1 :
神も仏も名無しさん :
2009/02/21(土) 01:17:21 ID:wROPzkpp
2 :
神も仏も名無しさん :2009/02/21(土) 01:18:32 ID:wROPzkpp
3 :
神も仏も名無しさん :2009/02/21(土) 01:19:26 ID:wROPzkpp
4 :
神も仏も名無しさん :2009/02/22(日) 00:24:35 ID:4AmUqZZb
新スレage
5 :
鯛焼きマスター「いかりや」 :2009/02/23(月) 12:41:30 ID:4D62ra1y
( ( ) ( ) ) ( ) ( ) ( ノ _..._ _,, _..,,ノ"///ヾ、 _,."彡i / :`y'、ソ、)、ソ、y、)',,::彡",ヽ, / (●) .iy'ソ ' )'y )、ソ、),,彡'彡|. r'=、 , ::i )/i y )、) 'y k彡,,"」 `''、._ノ .::ノ/彡f ::ヽ ;Y 、、、,-ー'" `ー-'=ー"ニ=ー~"`^" 鯛焼きage
鯛焼きってまじぃよ。
7 :
神も仏も名無しさん :2009/02/26(木) 00:08:30 ID:QONe5Vec
クリシュナムルティの写真が欲しいんですが入手方法を知りませんか?
8 :
神も仏も名無しさん :2009/02/26(木) 03:45:48 ID:Bck/VxfR
写真手に入れてどうすんの?
9 :
神も仏も名無しさん :2009/02/26(木) 05:41:29 ID:PP7g/4nZ
>>7 本買ったら、載ってるでしょう。
部屋に飾りたいのかな?
それに意味はあるのかな?
気持ちは解るんだがネ、オレも手書きのKの肖像を
部屋に飾ってたりしたことがあるから
10 :
神も仏も名無しさん :2009/02/27(金) 21:10:46 ID:J7S9Y6SJ
部屋に飾ったり携帯したいんです。 レスありがとうございます。
11 :
神も仏も名無しさん :2009/03/05(木) 18:57:28 ID:zFlg3Fpi
「真理」も流行り廃りですか。。。
12 :
神も仏も名無しさん :2009/03/07(土) 13:50:36 ID:CaI78NeB
クリシュナムルティ読んでる人は他に誰の本読んでるんですか?
繰り返し読んで、それから忘れる。 最近、梨木香歩とかをよんでるよ。
14 :
ロッコツ歩 :2009/03/07(土) 18:19:25 ID:HIzcxqcA
このスレが好きだったので、最後に 所謂、悟りのヒントを書きます。 「自我は他者のコピーだとすると?」 他者も神になります。 答えがわかったら明日の世界は変わります。 あなたは世界だからです。今、私は神です。
15 :
ロッコツ歩 :2009/03/07(土) 18:24:11 ID:HIzcxqcA
宇宙の軸なんて有りません。今日か明日か?の時間の軸です。 答えは、あなたは世界です。
16 :
ロッコツ歩 :2009/03/07(土) 18:31:00 ID:HIzcxqcA
仮に私が1であったら、世界を創ります。 0は?
17 :
ロッコツ歩 :2009/03/07(土) 18:32:38 ID:HIzcxqcA
ただの空間です。
18 :
神も仏も名無しさん :2009/03/07(土) 20:15:23 ID:OFhN/R7z
ただものならむ者あらわる
19 :
神も仏も名無しさん :2009/03/08(日) 14:10:20 ID:mO/sZzDJ
「 幸福に到る道はない。この道が幸福そのものなのだ。」(仏陀) とすれば、悟りに到る道はない。ここが悟りなのだ。 ということになる。 これは他者のコピー(比喩)から派生している。他者とは言葉であり、初めの 言葉であり、言葉にならない言葉であり、言葉になる前の言葉から来ている。 そこで神のイメージなのだが、果たして言葉なのだろうか?
21 :
神も仏も名無しさん :2009/03/20(金) 22:48:59 ID:YppicQ1T
過疎ってるなw
22 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 01:00:01 ID:Py0wHpuJ
クリシュナムルティって独りでいることを好んだり、講演の口調もストレートな感じですけど 普段の実生活での他人との人当たりはどうだったんですかね? 固いかんじだったのか穏やかだったのか
キッチン日記と伝記を読め。
24 :
神も仏も名無しさん :2009/03/22(日) 01:34:39 ID:Py0wHpuJ
伝記は全部読みましたけど所詮側近者の記録ですし いろいろな方が対話した本もありますけど真面目な対話ですし もっと一般人で日常に接したときはどうなのかと キッチン日記は読みたいけど手に入りにくくて読めてません
何だったら貸そうか? なんか財団で働く女にキュートと言われたり、入れ歯入れ忘れたり 講和で漫談の大事な箇所忘れたり、トンデモ臭いキリストは歴史的人物ではない説を 熱弁したり、霊的治療したり、仏陀リスペクトしたり仏陀と同じ境地の弟子はいないと 熱弁したり虫を殺すのを容認したり海岸でおっさんにキスされたりイスラエル擁護したり する変なクリシュナムルティ像が浮き彫りとなり著者のクローネンのストーカー気質の全開も 相まって中々、風変わりでおもしろい内容だぞ。 なんか車、高速でぶっ飛ばしたりアホみたいな勘違いをしてたり 愛車はベンツでベンツ大好きみたいな話もあったなあ。 外人なんで基本、ギャグは寒い。 昔は俺も色々、情報漁ったが海外サイト行けば会った人の話が手に入るよ。
はー、ずいぶんおもしろそうですね それだけでもクリシュナムルティの別の側面がうかがいしれて興味深いです ありがとうございます そういう話を知りたかったんです、出版社重版してくれないかな なんとか手に入れてみます とても参考になりました、ありがとうございました
27 :
神も仏も名無しさん :2009/03/23(月) 04:39:16 ID:pbcUGdrI
>>25 へ〜、そんなサイトあるんだ。また見つけたら、URL貼ってね。
28 :
神も仏も名無しさん :2009/04/02(木) 14:54:46 ID:dQjqgKe9
キッチン日記
29 :
神も仏も名無しさん :2009/04/20(月) 15:15:18 ID:Agmu+rrD
ぼく「無洗濯の気づきってなんですか」 K「匂ってみればわかることでしょう」 ぼく「えっ」 K「えっ」 ぼく「鼻の頭に意識をもってくるのですか」 K「そんな努力は不要です。臭ければ洗えば良いのです」 ぼく「えっ」 ぼく「どうやって洗えばいいでしょう」 K「えっ」 K「そのようなことはあなたの奥様にでも聞けばいいことではないですか」 ぼく「えっ」 K「えっ」 ぼく「妻との関係性が気づきの助けになるのですね」 K「えっ」 K「本人は匂いに気がつかないかもしれません」 ぼく「妻は気がついているのでしょうか」 K「おそらく奥様がすべてをご存じです」 ぼく「とても参考になりました」
30 :
神も仏も名無しさん :2009/04/21(火) 18:36:38 ID:9879uPlZ
やった!ついにキッチン日記手に入れた! しかしKを読むぐらいだから真理のオカルティックな側面には興味ないけど、でも自我がなく なってくと不思議といろいろうまくいくような キッチン日記もたまたま入った普通の古本屋の料理本コーナー(!)で偶然目にとまったが、 こんな確率の低いことがよく起こったなあと、自分のことながら感心 とりあえずは読もうそうしよう
31 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 16:57:52 ID:9mGz/SNh
>>29 、 ,
( ・ω・) ホー
レ,, ,,ノ
32 :
29 :2009/05/03(日) 17:14:51 ID:lved7ShF
>31 どう?
∧∧ /i\ /i\ ⌒⌒し-J⌒⌒
34 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 11:20:44 ID:U89MHzIV
質問者 「今日鮒寿司に生きるにはどうすれば良いですか?」 K「おそらくそれは日本の食文化と関係がありそうですね」 質問者 「日本人は今日鮒寿司に生きてるのでしょうか?」 K「たぶん関西、特に琵琶湖周辺の方はそうではないでしょうか」 質問者 「それはどんな生き方なのでしょう」 K「おそらく臭くて酸味もあるのではないでしょうか」 質問者 「今日鮒寿司に生きると臭くて酸っぱくなるのですか?なんだか怖いです」 K「それが伝統というものなのでしょう」 K「食べてみたことはありますか?」 質問者 「食べ物なんですか?食べると今日鮒寿司に生きられるのですね」 K「まさにそのとおりです」 質問者 「日本の琵琶湖に行ってきます。」
>>34 赤ワイン飲みながら大わらいした。
「キッチン日記」はこのあいだ読んだけど、クリシュナムルティの伝記の中では飛びぬけて
読みやすかったよ。
あと悟った人がもつ独特のユーモアが面白くて、これまた大笑いした。
36 :
神も仏も名無しさん :2009/06/08(月) 22:57:51 ID:SUxoRkUb
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
37 :
菅野 :2009/06/09(火) 04:46:15 ID:z6fWH0HS
そうだ、宗教をやるやつは悪者。 善人は何にも入らなくとも良い!
38 :
神も仏も名無しさん :2009/06/17(水) 14:41:20 ID:NlRVf4of
宗教組織に入ってたって、べつにかまわない。 入ってちゃダメ、じゃなくて「入ってようと入っていまいと」だ。
キッチン日記読んだ。 まるで無感覚なイメージしか沸かなかったけど、 普通に生きてた人なんだと思うわ、当たり前だけど。 そういや、youtubeの動画とかで子供と話してるみても、 晩年でやや耳が遠いせいか、子供が恥ずかしがってボソボソ言ってるせいなのか、 あぁ〜ん??? と聞き返してる仕草が妙に可笑しかったのを思い出した。
40 :
神も仏も名無しさん :2009/07/04(土) 02:21:45 ID:/TG1VvL8
人間だけが必要以上にものを欲しがって自我によって他者を傷つけると思ってたが、 最近、サルの研究してる友人と話をしてたら、サルもかなり自我丸出しなところがあって、 仲間内での権力闘争やら、食いきれないほどの食べ物を一人で独占しようとしたりと、 中々のものらしい。 言葉は持たないものの、ある程度、人間に近い思考やイメージを持っているのではないか、とも言っていた。 弱肉強食とはいえ、人間臭い優しさを見せる個体も居たりするとの事。 食べ物を仲間に分け与えたりとか。 変な話だが、サルの中にもクリシュナムルティのごときものがいるのかな。 そういう畜生の輪廻みたいなものから抜け出していくような固体とか。 話の前提条件が、けっこうメチャクチャなのは承知ですが、クリシュナムルティって 人間以外の生命、動物に対してはどんな風に思っていたのか、ちょと気になります。 詩や日記風の文章には、トラに出っくわした話とかあったりして、彼らは自分の一部であり 彼らは私であったみたいなことも言ってるのが、なかなか実感わかないです。
41 :
神も仏も名無しさん :2009/07/04(土) 12:34:27 ID:yO1mMvOA
クリシュナムルティの言うことは仏陀とほとんど内容的に同じではないだろうか?
悟りを開いた人はおのずと語る内容が同じようになるんじゃないですかね、よく判らないけど。 動物の思考とか意識ってどうなんだろうね。 サルに限らず、猫科の生き物も、面白がって小動物をなぶり殺すし、愛に満ちた猫がいれば そういう無益な殺生はしないのだろうかとか考えたけど、なんかわかりませんw 解脱への道を模索するってのは人間だけに与えられた特権なのかな?
43 :
神も仏も名無しさん :2009/07/04(土) 21:49:20 ID:rD+YeWDo
さぁ、動物になってみないとわからんね・・ Kは畑の牛を見て、牛は私であり私は牛であった、とか言ってたけど。
44 :
神も仏も名無しさん :2009/07/05(日) 23:11:41 ID:AUeyb5GO
もぉ〜もぉ〜って
45 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 10:36:20 ID:txg0iigU
この人の対話集。なんか質問者の質問とずれてるような気がする
46 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 12:34:12 ID:XjiX5vdu
つか、この人と一緒に居ると、息詰まりそうだな… テレビのキスシーンなんかで、いちいち目を被うようじゃなぁ。 デモリッションマンの未来世界の住民みたいだわ。
47 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 13:57:56 ID:mYJtmp0j
>テレビのキスシーンなんかで、いちいち目を被うようじゃなぁ。 なにそれ?
48 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 14:25:28 ID:txg0iigU
>>46 現実を評価せずにありのままに見ることが大事なんじゃなかったか
49 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 17:58:40 ID:f5+YEneC
キッチン日記によると、 推理小説でも男女のロマンスシーンがあると、飛ばし読みしたり、 テレビの推理ドラマなんかでも、男女のラブシーンとかあると、 両手で目を覆って、その場面を意図的に見ないようにするんだってさ。 性が問題なのではなく、それを問題にするあなたが問題なのです、 とか言ってる割には、本人、えらく問題にしすぎ。 それとも、そういうフシダラナ場面を見ると、やはり彼でも性欲中枢が刺激されて 脳の調整が狂うから避けてたのか?
50 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 18:04:12 ID:txg0iigU
煩悩を克服したんじゃなくて煩悩恐怖症だな
51 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 18:23:41 ID:f5+YEneC
その一方で、彼の若い頃は側近の人妻と不倫関係であったような話も出てたりしてる。 もっともこれは、また別の側近が色々と状況証拠を集めて、これに対する反論してたりして、 実際のところどうだったのかは、全くわからん状態。
推理小説のラブシーン飛ばし読みは「退屈だから」って言ってるし、テレビのシーンで目を 覆うのは周りにジョークを言ったようにもとれるけど まあでも著者の書いてるように子供と同じような対応なのかもね 避けるというか刺激になるものは接しなかったんじゃない? 食べ物だってコーヒーとか辛いものとか刺激物は全く摂らなかったみたいだし
53 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 19:28:01 ID:NtK5StQo
>変なクリシュナムルティ像が浮き彫りとなり著者のクローネンのストーカー気質の全開も >相まって中々、風変わりでおもしろい内容だぞ。 翻訳も凄いですよね。 クリスティーの「ミステリー小説」を「神秘小説」とか訳してあったり、直訳すぎ!
54 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 20:01:47 ID:5SVPwgTK
この人職業はなんだったの?講演家?
55 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 22:50:12 ID:BneNvO+L
破壊者
56 :
神も仏も名無しさん :2009/07/10(金) 23:50:36 ID:Ir63NqEV
デモリッションマンかよw
57 :
神も仏も名無しさん :2009/07/11(土) 00:12:58 ID:LURYIXM7
あれはやっぱり生物的な突然変異体なんじゃないか? 常人には及び着かない存在だわ。 もののけの類だよ。
さっきNHKで天才の脳についてやってたわ。 脳は年齢に関わらず可塑的だそうな。 クリシュナムルティの言ってたことと不思議とダブる。
覚醒した意識では脳がどういう状態にあるのか 興味あるな。 深い瞑想してる状態こ禅僧の脳波は独特らしいが。
Θ派優位になって深いリラックス状態になり副交感神経優位になるだけで独特ではない。
覚醒(単に起きてるって意味)時に、そんな状態って独特でねーか?
62 :
神も仏も名無しさん :2009/07/12(日) 11:34:02 ID:On7QC2WL
寝てるんだろ
脳機能が停止(あるいは静まる)ことによって脳機能で抑えられてた知覚が発現するって 説はありだと思うけどな ブロードの制限バルブ説 臨死体験やサヴァン症候群、ジル・テイラーの体験なんかも説明つくし
結局、脳をいじくれば悟りと同様の効果は起きるということか?
自分で考えなさい。
脳をいじくるのも思考の領域なので、 思考を超えた領域の悟りではない。
今の状態が既にいじくってる状態 悟りはいじくる前の状態に戻ること、リセット 悟りは既に今ここにある、人はみな既に悟っていると言われるのはそのため いじくっていじくる前の状態に戻すならまあありかな と思うヨ
迫害されているウイグルなどの人からしたら、政治的な問題こそ重要で クリシュナムルティの考え方なんて何の役にも立たないじゃいないかな。
何かの役に立つ、役に立たないって2元論で考えるならそうじゃない? Kは根本的にそういうのではないから 世界大戦のとき、大戦をどうするか考えるよりそれぞれが自己の内面を探ってはいかが ですかって言ったような人だから 役に立つ役に立たないという何かがそもそもあるのかって立場だから
70 :
神も仏も名無しさん :2009/07/13(月) 17:15:22 ID:iykWlP19
この人のオカルト的な側面を知りたい。 弥勒菩薩にあったとか、そういうのは譬えじゃなくて言葉どおりにとっていいの? シュタイナーなんかは菩薩や如来を実存の存在と捉えていたけど、そんな感じですか? 仏教では一般的には抽象的存在と解釈するよね。菩薩については。
>>68 そうでもないと思うよ。
ウイグル人たちが迫害されてる中で、どう行動すべきかは、
クリシュナムルティの言ってることを実践するなら、
もっとも合理的で効果的な方法を見つけて、自ずとそうすると思う。
彼ら各々の立場に応じて……。
72 :
神も仏も名無しさん :2009/07/14(火) 02:30:30 ID:fYR9UpEY
>> 伝記読みばいいよ。
暴漢があなたを襲って来たらどうしますか? と言われて、Kの返答は最大限に身を守るよう行動します。 みたいな感じだったよね。まぁ当たり前だけど。
生涯、非暴力だからその場合も非暴力と答えてたぞ。 脅迫はしょっちゅうで薬殺未遂にもあってるのに。
キッチン日記を読んで、 クリシュナムルティは白人圏ばかりで 公演してる気がしたんだけど、 アフリカとかで公演したことあるの?
「最大限に身を守るように行動する」を、暴力で対抗すると捉えるのは、あまりに短絡過ぎないか? 暴漢に襲われたら、止める様に相手に話かけたり、金銭を要求されたらそれを渡して自分の身の安全は図るとか 逃げたり手で頭を保護したり、大きな声で助けを求めたり、安全と思える場所に逃げ込んだり、 当たり前の範囲での身を守るという意味だよ。 「わたしは非暴力です、どうぞ好きなだけ殴ってください」なんて、でくの坊のように突っ立てるわけないだろうに。 その場の状況に応じて、暴力的な手段は用いずに、他の適切な対応をして身の安全を図るだろう。 脅迫や毒を盛られたとかいうのは、全然違うシチュエーションで比較にならない例えだよ。
非暴力主義の中にも暴力が内在してるとかゴニョゴニョ言ってて、
自分は非暴力です、なんて表現は使ってないんじゃない?
危険を避けるように行動するのは当たり前のことで、
そんなものは暴力でも非暴力でもないと思う。
>>75 白人圏というか、比較的政局が安定してる英語圏が多いんじゃないかな。
73の話しじゃないけど、なるべく危険に晒されないよう心掛けてたらしいので。
>危険を避けるように行動するのは当たり前のことで、 >そんなものは暴力でも非暴力でもないと思う。 そうだと思います。 恐らくその場でもっとも安全で最適、効果的な方法を判断して そう行動するんでしょうね。 たぶん型に嵌った対応というのは無いと思います。 それ以前に危険な目にあわないように日頃心掛けてたとは思うけど。
79 :
神も仏も名無しさん :2009/07/16(木) 01:11:36 ID:1FfTmxIG
クリシュナムルティは結局死後にたいしてなんて言ってるの? 2冊くらい呼んだが、あいまいにはぐらかしているようでよくわからなかった。 輪廻とか天国と地獄は否定しているよね? 終わりは新しい始まりとか言ってたがどういうことかな。
否定はしてないと思うよ 肯定もしてないと思うけど 仏陀と同じで答えないという答え方じゃない? 答えがどうであれ、なぜそれを気にするのか?気にしてしまうのか?っていう そういったことを気にする自我を洞察することによってその答えが出るかと
執着すべきでないもの、離れるべきものについてとりたてて語らないだろう。 財産だとか名誉だとかと同じように。
82 :
神も仏も名無しさん :2009/07/16(木) 09:47:05 ID:egGlwsWH
現世の全てを否定すると出現するのが彼の言う実在であって コレがいわゆる死後の世界と結びつくんじゃ無いかな。 言葉としてそうは行ってないけど文脈はそうなる。 つまりクリシュナムルティはこの世は仮想であって実在するものじゃ無いって 言ってるように読める。 超能力についてはほとんど言及しない人なんだけど、 宗教学者との対談で自分にはヒーリング能力があると言ってるね。 予知についてもちょこっとだけふれてる。
現実と非現実、生と死後などなどを分けるのも自我であり、その自我に気付かなければ 問題は解決しないということではないですかね 現実も非現実も生も死後も、全て自我を通して見た錯覚であって、自我の消えた後に 現れるありのままが純粋知覚だと K自身や側近などの言葉からKの神秘的な側面もちょこちょこ明らかにされてますが、 あるかないかというより、気にするならそれは何故か?ってことじゃないですかね あるならあるでいいやん、ないならないでいいやん、なんで気にする?っていう 気にする自分がいなくならないとホントの世界は見えないよ、っていう
この人のイメージは浄土宗の妙好人になんか近い世界だと思う。 善も悪も良も不良も受け入れて全存在で世界に生きる
自我が無くなれば、それを問題視する”私”がいなくなるわけだから 問題そのものが存在しなくなるのはそうだね。 それで思考がグチャグチャにしちゃった世界が ありのままに見えてくる。これが彼の言う観察者なき観察かな。 神秘的な側面は認めてるけど。その部分だけ取り出すと グロテスクになるし単なるオカルトになって矛盾も出てくるから そうした話はあまりしないんじゃないかな? 生の全体からとらえるべきだろうし、そうなれないのは自我が邪魔している からかもね。
86 :
神も仏も名無しさん :2009/07/17(金) 21:57:21 ID:yk2zPKwd
クリシュナムルティはキリスト神話説を言っていたようだけど、 zeitgeistっていうムービーがそれを取り上げている。見ました? ちょっと陰謀論だから信じるか信じないかはあなたしだい。
87 :
神も仏も名無しさん :2009/08/03(月) 12:04:52 ID:0d0hYd59
88 :
神も仏も名無しさん :2009/08/06(木) 04:37:47 ID:oErqZSb0
これとエックハルト・トールはほとんど同じだ。
ラマナ・マハルシやプンジャジも同じ。 ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」も同じ。 あと最近出た本だとステファン・ボディアン「過去にも未来にもとらわれない生き方」も同じことを書いてる。 というか老荘思想もウパニシャッドも同じことなんで、結局みんな同じ事を書いてるんだけど それぞれの文化的背景と時代的背景によって表現が違うだけ。
老荘思想はビミョウだけど、まあどれも同じだね でもエックハルト・トールは表現の仕方もかなり似てる気がする
というかそれらの本を読んでお勉強した成果をまた本にしたとかじゃないの。 ナムカイ・ノルブだってけっこう似てる。
92 :
神も仏も名無しさん :2009/08/12(水) 20:05:25 ID:UPoA5V0O
クリシュナムルルティは 精神世界のセレブとされることは好まない 仏陀の死後の発言には興味ない クリスチャンは大量殺戮者で現在もその潜在性は強いと認識している ムスリムは
93 :
神も仏も名無しさん :2009/08/12(水) 20:11:38 ID:UPoA5V0O
やっぱり 利用する人利用される人の 一形態の典型とも 現在で言えば現在にはめられた雄たけびの情念だけが目だって 雄たけびさせるそれには到底目が向かない
94 :
神も仏も名無しさん :2009/08/12(水) 20:15:56 ID:UPoA5V0O
殺す理由が あるのだと 破壊攻撃する理由が あるのだと 彼等は訴えているのが現状
ブッダの輪廻転生観はkには無かったな。 個の継続などに固執する事はつまらない事と断言している。 しかし、その個の継続を絶つ見方はブッダと共通のものでもある。 ブッダは非我、非自我を言ったが、一方で輪廻転生をも言っている。 まあ、死んで見なければ何が本当か分からないって事かw
96 :
神も仏も名無しさん :2009/08/12(水) 20:43:48 ID:UPoA5V0O
仏陀という覚者だったかもしれない 死後聞き伝えで側近のものによって語られたとされるものには 興味なかったということ。輪廻転生に限らず
ゴータマ・ブッダは修行完成者でしょう。 スッタニパータ、大パリニッパータ、テーラガータ、テーリガータ見ても 輪廻転生を言っている事は明白。 ブッダの指し示したものは「無常」と「修行を怠ることなく励め」の2点。 kとブッダは似た事を言ってはいるが、違う。
仏陀はKのように現代の人間ではないし対機説法だったから経典にどう書いてあろうが どこまで事実(本心)かどうかわからない だから大乗にしろ後の解釈はいろいろ分かれるわけで あくまで個人的にだけど輪廻転生も方便というか比喩のようなものかもしれないとも思う そもそも仏陀も輪廻があるかどうかというような思考はしてもしょうがないと言ってるし 問題はあくまでも無我、執着からの解脱であって、そこは仏陀もKも同じだと思うよ Kは仏陀というか禅に近いかもね
しかし原始仏典には生々しい前世記憶の話が出てくる。 とても方便とか比喩ではない。 基本的にその辺がkとブッダの違いかな。
空観からいえば現象全てが方便や比喩ともいえるとも思うけどそれは置いといて みんなが輪廻転生があってもなくてもどっちでもいいというスタンスなら問題ないんですよ あるならあるでないならないで別にいいと あるとかないとかいうことに執着が生まれるのが問題なだけで だから輪廻の話をしても執着しない人にはするし、執着になってる人にはそれより自己洞察を しなさいという そういう意味では同じだと思うけど Kだって輪廻の話を執着なく日常のこととして話せる人がいたならしたかもしれないし でも輪廻の話をする人は大抵輪廻を気にしてるわけだから、そんな話してもしょうがないって 言うでしょう Kでも仏陀でも
101 :
神も仏も名無しさん :2009/08/12(水) 23:05:37 ID:UPoA5V0O
輪廻というアイデアの障害は 次やりゃいいやー 後でやりゃいいやー という後回しにする発想が出てきて 今、現在への集中を欠かせること
俺なんかはむしろ 今やっとかなきゃずっと同じ事を繰り返すことになる と考えてしまうけど
103 :
神も仏も名無しさん :2009/08/20(木) 07:27:19 ID:+/HxT5fW
輪廻に関しては、明言しないときも多々あるけど、 基本的には、それは存在しない、 生を継続したいという願望に基づく幻想だって言っているよ。
>>103 Kが?
だったらソースをたのむ
輪廻について知りたい、輪廻を信じたいのは生を継続したい願望からだとは言ってるが、
輪廻自体が幻想(無い)とは言ってないと思うが
105 :
神も仏も名無しさん :2009/08/20(木) 08:04:36 ID:DH69w3fp
生まれ変わりに興味のある方は PHP文庫 元福島大学教授 飯田史彦著 「生きがいの創造」 一度立ち読みでもしてみてくだされ。
106 :
神も仏も名無しさん :2009/08/20(木) 14:16:43 ID:7xLB38bG
あー、博士号持ってなくて株式会社大学からもらった名誉博士号を博士号と偽って 大学に居づらくなった人か。
クリシュナムルティは他人が書いた書籍をたくさん読んだのだろうか…?
読んでない。
ミステリーとかは好きでいっぱい読んでる 宗教や神秘関連の書籍は読んでないと言ってるけど友人たちと詳しい内容を話すらしいの でたぶん読んでる 読んでないというのは影響を受けてないという意味で言ってるのかもしれない
あと子供の頃は神智学協会のリーダーになるべく英才教育を受けているのでたぶんいろいろ 読まされてる でも本人が子供の頃の記憶はないと言ってるしどうだかわからない
111 :
神も仏も名無しさん :2009/08/21(金) 16:12:01 ID:Szy8Yi7T
>>104 おっしゃるとおりでした。Kは輪廻の存在までは否定していませんね。
勝手な解釈と憶測で、うかつな発言してわるかったです。
輪廻転生への否定的な言及=輪廻転生の存在への否定、と勝手にいままで思ってしまっていました。
112 :
神も仏も名無しさん :2009/08/21(金) 17:07:08 ID:Szy8Yi7T
"His Last Journal" 「もちろん、輪廻転生については読んだことがありますし、それを信じてい るアジア人やインド人たちと話したこともあります。わたしはそれが本当の ことかどうかは知りませんが、わたしの理解では、死は生の終わりを意味し ています。」1983年5月16日 ふつうは、「輪廻はない」と言っていると受け取ると思うが。 どうもそうじゃないみたいね。
113 :
神も仏も名無しさん :2009/08/21(金) 23:02:33 ID:Lt9V6/js
Kの話は輪廻転生とあんまり関係ないと思うけど。
114 :
神も仏も名無しさん :2009/08/21(金) 23:57:15 ID:IP0nC8TS
子供の頃マイトレーヤが乗り移ったとかあのあたりはどうなってんだ
輪廻に関しては仏陀と同じであるともないとも言わない、言ってもしょうがないって立場なん だろう 今を生きるべきで輪廻を考えたりするのは未来を生きることになるしなあ
テーリガータ読め。
117 :
神も仏も名無しさん :2009/08/23(日) 21:06:22 ID:s2GItkNO
過去も未来も思考がでっちあげたものだからな。 輪廻なんか関心外だわな。
118 :
神も仏も名無しさん :2009/08/23(日) 21:11:02 ID:rJrRQ/zx
プロセスだよ 君ら本当に今ある逃避を仔細に見認め捨て去ること出来るのかい それに耐えうる君らであるのかい? 言葉遊びを終えて真にプロセスを迎える気あるの? 暗黒を通り抜ける情熱が君らはあるのか? 私にはその準備がないって事だけは言える。
119 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 17:19:39 ID:Z4rYmk4R
有名な物理学者が、人格的には優れていないこともあるように、 クリシュナムルティは精神的なことで優れたことを言ったかもしれないけど、 人格的には普通の人だと思うんだけどどうよ。 クリシュナムルティの本を読んでる人のブログを読んだら、 「我々はなぜKの域に近づくことができないか」とか書いていて完全に 個人崇拝していたからちょっと引いた。
120 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 19:01:10 ID:H1vJH32T
神智学徒の中にはそういった思い入れ持つ人 いまだにいるみたいよ。
人格がどうであろうと問題ないと思うよ そこに作られた自己、自我、よけいなこだわりや執着があるかどうかだけで そういうのがないなら、それはありのままにその人の人格なんじゃない? 動物と同じで牛は牛の性格があるだろうし、ライオンはライオンの性格があるように 悟っても個性は残るっていうのはそういうことだと思うけど そういうのが持ち前の肉体からくるのかなんなのかわからんけど まあ自己やこだわりがなくなったらそんな変な人格にはならないと思うけどさ Kは我が強いって批判してる人はよくいるね 少し思うけど、あれはあれでそういうもんかとも思う
122 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 19:19:12 ID:H1vJH32T
今回のこのスレはなんか違うね うれしい
>>119 禁オナを勧めてあげや
絶対できてないから
あと早寝早起き
124 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 20:27:53 ID:H1vJH32T
オナニぃーは禁ずるべきものなの? オナニぃーで早寝早起きできたらそれもいいと思うが 若い男の人にとっては排便みたいなものだろうに オナニぃーを忌避するというか罪悪としているそこに 関心集中あるようだね。オナニやったらいいよキミ
甘いなぁ… オナ禁マラソンのオージャスの書き込み参考
オナニー自体は良くも悪くもないけど、オナニーをストレス解消の手段や退屈をごまかす ためすることが多いからね 心に抑圧するものがなかったり、空虚な部分がなければそれほどオナニーしないとは思うよ オナニーするのもオナニーしてはいけないと思うのも、こだわりや自我からだとしょうがないし それはオナニーに限らずなんでもそうだろうね そういうのでなければなんでもすればいいよ、自由だよ
センズリも本番も夢精もここ数年やってないなあ。 体力的に衰えたという事だろうな。
128 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 21:06:08 ID:H1vJH32T
中途半端にしてごく一般的な若人の発射精快感の話だね
129 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 21:07:37 ID:H1vJH32T
オナニーを一般人と同じように自由にやれば、まぁ一般的で、よいわけでも悪いわけでもないと思う
鬱じゃないなあw
132 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 22:03:35 ID:H1vJH32T
虚弱体質か勉強忙しいのだろね
虚弱体質でもないし勉強もしてないけど。 本は好きなのだけ読んでる。
Kの本は以前は好きだったが今ではそうでもない。 今は中村元先生の訳した原始仏典の方が面白い。
135 :
神も仏も名無しさん :2009/08/25(火) 22:31:20 ID:H1vJH32T
そか 性に対する心理的ブロックでもあるのか? 俺にはわからんが生得的に性欲やそれに対して興味の希薄な人達もいるらしい 性に対してなにかの条件付けがあるのかな?と思う次第
心理的ブロックなんて無いだろうよ。 俺は尻の大きい女が好きだ。 極めて性的な反応だ。 しかし、見てるだけで良いんだな。 口説いて一発やりたいなんて思わない。 若い頃はナンパしまくりでやれればやりまくり状態だったけど、30過ぎた頃から少しずつ 変わってきたな。ちなみに俺は40過ぎ。
137 :
神も仏も名無しさん :2009/08/26(水) 03:38:46 ID:qWe+3WhG
なんか、素敵なありかただ。 「俺は尻の大きい女が好きだ」さんは、原始仏典が最近はおもしろい、と。 ふむ、なるほど。勉強になります。
ここの宗教の人はみんな自由にオナってるから顔が脂っこくてモテないのだろうな
肉も食わずにオナってるからむしろカサカサです(´・ω・`)
140 :
神も仏も名無しさん :2009/08/26(水) 16:41:47 ID:PD+7QQ47
>>136 それって単なる経年変化だろ?
60過ぎれば大きなケツにも関心なくなって
やがては枯れるw
>>140 そうだろうなw
しかし仏典には女に気をつけろとある。
女を見るな。 見てしまったらどうしますか?
話すな。 話してしまったらどうしますか?
謹んでおれ。
なんて記述があったぞ。
ゴータマ・ブッタと弟子のアーナンダの会話ね。
142 :
神も仏も名無しさん :2009/08/26(水) 19:33:16 ID:AZ1+7LMH
釈尊もKも死ぬまで人一倍我執が強かったのかもしれない。
143 :
神も仏も名無しさん :2009/08/27(木) 06:23:20 ID:rv4V5biw
>>141 まあ女(肉欲)に限らず、金銭欲や名誉欲あるいは悟りを得たいっていうのも
さしたる違いはないように思えるね
別に禁欲的に生きるのがよいとも思わないが
それらに振り回されるのも愚かしい
オレも大きなケツには欲情する
目を楽しませることも快楽だとすると
いっそのこと目を刳り抜くしかなくなる
そんな自虐的な態度も幼稚なことだろう
また慎み深くあろうと一生のあいだ戦う姿勢を崩さないのもくたびれる
さらには神を作り、すべてを捨てさり盲信する単純さももない
女のケツの魅力は一生ついて回るんだろうなw
執着がなければなにしてもいいだよ それらはただ与えられたもの お金が儲かれば儲かればいいさ おなごが抱いてとくれば抱けばいいいさ みんなが誉めてくれるなら誉めてもらっとけばいいさ 儲かりたいとか儲からなくなったら困る思うなら執着 抱きたいとかいなくなったら困ると思えば執着 誉められたいとか誉められなくなるのが怖いと思うなら執着 行為それ自体は善でも悪でもない分別できないもの ただ与えられたもの、与えられた環境 それに対して執着を持つかどうかが問題なだけじゃよ それらを避けようとするのも単なる執着じゃよ
145 :
神も仏も名無しさん :2009/08/27(木) 09:55:03 ID:Imx1Ldyj
>>144 > 執着がなければなにしてもいいだよ
執着がなければ
うっかり交通事故おこしてもいいのか?
