2 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 16:41:58 ID:yXn8fA+t
スレ立て乙
>ゴータマもきっと喜ばれるであろう。
これはこのスレシリーズにもでも1,2を争うキモさだった。
カラスのルシフェリアン宣言や、宝珠の奇跡マンセーですら足元に及ばないレベル。
地獄への道は善意によって敷き詰められている
byドイツの諺
4 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 17:01:31 ID:yXn8fA+t
あの腹話術も本人にとっては善意のつもりなんだろうね。
あるいは善意だと思い込もうとしているのか。
5 :
一在家通りすがり:2009/05/30(土) 19:05:59 ID:fJTGcgd6
仏の四つの説き方=四悉檀
出典:「仏教要語の基礎知識」水野弘元著(春秋社)
「仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の
高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を
違えられた。(四悉檀、中略)最後の第一義悉檀とは、右の
ような方便施設を用いず、高い智慧や能力のある者に対して、
仏法の第一義的な真実義をそのまま説かれることである。」
法華経でも、これまで「常住不変のものは無い」と説いてこられた
釈尊が一転して、「実は世界も仏(神)も実相は常住不滅である」と
説き、弥勒菩薩ら高弟でも愕然とした次第です。(如来寿量品第十六)
四諦などの真理も実は方便(真の如き)だったことがはっきりします。
6 :
一在家通りすがり:2009/05/30(土) 19:06:49 ID:fJTGcgd6
原始仏典(長部経典)の中の「自歓喜経」は釈尊とサーリプッタ(舎利弗)
との対話ですが、興味深い一節(常住論)があります。
「アートマン(個我)と世界は常住であり、なにものも生み出さず、不動
であり、石柱のように固定していて、かの生けるものたちは生死流転し、
輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」
法華経の「方便品第二」の中でも、
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。
長部経典に登場のサーリプッタも、法華経に登場の舎利弗も同じ方で、
釈尊が法を第一義悉檀で説いて良い方だったとは思いませんか?
この板では第一義悉檀または第二義で説かれた経典にいつまでも固執して
自ら解脱を止めている方々がいるかと存じます。
7 :
一在家通りすがり:2009/05/30(土) 19:11:09 ID:fJTGcgd6
>自称医師の方へ
退行催眠で前世の記憶を語る人々、ご臨終から戻ってきた臨死体験者達の
記録も書店で読めますから、原始仏典と合わせて読めば、常住アートマン
の様相も少しは認識できると思います。
蛇足ですが、「ご臨終です」は坊主でなく、医師の判断でなされたのしょう。
なお、私の知人の医師は退行催眠の研究も始めております。
8 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 19:24:53 ID:VTeGLSuj
>>7 >ご臨終から戻ってきた臨死体験者達
「臨死」とは、その名が示す如く、「死に臨む」ことであり、まだ死ん
でいるのではなく、生きているのである。
10 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 19:41:05 ID:xaMB9bJ3
wikiまで作ってくれる方がいるとは!
11 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 20:30:30 ID:LQlPZBiU
>>5 昔、法華経の空を拾い出したことがあったけど
法華経でも「諸法実相は空」は徹底してるね。
どこに実在の我がある。
12 :
一在家通りすがり:2009/05/30(土) 20:33:30 ID:fJTGcgd6
wikiに「四悉檀」も追加しておいて下さい。
それから、大乗仏教では「四諦」と「無常」をセットで説いておくべきでしたが、
法華経(如来寿量品第十六)の作者は釈尊が「常住」を説かれたことを当時の
経典で知っていたことので、記載したことが分かります。
これもwikiに追加しておいて下さい。
13 :
一在家通りすがり:2009/05/30(土) 20:35:45 ID:fJTGcgd6
>どこに実在の我がある。
人に実在の仏がありますよ。
法華経の「方便品第二」の中でも、
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。
14 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 20:37:59 ID:LQlPZBiU
どこに我である仏がいる。
在るとか無いとかこだわる必要が無い事に
さっさと気付けよ。
16 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 20:45:18 ID:LQlPZBiU
>人に実在の仏がありますよ。
これは誰の言葉かな?www
語るに落ちるな。
17 :
一在家通りすがり:2009/05/30(土) 20:45:44 ID:fJTGcgd6
一休さんして、臨死体験と臨終の勉強をしましょう。
小中学生のための超心理学入門
www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/for-student7.html
「本当に心臓が止まり、場合によっては脳死のような状態に
なったのに、その後で生き返る人がごくまれにいるが、その中に、
“死んで”いた間の体験を話してくれる人がいるのだ。」
18 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 20:47:04 ID:LQlPZBiU
>>17 お通夜は何のためにあるか知ってるのか?www
死について妄想してる暇があれば
後悔しない生き方を模索しろ。
どっちが有益なのかは明白である。
20 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 20:53:57 ID:LQlPZBiU
>>19 死は妄想ではない。
そのうち誰にも平等に訪れる出来事だ。
それくらい覚悟して生きよ。
俺は一度覚えたら十分なんだよ。
アホじゃあるまいし。
22 :
一在家通りすがり:2009/05/30(土) 21:11:13 ID:fJTGcgd6
『霊視線』が完全に切れるまでには、通常、心臓が停止してから、
丸1日 が必要だと言われています。
(お通夜をする風習は、ここから来て いるのだそう です。)
www.h2.dion.ne.jp/~ayan/nikki0001.html
学生の頃、亡くなった近所の人が翌日に生き返ったという話を
親から聞きました。
心霊科学的に見れば、解剖や臓器提供は幽体に傷をつけるので止めた方が
宜しいがスレから外れますので、お後は宜しいようで。
臓器提供を待ってる人は世界中に沢山いるんだよ。
釈迦は前世で餓えた虎の親子の前に身を投げ出したというのに。
仮にたとえ話だとしても仏教とはわが身大事にして、他を省みぬ事ではないわ。
24 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 21:30:34 ID:LQlPZBiU
臓器移植など食人行為(カーニバル)そのものだね。
死ぬときは死ぬがよろしかろう。
人の悲しみがわからぬ人間が仏教を語ってくれるな。
26 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 21:47:59 ID:Tee2Wvti
>>17 >本当に心臓が止まり、場合によっては脳死のような状態になったのに、
「脳死」とは、脳機能は停止したが、心臓は動いている状態。人工呼吸設備の
完備した大病院での例外的な状態。程なく、間違いなく死に至る。
死の判定は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。「死」について、医学
的に研究されたし。
超心理学は、「科学」ではない。
>>22 KKの人はよくそういってるね。
霊視線、解剖や臓器移植禁止。
28 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 22:43:42 ID:+QKRz5Fg
仏教では、人間は死ねばゴミである。先祖崇拝や葬儀は、儒教から来たもの。
29 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 22:47:08 ID:JCsVVnaT
脳死状態から戻ってきた人の話を聞きたい。
首から上が吹っ飛んだけどまた生えてきた人の話を聞きたい。
腐敗してたけど再生した人の話を聞きたい。
灰になったけど再生した人の話を聞きたい。
臨死体験はしょせん未死体験にすぎない。
30 :
宝珠愚者:2009/05/30(土) 22:54:16 ID:8vHB5wnZ
>>1 スレ建てご苦労様でした m(__)m
スレ2/979
>ゴータマ、及び弟子達は、神智学の領域へ到達し得なかった人々ですよ?
旧7さん、それは違います。
誤解を受けると困るので、一言だけ返答しておきます。
神智学は近代に与えられた現代人向けの教えであり、
神智学が説く、人が目指すべきゴール(目標)も仏教と同じです。
当然、ゴータマ及びその直弟子たちは古代に到達した先達ということになります。
基本的に神智学徒そのものの中には、仏陀に相当する覚者存在は一人もいません。
それは、開祖ブラヴァツキーとて例外ではありません。
(スレ違いにて、この辺までにします!)
スレ2/891
>(このレスのみ)ひとまず書き上げました。
2/864さん、
アップロード/リンク終了しています。
タイトルやその他は如何ですか?何か希望はありましたか?
とてもよく調べてありましたね!(読んでいて噴いてしまいましたw)
31 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 22:55:03 ID:+QKRz5Fg
「臨死体験」とは、危篤時における身体の生理的変化から生じる「幻覚」
のことに過ぎない。死ねば、感覚器官・思考器官の機能が停止するから、
「幻覚」も生じない。
「死」とは、脳幹を含む脳機能の不可逆的停止をいう。従って、生命現象
はすべて消滅する。
32 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 22:58:27 ID:LQlPZBiU
>>29 身体の死は人の死ではないし人間の死でもない。
人は身体だけからなるのではない。
色受想行色の和合から成るのが人だと仏教は説く。
身体の死によって人の命がなくなるわけではない。
33 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 23:39:40 ID:eiDWKBxs
>>30 ありがとうございます。タイトルなどにこれ以上の希望はありません。
最後の部分に↓の文章を追加して頂ければ助かります。
まとめ
・釈迦は、死を前にしても弟子や信徒たちが教えを遵守するかどうかを気にしていた。
・アーナンダ自身、教えの内容を勝手に変更していいとは考えておらず、むしろ疑いの無い状態を良しとしている。
ご隠居は
「「自灯明」は「法灯明」があって初めて機能する言葉です。」
に対し
「あなたのような解釈では、「自灯明」「法灯明」と、両者間に優劣を付けづに
並列に並べた意味が、全くなくなる。「法灯明」だけでよいはず。」
と答えていますが、これは「法」を(隠居の言う)現代の常識・知性に置き換えても成り立ちます。
「自」の正しい認識・判断の構築のためには「法」の学習に拠らなければならず、また
「法灯明」によって「自灯明」の「自」に誤りがあるとわかれば修正しなければならない点で変わりません。
以上
34 :
神も仏も名無しさん:2009/05/30(土) 23:55:08 ID:+QKRz5Fg
>>32 その「色受想行識」を知覚・認識するのは、「身体」の各器官である。身体が
死んで灰になり、若しくは腐敗すれば、それらの器官も無になるから、知覚・
認識の方法がなくなる。
死後の世界があろうとなかろうと、それを知覚・認識できなければ、ないのと
同然である。
釈迦は、それらの知覚・認識器官を、「眼耳鼻舌身」と、極めて的確に捉えて
いる。なお「意」は、それらの知覚・認識器官からの入力を統合する器官と
して、五感の一部と解する。仏教者は、この「意」を、「意思」「意識」などと
広く捉えているようだが、五感の最後に付加されているという事実から、やはり
五感の統合器官と解すべきである。
これらの器官は、現代の解剖生理学とも完全に一致するのは驚くべきことである。
即ち、釈迦は、2500年前に、既に、「物の存在」を成立させる身体の器官
を、的確に把握していたことになる。
35 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:04:22 ID:LxtECRRq
>>33 若しそうなら、釈迦は、「自分の頭で考えろ。しかし、俺の考えには従え」
という、とんでもなく矛盾した言葉を吐いた「愚か者」ということになる。
「自灯明」という言葉の意味が、全くなくなってしまう。
数ある宗教の開祖の中で、「自灯明」などと言い切れたのは、釈迦一人である
ことを、忘れてはならない。
36 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:08:57 ID:WjqyVhPr
>>35 >若しそうなら、
もし、ではなく断言できるレベルです。
>「自灯明」という言葉の意味が、全くなくなってしまう。
ええ。ないんです。最初から仏教という枠組み内での話だったのですから。
>数ある宗教の開祖の中で、「自灯明」などと言い切れたのは、釈迦一人である
>ことを、忘れてはならない。
そろそろ勘違いしただけの相手にしがみつくのはやめませんか。
37 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 00:12:15 ID:dO0m7b5z
>>6 >この板では第一義悉檀または第二義で説かれた経典にいつまでも固執して
>自ら解脱を止めている方々がいるかと存じます。
この板では第三義悉檀または第四義で説かれた経典にいつまでも固執して
自ら解脱を止めている方々がいるかと存じます。
釈尊は五感を超えた六感を用いた「読心通」を長部経典でもスッタニパータ
でも説かれております。
さて、アーナンダには第何義悉檀で説かれたのでしょうか?
38 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:12:16 ID:LxtECRRq
39 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:14:34 ID:WjqyVhPr
>>38 「賢人」扱いしたいからといって、歪曲してはならない。
40 :
宝珠愚者:2009/05/31(日) 00:18:13 ID:DSufZbXQ
41 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:20:00 ID:LxtECRRq
>>39 優れた教師にとっては、弟子たちが教師を超えてくれることが、最大の
喜びであるはずである。釈迦は、弟子たちが自分を超えてくれることの
大切さを、どこかのお経で言ってるはずだ。釈迦は、優れた教師ではな
かったのかね。
42 :
宝珠愚者:2009/05/31(日) 00:20:25 ID:DSufZbXQ
スレ2/934
>私の昔のレスだ。熟読してみてくれw
>
>けれども私は、
>仏教の理論(理屈)を、そのまま現代へ持ってくることは良くないと思っている。
>(特に古代の思考は)時代背景抜きに語ることは出来ないと考える。
>同様に、現代の価値観・知識等を仏典に投射することもまた、
>細心の注意を払って、慎重になされるべきだと考える。
>輪廻や無色界、四禅、神通等等等w
旧7さんのこの姿勢は、基本的には推奨されるべき態度というかぁ、悪いものでもなく、ある意
味では必要でもあり・・だとは思います。
しかしですよ。あなたほど仏典に精通していながら、未だにどれが現代も適応でき(すべきであり)、
どれが不適応といった判別がまだつかないのですか?あなたの摂るこのような態度は、およそ
仏教信徒のものではなく、何か宗教研究家としての一仏教見解にしか過ぎないように映りますが・・。
>輪廻や無色界、四禅、神通等等等w
要するに現代科学が、超自然現象について肯定すれば、あなたにとっての仏典の教えに関する
問題の多くは解消するわけですよね。確かに、それも一つの方法でしょう(摂るべき態度としての)。
しかし、そのためには科学は遅れているので、まだまだ何十年間も掛かりますね。お任せします。
43 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:23:25 ID:WjqyVhPr
>>41 >釈迦は、優れた教師ではなかったのかね。
弟子に教義を教え、誘導する能力はありました。
宗教指導者として後代に残る信徒の集団を生み出すほどの資質がありました。
ですが貴方の言う「優れた教師」ではありませんでした。
それだけのことです。
44 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:24:09 ID:LxtECRRq
>>37 「第六感」などという感覚器官は、人間のどこにもないよw。
いわゆる「第六感」とは、極めて鋭敏な五感の知覚、または、五感の
知覚からの推測のことである。
45 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:31:12 ID:LxtECRRq
>>42 宝珠愚者氏のループが、また始まったぞw。
46 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:31:30 ID:rhQAzFZi
ツベコベ言ってないで禅定に励め。
47 :
宝珠愚者:2009/05/31(日) 00:41:32 ID:DSufZbXQ
48 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 00:46:13 ID:WjqyVhPr
>宝珠愚者氏
追加ありがとうございます。
>釈迦は、弟子たちが自分を超えてくれることの大切さを、どこかのお経で言ってるはずだ。
「はずだ」ではなく現物を。私も釈迦の言葉を引く際は、一応出典を明らかにしてます。
仮に「超える」としても釈迦よりもより深い「仏教の」悟りを得ることを指しているでしょう。
釈迦の教えを否定するのではなくむしろ確証するものであることが、これまでにみた釈迦の発言から想像されます。
とはいってもまあ、話すのは、実際にあることが確かめられてからです。
発見したらぜひここに貼ってください。
>>47 わかりやすいページですね。もっといいところは、私は知らないです。
49 :
宝珠愚者:2009/05/31(日) 01:10:45 ID:DSufZbXQ
>>48 ちょっとやってみましたよ。
それと、そのままでは筆者がわたしだと誤解されるので、
「名無しさん」にしておきました。もし、コテハンになった際には直しますよ。
ではまた、宜しくお願いしますm(__)m
52 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 07:25:28 ID:NVjsEECJ
長部経典の「梵網経」では常住論を含む62種の見解を釈尊は
知っているが、固執することがない境地にいるので超えている
ということでしょう。
同様に無我説も知っているが、固執は悟りの妨げになります。
同じく「自歓喜経」では常住論は三つあり、三番目が最高だと
説かれていますが、だからと言って固執せよとは説かれておりません。
長部経典に含まれる半数以上の経典の中で、釈尊は前世、生まれ変わり、
輪廻からの解脱を説かれております。
53 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 07:26:58 ID:NVjsEECJ
以上の情報(説法)から見ますと、何回も生まれ変わり、母胎に宿ったり、
肉体を離れた後はト卒天や地獄に行き、カルマを蓄積しているアートマン
(霊魂)が存在するということが説かれております。
ただし、そのアートマンに固執していては、悟りも解脱もないという
のが釈尊の説法だったと今時点では認識しております。
生まれ変わりには固執をするなってね。
54 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 07:28:45 ID:NVjsEECJ
細胞や分子や電子の解明がなされるにつれて、魂など無いと思う人が
増えてきましたが、最近の物理学の進歩によりクォーク、ニュートリノ
等の素粒子が発見されてきており、スッタニパータで説かれた消滅を
知らない非物質的領域の存在が明らかになりつつあります。
(参考)スッタニパータ:754
物質的領域に生まれた諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
(※「消滅を知らない生存者」は「常住のアートマン」を字義的に意味)
55 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 07:41:43 ID:NVjsEECJ
>>44 >いわゆる「第六感」とは、極めて鋭敏な五感の知覚、
譬え話をしますと、ある会議室で席が8個あり、その日は5人が出席して
その会議は終わりました。
それから10分後に能力者がその部屋を訪れて言いました、
「先ほどまでこの部屋では五人の人が座っていましたね。その内の
一人は何回も席を立ってるようですね。」と。
さて、この能力者は一目見て体温が分かる人でもあります。
深い瞑想によって、五感を異常なレベルにまで高めることができれば、
通常の人の可視領域にはない赤外線を見ることができるかも知れません。
また相手の脳波を感受することも同様です。
>>54 > (参考)スッタニパータ:754
> 物質的領域に生まれた諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
> 消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
> (※「消滅を知らない生存者」は「常住のアートマン」を字義的に意味)
ちょっと待ったぁぁ。
原文読んでないけど、訳文には「消滅を知らない」とあるだけで「消滅しない」とは書いてないよね?
文字をそのまま読むと「消滅という事柄を理解していない生存者」という意味じゃないの?
あと気になってるんだけど「消滅」じゃなくて「生滅」じゃないの?
57 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 08:16:32 ID:dYEknqVO
>>34 >死後の世界があろうとなかろうと
人の死というときの「人」とは個人のことで自分だけではなく
他人も「人」だろ。自分だけが人だとでも思ってる独我論者かな?
他人の死後のこの自分の生きてる世界は経験できるね。当たり前だけど。
自分の死後の世界は自分はたぶん経験できないだろ。当たり前だけど。
身体の死はヒトすなわち生物としての人の死だろう。
人は死して名を残す、トラは死して皮を残す。
人には遺産も残るだろ。
死んだ人と親しかった人たちにはその心に記憶としてその「人」は
生き続けるだろ。
身体だけが「人」ではない。
58 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 08:35:00 ID:dYEknqVO
>>34 >五感の最後に付加されているという事実から、やはり
>五感の統合器官と解すべきである。
仏教のアビダルマでは五感による五識と意(こころ)による
第六識である意識はきちんと区別されている。
現代の脳科学から見れば五識の中には意(こころ)による知覚作用
が含まれていることは確かであろうがアビダルマの六識としては独立だね。
意が身体どこに対応するのか、心臓なのか頭(脳)なのかははっきり
させていないね。身体全体は触感の身識としているけど。
59 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 08:35:22 ID:MQ78ILoi
>>57 そうですね。死後の世界とは、あくまで「生き残った者たち」に対して
残るのです。しかし、死者は、その世界を知覚・認識するすべはありま
せん。死者にとっては、死によって、すべては「無」になります。永遠
の休息と平安です。
自分が死んでも、住み慣れた我が家、見慣れた街角、そしてこの世界は、
生者に対して残り続けます。そして、死者の想い出は、愛する者たちの
心の中に残ります。素晴らしい「死後の世界」ではありませんか。
60 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 08:53:32 ID:MQ78ILoi
>>58 五感からの入力は、「脳」によって統合され、処理されます。しかし、
脳を経由しない身体の動き(脊髄反射)もあります。「脳脊髄神経系」
として、一体です。
61 :
宝珠愚者:2009/05/31(日) 09:11:04 ID:DSufZbXQ
62 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 09:19:57 ID:MQ78ILoi
>>54 >最近の物理学の進歩によりクォーク、ニュートリノ
>等の素粒子が発見されてきており、スッタニパータで説かれた消滅を
>知らない非物質的領域の存在が明らかになりつつあります。
それらの素粒子を構成する更なる素粒子も、今後発見され続けるでしょう。
発見は、「五感による知覚」ですから、すべて物質領域です。万物は、
もろもろの素粒子の「関係性の塊」ですから、「自性」はありません。
そして、万物は、あくまで「人間」(恐らくは他のすべての動物も)の
知覚に映じているだけだから、それが「人間を離れて存在しているかど
うか」など、人間には判りません。あくまで、人間(及び恐らくはその
他の動物)による「仮設」に過ぎません。しかし、その「仮設の世界」
こそ、生きとし生けるものが現に生存している、生存すべき、「唯一の」
世界なのです。これが「縁起・空(関係性)」「色即是空・空即是色」
の意味です。
この「空(関係性)」の原理は、人間が存在し得るこの世のすべてについて
適用される、釈迦が発見した「前人未到の、普遍の真理」です。「あの世」
の意味については、前レスで述べたとおりです。
63 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 09:25:44 ID:dYEknqVO
>>59 >死者は、その世界を知覚・認識するすべはありま
>せん。死者にとっては、死によって、すべては「無」になります。永遠
>の休息と平安です。
これが仏教で言う断滅論ですね。死者にとっての死後の世界は生きている誰にも
語れないだろうからそういうことについては何も言わないとしたのが釈迦の対応方法
であったのではないか?
64 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 09:32:26 ID:MQ78ILoi
>>55 >さて、この能力者は一目見て体温が分かる人でもあります。
温度や匂いのごく微小な変化を、その身体の「五感」で感知しているの
です。人間の身体を離れた「霊」などとは、一切関係ありません。
そもそも、「霊」とは、英語では、spiritまたはsoul。いずれも、人間の
身体機能としての「精神」のことです。従って、「霊」という言葉は誤り。
「精神」「精神的」とすべきもの。さもなければ、「人間の身体を離れた」
幽霊との誤解を招きます。「幽霊」は、子供時代にだけ信じる「空想の産物」
です。
65 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 09:38:28 ID:MQ78ILoi
>>63 「生命のなくなった世界」を、「生命を以って」思考することは全く無
意味であり、「涅槃に到らない」からです。
世界の知覚・認識及びその存在は、あくまで「生命」の機能であることを、
忘れてはなりません。
66 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 09:48:24 ID:dYEknqVO
>>65 そうですね。
生命とは動的平衡、無常であることですね。
常住のアートマンには生命が無い。
67 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 09:54:17 ID:MQ78ILoi
釈迦の「現実認識」は、極めて正確ですね。例えば、妊娠期間の計算に
ついても、現代の産科学と全く同じです。
なお、「生(出産)」を「苦」としていることも、正しい。胎児は、
狭い産道や、骨盤の間を、大変な苦労をして回転しながら通り抜け、
足を先にして、この世に生まれ出ます。頭が先になったら、骨盤の間
につっかえて、出られないからです。
そもそも、「色即是空、空即是色」は、「現実界とは何か」についての、究
極の「存在論」です。この存在論に有効に反論できる西洋の哲学者は、
誰一人としていないはずです。
>>67 釈迦の現実認識は、極めていい加減ですね。
たとえば長阿含経に出てくる宇宙論は
現代の宇宙論から見るに荒唐無稽でしかありません。
反対のロジックはいくらでも組める。
69 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 10:03:10 ID:dYEknqVO
生老病死の四苦とは肉体的苦痛というより
それらが自己の思い通りにならないという
精神的な苦ではないか?
自分で生まれたいと思って生まれた人はいないだろう。
歳月人を待たずで年取りたくないと思ってもどんどん
老いてしまう。
インフルエンザにかかりたくないと思っていても感染
してしまうこともある。
死も自由にならない。
70 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 10:09:28 ID:9lUvGCWl
>>67 > なお、「生(出産)」を「苦」としていることも、正しい。胎児は、
> 狭い産道や、骨盤の間を、大変な苦労をして回転しながら通り抜け、
> 足を先にして、この世に生まれ出ます。頭が先になったら、骨盤の間
> につっかえて、出られないからです。
> 足を先にして、この世に生まれ出ます。
> 頭が先になったら、骨盤の間につっかえて、出られないからです。
> 足を先にして、この世に生まれ出ます。
> 足を先にして、この世に生まれ出ます。
> 足を先にして、この世に生まれ出ます。
このくらい晒しておくか。
71 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 10:35:27 ID:MQ78ILoi
>>70 「足を先にして」は間違いでした。「頭を先にして」が正しい。訂正
します。ご指摘有難うございました、「足を先にすると、足が諸方につ
っかえるから」です。外形が一番大きい頭部が通り抜ければ、後は容易
です。胎児の「回旋」は、産道通過の際の障害物を回避し、通過を容易
にするためです。
>>69 だからキリスト教と同じで、
常住論、魂があると仏陀は説いたのですね。
あとソクラテスもまったくおなじで、
魂の不滅を説いているね。
つまり仏教のように単に精神的なものではなく、
実際に常住の肉体を得るというのが
西洋の感覚のようですね。
つまり仏教でも常住の肉体を得ることが
できるのでしょうね。修行すれば。
>>71 いや、こちらこそ嫌味な書き方して失礼しました。
74 :
旧7:2009/05/31(日) 10:39:31 ID:hqvXCZJd
おや?新スレが・・・w
暫くマターリニヤニヤしながら静観しようと思ってたが、いやはや・・・相変わらずのはっちゃけ振りですな・・w
>>32 沙門果経:77節〜88節でも読んでみろwww (特に86節88節なw)
※ここは、以前、宝珠氏が何度も引用した箇所の直前に当たるw※
>>30 1:ゴータマは、(神智学の(根本)領域に関わるような)ある一部のことは説かなかった。
2:弟子達は「師に握拳は無い」との言葉を信じ、“説明の足りていない”教えを継承してきた。
1に於いては、「知ってたけど説かなかった」「知らなかったから説かなかった」と二通り考えられるが、
2に於いては、故に、弟子達は「“説かれていない・学んでいない・教えられていない領域”の手前である」
「到らない所がある」「学び残したことがある」「到達できていない領域がある」
と見做すのが通常の思考でしょう?w
それとも、弟子たちは皆、「説かれていない領域に、教えによらずに、自分だけで到達した」、と。
そして、そのことや・その内容・その手順等を「伝えず、記さず、秘匿した」、と。こういうことですかね?www
貴方は、「仏教では説かれていないことが数多くある」と明言されてましたしね。
>>9 誰だ?w 作ったのwww
イイ仕事しやがるw ちくしょうw
※在家と宝珠は、前スレ620と併せて百億回読み込んどけw
75 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 10:39:39 ID:MQ78ILoi
>>66 その「動的平衡(関係性)」によって、生命(身体)が維持されていま
す。動的平衡の破綻が「病気」であり、その究極が「死」です。
76 :
旧7:2009/05/31(日) 10:40:27 ID:hqvXCZJd
あ、それから、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1242183617/993 >転生のメカニズムについての仏教上の説明(あなたの理解する)をして下さい、といったのです。
>或いは、その部分の経文を提示して欲しいといったのです。
貴方は「(そうした説明は仏典中には)無いのではないか?」というスタンスでしたよね?
仏教は、説明の術を持たないというスタンスでしたよね?
説明の術を持つのは神智学なんですよね?
相手が提示できなかった場合、→≪仏教が、転生のメカニズムについての説明を為し得なかった時≫、
貴方は仏教に何を求めるんですか?www
相手が端から持っていないものを「出せ!」と要求するのはおかしくないですか?w
それからそれから、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1242183617/702 >“感傷に浸る”宗教ではないです。
この点に関しては、以前(何度も)指摘してあったよな。
「感傷に浸ってる(浸ろうとしている)のはお前らの方だろ?」と・・・。
『冷酷な事実・冷酷な在り様を受けとめきれず、
そのことの報い・報酬・対価・御褒美を期待し、希望する・・』
滑稽極まりないなw
77 :
旧7:2009/05/31(日) 10:41:39 ID:hqvXCZJd
>>42 はいはい、そうですかw
>まだまだ何十年間も掛かりますね。お任せします。
「慌てる乞食は貰いが少ない」 を地で行かずに済むことを、僭越ながら祈念しておきますねw
(-人-)
てか、
>未だにどれが現代も適応でき(すべきであり)、どれが不適応といった判別がまだつかないのですか?
貴方の判別が適切かどうかということは、吟味の対象にならんのですかな?w
>>69 覚者、聖者の方々は、そのようなことでも自由自在なんですよw
(お釈迦さんも、阿難が頼まなかったから、寿命を延ばすのをやめたわけで・・・w)
でしたよね? >>宝珠氏
78 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 10:44:33 ID:n1FVphTx
>>67-71 「自灯明」が「法灯明」あってのもの、ということがよくわかりますね。
79 :
旧7:2009/05/31(日) 10:51:55 ID:hqvXCZJd
80 :
旧7:2009/05/31(日) 10:53:28 ID:hqvXCZJd
81 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 11:03:21 ID:MQ78ILoi
>>69 >生老病死の四苦とは肉体的苦痛というより
>それらが自己の思い通りにならないという
>精神的な苦ではないか?
それでは、釈迦個人の「わがまま」に過ぎなくなってしまう。
「肉体的苦痛」だからこそ、「思い通りにならない」という言葉が
出て来るのです。
肉体的苦痛でなければ、この世に生まれて「喜ぶ」人もいるし、病気
で仕事を休めて、いままで「思い通り」にならなかった、好きな本を
読むこともできる。
82 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 11:07:12 ID:n1FVphTx
ご隠居は「自灯明」に基づき
>>67を書きました。
「法」と矛盾することを
>>70で指摘されました。
>>71において「法」を受け入れ「自」を訂正しました。
これからは同じ間違いはせず、また矛盾した説明に
出会ってもそれが誤りとわかり、指摘することもできます。「法灯明」です。
主張として「自灯明」と「法灯明」を同時に説くことは、
それ自体は矛盾するものではないと、ご理解いただけたかと思います。
これにて一件落着。
83 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 11:12:06 ID:n1FVphTx
>>82 「
>>71において「法」を受け入れ「自」を訂正しました。」
を
「
>>71において「法」を受け入れ「自」を訂正しました。 「法灯明」です。」
「出会ってもそれが誤りとわかり、指摘することもできます。「法灯明」です。 」
を
「出会ってもそれが誤りとわかり、自分の知識・判断から指摘することもできます。「自灯明」です。」
に訂正します。
どうもその四苦の苦しみを取り除くために
うみだされた宗教がバラモン教らしい。
まあ、宗教とはそんなもので、転生輪廻を説く
ことにより、精神的苦痛から逃れられると。
つまりバラモンには都合のいい教えだったわけだ。
人間は肉体が滅んでも、バラモンは常にバラモンとして
永遠に再生、生まれ変わってくると。クシャトリアも同じ。
釈迦はバラモンであっても輪廻している以上、高貴なる
魂ではなく、ゆえに輪廻しない考え、アートマンをなくす
思想を説き、つまり常住なる世界、涅槃を目的に
教えを説いたのだろう。
よって、常住、永遠の生命はバラモンと仏教では
矛盾しないのである。
85 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 11:39:05 ID:AhUj64or
>人間は肉体が滅んでも、バラモンは常にバラモンとして
バラモンはたとえ同じバラモンを殺しても来世はバラモン、と説かれてるんですか。
86 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 12:10:19 ID:dYEknqVO
>>75 >動的平衡の破綻が「病気」であり、その究極が「死」です。
そうですね。ただ病気は動的平衡の不調くらいで破綻までは行かないでしょう。
死は動的平衡の破綻で常住の生命の無い物質に分解されることですね。
だから生存している人には常住のアートマンはなく無我であるということでしょう。
生存してるとき無かったものが死後生まれるのは常住のアートマンの定義にも
反しますね。結局、人にはアートマン(我)はない。
>>85 死後を確かめようがない以上、教えとしてはそう説かれていたでしょうね。
だからバラモンの権威を認めない自由思想家たちは
人を刀で切っても、粒子の間を通るだけだから、殺人にはならないのだ、
とか言っていたのではないかと。
あとサンジャヤも不可知論や懐疑論を説いた。
88 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 12:53:36 ID:3PWU0pma
>説かれていたでしょうね。
出典つきで「そう説かれている」ではないんですね。
了解しました。
89 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 15:37:53 ID:Da4KvYWK
>>82 >主張として「自灯明」と「法灯明」を同時に説くことは、
>それ自体は矛盾するものではないと、ご理解いただけたかと思います。
>これにて一件落着。
>>70さんのご指摘を受けて私が依拠した「法」は、「釈迦の教え」ではありま
せん。「大自然の摂理」、端的には「産科学の教科書」です。
「法」を「釈迦の教え」などと解すると、「自灯明・法灯明」の矛盾はそのまま
残ります。大自然の摂理に反する釈迦の教えがあった場合、後者に従がうことは
「法灯明」ではありません。自灯明とは、釈迦の教えを大自然の摂理に照らして
批判・訂正することも含みます。
仏教でいう「法」という言葉には、「釈迦の教え」のほかに種々の意味が
あることについては、岩波仏教辞典をご参照ください。そこには、「煩悩も
人を迷わす力があるから法と言ってもよいのであり、作用のあるものはすべて
法であるということになり、<事物> をその構成要素としての法と見る仏教
独自の法観が成立する」と書かれています。
90 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 15:59:14 ID:Da4KvYWK
>>79 >では、「法」はどこで感受されるんでしょうね・・・?w
>苦や楽は、どこで感受されるんでしょう?
>喜びや悲しみは、どこで感受されるんでしょう?
>善悪はどこで識られるんでしょう?
私は、五感を、「現実界を知覚・認識し、存在せしめる身体の器官」として
捉えています。「苦や楽」「喜びや悲しみ」「善悪」なども、五感による現実界
の知覚・認識の結果として発生します。五感によって知覚・認識された「現実界」
に起因しない「苦や楽」「喜びや悲しみ」「善悪」があるでしょうか。そのような
感情や観念は、突き詰めれば、知覚された現実が、人間の生存(共生)の方向
に向っているか、それとも、そうでないか、によって生じるのです。
91 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 16:28:58 ID:USFD+ag5
>>89 82で
>主張として
>それ自体は
と書きました。
文意を察することを覚えてくれませんかね。前にも全く同じことを書いたのですがね、
最初から当人らの認識上の話です。矛盾しないのは仏教内での「自」と「法」であって、
それ以外の思想や科学ではない。
そもそも
ttp://houjugusya.web.fc2.com/loop1.htmの最後でも引用した部分で 隠居が使った理屈が、「法」を現代の知識・知性に置き換えても成り立っちまいます、という話です。
>「自灯明」とは、釈迦の教えを大自然の摂理に照らして批判・訂正することも含みます。
釈迦が「優れた教師」でないように、それは釈迦にとっての「自灯明」ではありません。
>あることについては、岩波仏教辞典をご参照ください。
むしろ釈迦自身が「法」を自分の教義に使ったということは、本人が自分の頭で考えたものではなく、
物が上から落ちるような世界の法則と同列の「真理」と扱っていたことの証左と言えますね。
92 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 16:44:39 ID:USFD+ag5
これ以上続けるのは、あなたがあるはずだと言った
「弟子たちが自分を超えてくれることの大切さを」説いた章句や
例えば「釈迦が自分の教義が誤りである可能性を」説いた章句、
その他の現物が出されてからです。
文脈・全体・流れのガン無視、根拠なしの「本意」設定は無意味。
それを相手にするのも徒労。
進展が無い限りこれから
>>40のリンク先を貼らせていただきます。
93 :
旧7:2009/05/31(日) 16:54:56 ID:hqvXCZJd
どちらの援護レス(或いは足を引っ張るレスw)になるか判らないが、一言二言横槍を入れてみよう。
確かに、「自灯明」を述べる仏教は他宗教に比べ特殊だろう。
およそ宗教的世界観に於いては、「法灯明」だけで十分だからだ。
「おしえ、教義、(規範、禁忌)」があればそれでいい。
『それらを拠り所としなさい』『それらを拠り所とするなら安住できる』と。
そこに自分は必要ない。(・・・特に新興宗教やカルトの系列に顕著な特徴だろう。)
仏教が、なぜそこに余分なことを付け加えているかと言えば、
≪拠り所となる教えを奉ずる(行じる)者がそこに居る≫ことを忘れていないからだと思われる。
(逆に言えば≪「奉じ、行じる者」無しには、「教え」もまた無い≫。)
その者が自己を確立していなければ、そこに「教え」の顕現も見られないだろう。
その意味で、両輪として、「自灯明法灯明(自洲法州)」の「自」と「法」は見られるべきではなかろうか・・・。
※そして、ここでの「法」は、やはり『釈尊が説かれた諸々』と見るべきだろうと思われる。
「法の六徳」と、「涅槃が“来て、見よ”と言われるものであること」を噛みしめるべきかと思う。
94 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:00:20 ID:USFD+ag5
>>93 >確かに、「自灯明」を述べる仏教は他宗教に比べ特殊だろう。
「真理」の出所の違いによるところが大きいと思います。アブラハムの宗教やバラモン・ヒンドゥー
では聖典(真理)は神から授けられたものであったり神からの霊感でしるされたもの。
対して仏教では真理は仏陀によって悟られ、見出されたもの。
95 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:01:03 ID:jN8ZUL7X
>>90 感覚器官は刺激の通路でしかありません。感覚それ自体は脳の働きです。
感覚が脳の働きだからこそ、夢の世界にも感覚があるのです。
96 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:08:29 ID:jN8ZUL7X
>>90 善悪の基準を共同体の損得に置くことはひとつの見方でしょう。
しかし人には<良心>という不思議な仕組みがあり、
この<良心>を基準に善悪を判断することもしばしばではないですか。
97 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/31(日) 17:09:42 ID:pyrT/fOg
(^。^)無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界♪
98 :
旧7:2009/05/31(日) 17:10:26 ID:hqvXCZJd
>>94 その側面は大いにアリでしょうね。
およそ宗教なるものは、その殆どが『共同体(維持)の為の』宗教ですしね・・・。
少なくとも、そこが出発点でしょう。
(その中から個別化のベクトルを生みだしたキリスト教の発生・発展の歴史は興味深いw)
仏教は、個が出発点だからねぇ・・。
(しかも、若きシッダッタの煩悶がスタートだw 特殊で当然かもしれんw)
自灯明は、自分の内部にある良心とか理想とか本当はこうありたい気持ちとか、
後ろ暗いことをすると「なんとなく嫌な感じ」がしたりする系統の中枢。
心が清浄になるにつれて、その存在がハッキリしてくる、悟りの種になる部分。
法灯明に関しては、旧7氏の見解を支持。
いずれにしても自灯明・法灯明が
「あとはその時代に合わせて好きに考えていいよ」という意味とは思えない。
ご隠居が「束縛されない自主性、自由さ」の意味でとらえようとするのは、
恐らく家庭が強権的で、子供に自由に考えることを許さず、
子供の言うことを無視してきたから。
100 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:22:08 ID:Da4KvYWK
>>92 >「弟子たちが自分を超えてくれることの大切さを」説いた章句や
>例えば「釈迦が自分の教義が誤りである可能性を」説いた章句、
>その他の現物が出されてからです。
1個人に過ぎない開祖が「言った、言わない」が、それほど重要である
ことの合理的理由は何ですか。開祖の言葉に執着すること(盲信・狂信)
は、むしろ宗教の「病理」です。そのためにこそ、釈迦は「自灯明」を
教えたのです。
私は、仏教徒ではないから、膨大なお経を読む暇も、必要もありません。
研究者の著書における情報を利用させていただいているだけです。あなた
方仏教徒は、お経は充分に読まれているのではありませんか。
101 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:24:08 ID:USFD+ag5
>どこかのお経で
って自分で言い出したのは誰だよ……(;´Д⊂)
>>100 この話には同意しますね。
古い文書の一字一句にこだわっても仕方ないと思う。
103 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:29:10 ID:Da4KvYWK
>>99 「後ろ暗いことをすると「なんとなく嫌な感じ」がしたりする」のは
何故でしょうか。その根源を、生物としての人間の生存本能(共生本能)
に遡って追究する必要があります。
>>100 > 1個人に過ぎない開祖が「言った、言わない」が、それほど重要である
> ことの合理的理由は何ですか。
単なる開祖ならどうでもいいのですが、その人が仏陀であり、悟った人であり、
悟りに至る道を知っている人だからです。
悟りに到達するための「道」を歩かなければ、悟りにいけないので、
それ以外の道(外道)をガイドにしてはいけないわけです。
自分勝手に考えた挙げ句外道に落ちるのであれば、本末転倒もいいところです。
>>103 必要を感じる理由は、恐怖心ではありませんか?
超自然的なものを認めてしまうと洗脳されるという恐怖を
ずっと抱えて生きてきたというあなたの個人的なエピソードによる理由では
ありませんか?
106 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:35:37 ID:Da4KvYWK
>>104 それは、「仏教信者」の合理的理由であり、「すべての人間」に通用
する合理的理由では、ちっともありません。
人間界においては、「すべての人間」に通用しなければ、それは「人間界
における真理」ではありません。
>>102 一字一句にこだわっても仕方ないとは思うけど、
大筋の意味はくみ取る必要があるでしょうね。
好き勝手に考えて、唯物論を仏教だと言いきったりするのは
ちょっと行き過ぎでしょうね。
108 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:37:34 ID:USFD+ag5
>>100 >1個人に過ぎない開祖が「言った、言わない」が、それほど重要である
>ことの合理的理由は何ですか。
1個人の考え方について、それがいかなるものだったか議論しているからです。以上。
これは対象が釈迦のような有名人だろうと一般人だろうと同じです。
>開祖の言葉に執着すること(盲信・狂信)
そのような言葉が実在するかにこだわることと、その言葉の内容を支持するかは別問題です。
>>106 すべての人間は悟れるよ。たぶん。
その意味では悟りに向かうというのは、
人間界における真理かもしれないとは思うけど、
仏教嫌なら、やめればいいと思うよ。
外道は外道らしく自分のスレ立てようよ。
経典を頼りに悟ろうとする試みは必ず失敗すると予言しよう。
それにぼうだいな経典数を読むだけで一生が終わる。
大切な人生がまったくのムダになる。
111 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 17:45:19 ID:USFD+ag5
ある一般人がいました。
その一般人について、ある言葉から勝手にどういう人間か決め付けました。
それがその人のほかの言葉や行動に矛盾してもなお、
その人に対する決めつけが不適切であることを認めず、
決め付けた通りの人間である証拠を出せ、と言われても
「こだわる理由って何?」ととぼける。
これはひどい。
>>96 まったくその通りなんだが、多くの場合
良心と損得勘定の区別がついていない。
冷静に考えよう。
釈迦は経典を読んで悟ったのか? そうじゃないだろう。
>>113 文章化された経典は読んでいないけど、
経典の内容は実践してるだろうね。
つまり経典の内容に従ったおかげで悟ってるんじゃないか?
ぼうだいな経典は全部読破できないし、経典相互で矛盾している。
一冊の聖書だって、多くの宗派に分かれてしまうほどだよ。
イエスだってそれほどの読書家ではなかったろう。
昔は巻物だし、夜は真っ暗だし、本などほとんどないし。
それより悟るのが先だ。悟ってから読書すればいい。
イエスは30そこそこ、釈迦も35、空海に到ってはもっと若い。
読書も必要だけど、それよりも別の要素が必要なのだろう。
悟りは、外の世界ではなく、心の世界の体験になる。
ではどんな体験をすれば悟れるか。これを考えたほうが賢い。
117 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 18:13:58 ID:USFD+ag5
賢い新スレか別スレに移られてはいかがでしょう。
あれこれ話しているのは趣味?
悟りたくないの?
神通力が欲しかったんじゃないの?
120 :
曉:2009/05/31(日) 18:25:46 ID:Z5hIoM/H
ニルヴァーナ聴けばよい
カートコベイン
そういえば即身成仏をテレビでやっていた。
生きているうちに穴に入って息絶えるという話である。
まあ自殺ですね。これはだめでしょう。
常住=有 と考えるのがそもそもの間違いだね。
釈迦の言う常住とは有無を越えた世界のことでしょ?
不二の法門とか不二の見とかいうでしょ。
魂が常住とか、霊が常住とか、真我あるとか言うのがそもそもの間違いだよ。
魂とか霊とか真我すらも無自性空でしょ。
125 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 18:34:55 ID:v+p7IUME
>>9 いい仕事に下記も追加願います。
(参考)スッタニパータ:754
物質的領域に生まれた諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
(※「消滅を知らない生存者」は「常住のアートマン」を字義的に意味)
>>125 何故
>>56を無視するんですか?
前スレの
>>568でも指摘されていて
完全に物言いがついてる状態なのに、
何故、無視して既成事実化を急ぐんですか?
>>118 半分趣味。いまいち真剣さが欠けてるかもしれない。
>>119 いや、特に欲しくない。
それよりは性格改善の方が望まれている。
128 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 20:08:53 ID:v+p7IUME
>>56 >> (参考)スッタニパータ:754
>> 物質的領域に生まれた諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
>> 消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
>> (※「消滅を知らない生存者」は「常住のアートマン」を字義的に意味)
>
>ちょっと待ったぁぁ。
>原文読んでないけど、訳文には「消滅を知らない」とあるだけで「消滅しない」
>とは書いてないよね?
>文字をそのまま読むと「消滅という事柄を理解していない生存者」という意味じゃないの?
>あと気になってるんだけど「消滅」じゃなくて「生滅」じゃないの?
折角コメントを頂戴しておりましたのに、スルーで申し訳ないです。
岩波文庫(中村元訳)では、「消滅」となっております。
129 :
一在家通りすがり:2009/05/31(日) 20:10:25 ID:v+p7IUME
30歩譲りまして、
「消滅という事柄を理解していない生存者は、再びこの世の生存に戻ってくる。」
となりますが、如何でしょうか?
再びこの世に戻ってくる実体をアートマンとしましたら、肉体の消滅と
ともにアートマンは消滅する訳ではないことになります。
更にスッタニパータ:754訳では、アートマンは非物質的領域の生存者にも
なることになります。
非物質的領域がト卒天なのか、ブラフマン界なのか、地獄なのかはこの経典
には明記されておりませんが。
前スレでも自己紹介しましたが、週末の短い時間しかパソコンを使えませんので
亀レスになることも多く失礼します。>ALL
130 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 20:11:20 ID:dYEknqVO
>>125 >消滅を知らないので
これはニルバーナ(涅槃)を知らない、という意味だと中村元の注釈
がついてる。
ついでに物質的領域は色界、非物質的領域は無色界ということだね。
上天が無色界、中・下天が色界だね。
下天のうちをくらぶれば・・・・の下天だね。
131 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 20:28:08 ID:dYEknqVO
>>113 >釈迦は経典を読んで悟ったのか? そうじゃないだろう。
一応、経典は釈迦が口述したことになってるね。
経典の作者であることは間違いない。www
132 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 20:43:49 ID:jYx3ZYR6
2スレ>987,993 宝珠氏
>まだ、「梵網経」の内容で意見交換が十分に行われていないのですから、
>終るわけにはいかないのではありませんか?
>とにかく、梵網経問題もまだ終わってないのでそのつもりで宜しくお願いします。
真言様ではないので、私に言われても困るのですが、
仏教に、自説の理論武装と権威付けのみを求める姿勢を改めねば、
どのような教証も無意味では?
>転生のメカニズムについての仏教上の説明(あなたの理解する)をして下さい、といったのです。
>或いは、その部分の経文を提示して欲しいといったのです。
では十二支縁起は何なのですか?
>>128 > 岩波文庫(中村元訳)では、「消滅」となっております。
そうでしたか。どうもありがとう。
>>129 > 「消滅という事柄を理解していない生存者は、再びこの世の生存に戻ってくる。」
> となりますが、如何でしょうか?
はい。それなら分ります。
> 再びこの世に戻ってくる実体をアートマンとしましたら、肉体の消滅と
> ともにアートマンは消滅する訳ではないことになります。
まず、実体をアートマンとする、というところで止まります。
実体としてあるといえるのかと。
肉体の消滅と共に意識は消滅しますが、また別の形で意識が発生する可能性など
いろいろあるのではないかと思います。
以前、アートマンがあるとしても、その寿命は有限であろうという話をしたことがあったと
思います。有限であるものは常住ではないので、アートマンがあると仮定した場合でも
常住ではないということは明確にしておかないといけないんじゃないかと思います。
> 更にスッタニパータ:754訳では、アートマンは非物質的領域の生存者にも
> なることになります。
アートマンが非物質的領域の生存者にも、物質領域の生存者にも共通する要素たりえるのであれば、
という前提がつきますが、本当にその要素たりえるのかは分らないですよね。
>>131 経典を金科玉条にしなくてもいいだろう、という意味です。
釈迦自身はバラモン教を学んで悟ったのでしょう。
135 :
旧7:2009/05/31(日) 22:51:44 ID:hqvXCZJd
「四悉檀」でググってみると、面白い結果が出るな・・w
ちなみに、水野要語のどこかと思えば、「はしがき(まえがき)」の所かwwwww
通りで後の索引に載ってない筈だ・・・w
これは、あれか? もともと天台系での言葉なのかな?
聞いたことはあるがピンと来なかったのは、そこが理由だったわけか・・。
誰か、「四悉檀」に該当するパーリの術語を知ってる人居る?
