1 :
神も仏も名無しさん:
あ、URLが一個ダブってやがるwwwww
3 :
一在家:2009/06/25(木) 19:17:56 ID:IvCEgc4X
>>997/5スレ
>仏教を学ぶ者は洗脳されていることに無防備ではなかろうか。
>諸法非我→諸法無我は、空と連動した大乗の洗脳だろう。
「龍樹は洗脳をかけたか?」というスレ立ても乙かも知れませんね。
私は議論できるレベルではないですが、アートマン(魂、真我)が
そう囁いております。
「龍樹は洗脳をかけたか?」ってね。
答えは、Yes , he can ! Yes , he could !
4 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 19:39:28 ID:bPnh/qIi
君自身の強度の洗脳は龍樹かねw。
それとも原始仏教、手かざし、キリスト教か。
君自身の洗脳の原因と経過を、冷静に自己分析してごらん。
なお、洗脳とは、「現実と社会常識からの逸脱、およびその結果としての
家庭や社会生活の破壊」と定義できる。これに当てはまらないかね。
竜樹が、縁起・空によって「万物の関係性」を説いたとすれば、これは
現実そのものに適用できる「永遠・普遍の真理」だから、洗脳とはいえ
ない。
狂気とは、「現実との接触性の喪失(Loss of contact with reality)
と定義できる。人間と現実から遊離しなければ、大丈夫なのです。
5 :
一在家:2009/06/25(木) 19:57:53 ID:IvCEgc4X
もし釈尊が説いた「現実」が「諸法非我」だったとしたら、
「釈尊は諸法無我を説いた」と体系化することは洗脳ではなく
すり替えでしょうか?
教えのすり替え→個人の崩壊→家庭の崩壊→社会の崩壊。
仏教は発祥の地のインドで崩壊し、中国でも共産主義に破れ、
どこかで誰かが末法の世の原因を作った筈だと思います。
まあ釈尊の法は末法になっても、龍樹の法は正法ならいいじゃ
ないかという方々は宜しいかと存じます。
6 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 19:59:30 ID:IvCEgc4X
>仏教は発祥の地のインドで崩壊し、中国でも共産主義に破れ、
>どこかで誰かが末法の世の原因を作った筈だと思います。
これこそ縁起ですか?
7 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 20:45:11 ID:bPnh/qIi
>>6 それは、縁起ではなく、単なる現実上の「因果関係」。そのようになったのは、
つぶさに見れば、必ず「現実上の」原因(場合によっては多数の複合した現実
上の原因)があったはず。歴史的、社会的「事実」を分析すれば、比較的容易
に判るはずです。
縁起(空)は、単なる因果関係ではありません。それを「関係性」と解すれば、
容易に解決できる問題。
8 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 21:11:53 ID:bPnh/qIi
目の前に物が存在するのは、それが人間の五感で知覚できるからに過ぎません。
その物が「本当に」存在するかなど、他には証明の方法がありません。しかし、
人間は、五感で知覚できるものが「存在」すると仮設しないかぎり、そもそも
生命を維持できないのです。この「仮設」の世界こそ、人間が現に生きている、
生きるべき「唯一の世界」なのです。そしてこの世界を「現実界」と呼びます。
物が存在するとはどういうことかを、見事に解明したのが、「色即是空・空即
是色」です。この命題に効果的に反論できる古今の哲学者は、皆無でしょう。
>>1 スレ立て乙
五位七十五法から離れて、人間の精神活動を素描してみますね。
その素描に、縁起、有為法、無為法などを関連させます。
案なので興味ある人は検討してみてください。
現実 ← 認識 ・・・ 「一切の事実」・・・無為法?
判断 ・・・ 「一切の形成されたもの」・・・有為法
判断基準
(愛憎・善悪・正邪など) ← これに対して縁起が発生する
10 :
ixtlan:2009/06/25(木) 21:27:53 ID:mRL8y+hO
宮元啓一は、仏陀説に最も近いのが律蔵−大品だと前提する、
としている。
この律蔵−大品最近似説の根拠は?
11 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 21:30:23 ID:bPnh/qIi
>9
さまざまな異なった解釈がありうる仏教用語は使わないで、日常生活
用語で説明してください。
13 :
ixtlan:2009/06/25(木) 21:35:42 ID:mRL8y+hO
重要なのは、「身体は我ではない」と言うときに、
根拠を言っているということだ。つまり、
「私の自由にならないから私ではない」と言っている。
この説明に、いわゆる無我(私はない)などという意味を
読み込むことはできない。むしろ、私がいなければ無意味となる
そういう根拠だろう。
>>9 続き
現実を単に認識しただけなら、それらは善悪などに関係しない識であり、
これらの識を「一切の事物」と呼び、「我ならざるもの」としたのではないか。
これに対して一切皆苦は、何らかの判断がなされた識について、
それらを「一切の形成されたもの」と呼び、「苦しみ」としたのではないか。
諸行無常はたとえば、
幸せ(判断された識)は常住(永遠)ではなく無常(一時的)であると。
>>13 ixtlan 氏
わたしと同じようなことを言っているような気がする?
縁起に関して言えば、その人の心の中で硬直している判断基準を相対化し、
心のわだかまりを解消する働きがある。執着の解消である。
しかし、
>>9 のように、精神活動を分類して五位七十五法を眺めると、
有為法の範囲が広すぎ、判断のない識と、判断された識が混在している。
判断のない識は、縁起していないから無常だとは言いきれない。
では常住かと言えばそうだとも言い切れない。
たぶん五位七十五法を洗い直し、見直す必要があるのだろうと思う。
17 :
暁:2009/06/25(木) 22:06:54 ID:HfpMv/jB
在家氏よ
真光さんの洗脳と中論の洗脳はどちらか強力かい?
素人目から見ても前者がきついわな
>>11 精神活動の素描については日常用語になっている。
万物の関係性は、判断のない識に分類され、縁起とは言えないだろう。
万物が関係しあっていることは大昔から知られている。
魚を捕獲したり、農業をするのも、関係性を理解できるから行える。
関係性だけなら、多くの生き物が関係性を利用して生きている。
>>16 訂正
判断のない識は、縁起していないから<×無常→○常住>だとは言いきれない。
では<×常住→○無常>かと言えばそうだとも言い切れない。
20 :
旧7:2009/06/25(木) 22:25:42 ID:df57FCrB
かぐやがその任を終え、月へ落下した。落下のさせ方は、着陸探査への布石だそうだ。
かぐやがもたらした数々の月の情報・・・。すごいな・・・。
さて・・・。
月はあるのかな?それとも、幻、虚像かな・・・?(´・ω・`)
21 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 22:40:57 ID:+5GRDiZF
世の中に与える影響は中論の洗脳だな。
マヒカリは小さいな。
アポロの月着陸を事実だと思っている人もいる。
それを疑っている人もいる。
実際に見聞できないなら、確からしさで判断する以外にない。
23 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 22:46:08 ID:+5GRDiZF
竜樹の洗脳のすれ立ては笑った。
考えたこともない。
24 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 23:00:28 ID:yjmqMMok
>>18 >万物が関係しあっていることは大昔から知られている。
>魚を捕獲したり、農業をするのも、関係性を理解できるから行える。
>関係性だけなら、多くの生き物が関係性を利用して生きている。
その、太古からのすべての存在の基礎としての「関係性」を発見した「宗教の
開祖」は、釈迦だけである。すべての生活者は、意識的・無意識的に、関係性
を基盤として生きているのだが。
イエスには、「関係性」など、念頭にさえ浮ばなかった。
25 :
暁:2009/06/25(木) 23:02:26 ID:HfpMv/jB
俺の知り合いで江原と修行したつう奴がいてさ
ハマー乗ってるよw
イギリスの神知学協会?つうとこに行ってたらしい
前世御利益で儲かるみたいよ
26 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 23:09:06 ID:+5GRDiZF
暁も素直になったのー。
別人みたい。
27 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 23:13:07 ID:yjmqMMok
>>21 >世の中に与える影響は中論の洗脳だな。
>ヒカリは小さいな。
中論の「関係性」は、現実界そのものだから、「洗脳」とは言わない。
「関係性」をすっかり忘れた、即ち現実から遊離しまっくった真光の
洗脳の害悪は、巨大である。多くの人々が苦しんでいる。
28 :
暁:2009/06/25(木) 23:16:25 ID:HfpMv/jB
>>24 イエスが、たとえば愛憎、貧富などをセットに話していることに対し、
統合失調だとか言って非難していたのはどこのだれですか。
30 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 23:26:04 ID:yjmqMMok
>>29 イエスが、ことさらに「愛」を説いたり、「貧しい者は幸い」などとい
って人間を差別したのは、彼が、愛と憎、貧と富との間の関係性に思い
至らなかったからである。
誤った主張・・・諸法無我だから諸法は無我である
竜樹たちの、諸法無我という誤ったスローガンに影響されて、
それを頭から信じてしまうことが洗脳である。
竜樹に洗脳されたと言ってもいい。
諸法無我が誤っているなら、中論も誤っているということになる。
中論のどこが誤りで、どこが正しいのかを洗い直す必要がある。
32 :
とおりすがり:2009/06/25(木) 23:38:46 ID:5GE/6Xp/
タイトルだけ見て寄ったので論点はよくわからないけど
我のない関係性なんてあるのでしょうか
梵我一如って言われるように、アートマンどころかブラフマンでさえ真我や自意識はあると思われ
アートマンを説かない教えなんてありえないかと
本家ともいえるインドから仏教が衰退したのも、我は存在しないっていう初期仏教の誤解釈からじゃないでしょうか。
私は、仏陀は無我ではなく非我を説いた説に一票ですかね
失礼しました
>>30 金持ちが貧乏人を差別することはある。しかし貧乏人が金持ちを差別することはない。
差別という言葉は最初から方向性を持っている。言葉の使い方に誤りがある。
愛は憎を前提にして説かれる。貧しい者は幸い、は神の平等を前提に説かれる。
神の前では、豊かな者は低くされ、貧しい者は高くされる。仏教の空を思わせるではないか。
34 :
神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 23:43:46 ID:yjmqMMok
>>31 原始仏教とは違って、中論は、超高度・超難度の大哲学。簡単に「頭か
ら信じられる」ような、単純なものではないよ。
不完全な原始仏教を論じるよりも、それを発展させ、高度化・完全化し
た中論を論じるほうが、はるかに有益かつ有意義である。
前にもたびたび言ったように、原始仏教は、ライト兄弟の飛行機、中論は
ジャンボジェット機である。
日本の仏教界が、原始仏教など相手にしないことには、充分な理由がある。
五位七十五法では有為法に分類されているから無自性である、
と頭から思うのが洗脳である。
どうもこの法の分類自体が縁起・空の思想で整理されている印象がある。
後に唯識を説く世親の作品なら納得できる整理だろう。
前にたびたび言ってきたのは大乗仏典だな。
竜樹に絞ることにしたのは、製造元を偽られた部品で
作られたジャンボジェットがどうして
ライト兄弟のよりマシだと言えるのか、と問われたからだな。
ああ、参加しないつもりだったのですがちょっとだけ。
>>33 貧乏人が金持ちを差別するというのは日常ですよ。ひがみやねたみなどで成功者らを誹謗中傷するというのはよくあることです。
差別というのは上からも下からも生まれます。
関係性を重要視している方のようなのでおわかりだとは思いますが。
ひょっとして関係性を重要視している方とは違うのかな。
ああ、やっぱり中途半端に参加するんじゃなかった。失礼します。
>>34 中論に「関係性」という水のような縁起を見い出したのはさすがだと思う。
しかしあらゆるものを<空>にするとき、縁起は単なる関係性に脱力する。
それはジャンボというよりも、「自然に帰れ」という古い主張にすぎない。
40 :
旧7:2009/06/26(金) 00:12:44 ID:6n3hruNs
>>35 999 旧7 sage New! 2009/06/25(木) 18:17:20 ID:df57FCrB
>> 997
有為・・・saNkhata
無為・・・asaNkhata
41 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 00:13:16 ID:Pz1YtuKI
>>33 >しかし貧乏人が金持ちを差別することはない。
貧乏人は、「自分たちは天国に行ける」という「選民意識」を植え付けられて、
同じ人間としての富者を差別しているのである。
>神の前では、豊かな者は低くされ、貧しい者は高くされる。
人間が、神と言う架空の存在をでっち上げれば、何とでも言える。このような
虚言は、貧者の生存意欲をさらに低下させ、その貧しさからの不幸を、さらに
増す原因となるだけである。
富者が金を使うからこそ、貧者も潤う。貧者だけなら、貧乏なままである。
弱者には弱者を救えない。弱者を救えるのは、強者のみ。
イエスの富に対するあくなき憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、彼が、富とは、社
会への貢献の対価であるという、人間社会の基本構造にさえ思い至っていなか
った結果である。このイエスの浅薄な思想は、マルクスにそのまま受け継がれ、
共産主義の惨状を生んだのである。
>>41 金持ちと貧乏人を同じ人間として扱えだって?
そういった主張をしたいなら、財布の中身も同じにしなくてはだめ。
財布の中身はそのままで、天国でも幸せになりたいだって? この欲張り者!
豊かな者が低くされ、貧しい者は高くされる。
神をでっちあげたと言うより・・・これが縁起・空ではないですか。
眠くなってきたのでオチ
>>39 の文章は意味がはっきりしないので削除。
一行目と、二、三行目は別のテーマなのに、「しかし」でつないでみたのだ。
44 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 06:59:25 ID:9iv3AtqU
イエスも関係性、因果応報を説いてる。
わかりやすい言葉でな。
金持ちほど天国の門をくぐりにくい。
自分でまいた種は自分で刈り取らねばならない。
釈迦よりわかりやすいな。
45 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 07:28:45 ID:iHHzIQ0y
単純に金持ちだから地獄へ落ちるとか、
貧乏だから天国へ行けるというのではない。
さらに現世の行いも加味されてしかるべき。
だから、無自性であり、空であるというのだ。
貧乏なこと、裕福なこと、それ自体が単独で成り立たない。
貧しい国に入るなら、貧乏人の門から入りましょう。
立派な国に入るなら、立派な門から入りましょう。
天国とやらの門はどんな門をしているのですか?
大道、門なし
仏教はあらゆる意味で平等である
47 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 07:53:20 ID:ujmyML6Y
>旧7氏
それにしても、彼等に対して、貴方や真言様は良く根気が続きますね。私は……。
…真言様はどうされたのかな。また、投稿制限なのだろうか。
5スレ>549
>Dhp.277 sabbe saNkhArA aniccA.
>Dhp.278 sabbe saNkhArA dukkhA.
>Dhp.279 sabbe dhammA anattA.
質問なのですが「サンスカーラ」という語と「サンスクリタ」という語は、
原語レヴェルでは、それぞれどのような語で、また、どのような関係にあるのでしょうか?
私の極めて浅い理解では、前者は「作り為すこと」、後者は「作り為されたもの」
という具合だと理解しています。
しかし、この箇所では、サンスカーラが「作り為されたもの」的に使用されていると思うのですが、
如何でしょうか?
釈尊は無常を説いた。
そして、アートマンの根本を否定した。
つまり、アートマンの否定ではなく、アートマンが無いと言ったわけだ。
だから、「無我」でいいんだよ。
経典の意味など、何の根拠にもならん。
現代の翻訳が正しいとは限らんからな。
下記で日本古来から使われている言葉はどれだ?
1:ジグザグ
2:チクタク
3:メロメロ
ホレ、どうだ。
くっくっく。
>>13 >
> 重要なのは、「身体は我ではない」と言うときに、
> 根拠を言っているということだ。つまり、
> 「私の自由にならないから私ではない」と言っている。
> この説明に、いわゆる無我(私はない)などという意味を
> 読み込むことはできない。むしろ、私がいなければ無意味となる
> そういう根拠だろう。
ちがうな。
その場合には、「別なる我」があるだけだ。
そもそも「意識=我」でないのは自明なんだよ。
だから、アートマンなんだろうが。
場蚊ではないか。
釈尊は、そう言う「意識・無意識を通しての我」の存在が単なる「非我」ではなく、それを越えた状態だと説いておるのだ。
だから、結局「無我」でいいんだよ。
くっくっく。
>>44 >貧乏人は、「自分たちは天国に行ける」という「選民意識」を植え付けられて、
>同じ人間としての富者を差別しているのである。
貧乏人がうらやましければ、持っている財産を貧乏人にすべて施し、
貧乏人の仲間入りをすればいい。
>人間が、神と言う架空の存在をでっち上げれば、何とでも言える。このような
>虚言は、貧者の生存意欲をさらに低下させ、その貧しさからの不幸を、さらに
>増す原因となるだけである。
貧しさが不幸であることの認識は存在しているようですね。
ではその貧しさはどこから発生し、どう解決したらいいのでしょうか?
ワーン マイケル死んじゃったよぅ(´Д`)冷凍冬眠するんじゃなかったのかよぅ
盛者必衰なり(-人-)南無
>>41 >富者が金を使うからこそ、貧者も潤う。貧者だけなら、貧乏なままである。
>弱者には弱者を救えない。弱者を救えるのは、強者のみ。
政治や経済のことをあまり知らないようですね。
政治でルールを作り、 そのルールのなかで弱肉強食の経済競争が行われている。
社会のルールは、最初から富者・強者に有利なように仕組まれている。
>イエスの富に対するあくなき憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、彼が、富とは、社
>会への貢献の対価であるという、人間社会の基本構造にさえ思い至っていなか
>った結果である。このイエスの浅薄な思想は、マルクスにそのまま受け継がれ、
>共産主義の惨状を生んだのである。
社会への貢献(労働の供給)と、富の分配(労働の対価)は異なる概念です。
マイケルはいくらでも金があったろうに。金で命は買えなかったか。
まだ50歳なのに気の毒だね。合掌。
死は回帰であり祝福でもあります
>>37 >貧乏人が金持ちを差別するというのは日常ですよ。
>ひがみやねたみなどで成功者らを誹謗中傷するというのはよくあることです。
>差別というのは上からも下からも生まれます。
横レスですが、そういった差別は逆差別と言われているようですね。
もしうらやましければ、貧乏人の仲間入りをおすすめします。
あなたがその気になれば貧乏人になれるのです。
あなたにも門戸が開かれているのだから差別でも何でもありません。
生も死も、現在生きて行為することに何の関係もなのだ。
それが四諦だな。
くっくっく。
57 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 10:23:16 ID:UziDIOhZ
58 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 10:25:56 ID:UziDIOhZ
>>4 >なお、洗脳とは、「現実と社会常識からの逸脱、およびその結果としての
>家庭や社会生活の破壊」と定義できる。これに当てはまらないかね。
元々、宗教それ自体が本来からして既存社会の基盤に反する側面を内包するのです。
何故なら、この社会が唯物主義で創造された社会だからです。
しかしながら、法に触れる犯罪性を帯びた行為に及ばない限りはカルトとはいわない
(カルトの場合は犯罪行為にも思想的な
理由から正当性を主張し、悪意なしに悪事を行う)。
「仏教徒とは仏陀(仏典)によって洗脳された人々である」などという見方はありません。
『カルトとは、社会から孤立した閉鎖集団で、洗脳やマインドコントロールを行い、破壊
活動や、詐欺など法にも触れるような事件を起こす教団のこと。』
http://houjugusya.web.fc2.com/cult.htm
59 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 10:28:10 ID:UziDIOhZ
>>34 まったく違います!
日本の仏教界が直接、原始仏典を信仰上に取り上げないのは、
すでに築き上げてきた五時八教の体系という
大乗信仰の伝統の上にあぐらをかいているからです。
言い換えるならば、日本仏教1500年の伝統に執着しているのであり、
その崩壊(職業としての僧侶生活や商売も含め)を恐れるからです。
これが原始仏教が未だに学問上に限られている理由です。
しかしながら、すでにこれほど原始仏典関連の書籍が出回って普及してしまうと、
仏教界でもこれを無視し続けることは困難となり、
何かしらの対応をせざる得ない状況がきています。
60 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 10:30:26 ID:fwUi2UUo
仏教に無関係はありません。
すべては相互依存。
死を乗り越えて不死になるには、道諦ですよ。
61 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 10:43:02 ID:W7NDBB8b
>>52 >社会のルールは、最初から富者・強者に有利なように仕組まれている。
その不公平を恒久化してしまうのが、イエスの「貧しい者は幸いである」と
いう「虚言」なのである。イエスは何故、「貧しい者は、もっと働いて(社会
に貢献して)富を得よ」と一喝しなかったのかね。それが、貧者に対する「本当
の愛」である。イエスのそのような、貧しい者の弱みに付け込んで「自分を信
じさせる」という彼のエゴのための「きれいごと」「虚言」が、貧しい者をさ
らに貧しくして、だめにしてしまったのである。ニーチェが、「弱者のルサン
チマン」として、厳しく批判する所以である。
> 社会への貢献(労働の供給)と、富の分配(労働の対価)は異なる概念です。
そのような考えから、現在のようなマネーゲームによる金融恐慌が生じてしま
ったのだよ。富とは、社会への貢献(成員の生存に必要な物資・サービスの
提供)の対価という基盤が崩れたから、貨幣信仰(マネーゲーム)が生じ、経済
が破壊されたのである。
貧者にも喜びがあり、富者にも苦しみがある。弱者も強者になり、強者も弱者に
なる。イエスは、そのような「人間の真実」に思い至れなかった。だから、現
在のような、何でも「金、金」という誤った欲望と、人間同士の怨嗟が生じて
しまったのである。
62 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 10:57:04 ID:W7NDBB8b
>>58 >『カルトとは、社会から孤立した閉鎖集団で、洗脳やマインドコント
>ロールを行い、破壊活動や、詐欺など法にも触れるような事件を起こす
>教団のこと。』
宗教による、現実と社会常識からの逸脱という「本来の人格の破壊」が
すっぽりと抜けているね。反社会的「行為」は、そのような人格破壊の
「結果」に過ぎないのである。
63 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 11:05:30 ID:UziDIOhZ
>>スレ5/985
>五位七十五法がまちがった分類表という可能性はないのか?
>これは十分に考えられるのであり、有為法と無為法と縁起・空の関係を
>洗い直す必要があるように思うのだがどうだろう?
水野著『要語』によって、“実に重要な事柄”が浮かび上がってきました・・。
旧7氏からの説明にもありましたが、「一切法」とは有為法のみならず、無為法の双
方をも含むということでした・・。これは一般的には正しいもののようですが、しかし、本
来の原始仏教においては全く違っていたようです。やはり、意味が変えられていった原
因があったのです。なんだか〜無我の意味が変えられていったことも、少し見えてきた
気がします。(以下に、おさらいも含めて)
『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部
派仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存
在の中に加えるようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や
無為法が摂せられ、原始仏教とは違った性格のものとなった。』(p143)
64 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 11:08:28 ID:W7NDBB8b
>>59 宗教を「客観的に」研究すべき立場にありながら、自ら宗教に嵌って
しまうという醜態をさらした中村氏、水野氏、中沢氏などが、いくら本を
書きまくっても、日本の仏教界はそっぽを向いてるよ。
チベット騒動に対しヒステリックな反応を示さず、法句経の「己が身に
引き比べて」の一句を引くに止めた佛教界の冷静な、佛教者らしい態度
が、そのことを証明している。
65 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 11:08:28 ID:UziDIOhZ
ダンマパダ279偈の「一切法」(一切の事物)ですが、「原始仏教では生滅変化する現
象法だけを一切法としていた」のであり、『われわれにとっての世界は現象界のみであ
る。この意味における一切の現象界を仏教では一切とか一切法とか呼んでいる。仏教
が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(p127) ということです。
『一切行苦とは、一切皆苦、諸行皆苦ともいう。五蘊・十二処・十八界などの一切の現
象法が苦であるということである。原始経典の現象法は無常であるから苦であるとされ
ているのはそれである。』(p167) ということからも、「一切法」には本来、ニルヴァーナ
は含まれていません。涅槃は苦ではないからです。
『理論的には「無常であるが故に苦なり」とか「無常であるが故に無我なり」とかいわれ
るように、苦や無我の理由として無常が説かれた。』(p158-159) ということなので、「無
常であるが故に無我なり」ですから、無我とは無常においての状態だとなるでしょう。
『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。』(p160)
ということ
なので、従って、肝心の「諸法無我」でいう“諸法”とは現象界に限定されたものです。
因みに“諸行”は、有為と同義の現象界のことです。『諸行とは生滅変化する一切の現
象法を指し、有為と同義である。すべての現象は一瞬の停止もなく、無常にして生滅変
化するというのが諸行無常である。』(p158)
66 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 11:19:11 ID:UziDIOhZ
>>47 その「彼等」って、もちろんこの私を“含む”ですよね!(笑)
ごめんねぇ〜!シロートなので無知蒙昧なのです。
しかし、普段は滅多に会話できないような内容ばかりなので、
それだけでも有意義かと思います m(__)m
>>62 このスレは、唯物論との直接的議論の場として設けられたわけではありません。
あくまでも仏教枠で論じ合うためのものです。
「宗教不要論」ならば、どうか他でやって下さい!
宜しくお願いします。
67 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 11:20:31 ID:W7NDBB8b
>>65 「一切皆苦」という、釈迦の前提そのものが誤りなのだよ。これは彼の鬱病
の症状に過ぎないのである。換言すれば、彼の単なる「わがまま」である。
王子様として、何不自由の無い生活をしていた釈迦に、本当の「苦」がわかる
わけがないだろう。
圧倒的大多数の生活者たちは、その「生存の努力」を通じて、「苦あれば楽あ
り、楽あれば苦あり」という、人生の「真理」を悟っているのである。
68 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 11:34:08 ID:W7NDBB8b
>>66 >このスレは、唯物論との直接的議論の場として設けられたわけではあ
>りません。あくまでも仏教枠で論じ合うためのものです。
「物が存在するとはどういうことか」を究極的に解明して、唯物論の基礎
を築いたのが「色即是空・空即是色」である。佛教は、キリスト教のよ
うな「甘ったれた精神論」ではないことに気付く必要がある。
69 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 11:36:26 ID:V+tpbCHy
>>66 仏教枠で論じるだ?
オカルト話はOKなのか?
お前は自分のことは棚に上げてよく言うな。
70 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 11:42:58 ID:px/PdrGk
他宗教や他宗派をけなすのはよくない。
結局相手を大事なものから遠ざけてしまう。
自分が知らないことを知る機会も失する。
71 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 11:43:32 ID:px/PdrGk
事実を述べることが、結果的に批判という形になるのは仕方ないというか
そういうのはありだとは思うが。
72 :
一在家:2009/06/26(金) 11:46:07 ID:1TqNiver
宗教の目的(必要条件)は「人類の幸福化」、所謂衆生済度だと考えます。
その為に頭の良い人でなくても伝わる、分り易さが十分条件だと考えます。
仏教をシンプルにモデル化しますと、
「因果応報だから善因を積めば善果を、悪因を積めば悪果を得る」
そこで大切なのが輪廻の有無、肉体より長い魂(アートマン)の寿命です。
「非我=無我」だと、善果も悪果も今世では刈り取れない可能性があり、
晩年で悪いことをした者が栄える場合もあります。
スッタニパータ、ディーガニカーヤに記載のように魂(アートマン)の寿命は
肉体より長く、地獄もあれば、再生(再び母胎に宿る)もあるなら確実に
善果も悪果も自分自身で刈り取ることになります。(イエスもそう説いた。)
「非我=無我」を洗脳と言ったのは、個人が善よりも悪を為し易くなり、
個人の堕落、社会の堕落、国家の崩壊につながる因果関係があると認識した
からです。
以上、私見にて、所属する団体の見解ではございません。
73 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 11:59:47 ID:W7NDBB8b
>>72 >仏教をシンプルにモデル化しますと、
>「因果応報だから善因を積めば善果を、悪因を積めば悪果を得る」
「善因と悪因の『両方』を積んだ者(すべての人間がそうであろう)の
果はどうなるか」の問いに答えられないから、業報論は一発で崩壊する。
それに、「悪果」で「脅迫」することこそ、最大の悪行である。「脅迫」
による「善」は、「善」ではない。
74 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 12:03:11 ID:W7NDBB8b
>>70 >自分が知らないことを知る機会も失する。
知っている(即ち、嵌っていない)からこそ、批判できるのです。批判
のないところには、理解も一切あり得ません。
75 :
一在家:2009/06/26(金) 12:33:58 ID:1TqNiver
>>73 >「善因と悪因の『両方』を積んだ者(すべての人間がそうであろう)の
>果はどうなるか」の問いに答えられないから、業報論は一発で崩壊する。
少しむかしに、一人の男がいましてスポーツで体を鍛えるのが好きでした。
仲間のトレーニングにもアドバイスを与えて良い男でした。
彼の晩年はサラ金の取立てになり、借金した人達に脅迫まがいに厳しく取り立て
苦にした自殺者まで出ました。
彼は生涯健康で寿命をまっとうしましたが、騙されて無一文でこの世を去りました。
幸福にも、健康、人との和、物的豊かさ、学問の探求、スポーツの名声、等々と
色々あり、不幸がその逆だとしたら、善果と悪果の組み合わせも多数あります。
76 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 12:51:43 ID:17TAPoys
>>56 >生も死も、現在生きて行為することに何の関係もなのだ。
バカか。
生がなければ老も無く病も無く死もない。これが縁起だ。
77 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 13:11:28 ID:17TAPoys
>>72 >そこで大切なのが輪廻の有無、肉体より長い魂(アートマン)の寿命です。
たとえ、業報を説くにしても現世だけで十分でしょう。
過去世・未来世に渡る輪廻転生や霊魂(アートマン)など誰も経験できないし
不要ではないか?
78 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 13:17:58 ID:17TAPoys
>>73 >「善因と悪因の『両方』を積んだ者(すべての人間がそうであろう)の
>果はどうなるか」の問いに答えられないから、業報論は一発で崩壊する。
仏教は因果ではなく因縁果で考える。因が決定論的に果に結びつくわけではない。
果が現れるには条件を満たす必要がある、すなわち結果は確率的だとする
確率的決定論が仏教の因果論だろ。また結果がどうなったかは自覚であり
他人が回答することではない。人生占いと仏教は違う。www
79 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 13:38:58 ID:17TAPoys
>>65 >ダンマパダ279偈の「一切法」(一切の事物)ですが、「原始仏教では生滅変化する現
>象法だけを一切法としていた」のであり、『われわれにとっての世界は現象界のみであ
>る。この意味における一切の現象界を仏教では一切とか一切法とか呼んでいる。仏教
>が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(p127) ということです。
佐倉哲エッセイ集には次のような記述がある。
(5)ブッダにとって「一切」とは
ブッダは、サーバッティという所に滞在していたとき、「一切」とはなにか、
次のように教えたと記述されています。
みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、眼と眼に見えるもの、
耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体
に接触されるもの、心と心の作用、のことです。
これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。
何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。
(サンユッタニカーヤ 33.1.3)
後代の仏教の一部では、インドの土着宗教の世界観を取り入れて煩雑な宇宙観を持つ
ようにもなりますが、ブッダの世界観が本来どんなものであったかをこの経典は示しています。
この(サンユッタニカーヤ 33.1.3) の引用は間違いでしょうか?
この「一切」の中には明らかに五感による現象界だけでなく「心と心の作用(すなわち意と意識)」
が含まれています。ブッダは意識できること(想・行・識)は一切に含めているでしょう。
だから一切法には自覚できる法なら有為であろうと無為であろうと含まれることなる。
>>59 >しかしながら、すでにこれほど原始仏典関連の書籍が出回って普及してしまうと、
>仏教界でもこれを無視し続けることは困難となり、
>何かしらの対応をせざる得ない状況がきています。
あり得んな。
経典の意味が翻訳だけで事足りると考える方が場蚊だ。
くっくっく。
>>76 甘いなー。
それでは死ねば良いだけだ。
生を克服することが老・病・死の克服なんだよ。
くっくっく。
すべからく、釈尊の遺言に戻ればよいのだ。
簡単なことだ。
81 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 13:55:21 ID:YFPWEz0L
>>61 >イエスは何故、「貧しい者は、もっと働いて(社会に貢献して)富を得よ」と
>一喝しなかったのかね。それが、貧者に対する「本当の愛」である。
アメリカ(人口約3億人)の貧富の差は想像を絶するものがあり、
所得上位の約500名で国富の半分を占めるという。
これは貧富の差が社会制度の中に組み込まれていることの証拠である。
>富とは、社会への貢献(成員の生存に必要な物資・サービスの提供)の対価という
>基盤が崩れたから、貨幣信仰(マネーゲーム)が生じ、経済が破壊されたのである。
それがわかっていたら、働いても働いても貧しさから抜け出せない理由が、
必ずしも貧しい者にあるわけではない、ということも理解できるはず。
>貧者にも喜びがあり、富者にも苦しみがある。弱者も強者になり、強者も弱者に
>なる。イエスは、そのような「人間の真実」に思い至れなかった。
富者に対し貧者の門は開かれている。強者に対し弱者の門は開かれている。
しかしかれらは、地獄の門のように思うのか、そこへ入って行かない。
82 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 14:37:47 ID:YFPWEz0L
大乗の空も、諸法無我も、五位七十五法も、
アートマンが存在しないことを前提にして説かれている。
五位七十五法は世親(唯識の大成者)の作品だと言われている。
であれば、この法から、アートマンが追放されているのも当然だろう。
無為法は生滅変化を超えた常住、絶対的なものである。
無為法には三つのケースがある。虚空、涅槃、縁がなく現象しなかった存在
→ 無為法以外は、すべて有為法に分類されている。
有為法は原因・条件によって生滅する事物、すなわち縁起・空が成立する
領域とされる。→ しかしこれらが縁起・空である根拠がない!
有為法における、縁起・空の証明が、竜樹の<中論>である。
それゆえ大乗は、竜樹の<中論>に依っている。
<中論>の論理が破綻していれば大乗の論理も破綻する。
83 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 14:42:07 ID:17TAPoys
>>68 >唯物論の基礎を築いたのが「色即是空・空即是色」である。
仏教では六師外道のひとつとして唯物論を否定している。
「色即是空」は仏教哲学だ。
>>72 >そこで大切なのが輪廻の有無、肉体より長い魂(アートマン)の寿命です。
いつから、肉体より長い魂=アートマンになったんだ?
くっくっく。
85 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 15:29:01 ID:17TAPoys
>>82 >有為法における、縁起・空の証明が、竜樹の<中論>である。
無為法で縁起・空が成立しないと思ってるの?
龍樹の中論からはそのような解釈はできない。
無為法も縁起するものであり空である、というのが中論だろ。
そもそも涅槃が縁起しないなら誰も成仏できないだろ。
有為があることによって無為がある、立派な縁起法だろ。
86 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 15:53:38 ID:ujmyML6Y
>>65 Sn.757に拠れば、無常なるものは妄取“法”
758に拠れば、二ッバーナは不妄取“法”
つまり、Dhp.279の「一切“法”」が何を指すかは明確です。
ただし、このSnの「法」の原語は、
ダンマではなくダルミン相当の語かもしれない。
有識者の御批判を仰ぎます。
87 :
一在家:2009/06/26(金) 16:45:08 ID:Ln8vh76g
>>84 >そこで大切なのが輪廻の有無、肉体より長い魂(アートマン)の寿命です。
(訂正)そこで大切なのが輪廻の有無、肉体より寿命の長い魂です。
あいまいな文書ですみませんでした。
88 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 17:08:04 ID:17TAPoys
>>87 どんなに永かろうが寿命が有るものはアートマンではない。
89 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 17:40:32 ID:W7NDBB8b
釈迦の「一切皆苦」という前提が誤っていれば、佛教は、少なくとも苦に関する
限り、全体的に誤りだということになるな。
「一切皆苦」が果たして事実であるかどうかを、現実生活において検証してみよう。
「一切皆楽」、少なくとも「楽あれば、苦あり」が、真実だと思われるが。
90 :
偽本尊:2009/06/26(金) 17:46:40 ID:fwUi2UUo
>86
ちょっと「苦」の意味を誤解していないか?
苦は「思う通りにならない」というほど意味で、楽に対する苦とはニュアンスがことなる。
思い通りにならないから、すべての「計らい」を捨てたところにニッバーナがある。
91 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 18:01:40 ID:17TAPoys
>>89 >釈迦の「一切皆苦」という前提が誤っていれば、佛教は、少なくとも苦に関する
>限り、全体的に誤りだということになるな。
ならないだろ。
苦もない極楽トンボには仏教はご縁がないということだろ。
釈迦は自分の説法を聞く人に強要はしていない。これだ!
アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも
自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころ
としないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として
最高の境地にあるであろう、・・・誰でも学ぼうと望む人々は・・・。
ほら、学ぼうとしない人々まで教えを強要してないだろ。
そこらの新興宗教のおっさんと釈迦は違う。
経典の意味など、何の根拠にもならん。
その翻訳が正しいとは限らんからな。
下記で日本古来から使われている言葉はどれだ?
1:ジグザグ
2:チクタク
3:メロメロ
ホレ、どうだ。
くっくっく。
おまえら生かじりのくせによく仏教批判できるな
その神経は尊敬に値するよ
94 :
一在家:2009/06/26(金) 18:20:36 ID:tE9vA/pW
>>93 >おまえら生かじりのくせによく仏教批判できるな
他の人はともなく、私は生かじりの元大乗仏教徒です。
全ての宗派を批難することはできないでしょう、それだけ
仏教はバラバラで多様化してるからです。
伝統仏教の存在する此岸を、彼岸から見ているだけかも知れません。
>>94 おまえなー、「十方諸仏の一代の代にて八万法門をとく」と言うのを知らんのか。
お前ごとき付焼き刃が佛法をとやかく言ったところで、佛法はビクともせんわ。
安心して批判しておけ。
くっくっく。
>>94 いやー
戦う相手さえ把握してないのに勝利宣言。ご立派
97 :
偽本尊:2009/06/26(金) 19:13:40 ID:fwUi2UUo
誰も仏教を批判していないだろ?
98 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 19:16:16 ID:z9G9pdIE
>>85 >有為があることによって無為がある、立派な縁起法だろ。
有為法・無為法というのは単なる看板であり、A法・B法ということ。
無自性・自性の区別だから、これを一緒にして両方とも無自性にしたら誤り。
99 :
1/3 旧7:2009/06/26(金) 19:16:18 ID:6n3hruNs
>>47 相互の関係は一緒だと思うのでパーリで考えます。
> 質問なのですが「サンスカーラ」という語と「サンスクリタ」という語は、
> 原語レヴェルでは、それぞれどのような語で、また、どのような関係にあるのでしょうか?
> 私の極めて浅い理解では、前者は「作り為すこと」、後者は「作り為されたもの」
> という具合だと理解しています。
純粋に、文法的な語義の導き方はそのようになると思います。
ただ、パーリ語の文法は、仏典に於ける使用例の積み重ねの上にあると見るべきだと思うし、
使用例の集積から導かれたものだと思っています。ですから、
> サンスカーラが「作り為されたもの」的に使用され
ているのも、「法( dhamma )」が多義に広範囲に用いられるように、
「行( saNkhAra )」もまた多義に広範囲に用いられているので、
それはそれで受け入れねばならないと考えます。。(多少文法的に強引であっても・・・。)
※(五蘊に於ける「行」はまさしく「為すこと、作ること(及びその為の力(形成力・潜在力)」という意味を持つ。
だから「意思( cetanA )」(特に「強い、目的的なものとして」)と同義と見做される。)
また、接頭辞「 sam( saM )」の意味をどう読むかも重要かもしれませんが、
解体して意味を探るのはあくまで参考に留め(格変化・活用の解析までとして)、1語として見るべきかもしれません。
名詞化され、十分に浸透した、重要な術語として成立認知されていたろうと思われるので・・・。
(それとも、意外に新しい語なのかも・・・?)
また、どの辞書も「“ saNkharoti の変化”としてでなく、(勿論、構成として[ saM + √kR ]と記されてはいるが)、
「独立した術語として」扱っている」のもそのせいかもしれません。
※(「BSkの saMskAra からの俗語への輸入?」「本来は saNkhata であるべき?」)
100 :
2/3 旧7:2009/06/26(金) 19:17:01 ID:6n3hruNs
何をしてるの?
102 :
3/3 旧7:2009/06/26(金) 19:18:07 ID:6n3hruNs
>>47 [補1]
samが接頭辞としてあることの理由は、
《正しく、理に適って、ふさわしく、なるべきように、(それ以外の結果がありえないようなそのような因果的連鎖でもって)》
というニュアンスで√kRと結合し語を形成しているということだろう。
(ま、だからこそ、「因によって縁によって作られた」という意味が生じうるのだろうが・・・)、
※だから、samがあることにより、サンスクリット語が、単に「作られた言葉」というだけでなく
「最上の、完成された、素晴らしい言葉」として見られているのだろう。
参:サンスクリット語&パーリ語スレッド(その2)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1138115163/344 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1138115163/347 [補2]
・「 saMskRta → saNkhata 」は「(M)sk」が「(N)kh」となっている。「M→N」は、後ろが「k(kh)」だから。
・また、特にパーリ(俗語)では、短母音と長母音や無気音と含気音は双方共に用いられることがある。
・梵語の「 k 」はパーリ(俗語)に於いて「 kh 」となることがある。
・パーリ「 √kar 」の名詞化は → 「 kara、kAra 」 故に 「 saNkharoti 」→「 saNkhAra 」、だと思う。
・「〜する者」の意を示す時は、「 -a を付加したkara」よりも、
「 -tarを付加した kattar 」及び「 -in を付加した kArin 」の方が、より意味が鮮明。
・レスするにあたり、水野辞書、水野文法書、PTS辞書をパラパラとめくったw
さて、もっと詳しい方も居そうだが、こんな説明で良かったかな? (´・ω・`)
補足訂正批判宜しくw m(_ _)m
103 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 19:49:19 ID:XvOt968D
>>90 >思い通りにならないから、すべての「計らい」を捨てたところにニッバーナが
>ある。
「思い通りにならない」としても同じことだろ。「人生は、初めから思い通り
にならない」ということを悟っていれば、「計らいを捨てる」という「計らい」
をする必要もない。
それに、「思い通りになる」こともあるし、それを「涅槃」と呼ぶのかな。
そもそも、すべてを「思い通りにしたい」と思うことこそ、煩悩ではないのか。
>>82 の続き
<中論>の論理が破綻していれば大乗の論理も破綻する。
とはいえ<中論>は2000年に近い寿命を持つ、シブトイ妖怪である。
一筋縄ではいかない。
常識で考えても、この現実を空・幻だとか言っている話はインチキだろう。
しかしそれをインチキであると証明するのは困難である。
<中論>のホコロビを指摘しても誤りを認めないし、
原始経典から指摘しても誤りを認めない。
しかし、ではどうしたらいいのか、などと焦ることもないか。
そんなものに頼っても<あなた>自身が悟れないだけである。
それは<あなた>自身の問題だと語ればすむこと(^^)
ここにスッタニパータも中論も読んでないアホがいますよ。
はぁー しょーもな。
106 :
旧7:2009/06/26(金) 20:04:34 ID:6n3hruNs
>>104 ある人物が、「中学時代はいじめられてて、文字通り毎日が地獄だったよ」と述懐したとする。
さて、彼の中学時代は地獄か否か?
貴方ならどう思う?w
107 :
旧7:2009/06/26(金) 20:08:59 ID:6n3hruNs
>>104 ある人物が、「不況の煽りで経費削減、人手不足で超過勤務連発、文字通り毎日が地獄だよ・・・」と述懐したとする。
さて、彼の毎日は地獄か否か?
貴方ならどう思う?w
108 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:11:22 ID:XvOt968D
>>106 「いじめは、社会のどこにでもある」ことを悟っていれば、地獄ではない。
いじめる相手の人間観察をやって、人間を学ぶこともできる。
釈迦は、そこまで悟っていたのだろうか。
109 :
旧7:2009/06/26(金) 20:14:49 ID:6n3hruNs
>>104 ある人物が、
「リストラ宣告されて再就職するも給与は半減、女房も長時間パートを見つけはした。
が、養育費は増える一方、各種借り入れは返済が続く、子が育てば食費も増えるだろう、
これからの数年(数十年)は、まさに地獄となるだろう・・・」と述懐したとする。
さて、彼の毎日は地獄か否か?
貴方ならどう思う?w
110 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:16:21 ID:XvOt968D
釈迦は、何不自由なく育ったから、「自分の思い通りにならない」こと
が多かったのだろうね。要するに「わがまま」だったのではなかろうか。
111 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:19:09 ID:17TAPoys
>>98 >無自性・自性の区別だから、これを一緒にして両方とも無自性にしたら誤り。
無為法をほんとに自性があると見てるのかな?
それだったらお門違いだね。自性があるなら縁起はしない。
無常も成り立たない。無変化の死の世界が自性のある世界だね。
自性の論理世界と無自性の論理世界は一元化されることは無い別次元
の世界だろ。
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の関係と同じだね。
112 :
旧7:2009/06/26(金) 20:20:09 ID:6n3hruNs
>>109は
>さて、彼の未来は・・・ だな。 改変し忘れたw
>>108 >「いじめは、社会のどこにでもある」ことを悟っていれば、地獄ではない。
すげえなW そんなことでいじめらてる側が救われるのかW
>>105 あなたはスッタニパータや中論を読んで、空を体験したのか?
体験もなく偉そうなことを言うのはよしな。
115 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:30:40 ID:XvOt968D
>>113 そこで「悟り」だよ。いじめくらいに負ける仏教者でどうするw。
悟っている奴は、いじめをバネにして大成する。
た・い・け・んW
良い言葉だねえW
そんなものゴミバコに捨てちまいな。
で、ないと悟れないぜ。
117 :
旧7:2009/06/26(金) 20:31:42 ID:6n3hruNs
>>103>>108、
言わんとするベクトルは解る。
だが、もう一つその向こうなんだ。目指すべきは。
君には、このレスを返そう。→≪
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/452 ≫
それから、[106、107、109]は、
(真言氏が何度か述べていた「世を、虚妄・幻・泡沫etc.と見るべき」という言辞と絡んで)、
>>104の >この現実を空・幻だとか言っている話はインチキだろう。
に対する、(反論としての)考察資料だよ。 横から筋違いな発言を挟むなw
それから、
>>110、その側面がゼロだとは言わない。シッダッタ個人のパーソナリティの影響も大きいと思う。
仏教全体を歴史的に見ても、砂漠でない、温帯で生まれた思想である故の甘さ、ぬるさを有してはいるだろうと思う。
ただ、それをカバーして更に余るほどの長所があるってこったw
118 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:33:39 ID:XvOt968D
>>113 いじめを、修行の機会だと思ったらどうかねw。わざわざ、修行する必要が
なくなるw。
119 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:33:52 ID:z9G9pdIE
旧7は、質問するなら、まず自分の考えを言いな。
自分の考えを隠してずるい奴だな。いったい何を企んでいるのだ。
>>115 悟ってるものに、苦を脱する方法論がいるのか?
面白い事を言う。
そういうものは、悟ってないものにこそ必要なのだろう?
>>116 あなたも空論者か。尊大・横柄な発言をする者はだいたい空論者だね。
122 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:41:42 ID:17TAPoys
>>108 >「いじめは、社会のどこにでもある」ことを悟っていれば、地獄ではない。
そのように思える人はいじめられることが無い。
いじめがいが無いから。www
空なぞ論ずる必要はない。
それが、大乗論者である。
124 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:42:36 ID:XvOt968D
>>117 >ただ、それをカバーして更に余るほどの長所があるってこったw
具体的には?このスレからは、それがさっぱり見えてこない。
125 :
旧7:2009/06/26(金) 20:43:21 ID:6n3hruNs
>>119 2chの楽しみ方としては、正当、王道だと思うが?w
>>122 そのような戯論、観念のみによる解決に意味を見出さないのが
大乗論者である。
127 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:49:10 ID:17TAPoys
>>126 観念じゃないよ。やってみればわかる。www
くだらねえ。
考えるヒマあったら行動する。
話しかける。
おおよそ、虐められる側は心に壁を持っている。
相手が敵であるという妄想をな。
129 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:51:35 ID:XvOt968D
>>126 大乗がきたーw。
このスレは、日本の仏教界では相手にされない小乗色が強すぎ。
中村氏の「ブッダの教え」を読んだが、何の感動もなかった。
大乗、というか、もう引退宣言しちゃったんだが。
もう仏教徒でもないぞ。
>>123 >>126 観念でもなく体験でもないなら、あなたはいったい何を言っているのだ?
>>116 :神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 20:31:36 ID:AFJGkPlj
>た・い・け・んW
>良い言葉だねえW
>そんなものゴミバコに捨てちまいな。
>で、ないと悟れないぜ。
武勇譚なんぞききたかねえよ。俺は忙しいんだ。
酒場の英雄を相手にするつもりはねえ。
人間、昔のこと語りだしたら、終わってるらしいぞ。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 21:01:32 ID:17TAPoys
暇な人が来たね。俺も暇だけど。
いや、忙しいから来たのよ。
やるべき事がある時にこそ、遊んでみたくならないかい?
明日、試験なのに、ゲームしたり、テレビ見たりとか。
>>132 忙しければスルーしたらいい。
自分の都合を相手にぶつけるのが大乗論者か。
それに何だ、この大乗論者とは?
>>132 知らん。
仏教学会には縁がないんでね。
言葉の定義で一日中遊ぶような趣味は無い。
あ、ここはそーゆー処なの?
せいぜい頑張ってね。
138 :
暁:2009/06/26(金) 21:19:07 ID:DpOVKgEH
実に汝は無の意味を空の意味であると妄りに実在視(増益)して
過失を指摘している。
しかるにわれわれは空の意味を無の意味であるとは説明しない。
そうではなくて縁起の意味である〔と説明する〕。
それ故にこの空を排斥することは正しくない。
(プラサンナパダー499P)
中観派は「縁起論者」だよ〜w
139 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 21:19:39 ID:17TAPoys
>>135 自己レスか?
ここはチャットじゃないけどアク禁になるまで付き合ってもいいよ。
戯論が嫌いなのか?だったら実論を語ればいいだろ。
体験談や武勇伝で無い実論ならいいのだろ。
福沢諭吉の「学問のすすめ」はどうだ?
>>138 縁起は空なのだから、空論者のどこが気に入らないの?
141 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 21:21:32 ID:17TAPoys
142 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 21:25:02 ID:17TAPoys
空(くう)論はいい、だけど空(うつ)論とか空(からっぽ)論
と理解してはならないということだ。もちろん空論は無論ではない。
143 :
暁:2009/06/26(金) 21:26:41 ID:DpOVKgEH
>>140 ん?誰が気に入らないと述べてるの?
縁起、空、無自性は同義(他もあるが)
何と言われようが気に入らんとは書いた覚えが無い。
幻覚見たのかしら?エクトプラズム?(笑)
144 :
旧7:2009/06/26(金) 21:27:03 ID:6n3hruNs
>>142 そこは当然、 >無論、空論は無論ではない。 と、締めるべき所だろw JK
145 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 21:27:48 ID:17TAPoys
やっぱアンカーつけないと議論を追いにくいね。
アンカーをつけるとストーカみたいに嫌うやつもいるけど。
>>143 それじゃ、暁氏のことは空論者と呼ばせてもらうね。
147 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 21:29:17 ID:17TAPoys
>>144 そや、そや。
旧7さんに座布団一枚!!!
148 :
暁:2009/06/26(金) 21:31:59 ID:DpOVKgEH
149 :
偽本尊:2009/06/26(金) 21:40:40 ID:fwUi2UUo
>103
計らいを捨てるという計らい?
それはね、計らいとは謂わないよ。
計らいを捨てるのに「計らい」はいらない。
ただ計らわなければいい。だから「計らいを捨てる」という言葉に捕われてはいけない。
150 :
ixtlan:2009/06/26(金) 21:44:45 ID:Y0feg0oV
律蔵−カンダカ−大篇6での<非我>とは、「自己の自由にならない」ということであった。つまり、自己の自由にならないものは、自己ではない、という理屈なんだが、
この理屈自体が古代人の理屈というか、われわれにはあんまり理解できない。われわれは自己の自由にならないものとして身体を見るという見方はあまりしない。
たまにはするけれども、これを普遍化はしない。むしろ、身体は、<自由と非自由>の双方の意味を持つ、と我々は考えるだろう。(勝手に我々と言っているが。)
しかしとにかく仏陀はこう言ったと前提しておく。
すると、アビダンマ(アビダルマ)の注釈文献とされるブッダゴーサの「無我」説は、その半分は了解できるわけだ。
というのは、その無我説は、無我の意味として二つ挙げており、
それらは、
1)無実体 asara
2)非自在 avasavatti
である。(参照『パーリ・アビダンマ思想の研究』浪花宣明、P.23)
*************************************************************
>12
「祝福された者は五人の比丘にこう語った。身体(ルーパ/色)は自己ではない。もしも身体が自己であったら、病にもかからないだろう。
また、「私の身体はかくかくしかじかのものであれ、私の身体はかくかくしかじかのものでないように」と我々は言うことができるだろう。
しかし身体は自己ではないから、身体は病にかかったりする。そして「私の身体はかくかくしかじかのものであれ」とか「私の身体はかくかくしかじかのものでないように」と言うことはできない。」(律蔵−カンダカ−大篇−6−38)
大乗は、空論者の竜樹と、幻論者の世親、
この二大巨頭によって作られたようなものである。
竜樹は<空>を説き、世親は<幻>を説く。
この現実は空であり幻である。これが大乗の基本的な立場である。
このことを知らない人も多いのではないだろうか。
この世は空と幻、そんな非常識な、と思う人も多いのだろうと思う。
152 :
旧7:2009/06/26(金) 21:59:57 ID:6n3hruNs
>>151 仏教は「見做し」の宗教であることが解らんらしいなw
153 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 22:01:02 ID:ujmyML6Y
154 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 22:20:39 ID:UziDIOhZ
お知らせ!
