1 :
神も仏も名無しさん:
現存の仏典に、輪廻転生についての記述がある事は間違いありません。
仏教徒は、たとえゴータマが輪廻を実際に説いたという明確な根拠が無く、そもそも輪廻自体に根拠がまったく無くとも、
信じる経典に輪廻が書いてあるなら、それを信じるべきです。
輪廻は差別を助長する側面を持っていますが、仏教者ならばそれを受け入れなくてはなりません。
また、経典内部でも、矛盾に満ちた既述が散見されますが、それは全て読み手の修行不足が原因であり、
経典は絶対的に正しく、修行が進めば超能力が身について真実がわかると、信じなくてはいけません。
輪廻思想は、「経典を信じない仏教徒以外の人間」が存在する一般社会では説くべきではありません。
ですからこのスレで、仏教徒同士だけで、語り合いましょう。
輪廻だけにこだわらず、業報、輪廻、転生、縁起、無常、無我、空・・・仏教理論一般についても歓迎です。
仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。
*仏教聖典は全て仏説であり、その内容は全て真実であると信じる仏教徒のみ、スレッドに参加できます。
*「普遍的真実である」とか、「全ての人間に適用できる」という趣旨の発言は禁止いたします。
*このスレで語られる現象は「仏教徒以外にはおこらない現象」であり、「仏教徒のみが影響を受ける現象」です。
*根拠を求める発言に対しては、「私が信じてるんだからいいじゃないか!」と言って無視してください。
*無我と矛盾するという発言には、「私が信じてるんだからいいじゃないか!」と言って無視してください。
*その他、否定派の発言については、ともかく「私が信じてるんだからいいじゃないか!」と言って無視してください。
*引用をする際には出典を明らかにして下さい。
*投稿「750-800」を目安に善意の方どなたか次スレを立てて下さい。
関連スレ:
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1257855450/ 無関係スレ(類似品にご注意下さい)
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260526984/
輪廻はあります、信じられないものは
修行が足らないのです。
ですが未来のことを思い煩うのは仏道では無いのです、「今ここに在る、足る」
それこそ仏道なのです。尚、限定者スレなので、絡んできたりしてもスルーしますので
よろしくお願いします。
輪廻は本来存在しないものなんです。
輪廻があると思うなら、それらは無明に属します、無明である輪廻の存在を
他人に訴えて、それらを信じさせて
現世ばかりで無く、あるのかないのかわからない来世についても
くよくよ思い煩うのは無明の極みですから、「今ここに足る」
仏教徒であるなら、釈迦の説く、今現在のこころの安らぎを手に入れてください。
悪魔もウルトラマンも存在します。
夢の中で、悪魔やウルトラマンを見たのなら
その間は夢を見た人の意識には、悪魔やウルトラマンは確実に存在します。
輪廻も似たようなものなんです、夢から覚めたら、悪魔やウルトラマンの存在も
ああ夢だったのかと気付くように、輪廻も夢から覚めたら、元々存在などしていなかったのです。
それを無明と言います。
>テンプレ
ここは一種の隔離スレだろう。
実際の輪廻信徒が見ていて楽しくなれる表現の仕方にしなければ
ここに居つく可能性は小さいのでは。
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4でのバトルに
導こうとしているのなら、適切であるのかもしれないが。
>>6 マアナ=ユウド=スウシャイの夢なら、別に実在とみなしても構わないだろう。
中年女がヒステリーで建てたスレみたいだ、テンプレ
こういうオナゴとは、出会いたくないね
だから猿に宗教はいらないって
仏教徒限定って言う表現がおかしいね。スピチュアル系や新興宗教などでも
信じてる人は多い。
エドガーケイシーなども輪廻などを透視した
超能力者として有名ですが、クリスチャンですし
11 :
1:2009/12/12(土) 16:40:30 ID:ho+/KBRb
>>9-10 ふむ、チョット限定しすぎましたかね……
まあ、「輪廻の根拠は経典に書いてあるからだ!」と主張を繰り返す人たちの為に立てたスレですので、「仏教徒限定」と銘打ちましたが、
スピチュアル系や新興宗教などでも、「輪廻はある!」と信じている人なら、かまわないんじゃないですかね。
12 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 15:40:07 ID:ViYBsaH5
保守
清き人、如来は
この世でもかの世でも執着に汚されることがない、安らぎにある。
14 :
神も仏も名無しさん:2009/12/14(月) 12:11:46 ID:U9Ed1RUh
保守
15 :
神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 21:26:54 ID:DJD9iXZF
輪廻肯定論者は居なくなったんだなw
16 :
神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 21:42:46 ID:mDup8ROg
>>5 仏教は「輪廻からの解脱」の教えと
理解してますけど。
>>16 もし、「(種々の)苦」が無ければ、「輪廻」を続けてもノープロブレムだぞ?w
18 :
神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 07:59:22 ID:E+ve1opy
もしも、輪廻はなく、私後は心が滅び体が土に帰るだけだとすると、
べつに悟らなくても、そこそこ幸せな人生ならそれでいいことになる。
だとすると、逆に、嘘も方便で浄土や天国を信じてでも、
それで心が平安に暮らせればいいかとになる。
もし輪廻があったら、浄土を信じてたがそれは嘘で、結果は地獄行きでした、
という結末もありえる。
しかし、どうせ死ねば終わりなら、
浄土が嘘でも嘘だとバレることはない。
19 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 11:48:22 ID:mBLfeLCA
>>18 こらこら。
ここは輪廻絶対肯定論者のスレですぞ。
僅かでも否定する主張なら、他のスレに行きなされ。
20 :
18:2009/12/18(金) 12:51:10 ID:JsAPS02Q
>>19 輪廻肯定派です。
しかし、否定派排除ではおもしろい話にならないのでは?
21 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 20:48:34 ID:OS+YbFRc
どうみても輪廻肯定派の勝ちですね(笑)
そのうち精神医学で認められるようになりますよ。
それまでは、まだ議論の余地があるのかな?
22 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 21:09:27 ID:Hus2Q/7F
どうみても輪廻否定派の勝ちですね(笑)
そのうち精神医学で認められるようになりますよ。
それまでは、まだ議論の余地があるのかな?
23 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 21:35:27 ID:mBLfeLCA
>>22 こらこら。
ここは輪廻絶対肯定論者が、勝利宣言する為のスレですぞ。
輪廻を否定するなら、他のスレに行きなされ。
24 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 22:15:14 ID:OS+YbFRc
唯物論者は共産主義国家の所業を見ればわかるように異論を抹殺しないと不安になるんですよ。
自らの存立基盤が揺らぐことを極度に恐れるんです。
彼らは本心では神を憎んでいるのです。
と同時に、不安なのです。
自らの主張に確信を持てないが故に排撃的になるのです。
ドーキンスやトンデモ学会のような攻撃的無神論者は、これからも、輪廻否定を止めることはないでしょう。(アンチ自演の釣り)
25 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 22:29:31 ID:Hus2Q/7F
霊魂信者は世界のカルト団体の所業を見ればわかるように
異論を抹殺し、他者を取り込み、自分たちの色に染め上げないと不安になるんですよ。
自らの存立基盤が揺らぐこと、自分達が具体的現象そのものであることに気付くことを極度に恐れるんです。
彼らは本心では実に唯物的なのです。
と同時に、不安なのです。
自らの主張に確信を持てないが故に排撃的になるのです。
神智学やオカルト心霊学会のような攻撃的霊魂信者は、これからも、輪廻肯定を止めることはないでしょう。(アンチ自演の釣り)
26 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 22:58:07 ID:OS+YbFRc
霊魂を信じたらカルトって(笑)
世界のあらゆる宗教がカルトになるよ?
これだから日本の近代仏教原理主義(唯物論)者って(はずかしい)。
なんで輪廻とか仏教にこだわるの?
オカルトのインチキを暴く(笑)とかそのたぐいの人たちですか?
それならばスレ違いかと。(真似してもいいよ)
27 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 23:14:29 ID:Hus2Q/7F
唯物論だから「情緒が無い」とか「断滅」だとかって(笑)
血筋や家系、家風・社風、経営理念etc.etc.etc.、唯物的価値観でも継承や伝統・伝承、系譜はあるだろ?
世界のあらゆる事象が断滅になるよ? 連綿と人の営み・生物の営み、そして事象の連鎖は継続してるぞ?w
これだから神秘的世界、超人間的世界、心霊世界に憧れる者って(はずかしい)。
なんで輪廻とか仏教にこだわるの?
伝奇物のファンですか?
それならばスレ違いかと。(真似してもいいよ)
28 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 23:34:50 ID:mBLfeLCA
>>Hus2Q/7F
ここは、輪廻絶対肯定論者が、否定論者の意見を封殺して、勝利宣言する為のスレですぞ。
輪廻を無条件に肯定する者だけが書き込めるのだ。
輪廻を否定するなどと言う、普通の意見を書くなら、他のスレに行きなされ。
29 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 23:38:42 ID:Hus2Q/7F
>>28 すまんw
どっちの言い回し・宣言にも通用する言い方や理屈(→中身の無いw文章)がレスされてたんで遊びたくなりました。
帰りますw ノシ
30 :
神も仏も名無しさん:2009/12/19(土) 01:20:03 ID:Lyt2OvSD
やぱーり唯物論だったのね。
しかし唯物論なぞというのは、もう絶滅寸前なのでありまして。
唯物論を守りたいあまりに、仏教(宗教)に噛み付くとかいうのはどうかと。
どうせなら、疑似科学撲滅(笑)のJapan Skepticsにでも入会されたらいかかが。
31 :
神も仏も名無しさん:2009/12/19(土) 01:22:35 ID:Lyt2OvSD
アンチのいない2ちゃんねるなんて・・・・
32 :
神も仏も名無しさん:2009/12/19(土) 01:45:35 ID:hwI3OMhv
>>30 馬鹿だろ?
