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真仏教徒:
言うまでもなく「経典」(きょうてん)とは仏教の聖典とされるものである。
当初は釈尊の死後3〜4度にわたる結集と呼ばれる集会にて教えがまとめられ、それは出家信者に口頭で伝えられた。
文字に起こされた経典と呼べるものはやっと紀元前後、つまり開祖である釈尊の死後300〜400年後からのことである。
そのうち内容で分類すると、釈尊の言葉を記録したとされる「経」、規範である「律」、経典の解釈である「論」の3種に分けられる。
しかし、結集の3回目が行われた時点で、すでに上座部と大乗に分裂しており、おのおのの説くところは相違があったとされる。
そして全ての経典は「如是我聞」(にょぜがもん、つまり、わたしは釈尊からこう聞いた)という枕詞をつけることにより、
自らの宗派、団体が創作する「偽書」に釈尊の言葉であるという正統性をもたらせた。
現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら、釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある。
日本での経典(特に経や律)の権威は「命をかけて伝えられた、はるか古代より西方からもたらされたありがたい釈尊直々の言葉」とのものであることを考えると、
それが偽書であったことの衝撃は仏教界にとって計り知れない。
我々一民間の仏教徒はこのような事実を正面から受け止め、まず「全て経典は偽である」と認めたのち、
既存の経典やそれに立脚する様々な仏教団体の権威を否定するところから仏教の復興を望むべくしかない。