814 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 05:41:49 ID:ekEUsizC
>>811 そうです。私は学者の説ではなく、経典を自分で読んで、伝統に従って教えを受け修行した上で述べてます。
文献学者の見解も参考にしますが、役にたつのは訳、辞書などです。
基本的に常識を交えて自説を述べる文献学者の意見は、とるにたらないものです。
>>812 そう書いてあるなら、正しいでしょう。
>>813 >帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。バラモン教・ヒンドゥー教・
>ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にもみられるインドラと同一の神。
>阿修羅の娘である舎脂の夫。梵天と一対の像として表されることが多い。
>本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、
>仏教に取り入れられ、成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、
>梵天と並んで仏教の二大護法善神となった。
こういう部分はとるにたらない文献学者の説です。
また、論書、とくにアビダルマ論書は議論のための記述が多く
取るに足らない説が多いので、あまり信用してません。
815 :
析空:2009/08/16(日) 07:08:50 ID:tXTKackT
【ニルヴァーナ】は、伝統的な漢訳では寂滅ですが、中村元氏は【止滅】の方が、
より正確であると指摘しています。
(こころの働きを止めるという意味)
同様に文脈によっては【ニルヴァーナ】を【止滅】と訳すより
【安楽】と訳す方が本来の意味を良く顕しているといいます。
(こころの働きを止めると安楽になるという意味)
816 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/08/16(日) 07:27:03 ID:ljXqDR2a
>>761 >死後の世界は存在するのか
仏教における「死後の世界」についての見解を書いてみようと思います。
【縁起】ということでしたら、「死後世界」は想念でありますから五蘊であります。
ですから「死後世界」は現時点で存在する。と言えましょう。
ですけど想念ですから、縁は生滅するは必定なり。
五蘊は現象でありますから、色即是空の「色」でありますが、
般若心経にあります「五蘊皆空」のとおり、
五蘊は「空」。
このように解釈なさったら宜しいかと思います。
一般的な意味での「死後世界」。つまり生物学的な身心の崩壊の「死」ですね。
これでしたら縁起の法は矛盾します。
つまり、縁起を肯定するか、しないかで全く「死後世界」の意味も違ってまいります。
これが結論ですね。
(かしこ)
817 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 07:29:43 ID:ekEUsizC
818 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 07:32:49 ID:bFRNCWQR
>>765 >それならあの世は存在しないわけで、無記とする理由が分らない
あの世は空想するだけで五感によって認識することができないから
仏教では無記とする。過去世や未来世のことについての間違った
見解として62見をあげている長部経典の梵網経もおなじ理由からだね。
819 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 08:08:37 ID:ekEUsizC
>>818 >仏教では無記とする。過去世や未来世のことについての間違った
>見解として62見をあげている長部経典の梵網経もおなじ理由からだね。
おいおい、梵網経では過去世直接知覚だろ。
そして62見それぞれに境地に添った行き先、つまり、天界であると明言され、
しかも、釈尊が全て体験したと明言している。
もちろん、62見は、仏教の境地ではないが、
凡夫の境地より、優れていると明言されている。
決して無記ではない。凡夫が見てるものと同等のリアリティがあるってこと。
もちろん、どれも幻のような空であることには違いないが、
悟ってない人にとっては実在といっていい。
820 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 08:12:21 ID:ekEUsizC
821 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 08:13:56 ID:ekEUsizC
>>818 >あの世は空想するだけで五感によって認識することができないから
>仏教では無記とする。過去世や未来世のことについての間違った
ところで誰がこれを言ってるのか教えてほしい。
五百阿羅漢たって、ほとんどが上流階級のボンボン馬鹿知識人だったわけで、
バラモン=ヒンドゥ汚染の出来の悪い奴もいっぱいいたわけで。
そんな連中は梵我一如⇒輪廻転生論汚染から逃れられてはいないわけで。
真意も解さず、俗論混入の方便をまるごとゴックンするどアフォも多かったわけで。(
>>774)
ちなみに老婆心ながら寺和田はもうインチキ丸出しのパリッタは止めといたら?