断滅から最も遠いのが唯物論だよw
無始無終の連関こそが唯物論の真面目なのに・・・w
まあいい。
どいつもこいつも腐っとるwwwww
33 :
神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 22:22:06 ID:bfs9XHbo
保守
釈迦が輪廻を説いたとか議論するなら
その答えは無記だろう。
輪廻思想事態は仏教発祥以前からあったもので
釈迦のオリジナルでも何でもない
釈迦そういった答えの出ない議論を戒めたのだね。
つきつめたら<勝義諦>と<世俗諦>のみになります。
どれだけの理論武装をしたところで、輪廻を信じようと信じまいと
<世俗諦>に属するなら、身体意識の無明に終始します
絶対実在の<勝義諦>のみ本当の真理に至りニルヴァーナを体験できます。
36 :
神も仏も名無しさん:2009/12/28(月) 00:37:51 ID:IIYl2CDr
>>35 上座部仏教では、勝義諦は色・心・心所・涅槃の四つのみだそうです。
それ以外のいかなる概念も世俗諦です。
たとえば、「物が動く」も世俗諦です。
色(物)がどう変化しようと、色は色です。
勝義諦的に表現するなら、そこにあるのは色(物)だけ。
色にあれこれ名称や概念をつけても、それらの名称や概念は世俗諦です。
37 :
神も仏も名無しさん:2009/12/30(水) 21:21:00 ID:T47JTjJU
保守
39 :
前世は一在家:2010/01/04(月) 16:34:48 ID:Sv1U32Y2
長部経典 第33経「等誦経」
世尊、「サーリプッタよ、比丘たちに説法を行いなさい。
私は背中が痛みます。」と言って、ライオンの臥し方をとった。
それから、サーリプッタは法が組のものを順番に229法説き、
最後に釈尊は「善いことです。」と是認しました。
アビダルマ的色彩の濃い本経の中で、『輪廻』に関係のある教えを
一部紹介します。
アートマン、縁起と『輪廻』との関係を説いた他経をご存じの方は
ご紹介下さい。
40 :
前世は一在家:2010/01/04(月) 16:36:25 ID:Sv1U32Y2
(3つ一組) 60法
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない凡夫、A入胎時のみ意識の80大弟子、
B出胎時のみ意識を持たない舎利弗と目連、C三時に意識を持った仏陀
(5つ一組) 25法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
・「五種類のこの世に戻ることのない人がいる。
色界での寿命の中間で完全な涅槃に達する人、
色界に生じて完全な涅槃に達する人、
苦労をして完全な涅槃に達する人、
苦労をせずに完全な涅槃に達する人、
上の世界に向かいアカニッタ天に達する人である。」
修行完成者の中で少なくとも死後存続して天に達する人が
いるとの記載がございます。
以上、出典は「長部経典」(中村元監修、春秋社)ですので、ご確認下さい。
41 :
前世は一在家:2010/01/04(月) 16:51:38 ID:Sv1U32Y2
(参照)長部経典 第13経「三明経」
「妻帯していない、心に恨む気持ちがない、悪意のない、
心が汚れていない、自制心がある比丘は、身体が滅びた後、
死んだ後、梵天と共生するであろうというが、この事に
根拠はある」と世尊は仰られました。
FQ.修行完成者は死後存在するか否か?
GQ.修行完成者は死後存在しないのか否か?
以上の問いへの回答は、死後存続し梵天と共生すると説かれた
との記載がございます。
42 :
前世は一在家:2010/01/04(月) 16:53:46 ID:Sv1U32Y2
(参照)長部経典 第17経「大善見王経」
「アーナンダよ、わたしは六回にわたり、この地域に遺体を
捨て置くことを経験し、そして実際わたしは、法輪転主であり、
法に拠って立ち、法王であり、全世界を制覇し、国土の安定を
果たし、七宝を具えた。
遺体を捨て置くのはこの度で七回目になる。
しかしわたしは、アーナンダよ、神々のいる世界、魔王のいる世界、
梵天を含む世界において、また沙門やバラモン、神や人間を含む
命あるもののなかにおいて、如来が八回目に遺体を捨て置くことに
なる地域を、決してみることはない。」以上を世尊は仰いました。
「もろもろの作り出されるものは常なることはなく、生と滅という
性質を具え、生じては滅びる。それらの寂滅が楽である。」と。
43 :
前世は一在家:2010/01/04(月) 16:58:05 ID:Sv1U32Y2
この度、スレ主のご招待でこちらのスレに引っ越して参りました。
長部経典より、修行完成者(阿羅漢以上)の死後存続に関する経典を
3つほど引越しのご挨拶代わりに紹介させていただきました。
>大乗仏教徒で、輪廻を否定される方へ
44 :
神も仏も名無しさん:2010/01/04(月) 17:00:16 ID:5tn9d0se
そうそう、やっと分かったか?在家。
お前は、何の論拠も示せず、ただ自己の脳内妄想を垂れ流すことしか
できないのだから、ここで好きなだけ語っていれば良いの。
ここなら、誰もお前の書き込みを批判する者はいないから。
わかった?
あっちのスレには、二度と来るなよ。
あっちは自己の主張に論拠を付加して述べるスレだから。
あっちでお前の妄想垂れ流されては、迷惑なんだよ。
いいな?
45 :
前世は一在家:2010/01/04(月) 17:02:57 ID:Sv1U32Y2
私は龍樹は異常だとは思っておりません、仏教哲学の開祖、大天才でしょう。
ただ、「龍樹の異常」を「空への偏重」と置き換えております。
前スレでも提示しましたが、釈尊の説法を以下のように見ております。
主題:四諦、八正道 ※衆生済度の為に最重要
副題:縁起、輪廻 ※主題を支える法
付録:神通力 ※修行の副産物
「輪廻とカルマ」の法を説いた釈尊は偉大であり、カルマに起因する苦しみの
原因を「四諦」の法で、解脱するすべを「八正道」で説かれたのでしょう。
確かに釈尊は縁起も輪廻と同様に説かれておりますが、「縁起」のみ言語論理で
証明した龍樹の「縁」で後世の大乗にて「縁起、空」への偏重が「起」こった
というのが異教の私の所感(仮説)です。
釈尊いわく、輪廻を信じようと信じまいと
ニルヴァーナの安らぎに無いなら煩悩なんですけどね。
47 :
前世は一在家:2010/01/05(火) 17:42:13 ID:KTmhMpUg
>>44 >お前は、何の論拠も示せず、ただ自己の脳内妄想を垂れ流すことしか
>できないのだから、ここで好きなだけ語っていれば良いの。
自己の脳内妄想ではなく、聖典間の比較を行なっておりますので、
論拠を示す必要もないことが多いようです。
今後、法華経と原始仏典との比較、仏典と原始キリスト教との比較も引越し
することに致します。
48 :
前世は一在家:2010/01/05(火) 17:45:39 ID:KTmhMpUg
(中論24章10節)
「世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。」
有部は世俗表現の一つの「言葉」を用いて、「運動」を表現して、否定(論破)
されただけです。現代ならば「マルチメディア」を用いて、「運動」を凡夫に
説明することができるでしょう。
(中論24章11節)
「不完全に見られた空は智慧の鈍いものを害する。」
龍樹にしては珍しく、なんら根拠を示さずに断定しておりますね。脅迫です。
ふと「裸の王様」の大人の心境を思い出しましたね。
「八不」の中の「不一不異」を例に取りますと、言語の論理世界で「運動」を
説明しようとした有部説の矛盾を示したに過ぎません。
代わりに実在論にて「人は去る」を見ますと、人(主体)が去る(働き)だけで
両者の「一異」という問題は起こらないでしょう。
49 :
前世は一在家:2010/01/05(火) 17:48:05 ID:KTmhMpUg
龍樹を学習すればするほど、「言語の論理世界での大哲学者」だという認識が
深まります。換言しますと彼が言語の論理世界で「空」理論を証明したのは
事実ですが、後の仏教徒が現実世界でも「空」が証明されたと誤解したまま
今日に至ったように思量します。
現代はマルチメディアの時代ですので、一度「去りつつあるものは去らず」と
連続奏上しながら、足元のアリさんをじーっと観察することをお奨めします。
現実世界において、「運動」と「時間」が存在するのか否かを認識できたら、
一言「アリがとう」と言えば(中論24章11節)の呪縛も消滅するでしょう。
以上、中論24章を読めが「縁」となって、本日のかきこが「起」こった次第です。
50 :
前世は一在家:2010/01/05(火) 18:44:11 ID:KTmhMpUg
言語の論理世界でない現実世界で「空を証明する」というのは不可ですね。
私が指摘しましたのは、釈尊が「空」を説き、龍樹が「空」を証明したと
勘違いしている仏教徒が案外多いということです。
私も高校生の頃は「般若心経」をよく唱えておりました。
「色即是空」とは「五感で存在を感知できる物質も、感知できない素粒子で構成」
と認識しておりまして、今日に至っております。
科学者、理系の視点では一つの仮説だと存じます。
このモデルであれば小学校高学年でも理解できます。
51 :
前世は一在家:2010/01/05(火) 18:51:39 ID:KTmhMpUg
仏の四つの説き方=四悉檀
出典:「仏教要語の基礎知識」水野弘元著(春秋社)
「仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の
高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を
違えられた。(四悉檀、中略)最後の第一義悉檀とは、右の
ような方便施設を用いず、高い智慧や能力のある者に対して、
仏法の第一義的な真実義をそのまま説かれることである。」
法華経でも、これまで「常住不変のものは無い」と説いてこられた
釈尊が一転して、「実は世界も仏(神)も実相は常住不滅である」と
説き、弥勒菩薩ら高弟でも愕然とした次第です。(如来寿量品第十六)
法華経の「方便品第二」の中でも、
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。
(参考:庭野氏の法華経の解説書より)
52 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 12:04:35 ID:lsjnZKnl
>アートマン肯定論者が積極的にその実在を主張するのであれば、
>その論拠を提示しなくてはならない。
>仏典のなかに釈迦が
>「再び母胎に宿ることはない。」と説いているものがあるのか?
