これらは誰の分類というのではないものでしょう。
もっとも、ACIMにしても道を進み始める人に対して知識を指針とするわけで、
マハリシなどの覚者たちも、いずれ捨て去るべきものであっても、
真理に対する霊的知識は、道のはじめに立った者たちにとっては有効であると述べています。
いずれにしても、道の中身に違いがあってもよく、道の優劣はなく、道を越えたむこうに
至ることが説かれていることです。必ずしもマザー・テレサになる必要はないということです。
。
>>252 あのね、まず君がそれをやってごらん。できるものならね。
一通りワークブックをやり終えたそうだからw
十分、その資質があるんだろうからねぇw
>>254 あんたは利口になりたいのか?
俺を論破したいのか?
違うだろ。
天国を求めてACIMスレにいながら、
本だけでは難しいとかいつまで言い続けるつもりだ?
今やってみろ。
256 :
神も仏も名無しさん :2010/08/09(月) 13:31:13 ID:npDMUWhk
>>255 解脱したみたいなんでせっかくだから質問したいんですが、
どうして自殺はほぼすべての宗教で禁じられてるんでしょうか?
神の使者でも、禁止とはいわないけど勧められていませんでしたよね。
自分に罪があるとか思わず、この世界生きにくいから一回死んでおくかって感じに自殺するのは問題ないような気がするんです。(暑いからクーラーかけようみたいな感じで)
>>255 わかったわかったw ではまず、君の体験談を語ってくれ、具体的にな。
さあ、頼むぞ。
>>256 ご自身や身近な方の深刻な問題かい?
そうでなければ、そういった知識の収集には終わりがないし
それがどんな宗教やスピリチュアルの知識であっても
自己を直視することとは全く関係ない、と答えるよ。
利口になって少しの間気分が良くなるかもしれないが。
>>257 他人の体験談が何の役に立つ?
これ以上知識を増やしてどうするね?
今、自分でやってみなさい。
>>258 いや、それだけの大言壮語を吐き続ける以上、
君が如何なる体験に基づき語っているのか、
その根拠を提示することが必要だと思うんでね。
さあさあ、誤魔化していないで君の具体的な体験談を詳述なさい。
ワークブックを終了したんだろう? それにまつわる体験でも構わないぞ。
さあ、もう誤魔化しはできない。正直に書くんだ。
ハッタリをかましていたのなら正直にそう告白しなさい。
そうすれば解放してやろう。
ウソをつき誤魔化し続けるのなら、今後も執拗に徹底的に追及していく。
あ〜、どうしたもんだろうね・・・?
261 :
神も仏も名無しさん :2010/08/09(月) 19:09:33 ID:kAZUm+aR
>>260 精神世界の分野ではよくあることだ。
俺のほうが優れてる・よく知ってるの闘いw
俺は完璧な邦訳本を待ってるよぉ。
早く出してちょ。
>>155 >ありがとう、赦しさえしていればいくら夢の中でも相手がもし殺人や犯罪を犯しても
>いいのだろうか?責任はないのか?ということを書こうとしていました。
>本当に赦すことができていれば、私の夢の中にそういう場面が出てくることはあり得ない
>ということなんだろうか、そういう場面を例え見ても一切揺らがない心になっているのかな。
>実際に問題行動を繰り返したり、犯罪者、心の闇が深い人と長く接する立場や職業の人って
>いると思うのだけど、自分の心の赦しに専念することで世界、投影が変わったと実感できる
>ものなのだろうか、というのは自分の想像以上の行動をとる人はいつでもどこでもいて、
>その人を信頼することと、その人の夢の中での行動は別な気がしてしまうから。
(つづく)
(つづき) この世界に対して、きょうだいに対して、許しが進めば、 相手や世界の反応もまた、変わってくると思ってる。 突き詰めて考えると、完全に許しが出来ていれば、殺人やその他悲惨なことが、 自分が見ている夢の中に出てくるということさえ、ありえない、と思う。 なんかしっくりこないというか、本当?という気持ちは残るが。 少なくとも、自分がそれを味わうってことはないんじゃないか? 赦されたということは、そういった経験は自分にとっては 必要なものではなくなっているのだから。 又、想定外の言動をとる人もいるけれども、それは自分(の狭い見方)にとって ということであって、聖霊にとってはすべて想定内では。 又、そもそも、想定というのは、過去をもとに判断しているから、今、ここを基準にして、 考えると、すべてが想定外、ある意味どんなリアクションが起こるかわからないところが この世界の面白さなのではないかな、と思う。 「今」の中に何も(過去の判断を)持ち込まないのがほんとうだと思う。
>>246 >モヤモヤがあるので皆さんに質問していいですか?
>もうすでに終わった夢なら(存在すらしてないそうですが)なんでイエスは赦しを進めるのでしょうか?
>完璧に幸せのなかにいるならなぜエゴの存在達に(存在すらしてないそうですが)語りかけたのでしょうか?
終わった夢でも、あなたは夢を見ている。
その夢をみているのは誰か、ということなのでは。
それは今パソコンをみているあなた。
今見ているのは他でもない、あなたの夢。
あなたが夢をみているのなら、その夢のなかでイエスは許しを教える。
許しを進めるのは、イエスではなくてあなた。
この世界にはイエスとか、その語りかけられたエゴの存在?も、
ほんとうは存在しない。存在するのはあなただけ。あなたが見ている世界はあなただけのもの。
イエスや他の存在は、あなたの夢の中の登場人物(役者)として存在するだけ。
たった一つの神とただ一人の御子が存在する。(ACIMによく出てくる)
ただ一人の御子とは、そう、あなたのこと。
要するに自分が目覚めていないなら、
イエスは何度でも教えるし、何度でも語りかけてくる、
ということなのかもしれないね。
265 :
神も仏も名無しさん :2010/08/09(月) 21:35:56 ID:3TTgjUK9
>>258 深刻じゃないですけど、自殺は自分にとっては、現状から解放される有効な一手段です。
あるがままに生きれば、生きてても死んでいても同じってなるんでしょうかね。
生きる意味はないのでしょう。それは死ぬ意味もないということと同義になるのでしょうかね。
自殺は逃避。物理的な制約からは解放されても、悩みごとや信念への執着は増してしまうからかえって長引く。 肉体があったほうが思考転換や方向転換がしやすいらしいぞ。
267 :
神も仏も名無しさん :2010/08/09(月) 21:53:39 ID:0ZAL8YZI
>>265 全き自我の痕跡を残さぬ境涯であれば
自殺も問題ないのでしょう。
>>266 よお、ここでもよく会うなw
なんでお前にそんなことがわかるのか、根拠を提示してみよw
別にバーソロミューに固着しているわけではないし、理解も完全では ないが参考になればと思い、引用します。ACIMスレであることは 忘れてません。 人が肉体を離れるとき(それをあなた方は「死」と呼びますが) そのときに、人間が神と分離しているというのは幻想だということが 明確になることがよくあります。けれども、そのときが来るまで待たないで 下さい。真剣に努力すれば、今、その真実を理解できます。 質問「問題は存在しない」ということを心から理解する方法がありますか? 「問題を解決すること」に喜びを感じている人に対しては、できることは あまりありません。しかし、大きな問題をかかえて苦しみ、その解決法 として、自殺を決心したような人は、そうした「問題解決病」 から自分を切り離すことができます。それとは逆に、人生はいろいろ 不都合な問題があると思っている人は、これからもその不都合な状態 のままでいるでしょう。 テクニックを知りたいのでしたら、最良のアドバイスは「自分の心のなかで 何が本当に起こっているか、よく観察することです」 2週間にわたって、自分の想念を正直に観察してみてください。 まだ続くので後の部分をまとめてみると、ACIM流に言えば人間には 2つの心(想念)があり、結果自分の想念が愛に満ちているのみと 言う人はもうアドバイスは必要ない。 その人は“内なる師”の導きに意識的にしたがっており、すでに、 “大いなる自由”へ向かっているからです。 確か別の箇所にこういうような言葉もあった。 自殺によって問題は解決しません。何故なら、この世の問題はあの世でも 同じ問題を抱えることになるからです。
>>269 バーソロミューは仏教的な世界観やACIMやニューエイジなどを対立することなく含んでいていいよね。
対立させて優劣を語る誰かさんに教えてあげたい。
>>270 対立させて優劣を語っていると認識している誰かさんにねw
>>271 はい、具体的にどういう点が? また逃げるんだろうけどなw
>>272 はじめてレスして、また逃げるんだろうといわれるあたり。
プロジェクションだな。
>>273 はい、逃げるつもりはないんだね。
じゃあ、もっと具体的に語って下さい、どうぞ!
>>274 はじめてレスしての意味が分からないのか?
AさんにBさんが具体的な体験談を語れというのを見る。
それを見ていた第三者の俺が体験談を語れというBに腐臭が漂ってるよとレスする。
するとBさんは第三者の俺に体験談を語れという。
だからエゴのプロジェクションだろ。
具体的に語ったぞw
そもそもエゴと激論を交わしても仕方ないのでは。
>>275 日本語も理解できないのか、お前はw
お前は
>>271 において「腐臭が漂っている」と発言した。
そのことについてもっと具体的に語れ、とこちらは問い質しているのだが、
それもわからないのか、お前はww
それに、初めてレスしたと言う割には、そして簡単な日本語も理解できない割にはw、
「敵」と「味方」の区別だけはずいぶんと速やかに識別できているんだなぁw
初めてレスしたという常連さんwww
X6RjllD8の敵急増中.俺も昨日からまれた.
なにも敵になることないだろう。ありがたくゆるしの機会にすればいい。 この人ひとの心に波風立てるのが自分の解脱に役に立つという信念持ってる人だから あんまり逆らわず生暖かく見てたらいいんよ。
俺も昨日絡まれた、俺も俺も俺も俺も俺もwww 南京“大虐殺”の犠牲者の数がどんどん増えていくようにw 何しろ、あのアセンテセットマスターのアーテンとパーサも南京“大虐殺”が実際に起きたことだと明言していらっしゃるw そりゃX6RjllD8の敵もどんどん増えていくだろうよ、ID変えながらwww
波風立てるのが本人や周りの人のためになるなら、世の中の犯罪者みんな教師じゃん. それに波風を静めるのがACIMの方向性じゃね?
波風立てるところに引き寄せられてやってくる神対信者。 さて、愛なら今何をするかw
そもそも他人はいないから、この波風は俺の心の波風ということだ。
念仏のごとく書け書け書きやがれお願いしますと 口を開けて待ってるアンポンタンは、何を頼りにそれを判別するつもりなんだ。 こういう手合いは節操なしに情報を欲しがるけれど 決して答えは欲していない。 まさに矛盾の塊、見にくく歪んだ自我の苦痛そのものだ。
>>286 情報など誰も欲してはおらんよ。
理念や観念を振りかざして悦に入っているだけの馬鹿に、
己のその馬鹿さ加減を自覚させるために訊ねているわけさw
>>263 ありがとう、自分の質問の意図を突き詰めると、形に全く意味がないとは思えていない、
分離や罪を信じているということなんだなあ、と。
犯罪のニュースを見ても罪悪感や攻撃の気持ちは湧かないし、赦すことは出来るけれど
自分の身内や形の上で関わり合った相手がもしそういう結果を引き起こしたら、動揺や
罪悪感を感じずにはいられない気がして。
もし本当に赦せていれば、自分が相手に全く罪がないとみて接した結果、形の対処が相手に
とって甘やかしになっていたとして、トラブルに繋がったとしても、またその結果の形にも全く
意味も罪がない、として罪悪感を感じないのだろうけど、それは罪を信じる人間の世界からは
「平気でいるなんて人間じゃない・・怖い」位のもので。
その位罪を信じなくならないと人間のままだろうなあ。
本当に赦せていればそういう結果は体験しないのでしょうね〜。
289 :
246 :2010/08/10(火) 10:26:36 ID:o1RYumG3
>>264 ありがとう。
まあそうなんだけどね。
エゴは次から次へと疑問を投げかけてくる・・・・・きついね・・。
290 :
246 :2010/08/10(火) 11:01:30 ID:o1RYumG3
この本を知ってしまったことの後悔と感謝でいっぱいです。 自殺しても罪悪感を続ける旅を引き延ばすだけだというのが分かったけど、いつまで赦しを続けなくちゃいけないのかと思うと気が遠くなる。 絶望感すら感じます。 この世界に居たくないのにこの世界から離れるために居なくてはいけない。本当に苦痛です
>>290 エゴの感情に赦しの訓練をさせるのはそりゃきついさ。
俺もまっぴらごめんだね。
2つの心の良い方に焦点を当てていればだんだんエゴは
薄れていくさ。そうすれば自然と愛や許しは実践されるんだ。
あせることは無いよ。
※自分の具体的なニーズには目をつぶり、神の手に委ねること・・
まず天国を求めよ、さればすべては与えられる
※導きに従った結果は安全あるいは豊かさの象徴としてこの世に
現れるかもしれない
※神の愛とともにあればこの世で自然にはっきりと何をすべきか
わかるようになる
失敗してもいいさ。だが、内なる光に焦点を当てているとだんだんと知らない
内に神に近づいていく。
そうすると、副次的な効果としてこの世もうまく行き人生も充実していくよ。
>>290 いつまでって考えるから気が遠くなる。
おわかりのとおり、時間というのは幻想だから。
だから、できることと言えば、生活の場面場面において、その都度、
A(許す)、B(許さない)のうちのAを選択すればいいだけ。
何かあった、その今に、Aを選択するこの繰り返しなんだろうな、と思う。
ずっと許しのことを考えているとなると、気が重くなるような気がしてしまうけど、
普段は許しのことなんて考えなくても、自然に、Aが選択できるようになれば、あとは、
楽になるのではと思うお。
無意識というか、自然に、
そういう習慣が出来るまでが大変なのかもしれない。
そのための、習慣づけとして、ワークブックがあるのかもしれないよ。
と思ったお。
といっても苦しい時は苦しいけど、その苦しみもやがては過ぎてゆくし、
だいたいそんな時は自我が抵抗している時だと思うお。
ハンドルを手放せば楽になれると思って日々過ごしてるお。
死ぬ(消滅する)のは自我(死にたいとか死にたくないとか、言っている正体。ころころ変わったりする。)
であって本当の自分ではないんだ、と思えばいいんだお。
ほんとうの自分は今も天国でくつろいでいて、
それを邪魔している覆いが取り除かれるにつれて、
その世界(実相の世界)が現れてくる。
だから、許された世界は平安で楽しいんだと思うお。
自分は苦痛の代わりに神の喜びを選ぶ。 苦痛は錯覚が真理に代わって支配しているというしるし。 あなたが目にしている世界は何もしない。 この世界には全くなんの影響力もない。 それは単にあなたの思いを表しているにすぎない。 この世界はいわば結果であるから、影響を及ぼすことはできない。 錯覚であるから、自分の望み通りの世界。 苦痛は錯覚、ごまかし、喜びは実在、目覚め。 苦痛の代わりに自分たちの喜びを、罪の代わりに自分たちの神聖さを、 心の葛藤の代わりに神の平安を、この世界の暗闇の代わりに天国の光を、 それぞれ自由に選べる。(ACIM 190課 を参照にして)
奇跡には難しさの順序はないし、 大きいとか小さいとかの順序もないと言ってる。 奇跡は、聖なる一瞬と言って、時間を越えた領域でなされる、 と書いてあったと思う。 許しの結果として奇跡が起こって、 その結果、癒しが起こったとすると、 なんせ奇跡も、その結果としての癒しも、 自分の理解を超える・・。 なんか、一瞬にして、心境が変わって状況が切り替わるような 気がしないでもない。
>>288 体験しない?
イエスは貼り付けにされましたが?
297 :
神も仏も名無しさん :2010/08/10(火) 22:34:31 ID:3W3mnQbO
>>296 彼の場合、背負ってるものが違うんじゃ?
『天国から離れて』を新宿紀伊国屋、ジュンク堂にて確認。 まだ誰も買っていないのか?
>>298 予約した近所の書店に問い合わせたら、まだ入荷してないと言われた。
でも、系列の大きな駅前書店(ブックストア談 赤羽店)では2冊売ってた。
系列であっても一斉に入荷するわけじゃないみたいだな。
予約しちゃったんで、入荷連絡待つ。
>>296 貼り付けってWindowsのファイル操作みたいだな。
イエスもファイルも、貼り付け先でどれだけいじり倒されても、大元は変化しないって意味では同じだけど。
張(り)付け刑・貼り付け刑、磔の刑 どの型が一番苦しいだろうか?
自分の見えにくい分かりにくい分かりたくもない自己欺瞞と傲慢さを自分に明るみに出して 聖霊に差し出して、許せますように。
>302 ほんとですね。 自己欺瞞とか傲慢さって自分じゃなかなか気づけないですよね。 ところで話は変わりますが、この訳ってニュアンス違いますよね? Now with the Course the tension is released by forgiveness, but until someone is very proficient at it, they shouldn't be expected to give up most earthly desires. さて、緊張は「コース」に基づく赦しによって解放されるが、 現世の大半の欲望は、 当人が充分に堪能するまではあきらめることを期待すべきじゃない。 (「神の使者」p449) proficient at it っていうのが、 (…に)上達[熟練]した, 堪能である ということらしいので、原文は 「当人が充分赦しに堪能になる(熟練する)までは・・・」 ということで、 「堪能」違いじゃないかと思うんですよね。
>>291-294 ありがとう御座います。
何が起きたように見えても選択肢は2つのみ、ということですよね。
>>303 それでいいと思う。
あと「大半の欲望は無理」なんじゃなくて
「『大半の欲望をあきらめる』ことは期待すべきでない」ていう部分否定だね。
306 :
神も仏も名無しさん :2010/08/11(水) 22:05:30 ID:DTscwxtM
天国から離れなんとかの入荷連絡が来ないんで、もう店で買ってしまおうと思って書店へ行った。 で、俺がキャンセルしたら予約店が在庫抱えることになるかもなあなんて思いながらパラパラ見たんだが、 よく見たら、いまの俺にとっては必要がなさそう。というかコース学習者にとってのレクリエーション的な書籍のような感じがした。 んで、ここで、「この本がないと学習がうまくいかない」みたいな思いを抱いてることに気がついた。盲目の思いこみだ。 評判のいい参考書を”集めてた”ときもこんな感じだった。これを買えば何か変わると。 無理矢理、欲望の話につなげると、多くの欲望も、これがあれば何か変わるという期待が支えているんじゃないだろうか。
こういう本は出た時に買っとくほうがいいよ。 よほど売れないと増刷しないし、あっという間に幻の本になるからね。 プンジャジの『覚醒の炎』もガンガジの『ポケットの中のダイアモンド』も、 ラマナの『不滅の意識』『ラマナ・マハルシの伝記』も、 アドヴァイタの聖典と言われる『アシュターヴァクラ・ギーター』も、 今や事実上の絶版になっていて入手困難になっている。 今年の初めに出たばかりの新刊『ラーマクリシュナの福音要約版・下巻』も もうほとんど手に入れることは不可能になっている。 この手の本に関しては、ツン読に罪悪感を感じる必要はない。
どの本でも一つでもいいからものにしましょう
あっという間、とか幻とか幻想っぽくないか?
天国から離れて読み始めた。ヘレンの夢が非常に印象深い。これだけでも神使やコースがいうエゴの性質や、自分が何をしているかがわかってくる。おもしろいし役立つわあ。
天国から離れてを某ネットショップで予約してたんだが、 入荷遅延によりお届け日が遅くなるってメールが来た。 場合によってはキャンセルになることもあるらしい。 大丈夫かよ〜〜。
引き寄せの法則ってエゴに飴を与えるようなものかな?
エゴを死滅させる、個から非個へ、なんて並大抵じゃないよ。 幻想だから犠牲じゃない、て言っても、生まれたときから何十年がっちがちにこの世界や自分に 張り付いて、なんとか意味のあると思えたものにしがみついて生きてきてるんだから。 コースを学んで緩やかに解脱する、っていう道を選べる人は幸運だよね。
ヘレンさんもタクシーを引き寄せるのに聖霊に聞いたりしたみたいだから、 自分に何かを引き寄せることにそんなに罪悪感を感じなくてもいいんでしょうね。 外側が変わることで自分が(本当に)平安になったのなら、 それはすでに聖霊を選んでいたからだ。 みたいなことをワプニクさんも言ってますね。 たぶんアドヴァイタ系の自己探求の方が、できる人には早いんでしょうけど、 コースは本当に、意欲さえあれば、学習者が緩やかに学べる道で、 知らないあいだに無意識の心へ働きかけて、膨大な時間を節約してくれるっていう、 ユニークで優しい、そういう意味ではやい道みたいですね。
狭き門より、入れ。 滅びにいたる門は大きく、その道は広い。 そして、そこから入っていくものが多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。 そして、それを見出すものは少ない。 −−−マタイ伝7.13
決心するための法則やってる方いますか? 「なにごとも自分で決めなければ願い通りの1日になると言った。まあ実は君ってなにも決められないんだけどねw」 みたいなこと書いてありますよね? これってなんなの? 皆さんはどんな日にしようとか具体的に願ってるんですか? 「笑いの絶えない1日にしたい」とかそんなことでいいの? それともいかにもACIMERらしく 「すべて聖霊に委ねるわ〜(キリッ」みたいな感じ?
ACIMERって何? ぐぐってみたけど個人のハンドル名ぽいのしか検索できなかった もし蔑称のようなニュアンスがあるとしたら、甚だしく抵抗感がある
>>316 決心するための法則というのはACIMの中にあるの?
>それともいかにもACIMERらしく
ACIMのこと?
どうみれば蔑称なのさ 前スレでは普通に通じてたのに今スレでのアキマー呼称への異常な拒絶反応ってなんなの
>>319 決心するための規則
だったかな?法則じゃなかったわ
322 :
神も仏も名無しさん :2010/08/13(金) 21:25:53 ID:+vGpiloq
>>316 個我の思考で人生を歩んでもリアリティの本質はないから思い通りに行かない。
(諸行無常)。個我の想念で選択した人生を歩んでいるように見えても
想念は外部(他人)の想念に影響されやすく、すぐ反転して失敗してしまう。
この世の物事は聖霊とともに歩みなさい、そうすると物事も神への
道もうまくいく、ということかな?
>>322 ヘレンの辿った葛藤を追体験することで理解がより深まるということかもな。
まあ、あくまでワプニク視点からの解釈に過ぎないが。
lesson30の翻訳文見たんだが最後のほうに 「〜を宇宙に宣言していることになります。」 って書いてあるんだが原文もそう書いてあるの? なにこれ引き寄せの法則みたいじゃんって思ってしまった…
ごめん。lesson31だった
The idea for today is also a particularly useful one to use as a response to any form of temptation that may arise. It is a declaration that you will not yield to it, and put yourself in bondage. 宇宙に宣言…にはならないね。 程度の低い翻訳ですね。
>>328 ありがとう。見返したら色々意訳されてたw
そこ見るのやめるわ
基本さん、お久しぶりです。暑い日が続きますが、お元気でお過ごしですか? ちょっとお聞きしたい事があって、お邪魔しました… 今日、近所の銭湯で水風呂に入っていたら、小学校中学年くらいの幼い兄弟がやって来ました 暑い最中ですから、冷たい水の感触にキャッキャとはしゃいでいました ところが私は、その様子を見ながら、「このままでは、この子らに注意せねばならなくなるだろう」と、内心うんざりしてました こう思案に暮れていますと、いきなり私の顔に水しぶきがかかり、思わず「こら!」と怒鳴ってしまったのです 子供らは一瞬、敵意の色を目に浮かべたと思うと、そそくさと向こうへ去って行きました それを見た私は、もっと教育的な態度をとるべきだったと、しばらく後悔の念に苛まれました 基本さん、私はどのような言葉を彼らにかければよかったでしょうか?馬鹿な質問ですが、よろしければお願いします (続く)
332 :
神も仏も名無しさん :2010/08/20(金) 17:26:45 ID:xmk2krnQ
解脱を思うべき
解脱と get out て似てるね
今後は、ACIM翻訳完成を遅らせることのない範囲で、すでに手元にある原稿をまとめるだけで
比較的簡単に仕上げられる参考文献(ワープニック著)の刊行も、いくつか予定しています。
このように、すでにACIMを学びながら邦訳版の完成を待っておられる方々のために、
できる限りの参考資料を提供しつつ、邦訳版『奇跡講座』の完成に向けて全力を尽くしておりますので、
その遅れにつきましてはできるだけご辛抱いただき、完成までお待ちいただくようお願い致します。
http://www.jacim.com/translationproject.html 奇蹟講座が出版される前に、ワプニク氏の本が何冊か出るかも。
それにしても今までなされた翻訳がすべて不合格だった、という噂が単なるデマだったとは。
大内博氏がプロジェクトから外されたのには理由があったんだな。 大内先生は誠実な人だがニューエイジどっぷりの感もあったから、 結果的にはこれでよかったのだろう。
そもそも日本語を読み書きできないワプニク氏が 合格も不合格も判定できるはずないと思う 日本人の(古参)関係者が、独自の判断で ニュアンス・語感から訳の良し悪しを選ぶしかないはず
英文を日本語訳にした後、それを再び英語に翻訳してニュアンスが違っていないか、 ワプニク氏のチェックを受けている、 なんていうもっともらしい説明もどこかで読んだことがあるけどね。
>>336 前にここに貼られてたラジオかなんかでFIPのウィトソン氏が
最後はACIMを知らない該当言語の専門家のチェックを受けると言ってたよ。
339 :
神も仏も名無しさん :2010/08/21(土) 01:55:29 ID:kpi61a0v
翻訳待つのと英語学ぶのどっちが早いのか・・・ 何事も、マスターには少なくとも10年かかるというが、読むだけなら2年くらいでいけるだろうか。 ちょっと前に、翻訳辞書サイト利用してUrtextの最初のほうだけ読もうとしたけど、格調高い怪文ができあがっただけだったなあ。
340 :
神も仏も名無しさん :2010/08/21(土) 01:56:34 ID:kpi61a0v
翻訳待つのと英語学ぶのどっちが早いのか・・・ 何事も、マスターには少なくとも10年かかるというが、読むだけなら2年くらいでいけるだろうか。 ちょっと前に、翻訳辞書サイト利用してUrtextの最初のほうだけ読もうとしたけど、格調高い怪文ができあがっただけだったなあ。
読むだけなら2年くらいでいけます! 1年くらいでもいけます! ただUrtextの方はちょっと難しいですね、僕にとってはw でもがんばるぞ!
>>339 現在の英語レベルがどのくらいかにもよるでしょうね。
大学入試レベルなら辞書があれば読める、程度ならそれほどかからないかも。
いまだに聖霊の奇跡がなんなのかよく分からん 知覚の訂正があったのかなかったのかさえ分からん 一回くらい「すっすっげー!これは奇跡やで〜!!聖霊さんほんまもんやでぇ〜」みたいな明らかな奇跡が見てみたい
345 :
神も仏も名無しさん :2010/08/23(月) 09:45:48 ID:XXM12Nt2
実は必要ではないのだけど、拘っていることに対してのうまい解決法ってコースに書いてあります? すぐに手放すのではなく、徐々に捨てるという感じだといいんですが。 あるブランドに拘るとか、実は必要ではないし、時間の浪費にもなってるんだけど、今すぐに捨てるのは難しいという問題を抱えています。
ワークブック最初の方
>>345 たいていの人が、食べたり眠ったりすると思いますが、
誰もがスピリットだとすると、そういうことは
「実は必要ではないし、時間の浪費にもなってるんだけど、今すぐに捨てるのは難しいという問題を抱えています。」
「すぐに手放すのではなく、徐々に捨てるという感じだといいんですが。」
ということだと思うんですよね。
結局、ブランドにしても身体にしても、拘っているということでは同じなので、
「実は必要ではないのだけど、拘っていることに対してのうまい解決法」っていうのは
コース全体に書かれてあるんだと思いますよ。
まつ毛が目に入ることってあるよね。
349 :
神も仏も名無しさん :2010/08/28(土) 23:09:56 ID:fKYRCx1X
ちょうど天国から離れての544ページにまつげの話が載っている。 ヘレンの目に抜け落ちたまつげが入った。これはイエスが彼女に見せたいと望んだ物を見まいとする彼女の抵抗の象徴である。 しかしながら、イエスにまつげを取り去るのを助けて貰うと決めたとき、 ヘレンはイエスに近づき、彼の愛に繋がろうという心の中での決断した。 その結果が肉体のレベルにおいて反映され、まつげはヘレンのほおの上に移動した。 みたいなことが書いてあった。イエスが何かやったという話ではないとある。 この辺りは俺の頭じゃ短く説明できないから読んでくれ。
少しさびしくなっているので書いてみますね。 Nothing real can be threatened. Nothing unreal exists. Herein lies the peace of God 「何も真の現実は脅かすことができません。 非現実的なものは何も存在していません。 ここに、神の平和があります」 ACIMの最初の方に書いてあるがずっと気になっている。 確かに神の恩寵をシンプルに書いてあると思う。 しかしこれはあがりの文章であり、これを使って自己肯定のための他者批判の 手段とすると、 16章 When He relates through you, He does not relate through your ego to another ego. 「あなたを通して関係するとき、聖霊は、あなたの自我を通して別の自我に 関係しません」 まあ、これも同じような言葉だが現実にこの世を生み出している心を聖霊と 共に正して行こうという思惑、ACIMでは機能という言葉を使うが、 プロセスの修正を飛び越して言葉だけの走りとなっているように思います。
>>349 ありがとう。
>>350 僕が思うには、
他者批判をするのは常に自我であり、
「自我を通して関係する」というのは、個の利益だけを考えて関係することなので、
常にすべてのものにとって最善のことを思っている聖霊には、そういう関係の仕方はできない。
(もちろん聖霊の本当のねらいは真に目覚めることですが、この世的にいいことも含まれると思います)
プロセスの修正をして、「Nothing real ...」を実感するために、ACIMを読み、ワークをするのであり、
言葉だけを走らせてはいけないんだと思います。
>>350 何を言ってるのか(文の構造)がさっぱりわからない。
スルーすれば良いようなものだが、妙に気になるのでツッコんでみる。
>>350 >これを使って自己肯定のための他者批判の
手段とすると、
なぜ、他者批判の手段とするのかその意味がわからない。
コースとは関係ない解釈をわさわざあてはめる意図はなんなのか?
単純に歪曲した解釈によるエゴの抵抗じゃないの?
あのスレ以来今家に帰ってきました。 いろいろ忙しくて、レスを読み込む時間があまりない。 いま、読んでおります。
>>351 まさに、そうなんです。そう思います。
「何も真の現実は脅かすことができません。
非現実的なものは何も存在していません。
ここに、神の平和があります」
このACIMの言葉は祝福の言葉として用いられている。
ところが、
>非現実的なものは何も存在していません。
という最後の言葉は「この世や宇宙は存在してない」という
ことを表してはいますが、
各議論が起きた時、上がりの言葉としてそれだけを言い放つと、
それがまた批判のための議論を呼び起こして無限連鎖
となるパターン(特に神対スレ)が繰り返される。
何故か? 「この世は、苦しみは存在しない」という言葉
は祝福の為に用いられているので、議論をシャットアウトする
手段ではなくて、聖霊のように「存在しないということはどういう意味があるか」
を説明していかないと、いけないのではなかろうか?と言う事です。
人は存在しないということを知っている心と、依然としてこの世を
生み出してしまう心があるのですから。
前後のフォローが大事と思います。
真っ当に、 ACIMを実践してアドバイスしていく人も何人かいるのを 見かけます。ところが、どうしても自分の信念の言葉を相手に受け入れ られずに、とうとうしびれを切らして「この人は言ってもしかたがない」 もしくは「まだ、そういう段階ではない」と自己納得させて 、時にははたで見ていても気持ちが切れてしまって自己不信まで落ち込むような 人もいますね。これは相手が未熟なのではなく自分が未熟、つまり 聖霊の心を理解できてない部分があるということだと思います。 自分の自我が他者の自我を説得する努力でなく、聖霊の気持ちと一体になる ようにつとめ、内面の自己と一体になるようじっとしているべきだと思います。 。すると自然に内面の回答がわかるのではないかと感じます。
>>355-356 acimの理解とたゆまぬ実践によってあなたの中で自然と解消されていく話題だと思いますよ。
投影をやめ自身と向き合っていく努力を続けていけば、
自分で信じてしまった取るに足らない事である。という認識を少しずつ、でも着実に体験していくと思います。
どちらの言い分もよくわかります。 この場合、人にアドバイスする、議論するときにどういうことに気を付けたらいいか? ということが一つのテーマですね。 この二元の世界では、やはり他者とどう関わるかが大切で、 その点に関しては、まさに今大ブレーク中の『天国から離れて』にあるように、 ヘレンに対するJの態度が参考になると思います。 自分の経験では、いくらACIMに書いてあるような「正しい」ことを言っても、 相手を酷く傷つけたり、恐れさせたりするような言い方では、いくら相手のためを思って言っているつもりでも、かえって逆効果になることがある。 北風と太陽の話のように、最も有効に相手に働きかけるには、愛をもって接することが大切だと思います。 すべては終わっているといいながら、Jもできるだけ早く皆を天国へ帰そうとしている。 時間は幻想だといいながらも、時間を短縮しようとしている。 そのためには最も効果的なアドバイスの仕方っていうのが、聖霊の視点から見ればあると思うんですよね。
つまりあれこれ考えずに聖霊と一緒にいることだけに集中しろと。
そうだね。
362 :
神も仏も名無しさん :2010/09/02(木) 23:10:18 ID:9Fu4Q16K
この暑さはなんなの? 何を赦すの?
メガテンで神を殺したり奴隷にしたりしても 神は赦すどころか怒りもしないんだよね?
ACIMで言う神が怒らないことと 怒ってたたる存在がいるかいないかは別問題。 _人人人人人人人人人人人人人人人_ > 誰がかまうもんか <  ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄ ヘ(^o^)ヘ |∧ /
ヘレンの晩年をみるとコースは徹底的にこの幻想を相手にしていないという感じがする。
>365 詳しく
神話だと怒って罰を与える神がよく出てくると思うんだけど、 何でこういう話多いんだろう。
>367 ACIM的にいうと罪悪感の投影のせいかな、たぶん。
神の使者とかイェシュアの手紙とか読むとなんでガイドとかチャネリングみたいな図式になる のかと思う あれも幻想というか投影だとはいえないのかな マハルシとかいわゆるアドヴァイタとかではそういうことないよね 禅なんかでもそういう対象を見たら自我の幻想だと解釈するみたいだけど 実際のところどうなんだ?
>>368 そういうことになるのか、返答ありがとう。
>>369 この世界自体が投影なんだからその中で知覚するものはもちろん投影であり幻想ですよ。
ただコース流に言えば役に立つ投影かどうか、源に違いがあるというだけの話ではないかな。
>>372 役に立つ投影かどうか、源に違いがあるかどうかは誰が何によって判断するの?
>>373 自分がどうありたいかという正直な気持ちによって、
判断ではなく、選択していけばよいかと思います。
>>369 般若心経の記述は舎利弗や弟子の前で観音菩薩を自分の体に宿して語らせた今でいう公開チャネリングですし
イエスも普通の人には見えない神や天使の声を伝えていました
見方によってはイエスもブッダも現代でいうチャネラーと同じわけですし
聖霊の声を自我を通して聞くというのはそういう形になってしまうのかもしれません
形式にはこだわらないほうがいいと思いますよ
>>375 観音は象徴だと思うし、そもそも般若経は後代の作で原始仏教ではそういう記述はなかった
と思うけど
キリスト教でも象徴や抽象的な表現はあっても、具体的な相手と○○と対話みたいな感じで
チャネルしてたっけ?
形式にこだわらないっていうなら、そういう特定の誰かとチャネリングみたいな形式になってし
まうあたりが不自然に思えるんだよね
全て幻想と言いつつ、チャネルの相手や内容に対しては実体のあるように取り扱うあたりが
チベット-サンスクリット版般若心経には前段と後段があって その後段部で「釈迦が瞑想から立ち上がりこう言った」 「よくぞ語った、完璧なり」と書いてあるそうです
でもチャネリングなどの対話形式でないなら、私は神であると宣言してる人の話を信じて実践することになるからなあ。 もしくは、突然、こういうことを思いつきましたって人の話。 正確な情報を持ってきた存在、しかもそれが宇宙人じゃなくて、この世だけではなくあの世(輪廻)からも解脱した存在との対話ってのが重要だったんじゃないかと。 対話ってのがおもしろいと思う。過去の霊的存在とのチャネリング記録ってあんまり知らないけど、向こうから一方的に垂れ流される物ってなかったと思う。
Webでワークブック見るのなんかしっくりこないから中断してかなり経って、天国から離れてを読んで、 やっぱりちゃんと勉強するかって感じで、また昨日からワークブックのレッスン1やったんだけど、 「意味を持たない」が、いくらかの衝撃を伴って対象物から返ってくる(うまく言えない)ような感じがしている。 エゴが揺さぶられてるんだろうか。命の次の次くらいに大事な携帯が、意味を持たないってことに衝撃を受けているような感じ。
エゴと自己を同一視していた感覚を客観的に垣間見る瞬間的な体験って感じかな。 あらゆるくだらない手段から洒落にならない衝撃まで、エゴはなりふり構わず防衛策を講じるからね。 たまに笑ってしまう。
381 :
神も仏も名無しさん :2010/09/08(水) 11:59:50 ID:OtFlqQLo
てすと
ふぅやっと規制解除か
どれどれ
規制続き
385 :
神も仏も名無しさん :2010/09/14(火) 12:19:25 ID:/hr3Y8y+
ヤッホー
そういやゲイリーって3冊目出す予定あったっけ?
規制解除記念
a
この世界に自分を最後に結び付けてた糸、ある人への愛着(その人との思い出、その人から受け入れられ、 愛されることで自分のエゴが満たされる、存在価値が出る)を手放して、神だけを選ぶ。 その糸を手放したら本当に宇宙が消滅するだろうな、ってくらい怖いけど、道ずれがいないのも 選択を一人でするのも不安だけど、(聖霊がいるけど)ばらばらでいたいエゴを消して天国、一つ に戻るには、この選択をしなきゃあいけないんだね。 一人しかいない、てエゴには怖いことだけど、それが自分が不足してて、外に永遠に求めさせる、世界 が存続する動機だもんね。
道づれでした。
わざわざ買わなくても・・・ってことか。
コースめんどくせぇ キリスト、もっと短くできなかったのかね 長すぎてやってられねーよ
my brothers を、‘私のきょうだいたち’と わざわざ平仮名で翻訳するのは妥当だろうか? 性差別批判を避ける目的なら、‘私の兄弟姉妹達’と意訳しても良いと思う
>>391 携帯で見れない私に詳しく教えて下さい。
>396 奇跡のコースの全文が載ってる。
コースが長いのはわざとなんだろーなー、って思ったよ。 一読するだけでもそれなりに時間がかかることを狙って。 あんがい思考システムってスパッと切り替えられないけど コース読んでるとき(だけ?w)はエゴの思考システムを離れてコースのそれで考えられるじゃない? で、コース読む時間が長ければコースの考え方に親しむ時間も増えるから ゆっくりと切り替えていけるように一見「ムダに」大部なのかなぁと。 必要なムダというか、教育的配慮というか。。。 まぁ、まとまりがない感じは正直するけどね。 Textなんて適当に復習はさんでいかないと前の方かなり忘れるし。 わたしは「早く読破しよう!」って意気込むと疲れるから 1日1〜2節とか決めてその日の分をゆっくり読むことにしてます。 ・・・っていうか、どこの文章も延々と似たようなこと書いてないですか、コースって?w
>>391 は自家翻訳版で、希望者に配布してるやつじゃないか?
お金とってるかどうかわからないけど。
>>398 同じような意味のことを表現を変えて繰り返しということでは。
ただ、読むのがメインではなく、書いてあることを理解して、実践することがメインなのだが。
で
>>391 は使えるの?ウィキに乗ってないんだから誤訳が所々あり、あんまり
信用されていないってことなの?