カルトそのものじゃ〜あーりませんかw
823 :
一在家:2009/08/16(日) 09:29:08 ID:R0pH0Ocs
昨晩から「死後の世界」に関する対話が進行しておりましたので、ご参考まで
再掲します。
※長部経典33経「等誦経」
アビダルマ的色彩の濃い本経の中で、『輪廻』(死後の世界)に関係の
ある教えを一部紹介します。
(3つ一組) 60法
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない凡夫、A入胎時のみ意識の80大弟子、
B出胎時のみ意識を持たない舎利弗と目連、C三時に意識を持った仏陀
(5つ一組) 25法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
・五種類のこの世に戻ることのない人。
@色界での寿命の中間で完全な涅槃に達する人、
A色界に生じて寿命の半分以上過ぎて完全な涅槃に達する人、
B苦労して完全な涅槃に達する人、C苦労をせずに涅槃に達する人、
D上の世界に向かいアカニッタ天に達する人
なぜ神話ゆんゆん時代の古代人である仏陀を
世俗的な現代人ぽくとらえようとしてしまうのでしょう。
>>782 > 同じ返答ばかりできませんので。
> すでに回答済みばかりです。とはいえ・・
たとえば
>>192(スレ8)を踏まえての
>>196(スレ8)
に対する返答はどこにも無いように見えますが。
こちらの見落としでしょうか?
それとも貴方の妄想?
826 :
一在家:2009/08/16(日) 09:54:17 ID:R0pH0Ocs
同じく「神」についての対話も進行しておりますね。
>>781 >仏教は創造主、唯一神としての万能の神は認めませんが、
>様々な段階の神を認めてますよ。譬喩ではありません。念のため。
781氏の回答に同意します。
>>786 >行者サビヤが神になった昔の血縁者と会っています。(スッタニパータ、六・サビヤ)
>普通に会話してます。
786氏の回答に同意します。長部経典でも梵天や神々との対話が多数あります。
827 :
一在家:2009/08/16(日) 09:55:27 ID:R0pH0Ocs
>>796 >とくに、梵天(ブラーフマン)という神は、バラモン教・ウパニシャッドの伝統の中では、
>「最高神」「最高我」「最高ブラフマン」「世界を創造した創造神」「宇宙の主宰神」
>「究極的絶対者」であり、人々の救いは、梵天(ブラーフマン)と一体となることであって、
>人間の救いの究極的根拠となっていますが、この梵天は仏典の中ではまったく異なるもの
>として描かれます。
『大本経』の一節ですね。
まず注目すべきは、バラモン教の最高神の梵天が、原始仏典では複数登場します。
釈尊に布教を勧請したのは「大梵天の中の一人」とあり、大梵天まで複数という
記載です。
『大本経』では仏も元は人であり、他の経典でも神も人が天に行った場合があります。
どの経典かは忘れましたが最初の梵天が誕生した時の記載がありました。
梵天勧請の話では、仏より大梵天を低く見ている仏教徒が多いのは常識ですが、
釈尊が見えなかった布教対象者を天眼通で見つけて、読心通にて釈尊を心変わり
させたわけですから、大梵天の慈悲の大きさと神力の強さに敬意を表します。
>>824 ゴータマ・ブッダも現代人だからだよ。
↑
ニュアンスも含め、正確にうけとめること
そうでなかったら
>>822の批判はそのままおまいにあてはまる。
829 :
一在家:2009/08/16(日) 10:02:43 ID:R0pH0Ocs
>釈尊が見えなかった布教対象者を天眼通で見つけて、読心通にて釈尊を心変わり
>させたわけですから、大梵天の慈悲の大きさと神力の強さに敬意を表します。
この大梵天の名前は経典には記載されておりませんが、外教では有名な神様
かも知れませんし、人として生まれていない如来の中の一方かも。
釈尊も前世は梵天界に住していたそうですし。
PS
今から出掛けますので、続きは月曜以降に、あしからず。
仏教では瞑想で得られる境地はどのように考えてるの?