>在るのならば、まず其れを提示し、それが
1> 方便などではなく、「再び母胎に宿る存在」を説くものであること
2> その資料が他のものに比して信頼性が高いものであること。
A. スッタニパータとディーガニカーヤ(中村元訳/監修)が出典なり。
3> さらに、そこで説かれている内容が、他の主要教義に矛盾しないものであること。
A.「再び母胎に宿る人」と「再び母胎に宿らない人」の存在を度々説いている。
4> その経典の中の語彙に対する解釈が恣意的ではないこと。
A.「再び母胎に宿ることはない。」をそのまま解釈しただけである。
以上、過去ログの考察です。
53 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 12:09:02 ID:lsjnZKnl
これまでの2chスレ発言の要点の整理をば致したく。
釈尊の教えは、バラモン達、5千人の修行者達、直弟子達、菩薩級高弟という
4段階で説き分けたように思われます。
死後の魂に対しましても、無記を通した場合、そのようなことを考えずに
修行に励めと説いた場合の記載が経典にあります。
法華経の訳の中には「全ての人に仏性が宿る」という解釈もあります。
一方、旧約の創世記には「人は神の似姿」と説かれております。
さて、現存する最古のユダヤ教聖典の「死海文書」の宗規要覧では、
「全ての人に光の箇所と闇の箇所が宿る」と記載されております。
更に正統派から異端として抹殺された「ユダの福音書」では、イエスは
「私の目の前に本当の自身を立たせなさい。」と弟子達に言われました。
「本当の自分」を漢字で当てはめると「真我」となり、本スレで命題に
なっておりますアートマンかも知れないというのが私の認識です。
54 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 12:12:06 ID:lsjnZKnl
本当にここは怒りも批判もなく安寧ですね。
1000までには時間もあり、2chの中の「涅槃」かも知れません。
ここはスレタイの〔仏教徒限定〕を無視した、
ルールを守れない人のための隔離スレなのですね。
57 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 12:36:05 ID:nescu5eZ
>>56 >スレ主公認でござる
まったくスレ主に感謝ですね。>ROM各位
58 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 12:47:06 ID:nescu5eZ
類似スレでも、「釈尊が形而上学的問題に黙して答えず。」という
説法が度々話題になりました。
長部経典では第九経の「布藻g樓経(ポッタパーダ経)」に詳しく
記載されてますので、一部紹介します。 (中村元監修)
説法対象者:遍歴の行者ポッタパーダ、象使いチッタ(後に阿羅漢)
【アートマンの三種の分類】
釈尊、「ポッタパーダよ、次のような三種のアートマンの概念があります。
すなわち、物質的なアートマンの概念、意よりなるアートマンの概念、
非物質的なるアートマンの概念です。」
・物質的なアートマン:形態があり、四つの元素からなる
・意よりなるアートマン:形態があり、すべての感覚器官を備える
・非物質的なるアートマン:物質的でない、心理作用からなる
釈尊、「(象使い)チッタよ、たとえばそれは、牛から牛乳が出てきて、
その牛乳からヨーグルトができ、そのヨーグルトから生バターができ、
その生バターからバターができ、そのバターから醍醐が生じるようなものです。
牛乳が生じるとき、それはヨーグルト、生バター、バター、醍醐と呼ばれる
ことがなく、ただ牛乳と呼ばれます。」
※釈尊はアートマンを否定はせず、世の中の三つのアートマンの分類を
世間の単なる名称、言い表し方、概念に過ぎないと説かれております。
「ポッタパーダは、異教の見解・忍耐・目的・実践・師によっているから
『心理作用とアートマンは異なる』ということを、知り難いのです。」
(※文脈から見て、釈尊を師とすれば悟れるという意味でしょう。)
59 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 18:04:35 ID:nescu5eZ
>>51 (引用 「仏教要語の基礎知識」水野弘元著(春秋社))
「仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の
高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を
違えられた。(四悉檀、中略)最後の第一義悉檀とは、右の
ような方便施設を用いず、高い智慧や能力のある者に対して、
仏法の第一義的な真実義をそのまま説かれることである。」
(/引用)
上記は仏の四つの説き方=四悉檀に関する水野先生の解説です。
釈尊の教えは、バラモン達、5千人の修行者達、直弟子達、菩薩級高弟
という4段階で説き分けたように思われます。
死後の魂に対しましても、修行途上者には無記を通した場合、そのような
ことを考えずに修行に励めと説いた場合の記載が経典にあります。
このような無記の経典を掲げて、「釈尊は死後の存続や輪廻には無記だった」
と出張する大乗仏教徒が予想以上に多いことを類似スレで確認できます。
仏法の第四義か第三義の説法を釈尊の教えだと信じるのは自由ですが、
経典に記載の説法対象者から判断して「四悉檀の第二義、第一義ではない」
ことは悟れるかと存じます。
60 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 18:09:16 ID:nescu5eZ
(引用 「スッタニパータ」中村元訳)
「真理は一つであって、第二のものは存在しない。
その真理を知った人は、争うことがない。
彼らはめいめいに異なった真理をほめたたえている。
それ故に諸々の「道の人」は同一の事を語らないのである。」
(/引用)
もしイエス、シャカ、聖者達が同じ時代におられましたら、
争うことはなかったでしょう。
61 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 19:24:28 ID:DGm7061V
>>60 宗教板で言い争っている間は、お互いに真理を知ったとは言えないのでしょう。
62 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 19:34:16 ID:DGm7061V
(引用 「スッタニパータ」中村元訳)
「真理は一つであって、第二のものは存在しない。
その真理を知った人は、争うことがない。
彼らはめいめいに異なった真理をほめたたえている。
それ故に諸々の「道の人」は同一の事を語らないのである。」
(/引用)
真理を知った「道の人」同士は褒め称えあい、争うことがない
そうです。
釈尊のこの説法は「万教の元一つ」であることに通じるかと
存じます。
でも「道の人」達の弟子たちは教えを正しく伝えなかったり、
論敵を作ったり、他の文献を異端として焚書したりして、
今日の宗教間の争いが起こっているということでしょうか。
私は原始仏教、原始キリスト教、原始ユダヤ教の研究者が増え、
真理を知った「道の人」達の時代に戻って争いもなくなることを
祈念しております。
平成22年1月6日、2chの「涅槃」にて
64 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 21:07:07 ID:DGm7061V
類似スレの過去ログより。
>脳も、その箇所によって、さまざまな機能を分担している。一部を
>切除しても、他の箇所が補償して生命を維持する。しかし、当該切除
>箇所の機能は障害される。脳幹を切除すれば、必ず死ぬ。
海馬、側頭葉、前頭葉を切除しても生活に支障ないという報告もあります。
更にひどいてんかんの場合は、脳半分を取り除く「半球切除」を行なっても
それほど変わりなく生活を送っている事例も多いことは調べれば分ります。
更に昨年は米ウェストバージニア州の女性が脳死してから17時間後に
生き返り、後遺症もなくしっかり話したというニュースで世界中が震撼して
おります。復活という点ではイエス並です。
http://oisha.livedoor.biz/archives/51161272.html アートマン(霊)は存在せず、脳が全てを担っているという仮説の根底が
確かでないことも事例を調べれば次第に分ってまいります。
脳は霊とのインタフェースというのが私の仮説ですが、これならば半分無くても
思考、記憶、感情にはそれほど支障を与えないでしょう。
65 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 21:12:56 ID:DGm7061V
>>64 >更に昨年は米ウェストバージニア州の女性が脳死してから17時間後に
>生き返り、後遺症もなくしっかり話したというニュースで世界中が震撼して
>おります。復活という点ではイエス並です。
アートマン(魂?)を信じない仏教徒や唯物論者にこの話をしますと
決まって「医師の診断間違い」という回答があります。
調べれば分かりますが、日本でも毎年何例も「脳死からの生還」の報告が
医師よりなされております。
そんなに「医師の診断間違い」が多いのであれば、臓器移植はストップしないと
いけませんね。>鳩山首相、民主党各位
真理は一つであって、第二のものは存在しないのなら
めいめいに異なった真理をほめたたえることは可能なのか?
同じ一つの真理をほめたたえるというのなら筋は通るが、
めいめいに異なった真理をほめたたえるという表現では、
素直に読めば、一つではなくいくつもの真理がある
と言っていると捉えるのが自然ではないのか?
