1 :
真仏教徒:
言うまでもなく「経典」(きょうてん)とは仏教の聖典とされるものである。
当初は釈尊の死後3〜4度にわたる結集と呼ばれる集会にて教えがまとめられ、それは出家信者に口頭で伝えられた。
文字に起こされた経典と呼べるものはやっと紀元前後、つまり開祖である釈尊の死後300〜400年後からのことである。
そのうち内容で分類すると、釈尊の言葉を記録したとされる「経」、規範である「律」、経典の解釈である「論」の3種に分けられる。
しかし、結集の3回目が行われた時点で、すでに上座部と大乗に分裂しており、おのおのの説くところは相違があったとされる。
そして全ての経典は「如是我聞」(にょぜがもん、つまり、わたしは釈尊からこう聞いた)という枕詞をつけることにより、
自らの宗派、団体が創作する「偽書」に釈尊の言葉であるという正統性をもたらせた。
現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら、釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある。
日本での経典(特に経や律)の権威は「命をかけて伝えられた、はるか古代より西方からもたらされたありがたい釈尊直々の言葉」とのものであることを考えると、
それが偽書であったことの衝撃は仏教界にとって計り知れない。
我々一民間の仏教徒はこのような事実を正面から受け止め、まず「全て経典は偽である」と認めたのち、
既存の経典やそれに立脚する様々な仏教団体の権威を否定するところから仏教の復興を望むべくしかない。
2 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 00:54:39 ID:3twSUTWZ
20世紀にハワイの洞穴より発見された、ありがたい経典
「ダイアモンド・ヘッド経」より。
我是の如く聞けり。かつて霊鷲山にあった時、釈尊は十万すべての存在を集める集いを起こした。彼は無言のまま非常に長い間座っていたが、
アーナンダがとうとう待ちきれなくなった。「世尊よ、どうかあなたの言葉で我々に恵みを与えてください」と、彼は言った。
釈尊はアーナンダの頼みに対して、穏やかな眼差しで長く見つめ返したが、ついに語りだした。
「時が経ると、わたしの教えに混乱が生ずるであろう。わたしの法の明確さに陰りがでるであろう。
そして教える者は、わたしの真理が理解を超えていると言い出すであろう。それにもかかわらず、多くの師たちは違ったことを言いだすであろう。
ある者はわたしがこのように言った、別の者はわたしがあのように言ったと言いだすであろう。全員が、わたしの言ったことに著しく確信を持っているが、皆言うことが違う、ということになろう。
わたしの言葉はこのようにさまざまな形をとって、この山を越えて広がるであろう。
そしてもっともふさわしくない場所に伝わり、もっともふさわしくない人びとに語られることになるであろう」。
<後略>
3 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 04:35:41 ID:tRPhPCe1
儒教 は 子曰く(先生は仰った)
キリスト教 は イエスは語られた
仏教 は 如是我聞(私はこのように聞いた)
であり、不思議なことに、すべて聞き書きである。
つまり孔子もキリストも釈尊も、自分は教祖となる
意思はなかった。すべて弟子たちがでっち上げたもの
である。
その意味において、論語も聖書も諸経も信ずるに足ら
ないと言える。
んま、テキストだから。
5 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 08:12:30 ID:3twSUTWZ
>>3 孔子とキリストに関してはそうだが、釈尊は意思を持って団体を率いバラモン教とは違う概念で改宗させていたと思うが。
教義に関しても単に物に記すといった概念が存在しなかっただけで、法の重要さは繰り返し説いていたとされる。
それと重要な部分を見逃している。
論語は後漢時代(紀元前後)にまとめられ、その後増えはしない。
新約聖書はキリストの死後すぐに書かれ、公会議と呼ばれる制度によりどこまでがキリスト教のドグマかを定めている。
有名なのは三位一体ではないとキリスト教ではない、など。
こうして、外典の部位は定められ、基本的にどのようなキリスト教の団体も使っている新約聖書は27書で構成されている。
仏教経典のみ、無限に増えていく。教義の確認は4回のみ。
それ以降は放置され、何が仏教かも曖昧になった。
誰が書いたかによらず、便宜的に「ここからここまでが我々の宗教であり、それ以外は違う」としたのがその他の宗教であり、
「すべての経典は釈尊直伝」と誤った解釈のまま来てしまったが仏教。
これが大きな違い。
仏教には輪郭が存在しなくなってしまった。
6 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 10:14:16 ID:tRPhPCe1
仏典において、もう一つの問題は、漢訳において象形文字を
使用することによって、象形文字本来の意味が原経の意味に付加
される、本来の意味と変わってしまう場合を避けられない。
それと、漢文は五言絶句、七言絶句などの形にもとの経を収めるために
無理をして、切り詰めたり、敷衍したりと、原意をゆがめている。
従って漢訳は信用できない。中村元さんの原典訳が最も信憑性がある。
中論などは、原典訳と漢訳とは驚くほどの相違がある。
7 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 10:39:39 ID:tRPhPCe1
>>5 釈尊はバラモンの改革(派)であって、仏教という新しい宗教を
創立するつもりは無かったと思う。
キリストがあくまでユダヤ教であったように。
8 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 11:33:37 ID:3twSUTWZ
>>7 釈尊はバラモン教徒に「改宗の必要はない。ただわたしの説く法に依りなさい」と話したと記されている。
これはつまり釈尊生前当時の概念でも、バラモン教からは既に独立した別の宗教であったと自認していたわけです。
バラモン教は神に捧げる儀式を重要視し、そのため祭祀を司るバラモンを崇めた。
この儀式を否定した釈尊の教団は既にバラモン教と認識されてはいない。
>>2 >20世紀にハワイの洞穴より発見された、ありがたい経典
ジョージ・タナベさんはこんな設定をつけていたのか。
10 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 14:33:59 ID:A63vx2RZ
>>8 その仏語自体が創作されたものと思われる
が。つまり教団の営業コピー。
11 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 16:43:17 ID:gsf5Ov3P
1%は本物、これだけで十分です。
>>9 序文としてもっと長いものがある。
ちなみにこれで作者が伝えたかったことは、経典は誰にでも書ける、ということ。
仏教のそういった仕組みは悪いことではなく、むしろ皆積極的に自分の思うところを経典として書くべきである。今までの経典の作者がそうしてきたように、との趣旨だそうだ。
> 1958年7月22日、私と叔父は、ハレイワの上手にあるコオラウ山の山中深く分け行った。
<中略>
日帰りの予定であった。しかし最近降った雨のため、道は膝までつかるぬかるみで、行程は遅々として進まなかった。夕暮れになり、小雨が途切れなく降っており、目的地は、まだまだ遠かった。
軽装の私たちは薄れ行く陽の光を頼りに岩だなの方へ向かった。すると、驚くほど大きな洞穴に行きあたった。
<中略>
私たちはトーチ代わりに火のついた棒を持っていたが、その火だけが、ゆらゆらと揺れる光を発していた。その向こうに洞穴は先へ先へと延びているようであった。
収納用の穴の中には物がいっぱい詰まっていたが、さらに、そこにコップ、どんぶり、手斧、棒などとさまざまなものを見つけて、目を見張った。
そして、ある箱を見つけた。本ぐらいの大きさのその箱を開けると、何とそこには本があった。
というより、タパ布のような紙がバラバラになって置いてあった、という方が正確か。
しかしそれには、溶岩よりも黒いインクで文字がはっきりと刻み込まれていた。私たちは火の近くに寄って、それを読み始めようとした。
<後略>
13 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 17:33:27 ID:3twSUTWZ
>>11 問題はそこ。
仏教は儒教やキリスト教のように、その教義は完全に後世の人間による編集であることを認識し、
つまり上座部やチベット仏教などにある「すべて経典は釈尊直伝である」といった幻想を捨てた上で、
その教えの幅、「どこからどこまでが仏教である、どこからが仏教ではない」かを定義しなおす必要があると考える。
(むろん、それはさまざまな仏教団体が集まった大同団結が望ましいが、無理なら団体の数だけ経典が別れてもいい)
釈尊直伝の部分が仏教なのではなく、有用な部分が仏教である、という認識に立つべきだ。
その場合、むしろ釈尊が本当に説いた部分はむしろ邪魔になるのかもしれないが。
現状の仏教界の混乱である大乗非仏説や輪廻転生の問題などを乗り越えるのはこうした道しかない。
14 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 17:41:06 ID:RipRl9tj
>>10 有資産者を装う者ほど貧乏人であることは、殊に金融関係者の熟知するとこ
ろです。冒頭にいきなり「如是我聞」を掲げる心理は、自身が金持ちである
ことをアピールせずにはいられない貧乏人の哀しい心理に似ていないでしょ
うか。本当に仏陀から聞いたのであれば、わざわざ「如是我聞」を被せる必
要はありません。【コピペ】
>>14 コピペにレスをつけるのもなんだが、最古層の部分は「如是我聞」がつかなかったらしいね。
第一回結集をまとめたアーナンダをかたった人間が「如是我聞」と言い出した可能性もあるそうだ。
研究結果によると。
16 :
神も仏も名無しさん:2009/12/03(木) 14:19:21 ID:x2q6szf6
まずすべての経典の権威を否定することから真の仏教の再興が始まる。
あと300年くらいかかりそう。
18 :
神も仏も名無しさん:2009/12/04(金) 14:27:22 ID:0bF2elrx
そうすると、気にいらない部分はすべて後世の付けたしと読み替え無視することも可能。
でも、それでいい。
19 :
神も仏も名無しさん:2009/12/04(金) 19:54:18 ID:41vwVhXb
20 :
神も仏も名無しさん:2009/12/04(金) 20:49:08 ID:0bF2elrx
マガダ語で書かれた死海文書の様なものが発見され本当のブッダの本意が見つかる日が来るかはわからないが、
とりあえず学者は原始経典を研究し続け、1%のブッダの本意を探し続けてほしい。
俺はとりあえず、現状は縁起と四諦八正道だけしかブッダの言葉と信じない。
どうやら初転法輪でブッダが説いたのはこの事らしいから。
21 :
神も仏も名無しさん:2009/12/05(土) 22:15:32 ID:usYBxyhZ
我々が頼るべきは四諦八正道だけ。
改編を繰り返されたテキストは信用できない。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
23 :
神も仏も名無しさん:2009/12/06(日) 15:30:32 ID:RGlKB9Le
>>22 阿含の名を騙った密教だろ?
密教なんてヒンドゥーだ。
24 :
神も仏も名無しさん:2009/12/08(火) 17:23:54 ID:X6PgLTHo
大乗・上座部非仏説。
25 :
神も仏も名無しさん:2009/12/21(月) 23:43:09 ID:Jb3ogZGO
経典に権威などない。
26 :
神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 21:04:16 ID:CFerWxk4
ブッダの本当の言葉を最古層から探れ
27 :
神も仏も名無しさん:2010/01/06(水) 14:58:10 ID:k0IazK1U
偽経からは何も読み取れはしない
28 :
神も仏も名無しさん:2010/01/07(木) 01:10:17 ID:4Uxi62q5
釈迦の言葉に救われる人もあれば、親鸞の言葉に救われる人もある。
それでいいではないですか
29 :
神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 09:54:23 ID:tj/iZUZH
少し横からゴメンナサイ。「中論」の人からは「戯論」と言われ、仏教哲学者からは
「無記」と言われるでしょうが、参考にして下さい。
グーグル検索:「C点による時空論」「C点による仏教論」
31 :
神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 18:11:15 ID:w3aKJbB5
32 :
神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 14:53:41 ID:5Jrg6p1W
「中論」における「非有非無」は、論理に「矛盾・無限」を入れない。空性、無に
重点がある様だが、「C点論」では、論理にギリギリのところで「矛盾・無限」をいれる。
矛盾・無限のC点そのものに重点を置き、C点そのものを単位として考える。
世俗諦が「第一」の有の世界とすると、勝義諦の中論は「第二」の無の世界、C点論は
「第三」の非有非無の世界。中論とC点論では、中論が論理的であり、C点論は非論理的
とも言える。瞑想を必要とする。
日本の仏教はオリジナルと違う仏教ということは明白だけど、
それで何か問題でもあるのか?
釈尊が対機説法されたことを考えれば、悟りにいたる道は一つではなかったようだし
ポイントをきちんと押さえていればそんなに目くじら立てるようなことではないと思うが
そんなことよりも
>>1は99%の経典は偽経・偽書です!と書いているのだから
釈尊直伝の教えを知っているんだろう?
それを皆に教えるべきじゃないの?
35 :
神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 17:18:02 ID:5Jrg6p1W
色即是空 空即是色
36 :
神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 20:39:13 ID:5+CwfXRN
>>33 釈尊をないがしろにし、他の神々や偽経を拝むなら好きにしろ。ただし仏教の名を使うな。
>>34 たしかに要点を押さえていれば仏教だ。
要点は縁起と四諦八正道だけだろ。
37 :
神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 22:07:10 ID:5Jrg6p1W
空性は仏教のポイントに入るだろうが?
38 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/11(月) 22:32:11 ID:Auj6FW3b
仏法に要点など無い。
縁起を説く全てのダルマは、筏に過ぎん。
39 :
神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 22:37:47 ID:EseRWwUb
現代に現存するインドや東南アジアや中国や日本などのすべての仏教は
釈迦オリジナルのものとは違う仏教ということは明白だけど、
それで何か問題でもあるのか?
40 :
神も仏も名無しさん:2010/01/12(火) 05:41:41 ID:mEV2yPUG
「諸行無常」だけは仏陀の教えではないだろうか?
仏陀もそう感じ、いろいろのお経に、影響がある。「色即ぜ空」は仏教の、やはり、
ポイントではないか。総てが仏陀と無関係では無いだろう。
>>36 第一、仏教ってのが支那語(笑
日本の仏教は神道と融合した「日本式仏教」
日本語の理解できない馬鹿が偉そうなことを言うんじゃない
42 :
神も仏も名無しさん:2010/01/12(火) 18:12:53 ID:2cMJd5wl
>>39 オリジナルが何かは分からないが、要点を押さえりゃ仏教だ
43 :
神も仏も名無しさん:2010/01/12(火) 19:00:58 ID:8+v8GS//
釈迦が安心を求めたことから仏教が始まった。
そして周りから教えを求められ、教えを説いた。
自分を救いたい、人を救いたいという仏心がすべてだろ。
四諦八正道で安心をえても、南無阿弥陀仏で安心をえてもいいと思うけどな。
道のり(修行のしかた)は違えども、最後に見る月(安心)が同じなら仏教でいいんじゃない。
>>43 釈尊が求めたのは苦の滅却。
そして苦は因縁生起(縁起)により起きるという概念を中心に据え、
苦を少なくするための実際の行動規範として縁起をベースにした四諦八正道を説いた。
苦を無くすなら何でもいいのか?
そうではなく、苦を無くすために縁起の概念を根底にするなら、それこそが仏法と呼べると考えるが。
45 :
渡海 難:2010/01/28(木) 14:56:56 ID:K4YemKnI
46 :
神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 21:01:41 ID:5njtOe/x
どこも難しそうだなぁ・・
47 :
神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 15:15:55 ID:Fnu/gzei
原始仏教を研究して、何が釈尊の本心かに迫れ
48 :
?:2010/04/29(木) 09:30:06 ID:20wz+wtu
>>1 様へ!
【スッタニパータ】が
古いと、されている様ですが、
もっと古いと、されている物が有れば、
お経の解説書の書籍の、
御教示の程を、宜しく御願い、申し上げます!
test
50 :
金有財 ◆M5il315GSQ :2010/05/15(土) 15:44:48 ID:lWed3DEu
法華経だけが真実!
偽書じゃなくて外伝だろ。
52 :
神も仏も名無しさん:2010/05/21(金) 08:49:15 ID:Gk/aSBR6
仏教への試論です。参考にして下さい。
グーグル検索:C点による仏教的宇宙論
54 :
神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 06:32:22 ID:WNBYQrcA
C点論のオリエンテーションです。
第一の存在 有の世界 現象肯定 世俗諦 自性 科学
第二の存在 無の世界 現象否定 勝義諦 無自性 縁起 空性 仏教哲学
第三の存在 非有非無の世界 現象再生 C点論 仏教
注:単なる有でなく、単なる無つまり空でもなく、「実体ある現象」で非有非無の世界、これが
第三の存在です。
55 :
神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 12:34:06 ID:YNAk2hnO
少なくともここには相手にする人はいないよ。
だからここでやる意味は無い。
空しくなるだけだ。
56 :
神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 05:54:44 ID:2pFC2uLb
如来は、高い見地から世俗諦に拘る者には、勝義諦を説き、勝義諦に拘る者には
世俗諦を説いた。方便を駆使して、自由自在の視座からと、考えられて信じられて
いた。
しかし、如来の真意は「無記」に守られ知ることが出来ない。有に非ず、空に非ず
「中」として、第三の存在が如来の真意では無いだろうか?