想像の産物?それとも現実?
裏事情を設定したり、「方便」という言葉を都合よく使えば
仏教の内容を好きなように取ったり付けたりすることができますね。
仏陀を「当時の迷信的世界観を乗り越えた賢人」にしようとする営みには、
仏陀の超人化・神格化に通ずるものを感じます。
両者とも背景には「仏陀にはスゴい人でいてほしい」という願いがあります。
他教の思想家と同レベルであってほしくない、迷信に囚われたアホで
いてほしくないという気持ちは分からなくもありません。
832 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 10:43:56 ID:bFRNCWQR
>>821 >ところで誰がこれを言ってるのか教えてほしい。
片山一良著「パーリ仏典入門」(大法輪閣発行)に詳しく記述されてる。
833 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 10:48:35 ID:3aTBrS2g
>>814 あなたが、辞書を用いて多くの経典を読み、自己の解釈を確立して
いる人だということは了解しました。
そして、佐倉氏はもとより、中村氏らの諸学者の見解も「とるにたらない説」
であるという認識もわかりました。私が、お聞きしたかったのは
「多くの学者たちが仏説を研究していると思いますが、何故、自己の見解が
正しく、中村氏らの諸学者の見解は『採るにたらない説』である」
と断定するのか?その根拠を聞きたかったわけです。
あなたは、自己を規定して「自分は諸学者よりも仏教に対して、正しい理解と
見識を有している」
このように、考えておられるようですが、そのように判断する根拠を尋ねたい
わけです。
「帝釈天をはじめとする天部の神々が、須弥山の上空にて天を護持している」
これが、「神話」などではなく、「事実」であるという見解を持っている学者
は、おそらく、そう多くはないと思います。
彼らは間違っており、自己の見解が正しいとする根拠は何なのでしょうか?
834 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/08/16(日) 10:55:55 ID:ljXqDR2a
>>827 在家氏
>梵天勧請の話では、仏より大梵天を低く見ている仏教徒が多いのは常識ですが、
これについて拙者が僭越ながら解釈させて頂きます。
釈尊は、つまりバラモンの行者だったのであります。
その修行において仏教を樹立するわけでありますから、
この場合の梵天の立場がどうなるんでしょう?
まあ、梵天の立場ってのがなくなりますね。
(経緯からしたら・・・そうなります)
で、釈尊の本懐(悟り)において梵天勧進というのは、
つまりバラモンの敗北、梵天の敗北を意味します。
(梵天が、釈尊の本懐を認めることになりますから)
この意味が込められました、梵天勧進なのであります。
>>831 俺はただ、自己と世界の関係を“縁起”というとんでもない掴みで悟り、
実存苦からの解脱を示した様相(法:ダンマ)に衝撃をうけただけさ。
それを誰が説いたかなんて個人、神仏崇拝趣味はないし、どーでもいい。
種々雑多な雑音をきり捨てるだけ。
このスレに住み着いている連中のような知的ゲーム趣味で遊ぶ趣味はない。
キリストは神の罰を信じて苦しんでる人に、「神は存在しませんよ」とは説かずに
「神は罰を与えませんよ」と説いたわけよ
これを釈迦に当てはめると、
輪廻転生を信じて来世の境遇の恐怖に苦しんでる人に
「輪廻転生は存在しませんよ」とは説かずに、
「輪廻転生はあるけど、今のあなたの頑張り次第で永遠の輪廻から上がれますよ」と説いたんだね
神や輪廻転生を信じてる人に、それ自体無いという全否定はやっぱり受け入れられないんだよ
だから中間をとって、マイルドにして苦しみから逃れる方法を説いたと
要するに輪廻転生があるかないかにたいした意味はない
837 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 11:35:43 ID:3aTBrS2g
>>814 あと、気になったことが、もうひとつありますのでお尋ねします。
あなたは
>>804で
>>2>その神は超自然的な神通力を使うのか?
使います。釈尊はもちろん、ちょっと修行したものは皆使います。
このように書かれています。また、
>>814では
>伝統に従って教えを受け修行した
と書かれていますね?