67 :
1:2010/01/06(水) 21:20:13 ID:lbHv31v7
>>55 スレ立て主(私)がこちらに誘導しましたんで、ご容赦を。
輪廻を肯定する方なら、仏教徒以外でもOKかと思います。
>>63 これこれ、輪廻を批判しちゃいけませんよ。
……と、脊髄反射して書き込んだけど、よく読んだら、経典内部の解釈の議論ですかw
どうぞ、ガンガンやってください。
68 :
前世は一在家:2010/01/06(水) 22:13:49 ID:nescu5eZ
>>66 >同じ一つの真理をほめたたえるというのなら筋は通るが、
>めいめいに異なった真理をほめたたえるという表現では、
>素直に読めば、一つではなくいくつもの真理がある
>と言っていると捉えるのが自然ではないのか?
2chの涅槃へようこそ。
ここは批判も怒りも争いも無い世界です。
真理(法)はたくさんございます。
「道の人」達はその内のいくつかを悟りますので、
「おー、君の見つけた法はすごいな。」
「おー、君も同じ法を見つけたのか。」
というように、互いを褒め称えあうようですね。
釈尊は数百の法(ものの在り方、真理)を見つけて、高弟の
サーリプッタが整理しております。(等誦経)
モーゼやイエスも多くの法を見つけておりますね。
>>68 >真理(法)はたくさんございます。
なるほど。それでは、
真理は一つであって、第二のものは存在しないという
「スッタニパータ」の記述のほうがやはり間違いなわけですね。
もしくは後世の誤訳であると・・・。
つまり、実際には
真理(法)は一つなどではなく、無数に存在する。
その真理を知った人は、争うことがない。
彼らはめいめいに異なったたくさんの真理をほめたたえている。
ということなんですね。
だとすればたしかに文章全体のスジが通ります。
合点がいきました。ありがとうございました。
70 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/07(木) 01:27:39 ID:ai5PjrQQ
>>60,
>>62 前世一在家氏
他スレでの私の引用に関する提案を早速採用していただき、ありがとうございます。
あと一つ、「ページ数」も明示することも忘れないでください。題名だけ示して「膨大
なページ数のこの本のどこかにあるよ」では、検証しようとして探そうとする人の意気
を挫くことになり、それではまだ、「改竄していないこと」を担保できるとは言えない
からです。本さえ手元にあれば、誰でも負担なく真偽の調べがつく状態を提示していれ
ば、出典の表記ついて文句を言える人はいないでしょう。
あと、引用の開始と終了を明示しているわけですから、前後にカギカッコを付ける必要
はありません。
以下は、内容的なことに関するレスです。まず、引用部分をもう前後の部分を含めて再
度掲載します。なぜならば文章の前後関係上、どういう主旨でそのようなことを述べて
いるのかを的確に把握しないと、正反対に受け取る可能性があるからです。
<引用 中村元『ブッダのことば(スッタニパータ)』 p194-195>
(略)かれらはめいめい異った執見をいだいて論争をする。何故に諸々の〈道の人〉は
同一の事を語らないのであろうか?
真理は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うこ
とがない。かれらはめいめい異った真理をほめたたえている。それ故に諸々の〈道の人〉
は同一の事を語らないのである。
みずから真理に逹した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異った真理を
説くのであろうか? かれらは多くの種々異った真理を(他人から)聞いたのであるか?
あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?
世の中には、多くの異った真理が永久に存在しているのではない。ただ永久のものだ
と想像しているだけである。かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考究を行なって、
「(わが説は)真理である」「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いている
のである。
</引用>
この文章で登場する主語は「諸々の〈道の人〉たち」(複数)と「真理を知った人」
(単数)です。それぞれの文章で主語が省略されている文について、主語をどちらであ
ると読解するかで、意味が正反対になります。誤読しないためには、文章の流れを見れ
ばいいわけです。
「かれらはめいめい異った真理をほめたたえている。それ故に諸々の〈道の人〉は同一
の事を語らないのである」
すなわち、これは、「諸々の〈道の人〉たち」についての話です。決して、「真理を知
った人」のことではありません。「諸々の〈道の人〉たち」は我こそは真理を知ってい
ると自称し、互いに論争する人たちのことを指しています。
「かれらはめいめい……」の前に、「その(真理)を知った人は、争うことがない」と
いう文章が挟まれているのは、正しい真理を知った人の例を示して、間接的に、反対に
それらの「諸々の〈道の人〉たち」は論争しているから、「真理を知らない」というこ
とを示唆するためです。ゴータマ仏陀は、極力、たとえ異教であっても、言葉の力によ
って思想的にネガティブにバッシングするような真似は避けられますので(慈悲の心か
ら当然の配慮です)、直接的に「間違っている」と批難されることはないのです。
つまり、「かれらはめいめい異った真理をほめたたえている」というのは、彼ら同士が
互いをほめたたえているというのではなくて、それぞれが別々のことを「これこそが真
理だ」と自画自賛しているという文章です。むしろ「皮肉」として受け取るべき所です。
>>62 前世一在家氏
>釈尊のこの説法は「万教の元一つ」であることに通じるかと
「(仏法を通じた)仏弟子たらんこと」は、所属したり自認したりする宗派によらず、
万人に対して開かれていると思います。
そして一方、「(仏法を通じた)仏弟子たりうるか否か?」は、例え所属したり自認
したりする宗派上「仏教徒」であったとしても、十分条件(資格)とはならないと考
えます。
これは、仏教というのが、他の多くの教えと違って、思想・主義という観念的、思考
の産物としての情報的なものではなく、「行為」「在り方」を説く教えだと思うから
です。どんなに、「正しい仏教」という情報を知っていても、そのように「行為」で
きていなければ、「在れていなければ」仏道(=中道)を歩む、とは言えません。
「正しい仏教」という情報を以って、他者を罵倒しあげつらうのであれば、その「罵
倒し」「あげつらう」という行為、在り方によって道を外れている(=外道)と考え
るのが仏陀の教えだと思うからです。
是非、仏法を通じて真実の「行為」「在り方」を探求し続けてください。経典を読ん
で情報(ネタ)を得ようとするのではなく、経典からゴータマ仏陀ご自身がどのよう
な「行為」「在り方」をされていたのか、ゴータマ仏陀の姿勢を透かし読むのです。
74 :
前世は一在家:2010/01/07(木) 09:06:06 ID:EVr43wwN
>>70-73 不説氏
>「正しい仏教」という情報を以って、他者を罵倒しあげつらうのであれば、その「罵
>倒し」「あげつらう」という行為、在り方によって道を外れている(=外道)と考え
>るのが仏陀の教えだと思うからです。
>是非、仏法を通じて真実の「行為」「在り方」を探求し続けてください。
大変丁寧なご教示を有り難うございました。
「他者を罵倒しあげつらう」のは外道ということには同感です。
幸い本スレは罵倒も争いも無い涅槃です。
尚、私も八正道の内の半分程は日常生活の中で意識して実行しております。
なんかあちらでは「前世は一在家」氏がフクロにされてますね。
でも、仏陀が輪廻を説いたかどうかという点でいえば、
1.遡れる限りでの初期仏典で輪廻を「否定的に」説いている。
2.しかしその仏典は仏陀本人が書いたものではない。
3.従って仏陀の輪廻に対する考え方は誰もそれ以上遡って知りようがない。
わけで、否定派であろうが肯定派であろうがそこから先には進めない。
なんでいつまでもそんな袋小路にはまりこんでいるんだ?
後になって仏教が「輪廻をその教説に取り入れた」ことの根拠を
仏陀に求めたところでどうしようもないわけだし、
そもそも大乗は小乗と違って、開祖にそれほど依存してはいない。
糞もすれば間違いも犯す、ただの人間である「開祖」なんて
もはやどうでもいいんだよw
76 :
前世は一在家:2010/01/07(木) 15:12:56 ID:EVr43wwN
>>75 >なんかあちらでは「前世は一在家」氏がフクロにされてますね。
はい、昔ならば命がいくつあっても足りませんね。
>そもそも大乗は小乗と違って、開祖にそれほど依存してはいない。
>糞もすれば間違いも犯す、ただの人間である「開祖」なんて
>もはやどうでもいいんだよw
そうですか?