>そういやゲイリーって3冊目出す予定あったっけ? 本当ならもう去年あたり出てたはずだよね。 それから毎年1冊ずつ出すようなこと言ってたと思うんだけど。 なんか問題でもあったのかな? パーテンたちの予言が外れたように見えるね。
>>402 その予言なんだけど、天国から離れなんとか見ると、イエスでさえ、今日起こることは予測できてない、
正確には、数多ある選択肢は見えていても、どれを選ぶか見えていないっぽい発言がある。
P338の、私はまだ今日この後で起きる事側にかかわる人々がどういう決断をするかは知らないが〜って発言。
あと、ヘレンやビルが将来担う仕事についても予言めいたこと言ってたけど、それは実現されなかったって話も出てきたような。
>>403 あぁ、そういうことかぁ。
納得。ありがとう。
ところで、出版が延期されてる理由はなんなのかなぁ。
ゲイリーが女性に現を抜かしているからなんじゃない? アハハハ!(アメリカンジョーク風)
>>391 それは田中百合子さんの翻訳。
有料PDF購入者に公開しているHTML版。
だからwikiに乗せる必要はないよ。
ゲイリー、 パーサよりシンディーを取るのか!?
lol
410 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 00:58:21 ID:ZxrVwA+I
<2分割(1/2)> 以前、4ヶ月ほど前にマルチポストした通りすがりの俺がまた来たよw 今回はACIMスレ、神対スレ、シルバーバーチスレ、バシャールスレ、引き寄せ関連スレにマルチポストする。 今回の情報は、一言で言うと、「あなたが見ている世界には、知覚者はあなた一人しかいないこと」と、 「あなたの全ての体験は、あなたの一人芝居に過ぎないこと」の二点だ。 シルバーバーチやバシャールのスレはもとより、ACIMのスレでさえ、今だに「自分がいて、そして他者がいる」と 勘違いしてる人が多いみたいなので、これはまずいと思い、書くことにした。本当は「自分がいるだけで、他には誰もいない」のだ。 例えば、あなたが誰かに殴られたとしよう。もちろん、この世界は幻想なので、本当に(現実に)殴られたわけではない。 しかし、現実の世界ではなく、幻想の世界の中での出来事とはいえ、あなたが「殴られた」という体験をしたのは事実だ。 で、ここから先が重要なので、よく聞いてくれ。 あなたは、幻想の世界の中とはいえ、「殴られる」という体験をした。 では、あなたを殴った人は、幻想の世界の中とはいえ、「あなたを殴る」という体験をしたのだろうか? 答えはノー。誰もあなたを殴るという体験(知覚)などしていない。現実に殴ってないだけでなく、幻想の世界の中でも、 誰もあなたを殴るという体験などしていない。
411 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 00:59:30 ID:ZxrVwA+I
<2分割(2/2)> いくら本当に(現実に)殴ったわけではないとは言え、いくら幻想の世界の中とは言え、もし相手があなたを殴ったのなら 事は重大だ。いくら幻想の世界の中とはいえ、相手があなたを殴ったのなら、相手のことを赦せなくて当然だ。 もしそうだったら、俺だって、多分相手を赦さないだろう。 しかし、実際には、現実の世界だけでなく、幻想の世界の中でも、相手はあなたを殴ってなどいないのだ。 「あなたを殴る」という知覚をした者など、どこにもいない。そもそも、あなたを殴った相手など、どこにも存在していないのだ。 そう、あなたが勝手に、「殴られるという夢」を見ただけなのだ。 我々が生きる地球上の世界と、夜ベッドで見る夢の世界は、本質的には同じであることは理解できてる人が多いと思う。 であるなら、夢の世界に置き換えて考えれば分かりやすいと思う。 もし、あなたが夢の中で、誰かに殴られたとして、殴った加害者はどこかに存在するだろうか?もちろんどこにも存在しない。 誰もあなたを殴ってなどいない。たんに「あなたが勝手に、殴られるという夢を見ただけ」なのである。 これと同じことが、夜の夢の世界だけではなく、我々が"現実"と呼ぶ昼の夢の世界にも言えるのだ。 それがわかれば、あなたを殴った(とあなたが思っている)相手を、恨んだり憎んだりするのが、いかに無意味かわかるはずだ。 以上、「人から殴られた場合」の例で説明したが、「人を殴った場合」、「人を助けた場合」、「人から助けられた場合」にも まったく同じことが言える。例えば、あなたが人を助けたとしても、誰もあなたに助けられたわけではない。 誰も、あなたに助けてもらったという体験(知覚)などしていない。だから、必要以上に人を助けようなんて使命感は持たない方がいい。 話を戻すと、たとえ人から殴られようが、たとえ人から酷い目に遭わせられようが、 その相手を恨んだり憎んだりすることがいかに無意味かこれでわかると思う。そもそも、相手は最初から存在していないのだ。
412 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 01:06:48 ID:N2Uyz2+d
>>411 > そもそも、相手は最初から存在していないのだ。
では私の存在の有無についてはどうですか?
で君は誰に語りかけてんの?自分にいってんの? 「現実は夢に過ぎない」っていうのは他に表現が見つからないからそう言ってるだけじゃない? 神の衣みたいな。
414 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 01:16:29 ID:ZxrVwA+I
>>412 あなたは存在している。
しかし、あなた以外のすべての人は存在していない。
もちろん、あなたが読んだ文章を書いた人(私=410=411)も存在していない。
415 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 01:19:04 ID:ZxrVwA+I
>>413 もちろん自分に対する問いかけ。
他の次元が交差してこの書き込みを将来(または過去に)見るかも知れない「自分」に対して書いただけ。
「あなた」というのは「わたし」のこと。
416 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 01:22:50 ID:N2Uyz2+d
417 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 01:26:47 ID:N2Uyz2+d
>>416 ポストマンに言ってんがだ。
他人が勘違いする夢を俺は見てんの?
419 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 01:38:35 ID:ZxrVwA+I
>>418 そうだよ、勘違いされたという夢をあなたが見ただけ。
ところで、「現実は夢に過ぎない」というのはコースでも神の使者でも
頻繁に引用されてはずだったけど。
>>417 どういたしまして^^
現実は夢に過ぎないという観念を頭の中に入れて、 それをいくら一生懸命お題目のように唱えても、 現実は夢に過ぎない、ということを体感することはできないよ。 だからそのギャップを埋めるための泥臭い作業が必要になるわけさ。
>>419 君は目の前で家族が暴行を受けても「夢を見てるだけにすぎないんだ」
といってスルーするつもりなのかしらん?
不死現でのゲイリーの日常生活関連の話を読むといいよ。
理解力がないとこういう風に勘違いするんだろうなと思った。
過去スレでも見るといいよ。より深く理解してる人もいるから。
422 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 02:34:37 ID:ZxrVwA+I
>>420 まさにその通り!「現実は夢に過ぎない」というお題目をいくら唱えても何の意味もない。
大事なのは、「現実は夢に過ぎないことを理解することによって、どんな状況でも相手も赦す意思を持つこと」なのだ。
つまり、「相手に殴られた」ことが、現実でなくとも幻想の中では真実であったなら赦せないだろう(俺だって多分赦せない)。
しかし、「相手に殴られた」のではなく、「私が勝手に、相手に殴られるという夢を見ただけなのだ」とわかっていれば、
これはもう、相手を赦す以外に手段は無くなる。なぜなら、相手は存在さえしておらず、私が勝手に、そういう夢を見ただけなのだから、
その全責任は、(相手ではなく)私にあることを100%理解できるから。
つまり、「現実は夢に過ぎないこと」それ自体よりも、それをツールとして使って「全てを赦すこと」こそが大事なのだ。
なぜ、「赦し」が大切なのか、簡単に答えておこう。以下の喩えが分かりやすいと思う。
<バファリンの効能>
頭痛・発熱・疼痛を鎮め、または軽減する。
<下剤の効能>
腸に停滞している排泄物を排出させる。
<赦しの効能>
生前に自分で書いた台本上で今後予定されている苦しみを除去する(神の使者的に言うと、苦しみのある時間の次元を切り取る)。
今後、自分が苦しむ方向の台本上のシナリオに向かうことを避け、自分が喜ぶ(幸福となる)方向のシナリオに向かわせる。
423 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 02:41:14 ID:QVVvlFlq
そもそも夢の中で目を覚まさせようとする意味は無い気がするが。 夢に実害無いだろ。 別に夢から一生懸命覚めようとする夢をみるのは自由だが。
424 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 02:47:23 ID:ZxrVwA+I
>>421 不死現とは、不死というあなたの現実、のことか?それだったら、すでに10回以上読んでるわw
神の使者と不死現の言ってることを一言で言えば「相手があなたに"しなかったこと"を赦しなさい」でなかったか?
さらに、その相手は存在さえしていないと何度も書いてあったと思うが。
必要個所を引用しようと思ったが、さすがに眠いから今日は勘弁。
もしリクエストがあれば、後日必要個所をまとめて引用してもいいよ。数日かかるかも知れないけど。
家族が暴行を云々に関しては、「心の在り方」ではなく「物理的行為(神の使者的にはどうでもいいこと)」なので
詳細のコメントは控えるわ。ただ、いくら幻想とわかっていて、知覚者が自分しかいないとわかっているからといって、
家族(もちろん架空の人物であり、暴行を体験してるわけではないが)が暴行されてるのを黙って見てる人はいないと思うが・・・
425 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 02:51:42 ID:ZxrVwA+I
>>423 その夢が当人にとって悪夢でなければその通りだね。
その場合は無理に夢から覚めようとする必要は確かにない。
しかし、当人にとってとんでもない悪夢であるなら、
確かに「夢から覚めたあとの当人」にとっては、それがどんな悪夢であったとしても完全に無害だが、
とはいえ夢の中では(夢を見ている間は)当人が地獄を味わうことになる。
であれば、当人を一刻も早く地獄(もちろん本当の地獄ではなく夢の中の架空の地獄ではあるが)から
覚めることは大きな意味があると思う。
また、この「架空の地獄の夢から早く覚めること」のみが、コースおよび神の使者の主題だと思っている。
426 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 03:01:02 ID:ZxrVwA+I
>>425 の続き
こう考えると分かりやすいよ。
「あなたは今夜、悪人に捉えられ、1000発殴られたうえで首を絞められ苦しみながら殺される夢を見る」ことになってるとしよう。
もちろん、そんな夢を見たところで、朝になって目覚めてみれば、自分は何の被害も受けていないことに気づく。
朝起きて歯を磨く頃には、夢のことさえ忘れてしまうかも知れない。
しかし、いくら夢とはいえ、そんな夢は見たいか?それとも見たくないか?
また、もしそんな夢を見た場合、一刻も早く夢から脱出したいか?それともいつまでもその夢に留まっていたいか?
ポイントはその点だな。
ちょっと思ったんだけど、この世は夢はまだ良いとして、誰も存在しないというのは話が飛躍しすぎてるんじゃないかと思った。
小学校に入ったばかりの子供に、人生の最後の場面を見せるみたいな。
コース本体は見てないんだが、天国から離れてを読んでると、他人は存在しないみたいな話は出てきてない。
むしろ、他人を赦すってことを推奨というか、他人がいないと赦しが進まないんじゃないかとすら思えてくる。
他人が存在しないってのは、ゲイリーの本で出てきた、起源の話でしょ。
赦しによって起源に戻るのだろうけど、学習者にとっては起源って想像も付かない概念でしかないと思うんだよね。
その概念に注目させるほうが回り道になってしまうんじゃないかな。
あと内容を読むと、わざわざ書く必要があるのか疑問に思うんだが・・・
そんな感じの話はゲイリーの本でも読んだから、俺=あなたにとっては別にここに書く必要ないよ。
最高に気になったのが
>>415 の次元の話。見えない物をわざわざ気にする必要ないよ。それはエゴの罠になるんじゃないか?
幽霊が見えない状態ならば、幽霊が怖いと気にする必要はない。
428 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 10:01:47 ID:vAlfUN1g
見方によるんだろうな、と思う。 私も、他人は存在していない、という風にみるようにしている。 でも、夢の中の登場人物として、親もいるし、兄弟もいる。 という風に考えてる。 で、実際、その夢をみてる、この世界をみてる、体験してる、 のは誰か?と考えた場合、それは、自分。 他人は関係ない。 自分が、意識的にせよ、無意識的にせよ、自分の選択で、自分でみてる。 だから、自分しかいない、みたいな。
429 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 10:22:19 ID:vAlfUN1g
自分の見ている世界は、自分しかいない、 という風に考えると、 他者に責任転嫁することはなくなる。 自分の意思ではどうにもならない、他者や世界がある、 と思うから、絶望したりするんだと思う。 だけど、自分の見ている世界が自分だけのもの、 だとするならば、 自分が変われば、他者も変わる。 突き詰めて考えると、世界も変わる、ということになるように思う。
存在していないではなく、自分を表現している一つの形であるって考え方は?
神使読んで「自分しかいないんだ」と思って ACIM読んだら他人がいるという枠組みの中で書かれていて混乱した遠い日の思い出。
わたしは通常の知覚レベルで「他者は存在する・しない」とか考えるより、 一つの心(=本当の自分)が個別の人生体験をする人間端末を自分だと思い込んでいるけれど、 その心の人間端末という意味では他者も同じ「自分」なんだと考えたほうがコースを理解しやすかったです。 「自分=一つの心」という視点の転換が前提にないと コースを読んでいてもピンときませんでした。 ただ、その心はだいぶ病んでいて、 わざわざ分離を象徴するような劇を端末たちに演じさせているけれど、 端末それぞれが「自分」であることに変わりはないから 知覚レベルで「自分が他者を赦す」ことで、本当の自分の狂気を癒せるんですよね?
>>431 俺も混乱中。コース本体は読んでなく、天国から〜を読んでる。
コースのほうは、他人の存在を前提にして話が展開するから、「常識的でやさしい」と感じる。
常識の範囲で説明することで、学びの敷居を下げてるのだろうか。(ヘレンが受け入れられる範囲で話したのか?)
ゲイリーのほうは、超非常識な話がいきなり出てきて、自分を主体にした赦しの話が展開してる気がする。
435 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 19:51:41 ID:vAlfUN1g
コースでは、他者は存在しないという風には 直接は書いていなかったような気がする。 むしろ、[きょうだい](つまり他者)をどう捉えて、どう接するかが、 救済の重要なポイントだったと思う。 だけど、 からだ=分離の象徴であって、 少なくとも私の肉体の目でみた[きょうだい]の姿、 (つまり今、そこら辺をうろちょろしている、家族の人たち)は、 ほんとうの姿ではないと。
436 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 19:54:44 ID:vAlfUN1g
自分の肉体自体が、分離の象徴であって、罪を自分で受け入れた象徴だから、
その目でみたものは、ほんとうの姿ではないと言ってた。
ついでに、肉体の目でみるこの世界もほんとうの姿ではないと言ってた。
聖霊の洞察力でみたものが、きょうだいのほうんとうの姿だと書いてあったと思う。
それがどういうものなのか、よくわかりませんが・・。
分離がなくなるということは、ほんとうは、他人も自分もないんだと思うけど、
この世界で生活しているんだから、
ふつうに相手はいる。
要は、それを自分がどう捉えて、どう接するかってことに尽きるのでは?
>>433 そういった考え方でいいんだと思います。
これは私の解釈なんだけど、 自分にとっては自分しか存在していない、ということはいいとして、 では、現に目の前にいる相手はどうなんだ、ということだけど、 当然、相手の中にも「自分」という感覚はあって、 相手にとっては、相手の中の自分しかいない。 そしてその相手の中の自分が、こっちの自分がいる、という夢を見ている。 そして、自分と相手の無意識の合意によって、 自他が一つの物質的現実を共有しているかのような、 いわば「共同の夢」のようなものを見ている。 だから、その共同で見ている夢の中では、 殴ったり殴られたり、という「現実」が現に起きている。 しかしそれは、共同で見ている夢に過ぎない。 つまり、実は何も起こっていない。 自分が相手に殴られた、という夢を見ているとき、 相手は相手で、何か夢を見ている。 しかしそれがどういう夢であるかは、自分の知るところではない。 ひょっとすると相手の自分は、こっちの自分に何か「傷つけられた」と感じて、 「正当防衛する」という夢を見ているのかも知れない。 自分の中に自分という感覚があり、 相手の中にも自分という感覚があるという意味では、 集合的な「自分」というのは、実は一人しかいない、と見ることもできる。
438 :
神も仏も名無しさん :2010/09/18(土) 20:37:27 ID:vAlfUN1g
>>437 そういった考えでOKではないでしょうか。
実は私たちが見ている現実(夢、でもいいんですが)は、
たったひとつではなくて、人の数だけ存在するんだと思います。
おんなじような状況でも見てるものは全然違う。
既出かもしれないけど。 ワークブックやってると、前世の夢とか、離脱とか、透視とか出てくるよね。 さりゆく姿と思って気にしてないけど、ちゃんとコースやってるって実感できておもしろい。 心も平安でサイコー。
世界があるというのも夢だし、世界がないというのも夢ってことでそ 世界はあるともないとも言えない あるということでもないということでもない 無とは無ではなく、有も無も無いということだっていう 禅とかと同じことかと
442 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:03:07 ID:ZxrVwA+I
>>440 いや、それは言葉の尻尾を捉えすぎている。たとえば神の使者のP218の3〜10行目を見てもらいたい。
ここは、アーテンやパーサの言葉ではなく、コースからの引用文だが、
全文は長すぎるので引用はしないが、最後の重要なところだけ引用すると、
神の使者 P218、9〜10行目
「寝てみる夢と起きて見る夢はかたちは違うが、違いはそれだけだ。中身は同じなのである。」
あと、地球上の世界の全てが夢に過ぎないという記述は、神の使者シリーズ以外でも、
バシャール、シルバーバーチなどにも明記されている。
そういえば、『隠喩としての病』(スーザン・ソンタグ)という本が、 大学の教養課程のテキストとして使われていたことを今ふと思い出した。 いや、別にどうでもいいことなんだかw
444 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:28:48 ID:2Y+qZzXu
(1/2)
さて、私の書き込みが原因で少々混乱させてしまったようで申し訳ない。
私は、
>>410-411 であのように書いたが、私がいちばん伝えたかったことは、「他者が存在するかどうか」よりも、
「他者は知覚者ではない」という点なのだ。
「他者は知覚者ではない」ことさえ理解できていれば、「他者が存在する(と考える)かどうか」はそれほど重要ではない。
そもそも、存在するかしないかは、存在という言葉の定義によっても違ってくる。
例えば、のび太やしずかちゃんは存在するか?もちろん存在しない。しかし、ドラエモンの世界の中に限って問えば存在している。
以下の喩えを考えてみてもらいたい。
ここに、人間の形をしたロボットがあるとする。このロボットは、プログラミングされてる通りに動く。
あなたが、このロボットに近づいたところ、ロボットはなんと、あなたを殴ったとしよう。
どうやら、「人が近づいたら殴るように」というプログラミングがされていたらしい。
さて、あなたは、このロボットのことを恨んだり憎んだりするか?もちろんしないだろう。即座にロボットを赦すだろう。
では、なぜ相手がロボットなら、いとも簡単に赦すことができるだろうか?それは、「ロボットは知覚者ではない」からである。
445 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:29:05 ID:ZxrVwA+I
(2/2) 自分が見ている夢の中の登場人物が知覚者のはずがない。むしろロボットに近い存在だ。 そのことが完全に理解できていれば、夢の中の登場人物に殴られようが、何をされようが、即座に相手を赦すことができる。 さらに言えば、「この世界が幻想である」ことは理解できていても、「他者は知覚者ではない」ことが理解できてないと、 赦しの実践は不可能に近いくらい難しいものとなる。 逆に、「この世界が幻想である」ことは理解できていなくても、「他者は知覚者ではない」ことさえ理解できていれば、 割と簡単に赦しの実践ができる。ロボットに殴られたとき、それが幻想であろうと現実であろうと、簡単に赦せるのと同じように。 なお、このレベルまで来ると、エゴによる妨害活動もかなりのものになることは、覚悟しておいた方がいいかも知れない。 ちょうどいい例なので名前を出すだけであって、相手に対する攻撃や批判ではない点をあらかじめ承知してもらいたいが、 例えば、J5uP0o8Eの書き込みを見ていると、「自分や他者を身体だと思わせたがっているエゴ」による妨害を かなり受けているように見受けられるし、他者を(夢ではなく)現実とみなすことにより、その相手(他者)に罪悪感を投影し、 「悪いのはアイツだ」という方向に思わせようとするエゴに妨害されているような印象を受けた。 私が勝手にそういう印象を受けただけなので、それが正しいかどうかはわからないが、もし私の印象が正しかった場合は、 J5uP0o8Eが、エゴに負けずに、しっかり赦しの実践ができるようになることを願う。
>>442 うーん。俺だけでなく何人かの人が他人は存在しないっていう考えに疑問を抱いてるようだし。
>>415 によると俺らは未来のお前が書いてることになるんですけどー??
君は今までにその考えはおかしいって言われなかった?未来のお前がメッセージを送って
んじゃないの?
他人は存在しないってんのも単なるメタファーだと思うよ。
俺はスピリ初心者だからそこまでにしとくよー。
昔、本物のサマディが神対スレに体験談を書いていたのを読んだが、 宇宙にはたった一人の人間しかいなかったのか!ということに気付いた、 みたいな行(くだり)があったけどな。
448 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:36:32 ID:ZxrVwA+I
スレ違いだが、「人生は夢」に関する、シルバーバーチからの引用。 以下、シルバーバーチの霊訓第2・4・8・10巻より引用 「夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。もしも永遠に目覚めなかったら夢の世界が その人にとって実在の世界となります。乗る船も飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。 もしあなたが永遠に目覚めないと仮定したら、その夢はあなたにとっていつまでも現実であり、 その夢の中の生活と比較すべき覚醒時の生活がない以上は夢の中で起きたことはことごとく現実であり、 逆にそれまでの覚醒時に起きたことは全て夢まぼろしであったことになりませんか? 夢の中で船に乗ろうと思うことがあるでしょう。すると船が現れます。自分でこしらえるのです。 そして少なくとも自分にとっては本物の船です。それに乗ると動き出します。必要な船員もちゃんと揃ってるでしょ? その時の意識の場においては現実なのです。現実というのは相対語であることを忘れないでください。 すべては意識している"場"の問題です。船に乗っている夢を見れば、眠っている間はそれが現実です。 "夢だった"と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だったことになります。 もしも永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となることでしょう。 目が覚めている間は地上生活が実感があるように、その夢の状態が実感があるように思い続けることでしょう。 今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう? そこを通過してしまえば夢の世界だったことになります。そこに生活している間は現実の世界です。 それを夢と呼ぶか呼ばないかは観点の違いの問題です。 あなた方も夢を見ている間はそれを夢だとは思わないでしょう。 夢から覚めてはじめて夢だったことを知り"なんだ、夢だったのか"と言うわけです。 ですから、霊が夢幻的段階を過ぎてしまうと、その時の体験を思い出して"夢だった"と言えるわけです。 ですがその夢幻を体験している間は、それがその霊にとっての現実です。」
>>445 だから赦しでエゴから解放=夢から覚めるじゃないの?
俺は神使全部読んでないけどさ。
450 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:41:55 ID:ZxrVwA+I
>>446 >>俺だけでなく何人かの人が他人は存在しないっていう考えに疑問を抱いてるようだし。
当たり前だよ!「他人は存在する」という前提で生まれてからずっと生きてきたのだから、
この世界に踏み込んで間もない人を中心に、そう考える人がいるのが当然だw
俺だって、シルバーバーチレベル、バシャールレベル、神との対話レベルに留まっていた頃は、
世界が幻想であることは理解していたものの、他者がいないという考えには同意していなかったよ。
(ただし、直線時間的に他者がいるのではなく、パラレル世界的な存在としての他者と考えていたけどな)。
まあ、無理に「他者がいない」ということを今すぐ信じる必要はないよ。成長(というか目覚め)を
必要以上に急ぐ必要はない。
あなたも時期がくれば、「自分が見ている世界には自分しかいない」ことを、
理論としてだけでなく、体験を通して理解する日が来ると思う。
451 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:44:27 ID:ZxrVwA+I
>>449 そうだよ。赦しでエゴから解放されて夢から覚めるんだよ。
ただし、ここでいう「赦し」というのが曲者で、
「古いタイプの赦し」を何百年続けたってエゴは解体されない。むしろエゴを助長してしまう。
エゴを本当に解体するには、「古いタイプの赦し」ではなく「新しいタイプの赦し」が必要なのだ。
で、ここから先は私の勝手な推測なので、もし違っていたら申し訳ないが、
多分あなたは、「古いタイプの赦し」のことを「赦し」だと勘違いしているような気がする・・・
違ったらゴメンネ。
他者がいないってより、他者がいるとかいないとか判断する自分などいないってことでそ 判断する自分がいないから他者もいるともいないとも言えない 自分もいないとき自分しかいないとも言えるし全てが自分とも言えるし全てが世界とも言える 自分がいないとき自分と呼ばれ得るものはあらゆるものでなくあらゆるものである
453 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:54:14 ID:ZxrVwA+I
「赦し」がどうこうと書いた責任として、「古いタイプの赦し」と、「新しいタイプの赦し」の違いを簡単に説明しておこう。 (1)知人に暴言を吐かれ、ものすごくむかついた! しかし、後から冷静に考えれば彼の気持ちもわからなくもないし、私が彼の立場だったとしても暴言を吐いたかも知れない。 そう考えたら、自然と彼を赦せた。 (2)知人に暴言を吐かれ、ものすごくむかついた! しかし、彼はその後、誠意をもって私に謝罪してきたので、快く赦すことにした。 (3)他人に酷い目に遭わされた。すごくむかついたし、いまだに怒りは収まらない。 しかし、コースや神の使者によれば、赦すことが大切で、夢から覚めるためには赦さなければならないので、 加害者への仕返しや復讐は一切やらないことにしたうえ、毎日瞑想で加害者を光で包むようにしている。 上記(1)、(2)、(3)ともに、古いタイプの赦しであって、神の使者で言う「本当の赦し」ではないので注意が必要だ。 どちらも、知人による暴言を現実とみなしており、なおかつ「気持ちはわかる」とか「謝罪した」ことによる 条件付き赦しにすぎない。条件付きかどうかはともかく、彼の暴言を現実とみなす点で問題が大きい。 (4)知人に暴言を吐かれ、ものすごくむかついた! しかし、すべては私が自分で勝手に見ている夢の中の出来事であり、暴言を吐いた知人などそもそも存在せず、 その知人の身体は存在せず、もちろんその知人は知覚者ではなく、私が勝手にその知人という身体を創り、その身体に 暴言を吐かせただけ(そのような台本を私自身が事前に書いただけ)であることを思い出した。 相手が身体的に存在しないうえ、知覚者でもないのなら、相手に対する怒りは(いい悪い以前の問題として)無意味であることを 見抜いた。そう見抜いた以上、赦す以外に方法はない。だから赦した。 この(4)こそが「新しいタイプの赦し、つまり本当の赦し」なのだ。
454 :
マルチポストマン :2010/09/18(土) 23:57:28 ID:ZxrVwA+I
>>452 そうだね。私はいま、便宜上、
「他者は身体的にも非存在だし知覚者でもないけど、自分の身体は存在するし知覚者でもある」
という書き方をしているけど、実際は、他者だけでなく、自分自身(自分が知覚者だと思っている自分)もまた、
その身体も、そして知覚者だと思っている部分も、幻想なんだよね。
これについて書くと長くなるので今回は控えるが、いずれ「今回の転生のシステムとメカニズム」というテーマで
ここ書きたいと思っている。
最後って言ったけどちょっと突っ込みどころが多いので・・・
>例えば、J5uP0o8Eの書き込みを見ていると、「自分や他者を身体だと思わせたがっているエゴ」による妨害を
>。かなり受けているように見受けられるし、他者を(夢ではなく)現実とみなすことにより、その相手(他者)に罪悪感を投影し、
>「悪いのはアイツだ」という方向に思わせようとするエゴに妨害されているような印象を受けた。
というより君の考えに「浅さ」を感じてるから違和感を感じてるだけなのだ。
これまでのスレを見とき。そういう議論があったから。
>>448 >、霊が夢幻的段階を過ぎてしまうと、その時の体験を思い出して"夢だった"と言えるわけです。
夢だったと思うのは自分が霊的に成熟してるからだろ?
俺も小学生時代を夢見てるように感じる。それは自分が霊的に成長しているからであって
夢を見てるわけではない。
赦しの実戦で霊的に成熟するとだんだん現実が夢のように感じられる。それが悟りじゃないか?
君はさーやっぱり夢を文字どおりに受け止めてるだけじゃないのか?
誰かスピリ上級者、突っ込んでくれよー
混乱するんですけどー?
456 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 00:18:06 ID:NJXzNk04
>>455 >>というより君の考えに「浅さ」を感じてるから違和感を感じてるだけなのだ。
それはそれで構わないよ。一部の人(とうか社会全体で見れば大半の人)から違和感を感じられるのはむしろ当然だと思っている。
あなたにとって自分が思うとおりの実践をして、それによってあなた自身が「幸せ」であるならそれでいいよ。
「幸せ」とは、(一部の例外を除けば)目覚めに近いということだから。
ただ、あなたなりの実践を続けた結果、それが自分の幸福に全く貢献していないようだったら、そのときまた耳を傾ければいい。
>>>>、霊が夢幻的段階を過ぎてしまうと、その時の体験を思い出して"夢だった"と言えるわけです。
>>夢だったと思うのは自分が霊的に成熟してるからだろ?
違うよ、違う!!文字通りの意味で言っているのだ(言ってるのは私ではなく、シルバーバーチだが)。
昨夜見た夢の中に船が出てきた。しかし目が覚めれば船なんか存在していなかった。「なんだ夢だったのか」となる。
このことを言っているのだ。夜見る夢だけでなく、昼の夢(我々が現実と呼ぶ世界)のことを含め、シルバーバーチがそう言ってるってこと。
まあ、あなたがシルバーバーチを信じるかどうかは別問題だけどね。
457 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 00:21:34 ID:NJXzNk04
>>455 まあでも、あなたが混乱するのはすごくよくわかるよ。
俺だって、世界が幻想であることを理解したのち、他者など存在しない(知覚者ではない)ことを理解するまでには
12年もかかったからな。
その12年のうちの最初の頃に、いま俺自身が書いてる文章を当時の俺が読んだら、多分当時の俺も混乱したよw
神使を全部読んでないようなので、とりあえず神使と不死現を一通り読んでみた方がいいかも。
>「他者は知覚者ではない」という点なのだ。
なんかおかしいんだよなー君は本ばっかり読んでいて対人関係が希薄なんじゃないのか?
君の文章、なんか生命感がないっていうか。
聴覚障害者の友人がいるが、その人のブログの文章の硬さがそっくり。
>>456 死ねば地上生活は夢だったなーと思うわけ?あたかも何もなかったように過ぎるわけ?
あれれ?輪廻を繰り返して様々な経験を積んでいくんじゃなかったのか?
矛盾してねーか?素人の俺が言うのもなんだけど。
エゴがちょっと暴れすぎたんでこれで引っ込みます。。。
459 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 00:41:14 ID:NJXzNk04
>>458 あなたの疑問や違和感そのものは構わないのだが、もし「他者が知覚者である」ならば、
他者は「そこに身体として存在していること」にならないか?
で、その考え方は、「他者は身体ではなく、なおかつそこに存在さえしていない」という神使・不死現に反することになるし、
コース自体も「世界は夢である」と言っているのであるからして、「世界は夢ではない」と言うと、コースにも反することになる。
コースや神使・不死現を信じていない人や、これらに対して反発を感じている人がそう書くならわかるのだが、
なぜこのスレに来ているあなたがそういう書き方をするのかが不思議。
(あなたがコースや神使・不死現を全く信じてないというなら、全面的に納得できるのだが)
>>死ねば地上生活は夢だったなーと思うわけ?あたかも何もなかったように過ぎるわけ?
>>あれれ?輪廻を繰り返して様々な経験を積んでいくんじゃなかったのか?
輪廻を繰り返して徐々に進化していくという考え方はニューエイジレベルの考え方であって、
コースや神使・不死現はニューエイジを超えた(ニューエイジよりさらに進んだ)レベルのものなので、
輪廻によって成長していくという考え方はすでに卒業している。
「成長する」のではなく「目覚める」ことが目的。
ほんと突っ込みどころありすぎだな。
俺だけじゃなくこのスレの他の人達も独自の解釈で他人はいないという考えは隠喩で
否定しておると思います。
>>437 は隠喩をうまく解釈してると思う。
不死現の「夢の英雄」も「英雄」はエゴのことじゃないのかという解釈がある。
隠喩の解釈の相違で意見が食い違ってるだけ。
君はバーチは「地上生活は夢なのです」っていったよな?
けどバーチは輪廻を繰り返し霊的に成長するといってる。そこが矛盾してるんじゃな
いのか?と言ってんだよ。
ほんとこれで最後の最後です。
>>444 とても親しみやすい解説ありがとう。
自分は下っ端ブログラマだが、普段思ってる解釈に近いかもと思った。
唐突だけど、世界はマルチコアのCPUみたいなものだ、と考えることにしてる。
各コアは独自に動くし一次キャッシュはローカルだが
二次キャッシュメモリは共有に持ってて時折干渉もする。
「自分」コアは「他者」コアと別人だが全体は一個のCPU。
必要な場合はいつでも他者の「像」を見ることができるが
キャッシュのコヒーレンシ(整合性)がずれていると
他人の「過去」の状態あるいは、全くの虚像を見て誤認する
…という感じの、自己流比喩だけど。
あるいは、オンラインゲームのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)
という喩えでもいいかな?
他のPC(プレイヤーキャラクター)とは対戦や協力で気を使うし
気苦労も多いけど、NPC相手ならこだわりなく赦せる。
現世というダンジョンで他PCとプレイしてるつもりになってるが
実は自分以外のキャラは他者をそれらしくコピーしたNPCでしかなく
ローカルインスタンスダンジョン(自分専用の促成の遊び場)なのかも。
オブジェクト指向のプログラミング言語などでは
this -> Release(); のような常套句が時々出てくるんだけど
これを見るたびに、外界への自分のこだわりを‘解放’して
周りのすべてを赦すことができるようになれたらいいな、と思う。
462 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 01:34:51 ID:NJXzNk04
>>461 実は私も、このあと「転生のシステムとメカニズム」という題で書き込みをするに当たり、
転生を「DVDの人生ゲーム」に喩える予定でいたのだ!
プログラマである自分が人生ゲームをプログラムし、それをDVDに記録して、そのあと自分でそれをプレイする
といった流れ。数日以内に詳しく書けると思う。
>>460 まあ、君は神使と不死現を一通り読んだ後、もう一度来たほうがいいよ。
464 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 02:18:30 ID:NJXzNk04
何となくだけど、qRcQ6ZTGは、「世界は夢に過ぎないこと」や「自分以外には知覚者は存在しないこと」を、 「信じない(信じていない)」のではなく、「信じたくない」のではないかというような気がしてきた・・・ 自分しかいないなんて寂しいし、家族だと思っていた人が幻想に過ぎない(知覚者ではない)と考えるのはたまらなく寂しい。 そんなような理由から、それらの考え方を(信じないのではなく)拒絶しているような印象を受けた。
Twitter見てたらゲイリーの三冊目が絶版になって入手不可とかいう情報見つけたがマジか
466 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 03:36:27 ID:NJXzNk04
(1/3) さて、今回は、「転生のシステムとメカニズム」についておさらいしたい。今回のマルチポスト先のスレは、前回と同じ7つである。 まず、「人生ゲーム」という名のDVDゲームがあると思ってもらいたい。 そのゲームをプログラミングしたのは、今回の転生をする前の自分だ。これを「プログラマーである自分」と呼ぶことにする。 そして、そのゲームを、自分自身でプレイする。プレイしている自分を「プレイヤーである自分」と呼ぶことにする。 そして、そのゲームが今回の転生となる。 映画ではなくゲームに喩えた理由は、映画の場合は結末と紆余曲折がすべて事前に決定しているが、 ゲームの場合は、プレイヤーの選択によって展開が違ったものとなる。ある選択をすれば一流企業の社長になり、 別の選択をすれば平凡なサラリーマンのまま一生を終えるかも知れない。 しかし、この選択をしたらこうなる、あの選択をしたらああなるといった、考えられるすべての結末と紆余曲折は、 すでにDVDに書かれており、その全ては「すでに起こっている(DVDに書かれている)」ので、「未知の未来」などは存在しない。 また、我々が過去や未来と呼ぶものも、現在と呼ぶものとともに、今ここにDVDの中に実在している。 「DVDには書かれているが、実際の体験には至らなかったストーリー(紆余曲折)」も存在する。 たとえば、A大学とB大学を合格し、A大学に進学した場合、B大学に進学した場合のストーリーは、実際にそれを体験することには ならなかったものの、B大学に進学した場合に体験したはずのストーリーは、すでにDVDに書かれている。 この、実際には体験しなかったけど、DVDにはすでに書かれているストーリーのことを、並行世界、パラレルワールドなどと呼ぶ。 結末が気に入らないままゲームオーバーを迎え(幻想の死を迎え)、どうしても不満であるなら、 同じDVDをもう一度プレイすることだって可能だ。もう一度プレイすれば、違った結末を体験することだって可能なのだ。 たとえば次は、A大学ではなくB大学に進学することを選ぶことも可能だ。その場合、その後の人生の展開は全く異なってくる。 A大学に進学した場合とB大学に進学した場合では、全く違った人生を送ることになる。ただし、同じDVDであることには変わりない。
467 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 03:37:09 ID:BLEXVLGF
(2/3) このDVDのことを、神の使者では「台本」と呼び、シルバーバーチやバシャールでは「青写真」や「ブループリント」などと呼んでいる。 さて次に、ここで「他者」とは何なのか?という説明に入る。 ACIMスレで、他者は存在するのかしないのか、他者は知覚者であるのかないのか、といった議論があったが、その回答でもある。 DVDの中には、たくさんの身体が登場する。今回はAという身体を選択してプレイを開始したとしよう。 すると、プレイヤーにとってはAという身体が自分の身体となり、プレイヤーはその身体に意識を投影する。 プレイヤーが意識を投影するまでは、DVD内のすべての身体は知覚能力を持っていないが、プレイヤーが意識を投影した時点で、 Aという身体にプレイヤーの意識が投影され、プレイヤーとしての知覚者となる。そして、Aという身体とともに一生を過ごす。 プレイヤーは、Aという身体を通じて日々の生活を行い、その中でいろんな選択を行う。例えばA大学に進むかB大学に進むかを 決めるように。そして、プレイヤー(ゲームの中ではAという身体、以下、単に「Aという身体」と略す)の選択により、 DVDはプログラムされてる通りの体験をAという身体に提供する。その中にはもちろん、Aという身体以外の身体の行為も含む。 たとえば、Aという身体の選択により、友人であるBという身体とCという身体の行動や発言が決まる。 Bという身体やCという身体がどういう行為や発言をするかは、Aという身体の選択により、DVDにプログラムされてる通りに発動する。
468 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 03:37:34 ID:NJXzNk04
(3/3) さて、プレイヤーがAという身体でプレイしたゲームが終了したとする(つまりAという身体が死を迎えた)。 すると、さっきも書いたように、希望すれば、もう一度同じDVDで人生ゲームをプレイすることが可能だが、別の身体を選ぶことも できる。次は、Aという身体ではなく、Bという身体(前回のプレイで選んだAという身体の友人)を選ぶこともできる。 で、次のプレイでBという身体を選んだ場合、プレイヤーはBという身体に意識を投影し、Bという身体が知覚者となる。 前回のプレイで知覚者だったAという身体は、今回は知覚者とはならず、知覚能力を持たないただの身体となるわけだ。 そして、プレイヤーは、今回のプレイでは、Bという身体とともに一生を過ごす。 ここで一つ、大事なことなので補足しておきたいが、Aという身体とBという身体が友人であり交流があるからといって、 Aという身体でプレイした時の体験と、Bという身体でプレイした時の体験が、そのまま1:1の関係でリンクしているわけではない。 たとえば、Aという身体でプレイした時には、Bという身体と大喧嘩したことがあるが、次にBという身体でプレイした時に、 必ずしもAという身体と大喧嘩するとは限らない。 以上が、転生のシステムとメカニズムの簡単な説明であるが、今後も何度か補足事項を書く予定でいる。 それと、この「転生のメカニズム」は、それ単独では赦しの実践には結びつかず、単独ではあまり役に立つものではない点を ご了承いただきたい。ただし、人生で起きるすべての出来事が、事前に自分でプログラムしたものであることがわかれば、 より簡単に赦しを実践できるようになるであろうことを考えれば、赦しに貢献するであろうことは期待できる。
469 :
461 :2010/09/19(日) 05:35:41 ID:T4KcjB+b
>>468 ほぼ同じようなことを予想していたので、自分にはすんなり受け入れられます。
神対のCD−ROMゲーム説と、一瞬一瞬が選択の連続だというバシャールの
話とをミックスした感じの、わかりやすい喩えですね。
「もう一度プレイしますか? Yes / No」
「スタートするキャラクターを選んでください A/B/C 」
「初期パラメータの割振りは何を優先しますか? 健康/知恵/愛情 」
…って感じで。
ただし歴史的な時間も巻き戻るので、通常の輪廻転生観と少し違うかも。
自分は神使や不死現は随分前に一回読んだきりなので、一部忘れてますが
ゲイリーの輪廻転生は、歴史的な時間と同一方向じゃなかったっけ?