(南伝総索引には見つけられなかったぜ!w)
強いて言えば、「パーリ仏典入門(片山一良)」P.46かね・・。
おやすみ〜 ノシ
在家氏は、仏教だけでなく、キリスト教も視野に入れている。
これに関しては高く評価したい。
しかし先端科学の成果に、仏教の信憑性を探そうとするのは疑問である。
仏教は、この現実が対象なのではなく、心の世界を対象としている。
ニルヴァーナは心の世界にある。
137 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 23:20:51 ID:veBBifJR
>>136 >在家氏は、仏教だけでなく、キリスト教も視野に入れている。
>これに関しては高く評価したい。
「仏教徒が、キリスト教を視野に入れること」を、「高く評価する」理由は
何か?君も、仏教徒を騙るクリスチャンなのかね。
あと、生・老・病・死は、「心の世界」などではなく、「肉体の世界」。
>>137 究極の真理が宗教の数だけあっては不合理でしょう。
仏教とキリスト教は補完しあう関係にあると考えています。
仏教だけでも悟れないし、キリスト教だけでも悟れない。
生老病死だけなら肉体の世界ですが、
それを苦と感じることは心の世界になります。苦からの解脱です。
聖書の中でダントツなのは<ヨブ記>だと思っています。
信仰とか、悔い改めとかを教えています。
140 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 23:48:51 ID:veBBifJR
>>138 現実に、ゴマンとある宗教・宗派が、すべて「自分こそ真理」と唱えて、相争って
いるではないか。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「真理」は、同じかw。
他の宗教から補完されなければ成立し得ないような「真理」は、その宗教にと
っても真理ではなかろう。
肉体の病気が治れば、苦も消滅するのは何故かね。逆に、心だけでいくら
苦しんでも、肉体を病気にすることは出来ず、まして、死ぬことも出来ない
のは、何故かね。
141 :
神も仏も名無しさん:2009/05/31(日) 23:55:23 ID:veBBifJR
>>139 ヨブ記は、旧約の中で、最もキリスト教的。キリスト教に感心するような
者は、もはや仏教徒ではない。
>>140 ユダヤ、キリスト、イスラムの共通点は<神>
しかし<我>がない。仏教がこれを説いている。
不十分な真理を<十分な真理だと思ってきた>ために、
混乱や誤解が生じている。
いまは心が体に影響を与えることは経験上わかっている。
体が2/3、心が1/3ぐらいの割合でしょう。
>>141 仏教とキリスト教が補完的である、ということが、
仏教徒もキリスト教徒もどちらも悟れないという理由です。
仏教徒に不足するものは<悔い改め>です。
それを恐ろしいくらいに正確に教えているのがヨブ記です。
下手な経典を読むより、ヨブ記を10回読むほうがいい。
悔い改めの深さがどの程度なのかがわかるだろう。
信仰と悔い改めの関係も見えるだろう。
信仰する者は悟れない、という逆説が見えてくる。
145 :
一在家携帯より:2009/06/01(月) 00:36:46 ID:JNFH1p2S
仏教徒もクリスチャンも真理に近い教えを真理と思い込んで固執している点では共通しております。
キリスト教では、2世紀頃から弾圧と分裂の危機がありました。
その危機を乗り越える為には、イエス=神自身と説いたヨハネの福音書を正統とすることが最良の方法だったのでしょう。
2世紀のエリと4世紀のアタナはヨハネの福音書を活用したのでしょう。
キリスト教徒を守る為の方便です。
信仰しないで悟る方法も
信仰して悟る方法もある仏教は懐が広いよね。
147 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 00:58:29 ID:k26kG4Wc
>>142 ユダヤ・キリスト・イスラム3教の共通点は、「絶対性」と「超越性」。
仏教は「相対性」と「人間」。本質的に異なる。
>>144 誰に対して、何を「悔い改める」?
148 :
一在家携帯より:2009/06/01(月) 01:00:19 ID:JNFH1p2S
仏教の場合は釈尊の対機説法に起因します。
釈尊は相手によって、第一義から第四義までの説き方をされました。(水野氏解説より)
しかし、各宗派は自分の経典こそが第一義だと思い込んで主張しました。
更に中国の坊さんの思い込みをそのまま日本へ輸入しております。
仏教徒とクリスチャンとが悔い改めるとしたら、「私は今まで真理に近い教えを真理だと断言したかもしれません。」と釈尊やイエスに祈ることかもしれませんね。
149 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 01:11:48 ID:k26kG4Wc
>>148 思い込みでない宗教があるかねw。
最も悔い改めるべき人間は、自ら「神の子」などと自称し、創造主を冒
涜して処刑されたイエス自身であろう。
反省だけなら猿でもできる。
悪事を働いてしまって反省するキリスト教と、
悪事を働かぬよう常に気をつけている仏教とでは、
どちらが優れているか、火を見るより明らか。
151 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 08:11:45 ID:vcdmBL3p
>>148 >釈尊は相手によって、第一義から第四義までの説き方をされました。(水野氏解説より)
これは水野氏の仏典解釈ということだね。
釈尊が第一義から第四義まで説法を分別してたかどうかは仏典から各自が解釈すれば
よい。私は説き方は対機でかわってもその意図する法はおなじだったと解釈する。
152 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 08:21:00 ID:vcdmBL3p
>>134 >釈迦自身はバラモン教を学んで悟ったのでしょう。
いくらなんでもそれは無いでしょ。
バラモンにはよく説教してるけどね。これはバラモンのほうから
有る意味では釈迦を試す意味で問答をもちかけてるのだろう。
結果は釈迦に言い負かされて釈迦の弟子になったりするのが多いけどね。
釈迦はバラモン教には否定的だったね。特にカースト制度には反対だった。
だから自分の仏教教団内ではカーストは関係なくした。
バラモン教が仏教の反面教師だというなら理解できる。
153 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 08:27:40 ID:vcdmBL3p
>>129 >更にスッタニパータ:754訳では、アートマンは非物質的領域の生存者にも
>なることになります。
縦から読んでも横から読んでも斜めに読んでもスッタニパータ754からアートマン
は読み取れないよ。あなたはアートマンをなんだと思ってるの?
アートマンは霊魂のような自己の本性というのが普通の解釈だけどね。
>>74 おやおや、話はまた堂々巡りだ。
ゴータマは死後どうなるかなどの形而上のテーマは一切無記を通した。
末法仏教徒の嘘その@だ。ゴータマは死後どうなるかなどの話は
一切無記を通したどころか、相手によっては大いに語っている。
原始経典など読むと、はっきりと、人は行いに応じて、生まれ変わると
語っている。現世で他人に何も分け与えようとせず、せこく生きる者は、死後
醜い姿として生まれるであろうと、逆に、気前よく、現世に他人に自分の物を分け与えたり
施す者は、来世、容姿よく生まれる。などの具体例まで挙げて、語っている。
現世においてよき行いをしたものは、来世、よい境遇で生まれ、悪い行いを起こした者は
悪い境遇で生まれ変わるとはっきり語っている。また現世で善の修行を完成させた
者は、自分の望む来世を手にするということと、その話に付随して、
真理を悟り、涅槃がどういうものかを良く知る者が
死に際に、生まれ変わりではなく、ものをよく知る者が、善の修行を完成させ、
来世は生まれ変わることを望まず、涅槃をを望むなら、そこに到達すると言う趣旨の説法
もしている。ゴータマは人は死後どうなるか?などの形而上のことは一切語らなかった
どころか、相手によっては大いに語っているのだ。ただ、「ここの唯物論者達のような
そのような目に見えないものは信じないと言うスタンスのものにいくら語っても仕方ないから
そういう相手には、無記を通しただけだ。アホ共。これを待機説法というんだよ。
仏典のどこをどう読めば、ゴータマは人は死後どうなるか?と言う形而上のテーマは
一切語らなかったという結論になるのか、理解に苦しむ。ここで無記無記と騒いでる奴は
一回病院で頭見てもらったほうがいいと思う。君らは本を読んでも内容を理解する以前に、
書かれていることすら理解できない池沼のようだからさ。
ゴータマは、死後どうなるかなどのテーマは一切語らなかった
と言う話は嘘ですよ。相手によっては大いに語っていますよ。というのは
前シリーズ、仏陀は輪廻転生を説いたか?問いスレで、とっくに決着が付いてる
話だ。ところがここに集う末法仏教者や、ひたすら己のエゴを通す、頭の固い
唯物論者達は、相も変わらず、ゴータマは形而上のテーマは一切無記を
通したなどというのは誤った見解であると、とっくに論破された自説を、オウムのように
繰り返し述べる。まったく学習能力の無い人達だ。いくら論破されても
時間がたてばまた繰り返し、自分の間違った自説を繰り返し述べるという現象は
2chでは良く見られるものだ。この手の人種は、同じタイプの人達なんだろう。
共通しているのは皆、恐ろしく我が強い。ま、みててみ。また時間がたてば、
ゴータマは、死後どうなるかなどという形而上のテーマは一切語らず、無記を通した
等という誤った見解を、得意げに語る池沼が現れるから。論破された自説を
いつまでも持ち出しては自分達の正しさを主張するこいつらは、皆、頭おかしいんだよ。
ここの隠居とかいう発達障害のかたわもそうだろ。こいつも、いくらあんたの自説は
間違いですよと、皆が論破して上げても、時間がたてばまた、論破された同じ話を、針の
とんだレーコードのように繰り返すだろ。こいつらは自分の間違いを決して認めない
恐ろしく我の強い、邪悪な人々なんだよ。
156 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 09:30:40 ID:vcdmBL3p
「自灯明 法灯明」再論
これは大パリニッバーナ経(中村元訳 岩波文庫)にある説話だね。
第二章21から26までである。
旅に病む釈迦がベールヴァ村にて従者の若き人アーナンダに説いた
ことになっている。
・26 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、
他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。(中略)
アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも
自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころ
としないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として
最高の境地にあるであろう、−−誰でも学ぼうと望む人々はーー。
もちろん「自らを島とし、法を島とし」が「自灯明 法灯明」と漢訳された。
「自帰依 法帰依」ということもある。私はこの法を「自由法由」と呼んでいる。
輪廻転生などの話や神智学の話は、
がちがちの唯物論者にいくら話しても信じるわけないし、
話しても徒労に終わるだけだ。ましてやそういう人々をそういう道に
引き入れようと思うなら、最終的なゴールは、形而上的なものであっても
そのことは語らないほうが得策である。だからそういう相手には
形而上のことは一切語らず、そこに行くプロセス。たとえば、人は生きている限り
善行なして生きていかなければならない。皆が利己的にではなく
他人を思いやる社会が実現できれば、この世に理想的な社会、パラダイスが実現できる。
だからおまえもそうしなさい。そしてこの教えを皆に広めよう。といったほうが
この手の人達にはりかいできるし、最終的なゴールに至るには、負の業をこれ以上積む
ことなく、善行を成して、負の業を生産することなのだから、譬えその人は
今の時点で真理を悟らなくとも、いずれ瞑想などで真理を悟ったときに、彼のその後の善の行いは
無駄にはならない。だからその道に導きたいがちがちの唯物論者には、あえて
形而上のテーマは話さない。逆に人を疑うことなく純真な心の持ち主で
自分の言うことに何の疑いも無く聞き入ってくれる相手には、包み隠さずはじめから輪廻転生
等の説法をする。こういうのを待機説法と言うんだよ。
158 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 09:45:00 ID:9YnUknUg
無記って言葉は仏教国ではどんなふうに使われてるんでしょう。
普通に「相手によっては無記」ととられてるんでしょうか。
> この世に理想的な社会、パラダイスが実現できる。
問題は、パラダイスを作ることがその作る当人にとって
どういう意味があるか、ということだと思う。
その意味が悟りに必要ならそうすればいい。
でも、パラダイス作りが悟りに必要かどうかは人によって異なる。
だから対機説法なんじゃないかと。
>>156 自灯明とはセットにほう法灯明がある。自灯明とはなにも自分勝手に
好きなように法を解釈すればいいというものではない。自灯明とは、真理に至る法を
”正しく理解し” 正しく理解するものは、回りに、ここの隠居や、大川隆法のように
適当なことをいって迷わす者など相手にせず、犀の角のように、ただ独り歩めというものだ。
隠居のように、法を捻じ曲げて解釈しろといっているのではない。
あとゴータマの願いは、自分を超えて、自分の説いた真理を捻じ曲げて、違うもの
にしてしまうものではない。ゴータマの願いは、自分の説いた真理を正しく理解し、伝えるのなら
自分の説いた教えを曲げることなく正しく理解したものを伝え、その教えを聞き入れるものには、
みな、涅槃にまで至ってほしいというものだ。隠居のように、わがままほうだい、
好き勝手解釈して、好き勝手にやってほしいといっているのではない。ちゅうか真理とは
一つであり、これも真理、あれも真理というものは、真理ではない。ゴータマが真理に至った
人であるのなら、真理の教えは一つであり、彼を越えるというものもない。なぜなら真理に至った
教えなら、それ以上のものはないからである。隠居の話は最初から論理破綻しているし、
ゴータマを超えるのがゴータマの願いというなら、ゴータマは真理に至っていない人だという
ことになり、ゴータマ自信を否定することになる。ゴータマを否定する者が、仏教マンセー
するところが、そもそも矛盾している。ちゅうか隠居の能書きは、仏典に出てくる
悪魔の能書きそのものであり、そのものが、仏教マンセー。ゴータママンセーしているところが
まことに滑稽である。
彼の場合、イエスに匹敵するカリスマを持ってなければ家族に洗脳される、
という恐怖があるんだと思う。
恐怖は理屈じゃないから、いくら話しても仏陀を握りしめて手放さない。
162 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 10:13:18 ID:vcdmBL3p
>>156 承前。
なぜ「自灯明」かについては、この26の中略の部分でも説いているが
その前に、大パリニッバーナ経第二章12,13で修行僧たちに詳しく
説法している。自己が基準となるのは仏教の基本だからこれも引用は省略
する。
後の七仏通戒げも同趣旨だね。
諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教
善悪判断も自己責任が仏教だね。
たとえばがちがちの唯物論者にも二通りいる。
どうぢてもエゴを捨てられず、利己的に生きるのが最優先の自分の
生きる術であると。こういう人たちは、他人を泣かしても、自分の利益を
最優先する。また彼らは道徳をと聞くと馬鹿にし、
本来善行も悪行もない。そういうことにこだわるから人は苦しむ。
獣を見ろ。彼らには善悪もない。獣はエゴのまま生き、悪行をしたからと
苦しむことはない。善悪にこだわらず好き勝手に生きよ。それすなわち涅槃静寂
などという、誤った見解を好む。いっておくがこの世に善悪などはないという見解は
誤りである。善悪という対立二項があるからこの世なのだ。
彼らは致命的な誤謬をしている。この世に善悪などないなどという
誤った見解を好み、己のエゴを何よりも愛する隠居のような人たちは、
イエスを本能的に憎悪する。なぜならイエスは彼らのような人たちを、悪い存在であると明かしているからだ。
また、彼らには救いがないともね。一方同じ唯物論者でも、自分のエゴに忠実に
生きることに罪悪感を感じ、皆利己的に生きるのはよくないことだと感じている
者もいる。彼らは人は、善を成して生きていかなければならないというゴータマの四正勤の
教えも素直に聞き入れるし、イエスの言葉にも耳を貸す。彼らには大いにこの道に導く
べきものだ。いずれは真理に至る者は、素直に彼らの言葉に耳を貸す。だが、そうでrない
人々は、決して耳を貸そうとせず、誤った見解を好むだろう。ゴータマのサンガに参加するものは
善を成して悪は成すなという四正勤を肯定するものではなくてならず、善行善果。悪行悪果を
も肯定するものではなくてはならず、それらを否定する者は、けっして入れなかったときく。
仏教徒の中には二通りいる。同じ唯物論者でも、四正勤を否定する見解をとる者たちと、
肯定する人たちだ。四正勤を肯定する者たちは、イエスを決して否定しない。仏教徒の中でも
層化のように、イエスをひたすら否定する者もいれば、イエスも真理の人だと認める人たちも
いるというのは、皆さんよくご存知だろう。
164 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/01(月) 10:17:37 ID:n4TZY8Jw
>>162 何が善で、なにが悪かも理解しないものは、
仏教を語る資格はない。というより真理を語る資格はない。
善悪とは、その時代時代の価値観によって変わるものなので、
何が善で、何が悪かは一概には語れないという、社会科の先生と
変わらない世俗の善悪しか語れない者は、宗教を語る資格はない。
165 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 10:18:13 ID:9YnUknUg
自灯明、法灯明については本当にもう言い尽くされた感がありますね。
とりあえず
>>108>>111を読んで反省してもらいたいものです。
166 :
素人A:2009/06/01(月) 10:22:50 ID:fqe8FNLh
アートマンを認めると後はアートマンに、後は任せて満足?其処から先は放棄。
其処から先も解らんけど有りますよーという事かなー。私は駄洒落だけ?失礼しました。
167 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/01(月) 10:23:17 ID:n4TZY8Jw
自灯明にはもう一つ深い意味がある。
なぜ自分自身なのか?それは真理とは他人ではなく、
自分自身が持っているからだ。真理とは、真実の自己だから。
だから他人に惑わされることなく、法を正しく理解し、犀の角のように
ただ独り歩め。なんだよ。
168 :
一在家お昼休み:2009/06/01(月) 12:12:25 ID:U8Q6yXM7
>真理とは、真実の自己だから。
真理の魂は全ての人に宿る仏性、神性ですね。
全ての人に神性が宿ることはイエスが最初に説いた訳ではないですよ。
エッセネ派ユダヤ教で説かれています。(出典:死海文書)
イエスの師匠の洗礼ヨハネもその一員だったという説は有力ですね。
新約の中にエッセネ派が登場しないのは、イエスとまったく対立する
必要もないからでしょう。
169 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 12:39:08 ID:CMfM1ALc
>>168 >全ての人に神性が宿ることはイエスが最初に説いた訳ではないですよ。
イエスは、「すべての人に神性が宿る」などとは、一切言っていない。
聖書のどこを読んでるのかね。
イエスにとって「神性」が宿っているのは、人間を超越した存在と、そ
の「自称一人息子w」としての、イエス自身だけである。
キリスト教では、イエス以外の人間に「神性」を認めることは、絶対に
できない。イエスの面目が丸潰れになり、キリスト教は崩壊するから
である。
これに反し、仏教では、「一切衆生悉有仏性」である。
> これに反し、仏教では、「一切衆生悉有仏性」である。
ただし「一闡堤」は除く。と大体追記されているね。
更にいうと、仏性を認める如来蔵思想というのは、
アートマンとか霊魂とかを認める立場に近い側面がある。
172 :
一在家携帯より:2009/06/01(月) 13:14:31 ID:JNFH1p2S
トマスの福音書に説かれてますが。
ヨハネの福音書の作者が一番知っていたことを、週末に紹介しますよ。
イエス=神自身のヨハネ作者にとって不都合だったので抹殺しました。
神様のみ力にて護られたトマスの福音書と死海文書は現代に復活しました。
>>172 > トマスの福音書に説かれてますが。
そうですね。絶対にできないといくらいっても、現実にあったんですから
断言しちゃった分、かえって恥ずかしい結果になってますね。
ご隠居理論は現実的じゃないってことですかね。
174 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 13:21:09 ID:sLxQg8PQ
>>172 キリスト教・グノーシスネタは他所でどうぞ。
後でリンクを貼ればそれで十分でしょう。
175 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 13:45:41 ID:CMfM1ALc
>>172 キリスト教は、トマスの福音書を、聖書から排除した。
やはり「絶対に出来なかった」のである。
>>175 千年も続いていたのに絶対にできなかったとかいっても仕方ないだろ。
つか、スレ違いの指摘受けてるんだから、キリスト教初心者スレにでも池よ。
177 :
一在家コーヒータイム:2009/06/01(月) 13:51:29 ID:QC7XGvfM
>>135 >誰か、「四悉檀」に該当するパーリの術語を知ってる人居る?
グノーシス派キリスト教はまだあまり知りませんが、エッセネ派ユダヤ教こそが
正統派なのかも知れないと思います。
仏教との相性も非常に良いですから。
さて、旧7氏の呼びかけで現在調査中の方々の姿が見えます。
第4義悉檀:頑強な唯物論者へ
第3義悉檀:死後の世界を否定する一般大衆(凡夫)へ
第2義悉檀:修行の浅い直弟子及び修行の進んだバラモンへ
第1義悉檀:一部の高弟へ
当然、番号の大きな悉檀の説法ほど、聞いた人たちが多かったであろう
と理解します。
178 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 13:54:55 ID:vcdmBL3p
>>162 承前。
つぎはなぜ「法灯明」か?
これは
>>156の引用部分が「それ故に、」ではじまってることで
引用部分の前の大パリニッバーナ経第2章25に示されている。
25「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?
私は内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完き人の教え
には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、
存在しない。(以下省略)・・・。
要するに、釈迦としては説くべきことはすべて理法として説いているから、
釈迦が死んだ後はアーナンダは釈迦に代わる指導者を求めるのではなく
残された法をよりどころとしなさい、という遺言ですね。
それで、以下省略としたところに釈迦の亡き後の指導者を決めてはいけない
理由が述べられている。
179 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 13:57:52 ID:CMfM1ALc
>>176 このスレ自体が、キリスト教(的なもの)と仏教(的なもの)との、相克
のスレw。
>>179 それはお前の家庭と、お前の心の中の状況だろ。
自分の問題をスレに持ち込むなよ。迷惑だから。
181 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 14:24:48 ID:CMfM1ALc
新刊紹介
「入門 哲学としての仏教」(竹村牧男著、講談社現代新書、2009
年4月20日発行、定価¥740)
「仏教の根本概念は、無我と縁起ということができるが、それは、根本
的に、実体(自己自身で自己の存在を支える、常住不変な存在)を否定
し、関係主義的な立場に立つものといえる。この関係主義的世界観こそ、
今日のエコロジーの基盤だし、あるいはフラクタルとか複雑系とかにも
関係していよう。縁起(関係論)の哲学を最高度に高めた華厳の思想、
重重無尽の縁起を説くその華厳の思想などは、まさに超モダンそのもの
である。
心というものは、究極的には、この現実世界そのもののことである。」
(以上、本文より)
真理はひとつなのだから、
仏教だ、キリスト教だなどと、目くじらを立てることもない。
宗教で食している人を除き、
普通はただ単に真理を知りたいだけだろう。
仏教だろうがキリスト教だろうが、そんなことはどうでもいい。
183 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 14:32:34 ID:CMfM1ALc
>>182 キリスト教における、「すべての人間に通用する真理」とは、一体何
かね?
聖霊は神、永遠の命はアートマン
186 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 14:45:46 ID:CMfM1ALc
>>184 聖霊など、どこにも見当たらん。どこの動物園に行けば、見られるの
かねw。
すべての人間は死ぬ(Man is mortal)。「永遠の命」などない。
いずれも、「真理」とは程遠い。
>>186 ご隠居の場合はそれでいいと思う。
その姿勢を貫くことが聖霊に出会う唯一の道でしょうね。
しかし急がないと人生が終わってしまう。
188 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 14:55:34 ID:CMfM1ALc
>>187 >しかし急がないと人生が終わってしまう。
はからずも、「永遠の命」など無いことを、証明してしまったなw。
聖霊に出会うためには、
信仰より、神を笑うぐらいのほうがいいかもしれない。
信仰には思いがけない落とし穴がある。
>>188 知っているかもしれませんが、
細菌など単性生物は基本的に死なないそうです。
しかし性別のある生物には、死ぬ仕組みが細胞に内在している。
死ぬ仕組みをわざわざ内在させていることが興味深い。
死ぬ仕組みがないと死なない。→ 死なないものがある。
肉体は滅んでも、生命は生きつづける。
滅びない生命とは何? アートマンである。
その生命はどこに行く? 霊体になって霊界に行く。
悟らなくてもそうなるなら悟る必要がない?
そうはいかない。
霊界には上下の層があり、各人のレベルに応じた層に行くだろう。
192 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 15:37:03 ID:vcdmBL3p
生命の単位は細胞ごとにひとつの生命じゃないかな?
細胞が死んだらそのひとつの生命は終わりでいいだろ。
193 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 15:40:30 ID:CMfM1ALc
>>190 生命という「神」は、肉体という「神殿」のみに宿りうる。神殿が滅びれば、
生命も滅びるのは当然。
個の生命は、有限であるからこそ尊い。滅びるからこそ、新たな生命の
誕生が可能になり、種としての生命が継続する。これが「永遠の生命」
の意味である。即ち、「生命の新陳代謝」である。
「個の永遠の生命」は、「種の永遠の生命」を否定するものである。
それは、「エゴ」という「粗大ゴミ」以外の何物でもない。
194 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 15:48:53 ID:0/7y1NiH
>四悉檀
『智度論』
T1509_.25.0059b17: 因縁事故。説般若波羅蜜經。復次佛欲説
T1509_.25.0059b18: 第一義悉檀相故。説是般若波羅蜜經。有
T1509_.25.0059b19: 四種悉檀。一者世界悉檀。二者各各爲人悉
T1509_.25.0059b20: 檀。三者對治悉檀。四者第一義悉檀。四悉檀
T1509_.25.0059b21: 中一切十二部經。八萬四千法藏。
の以下で、四悉檀を各自詳述する。
195 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 15:59:18 ID:vcdmBL3p
>>193 今までに絶滅した種の数のほうが今いる種の数より多いじゃないか?
今も絶滅危惧種はいるし。
種の生命も永遠ではない。
生命一系統としてもその生命系統もまたいつかは滅するだろ。
真理はひとつだから、経典と聖書との共通項を探し、
そこから逆に経典を見渡し、聖書を見渡すことが肝心だろう。
二つのものはつぎのような共通項をもっている。
経典なら、ブラフマン(梵・宇宙真理)とアートマン(我)
聖書なら、聖霊(神の油)と永遠の命(魂)
197 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/01(月) 16:11:25 ID:n4TZY8Jw
>>169 あほかおまえ。キリスト教は元々人は、神に似せて造られた、神と同等な
存在と説くんだよ。だが人は、自らの罪原罪によりその神性が失われている。
一つのものを二つに分けた、自らを二つに分けたその罪によりね。
ま、おまえには難し過ぎる話だろ。キリスト教をなにも理解できていないのに、
憎悪剥き出しで、適当なこと言ってんじゃねぇよ、タコ。
生命が永遠であることを信じない人はそれでいいと思う。
神を笑い、この世限りと思って生きる。
それがむしろ普通ではないですか。
わたしもそうだった。
それぐらいでないと、目から鱗が落ちるような体験にならない。
自分の正しさを信じて疑わないヨブは無神論者である。
199 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 16:17:49 ID:CMfM1ALc
>>197 神と同等な存在である人間を「罪人扱い」する、イエス(パウロ)の
大矛盾。「二つに分けた」のは、まさにイエスではないか。
200 :
旧7:2009/06/01(月) 16:21:12 ID:aVMdWftc
こうして、スレの色合いはキリスト教色となり、
最後の結論は、『ブッダが説いたのはキリスト教だった』、と・・・?w
馬鹿馬鹿しい・・・。 ┐(´ー`)┌
201 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/01(月) 16:21:33 ID:n4TZY8Jw
>>186 そっもそもおまえは聖霊とはなにかも理解していない。
知っている人なら、聖霊はいくらでも見出すことができる。
ちなみにおまえの憎悪に満ちた能書きや、真理を捻じ曲げて
自分の好き勝手にゴータマの教えを捻じ曲げて、これが仏教だと
能書き垂れてんのは、悪霊である。
ゴータマも不死の境地を説いた。おまえはメクラだよ。
202 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 16:22:58 ID:CMfM1ALc
>>198 ヨブ記は、ヨブが無神論者のままの前半は優れているが、最後は、「神
を信じたので、ハッピーエンド」という、安っぽいメロドラマに過ぎない。
旧約聖書としては異質で、限りなく新約に近い。
203 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 16:26:23 ID:vcdmBL3p
臨終のことば
そこで尊師は修行僧たちに告げた。
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく
修行を完成なさい。』と」
これが修行をつづけて来た者の最後の言葉であった。
204 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 16:27:31 ID:CMfM1ALc
>>200 キリスト教と仏教との「原理的」相違をはっきりとさせてください。
このままでは、仏教徒を騙るクリスチャンが群がってくるw。
>>199 人間は、生命(アートマン)レベルでは永遠なのに、
生命から生まれた<意識>は死ぬことをひたすらに嫌がり、
善と悪とを分別し、敵と味方を区別し、憎みあって生きている。
言い換えれば神を忘れている。これが原罪ですか。
206 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 17:16:02 ID:k6219MOB
>>204 なんで何がなんでも仏教とキリスト教を別のものにしないといけないわけ?
そう思いたいのはあなたのエゴですね。賢い人は、仏陀の教えと、
キリストの教えに共通項をみつけたなら、素直にそれを認めるものです。
二人とも同じことを言っているのに、どうしても違うものにしたいのは、
違うものにしたいと思う、その人のエゴです。
>>202 たしかに最後の章は蛇足。つけ足しでしょう。
昔は、だれかが口述し、それを記憶することで話が残された。
あるいは、だれかが羊皮紙などに書き写すことで記録が残されていった。
付け足しや改ざんなどは当たり前だったと思う。
だからこそ、古い文書の一字一句にこだわるなということですよね。
208 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 17:27:29 ID:vcdmBL3p
>>206 何で何がなんでも一緒にしなきゃいけないの?
みんな違ってみんないいじゃない。
>>206 わたしもそう思いますね。
昔の人は真理を知ろうと命がけでインドに出かけた。
日本人も命がけで中国に渡った。
真理はインド人のものでも中国人のものでもない。
仏教はもともとインド人の宗教ではないですか。
聖書についても同じことが言える。
それが真理に触れているなら謙虚に学んだらいい。
ただし仏教で食べてる人は除く。
>>208 何がなんでも一緒にしなければいけないとは言っていない。
賢い人は、仏陀とキリストの教えに共通項がみられたら素直に認め、
どうやら二人とも同じことを言っていると認められたなら、
素直にそれを受け入れるだろうという話をしている。
逆に、多くの共通項があるのに、何がなんでも仏陀の教えと、
キリストの教えは違うものにしたいというのは、その人のエゴだという話をしているんだよ。
なにも根拠もなく、二人の説く真理は同じものだとは言っていない。
君は頭が悪いんだね。
昔は大変だったね。本がない。電気がない。何かを学ぼうと思ったら、
かすかな評判を頼りに、その人の所に出かけなければならない。
その人は師匠かな。しかし飯の種だから、なかなか教えてくれない。
対価を払っても、嫌われたら肝心なことを教えてもらえない。
教えてもらっても話を記憶する以外にない。
師匠の選択と、気に入られ具合と、師匠の話を記憶する力ですかね。
それに比較したら今は天国ですね。本を買う金があればいい。
SPの5章にある、バラモンのバーヴァリは、
聞きたいことを数人の学生に頼んで釈迦のもとに派遣している。
知ることはこれほどに大変だったということだ。
釈迦、孔子、ソクラテス、イエスなどの周囲に多くの人がいるのは、
師匠のそばにいないと学べないという事情があったからだ。
こんなことを想像していると、
経典や聖書の一字一句にこだわっていることが、
ひどくむなしいことに思える。
なんだかなぁ・・・ (^^;
>>210 >何がなんでも一緒にしなければいけないとは言っていない。
そうですか? なんか、ものすごく必死な様子が伝わってくるんですが・・・w
>共通項がみられたら素直に認め、
↓
>二人とも同じことを言っていると認められたなら
飛躍してますよねぇ・・・w
「共通項があれば」「同じ」ですか・・・w
(他の人はどうか知らないが、私は)単に、「違う」と言ってるだけさ。
それは、≪パーリ語とサンスクリット語は違う≫という程度のものかもしれない。
≪ドイツ語とフランス語は違う≫という程度のものかもしれない。
≪牡丹と薔薇は違う≫という程度のものかもしれない。≪梅と桜は違う≫という程度のものかもしれない。
違うものを違うと言ってなぜいけないのか?
キリスト教と仏教の間には、上記のような違いは無いのか?ん?
(尤も、カラスや宝珠の依拠する“おしえ”は、
一般的に知られる(辞書的・事典的)キリスト教じゃないらしいので、
何とも言えんが・・・w)
キリストの教えと仏陀の教えはまったく違いますが
なぜ説かれたか?つまり目的が大事だと思います。
時代と場所にあわせて神が仏陀やキリストに説かせた
ということでしょう。
そして教祖のレベルに応じて、教えにも違いが出るわけであり、
イエスと釈迦の教えに違いが生じるのもそのためです。
人が修行で仏陀やキリストになるというのが、
そもそもおかしいということです。
216 :
旧7:2009/06/01(月) 19:31:05 ID:BtyEfDiL
_, ,_
( ゚∀゚) < 世の中には、ホント、色んな人がいるなぁ・・・w
//\ ̄ ̄酒\
// ※.\___ \
\\※ ※ ※ ※ ※ ヽ
\`ー────── ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
217 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 19:56:24 ID:k6219MOB
>>214 だったらどこがどう違うのか、説明してみな。
二人ともこの物質世界は流転し、実体のない幻と説き、執着するなと説いている。
この思想は、古くは旧約の伝道の書。クノーシス文献などにはイエスの言葉として、
直接語られている。そして二人は、好き嫌いの世俗の愛ではなく、好き嫌いを超越した、全て平等の愛を説いた。
これらは何語と何語の違いというレベルの話ではないということは、小学生にでも理解するだろう。
違いと言えば、イエスは至高の存在を明確に語り、ゴータマはその辺を曖昧にしたという点だろう。
ゴータマは至高の存在を説いたか説かなかったかは、
アートマンを語ったか語らなかったかをテーマに議論するこのスレで論証されていくだろう。
てか、宝珠氏の書き込み等から、すでに論証されているんだけどね。
218 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 20:02:36 ID:k6219MOB
>>216 よお。ドメクラの分際で、上から目線で話すなよ。
219 :
曉:2009/06/01(月) 20:17:27 ID:tuZHciqw
そういう言葉遣いはやめたまえ
220 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 20:18:00 ID:vcdmBL3p
>>215 >人が修行で仏陀やキリストになるというのが、
>そもそもおかしいということです。
仏教が全然わかってないじゃん。
仏教は仏陀になるための教えだよ。
誰でも修行すればキリストになれるとキリスト教は
教えてないのか?
221 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 20:27:08 ID:vcdmBL3p
>>217 仏教は無神論だよ。造物主としての創造神は仏教には存在しない。
仏教にはというよりインド教(バラモン・ヒンドゥー)を通して
創造神は存在しない。インドは日本やギリシャと同じ多神教世界だ。
多神教は神は万能ではなく機能分散の単能の神々がいる。
仏教の梵天は創造神ではない。ヒンドゥのブラフマンも創造神ではなく
普遍性の原理であるに過ぎない。
222 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 20:31:06 ID:TNuXwbW9
>>217 >好き嫌いを超越した、全て平等の愛を説いた。
全くのピント外れ。イエスの「教え」は、すべて、「我のみ良しの、思
い上がった独善性と傲慢さ」「人間差別」「人間そのものに対する洞察
と愛の欠如」「論理矛盾」「創造(あるがままの人間と自然)に対する
畏敬の欠如」「自分の気に入らない者に対するあくなき憎悪・批難・排
斥」に基づいていることを、聖書を、現代人としての知性と批判力を以
って、眼光紙背に徹して読むことにより、看破されたし。
イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が
裂けてもいえなかった。イエスにとっては、自分を信じてくれない人間
は、「裁かれるべき存在」だったからである。
223 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 20:33:37 ID:RdD02o6j
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
「釈迦が何を言ったか」ではなく、「その言説が現代でも通用するか」を、
現代人の知識と理性により【追試】することが必要。
現代に通用しない言説は、「釈迦の誤り」として片っ端から廃棄すべき。
★☆ 時代を隔てた【現代】にも通用しなければ、それは「真理」ではないからである。☆★
それが、【自灯明】 の意味である。 (*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
224 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 20:47:08 ID:vcdmBL3p
>>223 > それが、【自灯明】 の意味である。 (*^。^*
ちがうだろ。それが「法灯明」の意味だ。
「法」は誰が言ったかには関係ない真理の理法だから。
「自灯明」はそういう「法」を自らのものとするために
自分を信じ変えていくことだ。それが修行だ。
225 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 20:52:46 ID:TNuXwbW9
>>224 「法」を見出すためには、自灯明が不可欠。釈迦も、自分の自灯明に
よったからこそ、「法」を見出し得たのです。
>>217 まぁ、普通に仏教とキリスト教は別の宗教だろう。
仏教は、ユダヤ教、イスラム教のようなセム系一神教ですらない。
仏教では、唯一神、創造神への信仰を説かない。
仏教には、神の子という概念がない。三位一体説などもない。
仏教には、贖罪、復活という教義がない。
仏教には、聖体拝領や洗礼、終油などの儀式がない。
たまに対比されているのを見かけるが、
仏教では「サイの角の如くただ一人歩め」
キリスト教では「ふたりしてひとつの道を行け」
まぁ単純比較しても仕方ない気もするが。
一方、キリスト教には
四諦・八正道という教義がない。
涅槃・悟りという概念がない。
輪廻・解脱という概念がない。(異端にはあるけど)
さて、こうして整理してみると非常に異なる宗教であることがよくわかるが、
それでも共通項を探すことは不可能ではない。
慈悲と隣人愛は似ている。
極楽浄土と天国は似ている。
善行をすすめ、悪行を戒めるのは似ている。
仏教の神々や諸仏諸菩薩と、キリスト教の聖人は似ている。
念仏と神への祈りは似ている。
僧侶と司祭・牧師は似ている。
お寺と教会は似ている。
神社仏閣といわれるように、宗教的なものというカテゴリーに入るものは
みんな似ている。「で?」っていう。感じではあるけど。
227 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 21:10:43 ID:mnZEr4aC
>>223 >現代に通用しない言説は、「釈迦の誤り」として片っ端から廃棄すべき。
あとは仏陀で腹話術をすることをやめるだけですね。
仏教とキリスト教とは、ベクトルの方向が逆になっている。
仏教・・・人 → 神
キリスト教・・・神 → 人
229 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 21:20:38 ID:mnZEr4aC
>>226 創造神話も無いですね。
ヒンドゥーの神々は居るが、乳海攪拌やらプルシャからの創造は説かれない。
結局どれを「本質」とするかでどうとでも言えてしまう話ですね。
230 :
旧7:2009/06/01(月) 21:23:08 ID:BtyEfDiL
>>226 そういう違いは、レベルの違う(→低い?)(≒世俗的、皮相的、枝葉的)相違点であって、
本質の部分では同一らしいですよ?w
ほんとかどうか知りませんが・・w
まあ、
・『真理は一つ』である。
・『ブッダは真理を説いた』、『イエスは真理を説いた』。
・故に、二人は『同じこと』を説いた。
と考えることもできなくはないですが・・・w
(真理が一つであることが、何によって担保されるのか知りませんけどね・・。)
あ、遅ればせながら
>>194 乙w
釈迦は成道以前にバラモン教を学んでいたことは確実だろう。
でなければバラモン教徒と論争できるわけがない。
232 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 21:37:09 ID:vcdmBL3p
>>231 >釈迦は成道以前にバラモン教を学んでいたことは確実だろう。
そうだね。それが仏教の反面教師としてのバラモン教だろうね。
子供がいつか親に反抗し親を乗り越えていくようなことだね。
233 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 21:40:43 ID:vcdmBL3p
>>230 >本質の部分では同一らしいですよ?w
そもそも本質など無い、諸法実相は空というのが仏教ではないか?
234 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 21:43:28 ID:vcdmBL3p
釈迦は六師外道のような自由思想家の一人であって宗教家ではなかった
だろう。
輪廻からの解脱を説くのだから、
釈迦の教えはバラモン教の枠組みの中にしっかり納まっている。
ブラフマンとアートマンという文脈ね。
236 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 21:53:12 ID:vcdmBL3p
>>235 >輪廻からの解脱を説くのだから、
現世においての輪廻からの解脱だからね。別にアートマンは必要ないね。
237 :
旧7:2009/06/01(月) 21:59:27 ID:BtyEfDiL
カラスは毎度のこととしてw、
ID:IDiIIGBOの必死さが不気味なんだが・・・。(ID:k6219MOBもカラスだなw)
>>235 だから何?って感じだがw
構図・形式としては、日本語を用いて日本文化を批判するようもんだと思うが?
>>236 竜樹は五蘊以外のアートマンについて語っていない。
肯定も否定もしていない。
>>236 竜樹はアートマンを否定していないのだけど、わかりますか?
それからあなたは解脱をどう理解していますか。
縁起の理法・空を悟ることですか。
240 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 22:17:52 ID:k6219MOB
>>222 ピント外れなのはどうみてもお宅のほうだろ。
ちゅうかお宅の能書きはいつもピント外れだけどな。
イエスが、我のみがよしとするなら、自ら十字架に掛かるはずもなし。
イエスを信じるものだけが救われると言っているのは
一部のおかしなプロテスタントの人達がいっているのであって、イエス自信は、
父の御心に叶う者だけが救われると言っている。
イエスの教えは、自分を愛してくれる者。自分が好ましいと思う者を愛するなんてことは悪人でもしている。
あなた方は敵をも愛し、自分を迫害するものの為に祈ってやれと説いている。
キリスト教は隣人愛を説くが、キリスト教のいう隣人とは、敵味方関係無く、
困っている人がいたら万人に平等に愛の手を差しのべる人のことをいい、
隣人愛とはこのような人々のことを愛することをいい、
行ってあなたも隣人と呼ばれる人々と同じことをしなさいと説くものだ。
一見、キリスト教の隣人愛は、隣人しか愛さない狭いもねなのなのかとみる盲人もいるが、
キリスト教の隣人とは、好き嫌いを超越した平等の愛を示す人のことであり、
クリスチャンならばそのような人になりなさいと説くのだから、なにも矛盾はない。
というか、お宅、このテーマに関するお宅の認識の間違いは、宝珠氏が何度も指摘してきたのに、
壊れたスピーカーのように、何度もその間違った認識を垂れ流しているよね。
お宅の耳は聞こえ無いの?
241 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 22:32:15 ID:0/7y1NiH
>>239 『中論』9章、18.1-2をどのように読んでますか?
>>236 それでは話を変え、釈迦がバラモン教徒に<空>を説いたと仮定しよう。
<空>を説かれたバラモン教徒は、<空>の思想に感激し、
ブラフマンやアートマンを捨て、バラモン教を捨ててしまうだろうか。
無理だろう。いまだに<空>は空論とバカにされているのだ。
たしかに釈迦は、儀式やカースト制度などには否定的であり、
形式的な側面ではバラモン教から離れようとしている。
しかし精神的な側面では、バラモン教の真髄により近づいたのではないか。
これなら釈迦に、バラモン教徒も弟子入りするだろう。
244 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 22:59:05 ID:0/7y1NiH
>>243 貴方は、「竜樹はアートマンを否定していない」と発言と発言しているわけですが、
9章や18.1-2とどのように整合してますか?
>>223 だいたい同意したい。自灯明・法灯明の結論ですね。
個人的には、経典・聖書などの古典が法灯明であり、
それらの内容をよく考えることが自灯明。
学ぶばっかりでもダメだし、考えてるばかりでもダメだし、あたりですか。
>>244 わたしはもう述べたのだから、あなたの考えを聞かせてください。
247 :
旧7:2009/06/01(月) 23:04:59 ID:BtyEfDiL
混ぜっ返しに亀レス入れとくかw
>>143-144 ほうw
仏教に「悔い改めが不足」となw
あのなw
仏教の悔い改めは、お宅らキリスト教のような【卑屈な】悔い改めじゃないんだよw
もっと【前向きな】悔い改めなんだよ。
アングリマーラ経でも熟読しとけwww
>>138 寧ろ、宗教の数だけ(≒世界観の数だけ)真理があるのかもしれんぞw
(´ー`)y━~~
>>140 相変わらず極端なことで・・・w
そんなんだから敵ばっかり増えるんですよw
──────────────────────────
で、おそらく、《 ID:2dWZhSYM = ID:IDiIIGBO 》 だろ?w
248 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 23:10:37 ID:aMyAOsgr
>>240 イエスは「神の冒涜罪」で処刑された。
彼ほど好き嫌いの激しい人間はいない(宮清め、イチジクの木、その他無数)。
嫌いな気持ちを持って「愛する」ことは、愛ではない。単なる偽善。
イエスは、超越的絶対を説いたが、釈迦は、縁起(万物の関連性)の原理を
見出した。
既にイエスの影響下にある宝珠氏には、イエスを批判することは絶対に不可能。
>>229 > 創造神話も無いですね。
そうですね。仏教には創造神話がないですね。ヘンテコ宇宙論とかありますけどw
キリスト教には縁起・空とかもないですね。
> 結局どれを「本質」とするかでどうとでも言えてしまう話ですね。
まぁ確かに。全ての宗教を統合したいという方向性自体は必ずしも悪くないと思いますけど、
結論急ぎすぎなんじゃないかと思いますね。
>>230 >
>>226 > そういう違いは、レベルの違う(→低い?)(≒世俗的、皮相的、枝葉的)相違点であって、
> 本質の部分では同一らしいですよ?w
まぁ、そう言われるでしょうねぇ。
阿弥陀信仰だけとれば、結構キリスト教と似てるといえると思うんですけど、
(特に「弥陀一仏」とかいってたりするのを聞くと)
他の仏教とキリスト教はアプローチが全然違うと思いますね。
その意味では補完し合う関係みたいに言ってた人がいますけど、
まだその方がしっくりくるように思いますね。「同じ」というよりは。
> (真理が一つであることが、何によって担保されるのか知りませんけどね・・。)
真理は一個かもしれないし複数あるかもしれないけど、それは切り方によるでしょうね。
で、結局、切り方が違えば違う宗教ですよ。
ただ、仏教が正しいからキリスト教が間違ってるとか、そういう二律背反の関係にもならないでしょうね。
位相が相当違う気がします。
「人類はその質を上げていける」という部分は仏教キリスト教で似ていますね。目指すのはどちらの宗教も精神的な成長ですから、
その意味で同じといえば同じですけど、ずいぶん大きなまとめ方だなぁとは思いますね。
250 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 23:12:12 ID:0/7y1NiH
>>246 >わたしはもう述べたのだから、あなたの考えを聞かせてください。
『中論』が述べている通りに考えてますよ。
だから、「竜樹はアートマンを否定していない」
という自分の発言とどう整合してるのか、と聞いてます。
さあ、早く答えて下さい。
悟りたいなら、誠実に謙虚に生きたほうがいい。
それが最後に試される。
252 :
旧7:2009/06/01(月) 23:18:16 ID:BtyEfDiL
>>249 単発レスばかりでしたので気にも留めませんでしたが、249は、
代わりに発言していただいた形に感謝w
解り易い。(私が書いたら滅茶苦茶になっていたでしょうw)
全文同意です。 かたじけない・・m(_ _)m
言わぬが仏。知らぬが花。
こたえは風に吹かれているだけ。
254 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 23:22:55 ID:aMyAOsgr
>>249 >キリスト教には縁起・空とかもないですね。
それが最大の相違のはず。最後にようやく出てくるとは不可思議w。
>>248 キリスト教をパウロの創作だとすれば理解できそうに思います。
たぶん四つの福音書は改ざんや創作で汚されています。ヨハネは特に。
福音は話半分でいい。パウロの手紙などは暇つぶし。
>>254 縁起・空を最初から書かなかったのは、基本的に大乗のイメージが強いからなんだよね。
仏教というくくりであって、大乗仏教というくくりじゃないから、
縁起・空がキリスト教との最大の相違という風には思っていない。
縁起・空は大乗仏教の中核のひとつを担っているけど、縁起・空がなくても仏教は成立するしね。
257 :
旧7:2009/06/01(月) 23:35:20 ID:BtyEfDiL
さて・・・、
(74〜80辺りへの)
宝珠氏の反応をニヨニヨしながら待つとするか・・・w
おやすみ ノシ
>>256 |
|゚) < 「空」はイラネ。 「縁起」だけ残しといてくれwww
|
|
|彡サッ
|
>>255 そもそもキリスト教であれパウロであれあらゆる存在は縁起と因果によって生まれた創作物。
つまりこの世の一切は無であり空。
>>252 いや、こちらこそお世話になってます。
特に前スレ568はありがとうございました。
(読み飛ばしてましたが^^;;;)
260 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 23:39:53 ID:aMyAOsgr
>>256 日本は、大乗仏教の国のはずだが。どこの国の方?
>>260 なんでそんなにスケールが小さいんだよw
じゃあお前はタイに生まれてたら、小乗仏教信仰すんのか。
ヨーロッパに生まれてたらキリスト教を信仰すんのかよ。
親のいいなりの宗教になれっていうのと同じだろ。それじゃ。
>>258 まあそう言ってなさい。あなたたちこそ悟りに近い。
わたしは神を笑っていたのだ。いまでは深く反省しているよ(TT)
263 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 23:47:06 ID:aMyAOsgr
>>257 >「空」はイラネ。 「縁起」だけ残しといてくれwww
「空」のない仏教とは、どんな宗教?原始仏典でさえ、「世界を空と観ぜよ」
と教えているのだが。
>>247 お前はキリスト教の言う悔い改めとはなにかを
全く理解していないようなので、俺が教えてあげよう。
キリスト教の悔い改めとは、今まで多かれ少なかれ、利己的に生きてきた生き方を180度改め、
利己心を捨て、利他に生きることを言うんだよ。それは、仏教のいうところの
菩薩行に相通じるものだ。どんな悪人であろうとも悔い改める者は許される。
たとえアングリマーラのような殺人鬼だった者でもね。
そこに善人だった、悪人だったなどの差別、区別はない。
わかったかい?盲人の旧7さん(苦笑)
265 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 23:55:39 ID:0/7y1NiH
266 :
神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 23:56:09 ID:aMyAOsgr
>>261 タイに生まれていたら、小乗仏教を「信仰させられた」だろうな。
日本に生まれてきて、本当によかったw。
小乗やヒンドゥー教の国は、一神教とかなり近く、紛争が多い。
>>263 > 「世界を空と観ぜよ」
これは執着心を捨てよ、ということを言っているのであって、
相互に関係しあっているものは無自性である、
と言う事柄について理解する必要がある内容ではない。
>>266 そうか。可哀想にな。
おれんちはその辺自由だったよ。じゃ。
269 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:04:53 ID:anq1/HVN
>>264 >利己心を捨て、利他に生きることを言うんだよ
それをイエスが言ってくれていればよかったのだがw。
その統合失調症の症状としての「誇大妄想」故に、「自分が神になりた
かった、なった積り」のイエスにとっての最大の関心事は、人が自分を
信じてくれることだけ。人に仕えるのも、「自分が一番先になるための
手段」。まさに利己心の塊ではないか。
270 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:05:22 ID:A3V4izho
あなた自身の存在のなかで、大きな「自己」が復活するために、
小さな自己は死ななければならない。
キリスト教では、イエスの「死と再生」は、神秘家によれば、
分離した自己の死と、意識の流れからの新しい永遠の命の復活の元型である。
このプロセスは、小さな自己から大きな「自己」、への転換であり、
メタノイア、悔い改め、変容と呼ばれている。
イスラムでは、「死と再生」はタウバ(tawbah)すなわち「悔い改め」
あるいはガブ(galb)すなわち「変容」と呼ばれている。
いずれも、アルビスタミの「自己を忘れることは、神を思い出すことである」
という簡潔な言葉に要約される。
ヒンドゥでも、仏教でも、「死と再生」は個別の魂の死と、
自己の本性へ目覚めることとして描かれる。自己の本性とは、
ヒンドゥではブラフマン、仏教では純粋な開け(空またはシュニャータ)として
比喩的に語られる。実際の再生ないし突破の瞬間は、
悟り、ないし解放として体験される。
この転回とは、分離した頑強な自己を創り出す習性が解体され、
そこに広大で、広々とした、透明な意識のみが残ること、である。
この転回(あるいはメタノイア)を、禅では悟り、または見性という。
(ケン・ウィルバー 『存在することのシンプルな感覚』)
271 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:10:12 ID:anq1/HVN
>>267 釈迦にとってはそうだったかも知れんが、竜樹は、その一句から、前人
未踏の大哲学を築き上げた。
>>271 今は釈迦の話だろ。竜樹以降の仏教は仏教の一角でしかない。
それ以外にも仏教はある。以上。
273 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:21:27 ID:anq1/HVN
>>270 小さな自己と大きな自己とを、区別・判断する基準と意味は何?
