【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン28【御同行】
201 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
194−196−お前大丈夫か。まあ真の仏教徒でないのは確かだな。
論争のあるかぎり、あるいは論争を必要とする限りそこに一切の真理はないぜ。
自分で決めて自分の説を真理であると主張している限りいつも妄想に陥っているんだぜ。
なぜなら人間の思考、知性が有限な限られた一面的な立場にしか立ち得ないのを
しらないのか。まだ人の説を論破したなどという事をいっているのか。
>>201 はいはい、正面からは決して答えない何時もの話題そらしね。
もう秋田
誓願を知ってるか知らないのかと聞かれているのに
まったく答える気の無い禿ワロスw
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/04(金) 12:25:18
>>197 阿弥陀様は、現世で成仏できるような誓願を立てたの。
問題は、それを本気で信じられないこと。
そんなことは誰も本気にできなくて、人間が自分でこの世をなんとかするべきだと信じてる。
誰かに、苦の責任を被せることしか考えられない。
自分に到底できないことを、他の何かがやるかもしれないということを恐れてる。
恐れを捨てきって選択して、感謝だけになりきるってできる?
横出が自力が残る念仏で、横超が絶対他力の念仏だとして、
竪出と竪超は、具体的な例としては何がありますか?
どちらも聖道門で自力の難行なのはわかるんですが。。。
206 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/04(金) 14:49:08
旧日本軍の反対部隊が来るな。
>>204 また始まったよ。解説もなしに禿の自説の押し付けが・・・。
>>205 竪出 長い時間をかけて悟りにいたる教えで漸教の教えとも言われるね
竪超 がすみやかに悟り至る教えで例えば真言宗の即身仏とかが例かな
両方共自力の教えだね
横超と言われるのは仏教全体見れば真宗はこういう位置だっていう
教判みたいなもんだと俺は思ってる
阿弥陀様
今日も一日ありがとうございました。
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 00:04:55
ミダミダミダって一体何なのよ!小学生にもわかるように答えてみなさいよ、禿!わかった?ミダって何なのよ?
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 00:13:00
簡単ね。阿弥陀如来というのは空、縁起の別名。インドていう数学上のゼロ。
この場合はすべてのプラスとマイナスを含むゼロの概念。
これ司馬遼太郎の話、簡単に言えば21世紀を生きる君たちへという小学校の教科書にも載っている
先生の本を読めばよくわかる。
212 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 00:18:25
何だか書きそうで書けないのかな
213 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 00:39:16
164−輪廻が実態としてあるわけじゃないのでは。要するに無明に依って輪廻がもしくは輪廻転生という考えが生まれ
明智によって輪廻がなくなるということでは。
172−過去現在未来というのも、過去はすぎてしまったから無く、未来はまだ来ていないから無い。
あるのは現在というか、常に現在というか、今、今、今の連続では。
その今の中にあって永遠の過去と未来を知るというか、真宗の二種深信の構造をみると
自身は現に−−−とあるように今という中に過去と未来を見ている気がする。
このあたりは京大の西田哲学がわかりやすい。
214 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 00:45:17
そんならこんなのはどうかな。鯉のぼりが泳いでいるとしてそれをみて風が吹いているというか風の働きを感じる。
あるいは花とか気温とかを見たり感じたりして春が来たと言うじゃないか。
この場合、春というのは何も顔とかあって足があって歩いてくるわけじゃなくて、働きだろ。
阿弥陀如来というのはこのような働きとして感じるものじゃないか。
215 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 00:45:50
阿弥陀さんが「空」「縁起」っていうのは現代の真宗教学なんだろうけど、
伝統的な仏教教学から見れば、ものすごく違和感がある
伝統的な仏教教学の三身説で言えば、阿弥陀さんは化身か報身だよね
浄土門の諸宗では阿弥陀さんを化身と考えるのが一般的で、
聖道門の諸宗では阿弥陀さんを報身と考えるのが一般的のはず
(凡夫は報身土に往生できないのが伝統的な仏教教学の決まりだから、
凡夫往生を主張する浄土門の諸宗は極楽浄土を化身土と考える)
でも、「空」「縁起」っていうのは三身説で言えば法身だから、
現代の真宗教学では阿弥陀さんは法身になってしまうんじゃないか
216 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 00:57:06
142−見佛の道というか観佛道というか。確かに観無量寿経なんかは前半はこの道だけど
しかしこれもイダイケ婦人は釈迦佛の指導の元、出来たわけですね。今の無佛の時代にあって
はたして可能かどうか。例え見れたとしてもそれが本当の佛なのか、こればかりは釈迦佛でないとわからない。
