人いないの?
3 :
名無しさん@3周年:2006/08/17(木) 10:58:39 ID:kcqsU6O8
とうとうEOスレ立ったか。
googleのキャッシュで読める過去スレもすぐにDat落ちしてるんだよな
殺伐とした救いがない教義だからかね〜
禅修業なんて辛くてやってらんね ^竸ってのが不人気な理由やろな
5 :
名無しさん@3周年:2006/08/20(日) 16:45:30 ID:s0vGDnuN
でも多分本物だよ。本物の教えは恐いもんだ。
6 :
名無しさん@3周年:2006/08/21(月) 14:20:58 ID:DSpraFa0
宝山=EOなんかな?
新刊でるようだが。
保守しとく
8 :
名無しさん@3周年:2006/08/21(月) 15:13:56 ID:xV8s6cg4
EOが生きてようが死んでようが、彼が主張していることはモンローの換骨奪胎だったとしても
かなり衝撃的だと思う。
ひとつの読み物としても一気に読ませる。
そういうところが好きなんだけどね。実際、信者なんて皆無でしょ?
読む前より更に不幸になった気がするけどW 気のせいか?
10 :
名無しさん@3周年:2006/08/22(火) 00:31:53 ID:s6U0alDi
宝山=EOだろうがなかろうがとりあえず今生きているほうざん氏に
銀河ヒッチハイクシリーズの未邦訳だった残り2冊(最近、河出書房から出た)
を読ませて感想を聞いてみたい
11 :
名無しさん@3周年:2006/08/22(火) 02:11:31 ID:v2No1TDt
おまえらあんまりわかってないな。
みんな方斬=EOだと思ってるようだけど違うよ
ちゃんと実在したし略歴(生没年とか)はだいたい本当なんだけど正体は実は女性
それも綾波レイをオバサンにしたような凄い美人だった
いや、二次元キャラに例えるなら流行り物の「涼宮ハルヒ」に出て来る長門ゆき(でいいんだっけ)
とかいうキャラの方が雰囲気は近いかな
実は俺、彼女と一回だけヤらせてもらったんだけどその時、彼女の著書に出て来る
「有と無の境界で永遠に苦しむ超高知能アメーバ」と意識がシンクロしちゃって
半年程半分廃人状態だった
後で彼女に聞いたら俺はまだマシな方で俺よりも更に俗物が彼女とヤったら
たぶん完全に発狂するらしい
ちなみに方斬氏は悟りに到る程の大物ではないがEOとヤっても正気を保っていたツワモノ
方斬=EO説は生前の彼女とヤれなかった奴が腹いせに流したデマ
13 :
名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 13:08:08 ID:M4rvcnSg
作文、ご苦労。
14 :
名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 13:34:04 ID:8e2+CHNH
で結局、ダイゴしなけれゃ輪廻の地獄を永遠に繰り返すことになるのかね?
感情を食ってる宇宙人は目には見えないわけ?
15 :
名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 13:50:38 ID:M4rvcnSg
まあ、そうなんだろうなあ。
俺その部分読んで軽い鬱になったよ。
裏を返せばいい感情を放ってれば良い宇宙人が守ってくれるんじゃないかな
人間が家畜を飼育するようにw
17 :
名無しさん@3周年:2006/08/24(木) 21:20:38 ID:XgqvAT5+
それでいいのかよ!