生まれながらの自己を「人為的に」変容させるのは邪道であり、必ずひずみが
生じる。それは「大きな自己」とは言えない。
>>270 言って通じるか非常に疑問なんだが、
仏教の場合、「生き方」みたいなところから、積み上げてく感じがあるんだよ。
その分重いというか、じんわりというか。
キリスト教とかイスラムとかの神秘体験系ってのは、もっと一点突破なんだよ。
人格なんか破綻したままでもいいから、一カ所ズキュンと脳天貫いてるみたいな。
道元の心身脱落と、聖フランチェスコのスティグマ体験が同じだとは全く思わない。
どこか相通じる世界だと半ば無理矢理いえるかもしれないけど、
なんかね、似てるから同じって結論出してしまうよりは、
それぞれが「一体ほんとうのところ、どういことなんだ?」
ということを、ひとつひとつ丁寧に確認していってから、それぞれを統合した方がいいんじゃないか?
と思わざるを得ない。
大きな自己?
心理学のハイヤーセルフ(高位自己)のことか?
以下引用。
◎ハイヤーセルフとは:
ハイヤーセルフは、エネルギーであり、波動であり、意識の集合体と
して「集合意識」であり、この宇宙で『何かを体験している、何かを
表現している、何かの働きをしている』、という存在と言えます。
集合意識としてのハイヤーセルフの全体意識も、ある種の個性みたい
なものがあり、「自己の存在目的」を表現するために、ある種の神的
存在として、それぞれある固有の働きを宇宙で具現化しています。
また、ハイヤーセルフの中に存在するそれぞれの部分意識も、その部
分部分に、ある種の個性があり「自己としての個」を表現しています。
ハイヤーセルフは、人間より無限に意識が大きく、視野が広く、能力
が大きく、光の存在として、人間から見て神と呼べる存在と言えます。
ハイヤーセルフは物理次元にはいませんので、肉体はなく形はありま
せん。人間がハイヤーセルフを見た場合には、時には光った姿、神々
しい神の姿、天使の姿、観音様の姿などを見るのは、人間がその姿を
望んだために、ハイヤーセルフが人間の望みに応えて、その様な姿を
現しているのです。
276 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:30:16 ID:anq1/HVN
>>272 竜樹以降の仏教は、釈迦を大幅に改良したものであることは、確かだな。
まさに、師に対する弟子の義務を果たしたのである。
釈迦の偉大さは、その「空」の思想により、大乗仏教の巨大な体系の確立
を可能にしたことにある。さもなければ、単に、「輪廻転生」を中心思想
とするチンケなカルト宗教に留まり、世界宗教にはなりえなかったので
ある。
>>273 人為的にはやらないし、たぶんできない。
だからキリスト教では恩寵という言い方をすることがあるし、
悟りたい悟りたいという気持ち自体が執着心であるというような言い方を
仏教なんかでもする。
判断する基準は、五蘊を浄化していった時に、自分の内部で自ずと輝いているものがあり、それが基準となる。
判断する意味は、そこに生きる意味があるから。人生の時間が効率化されるから。
>>276 >
>>272 > 竜樹以降の仏教は、釈迦を大幅に改良したものであることは、確かだな。
> まさに、師に対する弟子の義務を果たしたのである。
師弟関係はないけどね。時代に開きがあるし。
> 釈迦の偉大さは、その「空」の思想により、大乗仏教の巨大な体系の確立
> を可能にしたことにある。さもなければ、単に、「輪廻転生」を中心思想
> とするチンケなカルト宗教に留まり、世界宗教にはなりえなかったので
> ある。
いや、それ違うから。
小乗仏教の国々をよく思い出してごらんよ。
小乗だけで十分世界宗教になってるよ。民族宗教では少なくともないし。
279 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:34:43 ID:anq1/HVN
>>275 その内容空虚な観念こそ、カルト宗教が信者を狂わすための「武器」として
利用しているものである。
280 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:40:38 ID:anq1/HVN
>>278 小乗だけなら、規模的には比較にならないだろう。それに、まともな
現代人なら、「輪廻転生」など問題にしない。嘲笑の的となるだけ。
>>280 世界宗教かどうかの話をしてるんだろ。勝手に規模の比較してんじゃねぇよ。
小乗仏教は世界宗教。大乗がなければ世界宗教になりえなかったというのは完全に間違い。
トンチンカンも甚だしい事実捏造。
282 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:43:43 ID:ycINKXaB
>大乗仏教
釈迦が説いたものだとウソさえつかなければよかったのに。不妄語戒?何それおいしいの?
中には伝承される中でいつの間にやら釈迦が語ったことにされた、というパターンもあるかと思いますが。
ある意味やってることは隠居と一緒。「訂正」したものだとか、「改良」したものだとか
「追加」したものだとか、自分で告白することができず、釈迦の口を借りて喋らせてしまう。
やけにシンパシーを感じてるようなのはそのせいかもしれませんね。言うなれば腹話術仲間。
>>278 発生したのが大乗じゃなくて普通の原点回帰運動だったら、今ごろ違っていたのかもしれませんね、
>>282 > >大乗仏教
> 釈迦が説いたものだとウソさえつかなければよかったのに。不妄語戒?何それおいしいの?
まぁそれは基本的にそう思う。ただ、微妙なのは呪術的意味があるところですね。
法華経とか浄土教とか密教とかはみんな経典の呪術的な使い方をしている。
般若心経とかでも実は結構そうだったりする。
呪術としてみると、仏説であるということが呪力的意味を持たせる側面があるので、
致し方ないかという気もしてみたりしなかったり。
>
>>278 > 発生したのが大乗じゃなくて普通の原点回帰運動だったら、今ごろ違っていたのかもしれませんね、
ですね。現代的意味での原点回帰とか原理主義運動というのは、当時の宗教的雰囲気からすると、
ちょっと起こりにくかったんだろうな、とは思います。
284 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:54:54 ID:anq1/HVN
>>282 いつまでも「原始」仏教に留まっていないで、最新の仏教哲学の発達
も学んでください。
最新刊の「入門書」として、前レスで紹介した「入門 哲学としての
仏教」(竹村牧男著、講談社現代新書)くらいは一読して、コメント
して欲しいものです。
最新ってなるとやっぱり密教かな。
それ以降の最近になると、オウムとかKKとかが
俺たちこそ最新とか言い始めるだろうな。
286 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:02:48 ID:anq1/HVN
>>282 「釈迦が説いたこと」にやけに拘るが、原始仏典でも、すべて後世の
弟子が書いたもので、釈迦の「真意」である保証は「ゼロ」ですよ。
そんなものに、いくら拘ってみても無意味でしょう。
大乗仏教は、原始仏典の欠陥に気付いた後世の無数の人間の思索と努力
と知恵の成果であることとを、忘れてはなりません。
287 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:04:48 ID:ycINKXaB
>>286 >釈迦の「真意」である保証は「ゼロ」ですよ。
ゼロとまで言える根拠は?
>大乗仏教は、原始仏典の欠陥に気付いた後世の無数の人間の思索と努力
>と知恵の成果であることとを、忘れてはなりません。
偽ブランド製造も、産地偽装も、一応企業努力ではあるでしょう。
288 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:05:49 ID:anq1/HVN
>>285 「哲学としての仏教」の話です。このスレには、「哲学」は殆ど感じ
られない。何故だろう。
289 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:10:24 ID:anq1/HVN
>>287 >ゼロとまで言える根拠は?
「保証」はゼロ、と言ってるのです。
> 偽ブランド製造も、産地偽装も、一応企業努力ではあるでしょう。
あなた方は、単なる「ブランド崇拝」ですかw。
釈迦を「神格化」したら、キリスト教と同じになってしまいますよ。
290 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:14:04 ID:anq1/HVN
大乗仏教がお嫌いな方は、さっさと日本を去って東南アジアの国へ移住
してください。どぎつい小乗が、たっぷりありますよ。
日本は、大乗仏教の国であることを、忘れないように。
291 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:14:22 ID:ycINKXaB
アンベドーカルもそうだったんでしょうか。
ヒンドゥーに対抗するための旗印として仏陀を選んでしまい、そのため
釈迦にヒンドゥーと共通する部分(輪廻転生)があることを認められなかった。
潔くコイツも駄目と捨てりゃあよかったのに。でもダリットの新仏教徒たちの
精神的支柱にもなってはそうもいかない。大人の事情ってたいへんですね。
>>289 >「保証」はゼロ、と言ってるのです。
同語反復してどうするんですか……
>あなた方は、単なる「ブランド崇拝」ですかw。
うまけりゃいいや、ですか?添加物も実際の質や価値もどうでもいい?
よろしいですか。大乗はその「ブランド崇拝」を利用したのです。
292 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:22:56 ID:anq1/HVN
>>291 また繰り返しになるが、ジャンボジェットよりも、ライト兄弟の飛行機
に乗りたがる理由は何?
293 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 01:26:22 ID:ycINKXaB
>ジャンボジェットよりも、ライト兄弟の飛行機
原始仏教と大乗との間に使う例えとしてこれは適切なのでしょうか?
ジャンボジェットは部品の出所とかにかなり厳密さを求めているのではないでしょうか?
>に乗りたがる理由は何?
別に乗ってもいないし乗ろうともしてませんけど。
>>288 まず事実の捏造が多いことだね。
あと、よくあるのが、
仏典中の言葉を勝手に解釈して自分で定義し直してしまい、
元々の文脈を全く無視する結果に終る、とういパターン。
自分のことを外道と認識しない連中がいるのも
哲学的条件を満たさないことのひとつ。
297 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 03:23:37 ID:anq1/HVN
小乗仏教は、個人の宗教的自己満足だけで、社会には何の役にも立たないと
いう理由から、大乗仏教が発生したという経緯を、忘れてはならない。
小乗仏教に固執するのは、クリスチャンか、キリスト教に共感を覚える人々
である。大乗の「縁起・空(関係性)」を認めたら、神やイエスが吹っ飛んで
しまう、という恐怖感からである。
しかし、小乗仏教でも、「超越的な力を持つ外部の絶対者」など、認めていない
はずである。
298 :
一在家携帯より:2009/06/02(火) 06:58:32 ID:PN67tFcm
四つ福音書の改竄は案外少ないと思います。
各時代で訳本も多く、それらを全て改竄することは難しいでしょう。
ヨハネの福音書が最初から作為的だったのが元凶でしょうか。
この福音書のみが、イエス=神自身と定義し、イエス=神の預言者とした全てを異端としたからです。
ヨハネ作者は、ヨハネでなく自称イエスに一番愛された弟子です。
自己顕示欲の強さを感じませんか?
299 :
一在家携帯より:2009/06/02(火) 07:20:55 ID:PN67tFcm
私は大乗は法華経を読んでいます。
原始仏典との共通点も多く作者は原始仏典を熟知してます。
例えば法華経の最高真理で晩年に弥勒菩薩らに説いた説法は原始仏典にルーツは見られます。
真理、世界も人も常住。
真理、全ての人は仏性を宿し仏になりうる。
しかし、日蓮は天照大神を敬っていたのに、日本の弟子達は形而上は信じないのは師匠を信じていないかも。
300 :
一在家携帯より:2009/06/02(火) 07:26:54 ID:PN67tFcm
法華経に帰依し、かつ天照大神にも一礼する人こそ、日蓮聖人の真の弟子だと思います。
>>297 > 小乗仏教は、個人の宗教的自己満足だけで、社会には何の役にも立たないと
> いう理由から、大乗仏教が発生したという経緯を、忘れてはならない。
捨身飼虎とか、常不軽菩薩とか、社会性あるとは思えないけどね。
人食いドラを作ってどうすんのかと。傲り高ぶる人間の慢心を強化してどうするのかと。
この人たちは自分のことしか考えてないと思うよ。
コミュニケーションってのは全然ない。その点はご隠居と同じで反社会的だよ。
302 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 07:46:55 ID:4Ft8BJFg
けっきょく何にも答えずにまーたレッテル貼りか……何が面白くてやってるんですかね。
仏教が何を説いていようと、キリスト教にとっては関係ないですよ。
例えば、イスラムがイエスが十字架にかかったことを否定したところで
キリスト教の教義そのものが揺らぐわけではない。
>>298 >一番愛された弟子です。
「一番」は余計だと向こうのスレに書きました。
スレ違いなのでそれ以外はスルー。そろそろ自粛しませんか。
303 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 07:55:03 ID:8tQH1fRn
>>238 >五蘊以外のアートマン
五蘊のいずれもアートマンではない、というのが諸法無我だろ。
大体、五蘊という概念を考える時点ですでにアートマンではない。
仏教は集積説によっている。ブラフマン・アートマンの展開説は
とらない。
>>299 「天照大神は日蓮の召し使いであり、天照大神の加護は本尊に題目を唱えることによって、
本仏たる日蓮を通じて得られる 」
この教義についてどう思われますか?創価学会の教義ですが。
305 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 07:57:22 ID:8tQH1fRn
>>239 >それからあなたは解脱をどう理解していますか。
この世で涅槃(ニルバーナ)の境地に入ることだね。
悟りとも言う。
306 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 08:05:54 ID:8tQH1fRn
>>242 ><空>を説かれたバラモン教徒は、<空>の思想に感激し、
>ブラフマンやアートマンを捨て、バラモン教を捨ててしまうだろうか。
そうだね。
その実例は、スッタニパータの第一蛇の章の田を耕すバーラドヴァージャ
の説話になってるね。
バラモンから仏教への改宗として仏教の宣伝になるからだろうね。
作り話かどうかは自分でよく確かめてください。
307 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 08:22:28 ID:8tQH1fRn
>>290 >日本は、大乗仏教の国であることを、忘れないように。
現在の日本仏教は鎌倉時代に大乗仏教から日本化された仏教で
インド・中国の大乗仏教とも違うだろ。
308 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 08:27:54 ID:8tQH1fRn
>>304 >この教義についてどう思われますか?創価学会の教義ですが。
それは創価学会に限らず日蓮の思想であり日蓮宗の宗旨だろ。
日蓮宗の本尊に天照大神が明記されてるからね。
309 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 08:28:32 ID:PN67tFcm
)299
そうか発行の日蓮大聖人ご遺文集から見て、嘘ですね。
310 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 08:49:11 ID:D0Y3pF7L
>>269 相も変わらず、悪意に満ちた曲解ばかりだな。イエスが利己心の塊なら、
自ら十字架にかかるような真似するわけねぇだろって言ってんだよ。
イエスが自らを神だと名乗ったのは、ゴータマが自らを仏と名乗るのと
同じ意味合いのものだ。イエス、ゴータマに限らず、真理に達した正覚者なら皆そうであるから。
だからイエスが自らを神だと言っても、宗教的にはなにもおかしいところは無い。
キリスト教のいう神殿とは、神の霊宿る,我々の体の事だ。神殿内で商売に明け暮れる
商人達を追い払った宮清めのエピソードは、神の霊宿る神殿。つまり我々の内側にある
我々の心を、欲の塊にしてはいけないという喩えだ。イチジクの木のエピソードは
お前のように己のエゴを捨てられず、真理の言葉に背き続ける者はいずれは滅びる定め
だということの例えだ。別に好き嫌いを語っているのではない。いくらこちらが相手を
愛していようとも、滅びる者は滅びる。自分が撒いた種だ。自業自得なのだから仕方がない。
イエスは空腹を覚えてイチジクの木に寄ったが、そこには実が実っていなかった。
それはお前のように御言葉を聞いても実を結ばない人達を指す。食事とは、最後の晩餐にあたる。
言葉を聞いても実を結ばず、最後の晩餐に預からない者は、滅びるしかない。
イチジクの実は、不老長寿の実と呼ばれている。キリスト教のテーマは、永遠の命だ。
聖書は肝心なことは全て喩えで書かれている。それを読み解くものは少ない。
おまえのように、何一つ喩えの意味を見出さず、それは何かの喩えだとも気づかずに
悪意で曲解ばかりしてる奴がどの口でイエスを批判できるんだ?おまえはイエスの教えを
何一つ理解していないじゃないか。
311 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 08:52:50 ID:D0Y3pF7L
>>308 なんだよその教義は(苦笑)
だからよ、創価は、仏教じゃねぇって言ってんだよ。
創価は、そんなお粗末な教義で、仏教を語るな。
おまえらは仏教じゃないんだから、仏教の看板を下ろせって。
ちゅうか禅宗も含め、日本の末法仏教は、ゴータマの仏教じゃないんだから、
仏教の看板を下ろせって。
汝の敵を愛せないキリスト教徒が何をほざくかW
313 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 09:10:04 ID:D0Y3pF7L
>>297 あほかおまえ。元々仏教に、小乗も大乗もねぇんだよ。
原始仏典を読んでも、なにも涅槃に至る者は、出家者だけじゃなく、
多くの在家も、涅槃に入った(入る)とゴータマは言っているんだよ。
涅槃に入る道。それは八正道を修めることであり、そこに出家者、在家者の
区別はない。ただ、世俗の欲を断ち切る出家者のほうが、八正道を
完成させる道に近いということだけだ。何が大乗だ。大乗ができたのは、
当時の竜樹のような頭でっかちたちが、ゴータマの仏教を複雑怪奇なものにしてしまい
凡人にはなかなか理解できないものにしてしまったことへのアンチデーゼを発端に、
念仏系に至っては、世俗の欲にまみれた一般人には、それら八正道を修めることも難しく、
これでは多くの者は救われないと、簡単な念仏を唱えれば救われるようにと、
教義を全然違うものにしてしまったとんでもないものだ。この思考回路は、
世俗の欲と、己のエゴをどうしても捨てられないルターのアホが、元々は父の御心でもある、
イエスの掟を守る者だけが救われるという教義では自分は救われない。
また多くの人も救われないと、それでパウロの書簡の都合のいいところだけを取り出して、
口先だけの信仰告白だけすれば、イエスの掟を守れなくとも救われる。
イエスは我々の罪の身代わりになってくれて、十字架に掛かったのだからと、とんでもない誤謬を
根拠に、元々の教えとは全然違うものにしてしまった経緯と同じようなものだろう。
元々の教えとはかけ離れた、念仏系も、口先だけの信仰告白も気休め程度のもので、
実際には救いとは関係のない、何の意味もないものだ。
あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。
315 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 09:22:05 ID:D0Y3pF7L
>>312 俺はイエスの掟を守れない自分は、悪い存在だと自覚しているぞ。
自覚もない君らとはそこが違う。
人は皆が救われるわけではない。残念ながら真理の言葉をどうしても聞き入れない
エゴの奴隷達がいる。彼らは人ではなく、獣に過ぎない存在だ。
今の時代には、キリストの兄弟達は、その本性は隠されている。今の時代の価値観に
生我々には、イエスの掟を守り生きるのは不可能に近い。彼らがイエスの掟を
言葉だけ受け入れるのではなく、実際に生き様として実践できるのは、価値観の改まった
次の時代だ。キリスト教の言う紙から選ばれた民であるユダヤ人とは、キリストの兄弟
のことである。中東に不当に選挙しているユダヤ人を名乗るあの民族のことではない。
キリストの兄弟とは、今の時代には実践まではできなくとも、イエスの言葉を受け入れる
人々のことである。旧約などは、キリスト教の教義の雛形のために利用されている書物に過ぎない。
父の右の座に座しているキリストは、ユダヤ人が悔い改めるまでそこに座したままである。
だが、ユダヤ人たちが悔い改めたとき、そこから立ち上がる。何度も言うが、キリスト教の言う
ユダヤ人とは、あの中東の土地を不法に占拠している、自称ユダヤ人たちではない。
神から選ばれた民のことを言うのだ。キリストは、自分の兄弟であるユダヤ人たちが、悔い改める
のを待っている。
まあ、落ち着けよ。
今できない事は明日もできないもんだ。
まず、簡単な事、一つ一つ、間違いなく行う事が大事なんじゃないかね。
簡単な事ができて、初めて難しい事にも取り組める。
神だあ、仏だあ言う前に、言動を清くしようとは思わないかね?
それこそ罰が当たりますぞ。
317 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 09:36:57 ID:D0Y3pF7L
我々は肉の牢獄に閉じ込められた、生まれつきの死刑囚。
皆、死は避けられない。己の犯した罪ゆえに。
一在家通りすがりさん。聖書に出てくる永遠の命とは、精神的な命。直訳すると
魂という意味のプシュケーという単語を使わず、生物学的な命。ゾーエという単語を
使い、ゾーエアイオノスと表現されているんですよ。イエスの説いた永遠の命とは
永遠不滅の魂のことを言っているのではありません。むしろ業を伝える魂は、人殺しだと
表現され、永遠の命とは、この業を滅ぼし、魂を滅ぼした先にあると説きます。
イエスの説いた永遠の命とは、あなた達の思い描いている永遠不滅の魂とは、全然違う
ものなんですよ。
true love will never die
これにて失礼。
319 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 09:47:59 ID:D0Y3pF7L
永遠の命とは、永遠不滅の魂だという誤謬は、凡人はよくするものだ。
これは、ヴェーダの真我とは、肉体が滅んでも我々の今の意識は永遠に残る。
この魂こそが真我であり、不滅であると、真我を誤謬した当時のバラモンも同じであり
オウムの麻原も同じ誤謬をしていた。オウムの教義のこのお粗末さをみろ。
もちろゴータマはそれを否定し、イエスも否定している。どちらも永遠不滅の魂など
謳っていないんだよ。
320 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 09:53:30 ID:F2vjTjvy
探偵・ヤクザ・その他不審人物から、不可解な依頼、理不尽な命令、
その他イジメや嫌がらせの強要などをされたことはありませんか?
それは某反日宗教団体による集団ストーカーです。あなたはそれに加担させられたのです。
信者による集団ストーカーやほのめかし(本人の前で個人情報を含む会話をする、
行く先々でわざとらしい咳払いを浴びせる、等)には限界があります。
いくら教団の信者が多いといっても日本全体から見れば圧倒的に少数派。
仮に職場や近所に信者が一人か二人位いたとしてもあまり効果はありません。
ですから一般人にも異常行動やほのめかしをさせるのです。
でも実はそういった行為は敵の正体さえ見抜き、ある程度慣れれば耐えられるものなのです。
実際には単純なイジメや嫌がらせ行為などが効いているイジメ殺人なのです。
ですが信者達は輪廻転生を信じているので、たいしたことはさせられません。
ですから悪質なイジメ行為は一般日本人を買収脅迫してやらせるのです。
(彼らは直接やらなければ(宗教的に)罪にならないと真剣に考えています)
彼らの目的は「民族の恨みを晴らす=日本人を(法的、宗教的に)犯罪者にする」ことです。
『自殺=自分を殺す=殺人=地獄に落ちる』
『精神崩壊=前世の報い=前世で悪いことをした罪深い人間であることの証明』
『脅迫されて仕方なく嫌がらせをした日本人を憎み、危害を加えてしまう』
標的の周囲の人間を片っ端から脅迫・買収して集団でイジメ殺させる。
日本人に日本人をイジメ殺させて犯罪者にする。それが集団ストーカーの実情なのです。
こんな事をするのは教団の指導者がイジメやイタズラ好きで反日で金が有り余っているから。
ちなみに集団ストーカーは標的に24時間プレッシャーを与えるため、
救急車、消防車、犬、廃品回収車、その他様々な騒音が異常な頻度で発生します。
もしもそういう現象があったら、近くに集団ストーカーの被害者がいるということです。
※集団ストーカーのサイトには「思考盗聴」「電磁波攻撃」等の被害が紹介されていますが、
これは集団ストーカーの被害を訴える被害者を統合失調症に思わせる為の悪質な宣伝工作。
加害者が被害者のふりをして作っているのです。
321 :
一在家コーヒータイム:2009/06/02(火) 10:07:01 ID:BGwuRey3
>>304 大日経を痛烈に批判していた日蓮上人が天照大神を敬うと思われますか?
「大日如来は有名無実なり」とまで言っておられます。
また「日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり」とも。
つまり、天照太神=大日如来とは、日蓮は認識しておりません。
日蓮も本地垂迹に従ったという後世の解説は無効になります。
(参考:日蓮大聖人御書)
晩年に日蓮は日本の神々も仏教守護神(原始仏典に登場の梵天クラス)と比べると、
小神だという主張をされたようですね。
神主らが日本の神々の力を引き出すことができなかったことによる国難を理由に、
天照大神らの力を過小評価したのか、日蓮の止むを得ない方便だったのかは
ご本人に聞くしかないかも知れません。
この事例より、仏教徒も仏教守護神(如来、菩薩)の力を引き出せなかったら
無心論者達から仏が馬鹿にされるという時代になりますね。
>>321 > 大日経を痛烈に批判していた日蓮上人が天照大神を敬うと思われますか?
はい。その可能性はあるのでは?
> つまり、天照太神=大日如来とは、日蓮は認識しておりません。
> 日蓮も本地垂迹に従ったという後世の解説は無効になります。
そうなのでしょう。
> この事例より、仏教徒も仏教守護神(如来、菩薩)の力を引き出せなかったら
> 無心論者達から仏が馬鹿にされるという時代になりますね。
どちらかというと日蓮という方が少々変っているのかもしれませんが。
で、質問がふたつあります。
「天照大神は日蓮の召し使いであり、天照大神の加護は本尊に題目を唱えることによって、
本仏たる日蓮を通じて得られる 」という教義についてどう思いますか?
あなたは創価学会の方ですか?
323 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 10:20:47 ID:D0Y3pF7L
内側のものが外側を造り、外側のものは内側にある。
お前達を惑わす者が、見よ人の子はあそこにいる。いや、ここにいる。
いやいや私がそうだと言うだろう。だが惑わされてはいけない。
人の子はその実、お前達の内側にいるのだ。
私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである
すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木を割りなさい。私は
そこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう。
これは自灯明に相通じる話しだし、これらの言葉を理解するものは、この世のものは
全て神性(仏性)があり、ゴータマはなぜ万物は無常、無我を説く傍ら、常駐普遍の常住論を
説いたか、理解するだろう。
324 :
一在家コーヒータイム:2009/06/02(火) 10:22:18 ID:BGwuRey3
>>317 カラスの唄さん
>聖書に出てくる永遠の命とは、精神的な命。直訳すると
>魂という意味のプシュケーという単語を使わず、生物学的な命。
>ゾーエという単語を使い、ゾーエアイオノスと表現されているんですよ。
>イエスの説いた永遠の命とは永遠不滅の魂のことを言っているのではありません。
イエスが誕生する前に存在したエッセネ派ユダヤ教の宗規要覧(死海文書の一つ)
には、「全ての人は光の部分と闇の部分を宿す」と記載されております。
魂にも2種あり光の魂と闇(欲)の魂ということです。
仏陀も闇(欲)の魂のことはご存じで、四諦を説かれたのであろうと拝察します。
いかなる「光の子(神の子)」でも「罪人」の要素を内在しております。
2千年以上前に、洗礼ヨハネもイエスもこの教義を聴講しておられたかと
存じます。
325 :
一在家コーヒー終わり:2009/06/02(火) 10:28:14 ID:BGwuRey3
>>322 >「天照大神は日蓮の召し使いであり、天照大神の加護は本尊に題目を唱える
>ことによって、本仏たる日蓮を通じて得られる 」という教義についてどう思いますか?
A.天照大神を敬っていた日蓮が、召使などと言う筈はございません。
誰ですか?そんなことを書いて、日蓮聖人に大恥をかかせたのは。
>あなたは創価学会の方ですか?
A.過去・現在・未来にも会員ではないです。法華経はよく読みますが。
>>325 回答ありがとうございます。
何故、そんなに日蓮上人を尊敬しているのですか?
327 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 10:44:36 ID:TaHhinsv
>>324 ゾロアスター教の「光と闇」という「二分法」がキリスト教に受け継がれ、
諸悪の根源となった。
光は闇に依存する。原初の創造は「闇」である。
人間を、光の中に長時間おけば、必ず発狂する。闇は、大いなる休息と平安
を与えてくれる。胎児の生命は、母親の胎内における闇の中で育まれる。
光を唱える宗教は、実は「狂気」を唱えているのである。
328 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 10:48:23 ID:D0Y3pF7L
>>316 俺は裁かれるだろうな。
聖書にはむやみやたらと教師になってはいけないと書いてある。
なぜなら心が完成されていないものが教師になれば、反対意見者からの
異論反論、誹謗中傷から、怒りの感情から心が汚れ、相手を叩き罵る罪を
犯すであろうから。他人にしたことは、全て自分自身にしたこと。
もちろんその裁きは受ける。
〜ヤコブの手紙3:1〜6
>わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。
>わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、
>よくわかっているからである。 わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。
>もし、言葉の上であやまちのない人があれば、
>そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。
>馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。
>また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、
>ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。
>「それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、
>非常に大きな森を燃やすではないか。
>舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられた
>ものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。
わかってはいるが、罪を犯す愚かさよ。
329 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 10:50:28 ID:TaHhinsv
ちなみに、ゾロアスター教は、最初の「創唱宗教」であり、その開祖は、
大麻の常用者であったと言われている。
すべての創唱宗教は、開祖の精神障害から発生したという事実を、忘れ
てはならない。釈迦も、鬱病であったとは思われるが、鬱病は「感情
障害」であり、イエスの統合失調症とは異なり、「人格の崩壊」は
生じない。そこに、仏教とキリスト教との間の本質的相違がある。
> 人間を、光の中に長時間おけば、必ず発狂する。
また思いつきで「ひょい」って書いちゃったんでしょ。
> すべての創唱宗教は、開祖の精神障害から発生したという事実
いつから事実に?w
> 釈迦も、鬱病であったとは思われる
なんでやねんw
> イエスの統合失調症とは異なり
統合失調症なのは前提ですかw
> そこに、仏教とキリスト教との間の本質的相違がある。
いや、これだけ勝手に定義しまくった上で、結論だけ持ってこられても
誰もついていけないでしょ。コミュニケーションとる気あります??
331 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 10:57:57 ID:D0Y3pF7L
>>327 >光は闇に依存する。原初の創造は「闇」である。
あほかおまえ。初めの創造は、天と地だ。第一の日の象徴は、光あれだ。
しかしおまえ、闇を好むなんざ、根っからのサタンなんだな。お前の能書きは
原始仏典に出てくる、悪魔バービマンそのものだしな。
332 :
一在家コーヒータイム:2009/06/02(火) 11:09:10 ID:BGwuRey3
>何故、そんなに日蓮上人を尊敬しているのですか?
私の師(秘)が日蓮は聖者だと言ってましたし。
なお空海、親鸞、イエス、モーゼ、マホメットも尊敬しております。
皆、方法論(方便)は違いますが、衆生済土(人類救済)の為に
命がけで法を説いて下さりましたし。
KKの中川さんは尊敬しておりませんよ。誤解なきよう。
333 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 11:10:11 ID:TaHhinsv
>>330 光の中では眠れない。眠れなければ、発狂するのは当然。共産国の「洗脳」
は、これを利用した。
「一切皆苦」などという感情は、鬱病の症状以外の何物でもない。
聖書のイエスの言動を精神医学的に分析すれば、教科書的な統合失調症。
「妄想」ばかりではないか。その症状の一つに「疎通性の欠如」がある。
他人の感情に、生き生きとした反応と共感を示すことが出来ず、冷酷で
ある。聖書の中で、イエスが笑うところは出てこない。イエスの統合
失調症は、躁症状を伴っていた。「大言壮語」するのが、それである。
ムハンマドの山篭りは、中年以降の発病の結果である。
> 光の中では眠れない。
昼寝したりするじゃん。
> 「一切皆苦」などという感情は、鬱病の症状以外の何物でもない。
なんでよw
> 聖書のイエスの言動を精神医学的に分析すれば、教科書的な統合失調症。
そうかな?
> 「妄想」ばかりではないか。その症状の一つに「疎通性の欠如」がある。
比喩が分らないから妄想にしか受け取れないんじゃなくて??
> 他人の感情に、生き生きとした反応と共感を示すことが出来ず、冷酷で
> ある。聖書の中で、イエスが笑うところは出てこない。イエスの統合
> 失調症は、躁症状を伴っていた。「大言壮語」するのが、それである。
いや、悪いがこれ全部キミの症状じゃないか?
全然他人に共感的じゃないし、冷酷だよね。割と。
大言壮語大好きだし。
自分のことを投影してるように見えるんだけど。
> ムハンマドの山篭りは、中年以降の発病の結果である。
だからなんでよwww
自分が思うことと事実とが区別できなくなってるのって、妄想だと思うよ?
335 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 11:20:36 ID:TaHhinsv
あと、天理教も大本も、開祖は完全な「基地外ばーさん」。「踊る宗教」
というのもあったね。
精神病は、患者に患者に接触するものに「感染」する。これを、精神医学
では、「感応精神病」「二人組精神病(folie a deux)」と呼ぶ。創唱
宗教は、精神医学的には、「感応精神病」と言える。感応精神病の症例
の圧倒的多数は、「宗教関連」である。
336 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 11:23:58 ID:TaHhinsv
>>331 >第一の日の象徴は、光あれだ。
その光は、闇がなければ存在し得ない。「光は、闇を走る」。その闇は、
誰が創造したのかねw。
337 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 11:34:30 ID:TaHhinsv
>>334 >いや、悪いがこれ全部キミの症状じゃないか?
それじゃ、イエスと同じであるw。
しかし、私の書き込みを精神科に見せたら、追い返されるのは確かだw。
>>337 じゃあイエスと同じなんだろう。
> しかし、私の書き込みを精神科に見せたら、追い返されるのは確かだw。
どうなんだろうね。さっきキミが書いた事には該当してるよ。
スレの人と楽しく会話する気とかないし、自分の意見ゴリ押しだし、
笑うとことかも嘲笑みたいな感じしかないよね。
言葉尻で適当に逃げるだけで、生き生きした反応や共感とか皆無だし。
339 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 11:45:47 ID:TaHhinsv
>>334 太陽光に向って、昼寝できるか。電気つけっぱなしで、安眠できるか。
イエスが、百人百様の解釈ができる比喩ばかり用いたのは、自分の言いたい
ことが、具体的・論理的に、よく整理できていなかっただけ。
シュワイツアーは、「イエスの精神医学的考察」という論文で博士号を
貰ったw。その中で、彼は、イエスを「精神分裂病(現在の統合失調症)」
であると診断している。精神医学の教科書を読めば、イエスには、すべて
の症状が出揃っているw。
>>329 一部あたってはいる。
霊的な光を理解できない人には危険な教えである。
つまり仏陀やキリストは光を理解(光そのもの)であったため
霊的に分裂病をおこしているのであり、統合失調症ではないのです。
>>339 > 太陽光に向って、昼寝できるか。電気つけっぱなしで、安眠できるか。
どっちもできるよ。俺そうしてたし。
> イエスが、百人百様の解釈ができる比喩ばかり用いたのは、自分の言いたい
> ことが、具体的・論理的に、よく整理できていなかっただけ。
でもキミには比喩とか難しくて理解できないじゃん?
決めつける前に理解した方がよくね?
342 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 11:53:07 ID:TaHhinsv
>>340 「いいこと言っている」「理解した」と思った時点が、感染時である。
343 :
一在家お昼休み:2009/06/02(火) 11:54:58 ID:YXA62uEb
>>334 >聖書の中で、イエスが笑うところは出てこない。
異端とされて抹殺された「ユダの福音書」では、イエス様は
快活でよく笑っておられますよ。
「フィリポの福音書」で3人のマリア様と歩いておられる
イエス様も非常に明るいですね。
「ヨハネの福音書」を担ぐ連中に、快活なイエス様の実像は
消されてしまったようですね。
しかし、「天の父」のご加護によりまして、抹殺された福音書や
原始経典が次々に各地で「復活」しております。
さあ、ダビンチコードの大ヒットもあり、バチカンも困りましたね。
ご隠居の視点は嫌いじゃない。
全部が全部、正しいとは思わないけど、なるほどと思うことも多い。
それに通俗的な思考にとってはいい刺激になる。
345 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 12:06:34 ID:TaHhinsv
>>343 だから、「躁状態を伴った統合失調症」と「診断」している。
現在では、「躁うつ病」ではなく、「双極性障害」と呼ぶ。高揚状態と
抑うつ状態(罪悪感)とが交互に現われるのが普通である。クリスチャン
の心理状態を観察すれば明らか。
聖書における、イエスの外見についての唯一の第三者証言は、「大食漢
の大酒飲み」である。きっと、麻原みたいな男だったのだろう。
麻原が処刑されれば、信者にとっては、まちがいなく「キリスト」になる
のである。
346 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 12:09:10 ID:TaHhinsv
イエスが「復活」した後の最初の言葉は、「何か食うものないか」で
あったw。
>>306 >その実例は、スッタニパータの第一蛇の章の田を耕すバーラドヴァージャ
>の説話になってるね。
>バラモンから仏教への改宗として仏教の宣伝になるからだろうね。
>作り話かどうかは自分でよく確かめてください。
この話はわかりにくい部分があるけど、
釈迦は農耕の例えで甘露の果実に到達することを教えている。
縁起も空も説いていない。
>>305 >この世で涅槃(ニルバーナ)の境地に入ることだね。
>悟りとも言う。
ニルバーナの境地を体験しましたか?
あるいは、体験していなくても具体的に説明できますか?
>>303 >>五蘊以外のアートマン
>五蘊のいずれもアートマンではない、というのが諸法無我だろ。
>大体、五蘊という概念を考える時点ですでにアートマンではない。
>仏教は集積説によっている。ブラフマン・アートマンの展開説は
>とらない。
わたしはアートマンが五蘊以外に存在する可能性を指摘したのです。
それから集積説は、釈迦の教えに含まれていますか?
空がいくら集積しても空です。仏性という集積説は誤ってませんか。
350 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 13:02:11 ID:z3hjCxvp
>>346 統合失調の幻覚・幻聴、どちらがより重症なのですか?
旧約には幻覚・幻聴を思わせるような記述がかなりありますね。
351 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 13:28:16 ID:8tQH1fRn
>>348 >ニルバーナの境地を体験しましたか?
ああ、毎日体験してるね。
>あるいは、体験していなくても具体的に説明できますか?
具体的説明は既にしたではないか、輪廻からの解脱だと。
352 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 13:35:39 ID:8tQH1fRn
>>349 >わたしはアートマンが五蘊以外に存在する可能性を指摘したのです。
あなたのアートマンの定義を記述してください。
アートマンでないものをアートマンと称してるのではありませんか?
>それから集積説は、釈迦の教えに含まれていますか?
自己を五蘊と考えることが集積説だよ。
>空がいくら集積しても空です。
はたしてそうかな。
数学の集合論では空集合だけでそのべき集合(集合の集合)として
無限集合まですべての集合が構成できるとしているよ。
353 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 13:40:24 ID:8tQH1fRn
>>347 >縁起も空も説いていない。
あなたも「法灯明」とはどういうことか理解していない。
>>178でアーナンダに説明してるところから学んでください。
といっても「法とは何か?」ということからアビダルマが
始まってるから学ぶのも大変だろうけどね。
354 :
一在家コーヒータイム:2009/06/02(火) 13:45:27 ID:YXA62uEb
>>345 私の知人の精神科医はあなたとは見解が違いますね。
釈尊とイエスを敬い、聖書も仏典も喜んで読んでおりますよ。
五感を超えた能力を幻聴、幻視という見方に固執して
いたら、大丈夫ですか?
2千年前に五感で認識できなかったことも、最近の
科学技術のセンサーを通して万人が認識できるように
なってきております。
一例は脳波まで三次元画像で表示されております。
他例では「空」には素粒子が一杯です。
テレパシー=幻聴だと思うのがあなたのスタンスなら
いつまでも固執していたら宜しいでしょう。
>>274 宗教研究家が
宗教には、すべて成長体験があると書いてあるね
で、前と後で何かがかわっている派と
まったく何もかわっていない、本人の思いこみ派に別れているらしいよ
おれは宗教の問題は
前と後で変わったことを本人がどう分析して、哲学大系にまで高めるか、
そして、いかに他人に自分となるべく同じ体験を再現可能にさせる、同一の世界観
をあらわすことができるか、で決まると思う。
仏教にしても、科学的な問題と絡めている人には
似非科学、似非宗教的なものしか感じない
すべての宗教を同じ集合でくくると陳腐な解答しかでてこない。
そして、そんな総合宗教は無用だ。
>>290 まったくだね
もともと仏教は土着化に対して寛容で、こういった母性的な面をもっているからこそ
日本において国家鎮護のため導入され、
当時の日本人を納得させるため、神仏習合という形もとってきたのに、
今さら原理主義の人間が出てきて、その仏教はにせものだというのなら
日本の神道側からすれば裏切り以外の何物でもないな。
与奪の法門といったら聞こえはいいが、単なる謀略だ
方便の悪用もはなはだしい
358 :
一在家携帯より:2009/06/02(火) 14:54:34 ID:PN67tFcm
モーゼ、イエス、マホメットはともに天の父と交流した、真理を知った。
釈尊は自ら修業によって真理を悟った、梵天と交流した。
本当は前世で悟ったことを思い出した。
法華経と大本経に記載あり。
多分、イエスらも前世で悟ったことを、忘れていたかも知れません。
その位の魂でないと預言者はつとまらないでしょう。
359 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 15:15:31 ID:TaHhinsv
>>354 >2千年前に五感で認識できなかったことも、最近の
>科学技術のセンサーを通して万人が認識できるように
>なってきております。
>一例は脳波まで三次元画像で表示されております。
それらはすべて、科学が「幻聴」「幻視」を排除し、観測装置を通じて「五感
の知覚」で確認した結果です。すべて科学の成果であり、宗教のような、現実
上の根拠のない「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ではありません。宗教の
「当たらなかった八卦」のほうがはるかに多いはずです。いずれにせよ、2000
年先のことなど考えるのは無意味ですw。空想なら、誰でも、どんな空想でも
できます。
現実界とは、(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚できる世界を
いいます。そして人間は、現実界に100%依存しない限り、一瞬も生存する
ことはできません。
宗教による「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の空想と、科学による五感の
知覚による検証とは、明確に区別することが必要です。
ユダヤ教も、3000年間以上神を信じた後、ようやく神の不存在に気付いて
きているようです。しかし、あまりにも遅すぎ。3000年間の、その宗教
故の、迫害に次ぐ迫害の苦しみは、一体何だったのでしょうか。
ユダヤ教徒であり、現代切っての哲学者であるレヴィナスは、神とは何かに
つき思いあぐんだ末、結局、「神とは全実在」「一神教は無神論」という結論
に達せざるをえませんでした。
>>356 >そして、そんな総合宗教は無用だ。
すべての人間に通用しない真理、一宗教内部だけにしか通用しない真理は、
そもそも真理ではありません。そんな宗教は初めから無用です。
360 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 15:36:33 ID:TaHhinsv
>>354 >私の知人の精神科医はあなたとは見解が違いますね。
>釈尊とイエスを敬い、聖書も仏典も喜んで読んでおりますよ。
宗教に嵌るような精神科医は、危険ですね。客観的な判断が狂う恐れ
があります。それに、患者に、彼の宗教を転移させられたらかないません。
医師から患者への転移と、患者から医師への逆転移は、精神医学において
最も警戒すべきことです。
361 :
一在家コーヒータイム:2009/06/02(火) 16:34:56 ID:HZt/B1u0
>>359 >ユダヤ教徒であり、現代切っての哲学者であるレヴィナスは、神とは何かに
>つき思いあぐんだ末、結局、「神とは全実在」「一神教は無神論」という結論
>に達せざるをえませんでした。
そうですか。
現代きっての偉大な技術者であるエジソンの最後の研究は、
「霊界通信ラジオ」でしたけど。
また現代きっての偉大な科学者であるアインシュタインは、
「宇宙に意思あり」と悟りましたけど。
362 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/02(火) 16:41:58 ID:D0Y3pF7L
>>359 精神病患者は、コミニュケーション能力の著しく劣る
発達障害のおまえだろ。おまえ自分自身の狂気に気付いてないだろ。
363 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 17:03:28 ID:TaHhinsv
>>351 >現代きっての偉大な技術者であるエジソンの最後の研究は、
>「霊界通信ラジオ」でしたけど。
>また現代きっての偉大な科学者であるアインシュタインは、
>「宇宙に意思あり」と悟りましたけど。
両者についてそんなものを評価しているのは、君たちカルト患者だけ。
それらが、ノーベル賞の対象になるかねw。
364 :
一在家コーヒータイム:2009/06/02(火) 17:10:12 ID:BGwuRey3
世界の指導者達が集まったパーティの席上で、ある者が
立ち上がって言いました。
「私は神を信じません。仏も信じません。」
きっと君は人気者になれると思うよ。一度やってみたら。
365 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 17:23:40 ID:TaHhinsv
>>364 「私は、神の分身としてのすべての人間の生命と、その生命を支える自
然とを信じる」と言ったとしたらどうかねw。
大乗仏教徒にたいしては、「仏を信じる」などとわざわざ言うことはなか
ろう。「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」だから。
366 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 17:37:52 ID:vg0oUNrW
みんなの反発があるけど、ご隠居の主張にはいつも啓発されている。
えーと思っても、少し考えると「ありえるかも」ですね。
全部ではないにしろ、旧約は幻聴と幻覚の産物だった可能性もある。
そして新約はもっとうすい。
イザヤ書53章を元ネタにしたパウロの作り話だったかもしれない。
考え事をしていると、頭の中で会話体で考えていることがある。
自分と、もうひとりの自分と会話している。
このとき、もうひとりの自分を独立の存在にすると幻聴が成立する。
旧約での、神が語る記述はこういった幻聴の可能性もある。
神が言葉を発したら変ですよね。そこに気づくべきでしょう。
しかし幻視はごまかせない。
幻聴より、幻視のほうが根源的なように思っています。
370 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 18:03:14 ID:TaHhinsv
創造論的には、
「神とは、人間が人間として、自立的に生きることを可能にしてくれて
いる存在」、または、
「人間の、他者の生存に対する責任と良心」
神が人間を創造したのなら、創造時に人間にすべてを与え、すべての
責任を負わせたはず。創造後も神に縋らなければ生きてゆけないような
「不完全な人間」「知恵遅れの人間」を創るはずがなかろう。若しそうなら、
創造は不完全だった、神は全能ではなかったことになる。
371 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 18:05:42 ID:1/Fp2X0V
「できる」ことと「手を抜いた」ことは矛盾しないですしおすし
神に言葉は不要でしょう。ではどうやって人とコミュニケーションする。
映像でしょう。幻視です。幻です。
>>370 そういった疑問が、グノーシスの根底にあるのでしょう。
聖書の創造神の、さらにその上に絶対神を作り、新たな物語を作る。
>>367 右目をつぶすと左目とつながっている右脳が活性化し、幻聴を聴くようになるらしい
そして、彼を極限までおいつめると、やがて神懸かりになって訳の分からぬ言葉を話はじめるという。
これが神の言葉、ということだ。
案外人間が論理によって失った情報処理能力は多い
神の言葉とは古代において、スーパーコンピューターの役割を果たしていたのでは
>374
よくわかります。前半もわかるし、後半もわかります。
376 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 18:34:20 ID:1/Fp2X0V
ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」をおすすめする。
かなり気に入るだろう。
377 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 19:04:00 ID:wO5dIZZJ
>>365 なんだ、神道系の人か。神道なんて、教義的にみれば、
全くみるべきものがないよね。ただの迷信。
おみくじだの、お祓いだの、八百万の神々だの、くだらない。
神道は、他国民のみならず、自国民をも殺した
国家神道というカルトを産み出したことを忘れてはならない。
しかし一部地域しか根付かない、草加や神道などのローカルカルトから、
自分達は世界のメジャーになれない妬みからか、一方的に理不尽な悪意をぶつけられる、
世界の一大メジャーのキリスト教は、なにかと大変だね。
何いってんだ、日本人を殺したのはアメリカ人だろ
過ちは繰り返しませんだと?ノーモアヒロシマだと?
俺だったら、家族を殺されたら絶対仇を討つわ
リメンバーナガサキ、リメンバーヒロシマだね
そして自分の罪も自覚しない馬鹿アメリカ人の頭上に百倍がえしで核爆弾を
全弾命中させるぜ
379 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 19:35:35 ID:wO5dIZZJ
>>366 また隠居の自演が始まったよ。可哀想な人だね。
隠居の能書きは、ただの唯物論者の戯言で、
求道者からみれば退屈な話。また宗教的にみても、
全く価値の無いものだ。この辺が唯物論者や、
真理の欠片もない、神道系の限界なんだろ。
>>378 国家神道は立派なカルトだ。君はまたあの時代に戻りたいのかね?