それに対して無量寿経になると聞名号道とでもいうか、聞名で貫かれている。これなんか考えると
観佛の道と聞名の道とあるんじゃないのかな。聞名の道は釈迦が耳有る者は聞け−−とあるいは
初転法輪の時でも比丘は釈迦の話を聞いて悟ったとあるから正法の時代から末法、法滅にいたる時代まで
貫く仏道じゃないかな。
217 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 01:07:37
そのなんていうか、親鸞さんは自然法にといったり、色もなし形もましまさば言葉もたえたりと言ったり
如より来生して報応化種々の身を示したまえりといったり等々。
基本的には三身で見られているような気がする。
218 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 01:25:04
法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、
ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたを
しめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ
御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。
この如来を報身と申す、誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。
報と申すはたねにむくひたるなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、
微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、
かたちもましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、
このゆゑに無碍光と申すなり。
(『唯信鈔文意』)
219 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 01:31:53
普通は親鸞さんの仏身についての特徴は二身というのが先生らの考えなんだけどね。
法性法身と方便法身の2つ。このあたりは自然法に章とか一念多念証文や
唯信しょう文意なんかに、はっきりと書かれている。この考えは仏教学で言えば
法身と報身にあたる。親鸞さんのこの考えは曇鸞さんの論註に由来しているんだけどね。
親鸞さんは割と表現的に比較的無形的表現が多いけど蓮如さんになるとどちらかというと
右形的表現が多くなるのよ。まあしかし法性法身によりて方便法身を生ず、方便法身によりて
法性法身を生ず。この二の法身は異にして分かつべからず。一にして同ずべからず。という事かな。
220 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 01:34:44
でもこの『唯信鈔文意』を読むと、親鸞さんの三身説はこんな感じだよね
法身 =一如
報身 =方便法身 =法蔵比丘(阿弥陀さま)
応身・化身 =(阿弥陀さまの)光
何かやっぱり現代の真宗教学と違う気がするんだけど、どう説明されんだろう?
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 02:14:42
だからミダってなに?かんたんな言葉で答えてみなさいよ!ミダ=0でいいのね!禿!
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 08:53:56
真剣に相手に遠慮せんでいいぞ
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 10:29:10
> 164−輪廻が実態としてあるわけじゃないのでは。要するに無明に依って
> 輪廻がもしくは輪廻転生という考えが生まれ明智によって輪廻がなくなると
> いうことでは。
仏教大学の並川先生が『ゴータマ・ブッダ考』や『スッタニパータ』で
述べた説ですね。正直に言ってその説は学界の主流ではありません。
224 :
コピペ:2010/06/05(土) 10:31:38
67 神も仏も名無しさん 2009/01/24(土) 20:26:20 ID:XYCyD47T
輪廻否定論は大体、こんなとこでしょう。
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:このスレ住人など。
反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
輪廻否定派は、テクストに根拠をもてず、提出した理論も以上のように全て反証されました。他に根拠はありますか?
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 10:54:13
ちなみに親鸞なんかは中世人だから輪廻は実態としてあると考えていましたし、
現在の大谷派や本願寺派の学者も釈尊は輪廻を実態としてあると説いたと考えています。
櫻部建(谷大名誉教授)「輪廻について」、『阿含の仏教』文栄堂、2002年。
小谷信千代(谷大教授)「和辻博士の縁起説理解を問う 釈尊の輪廻説と縁起説」、
『仏教学セミナー』76、2002年。
松尾宣昭(龍大准教授)「仏教と「輪廻」の概念 並川孝儀氏の所論をめぐって」、
『龍谷大学論集』22、2008年。
輪廻の鎖から解放されようぜ
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 15:18:20
禿は嘘つきなのね!よくわかったわ!こんなことばかりいってたら地獄におちるわよ!