「C点による仏教的宇宙論」を検討して下さい。
57 :
神も仏も名無しさん:2010/06/13(日) 07:01:36 ID:2pFC2uLb
話は変わりますが、「唯識」を以って仏教の最高の悟りと言う出家も沢山います。
この世は「識」が総てと言う。外界は存在せず「空」であり、存在するのは識の創りだした、
識の「仮」に認識した現象に過ぎず、現象は縁起により「仮」に創られた、「無自性」の存在と
言います。存在するのは「識」のみで、是も最期は「無」と消えます。総ては「空」だからです。
唯識では、意識下の本能の世界も、論じています。しかし、意識と言う現象は、「心」つまり「精神」
として、精神医学が取り組んでいます。まだまだ是からですが、唯識の問題は、仏教論を別に
すれば、精神と言う現象に限れば、精神医学が解明してゆくでしょう。
仏教論を別にすれば、「識」は「生きる」ための存在と思われて、なりません。
総てを仏教で説くのは、問題ではないでしょうか?
そもそも最古の経典と言われるパーリ五経&阿含四経からして
アーナンダを貶めて、マハーカッサパを神格化する記述にまみれてるとこからも
こんなの後世のバイアス入りなのは明らか。
慈悲のアーナンダを後世、大衆部や大衆部の強い地方で崇敬したようだが
一方苦行主義者の匂いの強く、またバラモン出身のマハーカッサパがバラモン化していく部派仏教で奉じられていったのだろうし
アーナンダを奉じる慈悲主義派との対立もあるのだろう
それとよく指摘されることとして、アーナンダも含め、シャカ族の高弟は全員必ず貶められているという事実もある。
シャカ族の仏教から、バラモン出身者による仏教に変遷していった匂いもある。
経典やブッダの言を捜し求めて、何かを全てと思い込むようなのは、執着を生み、知性を曇らす。
ブッダも言ってる。人を師とするのでなく、法を師とせよと。
どの経典がどうとかそんなことは大事な話ではない。法を見ねばならないのだ。つまり、ありのままのこの世のありさまを。
59 :
神も仏も名無しさん:2010/06/14(月) 15:26:46 ID:M7OzY110
経典は兎も角、ブッダの生存についても、前566−486と言う説から、古くは前623−549、
新しいものでは、前463−382と言う諸説あり、真偽のほどが解らない
経典はなを更わからない。
60 :
神も仏も名無しさん:2010/06/14(月) 15:45:44 ID:M7OzY110
仏教学的に、どうかは解りませんが、如来が「生老病死」を知り出家し、「色即是空」の
悟りに至ったと言う事だけは、確かでは無いだろうか?
その外のお経が正しいかどうかは、在家の私には関係無い。
あの時代の
インドの文化、科学
ヒンズー教
そういった背景を持った人々に説かれたのが仏教。
もし仏陀が現代日本人のために
「方便」
を語るとしたら全く別のものになるだろう。
現代に仏陀がいたら、当然物理学もカオス理論も知っていて
それを考慮した講和になる。
どっちにしろ仏教はそのままは使えない。
今でも使えるエッセンスを少量抜き出すのがやっとでしょう。
>>61 > 現代に仏陀がいたら、当然物理学もカオス理論も知っていて
> それを考慮した講和になる。
それが現代に書物の形で現れると経典とされるというようなものだ
さすがに、今書いても経典扱いはされないが、
ある時期までは、その当時の人が仏陀になりきって書いたものが経典とされた
だから、ほとんどの仏典は偽書ということになる
偽書というのは、来歴を偽って書かれたものであって、
内容が偽りかとは別の概念であるから、
何かの拍子にそういう偽書の中に、真の法がないとも限らない
偽書じゃないというのは、仏陀から聞いた事をそのまま書き記した経典だな
ただ、書物という形をとるまでに、何代にもわたって口伝で伝えられてきているから、
その間に、伝言ゲームのように、不正確に伝達される危険もある
63 :
神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 05:19:40 ID:sTalx1oY
中村元訳「ブッダのことば」「真理のことば」「感興のことば」を読んでいるが、ブッダの
時代は素朴な世界の様です。それなりに生きるのは、大変さも有ったろうが、心は今も同じ
とは言えない様な気がする。
真の法というなら
金剛般若、般若にはなんの欠点も見出せない。
ただ、これをどうやって理解できるところまで成長するかということについての
ブッダ本人の言葉が何かというのがやっぱり本題でしょうね。
素朴だし、国をあげて全体的にみんなが
輪廻転生を信じていたので生の感覚がまるで違うような。
66 :
神も仏も名無しさん:2010/06/15(火) 16:56:05 ID:4sZecjAs
出家者に施して、出家を尊敬し支える在家など、今の日本では考えられない素朴な
風土である。古代インドのカーストも成立していたなど、厳しい社会らしいが。
>>66 そんなものではない。
インドにおける布施の文化というのは、
バラモンに奉仕することが功徳得られる唯一の道というヴェーダの定義によるもので
国教となっていった部派仏教は次第にバラモンの仏教になり、出家はその代替になっていった
今、小乗諸国で、現に僧侶に布施をすることで功徳が得られ、死後が約束されるという信仰が盛んですけど
これはバラモン化した部派仏教の悪弊そのものなんです。
布施の文化の無い中国では、「一日不作、一日不食」という自給自足の文化を生んだわけですが
よっぽどまともと言えるだろう。
68 :
?:2010/06/21(月) 13:28:01 ID:MZtRl4iC
@ゴータマ シッダールタは マガダ語で 説法してた?
Aマガダ語の 根本聖典が 有るかも?
Bその次は パーリ語 聖典?
Cその次は サンスクリット語 聖典?
D漢訳は 何処の時点で はん訳されたのか分からない?
> 釈尊基準だと そんな感じになるでしょう
> 釈尊自身が 今でいう方言みたいなのを 使っていただろうし、
> それで それが記憶を通って 伝聞になって
> 更に翻訳されたりしている
> 経典に仏は 一音で説法すれば それを聞くみなが了解した
教誡(きょうかい)神変
他の人に 正しい仏法を 実践させて
他の人の 心の中に 智慧を生じさせる 特別な能力
↑ この【教誡(きょうかい)神変】によって【一音で皆が了解した】
69 :
?:2010/06/21(月) 13:41:10 ID:MZtRl4iC
>>57 様へ!
仏教要語の基礎知識(単行本) 水野弘元(著)
この164ページの右から6行目と9行目の所 ↓
【阿頼耶識】
外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、
人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、
これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、
業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。
↑ 霊魂 識 阿頼耶識といっても
↑ 【それは仮合(仮和合)の存在として】
↑ 仮設されたものとするなら 縁起と矛盾しない
70 :
?:2010/06/21(月) 14:13:31 ID:MZtRl4iC
>>69 の続き!
解深密経心意識相品第三
「阿頼耶識(あらやしき)は
甚だ深細なり、一切の種子は瀑流の如し。
我れ凡と愚とに於ては開演せず、
恐らくは彼れ分別し執して、我とせんことを」
「深遠で微細な 阿頼耶識(あらやしき)は、
あらゆるものの種子をもって 暴流のようにながれる。
それがアートマン(常住不変の自我)であると
思われてはいけないので
私(大乗の菩薩?)は 凡夫たちに
決してそれを 説かないのである!」
71 :
?:2010/06/21(月) 14:15:47 ID:MZtRl4iC
>>70 の続き!
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
人がまさに、死せんとする時に、過去の長い間の経験により、蓄積された、
我愛が現起して、その力に、促(うなが)されて、
自己に愛着し、無始の時、以来、続いて来た、執着された、戯論と善悪業により、
中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)を、形成する!
その、中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)が、
次に、生まれるべき処を、求めて、母胎に入り、
ここで、父母の、精子と卵子が、結合する時に、
中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)が、
滅すると同時に、生有が生じて、
一切種子たる、阿頼耶識(あらやしき)が、結合して、
胎児を形成して、出生に至るのである!
初期経典とされる南伝パーリ経典&北伝阿含経においてすら
シャカ族は劣った部族とはっきり書かれ、シャカ族出身の高弟はみな
劣った存在として描かれている。
一方でバラモン出身の高弟は凄く神格化されている。
しょせんバラモン化した部派仏教の経典なんだよね。
真の経典とかいうてホルホルしてる人はバカだし、真の法というものを見ることができなくなる。
経典はしょせん経典なんだよ。絶対視してのめりこむようなものじゃない。
そういう意味では経典へ依存を、しょせん弟子らの伝聞と価値を限定的なものとし
ブッダが辿った過程を再体験し、ブッダの悟りを考えようと、生活や生き方に
そのヒントがあると考えた、禅仏教の思想は評価すべきところがある。
よく日本のテーラワーダ信者が、禅は評価するとか、禅は日本のテーラワーダとか言ってるけど
禅について何も勉強してないのが聞きかじりで言ってるだけ。
極度に経典信仰のテーラワーダと経典否定の禅が同じわけがない。
これはスマナサーラ氏が日本に留学して、そこで大学で道元を専攻したので愛着があるのか
著書でたびたび道元は唯一いいみたいに言うのをなんの検証も無しに信じきってるだけでしょう。
75 :
神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 07:51:24 ID:k5h9Fdjv
>>1 とりあえずWebで手に入る経典のソースURLを挙げてから主張して下さい。
中途半端なのは駄目だよ?
もちろん参考文献でも可だけど
2chで主張するならWebソースくらい調査してから書き込めよ
77 :
神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 09:54:59 ID:htS2vrHe
78 :
神も仏も名無しさん:2010/07/02(金) 10:14:28 ID:qYYwqJkb
79 :
?:2010/07/02(金) 12:18:20 ID:vwqKERjb
>経典否定の禅が同じわけがない。
禅が経典否定?馬鹿言っちゃいけない。
「 道元 法華経 」でググると面白いよ。
…まあ、スマ長老が道元の法華経崇拝と、
どう折り合いをつけているかは知らん。
ああ、あと道元はもちろん大乗(つうか法華経)至上主義ね。
81 :
神も仏も名無しさん:2010/07/03(土) 11:48:11 ID:HRYCf0yq
キミの中で禅=道元なのか?
それこそ禅思想を全体的に把握できてないとしかいいようがない。
>キミの中で禅=道元なのか?
んー、別にー
74の書き込みで名前が出ていたから挙げただけだよ。
法華経抜きで道元語れないでしょ。
それとも「 良寛 般若心経 」で
ググりなおすかい?
「良寛」のところは「一休」でも「盤珪」でもOKだよ。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
84 :
神も仏も名無しさん:2010/07/16(金) 08:08:21 ID:NZUkAupd
生まれる前の闇、死後の闇、この膨大な闇に視座を置くと、この世は一瞬の存在。
幻のような、夢のような、蜃気楼のような、瞬時。
色即是空 空即是色
無の世界、第二の存在、無自性、縁起、空性。空に徹し、瞑想し、体験し、
我を忘れ、宇宙と一体化し、悟る。不生不滅。涅槃は瞬時でも、一即一切。
如来に栄光あれ。
85 :
?:2010/07/17(土) 14:37:39 ID:JlLtPFXK
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
爾(そ)のとき父母(ぶも)の貪愛倶(とんあいとも)に極まって、最後に決定して、
各々一滴の濃厚の精血を出す、
二滴和合して母胎の中に住し、合して一段となる。猶(なお)し熟乳凝結の時の如し。
当に此の処に於て一切の種子を持ち、異熟性に摂められ、
執受の所依たる阿頼耶識和合し依詫するなり。伝何んが和合し依詫するや。
謂(いわ)く此の出だす所の濃厚の精血合して一段と成り、
顚倒(てんどう)の縁と中有倶に滅す。滅と同時に即ち、
一切種子識の功能力に由るが故に、余の微細の根および大種ありて、和合して生ず。
及び余の有根の同分は精血和合して搏生(はくしょう)す。
此の時の中に於て、識すでに住して結生相続すと説く。
即ち此れを名けて羯羅藍(かららん)の位と為す。
86 :
神も仏も名無しさん:2010/07/18(日) 10:44:27 ID:d97J+pAn
私達は、現象世界に生きています。確実に生まれ、確実に死にます。この命は「不生不滅」と
言う「仮」の命では有りません。「非有非無」の命では有りますが、実体が有ります。
この世は空の世界つまり無の世界では、有りません。「空」の世界では無く、「色即是空」の
世界で有ります。「空」が単位では無く、「色即是空」が単位で、実体が有ります。詳しくは
「C点による仏教的宇宙論」を検索して下さい。
「性」について、論ずることは、特に出家に対しては、如来は禁じているようです。しかし、真言
密教の理趣経では、欲望を大らかに認めており、現象世界に生きる在家には、むしろ当然の事と
感じられます。抑圧された欲望は心を歪めます。精神分析はここから始まります。だが如来は無記で
その真意は、解りません。「方便」として、禁じたものと思われます。
この世が「仮」の世か、「実在」か、それは解りません。だが「C点論」の様な、試論もあります。
「C点による仏教的宇宙論」再検討して下さい。
87 :
神も仏も名無しさん:2010/07/19(月) 06:24:06 ID:arjNUt+L
C点論のオリエンテーションです。参考にして下さい。
第一の存在 有の世界 現象肯定 世俗諦 自性 科学
第二の存在 無の世界 現象否定 勝義諦 無自性 縁起 空性 仏教哲学
第三の存在 非有非無の世界 現象再生 C点論 仏教
88 :
?:2010/07/19(月) 09:42:02 ID:y+lOfNBe
生きているている時は 【 阿頼耶識 】として
死んでいる時は 【 魂魄 】として
【 生滅 変化 相続 】している
私【?】も
【 仮 の命じゃなくて 実体が有る】と 解釈しています
89 :
神も仏も名無しさん:2010/07/25(日) 06:41:36 ID:CTtaqCC3
般若心経は、表面的には、第二の存在「空」の世界です。この世は、縁起、空性、無自性の世界で
実体は有りません。それ故、実体の無いものを恐れるな、と言う如来の「方便」による訓えです。
しかし、時空の本質は「色即是空」です。なを「空」の世界に生きる出家もおります。
それも宗教です。
90 :
神も仏も名無しさん:2010/07/25(日) 08:56:20 ID:8LlxzAGD
>>82 答えになってない。
禅をやるなら道元以前にまず中国禅の各種文献を学ぶものだが
禅語るなら「不立文字」という思想くらい知ってたほうがいいぞ。
>答えになってない。
答えになってるよー。
74の書き込みの「経典否定の禅」ってのがおかしいって指摘だよー。
道元、良寛、盤珪あたりは偽物って思う人には説得力が無いのかもしれないけれども。
中国禅でも経典読まんといかんしね
臨在録なんか、経典の教養があることを前提としての説法でしょ。
92 :
?:2010/10/30(土) 07:19:56 ID:VZw1WzYn
☆ ウィキペディア参照 ☆
末那識について
八識はみな思量の作用があるが、
末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との
二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、
審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける。
この深層的な自我心を滅することによって、
我々は初めて真の無我行を実践することができる。
93 :
?:2010/10/30(土) 07:21:15 ID:VZw1WzYn
末那識の
根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける、
深層的な自我心を滅却する為には、
◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ
◎中阿含経などに説かれた、【三十七道品(さんじゅうしちどうほん)】
などの修行を実践する事が必要であると
私は解釈しています。
どいつもこいつもくだらねえ事書き込みやがる…お経だけが重要なんだよ!俺は、ハッキリ言っておく。法華経なら一生涯法華経と共に生きろ!それが悟りだ。華厳経なら華厳、浄土経なら浄土!ひとつだけ選んで命賭けたらんかい!
他人の悟ったの迷ったのは、所詮は他人の問題だ。自己の問題を徹底させい!仏もクソもあるもんか!2500年前くたばった野郎に何の用がある?今、目の前の経だけが重要なんだよ!「悟り」であり「仏体」なんだよ!