今のように、思想の自由。言論の自由の恩恵を我々にもたらしたのは、
何をかくそうキリスト教国のお陰だ。キリスト教はなにより、人の自由意思を尊重するからね。
これが唯物論者や、他の宗教だとそうはいかない。彼らが、思想の自由。言論の自由を認めないのは、
共産主義国、イスラム教国。過去の日本の国家神道などをみればよくわかるだろう。
我々は、キリスト教国に負けたおかげで、公然と皇室批判、
戦勝国でるアメリカの批判。その国の宗教であるキリスト教批判を堂々とできるのだよ。感謝したまえ。
はぁ?戦時にある程度人権が制限されるのは何処の国も同じだ
アメリカでは、日本以上に人権の蹂躙がひどかった。
日本人が排斥され、中国人は鉱山ほるのに利用された後一方的に放棄された。
オーストラリアに至っては、昭和にはいってからも
アボリジニ狩りをおこなっていた。
ある日記にはこう書いてある。今日の収穫、アボリジニ7匹。
382 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 21:00:25 ID:wO5dIZZJ
>>378 敗戦色の濃かった当時、陸軍のお馬鹿さん達は、
本土決戦。一億総玉砕などとほざいていたのだよ。
あのとき原爆が落とされていなければ、沖縄の悲劇は東京にまで及んでいただろう。
まさに神風特攻。大和特攻などの無駄死にを、日本国民全体に押し付けられようとしていた。
このように自分達のエゴを押し付け、多くの自国民を無駄死にさせたカルトは、
いまだかって国家神道をおいて他に無い。君はそんなこともわからない愚か者なのかね。
馬鹿か、沖縄の前に停戦の申し入れはしていた
無茶な停戦条件をしめしてきたのはアメリカ人だ
アメリカが人道的ならせめてこなければよかっただけのこと。
それを無視して、日本人を殺しておきながら
責任を日本に押しつけるやつのほうがおかしい
384 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 21:27:47 ID:/i9Qqd9x
>>379 >また隠居の自演が始まったよ。可哀想な人だね。
はははは・・(笑
ご隠居氏でも
>>366氏でもないけど、君のようにヤッカミ・・
等の戯言を残念ながらご隠居氏は全く言われませんねw
■一語一句が、価値ある重みがあり全く<無駄>がありません〜
多分、イエス・釈迦・・を超えて悟られておられるからでしょう ■
∧ ∧
(,,・∀・) ↑
@(___ノ 〜 は〜〜〜い!! !! その通り!! 【正解】で〜す!!
385 :
旧7:2009/06/02(火) 21:35:01 ID:Ef33EX3z
そもそも、
(別角度からの参照程度ならまだしも)、
「太平洋戦争を宗教的に見る」という事自体が、
そして「それを主因若しくは重要因とすること」が、愚かしいことのような気がするが?w
(しかも更に、
「国家神道だったから愚かで敗れ、自国民を多く殺し、
キリスト教だったから優れていて勝利し、自国民の犠牲が少なかった」なぞ、
どこのおとぎ話だよwww)
386 :
一在家コーヒータイム:2009/06/02(火) 22:01:50 ID:YXA62uEb
広島と長崎の原爆投下を指示した者と、投下ボタンを押したものは、
キリスト教徒かユダヤ教徒か無神論者か?
まあ、仏教徒やイスラム教徒の可能性は低いでしょう。
>>383 >アメリカが人道的なら攻めてこ来なければよかっただけのこと。
???まさに馬鹿に付ける薬は無しだな。
本当はアメリカがどうだの、日本がどうだのと、俺にとってはどうでもいい話だ。
ナショナリズムを振りかざす者ほど、真理からは最も遠いところにいる。
いずれ君等は、そのエゴのもたらす悲惨な結末を目の当たりにするときがくるだろうよ。
ブッシュは熱心なキリスト教徒ですw
389 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 00:21:53 ID:NWdk92uv
>>386 原爆を発明したのも、作ったのも、投下したのも、すべてキリスト教徒。
原爆を投下したB29の搭乗員は、投下する前に、十字を切って神に祈った
そうだ。うまく行って、出来るだけ多くの人間を殺せるように祈ったのだろう。
原爆投下は、クリスチャンでなければ出来ない行為。
過去の大戦争に、キリスト教(イエスの思想)が関係あることは、否定できない。
戦時中の日本の国家神道や神権天皇制は、キリスト教国の武力による威嚇に
対抗するために、キリスト教を真似たものである。
本来の神道は、架空の神ではなく、共同体としての人間及びその生存を支える
自然とに最大の価値を認める、世界で最も優れた自然宗教である。
人類の宗教の起源は、アニミズムであることを、忘れてはならない。
390 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 00:28:07 ID:Uq+44GmG
万宗の淵源だね、すべての宗教はアニミズムに源を発している
391 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 00:57:33 ID:DHt/Bb8R
>>389 また悪意のこもった曲解が始まったよーだなー。
因果応報。
原爆を落とされた原因を作ったのは誰かね。仏教を語るなら、因果応報くらい押さえているんだろうね。
我々は特攻隊などで、多くの若者の未来を奪い、無駄死にさせた国家神道の犯罪を忘れてはならない。
まさに『悪魔教』。
君は日頃イエスを批判できないキリスト教徒は批判しておきながら、
君自身は、日本最大のカルトを産んだ、神道を批判できないのかね。
若者が死んだのは因果応報
これからアメリカが報復されるのも因果応報
393 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 02:56:51 ID:NWdk92uv
>>391 原爆を落される原因を作ったのは日本と思い込んでいる時点で、既に、戦勝国
のWar Guilt Information Programに完全に乗せられている。開戦時の状況を
見れば、日本は、キリスト教国の武力による威嚇の結果、戦争を「やらされた」
ものであることは明らか。日本の「植民地獲得」を批判できるキリスト教国が、
唯の一国でもあるかね。
本来の神道は、日本人の生活と一体化した自然宗教、民族宗教であり、生活その
ものであるから、批判の対象にはならない。何人も、他者の生存自体を批判する
ことは出来ない。
国家神道の批判は、前レスで述べた通り。
因果応報は、このように、誰が判断するかによって、自由に変わりうるから、
業報論は成立しえない。
394 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 04:23:15 ID:DHt/Bb8R
>>393 因果応報とは、良い行いには、良い報いが。悪い行いには、悪い報いが。ということだ。
日本に原爆が落とされ、当時の体制は崩壊し、当時の国教だった国家神道は、国教の座を追われ、
当時の指導者達は,戦争犯罪人として裁判にかけられ、そして吊るされた。
いくら君が良い悪いは受け手側の印象次第だといったところで、この報いをみてもわかるように、
当時の体制、その指導者、国家神道等は、悪を行ったのだよ。結果が全てを物語っている。
君がいくら俺は当時の日本は悪い行いなどしていないと思っているといったところで、
当時の国家神道やその体制は、悪い報いを受けた。
よって彼らは、悪い行いをしていたと結論づけられる。これが法というものだよ。
君はこんな単純な道理も理解できないのに、仏教を語っていたのかね。
我々は、多くの日本人を、国家神道の元、「天皇陛下バンザイ」と叫ばせ、
無駄死にさせた国家神道の犯罪を忘を忘れてはならない。
395 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 04:39:38 ID:DHt/Bb8R
これで隠居は神道の人だとわかったわけだ。
彼のキリスト教に対する憎悪をみよ。彼らは思想の自由。信教の自由を認めない。
事実、戦前の日本がそうだった。彼らは他人の思想の自由。信教の自由を認めず、
自分達のエゴを押し付ける。彼らのキリスト教に対する憎悪は、
キリスト教徒達に国教の座を追われた恨みつらみもあろうが、
それは戦争犯罪の責任を取らせただけで、解体までしていない。
ここにキリスト教の寛容さがある。思想の自由。
信教の自由を認め、人の自由意思を尊重する宗教は、キリスト教と、仏教くらいのものである
396 :
旧7:2009/06/03(水) 04:51:32 ID:6bPV8wUe
御隠居の鏡映しだなw
そうか!
御隠居流の立論・展開が、いかに不自然で強引で極端かということを、
別のモチーフを使い、身を持って示してくれてるんだね。
巧みだなぁ・・・w >>ID:DHt/Bb8R=ID:wO5dIZZJ
397 :
一在家携帯より:2009/06/03(水) 06:50:22 ID:wZxl6IM1
国家神道の神主は結婚式で商売。
坊さんは葬式や法事で商売。釈尊の対機説法の為、在家も自説を主張してバラバラ。
キリスト教はイエスが祈った天の父でなく、預言者に祈る。
イエスの命をねらったパリサイ派のユダヤ教は世界の経済を独占。
イスラム教は最後の預言者を信じて、他の教えへの寛容はなし。
以上が実相にて、因果応報にて地球温暖化が進み人類共滅へ。
神仏は手を打つ。
その一つが原始仏典に元還りする。
エッセネ派ユダヤ教を復活。
ニカイア公会議の間違いを正す。
まずは、パーリ仏典、死海文書、ナグハマディ文書を紹介しています。
ユダヤ教は選民思想があるから、日本人がいくら信じても基本的に無駄なんだけどな。
399 :
一在家携帯より:2009/06/03(水) 07:49:39 ID:wZxl6IM1
私はあまり心配していないですね。
エッセネ派ユダヤ教徒もアリウス派キリスト教徒も生まれ変わってきてると思うから、彼らに託そう。
輪廻する必要ない菩薩達も再生しているから、原始仏典を読んで歓喜していると思う。
神仏は聖霊や菩薩を降下させて人類共滅にブレーキをかけないと、釈尊もイエスの救いも無駄になる。
偽預言者も多いから、原始経典のフィルタで正邪を見分けましょう。
400 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 08:23:13 ID:lrN30AUN
何と空想と現実の区別のつかない人たちが多いことか?
お釈迦様もイエス様もお嘆きであろう。
401 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 08:40:32 ID:wjr0zybk
>>400 そう、お釈迦様もイエス様も大変お嘆きであろう。
>>397 >その一つが原始仏典に元還りする。
>ニカイア公会議の間違いを正す。
《(上座部の)「結集」自体が、(カソリックの)公会議に比すことができる》
ということが解らんらしい・・・w
403 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 08:51:49 ID:FRWzKF92
>>389 君は国家神道の変わりにキリスト教が国教になっていたら
神風特攻隊や原爆の悲劇はあったと思うのかね。
人間天皇を神だとして、人間天皇に命まで捧げ、特攻隊や
沖縄の民間人まで、「天皇陛下バンザイ」と無駄死にさせたのは
神道ではないのかね。キリスト教徒は間違ってもイエス様に
命を捧げよなどと強要しないし、「イエス様バンザイ」と特攻を強要しないし
本土決戦。一億総玉砕などと自国民に無駄死にを強要したりしない。
命を粗末にせず、エゴを押し付けないキリスト教と
エゴを押し付け、天皇の為に死ねと強要した国家神道は似ても似つかない
もの。自分達の心の闇をキリスト教のせいにし、
キリスト教に責任を押し付ける君ら神道は、まさに
【悪魔教】
404 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 10:15:25 ID:hp6y0JLE
>>403 >「イエス様バンザイ」と特攻を強要しないし
冗談じゃない。「イエス様バンザイ」で異教徒・異教派を殺しまくり、他国を
侵略し、異教徒の強制改宗を迫り、従わない者は皆殺しにした、キリスト教
の歴史と現状を見よ。ブッシュは、イスラム教徒を「家畜のように」殺したし、
やはり一神教で、キリスト教の影響をたっぷりと受けているイスラム教徒は、
現在でも「特攻隊」を続けているではないか。
日本の特攻隊は、国家神道によって誘導されていた要素はあったとはいえ、
キリスト教とは異なり、「架空の神」のためではなく、家族や国民という
「人間」をキリスト教国の「武力」から守るために戦い、命を捨てたのである。
私は、神道信者などではなく、日本人であり、かつ、宗教批判者に過ぎない。
国家神道にそれほど問題があったとすれば、やはり、先の戦争は「宗教戦争」
だったことになるね。
国家神道は、明治維新後の、キリスト教国の武力による威嚇に対抗するため
の、国家の政策の一つだったに過ぎない。
日本の歴史で、天皇が政治的権力を持ったことは、殆どなかった。いわゆる
「神権天皇制」が、キリスト教を真似したものであることは、明らかだろう。
しかし、昭和天皇が、最後の土壇場で自ら戦争を止めさせ、日本が消滅するこ
とを防いだ御前会議の場面は、世界史の中でも、最も感動的な場面である。
そして日本人は、天皇を神として崇めるという宗教的呪縛から、敗戦と共に、
殆ど一夜にして目覚めたのである。
先の大戦も、やはり宗教がもたらした惨禍であったことは明らかであろう。
日本がモンゴルの侵略から免れることができたのは、彼らが日本の台風シーズン
に来寇したに過ぎなかったのに、それを「神風」などとした「宗教的信念」が、
日本人のその後の冷静な判断を誤らせてしまったのである。
405 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 10:45:05 ID:hp6y0JLE
殺し合いや争いは、人間の生物的生命(生存本能)を忘れた「架空の観念」に
絶対性を認めることから生じている。
その意味で、人間を離れた絶対を認めず、万物の関係性を説く、大乗仏教の
「縁起・空」の教えに期待されるところは大きい。
現在の思想も科学も、すべて、この「関係性」の方向に向いつつあるのである。
406 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 11:13:38 ID:hp6y0JLE
キリスト教では、「聖書のみ、信仰のみ」の宗教「改革」で、より人間そのもの
から離れ、新旧両教間の血で血を洗う殺戮の原因となり、その争いは、現在まで
続いている。
一方、仏教では、大乗の発生により、より人間に近づいた。小乗と大乗とで殺し
あったことがあるのか。
やはり、開祖の思想の、本質的相違の故であろう。
407 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 11:43:28 ID:FRWzKF92
>>404 >冗談じゃない。「イエス様バンザイ」で異教徒・異教派を殺しまくり
君はいつの時代の話をしているのかね。そんな中世の時代の話は
現代では通用しないのだよ。私は社会が中世の時代より成熟した近代の
話をしているのだよ。近代においてキリスト教はそんな愚かなことはしていないし、
そもそも「イエス様バンザイ」などと叫んで人殺しもしなければ、特攻で
死んで来いなどといった事実もない。
>日本の特攻隊は、国家神道によって誘導されていた要素はあったとはいえ、
>キリスト教とは異なり、「架空の神」のためではなく、家族や国民という
>「人間」をキリスト教国の「武力」から守るために戦い、命を捨てたのである。
日本の特攻隊は、家族の為というより、架空の神である、人間天皇を神として、
この架空の神を守るため、「天皇陛下バンザイ」を叫びながら死ねと、
特攻させられたのだよ。
>国家神道は、明治維新後の、キリスト教国の武力による威嚇に対抗するため
>の、国家の政策の一つだったに過ぎない。
日本が戦争に負けて、キリスト教国に支配された結果、今の日本があるのだよ。
君は前の体制がそのまま続いていたほうがよかったと思うのかね。
君がここで好き放題いえるのも、キリスト教国の言論の自由。思想の自由を認める
寛容さのおかげなのだよ。
408 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 12:11:22 ID:f5U3MU7B
コーランを一読して思ったことですが、アラーとエホバは似た所があり、
それは釈尊の慈悲やイエスの愛とは似ていないということです。
アラーの人類教化プロセス
1)ある都市で人心が乱れ、神から心が離れる
2)唯一神は預言者を使わす
3)彼は自身が説いた法に従う者たちを従えて移動する
4)神は残った大勢の人々を都市ごと滅ぼす
5)以上のプロセスを何回も繰り返す
直接ムスリムに尋ねたことはないですが、アラーを恐れているかも知れません。
エホバもソドムとゴモラで、ノアの大洪水で同様のことをされています。
よって、アラーとエホバは似た所があると思った次第です。
ユダの福音書におけるイエスは、弟子達が旧約の神に祈っているのを見て、
快活に笑われました。 案外、本当だったようにも思います。
409 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 12:13:40 ID:f5U3MU7B
おそらく、ムスリムはアラーとエホバは同じだと認識してますね。
イエスもアラーの預言者として敬意を払ってますから。
アラーもエルも、もともと神という普通名詞らしい。
<在る>という名の全能の神、ヤハウェ(エホバ)も同じようなもの。
人間の考えることは、人種や民族などに関係なく、だいたい同じようなもの。
真理を知りたいなら、神道・仏教・聖書・クルアーンなど、
いろいろな宗教から学ぶのがいい。
そうすることで、ある宗教がもっている良いところが見えてくる。
あるいは、足りないところや余分なところが見えてくる。
412 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 13:21:01 ID:CPHCgI/H
仏教も聖書も同じような境地をめざすものとすれば、
仏教の六神通は、聖書に説かれているのかどうか、
あるいはそういった現象が聖書に記述されているのかどうか。
それを検証することは必要だろう。
六神通・・・天眼通、天耳通、神足通、他心通、宿命通、漏尽通
413 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 13:51:04 ID:zqxnERiH
414 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 14:03:15 ID:CPHCgI/H
宿命通・・・聖書は輪廻・転生を語っていない。
ただしマタイ11・14でイエスは
「洗礼者ヨハネが現れるはずのエリヤである」と言う。
天眼通・天耳通・・・素直な偏見のない心で見たり聞いたりすれば、
周囲が以前より鮮明に見え、鮮明に聞こえるだろう。
このふたつは、こういった、感覚が鋭敏になるような話かと思う。
ヨハネ1・47〜50にイエスの天眼通を思わせる記述がある。
415 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 14:11:18 ID:zqxnERiH
416 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 14:17:56 ID:jsG9ZDPn
>>407 >そもそも「イエス様バンザイ」などと叫んで人殺しもしなければ、特攻で
>死んで来いなどといった事実もない。
「強制」には、「物理的強制」と「心理的強制」とがある。キリスト教は、
「罪」や「贖罪」の観念の植え付けにより、「心理的に」強制する。
> 君がここで好き放題いえるのも、キリスト教国の言論の自由。思想の自由
>を認める寛容さのおかげなのだよ。
それは、イエスやキリスト教のお陰なのではなく、むしろ、それらに対する反
発・批判から生じた、近代合理・啓蒙主義のお陰である。イエスがどこで、思
想・言論の自由を説いているかね。キリスト教の目的は、専ら、それらを禁止
・制限することではないか。
417 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 14:24:13 ID:wjr0zybk
六神通・・・神変、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、漏尽通
神変の中に「水上歩行」も入っています。
イエスと使徒達は人に取りついた悪魔(憑依霊)を見抜いて
除霊していますので(エクソシスト)、他心通は使用されていたと
思います。
神足通・・・人は夢の中でも浮き上がることは困難である。無理。
ただしマタイ14・26に、イエスが湖の上を歩いたという話がある。
他心通・・・悟るには、心の奥に入り込まなければならない。
自分をよく知れば、他人のこともよく理解できる。
そういった意味ならありえるだろう。
しかしまったく情報がなければ、相手の心を読むことは不可能である。
ヨハネ2・23〜24、イエスは人間の心を知っておられる。
やっぱキリスト教徒のレベルはひくいよな
宗教的にぜんぜん成長してない
イエスには少し同情しているんだが
アホばっか産んでしまう宗教なのは
いらない宗教という証拠なのかもしれない
現にキリスト教に反発しはじめている人は多いから
420 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 14:34:53 ID:wjr0zybk
>ところで、なぜエッセネ派だのナグハマディなら鵜呑みマンセーできるんだろう。
>ぶっちゃけただのひいきだよね。
法華経や原始仏典を読めば、新約聖書よりも「エッセネ派だのナグハマディやユダの福音書」
の教義の方が違和感が無いからです。
多神であり、全ての人に神性(仏性)が宿り、神の子で、やがて仏になり得ると。
グノーシス派の人達は仏教もよく知っていたのかも知れませんね。
一生、旧約と新約聖書しか読まないクリスチャンには生涯気付かないでしょう。
それはそれで幸せならば、宜しいかと存じます。
ただ、気付いた人から本当のイエス様を知りたいという旅に出ることも自由でしょう。
漏尽通・・・これは自分が悟ったかどうかという明確な意識ですか?
そうであるなら、これはあるでしょうね。
神秘体験自体は短いもの。悟ったという意識は残るものの、
忙しい世俗に戻ればレベルダウンしてしまう。
聖書では聖霊・永遠の命として記述され、
バラモン教ではアートマンとして記述されている。
聖書の六神通を眺めると、旧約ではまったく無視されていたのに、
イエスには六神通が備わっていたような印象がある。
在家さんが言うように、イエスの所属していたエッセネ派は、
仏教も学んでいた可能性が濃厚ですね。
B・C250年ころ、アショーカ王が、シリア・マケドニア・エジプトなどへ
仏教伝道師を派遣している。その後も交流があったろうから、
真理を探求する集団であれば、仏教を学んでいて不思議ではないですね。
423 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 15:25:46 ID:zqxnERiH
424 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 15:42:37 ID:f5U3MU7B
>
>>420 >「本当」だという根拠は?
その質問はお返しします、「ヨハネの福音書」が「本当」だという根拠は?
最古のマルコ、続くルカ、マタイと重要なポイントが大きく違いますが。
(相違点は紹介済み)
当時の弾圧と分裂の危機から逃れる為に、神の預言者を神自身に
しなければならなかった事情は分りますが、「イエス=神自身」の
根拠はありますか。イエスは自称「人の子」ですよ。
新約のその他の文献は「ヨハネの福音書」を正当化する為に集めた
でしょうから、あまり根拠にならないでしょう。
>とりあえず
>>402はスルーしてはいけないレスだとおもう
上座部の結集とニカイア公会議との比較は私には知識が足りません
ので、どなたか替わってレス願います。
425 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 15:59:25 ID:jsG9ZDPn
>>420 >本当のイエス様
聖書を超えた「本当のイエス」など求めても、結局は分るはずがない。
「本当のイエス」など求めることのほうが、聖書のイエスをひたすら
信じるクリスチャンよりも、むしろ「イエスに対する嵌り込み」は深い
といえる。
上座部の結集やニカイア公会議や原始仏典についても、同様なことが
いえる。時代も異なる大昔のことに執着して、一度きりの人生の貴重な
時間を無駄にすることなく、分った限りのことを「ヒント」として、現
代人としての思想を構築する努力をすべきであろう。
大昔のことを「見てきたかのように」語るのは、滑稽である。現代の裁判
において、裁判官があらゆる証拠を調べても、「本当のこと」は結局判ら
ないことが多いのである。
426 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 17:04:07 ID:326O0HDs
釈迦もイエスも、現代に出てくれば、社会は一変しているのだから、右も左も
判らず、まごついてしまうだろう。ストレスで引き篭もってしまうかもしれない。
現代の宗教者は、そんな彼らをいたずらに追っかけるのではなく、彼らを現代
に導くべき、現代の思想・現代の真理を構築する努力をすべきであろう。
彼らも、当時の社会情勢における、当時の人々に対して説いたものであること
を忘れてはならない。彼らが、時代錯誤を「真理」として教えただろうか。
>>426 > 判らず、まごついてしまうだろう。ストレスで引き篭もってしまうかもしれない。
ここでは仮定の話として扱われている。
> 現代の宗教者は、そんな彼らを
ここでは殆ど断定されている。
> 彼らも、当時の社会情勢における、当時の人々に対して説いたものであること
> を忘れてはならない。
ここでは「前提」として扱われている。
> 彼らが、時代錯誤を「真理」として教えただろうか。
反語表現。
仮定 → 断定 → 前提 → 反語(カルトによる洗脳方法)
428 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 17:20:21 ID:326O0HDs
>>427 それ以外の仮定・断定・前提がありうるなら、教えてくれw。
429 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 17:23:35 ID:326O0HDs
>>428の訂正
×それ以外の
○それ以外の合理的な
新しく宗教を興そうとする者を誰もとめるつもりはないと思うが
新しい宗教が期待されているという理由で既存の宗教をゆがめて伝えるのはやめてほしい。
伝統の宗教は、師資相承によって、異端がおこらないように努力してきた結果
現在までつづいてきた。こういった努力を評価することなく、まるでくだらない隷従かのように
決めつけ、過去に捨て去って新しいものに代えてしまおうと考えるのは
宗教の創造であるどころか、既存概念の破壊でしかない。
前に進むどころか、土台を破壊しているだけだ。
もし、宗教を新しく評価しなければならないとするなら
新しい宗教理念をつくり、それとの対置として既存宗教を置かなければならない。
しかし、現在、それほどの宗教が勃興してはいない。
今は新しいものを期待するより、きちんと過去を再評価し、自分が何が分かっていなかったのか
過去に向かって追体験をする方が先決であると思う。
というのも、宗教思想のひな形は紀元前後に既に出つくしているからだと言える。
歴史の風雪に耐え、洗練された宗教が現在まで残っていることを考えれば
これは、できあいの新たな宗教よりはるかに信用に値するものだ。
何かにこだわっても、そのこだわりが誤りかもしれない。
だからあまり細かいことにこだわらないで、アバウトにやりませんか。
大筋でわかれば十分でしょう。
まずは悟ってからの話ではないですか。
432 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 18:07:09 ID:wjr0zybk
>>430 >きちんと過去を再評価し、自分が何が分かっていなかったのか
>過去に向かって追体験をする方が先決であると思う。
>というのも、宗教思想のひな形は紀元前後に既に出つくしているからだと言える。
同感です。
科学技術は進歩しましたが、人の心は進歩どころか、退廃してますのが現代。
433 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:11:21 ID:GfJx/6Td
424
返すのはふつう自分が答えてからだよね
昔と決定的に違うのは、いくらでも古典を読めることでしょう。
本人しだいです。いまや師匠の値打ちは紙くず同然。
変われば変わったものですね。
435 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:22:58 ID:GfJx/6Td
なぜイエスが多神論者とすることに疑問を懐かないんだろ?
自分を神とするのと同じくぐらい有り得んのだけど。。
あのヤハウェの貶めぶりも。
>>428 どうあっても仮定→断定→前提のカルト手法でやっていくつもりですね。
437 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:27:00 ID:326O0HDs
>>432 >科学技術は進歩しましたが、人の心は進歩どころか、退廃してますの
>が現代。
昔の時代に生きたわけではないのに、退廃など簡単に決め付けるのは、
思い上がりで浅薄ではないか。科学技術の進歩に尽くした多くの人々
の労苦に対する感謝はないのかね。それこそ「退廃」であろう。少な
くとも、人の心は基本的には変わらない、というべきだろう。
人間は、物が無ければ生存できない。そして、科学技術による生存の
充実は、同時に人の心に充実を与える、とはいえないのかね。人間の
心は、常に、生存の充実を求めているのである。
「人は、パンがなければ生きられない」のである。
438 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:31:33 ID:GfJx/6Td
分裂の危機を避けるためだったら逆に
神自身という教義をつけ加えたらダメじゃん。
弾圧を避けるためにはイエスだけじゃなくローマの神々も認めなくちゃならんだろう。
439 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:43:44 ID:326O0HDs
>>432 充分に生きている者は、自分の心など意識しない。心も満ち足りている
からだ。
自分の心など意識するのは、充分に生きていない証拠、そのために
心が既に病んでいる証拠である。
宗教者は、「心」「心」と言い過ぎ。それよりも、充分な生にこそ、
努めるべき。さもなければ、生きているのではなく、死んでいること
になる。
440 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:54:20 ID:GfJx/6Td
ところでユダ福と共観福音書は重要なポイントが全く違って無いんか?
441 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 19:07:58 ID:GfJx/6Td
昔から犯罪は多かったし酷かったけどね。
退廃ってなに?いちおう信仰とか儀礼
は根強いけど差別と迷信がふつうにはびこっている状態のことか?
そんなの皆無で信仰のみのきれいな黄金時代みたいなのを何となく思い浮かべてんの?
442 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 19:12:12 ID:326O0HDs
>>432 心(感情と理性)は、あくまで、肉体的生命の維持のために、肉体の一部と
して与えられている。その逆ではない。肉体が死ねば、感情・理性を含む
精神現象、生命現象は、一切発生し得ないからだ。
宗教者は、完全な本末転倒・倒錯に陥っているのである。
以上、外道の発言でした。
444 :
旧7:2009/06/03(水) 19:24:46 ID:6bPV8wUe
>>443 このスレに、外道でない者なんて居たっけ?www
445 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 19:32:09 ID:326O0HDs
>>430 「時代がどんなに変わっても、俺の教えに従え」というのが、果たして開祖の
意図なのかを、よーく考えてみる必要がある。
開祖が「現代に生きていたら」、その教えは全く変わったものになったはず
ですよ。彼らは、「その時代」の先端を行く、改革者だったのではありませ
んか。
>「時代がどんなに変わっても、俺の教えに従え」というのが、果たして開祖の
>意図なのかを、よーく考えてみる必要がある。
こんなことは言っていないし
>開祖が「現代に生きていたら」、その教えは全く変わったものになったはず
>ですよ。彼らは、「その時代」の先端を行く、改革者だったのではありませんか。
こういった陳腐な現代問題へのすりかえは
社会学者にまかせておけばいい
447 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 19:57:29 ID:326O0HDs
厳しい自然との闘いの中で、ひたすら生存に努める古代人にとっては、
「宗教」は、その「生存」のための「手段」だった。生存を助ける、又は
脅かす自然現象を引き起こす不可知な力を便宜上「神々」と名付け、
それぞれ感謝又は憎悪し闘った。生存のための、彼らなりの精一杯の
「現実性・合理性・科学性」の表れであった。現代の科学の代替品で
あったのである。これが、人類における「神概念」「宗教」の発生で
ある。古代人は、後代の創唱宗教のような、本来、生存の手段である
宗教を、生存の「目的」とするような倒錯には陥っていなかったので
ある。
科学の驚異的は発達により、自然現象の原因が殆ど解明された現代に
おいては、「神々」は消滅したのである。
創唱宗教は、例外なく、その開祖の精神障害の症状としての「観念過剰」ゆえ
に、古代人の神々を観念化、抽象化、精神化し、その生存との関係を絶ち
切ってしまったのである。創唱宗教は、その教祖の精神障害の信者に対する
感染である。精神病は感染する(感応精神病)。
448 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:08:51 ID:326O0HDs
>>446 開祖の「真意」を探ることは、社会学者ではなく、まさにあなた方宗教信者
の問題ですよ。
449 :
λ....:2009/06/03(水) 20:10:38 ID:+/wzoas/
ご隠居は開祖の真意はわかってるのぅ?w
450 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:13:40 ID:GfJx/6Td
もしも版はオリジナルとは別人だな。
二次創作(しかも自作)から真意など読みとけようはずもない。
451 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:16:04 ID:326O0HDs
>>449 私は信者ではないから、赤の他人の開祖の真意など、ドーでも良いw。
唯、「現代にも通用する真理のヒント」があるかどうかを、調べている
だけ。
452 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:17:07 ID:GfJx/6Td
過去の本人と現代のもしもさんとの同一性を
どうしたら説くことができるのであろうかw
>>448 ご隠居は、真意を探るフリして、真意を捏造してるだけ。
独自宗教に仏教の名前を無理矢理被せて、仏の威を借りてる子ネズミ。
454 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:21:51 ID:326O0HDs
>>453 開祖が現代に現われたら、「俺の言いたかったのは、お前の通りだ」
と言ってくれる可能性は、無きにしも非ずであるw。
455 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:24:07 ID:GfJx/6Td
時代が違えば両親も違い、顔や体も異なる。
そして出会うのも全くの別人たち。
立場を似せても人格形成は違ってくる。
もう別の人だよね。
>厳しい自然との闘いの中で、ひたすら生存に努める古代人にとっては、
「宗教」は、その「生存」のための「手段」だった。生存を助ける、又は
脅かす自然現象を引き起こす不可知な力を便宜上「神々」と名付け、
それぞれ感謝又は憎悪し闘った。生存のための、彼らなりの精一杯の
古代人はこのような、世界を、自分が考えた秩序の支配下におく、というような考え方はしていない。
世界の中で生かされる自分を自覚し、そして自分を秩序下におく大いなる力を神とよんだにすぎない。
つまり、不可知の自覚と、不可知への畏怖、許容、感謝こそ、古代人を理解する鍵である。
創唱宗教では、自然から、人間社会へと世界がせばまったが、
己を含めた世界原理の追求という面では軌を一にしている
科学は客観性を大事にするが、それはとどのつまり、主観がぬけているということだ。
世界の中に自分を含めていない。
あたかも自分と世界とが関わりを放棄したかのような振る舞いである。
だからこそ、科学によってコントロールしていたはずの自然が、
酸性雨や、環境ホルモン、森林伐採による異常気象、として襲ってきたとき、
完全に切り離されていたはずの世界と、あいもかわらず自分がかかわっていたことに気づかされ
これを恐怖をもって迎えるのである。
科学は、可知への礼賛ゆえに無知に無知であると言える。
457 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:27:44 ID:gk0MUERA
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
>>439 ■ 充分に生きている者は、自分の心など意識しない。心も満ち足りている
からだ。
■ 自分の心など意識するのは、充分に生きていない証拠、そのために
心が既に病んでいる証拠である。
■ 宗教者は、完全な本末転倒・倒錯に陥っているのである。(
>>442 )
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今夜もご隠居説、絶好調〜〜、楽しいな!! ヽ(^。^)ノ
458 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:38:24 ID:326O0HDs
>>456 >世界の中で生かされる自分を自覚し、そして自分を秩序下におく大いなる力
>を神とよんだにすぎない。つまり、不可知の自覚と、不可知への畏怖、許容、
>感謝こそ、古代人を理解する鍵である。
文明の利器など何一つなく、厳しい自然との闘いの中に、日々生存の努力に
明け暮れる古代人たちに、寝そべって、「世界」や「自分を支配下に置く大い
なる力」など考える余裕はあるはずがなかろう。そんなことをしたら、今日の
食物も手に入らないし、野獣に食い殺されてしまう。彼らにとっては、自分が
接する自然が全世界であり、神は、自然現象ごとに存在したのである。生存を
脅かす自然現象(神)に、感謝する訳がないではないか。
ヒュームは、古代人にとっては、感謝する神(自然現象)よりも、憎むべき神
(自然現象)のほうがはるかに多かった、と言っている。これは、現代人にとて
も、充分に理解できることである。
459 :
旧7:2009/06/03(水) 20:43:07 ID:6bPV8wUe
>>458 >感謝する神(自然現象)よりも、憎むべき神(自然現象)のほうがはるかに多かった
実に西洋的な気がする・・・。
ていうか、砂漠の(荒地の)世界観ならではか?
日本は(≒温帯、亜熱帯は)その辺、フィフティフィフティなんじゃないかな・・?
461 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 20:47:37 ID:326O0HDs
>>456 古代人は、地理など習っていないのだから、「世界」などという観念
はありませんよ。自分が接する範囲の自然のみが、全世界だったのです。
古代人が、生存を脅かす、台風、洪水、雷、地震などの自然現象(神)
に感謝する訳がないでしょう。彼らは、それらの神を憎み、闘ったの
です。
> 訳がないでしょう
またやっちゃったね。
大体、この手のフレーズが出てくると言ってること間違いなんだよね。
いつものパターン。
>文明の利器など何一つなく、厳しい自然との闘いの中に、日々生存の努力に
明け暮れる古代人たちに、寝そべって、「世界」や「自分を支配下に置く大い
なる力」など考える余裕はあるはずがなかろう。そんなことをしたら、今日の
確かに、古代人は一日の大半を食物さがしについやしたであろうが
まったく暇がなかったわけではない。山々の移動のさなかに、あるいは雨宿りをしている間に
自然現象は彼らの前に現れたはずだ。これらを憎悪の対象としてしかとらえられないのは
現代人の思考が、効率化しており、現象を生存競争という一元的なとらえ方の中にしか
見出していなからであろう。
例えば、ジェンダーという言葉がある。
これはもともと後天的な性差を言及したものではない。
言語学的な性差を指した言葉である。
大地や月は女性名詞、太陽や空は男性名詞と言った具合である。
こういったジェンダーを見るにつけ、人々が自然現象に対して
連関させたイメージ、仮託した人間生活と世界との関わりを窺い知れる。
>ヒュームは、古代人にとっては、感謝する神(自然現象)よりも、憎むべき神
(自然現象)のほうがはるかに多かった、と言っている。これは、現代人にとて
アメリカのインディアンを見るといい。
彼らが文明的な生活をしていないにもかかわらず自然に対していかに従僕か分かるだろう。
464 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 21:13:10 ID:326O0HDs
>>459 その日本でも、雷や地震は、やはり恐い。無神論者の私でも、一瞬神を感じるが、
あわてて打ち消すw。古代人も、同じような気持ちだったのでしょう。
465 :
旧7:2009/06/03(水) 21:19:25 ID:6bPV8wUe
>>464 古代人に限らず、近代化以前の人々にとっては、
自然に対する「感謝、憧憬、畏れ、忌避」は同時に抱かれるものだ。
ただ、各現象により(→「各現象が彼らに何を(より多く)もたらしているか」により)その配分に違いがあるだけだ。
このような視線は基礎の基礎だと思ってたんだが・・・w
466 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 21:25:10 ID:wjr0zybk
>>435 >なぜイエスが多神論者とすることに疑問を懐かないんだろ?
>自分を神とするのと同じくぐらい有り得んのだけど。。
>あのヤハウェの貶めぶりも。
原始仏典を読めば、神々、梵天、大梵天が度々登場します。
古代の人々(現代の人々も同様)がそれらの存在の何れかと交流を
持った時には、「最高神」、「唯一絶対神」だと思うのも当然推論
できます。
先にかきこしましたが、モーゼと話した神とアラーと話した神とは
よく似ております。意に反する人類は容赦なく滅ぼします。
467 :
一在家コーヒータイム:2009/06/03(水) 21:26:20 ID:wjr0zybk
原始仏典に登場し、悟った後に説法を断念した釈尊に、幾度も説得に
あたった大梵天の一方にこそ、イエスが説いた人類愛を感じる次第です。
「天の父」もまた人類愛に満ちた神だと信じます。
イエスが誕生する前に、死海近くの洞窟に格納された文書には、
新約聖書に登場しないエッセネ派ユダヤ教徒の宗規文書が多数
含まれております。
また旧約聖書も含まれておりますが、「神の子ら」という記載があり、
「複数の神的存在」を意味するとの解釈もあります。
ユダの福音書のイエスが祈った神がどの神だったかは分りませんが、
複数の神または複数の神的存在が説かれていても死海文書との矛盾は
ありません。
勿論、その神がグノーシスが言うほどエホバと比べて優っているとは
私も認識しておりません。
私に対しまして、多数のご質問者がおられますが、パソコンを使える時間
に制約があり、一部の方にしかレスできませず、申し訳ございません。
468 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 21:41:09 ID:326O0HDs
>>466 >意に反する人類は容赦なく滅ぼします。
創造主が、自分の意に反する人間を創ったとすれば、創造主は全能では
なかった、創造は不完全だった、ことになるよ。善も悪も、正も不正も、
美も醜も、すべて「理由があって」創ったのです。神にとっては、すべて
が必要であり、すべてを愛したのです。神は、自分が創造した生命自体を
差別したりなどしない。
それらの差別は、すべて教典を書いた後代の「人間」の仕業です。彼らに
とっては、神とは、人間が人間を支配するための手段、よく言えば、社会
の秩序維持のために、人間が創作した「強力な武器」「手段」に過ぎない
のです。「神」とは、「人間の創造物」です。
469 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 21:46:45 ID:326O0HDs
>>465 >古代人に限らず、近代化以前の人々にとっては、
>自然に対する「感謝、憧憬、畏れ、忌避」は同時に抱かれるものだ。
>ただ、各現象により(→「各現象が彼らに何を(より多く)もたらし
>ているか」により)その配分に違いがあるだけだ。
一神教的な考えですな。少なくとも古代人は、そんな面倒くさい「損得
計算」をやってる余裕はなかったと思うよ。現代のパソコン使っても
大変複雑な計算になるw。
470 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 21:58:39 ID:326O0HDs
>>467 >イエスが説いた人類愛を感じる次第です。
釈尊とならべて、イエスなど持ち出さないでくれ。両者は、本質的に異なる。
イエスは、口にすべきでない「愛」を「説く」ことにより、すべての人間に
生来的にビルトインされている「肉体的本能としての愛」を、観念化、抽象化、
精神化し、その実質を破壊して偽善とした、愛の破壊の元凶に過ぎない。
イエスの説くアガペーは、彼が舞い上がったギリシャ哲学の特殊概念に過ぎず、
「愛」とは似て非なるもの。キリスト教徒のなした行為を見ただけでも、イエス
が説いた「愛」が偽物であったことが、如実に証明されているではないか。
クリスチャンが仏教徒を騙ることは、許されることではない。
471 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 22:09:21 ID:326O0HDs
>>467 「イエスが説いた人類愛」など、聖書の一体どこから出てくるのかね。
イエスは、最も近い隣人であるはずの、己の家族さえ愛せなかった。
何が「隣人愛」「人類愛」か。
大川氏の聖書理解の誤りは、佐倉氏のサイトでも指摘されているはずだ。
ざっと目を通した程度の、よさそうな言葉だけ拾い上げた、皮相的、浅
薄極まりない理解である。
472 :
旧7:2009/06/03(水) 22:11:25 ID:6bPV8wUe
>>469 主に日本を想定してたんだけどな・・・w
君は、(少なくとも古事記以来の)日本人の文化的在り様(自然との相対し方)をどう考えてるんだ?
473 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 22:15:01 ID:GfJx/6Td
在家さんよ。あなたも隠居と同じか。
相手の文化的背景を直視しようとせず
自分の常識を嵌め込んでいる
それを自覚してないのか?
474 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 22:21:47 ID:GfJx/6Td
ユダの福音書のイエスがどの神を崇めていないかははっきりとしている。
冒頭でそれに対して祈ることを笑った弟子たちの神、四福音書ではともに崇めていた神だ。
475 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 22:22:58 ID:326O0HDs
>>472 引用はヒュームからであり、当然、「砂漠の宗教」の神を、思考の対象
にしたのでしょう。
日本ほど緑豊かで、自然に恵まれた国は少ないので、日本人にとって
は「敵対すべき神」は少なく、また、自然現象も、その恩恵部分も見る
ことが出来る心の余裕があったので、自然を大切にする神道が生まれた
のでしょう。
どんな自然現象でも、生存に対する、その「恩恵」部分と、「害悪」部
分があることを、理解していたのでしょう。
本居宣長の「かみの定義」では、「かみ」を、その自然(具象)の対象
ごとに、細かく分類しています。
476 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 22:30:55 ID:GfJx/6Td
神の子が聖書では天使や人間に使われていること
くらいは知っていると思うが
いちおう聞いておこう。
死海文書では神々という言葉が肯定的な意味で明記されているの?
477 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 22:37:49 ID:326O0HDs
>>473 >相手の文化的背景を直視しようとせず
文化的背景との関連を切断したのが、キリスト教。どこの国でも、どこの
文化にでも、黴菌のように感染し、繁殖する。
宗教も人間の文化的営みの一つに過ぎず、特定生存共同体の風土、歴史、文化
から生まれるべきもの。それを無視したキリスト教は、やはり、「狂気の
宗教」としか言いようがない。
478 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 22:55:48 ID:GfJx/6Td
事実を踏まえる、ということを言ったのであって文化の破壊だの移入だのの話じゃあないよ
文章ではなく単語に反応しただけってのがよくわかるわ・・・自分への呼び名と一緒に批判めいたこと書かれているのを見て、とにかく何か書かずにはおれなかったんだね。
479 :
一在家携帯より:2009/06/03(水) 23:20:24 ID:wZxl6IM1
死海文書では神の子らは肯定的な扱いです。
クリスチャンも一読をお勧めします。
480 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 23:23:37 ID:DHt/Bb8R
>>470 だから、生来的にビルトインされている肉体的本能による愛。っていうのは、
単なるエゴで、イエスもゴータマも、おまえの言うエゴでしかない肉体的本能による愛では否定し、
真理の愛を説いたといってるんだよ。おまえ、聞こえる耳が無いの?
おまえの能書きは、仏典にでてくる悪魔ナムチそのものなんだよ。
481 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 23:26:34 ID:GfJx/6Td
あれれ。神々という単語があるのか、
どう使われているのかって話なんだったんだけど・・・
482 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 23:30:40 ID:GfJx/6Td
否定的な使い方とは、存在を否定するのもだけど
サタンを地上の神というような揶揄や非難のための
用法のことだよ。
483 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 23:35:13 ID:DHt/Bb8R
しかしこの隠居ってのは、
何度も自分の間違いと、何度も、自分の無理解を示されているのに、
壊れたスピーカーのように、何度も無理解からくる、間違いだらけの、
おんなじ能書きを、繰り返し、繰り返し、書き込んでいるな。学習能力が全く無いんだろう。
484 :
旧7:2009/06/03(水) 23:42:25 ID:6bPV8wUe
>>483 カラスさん、
今回登場回数多いですね・・・w
485 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 23:46:05 ID:BmElPGmo
>>480 >真理の愛
それは、イエスが、ギリシャ哲学の人工愛である「アガペー」を猿真似
して、勝手にでっち上げたもの。創造主が創造時において人間の肉体
にビルトインした本能としての愛ではない。創造の冒涜も甚だしい。
エゴ、エゴというが、エゴだけでは共生できないことを、これも本能的
に知っているから、そのエゴ(生存本能・生命)から、他者のエゴを
尊重する自然の感情、即ち愛が生まれる。
イエスは、とんでもない勘違いをしている。
ご隠居の言っていることは筋が通っている。
人間は底の底までエゴの塊。
むしろそれを認めているご隠居に可能性を見る。
でもエゴにブレーキをかけるのは共同体ではなく、
神であってほしいというのがカラス氏の主張ではないかと思う。
どこかで線引きしなければならないのだけど、
個人的には<必要基準>にしたい。
必要基準とは、必要な食べ物をお与えください、という祈りである。
そう祈るのだから、必要なだけあれば満足しようということ。
488 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 00:05:29 ID:kkhcH4qo
>>485 ブレーキをかけるのは、共同体でも、イエスでも、人間を離れた架空の神でも
なく、神が与えた、神の分身としての人間の生存本能(生命)という究極の神
である。即ち、生存本能による「自動制御」が働く。相手のエゴも尊重しなけ
れば、自己の生存(エゴ)の維持も不可能だからである。
神は、創造において、「すべて」を人間に与えた。創造は完全であった。
創造後の「神」とは、「人間の、他者の生存に対する良心と責任」である。
本居宣長の歌
敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花
これは山川草木悉有仏性という日本的な感性の在り処を教えている。
でもしかし、それだけでは生きられない。現実は殺し合いだ。
そこに聖書があり、経典があり、クルアーンがある。
>>486 人に対していくらエゴを見ても、
自分に対して「完全スルー」だからご隠居には将来性皆無でしょ。
客観性がなくて悪意の固まりなのに、
自分が客観的だと思いこもうとしてる時点で完璧アウト。
491 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 00:13:31 ID:kkhcH4qo
>>489 最も殺し合いの原因となり、現在もなっているのが、聖書とクルアーンw。
全くの役立たずどころか、諸悪の根源。人間の生命を離れた、架空の
神という「妄想」に基づいているからである。
492 :
旧7:2009/06/04(木) 00:15:12 ID:hNibUADu
>>486 もし、その言い方を踏襲するなら、
所謂伝統的な仏教は、
≪「自身の中にエゴが生じている(生ずる)ことに気付き」
「その生じる理由を知り」
「その連鎖を遮断し」ようとする≫ものであろう。
ブッダに於いて、エゴにブレーキをかけるのは、よく調えられた“自己”ということになろう。
(※この時の“自己”を、《『所謂』アートマン》と言ってよいかどうかは甚だ疑問だが・・・w)
>>488 ニーチェが否定する<良心>は神の仕組んだものだろう。
創造は完璧である。グノーシスの出る幕はない。
あとは人間しだいである。神は人間の<自由意志>に任せている。
人間を神の奴隷にしないためである。
神が生命を作った。生命は神に依存して存在している。
神と生命がある。
494 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 00:24:18 ID:kkhcH4qo
>>493 創造後も神に依存しなければならない生命なら、創造は完璧ではなかった
ことになる。
創造後の神とは、「人間が、神などに依存することなく、人間として
自立的に生きてゆくことを可能にしてくれた存在」である。その人間
が、創造後も神に依存し、信じ、縋ることは、むしろ、神の冒涜なので
ある。
>>482 たぶんわかっていると思うけど、
自分を律するのはとんでもなく大変なこと。
真言の即身成仏。もがき、爪をはがしたりしている死体も多いと。
昔の人はバカなことをやったものですね。
497 :
宝珠愚者:2009/06/04(木) 00:35:36 ID:esNgSK45
*私は今、勤務が忙しく投稿を控え中です。
ご了承下さい m(__)m
--------------------------------
>>484 大変、有難いことです。
カラスさんの手厳しい発言の数々は、
この現代における末法唯物論仏教者たちにはある意味で
必要なアプローチであるかもしれません。
498 :
宝珠愚者:2009/06/04(木) 00:36:31 ID:esNgSK45
>>488 いい加減にして欲しいものです。
>相手のエゴも尊重しなければ、自己の生存(エゴ)の維持も不可能だからである。
相手の尊重すらできないのが人間の「エゴ」というものです。
同種族間で殺戮を繰り返す地球動物というのは人間だけですよ。
>「人間の、他者の生存に対する良心と責任」である。
もちろん、あなたのいうように人間には「良心」も内在しているでしょう。
一方、他者を殺害してでも自己の我欲を振まおうとする意識との双方が同居するのです。
この意識のコントロール(制御)と浄化(昇華)を教えるのが仏陀であり、
西洋においては後にイエスが出現したということでしょう。
あなたのイエス批判は後世に捻じ曲げられたイエス像についてのものであり、
彼らキリスト教徒らが誤解したイエスについてのものです。
「イエスを批判できないのが愚かなクリスチャンの証拠」などといい、
自分が如何に無理解であるかを気付かない・・。
とにかく皆さんへ、
ここは仏陀スレなので、どうかその辺のご理解を宜しくお願いします。
仏教外の専門的な内容については他スレでお願いします。
他スレで意見投稿をしてから、見てもらうようリンク貼って誘導して下さい m(__)m
(私もなるべく仏教外の話題は控えるようにしています)
>>494 創造は不完全で完全になる。
人間が粘土で人形を作る。しかしその人形には生命が宿ってない。
神が創造したドロ人形には生命が宿った。
それで十分。それで十分なのに、
神はそのドロ人形を自分のようにしようと計画している。
足りないものは善を選び取る意志である。
その意志を銀のように金のように精錬しようとサタンを用意した。
神と人の距離は永遠である。しかし「さあ、来い」と言っている。
神は人に、善のためなら、死を恐れない意志を望んでいる。
500 :
旧7:2009/06/04(木) 00:52:36 ID:hNibUADu
>>499 >>496は
>>492宛だよな?w
>とんでもなく大変なこと。
だから、記録が残らないと評されるインドに於いて、
ゴータマ・シッダッタの行履は、讃嘆され、賞賛され、憧れられ、目指され、伝えられるべきこととして、
語り継がれてきたんじゃないのかな・・・。
おやすみ ノシ
501 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 01:08:00 ID:VaA/u49M
>>485 イエスがギリシャ哲学のアカベーをばくったというソースを出せ。
イエスがエゴを滅ぼさないと達成できない真理の愛を説いたのには、合理的な理由がある。
そこにはギリシャ哲学では説明できないものだ。おまえ、なぜイエスが真理の愛を説いたのか、
意味がわかっていっているのか?説明してみろ。意味がわかっている上で否定するならわかるが、
意味も理解していないのに、否定しているなら、おまえはとんだ池沼となる。
そういや前にも、キリスト教の永遠の命は、ギリシャ哲学のパクリだとか言ってた奴がいたが、
キリスト教の永遠の命は、魂の意味のプシュケーという単語を使わず、
生物学的な命の、ゾーエという単語をつかって、ゾーエアイオノスと表現されている。
ギリシャ哲学の永遠の命は、プシュケーを使った永遠不滅の魂のことをいっている。
その馬鹿は、その矛盾を理解できなく、なんと聖書の編者は、ギリシャ語をよくわかっていなかったので、
単語を間違えて、書いてしまった、なんていうトンデモさんだったけどな。
もちろん間違っているのはこのトンデモさんだ。少し知恵のある人が聖書とナグハマディ文章をよめば
わかるが、キリスト教はどちらかというと、魂は否定的にとられている。
永遠不滅の魂どころか、魂は、人殺しと、表現されている。
よくさ、ギリシャ哲学を引き合いに知った風な口を聞く奴いるけどさ、
ギリシャ哲学と、イエスの教えは、全然違うものなんだよ。
502 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 01:09:45 ID:VaA/u49M
>>485 で、おまえ、イエスの教えとはなんだったのかを理解したうえで批判してるの?(苦笑)
503 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 01:16:08 ID:kkhcH4qo
>>499 神は、「人間が神のようになること」と「善悪を知ること」を、「原罪」と
して戒めている。とんちんかんなことを言うなよ。
それに「善」とは何?神はそれを定義できたかね。イエスは、君は、定義
できたか。自分でも具体的意味の判らない言葉を、人前で口走ってはならない。
504 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 01:16:33 ID:VaA/u49M
>>486 おまえもなぜイエスとゴータマが、肉親愛を否定し、好き嫌いの無い、平等な愛を説いたかわかったうえで能書き垂れてんの?