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 15:38:50
おいおい、みんなR大院生あたりの連中か。
寺を継ぐ気があるんだったら、勉強はほどほどにしとけよ。
理論通りいったら、坊主稼業はできないぞヨ。
言葉・理性(言語表現)の限界に気付いたのが龍樹であり、親鸞。
いくら立派な論文書いても、それが言葉で表現されている以上、
真実を記述することはできない。
法性法身、といったところで、言葉で表現された時点で方便法身と
いってもよいだろう。勉強はほどほどにして、門前でも掃きなさい。
お東の小川先生の近著は面白そうだね。
小川 一乘 「シリーズ親鸞〈第2巻〉親鸞が出遇った釈尊―浄土思想の正意 」
(筑摩書房)
龍大でていても何もできないくず僧侶多し
バイトにあけくれていたらしょうがないけどね
そんなクズには中仏寮生活おすすめ
231 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 17:05:16
>>228が難しい話についていけないだけじゃん
自分勝手な仏教解釈をふりまわすくせに、自分勝手な仏教解釈を否定されると
「勉強はほどほどにして、門前でも掃きなさい」と大人ぶったことを言いだす
みっともないよ
>法性法身、といったところで、言葉で表現された時点で方便法身と
>いってもよいだろう。
何でそんな理解になるんよ(T-T)
法性法身は法身、方便法身は報身でしょ
法身を「法身」と言葉で表現してもそれは「報身」にはならないよ
法身を「法身」と言葉で表現してもそれは「言葉で表現された法身」でしかないよ
>>231 それは捕らえ方が
>>228とちがう気がする
法性は穢土のわたしたちの言葉で表現した時点で
法性ではなくなる。法性でなければ方便だわね。
法性という字面の話でなく内容の表現の話でしょ。
相手の意を汲めるようちゃんとご聴聞もせえよ。
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 21:12:38
「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、
ことばもたえたり」
を受けてのことか。
このくだりを深く理解するものは、おそらく浄土真宗を学ぶことの限界に
気付くと思う。無限をいかにして表現し、それをいかに伝えるのか、という
問題。
数学的でもあり、宗教哲学的でもある。
親鸞は名号(帰命尽十方無碍光如来、あえて十字名号)そのものに
無限を見た(と思われる)のであるが、宗門大学・院生レベルではピンと
来ないだろうな。
名号を有限化するとまるで浄土真宗が分からなくなる。
念仏よりも、名号そのものを研究してくれ、若い学徒諸君。
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 22:57:44
阿弥陀経を2時間しり
235 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 23:01:45
阿弥陀様
今日も一日ありがとうございました。
237 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/06(日) 01:48:47
その小川 一乘先生も大乗仏教の根本思想という本で輪廻を取り上げ説明しているね。
やはり無明による輪廻説だった。さらにこれは十二縁起の中にも明確に示されているとも述べている。
238 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/06(日) 04:03:25
観無量寿経を2時間やり
239 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/06(日) 04:27:03
まあ輪廻は無いと言い張っている限り真宗禿は外道で間違いないわけだ。
阿弥陀様
今日も一日ありがとうございました。
242 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/06(日) 23:49:41
240−のように、ないと言い切ってしまうのを外道というかもね。
またこの間違いないという考えが仏教ではないし真宗的でもないね。まあこれは有無の邪見なんだけど。
輪廻がないとは真宗も言ってはいないんだよね。無明によって輪廻はあり
明智によってないと言うわけよ。実体として輪廻は無いというわけだ。
>>242 「実体として無い」ということは有るのか無いのかどっちなの?