プッタタート比丘のような人がでてきて
まともな科学者や論理学者や文献学者、まともな哲学者やまともな他の宗教家を交えて
朝まで生討論を毎日5年間ぐらいやってほしい。
↑こいつ、上座系かな?ブッチュンべロンパ比丘?比丘か…気に入らねぇ…TV使ってマスコミ利用の世論操作…日本人の常套手段。醜い…日本から上座系は出ていけ!大乗以外は華麗に死刑
98 :
神も仏も名無しさん:2010/11/01(月) 09:41:43 ID:eZ7WyUIN
>>96 まあ、そういう仏教もありか
しかしながら、方便か低い見解であることは間違いない
99 :
?:2010/11/01(月) 14:10:09 ID:8W38lVIL
☆ ウィキペディア参照 ☆
五時八教説(天台)
◎華厳時
経典 - 華厳経(大方廣仏華厳経)
◎阿含時
経典 - 増一、長、中、雑、小の阿含経、法句経などの南伝大蔵経
◎方等時
経典 - 大方等大集経、阿弥陀経、大日経、金光明経、
維摩経、勝鬘経、解深密経など権大乗経
◎般若時
経典 - 大般若経、金剛般若経、般若心経など
◎法華涅槃時
経典 - 法華経28品を中心とする法華三部経、涅槃経
100 :
神も仏も名無しさん:2010/11/01(月) 14:12:04 ID:CIdpgEKF
漢訳仏典は「義足経」が確かです。
義足宗を立てましょう。
101 :
?:2010/11/01(月) 14:22:47 ID:8W38lVIL
☆ ウィキペディア参照 ☆
『阿含経』は、初期仏教の経典である。
釈迦の死後、
その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子達によって
何回かの結集を経てまとめられ、経蔵(sutta-piTaka (pali))を形成した。
他方、守るべき規則は律蔵(vinaya-piTaka (pali))としてまとめられた。
一般に、
紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものである
と言われている。
中国においても原初的な経典であることに気付いており、
研究を行った記録もあるが、大勢を占めることはなかった。
日本にも伝播初期から伝えられており、倶舎宗で研究されていたとされるが、
ほとんど伝えられていない。
このニカーヤや『阿含経』は、
ヨーロッパの研究者によって注目され世界中に広がった。
そのため、ヨーロッパの哲学へ与えた影響は大乗経典より大きく、
「新しい宗教」の考え方の基盤となっているとされる。
102 :
?:2010/11/01(月) 14:29:06 ID:8W38lVIL
☆ ウィキペディア参照 ☆
スッタニパータは、
最初期に編纂された最古の仏典のひとつとされ、
対応する漢訳は一部を除いて存在しない。
(第4章『八つの詩句』/支謙訳:仏説【 義足経 】)
現代では日本語訳として『南伝大蔵経』の中におさめられている。
ただし、『スッタニパータ』の中にも、新旧の編纂のあとが見られ、
パーリ語の文法に対応しない東部マガダ語とみられる用語が
含まれていることから仏典の中でも最古層に位置づけられている。
また『スッタニパータ』の注釈書として『ニッデーサ』(義釈)が伝えられているが、
『スッタニパータ』と『ニッデーサ』は、それぞれ別の経典として伝えられ、
文献学的には、『スッタニパータ』と同時代に成立したと考えられている。
『スッタニパータ』の第4章と第5章のそれぞれに
大義釈と小義釈が存在することから、この部分がもっとも古く、
元は独立した経典だったと考えられている。
103 :
?:2010/11/01(月) 14:46:40 ID:8W38lVIL
☆ おすすめの書籍 ☆
新アジア仏教史〈01〉仏教出現の背景―インド1 (新アジア仏教史 1 インド1)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/4)
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/10)
新アジア仏教史〈03〉仏典からみた仏教世界―インド3 (新アジア仏教史 3 インド3)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集) (単行本 - 2010/7)
104 :
?:2010/11/01(月) 15:07:33 ID:8W38lVIL
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 63〜64ページ ☆
初期経典の成立
最近では【スッタニパータ】の第4章と第5章に関する新たな指摘がなされ、
より明確に、ゴータマ・ブッダに最も近い資料であるという見解が文献上、
思想上から究明された。
中には、ゴータマ・ブッダの金口直説もあるとの指摘もある。
105 :
?:2010/11/01(月) 15:56:13 ID:8W38lVIL
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 64〜65ページ ☆
スッタニパータの第4章【アッタカヴァッガ】は、
仏教の興起時代を反映したものと指摘されている。
106 :
?:2010/11/01(月) 16:33:33 ID:8W38lVIL
新アジア仏教史〈02〉仏教の形成と展開―インド2 (新アジア仏教史 2 インド2)
奈良 康明 (編集), 下田 正弘 (編集)
佼成出版社 2010/10
☆ 67〜68ページ ☆
チベット語訳の初期経典の研究
チベット語訳のみで伝えられる
【アビダルマコーシャ・ウパーイカー】の
全貌が明らかになり、新しい阿含経が開示された。
近々、全訳が出版される予定であるが、
この成果は初期仏教に大いなる実りをもたらしそうである。
108 :
神も仏も名無しさん:2010/12/13(月) 22:25:31 ID:G/44yVbz
仏教って、悟りを開ければ、誰の教説でも構わないというのがベースでしょ。
人じゃなく法だから。
110 :
神も仏も名無しさん:2010/12/21(火) 01:31:36 ID:C3EamJWN
106 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/21(火) 00:34:32
仏説如来秘密金萬光教王経
序品
如是我聞一時佛住王舍城耆闍崛山中
与大比丘衆倶、与菩薩摩訶薩八萬人倶
与諸天子八萬人倶
仏説法華経已、入金萬光三昧
爾時仏放眉間白毫相光、遍照三千大世界、現諸神通相
而仏告上行菩薩、法華方便教而非真実了義教
真実如来秘蔵了義教、名金萬光教
仏滅末世、浮提東北粟散国中、一仏下生、名金萬光仏
上行、金萬光仏、末世真実仏、宣布真実了義教
何以真実了義、金萬光三字、是一切如来秘要、済度一切衆生、
至成仏道
金萬光仏下生時、伴一使者、名旦
此使者先讃法華名、後称金萬光三字、此一切如来意
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1292735895/
111 :
神も仏も名無しさん:2010/12/21(火) 01:36:48 ID:+O8OeFF0
test
113 :
谷口雅宣:2011/03/23(水) 09:59:16.89 ID:8zk2GKkB
『真の裕(ゆた)かさは愛の心にある』
意識の世界に於(お)いては物質の豊富よりも、
愛念のゆたかさによって、幸福の幅と広さと深さとが変わって来るのである。
物質の豊かさによる幸福は儚(はかな)いものであるけれども、
愛の豊かさによる幸福は、愛は神より来り、神は永遠の存在であるから、
永遠に消えることはないのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
114 :
神も仏も名無しさん:2011/03/28(月) 15:47:01.35 ID:tqykk4cq
日銀が一杯印刷しますから市中にはお金がだぶつき、インフレの方向になるでしょう。
企業は債券を発行して自己資本wp拡大して復旧、復興資金とするでしょう。
また、道州制が大きくクローズアップされるでしょうね。
そうして、東北六県の総合発展計画が推し進められるでしょう。
もちろん、日本全国も道州制に移行するでしょう。
国民番号制度が、実現するでしょう。
消費税が、26%になるでしょう。
年金が税金でまかなわれるでしょう。
企業の合併が進み、国際競争力を高めるでしょう。
アジアにおける通貨統合が現実化するでしょう。
世界のほうこうせいとしては、国家を廃止して、世界政府樹立が、緊急な課題になるでしょう。
世界政府になれば、国家間の戦争がなくなるのはもちろん、貧富の格差がなくなるでしょう。
管首相にも外務大臣を辞した前原さんと同じように外国人献金疑惑が今回の地震、津波で流れて、首がつながっている。
国会で法律を制定するのが政治家の出来る事。
私権の制限法とか、緊急の法律の制定が急がれる。
緊急と言えば、予算の通過か。
これが通らないと1兆円の予備費では何もできる事は無い。
復興費用には、約40兆円の費用が見込まれている。
これを国民一人あたりに換算すると、200万円になると言う。
国債発行で、まかなうしかないだろうと思われる。
復旧、復興は予算の裏付けが必要である。
原発のコントロールがゆっくりながら進んでいくと言う前提です。
株価は今後、1〜2年は上昇すると見込まれる。
消費税を26%へ上げる事、おもてだってこの事を誰も言い出していませんが・・・
政府を選択するについて、大きな政府、小さな政府と言う議論があります。
大きな政府と言うのはヨーロッパ各国が採用しています。
イギリスにおいて、「ゆりかごから墓場まで」と言う福祉政策が原点でしょう。
一方に小さな政府が対極にあります。
これは、政府は何もせず、自己責任でやっていきなさい、と言うことでしょう。
政府の役割が小さくなるのですから、税金は相対的に安くて済みます。
わたしは、大きな政府がいいな、と思いますが、選挙で政治が規定されるのですから、国民の選択にかかってきます。
決まったらそれに従うでしょう。
115 :
=気になる、全国の放射能濃度=:2011/03/28(月) 19:52:07.31 ID:sbOULljJ
116 :
五井昌宏:2011/04/13(水) 15:52:20.15 ID:6gilrtsy
『天地の一切のものと和解せよ、無限供給が現われる』
まず神と和解することが必要なのである。神の救(たす)けを得よう
と思ったら天地一切のものと和解した関係に入らねばならぬ。
神よりは善のみしか来らないと信ずることが神に対する和解の第一歩である。
神はわが親であり、わが供給であり給う。
神は決して人間の貧しきことを欲したまわないのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
ー住吉生長の家ー
^^
119 :
谷内雅春:2011/06/04(土) 16:20:01.95 ID:YIJ8/0Mq
『魂の生長に終わりはない』
人間は「もうこれで自分は完全だ」と思いあがってはならないのである。
実相の人間は神の子であって完全円満であるが、その完全円満さは、
まだ現実の世界に充分に発揮されてはいないのである。
人間の魂は決して行きどまることを知らないものだ。
無限に生長するのが神の子人間の姿である。
合掌
120 :
谷内雅春:2011/06/04(土) 16:48:54.06 ID:YIJ8/0Mq
『魂の生長に終わりはない』
人間は「もうこれで自分は完全だ」と思いあがってはならないのである。
実相の人間は神の子であって完全円満であるが、その完全円満さは、
まだ現実の世界に充分に発揮されてはいないのである。
人間の魂は決して行きどまることを知らないものだ。
無限に生長するのが神の子人間の姿である。
世界人類が平和でありますように
121 :
神も仏も名無しさん:2011/06/04(土) 18:15:53.49 ID:OmpgHsbS
99%偽者
つまり偽者
★★★エホバ=ヤハウェ=アラー=高橋信次=エル・ランティ★★★
(釈迦、イエス・キリスト、モーセはエル・ランティの意識の一部)
★★★大天使ミカエル=アポロ=エリヤ=マルティン・ルター=如意輪観音=高橋佳子★★★
どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。(1ペテロ5:11)
もしこの世界に、神のご支配が完全に実現したとなると、いったいどれほど大きなことが起こるでしょうか。
愛の神、聖なる神の御心が、完全に実現したとしたら、どんなにすばらしい世界になるでしょうか。
私たちは、神がこの世界を創造され、正しく導いておられることを知っています。
聖書にしばしば登場する「神の国」とは、私たちが死後に行く天国ではなく、
「神の支配が及ぶところ」という意味で、私たちのこの世界も神の国なのです。
しかし、この世界を見てみるなら、神の御心に沿わないことが起こっていることも事実です。
神は愛だと言いながらも、すべての人に神の愛が注がれているとはとても思えないのも事実です。
そうでなければ、この世界に戦争がなくなるはずですし、あらゆる犯罪もなくなるはずです。
なぜ神の支配が及ぶ世界でありながら、この世界は破滅に向かっているのでしょう。
それはこの世界に住んでいる人間が罪人であり、暗闇の支配者であるサタンが存在しているからです。
私たちの生涯において、神のご支配が及ぶためには、神の御心が実現していくためには、
まずは私たち自身が、神の前に悔い改めて、罪が解決される必要があります。
そして神の御心に対して、私たちも従順になる決断が必要なのです。
私たちは、自分の必要ばかりを祈りがちになってしまいます。もちろんすばらしい祈りですが、
まずは神との関係を第一としていきましょう。神の前に正直に罪を認め、悔い改めて、
その上で「神のご支配が世々限りなくありますように」と祈っていきましょう。
神との関係が第一となっていくとき、この世界で神の御心が実現することを求めていくならば、
私たちに必要な物も満たされていくようになるのです。神の前に、自分がどうあるべきかを求めていきましょう。
逆に1%の本物が何なのか知りたい
仏教には啓示はない。解脱だけを目的としている。救済の思想はない。
仏教は本来不立文字が本質である。
大乗経典は、全て釈迦とは何の関係もない。
最澄の法華経も、法然、親鸞が所依の経典である阿弥陀経も、
般若心経もみな、後人の作であって仏教ではない。
仏教には墓の概念さえない。もちろん超能力や、神通など論外である。
126 :
神も仏も名無しさん:2011/06/22(水) 09:24:06.42 ID:S80eNLQH
127 :
神も仏も名無しさん:2011/06/24(金) 13:42:42.39 ID:jNjr0mXC
仏教の経典が偽書かは断言できないが阿弥陀仏や地蔵菩薩などの大乗仏教の仏は100%架空だ
その仏たちは釈迦の後の人たちが考えた架空の仏
はっきり言って小乗仏教は修行によって救われると言ってるが修行では絶対に救われないそれは何故か救われた者が一人もいないからだ
>>122 宗教法人GLAの人たちに言いたい、あなたたちの教義は間違っている
修行によって救われたいと思うところが、
まだ随分先がながい証。
その発想も大乗的。
>>1 君は仏教というものが全く解っておらんようじゃな。
経は 「釈尊の覚り」 を与える力をもっているから、価値があるのじゃよ。
だから、直接の釈尊の言葉ではなくても 「仏説」 と考えて問題はないのじゃ。
130 :
神も仏も名無しさん:2011/06/25(土) 20:00:53.59 ID:CiFrDm5U
>>122 この書き込みが他の宗教スレでも見られるんだけど?
>>130 それは幸福の科学の会員による書き込みでしょう。
幸福の科学は仏教ではありません。似非仏教です。
大川氏が公言しているように、本当に霊能があるのなら霊能宗教として
価値もありますが、今回の大地震について何も予見できなかったことで、
霊能宗教ですらないことが暴露されてしまいました。
132 :
神も仏も名無しさん:2011/06/26(日) 12:59:32.57 ID:h8EoLkY9
>>131 ほうほうそうなんですか、
幸福の科学の大川氏は釈迦の生まれ変わりと言ってますが
釈迦は自分で生まれ変わらないと言いました
まさかこの宗教板、創価と幸福の科学とかに乗っとられたりしてませんよね?
133 :
神も仏も名無しさん:2011/06/26(日) 15:21:47.41 ID:h8EoLkY9
他の板でも新興宗教の宗教活動がみられます
他の板を調べて見たところ宗教とは何の関係もない板にも創価やらGLAやら霊波之光やらの宗教活動がみられます
わたしはキリスト教徒なので昔からある宗教に救いを求める人の気持ちはわかりますが
ああいう根も葉もないことをいう新興宗教に入る人の気持ちがわかりません
>>133 新興宗教だから悪い、ということは言えないでしょう。
仏教もキリスト教も元々は新興宗教だったのですから。
しかし、ウソがあってはいけませんね。 幸福の科学も大川氏が言う通りの霊能があれば
立派な宗教ですが、実際には何の霊能も持っていません。 阿含宗の桐山靖雄も、オウムの麻原も
ハッタリでした。
>>133 > わたしはキリスト教徒なので昔からある宗教に
> 救いを求める人の気持ちはわかります
ローマ・カトリック派(バチカン・カトリック派)ですか?
キリスト系と言うと
『ボランティア活動』と言うイメージがあるけど
ボランティア活動とか、やってるんですか?
>>133 カトリック系の
悪魔にとりつかれた人から
悪魔を追い出して正常な状態に戻す
エクソシスト(Exorcist)の儀式を
やった事ありますか?
137 :
神も仏も名無しさん:2011/07/02(土) 12:52:29.04 ID:/N51KDN4
>>135 いや、プロテスタントです。まだ信仰に入ってから二ヶ月です
>>136 プロテスタントでは悪魔とは呼ばず悪霊と呼びます
138 :
神も仏も名無しさん:2011/07/02(土) 16:05:48.29 ID:/N51KDN4
小乗仏教は釈迦の純粋な教えではないこれは後の人が作った考え方を仏教に取り入れたものである
大乗仏教はさらに後の人が作った仏教だ架空の仏を作り信仰している
仏教の経典はたくさんあるがそのなかに正確に釈迦の教えがあるのはごくわずかその中には
弟子たちが作った作り話や後の人が他の宗教を取り入れた経典がほとんど
今日の仏教に純粋な仏教はない
>>1 たとえ経典をすべて偽だと認めても世界から仏教が途絶えるだけだ
139 :
神も仏も名無しさん:2011/07/02(土) 16:08:12.41 ID:fFbs1hcP
釈尊の前に過去七仏がいるし、宇宙空間のどこかで知的生命体がいて
仏教と同じような智慧を発見しているかもしれない
仏教はそういうもんです
140 :
神も仏も名無しさん:2011/07/02(土) 16:36:15.54 ID:jdWwprrv
一仏一世界。
娑婆世界には本因妙の教主釈尊以外に仏は存在しない。
141 :
神も仏も名無しさん:2011/07/02(土) 17:03:15.92 ID:/N51KDN4
>>139 でも、それは釈迦の教えではなく弟子や後の人の教えです
過去七仏
大乗か?
143 :
神も仏も名無しさん:2011/07/02(土) 17:52:32.47 ID:/N51KDN4
じゃあ、中乗か?
