【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】5

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101旧7
>>81
おいおいw  本格的に混乱してきたか?www

>自己とは何?
それを皆で考えるのがこのスレだろ?w
また、その文で言うその日本語での「自己」は、仏典に於ける何に当たるんだい?
「attan」かい? 「aham」かい? 「citta」かい? 「manas」かい? 「cetanA」かい? 「jIva」かい?
仏典(術語)を少し離れてもいい。 「五蘊とは別個の存在」かい? 「五蘊の総体(根境識の仮和合によるもの)」かい?

また逆に、我々が通常使用する際の「自己」「自分」「自身」「自分自身」等は、仏典中で、
どのような術語で、どのように述べられているんだい?

>仏教が目指す自己とはどんな自己です?
君がこんな言い方をするとはな・・・。これは禅の言い方だぞw(父母未生以前本来の面目でも探してんのか?w)
結果として《本来の、あるべき自己を求める形(行為)》にはなるのだろうが、
仏教が目指すのは「安楽」「安心(あんじん)」、つまり「涅槃」じゃなかったかな?w
>結局、五蘊ではない自己の確立を目指していることになるわけではないの?
そうだろう?w だって、「五蘊(の一々)は自己ではない」と言ってるんだから・・・w

>無常ではない苦のない自己だと!
無常でない、苦のない自己などありえない、というのが仏教だと思っていたが・・・。違うのか?w
>その無常でない自己とは何んなのか?
おそらく、ここで「アートマン」と言いたいのでしょうが、無常でない「自己」など無いんじゃないでしょうかね・・・。

「涅槃(nibbAna)」と同義の形で、(→「涅槃」の解説をする形で)、
≪アートマンに気付くことが涅槃である。或いはアートマンが涅槃である。或いはアートマンとして存在することが涅槃である。≫
等々という「明確な文言」が、或いは「文意」が仏典中から探せますか?

>変だとは思わないのですか?
全く思わないね。