私も開祖が「空」を現実世界でも証明したと信じ込んでいる方々との
対話にはくたびれました。
只今、キリスト教スレから戻って参りましたが、正統教会派の方から
私の浅学を多数指摘いただきました。これを励みにもっと学習します
>>76私も開祖が「空」を現実世界でも証明したと信じ込んでいる方々との
対話にはくたびれました。
「糞もすれば間違いも犯す、ただの人間」であることは、
釈迦も竜樹もキリストもかわりはあるまいにw
78 :
前世は一在家:2010/01/16(土) 13:40:20 ID:yilNUxXh
(中論24章10節) 出展:中村元著「龍樹」
「世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。」
仏の四つの説き方=四悉檀
出典:「仏教要語の基礎知識」水野弘元著(春秋社)
「仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の
高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を
違えられた。(四悉檀、中略)最後の第一義悉檀とは、右の
ような方便施設を用いず、高い智慧や能力のある者に対して、
仏法の第一義的な真実義をそのまま説かれることである。」
龍樹の中論に記載の内容と水野先生の「四悉檀」の解説とに矛盾が
無い場合を提示します。
舎利弗や目蓮等の阿羅漢以上であれば、世俗の表現(通常の言葉)で
究極の真理を説くことができるということです。
阿羅漢以下のレベルの人に説くと、かえって信をなくすことと思料します。
因みに舎利弗が法を整理して表明したとされる長部経典の33経「等誦経」
には「輪廻」に関係のある法が複数提示されており、表明の後に釈尊が
正しいと保証されたとの記載がございます。
PS 最近、キリスト板に出張することが多く、少しの間留守にします。
79 :
前世は一在家:2010/01/16(土) 14:22:14 ID:yilNUxXh
長部経典33経「等誦経」 ※訂正し再掲
アビダルマ的色彩の濃い本経の中で、『輪廻』(死後の世界)に関係の
ある教えを一部紹介します。
(3つ一組) 60法
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない凡夫、A入胎時のみ意識の80大弟子、
B出胎時のみ意識を持たない舎利弗と目連、C三時に意識を持った仏陀
※解説では、@は凡夫、A80大弟子、Bは舎利弗と目連、Cは仏陀
80 :
前世は一在家:2010/01/16(土) 14:45:10 ID:yilNUxXh
長部経典33経「等誦経」 ※訂正し再掲
アビダルマ的色彩の濃い本経の中で、『輪廻』(死後の世界)に関係の
ある教えを一部紹介します。 要点抜粋で済みません。
(3つ一組) 60法
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない、A入胎時のみ意識あり、
B出胎時のみ意識を持たない、C三時に意識を持った
※解説では、@は凡夫、A80大弟子、Bは舎利弗と目連、Cは仏陀
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
82 :
渡海 難:2010/01/28(木) 15:47:13 ID:K4YemKnI
83 :
神も仏も名無しさん:2010/02/08(月) 13:23:33 ID:G6IaKoOI
保守
84 :
神も仏も名無しさん:2010/03/06(土) 23:25:13 ID:GBPhfR/v
石飛先生がブログで縁起と輪廻は表裏一体と書いてたのが面白かった。
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501 スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
心の領域に住んでいる人にとっては輪廻がある。
しかし、心も過去も未来も今も体もない人には当然輪廻もない。
心という夢の領域にあっては輪廻という夢がある。
輪廻がないというのはちょっと違う。ないのはもっと根本的な私あなた。
無に種類はないが、無の感じ方、無の説き方は
悟った人の人生に合わせて、また聞き手のタイプ理解に合わせて
それこそ無限にある。
真実とは何か
仏陀いわく「役に立つこと」
若きキリストが修行したと言われるエッセネ派の教えにも輪廻転生は存在する
瞑想して前世を見た人は多いと思う
でもある心の深いレベルにいくと、前世てか過去も現在も未来も同時に動いているように
見えるんだよね、時系列があるのは現象界だけかもしれない
究極は全て幻(マーヤー)ってことになるんだろうけど
多くの人生を通して(体験)して、魂は人間とは何かを探求している気がする
永遠の、時間のないところに神は存在する、多次元他空間を旅する神の分身がわたしたち
輪廻があるという根拠はなんだかおしえてくだせえ
仏陀はその根拠を示したのか
90 :
神も仏も名無しさん:2010/05/29(土) 14:40:43 ID:MEV6S/oT
>>89 >>1を読め。スレ違いだ。
根拠は、信じるものの信仰心だ。
91 :
神も仏も名無しさん:2010/05/29(土) 14:44:20 ID:0RP8kwHI
>若きキリストが修行したと言われるエッセネ派の教えにも輪廻転生は存在する
ソースをよろしく
92 :
神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 12:18:08 ID:5reHNic0
俺はカート・コバーンの生まれ変わりなんだけど
諸法無我であるがゆえに、この世の存在は必ず生滅がある(永久不変なものはない)
自分というものが存在すると思っている人も、実は自分というものは存在しない
一瞬一瞬であっても絶えず変わりつつあり、同じと思っているものは迷妄に他ならない。
たとえ、肉体的に個人というものが死んだと思ったとしても、存在は無にはならない
なぜなら、無我であるからである。(無という永久不変なものはない)
必ず生滅を繰り返すはずである。
輪廻転生とは、悟りに至るまで迷いの主体が生滅を繰り返すということである
悟りに至れば主体は生滅をくりかえさないし、また悟りに至るまでは限定的に恒久な主体をおくのである
しかし、我々はここに迷妄という存在を考慮しなければならないだろう。
迷妄とは兎角亀毛のようなものであり(すべての存在がそう認識されるわけだが。(我々は分析的に存在にたどり着けない))、
存在を永久不変と誤認することそのものである。いわば迷妄=誤認と言い換えてもいい。
ところで仏教においてこの誤認について当然のことながら誤認するところの主体を想定せずにはいられないのであるが
やはり当然のことながら、この主体があると認識することも誤認である。
誤認とは、主体と対象の対置における媒介の誤りを指すものではなく、二者対置の枠組みそのものの否定だからである。
この点において、迷妄という存在は迷妄という状態に近づく。「である」=「がある」ということである。
無我とはすなわち状態の変化に他ならない。ここにおいて、はじめて無我が転生を許容できるのである。
96 :
神も仏も名無しさん:2010/08/25(水) 20:27:37 ID:2gIEEGdD
ことさら問題になるのは、あえて言語化すれば、迷妄状態の、肉体的状態の超越である。
経典の多くは、輪廻転生が肉体的生死の内に留まらないことをも示唆する
だが、多くの人が気付くことは認識作用の肉体的依存である
迷妄=誤認が肉体的な死とともに終わるのではないかと思うのである
そこで、補完的に魂の存在が再び浮上してくる
迷妄とはすなわち主体の想定であり、迷妄状態においてはその主体の想定が行われていることは
大前提である、ゆえに想定という精神活動の停止とともに迷妄が消えるということは確かに道理である。
よって問題は精神活動が肉体を超越しているととく輪廻転生をどう理解するかである。
迷妄状態の射程を外的な状態に求めて社会的な問題とするか、内的に求めて道徳的な問題とするかで
判断は分かれる。内的な問題はすなわち魂に収まる。外的な問題は人間の認識作用の連鎖である。
両者はさほど区別されるべきものではないと思うが、
どちらにしても仏教において、輪廻の主体というものが、自分が考える私というものとはかけ離れている
ということは確かであろう。
97 :
神も仏も名無しさん:2010/08/25(水) 21:38:07 ID:6Eh7qyi/
過去生観るには四禅定は絶対条件なのですか?
98 :
?:2010/09/07(火) 12:22:14 ID:16Qm+gXb
>>97 様へ!
> 過去生観るには四禅定は絶対条件なのですか?
↓ 新アジア仏教史〈03〉インド3 奈良康明 317〜318ページ
◎シャーリプトラが実践する【不断の法観】
初禅…(省略)…無所有処、悲想悲悲想処という
一連の精神的な深まり経て、究極的精神集中状態である
感受過程も表象作用も暫時的に尽く完全抑止状態となる
【想受滅(滅尽定)】に入る
(滅尽定に入定する)
◎この瞑想で
【智慧によって煩悩が滅尽している】
と、観察する
◎シャーリプトラは、自らの生存を
【意識のみから成る身体 → 意成身】へと
作り為す事が巧みであった
99 :
?:2010/09/07(火) 12:40:19 ID:16Qm+gXb
↓ 新アジア仏教史〈03〉インド3 奈良康明 088ページ
四諦の悟り 三種の明智
@過去の生涯を想起する宿命智
A天眼による存在者の死と再生の死生智
B煩悩の滅尽を示す煩悩智
100 :
?:2010/09/07(火) 12:54:31 ID:16Qm+gXb
不断の法観
初禅、第二禅、第三禅、第四禅、
空無辺処、識無辺処、無所有処、悲想悲悲想処、
が必要です
↑ 新アジア仏教史〈03〉インド3 奈良康明 317〜318ページ
ちなみに、私は
呼吸法も、瞑想も、実修をした事が無いので
詳しい事は、わかりません
101 :
?:2010/09/07(火) 12:59:07 ID:16Qm+gXb
釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ 村木弘昌(著)
↑ 呼吸法の書籍
呼吸法とか
瞑想などによって
意識を変える事が出来るらしいけど
呼吸法は大変危険を伴うので
☆ 本を読んだだけで ☆
☆ 自分で勝手に呼吸法を、おこなうのは大変危険です ☆
私は呼吸法も瞑想も、おこなった事が無いので
責任は取れません
102 :
?:2010/09/07(火) 14:40:29 ID:16Qm+gXb
↓ 新アジア仏教史〈03〉インド3 奈良康明 031ページ
釈尊は四禅に入り、
初夜・中夜・後夜に、
宿命通(過去世に関する智慧)
天眼通(未来に関する智慧)
漏尽通(煩悩が尽きたことを知る智慧)
の三明を獲得して悟りを開いた
103 :
?:2010/09/07(火) 14:46:02 ID:16Qm+gXb
中阿含経などに説かれた、【 三十七道品(さんじゅうしちどうぽん) 】
@ 四念住(四念処)四種の観想
A 四正断(四正勤)四つの努力
B 四神足(四如意足)四つの自在力
C 五根、五つの能力
D 五力、五つの行動力
E 七覚支、存在を観察する際に、心の状態に応じた注意と方法
F 八正道
104 :
?:2010/09/07(火) 14:47:53 ID:16Qm+gXb