145 :
神も仏も名無しさん:2011/07/02(土) 18:52:19.00 ID:/N51KDN4
>>137 > プロテスタントです。まだ信仰に入ってから二ヶ月です
> プロテスタントでは悪魔とは呼ばず悪霊と呼びます
レス、ありがとう、ございました
147 :
神も仏も名無しさん:2011/07/03(日) 22:40:20.94 ID:5OzDRbKw
>>145 過去七仏はパーリ仏典にもあるアイデア。
とにかく、ブッタ直伝以外は、
空想大河小説だもんなぁ〜。
> ブッタ直伝以外は、空想大河小説だもんなぁ〜
今のところ
『スッタニパータ(Sutta Nipata)がブッダに一番近い経典』らしいけど
スッタニパータ(Sutta Nipata)よりも古い『ブッタ直伝』の経典があるの?
> 現在最も古い経典と言われる
> スッタニパータ(Sutta Nipata)の中でも
> 釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろう
どこの部分が『釈尊の直接の言葉』なのか
ご教示ねがいます
新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
佼成出版社 2010/10
63ページ参照
スッタニパータの第4章と第5章は
ブッダに最も近い時代を伝えているとされている
64ページ参照
スッタニパータの第4章と第5章の中に
ブッダの金口直説もあるとの指摘もある
新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
佼成出版社 2010/10
この書籍には、どこの部分が
『ブッダの金口直説』なのかについての
記述がないので
どこの部分が『釈尊の直接の言葉』なのか
ご教示ねがいます
仏教には啓示はない。解脱だけを目的としている。救済の思想はない。
仏教は本来不立文字が本質である。
大乗経典は、全て釈迦とは何の関係もない。
最澄の法華経も、法然、親鸞が所依の経典である阿弥陀経も、
般若心経も華厳経もみな、後人の作であって仏教ではない。
仏教には墓の概念さえない。もちろん超能力や、神通など論外である。
154 :
神も仏も名無しさん:2011/07/06(水) 14:44:43.75 ID:W2au29LA
スッタニパータで古層とされているのは4章と5章。
パーリ語にあてはめられないマガダ語とみられる語彙が
スッタニパータにあるらしい。
まぁ、タイムマシンでもなければ釈迦の言葉そのまま
かという確認は無理だが……
大乗経典は、すべて釈迦とは何の関係もない。 富永仲基で、この説は現在も
論破されていない。
釈迦は、サトリをひらいてから、みずからを如来と称したが、べつに
えらぶってそう自称したわけでもなく、またその当時 如来ということばも
そのような神秘的意味はなかった。単に法(真理)と一体化した人、という
意味で、げんにこの人は、自分の死んだ高弟をよぶ場合も、如来という敬語
を使ったそうです。
大乗仏教では、釈迦は仏陀という真理そのものになる以前、一階級下の菩薩
の呼称でよばれていました。菩薩とは仏智を得るべく努めて、ほぼ完成に近い
段階の人ということです。大乗仏教以後、菩薩は観念化し、人を救うための
存在もしくは機能そのもになりました。
釈迦の仏教とは何も関係ないことです。
現代の新興宗教もすべて釈迦とは関係のないものです。
サトリ(解脱)などは、何億人に一人の天才にして可能なもので、
釈迦さんはどういうつもりで法をすすめてまわったのでしょうね?
過去も現在も未来においても解脱できたのは(できるのは)釈迦さんただ一人と
思わなかったのでしょうかね?
156 :
神も仏も名無しさん:2011/07/06(水) 16:48:07.73 ID:rPt8vL5Y
法を見るものは縁起を見る、縁起を見るものは法を見る
歴史上の釈迦と関係があるから大乗仏教を信奉しているわけではないんだよ。
大乗仏教がまず身近にあって、その先に釈迦があるわけでね。
だから、それは釈迦と関係ない仏教だ!といわれても、何とも言いようがない。
「実はお前は養子で、産みの母と父は別にいるんだ・・・」と告白されたようなもんだなw
これまで育ててくれたことを無視して、
いや、無視どころか、
今まで隠し、騙してきたことを責め、糾弾し、非難し、悪人悪行と見做し、
産みの親の元へ走るか否か? って感じ?
大乗仏教から始まって、釈迦の原点に戻るのも良かろう。
そのころには、
お寺はただのテーマーパークになってしまうが。
大乗仏教とは何か (シリーズ大乗仏教)
高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明
出版社: 春秋社 (2011/06/30)
松田和信
168ページ参照
樺皮巻物
ガンダーラ語のスッタニパータ
ガンダーラ語の 『 般若経 』 の写本
169ページ参照
最近発見されたガンダーラ語樺皮巻物写本は
紀元後一世紀を中心に書写された写本であると見なされている
>>160 の続き
168ページ参照
樺皮巻物
ガンダーラ語のスッタニパータ
ガンダーラ語の 『 般若経 』 の写本
169ページ参照
炭素14による年代測定の結果
数点については
紀元前一世紀に遡る数値を示す巻物もあるという
>>161 の続き
☆ おすすめの書籍 ☆
大乗仏教とは何か (シリーズ大乗仏教)
高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明
出版社: 春秋社 (2011/06/30)
この書籍によれば
『 般若経 』などの『 大乗経典 』も
かなり古い成立のものもあるらしい
>>162 の続き
下田正弘
189ページ参照
漢訳仏典は
時代としては
より古いものを直接に
反映している可能性が高い
190〜191ページ参照
現存する漢訳仏典は
古典サンスクリットではなく
俗語の特徴を反映している
>>163 の続き
『 スッタニパータ 』も
『 般若経 』などの『 大乗経典 』も
両方とも
ブッダ直伝の説法の記述がある
かもしれない
まずは
最寄(もより)の本屋さんなどで
大乗仏教とは何か (シリーズ大乗仏教)
高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明
出版社: 春秋社 (2011/06/30)
168〜169ページ
189〜191ページ
のところを、ご確認、下さいませ
>>163 一部ダウト。
>より古いものを直接に反映している可能性が
「直接」的反映なぞありえない。
ましてや中華思想(―それは、この時代から既に、梵文原典を廃棄した姿勢に端的に表われている―)の漢訳なれば・・・。
「古形、古要素、原初的エッセンス」ということであれば、パーリや他言語写本より古形を保持している可能性はあるが、
中国語への翻訳作業においては、(文章上、造語上、思想・感性上で)避け得ない加工が生じることを忘れてはならない。
>現存する漢訳仏典は古典サンスクリットではなく俗語の特徴を
「一部の漢訳仏典は」という限定付ならば。
たとえば、「あのくたら“さんみゃく”さんぼだい」などはサンスクリット(samyak)からしかありえんでしょw
また、圧倒的に「比丘」の例が多い中、「(草冠に必)芻」と訳されているものはサンスクリット「bhikSu」の反映じゃね?
>>164 >ブッダ直伝の説法の記述があるかもしれない
夢見過ぎw
ニュアンスとして、その内容・方向性として、“意図”が含意・残存されている可能性をみることはできるが、
「説法布教に際してのアレンジが、そこに加わっていない」なんて楽観視はとてもできない。
また、多種多様な言語の写本が、断片的とはいえ多く発見されることは、
大いに研究の躍進に繋がるだろうが、それでも、
「地方(インド外)への伝播」と「書写、編纂」が始まってからの話であり、
口伝状態をどれだけ維持できているかには注意しなければならない。
そうした各種写本は、《古形(或いは傍流の存在)を伝える》と同時に、
《異本間の差異が、歴史的伝播・分派の経緯をも伝える》ものでもあるから。
167 :
神も仏も名無しさん:2011/07/09(土) 14:00:26.73 ID:5aP1u4rI
〉〉159
大乗仏教から原点に戻るとさらに仏教がおかしくなる
大乗仏教は釈迦の無神論の教えから違いすぎてる
かもしれん。
原点 = 無宗教(無紳、無信仰)
だからね。
169 :
神も仏も名無しさん:2011/07/09(土) 17:47:51.38 ID:02vETqc6
>>166 い〜〜〜〜〜え、全ての経典が
釈迦の直伝です。(キリッ
(by縁起一代)
大乗仏教とは何か (シリーズ大乗仏教)
高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明
出版社: 春秋社 (2011/06/30)
下田正弘
188ページ参照
現在われわれが手にする
インド諸語で
書かれた仏典のほとんどは
漢訳仏典出現の年代から
はるかに遅れて
あらわれたものである
>>170 の続き
下田正弘
190〜191ページ参照
現存する漢訳仏典は
古典サンスクリットではなく
(古典サンスクリットよりも古いと考えられる)
俗語の特徴を反映している
>>171 の続き
現存する漢訳仏典は
(パーリ語よりも古いと考えられている)
俗語の特徴を反映している
かもしれない
新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
出版社: 佼成出版社 (2010/10/30)
並川孝儀
68ページ参照
漢訳経典の研究が見直され新しい知見を生んでいる
最近になって
『中阿含経』の帰属部派に関しては説一切有部中の古い伝承を保持する教団
『雑阿含経』は根本説一切有部
『別訳雑阿含経』は根本説一切有部に近い教団である
という見解などが提示されている
新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
出版社: 佼成出版社 (2010/10/30)
並川孝儀
67〜68ページ参照
チベット語訳の初期経典の研究
チベット語訳のみで伝えられる
『アビダルマコーシャ・ウパーイカー』の
全貌が明らかになり、新しい阿含経が開示された
近々、全訳が出版される予定であるが
この成果は初期仏教に大いなる実りをもたらしそうである
>>174 の続き
パーリとか、サンスクリット、だけではなくて
漢訳とか、チベット語訳の経典の研究も
かなり重要である
と言う事であるらしい
176 :
神も仏も名無しさん:2011/07/10(日) 23:19:47.75 ID:yJllZMRl
痛い話をいたします。
経典が書物にされた時代には釈迦の成仏法を
伝承した比丘、比丘尼は何処にも一人もいなかった。
伝承された方法が無いのだから有難いご利益を説くしかなかった。
仏の座する場所を礼拝し、仏を神と同様に思い込み供養するのである。
最古層に属すると思われる教典をいくら探しても、方法論は発見できないと
考察する次第である。
嘘を記述しているとの非難よりは、肝心の何かが抜けていると指摘をすべきなのだ。
177 :
神も仏も名無しさん:2011/07/10(日) 23:41:33.91 ID:MkBtWKZA
test
ワイド版 岩波文庫
ブッダのことば
スッタニパータ
中村元
出版社: 岩波書店 (1991/01/24)
1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解をうち破って
世界を空(くう)なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り超えることができるであろう
このように世界を観ずる人を
<死の王>は見ることがない
− − −
空観 − 空を観察する禅定(瞑想)
◎『 経典が書物にされた時代には釈迦の成仏法を
伝承した比丘、比丘尼は何処にも一人もいなかった 』
かもしれない
◎『 経典が書物にされた時代にも釈迦の成仏法を
伝承したものも有った 』
かもしれない
新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
出版社: 佼成出版社 (2010/10/30)
並川孝儀
63ページ参照
スッタニパータの第4章と第5章は
ブッダに最も近い時代を伝えているとされている
− − −
スッタニパータ 1119 の
空観 − 空を観察する禅定(瞑想)は
ブッダに最も近い時代を伝えている
かもしれない
181 :
神も仏も名無しさん:2011/07/12(火) 17:57:10.17 ID:QABLTDji
179どの経典にも成仏法は記述されて居ないだろう。
2000年間経典を読み続けた人たちが、仏の慈悲にすがった
理由は其処にあると考察する。
偶然に命中したらしい人も見受けるが記録が残存していない。
182 :
神も仏も名無しさん:2011/07/12(火) 17:58:57.77 ID:g9vROtzE
一つの世界には一人のブッダしか存在できない。
阿羅漢や菩薩は何人でも存在できるけど。
183 :
神も仏も名無しさん:2011/07/12(火) 19:16:07.73 ID:Y+uzxmdv
宗教自体が嘘の集まりだから、どちらでも良いんじゃない?
184 :
神も仏も名無しさん:2011/07/12(火) 19:17:52.78 ID:P2K9NZ+e
釈迦が解脱や成仏の方法を説いたと言われてるが
それは嘘でその思想は後の人が作った思想だ
◎『 どの経典にも成仏法は記述されてない 』かもしれない
◎『 どこかの経典に成仏法が記述されている 』かもしれない
◎『 釈迦が解脱や成仏の方法を説いたと言われてるが
それは嘘でその思想は後の人が作った思想 』かもしれない
◎『 釈迦が解脱や成仏の方法を説いた経典が残っている 』かもしれない
大乗仏教とは何か (シリーズ大乗仏教)
高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明
出版社: 春秋社 (2011/06/30)
松田和信
168〜169ページ参照
樺皮巻物
ガンダーラ語のスッタニパータ
ガンダーラ語の 『 般若経 』 の写本
最近発見されたガンダーラ語樺皮巻物写本は
紀元後一世紀を中心に書写された写本であると見なされている
炭素14による年代測定の結果
数点については
紀元前一世紀に遡る数値を示す巻物もあるという
大乗仏教とは何か (シリーズ大乗仏教)
高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明
出版社: 春秋社 (2011/06/30)
下田正弘
188ページ参照
現在われわれが手にする
インド諸語で
書かれた仏典のほとんどは
漢訳仏典出現の年代から
はるかに遅れて
あらわれたものである
190〜191ページ参照
現存する漢訳仏典は
(古典サンスクリットよりも古いと考えられる)
俗語の特徴を反映している
スッタニパータ 1119 の
空観 − 空を観察する禅定(瞑想)と
『 般若経 』などの『 大乗経典 』は
基本的な相互関係があるかもしれない
スッタニパータ 1119 の
空観 − 空を観察する禅定(瞑想)によって
『 般若経 』などの『 大乗経典 』の
『 空の悟り 』に到達する事が出来るかもしれない
>>1 真仏教徒
> 現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら
> 釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある
◎『 数行に残る、釈尊の直接の言葉 』と
◎スッタニパータ 1119 の
空観 − 空を観察する禅定(瞑想)と
◎『 般若経 』などの『 大乗経典 』は
基本的な相互関係があるかもしれない
192 :
黒神:2011/07/14(木) 14:13:20.75 ID:Aygd/qbq
僕が神なのだ☆きらりん☆
真実を伝えるのだ☆きゃるん☆
宗教は底辺脳味噌腐れ人間が生んだんだよぉ☆ちゃらりん☆
インチキインチキ
194 :
神も仏も名無しさん:2011/07/16(土) 02:01:40.12 ID:PHlz+VpD
>>169 「感得」で処理してたでしょ、彼。
聖者が法を聴いて文書化したのが大乗経典。
スッタニパータ 874
…想いなき者でもなく
想いを消滅した者でもない
−
このように理解した者の形態は消滅する
けだしひろがりの意識は
想いにもとずいて起こるからである
− − −
無所有処
所有するものは何もない − 徹底した無執着の状態
非想非非想処
想うこともなく想わないこともない − 無所有処の次の段階の禅定(瞑想)
>>1 > 現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら
> 釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみ
◎『 釈尊の直接の言葉 』と
◎スッタニパータ 874
『 想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない 』と
◎スッタニパータ 1119
『 空観 − 空を観察する禅定(瞑想) 』と
◎『 般若経 』などの『 大乗経典 』は
基本的な相互関係があるかもしれない
197 :
神も仏も名無しさん:2011/07/20(水) 19:05:46.23 ID:zCWVr89q
時間の無駄やし高額のお金がかかるんじゃないの?
198 :
神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 14:15:35.93 ID:U+hu9rbd
宗教の増加傾向
キリスト教 2000年前から増加は止まらない
仏教 チベット仏教は減少にあるがインドでは増加している
イスラム教 完全に国で強制なのでわからない
>>197 何に対して『 時間の無駄やし高額のお金がかかる 』のかしら?
>>198 どのような理由で
『 2000年前からキリスト信者が増えるているのか? 』
その理由が分かれば、ご教示願います
200 :
神も仏も名無しさん:2011/07/25(月) 20:15:10.13 ID:kXKn7HUO
>>198 イスラム国ではほぼそうですが、ヨーロッパとかでは自発的な改宗も多いですよ。
キリスト教は、カトリックの場合は衰退中ですね。
ヨーロッパでは世俗化とイスラム等への改宗、
南米では福音派への改宗が顕著にみられるようになりました。
202 :
神も仏も名無しさん:2011/07/27(水) 09:52:52.47 ID:9q3ech9R
>>199 それはわかりません
しかし新興宗教からキリスト教に改宗する人が
増えてます
204 :
神も仏も名無しさん:2011/07/30(土) 15:03:43.86 ID:8+4BcTp4
今、釈迦の直伝や釈迦の直弟子の
経典はない
最近、ブッタの言葉っていう書物や
釈迦の言葉についての書物が売られてるけども
今、釈迦の言った言葉を収めた経典はないから
そういう本は釈迦の言葉を収めた本じゃなくて
釈迦の後の人の言葉を収めた本ということになるね
>>1 真仏教徒
> 現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら
> 釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある
真仏教徒さんの記述によれば
『 釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るという研究結果すらある 』
と言う事であるらしい
例えば
スッタニパータの中に仏陀直伝の説法があるかもしれない
新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
出版社: 佼成出版社 (2010/10/30)
並川孝儀
63ページ参照
スッタニパータの第4章と第5章は
ブッダに最も近い時代を伝えているとされている
64ページ参照
スッタニパータの第4章と第5章の中に
ブッダの金口直説もあるとの指摘もある
207 :
神も仏も名無しさん:2011/08/03(水) 18:28:03.35 ID:BTQph0Ph
私はキリスト教徒です。最近幸福の科学などの非仏教な宗教や
キリスト教でも異端がありそのほかにもカルトなどの
新興宗教が増えています
皆さんは新興宗教の増加をどのように考えていますか?