**全過去スレ/リンク集
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html の各スレURLを手直しして広告の出ないタイプにしました。
開くのに“重い“といった煩わしさが解消できました。
他に何か、不具合などがわかった方はお知らせ下さい。
----------------------------
>>86 一応、注釈部分を転載します。
『一切の事物は我(われ)ならざるものである---sabbe dhamma^ anatta^. これがパーリ聖
典にあらわれる古い思想である。ところがのちには「一切の事物は恒常する実体をもたない
(anatta^ 無我)」と解釈するようになった。パーリ文註解は後者の解釈に従っている。
(“anatta^”ti “ma^ jiyantu ma^ miyantu^” ti vasevattetum na sakka^ ti,
avasavattanattena
anatta^ sunna^ assa^mika^ anissara^ ti attho.)』
(中村 元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫刊p124)
>>111 >自性があるなら縁起はしない。
>無常も成り立たない。無変化の死の世界が自性のある世界だね。
「有為法」の話を無為法の性質と重ねては意味が通じないのでは!
>>129 >中村氏の「ブッダの教え」を読んだが、何の感動もなかった。
仏教は感情に訴える他の宗教とは違う。
大乗は在家中心であり、大衆の満足を満たそうとして感情に訴える手法を摂った。
155 :
暁:2009/06/26(金) 22:26:07 ID:DpOVKgEH
空、無自性、共に縁起を意味している。空観はしばしば
誤解されるみたいだよね。
あらゆる事象を否定したり、空虚なんだとみなされたり。
中論24.14にあるように
「空が適合するものに対しては、あらゆるものが適合する。
空が適合しないものは、あらゆるものが適合しない」
もしも一切が不空であり実有なら、一切は成立しない。
ではないかい?(笑)
156 :
旧7:2009/06/26(金) 23:23:19 ID:6n3hruNs
>>154 出費や手間をかけさせるばかりで申し訳ないが、
《 片山一良「パーリ仏典入門」(大法輪閣) 》、
《 奈良康明「釈尊との対話」(NHKブックス) 》、
この二つは読んでみてほしい。(カラスは、人から薦められた物は天邪鬼的に読まないだろうがw)
前者は、(前シリーズで一度名前が挙がったが)、
返レスする手間が省けそうなほどの伝統的上座部の見解だから。
誰かが言ってたかアマゾンのレビューだったかで
「パーリ仏教を学ぶ上でのスタンダードとなるだろう」という言葉があったが、私もそう思う。
「水野要語]と同著者の「釈尊の生涯」に匹敵する良著だと思う。
現在まで続く上座部が伝える仏教がそこにある。
(偈の訳文には苦労の跡(≒こなれた和訳への熱い思い)がヒシヒシと感じられるw)
また後者は、私のスタンスの原点と言ってもいい。
(これを読んで、「ああ、この人はこういう想いで授業をしていたんだな・・」と理解し、親しみを持ったような面もある。)
そして、「人間釈尊」を探求するなら、「自身の生に直結した仏教」を求めるなら、
「学者云々でない、自身が受けとめ、理解し、共に歩む(或いは小脇に抱え歩み続ける)仏教」を求めるなら、
何かしらの示唆がそこに見えるだろうと思う。
また、前者を薦めるのは、ぶっちゃけ『ページ数を示すだけで返レスにできそうだから』だ。
作文する手間が省けると楽だなぁ・・・とw
石飛信者が居るくらいだから、この程度の推薦はあってもいいだろ?w
おやすみ ノシ
念仏無間 禅天魔 真言亡国 律国賊
創価仏罰 佼成堕天 霊友盲虚 神宮虚礼
真の仏教カンターレ 現世仏陀 大川隆法
公明惨敗 自民下野 民主抑制 共産弱小
幸福実現大勝利 日本国国師 大川隆法
158 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 23:37:56 ID:UziDIOhZ
>>34 >原始仏教とは違って
>不完全な原始仏教を論じるよりも
>原始仏教は、ライト兄弟の飛行機
仮にも仏教を学びたいという意志があるのであれば、
仏陀であるゴータマを愚弄することは辞めて頂きたいものです。
----肝に銘じて欲しい。
>>79 >この(サンユッタニカーヤ 33.1.3) の引用は間違いでしょうか?
>この「一切」の中には明らかに五感による現象界だけでなく「心と心の作用(すなわち意と意識)」
>が含まれています。ブッダは意識できること(想・行・識)は一切に含めているでしょう。
>だから一切法には自覚できる法なら有為であろうと無為であろうと含まれることなる。
>
この経が間違えているということではなく、それら心理作用も五蘊の範疇であり、
六根の「心と心の作用」も五蘊「識蘊」の範疇です。
「一切」とは五蘊であり、六根のことを指しています。
「それらは我(アートマン)ではない」と説いているのです。
159 :
旧7:2009/06/26(金) 23:42:19 ID:6n3hruNs
>>158 >「一切」とは五蘊であり、六根のことを指しています。
『一切(sabba)』だけでは何の意味もないんですよ。
何を括って『「一切」か』『「sabba」か』を、文脈によって都度都度見なければいけません。
少なくとも仏典中で、『sabba』のみで何かを指し示しているケースは無いと思います。
160 :
旧7:2009/06/26(金) 23:44:40 ID:6n3hruNs
>>159補足。
『 sabbe + ○○ 』 という形になっている筈だということです。
ノシ
161 :
神も仏も名無しさん:2009/06/26(金) 23:53:26 ID:F0Z0HieK
>>154 >仏教は感情に訴える他の宗教とは違う。
それは認める。高度に現実的、合理的、経験的、理性的、実証的、人間的な宗
教である。妄想に過ぎないキリスト教や神智学の対極にあるもの。
>大乗は在家中心であり、大衆の満足を満たそうとして感情に訴える手法を摂
>った。
竜樹のどこが感情的かねw。感情的どころか、高度に論理的・哲学的で、一般
大衆が簡単に理解できるような代物ではない。君は、確か、「竜樹など読んだ
ことがない」と豪語していたが、読んでも理解できないからではないかw。現に、
「縁起・空(関係性)」(これは、オウムを除く、日本のすべての仏教宗派の
教義の中核をなすもの)について、全く理解していない。
いずれにせよ、原始仏教(小乗仏教)は、日本の仏教ではなく、東南アジアの
佛教に過ぎないのだから、少数の小乗学者の本をいくら読んでも無意味。小乗
には、大乗のような論理的な発展は皆無である。感情やオカルト以外の要素は
ない。
小乗を論じたければ、東南アジアに行ったらどうか。日本では場違い。
162 :
宝珠愚者:2009/06/26(金) 23:56:23 ID:UziDIOhZ
>>156 う〜む。初めてあなたからの優しさが感じられる文意でしたw
はぃ、旧7さんがそういうなら間違いなく、素晴らしい良著でしょう^^
分りました。早急に入手するように努めます。
推薦書、マジで感謝です!m(__)m
--------------------------------
ついに、水野著『要語』による決定的な解説文を見つけました!もし、水野氏の学説
(見解)に信を置くのであれば、これらの言葉は熟考されるすべものです。
『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代
に関する限り、それは生滅変化する現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・
十八界などとした場合、それらはすべて時間と空間の中にあって、われわれに認識され
得る現象界だけを意味した。したがって一切法としての「もの」は「無我性のもの」「実体
や本体というような形而上学的存在でない現象的なもの」とされた。これが法の第四の
定義の意味である。』(p112)
結論。「一切法」とはつまり、「現象界の性質に限られる」というのが本来のゴータマの
教説ということ。従って、本来の正しい無我の性質は一切法「外」であるニルヴァーナに
は適応されません。涅槃は無我ではない。---完結
>>159-160 シロートには無理ですwww
163 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 00:10:51 ID:GsI4DhoZ
>>162 ならば、原始仏教における「法灯明」とは、そこに定義された「原始仏教時代の
『法』に従え」ということだよ。君は、法灯明を離れた自灯明を激しく批判して
いたはず。
164 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 00:19:38 ID:BfGwzoeD
>>161 >妄想に過ぎないキリスト教や神智学の対極にあるもの。
神智学---いちいち出さなくてもいいから!!因みに神智学は信仰ではなく、どちらか
という学問に近い。また一部、私のことを仏教(仏陀)の権威を欲しがっている(利用した
がっている)という批判の声もありますが、神智学では特定の諸宗教の聖典経典を偏愛
しないを姿勢(モットー)にしています。
神智学分野で仏教をテーマにすることもありますが、仏典よりもヒンドゥー聖典『バガヴ
ァッド・ギーター』のほうが遙かに教材に利用されるでしょう
>いずれにせよ、原始仏教(小乗仏教)は、
原始仏教と小乗仏教とは異なると教えたでしょ!
あなたが中論を学ぶのは好きにすればいいのです。
とにかく誤解が甚だしいです。
>>163 法そのものは不変です。だから普遍的真理なのです。
ただ法(教え)の適応のあり方が時代と場所によって姿形を変え得るということ。
従ってゴータマに帰れ!です。
ゴータマ本来の教説(に迫り)を知り、それを如何にして現代に適応するかを論ずるべきです。
それが嫌ならば、あなたは仏教を辞めれば???
165 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 00:20:57 ID:GsI4DhoZ
>>158 >>原始仏教は、ライト兄弟の飛行機
その「事実」は否定できないだろ。その事実に目を背けるのは、「開祖
個人崇拝」という、感情論、カルトに過ぎない。
ゴータマを愚弄するどころか、その「空の思想」により、大乗仏教の巨大
な体系の発展と確立を可能にしたとして、如何なる宗教の開祖よりも高く
評価している。
166 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 00:30:29 ID:GsI4DhoZ
>>164 >従ってゴータマに帰れ!です。
開祖や原始教典の無批判な盲信と賛美は、カルトだよ。
ゴータマの「本来の教説」には、「空」以外の何があるのかね。
竜樹も、ゴータマの本来の教説である「空」に帰って、それを分析・解明し、
大幅に発展させたものではないのかね。
167 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 00:52:01 ID:GsI4DhoZ
>>162 水野氏の最新刊(復刻版)を立ち読みしてみたが、水野氏は、君がそれほど
感心するようなオカルトではないようだよ。そでの「原始仏教時代の法の定義」
に見られるように、内容はしっかりしている。駒澤大学(曹洞宗)の元総長さん
だからね。
168 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 00:54:10 ID:GsI4DhoZ
マイケル釈尊
170 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 01:14:32 ID:GsI4DhoZ
>>164 >私のことを仏教(仏陀)の権威を欲しがっている(利用した
>がっている)という批判の声もありますが、
権威を欲しがっているのではなく、「縁起・空(関係性)」によって、
「唯一神」が相対化されるのが、恐くて仕方が無いだけ。
佛教は、唯一の「相対性を説いた宗教」であることを、忘れてはならない。
>神智学では特定の諸宗教の聖典経典を偏愛しないを姿勢(モットー)
>にしています。
現に、大乗仏教を排斥し、小乗仏教を著しく偏愛しているではないかw。
171 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 01:23:27 ID:BfGwzoeD
>>156 >(これを読んで、「ああ、この人はこういう想いで授業をしていたんだな・・」と理解し、
>親しみを持ったような面もある。)
ということは、
旧7さんは駒沢大学仏教学部でしたか?www
私が若くて仏教に触れた頃に夢中になって見たTV番組が
「NHK市民大学/釈迦とその弟子たち」(全12回放送)という原始仏教講義でしたわ。
今でも、これはVTR保存のお宝です。
『NHK市民大学/釈迦とその弟子たち』講師:奈良康明(1987年1月13日初回)
@激動期にいきるシャカ
A若き日々
B孤独に堪える
Cボダイ樹の下で
D法を説く
E舎利佛・目連の入信
F精舎の成立
G大迦葉の求道
H倫理生活のすすめ
I教団を支えた階層
J悪行と異端
K生死をこえて
172 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 01:25:02 ID:BfGwzoeD
>>165-166 中論の作者であれ、
ただのゴータマの(後代の)弟子の一人に過ぎません。
仏陀ゴータマを見下す愚弄は許されない。まさに外道!!
ゴータマこそが仏陀です。ゴータマが自らの体験によって説かれた成仏の方法が仏教
(仏法)であり、それが纏められたものが原始経典(仏陀存在、自らの教説が纏められた
ものはこれしかない)です。
これに拠らない創作ものなど、たとえどんなによく書けていようとも想像に過ぎない。従っ
て、想像の産物は成仏法とはいえず、涅槃入りは保証されない(涅槃入りの体験という裏
打ちがない)。
>>170 >権威を欲しがっているのではなく、「縁起・空(関係性)」によって、
>「唯一神」が相対化されるのが、恐くて仕方が無いだけ。
縁起/空とは、現象界に限定される性質であると論証しているところでしょ!
私の投稿のどこを読んでるの?
>現に、大乗仏教を排斥し、小乗仏教を著しく偏愛しているではないかw。
仏教とは原始経典のことです。
それゆえ「根本経典」ともいう
大乗経典は仏典ではない(基本認識がズレています)---それだけのこと。
173 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 01:34:02 ID:BfGwzoeD
>>170 大乗仏教を中心に話題にしたいのであれば、他スレでお願いします。
中論を議論するスレもあるでしょ。そちらへ速やかに移動して下さい!
さようなら。
大般涅槃経 第二十三章
「内に色を見とめず、外に色を見とめること。
アーナンダよ、これこそ、第二の離解脱である。」
「美しいことに対して、浸り切っていること。
アーナンダよ、これこそ、第三の離解脱である。」
「色の無い世界に至り、空間無辺境となる。
つまり、空間が無辺となる、境地に至ること。
アーナンダよ、これこそ、第四の離解脱である。」
「空間無辺境を越えて、識別無辺境となる。
つまり、識別が無辺となる、境地に至ること。
アーナンダよ、これこそ、第五の離解脱である。」
「識別無辺境を越えて、無所有境に変わる。
つまり、所有が存在しない、境地に至ること。
アーナンダよ、これこそ、第六の離解脱である。」
「無所有を越え、非認知非非認知境となる。
つまり、見る事もなく、見ない事もないこと。
アーナンダよ、これこそ、第七の離解脱である。」
「非認知非非認知を越え、大涅槃に変わる。
つまり、認識を越えて、経験を滅尽すること。
アーナンダよ、これこそ、第八の離解脱である。」
「アーナンダよ、これが、八つの離解脱である。」
大般涅槃経 第十七章
仏陀は、雨期の住居で、大病に見舞われた。
凄まじい痛みにさえ、苦しむことなく耐えて、
仏陀には、このような思いが浮かんだのである。
「弟子を省みる事なく、僧伽を顧みる事なく、
涅槃に至れることは、私にとって相応しくない。」
すると、仏陀の病気は、鎮まったのである。
アーナンダは、仏陀を訪れて、これを喜んだ。
仏陀は、アーナンダに対し、このように説いた。
「アーナンダよ、私に、何を期待するのか。
私は、余す所なく、全ての法を説き明かした。
師に握拳なし、説くべき法は既に解き明かした。」
「守もろうとしたり、護られようとしたり、
そのような関係ならば、何かを語るであろう。
しかし、我々は、そうではない、何を語ろうか。」
「わたしも、老け込んで、八十歳となった。
アーナンダよ、世尊が、全ての相を作意せず、
心三昧に止まる時、世尊の身体に安穏が訪れる。」
「私の死んだ後、比丘は、このようにせよ。
他を帰依処とせず、自己を帰依処としなさい。
自我を帰依処とせず、法則を帰依処としなさい。」
「周りを灯明とせずに、自らを灯明とせよ。
自我を灯明とせずに、真理の法を灯明とせよ。
アーナンダよ、そのためには、如何にすべきか。」
「このように、正念して、正智すべきである。
身に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
受に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
心に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
法に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。」
「こうすれば、現在にも、わたしの死後にも、
周りを灯明とせず、自らを灯明に出来るだろう。」
0からプラス1とマイナス1が取り出せます
0からプラス100とマイナス100が取り出せます
0からは対になった存在を無限に生み出すことが出来ます
対になった存在は出会うと消えてあたかも何もなかったかのように振舞います
はたして0は無なのでしょうか空なのでしょうか
無は何も生まないけれど空は全てを生み出します
179 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 02:29:16 ID:BfGwzoeD
>>167 >水野氏は、君がそれほど感心するようなオカルトではないようだよ。だからね。
あなたは何をいってるのですか!
『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代
に関する限り、それは生滅変化する現象の法に限られていた。--略-- したがって一切
法としての「もの」は「無我性のもの」「実体や本体というような形而上学的存在でない現
象的なもの」とされた。』
>>162 と、水野氏はいっており、これはこの私が転生スレの創設から一貫して主張したことそ
のまんまではありませんか!
私は何も「空」の教えがダメでも間違いなどともいってない。空とはこの現象界の性質
のこと(限定)であり、従って「空」理論を根拠として転生否定したり(流転変滅を繰り返す
のが無常/縁起/空であるから輪廻否定の根拠とはならない)、アートマンを無いものと
断定したり(無記が正解であり、無いなどとはいってない)、ましてやニルヴァーナ(及び
仏陀/解脱者)そのものまでも空で無常である・・などとは、全く違う暴論だといってるの
です。「空」を理解してないのはあなたです。
180 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 02:30:38 ID:BfGwzoeD
181 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 03:19:40 ID:QB/xxiTz
>>179 水野氏のその定義に従う限り、あなたは、少なくとも、「原始仏教時代の法」
を「灯明」としていないことになるよ。「釈迦の教えに反した」とんでもない
自灯明ではないのかね。
182 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 03:35:17 ID:QB/xxiTz
>>179 あなたは、釈迦が説いた「原始仏教時代の法」以外の「法」を勝手にでっち上げ、
釈迦を冒涜している、ということだ。
あなたは、「実体や本体というような形而上学的存在でない現象的なもの」以
外のものを、「法」としているのではありませんか。
>>178 空 = 縁起
0 = −100+100(相依関係)
ということだな。
>>160 五位七十五法は有部が体系化し、それが他の小乗仏教にも影響を与えたものと記憶します。
それまで、法とは人間が把握するすべての存在(認識対象)である
(たとえばアートマンも法の集合体としてこれに含まれます)、有為法を意味していたはずで、
涅槃はこれら人の把握するもの一切の否定(認識の対象、作用、感覚器官を前提におく心的力の否定)の
のちに現れる、なにか、
世親的な意味での空(人間が把握するすべてを奪ったあとにそこに残る状態)と表現した方が無難でしょうか、
であったと思います。
しかし、有部は実念論的な立場(三世実有法体恒有)から、この本来対象化されるべきでないものを
”涅槃”という形で対象化をし、無為法を仮設したために、一切法に無為法が含まれない矛盾が生まれ
竜樹に批判されることになったのではなかったですか?
竜樹が「すでに行ったものは行かない。まだ行かないものも行かない。
さらに、すでに行ったものと未だ行かないものとを離れた、現在行きつつあるものも行かない」と言ったのは、
実念論が、<行く>という行為を把握するために対象化し仮設した”行った” ”行かない” ”行きつつある”
というもの(法)について、
”行った”と対象化されたものが<行く>ことはない、と
法を人間の把握下におき、実在物として扱うことを排撃したのだと思います。
185 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 07:11:20 ID:LX5YyzTT
>>158 >「それらは我(アートマン)ではない」と説いているのです。
そうですね。
仏教にとっての一切の法とは五蘊であり、無為法も五蘊の内という
ことですね。無法や法外に我(アートマン)の住処があろうと自己
(あっし)には関係ないといったではないか。
また法は釈迦が説いたから法であるのではなく誰が説こうと法は法だ
とも釈迦は言ってるだろ。その法に従うのが法灯明だろ。
意(心)の対象となる境が法であり、その識は意識だよね。
もちろん、意識は自覚できる事柄だろ。
形而上の事物だから意識にならないということではない。
全ては、一切は変転しているのだから「無常」であり、
永遠なるもの、常住なるものはないのだから「無我」であり、
よって苦なるものは、無我であり、無常であり、空でもあるのだ。
そのなかで涅槃を求める、悟ることが解脱であり、
霊的なる身体としてのアートマン、永遠の生命があると
悟ることだ。これが仏教である。
92 名前: 走召 糸色 文寸 ネ申 Mail: sage 投稿日: 2009/06/26(金) 18:03:39 ID: V7CKPEZs
経典の意味など、何の根拠にもならん。
その翻訳が正しいとは限らんからな。
下記で日本古来から使われている言葉はどれだ?
1:ジグザグ
2:チクタク
3:メロメロ
ホレ、どうだ。
くっくっく。
>>164 >法そのものは不変です。だから普遍的真理なのです。
>ただ法(教え)の適応のあり方が時代と場所によって姿形を変え得るということ。
>
>従ってゴータマに帰れ!です。
お前、ヴァカか。
釈尊入滅後2500余年、皆釈尊に帰っておるのだ。
現代に適応するのではない。
自分に適応するかどうかなんだよ。
それを自己修證と言うのだ。
分かったか、たわけ。
くっくっく。
原始仏教においても
非我+無常=無我
で良いんだよ。
くっくっく。
190 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 09:37:33 ID:PS9n0iub
宝珠愚者氏のサイトを見ようとしたらウィルス警戒情報が出てきた。
どうしてかわからなかったが、これでは安心して見られないね。
>>190 >宝珠愚者
結局、2ちゃんで自分のサイトの宣伝か。
程度が知れるな。
くっくっく。
五位七十五法は倶舎宗の語だが
倶舎宗は、倶舎論を根本とする宗派で
倶舎論は世親の著である。
世親は竜樹と同様、生没年数がよくわからない人物で
有部から大乗瑜伽行派へ転向したと言われている。
兄弟説、別人説があるが、
倶舎論はこの世親が有部にいたときにその教義をまとめたものである。
しかし、経量部?だったかの影響があるとも言われている。
193 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 09:44:39 ID:LX5YyzTT
>>186 >そのなかで涅槃を求める、悟ることが解脱であり、
>霊的なる身体としてのアートマン、永遠の生命があると
>悟ることだ。これが仏教である。
そうだね。「そのなか」とは有為の輪廻の世間ということだろ。
だから、解脱しても霊的な身体は残らないし「アートマン(我)」
や「永遠の生命」なんていう妄想は残らず無くなる。
涅槃寂静であり一切の有為法を滅したところの不生不滅の否定語で
しか表現できない境地が涅槃だろ。
それは無自性であり空であり中であり縁起だね。これが仏教だ。
仏法とは無我のことだね。
哲学の世界観としても実体を否定した無我の世界観は仏教独自の
ユニークな世界観だろう。
194 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 09:58:18 ID:BfGwzoeD
>>185 >仏教にとっての一切の法とは五蘊であり、
>無為法も五蘊の内ということですね。
「一切」及び「一切法」とは現象世界のことに限定されるのであり、つまり有為法のことです。
無為法は五蘊ではありません。五蘊は心の作用も含めて有為です。
因みにアートマンの概念は、心の作用すらも超越しています。
「五蘊無我」=五蘊はアートマンではない、ということに過ぎません。
>>190 ハテ、こちらでは何も異常はありませんが?
どこのウイルス検知ソフトですか??
>>191 スレを纏めたリンク集のことでしょう!
その他、とくにコンテンツなどありません。
195 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 10:10:56 ID:LX5YyzTT
中論で否定された説一切有部の「三世実有」「法体恒有」は西洋哲学
でいえば観念実在論のプラトン哲学に近いでしょうね。
でも、さすがにその説一切有部でさえ我(アートマン)があるとは
認めなかった。
仏教哲学はやはり唯名論に分類されるでしょう。
実体としての存在を認めない立場ですね。
>因みにアートマンの概念は、心の作用すらも超越しています。
「五蘊無我」=五蘊はアートマンではない、ということに過ぎません。
これは自己矛盾だろう。我の本体としてアートマンをおいているのに
これが作用の主体としておくことはできない。我の本体はない。
竜樹の批判にさらされた有部と同じ轍を踏んでいる。
>>195 そうだね。有部は我をおくために無為法を設定したのではない。
イデア論的に真実なるものを把捉しようとしてしまったために
逆に真理から遠く離れてしまっただけだろう。
>>196 訂正
>因みにアートマンの概念は、心の作用すらも超越しています。
「五蘊無我」=五蘊はアートマンではない、ということに過ぎません。
これは自己矛盾だろう。我の本体としてアートマンをおいているのに
これを作用の主体としておくことができないのなら、そもそも我の本体とは言えない。
竜樹の批判にさらされた有部と同じ轍を踏んでいる。
そもそもバラモンでは伝統的にアートマンが認識対象から外れることはないだろう
梵我一如は神との邂逅のような体験で、認識論として我を廃す思考は含まれない
199 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 10:25:43 ID:LX5YyzTT
>>197 そのとおりですね。
唯識の五位百法の無為法ではちゃんと真理=真如も
無為法の一つとして追加されている。
そのほか不動とか想受滅とかも追加され無為法が
6種となっている。(アビダルマの無為法は3種)
ちなみに、現代のビッグバン宇宙論を定説とするなら
無為法の虚空は有為法に分類しなければいけないだろう。
物のありかである「虚空」まで拡張変化するとはお釈迦様でも
気がつかなかったんだろうね。
やはり「法」は時々見直さないと時代遅れになるね。
200 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 10:37:50 ID:LX5YyzTT
>>198 >そもそもバラモンでは伝統的にアートマンが認識対象から外れることはないだろう
これはちょっと違うのではないか?
バラモンの哲学のウパニシャッドでも我(アートマン)は認識の主体であって
決して認識の対象とはならない、としている。
ブラフマンもアートマンも形而上学的存在論の原理として要請されている
のであって認識論の対象にできない。
だからブッダは経験論すなわち認識論を前提として「無我」でよいとした
のだろう。
>梵我一如は神との邂逅のような体験で、認識論として我を廃す思考は含まれない
これはそのとおりだね。だからブッダはアートマンとブラフマンの両方を無視した。
仏教ではブラフマンは梵天として神々のひとつとしての位置づけだね。
だから
非我+無常=無我
で良いんだよ。
くっくっく。
203 :
宝珠愚者:2009/06/27(土) 11:05:15 ID:BfGwzoeD
>>200 同意!!
アートマンは認識の対象ではなく、認識の「主体」なのです。
ゴータマは如何なる客観的な存在対象もアートマンではない、といった。
それは客観的には捉えなれないからです。
では、主体としてのアートマンとは何か?
については、ゴータマは解説を控えたのです。
諸法無我とは、
一切の現象世界(有/有為)においてはアートマンと呼べるものはない、ということ。
「アートマンは存在しない」ではなく、「それらはアートマンではない」と述べたのです。
従って、無我は誤解を招くから「非我」とされるべきものです。
「ニルヴァーナでもアートマンはない」などとは説いていない。
仏教が目指す境地とは永久不滅であり、理想の自己の確立にある。
ただ、ニルヴァーナにおける自己がアートマンかどうかは明言しなかった。
ということ。
>>203 >では、主体としてのアートマンとは何か?
>については、ゴータマは解説を控えたのです。
釈尊は「無記」で、そんなものを解説しても無駄だと言ったんだよ。
つまり、アートマン自体の基盤を完膚なきまでに叩き潰したわけだ。
それを「無我」と言うのだ。
くっくっく。
205 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 11:20:18 ID:LX5YyzTT
>>204 そのとおりですね。
「我」の代わりに「五蘊の自己」があれば何の不足も無いからね。
>ゴータマは如何なる客観的な存在対象もアートマンではない、といった。
これはアートマンは存在しないということと同義だとそろそろ気づこうぜ
君がアートマンを設定していることが、客観的にアートマンを対象化していることなんだから
>>206 >これはアートマンは存在しないということと同義だとそろそろ気づこうぜ
同義?
なんだ、それは?
貧脳の妄想か?
見てきたような嘘を言うでない、たわけ。
同義にしたければ、釈尊が同義だと言っている根拠を示せ。
タイムマシンでも作ってな。
くっくっく。
別にアートマンを仮設してはいけないとは言っていない
常住の存在としてあるのではないという意味だ
209 :
偽本尊:2009/06/27(土) 11:49:43 ID:XXB1RDFv
>166
釈尊は四諦、八正道を遺されました。
それを忘れていませんか?
>>208 >別にアートマンを仮設してはいけないとは言っていない
上記の言明から下記の言明がどのように導出されるんだ?
>常住の存在としてあるのではないという意味だ
ほれ、きちんと論証してみろ。
正当性がない論証であれば、お前の妄想だ。
くっくっく。
> 仏教が目指す境地とは永久不滅であり、理想の自己の確立にある。
滅し尽くしたが故の不滅と、永遠の生とは質的に異なるように思える。
涅槃とは尽きたこと。その意味では不滅というより滅した後。
そして涅槃と理想の自己の確立というのはまた異なる概念のように思える。
滅し尽くすということと、何かを立ち上げる、何かを確立するというのは違う。
>>210 仏教では、有無の見を廃すからなんでもかんでも間をとるやつがおおいが
アートマンが無いとは言えない、だから有る可能性は残せると妄想しているやつが如何に多いことか!
有無の見の要諦は、有るというも無いというも一切のものは因縁生であるから有るとも無いとも言えない、ということ。
よって、アートマンも因縁生として仮設はできるので、有るともいえ、無いとも言える。
だが、仮設されたものについて、これを常住不変の固定的存在として有るとは絶対言えない。
ここまではよろしいか?
そして、人間が認識できる一切のものを離れたところに恒常なる存在としてアートマンを仮設できるのでは
ないかと最後のわるあがきをする者に対して。
そもそもこれが自己矛盾であるから、前提としてありえないというのが仏教的立場。
アートマンを仮設する、という行為は有為法に属する行為であって
我々人間が思惟することを越えている!想像することすらできない境地。まかふしぎというやつだよ。
よって、ここを妄想している諸君、君らはここにはいない。
>ここまではよろしいか?
より上にいるくせに、より下にいると勘違いしている妄想くんなわけだよ
分かったかい?
213 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 12:14:59 ID:dQ2NyDfZ
話が混乱しているようですね、言葉の意味がはっきりしないからでは。
諸法無我は大乗のスローガンである。しかし五位七十五法は上座部の伝統から作られた。
それゆえ無為法という邪魔なものがくっついている。
ここから諸法が一切法であるのはなぜかと推理すればいい。
大乗にすれば、一切が無我であることを言いたいから、諸法を一切にしてしまう。
諸法が一切法になれば、一切法の有為法と無為法がともに無我となる。
214 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 12:16:40 ID:AbBbcu6N
>>209 >釈尊は四諦、八正道を遺されました。
>それを忘れていませんか?
四諦は、「一切皆苦」という前提に問題があるし、八正道は、「正しい」とは
何かの定義がなされていないから、いずれも方法論的なものであり、「中心思想」
とは言えないだろう。
「本来の教説」となると、後世に最も影響を与えた「空の思想」以外にはない
と思う。
215 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 12:19:59 ID:LX5YyzTT
>>208 >別にアートマンを仮設してはいけないとは言っていない
そうだね。
私の身体は「我」だろうか?と問うことが「我」を仮設するということだね。
釈迦は五蘊のおのおのについてそのように問うている。
>常住の存在としてあるのではないという意味だ
そうだね。
身体は常住で無いから「無我=非我」ということだね。
「我」であるなら「我」の属性として「常住」で無ければならない。
「常住」でないものを「我」とはいえない。
216 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 12:24:40 ID:LX5YyzTT
>>213 >諸法無我は大乗のスローガンである。
違うでしょ。
諸法無我は上座部仏典(アゴン経典)にもある。
やはり仏教の基本的スローガンだよ。
>>211 永久と言うものも滅し尽くすわけだ。
くっくっく。
>>212 駄目だな。
>よって、アートマンも因縁生として仮設はできるので、有るともいえ、無いとも言える。
>だが、仮設されたものについて、これを常住不変の固定的存在として有るとは絶対言えない。
だから、釈尊はそこを「無記」としておるわけだ。
アートマンの存在など、涅槃においてはどうでも良いことなんだよ。
よって、アートマンの仮設など却下だ。
分かったか、低脳。
くっくっく。
>>213 もう忘れたか?
原始仏教において一切法に無為法は含まれなかったという水野氏の言葉を。
無為法を設定したのは小乗の影響だよ
話が混乱する・・・三法印とか五位七十五法を前提にしているから。
しかし三法印にしても五位七十五法にしても古代人が考えたものである。
それらを<正しい>と前提して考えるから混乱するのではないか。
そういった利用の仕方ではなく、現代的な存在論や認識論を踏まえ、
三法印や五位七十五法を批判的に吟味したほうがいいと思う。
>>217 アホだな
アートマンが常住であると仮設したことはないだろ
仮設さえされないのは否定されているからだ。
>>216>>218 そんな話をしているのではない。
無為とか有為とかにとらわれているから混乱する。
空にとって好都合だから<諸法無我>が積極的に打ち出されたのだ。
そんなことより、あなたたちの現代的な存在論・認識論を提示してくれ。
簡単でいい。10行ぐらいで語れ。
>>221 根本が理解できてないからいったのだが。
原始仏教において、無為法は存在しなかったのだよ。
だから一切法といえば、有為法を指したの。
223 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 12:43:42 ID:AbBbcu6N
>>221 >あなたたちの現代的な存在論・認識論を提示してくれ。
「色即是空・空即是色」。現代でも、これを超える存在論・認識論はないw。
いま現在の存在論、認識論がわからなければ、
どうして古代人の存在論、認識論がわかるだろうか。
いま現在の存在論、認識論をわかりやすく語れないなら、
どうして古代人の存在論、認識論をわかりやすく語れるだろうか。
三法印、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切、一切法、五位七十五法、
有為法、無為法、無常、常住、無我、涅槃などなど・・・
こういった仏教用語をだれが理解できるのか。世間の人にどう説明するのか。
>>223 それは般若心経であり、かび臭い古代人のものww
226 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 12:59:40 ID:LX5YyzTT
>>220 >アートマンが常住であると仮設したことはないだろ
アートマンであれば常住でなければならない、ということだね。
227 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 13:02:26 ID:LX5YyzTT
>>221 >そんなことより、あなたたちの現代的な存在論・認識論を提示してくれ。
それはすれ違いに成るでしょ。
ここでは仏教にアートマンが存在するかを問題にしてるのだから。
問答というのは相手の立場を受け入れた上でなされるものだから。
228 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 13:04:53 ID:LX5YyzTT
>>225 それでは何も批判したことにはならない。
般若心経のどこが現代に会わないかを指摘しなくちゃ
議論にならないでしょ。あなたの感想なんかどうでもいい。
>>226 アホらしくて付き合いきれないな
自己矛盾しているものをどうして受け入れられるのだろう。
走っている人は走っていない。という命題を
そんなものは存在しないと、思惟から離れていると指摘して
だれにはばかろうか?存在する可能性はある?確かにそうかもしれんが。
おれは無視するね。おれには仮設する限度を超えいるとしか思えんから。
いや、思考停止するといった方がいいか。
禅にはいい公案になるかもしれんなw
無常とか常住とか、自性とか無自性とか言っても、
現在の存在論、認識論ではどういうことなのかが不明である。
こういった漠然とした言葉をふりかざしているのは虚しくないか。
大乗仏教は、この現実を空・幻として理解するのだという。
空・幻と聞いただけでマユツバなのに・・・洗脳されているのか!
洗脳だと思えばわからないでもないが。
232 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 13:18:09 ID:LX5YyzTT
>>229 >自己矛盾しているものをどうして受け入れられるのだろう。
自己矛盾する命題は「我はある」ではなく「我は無い」だね。
「我は有る」なら無意味なだけだけど。
「我は無い」では自己矛盾するから存在不可能な命題となる。
だから釈迦は「我は無い」とも「我はある」ともいわなかった
と中論に書いてなかったか?
釈迦はきちんとウパニシャッドの論理を踏まえているよ。
いや、我があるという虚妄が存在する社会で我を仮に立てることは可能だと思うが。
我がないというのは、あくまで、常住不変の我がないということなのだから。
> 我がないというのは、あくまで、常住不変の我がないということ
これは私見。223の個人的な意見にすぎない。
>>227 スレ違いではない。
混乱を防ぐために、言葉の定義をはっきりさせようという話ではないか。
アートマンの存在・不存在は、あらゆる宗教に通じることである。
仏教には存在するけど、ほかの宗教のことはわからないという話ではない。
>>228 古代人の作品だという事実を指摘しているだけだね。
>>234 因縁生の我を立てることは否定していない。
237 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 13:52:43 ID:LX5YyzTT
>>235 >言葉の定義をはっきりさせようという話ではないか。
それなら、とりあえずWIKIペディアをぐぐったうえで質問したら
どうかね。けっしてWIKIの定義がすべて正しいといっているわけ
ではない。自分で判断・検証しながら調べるしかない。
238 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 14:12:02 ID:wzCCZ8ka
そんな下位の悟りは「いいから先に進め」で
片付けられていますでファイナルアンサー、
いいからもっと高度な内容について語ろうぜ!
241 :
偽本尊:2009/06/27(土) 14:42:51 ID:XXB1RDFv
>214
四諦・八正道は、もともとそれまでに説かれた内容を、後になってまとめたものです。
したがって、何が正しいかは、スッタニパータ等の経典に書かれています。
たとえば正語なら、
「粗暴な言葉を発してはならない」などです。
ここでは「正しい」の定義など不要です。
>>214 「問題がある」「定義がなされていないから」
いずれも私見。
経典の意図が見えないから迷っている。
すべてが言語的に定義できると思っているのも迷妄。
すでに現代哲学では定義の限界性について指摘されているというのに。
243 :
旧7:2009/06/27(土) 15:47:08 ID:Pkf+yBGs
〔 『法』の多義性、その定義の範囲 概略 〕 (仮)
「法」( dhamma )
┃
┣「摂理、理法、自然的因果」( dharma / dharmin ?)
┣「理屈、ことわり、論理的整合性」
┃
┣「おしえ」( sAsana )
┃ ├「縁起」
┃ ├「四諦」
┃ └「種々説かれた個々のおしえ、法門」(八万四千云々)
┣「経」
┃
┣「識の対象(法境)」
┣「(根境色の)境」(色声香味触法)
┗「一切の(認識可能な)存在、“もの”“こと”」(「名色」「五蘊」「五蘊十二処十八界」)
└「上記プラス無為法」
└「上記プラス 認識不能な領域に属する“真理”“真の在り様”“存在を有らしめるものとしての根源”」
(→後期大乗としての、法界、真如、華厳界、曼荼羅etc.etc.の先にあるもの、
或いはそれらを支え、成立せしむるもの)
244 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 15:54:36 ID:UuDc67qT
>>241 「粗暴な」も「正しい」と同様の観念語。観念語の意味は、あくまで「特定の
状況下における、特定の行為」によって初めて決定される。従って、観念語は、
状況と行為を離れては無意味である。その状況と行為を記述して、初めて定義
と言える。
例えば、ソクラテスは、「勇気」「正義」「美」とは何かを、有識者に聞いて
回ったが、誰も、実例を挙げるだけで、その定義が出来なかったので、彼らを
「無知」であるとした。しかし。無知なのはソクラテスのほう。これらの観念語
は、特定の状況と特定の行為を離れては、意味を持ち得ないのである。
( ^ω^)ソクラテス・・・ 饗宴まで読んだお^^
246 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 16:03:30 ID:UuDc67qT
>>243 前述の、宝珠愚者氏が引用した水野氏の「原始仏教時代の法」では、それらの
一部(現象界)のみが「法」である。従って、それ以外は、原始仏教時代の「法」
ではない。
イバ並み仏教辞典には
無為法のところに[s]Lankavatara Sutra(楞伽経)と出典がありましたが
これは出典がこれ以上遡れないという意味はあるのでしょうか?
研究者がすべてを網羅しているとは思えませんが。
248 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 16:48:37 ID:UuDc67qT
>>243 「法」という以上、「万人・万物に共通する」という要件が必要であろう。
その意味で、原始仏教が「現象界」のみを「法」としたのは、的確である。
現象界は、「万人・万物に共通」だからである。
一方、百人百様の「思考」「思想」「観念」「悟り」「涅槃」などは、「法」
とは言えない。「現象界」に反する「教え」についても、同様である。
249 :
一在家:2009/06/27(土) 16:51:35 ID:rzMT7r40
スッタニパータに「再び母胎に宿ることはない」という説法が多数記載
されておりますが、長部経典の「自歓喜経」に具体的な記載がありました
ので紹介します。
サーリプッタは「世尊が入胎について説かれた方法は最高です。
1)知覚せず母胎に入り、知覚せず母胎に留まり、知覚せず母胎から出る。
2)知覚して母胎に入り、知覚せず母胎に留まり、知覚せず母胎から出る。
3)知覚して母胎に入り、知覚して母胎に留まり、知覚せず母胎から出る。
4)知覚せず母胎に入り、知覚せず母胎に留まり、知覚せず母胎から出る。
入胎に関しては4)が最高です。」と表明し、釈尊は保証します。
中村元氏らの註
1)一般の人々
2)80人の大声聞
3)サーリープッタ、モッガッラーナ(目蓮)
4)菩薩
母胎に宿り知覚する存在の「名称」は魂でもアートマンでも宜しいかと存じます。
250 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 17:00:14 ID:UuDc67qT
>>249 >母胎に宿り知覚する存在の「名称」は魂でもアートマンでも宜しいかと存じ
>ます。
それは、魂でもアートマンでもなく、肉体としての人間の「胎児」のことw。
胎児が知覚するかどうかは、必ずしも明らかではない。
251 :
一在家:2009/06/27(土) 17:02:14 ID:rzMT7r40
【修正版】
スッタニパータに「再び母胎に宿ることはない」という説法が多数記載
されておりますが、長部経典の「自歓喜経」に具体的な記載がありました
ので紹介します。
サーリプッタは「世尊が入胎について説かれた方法は最高です。
1)知覚せず母胎に入り、知覚せず母胎に留まり、知覚せず母胎から出る。
2)知覚して母胎に入り、知覚せず母胎に留まり、知覚せず母胎から出る。
3)知覚して母胎に入り、知覚して母胎に留まり、知覚せず母胎から出る。
4)知覚して母胎に入り、知覚して母胎に留まり、知覚して母胎から出る。
入胎に関しては4)が最高です。」と表明し、釈尊は保証します。
中村元氏らの註 ※知覚=意識を持っているの意味
1)一般の人々
2)80人の大声聞
3)サーリープッタ、モッガッラーナ(目蓮)
4)菩薩
母胎に宿り知覚する存在の「名称」は魂でもアートマンでも宜しいかと存じます。
252 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 17:10:30 ID:UuDc67qT
>>251 胎児が母胎に入る(受精の)場合は、まだ知覚器官が形成されていないのだか
ら、知覚は不可能(両親は大いに知覚しているがw。)。従って、「知覚して
母胎に入り」は、現象界に反しているから法ではなく、その教えは誤り。
大切なことなので2回言いましたよ?
254 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 17:33:27 ID:UuDc67qT
>>229 >走っている人は走っていない。という命題
それは、ゼノンの「止まった矢」と同じく、思考実験にすぎない。そのように
考えることも「出来る」というだけ。
しかしそこには、「時間」という要素が抜けている。走っている人を認識する
だけでも(即ち、視神経が反応するだけでも)、必ず最小限の時間を要する。
従って、「走っている人は、走っている」ということになる。
このことから、「時間とは何か」が帰納できる。「時間」とは、物の変化の
ことである。その代表が、自然の変化(天体の運動や四季の変化)である。
255 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 17:47:09 ID:GtbRIxzA
相変わらず混乱してますね。やはり古代人の教義や経典からスタートするのではなく、
現代人の存在論や認識論などをベースにしてそれらを検討する必要がある。
色即是空・空即是色は、古代人の教えですので出発点にしないでください。
それが誤りだと指摘している主張ですのでどうかご理解ください。
256 :
一在家:2009/06/27(土) 17:48:48 ID:rzMT7r40
日蓮は若い頃は天照大神や八幡大神を敬っておりましたが、
蓮長となった日蓮は、2つの疑問を持ちました。
疑問とは、源平合戦や承久の乱以降の王朝の衰退、とりわけ王族を襲った不幸な出来事に関することであった。
そしてもうひとつの疑問は、法華経をはじめとする諸経典をひもとけば、仏教が盛んな国では、平和が保たれ、民は安穏に暮らし、王権も侵害されることはない。と。
その上、わが国においては、皇室のご先祖である天照大神や八幡大菩薩等の神々が日夜国土と王朝を護っている。ところが、今のこの国は決して平和とは言い難い。これは一体なぜなのかという疑問を抱いたのである。
この疑問については、日蓮大聖人五十四歳時、ご執筆の「神国王御書 御書全集-P1516」に詳しく記されている。
しかし過去には文化でも技術でも世界最高水準だったインドと中国は、
現在では先進国ではなく、先進国の真似をする発展途上国になっております。
仏教もヒンズー教に敗れ、共産主義にも敗れて、インド、中国では衰退して
おります。
もし「縁起」が正しいのであれば、誰かが仏教国と仏教の衰退の原因を作った
ことになりますが、心当たりはないでしょうか?
釈尊は像法の世も末法の世も予見されておられました。
当初、私は「中国の坊さん達」という仮説を立ててましたが、それ以前の
誰かさんが因を作ったのかも知れません。
>>256 中国で作られたとうたがわれる法華経を前提に中国仏教を否定されてもな
魔界村の二段ジャンプくらいにありえねーよ
>>254 そういった理解で正解だと思う。中論は最初から誤っている。
しかし竜樹は時間そのものを否定しているのではないか。
その行きつくはてに竜樹の病的な空がある。
大乗はこの詭弁の書、中論にしがみつくこと2000年近くなる。
そこまでの妄執にはそれなりの敬意が必要かもしれない。
大乗は中論の誤りを指摘しても譲らないだろう。
259 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 17:57:41 ID:Y3AbT1Rg
>>256 何? 仏教が衰退したのは、霊魂を否定したからだ とでも言いたいわけ?
260 :
一在家:2009/06/27(土) 17:59:05 ID:rzMT7r40
>>252 意識が魂にあれば、胎児の魂が母胎の胎児に入る時に、意識はあり得ます。
長部経典での釈尊の説法はそういう意味だと認識しておりますが、その教えは
誤りだというあなたの見解は承りました。
多分、原始仏典のその他の説法も「現象界に反するから法ではない」
とおっしゃることでしょう。
261 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 18:08:02 ID:dzA4iZRH
>>255 >色即是空・空即是色は、古代人の教えですので出発点にしないでください。
>それが誤りだと指摘している主張ですのでどうかご理解ください。
色即是空・空即是色に有効な反論ができる現代の哲学者が唯の一人でもいれば
挙げてください。
古代人も、現代人も、生物としての人間であるという点では、いささかも
変わりはありません。ブッダやイエスの死体を解剖すれば、その構造は
現代人と全く同一のはずです。
その意味で、現代の種々な思想に害されていない、同じ人間としての
古代人の素朴な直感が、かえって本質を突いていることは、なきにしも
あらずです。
現代における宗教とは、現代にも通用する古代人の素朴な直感によって
得られた、現代にも通用する真実を見出すことでしょう。
古代人にとっては、宗教は、生存のための「手段」の一つでした。
科学が、宗教の如何なる奇跡も及ばない発達を遂げた現代では、「生存の
手段」としての宗教は、もはや科学に取って代わられたと解することも
できます。 その意味では、宗教は、「文化遺産」としての価値を持つ
だけです。それを「使用」したり、「実行」したりするものではない
でしょう。
>>261 古代人の怪しげな文書に固執するな、と言ってませんでしたか?
古臭い用語ではなく現代的に語れ、と言ってませんでしたか?
中論の空は竜樹が説いたものです。
そこに誤りがある、それは空ではないと指摘したのはだれでしょうか?
色即是空の空は、中論の空です。
263 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 18:24:53 ID:dzA4iZRH
>>258 竜樹の「縁起・空」を、「万物の相互依存性・関係性」と解すれば、
それは、現代においても、いや現代においてこそ、100%通用する
「永遠・普遍の真理」でしょう。それ以外には、解釈の方法はない。
「走っていない人」は、単なる思考実験か、竜樹の単純ミスに過ぎない
と思う。
現代の科学も思想も、すべてこの「関係性」の方向にピッタリと向けら
れています。
しかし、竜樹の思想は、高度に論理的で、難解であるので、単純な原始
佛教の影響を受けてしまった(宗教的に洗脳された)人々には、竜樹の
そのような解釈は、もはや極めて困難か、不可能なのです。
>>263 万物が関係しあっていることは犬も猫も認めるでしょう。
生き物は関係性を利用して生きているのです。
世尊が説いた縁起は、そういった関係性ではなく、
「これがあればこれがあり、これがなければこれがない」という、
緊迫した関係です。コインの裏表のような関係です。
竜樹は誤っているので、国会図書館に保管しておけばいいでしょう。
・・大乗にも役割がありそうなので極端な話ですが。
265 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 18:52:37 ID:LX5YyzTT
>>264 >「これがあればこれがあり、これがなければこれがない」という、
中論第二十六章にこの縁起の十二支の考察はそのまま肯定的に述べられているね。
>>265 だからその辺が竜樹の詭弁ではないのだろうか。
一方で世尊に合わせて「これ」「これ」と言うけど、他方で時間を否定する。
時間を否定したら変化もない。世尊は時間を否定していた?
267 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 18:58:04 ID:jmBPcQsf
日蓮だけでない。
空海、最澄、親鸞、皆が理想としたインドと中国だな。
仏教が栄え、国家が栄えるのが法だw
世尊のどこがすごいのか?
それは判断基準に気がついていたからだろう。
判断基準(苦楽、善悪、正邪、愛憎など)が縁起であり、それは空であることに
気がついていたからである。これが空である。
竜樹はその空を識全体にふりまいた。世親はそれを現実全体にふりまいた。
269 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 19:48:10 ID:GtbRIxzA
世尊のすごさは判断基準に気づいたことにある。
この気づきは創世記3章の<蛇の誘惑>にピッタリ重なるのです。
善悪を知る木の実を食べたことがアダムとイブの罪であり、
そのためにふたりは楽園を追放される。
仏教には神の存在が不明だけど、聖書の場合は神が明確に存在する。
ここからアートマンの話は、神の話に直結していることが推測されるのですね。
判断基準(苦楽、善悪、正邪、愛憎など)だけなら、
縁起を適用して空にしても、この現実は空でも幻でもないことになる。
むしろ、判断基準が空になることで、いままでの色眼鏡がなくなり、
現実をストレートに認識し、この現実をありのままに知ることができるだろう。
これが大乗の空による悟りであり、ヒンズー教の梵我一如である。
現実を幻と体得し、この現実を剥がれ落ちそうな風景にすることではない。
そんな風景になったら、かなり問題のある精神状態だと思う。
271 :
旧7:2009/06/27(土) 20:22:49 ID:Pkf+yBGs
‘ye dhammA hetuppabhavA,
tesaM hetuM tathAgato Aha;
tesaM ca yo nirodho,
evaM vAdI mahAsamaNo’ti.