中阿含経などに説かれた、【 三十七道品(さんじゅうしちどうぽん) 】
五根、五つの能力
@ 信根
A 精進根
B 念根
C 定根 ← 【滅尽定】など
D 慧根 ← 【如来応等正覚の法】など
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
105 :
?:2010/09/07(火) 15:34:35 ID:16Qm+gXb
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 316ページ
定根は、
念根によって得られた、
正しい念の働きを元にして行う、
瞑想法です。
定根の瞑想に【滅尽定】がある
【滅尽定】は意識を滅尽させる瞑想です
【滅尽定】は最高位の瞑想です
【滅尽定】の修行を積んでいくと
自分の前世が分かるようになる
106 :
?:2010/09/09(木) 10:27:44 ID:7iQ/nn1g
↓ アビダンマ講義シリーズ〈第2巻〉心の分析―ブッダの実践心理学
アルボムッレ スマナサーラ (著) 302ページ
滅尽定は仏教だけ
滅尽定は
色界五禅定とか
無色界四禅定などとは
全然違う禅定です
滅尽定以外の禅定は
仏教以外の禅定です
(バラモン教などの)
107 :
?:2010/09/09(木) 10:52:06 ID:7iQ/nn1g
↓ アビダンマ講義シリーズ〈第2巻〉心の分析―ブッダの実践心理学
アルボムッレ スマナサーラ (著) 296ページ
悲想悲悲想処定
想の状態でもなくて
悲想の状態でもない
想を波で表現するなら
心の波はほとんど無い
ほぼ一直線になっている状態
それ以下には波を小さく出来ない状態
悲想悲悲想処定の次の段階が滅尽定
想という漢字からの類推で悪いが
想というのは、相に心。
相とは位相(phase)という言葉からも分かるように
物事の本質ではなくて、見た目、相(すがた)、外見を表す
それに心であるから、想とは、相を心に描く作用、相を認識する作用をも
含む概念になりうる漢字であると思われる。
非想非非想処定とは、非想であること、そうでないことの相対を超越した境地(処)の心の定まり(定)。
相(色ルーパ)、これは本来、迷妄によって、ある、と把捉されるもの、で
その認識作用を起こさない状態を非想と言う、
この状態は、朦朧とした状態をも含み、逆に夢での仮想現実体験は含まない
109 :
?:2010/09/13(月) 11:20:38 ID:yVSoBLJL
↓ 密教誕生 桐山靖雄(著) 160ページ
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
爾(そ)のとき父母(ぶも)の貪愛倶(とんあいとも)に極まって、最後に決定して、
各々一滴の濃厚の精血を出す、
二滴和合して母胎の中に住し、合して一段となる。猶(なお)し熟乳凝結の時の如し。
当に此の処に於て一切の種子を持ち、異熟性に摂められ、
執受の所依たる阿頼耶識和合し依詫するなり。伝何んが和合し依詫するや。
謂(いわ)く此の出だす所の濃厚の精血合して一段と成り、
顚倒(てんどう)の縁と【 中有 】倶に滅す。滅と同時に即ち、
一切種子識の功能力に由るが故に、余の微細の根および大種ありて、和合して生ず。
及び余の有根の同分は精血和合して搏生(はくしょう)す。
此の時の中に於て、識すでに住して結生相続すと説く。
即ち此れを名けて羯羅藍(かららん)の位と為す。
110 :
?:2010/09/13(月) 11:29:48 ID:yVSoBLJL
↓ 密教誕生 桐山靖雄(著) 161ページ
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
人がまさに、死せんとする時に、過去の長い間の経験により、蓄積された、
我愛が現起して、その力に、促(うなが)されて、
自己に愛着し、無始の時、以来、続いて来た、執着された、戯論と善悪業により、
中有身(死んでから次に生まれるまでの間の状態の意識)を、形成する!
その、
中有身(死んでから次に生まれるまでの間の状態の意識)が、
次に、生まれるべき処を、求めて、母胎に入り、
ここで、父母の、精子と卵子が、結合する時に、
中有身(死んでから次に生まれるまでの間の状態の意識)が、
滅すると同時に、生有が生じて、
一切種子たる、阿頼耶識(あらやしき)が、結合して、
胎児を形成して、出生に至るのである
◎我愛によって個体が形成され
阿頼耶識(あらやしき)の作用と結合して
生長して出生する
111 :
?:2010/09/13(月) 11:43:58 ID:yVSoBLJL
【 滅尽定 】などによって
【 前世 】が観れるのだと思います
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
ちなみに、私は、
【 呼吸法も、瞑想も、実修をした事が無い 】ので
詳しい事は、わかりません
112 :
?:2010/09/15(水) 08:59:46 ID:x85XcHqX
☆ おすすめの 参考書籍 ☆
新アジア仏教史〈01〉インド1 奈良康明(編集)
新アジア仏教史〈03〉インド3 奈良康明(編集)
仏陀の真実の教えを説く 〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著)
113 :
?:2010/09/15(水) 09:42:46 ID:x85XcHqX
☆ 超心理学に関する おすすめ の書籍!
誕生を記憶する子どもたち デーヴィッド チェンバレン
前世を記憶する子どもたち イアン スティーヴンソン
前世を記憶する子どもたち〈2〉 イアン スティーヴンソン
114 :
?:2010/09/15(水) 09:54:15 ID:x85XcHqX
怪奇!心霊映像集 闇に浮かぶ光体…これが‘オーブ’だ!
貸出開始日 2009/05/01
収録時間 87分
メーカー CVC
↑ この動画に 【人の顔の オーブ】が 撮影されている!
電気の+(プラス)と 電気の−(マイナス)と
中有身(死んでから次に生まれるまでの間の状態の意識)によって
【人の顔の オーブ】が、形成されるかも?
あ
116 :
?:2010/09/24(金) 09:52:15 ID:W7bJIe32
トーマス・アルバ・エジソン
1847年2月11日 - 1931年10月18日)
数多い先行の白熱電球を実用的に改良して
白熱電球の名称をゾロアスター教の光と英知の神、
アフラ・マズダーから引用し、「マズダ」と名付けた
来世を信じて
後半生は死者と交信する電信装置(Spirit Phone)を研究していた
エジソンは、
人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。
エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、
このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。
エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、
自分自身は自然界のメッセージの受信機で、
【宇宙という大きな存在からメッセージを受け取って
それを記録することで発明としていた】
117 :
?:2010/09/30(木) 13:17:09 ID:0/tsoayv
新アジア仏教史08中国3宋元明清 沖本克己 181ページ
− 中国 −
神は、殺された無実の尼僧達の亡霊を
荘林王の身体に侵食させた。
そして、荘林王は、死んだ。その後に、
因果応報の法則によって陰界で懲罰を受けた。
− ↑ −
この中に
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)と、
業報輪廻の概念が含まれている。
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
118 :
?:2010/09/30(木) 14:41:30 ID:0/tsoayv
新アジア仏教史08中国3宋元明清 175〜176ページ
− 中国 1904年刊行の『禅門日誦』 −
1904年正月に、
祖先や亡霊への供養の為に、
消災減罪、現世利益などの願いを込めて
『禅門日誦』を刊行した。
− ↑ −
中国にも先祖とか亡者などの
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)
の概念が有った。
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
119 :
?:2010/10/03(日) 11:49:11 ID:hbDH/f7b
ムー 2010年01月号 [雑誌] オーブについて!
↓ 83ページ
ハイネマン博士
「オーブは、
デジタルカメラなどのフラッシュ光に含まれる
光エネルギーによって励起されて、
可視光スペクトルを含む電磁波を放出する」
↓ 89ページ
ウィリアム・A・ティラー博士
意識に対する考察が、きわめて重要
「この世の生物は、目に見える肉体と
目に見えない生体場という
精神エネルギーの力場から構成されていて、
人間は肉体の消滅後も、膨大な情報が蓄積された
この力場が意識として存続する」
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
120 :
?:2010/10/03(日) 12:51:33 ID:hbDH/f7b
新アジア仏教史08中国3宋元明清 338〜339ページ
二十世紀初頭
仏教は清朝政府から迫害政策が行われた
1898年仏教寺院を没収
1904年仏像の破壊
やがて中華民国になると(政府などによって)宗教を
迷信とみなす排斥運動が高まってきた
− ↑ −
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)とか
業報輪廻などを迷信と考える、解釈の
原点は、ここにあるのかもしれない
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
121 :
南無妙法蓮華経の会:2010/10/05(火) 03:40:53 ID:UmeiMqMa
釈迦が在世時(正法時代)に、すでに「爾前権経(法華経以前の教え)は捨てよ」と明確に言われています。
「爾前権経を捨て、法華経(今の時代は「末法の法華経」)に帰依せよ」との仏のご金言です。
「末法の法華経」とは、「南無妙法蓮華経」です。
(よく「創価学会か顕正会?」と誤解されるので、あらかじめ、ことわっておきますが、
私たち「南無妙法蓮華経」の会は、それらの組織と関係ございません)
122 :
神も仏も名無しさん:2010/10/05(火) 08:20:24 ID:OM2yBssm
>>120 >中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)とか
>業報輪廻などを迷信と考える、解釈の
>原点は、ここにあるのかもしれない
いや、原点は、釈迦の原始仏教だろw
123 :
神も仏も名無しさん:2010/10/05(火) 16:41:54 ID:8Urj6d/k
>>121 スタートは釈迦の仏教。創価の作り話はいらんでぇ。
124 :
?:2010/10/06(水) 12:06:04 ID:UqpGmZ6H
>>121 南無妙法蓮華経の会 様へ!