>>207 どのような、きっかけで
どのような、心の変化によって
キリスト教徒になったのですか?
さしつかえの無い程度に、ご教示願います
これは、私の
仏教の対しての勝手な解釈なのですが
『 仏教は、禅定(瞑想)によって、輪廻からの解脱を目指す 』
と言う事である、と考えていますが
『 キリスト教徒は、何を目指す? 』 のでしょうか?
さしつかえの無い程度に、ご教示願います
キリシタンはパラダイス行くために
サタンの誘惑を断ち切り、神の子を目指すんだよ
211 :
神も仏も名無しさん:2011/08/08(月) 13:10:56.89 ID:9xAyyp/a
>>208 わたしはキリスト教に入るまえ
オカルトや他宗教にのめりこんでいました
あるサイトでキリスト教を知ったときこれが真の救いだと確信しました
そうやってクリスチャンになりました
>>209 目指すと言うかもう信じた瞬間から救われたので信仰を深めていくことを目指します。
キリスト教読み物サイトで検索してそのサイトにいけばよくわかります
あと私の質問にも答えてくださいね
お願いします
>>207 > 新興宗教の増加をどのように考えていますか?
例えば
オウム真理教の場合は
殺人事件の加害者の信者がいたり
教団内の中で
殺害されたりした信者がいたりした
と言う事である
と考えています
213 :
神も仏も名無しさん:2011/08/08(月) 22:26:15.59 ID:GGCSt5jH
つまり何も考えてないに等しいということか
新興宗教の増加によって
オウム真理教のように
殺人事件の加害者とか
教団内の中で
殺害されたりする信者などがいる
宗教団体が又
新たに出現する可能性は有る
と考えています
新興宗教に入信する場合には、自分自身が
オウム真理教のように
殺人事件の加害者とか
教団内の中で
殺害されたりする信者などに
されたりしないように
気を付けた方が良い
と考えています
>>211 > わたしはキリスト教に入るまえ
> オカルトや他宗教にのめりこんでいました
私は今、現在でもオカルトに傾倒しています
アセンション(ascension) − 上昇、即位、昇天を意味する
昇天(The Ascension)
『 惑星地球の、より高い霊的世界への上昇 』
アセンションとは人間もしくは
世界そのものが現在の物質的世界から
より高い霊的世界の存在へと『 上昇、昇天 』する
と考えています
>>211 > あるサイトでキリスト教を知ったときこれが真の救いだと確信しました
私には、キリスト教についての教養が無いので
なぜ『 キリスト教が真の救いだと確信できた 』のか?
私には理解できません
>>211 > キリスト教読み物サイトで検索してそのサイトにいけばよくわかります
今の所、キリスト教には興味が無いので
『 検索してそのサイトにいこう 』とも
考えていません
これは、私の
仏教の対しての勝手な解釈なのですが
『 仏教は、禅定(瞑想)によって、輪廻からの解脱を目指す 』
と言う事である、と考えていますが
今の所は、本当に
『 禅定(瞑想)によって、輪廻から解脱する事が出来るのか? 』
と言う事に興味が有ります
221 :
神も仏も名無しさん:2011/08/09(火) 11:42:57.82 ID:cT0vBirz
>>216 オカルトというか、ニューエイジ。
伝統宗教の本読んだほうがいいですね。深さが、まるで違う。
>>217 体験的なものは、他の人にはわからないでしょ。
共感できる教義が一定数以上ありました→はい改宗、というものではない。
「キリスト教読み物サイト」には共感できる要素が何ひとつありませんが、
(私は日本正教会の公式サイトのほうが好きですね)
人によってはひかれるところがあるのでしょう。
222 :
神も仏も名無しさん:2011/08/09(火) 11:52:55.47 ID:cT0vBirz
>>221 > 伝統宗教の本読んだほうがいいですね。深さが、まるで違う。
仏教の、南伝、北伝、チベット伝、などは、解説書などで勉強中です
> 体験的なものは、他の人にはわからないでしょ。
何か『 不可思議な神秘体験が有った 』のですか?
ちなみに、私は
現代科学(物理学)の言葉で説明する事の出来ない
『 神秘体験、肯定派 』です
どのような、きっかけで
『 キリスト教が真の救いだ 』と言う
『 体験 』をしたのでしょうか?
224 :
神も仏も名無しさん:2011/08/09(火) 18:31:36.92 ID:c/xZXoSx
>>223 >何か『 不可思議な神秘体験が有った 』のですか?
そういうのとは限らない。要は感じ方(感動の仕方)の問題。
良い神父や牧師や先輩信者に出会って神の導きを感じても、
不思議な出来事に出くわして神の導きを感じても、それは等価。
スッタニパータ 1103
上にも下にも横にも中間にも
執着する妄執を除き去れ
世の中の何ものに執着しても
それによって悪魔が
その人につきまとう
− − −
スッタニパータ 1103 の場合は
渇愛(タンハー)によって
変化的生存が輪廻を繰り返す
人を再生させる五蘊の魔のことを
『悪魔』という設定にしているようだけど
キリスト教的には
『悪魔』ってどんな感じでしょうか?
キリスト教は
『輪廻否定派』でしたっけ?
ちなみに
『般若経』などの『大乗経典』とか
『スッタニパータ』などは
かなり古い成立の経典であるらしいので
ブッダ直伝の説法にかなり近い
記述があるかもしれない
キリスト教のような経典宗教の場合経典そのものに絶対性を置くため偽書の問題が生ずるが、
仏教は内的体験に絶対性を置くのであまり重要な問題ではないと思う。禅なんて不立文字とハッキリ
言ってるくらいだし。1のような人は宗教について少しは自分なりに探究してからスレを立てるべきじゃないか?
229 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 13:31:15.96 ID:oMqEoEmU
・キリスト教の独善を決定付けたローマ教皇無謬説
・「先住民はキリスト教を歓迎した」と放言したベネディクト16世
・イスラムは「邪悪」と決め付けた時代錯誤のローマ教皇
・他宗教を「不完全」と断定した教皇ヨハネ・パウロ2世
・ヨハネ・パウロ2世が承認した悪魔払いの儀式
・世紀の大犯罪に沈黙を続けたヨハネ・パウロ2世
・ヨハネパウロ2世暗殺未遂の真相とは?
・「女性である事を恥じよ」と述べた教皇クレメンス一世
・イスラムは悪魔の仲間と断定したヨハネス8世
・戦争に行けば罪は赦されると説いたウルバヌス2世
・教皇の位を金650キロで売り飛ばしたベネディクトゥス9世
・教皇インノケンティウス3世の絶対的自己矛盾
・パリ大学での市民法の講義を禁止した教皇ホノリウス3世
・イスラムに寛容だった皇帝を破門した教皇インノケンティウス4世
・ペストを大流行させた教皇インノケンティウス8世
・一日で5000人以上虐殺して大喜びした教皇グレゴリウス13世
・ヒトラーを褒めたたえた教皇ピウス12世
230 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 14:46:33.97 ID:IUa04Wci
>>229 カトリックの教皇は悪いことばっかりしてるね
カトリックは最初の教皇はぺテロといってるけど
それは真っ赤な嘘だよ
カトリックの本当の最初の教皇はいい人でキリスト教の教えを守る
ちゃんとしたクリスチャンだったのにね
マザー・テレサもカトリックだったしね
>>229に書いてある教皇はキリストの御名を使って悪行をする人や
キリスト教を信じてもないのに教皇になった人たちだね
教皇が悪いからキリスト教の教えも悪いと思う人がいるけど
それは誤解でただ単に彼らがキリスト教の教えを重んじてないだけだよ
231 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 14:51:55.55 ID:IUa04Wci
>>227 いくら仏教の経典を探求しても
結果的には経典の99%は偽書で1%がちゃんとした釈迦の教えだね
232 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 15:48:18.53 ID:YNkCPPez
>>229 教皇不可謬説の意味を確認してきたほうがいいとおもいます。
233 :
神も仏も名無しさん:2011/08/24(水) 21:21:24.49 ID:oMqEoEmU
・宗教改革の指導者ルターは実は悪魔を信じていた!
・カトリック以上に腐敗していた宗教改革の内実
・「新約聖書」を意図的に誤訳したマルティン・ルター
・論敵を生きたまま火炙りにしたジャン・カルヴァン
・イリノイ大学が暴いたルター作曲賛美歌の嘘
・国王の離婚問題でイギリスはカトリックから離脱した
・ピューリタンが国教会に刃向かった本当の理由
・カトリックを批判すると墓を掘り起こされる
・プロテスタントとカトリックで繰り広げられた殺戮合戦
・宗教改革で逆に勢いづいたカトリック教会
・重税を負わされた農民たちを非情にも裏切ったルター
・むやみに改革を進めて自爆したツヴィングリ
234 :
神も仏も名無しさん:2011/08/25(木) 01:38:12.35 ID:MtnwYaZr
・校舎の解放と課外活動を攻撃したカトリック教会
・教皇の奇跡で難病が治ったとアピールする修道女
・「ハリーポッター」を読まずに「禁書式」を行った牧師
・マンガで布教を目論むキリスト教系出版社
・イギリス国教会「U2」を、ドイツ教会はラップを活用?
・「ダヴィンチコード」の発禁を狙ったキリスト教会
・「ダヴィンチコード」を買うなと呼びかけたジェノバ大司教
・チョコレートで教会に誘い込むイギリス国教会
・テレビ広告で信者を集める合同メソジスト教会
235 :
神も仏も名無しさん:2011/08/25(木) 08:32:59.01 ID:MtnwYaZr
・キリスト教は近代文明の源流となったという大嘘
・議論の中止と反知性の暴力で実権を握ったキリスト教会
・アレクサンドリア図書館を破壊し歴史を捏造したキリスト教徒
・ペストは神罰であると説いたキリスト教会
・キリスト教徒は腐臭がするという歴史的事実
・キリスト教が実践したオカルト医学の大量殺人
・ローマ教皇庁が偽造したコンスタンティヌスの贈与証書
・教皇庁で教えられる「エクソシスト」の実態
・医学的知識のある女性がキリスト教に抹殺された理由
・キリスト教社会よりはるかに進んでいたイスラム社会
・ローマ教皇の言葉に著作権をという強欲教皇庁
・映画「最後の誘惑」を総攻撃したキリスト教徒
236 :
神も仏も名無しさん:2011/08/25(木) 16:30:47.16 ID:MtnwYaZr
・原罪は遺伝する? 珍説を教義化したアウグスティヌス
・エイズに対する偏見を世界中に広めるキリスト教会
・幼児にセックスを強要! 卑劣なカトリック教会の犯罪
・キリスト教の司祭に変態が多いのはなぜ?
・史上最悪のセックス教団 カトリック教会の実態
・組織ぐるみで性犯罪を隠蔽したアメリカのカトリック教会
・ロリコンホモのキリスト教神父を救った「キリストのあわれみ」
・2000人の変質者が教会で聖職者稼業を行っていた
237 :
神も仏も名無しさん:2011/08/25(木) 18:18:42.35 ID:5v5h8He7
テーラガーターとテーリガーターが、現存の経典では最古層に
なるのでしょう。
修行の実地体験を語る仏弟子の記録は岩波文庫をお読みください。
修行者は地味な生活で人目に触れない場所を選び、瞑想定と苦行を
自らに課したのです。
四分律にも僧が釈迦の指導を受けた様子が活き活きと髣髴とさせる記述があります。
また性の問題をどのように取り扱い指導したのかなども判ります。
238 :
神も仏も名無しさん:2011/08/25(木) 20:28:15.42 ID:1hDbj+PF
キリスト教は他でやれ
239 :
神も仏も名無しさん:2011/08/27(土) 16:49:30.68 ID:PdTqoKph
240 :
神も仏も名無しさん:2011/08/27(土) 20:57:24.16 ID:z5DA/4K+
他者を批判することによって、自らの立ち位置を確認するにわかキリスト教徒は
カソリックの司祭にそれを言う勇気があるか?無いだろうよ だからここに来て
オダをあげるのである。
244 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/28(日) 00:21:21.06 ID:/6g9DvGd
―言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいのです―(神々との対話)
―見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り―(感興のことば)
―離欲を達成したからには、見たことでも、聞いたことでも、考えたことでも、すべて知った上では捨て去らねばならぬ―(悪魔との対話)
不死の境地・生きながら彼岸に到達
―愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。かれらには無が有であるかのごとくに見られている。真理を見る人には何ものも存在しない。人々は自我観念にたより、また他人という観念
にとらわれている〜実にかれらはそれを身に刺さった矢であるとは見なさない―(感興のことば)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―
―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
不死の境地を知った者は、離欲を達成し、森に住み心静まりという修行者が信仰対象であると知る。そういった所で楽しむことが、清浄状態に近づく。常にそういった場所で離欲を達成する修行を
行えば、生きながら不死の境地に近い状態となるか、完全となり神通力を得る可能性もある。妄執を乗り越えればよいのである。
245 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/28(日) 00:23:20.76 ID:/6g9DvGd
― 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜何ぴとをも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽ん
じてはならない〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの意を起こすべし〜この世では、この状態を崇高な境地であると呼ぶ
―(ブッダのことば)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない。かれに過失(道から外れること)は存在しない―(神々との対話)
―信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る〜その豊かな功徳の流れは、施しを与える
人に、降り注ぐ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する―(感興のことば)
―悪いことをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(=天)に生まれるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう―(感興のことば)
妄執を乗り越えた世界は「空であり無相」世界であることを知り、このような生存状態はなく、無量の慈しみである。神通力もある世界。無意識の内にある生ける者の幸福と安穏・安楽な暮らしの
ために努力すること。人々が自分の欲得を心得て生きるなら、この世も害われる。
しかし、何もしないでも離欲を達成し、安らぎを楽しめば、人の状態を乗り越えた勝利者である。
246 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/28(日) 00:25:08.29 ID:/6g9DvGd
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
生ける者の幸福や安穏・安楽に努める人々、衣食住のない人々に衣食住を、貧窮なる人々への配慮がある世の中は、妄執に従わず、一切の生きとし生けるものの、幸福・安穏・安楽を思う心に通じ、
神通力世界に通じ、世間に幸福と安穏・安楽をもたらす。金だけを思ったり、私利私欲に生きる人々が多いと、世間に苦難をもたらす。暴力や他人を見下し、他人の過失を見て、自らしたことと、し
なかったことを見ない人も同様である。
―世の中は泡沫のごとしと見よ。世間はかげろうのごとしと見よ〜身体は泡沫のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ―(感興のことば)
遠ざかり離れた止滅の境地は、「有るものも無く、何ものも存在しない」世界であるが、世間で慈しみのこころづかいあり、他者への配慮ある人々の世は光輝き、何もしないでも離欲を喜び、
悪から離れ、安らぎを楽しむ者は、清浄な者に近づく。
何か信じたいなと言って信仰しようとする人々も、実際は離欲と安らぎ・平安の境地しかない。
247 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 02:05:45.99 ID:XRVpAH0+
>>246質問です、老いてから身に病無く、なすべきことは
成したゆえにもう欲も無くなった自分は心安らかに死ねる。
これが貴方にして見れば理想の人生に見える様なのですが?