272 :
一在家:2009/06/27(土) 20:24:29 ID:rzMT7r40
法華経「如来寿量品十六」より、「世界と仏は常住。」
「方便品第二」より、「人は仏性を宿し仏になりうる。」と舎利弗に説く。
三段論法だと、「人に宿る仏性は常住。」となります。
常住の仏性が、アートマンか否かは「名称」次第ですね。
273 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 20:56:58 ID:GtbRIxzA
色・受・想・行・識
ここに認識されていない心の働きがある。
それは価値判断をするときの<判断基準>である。
世尊は知っていたが、竜樹や世親は気づいてなかったと言える。
274 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 21:31:36 ID:dzA4iZRH
>>254 >万物が関係しあっていることは犬も猫も認めるでしょう。
>生き物は関係性を利用して生きているのです。
そのすべての生き物が無意識に生存の基盤としている関係性の原理を見出し、
説くことができた宗教の開祖・教祖が、ほかに誰一人としていたかね。
>「これがあればこれがあり、これがなければこれがない」という、
>緊迫した関係です。コインの裏表のような関係です。
「これ」も「あれ」も「代名詞」だから、相互に交換可能であり、さらに、
あらゆる名詞を代入できる。従って、「万物の相互依存性・関係性」の命題
が成立する。この発展が、竜樹の偉大な功績である。「これがあれば、あれ
がある」だけでは、極めて範囲が狭小で、不完全な命題である。
自己が、万物との関連の中に存在するという自覚ほど、強力で、精神の安定
と平安をもたらすものはなかろう。そして、そこから、万物への慈悲が生まれる。
「唯一絶対神」を認めるキリスト教とは異なり、佛教が2500年間、ほとんど
人を殺すことがなかったのは、この関係性の自覚と、それから生じる万物への
慈悲の故である。
275 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 21:34:36 ID:WZqhLGrO
>>59 五時八教は、天台宗だけですね。
>>65 ちがいます。旧7さんが既に言っていますが、一切行苦では、無為法が排除されてますが、一切法無我だと無為法も包括されます。
つまり、涅槃は一切法に含まれます。
>>79 そうです。
>>86 >Sn.757に拠れば、無常なるものは妄取“法”
つまり、「これあればこれあり」世俗であり、生起、輪廻の道です。
>758に拠れば、二ッバーナは不妄取“法”
つまり、「これなくばこれなし」勝義であり、止滅、涅槃への道です。
276 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 21:43:03 ID:WZqhLGrO
>>89 そう思うのは凡夫、楽が本来苦であることが実感できないだけだと仏教は説きます。
>>99 >> 質問なのですが「サンスカーラ」という語と「サンスクリタ」という語は、
パーリでなくサンスクリットでしょ。
>>154 >>中村氏の「ブッダの教え」を読んだが、何の感動もなかった。
>仏教は感情に訴える他の宗教とは違う。
中村訳はあまりよくないです。本来は感動しましすよ。
>>155 お〜! その通り! それこそ全ての基本。
277 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 21:47:58 ID:WZqhLGrO
>>156 >《 片山一良「パーリ仏典入門」(大法輪閣) 》、
私も名著だと思います。ちょっと高いのが残念。これで二千円きってほしかった。というか片山訳こそ岩波文庫で出て欲しい。中村訳はもう過去のものでいいでしょう。
石飛信者でごめんね(^^) 石飛先生は天才だから。
>>162 > 結論。「一切法」とはつまり、「現象界の性質に限られる」というのが本来のゴータマの
>教説ということ。従って、本来の正しい無我の性質は一切法「外」であるニルヴァーナに
>は適応されません。涅槃は無我ではない。---完結
誤解ですね。理由は既説。
278 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 21:55:22 ID:dzA4iZRH
>>79 >「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、眼と眼に見えるもの、
>耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体
>に接触されるもの、心と心の作用、のことです。
>これが「一切」と呼ばれるものです。
「一切」とは、すべて「他」との関係であることを、理解して欲しい。「自分
独り」だけの要素は、どこにもない。
>誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
>それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
>さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。
>何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。
>(サンユッタニカーヤ 33.1.3)
この「他との関係」という「一切」を否定し、これとは別の、「自分の知識領域を
超えた一切を説こうと「言葉遊び」し、「説明できなくて病に倒れてしまって
いる」のが、小乗仏教徒の姿である。
279 :
偽本尊:2009/06/27(土) 22:03:23 ID:XXB1RDFv
>272
方便品に仏性という言葉は出て来ない。
でっちあげは止めてください。
280 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 22:08:21 ID:dzA4iZRH
>>276 >そう思うのは凡夫、楽が本来苦であることが実感できないだけだと仏
>教は説きます。
それは、ブッダの「鬱病の症状」以外の何物でもない。ひたむきに生き
ている圧倒的多数の「凡夫」の平均的感情を「健常」と呼ぶ。「病気」
とは、「不特定多数者の生活者の平均からの、有意な偏差」をいう。
ブッダは、果たして、「ひたむきに生きた」ことがあったのか。
>>274 >そのすべての生き物が無意識に生存の基盤としている関係性の原理を見出し、
>説くことができた宗教の開祖・教祖が、ほかに誰一人としていたかね。
★ 繰り返して言うけど、関係性の原理はあえて説くほどのものではない。
縁起であれば、イエスの言葉の中に数多く見出せる。
>「これ」も「あれ」も「代名詞」だから、相互に交換可能であり、さらに、
>あらゆる名詞を代入できる。従って、「万物の相互依存性・関係性」の命題
>が成立する。この発展が、竜樹の偉大な功績である。
★ 猫がいれば犬がいる、のどこが偉大なのか。
まったく関係がないとは言わないけれどほとんど関係がない。
>「これがあれば、あれがある」だけでは、極めて範囲が狭小で、不完全な命題である。
★ 猫がいないならば犬もいない、これは果たして真実なのか。
真実かどうかも怪しいのに、狭小さも不完全さもない。
>自己が、万物との関連の中に存在するという自覚ほど、強力で、精神の安定
>と平安をもたらすものはなかろう。そして、そこから、万物への慈悲が生まれる。
★ 関係には敵対的なものもあるから一概には言えない。
それゆえ慈悲はここからは生まれない。
>「唯一絶対神」を認めるキリスト教とは異なり、佛教が2500年間、ほとんど
>人を殺すことがなかったのは、この関係性の自覚と、それから生じる万物への
>慈悲の故である。
★ 鎌倉時代以降、空を説く仏教は武士たちによって支持されてきた。
宗教と言われているのに、これほど<人殺し>に好都合な考え方も稀である。
大乗仏教は明治以降の侵略戦争にも責任があるのではないか。
282 :
旧7:2009/06/27(土) 22:22:37 ID:Pkf+yBGs
>>277 確かに、入門的書籍としては \3,100- ってのは微妙か・・・w
初学者、学生さんなんかは足踏みしちゃうかな・・・?w
けど、座右の書的にも使えるから、じわじわでもいいから浸透してほしいな・・・。
>片山訳こそ岩波文庫で
季刊原始仏教なら、ほぼ単経ずつで安いんだけど、如何せんマイナーすぎるんだよな・・・orz
私も、和訳引用に際しては中村訳卒業の流れでもいいんじゃないかと感じます。
あたかも、でっかい特殊車両でローラー式に、仏典研究の大道を(まさしく何車線も!w)敷設した、この功績はまさしく偉業だし、
このレベルの研究者は今後も出ないでしょう。
中村さんの打ち込んだ数々のハーケンは、これまで貴重な手掛かり足掛かりであったと思うし、
これからも役立ち続ける足場だろうと思う。 けど、親離れをするが如く、距離を置く姿勢はあっていいと思っている。
283 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 22:25:49 ID:WZqhLGrO
>>247 そんなことありませんよ。
>>249 魂でもアートマンでもいいですが、無常な縁起したものですね。
もう、恒常なアートマンはないということを納得されてもいいと思います。
インド仏教で恒常なアートマンが認められたということは王道ではないと思います。
284 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 22:26:11 ID:dzA4iZRH
西洋哲学の「世界内存在」(ヘーゲル)も、「現象学的還元」(フッサール)
も、「ゲシュタルト心理学」(ヴント)も、「量子力学」も、すべて御釈迦さ
んの「縁起・空(関係性)」からのパクリだね。探せばもっとあると思う。む
しろ、現代の思想・哲学で、そうでないものは皆無ではなかろうか。
最近では、キリスト教の神学者でさえ、「キリスト教の向うべき方向は、佛教
の空」と言っている。キリスト教には、本質的に無理なことだが。
285 :
偽本尊:2009/06/27(土) 22:27:37 ID:XXB1RDFv
>253
釈迦が自歓喜経を説いたかどうかは、怪しいのでは?
「菩薩」が出て来るあたり、後世のでっちあげ経ではないかと思う。
286 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 22:40:02 ID:dzA4iZRH
>>282 中村元氏は、オウムの生みの親でもあるw。これは決定的。
新聞に出ていた、中村氏の家族の話では、彼は朝から晩まで本ばかり
読んでいたそうだ。ひたすら「他人の見解」だけを追い求めていた訳だ。
自前の思考は、果たして可能だったのか。
兎に角、小乗仏典(他人の思考)の翻訳が多すぎ。
一般に、東大系の学者は、「外国の学者の見解の紹介」が「学問」だと
思っているフシがある。元東大学長の佐々木氏の「プラトンの呪縛」と
いう本を読んだが、殆どが、外国の学者の見解の紹介ばかり。期待して
いた「彼自身の、自前の意見」は、最後の2,3ページだけだった。
これでは「詐欺」に等しい。
大乗はそれまでの仏教をさらに水でうすめ、
その教えを理解レベルの悟りにまで矮小化してしまった。
一切が空だから、修行も戒も軽視され、肉食妻帯が行き渡っている。
大乗の最高境地は空の悟りである。→ 悟りの入り口で終わり
これに対して上座部では体験レベルの悟りが維持され、
八正道などの行いが重視され、きびしい戒によって修行し生活している。
288 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 22:44:14 ID:WZqhLGrO
>>271 縁起法頌は、素晴らしい。そこに存在論、認識論、修行法、見解が全て纏められている。
法身偈と言われるのも宜なるかな。そして龍樹菩薩の註がまた素晴らしい。
>>282 片山訳をお持ちの旧7さんが重要な部分を、ここか Buddha@wiki などに書き込んでくださると嬉しいですね。
中村先生は、どうなんでしょう?
>>284 現代の思想哲学が浅薄化しているということだろう。
大乗仏教の空はたいしたものじゃない。
290 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 22:48:30 ID:dzA4iZRH
>>281 佛教の中心思想である「縁起・空(関係性)」を全く理解していない。
それでも仏教徒か。それとも、君はクリスチャン?
イエスが「関係性」など説いた言葉が、唯の一つでもあれば挙げてくれ。
彼の「教え」は、関係性どころか、すべて「自分の気に入らない他者に
対する、あくなき憎悪・批判・排斥」とセットになっていることを、看
破されたし。彼にとっては、「人に仕える」ことも、「自分が一番先に
なるための『手段』」に過ぎなかった。
291 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 22:53:02 ID:dzA4iZRH
>>289 >大乗仏教の空はたいしたものじゃない。
ならば、日本の唯一の小乗の法門であるオウムで、せっせと修行して
「悟って」くれ。オウムが、一体、何を悟ったのかね。
>>286 >新聞に出ていた、中村氏の家族の話では、彼は朝から晩まで本ばかり
>読んでいたそうだ。ひたすら「他人の見解」だけを追い求めていた訳だ。
>自前の思考は、果たして可能だったのか。
竜樹を生涯に渡って追いかけたようですね。
中村先生は竜樹に対して批判的なのかなという印象も受けました。
>期待していた「彼自身の、自前の意見」は、最後の2,3ページだけだった。
>これでは「詐欺」に等しい。
ある程度の知識がないと自分で考えることは困難でしょう。
さらに深く言えば、自分で考える前に、
最後まで見通してしまうような<ひらめき>が必要でしょう。
>>291 オウムのことは興味ないので犯罪者集団ぐらいしか知らない。
上座部についてもあまり知らないが、大乗より戒や修行に厳しいと聞いている。
八正道を心がけるだけでも、上座部のほうが大乗より優れている。
大乗は水のような関係性を縁起・空だと誤解している。
こんな大乗は救いようがない。
294 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 23:13:40 ID:dzA4iZRH
>>292 中村先生は、竜樹を理解できていたと思われますか。先生は、既に小乗でたっ
ぷりと洗脳されているので、本当の理解は不可能だったのではないでしょうか。
私は、もう一冊の新書(確か、立川武蔵さん?)を読んだが、竜樹の原理は
かなり理解できた感じで、極めて感動的でした。
295 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 23:24:45 ID:dzA4iZRH
>>293 オウムは、日本で唯一の原始仏教の法門であり、その熱心な信者です。
その信仰から、史上稀に見る凶悪犯罪が発生したのです。
八正道からそれほどの犯罪が発生しうるのなら、大乗より優れている
などという評価は、出てきようがないでしょう。
そのスレには、キリスト教、手かざし、神智学などと超カルトはもとよ
り、オウムもかなり群がってきているようだ。中村氏の著書が呼んで
いるのかな。
>>294 完全かどうかはわからないけど、相当に理解していたことは確かでしょう。
縁起の理解に関しては竜樹より上かもしれませんね。
小乗の影響とは何でしょうか?
立川武蔵氏を評するなら、ご隠居の空理解と似ているような印象がある。
縁起をこの現実の関係性とする見方。しかしこの見方には賛成できませんね。
>>295 このスレにいろいろな人が集まってくるのは、
テーマだけで特定の宗派に限定していないからではないですか。
こういう濁り川のよさもあると思います。
運営が難しいのか、こういったスレがほとんどないということも理由ですかね。
298 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 23:45:31 ID:dzA4iZRH
>>296 中村氏が、小乗に洗脳されていたことは、確かではないでしょうか。
あれほど多数の小乗仏典を翻訳しまくったのですから。
縁起・空を、「関係性」と解するのは、立川氏だけでなく、最新の佛教
哲学すべてではないですか。岩波講座「宗教」(全10巻)にも、「縁
起・空」の概念の、「関係性」としての精密な分析があります。最新の出版物には、すでに紹介した「哲学としての宗教」があります。こ
の本では、「縁起(関係性)」という表示を、全体的に使用しています。
佛教は、宗教というよりも、古今東西に比類の無い大哲学だと思います。
佛教哲学に効果的に反論できる西洋哲学者は皆無なはずです。上述した、
近代の西洋哲学、思想、科学の動向が、それを証明しています。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 23:57:49 ID:dzA4iZRH
佛教から、「縁起・空(関係性)」を除いたら、後に何が残るのですか。
せいぜい、オウムだけでしょう。
「輪廻転生」などという荒唐無稽は、現代では一切通用しません。現実
界に還元できない「妄想」は、「最も現実主義的・合理的・実証的・経
験的」な宗教としての佛教には、「無縁」です。
既に小乗によって洗脳された「学者」たちの著書は、読むだけ無駄であ
るばかりでなく、極めて有害です。はっきりと除外すべきでしょう。
日本は、大乗仏教の国です。
>>298 関係性については、おっしゃる通りなのでしょう。
あまり読書していないので仏教界のことはまったく知りません。
しかし個人的には縁起=関係性はまちがっていると思います。
縁起・空を相関関係、因果関係に解する中村先生の考え方と同じです。
どちらが正しいかは、その縁起観が悟りに導いてくれるかどうかでしょう。
関係性では、現実を空・幻にしないと、心の執着を解決できません。
現実を空・幻にしたら精神病です。
しかしそうしないと心の執着が解決しない。
これはもともとの縁起・空の理解が誤っているから生じるのだと思います。
301 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 00:06:39 ID:A7qJEigN
アーベントカルのインド仏教は、「神秘・奇跡・神通」などの、現代人
にとっては不合理な要素を一切排除しています。佛教の現代における在り方
として、仏教者なら一読すべきでしょう。
302 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 00:12:10 ID:A7qJEigN
>>300 >現実を空・幻にしたら精神病です。
>しかしそうしないと心の執着が解決しない。
若しそうなら、専ら精神医学による診断と治療の対象です。宗教とは、
言うなれば、「精神病を人為的に発生させる営み」ですから、宗教など
やると、精神病は悪化するだけです。宗教など、とんでもないことです。
>>299 すでに何回か話したと思うのですが、
縁起・空の理解の仕方が違うということでしょう。
ご隠居は「万物の関係性」であり、色即是空・空即是色
わたしのは価値基準である苦楽、善悪などの相関関係・因果関係
価値基準の縁起であるなら、現実を肯定し、心の執着も解決できます。
いままで、輪廻転生や神通力や奇跡などを肯定し、
積極的に語ったことは一度もありません。そういったことには慎重です。
あまり興味がない、というところですね。
305 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 00:21:44 ID:A7qJEigN
>>303 苦楽・善悪は、「皮相的な二分法」に過ぎません。佛教は、それらを
前提とするが、それらの定義は出来ていません。その前提からして間違って
いる。だから、その相関関係、因果関係の判断など、できる訳がないで
しょう。
306 :
旧7:2009/06/28(日) 00:24:54 ID:LbpMFDSw
>>302 いまの大乗仏教はまさしく「精神病を人為的に発生させる営み」でしょう。
心の執着を解決するために、この現実を関係性と解し、空・幻とするのだから。
それに気がつかないのだから救いようがない。転倒妄想でしょう。
転倒しているから、理解レベルにおいても悟ることがない。
>>305 苦楽や善悪などは主観的相対的なものでいいのです。
きちんと定義しなくても、相互に依存した関係だから空になる、
ということが理解できればいいのです。
結局、空になるのだから、きちんと定義する必要がないのです。
309 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 00:39:06 ID:A7qJEigN
>>307 >この現実を関係性と解し、空・幻とするのだから。
「関係性」とは、空・幻どころか、最も強固な現実。「万物との関係性」ほど、
強力なものはないよ。その強固な、関係性の集合としての現実界の自覚により、
初めて、精神の安定と平成が得られる。これが、「悟り」である。空虚な幻では
なく、厳然として実在する現実の一部として連なっているという「安心感」「安
定感」からである。
310 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 00:39:10 ID:X0LlcDRT
>>301 すまないが、そのアーベントカル氏の著作またはネット上のサイトなどあれば、挙げてもらいたいのだが。
大変興味をおぼえたのでね
>>309 現実に強固な現実と薄弱な現実があるというのは妄想。
現実は現実。どっちが強固とかいうのは実に観念的。妄想注意。
>>309 関係性には敵対的なものもあり、精神の安定と平静ばかりではないと
前のほうのやりとりで指摘した → 悟りではない。オチ
313 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 01:10:13 ID:A7qJEigN
>>310 十年近く前に読んだ本で、今手元に見当たらないが、確か、山際素男著の、
「光文社新書」だったと思う。今回来日された、佐々木秀嶺師でくぐってみて
ください。
>>311 空・幻と対比して、強固な現実と言ったまで。現実は、常に強固である。
>>312 自己が、敵とも関係で繋がっているいる一体だとすれば、そもそも敵は存在
しない。イエスの「敵を愛せよ」では、まず敵という概念を植えつけて、敵愾心
を煽る。
314 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 01:30:13 ID:X0LlcDRT
八正道で正しさが分からなくても、「精進する」、「念ずる・念う」、
「定に入る」ということを実践すればいいのではないでしょうか。
結局、目的は仏になることですが。
もっと分かりやすくいえば、五欲「財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲」を
よく統御するということでしょう。
それが欲望から自由になるということでもあります。
316 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 02:24:35 ID:LKhp7arC
*
317 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 03:24:49 ID:bLbdxSyt
>>315 >五欲「財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲」
いずれも、人間の生命の維持、ひいては社会の維持に不可欠な本能であることを、
忘れないでください。いたずらに統御すべきものではありません。
その統御は、あくまで、他者の生存(睡眠欲は、自己の生存)との関係におい
てなされなければなりません。
五欲は、人間が生きていることの証なのです。
外道。
319 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 04:52:51 ID:LKhp7arC
旅先からの投稿(施設のPCから)です。
ザッと気になったところに簡単にレスします。
**************************************
>>198 >これは自己矛盾だろう。我の本体としてアートマンをおいているのに
>これを作用の主体としておくことができないのなら、そもそも我の本体とは言えない。
そういう誤解は、自己の二重性質についての理解がない証拠です。
五蘊(心の作用)はアートマンではありません。
>>205 >「我」の代わりに「五蘊の自己」があれば何の不足も無いからね。
違います!!
そんなもの(五蘊)は自己ではない!
自己ではないものに執着するな、と説いたのです。
>>206 >これはアートマンは存在しないということと同義だとそろそろ気づこうぜ
>君がアートマンを設定していることが、客観的にアートマンを対象化していることなんだから
そうではなく、本来からしてアートマンという概念存在は客観的に捕らえられる対象ではないのです。
何故ならば、五蘊で捕らえられる現象界を超越した概念だからです。
>>211 滅し尽くした後に、滅し尽くしたが故に立ち現れるのが真実の自己です。
五蘊を超越した意識に定まるのですよ。
仏陀は意識喪失ですか?違います。真実の自己意識に立脚している。
それは五蘊の自己意識からニルヴァーナ意識に焦点が移行したのです。
320 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 04:55:26 ID:LKhp7arC
>>212 >そして、人間が認識できる一切のものを離れたところに恒常なる存在としてアートマンを仮設できるのでは
>ないかと最後のわるあがきをする者に対して。
>そもそもこれが自己矛盾であるから、前提としてありえないというのが仏教的立場。
悪あがきではなくて、
元々からしてアートマンとはそういう存在のことをいうのです。
もちろん、通常では捕らえられませんが、
しかし、修行によってそれが可能であるというのがバラモン・ヒンドゥーです。
ゴータマはそのまま、それらはアートマンではないから、アートマンでないものを自己と同一認するな、と戒めたのです。
何故ならば、人々は五蘊こそが自己であるという感覚を払拭できずに、そこに囚われているからです。
当然、バラモンの信仰伝統で暮らす一般の人々も、同様、五蘊がアートマンだと思い込んでいる。
そして、五蘊存在の永遠であることを願っているのです。
ゴータマはその間違いを示した!!
>>214 >四諦は、「一切皆苦」という前提に問題があるし、八正道は、「正しい」とは
>何かの定義がなされていないから、いずれも方法論的なものであり、「中心思想」
>とは言えないだろう。
「一切皆苦」に問題はありません。
これは仏教的観点から述べているのです(世俗の感覚からではない)。
あらゆる喜びも束の間に過ぎず、それが別の苦の要因となっていくものだからです。
従って、仏教的観点からは一切が苦なのです。
世俗のいうところの幸せですらも、仏教的には囚われの元に過ぎない。
八正道の正しいも仏教的観点から、その立場から述べているのです。
321 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 04:57:22 ID:LKhp7arC
>>219 >それらを<正しい>と前提して考えるから混乱するのではないか。
前提を鵜呑みにするのではなくて、正しいと理解できるかどうかです。
理解できて帰依するのが仏教徒の立場というものでしょう。
>そういった利用の仕方ではなく、現代的な存在論や認識論を踏まえ
そういうは仏教を破壊する態度です。
受け入れられない人は信奉する必要はない。
>>222 >原始仏教において、無為法は存在しなかったのだよ。
>だから一切法といえば、有為法を指したの。
ですね!
ゴータマの現実主義は有為法を説いた。
無為的な部分については捕らえられないから、「無記」としたのです。
322 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 05:34:12 ID:LKhp7arC
>>224 >三法印、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切、一切法、五位七十五法、
>有為法、無為法、無常、常住、無我、涅槃などなど・・・
>こういった仏教用語をだれが理解できるのか。世間の人にどう説明するのか。
そのご意見は一理あります。
ゴータマは哲学者たちに説くことを目的としたのではなく、一般大衆の中を歩き話した。
わかりやすく単純で平易な言葉で語ったのです。
それを後の経典編集者らが、「これとこれをくっ付けよう」「分けよう」などして体系化して、
それぞれの項目に名称を付していった。その名称を使えば、これこれの内容のことなんだ、ということにした。
ハッキリいうと、これら漢訳仏教専門用語など何一つ使わなくても説明できるのですよ。
この私がその典型例でしょう。なるべく使わないようにしているし、実際に知らないw
とにかく、仏教者らの思考を硬直化した原因ではある。
漢訳経そのままの慣例に従わず、
経典を現代日常語でつづるようにした学者の功績は大きい!
>>226 >>220 >>アートマンが常住であると仮設したことはないだろ
>アートマンであれば常住でなければならない、ということだね。
元々、現象界に常住する存在ではない。
現象界を超越しているのです。
323 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 05:35:11 ID:LKhp7arC
>>259 >
>>256 >何? 仏教が衰退したのは、霊魂を否定したからだ とでも言いたいわけ?
あるでしょうね!
アートマンとは真実の自己、自己の本体ことです。
後代の仏教者らが誤解から、なんとそれすらもないことにしたのですから・・・。
何の意味も価値も失ったのです。
従って、インドにおいて仏教は自滅したようなものです。
インド人にとっては、「アートマンは存在しない」は無価値ということ。
>>275 >
>>65 >ちがいます。旧7さんが既に言っていますが、
>一切行苦では、無為法が排除されてますが、一切法無我だと無為法も包括されます。
>つまり、涅槃は一切法に含まれます。
後代の改変の可能性ありです。
元々はそうではなかった、という水野氏の解説を紹介しているところです。
水野氏は、「一切法」とは現象界に限定する法と繰り返していますよ。
>>276 >
>>155 >お〜! その通り! それこそ全ての基本。
「空」は現象界の性質のことです。それに限定ね!
空なる世界からの解脱です。涅槃も空の筈がないのです。
涅槃も空なら無価値ですよw
324 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 05:36:14 ID:LKhp7arC
>>280 >それは、ブッダの「鬱病の症状」以外の何物でもない。
仏陀であるゴータマを愚弄するならば、出てってください。
このスレは仏教について学ぶ意思のある者が真実を求めて討論する場です。
仏教(ゴータマの教え)を学ぶ意思がないならば、退席願う!!!
*レッドカード
>>298 >中村氏が、小乗に洗脳されていたことは、確かではないでしょうか。
>あれほど多数の小乗仏典を翻訳しまくったのですから。
原始経典を小乗呼ばわりするなら、
この世に仏典は存在しないも同然です。
中村氏の熱誠は、
ゴータマ直説とみなされる諸経典を一般大衆に読めるように普及したいという、
その想いと信念、そして自己の使命感からでしょう。
失礼は辞めなさい!! 出てって下さいな。
325 :
一在家:2009/06/28(日) 06:54:51 ID:WndJFBL2
>>279 >方便品に仏性という言葉は出てこない
あれー、貴兄の手許の法華経の訳には出てこないのですか。
私のコピーの定本(訳者名のコピー無し)は平楽寺書店版「訓訳妙法蓮華経并開結」で参考までに(頁-行)を記します。
原文を読める識者は補完いただければ幸いです。
(65-6)一座の中の出家・在家の修行者、にわかに座を立つと、仏に礼拝して出て行ってしまったのです。(註:この後に釈尊は菩薩乗を説かれる)
(66-7)舎利弗よ、諸々の仏はただ一つの大事な目的の為にこの世に出現するものであると説きました。
(66-8)第一に、全ての人に仏の智慧に目を開かせ、自ずから清らかな心を得させようという願いの為、
(66-10)第二に、一切衆生の仏性★の平等を知り、
(66-11)第三に、人々が仏の智慧を自らの体験によって悟るよう導く為、
(66-12)第四に、仏の智慧を完全に成就する道へ、全ての人を導き入れる為に、諸仏はこの世に出現するのです。
(67-5)あらゆる国土のあらゆる仏の教えも、やはりこれと同じです。(註:国や時代によては仏は「神」という「名称」かも。)
326 :
一在家:2009/06/28(日) 06:57:00 ID:WndJFBL2
(72-5)すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っていながら、小乗の教えしか説かないならば、私は法惜しみの罪に落ちよう。
(73-1)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、思い惑い、受け入れることはできない。その理由は、過去に善行を行わず、五官の欲望に執着し、おろかな愛欲にとらわれ、様々な悩みにのたうちまわったからだ。
様々な欲望への執着から、地獄道・餓鬼道・畜生道に堕ち、死に変わり、生き変わり、六道をぐるぐる回るばかりで、常に苦しみに身を焼くのだ。
人間は、生まれ変わる時、目に見えぬ姿で胎内☆に入る。
(73-10)この大宇宙の実相を見れば、万物・万象は常に大調和の相をとっている。これが究極の涅槃の相だ。
所感ですが、スッタニパータ、ディーガニカーヤ、そして法華経の方便品第二とは相関があって重要かと存じます。
327 :
一在家:2009/06/28(日) 07:00:30 ID:WndJFBL2
>(65-6)一座の中の出家・在家の修行者、にわかに座を立つと、仏に礼拝して出て行ってしまったのです。(註:この後に釈尊は菩薩乗を説かれる)
正:(65-6)一座の中の出家・在家の修行者五千人、にわかに座を立つと、仏に礼拝して出て行ってしまったのです。
328 :
一在家:2009/06/28(日) 07:20:42 ID:WndJFBL2
(77-5)
仏という仏は知っている。
宇宙の万物・万象は永続的・固定的な実体ではなく、その本質において平等であり、大調和していることを。
生きとして生けるものは全て仏性★を持っているので、仏になるということも縁起によるものであることを。
329 :
一在家:2009/06/28(日) 07:26:50 ID:WndJFBL2
>>299 >「輪廻転生」などという荒唐無稽は、現代では一切通用しません。現実
界に還元できない「妄想」は、「最も現実主義的・合理的・実証的・経
験的」な宗教としての佛教には、「無縁」です。
>既に小乗によって洗脳された「学者」たちの著書は、読むだけ無駄であ
るばかりでなく、極めて有害です。
以上、紹介しました法華経の方便品第二には、原始仏典以上に「再生」の
ことが詳しく説かれております。
同じ法華経でも訳が異なるようですので、原本を読める識者は補完願います。
330 :
一在家:2009/06/28(日) 07:39:03 ID:WndJFBL2
>>323 宝珠氏
>アートマンとは真実の自己、自己の本体ことです。
>後代の仏教者らが誤解から、なんとそれすらもないことにしたのですから・・・。
>何の意味も価値も失ったのです。
>従って、インドにおいて仏教は自滅したようなものです。
>インド人にとっては、「アートマンは存在しない」は無価値ということ。
当時、世界最高の文化・科学・医学の水準だった偉大なインドは自滅し、
空海、最澄、日蓮、親鸞、道元らが理想とした国家「中国」も自滅しましたね。
もし「縁起」が正しければ、必ず自滅の原因があるということでしょう。
331 :
一在家:2009/06/28(日) 07:44:27 ID:WndJFBL2
大乗でも衆生済度が仏の発願だったそうです。
仏教哲学では1割も理解できないでしょう。
「空」も1時間の講義で、1割理解し実践できるかな??
332 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 09:42:57 ID:TFIGN0gL
>>248 >「法」という以上、「万人・万物に共通する」という要件が必要であろう。
それは、あなたの「法」に対する要望に過ぎない。
>>243の意味するところは「法」という言葉が仏教の中でどのように
使われているかをしらべてその意味を確定させるという語用論に基づいた
文献検証ということだろ。
仏典の中でも「法」と記述されたときその意味は
>>243のように多義だから
その文脈で確定していくしかない 、ということ。
ところで「諸法無我」や「一切法空」というときの「法」の意味、すなわち
その言葉の指示する対象はなんだと思う?
俺はここでの「法」は「すべての物事(事物)のこと」である、と理解している。
>>319 > 滅し尽くした後に、滅し尽くしたが故に立ち現れるのが真実の自己です。
それは仏典のどこに記載があるのですか?
334 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 09:58:01 ID:TFIGN0gL
>>261 >科学が、宗教の如何なる奇跡も及ばない発達を遂げた現代では、「生存の
>手段」としての宗教は、もはや科学に取って代わられたと解することも
>できます。 その意味では、宗教は、「文化遺産」としての価値を持つ
>だけです。それを「使用」したり、「実行」したりするものではない
>でしょう。
ここでいう「科学」とは自然科学だけを言うのでしょうか?
人文科学や社会科学を含めた「学問」全体を言うんでしょうか?
学問全体としてもそれだけでは人は生きられないでしょうね。
哲学なり宗教を元とした行動指針・人生指針がいるでしょう。
自分の宗とする教え、それが宗教でありいつの時代にも人間社会から
なくなることは無いでしょう。
しかしのかかし「幸福の科学」なんてのは語義矛盾であることは、
いうまでも無いことだ。
よくこんな看板掲げられるものだ。笑っちゃうよね。
国政にも参加するなんてもってのほかだね。
オームと同じように惨敗するだろうけど。
335 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 10:23:16 ID:TFIGN0gL
>>282 >私も、和訳引用に際しては中村訳卒業の流れでもいいんじゃないかと感じます。
私も中村訳と片山訳の違いに興味があります。
たとえば、前に私がここに引用した中村訳のダンマパダの以下のくだりは
片山訳ではどのようになってるんでしょうか?
ダンマパダ
277 「一切の形成されたものは無常である」・・・
278 「一切の形成されたものは苦しみである」・・・
279 「一切の事物は我ならざるものである」・・・
特に「一切の事物は我ならざるものである」なんて日本語として
よくよく考えてみると何をいいたいのかさっぱりわからない。
「事物(ダルマ)」や「我(アートマン)」というインド哲学の概念を知って
はじめて理解できると思うが・・・・。いかがでしょうか?
336 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 10:24:44 ID:OszF9EXI
>>321 言葉の混乱を防止するには、現代的な存在論・認識論によって、仏教用語を見直す必要がある。
論といっても大げさなものではなく、素描程度の基本的なものでいい。
こういった態度が必要なのは、仏教の枠組みの中ではなかなか結論が出てこないからである。
こういった態度は、真理を追求するためには当然であり、
仏教の中に存在している、正しい部分と、誤った部分を仕分けする作業であるともいえる。
仏教の誤りを墨守するのではなく、真理を守るという立場から言えば、
誤った部分を捨て去る勇気も必要だろう。
翻訳者が、自分を出し、あまり意訳するのも考えものだ。
原典にできるだけ忠実に訳す、というのが基本的なルールではないか。
それが読者に対する誠意だろうと思う。
>>306 君ら末法仏教の考えではこうだ。
私は足を無くしたということに直面して苦しんでいるが、
真理は中道であるから、苦しみも楽も本来無いのだ。
だから私が今、苦だと思っているものは ”無い” いのだ。だから
くよくよ悩むのはよそう。これすなわち、涅槃静寂。
いろいろ小難しいことを君らは語るが、君らの仏教徒は所詮この程度のものだ。
賢い者はすぐに気づくだろう。君らの中道を使った苦の滅は、単なる
気休めでしかなく、本質的には意味が無いことを。
ゴータマの仏教の考えではこうだ。
私が足を無くしたのは、過去の負の業の果によるものだ。
悲しむことはない。私はひとつの、負の業の清算をすませたのだ。
なぜなら、私が今まで積み上げてきた負の業の清算は
たとえ一銭たりとも清算しないと、涅槃には至れないのだから。
だから悲しむのではなく、この事実を受け止め、大いに喜ぼう。
そして、二度とこの先、このような目に合わない為にも、
また、輪廻の輪を絶ち、苦しみでしかない迷いの生存再び繰り返さないよう、
負の業を積まず、善を成し、今生を勤め励み生きていこう。それが
涅槃に至る道なのだから。
ゴータマは、一切は皆苦だと言ったんだ。なのに君ら末法仏教徒達は、
この一切の中に苦の滅を探している。それは違うんだよ。この現象世界からの
解脱。つまり負の業により、この世界に再び生まれてくることを繰り返さない。
そこに涅槃静寂があり、苦の滅がある。私とあなたとを分ける
肉の自我を持ち生まれてくる我々は悪い存在だと知るということが解脱への
道への第一歩となる。なぜ私とあなたを
分ける肉の自我が悪い存在なのかを理解すれば、キリスト教の原罪論も理解するだろう。
339 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 10:34:49 ID:TFIGN0gL
>>295 >オウムは、日本で唯一の原始仏教の法門であり、
どうでもいいことだけど、間違いじゃないかと思うので一言。
オウムは原始仏教じゃなく大乗仏教のなりの果ての密教(ヴァジュラジャーナ?)じゃないか?
チベット仏教の影響が強いような・・・。「ポア」なんてタントラや
密教でなければでてこない言葉でしょ。ヨーガもよくやってたようだし。
オームが原始仏教なんてありえない。
出家とサンガにこもること、解脱を目標とすることくらいしか共通項は無い。
340 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 10:38:37 ID:LKhp7arC
>>333 ニルヴァーナは煩悩の火が消えことですが、「滅度/寂滅」などという。
何が滅するのかというと、五蘊存在としての低級性質です。
それを滅ぼし尽くした果てに、真実の自己が顕現する。
仏陀としてのゴータマとは、彼自身の真実の姿(自己)に他ならない。
よく自己実現という言い方が使われます。
仏教徒はこういう表現にアレルギーがあるのかもしれません・・。
『英文サンスクリット語辞典 Nirvana :
Extinction of self-will, Self Realization.
(ニルバーナ:個人の意思が消滅すること。真の自己実現。)』
まだ分からなければ、
後で適切な経文を提示したいと思います。
旅先にて失礼。
絶対神とかふざけたハンドルつけた禅宗たわけ。
君らはうすうす気づいているんだろ。どうやら原始経典を読めば
ゴータマは我々の仏教とは違う教えを説いているようだとね。
それを素直に認め、我々の仏教は原始仏教とは違うという前提で
法を説くなら、君らの罪はないだろう。ところが君らは、ゴータマの仏教を
解釈を無理矢理捻じ曲げて自分達の教説に合うように曲解して
法を語っている。そこに君らの罪はある。真理を伝えた人の話を自分達の
エゴで、捻じ曲げるだけでなく、正しく理解して語る人の口をも塞ごうとする。
これは真理を冒涜することに繋がっている。審理を正しく語る言葉は
キリスト教的に表現すると、聖霊になる。君らは聖霊を冒涜し、背き、
決して受け入れない。聖者を冒涜しても許されるが、聖霊を冒涜する者は
決して許されない。君らは今のままでは決して真理を悟ることは許されない。
その受け取る報酬は、永遠の滅びだよ。
仏教という枠組みの中だけで考えている危険性は、
大乗が2000年近く、竜樹・世親に呪縛されていたことでわかる。
中村先生などが原始経典の翻訳を進めた成果により、
大乗と上座部と原始仏教の違いが知られるようになったのである。
いまや仏教の枠組みだけで議論する時代は終わった。
>>340 宝珠さん、旅先なんえすってね。正直うらやましい。
私は今のご時世からすれば、年収そこそこあるんですが、
変わりに自分の時間がほとんどない。いっそ全てを捨てて自分の
本当に求めるものに迎えたならと、常々思うのですが、
欲を捨てられない、己の心の未熟さよ。自分に与えられた時間を、
自分の自由に使えること。これほどの贅沢はないんでしょうね。
344 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 10:47:22 ID:pjtVFawN
345 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 10:53:17 ID:pjtVFawN
>>340 宝珠さん、もうちょっと原典を読んでもらえませんか?
>ニルヴァーナは煩悩の火が消えことですが、「滅度/寂滅」などという。
>何が滅するのかというと、五蘊存在としての低級性質です。
>それを滅ぼし尽くした果てに、真実の自己が顕現する。
これだとサーンキャかヴェーダーンタなんです。
そうではないというのが、原始、部派、大乗の三つのインド仏教の一致した意見です。
上のような見解を主張するインド仏教の聖典を私は知りません。
チベット仏教で異端とされる見解と現代の真言宗の一部が上のような見解ですが、
私は見解としては間違っていると思います。
>心の貧しい者達は幸いである。天の御国は彼らのものである。〜マタイ
前スレで、隠居こと、仏典にでてくる悪魔バービマンが、相も変わらず悪意のこもった
曲解で、この聖句を誹謗していたが、この貧しい者達の前には、「心の」という単語がついてね。
つまりこうだ、贅沢を求めず、欲も無い心の貧しい者達は幸いである。
天の御国は彼らのものである。という意味なんだよ。これは離欲こそが涅槃に至る道だと
説いたゴータマの教えにも相通じるものだ。
>>345 ゴータマはヴェータを否定していない。それどころか
ヴェーダの達人と呼ばれているのを容認している。彼はヴェーダを
否定したのではなく、ヴェーダをおもいきり誤謬して教えを広めていた
当時のバラモンと呼ばれていた人達を批判し、彼らの誤謬を
正したんだよ。ゴータマはヴェーダを否定したなんて、君らの誤解ははなはだしい。
君ら末法仏教徒達は、ヴェーダを思い切り誤謬していたゴータマ当時の
バラモン達と同じだ。現代のキリスト教徒達が、現代のファリサイ派であるように、
君らは現代のバラモンなんだよ。
348 :
偽本尊:2009/06/28(日) 11:04:07 ID:INVhuRfe
>325
いやー、その訳は酷いな。出鱈目ですね。
そこで仏性と言っているのは「一仏乗」のことです。
法華経ではどんな人も仏に成れると説きましたが、それは仏性があるから仏に成れるのではなく、「一仏乗の教えによって仏になれる」と説いたのですよ。
意味が全然違いますね。
349 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:07:35 ID:pjtVFawN
>>347 はいはい、あいての意見はちゃんと読みましょうね。
そして一度言われて論破されたことは認めましょうね。
シッタカはやめましょうね。
350 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:12:48 ID:TFIGN0gL
>>323 >水野氏は、「一切法」とは現象界に限定する法と繰り返していますよ。
それだけをいい続けてるなら水野氏の解釈が間違ってるということだね。
>>349 俺がいつ論破された?論破されているのはいつも君らのほうじゃないか。
どう原始経典を読んでも、俺や宝珠氏の理解のほうが理にかなっている。
君らの話は、自説に合うようにと、曲解ばかりだ。
たしかに屁理屈こねくり回せば、君らの曲解もできるだろう。だが賢い人は
話の本質を見極め、君らのは解釈はどうみても無理があると、すぐに見破るものだ。
翻訳がどうのと、中村氏のような一流の人が翻訳した文章に、元の文章から
大きく逸脱した内容になるわけも無く、話の本質までも失われるわけがない。
君らは、原始経典の内容が、君らの仏説に合わないようなので、なんとか粗探しを
しているだけ。初めに自分達の仏説ありきの君らは、そもそも仏典を読む
アプローチそのものが間違っている。
>>313 >自己が、敵とも関係で繋がっているいる一体だとすれば、そもそも敵は存在
>しない。イエスの「敵を愛せよ」では、まず敵という概念を植えつけて、敵愾心
>を煽る。
関係性を強調し、敵と味方を区別できないものは必ず滅びるでしょう。
イエスの「敵を愛せよ」は区別した後の<意志>を言っている。
353 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:17:37 ID:TFIGN0gL
>>323 >涅槃も空なら無価値ですよw
涅槃が実体でないとどうして無価値になるの?
一万円札は紙に印刷されてるだけでそれ自体はたいした価値が無いね。
これが一万円札には実体が無いということだろ。
だけど日本国の信用があるから一万円としての価値が有る。
どうして実体がないと無価値なのか解りやすく説明してください。
354 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:22:19 ID:TFIGN0gL
>>326 >(73-10)この大宇宙の実相を見れば、万物・万象は常に大調和の相をとっている。これが究極の涅槃の相だ。
そうだよね。
法華経も初期大乗経典だから「諸法実相は空」と説くのだね。
>>353 君らの大好きな「無」は無価値だ。
そんなことは小学生でも理解する。それとも君は
いちいちなぜ「無」は無価値なのか一から十まで説明してやら無いとわからないのか?
君らの大好きな中道は、一元の存在を認めてこそはじめて本質的に意味のある
話となる。その絶対なる存在を認めず、この相対世界である二元世界だけで完結して
善も悪も無い、中道を語ったところで、それは本質的にはまったく意味の無い
ただの言葉遊び。偽論にしかならないだろう。これもなぜそうなるか、君には一から十まで
説明しないと理解できないかい?
356 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:29:59 ID:j216d6Xf
>>346 >この貧しい者達の前には、「心の」という単語がついてね。
歴史的には、ルカ福音書6:21の平行句「貧しい人々」のほうがイエ
スの発言の原義に近いといわれている。
マタイの「心の」は、例の如く、キリスト教の安っぽい精神主義を付け
加えたものである。
他人の心を「貧しい」「貧しくない」などと判断する者は、一体、何様
の積もりか。聖書における、究極の「人間差別」、「人間そのものに対
する愛の欠如」である。
357 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:34:21 ID:pjtVFawN
>>351 常に論破されてると思いますが?
相手の書き込みを読まずに十把一絡げに「おまえら」とか「君ら」、
ここでは少なくとも三つの類型があることを認識もしてませんね。
1.見たまま常識のままで輪廻を認めないのが仏教とする断見者 生命常識教 縁起・中観誤解者も含む
2.輪廻を認め、現象が縁起・空、三昧・ヨーガによって実在常住のアートマンを悟るのが仏教とする常見者 グノーシス、神智学、真光など
3.輪廻を認め、三昧によって精神集中した状態で縁起・空などによって無我・空性を悟るのが仏教とする縁起論者 中観者
この1.と3.を一緒にしてるところが痛い。
さらに私がサーンキャかヴェーターンタと言ったのは「現象が縁起・空、三昧・ヨーガによって実在常住のアートマンを悟る」というような現象が仮象で、
アートマンが実在とするような類型的思考パターンを指したのであって、釈尊がヴェーダを肯定するとかしないという意味ではありません。
以上、簡単にあなたが相手の書き込みを読み取れないことを示しました。
358 :
旧7:2009/06/28(日) 11:36:59 ID:LbpMFDSw
>>351 >初めに自分達の仏説ありきの君らは、そもそも仏典を読むアプローチそのものが間違っている。
これが自分自身の姿だということに、そろそろ気付いた方がいい。
君らは、鏡に映った自分の姿を罵倒してるんじゃないかい?w
359 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:37:39 ID:pjtVFawN
>>351 >初めに自分達の仏説ありきの君らは、そもそも仏典を読む
>アプローチそのものが間違っている。
まさにあなたの立場ですね。グノーシスとか他の構造で読み込んで、現象が仮象、実在がアートマンと読み込んでいる。
私は、経典と矛盾することは一度も言っていないつもりですが?
そのようなことを言うのは生命常識教やアートマン論者ですね。
360 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:44:07 ID:j216d6Xf
>>352 >関係性を強調し、敵と味方を区別できないものは必ず滅びるでしょう。
相手を滅ぼすこともないな。相手を敵視しなければ、争いそのものが止む。
>イエスの「敵を愛せよ」は区別した後の<意志>を言っている。
まず「敵」「敵意」を作り上げておいて、「愛せよ」などと言っても逆
効果。「敵なのに愛さなければならない」という心理的葛藤が生じ、逆
に、相手に殺意さえ抱くことになる。イエスを含め、この「教え」を実
行できたクリスチャンは、一人もいない。イエスは、「相手も同じ人間
なのだから、本当の敵はいない」というべきであった。これが、佛教の
「関係性」の教えである。
>>356 >歴史的には、ルカ福音書6:21の平行句「貧しい人々」のほうがイエ
>スの発言の原義に近いといわれている。
ソースは?ちなみにルカは比較的他の福音書より後代に成立したものだと言われているね。
ま、イエスに異常に憎悪の炎を燃やす君にいくら言ってもわからないだろう。
そこの貧しいは、贅を求めず、離欲を果たした者達のことであり、心が欲にまみれているのに
不本意ながら貧乏で、金持ちを妬んでいる人たちのことでないのは、聖書やグノーシス
文献を見れば明らかだ。そこのマタイには後にこう続く。
>どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
>一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
>あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。
心の貧しいものは幸いである。この主張は聖書の中で、首尾一貫している。
聖書の中の一番古い部分、パウロの書簡にも、この世の一切のものに執着してはならない
といってるくらいだからね。
362 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:53:28 ID:pjtVFawN
シッタカであることが明瞭なのは次のようなところ。
>317 名前: カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 Mail: 投稿日: 2009/06/02(火) 09:36:57 ID: D0Y3pF7L
>我々は肉の牢獄に閉じ込められた、生まれつきの死刑囚。
>皆、死は避けられない。己の犯した罪ゆえに。
>
>一在家通りすがりさん。聖書に出てくる永遠の命とは、精神的な命。直訳すると
>魂という意味のプシュケーという単語を使わず、生物学的な命。ゾーエという単語を
>使い、ゾーエアイオノスと表現されているんですよ。イエスの説いた永遠の命とは
>永遠不滅の魂のことを言っているのではありません。むしろ業を伝える魂は、人殺しだと
>表現され、永遠の命とは、この業を滅ぼし、魂を滅ぼした先にあると説きます。
>イエスの説いた永遠の命とは、あなた達の思い描いている永遠不滅の魂とは、全然違う
>ものなんですよ。
この「ゾーエアイオノス」というのは新改訳3聖書1jo 1 2 ──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──
などで「永遠のいのち」と訳されるゾーエアイオニオス zoe aionios のことをシッタカで偉そうに上のように書いちゃってるですが、ギリシャ語など知らないことがこのことから明白でしょう。
下ではご丁寧にギリシャ文字も使ってますが、どっかのコピペであると予想されます。
http://unkar.jp/read/gimpo.2ch.net/psy/1222073111/1231358669/ 困った例は自性です。仏教で自性を涅槃の境地と称する説を私は知りませんが。
おそらく佐保田さんのヨーガスートラの翻訳を読んで、そこの自性(プラクリティ)を自らのグノーシス説に結びつけて
適当に解釈し仏教も同様だと思い込んでいるだけだと予想されます。
それにカラスさんは、自演して自分を称えたり、自説を擁護したりすることが度々なので、ただエゴに基づいて書き込んでいることが明瞭であり、純粋な宝珠さんとは明らかに違うと私は思います。
>>360 また悪意のこもった曲解によるキリスト教批判か。
そんなにイエスが憎いか?彼は十字架に掛かるとき、右の者と、左の者の
中央にいた。そして右の者は救われ、左の者は救われなかった。
彼は息を引き取るとき、エリ・エリ・レマ・サパクタニといった。それは、わが神、わが神、
どうして私をお見捨てになったのですかという意味だ。その後、父よ私の霊を
御手にと息を引き取った。救われたのは彼であり、そして救われなかったのも彼である。
彼は、右の者と、左の者の中央にいるのである。隠居よ。お前は気の毒だ。
お前はイエスに対して憎悪の炎を燃やしている。それは彼がおまえは悪い存在だと明かし
お前は滅びる者だと明かしているからだ。だからおまえは彼に本能的に彼に
対して憎悪の炎を燃やしている。だがその憎悪はおまえ自身に向けられているのを
おまえは知らない。なぜならおまえは、彼自身なのだから。おまえは気の毒な人だよ。
364 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 11:55:36 ID:j216d6Xf
カラス氏や宝珠愚者氏その他が、アートマンに執着し、「空」に激しく
反対するのは、要するに、自分たちが信じて止まない「唯一絶対神」が
相対化されて消滅するのが、怖くてたまらないだけ。自分たちの存在そ
のものが否定されるという、「妄想上の恐怖」に怯えているからである。
>>362 だから、聖書には永遠の命を、魂という意味のプシュケーという単語を使って
プシュケーアイオノスという言葉で表現してるのかと、聞いてるんだよ。
あくまでキリスト教のいう永遠の命とは、永遠不滅の魂という意味のプシュケーアイオノス
という意味ではなく、生物学的な命、ゾーエアイオノスと表現され、それはまったく
正しいといっているんだよ。
366 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 12:00:07 ID:pjtVFawN
>>364 そうではなく、それが正しいと思っているからでしょう。
困ったことに生命常識教や縁起・中道を常識で解釈する人たちもいるので、
確かにそれよりはまともな解釈なので、なかなか難しい。
生命常識教や縁起・中道を常識で解釈する人も、いいかげんにしてくれないですかね。
常識で済むなら、仏教を否定して終わりでしょ(^^)
367 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 12:03:18 ID:pjtVFawN
>>365 ゾーエアイオノスじゃなくてゾーエアイオニオス zoe aionios でしょ。
知らないのにシッタカしないように(^^)
私もギリシャ語は知らないけど、あなたが間違っていることは分かるよん。
>>366 だから君らの中道による苦の滅は、ただの心理カウンセラーレベルだろ
と言ってるんだよ。常識で済むなら仏教を否定して終わりだというのは君らの
末法仏教だけで、ゴータマの仏教は違う。君らの仏教の苦の滅は、
とどのつまり、ただの気の持ちようで終わる話で、それんら現代の精神科医や、
優秀なカウンセラーのほうがよっぽど有効な手立てを与えてくれる。
君らの唯物末法仏教は、宗教的にはまったく無価値なものだと、いい加減気づいたら
どうだ。
>>367 そういうのをただの揚げ足取りだというんだよ。
詰まらん奴だ。
俺の話の、話の本質部分でどこがどう間違っているのか、説明してもらおうか。
聖書には、永遠の命とは、魂と言う意味のプシュケーという単語ではなく、
生物学的な命、ゾーエという単語が使われており、それは全くもって
正しいと言っているんだよ。
370 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 12:09:36 ID:j216d6Xf
>>366 >常識で済むなら、仏教を否定して終わりでしょ(^^)
釈迦は、圧倒的多数の生活者の常識にも対抗出来ない教えを説いた「愚
か者」だった、といいたいのかね。
>>364 縁起=空は否定していない。ただゴータマも、俺達も縁起=空とは
この現象世界のことであり、それらは無常であり、無我ですよと言っているだけだ。
そんなに難しいことをいっていないのに、どうしてこの人達にはわからないんだろう。
372 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 12:21:50 ID:TFIGN0gL
>>355 >
>>353 >君らの大好きな「無」は無価値だ。
無視してもいいけど、アンカーつけられたからレスしておく。
「無」と「無価値」が違うことなんて小学生で解るね。
「無」とは単に「無い」ということ、「無価値」は価値が無いということ。
これこそ説明するまでも「無い」ことだね。
ところで「無いよりもっと無い」こと知ってるかな?
日本国の国債の負債がいくらあるか知ってるかな?
「負債が無い」ということは空(ゼロ)であるということでどれだけの
価値になるか?
よくよく思案して皆晴(変な変換だね)もとい、みなはれ。
もともとに質問に答えていないからこちらも適当に回答してみた。
373 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 12:28:45 ID:pjtVFawN
>>368 それは生命常識教などの人で、私の主張ではないと理解できないのが痛い。
もう、説明しないけど。
>>369 そいうシッタカや自演する人の説は、全く対話するに足りないというのが、
議論や論理を持ちうる場での最低のルールです。
揚げ足取りというのは、ただのタイプミスですが、あなたの場合は繰り返し使っていて明らかにシッタカです。
話にならない(^^)
>>372 このレスをみても、彼らがいかにまともな会話の通じない
相手なのかがよくおわかりいただけるだろう。俺は「無」と「無価値」
は、言葉の意味が違うと言う話をしてるんじゃない。
君らの大好きな「無」は価値が無いという話をしてるんだよ。
ちなみに禅宗とは、末法仏教の最大手とも言えるものだ。彼らには
文字通り、答えが無い。答えの無い彼らは、
ごまかしのテクニックが極限まで研ぎ澄まされている。
それは彼のこのレスひとつみてもおわかりだろう。詭弁家の彼らとは
まともな会話は成り立たない。
375 :
旧7:2009/06/28(日) 12:30:37 ID:LbpMFDSw
>>361 今、手許には授業の際の板書しかない。
授業の板書(≒メモ書き)故、商品(?w)としての、公にできる和訳でなく、
意図を示す為のものなので、それを決定稿とするわけにはいかないだろう。(てか直訳そのままだしw)
(増支部中にもあるらしいが、訳出(出版)もそこまで行ってない。)
前出の「片山入門」にも、その偈は無い。
NHKラジオ第2で2年前に放送された「宗教の時間―ダンマパダを読む―」のテキスト(NHK出版)下巻には、
内容の展開(講義の進め方)からして、もしかしたらあるかもしれない。
(私はなぜか上巻しか買ってないw 下巻も買おう買おうと思って日が過ぎてゆくwww)
これも、片山さんが、偈をどう訳そうか・・と苦心されているのがわかるし、結構な数の偈が訳されているので、
且つ、他の経からも引用が多く、片山訳の豊富な例の集積と言えるw
また、きちんと概略や仏伝にも触れているので(上巻はこの内容)、入門書的側面もある。
安価(1000円以下w)だし、本屋の在庫や版元のバックナンバーがあるなら、お薦めの上下巻だ。
個人的にも、かなりお薦めするw (ワシも早く下巻を買おう・・・orz)
376 :
旧7:2009/06/28(日) 12:33:29 ID:LbpMFDSw
あ、アンカーが違うwww
>>375は、
>>335宛。 (ctrlキー+スペースキーの後、遡らなかったらしいwww)
お二人とも、申し訳ない。 m(_ _)m
>>373 だからさ、発音のことなど話の本質とは関係ないことだろ。
話の本筋を摩り替えるなと言ってるんだよ。さすが揚げ足取りで
本論から逃げ、摩り替えるところなどは、詭弁家たる、末法仏教徒らしいやね。
ちなみにアイオノスと言う発音は、キリスト教にいるアンチキリスト教の
インテリもやってることでね。発音を文字にするさい、アイオノスと書くのも、
アイオニオスと書くのも、さして問題があるとも思えないが。
ちゅうか原始仏教のスレでも、君らは、文献学者よろしく、書かれている内容よりそういう
単語の表現やら、文法的なことばかり話して悦に入っている愚か者
ばかりだったよな。アホは漢文など載せて悦に入る。なんか本質を見誤っている。
仏教を学ぶなら、そういう文献学的の部分ではなく、ゴータマは何を説いたかである。
おっと、それを探る為にも文献学とは言わせない。君らのは明らかに
ゴータマは何を説いたかではなく、漢文や、文献学的アプローチで仏典を分析することに
熱中する本末転倒なものだ。あんたの、話の本質を隅においやり、
どうでもいい発音を問題にして、議題を刷りかえるテクニックなどそのいい例だろう。
378 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 12:48:13 ID:TFIGN0gL
>>364 だから縁起があっても絶対は吹っ飛ばないって。
縁起なども根源が無ければうまれもしないし存在もしていない。
二項があってはじめて成り立つ縁起は根源とは成り得ない。
でも、この縁起・現象世界がある以上、それらを生み出した根源が在る。
俺はその根源の話をしている。
おまえにはこの理屈はむずかしすぎるか?