つまり、現代で死んだ人が古代に蘇ったりしないという立場だったかも
(うろ覚えなので自信なし)。
ただACIMでは、輪廻転生の有無は既定しない、と
第三部の教師向け手引きの24章に明言しているし、
ニサルガダッタ・マハラジなどアドヴァイタの多くのグルは
輪廻の考え方自体は、エゴを鎮めるための方便にすぎない、という
立場を貫いているように(自分には)感じられます。
自分は
>>466-468 の捉え方に同意しますが、「転生」という言葉を使うと
誤解を生みやすいかも、と思いました。
我々が日常使う一本道の時間の流れの概念を超えて
全ての心象時間を一枚に収めたDVDを、初めに創っておくわけだから。
もはや転生ではなくマルチスレッドの切替え、あるいは同時進行のような。
霊的に成熟(笑)(笑)(笑)
存在しないとみなすことにこだわり過ぎると、 「間違った心」で判断するというエゴの罠にはまる時もあるかも。 相手に対しておくる赦しは、互い(分離の想念)を癒やすことに繋がるので、 されたことについて、自分で判断をしない。という姿勢が重要だと思う。 そもそも夢で展開するシナリオというのは、無意識にある恐怖から逃れ、自分で抱いた憎悪を否認し、 投影によって間違って抱いた憎悪を、外側に知覚し攻撃することにした選択であり手段。 形而上学的な理解のために、相手は存在しない。と覚えておくのは大切だと思うが、 ヘレンとビル、ゲイリーとある女性といった、時空をこえて何度も繰り返している被害と加害のダンスの相手のように、 シナリオの中で出会う「特別な憎悪」あるいは「特別な愛情」を相手に実践していく際には、 相手は存在しない事を根幹として赦しを実践していくと、自身の奥深くに隠された信念を継続させるエゴの罠に陥るかもしれない。 本来罪などなく、世界は自分で間違って信じている想念を見ているに過ぎず、 赦しの光で夢を照らしていくことは、自分のシナリオの中における唯一の役割であり、 知覚できないパラレルのシナリオの選択やその結果よりも、 今、生きている人生で出会っていく人達との関係の方が遥かに重要なことでしょう。
472 :
神も仏も名無しさん :2010/09/19(日) 15:47:02 ID:gz7+6vl8
たしかに人生のシナリオは大筋で決まっている(決めた)んだろうな、 とは思う。 でもその大筋のシナリオのなかで、 どういう選択をするかは、 自分が決めることのような気がする。 しかし、A,B.C.D・・どの選択をしようが、 それはDVDの中に全部収まっていて、 すべて神の手のなか、ゆるされている、といった感じか・・。 Aのプレーヤーを終え、Bのプレーヤーも選択できるというのは、 確かにそうなのかもしれないけど、 それは、神の目から見ての話であって、 個々の我々の視点からみると、 そうではないような気がするんだよなあ。 結局視点の違いかなあ・・。
私は存在しなければならない 私を存在させなければならない 私は存在しつづけなければならない これが幻想の根源かな? 「私」という記号のニュアンスが、わからなくなってきたw
私というものがあるのだろう 私というものがあるにちがいない ってのが幻想の根源だとおも
生きてるうちは「私」が生きてしまうのは仕方ないのだから、それこそ「私」に拘らずに、淡々とワークブックなりテキスト続けていけば良いと想う。 ゲイリーだって、たぶん今生では、死ぬまでゲイリーでいると思う。 マザーテレサも同じだったんじゃなかろうか。 あの世で通用する知識みたいなものって頭に入れてもしょうがないと思うよ。 もちろん、それが役に立つって人もいるだろうけど、コースの学習者(コースのほうがしっくり来る人たち)なら、 脇見運転になってしまいそう。単なる息抜きならいいんだけどね。 個人的には、Urtextのヘレン・ビル向けメッセージすらも、脇見運転になりそうな気がする。 あれ、全部が全部、多数に適用されないから削られたんでしょ?でも、自分自身に適用してしまう人がいるんじゃないだろうか。俺もその中に入るかもしれない。
台本はひとまとまりのエゴが書いててその世界の中で個我が転生するというのがこのスレ標準だよね? で、世界を作ったことでなくて、その世界に意味を投影していることをまず問題視する。 彼がわたしを殴ったから憤ってるんじゃなくて、それの解釈が憤りの原因。それを修正する。 わたしは神が創造したまま。傷つくものはわたしの部分ではない。 わたしと彼に対する誤ったイメージを手放せばキリストのヴィジョンが差し込んでくる。 マルチくんの読んでると不変のリアリティという概念が抜け落ちていて、 結果として幻想の捉え方がおかしなこと(このスレ的にだけど)になってしまってるように思うんだけど。
そもそも何でマルチポストしてるんだ?
478 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 22:52:38 ID:NJXzNk04
>>469 ゲイリーの輪廻転生は、時間の流れと同じ方向だけだったと思う。少なくとも時間を逆行するような
転生があった旨の記述はひとつもないし、そのような逆行する転生を肯定するような記述もひとつもないね。
ただ、同じ人生を二度生きる点に関しては、以下の記述があった。
神の使者 P245-246 (パーサの言葉)
「同じ人生をもう一度行き直して、この世界でべつの結果を出すことだってできるのよ。」
なお、時間を逆行する転生を肯定しているのは、私が知る限りだと坂本政道氏とバシャールだったかな。
ただ、仮にそれが可能だとしても、実際にわざわざ古い時代に転生する例はごくわずかだと思う。
例えば、高卒で就職した人が停年を迎えたあとに大学に入る人などほとんどいないのと同じように・・・
>>471 確かに、ひとつのことに拘りすぎると、他のものを見落としたりする危険はあるかもね。
大事なのは、とにかく「赦すこと」であって、それ以外は「どうでもいい」というのが主題だしね。
そういう意味では、他者が存在しようがしまいが、他者が知覚者であろうがなかろうが、
そんなことはあまり重要ではない点はすごく同意。
ただ、他者が存在せず、存在するかのように見える他者は知覚者ではないことがわかっていると、
赦しの実践がより簡単になるという、あくまで二次的なものだけどね。
>>472 「Aのプレイヤーを終えたあと、もう一度Aのプレイヤーでゲームする」ことは、神の使者を信じる限り可能だけど、
AのあとBとなると、神レベルではなく神の子であるプレイヤーレベルではどうなんだろうね?
とりあえず神レベルでは確実に可能なので、あのように書いた。
あとは、「神レベル」と「個々の我々レベル」というふうな二元的な思考を、「神レベル=私のレベルだ!」というような
一元的な思考に徐々に切り替えていくのもいいかも知れない。
479 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 22:57:52 ID:NJXzNk04
>>475 確かにコースの学習者が「赦し」以外の下手なことに拘りすぎると「脇見運転」になってしまう危険はあるね。
まあ、それが「赦し」を推進するもの(簡単に赦しの実践をできるようにしてくれる性質のもの)ならいいけど、
それ以外だったらあまり意味はないかもね。
あと、マルチポストなのは、各スレに多少なりとも共通話題なのでそれぞれのスレに提供したかったからなのと、
以前(数ヶ月前)に同じことをやって、その時はマルチポストが無駄ではなかった(それぞれのスレで
ちゃんとした議論になった)から今回もそうしたのだが、どうやら今回は、書いた内容の関係だろうけど、
マルチポストの意味はなかった(このスレだけに書けばよかった)かな?と少々反省している。
コテはとりあえずそのままにしてあります。
>>471 この文章に何故か惹かれた。
時間が無くとも、自分流に翻訳して引用も加えた。
もっと吟味すればさらに良いとは思うが悪しからず。
存在しないと言う言葉こだわり過ぎると、間違いが起こることもある。
赦しは分離の癒しにつながるので、そのためには判断をしないことが大切だ。
(神が夢のなかの出来事に反応するはずはない)
(君たちの考えは神のものではないから、神はそれに答えはしない、
答えれば現実性を与えることになる)
(何も無い外側を批判すればそれに支配力を与える)
この幻想の世界というのは、何か自分を突き動かす恐怖からのがれるために、
原因を別のものに転嫁する目的で想像されたもの。
時空の制限下における認識を超越理解するために、相手は存在しない
という言葉があることを学ぶのは意義があるかもしれないが、
実際にこの世の感情を無視して、相手は存在しないと観念的に自分を縛ると
存在しないことを実際には悟ってないので、この世の感情に縛られ
無意識下の恐怖を払拭できなくなる。
実際はリアリティを観念的に理解しているに過ぎないので、
無いはずのこの世でも赦しの光を当てることはこの世の存在の唯一の
意味となる。
(あなたは自分の体験のレベルで赦しを実践しなければならない)
(「赦し」はこの世界で行なわれる。つまり、あなたは実際的でなくてはならない)
(ほかの人々やその人達の体験を尊重しなければならない)(認識するものを許す)
(恐怖は世界を縛り上げる。赦しは世界を開放する)
(赦しもひとつの幻想だが目的のための聖霊の幻想である)
あー、スレ違いだったね。すまんかった。
見直してみると、わかり難いスペースのとり方だな。Pu pu ごめーん。当人以外はスルーOK。 それから、これを忘れていたので最後に加えてくれ。 「つまり、超越された真実を観念的にとらえるより、幻想であっても この世で赦しを実践することが大切である。」 それから、気になった部分を一席。 >存在しないとみなすことにこだわり過ぎると、 >「間違った心」で判断するというエゴの罠にはまる時もあるかも 「エゴの罠」とは本に良く書いてあるが、何かエゴという存在が外側から 作用しているような印象がある。 「エゴの罠」というのは、実は無秩序に作成された本人内部のコントロール されない無意識のことで、外部に投影されるのも実は想像妊娠。
483 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 23:55:27 ID:NJXzNk04
(1/2) 神の使者 P51(パーサ) 「彼(注:Jのこと)は誰かほかの人に語りかけたのではないってこと。ほかの人なんていないのよ。」 神の使者 P57(アーテン) 「自分がここにいないだけでなく、いかなるレベルにおいても個として存在しないということだ。個々別々の魂なんてないんだよ。」 神の使者 P70(アーテン) 「身体を超えた先を垣間見ている人たちでさえ、個々の存在という考え方にとらわれているが、 じつは個々の存在と身体があるということはほとんど変わらないんだよ。 (注:「身体はない!」というのがこの本の基本的な教えの一つである) 神の使者 P72(アーテン) 「じつは聖パウロはいないし、ほかの誰も−−Jも含めて−−夢のなか以外には存在しない。 誰もいないんだよ。存在するのは神の一人子だけ。」 神の使者 P166(アーテン) 「大勢の教師と学習者がいるように見える。だがコースの教師はほんとうは一人しかいない。 それに学習者もたった一人なんだよ。」
484 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 23:56:04 ID:4oQ/bXI0
(2/2) 神の使者 P208(パーサ) 「ほかの誰かなんていないの。ほかの人々なんて存在しないんです。」 神の使者 P377(アーテン) 「もし、自分がこの世界をつくり上げているのなら、そこには自分以外はいないわけだ。 問題の原因と見ている人々だって、みんな自分がつくり上げている。」 神の使者 P413(パーサ) 「ほとんどの人は魂を個別的なものだと考えている。自分自身を個としか考えられないからよ。 その間違った信念が消えれば、ほんとうはたった一つの魂しかないことがわかるわ。」 神の使者 P436-437(アーテン) 「これは自分自身に話しかけているんだ、ということさえ覚えていればいい。外部には誰もいないのだから。」 不死現 P43(アーテン) 「時空の夢から覚めればもう時間も空間もなく、したがってきみはみんなが目覚めるのを百万年も待つこともない。 目覚めるべき誰かなんていないのだから。あるのはきみだけ。」
485 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 23:57:08 ID:NJXzNk04
(1/2)
>>476 >>ひとまとまりのエゴが書いててその世界の中で個我が転生するというのがこのスレ標準だよね?
え?それがこのスレの標準だったのか?まあいいや。それはそれでいい。
ただ、それが標準であれ、それ以外が標準であれ、このスレの標準が何なのかにはあまり興味はない。
多数決で決まるものではないし、ましてこのスレで多数決しても意味ないし。
それより、「個我が転生する」という表現が、ちょっと気になった。
というのも、「個我」という概念は、シルバーバーチやバシャールや神との対話、
あるいはニューエイジなどのレベルに留まっている人たちの概念で、
ACIMや神の使者(+不死現)を理解した人なら、とっくに卒業した概念だと思っていたから。
アーテンとパーサを信用するならば、という前提での話だけど、もし複数の個我が存在し、
それが同時に「同じDVD」に転生してきたとすると、そこには複数の知覚者である身体が存在することになる。
であるなら、アーテンとパーサは>>●●のようなことを言うだろうか?
486 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 23:57:43 ID:txI99rzS
(2/2) あと、一歩譲って、仮に「個我」というものが存在し、同時期に転生(DVDをプレイ)してきたとしよう。 でも、この場合は、同じ一枚のDVDで全員がプレイするのではなく、個我の数だけDVDをコピーし、 それぞれの個我が、自分専用のDVDをプレイすることになるのではないかと。 たとえば、個我Aは自分のDVDの中で2011年に東京で大地震を体験するが、個我Bは同じ時間に同じ場所で地震など体験しない。 つまり、DVDの中身は同じでも、その中で何が起こるか、何を体験するかは個我ごとに異なるはずなので、 同じ一枚のDVDを複数の個我がプレイすることはないはずだ。また、もし複数の個我が同じ一枚のDVDをプレイするなら、 >>●●は完全なデタラメとなり、アーテンとパーサは嘘つきということになる(アーテンとパーサを信じないのならそれでもいいが)。 しかし、個々の個我が自分専用のDVDをプレイしている場合は、必ずしも>>●●とは矛盾しないことになる。 >>不変のリアリティという概念が抜け落ちていて 当たり前だよ!不変のリアリティなんて存在しない。いや、天国には存在するが、地上の世界にはそんなもの存在しない。 地上の世界を体験している意識体の数だけリアリティが存在し、それぞれのリアリティは独立して存在しており、 他のリアリティには干渉しない。たとえば、あるリアリティでは2011年に東京で大地震が起こり、別のリアリティでは起こらない。 「不変のリアリティなど存在しない」と言ったが、もっと正確に言えば、不変であろうとなかろうと、リアリティなんてものは、 天国以外には一切存在しないわけだし、天国以外の全てはファンタジーつまり幻想に過ぎないのだ。
487 :
マルチポストマン :2010/09/19(日) 23:59:01 ID:NJXzNk04
489 :
マルチポストマン :2010/09/20(月) 00:17:48 ID:tOZPTZ/r
昨日だったかな?「メタファー」という言葉で出たので、ついでに。 神の使者 P130-131 「コースのなかの非二元論の部分は文字通り受け取らなくてはいけないけれど、二元論の部分はメタファーなのよ。」 解説の必要はないだろうけど、 「非二元論」というのは、「神がいて、他には誰もいない」、「私(又は、あなた)がいて、他には誰もいない」という意味で、 「二元論」というのは、「神がいて、人間がいる」、「私がいて、あなたがいる」という意味。
490 :
神も仏も名無しさん :2010/09/20(月) 01:10:17 ID:jgxqpzrg
>>マルチさん 面白かったわ。ありがと。
491 :
マルチポストマン :2010/09/20(月) 01:22:14 ID:tOZPTZ/r
ちょっと話は逸れるが、「エゴの罠」について。 「エゴの罠」は、かたちのレベルでは多様性に富んでるが、本質はひとつしかない。 ●他者の身体に罪悪感を投影する これがエゴの罠の最終形なのだ。で、その手前に2つの形態がある。 ●地上の世界を(幻想ではなく)現実だと思わせる ●他者の身体を(幻想ではなく)現実だと思わせる(=他者が知覚者だと思わせる) この2つは、上の1つを行わせる条件であり、世界を現実を思わせ、または他者を身体だと思わせることによって、 他者に対して罪悪感を投影することが可能になる。 他者に罪悪感を投影させることに成功すれば、「自分」と「他者」という二元性が成立することになり、 エゴとしてのアイデンティティーが確立され、将来のエゴの継続が保証される。 だから、エゴは、相手は誰でもいいし、それどころか人でなく物でも構わないから、とにかく自分以外の何かに 罪悪感を投影させるように仕向けてくる。 高度な罠になると、「独裁者、凶悪犯人、戦争、飢餓」など、罪悪感が投影されて当然と思えるようなものを利用して、 それに罪悪感を投影させるように仕向けてくることもあるので、しっかり注意しなければならない。 エゴの罠であることを見抜く判断基準は以下のとおり(高度な罠の場合の例)。 ●他者を身体と思わせる(大虐殺のニュースを見せ、犯人を憎ませ被害者に同情させる、など) ●地上で出来事を現実と思わせる(ニュース等による他国の戦争の悲惨さの報道を見させ、それを憎むように仕向ける)。 高度な罠以外は引っかかりにくいかも知れないが、高度な罠になるほど引っ掛かりやすくなるので注意。
いつも思うがマルチポストマンに大筋で同意だがいかんせん説明が下手だな 言ってる意味が相手に伝わらず批判されてることも多いような わからない人の視点に立ってみてはどうだろう 自分がわかったとか、わかってる人間だという意識がまだ強いんだろうな それらも幻なのに
493 :
マルチポストマン :2010/09/20(月) 01:52:36 ID:tOZPTZ/r
さて、
>>486-488 の補足を。
>>467 で、「プレイヤーがAという身体に心を投影すると、Aという身体が知覚者となる」と書いたが、
厳密に言うと、これは正しくない。「Aという身体が、あたかも知覚者であるかのように振る舞う」と言えば正しいが、
「Aという身体が知覚者となる」というのは正しくない。Aという身体も、他の全ての身体も、幻想であって存在さえしておらず、
知覚者となることは不可能なのだ。
ただし、この場合、Aという身体が「知覚者であるかのように振る舞うこと」は事実なので、便宜上あのように書いたまで。
さて、前にも書いたが、重要なのは「とにかく何でも赦すこと」であって、転生のメカニズムを理解することではない。
メカニズムの理解は、「赦しの助長」にはなっても、「赦しそのもの」ではない点は前回書いたとおり。
以下、参考文献の引用。
不死現 P88(アーテン)
「真の赦しとは他者を批判したり非難したりしないことだ。ほんとうはそこには何の罪も罪悪感もない。
なぜならわれわれが話していることはすべて夢のなかでしか起こっていないのだし、夢は現実ではないからね。」
不死現 P197(パーサ)
「今度、誰かの言動に同様したら、相手の身体をぜんまい仕掛けの玩具だと考えなさい。
身体はぜんまい仕掛けの玩具に過ぎないとわかっていたら、何を言われようとされようと動揺することはないでしょう。」
神の使者 P278(パーサ)
「あなたがこの世界は幻想だと認識したら、どうなるか?それは自分がでっちあげたのだとほんとうにあなたが
理解したらどうなるか?その世界で歩き、罪を犯し、死に、攻撃し、殺し、自分を破壊する人たちはまったく現実でない
と気づいたらどうなるか?。」
神の使者 P329(パーサ)
「誰かのあなたに対する批判って、ほんとうはあなた自身の自己批判で、それを外部に見ているのよ。
その人たちは存在すらしていない。」
494 :
マルチポストマン :2010/09/20(月) 01:53:25 ID:tOZPTZ/r
>>492 ごめん、次回から「誰にでもわかるよう」な文章にするよう、極力気をつけるわ。
アドバイスありがとう。
マルチ君が一番個に固執しているようにみえる。 Jがコースを通じて懇請している、贖罪を受け入れることの重要性を 紙一重の差で必死に誤魔化しているような感じがする。 特別であることを捨てきれない葛藤をスレを通じて投影しているような。。。
ここで長いこと疑問に思ってることを質問したいんだが、俺らって結局のところ独りぼっちなの? 他人が居ないってことを考えると、たまに、俺は独りだという猛烈な恐怖が襲ってくる。 でもまあ、独りだとしたら、この猛暑はなんだよいますぐ涼しくなるのかよってことで、すぐに恐怖を抑えられるんだが。
そうか?俺はそういうふうには感じないが。 ネットの掲示板は本当に注意したほうがいい。 例え他人の間違いを指摘する文章を投稿しても、赦した上でなら構わないんだよね。 でも見る人はそのことを分からずに読むから、おまえは違うって言う。 これもエゴの罠じゃない?でもそれも赦した上でおまえは違うって言えば構わないのかも。 無限ループかもしれんが、でもそれも幻想と見抜いた上ならいいんじゃない?
マルチ君というのは神対スレではサマディ君と呼ばれてた人だよ スピの知識だけは豊富だからスピ初心者は凄い人だと思ってしまうが 上級者が突っ込みを入れると簡単に崩れる(色んな意味でw) 「もう議論なんかしない議論に意味がない・・・」と泣きながら逃げたりしたけど議論が超大好きなので暫くするとキャラを変えて颯爽と現れる^^ マルチ君は「私はサマディ氏ではありません」「サマディ氏がそんなに怖いのですか?」などと否定するのだろうけど
>>498 はい、久々に発症ですね、気に入らない意見の持ち主はみんなサマディに見えてしまう症候群w
神対スレでサマディに論破され続けたことが、よほどトラウマになってるんだね、かわいそうにw
>>495 贖罪って何ですか?
イマイチよくわからないので具体的に教えて下さいm(_ _)m
501 :
神も仏も名無しさん :2010/09/20(月) 10:03:58 ID:UDz8IngX
コースでは他者、きょうだいの存在を前提にしているけど、 それは、アーテン、パーサに言わせると、 神の使者 P130-131 「コースのなかの非二元論の部分は文字通り受け取らなくてはいけないけれど、 二元論の部分はメタファーなのよ。」
ひとりとひとつは同じってことかな?なんとなく。
>>498 誰かと争うことでエゴの存続を謀りたいだけの神対信者は巣に帰ってごろ合わせでもしていてね^^
>>501 仏教でいう、勝義諦と世俗諦だね。
>>504 病人は巣に帰れって言われてるのがわからない?w
>>506 ここでないと争えないから困るのかな? 誰でもサマディに見えてしまう病患者くんwww
争い事が大好きな神対信者w まさに503氏の言う通り。争っていないと自分を維持できないw それが間抜けなニューエイジャーの神対信者の実態ですwww
マルチ君が待ち遠しいなあ
ああ待ち遠しいね。 お前が被害妄想に基づく憶測が間違っていたことがわかったときに、 どんな反応を示すことになるのか実に楽しみだw 逃げるなよ、病人のID:Np0cyjw4くんw
>>510 それってマルチ君に決戦を強いているようだけど・・・
マルチ君、逃げようがないね
>>511 ははは、それがお前の目的なんだろうがw
気に入らない意見の持ち主はみんなサマディ認定で現実逃避w
過去の遺物となってしまった神対にしがみつき続けるオールドニューエイジャー、せいぜい頑張ってね〜
また論破されて火病起こして恨み続けるんだろうけどww
513 :
500 :2010/09/20(月) 19:28:50 ID:L/MGzWLa
仕事ができると思ってほしい認めてほしい仕事が出来るようになりたい早く一人前になりたい仕事を早く覚えたい できない奴だと思われたくない これも赦せばどうでもよくなる(癒される)んでしょうか?神のみぞ知る、ですかね…。
おいおいw おまえらACIMスレで他人を馬鹿にしてどうする。 見事にエゴ丸出しになってるじゃないか。
>>496 一人ぼっちというと、寂しさが伴う言い方になるけど、
もちろんそのようなことは無いと思う。
こんな言い方しかないのだが、神の恩寵、愛に満たされた一人子というか、
他人と思っていた人たちも一つというか、自分が愛せない人は存在しない、
というか、よく説明できないのだが。
もちろん恐怖も全く存在しないのだと思う。
寧ろ絶対の安心感、安堵感、平和感に満たされた状態になるのだと思う。
>>515 続き
この世界のレベルでは、もちろん他人は存在している。
しかし、その他人と思っていた人たちをまず、自我(エゴ)の投影で出現させたと
認識することと、その次にエゴの見方よりも、聖霊の見方を選択する。
そうすると他人と思っていた人たちも見方が変わることにより、愛の存在、
自分自身となんら変わらない存在、一つの源から生まれた存在として認識する。
その時はじめて、自分と他者の境界が消え去る、一つになる、一人子になる
のではと思う。
もちろん、あくまでも心のレベルの話であるが。
>>513 別に無理して赦そうとしないほうがいいかも。
自分の願望を好きなだけ思うのは自由だから。
逆に考えてみたらどうだろう。
あなたが考えている仕事ができる人、一人前の人、早く仕事を覚えられる人。
周りにそんな人がいればいいし、いなくてもあなたがそういう人をイメージしてみる。
ここで、心が無意識が罪悪感をこの世界に投影していることを思い出してみる。
あなた(私たち)の罪悪感がこの世界を投影しているという。
それならば、心で想像したことは、この世界に投影可能ではと思ってみる。
そうであれば、あなたが想像した仕事ができる人というのは、
「既にあなたの心にあり、あなたのものである」ということは言えないだろうか?
(ちょっと飛躍しすぎ?)
あなた自身が見ている、感じていることは「既にあなた自身に存在するもの」である!
かなりコースとは逸れてしまった感がありますが、ブレイクということで。
マルチポスト君は今日は来ないのか?w 神対信者さんが待ってるぞw 早く出てこいよ。
DVのニュースがあったが、あれって建設的な方向で赦すのではなく、ただ我慢するということで赦し続けた結果なのかね。
DVのニュース?
正式名称がドメストヴィオランテみたいな名前のやつ。
単にWILDな男性に惹かれるとかマゾとかかも知れないけど 自分に自信が無く駄目な自分を罰して欲しいという密かな願いが引き寄せたかも
相手のためにとか自己犠牲的な人はいるかもね、使命感を感じたり そういうのは自分を苛めてるだけだし、そういう自分でなくてもいい、自分を自由にして自分の 望むままにたのしく自分を生きさせていいみたいに赦してやればいいかな
「ありのまま」ってすごい語弊があるよね。 今の自分の社会的能力的外見的な状態を受け入れるって意味に取られがちだけどそうじゃないよね。 この世的に素晴らしい人と比較したらそれはエゴの罠。 今の自分のこの世的な状態に満足してもそれはエゴの罠。 要するに執着を手放して生きるってことだよね。 神しか望まない状態でいつもいれたらいいのに。
>>496 他者はいないというのは、神の一人子から見ればの話で、
僕も含めて、自分が個だと思っている間は、きょうだいがいるんですね。
不死現の最後でゲイリーが完璧な一体を味わったときに、
彼の家族、友人、かわいがった動物たちのすべてがそこにいて、まだ他者の個性が認識できる。
ゲイリーもさんざん
>>483-484 のようなことを言われていても、
本当に「自分しかおらず、他者はいない」ということは実感していなかったんだと思います。
そのあと、聖霊の声が聞こえる時になって、それが自分の声であり、アーテンとパーサの声であり、Jとブッダの声であり、すべてが一つになった声だと気づき、そこではじめて「他者はいない」といえるわけで、その状態こそが天国ではないかと。
だから、コースでは、自分と全く同じ神聖さをもったきょうだいたちがいる実相の世界から、自分しかいない天国へと、段階的に目覚めるようなことが書かれているんだと思います。
「あなたは不死の精霊だ。 全体であり、無辜である。 すべては癒され、解放された。」 みたいに、他者や出来事に対する見方を変えること、それが無意識の罪悪感を癒してもらういちばんの近道だ(p121)といわれてます。 本当は他者は存在しないけど、それでも他者のように見えるきょうだいたちの神性は、自分のそれと同じように現実のものなので、 夢から覚めて、自分はゲイリーであり、アーテンであり、パーサであり、Jであり、すべてであるということが本当にわかるまでは、 他者に見えるすべてのものの現実だけを見る(赦す、判断せずにありのままに見る)というのが、コースのメッセージなんだと思います。
終わりなき愛って本をざっと読んだが、イエスが発信源にしては、ちょっとこの世に関しての情報を詳しく詰め込みすぎてると感じた。 で、ユダの動き(酔っぱらって云々じゃなく、自分から兵士の元へ行き、兵士がイエスを囲んだとき、イエスの奇跡の力で兵士がやっつけられるみたいなのを期待していた)や、 イエスが結婚していなかった(神の使者では結婚していたと書かれていたような)とか、なんか情報にニアミスがある。 アダマンタイン粒子が出てきたところで、うさんくさくてしっかり読むのをやめてしまったが、これ本当にイエスが情報発信源なのだろうか? なんか宇宙人とのチャネリング本に近いものを感じる。 別の存在が、伝達道具としてイエスの形を使ったのかもしれないが、イエスの形というだけで結構混乱を引き起こすと思うんで、それはないだろうと思う。実際、俺は混乱してるし。
>>530 「ACIMはイエスが発信源」の根拠はあるの?
イエスが発信源じゃなかったら何か問題があるのかよ。 お前さんはワークをやってないのか? コースを本当に実践してりゃそんなことどうでもよいと感じないか?
>>532 530はどうでもいい事だと思っていないようだけど
>>531 それを言われると困る。ただ、同じイエスという伝達道具を使ってるんで、(俺に)混乱が生じているのは確か。
まあ自分に合わないと思ったら、読まなければいいってだけなのかもしれないが・・・
535 :
マルチポストマン :2010/09/22(水) 23:18:44 ID:j6JP9tn+
(1/3)
>>494 が言うように、誰にでもわかるような説明、少なくとも一人でも多くの人が理解できるような説明が大事だと思った。
もし、誰かが言ってたとおり、本当に「個我が存在すると考えている人が多い」のなら、その人たちにもわかるように
説明しなければならないと思った。そういう人たちに、ただ単に「個我など存在しない」と言ってもすぐ理解できるものではないし、
混乱を与えるだけのような気もする。
そこで、今回は、そのような人たち向けに、「仮に個我が存在するとして」という仮定で話を進めてみたいと思う。
ただし、そのためにはもはや、神の使者のレベルの説明ではなく、バシャール、シルバーバーチ、神との対話くらいの
レベルまで、次元を落とした形の説明、つまり真実ではなく比喩的な説明になる点は承知してもらいたい。
ここに2つの個我があるとする。つまり、2つの異なる知覚者、2つの異なる意識と言ってもいい。
この2つの個我を、プレイヤーA、プレイヤーBと呼ぶことにする。プレイヤーAとプレイヤーBは、同じDVDをプレイしている。
プレイヤーAは身体Aに、プレイヤーBは身体Bに、それぞれ意識を投影している。つまり、ゲームの中では両者は
身体A、身体Bの役割を演じている。両者は友人だとする。
いま、身体Aと身体Bは、同じDVDの中の、同じ時空の中の、さらに同じ時間の座標に位置していると仮定する。
すると、ゲームの中では、その時点において、身体Aと身体Bは、両方とも知覚者となる。
DVDゲームの世界の中に、同時に2人の知覚者が存在していることになる。
536 :
マルチポストマン :2010/09/22(水) 23:19:07 ID:VYJJ89FJ
(2/3) さて、重要なのはここから先だ。DVDは、映画や小説のような直線進行ではなく、ゲームのように絶えず分岐を繰り返す ホログラフィー的に作られているため、それぞれのプレイヤーは自分の選択に応じて自分の体験が繰り返されていく。 たとえば、その翌日にアメリカで大統領選があり、身体Aは初老の男性が大統領となる時空(以下、世界Aと呼ぶ)に進み、 身体Bは若い女性が大統領となる時空(以下、世界Bと呼ぶ)に進んだとする。 ここで、プレイヤーAの立場に立って考えてみよう。プレイヤーAである身体Aは、いま、男性が大統領となった世界Aに 意識を投影している。そして、世界Aにいる身体AであるプレイヤーAから見て、友人である身体Bは確かに存在している。 身体Aの前にいる身体B、つまり世界Aにいる身体Bは、DVDにプログラムされているとおりに、行動や発言を行う。 プレイヤーAである身体Aから見れば、世界Aにいる身体Bは、「生きている本物の人間」であるかのように見える。 しかし、その頃、プレイヤーBは、世界Aにいる身体Bではなく、女性が大統領になった世界Bにいる身体Bに意識を投影している。 つまり、プレイヤーBの意識は、その時点では、世界Aにいる身体Bには投影されていない。 つまり、もし身体Aと身体Bが同時に知覚者になる(その世界で、その瞬間に、2人の知覚者がいる)ことが仮に起きたとしても、 その後ほどなくして、両者は別々の道を歩み始める。その時点で、それぞれのプレイヤーが見ている世界(時空)の中には、 知覚者は自分だけとなる(他の知覚者は、それぞれが選んだ別の時空に分かれていく)。 この場合、プレイヤーA、プレイヤーBの両者の意識が同じDVDの中を旅していることには変わらないものの、 それぞれが実際に見ている世界(時空)には、自分以外には誰もいない。
537 :
マルチポストマン :2010/09/22(水) 23:20:07 ID:Q4SDVJME
(3/3) ゲイリーの例で言うと、見る映画の順序によって交通事故を危うく避けることができたが、交通事故に遭って怪我をした ゲイリーも依然としてDVDの中には存在しており、ゲイリーが事故で怪我をした世界(時空)にも妻のカレンはいる。 ゲイリーは自分が怪我をしないで済む選択をしたが、妻のカレンは、もしかすると、 夫のゲイリーが怪我をしてしまった世界を選択してしまったかも知れない。 もちろん、上記の説明は、「プレイヤーが複数いる」という時点で真実ではなく、説明そのものがメタファーである点は ご了承いただきたい。ただし、「個我が存在する」と考えている人には、より理解しやすく説明したつもりだ。 「個我が存在する」という二元論のレベルから、「個我など存在しない」という非二元論に至るまでの過渡期においては、 上記のような理解も役に立つと思う。 以下、余談。 たしかにDVDの中にはたくさんの身体が登場する。そして、DVDをプレイしている間は、他の身体は紛れもない「現実」だ。 「夢を見ている間は、夢の中の登場人物は明らかに実在しており、紛れもない現実だ」であるのと同様、 「DVDをプレイしている間は、ゲームの中の登場人物は明らかに実在しており、紛れもない現実だ」というのは間違いではない。 そういう意味で「DVDゲーム中の自分にとって他者は存在する」というのは、決して間違いではない点には俺も完全に同意する。
>>534 ご自身が関心あるうちは、ご自身に素直になって取り組めばよいかと思います。
混乱や葛藤は、コース的にはエゴの範疇であり誘惑です。防衛のための常套手段といってもいいでしょうね。
無意識レベルで選択しなおそうとする際に生まれるプロセスの一環、エゴの抵抗かもしれません。
混乱期はいずれ過ぎ去りますよ。その後着実に確信が深まっていくと思います。
>>537 その投影者っていうのは非個我の【神】で永遠の存在であるってことでいいのかな。
540 :
マルチポストマン :2010/09/22(水) 23:48:17 ID:Q4SDVJME
さて、もう一つ余談を。 「他者はいるのか、いないのか」というのは、本当はどうでもいいことなのだ。 大事なのは「赦すこと」であって、「他者がいるかどうかを議論すること」ではない。 ただし、「他者はほんとうにいないこと」を理解した時点から、「赦し」そのものが、それまでの何倍もの速度で進むことが 俺の体験上わかったのだ。 バシャールやシルバーバーチや神との対話のレベルに留まっていた頃は、俺もまだ他者が存在すると考えていた。 世界がパラレル(他次元)であることは理解していたものの、それでもまだ、すべての身体が知覚者だと思っていた。 たとえば100人の幼稚園児を殺害した加害者がいたとして、その100人の子供が「ほんとうに怖い思いをしたうえで殺された」と 信じていたら、犯人を赦せるだろうか? すべての身体が知覚者なら、殺された100人はみな、すごく怖い思いをしたはずだ。そのうえで殺されたわけだ。 そんなことをした犯人を、ほんとうに赦すことはできるだろうか? もし「できる」という人がいるなら、その人は無理に「他者はいない(知覚者は自分以外にはいない)」ことを 無理に理解しようとする必要はないと思う。
541 :
マルチポストマン :2010/09/23(木) 00:08:15 ID:2l1/bDWy
>>539 厳密に言うと、ちょっと違う。説明すると長くなるので、その説明は明日以降にすることにする。
いずれはそこまで踏み込んだ説明が必要になると思っていたので、ちょうどいいタイミングで質問してくれたと感謝している。
では、詳細は明日以降の説明で。
以下、全く別の話題。一部
>>491 と重複するが、「エゴの抵抗」について。
エゴが求めているのは、一言で言うと、
●他者の身体に罪悪感を投影すること
そして、その手段として、
●世界を(幻想ではなく)現実だと思わせる
●身体を(幻想ではなく)現実だと思わせる(=他者が知覚者だと思わせる)
ということは、エゴが最も阻止したがるのは、
●世界は幻想である(夢に過ぎない)ことを見抜くこと
●他者は存在しない(知覚者ではない)ことを見抜くこと
となる。この2つを見抜かれることが、エゴにとって最も嫌なことであり、この2つを信じようとすると、
エゴはあらゆる手段を使ってでもそれを阻止しようと妨害してくるので、大きな注意が必要だ。
他者はいないと言いながら誰に対して一生懸命なってるのか 肩のチカラ抜け 自分に対して一生懸命になってるだけだぞ 幻想だと見抜け
幻想だと気づいたら、気づいた自分や幻想だという気づきも幻想だと気づかないとね
幻想だと気づいたら、気づいた自分や幻想だという気づきも幻想だと気づいたのは何もの?
全部
546 :
マルチポストマン :2010/09/23(木) 00:33:24 ID:2l1/bDWy
>>542-543 そう、その通り。いや、まさしくその通りなのだ。そしてそれが俺自身のパラドックスでもある。
何で俺はこんなことやってるのか?こんなことやって何の意味があるのか(全く意味はない!)。
それがわかっていて、なぜやっているのか?ある意味自分でも不思議なんだよ。
以前の俺だったら「そのことにまだ気づいてない人を助けてあげたいから」とか偉そうに答えたかも知れない。
しかし、「気づいてない人」なんて、どこにも存在しないのなら、そんな偽善に全く意味はない。
俺がここに書いてるいちばんの理由は、自分自身(今ここの自分だけでなく、過去に他の人物だった自分や、
未来に他の人物になる自分を含む)を助けたいからに過ぎない。
というか、「何もしないより、行動した方が、自分自身の助けになるような気がする」から書いてるというのが正直な答えかな。
今さらカルマを信じているわけではない。「人を助ければ自分が助けられる」という考えもすでに卒業した。
ただ、何でか知らないけど、何も書かないよりは、自分に役立った経験のことをここに書いた方が、
何らかの形で自分にとってプラスになるような気がしたから書いただけ。
ただ、俺がいまここにそれを書こうが書くまいが、すでにDVDには書かれているわけだし、
ここに書くことに何の意味があるのか?と言われても、正直答えられない。
まあ、書きたいから書いてる、と言ったところかな?
あるいは、もしかすると、俺がエゴに抵抗しているのかも知れない。
俺の赦しや理解が進むことを必死で妨害しようとしているエゴに対する俺自身の抵抗なのかも知れない・・・
そうである可能性もあえて否定はしない。
幻想も幻想、それも幻想、ということも幻想…と赦しが深まればあるときただ自然になるよ 幻想とか幻想でないとかなくなって単なる自然 赦すものも赦されるものも赦しもない自然 自然なものとして幻想も赦しも何もかもがある 幻想とか赦しとか口に出すときもただ自然と出るだけ 何もかもがなく何もかもがある
マルチくんも体験に基づいた確信があるようだな。 赦しが加速するという体験の確信な。 俺もそうだよ、赦しを実践しつづければ(この世レベルの体験としても) 「確信」と「心の平安」が得られる。(おまけとして神秘体験も) その上で、他人の言動を訂正したかったらすればいいし説明すればいい。 だけど、それをしなければならないこともないし、只、そうしたかったらすればいいと思う。 非二元論に移行するには二元論は避けては通れない道なのかもしれないな。 エゴによる二元論にハマった経験を通して非二元論でエゴを見抜いていく、ってところか。
体験に基づいた確信ってオウムの信者も持ってたよね 妄想と現実の違いが分からなくなったらどうなるのだろうね?