> 「爾前権経(法華経以前の教え)は捨てよ」
私は
「法華経よりも【阿含経】のほうが【ゴータマ・シッダールタ】に近い経典である」
と考えています
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
125 :
?:2010/10/06(水) 13:01:50 ID:UqpGmZ6H
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 244〜245ページ
雑阿含経 仙尼経
「私(ブッダ)の弟子の中にも、
説法の真義が理解できず、
慢の我執を起こす者がいる。
慢を断ち切る事が出来ない場合は、
今の生が終わり、五蘊(五陰)が離散しても、
陰と与に相続して
来世に生まれて来る。
私(ブッダ)は、
真理を悟れなかった弟子に対して
あの者は、こういう所に生まれると説くのである。」
− ↑ −
間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
126 :
?:2010/10/06(水) 13:30:12 ID:UqpGmZ6H
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 246ページ
雑阿含経 仙尼経
我執が様々な物に執着を起こして、渇愛(タンハー)になる。
この渇愛(タンハー)の元は我執で、
この我執を、ここでは慢と呼ぶ。
@真理に通達する為の最高の智慧を獲得していない場合は
A慢を起こす
B寿命を迎えた時に、慢が陰と与に相続する
C何処かの誰かとして新たな肉体を伴って生まれて来る
− ↑ −
間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
127 :
?:2010/10/06(水) 14:32:26 ID:UqpGmZ6H
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 246ページ
雑阿含経 仙尼経
@人は五蘊(五陰)が仮合(仮和合)してこの世に存在している。
A死を迎えると五蘊(五陰)は散り散りになる。
B慢が残っている場合は、渇愛(タンハー)によって、
C新たに五蘊(五陰)が再び集り現れる。
− ↑ −
間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
128 :
?:2010/10/06(水) 14:55:50 ID:UqpGmZ6H
>>121 南無妙法蓮華経の会 様へ!
− − −
密教誕生 桐山靖雄(著) 161ページ
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
人が死ぬ時に
慢が残っている場合は
我愛によって
中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)が形成される。
− − −
私は
法華経よりも【瑜伽師地論(ゆがしじろん)】の方が
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】
の事について詳しく記述されていると
考えています!
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
129 :
?:2010/10/06(水) 15:29:14 ID:UqpGmZ6H
>>121 南無妙法蓮華経の会 様へ!
− − −
生きているている時は【阿頼耶識(あらやしき)】として
死んでいる時は
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】として
【 生滅 滅生 変化 相続 】している
− − −
私は
【業報輪廻】とか
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】などの
【肯定派!】なので
【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】の事については
法華経よりも【瑜伽師地論(ゆがしじろん)】の方が優れた経典である
と考えています!
釈迦が生きてるときに、お経は一つもなかったのでは?
釈迦自身の言葉は自明灯 法明灯あたりだけだと
本で読んだのですが。
131 :
?:2010/10/08(金) 12:50:24 ID:qBwyxvHe
>>130 様へ!
> 釈迦が生きてるときに、お経は一つもなかったのでは?
↑ 多分、その通りだ、と思います
> 釈迦自身の言葉は自明灯 法明灯あたりだけだ、と本で読んだのですが。
↑ 【自明灯 法明灯】について、の知識が、無いので
【自明灯 法明灯】について、ご教示を、よろしく、お願い致します!
132 :
?:2010/10/08(金) 15:35:08 ID:qBwyxvHe
阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著) 283ページ
クシナーラの マッラ族の人々
「尊者よ、われわれは、如来の、なきがらをいかに扱えばよいのか?」
アーナンダ
「転倫王の如く 新しい布で包んで
さまざまな香木を薪として荼毘に附して
大いなる四差路に塔をつくって
その塔に詣でて 香華をささげて
礼拝をなし、… … …」
− − −
この「転倫王の身体を取り扱うが如く」という
【 長阿含経 遊行経 】
↑ ここに
密教寺院などで行っている
成仏供養の為の護摩修法の儀式の原点がある
のかもしれない
↑ 間違えてる場合は、どなたか、御教示、よろしく!
133 :
?:2010/10/08(金) 15:49:55 ID:qBwyxvHe
☆ ウィキペディア参照 ☆
【阿含経】は
初期仏教の経典である。
釈迦の死後、
その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子達によって何回かの結集を経てまとめられ、
経蔵(sutta-piTaka (pali))を形成した。
一般に、
紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われている。
中国においても原初的な経典であることに気付いており、
研究を行った記録もあるが、大勢を占めることはなかった。
日本にも伝播初期から伝えられており、
倶舎宗で研究されていたとされるが、
ほとんど伝えられていない。
134 :
?:2010/10/08(金) 15:59:05 ID:qBwyxvHe
☆ ウィキペディア参照 ☆
瑜伽師地論(ゆがしじろん)は仏教唯識派の重要な文献。
世親の兄である無着(asaNga, असण्ग)が、
兜率天に住む弥勒菩薩(maitreya तैत्रेय)の説を聞いて著したといわれている。
瑜伽行(yogaacaara)の観法を詳説したものである。
− − −
瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は
大乗仏教の学派のひとつで、
唯識の教学を唱導した学派である。
唯識派、唯識瑜伽行派ともいう。
瑜伽行派とも略称される。
ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。
とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。
135 :
?:2010/10/08(金) 17:21:44 ID:qBwyxvHe
☆ 自明灯 法明灯 について ☆
− − −
釈迦が死ぬ間際に弟子達が最後の教えを乞うた
その時に釈迦がいったのが
自灯明、法灯明
自らを灯明とし、また法(仏法)を灯明とせよの意味
ま、穿った見方をすれば個人(釈迦の事)を
カリスマ視しないように、とも取れる
− − −
という事のようです
136 :
?:2010/10/08(金) 17:51:26 ID:qBwyxvHe
自明灯 法明灯
− − −
阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著) 277ページ
長阿含経 遊行経
「よく法を知り、よく法にしたがって行ずる者こそ
如来を最上にあがめ、尊び、供養する者である。
さすればアーナンダよ、
ここに、よく法を知り、法にしたがって行ぜねばならぬ、
と銘記するが良い。」
137 :
?:2010/10/08(金) 18:27:36 ID:qBwyxvHe
阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄(著) 50ページ
漢訳 四分律 三二
世尊は、
ウルヴェーラ・カッサパの庵に近い森にとどまり、
彼のために、
種々の神変を現した。
− − −
【ゴータマ・シッダールタ】は
自由自在に種々の神変を現す事が出来るので
やはり特別な存在である
と私は考えています!
138 :
神も仏も名無しさん:2010/10/08(金) 18:37:56 ID:wV2Xt0Tb
>>種々の神変を現した。
作り話です。
139 :
?:2010/10/11(月) 11:39:01 ID:+ojw3BlZ
>>138 様へ!
− − −
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259680941/1 ☆ 【仏教】99%の経典は偽経・偽書です! ☆
全ての経典は「如是我聞」という枕詞をつけることにより、
自らの宗派、団体が創作する「偽書」に釈尊の言葉であるという正統性をもたらせた。
現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら、
釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある。
日本での経典(特に経や律)の権威は「命をかけて伝えられた、
はるか古代より西方からもたらされた
ありがたい釈尊直々の言葉」とのものであることを考えると、
それが偽書であったことの衝撃は仏教界にとって計り知れない。
− − −
↑ これについては如何、思いますか?
140 :
?:2010/10/11(月) 12:31:30 ID:+ojw3BlZ
141 :
138:2010/10/12(火) 21:14:06 ID:atrQ/P3W
142 :
?:2010/10/13(水) 12:49:44 ID:t4mf6p3H
>>141 名前:138様へ!
− − −
http://xxcoffee.yokochou.com/page012.html 仏教は伝統 ヨーガの瞑想技術をそのまま採用したため、
実践に関しては何らの独自性も持ち合わせていませんでした。
− − −
☆ ウィキペディア参照 ☆
中阿含経などに説かれた、【三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)】
@ 四念住(四念処)四種の観想
A 四正断(四正勤)四つの努力
B 四神足(四如意足)四つの自在力
C 五根、五つの能力
D 五力、五つの行動力
E 七覚支、存在を観察する際に、心の状態に応じた注意と方法
F 八正道
− − −
↑ 【三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)】は
【中阿含経など】の【独自の法である】と
私は考えています!
143 :
?:2010/10/13(水) 13:15:58 ID:t4mf6p3H
↓ 新アジア仏教史〈03〉インド3 奈良康明 317〜318ページ
◎シャーリプトラが実践する【不断の法観】
初禅、第二禅、第三禅、第四禅、
空無辺処、識無辺処、無所有処、悲想悲悲想処
− − −
↓ アビダンマ講義シリーズ〈第2巻〉心の分析―ブッダの実践心理学
アルボムッレ スマナサーラ (著) 302ページ
滅尽定以外の禅定は
仏教以外の禅定です
(バラモン教などの)
− − −
↑ 私は、
悲想悲悲想処までの修行、瞑想は、
仏教以外(バラモン教など)のヨーガなどの技法であると、
考えています!
144 :
?:2010/10/13(水) 13:46:36 ID:t4mf6p3H
☆ ウィキペディア参照 ☆
瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は
大乗仏教の学派のひとつで、
唯識の教学を唱導した学派である。
唯識派、唯識瑜伽行派ともいう。
瑜伽行派とも略称される。
ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。
とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。
− − −
↑ 私は、
瑜伽(ヨーガ)の瞑想などの実践は
とても重要である
と考えています!