>>364 逆に縁起=現象世界が今ここにあるということは、
すべてを生み出した根源のあることの証明にもなるんだよ。
381 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 13:49:27 ID:pjtVFawN
>>377 知らないことは語るべきではない。
知らないことを、さも知ったかのように語ることは自他を迷わせる。
これはシッタカの明解な一例。仏教についての誤解は、自性で十分だ。
あなたは自性こそ釈尊のいう真実だとずっと言っているが、
その典拠を示せたことがない。示したのは『ウダーナ』や『ウダーナ・ヴァルガ』で、これが自性なのだというだけで、経典には自性などという訳語も、
原語もない。これこそ、グノーシスやヨーガスートラを前提とした
>
>>351 >>初めに自分達の仏説ありきの君らは、そもそも仏典を読む
>>アプローチそのものが間違っている。
ということに他ならない。これが認められないあなたはいつまでたっても『梵網経』で否定される外道の立場から一歩も出られない。
私の縁起・空というのは、見たままのありのままが実在するとか、常識が正しいなどという見解ではない。
三昧を行えば現象など状況、縁起しだいでいかようにもなるということが実感される。
しかし、三昧の精神集中による見え方の変化は、悟りをもたらさない。
その集中状態で縁起・空などを観じないと解脱・涅槃がないというのが、
仏教の一貫した立場である。これが分からないんだから、しょうがないよ。
縁起は、そう簡単に分かるもんじゃないだよ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html 仮象と実在みたいな理解ではしょうがない。これ以上、言っても無駄だから黙るけどね。
382 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 14:00:23 ID:TFIGN0gL
集合論では空集合からすべての集合が作り出される。
根源は「空」かも知れないね。
現代物理学でもすべてを原子に還元することはできなかった。
素粒子も一種の素粒子に還元されることは無い。
エネルギーも物質も真空のゆらぎから作られる。
全宇宙のエネルギーの総体は空(ゼロ)かもしれないね。
383 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 14:04:05 ID:pjtVFawN
>>377 >だからさ、発音のことなど話の本質とは関係ないことだろ。
はっきりいっときましょう。
関係ないと思うなら、始めから原語など持ち出さないこと。
>話の本筋を摩り替えるなと言ってるんだよ。さすが揚げ足取りで
>本論から逃げ、摩り替えるところなどは、詭弁家たる、末法仏教徒らしいやね。
>ちなみにアイオノスと言う発音は、キリスト教にいるアンチキリスト教の
>インテリもやってることでね。発音を文字にするさい、アイオノスと書くのも、
>アイオニオスと書くのも、さして問題があるとも思えないが。
インテリがやってたのをまねしてハッタリかましただけでしょ。
原語を出すならアイオノス/アイオニオスの違いは重要だよ。
語形変化ではないでしょ。ただたんに表記誤りに過ぎない。
書かれている内容に至るためにはテキストの微妙な違いが大きな解釈の違いを有無。
それともあなたは悟っているとでもいうのか? 完全な悟りの状態にあって、
経典のテキストの問題など取るに足りないと?
完全な覚者なら、そのような立場に立つことも可能かもしれないが、
上のようなハッタリや自演で称賛や擁護を述べるような小心者に
悟りの欠片もあるとは思えない。
はっきり言って無学で小心我が儘なだだっ子にしか見えない。
>>344 >あなたがやろうとしてることは、ただ現代の存在論・認識論の枠組みに
>単純に仏教を当てはめようとするだけです。
>つまり、常識の範囲に収めて仏教はこんなものと思い込みたいだけ。
★ 常識に納めるとか思い込みたいとかの話ではない。
古代を理解する方法として、現代の考え方との異同を明らかにすることを
提案してい。研究ではなく、理解の便宜だから簡単で十分である。
>現代の存在論・認識論の枠組みに仏教の存在論・認識論は収まりません。
>なぜなら、存在論の枠組みが大きいから。
★ 心配には及ばない。存在論の対象は昔も今も変わりない。
存在するものは、大別して生命と物質、あるいは生物と無生物である。
>それは縁起法頌や此縁性を正しく理解できれば分かること。
★ あなたの縁起の理解はまちがっている。
>現代の存在論・認識論は、パルメニデス以来の有の存在論で、
>クワインやクリプキに至っても解決できず、
>ウィトゲンシュタインやハイデガーがやっと疑問視し始めただけのもの。
★ 世尊はどれも読んでない。難解な哲学書は参考にならない。
385 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 14:29:01 ID:pjtVFawN
>>384 >>それは縁起法頌や此縁性を正しく理解できれば分かること。
>★ あなたの縁起の理解はまちがっている。
そう言う根拠は何? あなたの縁起は縁起でなくただの常識。
なんの根拠もなく常識を前提としているだけでしょう。
それでは話にならない。カラスさん以下です。
釈尊は西洋思想を読んでないけど、同様の実在論を相手にしてるんですね。
しかも、インドの実在論の方が高度のようです。
なにせ、ハイデガーやベルクソンを例外として現代思想家は、三昧などの意識の集中状態も経験していないただの凡夫、推論のみに基づいた思想ですから。
推論のみで仏教の理解にほぼ独力で接近したウィトゲンシュタインは、ものすごい知力だとは思いますが、それだけです。
>>360 >相手を滅ぼすこともないな。相手を敵視しなければ、争いそのものが止む。
★ 相手を滅ぼすのではなく、自分が滅ぼされるという話です。
>まず「敵」「敵意」を作り上げておいて、「愛せよ」などと・・・
★ 敵味方の区別は認識のレベル。「敵を愛せよ」は判断と意志のレベル。
あらゆる生き物が敵味方を識別して生きている。区別は当然だろう。
>イエスは、「相手も同じ人間 なのだから、本当の敵はいない」というべきであった。
>これが、佛教の「関係性」の教えである。
★ 敵味方を区別しない考え方は、現実を無視した役に立たない観念論である。
これが「関係性」なるものの正体。現実に空のベールをかけてしまう。
387 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 14:43:05 ID:pjtVFawN
>>384 よく『梵網経』を読んでほしいものです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html あなたの立場、常識を釈尊がなんと言っているかを。
>ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、
>卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない。
つまり、くだらない行儀とか倫理みたいな行いが清らかな点だけしか捉えられないと仰っているのです。
まったく、あなたの立場です。それでは仏教どころか外道の域にも達しない。
カラスさんや宝珠さんなどは外道の域には達している。これについて釈尊は、
>ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
>見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、
>如来をあるがままに賞賛し、正しく語ることになるであろう。
「このほか」というのは凡夫が理解できる仏教の特性以外にという意味です。
そしてこの法とは単純に言えば三昧、精神集中です。
三昧に入れるのは賢者、聖者のみだからです。
>>385 あなたによれば、縁起の意味は、これがあればこれがあり、
これがなければこれがない、というものだった。
しかし、ここにある「これ」「これ」は、具体的な言葉ではなく、
この現実そのものに見られる関係性をさしているという説明をしていた。
そしてさらに現実の実体観を崩し、空を体得したいと。
前半の説明はいいけど、後半の話は縁起を理解していない証拠である。
縁起はもろもろの関係性を総体として語っているのではない。
そういった理解はまったくの誤りである。
>>340 > ニルヴァーナは煩悩の火が消えことですが、「滅度/寂滅」などという。
ここまではOKです。
> 何が滅するのかというと、五蘊存在としての低級性質です。
低級というのは高級があるという前提を意味する可能性をはらむので、
低級という部分以外はOKです。
> それを滅ぼし尽くした果てに、真実の自己が顕現する。
はぁ?
ですからここの部分のソースを出してほしいと言っているのですが。
同じ言葉を繰り返していれば説得できるというものではないと思います。
> 仏陀としてのゴータマとは、彼自身の真実の姿(自己)に他ならない。
> よく自己実現という言い方が使われます。
よくというのは、たとえばどういう経典にどう使われているのですか?
>>387 それは、あなたがよく考え、自分で体験したことではなく、
梵網経に書いてあることを主張しているに過ぎない。
その経が誤っている可能性はないのですか。
>>380 問題は、縁起=「今ここにあるということ」、ではなく、
縁起=「今ここにあるとはいえない」
というのが空ということだね。
>>390 しかしご隠居レベルの体験の範囲では、ほとんど何も理解できないだろう。
最低限比喩が理解できるようにならないと抽象的な概念を扱うことさえままならない。
393 :
旧7:2009/06/28(日) 15:28:54 ID:LbpMFDSw
>>390 www
それを言ってしまっては御隠居と同じだw
そのように言うならば、
ただ一つの例外もなくあらゆる仏典の信頼性はゼロだ。
っていうか、仏典に記述があるならまだしも、
仏典にすらないことを、捏造して仏説だと強弁しているのは
カラスや宝珠の方だということに気付こうぜw
彼らが何度か引用したもの、あれらは、
≪「涅槃の解説」足り得ても(→文脈からそのように読めても)、
「アートマンの解説」足り得てはいない。(→文脈からもそのようには読めない)≫。
なぜ、こんな単純なことがわからないんだろう?
再度、カラス&宝珠に、(貴方でもいいがw)、問うておこう。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245073306/101 「涅槃(nibbAna)」と同義の形で、(→「涅槃」の解説をする形で)、
≪アートマンに気付くことが涅槃である。或いはアートマンが涅槃である。或いはアートマンとして存在することが涅槃である。≫
等々という「明確な文言」が、或いは「文意」が仏典中から探せますか?
>>383 だからさ、発音の問題と、永遠の命の命は、魂と言う8意味の
プシュケーではなく、ゾーエと言う単語を使っているのは全く正しいという
主張と(事実聖書には、ゾーエと言う単語を使っている)どう関係あるわけ?
論点を摩り替えるなよ、詐欺師が。ちなみにキリスト教スレにいる
そのインテリは、永遠の命とは永遠不滅の魂と言う意味でなくてはおかしいので、
ゾーエという単語を使っているヨハネの編者は、ギリシャ語にうとかったので、
間違えて単語を使ったなんていう、トンデモさんなんだがな。
キリスト教では魂は、永遠の命どころか、人殺しと揶揄される。
インテリがいくら、この単語の正確な発音はこうだと得意げに語ろうとも、
肝心な内容が読めなければ、いったいなんの意味があるのだ?
しかしこうやって論点を摩り替えて、揚げ足とって議論に勝ったつもりなんだろうか?
この詐欺師は。いつものハンドル隠して、汚い野郎だ。
>>387 外道はどうみても、君ら断滅仏教をとく、末法仏教徒達なんだがな。
え?うちらは断滅論者ではないだと?またまた詭弁をおっしゃる。
では君らの末法仏教は、中道を使った不可知論者、詭弁仏教とも呼んでもいい。
君らの末法仏教は、前シリーズ、仏陀は輪廻転生を説いたか?のスレから
実証されてきたことだ。君はゴータマの仏教を知らないようだから
もう一度してやろうか、六師外道の話。
396 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 15:45:39 ID:pjtVFawN
>>387の続き、ポストしたと思ったら、されてなかった(^^)
しかし、これだけでは解脱・涅槃に至らないというのが釈尊の見解です。
そして釈尊は次にこのように仰られる。
>ビクたちよ、これについて如来は次のように知る。『このように執着され固執された
>見解は、このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう』と。
>如来はこれを知り、またこれよりも勝れたことを知る。ビクたちよ、
>しかしそれを知って如来は固執することなく、また固執がないから、
>心の内に寂静があり、感受の〔生起する〕原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、
>執着を離れている
三昧だけの外道の見解は、その三昧の境地に転生するだけで解脱しない。
そして釈尊はこの三昧だけの法でなく、縁起による観を用いて、
解脱に至る法を説くのです。
以上の見解とあなたのだたの常識は全く齟齬するでしょう。
そろそろ誤りに気づくべきでしょう。
>>393 宝珠氏などが引用した仏典の記述などからは十分に
アートマンの存在を示唆するものだろう。逆に君らが、
アートマンなど無いと主張するなら、仏典から決定的な記述を
引用してくれよ。
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
>『ウダーナ』8章3節
>「アートマンと世界は、常住であり、なにも生み出さず、不動であり、
>石柱のように固定していて、かの生けるものたちは生死流転し、輪廻している
>けれど、まさに常住不変に存在していると、これが第三の常住論です。
>尊い方よ、常住論に関してはこれが最高です。」
>これらを聴いた仏陀はその表明が正しいと保証されました。
これなんか、まさしく常駐普遍のアートマンを示唆するものだがな。
上のウダーナルヴァルカなどは、君らに掛かればお得意の中道を使った詭弁で
これは中道のことをいってるんだべ〜となるが、そんなものは詭弁論であり、
中身の無い偽論でしかないのは、小学生でもわかる。何度もいうが、善も悪も無い
中道を主張するなら一元の存在を認めなくてはならず、それを認めないで
相対世界せあるこの二元世界だけでいくら説明しても、それは、ただの言葉遊び
にしかならない、本質的には全く意味の無い偽論にしかならない。
それとも旧7よ。そこの発音は違うと、また議論の本質のテーマから逃げて、
揚げ足取りに論点を摩り替えるかい?(苦笑)
>>396 だから永遠の命の命とは、ゾーエであり、聖書の記述は全く正しいと言ってるんだよ。
399 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 16:07:17 ID:bm4JUOQy
>>386 >★ 相手を滅ぼすのではなく、自分が滅ぼされるという話です。
争いが止めば、自分も滅ぼされることはない、という話です。
> あらゆる生き物が敵味方を識別して生きている。区別は当然だろう。
それは、すべての生き物に内在する「生存本能(生命)」の判断による。
イエス如きから教えられるものではない。「愛憎」などという人為的観念もない。
教えられれば、生存本能の属性としての自動制御機能(生存に不必要な殺戮は
しない)が破壊されてしまう。「敵」を最も「憎み」、生存に不必要な殺戮を
最も行ったのが、イエスの教えを信じたキリスト教徒たちです。
>★ 敵味方を区別しない考え方は、現実を無視した役に立たない観念論である。
これが「関係性」なるものの正体。現実に空のベールをかけてしまう。
キリスト教とは異なり、すべての生き物は、無意識的に「関係性」を自覚して
いるから、生存に不必要な殺戮はしない。佛教は、その万物の理としての関係性
を発見しただけです。
400 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 16:10:52 ID:pjtVFawN
>>388 >あなたによれば、縁起の意味は、これがあればこれがあり、
>これがなければこれがない、というものだった。
その通りです。
>しかし、ここにある「これ」「これ」は、具体的な言葉ではなく、
>この現実そのものに見られる関係性をさしているという説明をしていた。
違います。あなたの理解に合わせて単純に関係性と理解すると何もわかりません。
>そしてさらに現実の実体観を崩し、空を体得したいと。
これも違います。現実は実体ではなく、実体視している長年の習慣である、
実在論・本質主義という思考形式・見解を壊すことが縁起・空の中心的目的だということです。
しかしながら、これは論理的に理解しただけでは体得されないものです。
三昧状態で、縁起観などを行う必要があるのです。
だから、三昧という精神集中を行う必要が出てくるということです。
もうちょっと、私の説明をそのまま理解していただかないと何も分からないでしょう。
>前半の説明はいいけど、後半の話は縁起を理解していない証拠である。
>縁起はもろもろの関係性を総体として語っているのではない。
>そういった理解はまったくの誤りである。
後半の説明の根拠は、律の大品や長部経典のほとんどが三昧状態での縁起観を説いていることです。
さらに、あらゆる時代、あらゆる地域の、あらゆる仏教が三昧状態(止)での縁起(観)を説いていることが挙げられます。
そして『梵網経』に明らかなように後代の仏教も口を揃えて外道には三昧はあるが、縁起・観がないから悟れない、解脱できないと説くことも証拠となるでしょう。
あなたのような縁起をただの観念的な思想と捉え、煩悩を払うというように仏教を捉えるのは、ただのスローガンやカラスさんがいうようにカウンセラーのような気休めに過ぎません。
401 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 16:17:02 ID:bm4JUOQy
>>380 >逆に縁起=現象世界が今ここにあるということは、
>すべてを生み出した根源のあることの証明にもなるんだよ。
やはりどうしても「絶対神」を捨てきれないのだねw。それを否定したのが、
佛教なのだよ。
もし、絶対の根源があるのなら、それを思考している君の生物的生命以外には
ないだろう。君が死ねば「絶対の根源」の思考もできなくなるのだから。
402 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 16:18:59 ID:pjtVFawN
>>390 旧7さんが言っているように、それを言うなら仏教が間違っているということに等しいでしょう。
なんでそんなに尊大なものいいができるのか不思議です。
なぜか、2000年もの間、多くの聖者たちによって検証されて伝承されてきた、そのことを否定しているからです。
そして、自分の常識的知覚・認識をなんの根拠もなく信じるという盲信性を告白しているのに等しいでしょう。
仏教は、その常識的知覚・認識が無明であり、誤認であり、眠りのようなものと捉え、
その誤認である無明を払うために縁起などを用いて、眠りから覚めようとするものです。
そして目覚めたものを覚者、ブッダと呼ぶのですよ。
403 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 16:24:30 ID:4U8LPKBd
404 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 16:31:17 ID:bm4JUOQy
>>402 ブッダも聖者たちも、「常識的知覚・認識」に100%依存したからこそ、
生存できたのであり、生存できなければ、佛教そのものも存在しなかった、
という視点が抜けてるね。
ブッダや聖者は、飯を食うとき、「この目に見える飯は、無明・誤認だ」
と言って、食わなかったのかねw。
405 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 17:09:16 ID:pjtVFawN
<存在の大別> ・・・簡単な存在論
生物・・・物質 + 生命( 生命活動 > 精神活動 > 識 )
無生物・・・物質 → 実体がある OR 実体がない ・・・ 審議中
<精神活動> ・・・簡単な認識論
現実 ← 認識 ・・・ 判断のない識 ・・・ 直接知覚
生物・無生物
判断 ・・・ 判断された識
判断基準 ・・・ 苦楽・善悪・愛憎など ← 縁起
407 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 18:10:31 ID:kUfIv3Rj
>>405 どっちが屁理屈か。
ブッダも食って寝なければ生きられない。生きられなければ、佛教もない。
生きているのなら、生を語れ。大人になったら、空想からは卒業することだね。
408 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 18:12:00 ID:kUfIv3Rj
>>405 ブッダは、現実と空想の区別の付かない妄想患者だったのかね。
>>406 の続き
こうやって簡単に図式化し、五位七十五法と比較して見えてくるものがある。
そのいくつかを列挙しよう。
1 法は<生命>を命根に隠してしまった。
2 法は、生物と無生物の区別を隠し、このふたつを混在させている。
3 法は、無生物=物質を、実体のないものとして認識している。
4 法は、現実ではなく、精神活動を描写したのではないか。
5 法は意図的に、一切が無我であるという視点で作成された、のではないか。
>>407>>408 縁起はともかく、現実に立脚するご隠居に軍配が上がるでしょうね。
やっぱし食べるのが基本。
世尊だって、スジャータの乳粥に目が覚めたのですね。
411 :
旧7:2009/06/28(日) 18:47:07 ID:LbpMFDSw
>>402 >その誤認である無明を払うために縁起などを用いて、眠りから覚めようとするものです。
>そして目覚めたものを覚者、ブッダと呼ぶのですよ。
悔しいが、美しい表現だw
貴方にも外道認定受けてるんで、手放しで褒めるのは悔しいが、仕方ない・・・w
いい表現だ・・・。
>>404>>410 >>306 >>405 50パーですかw
私は99%だと思いますけどね。
けど、この1%の遠離(≒如実に見るということ)が重要だと・・・。この1%が99%に値する、と・・・。
あ、そしたら結局、フィフティフィフティ、50パーかwww
412 :
旧7:2009/06/28(日) 18:52:08 ID:LbpMFDSw
>>397 やっぱりお前、仏典読んだことないだろ?
一体何を読んでるんだ? (まさか、ホントのホント文字通りのツマミ読みじゃねーだろうな?)
一応ツッコんでおこうか?
・『前者(ウダーナ8章3節)が、「アートマンの解説」である』という根拠は?
・後者は、(自)歓喜経の当該個所を読みましたか?(こんな単純じゃないですよ。これは一在家による要約だw)
また、梵網経の記述とはどのような関係だと認識してるんですか?
また、(自)歓喜経に於ける列挙の仕方に、どのような構成(=経編纂)の意図を見ますか?
てか、はっきり言うわ。お前は聖書だけ読んどけ。
>アートマンなど無いと主張するなら、仏典から決定的な記述を引用してくれよ。
明確に、その文言で「無い」と言われる記述は原始仏典にはない。(註釈にはある)。
これは、何人もから何度も指摘されている通りだ。(だから、貴方方のような輩が入り込む隙となるw)
が、貴方が言うように(ウダーナの引用のように、或いは如是語43節(おそらくw)のように)、
≪「現象界としての(→縁起するものとしての)一切のほかは、涅槃のみである」
(・・・としか、仏典を俯瞰すれば読めないわけだがw)≫
ならば、アートマンの置き場はどこにもない。だから、「無我」で通用してきたんじゃないかい?w
宝珠氏も引用していたが、その水野要語の記述のように、
≪(貴方の言う)「現象界としての一切(≒人が関わりをもてる範囲内)」に於いて、全てが「我でない」≫と言われたならば、
それは「無我」と言うことだ。少なくとも、後代の註釈者或いは「無我」と訳した漢訳者達は、そのように見たということだ。
※これは、俯瞰的視座であり、文脈(≒各偈、各経同士の関係)による(或る意味)『恣意的な』読みだ。
が、少なくとも、南北問わず、そのように理解されてきている事実は認めねばならない。
(勿論、覆されることがあってもいいw)
(※現存上座部はアビダルマ仏教の系譜だと、誰か言ってたような気がするが・・・。何部だって言ってたかな・・・。)
413 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 19:02:02 ID:VLUhMG70
だれが何をほざこうが、要は悟れるか否かだろう。
この現実を空・幻と観じたら、どう考えても病的だし、他人事ながら心配になる。
みんな、メシ食ったかー メシぐらいちゃんと食えよー
旧7はとんちんかんなことばっかり言ってるんじゃない。
しっかりしないか。
415 :
旧7:2009/06/28(日) 19:09:17 ID:LbpMFDSw
>>413>>414 だから、
>>306だと言っとろうがw
物事は、複数方向からの視座を持ちうるわけだが、
その中で、『どの側面(性質・情況・在り方・特徴etc.etc.)から見るか』ということだ。
そんなに摩訶不思議なことではないと思うが?w
旧7は曹洞宗のどっかの坊主だろう。50前後か?
こっちは檀家だ。恐れ入れ!
417 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 19:29:07 ID:yuIjprJe
私は以前、旧7氏を外道よばわりしたことがある者だが、彼の人間性だけは立派なものだと思う。
あんたみたいな程度の低い人間でもソコソコには相手してくれるよ。感謝しなさい。
彼みたいな学僧が増えれば僧侶の世界もマシになるだろうね。
ちなみに、もっと若いし曹洞宗じゃないよ。お生憎様。
ちょっとほめすぎたけど、外道は外道だな。
418 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 19:33:08 ID:yuIjprJe
420 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 19:34:33 ID:TFIGN0gL
>>409 何を「法(ダルマ)」とするかが見えていないだけではないか?
法華経でも読んでみたらいかがかな?
白いはすの華にたとえられるただしい法(ダルマ)だの。
サッダルマ プンダリーカ スートラ。
421 :
旧7:2009/06/28(日) 19:45:09 ID:LbpMFDSw
なんだかなぁ・・・w
こうして再び、
《「素朴実在論(的)」という言い方が仏教にふさわしいかどうか》、
《「色即是空という言い回し(単独使用)」に弊害は無いのか》、
という話になっていくわけだw
自身の、日々の身口意を(関わる外界を)「幻」と(≒「空」と)できるのか? と・・・。
(ま、だから「空」でなく「空性」なわけだが・・・w)
てか、やっぱり「実感」とか「頷き」とかの領分だよなぁ・・・。
で、徹底「我がこと」なんだよなぁ・・・。 棚上げして言うけどw
>>417 礼を言うべきかな?w
少しさ、旧7について論じようじゃないか。
いつも自分を隠して、質問ばっかりの下劣なやつじゃないか。
それが2chの楽しみで王道だってさ。寝ぼけてたのかな。
自分のことしか考えないやつは、餓鬼であり最低の外道だな。
423 :
旧7:2009/06/28(日) 19:50:57 ID:LbpMFDSw
>>422 楽しみだね。
前シリーズも併せて19スレ目だが、
自分の言動の変遷を、第三者から指摘して貰えるのは有難いし興味深い。
(私も人の子、記憶としては自分に都合のいいことしか憶えていないもんだし・・・w)
宜しく頼むよw
奴隷国家日本のコミンテルンに洗脳された自称仏教徒の皆さんへ
無神論者や唯物論者は共産主義国家以外では人間扱いされないのが世界の常識ですよ
425 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 20:09:04 ID:VLUhMG70
この世は<空>だってさ。
人殺しなどの加害者は喜んで<空>の教えに帰依するだろう。
しかし被害者は、そんな教えに決して同意しない。
このギャップが大乗のインチキを物語る。
426 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 20:09:15 ID:pjtVFawN
>>410 食事の機能はある、しかし、それは空で、実在ではない。
空というのは無や、唯の観念という意味ではないんです。
有か無かとか、実在か虚無かといったものではないのが、縁起・空なんですけど、
なかなか、これが理解できない。下のようなカラスさんは縁起が分かってない証拠。
>
>>380 >>逆に縁起=現象世界が今ここにあるということは、
>>すべてを生み出した根源のあることの証明にもなるんだよ。
>>426 悪いことは言わない。考え直したほうがいい。
「縁起」は頭で理解するもの。「正しさ」は実践で学ぶもの。
そのあとで思いっきり瞑想したらいい。
428 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/06/28(日) 20:18:37 ID:QIjrw9Th
少し>422について話てみようじゃないか♪
自分のこと以外を考える事が出来るらしいから♪(笑)
429 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 20:18:41 ID:pjtVFawN
>>411 ども。50%なんて数値化、数量化するのは実在論・本質主義の典型で、
ただ相手に合わせて言っただけ。(^^)
>>412 聖書も読んでないと思われ。いろんな概説のつまみぐいで、
分かってるのは、実在と仮象の原理だけ。(^^)
>>アートマンなど無いと主張するなら、仏典から決定的な記述を引用してくれよ。
これは前に言ったように『方便心論』が始めての論証。その後、部派にも取り入れられた模様。
だから、パーリにはニカーヤには一切皆空がないけど、註釈文献にはあり、
北伝系アーガマや、大乗論書では王道となった。誰も注目してくれなかったけど、これは結構、凄いことなんですが。(^^)
430 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 20:23:47 ID:FESzTVCb
↓これと
>427 :神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 20:17:55 ID:VLUhMG70
>「縁起」は頭で理解するもの。「正しさ」は実践で学ぶもの。
↓これが
>416 :神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 19:15:19 ID:VLUhMG70
>旧7は曹洞宗のどっかの坊主だろう。50前後か?
>こっちは檀家だ。恐れ入れ!
同じ口で語られている愚かさ。
431 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 20:29:16 ID:pjtVFawN
>>413 逆に、この現象・知覚を空・幻とせずに悟った人、解脱した人と呼ばれた仏教徒がいたら教えて欲しいですね。
>>414 何も分かってないみたいですね。(^^)
>>417 わろた。
>>427 >「縁起」は頭で理解するもの。「正しさ」は実践で学ぶもの。
まあ、始めに聞思があるということは正しいけど。
<「正しさ」は実践で学ぶもの>という仏教経典は知らないな?
>そのあとで思いっきり瞑想したらいい。
確かに聞思修で、聞思の後に修習がくるのは確かだが、
瞑想というのは抵抗あるね、修習と言ってもらいたい。
それにここで議論してるのは、あくまで聞思の段階に他ならない。
釈尊の教えは、どのようなものかを論じている。
現実と呼ばれるこの現象・知覚を実在とする仏説など一つもないと断言できる。
432 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 20:33:13 ID:FESzTVCb
とにかく、もう一切合財から一抜けたっ!
って思えるようになるのは、よっぽどのこと。
433 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 21:11:14 ID:ThK7tYOr
>>411 >私は99%だと思いますけどね。
>けど、この1%の遠離(≒如実に見るということ)が重要だと・・・。
>この1%が99%に値する、と・・・。
その99%がかったら、その1%もない。しかし、その逆は、真ではない。
434 :
偽本尊:2009/06/28(日) 21:12:36 ID:INVhuRfe
聞、思、修ねぇ。。
聞きなれ用語だな。
日蓮門下では使わないな。
435 :
旧7:2009/06/28(日) 21:15:25 ID:LbpMFDSw
少しフォローしておくか・・・w
>>410にレスを付けたのは、極論としての
>>404を全面支持するような姿勢だったから。
また、
>>406>>409及び
>>269-270に関して言えば、
私は、(私の個人的見解だが)、
≪本来「縁起」は、『「自身の心の在り様、変遷、動き」について言われている(見なければならない)もの』≫
だと考えている。 だから、レスを読んで「いい着眼点」だと感じたよ。
解脱者でも腹は減るし身体も壊す。喉も渇くし疲労もする。
この時、凡夫と解脱者(如来でも阿羅漢でもいいがw)の間で、何が違うのか?
ここを、カラス氏や宝珠氏のベクトルとは別のベクトルで、考えてみたら如何かな・・・、と。
しかし、兼続はあっちこっちでモテモテだな・・w 原作からそうなのか?
最近の大河のイケメンオンパレードにも慣れてはきたが・・・w
436 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 21:18:28 ID:ThK7tYOr
>>433の訂正
×その99%がかったら
○その99%がなかったら
437 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 21:45:09 ID:pjtVFawN
>>434 そりゃ、不勉強なだけ。基本用語ですよ。インド、チベット、シナ、日本、
大乗、小乗どこでも使う。基本中の基本。日蓮は特殊だから基本から外れてるでしょう。
438 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 21:48:55 ID:ThK7tYOr
>>435 >極論としての
>>404を全面支持するような姿勢だったから。
どこが極論なのか、具体的に指摘してください。
> 、『「自身の心の在り様、変遷、動き」について言われている(見なけれ
>ばならない)もの』≫
自分の心で、自分の心が判りますか。結局は、同じく自分の主観に過ぎず、
他者や社会の知ったことではないのでは。つまり、「精神的オナニー」です。
それに「縁起」などという客観語を使うのは誤り。
>この時、凡夫と解脱者(如来でも阿羅漢でもいいがw)の間で、何が違うの
か?
どこが違いますか。これも具体的にw。
旧7さんの宗派はどこですか。さっぱり得体が知れないがw。
439 :
旧7:2009/06/28(日) 21:56:47 ID:LbpMFDSw
>>438 溜息がでるな・・・w (
>>433には、丸っと同意なんだぜ?w)
てか、
君は哲学がしたいのかい?
ならば解る。
仏教という世界観に関わらず、
≪およそ人たるものの思惟は、独我論的に一個人の主観の外へ出ない≫
≪客観はありえない。存在するのは主観だけ≫
という立場はあり得る。君はこのスタンスを採ろうというのかい?
440 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 22:04:26 ID:ThK7tYOr
>>439 質問に答えていないw。
それに、「≪およそ人たるものの思惟は、独我論的に一個人の主観の外へ出な
い≫≪客観はありえない。存在するのは主観だけ≫」とは、まさに宗教の世界。
どこに「客観」がありますか。
結局キリスト教における、神の国に帰り永遠の生命を得るという
救いの教えも、仏教の悟り、涅槃・解脱も同じものであり、
仏陀の教えをイエスキリストが救いを強調したにすぎないのである。
聖書も仏典も根本はおなじであり、イエスは仏典を学んで、救いの
教えを説いたのである。
442 :
旧7:2009/06/28(日) 22:33:28 ID:LbpMFDSw
>>440 >質問に答えていない
わかった。一つを除き答えようw (今夜限りの大サービスだぞw)
>>438 > どこが極論なのか、具体的に指摘してください。
「泡沫の如し」と言われたり、「幻」と言われたり、「虚妄」と言われたり、「顛倒」と言われたり、
「夢幻泡影」と言われたり、「空」と言われたりする時、
それは、≪「言われている対象(事象、物)が存在しないこと」ではない≫。
≪「それらが、“固定的不変的で、未来永劫寄り掛かれるもの”」ではない≫ということだ。
何度も何度も、こう言っているのに、「空」や「幻」という文字に引き摺られ、
それを≪何も無いこと≫と解釈しているから極論だと言っているのです。
《「何も無い」「無価値」という解釈が極論だ》と言ってるんですよ。解ります?
> 自分の心で、自分の心が判りますか。
君はできないのか? どうやって「反省したり」「悔い改めたり」
「転んで再び歩き出すような、そういう向上のベクトル」を生じさせているんだい?
(まさか、《『今』を捉えることはできない》というスタンスを徹底させるのかい?)
>結局は、・・・・・・使うのは誤り。
だから、それを言い出せば、「人の(ヒトの)思惟活動は全て“主観”」だぞ、と。
仏教的世界観だけが主観内のことだと断じられるのかい?
> どこが違いますか。これも具体的にw。
こっちが先に聞いてるんだけどな・・・w 君は答えてくれないのか?
って、相手が違ってるのかw だったら、私が答える義務はないな。(一緒に考えようよ、という含みもあるんだぜw)
> 旧7さんの宗派はどこですか。さっぱり得体が知れないがw。
さあ? どうなんでしょう・・・w
>それに、・・・・・・とは、まさに宗教の世界。
いやいやw 寧ろ哲学さんの領域でしょw
443 :
旧7:2009/06/28(日) 22:54:01 ID:LbpMFDSw
えーい、ついでだw
>>438 >どこが違いますか
ヒント的に砕いて言えば、
感官が制御され、自己がよく調えられ、
入力されたこと・感受されたことに揺さぶられることがないかどうか、 じゃね?w
よく知らんけどwww
どうなん?w >>真言氏
444 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 23:12:38 ID:sX2zCRRY
445 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 23:16:17 ID:pjtVFawN
>>443 >解脱者でも腹は減るし身体も壊す。喉も渇くし疲労もする。
これは色蘊の問題で、人という色蘊を持ったことで基本的に違いはないでしょう。
同じような縁起、因果関係が、上のように起きます。
>この時、凡夫と解脱者(如来でも阿羅漢でもいいがw)の間で、何が違うのか?
大きく違うのは、凡夫が色蘊の問題で発生する受想行識で妄想・戯論が広がるのに対して、
解脱者は、色蘊の問題で発生する受想行識で妄想・戯論が寂滅したり、変化したり、解き放たれたりすることでしょう。
行法や諸乗の違いによって、妄想への対処法が異なります。
具体的に言いましょう。凡夫は腹が減ると、空腹を感じる受が起こります。
すると腹減ったという想や識が起き、苦受が起き、そこから何が食べたいだの、食べ物を妄想して、それが食べられない苦受が起きます。
それからまた色々妄想がふくれあがって苦しみが増大していくわけです。
聖者は、凡夫は腹が減ると、空腹を感じる受が起こります。
すると腹減ったという想や識が起きてそれで終わりです。
妄想は展開しない。色受想行識が全て空で幻だとハッキリと認識しているからです。
もちろん、食物が入手できれば幻の食物を食べて幻の空腹を満たします。
以上のように私は理解しますが?
446 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 23:17:34 ID:sX2zCRRY
>>336 では、半分は賛成にしておきます。
自己都合(勝手に唯物主義で解釈する)に拠らずに
現代人の理解を増すような言葉としてなら。(更に、
>>344を読んでご理解頂いた上で!)
>>389 >低級というのは高級があるという前提を意味する可能性をはらむので、
>低級という部分以外はOKです。
私からは、
仏典は二つの自己について述べているという中村氏の解説を紹介しています。
水野氏『要語』にも同じような解説文を見つけました。
『すべての人間や動物に対して慈悲憐愍(れんみん)な心をもつことになる。それは自
他の対立をもたず、大きく包容することであって、無我は結局大我ということになる。』
(p166/無我・空の意味)
無我はあらゆる自己の消滅などではなく、「大我」だといってるのです。当然、これは小
我との対比ということであり、小我とは普段の自己意識のこと。大我は自己の主であり、真
実の自己です。普段の我々にはこの大我は自覚できないのです。それが自己の二重性質
です。二重性質の解消には修行が必要であって理論の把握では到達できないのです。
447 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 23:18:44 ID:sX2zCRRY
448 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 23:22:22 ID:sX2zCRRY
>>338 素晴らしい解説でした-絶賛の嵐!!
>>347 同意します!
>>351 同意、全くその通りだと思います。
重要なことは本質を捉えることであり、本質的理解でしょう。
でなければ無意味です。
>>343 >宝珠さん、旅先なんえすってね。正直うらやましい。
すんまへん^^ 独りでちょっとプラ〜リ程度ですよ。
こちらは景気低迷のあおりをモロ受けて収入激減。
経済的には厳しい状況に追い込まれてます。
それで逆に、時間は以前よりも持てるようになった。
2CHでスレを起こして投稿しようと思い立ったのもそれによります。
まだ仕事がある内はいい方だとは感謝してますが・・ちょうど旨くはいかないものです(涙)
449 :
神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 23:25:05 ID:pjtVFawN
>>444 > 恐らく中村氏ほどの大学者など何十年〜百年単位でしか出現しないでしょう!
全く誤認ですね。ほぼ同世代なら辻直四郎、水野弘元、梶山雄一、原実の諸先生あたりが中村先生よりできるのは、インド学をちょっと学んだものなら誰でも認めると思いますが。
中村先生がインド・仏教学の普及に最も貢献されたということは誰でも認めますが、訳の正確さとか良さとなるともう一つではないでしょうか?
そして総じて岩波文庫の仏教関係は、あまりよくなく、同じ文庫なら、
中公文庫の仏教関係の方が総じて優れていると私は思います。
450 :
旧7:2009/06/28(日) 23:33:02 ID:LbpMFDSw
今日は書き込み過ぎたな・・・、と落ち込んでる所に更にコレか・・・ orz
>>448 >>338を絶賛しちゃうのか・・・w
おめでてーなw
スルーしとこうかと思ったが、明日の晩は338の戯論ぶりを解説しようか?w
たく・・・どうしようもねーな、お前らは・・・ orz
寝るわ・・ ノシ
451 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 23:49:38 ID:sX2zCRRY
452 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 23:51:46 ID:sX2zCRRY
>>332>>335 >俺はここでの「法」は「すべての物事(事物)のこと」である、と理解している。
>特に「一切の事物は我ならざるものである」なんて日本語として
>よくよく考えてみると何をいいたいのかさっぱりわからない。
その「事物」とは何だ?って話なのですよ!
水野氏も現象界に限定する法であると断言しています。
当然です。なんでこの漢字(仏教用語ではないが)を当てているのか?ということです。
このことは、現象界のことを示すためなのは明らかでしょう。
『じ‐ぶつ【事物】
1 さまざまな事柄や物。「事」に重点の置かれる「物事」に対して、「物」に重点が置かれる。』
(Yahoo!百科事典)
>>339 彼らは原始経典の翻訳も自分たちの手で取り組んでおり、
ゴータマのことは「サキャ神賢」と呼んでました。
彼らは修行の実践的形態/様式としてヴァジュラ・ヤーナ(密教)を採用していたと思います。
実践的なアプローチの側面にチベット密教を用いていた。
453 :
宝珠愚者:2009/06/28(日) 23:53:11 ID:sX2zCRRY
>>350 >それだけをいい続けてるなら水野氏の解釈が間違ってるということだね。
・・・?(汗...)
水野氏の著作が正しい解説を提供しており、素晴らしいと。
それでこれが強く推奨されていたのではなかったのですか?
何か、急に都合が悪くなったということでしょうか・・・。
水野氏は学者です。
それは学問の追及であり、お寺(特定の信仰)を守るためではありません。
学問的に見て、伝統仏教の説くところが正しいという“決まり”(保証)はない。
私は前シリーズで、伝統仏教に反する輪廻否定論を批難しました。
輪廻転生を信じない、或いは良くない思想だと見なすのは自由です。
しかし、仏典上で明確に説かれている事実は覆せないことを示した。
今度は、伝統仏教の誤った伝統(教理)を指摘する番かと・・。
私は伝統仏教にも完全同意していないので。
>>353 >どうして実体がないと無価値なのか解りやすく説明してください。
それを説いたのが仏教ということでしょwww
死と共に消えうせるものには価値はない、と教えたのです。
輪廻転生・・・エネルギー保存の法則
エネルギーは消滅しない・・・
可能性が無いわけでもない・・・
魂がエネルギーだとすると・・
魂は消滅しないことになる・・
形を変えて保存されるのか・・・
まぁ〜考えてみよう・・・
456 :
一在家:2009/06/29(月) 00:35:54 ID:wA+DcEfV
現象界に限れば「無常」という宝珠氏の認識には同感です。
方便品に「仏の眼で見れば世界も仏も常住」とあり、
仏の眼は現象界以外を見ていることになります。
この菩薩への教えは、五千人が退席した後に説かれています。
さて、偽本尊氏はハンドルからアンチ創価でしょうか?
彼は法華経には一仏乗が説かれているだけで、人に
仏性が宿るとは記載されてないと言われてます。
法華経の原本を確認できる識者の解説をお待ちします。
しかし、法華経の編者はよく原始仏典を読まれてますね。
今朝、方便品の中に梵網経の一部を確認しました。
原始仏典になにがわかるというのか・・・
458 :
宝珠愚者:2009/06/29(月) 00:47:11 ID:WIBb4CXp
>>454>>455 >エネルギー保存の法則
以前、同じことを私も述べました。
そのエネルギーとはどこまで精妙な領域であるか?ということです。
未だ未発見、未知のエネルギー(領域)も含め・・。
まっ、考え方としては喩的には使えそうです。
>>456 >仏の眼は現象界以外を見ていることになります。
『ウダーナ8-3/不生不滅』などは
「生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある」といい、
ハッキリと物質世界領域ではないものが“ある”と明言しています。
459 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 01:15:18 ID:BsK+K30Z
戯論寂滅の智徳兼備の者は出現しないのか。
>>446 無我が大我であるとか、慈悲や大きな包容といったいったことは、
基本的に大乗仏教的な菩薩行の視点での話のように見受けられます。
そのことの真偽はさておき、
いずれにしてもそのことと、
涅槃に至ると真の自己が顕現するという話との関係性は明確にされていません。
スレ3/931を見ましたが自灯明法灯明の話であって、
涅槃に至ると真の自己が顕現するという話ではないようです。
スレ5/525を見ましたが、自己を観察する視点が自己の内部にあるという指摘があるだけで、
あとはそれとは関係なく涅槃についての話と不生不滅についての定義が書いてあるだけです。
涅槃に至ると真の自己が顕現するという話ではないようです。
結局、宝珠氏は、自分が好きな思想に当てはめるべく、仏典を強引に解釈しようとしているだけのようです。
そうでないというなら仏典からの引用をお願いします。
いわゆる「魂」というようなものとして、アートマンを定義することはできるでしょうが、
それが常住であるということは書かれていないし、またそれが涅槃によって顕現するとは書かれていない。
アートマンが顕現することによって涅槃への道が加速することはあっても、
涅槃によってアートマンが顕現することはないだろう、というのが私の個人的な見解です。
アートマンがあったとしても、それが個の魂としてあるうちは
涅槃とはいえないだろうとしか私には思えないわけです。
>>451 > ニルヴァーナ後も自己はない???
> そうであれば、そんなものに何の価値があるのです?
> それを知る(悟る)ことが解脱ですか?
価値を求めている時点で、それが苦であることを
あなたはまず知るべきではないでしょうか。
自己がある状態での価値というのは、結局のところ分別知です。
自己を中心とした相対的な優劣の視点がそこにあるということです。
それが分別知ではない、と言いくるめるために大我的な視点をなるべく取り入れようとしているだけで、
本質にあるのが分別知であることを理解すべきです。
自分が、価値が、と言っている時点で、その人がいう大我など「飾り」でしかない。
463 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 03:50:25 ID:ckoEYQT5
>>442 申し訳ないが、人違いがあるようだ。こっちが「名無し」だから悪いのだが、
私は皆さんに「ご隠居」と呼ばれている者です。
>何度も何度も、こう言っているのに、「空」や「幻」という文字に引き摺られ、
>それを≪何も無いこと≫と解釈しているから極論だと言っているのです。
>《「何も無い」「無価値」という解釈が極論だ》と言ってるんですよ。解ります?
それは、私が、真言さんその他のの「幻論」「空論」に対して最も批判してい
ること。私は、「色即是空・空即是色」を、「物が存在するとはどういうこと
かを究極的に突き詰めた、唯物論の基礎」とさえ解釈していますよ。
自分の心でいくら自分の心を考えてみても、結局は自分の主観に過ぎず、他人や
社会の知ったことではない、「精神的オナニー」だと言っているのです。
釈迦もあなた方すべても、「食って寝なければ生きてゆけない存在」ですから、
それをすべての思考の基盤とすべきです。さもなければ、百人百様の思考、
「思考のオナニー」に過ぎなくなってしまいます。どなたかが、「幻の食物を
食って生きられる」と言っておられたが、実験してみれば、それが誤りだとは
一発で判るはず。結局は、彼は餓死するだけです。
西洋観念論哲学は、すべて「主観」の塊だが、私は「佛教哲学はそうではない」
と言っているのです。
そろそろ、空理空論の宗教論はやめて、「すべての人間に共通する唯一の普遍の
事実」としての、『人間の生物的生存本能(生命)』」のみに基づく議論を
展開してくれませんか。思考は、基盤次第で百人百様であり、無意味な争いの
原因となっているだけですから、「何を思考するか」の前に、「何を基盤と
して思考するか」を思考し、決定しなければ、すべての思考や思想は無意味です。
あなたの宗派は、ヒ・ミ・ツだそだが、試しに
>>441さんに対して反論してみて
むださい。それで大体判りますw。
> そろそろ、空理空論の宗教論はやめて、「すべての人間に共通する唯一の普遍の
> 事実」としての、『人間の生物的生存本能(生命)』」のみに基づく議論を
> 展開してくれませんか
スレ違い。ここはアートマンについての宗教論のスレ。
そういうことについて議論したいなら新規にスレを立てればいいでしょう。
>>463 禅で言う、猫を真っ二つに切った南泉和尚のように、
概念はあくまでも概念であり、妄想にすぎないというが、
その概念の純粋化がイデアであり、アートマンであり、
そりゃ仏教でいえば、ソクラテスのような、ある種、
一元論(イデア論)ではないと思うかもしれないが、仏教は
一元でもあり、二元でもあるというのが理解できないのかも
しれない。哲学であり、実践論であるのだ。
466 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 07:23:51 ID:2me8Nl7o
>>424 >無神論者や唯物論者は共産主義国家以外では人間扱いされないのが世界の常識ですよ
いや、無神論者を許容しないのは一神教のユダヤ教・キリスト教・イスラム教だけだろ。
ヒンドゥー教のような多神教では思想・哲学は自由だね。だから自由思想家がいた。
唯物論者も許される。
儒教のような実利教では共産主義も資本主義も並立する。
日本神道でも八百万の神信仰だから当然、無神論者であろうが唯物論者であろうが、
仏教論者であろうが許容される。和をもって尊しとなす、だろ。
合理的・普遍的・実利的な科学教がもっとグローバル化して一神教を駆逐すれば
世界は平和に成るね。
467 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 07:33:30 ID:GeSsxIHG
>>464 そうなんです。ずっと言い続けてるんですが、彼はここで生命常識教を展開するんです。
スル〜するしかないでしょう。
468 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:07:05 ID:2me8Nl7o
>>467 そうだね。
仏教は「無常」を説くのであって「常識」を説くのではない。
非常識が仏教だね。
>>412 アートマンの定義は、縁起によらずそれ一本でなる主体性とみる。
だからそこのウダーナの経はアートマンについて語っているとみて、
何も問題は無い。だが話は単純ではない。アートマンも見方によれば縁起によるいものだ。
だがもう一つの見方を変えると、それは単独で存在している。
この現象世界は、一見、縁起により無地賞な空であるが、じつは常駐普遍
のものでもある。なぜならこの現象世界は、アートマンである彼そのものだから。
彼の表象部分がそう見えるだけ。
これは一見矛盾した見解だが、なぜそうなるのかは、前に夢の喩えでわかりやすく
説明したつもりだ。おまえは何度同じ事を言わせるんだ!!
理解する智慧がないのか、それとも理解したくないのか知らないが、おまえがドメクラ
なのだけは間違いない。この見解は、歓喜経で示された誤った見解、外道の
見解に当てはまらず、むしろ、なぜゴータマはこの現象世界は、縁起=空=無自性を
とく傍ら、世界は常駐であると説いた弟子の見解を正しいと保障した矛盾を
合理的に説明するものである。ちゅうかおまえよ、他人の意見を批判するなら、
何がどう違うのか、自分の意見をはっきり言ってから言えよ。おまえら詐欺師の末法仏教徒達は
いつもそうだ。おまえが歓喜経の当該個所を読み、梵網経の記述との関係から
いって、俺がろくに仏典も読んでもいなければ理解もしていないというならなぜそういう理屈に
なるのか、具体的に述べてから反論しろって。ただ違う、違う、おまうえはわかっていないだけじゃ、
小学生でもいえるし、話にならないんだよ。おまえ禅宗だろ。禅坊主はいつもこんな調子だ。
答えなど持っていないくせに、檀家からもっともらしい能書き垂れて、布施を巻き上げる
君らは、ごまかしのテクニックだけは極限にまで研ぎ澄まされているからな。ぺっ。詐欺師が。
470 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:11:27 ID:2me8Nl7o
>>459 >戯論寂滅の智徳兼備の者は出現しないのか。
それが出現していても君に観えないだけだね。
この掲示板とは戯論(ことばによる論議)を
するところだから。
>>469 > なぜならこの現象世界は、アートマンである彼そのものだから
これはブラフマンでは?
アートマンは我であり、個であり、同様の他者がいる、という意味だと思います。
472 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:36:47 ID:2me8Nl7o
>>412 >(※現存上座部はアビダルマ仏教の系譜だと、誰か言ってたような気がするが・・・。何部だって言ってたかな・・・。)
現存上座部仏教というのが何を指しているのかわからないが、「テーラワーダ」なら
ぐぐればわかるから省略する。
スリランカ(セイロン)の仏教は部派仏教に分裂する前にマヒンダによって
アショーカ王時代にパーリ語仏典とともに布教された。いわゆる南伝仏教といわれる。
タイ・ビルマ・カンボジア・インドネシア仏教はブッタゴーサのセイロン上座部三蔵経
が主体と成っているがヒンドゥー密教や大乗密教も流れ込んでいる。
アンコールワットなどの遺跡を見ればよくわかるでしょ。
以上、主として、松岡正剛「情報の歴史を読む」からの情報なので眉に唾しながら
聞いておくようにしてください。
>>412 >てか、はっきり言うわ。お前は聖書だけ読んどけ。
なんか聖書のほうが仏典より随分下にみているようだが、智慧の無いおまえに
聖書の内容が読めるのか?いっとくが聖書の中の御伽噺は、全て喩えだ。
その喩えを読み解く者は少ない。なにせイエス自身、君らのような一般の人に向けては
真理は喩えで隠して話すといっているからな。なぜなら君らは、
見える目があるのに見えず、聞こえる耳があるのに聞こえず、また悟らないからである。
おおよそ持っている人はますます与えられ、豊かになるが、持っていない人は
持っているものまで取り上げられる。だからそのような人達には喩えで話す。
君らには与えられないのだ。ここの持っているものとは何かを悟る者は幸いである。
>>412 ゴータマははっきり言って大した教師ではない。
待機説法かなんか知らんが、彼の説法は混乱を招くものばかりだ。
そして彼の説法は一番大事なものまで、はっきり語ることなく、のらりくらりとわかりにくく
するばかりか、そんなものはないという誤謬をわざと起こすような説法の仕方をしている。
見事彼の後世の弟子達は、無我思想を誤謬し、一番大事なものを失ってしまった。
今の仏教は、いくら小難しい話をもっともらしく語ろうとも、とどのつまり、苦の滅とは
単なる気の持ちようでだけで終わる宗教的には全く価値の無いものだ。
また宗教者としての生き様も決してほめられた者ではない。彼の布施に対する
教義はそれの代表格だ。彼はその境地を知り、今の命に執着するなととく傍ら、自ら
説いた布施の教義により、在家からたかって自らの命に執着して、生きていったんだよ。
その報いは、布施により差し出された食物を食べてそれによる食中毒による死だ。
まさに因果応報だな。彼は自分の説いた教義の正しさを、身をもって示したんだろう(苦笑)
彼の残した布施に対する教義は、後のカルト達の絶好の道具になっている。
オウムの、望まない者に対しても拉致までして、あげくに殺害までしてその人の財産を奪う
行動の根拠となったのも、ゴータマのこの布施に対する教義によるものだ。
そしてこの教義は、君らプロの坊主が飯の種として、在家から金を撒きあげる絶好の道具と
なっている。ゴータマの在家から食い扶持をたかる卑しい生き方に比べ、イエスの生き様はいさぎいい。
何せ彼は、皆の為に、自ら命を捨てたのだから。この世で命を思う者はかえって命を失い、
この世の命を捨てる者は、かえって命を得る。そういうものだ。ゴータマは死ぬほどに求めた。
だから与えられた。だが彼はその境地を知っただけだろう。俺は彼がゴータマと言う名の男の生で
完成したとは思っていない。根性でその境地を知り、悟りを開くのと、実際に解脱して
涅槃に入るのとは、また違う話なのだ。
475 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:42:35 ID:2me8Nl7o
>>471 ヒンドゥー教なら「梵我一如」だからそれでいいのでしょうね。
仏教はそんなヒンドゥー(バラモン)教に対抗してできてきたん
だから、ブラフマン・アートマンのような形而上学的なことなんか
どうでもいいということだろ。
>>471 ブラフマンはアートマンではない。万物の生みの母である彼女は女だ。
彼女の正体とは前に話した。なのにいまだこんなちんぷんかんぷんなことをいう
人が後をたたない。
女は自らを男性にしない限り、命は無いんだよ。
>>476 アートマンは個なんじゃないか?ということを言ってるわけなんですが。
切り取られた存在であることを示す個が、現象世界そのものではありえないじゃないですか。
478 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:48:52 ID:2me8Nl7o
キリスト教やイスラム教など一神教の宗教は世界平和に役立たないことは
現在も戦争が立てないことで証明済みだね。
イラク戦争などキリスト教原理主義とイスラム教原理主義の宗教戦争じゃないか!