248 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/28(日) 08:40:20.96 ID:/6g9DvGd
―生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない―(真理のことば)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしてい
る― 生きながら清浄な世界の彼岸を大切にすること。
自殺・過労・病気・健やかな心・隣人との信頼関係
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは見えたからである―(ブッダのことば)
煩悩の汚れのない神通力世界をいつも最も善と信仰することで、身体・世の中での活動による苦悩回避を心がけ、過労・過労死をなくする。病気の時、貪りから離れ、安静にして自然に神通力世界を頼ろう
とするように、心を軽やかにして病にならないよう気をつけること。一切の事物は我ならざるものであり、悪いことに思い悩んだり、動揺したりせず、精神を安定させて適確な判断をすること。
煩悩の汚れのない仏を一番正しい者と常に心がけ、何事も思い煩わない心を大切なものとし、自己に囚われ、何を考えているかわからない人間をなくすること。
震災などでも悲観的な暮らしをせず、―われらは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
森や林で狂おしい悩みのない者のほうが、永遠で神通力世界に近い。私には財があると思って思い煩っている者よりも、自己が自身ではないと知っている者のほうが素晴らしいのである。
―森は楽しい〜かれらは快楽を求めないからである〜欲求を捨て去った人、かれこそ実に最上の人である―(感興のことば)
249 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/28(日) 08:41:31.09 ID:/6g9DvGd
これが仏の教えである
―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する―(感興のことば)
―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)―誠実をつくして名声を得、何ものかを与えて交友を結ぶ―(ブッダのことば)
―ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事をなさないで、もしも飲食豊かな富んだ家に住んでいるならば、信あり、柔和で、よく分かち与え、温かい心でいるならば、これらの四つの事柄に
安住している人は、来世を恐れる要がない―(神々との対話)
―苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平等である―(ブッダのことば)
衣食住のない人々に衣食住をといって働く。貧窮なる者への配慮、格差是正なども仏の現れ。被災者への義捐金、ライフライン、一切の生きとし生けるものの幸福と安穏・安楽の行為は、全て妄執
を乗り越えた清浄な心とともに在る。
250 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/28(日) 08:42:27.81 ID:/6g9DvGd
健康で智慧のある人
―自分を楽しませ、喜ばせ、父母〜妻子〜友人〜楽しませ、喜ばせ〜愚劣な人が富みを得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健き人・智慧のある人は、富を得たならば、自ら用い、またなすべ
きことをなす―(神々との対話)
仕事をして財を得たら、自分を楽しませ・・必要以上に多くの財を抱え込まない。自制することに気をつけ、適当に使う。
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ―(ブッダのことば)
修行完成者・妄執を乗り越えた境地に反する人々・国家は世の中でも苦しみをもたらしている。
富んだ人が自ら用いず、貧窮なる人々にわかち与えない。幸せを求めて生まれてくる世の中の人々に、神通力世界から離れ、苦悩を生み出している原因となっている。
252 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 18:36:04.61 ID:IWWGQ4qr
>>240 カトリックの司祭でいい人はとてもいい人だが
悪い人は悪すぎる(悲)
253 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 18:40:12.55 ID:IWWGQ4qr
>>241 おい この掲示板キリスト教議論の掲示板じゃないぞ
254 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 18:43:08.28 ID:IWWGQ4qr
255 :
神も仏も名無しさん:2011/08/28(日) 19:56:41.61 ID:XRVpAH0+
サタンもキリストも去れ!
おまいらは他所へ行って営業しておくれ
256 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/29(月) 22:16:07.38 ID:ELtHLg/A
―修行僧たちよ〜天界のきずなであろうとも、人間のきずなであろうとも、すべてのきずなから解き放たれている。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸せのために、世間の人々をあわれむために、神々お
よび人間の利益のために、幸せのために、遍歴をなせ。一つの道を二人で行くな〜完全で浄らかな清浄行を顕示せよ―(悪魔との対話)
―われらは、何物ももっていないが、さあ、大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となるだろう―(悪魔との対話)
信仰となる存在は、五欲の対象も苦しみである、それから離れよ、物質的な喜びも捨て去って喜び生きることを強く望んで教えるだけである。
しかし、釈迦と修行僧が―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)
そして離欲を達成し楽しく生きている。
そして世間の人々は、
―孤独の味、心の安らいの味をあじわったならば、熱のような悩みも無く
―眼のある人は、不平等のようなことがらに勇敢に打ち克つ。たとい何かが存在していても。賢者は、この命あるものどもの世界において、悪いことがらを全く避けるべきである―(感興のことば)
世間で人間の幸せのために生きる人々にとって、神など他者への信仰は全くできないということを知っている。その人自身が、貪りを捨て森や林などを楽しみ、心の安らいを味わって、この世の苦悩から離れ
るしかない。
―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)から、貪らず静かに暮らしている人ほど善に近く、愚かでも恥でもない。むしろ勝利者に近い。
257 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/29(月) 22:17:27.23 ID:ELtHLg/A
多くの人々の利益や幸せのために
究極の理想に通じた人が平安の境地に達して、一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
一切の生きとし生けるものをあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない
すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する 学び修めた賢明な人
母が己が独り子を命を賭けても護るような慈しみはこの世では崇高
たとえば、海に溺れている他人の子供を、命を賭けても助けようとした人は素晴らしいと感じる。そのように、慈しみのこころづかいは平安の境地に通じ、世間に悩み苦しみをもたらせる妄執を乗り越え
素晴らしいものだ。一切の事物は我ならざるものであり、―しかしすでに自己が自分のものではない―(真理のことば)自己という我ならざるものの貪欲に従わず、生ける者の幸福と安穏・安楽な暮らしに
努めれば、人々はこの世で幸福と安穏・安楽な暮らしをつくるであろう。
人間の幸せは人間がつくらねばならないが、慈しみのこころづかいに反し、愚劣な人が富みを得ても自ら用いることなく、あれば使うかもしれない貧窮な人々、未来のためにあくせくしなければならない人々に
対して配慮がないと、幸せを求めて生まれてくる人々の世の中(色界・物質界)が楽しいものではなくなる。
258 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/29(月) 22:19:16.70 ID:ELtHLg/A
―人のいない荒野に清冷な水があっても、それを飲まぬならば涸れて消え失せるように、愚劣な人が富みを得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健き人・智慧のある人は、富を得たならば、自ら用い、
またなすべきことをなす―(神々との対話)
愚劣な人は物や金、自己の考え(思考・意向も六つのひとつ)に囚われ、一切の生きとし生ける者の幸福と安穏・安楽な暮らしを考えることができない。
―世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である―(ブッダのことば)
暴力や怠惰はためにならないと知った世間である。生けるものをあわれんでわかち与えることを大切としなかったために、世間に苦悩が現れた。
>>231 もしもあなたが言う偽書に従って悟りを開いてしまったらそれはどうなるの
◎三十七菩提分法(三十七道品)
中阿含経などに説かれた、仏教で
悟りに至るための三十七の修行法
四如意足(四神足) 四つの自在力
◎欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
◎精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
◎念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
◎思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)
− − −
四如意足(四神足) 四つの自在力 と
信仰、念(おも)い、精神統一、意欲、努力によって
輪廻から解脱する
− − −
ブッダの瞑想の場合は
たとえば
数息観などの
呼吸法とか禅定(瞑想)法
というような基本的なものが
あるらしい
スッタニパータ 1026
無明が頭であると知れ、明知が
信仰と、念(おも)いと
精神統一と、意欲と
努力とに結びついて
頭を裂け落させるものである
◎『般若経』などの『大乗経典』とか
『スッタニパータ』などは
かなり古い成立の経典であるらしいので
ブッダ直伝の説法にかなり近い記述がある
可能性があるかもしれない
263 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/30(火) 20:28:21.60 ID:ax3ccX8W
―安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る―(ブッダのことば)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
―この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性であると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう―
―世の中は泡沫のごとくと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない―(真理のことば)
離欲を達成し、自己のこと、世の中のことへの執着を捨てようと熱心に努力し、静けさを楽しみ、ただひたすら安らぎを喜んでいれば、死後もそこに安住できる。
―信仰あり在家の生活を営む人に〜もしもこの世に誠実、自制、施与、耐え忍びよるもさらに勝れたものがあるならば―(ブッダのことば)
世の中のことを捨て、この身のことを捨て、静けさを目指し、ただ安らぎを喜ぶことに熱心になれば、
―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話) 妄執を乗り越え、生存状態に戻ることはない。
論じ合うまでもなく、そのままなのである。 信仰あり在家の生活を営む人は、生存状態に戻ることになる。
264 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/30(火) 20:30:27.51 ID:ax3ccX8W
―わたしは、世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない〜意識もそなえ心もあるこの一尋の身体に即して、世界そのものと、世界の生起と、世界の止滅〜
世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない〜世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となろう―(神々との対話)
離欲を達成し、静けさを目指す出家修行僧しか―諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎
に宿ることがないであろう―になれない。
―われらは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
神々も離欲を達成せよ、世の中のことを捨てよ、静かな安らぎに安住して二度と生まれない者となれと説くだけで、人間を助けることはない。
―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した― 妄執に従い人間の思いを得させたのは、
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―
人間の幸せを得ようと熱心にさせ、人々に必要な物を得させるため。妄執を乗り越えた清浄状態なら、欲もなく神通力があり、働くこともない状態である。
在家の生活を営む人は、人間のままでいるしかない運命となる。
265 :
神も仏も名無しさん:2011/08/30(火) 20:46:17.23 ID:gb1M78qu
>>259 旧来の技術部分をまねたのなら、ありえない話ではないですね。
既存のものに自説を上乗せしただけなので、少なくともある域にはいける、
かもしれない。メソッドをなぞる上では一応問題はないかもですね。
メソッドが歪められたとしても、その状態で宗教としての「伝統」を
築くほどのクオリティはある。それはそれとして優れた技術といえます。
266 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/30(火) 21:12:55.67 ID:ax3ccX8W
解脱の境地を体験し仏典を読み、妄執に導かれて人間の思いに戻り、神々とも対話したから、
離欲を達成しようと努力し、ただ静けさを楽しみ、自己と世の中への思いを捨て、ただ安らぎを喜んでいれば安らぎに至り、
人であることを喜んでいるから人となり生まれる。
清浄なもののように、邪まな見解を捨て、生ける者の幸福と安穏・安楽に人々が努めれば、人々がこの世で幸福と安穏・安楽な暮らしをつくり、それができる。
―その人の見識が真っ直ぐであるならば、その人を貧しからずと呼ぶ―(悪魔との対話)
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは見えたからである―(ブッダのことば)
―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)―誠実をつくして名声を得、何ものかを与えて交友を結ぶ―(ブッダのことば)
願い求める欲念がある人々より、世の中や自分に対する思い煩い、こだわりを捨てて喜んでいる人のほうが清いし、だれも自分のために仕事をしてくれる人々がいるのではない
と働く人は邪まな見解を捨てている。
267 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/31(水) 22:15:29.39 ID:RgYoKedL
法は他者ではなく、私たち人間のただ中にある。
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
一切皆苦を知り、この身と世の中を厭い離れた境地のように、自己からくる思いから離れようと努め、世の中のことを厭い離れ、静けさを楽しみ、安らぎを喜ぶ。ただひたすら安らぎ
を喜び、精神を集中・安定統一していれば、諸々の欲望に関する貪りを除くなら、妄執を乗り越え、死後も人間の状態になって生まれることはない。
―妄執が人を生まれさせる、人の心が走り廻る。生存するものが、輪廻に堕している。人は、苦悩から解脱しないのである―(神々との対話)
解脱の境地を見(体験し)妄執を乗り越え、輪廻しないようになることがいかに難しいか知っているし、―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取る―ことで離欲を達
成し、安らぎに喜び、死後も安らぎを喜び苦悩から解脱できることが本当のことであると知っている。
268 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/31(水) 22:16:55.85 ID:RgYoKedL
私たちのただ中にある法は、この世で生き続ける人々でも同様
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一
切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダのことば)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない。かれに過失(道から外れること)は存在しない―(神々との対話)
―信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―
―この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退ぞけ、他人が与えようとするのを妨げる人々、かれらは、地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる―(神々との対話)
―悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(=天)に生まれるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう―
(感興のことば)
269 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/08/31(水) 22:18:34.64 ID:RgYoKedL
妄執を乗り越えた無量の慈しみから出た言葉は、この世の生存者だから関係ないということはない
衣食のない人々に衣食を、住む所もない人に住む所を、貧窮な人への配慮があり、しかし、乞う者を罵り退け、他人が与えようとするのを妨げる人は悪いという心がある。
その心に従い、善いことをした人々は善いところ、悪い行いをした人々は地獄におもむく。
信仰対象は、妄執を乗り越えた自己でない所の境地でしかなく、形としては世の中から離れ、離欲を喜び、この世でもその安らぎに近い「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一
食を取るだけ」ところで修行した修行僧。―孤独の味、心の安らいの味をあじわったなら、熱のような悩みもなく―という現実もある、
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった―健康的な心もある。
そこから、苦しみもあるこの世(世間)に耐え、生ける者たちの幸福と、安穏と、安楽な暮らしのために努力する人々。
誠実に働こうとせず、人間の貪欲のために、人々の幸福と安穏と安楽な暮らしを害ってもよいと考える人により、世の中は害される。
270 :
神も仏も名無しさん:2011/09/02(金) 01:33:53.63 ID:ZF4+DWvD
前にも少し同内容の書き込みをしているが復書きましょう。
仏典の99%は偽経、偽書、です。
これは何故そうなったのかと考察すると、仏に成れなかったグループの学問僧侶が
文字化の仏典を書き記したので仏に対する賛嘆や供養する功徳を只管言っているだけなのである。
仏に成る方法を欠落と欠損させたまま、仏語録と銘打ち世間に流通させた罪は莫大である。
解りやすく言うと、例えばゴルフのシングルプレイヤーになるための教則本が仏教では無いのである。
中国に流入した仏教が迷信の部類に堕し、仏教思想と見て研究する優秀な学徒が消えうせた大きな
原因は、経典が仏を信じ供養する利益を説くのみで≪別に何も起こらない迷信だ≫からに他ならない。
271 :
神も仏も名無しさん:2011/09/02(金) 01:39:53.41 ID:ZF4+DWvD
270の続き、仏に成れなかった人が書き物をして他人に読ませても
何も生まれる可能性は無いと考えますね。
如是我聞と冒頭で記しても、作者が仏に成る方法を知らなきゃ書けませんよ。
肝心が抜けているのだと言う指摘はここにあるのです。
272 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/09/02(金) 02:14:18.29 ID:K/hIBG5R
そもそも、何を以てフェイクとするのか。
逆に言うと、本物とは何か?という問いでもある訳だが、
例えば、仏を超能力者とか霊能者とか神様とかって厨二な考えだと、殆ど全てが偽物って話な訳だ。(笑)
更に恐ろしい事に、世の中には美辞麗句や例えを字義通りに受け取っるバカまで居たりする。(笑)
(^。^)何時までもお元気でね♪って、別に不死の化け物になれって意味じゃないよね?(笑)
273 :
神も仏も名無しさん:2011/09/05(月) 00:29:42.92 ID:wa9I/eaX
>>271 小生の書き記した事柄は、専門僧侶をして目を覆わしむる内容であります。
それを言っちゃ御仕舞いだ! 坊主は口が裂けても言われん事なのですね。
出来上がった体制や思想の改革者は、周辺から現われるとか 小生は坊主に在らずですから
やはり周辺人物ですな。
99%とか言わずに100%って言えよ。
まともな仏教なんて最初からなかったんだよ。
275 :
273のおまけ:2011/09/05(月) 16:44:21.84 ID:wa9I/eaX
274, まともな仏の教法が最初期は有ったのです。
僧のみならず在俗信者までが一途に修行して好い成果がでています。
仏滅後に教団を経営維持していた僧侶たちや戒律を守っていれば
僧侶としての形色と資格を保てると誤認した人たちは、仏陀の肝心な
≪仏と成るべく成果を出す方法≫を終生身に付けなかったのでしょう。
身に付いていないことを文章化するのは不可能なので、これこそ言説不可得です。
故に仏さまに礼拝や布施の供養する功徳を説法するようになったのです。
276 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/05(月) 21:45:01.61 ID:qMbHsUOK
―われらは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
他者への信仰は、離欲を達成し―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは― 世の諸々の活動を捨てて、ただ安らぎを喜んだり楽しんで、下界に二度と生まれないこと。
―妄執が人を生まれさせる〜世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
神通力の領域があるのに、一切皆苦を知れる境地があるのに、妄執に従い人の思いを得るのは、離欲に努めなかったからだ。では、なぜ妄執があるかというと、
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
神通力の領域のままであるなら働かない。生ける者の幸福・安穏・安楽のために働くことは善い。貪りのため、享楽・快楽の追求や物質的な貪り、金だけを欲する人々のために働くことは、
人々のためにならない。震災復興のために働くことは善いが、車体も大きく、馬力もあり、スピードが出る自動車を追求しても、環境破壊などの原因となる。
―法にしたがって生き〜自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす―(感興のことば)自制せずに生きる人より、自制して生きる人を、世の人も好ましいと見なす。
―未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)過労をせず、未来に不安のない社会や暮らし。自分が他人よりより多くのものを得る
という心に従わない、与えて交友を結ぶ社会。
277 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/05(月) 21:46:24.54 ID:qMbHsUOK
働けとか与えよばかりではなく
―孤独の味、心の安らいの味をあじわったならば、熱のような悩みもなく―(感興のことば)安らいの味をあじわい、熱のような悩みのない人のほうが勝利者と善に近い。五欲の対象から離れ
軽安(身心をかろやかに快適にすること)は、自己に思い煩っている人より神通力の領域に近く、病気であっても役立つ。
―過ぎ去るものは虚妄なるもの―(ブッダのことば)つまらぬことをくよくよと思い追求するよりも、一切の事物から離れて忘れ去ったほうが本当の自身に近いし、妄執を乗り越え善に近い。
『森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮ら
している。究極の理想に通じた人がこの平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切
の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。』
自分も幸せになりたいという非我と、―唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である―(真理のことば)の平安の境地が結びついて人となる。自分の幸福のために、欲得の念の
ために、人々の幸福を奪い、安穏・安楽な暮らしを奪うことをしてはいけない。
人の活動のために、人々が苦しむ世の中も、正常ではない。
278 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/05(月) 21:49:15.36 ID:qMbHsUOK
―煩悩の矢を離れてわたしがどうして眠らないことがあろうか。めざめているが気がかりもなく〜世の中のどこにも、わたしは害いを見ない。それ故に、一切の生きとし生けるものどもを憐れみな
がら、われは眠る―(悪魔との対話)
―他人の過失を見るなかれ〜ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ―(真理のことば)
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは見えたからである―(ブッダのことば)
妄執を乗り越えた自身は、一切の悩み苦しみから解き放たれる。『一切の事物は我ならざるものである』他人も非我なら自己も非我。
清浄で善いもののように、「美しい太陽だ、美しく晴れた朝だ」―人のいない林は楽しい―(真理のことば)人々が清浄行をしている人を善いと信仰し、それぞれの人々が楽しい、美しく晴れ
た朝は素晴らしいという清々しい心を大切にし、自分の行いに気をつけ、金・物・思考・意向・享楽の貪欲のために悩み苦しみのない社会。耐え忍ばねばならないときは耐え忍ぶ人間。
―他人を訓戒せよ、教えさとせ。宜しくないことから他人を遠ざけよ。そうすれば、その人は善人から愛せられ、悪人からは疎まれる。悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人
は地獄におもむき、善人は天上に生まれる―(感興のことば)非我なる自己が、その思考・意向・自分の欲望のため、生ける者の幸福と安穏・安楽を害うなら、死後には地獄におもむく。
生ける者の幸福と安穏・安楽に仕えるなら、死後も善いところに生まれる。他人に善いことを行うように教えさとすのも仏教。
279 :
273のおまけ:2011/09/05(月) 23:38:47.71 ID:wa9I/eaX
仏典の99%は偽経、偽書です。
これはも少し言うなら、最初期の経文からメソッドの部分が
抜け落ちている。
だから思慮氏の引用文は、間違いではないのであるが足りないのだ。
事件の容疑者の周りをぐるぐる回っているが刑事が辿り着けないのである。
思慮氏は引用していて好い気持ちになるだけなのでしょう。
ほとんどの人がこれで善しとしている経典であるが使えないわけ。
経典というのは、小説みたいなもんですよ。
281 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 09:42:50.73 ID:+6jVi17s
>最初期の経文からメソッドの部分
そのメソッドの部分てなんていう文献に載ってるの?