ま、なんにもわかってないくせに、凡夫の知恵を得意気にかたってんだろうな。
>>503 まず自分が実践してみろよ。
もう二度とこのスレでイエスとか神とか口走るなよ。
お前には意味わかんないだろ。
507 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 01:37:43 ID:kkhcH4qo
>>498 人間でありながら、人間の否定的面だけを懸命に並び立てる君は、一体
何様だと思っているのかね。否定的面が肯定的面より多ければ、人類は
とっくに滅亡しているはずだが、ますます増加し、発展を続けている
のは、一体何故かね。
キリスト教崩れの神智学などを、仏教に持ち込まないでくれ。仏教が
汚れる。
>>507 > 。否定的面が肯定的面より多ければ、人類は
> とっくに滅亡しているはずだが、ますます増加し、発展を続けている
> のは、一体何故かね。
お前が勝手に思いこんでる仮定が間違ってるってことだろ。
そのくらいもわからないのかよ。
509 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 02:18:13 ID:VaA/u49M
>>507 仏教を汚しているのは、おまえだろ。
おまえは仏典に出てくる悪魔そのものなんだよ。
悪魔がどの口で仏教をかたってるんだ?
510 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 02:47:24 ID:VaA/u49M
>>503 なんだおまえ。原罪の意味も理解してないくせに、キリスト教を批判してるのかよ。
バウロの原罪論は理にかなっている。キリスト教では、善と悪の定義などとっくにできている。
それは、私とあなたがいる限り、普遍のものだ。
いつまでも世俗の善悪しか語れない奴が、宗教板で、知った風な口を聞いてんじゃねぇよ。
511 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 05:05:13 ID:oDDIztfo
今、罪を犯しているので、心の裸を恥じ悪人の仲間入りをする。(姦淫)ガラ4 罪のもとにいるとは割礼により律法の支配下にあるという事で、違反が明らかにされる。ガラ3-19
512 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 05:07:15 ID:oDDIztfo
そして肉の心が与えられ、自由を得る。ヘブ6-4・ガラ4-6 原罪とは律法を知る事である。裸の自由があり、罪を知り (旧約・律法)肉の心(新訳)が与えられる。ガラ3-17
原罪、割礼、律法(教えの初歩)、石の心、旧約聖書、凝乳、古びたものが、新しいもの、肉の心、霊、光、知恵、新訳、固い食物、恵みによる赦しに変わる。ヘブ6〜8-13
514 :
一在家コーヒータイム:2009/06/04(木) 07:50:08 ID:VFN2QSVm
>>488 >あれれ。神々という単語があるのか、
参考:「死海文書のすべて」青土社
◆複数の神々
申命記32・8
マソラテキスト「イスラエルの子らの数に従い民族の境を固定された」
七十人約聖書「神の天使らの数に従い民族の境を固定された」
死海文書「神の子らの数に従い民族の境を固定された」
「神の子ら」は複数の神的実存者に言及し、危険にも多神教に近い考え
になるので後世に訳を変更されたそうです。
しかし「ユダの福音書」では、イエスはエホバより上位の神の名を知っていると
微笑んだという一説があり、死海文書の訳の方が正しかっのではという
読み方もあるかと存じます。
515 :
一在家コーヒータイム:2009/06/04(木) 07:51:15 ID:VFN2QSVm
参考:「死海文書のすべて」青土社
◆神の計画(死海文書の中の「宗規要覧」よりの筆者解説)
二つの道があり、光の道と闇の道、善の道と闇の道がある。(中略)
どの人間にも光の部分と闇の部分がある。たとえ光の子らの一人で
あっても、誰もが罪人なのである。
「人の子らの性格は二つの霊によって支配され、その存命中、
人間は誰でも二つの霊の一部を持ち、それらの道を歩む。」宗規要覧4・15
516 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 07:54:52 ID:jQdbUwxX
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
<宗教>とは、
「現実界に還元できない観念を語る」→根拠不明の開祖や原始教典の「言葉」の盲信
「脅迫・と甘言で人を操る」
「人命より教義を優先する」→ マイコン・洗脳
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
517 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 07:59:11 ID:3XK9Xz+S
だーかーらー、神の子は人間や天使に使われてるって前にも書いたじゃん。
神々という単語が直接書いてあるのかって聞いてるんだよ。
518 :
一在家コーヒータイム:2009/06/04(木) 08:01:18 ID:VFN2QSVm
亀レスや、一部の方へのレスのみにて済みません。
(一在家モード)
一在家通りすがり:週末で手許に諸文献がある場合の書き込み
一在家コーヒータイム:手許に諸文献がない場合の書き込み
一在家携帯より:携帯電話からで、文章は短く、推敲も不十分
>>516 本当は、自分の親を批判しなければならないのに、
親を肯定していたいがために、宗教の方を否定している。
結局、いいたいことは
「開祖や聖書の言葉を盲信しないで、ボクのいうことを聞いてよ!ママ!」
「宗教でそう言われてるからって、悪い子だっていわないで」
「教えがどうとかいってないで、ボクのこともっと見てよ!大事にしてよ!」
ひとことで要約すると「ママー、だっこしてー!」
520 :
一在家コーヒータイム:2009/06/04(木) 08:03:50 ID:VFN2QSVm
>神々という単語が直接書いてあるのかって
まだ、私は見つけておりません。
カラスさんだったかが、その辺は詳しく解説しておられましたね。
521 :
一在家コーヒータイム:2009/06/04(木) 08:07:54 ID:VFN2QSVm
あとギリシャ語から英語に訳した人が意図的にか、単語の最初の
文字を大文字にしてしまい、後世のクリスチャン達が誤解したという
解説もありますが、週末にでも調べてアップする予定です。
522 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 08:09:18 ID:3XK9Xz+S
やっぱりな。
523 :
一在家コーヒータイム:2009/06/04(木) 08:13:38 ID:VFN2QSVm
>死海文書「神の子らの数に従い民族の境を固定された」
ヨハネの福音書の、「イエス=神の一人子」とは、字義的に違います。
キリスト教のマイコンの大元は「自称イエスに一番愛された弟子」だと
いう仮説が立証に近いように思います。
本物のヨハネならば、そのように独善的な自称は恥ずかしかったと推察
しますので。
524 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 08:14:01 ID:3XK9Xz+S
英訳で、ねえ 新世界訳に書いてありそうな解説だなあ。
525 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 08:17:44 ID:3XK9Xz+S
一番、なんて書いてない、って問題点スレッドに書いてあったよ。
手元の聖書を確認したら?
526 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 08:26:46 ID:3XK9Xz+S
新改訳にも文語訳にもフランシスコ会訳にも書いてなかった。
一番はないな、こりゃ。
527 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 08:53:43 ID:aJnm6obn
>>492 >(※この時の“自己”を、《『所謂』アートマン》と言ってよいかどうかは甚だ疑問だが・・・w)
それはアートマンとはいえないでしょう。
釈迦が自己に言及するときは常に五蘊=色受想行識として言及している。
アーナンダに遺言として残した「自灯明 法灯明」の法であきらかだね。
よく気をつけ、よく調えるのは五蘊のそれぞれとして説いているはず。
ひっくるめて「自己」などという言い方はしてないだろ。
528 :
曉:2009/06/04(木) 09:13:22 ID:dxkWchNv
もはや仏教スレではなくなってきてないかい
自己紹介する人もおられてなんともな感じすな(笑)
529 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 10:27:21 ID:bAAWs/ee
>>504 >肉親愛を否定し、好き嫌いの無い、平等な愛
それが、ギリシャ哲学のアガペーという「人工愛」。創造主が与えた、肉体的
本能としての愛ではなく、ギリシャ哲学がでっち上げ、イエスが猿真似した
「偽善」に過ぎない。偽善を愛だと錯覚したのが、イエスの誤り。イエスには、
「創造」が理解できなかったのである。
好きでもないのに「愛する」とは、愛ではなく、相手に対する「侮辱」。相手に
とっては不快極まりなく、せいぜい「有難迷惑」。
「嫌いな相手でも愛せよ」などと「命令」されたら、「愛さなければならない」
という「義務感」と、「愛せなかった」という「罪悪感」から、神が与えた自然
の感情に変調を生じ、それは、相手に対する「憎悪」「殺意」に変わる。
それが、クリスチャンの心理状態である。
なお、仏教では、「愛」は否定的な意味である。
>>510 >キリスト教では、善と悪の定義などとっくにできている
聖書上のソースは?
530 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 10:35:47 ID:bAAWs/ee
>>528 初めから「キリスト教スレ」ですよw。大乗仏教者側からの、「関係性」
としての「縁起・空」の思想は、ちっとも出てこない。
竜樹について初めて読んだ時、縁起・空とは「関係性」だと直感し、その
後、仏教哲学を読んでも、専ら「関係性」としている。なお、竜樹は、
時間的縁起は認めていない。
531 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 10:38:25 ID:bAAWs/ee
>>529の訂正
×変調
○変調・葛藤(conflict)
532 :
一在家:2009/06/04(木) 11:49:02 ID:IOjCG0tf
長部経典に登場のサーリプッタも、法華経に登場の舎利弗も同じ方で、
釈尊が法を第一義悉檀で説いて良い方だったとは思いませんか?
という話題に戻します。(キリスト教スレに傾いたので)
原始仏典(長部経典)の中の「自歓喜経」は釈尊とサーリプッタ(舎利弗)
との対話ですが、「アートマン(個我)と世界は常住であり、なにものも生み出さず、
不動であり、石柱のように固定していて、かの生けるものたちは生死流転し、
輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」
533 :
一在家:2009/06/04(木) 11:50:11 ID:IOjCG0tf
法華経の「方便品第二」の中でも
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。
30歩譲りまして、釈尊は当時の常住論には3種あり、その中で最高のものを
一つ選んだだけで、自ら説いたわけではないというご意見がありました。
釈尊は第一義悉檀でサーリプッタと話していたと仮定したら、
「世の中で間違った説が3つありますが、その中でこれが最上です。」という
サーリプッタの表明を保証するのは変な気がしますが。
さて、第四義悉檀を調べると言った方の調査結果も交えて続きは如何でしょう。
534 :
一在家:2009/06/04(木) 11:52:59 ID:IOjCG0tf
法華経のコピペ箇所を差替えます。
法華経でも、これまで「常住不変のものは無い」と説いてこられた
釈尊が一転して、「実は世界も仏(神)も実相は常住不滅である」と
説き、弥勒菩薩ら高弟でも愕然とした次第です。(如来寿量品第十六)
四諦などの真理も実は方便(真の如き)だったことがはっきりします。
535 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 12:05:34 ID:SNn1BryK
buddha @ ウィキ は引用元のスレッドのタイトルも書いたほうがいいと思います。
できるなら自分がやりたいのですが、以前に規制に引っかかってしまいました。
536 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 12:08:26 ID:bAAWs/ee
>>534 常住不変なら、凡人の誰でもがいえること。釈迦は凡人で、仏教は
無意味、ということにならないか。
このスレに聖書が出てくるのは、
宗教ごとに真理があるのではないという考え方に基づいている。
それに聖書はアートマンに無関係ではない。
仏教スレだからこそ、聖書の知恵を冷静に客観的に語り合える。
538 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 12:19:29 ID:3XK9Xz+S
一番ってのが何処から出てきたのか知りたい。戻す前に答えてもらいたいね
複数の日本語訳に無いことは明らかになってるわけだから。
539 :
一在家:2009/06/04(木) 12:29:20 ID:IOjCG0tf
>法華経でも、これまで「常住不変のものは無い」と説いてこられた
>釈尊が一転して、「実は世界も仏(神)も実相は常住不滅である」と
>説き、弥勒菩薩ら高弟でも愕然とした次第です。(如来寿量品第十六)
一貫して「無常」と「四諦」を説いてこられた釈尊。
法華経は大乗で、民衆の救いには「無常」と「四諦」の教えは効果大。
何故、晩年の釈尊は高弟を集めて突然「常住」を説いたのか?
(無常との決め付けは浅はかな見解で、仏の眼で見れば世界も人も常住。)
または何故、法華経の作者は最後まで「無常」で経を統一しなかったのか?
また仮説ですが、法華経の作者も原始仏典における「常住」の説法を
知っており、後世の仏教徒に真理を残しておきたかったのではないか
と存じます。
もう一つの真理が「すべての人は仏となり得る」でしょうか。
>>529 > それが、クリスチャンの心理状態である。
クリスチャンじゃなくて、きみんちの心理状態だろ?
541 :
一在家:2009/06/04(木) 12:40:14 ID:IOjCG0tf
>一番ってのが何処から出てきたのか知りたい。
ナグ・ハマディ文書の解説者の見解だったと記憶します。
「イエス=神自身」と記載した「ヨハネの福音書」の作者を紹介しましょう。
福音書では作者はあのペトロ以上に「イエスに愛されたと匿名の弟子」
だと記載されております。
(ヨハネ13:34)
彼は最後の晩餐でイエスの胸に寄り添って、「裏切りものはだれですか。」
と直接尋ねました。
(ヨハネ19:26-27)
彼はペトロが逃げた後も、3人のマリアとともに十字架の傍らで立っていた。
更に母のマリア様を自分の家に引き取った。
(ヨハネ19:34)
兵士がイエスを槍で刺すのを見届けた。
(ヨハネ20:4)
彼はペトロよりも早く走って、先に墓に着いた。
(ヨハネ21:20)
彼は「イエスに最も愛された弟子」だと自己宣言します。
正確には「一番愛された」でなく「最も愛された」です。
542 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 12:41:28 ID:32ZTZFKC
>>538 「一番の」に拘る必要はないのではないか。ほかに「愛した弟子」が
いなければ、「一番愛した弟子」ということになる。一般に、その
ニュアンスで解釈されているのではないか。自分も、そのように解釈
していた。
543 :
暁:2009/06/04(木) 12:44:16 ID:dxkWchNv
>>530 主要な論敵である有部が主張する「三世実有法体恒有」の説を龍樹は攻撃した。
この説を認めると常住という理論的欠点が付き纏う。
これは双方が仏教徒にとっての絶対の真理である「不断不常」を主張しあったもので、法有と法空の対立ですな。
有部は過去現在未来という時間的規定を受けるから「常の」理論的欠点には陥らないと弁解した。
龍樹はこの弱点を突き、中論において、常住という欠点に陥り、滅すれば断滅という欠点に陥るから、法有の立場においては、「不常不断」は不可能だと主張した。
ダルマが無自性であるからこそ、「不常不断」であると。
544 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 12:44:59 ID:32ZTZFKC
「イエスが一番愛した弟子」とは、イエスとマグダラのマリアとの間の
息子ではないか。他の弟子とは、全く異なる感じなので、その推測も
充分に成り立ちうる。
ご隠居、在家氏、宝珠氏などなどは、
自分の主張にそれなりの理由をつけて書き込んでいる。
こういった書き込みは自分の考えと合わない部分があっても、
読めばそれなりの学びがある。たとえ正反対の主張でも。
これらに対して、ただひたすら批判し、相手をののしるばかりで、
自分の考えをわかりやすく語らない書き込みもある。
さらに「こいつは」とか「馬鹿が」とか「あほが」とか・・・
相手に毒づいている書き込みを見るのは、気持ちいいものではない。
>>543 竜樹はアートマンに関して結論をだしていないでしょう?
アートマンは五蘊ではないと言っているだけ。
548 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 12:58:00 ID:3XK9Xz+S
福音書を読んでイエスが他の弟子を愛してるように見えないのは不思議だ。
キングジェームス訳も確認したが一番や最もにあたる語はなかった
日本語版での惨状をみるかぎり英訳でも見つけられないだろう。
549 :
一在家:2009/06/04(木) 12:59:46 ID:NuS04Z3l
>「イエスが一番愛した弟子」とは、イエスとマグダラのマリアとの間の息子ではないか。
なかなか面白い読みですね。
同じく上エジプトの壺から復活した「フィリポの福音書」では、イエスが最も愛した
弟子は伴侶のマリアだったと記載されております。
(ヨハネの福音書を担ぐ連中に抹殺された福音書ですが、こちらも復活済みです。)
そう言えば、イエスの復活を一番最初に見つけた人は誰ですか?
逆に考えますと、イエスはその人に一番先に会いたかったのかも知れません。
「マリアの福音書」には自身が一番愛されていたという記載はないです。
ただし、マリアだけに説いた教えを言えと他の弟子達に詰問されたシーンが
しっかりと記載されております。
その内容は隣のキリスト板で紹介しましたが、反応は無かったですね。
550 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 13:05:51 ID:mD5Dwonp
若くして僧門に入り、耶蘇とともに行脚していたヨハネに対し、
イエスは特別な感情を持っていた。俗世にあまり親しむ間もなく
逝かなければならないイエスは、ヨハネを自分と重ね合わせていた。
551 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 13:07:50 ID:3XK9Xz+S
今度はウホッじゃあるまいな
まえの方のレスで、中論9章についての質問があったが、
竜樹はアートマンについて考えられる限りの限界で論じていると思う。
しかしこの話には盲点がある。
五蘊以外にアートマンがいない、という証明はできていない。
553 :
暁:2009/06/04(木) 13:21:32 ID:dxkWchNv
>>546 龍樹、中観派は縁起論者なんすな。
すなわち、中論の諸章でアートマンを否定しているのも、結局は縁起を聡明にするためですよ。
仏教最初期における「諸法無我」の説明は、結局縁起説と同趣意であると説明されている。
これは少なくとも龍樹に始まる中観派についてはの話だけども。
結論は出してないよ(笑)もし龍樹にそのような主張があるなら、過失が存することになると自ら述べてる…
>>552 種々の制約、知られている自然条件等から、
「アンパンマンの存在はありえそうにない。
アンパンマンをはじめ、メロンパンナ、ロールパンナを誕生させられるパン職人などいない」、
と誰しもが考えるが、
しかしその考え方には盲点がある。
知られていないだけで、(本人が隠してるかもしれないし)、
アンパンマンを誕生させられるれるパン職人はいない、という証明はできていない。
555 :
buddha @ ウィキのレス引用元一覧:2009/06/04(木) 13:35:40 ID:SNn1BryK
556 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 13:42:14 ID:SNn1BryK
各スレッドの期間
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】
2 2009/05/13(水)〜2009/05/30(土)
1 2009/04/25(土)〜2009/05/15(金)
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】
13 2009/04/05(日)〜2009/04/22(水)
12 2009/03/12(木)〜2009/04/04(土)
11 2009/02/25(水)〜2009/03/12(木)
10 2009/02/14(土)〜2009/02/25(水)
9 2009/02/07(土)〜2009/02/16(月)
8 2009/01/31(土)〜2009/02/07(土)
7 2009/01/24(土)〜2009/01/31(土)
6 2009/01/17(土)〜2009/01/24(土)
5 2009/01/08(木)〜2009/01/17(土)
4 2008/12/31(水)〜2009/01/08(木)
3 2008/12/20(土)〜2008/12/31(水)
2 2008/12/07(日)〜2008/12/20(土)
1 2008/11/08(土)〜2008/12/07(日)
>宝珠愚者氏
よろしければ、過去ログのリンクの右側に載せていただけませんか。
後からレスを探す場合にも役立つと思われます。
中論9章で、竜樹はアートマン(主体)と感覚器官の話をしている。
かれはそれらが別々に存在しないことを論証している。
しかし現実には、眼のない生き物がいるし、耳のない生き物がいる。
手のない生き物もいるし、足のない生き物もいる。
感覚器官は必要なければなくなってしまう。
手足などもそうである。
竜樹はこれを見落としている。
アートマンはまず存在し、<必要に応じて>感じ、見え聞こえる。
アートマンとはそういった存在である。
558 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 15:25:20 ID:rBJZpcxm
>>529 だからよ、お前の大好きな
肉体的本能としての愛ってのはエゴだと言ってるんだよ。
イエスもゴータマもそんなものは否定している。
肉親愛の否定は、ゴータマのほうがむしろ徹底していた。
なにせ自分のサンガに参加する者には、親子の縁を断ち切らせていた
位だからな。ゴータマも好きな人だけの幸せを願うのではなく
嫌いな人の幸せも願い思いなさいと説き、自分を愛するのと同じく
愛しなさいと説いているんだよ。ゴータマが否定したのは
愛ではなく、愛執だ、ボケ。お前は陳腐な凡夫の知恵しか語れない。
お前の仏教の認識は間違いだkらけだ。
キリスト教に対してもな。てか、キリスト教に対しては
憎悪剥き出しで、悪意で捻じ曲げている。それ以前にお前はキリスト教を
何も理解していない。おまえさ、ここでは招かざる客なんだよ。邪魔だからどっか
いけよ。
>>キリスト教では、善と悪の定義などとっくにできている
>聖書上のソースは?
だからよ、まずイエスの教えとなんだったかと聞いてるんだよ。
それを理解すれば必然的になにが善で、何が悪かは理解できるものだ。
それに以前、ここにイエスの言葉で紹介しただろう。おまえにはちんぷんかんぷん
だったようだな。ちなみにキリスト教の明かすサタンの正体とは、我々の
心に巣食う、エゴだ。エゴをこよなく愛するお前は、サタンそのものだ。
仏教から見ても、おまえは悪魔そのものだしな。
559 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 15:29:55 ID:rBJZpcxm
>>545 ご隠居などは自分の意見を他人にごり押ししているだけだろう。
いくら間違いを指摘しても、壊れたスピーカーのように同じことばかり
言っている。こいつは己のエゴの虜だ。おまえも同類項か。
560 :
一在家:2009/06/04(木) 15:41:41 ID:VFN2QSVm
感覚器官とアートマン、魂、心との関係を論じるのは難しいですね。
感覚器官と脳との関係ならば推論できますので、少しやって見ましょう。
脳を構成する細胞はニューロンです。
複数の入力側から入った刺激を出力側に伝達します。
感覚器官を構成する神経細胞もまた入力側から入った刺激を出力側に伝達します。
音波や光を受けて、電気信号に変換して伝達します。
感覚器官の細胞と神経の集合体で特定のフィルタも作れます。
可聴領域の音波や可視領域の光を増幅したりできます。
では、ニューロンを結合させて簡単な記憶回路が作れますか?
たった1回の入力で、0と1、YESとNOを記憶するだけで結構です。
これが実証されない限り、人間の短期記憶のモデルはできません。
まして、より複雑な思考、感情のモデルなど到底作れませんね。
唯物論に生き、科学や医学の大好きな方は、反論をどうぞ。お待ちしております。
アートマンとは永遠であり、恒常であるものであり、人間の存在そのものでもある。
肉体を無我なるものとし、その無我なるものであるから、執着するな、というのが
仏の教えである。禅にしても法性つまり仏性を認めており、念いの発生元がある
というのがもともとの禅の教えであるのだ。その仏性が理解できれば、禅問答の
ような矛盾も霊界とこの世の関係を言っていることが分かるのである。
562 :
暁:2009/06/04(木) 16:11:34 ID:dxkWchNv
>>557 ええと、前にも述べたように、龍樹、中観派は縁起、空性論者なんだよ。
君のようなアートマンが有るという有自性論者を「中論」9章のような論法で論証し、対立したわけだよ。
龍樹は、「有」を否定するとともに、「有」がない以上、当然「有」と相関関係にある「無」もありえないと主張する。
さらに「有」と「無」二つを否定する以上、「常見」 と「断見」を排斥しないといけなくなるということなんだよ。
したがって「中論」では、単なる「無」を説いてるわけではない。
563 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 16:17:28 ID:Utz9459w
>552
>まえの方のレスで、中論9章についての質問があったが
おや、何故急に答えたのかな。あのときは逃げたのに。
君は、
>>293で「竜樹はアートマンを否定していない」と言い出したので、
およそ見るはたらきなどより以前にも、同時にも、また以後にも存在していないような、
そのようなものについては、「有」とか「無」とかいう分別は、停止している。9.12
もしもアートマンが蘊そのものであるならば、生滅を持つことになる。
もしも蘊から異なるのであるならば、蘊相を持たないことになるだろう。18.1
我が存在しないならば、我所はどうしてか存在するか。我と我所が滅することにより、
我所執を離れ、我執を離れる。18.2
についてどう整合してるのか? と聞いているのですよ。
564 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 16:19:50 ID:Utz9459w
>>563の続き
>竜樹はアートマンについて考えられる限りの限界で論じていると思う。しかしこの話には盲点がある。
>五蘊以外にアートマンがいない、という証明はできていない。
そんな必要はない。『相応部』35.23において、十二処を一切としている。つまり縁已生法が一切。故に、五蘊の「外」なんてない。
これ以外の一切(例えば、五蘊と五蘊外の我)を説くような君の如き輩は、ありえないことを説いているとも同経は明言する。
もしも蘊から別異なら、如何にしても蘊とは関わりえない。
>中論9章で、竜樹はアートマン(主体)と感覚器官の話をしている。
>かれはそれらが別々に存在しないことを論証している。
9章は、我が「以前にも、同時にも、また以後にも存在していない」ことを論証している。
>しかし現実には、眼のない生き物がいるし、耳のない生き物がいる。
>手のない生き物もいるし、足のない生き物もいる。感覚器官は必要なければなくなってしまう。
>手足などもそうである。竜樹はこれを見落としている。
六根が完備してなくても9章には何ら問題ない。
>アートマンはまず存在し、<必要に応じて>感じ、見え聞こえる。
>アートマンとはそういった存在である。
もしも彼が即ち見者であり、聞者であり、受者であるならば、(見等の)一つ一つに先行して、
(彼は)存在することになるだろう。しかし、このようなことは妥当しない。9.8
という彼の発言に抵触してる。
反論は結構だが、出典を無視した龍樹っぽい感想文には興味がないので、私のように出典に依拠した龍樹についての発言を頼む。
565 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 16:44:24 ID:VFN2QSVm
私は昔、科学者だった頃、研究室でニューラルネットや人工知能の
研究をしていました。
ニューラルネットでは複雑なフィルタを作ることはできましたが、
1回の刺激での学習や記憶回路はなかなか作れませんでした。
脳波や脳の動きを3次元画像化する技術は近年開発が進みましたが
肝心のニューロンの解明が止まっているように思います。
566 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 16:57:33 ID:32ZTZFKC
>>558 エゴ、エゴと叫びたてるが、エゴとは、突き詰めて考えれば、生存本能(生命)
のことだよ。言い換えれば、「自分を愛すること」。そもそも、エゴがなければ、
ゴータマもイエスも、この世に存在することはできず、仏教もキリスト教も
なかったし、他人を「自分を愛するように愛すること」など出来なかった。
自分自身が存在しなかったからである。
他者に対する思いやり(愛)も、実は生存本能の機能であることに、思い至る必要
がある。他者のエゴも尊重しなければ、自分のエゴも維持できないからだ。
創造主が、人間の肉体を創造した際に、肝心の愛を入れることを忘れたと
でもいうのかね。イエスは、創造主ではないよ。
肉体的本能としての愛も、肉体自体と同様、病むことも、破壊されることも
ある。ゴータマが親子の縁を切らせたのは、彼の肉体的本能が病んでいたの
だろう。彼の精神医学的側面に言及した所以である。
イエスの「教え」には、統合失調症の症状としての妄想、論理矛盾、独善性、
疎通性(愛)の欠如、人間差別、俺が俺がのエゴ、以外の何物も認められない。
>>566 > 言い換えれば、「自分を愛すること」。
精神医学的には、自己愛には健全なものとそうでないものがある。
この場合のエゴは不健全な方。
> そもそも、エゴがなければ、
> ゴータマもイエスも、この世に存在することはできず、仏教もキリスト教も
> なかったし、他人を「自分を愛するように愛すること」など出来なかった。
> 自分自身が存在しなかったからである。
生存本能があるかどうかということと、「生存本能に振り回されて生きていること」
とは関係がない。後者の問題点を誤魔化すために前者の論点をもってきてかく乱しようとする
いつものやり方は通用しない。
> 他者に対する思いやり(愛)も、実は生存本能の機能であることに、思い至る必要
> がある。他者のエゴも尊重しなければ、自分のエゴも維持できないからだ。
それは利己主義であって、愛ではない。
> ある。ゴータマが親子の縁を切らせたのは、彼の肉体的本能が病んでいたの
> だろう。彼の精神医学的側面に言及した所以である。
それは憶測。悟りや涅槃について理解が追いついてないだけ。
> イエスの「教え」には、統合失調症の症状としての妄想、論理矛盾、独善性、
> 疎通性(愛)の欠如、人間差別、俺が俺がのエゴ、以外の何物も認められない。
認識できないのははキミの能力不足の問題。実際にあるかどうかとは関係ない。
愛情がない人間は、愛情がない間は愛情が何かを理解することはできない。
自己反省する気がない人間は、自己反省する人間のいうことを理解できない。
568 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 17:36:38 ID:32ZTZFKC
>>567 そもそも、君の言う「愛」とは何かね?定義できるか。
「愛」は、創造主が与えたもの。イエスがいくら懸命に「説いても」、「生ま
れる」ものではない。
自分に理解できないからといって、なんでもかんでも精神疾患扱いにするのは
正気の沙汰ではない。
憶測を憶測のまま置いておくことができず、すぐに断定していく。
こういう部分も客観的な態度とは程遠い。
>>568 キミの場合は、まず自己を批判できるようにならなければ愛を理解する段階まで行けない。
クリスチャンがイエスを批判できないように、キミはキミ自身の愚かさを直視し批判することができない。
>>563 あなたが質問したの? 質問に答えるかどうかはわたしが決めている。
わたしのことはわたしが決める。
逃げるとかではなく、うっとうしく感じることもある。
夜遅くなると眠いし、めんどくさい。
それに礼儀として、まず自分の考えを語るべきではないか?
竜樹を批判しているのに、どうして竜樹の枠に納まらなければならない。
必要に応じて見たり、聞いたりするということが中論に論じられているのか?
574 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 17:59:56 ID:32ZTZFKC
>>567 >「生存本能に振り回されて生きていること」
人間を初めとするすべての動物は、「生存本能に振り回されて」生きている
のだよ。しかし、「振り回されて」という言葉は適当ではなかろう。より
正確には、「生存本能という根源の神に突き動かされて生きているいる」という
べきだろう。このことは、釈迦もイエスも例外ではない。
575 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 18:07:38 ID:VaA/u49M
>>566 ピーチクパーチク屁理屈ばかり垂れて、口答えばかりしてんしゃねぇぞ。
おまえ、年いくつだよ。だからよ、他人のエゴを尊重できないのがエゴイズムであり、
このエゴイズムがエゴを生む。エゴとはそういうものだ。
なにが他人のエゴを尊重するのがエゴだ。現に、おまえ自身他人のエゴを尊重してねぇじやねえかよ。
ゴータマが精神疾患で、イエスは総合失調症?
そんな能書きは、まず彼等の思想、教えを理解してからその上で支離滅裂なことを言っていると
判断できるのなら初めて言えるもので、おまえは、二人の教えはなんだったのかを
まるで理解していない。現に聞かれても答えられない。彼等の教えを理解するものなら、
肉親愛を否定したのも、敵を愛せと教えたのも、ちゃんと理にかなっているんだよ。
おまえよ、原罪についても、神を思うことじたいが原罪だとか
とんちんかんなこといってるが、これと、善悪を知る知恵の実を食べた罪との整合性はどうとるんだよ。
おまえの能書きはいつもその場の思いつきレベルのものばかりじゃねえかよ。
576 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 18:12:12 ID:VaA/u49M
しかしこの隠居て奴は見事なまでの滅びる者のサンプルだな。
ここまで見事なサンプルも、ある意味珍しい。
577 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 18:19:53 ID:32ZTZFKC
>>575 エゴ、エゴと叫ぶ君のエゴは、本当にウザイよ。すべての人間は、エゴ
(生存本能)によって生命を維持しているのだから、他人に対して、エゴ
という言葉は、使うべきではなかろう。
なお、健常者にとって「了解不能(unverstandlich)」なのが、統合失調症
患者の思考・行動・感情の特徴である。
578 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 18:20:51 ID:VaA/u49M
イエスは、エゴがエゴを滅ぼす道を説いたんだよ。これは苦しみでしかない、
迷いの生存を断ち切る道でもある。
この話しは、隠居には難し過ぎて理解不能なんだろう。
>>575 >>576 あなたこそ、わかりやすく神を話し、聖霊を話し、永遠の命を話し、
悔い改めを話し、自他愛を話して欲しい
聞いているのは、読み書きのできない五千人だよ
>>574 一応、本能があることと対比して、振り回されることについて書いたんだけど、
自分の視点でしか見ようとしないから、全く理解できないんだね。
要するに、結構、とんちんかんなこと書いてるよってコト。
ご隠居にとっては「人」なんていなくて、
相手が話した「言葉」にだけ拘って、そこを自分の視点でしか理解しない。
相手が話している意図なんて全く無視。
コミュニケーションは皆無。
ただ、自説でオナニーしてるだけ。
そう考えてみると、
イエスを批判できないとか、教祖の「言葉」だけに囚われるとか、
ご隠居が他者を批判してることは、みんなご隠居自身のことなんだよね。
581 :
旧7:2009/06/04(木) 18:59:31 ID:hNibUADu
582 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 19:03:32 ID:Utz9459w
>>571 >あなたが質問したの? 質問に答えるかどうかはわたしが決めている。わたしのことはわたしが決める。
なるほど、今回も逃げるんだね。
これで、君の竜樹理解に問題があることは明白だね。
>逃げるとかではなく、うっとうしく感じることもある。夜遅くなると眠いし、めんどくさい。
それはおかしいよな。
私の
>>239後も、君は
>>255,
>>264という具合に、ベラベラやったわけだから。
>それに礼儀として、まず自分の考えを語るべきではないか?
>>250 健忘症なの?
>竜樹を批判しているのに、どうして竜樹の枠に納まらなければならない。
全然批判になってないことは、出典の指示と引用で明白だよ。
そもそも、批判対象をまるで理解してないわけだよ、君は。
>必要に応じて見たり、聞いたりするということが中論に論じられているのか?
すでに答えたよ。君の為にわざわざ引用までして。
583 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 19:06:36 ID:VaA/u49M
>>579 真理は、聞いても悟らない相手には、喩えで語られるものだ。
語るべき人には、語るべきことを話す。
俺は、豚に真珠は投げないよ。
584 :
旧7:2009/06/04(木) 19:11:12 ID:hNibUADu
585 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 19:13:21 ID:Utz9459w
>>581 >カラスさん、
>>564さんの書き込みには鉄鎚罵倒を加えなくていいんですか?
つまり、“高見の見物”がしたいということなのかな?
彼とやりとりしたいなら、自分で直接やってくれませんか?
586 :
旧7:2009/06/04(木) 19:19:55 ID:hNibUADu
>>585 >“高見の見物”がしたいということなのかな?
御名答w
587 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 19:23:24 ID:Utz9459w
>>586 何故自分でやらないの?
君がやったら、私が高見の見物させてもらうよ。
588 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 19:27:33 ID:32ZTZFKC
私は、仏教徒でもなく、強力な宗教批判者だが、大乗仏教の「縁起・空(関係
性)」の思想は、いかなる西洋哲学も及ばない大哲学であり、今後の人類社会
をリードするべき思想だと思うので、応援している訳です。
その大乗の思想も、小乗の思想から、少なくともそれをヒントとして発展した
ものであることは、否定できないと思う。今日、水野さんの新刊書(復刻版)
を立ち読みしても、そんな感じを受けました。
絶対性ではなく、関係性を説く宗教など、他にはありません。
589 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 19:38:00 ID:VPN0FxTD
>>582 >>アートマンはまず存在し、<必要に応じて>感じ、見え聞こえる。
>>アートマンとはそういった存在である。
>もしも彼が即ち見者であり、聞者であり、受者であるならば、(見等の)一つ一つに先行して、
>(彼は)存在することになるだろう。しかし、このようなことは妥当しない。9.8
あなたはこれのことを言っているわけ?
ここの部分は竜樹の単なる主張に過ぎませんよ。
アートマンには、必要に応じて視覚が現れ、聴覚が現れるのです。
590 :
旧7:2009/06/04(木) 19:39:42 ID:hNibUADu
>>587 私は中論には詳しくないからw
それにまず、564に対する向こうからの反応が先でしょ。564が既に提示されているのだから。
サービスで一言二言添えるなら、 564を素材にしたポイントは
『五蘊の外(ほか)に一切はない』 …(一切とは、縁起し、変壊し、生滅を繰り返す現象界・この世のこと)
『涅槃は、そうした一切ではない』
『ゴータマは、そうした一切ではない涅槃を説き、また、それはアートマンだった。永遠の命だった』
『涅槃は、7日目の安息の日に比せられ、完全な完成であり、寂静である』
『龍樹は、一切しかないと言っているに等しい。一切でない涅槃の存在を否定する外道に他ならない』
って感じか?w
ほら、
>>589 みたいな人も居るしwww
591 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 19:53:18 ID:VaA/u49M
>>577 おまえよぉ、エゴこそが他人のエゴを尊重するって能書き垂れてんだから、
俺様のエゴも尊重しろよ。ちゅうか、イエスのエゴも、クリスチャンのエゴも尊重してみろよ。
おまえのエゴにできるんならな、ケラケラ。
しょうもない、屁理屈垂れが。
592 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:00:06 ID:32ZTZFKC
>>591 生存のためのエゴは尊重するが、生存に反するエゴは尊重しない。
人間存在にとって無意味だからだ。
593 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:07:42 ID:Utz9459w
>>589 >アートマンには、必要に応じて視覚が現れ、聴覚が現れるのです。
だから、↑は無いと書いてありますよ。
ところで、なんで、この箇所だけ突如答えてるの? 他の箇所はどうしたの?
それと出典付きで頼むといったはずだが。
>>590 >それにまず、564に対する向こうからの反応が先でしょ。>564が既に提示されているのだから。
>ほら、
>>589 みたいな人も居るしwww
話を摩り替えてもらっては困るよ。
君の
>>581より先に578氏が私に対して発言しているなら別なのだけど。
それと
>>589氏とは全然違う話。彼の場合、私から質問したのだから。
>私は中論には詳しくないからw
>サービスで一言二言添えるなら、 564を素材にしたポイントは
つまり、十分に詳しいよね。というわけで、カラス氏とは君がやりなよ。
出来無い理由はもうないわけだから。「高見の見物」をさせてもらうよ。
594 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:10:47 ID:VaA/u49M
>>588 自分のエゴを他人に押し付ける我の強い者が宗教にはまると、
宗教の名の元に価値観の違う他者と争い。無神論者であれば、イデオロギーの名の元に
価値観の違う他者と争う。宗教が人々に争いを招くんじゃない。
おまえさん、おまえのような人間が争いを招くんだと、いつになったら気付くんだ?
595 :
暁:2009/06/04(木) 20:12:54 ID:dxkWchNv
>アートマンには、必要に応じて視覚が現れ、聴覚が現れるのです。
これが通用するなら、もはや何でも有りだな(笑)
596 :
旧7:2009/06/04(木) 20:14:42 ID:hNibUADu
>>593 >出来無い理由はもうないわけだから
いや、もう一つあるw
2chで彼を見かけてからもそれなりになるし、
何度かやりとりしたこともあるし、(前シリーズでもあったし)、
議論にならないのが判り切ってるんで嫌なんだよw
597 :
一在家:2009/06/04(木) 20:16:25 ID:IOjCG0tf
>>584 旧7さん
>論客なら、こっちで捜しな。
>□□□ 脳科学総合スレ □□□
ご紹介のスレの「記憶」関連のかきこを全て読みました。
・記憶をつかさどる場所は「海馬」
・ニューロン間の伝播物質は見つかった
・ニューラルネットで記憶回路は難しい
あと参考論文の著者達の何人かは知っている人達でしたね。
この板と同じ質問を貼りましたので、回答をウォンテッド
ですね。
598 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:24:52 ID:Utz9459w
>>569 >いや、もう一つあるw 2chで彼を見かけてからもそれなりになるし、何度かやりとりしたこともあるし、(前シリーズでもあったし)、
議論にならないのが判り切ってるんで嫌なんだよw
同感ですよ。閲覧してるんで。
だから、こちらに振られても困るということです。
599 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:26:53 ID:32ZTZFKC
アートマンが「人間の生物的生命」なら、何人もそれを否定すること
はできない。釈迦も、竜樹も、自己のアートマンを以って説いたの
だから、自己矛盾に陥ってしまう。
アートマンがあるかないかを論じることも、アートマンの機能であるw。
五蘊の対象とは、アートマンの機能に過ぎないから、それら自体として
は実在しない。これが、唯一の「仏教哲学的」解釈であろう。
さらに、アートマン自体も、無数の関係性の塊だから、自性はない。
しかし、そう考えるのもアートマンだから、アートマンは否定できない
ことになる。アートマンについての関係性の自覚が、アートマンの否定
ということになる。
600 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:27:25 ID:Utz9459w
601 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:34:48 ID:VPN0FxTD
>>593 竜樹は<必要に応じて>視覚や聴覚が現れることに気づかなかっただけ。
かれが気づかなかったのだから出典などあるわけがない。
>>595 では必要がなければ退化する視覚や聴覚をどう理解する?
手足のない蛇をどう理解する?
602 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:45:03 ID:VPN0FxTD
>>599 いいところを突いているけど少し違う。
周囲との関係がまったくなくてもアートマンは存在する。
周囲との関係が始まると必要に応じて感覚が現れる。
そういったアートマンの潜在能力によって、
人は五蘊の世界に感覚器官をもった肉体として生まれる。
603 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:57:23 ID:VPN0FxTD
空海の言葉・・・谷、響きを惜しまず。明星来影す。
この明星がアートマンですね。自分(主体)を自分(視覚)が見ている。
こういった不思議なことがあるのですね。
604 :
一在家:2009/06/04(木) 21:00:09 ID:IOjCG0tf
>>602 >人は五蘊の世界に感覚器官をもった肉体として生まれる。
アートマンは母胎に宿って、感覚器官をもった肉体として生まれる。
前世記憶関連の書籍では、前世の記憶を持っている者は幼児に多い。
霊が見える者も幼児に多い。
でも、少年になると忘れてしまいます。
釈尊ですら忘れてしまって、苦行に入りましたね。
605 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 21:00:33 ID:VPN0FxTD
この場合、宙に浮いている明星は、残像の可能性がある。
アートマン自体は瞬時に舞い戻るのだけど、
その残像を瞬間的に見る。
606 :
一在家:2009/06/04(木) 21:05:39 ID:IOjCG0tf
>>603 >自分(主体)を自分(視覚)が見ている。
幽体離脱体験者の多くは、自分(肉体)を自分(霊魂)が見ていたと
証言することが多いですね。
心霊科学分野では幽体離脱の研究も多かったです。
>>604 アートマン自体は、清浄であり、前世の記憶を持っていない。
前世の記憶はアラヤ識にあり、必要のないものとして死んでいる。
アートマンとアラヤ識は別の識になる。
608 :
宝珠愚者:2009/06/04(木) 21:12:50 ID:esNgSK45
>>556 作業終了しました。
また、ご意見があれぱお気軽にどうぞ!
簡単なものであればすぐに対応します。
>>606 自分の肉体(視覚)が、自分の主体(アートマン)を見るという逆転現象です。
そんなことは考えられないので残像ではないかと思います。
610 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 21:42:43 ID:tECfaNvg
>>519 >本当は、自分の親を批判しなければならないのに、親を肯定していたいがために、宗教の方を否定している。
↑ ????・・・ついに護教から発狂?メチャクチャレスw
「ママー、だっこしてー!」・・・・は、君の幼稚レス(笑
了解不能ですw
.
/)/)
(・ー・)ノ ★【宗教は阿片】・・なので止められません、止まりません〜
゚L-J ☆★ 『このように宗教は有害でつ』 ☆★
>>599 自分以外に何もないときは、全身麻酔されている時のように、
時間が消えてしまう。
しかしだからといって自分がいないのではない。やがて眼が覚める。
612 :
旧7:2009/06/04(木) 22:16:16 ID:hNibUADu
>>610 へぇ。じゃあキミの両親は宗教に入っていたりしたことはないんだね?