>>477 永遠の命とは、おまえが生まれたときからいつもお前のそばにあるもの。
それは切っても切れないもの。ゴータマはそれを不死の境地よび、涅槃とよんだ。
私はすべてである。すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木を割りなさい。
私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう。
外側のものが内側を造り、内側のものが外側を造る。御国はもうきている。だが人々は
それを認識しない。面前に在るものを、認識しない。
480 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:54:37 ID:2me8Nl7o
>>478 >現在も戦争が立てないことで証明済みだね。
現在も戦争が絶えないことで証明済みだね。・・・訂正します。
481 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 09:58:55 ID:GeSsxIHG
>>474 生命常識教やキリスト教、グノーシスなどは他でやってくださいね〜(^^)
482 :
偽本尊:2009/06/29(月) 10:05:55 ID:tmE46R+w
>434
×聞き慣れ用語
○聞き慣れない用語
>437
いやー、確かに勉強不足です。
ただ、改めてググって見ると、ちゃんと解説しているところが見当たらない。
皆さん、勉強不足では?
質問1番です。
聞・思・修とは、
仏の教えを聞いて、
自分で思惟して、
修行(瞑想)して、
最後に実証する。
上の定義であってますか?
2.質問です。
聞慧とは、何でしょうか?思慧とは、何でしょうか?修慧とは、何でしょうか?聞が智慧とは、如何なる意味でしょうか?
なぜ聞が智慧なのでしょう?
聞と智慧がどうしても、結び付きません。
思と修も同じです。
仏教徒の在家の皆さん。特に禅宗。
ゴータマはこう説いた。すでに生じた悪は除くように
まだ生じてない悪は生じないように)
未生善令生いまだ生じていない善は生ずるように
已生善令増長すでに生じた善は増すように
だが禅坊主にいわせると、これも迷いとなる。彼らの悟りは
善悪などないのだからそんなものに囚われず、エゴのまま生きるのが
悟りとなる。だから彼らは一休などという単なる世俗の欲にまみれた
凡夫を悟っているなどと寝言を抜かす。彼らの教説はゴータマのものとは
まるで違うものだ。彼らがどういいつくろおうと、とどのつまり彼らの信奉
しているのは、己のエゴである。これはまことに唯物論者らしい悟りであるが、
エゴに忠実であるなどと言うのは邪教だ。邪教を広めるそんなところに
布施をしたところで、徳を積むどころか悪行を積むことになるぞ。
オウムの信者が、徳を積もうと思い布施をしたが、結局オウムの悪事に間接的に
加担したことになり、悪行をつんだことになったようにね。もちろんその果報は
自分自身が受け取ることになる。悪いことは言わない。いますぐそんなところに布施
などすることはやめるんだな。はっきりいって既存の今の宗教団体には
どこにも真理は無い。だが、たとえ教義に真理がなくともそこの団体が私利私欲ではなく
慈善事業を行っているなら、大いに布施をして、その人達を助けてやれ。
そうすればあなたは天に富を積むことになる。そこにあなたの本当の心はある。
だが善行を否定するような所には一円たりとも与えてやるな。そうすればあなたは
悪行に加担することなく、負の業を積むことも無いだろう。
末法仏教徒達はサタンの正体も悟らないで、偉そうな能書きを垂れる。
エゴと言う名のサタンに忠実に生きろなどというのは、とんでもない邪教なんだよ。
>>481 キリスト教の永遠の命も、ゴータマが悟った不死の境地も同じものだ。
違うのは、君ら末法仏教徒達の能書きなんだよ。
485 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 10:28:12 ID:2me8Nl7o
>>452 >『じ‐ぶつ【事物】
>1 さまざまな事柄や物。「事」に重点の置かれる「物事」に対して、「物」に重点が置かれる。』
そうだね。だから俺は物事(事物)と表現した。物にこだわらないようにね。
事柄には心の中の観念や妄想も含まれることは当然でしょ。
五蘊なら色(物)を除いて「受想行識」すべて心(意)の表す事柄でしょ。
現象というのは自分の外の出来事だとも思ってるのかな?
それなら一から仏法にあわないでしょうね。
俺は仏教は哲学で言えば「独我論」だと思ってる。
「独我論」でも「我=自己」はその世界内存在ではなく、世界の限界だね。
世界はすべて自己の世界が独我論の世界だから。
ウィトゲンシュタインのように言語の限界が私でもよい。
これは中論の見解でもある。
で、仏教哲学の「無我論」と「独我論」はどこが違うか?
無我は我は空(ゼロ)で独我とは1なる我がある、ということだね。
結局、自性の有無で無我論と独我論が分別される。
>>485 自性とは、一相=無相。
相が滅した境地と言うのは、識別智である「言」では
正確には言い表せない。ただ便宜上「一」と言葉で表現しているだけだ。
はぁ。これも何度言ったらわかるんだろう。
487 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 10:43:12 ID:2me8Nl7o
>>486 >自性とは、一相=無相。
一相なら相がひとつ「ある」ということ。
無相なら相がなにも「ない」ということ。
無いものをあると偽るのは詐欺師だね。
論理的に矛盾することは言わないことだ。
無自性は空であるなら、なんら矛盾が無い。
488 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 10:48:19 ID:2me8Nl7o
>>453 >しかし、仏典上で明確に説かれている事実は覆せないことを示した。
輪廻転生という言葉が仏典にあるからといってそれが何でしょう?
輪廻転生とはどういうことだと理解してるのかが問題だね。
俺は主体のない輪廻転生は認める。唯識でいう識の相続だね。
今の言葉で言うなら、その人に関する「情報」は後の世まで残る
可能性がある、ということ。
人は死して名を残す。
虎は死して皮を残す。
よきかな、よきかな。
>>487 見える目があるのに見えず、聞こえる耳があるのに聞こえず、決して悟らない。
そして彼らは決して悔い改めない。私は彼らを癒すことは無い。
言葉上の揚げ足を取るんじゃなく、賢い人は、話の本質を理解するものだ。
それは、「言」では正確には言い表せないといった。2chはこういう子供の屁理屈たれが
議論に加わってくるので困る。子供の屁理屈たれの大方は、いい年こいても
精神的に未熟な引きこもりなんだろうけどな。
490 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 10:50:02 ID:SOMF9bL4
おい、宝珠よ。カラスのバカが
>>474 でゴータマのことをボロクソに言ってるぞ。
いつもの決まり文句を言わないでいいのか?
「ゴータマを賎しめる発言は許せない。ここから出ていけ。さようなら。」
それとも、お前のお気に入りのカラスならいいわけか?
>>488 また屁理屈が始まった。仏典に書かれている輪廻転生はどう読んでも
業法による輪廻転生のついて書かれている。君らの読み方は全て
自説にあわすように曲解ばかりなんだよ。何せ君らに掛かれば、仏典の来世は、
今生の未来に化けるのだからな。ちゅうか明らかに形而上のことが書かれているのに
自分がそんなものは認められないからと、無理やり唯物論的に解釈して
いったいなんになる?己のエゴの虜になっている君らの迷いは深い。
もはや救いようが無い。
492 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 11:08:18 ID:GeSsxIHG
>>482 >修行(瞑想)して、
修行というより、修習です。習いであり、馴染むことであり、慣れることです。
>最後に実証する。
これを付け加えることはないようです。教えは、そのまま理解すべきで、
勝手に付け加えたり、外したり、入れ替えたりすることは誤解していると考えた方がいいと思います。
〜慧というのは部派仏教から言い出したもののようです。
この場合の慧というのは、パンニャー、プラジュニャー、般若であり、
分析知のことです。ですから、聞いて分かったこと、考えて分かったこと、
慣れて分かったことといった意味で考えればよいかと思います。
とりあえず、宝珠さんのように水野弘元『要語』パユットー『仏法』
ダライラマ『智慧の眼をひらく』のいずれかを三回ぐらい読むといいと思います。
493 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 11:12:06 ID:GeSsxIHG
>>486 >自性とは、一相=無相。
なんども言うように仏教で、それを自性という典拠はなに?
まず、自性という言葉は、部派仏教以降の言葉であるという認識がない。
そしてなにより、そんな意味で自性と用いる仏教聖典などないよ。
適当に世界の宗教の和訳をつまみ食いして、分かったつもりになって(^^)
494 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 11:14:58 ID:2me8Nl7o
>>453 >死と共に消えうせるものには価値はない、と教えたのです。
ほう。
死と共に消えうせるものとは何でしょう?
人は死んだら死んだ人になるけどすぐには消えうせないね。
遺産も消えうせることは無いでしょ。誰かが相続するか国の税金になる。
死と共に消えるものはその人の生命という機能だから物ではなく状態=事柄
だね。死んだら死んだ状態になるだけ、それだけのことだ。
ブッダは「死により消えうせるものは価値が無い」と説いたのではなく
正しく生きれば「不死」が得られると説いたのだ。
>>406 の再掲
<存在の大別> ・・・簡単な存在論
生物・・・物質 + 生命( 生命活動 > 精神活動 > 識 )
無生物・・・物質 → 実体がある OR 実体がない ・・・ 審議中
<精神活動> ・・・簡単な認識論
現実 ← 認識 ・・・ 判断のない識 ・・・ 直接知覚
生物・無生物
判断 ・・・ 判断された識
判断基準 ・・・ 苦楽・善悪・愛憎など ← 縁起
話をするのに不便なので、この分類をつぎのように表示する。
* ついでに五位七十五法も五位法に省略する。
簡単法
存在論 ・・・ 生物(生命+物質)・無生物(物質)
認識論 ・・・ 認識・判断・判断基準
497 :
偽本尊:2009/06/29(月) 13:36:24 ID:tmE46R+w
>429
ご回答、有難うございます。
三慧は、創価学会発行、仏教哲学大辞典には載っていませんでした。(爆)
また、講談社学術文庫のゴータマ・ブッダにも載っていません。
やはり道元禅師の影響が大きいかと。
498 :
偽本尊:2009/06/29(月) 13:38:57 ID:tmE46R+w
>497のアンカーは、>429ではなく>492の間違いでした。
申し訳ありません。
五位法と簡単法の比較
このふたつから気づいたことをいくつか列挙しよう。
前のほうでも列挙したが、まだまだ不十分であり未整理である。
1 五位法は、存在論と認識論が混在し、明確に区別されていない。
2 五位法は、認識論に存在論を吸収させてしまう。→ 存在論が消失
3 五位法は、<生命>を下位の分類項目、命根にしている。
4 五位法は、<物質>を色法に分類している。
5 有為法のなかに、生命と物質、生物と無生物が混在している。
生命と物質、生物と無生物は、現実そのものだから、
現実(色)は<最初から>五位法のなかの有為法に分類されている。
有為法・・・「世親」講談社学術文庫より
現象的存在を有為といい、それはつぎのような性質をもつ存在である。
法とはダルマであり、存在(存在するもの)を意味する。
@さまざまな原因によって作られたもの。
A生じ変化し消滅してゆくもの。
B時間と空間、あるいは因果の法則に縛られるもの。
無為法は、非現象的存在であり
諸原因によって作られず、生じ変化し消滅しなく、
時空や因果律に拘束されない存在をいう。
501 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 14:07:16 ID:TeUSHe4K
>>499 >>500 そのような思考、認識、分類も、すべて人間の「生命」の機能。従って、
生命は、分類の対象にはならない。生命は、「人間のすべての営みの根源」
だから。
存在も、認識も、「生命の維持」のためにある。
502 :
偽本尊:2009/06/29(月) 14:16:50 ID:tmE46R+w
参考書:明解仏教入門より
縁起生のものを有為法という。
縁起の法則を無為法という。
503 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 14:20:36 ID:2me8Nl7o
>>496 >存在論 ・・・ 生物(生命+物質)・無生物(物質)
「言葉」はどこに入るのでしょうか?
あなたにとって「言葉」は存在しないのかな?
504 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 14:21:37 ID:TeUSHe4K
学問とは、「従来の見解を、現実に照合して批判し、一歩進めること」
である。従来の見解の紹介や仏典の翻訳だけでは、学問とは言えない。
大乗佛教では、中論でも唯識でも、その「一歩進めるための批判と巨大な
自前の思考」をやった。これは特筆すべきことである。
中村氏は、その「批判して、一歩進める自前の思考」をやられたか。
さもなければ、「見解の紹介屋」「翻訳屋」に過ぎず、「学者」では
ない。
中村氏は、「涅槃」と「安らぎ」と訳されたそうだが、ここには、「自前
の思考」の一部が現われているといえよう。
505 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 14:25:06 ID:TeUSHe4K
>>479 > 私はすべてである。すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木を割りなさい。
> 私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう。
> 外側のものが内側を造り、内側のものが外側を造る。御国はもうきている。だが人々は
> それを認識しない。面前に在るものを、認識しない。
後半部のここは別にいいと思うんだが、
> 永遠の命とは、おまえが生まれたときからいつもお前のそばにあるもの。
前半部のこれも別にいいと思うんだが、
> それは切っても切れないもの。ゴータマはそれを不死の境地よび、涅槃とよんだ。
ゴータマは永遠の命なんて言葉自体使って無いんじゃないか?
そしてゴータマが涅槃と呼んでいるものと、異教徒たちがいう永遠の命とは
位相の違う概念でかみ合わないんじゃないかというのが俺の意見。
要するに、
輪廻とは永遠の命だろう?
それが尽きるのが涅槃じゃないのか?
永遠のように見える命が尽きることが涅槃なんじゃないのか?
>>504 中村元は独自の意見を言いすぎたということで東大内部では批判を浴びているね。
そんなのはアカデミズムではない、とね。
まー、東大内部の話ならともかく、
三流大しか行けないやつがアカデミズムを批判とか、ちゃんちゃらおかしいわけだが。
508 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 14:34:45 ID:2me8Nl7o
聞思修
・学びて時にこれを習う。楽しからずや。>論語
・「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、
ほめてやらねば、人は動かじ」>五十六
この現実(色)は<最初から>有為法に分類されている。
五位法の分類は、この現実をいくら探しても、無我であることを
一方的に主張し、一方的に宣言している。
しかし五位法は理由でなく主張である。
五位法はもともと認識論であり存在論ではない。
だから無我である、空であるなどとは言えない立場にある。
中論の詭弁性、五位法の詭弁性は相当なものである。
大乗はこれこそと思い、2000年、これにだまされ、洗脳されてきたのだ。
呆れたというか、憐れというか。
量子論を持ち出すまでも無く、高校レベルの物理や化学を持ち出せば、
ミクロレベルでの縁起や無我が説明できるのに、
ホント、馬鹿なやつら。
511 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:22:31 ID:GeSsxIHG
>>510 >量子論を持ち出すまでも無く、高校レベルの物理や化学を持ち出せば、
>ミクロレベルでの縁起や無我が説明できるのに、
量子論は認識論的観測も入るから、縁起といえる可能性があるけど、
高校レベルの物理や化学は、実在論であって全く縁起ではない。
まあ、部派仏教の縁起はそのようなものだけど、それはもはや縁起とは言えないんだな(^^)
512 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:24:35 ID:GeSsxIHG
>>502 明解仏教入門は、ちゃんと読んだことがないので断言できませんが、
結構良い本みたいなので、それを三回ぐらい読むといいと思います。
513 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:30:52 ID:GeSsxIHG
>>504 >学問とは、「従来の見解を、現実に照合して批判し、一歩進めること」
これって誰が言ってるの? 随分皮相な見方だけど。
完全にセム的直線史観だね(^^)
ここはまさかヴィッセンシャフトとかサイエンスという意味の学問の場ではないでしょう。
そんなこと思ってる方が、どうかしてるぞ。
伝統として釈尊がどう仰られていたかを確認しようという場だと思ってましたが(^^)
そのために文献学その他の学問は、利用するものであって、学問をしてるわけじゃないでしょ。
学問やるんだったら、もはやパーリ、梵蔵漢のどれもできない人は沈黙するしかないよね(^^)
>>511 ほう、縁起とは「ある」「ない」で分別するものだったのですね。
「ある」から縁起であるとか、「ない」から縁起であるとか。
515 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/29(月) 15:36:36 ID:IWyKH0CA
輪廻と永遠の命は全然違う。君は前シリーズからやり直しだな。
516 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:39:55 ID:GeSsxIHG
>>515 「永遠の命」も涅槃も自性も「全然違う」「君」こそ一「からやり直しだな」(^^)
517 :
カラスの唄:2009/06/29(月) 15:41:57 ID:IWyKH0CA
ちゅうか、原始仏典には、「自性」という単語がでてこないから、
ゴータマは自性について語っていないと主張する池沼がいるようだな。話しにならんわ。
>>515 カラスが人を見下せるほどの人間とも思えないんだが。
アートマンとか永遠の命とか涅槃とかいってるけど、自分的にどこまで体験したんだよと。
519 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:46:15 ID:GeSsxIHG
原子とか分子が、我であるとか、我でないとか、
そういうものを超えている。
それにより、構成されているものもね。
こういう事を言いたかったのです。
哲学である所の存在論など、なんの興味もわきませんね。
議論で遊ぶには面白いですけどね。
仏説というのは、事実をつきつけて、とらわれから解き放つ。
そういうものだと思っていました。
分子や原子が常住でないことは高校物理でも教えます。
そして、仏教では、常住でなければ
それで「本質」となる条件から外れるのではないのですか?
522 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:57:08 ID:GeSsxIHG
>>517 >ちゅうか、原始仏典には、「自性」という単語がでてこないから、
>ゴータマは自性について語っていないと主張する池沼がいるようだな。話しにならんわ。
自分が吐いた下の言葉がぴったりだな。
>
>>351 >>自分達の仏説ありきの君らは、そもそも仏典を読む
>>アプローチそのものが間違っている。
「初めに」はじめに神秘的結婚こそが普遍的真理なんてような思い込み「ありきの君」は、
書かれていない「自性」をヨーガスートラの和訳あたりから持ってきて
勝手に「そもそも仏典を読む」カラスの「アプローチそのものが間違っている」とは一向に思わないようだ。
これを仏教では無明、あるいは愚痴というのです(^^)
523 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 15:58:47 ID:GeSsxIHG
>>521 >分子や原子が常住でないことは高校物理でも教えます。
そうですか。それは失礼しました。
>そして、仏教では、常住でなければ
>それで「本質」となる条件から外れるのではないのですか?
どういう意味でしょうか?
524 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 16:07:23 ID:2me8Nl7o
>>520 >原子とか分子が、我であるとか、我でないとか、
>そういうものを超えている。
もしかして、「我」が一人称代名詞の「私」のことだと思ってないでしょうね。
仏説で言う「すべての事物は我ならざるものである」の「我」はそれとは違うね。
やはりインド哲学、形而上学の用語としての「アートマン」を「我」と翻訳している
んでしょ。だから我ならざるものとは無我とか非我と翻訳されてる。
元の言葉ならアートマンの否定でアンアートマンとなる。
ちなみに「私」の身体は少なくとも原子・分子の集合体だと高校生の物理でも
言うんじゃないか?
凡夫が涅槃は常住なのか・・・と考えるのは「無記」なんだよ。
そんな暇があれば、世の中のためになることでもしておれ。
くっくっく。
527 :
カラスの唄:2009/06/29(月) 16:36:56 ID:IWyKH0CA
>>516 おまえ、凡夫の癖に偉そうだな。
末法仏教徒は、邪見しかしていないのに態度だけは偉そうだ。
まぁいい。おまえは、涅槃も自性も永遠の命も違うと言った。ではなぜ違うのか、
具体的に説明してもらおうじゃないか。何度も言ってるが、違う、違うと否定するだけなら
小学生でもできるんだよ。ちゅうか、おまえらの涅槃の定義とはなにか語ってみな。語れるんならな。
ま、君らはまた、お得意の詭弁でごまかしてお茶を濁すのが関の山だろうがな。
今から仕事だ。帰ってくるまでに逃げないで聞かれたことに答えとけよ。
528 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 16:50:28 ID:GeSsxIHG
>>527 あらら、それが人にものを聞く態度かな?
何度も繰り返してるんだけどね。君は人の書いたもの読んでないでしょ。
ここを読めば分かろうとしないだろうけど。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html 釈尊が凡夫、外道、仏教の三つに分けて明解に説いている。
凡夫が生命常識教、外道がアートマン論者、仏教が縁起論者に明解に対応する。
縁起論者といっても机さんや生命常識教が説くような常識そのままが縁起みたいなものではない。
もちろん、この輪廻で経験することは幻で、三昧体験によって変化し、
いろいろと見え方が変わるものだ。だけど、君がいうように三昧やヨーガだけでは解脱・涅槃には至れない。
三昧状態での縁起観による無我・空の悟りが解脱・涅槃に必ず要るからだ。
これが分からない外道の見解、つまり神秘的結婚とか仮象と実在で解釈するから、
釈尊の教えの素晴らしさ、縁起の素晴らしさが君には全く理解できないだけど、
なんど言っても聞く耳を持たないで、つまんない珍説を偉そうに繰り返すだけ。
笑っちゃうよ。
529 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 16:51:54 ID:GeSsxIHG
>>525 マンガみたいな名前だね。恥ずかしくないの?
>>503 >「言葉」はどこに入るのでしょうか?
>あなたにとって「言葉」は存在しないのかな?
>>495 を見てくれた? たぶん認識の<識>だろうと思うよ。
だれも示さないので、おおざっぱなタタキ台を示した。
アートマンを知ることが目的であり、五位法に代わるものを目的にしていない。
>>501 >そのような思考、認識、分類も、すべて人間の「生命」の機能。従って、
>生命は、分類の対象にはならない。生命は、「人間のすべての営みの根源」
>だから。
>存在も、認識も、「生命の維持」のためにある。
生命そのものを分類していない。生命の外観、活動、機能などを対象にしている。
意見が分かれるが、生命そのものは魂(アートマン)である。
>>528 >釈尊が凡夫、外道、仏教の三つに分けて明解に説いている。
>凡夫が生命常識教、外道がアートマン論者、仏教が縁起論者に明解に対応する。
これがあなたの思い込みであり、誤った経典による思い上がった転倒妄想だろう。
常識を非難しているあなたは非常識になる。理解できるかな?
>三昧状態での縁起観による無我・空の悟りが解脱・涅槃に必ず要るからだ。
★ そしたらいつまで無我・空・幻を追いかけている。
そんなものは悟りの入り口だろう。早く解脱して我や涅槃を語りなさい。
533 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 17:47:17 ID:KgCP9dRC
>>531 >生命そのものを分類していない。生命の外観、活動、機能などを対象にして
>いる。
それなら了解。
>意見が分かれるが、生命そのものは魂(アートマン)である。
生命そのものがアートマンなら、「仏陀はアートマンを説いたか」は愚問。
彼も自己の生命の機能により説いたのだから、生命は否定できないが、彼の
生命を以って生命を理解することは、理解主体と理解対象とが同一だから、
生命をのもの(アートマン)は説けないのが当たり前。説いたとしたら、彼の
誤り。
なお、魂(精神、感情、理性)は、アートマンの機能に過ぎないから、アート
マンそのものと魂(精神、感情、理性)を同一化して、対象化するのは誤り。
アートマン(生命そのもの)は対象化できないもの。いうなれば、宗教を含む
人間のすべての営みの根源であり、論じることはできないもの。
大乗経典を読めば読むほど、悟りから遠ざかるのではないか、
という疑問が湧いてきた。だから僧侶は悟れないのではないかと。
大乗経典がこの現実を<空>だとか<幻>だとか言っている時点で、
これは怪しい教えだと気がつくべきなのだろう。
聖書は正反対である。神は天地を創造して、それを「よし」とした。
神が「よし」としたものを、空論者はどうして空や幻にする?
成道のあと、世尊はこの世を空や幻として虚しく生きたのか?
>>534 それは、どの経のどの部分でしょうか?
私は無学なので、空に住せよというような事が
書かれている大乗経典を読んだ事がありません。
>>533 ほぼ同じような考え方かと思う。
違うところは、生命(主体)が生命自身を観測できるかどうか、という部分。
究極の悟りは、それが可能であるということを伝えている。
たとえば十牛図であったり、空海の瞑想体験を伝える言葉だったりする。
それが可能かどうかは自分で体験する以外にないと思う。
その方法が瞑想であり、世尊・イエス・ムハンマドなども実践している。
しかし簡単に悟れないことは確かでしょう。きわめて難しいと思う。
>>535 そう改まって聞かれても困りますね。
自慢じゃないが、経典などほとんど読んだことがない。
推測だけど、般若経典群、竜樹や世親、法華経、華厳経などなど。
538 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 18:17:23 ID:KgCP9dRC
>>534 >聖書は正反対である。神は天地を創造して、それを「よし」とした。
>神が「よし」としたものを、空論者はどうして空や幻にする?
「縁起・空」とは、「万物が、関係性の集合体という実在」のこと。
「幻」ではなく、「実在そのもの」である。「関係性の集合体」だから、
「自性」はない。
聖書やイエスは、自らを含む万物が「関係性の集合体」、即ち「縁起・
空」であり、「自性はない、相対的な存在」であるることに思い至らなかった。
「万物が関係性の集合体」であることは、木の葉一枚の分析だけから
でも明らかである。人体を解剖すれば、なお明らか。すべての器官や
その組織が、寸分の狂いも無く関係し合っている。その関係性において、
生命が維持されている。
人間界における人間の存在も同様。他者が自己の身体を知覚してくれる
場合に、我は存在するという。
「個は、他との関連においてのみ存在し得る」。これが、佛教による、
「関係性(縁起・空)」という、前人未踏の大発見である。
>>529 >マンガみたいな名前だね。恥ずかしくないの?
で、お前は、マンがみたいな脳味噌を使ってここでつまらんレスをしておって、恥ずかしくないのか?
くっくっく。
アートマンなど無意味だと言うのが釈尊の教えだ。
つまらんことを考えている暇があったら修行に励め、たわけども。
と言うことだな。
くっくっく。
>>538 そうでした。まだまだいろいろな違いがありましたね。
しかし相対性に関しては創世記に<善悪を知る木>として語られている。
単なる関係性であれば、認識のレベルになってしまう。
創世記は判断基準、意志のレベルを語っている。
意志に自性がある。
542 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 18:31:28 ID:KgCP9dRC
>>536 >その方法が瞑想であり、世尊・イエス・ムハンマドなども実践している。
関係性は、あくまで、「他」との関係だから、「自分独り」でいくら
瞑想しても理解出来るわけがなかろう。彼らが理解したと思ったのは、
自分の「主観」に過ぎず、すべて妄想。関係性は、他者との係わり合
いにおけるひたむきな生存努力の中においてのみ、理解できることが
あるもの。瞑想による理解は、すべて勘違いの産物。
アーベンドカルのインド仏教は、瞑想は「役立たず」として、一切排除
している。
543 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 18:39:53 ID:wBXO7tNo
>539 :走召 糸色 文寸 ネ申:2009/06/29(月) 18:17:45 ID:+wLywFNv
>
>>529 >>マンガみたいな名前だね。恥ずかしくないの?
>で、お前は、マンがみたいな脳味噌を使ってここでつまらんレスをしておって、恥ずかしくないのか?
>くっくっく。
中身もマンガだわw
544 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 18:40:45 ID:KgCP9dRC
>>541 創世記は、善悪の判断基準など一切しめしておらず、それどころか、
「人間があるがままの自然状態を離れ、神のようになり、善悪を知るこ
と」を「原罪」として禁じている。
この創世記の言葉に文字通り従えば、イエスこそ、原罪・悪の権化なの
である。
>>542 前のほうで書いたけど、大乗の悟り(理解レベル)、小乗の悟り(体験レベル)には、
瞑想はいらないと思う。しかし自分を知るには瞑想がいる。
なぜなら我(アートマン)は心の奥深いところにいるから。
意識、マナ識、アラヤ識の先にいる。
そんな存在を目を開いたまま知るなんてできない。
それこそ不可能である。
イエスは探せ、求めよと言っている。探せば見つかると教えている。
546 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 18:53:31 ID:KgCP9dRC
>>545 >イエスは探せ、求めよと言っている。探せば見つかると教えている。
そんな「自分探し」をやってるのは、現代では、未熟で浅薄な若者だけw。
成熟した人間は、「他との関係」においてのみ、自己を見出す。
>>542 人間の都合に合わせた、主観的な、相対的な善悪が罪だということです。
そうではなくて絶対的な善が神です。
イエスは絶対的な善を伝えようとしたのではないですか。
548 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 19:08:07 ID:KgCP9dRC
>>547 ナザレ村のしがない大工の子倅で、マトモな教育も人生経験もない、30
歳そこそこの気の狂った若輩イエスの言葉は「すべて誤り」だから、引用
しないほうがよい。地下のイエスの恥をさらすだけ。
聖書もイエスも、「善悪の定義」はできなかった。自分でも意味の判らない
言葉で、自己陶酔していただけ。
「善悪」とは、人間界における共生のための「技術的概念」。従って、具体的
状況によって変動する、相対的なもの。人を傷つけるのは「悪」だが、
医師が患者の生命を救うために患者の身体を傷つけて手術するるのは
「善」である。
具体的状況を離れた「絶対的善悪」など、存在し得ないのである。
イエスや釈迦に代わって、「善悪」を次のように定義しておく。
「善とは、他者の生存を助ける『行為』。悪とは、他者の生存を害する
『行為』」。
549 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 19:19:59 ID:KgCP9dRC
>>547 >絶対的な善が神です
「善悪」とは、「人間同士の共生のための技術概念」だから、「人間に
あらざる神」など一切関係ない。
善悪の判断は、現実界における具体的状況に基づく、人間の生存本能
(生命)という「内なる神」が行う。
「神」とは、「人間の、他者の生存に対する良心と責任」である。
550 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 19:41:56 ID:YlTc3Zun
関係性の視点は、最終的には、「主体−客体」の関係において限界に行きつくに違いない。
釈尊やキリストは、おそらく、この「主体−客体」の関係を超えることについて語っているのだろう。
しかし言葉では、この超越を語ることができても、伝えることができない。
子供だって、意味も知らずに英語の歌を歌うことはできる。
>>548 質問です。
今にも飢え死にしそうなAさんを見つけたBさんは、Cさんを捕まえて腕を縛り、
その腕をちょん切って焼き、Aさんに食べさせました。
Aさんはそのお陰で助かり、Cさんは腕が一本なくなっただけで元気に生きています。
このような場合、Bさんの『行為』は善ですか?
552 :
旧7:2009/06/29(月) 20:04:05 ID:W3YA8vZd
338を解析しようかと思ってたが、
469〜483辺りのレスを見たらヤル気が失せた。
なんだ、結局、『反日本仏教』が原点だったのか?って感じだ。一気に興醒めしたよ。
もう少し、(グノーシス的な(?)w)自身の体験や頷きから、信念の下、烈しい語調になっているのかと思ってたが、
マジで買い被り過ぎだったようだ・・・。
(日本仏教批判は当然あっていい。 が、こういうレスの仕方で、併せて述べられてもな・・・w)
553 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 20:06:57 ID:GeSsxIHG
>>539 オウム返しか? ほんとマンガだ。
「くっくっく」って相手を嘲笑することが、自分を傷つけることだと、
仏教を修行して身に付いている人なら自然に行えるはずなんだけどな〜
オレは、まだまだ修行ができてないから、笑っちゃうほど哀れに見えるよ、君が(^^)
嘲笑したいだけなら、こないで欲しいんですけどね。
554 :
旧7:2009/06/29(月) 20:08:32 ID:W3YA8vZd
また474に関して、
私だって随分と不遜な考えを持ってはいる。
(外道のレッテルを返上しない一つ目の理由でもあるw)
釈尊を一人の人間と見ているので、長所短所共にあるだろうと見ているし、
頑固で、直接的で、お堅い、厳しい師ではなかったろうかと夢想したりする。
出家前の幼年時、若き日の人格形成が、成道やその後の説法に影響が無いかと言えば、そんなことはないだろう。
柔らかさや柔軟さ、落とし所を探りながらの応対等は、舎利弗や阿難の長所ではなかろうか、なんてねw
歴史的に見て、(45年間の教導の仕方に)幾つかのミスを探すことも可能かもしれない。
(挙げろとは言うなよ。まだ妄想の段階なんだからw
また、それを問う・探究することは、はっきり言って無意味だろう。それこそ「涅槃に資さない」考究だろうw)
が、さすがに474のような立論&記述はしない。敬意&考察無き評は罵倒と変わらない。
555 :
旧7:2009/06/29(月) 20:09:24 ID:W3YA8vZd
また、非生産的生き方が許されたのは、肥沃なインドで、「聖者、遊行者は人々によって養われるべき」
というコンセンサスがとられていたからだ。もし、違う文化の中であれば、全く違った行法が考えられていただろう。
また、十大弟子などと言われる時、それは大概「能力・得意分野」に於いて言われているが、
それは個性の差をも含んでいる筈だ。姿勢や考え方、性格等に違いが無かったとは思えない。
それとも仏教とは、そうした大量生産品のロボットのような阿羅漢の輩出が目指されてるのか?(そうではあるまい。)
お釈迦さんにも、きっと、そうした個性があった筈だ・・・。
釈尊を、完全無欠な聖人君主として神格化してゆく想いを否定はしないが、私はその道を選びはしない。
これを、「引き摺り下ろしている」と評する者もいよう。構わない。甘んじて受けよう。
しかし、「祀り上げ」「崇めまくり」「自分とは違う人種であるかのように」「手の届かない所へ押し上げ(押し込め)」
「あきらめ」「憧れ」「眺めるだけ」のような、そんな存在として扱うことだけは断じて避けねばならない。
ブッダとは(如来とは)、そのおしえに触れた者にとって、前を歩く先達であろう・・・。
(474を、(かなり無理矢理だがw)禅家お得意の「貶して褒める」というスタイルとみてもいいが・・・w
てか、カラスには元々(宝珠のような)「ゴータマリスペクト」は無かったんだろうが・・・w)
556 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 20:17:30 ID:GeSsxIHG
>>552 そりゃ、見る目ないぜ! あの幼稚な口調の上にシッタカと自演だよ。
なんもないただ実在と仮象程度のことが分かったから逆上せてるだけのこと。
やってることはまるっとお見通しだ(^^)
それより旧7さんには片山訳のアップや、パーリの解析をお願いしたいのですが。
557 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 20:21:19 ID:GeSsxIHG
>>554 >474には笑うというか呆れるというか、まあ、釈尊を精神病という方と同じレヴェルだね。
自分で理解できない部分を自分以下とする態度。
仏典をある程度、読めば釈尊の偉大さに圧倒せられずにいられないと思うのだけど。
558 :
旧7:2009/06/29(月) 20:31:50 ID:W3YA8vZd
>>556 ゼロからの長文書き写し(打ち写しw)がどれほどメンドイか、解るっしょ・・・w
コピペ改変できればかなり楽になるけど・・・。
おいらは基本、B型の怠け者だから。 御了承願いますw
559 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 20:44:10 ID:GeSsxIHG
>>555 >また、十大弟子などと言われる時、それは大概「能力・得意分野」に於いて言われているが、
>それは個性の差をも含んでいる筈だ。姿勢や考え方、性格等に違いが無かったとは思えない。
>それとも仏教とは、そうした大量生産品のロボットのような阿羅漢の輩出が目指されてるのか?(そうではあるまい。)
え! アーガマ、ニカーヤ、ヴィナヤを読めば個性豊かな仏弟子たちが、
たくさんいると思うんだけど。六群ビクとか、六?群ビクニとか。
オイラがシンパシーを感じるのはナンダ。
美しくて感性的なナンダ、釈尊に導かれて図らずも出家してしまい、
それでも美しい妻が忘れられないナンダに、釈尊は方便を用いる。
先ず、片眼の牝ザルと妻を比較させ、その後で天女と妻を比較させる。
天女の美しさに心奪われたナンダは、死後天界に生まれるために修行に励む、
そこで釈尊は、そのような卑しい目的で修行する者とは口をきかぬように皆に告げる。
皆に無視されて心寂しいナンダは、兄弟であるアーナンダに慰めを求める。
しかし、アーナンダも無視しようとするのを引き留め故を質す。
理由を知り呆然とするナンダを釈尊は、地獄へ連れゆく、
地獄では天界で天女との楽しみを享受した後、落ちてナンダが苛まれるはずの苦を見せつけられる。
そこで無常と苦を実感したナンダは改心して解脱のために修行に励む。
後にアルハットとなり制根第一と称されたという。
やはり、この話は興味を引くらしくアシュヴァゴーシャの霊筆で、
サウンダラ・ナンダとして華麗に詠われる。
>お釈迦さんにも、きっと、そうした個性があった筈だ・・・。
私は貴族的で、寡黙で上品なのが釈尊の個性だと思ってますが。
560 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 20:46:47 ID:GeSsxIHG
>>558 長文でなくて、重要な箇所だけでいいので、よろ。
変な分類よりみんなの役にたつと思うのですが。
口悪くてゴメンね。m(__)m
561 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 21:01:25 ID:2me8Nl7o
>>548 >「善とは、他者の生存を助ける『行為』。悪とは、他者の生存を害する
>『行為』」。
正当防衛もみとめられ無いのか?
562 :
暁:2009/06/29(月) 21:11:59 ID:/ldoWFsU
マンガマンガうるせえな
俺マンガ読むよ(笑)
>>546 > 成熟した人間は、「他との関係」においてのみ、自己を見出す。
それこそ共依存じゃね? 他人がいなければ自分を確立できないとか未熟すぎ。
564 :
旧7:2009/06/29(月) 22:16:40 ID:W3YA8vZd
>>560 しょうがない。
重要でもないし、片山訳の事例にもならんが、色んな意味で(w)“このスレ的に(!)興味深い部分”を挙げよう。
一在家が新しく引っ張り出した『大譬喩経(漢訳阿含名「大本経」)』から。
(季刊原始仏教7巻P.19) 〈 〉は註。 《 》は複註。 ( )は訳者挿入。
20 比丘たちよ、この【法則】があります。すなわち、菩薩が母胎に入っているとき、
菩薩の母は、【自然に】、戒をそなえ、殺生を離れ、盗みを離れ、邪婬を離れ、
妄語を離れ、怠惰の原因となる穀酒・果酒を離れています。
これが、その場合の法則です。
【法則】 dhammatA ・・・この内容(菩薩の出生に関する一連の記述の最初の節の註。)
〈自性〉(sabhAva)、〈定則〉(niyAma)、あるいは、《自然なこと》(pakati)と言われる。(以下はおそらく訳者の要約)
〈定則〉に
(1)業の定則(kamma-n')、善《業》には好ましい異熟の施与が、不善には好ましくない異熟の施与があるという場合。
(2)時節の定則(utu-n')、蓮の花が昼に開き、夜に萎む場合など。
(3)種子の定則(bIja-n')、稲の種から稲の実のみが生じる場合など。
(4)心の定則(citta-n')、それぞれ前の心心所法はそれぞれ後ろの心心所法の近依縁によって縁であるから、
このように眼識などに直接、領受などの生起がある場合。
(5)法の定則(dhamma-n')、諸菩薩が母胎に入るなどのときに一万世界が震動することなどが起きることがある。
ここでは(5)の「法の定則」が意趣されている。
【自然に】 pakatiyA
《他のもとで得るのではなく、自ら、自性(sabhAva)によってのみ、ただ自分で》の意。
〈伝えによれば、仏がまだ現れていないとき、{云々〜 と続く}〉
だってさw やっぱり、パーリの自性は単純素朴なものみたいだね。
少なくとも、大乗の各経各論が血相を変えて否定するほどの大きな位置付けや役割は無さそうだ・・。
ちなみに、原文見てはいないが、おそらく文章的にも、まるっきり五戒まんまだろうねw
565 :
旧7:2009/06/29(月) 22:25:52 ID:W3YA8vZd
566 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:33:48 ID:yEb+1xMu
>>563 >それこそ共依存じゃね? 他人がいなければ自分を確立できないとか未熟すぎ。
万物は共依存(縁起・空)。それを自覚するのが、「成熟」であり、「悟り」で
ある。
567 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:44:09 ID:GeSsxIHG
>>564 ども〜、ホットな話題、自性ですね。
>【法則】 dhammatA ・・・この内容(菩薩の出生に関する一連の記述の最初の節の註。)
>〈自性〉(sabhAva)、〈定則〉(niyAma)、あるいは、《自然なこと》(pakati)と言われる。(以下はおそらく訳者の要約)
これを見てカラッチは、自性あるじゃないかとかいいそうですねえ。
先ず、この自性が註釈であることを認識してほしいものです。
つまり、ニカーヤではなく部派仏教以降のアッタカターとティーカーだってこと。
パカティは、たぶんカラッチが読み込んだヨーガスートラのプラクリティと
同じ言葉の訛り。つまり、記号は同一だということ。
このダンマターは法性と訳されるもので、法則を意味し、
縁起・此縁性を意味することが、『勝義空性経』や『縁経』から分かります。
ダンマターの別名であるサバーヴァ、ニヤマ、パカティも、
固有の性質、定め、天性みたいな意味ですが、縁起の法則を意味していて、
アートマンなどの実在、本質、真実といった意味でないことがハッキリわかるでしょう。
経典の文脈も、註も複註もみなそれを支持しているので、アートマン解釈の余地はありませんね。
どうもありがとう。
568 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:45:32 ID:yEb+1xMu
>>561 >正当防衛もみとめられ無いのか?
正当防衛も、他者の生存を害する点で「悪」であるが、「自他の生存を守る」
という最小限度の範囲で認められる。その限度を超えると、「過剰防衛」という
「悪」になる。
「善悪」の「状況依存性」の一例である。
569 :
神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 23:17:45 ID:yEb+1xMu
>>551 >このような場合、Bさんの『行為』は善ですか?
自分の腕を差し出せる状況下において、Cさんの腕を切ったのは悪である。
腕を切ることも、生存に不便をもたらすから、「生存を害する行為」である。
Aさんの命が助かったとしても、少なくともCさんの生存を「積極的に」害したのは
悪である。
しからば、自分の腕を切ることはどうか。自分も、他者から見れば他者だから、
これも悪である。
そもそも、腕を食べさせなければAさんを助けるための代替的方法はなかったのか、
という具体的状況が決め手となる。「善悪の状況依存性」である。
この意味で、キリスト教の殉教者が、他者の生存を助けるためでなく、自分の
信仰という「エゴ」のために、自らの生命を捨てることは、「絶対的な悪」で
ある。
無と空が同じ意味で使われたり違う意味で使われたりするからやっかいなんですよね。
無=非存在。非存在は何も生みません。
空=器(うつわ)となる一なる存在、大我。対になる全てのものを生みだします。
>>178にもあるように 0(ゼロ)は無ではなく空です。
0=(+X)+(−X)
0が無=非存在であれば(+X)も(−X)も生じません。
量子論でいう無も完全な無ではなく、限りなく静かな状態でゆらいでいるエネルギー場であるといいます。やはり非存在の無ではなく存在である空なのです。
結局「我あり」であり、存在である以上「無我」はないのではないでしょうか。
無我という言葉の多くは非我を指しているのだと思います。
572 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 07:47:13 ID:SWePSAtr
>>564 ありがとう。
片山訳の雰囲気がわかった。中村訳より読みにくいのは訳語の選択と
註の入れ方のためかな。片山訳はなんか学問のためのような感じがする。
俺の好みとしては、中村訳のように注釈は分離して、本文だけどんどん読み
下しができるスタイルだね。先ずは通読して文脈全体で何を言いたいのか
考えることが好きだから。
573 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 08:36:18 ID:SWePSAtr
>>564 >20 比丘たちよ、この【法則】があります。すなわち、菩薩が母胎に入っているとき、
>菩薩の母は、【自然に】、戒をそなえ、殺生を離れ、盗みを離れ、邪婬を離れ、
>妄語を離れ、怠惰の原因となる穀酒・果酒を離れています。
>これが、その場合の法則です。
>【法則】 dhammatA ・・・この内容(菩薩の出生に関する一連の記述の最初の節の註。)
なるほど。「法則」の原語を注釈として示しているのね。以下同じだね。
釈迦の遺言の「法灯明」から何が『法」なのかを「経」から拾い出して整理したのがアビダルマ
何でしょうね。現在の文献学的方法にもあっている合理的方法だろう。
>(定則〉に
>(1)業の定則(kamma-n')、善《業》には好ましい異熟の施与が、不善には好ましくない異熟の施与があるという場合。
>(2)時節の定則(utu-n')、蓮の花が昼に開き、夜に萎む場合など。
>(3)種子の定則(bIja-n')、稲の種から稲の実のみが生じる場合など。
>(4)心の定則(citta-n')、それぞれ前の心心所法はそれぞれ後ろの心心所法の近依縁によって縁であるから、
> このように眼識などに直接、領受などの生起がある場合。
>(5)法の定則(dhamma-n')、諸菩薩が母胎に入るなどのときに一万世界が震動することなどが起きることがある。
>ここでは(5)の「法の定則」が意趣されている。
定則とは論理学や数学で言う「定理」のようなものだね。
縁起の理法でいろいろ考えてみてこれはほとんどの場合に成り立つ
と解ったことを記憶したのが定則だろう。
やはり、これも輪廻に託した説明だね。
それにしても母胎や種子などに言及されるということは、釈迦の輪廻は
生物学的輪廻すなわち今で言う遺伝のことを考えていたんだろうね。
遺伝なら経験的に確認されることだから。
でも、この経から「親の因果が子に報い」が出てきたようにも取れる。
574 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 09:22:51 ID:ij0Yx+ti
>>570 >量子論でいう無も完全な無ではなく、限りなく静かな状態でゆらいでいるエネルギー場であるといいます。やはり非存在の無ではなく存在である空なのです。
「限りなく静かな状態でゆらいでいるエネルギー場」というのは、よく分かります。
釈尊が生滅法、つまり「生じては滅する性質」と仰られたことが、
物事として認識される状態が、無常であるが安定定着した状態のことを
指すように思われるからです。伝統的漢訳では「住」「安住」などと訳されます。
しかし、生滅法、つまり「生じては滅する性質」というのは、
有るのでも無いのでもないのです。その微妙なあり方を縁起・空と呼びます。
この縁起・空の存在論は、存在論と言っても有ることだけではなく、生滅法なのです。端的には縁起・空です。
この存在論、あるいは形而上学的前提を持たずに量子を観察・実験した結果、記述されたものが量子論ですが、
それでも「現代物理学において、実在論的解釈の余地があるときには、何が起ころうと、かならずそれを採用せよ」
とされているとCNRS研究室長のミシェル・ビトボルは言っています。
このことは何を意味するでしょう? 私はとにかく有るという形而上学を現代物理学者の多くも信仰していて、それに対する護教論的意志の表明に思われます。
ミシェル・ビトボルはこういう人です。
http://pagesperso-orange.fr/michel.bitbol/index.html
575 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 09:24:06 ID:ij0Yx+ti
576 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 09:29:51 ID:ij0Yx+ti
>>572 片山訳も通読できるようになってますよ。
註は本文に入れ込まれてるわけではないと記憶してます。
旧7さんに確認してください。
>>573 >やはり、これも輪廻に託した説明だね。
>それにしても母胎や種子などに言及されるということは、釈迦の輪廻は
>生物学的輪廻すなわち今で言う遺伝のことを考えていたんだろうね。
違うと思います。意識の輪廻でしょう。もちろん縁起する無常な意識です。
>遺伝なら経験的に確認されることだから。
>でも、この経から「親の因果が子に報い」が出てきたようにも取れる。
この部分は逆に子の因果が親に報いでしょう。(^^)
なぜなら、ブッダになる菩薩を妊娠した母が自然に備える徳性について語っているからです。
577 :
偽本尊:2009/06/30(火) 10:28:38 ID:guWZORBQ
>570
>空=器
器となる空は、シーニャ(空、中空)じゃあなくて、アカシャ(虚空、宇宙、空間)でしょ。
578 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 11:59:58 ID:aixqJzdE
>>574 >しかし、生滅法、つまり「生じては滅する性質」というのは、
>有るのでも無いのでもないのです。その微妙なあり方を縁起・空と呼びます。
>この縁起・空の存在論は、存在論と言っても有ることだけではなく、生滅法
>なのです。端的には縁起・空です。
数億年前の動物の骨の化石は「生じては滅している」のか。数千年前の人間の
ミイラは「生じては滅している」のか。数億年前の火山の噴火によって生じた
岩石は、「生じて滅している」のか。「生じては滅する」などということは、
それらには通用しないことは自明である。
「物が実在する」とは、(必要な場合には観測装置を使用して)人間の五感で
知覚できること。そのテストは、「人間の生存に直接関係するか否か」である。
例えば、化石を噛むと歯に影響があるし、歯が折れるかもしれない。かすみ
を食っては生きられないし、幻の女を抱いても、子供は生まれない。「神」を
煮て食うことも、衣服にして寒気を防ぐこともできない。人間の五感は、人間
の生存のために、「実在」と「非実在(空想)」とを区別するための必須の器
官。
「在るでも無いでもない物」など存在しない。人類は、五感により物の「実在」
「非実在」を判断しながら、今日まで生存を続けているのである。どんなに偉い
宗教者でも、飯を食うとき、目の前に見える飯が「在るでも無いでもない物」
などと考えて食うものは一人もいない。腹が減っていればかぶりつく。釈迦も
同じだったはず。スジャータの例で、明らか。
ある物質の実在が証明されるのは、それが五感で知覚された時である。それ以前に
実在したことを「証明」することは出来ない。あくまで、知覚できる物質からの
「推測」に過ぎない。
以上は、日常生活での観察から容易に機能できること。例外は「皆無」である。
仏陀が「世界を空と観ぜよ」と言ったのは、世界(現象界)の実在を前提とする
からこそ、「世界」「観ぜよ」という言葉を使ったのである。
「縁起・空」の完全な誤解である。それとも釈迦が、そんなアホなことを言った
とでもいうのかね。
579 :
一在家:2009/06/30(火) 12:08:51 ID:Nkr942VU
>>564 旧7氏にまず感謝
>一在家が新しく引っ張り出した『大譬喩経(漢訳阿含名「大本経」)』から。
>20 比丘たちよ、この【法則】があります。すなわち、菩薩が母胎に入っているとき、
>菩薩の母は、【自然に】、戒をそなえ、殺生を離れ、盗みを離れ、邪婬を離れ、
>妄語を離れ、怠惰の原因となる穀酒・果酒を離れています。
(創価?訳と比べて酷い言われた)私の手許の法華経訳だと、菩薩だけは
入胎〜出胎まで意識(知覚)があるので、菩薩の母にも相応しい精神状態に
なるのかも知れませんね。
目連や舎利弗でも出胎時には意識も無いそうですが。
さて、創価以外の法華経訳だとどうでしょうか?
580 :
一在家:2009/06/30(火) 12:15:40 ID:Nkr942VU
凡夫の場合は五感で「実在」を認識します。
釈尊を初め修行完成者は第六感も含めて認識していたのでは
ないかと思量します。
その根拠は、手元の法華経でも「仏の眼で見れば」という記載が
あるからです。
「人の眼でない」から「人の眼では見えない」存在が見えた
のではないかと考えます。
581 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:15:43 ID:aixqJzdE
>>579 >菩薩だけは入胎〜出胎まで意識(知覚)があるので、菩薩の母にも相
>応しい精神状態になるのかも知れませんね。
「自己の願望」のあまり、経験的に立証できないことを軽々しく語って、
釈迦を、「夢遊病者」「妄想患者」扱いしてはならない。
582 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:18:05 ID:ij0Yx+ti
>>578 スル〜するのが最良なんでしょうが。
この人にではなく同様の思考法をする人のために。
>数億年前の動物の骨の化石は「生じては滅している」のか。
譬喩で言いましょう。マクロの物理学では実在しているというでしょう。
しかし、ミクロの物理学では実在するとは言わないでしょう。
「限りなく静かな状態でゆらいでいるエネルギー場」は、そのように安定しているからです。そして観測によってそのように立ち現れるというのではないでしょうか?