145 :
?:2010/10/13(水) 14:00:43 ID:t4mf6p3H
☆ ウィキペディア参照 ☆
クンダリニーは、
悟りを得るために必要なシャクティ(性力)のこと。
クンダリニーの活性化を念頭においたヨーガは、「クンダリニー・ヨーガ」と呼ばれる。
クンダリニーは、普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが、
ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め、
生涯をかけ各チャクラを開花させ
グランティ(=結節。ブラフマー結節、ヴィシュヌ結節、ルドラ結節の3種類がある)を破壊し、
最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。
今世で解脱できる魂は極一部といわれている。
性欲を昇華させたものがクンダリニーとなる
− − −
私は、
ヨーガの技法の中に、おいては、クンダリニー・ヨーガが最高の技法であると
考えています!
146 :
?:2010/10/13(水) 16:52:07 ID:t4mf6p3H
☆ おすすめの書籍 ☆
魔のJR中央線―自殺霊の撮影で判明したこと 斎藤斎霊(著)
仏像ミステリー 正木晃(著)
戦国の呪法 藤巻一保(著)
147 :
?:2010/10/13(水) 16:55:37 ID:t4mf6p3H
戦国の呪法 藤巻一保(著) 6〜7ページ
戦国の武将は、
戦いの形勢を見て、
戦場に掛かる雲気や烟気の意味を読み取り、
鳶、鳩、烏、の飛ぶ様子を見て対処法を考えて、
隊列を組み、陣を構える
しかし、
出家修行に心を、とらわれていると、
全て、皆、如何でも良い、馬鹿馬鹿しい事と思う様になる
− − −
↑ 私は、
呪いとか、幽霊などに、取り付かれたので、
政治、経済の事などは、
馬鹿馬鹿しい、そして、興味が無い、
と思う様にりました!
148 :
?:2010/10/15(金) 11:43:46 ID:p/5RJHfA
チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳) 587ページ
@元素、感覚、思考などが、分解消滅した後、死のプロセスは頂点を極める。
そこでは、究極の心の本質が、<根源の光明>が、束の間、姿を現す。
A心の本質の輝きが解き放たれ、音、色、光となって、しばらくの間、輝き出る。
Bやがて死者の意識は、ふたたび目覚め、再生のバルドゥに入ってゆく。
通常の心が、戻って来て、人は、ふたたび意成身としての身体を得る。
− − −
意成身とは
肉体を伴わない
意識から出来た
霊的な身体の事である
慢が残っている場合は
渇愛(タンハー)によって
意成身が形成される
149 :
?:2010/10/15(金) 12:11:51 ID:p/5RJHfA
ブッダのことば パーリ仏典入門 片山一良(2008/06) 151ページ
世界の成立
世界が破壊する時に、
生きる者達の、ほとんどが、光、音、天に転生する。
意から成る者、
喜びを食べる者、
自ら光を放つ者、
空中を行く者、
清浄に留まる者として、
永く、長時に渡って留まる。
150 :
?:2010/10/16(土) 15:45:09 ID:xK80QaH/
◎光
電磁波の、波の
山の頂点と、谷の底辺の、落差によって
明さが変わる
◎色
電磁波の、波の
山の頂点と、次の山の頂点の、間隔によって
色合いが変わる
◎音
電磁波とか、波などによって、
振動が発生する
151 :
?:2010/10/16(土) 16:01:31 ID:xK80QaH/
怪奇!心霊映像集 闇に浮かぶ光体…これが‘オーブ’だ!
貸出開始日 2009/05/01
収録時間 87分
メーカー CVC
− − −
この動画に撮影されている
人の顔の形をした【オーブ】は
光とか、色とか、音などによって
赤外線モードのビデオ・カメラで
撮影される
電気の+(プラス)と 電気の−(マイナス)と
中有身(死んでから次に生まれるまでの間の状態の意識)によって
人の顔の形をした【オーブ】が、形成されるかも?
152 :
?:2010/10/19(火) 16:06:47 ID:BIu+PTuG
チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳) 660ページ
止(シャマタ)
静かに止まっている事
観(ヴィパシャナー)
明らかに観る事
この止観の深まりと展開が、
基礎的な瞑想行とマハームドラーやゾクチェンといった
より高度な瞑想行をつなぐ橋渡しとなる。
153 :
?:2010/10/19(火) 16:50:20 ID:BIu+PTuG
チベットの生と死の書(講談社プラスアルファ文庫)(文庫 - 2010/9/21)
ソギャル・リンポチェ(著),大迫正弘(翻訳),三浦順子(翻訳) 667ページ
意識が肉体のどの門から出るかによって、転生する場所が決まる。
意識が頭頂から出て行くと、極楽浄土に転生できる。
− − −
クンダリニー・ヨーガによって、
最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。
− − −
チベットは、クンダリニー・ヨーガによって、
頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る
と解釈、出来るかもしれない
独生 独死 独去 独来
155 :
?:2010/10/23(土) 17:12:58 ID:QTJDc3q5
仏陀の真実の教えを説く〈上〉阿含経講義 桐山靖雄(著) 244〜245ページ
雑阿含経 仙尼経
「私(ブッダ)の弟子の中にも、
説法の真義が理解できず、慢の我執を起こす者がいる。
正しく高い智慧を獲得していない場合は、慢の我執を起こす。
慢の我執を起こす場合は、
今の生が終わり、五蘊(五陰)が離散しても、陰と与に相続して生じる。」
− − −
「今の生が終わり、五蘊(五陰)が離散しても、陰と与に相続して生じる。」
これが【中有身(死んでから次に生まれるまでの状態の意識)】である
と私は考えています。
156 :
神も仏も名無しさん:2010/10/26(火) 15:02:46 ID:ghVyCSWU
水山産業(BOOK工房)から「同行二人・善通寺の使いが頭の中にやってきた!!!」という本が出てます。どのような本なのだろうか?
157 :
神も仏も名無しさん:2010/10/27(水) 13:32:36 ID:ISZdEl3l
くぇrr
158 :
?:2010/10/30(土) 07:02:57 ID:VZw1WzYn
☆ ウィキペディア参照 ☆
末那識について
八識はみな思量の作用があるが、
末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との
二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、
審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける。
この深層的な自我心を滅することによって、
我々は初めて真の無我行を実践することができる。
第七識・末那識と相応するものは、
我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧、
大随惑の八(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉拳・失念・不正知・散乱)であるとされる。
一説では、この識を因縁識といい、過去の事象が潜在する識といい、
悪念の集結潜在力(障碍作用)の依所といわれる。
159 :
?:2010/10/30(土) 07:14:28 ID:VZw1WzYn
末那識の
根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける、
深層的な自我心を滅却する為には、
◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ
◎中阿含経などに説かれた、【三十七道品(さんじゅうしちどうほん)】
などの修行を実践する事が必要であると
私は解釈しています。
160 :
?:2010/11/01(月) 16:45:47 ID:8W38lVIL
☆ おすすめの書籍 ☆
新アジア仏教史〈01〉仏教出現の背景―インド1 (新アジア仏教史 1 インド1)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/4)
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/10)
新アジア仏教史〈03〉仏典からみた仏教世界―インド3 (新アジア仏教史 3 インド3)
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161 :
?:2010/11/01(月) 16:49:33 ID:8W38lVIL
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 63〜64ページ ☆
初期経典の成立
最近では【スッタニパータ】の第4章と第5章に関する新たな指摘がなされ、
より明確に、ゴータマ・ブッダに最も近い資料であるという見解が文献上、
思想上から究明された。
中には、ゴータマ・ブッダの金口直説もあるとの指摘もある。
☆ 64〜65ページ ☆
スッタニパータの第4章【アッタカヴァッガ】は、
仏教の興起時代を反映したものと指摘されている。
162 :
?:2010/11/01(月) 17:08:41 ID:8W38lVIL
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 74ページ ☆
スッタニパータ(三五一)
「死を繰り返す輪廻を余す事なく捨てられた方にすがって、
私は浄らかな真理を説いて下さいと言うでしょう。
如来の方々は事を慎重に熟慮され成しえられるのです。」
− − −
↑ 輪廻を余す事なく捨てる事が出来ていない人は、
輪廻を繰り返す。
と私は解釈しています。
163 :
?:2010/11/01(月) 18:10:11 ID:8W38lVIL
原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章
アルボムッレ スマナサーラ(原著)
佼成出版社 2009/06
☆ 195ページ ☆
生まれ変わる事の縁になる煩悩が
何一つ無いならば、その修行者は
蛇が脱皮する様に、
この世と、かの世とをともに捨て去る。
− − −
↑ 生まれ変わる煩悩が有る場合は、
輪廻を繰り返す。
と私は解釈しています。
164 :
?:2010/11/03(水) 06:48:24 ID:aLaoXT4J
新アジア仏教史〈05〉文明・文化の交差点―中央アジア
(新アジア仏教史 5 中央アジア)
奈良 康明 (編集), 石井 公成 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 299ページ ☆
クチャ地域最大の石窟郡であるキジルには、
石窟内もしくは野外で坐禅をする行者の姿が多く描くかれている。
両肩から炎、体側から水を発しているが、
これは禅定によって得られると信じられていた神通力を表現している。
− − −
↑ クンダリニー・ヨーガのチャクラの開花と関係が有る
と私は、解釈しています。
165 :
?:
新アジア仏教史〈05〉文明・文化の交差点―中央アジア
(新アジア仏教史 5 中央アジア)
奈良 康明 (編集), 石井 公成 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 287ページ ☆
禅観とは、坐禅の中で何らかの対象を観ずる修行法の事であり、
仏教における重要な実践法の一つである。
坐禅中に自らの呼吸に注意を向ける事によって
散乱する心を静める持息念などは、
原始仏典に既に言及されてよく知られている。
− − −
↑ 特に呼吸法は重要である
と私は考えています。