また説明を求めると逃げるんでしょ?門徒を騙して酷い教えだよね。
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 03:23:31
醜いのはお前だ。
−−−師は強引に自説を主張するのは得意だけど、
突っ込まれると弱いからなあw
素人にまかせてないで、本物の真宗布教使が助けてあげなさい。
自説の根拠を問われて
「醜いのはお前だ。」
いくらなんでもこれは無いわ。いくら2chとは言え小学生じゃないんだから
R大かO大か知らないけど教授にいっぺん聞いてみ。
「あるとかないとかの二元論思考は間違いだ」とか言いだす人は
このサンジャヤ・ベーラッティプッタと同じだ
それは違うだろ
250 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 13:11:45
禿教はもともと仏教じゃないから。外道。
すべての仏教は釈迦の直説でない
↓
浄土教も釈迦の直説でない
↓
何も信じられない
↓
真宗に共産党員(唯物論者)増加 (←今ここ)
>>290 全く一緒じゃないが似たようなもんだ。
自説を他人に押し付けるが聞かれたことには答えないし
都合が悪くなると煙に巻く、話題をそらす、逆切れ・・・。
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 18:00:57
いやいやサンジャヤ・ベーラッティプッタ(六師外道の一人)と一緒にしてもらってはこまる。
縁によって−−と言うところがないだろ。
無明によって輪廻がある。ここが大切なところね。仏教の。
しかし外道といってもこれは仏教側から言った事で、お釈迦さんは六師に対しては
一定の尊敬の念をもっておられたんじゃないのかな。
で、輪廻は「実体として無い」とはどういうことか説明はしてくれないの?
>無明によって輪廻がある。ここが大切なところね。仏教の。
じゃあその輪廻は、
1「現世の我々が無明によって頭の中で『有る』と信じ込んでいる架空のもの」
(実体として無い)
なのか、
2「過去世の我々が無明によって経験してきた現実のもの」
(実体として有る)
なのか、どっちだよ
256 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 18:39:53
>>185の議題に、
回答できる奴はいないのかよw
wさんあげんな
はちまんのほうぞう
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 20:46:11
青いのが禿なのね!
阿弥陀様
今日も一日ありがとうございました。
261 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 21:23:23
禿、なんなのこれは!やはり青いわね。
297 神も仏も名無しさん sage 2010/06/05(土) 01:43:36 ID:qzRHiV4F
有難うございます。本願寺派のスレはここでよかったんですね。
でもリンク荒らしがすごいなぁ。
298 神も仏も名無しさん sage 2010/06/05(土) 14:30:13 ID:74/dOV6A
様子を見に来たら居ついちゃったか
299 神も仏も名無しさん sage 2010/06/07(月) 19:42:32 ID:d95nXite
参院選があるから偵察に来たんだろ
302 神も仏も名無しさん sage 2010/06/07(月) 20:50:59 ID:hqxu5Ofn
298,299気負いすぎ。下賎に釣られんなよ。
オネエ言葉ひさしぶりですぞ、右大臣殿。日向守に油断めされるな。
263 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/08(火) 00:42:22
禿の恐れているのはアレね。ようは霊魂は無いとかいってる嘘がばれることね!でももう遅いわよ。
264 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/08(火) 02:02:44
255−−−知らんよそんなの。自分で選べばいいわけよ。
輪廻があると思うならそれでよし,無いというならそれでよし、無明によって有り明智によって無いと
思うならそれでよし。私はこの説が正しい釈迦の教えだと思うけどね。ところがここからが問題なんだよ。
この無明によって輪廻がある、明智によって輪廻は無いというのは正しいとは思うが現実頷けるかというと
そうはならない。
輪廻に流転するような我(アートマン)を否定したのが
釈尊じゃなかったの?
修行もしない禿があれやこれやと理屈を捏ね回して門徒を迷わす原因となっているな。
>>265 無記説が仏教の立場。真宗禿はアートマンも霊魂は無いと断定しているがね。
お釈迦様の、自灯明・法灯明というわれる場合の、「自」とは誰か。
善導大師の「曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなき身」とは誰か。
知らんよそんなの、と来たか。−−−師、、、(><)
真宗の人は本当にディフェンスが弱いな。いつも自分たちに都合が
よい理屈をこねくり回してるからかな。
そろそろ、じゃあお前はどこの宗派だ、といって他宗批判が始まりそうw
269 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/08(火) 13:23:47
真宗もついにオカルト化
「念仏とはエネルギー」
常磐井法主が御親教 開山聖人750回遠忌報恩大法会 真宗高田派専修寺関東別院 400人参列
東京都大田区の真宗高田派専修寺関東別院(山中俊之輪番)で五月二十九日、
「開山聖人七百五十回遠忌報恩大法会」が常磐井鸞猷法主の親修で営まれた。
僧侶や門信徒ら約四百人が参列、宗祖の御遠忌を来年に控え、報恩感謝の念を新たにした。
常磐井法主は「御親教」で、親鸞聖人が九十年の生涯をかけて説いたのは念仏という大きなエネルギーだ、などと述べた。
真宗っていっても高田派だからね
本流の高田派か。
本願寺派とか大谷派みたいなカルトが跋扈してる嘆かわしい状況だが。
阿弥陀様
今日も一日ありがとうございました。
273 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 00:15:08
念仏エネルギーってオカルトフォースのことなのね!