誰にとってどんな理由でいかんのよう? そりゃおきるよりはおきないほうがいいさあ でも天災だっておきるときは起きるさあ 執着なければ天災と同じさあ 天災がいけないってことならいかんってことでもいいさあ それに執着なければ急いだり他のことに気をとられたりしないから、執着あるよりときと同じか それよりは事故少なくなるだろさあ うっかりってことも少なくなるだろさあ それでも起こるもん起こるかもしれんし、この世から事故をひとつもなくせるって理想や 執着をもたなければ単なる天災さあ 天災と人災を分けていいとかわるいとか思うのも執着だわさあ 天はどうにもならぬもの、人はどうにかできるものっていう人間視点の固定観念だわさあ
君は執着しないことに執着してるな >天災と人災を分けていいとかわるいとか思うのも執着だわさあ しかも文章そのものが自己矛盾してるし
そりゃあ言葉はどうやっても矛盾するさあ 矛盾に執着しなけりゃいいさあ 執着するなと言っても執着してもいいと言ってもなんでも言いと言っても執着してるともして ないともいえるさあ 言葉は境界をつくるものだからそりゃそうさあ 言った言葉に執着してるかどうかは自分にしかわからないからみんな自分を見つめてれば それでいいさあ 他人の言葉なんて自分の鏡さあ
149 :
神も仏も名無しさん :2009/08/27(木) 22:56:44 ID:SeLilsF7
高橋翁みたいだな あんた
さあ鈴木大拙の「金鋼経の禅 禅への道」を買ってきたぞ。 来月から入院だから入院中に読もう。
>>150 読んだらAmazonへレビューしてくれやー
あと、クリシュナムルティと直接関係あるんかー
精神世界という意味で共通じゃないの? ジュンク堂でも同じコーナーに並べられてたぞ。
精神世界という以外でもKと禅は共通点多いよね 空であることやありのままや自他同一とか
にゃるほどー じゃあこのスレで禅の話が出てもいいんかー そーかー はやいところクリシュナムルティみたいなんが日本から出てきたらえーなー しょーじき救われたいもんなー 日本から出てきたらファンが多いからありがたがる人がたくさんでてくるもんなー はよ池田大作教やっつけてーやー
禅はもともと老荘だっけか
老荘は道の教えでしょ。 禅も道を示している。 んで、禅は仏教の一派でしょ。 ゴータマ・ブッタの教えは「無常」と「怠ることなく、日々励みなさい」と言う2点が要。 コレが微妙に繋がってるから真理は一つじゃないの?
神とか仏とかあまり言わないところや、信仰より自分が悟ること中心なのも似てるね まあ禅に限らず宗教の本質というか元々の根源は同じだろうね だんだんヘンなほうにズレたのもいろいろあるだろうけど
158 :
神も仏も名無しさん :2009/08/29(土) 05:56:53 ID:5vkMMDhU
>>144 >お金が儲かれば儲かればいいさ
世の中甘く見ちょるな、この現実社会で金を儲けるには、金銭欲やら出世欲、それに伴う執着が必要不可欠。
>おなごが抱いてとくれば抱けばいいいさ
女のほうから抱いてくれなんてお前に来ることは間違ってもないから安心しろ。
>みんなが誉めてくれるなら誉めてもらっとけばいいさ
反対に非難されたり誤解されたときもお前はそれでいいのか?お前はその誤解を、謂われなき否定を解き解決に向かわないのか?
>行為それ自体は善でも悪でもない分別できないもの
行動および活動をお前は「行為」にすり替えてる。行為と行動とは違うだろ。それを分けるのも人間視点の固定観念だなんて云うなよ
>クリシュナムルティみたいなんが日本から出てきたら
リーダー、指導者、支配者、英雄待望論か?
>しょーじき救われたいもんなー
これも執着だろ?
>ファンが多いからありがたがる人がたくさんでてくるもんなー
正直クリシュナムルティファンなんているのか?日本ではまだまだ無名に等しい。さらにはファンなんていらないだろ
>はよ池田大作教やっつけてーやー
これも他力本願だな。お前の力でやっつけてこいよ。まぁお前の手を借りなくても大作教は放っておいてもいずれ崩壊するが、、、
160 :
神も仏も名無しさん :2009/08/29(土) 09:23:25 ID:5vkMMDhU
>>159 どうでもいいが、お前って気色悪い喋り方するなぁ
そのキャラ受けないからやめたほうがいいぜ
セルフ・イメージもっと考えなよ
池田大作教やっつけたって、統一が台頭するだろうし
幸福かも知れないし、真如かも、さらにはオウムが復活するかもな
だからあまり意味がないんだよ
161 :
神も仏も名無しさん :2009/08/29(土) 09:45:43 ID:VmHvp0BV
>>160 このスレらしくないと思いお聞きしますが、
どうして他人の喋りを気色悪いと思うのですか?
ちなみに同じように言われればあなたは自分の喋りを変えますか?
セルフイメージを考えるべきなのは何故ですか?
162 :
神も仏も名無しさん :2009/08/29(土) 12:45:05 ID:5vkMMDhU
このスレらしいとはどういうことか?出発点がそこから始まるのがわからん 何かこうであらねばというような意味なんだろうか? 変えるかどうかはそのときになって決める あらかじめ変えないとも云えないし、また人よけいな不快をもたらすならば 多少は改めるかも知れない。いずれにせよ自分の反応を見るだろう。 内省、洞察、どうあれ自分自身が抱いてるであろう自分についてのイメージ それに言及したまで 方言なのか、いま流行してるスタイルなのか知らないが ことさら他人とは異なる話し方、スタイルを持とうとするのは いかにも内に隠された自尊なのかもしれない それは聞く側にとって美しくはない。君のように普通に会話すればいいのだ 何の邪魔も介在せず素直に言葉が流れはじめるだろう もちろん会話を楽しむだけならば、何の問題もない 君の質問の答えになってるかな?
163 :
神も仏も名無しさん :2009/08/29(土) 13:09:33 ID:5vkMMDhU
ついでに 146 148 についてはすべての語尾に「さあ」を付けたがる また「にゃるほどー 別のひとにゃよ」 こうした作為が人によっては読みづらいと感じる場合もある たとえば、こいつは社会生活でもこんな言葉を使っているんだろうか、、、とか >それに対して執着を持つかどうかが問題なだけじゃよ >それらを避けようとするのも単なる執着じゃよ マンガ仙人の真似でもしてるつもりなのか?リアルでは出せない優越を ここで、ちょっびり味わってるのか? >158についての君の意見は何もないのか?
このスレらしくないとは、クリシュナムルティのスレにしては、特定の価値観を持ち込んで 感情的になるのだなと思いまして。 あなたが普通であるということにこだわりがあってそのように発言したとわかったのでもう いいです。 158について別になにもないですよ、自分に言われてるわけでもないですし。 クリシュナムルティが無名に等しいってのはどうかなとは思いますけど。
165 :
↑ :2009/08/30(日) 13:44:34 ID:fdGYaEH2
発言者がみんな引いてしまう原因であることに本人が気づいてないようなので無駄と思われますが、 静観してますと、もっともクリシュナムルティのスレらしくない感情的な人だと感じました。 心理的ブロックがある人がクリシュナムルティを読むとこうなるので危険なんですよ。
もしもクリシュナムルティ並みの賢さがあって、日本人だったらどこの政党に投票していただろうか? 「投票なんて俗人の考えること」という答えはNG。
どこに投票しても良い。 そもそも、Kを賢いなんて捉える事自体駄目。 KはKで賢いも愚かでもないんだよ。
168 :
神も仏も名無しさん :2009/08/30(日) 20:52:20 ID:pnvuOWbj
危険な捉え方だね 狂信依存の匂いぷんぷん それじゃ苦しいだろ? クリシュナムルティ 第一印象
169 :
神も仏も名無しさん :2009/08/30(日) 21:21:08 ID:pnvuOWbj
>正直クリシュナムルティファンなんているのか?日本ではまだまだ無名に等しい 無名に興味持つ自分てなんだろ?
170 :
神も仏も名無しさん :2009/08/30(日) 21:23:40 ID:pnvuOWbj
無名有名でない クリシュナムルティという刺激に反応した自分がいたろうに
じゃあ自分が行為したときの原因はみんな刺激だったからになっちゃうね 刺激だったから食べた 刺激だったから読んだ 刺激だったから見た、聞いた、話した 刺激だから行為したんじゃなくて、行為の原因が刺激である場合と単なる原因である場合 があると思うけど ようするにそこに執着があるかないか 目はあるだけで見えるし、耳はあるだけで聞こえる 特定のものを見よう聞こうとするのが執着で、KがあればKが見えるだけ
クリシュナムルティの書籍を読みたいのですが、どの書籍から読み始めたら楽しく読めるでしょうか? いろいろと買ってはみたが、文章が難しくて、自分が識字障害起こしているんじゃないかと思ったので、 徐々に読解力をつけていける方向でオススメを紹介して下さい。
「自己の変容」、「恐怖なしに生きる」あたりがいいんじゃない?
「子供たちとの対話」がわかりやすくて読みやすいです。 子供たちに語りかけている内容なので、いつものよりわかりやすい表現で書かれています。 正直「自我の終焉」とか読んでてきつい。 「クリシュナムルティの世界」は彼の人生から思想を俯瞰的に見れるよい本です。 あと「クリシュナムルティの瞑想録」が瞑想を行ううえで、すごく参考になります。
175 :
神も仏も名無しさん :2009/08/31(月) 03:41:27 ID:gi5gcVSR
識字障害を起こしていると思うほど難しく感じるのであれば、 あなたの体が拒絶反応を起こしていて、 「読みたくない」あるいは「読まないほうがいい」と言っているのではないでしょうか。 よけいなお世話だとは思うけど、そういうの重要ですよ。
>>164 無責任な発言をして逃げるやり方はカルト宗教板でやって下さい。
対人障害を起こしてるから体が拒絶反応してるのではないでしょうか。
よけいなお世話だとは思うけど、そういうの重要ですよ。
いろんなにんげんがいるにゃあ よけいなお世話とか重要とかはなんでそう思うんにゃろねえ
>>172 自分にとって何が読みやすいかは自分が感覚的か論理的か象徴的かで変わってくると
思うけど、Kが読みづらいならラマナ・マハルシやエックハルト・トール、神との対話とか読ん
でみたら?アプローチが多少違うからあるいは読みやすいかも
でも表現の違いで内容は概ね同じだと思うしね
>いろんなにんげんがいるにゃあ 自分もそのひとりだということに気づいて下さい。 よけいなお世話だとは思うけど、そういうの重要ですよ。
180 :
172 :2009/08/31(月) 10:54:11 ID:3DbAVC+i
>>173-174 紹介ありがとうございます。
「自己の変容」はAmazonで今も売り切れになるほど買われていたので、納得です。
>>175 私にとって「読みたくない」なら単なるわがままとか、価値観の違いで通じると思うのですが、
私にとって「読まない方がいい」という危機意識的なものを含んだ表現はいったいどうなのでしょうか?
なんか苦しみや心の怪我を伴うが発生すると思っているのでしょうか?
とりあえず、参考にさせて戴きます。
181 :
神も仏も名無しさん :2009/08/31(月) 20:18:59 ID:qO5NZlPD
ベースの違う人が無理して読んでも 苦しむばっかりだよ・・・・ 読んで何かつかんだつもりがうつろに支配されて それをクリシュナムルティのいう何かと勘違い。 無理して読むことないと思うよ。 クリシュナムルティショックは突然で後もじわじわ
182 :
175 :2009/08/31(月) 21:37:36 ID:gi5gcVSR
>>172 不愉快だったら、謝ります。ちょっと大げさな言い方でしたね。
読みたい部分と読めない部分を持ってる人の、なんで読めない部分ばかりとりあげるのか 自分の価値観を他人に当てはめたいのかね
184 :
神も仏も名無しさん :2009/09/01(火) 19:12:28 ID:NfDTkdIY
えらっそうにー あーやだやだ 頭ごなしの支配的人間嫌い やってなさいよ水戸のご老公様 全身から後光さした御印籠そのものみたいだね。 平民はへへーっでございます 言っとくけどわたしゃディベートは嫌いだよ 言葉はツール以外のなにものでもない
ばかじゃないの。ベラベラと。
Kは生前アメリカやインドのたくさんの場所で教えていたけれど、誰か覚醒した人いたのでしょうか? 覚醒した人は過去にも現在にもいなかったら、Kはなんのために教えていたのでしょうか? てか、あんまりメジャーじゃないよね。キリスト教とか葬式仏教に比べて。 Kを知った人が創価学会とか幸福の科学とかを論破して、組織を解散させて欲しいなぁと思う。 てか、日本は今やカルトだらけって誰かこの状況を憂う奴はいないのか!
187 :
神も仏も名無しさん :2009/09/06(日) 08:26:19 ID:gYEl2iF1
日本ではメジャーではないけど、公立図書館だったらほとんど本が置いてあるから全く無名とも言えないかな。 俺がKを知ることになったのは、何も考えずになんとなく借りた自我の終焉なんだけど、図書館の駐車場から 出る前に車の中でペラペラを見ていたら、そのまま夢中になって警備員に「閉館ですよ」と促されるまで読みふけってしまった。 それぐらい衝撃的だったな。 Kの教えで覚醒した人がいたかは分からないけど、少なくともカルトにハマるようなことは無くなるだろうし 矛盾や対立の構造が見えてくるし、そういう人たちが世の中を変えてくれるかもしれない。 ある政治活動してる若くてきれいなお嬢さんが自分を変えた本でKの本を挙げてくれた事があってそれは嬉しかった。 カルトが増えてるのは世界的な傾向らしいね。要するに新しい何かを求めてる。 俺はKの教えを理解してる人たちが先生になって全く新しい学校教育を始めて欲しいなと思うよ。
>>186 自分がKを知った人なんだから自分が論破して組織を解散させれば
いいんじゃないの。今この瞬間からでも。
>>187 自分がKの教えを理解して先生になってまったく新しい学校教育を
始めたらいいんじゃないの。若いお嬢さんにでも教えてさ。
なんか他者依存だな。
>>188 他者依存になってしまう理由:Kの問答があまりにも素晴らしすぎたから
他の人が勝手に解釈して勝手に他人を集めて教えて良いものかどうかファンは迷ってしまう。
しかもKの書籍を何度も読んで血肉にさせた人間が何人いるのか?
それも血肉にさせた後、教育者としてアドリブの利く奴が何人いるのか?
Kの問答集を今まで消化できた人がいるかどうか、このスレの問答だけでは判断できない。
だから、このスレで「なんか他者依存だなぁ」と言ったところで今すぐ世界が変わるわけでもないのだ。
だから、A・スマナサーラ長老のような「慈悲の瞑想」とかが横行し、宗教板の関連スレが中傷で一杯になってしまうのだ。
たしかに「慈悲の瞑想」を日本人全ての人が実践・実行するなら、日本国は慈悲にあふれた素晴らしい国になるだろう。
世界中の人々が行うなら世界の全ての人がひとつになるだろう。
しかしながら、言葉には国によって意味に若干の違いがあるし、国一つまとめるのにも伝搬力を問われる。
さーてどうしようか。とりあえず
>>188 さんもKのファンならすぐ実戦に移せるようにしないといけないんですが…
190 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 21:40:52 ID:OzduvuEB
へんてこりんなディーベートごっこに傾いてる風なのが 気になるこのスレ。 それの認知もプロセスなのだろね ほんとは捨てちまったらいいんだろうけど 今そのときから
それはそうだが、捨てるもんも拾うもんも無いしな 不生不滅 みな既に悟っている
192 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 23:42:24 ID:EplBedx5
言葉に出来ない何かを感じとったのはいいが いざ、言葉のやりとりの場ではその何かの感覚維持保持するために 言葉で転結させたりディベートに思考が向かうのかもね
193 :
神も仏も名無しさん :2009/09/11(金) 23:46:48 ID:EplBedx5
その無意味さも感じつつも 日本人に多い情動の故なんだろね
>>192 言葉は感覚保持するためとは限らないと思うよ
その人によりけりだと思う
あと大体は感覚を感じ取ったら感覚自体に向かうから言葉は出ない(言葉が出るときは言葉に
するという自我が芽生え始めてる)けど、感覚自体であることに慣れれば自我からでなく単
なる言葉として言葉を発することができるようになる
大抵は言葉を発し続けたりディベートするうちに自我が生じるとは思うけど
言葉やディベートがその人にとって何であるかによって違うでしょう
こだわりや執着がなければ言葉もディベートも日常も瞑想もみな同じ
195 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 11:27:25 ID:bKPLN3vJ
196 :
神も仏も名無しさん :2009/09/12(土) 21:49:34 ID:5cDfUmb0
と195は変則のエラソーのっかかり 前レスにのっかかって なんとか上手い事ヒハンしたいのはわかるが・・・・
197 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 20:00:24 ID:l3AlGl1O
要はバカですな
198 :
神も仏も名無しさん :2009/09/16(水) 08:36:22 ID:kI0t3zyp
200 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 22:23:52 ID:gEIFLbsK
俺は実質ホームレス状態だわ ネカフェが主 サウナはたまに サウナのジャンジュネオサーンどもには困ったもんだ。 あるがままのデブ腹薔薇族の性欲たるやすごいものがある。 同性愛は否定しないが普段抑圧された自己はあーいった場で密やかに 逞しく存在感主張するもんなんだね。来ればあるがまま蹴っ飛ばすけどね
201 :
神も仏も名無しさん :2009/10/06(火) 11:55:45 ID:1De3tBd8
Prajna Paramita Heart Sutra When Avalokiteshvara Bodhisattva was practising the profound Prajna Paramita, he illuminated the five skandhas and saw that they are all empty Form does not differ from emptiness, Emptiness does not differ from form; Form itself is emptiness, emptiness itself is form. So too are feeling, perception, formation and consciousness. Thus Sariputra, all dharmas are empty of characteristics. No birth, no cessation, no defilement, no purity, no increase and no decrease Therefore Sariputra, in emptiness there is no form. no feeling, no preception, no formation, no consciousness. no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind. no appearance, sound, smell, taste, object of touch, dharmas. No field of eyes, up to and including no field of mind consciousness. No ignorance, no end to ignorance, Up to no old age and death, no ending of old age and death. No sufferings, no origin (of sufferings), no cessation (of sufferings), no path. No wisdom, no attainment, no non-attainment. Since the Bodhisattva have no attainment, He abides by means of Prajna-Paramita with unobscured mind. Since there is no obscuration of mind, there is no fear. He transcends falsity and attains complete parinirvana. All Buddhas of the three times by means of Prajna Paramita fully awaken to unsurpassable truth, complete enlightenment. Therefore, know that Prajna-Paramita is a Great Mantra. A Mantra of great insight, an unsurpassable Mantra, an unequalled Mantra, that calms all sufferings should be known as truth without deception. The Prajna-Paramita Mantra is recited thus Tadyatha, Gate Gate Para-gate Para-samgate Bodhi Svaha
202 :
神も仏も名無しさん :2009/10/06(火) 12:03:30 ID:1De3tBd8
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。 舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。 是故空中、無色、無受・想・行・識、 無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。 無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、 乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、 依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。 三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。 故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。 故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経
アヴァロキテーシュバラか。
日本で、クリシュナムルティの教えが広まらないのは何故ですか? 広まっているのを私が知らないだけですか?
他の教えのように信者が布教したりしないのと、来日しなかったので知名度が上がらなかった からじゃない? 教えが難解だとかいう意見もあるみたいだけどどうだか でも知る人は知ってると思う
あんなまがい物の教えが広まる? J.K.の弟子達は、意味のないフレーズを繰り返すことしかできない地点に来てしまいました。 浅薄で空っぽな人々です。 J.K.が大群衆をひきつけることができたという事実はなんの意味もありません。 蛇使いも人の群れを呼びます。 群集をひきつけることは、だれにでもできるのです。 www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/1459/mind1.html
U.GクリシュナムルティとJ・クリシュナムルティは関係ないじゃん 誰かを批判するという信仰をしてるんだな 批判することで自分の何を守ろうとしてるんだか
>204 自分はKが好きだから、もっと広まってほしいなと思ったけど 自分の好きな信条を広めようとすることって Kと自分を同一化して、自分を立派だとか正しいと思いたいということ なんじゃないかと思った
自分に固執しない事が一番大事。 Kも仏陀もそう言っている。 自分に執着しない事は大変難しい。 人間、生き物で有る以上自分に執着する事はある。 その中で、いかに執着しないか。 至道無難、唯嫌選択〜とか三祖、そうさん和尚の言葉とか身にしみるな。
>>206 そんなパクリ詐欺師の言葉遊びを平気で引用してしまうお前の脳はやばいよ。
アホみたいな断定口調と他者全否定にひっかかるお前は下手したらカルトに捕まるぜ。
わかりやすさに惹かれるお前の無知無教養、思考力のなさを恥じろ。
俺はKシンパでも何かの宗教を信じてるわけでもないからな。
211 :
神も仏も名無しさん :2009/11/06(金) 16:07:16 ID:ac6iSQQh
タデウス・ゴラスという著述家のなまけ者のさとりかたを最近読んだ。 クリシュナムルティと共通するものがあるな、と思ったが LSDによる体験から出発してるんだよねこの人。 読んだことある方いらっしゃいます?
むかし読んだけど憶えてないなあ LSDから出てる人は多いよね、ラムダスとか Kの友人のハクスレーもそうだし
俺は薬物出の思想家は認めない。 所詮、薬物の影響下で何かしら分かっていてても、「人生とは何か?」という問いに答える 資格すら無いと思う。 人生は苦しい、苦しいが耐えて乗り越えて価値有る「人生」じゃないのか? 何も、苦行を強いるのではない。真正面から向き合えという事だ。 大麻なりLSDの一服で全て悟りました〜なんて世界は似非悟りだよ。
薬物の悟りは薬理作用じゃなく脳機能のちょっとした変化でもたらされる気付きだからKの 本でも読んで自己洞察してればいいよ ただ瞑想依存や価値依存、主義依存だって薬物となんら変わりない 薬物とか人生とか価値とか、自分の主観で世界を分けてるのはよほど問題だと思う 薬物出だろうと天然だろうと苦しみがあろうとなかろうとなんでもいい 私見でいえばLSDは悟りのきっかけになる場合もあるが大麻なんて無駄だし逆効果、理由 は一言で言えば自己が死ぬ体験か自己の延長の体験かの違いゆえ どっちみちなくてもいいからやんなくていいし、そんなもんなしで同じような体験をすべき むしろKのようにアルコールもコーヒーも肉食もしないでいたら知覚がどんどん鋭敏になって くからやってみたらいい
依存はしないが、「薬物」に「薬物依存」の可能性が大きい分、罪だなあ。
ああ、俺の依存って言ったのはコレ↓ね。 >ただ瞑想依存や価値依存、主義依存
217 :
神も仏も名無しさん :2009/11/07(土) 11:17:18 ID:dWg3WLPD
依存という心理的傾向はあらゆる対象(瞑想、価値、主義・・・)を含めて在り 個々の条件づけがそれを求めてあるわけだけど 過去の蓄積でもある条件づけを見て気づいて消し去ることなど可能なのだろうか? 思考を見る?行為を見る? これは日常での習慣化という努力無しには難しいと思うのだが 努力を否定し習慣化も否定してあるのがKじっちゃんなわけで・・・ ははーん修練を求めるという条件付けが自分にはあるのだなというのはわかった んでどうする?どないしまんにゃこの続き・・・ わて頭悪いからわかりまへ〜ん むずかしのぅKじっちゃん
218 :
神も仏も名無しさん :2009/11/08(日) 01:24:59 ID:2qoqgOqD
思考が作り上げる虚偽を虚偽だと気づき、精神の牢獄から開放され、 あるべき現実ではなく、あるがままの現実知るべきだとKは言ってる。 具体的にはKの自然描写なんか、それだと思う。 過去を忘れ、全く初めて見たようにものをみる。旅行だと結構できる。 だけど日常生活だとむずかしい。だけどKはその精神状態を見ろと言っている。 そこに虚偽にまとわりつかれている本当の自分がいるんだと。
219 :
神も仏も名無しさん :2009/11/08(日) 01:41:29 ID:2qoqgOqD
努力して思考とか過去の経験とかを消し去れとはKはどこでも言っていない。 思考の虚偽に気づけと言っている。こんな自分はだめだ、努力して直そうと 思ったら、またしても思考の虚偽にはまってる。ここがKと他の思想家とは 全く違うとこ。Kは人間は思考と精神の牢獄にいるんだと言っている。 それに気づけばいい。自分を変えようとする願望も努力も思考の虚偽。
220 :
神も仏も名無しさん :2009/11/16(月) 11:04:21 ID:VnPK07ny
クリシュナムルティは、思考の虚偽に依存するメタファーは無限大に近いということに気づいて、 (いわばエセグラノーラに対するであるが・・・)思考の牢獄にむしろ親しめといっている。
読者を空中分解させてるだけじゃないか。 見てみろ。このあり様を。もうすでに過去の人だな。
222 :
神も仏も名無しさん :2009/11/19(木) 23:07:22 ID:qPU5gE1A
日本に救世主が出てきて欲しいなぁ。クリシュナムルティみたいな。 池田大作とか、なんとかりゅうほうとかはイランから。
223 :
神も仏も名無しさん :2009/11/20(金) 21:45:23 ID:9z+j6kSf
基本的に誤解しとる
224 :
神も仏も名無しさん :2009/11/23(月) 13:30:10 ID:45oMLPUg
> Kは人間は思考と精神の牢獄にいるんだと言っている。 > それに気づけばいい。自分を変えようとする願望も努力も思考の虚偽。 なるほど、そうだったのか。
225 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 20:11:31 ID:OYpQtmXu
んだからなに?
226 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 00:12:39 ID:d9ReQZGF
まあ、とりあえず、一冊一冊クリシュナムルティの書籍に目を通していこう。ということだ。
そして、あらかた言葉のやり取りを流し読みしたら、そこからわき上がる思想を俯瞰し、
自分のものにするよう心がけてみよう。
もし、クリシュナムルティの書籍だけで実現させるのは心細いと思う人は、
お釈迦様の言葉とか、上座仏教の瞑想の仕方とかインドのヨガとか丹田呼吸法とかいろいろ学んで、
クリシュナムルティの思想を別の思想から眺めてみるというのもアリかもしれない。
クリシュナムルティの書籍は良書かどうか判断付きかねるが、流行の本でも売れ行きが多い本でもなさそうだ。
落ち着いている本だと思う。
クリシュナムルティブームが来る前にじっくり読むことをオススメする。
もし、
>>225 がクリシュナムルティに興味を持った上で「んだからなに?」と言ったのなら、
まずは書籍から読んだ方がいい。と言いたい。興味を持たなきゃ…もういいや。(゚听)
227 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 01:55:08 ID:Klci/uou
(流れとは別人ですが)ふとしたことから興味を持った初心者です
Wikipediaでみると、本のリストが膨大で途方に暮れてます orz
タイトルだけで判断して「自己の変容」(The Urgency of Change / J.Krishnamurti)
が重要そうだったので、まずはネットで… っと思って検索したけど
果たして↓これは「自己の変容」に関連する原文でしょうか?
ttp://www.jkrishnamurti.org/krishnamurti-teachings/view-text.php?tid=5&chid=495 Krishnamurti: Nobody can push you out of your trap - no guru, no drug,
no mantra, nobody, including myself - nobody, especially myself.
All that you have to do is to be aware from the beginning to the end,
not become inattentive in the middle of it. This new quality of awareness
is attention, and in this attention there is no frontier made by the ''me''.
This attention is the highest form of virtue, therefore it is love.
It is supreme intelligence, and there cannot be attention if you are not
sensitive to the structure and the nature of these man-made traps.
(↓個々の英単語は辞書で引けばわかるけど、文全体のちゃんとした読解力がないorz)
誰もあなたの罠から押し出してくれない…グルも薬物もマントラも
私自身を含む誰も…特に私を。
ここでいう『 me 』ってクリシュナムルティのことでしょうか? それとも
罠にはまっている自分、つまり他の覚者(マハルシとか)がいうエゴとか
マインドみたいな表面的な‘自己’のことでしょうか?
貧乏で数千円の本をホイホイ買えない(涙)初歩的なアホな質問ですみません
228 :
Ama :2009/11/27(金) 13:20:19 ID:/9PG5IGS
どこかクリシュナムルティは大樹に似ている。 休まる事の出来る様な環境、かな。
229 :
227 :2009/11/28(土) 13:02:29 ID:SIxwVr3N
spっていうならアジズ読んでる人かな クリシュナムルティとラマナ・マハルシは似てるよ アジズでいうならアジズよりフーマンに似てる アジズは具体的な方法を示すけど、方法に捉われること自体が自我だって主張だからね 執着なく向かえるなら方法通りに進むのもいいけど、方法を念頭においてるとそれが執着や 理想という自我になってくる場合が多いからね クリシュナムルティは天真爛漫にと言うしアハルシは全ては真我だと言うしフーマンはただ寛ぐ という
231 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 08:33:50 ID:dAkLLnUY
受動的であることとは受身であり他からの働きかけによって成立する関係性 凝視とは目を凝らして積極的に何かを見ること 志向がなくさらにというかそれ故に思考もなく積極的に見ることなど可能なのだろうか? 合理・興味は条件付けられ選択的な視野でしか捉えられない。 日常の中で防衛(生存)本能がむき出しになる場面などそうそうあるものではない。
言ってる本人が実行出来ないのだから、口先だけのインド人だよ。 日本語訳の本は虚飾にまみれている。
233 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 23:26:24 ID:zpLi/6e1
>>231 待って待って。歩みが早すぎる。
それ自体がまだ思考の内ですよ。
>>232 それも思考の内、歩みが早すぎる。
ガッツいたら負けですよ。ゆっくり、丁寧に。
テクニックよりアートです。技術よりソウル。
受動というと受けるという動作のような印象だけど、つまり止観の止だよね 対象と関係なく止まってる状態 だから受けるのを待ってるのではなく対象と無関係になってる ただ、対象が働きかけてくるのでそれに反応するだけで、それまでは無関係 受けるというと対象を意識してるみたいだからね 見るというのも、止まった状態でも映像は映ってるんだよ 見ないという選択をしない限り、物理的に目があるから勝手に映る 目に映ったものをどう解釈するかが能動であって、映るのはただの観
235 :
神も仏も名無しさん :2009/12/08(火) 08:10:51 ID:nnm/26+V
個人レベルでおさめるべき思考を、どうして対話にしたり、講演にしたり、 出版したりするのか、わたしはまるでわからないけどな。
それは似たような質問にK自身答えてる。「花が咲き、匂うだけです」と。 個人レベルでおさめるべきとかおさめないべきとか、それは自己の勝手な判断であって、 Kにとっては対話や講演はごく自然な自己や執着の無い行為だったんでしょ。 行為というと自我からのように感じるけど、つまり花が咲くだけ。 それが普通であり、咲かないほうがおかしい。咲かないように自制するならそれこそ自我。
237 :
神も仏も名無しさん :2009/12/09(水) 19:16:43 ID:6EORHqOI
いいや、全的でも何でもねぇー、文字通り、自覚のない馬鹿です。 馬鹿だから、自覚がないから、あれだけ喋れたのだろう。 思考の外←それこそ、自分で考えることを放棄した愚者の行為だ。 あのインド人は、メアリー・ラチャンスに死ぬまで調教されてたし、 実際は神智学教会と切れてなかったし、 死ぬまで神智学によって洗脳されたままだったジッドゥー・K 自己洗脳状態が価値ある状態だと思い込んでいる人たちの巣窟
238 :
神も仏も名無しさん :2009/12/09(水) 20:33:21 ID:554jZYnE
池田大作よりまし
239 :
神も仏も名無しさん :2009/12/10(木) 01:06:52 ID:vsCPplC2
>>237 それならそれでも別にいいけど、
じゃあその全的って何? 全的なのって例えば誰?
というかクリシュナムルティに対して暴言を吐く必然性がどこにあるのか。 2ちゃんでそんなことをやっている余裕があるなら働いて金を稼いだほうが人生の役に立つだろう。 真理を探究するにも資格があるゆえ、資格がないなら素直に俗世にどっぷりとつかったほうが人生も楽しかろう。
241 :
神も仏も名無しさん :2009/12/10(木) 23:08:37 ID:XAvplfZt
約8年前の過去スレの人の発言 悟り、愛、真の実在、それら「高尚な欲望」を満たす幻影に囚われた人間はそれらが実在するのを当然の 前提にしてしまうわけ。それは滑稽なことなんだよ他人から見ればね。それでね その実は信念である「Kの説いた悟り」というのが実在するかどうか実は皆、薄々不安 なわけ。それでね、だんだん「そんなもんないんじゃないか?」って思えてくるわけ。 それで自分の欲望に確実性を与える為に「禅の高僧の教えとの類似性」や「ヴェーダンタ 哲学との類似性」を必死こいて探すわけ。それで似たような箇所をみつけて喜ぶの。 「やっぱKの説いたことは真実なんだ!」ってね。自分の内部の権威=Kの説いた教えの 正当性、確からしさを探る作業は。HPを検索してごらんみんな同じような事をしてるか ら。 過去スレの716氏、ありがとう そして、ホリービジネス、糞くらえ!
バカか Kが言ってるように自分が体験しなけりゃ意味ないんだよ それなしでKを肯定するのも否定するのも同じ 体験なくても肯定と否定が裏表なことぐらい自己洞察して気付や ってかスレの書き込みでKのマンセーとかほとんどねえべや ワーク団体もないKのビジネスなんて本売れるくらいだろ
243 :
ホームレス :2009/12/15(火) 21:07:50 ID:1txphj2u
まぁ確かに・・・ インドの海岸を歩いているところを拾われたって話だが・・ そのままインドで栄養失調で亡くなるのも 教祖として担ぎ上げられてそれを拒否して後注目されて人生終えたのも 人生だね。個々人の生の行き越し方はあるがまま過ぎていくってこったよな。
244 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 22:02:08 ID:oGkTMO2Z
>実際は神智学教会と切れてなかったし、 個人的にはクリシュナムルティの恥部の一つだと思う。 だから、稀に肯定的な文脈で語る人がいて驚く。 そういう人はオカルティザムの信奉者。 「一般のKファンと違って、自分達はKの秘教的な側面を理解しているのだ!」 といった、奇怪な自負を抱いていたりするね。
Kに言わせれば自分が神智学協会を切ったのではなく、自分が神智学協会に切られたって ことだけどな Kは組織という概念の否定であって、組織を否定したわけでもないし神智学協会も否定して ないよ 教会の習慣や意味の無い規則を否定しただけ Kは執着を否定しただけで組織だとかなんだとか、そのものを否定したわけじゃない それはK自身が言ってる 組織やなんだが執着を生みやすいから言葉にしたとき否定するカタチになっただけだよ 神智学協会とだって別に切れる必要なんてない
246 :
神も仏も名無しさん :2009/12/26(土) 21:00:54 ID:NZRy7Vx4
言葉の言葉による言葉否定の葛藤をみた
真理なんてつまるところ不立文字なんだし、覚者なんかは真理は言葉にできないという前提 の元であえて言葉で語ってる それを言葉通りで受け止めてあれこれ批判するのは単なる言語世界への執着 物事が言語規定で成り立っているという誤解、思い込み 別に覚者の言葉だからというわけでなく、言葉は言葉、それ以上でもそれ以下でもない 言葉が表そうとした元々の意図をくまないと意味がない
248 :
神も仏も名無しさん :2009/12/27(日) 07:17:37 ID:AYZfxG9M
このインド人は、「私の言っていることは真理だ、真理だ」と断言しているが、 実は、言っている本人も気づいていない操作、誘導が入っている。 真理ではなく、マインドコントロールだ。このインド人のSELFは神智学教会の連中に 洗脳され汚染されているから自身が言っていることを真理として疑わないのだ。 操作が入った思想だから、あのインド人の言葉を読んだ読者もまたSELFを犯されているのだ。 読者は自分で判断する能力を失っている。過去スレ見てみろ。あまりにも単純なことを質問している輩がたくさんいるじゃないか。
249 :
神も仏も名無しさん :2009/12/27(日) 08:47:37 ID:Sa5nmJ7d
>このインド人のSELFは神智学教会の連中に >洗脳され汚染されているから自身が言っていることを真理として疑わないのだ。 SELFはEGOにしたほうが良くないか? 後年「秘密の大師」について質問されると、否定的な言質を取られるのを避けるため、 のらりくらりと誤魔化していたお人ですからねえ。まあ、「最愛の方」は否定できないわな。 「キッチン日記」なんかも、ブラヴァツキーの著作を事前に読んでいれば、げんなりすること請け合いだぜ。 著者も翻訳者も気づいていないようだけど、Kの生活にいかに神智学の悪影響が染みついていることか。 「星の教団」の解散なんちゅーのは、どう考えても茶番劇だよなあ。
250 :
神も仏も名無しさん :2009/12/27(日) 10:27:59 ID:caw4NAt6
みなさん何に対してなにゆえそんなに一生懸命なのですか? ひとりのインド人と入っていた組織の話が好きなんですね
251 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 22:17:29 ID:NtIz3pCh
ゴシップ的関心の持ち方
最近、インド・チェンナイにある
クリシュナムルティのスタディー・センターに
立ち寄ってきたけれど、なかなか良かった。
幸運なことに、ちょうど特別写真企画展を開催中だったし。
静謐な空気に包まれていて、何時間でも居たくなるような場所。
あとKの著作や講演CD/DVDなどが格安で入手できるのもいい。
インドに行く機会がある人で、Kに興味がある人は
訪ねてみて損はないと思う。
最寄り駅は、高架鉄道MRTS線のGreenways Road駅。
http://www.kfionline.org/studycentres/vv.asp
253 :
神も仏も名無しさん :2010/01/01(金) 19:23:27 ID:sKM9vjOP
K不安倶楽部通信、乙!