天国も一つの幻想だと言えないだろうか? 天国だけは別?
>>549-550 やあ、悔しそうな君、ここでも会ったね。
本に書かれたことを盲信している君こそオウムそのものではないだろうか。
ニューエイジという妄想と現実の区別がつかなくなっているのはどこの誰かな?
神の愛の体験があっても、あくまで過去の延長である世界の方にまだリアリティを 感じていて、(いいも悪いも体験や人や自分への思い入れや執着)神の愛の体験の方が 代用品だった。神の体験は現実世界(実は幻想)の中での最高、あるいは実は幻想世界 での最高の体験や愛着物と肩を並べるもの。そういう自分に特別性を感じていたことも あった。 でも反転とまではいかないけれど、神の方が実在で、この世界や愛着していたもの、自分 の人生の方が、それこそ代用品だったんだ、ということが徐々にリアルになってきている。 幻想の中では段階を踏んでゆっくり覚めていくけど、実在は、天国はずっとあったんだね。 夢はなかった。 ずいぶん激しい地獄を創りだしたけど。よっぽど分離のショックが凄かった気がする。 地獄の中のエゴの天国もあったけど、それを壊したときの痛みが最後の審判みたいなものだった。 自分にとっては。 心の中で人を批判しているから、赦しの道は続くけど、神はある、っていう確信。すごく幸せで平和。 愛だけが本物、恐怖はない。 神の愛への恐怖と分離を手放すしかないよね。
恐怖はないってエゴの策略が何たらとビビッて暮らしている人が何を言っているのかな? 恐怖はないなら恐怖と分離を手放す必要もあるまいて
恐怖はない⇒勝義諦 恐怖を手放す⇒世俗諦 もう少し勉強してからにしようねw
555 :
神も仏も名無しさん :2010/09/23(木) 14:07:02 ID:Wp7Oaxgp
自分の世界からみたら、自分しかいない(他者は存在しない)、ということはわかる。 だけど、他者が知覚者ではない、ということは、まだ自分では?。 まず最初に、A、Bが存在していて、選択ごとに、AとBの行く世界が違う。 選択は毎瞬毎瞬している。Aがいる世界には、Bがまだ家族としているとする。 だけど、そのBはほんとうのBではなくて、B´。 ということは、Aが出会うBは、ずっとB´やB´´やB´´´であって、 ほんとうのBではない。 ということは、そもそも、最初にA,Bというものを設定しているけれども、 そのBもほんとうは存在していない、ということになる。 つまり、ほんとうのBなんて、最初から存在していない、ということになる。 だから、自分以外の知覚者なんていないんだと・・・。 そんな人最初からいないんだと・・。
何の説明になっているの?
>>555 最初に、A、Bが存在していて・・・という前提だったのでは?
何時の間にか前提が崩れてBが存在していない事になっている
理論としての一貫性はどうだろう
>>553 神から離れた個人の人間だと思ってるうちは恐怖と防衛はつきものですよね。
それが赦しや体験を通じて、徐々にエゴが解体されるにつれ、エゴは実在してる
と思ってる恐怖と分離の世界での一体や愛の体験、が反転してきて最後には神の愛
の実在が恒常になる。完全に夢から覚める。
それまでは、幻想の中で恐怖や分離を手放す努力は必要じゃないかな、という
意味です。
559 :
神も仏も名無しさん :2010/09/23(木) 14:25:32 ID:Wp7Oaxgp
(つづき) Aの中にBがいて、Bの中にAがいる。 図式化すれば、丸Aからみると、○の中にB、丸Bからみると、○の中にA。 Aにとってみれば、Bはいる。自分の中に。 Bにとってみれば、Aはいる。自分の中に。 Aさんは、鏡やら知覚をとおして、自分を身体Aだと思っているけれども、 実際はそうではなくて、 自分が認識している世界そのものが自分。 図式で言うと、○の中が自分。 だから、自分の世界からみたら、 自分しかいない。 Bさんに関してもおなじ。 でも実際は、AさんBさん、・・・さん、という区別はなくて、 たったひとつの意識があって変化している。(まだ実感ないからよくわからない) ほんとうは、この世界、つまり投影された世界にいるのではなくて、 別のところ(時間や空間のないところ)にいる。 まだしっくりこない部分もあるけど、こういう考えもアリかなと・・。
>最後には神の愛の実在が恒常になる 本当に神の愛の実在が恒常なら“最後には”、“になる”と言ったら辻褄が合わないでしょ 単に「常に神の愛の実在する」と言うだけ
常に神の愛は実在するだな
562 :
神も仏も名無しさん :2010/09/23(木) 14:40:20 ID:Wp7Oaxgp
>>556 535〜537が言っている内容の自分なりの咀嚼です。
>>557 537によると、
「プレイヤーが複数いる」という時点で真実ではなく、説明そのものがメタファーである点は
ご了承いただきたい。
ということだから、そもそもA,Bという複数のプレイヤーがいる
という前提を立てることそのものが、メタファーだということ。
理解するための、例え話になってしまうということ。
常に神の愛は実在する⇒勝義諦 最後に神の愛の実在が恒常になる⇒世俗諦 君は、いま現在、常に神の愛は実在する、ということを体感している? そういう観念について書いてるだけでしょ? 何の実感もないのに、お題目だけ唱えたって意味なし。 だから世俗諦から始めるしかないと言ってんの。 面白いのは、ニューエイジャーに限って、神の愛だの、実在たの、不二一元的な言葉を吐くんだね。 だけどそういう観念をただの言葉として吐いているだけで、何の実感も伴っていない。 逆に本当に不二一元の世界を目指している(←これ世俗諦としての表現)人は、 今認識している二元論的世界から始めるようになるということ。 本当に父の家へと帰還する道を歩む人は、今本当にできることから始める。 逆にエゴを温存したい人は、観念としてのお題目を唱えているだけで、 今の自分に何ができるのか、できないのか、その区別もつけることが出来ず、 こうあるべきだ、こうであって欲しい、という机上の空論を並べ立てるだけで 決して道を進んでいこうとはしない。
休日は気分転換にDVDを借りて鑑賞しよう! 過去スレでは「マトリックス」を薦めたけれども 他者はいるか?という話題なら「トゥルーマン・ショー」 (The Truman Show)がいいかも。 まあ、あくまでもエンタテイメントSFなんで、突っ込み所が多いけど ACIMや不二一元論に興味ある人なら、なにかヒント位にはなるかも
>>560 その通りですよね。
幻想側のまだ個人として存在している私からはそういう表現になりました。
言葉の論争は得意でないのでごめんなさい。
>>546 >そう、その通り。いや、まさしくその通りなのだ。そしてそれが俺自身のパラドックスでもある。
単に、知覚者は居ないという事を君自身が“本当は”信じていないだけだよ
でも信じないと実践が出来ず天国に帰る事も出来ないという事も信じている
「他の人もw知覚者は居ないという事を信じている!」「ニューエイジャーまで信じるようになった!」・・・
>>565 君たちがドロドロした地上とは全く関係の無い純粋な愛(天国)が在ると信じたい気持ちは良く分かるよ
さすがに直視しづらい現実がある
566の最後の行はマルチ君がマルチポストしている理由
>>564 フィンチャーの「ゲーム」とかも何がホントかわからなくていいかも
テリー・ギリアムとかもそういうの多いかな
芸術映画ならアラン・レネの「去年マリエンバードで」とか
マンガなら小池桂一の「ウルトラヘヴン」とか仮想と現実でおもしろい
ロビン西の「マインドゲーム」(アニメ版もあるけど微妙)とかも
>>567 君はドロドロとしたこの世界も神の一部だと言っている。
すべては神なのだと(そういう言葉を空虚に繰り返しているだけだがね)。
だとするなら、神使もACIMもマルチポスト君も、そしてそれらの主張も、
すべては神の一部ということになるが、それらだけは君は認めたくないわけだなw
オウムの確信は赦しの体験による確信だろうか。 赦しとクンダリーニ体験とを混同してはいけない。 エゴからの確信はその確信に執着させる。 真の赦しは執着しない、ってマハルシ読んでて感じたな。
>>570 >だとするなら、神使もACIMもマルチポスト君も、そしてそれらの主張も、
>すべては神の一部ということになるが、それらだけは君は認めたくないわけだなw
神の一部だと認めないと言ったかね?
みんな幻(相手、対象)に対して必死になってないか? 神も赦しも自分も全て幻 それが神であり赦し
>>571 赦しの体験による確信は特別だと・・・
そういえばサマディ君御自慢の圧倒的空前絶後至福体験は赦しの体験とクンダリーニ体験のどちらだったのだろうか
>>572 大いに抵抗しているぞw 抵抗している、つまり体験していないということだよ。
体験するためにこの世界を神が創ったんじゃなかったっけ?
本の受け売りだけで偉そうに語ろうとするからボロが出るんだよw
抵抗? ボロが出る? ボロって何処が?
まあ2ちゃんはいい修行の場だよね 相手につい反応しちゃうから、自分がどれだけ相手を幻と思えてないかわかる 反応してる自分に気づけばより静かな反応になり、やがて反応する自分すらも幻だとわかる 反応とは別の誰でもない自分が見えてくる
>>574 どっちでもよかろう、そんなもん。
クンダリーニ上昇体験したくちだが、もうクンダリーニなんてどうでもよくなった。
クンダリーニの大覚醒によってタオに帰る?みたいな修行法もあるみたいだけどそれもどうでもいい。
どうでもいいってのは、別にそっちでやってるひとも別にいいんじゃないって意味な。
コースだってア・コースだろ。ザ・コースじゃないだろ。
クンダリーニって性エネルギーだから身体にリアリティを与えがちなんだよな。そっちのほうが「特別」の気がする。
「特別」ってエゴの使いたがる罠だからな。赦しの体験のほうが俺達にはナチュラルなんじゃないか。
だからといってクンダリーニ体験したって身体を幻想とみてるヨギだっているだろうに。
ようは外見では心で起こっていることは完全にはわからんということじゃないか。
本来のナチュラルさを放棄してこの世界という精神病院にみんなして入院してる訳だw
赦しとクンダリーニ体験とを混同してはいけない。と言っておきながら舌の根の乾かぬうちに
>>574 どっちでもよかろう、そんなもん。って何だよ
他人のことは気にするなってことさ。 たしかに2ちゃんはいい修行の場だな。
結局、マルチ君は566に対して一言の反論も出来ずwww 本の受け売りだけで偉そうに語ろうとするからボロが出るんだよwと捨て台詞を吐いて敗走したマルチ君でした(大笑い) あ〜こりゃこりゃ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_(:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ あ〜こりゃこりゃ
>>564 統合失調症の身内は、断薬で酷くなったとき、自分のことがテレビで報道されてる!ってトゥルーマンショーみたいなこと言い出した。
ついでに、この世は仮想現実だ!早く本当の家に帰らないと!って叫んで家を出て行こうとした。
彼は悟りを開いたのだ・・・
>>581 >本の受け売りだけで偉そうに語ろうとするからボロが出るんだよw
これは俺の発言であってマルチポスト君のものではないw
誰でもサマディに見えてしまう病が、誰でもマルチポストに見えてしまう病に替わっただけで、
何の進歩もしていないんだな?www
で、本物のサマディはとっくの昔に来なくなっている。
しばらくお前をからかうために俺がサマディに成り済ましていたけどなw
お前のようなゴミのせいで、本物のサマディの貴重な体験談を聞く機会を多くの人たちが失ったわけだ。
このツケの大きいぞ。お前の悲惨な最期にすべてが集約されようw
あ〜こりゃこりゃ
(:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_(:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_
あ〜こりゃこりゃ
ところでマルチポスト君は566に反論しないの?
585 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 00:16:21 ID:OWYkQ9ZA
論争や言い争いに加わったり、挑発に乗るつもりもないので、ただ単に昨日書いた
>>539 への返答から始める。
で、
>>539 の質問に対する答えは、投影者とは、以下の説明でいう「魂A」のことだ。
今回は、いま生きてる転生のメカニズムだけでなく、天国を離れた唯一神が今日の自分に至るまでの経緯の説明をしている。
ただし、簡略化したものなので、文字通りの真実というわけではない点、ご了承いただきたい。
(1/2)
俺はこれまで、ひとつの転生を1枚のDVDに喩え、ゲームを終えたら次は別のDVDをプレイし、この繰り返しを全部合わせたものが
輪廻転生であるという喩えで話してきた。では、さらに詳しい段階の説明に入ろうか。
実は、上の例であげた、複数回にわたるDVDのプレイを全部まとめた、もっと大きなDVDがあると考えてもらいたい。
つまり、これまでの全転生、全輪廻転生をすべて総合したものが、より大きなDVDにプログラムされている、という意味。
これまで単にDVDと呼んできたもの、つまり、ひとつの転生を意味するDVDのことを、今後は「小さなDVD」と呼ぶことにする。
そして、小さなDVDを繰り返し繰り返しプレイする自分が存在する場、これまでの小さなDVDのプレイをすべて含めたDVDを
「大きなDVD」と呼ぶことにする。大きなDVDの中に多数の小さなDVDが含まれているという考え方。
大きなDVDも、基本的構造は小さなDVDと同じで、ホログラフィー的に存在しており、その中には「多数の個々の存在」が
実在するかのようにプログラムされている。
ただし、大きなDVDの中の世界は、物質世界ではなく非物質世界としてプログラミングされているので、
その中に「存在するかのように見える個々の存在」とは、身体ではない。その存在のことを、ここでは「魂」と呼ぶことにする。
そして、誰もが理解しやすいように、魂のことを「下着」、身体のことを「洋服」と喩えることにし、この喩えでは神は「裸体」となる。
まず最初に、唯一なる現実、あるいは絶対現実、天国などと呼ばれる世界があり、そこには、たったひとつの「神」が存在する。
そして、まず最初に、その唯一なる神が、大きなDVDをプレイする状況を思い描いてもらいたい。神が大きなDVDをプレイするのだ。
586 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 00:17:10 ID:OWYkQ9ZA
(2/2) 神の本来の姿は裸体だが、大きなDVDをプレイし始めたとたん、魂という下着を着用することになる。 大きなDVDをプレイするにあたり、その中に存在する多数の魂の中から特定の1つを選び、その魂に神が心を投影する。 神が選んだ魂のことを、魂Aと呼ぶことにしよう。多数の魂のうち、魂Aに神の心が投影され、その時点で魂Aが知覚者となる。 それと同時に、魂Aである神は、魂Aという下着をまとったことによる記憶喪失のような状況に陥り、神としての記憶が消え、 自分が絶対かつ唯一の神であることを忘れ、魂Aである自分がほんとうの自分だと錯覚してしまうことになる。 と同時に、大きなDVDの中にプログラムされている、他の幻想の魂たちも、自分(魂A)と同様に知覚者なのだと錯覚してしまう。 つまり、ただひとつの唯一の存在であるはずの神が、多数の魂の中のひとつ(One of them)に過ぎないと錯覚してしまうのだ。 次に、魂Aは小さなDVDを作り、それのプレイヤーとなる。 (注:もちろん、「魂Aが小さなDVDを作る」というストーリーは、すでに大きなDVDの中に書かれていることである) 魂Aが小さなDVDをプレイするに当たり、小さなDVDの中の多数の身体の中から、ひとつの身体(身体Aとする)を選び、 そして転生する。この時点で、知覚者である魂Aは、知覚者である身体Aとなる。 つまり、下着姿だった魂Aは、その上に身体Aという洋服をまとったわけだ。 このとき、身体Aである魂Aは、身体Aという洋服をまとったことによる記憶喪失のような状況に陥り、 魂Aとしての記憶が消え、身体Aがほんとうの自分であると錯覚を起こしたまま、身体Aとして一生を送ることになる。 身体Aとしての人生を終え、身体Aという洋服を脱ぎ捨て、小さなDVDを離れて大きなDVDの世界に戻った時点で、 魂Aとしての記憶を思い出す。そして、魂Aとしての記憶の中に、今回の転生で得た全ての記憶が追加される。 なお、転生を終えて大きなDVDに帰っても、魂Aという下着は着用したままなので、神としての記憶は思い出さない。 ここまで、大きなDVD、小さなDVDと2段で説明したが、実際には2段どころか5段、10段あるいはもっと多重の構成に なっているのだと思う。
マルチ君のレスを読んでてふと思ったことだが、 DVDはもう出来ているってことはもしかして、転生する身体の全てのパターンてもう決まってるってことか。 例えばこの人生では好きな子に振られたが、自分が望めば次の転生でその子に生まれ変わり、 自分だった身体を逆に振る体験もできるということかな。 極端な例で次の人生でイエスとして生まれることもできるってことか?
588 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 00:41:46 ID:OWYkQ9ZA
話は全然変わるが、テレパシー能力のある人に限って、「他者は知覚者ではない」という考えを受け入れられなくなる傾向が強い。 (あとは、エゴが強烈な人も同様) というのは、テレパシーで相手の喜びや悲しみなどの感情を受け取ることができるため、 相手の感情を受け取った以上、相手は心を持った生身の人間であり、もちろん知覚者であり、ロボットではないと考えてしまうからだ。 今回はその点の説明をしようかと思う。 私は「他者は知覚者ではない」と書いたが、「他者は知覚者にはなれない」とは言ってない。 何が言いたいかというと、プレイヤーである自分は、いま演じている身体Aとは別の身体(私が非知覚者であると呼んでいる身体)に、 一時的に意識を投影し、一時的に他の身体にもアクセスすることはできる。 たとえば、普段は身体Aに意識を投影しているが、一時的に、ほんの一瞬だけ、他の身体、たとえば身体Bに意識を投影することは可能だ。 その場合、「その時空にいる身体Bの『心、あるいは気持ち』としてプログラミングされてる通りの感情」に、プレイヤーの意識が一時的に 投影されるため、一瞬だが、身体Bの考えや気持ち(喜びや悲しみの念など)を読み取ることができ、それを自分の感情であるかのように 感じる。そのため、身体Bは知覚者であるという錯覚を起こすため、身体Bが(普段は)非知覚者であることが受け入れられなくなる。 しかし、プレイヤーがこのときアクセスしたのは、「身体Bのこの時点での感情としてDVDにプログラムされている喜びや悲しみ」であって、 身体Bがこれまで実際に知覚していたものではない。 ところが、プレイヤーが一時的に身体Bの(DVDにプログラムされてるとおりの)感情にアクセスしたため、身体Bが一時的に、 ほんの一瞬だけ、知覚者になったのだ。 つまりそれは、もしプレイヤーが、最初から身体Aではなく身体Bに意識を投影し、身体Bとしての人生を送っていたと仮定した場合、 身体Bが、その時空のその瞬間において味わったはずである感情に、身体Aとして生きているプレーヤーが一時的にアクセスした、ということ。 だから、「他の身体は知覚者ではない」とは言ったが、「他の身体が知覚者にはなれない」とは言ってないし、今後も言うつもりはない。
>>586 とても面白いです。
中には、身体Aが「自分が実は魂Aだったのか」と思い出すとか
魂Aが、もうちょっと上の「準?神Aだったのか」と再発見するとか
そういう‘探求冒険’みたいなプロセスを楽しむDVDもあるかも。
>>445 >エゴによる妨害活動
自分は別人ですが、前から思ってたことがあるのでちょっと一言。
「妨害活動」と呼ぶと悪いことのようですが、割と普通の現象だと思う。
わざと自分が神であることを忘れて、魂AとしてDVDに没入して
楽しんでるのに、「実は私もあなたも神の一部なんですよ」と指摘するのは
一種の『ネタバレ』行為。
喩えるなら、せっかく面白い推理アドベンチャーゲームを開始したのに
「犯人はヤスw」って、先に教えてしまうようなもの。
たいていの人は、そんな情報は聞きたくない、あるいは信じたくないはず。
590 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 00:50:59 ID:OWYkQ9ZA
>>587 それって、「今回の人生(または他の人生)で自分が辿る運命がすでに決まってるのかどうか」、って意味?
それとも、「今回は裕福な男性として生き、その次は貧乏な女性として生きるなど、転生の順序と内容がすでに決まってるのか?」って意味?
どちらの意味にしても、「決まってはいない」というのが俺からの回答となる。
というのは、大きなDVDにせよ、小さなDVDにせよ、直線進行ではなくホログラフィック進行なので、DVDの中にはすでに書かれているが、
そのうちのどのストーリーを選ぶかはまだ決まっていないからという理由になる。
だから、「神の使者を書いたゲイリーが、死後必ずパーサとして転生する」というわけではない。
プレイヤーが前回ゲイリーの人生を生きたあとは、その次にはパーサとしての転生を送ったが、
今回ゲイリーとして生きているプレイヤーは、死後二度と転生しないかも知れないし、パーサ以外の人物に転生するかも知れない。
また、プレイヤーが前回ゲイリーとして生きたときは、必ずしもパーサとアーテンの訪問を受けたとは限らないし、
仮に訪問を受けていたとしても、必ずしも神の使者や不死現という本を出版したとは限らない。
591 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 01:05:15 ID:OWYkQ9ZA
>>589 そう、それは十分ありうるね。
というか、(すべては現在のDVDの中の話ではあるものの)実際にそういう体験の報告はたくさんあるし、
魂としての自分や神としての自分に一時的にアクセスし、その凄さを一時的に体験したという報告は昔からたくさん存在する。
後半部分もその通り!
人生ゲームという場から本気で去りたいと思っている場合はともかく、
まだしばらく人生ゲームを楽しみたいと思っている場合は、ネタバレ的な話は聞きたくないという気持ちは強いだろうね。
神の使者では、人生(転生)は地獄そのものであって、早くそんなところから脱出するに限るという観点だけを言っているし、
俺自身もその点は同意なのだけど、中には「そんなこと言わずにもう少し楽しもうよ」という考え方もあってもいいと思う。
>>590 俺もそう思ってる。
で、DVDで選べるプレイヤーの数は有限か無限か?って思ったんだ。
でも俺達が望むプレイヤーは全て結局予めプログラミングされてるってことは、
知覚者である俺達から見ると無限に見えるけど、DVD全体からみれば有限ってことかなと。
あと、まれに時間を逆行する転生もあるとしたら、次は極端な話ブッタとかイエスとして生まれることもできるのかなと。
もちろんそう生まれたとしても、今の俺達が知る歴史上の行動を取るとは限らないってことかなと。
593 :
589 :2010/09/24(金) 01:16:11 ID:mqibK/Lr
ちょうどいい機会かもしれないので、「エゴの罠」論について少し。 三年位前からACIMを読んだり、スレを覗いたりしてますが 去年あたりから「エゴの罠」という考えが、いい加減 うっとうしく感じるようになってきました。 日本昔話風→キツネに騙されないように 仏教風→悪霊にたぶらかされないように キリスト教風→悪魔の誘惑(神の試練?)に負けないように シルバーバーチ風→低級霊のいたずらにひっかからないように … 古くからどんな宗教でも、何か‘悪い’ものに騙されないよう 常に警戒を怠らず、ガクブルしてなきゃいけないという印象があるんだけど ACIMの「エゴの罠」も、この姿勢にそっくりで、 単に‘悪魔’という言葉を‘エゴ’に置き換えただけじゃないか? とイライラすることもあります。もちろん教義的には全く別のはずですが。 最近は「いっそエゴ自体を赦してしまった方が速いのでは?」と 考えるようになりました。 つまり、エゴが幻想を創り出したのも目的があるはずで、ACIMの 正統な考え方では、それはエゴの自己防衛本能ということになってますが、 もっと拡張して「気分転換のひとときを楽しむために」 真我あるいは神が、わざとエゴを産み、そのエゴに夢を作らせてる、と 考えても別にいいんじゃないか、と開き直ろうというわけです。 まあ「エゴの罠やエゴ本体まで赦してしまおう」ってのは 一種の言葉のあやに過ぎないのかもしれませんが。
594 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 01:21:26 ID:OWYkQ9ZA
>>590 を訂正
>>プレイヤーが前回ゲイリーの人生を生きたあとは、その次にはパーサとしての転生を送ったが、
>>今回ゲイリーとして生きているプレイヤーは、死後二度と転生しないかも知れないし、パーサ以外の人物に転生するかも知れない。
「プレイヤーが前回ゲイリーの人生を生きた」という点は削除。プレイヤーは必ずしも以前にゲイリーとして生きたとは限らない。
プレイヤーがゲイリーとして生きるのは今回が初めてで、現在のゲイリーの前に現れたパーサと、その前世であるとされるゲイリーは、
大きなDVDの中にすでに書かれているストーリーのうちの一つであって、その流れが必ずしも以前に「知覚」されたとは限らないという意味。
つまり、「ゲイリーは次の転生としてパーサとして生きる」という(大きなDVDの中のひとつの流れ)は、
必ずしも「知覚された流れ」とは限らない、という意味。
ぢかし、知覚されたことがあるかどうかとは別問題として、「ゲイリーとして生き、そのあとパーサとして生きる」というストーリーは、
すでに実際に大きなDVDの中に書かれている(プログラミングされている)ストーリーのうちのひとつとして、すでに存在している。
>>593 その姿勢はまさにWho caresだね!
でもそれだと全ての魂が夢から覚めてもまた夢に陥ることもあるのかって思えちまう。
>>594 サンクス!まさに俺もそう感じます。
輪廻の説明もけっこうだけど、そのDVDのからくりや内容よりも、 他者に罪の想念を押し付けてごまかすのがその目的だと自覚することの方が、 コースの赦しを学ぶ上では重要だろうね。
597 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 01:48:49 ID:OWYkQ9ZA
>>592 俺の認識から言うと、次の転生でブッダやイエスに生まれることは、もちろん可能。
ただし、あなたの言うとおり、だからと言って俺たちが知るとおりの生き方をするとは限らない。
イエスやブッダの人生も、すでに書かれているとはいえ、何百万もの可能性が開けていて、
そのうちのどれを選んで生きるかは、その時のプレイヤーが決めることだからね。
>>593 >>エゴ自体を赦してしまった方が速いのでは?
そう、それなんだよ、それ!!
神の使者 P304-305(パーサ)
「あなたが結果ではなく原因になったとき、赦しのもう一つの要素は、「あなたが投影したイメージとそれを夢見たあなた自身を
赦すことになるでしょう。(略)そもそもこういうごたごたを夢見たあなた自身を赦す段階になる。」
自慢するために書くのではなく、参考になればと思って俺自身の現在の状態を書くと、実は俺自身はすでに「他者を赦すこと」は、
ほぼ無条件に瞬時に成功している。たとえば、いきなり暴言を吐くような人と出会ったときでも、その相手(他者)は、
ほぼ瞬時に赦せる。だけど、この時、どうしても「赦せない相手」がいるんだよ。その相手が「エゴ」なのだw
エゴとは、もちろん自分自身の中の一部であり、自分自身でもある。
今の俺にとって、唯一の「赦せない相手」が、「自分自身(エゴの部分)」なのだ。
他者がすべて丸ごと幻想であることをほんとうに理解し、その結果として理論的に「他者は知覚者でない」ことがほんとうに理解できたとき、
赦すべき相手が、「他者」から「自分自身(エゴの部分)」に変わったのだ。今では、だんだんとエゴも赦せるようになってきた。
自分自身(エゴの部分)を赦すことは、他者を赦すことと同じくらい、いや、それ以上に大事だということを学んでいる最中。
598 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 02:14:51 ID:OWYkQ9ZA
>>592 >>DVDで選べるプレイヤーの数は有限か無限か?って思ったんだ。
プレイヤーというか、選べる身体の数は、有限ではあるけど、実質的には無限に近いくらいたくさんあるだろうね。
「21世紀初頭の地球」という名のDVDだけを見ても、選べる身体の数は約70億(だっけ?)くらいある。
もちろん他にもDVDはたくさんあるので、それをすべて総合すれば、
厳密には有限とはいえ、実質的には無限と言っていいくらいのたくさんの選べる身体があるだろうね。
で、そのうちの一つ一つの身体に限ってみても、転生して生まれたあとの選択肢も、厳密には有限(閉鎖系)だけど、
実質的には無限の選択肢(並行世界)が同じDVDの中にすでに存在し、そのうちのどれかを選択して生きていくことになる。
599 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 02:21:53 ID:OWYkQ9ZA
>>596 そう、エゴのいちばんの特性が、「他者に罪悪感を投影させたがる」こと。
つまり、「他者を悪者にさせたがり、悪いのは自分ではない」と思い込ませたがることだからね。
他者を悪者にさせ、他者を恨ませたり憎ませたりすることによって、その執着を利用してエゴが継続できることになるから。
エゴの継続とは、輪廻転生が永続することでもある。
他者を赦してしまったら、エゴが継続できなくなる。だからエゴは他者を赦すことに激しく抵抗する。
そのため、「ほんとうは他者などいない」と見抜かれることを、エゴはいちばん嫌がる。
他者がいなければ他者に罪悪感を投影できなくなり、その結果、エゴが永続できなくならからね。
600 :
593 :2010/09/24(金) 02:31:39 ID:mqibK/Lr
>>597 神使にちゃんと書かれてたとは…、すっかり忘れてました。
実家に置いたままなので手元になく、列挙してもらった該当箇所を
いま確認できないのが、もどかしい。
「他者は知覚者でない」ということを、体得できてる自信は全くありませんが
人間でない物や事柄に対して、イラつくことがよくあります。
蚊に刺されるとか、プログラムでバグを引き起こすとか…。
もっとアホらしい例としては、寝てる間に寝違えて朝起きたら首が痛いとかw
誰のせいでもなく、しいていうなら自分のせい、というか
外界に自分の想念を押し付けてそれを体験するよう仕向けてるエゴのせい。
「なんでこんな状況になるような夢を、自分は見てるんだろう?」と
一瞬自分に腹を立てて、それから一呼吸して、結局そういうエゴを
赦すしか、楽になる方法はないじゃないか?と思い直すわけです。
>>595 読んだことないけど「誰かま」ってそういう本なんですか?
なんとなくホッとする書名ですよね。
>>597 >>598 いやぁ〜まったく俺もまったくそう感じてたよ。
そう考えればイエスの生涯に関するニアミスも起こり得るって理解できる。
そのニアミスさえもエゴによるものって見抜けばそれすらも許せるし。
アドベンチャーゲームでも早送り昨日ってあるけど、俺らのDVDにもそれが出来ればいいのになぁ。
でもそれがコースでいう赦しってことになるのかな。
602 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 03:17:35 ID:OWYkQ9ZA
>>600 俺もいま、「他者に暴言を吐かれること」よりも「自分の不注意で柱か何かに足をぶつけて痛い思いをしたとき」の方が、よりむかつくw
理由は簡単で、他者の暴言は直接の原因は「他者」なので即座に赦せるが、足をぶつけた場合、直接の原因を「エゴ」と認定し、
「何?エゴだと??ふざけるなよ、覚えておけよこの野郎!!」という具合にw
でも最近では、そのエゴも(以前よりは)楽に赦せるようになったし、エゴを解体する唯一の方法はエゴを赦すことである点も理解した。
エゴを憎めば憎むほどエゴは強くなり、エゴを赦せば赦すほどエゴは解体されて消えていく。
このことがわかった以上、エゴを赦すしかない。「他者を赦す場合」と「エゴを赦す場合」では、そのテクニックはかなり違うけどね。
>>601 早送りといえば、神の使者ではコースのことを「追い越し車線」と喩えていたような気がする。
コースを活用すれば、そうでない場合と比べて、地球の時間にして約1000年(だったかな?)の節約になるとか。
あと、神の使者を読むと、コースをほんとうに理解するのに要する時間を20年(だったかな?)節約できるとかいう話もあったような。
コースの実践によって、本当だったらあと10回くらい転生しなければならないところを、あと0〜2回くらい転生するだけで済むなら、
これは大きいことだと思う。
>>602 ぼんやりと思ってたことがだいぶクリアになってきた。
このクリアさが日々の赦しの実践をさらに加速する気がする。
悟りに至れる身体とその選択肢も既に設定されてるってことだよね。
(もちろんどんな身体であっても悟りに至れる選択肢ルートは少なからずあると思うけど)
それと、悟りに至った心(神使のアーテンパーサのように)がまだ悟りに至ってない心(俺達の知るゲイリー)に現れるってのも
DVDにプログラムされてるってことだよね。ならば極端な例で言うと俺達の知るイエスがゲイリーに現れるストーリーもあり得るわけだ。
でもそういう場合は正しい心からのプロジェクションだからその正しい心はDVDをプレイしている訳じゃないと。
そう考えると悟りに至った心ならば、あるDVDのある身体として悟りに至ってない心を助ける役割でプロジェクションする場合はあるけれど、
もう身体としての生涯を最初から最後まで再プレイするってことはないだろうから、全ての心が夢から覚めれば再び夢に陥るってこともないわけか。
(確かに俺らもアドベンチャーゲームをやりこんだら、ある一部分はまたふと見たくなるかもしれないが再プレイしようとは思わないのと同じかな)
そういう意味でキリストの再臨は必ず起きるけれど、コースのように選択肢を考慮して選ぶことをしない限り時間的には無限の時間を必要とする、
って感じかな。
サマディの自演自作キモイw
「神との対話」と「神の使者」の共通点と相違点
http://niku.uwasa2ch.net/bbs/psy1217339891.html 498.
>>490 要するに神使信者は幻想世界から卒業してもいろんな仕事が待っている訳だなw
まあ、学校から卒業しても新入社員として仕事しなきゃならないのは当たり前だなww
大変そうだけど、宇宙連合の一員になってレベルの低い星の住人を進化させる仕事を頑張ってねwww
499.
↑ いやお前もだよ たとえばお前が親におもちゃを買ってもらった 愛情と記憶があるだろう
お前が親になれば それを思い出して子供にゲームでも買ってやるだろう それと同じで 悟りを得れば 盲目の人を助けてあげたいと思うだろう
悟りを得た人も アーテンやパーサやイエスや釈迦のおかげで 悟りを得れたから 今度は わたしもマスターの役割をして 盲目の人を助けたいという愛の感情が爆発してしまうだろう
500.
>>499 でも誰彼構わず助けていい、というものでもないですよ。
まだ眠り足りない、まだ夢を見続けていたい、という人を無理矢理起こす必要はありません。
まだ暫くの間は猶予期間がありますから、今熟睡して夢を見ている人を叩き起こしてはいけない。
501.
盲目の人を助けてあげたいと思うことは助ける人と助けられる人が居る二極性の幻想世界を体験する事になりませんか?
幻想世界を生み出す原因となった間違った信念となるでしょう。
せっかく真実の世界に居るのに、存在しない幻想世界を体験する必要は無いでしょう。
ACIM「夢の人物を病気で分離していると見るのは本当ではないし、同様に健康で美しいと見なすのも本当ではない」
502.
昨夜は友人と夜桜を見ながら酒を飲んだ―とても美しく、この世界の中に表現される神の姿を垣間見ることができた。
こんな些細な日常の中にでも神との一体感は味わうことができる。 それは瞑想中の特別な一体感と何ら変わりのないものだった。
607 :
神も仏も名無しさん :2010/09/24(金) 16:17:40 ID:Op9/WYV7
503.
to様D 自らを卒業予定者と言及していたが、世界はなく、ただ夢から醒めるだけ、という立場からすればそれはとてもおかしな話だ。
夢から目覚めるのに予定なんてものがあるだろうか? 夢だと気づいた時点で霧が晴れるように幻想世界が消えるというものではないのだろうか?
そうでないとすれば気づいた時点で未だ存在し続ける世界とは? ただひとつ確かなのは君自身が未だ夢の中にいるということだ。
どうだい、夢の中で たまには花見でも。
504.
>>501 じゃあアーテンとパ−サはなんで助けにきたの?
505.
↑ナイスな質問だな 神使信者の回答が楽しみですw
506.
幻想だと気付くだけじゃ抜け出せない。きちんと心を訓練しなきゃならない。
心は無意識によってほとんど隠され、自力で無意識に取り組む事はできない。
そうでなければ無意識とは呼ばない。病んだ心は自然に治らない。助けが必要。
507.
助けなんか真実の世界から来るはずないだろ。 誰も幻想世界を生み出したくないから。 自力でなんとかしろ!
なんかたまに思うんだよね。 叩き起こせばいいのにって。だって結局起きるんだから起こせばいいじゃん 夢から穏やかに目覚めさせるとかさぁ… なんか引っかかるね
未だサマディ後遺症(サマディからコテンパンに論破されてしまったトラウマ)から抜け出せないID:KHkB04PN (・∀・)
俺、眠いところを叩き起こされたらまた眠くなるよ。 仲間と酒のんで味わうほろ酔いの気持ち良さは神との一体感だったのか。まぁ、そうかもな。
472. 真実の世界に目覚めてもまた幻想の世界に眠る可能性はないかな? 元々真実の世界にいたはずなのに幻想の世界の体験をしている訳だから これから真実の世界に戻っても何らかの理由で(もしくは何の理由もなく)幻想の世界の体験が始まったりして・・・ 即ち、真実の世界と幻想の世界をグルグル回る一種の輪廻転生です。 473. >いつの間にか誰かの始めたゲームに巻き込まれていて何かをやらされている。 これについては断言してもいい、この考え方に立っている限り卒業はできない。 いつまでも幻想の中にいますと宣言しているようなもの。 474. どうせ卒業しても、いつの間にか誰かの始めたゲームに巻き込まれて戻ってくるよ 475. 卒業予定者と自分で言っちゃうところがほほえましくもある
612 :
神も仏も名無しさん :2010/09/24(金) 18:13:41 ID:4EDdlu4U
他に知覚者はいない、と考えると、 ある意味楽だね。 俺が死んだら、残された、妻や娘はどうなるんだろう? 妻や娘が大変じゃないか、悲しむじゃないか・・。 →いや、そんなこと考える必要はない。あなたしかいませんから。 知覚者はいないんだから、一切心配しなくて構いません。 ある意味気苦労のない考え方だから、気楽。 自分としては、知覚者が存在するか、しないか、 どちらにしても起きていることは幻想(夢)であって、 実際には起こっていないんだから、許す。 でも、真実がどっちかわからないけど、 知覚者は他にいない、と考えて、許しが進むんだったらそれでOKだと思うな。 自分自身を許すことに専念できるわけで、 自分の内面だけに専念できるし。 自分自身を許してゆけば、 外の世界も自然に変わってくる。
613 :
神も仏も名無しさん :2010/09/24(金) 18:18:12 ID:4EDdlu4U
量子力学かなにかで、 「認識しえるものは存在するが、認識しえないものは存在しない」、 という話があったっけ。 当時アインシュタインがその考えを受け入れなかったけれども、 量子力学の世界では、その考え方が正しいというころが証明されている、 ということを聞いたことがある。 (確か量子力学だったと思うけど違うかもしれない。) 神の使者にも、木こりが切った木の音を、その人が聞かなかったら、 その音そのものは存在しない、って話があったっけな。 そうすると、自分が認識しうるものが自分の世界であって、 自分の認識しえないものは、そもそも存在しないということになる。 でもそれが、知覚者はいない、ということでもない気もするんだよな。 幻想(夢、3Dホログラム)であれば、それは起こってないんだから、 どっちみち許す、ということであれば、 逆に幻想の中においては知覚者はいる、と思っていても大丈夫だと思う。
知覚者はいないと本当に実感している人が2chにカキコする訳がないでしょw 知覚者が存在しているなら(存在=神だから)神の現れとして2chのある地上世界は実際に存在している事となる
神の王国は地上世界にも広がっている!ワーイ!