18 :
名無しさん@3周年:2006/08/24(木) 21:21:37 ID:vwYXSX71
それより俺は(宇宙の果ての有と無の境界で苦しむ)高知能スライムになるのが嫌だ
19 :
名無しさん@3周年:2006/08/24(木) 21:55:34 ID:AL1rJdW3
ほうざんんくん、つまらないグッズでビジネスしすぎだよ。
「書」とか付けているのも どーでもいいわ。
20 :
名無しさん@3周年:2006/08/24(木) 22:02:00 ID:XgqvAT5+
>>18 そうだよな。一番つらいよな。おおヤダ。
悟るしか救いは無いが、今生ではむりだしなあ・・・
他のニューエイジでは輪廻転生は進歩へのステップと定義されていることが多いがEOの世界では
夢もチボーもない。かといって自殺しても無駄。唯一の手段としての悟りなんだが、これも選ばれた
もの(特殊な人間)にしかできず、それ自体幸福とは全く関連がない代物らしい。
ほんと生きてくのが嫌になるよ・・・・
22 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 00:02:29 ID:eVLlrIiB
>他のニューエイジでは輪廻転生は進歩へのステップと定義されていることが多いがEOの世界では
夢もチボーもない。
始仏典読むべし!釈尊も同じだよ。
23 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 00:04:31 ID:eVLlrIiB
原始ね。ごめん。
保守
25 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 20:08:37 ID:A/7udWB4
>>10 ほうざんはあの小説に出て来る
「神から被造物への最期のメッセージ」の内容を知っているのだろうか・・・・・・・・
26 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 20:11:11 ID:A/7udWB4
長門ユキを製作した宇宙人は実は
裏シリウスの(宇宙の果ての有と無の境界で苦しむ)高知能スライム
僕の名前、ネ申の敵スライム
君の未来、地獄で苦しいスライム
宝山が言うように生物の神秘とかいうがわざとらしい造りだよな
擬態とか生殖器や生物全てのメカニックなつくりがまさにこしらえられたと感じる
だいたい弱肉強食とか生存するために苦痛と楽をアメとムチで制御しているところなんか悪意に満ちているわ
上位生命体を恨んでも恨みきれない 輪廻があるとしたらまさに地獄
29 :
名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 20:25:11 ID:2hQYTDo6
>>28 40歳を過ぎて人間を非常に冷たい目で見るようになった。
只の動物だと・・・
しかしその見方がむしろ人間を救うのだと思う。
豚や牛がと殺されるところを、ネットで見た。
豚より人間が高度だとはとても思えない。
悟らないかぎり。
30 :
1 ◆HfD2XMemw6 :2006/08/28(月) 20:54:35 ID:ny5hb4IP
人間の心は落ち着くことができず常に活動させられている
ニューエイジの連中は輪廻を魂の進化とポジティブに捉えてるが、どうなんだろうか?
たとえ魂の進化の場としての「地球学校」だったとしても、この星は生物に対してあまりにも無慈悲で
残酷な世界ではないか。
我々の魂がこの過酷な環境を「自ら選んで生まれた」と、抜かす輩もいるが、
この世の生命活動はRPGの中の経験値稼ぎの主人公並みに軽い命だな、おい。
もっと人間は自分が存在させられていることについて憤りを感じるべきだね。
31 :
名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 21:06:35 ID:2hQYTDo6
前面的に賛成だ。
そこまで知性ある人間が少なすぎる。
子供を持ったら絶対気付けない。それが罠だ。
>>31 賛同嬉しい
もっとみんな意見(反対意見でも)書いてくれないかな
おれも全然この辺の知識ないし、原始仏教についても知りたいよ。
悟りを目指すんでなく、我々凡人レベルでなんか議論できないもんかね〜。
33 :
名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 22:05:42 ID:2hQYTDo6
貴殿は既に悟りを無意識の内に求めている。
>この星は生物に対してあまりにも無慈悲で