「ちょっと修行をしたものは皆使う」のであれば、あなたも「神通力」を
使えるのですか?
知り合いや今現に生きている人で神通力を使える人が
具体的にいるのかどうかも聞きたい。
839 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 12:28:52 ID:ekEUsizC
>>830 今見てる、感じてるものと同じ程度の幻、縁起、空。
840 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 12:30:05 ID:ekEUsizC
>>832 >片山一良著「パーリ仏典入門」(大法輪閣発行)に詳しく記述されてる。
え〜、ほんとなら片山さんにもがっかりだ。
841 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 12:36:29 ID:ekEUsizC
>>833 簡単なこと経典の読みと注釈、および北伝、南伝の伝統が一致しているから。
神話とか比喩と解釈する学者は、現代の常識に阿っているだけだから。
輪廻とか神通とかを常識で解釈する方法は日本では和辻から始まりました。
もちろん、それ以前にもそういう論を立てる人はいたのですが、
凡夫と行者には超えがたい一線があるという自覚というか認識があったのです。
それを詭弁と共に乗り越えて変なただの倫理に過ぎないものに読みかえたのが
他ならぬ和辻で、和辻は圧倒的な知識と論理性でそれをなしとげました。
それ以降、和辻路線に追従する学者が結構います。
そういう説は、とるにたらないということです。
842 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 12:38:22 ID:ekEUsizC
>>837 つかえません。私は能力が低いので、
ですが、周りには結構いっぱいいますよ。
844 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 12:41:09 ID:ekEUsizC
>>838 上に言った通り。ただ、神通使えますかと聞いて、
まっとうな人は使えませんと言います。
使えるとか言ったり、見せびらかす人は、
あぶない人だと思ってだいたい間違いないです。
845 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 12:42:01 ID:ekEUsizC
>>843 伝統仏教です。大乗です。それ以上はひみつw
少なくとも経典編纂者やそれを伝えてきた人々にとっては「事実」ですね。
それを「神話」と言うのは間違いではないのですが(ギリシャ神話のように)
「比喩」であったとしてしまうと話が変になる。
自分寄りの「真意」を設定して付会するだけになる。
>>842 どんな能力ですか?
予知能力、透視能力、空中浮遊、物体移動
とかいろいろあると思いますが。
>>847 にーちゃん、まじになってインチキを追及したってシャレにならん。
ここは、笑って見逃したりーな。
仏典にもおんなじことが言える。
やっぱり、インド人と中国人の妄想力は凄い!
かなり贔屓の引き倒しがあるけどね。
そんなんカットしたらええねん。
849 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 13:50:52 ID:rwDU9AOa
>>848 キリスト教の殉教者は、インチキの神のために命まで捨てた。
自爆テロリストは、架空の神や天国の実在を「信じ込まされて」、自他の生命
を奪い続ける。
笑って見過ごす訳にはゆかない、宗教の重大な「病理」である。
こうやって、カルトが群がってくる原始仏教は、開祖盲信、経典盲信のカルト
に過ぎない。
大乗仏教の国である日本で、原始仏教などに興味を持つ学者も、同様にカルト
信者であると考えてよい。
前レスで誰かが言っていたが、「縁起・空(関係性)」の思想の発展が不十分
な原始仏教における釈迦は、現代のそのへんの新興宗教・カルト宗教の教祖の
オッサンと少しも変わりはないのである。
850 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 13:58:17 ID:rwDU9AOa
奇跡、超能力、神通力など信じる宗教信者は、手品に「種も仕掛けもない」と
信じて食い入るように見ている幼児と同じ。手品のほうがもっと凄いぞw。
851 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 14:15:56 ID:rwDU9AOa
852 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 15:08:25 ID:3aTBrS2g
う〜ん。
>>845 の ID:ekEUsizC さんは、
1>どこかに『天』があり、帝釈天をはじめとする多くの神々が、それを
護持している。
2>勿論、そこに赴けば、それらの神々と意思疎通、すなわちコミュニケーション
も可能。
3>神々が「神通力」を使用できるのは言うまでも無く、人間である修行者も少し
修行すれば「神通力」が使用できるようになる。(事実、自分の周りには神通力
が使用できる人が多く居ると言う)
これらだけを読めば、はっきり言ってオカルト板によくいる「妄想電波くん」
と、何ら変わるところがない。
しかし、この人の違うところは、例えば、宝珠のあげた「週刊大衆」がソース
の心霊事例などには、はっきりと否定的見解を持っている。この点をみても
オカルト、心霊なんでもOKの人とは一線を画す見解の持ち主であると期待
するところがあるんだがな。
だから、この人の主張するところの論拠をもう少し聞いてみたいのだが。
特に「神通力」について。
このひとが、1〜3のような、一般の人間なら到底、信じられないような
ことを主張する重要な根拠のひとつが、まさにそれだと思う。
自分に引き合わせて考えてみても、自分の周りに本当に自由に神通力を
使いこなす人間がいて、それらの人が天や神について語っていれば、
やはり、それらの言を信じざるを得ないだろうと思う。
その神通力が本物なら、まさに有無う言わさない説得力があるでしょ?