悔しくて悔しくてたまらず、ACIMスレにまで出張してきたID:Op9/WYV7=ID:KHkB04PN でも、お前がサマディにコテンパンに論破された過去は変わらずwww (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_(:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ あ〜こりゃこりゃ
サマディ逃げ回っているじゃんw 早くコテンパンに叩きのめされたいでござるwww
「神の使者」の最大の功績は、「神との対話」の信者が論理的構成力を決定的に欠き、 屁理屈だけでまるでどこかの宗教団体の狂信者のようにしか振る舞うことができない、 ということを間接的ながら世に知らしめたことだなw 神対スレで神対信者の狂態が広く知れ渡ったことで、神対に見切りをつけた人も多い。 贔屓の引き倒しとはまさにこのこと。 あれこれ画策すればするほど、ますます窮地に追い込まれていく神対信者。 今や、神対スレはくだらないゴロ合わせのためのネタスレと化してしまい、 神対信者は地団駄踏んで悔しがっている。実に愉快愉快www (・∀・)
>>617 (脳)呼吸をするように平気でウソをつくw
これが神対信者(=脳呼吸工作員、在日朝鮮人)の実態ですw
(:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ ここを相違スレにしたい神対信者を赦してくだされ〜 (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_
>>620 お前の在日同胞に頼んでスレ立ててもらえよw 争い好きの神対信者(=脳呼吸工作員)w
ここの方が神死信者が赦しの実践を励むのに良かろうてw
>>622 サマディに大敗北した痛手から立ち直れないお前のようなゴミは黙殺されて終わりだろうけどなw
か わ い そ う に www
(・∀・)
脳呼吸(失笑) ダンワールド(爆笑) 痰学(ニヤニヤ)
ゴガギーン ドッカン m ドッカン =====) )) ☆ ∧_∧ | | / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( )| |_____ ∧_∧ < ゴルァー!サマディ出てこいw 「 ⌒ ̄ | | || (´Д` ) \___________ | /  ̄ | |/ 「 \ | | | | || || /\\ | | | | | へ//| | | | | | | ロ|ロ |/,へ \| | | | | ∧ | | | |/ \ / ( ) | | | |〈 | | | | / / / / | / | 〈| | | / / / / | | || | | / / / / =-----=-------- | |
さあ、発症しましたwww
神との対話、脳呼吸の実践、その結果がこれですw 神との対話、死亡。 脳呼吸、逮捕。 w (・∀・)
神対でも神使でもいいけど、おまいら何をどうしたいの? 何がどうなれば満足するんだ?
神対スレでサマディという奴に悉く論破されたのを根に持ってるんだよw で、サマディが来なくなった後も俺がサマディに成り済まして、こいつをからかってきたから、 そのことについても怒り心頭に発しているというわけ。多分女だろうな。おばさんw
それがホントにしたいことなら、存分にすればいいよ 気がすむまでやってくれ
他の宗教を攻撃するのって、原理主義者(イスラムに限らず仏教にもあるらしい)がやってることじゃないか。 別に対話信者は害がないんだからいいだろう。 カルトみたいに、実害出るならキンタマ蹴り上げる必要あるかもしれないけど。
あと対話自体は存在してて良いと想うよ。 コース以外の、幻想に注目してしまってるスピリチュアル書籍群も、現実世界以外に興味を引くきっかけとして働く。
そうそう、対話は別に存在していていい。 しかし、一部の神対信者の跳ねっ返りが、神使やACIMに対して 勝手に異常な敵愾心を燃やし続けて一人相撲取ってるんだわw ま、こっちは別にACIMerじゃないからどうでもいいけどなw
>>625 みたいなやつは俺達の罪悪感の投影なんだから、
これを赦せるとなるとなんだか嬉しい。
みんな理由があるからって叩くの好きだからね。 これこれこういう理由だからとか言って。 別に理由があっても叩かなくってもいいわけだから。 「理由があるけど叩かない」より、「理由があるから叩く」ほうを選択してるんだよね。 選択してるのは一体誰だろう。
神 神しかいないから
>>636 家事は終わったのかい? おばちゃんwww
神しかいなければ選択はないよ 選択は選択がしてる
神以外に“選択”があるという事? 二元論者さん?
>>637 おばちゃんは禁句、タブ〜
2度と言うな
まあ非二元論と二元論の視点で同じことを表現するとまったく反対の表現になる場合もあるからな。
それをわかってたらどんなにスレで叩きがあっても平気だよね
>>636 。
神しかいないと言うことも、神以外いると言うことも、神はいないと言うことも、選択できる。 それらも全て神である。 その上で誰が「神しかいない」という言うことを選択したのか? 神しかいないということは「神しかいない」と言うことじゃないよ。
>>643 お前は哲学的素養のない馬鹿なんだから、しゃしゃり出てくるな、クソババアw
一元論とか二元論とか言うことがすでに多元論なんだよ。 一方を想定して一方を分別してるだけ。
二極性に浸っていたい心は気の済むまで浸ってればいいっしょ
>>643
>>646 > 一元論とか二元論とか言うことがすでに多元論なんだよ。
> 一方を想定して一方を分別してるだけ。
あーはいはい
二元論の考えも神だよ
一元論の考えも神
一つの神の中に多様な考えがある
だが、どちらの考えの方が正しいかというと一元論
一つの神でしかないから
>>647 神使信者に一元論を教えてあげてもいいじゃん
何か問題でも?
一つの神の一つって誰がどのように何から持った概念? 一つってのは二つや三つを想定して、それらに対して一つって言ってるんだよ その時点で多元なんだよ ホントの一つってのは一つってことじゃないよ 神しかいないってのは神しかいないってことじゃないんだよ
「教えてあげる」って表現は二極性の表れでしょうに・・・
>>650 ID:Op9/WYV7は馬鹿なんだから理解できないよw
こいつは適当にからかって遊んでやってりゃいいの。
653 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 22:17:12 ID:OWYkQ9ZA
(1/3)
ん?何が起きたんだ??まあいいや。全部まとめて赦して、俺たちは先に進もうではないか。
争いたがってる人たちは置いて先に進めばいい。もちろん、その人たちが将来前に進みたいと思うようになったときには
全力で手助けするぜぃ!
(↑もちろんこれは二元論的なメタファー的表現。実際に争いたがっている人たちが存在しているわけではない)
さて、「自分以外に知覚者はいない」という点だが、いきなり言われても飲み込めない概念なのは当然なので、
今回は別の言い回しで説明してみる。ここでは、「身体」を「自動車」に置き換えた喩えで説明してみる。
小さなDVDの中には、多数の自動車(身体)が存在している。
「車内が0℃に設定されてる寒い自動車」、「音楽がガンガン鳴ってるうるさい自動車」、「乗り心地のいい快適な自動車」などなど。
さて、これらの自動車は、人が乗っていようが乗っていまいが、その特徴は継続している。
「寒い自動車」は、誰も乗っていなくても車内は寒い。しかし、誰かが乗って初めて「寒い!」と知覚する者が現れるわけで、
誰も乗っていない間は、寒いのは事実だが、誰もその寒さを感じない。誰かが乗って初めて「寒い!」と感じる知覚者が登場する。
>>588 で書いたテレパシーをこれに当てはめると、「快適な自動車」のドライバーが、「寒い自動車(その時点では無人)」のすぐ横に
ピタリとくっつく形で自分の車を止め、双方の車の窓を開け、ドライバーが身体の一部を窓越しに「寒い自動車」の車内に突っ込む。
すると、ドライバーは、寒さを感じる。「この自動車は寒いぞおい!!」と感じるわけだ。
やがてドライバーは、「寒い自動車」を残して再び自分の車でドライブを続けるわけだが、「あの車は寒かった」ことを身をもって
体験したわけだ。これが、テレパシーを今回の例に当てはめた場合の簡単な説明だ。
655 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 22:17:44 ID:EyUPf6ro
(2/3) しかし、自分で書いておきながら、この説明ではイマイチだなあ、と自分でも思っていたところなのだw そこで、もうひとつ、別の言い回しで説明する。ただし、今回は、言葉の使い方、言葉の定義を大きく変えて説明してみる。 今まで「知覚者は存在しない」という表現してきたが、どうやらこの表現が問題だったらしいと気がついたからだ。 なので、言葉の定義を変え、以下の説明では、「体の数だけ知覚者が存在する」という、今までとは一見矛盾するかのように見える 表現方法を使うが、言おうとしているエッセンスの部分は今までと何ら変わっていない点は予めご了承いただきたい。 言ってることが変わったのではなく、同じことを別の言い回しで説明しているだけである点を御承知願いたい。 また、より正確に伝えたいため、今回は、小さなDVDゲームの中の登場人物を、「人間」ではなく「アニメ(の中の人物)」と想定して 話を進める。DVDの舞台として、「ドラえもん」というタイトルの人生ゲームを例に出す。 DVDの中で、のび太がジャイアンにイタズラをして、それがバレて、怒ったジャイアンがのび太を殴り、殴られたのび太は 大声で泣いている。そして、それを見ていたしずかちゃんが、ジャイアンに「謝りなさい!」と言い、のび太には「そのくらいで泣くなんて 男らしくないわよ!」と言ってる状況を思い浮かべてもらいたい。
656 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 22:18:06 ID:OWYkQ9ZA
(3/3) もちろん、のび太、ジャイアン、しずかちゃんの3人は、現実には存在しない幻想の人物である。 しかし、「ドラえもんDVD」の中の世界には存在しており、各自がそれぞれの性格とキャラクターを持ち、それぞれ行動し、 それぞれが心を持って喜怒哀楽を表現して生きている。つまり、このDVDの中では、3人とも立派な知覚者として行動している。 ただし、プレイヤーがいずれかの身体に意識を投影しない限り、各身体が知覚している感覚を実際に体験する主体は存在しない。 たとえば、知覚者であるのび太の身体は、ジャイアンに殴られて泣いているが、誰ものび太に意識を投影してない場合には、 「泣いているのび太」を経験している主体はどこにも存在しない、という意味。 しかし、もしこのときプレイヤーがのび太の身体に意識を投影していたら、プライヤーは自分がDVDの外からプレイしていることを忘れ、 自分とのび太を同一視し、自分=のび太であると完全に思い込み、そしてプレイヤー自身が「ジャイアンに殴られて泣いているのび太」 という体験をする。プレイヤーが「泣いているのび太」を体験する。 しかしこの時、他の知覚者であるジャイアンとしずかちゃんの心(気持ち)を実際に体験している主体は存在しない。 う〜ん、こんな説明でわかるかなぁ?
>>653 マルチポストマン、お前邪魔するな
いい感じで哲学しているのに
一つとか神しかいないって概念に捉われてるからいつまでたっても多元なんだよ 一つであり神しかいないなら、そのとき一つも神しかいないも無いんだよ 何も無く全てがあるだけなんだよ
>>657 なぁ〜〜〜にが哲学だwwwwww
お前のやってることは、他国の領海に侵入し因縁つけて絡んでる支那と一緒なんだよ、ゴミババアw
660 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 22:21:46 ID:OWYkQ9ZA
もう少しタイミングを見計らってから投稿すればよかったと少々反省w
>>651 教える側と教えられる側という2極性だね
教えるという一つの行為の中にその2極がある
結局、一つに還元出来る
>>659 支那に屈服したように君も屈服するかね?
>>662 いやいや、お前はすでにサマディに屈服したのだからそんな台詞を吐く権限はないよw
サマディに完膚なきまでに叩きのめされて屈服し、泣きながら逃げていったんだからなwwwww
禅でも仏に会ったら仏を殺せっていうでしょ 世界は一元論だってわかっちゃったら一元論を手放すの 一元論を持ってしまうと二元論なの 一元論も二元論もなんでも持って何でも持たないのが一元論なの つまり自由であることが一元論で、一元論に縛られてるのは一元論ではないの 神しかいないと自由であるならいいけど、神しかいないに縛られてると神でもなんでもないの
待ってたぜマルチ君。 いろんな例えが出来て面白いよ。 でさ、また思ったんだけど選べる身体の数は無限に感じる有限個ってことはわかるんだが、プレイヤーの数自体はどうなんだろう? つまり夢見てる心の数は有限なんだろうか、無限個なんだろうか。 プレイヤーの数と同じく、分離してると思い込んでる俺達にしてみれば無限だけど、やっぱり全体からみれば有限個なのかなぁ。 確かエドガーケイシーは地球に最初に転生した魂の数は1億何千万個って言ってたけど。
>>664 縛られてるのではなく理解するだけど
理解と束縛は違うでしょ
>>666 理解とは何だ? 誰が理解するんだ? 誰が理解しているつもりなんだ?w
それがわからないからお前は馬鹿だと言われ続けてるんだよw
>>667 >
>>666 > 理解とは何だ? 誰が理解するんだ? 誰が理解しているつもりなんだ?w
> それがわからないからお前は馬鹿だと言われ続けてるんだよw
は?じゃあ馬鹿ではないお前、説明してみろ!
669 :
マルチポストマン :2010/09/24(金) 22:34:09 ID:OWYkQ9ZA
>>665 いまスレが大荒れ状態なので、明日以降にレス予定。
ってか、明日も大荒れだったらどうすりゃいいんだ?w
神しかいないって理解してるんならいいよ 理解は理解するものとされるものの二元論だけどまあいいや 神しかいないを理解したら神しかいないそのものになるといいよね まあなんでも好きにやってくれ
>>660 > もう少しタイミングを見計らってから投稿すればよかったと少々反省w
知覚者が居ないと思っておるなら反省なんかせず自由自在にカキコしまくればいいのにw
誰に遠慮している?
本当に知覚者は居ないと思っているのかね?
>>670 > 理解は理解するものとされるものの二元論だけどまあいいや
661を読んで
ここはACIM (A Course In Miracles) のスレです ACIMにほとんど関連しない論争、特に 個人的な感じの水掛け論は、他でやってほしい 「神との対話」と「神の使者」の共通点と相違点の、続きのスレ でも建てて、そっちで論争してくれたらなぁ、と思う
>>669 >
>>665 > いまスレが大荒れ状態なので、明日以降にレス予定。
> ってか、明日も大荒れだったらどうすりゃいいんだ?w
大笑い
(:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_ (:D)| ̄|_
あーこりゃこりゃ
>>669 了解!楽しみにしてる。
こーいう荒れた状況をみるとチャンス!と思ってしまうw
荒れたと思っちゃだめだよ 全て神の遊戯なんだから!
ここが荒れたことより、スーパーでおじいさんから話しかけられたことのほうが、俺の心に酷いさざ波を立てている。 人付き合いってマジ難しいわ。見ず知らずの人と簡単な立ち話とかできるやつすごすぎる。
>>653 テレパシーについては、その喩えでなんとなく納得できます
>>656 いきなり、話しがドラえもんになったので、笑ってしまったw
昨日までの各種のたとえ話で、マルチ氏の「他者がいない」説の骨子は
充分に伝わってると感じたので、無理にまた新しいタイプの喩えを
持ち出さなくてもいいと思ったんだけど。
ところで、「他の人間・キャラクター」による「殴る/殴られる」という
シチュエーションが、マルチ氏の話しには何度も出てくるけど
‘外界との相互作用’という意味では、もっと対象を広げた
汎用的な解説もあるといいと思います。
犬猫などのペットは知覚者なのか?とか、人を襲うイノシシや
皮膚を刺す蚊はどうなのか?とか、毒キノコをうっかり食べる例とか
殴る/殴られるだけでなく、車や自転車で電柱に衝突するタイプの
「自損事故」はどうなのか?とか
雨が急に降ってきてずぶ濡れになってしまうような天災は?とか…
つまり原因として非難対象になりうるような「人間」が特定できない
タイプの事故・災害・トラブルでも、
‘赦し’を実践する必要に迫られる状況は、多々あると思うのです。
>>679 俺もそう思うよ。
そういう場合が、自分自身を赦す、エゴを赦すって場合と言えるんじゃないかな。
赦す=起こってないと見抜く、だから例えば自分が病気にかかっても赦すと。
で、夢の行動としては夢のルールにしたがえばいいんじゃないかな。
ところで、ネタバレ話題の定番用語になってしまった 「犯人はヤス」の元ネタの、『ポートピア連続殺人事件』を考えてて ちょっと重要なことに気がついた。堀井雄二原作の古い PC-8801版しか プレイしてないけど… (未プレイの方やゲームに興味ない方、すみません) アドベンチャー型でもRPG型でもたいていのゲームは ゲームを操作してるプレイヤーが、登場人物に‘なりきって’ ストーリーを進めていくことが多い。 ここ数日マルチ氏が展開した「人生DVDゲーム」の喩えでも プレイヤー=主人公、魂が身体になりきる・没頭するという点で この一般的なタイプのゲームに基づいていたと思う。 ところが『ポートピア連続〜』の場合は、そうじゃなくて あくまでもプレイヤーは、ゲームの「外から」、ゲーム内の とあるキャラクター(笑)に‘行動指示’を出す、という形式なのです。 それほどたくさんゲームしたわけじゃないけど、あまり他の ゲームでは見かけない方式のような気がする… で、自分が思いついたのは、これはアドヴァイタの中でも ニサルガとかラメッシとかの系列の人達がよく言う 「人は‘行為’しない、神が‘行為’する」っていう話に つながる重要なヒントなんじゃないか?と。 (と言いつつ、自分はさっぱりこの部分を理解してないんですが orz) つまり、人生DVDゲームのキャラになりきって、自分で行為を 選択してるつもりになってるけど、実はそのゲームの外から 別の誰かが指示を出して行為を選択させて、それを 「俺が選択してるんだ」と思い込んでるだけなんじゃないかと。
682 :
神も仏も名無しさん :2010/09/24(金) 23:40:34 ID:4EDdlu4U
「自分以外に知覚者は存在しない」、 「体の数だけ知覚者が存在するということは間違い」 ということに関することで、 奇跡のコースのテキストかワークブックに、 該当箇所ありますか? 自分が認識している世界には自分しか存在しない、 (自分が認識していない世界はそもそも存在していない) ということに言っていることは近いと思うけど・・。 当たり前といえば当たり前か・・。
>>668 だ・か・ら、理解しているつもりになっているお前は何者なんだ?と訊いてるんだよ、アホw
質問に質問で返すな、ゴミクズ婆w
ACIM(奇跡のコース)の第一巻は11月発売。 もちろん、ナチュラルスピリット社版。
685 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 01:22:45 ID:XR9rvMHE
>>665 プレイヤーの数は、大きなDVDの中に登場する魂の数と考えていいと思う。たとえば1兆個だとしよう。
すると、この1兆個の魂が、それぞれ自分で小さなDVDを作り、それをプレイする。
(もちろん、その全ては事前に大きなDVDに書かれている)
つまり、魂レベルでの知覚者である1兆個の魂がプレイヤーとして、それぞれ自分で作ったDVDをプレイしているというイメージ。
この場合の知覚者とは、昨日まで使っていた知覚者という意味ではなく、
>>655-656 で書いた意味での知覚者という意味。
エドガーケイシーが言った「地球に最初に転生した魂の数は1億何千万個」というのは、たぶん、いま俺たちが見ている小さなDVDの中の、
さらにいまの俺たちが知っている時空の中の地球の歴史にアクセスし、「その地球」に最初に訪れた魂の数が記録されてるDVD上の
データを読みとったら、そこには1億何千万個と書かれていた(プログラミングされていた)という意味だと思う。
同じDVDの中でも、他の地球(他の時空に存在する地球)の場合には、違った数になると思う。
686 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 01:23:18 ID:N9rYcAhV
>>679 ドラえもん(アニメ)を例に出したのは、「生身の人間」だと、無意識のうちに身体と心を1対1で考えてしまうことが多いので、
アニメにすれば、身体と心は1対1ではない(知覚者ではあっても、そのままでは体験主体ではない)ということを、
誰でも瞬時に理解できるかな?と思ったから。
>>655-656 で書いた知覚者という意味で言うなら、犬猫やネズミや昆虫はもとより、木や花や葉、さらには石や釘も知覚者と認識している。
プレイヤーが犬に心をアクセスすれば犬になり、石にアクセスすれば石になる。
ただし、実際にプレイヤーが犬や石に意識をアクセスすることがあるかといえば、まずないとは思うけどね。
あと、他者とは関わらないケースでの赦し、たとえば晴れてほしい日に雨が降ってむかついた等の例は、
すでに
>>680 が答えてくれているとおり、赦す相手はエゴになる。この場合、他者を赦すのとはちょっとテクニックが違ってくるけどね。
687 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 01:23:39 ID:XR9rvMHE
>>681 ごめん、実は俺自身はゲームをやることはほとんどなく、『ポートピア連続殺人事件』に関しても内容がわからないので
答えたくても答えられない。本当に申し訳ない!
>>自分で行為を選択してるつもりになってるけど、実はそのゲームの外から別の誰かが指示を出して行為を選択させて、
>>それを「俺が選択してるんだ」と思い込んでるだけなんじゃないかと。
これは同意。DVDの喩えで言うなら、果たして身体Aはほんとうにはどれだけの自由があるのか?
選択の自由があるように見えるけど、実はもっと上(魂A等)のレベルから指示されていて、たんに自分の意思で選んでいるかのように
思ってるだけで、実際にはそんな自由はほとんどないのではないか?という疑問は以前から持っているし、そんな気がする。
688 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 01:24:15 ID:kA3VhpPU
(1/2)
>>682 俺はコース自体は読んだことがない(日本語版が出ればすぐ読むつもりだが)ので、神の使者シリーズ内に引用されてる範囲内
でしか答えられないが、直接的に「知覚者はいない」と書いてある部分は、神の使者シリーズの中には見当たらない。
ただし、間接的というか、理論的に考えればそのような理解に達するという意味でなら、「地上の人生は夜の夢と同じ性質である」
と何度も書かれているところから導き出すことはできる。
言うまでもないことだが、夢(夜ベッドで見る夢)の中の登場人物は知覚者ではない。
で、コースが地上の人生を「これは夢だ」と何度も言い切っている(ちなみにパーサとアーテンも100回かそれ以上、
このシリーズの中で「あなたの人生は夜見る夢と同じ」と言い切っている)ということは、つまり、地上の人生で自分の周囲にいる
人物もまた、夜の夢の中の登場人物と同じ(つまり、知覚者ではない)と解釈していいはずだと思う。
もし仮に、地上の人生で出会う、自分の周囲にいる人物たちが、夢の登場人物とは違って知覚者であるなら、
コースが「人生は夢である、人生は夜見る夢と同じ性質である」とは、まず言わないだろうと思う。
なお、神の使者シリーズの中の、コースからの引用部分だけでも、下記のように何か所も「人生は夢に過ぎない」とあるので、
コース本体を隅から隅まで探したら、おそらくこの何倍もあるのだろうと思う。
689 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 01:24:35 ID:XR9rvMHE
(2/2) 神の使者 P218(コースからの引用) 「夢の中の登場人物やその行動、それが夢をつくっているように見える。あなたがたは自分がそれを生みだしていることに 気づいていない。あなたが目覚めているように見える世界は、夢の中で見ているのと同じ世界のべつのかたちに過ぎない。 (略)寝て見る夢と起きて見る夢はかたちが違うが、違いはそれだけだ。中身は同じなのである。」 神の使者 P235(コースからの引用) 「夢を見ているとわかっていたら、あなたは夢のなかの人物に反応しないだろう。どれほど憎むべき悪人に見えても、 あなたが夢を見ていることを忘れない限り、あなたには何の影響も及びはしない。」 神の使者 P278(コースからの引用) 「あなたがこの世界は幻想だと認識したら、どうなるか?それは自分がでっちあげたのだとほんとうにあなたが理解したら どうなるか?その世界で歩き、罪を犯し、死に、攻撃し、殺し、自分を破壊する人たちはまったく現実でないと 気づいたらどうなるか?」 神の使者 P304(コースからの引用) 「奇跡によって、あなたが見ているのは夢でその内容は真実ではないことが確実になる。これは幻想と取り組むうえでの 決定的な第一歩である。誰も自分がつくり出した相手を怖がりはしない。自分は夢の作者で、夢の中の登場人物では ないことがわからないから、恐怖がその場に居座る。」 不死現 P288(コースからの引用) 「あなたは夢を見ているだけで、偶像はあなたが遊んでいると夢見ている玩具である。(略)彼らは世界を支配するふりをし、 独自に動き回り、話し、考え、感じ、語る力を玩具に与える。(略)悪夢は子どもの夢だ。玩具は玩具を現実だと考えた 子どもに反抗する。しかし夢が攻撃できるだろうか?」
690 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 01:36:00 ID:XR9rvMHE
こうして、今日もいろいろ書いたが、いちばん大事なことを最後に書いておく。 今までにも何度も書いたことだが、ほんとうに大事なことなので繰り返し繰り返し書くが、 人生が夢であろうとなかろうと、他者が知覚者であろうとなかろうと、そんなことよりも「赦しの実践」だけが重要だということは 忘れないでほしい。 人生が夢であることと、この世界には自分以外に誰もいないこと(つまり自分以外に知覚者はいないこと)は、 赦しの実践をよりスムーズに行えるようにしてくれる薬のようなもので、ものすごく有益だからこうして書いているが、 しかし、いくら人生が夢であることを理解し、他者が知覚者ではないことを理解したからといって、 赦しの実践がおろそかになったら何の意味もないことだけは忘れないでほしい。 逆に、人生が夢であることや、この世界には自分以外に知覚者はいないことは理解できなくても、 赦しの実践さえできていれば問題はないのだ。
>>684 情報ありがとうございます!
これって正式な日本語版じゃないんですよね。
買おうかどうか迷います……。
>>690 >逆に、人生が夢であることや、この世界には自分以外に知覚者はいないことは理解できなくても、
>赦しの実践さえできていれば問題はないのだ。
本当の赦しでなくとも問題はないのですか?
>453 名前:マルチポストマン[] 投稿日:2010/09/18(土) 23:54:14 ID:ZxrVwA+I > 「赦し」がどうこうと書いた責任として、「古いタイプの赦し」と、「新しいタイプの赦し」の違いを簡単に説明しておこう。 > > (1)知人に暴言を吐かれ、ものすごくむかついた! > しかし、後から冷静に考えれば彼の気持ちもわからなくもないし、私が彼の立場だったとしても暴言を吐いたかも知れない。 > そう考えたら、自然と彼を赦せた。 > > (2)知人に暴言を吐かれ、ものすごくむかついた! > しかし、彼はその後、誠意をもって私に謝罪してきたので、快く赦すことにした。 > > (3)他人に酷い目に遭わされた。すごくむかついたし、いまだに怒りは収まらない。 > しかし、コースや神の使者によれば、赦すことが大切で、夢から覚めるためには赦さなければならないので、 > 加害者への仕返しや復讐は一切やらないことにしたうえ、毎日瞑想で加害者を光で包むようにしている。 > > 上記(1)、(2)、(3)ともに、古いタイプの赦しであって、神の使者で言う「本当の赦し」ではないので注意が必要だ。 > どちらも、知人による暴言を現実とみなしており、なおかつ「気持ちはわかる」とか「謝罪した」ことによる > 条件付き赦しにすぎない。条件付きかどうかはともかく、彼の暴言を現実とみなす点で問題が大きい。 > > (4)知人に暴言を吐かれ、ものすごくむかついた! > しかし、すべては私が自分で勝手に見ている夢の中の出来事であり、暴言を吐いた知人などそもそも存在せず、 > その知人の身体は存在せず、もちろんその知人は知覚者ではなく、私が勝手にその知人という身体を創り、その身体に > 暴言を吐かせただけ(そのような台本を私自身が事前に書いただけ)であることを思い出した。 > 相手が身体的に存在しないうえ、知覚者でもないのなら、相手に対する怒りは(いい悪い以前の問題として)無意味であることを > 見抜いた。そう見抜いた以上、赦す以外に方法はない。だから赦した。 > > この(4)こそが「新しいタイプの赦し、つまり本当の赦し」なのだ。 >
自分を赦すっていうのは、過去のカルマが関係して居るであろう、困難な状況に自分を置き続けることを辞めるってことでもあるよね? あと、必ずしも行動による贖罪は無くてもいいんじゃないかとも思う。ゲイリーの例(過去の夫婦間で合った軋轢のせいで自著を取り扱ってもらえない)を見てると。
695 :
神も仏も名無しさん :2010/09/25(土) 11:57:50 ID:uslCZmGm
罪というのは、単なる間違いであって、 真実ではない、というところが理解できればOK。 真実は訂正できないけれども、 間違いは訂正できる。 間違いを訂正するのがゆるし。 訂正するのは聖霊。 自分にできることはゆるすこと。 あとは聖霊にまかせる。 罪がないということは、 自責の念をいだく必要はないということ。 罪というのは、自我が勝手に描いたでっちあげ。 そのでっちあげを自分で信じて、 それを信念にしてしまった。 信念にしてしまったから、 罪があるという世界に閉じ込められている。 そこから自分を解放すること。 コースで言っているゆるしとは大筋こんな感じだったと思う。 真の許しと、そうでない許しというのは、 罪というものを真実とみているか、 単なる間違いとしてみているかの違い。 そのたとえとして、 神の使者やマルチ君がいっているように、 人生そのものが夢と同じだと理解すると、 罪の意識にとらわれることがなくなるから、 ゆるしやすくなる、 ということだと思うよ。
>罪というのは、単なる間違いであって、 >真実ではない、というところが理解できればOK。 真実ではない、というところが理解できていない古いタイプの赦しをするとどうなるのだろう
>>696 5+1=を7と答えてしまったことを死ぬまで悔やむとか。
698 :
神も仏も名無しさん :2010/09/25(土) 12:10:59 ID:uslCZmGm
>>696 表面上はゆるしていても、
実際は、罪を信じ続けることになるから、
自分も罪悪感を持ち続けることになるんだと思う。
よってくるしい。やだ。
マルチポストマンは690で問題はないのだと言ってるが
>>698 そういうことあるわな
でもまじで赦しが起きるとどーでもよくなるらしいよ。それか思い出してもまるで起こってなかったような気がするとか…思い出して愛しくなるとか…
苦しいってこては要は赦せてないのかもね
ホントに赦しが起きると他人事になるよ 今まで感情がわきまくってたのにサッパリ意味がわからなくなる あれれ?オレ何に感情わかしてたんだろみたいな 他人のことはひどいことでも結局他人事、自分と無関係なこと それと同じに自分のことが自分と全く無関係なことになる 擬似的に体験したいなら自分の感じてる事も自分と関係ない他人に起きてる事と思ってみる のがいいよね
赦しも段階的に進むんだろうね。たまねぎの皮をむくように。
そのうち夢でも赦しのチャンスって出てくるけど、反射的に赦せる場合と、そうでない場合がある。
ひっどい嫌がらせの夢とかだど、反射的にはまだ赦すことが出来ないので目が覚めてから赦してる(笑)
>>665 でかいDVDがつくられた瞬間がビックバンって訳かな。
プレイできる身体が無限に思える有限ってことだから、やっぱりプレイヤーの数も同じなんだろうね。
それとエドガーケイシーではツインソウルって概念があって、魂は過去に一度男性性優位の魂と女性性優位の魂に分裂したってあるんだ。
きっと二元論的に説明したメタファーなんだろうけど、(神使でいう)心が分裂したのはビックバン以降、つまりDVDが造られてからも分裂って起きたんかな?
で、誰かまをちょっと読みなおしてみたんだけど、
自分自身を赦す、エゴを赦すってのは、只、人生で起きることを「見ている」ってことでOK?
誰かまの言葉で言えば、「考える心」をストップさせて「機能する心」を働かせるってことかなって思った。
しっかし、20世紀後半にやっと出てくれたコースに比べて、アドヴァイタ、ヴェータンダとか、
赦しという具体的なテクは述べてないものの、結果を気にせず行為せよってコースと同じ原理を説いてるよね。
紀元前のもんなのにすげーと思た。
703 :
神も仏も名無しさん :2010/09/25(土) 18:14:42 ID:uslCZmGm
>>701 、700
なるほどね。
こだわってるのは、自分だからな。
自分に起きていることがひとごとのように思えるとか、
いやな感情がわいてこない、
というのは、確かに許せたという、
一つのしるしになるね。
他人が苦しんでいるのを見て慰めたくなる事も苦しみを存在させたいエゴの策略に踊らされた結果。 本当に赦せればどんな苦しみもスルー出来る。本当は存在しないと実感出来るよ。
相手をなかなか赦せないときは、まず赦せない自分から赦すといいんだよね 相手を赦せないのと同時に、そういう自分に罪悪感を持っちゃうからね 別に相手を赦せなくてもいいって思うと、自分が自由になった分だけ、逆に相手を赦せる余 裕がでるかな あとはむしろ「よーし相手を赦さないぞ!!!めっちゃチカラの限り赦さないぞ!!!」なん て思いっきり意気込んでみるとかね そしたら不思議と、「いやそこまでないでしょオレ」なんて自分ながら思ったり 笑っちゃえるしね 自分の中にも相手を赦せない自分と、冷静な自分と両方いるんだよね 感情的になってるときは、相手を赦せない方の自分を自分だと錯覚してるだけで、ホントは 自分ではないんだよね 赦せない自分も、赦せない自分を赦せない自分も、全部笑っちゃえばいいんだけどね マジな顔しておもろいことやってるなって
そうだ あるがままに受け入れる
707 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 22:48:05 ID:J9vzKdnI
(1/2)
おっと、
>>692-693 が鋭い指摘をしてくれた。
赦し(新しいタイプの赦し、古いタイプの赦し)に関してより詳しく考察するべき時がきたようだ。
その前にひとつ大事なことを言うと、「新しいタイプの赦し」とか「古いタイプの赦し」というのは、ツールであって目的ではない。
この場合の目的は「赦しの成功、つまりエゴの解体を成功させること」であり、「タマネギの皮を剥くこと」である。
だから、雑な言い方をすれば、古いタイプの赦しでもタマネギを剥くことに成功すればOKだし、新しいタイプの赦しでも
タマネギを剥くことを失敗すれば意味がないのだ。
では、なぜ、新しいタイプの赦しが推奨され、古いタイプの赦しが敬遠されるかというと、新しいタイプの赦しを実践すれば、
かなりの高確率でタマネギを剥くことに成功できるが、古いタイプの赦しでは、よほどのことがない限り成功できないからなのだ。
運転中に割り込まれたとか、誰かにちょっと嫌味を言われた程度のことであれば、古いタイプの赦しでもタマネギを剥けるだろう。
しかし、もっと重大なことを赦す(タマネギを剥く)場合、古いタイプの赦しではとてつもなく困難なのだ。
なお、古いタイプの赦し、新しいタイプの赦しのどちらも実践しなくても、タマネギを剥くことは不可能ではない。
たとえば、一切判断しなければタマネギは剥けるし、一切ネガティブな感情を持たないでいることができればタマネギは剥ける。
ただし、その方法だと、限りなく不可能に近いくらい困難だし、とてつもなく時間がかかるため、非効率的なのだ。
それよりも、新しいタイプの赦しを通じてタマネギを剥く方がずっと簡単だということ。それが、新しいタイプの赦しが推奨される理由。
708 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 22:48:46 ID:J9vzKdnI
(2/2)
不死現 P279-280(ゲイリー・パーサ)
(ゲイリー)「一つ質問があるんだけど、単に判断しない、というのはどうだろう?判断しない、というのは赦しと同じじゃ
ないんだろうか?」
(パーサ)「それは良い質問だわ。エゴは判断なしには生き延びれない、というのは真実です。だから誰かがほんとうに
判断しないことを完璧に実践できたら、いずれはエゴが解体されるでしょう。(略)問題は、単に判断しないという方法は
時間がかかるし、実際にはとても難しいってことなの。」
上記の説明が、自動的に
>>692 への回答となる。
なお、
>>690 で俺が本当に言いたかったことは、新しいタイプとか古いタイプがどうこうではなく、知識や情報の収集に
目が行き過ぎて赦しがおろそかになってしまってはまずい、という点だったのだ。だからあのような文章になったのだ。
混乱させてしまったようで申し訳ない。
709 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 22:53:30 ID:J9vzKdnI
古いタイプの赦しは、その出来事を、幻想ではなく現実と考え、そこに罪があるといったん宣言さえ、そのあとその罪を 見過ごさせるという方法だが、これでほんとうに赦すことができるかというと、とてつもなく難しいだろうな。 以下、参考部分に引用。 神の使者 P265-266(コースからの引用) 「エゴもまた赦しの計画をもっている。(略)エゴの計画に従えば、エゴがつねにあなたがたを導く不可能な場所に自分を 置くことになる。エゴの計画は、まずあなたがたに過ちをはっきりと見させ、次にそれを見過ごさせることだ。 だが現実化してしまったものをどうして見過ごせようか?はっきり見ることによって、あなたがたはそれを現実とし、 見過ごすことができなくなる。」 神の使者 P235(コースからの引用) 「罪悪感を現実とし、それから償っても、罪悪感を消滅させることはできない。それは消滅させる代わりに罪悪感を もたせようとするエゴの計略だ。
新しいタイプの赦しでは駄目だよ ありのままの現実を直視するのが怖いから知覚者はいないとか言って逃げているだけだ 恐怖の温存でしかない 知覚者はいないと確信した所で実際に他者はいなくなったりしないしw
罪悪感を消滅させようとする事自体が罪悪感を持ったありのままの自分を拒否しているという事 罪悪感を受け入れて楽になれ
苦も楽もエゴも愛も分け隔てなく受け入れればそこに1なる神の王国が現る
君が大嫌いで消滅させたがっている神の使者も神の一部なのだよ(^^
714 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 23:07:19 ID:J9vzKdnI
>>707 で「赦しの成功」と書いたが、では、「赦しの成功」とはどういうことなのか?
実は、「ある出来事」をすでに赦しているか、まだ赦していないかを判別する簡単な方法があるのだ。
その出来事を不意に思い出したとき、その瞬間、どんな感情が現れるかを見ればだいたいわかる。
たとえば、友人に暴言を吐かれて傷ついたことがあるとする。
その出来事を不意に思い出したときに起きうる感情は、大きく分けて以下の4通りとなる。
(A)そういえばそんなこともあったなあ、という程度で、ネガティブな感情は起こらず、数秒後には別のことを考えている。
(B)若干の不快感を感じるが、即刻でスルーできるレベルなので、その場でスルーし、数秒後には別のことを考えている。
(C)嫌なことを思い出してしまった。思い出すたびにむかつく。まあでも、いつまでも怒っていても仕方ないので忘れよう。
(D)思い出すたびにはらわたが煮えくりかえるような怒りを覚え、冷静さを失い、目の前にあるものを片っ端から殴り飛ばしたくなる。
上記のうち、(A)と(B)はすでに赦していると考えていい。(C)はまだ多少の赦しが必要といったところか。
問題は(D)なのだ。実際のところ、「100個の(C)」よりも「1個の(D)」の方が深刻だ。
こんな感じで、その出来事をふと思い出したときに自分がどう感じるか。これをチェックすれば、自分がその出来事を
すでに赦しているのかいないのか、だいたいのところがわかる。
言葉の問題だと思うけど、罪悪感って以前に罪悪なんてないんだよね 罪悪という何かがあると思ってる思いがあるだけ 単なる錯覚 罪悪を犯すこと犯されることも、罪悪感を感じることもできない できたと思ってるだけ 思いたいだけ
>>713 > 君が大嫌いで消滅させたがっている神の使者も神の一部なのだよ(^^
そのまま信じたい人は信じれば良い
ニューエイジァーに転向したい人はウェルカム
>>715 “罪悪という何かがあると思ってる思い”があるんだろ
何もない事にはならない
神の使者もACIMもサマディも分け隔てなく受け入れればそこに1なる神の王国が現る(ニヤニヤ
>>717 何もないなんて言ってないよ〜
それに何もないって言っても「何もない」があるしねw
>>719 > 何もないなんて言ってないよ〜
> それに何もないって言っても「何もない」があるしねw
お前はナカナカ賢いぞ
>>720 神対スレの衛りが手薄になっているぞw
戦争において二面作戦は敗北必至である。
作戦を間違えてしまったなw
>>721 敗北してばかりの人に言われてもなあw
まあ頑張れや
>>722 ウソばかりついているお前がそう言うということは、
お前が敗北してばかりということだなw
すべてを受けいれるべきだと言いつつ、俺を受け入れられないではないか。
ほら、お前はウソをついているww
724 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 23:30:07 ID:J9vzKdnI
>>702 俺たちが普段言うところのビッグバンは、大きなDVDというより小さなDVDかな。
ビッグバンを、いまのこの宇宙ビッグバンと定義するなら、小さなDVDの一つ一つが宇宙だから、それのビッグバンは、
小さなDVDの中で完結していて、大きなDVDの中には、その何倍も大きなビッグバン(のようなもの)があるのかも知れない。
あと、小さなDVDが作られた瞬間がビッグバンと考えてもいいけど、ビッグバン自体が小さなDVDの中にすでに含まれてる、
つまり、ビッグバン自体が小さなDVDの中に書かれた出来事、という風にとらえることもできると思う。
そこらへんはまあ、DVDそのものの定義にもよるだろうね。
エドガーケイシーの件は、メタファーか、または、DVDをリーディングした結果、DVDがすでにそのような設定になっていた、
というふうに考えることもできるかも。
>>723 ぐちゃぐちゃ言ってないで神対スレの反論してみなさいw
何を言ってもそれに批判はできる 言葉はどのように言おうと何かを指すからカタチとして2元的になるし、その外側から批判で きる だからって何かに批判しててもしょうがないよ 自分のしたいことが何かを批判することでしかないなら存分にすればいいけどさ
>>725 おらおら、負け犬のイジメられっ子、神対スレの防衛が手薄になってるぞw
毎度毎度見事に論破され赤っ恥をかかされ続けている道化師さんよwww
多勢に無勢のID:qNhV7uJ/ wwww 惨め〜 惨め〜 惨め〜♪♪wwwwww
>>729 真実を示そうとするのは真実でないと思うものに対しての批判じゃないの?