282 :
273のおまけ:2011/09/06(火) 17:17:44.72 ID:S/kO0PcS
>>281 そのメソッド文献がスッポリ無いのでありますよ。
実名で長老弟子達の体験談がほんの少し在るのみですね。
283 :
神も仏も名無しさん:2011/09/06(火) 17:59:56.22 ID:6H7TdGB3
284 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/06(火) 22:33:06.71 ID:4c/MAfgc
不死の境地があるということを体験して、仏典を読んだ。聖書も―この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう―
(マタイ)という教えが妄執・悪しき者を乗り越えた境地のことであると知って、イエスもそのことを伝えようとしているとわかった。
―葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい―(マタイ)
―供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪ってはならない―(ブッダのことば)―献供をささげる〜このようなものは、梵天の召し上がる食物ではないのです―(悪魔との対話)
―人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである―(コリント)
―多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)
―見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう―(ルカ)
神仏への信仰深さは
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を―(ルカ)―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは―(神々との対話)
―あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている―(ヨハネ)
妄執を乗り越えた境地は、一切の苦悩を乗り越え、むしろ私たちのほうが悩みもある。葬儀も形式だけでよいし、対象物に本当は供え物をしてはいけない。宗教的行為で声を出したりして呪文
のように多くの言葉を発しても、むしろ不浄となり、聖霊に満ちた行い、清浄な行者の行いを少し見習うだけで、日々の生活から来る不浄な心を取り除ける。
285 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/06(火) 22:35:03.62 ID:4c/MAfgc
神々という霊的な人格も存在し
―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記)
―徳行をそなえ、法にしたがって生き、恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである―(感興)
人格神は「愛・良識」があればよいと。清浄行を達成し、妄執・悪しき者を乗り越えなくてよいと。―万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―(コリント)
唯一の神は、妄執・悪しき者を乗り越えた清浄な境地そのもので知る世界。―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉ど
おりになるであろう―(ルカ)という教えで、神には信仰できないが教えを行いなさいという事実。
―この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか。賢者は、自分をよくととのえて、自分の主となり得る―(感興のことば)
―律法を持たない異邦人が、自然のままで律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―(ローマ)
―父母に仕えること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと―(ブッダのことば)
―自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜父と母とを敬え〜肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく―(エペソ)
愛やその人の良心に従った行動、良識的な行いをすることで、宗教行事で誰かに信仰できるとか、人々が救われるということはないという真実の信仰。
大蔵経全部読んだ人いるの
『仏教経典は架空の作り話である』という
『固定観念に凝り固まっている』人が意外と
たくさんいるのかもしれない
例えば
『物理学の言葉で説明できないものは、すべてインチキである』という
『固定観念に凝り固まっている』人が意外と
たくさんいるのかもしれない
すくなくとも、釈迦とは無縁ものもだとは100%言えてるがね。
>>286 いないでしょうね
下手すると一節だけ読んだり、受け売りで偽経・偽書言ってるだけでしょう
こんな所に「言語問わず原典も翻訳も全部読んで検証したけど約X%が偽書」
なんて言える人はいないと思いますよ
『仏教経典を読んだこともない』のに
『仏教経典を勉強したこともない』のに
『仏教経典と釈迦とは無縁ものもだ』と
『頭ごなしの概念によって決め付けている人』が
いるのかもしれない
無縁ものもだ
↓
無縁のものだ
↑ 訂正して、お詫び、申し上げます
> 仏を超能力者とか霊能者とか神様とかって厨二な考えだと、殆ど全てが偽物って話な訳だ
例えば、私の場合は
『この世の中には、物理学の言葉で説明できない、不可思議のこともある』
と考えているので
神通、神変、中有(幽霊)、輪廻の肯定派で、ございます
>>187 >>188 の続き
現存する漢訳仏典は
古典サンスクリットではなく
俗語の特徴を反映している
漢訳仏典は
時代としては
より古いものを直接に
反映している可能性が高い
らしいので
− − −
私、個人としては
◎『 スッタニパータ 』も
◎大乗経典の『 般若経 』なども
『 ブッダの言葉を伝えている可能性がある 』と考えています
教祖が実際に言ったことと一言一句一致しているかどうかが大事なんじゃなくて、
真理が反映されているかどうかが大事なんじゃないの?
>>1 真仏教徒
> 現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら
> 釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある
>>1 真仏教徒さんの場合は
『 現在最も古いと考えられている経典ですら
釈尊の直接の言葉は数行しかないかもしれない 』
と言う(ごく一部の学者の)研究結果に衝撃を受けたのかもしれない
− − −
☆ おすすめの書籍 ☆
新アジア仏教史 02 インド 2
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
出版社: 佼成出版社 (2010/10/30)
並川孝儀
63ページ参照
スッタニパータの第4章と第5章は
ブッダに最も近い時代を伝えているとされている
64ページ参照
スッタニパータの第4章と第5章の中に
ブッダの金口直説もあるとの指摘もある
☆ おすすめの番組 ☆
2011年9月21日(水) 午前5時30分から
NHK − Eテレ
ブッダ“真理のことば” 第2回『 うらみから離れる 』
− − −
『ダンマパダ(Dhammapada)』は、原始仏典の一つで、釈迦の語録の形式を取った仏典である
語義は「真理のことば」といった意味であり、原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである
『スッタニパータ』と共に原始仏典の、最古層の部類とされている
297 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/17(土) 09:57:39.55 ID:VurTcabR
私は不死の境地を知った。「イエスは神への信仰はできない」を教えようとしたが、釈尊はそれがなく直接的。
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント)―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉
どおりになるであろう―(ルカ)―「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが―(マタイ)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな〜あすのことを思いわずらうな〜一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色は明朗〜未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)
雑務から離れ、貪りという思いも行為も全く無く、世捨て人のように世の中の思い煩いと自己への思い煩いを離れた人々は、神通力の領域に近い。―軽安―(ブッダ最後の旅)心を軽やかにすれば長寿が容易となる。
病気の人が世の雑務から離れて、五欲の貪りから離れて、病気の治療に役立とうとするように、全世界であらゆることで貪りは人類に不利益をもたらし、与えることで益をもたらす。神通力が隠されているから、正反
対の努力をしても、無駄である。
『今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった〜煩悩の汚れのなくなった覚った人にわれらは見えたからである』人々は世の益のために、神通力の領域に近い心をよしとし
なさい。人々が健康的だなと思う宗教行為は、神通力に近いものであると教えること。安らぎは虚妄ならざる真理であり、釈尊は人々に完全な清浄行を顕示させた。
298 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/17(土) 10:02:24.06 ID:VurTcabR
―貪りと憎しみにとりつかれた人々が〜欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ〜ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する―(悪魔との対話)
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意
なき慈しみを行うべし〜この世では、この状態を崇高な境地であると呼ぶ―(ブッダのことば)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない。かれに過失(道から外れること)は存在しない―(神々との対話)
―学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ〜ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事を
なさないで、もしも飲食豊かな富んだ家に住んでいるならば、信あり、柔和で、よく分かち与え、温かい心でいるならば、これらの四つの事柄に安住している人は―(神々との対話)
これが仏の教え―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する―(感興のことば)
貪欲のためにあくせく(過労)しても、地球環境破壊、非我である経済に仕えても大借金。大借金があるにもかかわらず、震災でも盗みや暴動を起こさず、所有物がなくとも耐え、失望せずに前向きに生きようとす
る被災者と、貧窮・宿無き人々に配慮ある人々・政府に国民は助けられている。国民は日々の暮らしでも、見る働きを具え、過労をなくし、貧窮なる人々に与える国なら、
―愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない―(神々との対話)人々より、借金もできず、人々は苦労も少なく、適度に幸せを得て、何も問題なく暮らせるであろう。
仏の教えに従わず現実に起きた、起きている問題と、従いそれらの問題解決への智慧。崖っぷちに立たないと、仏の教えに従うことができない愚鈍な国民。
299 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/17(土) 10:03:33.22 ID:VurTcabR
―法にしたがって生き、恥を知り、真実を語り、自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである。この世では人々にほめたたえられ、死後に
は天上に生まれる。他人を訓戒せよ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人は地獄におもむき、善人は天上に生まれる―(感興のことば)
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い―(ブッダのことば)をせず非我であるものに苦しんでの自殺。非我である経済や物質的な喜びにあくせくしての地球環境破壊。
非我である経済に仕えての大借金。愚劣な人が富みを得て、貧窮なる人々に分け与えず不景気に。
しかし、崖っぷちに立たされてからやっと、「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者」のように、道を行った人々。震災で宿無く、貧窮なる人々に施し与えることを、悪いと言わなかった。施し与える
ことにより、世の秩序は保たれた。
真実を語り、恥を知り、法にしたがって生きることの大切さを人々に説く。これが仏の教えである。言語表現だけのものとしての教えの伝えは、貪欲にあくせく仕え、生ける者の安穏と安楽を無視すれば、どうい
う現象になるかでわかる。
>>299 > 真実を語り、恥を知り
> ○○○法にしたがって生きる
三十七菩提分法(三十七道品)
中阿含経などに説かれた、仏教で
悟りに至るための三十七の修行法
四如意足(四神足) 四つの自在力
◎欲(すぐれた瞑想を得ようと願う)
◎精進(すぐれた瞑想を得ようと努力する)
◎念(すぐれた瞑想を得ようと心を集中する)
◎思惟(すぐれた瞑想を得ようと智慧をもって思惟観察する)
− − −
四如意足(四神足) 四つの自在力 と
信仰、念(おも)い、精神統一、意欲、努力によって
輪廻から解脱する
301 :
a:2011/09/17(土) 13:30:24.39 ID:NX6ooYrc
阿含経の止息法と「深秘法」 北澤米吉著と
金剛頂ユガ中略出念誦経第三 一切成就三摩耶契の関係の秘密を世界に公開する男
『 金剛頂瑜伽中略出念誦法 』
303 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/17(土) 21:08:40.33 ID:VurTcabR
>>300 ―如来なる仏はこの世で自ら現れたものであり、闇を除き、彼岸に達した大仙人であるが、かれに二つの思いがしばしばはたらきかける。一つは安穏という思いであり、他の一つは人を離れて孤独をたのしむことと結び
ついている―(感興のことば)
不死の境地ニルヴァーナを知ってからの仏教
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
―世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜この身は泡沫のごとしと見よ。この身はかげろうのごとしと見よ―(真理のことば) 世捨て人のように人の活動(業)を捨て去るように努め、
五欲の対象の享受の喜びを一切捨て去る。静けさを楽しみ瞑想などにより安らぎに安住しようとすれば、身体が無くなった後、妄執を乗り越え、この世に再び戻ることはない。
―信仰あり在家の生活を営む人〜誠実、自制、施与、耐え忍びよりもさらに勝れたものがあるなら―(ブッダのことば)
出家修業により森や林の中で静けさを楽しみ、世の中のことを捨て去り、諸々の感官を静め、瞑想などにより静けさを目指し、自己への迷いも捨て去るように日々努めないと、輪廻から離脱することはできない。
過去も現在も未来も、この法(出家修行僧が輪廻から離脱する)は変化しない。
304 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/17(土) 21:10:03.44 ID:VurTcabR
―われらは一物をも所有していない、大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
神々という人格も存在し、在家の生活を営む人は輪廻から離脱することはできないし、人々の労力で得た物を必要とし暮らしている人々は、輪廻から離脱することができない法をつくられたのである。
無所有で人々の労力で得た物を頼りとせず、わずかな食物で暮らす生活を喜んでいる人々は、輪廻から離脱することができる。瞑想は意向や思考を抑制し、常に静けさを喜べる存在となれるような者となる修行法。
労働もなく世間もなく、人の労力で得た物もなく、欲求もなく、わずかな食物で暮らす生活を守り、この世で既にそのことを楽しんで、人間の身体となって生まれることはない。
―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
妄執は―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
身体と清浄な境地、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」が結びついて、身体世界を安穏、安楽な暮らしにするため。人々の安穏、安楽な暮らしに努めるのも法で、他人に愛される。
出家修行僧が他人に愛されることはない。労働もなく世間の労力でつくられたものを貪ることなく、ただ安らぎを楽しみ、妄執を乗り越え、完全で清浄な者となれるよう目指す。
305 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/17(土) 21:10:41.00 ID:VurTcabR
この世は不完全で苦しみも多く、重い荷に耐えねばならないが、生ける者の幸福と安穏と安楽とを思い、他人に愛される人は法にしたがって生き、
この世は不完全で苦しみも多く、妄執によって導かれた世界であるから、世捨て人となって世間の人々が耐え忍んで幸福のため安穏のため安楽のため労力で得たものを享受せず、わずかな食物で暮らすなら、輪廻しない。
『人間という状態に戻らず、喜びを食む光り輝く神々は、世捨て人となって人の労力で得たものを享受せず、わずかな食物で暮らし、輪廻しない人格を得た』そのように説明され、出家修業という釈尊と修行僧は、人間と
いう状態に戻らない行いということで、間違いはないと。重い荷を下ろす世界もある。
☆ ウィキペディア参照 ☆
空無辺処(くうむへんしょ)
無色界の(下から数えて)第1天
無量空処(むりょうくうしょ)とも言う
物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地
物的存在たるこの肉体を厭い
無辺の虚空の自在を欣び
空無辺の理(ことわり)を解し
修行して生ずる処である
欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ
一切の作意のない、無辺の空を観じる禅定
形のあるこの肉体を厭い
大空は無限であることを達観すること
無色界には空間的な場所はないが
果報の違いに依って感じるので「処」と名付ける
− − −
『無辺の空を観じる』禅定(瞑想)によって
『空無辺処(くうむへんしょ)』に到達することができる
ワイド版 岩波文庫
ブッダのことば
スッタニパータ
中村元
出版社: 岩波書店 (1991/01/24)
1119
つねによく気をつけ
自我に固執する見解をうち破って
世界を空(くう)なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り超えることができるであろう
このように世界を観ずる人を
<死の王>は見ることがない
− − −
空観 − 空を観察する禅定(瞑想)
『 <死の王>は見ることがない 』とは
『 <死の王>に、うちまかされることがない 』という意味
309 :
夜行牛:2011/09/18(日) 02:36:49.21 ID:/T+jgMoi
諸行無常、生者必滅
仏教そのものも例外ではない
って話?