日本語訳で出てる出版物は信者のやりたい放題だからな。 mixiの二千人もあの表向きの言葉の表現に乗せられているのにほとんど気づいていないだろう。
255 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 21:27:15 ID:1+ko+PA6
>日本語訳で出てる出版物は信者のやりたい放題だからな。 それでも全ては隠しきれない。 なかには信者が意図的に白状してしまうこともある。善意でね。 『クリシュナムルティ・水晶の革命家』(星雲社)とか 『クリシュナムルティとは誰だったのか』 (コスモスライブラリー)とか 書き手が無自覚だけれども『キッチン日記』もかなり良いね。
256 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 22:46:33 ID:Bg5BCUWB
なんだかんだ いまのところ 内容において クリシュナムルティ以上は 見出しえないとこだね。
Kの言葉の中に真理を見出せばいいだけだろう Kの言葉自体が真理じゃないんだから自分がそこに何かを見出せるかどうかなのに 自分が実践して体験すればわかるのに、体験する前からKを神聖視して日常の逃避先に するのも、体験できないからといってKは似非だといって自分を肯定しようとするのも、 同じように単なる自我のかたまり Kの言葉でも単なる日常でも真理はそこに含まれているんだからさっさと自分が体験しようよ
理屈こねる前に 体験しようよ。
259 :
神も仏も名無しさん :2010/01/12(火) 07:26:38 ID:anCUzWnG
>Kの言葉の中に真理を見出せばいいだけだろう この書き込みには「Kの言葉の中には真理がある」という予断がある。 精神世界ギョーカイの人間が、「Kは覚者だ」との認識を薄く広くひろめつづけた弊害だね。
260 :
神も仏も名無しさん :2010/01/12(火) 07:31:43 ID:anCUzWnG
>Kの言葉自体が真理じゃないんだから自分がそこに何かを見出せるかどうかなのに こういう予防線をはっているけれども、たとえ嘘でも、深読みで真理らしきものをKの言葉から無理やり読み取れという事なのだろうか? 騙されちゃだめだよ、みんな。 最近はKも消費期限が切れつつあるのに気づいたのか、 バーナデット・ロバーツあたりに色目を使うのが流行りのようだね。
Kに限らず何の言葉の中にだって真理はあるよ 真理はどこかにあるのではなくどこにでもあるしここにでもあるのだからのだから当然じゃん 浅い意味では、そのまんまでも反面的な意味でもあるし 深い意味では全ては真理の現われであり真理以外ないのだし 真理とそうでないものを自分の視点で分けて、Kがああだこうだと言っているだけでしょ
Kが言うような体験を自分ができれば、なるほどKの言うようなことはあるのだ、でしいいし Kが言うような体験をできてないなら、今の自分はそういうものがあるとは思わない、でいい なんで自分がしてない体験をないと言い切れるのか 単に「興味ない」や、「ないんじゃない?」ですむのに一生懸命あれは嘘だと言い張る 体験してない人間がそれにあこがれて盲目的に信仰するように、盲目的に非難してるだけ なんだよ、単なる裏表でそれらは同じ 芸能人の行動を見て、あいつはいいやつとファンが思ったり、アンチがあいつは裏があると 想像するのとまるでかわらない Kに物理的に殴られてるわけでもなんでもないのに、なんでも実害もないKの可否にそんな に執着するのか ようするに自分の鏡にしてるんだよ、Kを、Kという象徴を まあアンチもファンの裏返しという意味じゃ、みんなクリシュナムルティファンなんだねえ
Kなんてどうでもいいんだからさっさと自分が体験しようよ 体験なんて興味ないバイバイでもいいしさ Kに縛られる必要なんてないよ
264 :
神も仏も名無しさん :2010/01/12(火) 20:20:12 ID:bfGTOOf6
>>263 追い込む気はないけど
ホントかな〜??
なんとなし鼻息荒いのね
265 :
神も仏も名無しさん :2010/01/12(火) 21:23:13 ID:thzI+fW1
精神世界に捕まったのが運のつき。 あーだこーだと考えて無駄な時間とエネルギーを精神世界で 使いましたとさ。
まあわからないうちは理屈を積み上げるしかないよね 本気で積み上げればそのうちポンと崩れて覚れるよ その前に去るもそれはそれでよし
268 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 13:44:53 ID:Fx3my1Qf
体験は、無力だよ。言葉や理屈と同じくらい。真実は、言葉でもないけ ど体験でもない。Kを信奉する気はないけど、まずKはそのことを強調し ているはずですよ。Kが他の伝統や宗教と一線を画すのは、この点におい てであるし、本質もやはりこのあたりにある。誰にも理解できないし、 おそらくは理解する必要もない。
ここに書き込むの初めてだけど、あの体験無しには悟れませんよ。絶対に。
270 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 18:03:53 ID:1wqv4b/S
なにを指して体験と言ってるのかわからないけど体験それ自体が悟りじゃん あれが仏性であり本来の姿 いかにあの状態のまま日々を目覚めて生きれるかでしょう
271 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 22:38:03 ID:q+GVdY1b
覚者は2チャンネラーってかw
273 :
神も仏も名無しさん :2010/01/16(土) 12:25:21 ID:U4KCaF7p
うむ 第五章ー第六章がいいね 口舌の代理筆記本を翻訳されてあるクリシュナムルティ読むより 日本人文章家である体験者本人がみづからの言葉で直接文章化した言葉は生きてるって感じだ。
274 :
神も仏も名無しさん :2010/01/16(土) 12:28:50 ID:U4KCaF7p
275 :
神も仏も名無しさん :2010/01/19(火) 15:33:59 ID:u6z4M7gm
人は相対性の中に在る。 しかしながら相対性が解ける一瞬を垣間見る人がいる それがクリシュナムルティだったのだろうと最近思う
クリシュナムルティと共に ってなんか一番クリシュナムルティ「らしくない」よね・・・まあいいけど
277 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 23:35:31 ID:Ud6XME9b
↑このビデオもクリシュナムルティも理想論に過ぎない。現実を生きろ
現実なんてものがあるならね
だね。なにを持って現実か?それが問題だ
これこれが現実だと判断しているのは自分の中の何なのか それが問題だ
>>281 唯識におけるマナ職だろ
高次元における神の子の無我と、物理次元における自我
これが合わさったのが俺達で、
自分を自分を、と、つなぎ止めてるのがマナ職
無我に至るにはまずはサマタ瞑想
止と観の両方が必要です。 天台小止観を読むと勉強になります。
止を通さず観にいけるならそれでもいい 止は観の準備にすぎないから
お前らアンチクリシュナムルティか?wwww
287 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 20:15:54 ID:93RdB9Y8
思考はアンチクリシュナムルティ
288 :
神も仏も名無しさん :2010/03/10(水) 01:55:42 ID:dSxLgCuO
水晶の革命家の作者、高岡光に詳しい人います? 本読むとずいぶんいろいろ詳しい人みたいだけど、クリシュナムルティとグルジェフ以外は 認めてないみたいで、マハルシとかを否定してるのは意外だった どんな人なんだろう
289 :
神も仏も名無しさん :2010/03/14(日) 04:45:02 ID:7tTUSk6L
突然ですがお邪魔します。 中国が日本を侵略する可能性が高くなってきました。 チベット人虐殺は有名ですが(今でもやってます) オーストラリアが中国に乗っ取られたのはご存知でしょうか? 日本でも同じ事が起きようとしています。 検索してみて下さい。お願いします。 国民が知らない反日の実態 ※↑の事、嘘かと思うかもしれないけど、 私もKの本何冊か読みました。キッチン日記もよみましたw Kを知っている者に嘘つきはいないってわかるでしょ? 日本人の存亡に関わってるので検索して下さい。(うそくさいか?)
290 :
神も仏も名無しさん :2010/03/14(日) 16:42:32 ID:v40IAQt5
>>288 高岡光氏も現在では、クリシュナムルティは寝言を言っていたということに
気づいたでしょう。
彼自身、ここの過去スレでそれに類似することを語っているんじゃないの。
クリシュナムルティのトリックに気づけば、ラジニーシと同類ということが分かる。
292 :
神も仏も名無しさん :2010/03/14(日) 18:43:37 ID:pE8cY3Cj
>>291 過去スレに本人が書き込んだってことですか?
そんな書き込み見た憶えないけど
単なる煽りじゃないならどこかちゃんとおしえてくださいお願いします
293 :
神も仏も名無しさん :2010/03/14(日) 18:50:24 ID:j5sVn6s0
>高岡光氏も現在では、クリシュナムルティは寝言を言っていたということに 気づいたでしょう。 どうだろうねえ…彼の本を読む限り、近代神智学の教義を真に受けすぎている節があるから、転向はなかなか難しいと思う。 グルジェフも読んでいるのだから、KがG言うところの「ボヘミアン」だと気づいてほしいのだけれども。
294 :
神も仏も名無しさん :2010/03/14(日) 23:04:02 ID:QRD+IIx7
>彼自身、ここの過去スレでそれに類似することを語っているんじゃないの。 結局ソースなしのただの妄想か?
初K どの本から読むべし?
「子供たちとの対話」を子供のような気持ちになって読む
評判いいのは「自己の変容」と「自我の終焉」
298 :
295 :2010/03/27(土) 19:18:41 ID:t7TkWyNc
レスサンクス
>>296 これ同じこと考えたw
やってみよっかな
>>297 ふむふむありがと!
題名が私好みです。
「子供たちとの対話」もいい本だけど、子供に身近なことから話してるから若いひと向きかも ね 子供の気持ちを忘れた大人は移入しにくいかもしれない
クリシュナムルティの本読んでも良くわからなかったが、 wikipediaを読んだら理解できたw
英語のwikiの方がより確信ついている
302 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 09:05:07 ID:tLWdJh4f
test
303 :
神も仏も名無しさん :2010/04/25(日) 02:49:53 ID:V1BIL0uO
英語のwiki誰か訳してくだしあ><
304 :
神も仏も名無しさん :2010/04/26(月) 09:23:40 ID:mOzemzXR
クリームシチューとともに?
栗シュークリームティーとともに
今さらながら
>>272 のリンク先を読んだ。
内容にも感銘したが
かつて愛読したムーBooks「ファスト博士の超人覚醒法」の著者と知って
驚きも覚えた。(今月改訂復刻版が出るらしいですよ!)
著作から色んな体験をしてきた人だとは思ったがまあこんなにも……。
さらに過去の日記を読みふけって不覚にも涙した。
「本当にかつてオカルティストだったの?」と言いたくなるほど当たり前で古臭く
しかし地に足のついた人生観に生活。
自分でたびたび述べているようにかなりのロマンティストで感情の揺れ動きも大きい。
でもこの人しっかり人生いきてる。空理空論に逃げない。理想を追いつつつも現実の不条理さに悩みそれと
対峙している。なんかKがあーだ瞑想の本質がどーだと理屈こねまわしてる自分が恥ずかしくなった。
307 :
神も仏も名無しさん :2010/05/08(土) 22:52:23 ID:LJyh2rBm
それはフツーに正しい意見だ
坐禅をすれば、ある程度の覚醒れべるまでは簡単に到達できる。 そして、その最低限の集中力と注意力があれば、クリシュナムルティーの言葉 の意味もわかるのではないだろうか? いずれにせよページをぱらぱらめくって 読むような本ではない。 自分は坐禅歴は浅いのだが、たとえばグルジェフのワークを読んで、なるほど なとおもう。だが明らかに喋りすぎで、こんなことは坐禅をすれば自動的に分かる。 坐禅なら工夫して自分でワークしなければならない。 教えすぎるのは問題だと思う。分からないというのは大切で、分かりすぎるという のは、分かっていない場合がある。それは知識として分かる気がするだけであって 真の「分かり」ではない。
309 :
308 :2010/05/11(火) 06:23:38 ID:NvyMIgn3
今日またグルジェフを読んだら、感想がちがう。308の感想は誤りだった。 自分はまだ、何かを非難できるレベルではない。
>308おう、とても筋のよさそうな方だ。 ただ、覚醒にはレベルはありません。 覚醒は絶対です。 覚醒を見出した後は、自分の思考の習慣、感情の習慣、動作感覚の習慣の総体 である欲望や夢見が少なければ少ないほど覚醒に留まれるようになります。 だから覚醒を追わず、自分自身の認識を進めてゆけばいいと思います。 もうそれこそ死ぬ気で。 非難できるレベルは永遠に来ない。 非難するということ自体が自己逃避であり、自分を縛るパターンを守ることになる。 ただ、非難と肯定が同じことであると理解し、それを遊びとして使う日は来るだろう。 そう、あなたは非難とは何か知っていますか。 人は非難が何か知らず非難している。理解していない道具を使うのは気味が悪くないだろうか。 「みな精神世界の犠牲になっている」 いいフレーズです。 普通の人はみな精神で作った夢の中で生きていて、精神の犠牲になっっている。 宗教は正に非精神的な世界。 精神の全容を理解しないうちは、みな夢の中で生きている。 現実の法則と似た夢を見ている人は現実と合致するので幸せな夢を見ている。 現実の法則、タオと一致しない夢を見ている人は現実と合致せず己の本質とも合致せず苦しむ。 そして夢の特徴は絶えず希望があり、目標があり、当然自己に不満でもっともっとと欲しがり その「2元性」の狭間で葛藤し続けることにある。
311 :
神も仏も名無しさん :2010/05/25(火) 08:21:05 ID:bhGO1YRM
>>310 精神世界バリバリの文章で何言ってるか意味不明。
精神世界=オナニー これで十分でしょ。
>だから覚醒を追わず、自分自身の認識を進めてゆけばいいと思います。 >もうそれこそ死ぬ気で。 自分は「死ぬ気」で自分自身の認識を進めて行きたいのだが、なにかいい方法はないですか? いい方法というのは「死ぬ気」でやっても実際には死なないで、足がもげたり、手がもげたり しない方法です。適度に痛い思いをするのは構いませんが、五体満足でいられるということです。 少なくとも一日一回自分を限界まで追い込んで、しかも、絶対にとは言わないまでも、 そこそこ安全にできること。 具体的に自分自身の認識を深めるにはどういうことをすればいいですか? たとえば坐禅は、無になることの難しさを教えてくれました。しかしこれは 「死ぬ気」でやるようなことではないような気もします。
真理に対する熱望が伝わってきます。
あなたは何故か自分が知らないということを知っている。
そこに還るまでその熱望は静まらないでしょう。
座禅は補助的な存在として最初から導入してもいいのですが、
座禅そのものが最初から効果をあげることはほぼありえません。
(悟りの直前で死んで、ただ悟るだけのために生まれるような人は別です。)
そうでなければ宗教の多様な技法はこの世に存在しないでしょう。
坐禅に「落ち着く」まで特定の技法をいわば「使う」ことになります。
あなたの苦闘と成長が目に浮かぶ。
だからこそ私は慎重になる。
貴方の過去、生活、性格、行動力、美のセンス、好みの経典、今所属している団体。
それらを知らぬことには説明は難しい。
そしてどこに住んでいるかも重要です。
むろんあっさり答えを出すこともできますが、然るべき対話を経てでなければ誤解の危険性があります。
ここで対話もできますがスムーズかつ密な対話をお望みでしたら
とりあえず
[email protected] にメール下さい。
それこそいろいろ試して経過を見て自然と馴染んでいく過程が必要なのです。
>310
これは申し訳ない。簡潔に表現すると、
いわゆる宗教はとても想像力豊かですが、
本来の宗教とは精神、想像が全くない生き方だということです。
あなたが幸せに生きているのであれば、批判せず狂った我々のことを温かい目で見てください。
あなたが不幸なのであれば、失うものは何もないので狂った我々とちょっと遊んでみましょう。
おかげでこんなフレーズも湧きます。 自分が正しいということも自分が間違っているということも同じことである。 お金を稼ぐにしても普通客商売は お客さんが正しくてこちらの考えが間違っているとした方がやりやすい。 かといって、メソッドを売ったり、部下を率いるなら 自分が正しくて相手が間違っているとした方がやりやすいだろう。 また、日常生活において同居人と意見が違った時も 自分が正しく相手が間違っていると言って対立の泥沼に入るよりは、 あなたは正しく自分は間違っているが、慈悲を下さいとやったり、 強引にやるにしても僕は狂った変わり者なのでどうしようもないと下手で突っ張った方が 軋轢は少ない。 みな「自分が正しい」というポジションにこだわるが、あまりそれは有用ではない。 みなこだわるがゆえに、「自分は間違っている」といえる人は多くの便宜を受ける。 本当に自分が間違っていると思うのではなく、自分が間違っていると演技できれば。
久しぶりに薄っぺらいことを得意気に書く人を見た。 中学生?
おお、それでは何が薄っぺらくない、大切で実際的なことなのでしょうか。
言葉以外のこと。
>>312 死ぬ気で「わたしとは誰か?」を問い続ければいいよ
四六時中ね
それがむずかしければ公案とか
座禅もいいんじゃない? 死ぬ気までいかなくても毎日数時間座れば
ええ言葉は別段大切なことではありません。 別段意味のない歌のようなものです。 ただ、言葉ではない実在も別段大切なことではなく、それはただ存在するだけのものです。 「言葉とは無縁に実在はある」と述べるのであればそれは言葉の否定ですが、 「言葉以外のものが大切である」というのは正に言葉の働きでしかない。 いわゆる思考を否定する思考。言葉を否定する言葉である。 正直世間にあまりに深刻になるあまり、それ以外のことに熱心な人が信じられないゆえの 書き込みかと思いましたが、外れていたようです。
320 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 00:07:57 ID:AK49G7VX
なんか臭ってきそうな書き込みだな。 Z3QMIZDH 香ばしすぎるだろww
>死ぬ気で「わたしとは誰か?」を問い続ければいいよ >四六時中ね 四六時中問い続けることで死に向かうことは難しい。もちろん、食事を抜けば 死に向かうことはできる。でも「問い続ける」方はたぶん惰性になってしまう。 飛び降り、あるいは「息を止める」とかなら、すぐに「死」の近くにいけます。 ただこれは、死ぬ気にはなれても「問い続ける」ことにはならない。 死ぬ気で筋肉トレーニングはできますが、死ぬ気で問い続けるのは技術的に難しい。 中村天風が、ヨガ修行をやっている時の話ですが、目もくらむような渓谷に渡した 一本橋を渡るように言われた。しかし足がすくんでどうしてもわたれない。 その時、師から「死んでしまえ」と怒鳴られたわけです。 そして、彼は死ぬことによって渡ることができた。 しかし、普通はこのように死ぬことはできない。死ぬ過程が必要です。そうでないと とても怖い。 実際のところ、死は今までの生とは連続しない「何か」であって、「過程」と思っている ものは無意味かもしれません。 完全に信頼できる師の言葉であれば、「死」ぬこともできますが、私に とって師は私ですから、死ねとは言いにくい。 だから天風の死を100分割して、毎日1/100づつ死ねば、100日で渡れる。 1/100にする方法を考えているのです。
>むろんあっさり答えを出すこともできますが、然るべき対話を経てでなければ誤解の危険性があります。 そうですね。私のような未熟者はすぐに知りたがります。しかし、知ってしまうと、予断が働き、そこに至るのが 返って困難になる場合が多い。 特定の宗教に嵌って、厖大な知識を詰め込んで、がんじがらめになっているような人を見ると、この人は 坐禅では無理だろうなと、なんとなく感じたりもします。 「死ぬ気で」というのはすこし大げさですが、苦行に興味があります。 「安楽の法」という言葉の裏に苦行が見えたのです。 たとえば断食などは嘗ては苦行だったのですが、あまりに喋りすぎるので、簡単にできることが解ってしまった。 だからいまでは誰も苦行だとは思わない。もちろん多少は苦行ではあるのですが、誰でもできる。 苦行を選択するにはセンスが必要なのです。突き抜けられること、しかしそれが容易に突き抜けられることが 解っていると意味を成さない。 「知ってはこまること」を知らずに知る必要があるのです。 しかし、あなたと話すことで、そのヒントは解りました。多分苦行を発見することができました。
323 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 08:59:27 ID:dR/jPA4u
あのさ、物理的な死と精神的な死は別物だよ 死に面して悟れるのは物理的な死に面してたまたまた精神的な死を体験できたから 物理的な死に面するだけで悟れるなら、臨終近い人はほとんど悟ってるし、死んだ人はみな 悟ってることになっちゃう 物理的な死はどうでもいいんだよ 精神的な死を体験できるか つまりエゴ(価値感、執着)が死ねるかだよ とりあえず死を特別だと思うエゴがまず死ぬべきかな
324 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 19:28:30 ID:AK49G7VX
> 特定の宗教に嵌って、厖大な知識を詰め込んで、がんじがらめになってい>るような人を見ると、この人は 苦行でがんじがらめ野郎が言っても説得力ないぞ。 つーか、ここ泣く子も黙るクリシュナムルティ・スレだって知ってるのか? あーそうか。苦行マニアにはあえて自らを餌とすることが、辛抱たまらん苦行 ってことかw
黙れ! もしこの言葉の通りに沈黙があるなら、エゴは避難場所を失って、現われでて、見つめられ 消え去る。 そしてわたしがそこにいる。「私は誰か」
326 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 21:35:34 ID:AK49G7VX
反応するんじゃねーよw ここは貴様の苦行の場なんだろ。黙って苦しめ。何を言われてもな。 苦行と沈黙というエゴに満ちた「私は誰か」など鼻くそほどの価値もない。 それは単なるお遊びだ。こうすればこうなるという前提でやっている限り、 お前は鼻くそ以下の馬鹿人間のボロぞうきんの価値もないのだ。 せいぜい皆に踏まれて、苦行の快楽を得ろ。それがおまえが選択したことだからな。
最近文章が混乱してる人をよく見かける。 「自分は未熟者」と言って遜ったかと思えば、何かを強く主張してみたり、 未熟者のはずがいきなり上のように尊大になったり、人格に一貫性がない。 たくさんの書物を読んでるとこうなるんだよ。 読んでる書物と発言との関係を観察してみ。
黙りたくないエゴに黙れっていうから意味があるわけでさ 黙りたいエゴを持ってる人が黙れって言われて沈黙できてもだめよ 自分がしたくないことができるようになったとき執着が抜けるわけだから、したくないことを しないと苦行になんないよ 悟りたい人は、悟りたいって気持ちをなくすのが有効な苦行 悟りたいって気持ちを死ぬ気でなくしてよね できたらその分悟れるよ
329 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 22:11:23 ID:AK49G7VX
最近が自分が正しいと混乱してる人をよく見かける。 「黙れ!」と言って罵ったかと思えば、第三者のように書き込む。 苦行者のはずが頭に血が上り反応せざるを得なかったり、人格に一貫性がない。 苦行でがんじがらめになるとこうなるんだよ。 自分の苦行と発言との関係を観察してみ。
>322氏 私があなたを買っているのは、見果てぬ理想を追うのではなく、今現在の自分に関わろうとしているからです。 それはなかなかできることではなくあなたが過去世を含めて理想の虚偽を見抜くだけの成熟を経ていることを意味する。 人が宗教の知識にはまるのは自分に向き合えず理想に逃避するという人間の構造があるからであり、 それはあなたの感覚ではなく相手の側に立って理解せねばならない。 あなたは周りの人と自分の宗教への熱意の差を不思議に感じ続けることだろう。 あなたが知ると障害になることは喋らないので心配しなくていいです。 私にはあなたの可能性、現在地と未来が見えますが、それをけっして喋るようなことはしないでしょう。 理想ではなく、あなたの現状からいまあなたがなすべきことを示唆するだけです。 私は理想をいかに破壊するかの道しるべとなるだけです。 もしあなたが+Aに偏ったら−Aについて私は語るし、−Aに偏ったらAについて語るでしょう。 何かにしがみつくようなことを私は許さないでしょう。 誤解を恐れるのは、自分の進めるものがあなたが嫌いな場合です。 また、本当にここで提示していいのかな?ギャラリー多いですけれど。 荒れてますよここ。
331 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 22:18:10 ID:AK49G7VX
苦行の次は「過去生」か。中学生は寝る時間だぞ。 年とってその程度ならお先真っ暗だな。 自演のための下準備はいいからとっとと出てけよ。馬鹿は。
なんだかなあ 悟りと悟りでないものを分別して何かを得ても悟りという名の単なるエゴだよ 自分さえ見つめられればそれで悟れるのに 苦行したいと思ったら、苦行したいエゴを見つめるだけだよ 今あるエゴをはったらかしてここからどこに行こうというのか
333 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 22:32:18 ID:AK49G7VX
全くだ。ここで何をしたいのか分からん。 もっと正直に自分を晒せよ。かっこつける奴は進歩しないよ。 お兄さんが胸貸してやっからよぉ。
苦行を批判している人はいますが苦行がいかに無意味かを理解しているだろうか。 そもそも非難がクリシュナムルティーと相容れない。 クリシュナムルティーは苦行を非難したのではなく、その無意味さを明かしていった。 私は全く無意味だからこそ苦行を勧める。 現実の進歩は空想である連続性、思考の条件付けから外れることで起こりうる。 不条理こそ道しるべだ。 適度な肉体労働しながら自分の体と心を意識するというのは誰でもどこでもできる 黄金律です。仕事変えないとだめだけど。 頭脳労働にしても、「ゾーン」「バガバットギーター」のように自我の得失への執着 を観察するワークが使えますがこれは上級者向きです。 体と心と感情をわける必然性はないので、すべて使って生きるのが結局は近道です。 また私が挑発したり、挑発に乗るのは、自分のエゴの観察のためであり、 また他者の側に立って何故自分の言葉に賛同したり批判したりするのかを感じるための訓練です。 私は批判されないけど、私の書いた言葉を誰かが批判するとき、私の思考には理解できない その誰かさんにとっての正当性があるんです。理不尽な書き込みはあり得ないんです。 相手の側に立とうとすることで自分の思考の牢獄は打ち破られうる。 >327さん 人格に一貫性はなくてもいいんじゃないかな。 対応している相手が違うし、 同じ人相手でも仲が良いほど喧嘩も派手だよ。安心してケンカできるからね。 無理して大人になろうとすると子供の精神構造がそっくりそのまま残ってしまうので 目覚めたまま子供っぽさと怒りを通り抜け、理解するのが唯一の成長の可能性じゃないでしょうか。
>悟りたいというエゴを見つめるのが苦行。 苦行したいと思ったら、苦行したいエゴを見つめるだけだよ 今あるエゴをはったらかしてここからどこに行こうというのか。 おお、悟りたいというエゴそのものを直接体験なさりましたか? 直接体験していないことを勧めるのは無責任なので、 それがいかに理屈で捉えられぬ不可思議なものかお話しください。
336 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 22:40:42 ID:AK49G7VX
苦行を批判してんじゃねーよ。苦行の後ろに隠れている馬鹿に対して、 自分を誤摩化してんじゃねーと言ってるわけだ。 それにお前はクリシュナムルティではない。お前はお前だ。 これをまず理解しろ。 >相手の側に立とうとすることで自分の思考の牢獄は打ち破られうる。 なぜそんな事が言える? 思考の牢獄を破ったのなら、こんなことする必要ないだろ?
何かを得たら、得たことを肯定しちゃうけど、それは得た自分を肯定したいエゴ 得た瞬間手放さないと、今までのエゴが別のエゴに移行してるだけだよ それに気づかず、ようやくわかったとか思っちゃう、言っちゃう、果てしなき連鎖なのに
338 :
中2でーす :2010/05/26(水) 22:45:25 ID:mfgg6KPE
アドバイスは客観性から出てくるけど、批判は劣等感からしか出てこない。 自分が他人を批判するとき結局その人に嫉妬していたことを思い出す。 人をこれ以上傷つけてはいけない、322氏どこか移動しましょう。 もしくはいつでもいいのでメール下さい。せめてアド取っておいてね。
>>335 責任とか無責任とかそんなもんがあるかどうか自分を見つめたらいいよ
自分でない他人の話を聞いてどうすんだか
340 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 22:48:44 ID:AK49G7VX
人の批判に聞く耳を持てるようになってからこのスレにいらっしゃい。 中2くん。
あなたの精神に批判と怒りがあるのだから言葉でごまかしても仕方ない。 思考のと同化した状態、思考の雲に気付く状態、思考の雲から光がさす状態、牢獄の外に出てようやく思考と対等の状態、その先は知らない。 ある程度進んでも行ったり来たりを繰り返すのが実情です。 >337 おっしゃることは正しい。 だけど、それを本当にご存知なら、相手を見て、相手の言葉に対応して、 あなたの言葉でそれをアドバイスできるはずです。
どんな内容の意見であれそれを批判ととるのがすでにエゴなんだけどな 批判というものはないよ 誰かの口に出した言葉があるだけ 批判と判断したエゴがあるだけ
>>341 なんか、正しいことがいいことで、知ってることがいいことで、アドバイスすることがいいこと
とか思ってんじゃないの?
344 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 22:56:48 ID:AK49G7VX
怒ってないぜぉ。中2相手に怒れるわけないだろ。 >思考のと同化した状態、思考の雲に気付く状態、 >思考の雲から光がさす状態、牢獄の外に出てようやく思考と対等の状態、 >その先は知らない。 まず、知らないということに正直でいようよ。でなければ世界の果てまで 行っても同じだ。 アドバイスとは受け取る側に用意がないと全く意味がないんだよ。 それは甘えだ。自分で掴み取れ。それくらい強くなれ。中2くん。頑張れ。
>342 ええ言葉に批判はないです。 けど私は言葉ではなく自分の心、人の心に興味があってここにいます。
>>345 >けど私は言葉ではなく自分の心、人の心に興味があってここにいます。
なんで興味があるの?
347 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 23:03:16 ID:AK49G7VX
____ / \ /\ キリッ . / (ー) (ー)\ <「アドバイスできるはずです!」 / ⌒(__人__)⌒ \ | |r┬-| | \ `ー’´ / ノ \ /´ ヽ | l \ ヽ -一””””~~``’ー?、 -一”””’ー-、. ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒)) ____ /_ノ ヽ、_\ ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ <だっておwww /⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒) | / / / |r┬-| | (⌒)/ / / // | :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/ | ノ | | | \ / ) / ヽ / `ー’´ ヽ / / | | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l バンバン ヽ -一””””~~``’ー?、 -一”””’ー-、 ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
>>343 そうですね。
ここまで連続で議論したことは初めてなので、一度ぐらいは大目に見ていただきたいのですが、
今の自分が議論してもろくなことにならないみたいですね。
言葉遊びをした結果、あなたのおっしゃる通り−−−−が正しいこと思っている自分に気づけそうです。
知っていることが正しいわけではない、と言葉ではわかっていても仕方ないですね。
以下、返答は一部の内容に対してだけにします。
思考で生きている。自己アイデンティティーをもっている。 すると、それに反する意見は「混乱を招く」ので、批判するか逆に盲信するしかない。 私は批判と憎悪の人であった。 それを主観的、習慣的分析ではなく、事実として出会うことができた。 大切なことを学ばせて頂きました。 皆さん本当にありがとう。そしてこれからも よ ろ し く
夜露死苦! メンチ切ってんじゃねよ、アン?
(しまった自分のものではないネタ台詞マインドにのっとられていた。 無意識はロクな結果にならんのー。文の統一感台無しだ。)
自分にはヤンキーの自己認識とパターンがないので、お前は俺をなめてるな と言われると混乱して固まってしまう。 が、事実自分はなめたこといった奴と思われたのだ。 それに反対しないことだ。 「すまん。うっとおしい奴だが温かい目でいじめてくれ。」
なんかしらんががんばれw
タラリラ、タラリラ、 盗んだバイクで走り出す〜♪ 15の夜〜♪ タラリラ、タラリラ、ブンブン、ぶぶっん 自由つ〜のは、 内的なすべての依存に対して 反逆しなくちゃいけねんだよ、分かったか、コラ〜! アン?おまけにアン? タラリラ、タラリラ、
355 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 07:46:41 ID:3UANnoZE
>>351 >>349 が正直な気持ちに見える。
クリシュナムルティ読め。
あるがままの気づきをやって、日常を修行にしろ。
考えるもの、感じるもの、反応するもの、すべて君のようで君じゃない。
>>353 >>354 正直癒されました。なんか20年来の謎が溶けた感じ。
>>355 いや、明らかにとってつけた不自然な よ ろ し く なんですけどね。
まあそれはおいといていても、気もちですよね。うん。
おっしゃる通りただ理の通った言葉遊びというだけでは何かが欠けているんですね。
正直な気持ち。
理解されて消え失せるべきパターンや傷がまだまだあります。
自分を作らず好きなまま生き、 更にその好きなまま生きている自然な自分の虚偽を見つめます。 虚偽と知りつつもそれを理解するために表現するのです。 皆さんのおかげでそれは明らかになりました。
自分をを批判する人は他人を批判する。 自分の虚偽を見つめる人は、他人の虚偽を見つめる。 が、何の野心もなくみんなと友達で楽しく生きる、本来天然の自己 に還る前に「人に教えるゲーム」に参加するとそれを見つける障害になります。 深刻に教えようとすることは論外ですが、ゲーム感覚でもものすごい負担です。 人はみんな教えようとしますが、教えようとすることは障害なのですが、 折を見て実際にやってみてこそいかに障害か理解できます。 欠点の多い私の教え方を批判するより、うまく反面教師としてご活用ください。
358の内容が適当すぎるので修正します。
>>343 とても嬉しい客観的な分析なのです。
価値ある痛みを私にくれました。
ところで教えるという言葉と、アドバイスという言葉のニュアンスの違いにお気づきでしょうか。
教えることとは自分の知識をそのまま人に押し付けることで、同じなら共感し、受け入れてもら
えば嬉しく、撥ね退けられれば非難します。
教えることは簡単ですし、恰好の自己逃避です。
それに対し、アドバイスとは、相手をあるがままに受け入れ、相手の偏見が無くなり思考の檻から出られるような知恵を、その場で作り上げることです。
それができなくでもあなたはこうなのではありませんかと伝えます。また他人の偏見から己の偏見を知るという効果もあります。
ですが、アドバイスは相手をあるがままに受け入れないとできないので、例え少々のまねごとができても自分の思考の習慣が残っていると、受け入れた
相手の思考に反応してしまい混乱してしまうのです。この混乱は日々の修行を台無しにするのに十分でした。
「私にはアドバイスは荷が重い。」
それなのにアドバイスしようとしたのはそれを正しいと思い、古の師へのあこがれから他人の真似をしようとしたからに他なりません。
あなたは自分の知識を押し付けるのではなく、私自身を見てくれました。あなたの指摘は正しかった。ありがとうございました。
でも無理のない会話、無理のないアドバイスは自然と起こるのでその範囲で起こるに任せます。
すばらしい分析というか読み方ですね感心します。かつてガイオン婦人の祈りの方法と 言うのを知って、聖書とはこのように読むのかと感心したことがあります。なぜかそれを 思い出しました。
>せいぜい皆に踏まれて、苦行の快楽を得ろ。それがおまえが選択したことだからな。 苦行って快楽なの? そこまで見透かされていると、苦行の意味がない。 苦行して、感心されて、褒められて、尊敬されて、いい気分になって、 些細なことのようですが、こういうことって、お茶の前のお饅頭みたいで、一寸 いいものではないですか? だってあなたも好きそうです。 私はお饅頭はいいです。
>悟りたい人は、悟りたいって気持ちをなくすのが有効な苦行 >悟りたいって気持ちを死ぬ気でなくしてよね >できたらその分悟れるよ その理論からすると 「悟りがなにかも、悟りたいかどうかも、どこに向かっているかも、さっぱり解らない」 そういう私という人間は、何でも有効だから、最高に自由ですね。 あなたは死ぬ気でお饅頭を食べられますか? 1個のまーるいお饅頭です。死ぬ気で 食べられますか? 100個じゃないです。1個です。毒は入っていません。あなたの大好きなものです。 あなたが、順序だてて物事を考えられず、支離滅裂なのは、こういう公案みたいなことですか?