残酷な世界ではないか。
正しくは「この宇宙が無慈悲」なのだ。
34 :
1 ◆HfD2XMemw6 :2006/08/28(月) 22:47:09 ID:ny5hb4IP
>>33 >貴殿は既に悟りを無意識の内に求めている
そうですか・・・。自分では鬱病かなーと思ってるんですが・・・。
まだ30の若造のサラリーマンですし、取り立てて社会的に不幸な位置づけにあるわけではないようですし。
ただ、いつ死んでもいいかなーとは思いますね。
あ、でも宇宙の摂理を全てとは言わないまでも一端だけでも知りたいですね。
なんでこんな無慈悲な世界つくったんだよと、神をしばきたいW
閑話休題
昔、GBで「魔界塔士Saga」というゲームがあった。
最後、世界を作った神と戦うんだが、チェーンソーでまっぷたつにできるのが爽快だった。
チェーンソーで倒せないかな?宇宙神をW
36 :
名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 22:55:04 ID:2hQYTDo6
あなたも結婚すればこんな事は忘れるかもね。
ある意味、その方が幸せだよ。
鬱だと思ったら医者行く前に有酸素運動をやるといいよ。
多分死んでもやりたくないだろうけど、やれば効くよ。
>なんでこんな無慈悲な世界つくったんだよと、神をしばきたいW
わかるけどね、その考えを続けると必ず不幸になるからやめときな。
俺達はEOじゃない。無慈悲な世界だからこそ、周りの全ての生き物に優しくする、
その方が早いと思うよ。
すごろくのアガリがね。。
>>36 運動やってみます。
スゴロクあがってみないと見えてこない地平線もあるでしょうし、
人間ごっこを何回も転生したほうが早いんでしょうね。
EOじゃなくてもっとポジティブなニューエイジに嵌れば良かった・・・。
38 :
名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 23:09:27 ID:2hQYTDo6
貴殿が知性的だということだよ。
死人禅はやらないほうがいいよ。鬱ならひどくなるから。
テーラワーダ仏教なら指導者が居るから、いいかもね。
EOに嵌って一人モンモンだけは止めたほうがいいよ。
危険だよ。本物だから。ではまた。
39 :
名無しさん@3周年:2006/08/29(火) 01:32:54 ID:hd1heZpk
EOがほんもの?
でも ほうざんくんはどうみてもちがうな。
sex、料理、工作、販売。
こんなのはしなくなるというか、できなくなる。
仮に悟りの第一段階ヨルドーはあっても、解脱まではいってない。
40 :
名無しさん@3周年:2006/08/29(火) 10:57:00 ID:kuYD+sE8
オショーが悟る前は、数も数えられなくなったっていうよね。
そんな行したら即、死を意味する。
やっぱ今生はセッセと陰徳積んで、来世乞うご期待。だな。
保守
42 :
超戦士:2006/08/31(木) 14:21:15 ID:jT6TtJmn
EO氏が説く、宇宙の成り立ちに意味や目的は無いという部分には同意
するけど、この人の「絶望の宇宙体験」のくだりはまるで「トンデモ本」
の世界そのものだ。
たとえばあの「ザイン」の教祖の小島露観は、自分は宇宙で「銀河系七大悪魔」
と死闘を繰り広げたとか言ってるけど、そういった類の主張と一体どう違うの
だろう?
こういった「体験」はその本人の主観にとっての真実とは言えるかもしれない
けど、それをもって宇宙の真理などと説いてしまっては、この人が批判している
神秘学、スピリチュアリズム、ニューエイジと結局、変わりないと思う。
これらの体系の根本となってる各種のインナートリップ、チャネリング等も
本質的に主観の産物でしかないのに。
この人はきっと「何らかの精神的境地」を体得した人なんだと思う。
しかし、それだって「真実の悟り」かどうかなんて何の確証もできない。
「それは悟った人にしか分からない」と言うならば、ある特定の人物を
もって、悟りを得た人であるとする根拠は一体全体どこにあるのか?
そう考えていけば、確かにEO氏の説は宗教や精神世界の欺瞞を暴き、
宇宙とその存在の本質について重大な問いかけをしてはいるけど、何も
「存在の絶望」にいざなわれたりする事もないと思う。
私見だけど、「存在の為の存在の宇宙」は、未知の「高次元存在」
というような実体を持つものに一方的に造られたのでは無いと思う。
「無を恐れる意識」「時空に執着する意識」。この、個人個人の中にある
「無明」の意識の総体によって成り立っているのではないか?