経典の解釈、云々など、吹っ飛んでしまう。
もう少し、聞いてみませんか?みなさん。頭から否定せずに。
853 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/08/16(日) 15:19:29 ID:ljXqDR2a
>>838 >知り合いや今現に生きている人で神通力を使える人が
>具体的にいるのかどうかも聞きたい。
神通力とは、慧眼とか仏眼とか言われるものでして、
これは眼が開いた象徴的な意味で使われますね。
彼の世とか、黄泉の国とか、地獄・極楽とかは簡単に見通すことができます。
しかしこれは社会通念上の意味ではなく、
一旦この語義を変換するするのです。
(つまりこの能力です)
色即是空 空即是色とは、
こういった脳内変換の意味もあります。
誰でも神通力は得ることができます。
あらゆる煩悩は寂滅します。
>>853 今までのやりとりをバッサリ無視しましたねw
855 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 15:28:04 ID:3aTBrS2g
>>853 いえ、 ID:ekEUsizC さんの言う「神通力」とは
そのような観念的な認識論ではなく、私達が現在、存在している
この現象界において、定量観測の可能な行使力を意味するものだと
思いますよ。
856 :
旧7:2009/08/16(日) 15:37:03 ID:E0HiQiey
Aさん
「昨冬、白馬スキー場で吹雪の中、 2m近い身長の大きい人が麓まで案内してくれた。
寡黙だったけど、地元の猟師の人かな?」
↓
「Aさんが、白馬スキー場で、2m近い大きな人に出会って助けられたんだって。猟師の人らしいけど。」
↓
「Aさんが、白馬スキー場で、身長が2m以上ある大きな人に出会って助けられたんだって。格好は猟師のようだったって。」
↓
「昔、Aさんが、白馬スキー場で、2m以上はある大きな人に出会ったんだって。何か毛皮を着てたらしいよ。」
↓
「昔、白馬スキー場で、2mをゆうに超える大きな人に出会った人がいる。毛皮らしいが、毛むくじゃらだったらしい。」
↓
「昔、白馬岳に、2mは軽く超える大きな人がいた。全身を毛皮が覆っていた。」
↓
「白馬岳に、3m近い大きな人がいた。全身を毛皮が覆っていた。」
↓
「白馬岳に、身長3mはある大きな人がいた。全身が毛に覆われていた。」
↓
「白馬岳に、身長3mを超える大きな人型の生き物がいた。全身が毛に覆われていた。」
↓
「白馬岳に、身長3mを超える大きな人型の生き物がいる。それは、全身が毛に覆われている。」
人間無意識に嘘をつくことくらいあるよ
プレゼンテーションなんか見てみ
内容知ってる人から見れば誇大広告のオンパレードだよ
でも、嘘ではないし、片面しかつたえなくとも事実であることにはかわりない
858 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 15:44:23 ID:3aTBrS2g
こら〜〜〜〜〜〜〜、旧7さん。
伝言ゲームにしちゃ、だめでしょ。(笑)
ID:ekEUsizC さんは、「人から聞いた」のでもないし、
「そのような事例が書かれている本などを読んだ」のでもない。
実際に自分の周りに、そのような人たちが居ると言うのだから
その信憑性は比較にならないくらい高いと思われます。
プレゼン聞いた人がどんな妄想懐こうがしったこっちゃねえよ
要は好印象もってもらわないと誰も話し聞いてくれないしね つかみだよ
860 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/08/16(日) 16:01:37 ID:ljXqDR2a
>>855 >私達が現在、存在しているこの現象界において、
>定量観測の可能な行使力を意味するものだと思いますよ。
定量観測というのは、いわゆる「千里眼」とかいうものですね。
これは明らかに人間の五蘊を超えてます。
仏教ではなく神秘主義の範疇ですね。
ユング(シンクロ二シティー)あたりはいいんじゃ〜ないでしょうか?