パララ、パラパラ、パラパラパ〜♪ 盗んだ真理で走り出す〜♪ 15の夜〜♪ 絶えまざる観察とか言って、 メンチ切ってんじゃね〜ぞ、コラ〜! アン? 始めに愛がなきゃあ、 まともなメンチなんて切れねんだよ。 ア〜ン? おまけにアン? パララ、パラパラ、パラパラパ〜♪
>未熟者のはずがいきなり上のように尊大になったり、人格に一貫性がない。 人格に一貫性のないのが未熟者です。心の統一を得ると覚者といいます。 未熟者の場合「人格の一貫性」というのは、ともするとマインドコントロールの餌食になります。 あなたの場合、たまたま馬鹿だったとすると、一貫して馬鹿になります。 私の場合はたまたま馬鹿でも次に賢くなる可能性を秘めています。 でもあなたが既に覚者であれば、一貫していて問題ありません。 >たくさんの書物を読んでるとこうなるんだよ。 >読んでる書物と発言との関係を観察してみ。 何故だろう。実は最近は殆ど読んでない。しかし影響は受けているでしょう。 残念ながら、あなたの意に反しますが、もっともっと読まねばとおもっています。 苦読をつまねば。
>誰かの口に出した言葉があるだけ >批判と判断したエゴがあるだけ だけだけと片っ端に「だけ」なのは、そうだけど、つまんないだけみたいなだけ。 あふれている場合は、「だけ」で切り捨てるのもいいけど、今まさにくすぶりかけた火を 熾そうとしているときに「だけ」とは水をかけるようなだけ。
366 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 20:15:26 ID:m8fkKVMC
理屈っぽい人はあえて理不尽なことをいわれるとかっかしてしまう。 わたしはこれから釣りに対しては わたしにはあなたが理解できない。 あなたのことばが理解できない。 と自己の知性の限界を認めればオーケーであるとさとた。 思考は、覚醒したひとのことも分かりませんが、タイプの違う人や 明らかに狂った人のことも理解できませんからな〜。
367 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 20:31:32 ID:m8fkKVMC
≫360 お気に召していただいて何よりです。 あなたの本質は既に多くのことを知っている。 今は悟りを求めるあなたの本質とあなたの意識につながりがない。だから悟りとの関わりが自分にとっても不可思議になる。 あなたは今ある自分自身を知るという困難な仕事より先に、すでに動き始めているあなたの英知と接触しなければならない。 (ちょっとあなたの話を聞くだけで言うべきことが全く変わる) 自己認識、他者認識はあなたの急務ではない。 まず目覚めることだ。そのための方法も沢山ある。 って、やる気あるなら場所変えるかメールよこすかなさい。
なんで場所変えたりメールでしたいの? 教わりたい人に教えるグルになりたいの?
369 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 21:10:54 ID:m8fkKVMC
スレ違いの内容になることと、本当に微妙なやり取りが必要であること。 本人にだけ有用なので他の人にとって有害な内容になること。(当然外野からの反論が予想される) ここは安心できる環境にないので互いに閉じざるを得ないこと。 これは当然のことです。 また、愛情を感じる相手と縁を結びたいのは当然のことではないですか。 本来教えることは何かをすることではありません。呼吸のように自然なことです。 あふれ出るものを受け取ってもらうだけのことです。 そういった真実相もあり、何かになりたい欲望も残っていることでしょう。 私は教える、教えない、教わる、教わらない。 全て起こりうる。ただ気づいていることしかできない。 彼に答えるためにもこの質問は答えましたが、質問が良くない。 クリシュナムルティー的一般論で私自身を見てくれていない。
縁があるなら向こうからくるし、「メールよこすかなさい」なんて言わないでしょw どんだけ能動的なんですかw ただ気づいてるじゃなく何かしたいんだよね 外野とか反論とか有用とか有害とか愛情を感じる相手とか、自分の中にいろいろ持ってたい へんたいへん
371 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 21:27:29 ID:m8fkKVMC
いや、違う。 他人の非より自分のバランスの欠如を感じる。自己中な私は自分を見る。 「教わりたい人に教えるグルになりたいの?」 はい私はそういう欲望を持っています。 しかし私はそれに気づいている意識です。 私は意識であり真実の媒体にもなれますが、油断するといつ何時そういう欲望に転ぶかわからない存在です。 ヨーガースートラの8段階の7番目の特徴はいつでも1番まで落ちること。 真実と虚偽の両方が今の私だったのだ。これで自惚れも落胆もない。 という自分だとわかりました。 やっぱりありがとうございます。欠点は叩かれて消える、長所は褒められて伸びる。
372 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 21:44:05 ID:m8fkKVMC
同時に私欲のない与え手になりたいと思っていると、(そもそも思うことは逆効果ですが) 私欲まみれの人間とみなされることがつらくなる。 私欲と私欲ない人間になりたいという2対一体の欲の構造が開示された。
373 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 21:48:51 ID:m8fkKVMC
欲を持って生きる>欲張りといわれて生きにくくなる>不安 >欲張りでないと言われると搾取しやすく安心なので無欲になろうとする>欲張りだといわれるだけで不安になる 師は素質のある人間はひっぱたき引きずりまわすが、素質のない人間にはやさしいものだ。
374 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 21:52:50 ID:m8fkKVMC
あ最後、口が滑った。本人が理解するまで言うべきでないことを。 これがここで語ると碌なことがない理由です。 多人数相手に語るのは不可能です。
375 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 23:48:10 ID:3UANnoZE
>苦行って快楽なの? そこまで見透かされていると、苦行の意味がない。 意図的な苦行に意味はない。苦行すれば解脱できる、悟れると思うから それは快楽であり、欲望そのものなのだ。これら一連の心の動きを見つめる ことだよ。 一連の書き込み見ていると、自分を見つめて知ることがいかに教えられず、 何かを得ることばかりが子供の頭に刷り込まれている、教育の悪の部分を 見る思いがする。 あなたにはラジニーシあたりの狂気の方がたぶん役に立つね。 そのあとならKがストレートに読めるかも。
376 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 23:54:51 ID:3UANnoZE
頭が役に立たないときは、体の感覚から気づきを始めるといい。 身体、感情、思考、の順に気づきは難しくなる。 結果を求めないことが大事だよ。
377 :
神も仏も名無しさん :2010/05/28(金) 00:13:35 ID:48qJz8by
それからだな... そうだな、本来の自分を信頼しなさい。 ここにこんな事を書き込んでいるのは、基本的に良い方向に行ってるってことを 信頼しなさいよ。 だから何を言われようと何を感じようと、それをそのままにしておきな。
スレッド立てられないので激しくスレ違いのことを申します。 >375 和尚はどんな手段を使ってもまず覚醒の一瞥を味あわせる。 覚醒があってこそ、快楽と苦痛を同時に感じられる。 それが一つのものだという不可思議な認識が得れれる。 そこに至っていない人間がクリシュナムルティーについて語るのは逃避でしかない。 欲望の非難は思考の働きでしかありません。 欲望のメカニズムの理解が必要であり、その理解には一瞬でもいいので無思考が必要なのです。 段階のない道で迷うのがいやなら、正しい段階を踏まなければなりません。 大いに求め、大いに修行なさい。 そして欲望のメカニズム全体の理解の一瞥を得るのです。 すべてはそれからです。 クリシュナムルティーが役立ちうるのはその後です。 クリシュナムルティーは無明の人について無知なのです。 クリシュナムルティーが想定した程度の目覚めに至るまで無明の人を研究しつくした人に従いましょう。
379 :
神も仏も名無しさん :2010/05/28(金) 00:40:51 ID:48qJz8by
>>378 言いたい事は分かるがちょっとズレてる。欲望の非難など誰もしていない。
クリシュナムルティが言っているのは欲望・ないし恐怖の理解である。
非難は何も生まない。それは反応だからだ。
>段階のない道で迷うのがいやなら、正しい段階を踏まなければなりません。
迷うのがいやなら求めないことだ。迷わざるを得ないなら正しい
>大いに求め、大いに修行なさい。
>そして欲望のメカニズム全体の理解の一瞥を得るのです。
それでは一瞥すら得られない。欲望によって欲望の全体が開示されることはない。
欲望の全体が理解できるのは、欲望が止んだ時だけである。
>クリシュナムルティーが役立ちうるのはその後です。
クリシュナムルティはいつでも役に立つ。条件を付けているのは誰か?
>クリシュナムルティーは無明の人について無知なのです。
>クリシュナムルティーが想定した程度の目覚めに至るまで無明の人を研究しつくした人に従いましょう。
そのひとりがオショー・ラジニーシというわけだが、誰かによって目覚めるという考えを
捨てない限り本質的に目覚めなどない。グルが必要であるという観念は結局最後に障害になる。
上に登るのに梯子を使うが、登った後もその梯子を持ち歩くようなものだ。
Kとラジニーシはグルについて対立した考え方を持っている。ただラジニーシのやり方が正しかったか
どうかは彼の信奉者を見れば明かだ。彼は梯子としてなら役には立つし、それを心得てる。
だがそれ以上ではない。梯子にしがみついてる大量の信奉者が可哀想とも言える。
同じ事はグル全般、宗教という概念全般に当てはまる。
死ねば思考を理解したつもりの思考から解き放たれ、必要なワークに入れることでしょう。 犬死にしたくなければ金を出すことです。 金を出されても普通の仕事より負担大きくて迷惑なんだが熱意は伝わりますから。
あなたはまだ欲望を理解していない。 そんなものは予想にすぎない。
ほとんどの人がその梯子すらクリアできないのです。 誰がその梯子を登ったのか? なのにあなたは最後について語る。 和尚もクリシュナムルティーも弟子の成長に責任はありません。 時代の質、弟子の質が問題なのです。
>大いに求め、大いに修行なさい。 >そして欲望のメカニズム全体の理解の一瞥を得るのです。 これが間違ってるのは本当。 でも前の文脈から「覚醒の一瞥を得て」を間に挟めば大丈夫。 部分的に判断する意味は何だろう。
384 :
神も仏も名無しさん :2010/05/28(金) 00:52:14 ID:48qJz8by
>>380 ,381
俺はラジニーシが生きてた頃に、お世話になったんだよ。
だから彼が欲望を強調するという方便を使うということは知っている。
自分が問題を抱えていることを明らかにするための努力ということなら、
間違いなく彼のアプローチで、数々のセラピーワークを手法として使った。
現代社会で頭がガチガチな人には確かに頭を柔らかくするには役に立つが、
瞑想と気づき、それ自体と、いわゆるワークは直接関係ない。
それは庭を作るための基礎工事みたいなものだ。それ以上の役には立たないよ。
ふむ。 ダイナミック、クンダリーニ瞑想をしながら、 できるだけ自分の体と心に気付く。 これが瞑想を見出すまでのoshoワークです。 セラピーは更にこのワークの準備です。
386 :
神も仏も名無しさん :2010/05/28(金) 01:00:42 ID:48qJz8by
>>382 >ほとんどの人がその梯子すらクリアできないのです。
>誰がその梯子を登ったのか?
>なのにあなたは最後について語る。
俺はラジニーシという梯子使って上に登り、それを捨てたのだ。
だがな、登ったら、また上があるんだな。だから最後じゃないのよ。
>>383 >これが間違ってるのは本当。
>でも前の文脈から「覚醒の一瞥を得て」を間に挟めば大丈夫。
自分で書いておいて間違っているは無いだろ。
「覚醒の一瞥を得て」は文としておかしい。覚醒しているか、しないかだ。
一瞥というなら本来の面目と言いなよ。そしてそれに対する欲ということだろ?
いいかい。欲は欲なのだよ。聖なるものに対しても俗なるものに対しても関係ない。
オショーは意図的にロマンティックに悟りについて語ってるだけだ。
歌舞伎町のポン引きと同じ事をやってるんだよ。んで君のような純朴な人は
騙されるしかないというわけだ。彼の元で、いわゆるグルのもとでは自分を騙し
続けるしかないんだよ。わかるかなぁ?わかんねーだろうな。
めんどくさいなあw 何をいろいろ持ってんですか 全部手放すだけだよ そしたら言いたいことなんて何も残らん、ただ観るだけ 観るためにいろいろやってもしょうがない 何も無くなったら観ることしかない、それしかできない、それだけ Kとか和尚とか欲望とかワークとかどうでもいいよ そういうのさっさと手放して
セラピーに目移りする人はそれにしか興味を持ちえない人々であり、 それをうんざりするまでやってこそ正しくワークのステージに入れます。 ワークの気づきは一日中ですからね。それで仕事や人間関係が駄目になってもオーケーです。 瞑想中仕事します。仕事中瞑想するのではなく。 あなたはセラピーに惑わされない知性をお持ちだ。 セラピーの誘惑に打ち勝つ段階も大変でしょう、でも周りの人がみなセラピーに興味をもってワークに 興味を持たないことはもっと辛いことです。 あなたは生まれながらに彼らより先に進んでいる。だがゆえに彼らのことが理解できない。 彼らにはあれが必要であり、唯一の可能性なのです。
389 :
神も仏も名無しさん :2010/05/28(金) 01:07:11 ID:48qJz8by
こういうグルを巡る心理的な枠組みは、宗教的な枠組みもだが、 梯子と呼ばれるものだ。それはある意味ビニールハウスみたいなものだが、 瞑想と気づき、そして本質的な意味での本人の目覚めとは全く無関係であり、 種から苗にするための、安全な環境ってところだな。それはひとつの役目であるが 本質的には必要ない。 ま、あとは頑張ってくれ。何を信じ、選択するかはあなた次第。 誰に従うこともなかろう。
>「覚醒の一瞥を得て」は文としておかしい。覚醒しているか、しないかだ。386さん それがあなたが目覚めたことがなく、知識でしゃべっていることをを如実に表している。 それがあなたのミスというか実体を明らかにする言葉なのです。 教典は矛盾、嘘だらけですよ。 目覚めの一瞥を得た人はそうは言いません。2人知ってます。 というよりあなたが幸せで自身がおありならそれでいいではないですか。
391 :
神も仏も名無しさん :2010/05/28(金) 01:12:04 ID:48qJz8by
>>387 >全部手放すだけだよ
>そしたら言いたいことなんて何も残らん、ただ観るだけ
長く生きてると、持ちたくなくてもいろいろ持ってるんだよ。
煩悩だらけだしな。
おやすみ。
>>388 の中2君もな。
ピーヒャラ、ピーヒャラ、パッパ、パッラパー〜♪ 固定観念で、頭のなか、音楽鳴ってんじゃね〜ぞ、コラぁ〜
なんか、ちょっと、悔しいだろう。
癒されます。
全く彼ののために出てきた言葉で自分にはまったく無意味な言葉です。 私は関わっていないので結果は感知しません。 ありもしないものを、ないと理解してもらうためにさもそれがあるかのように語らねばならない。 ない。思考は何一つ現実を感知できない。 これが私の実感だが、何の役にも立たないので誰かのためにこれを言うことはないだろう。
露骨な真実についての言明ほど役に立たぬものはない。
ごめんなさい。ちゃんとよんでませんでした。 やっぱりおかしいなと思ったらおかしかった。 話がかみあわないのは私が375さんの文をきっちり読んでない。 勝手に他人を想像しておいて予想外の返答が来るとびっくりします。 想像しなければ何が来ても予想外れはありえないのですが。 375の文の全体から欲望への非難が感じられます。 それは欲望なのだと仰るが欲望だからなんなのでしょうか。 欲望、いいじゃありませんか。 クリシュナムルティーは欲望を非難しませんがあなたはしています。 他人の知識を借りて無批判になったつもりでいるのです。 これがクリシュナムルティーの失敗。 その借り物の知識が見事なので私は眼をくらまされ彼に過度の期待をしてしまいました。 そして彼の書き込みを飛ばしとばし美化して解釈してしまいました。 別に生まれながらの蓄積は彼にはありません。 和尚のセラピーを追っかけた挙句、何にもならずにその批判に回って、 その無為、浪費の痛みを紛らわしているのですね。 確かに辛いです。過去無意味なものに時間とお金をかけた記憶は、、、。 記憶に影響されなければ私は存在せず、過去の自分未来の自分は赤の他人なのですが、、。 過去に向き合えばその挫折は財産になるのでどうか逃げないでください。 その痛みから自己を守るためなら他人を攻撃するのもうなずけます。 特に実際の憎しみをこめず憎み軽蔑するふりをするというのは、他人に精神的な被害を与えるのに実に有効な手法なのです。 対策は、、それが実効性のないものと知り無視することです。 こういった言動は、心に深い傷なくできることではありません。 結局半分は全く空想のあいて向けのとんちんかんな事を書いて、人を怒らせてしまった。 リアルと違って人の実態の判別は難しい。けど、予想外の返答で得たショックを教訓にしよう。 自分の安全のために他人のことを想像してしまうと確実に後で混乱するので気をつけましょう。
おてをわずらわすのもあれなので自分で突っ込みます。 >全く彼ののために出てきた言葉で自分にはまったく無意味な言葉です。 私は関わっていないので結果は感知しません。 これ全くの強がりです。そのつもりでやったのでしょうが、見事に自分に都合 のいいように相手を解釈し幻想の愛に酔っています。 それにしてもここは虚偽を理解するのにいい場所です。虚偽が消えれば、、。 すさまじい体験を夢見るのは簡単でも、虚偽の理解という地味なことが本当に難しい。
内面に静寂があってもそれを外に出すのは難しい。無理に出したものは違和感がともなう。 それは別の技術だろう。その技術は時間をかけて習得することになる。言葉がそれになる には時間が必要でその間は沈黙を守る必要がある。 よいものへの反応も悪いものへの反応も全て止めて、現在の熟成が進行するのを静に待つ。 今必要なのは沈黙だけで、独参もアドバイスも必要がない。 善良な配慮から、アドバイスを得ようとして無理に疑問を作ろうとすることになる。 その疑問は本当の疑問ではなく、すでに答えのある不誠実な疑問だ。本当の疑問は、まだ 先にある。 おそらく老師にとって独参が一番難しいだろう。 最近初めて接心をうけた。老師は将来の可能性を秘めた優秀な人だった。講和は心に響く ものがあった。しかし、独参は難しい。こちらに出すべきものが何もないからだ。 嘘ではないにしろ、無理やり喋ることになる。 直感だが、独参は老師にとってもっとも未熟さが現れる、危険な場だとおもう。 「あれだけすばらしい講和ができるのに、なぜこのようなどくさんしか できないのか。」それが正直な感想だった。もちろんそれは私に問題があるからである。 優秀な弟子は独参で老師を育てるのだろうと思う。今の私は毒参になりそうだ。
400 :
神も仏も名無しさん :2010/05/29(土) 09:56:39 ID:HRz8psun
一つのことをする時にはひとつになりきるのです。ただし、なりきるけれども、同時にそれに堕ちないで、そこから離れている。いつも全体をみていられるし、何かしながら、いつも自分から離れて自由なのです。そういう人は何をしていても安心です。
でもヤッパリ沈黙できなかったりする。 >一連の書き込み見ていると、自分を見つめて知ることがいかに教えられず、 >何かを得ることばかりが子供の頭に刷り込まれている、教育の悪の部分を >見る思いがする。 子供のあたまはやはらかい。刷り込まれても屁になって出て行く。 >あなたにはラジニーシあたりの狂気の方がたぶん役に立つね。 >そのあとならKがストレートに読めるかも。 狂気? ラジニーシメソードの本質は狂気ではなく憑依ではないだろうか? 憑依は他者によるのっとりだから、手っ取り早い自我の消滅に通ずる。これで瞑想体質ができる。 しかしその分危険も大きい。身近に問題を抱えていれば、それが狐になり、狸になり憑依する。 そう狸がどうも多いきがする。 ほんの導入だけなら、しかも仏に憑依されるなら問題なさそう。ちょっとだけなら面白そう。 しかし、ほんの導入でも坐禅はしつこく警戒する。 「仏がでたら仏をつきころせ」 なぜこんな物騒なことをいうのだろう。 私は初心者なので、幸か不幸か今のところ何にも出てこない。
>>399 独参って喋らないといけないものなのか?
何も無いなら黙ってるか、行かなきゃいいのでは?
空っぽがなんで接心行ったの?
相手が相当の力量でない限り、あなたの態度が相手の良い部分が出てくるかどうか に影響を与えるのは確かです。 ただ、本来禅師は問いにではなく、あなたに答えます。 あなたは自然体でなにも用意せず今まさに思いついた日常のちょっとした問題について自然に話せばいいのです。 なんの質問をしなくてもあなたにこだわり、わだかまり、心の傷があれば 師はたちどころに見抜き、微妙な形であなたに働きかけるでしょう。 がそれができるのは、知識だけが成長した人ではなく、実存も成長した人に限ります。 みな理解したことを言葉にするのではなく、自分の知識を理解だと思い込む。 説得力のある講和で多くの人を引き付けるが、中身は一般人と同じか、形にばかりこだわってるので それ以下というのはよくあることです。 知識を彼の実存で解釈した講和なので一見経験談のようで説得力はあります。ただのオウムではありません。 ですが決して知識に見合う実存があるわけではないのです。 現世ではその知識は事実として受け止められるのですが、実存の境地から見れば実体のない夢なのです。 そして実存は世から評価を受けることはありません。 その識別をするためには、まず自分の知識と自分の実体を見分けなければなりません。 もしあなたが知識に逃げ込みたいなら疑問を感じつつも進んで知識の人に騙されるでしょう。 あなたの望むがままに。
>でもヤッパリ沈黙できなかったりする。 相手の言葉にではなく実体を感じれば、 返答すべきかどうかで迷うことはないでしょう。 知識だけで生きる人間はいないも同然。 幽霊に返答するべきではない。
何に成ろうとしてんの?
>405 あるがまま
成ろうとするのをやめないとあるがままにはなれないよ 成ろうとしてなるもんじゃなく、あるがままの元々に戻るもんでしょ
心あるものは407を実存と言葉に調和がないという例としてみよ。 言葉は教えたがりだ。自分の見てる夢を押し付けることで儚い己がが夢を守る。
「実存の成長」と「あるがまま」 は全く同じことを逆の表現で示している。 実存の成長とは持っているものを失うことだ。 実存は得るものではなくあるものだ。
誰がどんな夢見てようが関係ないじゃん 自分がどこにいて何をしているのか気づいたほうがいいよ 他人がどうとか、本当にどうでもいい
パララ、パラパラ、パラパラパ〜♪ 盗んだ真理で走り出す〜♪ 15の夜〜♪ 愛だよ、愛、 やっぱり、チームつうのは、 一つにまとまったときが最強っていうの。 そういのは、なんつ〜かな、お互いにリスペクトが必要なわけよ。 メンチ切られたら、メンチ切る。 見るものと見られるものが、メンチ切る行為が、ア〜ン? おまけにアン? パララ、パラパラ、パラパラパ〜♪
>他人がどうとか、本当にどうでもいい やってることと言ってることが矛盾してないか?
それ言われると思ったけど、言ってもしょうがないよ こういう場合いつも起こるパラドックスだから 矛盾は自分の外ではなく自分の中にあるんだけど 言いたけりゃ言えばいいけどね 言えることを言いたい自分がいるだけだから
狭い意味で、しょうがないこともない。 こういうこと言われてるうちに変化するから。 あなたより前にあなたが通った道を数えられない くらいの人が通ってるって分からないのかな。
それを分かるとか分からないとか、それ自体どうでもいいよ あなたって何?
>一つのことをする時にはひとつになりきるのです。ただし、なりきるけれども、同時にそれに堕ちないで、 >そこから離れている。いつも全体をみていられるし、何かしながら、いつも自分から離れて自由なのです。 >そういう人は何をしていても安心です。 むつかしい。なりきるというのはむつかしい。 でも以前よりは「手放せる」感覚はあるのです。 それは物をではなくて、こだわりのようなものをです。ですから、割と軽く行動できる。朝起きて、サッと 坐禅をしたり、さっとジョギングに出かけられれる。どうしても「やらねば」という気持ちは それほどないのです。機動性がよくなったというか、なぜこんなに軽く動けるのか理由がわかりませんが、 そういう部分でかなり自由になりました。 「なりきる」というのは、もう少し集中力がいることだと思います。坐禅だけではなくて、実生活のなかで 集中力と高めようとしていますが、あまり効果が上がっていませんね。
誰もみな結局自分に対して話してるんだよね
>ただ、本来禅師は問いにではなく、あなたに答えます。 >あなたは自然体でなにも用意せず今まさに思いついた日常のちょっとした問題について自然に話せばいいのです。 >なんの質問をしなくてもあなたにこだわり、わだかまり、心の傷があれば >師はたちどころに見抜き、微妙な形であなたに働きかけるでしょう。 わかりますが、それは老師に高望みし過ぎではないでしょうか? そんな老師がおられるなら、永平寺がもう一つできます。 >知識を彼の実存で解釈した講和なので一見経験談のようで説得力はあります。ただのオウムではありません。 >ですが決して知識に見合う実存があるわけではないのです。 >現世ではその知識は事実として受け止められるのですが、実存の境地から見れば実体のない夢なのです。 >そして実存は世から評価を受けることはありません。 あなたは私が言語化できないことを、ぴたりと言い当てられます。 ですが、老師の成長の過程もまた大切だと思います。 >その識別をするためには、まず自分の知識と自分の実体を見分けなければなりません。 >もしあなたが知識に逃げ込みたいなら疑問を感じつつも進んで知識の人に騙されるでしょう。 肝に銘じます。
>独参って喋らないといけないものなのか? 「坐禅をやってみてどうですか?」 「........」 「なにが疑問はないですか?」 「........」 「チリーんちりーん」 >何も無いなら黙ってるか、行かなきゃいいのでは? 老師は親切に手を差し伸べてくれるのだから、そういうわけには、行かないでしょう。 >空っぽがなんで接心行ったの? さらに空っぽになるためです。あなたもどうぞ。
ぜんぜん違うと思うよ。 あなただけだろう。
420は
>>417 ね。
なんにせよ、こりゃ大変だわ。グルってのは。
こんな自我ばかりだから苦しみもすりゃ悟りを求めもするんだわ。
修行してるとこれが分かってるはずなんだけどな。
盗んだバイクで走り出す人みたいに。
あなただけと思ったならそれでいいんじゃん? ぜんぜん違うと思う自分がいて、あなただけと思う自分がいる 修行してるとわかってるはずと思う自分がいる ○○が△△だと思う自分がいる
>418氏 と 他のトピックについて 私は一年間の沈黙の後に今、炎のように話しています。 そしてその成果を刈り取り、何より己の根本的弱点を悟ったのでいずれ去ってゆきます。 誠実なあなたが私を繋ぎ止める。 老子がいま老子の立場であることが彼の成長に寄与しているならお互いに成長してゆけるでしょう。 教える立場が自己逃避であることも多いのでその場合は、あなただけが成長するでしょう。 本当に成長する人は一人だったり、弟子だったり、教師だったり、また一人になったり、お金儲けをしたり 自分にあったステージに自分が流れるに任せます。悟る直前に指導者だった人は稀です。 指導者であることを放棄してから悟っています。 教師を批判することはありません。教師は役割です。役割として尊重して下さい。 実存の師と共に歩むことと、教師と共に学んでゆくことの区別をつければよいのです。 教師はただ表面的な立場なのです。教師が師で無いからと言って失望も批判も不要です。 今目の前にいる人に何も期待せずあるがままに付き合っていきましょう。 ひとりでいようとしてはいけません。 一人のときはただ一人、人といるときはただ人といればいいのです。 そのリズムはあるがままに任せてみてください。 ひとりでいようとして人と密にかかわれず、ひとりでいるときは他人のことを考えているということになりがちです。
実存があっても教師にはなれません。 非常に洗練された世間的な能力が必要です。向いてない人には大変な負担です。 誰かが教師の役割につかなければいけない。 向いている人がつけばいいのです。 教師においても本物の教師はなるのではなく自然と周りから任せられる人です。 教師を目指すのは実存の成長の観点から言うと最悪です。 でも、嫉妬するのは自然なので自分に向いた本来の生き方が開示されるまで嫉妬と 付き合いましょう。 とはいってもあなたにはこの点の心配は薄く感じます。 こだわりが少なく淡々と事をこなし、相手の気持ちが分かり立場を重んじる感じがします。 (見れば一目だが例によって文は難しい) 道は2通りあるかな。
ひとつは欲の自覚の道。思考の認識の道です。 ですが、思いやりがあり外界の欲求に敏感な人は欲が希薄です。 希薄と言えど欲はあるのですが、小さいゆえに自覚が困難です。 自覚するには無視してきた自分の欲を最大限に表現する必要があります。 もう一つは動機なき行動の道です。 一切将来を関知せず今なすべきことだけをなす。 すると物事は起こるが自分が関わっていないことに気づくでしょう。 そして、今ここに行動し続けることで、下手に計画するよりずっとバランスのとれた 行動のサイクルが自分の人生に現れていることに気づくでしょう。 英知とは無心であり今即座に行動することを言います。 クリシュナのバガバットギーターやモジュッドの伝記を理解できる時が来たら あなたに師は必要ありません。
426 :
神も仏も名無しさん :2010/05/29(土) 15:03:55 ID:EwukYk19
>>422 はあ?なに言ってるか分からない。
「あなただけと思ったならそれでいいんじゃん?
ぜんぜん違うと思う自分がいて、あなただけと思う自分がいる
修行してるとわかってるはずと思う自分がいる
○○が△△だと思う自分がいる」と思ってるあなたがいる、と。
で、それがなに?
なんでもないよ 他人が言ったなにを分かろうとしてるの?
428 :
神も仏も名無しさん :2010/05/29(土) 16:55:29 ID:LPEo290l
外界のではなく外界からの、ですね。訂正。 クリシュナムルティーと言えば生と覚醒のコメンタリーがお勧めです。 彼の個人面接の軌跡です。 本のための本の決定版である和尚の「私の愛した本168」でようやくその存在を知りました。 私がどのような人にどのように嫌われているかはわかるが、万人に好まれるように振舞うのは公開掲示板である以上不可能だ。
430 :
神も仏も名無しさん :2010/05/29(土) 20:07:59 ID:EwukYk19
ウケウリ・マスターキ・ドリうけたww
けっこう長生き。
>>429 一年沈黙していたら言葉や考えの多くを失なうと思うけど。
どんな感じで沈黙してたの?
これらは私の考えではなく、考えを失うための仕掛けとして誰かのために使っているに過ぎない。 私の考えは
いやいや、そういうことじゃなくて普通の話を聞きたいんだ。 どんな風に一年過ごしていたのかを。
いろいろ何かについても描写したがこれらの考え方で生きているわけではないのだ。 私は知らない。知らないことだけを、「分かって」おり、それを言葉で表している。 言葉で知ることは本来一つの物事を分割して比較することだ。 物事の全体像を把握するには知識を捨て静まった精神で全体像を「分かる」他ない。 確かに多くの言葉を失った。私にとって多くの言葉は実体のない幻だ。 そのようにして祖師たちは道を示した。 だが、まだ自分の気づかぬ「知っている」こともあるので、他人の「知っている」こととの衝突の中で それを見つけ出している訳です。 今瞑想は起こっている、はっきり言って逃げたい。全思考は瞑想を拒否している。
だよな。
だけど、過去に意味はないし、何の参考にもならない。 ただ、いわゆる一人こもっての瞑想は、特定のタイプにしか向いてなく、決して成長は早くない。 私も過去のマスターの光明の道筋に憧れてたけど、その憧れがおさまってようやく 似たようなことが起き始めた。
困ったね、瞑想の向き不向きとか聞いてないって。 一人こもってやってたの?飯はどうしてたの?一日何やってたの? 本は読んでた思考はしてた?そういう普通の会話だよ。 例えば、俺の場合はある程度専念出来る状態、仕事とかそういう義務がない状態で 思考を減らしてた。 本はラマナの本だけたまに読んでいた。テレビ、ラジオはなし。 買い物の必要があったので店の人や知り合いなどと会話をすることもあったし、 思考の方も数は少ないが、完全な沈黙とはいかなかった。 外で食べる時もあれば、自炊の時もあった。 散歩をして体を動かすこともあった。 それでも精神的にはボケ老人のようになった。 幸せだが何かがおかしいというのはどこまでもつきまとっていたように思う。
ごめんね。 グルジェフが弟子に過去のこと聞かれて困ってた理由が分かる。 彼の過去はでっち上げが多いからね。 私の過去は本当に役に立たないんだ。 表面的に語っても仕方ないし、全体的な意味を語るとすると、相手にとって誤解を生んで有害なんだ。 私が過去を語るのは、私が質問するときだけなのです。 ですが、前の方で少しだけ語りましたね。私の人生を予想できる中くらいのピース。 昔からヤンキーが苦手、いじめっ子が苦手あいつら理解できないんだもんと。
正直あなたの書き込みでは、あなたが静かに暮らしていた際の さまざまなバックボーンとテーマが見えてきません。 自分の場合生活が変わる節目節目(一年ごとに環境変わってたかな) に直前の絶頂と当然次に来る奈落がありました。 何故一人になるか、何故働くか、その理解とゆだねが大切なのです。 信条でも目標でもなく。 すでに、 本当に成長する人は一人だったり、弟子だったり、教師だったり、また一人になったり、お金儲けをしたり 自分にあったステージに自分が流れるに任せます。 と答えは出しています。
おふろにはいったら、わかったよ。ユリイカ! 兄弟、ありがとう。 まず「一年の沈黙」 別に一年でなくてもいいのです。積み重ねることにおいて時間が存在する。 理解に時間はありません。 「私の過去」 一瞬一瞬死に、過去の自分を死なせる。 正直過去の自分も一秒先の自分も赤の他人なんですね。 赤の他人の過去を聞かれても答える動機がないんですよ。 子供の時の記憶はまだ私と同化していますが、最近の私って、誰?。 「私」 さて、あの一年?は得るのではなく、失う過程でした。 得る方法は人は真似できますが、失う方法に真似はあり得ません。 失うのは当然後の方で得たもので、最近の私から順に失いました。 今私は高校生であり、中学生であり、小学生であり、幼児だった私です。 今度はそれを理解するステージのようです。 「質問」 いじめっ子やヤンキーに「何でそうなの」って質問しても無駄です。 心を無にして受け入れ、理解するほかありません。 「転機」 私の人生は激しい人生でした。モーレツ営業マンも、お前が努力しているということだけはわかる。 と仕事は全く駄目な私に言ったものです。 生ぬるい人生からは大きな苦痛も大きな幸福もありません。
ただ、持っている人だけが失いうる。その至福と苦痛に直面し、自然と手放す。 失おうなどとは決してしないことだ。 まず、得るのです。せっかく生まれたんだから。
441 :
神も仏も名無しさん :2010/05/29(土) 22:52:53 ID:n0GZE8kK
>>476 >幸せだが何かがおかしいというのはどこまでもつきまとっていたように思う。
それはその後どうなったのですか?