(高次元存在とは、この意識の反映として出現したものと思われる。)
>>36 >無慈悲な世界だからこそ、周りのすべての生き物に優しくする
そう、つまるところこの状況を超えられるのは、「万物を包含する大慈大悲」
だけだと思うよ。
43 :
名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 20:43:55 ID:Z4QTxSCC
大慈大悲とは無私、無我。無我とは死。
つまり悟りなんだよね。
無明庵をざらざら読むと最初のうちは衝撃だったけど
何か、評論家止まりだなあと感じた。
ほうざんはイニシエートか。
でもダイジの書籍に触れるきっかけにはなった。
45 :
名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 21:25:52 ID:2ObcWUy8
ダイジはニルプロしか読んでない。
オームの真の聖典だね。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
47 :
名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 03:15:10 ID:ZpGJgeld
相対主義をニューエイジで味付けしましたって感じですね。
幸福や価値を信じるスピリチャル馬鹿どもに相対主義をまんま提示してみたら、
気づいてないエゴにまみれた救いのないやつだと批判罵倒された経験が私には
ありますが、神秘的なものや宗教的なものを絡めて論じれば、こいつはすごい、
衝撃的だ、絶望的だが本物だとか思ってもらえるのかなという、なんかうまいこと
やりおってという感じですな
廃墟読んだ人感想求む
49 :
名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 20:45:27 ID:oXF15Rro
鬱になった。
50 :
名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 13:15:37 ID:Rtrs1S0q
鬱になるのはむしろ正常な証拠。
51 :
名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 15:04:16 ID:4/yanrVN
>>25 1巻2巻しか読んでないけど、ググったら出てきた。
神サマ、本当にそう思うのなら、なんとかしてほしいw
52 :
名無しさん@3周年:2006/09/03(日) 16:29:35 ID:Rtrs1S0q
個人的にはむしろ救いなんか無い方がスッキリするべ。
憧れ、欲求はそもそも苦の元だし
53 :
名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 20:18:18 ID:UcvkzP/p
銀河ヒッチハイクガイドって見た?
54 :
名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 20:31:23 ID:SdD9NeuG
わからん。
55 :
名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 20:36:38 ID:SdD9NeuG
ああそういえば1氏は運動してる?朝6時に起きて20分散歩して、日光浴びて
夜は水泳でもやったら効くぞ。
56 :
名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 20:37:11 ID:SdD9NeuG
ホリエも運動してたろ?
57 :
名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 00:56:11 ID:3v1g/ofR
効くって 何にどう効くんだYO!
58 :
名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 01:49:15 ID:ifbbq9iN
昼夜逆転の睡眠障害でしょ?ニートとかの
59 :
1:2006/09/05(火) 12:17:14 ID:j1MC8muF
運動はまだしてません 残業まみれでして
生きるのがつらいのは仕様ですかね 寝る瞬間が一番幸せなんですが死ぬのと変わりませんよね
正直ニートが羨ましい 世間で身体すり減らして労働することは美徳でも何でもないですよ
働かないですむのに越したことはないです
世界の富の偏りを是正しないかぎり長時間労働はなくならないでしょう
60 :
名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 12:25:04 ID:ifbbq9iN
自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大切にして、自分を破ろうとしない。
大事にするから、弱くなってしまうのだ。
己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。
炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。爆発するんだ。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッと開くこと。
それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。
いのちのほんとうの在り方だ。
僕が芸術というのは生きることそのものである。
人間としてもっとも強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、
その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。
『芸術は爆発だ』 (岡本太郎)
61 :
名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 13:15:55 ID:uu9e2xiU
1氏。同病あい憐れむ、というやつですね。
頑張って。
62 :
名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 17:53:21 ID:i6BIU178
こののエオさん、無慈悲な創造主がどうのとか言ってるけど、そもそも仏教って
宇宙の創造主のような存在は認めてないはずだぞ。おかしくね?