このあたりは、有部→唯識論→(アーカシックレコード)→神秘主義
に通じることがあるやもしれませんね。
861 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 16:09:55 ID:3aTBrS2g
>>860 「千里眼」に限らず、
>>847 さんが、あげておられた
透視能力、空中浮遊、物体移動 なども定量観測可能ですね。
また、予知能力等も検証可能です。また、テレパシー(読心通と言うのかな?)
なども厳密な環境設定のもとで行えば検証可能ですね。
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!2【決着】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/ 656 前スレ7 sage 2008/12/20(土) 13:33:23 ID:8i/irQ3z
あ、コピペミスで一部抜けました。貼り直します。
.┃ (仏典の記述の性格)
〔実際にはどうか〕┃〔どう見做したのか〕┃〔どちらで語ったか〕┃〔どのような語り方だったか〕┃〔どのように伝承されたか〕
A1:ある ┃B1:あると考えた .┃C1:あるとして語った ┃D1:素朴にそのまま語った .┃E1:語られた通り
A2:ない ┃B2:ないと考えた .┃C2:ないとして語った ┃D2:誇張して(譬喩表現として)┃E2:誇張して(譬喩表現として)
A3:不可知.┃B3:不可知と考えた┃C3:どちらとも言わなかった┃D3:詩的・文学的表現として ┃E3:詩的・文学的表現として
┃D4:方便として「ない」と ┃E4:語られた通りを更に粉飾して
┃D5:方便として「ある」と ┃E5:粉飾して
┃D6:方便として「無記」とした .┃E6:拡大解釈・異なる解釈として
┃E7:釈尊を超え、事実に回帰して
660 前スレ7 sage 2008/12/20(土) 13:38:07 ID:8i/irQ3z
ちなみに補足しておくと、
>> 656の構造は、何も「輪廻」に限ったことでなく、他の様々な記述にも応用できます。
たとえば>> 657のような記述に関しても・・・w
(´ー`)y━~~
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/ 32 宝珠愚者 2008/12/21(日) 00:44:33 ID:xV9rxDjk
>> 28
>貴方は、前スレ656のどのコースなんでしょうね・・w
素晴らしい分析シートでしたが、残念ながら私はあのような分析は殆ど無価値と見なします。単純な内容
ならは効果は期待できるでしょうが、宗教の内容は無理です。何故なら、あのような分析では「限定」が生じ
るからです。初代スレ7さんは限定したいがために用いようとしているのかもしれませんが・・。
仏典のある部分については「E1:語られた通り」またある部分は「E2:誇張して(譬喩表現として)」、そして
またある部分については、「詩的・文学的表現として」であろうし・・。全部もしくは全体をコレとして決め付け
ることができない、というのが残念ながら仏典の中身なのです。どこがどっちになるのか?それは自分で読
み解いていくです。自分で読み解けない人は他人の解釈の評価によって選択する手段に出たりするのだろ
うと思います。
私個人は、他人様ご本人それぞれの判断のあり方について、といった分析、等々には興味ないです。