答えが出たんですか?
>>441 うまくまとまらないが。
結局、ラマナの言葉を落とした。
彼の言うことが完全には理解出来ないこと。どうも納得行かないこと。
この境地がそうだとすると、大袈裟に言うほどの境地とは思えないこと。
他の境地があるのかと思い探すこと。
そのフラストレーション、苦悩の原因が彼の言葉であることに気づいた。
普通のことを普通に受け入れればこんな苦悩なんてないじゃないかと。
その時には修行の動機となる思いもずいぶんなくなっていたしね。
今では方便と思っている。
思考は分別しラベルを貼りたがる。それで物事を解った気になるのだ。 そして思考は自分の安全なパターンを守る。 私は、私を理解したいという所から発した質問には答えるが、私を「知って片付けようとする」 質問には質問者のためにも答えない。 そして私はあなたを知ろうとはしていない。今のあなたの全容の理解こそが私の関心なのだ。 さあもっとひらいてひらいて。
445 :
神も仏も名無しさん :2010/05/30(日) 00:27:29 ID:0IZ/536b
言葉は思考そのもの。 思考はあなたそのもの。 分離はあなたそのもの。 知ることは思考を超えている。 知る事は見る事、知る事は聞くこと。 知る事はまことの裡なる声を聞くこと。
446 :
神も仏も名無しさん :2010/05/30(日) 00:30:10 ID:0IZ/536b
思考は私じゃない。 感覚は私じゃない。 私は私じゃない。 あなたは私じゃない。 あの山は私じゃない。 空気の粒は私じゃない。 彼は私じゃない。 嫁も私じゃない。 親も私じゃない。 では私はなんなのか? 何でも無い。そして何にでもなる。
447 :
神も仏も名無しさん :2010/05/30(日) 00:35:03 ID:0IZ/536b
思考に翻弄される自由はあるよ。 それは感情に左右されると同じくらい素敵に残酷だ。 感情も思考も投げ出してしまいたい時だってあるだろさ。 でもできないよね。 生よ、生よ、なぜわたしはわたしを求めなければならず、 こんなに苦しい思いをしてまで、問いかけねばならないの。 執着の執着が無執着になるまで、この鍋をかき回して置かなければ いけないと、誰が本能的に私に分からせたの?
こんなこといいな できたらいいな〜♪ あんな夢 こんな夢 いっぱいあるけど みんな みんな みんな かなえてくれる 不思議なポッケで かなえてくれる〜♪ 空を 自由に とびたいな! 「ハイ!シャブ」 アンアンアン とってもだいすき ヤクザもん〜♪
娘よ。私というものは存在しない。 存在しないものを生み出すのがこの世の神秘なのだ。 この世には一切の連続性はない。ゆえにあらゆることが起きえる。 比較と連続性で解釈する思考はこの世の流れと一切同調しえない。 実際に存在する流れに身を任せたらどうなるかは知り得ない、が、 存在する流れと非存在である私が絶えず衝突したらどうなるかは明らかではないか。 だがたとえ思考と感情の檻がいかに強かろうと、存在するものが存在しないものに 完全に覆い隠されることがありうるだろうか。 存在はいつでもあなたを見守っている。あなたが気づくのを待っている。 「なぜ」があなたと、何の連続性もなく営まれる神秘的な生との間にある障害だ。 なぜは存在しない。「なぜ」は存在しないゆえに、実際に存在する世界との間に致命的な壁を作るのだ。 なぜは幻でありかつとてつもない影響力を持つのだ。それを悟り、静まるのです。 あなたにそれを教えてくれた彼に全てを任せればいいのです。 あなたは何も求めなくていい。起こることだけが存在とのつながりを持っています。 生が起こるのをゆるせばあなたにそれを教えてくれた最愛の方と出会うでしょう。
450 :
神も仏も名無しさん :2010/05/30(日) 08:15:10 ID:66e3UYq+
>>443 それで今はもう何も疑問は残ってないということですか?
疑問もなく無明に覆われてもない?
>親愛なる443氏へ 宗教の知識、言葉といっても、それがその人のどれだけの部分と繋がっているか によってその意味は変わってくる。 その人の感情、行動、他の思想、仕事、人づきあい、家族関係、歩くこと これらと宗教の言葉が結びついていればその言葉には実体があるけれど、 結びつきが薄いならただの言葉にすぎない。 宗教の言葉によってその人のさまざまな部分のうち半分が統合されたなら その人は目覚める。 もしあなたの半分をラマナの言葉が統一統率していたなら、あなたの半分が落ちている。 全部を統一していたなら、全てを失い光明を得ておいでだろう。 どうかこれについて考察してください。あなたのおかげで見いだされた考察です。
思考は少なくてもあるのでたまに無明に覆われる。 すると疑問も復活するね。 普通の社会生活の方に没頭できてるときはないんだが。 そっちに不満や不安が出てくるとむくむくと。 するとしばらくこういう所で遊んだり、瞑想したりすると諦める。 「充分やったじゃないか、ここ(精神の中)に何もないの分かってるだろ。 キチガイの薬なんだよ。」と。 まあ、自我分裂してるね。 で、静かになる。諦める。一つになる。 繰り返し。
いいじゃないですか。素晴らしい洞察だと思います。 いつも片方が片方を批判していて落ち着かないんです。でも全体があなたの、私の心なのです。 そして、社会の部分と瞑想の部分が別々だということが人生全体にどんな影響を引き起こしているのか ゆっくり自分を大切にして調べて見て下さい。 自分の場合も、これが全てだと受験や、モノや、仕事にしがみついても、そして宗教にしがみついても 自分が求めるものには結局確かなものがなくて幻滅を繰り返して、正直に負けを認めて、 自分を助けてくれようとする人にそのつど従っていました。 みんな自分より賢明な人たちではなかったけど、素直に、自分の成長のために頼りました。 知らないうちに、自分はだれにも頼らないと思うことすらないほどの自然な独立があった。 人に従ってしまう弱さではなく、人に従える強さが宝だった。 負けを認める強さがあれば、過ちは存続できず、成長を押しとどめるものはない。そんな強さを応援してる。
こころが一つなら、損得なく仕事が起こり、損得なく座禅が起こります。 こころが分裂していると、あるときは空想の神を求め、そうでないときはお金にナイーブです。 神とお金は一対の一つのこころのメカニズム、そして意外にに義務の座禅とニコニコ動画が一対のこころ のメカニズムだったりします。言葉を失うと意外な自分の精神内部の対立構造に笑ってしまいます。
宗教の本来の役割は人をを一つにする方便です。 熱中するものは何であっても分離を生み有害ですが、あなたを一つにする あなた全体に浸透する生き方があればそれはまさにあなたのためのものなのです。
そっちかw
削除人さんうたぐってすいません。
師よ。あなたの言葉は私の心の奥深くに届いています。 私はここにいます。ここで目を覚まし、ここで坐り、仕事をし、食事をし、ここで寝ます。 ここで師の声を聴いています。 ここをやっと見つけたところです。まだ乱雑に散らかっています。ここを清め、神聖な静けさで満たします。 そうすれば、いつでもあなたの声を聴くことができます。 まだ静に坐るだけですが、静かに立てるようになります。静に動けるようになります。 ここが静になり神聖な静けさで満ちたとき、いつでもあなたの声に耳を傾けます。私が何をすべきか、聞き漏らす ことはありません。私は無数の知覚で既にロックオンしました。遠くに離れていても見失うことはありません。 私は牛ですから、道端の草を食みながらゆっくり進んで行きます。急いで、追いかけたりはしません。 道はわかっています。まっすぐ行くだけですので、間違うことはありません。 いずれ思考の認識の道も、動機なき行動の道も見えてくるはずです。
あなたはよく聴いてくれた。受け取ってもらえて嬉しい。 彼方からの大恩ある我らが父の声と、いまあるありのままのあなた の姿を共に見失わないように。 彼といる一瞬はあまりに尊い。が、一瞬だけで十分なのだ。 いずれ努力によってではなく理解において時のない瞬間が長くなる。 その一瞬の知恵であなたを導くには十分なのだ。 その一瞬、今ここに共にある彼だけが事実であり、それを覚え、すが り、再現したいと望むのは自我の働きでしかない。彼に会えるのは彼 のことを記憶から求めるのではなく今ここに切望する時だけである。 彼はあなたそのものだが、彼の声はあなたのものというわけではない。 また私のものでもありえない。 彼を我が物としてしまえば、その瞬間があまりに幸せであるがゆえに あなたの自我の分裂は強まる。またあなたが彼についてしたり顔で人々 に語ろうとすることも避けられないだろう。 彼はあなたの生全体で表現するべきものだ。自然に隣人ににじみ出る のが最上の形。形にこだわってはいけない。
特定の形で表現することは統一された人間の遊戯なのだ。 私はあなたと彼の繋がりを再び見出すための道具となる。 そうして執着を理解し、驕りを戒め、牛のようによく草を食み、着実に、 やさしさと強さをもって歩みましょう。 思考の認識と動機なき行動はあなたの準備を整える。 あなたの散乱を清めるだろう。 しかし、それは彼を識る者の道であり彼を為す者の道である。 もうひとつ、彼に仕えるという最も美しい道がある。 あなた自身を知ろうとすることは大切な基盤だが、それよりも彼に全て を任せることはより尊い。 あなたのすべて彼が浸透できるようあなた全体を整えてゆきなさい。 彼はあらゆる人の本性であり調和そのものだ。 ゆえに彼に仕えることはもっとも賢明なことであり、彼を喜ばすことは 万人を喜ばすことである。
今日貰った券で文学少女というアニメを見た。 フィクションのヒロインは性欲がなく、保身がなく、希望がなく、 今を強烈に生きている。不在であり、死を恐れぬゆえに偉大だ。 過去の心の傷に縛られ、支配欲に暴走した人の心を解きほぐそうとする際、 「ありがとうと言われたかった」 という本心を見事に引き出した。 これはブッダの知恵ではないが、まず人が求める物の全てではないか。 喜ぶだけでいい。生の喜びからくる感謝は自然に周りの人を癒す。 だがこれは彼と共に在る喜びの中、無自覚に起こることだ。 無自覚な感謝を許してみて下さい。
464 :
神も仏も名無しさん :2010/05/31(月) 22:39:32 ID:F94ZdwS6
もうチラシの裏はいいや。 Kについて話をしようや。
まったくだ。 あと日本語で他人に伝わるような文章で。
>460さん スレッドを立てられないので 「生活と愛、瞑想、修行」というスレッドを を代行して立てていただきました。 なにかございましたらこちらにどうぞ。 皆様お騒がせしました。
467 :
460 :2010/06/02(水) 08:15:14 ID:o3crapvf
>461-463 合掌 あなたの言葉に心が開かれ、幸福を感じます。しかしこの甘美さにおぼれることなく、彼が 私の隅々まで浸透するように、卑屈な謙虚さからではなく、勇気ある謙虚さで常に、心から の礼拝を欠かすことはないでしょう。 九拝 しかし、..........またもやもやが.....とにかく移動します。 皆さん、狸さんありがとう。 でもここ好きですから、また来ます。
クリシュナムルティーはジョークも好きだし、詩も好きだったらしいね。 ジョークは万人向けだけど、詩はその非論理的な表現に親しんでる人同士 しか通じないところがあるね。
万人向けではなかったとも聞くがww
ネタをネタと楽しめない人には激怒するレベルのジョークでしょう。 キッチン日記に書いてあるような。
だってクリシュナムルティって、いま生きてたらすっごいおじいちゃんだぜ 昔のひとにジョークの内容求めてもな…
人に何か指摘するときも正面切ってやるんでなく 他人事のジョークを介してすることがほとんどだったから、 深刻さとは無縁で気さくでやさしい人なんだよね。 質疑応答は基本にこっちの質問があるからまじめだけどさ。
既刊の「クリシュナムルティの日記」に新たに発見されたページを加えた 『クリシュナムルティ・ノート 拡大完全版』が最近翻訳されたんだが……。 翻訳文が全部「ですます調」になっててなんだかなあ。 本人も序文で触れているようにこれは出版のために書かれたものでないものなのに 文体のせいでまるで講演録みたいになってしまっているのがなあ。
新参者の質問 既知のものをあたかも未知のものとして感じるように心掛けることが重要なのは分かるんですが、私にはうまく出来ません そこで次善の策として、外側の環境を変える、というのはどうなんでしょうか? 知らない街に行き、やったことがないことばかりやる これなら私にも出来る この点についてクリシュナムルティはなんと答えていますか?
そういうことについてKが何か言ったおぼえもないけど、知ってるものでも未知のものとして 観れるようにならないとふだんの日常のままなんじゃないかな ふだんでも未知のものにどんどん接して生きているわけだし 知らない街ややったことないことばかりやり続けるわけにはいかないし コツは今はじめてこの世に生まれてきたと思って全てを観てみることだと思うよ ニンゲンとかモノとか自分とか何も知らない状態から あとは、ふだん使ってる文字ですら、あらためて見続けると見慣れないものになってくる(ゲ シュタルト崩壊)くらいだから、新鮮な気持ちで真剣に対象に集中してみるといいんじゃない かな 私私私私私私私私私私私私私私私私私私っ観てると私の文字も観慣れないものになるしね
>>474 > 外側の環境を変える、というのはどうなんでしょうか?
> 知らない街に行き、やったことがないことばかりやる
絶えず生活環境を変える必要が生まれ、切がないですね。
思考が既知と認識するので、観るときに全く思考を挟まない凝視と
受動的な気づきを重要視していたはずです。
思考=過去・既知
> 既知のものをあたかも未知のものとして感じるように心掛ける
思考なしの観察は見慣れた風景を既知と認識しないので、
未知のものとして感じるようにする心掛け事態がそもそも必要なくなると謂う事ではないでしょうか。
確かに
>>474 ではキリがないし、いい方法とは言えません
ですが内側の努力で未知を生み出せないから、外側の環境に頼らざるを得ない
私には内側の努力がうまく出来ません
練習を続けていけば内側の努力も上達するのでしょうか
たまに旅行に行くと、自我が衝撃を受けて軽く省発することがありますね。 努力して練習を行うのは“私”であり“自我”であって、既知の領域であります。 “未知”は“思考=私=自我=既知”では捉えられないものを意味します。 クリシュナムルティの著書を読み進まれるとお解りになると思いますが、 私・自我による努力自体を放棄する重要さを説いています。 心に動きがなく何気なく観ていたり、音が聴こえることがあるように、 只だひたすら観る・聴く、気づいている、時折思考が動き始めたら、 心の動きに努力無しに注意を払うと心が静かになる。 また気づきは“私=自我”ではないことに気づかれると思います。 眼球が動くと思考が働き始めるので、 自室で静かに一点に目を向け、努力無しに心の動きに注意を払う(気づいている) 時間を持たれては如何でしょう。
>眼球が動くと思考が働き始める
わからない人向けの言葉かもしれないけど、そんなことはないし、誤解をまねくよ
思考が止滅するとむしろいろいろなものを観る
全てが心理的に同じでしかないのでむしろあらゆるものを観まくったりするよ
いくら観ても眼球が動いても思考が生じないのが本来で、眼球を止めるとか眼をつむるとか
は思考を止滅する過程での修行、集中するサマタ瞑想などで、それ自体が思考の止滅とは
関係ないでしょう
それは止滅でなく止めるというコントロール、止まってる状態を仮に知る擬似体験修行
もちろん人によって有効な場合があるからためしてみるのはいいと思うけど
そういう意味じゃ眼球を止めるのと同じように、あらゆるものを瞬間瞬間次々観まくるのも同
じような修行になる
対象を観て思考が生じる前に次の対象を観る、どんどん限りなく次々観まくる
滅すれば無いから眼球なんてどれだけ動かしても思考と繋がらない
眼球が動いて思考が生じるなら日常生活に活かせないし根本的には意味がないんじゃないかな
>>477 ただ単に手放すというか戻ればいいだけかな、努力なしに、ただ知る前に、何も知らなかった
頃に
それがむずかしいといえばむずかしいけど
いっそ思考しまくれば、やがて頭が疲れて思考を放棄するから、限界まで思考してみるのも
アリかもね、頭がおかしくなるくらい
中途半端に思考したり止めたりしてると中途半端でしかない
正攻法では思考が生じる原因を自分の中に見出すのが一番じゃないかな
自分が概念を持ってるからそこから思考が生じるわけだし
内側の努力で未知を生み出せないって言ってるあたりで既に概念を持ってるよね
誰が何からそんなことを知ってそんなふうに思ってるんだろう
そんな概念もそんなふうに思う自分もいない
ある、いると思ってる思いがあるだけ、単なる思い込み、錯覚
それに真に気づければその瞬間思考は消滅するかな
>>479 > いくら観ても眼球が動いても思考が生じないのが本来で、眼球を止めるとか眼をつむるとか
> は思考を止滅する過程での修行、集中するサマタ瞑想などで、それ自体が思考の止滅とは
> 関係ないでしょう
> それは止滅でなく止めるというコントロール、止まってる状態を仮に知る擬似体験修行
止滅云々や止まってる状態を仮に知る擬似体験・・・
そこまでの事に言及しているのではなく、心の動きに注意を払う とだけ書いています。
> 滅すれば無いから眼球なんてどれだけ動かしても思考と繋がらない
> 眼球が動いて思考が生じるなら日常生活に活かせないし根本的には意味がないんじゃないかな
少し説明不足だっようです。
>眼球が動くと思考が働き始める・・・
これは「英知の教育」p.15「学びと英知のはじまり」p100-101 p132-133 などを始め
クリシュナムルティの著書に時折でてくる眼球の動きと心の動きやすさと
静かに心を観察する時間を持っては如何でしょうか。という彼の著書を踏まえての提案でした。
481 :
神も仏も名無しさん :2010/09/06(月) 21:37:09 ID:6ko1NkAw
「自我の終焉」の第1部は、直接クリシュナムルティが本のために執筆したのでしょうか? それとも、講話を書き下ろしたものなのでしょうか? 知っている人いないかなあ??
482 :
神も仏も名無しさん :2010/09/08(水) 21:01:48 ID:mFW0dvDH
前にも書いたような気がするが、 既知のものは既知として処理するように脳ができてることは脳科学者によって 証明されている。 朝起きて、部屋にあるすべてのものに新鮮な驚きを感じてたら、 夕方になっても職場や学校に辿りつかないんだよ。 目覚まし時計をまじまじと見つめ。その音色を味わい、その仕組について考察し なんて延々やってたら。 脳がおかしな状態になった体験を拡大してるバカ。
483 :
神も仏も名無しさん :2010/09/08(水) 21:29:59 ID:YV6yalDO
全くその通りですね! 科学的に証明されてるのだから証明されてる通り生きるべきです! 人間はちゃんと職場や学校に辿りつかないといけないです!絶対そうすべきですよね! 脳がおかしくなった体験なんてこれっぽっちも意味がないです!脳がおかしくない状態で 生きることだけが正しい生き方です!ちゃんと職場や学校に辿りつかないと! ただのバカですよね!バカになんてなりたくないですからね!私はバカじゃない!
484 :
神も仏も名無しさん :2010/09/08(水) 22:18:25 ID:iWkENcCA
↑ バカ
その点は俺も前々から気になってた クリシュナムルティの説明は、一見丁寧なようで実は雑なんだと思う 既知のものに付随する記憶はあくまで必要 でなければ自分の家族が誰なのか分からないし、家までの帰り道も分からないってことになっちゃう クリシュナムルティが言いたいことは、未知のものに接した時のような「新鮮な味わい」が必要ってことなんだろうね
486 :
神も仏も名無しさん :2010/09/08(水) 23:48:47 ID:Ph74DI6E
そのぐらい みな理解して読んでいるもんだと 思っていた
487 :
485 :2010/09/09(木) 01:06:35 ID:eWibaJMv
家までの帰り道を忘れろなんてクリシュナムルティが言うはずないし、
>>485 みたいなことは言われなくても読者は分かってる
そうなんだけど、捨てるべきもの・維持すべきもの・新たに獲得すべきもの、
この三つをクリシュナムルティはズバリと言語化することが出来なかった、という気がする
ズバリ言語化できた本なんてない 聖書でも仏典でも他の覚者の本でも、それができてるなら読んだ人がみな悟ってるはず そもそも人間が何か、リンゴが何か、○○が何か、それを知らない人が理解できるよう言語 化できた本なんてこの世にない 書いてあることが理解できないなら実践してみればいい 言語としてじゃなく体験としてわかるかもしれない リンゴが何かわからないなら探しに行けばいい 実践したくない人は真理探究などさっさとやめればいい
毎日リンゴを食べれば飽きる リンゴは不味いと思う たまにリンゴを食べればリンゴはおいしい 数十年食べずに食べれば、こんな味だったのかと初めて食べたように味わえる 同じ味でも全く違うように感じる 人間の味覚は科学じゃない 知覚も科学じゃない リンゴを不味いと思いながらもリンゴはこういう味なのだと毎日思い食べるならそれでもいい し、リンゴの味を不味いと判断してるのは自分のせいであり毎回新鮮に味わえるのが本来で はないかと疑問を持ち実践してみるならそれもいいだろう 誰かに強要されてるわけでもないのだし、各人好きにすればいい
毎日水飲んでるよ
492 :
神も仏も名無しさん :2010/09/10(金) 00:46:52 ID:vsJdj+pB
結局のところ、言葉に騙され自分は探求していると思い込んで 頭の中でグルグルと、どこかに進んでいる気になって、 愚者がするのが自己探求であり、真理探究。 そもそも偽の理など初めから無い。 自己探求している自分は高級なはずだという糞自我の悪あがきである。 消滅の道であり、諦めの道である。 糞自我は真我より飛び出し、真我に又戻る。 そこに収束する。 そこより他に源はなく、帰るところもない。 それでも我々は毎日のように飛び出す。 それが生命であり、理である。 足掻くのが我々の仕事である。 生命ある限り足掻こうではないか。 それが我らに与えられた特権である。
493 :
神も仏も名無しさん :2010/09/10(金) 01:21:59 ID:h+X0XcbE
真我ってなあに?
真我実現してない人ほどよく口に出す概念だよ 真我実現してる人にとっては何もかも真我だからとりたてて言うべきことはない
十七 記憶について 質問 記憶は、あなたが言われるには、不完全な経験です。 私は、あなたの以前の講話の記憶と生々しい・あざやかな印象を持っています。 どうかこの観念を、そのすべての詳細において説明してください。 K 私たちの言う記憶とは、どういう意味でしょうか。 あなたは学校へ行くし、事実で、技術的な知識で満ちています。 あなたは技師であるなら、橋を建てるために、技術的な知識の記憶を使います。 それは事実に基づく・関する記憶です。また心理的な記憶もあります。 あなたは私に何か楽しいことや楽しくないことを言いました。すると私はそれを持ち続けます。 私は次にあなたに会うとき、その記憶−あなたが言ったり、言わなかったことの記憶−をもってあなたに会います。 記憶には二つの面−心理的なものと事実に基づく・関するもの−があります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
The First And Last Freedom QUESTIONS AND ANSWERS QUESTION 17 ’ON MEMORY Question: Memory, you say, is incomplete experience. I have a memory and a vivid impression of your previous talks. In what sense is it an incomplete experience? Please explain this idea in all its details. Krishnamurti: What do we mean by memory? You go to school and are full of facts, technical knowledge. If you are an engineer, you use the memory of technical knowledge to build a bridge. That is factual memory. There is also psychological memory. You have said something to me, pleasant or unpleasant, and I retain it; when I next meet you, I meet you with that memory, the memory of what you have said or have not said. There are two facets to memory, the psychological and the factual.
498 :
神も仏も名無しさん :2010/09/12(日) 21:52:32 ID:H0sm8n7o
役に立たない読み物を輸出するインド人。 読み物を重宝する日本人。 すべては言葉だ。 くだらねえ。 言葉の疑問に言葉が与えられる。 沈黙に収束する意識。 真我は実現しないんだよ。 ばーか。 運命通り死ねよ。
元気があっていいね 自分が本当にやりたいことをやってるならそれでいいよ
500 :
神も仏も名無しさん :2010/09/13(月) 00:43:25 ID:W3c7K4zt
>>498 あんたも、最初は読み物から学んだんじゃないのか?
自力で学んだのか?
501 :
神も仏も名無しさん :2010/09/14(火) 07:40:48 ID:YQAWAfrB
新手のかまってちゃんは無視で。
>>498 そんなクリシュナムルティのように何もかも否定しなくても
503 :
神も仏も名無しさん :2010/09/14(火) 14:46:04 ID:u2HW9qUZ
クリシュナムルティなう
504 :
神も仏も名無しさん :2010/10/01(金) 12:08:42 ID:TlCzMatg
パートタイムラブァー♪
悟ったふりしたボケ〜とした爺さんです 趣味は哲学 そんな人生もありです
506 :
クリシュナムー :2010/10/03(日) 23:24:58 ID:YfZw171C
>>505 無駄ばなしで、人生を終わらせてはなりません。
本当に何が大切なものかがわかりますか?
どうですか、自分で答えを見出さなければ意味はありません。
>>19 アドヴァイタのスレやACIMのスレを読んで、自分なりに考えていたんだが
今朝ふっと気付いたことが一つある
自分は四六時中、頭の中で‘言葉’を喋ってるぞ… !
日常生活中は、生活用品、食品、調理法、家具、近所の人名
会話・読書・ネットなど、何かを閲覧する時もいちいち「読み上げてる」
仕事中は主に業務関連の専門用語をつぶやきながらパソコン操作
メニューやコマンドを操作するのにも、[編集]-[検索]…とか頭でつぶやく
歩いていて目の前に雑草があると「背高泡立ち草が随分のびたな」とか
バスが来ると「○系統〜行きは遅いな」とか一々脳内解説してる
〜がこうで〜がこうだから〜である…、的に単語を並べながら物を考える
クリシュナムルティは、今の瞬間の目の前にある物に意識を集中せよと説いてる
のに、自分が全然集中できないのは、この‘言葉’というか脳内独り言のせい
じゃないんだろうか? 直観の最大の障害は言葉かもしれない
瞑想してる時も、つい何かを唱えたり‘つぶやく’クセがあってうるさくて仕方がない orz
この脳内‘言葉’を止める良い方法が何かあったら、誰か教えてください
>>507 俺もそう
言葉と音楽
好きな曲ならまだしも、ついさっきコンビニで流れてた下らない曲がエンドレスループ
>>507 見る、ということなんでしょうね。
言葉の生起を見る。
>>507 仲間です。
俺は伸び、あくび、ため息を多くしてなるべく体をリラックスさせるようにしてる。
クセは意識しすぎると逆に直しにくいかもよ。
>>507 正確には言葉が問題ではなく、言葉を発している(頭にうかべる)自分に対しての執着かな
言葉が浮かんだり発したりする自分を自分と思ってしまう
それに気づければ言葉は必要最低限になるよ
言葉は自分と何かの間に生まれる
自分と何かを分けているのは何か
何かに反応してるのは何か
言葉や反応を求めたりしているのは誰か
求めないときにはどういった言葉や反応があるのか
「私、私」とやってると、何ら脈絡のないメチャクチャな 映像イメージがあとからあとから浮かんでくるよ。
雑念が浮かぶときは深層心理で雑念はいけないと思ってたりする いけないと抑圧するから余計雑念が浮かんだりする そういうときはいっそ、よーし今から雑念を思いっきり浮かべるぞ!ってはりきってみたら浮 かばなかったりするよ 妄想だのイメージだの雑念をどんどん力の限り浮かべまくっていったらある瞬間消えたりね
514 :
507 :2010/10/20(水) 01:06:41 ID:9BxGMeU+
いろいろなレスをありがとうございます なにかの画面イメージとか、2chで読み書きした文章とか、さらに厄介なのは 立寄った大手カメラ量販店のテーマソングが帰宅しても聞こえるとかw とにかく邪魔だと思い始めるときりがない、もっと肩の力を抜かなきゃなぁ… 音や言葉をボイスレコーダーみたいに、ぐるぐる繰返してるのは 本来の‘自分’とは別の何者かだ、というのはなんとなく感じるんだけど それを分け隔ててるのは何か?なぜ隔ててるのか?がよくわからない ただ「喋り続けるお前(別の自分)は誰だ」と問うと、少し静まったような気がします 自分の場合いつも、思考=言葉のような感じなので、呪文のような言葉が静まれば Kの推奨する‘思考の消えた状態’に少しは近づけるかもと淡い期待を抱いてしまいます とにかく仲間がいるのは心強いです、アドバイスに感謝!
515 :
神も仏も名無しさん :2010/10/22(金) 11:16:47 ID:+Y9NNumq
あのぅ… お聞きしたいのですが、クリシュナムルティは布施のことについて どう言及してますでしょうか? ご存知の方教えてください。英文が読めないもので… お願いします。
布施駅はローカルだから大阪人でも知らない人が多いのにクリちゃんが知ってるわけないやろー
>>515 前にもその質問見た気が
特に言及してないんじゃない?
ってことは、自分にとって執着になってなければしてもしなくてもいいってことなんじゃないか
な
何か求めるものがあって布施してもそれは欲求と自己満足だし
ただ自然に施しを与えるんならそれでいいんじゃない?
と思うけど
518 :
神も仏も名無しさん :2010/12/19(日) 07:36:23 ID:zj7zBNmq
>>514 自分自身を探求する事が大事です。内面の動き(思考・感情・感覚・関心などの動き)を見る事です。
自分自身は何をしているのか、どのような状態なのか、何を求めているのか
そういった事実を見つめ、さらには背後にある法則とか真理も含めて発見の旅へ出かけるのです。
見ることと考える事はどちらか一方を我々はしているのではないでしょうか。
心配・欲望の目で何かを捜し求めてうろつく、恐怖の目で見る、このようなことを我々はしています。
こういったことに瞬時瞬時に気づく事が大切です。
気づいたならそのことから逃げないでそれを全て受け止め、そこから起こるものを全て感じ取り尽くす必要があります。
そうするなら、大抵の感情は感じ取られたなら消えていく事に気づきます。
その観察・探求の中から理解が生じてきます。
理解が間違ったあり方を正す事により心理的な問題は少しづつ解決の方向へ進みます。
私のあり方を知る事は重要です。何故なら私は私の目を通して見るからです。
私のものの見方がゆがんでいれば、私はあらゆるものをゆがめて見てしまう事になるからです。
私は過去の記憶・感情・経験・思考から出来ています。
そして何か出来事がある都度、それを記憶します。
その感覚・印象はすべて心に刻み込まれ、記憶として残ります。
そこから色々な心理的な反応が生まれます。
欲望・恐怖・コンプレックス・抵抗感・心配・嫉妬・嗜好・考え方などの全てが記憶から生まれます。
どんな記憶を抱えているかに気づくのは反応があるときです。
怒るとき、その反応をあるがままに受け止め探求するなら、
その原因にたどり着きます。その大元は記憶・思考にあります。
コンプレックスを感じたなら、そこで相手を非難するよりもその感情を探求する事をお勧めします。
非難したい時、非難する相手の行動なりが悪いのに気づくのは
それが自分の中にあるから気づくのです。
だからその非難すべきものが、自分にもあるかチェックすることをお勧めします。
必ずや同じものが見つかるはずです。
結局、人間は同じ鋳型の上に作られていて、大同小異なのです。
男も女も都会人も金持ちも外国人も出世した人もみんな同じなのです。
心理的には同じ悩みを抱え四苦八苦しているのです。
>その観察・探求の中から理解が生じてきます。 決定的に違うと思う。何が違うかというと、観察の質。 日常的意味の観察は全く役に立たないのではないだろうか? だから安易に観察という言葉を使うべきではない。 それは似ていて全く違うもの。 一週間、誰とも喋らずに、微動だにせずに座り続けることによって、 ひたすら心を静める。そういうことを何度も何度も繰り返して、身体的に 観察できる状態になって観察する。それがKの観察ではないだろうか? >日常的意味の観察は全く役に立たないのではないだろうか? 実際問題全く役に立たない。しかし、この雑な観察を高度の思惟との 併用で実質上強力にする方法があるように思う。 たとえば非常に精度の高い装置で一瞬にして切りだすものの精度と ラフでいい加減な装置であっても、100倍の時間をかけて、フィードバックを かけながら少しずつ切り出したものは同じ精度になる。
>こういったことに瞬時瞬時に気づく事が大切です。 自分はいまスランプにある。仕事が手につかない。 この状況を幾ら観察しても解決の方法が見当たらない。私には見えていない。 一方、一週間もスランプになっていると、嫁の機嫌が悪くなる。 スランプだとは一言も言わないし、仕事をする振りはしているのだか、 そこは女の直感でどうも解るらしい。 口数が少なくなって、明らかに機嫌が悪い。危機感を感じているようだ。 なぜわかるのだろう。
521 :
神も仏も名無しさん :2010/12/19(日) 10:56:45 ID:zj7zBNmq
>>519 少し前の部分で説明しているように内面の動きの全て(感覚も含め)を見る事を
観察と表現しました。
全身全霊で見、感じます。日常の観察とは大分違ったものになります。
これを集中的にやります。片手間では出来ません。
観察は短時間としても観察してない時にもその影響は多少は継続します。
これを何度も繰り返す事により、いつ起こるかは分からない(その人の状況により違うだろう)が、
そのうちに色々な事に気づき理解が生じるでしょう。
今、時間がないのでここまでにします。
>全身全霊で見、感じます。日常の観察とは大分違ったものになります。 不可能だと思う。 たとえば呼吸のようにシンプルなものに観察の対象を絞って、最も単純な形 で観察することの訓練を繰り返しおこない、そのうえで観察そのものの質の変化が 起こることが最低条件だと思う。 では訓練なしに観察の濃度を高めるにはどうすればよいか? それは、日記だとか、ノートにつけるかなどして、数か月、あるいは数年をかけて 分析する。そういう方法はあると思う。
523 :
神も仏も名無しさん :2010/12/20(月) 00:30:25 ID:xPgwov1e
森の中に入って鳥でも観察するといい。 ここで言う観察とは鳥と自分の境が無くなること。 観察を間違えると観察物と対象物の2者が存在することになる。 だから観察に囚われないこと。 自分に囚われないこと。Kの言葉にも囚われないこと。 安易にKという牢獄に入るのはノービスな証拠。 忘れろ。すべて忘れろ。
524 :
神も仏も名無しさん :2010/12/20(月) 00:34:11 ID:xPgwov1e
頭の中で声がする? 言語と思考は不可分だろう。 しかしそれが何だろうか。黙らなければならない? 思考がやってるのは耐えざる経験の絶えざる言語化であるし、 頭脳の働きなのだから、それはほうっておけばいいい。 おまえさん=頭脳 なのか? ここに懐疑を導入すればいい。 おまえさん=おまえさんの言葉であるのか? 答えはない。問え。
理屈をこねる前に良い師匠につけよ。 Kのような大天才でもないかぎり 師について学ぶことなく結果を出すことは不可能だ。
>ここで言う観察とは鳥と自分の境が無くなること。 これが正しいなら、「だから観察に囚われないこと」はないだろう。 まるで「観察に囚われない」なら、観察できるようになるとでも言って いるように聞こえる。飛躍がありすぎるだろう。 正しいだけに、悪どいまやかしだ。
>おまえさん=頭脳 なのか? >ここに懐疑を導入すればいい。 こういうのは懐疑というより体験だろ。 玉城康四郎が「悟りと解脱」という本のなかで2週間断食をしての坐禅体験を のべている。 2,3日目から考える力が衰えるにつれて、逆に無意識の瞑想が強くなって、 それは静かな爽やかさで、坐禅では味わえないものだったと。 断食に興味が湧いてきたが、2週間の断食はちょっと覚悟がいるなー。
528 :
神も仏も名無しさん :2010/12/20(月) 22:49:52 ID:xPgwov1e
>Kのような大天才でもないかぎり >師について学ぶことなく結果を出すことは不可能だ。 結果?なんの結果だ。Kに何を求めているか知らんが止めとけ。 >まるで「観察に囚われない」なら、観察できるようになるとでも言って >いるように聞こえる。飛躍がありすぎるだろう。 これは屁理屈だな。 鳥の声から入っていけばいい話だ。観察から入り、次にそれを忘れる。 >玉城康四郎が「悟りと解脱」という本のなかで2週間断食をしての坐禅体験を >のべている。 それも結果のためなのだろう?ドラッグを求める奴らと何が違うのか。 何かスペシャルなものを暗にKに期待しているのか。 それなら、Kなんか読むの止めて断食でも禅でもやればいい。 悟りオタクにはお似合いだ。生の無常に対して懐疑も無い奴はいくら座ったところで ものにならん。所詮は趣味と一緒なんだろ?