私は物理学はよく知りませんから、あくまで譬喩です。
縁起にでも同じことです。ただそのように「生じては滅し」ながら安定している。
しかも、それは自立的に実在するのではなく、観測者によって「数億年前の動物の骨の化石」と認識される。
「幻の女を抱いて」幻の「子供」が「生まれ」のであって、
実在するなら、始めから子供はそこにいるし、何も干渉できない。
>仏陀が「世界を空と観ぜよ」と言ったのは、世界(現象界)の実在を前提とする
>からこそ、「世界」「観ぜよ」という言葉を使ったのである。
ただの有の信仰表明ですね。
もし、ただ常識に基づき生命として生きることが仏教なら、
なぜ、出家して三昧行などをするのでしょう。
なぜ、釈尊は普通に生活して何も変えることなく適当に妥協して行くことを教えないのでしょう。
あなたは全く何も分かってない。仏教についても現代思想についても、
つまんない常識と、インチキ本の知識に、詭弁を加えただけですよ。
なんで、ここにいるのかキリスト教への怨念なら別の所で晴らしてください。
583 :
一在家:2009/06/30(火) 12:18:39 ID:Nkr942VU
>>581 「自己の願望」ではなくて、そういう訳があるということです。
若干の思考を加えましたが。
584 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:28:32 ID:aixqJzdE
>>582 君は、幻の(五感で知覚できない)飯を食べて生存し、幻の(五感で知覚でき
ない)パソコンを使ってその書き込みをしたのかねw。それが出来てから、そ
の発言をしてくれw。
釈迦は、君のような「妄想患者」ではなかったはずだよ。
精神医学では、「妄想」とは、「現実界との接触の喪失」をいう。精神病の症状
として、治療の対象となる。
585 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:35:34 ID:aixqJzdE
>>582 >インチキ本の知識に、詭弁を加えただけですよ。
それはまさに、君たち宗教者に、そのまま当てはまること。
私は、「本で読んだ他人の借り物の見解」は、一言も述べていない。同じことを
言っている本があれば、挙げてくれ。
586 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:37:38 ID:ij0Yx+ti
>>584 私の言う「幻」釈尊の仰る「虚妄」あなたの言う「現実」全て同じです。
違うのはあなただけが、それを実在し実体をもって自立的にあると思ってること。
このような見方をするものを凡夫と呼び、仏教について表面的な部分しか評価できないと
釈尊が自ら『梵網経』で仰られているのをよく確認してください。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html 精神医学では、上の凡夫が正常で、三昧体験のある外道や仏教徒は精神病者ですね。
そういう現代の常識に生きたければ、仏教を無視すればいいだけです。
なんでここにいつづけるのかな〜
まあ、寂しいんでしょう(^^)
587 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:48:15 ID:aixqJzdE
>>586 釈迦は「幻・虚妄(五感で知覚出来ない)」飯を食って生きていたのかね。
釈迦が生き返ったスジャータのミルクは、釈迦にもスジャータにも見えない
ものだったのかね。その事実の有無が、すべてを証明する。
人間界の真理とは、圧倒的多数の凡夫にとっての真理である。一握りの
精神障害者にとっての真理ではない。
588 :
旧7:2009/06/30(火) 12:51:00 ID:d++bnWPY
本物の体裁は↓。 勿論縦書き。564の【 】は引用者が付加。本文には無い。
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大蔵出版の方は脚註に漢数字、巻末にアラビア数字の註。季刊の方はアラビア数字で脚註のみ。
やたらと長いものなどが、巻末に補註されているようだ。
589 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 13:01:22 ID:ij0Yx+ti
>>587 >釈迦は「幻・虚妄(五感で知覚出来ない)」飯を食って生きていたのかね。
「五感で知覚出来ない」なら、そもそも「幻・虚妄」じゃないだろ。
>人間界の真理とは、圧倒的多数の凡夫にとっての真理である。一握りの
>精神障害者にとっての真理ではない。
アルゲマイン・ギュルティヒカイトとかユニヴァーサル・ヴァリディティという普遍妥当性と法性・縁起・空を考えても結構です。
例えば生まれれば必ず死ぬとかも法性・縁起・空というから。
ただ仏教の普遍妥当性は、凡夫の状態では知覚・体感できないものもある、
しかし、真剣に行すれば遠からずして知覚・体感可能だというのが仏教ですね。
590 :
旧7:2009/06/30(火) 13:09:36 ID:d++bnWPY
591 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 13:21:48 ID:aixqJzdE
>>589 >「五感で知覚出来ない」なら、そもそも「幻・虚妄」じゃないだろ。
不特定多数の健常者の五感で知覚できる物を、「幻・虚妄」と信じ込んで
止まないことを「妄想」と呼ぶのだよ。仏陀は、妄想患者だったのかね。
>真剣に行すれば遠からずして知覚・体感可能だというのが仏教ですね。
それは、正常ならざる条件下において人為的に作り出された「変性意識」
という「精神障害」の症状に過ぎない。オウムとどこが違う?
少なくとも日本では、圧倒的多数の佛教信者は、在家信者であり、行など
一切やらない。「佛教の中心思想」を日常生活において活用している。
彼らは「佛教信者」ではないのかね。
592 :
偽本尊:2009/06/30(火) 13:35:38 ID:guWZORBQ
>591
君の考えている<幻>と、仏典の<幻>の意味が違うということを、散々周りの人が指摘しているとおもいますが、釈迦は<存在>を否定しているのではなく、その<存在>も永遠ではないという意味で<幻>と言っている。
そう理解できれば「幻を食っているのか?」などという的外れな質問にはならないでしょう。
593 :
一在家:2009/06/30(火) 13:40:50 ID:SMHo3TbZ
>>580 自己レス
>その根拠は、手元の法華経でも「仏の眼で見れば」という記載が
>あるからです。
>「人の眼でない」から「人の眼では見えない」存在が見えた
>のではないかと考えます。
普通の信仰者(在家信者)の場合は、そのまま信じる場合も多いでしょう。
仏教哲学者はそのようなことは無いと頭から否定するでしょう。
その他の仏教徒ならば、「関係性」で説明ができる譬え話だろうと考えるかも。
594 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 14:04:35 ID:ij0Yx+ti
>>592 ありがとう。そういうことです。
>その<存在>も永遠ではないという意味で<幻>と言っている。
自立的でなく、実在でなく、実体でなく、縁起して認識されているだけのものということです。
もちろん、日常生活ではそれを他人に幻とは言いません。
あくまで仏教の意味、聖者の意味でということです。
ここはそういう場だと思ってます。
>>592へ補足。
>>591 単にスパンの長短でしかないということだ。
色ならば、集まり・グループのように見えても、すぐに拡散してしまう「煙」、
それよりは長いが、すぐに弾けてしまう「シャボン玉」、麦茶に加えられた「氷」、
庭に撒いた残飯の「米粒」、いずれ蒸発するお供えの茶碗の「水」、
いずれ消えるすりむいた膝小僧の「傷」、いずれは棺桶に入ることとなる「ヒト」、
削られ、深くなる大峡「谷」、流域を変化させる「河」、天気により現れたり消えたりする「水道(みずみち)」、
地形を変えつつある「地球・大地」、挙げていけばキリが無い。
≪とどまっているモノ、とどめおけるモノなぞ一つも無い≫ というのが仏家のスタンスなんだよ。
概念、観念、名称等ならば、「国」や「故郷」、「主義、思想」、「価値観」或いは「価値」等等。
心ならば、一瞬の「痛み」、少し引き摺る「後悔」や「喜び」、長期間護持できる「信念」「決意」「覚悟」等等。
≪とどまっているモノ、とどめおけるモノなぞ一つも無い≫ というのが仏家のスタンスなんだよ。
だから、「幻」であり「虚妄」であり、泡沫の如きものなんだよ。しがみつくべきものではないということだ。
『固定した恒常なるもの』との『対義語』として用いられているわけだ。
(この構図さえ理解できれば、別に目くじらを立てるほどの言い回しでもあるまいに・・・。)
「いつまでも、あると思うな、名と色」ってな。
596 :
一在家:2009/06/30(火) 14:28:19 ID:SMHo3TbZ
量子力学の話が出たので少し思考してみました。
人間をどんどん拡大してその構成要素を調べていきますと「波」
になりますか。
人間→細胞→分子と電子→素粒子→波
宇宙→星屑→分子と電子→素粒子→波
さて、「波」となりますと現代の先端科学技術でも測定できなく
なります。
要するに「五感」で感じられないから、現実世界とは言えないかも
知れませんね。
ブラフマン(梵天、神)も波のような性質であれば、常住?していても
現象世界では感知できないので「無常」でしょうか。
仏は「波」と波長を合わせて交流できたのかも(仮説です)。
少し似た事例ではロボットの人工知能(ソフトウェア)も質量は零です。
外部との関係性にて変化する電子の「相」に過ぎないでしょう。
また電子頭脳同士は言葉(音波)を使わずに交信できます。
597 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 14:50:41 ID:SWePSAtr
>>590 >>572です。どうもご丁寧にありがとうございます。
お手数かけました。出典だけきちんと書いていただければ
図書館で原本参照できると思いますので・・・。
古典本の体裁としては標準的な本ですね。
こんど図書館に行って片山訳の仏典を検索してみましょう。
598 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 15:04:16 ID:SWePSAtr
>>596 >要するに「五感」で感じられないから、現実世界とは言えないかも
>知れませんね。
仏教論理学(因明)でも判断手段は「五感による五識=現量」だけでなく
「意識による推測=比量」が認められています。
五感による五識は現在の神経科学でいえば感覚+知覚であり脳の意識
作用が含まれています。
量子力学でも素粒子の様な理論的(抽象的)存在を認識するのは意識(知識)
による思考を通してであって五感だけによっているのではありません。
というより物理的存在は五感では把捉されない「情報」でしょう。
妄想や幻想でない情報処理は意識を持たないコンピュータでもできるでしょうね。
599 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:01:32 ID:xFzLxH+k
>>592 >君の考えている<幻>と、仏典の<幻>の意味が違うということを、散々周りの
>人が指摘しているとおもいますが、釈迦は<存在>を否定しているのではなく、
>その<存在>も永遠ではないという意味で<幻>と言っている。
「仏典の<幻>の意味」などと言ってみても、仏典もその解釈も「無数に」あ
るのだから、一概には言えない。
「散々回りの人が指摘している空」は、少なくとも、「八宗の祖」の言ってる
「空」とは大幅に異なっていることは確かだね。
そもそも「永遠ではない人間」が、「永遠」など語ること自体が、妄想以外の
何物でもないのでは。
600 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:01:51 ID:SWePSAtr
>>570 >無=非存在。非存在は何も生みません。
インド哲学では「無」は存在するとしている。仏教哲学でも同じだね。
無の否定は非無であってすなわち有だね。
有の否定=非有は無でよい。
だから、論理的に「有」と「無」の2項関係を作ると、いわゆる四句分別で
考えなければいけない。これはブッダが縁起の理法に気づいたとき
すでに気づいていたことだね。
これを徹底的に使いこなしているのが中論ですね。
有・無の四句分別(肯定論理で書いておく)
1.有である。(無でない)
2.無である。(有でない)
3.(有かつ無)である。
4.(有かつ無)でない。
現代の形式記号論理で言えば「否定(¬)」と「論理積(AND)」だけで
すべての論理が構成できることに相当する。
(NANDゲートですべての論理回路が原理的に構成できること)
さらに、存在する「無」を5種に分別する。
1.先行無・・・「いまだに〜がない」(未来)
2.破壊無・・・「もはや〜がない」 (過去)
3.交互無・・・「〜でない」(無我=我でない)
4.関係無・・・「〜に〜がない」(おれ、そんなの関係ない!)
5.絶対無・・・「(矛盾するから)ありえない」(ウサギに角はない)
有無の存在のありかが「虚空」となる。
601 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:15:15 ID:ij0Yx+ti
>>599 >「散々回りの人が指摘している空」は、少なくとも、「八宗の祖」の言ってる
>「空」とは大幅に異なっていることは確かだね。
その根拠はなんでしょう?
私は龍樹菩薩の仰る通りに解釈しているつもりですが、
龍樹菩薩と釈尊の仰る内容に矛盾なく、私が読んだ範囲ではスッキリ明瞭に合理的なんですが。
602 :
一在家:2009/06/30(火) 16:19:05 ID:Nkr942VU
>>598 >というより物理的存在は五感では把捉されない「情報」でしょう。
>妄想や幻想でない情報処理は意識を持たないコンピュータでもできるでしょうね。
貴兄はNAND回路まで例に出すスマートな人だと思います。
近い将来、鉄腕アトムのように知覚を持ち思考するロボットが作られますが、
「意識」を持たないコンピュータと言えますか?
素子や部品も人間のような有機材料で構成されるかも知れませんね。
魂(アートマン)を無条件で否定する方々は、人工知能ロボットと対面した時に
人間(自身)の尊厳さをどう見出すのだろうかと思う時があります。
情報処理能力や記憶力では勝負になりません。
演繹法や帰納法のようなロジカル推論では彼は非常に優れております。
603 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:23:11 ID:ij0Yx+ti
>>600 四句分別は石飛先生解釈が圧倒的というか、それ以外の解釈はよく分からないというものだったと思います。
四無はシュローカヴァールッティカに見られますが、五無というのは何が根拠なのでしょうか?
604 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:29:54 ID:xFzLxH+k
>>595 >≪とどまっているモノ、とどめおけるモノなぞ一つも無い≫ という
>のが仏家のスタンスなんだよ。
そんな、どんな「凡夫」でも考え付く自明のことではなく、それらの
変化が「もろもろの相互依存性・関係性から生じている」という原理に
思い至らなければ、佛教思想など無意味。
605 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:41:30 ID:ij0Yx+ti
>>602 >魂(アートマン)を無条件で否定する方々は、人工知能ロボットと対面した時に
>人間(自身)の尊厳さをどう見出すのだろうかと思う時があります。
>
>情報処理能力や記憶力では勝負になりません。
>演繹法や帰納法のようなロジカル推論では彼は非常に優れております。
チェス王者にコンプが勝ったことがありましたね。
ある神経生物学者は、ニューロン・システムが人間ほど複雑ではないから、
今のコンプに意識はなく、将来、技術が進めば意識は発生すると言います。
これに対してアラン・チューリングのテストと、サールの中国人の部屋の論争があります。
中国人の部屋は意識の無いプログラムでも意識を真似できることを示しています。
チェス王者にコンプが一度、勝ったことも同じことでしょう。
しかし、そういった還元主義や意識が第一原因から発生、創発するという考えは、
仏教の縁起に反する実在論、実体論、本質主義以外のなにものでもないでしょう。
606 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:44:21 ID:ij0Yx+ti
>>604 ああ、実在縁起論、関係性さんですか(^^)
じゃ、無意味ってことで、さようなら。
607 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:47:30 ID:xFzLxH+k
>>605 >しかし、そういった還元主義や意識が第一原因から発生、創発するという考
>えは、仏教の縁起に反する実在論、実体論、本質主義以外のなにものでもない
>でしょう。
同意。この佛教スレで、初めて仏教者らしい発言w。
608 :
偽本尊:2009/06/30(火) 16:48:55 ID:guWZORBQ
>599
仏典の解釈も無数にあるとおっしゃいますが、今問題にしているのは、「世間を空なりと観ぜよ」に関連して、世間を<幻>と表現しているところの<幻>の話をしているので、その解釈は無数にあるとはいえないでしょう。
第一、他の解釈をここでは誰も主張していません。
縁起という理法を知っていれば、「無常だから<幻>である」と表現することに問題は無いはずです。
609 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 16:52:07 ID:xFzLxH+k
>>606 よほど「関係性」が嫌いらしいね。何か都合の悪い事でもあるのかねw。
竜樹、いや佛教の中心思想は、煎じ詰めれば「関係性」。佛教哲学では、
そう解釈しているのだが。
610 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 17:02:08 ID:xFzLxH+k
>>608 「無常だから(変化するから)<幻>である」という結論は、論理的には
出てこない。「(一瞬でも)変化しない間」は、<幻>ではないのだから。
「変化」という言葉は、「変化しない状態」を前提としている。
611 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 17:37:20 ID:SWePSAtr
>>603 >五無というのは何が根拠なのでしょうか?
ヴァイシェーシカ学派の慧月の「勝宗十句義論」だそうです。
(石飛さんの先生の宮本さんの本からの受け売り)
612 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 17:54:34 ID:SWePSAtr
>>611 >(石飛さんの先生の宮本さんの本からの受け売り)
名前が間違っていた。
宮本さんではなく宮元さんで、石飛さんとの共著だった。
(「ビックリ!インド人の頭の中」講談社選書メチエ)
613 :
偽本尊:2009/06/30(火) 18:02:59 ID:guWZORBQ
>610
言葉(記号)の定義で、合意できていないので、どちらかと言えば、論理学以前の問題だと思います。
目に見える世間は漠然と変化しないと思っている人に対して、
世間は無常だから、変化しないものは無い=変化しない世間は幻、
と言っているのですが。
614 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 19:07:14 ID:xFzLxH+k
>>613 別に、定義を要する言葉はないと思うが。
竜樹は、変化するから空ではなく、「無自性」だから空と言っているのでは
ありませんか。
変化するものは、自性はあるということですよ。
615 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 19:43:01 ID:SWePSAtr
>>602 >近い将来、鉄腕アトムのように知覚を持ち思考するロボットが作られますが、
>「意識」を持たないコンピュータと言えますか?
ここでいう「意識」とは「心」のことでしょうね。
哲学で言う「他者の心の有無」いわゆる「他心問題」ということでしょう。
私は「他心」とはわたしの心と比較して類推し共感しているだけだと思います。
私に「心」があれば他者の心も認められるということ。
「たまごっち」にも生命や心があると認める子供たちは多いですね。
「サンタクロースが本当にいる」と信じている子供たちとおなじ心理でしょう。
>魂(アートマン)を無条件で否定する方々は、人工知能ロボットと対面した時に
>人間(自身)の尊厳さをどう見出すのだろうかと思う時があります。
「心」と魂(アートマン)はまったく別でアートマンは無くてもなんらかまわない。
個人の尊厳は魂ではなくこの世で無ければ生きていない一回性の「生命」の尊厳だと
思います。
個人のこの生命はかけがえの無いものだから尊いのです。
「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。
己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
616 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 19:55:03 ID:UZIElhS1
617 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:16:57 ID:SWePSAtr
>>614 >変化するものは、自性はあるということですよ。
あれ?
中論は自性があったら変化しない。
無常(変化する)なら無自性=空で無ければならない、としているのではないか?
618 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:22:19 ID:ij0Yx+ti
>>607 その言葉を経典通り理解すれば、あなたのような実在縁起は誤解だと分かるはずですが、
>>609 関係性では意味射程が狭いって、一面のみしか表していない。
じゃ、その関係性を理解することと、三昧に入って関係性を観ることから、
どうして悟りや解脱がもたらされるわけ?
縁起というのは、ただの思想ではないんですよ。
619 :
一在家:2009/06/30(火) 20:23:41 ID:cYSJgCCN
>>605 >ある神経生物学者は、ニューロン・システムが人間ほど複雑ではないから、
>今のコンプに意識はなく、将来、技術が進めば意識は発生すると言います。
>>615 >個人の尊厳は魂ではなくこの世で無ければ生きていない一回性の「生命」
>の尊厳だと思います
人の中枢神経全体の神経細胞の数は1000億と2000億の間と言われて
おりますね。
20年以上前にこの数を聞いた時には膨大な数だと思いました。
でも1000億は2の32乗、1個を1ビットとしますと、16メガバイトに
なります。
先日店頭でその125倍の2ギガバイトのSDメモリを千円で買ってきました。
更にニューロンは短期記憶は苦手で、電子素子に比べて、桁違いに遅いです。
また脳の数パーセントしか使われていないのが定説です。
さて、一回生の「生命」の尊厳は、犬でも蚊でも紫陽花でも同じでしょう。
620 :
一在家:2009/06/30(火) 20:24:44 ID:cYSJgCCN
脳をベースにする限り、意識、感情、理性、記憶等は全て脳神経上での電子の
状態(相)に過ぎないことになります。
人工知能ロボットもまた判断、記憶を電子回路上での電子の状態(相)で
行なっております。
学習機能をプログラムされている場合は、経験を積み重ねながら人工知能も
変化していきます。 所謂、「無常」ですね。
チェスロボットの場合は、産みの親(プログラマー)よりもチェスの腕は
遥かに上回ります。
人が神の似姿ならば、知能ロボットは人の似姿でしょうか?
なお私は、脳のことを各種センサー付きの無線LANとモデル化しております。
本体(真我、またはアートマン)は別にあると。
621 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:30:06 ID:ij0Yx+ti
>>611 どうもありがとうございます。これですね。
T2138_.54.1264a02: 無説句義云何謂五種無名無説句義。何者
T2138_.54.1264a03: 爲五。一未生無二已滅無三更互無四不會
T2138_.54.1264a04: 無五畢竟無是謂五無。
勉強になりました。
宮元さんは、石飛先生の師ではありませんよ。
622 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:33:31 ID:xFzLxH+k
>>613 「無自性:
固有の本質(自性)を持たないこと。<有自性>の対。すべての事物(bhava)
は他のさまざまな事物や構成要素に依存しており、それゆえ固有の本質を欠い
ているという意味。竜樹は、「中論」第15章において「自性は他に関係せず、
作られない」と定義づけ、これにより、自性を欠いていることを意味する空と
無自性とは同義であるという。この定義によれば、他に関係するものはすべて
無自性であり、それゆえまた、他の事物に縁って生起することをさす縁起は、
必然的に空=無自性を含意するという。」(岩波佛教辞典)
「変化するものが空」などと言うと、下手すると、竜樹の「空」とは、反対の
意味になってしまいますよ。若し、竜樹がそう言ったのなら、竜樹の論理的誤
りでしょう。
623 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:35:53 ID:ij0Yx+ti
>>614 >竜樹は、変化するから空ではなく、「無自性」だから空と言っているのでは
>ありませんか。
>
>変化するものは、自性はあるということですよ。
この自性という意味は、実在、本質、実体といった意味なんです。
変化するものは実在でなく、本質でなく、実体でありません。
空だから全てが成立し、空でなければ全ては成り立たない。『中論』24-14
ただし、自性、実在、本質、実体といっても、ただの言語習慣としてなら、
用います。ここらへんが、なかなか分かっている方がいらっしゃらない。
624 :
絶対神:2009/06/30(火) 20:35:56 ID:2yaOBKyn
神と奇跡のある事は証明された3 (877)
真理が説かれたスレ。深く熟読せよ。
625 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:36:52 ID:ij0Yx+ti
>>616 申し訳ありません。それ以上は分かりません。
626 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:37:33 ID:ij0Yx+ti
627 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:39:20 ID:SWePSAtr
>>619 >さて、一回生の「生命」の尊厳は、犬でも蚊でも紫陽花でも同じでしょう。
そうですよ。
人間なんかどこがえらいと思ってるの。
地球にとっては人間は環境破壊のおおもとで迷惑この上の無い存在じゃないか?
これからはエコロジーですよ。
628 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 20:45:17 ID:ij0Yx+ti
>>622 >固有の本質(自性)を持たないこと。<有自性>の対。すべての事物(bhava)
>は他のさまざまな事物や構成要素に依存しており、それゆえ固有の本質を欠い
>ているという意味。竜樹は、「中論」第15章において「自性は他に関係せず、
>作られない」と定義づけ、これにより、自性を欠いていることを意味する空と
>無自性とは同義であるという。この定義によれば、他に関係するものはすべて
>無自性であり、それゆえまた、他の事物に縁って生起することをさす縁起は、
>必然的に空=無自性を含意するという。」(岩波佛教辞典)
この辞典の定義から
>>610や
>>614や下のような理解にどういう論理でなるわけ?
基本的に読む力がないとしか思えません。
>「変化するものが空」などと言うと、下手すると、竜樹の「空」とは、反対の
>意味になってしまいますよ。若し、竜樹がそう言ったのなら、竜樹の論理的誤
>りでしょう。
629 :
絶対神:2009/06/30(火) 20:50:35 ID:2yaOBKyn
私は、私のスレを読むと判るが。
「本当にアートマンにもなれるかもしれないよ」
さあ、きっちり私のスレを呼んでごらん。
関連スレまで含めてね。
630 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:00:00 ID:xFzLxH+k
>>617 >>中論は自性があったら変化しない。
>無常(変化する)なら無自性=空で無ければならない、としているの
>ではないか?
若し竜樹がそう言ったのなら、彼の論理的誤り。
「変化」とは、自性が変化することです。「無自性」なら、一体何が変化
するのですか。
631 :
旧7:2009/06/30(火) 21:03:15 ID:d++bnWPY
同じ術語、同じ言葉を、
全く別の意味で使い合ってるんだから、噛み合う筈がないwww
632 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:05:29 ID:xFzLxH+k
>>628 「無自性=空」なら、変化する主体がありません。
佛教の「悟り」「解脱」とは、「空(無自性)」を悟ることではないの
かな。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:07:26 ID:ij0Yx+ti
>>630 >「変化」とは、自性が変化することです。「無自性」なら、一体何が変化
>するのですか。
何かという基体、実体、本質がないから、縁起できるんです。
縁起するから、空なんです。あなたはこれが分かっていない。
その辞書がいっていることも同じなのに全く逆に読んでいる。
一体、どう読んでいるのか?
しかも、
>>607のように発言するとはどういう論理なのか?
縁起、空、無自性などは観念のみのことと捉えているのかな?
634 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:11:10 ID:ij0Yx+ti
635 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:12:32 ID:SWePSAtr
>>632 >「無自性=空」なら、変化する主体がありません。
そうですね。
主体が無いから変化できるのですよ。
主体ががんばってたら変化できないでしょ。
実体の属性は「常・一・主・宰」といわれます。
主体(主)があってそれが他を支配(宰)するならそれが
自性をもった「実体」となるでしょう。
636 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:19:28 ID:s8ZQyhWh
一切の客体の実在性を否定することは、
客体の一部を我と見なしてして同一化することによる苦しみを超えていくための第一歩であり、
「偽りの我」を否定して真の我(アートマン)に向かうための優れた修業プログラム。
637 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:24:35 ID:xFzLxH+k
>>633 「空の概念の解釈をめぐって、近年、一部の専門家は激しい議論を闘わ
せており、学界の共通理解と言えるようなものはほとんど存在しないの
が現状である。それらの議論は、一面ではきわめてテクニカルな細部に
こだわったものだが、同時に非常に根本的な理解の相違を示すものでも
ある。その相違は、ひとことで述べるなら、空を現実肯定的な意味を持
つものと捉えるか、あるいはその逆であるか、ということに帰するだろ
う。それはまた、佛教をどのような宗教と考えるか、という、巨大な問
題とも直結する。」(「事典 哲学の木」より)
638 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:30:44 ID:ij0Yx+ti
>>636 それはヒンドゥーの道であって、仏教ではありません。
>>637 たしかに空の解釈は多様だけど、それと岩波仏教辞典のあの記述は、
私やSWePSAtr さんの理解と同じですね。
岩波仏教辞典を根拠にあなたはどう理解してるのか?
自分の誤解を修正するチャンスだよ。
639 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:36:22 ID:xFzLxH+k
>>633 >何かという基体、実体、本質がないから、縁起できるんです。
だったら、「変化」という言葉は、使うべきではないね。「変化」は、
「主体の存在」を前提とする。
「縁起」という言葉に、囚われすぎているのではないか。
640 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:46:16 ID:ij0Yx+ti
>>639 ただただ、あなたが無理解なだけ。
だから関係性とか因果関係だけの意味ではないと、
なんでそんな初心者用の辞典を読んだだけで、自分が完全に理解していると思えるの?
これだけ矛盾指摘されてるのに。
641 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 21:52:53 ID:xFzLxH+k
>>640 完全に理解している人など、どこかにいるのかなw。
「学界の共通理解といえるようなものは、ほとんど存在しないのが現状
である。」
>>637
642 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:06:00 ID:ij0Yx+ti
>>493 自性とはそういうもんだ、馬鹿。
ちゅうか自性とはどういうものかわからんのに
うだうだ文句いってんじゃねぇよ。
お前の論法は、原始仏典には自性と言う単語が出てこないから、
ゴータマは自性について語っていなかったというトンデモじゃないか。
何度も出しているウダーナの
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
という文言は、自性の性質を語り、そういう境地があるからこそ、苦しみでしかない
生じたもの、生成したもの、つくられ形成された縁起によるこの世界から脱することに
なると、ゴータマは言ってるんだよ。このウダーナの経文も、中論にかぶれた
末法仏教徒にかかれば、これは中道の事を言ってるんだべ〜となるから笑える。
このアホ共は、いかに自分達が本質的には全く意味の無い言葉遊びに過ぎない
偽論で悦に入っている愚か者か、気づかないでいる。馬鹿につける薬は無い。気の毒な
人達だ。
644 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:14:32 ID:s8ZQyhWh
仏教が一切の客体の実在性を否定しているとしても
真の主体(真我,アートマン)は否定できていない(できない)と思う。
否定できるものは、常に客体としてあるものだから。
646 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:25:55 ID:s8ZQyhWh
>>645 思考は客体。思考に同一化しているエゴは、ここで言う主体じゃないですと。
647 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:28:53 ID:ij0Yx+ti
>>643 まだ出てくるのかw
ほら、言ったとおり自性という言葉を用いるのは部派以降
しかも意味もまったくアートマンや実在、涅槃という意味ではない。
よく読んで、もうこないように。
>>564 >>567 君が分かってるのは実在と仮象という類型だけだから。
それってたいしたもんじゃないだよ。
(^^)の変な顔文字使ってる末法仏教徒は、人の話を全く理解していない。
突き詰めていうと、我々がアートマンとよぶ自性も、存在している状態のときは
縁起で成っているので、見方によると、無自性な空であるが、見方を変えると
それは単独で存在しているとも言えるので、自性ともいえると言ってるんだ。
まさに中道だ。この話を理解できると、ゴータマが、なぜアートマンを
明確に否定することもしなければ、一切は無常であり、無我であるかを説いた
矛盾を理解するだろう。だがこの顔文字(^^)を使う、この馬鹿はこのことを全く理解していない。
外道はどうみても、断滅論者でありながら、中道を使った不可知論を使った
詭弁論で、自分達の話をごまかす、おまえのほうだ。ちゅうかよ、なにが瞑想時に
得られる縁起感が悟りだよ。それは見る者を知るということだ。我々は見られる者。
両者は縁起によって成る。見る者がいてこそ天地万物は成り立つ。これが瞑想時の三昧時
に得られる、縁起観による悟りだ。お前の言っている縁起観とはまるで違う。
見る者を知らないお前の言う縁起観は、知っても何も意味が無いものだ。おまえのいう
縁起観などくその役にも立たないものだということもおまえは気づかない。
おまえのいう三昧時に於けるお前の理解する縁起観など、瞑想時に知ったところで、
今生においてくその役にも立たない、全く意味のないものだ。え?それを知ると、今生において
苦の滅が得られる打と?寝言は寝てから言え。おまえらの悟りは、単純に薬でも決めてりゃ
それで済む話ばかりじゃないかよ。末法仏教徒が、誰に意見してやがる。
>>647 現代のバラモンがまた正しく法を説く者の口を閉ざそうとしている。
おまえさ、お前らの仏教は何の意味も無いことくらい、早く気づいたらどうだ。
実際お前らの仏教は、本質的には全く意味が無いんだからよ。
それすら気づかないなんて、きみらのおつむは真におめでたい。
世の中お勉強はできても、馬鹿はたくさんいるものだ。
650 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:41:33 ID:ij0Yx+ti
>>648 >突き詰めていうと、我々がアートマンとよぶ自性も、存在している状態のときは
>縁起で成っているので、見方によると、無自性な空であるが、見方を変えると
>それは単独で存在しているとも言えるので、自性ともいえると言ってるんだ。
>まさに中道だ。この話を理解できると、ゴータマが、なぜアートマンを
>明確に否定することもしなければ、一切は無常であり、無我であるかを説いた
>矛盾を理解するだろう。だがこの顔文字(^^)を使う、この馬鹿はこのことを全く理解していな
だから、それは実在と仮象といわれる洋の東西を問わない古典的な発想なの。
君は神秘的結婚とかいうんだろうが。
そういう発想は『梵網経』できっちり解脱・涅槃に至らないと釈尊は仰られてるんですけど。
>>650 梵網経のどこのどこが俺の話では涅槃に至らないとなるのか
説明してもらおうか。
652 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:45:48 ID:ij0Yx+ti
>>648 >外道はどうみても、断滅論者でありながら、中道を使った不可知論を使った
>詭弁論で、自分達の話をごまかす、おまえのほうだ。ちゅうかよ、なにが瞑想時に
>得られる縁起感が悟りだよ。それは見る者を知るということだ。我々は見られる者。
>両者は縁起によって成る。見る者がいてこそ天地万物は成り立つ。これが瞑想時の三昧時
>に得られる、縁起観による悟りだ。お前の言っている縁起観とはまるで違う。
>見る者を知らないお前の言う縁起観は、知っても何も意味が無いものだ。おまえのいう
>縁起観などくその役にも立たないものだということもおまえは気づかない。
>おまえのいう三昧時に於けるお前の理解する縁起観など、瞑想時に知ったところで、
>今生においてくその役にも立たない、全く意味のないものだ。え?それを知ると、今生において
>苦の滅が得られる打と?寝言は寝てから言え。おまえらの悟りは、単純に薬でも決めてりゃ
>それで済む話ばかりじゃないかよ。末法仏教徒が、誰に意見してやがる。
断滅論ではないね。無始以来の輪廻を認めてるんだけどな。
そして三昧中の縁起観は、律・大品、長部経典のほとんど、
その他、大乗・小乗を問わず様々な論書で、そう説いている。
そして外道は三昧だけで、縁起・空・無我を知らないから解脱できない
という点でも一致している。
誰に意見してるって、シッタカ自演、おこちゃまに決まってるじゃん(^^)
653 :
偽本尊:2009/06/30(火) 22:47:07 ID:guWZORBQ
変化するのは縁起の関係性です。
名称と形態は縁起している。
縁起しているから無常です。
無常だから無自性です。
変化しないものを自性といいます。
>>652 >そして外道は三昧だけで、縁起・空・無我を知らないから解脱できない
これのどこ俺の話に当てはまるんだ?むしろ俺の話は縁起、空、無我を知る
話だろう。おまえ、正真正銘の池沼か?
>>652 >無始以来の輪廻を認めてるんだけどな。
また言葉遊びが始まったようだな。縁起とは始まりがあるから終わりがある。
そういうもんだ。なにが無始だ。おまえは縁起の意味も理解しても無ければビックバン理論
も知らないらしい(苦笑)
656 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 23:00:56 ID:ij0Yx+ti
>>649 だから一緒にするなよ断見仏教の常識教や実在縁起とは違うだっての。
我が伝統仏教は、数々の解脱者を今でも沢山出してるんだけどね。
>>651 何回も言ってるんだが。ちゃんと読んでからものを言おうね。これを読め。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html >ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
>見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、
>如来をあるがままに賞賛し、正しく語ることになるであろう。
>
>この後、以下の六十二邪見が説かれます。
>1.過去に関する説
> 1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
> 2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
> 3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論)
このうちの1.-3.のどれかだろ。君の説は。
しかし、これだけでは解脱・涅槃に至らないというのが釈尊の見解です。
そして釈尊は次にこのように仰られる。
>ビクたちよ、これについて如来は次のように知る。『このように執着され固執された
>見解は、このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう』と。
常住論は、その三昧の境地に転生するだけで解脱しないと釈尊はハッキリとかれているでしょ。
まあ、これだけハッキリ指摘しても屁理屈こねるんだろけど。
657 :
暁:2009/06/30(火) 23:01:17 ID:Mz1UTq2m
不生も縁起なんだなぁ〜
変化を見抜いた釈迦は偉かった。
ただし、無相にして、妙有。
これが真なる空であり、中道であるのだ。
659 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 23:08:54 ID:ij0Yx+ti
>>655 なにも知らないだから困る。適当に自分の知識に合わせて仏教を語るなよ。
仏教で無始以来の輪廻以外に輪廻はない。
これは大乗小乗を問わず、一貫したものなんだけどな。
廣義法門經 (No. 0097) 0919b25 - 0922a23: 無間業流十五我今未作無始生死相續後際十六若不 雜阿含經 (No. 0099) 0018c20 - 0019a01: 塹云何超越境界謂究竟無始生死云何脱諸防邏謂有
雜阿含經 (No. 0099) 0069b03 - 0069c01: 獨園爾時佛告諸比丘於無始生死無明所蓋愛結所繋
雜阿含經 (No. 0099) 0069c02 - 0070a11: 時世尊告諸比丘衆生於無始生死無明所蓋愛結所繋
雜阿含經 (No. 0099) 0183c15 - 0183c26: 信根者作如是學聖弟子無始生死無明所著愛所繋衆
雜阿含經 (No. 0099) 0240b12 - 0240c24: 梨耶聚落四十比丘衆生無始生死無明所蓋愛繋其頸
雜阿含經 (No. 0099) 0240c25 - 0241a17: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死以來長夜輪轉不知
雜阿含經 (No. 0099) 0241a18 - 0241b08: 時世尊告諸比丘衆生於無始生死無明所蓋愛繋其頸
雜阿含經 (No. 0099) 0241b15 - 0241b23: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0241b24 - 0241c03: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0241c04 - 0241c11: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0241c12 - 0241c18: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0241c19 - 0241c26: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0241c27 - 0242a07: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0242b16 - 0242b29: 時世尊告諸比丘衆生於無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0242c01 - 0242c12: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0242c13 - 0242c27: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死長夜輪轉不知苦之
雜阿含經 (No. 0099) 0242c28 - 0243a05: 爾時世尊告諸比丘衆生無始生死増一阿含經 (No. 0125) 0650c12 - 0652b12: 汝當知之此髑髏者無終無始亦無生死亦無八方上下
>>656 > 1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
違う。我々が言うアートマンは、常住ではないしこの世界も常住ではない。
> 2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
これも違う。この現象世界によって成るものはなにひとつ常住のものはない。
それは我々の言うアートマン。見る者とて同じこと。
> 3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論)
これも違う。この世界はあくまで有限である。それは我々が言うアートマンも同じである。
だがそれらの根源と成るものは永遠である。それは在るともいえ、無いとも言える。
それの徴は、運動と、停止である。
おまえさ、人の話を全く理解してないんだよ。
661 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 23:12:37 ID:ij0Yx+ti
>>657 そう! 発生、生起という法が実在と考えた部派に対する破邪顕正です。
縁起なら、言語習慣としては「生じる」というけど、「発生」という実在や本質があるのではない、そういう現象を「生じる」という言語習慣で言うように慣れて、そう認識しているだけのことです。
662 :
ixtlan:2009/06/30(火) 23:16:49 ID:bZLjrypo
『パーリ仏典入門』では、中村元/宮元啓一の線は追えない。
あれは後の仏教との連続性を主張するもので、親鸞も日蓮も出てくる。
つまり、仏教はパーリカノンを元として一つである、という主張。
相応部の『無我相経』の扱いを見れば、宮元派はがっくりくる。
ただ、律蔵の大品は古い経とされているので、宮元の前提とは一致する。
663 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 23:17:06 ID:ij0Yx+ti
>>660 ほう、永遠と常住はどう違うのかな?
世界は現象で、永遠のいのちがアートマンじゃないのか?
それなら、2.に他ならないが、違うというなら、どう違うのか?
>>659 おまえよ、漢文でごまかさないで、日本語で話せよ、馬鹿。
そうだ輪廻は無始以来に在るといえばある。それは運動と休息があるからだ。
休息とは、息が休むこと。おまえさ、無始と気安く言ってるが、意味わかっていってんの(苦笑)
おまえ、輪廻は、無始以前からあるといってるが、それとビックバン理論との矛盾を
うまく説明してみろよ。言っとくが、今の宇宙にはもちろん始まりがあった。決して、無始じゃ
ねぇぞ。さぁ聞かれたことに答えてみろ。答えられなきゃ、知ったかは
お前のほうだということになるな。
そもそもバラモン教なるややこしいものがなければ、
常住など言わなくてもいいことだし、
真のアートマンは滅することもなく、常なるものでなく、
輪廻するものであるのだ。
解脱の話は、そうした形而上のことであり、
出家、在家問わず、関心があれば、万人に開けていたのだろう。
>>663 おまえは馬鹿だな。新参か?なら俺の今までの投稿をよく読め。
それでもわからなきゃ、おまえには智慧が無い。
>>665 真我も、肉の自我も、どちらも輪廻する。
生存には二つの境地がある。肉の自我は今の宇宙が滅びると共に滅びるが、
真我も一旦は滅びるが、見方を変えると滅びない。休息するだけである。
苦しみとは真我が、見られる者を自我だと混同することにある。
668 :
ixtlan:2009/06/30(火) 23:24:35 ID:bZLjrypo
梵網経って、五世紀に作られた大乗の「偽経」という話。
これ、他の長部経典とは匂いが違うんではないか?春秋社の第一巻しか読んでないけど。
原始仏教のスレでもそうだったが、無意味な漢文を羅列して
悦に入る馬鹿が多いな。あんなもの乗せたって意味ねぇんだよ。
ここにお勉強はできたかも知らんが、頭の悪い人達の徴がある。
670 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 23:39:07 ID:ij0Yx+ti
>>664 コピペで済むからな。漢文ぐらい読めよ。パ梵蔵とはいわんからw
ビックバンは仮説だろ。なんで事実として受け入れるんだ?
それと仏教は多元宇宙説だったり、ビックバンとビッククランチを繰り返すような、
空成住壊の四劫説もあるんだけどね。そのぐらいしっとけ。
今度は質問攻めか、ずっと質問して答えられなかったた勝ちってか。
お前は何度も論破されてんのにな。自演もハッタリもばれてるし。
無始の輪廻はあった。これで論破。
ビックバン説とも矛盾しない。これでまた論破。
まだ、やんのかあきらめろ、なんもしらないんだからw
>>666 質問には答えないはw 君の論なら実在と仮象で2.で決まりだ。
>>667 真我が輪廻したんじゃ、解脱しないな。その理論じゃ永久に輪廻だw
671 :
暁:2009/06/30(火) 23:39:11 ID:Mz1UTq2m
「問うて曰く、いかんが因縁を名付けて不生となすか。もし不生ならばいかんがしかも
説いて名づけて因縁となすか。もし因縁ならば、いかんが不生なる。もし不生ならばい
かんが因縁なる、その因縁を不生と名づくるごときは
、義、相応せず」
という論難に対して、
「答えて曰く。これは相応せず。もし因縁を説かば、則ち相応せず。もし体が是れ有る
ならば、いかんが因縁あらんや。先に有る以ての故なり。もし(先に体が)其れ無ならば
、則ち是れ無の法(実在しないもの)なり。いかんが因
縁あらんや。(もともと)無の法なるを以ての故なり。もしも無法に因縁あらば、是れ則ち
兎の角にも因縁を須(ま)たん。(その場合には)因は無体なり。物無きを以ての故に、虚
空の華のごとし。この故に義の道理が則ち成ず。因縁を思惟せば、則ち是れ不生なり。何
者か因縁ならん」
(下巻、大正蔵、30、49P)
これは縁起が生起を意味しているとする反対者に、もしも何かが実有ならば、実有なるも
のがさらに生起することは有り得ないわけで、生起するとはいえない。と答えている。
したがって「縁起」とは「不生」ですな。
あらゆるの事物を成立させている理法の意味である「縁起」が生起の意味であるはずがない。
生起は不可能。
終
おやすみ〜
672 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 23:40:39 ID:ij0Yx+ti
>>668 ただの誤解。同じ『梵網経』でも内容が全く違う。
パーリ『梵網経』はチベット訳もあり、漢訳名は『梵動経』
673 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 23:42:54 ID:ij0Yx+ti
>>671 そうそう。ただし言語習慣としての「子供が生まれる」とかはそのまま言うわけね。
>>670 おーお、この馬鹿は、ビックバン理論は仮説だと逃げたぜ。
おれはおまえらに論破された覚えは無い。妄想に生きるところは
いかにも空理空論の言葉遊びが全てなお前達末法仏教徒らしいやな。
>真我が輪廻したんじゃ、解脱しないな。その理論じゃ永久に輪廻だw
こいつは人の話を全く理解していない。ゴータマが説いた輪廻からの解脱は
肉の自我による生存のことだ、馬鹿が。
>無始の輪廻はあった。これで論破。
>ビックバン説とも矛盾しない。これでまた論破。
アホかおまえ、全然説明になってないんだよ、おまえ。具体的になぜそうなるのか
ちゃんと説明してみろと言ってrんだよ。なぜそうなるのか聞いてるのに
それに答えないで、単にそうだから論破。なんて強弁する何座、おまえ、頭おかしいんじゃ
ねぇのか。
>>670 >無始の輪廻はあった。これで論破。
>ビックバン説とも矛盾しない。これでまた論破。
>まだ、やんのかあきらめろ、なんもしらないんだからw
何度読んでも、馬鹿丸出しの反論だろ、こいつ。
全然論で答えられないくせに、妄想で論破してると思ってるよ、こいつ。
頭大丈夫jか?
676 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 00:04:23 ID:ij0Yx+ti
>>674 >こいつは人の話を全く理解していない。ゴータマが説いた輪廻からの解脱は
>肉の自我による生存のことだ、馬鹿が。
妄想だってことは分かる。なぜなら、そんな典拠はない。
また、自性みたいに説かれて無くても意味がそうだとてもいうのか?
書かれてない妄想を加えてw
オレは無始以来の輪廻、四劫の典拠を示した。
それで十分だろ。もう一つ付け加えるなら、縁起だからだ。
これで分からなきゃ仏教は永遠に分からないよ。
もう、妄想のグノーシス仏教説くのやめとけ。仏説に関する妄語は罪でかいぞ。
もう、君には答えんよ。
>>676 >オレは無始以来の輪廻、四劫の典拠を示した。
どれだ。アンカー出せ。あの漢文か?
なら、わかりやすい日本語訳で出せ。漢文でお茶を濁すのは
逃げなんだよ。お前の引用した漢文が、原始経典からきたもので、
比較的忠実に訳されているのなら、俺の話と矛盾しない。いつものようにな。
ちゅうか、早く、ビックバン理論と、お前の話の矛盾をうまく説明しろって。
お前の反論は、何の根拠も示さなければ出しても漢文でごまかすだけじゃねぇか。
そんなに論破されるのが怖いのかい?
>>676 で、お前の理解する、三昧時にみる、縁起観を知っていったい何の意味が
あんの?ちゅうか、所詮は苦の滅は、気の持ちようで終わる
お前らの末法仏教に、いったい宗教的に何の意味があるわけ?
おまえらの末法仏教は、全く意味が無い。そんなことにも気づかないおまえらは
とてつもなく、頭が悪いんだよ。
>仏説に関する妄語は罪でかいぞ。
さぁ、罪がでかいのはどちらのほうかな。
君らは自ら正しい智慧を放棄し、滅びへの道へと進むどころか、
他の人まで、命の門を通らせようとせず、滅びへの道へといざなっている。
君らの罪はでかいよ。その受け取る報酬は、永遠の滅びだ。
>もう、君には答えんよ。
な、こいつは逃げたろ。お前の負けだ。論破される気分はどうだ?盲人。
>>676 なぁ、お前の主張する三昧時に得られた縁起観を知ることが悟りだとして
その先なにがあんの?まさかそれを知ったら、今生における、また来世においても
苦の滅が得られると?アホかおまえ。そんなもんなら、わざわざ瞑想
しなくても、薬決めてりゃそれで済む話なんだよ!ボケ!!
盲人が、誰に意見してやがる。
681 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 00:41:49 ID:j7PYVD2m
>>648 この名無しを通す方はたぶん真言氏でしょうから、断滅論者ではないです(笑)。瞑想時の縁
起観という行が必要・・というのは、どうやら伝統仏教では重視してるようだということはネット検
索で分りました。
では、これが何んなのか?ということについては、黙して語らずの姿勢のよう(その姿勢も分ら
なくもない・・)。私的には、これがそんなに重視されていることからすると、これは理論(思考)で
はなく、瞑想中に起こる神秘体験なのではないかと思えますが?つまり、森羅万象の縁起してい
る様の実体、その本質の直知体験するということ。
まっ、真言氏は神秘体験というアプローチはお好きではないらしい(それは世間の誤解を呼び
たくないからか??)。しかし、このような神秘体験こそが理論と思考を超えたところにある真実
の悟りなのです。私が神秘「体験」を重要視するのはそういう意味からです。
何も超能力で興味を仰いだり遊ぶようなことからではありません。
682 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 00:43:39 ID:j7PYVD2m
>>643 >お前の論法は、原始仏典には自性と言う単語が出てこないから、
>ゴータマは自性について語っていなかったというトンデモじゃないか。
>何度も出しているウダーナの
>
>>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>
>という文言は、自性の性質を語り、そういう境地があるからこそ、苦しみでしかない
>
>生じたもの、生成したもの、つくられ形成された縁起によるこの世界から脱することに
>なると、ゴータマは言ってるんだよ。
私もこれに同意します。そんな大して変わりませんね!伝えようとする本質(意味)を解する
ならば、仏典に同じ語が出てこなくても、それが同じことを述べていることを理解できる筈です。
私的には、「生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある」と
は、サーンキャの「自性」(プラクリティ)と比較しても遜色ないものかと。
どうも、やはり伝統仏教は文字通りに受けて、文字通りに解釈しようという慣習なのだと思い
ます。確かにそれは、正確さを重視したい意図の現れだろうとは思いますが、どうやら、同じ言
葉でないともう解からなくなるようです。文字通りにしか読めない場合は原理主義の傾向を強め
ますが・・。それと、まだ仏典の場合には大部分において文字通りに読み解いても殆ど問題な
いし、そういう意味での文意は容易いでしょう。
その意味では聖書の象徴学と比喩を読み解くのはあまりに困難を極めます。真義を説く智慧
が与えられていないと、いくら読んでも到底無理であり、もしも文字通りに読んだりしたら、危険
で大変な原理主義でしょう。
683 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 00:45:23 ID:j7PYVD2m
>>643 >お前の論法は、原始仏典には自性と言う単語が出てこないから、
>ゴータマは自性について語っていなかったというトンデモじゃないか。
>何度も出しているウダーナの
>
>>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>
>という文言は、自性の性質を語り、そういう境地があるからこそ、苦しみでしかない
>
>生じたもの、生成したもの、つくられ形成された縁起によるこの世界から脱することに
>なると、ゴータマは言ってるんだよ。
私もこれに同意します。そんな大して変わりませんね!伝えようとする本質(意味)を解する
ならば、仏典に同じ語が出てこなくても、それが同じことを述べていることを理解できる筈です。
私的には、「生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある」と
は、サーンキャの「自性」(プラクリティ)と比較しても遜色ないものかと。
どうも、やはり伝統仏教は文字通りに受けて、文字通りに解釈しようという慣習なのだと思い
ます。確かにそれは、正確さを重視したい意図の現れだろうとは思いますが、どうやら、同じ言
葉でないともう解からなくなるようです。文字通りにしか読めない場合は原理主義の傾向を強め
ますが・・。それと、まだ仏典の場合には大部分において文字通りに読み解いても殆ど問題な
いし、そういう意味での文意は容易いでしょう。
その意味では聖書の象徴学と比喩を読み解くのはあまりに困難を極めます。真義を説く智慧
が与えられていないと、いくら読んでも到底無理であり、もしも文字通りに読んだりしたら、危険
で大変な原理主義でしょう。
684 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 00:48:26 ID:j7PYVD2m
二重投稿-失礼しました。
-----------------
>>462 >自分が、価値が、と言っている時点で、その人がいう大我など「飾り」でしかない。
>
仏教でいう「大我」
>>446とは、こういうことなんだそうですよ。
『大我---真我とは大我ともいわれ「パラマートマン」 (parama-aatman) であり、最高の
我の意味である。もちろん、この我は外道の我でなく、仏果の徳の上につけた名である。
すなわち涅槃といわれるさとりは真実であるからと、その悟りの世界はいっさいの繋縛を
はなれて完全自由であるからとの両面より、さとりのうえに大我の徳を認めるのである。』
(Wiki)
やや言い訳がましい説明?になっていますが・・涅槃後の完全で自由な最高の我?とい
うことらしい。ただし、それは「実我」(バラモンの説く我)ではないのだと・・。要するに、完
全で自由自在な最高の我(自己)ということですから、それならば、こちらとしては譲歩して
別に同意ということでも構わない・・。ただ「涅槃では我(自己)が無い」などというから全て
オカシクなるのです。
685 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 00:53:53 ID:1m4Pxzmi
>>681 >瞑想時の縁起観という行が必要・・というのは、
>どうやら伝統仏教では重視してるようだということはネット検索で分りました。
それはめでたいことです。
> では、これが何んなのか?ということについては、黙して語らずの姿勢のよう(その姿勢も分ら
>なくもない・・)。
なんなのか語れるならそれはブッダですよ。
私は、その境地を語ることはできません。その程度の人間です。
>私的には、これがそんなに重視されていることからすると、これは理論(思考)で
>はなく、瞑想中に起こる神秘体験なのではないかと思えますが?つまり、森羅万象の縁起してい
>る様の実体、その本質の直知体験するということ。
本質は、空です。無我です。それは言えます。
神秘体験ではありません。きっちり、行すれば必ず結果がでるものと言われます。
> まっ、真言氏は神秘体験というアプローチはお好きではないらしい(それは世間の誤解を呼び
>たくないからか??)。しかし、このような神秘体験こそが理論と思考を超えたところにある真実
>の悟りなのです。私が神秘「体験」を重要視するのはそういう意味からです。
> 何も超能力で興味を仰いだり遊ぶようなことからではありません。
そうですか。超能力信仰があるように見受けられますが(^^)
たしかに思考や言葉を超えた境地ですね。それは諸経論が一致しています。
686 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 00:55:24 ID:j7PYVD2m
>>461 >
>>451 >> ニルヴァーナ後も自己はない???
>> そうであれば、そんなものに何の価値があるのです?
>> それを知る(悟る)ことが解脱ですか?
>
>価値を求めている時点で、
>それが苦であることをあなたはまず知るべきではないでしょうか。
ゴータマは、“自己を捜し求める価値”について明確に説きました。
(これを説かない解脱者などはモグリです)
『その途中,密林のある樹木の下で瞑想していた時,一人の青年に出会った。この青年
は,友人と三十人で遊びに来ていたが,友人たちは夫人同伴だったのに,自分だけ独身
だったので,遊女を連れていた。ところが,遊んでいるうちに,その遊女が持ち物を奪って
逃げてしまったので,青年たちはその遊女を探し回っていたところ,釈尊に出会った。釈尊
はその様子を見て,青年たちに尋ねた。
青年たちよ,遊女を探し求めるのと,自己を探し求めるのと,どちらが勝れているだろう
か?青年たちははっとして,自己を探し求めるべきことに気づかされた。そして,ヤサに説
かれたのと同じ教えを受け,三十人の青年たちは出家した。』(AN.W.p.113/DN.V.p.252)
>>681 そう、縁起観を得ることが悟りなのですが、それは究極ともいえる
見る者と、見られる者との縁起観を得る直接智で得ることが、この世の理を全て知る
悟りです。彼らは仏典に出てくるからと、三昧時における縁起観を知ることが
悟りだと説きますが、彼らはそこで述べられる縁起観の本質も知らずに適当に
言ってるだけなんです。自性や、真我を認めない彼らの縁起観は、どこまでいっても
片手落ちで、それを知ったところで、だからなに?で終わってしまう話ばかりなのです。
本当の悟りとは、見る者を知ることにありますが、それでゴールではありません。
仏教の目的でもある、苦の滅を達成しようと思うのなら、己の業により
何度も何度も再生される迷いの生存であるこの肉の自我を再び再生しないことにあります。
それは、元から在った自分自身を取り戻すこと。キリスト教の言う復活とはこのことを
言うのです。そこに苦の滅がある。ま、末法仏教徒達にいくらいっても、無駄でしょうけどね。
688 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 01:01:46 ID:j7PYVD2m
>>506 >要するに、輪廻とは永遠の命だろう?