614 :
一在家:2009/06/04(木) 23:07:37 ID:IOjCG0tf
出典:「スッタニパータ」中村元訳(岩波文庫)
最古層の原始仏典の中で、釈尊は説かれました。
「真理は一つであって、第二のものは存在しない。
その真理を知った人は、争うことがない。
彼らはめいめいに異なった真理をほめたたえている。
それ故に諸々の「道の人」は同一の事を語らないのである。」
もしイエス、シャカ、聖者達が同じ時代におられましたら、
争うことはなかったでしょう。
その弟子達も互いにほめたたえたことでしょう。
スーパーロボット大戦
616 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 23:11:37 ID:32ZTZFKC
>>602 >周囲との関係がまったくなくてもアートマンは存在する。
果たしてそうでしょうか。その存在は、誰が確認するのでしょうか。そして、
そのアートマン自体が、人類の発生以来の無数の関係性の塊。
デカルトは、「我思う、故に我在り」と言ったが、他者が、自分の身体を知覚
してくれない限り、「我はない」。単なる幽霊です。従って、コギトの命題は
誤り。「我在り、故に我思う」というべきでした。西洋哲学の誤謬の始まり
です。
「個は、他との関係においてのみ存在し得る」という「縁起・空」の原理は、
如何なる西洋哲学も、他のいかなる宗教も見出しえなかった、永遠・普遍の真
理です。
617 :
一在家:2009/06/04(木) 23:11:51 ID:IOjCG0tf
時々、クリスチャンが抹殺された福音書は稚拙な内容だったと言うのを
耳にします。 さて、この人達は読んだことがあるのでしょうか。
「マリアの福音書」8
救い主は言った、「人の子がいるのはあなたがたの内部なのだから、
あなたがたは彼の後について行きなさい。彼を求める人々は見出すで
あろう。それで、あなたがたは行って、王国の福音を宣べなさい。」
「フィリポの福音書」32
「三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母と彼女の姉妹と
彼の伴侶と呼ばれていたマグダレネーであった。なぜなら、それぞれ
マリアという名前だからである」
618 :
一在家:2009/06/04(木) 23:20:17 ID:IOjCG0tf
イエスに一番愛された弟子の話で紹介した一節を再度UPします。
「フィリポの福音書」55b
「主はマリアをすべての弟子達よりも愛していた。」
「弟子達が主に言った、『あなたはなぜ、私たちすべてよりも
彼女を愛されるのですか』。救い主は答えた。『なぜ、私は
君たちを彼女のように愛さないのだろうか。』」
「フィリポの福音書」と「トマスの福音書」は特に「ヨハネの福音書」派
だったアタナシウスにとって邪魔であり、4世紀のニケイア公会議以降に
廃棄するようにお触れが出されました。
それから1600年間、存在のみが知られた幻の福音書だったのです。
しかし、上エジプトの修道士がこれらの福音書を壺に入れて洞窟に隠し、
1945年に発掘され、現代に復活したという経緯があります。
私が読む限りでは、稚拙な内容とは思えません。
ただ分ったことは、「イエス=神自身」としたかった連中には、とても
「不都合な福音書」だったことと存じます。
619 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 23:29:30 ID:32ZTZFKC
>>614 >もしイエス、シャカ、聖者達が同じ時代におられましたら、
>争うことはなかったでしょう。
イエスは、神殿で誠実に商いをする商人たち、律法学者、パリサイ派、
ユダヤ教徒、ローマ人、悪魔、自分を信じてくれない者、富者、そして、
自分の家族とさえも、争ってばかりですがw。聖書のどこを読んでいる
のですか。イエスのすべての「教え」は、常に、自分を信じてくれない
者、自分の気に入らない者に対する、あくなき憎悪・批難・排斥とセット
になっていることを、看破すべきです。
620 :
一在家:2009/06/04(木) 23:38:20 ID:IOjCG0tf
>>619 律法学者、パリサイ派、ユダヤ教徒、悪魔、にとってはイエスは
あなたの言う通り最も嫌な人間だったと思いますね。
イエスとの縁起かもしれませんね。
それから両替商の子孫がいま世界の経済、メディアを掌握してますね。
>>616 「周囲との関係性がまったくなくてもアートマンが存在する。」
こう言い切ってしまう困難さを理解しています。
全身麻酔のように時間が消えるからです。
しかし必要に応じて視覚や聴覚が現れる潜在能力は自性そのものでしょう。
アートマンが関係性の塊であるという見解には同意できません。
関係性は無自性であり空であり、空をいくら集めても無自性な空です。
仏性という概念は誤りです。
622 :
宝珠愚者:2009/06/05(金) 00:00:42 ID:4RyuxZLy
*申し訳ありませんが、
イエスについての突っ込んだ議論や解説は他スレでお願いします m(__)m
---------------------------------------------
>>50 確かにゴータマの姿勢には、アートマンの追求という「執着」に対する否定意があったのだろう
と思います。
私の見解では、大衆が信じるアートマン感は全く間違ったものであり、パーソナリティーの低級
我である自我意識(五蘊)に焦点が置かれたものでした。要するにそれは、無くなった遺族に対
する永遠の命への願いであり、それをバラモン教の説くアートマン思想と誤って重ねていたから
です(「宝珠愚者」としてのパーソナリティー/個人は無常です)。
ゴータマにとり、この間違いを否定するに当たっては、真実のアートマンを指し示す必要に迫ら
れる厄介を引き起こすものでした。何故ならアートマンとは元々、客観的に「コレである」「アレで
ある」などと指し示すことのできない存在だからです。
『アートマンは客体化することのできない認識主体である。見ることの背後にある見る主体を、
だれも対象化して見ることはできない。対象化されたものは、もはや真の主体ではない。対象
化されたものは、把捉されないもの、どのような述語によっても限定されないものである。ただ、
「甲に非(あら)ず、乙に非ず」という否定的表現を用いる以外に、それを表示する方法はない。
この「非ず、非ず」neti netiという表現は、ウパニシャッドにおける最も有名な語の一つである。 』
(『バラモン経典/原始仏典』哲学者ヤージニャヴァルキヤ/中央公論社刊)-スレ1/681
623 :
宝珠愚者:2009/06/05(金) 00:01:55 ID:4RyuxZLy
この議論は逆に、アートマンに対する必要以上の関心を呼ぶものとなって、アートマン追求なる
執着意識に繋がるものであると見なした。そこでゴータマがとった態度が形而上問題に対する無
記の姿勢というものだったわけです。更に、もう一つ言い換えるならば、これらすべてを理解でき
る者には全てを説いた可能性もあるのではないか?という考え方も成り立ちます(これが一在家
さんの主張かな)。また、経典を読めば形而上存在(死後の意識など)についても、場合により説
かれたことが示されています(カラスさんの指摘事項)。
このスレがしようとしていることは、まさにゴータマが否定したアートマン議論なのです。では何
故、それをしているのかというと、ゴータマの「無我」が「アートマンはない」と説いたもの、という誤
解として仏教界に広く浸透しているからです。私はこの誤解は解かれるべきだろうと思うわけです。
「いやいや、議論そのものがナンセンスだ!ゴータマも議論を歓迎していない」という人は、どう
ぞこのスレには参加されないで下さい。
私は、ゴータマは「アートマンはない」といったことは1度もないと見なしています。アナートマン
(anatman)という否定語は、「それら(五蘊)はアートマンではない」という意味です。以下に、ご
紹介ウェブより少し拾い出してみました。
624 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:03:29 ID:xUy4Mj1A
>>613 ,ヾ゛゛⌒⌒ミ;. アホラシ〜
(と( )つ スルーダョン〜
| ( ・∀・ )
(__)∨T∨
625 :
宝珠愚者:2009/06/05(金) 00:04:25 ID:4RyuxZLy
『つまり、ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、
そのような問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な
特徴があります。
初期の仏教では決して「アートマン(我)が存在しない」とは説いていない。・・・アートマンが存在
するかしないかという形而上学な問題に関しては釈尊は返答を与えなかったといわれている。
(中村元、『仏教語辞典』「無我」、1316頁) ブッダの批判は、「アートマンは有る」とか「アートマンは
無い」という主張が依って立つ土台そのものに対する、もっと根本的な批判だったのです。つまり、
ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、そのような
問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な特徴があり
ます。
なぜなら、ブッダは、「アートマンは存在しない」という全称命題的言明を意図的に避け、人間存
在を成立させている要素の一つ一つ取り上げて、これも無常であるから(常住であるはずの)アー
トマンではない、あれも無常であるから(常住であるはずの)アートマンではない、というふうな仕方
で、知覚し経験できる範囲内の事柄に関してのみ言及するという方法をとっているからです。しばし
ば、アナートマンは「無我」ではなく「非我」と翻訳すべきであるという主張が仏教学者によってなさ
れるときがありますが、まさにそのとおりで、人間存在を成立させている一つ一つが、これも非我
であり、あれも非我である、という主張がなされているわけです。
ブッダにとって、「永遠に存在する個我」などというものは、自己に対する執着が生んだ虚妄にす
ぎないのであった。』(【無我の思想】
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/muga-0t.htm)
>>621 それから、関係性(縁起)だけなら、それほどのことではないでしょう。
相関関係や因果関係は思考の基本だし、ものごとが関係しあっていることは
少し考えればわかることです。
問題は空だけど、これは概念や命題が空であるという話であり、
言葉と言葉の関係は空であると言っているにすぎない。
そう思えば、縁起が空なのも当たり前になる。
627 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:15:00 ID:6pyso4PM
>>621 >アートマンが関係性の塊であるという見解には同意できません。
>関係性は無自性であり空であり、空をいくら集めても無自性な空です。
>仏性という概念は誤りです。
それが、釈迦が説いた「無我」の意味だと思いますよ。即ち、「我」が
無数の関係性の塊であり、従って自性はない、という「自覚」です。
釈迦が諸法無我を説きながら、アートマンは実在というのは、完全に
矛盾してしまいますね。
628 :
宝珠愚者:2009/06/05(金) 00:19:57 ID:4RyuxZLy
>>621 >仏性という概念は誤りです。
確かに、
「仏性」なる概念については原始仏教では説かれなかったという。
629 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:21:03 ID:6pyso4PM
>>626 絶対性ではなく、関係性、相対性を説いた思想や宗教が、他にあれば、
教えてください。
色即是空・空即是色の「色」は、「言葉」ですか。
>>627 >釈迦が諸法無我を説きながら、アートマンは実在というのは、完全に
>矛盾してしまいますね。
諸法は概念や命題であり、そういったものはアートマンでない、
そういったものにアートマンはない、とするなら矛盾しません。
諸法無我を観じている中心にアートマンがいます。
631 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:23:57 ID:LorPsfpO
一切衆生悉有仏性、というときの仏性っていったい何を指してたんでしょう。
人間か、最低でも知的生物でなければ意味をなさないと思うのですが。
運がよければそろそろ人間に生まれ変わり、さらにチャンスが巡って来れば
修行することになって仏になれるかも、という話なんでしょうか。
632 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:26:07 ID:LorPsfpO
>>629 関係性はよくわかりませんが、他の二つならジャイナ教がもろに当てはまるかと思います。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:30:53 ID:6pyso4PM
>>621 >関係性は無自性であり空であり、空をいくら集めても無自性な空です。
>仏性という概念は誤りです。
物質は、無数の粒子の関係的集合だが、それぞれの物質には、それぞれの性質
がありますね。しかし、粒子の関係的集合に過ぎないという見地からは、自性
はありません。「仏性」も、それと同じことです。
634 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:33:29 ID:kdHL1wuB
>>619 いい加減イエスに対する憎悪むきだしの投稿は止めませんか?
あなたのイエスに対する書き込みは、悪意に満ちた曲解ばかりで
読んでて不快に思っている人が沢山いるんですよ。
あとあなたの話は、大変レベルが低い。はっきり言ってここの人達と議論できるレベルではない。
あなたここの住人の人等から出ていってくれと言われてますよね。イエスの批判がしたければ、それ相応のスレですればいいし、
哲学を語りたければ、哲学の板で語ればいいでしょう。あなたの投稿はスレ違いなんですよ。
皆から不快だと思われているのに早く気付きましょう。
気付いたのなら、今後投稿を控えるか、投稿する内容を考えてするようにしましょう。
といわれても,あなたは止めないでしょうね。あなたはエゴの奴隷ですから。
635 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:34:19 ID:LorPsfpO
×他の二つ
○もう一方
訂正しときます。
>>629 関係性・相対性は概念であり、
それ自身を信仰の対象にするべきものでもないでしょう。
色即是空は中国人の現実的な姿勢を感じます。
それより、冒頭の観自在菩薩のほうがより仏教的です。
「自らを観じれば菩薩在り」
637 :
旧7:2009/06/05(金) 00:38:13 ID:wvADIu48
638 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:38:33 ID:6pyso4PM
>>628 >「仏性」なる概念については原始仏教では説かれなかったという。
「慈悲」は、どこから出てくるのですか。
仏性はないが、「罪」や「悪」はあった、と言いたいのですか。
639 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:42:33 ID:6pyso4PM
>>630 >諸法は概念や命題であり、そういったものはアートマンでない、
>そういったものにアートマンはない、とするなら矛盾しません。
>諸法無我を観じている中心にアートマンがいます。
諸法には、事物も含むのではありませんか。無我が無我を観じている
のですかw。
>>636 訂正・・・色即是空の色は、
この現実ではなく、感覚機能をさしている。
縁起・無自性・空は、現実そのものを対象にしていない。
*ただし自信がないので詳しい人がいたら説明してほしい。
641 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 00:58:45 ID:6pyso4PM
>>640 現実をさしていないのなら、はじめから「空」ですから、わざわざ
色即是空などという必要はありませんね。「空即是空」、即ち、同義語
反復になってしまいますよ。
642 :
宝珠愚者:2009/06/05(金) 01:00:31 ID:4RyuxZLy
>>638 「仏性」もホトケの「慈悲」なる概念も、それを創出したのは大乗であり、
元々の原始仏教にはありませんでした。
つまり、仏性が元々「在る」という考え方そのものが縁起に反するということなのだろうと思います。
これと同様にして否定されているのが、縁起が仏教の根幹であるから
アートマンなる常住といった見解は間違いであるとして、この私などを批判している方が
いるというわけです(真言氏及びその同意者による)。
しかし、私からみれば、アートマンも縁起で存在するのですが・・(その批判は的ハズレ!?)。
それと、大乗の説く「仏性」「慈悲」が原始仏教で説かれていないから、全くダメかというとそうでもない。
この辺に関しては、これも深い議論が起こるものだろうと思います。
643 :
宝珠愚者:2009/06/05(金) 01:06:33 ID:4RyuxZLy
>>640 色即是空の「色」とは、この現象界のことです。
「現実」(世界)という言葉は似てても不適です。
何が現実なのか?という形而上問題を含むからです。
>>641 現実に執着する思いは空だけど、その思いはなかなか執着を離れない。
だから色即是空と説く意味はあるのだろう。
色即是空の原語がどうなっているのかを知りたい。
中国で意訳された可能性はないのか? オチ
645 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 01:20:16 ID:6pyso4PM
>>642 「初期の仏教では<慈>が多用された(例えば『スッタニパータ』)が、
後に<悲>と併称されるようになり、さらに2語のほかに<喜>(他者
の幸福を喜ぶ)と<捨>(心の平静、平等心)の二つが加わって、<四
無量心>あるいは<四梵住>の名で、修行者のもつべき基本的徳目の一
種とされた。(この利他心によって、衆生は無量の福徳を得、修行者は
梵天の世界に生まれるという。」(岩波仏教辞典より)
「仏性」も「慈悲」もないあなたの「仏教」とは、どこの宗教?
646 :
旧7:2009/06/05(金) 01:25:01 ID:wvADIu48
大概、寝ようと思った矢先に、“?”マーク発生装置のようなレスが付くんだよな・・・w
>>642 >元々の原始仏教にはありませんでした
仏性はともかく、
『慈悲』の原語を何だと思ってるのか? (いや、この言い方は不親切だなw)
『慈悲』が、訳語としては「慈」と「悲」の複合語であることくらい知ってるよな?w
(岩波辞書くらい持ってんだろ?)
「縁起で存在するアートマン」なぞ、換骨奪胎過ぎるだろw
まるで、「甘ったるい激辛カレー」くらいの原義逸脱じゃねーの?w
それに、ならばなぜ一在家の“自歓喜経弄り”に感心してたんだ?
「山頂のように不動であり石柱のように直立する(≒滅することなく、縁起しない)アートマン」を述べていなかったか?w
※(
>>645乙w )
>>644 岩波文庫版に、「心経」「大品」ともsktが載ってるよ。自分で対応個所を調べたらどうだ?
ったく・・どいつもこいつも・・・。 (#´ー`)y━~~
647 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 01:28:07 ID:6pyso4PM
>>643 >何が現実なのか?という形而上問題を含むからです。
何が現実であるかを突き詰めた、究極の「存在論」が、「色即是空・
空即是色」ではないのですかw。
648 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 01:36:03 ID:6pyso4PM
「色即是空・空即是色」の意味も判らない、または深く考えていない「仏教者」
がいるとはw。
岩波仏教辞典の説明が明快。「空即是色」は、関係性と捉えている。
釈尊が最初に肉体行をしていたことから、あきらかに
断見に釈迦が堕ちていたわけです。
クシャトリアの王宮時代は常見に堕ちていたわけであります。
つまりバラモン教の教えは常見であったわけです。
何の因果かわからなくてもとにかくクシャトリアに生まれたら
前世はクシャトリアなのです。
ところが釈迦は肉体行をやめて、中道に入ったわけです。
そして過去現在未来世における三世の因果をさとったわけなのです。
そして、現世において、よい種をまけばよい結果(来世)がまっており、
悪い種をまけば悪い来世がまっていることを発見したのであります。
650 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 08:13:25 ID:f/q00otN
>>640 >訂正・・・色即是空の色は、
>この現実ではなく、感覚機能をさしている。
般若心経の色ならとりあえず人の身体と限定していいのではないか。
もちろん人の身体には感覚器官も意官も含まれるだろうけど。
そのあとわざわざ「受想行識」も空というのだから。
結局、人の実相も空ということだね。
651 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 08:16:17 ID:f/q00otN
>>649 >そして、現世において、よい種をまけばよい結果(来世)がまっており、
>悪い種をまけば悪い来世がまっていることを発見したのであります。
釈迦は彼岸に至る道までしか説いていないのではないか?
来世は釈迦にもわからない。
652 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 08:31:29 ID:f/q00otN
>>630 >諸法無我を観じている中心にアートマンがいます。
アートマンと書くからおかしくないようにみえるだけだね。
「我は無我である」と書くなら矛盾そのものでしょう。
諸法無我と感じているのは自己であり自己は仏教では五蘊だからね。
結局釈迦の思想は霊的な実感やそうしたものを信じない限り、
一元的に還元される唯物論となってしまうわけであります。
しかし霊的世界は一元的であり、多元的つまり、一即多・多即一の
世界であり、霊魂不滅であっても矛盾しなのであります。
悟りや涅槃って霊的実感に相当するのかな?
漏尽通は神通力に分類されてるから、一応霊現象なのか?
どうもいまいちしっくりこないわけだがw
656 :
一在家:2009/06/05(金) 09:47:52 ID:oKMwvvN1
>>652 >諸法無我と感じているのは
>自己であり自己は仏教では五蘊だからね。
私は仏教に関しては小学生みたいなもので、「五蘊」関連の説法は
あまり把握しておりませんので、現代語で推論します。
人には五感と心(意識)があります。
意識は顕在意識と潜在意識との区別があります。
「諸法無我と感じている」のは顕在意識です。
アートマン(霊魂に近い?)は潜在意識に関わりがあると考えます。
欧米で近年研究が進められております、テレパシー、念力、透視能力、
霊との交信は五感を超えた第六感(霊感)と定義されております。
戦後のアメリカとソ連との超能力研究の競い合いは有名です。
超能力があるとか無いとかの議論は20年以上前に終わり、いかに
日常生活や軍事に利用するかの研究が進められております。
657 :
一在家:2009/06/05(金) 09:50:46 ID:oKMwvvN1
私はIEEE(世界最大の電気電子情報の学会)の会員でしたが、
IEEEの審査論文で超能力関連の研究成果が採択されていることも
度々確認しておりますし、米国では博士論文にもなったことを
よく知っております。
第六感(神通力含む)は先天的に持つ者(少年に多い)と、
苦行により身につける者と、深い瞑想から目覚める者とに大きくは
パターン化されます。
欧米では第六感を信じる人がメジャーで、最近大ヒットのテレビドラマ
や映画から見てもよく分ります。
例、「ヒーローズ」、「スーパーナチュラル」、「シックスセンス」
以上の推論により、私は自己は五感でなく、霊魂だと認識しております。
そして霊魂のことは、数千年前の釈尊やイエスが説かれた事実を経典や
聖書の中で確認しております。
梵天、神、天の父、天使と話すときには「シックスセンス」を使用した
のだろうと存じます。
> 例、「ヒーローズ」、「スーパーナチュラル」、「シックスセンス」
いや、それは根拠にしちゃまずい。
エンタテインメントとして視聴することと、
「(番組中の)超能力が本物だと信じて」見るのとは違う。
659 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 10:55:39 ID:cvKlhH/x
>>581 竜樹の中論はくだらない。ただの言葉遊びでしかないものだ。
さしずめ
>>562の能書きなど、その際たるものだろう。
>龍樹は、「有」を否定するとともに、「有」がない以上、当然「有」と相関関係にある「無」もありえないと主張する。
言葉は識別智。自性とは無自性と相関関係にあり、「一」は「多」と相関関係にある言葉。
ゆえにそれ単独で存在することはない。自性とは識別されえない存在。だから識別智である「言」では
正確に言い表せない。ただ便宜上言葉で表現すれば、「自性」だの、「一」だのと表現しているのだ。
竜樹はそのことを理解していない。だからくだらない実の無い言葉遊びに陥っている。
竜樹なんてのは、ブラフマンの正体。この世界の創造主の正体すら知らずにいっぱしの能書きたれていた
宗教家としては、大変レベルの低い者だ。ゴータマは違う。名称は識別するもの。識別は
この相対世界を生んだ。ここまで言えば、この世界の創造主とは何者か?わかるだろ?、
660 :
一在家:2009/06/05(金) 11:17:23 ID:F619lf97
>>658 >「(番組中の)超能力が本物だと信じて」見るのとは違う。
大丈夫ですよ、皆「番組中の超能力が本物だと信じて」は見てないでしょう。
多分、「超能力の存在を信じて」見ているのでしょう。
「ヒーローズ」の超能力の中で、空中飛行、壁抜け、テレパシーがありますが、
長部経典の「沙門果経」に記載の神通力とピッタリと一致しております。
661 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 11:19:34 ID:cvKlhH/x
>>590 あんたもわかっていないな。「それ」は我々の内側にあり、そして面前に広がっている。
「それ」は一切を生み出した、一切そのものである。おまえさん、十二因縁暗い知ってんだろ。
五蘊を生み出す原因となるものは、無明から始まるものだ。ではその無明はを起こす
主体はどこにある?俺はその話をしている。涅槃とは安息日の主になるjことだ。
私は安らかに眠る。熟睡しているとき、私の意識は無に等しい。だがそれは無と言い切ると
断見となるだろう。なぜなら私は夢を見る。夢の世界では、私や他人がたくさん登場する。
多くの登場人物はそれぞれ個性があり、いろんな人格をもち、それぞれ行動しているが
その心の主体は、私自身。私はそれを客観的に眺めている。その夢には私自身もいた。
私はときには私自身も外から眺めている。夢の世界では視力もあり、触感もあり、五感が備わっている。
だがそれらは全て幻。私も含めその世界の登場人物は全て幻。彼らは私と縁しなければ
存在しない、幻。私は再び深い眠りに落ちる。私の意識は再び熟睡の域に達する。それと同時に
夢の中の登場人物は全て消え去った。彼らは、私の意識が作り出した幻。
私は闇夜に鳴く一羽のカラス。「一」全てであり、全ては「一」である。
662 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 11:30:02 ID:cvKlhH/x
ところで最近机を見ないな。死んだのか?
663 :
一在家:2009/06/05(金) 11:30:19 ID:F619lf97
「スーパーナチュラル」に登場する悪魔がよく使うセリフに、
「私もお前らと同じ人間だった」とあります。
心霊科学で分類するところの「憑依霊」であり、聖書の中でイエスや
使徒達が徐霊していたことは有名です。
原始仏典でも釈尊はテレパシーで諸霊達にも説法されています。
余談ですが、唯物論者で霊魂を認めない人の霊魂が肉体を離れると
あの世には行けずに留まって「幽霊」と呼ばれます。
死の瞬間に強い恨みや執着のある人の霊魂が肉体を離れると、
因縁のある生者にかかって「憑依霊」と呼ばれます。
自己とかで死の瞬間に頭に強いダメージを受けますと、死んだことも
分らずその場でうろつく「浮遊霊」か「地縛霊」となります。
以上の「憑依霊(悪魔含む)」、「浮遊霊」、「地縛霊」の分類は心霊科学上
での分類ですので、ふーんと聞き流しておいて下さい。
>>660 (番組中の)と、カッコをつけているのは、
番組を楽しむことと、超能力の存在を信じることは別だと言いたいからです。
665 :
暁:2009/06/05(金) 11:55:16 ID:+W01D3F7
>カラス氏
俺に鉄槌罵倒を加えなくてもいいではないかw
>>659 自性に執着するお前は修行者のレベルがものすごく低い。
くだらん欲だ。それがお前をくるしめているものだ。
お前は仏教の門すらくぐれないよ。
仏陀は識別作用を否定するために識について説いた。
人間としての識別作用に執着し、欲望に絡め取られる事を防ぐためである。
668 :
暁:2009/06/05(金) 12:05:36 ID:+W01D3F7
自爆霊とか浮遊霊の話はオカ板でやっていただきたい
真面目に論じてる人達に失礼でしょ
669 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:17:21 ID:cvKlhH/x
>>666 ハイハイ。無明にとらわれている末法仏教徒はせいぜいほざいてろ。
自性を悟るjことが、迷ういの生存である輪廻の鎖を断ち切るのだ。
仏教をただの言葉遊びにしてしまった竜樹のアホの罪は大きい。
そして君ら末法仏教徒は、邪見に執着する。ゴータマが無我と説き、無常を説いたのは
あくまで、この現象世界のことを言ったに過ぎない。ゴータマは決してアートマンを否定していない。
それどころか、無常を説く傍ら、恒常普遍も説く。たた子の現象世界にはアートマンは無いですよ
と説いたのに過ぎない。だが見方を変えるとこの現象世界も恒常普遍となる。
なぜならこの現象世界は、”彼” そのものだからだ。ここに、ゴータマがこの世界とは
無常だと説く傍ら、この世界は常住だと説く矛盾を読み解くキーがある。
ま、邪見に凝り固まり、邪見に執着する君ら末法仏教徒には理解できない話だろう。
ところでおまえ
>>666を踏んだわけだ。666は獣の数字。お前にふさわしい番号だな。
670 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 12:24:15 ID:9Ewtg24I
>>661 >夢の世界では視力もあり、触感もあり、五感が備わっている。
それは、覚醒時における、五感の知覚の「記憶」に過ぎない。目を閉じて
いるのだから、外界の刺激は、目を通過してはいないではないか。君は、
目を開いて眠るのかねw。
最近の研究では、夢とは「睡眠時における脳細胞の混乱」。従って、夢には
何の「意味」もない。
大人になったら、「現実」と「空想」の区別くらいは、しっかりとつける
べき。生まれたばかりの赤ん坊でも、教えられもしないのに、母親の
「現実」のおっぱいにしゃぶりつき、生命を維持しようとする。このお
っぱいは、現実か、空想か、などと考えてモタモタしたりはしないぞw。
「一」「一」というが、世界は「無数の関係性」でなりたっており、
その関係性を知り、自己も、無数の関係内存在であることを自覚して、
心の平静と平安を得るのが、「悟り」なのである。人生とは、「多様性
との係わり」以外の何物でもない。ちっぽけな己か観点から、すべてを
「一」にくくることこそ、「エゴ」の典型である。
竜樹はアートマンはないですよ、なんていっとらんわ。
お前、ほんとうに頭わるいだろ?
>ところでおまえ
>>666を踏んだわけだ。666は獣の数字。お前にふさわしい番号だな。
ホントのアホだった。
マヌケ。
673 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:30:13 ID:cvKlhH/x
>>670 だから夢には何の意味もないといってるんだよ。
真理を理解するのは聖霊の働きだ。おまえには真理を理解するのは無理だと思うよ。
674 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 12:33:01 ID:f/q00otN
>>656 >人には五感と心(意識)があります。
>意識は顕在意識と潜在意識との区別があります。
>「諸法無我と感じている」のは顕在意識です。
>アートマン(霊魂に近い?)は潜在意識に関わりがあると考えます。
仏教でもアーガマのアビダルマでは五感による五識と意による意識の
六識です。デモそれを発展させた大乗の唯識では六識に加え潜在意識
としてのマナ識(自我意識)とアラヤ識(記憶)を追加しています。
西洋で潜在意識や無意識が発見されるよりずっと前の中世のことです。
真理は精霊を超越している。
尸解仙の教えだとその程度だな。
676 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:33:49 ID:cvKlhH/x
>>672 言ってる意味もわからず、いよいよただの罵倒でしか反論できないわけだ。
おまえは皮肉すら理解しない。
>>676 お前の言葉は突っ込み所が多すぎて、一度に相手すれば
骨が折れるんだよ。
お前、面白いからこれからじっくり煮込んでしてやるよ。
「三千世界の鴉を殺し 主と添寝がしてみたい」
678 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:40:24 ID:cvKlhH/x
>>675 おまえ聖霊の意味わかってないのに、ぐだぐだ文句言ってんじゃねぇよ。
それは外にあるもんじゃない。
永遠の命とは、おまえのそばにいつもあるもの。それは切っても切れないもの。
それはいつもおまえと共にあるもの。
人の子は全ての根源である父の名を明かした。だが人々はその名を信じない。
ゆえに自らを死に定めている。彼は父の独り子であり、我々もまた、その独り子である。
679 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:40:58 ID:cvKlhH/x
そいつは法だな。
常住であると言えなくもないか。
681 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:43:06 ID:cvKlhH/x
>>670 ちゅうかおまえよ、睡眠の話は真理をわかりやすく話した、喩えだ
。
お前は喩えで話しているということすら、理解しないんだな。
682 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 12:44:28 ID:9Ewtg24I
>>673 まず、「真理」とか「聖霊」とかの言葉の意味を、具体的に定義してから、
それらの言葉を使ってくれ。自分でも意味の判らない言葉を振り回さない
でくれ。
イエスは、ピラトから、「真理とは何か」と聞かれて答えれなかった。
イエスは「言葉遊び」をやていたに過ぎないのである。ニーチェは、ピ
ラトが問い、イエスが答えられなかったこの質問が、「聖書の中で唯一
の価値ある言葉」だと言っている。宗教者は、己が使う言葉の一つ一つ
を具体的に定義できた後に使うこと。さもなければ、イエスと同様、
「言葉遊び」をやってることになる。
683 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:46:42 ID:cvKlhH/x
ゴータマも当時の誤謬に満ち、誤謬に執着したバラモン達の、
あらかさまな誹謗中傷にさらされたんだろう。ゴータマは古い誤謬に満ちた
当時のバラモン達の説く宗教に信を捨てろと言った。きっと今の時代に彼が
生まれたら、君ら末法仏教徒達にも同じことを言ったことだろう。
そして君らは当時のバラモン達と同じで、彼に対して異論反論、しまいには
罵倒で返すだろう。
684 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:49:20 ID:cvKlhH/x
>>682 俺は意味をわかって言っているんだよ。
今まで語ってきたからな。意味を理解しないのはお前たちだ。
聖霊の働きのない者には真理を理解できない。
あなた方は互いに愛し合いなさい。これが聖霊だ。聖霊の働きがあるものは
この意味を悟るだろう。
スッタニパータ
789 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が智識によって苦しみを捨て得るのであるならば、
それでは煩悩にとらわれている人が(正しい道以外の)他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。
790 (真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。
かれは禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の因を)つくることがない。
686 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:50:37 ID:cvKlhH/x
>>682 ちゅうかよ、イエスは真理を語っていないどころか、おおいに語っているだろう。
喩えをお前が理解できないだけの話だ。
687 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 12:56:36 ID:9Ewtg24I
西田幾多郎は、「絶対矛盾の自己統一」といったが、この考えはおかしい。
「自己統一」できるのなら、最初から「絶対矛盾」などなかったことになる
ではないか。彼の言葉自体が、「絶対矛盾」である。
これは、西田が、晩年に安直にもキリスト教に影響された結果の、一神教的概
念に過ぎない。彼の哲学は、哲学ではなく宗教だ、と批判される所以である。
688 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 12:57:45 ID:f/q00otN
>>661 >「一」全てであり、全ては「一」である。
それはインド哲学のブラフマンの一であり、アートマンの一ではない。
仏教で言えば無分別の一に過ぎない。無分別もまた無明のなせることだ。
689 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 12:57:54 ID:cvKlhH/x
>>685 だからさ、自我を捨てる知恵を語っているんだよ。
知恵そのものは人を清浄にしない。その知恵に従っ生き様こそが
人を清浄とする。それは四正勤に繋がり、その生き様は、道徳に繋がる。
しかし道徳を否定する日本の末法仏教徒達はどうしようもないな。
真理に至る道は、道徳の完成であり、それは、善の修行の完成でもある。
690 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 12:59:14 ID:9Ewtg24I
おいおい、道徳を否定する教祖など、日本でも見なかったぞ。
誰の事を言っているんだWWW
692 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 13:00:35 ID:cvKlhH/x
>>688 あほか、何者も縁起することなくそれ単独で存在するものを
主体性と呼ぶ。主体性とはアートマンということなんだよ。
>無分別もまた無明のなせることだ
お前のここの主張を詳しく説明してみな。ただの言葉遊びにしかならないから。
693 :
一在家:2009/06/05(金) 13:01:36 ID:3/bxf4wm
>>673 >真理を理解するのは聖霊の働きだ。
>おまえには真理を理解するのは無理だと思うよ。
この方にも神性や仏性がありますから、何かのきっかけで真理を
悟る日もあるとかと思います。
また聖霊の働きを借りるには、まず聖霊との波調を合わせる必要が
あります。
今手許に長部経典が無いですが、釈尊がブラフマン界に行く方法を
説かれた経典がございました。
意味はブラフマンの好む行為を行ない、好まない行為は行わない
だったと記憶しております。
応用しますと、聖霊の好む行為を行ない、好まない行為は行わなければ
聖霊もその人に降下し易くなるかと存じます。
694 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 13:03:51 ID:cvKlhH/x
生ける者は、真理の言葉を聞き分ける。
だが死人は、真理の言葉を聞き分けることはないだろう。
しかしゴータマも、古い信に執着する当時のバラモン達の相手に大変だったんだろうな。
695 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 13:05:07 ID:cvKlhH/x
>>693 >この方にも神性や仏性がありますから、何かのきっかけで真理を
>悟る日もあるとかと思います。
その通りだな。私は口の罪を犯し過ぎるきらいがある。己の心を制するのは
まことに難しい。
696 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 13:09:26 ID:9Ewtg24I
>>694 また、自分でも具体的意味の判らない「真理」という言葉を使ってるw。
イエスと同様、2000年前の常識人ピラトからさへ、突っ込まれるぞw。
宗教者は、一切の「言葉遊び」は止めなさい。
697 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 13:14:41 ID:cvKlhH/x
>>696 だから俺は意味をわかって言っていると言ってるんだよ。
そして理解できていないのはお前だといってるんだよ。
お前が理解できないからと、他人まで理解できていないとレッテル
を貼るのはやめろ。
ところでおまえさ。イエスを憎悪むき出して悪意をぶつけているが
それはおまえ自身にしていることに気づいているか。他人にした事は全て自分自身に
した事。おまえはその報いを受ける。イエスが人の子であるように、おまえ自身も
人の子なんだよ。
>>692 >あほか、何者も縁起することなくそれ単独で存在するものを
>主体性と呼ぶ。主体性とはアートマンということなんだよ。
縁起していない現象は現れていない。無いものに主体性という言葉を使うのは
おかしいと思わないか?別の言葉を使え。
699 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 13:17:50 ID:cvKlhH/x
>>698 おまえも睡眠の喩え話をまるで理解していないな。
700 :
一在家:2009/06/05(金) 13:18:34 ID:3/bxf4wm
>>694 >しかしゴータマも、古い信に執着する当時のバラモン達の相手に大変だったんだろうな。
読心通で相手の知識や心の動きを見ながら、第一義(真理)は説かずに、
第三義かを用いて相手の見解の矛盾点を自ら悟るように工夫されたのではと
拝察致します。
大変だったのは大勢の弟子を連れてやってきたバラモン達だったのでしょう。
賢いバラモンは自分の代わりに弟子に問答をさせましたね。
701 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 13:21:09 ID:f/q00otN
>>692 全体の一は宇宙である普遍原理のブラフマンだ。
個別の一が個性(特殊)であるアートマンだ。
アートマン(我)の属性が常・一・主・宰だ。
これは仏教でも変わらない。
しかしこの現実世界のどこにもそのような我はない。
だから仏教では諸行無常であり諸法無我と説くのだ。
>>699 あんたも「それ」に引きずられているわけだな。
そいつを無明というんだよ。仏教では。
知ってまちた?
結び付く核をなくせば諸々の煩悩は現れない。
十二縁起というのはそういうこと。
小学生でもわかるレベル。
703 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 13:29:24 ID:9Ewtg24I
>>697 君は、まず、イエスという君の「目の中の丸太」「エゴ」を取り除け。
そうして初めて、君の目が見えるようになる。
現在では、イエスの影響による盲目狂乱状態。狂人イエスの思考・心理・
行動は、健常者には「了解不能」なのだよ。「いいこと言ってる」「理
解できた」と思った瞬間が、彼の狂気の感染時である。
>>695 悪魔を斃すのに躊躇いがあるのか?
キリスト教とは生温いものだな。
705 :
一在家:2009/06/05(金) 15:03:50 ID:3/bxf4wm
悪魔もトップは元天使で、下っ端は元々人間ですね。
悪魔のアートマンにも光の箇所と闇の箇所があり、光の箇所が
大きくなれば、悪魔で無くなります。
釈尊は幼児ばかり殺して食う残虐な悪魔(夜叉)に説法して、
夜叉の固執と苦しみを解いて、改心させております。
光の箇所のまったく無い悪魔は存在しないのでしょう。(参照:死海文書)
また聖者であっても闇の箇所は少しだけ存在するのでしょう。
だから、人は神、仏そして獣にもなり得るかと存じます。
>>687 つまりこの世においては「絶対矛盾」なものが、あの世においては、
「自己同一」するのです。
三次元における時間と空間の概念とおなじで、この絶対矛盾は
三次元の法則は物差しになりえないということを証明しているのです。
707 :
暁:2009/06/05(金) 17:10:28 ID:+W01D3F7
>>659 >ただ便宜上言葉で表現すれば、「自性」だの、「一」だのと表現しているのだ。
龍樹の思想の根本は空の思想だよ。それはあらゆる対立を離れたものだ。
それを便宜上万人に理解できるように主張するには、先ず言葉で表現しないと伝わらないということは分かるよね?
「有りというのは常住に執著する偏見であり、無しというのは断滅を執する偏見である。
故に賢者は有りということと無しということに執著してはならない」(中論15.10)
「その本性上存在するものは、無いのではないというのは常住を執する偏見である。
以前には存在したが、今は無しというのは断滅に執する偏見であろう」(中論15.11)
『中論』においては、中道、空は同義。空は縁起であり、縁起と中道も同義。さらに中道と空も同一の意味だ。
有と無の対立を離れている空を無と同一視し有と対立させるのが解らんなぁ。
龍樹を言葉遊びと観ずるのは己の理解力の問題だろう。
708 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 17:14:09 ID:cvKlhH/x
>>702 無明の中にいるのは、おまえら末法仏教徒なんだが。
お前達の仏教は、何の意味もない。それこそ小学生でもわかる。
よく考えてみな。おまえの仏教に何か意味があるのか。
おっと、意味がないのが仏教だ?お前達は本当におめでたいよ。
>結び付く核をなくせば諸々の煩悩は現れない。
>十二縁起というのはそういうこと。
あほか、現におまえら末法仏教徒達は煩悩だらけだろうが。
709 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 17:16:07 ID:cvKlhH/x
>>703 盲目状態にいるのは、サタンという名のエゴに支配されたおまえだろ。
おまえはそのサタンによって狂わされているんだよ。
710 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/05(金) 17:19:56 ID:cvKlhH/x
ま、どの道違う人には理解できない。理解しようともしない。そういうもんだ。
聞く耳のある人は、理解するだろう。
君ら末法仏教徒は、ただの唯物論者と同じく、真理からは最も遠い暗闇の中
を歩いている。ま、自分達の無意味な仏教もどきをさを、さもたいそうなことのように思ってな。
君らはまことにおめでたいよ。
711 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 17:21:31 ID:TTPY2nQt
>>709 「イエスというエゴ」のほうが、はるかに強い。
聖書でも、律法学者やパリサイ派や悪魔の言葉のほうが、現代にも充分
に通用する骨太の論理。それらに対するイエスの反論は、口先だけで
中身がない。すべて、実質的には、イエスの負けである。
>>708 からすちゃあん、ムミョーってこういうことでちゅよー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%98%8E 末法仏教徒でなくても仏教徒の見解はこーですよー
スッタニパータ
1070 師(ブッダ)は言われた、「ウバシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、
<なにも存在しない>と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」
1071 ウバシーヴァさんがいった、
「あらゆる欲望に対する貪りを離れね無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることがなく、そこに安住するでありましょうか?」
1073 「あまねく見る方よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、
かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか? またそのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」
1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、
そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(生存するものとしては)数えられないのである。」
1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか?
聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
713 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 17:30:29 ID:TTPY2nQt
>>710 また「真理」という言葉を使っているw。「真理」とは何かを、一晩中
考えて、答えをだせ。
イエスは、悪魔に問い詰めれて、「人はパンだけで生きるのではない」
などと大見得を切ったが、結局は、自分が石をパンに変えられないこと
の言い訳に過ぎない。何故、出来ないことは出来ないと、素直に認め
なかったのか。それにより、イエスは、悪魔と対等の立場に立つこと
が出来たはずである。イエスの逃げ口上は、悪魔にはるかに劣る。
714 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 17:33:24 ID:GU4L4dwr
仏教のアートマンだのブラフマンだのは、それっぽい教えでありながら
真理を装った偽物なのである。
人のすべての内に神がいるのではない。
悪魔から出た者の心は、闇である。
>>714 君が読んだ事のある仏教の経典を教えてくれないかなあ?
いろいろ質問したいからさあ。
>>661 カラス氏の睡眠のたとえ。ののしり合っているよりこのほうがずっといい。
ネットでは3千人、5千人が聞いていると思う。
西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一
「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」、
あるいは、鈴木大拙の「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という金剛経に通底する思想)を
西洋哲学の中で捉え直した「場所的論理」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)とも言われている。
>>716 どこが良いのかなあ?
ああ、カルトと相性ピッタリだねえ。精神病世界WWW
仲良くやんなよ。
>>714 この現実は空であり、パンも空なのだから、イエスが正しい。
色即是空、空即是色
720 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 17:46:47 ID:kdHL1wuB
>>711 やはり止めてくれといっても、あなたの強いエゴは聞き入れられないようですね。
エゴの強い人は自ら十字架に架かるわけも無し。イエスは、エゴを捨て去った人。
ところであなた、ご自分の精神、病んでいることにお気付きになっておられるでしょうか?
ある精神科医によると、邪悪な人は、自分の心の闇を他人に転換するそうです。
>>717 何を言っているのかまったくわからない。
概念語を並べてないで、具体的に話してください。
722 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 17:49:18 ID:TTPY2nQt
>>714 >人のすべての内に神がいるのではない。
>悪魔から出た者の心は、闇である。
すべての人は、神が創ったものであり、神の分身である。例外はない。
悪魔も、神が創ったのである。さもなければ、神は万物の創造者では
なく、創造主が二人いることになってしまうではないか。
創造は完全であり、ムダはない。すべての被造物は、それぞれの機能と
意味と役割を持っていることに、思い至らなければならない。
>>721 俺に言ったって仕方ないだろw
西田の霊を口寄せしろとでもいうのかwww
微積分の問題を算数だけで解いてくださいとか、言うのは簡単だけど
まー無理だろwww
なあに、難しくないよ。
猫(色盲)から見た色のつかないネズミについて、人間から見れば真実のネズミではない。
しかし、猫は猫以外の視点からみえないからいろのつかないネズミ以外を知りようがないということだろう?
昔から言われる仮設ってことだよね。
726 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 17:57:34 ID:TTPY2nQt
>>720 イエスの十字架の罪状は、「神の冒涜罪」という、当時のユダヤ社会の
重罪である。イエスは、その己の罪により、「捕らえられて」処刑された。
自ら潔く官憲に出頭したのではない。イエスの処刑の遠因は、「宮清め」
という彼の「エゴの行為」である。
クリスチャンは、一体何を誤解しているのかね。聖書の都合の悪い箇所は、
目を背けて読まないのか。
>>718 >>720 話し方はあるかもしれないけど、
だれの話にしても、真理のどこかしらに触れている。
ご隠居の痛烈なイエス批判はある意味ユーモアになっている。
この板にはそこらへんの了解があると思う。
>>727 > ご隠居の痛烈なイエス批判はある意味ユーモアになっている。
そうかなぁ。ただの悪意だと思うけど。
ユーモアってもっと相手の気持ちとかとコミットしない?
この人は自分の言いたいこと言うだけで、相手がどう受け取るかさえ
どうでもいいじゃん。
ユーモアはちょっと暖かいけど、この人の言葉は冷え切ってるよ。
729 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 18:07:59 ID:kdHL1wuB
>>725 あなたは当時のバラモンそのものですね。
730 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 18:08:03 ID:TTPY2nQt
>>719 イエスは、パン以外の一体何で生きている、生きることができると思っ
たのかね。
それに彼は、「額に汗して」小麦やパンを作り、彼を生かしてくれている
人間に対する感謝を忘れている。自分を生かしてくれている人間に対す
る感謝を忘れた彼は、神どころか、人間としても最低の部類に属する。
>>729 読む順番をかえてごらん、違った感じになるから。
俺は前者を良いとも、後者の方が良いともいわんよ。
そんな分別に何の意味がある?
732 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 18:14:11 ID:TTPY2nQt
イエスは、極限の飢餓で苦しんでいる人々の前で、「人はパンだけで
生きるのではない」などというたわ言を吐けるのか。張り倒されること
は間違いない。現代であれば、精神病院に即時入院である。
>730
>>732 それでは色即是空・空即是色は何を教えているのですか?
パンはパンだけど、よく考えれば実際には空ではないのですか。
ダイエットはした方がいいぞ。
デブだと躁鬱が出るらしい。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 18:29:24 ID:kdHL1wuB
>>731 ただの言葉遊び。
中論仏教は下らないですね。
釈迦は、不可知論者、詭弁家は外道だと言っていますよ。
>>735 はあ、何決め付けてんの。
お前が理解できてないだけじゃん。
まあ、ええわ。その出典、出してくださりませ。
この現実そのものを<空>であると思うなら、
パンを食べる必要もないし、パンのために働くこともない。
<空>とはそういったこ現実そのものを言っているのではなく、
人間の心の思い、愛憎やら執着やらを<空>だと言っているのでしょう?
そんなことはもともと<空>だと反論するかもしれませんが、
それらを<空>と観じ、そういった思いから離れることは意外に困難です。
738 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 18:39:10 ID:2HwEP8ye
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
御釈迦さんの知恵は、「人類が生き残る(即ち、ゼロにしない)」ための知恵なのですよ。
☆★ 非信者さえ納得させる知恵が、<普遍の真理>なのです。★☆
「宗教内部」だけにしか通用しない真理は、真理ではありません。☆★
こんなことを考えついた西洋の思想家は、唯の一人もいないはず。
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
どいつもこいつも脳内仏教か。
アホ草。
最近のキリスト狂は神の御技を人間が把握できるとおもっているらしい。
蟻が人間の大学入試を受けるに等しい。
バベルの塔でも作るかいW
740 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 18:50:28 ID:TTPY2nQt
>>733 >パンはパンだけど、よく考えれば実際には空ではないのですか。
パンは、多くの人々の努力、自然の恵み、その他無数の要素が関係して存在
していることを言ってるのだよ。そして、パンは、人間の目に映じているもの
に過ぎないから、「本当は」ないのかも知れない。しかし、人間は、パンを
食べなければその生命を維持することができない。空であるが、しかしその
空の中で、人間は生存し、これからも生存しなければならない。
これが「色即是空・空即是色」の意味である。
おれが言うのもなんだが、相手にした時点で負けだぞ
信仰は、神を知らないから・我を知らないから、成立する。
こういった<知らないもの>への思い込みを、
ご隠居はしつこく追求している。
この追求はまったく正しいことではないかと思っている。
残された問題は、いかにして神を知り、我を知るかということだろう。
事事無碍法界は仏教だけの世界だと信じると誰か言ってたぞ
神を知ろうというのは大いに結構だが、
神になろうという大それた馬鹿が多すぎる。
どちらかといえば精神病か?
745 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 18:59:06 ID:TTPY2nQt
>>742 >残された問題は、いかにして神を知り、我を知るかということだろう。
「知ろうとは思わないこと」が、「知ること」である。
746 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 19:05:39 ID:TTPY2nQt
>>745を下記の通り訂正
「意図的に知ろうとは思わない」で、「他者との係わりの中で、ひたむ
きに生きること」が、「知ること」である。
747 :
一在家:2009/06/05(金) 19:07:03 ID:oKMwvvN1
>>726 >イエスの十字架の罪状は、「神の冒涜罪」という、当時のユダヤ社会の
>重罪である。イエスは、その己の罪により、「捕らえられて」処刑された。
横レスでスミマセン。
最古のマルコ、続くルカ、マタイでは、十字架へのトリガーは、神殿での
商人や両替商へのイエスの妨害でした。
両替商にはユダヤ教徒が多かったと推測します。
最新のヨハネの福音書では、十字架へのトリガーは、死後4日経過して
腐敗したラルロの復活でした。
心底恐れたのはパリサイ派ユダヤだったと推測します。
以上の状況により、「当時のユダヤ社会の重罪」人だとイエスを裁いたのが
誰だったかは、よく分ります。
彼らにとってイエスは不都合で邪魔だったからです。
748 :
一在家:2009/06/05(金) 19:07:58 ID:oKMwvvN1
後出しのヨハネの福音書の作者の最大の失敗は「ラルロの復活」を編集に入れた
ことでしょうか。
「イエス=神自身」と意図した彼自身が復活の奇跡は「神の独り子」でなくても
可能だという記載を残してしまったからです。
十字架のすぐ後に復活したイエスと、死後4日経過して腐敗したラルロの復活
とを比べれば、いずれが「天の父」の奇跡として大きいかは明白ですね。
749 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 19:10:00 ID:kdHL1wuB
>>736 あなたは、自分達の中論仏教は、ただの言葉遊びにしかなっていないことすら理解できないのですね。
あなた方の仏教は、本質的には全く意味のない、ただの言葉遊びです。
あなたは、そんなことも理解できない、池沼。
あなた方の中論仏教は外道です。六師外道には、はっきりと、あなたかたのような
詭弁家、不可知論者は外道だと言っています。
またお得意の、それは違う。おまえは理解していない。と反論してくるでしょうが、
理解していないのは、あなた方の主張は、不可知論、詭弁と、本質的にはなにも変わらない
ということにきづかない、あなた方のほうなのですよ。
750 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 19:10:15 ID:2HwEP8ye
やはり、ご隠居氏は鋭く凄〜い!!
イエス・釈迦を超えた人物〜
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
(*´・∀・)(・∀・`*)ヘー
751 :
暁:2009/06/05(金) 19:10:16 ID:+W01D3F7
空見風情や映画やドラマを根拠にする人やら
イロイロだねw
>>740 パンは空だけど、お腹がすくから食うでは、空の意味が食うになる。
そんな認識は無意味だし、話が混乱するばかりですね。
混乱の原因は、般若心経を解説している僧侶、学者などにもある。
かれらは、心の中の話なのに、空をこの現実のことだと誤解している。
わたしは素人だが、わたしもだまされていた(TT)
道元曰く、己を知るとは己を忘るることなり
754 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 19:15:17 ID:TTPY2nQt
>>747 要するに、宗教お決まりの「内部のどろどろした人間抗争」「コップの中の嵐」
だね。その原因がイエスである。
イエスは、「自分が神になりたい、なった積りの」誇大妄想故に、ユダヤ人の
生活の中で、人知れず「実行」されている「愛」に、気付くことが出来なかった。
イエスもパウロも「パリサイ派神学」であったことを、忘れてはならない。
パウロは、「自分は生まれながらのパリサイ派」と公言している。
755 :
暁:2009/06/05(金) 19:19:04 ID:+W01D3F7
>>749 残念だけどあんた文章には説得力が皆無だわ
批判なら言葉遊びなんて言葉をつかわず、中論の思想なり詩句なりを具体的に掲示した上で批判しなさいよ
ゾウリムシにもアートマンてあるんですか?
ゾウリムシを見つけたとき、なんてかわいんだと思ったのですが、
培養液を加えてやると、増えるのなんのってきもいんですよ
便器の中に回虫を見るようなきもさなんです
分裂する瞬間にアートマンが1→2へと増える、無から有が生まれるよう有り難さなんぞ
露ほども感じられませんでした
マクロファージやウィルスは生物と定義されていませんが、アートマンはありますか?
>>759 マクロファージのアートマンを論じるより、
人間のアートマンを論じたほうが有意義だろうと思うよ
761 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 19:43:43 ID:kdHL1wuB
>>744 あなたは基本的なことがわかっていない。
人は本来、神に似せて造られたのですよ。神を知るということは、自分自身を知るということ。
あなたはレベルが低すぎて、話しになりません。
我々が母親の母胎に来る前、いったい何処にいたと思いますか?
手を切断してしまったとき、私は手にいますか?体にいますか?
また、我々が母を思い、心が千里の道を駆けるとき、私は体にいますか?故郷にいますか?