観る自分(思考、意思、思い)がいなくても眼があれば対象が眼に映るよね ただ単にそのまま映るよね その対象に与えられた名前や情報や意味や価値を置いといて、ただそのままそのものが映 るよね それが観察 観察しようとか、観ようとする自分がいなくなればそこに観察だけが残ってる
>それも結果のためなのだろう?ドラッグを求める奴らと何が違うのか。 >何かスペシャルなものを暗にKに期待しているのか。 >それなら、Kなんか読むの止めて断食でも禅でもやればいい。 >悟りオタクにはお似合いだ。生の無常に対して懐疑も無い奴はいくら座ったところで >ものにならん。所詮は趣味と一緒なんだろ? Kのいうような観察なんてできないって。 楽譜に忠実に同じように演奏できても、エマニュエルパユとそこらの音大出のお姉さん の演奏は全然違う。 その違いは積み上げた練習量による。違いが1年でもかなり違うけど、けた外れに違う ということ。 素人が聞いても違いはわかるけど、なぜ、どこが違うか分からない。レベルが上がって 来れば、その違いが段々明瞭に解るようになる。 「うまく演奏しろ」「上手に観察せよ」と言っても段階を踏まないと絶対にできない。 仏陀の練習方法はそれを段階を追って練習していけば上達するようになっている。
>観る自分(思考、意思、思い)がいなくても眼があれば対象が眼に映るよね >ただ単にそのまま映るよね >その対象に与えられた名前や情報や意味や価値を置いといて、ただそのままそのものが映 >るよね >それが観察 >観察しようとか、観ようとする自分がいなくなればそこに観察だけが残ってる そういう観察はその時の状態を説明しているだけ。訓練すればできるようになる けどふつうにそんな観察なんてできない。 先ずは静まることが大切で、そこにとどまらないとダメ。それがブッダの禅定。 禅定に入れば自然に観察はできるようになる。 Kのいう観察だとか凝視は禅定とか神の臨在だよ。そこに入らないと絶対にできない。
532 :
神も仏も名無しさん :2010/12/23(木) 20:03:14 ID:dDlJ9lpr
>>516 布施駅とちゃうねん…
>>517 ありがとうございます。
そうですね、そのものに執着しちゃダメですよね。
533 :
旦 ◆HOKKEvxAGE :2010/12/24(金) 12:06:20 ID:J6/M1B4E
ラーマクリシュナは、 神様大好き自分大好きタリラリラーン♪ って感じ。
誤爆スマソ
536 :
旦 (羽間雅晃 24歳 埼玉 PHS) ◆HOKKEvxAGE :2010/12/29(水) 17:46:36 ID:E6CXm8+f
537 :
タレコミ仙台タレコミナンジャー :2011/01/06(木) 06:26:36 ID:PZ7Bo4qO
., .,, / ~-,, i ~~,i' ,/ / i' ,/ ,, / .,/ ,. /  ̄ ̄ ̄ ̄ \ ,、/ / / ~''フ ./ .+;―――+ /~ ./ く ,/ / / 'i, ./ ./ \, \/ / / ,/'i, 'i, / ./ .\ ./ ,., '-, / 'i, V ,i' .> ./ .く \ '' ',* く _,,,,/ ∠--''''' 'i, / .,, .\, i' __,,,-, _,| / / .\ ~'-.,,_ .'i_,--―''''i | .レ ,,-''~ / \, .~,;' | | _,,-, i, ._,-'~ /'''--...,,_ ~'''-,,,,/ .|~~'';*..| | 'i. 'i, ''~ '-,,,_ ~''-,, i |. 、| | 'i, 'i, ~''-..,_ ./ ,i . | | | 'i, 'i, .,,__ ~'' ,/ | 、| | i _,,-' ./ ~~'''''--..,,_ ''-,,_ i.. ..| | .~ .''--...,__ .~''-..,_ ~ .、| | ~''''-...,,_ ./ | | ~''-,/ ~~~~
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541 :
☆田中啓ゴリラによるホームレス襲撃事件☆ :2011/01/12(水) 00:31:16 ID:rc9GkRUM
解脱した人ってみんな目が強烈なのかな?
解脱より念力系の人のほうが目は強烈だと思う 解脱系の目は力があるけど優しく深い気がする
545 :
Mr no :2011/01/20(木) 16:46:16 ID:/VDZrpkI
なんだかんだと クリシュナムルティに本で出会って18年 それまでのものが全て無価値で色あせて見え ねばならぬの気持ちが薄れたのはいいが・・・・。 糸の切れた凧の様な状態のままの自分がいる 現実からクリシュナムルティを大事に守り 自己が密かで公開性のないことったらないアイハブアワンの部プライベートライフ
546 :
神も仏も名無しさん :2011/01/27(木) 22:53:45 ID:vXkDsq/k
ねばならぬの気持ちってのもさ、人間のありのままの姿の一部分だって思うようになったんだけど、そういう考えはダメなんかな? おれは好きだけどな、目標持ったり、「ねばならない」とか自分に言ったりするの。
ねばならないって言い方もなんだけど、こだわりなく目標に向かうならいいんじゃない? 向かえなくてもダメでも気にしない ただ向かう ただ進む
目標がこだわりだよ
Kは目標を持つことを否定しているの? だとしたら読まないでおこうかな。 社会生活出来なるとそれはそれで困る
何かであろうとする事が苦しみや葛藤を産むわけで それは自分の人生振り返ってみれば分かるんじゃないかなあ。 いつかそういう時が着たら読めばいいよ。
けっこう昔真剣にKは読んだけど、「やっぱりこれはダメだな」という結論にいたった。 ダメってことはないが、自分にはとうてい理解できないし、実現もできなそう。 そういうのは仕方ねーよな。
552 :
神も仏も名無しさん :2011/02/03(木) 12:38:23 ID:x6E9FSOr
K読んで収縮するか膨張開放的な方向に向かうか その辺だろな。 読んで影響されかえって自我が変に肥大するようなのはやがて収縮して収束に向かう。 膨張開放的に変化していくような人であれば続いているんではないかな
「目標を持たない」って思うと「目標を持たない」が目標になっちゃうから、目標を持たないっ てことは、目標を持っても持たなくてもこだわらないってことだよ 目標を持たないってことは「目標を持たない」っていう目標を持ってしまってるだけ 目標という概念から自由であることが、目標を持たないってこと 目標と自分とを同一化しないということ
目標とはつまり自分の中でどんなことが起こることが目標なのかということを 自己凝視して見てみれば、 どんなことであろうとそもそも目標を持つことなどできないし、 そんなものは単なる概念であるということがわかる。 そしたら内容なんかどうでもなんでも良いってことだ。 いずれにしても 1にも2にも自己凝視して、目標とは何が自分に起こっている事かについて気づきが来ればいいだろう。
■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ ■ 違う板にコピペすると、四角の枠の中に ■ ■ メッセージとURLが現れる不思議な絵。 ■ ■ ■ ■ (その仕組みがリンク先に書いてある) ■ ■ ■ ■ この原理を応用すると、まったく新しい ■ ■ コピペが作れる予感。 ■■■■■■■■■■■■■■■■
>554 凝視すると、「目標」とかいう概念とはべつのこと、つまり生理的反応が おこる。嫌な感じとか気持ちいい感じとか。
557 :
神も仏も名無しさん :2011/02/27(日) 19:11:21.87 ID:0B0FDK5a
558 :
谷口雅宣 :2011/03/26(土) 09:48:10.44 ID:skNHzI07
『原因はすべて自分の心にある』 人間は、心によって自分の運命をつくり出す。 周囲が悪いからこんなになったと、人はよく考え勝ちであるが、 それでは自分自身の自主性など何処(どこ)にもないであろう。 不足の心は不足の環境を生み出す。この不平不満の心を、 感謝の心に変え、“与える心”になると一切がよくなる。 世界人類が平和でありますように 日本が平和でありますように 私達の天命が完うされますように 守護霊様有難うございます 守護神様有難うございます 天皇陛下有難うございます
559 :
神も仏も名無しさん :2011/04/06(水) 11:57:46.31 ID:S7OlK4Pe
真理は権威者を必要とするものではなく、まして集団に属するものではありえない
560 :
神も仏も名無しさん :2011/04/06(水) 12:01:02.90 ID:S7OlK4Pe
宗教組織や組織的な活動によって真理に到達することは不可能である。自分は追随者は望まない。 永遠を見つめ、真に生き、何の束縛も受けない自由な人間がいてくれれば充分である
561 :
神も仏も名無しさん :2011/04/06(水) 12:02:45.62 ID:S7OlK4Pe
真理はそこへ至る道のない土地である(Truth is pathless land)
562 :
神も仏も名無しさん :2011/04/12(火) 10:58:15.09 ID:YFn2YgmL
おっ!珍しく新人さんのレス! いらっしゃ〜い 初発のその意欲、青臭さを忘れないようしようね
>>557 これ読んだ。他の本と一味違うね。
「人類の未来」とセットで読むと、なおさら思う。
565 :
神も仏も名無しさん :2011/04/17(日) 23:37:47.48 ID:il0R49zp
>>564 pdf ありがとう!
psychological knowledge になるくらい感謝。
「人類の未来」「自我の終焉」も置いてないんですけど ブッククラブ回とか大予言なら見つかるの?
回は中古なかったはず。 大予言はまんだらけの経営になってる、各店舗内にコーナーがあるようだ。 東京近郊なら中野・渋谷に、こまめに通えば見つかると思う。
568 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 21:18:46.20 ID:Chg2krVu
クリシュナムルティ知ってるいう巨乳スレンダーな彼女とは その場限りで・・・ こっちからも多分あっちからも積極的にコンタクトするという気がせん。 彼女を思ってなぜかストイックそれでいて半立ち わしはどうしたらいいんやろ?
>>568 クリシュナムルティはセックスを否定してなかった
それについて思い悩むことを否定してた
だから思うさまやったええんとちゃうか?
結局クリシュナムルティも各国まわって人々の前で講和してたんだよな 本人がなんと言おうと、その行為自体が彼のパーソナリティに権威を付与する結果になる てことは本人も分かってたと思うんだがな 「それは受け取る側の問題です」って、やっぱり都合がよすぎやしないか?
虎は虎、狸は狸
>>570 > 「それは受け取る側の問題です」って、やっぱり都合がよすぎやしないか?
とは言え、その通りでしかないだろ。
権威を得るのが目的じゃなかったのなら関係なす。
そうでもない
わたすが妻を殴ったり蹴ったりするのは、虐待ではありません 教育です それは受け取る側の問題です
さわったぐらいで殴ったというなら受け取る側の問題だろうね 話したぐらいで罵倒されたというなら受け取る側の問題だろうね クリシュナムルティがどのように人の前に立ち、どのように話したか、だね それを見た人が判断することだろうね クリシュナムルティが受け取る側の問題かどうか今考えることも、受け取る側の問題かもし れないね
577 :
神も仏も名無しさん :2011/05/27(金) 23:18:51.57 ID:SJWB1+nA
クリシュナムルティも健康のためとはいえ本格的にヨガをやってたみたいだし 神智学協会との出会いがなかったら若くして病死していただろうと言われている。
最近、平気で嘘をつく人間にあちこちで、であう。長崎大学 山下俊一のような嘘は 酷過ぎるが、なぜ、こんなになるんだろ。やってることの実質的影響は、並みの極悪人を 遥に上回る。しかし、かれの本性は、そんな極悪人ではないだろう。しごく普通の 凡人の筈だ。 犯罪者は生理的な痛みにも鈍感らしいが、もし金が欲しいのなら、派手に 強盗殺人でもやってくれる方が解りやすい。
579 :
神も仏も名無しさん :2011/05/28(土) 07:16:46.99 ID:H6j/5MSg
本人は嘘だと思ってないのjk
嘘ということが仮に同じだとしても、それぞれの人によって嘘の意味が違うんだろう 概念なんだから たのしいとか、大人だとか、悪とかが人によって違うのと一緒 細かく定義することで共通概念化された気にはなれるけど しょせん人それぞれの中の別物、それぞれが持ってる物、それぞれが作り出してる物
わかりました
はい
>しょせん人それぞれの中の別物、それぞれが持ってる物、それぞれが作り出してる物 何万人もの人に毒を飲ませるような嘘を「しょせん概念だから、、」と言えるのか? 嘗て、在日の貧民は、気の毒なことに、いつもビクビクしていて、親しく声をかけても すこしでも自分に責任が及ぶようなことでは、直ぐに嘘をついていた。虐げられると そういう習慣がつくのだろうか。それを思い出すよ。
「思い」出したな
すべての問題を概念の違いで説明するなんて、さすがに幼稚すぎる
586 :
神も仏も名無しさん :2011/06/09(木) 04:47:38.38 ID:gvdv9L1c
てsyとい
588 :
sage :2011/06/11(土) 17:40:22.67 ID:c5MlzxcF
589 :
586 :2011/06/12(日) 11:39:37.75 ID:Vm7Qc0G4
590 :
神も仏も名無しさん :2011/07/19(火) 04:35:34.39 ID:xKfbBZF2
591 :
神も仏も名無しさん :2011/08/27(土) 08:13:54.81 ID:d09rOy9j
krishnamurti
592 :
神も仏も名無しさん :2011/09/19(月) 21:14:20.00 ID:N/yJ/093
Meditation is the action of silence. MEDITATION/J KRISHNAMURTI
593 :
神も仏も名無しさん :2011/09/24(土) 23:15:49.47 ID:VmsWGdRu
「瞑想とは精神を一切の不正直から自由にすることである。 不正直の原因は思考にある。 正直になろうとする思考の試みは、何かとの比較による相対的なものであり、 それゆえ不正直をまぬがれない。 一切の比較は逃避の過程に他ならず、 それゆえ不正直を生むのである。 正直とは不正直の対極にあるのではない。 それは何らかのパターンに従うことではなく、 あるがままの実相を全的に理解することである。 そして瞑想とはそのような正直さの、沈黙における運動である。」
594 :
神も仏も名無しさん :2011/11/06(日) 22:54:32.40 ID:Jvc7VJ9o
思考の根っこを見るかー
思考が起こる瞬間に気づけばいいだけ。 恐怖・欲望が起こる瞬間、実は微妙な思考が起こっている。 これに気づく必要がある。 一瞬一瞬の内面の動きを注意深く見つめる必要がある。
596 :
神も仏も名無しさん :2011/11/18(金) 22:46:31.86 ID:3PN1wuxt
597 :
神も仏も名無しさん :2011/11/21(月) 23:09:05.85 ID:oiPrJpFE
599 :
神も仏も名無しさん :2012/01/02(月) 20:43:55.29 ID:GrBBhY4u
真に助けるためには、われわれは自分の存在の源泉に触れなければなりません。 そしてその源泉から、われわれはすべてのものを新たにすべく出発できるのです。 クリシュナムルティ
601 :
神も仏も名無しさん :2012/01/07(土) 01:41:21.17 ID:HXBIQKO/
誰でしょう?
誰なんだ?
603 :
神も仏も名無しさん :2012/01/08(日) 23:12:22.77 ID:CHW+fHOh
m9(°皿°)ドーン!!
? &&&&&& __ .( ’┏_┓’) __ 〔ノ二二,___ __,二二ヽ〕 |:::::::::::::::::::::::::::ヽ ゜ ゜ /::::::::::::::::::::::::::/ 〉::::::::: :::::::::::::〉 ・ 〈:::::::::::::: ::::::::〈 |:::::::::::::::::::::::::/ ヽ::::::::::::::::::::::/ 〔:::::::::::::::::::::/ /(u)ヽ ヽ::::::::::::::::::| ヽ:::::::::::::::::/ /::::::::::::\ ):::::::::::::::::::ゝ ノ:::::::::::::::::::| |_〜─〜-| |〜〜〜/
605 :
神も仏も名無しさん :2012/01/22(日) 22:06:12.71 ID:RjnrsqdG
「支配と競争と戦争の文化を築きあげたのは思考に他ならないというのに、 その同じ思考が秩序と平和を希求しているのである。 しかしどうあがいても、思考は決して秩序と平和を見出すことはできないであろう。 愛が姿を現すには、思考が沈黙しなければならない。」
>>558 偽善宗教ありがとう教信者は氏ね。生長の家だけは絶対に許さん。
感謝を冒涜する邪教は消え失せろ。
607 :
神も仏も名無しさん :2012/02/24(金) 01:17:10.71 ID:5BbMbqyB
真理とは何か、神とは何かを見出そうとする欲求は唯一、本当の欲求です。 他のすべての欲求は派生的なものです。 静かな河に石を投げると、波紋ができて拡大します。 拡大してゆく波紋は、派生的な動き、社会的な反応です。 しかし、本当の動きは中央にあり、それが幸せ、神、真理を見出す動きです。 そして、恐怖に囚われたり、脅威に縛られているかぎり、それは見出せません。 脅威や恐怖が生じた瞬間から、文化は衰退するのです。 それで、真理とは何かを発見する、時のないこの動きが君たちにあるために、 若いうちに決して条件づけられず、決して親や社会の恐怖に縛られないことがとても重要であるわけです。 真理とは何か、神とは何かを探し出す人そのような人たちだけが新しい文明、新しい文化を創造できるのです。 順応したり、古い条件づけの監獄の中で単に反逆するだけの人たちではありません。 君たちは苦行者の衣を着けたり、あれやこれやの団体に入ったり、 ある宗教から他の宗教へと移ったり、さまざまな形で自由になろうとするかもしれません。 しかし、本当のこととは何か、真理とは何か、愛とは何かを見出すこの動きが君たちになければ、努力は無意味になるでしょう。
興味が湧いたので原文を検索してみました
ttp://www.messagefrommasters.com/Ebooks/Jiddu-Krishnamurti-Books/Think_on_these_Things.pdf 「Think on these Things」 p83〜 (邦題: 子供たちとの対話)
もともとは '欧米の文化とインドの文化はどう違うのですか?' という質問に対する
クリシュナムルティの長い長い回答の一部を抜き出した言葉のようです
-----
Questioner: What is the difference between Indian culture and American culture?
Krishnamurti: When we talk about American culture we generally mean the European
culture which was transplanted in America, a culture which has since become
modified and extended in meeting new frontiers, physical as well as mental.
And what is Indian culture? What is the culture which you have here?
What do you mean by the word 'culture'?
(中略)
Now, the Indian culture is like that. Millions of people have produced it by
their struggles, by exercising their will, by wanting this and resisting that,
constantly thinking, suffering, fearing, avoiding, enjoying;
also climate, food and clothing have had their influence on it.
(中略)
So the Indian culture is somewhat different from the European culture,
but underneath the movement is the same.
(中略)
(ここから下が
>>607 さんが引用した文章に該当する箇所だと思います)
The urge to find out what truth is, what God is, is the only real urge, and all
other urges are subsidiary.
When you throw a stone into still water, it makes expanding circles.
The expanding circles are the subsidiary movements, the social reactions, but the
real movement is at the centre, which is the movement to find happiness, God, truth;
and you cannot find it as long as you are caught in fear, held by a threat.
From the moment there is the arising of threat and fear, culture declines.
That is why it is very important, while you are young, not to become conditioned,
not to be held in by fear of your parents, of society, so that there is in you
this timeless movement to discover what is truth.
The men who seek out what is truth, what is God - only such men can create a new
civilization, a new culture; not the people who conform, or who merely revolt
within the prison of the old conditioning.
You may put on the robes of an ascetic, join this society or that, leave one
religion for another, try in various ways to be free;
but unless there is within you this movement to find out what is the real,
what is truth, what is love your efforts will be without significance.
You may be very learned and do the things which society calls good, but they
are all within the prison walls of tradition and therefore of no revolutionary
value at all.
Questioner: What do you think of Indians?
Krishnamurti: That is really an innocent question, is it not?
----- (引用ここまで)
子供視点の「外国とどう違うの?」っていう結構素朴な質問に対して、ずいぶん奥の深い
長い演説にしてしまってるような気もする… 相手にちゃんと熱意が伝わったかなぁw
What's this.
611 :
神も仏も名無しさん :2012/02/26(日) 05:38:57.74 ID:uerOgvE5
>>609 > 子供視点の「外国とどう違うの?」っていう結構素朴な質問に対して、ずいぶん奥の深い
> 長い演説に…
Kらしく感じられますw (^v^)
612 :
神も仏も名無しさん :2012/03/07(水) 15:57:40.28 ID:tBrBX+1K
「瞑想には想像と思考の入る余地はない。 想像と思考は束縛に行き着くが、瞑想は自由をもたらす。 純浄であることは快楽とは別ものである。 一方は自由をもたらし、他方は時間による束縛に終わる。 瞑想は時間からの自由である。 観察する者、経験する者、考える者、 これらの正体は時間に他ならず、時間とは思考である。 瞑想とは時間の様々な活動を超越することである。」 クリシュナムルティの瞑想録
613 :
神も仏も名無しさん :2012/04/12(木) 00:11:25.84 ID:6vq3Hh+/
真理とは何か? 真理とは何かを見出すには、大いなる愛と、 すべてのものに対する人間の関係への深い気づきがなくてはなりません。 それは、自分の進歩と業績には関心を持たないということです。 真理の探求が真実の宗教です。 そして、真理を求めている人が唯一、宗教的な人間なのです。 このような人は愛ゆえに、社会の外にいます。 したがって、社会に対する彼の行為は、 社会の中にいてその改革に関心を持つ人のそれとは、完全に違っているのです。 改革者は決して新しい文化を創造できません。 必要なのは、真に宗教的な人間の探求です。 というのは、この探求こそが独自の文化をもたらし、 それが私たちの唯一の希望だからです。 真理の探求は、心に爆発的な創造性を与えるでしょう。 それが真実の革命です。 なぜなら、この探求では心が社会の命令と認可に汚染されていないからです。 宗教的な人間はそのすべてから自由であるので、 何が真実なのかを見出すことができるのです。 そして、新しい文化を創造するのは、 刻々と何が真実なのかを発見することによるのです。 子供たちとの対話 Page319
kk
615 :
神も仏も名無しさん :2012/05/01(火) 22:11:22.58 ID:4FmGgKX4
クリシュナムルティの瞑想録p60−61 「瞑想を行なうことは至難の業である。 それは最高度の規律―順応や模倣ではなく、自分の外部だけでなく内部をたゆみなく 見つめ続けることによって生まれるおのずからなる規律―を必要とする。 それゆえ瞑想は孤立的活動ではなく、日々の生活の中で協力と鋭敏さと英知を必要とする行為である。 正しい生活の足場を築かなければ瞑想は逃避に流れ、それゆえ何の価値も持たない。 正しい生活とは、社会のモラルに従うことではなく、 羨望、貪欲、権力の追求など反感や憎悪を生む一切のものから自由になることである。 これらからの自由は、意思的活動ではなく自己認識を通じてこれらに気づくことによって生まれる。 自我の諸々の活動を知らなければ、瞑想は感覚上の刺激に流れ、それゆえ無意味なものとなってしまう。」
内在系の覚者がクリシュナムルティ。超越系の覚者がシモーヌ・ヴェイユ。
思うに、クリシュナムルティは生物進化の途上に現れた人類の中の突然変異種のひとつではないでしょうか。 彼も言うように、瞑想はこの世で最も難しいことのひとつでしょう。であるなら、犬がネコになれないのと同じように、 凡人が瞑想を行い、彼と同じ境地に達するのはほぼ不可能というものでしょう。
おそらく仏陀やキリストも同じ突然変異種だったかもしれません。 ないものねだりと言いますが、彼らの功罪は人々に希望と安らぎを与えたと同時に、本心の奥底に絶望と諦めをもたらしたことにあるでしょう。
619 :
神も仏も名無しさん :2012/05/10(木) 03:15:01.21 ID:L2ToFoH4
Jiddu Krishnamurtiは真理を語るオレオレ詐欺です。 「オレオレ!オレだよ、オレは真理を語ってるんだよ!! 」ってね。
wiki見たらクリシュナムルティは 癌の苦しみに耐えられなかった的なことが書いてあって クリシュナムルティの境地に達していても 無敵では無いのかと思ったんですけど そこんところどう思われますか?
623 :
神も仏も名無しさん :2012/07/12(木) 20:52:13.27 ID:/A0Qcruo
蚊に刺されたらチクッと痛みを感じる 癌に罹ったらそれなりの痛みを感じてモルヒネを打つ
>クリシュナムルティの境地に達していても >無敵では無いのかと思ったんですけど 逆に考えるんだ。 「クリシュナムルティの境地は大したことがなかった」と。 そもそもクリシュナムルティが覚者だなんてのは、 精神世界ギョーカイの、かりそめの取り決めにすぎない。 新たなアイドルが見つかり、皆がそちらに乗り換えるまでの儚い約束事さ。
625 :
神も仏も名無しさん :2012/07/13(金) 21:36:27.86 ID:CQqSV36H
クリシュナムルティについて、知りたいんですけど まず読むとしたらどの著作がいいですか? あと、彼とギャーナ・ヨーガの関係について 書かれた本があったら教えてください。
626 :
神も仏も名無しさん :2012/07/13(金) 21:49:03.90 ID:6/8ThFQp
>>625 > クリシュナムルティについて、知りたいんですけど
> まず読むとしたらどの著作がいいですか?
真理の種子
自己の変容
生の全体性
クリシュナムルティの世界
> あと、彼とギャーナ・ヨーガの関係について
> 書かれた本があったら教えてください。
私は何も信じない
クリシュナムルティ・水晶の革命家
628 :
622 :2012/07/14(土) 09:02:35.21 ID:IlRC3183
629 :
神も仏も名無しさん :2012/07/14(土) 23:59:22.76 ID:7RGbFwAl
自我の終焉も良いね
630 :
神も仏も名無しさん :2012/07/27(金) 19:39:40.33 ID:cNlYaCOF
625の人とは違うのですが クリシュナムルティに興味を持ち 生と覚醒のコメンタリー1〜4 瞑想録 時間の終焉 私は何も信じない 自己の変容 日記と対談数冊ずつ ここまで揃えておいて、代表作らしい自我の終焉だけは品切れで少し高めなので まだ購入してないのですが、購入する価値はありますか?
631 :
神も仏も名無しさん :2012/07/27(金) 19:42:20.57 ID:cNlYaCOF
最初にクリシュナムルティの本を読むなら、当然ありでしょうけど 10冊程度読んだ後に読むほどの内容がこの一冊に書かれていますか? 助言お願いします。
「自我の終焉」は非常に良くクリシュナムルティの思想がまとめられていますね。 他の著書を多く読み込んだ方が急いで購入する必要は感じませんが、 入手しやすい価格で目に止まった時に購入されては如何。 気になるようでしたら思い切って・・・ということもありでしょうけど。
>>632 ありがとうございます。
総まとめ的な本なのでしたら、入手しやすい時を待とうと思います。
再版してくれればいいのですが、あまり聞いたことのない出版社なので
当分は再版はなさそうですね・・・。
634 :
229 :2012/07/27(金) 22:36:40.86 ID:unPNtkDo
635 :
神も仏も名無しさん :2012/08/08(水) 23:58:09.57 ID:Sfpkz2G0
自我の終焉は圧倒的な内容です。 何か気づくたびに結局ここに書かれていることだと気づきます。 いや、この本は図抜けていると思います。 そして、対話集としての生と覚醒のコメンタリーと、恐怖なく生きるをお勧めします。
彼の本で初めて読んだのはそれだった。 おかげで、たくさんばら撒かれている(特に精神世界において)罠や些事に惑わされることなく、 一直線に彼の言わんとする観察、凝視までたどり着くことができた。 そして、彼はさらにその先にいることがわかった。 それは"時間の終焉"で自身が語ってる。 思考を超えたところには空があり、さらにその空を越えたところに、絶対の基底がある、と。
ざっと見ると、ほとんどの書籍や本物の指導者、導師は、思考、心、自我を超えた空に導くために書いたり語ったりしている。 この空に至るだけでも、昔からとてつもなく困難であるとされてきたことなのだけど、 幸いなことに現代では、それが比較的容易になっているため、空に至る人が多くなっている。
一人が至るたびに、他の人の至りも容易になると、ある本に書かれてたけど、今はそういう時代なんだと思う。 それだけでも十分素晴らしいのだけど、その空を越えたものへ導こうとしている人は、現代では数えるほどしか知らない。 人類の歴史において、そこに至った人は本当にごく僅かだと思う。
639 :
神も仏も名無しさん :2012/08/15(水) 02:41:17.14 ID:QuarXlo/
>>640 「神秘主義への扉」って本にもっといろんなドロドロ書いてあるよ
てか現代オカルティズムの総括本みたいな内容だけどw
俺はどっちかってとグルジェフマンセーだったけど、
まあクリも最後はヒンズー教的苦行の道を辿ろうとしてたらしいけどね
じゃあいままで語ってたことはなんだったのっ
生の全体性を読んだ。 Kの高慢な態度に少し幻滅した。 本当に悟った人は高慢にはならないのでは?
>>620 >神智学協会でのヘンテコな言動を総括もしないで、
クリシュナムルティは神智学協会を批判し続けていたらしいよ
豪華な家に住みながら高価な服着てベンツに乗ってね
晩年は和解したみたい
GもKも大人と子供の中間を惑わすペテン師だったんだよ Gは悪ふざけ Kは二重人格 見せかけの真理だけだね
645 :
神も仏も名無しさん :2012/08/16(木) 01:33:58.88 ID:+GMp7V39
Kが他人と話しているときの間をよく見てみなよ。あれ知恵遅れの感覚だぜ。 あいつは死ぬまでマインドレイプが解けなかったんだよ。 だからきれいごと、しゃあしゃあと言えたのだ。
しかしなぜKはあれほどの内容が話せたのか?
なんなんだろう、この流れは?
最近できたOSHO・グルジェフetcスレあたりから新しい人達が流入してるのか?
ここはクリシュナムルティの思想や講演内容について‘冷静’に語るスレです。
(彼を聖人や教祖として崇めるとか、神格化するとかいう意味ではない
彼の語る内容になにか参考になる・学ぶものがあると思う人が
それぞれの箇所を紹介したり疑問を書いたりする、ぐらいの意味)
個人生活や人格糾弾その他もろもろ、いわゆる‘アンチ’議論は
専用スレ↓のほうでどうぞ
クリシュナムルティの功罪
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1279684587/
>>646 同じことを繰り返し言ってるだけだと思うがw
「あれほどの内容」と思わせるテクニックは身に着けていたのだ。人気のある占い師のようにね。 よーく調べれば、「そんなもの程度の内容」だと認識できることに気づく。 最近の詐欺師はよく個人情報保護法を逆手にとって自分の身分を明かさずに相手の個人情報を 聞き出す手口などあるよね。ここの2chも個人情報あけすけだからなぁ。
洗脳は怖いよ。自覚がないんだから。Kだけじゃない。人の心にバイアスかけるのは、2ちゃんねる。信仰。宗教 政治思想。義務教育。マスコミ。これらは、物の見方を変えてしまうのだから。 目指す所は、それをそのまま、そのものとして見える見方を体得すること。 ここなんて匿名掲示板じゃないからね。書き込んでいる人物の住所、氏名、年齢、預金残高 全部ばれてるよ。
651 :
641 :2012/08/16(木) 21:57:40.52 ID:+WbzVDVs
>>647 >彼の語る内容になにか参考になる・学ぶものがあると思う人が
ひとつだけある
「注意すること」
一瞬一瞬に注意し続けること
感覚を総動員してただひたすらそれになること
これは瞑想だから何かになろうとする行為じゃない
いろんな瞑想の中でもキチガイになる恐れのない瞑想だね
念を抱いた瞑想は普通の人が気づかないうちによくやる瞑想だけど
これはキチガイになる
例えば人を呪ったり殺したりすることが成就することがある
>>651 >例えば人を呪ったり殺したりすることが成就することがある
キチガイはおまえだろw
654 :
ロッコツ歩 :2012/09/05(水) 15:17:48.41 ID:RjG419+1
「無のすべてを知る者は、すべてを知りつくす」
655 :
ロッコツ歩 :2012/09/05(水) 15:45:53.06 ID:RjG419+1
1900年 量子仮説 1905年 光量子仮説 1911年 原子模型 1916年 一般相対論 1919年 陽子の発見 1922年 膨張宇宙論 1923年 物質波 1926年 波動方程式 1927年 不確定性関係 1928年 反粒子の予言 1929年 場の量子論 1929年 膨張宇宙の発見 1932年 中性子の発見 1948年 くり込み理論 1948年 ビッグバン理論 1957年 多世界解釈 1965年 宇宙背景放射発見 1964年 クォークモデル 1967年 電弱統一理論 1970年 特異点定理 1981年 インフレーション理論 1982年 無からの宇宙誕生 1983年 虚数時間説 1986年 宇宙の大規模構造の発見 1990年ハッブル宇宙望遠鏡打ち上げ 2003年 WMAP
656 :
ロッコツ歩 :2012/09/05(水) 15:48:10.25 ID:RjG419+1
>20 よう!
創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね 創価死ね
何時の間にか電子書籍になってるのがあるね。 コスモスのかな。
998 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 09:50:57.37 ID:ZaPaLnxt [48/49]
>>995 コテハン付けて書き込むやつは
「自分アピール大好き。みんなにおれのこと見て見て注目してーーー。おれのことすごいっていってよーー。おれすごいこときづいたよーーおれわかってるよーーおれのことわかってる人っていってよー」
「おれ不思議ちゃんだよーーー」
↑
こういうやつ
あと2ちゃんねるの良さをけしてるやつ
3 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:41:45.58 ID:+7uCIkXB [2/12]
↑
これ以外に理由なし。
コテハン付けててこれ以外に理由があるやつは書き込んでいけ
4 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:45:42.44 ID:+7uCIkXB [3/12]
「1000 返信:麦とホップ[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 09:54:51.72 ID:2/Ou+MNg [8/8]
>>999 もう最期だよ。続きは次スレが立った時にでも・・・・・・」
↑
麦とホップ次スレ立ったぞ。
5 自分返信:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 10:52:03.67 ID:+7uCIkXB [4/12]
>>2 「悟りを開いたことあるけどなにか質問ある?」なんてたいそうな名前を付けているが、
スレ主自体がコテハン付けてるどうしようもないやつ。コテハン付けているやつら 分かったか?