>それが尽きるのが涅槃じゃないのか?
>永遠のように見える命が尽きることが涅槃なんじゃないのか?
これは言い方の違いに過ぎない、といえばそれまでのことですが・・。通常、輪廻とは「生
死」の繰り返しを続けることであり、涅槃において「不死」を得るのです。この不死を「永遠
の命」という言い方も可能だとは思いますが、この場合の命を肉体生命として永遠に存続
すると見なす外教の見解との混同の問題があるということでしょう。
正しくは、肉体の存続そのものには特別の価値はなく、本来であるところの不死で永遠の
意識に(焦点のポイントが)定まることです。この境地に到達した者というのは望みさえすれ
ば、肉体の不死性をも可能であるということなのであって、もし肉体が必要であれば望むま
で維持するし、不要になれば好きに自分で放棄する。また必要であれば転生もできるし、
或いは母胎に宿らずとも、自らの意志力で肉体を創造(元素を掻き集め)することすらも可
能です。(肉体の存続については)基本的には特に不要です。
また、何経に書かれてあるのか、経文に掛かれてないと理解できない?
689 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 01:04:02 ID:j7PYVD2m
>>594 >
>>592 >ありがとう。そういうことです。
>>その<存在>も永遠ではないという意味で<幻>と言っている。
>自立的でなく、実在でなく、実体でなく、縁起して認識されているだけのものということです。
それは“永遠(のもの)だけを実在と見なす”という古代インドからの伝統ですね。残念な
ことは、それがゴータマの説くニルヴァーナであるというのに、伝統仏教者らは誤解しており、
ニルヴァーナも永遠ではなく、再び没しかねない実にアヤフヤで頼りない境地にした・・。
輪廻からの解脱ということは、二度と流転変滅しないということですよ。これを永久という。
ニルヴァーナに到った存在を仏陀といい、それは不滅だということになる。経典用語でいうな
らば、ニルヴァーナに常住するということになるでしょう。常住が現象界に限定する言葉であ
り不適切というならば、また別の言葉を使えばいいだけのことに過ぎません。
>>659 >仏教で無始以来の輪廻以外に輪廻はない。
仏教(仏典)で「無始」からの輪廻という記述であることは私も承知しています。その言葉通
りの解釈の在り方では輪廻現象そのものは永遠でいいの? 輪廻宇宙論(ビッグバンと収縮
を繰り返す)というのも古くからありますが・・・。がしかし、「無始」という言い方だけに終止して
いるのは仏典だけかもしれませんね。まっ、私も判らないから・・いいや!w
ところで、伝統仏教の正しい解釈でいうところの「常住」とは何か?これについての解説を
お願いできますか!すみませんが、どうか宜しくお願いします。
もちろん、ネット検索もできますが(それは様々なレベルなので)、より正しい見解が知りたい。
涅槃とは、相が滅した境地である。そして万物の生みの母である「言」は
識別智。万物はこの「言」によって成り、「言」によって成らないものはなにもない。
識別する名称とは、「言」によってなるものだから。
>>685 >たしかに思考や言葉を超えた境地ですね。それは諸経論が一致しています。
だからその境地はなぜ言葉を超えた境地なのか説明してみろと言ってんだよ、ば〜か。
おまえら末法仏教徒はその境地について尋ねられると決まってこういう。
「それは言葉では言い表せない」これごまかしだから。こいつらその境地とは何かを
知らないで、過去の偉人達が見た境地とは、本質的には、言の滅した境地であることを知り
それを伝えたことを逆手に取り、自分達の詭弁の道具に使ってるだけだろうが。
詐欺師がよ。
同じ輪廻する肉の自我による生存は、今の宇宙が滅びると共に滅びる定め
肉の自我を再生させる主体とは、行いと結果という業である。この業は今の宇宙と共にあり
今の宇宙が滅びれば、共に滅びる定め。この業を魂とよんでもいい。なにせ魂とは
鬼を伝えるものだから。ゆえに魂は、永遠ではない。
692 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:08:43 ID:1m4Pxzmi
>>682 > 私もこれに同意します。そんな大して変わりませんね!伝えようとする本質(意味)を解する
>ならば、仏典に同じ語が出てこなくても、それが同じことを述べていることを理解できる筈です。
それが出来るのはブッダだけです。そうでないなら、ある程度の境地に至っても、説かれたことを無くしたり、説かれてないことを加えたりすることは許されません。
これが伝統の立場で、別の思想や教義を持ってくることは妄想を持ち込むとことと同じです。
常識と解釈することと、アートマン論と解釈することはこの意味で同じです。
> 私的には、「生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある」と
>は、サーンキャの「自性」(プラクリティ)と比較しても遜色ないものかと。
釈尊は否定してますね。『梵網経』で、ちなみにサーンキャはプルシャとプラクリティの二元論です。
アートマンはプルシャの方で、プラクリティはまさに輪廻する方の原理です。
『梵網経』ではサーンキャと名指しされませんが、明らかに世界の一部が、アートマン説ですね。
そして、後代の仏教徒は当然、サーンキャを否定しています。
693 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:09:34 ID:1m4Pxzmi
> どうも、やはり伝統仏教は文字通りに受けて、文字通りに解釈しようという慣習なのだと思い
>ます。確かにそれは、正確さを重視したい意図の現れだろうとは思いますが、どうやら、同じ言
>葉でないともう解からなくなるようです。文字通りにしか読めない場合は原理主義の傾向を強め
>ますが・・。それと、まだ仏典の場合には大部分において文字通りに読み解いても殆ど問題な
>いし、そういう意味での文意は容易いでしょう。
重要なのは、仏典は本来、読むものではなくて聞くものだということです。
これは、解脱した聖者から聞くべきものという意味です。
だから、不明な箇所は解説してくれるし、疑問点や誤解は質問して解決できるわけです。
> その意味では聖書の象徴学と比喩を読み解くのはあまりに困難を極めます。真義を説く智慧
>が与えられていないと、いくら読んでも到底無理であり、もしも文字通りに読んだりしたら、危険
>で大変な原理主義でしょう。
本来、解釈の世界ではないです。体得した人から教えを受けるものですから。
だから、誤りがない。ただし、解脱者が途絶えたら伝統は終了です。
694 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:11:56 ID:e4b2SMj0
おい、宝珠よ。
>>474 はスルーかよ?
あれほど、ゴータマを誹謗した書き込みも珍しいのに
書いた奴が、自分のお気に入りのバカからすなら、いいわけか?
いつもの決まり文句はどうした?
「ゴータマを誹謗するのは許せない。あなたはここには必要ない。去ってください。さようなら。」
カラスに言わなくていいのか?
695 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:16:07 ID:1m4Pxzmi
>>684 > 『大我---真我とは大我ともいわれ「パラマートマン」 (parama-aatman) であり、最高の
>我の意味である。もちろん、この我は外道の我でなく、仏果の徳の上につけた名である。
>
>すなわち涅槃といわれるさとりは真実であるからと、その悟りの世界はいっさいの繋縛を
>はなれて完全自由であるからとの両面より、さとりのうえに大我の徳を認めるのである。』
これはヒンドゥー説だと思います。
そして大我は確かに仏教でも説かれますが、それは宝珠さんの嫌いな大乗ですよ。
漢訳の四アーガマには大我という言葉はないようです。
696 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:22:51 ID:e4b2SMj0
どうした? 宝珠よ。
俺は今まで仏教スレで
これほどゴータマ本人を誹謗した書き込みを見たことがない。
これを認めてしまえば、お前の今までの言葉は全て
まさに二枚舌と言うことになるぜ
697 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:23:23 ID:1m4Pxzmi
>>689 ウーン、これについては『ウダーナ・ヴァルガ』を読んでみますね。
> 仏教(仏典)で「無始」からの輪廻という記述であることは私も承知しています。その言葉通
>りの解釈の在り方では輪廻現象そのものは永遠でいいの? 輪廻宇宙論(ビッグバンと収縮
>を繰り返す)というのも古くからありますが・・・。がしかし、「無始」という言い方だけに終止して
>いるのは仏典だけかもしれませんね。まっ、私も判らないから・・いいや!
そうそう。輪廻は解脱すれば止みます。
>
> ところで、伝統仏教の正しい解釈でいうところの「常住」とは何か?これについての解説を
>お願いできますか!すみませんが、どうか宜しくお願いします。
自立して、実在し、永遠不変の存在。要するに縁起・空でないものです。
One Is All All Is One
私は全てであり、全ては私である。
真理は人を自由にする。
なぜなら、一人は自由だろ。
699 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:25:24 ID:1m4Pxzmi
ということで、宝珠さん、おやすみ〜
700 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:33:32 ID:e4b2SMj0
どうすんだ? 宝珠よ。
カラスは
>>474 で はっきりと
「ゴータマが食中毒で死んだのは因果応報。 オウムの悪行の原因はゴータマの教義によるものだ。」
こうまで言いきってる奴、今までいたか?
これほど、ゴータマを誹謗する奴は当然、許せないよな?
さぁ、言ってみ。
「このスレから出てけ」 と
真理も知らず、人を解脱に導くこともできないくせに
おおよそ仏教の名のつく宗教団体の坊主達は自分を食わせてくれている
在家対して散漫な態度をとり、まるで自分達が在家から恵んでもらうことを
当たり前だと思い違いしている。原始経典を読めば、肝心な部分はストレートに
語ることなく、あいまいにして後世に混乱を招くような説法を載せながら
自分達の布施に対する教義部分は、はっきりとストレートに書かれ、それが在家に
とっては最も高い功徳だと説いてやがる。
>>694 因果応報。
ゴータマは自分に布施として差し出された食い物を食って食中毒で死んだんだよ。
それが全てだ。
702 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 01:45:26 ID:e4b2SMj0
なんだ? 自分に都合の悪い書き込みはスルーを決め込むのか?
結局、姑息な二枚舌野郎かい?
703 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 01:51:03 ID:j7PYVD2m
>>694 教えの本質の理解こそが、ゴータマが最も喜ばれることです。ま〜ちょっと、昨夜はアル
度数が高かったのでしょうw (『al-ghawl の原義は、精霊 (spirit) や魔人
(demon) で「ワ
インの性質を与えるもの」という意味である』なんだそうなw)
ただ、確かに不可知論的な言い回しが多くて理解を困難にしている部分というのは否定
できない。それが実際のゴータマの話し方であったのか?それとも経典製作者に拠るもの
であるのか?これについては、私も不満ではあります(現存する経文について・・)。
>>696 教えの理解(及び紹介)については正しいと思います。まっ、発言の行き過ぎについては
本人がよく自覚してるようなので、今後の自制を期待しますw
布施というのは、施しの心を養うという自分の積徳(善行)のためです。解脱者は死期と
死に方を自分で自ら選択します。これはゴータマが自ら語ったように、肉体の放棄、即ち
完全なの涅槃に入ることになるキッカケの役目を貰ったというというのがチュンダの食事
(施し)でした。
与えられた食事で死ぬことになるというのに、喜んでいるゴータマの姿を見せることがま
た意図した行為です。
後代の施しを受ける生臭坊主たちの話とは、これは次元が異なるでしょう!
704 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 02:09:08 ID:j7PYVD2m
>>692 >それが出来るのはブッダだけです。そうでないなら、ある程度の境地に至っても、
>説かれたことを無くしたり、説かれてないことを加えたりすることは許されません。
>
>これが伝統の立場で、別の思想や教義を持ってくることは妄想を持ち込むとことと同じです。
わかります!いいたいことは・・。伝統の法脈の中にいる人というのはそうものですよ。
では、もしも仏教経典が存在しなかった。もしくは途中で失われて、その後に遙か数千
年後に出現した別の解脱者が、過去の仏典の言葉を知らずに全く違う言葉を用いて異
なる伝統文化の中で教えを説き、それが文章として書物に残った場合は、もう理解不
能ということでしょうか!もしも、太古の仏典の言葉を覚えていた者が同じ教えだと理解
し、それを述べても、同じ言葉ではないとして否定するわけですね!自分の頭で理解し
ようという基本を否定すると?
>重要なのは、仏典は本来、読むものではなくて聞くものだということです。
>これは、解脱した聖者から聞くべきものという意味です。
>だから、不明な箇所は解説してくれるし、疑問点や誤解は質問して解決できるわけです。
もちろん、それは有難いことでしょう。では、直接に言葉を語ってくれる師がいなければ
ダメなんだということでいいですか?では、師が全員、病気か何かで亡くなったらどうする
のですか?
>>699 >ということで、宝珠さん、おやすみ〜
いいたいことは分りますが・・
はぃ、おやすみなさい^^
705 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 02:14:47 ID:IQmX+Tb9
>>700 >さぁ、言ってみ。
>「このスレから出てけ」 と
俺も言われたw。
宝珠愚者氏は、カラス氏がクリスチャンだから、批判できないのだよ。そして、
原始仏教は、キリスト教との親和性がある。一方、竜樹の「空」を、「関係性」
と解すれば、唯一絶対神もイエスも吹っ飛ぶ。
このスレの構図は、極めて明瞭である。
706 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 02:42:36 ID:e4b2SMj0
おい、二枚舌野郎!
お前は今まで さんざん色々な奴に
出ていけといいながら、カラスには言えないわけか?
このカラスは「オウムの悪行はゴータマの教義が原因」
とまで言ってるのだぞ。
ゴータマを誹謗する者は許せないだ?
バカ言うなよ。結局は自分の意見を受け入れない者が
許せないだけだろうが。
違うと言うなら、カラスに出てけと言ってみろ。
かつて、このスレでこれほどまでゴータマをバカにした
書き込みをした奴はいないのだから。
707 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 03:09:21 ID:weRBhdgs
ゴータマを、現実離れの夢遊病者、妄想患者扱いしてる仏教徒たちも、
カラスを批判する資格はないな。
708 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 03:09:21 ID:e4b2SMj0
>>703 おい、宝珠!お前ちゃんと
>>474 読んだのか?
それとも読解力ゼロか?
あれが「発言の行き過ぎ」とかいうレベルか?
あれだけ、長文で詳細に記述してるのを「発言の行き過ぎ」だけで済ますわけ?
「カラスは教えの理解については正しいと思う」 だ??
何?これ。
それなら、お前も「オウムの殺人事件の原因はゴータマの教義にある」
これに賛成なわけね。
お前自身がゴータマを誹謗してることになってしまうな。
お前がこのスレから出ていくことになってしまうぜ。
709 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 03:20:48 ID:weRBhdgs
一神教徒は、「殺されても」神を捨てられないのだから、いくら言って
も無理。
他にも、カラス氏を評価している「仏教徒」が、何人かいたようだな。
710 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 03:46:04 ID:e4b2SMj0
俺が、吐き気を催すくらい嫌悪感をおぼえるのは
この宝珠の二枚舌を使い分ける態度なわけよ。
普段は少しでもゴータマを批判するようなレスを見かけると「許せない。出ていけ。」
これだろ? まるで自分が真のゴータマの理解者みたいなつらしてるくせに
お気に入りのカラスが言ったことは、どんなひどい誹謗でもOK
結局こいつは、ゴータマが誹謗されるのが許せないのではなくて、自分の意見が
受け入れられないのが許せないだけのことが、よくわかる。
ここには、様々な意見の持ち主が集まっているわけだから
見解の衝突は当然あるが、こいつの二枚舌を使い分ける態度は最低だと思うが。
それぞれ、仏教というものにどのような見解をもっているか などと言う以前の問題だろう。
711 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 05:18:42 ID:Rznqcm6l
>>653 >変化するのは縁起の関係性です。
竜樹によれば、縁起そのものが関係性の意味だから、「縁起の関係性」という
言葉はおかしい。
>名称と形態は縁起している。
>縁起しているから無常です。
>無常だから無自性です。
「縁起」自体が関係性であり、関係性は、その性質上、常に変動している。
従って、「縁起している」とか「無常である」という言葉は必要ない。
竜樹は、時間的な縁起は認めていないのではないか。若しそうだとすれば、
「変化」には常に時間を伴うから、「空は、事物の変化である」という立言
そのものがおかしい。
>変化しないものを自性といいます。
竜樹の言う「空(関係性)」は、言い換えれば「関係性による集合体」だから、
当然、「無自性」である。
どうも、肝心の、竜樹の「空」が充分理解されていないのではないか。取り敢
えずは、Wikiの「空」の項目を一読されたし。
712 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 05:32:23 ID:Rznqcm6l
カラス氏に対する「感情的非難」は別として、彼の佛教批判は、聞くべき
ポイントを持っている。例えば、「転生したら、来世、再来世もまた
苦しむのか」など。これだけでも、「輪廻転生」が、論理的に成立し得
ないことが判る。
竜樹は、輪廻転生は否定しているようです。
713 :
旧7:2009/07/01(水) 06:58:17 ID:UPTgTAQe
>>703 > 教えの理解(及び紹介)については正しいと思います
ハァ? (゚д゚)
「神智学としては正しいと・・・」の間違いだろ?w
カラスのアレやお前のソレが仏教だと? 笑わせんな。
お前らが俺に向けて放った数々の言葉は、そっくり自分自身にも当てはまることを自覚しろ。
お前らの態度にはいいかげん反吐が出る。
お前こそが、このスレから出ていくべきだと思うぞ。
ったく・・、朝から気分の悪い書き込みを読んじまったぜ・・・ orz
714 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 07:12:50 ID:1m4Pxzmi
>>703 > 教えの理解(及び紹介)については正しいと思います。まっ、発言の行き過ぎについては
>本人がよく自覚してるようなので、今後の自制を期待しますw
あれだけ無知や誤解、ハッタリ、自演、暴言が明らかなのに支持するのは
おかしいですね。
715 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 07:17:50 ID:1m4Pxzmi
>>704 >年後に出現した別の解脱者が、過去の仏典の言葉を知らずに全く違う言葉を用いて異
>なる伝統文化の中で教えを説き、それが文章として書物に残った場合は、もう理解不
>能ということでしょうか!もしも、太古の仏典の言葉を覚えていた者が同じ教えだと理解
>し、それを述べても、同じ言葉ではないとして否定するわけですね!自分の頭で理解し
>
>ようという基本を否定すると?
仏教では一仏思想があるのは御存知ですよね。釈尊が出て教えが無くなって、
世界が崩壊し、また世界がまた生成するのを沢山繰り返して、
始めて次のブッダが出るという。
> もちろん、それは有難いことでしょう。では、直接に言葉を語ってくれる師がいなければ
>ダメなんだということでいいですか?では、師が全員、病気か何かで亡くなったらどうする
>のですか?
そうです。ダメなんです。その時は仏教の終了です。また、暗黒の時代が続くというように説かれています。
716 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 08:00:34 ID:iPxPqORt
頭の悪い奴が日本の経典の注釈書を読んだだけで佛法を分かった気になっておる。
話にならんな。
非我+無常=無我だ。
簡単なことだ。
くっくっく。
718 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 08:39:07 ID:iPxPqORt
719 :
偽本尊:2009/07/01(水) 08:45:48 ID:iUwIvlE8
>711
竜樹のいう空の理解以前に、日本語の解釈の問題がありますね。
いえ、馬鹿にしているのでは無く、冗談でもありません。
「縁起している」というのは一般に使われる表現で、
<縁起>に<〜している>という語を使うのはおかしいとすると、単に<縁起>と書いただけでは「縁起は変化することだ」と言いたい場合に、それを相手に伝えることができません。
720 :
一在家:2009/07/01(水) 08:56:00 ID:Xy1ObPln
>>701 >ゴータマは自分に布施として差し出された食い物を食って食中毒で死んだんだよ。
へー、そういう通説があるんですか。
ダイバタッタに命を狙われた釈尊は自分の衣を食中毒で亡くなった人に着せ、
その死体も数日で腐り誰だか分らなくなるという方便も使えたでしょうに。
721 :
一在家:2009/07/01(水) 09:27:12 ID:Xy1ObPln
現象世界は「無常」であるという点は共通の理解かと思います。
仏の眼で見える(人の目では見えない)現象世界以外の存在として、
仏、神(梵天、ブラフマン)、魂(アートマン、真我、大我など)が
あると説かれた一部の経典もあれば、そのようなことは修行完成には
意味がないので無記を通したという多数の経典があります。
また、釈尊の対機説法(第一義〜第四義、三乗の教え)は共通の理解
だと考えます。ピラミッド型の説法にも見えます。
722 :
一在家:2009/07/01(水) 09:28:14 ID:Xy1ObPln
手元の法華経(創価訳から見て相違点が多い?)を鏡として見ますと、
五千人の修行者が退席した後に語った「世界も仏も常住」が第一義で
あっても、衆生には到底悟ることはできず混乱させ信を無くすだけだ
から、現象世界は「無常」であり死後のことは考えずに修行しなさい
と説かれたと考えれば、衆生済度の視点では一応筋は通っているかと
存じます。
ただ注意すべきは「常住」という言葉ですが、「変化しない永遠」という
意味ではないかも知れないということです。
例えば魂の寿命は肉体の寿命と比べてずっと長ければ、「常住」という言葉
を使ったとしても、変化(成長)しますし誕生や消滅もあるかと存じます。
723 :
一在家:2009/07/01(水) 09:29:18 ID:Xy1ObPln
話は変わりますが、ブラフマンとアートマンとの「関係性」も感じます。
神と人との関係性は、コーランにも度々登場する一節からも推測されます。
アッラーは人類の教化の為に神の預言者を出現させますが、中々思うように
教化が進まず、一部の人達を残して都市ごと滅ぼしました。
これを何回(何十回?)も繰り返しておられます。
人類の状態に応じて次の手を決めるという点は、「関係性」が見出される
と申した根拠です。
コーランは旧約聖書を含んでおりますので、旧約の中にも同様に神と人との
「関係性」に関する記載があるでしょう。
親と子の関係性と似ております。親は子の育成に大変苦心しております。
724 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 09:31:37 ID:DgUtF5BA
>>682 >私的には、「生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある」
これは、中論で徹底的に批判されたで部派仏教の説一切有部の見解でしょうね。
そして・・・
>サーンキャの「自性」(プラクリティ)と比較しても遜色ないものかと。
これは、仏教の異端派といわれた部派仏教のトクシ部の見解でしょう。
まぁ、仏教の教義なんてはなんでもありで、なんでもなしだから、何とでもいえるんだね。
725 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 09:39:15 ID:DgUtF5BA
>>684 >「パラマートマン」 (parama-aatman) であり
「パラマ」なら「超」ということ、我を超えた「超我」だから
超我も我でない、非我であることに変わりはないでしょ。
いろは歌でも「有為の奥山、けふ越えて」と譬えられているでしょ。
726 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 10:26:20 ID:1m4Pxzmi
>>724 >>サーンキャの「自性」(プラクリティ)と比較しても遜色ないものかと。
> これは、仏教の異端派といわれた部派仏教のトクシ部の見解でしょう。
なんでトクシ部なの?
>>725 >>「パラマートマン」 (parama-aatman) であり
>「パラマ」なら「超」ということ、我を超えた「超我」だから
para には「超」という意味もあって、その最上級が parama だから
語源的には「最超」でしょうが、「最上」「最勝」のことと思われ。
そして「パラマートマン」 (parama-aatman) という表現は、
ヒンドゥー文献には頻繁に見られるけど、仏教文献であるの?
タントラでも見た記憶ないけど?
>>722 >「世界も仏も常住」が第一義で
>あっても、衆生には到底悟ることはできず混乱させ信を無くすだけだ
>から、現象世界は「無常」であり死後のことは考えずに修行しなさい
>と説かれたと考えれば、衆生済度の視点では一応筋は通っているかと
>存じます。
つまり、お前が今しておるようなことが「到底悟ることはできず混乱させ信を無くすだけだ」と言うものな訳だ。
お前のような凡夫は「死後のことは考えずに修行しなさい」ということだな。
くっくっく。
超我は忘我であり、真我だ。
つまり、無我だ。
くっくっく。
729 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 11:10:51 ID:BukIH8Or
>>719 >縁起>に<〜している>という語を使うのはおかしいとすると、単に<縁起>と
>書いただけでは「縁起は変化することだ」と言いたい場合に、それを相手に伝
>えることができません。
「縁起」を、「事物が諸要素の関係性によって構成されており、関係性の性質上、
刻一刻と変化している状態、従って無自性の状態」と定義しておけば、「縁起
が変化する」という表現は、「同語反復」となります。
730 :
一在家:2009/07/01(水) 11:13:06 ID:Xy1ObPln
>>727 >つまり、お前が今しておるようなことが「到底悟ることはできず
>混乱させ信を無くすだけだ」と言うものな訳だ。
おっしゃる通り、例え真理であっても衆生(凡夫)に言葉で説けば混乱させますね。
だから釈尊は舎利弗と席に残った菩薩クラスの弟子だけに説かれたのでしょう。
私どもは神秘体験とセット(アソート)にて説いておりますのでご心配なく。
小学生から年配者まで、信仰の有無に関係なく、霊動現象を通して魂の存在
がよく分ります。 (板違いなのでここまでです。)
731 :
一在家:2009/07/01(水) 11:16:42 ID:Xy1ObPln
>私どもは神秘体験とセット(アソート)にて説いておりますのでご心配なく。
誤解無きよう。
神秘体験は目的ではなく真理へ誘う為の方便でしょう。
で、「真理」とはどんなものなのか言ってみろ。
くっくっく。
733 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 11:23:22 ID:BukIH8Or
>>731 「神秘体験」などという、「変性意識」「一時的精神障害」から、「真理」
が得られえる訳がないでしょう。
「神秘体験」「神懸り」「憑依現象」は、精神医学では、精神病として
扱われ、抗精神病薬、抗不安薬などによる薬物療法の対象となります。
なら仏陀もイエスも精神病だわな。梵天や神や悪魔と対話したりしてんだから。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 11:39:02 ID:DgUtF5BA
>>693 >本来、解釈の世界ではないです。体得した人から教えを受けるものですから。
>だから、誤りがない。ただし、解脱者が途絶えたら伝統は終了です。
そうですね。
出家修行者中心のその教団運営が13世紀以降、インドから仏教が滅亡してしまった
主要な要因であるといわれてます。イスラムの進攻でビクラマシー僧院での仏教僧
の虐殺という契機はあったにしても。(出典;保坂俊司「インド仏教はなぜ亡んだのか」)
現在のインドではアーベンドカルの仏教復興運動で新仏教徒が存在するようですね。
736 :
一在家:2009/07/01(水) 11:41:50 ID:E1UaZBLa
>>734 >なら仏陀もイエスも精神病だわな。梵天や神や悪魔と対話したりしてんだから。
乙です、座布団を三枚差し上げます。
この人相手なら、ノアもモーゼもマホメットも精神病にされてしまいますね。
人間と言うものが、そもそも精神病なんだよ。
くっくっく。
738 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 12:01:00 ID:1m4Pxzmi
くっくっく、くっくっく、わたし(アートマン)の絶対神!
739 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 12:02:06 ID:z+9AAVqq
>>736 あなたも科学者なら、精神医学の勉強もされたらいかがですか。
創唱宗教は、すべて、程度の差はあれ、開祖の精神医学的問題から
発生したものです。例外は、皆無だと思われます。
最古の創唱宗教といわれるゾロアスター教の開祖も、大麻の常用者だった
と言われています。
信者とは、開祖の精神病が伝染したものです。精神病は、伝染します。
精神医学では、「感応精神病」と呼ばれています。宗教以外の通常の精神病
も感染することはありますが、圧倒的多数の症例は、宗教関係です。
なの、精神病のほとんどは、現在では、脳内神経伝達物質の異常による
「身体の病気」であることが判明しており、通常の風邪などと同様、患
者の人格には関係ありません。
阿呆か。そこまで精神医学の立場に立つのであれば、脳内神経伝達物質の異常等が人格の要因になるんだろうが。
人権を配慮した発言のつもりだろうが逆に矛盾を露呈してるよ。
741 :
一在家:2009/07/01(水) 12:21:43 ID:E1UaZBLa
>>739 >なの、精神病のほとんどは、現在では、脳内神経伝達物質の異常による
>「身体の病気」であることが判明しており、通常の風邪などと同様、患
>者の人格には関係ありません。
私の知人にも精神科医がおりまして、30年近く議論しております。
現代医学は症状の分類学とエレクトロニクスの発達での診断技術は
進んでおりますが。。。ですね。
貴兄の「脳内神経伝達物質の異常」は一つの仮説でしょう。
記憶のメカニズムすらきっちりと説明できていない脳に対して
勝手にモデル化して、その仮説を前提に更にモデル化して。。。
「憑依霊の動作現象」も再現しますが、通常は10分程度で元に戻ります。
伝達物質モデルでは説明つかないですよ。化学反応の速度から見てね。
この現象に遭遇した精神科医達は暗示モデルから説明しようとしていました。
なおニューロンの可塑性モデルでも考察しておりますが、まだ説明できない
です。
742 :
一在家:2009/07/01(水) 12:25:00 ID:E1UaZBLa
>>740 >阿呆か。そこまで精神医学の立場に立つのであれば、
>脳内神経伝達物質の異常等が人格の要因になるんだろうが。
あなたも乙です、座布団がなくなりそうです。
脳内神経伝達物質の異常等が個人差の要因になるというご見解は
私のバッファにストアさせていただきます。
743 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 12:27:31 ID:z+9AAVqq
>>741 >貴兄の「脳内神経伝達物質の異常」は一つの仮説でしょう。
確かに仮説として出発しましたが、現在では、脳内神経伝達物質を調整する
薬剤が多数開発・使用され、効果を挙げているのですから、もはや実証された
と言ってもよいと思います。
744 :
一在家:2009/07/01(水) 12:28:29 ID:E1UaZBLa
>>734 >>740 同じ方だったのですね。 失礼しました。
自作自演ではないことは、私にはそういう乙な回答ができないことで
証明されます。
745 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 12:30:54 ID:E1UaZBLa
>現在では、脳内神経伝達物質を調整する薬剤が多数開発・使用され、
>効果を挙げているのですから、
大変、危ないご発言ですよ。。。少し考えれば理由は分かります。
矛盾が嫌いなだけだよ。きつい言い方はかんべんな。
いつもここの議論は楽しんでるよ。
747 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 12:36:37 ID:z+9AAVqq
>>745 どこが危ない発言ですか。製薬業界と精神医学界の現状を言ったまでです。
そうやって、医学に無知なあまり、精神病に対して異常に敏感になるこ
とが、患者に対する差別の原因になっていることを、忘れてはなりません。
748 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 12:39:45 ID:1m4Pxzmi
>>741 その人のソースはトンデモ本だから、なんでも根拠薄弱に断定してるだけでしょ。
749 :
一在家:2009/07/01(水) 12:45:19 ID:E1UaZBLa
>>747 >どこが危ない発言ですか。製薬業界と精神医学界の現状を言ったまでです
あなたはこの板に来たばかりですか?
私の家族は製薬業界と精神医学界におりますが、仏陀を尊敬しておりますし、
釈尊やイエスの神通力は認めております。
人を救った後に法を説かなければ、誰が信じるでしょうか。
空海や日蓮らも神通力(方便)があったことと推察します。
750 :
旧7:2009/07/01(水) 12:59:58 ID:UPTgTAQe
一在家の語りの流れは、なんだか勧誘されてる気になってくるな・・・w
特に
>>749なんか、
たとえば、(実例・具体例として)私の知り合い(友人・家族)にこういう人がいます。
これこれこうで、こういうことがあって、こう言ってます。
さあ、貴方もどうですか? と。
遠慮しとくよw
751 :
一在家:2009/07/01(水) 13:12:30 ID:E1UaZBLa
>たとえば、(実例・具体例として)私の知り合い(友人・家族)にこういう人がいます。
30年以上蓄積してきた事例の中からの引き出しですので、創作はありません、あしからず。
旧7氏が一番の理解者のような気がしてきましたよ。
なお見解は宝珠氏が近いようです。
752 :
暁:2009/07/01(水) 13:13:45 ID:gUrQUI0j
2ちゃんは布教向きではないなぁ〜
(笑)
753 :
一在家:2009/07/01(水) 13:32:34 ID:E1UaZBLa
>>750 旧7氏
>一在家の語りの流れは、なんだか勧誘されてる気になってくるな・・・w
>>752 暁氏
>2ちゃんは布教向きではないなぁ〜
2ちゃんねるは布教の邪魔をするとこかなと認識しております。
おおよその宗教団体が批判やパロディ化の対象になっており、
そういう意味では一切平等です。
本スレで私の背景を広めたのは旧7氏ですが、それが因・縁となって
フィルタをかけて読むようになった方々が増えたのが果でしょう。
まあ、布教にはなりませんが、誤解を解くことには良い機会かと
存じます。
754 :
一在家:2009/07/01(水) 14:38:35 ID:Xy1ObPln
>どこが危ない発言ですか。製薬業界と精神医学界の現状を言ったまでです
以下は医学・薬学に対する私の現状認識です。
・薬には主作用と副作用がある。
・一塩基多型が原因で主作用すら効果がない人が薬毎に存在する。
・ゲノム創薬の研究者の論文にて効かない率は掲載されネットで検索できる。
ex.Asthma 40-75% , Cancer 70-100% , Depresion 20-40% etc.
・脳の仕組みはまだ解明できていない。特に短期記憶モデルは難しい。
・各精神活動に関連する脳の部位は特定されてきている。
・ニューロン間の伝播物質は解明されてきている。
・伝播物質の異常による脳活動(精神)の異常の仮説は立てられる。
・特定の部位の、特定のニューロン間物質の異常の検査技術はまだ困難。
・因って特定のニューロン間物質の異常を戻す技術は完成していない。
・脳神経全体または特定部位全体を麻痺させる薬は開発できている。
・脳神経全体または特定部位全体を麻痺させて精神障害を軽減させる技術はできている。
・強い薬を患者とその家族は求めるが、売上を重視しない医師は慎重に判断する。
私の認識に誤りがあれば、また最新の研究成果より誤解があれば、
ご教示いただければ幸いです。>医療業界関係者各位
755 :
一在家:2009/07/01(水) 15:18:18 ID:E1UaZBLa
756 :
一在家:2009/07/01(水) 15:47:37 ID:E1UaZBLa
757 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 15:50:35 ID:z+9AAVqq
>>754 宗教とは全く異なり、自然科学、例えば薬学や医学は、殆ど6ヶ月単位で進歩
していることを忘れないでね。
君が書き込んだ途端に、情報はもう古くなっている。
758 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 16:09:56 ID:1m4Pxzmi
>>757 ほんと子供ですね。あなたの場合は、ここに居続けるだけ恥をかくだけですよ。
759 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 16:10:54 ID:z+9AAVqq
>>754 君は、詰まらんカルト宗教などピッタリ止めて、自然科学に専念したほ
うがよい。自然科学のほうがはるかにthrillingだろ。家族も安心し、喜ぶ。
この歳になって、NHKテレビの高校講座を見ているが、これは素晴らしい。
今日も、「酸化とは酸素を与えること。還元とは酸素を奪うこと」を覚えたw。
特にアシスタントの女の子たちが可愛い。NHKは、こんな可愛い子を一体
どうやって集めてくるのか、ばかりが気になる。今時の高校生は、こう
でもしなければ、勉強しないのだろうね。
760 :
一在家:2009/07/01(水) 16:14:10 ID:Xy1ObPln
>>757 >宗教とは全く異なり、自然科学、例えば薬学や医学は、殆ど6ヶ月単位で進歩
>していることを忘れないでね。
はい、貴兄の言葉は忘れないでおきます。
【因】医学や薬学は半年単位で進歩する。
【縁】医療技術が向上し、病院のリピータも年々減っていく。
【果】医師は暇になり、医師数も年々減っていく。薬も年々減少。
大変素晴らしいことじゃないですか。
761 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 16:16:27 ID:z+9AAVqq
>>758 数千件間何の進歩も無く、現実上の何の根拠も無い「観念の遊戯」に
過ぎない、社会にはくその役にも立たない宗教などに嵌っている君たち
宗教者のほうが、子供、というより幼児。今時の小学生でも、もっと
しっかりしてるぞ。
762 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 16:26:31 ID:z+9AAVqq
>>760 その「果」は、半分は間違いだな。人間にとって、「生命」が圧倒的に
大切だから、医薬業に対する需要は、簡単には減らない(健康保険次第
だがw)。そして、より多くの人間が救われてゆく。
今の時代、行列のできる商売は、病院、薬局、それにラーメン屋くらいw。
763 :
一在家:2009/07/01(水) 16:51:47 ID:E1UaZBLa
【因】安価なヒトゲノム分析が普及し、衆生も自身のゲノム情報を知ることになる。
【縁】腕時計型の生体センサーが開発されて、無線で健康エキスパートシステムと連動。
【果】悪い生活習慣は適時通知され、生活改善した人々は病院にも薬局にも無縁になる。
因果応報の眼で見れば、病院や薬局へ行く人の数は将来減っていくシーンが見えます。
どんな監視社会だよ
765 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 17:28:18 ID:Vl99yuIm
>>765 >【縁】腕時計型の生体センサーが開発されて、無線で健康エキスパートシス
>テムと連動。
是非開発してくれ。売れるぞ。これからの医療は、検査と薬物療法が主となる。
データを入力すれば、病名と治療法が出てくる時代になるだろう。医師は、何
をやるのかな。
>【果】悪い生活習慣は適時通知され、生活改善した人々は病院にも薬局に
>も無縁になる。
それは誤り。病気は「生活習慣病(lifestyle-related diseases)」だけではない。
766 :
一在家:2009/07/01(水) 17:31:16 ID:E1UaZBLa
>>764 >どんな監視社会だよ
・携帯電話を持っている人
・クレジットカードを使用している人
・SUICAまたはICOCAを使用している人
・ネットでかきこしている人
誰が、いつ、どこにいて、何を考え、何を買ったかが、
ITの管理者には皆分るというのが現代(監視)社会の
実相です。
ITの管理者のトップは、金融メジャー、石油メジャーと
同様にユ○ヤ教のコアにつながっております。
もし仏の眼で見れば、視覚には見えない現象世界の実相は
一目瞭然でしょう。
勿論、監視社会から逃れる方法は上の4点を止めることです。
管理できるのは、端末の位置情報と会話内容だけじゃねーかww
768 :
旧7:2009/07/01(水) 18:17:44 ID:UPTgTAQe
(前シリーズで指摘済みだが)、
恣意的な「因果の区切り方」、「何を因とし何を果とするか」に際した恣意性の典型例。
>>760>>763 素晴らしい見本ですねw
769 :
一在家:2009/07/01(水) 19:02:01 ID:Xy1ObPln
>>768 >恣意的な「因果の区切り方」、「何を因とし何を果とするか」に際した
>恣意性の典型例。
恣意的というよりも、一例の提示に過ぎないです。
もっと複雑な因・縁の組み合わせから、違った果になることも認識しております。
中部経典と中阿含の目録の異同おしえてくんね?
772 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 20:09:11 ID:DgUtF5BA
>>769 縁起の理法というなら、やっぱ「此縁性の公式」でしょ。
それにあてはめて、自分でそれが成り立つか検証すればいい。
釈迦もそういう風にして縁起の法を確かめたのだと思う。
だから12支縁起や、2支縁起、3支縁起などいろいろな縁起が
残ってるのではないか?
結局、釈迦の説いた縁起の理法とはどんなものかいまだにわからない。
773 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 20:17:44 ID:zjyTQTwy
「アートマン(Atman) は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。
真我とも訳される。最も内側 (Inner most)を意味する サンスクリット語の Atma を語源としており、
アートマンは個の中心にあり認識をするものである。それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、
アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。」〜wikipedia
アートマンが悟る、でいいんじゃないか。
774 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 20:35:49 ID:DgUtF5BA
>>773 そうだね。
アートマンを「我」というなら、アートマンは「我」を認識できない。
だから、認識できるものしか存在しないとするなら「我」はない。
すなわち、無我だね。
775 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 20:43:22 ID:1m4Pxzmi
776 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 20:45:08 ID:1m4Pxzmi
777 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 20:56:01 ID:3MeiTsZF
>>773 >アートマンが悟る、でいいんじゃないか。
認識できないものを(が)、悟る、悟らない、など、すでに矛盾語法。
>>776 > 仏教じゃないですね。
佛教でもバラモン教でもなく、脳解剖学の問題。宗教では、何千年考えても
判らん。時間の無駄。
778 :
一在家:2009/07/01(水) 20:58:58 ID:Xy1ObPln
>>773 Wiki「ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。」
この定義だと、スッタニパータの中で度々説かれた「再び母胎に宿る」存在はアートマン
で問題ないかと存じます。ただし、不滅だというSn記載は無かったように記憶します。
顕在意識の奥の潜在意識の奥の「魂」でも名称としては問題はないでしょう。
アートマンを「真我」とすれば、顕在意識は宝珠氏の言う「低我」でも名称としては
可笑しくないのでは。
Wikiの解説で興味を持ったのは、宿る場所が「脳」ではなく「心臓」だという点ですが、
この辺りはどうでしょうか。 私は師より「松果体」だと伺っておりましたので。
779 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:07:46 ID:DgUtF5BA
>>778 >Wikiの解説で興味を持ったのは、宿る場所が「脳」ではなく「心臓」だという点ですが、
意とは心のことだよ。心が心臓に宿るのはあたりまえでしょ。
今だって心はハートマークであらわしてるじゃんか。
ハートマークが脳に見えるか?www
780 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:16:23 ID:3MeiTsZF
>>778 >Wikiの解説で興味を持ったのは、宿る場所が「脳」ではなく「心臓」
>だという点ですが、この辺りはどうでしょうか。 私は師より「松果体」
>だと伺っておりましたので。
それも、解剖生理学の問題。宗教が出る幕ではない。
「松果体」などと言った君の師のカルト教祖の名を上げてくれ。
「松果体」は、昔デカルトが言ったが、現在では笑い話。
古代人が「心臓」と言ったのは、死ねば必ず心臓が停止することを知っ
ていたからだろうね。そう考えれば、アートマンとは「生物的生命」以
外の何物でもないね。現在では「脳幹」が生命中枢であることが判明
している。
781 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:19:09 ID:1m4Pxzmi
>>777 >佛教でもバラモン教でもなく、脳解剖学の問題。
なぜ、脳解剖学だと判定可能で、宗教では判定不可能だと分かるのでしょう?
ただの科学信仰と思えますが? 物理学では還元主義は崩壊しているのに、
医学や生物学では、いまだ還元主義への信仰があるというか?
それとも一般人が、ただ還元主義を信仰しているだけなのか?
782 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:19:27 ID:DgUtF5BA
>>773 >アートマンが悟る、でいいんじゃないか。
アートマンが「何を」悟る、というのかな?
アートマンがアートマンを悟る、は矛盾するからありえないね。
ところで、仏教では「識ー根ー境」の三点セットで定義する。
たとえば、「眼識ー眼ー色・形」のように。
ところが、意識の根というのが何か定義されてない。
意官としてるのもあったかもしれないが、正式には意識の根が
何かはアビダルマでも唯識でも定義されてない。
やっぱり、意識がどういう器官で生まれるのか解らなかったん
だろうね。
783 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:21:13 ID:3MeiTsZF
>>779 >意とは心のことだよ。心が心臓に宿るのはあたりまえでしょ。
>今だって心はハートマークであらわしてるじゃんか。
古代人現るw。
784 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:23:42 ID:1m4Pxzmi
>>778 >Wiki「ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。」
>この定義だと、スッタニパータの中で度々説かれた「再び母胎に宿る」存在はアートマン
>で問題ないかと存じます。ただし、不滅だというSn記載は無かったように記憶します。
無理、ウパニシャドなどヒンドゥーではそうでも、
釈尊は仮設として以外、アートマンに限らず実体を認めてなかったのです。
あなたのように常住なアートマンが輪廻すると言ったサーティ比丘に対して
釈尊は痛烈に叱責しています。
あなたが提案した常住説の根拠は、全てただの誤読だと論証されています。
もう、納得するのがよろしいかと。
785 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:25:02 ID:DgUtF5BA
>>776 >石飛先生が明解に説かれてるよん。
ほう、それはどういう縁起でしょう?
まさか、苦集滅道の四諦だなんていわないよね。
786 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:28:51 ID:DgUtF5BA
>>783 >古代人現るw。
古代には「脳死」はなかった。
現在でも心臓が止まれば脳は不可逆的機能停止に至る。
787 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:29:07 ID:3MeiTsZF
>>781 >なぜ、脳解剖学だと判定可能で、宗教では判定不可能だと分かるので
>しょう?
当たり前だろ。科学は、不特定多数人が、脳という実在物を観察し、実験
によって検証するから。宗教のような、百人百様の脳内妄想とは基本的に
異なる。
788 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:34:31 ID:uYcxQIpz
悟るのは誰?誰もいない(無我)なら悟りも内科医。
789 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:36:49 ID:3MeiTsZF
>>786 その通りだね。脳死は、人工呼吸装置が完備した病院だけで生じる
特別の状態。必ず死に至る。従って、従来の「死の3徴候(心停止、呼
吸停止、瞳孔散大)」は、現在でもそのまま有効。
790 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:40:12 ID:3MeiTsZF
>>788 「悟り」とは、「悟ったと思った」という「勘違い」の状態をいう。
791 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:43:57 ID:uYcxQIpz
勘違いする奴がいない(無我)なら勘違いも内科。
792 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 21:50:15 ID:1m4Pxzmi
793 :
一在家:2009/07/01(水) 21:54:53 ID:Xy1ObPln
>>784 >あなたが提案した常住説の根拠は、全てただの誤読だと論証されています。
>もう、納得するのがよろしいかと。
そういうあなたは誰ですか?
真言氏というあだ名の人に似ておりますが、誰か証明できる人はいますか?
アンチ常住論への固執が非常に強い方ですか?
このスレで対話している場合は、誰か分らなければ回答も間違います。
真我は低我を見ていて、低我は真我を見えていないのと似ております。
>>780 それもあるだろうが、
胸が痛む経験があるだろ
心は胸にあると思われてたんじゃないか
795 :
一在家:2009/07/01(水) 21:59:00 ID:Xy1ObPln
>>784 >あなたのように常住なアートマンが輪廻すると言ったサーティ比丘に対して
>釈尊は痛烈に叱責しています。
それならば、同じ釈尊が度々説いた「再び母胎に宿る存在」は何ですか?
「空」や「縁起」ですか?
796 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:02:03 ID:1m4Pxzmi
>>793 >真言氏というあだ名の人に似ておりますが、誰か証明できる人はいますか?
>アンチ常住論への固執が非常に強い方ですか?
固執しているのではなく、仏教が縁起・空・無我・無常という言葉で、
破壊したいのが「何かがある」「何かが実在する」といった先天的誤認だからです。
仏教用語では、有身見、我執と言います。現代語では実在論や本質主義に相当すると思われます。
>このスレで対話している場合は、誰か分らなければ回答も間違います。
>真我は低我を見ていて、低我は真我を見えていないのと似ております。
誰か、より何を言ったかが重要でしょう。
釈尊や中観仏教が現象や認識だけを扱い、その背後に実在や実体を想定しないのと同様です。
797 :
旧7:2009/07/01(水) 22:03:38 ID:UPTgTAQe
>>795 「再び母胎に入る」。
単純素朴に「次の生が始まること」だろ?それ以外に何がある?w
(そこに、何か特別なこと、特別な存在を想定・設定する必要は全く無い。)
どうよ?真言氏w
>>788 何度言っても成長しないアホだな
無我とは常住なる我、アートマンの否定で
因縁生なる我が存在しないとは言っていない。
この因縁生たる我が、我アートマンがあるんだと思い、これに執着する心が苦しみを産むから、
智慧により無我を悟ることを勧めるのが仏教。
799 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:07:55 ID:1m4Pxzmi
>>795 >それならば、同じ釈尊が度々説いた「再び母胎に宿る存在」は何ですか?
>「空」や「縁起」ですか?
そうです。より端的に魂というような意味で死後の「識」を用いる箇所もありますよ。
だから、サーティ比丘も誤解したのでしょう。
しかし、釈尊の仰った「識」は、たましいと呼んでも結構ですが、
実体ではありません、縁起して仮設された幻の対象です。
現在の「私」とか「あなた」として指示される対象も全く同じ、
無常で無我で、空で、縁起して仮設されて習慣にしたがって名指しされ、
同一性を持っていると誤認されて実体と思われるだけのことです。
たましいでも、意識でも、なんでも同じことです。
800 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:13:21 ID:1m4Pxzmi
>>797 既に書いたように、輪廻します。縁起して連続して生成し、
同一性を持った実体として仮設、誤認された魂、識、自相続が、
受精卵に入るということですね。ここで色蘊を再び獲得して、
五蘊を備えた生物になり、生まれる時のショックでほとんどの人が
過去の意識を喪失し、今生の縁起が始まるといわれます。
801 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:15:34 ID:Xy1ObPln
「再び母胎に宿らない」。
単純素朴に「次の生が始まらないこと」だろ?それ以外に何がある?w
ちょっと誰かさんを真似てみました。
802 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:18:04 ID:Xy1ObPln
>破壊したいのが「何かがある」「何かが実在する」といった先天的誤認だからです。
そうです、凡夫を苦から救う為の方便かも。
803 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:18:20 ID:1m4Pxzmi
>>801 それは釈尊の誕生偈とともによく説かれるフレーズですね。
解脱したアルハットも宣言します。
つまり、輪廻から解放された、解脱したという宣言です。
804 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:19:28 ID:1m4Pxzmi
>>802 そうです。教え、道は全て方便ですから。
805 :
旧7:2009/07/01(水) 22:25:43 ID:UPTgTAQe
あれなんだよな・・・。
宝珠も在家も、
≪相手の一部に同意しておいて、(親近感を生じさせておいて)、
そのくせ、根本の、一番重要な部分には同意していないことが多い。
同意しないどころか、「ココが違うんですよ!」と高らかに勝利宣言。≫
そろそろ鼻についてきたぞw
806 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 22:34:15 ID:j7PYVD2m
---おまけ---
>>778 >Wikiの解説で興味を持ったのは、宿る場所が「脳」ではなく「心臓」だという点ですが、
>この辺りはどうでしょうか。 私は師より「松果体」だと伺っておりましたので。
神智学的理解によれば、魂との連結はストラトマという糸でアナハタ・チャクラに繋がっ
ています。松果体は松果腺とも呼ばれ、サハスラーラ・チャクラに対応する内分泌腺です。
霊的な発達を遂げた者は魂とサハスラーラにアンタカラーナという連結が生じるのです。
(通常、チャクラとはエーテル体のエネルギーセンターであり、肉体には各内分泌腺/器
官が対応します。正確にはエーテル体だけでなくアストラル体、メンタル体、コーザル体
のすべてに対応するエネルギーセンターがある)。
また、非常によく重要視されるセンターのアジュナー・チャクラに対応する内分泌器官
は脳下垂体です。
アナハタ・チャクラ、つまりハートセンターの対応器官は胸腺なのですが、チャクラその
ものは心臓の反対側、要するに“胸の右側”に位置しています。勘違いしている人がいま
すが、心臓は対応部位ではありません。
ヨーガの場合では、師は弟子の各チャクラの活性化具合を超常視力で判断します。ウ
ソをついても見抜かれています。仏教世界においてはこういう指導の話は聞きませんね・・。
ナンセンスでタブー扱いなのだと思いますが・・。
『魂と肉体との連結(実際にはエーテル複体との連結)は、頭頂部センターのサハスラー
ラ・チャクラと胸部センターのアナハタ・チャクラ(ハートセンター)の2ヶ所であり、アナハタ
に錨を降ろして繋がってる“生命の糸”は「ストラトマ」と呼ばれています。これが途切れる
ことが「死」の開始です。サハスラーラとの連結は「アンタカラーナ」と呼ばれ、こちらは霊性
の道における修養と瞑想を通して連結の糸を確実に太くしていく過程です。』(スレ5/147)
以上、参考まで。
807 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:36:48 ID:gteL1Y5Y
誰が無我を悟り誰が輪廻から解放されるの?我?
>>800 そこまで仏教は言ってないだろ
我は有って無いものだから、転生も消える可能性がある。
瑜伽行派でもないかぎり、輪廻する我を阿ら耶識なるものに仮託して
その展転、連続性を詳細に分析したりはしていない。
809 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:45:44 ID:1m4Pxzmi
>>806 > ヨーガの場合では、師は弟子の各チャクラの活性化具合を超常視力で判断します。
いえ、プラーナが見えるとか他心通とかたくさんいらっしゃいますよ。
ただし、仏教ではそういう現れもただの幻と見ますから、
仏教徒でプラーナが見えるとか他心通を高らかに誇るような人は、
幼稚で笑われます。禅で言う野狐でしょうね。
ただし、日本のお坊さんはプラーナが見えるとか他心通があるという人は
ほとんどいません。だって行しない人ばっかだから。
810 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:47:28 ID:gteL1Y5Y
有って無い我が悟ったり解放されるってどーゆーことかねぇ。。
811 :
旧7:2009/07/01(水) 22:50:07 ID:UPTgTAQe
>>806 >神智学的理解によれば
&
>仏教世界においてはこういう指導の話は聞きませんね・・。ナンセンスでタブー扱いなのだと思いますが・・。
(他人のことを「仏教を捨てなさい!」とか言いながら)、やっぱり神智学なんだよね・・・。
このレス見ても、「明らかに、神智学の方が『カバー範囲が広く』『より深く追求し、真実・真理に迫っている』」としか思えない。
ならばやはり、貴方に【も】w仏教は不要でしょう?w だって、神智学の方が優れているんだから・・・。
それとも、「神智学が触れていない点、フォローしていない点、見落としている点」が仏教にあり、
貴方はそれを求めている、ということなのかな?