荘子に真面目(本当の自分)というお話があります。
自分を考える一助にしてはどうでしょうか
763 :
一在家:2009/06/05(金) 19:45:04 ID:oKMwvvN1
洗礼ヨハネとイエスはエッセネ派だと私も思います。
パリサイ派とはいつも、サドカイ派とも時々言い争っていることは
誰でもしっているかと存じます。
さて、カインの末裔はどの派だったかも、聖書に記載されていますが
スレ違い、かつ結構ヤバイネタなので止めておきましょう。
そう、このかきこを読んで目の釣りあがった人がそうですね。
764 :
旧7:2009/06/05(金) 19:47:22 ID:wvADIu48
なんかもう、
田舎の秘宝館、珍宝館のような有り様だな・・・w
「何でもアリ」も、ここまで来ると清々しいなwwwww
釈迦がアートマンを説いたとするなら、
アートマン = 仏 = 空 (有でもなく、無でもない。)
ということだな。
昔から、頭には知恵、胸には情念、腹には勇気がつまっていると言われています。
魂はその中のどれでもありません
さりとて、魂は境界があいまいなものでもありません
767 :
一在家:2009/06/05(金) 19:58:52 ID:F619lf97
>我々が母親の母胎に来る前、いったい何処にいたと思いますか?
原始仏典では、釈尊はト卒天におられたそうです。
釈尊の前世での母親は、天輪聖王を産んでまもなく亡くなられ、
ト卒天に往かれたと記載があります。
天輪聖王は肉体を離れた後に、まずブラフマン界へ往かれました。
だからでしょうか、「私はブラフマンとの共生をよく知っている」
という説法が見受けられます。
でも我々の多くは地獄からやってきたと思います。
勿論、マイナーですが天上界から来られた方も混じってますし、
読書くらいできる霊界から来られた方も結構おられるでしょう。
私は高校生の頃にスウェデンボルグ著の霊界物語を読みましたが、
後に学んだ心霊科学における見解とのズレはあまり無かったです。
あまり詳しく書きますと、また「スレ違いだ」と叱られますので、
おあとは宜しいようで。
空海の言葉・・・谷、響きを惜しまず。明星来影す。
これは千年の時空を超えた暗号である。
この言葉で、なぜ空海が真言宗を名のったのかがわかる。
そして空海の偉大さがこの言葉でわかる。
769 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 20:19:52 ID:kdHL1wuB
>>755 あなた方の中論仏教は、本質的にはなにも意味の無い、
ただの言葉遊びだというのは、子供でもわかりますよ。
ただの言葉遊びを得意気に語っているあなた方は、まことに滑稽です。
ともあれ、あなた方の頑迷さに乾杯。
771 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 20:52:43 ID:r/a1CHz3
アホガラス、根拠を示さず結論だけ。
オナニーは気持ち良かったかい?
乾杯シテモすぐに糞になるだけ。
鳥だから。
当然、知識も素通り。
>>738 > 御釈迦さんの知恵は、「人類が生き残る(即ち、ゼロにしない)」ための知恵なのですよ。
いや、出家すすめてる時点で、家庭を築いて子孫を繁栄させていくことに対して
むしろマイナスに働きかけている。
全人類が釈迦に従って出家し、子孫を作らなくなったら人類は確実に滅亡する。
773 :
旧7:2009/06/05(金) 20:59:37 ID:wvADIu48
この秘宝館は、
オーナー兼館長が宝珠氏、
客員講師が一在家氏、
知識教養顧問がカラス氏、
有象無象のキリスト教出身の学芸員が数名、
その他、今は退職して不在だが、資料編纂室員が真言氏・不説氏、
といった所か?w
で、今後の経営課題の一つは、仏教方面に詳しい人材の確保、キリスト教色の沈静、が懸案事項、とw
空海はなぜ、深く語らなかったのか。
まったく残さないのではなく、神秘の痕跡をなぜ残したのだろうか。
そしてなぜ、こんなにもわずかな言葉なのか。
どれもこれも気になることばかりである。
775 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 21:11:08 ID:r/a1CHz3
一大オナニー大会発生。
華厳命氏の予言的中。
776 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 21:15:13 ID:PXsmbFLf
777 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 21:22:53 ID:S3B/ML09
778 :
一在家:2009/06/05(金) 22:00:33 ID:bagm2jzh
旧7さん、私まで氏をつけて下さり恐縮です。
あなたは秘宝館の出資者ですか?
竜樹は改悪
780 :
旧7:2009/06/05(金) 22:40:48 ID:wvADIu48
あの時 最高のリアルが向こうから会いに来たのは
僕らの存在は こんなにも 単純だと笑いに来たんだ
耳を塞いでも 両手をすり抜ける真実に惑うよ
細い体の どこに力を入れて立てばいい?
アンアートマン アンアートマン
この星の 無数の塵の ひとつだと
今の僕には 理解できない
アンアートマン アンアートマン
無常を知らない戦士のように
振る舞うしかない アンアートマン
僕らの無意識は 勝手に 研ぎ澄まされていくようだ
ベッドの下の 輪郭のない気配に この瞳が開く時は
心など無くて 何もかも壊してしまう激しさだけ
静かに消えて行く季節も選べないというのなら
アンアートマン アンアートマン
僕の代わりがいないなら
普通に流れてたあの日常を
アンアートマン アンアートマン
この手で終らせたくなる
なにも悪いことじゃない アンアートマン
アンアートマン アンアートマン
この星の無数の塵のひとつだと
今の僕には理解できない
アンアートマン アンアートマン
縁起を知らない戦士のように
振る舞うしかない アンアートマン
781 :
「汝のアートマン」か:2009/06/05(金) 23:09:14 ID:vq+75XG3
前スレ>867
>(1)悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。
>人よ。真実であるか虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。
>(2)証人よ(sakkhi)。実に尊いアートマンを汝は軽視している。
>---自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。
(AN.I, p.149G.) natthi loke raho nAma, pApakammaM pakubbato;
【attA】 te purisa jAnAti, saccaM vA yadi vA musA.
kalyANaM vata bho sakkhi, 【attAnaM】 atimaJJasi;
yo santaM 【attani】 pApaM, 【attAnaM】 parigUhasi. 【 】内が「アートマン」とも訳せる語。
G.とあるようにこれはガーター(韻文)ですが、音節の数が8-8-9-8、8-8-8-8となり、「汝の
アートマン」の所の9が韻律を乱しているようで不審です。「te(汝の)」は、後代の附加なのかも
知れません。これを取り除けば「自分が知っている」と訳せます。それはともかく、注釈では、
teのある文として扱われ、注釈文の中にはtava attA, me attAという表現も使われています。
しかし、それは「自分自身」などといった意味であって、「我がアートマン」などではありません。
どなたの訳文なのか、第2詩の訳全般に対して異論がありますが、詳細は省いて、第1詩で「汝の
アートマン」と訳すと最大の問題点となるのは、第2詩の「自己のうちに悪がある」と訳された部分
です。この「自己」の原語も、他の所では「アートマン」と訳されているものですが、
すると「アートマンのうちに悪がある」(!!)となってしまいますが、常一主宰・常楽我浄であるべき
「アートマン」に悪があるなどとは、変ですね。だから、ここだけ「アートマン」とせず
「自己」と訳し変えたのでしょうが、統一性を欠いていますね。
仏教では自己も五蘊仮和合のものと捉えます。常一主宰の「アートマン」ではありません。従って、
簡単に結論だけ述べますと、attA teの所は「汝自身」とでも訳しておくのが無難だと思います。
782 :
旧7:2009/06/05(金) 23:34:21 ID:wvADIu48
スゴイ人キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
>>781 この板を読んでいる大部分の人は、
古い書物の一字一句にこだわる話を聞きたいわけではないでしょう。
専門的なことはそれなりの場所でやられたらどうですか。
なんだこりゃwww
やっかみにもホドがあるなwww
785 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 02:55:17 ID:Iqz4FZqN
>>647-648 「色即是空・空即是色」とは、この現象世界は“実在ではない”ということ。
現実のように感じられるこの世界には実体はなく、
これを「空」と呼ぶ。空とは即ち、この現象世界のことなのだ。
と、いってるのです。
>>662 机さんは恐らく、私同様なんだと思いますよ。
2CHの大規模な投稿規制に掛かっており、
Yahoo! BBプロバイダーの人は多分、全員が投稿できずにいるものと思います。
この前、私からYahoo! BBに申請し、2CH側へ規制の解除を求めてもらいましたが
残念ながら、それでも未だに適いません。
これは相当、悪質な投稿者を規制しようとしているのだろうと思います。
私はドコモ携帯から投稿していますが、PCで造った文章のコピー送信をしています。
普通に携帯キー操作で仏教に関する投稿分を作成、投稿し続けることはかなり困難なことでしょう。
きっと面倒で投稿参加を断念したのではないでしょうか??
(数回だけ、誰かに代わりを頼んで投稿してましたよね)
786 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 02:56:37 ID:Iqz4FZqN
>>645 >「仏性」も「慈悲」もないあなたの「仏教」とは、どこの宗教?
>
>>646 >『慈悲』が、訳語としては「慈」と「悲」の複合語であることくらい知ってるよな?w
それは知っています。
>(岩波辞書くらい持ってんだろ?)
ないw
失礼しました-訂正することにしますwww
慈悲の概念がなかった、のではなく、
私がいいたかったことは、「ホトケの慈悲にすがる」という他力思想のことでした。
スンマセン m(__)m
>>646 >縁起で存在するアートマン」なぞ、換骨奪胎過ぎるだろw
>まるで、「甘ったるい激辛カレー」くらいの原義逸脱じゃねーの?w
時代がまだ早過ぎたかな?ま〜いいです^^
>ならばなぜ一在家の“自歓喜経弄り”に感心してたんだ?
貴重で良い視点を持っているからです。
一笑に付すことはできないと思う。
>>773 秘宝館って・・あの怪しい世界のこと?www
787 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 02:58:20 ID:Iqz4FZqN
>>781 これは、私が見つけ出した面白い経文なのでした。
要するに訳語の使い方に何か意図的なものを感じますか?
もちろん、詳しい方から参加とご指摘については、私は大歓迎です。
明らかな間違いや疑問点に気付かれた場合には是非、ご指摘下さい!
それは有難いことです。
これは、
中村 元著『自己の探求』青土社刊p105(1980年発行)
からでした。
>>783 >古い書物の一字一句にこだわる話を聞きたいわけではないでしょう。
>専門的なことはそれなりの場所でやられたらどうですか。
ジョータンじゃないw
仏教とは仏典に基くもの。それ以外にはない!
仏典の原語/訳語について詳しい方の参加(ご意見)は有難いことですよ。
788 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 04:59:36 ID:wO5RSv9F
>>787 >ジョータンじゃないw
>仏教とは仏典に基くもの。それ以外にはない!
その君が、大乗仏典には、目もくれないのは何故かねw。より古い原始仏典は、
大乗仏典よりも、釈迦の言葉であるという保証は「皆無」である。それに、教祖
の言葉だからと言って無条件にありがたがるのは、現代のカルト宗教の信者と同じ。
大乗は、原始仏典の数箇所の言葉を「ヒント」として、無数の人々が思索と知恵
を積み重ね、いかなる西洋哲学も及ばない巨大な体系を築き上げたものである。
>仏典の原語/訳語について詳しい方の参加(ご意見)は有難いことですよ。
そんなことは、暇人の学者がすでにやっていることを、各人が「参考」にする
だけでよい。2chは、各人が、その生活体験に基づき、現代の社会の現実に
照らして、仏典の「思想」の中に、現代にも通用する「真理」があるかどうかを
思考する場所。その根拠も怪しげな「借り物の言葉や知識」を感心して振り回
す場所ではない。ましてや、キリスト教崩れの超カルトである神智学の布教の
ために、仏教を「利用」する場所でもない。
789 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 08:56:50 ID:D6+s8bRd
>>787 >仏教とは仏典に基くもの。それ以外にはない!
そうだね。その仏典の中で「自灯明 法灯明」の教えがアーナンダ
に説かれている。釈迦無き後は釈迦を指導者とみなさず「法」を
よりどころにしなさいと。
故人の言葉を求めるのではなく故人の求めし処を求めるのは古典
を読む基本姿勢だろ。
旧きをたずねて新しきを知る。
いらなくなった筏はさっさと捨てる。
790 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 08:56:54 ID:7SW+tZvu
少なくとも大乗よりはマシという認識はあります。
だからこそ超自然的解釈を嫌う立川さんも
仏典の言葉から考察してるんじゃありませんか。
>保証は「皆無」である。
その根拠をどうぞ。あ、俺が認定してないってのはナシで。
791 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 09:03:44 ID:D6+s8bRd
>>790 >少なくとも大乗よりはマシという認識はあります。
その根拠を言わなきゃただあなたがそう思ってるだけに
過ぎない。他人を説得することはできないだろ。
大乗非仏説は認めるとしても大乗非仏教とはならないだろ。
一切法空のほうが諸法無我を踏まえた仏教の本意に近いだろ。
>保証は「皆無」である。
アイタタタwww またひとりよがり(オナニー状態)
> 釈迦無き後は釈迦を指導者とみなさず「法」を
> よりどころにしなさいと。
ハァ?? 完全にイカレテますねwwww
794 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 09:12:07 ID:D6+s8bRd
>>787 >これは、私が見つけ出した面白い経文なのでした。
>要するに訳語の使い方に何か意図的なものを感じますか?
原文を参照しなくても訳文だけでなぜ「アートマン」と
カタカナ語を使っているのか不思議に思わなかったのかな?
「アートマン」の代わりに「霊魂」と翻訳されていたらどう解釈
していたのかな?
795 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 09:13:07 ID:7SW+tZvu
>>789 >「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、
>もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたし
>が説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるである。」(155ページ六章二十三)
ttp://houjugusya.web.fc2.com/loop1.htm >>791 近代以降に、大乗オンリーで釈迦伝を再現しようとしている人がいたら教えてください。
796 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 09:25:56 ID:D6+s8bRd
>近代以降に、大乗オンリーで釈迦伝を再現しようとしている人がいたら教えてください。
法華経を元に釈迦伝を映画化したの無かったかな?
797 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 09:26:51 ID:7SW+tZvu
学問としてのものは無いようですね。
798 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 09:36:58 ID:D6+s8bRd
>>795 >お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、
>わたしの死後にお前たちの師となるである。
そうだね。アーナンダはこの遺言を果たすためにゴータマ・ブッダ
の死後、その戒律と法の確認のため第一回仏典結集を開催したのだね。
もちろんこの時期には記述された仏典など無いからみんなの記憶してる
ところを口述し確認しあったのだろう。それ以後仏典を記述するように
なってから伝承してきた法や戒律の違いがごまかせなくなって、またその
解釈の違いによりサンガ(僧集団)は部派に分裂したんだろ。
グーテンベルクの印刷された聖書によりキリスト教会の権威が失墜したのと
同じことことが起こったのだろ。歴史は繰り返す。
メディアはメッセージである。アーガマ(口承伝承)ならごまかせても記述された
仏典情報は各自勝手に解釈されてしまう。
なにしろ「自灯明」もブッダの遺言であるから。
もしかして、自分が「仏典情報を各自勝手に解釈」していることに気づいてさえいないのか?!
仏典は釈迦の死後、百年も経ってから記憶を頼りに作られたもの。
そういったことを研究している専門家は別にしても、
素人がそんなものの一字一句にこだわっても基本的に無意味だろう。
801 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 10:10:37 ID:XBMsqxCv
素人が、普通の人がまず知りたいのは人間とは何か。
肉体とは別の、霊魂(常住のアートマン)があるのかないのか。
あの世はあるのか。神はいるのかいないのか。
こういったことであって、それを簡単に、わかりやすく知りたいだけだ。
枝葉末節にこだわり、袋小路に入り込むのは避けよう。
訳語のことはその道の専門家に任せればいい。
802 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 10:23:13 ID:XBMsqxCv
空海は、初期仏典など知らなくても、
儒教・道教・大乗経典だけで悟ることができることを証明した。
それに自筆の書物も残っている。
803 :
一在家:2009/06/06(土) 10:25:15 ID:0wfLiMf/
>781 宝珠さん
>(2)証人よ(sakkhi)。実に尊いアートマンを汝は軽視している。
>---自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。
ご紹介の経典は現存する最古のユダヤ教聖書「死海文書」(エッセネ派)
に記載された内容と一致しております。
モーゼ、洗礼ヨハネ、イエスもこの真理はよくご存じだったと拝察致します。
「人の子らの性格は二つの霊によって支配され、その存命中、
人間は誰でも二つの霊の一部を持ち、それらの道を歩む。」宗規要覧4・15
出典:死海文書:「死海文書のすべて」青土社
(紀元前4世紀から紀元後1世紀の間に書かれている。この時代に書かれた
ものとしては事実上唯一のユダヤ教聖書)
804 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 10:39:50 ID:XBMsqxCv
大別して研究者と修行者と素人がいる。
研究者は仏典の一字一句にこだわることが大切だろう。
修行者はできるだけ早く悟ることが大切だろう。
素人は生活の合い間に学んでいる。
悟りと仏典の関係は、悟りがなければ仏典を本当に理解できない。
仏典の説くところ、誤っているところ、不足することなど、
こういったことを見抜くには悟りが必要になる。
だからまず、とにもかくにも悟るべきだ。
ただし仏典で資料集めをしている人種は別だ。
仏典を飯の種にしている人種も別。
805 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 10:57:08 ID:XBMsqxCv
悟りとは何か。
これだ・・・「谷、響きを惜しまず。明星来影す。」
806 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 11:06:58 ID:XBMsqxCv
谷、響きを惜しまず。明星来影す。
これが空海の瞑想体験である。
まず瞑想中の出来事であることを確認しよう。
そして後半の<明星>がアートマンである。
しかし前半は何だろう。谷間に波音が木霊しているのではない。
これが謎。だれか読める人はいないのか。
807 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 11:26:25 ID:XBMsqxCv
三教指帰・序
ここにひとりの沙門あり われに虚空蔵聞持の法をしめす
ここに大聖の誠言を信じて ひえんをさんすいに望む
阿国大りゅう嶽にのぼりよじ 土州室戸崎に勤念す
谷響きを惜しまず 明星来影す
808 :
一在家:2009/06/06(土) 12:14:46 ID:8aYZP8Vq
>>806 >谷、響きを惜しまず
谷中の万生に宿る仏性が空海を祝福しているように感じます。
>>804 一字一句にこだわることと、
「真逆のことを言う」ことは別だからね。
釈迦を指導者と見なさないとか、もうバカかとアホかと。
一字一句とかいう次元じゃないからね。
810 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 12:33:25 ID:qNoa9saf
>>807 >谷響きを惜しまず 明星来影す
瞑想して雑念を去った状態になると、谷川の音が聞こえてきて、明け方になる
と星が見えた、という自然描写。究極は、観念より大自然だ、という悟りだ
ろう。
811 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 12:44:24 ID:qNoa9saf
>>799 >もしかして、自分が「仏典情報を各自勝手に解釈」していることに気づいて
>さえいないのか?!
同意。言語とは、極めて不完全なもの。森羅万象を表現することなど、到底
できない。いかなる文献でも、その社会的背景や全体の文脈を考慮に入れた
「解釈・補充なし」では、「理解」は不可能。
外国語を「直訳」しても、日本語にはならない。
812 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 12:53:47 ID:Ri7dQAS+
>>808 実際に見たことはないのですが、
太平洋を望む洞穴の中で瞑想していたようです。
そこはたぶん、緑の少ない岩地の、貧しい場所ではないかと思います。
>>810 聞こえるなら太平洋の波音でしょうが、
大自然に感激しただけなら、わざわざ書くほどのことではないと思う。
序の流れからして、そこでの瞑想体験の簡潔な記述です。
>>811 まぁそれはそうなんだが、要は解釈の名のもとに、
テキストに書いてあるのと真逆の発言したり
「皆無である」とか適当に断言したりするのは、
お話にならないってことです。
814 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 13:07:40 ID:Ri7dQAS+
>>813 テキストにどう書いてあり、それに対してどの記述が真逆なの?
テーマを絞り、簡単に、わかりやすく示してください。
815 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 13:08:53 ID:qNoa9saf
>>812 >大自然に感激しただけなら、わざわざ書くほどのことではないと思う。
>序の流れからして、そこでの瞑想体験の簡潔な記述です。あ
空海が、なぜ「わざわざ書いたか」理解できなければ、空海の悟りは
理解できない。
「阿国大りゅう嶽にのぼりよじ 土州室戸崎に勤念す」と書いてるから、
二箇所における自然描写ではないか。最初は「谷川のせせらぎ」、後は
「明けかかった海岸の空に現われた明けの明星」のことだろう。
>>814 >>789 をめぐる問題。
あるいは法灯明自灯明をめぐる問題。
すでにスレ中に指摘もあります。
817 :
旧7:2009/06/06(土) 13:17:07 ID:ujb6JdVh
>>809 > 釈迦を指導者と見なさないとか、もうバカかとアホかと。
ここに、僧伽が(弟子達が)抱え続ける歴史的・根本的ズレが生じている。(当然、神格化等とも関連する。)
ブッダは、
「教団を統率し、統一し、引率し、組織として導き、組織の永続的維持」を目的としてはいないだろう。
結果そうなることが思い描かれたとしても、《その為に》おしえが説かれたのではあるまい。
(※ 魔が入滅を薦めた時の、
「弟子達(僧伽)が或る条件を備えない限り入滅は無い。今や弟子達(僧伽)は条件を備えた。入滅しよう。」)
という記述は、ブッダが“僧伽の確立・維持を十分に視野に入れていた”こと、
弟子達が“自分達僧伽の完成度を示したかった”こと、などが想定されるが・・・。)
あくまでも、個々の、一人一人の、(自分自身の!)解脱が願われ、目指され、《その為に!》おしえは説かれてきたのではないか?
この意味に於いて、ブッダは、「自身を『“組織の”指導者・引率者”』とは見ていなかった」のだろう。
だが、弟子達は違った。臨終の場面の描写を見る限り、弟子たちにとっては、
ブッダは『憧れであり、拠り所であり、頼るべき師であり、権威であり、基準であり、正しさの目安であり、
導く者であり、統率する者であり、僧伽の長であり、常に助言や導きを示す縋るべき存在』であったのだろう。
アーナンダ他の描写は、まさに、この部分が表れたものと言えると思う。
ちなみに、
>>789中のその部分は、ブッダ側からの台詞(経典からの台詞)でもあり、
上記のような「“如来”のスタンス」を基準とした言葉と見るならば、さほど問題はないと思われるが?
(勿論、件の文言が単体で述べられるとするなら、幾分問題は生じようが・・・w)
818 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 13:27:53 ID:qNoa9saf
>>816 「学ぶ」とは、「言葉」ではなく、言葉で表わされた「思想」に学ぶ
こと。さもなければ、教師の言葉の一字一句をノートし、丸暗記する
三流学生と同じ。優れた教師は、そんなことを学生に期待しているの
ではない。
言われたとおりに従うのは、幼稚園の「お勉強」w。「学問」ではない。
「学問」とは、従来の見解を理解した上で、現実に立脚して自分の考え
で批判し、一歩前進させることに他ならない。
819 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 13:28:39 ID:Ri7dQAS+
>>815 阿波と土佐、それぞれの場所で悟りを開いたということですか?
そういうこともあるのかもしれませんね。
しかし序には、ある僧から虚空蔵聞持法を教えられ、
それを信じて修行し、室戸崎で勤<念>した、とあります。
その後に「谷、響きを・・・」が書かれています。
序の文脈からして最後は、瞑想体験の記述ではないですか。
そうでないと、ある僧とか、虚空蔵聞持法とか、勤<念>とかの、
前のほうの記述が生きてこない。
>>817 ブッダ自身は悟りのことしか考えてない。
人類の存続も考えてないし、教団の存続も考えてない。
と思います。
有部とか、法華経集団とか、そういうのが神格化を図っていったのは
ほぼ確実と思いますが、その過程である種の「祈り」を手にいれた。
これはこれでメリットかもしれないなーと思ったりはします。
まさに像法ですがね。
809の文脈は「釈迦否定、仏典否定。
新しい時代なんだから、自分で好きに考えればいいんだよ。」
という独自宗教系の発言への嫌悪感の表明ですね。
まさに末法ですね。
>>818 > 「学問」とは、従来の見解を理解した上で、現実に立脚して自分の考え
> で批判し、一歩前進させることに他ならない。
問題は「従来の見解を理解した上で」の部分がすっぽり抜けて、
自分の考えで批判してるだけだってことだね。
こんなことじゃあ一歩前進どころか、あさっての方向にしか行かない。
822 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 13:43:35 ID:qNoa9saf
>>819 いずれも、瞑想体験の結果としての、「究極は、瞑想や観念などの『人
為』ではなく、あるがままの大自然」という「悟り」であろう。
親鸞が「自然法璽」を悟ったのも、その最晩年になってからである。
>>822 もしかして「自然法璽」の自然と大自然の自然が同じものだと思っているのか??
824 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 13:54:35 ID:qNoa9saf
>>821 「従来の見解」など、概説書を一読しただけで判ること。それを、「現代
社会の現実に立脚して、自分の頭で批判し、一歩前進させる」こそ重要で、
かつ至難の業なのである。
膨大な仏典の言葉に囚われていれば、一歩前進どころか、出口も見えな
くなり、永遠に迷ってしまうだけ。
825 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 13:56:22 ID:qNoa9saf
>>823 「人為を加えない、あるがまま」という点では、同じである。
>>824 > 概説書を一読しただけで判ること。
いや、キミには無理だから。
いままで散々間違えてきたし。
>>825 で?っていう。文脈が全然ダメじゃん?
親鸞がいってるのは阿弥陀信仰の話だしね。
それがどーして「観念ではなく大自然」になるのかwwwwww
一部合ってるから部分点くれってか?
どんだけあさましいんだよw
828 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 14:04:39 ID:qNoa9saf
>>826 批判や一歩前進が不可能な思考停止者には、間違いと思えるだけ。
そもそも、古典を学ぶ、とは、古典の「思想」を現代に適応させ、現代人
の糧とするため。その逆では、古典の価値はない。単なる「死物」「骨
董いじり」である。
829 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 14:10:14 ID:qNoa9saf
>>827 >一部合ってるから部分点くれってか?
優れた教師なら、満点くれるだろう。試験の出題者・採点者は、常に、
自分自身の器が試されているのであることを、忘れてはならない。
830 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 14:11:09 ID:Ri7dQAS+
>>822 釈迦はもとより空海も、
死ぬような修行をしているのに、その究極はこの大自然ですか。
ご隠居お得意のブラックユーモアですね。
831 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 14:19:34 ID:qNoa9saf
>>830 それが彼らの悟りなら、仕方がないではなかw。生活者は、とっくに
悟ってることだが。
大日如来も、曼荼羅も、大自然の象徴。キリスト教とは全く異なり、
結果的には、現実や自然や人間から一歩も離れていないことが、仏教
の偉大さであることを、理解する必要があるね。
832 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 14:32:22 ID:qNoa9saf
「自然法璽」の定義:
「事物(法)が作為を越えて、本来、本来自然に存することをいう。」
(岩波仏教辞典)
>>828 批判できるかどうかとか、思考停止してるかどうかと、
テキストが正常に読み取れてるかどうかは別の問題です。
自分の考えを表明するのは、理解できてから後。
>829
> 優れた教師なら、満点くれるだろう。試験の出題者・採点者は、常に、
> 自分自身の器が試されているのであることを、忘れてはならない。
それって「ゴータマもお喜びになるであろう」と同じだよね。
オナニーはキモイからやめろって言ったのに聞いてないね。
大体、試されてるのは出題者の方だって、
どんだけ自分が偉いと思ってるんだよwwww
>>831 > それが彼らの悟りなら、仕方がないではなかw。
そんなのが彼らの悟りじゃないと思うな〜w
> 大日如来も、曼荼羅も、大自然の象徴。キリスト教とは全く異なり、
> 結果的には、現実や自然や人間から一歩も離れていないことが、仏教
> の偉大さであることを、理解する必要があるね。
いや、離れてるよ。だから日蓮とかは大日如来嫌いだったって話だろう?
(違うのか?)
>>832 どうでもいいけど、相当しつこい性格してるね。
それとも、
>>827に書かれてること忘れちゃったの?
835 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 14:48:07 ID:qNoa9saf
>>833 オナニーの典型は、宗教者の開祖・教典盲信、修行、悟り、そして信仰。
世の中には、くその役にも立っていないw。
>>835 そうか。おまえはそういうのの同類なわけか。
837 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 15:13:04 ID:qNoa9saf
>>834 親鸞が、晩年になってようやく悟って、阿弥陀如来を「自然」の象徴と
看做せる心境になったのだろう。「はからいを捨てる」とは、「自然に
(如来に)まかせる」という意味。
仏教者なら、「無因有果説」で反論すべきではないのw。
838 :
一在家通りすがり:2009/06/06(土) 15:21:51 ID:hwE9VV34
>>806 >谷、響きを惜しまず 明星来影す。
谷中の万生に宿る仏性が空海を祝福しているように感じます。
後半の「明星」はアートマンでなく、ブラフマンの中の
どなたかが降下して、空海と一体になったように思います。
理由として、モーゼがシナ山の上でエホバと出会った時も、
炎のような光の中から声(テレパシー?)が聴こえたと体験を
伝えております。
839 :
一在家通りすがり:2009/06/06(土) 15:22:33 ID:hwE9VV34
「神は光なりき」ですので、エホバ、梵天、大天津神クラスに
なると、光の塊や明星のように預言者達には感じられたことと
推測します。
空海は朝廷の御前で大勢が見ている前で全身から光を発したという
記録も残っております。(誰か、出典をアップ願います。)
如来神通力の中の一つにこの力はあったと思います。
しかし、神仏の預言者達を哲学者にしたがる人々がこの板にも
多いのには驚きます。哲学板は無いのですか?
840 :
旧7:2009/06/06(土) 15:31:34 ID:ujb6JdVh
>>837 如来に委ねる自然と、大自然って全く違うじゃん。
何度いっても理解できないのかね。
842 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 16:23:53 ID:STt+ONAb
>「神は光なりき」
真光のかほりがプンプンしますなあ
843 :
一在家通りすがり:2009/06/06(土) 16:26:43 ID:hwE9VV34
出典:「中村元が説く仏教のこころ」中村元著、麗澤大学出版会
(釈尊は)アートマンが実在するか否かということについては、
まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。
仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認
していました。
釈尊の臨終の説法の一つは「自己(アートマン)に頼れ。
法に頼れ。自己を燈明とせよ。法を燈明とせよ。」でした。
釈尊は、人間の理法を実践するところに真の自己(アートマン)が
具現されると考えていたのです。
844 :
一在家通りすがり:2009/06/06(土) 16:28:33 ID:hwE9VV34
本スレの命題の「仏陀はアートマンを説いた?」ですが、
真の自己(アートマン)を説かれたということで宜しいのでは。
後は、中村元氏が参照した出典との併記で良いでしょう。
水野氏の同様の見解も既に紹介済みです。
845 :
旧7:2009/06/06(土) 16:56:26 ID:ujb6JdVh
>>844 なぜ、「 >真の自己 」と言い方を変えるんだい?
なぜ、「 アートマン 」のままではないんだい?
それは、貴方自身が(或いは貴方方が)、(無意識なりとも)
《そのままでは不都合がある、語弊を残す、こぼれおちる意味がある、余計な意味が付随する》 ことを、
敏感に感じているからじゃないかい?
問題なのは、「“その”アートマン」が、「従前の、ブッダ以前の思想に於けるアートマン」と、同か異か?
ということでしょ?
また、
我々が使用している≪『自己』『自身』『自分』『自分自身』『自ら』≫
などと同じ用法であった可能性を否定してゆく作業も必要だ。
重要な問題だ。
急いては、し損じるぞw
846 :
旧7:2009/06/06(土) 17:06:57 ID:ujb6JdVh
もっとも、
単に、「言葉、用語」の問題であるなら、(前シリーズ同様w)、
明らかに『 attan ( Atman ) 』の語は使用されている。
このことだけを指し、 《ブッダは attan ( Atman ) を説いた》 と結論付けても構わんけどなwww
847 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 17:34:52 ID:hp+9z+pi
>>838 空海は、谷ではなく、太平洋に面した岩場で瞑想しています。
そしてブラフマンが空海に入るはずがありません。
なぜならブラフマンは宇宙真理だからです。
宇宙真理が空海に飲み込まれたのでは、そこで宇宙が終わります。
空海が瞑想中に見たのは、自分のアートマンであり、
だからこそ空海の体に飛び込んでくるのです。
848 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 17:38:51 ID:nfAuoGoI
>>839 仏教は、哲学で揺さぶってもびくともしない、唯一の宗教だということだよ。
なお、「神は光」というのはおかしい。光は、闇に依存して存在し得るに過ぎない
し、光は、人間の心の安定・平安ではなく、逆に狂気を招く。「光と闇」の
二元論は、キリスト教経由のゾロアスター教の影響である。
「光」や「愛」を口走る宗教は、すべて胡散臭いと考えて間違いではない。
空海が「光」など口にしたのなら、中国でキリスト教(景教)の影響を受けた
可能性がある。詳しい方、教えてくれ。「光明皇后」も怪しいねw。
「霊魂」がアートマンなら、それは何から縁起したのかね。縁起がなければ、
「無因外道」に過ぎない。
849 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 17:46:59 ID:nfAuoGoI
>>847 >宇宙真理が空海に飲み込まれたのでは、そこで宇宙が終わります。
人間は、既に宇宙の一部だよ。人間の身体を「小宇宙」と呼ぶ。飲み
込まれる、飲み込まれないの関係ではないだろ。
850 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 17:49:51 ID:hp+9z+pi
このスレで思うのは、まったく同じ考えの人はいないけど、
部分的に重なる人、似たような考え方をしている人がほとんどである。
そんな中で、あれはいいけどこれはだめ、みたいなものがある。
しかし違いを強調するとののしりあいになってしまう。
自分のために話していると思えばエキサイトもするけど、
相手のために話していると思えば矛先を納める選択もあるのだろう。
851 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 17:52:39 ID:nfAuoGoI
人間の思考は、その基盤次第で百人百様となり、収拾がつかなくなる。
何を思考するかの前に、何を基盤として思考するかを思考し、決定し
なければ、すべての思考は無意味・無価値である。
人間の思考である以上、その基盤は「すべての人間に共通する唯一の
普遍の事実、即ち、生物的生存本能(生命)」でなければならないのは、
当然の帰結だろう。
宗教を含め、人間のすべての営みは、生存本能(生命)の応用問題なの
である。
852 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 17:57:48 ID:Iqz4FZqN
>>843-844 主旨としては私も同意です!
>>845 中村元氏の理解によるところでは、
(もう少し、前後部分までも転載すると)
『自己の心を知る-----原始仏教では特別に「良心」という語を用いることは無いが、或る場合
には、アートマンすなわち自己が自己の監視者として、西洋倫理でいう「良心」に近いものと考え
られていた。
『悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。人よ。真実である
か虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に尊いアートマンを汝
は軽視している。---自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。』
(AN.T,p.149G.)
これはバラモン教のほうで『マヌ法典』において、
『自己(アートマン)こそ実に自己の証人(sa^ksin)であり、また自己は自己の帰趣(gati)である。
諸々の人間にとって最高の証人である自分の自己を軽視することなかれ。』(Mann
YU ,84.)
という思想に対応するものである。自分自身が証人となるのである。
原始仏教のみならずインド思想一般では「良心」(conscience,Gewissen)という術語をつくらなか
った。良心の問題はどこまでもアートマンの問題として論じられているのである。』
(中村 元著『自己の探求』青土社刊p105-106/1980年刊)
853 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 17:58:57 ID:Iqz4FZqN
といい、また悪い行いは人々に批難されるべきものであり、たとえ人々に知られなくても、まず
自分が知っているという(MN.T,p.361.)。これは西洋における「神と共に知る」という思想とは対
立的だが、善悪の行為を“神々が”見ているという思想があり(Therag.,497.)、“神々と完成した
人々”は見ているから隠すことはできないともいう(AN.T,p.150G.)。
ここで中村氏によって示されているのは、私たちが目指すべきものである「良心=自己」が、自
己の監視者であるところのアートマン(つまり真実の自己)なのである、アートマン問題として論じ
られているのだ、という意味です。
このことは原始仏教でもバラモン教、及びインド思想としては何ら変わりがない、というもの。こ
れが中村氏の一貫した姿勢と見解であるとして、この私は理解します。
旧7さんのご指摘の通り、これは実に大切な部分なので皆さんからの活発な投稿については歓
迎します。
854 :
暁:2009/06/06(土) 17:59:03 ID:Mz0HSJjX
>>843 仏教は形而上学的原理としてのアートマンを否定し、そのためにこの思想的立場は無我説と
呼ばれていますが、それは決してアートマンを否定したのではありません。
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
引用『中村元が説く仏教のこころ』
前述してあるこの部分も抜粋してくださいな。
855 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 18:05:27 ID:hp+9z+pi
>>848>>849 自然主義的な、唯物主義的な見方は基本的なものだと認めます。
しかしそれを超える体験が悟りなのです。
究極的な悟りは、釈迦も空海もイエスも同じレベルになるでしょう。
だから真理はひとつであり、どの宗教も似てくるのです。
空海の悟りはすでに述べた通りです。
856 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 18:05:44 ID:D6+s8bRd
>>816 >
>>789 をめぐる問題。
789をアップしたのはおいらだけどその何がどう問題なの?
その後のレスで具体的に問題を指摘してるのは無いようだけど。
>あるいは法灯明自灯明をめぐる問題。
これも
>>156でおいらがアップしたのだけど何が問題なの?
あなたは「大パリニッバーナ経」読んだこと無いの?
857 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 18:06:16 ID:nfAuoGoI
>>852 「君自身」は、中村氏の見解を、現実に立脚してどう批判し、どう進歩させた
いのかね。「有名人の他人からの借り物見解」のコピペは無意味で、2chの
貴重なスペースのムダ。単に「権威への盲従」という、卑屈で醜悪な姿に過ぎ
ない。
858 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 18:15:12 ID:Iqz4FZqN
>>848 >光は、闇に依存して存在し得るに過ぎない
光無きところを闇と呼ぶだけです。
「闇無きところに光在り」とは言わない。
光とは象徴語として理解すべきです。
尚、完成者及び高度なレベルにある修行者は光輝いている姿を示すことができます。
>「霊魂」がアートマンなら、それは何から縁起したのかね。
>縁起がなければ、「無因外道」に過ぎない。
究極的にはアートマンも縁起してます。が、
そこまではゴータマも説かず(余計な関心と議論は避けたいので)、
このスレではそこまでは追わない(分る人だけが分っていれば済む問題)w
859 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 18:19:20 ID:hp+9z+pi
空海の「谷響きを惜しまず」は
ヨハネ福音書にあるロゴスに近い内容だろうと思います。
真言宗を名乗るのはここに由来します。
「光あれ。」といえば「光があった。」という話しです。
860 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 18:25:36 ID:Iqz4FZqN
>>857 >「君自身」は、中村氏の見解を、現実に立脚してどう批判し、どう進歩させたいのかね。
思想界の誤解が晴れるこで、宗教界における対立がなくなる。
お互いに対する違いを理解すると共に、他思想の尊重へと繋がります。
アプローチの違いや方法論の差、地域や時代そしてレベルの差(これも必要)として
有用視することが可能となる。
>卑屈で醜悪な姿に過ぎない。
すまぬ..。しかし、根拠の提示は必要なものですよ。
あなたには何ら示すべき根拠がない。個人妄想ばかり・・です。
自分勝手な思想や新しいものであるならば、立宗でもして下さいな!
861 :
一在家通りすがり:2009/06/06(土) 18:30:58 ID:gRpKy476
出典:「中村元が説く仏教のこころ」中村元著、麗澤大学出版会
アートマンが実在するか否かということについては、
まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。
仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認
していました。
釈尊の臨終の説法の一つは「自己(アートマン)に頼れ。
法に頼れ。自己を燈明とせよ。法を燈明とせよ。」でした。
釈尊は、人間の理法を実践するところに真の自己が
具現されると考えていたのです。
※()を2箇所外しました。これで原文です。
アートマン:人間の理法を実践して具現される真の自己
ですか。
862 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 18:33:16 ID:nfAuoGoI
>>860 >あなたには何ら示すべき根拠がない。個人妄想ばかり・・です。
私のアートマンが、根拠であるw。
863 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 18:35:20 ID:D6+s8bRd
>>820 >ブッダ自身は悟りのことしか考えてない。
>人類の存続も考えてないし、教団の存続も考えてない。
>と思います。
あなたがこのように思う根拠は何ですか?
「大パリニッバーナ経」(中村元訳 岩波文庫)によれは釈迦は
死ぬ前に事細かにアーナンダに自分の死後のサンガのことについて
指示しているね。
大パリニッバーナ経第六章 23臨終のことば
一 そこで尊師は若き人アーナンダに告げられた。−−
「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかも知れない、
『教えを説かれた師はましまさぬ。もはやわれらの師はおられないのだ』
と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた
教えと私の制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。
二 また、アーナンダよ。いま修行僧たちは、互いに『友よ』と呼びかけて、
つき合っている。しかし、わたしが亡くなったのちには、お前たちはこのように
つき合ってはならない。アーナンダよ。年長である修行僧は、新参の修行僧を、
名を呼んで、また姓を呼んで、または『友よ!』と呼びかけてつき合うべき
である。以下略
三 アーナンダよ。修行僧の集いは、わたしが亡くなったのちには、もしも
欲するならば、瑣細な、小さな戒律箇条は、これを廃止してよい。
四 アーナンダよ。わたしが亡くなったのちには、修行僧チャンナには
<清浄な罰>(ブラフマ・ダンダ)を加えなさい。以下略。
864 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 18:45:52 ID:Iqz4FZqN
すみませんが、
どなたか善意の方、次のスレ建てを宜しくお願いします。
(勤務が多忙となった間に一気にレス番が進み、返答が遅れている部分もあり)
できれば、
(仏教以外の専門的な内容はスレ違いなので他でお願いします!)
の一文を追加してもらえると助かります。
865 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 18:52:37 ID:D6+s8bRd
>>863 承前。
これだけ事細かに死後の教団のことについてアーナンダに遺言してる
のだから、釈迦は教団の存続も考えていないということはありえないだろ。
ところが、これだけ言ったにもかかわらず第六章25遺体の火葬時には
20 そのとき、年老いて出家したスバッダという修行僧がかの会衆のうちに
坐っていた。さて、年老いて出家したスバッダはそれらの修行僧にこの
ように言った。
「やめなさい、友よ。悲しむな。嘆くな。われらはかの偉大な修行者から
うまく解放された。(このことはしてよい。このことはしてはならない)
といって、われわれは悩まされていたが、今これからは、われわれは
何でもやりたいことをしよう。またやりたくないことをしないように
しよう」と。
と、既に釈迦に造反する修行僧が出てきている。釈迦はよっぽど細かい厳しい
戒律を定めていたんでしょうね。
でも、この細かい戒律を廃止する件は後に第一回仏典結集の積で否決されたよう
ですが・・・。
866 :
旧7:2009/06/06(土) 19:15:48 ID:ujb6JdVh
>>858 だからぁ・・・www
『 縁起するアートマン 』なんてのは、『 ブッダ以前のアートマン 』についても言えんのか?
ってことだよw どんだけ頭悪いんだよ?w
愚者ってのは賢者の裏返しじゃなかったのか?
>このスレではそこまでは追わない(分る人だけが分っていれば済む問題)w
こんな姿勢のどこが仏教なんだ? (てか、そここそがこのスレのテーマなんじゃねーの?www)
>そこまではゴータマも説かず
またかよwww 以前、君が好んで引用していた『師の握拳』に抵触しないのかい?w
それとも、一在家の如く、極一部の者にはきちんと説いていた、という立場かい?
867 :
宝珠愚者:2009/06/06(土) 19:17:20 ID:Iqz4FZqN
>>862 >私のアートマンが、根拠であるw。
あなたは、典型的なアートマン否定者(存在自体を認めない)でしょう!
まったく都合イイよなぁ〜。いつもそうだけどさw
868 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 20:16:11 ID:D6+s8bRd
>>861 >仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認
>していました。
その根拠になる出典は何ですか?
>釈尊の臨終の説法の一つは「自己(アートマン)に頼れ。
>法に頼れ。自己を燈明とせよ。
同じ中村元訳の大パリニッバーナ経の該当部分に「自己(アートマン)」
なんか書かれてないけどね。
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして・・・」となっている。
何でそんなに「アートマン」に執着するんだ?
アートマンなんか無くても何も困りはしない。
869 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 20:57:29 ID:HhEUZqGr
>>868 >何でそんなに「アートマン」に執着するんだ?
>アートマンなんか無くても何も困りはしない。
キリスト教系の人々にとっては、本当に困るんですよ。困るというより、死活
問題、殆ど恐怖感です。神やイエスの自性がなくなれば、それらは吹っ飛んで
しまうからです。だから必死で、アートマンの存在を主張しているのです。
>>848 浄土教は西北インドで2,3世紀に成立している。
法華経より早い
クシャーナ朝を地図帳で見ると良い
インド西北からペシャワルー、カシミール、パミール高原をもつつむ大帝国をつくっている
仏教が西域経由で伝来した由縁だが
ゾロアスター教的世界観はもともとアーリア人種に古くから伝わっている宗教思想で
ゾロアスター教の歴史よりはるかに古く遡ることができる
ヒンドゥにおいて見られるアスラとデーヴァの対立もゾロアスター教と同起源のもだ
871 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 22:08:50 ID:8ZbyynqA
アートマンを語るなら、ブラフマンについても知っておく必要がある。
ブラフマンは宇宙の本質であり、それはヴェーダーの言葉を意味しており、
言葉の響き(ヴァイブレーション)のことをいうらしい。
別の説明によれば、あらゆる物質的なものを取り除いた後の場所をいうらしい。
この場合は、仏教で言う<空>のイメージと似ているかもしれない。
これに対するものが、アートマンであり、元来は気息を意味していた。
それが後に、自己の実体(本質)はアートマンであると言われるようになった。
872 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 22:19:36 ID:8ZbyynqA
>>870 キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教、バラモン教、仏教などが
相互に影響し合っていたことは明らかですね。
釈迦が<空>の思想だけを説いたとはまったく考えられない。
>>872 創唱宗教が土着宗教の影響をうけているのはそうだろうが
基本、いったんドグマ化されるとよほどのことがないと変わることはないよ
キリスト教が、クリスマスやイースター、煉獄などをつくったのは
土着宗教との習合の結果だが、根本教理はかえてないだろ
煉獄って最近知ったんだが、ヨーロッパ人が祖先崇拝していた証拠なんだってな
ゲルマンの王が祖先はキリスト教を信じていないから今、地獄にいるのか?と聞いたところ
キリスト教徒はそうだと言ったため、王はキリスト教徒をことごとく殺したらしい
これに懲りたキリスト教徒が先祖は煉獄というところにいて、
そこで悔い改めれば、天国にいけるのですよと一発ふいたとか。
>>873 宗教がドグマ化され、宗教を職業にする人たちが出てくると
命がけで詭弁を弄し、武力でドグマを守り始める。
煉獄の話はありがとう。
前々から納得がいかない話なので棚上げにしていた。
しかしこれで棚から落ちた。
875 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 23:06:19 ID:HhEUZqGr
現代の仏教徒は、膨大な仏典の言葉の解釈の中に迷子になることなく、仏典の
思想の「原理」を抽出する努力をすべきだね。
キリスト教は「絶対」を求める宗教。仏教は「関係性」「相対」に思い至った
宗教。仏教者は、この両教の巨大な「原理的相違」の理解から始めるべき。さ
もなければ、仏教自体の理解も不可能であろう。
876 :
旧7:2009/06/06(土) 23:07:14 ID:ujb6JdVh
>>873 宗教ってのは、
そうした部分に覆われている(いや寧ろ、そうして出来上がった部分しか目につかない)ものであるわけだが、
「オカルトかぶれ」や「神秘性偏重主義者」は、こういう点に全く無頓着なんだよね・・・w
勿論、仏教も例外ではない。
>>875 宗教の理解はキリスト教はどうか知らないが
少なくとも仏教では、教えの骨格の理解による全体の把握は空見におちいるとおれは思っている。
空海の三教指帰・序を再掲しますね
ここにひとりの沙門あり われに虚空蔵聞持の法をしめす
ここに大聖の誠言を信じて ひえんをさんすいに望む
阿国大りゅう嶽にのぼりよじ 土州室戸崎に勤念す
谷響きを惜しまず 明星来影す
この序を読めば、何が響いたのかを想像できるのではないか。
たぶん虚空蔵聞持法で唱える陀羅尼だろうと思う。この法は
「ノウボウ アキヤシヤキヤラバヤ オン アリキヤマリボリ ソワカ」
この陀羅尼を1日1万回、あるいは2万回唱え、計100万回唱える。
879 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 23:24:24 ID:HhEUZqGr
>>876 >勿論、仏教も例外ではない。
どろどろした宗教としは例外ではないかもしれないが、思想と哲学性における
仏教の例外的卓越性を理解できない者は、仏教者とは言えないなw。
つまり釈迦は魂の存在については説かずに、
まず、縁起つまり原因結果の法則を説いたのではないだろうか。
苦・集・滅・道の四諦八正道でもある。
「アートマンは穢れている」とかなんとか言ってたんじゃないか。
そこでその汚れを八正道の実践によって取り去ることで、
アナートマンとなり、それが無我と訳されることになる。
この世において、目に見えるものや触れるものは実体ではないので、
人間とて実体ではないので空であり、無我であるというのも、
この世的なる意識を去ることが解脱につながっていくと思われます。
つまりブラフマンというものがもっと清浄なる存在、聖なる存在、
愛や慈悲の存在ではないかということでもあります。よって、
我はあっても無我なのです。これが悟りです。
>>879 色即是空の色が、この現実そのものでないことは理解できましたか。
犬も空、猫も空、ゆえに犬イコール猫は卒業してください。
882 :
旧7:2009/06/06(土) 23:38:22 ID:ujb6JdVh
>>879 馬鹿か?