Kの著作は「生と覚醒のコメンタリー」読まば他は不要ですか?
>>660 高いわ四冊もあるわ・・・
確かにそれだけ読みこなせば不要かもしれないけど、このスレを見れば分かるとおり
スレが活気に溢れていない
だからJK関連の何を読んでも心細くてでJKの話術に翻弄されるかもしれないよ
ヘタすると「本の解説者」が必要になってそれのセミナーの参加だけでどえらいことになるかもしれん
そもそも「今読んで、今理解できる」JKが求めた境地に達するかどうかにかかっているから何ともいえん
そしてこのスレの閑散ぶり
「じゃあJKはダメかも」と思ってしまうのが世の習わし
それでも「いろんな本を読み通してみよう」と積極的になって本のエッセンスを通して
「知識」ではなく「体験」を通して「知恵」を得るなら万に一つの可能性もあり
JKであなたの心境に変化が生じたらこのスレにでも報告しに来てくれ
662 :
神も仏も名無しさん :2012/09/29(土) 16:44:24.83 ID:MbgjocWQ
生と覚醒のコメンタリーって、旧版と新装版がありますけど この2つは、内容的に全く同じですか?それとも少々修正されていますか?
663 :
神も仏も名無しさん :2012/09/29(土) 21:06:01.74 ID:/SKFuPro
クリシュナムルティに興味を持つのもわかるが ああいう精神的なことより 工業・産業・商業 こういうことをして働いて生きるのが先ではないのか? と思います
お金がたくさんあっても幸せは買えない
665 :
神も仏も名無しさん :2012/09/29(土) 22:00:54.99 ID:ZxnMzYtH
>>663 そうなると釈迦も駄目になって
現世利益的の創価などになってしまう
666 :
ばんこ :2012/09/29(土) 23:33:18.23 ID:6/6kuu78
チャモロゲの翁みたいなクリシュナムルティにぱんつをかぶせてみたいのは お金がたくさんあっても幸せは買えないんだよね。
667 :
神も仏も名無しさん :2012/09/30(日) 05:19:50.19 ID:6pO7Ddzj
Kの著書ではないが「クリシュナムルティとは誰だったのか」はKの生い立ちを知るのに役立つ。 Kが覚醒するまでの修行は、その後、Kが講話で話してることとは全く違うもの。 それは心霊的で他力的なものだ。 霊的存在からのイニシエーションなしに、Kの覚醒はなかっただろうね。
668 :
神も仏も名無しさん :2012/09/30(日) 06:23:23.00 ID:J5nYwSup
まさに霊団によって準備された誕生と覚醒
669 :
神も仏も名無しさん :2012/09/30(日) 18:44:45.39 ID:6jojgYUB
Kが説いた注意とか気づきとかの瞑想法?を、若い頃のk自身が実践したとしても、覚醒しなかったろうね。 若い頃、kは、霊的存在から、脳やチャクラや経絡をいじられて、覚醒の下地を作ってもらった上で、瞑想修行したんだもの。
>>669 > Kが説いた注意とか気づきとかの瞑想法?を、若い頃のk自身が実践したとしても、覚醒しなかったろうね。
>
> 若い頃、kは、霊的存在から、脳やチャクラや経絡をいじられて、覚醒の下地を作ってもらった上で、瞑想修行したんだもの。
そうなのです。
Kが説いた注意とか気づきが、Kによって公にされて
以後、Kが説いた注意とか気づきによって覚醒できるようになるからです。
671 :
神も仏も名無しさん :2012/10/01(月) 13:40:52.30 ID:cJtwo+wK
どうしたら「覚醒」できるか、できないかとか、 ろくに知りもしないことについてよく偉そうに意見がいえるねw
672 :
神も仏も名無しさん :2012/10/01(月) 15:09:17.51 ID:nqZAi3jt
知ってるかもしれない
釈尊は、自分の瞑想法とか瞑想の内容については、一切語らなかった。 聞かれたら答えたかもしれませんが、おそらくわざわざ説く必要はない判断したということでしょう。 そういうところはKも同じではないでしょうか?
誰でも人類は等しく覚醒して、頭の悪い争いを止めて欲しいと願う今日この頃
675 :
神も仏も名無しさん :2012/10/01(月) 20:50:18.10 ID:boI/7RLD
ゴーダマ仏陀って修禅方法や境地をまったく口外してないの?
676 :
神も仏も名無しさん :2012/10/01(月) 23:29:52.03 ID:MY+YJCbT
釈尊は瞑想法について言及してたよ。偽経も多いけど、ヴィパッサナは釈尊が指導した方法だね。 Kだって、結局のところ、注意するという方法を残してるじゃん。kの本を学んだ人はそれをやってるよね。 要はKが教え下手だったということだよ。 自分はさんざん瞑想したくせに「方法はありません」とか言うから、みんな混乱すんだよ。
アルボムッレ スマナサーラさんがよく言ってる瞑想法だね ヴィパッサナは仏教の瞑想法だから安易に一緒とはいえないけど ジニャーナ・ヨーガの瞑想に近い様に思う。Kも一応ギャーニだし。 あと釈尊だって菩提樹で悟る前にウッダカラーマ・プッタに止観教えてもらってるんだから 仏教は、三十七道品だけでは悟れないよ(いや出来るのかな?)って事を明確にしろよ。
ジニャーナ・ヨーガは真我を悟るヨーガだから釈尊がギャーニとなると仏教徒は都合が悪いな ジニャーニにしてみれば真我の有無は同じことか どちらにしても私のような俗人には関係ない話だ
679 :
神も仏も名無しさん :2012/10/02(火) 01:02:42.52 ID:FrOfTndv
釈尊もヨーギーの一人だとヒンドゥーではするね
霊的な指導とか瞑想の仕方とか、 そういうのは誰にでも、その人相応のものが与えられているんだよ 目に見えようが実感できようが、その人に相応のものがいますでに与えられてる 与えられてない人と思う人は、自分の段階にないものを求めてるだけ だから仏陀やKが言うように、自分にできることは自分を観察して理解することだけなんだよ 自分の探求が進めば、それ相応のものが向こうから来るだけ 凡夫にも相応のものがすでに与えられてるし、万物全てに相応のものが与えられてるんだよ そういうのは探求が進めばわかってくる
681 :
神も仏も名無しさん :2012/10/03(水) 02:01:00.53 ID:5Vhqp2bl
「いかなる喧騒にも、思考にも、吹き過ぎる経験の風にも、決して動ずることのない精神の沈黙がある。 天真で純浄とし、それゆえに無際限なのは、そのような沈黙である。 精神にそのような沈黙が生まれるとき、行為はそこから湧き出し、そのようにして生まれる行為は混乱や不幸をもたらすことはない。」 「瞑想のさなかにある精神は、沈黙のすべての変化と多様性と運動を包容している。 精神がこのように沈黙しているときこそが、真に宗教的な精神のありようであり、神々の沈黙は大地の沈黙である。 瞑想のさなかの精神は、このような沈黙の中を漂い、ただ愛の流れに身を置くだけである。 このような沈黙の中に祝福と朗らかな笑いが生まれる。」
知覚とは意図的であるばあいと受身である場合があるとおもいますが、意図的である場合の あのいたずらっぽさとはなんでしょうか。受身である場合のあのよそよそしさ、遠慮がちさは いったいなんでしょうか?たんに力関係を顕しているに過ぎないように思いますが、それまだ ましです。人が本当の力量の差を見せ付けようと思えば、相手を無視することが効果的です。 目の前に相手を置いて自然描写かましてみせるなんてのもそういうことでしょう。 自然描写の延長線上で人物を吟味できる!その誘惑にみせられてクリシュナムルティにひかれた ひともおおいでしょうね。著作はそうなっていますが実際はどうだったのでしょう。 現実と乖離している人ほど自然描写を強調するのではないでしょうか。 私は単に彼の場合、自然描写は余裕を見せる為の相手に飲まれないためのテクニックだったと思います。
683 :
神も仏も名無しさん :2012/10/04(木) 02:31:23.45 ID:aJBhYmgq
なるほどね
Kの著作読む人ってパラマハンサ・ヨガナンダとかも読んでるの?
686 :
神も仏も名無しさん :2012/10/08(月) 01:08:41.73 ID:SV4pwpoQ
新装版ってあとがきとか違うらしいけど旧版と訳自体は同じなの?
>>660 これは、「個人的推薦」かと思われます。
かつて、わたしが
>>172 にて質問した時には
・自己の変容
・恐怖なしに生きる
・子供たちの対話
・自我の終焉
・クリシュナムルティの世界
・クリシュナムルティの瞑想録
などを推薦して頂きました。
難しいのでまだすべて読み切っていません。そして読み切って、何度も何度も咀嚼して読もうとしても時間がかかるでしょう。
その間に新装版(2005年出版)もAmazonですら第一巻が売り切れてしまいました
他のネット書店でも怪しいです
さらに一冊の値段が新品で2100円と高く、中古品で済まそうと思うなら「そのくらい価値の無いもの」と見なされるのが落ちだと思うのですがいかがでしょうか?
確かにAmazonでは高い評価が出ていますが、個人的に目を通したときの感動があるかどうかは未知数です。
>>685 すぐに読みたいとか考えている人向けには、2巻から4巻の3冊から読んでも勉強できる読み方を
提示した方が楽かも知れません。どうしてかは
>>687 に書かれています
> さらに一冊の値段が新品で2100円と高く、中古品で済まそうと思うなら「そのくらい価値の無いもの」と見なされるのが落ちだと思うのですがいかがでしょうか?
>
> 確かにAmazonでは高い評価が出ていますが、個人的に目を通したときの感動があるかどうかは未知数です。
>
>>632 「自我の終焉」って翻訳文が古くありませんか?
現在活躍している訳者が翻訳し直してみたら印象ががらりと変わるのではないでしょうか?
ひょっとしたら「21世紀の主力訳者」として心強い味方になるかもしれない
>>691 現在売っている書籍で補完できればそれに越したことはないのですがいかがでしょうか
売り切れに近い書籍に思いを巡らすより、今売っている書籍を吟味する方法をつかんだほうが
読書法としても充実すると思いますし、現時点での出版社、訳者に対するモチベーションにもつながります。
その結果、「生と覚醒のコメンタリー」の再版、改訂もいつの日にか検討なさることが起きうるでしょう。
693 :
神も仏も名無しさん :2012/11/23(金) 15:58:28.97 ID:md68Qcy9
「キリストのヨーガ」内容がクリシュナムルティとそっくり。
695 :
神も仏も名無しさん :2013/01/15(火) 09:16:05.51 ID:r2TLvYwt
あげ
日本語が堪能なクリシュナムルティだったら翻訳作業でどんなに手間取らなかったか… あとあと30年遅く生まれていたら日本人がオーハイにたくさん集まっていただろうに… 早すぎた逸材だったな
697 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 09:16:11.34 ID:IkGULGVH
>>229 >口で言うのは簡単だけど実践は難しいと思う。
考えるからです。
「彼の視座」は思考の範囲内にはありません。
だからどこから見るのか?の問いは無効です。
実は簡単なことなんです。
単に思考に気づけばそれでいいのです。
この気づきは思考ではありません。
完全に受動的になってただ眺めればいいんです。
きっかけになるヒントを書いてみます。
思考を観察する、これは「全く同時」に行われます。
もしタイムラグがあるときはその記憶を想起しているに過ぎません。
「あ、考えてたな」と。これは思考なんです。
見るものと見られるものが同じ状態です。
そこでこんなことをやってください。
先ず思考を止めてください。そしてどこまで止まるか注意を払ってください。
何秒止まりました?3秒ですか?
あなたがこれに答えられるのなら(思考が始まったのが知覚されたのなら)
それがそうです。その気づきは「思考」ではないんです。
動いた気づきがあったらそのままその気づきを維持してみてください。
これで思考を超越できます。すると「私は思考ではない」ことが体験できます。
視座が移ります。否、思考と意識の同一化が外れ、視座が明るみに出るのです。
このときあなたはとてつもない静謐さと解放感と平安を覚えます。
遊びのつもりでやってみてください。そのくらいでいいのです。
698 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 09:50:27.70 ID:IkGULGVH
一度これを体験しますとその心地良さに留まろうとします。 ここで再び思考と膠着します。 そしてその状態を想起し、それに戻ろうとするのですが、これは無理です。 この状態は思考の中にはないからです。 そしてその視座さえ(記憶はありますが)見つかりません。 その時は一旦休んでまた気づけば良いです。 思考に気づく、感情(気分)に気づく、どちらかやりやすい方からやってもいいのです。 やがて思考含め自分の内外全てに気づけます。 人は自動的思考の連鎖の中で生きています。 これが眠りです。 この中では思考を自分と思い込んでいるため思考をツール(k的に言えば思考の持ち場) として使われていません。 その連鎖に気づくことが目覚めです。 ごく単純な話です。 気づき(観察)はその思考の内容とか全く関係ありません。 エロいことや否定的思考に気づけたからいいとか、理解できたからよかったとか、 そんなことでは全くありません。 それは単なる反省で、反省は思考(エゴ)を強める行為です。
699 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 10:18:10.44 ID:IkGULGVH
また思考内容をコントロールしないほうが宜しいです。 エロいことを考えても高尚なことを考えても同じ思考です。 それらと覚醒は全く無関係です。 それら思考内容をいちいちチェックする必要はありません。 寧ろ判断者がいると思考のCPU率が高まり、気づきにくくなります。 思考は自由にさせておくのがいいです。 静かさでの気づきがポイントです。 クリシュナムルティは教え方が下手でした。 あまりにも高尚だと思われたのでそのコメンタリも凡人にはとても無理だ、 と感じさせハードルを挙げてしまったのです。 これは彼を殺すことに他なりません。
700 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 10:29:23.00 ID:IkGULGVH
あと気づきが起こっている時は平安と心地良さがあります。 判断者が判断しているときは不快感があります。 不快感があるときはそれに気づけばその不快感はサッと消えます。 また何か苦しんでいるときもそれに気づけば即座に消えます。 では。
701 :
ベゲザンピーク :2013/02/11(月) 15:22:18.17 ID:kUjOIvxt
クリシュなむるニートと共に
702 :
229 :2013/02/25(月) 03:26:09.12 ID:Lh3tXlmk
とても不思議なこともあるもんだ…
さっき瞑想しながら、頭の中の‘自分のつぶやき言葉’がどうしても止らなくて
困ったな、と考えはじめてたら、ふとなぜか一ヶ月ぶりに 2ch を開いてみたくなった
そしたらなんと、3年以上も前の自分の書込みにレスがついてて、しかもその内容が
ちょうど今こまってるポイントを指摘してくれてるとは…
>>697-700 どこの誰かはわからないけど、どうもありがとう
丁寧な解説レスをタイムリーにくれたという事実が、この世は本当に
‘ひとつの意識’の夢・幻想かもしれない希望を与えてくれました
>>697 >すると「私は思考ではない」ことが体験できます。
これはクリシュナムルティが主張していたことと違います。
「あなたは私に不可能なこと、奇跡を求めているのではありませんか。どうして私が思考を持たずにその外側に出られるでしょうか。思考こそは私という存在に他ならないのです!」
「まさにしかり!思考そのものが終焉しなければならない。その自己中心性そのものがその活動をもろとも、無理なく自然に死ななければならない。」(クリシュナムルティの瞑想録)
704 :
神も仏も名無しさん :2013/02/27(水) 12:00:25.14 ID:HVG0X4Oy
>>703 そこまでして自分を消し去りたいのなら無理なく自然に拳銃で頭を貫けば宜しい。
>>704 >そこまでして自分を消し去りたいのなら
そう読んだあなたはクリシュナムルティの著作もまともに読めてないでしょうね。
彼は不可能なことを主張していました。
だから「自由になった人は一人もいない」と回想していたのです。
思考を超越する程度ならすでに世界中にたくさん実践している人がいますよ。
706 :
神も仏も名無しさん :2013/02/28(木) 00:41:08.00 ID:kMO1hOf0
>>705 これが彼(クリシュナムルティ)の失点だと思ってる。
私=思考、これは正しいんだよ。
だから私(思考)が思考の範囲外に出ることはできないんだ。
しかしあまりにもそれを強調するために自由になることは根源的に不可能だと思わせた。
私も苦しんだ口なのでよく解る。
707 :
神も仏も名無しさん :2013/03/09(土) 21:47:30.62 ID:IfD1Vc8y
クリシュナムルティは霊媒のような存在だったのだと思う。 彼は覚者ではない。
神智学でもかれは所謂覚者ではないとなってるね
709 :
神も仏も名無しさん :2013/03/10(日) 18:29:48.70 ID:8p0w2A0j
710 :
神も仏も名無しさん :2013/03/10(日) 22:38:24.27 ID:VaG3AIR0
ガンジーも性欲は強かったそうだが、インドの聖者って
必ず性の問題が付きまとってるね。
それゆえに禁欲とかがクローズアップされるのか。
いずれにせよ、
>>709 おもしろいな。日本語訳本あれば売れるだろうに。
しかし、いままじまじそのブログのほかの記事を読んだが・・・ クリシュナムルティ研究者同士で結構馬鹿とかアホとか言いあってんのね。 「議論しないことによって議論に打ち勝て」みたいには行かないのかな? 真理やダルマに支えられていたら、他者に勝たせてやっても、 真理の目からは勝ってるぜ!みたいに・・・ とまあ、偉そうにいっても、俺自身2チャンやってる時点で同じなんだろうなーw しかし、読書や研究と人格的向上が一致しないね、なかなか。
712 :
神も仏も名無しさん :2013/03/10(日) 23:52:06.76 ID:8p0w2A0j
>>711 ねw
ねらーと何ら変わらんが(爆)、それでいいのかも知れんなw
普通でいいんだ普通で。
まあしかし、アホやでw
そうね。日常議論はつきもの。 でも、まあ、人間迷妄に取り付かれてるのは誰もがそうなんだから、 ちょっと反省しようかな。 気にするな、おてんとさんが見てるとガバイばあちゃんが言ってた。
がばいばあちゃんも、ほとんど島田 洋七の創作だそうだからあまり気にするな 仏陀も若いころは欲にまみれた生活をしてたんだから現代の仏陀といわれるKがそうであっても大した問題ではない。 菩提樹以降のゴーダマしかしらない人がそれを知ったらショックかもしれないけどさ
だからお前自身がブッダなんだよ。
>>714 大した問題ではないが、悟っていない人の話しを聞いて悟れるのかという疑問は生じる。
>>716 Kの話は彼の最深部から出ているにも関わらず彼は覚者ではなかった。
ということは、彼の話を彼と同程度に理解しても悟りを開くことはできないということにならないだろうか。
>>716 世の中覚者と凡夫の二元できっちり分けれるようにはできていない。
そのため当然その中間が存在する。その中間というのが限りなく大きいわけだけど
Kは、間違いなく私たちより覚者に近い位置にいる。ならばより凡夫に近い私たちは、
まずはKを目指すところから初めるのがいいと思う。物事には、段階がある。
719 :
神も仏も名無しさん :2013/03/12(火) 11:59:57.18 ID:PpRdnqQE
覚者の在り方も様々
Kの智慧と現代社会で生き延びるための知恵はいったいどのように違うのだろう ただし、「漢字が違う」というのはなしの方向で
クリシュナムルティを本物と思いたい気持ちは分かる。 私も彼の講話をするとき以外の人となりを知ったときは残念に思った。 だが、どんなに良いことを語っていても悟りを開いていない人間に他人を悟りに導く力はないと思う。 Kが「中間的な存在」かどうかは知らないけれど、 悟りを開きたい私にとってはっきり言ってこういう紛らわしい人物は邪魔だ。
>>719 彼は覚者ではないと思う。
彼のいう「あるがまま」というのは要するに「明け渡し」でしょう。
告発本(?)の内容がある程度事実であるならば彼の言動は愚者のそれで、
明け渡した人の奇行のような悟りの香りがしない。
723 :
神も仏も名無しさん :2013/03/12(火) 18:53:54.89 ID:XEtxPU8K
>>717 理解はエゴを鎮静化することは出来ても覚醒は齎さない。
覚醒は思考とは全く無関係だから。
しかし準備は出来る。
その準備とは理解を通して思考自身が限界を悟り、沈黙することだ。
724 :
神も仏も名無しさん :2013/03/12(火) 18:55:03.57 ID:PpRdnqQE
禅の師家にも様々な方が居られる 13uXlfa7さんの思う覚者とは具体的な人名など挙げてくだされば 調べて学びたいです
>>723-724 いや、失礼しました。
私にはここであるべき覚者像を云々する気持ちはありません。
覚者かどうかは各人が判断すればよいことでした。
ただ告発本(?)の内容がある程度事実であるならば、
不倫も中絶もあるがまま、学校運営に口出しするのもあるがままというのは違うのではないかなと思ったのです。
726 :
神も仏も名無しさん :2013/03/12(火) 19:44:25.72 ID:XEtxPU8K
>>725 いえいえこちらこそ失礼しました。
学校運営に口出しってのは明らかに彼の観念だし、
不倫は未だしも中絶はどうかと思いますね。
前に書かれていたように彼は霊媒というか、そんなものだと私も思います。
で、彼の著作(口述筆記ですが)を読んでいると、所々にバイアスとしてのエゴを出します。
所謂野心家(成功者)が晩年マイウェーを歌ってるのが醜い、とか言ってましたが(爆)、
こんなもん単なるエゴです。
で、もうひとつ気づくのは翻訳者のノイズもあります。
えらそうなクリシュナムルティ語り。
かなり鼻につきますし、彼の言論を徒に難解にしています。
少なくとも本物の覚者だったら私たちの目に付くような形で知られる事はないでしょう。 おそらく彼らは、雄弁にものを語らないでしょうし、それこそ本など残さないでしょうから。 私たちに知られるレベルで本物と云われる人は、言ってもマイトレーヤ辺りでしょう。 余談ですが読むなら、やはり本人が書いた言語をそのまま読むのがいいですね。 その点kは良心的です。
728 :
神も仏も名無しさん :2013/03/17(日) 07:12:36.70 ID:ft0xAQs1
真理の探求をやめようかと思う。 悟った人が見当たらない。 いたとしても、言葉で真理を説明するのは無理だ。
誰かの言う通りにしていれば自然に悟れるとかどんだけアマちゃんなのかと、アナタ達にとって真理とは与えられるモノなのか? 自己流は、危険危険と言われているが、「ジリツ」できず誰かに何かに頼ってるうちは「悟る」なんて夢のまた夢なんて自明の事。 物事には段階ってものがある。今までの人生、誰だってそうしてきたはずなのに、いきなり答えをゴールを求めてしまう。そんな人が悟れると思うかい?
と自問自答。
クリシュナムルティが実はただのチャネラーであったという事実は、 私にとっては少なからず衝撃だったようだ。 私には彼ぐらいしか覚者と評価できる人がいなかった。 彼が覚者ではなかった以上、 「悟り」というものは実はないという可能性もあると思うようになった。 「悟り」というものがないのならばなくても良い。
>>731 私が永遠の存在であることを知り、今ここにあることに至福を感じて瞬間を生きる人々はたくさんいます。
「めざめて生き、めざめて死ぬ」(スティーヴン・レヴァイン著)を読まれてみてはいかがでしょう。
733 :
神も仏も名無しさん :2013/03/17(日) 20:42:03.82 ID:R6BCjpRd
クリシュナムルティ自体あまり好きじゃないけど、 チャネラーならチャネラーですごいんじゃないの? そのチャネリング相手の話を聴けばいいんだし。 まあ、シュタイナーみたいだね。
734 :
神も仏も名無しさん :2013/03/17(日) 23:08:46.16 ID:ijUMG0aO
>>728 >真理の探求をやめようかと思う。
真理の探究を続ける限り、真理は見つからないよ。
つまり探求そのものが思考レベルに留まるからだ。
思考レベルとはつまりエゴの餌と考えて欲しい。
真理を見出したいと言う欲求が止まらないと真理は開示されない。
解るよね、このパラダイムは。
見出したいと思う限り、それは見出すものとして振舞うからだ。
お勧めしたいことがある。
思考を眺める、のもいい。
何もしないのもいい。
ポイントはあなたは何故真理を見出したいのかを突く事だ。
あなたが心から満足し、幸せであるなら真理を見出したいなどとは思わないだろう。
故にあなたはこの逆なのだ。
あなたが背負っている重荷を今、ここで脱ぎ捨ててみて欲しい。
これを一日何度もやる。
あなたがやるべき義務、清算すべき負債、それを思うと気分が落ちるような思い。
それらを感じたら今、ここで脱ぎ捨てる。これを何度もやる。
単純な話、ただそれら、でっち上げられた思考の罠(観念の罠、真理へ抵抗)があなたを真理への飢えとして
駆り立てており、ただそれらが真理を塞いでいるに過ぎない。
いまここで全ての重荷、苦渋、悲嘆さを無条件にただ脱ぎ捨てること。
ほっとすること。ただそれだけでいい。
真理は見出すものではない。それは勝手に開かれるものだ。
全ては恩寵であり、恩寵としてしかこない。
獲得は出来ない。見出すことも発見することも勝ち取ることも出来ない。
だから諦めてただ重荷を下ろそう。
重荷を下ろせば初めてそれが明るみに出る。
クリシュナムルティが悟ってなかったとするなら、 クリシュナムルティを認めたり、彼の本を薦めたりしてりた、ニサルガダッタマハラジや ラマナマハルシやラジニーシやダンデスダイジなどなど、多くの覚者と呼ばれた面々も、 みな悟ってなかったということなんですかね?
>>735 Kは、マイトレーヤとなるべく育てられました。彼は、導き手です。
霊的な意味で本人の意志と本来の役割が一致しない事は珍しく有りません。
大切なことはその人の役割を見極め自然の成り行き巡りあわせに任せることです。
誰かが言った言葉で何が変わりますか?アナタが初めてKを知った瞬間から今この瞬間まで
Kは何も変わっていません。Kが今までと違って見えるのだとしたら、何が変わってしまったのでしょう。
kの著作を読めば分かるはずです。分からなければ、縁が無かったと自然の成り行き巡りあわせに任せることです。
>>736 そんな話はしてないですよ?
Kが悟ってないという書き込みが散見したので、その人たちに聞いてみたのです
自分はKが悟ったとも悟っていないとも思っていません
自分が悟っていないのにそのようなことがわかると思いませんし
本の言葉を読んで、納得したりしなかったり、自分の修練の参考にするだけです
禅の言う「悟り」という現象はあると思うし、「悟った」と名乗るような人も実際にそれに 近い体験をしている人だと思うが、悟りを真理を掴んだ人というような意味で捉えると間違 いだと思う。 728や734がいう真理は数学的真理のようなものとは違うのは解るのだがどうもこの 言葉の使い方が気になる。とはいえ734は参考になる。 「重荷を下ろす」ことの他にも、違った角度から楽しみ方を発見する意識をもつように 心掛けるのもいいと思う。そうするとさらに重荷を増やしても楽しめるようになる。 自分の場合はマラソンが良い例で、長距離は大嫌いだったが、ジョギングを楽しむように なって、だんだんと面白さが解ってマラソンまでするようになった。「苦行」だとか「修行」と いうのも多くの修行者にとっては、苦しいことというよりは寧ろ楽しいことの部類だと思う。 何かが起こることを期待して苦行を楽しむのは、自然であり不都合はないだろうと思う。
>みな悟ってなかったということなんですかね? ある意味そうだと思う。それは「覚者」という言葉の捉え方がかなり違うのだろうと思う。 覚者も仏陀も本質的に我々と変わりはない。ピアノの天才はとてつもなく達人に見えるが ド素人から見れば、ピアノが上手な小学生と天才との違いはそれほど分からない。どちらも 達人だ。ピアノと同じように、いきなり天才を発揮する覚者もいれば、段階を踏んで覚者に なる人もいる。覚者が示す天才は捉えどころがないように見えるが、実はそのような磨くこと が可能な技術と同種類のものだと思う。
人間の内面で起こることを「悟り」と表現することで別のものになってしまうのではないかと思う。
>あなたが心から満足し、幸せであるなら真理を見出したいなどとは思わないだろう。 >故にあなたはこの逆なのだ。 幸福の構造を知ることが重要だろう。旅行でホテルに泊まる。露天風呂から 美しい満月が見えてとても気持ちが良くて感動したとする。そうすると応対が 多少は悪くても、食事が悪くても部屋がパッとしなかったとしても、細部はあまり気に ならないで全体的には良い印象をもつことになる。 朝の気持ち良い挨拶一つで、その後ずっと幸福感が持続することもある。 のべつまくなしに幸福である必要はない。年に1回幸福なイベントを計画してその日の 為に一生懸命働いてそこで全部を散財して楽しむ。リオのカーニバルのような幸福も ある。 だから真理を見出したいと思う人が不幸とは限らない。人生の大半が不幸であっても 幸福な一瞬がすべてを帳消しにしてしまう。人は幸福なのだ。
742 :
神も仏も名無しさん :2013/03/23(土) 21:58:51.04 ID:G2PeB+qr
私はつまるところ生きているのが詰まらないから悟りを求めている。 人間関係も結局のところ人間なんてみな似たり寄ったりで、 多くの人とかかわりあってみたところで新たな発見などというものはない。 他人と付き合うよりも自分自身と付き合うほうが面白いと思うのだが、 それで悟りを開くことができるのかどうか最近疑問に思うことがある。
743 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 05:50:44.99 ID:8r2N66/L
>>742 あなたが悟りを得られないとして、誰も悟りなど得られないとして、
そこから来る虚無化や絶望感をあなたは抱き取れるだろうか?
ただそれとともに留まることは出来るだろうか?
もしあなたが真にそれとともに留まるのなら、ほんの数分でそれは消えるだろう。
だから消そうとせずに、それは我が物としてそれとともに留まってみるといいよ。
744 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 21:02:55.37 ID:cZtxLWDC
結局、どうしようもないんですかね。 ただ、生まれて歳とって何も分からないまま死ぬだけ?
745 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 21:56:46.57 ID:0YfNzw9S
@意識的に《私は思考する》と頭で10回くらいつぶやくように繰り返して下さい。 A今度は《思考する》というつぶやきをやめて下さい。 そしてつぶやきはやめても思考のささやかな波のようなものが残るはずなのでそれに気づくだけにしてください。 しかし思考に気づいているだけでは終わりがないので B思考の発生の場所で思考と気づきを分離して、気づきに気づくようにします。純粋な気づきです。 うまくいけば思考との同一化が終わって思考が別の得体の知れない生き物のように見えてきます。 その気づきをハートに持っていけばまた違った風に見えてくるはずです。
気づきをハートに持っていくとたとえばどんな風に見えてくるの?
747 :
神も仏も名無しさん :2013/03/24(日) 22:49:05.24 ID:0YfNzw9S
やってみて自分で体感してくださいよw というよりこの方法だけだと頭に血が上りやすいんでこの方法一辺倒はやめた方がいいですね。 クリシュナムルティみたく頭が割れるようなのになってくると悪いですから。 とうことで普通の呼吸法からのも書きますね。 まず 数息 簡単に吸う時は《吸う》 吐く時は《吐く》 と心で言いながら鼻で呼吸します。 そして1分ぐらいで随息に移行して 吸う時は吸う流れにただ気づく状態にします。 吐く時は吐く流れにただ気づく状態にします。 呼吸は数息と違って体に任せます。 ここでの要点は気づきの質を体感することです。 そして次に先程体感した気づきと呼吸を分離して、胸の当たりで気づきに気づく状態にします。呼吸のことは忘れます。 気づきの流れを気づきに向けるみたいな感覚です。 気づきに気づく状態にするのは気づきを安定した持続状態にもっていく為です。 ここで体に軽安の感覚が広がるはずです。 あとは自分で色々工夫してください。 最初にしっかり入り方の経路を作りあげればいつでもその状態に入れます。何が見えるってKの背中ぐらいは見えますよw
いや、気づきは自分なりに知ってるし、 ハートのことも自分なりに知ってるけど、 気づきに関してハートうんぬんがどうとかはKは言わないよね ハートの話自体しないし だから聞いたの で、気づきをハートに持っていくとたとえばどんな風に見えてくるの?
ハートの前に足に持っていた方が好いんじゃない?
750 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 04:12:16.21 ID:k4ti2SPC
>>748 >で、気づきをハートに持っていくとたとえばどんな風に見えてくるの?
貴美は罠にはまりっぱなしだ。
それを聞いたら思考がそれを記憶し、思考ででっち上げるぞ?
そこには真理も気づきもない。
それは単なる思考の構築物だ。
まだ解らないのかね?
どうなるか、人に聞かないことだ。
とにかく体験する以外はない。
外部から聞いた結果、知った結果は全て使いものにならないと知れ。
751 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 04:12:48.43 ID:k4ti2SPC
貴美× 君○
思考や記憶はただの思考や記憶だよ 真理や気づきとは全く関係ないよ 思考や記憶を自分だと同一視した場合、その同一視が問題になるけど、 思考や記憶は単なる思考や記憶だよ 人に聞かないほうがいいという人は、 素直に信じたり、聞いただけの情報を観念化してしまう性格なんだろうね 24時間いつでも目で見て耳で聞いて肌で感じて情報を得てるのに、 今さら、人から言葉で何の情報を聞いても一緒でしょ 同一視する人間は生じてる感覚を常に自分と同一視してしまってるし、 そうそうしない人間は人から何か聞いたぐらいではしないでしょうに
753 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 10:51:01.88 ID:uZm5uPC6
クリシュナムルティは、ゴールでは無く、通過点でしょう。 通過点でもがいて、どうするのですか? クリシュナムルティの言葉の内に留まりたいか、 通過するか、選択でしょう。 クリシュナムルティを引用して理論武装して、 ハートが足に向かい、実際に貴方が働いて 人間の義務を果たせばいい。クリシュナムルティに 関係なく、人間の義務は年金の払いをして、 貯金をして、自分の親に孫を見せるのが、 ハートの実践。気づきが生き方に影響ないなら 意味はありません。リストラされないように 仕事をしましょう。
754 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 11:47:44.41 ID:lYPaYWCE
一方では「感覚と自分を同一視するのを止めることが瞑想だ」と言う人がでいて、 他方では、「感覚とは別の感覚する自分が存在するという迷妄から覚めるのが瞑想だ」 と言う人がいる。これは「瞑想」をどう言葉で表現するかのレベルの違い? それとも、二人が言っている「瞑想」が別のものなのか?
755 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 13:08:39.33 ID:GK2Mb6iw
まあクリシュナムルティの瞑想だと 単純に思考を挟まずに気づき続けること が瞑想ということになるんだろうけど
756 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 14:45:53.18 ID:lYPaYWCE
1.どうやら「悟り」というスゴいものがあるらしい。 2.だったら、自分も悟りたい。どうしたらいい? 3.すでに悟っている人の話を聞き、理解すると悟れそう。 4.ふむふむ。で、悟ってるのは誰だ。 5.まだ悟っていいない私には、誰が悟っているのか分からないぞ。 6.Kって人が悟っているらしい。他の悟っているらしい人がそう言っているし。 7.Kによれば、・・・は役に立たず、・・・だけすればいいそうだ。ふむふむ。 8.でも、Kは実は・・・・・・な人だったらしい。 9.え〜っ! この人の言うこと信じて大丈夫なの? それで悟り開けんの?
