【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】2

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702宝珠愚者
>>649
 旧7さんからのこのような投稿をこれまでも度々、見てきましたが・・。ちょっといわせて貰います!
あなたの優しい気持ちは、もちろん私にも分ります。しかし、ハッキリというと・・仏教というのはその
ような“感傷に浸る”宗教ではないです。

 読者から批難..轟々となることを承知でいうと、人は死ねばただの屍に過ぎないのであり、遺体など
は有機物の塊に過ぎない。やがて時間の経過に伴って各諸元素へと帰するだけでしかない。
 これが無常ということであり、そのため仏教(原始初期教団)では本来、葬儀すらもしなかったのです。
遺体の死肉を野獣が貪り、残り肉には蛆虫が湧き、やがては白骨と化す。仏教の姿勢はこの事実に
端的に示されています。

 もちろん、できればそのような悲惨な悲劇はないほうがいい。恐怖と絶望、壮絶な苦しみを伴う非業
な死。そして遺族も大変な悲しみを持つことになる・・。
 けれども、この現象界における世俗世界の幸せなどは束の間に過ぎず長くは続かない。また、どんな
悲惨な出来事が襲ってくるやもしれない・・そんな不安な世界なのです。---だからこそ、早くそのような
境地を脱するように---と、仏教では輪廻からの解脱を説き、ニルヴァーナという絶対境地に到ることを
薦めるのですよ。

>>680
>「過去世の悪業のせいで命を落とした」という、「事象の解釈」があったとする。
>『そうかもしれない』し『そうじゃないかもしれない』。『知り得ない』領域に属している。

 確かに、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」・・。けれども重要なことは、そういうこともあ
ると見なすのが仏教の基本的な理解です。

 『(3)殺す人は殺され、怨む人は怨みを買う。また罵りわめく人は他の人から罵られ、怒りた
ける人は他の人から怒りを受ける。(4)この正しい教えを聞くのでなければ、真理を識ることが
できない人々は、誰か他人に対して怨みを結ぶ。---人生はこのように短いのに。』
(ウダァーナヴァルガ14-3.4)