やれ禅だ、原始仏教だとか言わないで独自のエオ教を名乗るならともかくさ。
63 :
名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 23:52:56 ID:cDTFm0Ix
メタファーだよ
涅槃
65 :
名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 01:04:29 ID:h8Zq88GI
ちょいと、そこの おね〜はん
66 :
1:2006/09/09(土) 10:38:16 ID:H6vmWdPx
またアホーBBから書き込み規制になりました
このクソ会社潰れないかなぁ
67 :
名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 12:29:00 ID:oiybvhie
エオを全自殺希望者に捧ぐ〜(´^ื౪^ื)
エオを全自殺希望者に捧ぐ〜(´^ื౪^ื)
68 :
名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 23:45:32 ID:bs2t9/6Q
>>67 おまえは何にもわかってない。
10代の子供か・・・
69 :
名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 16:03:28 ID:Wskv9xl6
なぜですか?
70 :
名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 19:07:10 ID:uDhrgASQ
EOの本意は自殺の薦めじゃないでしょう?
71 :
名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 04:06:45 ID:0aAbvBnl
67さんは
自殺者に目を覚まさせようとしてるんじゃない?
72 :
名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 09:27:14 ID:72yaop2U
新刊もう売ってるの?
73 :
名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 15:20:23 ID:amsnJg5B
江原啓之にEO本読ませたらどうなるかw
75 :
名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 15:36:22 ID:6Rg33ZGW
>>73 あのへんの甘っちょろい流れはどうしようもない。
てか、あれで満足できるのが羨ましいな
76 :
名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 20:13:30 ID:Wyh5FdP4
適当になまぬるく生きるには、江原とか細木はいいよね。
真実を追い求める哲学者っていうが投身自殺のドゥルーズもあっちの世界へ狂ったのかな
凡人は輪廻を永遠に繰り返すしかないんかね
食物連鎖のない世界にいきてーよ
食物連鎖の頂点にいられるなら「食物連鎖のある世界」でもいいです
79 :
名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 22:29:34 ID:Wyh5FdP4
居られるわけないじゃん。。
80 :
名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 02:46:30 ID:dGRQfbon
食物連鎖の頂点に居ても
今度は無に恐怖するだろう
そしたら頂点は無か?
81 :
名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 04:43:02 ID:iCTMahNJ
恐怖の前では幸せなんか一瞬で吹き飛ぶからなw
82 :
名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 17:01:12 ID:u1pXXLHU
だから存在から非在へ、バイバーイって釈尊は行っちゃったんでしょ?
存在する事そのものが苦だというのだから
スゴイ洞察だよな。
83 :
名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 23:05:38 ID:3C6jCGQy
新刊買ったひといる?
84 :
名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 03:24:33 ID:EKqlvxzO
まだです
85 :
名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 06:53:07 ID:Y2eUH9+2
この人の本は読まなくて
ダイジの本よんでれば、良いんじゃない?
86 :
名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 07:48:53 ID:F0TgiC0b
ダイジってニルプロとアメジストくらいしか
出てないんじゃないの?
87 :
名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 07:55:10 ID:Y2eUH9+2
88 :
名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 08:05:17 ID:F0TgiC0b
絶対無、再販されたの?
89 :
名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 17:38:56 ID:q2Ro2NPK
>>88 されているよ。
でも、POD版だから、ちょっと高いけど。
絶対無の戯れ POD版
ダンテス・ダイジ/著 B6判 196頁 定価3360円
90 :
名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 23:46:16 ID:F0TgiC0b
年がバレルけど俺はバグワンと クリシュナムルティなんだ。
安めぐみで抜いて寝る。
91 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 00:59:47 ID:rTSslFIU
>90
おお、おれも同類だ。
エオのクールさはクリシュナジにもあるよな。
安めぐみもOK
92 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 01:10:54 ID:JrGYcEZx
我が仲間よ!
安めぐみで一瞬悟ったぞお!!