2500年というスパンは2500年というスパンで「見ろ(観ろ)」ってことだ。
どんな人物(特に芸能人に多いがw)でも、どんな作家・制作スタジオ・作品のシリーズでも、
『黒歴史』という言い方がされることがあるが、それを
【無かったことにする】のが、最も忌むべき行為であり、お前はそれに荷担してるんだよ。
背負って歩いてこそ、清算になるんだよ。
犬や猫、バナナやリンゴを、<空>と認識することに、
何の意味があるのですか。無意味だし、むしろ有害といってもいい。
仏教で言う<空>は、愛憎とか好き嫌いとかの話であり、
それらは空だから執着するなということです。
884 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 23:50:28 ID:HhEUZqGr
>>881 それでは、「色即是空」だけの意味になる。
般若心経が、「色即是空」「空即是色」と、両句を並列したことの「凄さ」を、
君は理解しているのかね。
>>875 相対に思い至ってるのは、仏教というよりジャイナ教だろうな。
886 :
暁:2009/06/06(土) 23:54:14 ID:Mz0HSJjX
一切の執著を脱せんがために勝者(仏)により空が説かれた。
しかるに人がもしも空見をいだくならば、その人々を
『なんともしようのない人』
とよんだのである
(中論13.8)
一切の執見によってつくられた執著の脱すること、すなわち、はたらかないことが空である。
そして執見によってつくられたものの止息のみは有ではない。
しかるにその空においてさえも有の執見をもっている人々に対してはわれわれは答えない。
もしも甲の人が「私はあなたに何も商品を与えないであろう」といった場合に
乙の人がもしもその「何ら商品ならざること」ということを与えよ
といったとしたならば、その人(甲)はいかなる手段によって
「商品が無いこと」をとらえさせることができるであろうか。
同様に、誰にでも空においてまた有の執著が存するならば
いまや何によってその人々の、空における有の執著が破られるであろうか
(プラサンナパダー247〜248P)
また空見は二種あり、上に書いた空を有と解すものと、空を無と解すものがあるよw
>>884 どう凄いのですか? 犬と猫の例でお願いします。
888 :
神も仏も名無しさん:2009/06/06(土) 23:58:51 ID:HhEUZqGr
>>882 >背負って歩いてこそ、清算になるんだよ。
それでは、いつまでたっても、清算は「結了」しないw。時代は大きく
変わったのだから、過去の遺物はきっぱりと捨てる、という方法もあり
ますよ。「筏の乗り捨て」の教えもあります。
結了するから背負うとか、しないから背負わないとか、
そういう分別自体が真摯さからかけ離れている。
ただ背負う。他にどうしようもないんだよ。
ただ背負うところに引きずり戻される。
どんなに他の道に逃げても、回避しても忘れようとしても、
実際忘れてたとしても、必ず同じコトが起きる。
自分が背負うまで。
そのことに覚悟が決まった時、ただ背負う以外ない。
890 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 00:12:58 ID:9YO+0GhH
>>887 犬や猫を煩悩の対象とすれば、それらを「空(無自性)」としなければ、
煩悩を去ることはできない。しかし、一方、それらの空なる犬や猫も、
現実に存在するのだから、付き合わざるを得ない。「ない」が、しかし
「ある」。般若心経は、「無も、また、無い」と言ってることを、忘れて
はならない。
891 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 00:26:35 ID:9YO+0GhH
>>889 すべては、縁起・空である。「過去を背負う」という表現は、過去を「実体視」
していることになりますよ。
892 :
旧7:2009/06/07(日) 00:28:53 ID:fORQy/Md
>>888>>891 ああ。捨てたっていい。
ただ、 いいか、 【捨てた後、その捨てたものが無かったことにされてはならない】ということだ。
釈尊は苦行を排した。貴方の論理ならば、苦行については説かず触れずに済ませばいい。
だが、釈尊は、自身の経験としてそれを説いている。(五比丘然り、聖求経然り)
なぜ、仏伝の構築が可能かと言えば、釈尊が自ら過去のことを想起し、
「私は以前、これこれこうであったが、今は、これこれこうである」と説いているからだ。
(テーラ・テーリーGも、そのような述懐が多い。)
捨ててもいい。が、【捨てた後、その捨てたものを無かったことにする】ことは、本質的意味では「偽りの生」だ。
(※但し、世俗に於いて、日常に於いては、その手法を採ることを否定はしない。
『その手法が最適である場面(事象)』はあり得るだろう。精神衛生上、その方が良い場合があることを認める。)
>>890 だいぶ話をずらしましたね。
質問は、犬と猫が空でイコールになり、その空が犬と猫とに分別されることの
意味だったのですが。煩悩なら空は、犬や猫ではなく、心の思いになります。
894 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 00:35:06 ID:9YO+0GhH
>>892 空の理論から言えば、釈迦の過去も、釈迦自身も、空だということに
なりますね。さもなければ、終始一貫しない。
895 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 00:45:45 ID:9YO+0GhH
>>893 煩悩の対象が犬であれば、犬が空であり、猫であれば、猫が空である。
「色」とは、文字通り、五感で知覚できる世界。煩悩(心の思い)は、
「色(現実)」から生じる。「色」が「心の思い」、即ち、「空」なら、
「色即是空・空即是色」というフレーズは、全く無意味になる。「空即
是空」だけでよいことになる。
896 :
旧7:2009/06/07(日) 00:49:31 ID:fORQy/Md
>>894 言わんとすることが解らないわけではない。
が、
2ch内にその主な生息域を持つ『「空」教信者』一歩手前ですよw
カラス氏の批判の一つは、まさにそのような、
「空」という語を用いた「逆何でもアリ」を言っているんですよ。
「空」は、何も無いということではない。価値が無いということではない。
ここを勘違いすると、「虚無主義」という批判への反論ができなくなるぞ。
(また、「空(シューニヤ)」と「空性(シューニヤター)」の区別をしてるかい?)
(※但、パーリの「空」は「○○が無いこと」を意味しているかもしれない・・・。(未考察))
ま、いいか。 御隠居の応は私の担当ではないし・・。
897 :
旧7:2009/06/07(日) 00:50:36 ID:fORQy/Md
>>894 ちなみに、
>釈迦の過去も、釈迦自身も、空だということに
その通りですよw
犬や猫を空にするのも、歴史の事実を空にするのも、
ご隠居のユーモアということで解決しました。
このスレッドには、ブッダよりも凄い人がいますね…。
誰とは申しませんが…。
900 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:02:35 ID:9YO+0GhH
>>896 「何でもアリ」で、かつ「何でもナイ」ですw。
「空即是色」というフレーズが、虚無主義になることを、しっかりと
防いでいる。般若心経は、大いなる現実肯定と解する。「空」という
仮設の外には、人間が生存できる世界はないからです。
901 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:10:15 ID:9YO+0GhH
902 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:11:56 ID:NVXbn0kc
全てを超越した存在が実在し、事象があるかだろ?あるよ。抑圧から解放を求める人々の為にブッダも空海も、安息の真理「道」を解いた。
903 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:18:09 ID:9YO+0GhH
>>902 苦が「色」から生じると同様に、安息も「色」から生じる。一方だけ
では、首尾一貫せず、「真理」ではない。
904 :
暁:2009/06/07(日) 01:24:24 ID:bWG3lSx5
あらゆる事物はそれ自体の本性を欠いていて、縁起して成立している。
自体の本性を欠いていなくて、自性を承認するなら現象界の変化が成立しないことになる。
なにものにも依存せず、独立してそれ自体で成り立つものはありえない。
無自性であるからこそ、現象界も成り立つ。無自性とは縁起。縁起とは相互限定、相互依存。
空も無自性も縁起を意味してる。空観はあらゆる事象を否定したり、空虚であるとみなすものではない。
つまり、空とはあらゆる事象を建設し、成立させるものでもある。
905 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:28:41 ID:9YO+0GhH
906 :
暁:2009/06/07(日) 01:34:42 ID:bWG3lSx5
907 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:52:12 ID:NVXbn0kc
苦が「色」ととらえるのはどうか?「悟り」は存在から受けると考えは無いか?個人的には、岩波の著者は事象が無く?重要なヶ所が、欠けていると思う。この事象は修業で体得できると信じる。また現代社会で望まれる、如何に生きる?を、安息の領域に示す必要がある。
908 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:52:27 ID:9YO+0GhH
>>906 このスレは、小乗色が強すぎて、気付きませんでしたw。
現象界の成立が可能なのは、無自性、相互依存によってのみですね。絶対性・
実体性では、排斥と破壊あるのみです。
909 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 01:59:59 ID:nY3LO3X5
アートマンも縁起しているという話が理解できない人がいるので
俺がまた、猿にでもわかるたとえ話をしてあげよう。
夢の喩え話をしてあげただろう。夢をみている主体は、夢の世界、そこの登場人物を
客観的に観察している。時にはそこの夢の住人になり、
その世界を体験したりするが、その世界の主人公となる自分を外から客観的に
眺めている時もある。夢の世界の住人達はそれぞれ個性があり
好き勝手に行動したりするが、彼らの心は別個に見えて、実は夢を見ている者の
意識の中にあり、彼の心でもある。皆、別人、別人格に見えて、実は彼の心であり、彼独りなのだ。
この観察者を、ヨーガスートラでは、見る者と表現され、フリーメーソンではシンボルとして
万物を見渡す目として描かれる。この万物を見渡す目とは、ルシファーの目とも
呼ばれる。ルシファーとは悪魔と同一視する人が多いが、そうではない。彼は明けの明星。
いと高き者。彼は地に落ちた。地に落ちた彼を、サタンと呼ぶ。それは一つのもを二つに分け、
我々の肉に自我。つまり我々のことである。少し話が脱線した。末法仏教徒にはもったいない話だ。
話を元に戻そう。彼はいつまでも夢を見ているわけではない。いずれまた深い熟睡の域に
入る。そのときの彼の意識は、無に等しい。だがそれは完全な無ではない。
なぜなら、彼は再び夢を見るからだ。
910 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 02:00:43 ID:nY3LO3X5
では彼が存在しているといえるときはいかなる場合か?
それは、観察しているときである。このとき彼は見られる者がいて初めて観測者がいる
という相対関係にある。つまり真我ともいえる彼もまた、見られるものと相対関係にあって
初めて存在している、無自性な存在なのである。もちろん単独で存在し得ないので、主体性とも
いえる、アートマンともいえない。彼がアートマンといえないのなら、他にアートマンといえる
存在はなく、ゆえにゴータマは、一切法無我を説いた。では彼が単独で存在することはないのか?
それはあるといえばある。その状態は全ての観測をやめ熟睡の域に達したときである。
この場合は対象がまったくないので、彼は単独で存在しているとなるが、話はそう単純ではない。
なぜなら彼が認識作用、識別作用をやめたとき、つまり意識活動の全てを停止した
状態のとき、それは無の状態だからである。つまりその状態のときは彼は存在していないに
等しいからである。ではその状態を無と言い切れるのか?否。なぜなら彼は再び識別作用
により、夢を見、観測を始めるからだ。自性は在るのか無いのか?これは厳密に言うと、
在るとも言え、無いとも言える。なぜなら彼が存在しているときは、見られる者がいて初めて
見る者が識別できるのであって、あくまで、縁起でしか存在しえず、それでは自性(主体性・アートマン)
とはいえないものである。では識別作用なくした状態のときは?それは無の状態であり
自性とは呼べないものである。では自性は無いと断見してもいいのか?否。
なぜなら見方を変えると、彼は単独で存在しているので、彼は自性と言えるものであるとなる。
ま、俺の話は、宝珠氏の話と同じものかどうかは知らないけどね。
911 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 02:02:54 ID:nY3LO3X5
>>886 竜樹の言葉遊びでしかない、空論教、中論教の信者はお呼びじゃねぇんだよ。
言葉遊びは、そんなにたのしいか(苦笑)
912 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 02:06:32 ID:9YO+0GhH
>カラス氏へ
夢から覚めて、顔を洗ってから、書き込んでねw。
913 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 02:16:58 ID:nY3LO3X5
>>707 >龍樹の思想の根本は空の思想だよ。それはあらゆる対立を離れたものだ。
よぉ、この現象世界は有・無の対立を離れているという能書きの根拠は何だ?
答えろ。
おまえら馬鹿だから教えてやるけど、有と無があるからこの世なんだよ。
この世界は二元世界なんだよ。
竜樹の考察はお前の書いた
>>562のように、あくまで言語上での考察でしかなく、
識別智の「言」では正確に表現し得ない自性を理解し得ないものであると言ってるんだよ。
竜樹の能書きは、本質ではなく、表象上のものでしかない言語上の言葉遊びばかりだ。
914 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 02:22:01 ID:nY3LO3X5
>世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。
>世の中をこのように観ずる人は、 死王もかれを見ることがない。
〜スッタニパータ
>>900 アホガ。この世界は実体の無い幻だからそんなものに執着するなというのが仏の
教えなんだよ。おまえよ、いいかげん法を捻じ曲げてくだくだ能書きたれてんじゃねぇよ。
915 :
暁:2009/06/07(日) 02:32:45 ID:bWG3lSx5
>カラス氏よ
チンピラじゃないんだからその汚い物言いはやめなよ
916 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 02:36:29 ID:nY3LO3X5
917 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 02:39:10 ID:nY3LO3X5
神を知ることということは、真実の自己を知ることだ。
それは肉の自我である今の私を忘れること。そうすれば本当の自分である
神と呼ばれる存在を思い出す。
918 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 02:49:21 ID:nY3LO3X5
自性を否定しながら、私はお前と私の二辺を離れるそんなものは無いのだ。
なんて能書き垂れてんのは、お花畑だろ。実質的にはそんな思想何の意味も無い。
現にこの現象世界には、お前と私がいるんだからな。
痛いも、快楽もそんなものは無い。私は、痛いも快楽もその二辺から離れている、
空である。なんて得意げに空理空論を語っている奴がいたら、木刀でしばきまわしてやれば
いいんだよ。以下に自分たちの空理空論が役に立たず、意味も無いものか、思い知るだろう。
919 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 03:27:10 ID:BR2jUhTP
>>909-910 >ま、俺の話は、宝珠氏の話と同じものかどうかは知らないけどね。
いや、素晴らしい解説だと思います。
同意します-異論なし!
>>914 >この世界は実体の無い幻だからそんなものに執着するなというのが仏の教えなんだよ。
>
その通りです。
マーヤーというと、また彼らは理解できないし・・w
『シャンカラによれば現象世界は幻(マーヤー)なのである。幻といっても現象世界が無だというわ
けではない。それなりの存在性は認められているのであるが、このブラフマンに付随する性質として、
このようにわれわれに視覚されるのみだと考えられている。』
(立川武蔵著『空の思想史/原始仏教から日本近代へ』講談社刊)
>>917 >神を知ることということは、真実の自己を知ることだ。
>それは肉の自我である今の私を忘れること。そうすれば本当の自分である
>神と呼ばれる存在を思い出す。
同意です。
極論としては、宗教間の違いは方法論の差でしかない。
920 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 03:28:22 ID:BR2jUhTP
>>912 >夢から覚めて、顔を洗ってから、書き込んでねw。
この世(現象世界)は“神の夢”といういい方があります。
ゴータマは神(至高神)というアプローチを取らなかっただけです(誤解を避けたい意志の表れでしょう)。
分る者にはどちらでも理解される。どちらも同じことを示しているものとして理解される。
理解できずに混乱し、誤解を起こす者には説かれないということでしょう。
921 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 03:31:01 ID:BR2jUhTP
>>781 この指摘は、
訳語に着色を感じるという意味になるでしょうかね・・。
英語の直訳が日本語として適切になるわけではなく、
そこは意訳されることによって、やっとスムーズな日本語としての意味として通ることになる。
しかし、度が過ぎると誤訳とされるということでしょう。
『直訳(ちょくやく)とは、別言語に翻訳する際に原文の文法と単語を忠実に再現する手法で
ある。これは、原文が意図した概念や構造をそのまま残すことができる点で論理性が重要視
される文献には重宝される。対して、文学作品のように語感やニュアンスを伝えることが重要
である文献では、原文の文法や単語にとらわれずに、意味するところ、意図するところを再現
する手法、つまり、意訳が必要となる。』(Wikipedia)
この意訳的な著者(訳者)の持つ意図なるものが、
>>852-853の部分になるかと思います。
また、お気づきの点があれば、ご指摘願いたいです。
922 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 03:38:47 ID:nY3LO3X5
>>921 ま、そこの言語学者もどきの能書きは便所紙ほどの値打ちも無いものでしょう。
なにせ彼は、中村元氏より優れていると勘違いしているようですから。
原文に後世の書き加え、修正があるというなら、原本などを発見して、内容が違う
などの決定的な証拠が無ければ、全て仮説に過ぎないものです。
聖書学者にしろ、この末法仏教徒にしろ、自分達の価値観に合わない経典の文言の部分は
全て後世の書き加え、修正などという主張は、もう、おなか一杯です。
>>781 >「te(汝の)」は、後代の附加なのかも。
アートマンの本当の意味が「自分自身(自己)」ということであれば、「汝の」という部分が不要であるから、後代につけられとする説も納得できる。
「アートマンの部分」を「自分自身」に変換すると次のような文章になる。、
>(1)悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。
>人よ。真実であるか虚偽であるかを、自分自身が知っているのだ。
>(2)証人よ(sakkhi)。実に尊い自分自身を汝は軽視している。
>---自分自身のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。
924 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 05:44:00 ID:k5xReOFP
>>868 >何でそんなに「アートマン」に執着するんだ?
このスレのタイトルが「仏陀はアートマンを説いた?」
ですか、アートマンを説いた文献を探しているのです。
「仏陀はブラフマンを説いた?」ならば、ブラフマンを
説いた文献を参照します。
925 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 05:48:10 ID:BR2jUhTP
>>923 では、仮に百歩譲って「汝の」という部分が後代の附加としてみましょう。だからといって何なんだ!
ともいえると思います。
通常、凡夫としての我々は自己のアートマンを意識できない。何故、「自己のアートマン」といういい
方(つまり、自己の自己という二重の言い回し)があるかというと、それは、自覚している低我としての
自己意識というものは、そのままではアートマンたる真実の自己を自覚できないからです。そのことを
表現するための言い回しですよ。
後代にその文意を示すものとして、「汝の」を付け加えたとしても、この経文そのものが伝えようとし
ている意味には特に変化はない。
中村氏が指摘したい点とは、『良心の問題はどこまでもアートマンの問題として論じられているので
ある。』(中村 元著『自己の探求』) という部分にあります。
「真実であるか虚偽であるかを、自分自身が知っているのだ。」の「自分自身」とは、アートマンのこと
を指す。そして、「自分自身のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。」の「自分自
身」とは、「悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。」の「悪い行いを
する人」のことです。
意味は問題なく通じているでしょう!
926 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 05:53:20 ID:BR2jUhTP
>>866 >『 縁起するアートマン 』なんてのは、『 ブッダ以前のアートマン 』についても言えんのか?
>ってことだよw どんだけ頭悪いんだよ?w 愚者ってのは賢者の裏返しじゃなかったのか?
もちろん、同じアートマンのことです。
しかし、そこまでゴータマは説いてないと思います。仏典のどこにも記されてはないでしょう。
私は裏返しではなく、文字通りの愚者です。勝手に賢者扱いすんなやwww
>以前、君が好んで引用していた『師の握拳』に抵触しないのかい?w
必要な教えは全て説いたのでは。
ゴータマの性格上、余計なおまけ的な部分は説かないでしょう。
>それとも、一在家の如く、極一部の者にはきちんと説いていた、という立場かい?
死後の生存や来世、神通力といった一部の末法唯物主義仏教者たちが
否定したがるものについは明確に説いた。それはハッキリと説いた。唯物論の間違いも述べた。
ただ常住論については説いた可能性として認めますが、まだ、仏典中の明確な根拠(決定打)が確認できない。
アートマンについては控えたと思います(それらは違うとだけ述べて、
真実のアートマンたるものはそうではない、とだけ説いてるのが経文でしょう)。
しかし、ニルヴァーナとは常住の世界の筈ですから、それについては説いたと考えます。
経典中を探索中です・・。
927 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 05:54:40 ID:BR2jUhTP
>>74 >沙門果経:77節〜88節でも読んでみろwww (特に86節88節なw)
>※ここは、以前、宝珠氏が何度も引用した箇所の直前に当たるw※
あなたは自分の言葉で意見を述べない悪い癖があるようです。
「見りゃ〜分るだろ!」ってな慢心の顕れかな? で、何が言いたいの?w
>貴方は、「仏教では説かれていないことが数多くある」と明言されてましたしね。
これは、ゴータマがニュートリノを説いてないから、
ニュートリノの話がウソとはならないのと同じ程度の話です。
ゴータマはニュートリノを知らないかもしれません。
しかし、その気になれば容易く未来の科学理論も把握可能でしょう。
(あまり、いい喩えができませんでした m(__)m)
>>77 >(お釈迦さんも、阿難が頼まなかったから、寿命を延ばすのをやめたわけで・・・w)
>
>でしたよね? >>宝珠氏
とも限らないw
結果論だから、ゴータマの性格上、本当に3回延命を頼んだところでその気はなかったかもしれない。
ただ、私がいわんとするのは、その気になれば延命もできるというのが解脱者であり、
あの経文はそれができるという含みをゴータマ自身はマジで述べているということ。
>>891 まず実体視した方がいいと思うよ。
苦である。という認識に立ちもせず、いきなり寂滅の「気分」だけ
味わっても何も意味がない。
929 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 06:22:01 ID:k5xReOFP
>>871 >ブラフマンは宇宙の本質であり、それはヴェーダーの言葉を意味しており、
>言葉の響き(ヴァイブレーション)のことをいうらしい。
釈尊以前のブラフマンはそういう定義だったかも知れません。
長部経典に登場するブラフマンはブラフマン界に住んでいる存在で、
複数の梵天、大梵天と記載されております。
釈尊の前世は転輪聖王で肉体を離れた後はブラフマン界に行かれてます。
「大本経」では、仏に対し説法を説得したのも大梵天の一方とあり、
大梵天すら複数扱いです。
(大梵天を複数扱いする必要はないのですが、兎に角そう記載あり。)
他教では梵天は神、ブラフマン界は神界が対応すると思います。
930 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 06:22:45 ID:k5xReOFP
複数の梵天(神)が存在したら多神教になります。
また梵天にもピラミッド状の階層(ランク)があり、その頂点こそを
神としたら一神教になります。
全ての人や生き物に内在する仏性、神性があるとしたら汎神教になります。
如来と複数の菩薩という構成だと見れば、大乗仏教に似ているようにも
考えます。
宝珠愚者さんの言う通り、悟った真理の伝え方や時代が異なった為に、
宗教者間で不要な争いが起こっていることも現実だと思います。
釈尊もイエスも、衆生済度、地上天国の発願が無ければ、命を狙われながら
人に法を説くこともなかったことと存じます。
争う時間があれば、衆生済度に向かうべきだと思います。
21世紀の衆生済度の方便の一つにインターネット上のスレッドがあると
私は認識しております。
931 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 06:48:27 ID:BR2jUhTP
>>868 >同じ中村元訳の大パリニッバーナ経の該当部分に「自己(アートマン)」
>なんか書かれてないけどね。
中村氏がこの大パリニッバーナ経の該当部分での「自己」もアートマンを意味していると理解して
いることについては、まず間違いのないことです。
『全宇宙を含むが故に偉大であるところの自己というものは、まさに全宇宙を含むが故に、死ぬこ
ともなく、滅びることもない。また<不生>であるともいえよう。生れた始源が無いからである。
この自己が普遍者を具現する。自己にたよるということは最も普遍的なものにたよることである。ゴ
ータマ・ブッダ最後の説法の一つは、<自らにたよれ。法にたよれ。>ということであった。』
(中村 元著『自己の探求』青土社刊p97/1980年刊)
『二つの自己-----最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことがわかる。
一方は悪徳煩悩の基体としての自己であり、凡夫の日常生活のうちに認められる。--略--これに反
して他方は理想として実現さるべき自己であり、その真実の状態は聖者が具現しているものである。
簡単にいえば、小我と大我、と呼んでもよいであろう。ただその両者は相即しているものなのである。
--略--
他方これに反して理想として実現さるべき自己は、人間が常に追求すべきものである。それは当為
的模範的性格を有する。『自己は自己の主である。』(Dhp.160) したがって自己にたよらなければな
らぬし、このような理想的自己は大海の中の島のようなものである。『汝は自己の良き島を作れ。け
だし汝には他のよりどころが無いからである。』(Therag.412)
よりどころとしての島を漢訳仏典では「燈明」の意に解しているが、いずれにしても、その趣意に相
違はない。釈尊も『われは自己に帰依をなした。』(DN.U,p.120)と説いた伝えられている。しかるに愚
者はこの道理を理解していない。愚者にとっては自己が失われている。』
(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』p88-89/NHKブックス刊)
932 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 06:52:33 ID:k5xReOFP
法華経「如来寿量品十六」より、
釈尊曰く、「すべてのものは、生まれ、かつ死に、必ず変化する
ものでありますが(無常の意)、それはただ現象の上だけの
ことであって、如来の眼をもってすべてのものごとの実相を
見れば、すべては消え去ることもなく、現れることもありません。
(中略)また、ものごとが常住するもののように考えるのも迷い
でありますが、現象面だけを見て、常住のものがないと考えるのも
浅い見方です。」
常住と無常、色と空、この世界は二元性であることを、法華経の作者は
よく悟って衆生済度の為の記載をしているように考えます。
ただし、凡夫やバラモン達を混乱させるので、二元性は説かずに、
「無常」を説かれたことと拝察されます。
933 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 06:53:14 ID:k5xReOFP
また、当時の「無常」と「常住」との論議に加わらずに中立を保った
のは、第一義の二元性を説いても釈尊の高弟以外には理解できないことを
釈尊はよくご存じであったのだと拝察致します。
「方便品第二」
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。
934 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 07:05:16 ID:k5xReOFP
>931
「大我と小我」はエッセネ派ユダヤ教の「光の箇所と闇の箇所」と
似ております。
抹殺された「マリアの福音書」では、「心魂と欲望との対話」として
記載されておりますが、スレ違いなので解説は止めておきます。
935 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 07:15:16 ID:BR2jUhTP
>>934 >「大我と小我」はエッセネ派ユダヤ教の「光の箇所と闇の箇所」と似ております。
本当はどんな宗教でも本質は同じであり、完成者は同じく理解します。
しかし、残念ながら自称仏教徒は「大我と小我」といったそんな単純で基本的なことすらも理解しません。
何故なら、彼らの思考の中が仏教用語(後代の学者が構築した漢訳用語)の解説でいっぱいであり、
書物も用語辞典ばかりであり、その影響でそれこそ思考がコチコチに硬直してしまったからです。
それで単純な事柄が見えないのです。
多くの諸宗教の中で最も霊的に無理解なのが自称仏教徒たちです。
最も偉大なる師の教えを学んでいる筈の後代の弟子たちがですw
問われているのは生き方だけ。
937 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 07:45:06 ID:BR2jUhTP
938 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 08:25:32 ID:FAXfVvVa
>>861 >アートマン:人間の理法を実践して具現される真の自己
>ですか。
これを「アートマン(我)」の定義とするなら、仏教の「諸法無我」
とは論理的に矛盾するね。それに「自己」に言及するときは仏典では
必ず五蘊(色受想行識)に分解して言及している。
アートマンと自己とははっきり区別し、アートマンは霊魂として解釈
すればいいのではないか?アートマンという言葉を霊魂と置き換えて
意味が通るならそれがアートマンについて言及していることだと。
939 :
ニセ本尊:2009/06/07(日) 08:27:06 ID:Wms14uhK
問うのは誰?
940 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 09:12:06 ID:FAXfVvVa
>>902 >全てを超越した存在が実在し、事象があるかだろ?あるよ。抑圧から解放を求める人々の為にブッダも空海も、安息の真理「道」を解いた。
すべてを超越した存在が「道」なら、それは人の歩ける道ではない。
仏教はそんな道は説かない。それは老子の道ではないか?
仏教の道は「中道」・「八正道」という具体的な道だろ。
941 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 09:30:54 ID:FAXfVvVa
>>924 >このスレのタイトルが「仏陀はアートマンを説いた?」
>ですか、アートマンを説いた文献を探しているのです。
ほう、そうですか。
じゃ、なぜアートマンの否定アナートマン(無我)を説いて
いることは無視するんですか?
仏典にはダンマパダなど諸法無我と説いているところなら
いくらでもあるだろ。
942 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 09:48:46 ID:FAXfVvVa
>>929 >釈尊以前のブラフマンはそういう定義だったかも知れません。
>長部経典に登場するブラフマンはブラフマン界に住んでいる存在で、
>複数の梵天、大梵天と記載されております。
仏典でブラフマンを梵天とか大梵天と記述しているならそれは
バラモン教のブラフマンを仏教は否定したということではないで
しょうか?
アートマンを否定すればブラフマンも否定される。
というより、ゴータマ・ブッダの悟りの原経験である
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。(諸行無常)」
が仏教の基本ということではないか?
無常を無常と諦めることがニルバーナであり悟りだろ。
943 :
旧7:2009/06/07(日) 09:52:44 ID:fORQy/Md
>>942 このスレシリーズを「秘宝館」と評する所以ですよw
944 :
偽本尊:2009/06/07(日) 09:56:17 ID:Wms14uhK
この世は「無常」であるとか「常住」であるというのは、断見ですか?
945 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 10:00:49 ID:FAXfVvVa
>>944 そうでしょうね。この世は無常と見れば無常だし常住と見れば
常住でしょう。その人の観念次第ではないか?
946 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 10:15:18 ID:FAXfVvVa
947 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 10:31:55 ID:ltyM7fw/
>>944 >この世は「無常」であるとか「常住」であるというのは、断見ですか?
仏の眼から見れば「常住」であっても、一般大衆の救いの為には
「諸行無常」を説かれた釈尊の対機説法の素晴らしさでしょう。
第一義を知りながら、第三義か第四義で説かれた仏の智恵です。
イエスも第三義か第四義を譬え話で工夫されて説かれてます。
案外、第一義は異端として抹殺された中にあったのかも知れません。
948 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 10:54:12 ID:nY3LO3X5
>>946 おまえは言葉遊びの定義もわからんのか。
竜樹の中論は、まず自性と呼ばる存在を
これまた言葉遊びで否定し、この現象世界は
有と無の二辺をお離れる中道、空であると能書き垂れるが、
そんなものはただの言葉遊びで、本質的には何の意味も無い。
一方俺の主張は、言語上は自性はあるとも言え、
無いともいえるが、本質的にはあるといっても差し支えない。
竜樹の中論は言語上の定義のみで自性を否定し
その上で、これまた識別智である言語上の定義を根拠に
この現象世界は、本当は有と無などない中道、空であると言っている。
だがそんな能書きは本質的にはまるで意味の無い空理空論。
これを本質的にはまったく意味の無いただの言葉遊びだと言ってるんだよ。
あとさ、君らの中論教はどこまで言ってもただの言葉遊びで
本質的には意味の無いものだが、自性を認める思想は、最終的な
ゴールはそこに達することであり、中論教のようなただの言葉あそびで
実質的には意味の無いものと違って、本質的に大変意味のあるものである。
おまえ、言葉遊びの定義も理解できないんだな。
949 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 11:05:07 ID:nY3LO3X5
中論拠の連中はきっとこういうぜ。我々は、意味のある、無いの二辺を
離れている中道を行くものだ。ってね。アホやろ。ま、詭弁論にはまっている
連中とはまともに会話も成立しないってことを如実に語っている。
。ちゅうか不可知論に付随する詭弁論は外道だとゴータマははっきりいってるし。
あのよ、ゴータマはこの世においてはっきりと、善を成し、悪を成してはならないと
説いているんだよ。これは君ら中論教の思想とは相容れないものだ。
ま、言葉遊びにふけり、まともな会話も困難な君らは、お花畑に行ったほうがいいと思うよ。
950 :
一在家通りすがり:2009/06/07(日) 11:06:10 ID:ltyM7fw/
そして現存する最古のユダヤ教典(死海文書、エッセネ派)を鏡にして、
新約聖書と旧約聖書を洗い直す天の時の到来ですが、スレ違いですし、
そのミッションを持って再生したアートマンに任せましょう。
例えば多くの英訳がlogos(言葉)という単語を大文字にしてますが、
古い写本では大文字でなく、後世の「神=言葉」のマイコンなのだと
分かります。
951 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 11:13:05 ID:6Vb/Fx6L
スレ違いと断るなら何度やってもいい、という発想なのかな
952 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 11:51:51 ID:SuOBTXZo
一言でいえば、このスレは、カラスや愚者など「イエスで狂わされた人間」と
「そうでない人間」との争いに過ぎない。
仏陀は、「諸法無我」と喝破した。即ち、神も、イエスも、仏陀も、自性は
ない、即ち実体ではないのである。彼らもすべて、万物との関係(縁起)に
おいて存在しているに過ぎない。
これが、キリスト教とは異なり、仏教が2500年間、殆ど人を殺さなかった
ことの「秘密」である。
953 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 11:56:12 ID:nY3LO3X5
>>952 おまえは、己のエゴに狂わされてんだよ。
954 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 11:59:05 ID:FAXfVvVa
>>948 >>949 中身が空っぽの空論・戯論だね。
ホントに言葉遊びをしたくないなら黙ってればいいんだよ。
不立文字・だまってはすの華・言わぬが花・・・。
955 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 12:01:12 ID:SuOBTXZo
>>953 イエスにエゴはなかったとでもw。彼は、常に、俺が、俺がのエゴの塊。
聖書読め。
従って、彼は、「万物の関係性(縁起)」の真理など、念頭にも思い至る
ことはできなかったのである。
956 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 12:19:40 ID:SuOBTXZo
孔子も、「怪力・乱神は語らず」、「鬼神は、敬してこれを遠ざく」、「いまだ
よく人に仕えん。いずくんぞ鬼神に仕えん」と喝破した。
仏陀と並んで、「砂漠の宗教」などとは比較にならない、優れた「東洋の叡智」
である。
957 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 12:31:41 ID:nY3LO3X5
光と闇、生命と死、右のものと左のものは互いに兄弟である。
それらが互いに引き離されることは不可能である。だから善きものも善いわけではなく、
悪しきものも悪いわけではなく、生命も生命ではなく、死も死ではない。
このゆえに、各々はそれぞれ始原より根源へと解消してゆくだろう。けれども
世界を超えた者達は解消することがない者達であり、永遠まで存続する者である。
〜フィリポの福音
>>955 俺が俺がは、お前のことだろ。
おめのイエスに対する批判は、全てお前の鏡。
自分の心の闇を他人に転嫁するというのは、それ人格障害だから。
一昔前ベストセラーになった、「嘘をつく人々」の著者である精神科医によれば、
自分の心の闇を他人に転嫁するお前のような人を、邪悪な人(イビルマン)
という病名の、立派な精神病患者だそうだ。
縁起の話などグノーシス文献をみれば
いくらでも語られている。イエスは縁起の話はもとより
もっと突っ込んだ話をしている。
もったいぶってゴータマがあいまいにしたもっとも大事な部分を、
ゴータマと違ってはっきりとその存在を話しているんだよ。
おっとグノーシスは出すな
とかいう能書き垂れんなよ。グノーシスも新約も、教義的には
矛盾の無いものだ。キリスト教を語るのにグノーシスを出すなと言うのは
お前のエゴでしかない。俺は今の教会の教える御伽噺を話してるのではない。
イエスの教えを正しく語ってるんだよ。
958 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 12:32:39 ID:FAXfVvVa
輪廻転生の概念は霊魂不滅の概念がないと成り立たないね。
仏教は輪廻転生を霊魂不滅の概念なしに霊魂に変わるものを
仮設して発展してきたのだろう。
輪廻転生を現世に限れば霊魂なんて不要なのにね。
959 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/06/07(日) 12:41:53 ID:nY3LO3X5
>>958 肉は霊なしに生きられないし、霊もまた、肉なしでは生きられない。
この二つは切っても切れないものである。霊といえども、それは無自性な空である。
霊と魂とは別のものだが、霊も縁起してなるものであるように、魂も縁起してなるものだ。
なんど猿にでもわかる話で教えてあげても、理解しない者は理解しないものだ。
魂などと言うものは永遠でもないし、永遠の命というものも、永遠不滅の魂とは違うと
何度も教えてあげてるのに彼らは理解しない。
あとね、霊魂ってなに?そんなのは今の教会が作った、造語だろ。
俺達が自性の話をする。するとオカルトかぶれの何もわかっていない奴が
やれ霊界だの、霊魂だのと抜かす奴がくっついてくる。この連中がくっついてくるので
せっかく俺達が話しても、すぐにうさんくさい話だと思われる。迷惑な話だ。
960 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 12:45:09 ID:SuOBTXZo
>>957 >グノーシスも新約も、教義的には矛盾の無いものだ。
矛盾があるからこそ、新約は、グノーシスも、トマス、ユダ、マリア、フィリポ
の福音書も排除したのだろ。現行聖書選定時の、狂信者エイレナイオスの狂乱
状態を想像してみろ。このスレの、君たちクリスチャンの姿と同じだ。
あまり矛盾したことをいうなよ。
961 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 12:57:39 ID:SuOBTXZo
>>957 イエスの「心の闇」はどこから生じたものであるかを、精神医学的に
分析する必要がある。
やはり、彼の統合失調症の発症と、「自分が私生児である」という葛藤
からだと思われる。イエスの、母親マリアに対する、親を親とも思わない
態度と、家族に対する呪いを、よーく観察されたし。旧約では、「親を
呪う者は死刑」である。イエスは、すでに、死刑相当の犯罪者ではないか。
962 :
カラスの唄:2009/06/07(日) 13:14:55 ID:ZgfMypOJ
>>960 矛盾があったのは、今の教会の教義の元となった、
コンスタンティヌスだかなんだかの思想だろ、ボケ。
神を外側でなく内側に見出だし、神と個人の繋がりを需要視し、教会のような共同体を需要視しない
グノーシスは、当時の教会からは邪魔な存在だったんだよ。だから今の正統派とよばれる連中から排斥された。
つまり、グノーシスが排斥されたのは、当時の教会の政治的理由によるもの。
そんな基本的なこともわかってないで、能書き垂れてんじやねぇよ。
しかしこの悪霊付きの悪意は本当にしつこいな。こいつなんとか黙らせられないものか。
>>960 おまえよ、人の話聞けないんなら、議論に参加するなよ。
おまえは、自分のエゴをごり押ししてるだけなんだよ。
迷惑な人だ。
>>960 こいつは、今の新約聖書の成立には、
どういう連中がかかわったのかも知らないで能書き垂れているらしい。
おまえ、いつもそうだけどさ、話しにならないんだよ。
>>954 なにが不立文字だよ。君等がいくら不立文字を詠おうと、
自性を芯に置かない君等の中道は、戯論にしかならない。
そんなことも気付かないなんて、まことにお気の毒ですな。
しかし仏教用語ってのは詭弁家にとってはまことに便利なものだな。
待機説法に空。中道に不立文字等々、等々。
それらの言葉を正しく理解するならまだしも、それらの言葉の意味を曲解すれば、
詭弁家達のいい道具になる。
966 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 15:41:13 ID:XGnIByDs
>>964 >こいつは、今の新約聖書の成立には、
>どういう連中がかかわったのかも知らないで能書き垂れているらしい。
そうやって、イエスは絶対に批判できず、すべての責任を「他の人間」に押し
つけるのが、まさにイエスの「教え」の結果としての、キリスト教の病理で
あることを、自覚すべきである。「そういう連中」も、イエスで狂わされた
結果なのである。
私は、イエスは批判するが、人間そのものは絶対に批判しない。クリスチャン
とは、イエスの狂気の「被害者」だからである。
自分を批判できない奴は、イエスを批判できないのと似たようなもんだがな。
> クリスチャン
> とは、イエスの狂気の「被害者」だからである。
イエスも悪いかもしれないが、実際に十字軍やって虐殺したりしてるのは
その当事者にも当然責任あるだろ。
何が被害者だよ。
カルトで洗脳かけてるクリスチャンだって、大概問題あるだろ。
そうやってイエスに罪をぜんぶ被せて、人間が罪を被らないなんて
こんな偽善あってたまるかよ。
969 :
旧7:2009/06/07(日) 16:09:16 ID:fORQy/Md
>>948が言葉遊びでなくて何だと言うのか?www
948を要約しようか?
竜樹の中論は、
1:自性と呼ばる存在を [言語]で否定。
2:この[現象世界]は[中道、空]。(中道・空とは[有と無の二辺を離れる]こと。)
3:[その視線・考え方は、本質的には何の意味も無い]。
一方俺の主張は、
4:[言語では]自性は[あるとも無いとも言える]が、
5:[本質的にはある]と【言っても差し支えない】。(・・・→「本質的にはある」という言語表現が可能。)
6:竜樹の中論は[言語上の定義のみで]自性を否定し (・・・ 1を再述してるだけ)
7:[(識別智である)言語上の定義を根拠に]この[現象世界]は[中道、空]である、と中論は言う。
(中道・空とは[有と無などない]ということ。) ・・・ 2を再述してるだけ。
8:[そんな能書き(その視線・考え方)は、本質的にはまるで意味の無い空理空論]。 (・・・3と全く同じ文章。
9:これは、本質的にはまったく意味の無い言葉遊び。 (・・・8を再述してるだけ)
10:[中論は、どこまで言っても言葉遊び]。 (・・・9と同じ)
11:a【本質的には意味の無いもの】だが、 (・・・何が?以下の(b)のこと?(d)のこと?
b【自性を認める思想】は、c【最終的なゴールは“そこ(自性)”に達すること】であり、
d【中論のような言葉あそび】でf【実質的には意味の無いもの】と違って、(・・・3と同じ文章)
f【本質的に大変意味のあるもの】である。
中身スカスカだなw こんな文章で粋がるお前さんのセンスが羨ましいよwww
970 :
宝珠愚者:2009/06/07(日) 16:10:34 ID:BR2jUhTP
>>966 >私は、イエスは批判するが、人間そのものは絶対に批判しない。
ホ〜自己責任の放棄もここまでくるとは極限だね!
自分らで好き勝手しておいて、他の人(イエス)に責任を擦り付ける。
まっ、あなたは自分にも責任持たないタイプでしょ?
ゴータマの最後の遺言も「好き勝手にしよう」という解釈のようだしね。
実に笑える(笑)
>>965 >しかし仏教用語ってのは詭弁家にとってはまことに便利なものだな。
>それらの言葉の意味を曲解すれば、詭弁家達のいい道具になる。
激しく同意します!!
漢訳仏教用語による弊害かな?
971 :
旧7:2009/06/07(日) 16:31:28 ID:fORQy/Md
カラスの文章は、
要点を拾い上げればスカスカの駄文ってことだw
, -ー,
./ |
./ |
.(´・ω・`) / |
( つつ'@. .|
ゝ,,⌒)⌒). . .|
 ̄ ̄ ̄し' し' .|
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〜〜〜 〜|
〜〜〜 J
>>970 仏典を殆ど読んだことが無く、岩波辞書すら持っていないお前が何を言うかw
反吐が出る。
ったく、どいつもこいつも・・・・ #´ー`)y━~~
>958
魂が無くても、縁起によって輪廻は可能です。
詳しくはミリンダ王の問いを参照してください。
簡単にいうと、人間をロウソクの灯に例えます。
灯が燃えているときが生。消えてるときが死です。
ロウソクが縁です。
次スレは立ったの? まだなら試して見るけど。
アートマンが因縁生なら、なにに分解できるの?
常住なるものは生まれもしなければ滅しもしない
因縁生であれば、必ず滅します
新スレが立ったので、不足する内容は宝珠氏が追加してください。
>>805, 806
亀レスだけど そのうえ、こういったことには、イメージを与えたくないという理由で
言わない というのが 一般的のようです。
ヨーガでいうところの
チャクラが発現すると、こうなります。
>806の問いもそう。 >806 のほうは、観音、西洋だと、福音などとも、
デスクさんが興味を持った 香厳僧侶の箒と小石の音も、
ついでながら なぜ「明けの明星」が多く表現され、
「宵の明星」では、なかったのかを探求すると
面白い結果が得られるかもしれません。
あっ、すまん。テンプレに
コピーを貼り付けたので、このスレの日付がでてしまった。
979 :
カラスの唄:2009/06/07(日) 17:46:37 ID:ZgfMypOJ
>>969 有無の二辺を離れる思想は意味がないなんていってねぇよ、タコ。
自性を認めないで中道を説いたところで、本質的には全く意味がない、
言葉遊びにしかなりませんよといってるんだよ。また竜樹が自性を否定した根拠は、
識別智である言語の定義を元に考察しており、本来識別智である言語では
正確に言い表せない性質の自性を考察するのに、根本的にアプローチが間違っているといってんだよ。
相も変わらす理解力の無い人だ。ちゅうかお前の反論は、重箱の隅を突っつくような粗捜しのレベルだし。
俺は、作文力を試す為に書いてんじゃねぇんだよ。
原始佛教のスレもそうだが、仏教をただの文献学にしてしまって学者らしく
語るのがレベルが高いと勘違いしているバカばかりだ。
なにがアンアートマン、アンアートマンだよ(爆笑)
気持ち悪いオナニー文章をよく得意気に書けるもんだ。おまえの仏教は、
おまえの願望を語ってるだけで、話しにならないんだよ、ドメクラが。
まぁいい。今は出先だ。この議題については帰ってからじっくり相手してやってもいいぞ。
980 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 17:52:27 ID:FAXfVvVa
>>972 >魂が無くても、縁起によって輪廻は可能です。
だから、それは生きているこの世限りの輪廻でしょう。
過去世・現世・来世の輪廻ではない。
釈迦はこの世の輪廻しか説かなかったし、日本の
鎌倉時代の道元・日蓮・親鸞なども六道輪廻は
現世における心の迷いであると釈迦の意を正しく理解
している。即身成仏が仏教の目標となっている。
981 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 17:52:37 ID:UoDNX4JO
「世界を空と観ぜよ」。この「世界」には、「観じている者自身」も含まれる
ね。その者も、世界の一部なのだから。
従って、釈迦がアートマンと説いたか、説かなかったなど、もはや関係ない。
アートマンも「空」なのだから。神も、聖霊も、釈迦も、イエスも、すべて
「空」、即ち、「関係内存在」に過ぎない。
ヘーゲルの「世界内存在」も、御釈迦さんのパクリw。
982 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 17:56:48 ID:FAXfVvVa
>>974 >アートマンが因縁生なら、なにに分解できるの?
クォークじゃないかな?量子色力学によると。
983 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:02:49 ID:UoDNX4JO
>>974 >アートマンが因縁生なら、なにに分解できるの?
生命の、いや、世界の発生以来のあらゆる「縁(関係性)」に分解できる。
従って、自性はない。
984 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:32:18 ID:UoDNX4JO
>カラス氏へ
「言葉遊び」が嫌いなのなら、君の発言の中の、具象の裏づけのない「観念語」
をすべて削除することだな。後には何も残らないはずだw。
神は心の中にいるのだから、心の外に見出そうとしても見つからない。
神を探そうとするとき、夢は唯一の手がかりになる。
カラス氏の話のほうが神の近くにいる。
986 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:47:32 ID:UoDNX4JO
>>885 夢は、睡眠時における、「脳細胞の混乱」。従って、如何なる意味もない。
脳細胞が、過去に記憶した事実が、混乱して現われるだけ。
神の夢は、誰も見たことがないはずw。
>>977 ホーオーホームズ氏はもったいぶらないで詳しく語れ。
なぜ明けの明星なのか。
988 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 18:52:12 ID:FAXfVvVa
>なぜ明けの明星なのか。
宵の明星を見て眠り、明けの明星を見て目覚めるんじゃないか?
生物リズムのなせる業だろ。
>>986 記憶はぼんやりした映像しか持っていない。
しかし夢は主として映像からなる。
夢には日常の意識とは異なる識の関与がある。
それは無意識(マナ識)である。
仏教の唯識派は、自分たちの瞑想体験に基づいて、
無意識(マナ識)を見出している。
>>988 違う。なぜなら空海は序において、勤<念>と書いて、
その体験が瞑想中のものであることをわざわざ断っている。
それゆえ朝とか夕とかに無関係である。
1000ならカラスは神の使者
2なら神は天国で出家している
993 :
旧7:2009/06/07(日) 19:09:50 ID:fORQy/Md
>>979 ほうw
楽しみにしてるよw (´∀`)
994 :
旧7:2009/06/07(日) 19:23:13 ID:fORQy/Md
埋めついでに返しておくかw
>>979 >有無の二辺を離れる思想は意味がないなんていってねぇよ、タコ。
いやいやwww
>>948はそれしか述べられていないようですが?w
>自性を認めないで中道を説いたところで、本質的には全く意味がない、言葉遊びにしかなりませんよといってるんだよ
だからw、948の内容は“それ”でしょ?と言ってるんですが・・・w
>根本的にアプローチが間違っているといってんだよ。
いやいやw 948では、アプローチの仕方についてはこれっぽっちも触れられていないようですが?www
>ちゅうかお前の反論は、重箱の隅を突っつくような
いやいやwww 反論じゃなくて、単に948を要約しただけですが?w
余計な文言(≒罵倒語)が多過ぎるので、それを覗いただけなんですけどね・・・w
>おまえの仏教は、おまえの願望を語ってるだけで、
いやいやwwwww それは、貴方や宝珠氏のことでしょうw
自分の姿を他人に投影しないでくださいwww
995 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 19:23:25 ID:FAXfVvVa
>>990 >その体験が瞑想中のものであることをわざわざ断っている。
じゃ、幻聴と幻視ということじゃないか。
996 :
旧7:2009/06/07(日) 19:29:23 ID:fORQy/Md
カラスの文章は、罵詈雑言で修飾されていて把握しづらいが、
実際は中身がないことに宝珠氏にも気付いてほしい所なんだがな・・・w
在家氏へ
ブラフマンは、宇宙の本質であり、ヴェーダーの言葉であり、
言葉のヴァイブレーションである。
空海は言葉に注目し、声字実相義で次のように語っている。
五大にみな響きあり 十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり
空海が言葉にこだわるのは、「谷響きを惜しまず」の体験にあると思う。
瞑想中に陀羅尼が聞こえてきたのだろう。
空海の言葉へのこだわりで思い出すのはヨハネ伝冒頭のロゴス。
ロゴスは、神でもないし、アートマンでもないし、別の何かしらである。
創世記冒頭の神の言葉「光あれ」に近い。
>>995 そうですね。瞑想体験は神に関係する幻視、幻聴です。
神に関係しないと治療の対象でしょう。
天才と狂気は紙一重ですね。
旧約には、幻視、幻聴の記述がたくさんあります。
神に関係しているから不審に思わないけど、そうでもなければ、
統合失調の貴重な研究対象でしょう。
天才になっても、狂人にならないでほしい。
普通人という道もある。
1001 :
1001:
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