真実とか真実でないものとかがあるとしてだけどね
真実 1+1=2 真実でない 1+1=3
くやしいのうwwwwwwwwww くやしいのうwwwwwwwwwww ∩___∩ ∩___∩ ♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶| / (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 くやしいのうwwwwwww | ( _●_) ミ :/ :::::i:. ミ (_●_ ) | くやしいのうwwwwwww ___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____ ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/ / /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶 / /  ̄ :|::| ::::| :::i ゚。  ̄♪ \ 丶 / / ♪ :|::| ::::| :::|: \ 丶 (_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_) | /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ / し )). ::i `.-‐" J´(( ソ トントン ID:qNhV7uJ/ ソ トントン
1とか2って人間が決めた概念だよ〜 1+1=2は決めたルール(法則)じゃん 人間の知覚(観察)で数値化できるものにルール付けしただけなのに できるもんなら1ってものを目の前に出してみなよ
くやしいよ〜wwwwwwwww くやしいよ〜wwwwwwwww
>>733 > できるもんなら1ってものを目の前に出してみなよ
お前自身がカキコしているけどw(プゲラ
「できるもんなら”1”ってものを目の前に出してみなよ」
数字の1が概念の1だと思ってるならそれでいいよ あなたにとって「人間」は実際の人間なんだろうね
737 :
マルチポストマン :2010/09/25(土) 23:48:33 ID:J9vzKdnI
身体(人間としての身体)を体験しているのは、身体そのものではなく、その身体に心を投影しているプレイヤーである、 というのと同じ趣旨のことが、神の使者にも書かれている。 神の使者 P371(アーテン) 「きみが目覚めているように見え、目を開いている昼間も、ほんとうは夜寝ているときと同じで、見ているのは身体の目では ないんだ。いつだって見ているのは心なんだよ。いつだって聞いたり感じたり、そのほか、身体の五感がしていると思っている ことは心がしている。例外はない。」 つまり、「他者の身体は知覚者ではない」だけでなく、「自分の身体」でさえ、ほんとうは知覚者ではない。 知覚しているのは、身体に心を投影しているプレイヤーであって、身体ではない。プレイヤーが、その身体への心の投影を やめてしまえば、その身体は、その時点で知覚者ではなくなる。 これと同じことが、別のケースでもたまに起きることがある。臨死体験、幽体離脱などのことだ。 臨死体験では、自分のエッセンス(今まで身体に心を投影していたプレイヤーの主眼、以後「心」)が身体を離れて宙に浮き、 下を見るとベッドに寝ている自分の姿が見える。医者が身体を触ったり注射針や管を通したりしているが、 宙に浮いた心は、身体に触れられる感触や注射針の痛さなどの身体に関わる一切の五感は、すでに知覚しなくなっている。 あるいは幽体離脱。ベッドや睡眠中の幽体離脱だけでなく、特殊な修行や断食などにより、日中に歩行中や読書中などに いつのまにか幽体離脱してしまうケースもあるようだが、心が身体から離れている間は、身体に関わる知覚は感じない。 心が離れたあとも、身体は食事や読書を続けるが、身体から離れた心は、身体がしている食事や読書は知覚しない。 この引用と説明で、「他者の身体は知覚者ではない」という理解がより進むのではないかと思う。
負け犬低学歴ニートのID:qNhV7uJ/、今日も集中砲火を浴びて見事撃沈wwwww
>>737 他者の身体ではなく(幽体離脱とか出来る)魂が知覚者
よって他者はいる
まあ他人の言葉に何か言ってるより自分が赦しそのものになることだよね アドヴァイタでいえば真我実現すること
何で神対住人とACIMerじゃない人がここで敵対してるの? 赦しと反対のことをしてるだけで、どちらもACIMスレから外れてるのに。 エゴの権化でしょ。
【ACIMワークブックの92番の解説途中から引用】
You also believe the body's brain can think.
If you but understood the nature of thought,
you could but laugh at this insane idea.
It is as if you thought you held the match
that lights the sun and gives it all its warmth;
or that you held the world within your hand,
securely bound until you let it go.
Yet this is no more foolish than to believe
the body's eyes can see; the brain can think.
英文読解は苦手だけど、大雑把に意訳すると
「身体の目で物を見たり、脳で考えたりできると信じるのはアホ。
手に持ったマッチが太陽を照らして暖めるとか
手の中に全世界を安全につかんでるとか考えようなもの。
思考の本質を理解したら、こんなおかしな発想は笑うっきゃない」
…みたいなことが書いてある(と思うw 細かい所は違うかも)。
長いワークブックの中でも、この部分は結構気に入ってる。
>>737 ポストマン氏が引用した、神使p371アーテンの発言
>いつだって見ているのは心なんだよ。いつだって聞いたり感じたり、
>そのほか、身体の五感がしていると思っていることは心がしている。例外はない。
この部分のアーテンの口調が印象的で、そうそう俺もそう思う!って
うなずきながら読んだのを、思い出した。たぶん上のワークブック92番と
関連してるから、すんなり納得したんだと思う。
自分の身体さえ本当は知覚者じゃない、って考え方は個人的に特に好きだなぁ
なんか本題の‘赦しの実践’からズレた感じのレスで、すみません
離脱結構してしまうくちだけど他者はいないよ。自分の「身体」すら知覚者じゃない。 そういう意味で神秘体験は役に立つよね。こればっかは自分で体験するしかないからね。 でも体験しようと期待するとエゴは裏切るから注意。
うむ、四の五の言ってないで体験すべきだ 「何もない」と頭で思ってるのと、実際に「何も無かった!」と体験するのでは全く別物だ
746 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 04:26:14 ID:iKGdhbBA
過去ログや他のスレに目を通して、ちょっと気になったことがあるので、書いておこうと思う。 神の使者などには、たしかに「あなたは存在しない」と書いてある。 「宇宙は存在しない」とか「他者は存在しない」という説明と同時に、「あなたも存在しない」と、確かに書いてある。 この、「あなたは存在しない」というのは、間違いではないのだが、その意味を勘違いしてる人が多いようなので、誤解を解きたい。 簡単にまとめると、以下のとおりとなる。 (存在しないもの)・・・他者の身体、他者の心、あなたの身体 (存在するもの)・・・・あなたの心 あなたの身体は幻想であり存在しない(単にDVDに書かれているだけのもの)が、あなたの心は存在してしている。 あなたの心は神の心であり、下着(魂)や洋服(身体)をまとったための記憶喪失状態により、神としての記憶のうちの 99.999999999%くらいは忘却しているが、それでも「神の心」であることには変わりない。 DVDゲームのプレイに喩えると、DVDの中の世界は幻想だが、それをプレイしているプレイヤーは幻想ではない。これと同じ理論。 つまり、DVDをプレイしているプレイヤーに向かって、「あなたの身体、あなたがいま自分の身体だと思っている身体は存在しない」 という意味で「あなたは存在しない」と言っているのであって、身体を知覚している心、つまりプレイヤーの心が存在しないという 意味で言っているのではない。 ゲイリーの例で言うなら、「ゲイリーという人物、身体、個性は存在しない」という意味で言ってるのであって、「ゲイリーという人物を 知覚している心が存在しない」という意味ではない、ということ。 (ほんとうは、「ゲイリーという人物を知覚している心」も存在しないよ。存在するのは、「あなたという人物を知覚している心」だけ。)
747 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 04:32:49 ID:iKGdhbBA
>>743 コースにも書いてあったんだ。今からコースを読むのが楽しみだ!
>>744 エゴはありとあらゆる場で妨害してくるからね。
最近思うのは、ヤクザだろうがヒトラーだろうが相手が人間なら、腹を割って話せば少なくとも3%くらいは話は通じそうだが、
エゴが相手だと1%たりとも通じないな・・・という印象w
748 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 04:43:25 ID:iKGdhbBA
>>746 の補足だけど、夜寝て見る夢に置き換えてみるとわかりやすい。
あなたが夢で数人のグループで遊んでるとしよう。
「夢の中に登場しているあなた」の身体はもちろん存在しない。
また、個性、パーソナリティ等という点でも、あなたは存在していない。
しかし、その夢を見ているあなたの心、つまり、夢の中であなたの身体を演じているあなたの心、これは存在している。
一方、その夢の中に登場する、あなた以外の全員は、それらの身体も、それらの心も、どちらも存在しない。
つまり、あなた以外の全員は、知覚者ではなく、あなたがあなたの夢の中に作り出した「喋る人形(またはロボット)」に過ぎない。
あなた自身も、あなたがあなたの夢の中に作り出しただけという点は同じだが、そこに「あなたの心が投影されている」のも
事実である。つまり、あなたの心は、夢の中でも、知覚者として存在している。よって、以下のようになる。
(存在しないもの)・・・他者の身体、他者の心、あなたの身体
(存在するもの)・・・・あなたの心
>>748 その例えは誤解を招く
夢の中に登場してる自分が心で思うことは夢なんだから
夢の中の登場人物である自分の心と、夢を見てる自分の心と、心がふたつあることになる
夢の中の登場人物である自分が花を見て、花だなって思う心は夢
「夢の中の自分が花だなって思ってる」と思ってる心は夢じゃない
他者であろうと自分であろうと身体も心も夢だし存在しないんだよ
その境地が確立したとき現われる身体でも心でもない視点、それのみがあると言える
それを心と呼ぶならそれでもいいけどさ
ポストマンは他者も自分も消えた体験があるのかな
あれを知ったらそういう言い方はしないと思う
あれは心などと呼べるものじゃないし、せいぜい知覚、視点、そういったもの
自分の思いは消えるし心だけがあるというより、何も無かったというほうが近い
何も無かったという知覚のみがある
結局マルチは心があってもらいたいという思いを赦してないんじゃないだろうか 心を肯定する思い、心を否定してはいけないという思い 心があってもなくてもいいというふうに自分の心に対する思いを手放すことが赦しでは? 心なんてどうでもいいじゃない そう赦せたとき心が消えて、今まで心だと思っていたものとはもっと別の、自由な何かが現 われると思うけど
751 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 06:50:58 ID:iKGdhbBA
>>749-750 うん、わかる。言おうとしていることは、わかるような気がする。
多分だけど、私が言おうとしていることと、あなたが言おうとしていることは同じで、「心」という言葉の定義(捉え方)の相違のような気がする。
私は、自分を自分と認識する知覚、自己認識、「私は在る」という、ただそれだけの感覚。これを私は「心」と呼んだのだ。
それ以外の特性、たとえば寒さより暑さが好きとか、子どもが好き(または嫌い)とか、巨人ファンであるとかないとか、
その他あらゆる「今回の転生での全ての特質、特性、嗜好」などは、ほんとうの自分とは一切関係なく、今のパーソナリティをすべて超えた、
ただ単なる「私は在る、という感覚」。これのことを「心」と呼んだだけなのだ。
例えば、「今の私の心」と、「昨夜見た夢の中での心」を、別の心とみなすのなら、私の心は存在していないことになる。それはわかる。
で、「今の心」と、「昨夜見た夢の中での心」は、キャラクターは全然違うが、同じ一つの心とみなすなら、
今ここの幻想の世界の中にも、私の心は存在していることになる、という意味で書いたのだが・・・。
もちろん、「何かを考えている自分を、もっと上のレベルから観察している自分」という概念はよくわかる。
「何かを考えている自分と一体化してること」も多いが、一歩離れて「その自分を観察している自分であること」も、よくあるから、
その概念はすごくよくわかる。
もしニュアンスが全然違うようだったら再度指摘してほしい。
752 :
神も仏も名無しさん :2010/09/26(日) 08:39:10 ID:c1GkMqoA
知覚は意識の領域だからエゴという幻想に過ぎないと思うんだが
>>751 自分はマルチの頭の中(言葉の定義や概念)はわからない
だから751に関してもそうだねという部分と、でも少し違うんじゃないかという部分があるけど、
特に追求する気はないよ
ただ、心という言葉を使うとしても自分なら最後に残るのは誰の心でもない心
わたしの心という言葉を使う気にはなれないかな
特に、他者の心がないという文脈でわたしの心はあるという言い方は、自分はピンとこない
わたしや心ということに関してマルチの中に何らかのこだわりが残ってるように見えてしまう
まあしかしマルチ自身のことは自分にはわからない
マルチがわたしとか他者とか、心というものがあるとかないとかにこだわりがない(一切を赦
せてる)ならそれでいいよ
赦しはそれぞれがそれぞれによってしか行なえないことだから
754 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 12:12:16 ID:iKGdhbBA
>>753 ごめん、俺の表現が悪かった。「心」、「私」、とくに「私の心」という書き方(言葉の定義)が大きな誤解を与えていたことに気がついた。
マルチポストという身体である自分を【わたし】、
マルチポストという個を超え、マルチポストでも誰でもない自分、逆に言えば全ての人でもある自分を【私】と呼ぶとすると、
以下のようになる、ということを言いたかったのだ。
(存在しないもの)・・・他者の身体、他者の心、わたしの身体、わたしの心
(存在するもの)・・・・私の心
つまり、「ワタシの心だけは存在している」というのは、【わたしの心】のことではなく【私の心】のこと。
ではなぜ、【わたしの心】と【私の心】を、「同じ心」であるかのように書いたのかと言えば、マルチポストとしての生を終えたあとも、
【私の心】は、マルチポストとして生きていた当時の【わたしの心】の記憶を覚えており、その記憶が【私の心】の中に残るから。
なので、【わたしの心】から見た立場ではなく、【私の心】から見た立場という意味で、「ワタシの心は在る」と言ったのだ。
【わたしの心】から見て「ワタシの心は在る」という意味で言ったのではない。
なお、【わたしの心】が幻想であってじっさいには存在しないという点については、全面的に同意。
755 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 12:42:03 ID:iKGdhbBA
別の言い方で補足すると、DVDゲームの例に喩えて言うなら、いま、DVDで身体Aをプレイしているプレイヤーがいるとするなら、 プレイしている身体(というかプレイヤー)に向かって、 「身体Aの心は存在する」という意味ではなく、「プレイヤーの心は存在する」という意味で、「あなたの心は存在する」と言った、 という意味ね。身体Aに話しかけているのではなく、プレイヤーに話しかけている、というイメージ。 ゲームを終えると、プレイヤーは、自分は身体Aではなかったこと、というか、自分は「誰でもなかったこと」を思い出す。
756 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 12:50:46 ID:iKGdhbBA
>>754 では、「【私の心】は存在する」と書いたが、実はこれもレベルの問題で、もっと上のレベルに到達した時点で
実は【私の心】も幻想だったことに気づき、そのときには、【私の心】よりももっとスケールが大きな、例えば【我の心】というような
ものが、ほんとうの心だったことを理解する。さらに進むと【我の心】も幻想だったと気づき・・・・・と、何度も繰り返したあと、
最後に残るのは【神の心】だけなのだと考えている。
>ものが、ほんとうの心だったことを理解する。さらに進むと【我の心】も幻想だったと気づき・・・・・と、何度も繰り返したあと、 永遠に繰り返す事もありえるのでは 延々と玉ねぎの皮を剥き続ける・・・
758 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:07:37 ID:iKGdhbBA
>>752 そう、その通り。
自分は身体であるという知覚、これはエゴの領域だし、身体を離れて魂の状態になったとしても、
それでもまだ、自分は魂であると知覚しているエゴの領域に過ぎない。
DVDゲームの例で言うなら、身体である洋服や魂である下着、これらが本来であれば存在するはずのない個という幻想を錯覚させ、
これらによって知覚が生まれる。そして、それのすべてはエゴの領域だ。
エゴを解体していくと、洋服や下着は脱ぎ捨てられ、すべてを脱ぎ去った時点で純粋な神に戻る、というイメージかな。
純粋な神は何の為に洋服や下着を着たのだろうか?
760 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:11:53 ID:iKGdhbBA
>>757 まあ、その可能性も全面否定することはできないだろうね。ただ、「タマネギを剥く」と言ってもいくつかのレベルがあり、
たとえば「身体を脱ぎ捨てる」というレベルのタマネギ剥き、「魂を脱ぎ捨てる」というレベルのタマネギ剥き、もっと上のレベルのタマネギ剥き。
このうち、少なくとも「身体というタマネギ」に関しては、いつかは必ず全部剥くことになり、永遠に繰り返すことはないと思う。
それ以外のタマネギに関しては、何とも言えないな。
>このうち、少なくとも「身体というタマネギ」に関しては、いつかは必ず全部剥くことになり、永遠に繰り返すことはないと思う。 可能性はあるよ というか必然かも 472. 真実の世界に目覚めてもまた幻想の世界に眠る可能性はないかな? 元々真実の世界にいたはずなのに幻想の世界の体験をしている訳だから これから真実の世界に戻っても何らかの理由で(もしくは何の理由もなく)幻想の世界の体験が始まったりして・・・ 即ち、真実の世界と幻想の世界をグルグル回る一種の輪廻転生です。
762 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:14:57 ID:iKGdhbBA
>>759 神から離れた(天国を捨てた)という罪悪感から逃げるため、という、神使に書いてある説が正しいと俺は考えている。
マトリョーシカ人形
764 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:19:53 ID:qc/HDfHO
>>761 いったん身体のタマネギを全部剥いたあと、再びタマネギを作る可能性は否定しないよ。
ただ、少なくともいったんは、身体のタマネギは全部剥く、という意味。
そうでなければ、一度も途中退場することなく、永遠に「身体という輪廻転生」を繰り返すことになってしまう。
>>762 >
>>759 > 神から離れた(天国を捨てた)という罪悪感から逃げるため、という、神使に書いてある説が正しいと俺は考えている。
純粋な神しかいなかったのだから神から離れた(天国を捨てた)という罪悪感をもったのは純粋な神という事ですか?
なら玉ねぎの皮を剥いて純粋な神に戻っても・・・
>>764 > いったん身体のタマネギを全部剥いたあと、再びタマネギを作る可能性は否定しないよ。
> ただ、少なくともいったんは、身体のタマネギは全部剥く、という意味。
>
> そうでなければ、一度も途中退場することなく、永遠に「身体という輪廻転生」を繰り返すことになってしまう。
身体のタマネギを全部剥いた後でも純粋な神は身体を再創造するのでは
実質的に身体という輪廻転生は繰り返されよう
767 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:28:26 ID:qc/HDfHO
>>765-766 神の使者などでは、神から離れたのは「神の息子」と書かれているが、私はこの書き方には問題があると思っている。
なぜなら、「神の息子」というと、それはあたかも「神とは別の存在」というイメージを与えてしまうからだ。
神から離れたのは、神とは別の存在である神の息子ではなく、神自身であると俺は考えている。
タマネギの皮を全部剥いて、純粋な神に戻ったあと、再びタマネギを作る可能性は否定しない。
ただし、神にも「学習効果」はあるはずで、仮に再びタマネギを作るにしても、今回のような「苦痛に満ちたタマネギ」ではなく、
もっともっとずっと「幸せなタマネギ」を作るのではないかと思う。
神使者のように純粋な神は不変であるという考えだと救いがないだろう 罪悪感の創造も不変という訳だから(相変わらず罪悪感を創造)
769 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:31:10 ID:qc/HDfHO
>>766 >>身体のタマネギを全部剥いた後でも純粋な神は身体を再創造するのでは
だから、いったん剥いた後、再び身体というタマネギを創造する可能性は否定してないって。
ただし、今回よりはずっと「幸せなタマネギ」になると思うけどな。
>>767 > ただし、神にも「学習効果」はあるはずで、仮に再びタマネギを作るにしても、今回のような「苦痛に満ちたタマネギ」ではなく、
> もっともっとずっと「幸せなタマネギ」を作るのではないかと思う。
それに同意するが
神使者には“神は変化しない”と書いてなかったか
不変なら学習して成長するとは言えまい
771 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:34:14 ID:qc/HDfHO
>>768 さすがにそこまで話がいくと、俺には「わからない」としか言いようがない。
あなたの説を肯定することも否定することも俺にはできない。
そんな先のことより、俺はまず自分の目の前のタマネギを剥くことに専念するわ。
純粋な神に戻ったあとどうするかは、実際に純粋な神に戻ったあとに考えるよw
マルチポストマンは神使者にある“神は不変”という概念には同意しないのか?
773 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:37:52 ID:qc/HDfHO
神の使者に書いてある「神は変化しない、神の被造物も一切変化しない」という意味が、実は俺にもよくわからない。 絶対的な真実なのか、真実ではあるが一部メタファー的な表現なのか、その辺がよくわからないが、 おそらく「変化しない」というのはもっと大きな文脈の中でのことであって、ミクロの視点で見れば「変化している」ということに なるのかも知れない。この点、詳しいことは俺にはわからない。
ただ一つ言えることは、神の不変性(恒常性)が絶対的な真実であるなら永遠の幸せは得られそうにないという事だね
775 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:42:56 ID:qc/HDfHO
まあ、どちらかというと、メタファー的な言い回しの可能性が高いような気がしないでもない。 たとえば、「人間が何をしようが、地球は変化しない(核爆弾とかは抜きにして)」という言い回しの場合、 ちっぽけな人間が地球上で何をしようが、地球はビクともしない、という意味で言うなら間違いではない。 もちろん、実際には地球も変化する。人間がビルを建てれば、その時点で地球は変化する。 しかし、より大きな文脈で言えば、ビルを建てようが、海の一部を埋め立てようが、地球は変化しないという言い回しも間違いではない。 そういう感じじゃないかな?くらいの俺は考えている。
色々な経験をして成長する事が恒常的に続くという意味なら良いのだが
777 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:47:48 ID:qc/HDfHO
>>774 神の不変性が真実かメタファーかは別として、仮に真実だとしても、
その不変性は現実の領域での話であって、我々が見てる世界は現実ではなく幻想つまり夢なのだから、
幻想である夢が不変なわけではない。ということは、次にまた今の世界と同じ苦痛に満ちた幻想ができるというわけではない。
現実の領域は不変でも、幻想つまりタマネギの内部は不変ではないのだから、タマネギ自体は変化していくかも知れないよ。
つまり、今回とは違い「幸せなタマネギ」となり、「苦痛に満ちたタマネギは二度と作らない」という方向に変化していく可能性もある。
778 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 13:51:37 ID:qc/HDfHO
>>776 いったん神に戻り、そのとき神が望むなら、どんな体験であろうと望むとおりの体験ができるのではないか?
たとえば身体に戻って100人切りをやりたいと望めば、その瞬間にそれが実現する。それが神ではないかと・・・
もっとも、上記の(↑)は、神まで戻らなくても、もっと手前の段階で十分可能だろうけどね。
全て他人事というか、気にする必要がなくなったら、この世はそのまま天国とほぼ同じ状態へ移行する気がする。 少なくともいま現在の日本の環境は非常に恵まれている。 ただ、身体へのダメージや、身近な人々へのダメージを、本当に気にしなくなるのかは疑問だ。 十字架(地球と言い換えてもいいかな)の上で痛みを感じずに居ることが本当にできるのか・・・
780 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 14:04:21 ID:qc/HDfHO
>>yccGg2Ot ふと思ったのだが、あなたは本を読むとき、活字をバカ正直に捉えすぎているような感じがする。 直球勝負というか、ストレート勝負というか、正面解釈しすぎるというか・・・ たとえば、「一部の社員が入れ替わっても会社そのものは変化しない」という言い回しは間違いではない。 しかし、実際には社員が変われば会社は変化する。 「この建物は建築された当時から100年以上も同じ姿のまま、変化せずにずっとここに在る」と言った場合、 増築や改築はせずに同じ姿であるだろうが、壁が汚れたり瓦の一部が割れたりしたという点など、実際には変化している。 しかし、より大きな文脈の中では「変化していない」という言い回しも間違いではない。
781 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 14:09:49 ID:qc/HDfHO
>>779 >>ただ、身体へのダメージや、身近な人々へのダメージを、本当に気にしなくなるのかは疑問だ。
幻想という夢の中にいる間は、その夢の中の自分の身体や他の身体が受けるダメージを100%気にしなくなるのは、
不可能ではないが難しいだろうね。いま自分は夢を見てるに過ぎないことを夢の中にいるうちに
100%認知できたときのみそれが可能になる。
ただし、幻想という夢から覚めたとたん、自分の身体であれ他の身体であれ、それらが受けるダメージなんか
一切気にする必要なんかなかったのだということを100%理解できる。
俺はこないだ、カバに食われる夢を見たのだが、ほんとうに怖かった。
しかし、目が覚めたあとの俺からすれば、そんなことはどうでもいいことだったことがよくわかる。
>>780 ちょっとくらいの変化は変化の内に入らないのか・・・なるほどなるほど
マルチポストマン以外の神使信者の意見も聞きたい
ID:yccGg2Ot=ID:G85VFZii そういう疑問を抱いているのが誰なのか、 という視点が欠けているんだよw そしてその誰かはどこまで信頼できるのか? その誰か自身が本当は存在していない錯覚なんだからな。 錯覚が、ああでもないこうでもない、とイチャモンをつけている。 それは錯覚が錯覚であることを決して認めたくはないからだ。 そうやって屁理屈を捏ねることで、必死になって錯覚であるというどこかで薄々感づいている気づきから 逃げに逃げているのが今のお前の醜態なわけさ。
>>783 >それは錯覚が錯覚であることを決して認めたくはないからだ。
錯覚であるはずのお前自身は何故錯覚が錯覚であることを認めている?
決して認めたくないはずでは?
逃げたか・・・ >逃げに逃げているのが今のお前の醜態なわけさ。 自己紹介乙でした
>>784 錯覚が錯覚であることを認めたとしてもそれも錯覚だが、
錯覚を終わらせる端緒にはなるということだろう。
所詮、すべては錯覚なんだよ。神使やACIMも含めて。
しかし、使える錯覚、利用できる錯覚があるということ。
錯覚を終わらせるためにある種の錯覚は使えるということ。
君のように錯覚であることを認められずに抵抗し続ければ
錯覚の淀んだ深海の底に再び沈殿していくだけ。
そういうのを「逃げている」と称す。
w4jej6Dkは錯覚が錯覚であることを決して認めたくはないと言っているのだが
>>786 で、君はその使える錯覚、利用できる錯覚とやらを使って実際に錯覚を消せたのかな?
一生懸命頑張っても消せなかったのかな?
789 :
マルチポストマン :2010/09/26(日) 17:21:34 ID:UQgTam1Y
>>788 横からすまんが錯覚の中にいるうちに錯覚を消すなんてできっこない。
錯覚から目覚めたときに全ての錯覚は自動的に消えるのだ。
錯覚を錯覚と見抜くことのメリットは、その場で錯覚が消えることではなく、
錯覚からより早く目覚めることができるようになるということなのだ。
ただし、錯覚を錯覚と見抜くことによって、錯覚がよりよいものに変わることは十分ありうるよ。
>>789 その通り。788、またしても敗北せり。
>>788 君の信じている、神との対話を筆頭とするニューエイジね、
ニューエイジでは本を読んで何かの知識を手に入れることが成長だとか進化だと勘違いしているようだねw
いとも容易く安直にインスタントに、人は成長するものだとww
それが、ニューエイジではない正統な道においても通用するとでも思っていたのかな?w
ま、実際には、本に書かれていることの100分の1も実践できていないことは、
君の書き込みを見れば一目瞭然であり、君こそが、だからニューエイジはダメなのだ、
ということのこれ以上ない明確な証拠のひとつなのだけれどねぇw
神との対話ではダメなのだよ、ニューエイジはすでにオールドエイジなのだよw
君は自分がすでに崩壊しつつある旧体制の一員であることを自覚したほうがいいw
>>758 からだ・魂、言葉は何でもいいですが、それを「知覚する心」があるなら意識の領域であり、
「意識」自体が幻想で投影・知覚を可能にするエゴの領域ではないでしょうか。
>>777 >神の不変性が真実かメタファーかは別として、仮に真実だとしても、
神が不変である事が真実であり、それ以外が全て幻想というのがコースの非二元論の骨子なので、
「仮に真実とするなら」という解釈は、コースを学ぶならあり得ない解釈となってくるような気がします。
>幻想である夢が不変なわけではない。ということは、次にまた今の世界と同じ苦痛に満ちた幻想ができるというわけではない。
>つまり、今回とは違い「幸せなタマネギ」となり、「苦痛に満ちたタマネギは二度と作らない」という方向に変化していく可能性もある。
これもコースでは取り扱わない視点だと思います。幸せだろうが苦痛であろうが、玉ねぎは所詮狂気という幻想であり、
その目的は罪からの逃避なので内容など無意味。最終的には一切の意義を与えず放棄する事を求めてきます。
玉ねぎの内容が幸か不幸かは問題ではなく、玉ねぎという狂気自体についての判断をやめることのを訴えていないでしょうか。
マルチポストマンやw4jej6Dk君も、今疑問に思ってることは間違いないだろうねw 完璧な神が、罪悪感を感じさせることを保持していたんだからねw その罪悪感を抱えた純粋な神に戻ろうとしていることに、疑問を感じちゃうよねw とりあえず神の使者の論理では、永遠の天国は手に入らないことが確定しちゃったから(笑)
筋金入りの神使信者は全ての論理をエゴの生き残り戦略として斬り捨てるのかなあ
ACIMって本場アメリカでは神使・わぷにく解釈以外の解釈があるんじゃないの? ここに居る人は異端・外道として退けているのかな
>>794 完璧な神が罪悪感を感じさせることを保持しているとwww
批判する対象の資料(神使、ACIM)にさえ目を通さず論評しようとするから
そういう頓珍漢な事を逝って赤っ恥をかくんだな。いつものパターンw
神使やACIMは、歴史ある伝統的な宗教の本質と何ら変わらぬ正統性を有する、
ということが理解できないID:wFQk5w6cやID:yccGg2Otのような馬鹿が、
よりにもよって自分たちの依拠するニューエイジの、それこそ歴史的な位置づけも
それにまつわる阿漕なビジネスシステムのカラクリもわからずに、
玩具の機関銃を手に本当の戦場に乗り込んでいけると思い込んでいる、
間抜けな子供のようで、心の底から同情を禁じ得ないよw
よりにもよって神との対話wが彼らの依拠する“聖典”なんだそうだからw
>>797 神使信者でもなくACIMの実践をする気もない人が何か言っているな・・・
>>797 完璧な神しかなかったから、そもそも幻想を創造したのが、その完璧な神w
その完璧な神が作った幻想から必死に抜け出そうとして、完璧な神に帰ろうとしている・・・
すばらしいコントだねw
なんていうか、同情しますよw
>>798 神対狂信者がどうしてこのスレにいるのかな?w
昨日はあれだけ赤っ恥かいて泣きながら敵前逃亡してしまったというのにw
>>800 あなた今正直・・・泣いてるでしょ?www
面白いと思うのは。 ACIM等に興味を持つ人って現実の世の中ではある程度成功している人が多いみたいなんだね。 かつては世の中で成功して欲しいものを手に入れれば幸せになれると(所謂リア充)。 ところが実際にそれらを手に入れてみたら、全然違っていた。 そういうものをいくら手に入れても、充足感とは何の関係もないことに気づき、 手に入れれば入れるほど、逆に今までは考えられなかったような新たな問題を抱えるようになった。 そこで、本当の幸せというのは何だろうかと。 真摯にそれを求める人は必然的にこういう道に歩を進めることになるだろう。 一方、神との対話や引き寄せの法則に魅了されるタイプの人たちは、 まだ現実の世界で成功らしい成功を一度も経験したことがない。 だから、それらの本で語られていることは、彼らにとっての一種の痛み止めとして機能しており、 本を読んでいる間だけは、辛い現実から逃避できる。 しかし、概して夢見がちで行動力に欠ける人が多いために、 いつまで経っても本を読んで一服の清涼剤代わりにしているだけで、 彼らが直面している問題や課題を解決したり改善することはできないでいる。 そういう苛立ち、理想と現実のギャップ、神との対話には素晴らしいことが書かれているが それを何一つ実践できていない自分への不甲斐ない思い。 そういうものが、神との対話への批判者や神との対話を否定している神の使者に対する、 病的とも思えるほどの敵意となって現れてきているのだろう。
>>802 あれあれwwACIM等って・・・やっと神の使者を見限ったんですね、卒業おめでとうございます!
私は、あなたが完璧な神に戻ることを心から願っています!そして、しばらく完璧な神になった後に、またこの世界に戻ってくることを知っていますwww
ACIM等、の中に当然神の使者も入っていますが。 あなたはずっと幻影の世界にしがみついて、いつまで経ってもリア充にさえなれず、 ずっと苦しみ続ければいいと思います。 そして麻薬中毒患者のように、ニューエイジ本に救いを求めて 本を読んでいる間だけは辛い現実から逃避できる、そんな人生をお過ごしください。
>>804 >ACIM等、の中に当然神の使者も入っていますが。
これは失礼しましたw 私の考えが浅はかでした、申し訳ありません。
>あなたはずっと幻影の世界にしがみついて、いつまで経ってもリア充にさえなれず、
ずっと苦しみ続ければいいと思います。
いやいや、私のような麻薬中毒患者はどうでもいいですからw
早く神に帰って、またこの世界にもどってきてくださいよw
そして、一緒に、是非一緒にエゴという名のたまねぎでもむきましょうよ!約束ですよ!
自分に罪がないなら、誰にも罪がない。 世界のどこにも罪など見えるわけがない、っていうのがなんとなくわかってきた。 あの心の中の敵意、攻撃、全部自分の中の罪を信じる勘違いや自己嫌悪を真っ白な相手に被せてただけなんだなあ。 ごめんね。自分には罪がなかったし皆にも罪がなかったのに。バカだなあ。
何このスレwww
>>796 その解釈の違いのせいで、いくらでも団体ができあがってくる。
で、コースの学習者はそれぞれに惑わされる。
その惑いは、イエスの名を使った情報送信でも起こる。
まあ様々な解釈はアーテンパーサが予言した通りだな。
コースがまだ曲げられてない状態で学習した人たち(俺たちもかろうじてそうかな)は、原理主義者と言われてるかもしれないw
>>805 お断りしますw
ニューエイジ中毒患者は専用スレで思う存分暴れて、
神との対話が何をもたらしたのかを身を持って示し続けてください。
そうすれば、神との対話に嵌りかけた人たちも、
間違いに気付き目を覚ますでしょう。
(1/2) 俺は妻と子供と3人で暮らしている。いつものように朝起きると・・・、あれれれれ?俺は部屋の天井あたりに浮かんでいた。 俺は死んだのか?それとも幽体離脱か?下を見ると俺が、いや俺の身体だった身体Aがベッドから起き上がった。 どうやら俺は、というか身体Aは、死んだわけではないらしい。ちょっと安心した。しかし、それと同時に、俺の身体だった身体Aが、 生きていようが死んでいようが、身体Aから離れた俺にとっては、たいして重要な問題ではないこともよく理解できた。 俺が歯を磨いているのが見える。いや、俺が磨いているのではなく、身体Aが磨いているのだ。俺はただ、歯を磨いている身体Aを、 上から眺めているだけだ。 リビングでは、家族3人が朝食を取っているのが見える。いつものように笑顔で3人で食事している。 妻と子供のことを考えていたら、いつの間にか、妻と子供の身体にアクセスしたようだ。 妻にアクセスしたとき、妻は俺のことを「あまり頼りにならない夫だ」と、少々不満に感じていたことがわかった。 子供にアクセスしたとき、子供は俺のことを「優柔不断な父親だ」と、少々不満に感じていたことがわかった。 おもしろいことに、妻や子供の身体にアクセスすると、アクセスしている間は、俺が妻自身、子供自身になるのだ。不思議な感覚だ。 「俺」と言っても、「身体Aだった俺」と、「身体Aを離れて宙に浮いてる俺」がいて、両者は区別しないと混乱するので、 今後は前者を【おれ】、後者を【俺】と呼ぶことにする。 【俺】はいままで、【俺】がアクセスしていた身体Aである【おれ】が自分だと思っていたが、それが間違いであることがわかった。 【俺】は【俺】であって【おれ】ではなく、身体Aでもない。いままで身体Aつまり【おれ】を体験し、知覚していた主体が【俺】なのだ。 ここで【俺】は、ひとつ疑問を持った。身体Aを知覚していた主体が【俺】なら、それ以外の身体である妻の身体や子供の身体を 知覚している主体は誰なのだろうか? 【俺】は、それを調べようと思って周囲を見回した。しかし、どこを探しても、妻や子供の身体を知覚している主体などいない。 そんなものは存在しないことがわかった。ここに存在しているのは【俺】だけだ。それ以外は誰も存在しない。
811 :
マルチ物語(1) :2010/09/27(月) 20:57:54 ID:tXwquvpv
(2/2) そういえば、いままで【俺】がアクセスして知覚していた身体Aも、今は誰にもアクセスも知覚もされないまま、歩いたり喋ったり 食事したりしている。であれば、妻や子供の身体も、誰にもアクセスも知覚もされないまま行動しても不思議ではないな。 なるほど、個々の身体たちは、DVDに記録されてる通りに歩いたり喋ったりしてるだけなのか。 しかも、個々の身体には人工知能(人工感受装置)が植えつけられていることもわかった。 こういうケースでは喜び、こういうときは悲しみ、あるいは怒るというように、人工知能がセットされている。 さっき妻と子供の身体にアクセスしたとき、彼らは【おれ】を「頼りない夫(父親)」と感じていることがわかったが、 それは、【俺】が彼らの身体にアクセスしたことにより、彼らの身体の中の人工知能が発する感情を【俺】が読みとったから わかったのだ。テレパシーと同じ原理だな。 それらのことから【俺】は理解した。【俺】の目の前で食事している3つの身体は、確かに個々の身体であるが、 しかし、【俺】が身体にアクセスしない限り、個々の身体とその心は何の意味も持たない。 人間の形をして人工知能を持った「動いたり喋ったりする人形(またはロボット)」のようなもので、人工知能に仕組まれたとおりに 行動したり喋ったりしているだけの、ただのロボットだったのだ。もちろん、さっきまで【おれ】であった身体Aも例外ではない。 いま、【おれ】は、つまり身体Aは食事をしているが、【俺】が身体Aにアクセスしない限り、身体Aがしている「食事」という体験を 知覚する主体はいない。つまり、誰も食事などしていない。人工知能を持つロボットが食事しているだけだ。 【俺】が身体Aにアクセスしているときだけ、【俺】は【おれ】となり、自分を身体Aであるかのように錯覚し、自分がいま食事している という体験を知覚する(知覚するというより、錯覚すると言ったほうがいいかな)のである。
えらく無機的な世界観だな
目の前で幼児が虐待されてても知覚者は居ないと嘯いてスルーするのか
814 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 21:13:10 ID:tXwquvpv
>>608 >>なんかたまに思うんだよね。
>>叩き起こせばいいのにって。だって結局起きるんだから起こせばいいじゃん
>>夢から穏やかに目覚めさせるとかさぁ…
>>なんか引っかかるね
亀レスですまないが、叩き起こすのではダメなのだよ。
なぜかというと、無意識下に罪悪感を抱えた状態のまま叩き起こしても、無意識の罪悪感(=エゴ)が悪さをし、
再び眠りについてしまう。
たとえば、ガンという病気をものすごく恐れている人は、どうしても自分がガンになる夢を見てしまう。
少なくとも、そういう夢を頻繁に見る可能性が高くなる。
自分がガンになったという悪夢を見ている人を叩き起こせば、確かに「今回の悪夢」からは救出できるが、
ガンを恐れる心が残っている以上、その人は近いうちに再び同じような夢を見ることになる。
夢から叩き起こしても抜本的な解決にはならない。心が変わり、ガンを恐れることをやめたときに初めて抜本的な解決となる。
それと同様、無意識の罪悪感を消さない限り(エゴを解体しない限り)、何度叩き起こしても、すぐまた眠りについてしまう。
815 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 21:22:40 ID:tXwquvpv
>>813 いつも不思議に思うのだが、なぜ「世界は幻想である」とか「知覚者はいない」という考え方が、
そのまま「虐待されてる幼児を見てもスルーする」という方向に思考が進展するんだ???