一瞬な。。。
93 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 08:47:43 ID:bc2+j0ys
新刊買った
印象に残ったのはバーナデットロバーツは
クリシュナムルティー同様に失敗するってあったことだな
それと比較してバグワンは素晴らしいとあった
94 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 11:53:34 ID:rTSslFIU
ほうほう、そんなこと書いてあるんだ、読みたいな、うんうん
95 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 14:49:52 ID:JrGYcEZx
うん俺も興味ある。
96 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 15:40:26 ID:XilowjDU
てことは自分は成功したとおもってるんだ
バクワンびいきだよね
この人
ばくわんわんはクリシュを理解してるとは思えんけど
97 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 15:47:18 ID:XilowjDU
死人禅なんかものすごくというか失敗しか起こさない予感
98 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 16:11:18 ID:XilowjDU
作り出された闇とか絶望が光明にジャンプ?
そんなのないない
そういえば瞑想の作りもパートにわけてたり縛ワンワン的
言い回しも和訳本のばくわんわん的
ワンワン
99 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 16:14:16 ID:XilowjDU
安めぐみ
趣味わる
100 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 16:22:01 ID:XilowjDU
茶碗でいきなり気を頭にあげちゃうのもまずい
死人禅最悪
光明で死んじゃって二度と生まれ変わらない人が一人二役してたらダメ人間
101 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 17:40:31 ID:E+jR/0Ew
リアルな人間関係や仕事の大変さから逃避したい
だけどニューエイジはお馬鹿すぎてあわない
加えてそこそここの世界に詳しく、かつ通り一遍なものじゃ
満足できない
んで、どこかに特別でありたいって願望がちょろっと
そんな輩がエオや無明庵にハマるんでそ
ま、グッズやら本やら購入して、宝山の生活費に貢献してるようなもんだが w
「虚無の微笑」
粋なタイトルでいいね♪
103 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 19:49:18 ID:zwa9sQkM
EOにがっかりした、
シロウトの俺でもバグワンよりはクリシュナムルティーの方が
大物だって事くらいは解るのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
104 :
名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 20:18:49 ID:rr0t/xMj
105 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 00:59:18 ID:a9DcDpwo
EOは副作用の多い抗がん剤みたいなんでないの?
劇薬だよ
死人禅でさえマインドの作為
イエス、仏陀は知っていた
クリシュ、グルジはかなり知っていた
バグワンはちょっと入り口だけで嘘のつき過ぎ
ほうざんは知らない
って感じ
108 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 13:04:09 ID:a9DcDpwo
イエスってほんとに知ってたのかな?
磔の瞬間まで「神よ何故・・・」なんて言ってた設定だが。
それ以前の状態で説法してたんでそ?
グルジェフも?だな
109 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 13:23:21 ID:5lf/b8/N
スマ長老は?
110 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 13:32:46 ID:5lf/b8/N
イエスはむしろ王道を進んだといえよう
磔刑の前の説法は弟子に対しては聖霊を伝えることとイエスなしでひとりだちできるようにすること
弟子は事前に洗礼のヨハネによって訓練され準備されていた
一般人には伝達は困難なので道徳的教えとたとえ話を使った
イエスが弟子に伝えたものは拈華微笑とか伝えらているものと同質のものと言ったら怒られるかな
まあ弟子の程度によるが
グルジはイエスの方向で熟知し行動をおこしていた
茶碗では洗礼は無理
112 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 15:40:33 ID:c4Fxzrln
EOは、元サニヤシン?
113 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 21:28:20 ID:5lf/b8/N
>サニヤシン
懐かしい響きだなあ・・・
114 :
名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 10:55:40 ID:xv7YtAiP
俺、別に光明なんて得なくてもいいや。なんかそれ目指して狂う人多いじゃん。嫌だよそんなの。
それに輪廻転生なんて本当は無いと思うし。
俺もEO読んで、軽い欝になったくちだが
一般の人ってほとんどが、死んだら無になるって思ってるわけじゃん、
実際そうなのかもしれんし・・、どうなんだろね???
116 :
名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 12:52:58 ID:lSpewl3M
欲に取り付かれてると
そういったものがあると思うんじゃね?