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 01:05:39
どうも横文字が出てくるとオカルトみたく聞こえてしまうのだろうね。
エネルギーは運動量、仕事量という意味だから、
念仏という大きなエネルギー
↓
念仏という大きな(如来が衆生に回向された)「仕事」「働き」
と理解すればそう変でも無いのでは?
無理があるか・・
明治維新までの真宗は物凄いキッチリした教義を持ってた。現在「真宗全書」
全75巻に収められている諸文献を見るとそれがわかる。
でもそれらの諸文献は「浄土三部経は釈尊の教えである」という非歴史的
世界観に基づいてたから、明治維新になって「浄土三部経は釈尊の教えでない」
という歴史的世界観が西洋から入ってくると、どれも説得力を失って
時代遅れになってしまった。
今や読む人もいない。
思えばその頃から現代にまで続く真宗の迷走が始まったように思う。
法相宗や天台宗や華厳宗や真言宗のような自力聖道門の諸宗は独自の哲学的
世界観を持つ。
たとえば法相宗の唯識説は、たとえ『解深密経』が釈尊の教えでなくても、
一つの哲学的世界観としての価値を持つ。
それゆえに、自力聖道門の諸宗は、たとえ大乗が釈尊の教えでなくても、
まったくゆるがない。時代遅れにもならない。今でも読まれている。
しかし真宗はそういう独自の哲学的世界観を持たない。むしろ、哲学的世界観
のようなムツカシイ話を自力聖道門として放棄し、「浄土三部経は釈尊の教えで
ある」という非歴史的世界観に従って、盲目的に阿弥陀を信じてきた。
だから、「浄土三部経は釈尊の教えである」という非歴史的世界観が崩れてからは、
何もなくなってしまった。
そういうわけで、明治維新以降は清沢満之なんかが真宗なりに哲学的世界観を
作ろうとして頑張ってきたわけだが、結局、うまく行かなかった。
それで今も真宗は迷走を続けている。唯物論的世界観にすがって共産党に入るとか、
環境保護思想に迎合してエコロジーに向かうとか、何でもありだ。
要するに何もないからそうなったのだ。
これをどうするかはホントに難しい問題だと思う。
これからどんどん「家の宗教」離れが進み、個人が自分で宗教を選ぶ時代が
来るから、宗教者は個人に自分の宗教の世界観をハッキリ説明できなくては
ならなくなる。それができない宗教は衰退する。
だから真宗も有識者の大きなプロジェクトを組んで、世界観を立て直すべきだ
と思ってる。上の方の人たちが動けばいいんだけど。
仏説として伝わってきた思想を大事にしてるんじなかったの?
文献上で最も古いものを仏説というのか
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 14:26:21
団塊坊主は無神論者唯物論者だからダメだろ、学者も東大も。
283 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 18:54:12
鼻毛が長すぎた親鸞。
阿弥陀様
今日も一日ありがとうございました。
285 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 23:25:21
>>284 だからミダミダミダってうざいのよ。禿であるあなたが答えなさいよ!ミダって一体何なの?ミダじゃなく神さまではダメなの?
286 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/10(木) 00:54:20
法相宗や天台宗や華厳宗や真言宗のような自力聖道門の諸宗は独自の哲学的
世界観を持つ。
----それはそれでいいとして、それならそこに行って救われなよ。
次は「なら、よそに行けよ」か。嘆かわしいな
浄土真宗の宗祖の親鸞は、非僧非俗と言われたそうですが、
そうなると現在の浄土真宗のお坊さん?は僧侶ではないのでしょうか?