たとえば、「バット」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「野球」ではなくて「幼児を叩く凶器」、
「風呂」と聞けば真っ先に思い浮かぶのは「入浴」ではなく「子供をおしおきとして沈める道具」など、
そういう方向に思考がすぐに向かうようなら、赦すべき幼児体験か何かがあるのかも知れない。
誰も苦しんでいないなら警察に通報する必要はあるまいて 本当に知覚者はいないと思っているのか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 【質問】No.23 (org.#1123) チャクラ、チャネリング、ニューエイジと、『奇跡講座』との関連性は? 私は、チャクラのシステムに関する教えとか、チャネリングとか、 その他の多くのニューエイジ分野の本の中に出てくる「真理」と、 『奇跡講座』の中で読んだ教えとの間の関連性を理解しようとしているのですが、困難を感じています。 これはどういうわけなのでしょうか? 【回答】 あなたがそういった関連性を理解することに困難を感じておられる理由は、関連性などないからです! このコースは自我の枠組みの中で提示されている(C-In. 3:1)とはいっても、 その教えは自我を完全に超えた思考体系および源から発せられています。 その目的は、自我の思考体系とそこから生じた偽りの自己を超越できるように、心を助けることです。 ほとんどのニューエイジの教えは、分離と個別性に基づく自我の思考体系の中で、 人がもっと楽に、幸せに生きられるよう助けることを目指しています。 それでも、同時に、そうしたニューエイジの教えも、たとえば、「裁きを手放すことの価値」などといった、 <正しい心の思考>のいくつかの側面を反映しているという場合はあります。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− こういう上から目線でニューエイジを見下しているところが、 神対信者としては悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて仕方がないんだろう。
さあ、勝義諦と世俗諦の違いも、十牛図も知らず、大乗と上座部の違いもわからない馬鹿が、 また必死になって何やら絡んでいますw 自分はこれが納得できない! 理解できない! 自分が納得できず理解できないからそれは間違っている!とw なんたる稚拙さ、なんたるアホさ。 納得できない理解できないお前に問題があるんだよw 馬鹿じゃねーの?w
30年以上赦しまくっても天国に還れないやつが何で上から目線なの・・・っと
820 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 21:30:20 ID:tXwquvpv
あるいは、「外国」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、「旅行」や「アメリカ」や「ヨーロッパ」ではなくて「侵略者」だとしたら、 これも同様だ。 あと、例えばニュースなどで、加害者と被害者がいる事件の報道を見て、 加害者に対する煮えくりかえるほどの怒りと、被害者に対する涙が止まらないほどの同情の念を感じるとしたら、 これもやはりやばい。 後者は程度問題だけどな。加害者に怒りの念が湧いたり、被害者に同情の念を感じること自体は仕方ない。誰だってそうだろう。 (この場合にほんとうに大切なのは加害者を赦すことだが、それはともかく、多少の怒りの念は仕方ないだろう) しかし、今回の事件で自分が直接被害にあったわけでもないのに、加害者に対して「はらわたが煮えくりかえるほどの怒り」を 感じるとしたら、それはそれでちょっとやばいってこと。赦すべき幼児体験(必ずしも幼児時代とは限らないが)があるということ。
知覚者がいないなら加害者も被害者もいないだろう 誰が暴力をふるっている?誰が苦しんでいる?
822 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 21:36:35 ID:tXwquvpv
>>816 >>本当に知覚者はいないと思っているのか?
もちろん思っているよ。だから、俺がここに書いているのは、たんなる一人芝居。俺が書いた文章を読む他者などいない。
それがわかっていて書いている。では、なぜそんな無駄なことをするのかって?
それはなあ、いくら幻想とはいえ、いくら他に知覚者がいないとはいえ、俺は毎日何かをやらなければならないからだよ。
世界が幻想だと100%理解したからといって、その場ですぐにこの世界から去れるわけじゃない。
この世界から去るためには赦しが必要なんだ。世界が幻想だと理解することは、それがそのまま赦しを実践したことに
なるわけではない。
幻想であることを理解することは、赦しを実践するうえでの、パズルのピースの一つに過ぎないのだよ。
>>誰も苦しんでいないなら警察に通報する必要はあるまいて
たしかにその通りだが、俺は世界が幻想であり知覚者はいないことはわかっているけど、それでもその場合は警察に通報するよ。
世界が幻想であることを理解した人は全員、こういうケースで通報しなくなると考えるのは、あまりに考えが浅はかすぎる。
むしろ、世界は幻想ではなく現実と思ってる人の方が、こういうケースで虐待を放置するんじゃないか?
どうして通報するの?
824 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 21:44:43 ID:tXwquvpv
>>821 知覚者はひとりだけいる。
>>810-811 で言うところの【おれ】の主体である【俺】だ。
その知覚者が、加害者であるケース、被害者であるケース、第三者であるケースがある。
知覚者が加害者の場合、その加害者を体験、知覚している主体は、世界が幻想であることを理解していないだろう。
世界が幻想であると100%理解していれば、加害行為など無意味とわかっているから、そんなバカなことはしない。
知覚者が被害者の場合、加害者を赦すことが課題となる。そう、自分は被害を受けてるかのように思っているが、
相手である加害者が本当に自分に被害を与えているのではない、そもそも加害者である相手など存在しない。
言い方を変えれば、自分に害を加える相手は知覚者ではない。これを見抜けば、赦しもそれほど難しくはなくなる。
この点を見抜けないと、相手を赦すことが限りなく難しくなってしまうよ。
知覚者が第三者の場合、自分の夢の中で、その夢の中の登場人物同士が勝手にやりあってるだけであることを思い出し、
やはり赦すこと(特に加害者側を)が課題だな。
825 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 21:48:43 ID:tXwquvpv
>>823 通報したいから。ただそれだけ。
しかし、通報しようがしまいが、そんなのは大して重要なことではないことは見抜いている。
世界を現実だと思っている人が「大変だ!!大変だ!!一刻も早く警察に通報しないと大変だ!!!」と
狼狽しながら通報するのとはわけが違う。
あと、もうひとつ大事なことは、通報はするけど、通報する前に加害者のことはすでに赦している。
「通報する=加害者を赦さない」という意味ではないよ。この点はとても大切だよ。
なぜなら、「加害者を赦さず、だから通報する」という姿勢でいると、俺自身のこれまでの赦しがパーになし、
コースが導く方向と逆方向に向かって進むことになってしまう。
子供が虐待されてたらかわいそうと思うかもしれない。 でももしその子供が別の子供をすごくいじめたと聞いたら自業自得と思うかもしれない。 もし子供が何人もの別の子供を殺していたと聞いたらそうなって当然だと思うかもしれない。 虐待がもしやらせだと聞いたら、なんだヤラせだったのかとシラけるかもしれない。 やらせと聞いたのにさらに実はやらせでなかったと聞いたらまた悲しむかもしれない。 怒ったり悲しんだりシラけたり勝手にしてるのだ。 人間は目の前に起こっていることが実際にどうであるのか知りえない。 追求して真実を知ったと思ってもその真実が本当に真実かわからない。 しかし人間は外部の出来事に勝手に自分の概念を当てはめて感情を湧かせて反応してし まう。 そこには自分は真実を知り得る存在だという奢りや、真実という何かがあるような錯覚が存 在している。 子供が虐待をされていたら、子供と呼ばれるものが虐待と呼ばれるものをされてるようだと いうだけだ。 通報と呼ばれるようなものをしたりするだけだ。 それらに勝手な概念を当てはめたり勝手な感情を湧かせたり巻き込まれたりしないだけだ。
で、知覚者が第三者の場合、自分の夢の中で、その夢の中の登場人物同士が勝手にやりあってるだけなのになんで通報する? 心の中で赦すだけでOKなんだろ >通報したいから。ただそれだけ。 いやだから、なんで通報したくなる?
828 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 21:56:24 ID:tXwquvpv
>>827 >>心の中で赦すだけでOKなんだろ
イエス。
>>いやだから、なんで通報したくなる?
では逆に聞くが、通報しちゃ悪いのか?
みかんが食べたければみかんを食べる。通報したければ通報する。ただそれだけだよw
それ以上の深い意味はない。
>>810 これ実体験?
実体験なら、俺はあなたで、あなたは俺であるわけだな。
ってか、なんか霊視に通じるものを感じるな。
霊視の場合は、アクセス先が守護霊(守護対象のみにアクセスできる存在)とかなんだろうけど。
俺自身、そして周りの人間が機械仕掛けなら、俺は何もする必要がないんじゃないかとも思う。
自動的に動くなら、自動的に動くままでいい。
たとえ目の前で家族が苦しんでいようと、ロボットは壊れるままにしておけばいいって思ってしまうのだが・・・
830 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:00:24 ID:tXwquvpv
>>828 の補足
>>>>心の中で赦すだけでOKなんだろ
>>イエス。
俺は「イエス」と答えたが、これは「世界が幻想であり、他者は知覚者ではないことを100%理解している人の場合」の回答で、
現時点ではまだ「世界は現実だ、他者は知覚者だ」と思い違いしている人の場合は、心の中で赦すだけではだめ。
なぜなら、世界を現実と信じている限り、通報しなかったことに対する罪悪感を持つことになり、
最悪の場合には、それが原因で「カルマという幻想」に悪い方向に作用することさえある。
なんで通報するの?とかそういう類の質問をよくする人がいるが、単なる反応だよ。 通報しなのと通報するので通報するほうを選ぶのは何故?とか聞きたいんだろうけど、道が 右と左に分かれてたらどっちかを選ばないといけない。 するのとしないのと分かれてたらどっちかを選ばないといけない。 問題は選ぶときに執着やこだわりがあるかどうかというだけ。 選ぶ行為の内容はどうでもいい。 いま肉体があるのだから外部に対して反応が起こるだけ。 反応に執着がなければいいんだよ。 通報しなくても通報してもどっちでもいいけど、通報のほうにしてみたってだけ。 通報しなくちゃいけないとか、通報なんてするか、なんて執着がなければどっちをしても しなくても同じことでしかない。 右を選ぶか左を選ぶかという違いでしかない。 人間は生きているから死ぬまでただ右か左を選んでいるだけだよ。
>みかんが食べたければみかんを食べる。通報したければ通報する。ただそれだけだよw みかんを食べるのは自分という知覚者にとって価値があるが通報には価値がないだろう 同列に扱えまい
833 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:03:29 ID:tXwquvpv
>>829 いや、それがそのまま実体験という意味ではない。誤解を与えてすまん。
実体験ではないが、自分の体験を元にした確信とこれまでの知識の集大成を、わかりやすく文章にしたもの。
あのような書き方をすることにより、普通の文章で書くよりも、わかりやすい(伝わりやすい)かなと思ったもので。
警察に通報しない事で罪悪感を感じる事はないのか 何も起こっていないから?
835 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:05:57 ID:tXwquvpv
>>833 例えであるっていうただし書きは付けて欲しい。
>>835 > もしかして俺をからかってる?w
真面目に聞いているのだが?
君をからかってる人がいると思っているのか?
838 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:08:55 ID:tXwquvpv
>>834 世界が幻想で他者が知覚者でないことを完全に理解してる人なら、仮に通報しなかったとしても罪悪感は感じないだろ。
ただし、そういう人に限ってちゃんと通報すると思うぞ。
世界が現実と信じている人は、通報しなかったら当然罪悪感を感じるだろう。
>警察に通報しない事で罪悪感を感じる事はないのか >何も起こっていないから? 起こっていることの真実を誰も知りようがないからだよ。 罪悪感を感じる人間は自分が真実を知ることができると思ってるから。 目の前のことを真実であるかないか判断できる存在だと思っているから。 起こっていることに対して自分が何かを出来、それで良くしたりできると思ってるから。 自分の存在に勝手に価値を持って、そのせいで錯覚してるだけだよ。 自分が何かを出来る人間などと思わなければ、何もできなくて当然だし、罪悪感などない。 元々真実も罪悪なんてものもないけども。
>>834 町中で酔っぱらいが殴り合いをしてる人を見るような感覚になるんじゃないかな。
俺は、たまにあるよNE!って感じで、それについて止めないととか通報しないととか思わない。
自分の通る道でやってて邪魔なら止める方を選ぶし、どうなるか見たくなったら、そのまま傍観する。
虐待の場合は、声が聞こえる範囲ならうるさいし気になって作業に集中できないから通報。
通報しないで死んだら罪の意識を感じてめんどくさくなるから通報って感じだな今の俺は。
>>838 > 世界が幻想で他者が知覚者でないことを完全に理解してる人なら、仮に通報しなかったとしても罪悪感は感じないだろ。
> ただし、そういう人に限ってちゃんと通報すると思うぞ。
君の説明は意味不明だわ
842 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:11:54 ID:tXwquvpv
>>836 すまん、名前蘭の「物語」という文字でそれを表したつもりだったんだが、確かに紛らわしかったな。
続編もあるから、次回からは気をつけるよ。
>>837 もちろん俺をからかってる人などいない。
俺自身が、自分でプレイしているDVDの中で、そういう時空の幻想を選んでしまったというだけだ。
しかし、ここで会話(?)する以上、どうしてもメタファー的表現は避けられないだろw
>>839-840 >罪悪感を感じる人間は自分が真実を知ることができると思ってるから
>通報しないで死んだら罪の意識を感じてめんどくさくなるから通報って感じだな今の俺は。
とりあえずgNr3JfwnとosjH6oNuで話し合え
844 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:14:44 ID:tXwquvpv
>>841 からかってるのではなく真面目に言ってるのなら俺も真面目に質問するが、
どの部分が意味不明なのか俺にはわからん。まず、1行目のことなのか2行目のことなのか。
もし2行目であるなら、俺の勝手な予想なのでスルーしてもらっていい。
>>843 いまの俺には、子供の虐待や死を知らされて少しも揺らがない心ってのを想像できん。
846 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:21:05 ID:tXwquvpv
>>ia/ar5W6 俺の勝手な想像だが、あなたはもしかして、俺や他のみんなから、 「虐待されてる子供が可哀想だから通報するんだ!通報するべきだ!!子供を助けろ!!!」 と言ってほしがっているのか? だとしたら、残念ながら、その期待には答えられないな。 「子供を可哀想」と思った時点で、子供を身体とみなしたことになる。 他者を身体とみなすことは、コースの進む方向と正反対である。 さっきも書いたが、赦すべき(または癒すべき)強烈な幼児体験か何かがあるんじゃないか? でなければ、何ていうか、そこまでこのこと(虐待等)に執着しないと思うのだがなあ。
>強烈な幼児体験か何かがあるんじゃないか? 別にないけど 一つの例としてあげただけ 別にレイプでもいい
単に生と死、プラスとマイナスというものを実体のように錯覚してるだけだろう 自分の死やマイナスを悪いものとして怖れているから他者を見るときそれを通して見てしまう。
>>838 > 世界が幻想で他者が知覚者でないことを完全に理解してる人なら、仮に通報しなかったとしても罪悪感は感じないだろ。
世界が幻想で他者が知覚者でないことを君自身が理解しているようには見えないだけだよ
850 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:27:06 ID:tXwquvpv
>>845 同感。いくら幻想とわかっていて、いくら他者が知覚者でないとわかっているからといって、
子供が虐待死したとかいうニュースを聞いて、心が少しも揺らがないという感覚を想像できない。
ia/ar5W6は、幻想であることを理解した人は全員そういう境地に達するかのように思っているようだけど、
実際にはそうじゃない。ia/ar5W6自身が将来、すべては幻想であり、知覚者はいないことを理解したとき、
「それでもやっぱり通報はするだろうし、悲惨なニュースは悲しい」と感じるということを理解するだろう。
851 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:31:47 ID:tXwquvpv
>>849 率直に言うが、
「世界が幻想で他者が知覚者でないことを君自身が理解しているようには見えない」のではなく、
「世界が幻想で他者は知覚者でないこと」を、あなたが、信じたくない(聞きたくない)だけではないのか?
ところであなたは、知覚者うんぬんはともかく、世界が幻想であることはちゃんと信じているのか?
それとも、それさえ全く信じていない状態か?
ちなみに、世界が幻想と言っているのは、神の使者だけでなく、神との対話でも言ってるし、
シルバーバーチ、バシャール、セス、ラザリスなど、誰もが言ってることだよ。
まあ、その全てを全部まとめてインチキ扱いするというなら構わないが。
852 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:36:15 ID:tXwquvpv
俺自身の例をひとつあげておくよ。 まあ、俺の例であって他の人は知らないが(←他の人とかいう、この書き方はもちろんメタファーだよ)、 俺の場合、世界が現実で他者は知覚者だと思っていた頃よりも、 世界が幻想で他者は知覚者ではないと完全に理解した現在の方が、 「人に対して親切な人間」になった。 「人に親切にするべきだ」と考えていた頃(すべてを現実と信じていた頃)よりも、 「人に親切にするかどうかなんて、どうでもいいことなのだ」と理解した今の方が、人に対して親切になった。 面白いといえば面白いよね。
お釈迦さまは、もし殺されとしてもそれでこの世でこれ以上苦しまなくてすんだと思えばいい じゃないですかと言った。 ここだけとるとカルト宗教が救済の自己弁護に使いそうでなんだけどさ。 ようするにどんなことであれ自分の見方、考え方次第ってことだよ。 この世に対しての思いは自分の価値感の投影なんだ。 殺されるのがイヤって人はイヤってだけ生きたいっていう執着が強いのさ。 でも遅かれ早かれ誰だって死ぬしね。数十年の違いしかない。
854 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 22:40:58 ID:tXwquvpv
ia/ar5W6は多分、 「人に親切にするかどうかなんて、どうでもいいことなのだ」 と理解した人はみな、「人に対して親切ではなくなるに違いない」、とかいう、一種の被害妄想のようなものを抱えているのかな? 多分、「人に親切=ia/ar5W6に対して親切」、「人に不親切=ia/ar5W6に対して不親切」とかいう、心理的リンクがあるのだろうと思う。
>>850 でも前世まで考慮すると、子供が虐待されてしかるべき前世を送ってきた可能性もあるんだよね。
今生では親だけど、前世では子供で、奴隷同然の扱いを受けてきたとか。
856 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 23:04:15 ID:tXwquvpv
>>829 >>俺自身、そして周りの人間が機械仕掛けなら、俺は何もする必要がないんじゃないかとも思う。
>>自動的に動くなら、自動的に動くままでいい。
>>たとえ目の前で家族が苦しんでいようと、ロボットは壊れるままにしておけばいいって思ってしまうのだが・・・
亀レスですまん。
自動的だし、神の使者でパーサも言ってるとおり、人間の身体はロボット、ぜんまい仕掛けの人形なのだが、
ひとつ見落としてはいけない点があって、映画や小説のように一本の線のように、
直線的な時間(たったひとつのストーリー)が展開するのではなく、
瞬間ごとに分岐しながらたくさんの時空、たくさんのストーリーに分岐しながら同時に進んでいくという点も重要。
DVDのゲームのように、プレイヤー(前の例でいう【俺】のこと)の選択によって、展開するストーリーが違ってくるので、
「何もしないでただ見てるだけ」でいいかというと、そうでもないことになる。
この点については、「マルチ物語」の続編でわかりやすく書く予定でいる(数日以内に)。
857 :
マルチポストマン :2010/09/27(月) 23:09:36 ID:tXwquvpv
>>855 その通り。
もちろん、魂(身体より上の次元)のレベルで、全輪廻転生を含む世界のすべてが幻想であることを理解し、
さらに魂のレベルで、それまでの全ての輪廻転生を含むすべてを赦せば、その時点でカルマなんか綺麗さっぱり消えるが、
そこまで知識と理解が進んでない魂の場合には、カルマの法則があたかも真実であるかのように関わってくるから、
人を虐待した次の転生で虐待される側の役割を演じることもあるね。
もちろん、その場合でも、その台本(虐待される台本)を書いているのは、当の本人だけどね。
それ相当の経験がないと世界が幻想って悟って、ましてや世界を赦す(心理的に手放す)なんて出来ないと思う。 本当は悟ってる、とか世界は幻想って言葉で言ってたって、幻想の外で言ってるわけじゃないもの。 ブッダが苦行の末にありのままでよかった、何もしないでよかった、って悟ったのだって、何もしなければ悟れなかったともとれるよ。 エゴの声ばっかり聞いてると無駄な苦しみを味わうけど。
859 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 00:29:12 ID:2YUnJhpm
この世が幻想の意味を知らないようだ。 ACIMでは理解もせずただ宗教みたいに幻想だと信じ込んでいるだけ。
>>859 じゃあどんな意味が説明してください、大先生。
861 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 00:45:21 ID:0QT58T7q
>>858 そうだよね。世界が幻想であるという確信は、「本に書いてあったから」とか「誰かが言ってたから」というだけで
手に入れられるほど簡単なものではない。
夢を見ている人に、「あなたが見ている世界は幻想で、あなたの周囲の人たちもほんとうは存在していない」ということを
いくら言葉で説明したって、そう簡単に信じてくれるわけはないのと同じ。
しかし、朝になって目が覚めれば、誰にも言われなくたって、今まで自分が見ていた夢の世界が幻想であることは
自動的に理解でき、今まで見ていた夢の世界の中の登場人物も、実際にはまったく存在すらしていなかったことを嫌でも理解する。
俺の場合もそうだったが、最初は完璧に現実だと思っていた世界が、もしかしたら幻想かも知れない、
少なくとも幻想に過ぎない可能性もあるかも知れないと、疑問符付きの半信半疑とはいえ、その可能性を信じ始めると、
不思議なもので「世界は幻想に過ぎない、幻想としか考えられない」と思わざるを得ないような体験がやってきて、
理論としてではなく、体験を通じて「世界が間違いなく幻想だ、自分の周囲にいるように見える人も実は存在さえしていない」
ということを信じざるを得ない結果になる・・・、という体験がやってくるんだよね。
ただ、目が覚めても夢の中でのことは覚えているわけで、 そういう意味では夢の中の自分も夢を見ていた自分も同じひとつの意識なんだよね。
−−−−−−−ここまで俺の台本通り−−−−−−−
お。こっちのスレもおもしろそうだね。
865 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 01:01:37 ID:f2+Zu65i
>>860 じゃあ、小学生程度に合わせていいかな?
866 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 01:01:52 ID:0QT58T7q
>>862 そう。夢の中にいる間は、ほんとうの自分(この場合の「ほんとうの自分」とは、身体である自分のことね)であることを忘れ、
夢の中の自分というひとつのパーソナリティーを演じている。
夢から覚めると、夢の中の自分の記憶は、ほんとうの自分の記憶に統合され、ほんとうに自分の記憶の一部となる。
夢の中の自分のパーソナリティーは、もうどこにも存在しないが、しかし、ほんとうの自分の記憶の一部としては存在している。
ほんとうに自分は、夢の中の自分のことも覚えているが、夢の中の自分は、ほんとうの自分の記憶のうちの大半を忘れている。
>>862 信じざるを得ない体験をして、すぐああそうですか、って受け入れられましたか?
人間としての執着とか情とか葛藤はなかったの?
外側のものが全くない、というのはそれまでの概念を逆転することで、だからこそ
エゴにとっては消滅の恐怖で抵抗や葛藤があるんだと思うけど、赦しの道を進んでれば
そういうのも少ないのかな。
868 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 01:03:39 ID:f2+Zu65i
>>866 あんたのは体験から理解しているのかな?
それはどうやって他人に理解してもらえるのかな?
>>866 そうだね。だけど中には全く夢の中の出来事=経験と夢を見ている者は無関係だと考えている人もいるんだよ。
870 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 01:15:00 ID:0QT58T7q
>>867 もちろん、現在の段階に達するにはかなりの格闘と長い時間がかかった。
体験に関しては、1度目は「ただの偶然」、2度目も「偶然は重なるなあ」、3度目も「これだけ偶然が重なるとは珍しいなあ」、
という感じで、5回目か6回目になって、「これはもしかすると???」となり、10回目くらいでやって「これは間違いない!」と
いうふうな感じだったかな。何回目とかいうのはアバウトな書き方だけどね。
あと、俺の経験からすると、いきなり「世界は幻想であること」を理解しようとするよりも、その前段階として、
「世界は現実だが、しかし、現実はひとつだけではなく、多重構成になっていて、同時並行して存在している」というふうに
理解する段階を経たあとで、幻想であることを理解した方がスムーズかも知れない。
すべてが現実と完全に信じきった状態から、一気にすべてが幻想という状況を信じるのはかなり無理があるだろうね。
俺の場合、「世界は幻想かも知れない?」という疑問を抱いてから、最終的にそれを確信するまでに要した時間は、
約15年だった。
あと、これも俺の体験談だが、世界が幻想であることを完全に理解するまでは、「赦し」自体がほとんど机上の空論でしかなかった。
俺の場合、世界が現実だと思っていた頃は、「赦し」の実践なんて、ほとんど不可能だった。
幻想ではなく現実だと思っているから、むかつくものはむかつくのであって、それを赦すなんてことはできなかったなあ。
体験に抵抗というか、怖れを持つひとはわりといるよね この世に未練があると全て幻だなんてショックだからさ 何も無いということを虚無で心もとなく感じたりね 怖れる自分をまだ持ってるんだよね 怖れも怖れる自分すら幻と思えるまでなかなか終わらないね
872 :
867 :2010/09/28(火) 01:16:04 ID:nDJOtXCD
ここは非常におもしろいスレですね。 こんなおもしろいスレを見つけてしまうなんて、まるで夢のようだ。w
874 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 01:22:06 ID:f2+Zu65i
>>870 体験のみからでは他人を理解させることは不可能だ。
あんたが
>>851 で、神対以下他の本にもこの世は幻想であると書いてあったというが
それはそうだが、ただ、あんたの理解が違うんだよ。
875 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 01:24:53 ID:0QT58T7q
>>868 俺の体験を通して他人にそれを理解してもらうことは不可能だ。
各自がそれ相応の体験をしない限り、世界が幻想であることを、ほんとうに理解するのは難しい。
本に書いてあったから信じるとか、このスレを見て信じたとか、そういう人はいるだろうけど、それだけで確信できるほど
簡単ではないからね。
>>869 確かにそういう人もいるよね。
ただ、俺の見解では、夢の中の自分とほんとうに自分を、無関係とか別の者とかは考えていない。厳密に言うと、
夢の中の自分 = ほんとうの自分
ではないが、
夢の中の自分 ⊂ ほんとうの自分 (夢の中の自分は、ほんとうに自分に、含まれる)
という数式になるんだよね。
876 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 01:28:46 ID:0QT58T7q
>>874 ただ単に「あんたの理解が違う」とだけ書かれても、全然意味がわからないよ。
どういう風に違うのか、神対や他の本に書いてある幻想とは、どういう意味で書いてある(とあなたは思っている)のか、
まずは、そこら辺を詳しく書いてくれなきゃ答えようがない。
>>875 夢の中の自分⊂ほんとうの自分⊂更にほんとうの自分⊂・・・
・・・⊂神としての自分
結果、神としての自分しかいなかったってことになるのかもね。
879 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 01:36:19 ID:f2+Zu65i
>>876 その通りだが、私はこのスレには始めて来たわけだから、あんたをすべて把握している
わけではないが本を読んで来たというなら読み返すべきだね。
神対の本には一冊の本でそのことが書かれている。
目次だけ見たってわかるくらいだから・・・
この世が幻想で何の役にも立たないというなら、何のために生まれてくる必要が
あったのかね?
この世を去るときは何の価値も見出さなかったと思うのか?
880 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 01:38:11 ID:0QT58T7q
まあでも、この世界が幻想であるという考えに、断固として抵抗する人、認めたがらない人が多いのはわかっていたけどね。 問題なのは、その人たちの大半は、「幻想だなんて思えない」とか「え?嘘でしょ?」というレベルではなく、 「この世界が幻想だなんてことは、断じてあってはならない!」とか「この世界が幻想だなんて、俺が赦さんぞ!」というような、 考え方そのものを拒絶しているレベルだからなあ。 で、なぜそうなるのかもわかる。 世界を幻想と認めることは、赦しの推進とエゴの消滅を意味し、それゆえ、エゴが強烈に抵抗するからなのだよ。 エゴは、自分が継続するためには、どんなことだってやってのける。 もし世界を核爆弾でぶっ飛ばすことでエゴが継続できるなら、エゴはきっと世界を核爆弾でぶっ飛ばすだろう。 誰よりも狂った存在、ヒトラーやヤクザの比ではないほどの気違い、それがエゴだからね。 しかし、俺はもう、どんなことがあってもエゴを解体すると決めたから、核爆弾で世界がぶっ飛ぼうと、俺がいつ死のうと、 死んだあとも赦しを継続して、必ずそのうち、それも近い将来(存命中とは限らないが)、必ずエゴを解体するよ。 ここでこうして書き込みしているのも、実はその一環なのだ。他人のために書いてるのではない。自分のために書いている。
881 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 01:40:38 ID:f2+Zu65i
>>880 そのレスはとても本を読んで来たというものではない。
信じるか信じないかのレベルであり、とても理解するというものではない。
この世が幻想だということもまた幻想なのだから、価値があると思いたければ思えばいい 全て幻想だということは、幻想でしかないということではなく、幻想と思うことも幻想でないと 思うことも自由にできるということ 何でも自由に思えるということ ただ自由そのものでしかないということだ 幻想であるということに固執したら幻想でもなんでもない
883 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 01:44:51 ID:0QT58T7q
>>879 わかった。では、神対のどの本の、何ページのどの記述がどういう意味なのか、それを教えてほしい。
神対シリーズは、1〜3巻、神との友情(上・下)、神とひとつになること、明日の神は今も手元にある。
ちなみに、俺にとって、神対シリーズは今でも好きなシリーズだし、この本が無かったら今の俺はないと思ってる。
神対シリーズを理解したからこそ、神使シリーズをしっかり理解できたと思ってる。
ただ、神の使者が出たことによって、神対、シルバーバーチ、バシャールなどはその使命を終えたと
考えているのも事実だけどな。
神対スレから来た人なのかどうかは知らないが、私を「アンチ神対」と思っているなら、それは間違いだ。
>>880 > まあでも、この世界が幻想であるという考えに、断固として抵抗する人、認めたがらない人が多いのはわかっていたけどね。
そういう人が多く登場する夢を見ているだけだよ。
もちろん、そういう夢を作ったのは自分。
世界が空(幻)だとわかったら、今度は空を手放さなくてはならない 空もまた空とわかって、はじめて空そのものになれる
886 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 01:49:39 ID:0QT58T7q
>>884 そう、その通り!
そして、
>>880 の一行目をメタファーと瞬時に見抜いたあなたは素晴らしい!!
>>870 そうですか〜、貴重な体験ありがとうございます。
自分は赦しとか幻想なんて全く知らず、エゴにとって究極的な状況を自分で
作りだしてしまって、葛藤が凄かったので。賢くなくて。
生きながらの死、位の。自分が本当だと思っていたものが崩れて、人とも
離れなきゃいけなくなって。
エゴがが失いたくないと思っていたもの、犠牲だと思っていたものが本当に
おもちゃ、幻想だったんだ、ということが分かるのにやっぱり段階を踏んで体験を
通して時間が必要でした。
でもそういう状況でもなければ、自分の場合無理だったろうなあ、ってくらいこの世界
をぎゅっと掴んでいたかったですもの。
でももっともっといいものが待ってる、これは言えます。全然犠牲じゃないです。
エゴの解体、頑張りましょうね。
自我の頑張りじゃなく、聖霊に委ねてですけど。
889 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 01:54:53 ID:f2+Zu65i
>>883 そんなのは自分で探せはいい。簡単だといったはずだ・・・
現実は幻想ではない、現実の中にどっぷりと浸かっているときはれっきとした現実だ。
この世に生まれてくる理由は経験と学習なのだ、それがすべてだ。
それを得るために生まれてきている。
それを価値が無いと思うのかね?
知らないことを知るようになる、実際は思い出すのだけれど、経験して感じることが
重要だ、それが神の意図することになる。
そして幻想とはどういう意味か?
それはあんたが調べればいい。簡単だと言っているからな・・・
わからなかったら後ほど言おうかな・・・
価値が無いということを経験し学べばいいのに 価値が無いということは価値が無いことだと思っているのだろう 価値があるとか無いとかにこだわって、なんて不自由な人生だろう 価値が無いということは、価値があるということにも価値が無いということにも、価値なんて ないということ
ID:f2+Zu65i
今日初めて来たといういつものウソをついている君、
いつになさったら説明してくれるのかな?
またいつものように敵前逃亡するしかないのかな?w
>>889 どうして君にそんなことがわかるのかな?
君のその頭で? はははw
これも説明してもらおうかw
892 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 02:05:50 ID:0QT58T7q
>>887 体験を通した理解はほんとに大切だよね。いくら本に書いてあるからといって、簡単に信じられるものではない。
それに、かつての俺には役に立ったけど、いつまでもそれにしがみついていたら進展できないタイプのものも多い。
たとえばバシャール。
この本はいろんなことを俺に教えてくれたが、しかし、ワクワクとかポジティブシンキングだけではエゴを解体できない。
望むイメージに心を集中することに専念するだけで終わってしまう。
しかも、無意識下に罪悪感がある以上、ポジティブシンキングの効果が半減してしまうのは当然のことなのだ。
あるいはシルバーバーチ。
利他とか自己犠牲は、ある段階にある人たちには大切なことだけど、いつまでもそんなレベルに留まっていたら、
いつまでも相手を身体とみなし、いつまでも世界を現実とみなしてしまうだけで、その先まったく進展できない。
あと、心の在り方ではなく、物理的行動を中心とした指針となってる点も問題かな。
神との対話については、下手なこと書くと荒れそうなので、ここでは控えておくが、ラザリスやセスについてもやっぱり
エゴの解体方法を教えているわけではない。
そういう意味で、神の使者(というか、コースと言った方がいいのかな)は偉大だと思うのだ。
しかし、将来、コースや神の使者よりも、もっと進んだ概念のもの(より非二元論的なもの)が出たら、
その時は、未練なくスッパリと神の使者やコースは卒業して、次の段階に進むとすでに決めている。
893 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 02:07:02 ID:f2+Zu65i
>>890 言おうか? きみは幻想のど真ん中だよ。
結局、エゴが必死に抵抗している、その恰好のサンプルなのだよ、ID:f2+Zu65iの半狂乱の叫びはw
>>889 > この世に生まれてくる理由は経験と学習なのだ、それがすべてだ。
いや、理由はない。
もちろん一切の義務もない。
学習する必要も思い出す必要も何もない。
幻想の中にはずっと居てもいいし今すぐ出てもいい。完全に自由だ。
出なければいけないというものではない。制限は何もない。
24時間いつまでも居られるディズニーランドのようなものと考えて良い。
ずっと遊んでてもいいんだよ。
896 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 02:08:39 ID:f2+Zu65i
あほうが出てきたところで退散するかな・・・
>>894
897 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 02:09:05 ID:0QT58T7q
>>888 うん、聖霊に委ねることは大切だよ。
ただ、聖霊に委ねるのは、エゴ解体という作業そのものと、あとは「おまけのご利益」である物理的なご褒美(とパーサは言ってた)で、
いちばん大切な「赦しの実践」は、聖霊の仕事ではなく自我であり観察者である、肉体上の意識(←便宜的な表現)なのだ。
>>892 仏教やアドヴァイタの本は読まないのですか?
>>893 いいんじゃない
ど真ん中でも外れでも
そういうものがあるのなら
>>893 君のいつもの自滅パターン。
ウソとハッタリで自分を大きく見せようとする。
そんなものは見る人が見ればすぐに見破ってしまう。
だからあらゆる角度から突っ込みを入れられる。
すると答えに窮して、君は破れかぶれになり、
捨て台詞を吐いて敵前逃亡w
毎度毎度同じ敗北のパターン。
いい加減、“体験”から何かを“思い出し”たらどうなんだね? 稀に見る究極のお馬鹿さんwww
>>896 ほうら、逃げた逃げたw 連日連夜の大敗北www かわいそうにwww
901 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 02:19:23 ID:0QT58T7q
>>898 興味が無いわけではないのだが、現時点ではまだ読んでない。
もちろん、別に拒否してるわけではなく、たまたま、というか、何となくまだ読んでないっていう感じ。
(世界に「たまたま」なんてないしね)
>>901 そうですか
本も書いてあることも読むことも理解することもまた幻ですしね
903 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 02:37:56 ID:0QT58T7q
>>878 >>夢の中の自分⊂ほんとうの自分⊂更にほんとうの自分⊂・・・
>>・・・⊂神としての自分
>>結果、神としての自分しかいなかったってことになるのかもね。
亀レスになってしまって申し訳ない。
そう、その通りなんだよ!!俺が言いたいことは、まさにそのことなのだ。「神としての自分しかいない」。
これこそが絶対的な真実だと考えている。
だから、今ここにいる俺(つまり、あなた、これを読んでるあなたのこと)が神なのだ!
もちろん、神としての記憶のうちの99.9999%くらいは忘れているが、それでも神であることには変わりないのだ!