757 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 14:52:05.06 ID:lYPaYWCE
ソンシを信じ続けるか、ジョーユーについていくか、 で迷ってる元オウム信者とまったくおんなじじゃね〜かw
758 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 15:57:53.36 ID:OtC7Ir/4
>>757 坐禅したがる人やあらゆる宗教信者も一緒でしょう
759 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 16:09:27.44 ID:lYPaYWCE
ザゼンもしたことないし、宗教も真面目に信じたことないので分からんが、 「悟る」を「救われる」とかに置き換えればそうなのかな。
760 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 17:56:10.59 ID:OtC7Ir/4
「悟る」「救われる」術を知ってる人に追随するって点では同じだと思います。 クリシュナムルティ本人も6〜9の自分自身の自我の問題を観尽くして解決せずに 自分好みの悟る為のテクニックや宗教、権威者に追随する人間心理についても たしか言及していたような
761 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 18:10:57.52 ID:Wi1dYsQE
「私を信じなさい」って言うと、騙されそうだと警戒する奴らも、 「私を信じてはいけない」とか言ってやると、ころっと信じてしまう。 馬鹿騙すのは簡単だわ、とか笑ってたりして。
762 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 18:39:15.82 ID:uZm5uPC6
結局、自己選択なんですよね。 クリシュナムルティの言葉を引用して安心も。 クリシュナムルティに反対して他を探すも。 その時間と浪費とは全て、自己選択して、 自分で責任を引き受けて行く。 一番判るのは、あの人は、もうこの世に居ない。 残した教えを勉強して行くも、離れるも、非難も 本人には、何の関係が無いと言うのは、ひとつの気づきですよね。 一般人の感覚では、クリシュナムルティは誰と言う、レベルです。
>>754 違う部分もあるけどその二つは大体同じことだよ
視点の持ち方、どこの視点から語るかで状態や言い方が変わるだけ
簡単に言えば、全てを否定するか、全てを肯定するかの違い
その二つは結局同じになる
全て自分ではないも、全て自分だも、どちらも自他がなくなって同じになるように
764 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 19:35:04.53 ID:uZm5uPC6
結局、結論は、自分とクリシュナムルティの付き合い方。 結局、クリシュナムルティの著作全てを、もし本人に 見せても、案外自分と関係が無い位言うかもね。 実際、この世の中で整合の取れた人間と著作の整合など 不可能でしょう。場所や時代のTPOあるでしょうし。 ひとつの気づきで、クリシュナムルティで人生を無駄にしたか、 有効だった事は、クリシュナムルティに関係が無い。 この世に居ないからね。自己選択で、「責任取ってよ」と 言うても、「貴方の選択でしょう、」で終わりでしょう。 無執着説いたはずですし。 「嫌なら辞めれば良いでしょう、」で終わりでしょう。
765 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 20:34:29.67 ID:lYPaYWCE
信じるか信じないか、流行の「自己責任」でどっちかに賭けろってこと? 宗教一般ならそれも分かるけど、Kってそういう信仰を批判してない?
766 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 21:19:28.18 ID:uZm5uPC6
クリシュナムルティはひとつの鏡なんですよ。 鏡の前に来て、覗く人の姿そのものを写し 70億人来たら、70億の姿でしょう。 鏡自体の働きは映すこと。鏡に善悪はありません。 だから、誤魔化すと言う意味でなく、クリシュナムルティ に留まりたい人には意味があっても、留まらないけど クリシュナムルティを素直に尊敬する人は Kが、そういう信仰を批判してしいるか、いないか どうでも良いこと。 それは、クリシュナムルティの否定とは関係 無いでしょう。 究極自己責任ですよ。 貴方の人生ですから。私もクリシュナムルティも 替われないでしょう?
767 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 21:53:42.77 ID:lYPaYWCE
クリシュナムルティ鏡に映った自分の姿にうっとり、ですか? はぁw
768 :
神も仏も名無しさん :2013/03/25(月) 21:59:05.87 ID:xl7cA5uq
>>765 良き色を好み、悪臭を憎むようにする。
理屈をつけて悪臭を好むから心と体がバラバラになり迷う
769 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 11:17:19.83 ID:QbtuTUhQ
>>764 クリシュナムルティを信じる信じないというよりも、
精神世界で一般に言われている「悟り」というものが本当にあるのかどうかということなんだよね、私にとっては。
クリシュナムルティのように真理を説いているように見えても当の本人はただの俗物だったりすると、
説いている内容が驚嘆にあたいするものだけに「悟り」の存在それ自体を疑ってしまう。
770 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 11:36:40.00 ID:QbtuTUhQ
そもそも「真理」というもの自体が人間の産物かもしれないよ。 ある惑星に知的生命体が存在しないとして、その惑星に「真理」というものがあるのかと問われれば、 私は「ない」と答える。 地球についても同様で、ここに人間がいるから「真理」が問題になる。 つまり、「真理」というものは人間(思考する主体)の存在が前提になっているんだよ。
「意味・真理・存在」
772 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 11:50:22.57 ID:ens5gXcJ
773 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 12:08:18.43 ID:6adNh7gI
>>769 悟りっていうのも、極楽浄土とかと同じように、
俗人の想像力が生み出した幻なのかもね。
まだ死んでいない奴が死後の極楽を夢見、
まだ悟っていない奴が「悟り」を夢見る。
774 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 12:16:46.75 ID:6adNh7gI
ところで、クリシュナムルティの「教え」を実践して、 すべての問題が根本的に消滅した奴って一人でもいるのかな? いないとすれば、ただの言葉、絵に描いた餅だったんだろ?
>すべての問題が根本的に消滅した奴 そんな人は、人類史上唯の一人もいないよ。
776 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 12:53:11.65 ID:ICc1PDq+
>>774 、
> すべての問題が根本的に消滅した奴って一人でもいるのかな?
いるかいないのか70億人の中で分からないでしょうね
仮にいても表に出ずに生きて死ねば全くわからない。
結局、クリシュナムルティの「教え」を正しいと思う人は実践した生活を送る
そうでない人はそれぞれの信条の中で生きて往くということになるのでは。
777 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 13:08:14.66 ID:6joLMxdc
クリ臭ナムルニート
778 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 13:13:53.99 ID:6adNh7gI
でも、クリシュナムルティは「ず〜と実践し続ければきっといつか・・・」 みたいな信念を自己欺瞞として否定して、「瞬時の根本的な解決」でなきゃ 何も変わらんみたいなこと言ってるじゃん。
>>778 でも、言っている本人が自分のことを棚に上げているよね。
780 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 13:26:19.40 ID:6adNh7gI
>>779 それはよく分からん。
Kが「より優れたもの」になろうと努力していたようには、
私には見えない。それよりは、良し悪しは別にして、
一般人が持つ通常の反省能力が先天的に欠けていたような感じ。
「そう言ってる俺はどうなのさ?」とかの自問が皆無のよう。
782 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 13:33:54.31 ID:ICc1PDq+
説法する人間によくあること。 よく陥る状態と言ったほうがいいかもしれない。 禅の管長老師も提唱や説法の内容と行履を良く知る身近な名者は ギャップに言葉を失う。
>>780 クリシュナムルティはチャネラーだったんでしょう。
チャネラーなら言っていることとその人格が別物でも不思議はない。
私はむしろチャネラーを通して語るその存在自体を怪しむ。
>>781 自分にしか問いかけて無かったのなら、
おもてに出ずにただ自問自答していればよかったのではないかな。
785 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 14:01:01.74 ID:6adNh7gI
Kがふつうの意味での「自分に問いかける」タイプだったとは 私にはまったく思えないな。
786 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 14:15:52.71 ID:ens5gXcJ
クリシュナムルティの教説自体、嫌いな奴から見たらカルトかも知れんが「私は何も信じない」とか明言して 色々な怪しいカルトへの防波堤になった役割は評価すべき クリシュナムルティ読んでおけばカルトへの強力な免疫がつくのは確か
787 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 14:48:07.26 ID:6adNh7gI
教説はカルト臭くないが、伝記的なもの読むと弩級カルトw
788 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 16:04:19.47 ID:nzuDWK/P
聖白色同胞団の準備した期待の星 (キリッ
しかし禅では仏にあっては仏を殺せとかいうし、 ブッダも、自分の臨終を嘆く弟子に対して叱り、 自己と法のみを拠り所とせよ、と、、、。 キリストはまあ、神を信じよといったわけだけど、それは逆説的にいえば 時代的に絶対的だった律法や親や自分すら捨てよという放下着の表現で。 クリシュナムルティが信じるな、といっても、あんがいありふれたものだと思うけどな・・・ 信じるなと、いいながら講演ばっかりして美味しいご飯を食べてたわけだし。
790 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 16:19:10.09 ID:ICc1PDq+
>>789 > クリシュナムルティが信じるな、といっても、だと思うけどな・・・
さすがに著書を一冊でも読めば、すべての宗教上の権威の否定で
あんがいありふれたものではないことはすぐ解るはず。
「悟りは妄想」という流れになってきていますが、もしそうだとすると お釈迦様やキリスト様が伝えてきた教えというのは単なる道徳ということになって 守らなくてもいいやという破戒人が出てくると思うのですが… いくらKでもそりゃないだろうと思う
792 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 17:12:57.74 ID:6adNh7gI
いや、「悟り」なるものが実際あったって、 俺そんなもんいらねえよと言う人は出てくるので、 その点では同じようなもんじゃね
けど、俺賢くなりたいんです お釈迦様のように インドの聖者を超えたやる気に満ち溢れたそんな力が欲しいです 魔法やおまじないの類を論破してみたいんです もうバカだバカだ思いたくないんです
794 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 17:44:59.64 ID:6adNh7gI
そんなことここで言われたってw
795 :
神も仏も名無しさん :2013/03/26(火) 19:22:51.60 ID:6adNh7gI
本で読んだり人から聞いたりしたことの受け売りで、バカを隠して、 自分を偉そうに見せる際、ソースの選択を誤ると「何こいつあんなの 信じてんだ、情弱w」とか馬鹿にされてしまう。スピリチュアル関係で その心配が比較的少ないと考えられてきたクリシュナムルティだったが、 暴露本が出されるなど、雲行きが怪しくなってきた。安心して引用・ 知ったかぶりができる新たなソースが求められているw
一気に話が飛ぶけど、今の科学技術が信頼できるか? 福島第一原発事故のようなのが起きても大半の人間は「放射能って何?」だ こんな状況で原発みたいなのを稼動させていたのもアレだが そもそも原理が完全に分からなくて人体を守れない技術をよくもまあ惜しげも無く披露していたものだ エジソンはそんなときどうしていたのか? アインシュタインはどう思っていた? そういうところまでみて「これからはエジソン(レオナルド・ダ・ヴィンチ)以上の画期的な発明をしなければならない」 という危機感もなければ駄目なんじゃないか ipadのスティーブンジョブズが「画期的な発明をした」かのように見えるけど あれってノートパソコンで画面を透明なタッチパネルにして本が読めるってだけだから あれが世紀の大発明に見えるならKの書籍より、世界の偉人伝全集をもう一度読み直した方がいいぜって思うよ だから「俺はバカだ」って発言をしたわけだ みんなだってバカのままでいたくないだろ?
797 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 06:02:23.91 ID:6ZAuRIi2
もうgdgdになってきたなw 説明すると何万言も言えるし、クリはそれをやったんだが、 いくら説明しても埒が明かないんだ。 だからクリは最後に「教えてもアカンかった」と言わざるを得なかった。 そりゃそうだ。ヤツは言い過ぎた。 頼むから騙されたと思って「思考を観察」してみてくれ。 思考を眺める、思考を見張る、でも何でもいいから。 ただ思考に気づくんだよ。 思考に気づくと即座に思考との同一化が緩む。 変化するんだ。 すると途端に「意識が鮮明になり気分が良くなる」。 これは約束できる。 思考に気づく生活をやっていると自分のあり方そのものが勝手に変わる。 勝手ってのがポイントだ。 つまりでっち上げていないんだ。 でっち上げは無意識の思考によって行われ、それを意識的な思考が 更にでっち上げに輪を掛けるんだ。 自分は馬鹿だと思っている、故に馬鹿で居たくないのだ。 馬鹿で居たくないから馬鹿から脱却するためにはどうすればいいのか、 と思考を使ってやるわけだ。 このとき前提になっているのは「馬鹿な自分」なのであり、 これを前提にしている限り、いくら思考で演算を繰り返しても依然、 「馬鹿な自分」は覆せないんだよ。
798 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 06:02:55.54 ID:6ZAuRIi2
思考を観察することが解らない人は初手はこうやるといい。
何かを無意識に考えていることに直後気づけたとする。
そのとき「〜と考えている(た)」と自認する。
これを暫くやってみる。
こうやって無意識的な思考を徐々に意識化させるこれができる。
慣れてくればただ思考に気づくようにする。
思考に気づくことを行う動機は「心地よいから」で十分だ。
或いは「思考に巻き込まれると苦しみから」でもおkだ。
悟りだの何だの、そんな観念は捨てちまえ。
そんな議論を千年gdgdやっても何にもなりゃしない。
クリの言葉に引っかかるならクリ本など捨てちまえ。
んなもんゴミだゴミ。
空海が最澄に与えた手紙がある。
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/KuukaiSaichou/KuukaiSaichou.htm これもゴミだが参考になるから読み捨ててくれ。
実践だけが命だってことが解る。
最高の道具を持ってても使わなければ意味が無い。
最高の彼女と付き合ってても睦みあい愛しあわなければ意味が無い。
色んな言葉を知っててもそれを実践しなければ意味が無い。
そういうことだ。
絵に描いた餅は永遠に食えない。
つべこべ言わずに思考に気づいてみてくれ。
効能は即座に解るぜ。
799 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 06:07:10.92 ID:6ZAuRIi2
訂正 「思考に巻き込まれると苦しみから」× 「思考に巻き込まれると苦しいから」○ 一気に書いちまったので他にもミスがあると思う。 勘弁な。
>>797 思考を観察していると、観察していることさえいつのまにか忘れて、怒涛のごとく溢れている状態になっていることに気づきますね。
普段からこういう状態なんでしょう。
今年から瞑想を始めて、最近は肩の力がよく抜けるようになりました。
801 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 08:15:28.83 ID:6ZAuRIi2
>>800 思考は概念であり、言語ですが、思考を観察しているとそのうち概念以前の動きに気づけます。
ここで思考との同一化が外れます。
確かクリもこれに言及していましたね。
瞑想は良いレッスンになります。
要は一切何もせず、ただ全面的に感受することです。
つまり全ての抵抗を解除することです。
実はこの抵抗、つまり心的ディフェンスが「恩寵」を閉ざしているんです。
一切は「恩寵」でしかなく、「恩寵」はいつもあり、ただあるもので、得ることも勝ち取ることも出来ない、
つまり無条件に我々とともにあるのですが、思考との同一化による苦痛、苦悩、心配や後悔、
不安や恐れがこれを塞ぐのです。
これが理解できればクリのみならず、様々な存在が齎すコメントが見えてきます。
クリのコメントも、宇宙人イタコのワクワクも、ほっとするも引き寄せも、指し示すところは同じなのです。
802 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 08:33:03.17 ID:6ZAuRIi2
>>800 あとこれを参考にしてください。
>>697 思考を観察すると思考はその動きを和らげるものです。
もし観察していて思考が暴れまわるようなら、それは思考を思考が判断しています。
その時は判断している思考を注視するのです。
803 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 08:42:19.97 ID:6ZAuRIi2
何故観察(注視/意識/気づき)を行うと思考は和らぐのか。 意識することはつまり愛することと同じだからです。 感じることも愛することです。 意識すること、気づくことにより、愛がそれを包括するんです。 判断はそれそのものを癒したり変容させることは出来ません。 癒し、変容させることが出来るのは愛だけです。 ですから安心して観察し、注視し、気づき、意識してください。
思考の観察って、普通にヴィパッサナ瞑想やん。 カバットジンの本一冊読めば済む。
エックハルト・トールとかね。そっちのほうがわかりやすい。 クリシュナムルティより親切だし、本人も「教えても無駄だった」とか くだらないことは言わないでリラックスしてる。
そういえば、大野純一さんがケン・ウィルバーの本のあとがきで、 エックハルト・トールに言及してたね。 「トーレ」になってたが。
807 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 10:44:53.45 ID:CW7kn7fh
自分の思考を観察するのに、なぜ××だの○○だのの本が要るのさ? それ読まないと、観察できないわけ?
808 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 13:25:10.62 ID:9iPdY+Ip
その類の本を読まなかったら思考を観察することにすら気づかなかったし 読めばモチベーションもあがるからな みんながみんな君のように本も読むことなしに、思考を観察したり瞑想できたりしないんだよ
809 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 13:32:04.39 ID:CW7kn7fh
俺も本とか読むに決まってんだろ。2chさえ読むってのにw 自己観察って「自己観察すれば、悟りが開けるんだ。よっしゃ、観察するぞぉ」 みたいにできるもんか? 「観察すると○○になって・・・」みたいな 暗示にかかって、歪みのない観察とは程遠い条件付けられた想像に陥るんじゃね?
人による 人によるということも観察してわかったほうがいいかもね 自分にある尺度で他人を計ろうとしてしまう観念とかね
811 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 13:59:42.46 ID:9iPdY+Ip
思考を観察するっていう時点で思考と観察者が癒着してるんだよな。 思考にまわるエネルギーが全部観察に回ってはじめて限定のない気づきが可能になるんだから、 感覚や思考の元栓の閉め方を教ないで観察観察いうのは教説に不備がある。 自動的に流れがとまると言えば止まるんだが、それって無意識に勘のいい奴がそっと自分の気づかない所で元栓閉めてるだけの話。 止と観を兼備してない教えだと凡人には観察だけじゃ無理だな。 歪むのは感覚と思考であって観察自体は歪まんはず。 ただ観察対象に制限はないのに本の影響で思考を観察すればいいとか限定されてしまう場合はあるかと思う。
812 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 14:18:00.39 ID:CW7kn7fh
元栓の閉め方教えてくれよ
813 :
神も仏も名無しさん :2013/03/27(水) 17:19:42.98 ID:9iPdY+Ip
オナニーするだろ。 その際にこの世から摩擦刺激が生み出す快感以外なくなるような状態が凡人が唯一到達できてる制感の状態だ。 このような状態をオナニーしないでもってくるのが、止だよ。 一点集中のシャマタ瞑想だ。 何かの対象に集中してる状態では、対象と自分が二つある、 どれだけやっても主体と客体は分裂したままだ。 ある程度対象に集中したら、自分の集中した状態に集中すればいい。 多分それなりに思考の観察してればできてるんだろうが、集中の状態を強烈に身につければ、 エネルギーが思考に行く余裕がなくなる。 そうすれば思考を観察しようとしても思考が浮かばなくなる道理となる。 wikiにだってヴィパッサナ瞑想をする条件は少なくとも初禅に入ってるとある。 しかし初禅は尋と伺つまり思考が残ってる状態だからここら辺で観察すると思考の観察云々になる。 そこからさらに入って二禅になると尋と伺つまり思考が消えた状態だからここら辺でやれば思考の観察云々はナンセンスとなる。
>>803 ですから安心して・・・
これをKは頑なに言わなかったな。
理由は明白ではあるがスパルタ教師だと思うw
815 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 00:42:14.61 ID:1vzRzKTZ
> 意識すること、気づくことにより、愛がそれを包括するんです。 これ、必ずそうですか? 何か前提がありませんか?
816 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 02:08:08.04 ID:oRP9mwTM
>>815 やってごらんになれば解る。
試しに今、全身を意識してみてください。
意識を全的に(クリ翻訳表現w)身体に置き、身体を意識し、それとともに居てみる。
そのとき何を感じるか、それが答えです。
817 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 02:16:57.98 ID:oRP9mwTM
>>812 元栓は今に居ることだ。
今、この瞬間は思考が湧かない。
今、この瞬間から移ろうとき思考が湧く。
それを見てみて。
そこから観察が出来る。
私の場合、思考に巻き込まれてんなぁ、と気づいたときは
いつも先ず今に意識を置くことから始めてるよ。
今に居る方法などないんだが、解らなければ今見えているモノ、
パソコンでも携帯でも何でも良いからそれとともに今に留まることだ。
これは感情でも気分でも身体でもなんでもいい。
それとともに留まれば今に居ることになる。
今と言っても過去未来の間の今ではない。
ずっと今の今だよ。
818 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 02:47:28.40 ID:1vzRzKTZ
>>816 むかしはたしかに意識に愛があったときもあるのだが、今はない。
だからたずねている。
819 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 02:58:45.59 ID:oRP9mwTM
>>818 愛はあったりなかったりするものではない。
そして意識することや気づきは愛でしかない。
恐らく君の場合は意識するのではなく、判断しているのだろう。
ただこんなことはある。
意識したとき、不快感を覚えることがある。
これはあなたの壁になっている錯覚からくる分離感だ。
虚無感や退屈感、孤独感、憂鬱な感じがそれだ。
ここは敢えてそれを無視するのではなく、寧ろ迎え入れるつもりで
それを感じてみることだよ。
感じることが愛の出番となる。
これらとともにひとつになってただ感じ、共に留まればスポッと穴が開く。
その穴からそれらが崩れ去ってゆく。
この体験でこれらの不快感が「フェイク/ブラフ」つまり実体のないものだということが解る。
そんな虚構から逃げていたのだと気づくことが出来る。
すると俄然自由になる。
821 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 05:07:04.76 ID:oRP9mwTM
>>820 それを最初に紹介したのは私だが、すごく面白かった。
クリシュナムルティが癲癇だったってのはありうるだろうね。
はたまた二重人格だった可能性もある。
私の場合はクリシュナムルティに散々苦しめられたクチなので、ある意味痛快だったよ。
恐らく彼は受信機として存在したのだろう。
しかし全て純粋な受信ではなく、たまに彼のエゴを絡ませていた。
そのエゴが教えを聞く者のエゴを徹底的に攻撃した。
エゴを攻撃するのは常にエゴであることが解ればそれを濾過できるが、
濾過できない場合はそれを真に受ける。
ここが彼のコメントを解りにくくした要因だと見ている。
822 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 05:14:47.08 ID:AFcwE/ZN
いや その暴露本自体は数年前から知ってる。 こういうのは宗教上の悟った人とかにもあること(ヨガ、禅等) クリシュナムルティを通して働いた叡智がやはりありそうだとの思いも改めて持ったし 何よりグルや宗教上の権威者にされることを嫌がり、各個人が自立することを促がしていた クリシュナムルティ本人も喜んでいるんじゃないかと思った。
823 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 05:23:05.17 ID:AFcwE/ZN
>>821 > 恐らく彼は受信機として存在したのだろう。
そうですね。
> しかし全て純粋な受信ではなく、たまに彼のエゴを絡ませていた。
> そのエゴが教えを聞く者のエゴを徹底的に攻撃した。
> エゴを攻撃するのは常にエゴであることが解ればそれを濾過できるが、
> 濾過できない場合はそれを真に受ける。
> ここが彼のコメントを解りにくくした要因だと見ている。
なるほど。
受信機として役割をはたしつつ、ある程度真理と云うものや背景にあるオカルト的なものを
クリシュナムルティもある程度知っているようにも見えますね。
824 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 05:31:42.21 ID:oRP9mwTM
>>823 あのプロセスって言うヤツ?あれはオカルトですよね普通にw
脳に外科的手術を受けるってところもw
受信チップでも埋められたのかとw
しかしプロセスする時は必ず美しい女性を必要とするってあたりは逆に美しくさえ感じましたよw
うらやましいかぎりです(爆)
825 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 13:39:44.23 ID:1vzRzKTZ
> 恐らく君の場合は意識するのではなく、判断しているのだろう。 では、こう言い換えましょう。以前は「感じる」ことができた、 より正確に言えば何もしないでいるとそれが生じたのに、 いつのまにかそれが生じなくなってしまったようなのです。
826 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 23:13:56.46 ID:oRP9mwTM
>>825 じゃあこんなことをしてみてくれ。
今PCをシャットダウンする。
携帯なら置く。
そのまま座って何もしないで居る。
そのとき何を感じるかを感じる。
退屈感、焦燥感、孤独感、イライラがあるかもしれない。
感じられるものに名づけることもなくそれらを感じつつ暫く共に居るんだ。
ただ感じることだけに意識を置く。
何も感じないのなら何も感じないことを感じる。
それを感じつつ、それがどんな動きをするかを観察する。
正直に感じるんだ。
精神のエラーチェックだと思えば良い。
不良セクタを修復するのは「感じる」ことを通して行われる。
このとき修復しようなど思う必要は全くない。
このときあなたは全く逃避していない。
徐々にその嫌な感じが変化し、薄れてくる。
暫くすると必ずこう感じるだろう。
「おお、これはイイ!」って。
イイ!と感じるその感じは恩寵のひとつだ。
恩寵はいつもあり、抵抗しなければ自動的に感じられるものだ。
折々にこれをやってみることだよ。
827 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 23:29:04.77 ID:1vzRzKTZ
>>826 いや、それが、上手くいかないようなんだよ。以前にそうなったように、
また「徐々にその嫌な感じが変化し・・・」が起こることを期待してしまう。
多分その期待があるために、それが起こらない、んじゃないかと思う。
変化を起こそうとしたり、期待したりすることは、逃避だから。
828 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 23:33:39.12 ID:oRP9mwTM
829 :
神も仏も名無しさん :2013/03/28(木) 23:57:01.52 ID:1vzRzKTZ
w
830 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 00:16:57.36 ID:L31gy/R1
どの本だか忘れたけど、美しい夕日を見て感動して、 翌日もまた感動したくなって夕日を見に行くと、 その期待が邪魔になって感動できない、みたいな話を クリシュナムルティも書いてたじゃないですか。 笑いごとじゃないですよ、これ。
諸行無常、人の心情も固定は出来ないでしょう。 さすがに昨日みた「禁じられた遊び」で今日も泣けるか?
832 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 09:43:57.63 ID:BA/6xcLP
毎日ごはん食べても飽きないだろ。だから概ね固定できるよ。
833 :
神も仏も名無しさん :2013/03/29(金) 13:24:18.40 ID:L31gy/R1
しばらくの間は、じゃないか?
思考が真理を探究するが、思考に真理は見出せない。 一方、思考しない動物に真理はない。 結局、真理というものははじめからなくて、思考が真理の探究ごっこをしているだけなのではないか?
真理というか秩序というものが自然にはあって 思考によって秩序を乱しているだけではないかと思う。
だけど思考しない人間なんていないよね。 便利な道具だと思えばいいんじゃないの。箸、車、カレンダー、メガネみたいな
837 :
神も仏も名無しさん :2013/03/31(日) 12:34:06.59 ID:Hh9COYjy
Kの「真理」の使い方は独特だと思う。「真に存在するもの」みたいな感じ。
838 :
828 :2013/04/02(火) 20:57:39.97 ID:KYXsj/ff
人間が「神」という人格神を創造したのと同様に、 我々も「真理」という人格を持たない「神」を創造しているだけではなかろうか。
「創造しているだけ」 だけとは? そうではない。本気で創造しているのだ。
>>838 827じゃないが参考になった。ありがとう。
>>840 「真理」はすでにあるものであって、人間が創造するものではない。
私が言いたいのは、自我が「神」がいると思っているのと同様、
「真理」なるものがあると思っているだけなのかも知れないということだ。
「真理」の存在に懐疑的になった今、自分が俗物であることに気づいてしまった。 私は真理を夢見る「俗物」だったのだ。 夢を捨てたらどうにもならない俗物性だけが残った。
844 :
神も仏も名無しさん :2013/04/07(日) 20:09:44.42 ID:AXOdSx7J
ではなぜ自分が俗物だと判断し気づいている者に気づかないのか? それもまた俗物なのでしょうか?
ていうか、真理の対立概念が俗だとするなら、真理がなくなれば俗もなくなるんじゃないか。 しかし不毛な議論だな。 「真理はないのではないか」なんて、まさしく思考の遊びだよ。
>>845 真理に関する議論は、その有無も含めて全て不毛、思考遊びだ。
>>844 自分の中が聖なる者と俗なる者に分裂していて、聖なる者が真理を求めている。
だが、私はこの分裂状態自体を奇異に思っていて、
分裂状態を前提にした真理の探求をいくら続けてもなにものにも到達しないのではないかと思っている。
聖なる者はすでに真理の実現者であって何も欠けるこなく、 何も求めることもなくそれ自体に於いて充ちたりたもののはずです。 聖なる者が真理を求めているのでなく、求めているのは俗なる者なのではないですか? それは黄金の仏陀像のように真理という名のメッキをかけることを求めているんじゃないですか? 分裂状態は実際にそうなんでしょうが、問題は 真理を求める者、救済を求める者が実は最大の障害者であり、それが殺されるべきものだということです。真理を実現していない可哀相で俗なる自分に執着するのは当然ですが、救われるべき自分が死ねばあとは聖なる者だけが残ります。 あなたのやろうとしているのは俗なる者に立脚して聖なる者を殺そうとしているじゃないですか? 聖なる者に立脚して救いだとか真理だとかを求める者を殺せば探求は終了です。 論理的には以上のことなのですが、実際には常に聖なる者に意識を向けることです。 例えばそれは瞑想することであり、俗なるものに気づくことであり、神の名を唱えるようなジャパであったりします。 それ以上のことは聖なる者が色々と燃え広がる炎のように導くはずですよ。
最後の四行だけでいいような・・・ 宗教板は大体前半で終わるから、まあ意義のあるレスだと思うけど
随分昔の話だが、自我と思しきものが剥がれるという経験をしたことがある。 心を覆っていた殻のようなものにメリメリとヒビが入りその殻が剥がれ落ち、胸の奥から光が現れた。 その光の中に個としての自分はなかったように記憶している。 矛盾する表現かも知れないが、「本当の自分」は自我ではないのではないかと思う。 私にとって「自我」とは心の奥にある光を覆っている殻だ。
そういうのは物語的な体験だろ。俺もよくある。あまりにもリアルなので 勘違いしてしまうが、実は空想だ。 昨日20kほど走って足が熱っぽくなって、櫛で足をそいだら血を吸って 丸くなったイエダニが20匹も落ちた。半パンで走るのはヤバイなSFTFウイルス感染 したらどうしようとおもって本気で心配したのだが、正確にはそれは夢だった。 でも本当にリアルだったよ。多分疲れ具合で眠りへの入り方が異常だった所為だと思うが 完全にリアルな状態だった。いまでも現実に起ったことのような感じだ。
852 :
神も仏も名無しさん :2013/05/17(金) 16:35:16.14 ID:sdRlbDw3
クオンタム・エントレイメント
明晰夢と自我が落ちる体験は違うよ 確かに同じような感じだし、明晰夢は脳内の出来事だから、 むしろ現実より数倍リアリティがあったりする 頭の後ろまで360度見えたりするし でも明晰夢は脳内の擬似肉体の五感であって実際の肉体の五感を使ってないし、 日常において自我が落ちるときはちゃんと肉体の感覚もあるし、 その感覚がそのままありながら、明晰夢のように今までとは全く別物になっている
まあでも、夢の中で夢だと気づいてないのなら、明晰夢でもないかな 明晰夢は眠ってるともいえるし、夢だとわかってるのでいつでも起きられるし
855 :
神も仏も名無しさん :2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:31A6Oj6P
、 , ( ・ω・) ホー レ,, ,,ノ
856 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:MyNaG8eV
ほっとすること。ただそれだけでいい。
857 :
神も仏も名無しさん :2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:SSvKf6pq
今の状態が既にいじくってる状態 悟りはいじくる前の状態に戻ること、リセット
858 :
神も仏も名無しさん :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:UzeKl6vC
.
860 :
神も仏も名無しさん :2013/10/19(土) 20:20:02.61 ID:dYhFW2fi
思考の観察って言われていざ観察を始めたらどれが思考かわからないんだが・・・ 内語はわかる、痒いとかの肉体感覚もわかる、感情もわかる、 イメージもわかる、しかしどれが思考かわからない、 例えば観察しようという姿勢のようなものがあるのはわかる、 これは思考か?見張る感覚とでも言うのか。
861 :
神も仏も名無しさん :2013/10/19(土) 20:32:35.25 ID:icU6gDHs
で、多分感覚したり意識した時点でそれは思考だから 全部観察対象なんでしょうね。
結局脳の病気なのか?
若いころすごくイケメンでしたね
864 :
神も仏も名無しさん :2013/11/14(木) 23:20:06.05 ID:0/zYBUZl
いきなりすいません。質問なんですが アートとしての教育と学校への手紙って同じ本からの翻訳ですか?
865 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 20:40:56.55 ID:tnc1+zJr
866 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 22:59:12.56 ID:sJN35e9Q
ベラモンジュウの奇跡しってる? まだ早いかなw
1
グレート・ホワイト・ブラザーフッド
870 :
神も仏も名無しさん :2013/12/04(水) 14:45:27.21 ID:fuIaH4da
同朋団の送り込んだエース
871 :
神も仏も名無しさん :2013/12/07(土) 23:24:41.03 ID:OZ4V2I7x
山川紘矢さんもグレート・ホワイト・ブラザーフッドの一員なんだろうね
872 :
神も仏も名無しさん :2013/12/10(火) 12:24:26.01 ID:HVOelRmG
にもととィテルムナュシリク
873 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 18:38:25.26 ID:NltWrVNW
ますたーじゅわるかる じゅわるかるホーミングレエザアアアアアーーー! K「とるに足らないことを」(肩をすくめる) 命中 K「ぎゃああああああああっ」(刻々の体験)
874 :
神も仏も名無しさん :2014/05/04(日) 11:54:16.88 ID:VK6fbkpj
あげ
>>848 あなたは俗なるものは無価値で消去すべきだというのですか
クリシュナさんはそんなわしに語りかけてたんじゃないんですか
>>860 思考は計算すること、結果を考えること、未来を考えること
生物が生き残るために身に着けたこの能力すべてなんじゃないですかね
たぶん結果を考えた行動、たとえば細胞が取り入れるか、排出するか?
を判断したらそれはすでに思考なんじゃないかと思うんです
877 :
神も仏も名無しさん :2014/05/12(月) 12:01:19.67 ID:9dChFgTh
クリシュナムルティ1895年の本日が誕生日
878 :
神も仏も名無しさん :2014/05/16(金) 12:01:21.10 ID:cJOHF9r+
クリシュナムルティ2号出動!!!!!
>>876 思考は計算することですか。
思考とは何ですか。
あなたは何者ですか。
何故あなたはいるのですか。
879 :
神も仏も名無しさん :2014/05/16(金) 12:04:28.86 ID:cJOHF9r+
クリシュナムルティ2号出動!!!!!
>>875 あなたは俗なるものなのですか。
私は語りかけています。
上に昇るのです。
俗なるものは無価値ではありません。
事実を見なさい。
事実は残り続けます。
880 :
876、875 :2014/05/16(金) 18:35:27.98 ID:xF3FwAvm
思考とは結果を考えることなんじゃないですか? わしは人間です 生きていたいからですね わしは俗人ですね 無価値とはいってないですよ わしらが見ているものは妄想も含めて この世にある現実でしょう
881 :
神も仏も名無しさん :2014/05/17(土) 21:18:44.63 ID:GXxrx7UI
クリシュナムルティ2号出動!!!!!
>>880 思考とは事実を求めることです。
あなたは人間です。
確かに人間です。
882 :
神も仏も名無しさん :2014/06/21(土) 18:54:22.23 ID:5jCOSYyv
保守
>>880 > 思考とは結果を考えることなんじゃないですか?
そうだと思います
884 :
神も仏も名無しさん :2014/10/08(水) 00:43:15.27 ID:R4emRwCA
保守
885 :
神も仏も名無しさん :2014/11/12(水) 20:25:47.72 ID:06aV/pCJ
クリさんよ。 あンたのおかげで、なんとかなりそうだぜ。 あンたが反伝統主義のハレンチ指導者だったとしても、 俺とあンたはズッ友だぜ! 自己の変容(笑)
886 :
神も仏も名無しさん :
2015/02/17(火) 05:21:19.38 ID:81XHk+AY 1986年2月17日の午前0時10分に死去。