僧侶ではありません、「布教使」が正式です。
しかし、なぜか僧侶みたいな服装をして、対外的には僧侶と名乗ってる
人間が多いようです。
290 :
禿猫:2010/06/10(木) 10:54:34
>>285 神さまではダメなの。
恃まないと何もしないから。
神さま同士で喧嘩もするしね。
無理な犠牲を要求されるし。
仏さまはね、そのありがたさに気づいていくだけでいい。
なんまんだぶと言い続けるだけで、向うから引っ張ってくれる。
あんまり逆らわないように、よく気をつけるだけでいい。
291 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/10(木) 11:56:10
−−−他の宗派の哲学を自慢しているんだろ。だったらそこの宗派の板にいって
議論なり主張をすればいいだろ。なのにここに来て貶すから誰も相手にしてくれず
スル−されるわけよ。この辺は歎異抄2条にあるわけだよ答えが。真宗、特に僧侶なら
みんな知ってると思うけどね。私は真宗でないと救われないけど、287番は
他の宗派へいきなよ。
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/10(木) 15:07:35
神も仏もオカルト的存在である以上いっしょだよ。
293 :
歎異抄第二条:2010/06/10(木) 19:57:24
一 おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづね
きたらしめたまふ御こころざい、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんが
ためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をも
しりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、
おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にもゆゆしき学匠たち
おほく座せられて候ふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要
よくよくきかるべきなり。
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと
(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに
浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。
総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して
地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行も
はげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、
すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、
とても地獄は一定すみかぞかし。
弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことに
おはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、
法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、
またもつてむなしかるべからず候ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきては
かくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、
面々の御はからひなりと云々。
> 弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。
> 仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。
> 善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。
> 法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。
現代の常識「浄土三部経は釈尊の教えでない」。
↓
弥陀の本願まことにおはさず。
↓
釈尊の説教(=浄土三部経)虚言なり。
↓
善導の御釈虚言なり。
↓
法然の仰せそらごとなり。
↓
親鸞が申すむね、またもってむなし。
>>294に書いたように、歎異抄第二章なんてとっくに崩壊してる。
「親鸞が申すむね、またもってむなし」だ。
親鸞は「念仏が地獄行きか極楽行きかわからないけど、とりあえず
浄土三部経が釈尊の教えで、浄土三部経に書いてあるとおり阿弥陀
さんが実在するのなら、念仏して阿弥陀さんが極楽に連れてって
くれるほうに賭けてみよう」とヤケクソで危険な賭けをしたのよ。
で、結局、浄土三部経は釈尊の教えじゃなかったから、親鸞の賭けは
ハズレて、真宗は行き先に迷っているわけだ。
それが現在の真宗の一番の問題なのに、−−−師は何でそんなに脳天気なんだ?
「他の宗派の哲学を自慢しているんだろ」なんて言ってる場合じゃないぞ。
真宗のこのサイトを見ると、もう「阿弥陀さんなんていねえよ」と
はっきり言ってる。
http://www.posteios.com/PROJ_C090.htm このサイトによれば、浄土三部経は「鶴の恩返し」と同じような、
人の道を教えるための作り話だそうだ。
もうこれは「ガンダムは人生の教科書」というのと同じレベルだよ。
真宗はここまで来た。
阿弥陀の価値はガンダム並み。阿弥陀=ガンダム。
297 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/10(木) 22:52:27
いいわけや誤魔化しばっかりしないで真宗=唯物論宣言をしなさいよ、禿!さすが左翼、体質は民主党といっしょね。
298 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/11(金) 00:29:31
おやすみなさい
南〜無〜
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/11(金) 01:24:34
−−歎異抄の2条読んだのか。えらいじゃないか。
結局念仏以外の教えをもとめるなら他の仏教のところえ行けよって書いてあっただろ。
ここは己の罪悪を自覚して地獄行きしかないものが弥陀に救われる場所なんだよ。
救いを必要としている者と必要としていないお前の違いなんだよ。
だから三部経は仏説にあらずなどと言えるのよ。ようするにお前は救いを求めてすらいない。
山を登らずにただ遠くから眺めてあれこれ言っているにすぎないのよ。