だんだんと、より大きな自分に戻っていくごとに神としての記憶を徐々に取り戻していき、
最後に神に戻ったときに、神としての記憶をすべて取り戻す。
逆にいうと、神としての記憶をすべて取り戻すからこそ、完全な神に戻るのだ。
そういうふうに、俺は考えている。
904 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 02:50:19 ID:0QT58T7q
>>903 を補足すると、
(1)大勢でワイワイガヤガヤと楽しく遊んだ夢を見た。
夢から覚めたら、一緒に遊んだ仲間たちはすべて幻想で、存在さえしていなかったことを思い出した。
しかし、目が覚めた先の世界(地球上の世界)にも、大勢の仲間たち、大勢の人たちがいた。
(2)赦しを実践して地球上の世界への輪廻転生を終え、ほんとうの我が家に帰った。
ほんとうの我が家に帰ったら、地球上や輪廻転生を通して仲間だったと思っていた人たちはすべて幻想で、
存在さえしていなかったことを思い出した。
しかし、ほんとうの我が家にも、大勢の仲間たちがいた。
(3)ほんとうの我が家だと思っていた世界も、いつの間にか卒業した。
さらに大きな世界に帰ったら、ほんとうの我が家での仲間たちはすべて幻想で、存在さえしていなかったことを思い出した。
しかし、さらに大きな世界にも、大勢の仲間たちがいた。
(4)、(5)、(6)と、これを繰り返していき、(10)だか(100)だか知らないが、ずっとこれを繰り返したのち、いつか神に帰るのだと思う。
905 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 02:52:27 ID:0QT58T7q
>>904 の補足。
最後に神に帰ったときには、もちろん神はひとりしか存在しておらず、周囲に仲間はいない。
>>903 でもね。だとしたらなぜ神は小さな自分ともいうべき自分の分身を生み出したのか。
なぜその分身は夢を見ることを選択したのか。って話になるわけ。
そのへんは神の使者目線だと罪悪感からってことになるのかもしれないけど
たとえ分身とはいっても神が罪悪感を抱くのは違うんじゃないかと思ったりもする。
そのへんバシャールや神との対話なんかだと、完全であるからこそ、そのままではできない経験をするために、意識的にそういう手段を用いた。
それは神と神の分身の共同創造で喜びなんだ、と語ってて、そちらのほうがスッキリした感じもあるのよね。
>完全だからこそ、そのままではできない経験 完全なら、そのままではできない経験をすることへの需要が生じるはずがない
ACIMにも神使にも「なぜ神が(分身である)我々を作ったか」は 書いてなかったと思います。罪悪感を感じてるのはエゴであって 神が罪悪感を感じてるという理屈ではないと思う。 ACIMでは、神が我々を作った理由は我々の理解を超えているから 「あえて言及しない」みたいな立場だった気がする。 つまりコースは夢と真実を隔てる橋を渡る(目覚める)手助けを 行うけれど、その先のことは神に任せる、という感じかと。 僕自身は特に神使派や神対派というわけではないですが 神が自分を分離したのは「遊ぶため」じゃないかと考えたりします。 命の危険も省みず登山する人に「なぜ山に登るのか?」と聞いて 「そこに山があるからだ」と答えられても、登山愛好家以外には 理解不能なのと似た感じで。 あるいは生活のために個人レベルでの漁労や農耕が必要がない人でも 釣りや家庭菜園を楽しむように。 ところが真に迫ったDVDの自作自演を楽しむべく、わざと動機を忘れてるので プレイ中は「なぜこんなに辛く苦しい悪夢を体験しなければならないのか」 と、何度も挫折しそうになったり悩んだりするのではないでしょうか? ハイキングの途中でバテて、もう引き返そうかとか短絡ルートで バス停まで降りてしまおうとか、僕はよく思うのですが、そんな感じかも。 「神は不変だが、常に変化して分身を作り出す、ともいえる意味は?」 という感じの質問を、前のほうでどなたか書込んでおられましたが 僕もこの疑問をよく考えます。結局よくわからずじまいですが 神対か何かで読んだ‘ラバランプ’(登録商標らしいw)のイメージが 気に入ったので、しばしば思い出すことにしてます。 常に丸いたくさんの泡みたいなものが変化しつつ何度も湧き出すけれど 全体としては不変の油性/アルコール性?混合液体… ラバランプとしてのアイデンティティはいつもひとつ。
心と幻想は1セットです。よって「神の御心」も幻想です。 すべてはエゴ顕示欲の発露です。 ということですかな。
>>906 どちらも方便にすぎません。
気に入った方を選択すればよろしい。
>>908 使いのほうに書いてあったと思う。
自分が存在するということの喜びを共有したくて、神の延長を作っただったかな。
ラバランプで思い出したが、宇宙の創造モデルの一つに、一つの宇宙から泡のように他の宇宙が生まれ分離していくという考え方があるらしい。
912 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 14:10:07 ID:0QT58T7q
話の流れとは直接関係ないが、ちょっと気になったので、ひとつだけ提起しておく。 議論にあたり、「言葉の定義」はとても大切で、例えば「神」と言った場合、神使・不死現では、本来は不可分である「神の心」を 無理やり2つに分けるようなイメージで、「神の心の中の正しい部分(=聖霊)」と、「神の心の中の間違った部分(=エゴ)」に分け、 前者を神(または神の心)と呼び、後者は「神ではない」という立場を貫いている。 一方、その他多数(神対、シルバーバーチ、バシャール、etc)は、両方の心をひっくるめて「神」と呼んでいる。 というか、両者をあえて分割していない(その概念さえない、または気づいてない)のである。 だから、この場合の「神」という言葉の定義を考えれば、神使が「神は世界をひとかけらも作っていない」というのも、 神対が「神が世界を作った」というのも、どちらも間違いではないのだ。 もうひとつは、「幻想」という言葉と、それと対となる「現実」という言葉も、あらかじめ定義を決めておかないと混乱する。 神使では、我々(というか、一般人)が普段「現実」と呼ぶ、地球上のこの世界のことを、一貫して「幻想」と呼んでいる。 しかし、その他多数では、確かに地球上の世界は幻想であると言いながらも、「自分がその中にいる間はその世界が現実だ」 という言い方を採用している。 また、地球上のこの世界であれ、夜の夢の中の世界であれ、その中にいる間の自分から見ればれっきとした現実であるのもまた 事実なのだ。これを「現実」と呼ぶか「幻想」と呼ぶかは、視点の問題であり、言葉の定義の問題に過ぎない。 「今の自分にとっては現実だけど、この世界を去った後の自分から見れば幻想だ」という言い方もできる。 だから、例えば、「神使で言う神」を神と思っている人と、「神対で言う神」を神と思っている人が、神について議論しても、 話がチンプンカンプンになってしまい、両者とも混乱し、やがて「お前の言ってることは間違ってる」というような誤解を生んでしまう。
>>912 これが延々と繰り返されているのがACIMと神対のスレ。
914 :
神も仏も名無しさん :2010/09/28(火) 15:47:19 ID:uj6YmWI/
エゴと聖霊は不可分にして一体です
もう相撲で解決するしかない。 相撲しようぜ相撲。
>>915 いくら体が幻想だからって男と抱き合うなんてやだ
× 相撲ナンバー ○ 相模ナンバー
>>914 実在しないものが、実在と不可分であるなど成立しない。
とりあえず次スレ立てるときは、神の使者のいまいちな論理をテンプレに入れましょう。 無論ACIMはまだ日本語版が出てないので、その論理は未検証なため、ACIMについてはなんともなんともいえないです。 完璧で不変の神のみだったので、仮にその神が自分の一部である神の子を産む、という観念を認めたとしても、その神の子が幻想を創造したので、結局完璧な神が幻想を創造したってことになってしまいます。 そして神の子が誤作動を起こして抱えてしまったエゴを完全に消去し、純粋な神の子、あるいは完全で不変な神に帰ったとしても、その神or神の子は不変であるので、また幻想を創造するのは確実です。 簡単にまとめると、一元論→ 不二一元論→ 一元論→不二一元論・・・という、永遠の玉ねぎ輪廻wwwを繰り返すことになるので、これは今後も議論の対称になるでしょう。 でもだからといって、神の使者の「この世界は幻想であり、エゴを解体するために赦しを実践する」という方法論がすばらしいことは認めてをり、神の使者を否定しているわけではないので、そこは誤解がないようにしたいです。
>>919 『神の使者』を読んでもいないのに、自分勝手な思い込みで勝手に仕切らないように。
その問題についてはFAQで取り上げられています。
686 :神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 21:20:03 ID:UfImStDQ
>>685 それ、コースの目的を知るためには、最高にいい質問なんだよ。
ワプニクはかせによると「それ、むっちゃFAQ。コースを編集してるときからからずっとFAQ」だそうで。
http://www.miraclestudies.net/Question11.html 結論から言うと
「エゴの知性には理解不能。その答えは体験しないとわからない」
コースでは二回その質問への回答が載ってて、
まず最初がヘレンやセトフォードの友だちがJにたずねたときの回答。
J「なぜ[完璧な神と一体の]心がエゴを生み出すことが出来たのか、疑問に思うのは当然である。
実際、あなたができる最高の質問だ。しかし、過去の視点からこの質問に答えることは意味がない。
なぜなら過去は全く重要でない。今この瞬間に同じ過ちを繰り返さないなら、その歴史は存在しない。」(俺訳)
It is reasonable to ask how the mind could ever have made the ego.
In fact, it is the best question you could ask, There is, however, no point in giving an answer
in terms of the past because the past does not matter, and history would not exist
if the same errors were not being repeated in the present (T-4.II.1:1-3).
いま俺が「もし」を選ばなければ「完璧なのに『もし』と考えた」事実すら存在しないと。
はっきしいって「その疑問の知的納得は不可能。奇跡を体験すればわかるけどね」と言い換えていいね。
687 :神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 21:23:06 ID:UfImStDQ 二回目が用語解説のとき。 J「このコースが与えないあらゆる答えをエゴは要求してくるだろう。 『たったひとつの回答不能な疑問を様々な形で訊いているだけだ』ということがエゴには理解できないのだ。 『なぜ不可能が起こりうるのかw』とエゴは訊く。『不可能が起こるってどういう話w』とあらゆる形で訊いてくるだろう。 しかし答えはない。体験だけがある。体験だけを求めなさい。神学が妨げとならぬように。」 「エゴが現実だと思っている者だけがエゴの定義を追究し、なぜエゴが存在しうるのかと訊く。 言葉による定義を求めれば、自らのエゴの正体が幻に過ぎないことを覆い隠すことができるからだ。 ウソを本当といいくるめる定義はありえない。」(俺訳) The ego will demand many answers that this course does not give. It does not recognize as questions the mere form of a question to which an answer is impossible. The ego may ask, "How did the impossible occur?", "To what did the impossible happen?", and may ask this in many forms. Yet there is no answer; only an experience. Seek only this, and do not let theology delay you (C-in.4). Who asks you to define the ego and explain how it arose can be but he who thinks it real, and seeks by definition to ensure that its illusive nature is concealed behind the words that seem to make it so. There is no definition for a lie that serves to make it true (C-2.2:5-3: 1). ということで、だから「奇跡のコース」という名前な訳ですね。 「回答不能な答えを、奇跡を体験して理解するための講座なんだよ」ってことかな。
689 :神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 22:13:38 ID:UfImStDQ
>>688 神は体験してない。
神の子も体験してない。
エゴが体験したつもりになっている。
で、「体験だけを求めなさい」というのも、神学の袋小路に陥らないための表現に過ぎなくてさ。
最後の方では今度はそれも否定される。
実際は、奇跡は体験するんじゃなくて、今まで見ていたエゴの夢が切り替わって
奇跡の夢(ハッピードリーム)を見るんですね。
体験は天国のみにあって、意識は天国を体験することはないからね。
天国の夢を見ることはできる。そのとき、神が最後のステップを取ってくれて、
天国に帰ることができる、そっから体験に戻るという流れになっている。
「じゃあエゴがどうして天国の夢を見ることができるんだよ」となるが、
心は実際には正しい心(神の子・聖霊)と間違った心のふたつだけじゃなくて、
もうひとつ、どちらかを選ぶ心がある。ということが最後のあたりで明かされていく。
まあ俺も読んでて何百回、(゚Д゚)ハァ?って顔したか、わからないからなあ。
ようやく「少なくともこういう事を意味しているらしい」というとこまでまとまってきたけど。
>>920 >J「なぜ[完璧な神と一体の]心がエゴを生み出すことが出来たのか、疑問に思うのは当然である。
>実際、あなたができる最高の質問だ。しかし、過去の視点からこの質問に答えることは意味がない。
>なぜなら過去は全く重要でない。今この瞬間に同じ過ちを繰り返さないなら、その歴史は存在しない。」(俺訳)
これは神の子は同じ過ちを繰り返す性質があるならその歴史は存在し続けるという事ですよね
ここでJがヘレンに答えているのも心がエゴを生み出したからであって、エゴが生れていないならACIMをヘレンに教える必要もなかった
>>923 そう解釈しているのもエゴだ。
エゴが生き残りのためにそう質問することで逃げている。
逃げに逃げているw
あ な た は 正 し さ と 幸 福 と 、 ど ち ら が 好 ま し い と 思 う の か ?
幸せ不幸せの枠をとっぱらってみたら?ってことですか。 快感でない至福ってどんなんだろねえ。
>>926 頓珍漢だと思うのは、あなたが馬鹿だからですw
>>927 だとしたら君は両方を失うだろう。
930 :
919 :2010/09/28(火) 20:57:10 ID:65s8MgmO
>ID:agF5NFLi あなたのコピペの英文はACIMからの引用だよね? 私はACIMは読んだことがないからわからないけど、神の使者にはこんなこと書いてないじゃんw
>>930 神の使者に書いてない? 読んでないのにどうしてそんなことがわかるんだ?w
>>929 >頓珍漢だと思うのは、あなたが馬鹿だからですw
ということは、
あなたは納得しているということでしょうか?
知性では納得できないはずなんではないでしょうか?
ということは、
あなた様は奇跡を経験されているんでしょうか?
なのになぜ、
こんな所でクダまいていらっしゃるんでしょうか?
934 :
919 :2010/09/28(火) 21:09:00 ID:65s8MgmO
ああ、自分の疑問すでにテンプレにのってたのねw これは自分が軽率だったねw >ID:agF5NFLi >『神の使者』を読んでもいないのに 神の使者を読んでもないのに→× ACIMを読んでもないのに→○ でしょ?ww
>>919 >その神or神の子は不変であるので、また幻想を創造するのは確実です。
コースではない考え方だと思います。
不変であるものが変化することはありません。ただし、そう妄想することはできます。
妄想をどんなにリアルに投影し知覚しても、絶対に現実になることはありません。
分離は創造されていませんし、もしされたなら我々の世界は幻想ではなく現実です。
しかもこの幻想もとっくに訂正されているにも関わらず、今ここにあると妄想しているにすぎません。
だからコースは徹底的に幻想と真実を区別するよう求めているし、その体験ができるよう赦しの実践を説いています。
聖霊が癒やしの手段とする以外に、幻想(狂気の妄想)を正当化することはしていません。
>>935 >しかもこの幻想もとっくに訂正されているにも関わらず、今ここにあると妄想しているにすぎません。
いまだ妄想中ならとっくに訂正されているとは言えないのではないでしょうか?
>不変であるものが変化することはありません。ただし、そう妄想することはできます。 不変である神、神の子でも妄想は可能ということを認めているようですが
>>933 保留にしておく、という自然科学の世界でも当たり前に取られている大人の対応ができるだけです、あなたのようなガキとは違ってw
自分の頭で理解できるものは正しく、そうでないものは間違っているに違いない、
というのがあなたのようなガキの発想です。
その頭の限界もわからず、その頭では理解不能なものはいくらでもあるのだ、
ということがわからない、わかろうともしない、だから馬鹿だと言ってるんだよ、お馬鹿さんw
939 :
919 :2010/09/28(火) 21:33:37 ID:65s8MgmO
>ID:agF5NFLi 君・・・神の使者読んだことないだろwww 919で書いた疑問は神の使者では言及されてないんだよww 嘘をつくなよなw
>>938 >保留にしておく、
ご自分でさえ「保留」にされているものをさも真実のように力説されるのは
よした方がよろしいかと思います。
>自分の頭で理解できるものは正しく、そうでないものは間違っているに違いない、
>というのがあなたのようなガキの発想です。
誰がそんなこといいましたか?
あなた様に意見するものは全てあなた様が間違いだと思っていると決めつけていらっしゃるので?
>頭では理解不能なものはいくらでもあるのだ、
そんなことは当たり前のことです。
とフルボッコされる ID:agF5NFLi (・∀・) どうする?
>>939 いや書いてあったはずだが?w 今手元にないから確認しようがないがw
エゴというのはそういう質問をつくりだすことによって、生きながらえようとする。
それを指摘されてそんな具合に火病を起こすのもエゴの所産w
で、本当に神の使者読んだのかな? なんか証拠として提示できるものあるのかな?w
>>940 いやいや、ACIMやその解説書の神の使者は、伝統的な宗教との整合性を持っている。
この天において評価しているわけですw あなたはニューエイジの薄っぺら〜〜い知識しかないからわからないでしょうがw
>>941 毎日フルボッコにされてる君にそんなことを言われてもねぇ(・∀・)
悔しくて悔しくて仕方がないんだろうねぇw
ただただ、復讐したいという動機だけでここにいる君やID:t46HcxOjねw
>>942 >いやいや、ACIMやその解説書の神の使者は、伝統的な宗教との整合性を持っている。
>この天において評価しているわけですw あなたはニューエイジの薄っぺら〜〜い知識しかないからわからないでしょうがw
君はACIMを一通り読んだの事はあるの?
>>944 読んで赦しの実践をする気は起きましたか?
>>944 そういえばお前、原書じゃないと読んだ事にならないと神対派を叱ってなかったか?
>>945 いいや。
なぜなら、今やっている別のやり方があるから。
人は二つ以上の道を同時に歩くことはできんとですw
>>942 >いやいや、ACIMやその解説書の神の使者は、伝統的な宗教との整合性を持っている。
>この天において評価しているわけですw あなたはニューエイジの薄っぺら〜〜い知識しかないからわからないでしょうがw
ACIMやその解説書の神の使者は、
との整合性を重視して人為的に体系化されたとすれば、
あなたはどうする?
で、
>>920-921 については、
あなた自身も納得していない=「保留」にしているFAQを、
さも真実であるかのように引用したということでFA?
ACIMの目的って何? って問われた時にスラスラ答えられる人はコースの落ちこぼれってこと? 心と呼ばれるものそのものがエゴ?
>>948 訂正
ACIMやその解説書の神の使者は、
伝統的な宗教との整合性を重視して人為的に体系化されたとすれば、
あなたはどうする?
>>948 別にどうもしませんが何か?www
さも真実であるかのように引用したのではなく、
そう対処をする、ということそのものに真実がある、ということです。
言ってることの意味がわかるかね? お馬鹿さんw
君はコンテンツとコンテクストの違いについて勉強してみなさい。
君はコンテンツで物事を判断しようとしている。
だからいつも間違うんだよw
コンテンツのみではなく、コンテクスト。 どちらか迷った時はコンテクストを優先する。 そうすれば、どんな分野のどんな事象に対してもそうそう道を踏み外すことはない。
>>951 >別にどうもしませんが何か?www
正解。
よろしいw
>そう対処をする、ということそのものに真実がある
「そう対処をする」とは、「保留する」ということかね?
>>953 間違い。君は何もわかっていない。出直してきなさい。
>>954 何が間違っているのかな?
おれは何も断定していないけど。
>>936-937 >いまだ妄想中ならとっくに訂正されているとは言えないのではないでしょうか?
妄想を選択している立場から生じる疑問だと思います。コースは、妄想の内容がなんであれ現実に影響を与える事はないと説いています。
>不変である神、神の子でも妄想は可能ということを認めているようですが
神が妄想を抱くならそれは妄想ではなく現実です。
神の子が妄想できるなら神も妄想できるはずだと考えるのは、エゴと同一化することを選択しつづけている表れではないでしょうか。
ここはACIMスレなので関係ない話題は別の場所でどうぞ。
(1/3)
俺が昨日書いた
>>904 を、逆の視点から書いてみよう。その方がわかりやすいかも知れない。
逆の視点とは、「人間がどうやって神の帰るか」ではなく、「神はどうやって人間に降りたか」という方向での説明である。
説明の都合上、神から人間への変遷を「神→魂→身体」と3段階だけに絞るが、実際には「神」と「魂」の間に、
いくつもの段階がある思ってもらいたい。ただし、説明では簡略化して「神」の次は「魂」というふうに説明する。
また、神にとっての自分を【我】、魂にとっての自分を【私】、身体にとっての自分を【僕】と呼ぶことにする。
まず最初に、【我】であるところの、唯一なる神がある。神は自分が【我】であることを理解している。自分が【我】であるという
心を持っている。しかし、それ以外には何もなく、時間も空間もなく、もちろん五感もない。
ただ単に、【我】は【我】であると認識している神の心があるだけである。
ここで言う「神の心」のことを、「神の意識」とか「神の知覚」とか言いたければ言ってもいい。言葉は重要ではない。
まあ「知覚」というのは本来、五感で行うものなのでちょっと変だが、ともあれ言葉はどうでもいい。呼びたいように呼べばいい。
さて、【我】である唯一なる神は、神の世界を離れ、自分を体験する夢の世界へと冒険に入っていく。
なぜ神が天国を捨てて、というか、【我】であることを忘れてわざわざ冒険に入ったのかという、その理由はどうでもいい。
罪悪感によりそうなったのでもいいし、神が自分を体験したくてそうなったのでもいい。そんなことはどっちでもいい。
(2/3) (注)神の使者では、ここから先のすべてを「エゴの領域」と呼んでいる。 幻想である夢の世界に入った神は、その時点で、それまでの記憶、つまり【我】であることを忘れる。 そして、幻想であるその夢の世界に多数の魂が存在してることに気づく。数えられないくらい多数の魂がそこに存在している。 もちろん、ほんとうに魂が存在しているのではない。魂など夢の中にしか存在しておらず、もちろん幻想である。 しかし、その世界に足を踏み入れた【私】から見ると、そこに多数の魂が存在しているかのように見える。 そして、【私】は、自分自身もまた、多数の魂の中の1つとなっていることに気づく。【私】は、魂Aという魂になっていた。 もちろん、ほんとうに魂Aになったわけではない。夢の外にいる【我】が、自分が【我】であることを忘れ、自分が見ている夢の中で、 自分が魂Aである【私】になったと錯覚しているだけである。 ここで【私】は、自分の周囲に、本来なら存在するはずのない「他者」という存在を見た。魂B、魂Cなどは、【私】から見て他者である。 もちろん他者すなわち魂Bや魂Cがほんとうに存在しているわけではない。しかし、この夢の中では、あたかもそれらが存在して いるかのように展開してゆき、魂Aである【私】は、魂Bや魂Cなどとコミュニケーションを取ることもできる。 こうして、自分がいて、そして他者がいるという、二元性の世界ができあがる。いや、ほんとうに二元性の世界ができたわけではない。 二元性の世界は実在しておらず、夢の中にしか存在しない。とはいえ、【私】は、二元性の世界が存在しているかのように見える 世界の中で、その世界で生きていくことになる。
960 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 23:11:42 ID:ceddOsAX
(3/3) やがて【私】は、この世界の中で、一時的に「物質世界」というものを体験することができることを知った。 友人である魂Bが言うには、DVDの人生ゲームとかいうものを自分で作り、そのDVDを自分でプレイすることにより、DVDの中の世界を あたかも現実の世界であるかのように体験できるというのだ。しかも、そのDVDは、【私】が好きなように自由に作ることができるらしい。 これは、もちろんゲームに過ぎないが、【私】が自由に、その「人生」とかやらを作り、それを自分で体験することができるらしいのだ。 ただし、そのゲームをプレイしている間は、魂Aとしての記憶は一時的に消えるらしい。 でも、ゲームを終えたときには必ず、魂Aとしての記憶を取り戻すので、何も心配することはない。 これは面白そうだ!!! さっそく【私】は自分でDVDを作り、それをプレイしてみた。 【僕】はいま、地球上の日本という国で、身体Aとして生きている。 ここは、アフリカや東南アジアに比べればマシだが、それでも毎日苦痛が絶えない。 なんで【僕】は、こんな狂った狂気の、苦しみだらけの世界を生きていかなければならないのだろうか?世界全体が狂ってると思う。 それに、誰だって100年も生きないうちに死ぬことがわかっている。だったら、いったい何のために生まれてきたのだろうか? しかも生きてる間は苦しみの連続だ。いったい誰がこんな狂った世界を作ったのだ?神が作ったのかなあ???
>なぜ神が天国を捨てて、というか、【我】であることを忘れてわざわざ冒険に入ったのかという、その理由はどうでもいい。 素晴らしい。
>>958-960 なるほど。今日の早朝、よくわからないままに、僕なりに
登山のたとえで、つたない考えを書き込んでみたけど
マルチポストマン氏流に、きちんと系統だてて(若干くどくw)
説明し直してもらったら、なんとなく判りやすくなった気がします。
>>811 遅レスですが、マルチ物語氏(ペンネーム?)による幽体離脱物語の中では
とくに「人工知能」のくだりが面白かった。
SF好きなので、コンピュータやロボット関連ぽいネタは、触手が動きます。
で実は、前にドラえもんの喩えをマルチ氏が挙げたとき
レスを書こうかと思って忘れてたんですが…
のび太やジャイアンは生身人間をモデルにしたアニメキャラだけど
主人公(なのか?w)のドラえもんは「未来からきた猫型ロボット」なので
あのあとマルチ氏の喩え話は、人工知能のネタに進むのかな?と
勝手に憶測してました。
他者の身体にアクセスする、というテーマからすると、アクセス相手が
のび太でもドラえもんでも、「知覚意識を持たない人工知能のようなもの」
ってことで同じですが。
つうか『なぜ』という問い掛けること自体が、普段の人間の思考範囲内で 「原因と結果」を無理に説明付けようとしてるわけだから どうしても限界があるのではないでしょうか? 考えたり議論したりすれば、何かそれなりに納得・理解が得られるかも しれないけど、そういう行為そのものもレクリェーションの一環なわけで 今の我々の思考レベルでは、この辺で納得しておくか… ぐらいなのでは?
起こり得ないことが起こった。いや起こってない。いや起こってる。 どっちだ。どっちでもない。いやどっちもこっちだ。堂々巡りなスレですね。
965 :
マルチポストマン :2010/09/28(火) 23:44:19 ID:0QT58T7q
>>962 俺が説明を書くとき、いちばん気をつけているのは「読み手に誤解される可能性をできる限り低くしたい」ということなので、
そのためにはどうしても説明がくどくなってしまうのだw
人工知能については、かなり機械的というか、非人間的な印象を与えるので、できればこの言葉は使いたくなかったのだが、
他に的確な言葉がなかった。「身体の思考や感情もDVD上に事前に記録されている」というふうに書こうとも思ったけど、
それよりも、人工知能という言葉の方が、真意(俺が伝えたいこと)がちゃんと伝わる可能性が高いだろうな、と思ったので、
この言葉を使うことにしたのだw
アクセス相手という意味では、もちろんドラえもんでOKだし、もっと言えば犬でもハエでも電柱でも石でもOK。
電柱や石になりたければ、なれるだろう。ただし、電柱や石になりたいと思う人は、たぶん、一人もいないと思うw
「マルチ物語」の少し先の続編で、「犬になる」とか「電柱になる」とかいう話もする予定でいる。
>>870 >体験に関しては、1度目は「ただの偶然」、2度目も「偶然は重なるなあ」、
>3度目も「これだけ偶然が重なるとは珍しいなあ」、という感じで、
>5回目か6回目になって、「これはもしかすると???」となり、10回目
>くらいでやって「これは間違いない!」というふうな感じだったかな。
僕自身は幻覚とか奇跡的な神秘体験とか全く無縁ですが、日常生活レベルや
単なる人間関係・会話のくだりなどで、ちょうどマルチポストマン氏と
同じように、「あれ、偶然にしては変だな?」という事柄に四年前くらい
前から気付くようになり、それが段々回数を重ねて、「これはもしや」
って状態になりました。まだ‘確信’はできてませんが(汗)。
とにかく出会う人や大手中古書籍チェーン店の書棚で見つける本や
ネットの書き込みや、そのうち家族の言動まで、どんどん
自分の探してるもの、困ってる状況、その他もろもろ…
ベストタイミングに遭遇する確率がうなぎ上りw
最近は、家族や近所の人やネットの書込みや、全部「他者」ってのは
実は幻想じゃないのかな?と悩み始めて、特に今月の初め位からは
かなり真剣に考察していたので、ちょうどそんな矢先に
マルチポストマン氏が突然現れ
>>410 から投稿を開始なさって
それを読む機会を得ることができた!ってのも
僕的には、とんでもなく「ありがたいタイミング」だったのです。
『これってまるで無意識の‘我’のジサクジエンじゃないのかw』と
自分の目を疑いました。まぁエゴが見せた手品かもしれませんが…
967 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 00:19:46 ID:ikTPBcwb
>>966 そう、何かを真剣に信じ始めると、それを証明するかのような出来事が次から次へと、有り得ないような確率で起こり始める。
これに関してひとつだけ注意しなければならないのは、その「信じ始めたこと」が、自分が望むことだけでなく、
自分を不幸にする性質のものでも、信じてしまうとそれを証明(または確信)するようなことが起きてしまうので、これには注意。
俺自身、これで痛い目にあったことが、何度かあるのだw
あなたにとってピッタリのタイミングであったことも、もちろん偶然ではない。
その出来事を、あなた自身が設定し、そしてそれをあなたが体験したのだ。つまり、地上での全ての出来事は"ジサクジエン"なのだ。
個々の出来事を見た場合、確かに聖霊を通した解釈のものと、エゴを通した解釈のものがある。
ただし、それはその時点でのもので、その後の展開(DVD上の複数のストーリーのうち、どのストーリーに進むか)により、
エゴを通して解釈された出来事を、最終的に自分にとってプラスにすることもできる(その逆も然り)。
あなたが言う、「ベストなタイミングで起きた」といういろんな出来事に関して言えば、私の体験を元にすれば、
おそらくほぼ全てが、エゴではなく聖霊の解釈によるものと思っていいかも知れない。
聖霊の解釈による出来事を見た場合の特徴は、喜び、嬉しさ、安堵といった感情を心で感じること。
エゴの解釈による出来事を見た場合の特徴は、怒り、憎しみ、不安といった感情を心で感じること。
ただ、さっきも書いたとおり、エゴによる解釈でむかつく出来事が起きても、その後聖霊によってそれを逆手に取り、
最終的に自分にとってプラスに持っていくこともできるし、その逆も然りなので、たとえば聖霊による解釈で嬉しい出来事が起きても、
それをエゴによって逆手に取られないように注意する必要もある。
俺自身の経験でいうと、聖霊が俺に与えてくれた(←この言い回しはメタファーだが)嬉しい出来事を、その後エゴによって
逆手に取られ、地獄のどん底に落とされた経験もあるし、
逆に、エゴが投げつけてきたむかつく出来事を、その後聖霊によってプラス方向に運ばせてもらった経験もある。
968 :
919 :2010/09/29(水) 00:19:56 ID:GC6G7IUb
みんなの目的は一緒で、永遠の天国に目覚めるってことだよね・・・これは全員同意すると思う。 マルチポストマンさんのレスとかすごく参考になるし、神の使者やACIM等もすばらしいと思う。 ただ自分の場合、やっぱり「神→エゴ→神→エゴ」輪廻がきになっちゃうんだよね。 こう考えること自体がエゴの罠っていわれると、そうなんだけど・・・みんなはどうなのかな? そんなこと気にせず、ただ赦せばいいんだよ!ってなるよねw
「このままではいけない」、「何かしなくちゃいけない」という感覚が既に幻想だったりして。
970 :
919 :2010/09/29(水) 00:32:57 ID:GC6G7IUb
>>969 例えば、太陽が戦争が起ろうが平和が続こうがまったく意識しないように、あるがままになれってことかな?
エゴがよくやる手法にゴールを設定するというのがあると思う。ゴールという人参を目の前にぶら下げる。 すると人間はバカなのでゴール目指して延々と走るが、当然走っても走ってもゴールには到達しない。 どうすればゴールに到達出来るのかと四苦八苦する。しかし何をどうやろうがゴールには着かない。 色んな本を沢山読んで色んな知識を集めて色んな修行もして必死に色々なことをやっているのに 全然ゴールに着かない。 なぜなら、ゴールは初めから存在してないから。 強いていうなら最初からゴールに居るから。 青い鳥、最初から家の中に居るんだよ。
>>970 いや、本当にこの世界が幻想だと分かった場合は戦争に巻き込まれるなどの幻想は
(自分がそれを欲するなどの何らかの特殊な事情がないのであれば)作らないでしょう。
というか、幻想だと分かっているのに「〜が起ころうが」という思考になるのは変なんだよ。
勝手に何かが起こることはないんだから。
>>971 でもそのことに気づくためには実際にゴール設定して必死に走るプロセスも必要。
耳学問でわかったつもりになり、走る必要なんかないんだよ、と開き直る人は
最初から家の中にいる青い鳥に気づくことは決してない。
ホールインワンは狙って出来るものではないが、少なくとも狙わなければ出来るわけがない。
必要かどうかは分からんね。気付いてしまえばそこで終わるだけだから。 気付いてないのに無理に終わったと思い込んでも無駄だけどね。その場合はまだ 幻想の中に居るということだから延々とストレスが溜まり続けるだろうな。
>>967 マルチ君というエゴが、聖なるエゴと邪まなるエゴというように
エゴを分別してるってこと?
なぜ幸せになろうとすんの?
いまの状態って、食べてもいない料理について議論繰り広げるような状態だな。 私は塩辛いと思う、いや甘いに決まっている、しかし過去の経験からいってこれは苦い、だがもしかしたら新しい辛さがあるかもしれない。
なるほど。 じゃ、食べようか。w
自分は別にお腹も空いてなければ食べたくもなかったって気づけばいい 食べたいと思うのは自分の中の虚無を何かで満たしたいと思ってるからだよ
あー。幻の虚無か。
981 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 12:33:26 ID:ikTPBcwb
>>976 そりゃあもちろん、不幸よりは幸福のほうがいいから、幸福になりたいのだ。
ゲイリーの例で言えば、映画の帰りに交通事故に遭うのと遭わないのとでは、遭わない方がいいに決まってる。
もし、不幸になりたい人(けっこう大勢いるらしい)がいるなら、その人は不幸を選べばいいけどね。
(↑他者がいるという想定で書いてるので、この部分はメタファーだよ)
もちろん、いちばん重要なのは、幸福になることではなく、赦しを実践してエゴを解体することだ。
赦しをそっちのけで幸福を追求するなんて本末転倒。それでは、今までと同じところを回転木馬のように堂々巡りするだけ。
しかし、いちばん重要なのは赦しの実践であることをしっかりと理解し、かつ実践したうえで、自分の幸福を追求することは
ぜんぜん悪いことではない。
ゲイリーの例で言えば、ハワイ移住を夢見て何とかそれを実現させようとしたり、レッドソックスが優勝して喜んだり、
そういうことはぜんぜん悪いことではない。
もちろん、幸福を求め、不幸よりは幸福の方がいいと思っているのは、心の中の神の部分ではなく、エゴの部分だ。
神には幸福も不幸もない。神にとっては幸福と不幸は同じものであり、差はなく、どちらも等しく無価値だと気づいている。
しかし、エゴにとっては幸福と不幸の差はでかい。
俺たちの仕事は赦しの実践によってエゴを解体することだが、それは一朝一夕にできることではない。
今後もしばらくの間は、嫌でもエゴと付き合わざるを得ないのだ。徐々に解体していかなければならないのだ。
心にエゴが残っている間は幸福と不幸の差はでかいので、それなら幸福を選ぼうぜ!、ということだ。
「幸福を選んだ」からと言って、「エゴの解体を躊躇または停止する」ということにはならないよ。
あと、これは逆説になるけど、赦しを実践してエゴを解体すればするほど、自動的に幸せになるんだよね。
逆に、赦しを実践せずに幸福を追求しても、一時的な幸福は得られても、永続する幸福は得られない。
無意識の罪悪感(=エゴ)が、自分自身を苦しませようと手ぐすね引いて待っているのだから。
そう言えば気をつけないと何でも観念化して幻想の元になるな。このスレに来て いるような人の場合は例えば「世界は幻想である」というのが観念化するかも 知れない。そうなるとやがてその通りの世界を見ることになるだろう。 世界は何に対しても "Yes" としか言わない。幻想だと信じるなら幻想になる。 もちろん「幻想ではない」と信じれば幻想ではなくなる。(この全体を通して幻想だ とは言えそうだが、人間の認識力の限界かも知れない)。ただ、信じた通りにどう とでもなることだけは利用可能だ。「信じた通りにはならない」と信じてしまわ ない限りは。
>>981 赦す必要が出てきてしまうのは赦さねばならないことが現実に起きたと認識しているからだな。
つまり怒りに繋がるようなことが過去に本当に起きたと認識している。この認識が幻想だったと
分かれば怒る必要性もなくなり結果として赦す必要性も失われそこで終わりだろう。
例えば誰かに突き飛ばされて転んだとしても、突き飛ばされなければ車にひかれていたと
わかれば怒りにならない。分からないままだと悪意によって突き飛ばされたと思ったりして
怒りに繋がる。
984 :
神も仏も名無しさん :2010/09/29(水) 13:06:27 ID:280TYADS
解釈より判断をしないことの方がよっぽど重要。
自分が自由かどうかだけを頼りにしたらいい 幻想だといやだとか、あるいは逆に幻想でしかないはずだ、という観念に固執したらそれは 幻想でもないし不自由だ 幻想でも幻想でなくてもどちらでもいいってことが、全てが幻想であることであり、一切からの 自由だ 誰かから幻想なんてないと言われても「そうかもねー」 誰かから全て幻想だと言われても「そうかもねー」 それが幻想も幻想でないものもなく、ホントに全て幻想なのだということだ
986 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 13:14:20 ID:ikTPBcwb
>>982 >>このスレに来ているような人の場合は例えば「世界は幻想である」というのが観念化するかも知れない。
>>そうなるとやがてその通りの世界を見ることになるだろう。
これ、まさしく俺の実体験だよ!世界が幻想であると信じ始めた頃から、それを確信させるような出来事が次から次へと起きた。
また、
>>966 の体験にも同じことが言えると思う。
逆に言えば、ふつうの一般人のほとんどは、世界が幻想ではなく現実であると信じている。心の底からそう思っている。
だから、彼らにとっては、世界は現実であるという体験が次から次へと現れる。
(一般人がどうこうとかの、他者がいるという想定で書いた部分は、もちろんメタファーだよ)
987 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 13:15:57 ID:ikTPBcwb
>>981 にやや関連して、「人間の思考は、極端から極端に走りやすいから気をつけよう」という点を問題提起しておく。
■病気を治すのは、薬ではなく、心であることがわかった(薬はほんとうは病気を治すことはできない)
↑これを知ったとたん、全ての薬を否定し、薬を飲むことを全面的に拒絶してしまう人が必ず出てくる。
「薬は飲んではいけない」と勘違いしてしまう。
しかし、それは賢明ではない。たとえば、薬がほんとうに病気を治すのではないことを理解したからと言って、
ただちに薬が「効かなく」なるわけではない。正確に言うと、薬を飲んだこと(薬を飲んだという記憶)が心に作用し、
その結果、心が病気を治す。つまり、間接的ではあるが、薬は病気を治したことになる。
頭痛になったらバファリンでもセデスでも飲めばいいのだ。別に拒絶する必要はない。
これと同じで、
■重要なのは赦しを実践することであって、幸福を追求することではない
↑これを知ったとたん、「幸福を追求してはいけない」とか「幸福を追求すべきではない」とか「幸福でいるより不幸でいた方がいい」
などと思い違いしてしまう人も多いようなので、気を付けた方がいいと思う。
988 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 13:20:57 ID:ikTPBcwb
>>984 その通り!
判断しないことは、赦すこととほぼ同義で、一切の判断を放棄すればエゴを解体できる。
「解釈」に関して補足すると、解釈すること自体は特に問題はない。
判断を伴う形の解釈には問題がある(エゴ解体と逆方向に進む)が、判断を伴わない形の解釈であれば問題はない。
それはともあれ、解釈より判断をしないことの方が重要という点は、まさにその通り。
空もまた空なんだよ 現実があると思って現実を感じるもの、幻想だと思って幻想を感じるのも同じじゃん それじゃ現実という幻想を作り出したように幻想という幻想を作り出そうとしてるだけ 現実も幻想もあるともないともいえないってのが、全てを幻想と理解するってことだよ 幻想と思う自分も幻想の世界もまた、現実と同じように幻想なんだよ
990 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 13:29:01 ID:ikTPBcwb
>>985 そうだね。
「地球が丸くても四角くてもどっちでもいい」というふうに、執着を持たないことが大事だね。
もちろん地球は丸いし、そのことは既知の事実だけど、もし「地球は四角だ」と主張する人がいたとしても、
その人に抵抗してはいけない。その人を赦さなければいけない。
(注)「その人を赦す」というのは、「地球がほんとうは丸いことをその人に伝えない」という意味ではない。
>>990 地球が丸いのは既知の事実じゃないよ
既知の事実ってなに? 今手の上に地球を乗っけて地球が丸いことを確認してる?
「地球は丸いし、そのことは既知の事実」という判断を知識と過去の経験から推測してるだけ
だよ
そういう自分を幻と思ってないだけだよ
自分や知識や過去を現実だと思ってるだけだよ
992 :
神も仏も名無しさん :2010/09/29(水) 13:45:01 ID:TvKdCpbO
赦すと言えば、他者より自分を赦す方が難しい気がする。 失敗した自分、なかなか成長できない自分。 どなたかよい方法があれば教えてください。
>>981 >あと、これは逆説になるけど、赦しを実践してエゴを解体すればするほど、自動的に幸せになるんだよね。
これが真理なのだよ。
994 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 13:55:00 ID:ikTPBcwb
>>991 いやいや、「地球が丸い」と言ったのは説明上のメタファー。
ほんとうは地球は丸くないし、四角くもない。というか、地球など存在しない。存在しないものの形を計ることはできない。
でも、あなたが言ってる一連の発言にはほぼ全面的に同意だよ。そして、あなたが言おうとしている意味もすごくよくわかる。
ひとつ違いがあるとすれば、あなたは、DVDの外から、DVDの外に位置する存在の立場で、DVDの中の人に語っている。
俺は、DVDの中から、DVDの中に位置する俺の立場で、DVDの中の人に語っている。
その違い、その視点の違いがそのまま、言葉や表現方法の違いになっているだけ。
>>992 自分を赦せない自分をまず赦してみたらいいんじゃないかなあ
失敗した自分を赦せなくたっていいじゃない!
成長できない自分を赦せなくたっていいじゃない!
赦せて当然なんて思っちゃ自分がかわいそうだよ!
赦せなくたっていいよ自分!無理すんなよ自分! まずそっから
自分が自分を赦せるように、まず自分を自由にしてあげたらいいんじゃないかなあ
>>994 そう判断するならそれでいいよ
自分はマルチじゃないから、そうなんだー、と言うだけ
997 :
マルチポストマン :2010/09/29(水) 14:04:59 ID:ikTPBcwb
>>992 俺の場合、失敗した自分やミスをやらかした自分を赦すことはそれほど難しくなかったが、
自分は自分でもエゴの部分、、次から次へと石を投げつけてくるエゴを赦すのにかなり苦労したw
>>998 彼自身が観念の支配されている典型だけどね。
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