>>807 我があると思っている者だろ
たとえばおまえとか
>>806 できれば出典を教えていただけませんか?
814 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:53:53 ID:1m4Pxzmi
>>808 そんなことないですよ。相応部に識と呼ばれる魂が出てくるし、
ミリンダパンハー、アビダルマコーシャ、中論などでも自相続が
死後輪廻することを説きます。
我は現在の意識と我意識としては変わりないです。
無我で縁起して連続するものです。
こういった側面は和辻以降日本では切り捨てられてきたので、
誤解している日本人が多いので前のテーマが生まれたわけです。
815 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 22:55:05 ID:gteL1Y5Y
816 :
旧7:2009/07/01(水) 22:57:38 ID:UPTgTAQe
こうして「デカルト的(?)潜行の果ての、残滓のような主体」が残る・・とw
817 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:03:11 ID:gteL1Y5Y
意識が無くなることが解脱じゃないでしょう。。まさかねぇ
818 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:10:48 ID:gteL1Y5Y
無我を悟る、って、「無我」という用語の意味を理解することなのかな。。まさかねえ
819 :
旧7:2009/07/01(水) 23:13:05 ID:UPTgTAQe
真言氏がヤキモキしてそうな流れだなw
820 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:15:28 ID:1m4Pxzmi
>>810 例えば純朴な子供と映画館に行ったとしましょう。
スクリーンの映像を見て、子供はそこに映る人が実在していると思う。
でも、普通の現代人は映る人が見えるけど実在しないと分かっている。
実在し実話だと思う子供は、感情移入して喜怒哀楽を強く受ける。
実在せず架空だと知っている大人は、覚めた眼でほどほどに楽しむ。
>>815 同様に意識や対象が実在し実体だと思うのが凡夫という子供で、
現れるけど縁起であり空であると目覚めているのが聖者という大人なんです。
821 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:17:47 ID:1m4Pxzmi
>>818 そうそうそういう誤った理解に持って行ったのが和辻流の近代仏教解釈です。
仏教を知らないことが無明とか。
>>819 え? なんで? もやもや、むらむらならたまにしてますが
認識主体である我はどの段階でもあるはずだよなあ
部分としての自我は常在しなくても全体としての自我は常在する
ああややこし
823 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:22:36 ID:3MeiTsZF
>>815 >我が無い、と誰が思うのw
我が思ってるに決まってる。少なくとも、釈迦の「我」が思っている。
これ以上、こっけいな自己矛盾はない。釈迦は、どう言い訳するつもりなのか。
すべての矛盾は、「無」や「空」を、「無い」と解することから生じる。
この矛盾を解決したのが、竜樹の「関係性の原理」の発見である。
「関係性」を導入しない限り、佛教の(釈迦の)矛盾は、どうあがいても、
永久に解決しないのである。
824 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:23:00 ID:gteL1Y5Y
意識に映る像に対する「ある種の見解(実在だとかどうとか)」が悟りなのかねえ。。
825 :
旧7:2009/07/01(水) 23:26:38 ID:UPTgTAQe
>>821 >え? なんで?
主体の立て方(・・・→「主体は立てられない」と、貴方は言いそうだがw・・・)こそが、
仏教を仏教たらしめる最大のポイントではないかい?w
826 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 23:32:51 ID:j7PYVD2m
>>809 全然、違います!
例えばヨガナンダの『Self-Realization Fellowship(自己実現同志会)』などでは、修行によっ
て各チャクラの活性化が一定基準に達してない弟子(の地域)には支部は持たせられないの
です。弟子(会員)の増員や支部の増加、組織の拡大などはどうでもいいのです。
指導員として足り得る導師に成長してない限り、支部もつくれません。グルが霊的視力で七
チャクラをすべて見通して判断するです。ウソや虚勢、単なる博識智弁は通用しない。それは
読心術などとは違います。
仏教では、修行過程を一通り終えれば一定基準ですか??
或いは、禅問答で(弟子の悟り具合を)判定ですか??
潅頂とか・・一連の儀式を通過すればOK?
827 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 23:34:30 ID:j7PYVD2m
>>811 わたし自身には神智学で事足ります。
神智学の視点からは「仏教はダメ。ヒンドゥーは間違い」という見方はありません。
ただ、仏教には仏教の良さがあると思う。世間の大衆が触れているのは仏教なのであるし、
できれば時代の変色をなるべく剥ぎ取った本来のゴータマの教えが知られるようになって欲しい。
もちろん、
わたし自身もゴータマの教えを把握しきれていないし、
仏陀は今でも尊敬の存在です。私個人とっては併用学習という感覚に近いかもしれません。
神智学は古今東西のあらゆる宗教の根底に横たわる真理を紐解くカギを提供します。
私から見た仏教界の疑問符的な教理とは、
業報/輪廻転生の否定論(特にそれは在り得ないとか、ゴータマは説かなかったというもの)、
と、もう一つは今やっているニルヴァーナと我との関係です。
というよりは、「我」はまぁ好きにすればいい(そうしたければw)。
最も愚かなのはニルヴァーナが永久不滅の不死の境地であることを認めないことにあります。
場所じゃない〜自己の意識の状態のことです。
これは肉体の存続の有無に関係なく永遠に不死ということ。
この2点が正しく説かれることを願う。それだけ・・。
828 :
旧7:2009/07/01(水) 23:35:32 ID:UPTgTAQe
>>814 識が魂?
いや、ともかくそれは仮設された我なんだろ
有無の見を離れないと
830 :
旧7:2009/07/01(水) 23:37:42 ID:UPTgTAQe
>>827 >時代の変色をなるべく剥ぎ取った本来のゴータマの教えが
>本来のゴータマの教え
( ´,_ゝ`) プ…
831 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:37:49 ID:1m4Pxzmi
>>825 なるほど、では。
「主体の立て方」は、縁起による仮設認識を実体だと思うこと。
五蘊が縁起して連続しているものを自分だと倒錯することで「主体の立て」られる。
そして倒錯した意識は自分と倒錯した五蘊に対して楽を求め苦を避けるために行為(業)をなし、苦をうける。また、煩悩が生じて輪廻する。
本来、「主体は立てられない」なぜなら、ただただ縁起しているだけだから。
どこにも起点もないし自立しているものもない。
ただ縁起して認識するのみ。主体は妄想だけの観念である。
833 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:43:15 ID:3MeiTsZF
>>832 「主体がない」と、どこの主体が思ってるのw。いくらあがいても、矛
盾は解決しないよ。
834 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 23:45:24 ID:j7PYVD2m
835 :
旧7:2009/07/01(水) 23:45:24 ID:UPTgTAQe
>>827 >場所じゃない〜自己の意識の状態のことです。
>これは肉体の存続の有無に関係なく永遠に不死ということ。
ハァ? (゚д゚)?
『場所』じゃなくて『状態』なんだな?
それが、(【肉体等、状態を顕現せしめる要素無く】)永続するとはどういうことか?
自分で、言ってることのおかしさに気付かないのか?
>>831 流石w 乙と言わねばなるまい。
836 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:48:21 ID:gteL1Y5Y
意識が倒錯しなくなったら悟りの意識なのかな。もしそうなら意識=主体=我 でいいんでは。
837 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:52:11 ID:e4b2SMj0
おい、二枚舌、宝珠!
また、都合の悪い書き込みは知らん顔してスルーか?
>>700 >>702 >>706 >>708 きっちり答えてみろ
お前もカラスと同様に「オウムの殺人事件はゴータマの教義が原因である」
これに同意なわけだな?
838 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:52:38 ID:3MeiTsZF
>>881 >主体は妄想だけの観念である。
主体も、「関係性の集合」と考えれば、確固たる実在である。妄想ではない。
「関係性の集合」だから、「自性はない」。
そして、「関係性」は、「万物に証明可能」である。これを「真理」という。
839 :
宝珠愚者:2009/07/01(水) 23:52:59 ID:j7PYVD2m
>>835 >『場所』じゃなくて『状態』なんだな?
>それが、(【肉体等、状態を顕現せしめる要素無く】)永続するとはどういうことか?
それが解からないことが、現時点におけるあなた方の理解なのです。
果たして人は沢山、仏典を読めば理解するのか?
或いは、大学で専門講義を受ければ理解するのでしょうか?
まさか、また唯物論にでも逆戻りしますか?
>>820 だから、死後を語るのは説く者に対して
真実を知らせるもっとも適当な方法をとるための態度としてだろーが
我とよばれる仮に和合物してできたものが、死後も自他の区別をもって、
内に閉じた世界で独立して縁起しつづけるなら、それがこの世界と接触することがそもそもできない。
例えば我々の体とて日々、物質を新たにしている。
記憶も刷新されていく。ように。
ある我という因縁生を、死後も生前と同じ連続性があるとして見てその詳細を論じていくことは
別に非仏説ではないし、非難すべきものとして咎めないが、
そのように見ていくのは、あくまで経典のひとつに、そのように説かれているからで
それが真実ではない。死後は無いと言えるし有るとも言える。
841 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 23:54:14 ID:1m4Pxzmi
>>826 宝珠さんの問題の一つは、そこにあるようですね。
要するにチャクラがどれだけ開発されているか、輝いているかで判断するということですね。
そういう面だけで判断するのは私が知る仏教では軽蔑されますね。
そういう方面を重視すると何が見えるとか神が語りかけるとか言い出しますね。
私の知る仏教では、そういうものはあくまで飾り、本質には関係ないものとされるように思います。
それよりも、そういう現れも日常の現れと同じ幻と見て、特別視しないのが
真っ当な行者とされます。そんなことより、菩提心や謙虚さ、
心に揺れがないことなどが重視されるように思います。
あまり比較したくないのですが、そのヨガナンダの会はオウムにそっくりです。
オウムもチャクラやプラーナの状態で厳格な階級社会を作って、
状態の高いものが支部長などになっていました。
そういう傾向をチョギャム・トルンパはスピリチュアル・マテリアリズム
と呼んでいたと思います。
この傾向がアートマンに繋がると思いますよ。
>>836 だから、なんど説明させれう゛ぁ・・・このアホが、新参の方ですか?
意識があるという思いも消えるのだから、それが主体であるはずがないだろ
843 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:00:58 ID:Vs0tavOC
>>842 この輩の問題は、無我ではなく非我だ、という段においては、教証と連呼しておきながら、
他方で、我を密輸する段になると、教証を軽視して、解釈などを恣意的に継ぎ接ぎする
仏教を愚弄した姿勢でしょう。
844 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:01:00 ID:tzLgvcpA
>>829 識とか魂というのは、私とかあなたというような、
言い習わしです。本来、空で幻ですが、
なにか世間に従って指し示す時、世間の言い習わしに従って言うだけです。
あるとかないというも、言い習わしにしたがって言う場合は、
あるとかないとかいいます。これが世俗諦、釈尊の言い方では虚妄法。
有無を超えるのは勝義諦、釈尊の言い方では不妄法。
なかなか、ここら辺はそう簡単には理解できません。
845 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:01:36 ID:2LlrG1UF
>>842 >意識があるという思いも消えるのだから、それが主体であるはずがないだろ
アホですか。「思いが消える」のも主体があるから。主体がなければ、
意識は、生じもしなければ、消えもしないw。
846 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:01:55 ID:jJjHtv3i
>>842 つまり悟ると意識がなくなる、昏睡状態になるということ?
847 :
旧7:2009/07/02(木) 00:04:16 ID:NPtqVj9B
>>836 そうだと思いますよw
で、その『意識』とやらが、常住か、永続するか、が問題なわけですw
当然、ぞれは「所謂アートマン」ではないし、「求め、安住すべき、“高級我”」でもないだろうよwww
(そうした「意識」「主体」「我」もまた「行saNkhAra」なんでしょう。 だから、真言氏は「虚妄」「幻」と言い、
『(勝義に於いて)それは主体と言えない、見做せない』と言うわけです。 世俗に於いて仮設される主体である、と・・。)
>>839 お前、やっぱり馬鹿だな。
おやすみ ノシ
>>845 自他の存在認識がなくなるだけなのだから
意識そのものがなくなるのではない。自分が存在するという意識がなくなるといってんだよ
849 :
暁:2009/07/02(木) 00:06:36 ID:gUrQUI0j
明日早いから寝ないとマズイ!
しかし寝ようと思えば思うほど寝れない
じゃあ寝ようと思うのをやめよう
あ、不思議と眠くなってきた
みたいな感じ(笑)
>>842 動きあるところ意あり
意のないところ動きなし生成消滅なし存在なし
851 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:07:26 ID:2LlrG1UF
>>844 いちいち二つに分けなければ説明できないのでは、理論として成立して
いないということ。反論に窮すれば、なんとでも誤魔化せるではないかw。
「真理は、単純である」。
853 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:11:33 ID:tzLgvcpA
>>840 >だから、死後を語るのは説く者に対して
>真実を知らせるもっとも適当な方法をとるための態度としてだろーが
どういうことでしょう?
>我とよばれる仮に和合物してできたものが、死後も自他の区別をもって、
>内に閉じた世界で独立して縁起しつづけるなら、それがこの世界と接触することがそもそもできない。
なぜ? あなたは生まれてからいままでこの世界と接触しなかったのでしょうか?
>例えば我々の体とて日々、物質を新たにしている。
>記憶も刷新されていく。ように。
日々どころか一瞬も同じことはないでしょう。
>ある我という因縁生を、死後も生前と同じ連続性があるとして見てその詳細を論じていくことは
>別に非仏説ではないし、非難すべきものとして咎めないが、
>そのように見ていくのは、あくまで経典のひとつに、そのように説かれているからで
>それが真実ではない。死後は無いと言えるし有るとも言える。
それは現在の世界、自分自身が「無いと言えるし有るとも言える」のと同じですね。
私は、仮設として世間的用法としてあるなしを用いるしかないといことです。
また、超越者としてのアートマンは世間的用法としてもあるなしを用いることができないなら、ないといえるでしょう。
そして、勝義としては、あるともないとも言えないでしょう。
854 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:13:25 ID:2LlrG1UF
>>852 小学生にも判る明らかな矛盾を解決できない宗教者は、幼稚園児以下。
855 :
宝珠愚者:2009/07/02(木) 00:13:38 ID:l1IHkcs9
>>841 違います。すみませんが素人的意見ですね。
ガラスとダイヤの区別がつかないのと似ています。
傍目には酷似して見えるので違いが判然としないからです。
あんな似非モノと一緒にしないように・・。
>>837 オウムの所業は彼らが勝手にやったことであり、ゴータマのせいではありません。
ただ仏典は、サンジャヤ的な懐疑論の言い回し風や不可知論的論調が多い。
だからみんな誤解してしまった・・。その辺が残念なことだと私も思っています。
カラスさんも、ついその不満がぶちまけてしまったものでしょう。
それをゴータマの個性と見なすか、またはゴータマの失敗と見なすのかという意見だと思います。
私はそういう個性であり、また且つ、経典編集者の趣向だろうと見なします。
仏教を学ぼうとする者の精神態度は、基本原則としてゴータマを敬うべきもの。
856 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:16:51 ID:tzLgvcpA
>>855 そうですか。じゃあ、おわりですね。
残念ながら、私では力量不足だったようです。
仏教に神智学を持ち込むのは、やめた方がいいですよ。
857 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:17:14 ID:4FYD2B7B
いつものように都合の悪い書き込みは全てスルーか。
ホントに姑息な奴だな、この宝珠って奴は
いいか? お前は今までさんざん自分の気に入らない者に
「ゴータマを誹謗するものは許せない。このスレから出ていけ。さようなら。」
このセリフを繰り返してきたわけだ。ところが、お気に入りのカラスが
>>474 で かつてないほどゴータマを誹謗する書き込みをしても全く知らん顔。
この二枚舌野郎が
お前は仏教を語る前に、その腐った根性をなおせ。
858 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:19:19 ID:2LlrG1UF
>>855 >基本原則としてゴータマを敬うべきもの。
「基本原則として麻原を敬うべきも」としても充分に通じるぞ。釈迦も
麻原も、同じく「教祖」であることに、聊かの違いは無い。
そのような教祖盲信こそが、オウムの原因であることを、自覚すべき
ではないのか。
>どういうことでしょう?
死後に我を仮設することは必ずしも必要ないということです。
>なぜ? あなたは生まれてからいままでこの世界と接触しなかったのでしょうか?
わたし自身接触してきたからこそ、我などないと言えるのです。
>日々どころか一瞬も同じことはないでしょう。
そういうことではない。
過去現在、ずっと私と思っているものも、思っているだけで、その思い(妄念)以外はまったく同じではないということです。
>私は、仮設として世間的用法としてあるなしを用いるしかないといことです。
死後を仮設する仏教のみを説くことは無見に属しますよ。
さらに、現在、死後を説くことは一般的ではないです。
説く必要はありますがね。
アナートマン、我がない、つまり同じものではない。
自性なるものはない。そうなると過去世・現世・来世
なるものは当然同じものであるはずはない。
諸法無我である。
バラモンの教えを釈迦は完成させたのである。
>>854 はなしの共通基盤ができない失語症の小学生はおかあさんに愚痴でもきいてもらってろ
862 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:22:45 ID:jJjHtv3i
>>848 意識とは常に何かの対象についての意識でしょう。何か対象を意識していながら「自分が存在するという意識がない」って??
>>862 自分は見てるのか、それとも見させられているのか
そんな疑問さえないのか、この小学生は
864 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:28:10 ID:2LlrG1UF
>>861 小学生の言うことのほうが、広い世間にははるかに通用するぞ。世間に
通用する言葉を失った宗教者こそ、「失語症患者」である。
せいぜい、教団というちっぽけな閉鎖空間に引き篭もって、愚痴たれ合って
いることだな。
>>864 るせーな馬鹿
ならずっと小学生のままいろ、このドリーマーめ
世間に入ってこそその世間に通じることができるんだよ
話する気ゼロだな
>せいぜい、教団というちっぽけな閉鎖空間に引き篭もって、愚痴たれ合って
おまえだろ、これ
866 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:32:19 ID:2LlrG1UF
>>863 >この小学生は
世間に通用する言葉と思考さえ失った失語症の幼稚園児に過ぎない宗教者
が、大人を「小学生」呼ばわりすべきでえはなかろう。
868 :
宝珠愚者:2009/07/02(木) 00:35:26 ID:l1IHkcs9
>>856 >残念ながら、私では力量不足だったようです。
力不足じゃないです。全くそういうことじゃない・・。
>仏教に神智学を持ち込むのは、やめた方がいいですよ。
はい、こちらも押し売りのつもりは毛頭ありません。仏教徒には不要でしょう。
気付きに役立つものなのですが・・こればかりは仕方ありません。
仏教枠内でも十分に気付ける可能性はあると思いますが・・。
869 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:35:27 ID:tzLgvcpA
>>859 >死後に我を仮設することは必ずしも必要ないということです。
それは現世でも同じですね。仮設しなくてもいいけど、
無明によって仮設せざる得ないのが輪廻で、その有身見がなければ解脱できると仏教は説きますね。
>わたし自身接触してきたからこそ、我などないと言えるのです。
だったら、死後も接触できない理由はないでしょう。
>過去現在、ずっと私と思っているものも、思っているだけで、その思い(妄念)以外はまったく同じではないということです。
同じことです。一瞬も同じものなど一切存在しないというのが無常でしょう。
>死後を仮設する仏教のみを説くことは無見に属しますよ。
無見とは断見のことですよね。どうゆうことでしょう。
>さらに、現在、死後を説くことは一般的ではないです。
死後を説く必要性は、輪廻の中にいるという現状認識、
一切が苦であること、業、縁起、修行のための前提と考えます。
870 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:36:11 ID:4FYD2B7B
>>855 お前は自分の言ってることが矛盾してるのが分からないのか? 宝珠
>>474 はちゃんと読んだのか?カラスはそこではっきりと「オウムの殺人事件は『ゴータマの教義』が原因である。」
こう言いきっている。
また、お前は「カラスは教えを正しく理解している」このように言った。
ならば、お前もカラスと同じ見解なわけだ。
違うのか? カラスは間違っているのか?
なら、これほどゴータマを貶める発言もないわけだから、はっきりと言わなければならないな。
「このスレから出ていけ。さようなら。」
さぁ、言ってみ
871 :
宝珠愚者:2009/07/02(木) 00:49:05 ID:l1IHkcs9
>>870 確かにオウムのような教団、
そして、その他の多くの教団が「布施」の教義を利用して在家信徒から貪り奪ってきたのは事実です。
カラスさんはそのこのについての怒りをぶちまけているのです。
「布施」の考え方というものは、本来は違う。
>>703 ただ誤解が起こりやすいのは、
サンジャヤ的な懐疑論の言い回し風や不可知論的論調が多いからです。
>>855 ただ、ゴータマを罵倒するは良くないですね!
872 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:51:16 ID:4FYD2B7B
どうした? 言えないのか? 宝珠
お前は今までさんざん自分の気に入らない奴には
「出ていけ」と言っておきながら、お気に入りのカラスには、どんなにゴータマを賎しめる発言をしてもOK
だから、姑息な二枚舌野郎って言われるんだよ
その場その場でころころと態度を変える。
最低の奴だね、お前は。
自分の言ってることに一貫性をもたせられないのかね?
>だったら、死後も接触できない理由はないでしょう。
いや、だから○○が○○に接触するという思考法を死後にまで持ち出す必要がないでしょうよ。
>無見とは断見のことですよね。どうゆうことでしょう。
すまんすまん。有見だね
因縁生なる我を死後にまで仮設しそれが生前と同様に死後も存在すると思うことは
有見に属することだろう。有るとも言えるし無いとも言えるという視点を教えないかぎり。
我を仮設しなければいけないとなると、我が有るとしていることになる。
>死後を説く必要性は、輪廻の中にいるという現状認識、
>一切が苦であること、業、縁起、修行のための前提と考えます。
輪廻はそうだが、死後の輪廻は必須ではないね。
断見の信者に対し、釈尊は必ずしも死後のあることを強制していない。
874 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 00:59:05 ID:Vs0tavOC
>>871 で、結局、何故我を密輸したいのですか? 何故、我が無ければならないのですか?
相続の統一者を確保したいからではないのですか?
この動機の部分を何とかしないと、貴方の場合、教証は無意味でしょう。
何故なら、真言様や旧7氏などの原典レヴェルの有識者がこれだけソースを挙げて
指摘しても構うことなくこの有様なのだから。
875 :
宝珠愚者:2009/07/02(木) 00:59:45 ID:l1IHkcs9
>>872 明らかに最初からゴータマを罵倒してきた人たちなどとは、彼は違う。
これは過去の一連の投稿から判断されるべきです。
たまたまその時々の言葉のアヤから人を判断すべきではない。
カラスさんの口の悪さは元々であり、ゴータマに対してという意図ではない。
876 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:01:22 ID:4FYD2B7B
>>871 違うだろ?
「ゴータマを罵倒するのは良くないですね」 だ?
んな、当たり前のことは言わんでよろしい。
お前が今まで繰り返し言ってきた決まり文句があるだろ?
「ゴータマを賎しめることは許せない。『このスレから出ていけ』さようなら。」
はっきりこう言って、このスレからカラスを追い出してみろ。
当然、できるよな?
なにしろ、カラスはお前が今まで「出ていけ」と言ったやつらとは、比べものにならないくらいゴータマを賎しめたわけだからな。
877 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:06:21 ID:2LlrG1UF
>>853 >自分は見てるのか、それとも見させられているのか
自分が見ているのに、「見させられている」などと感じるのは、「させられ体験」
そいう統合失調症の症状です。精神科での、早急な診断と治療が必要です。
878 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:12:08 ID:4FYD2B7B
>>875 は? お前ホントに
>>474 を読んだのか?
言葉のあや?
カラスは元々、口が悪い?
そういうレベルの話ではなかろう。
あれほど詳細に長文で書き込みをして、ゴータマを誹謗するものではないだ?
なんか、イエスとの比較やゴータマは涅槃にたどり着いてなかっただのとも書いてたな。
あれがゴータマ批判ではない?
お前、いくらカラスを擁護したいからと言って、それは無茶すぎるわ。
自分のお気に入りの奴を擁護するためには、とことん自分流に解釈するわけか?
879 :
宝珠愚者:2009/07/02(木) 01:19:39 ID:l1IHkcs9
>>874 動機ね・・・。
それは自己矛盾(仏教教理の自己矛盾)の解決でしょう!それだけのことです。
私は別に困らないけど(混乱がない)、新しく仏教に触れる人が踏み誤るでしょ。
動機はそれだけのこと。
確かに真言氏の説明は個人勝手なものではなく、
明らかに脈々と続いてきた伝統教理を語っているものです。
しかし、それは昔の仏教者が後に誤解したことですよ。
縁起によってアートマン存在の否定を説くのも結構・・。
「あれもアートマンではない。これもアートマンではない。
なーんだ、つまり、結局どこにもアートマンなんてないじゃないか!」
ということで、非我がアートマン無しの「無我」に替えられたのです。
しかし、何もバラモン/ヒンドゥーの説くアートマン理論と同一である必要はありませんが、
ニルヴァーナが空で無常だとはどういう理解です??
無我というのは、仏陀という(無常/空から解脱した)存在すらも否定する見解です。
私が『要語』を読むことでその教義の不確かさが益々、明らかになりました。
まっ、踏み誤る人々も自己責任だといえば、話はそれで終わりなのですが・・。
アートマンの子供は
アートマンコ
881 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:27:55 ID:4FYD2B7B
「また宗教者としての生き様も決してほめられた者ではない。彼の布施に対する
教義はそれの代表格だ。彼はその境地を知り、今の命に執着するなととく傍ら、自ら
説いた布施の教義により、在家からたかって自らの命に執着して、生きていったんだよ。
その報いは、布施により差し出された食物を食べてそれによる食中毒による死だ。
まさに因果応報だな。彼は自分の説いた教義の正しさを、身をもって示したんだろう(苦笑)」
ここまでゴータマをバカにしてる書き込みも、ちょっとないと思うがね?
>>877
君が絶大な信頼をおく心理学は一体何を正常としているの?
883 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:38:51 ID:4FYD2B7B
どうした? 宝珠
お前は まだ カラスの書いた
>>474 の書き込みは
ゴータマ批判の文ではないと言うつもりか?
あの文を読んで、これがゴータマ批判の文ではないと言う奴が、お前以外にいるのか?
宝珠への憎悪が異常
885 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:48:06 ID:4FYD2B7B
>>884 うるせえよ、
雑音しか入れられない奴はひっこんでろ、カス
886 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 02:39:22 ID:buewArhg
>>882 >君が絶大な信頼をおく心理学は一体何を正常としているの?
心理学というより、精神医学。
「病気とは、不特定多数の人間の平均値からの、有意な偏倚である」。
887 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 07:13:38 ID:mw4py4I2
>>790 >「悟り」とは、「悟ったと思った」という「勘違い」の状態をいう。
そのとおりだね。
「勘違い」どうかもその悟りの内容次第だけど。
とにかく、悟りは自覚で、「悟った」と気づくことだね。
だから「悟り」にはその手段(根)として意官今の言葉で言うなら
脳は必要だけど「主体=我」とやらは必要ない。
これを「受動意識仮設」という。
もちろん「脳」が「悟り」という意識内容を意識することができないのは
眼が眼識(視覚)を感じられないのと同じこと。
888 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 07:24:33 ID:mw4py4I2
>>794 >心は胸にあると思われてたんじゃないか
そうだね。
心が決まってることを「腹が据わってる」とか「肝が据わってる」
なんて言い方もある。肝っ玉かあさんのように。
心は肝にもあるだろう。
そういえば「下心」という心はあそこにあるのかな?
889 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 08:09:09 ID:mw4py4I2
>>825 >主体の立て方(・・・→「主体は立てられない」と、貴方は言いそうだがw・・・)こそが、
>仏教を仏教たらしめる最大のポイントではないかい?w
「主体は立てられない」のではなく「主体を立てないで諸法を理解する」のが仏教でしょう。
現代の哲学の言葉で言えば「存在論」から「認識論」への転回です。
釈迦は「我はあるか、ないか」を問題にしたのではなく「我とは何であるか?」
を問題にしたのです。これが「自灯明」でしょう。
また「法があるか、ないか」を問題にしたのではなく「法とは何であるか?」を
問題にしたのです。
あるいは、現代論理学で言えばアリストテレスの主語・述語論理からラッセルの
述語論理への転回ですね。 述語論理では主語は立てないで変数Xとして扱う。
「自己」も日々更新する変数的存在に過ぎない。
固定した「自己」を嫌うのが仏家の習い、なんて道元が言ってなかったかな?
890 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 08:29:56 ID:weVHZH/I
>>889 いくら主体を立てないと言っても、主体で思考していることを逃れる
ことはできない。述語の中に、言外に、主体は不可避的に現われる。
主語のない日本語の述語がその例。イタリア語では、人称代名詞の主語
は省略するが、述語は主語に対応して変化している。
いずれにしても、人為的で無理な理論構成である。
「我とは何であるか」を考えること自体、まさに主体を立てている。
891 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 08:33:40 ID:weVHZH/I
「存在論」なしの「認識論」など在り得ない。認識の対象を欠くからで
ある。
佛教の思想は、むしろ究極の「存在論」ではないのだろうか。
892 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 08:43:01 ID:mw4py4I2
>>855 >仏教を学ぼうとする者の精神態度は、基本原則としてゴータマを敬うべきもの。
ゴータマ・ブッダはそれとは真逆のこと言ってるよ。例の大パリニッバーナ経の
「自灯明 法灯明」の遺言だね。
ゴータマ亡き後、誰を師としたらよいかの質問に「法」をたよりとせよ、と
言っている。個人崇拝などしないようにということも言っている。
経典から勉強したいのならそれくらい読み取ったらどうか?
893 :
一在家:2009/07/02(木) 08:50:56 ID:6zAjgB2b
>>806 宝珠氏
>松果体は松果腺とも呼ばれ、サハスラーラ・チャクラに対応する内分泌腺です。
>霊的な発達を遂げた者は魂とサハスラーラにアンタカラーナという連結が生じるのです。
丁寧な解説を有難うございました。
学生の頃、チベット死者の書やヨガ入門書を読んだのを思い出しました。
松果体に魂が宿ると伺ったのであり、松果体が魂だとは申しておりませんが、
誤解された住人も見受けられました。
894 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 08:53:55 ID:weVHZH/I
釈迦が、自己の主体による考えで、我はない、などと言ったら、それこそ
大笑いの滑稽な姿だろう。
895 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 08:55:14 ID:mw4py4I2
>>891 >佛教の思想は、むしろ究極の「存在論」ではないのだろうか。
説一切有部は「法」をそのように誤解したようですね。
「存在論」と「認識論」の違いは言うまでも無く世界に対する
観点の違いだから、「存在論」が無ければ認識対象を欠くなんて
事にはならない。存在論があって「存在」が生じるわけではない。
あくまでも「存在するとはどういうことか」を追求するのが
「存在論」でしょう。それに対して「これは何であるか?」を
追求するのが「認識論」だね。
仏教は唯識もあるようにやはり「認識論」だと私は理解している。
現代のコンピュータ情報学での存在論=オントロジーでは
名前などで示される「対象」間の「関係性」を見つけようとする
手法になっている。相依性の縁起による把握でもある。
896 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:01:17 ID:weVHZH/I
>>895 「世界に対する観点」という言葉の中に、既に「世界」という対象が
含まれている。
「対象間の関係性」ではなく、「対象そのもの」を関係性の集合とすれば、
問題は解決する。
897 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:08:16 ID:mw4py4I2
>>886 >「病気とは、不特定多数の人間の平均値からの、有意な偏倚である」。
ほう。じゃニュートンやゲーデルのような天才も精神病となるのかな?
人間の平均値が何を表すのか知らないけど、数値で処理できるような
ことならろくなことではないな。生命を助けて人を殺す現在の医療の
ようなものだね。www
898 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:15:51 ID:weVHZH/I
>>897 「平均値」とは、必ずしも数値を意味しない。「平均的なquality」
でもよい。
ニュートンはよく知らんが、ゲーデルには、精神医学的な問題があった
はず。
あくまで「有意な(significant)」な偏倚でなければならない。
「生命を助けて人を殺す」とは、矛盾語法。
899 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:18:05 ID:mw4py4I2
>>896 仏教は「存在論」としては集合論に基づいていたんだろうね。
集合の集合もまた集合になるから対象はすべて集合でいいだろうね。
そしてその集合の要素(法)が何であるかを考えるのが「認識論」だね。
縁起の理法はその要素(法)分析のための手法だね。
我は五蘊すなわち(色、受、想、行、識)のあつまりだと考えるのだから
たしかに集合論だろう。
そして集合論ではすべての集合は空集合から構成できる、つまり一切法空
ということだね。
どんな集合の部分集合としても空集合は含まれる。
900 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:26:21 ID:mw4py4I2
>>898 >「生命を助けて人を殺す」とは、矛盾語法。
「ヒト・人・人間」を分別する思考法を知ってるなら
生命と人とは違うことぐらい解るだろ。
生命が無ければ成り立たないのは生物としての「ヒト」だね。
「人」は生命がなくなって死んでも「死んだ人」に成るだけ。
人でなしにはならない。身体も死んでもしばらくは「死体=遺体」
として残る、と解剖学者の養老先生が言っていた。
ゲーデルといえば「神の存在証明」を思い出した。
無神論の仏教には関係ないことだけど。www
901 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:28:15 ID:weVHZH/I
>>899 集合の要素など考えたら、要素は空ではなくなる。その要素もまた関係性
の集合であるとしなければ、空にはならない。
>>897 「ゲーデル(Wikiより)
晩年は非常に内向的となり、精神にも失調をきたしていたらしく、毒殺
されることを恐れる余り妻アデルが作った食事以外は自分が調理した食
事すら口にしなかった。夏でも冬服を着込み、毒ガスによる暗殺を恐れ
たために冬でも家の窓を開け放っていた。人前に出ることはあまり無く、
自宅にこもって哲学と論理学の研究を続けていた。最終的にはアデルが
入院していた間に絶食による飢餓状態となり、プリンストン病院で死去
したが、この時の体重は65ポンド(約29.5kg)しか無かった。」
これではやはり、明らかに統合失調症か、重症の鬱病だね。
902 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:50:00 ID:mw4py4I2
>>890 >いくら主体を立てないと言っても、主体で思考していることを逃れる
>ことはできない。
ほう、そうでしょうか?
先ずあなたの言う「主体」とは何でしょうか?
主観ではないですよね。自己自身(自分)でもないですよね。
そして「主体が思考する」とはどういうことでしょう?
私なら思考の手段は脳であるという。
釈迦の時代には意識の手段すなわち意(心)はどこにすべきか
解らなかったので意識の手段(根)は言葉にできなかった。
いまなら一応、意識は脳によって生じるでいいだろ。
しかし、脳は我でないことはもちろんだね。
自我意識は脳で生まれるにしても、それが我ではない。
>>686 > 仏教でいう「大我」
>>446とは、こういうことなんだそうですよ。
> 『大我---真我とは大我ともいわれ「パラマートマン」 (parama-aatman) であり、最高の
> 我の意味である。もちろん、この我は外道の我でなく、仏果の徳の上につけた名である。
> すなわち涅槃といわれるさとりは真実であるからと、その悟りの世界はいっさいの繋縛を
> はなれて完全自由であるからとの両面より、さとりのうえに大我の徳を認めるのである。』
> (Wiki)
誰でもWikiの記事は書けるわけで、Wikiだけではソースとしては不十分ですが、
この場合の大我に我ありという思いがあり、個でありつづける要素があるならば、
個である要素において全体性との隔絶があり、その領域で輪廻さえしつづける可能性を否定できない。
つまり解脱した涅槃に至ったとはいえない。
もし、個でありつづける要素がないのであれば、それは大我という言葉で表記されていても
実際には我ではないということを意味する。
> 別に同意ということでも構わない・・。ただ「涅槃では我(自己)が無い」などというから全て
> オカシクなるのです。
むしろ涅槃に我ありというからオカシクなるといってるわけです。
904 :
一在家:2009/07/02(木) 09:54:15 ID:6zAjgB2b
>>806 宝珠氏
>松果体は松果腺とも呼ばれ、サハスラーラ・チャクラに対応する内分泌腺です。
>霊的な発達を遂げた者は魂とサハスラーラにアンタカラーナという連結が生じるのです。
丁寧な解説を有難うございました。
学生の頃、チベット死者の書やヨガ入門書を読んだのを思い出しました。
松果体に魂が宿ると伺ったのであり、松果体が魂だとは申しておりませんが、
誤解された住人も見受けられました。
905 :
一在家:2009/07/02(木) 09:56:15 ID:6zAjgB2b
>>820 例えば純朴な中学生と科学者とがリアル画像通信デモに行ったとしましょう。
スクリーンの映像を見て、中学生はそこに映る人はビデオか映画と思う。
でも、科学者は映る人がその時点で遠い国で実在していると分かっている。
実在し実話だと思う科学者は、感情移入して喜怒哀楽をある程度受ける。
実在せず架空だと知っている中学生は、覚めた眼でほどほどに楽しむ。
貴兄の譬え話は分り易いので、応用もし易いです。
906 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 09:58:12 ID:mw4py4I2
>>901 >>899のここを読み落としてるね。
そして集合論ではすべての集合は空集合から構成できる、つまり一切法空
ということだね。
空集合とはその要素が無い集合のことだよね。
空集合も空であるは同語反復だろ。で要素が無いなら相互関係も無い。
無関係という関係性が空集合だろ。
907 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 10:03:46 ID:mw4py4I2
>>905 >科学者は映る人がその時点で遠い国で実在していると分かっている。
これでは科学者になれないね。ノーベル賞でも理論だけで実証されない
ことは受賞の対象にならない。
思い込みは科学者にとって致命的な欠陥だ。
908 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 10:13:45 ID:mw4py4I2
>>904 >松果体に魂が宿ると伺ったのであり、松果体が魂だとは申しておりませんが、
松果体(松果腺)と魂(精神)の関係を言い出したのはデカルトの
「情念論」が初出だと思うが、松果体は視覚に受ける眼のような位置づけ
で魂と身体が相互作用する手段だとしている。
脳の中の意識という機能を松果体に局在させようとした理論だね。
デカルトにとって精神(魂)は実体であり身体が無くても精神は存在するのだから
魂が松果体に宿るとも魂が松果体であるとも言わないだろう。
909 :
旧7:2009/07/02(木) 10:33:28 ID:MEcDOLJB
たとえば、
>>879などにも、神智学基準、神智学優位であることが伺える。
>仏陀という(無常/空から解脱した)存在すらも
この言い方の裏には、彼が時折使う「アバター」(?)なる存在のことが前提とされ、
ブッダもその種の存在であり、「それを人間に「落」としめるとは何たる不遜か!」という感情が仄見える。
>私は別に困らないけど(混乱がない)、新しく仏教に触れる人が踏み誤るでしょ。
→《 神智学には何の関わり・影響もないけど、今の仏教は間違ってるから、副業・余技・余暇・暇潰しとして指摘するのです。
貴方達、矛盾してますよ?w と。 》
ということか?w
>まっ、踏み誤る人々も自己責任だといえば、話はそれで・・・
→《 別に、今の仏教に導かれて真理から遠ざかっていてもいいけど、せっかくだから親切で、
真の世界観を教えてあげてるんですよ。 》という「上から目線」もありそうだw
また、
>自己矛盾(仏教教理の自己矛盾)の解決でしょう
>その教義の不確かさが益々、明らかに
とある。
≪原始仏典は、
・『転生』及び『三世に跨る業報』は
「矛盾無く」「確か」であり、「
仏典の記述は(記述通り)全く正しい」ものであり、(・・・前シリーズの主張)
・『我、無我』を巡るおしえ、『涅槃の説明』に関して、『一切法の範囲』に関しては、
「矛盾していて」「不確か」で、
「仏典の記述は誤った伝承であり、(記述通りでなく解釈して読むべきであり)再解釈が必要」なものである。(・・・今シリーズの主張) ≫
(≒「原始仏典は、『神智学的文脈』で読み解くべき」)という理解で良いのかな?
910 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 10:35:01 ID:weVHZH/I
>>808 >デカルトにとって精神(魂)は実体であり身体が無くても精神は存在
>するのだから
そのような「コギト」が、西洋哲学の誤謬の根源。しかし、彼が「我あり」
と言ったとき、我の身体も含めているのではないかね。他者が、デカルトの
身体を知覚しなければ、デカルトは幽霊。即ち、「我はない」というべきで
ある。デカルトは、「我あり、故に我思う」と言うべきであった。
911 :
一在家:2009/07/02(木) 10:40:29 ID:6zAjgB2b
これも「縁起」だと思いますが、本スレのやりとりを横で見ていて
一つ気付きました。
・仏教では「関係性」が重要。「空」も準拠
・日常生活は複数の因・縁が絡みあって、複雑な果を生成し悟りにくい
・在家で「関係性」を悟るのは極めて難しいから、出家した方がよい
・出家するならば、できるだけ人のいない場所がよい
・人里はなれた場所で瞑想して、自然の中で「関係性」を感受し悟る
・次は師との対話の中で「関係性」を悟る
・次は修行者達との対話の中で「関係性」を悟る
・下山して、日常生活の中で「関係性」を悟る
「梵網経」で釈尊が説かれたことは、62の教えが全て間違っていると
いうことでなく、各論者が感受レベルに留まっており、自説の真偽を
体感、深く実感するに至っていないという指摘だったように存じます。
912 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 10:44:37 ID:4FYD2B7B
>>909 ふ〜む、いつものことながら、貴殿の分析は
実に鋭く、正確だな。
特に今回のは良い。
その場その場で自分に都合の良いようにスタンスを
使い分ける、宝珠の姑息な性格が浮き彫りになり、
見事だな。
913 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:10:32 ID:weVHZH/I
>>902 >先ずあなたの言う「主体」とは何でしょうか?
そうやって書き込みしているあなたのすべてですよ。Displayやキーボード
を見ているあなたの目、キーボードを操作しているあなたの指、文章を考えて
いるあなたの頭脳、体の部位を動かすエネルギー、etc.etc.
それらを統括しているのが脳神経系ですから、やはり脳が主体と言ってもよい
でしょう。しかし、体の他の部位も働いているのですから、結局は、あなたの
身体全体が主体となります。
914 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:12:12 ID:ouONJXbk
ネット(仮、幻)世界の宝珠氏にあまり固執しない方が宜しいかと思います。
書き込みは「正語」で、心は「正定」にて、仏教徒の「正精進」を願います。
915 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:21:48 ID:mw4py4I2
>>913 でもこの掲示板においては、その主体とやらは関係ないでしょう。
単なる文字情報が見えるだけではありませんか?
世のなかの物事もそれと同じだと思えませんか?
すべての物事は我ならざるものであると。。。
916 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:22:22 ID:weVHZH/I
>>911 「関係性」を悟るのに最も良い方法は、出家などではなく、自然を
観察することだね。観察抜きの瞑想などでは、何もわからない。
例えば、自然の一部としての人体という小宇宙の解剖生理を学べば、人
体のすべての部分が、寸分の隙も無く関係し合っていることが判る。
917 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:24:57 ID:mw4py4I2
>>914 そうだね。
俺もそれがいやでコテつけるのやめた。
でもなぜかこんな掲示板で名前にこだわるのがいる
んだね。無我になれないのかな?
918 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:44:53 ID:ouONJXbk
>>917 この板を見ていると、三つの煩悩(三毒)の中の瞋恚「いかり」・「にくい」に
囚われて抜け出せない者がいる。
「カラスにいかり」、「宝珠はにくい」ってね。
919 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 13:55:34 ID:C0jLIjt2
>>915 >でもこの掲示板においては、その主体とやらは関係ないでしょう。
>単なる文字情報が見えるだけではありませんか?
>世のなかの物事もそれと同じだと思えませんか?
>すべての物事は我ならざるものであると。。。
それにしては、この掲示板でも、「単なる文字情報」に対して、主体のぶつかり
合いが激しいですねw。「我ならざるもの」といくら思おうとしても、無理な
話だということです。特に宗教者は、「我ならざるもの」であるはずの教祖や
教典に我を同一化してしまい、絶対に悟ることができません。
なお、竜樹のいう「縁起・空」とは、事物が関係性により成り立っているから
無自性だといってるのであり、あなたの仰ってる無我、非我とは、ニュアンス
が違うようですね。
争いを避けるためには、無理に無我、非我とするよりも、「同じ人間同士として
関係し合っている。従って、自は他であり、他は自である」という自覚のほう
が、効果があると思いますよ。
>>886 >不特定多数の人間の平均値からの
この世に平均的な人間がいるかね
君は平均的な日本人であるかい?おれは平均点とったこともないよ、いい意味で
>有意な偏倚である」。
有意って?意味があるなしの判定基準はどう基底されているんだい?w
921 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 14:07:17 ID:mw4py4I2
>>862 >意識とは常に何かの対象についての意識でしょう。
そうですね。
仏教では意識の対象(境)のことを「法」という。事物に関する法則を意識する。
>何か対象を意識していながら「自分が存在するという意識がない」って??
普通そうだろ。目の前にリンゴがあると意識しても自分が存在するなど考えない。
せいぜい、うまそうなリンゴだな、なんて思うだけだろ。
ニュートンのようにリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を思いつくなら天才だね。
922 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 14:15:54 ID:mw4py4I2
>>877 >自分が見ているのに、「見させられている」などと感じるのは、「させられ体験」
>そいう統合失調症の症状です。精神科での、早急な診断と治療が必要です。
見たくも無いものを見させられてしまうのは、そんなに異常な体験じゃないでしょ。
見たいと思ってみるほうが少ないくらいだろ。普通は漫然と見るでもなく、見られるでもなく、
我を意識せず、我を忘れて、ただ眼に飛び込んできたものを見させられてるだろ。
923 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 14:34:30 ID:mw4py4I2
>>919 >争いを避けるためには、
いえ、いえ、私はここでは争論を楽しんでるだけだから。
言葉と言葉の絡み合いに過ぎないと自覚しとるんじゃよ。
ここでレスすることは読書したり考え事したりする刺激には成るね。
924 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 14:44:22 ID:C0jLIjt2
宗教者は、教祖や教典を自己と同一化してしまうから、何よりも強力な
我が生じるのです。宗教には紛争や内部分裂が多いのは、それが原因
です。
このように、心の中を他者に占拠されて、人間としての自立性が失われる
のが、統合失調症の代表的症状の一つです。
925 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 15:54:53 ID:4FYD2B7B
>>918 ほ〜 すごいね。お前は、そのように人を評価するのだから、
きっと、日々、八正道を邁進するお偉いさんなのだろう。
俺は見ての通り、ただの凡夫だ。だから、ほっときな。
それとも、何かな?
お前の有難い教えで俺を
正そうとでも思ってるのか?
そうでなければ、よけいなチャチャ入れずに引っ込んでろ。
>>922 構造主義がデカルト批判するときに使う手法ですな
>>925 どうい。
旧名無しみたいに徳のある話を身につけないといけないとは思うんだけどな
馬鹿が多すぎてとても面倒見切れないや
カラスは絶対教室なんざ開けそうにないな
生徒が「先生ここがおかしいとおもいまーす」と聞いただけで
逆ギレ、罵倒しちゃって学級崩壊しそうだもんな
惨めなクレーマー程度がやつの限界だろう
928 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 16:30:10 ID:6zAjgB2b
末法の2ch修羅地獄ですか。
八正道も馬鹿にして、釈尊の教えを悟ろうする者が多いようですな。
929 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 16:32:51 ID:mw4py4I2
>>926 ちょっと、仏教哲学を応用しただけですよ。
仏教哲学はポストモダン哲学でもあるのかな?
930 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 16:35:44 ID:mw4py4I2
阿修羅展、見損なっちゃった。残念。
931 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 16:47:33 ID:4FYD2B7B
>>928 ちょっと聞くけど、お宅さんは
>>918 かな?
そして、八正道をバカにして と言うのは、俺のことを指しての発言かな?
>>928 釈尊なら相手にしないだろうね
悪友とはつきあうなが教えだもの
むしろ感謝してほしいね
933 :
>918:2009/07/02(木) 18:30:01 ID:ouONJXbk
今は石灰地蔵、空・幻。。すぐ消える。
934 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 20:22:04 ID:S8c0J6pk
>>920 >この世に平均的な人間がいるかね
この世を支えている、圧倒的多数の生活者のことです。それらの人々の思考・
行動の共通部分を、「社会常識」と呼びます。この世は、それらの生活者と
社会常識によって維持されています。
>有意って?意味があるなしの判定基準はどう基底されているんだい?w
「有意(significance)」「有意差(significant difference)」とは、もともと、
統計学上の言葉ですが、医学や薬学においては常に使用される言葉。その定義
については、くぐってみてください。簡単に言えば「程度が充分に大きい」
「無視できない」というほどの意味。
>>934 要するに社会生活が行える範囲内なら正常ということね
あいまいだな おぃww
だから社会の懐がせばまるにつれ異常者を排出してしまうのだな>現代精神医学ってやつはよ。
まあ、それはどうでもいいとして。
精神医学というのは、人間社会ありきで話がはじめられているわけだ。
つまり、我があるという前提が置かれて成立する人間社会を、またさらに前提としているわけだから
精神医学において、我を否定することは、すなわち定義を否定することに他ならない。
よって、我を論ずる場において、精神医学を持ち出すことは論点先取になるな。
936 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 20:29:38 ID:VIrwgVxh
世の中は見たままである見たまま金持ちは俺たち一般人より徳が高く
幽霊にいじめられたり妖精と話したりするものもいる
人をだまして勝利するものもいれば我慢して勝利するものもいる
みたまんまであるバカだなあと思えばばかだなあ!ばかじゃなけりゃあばかじゃない!
それだけである
937 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 20:37:33 ID:S8c0J6pk
>>935 >精神医学というのは、人間社会ありきで話がはじめられているわけだ。
人間のすべての営みが、そうでしょう。人間界は、すべての生きとし生ける
ものの世界と同様、本質的に共同体、関係的存在です。独りでは、絶対に
生存できないからです。お坊さんも、お布施がなければ生きられません。
まず、生存ありき、です。
>>937 生きることが第一前提とするのは勝手だが
なんで生きるの?という質問に答えられないから問題なのでは?
非常に基本的な質問でごめんね
ただ生きるのなら猿でもできるからな
940 :
旧7:2009/07/02(木) 20:56:45 ID:NPtqVj9B
地球上で、
最も進化し、最も繁栄しているのは昆虫類だとも言うしなw
蜂や蟻の社会は、ある意味美しく素晴らしいw
まあ、キリスト教の神にしろ、仏教の仏にしろ、いわゆる宇宙生命という
有機体のようなものと考えればよい。
そして宇宙は多次元構造になっており、これが仏教を理解する
鍵であるのだ。
942 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 21:56:55 ID:+1Eco6Lq
仏教スレらしいのー。
修羅界の住人が多いのは2ちゃんのカルマ。
お石灰菩薩が降りてきたのに追い返すとは。。
>>434 >>437 >>497-498 スレッドの主旨からはそれますが、日蓮宗の聞思修にかんしまして、少々申し述べておきますと、
御遺文では『一代大意』(日蓮撰、正嘉二年二月十四日)に
「いわんや聞いて思惟し、つとめて修習せんをや」
とあります。『法華経』ですと普賢勧発品に
「遥《聞》此裟婆世界。説法華経」「是人若坐。《思惟》此経」「欲《修習》是法華経」
とありますので、法華経の受持という一点において聞思修が受けとめられる、ということではないでしょうか。
944 :
偽本尊:2009/07/02(木) 22:19:16 ID:JmzPKpJD
>729
「同語反復」はおかしいとよく指摘される。
この場合は、縁起と関係性が、同語であるといえばそうかもしれない。
しかし「縁起の関係性が変化している」と表現したのは、縁起と関係性を別な意味で使用したのである。
つまり「縁起の諸要素(つまり関係性)が変化している」ということを言いたかった。
ところで、縁起だから無常だと思い込んでいたが、
たとえば要素Aと要素Bから、Cが縁起していたとして、これをA+B=Cと表すと、このA+B=Cは無常では無い。
この関係性は変わらない。これは法体恒有というのかな?
945 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 22:38:55 ID:Z7sagW7O
>>938 >なんで生きるの?
恐らくは、一部の人間だけが抱く、「最も愚かな疑問」である。
生きることに「意味」などない。生存本能(生命)の指示したがって生きてい
る、という以外にはない。「生きること」自体が、「生きる意味」なのである。
「生を考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、「死んでいる」
ことである。
どんな小さな動物でも、捕まえようとすると必死で逃げる。細菌やウィルスも、
薬剤に対する耐性を作り出して、生き延びようとする。
あまり愚かなことを考えると、細菌や昆虫たちから笑われますよw。
946 :
宝珠愚者:
>>858 基本的には信仰心(神や聖なる対象を信じる想い)そのものには宗教間の違いはな
いでしょう。これも大切な部分でしょうね。互いに理解し合える要の部分なのですから。
そのことを想えば、宗教戦争も本来であれば起きない筈なんですが・・。
ただ、あなたのご指摘の通り、導師への絶対服従というのは、その前に少し考える必
要があります。第一として、まずは“自分で考える”ということは何よりも大切でしょうね。
正しいとは思えないのに導師の命令だからといって従うとき、これを「洗脳された」という
ことになるでしょう。最も重視すべきとして、自分の心(内的に頷き)に従うようになりたい
ものです。
>>903 >この場合の大我に我ありという思いがあり、個でありつづける要素があるならば、
これは、大乗の説く概念だそうです。
>むしろ涅槃に我ありというからオカシクなるといってるわけです。
バラモンの説くアートマンと完全同一である必要はないですが、
ニルヴァーナに立脚した真実の自己であり、それが自己の本体ですね。
縁起/空の幻の自己(五蘊)から意識の焦点が真我に移行したのです。
これが輪廻からの解脱です。
我無しとは現象界の真実の様を示す言葉です。
私は水野氏『要語』の通りだと思いますよ!