禅定(瞑想)によって
『 この世のものすべては、無常(変容、変化するもの)である 』という
『 心の働き 』に到達するのである
禅定(瞑想)によって
輪廻から解脱する事が出来るなら
仏教じゃなくても良い
ただし、今のところ
『禅定(瞑想)によって輪廻から解脱する』という概念は
バラモン(ヒンドゥー)とか
仏教の、南伝と、北伝と、チベット伝などに
限定されると思います
ブッダは
バラモンなどの概念を批判しているところも有るけど
バラモンなどから
空無辺処(くうむへんしょ)などの禅定(瞑想)法を受け継いでいる
可能性が有るかもしれない
− − −
だから
バラモン(ヒンドゥー)とか
仏教の、南伝と、北伝と、チベット伝など
幅広く勉強する必要がある
313 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/18(日) 21:55:47.68 ID:Rqm7yshm
―安らぎニルヴァーナは最上の楽しみである〜生じたもの、有ったもの、起こったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、老いと死との集積、虚妄なるもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの、
それは喜ぶに足りない。それの出離であって、思考の及ばない静かな境地〜そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよ
く知っている〜一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である―(感興のことば)
― 一切の形成されたものは無常である(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)と明らかな〜一切の事物は我ならざるもの
である(諸法非我)〜起きるべき時に起きないで〜意志も思考も薄弱で、怠惰でものいう人は、明らかな知恵によって道を見出すことはできない―(真理のことば)
―この身は泡沫のようなものであると知り、陽炎のようなはかない本性のものであると、さとったならば、この世で悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないことろへ行くであろう―(感興のことば)
―かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで専念し、大いにみずから満足すべきである―(ブッダのことば)
自己というものから離れた最上の境地があり、その境地は林などで静けさを楽しむ心に近く、世と自己という迷いを捨て去るように瞑想に専念すれば、神通力の領域に近くなる。「軽安」と「長寿」=
病は気からとか、病気の時は五欲の対象の享受から離れ、安静にすれば病気の治療に役立つと説明できるほど、自己に執着しない思いは、現実社会でも神通力と共に在るが、私たち全ての者が、神通力の状態に在った
時、人の労力で得た物を享受することなく、欲求もなく、わずかな食物で暮らす生活を守り、安らぎに安住しようとすれば、人間の状態に戻らない、神通力と苦悩を全く受けない状態から、人々の幸福・安穏・安楽のた
めに労働する人間となり、人間の状態で人の幸福を得ながら、他者への配慮ある人間として暮らし、世の秩序を保つ存在となることは、神通力ある状態から自分たちが決めたこと=法をつくった。
314 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/18(日) 21:57:48.54 ID:Rqm7yshm
釈尊は法をつくるのではなく、法がわからなくなった人々に教え信仰対象となられた。
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜能力(神通力)あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、
生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜何ぴとをも他人を欺いてはならない。た
といどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるも
のどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし〜全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう―(ブッダのことば)
神々は既に無所有で世捨て人で、人間の欲求から遠ざかり離れ、雑務少なく生活も簡素で諸々の感官が静まり、悪い心から離れれば人間の状態に生まれることはないと教え、人の労力でつくられたものを必要としない
暮らしを心がけ、世と自己とに囚われず、精神を安定統一し、楽しみは安らぎのみにすれば人間の状態に生まれることはないと教えるが、それを熱心に努めることができず、人の労力でつくられたものを必要とする暮
らしをして人間の状態に生まれる多くの者も、生ける者の幸福と安穏・安楽に努める(善い行い=業)なら、人々は神通力の状態とともに在り、肉体を得ながら、苦悩の原因をつくり出さない。
315 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/09/18(日) 21:58:58.56 ID:Rqm7yshm
静けさを楽しみ、自己の迷いを捨て去り安らぎに安住しようとうする瞑想は、人の労力でつくられたものを必要とし、生活活動を捨てきれない多くの人々にとって、自己を乗り越え神通力ある状態へ近づくことができる行
為で、ただ安らぎを楽しみ、精神を安定統一しようとすれば、神通力ある状態に近い。それに加え、人の労力でつくられたものを必要とせず、世捨て人となれば、死後も世捨て人となれる。
人の幸福を捨てきれず、人の労力でつくられたものを捨てきれず、人間の状態となって生まれる多くの人々も、自分が得る・獲得する、自分の思考・意向が全て正しいと執着することなく、生ける者の幸福・安穏・安楽な
暮らしを心得て、相手の考え・意向を尊重すれば、肉体を得ながら神通力とともに在る。
釈尊は、その法のために真人として信仰対象となられた。解脱の境地を知れば、出家修業の法や在俗信者の生ける者の幸福や安穏・安楽に努めてから、得るものを得るという教えは間違いない。
他者(神々)を信じても同じなのである。
>>313 > かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ
> 樹の根もとで専念し、大いにみずから満足すべきである
スッタニパータ 972
…瞑想に専念して
大いに目覚めておれ
心を平静にして
精神の安定をたもち
思いわずらいと
欲のねがいと
悔恨を断ち切れ
☆ おすすめの書籍 ☆
サンガジャパン Vol.7(2011Autumn)
アルボムッレ スマナサーラ(寄稿)
みうらじゅん(寄稿)
田中優(寄稿)
ネルケ無方(寄稿)
大田俊寛(寄稿)
宮崎哲弥(寄稿)
呉智英(寄稿)
出版社: サンガ
2011/9/22
☆ おすすめの番組 ☆
10月 10日 (月)
午前9:30〜午前11:30
☆ BSプレミアム ☆
BSアーカイブス ハイビジョン特集 五木寛之 21世紀・仏教への旅(1)インド
10月 10日 (月)
翌日午前1:00〜翌日午前3:00
☆ BSプレミアム ☆
BSアーカイブス ハイビジョン特集 五木寛之 21世紀・仏教への旅(1)インド
10月 16日 (日)
午前5:00〜午前6:00
☆ Eテレ ☆
こころの時代〜宗教・人生〜 シリーズ ブッダの最期のことば(7)▽女身も成仏する
319 :
神も仏も名無しさん:2011/10/12(水) 21:04:03.34 ID:BwD1cX6R
320 :
神も仏も名無しさん:2011/10/13(木) 00:55:57.52 ID:cOe83HDm
321 :
黒羊:2011/11/05(土) 20:55:23.59 ID:bqPT2hOo
マジレスすると学問で悟りは開けないので本物だろうが偽物だろうが意味ない
322 :
基地外:2011/11/06(日) 08:10:47.54 ID:6KvFOMct
>>321 御主何者でござる?σ(^_^;)?
南無(⌒人⌒)
323 :
黒羊:2011/11/06(日) 09:05:07.92 ID:EDXUwH2C
マジレスすると経典及び聖書は解答用紙。答えが解っていても答案用紙がないので記入できない。
そもそもバカは答えを見ても解らない。
324 :
基地外:2011/11/06(日) 09:16:18.49 ID:6KvFOMct
>>323 黒羊殿に御尋ねする。
達磨大師の評価は如何?σ(^_^;)?
南無(⌒人⌒)
325 :
金有財 ◆M5il315GSQ :2011/11/06(日) 09:18:43.02 ID:tHcOXioR
「拈華微笑」なんて嘘くさい話を、
一等最初に出してくるのは何処だ?
326 :
黒羊:2011/11/06(日) 09:45:51.70 ID:EDXUwH2C
達磨大師は悟りを開いた聖人で解脱しています
327 :
基地外:2011/11/06(日) 20:25:00.06 ID:6KvFOMct
>>326 糞味噌に罵るのだと予想していましたが、
優等生的な評価に驚かされました。(・・;)
僕も達磨大師はもっと評価されて良いと
思っています。
南無(⌒人⌒)
328 :
黒羊:2011/11/07(月) 12:30:25.68 ID:i5NM9o6W
蓮の花は悟りの奥義のなかの印を表していてこれをひねるのは次の世代に移すという意味
つまり後継者を決めますよという意味。
☆ おすすめの書籍 ☆
大乗仏教とは何か (シリーズ大乗仏教)
高崎直道、桂紹隆、下田正弘、末木文美士、斎藤明
出版社: 春秋社 (2011/06/30)
168〜169、188〜191ページを参照して見て下さい
↑ この書籍には
『 スッタニパータ 』も『 般 若 経 』も
かなり古い時代のものであるらしい
と言う事が記述されているのでございます
330 :
現実主義者:2011/11/13(日) 09:00:51.38 ID:F5UZbknH
\(*д^)/聖書焼けたよ〜!
経典焼くよ〜!皆、集まれ〜!\(^q~)/
仏教聖典っていうのをググったら:
仏教伝道協会の「仏教聖典」( ホテルに置いてあるやつ)
三省堂の「佛ヘ聖典〔摯笏ナ〕机上版」(東京大學佛ヘ年會 編修)
大蔵出版の「現代仏教聖典」(東京大学仏教青年会 編)
講談社学術文庫の「仏教聖典」(友松圓諦 著)
黎明書房の「新修現代訳仏教聖典」(福田正治 編)
といろいろあるんですが、どう違うんでしょうか。
お薦めは(あるいは無難なのは)どれでしょうか。
偽だという基準が分からない。
333 :
神も仏も名無しさん:2012/01/05(木) 00:36:00.66 ID:HInAaYZG
これが本物だと言える物が無いから
未だに世界は数多くの宗教が産まれそれを信じる人が生まれていく
ブッダの説かれたものが宗教での至上の教えとは言い切れないが
至上の教えと考えて話すなら現代における仏教の多様化は
偽りの混じる所・方便などの読み取り違いに起因するのではと推測する。
334 :
神も仏も名無しさん:2012/01/05(木) 00:42:16.55 ID:HUEOYOTu
実は、1%もブッダ本人のウソだったんだすw
335 :
神も仏も名無しさん:2012/01/12(木) 18:34:37.62 ID:UAAUNutj
なんだ、全部嘘か
336 :
神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 22:41:26.43 ID:y49yGYFR
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
337 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 06:16:20.89 ID:mVnQgHmQ
言葉も経典もまた諸行無常の道理を免れない
という真理の証明だな
だから釈尊はたしかに真理を説いてるわ
自分を灯明にせよって言ったからには
お経やスキンヘッドを灯明にしたらいかんよな
340 :
神も仏も名無しさん:2012/07/05(木) 01:26:37.29 ID:ab1u+rvL
どういう人が創作したのかね?
詐欺師、精神異常者の類であろう。
偽者であることに気づけなかった程度の低い高僧
つまり日本で偉いとされてる坊さんは全て程度の低いオカルトマニア
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
創価シネ
344 :
神も仏も名無しさん:2013/03/28(木) 20:26:46.06 ID:EVa4GfeY
仏典において、もう一つの問題は、漢訳において象形文字を
使用することによって、象形文字本来の意味が原経の意味に付加
される、本来の意味と変わってしまう場合を避けられない。
それと、漢文は五言絶句、七言絶句などの形にもとの経を収めるために
無理をして、切り詰めたり、敷衍したりと、原意をゆがめている。
従って漢訳は信用できない。中村元さんの原典訳が最も信憑性がある。
中論などは、原典訳と漢訳とは驚くほどの相違がある。
自分は一般の信徒ですが、仏陀の教えに従っているというよりも、
宗派の創始者の教えに納得して受け入れているという認識なので、
別にお経が偽物でも構わない。
偽物のお経を根拠に、多くの人の精神生活を救う、まっとうな教えを
導き出したのなら、それは大変結構なことだと思います。
歴史の過程の中で多くの人に受け入れられ、淘汰されずに残ってきた、
というのが、何よりの正当性の証明なのではないでしょうか。
(多分に、ハイエク的)
346 :
神も仏も名無しさん:2013/06/28(金) 00:37:38.37 ID:KCZQTlLh
それではもう仏教とはいわないのではありませんか?
347 :
神も仏も名無しさん:2013/06/28(金) 01:01:56.89 ID:UMnVMzEy
ちゃんと行をしてはる人はの
華厳〜大乗は初禅で得る一即一切一切即一から梵のファンタジー描いたドラマだと理解しておる。
そこからさらに深い禅定・八解脱に於いて目に蓋、耳に栓をした外側の色識を断絶滅尽定で
先の色識に捉われても外側に捉われ滅尽定に捉われても内側に嵌り込むに過ぎず、
どちらの状態にも属さないことを知ってやっと中道w
だからあるがままというんだよw
348 :
神も仏も名無しさん:2013/06/28(金) 06:00:28.92 ID:UMnVMzEy
インドで純粋仏教が滅んだ訳
在家から神を取り上げ先祖を取り上げ
この世の一切皆苦、一切不浄観、生存滅を
在家に、強制すりゃ解脱に捉われた解脱餓鬼のホワイトカルトすぎんからね
349 :
神も仏も名無しさん:2013/07/12(金) 07:44:24.30 ID:HFlEWWCH
100%では?
350 :
神も仏も名無しさん:2013/07/16(火) 06:32:09.48 ID:MyNaG8eV
吹いた
351 :
神も仏も名無しさん:2013/08/17(土) 14:01:19.49 ID:Ck4rgN3F
>>6 > 従って漢訳は信用できない。中村元さんの原典訳が最も信憑性がある。
それでも全巻合わせて7巻で5〜6万円、第二編4巻で+αじゃ市井の人達に広まりませんよ
余計な解説を省いて文庫化できれば7巻で2万円以下でできるんじゃないかな?>原始仏典
今カルト的な仏教もどきに騙されてる確率が高いのは市井の人々に確かな翻訳が行き渡っていないからだと思います
カルト宗教に騙されてもっと高額な意味の無い壷を買わされるよりマシだって?
んなこたーない
すべての仏典で余計な解説を削れるはずだ(それを普及版にして売れば安くできるんじゃ?)
中村元氏の翻訳は大抵細々した解説が多すぎるのが筑摩にせよ岩波にせよ致命的な欠点
第一キリスト教の聖書だって下手に解説を長々つけたり、引用元をわざわざつけたりしませんよ
そういうのは普及版じゃなくて今売っている教授用の高額な書籍でいいわけです
お財布事情に合わせた仏典・経典販売をしないから、経営努力をしないから仏教カルトが跋扈して
何を信じたらいいか分からない状態になっちゃっているんじゃないでしょうか?>ALL
経典が嘘っぱちだと決めつける前に読者層を広げてもっとたくさんの人に読んでもらうのが一番良いと思います
特に中村元氏の翻訳が信頼されているのならそれでもいいんです
ただ、所得に見合った金額じゃないと誰も原始仏典に近づきませんよとは言えます
新共同訳のキリスト教聖書の方が安くて原始仏典の10分の1以下でしたというのが現実です
この現実を省みないでやれ経典が嘘だ、本当だと論じていることこそナンセンスだと思います
353 :
神も仏も名無しさん:2013/08/20(火) 18:35:42.21 ID:xAM5POH4
いやそもそも中村元の翻訳が最も信憑性があるというのは本当なのか?
語学的には正確でもポイントを外してはいないか?
例えば私には増谷文雄訳の阿含経典の方がはるかにすっきり理解できるのだが。
>>353 嘘も本当もパーリ語経典の大半は彼の翻訳しかない…と言っても言いすぎじゃないから
パーリ語経典日本語訳を求めている人にとっては彼でいいのでは?
岩波文庫青でも細かく分けて出版していますし
もちろん阿含経典の部分訳が文庫で売り出されて、興味をお持ちの方がいるなら
そっちを読んでも構わないと思います
広く噂になって、信頼されているだけです>中村元
他にも片山一良氏がパーリ語翻訳なさっていらっしゃることがあるので
もし原語訳が素のまま文庫化されれば興味を持つ方が出てくることでしょう(余計な解説とかなしに)
355 :
神も仏も名無しさん:2013/08/26(月) 10:30:58.00 ID:JqFeFpGa
中村元訳が語学的には正確でもいわゆる仏教的なポイントを外しているというは多分本当で、
むしろ意図的にそうしているとさえいえる。
増谷文雄訳も語学的に正確だがいわゆる仏教的なポイントを拾って訳している
『聖書』の翻訳にも同じ問題がありますね。
今日、「はだしのゲン」の閲覧禁止取りやめになったけど、
閲覧禁止という知らせを流して置いて反響を呼ばせて購入意欲を湧かせ、そのあと取りやめるって「釣り」じゃね
…同じ手法を仏典でやったら確実に終わるから止めてくれ>全巻5万円以上するアレ
357 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 10:12:08.45 ID:ZANopq8T
残りの1パーセントとされているものを読んでみると
これがなんともつまらないんだよね
少なくとも多少とも知性のある人間が読むに堪えるのは大乗仏典なんだな
ミリンダはちょっとだけ面白いけど1パーセントには入らないだろうし
358 :
神も仏も名無しさん:
原典が面白くないからと言って、面白く書いたのが大乗だとするとファンタジー小説と変わらないじゃないか
一応原典を翻訳しただけの筈なのだがなぁ