柳がお化けに見えてしまうみたいな。
輪廻転生もさわぐほど大げさなものではない。
単なる生物の自然現象。
子供の顔が親に似る程度の、性向みたいな。
問題は欲という根本の生命エネルギーの可塑性みたいな。
それによって色々な視点が作られる。
前にIDでEOが出たことがある、そんだけ・・。
119 :
名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 04:44:27 ID:eGNaoWcT
そもそも、結婚をどう思うおまいら?
120 :
名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 17:00:44 ID:1YXNEkmW
結婚は人間が必要によって造った制度。
それ以上でもそれ以下でもない。何か「スピリチュアルな結合」みたいな意味づけなんかいらないし、
かと言ってEO氏のように何も愚劣呼ばわりする事もないと思う。
121 :
名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 18:29:44 ID:u2aY3qYS
そのとうりだな。結婚については。
しかし輪廻がなかったら、死んだらそれで終わりだったらこんな
楽なことないだろう。
122 :
1:2006/09/24(日) 20:06:05 ID:05K494E7
寝起きの瞬間は自我を意識せず動物のように客観世界と連動できるが
次の瞬間から「私」が現れてきて世界と分断された主観世界を生きなければならない
動物やキチガイのように自我が無くなれば楽だろうなと昔から感じてた
生物は常には幸せに生きれないような仕様になっている
神の底意地の悪いことよ!!
123 :
名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 20:26:14 ID:u2aY3qYS
そして悟りに向かうゲームを仕掛ける・・・
つうか神なんかいるのか?
いない
神=意識エネルギー
126 :
名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 21:11:41 ID:u2aY3qYS
生物管理局はあるんだろ?
だけど、EOの言ったことが本当かどうかは分からないじゃん・・、
今まで覚醒した人で、EOのように言ってる人も居ないわけだし。
だいたい、ここのスレ見てるのも、日常生活がうまくいかないから
1のようなことを言ってるわけだろ。(1さん、すまん、悪気はない)
方山に叱られるぜ!w
128 :
名無しさん@3周年:2006/09/24(日) 22:45:33 ID:u2aY3qYS
じゃ、俺や君はなんで生きてんだ?っていう古典的な疑問から始めなくちゃな。
まだ人生に中毒してないな。永遠に生まれ変わるのは嫌だという気持ちはまだおきていない。
しばらくは宇宙様の家畜で生きていくよ。
130 :
名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 00:04:32 ID:8zTPAKJk
じゃ来るな。
131 :
名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 04:16:08 ID:r7WG3S2K
そうそう無理することはない。
そのうち嫌でも身内の死だとか自分の癌とか
いくらでもチャンスが来るから、それまでは楽しむこと。
>>131 いやいや、永遠に生まれ変わってるというのならそんなもの数知れず経験しているはずなのだよ。
134 :
名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 10:49:17 ID:8zTPAKJk
「機が熟す」というやつなんだろうなあ。
俺も熟してない。まだ生きたいもんな。
蓮如が親鸞に、この世は穢土と頭ではわかっていても、
まだこの世にしがみついてしまう。
と言ったらしいが、そんな感じかな。
135 :
名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 10:50:50 ID:8zTPAKJk
蓮如じゃなかったっけ?
まあ弟子がだ。
136 :
名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 13:28:40 ID:r7WG3S2K
死に関しても、様々な逃避方法が編み出されて
うまく誤魔化し忘れさせようとする。
本人の忌避願望もあって意識下へ追いやられてるだけ。
実はいつでも目の前にあるのに見えないふりしてるだけ。
おしゃべりや(特に携帯メールで加速)、かぞく、仲間、趣味・・・・などで
目隠ししてるだけ。
それらを絶てばすぐ本質が現れる。
137 :
名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 14:19:34 ID:8zTPAKJk
文明と言うものは巨大な隠蔽装置だからね。
ほんとにそんなに苦しんでるのかい???
だったら死人禅やったら良いんじゃ?
139 :
名無しさん@3周年:2006/09/25(月) 20:39:27 ID:r7WG3S2K
今は苦しんでないよ。
死人禅も選択肢の一つだけど、
理屈好きにはクリシュナジのがいいだろ。
140 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 01:22:59 ID:wpdCsanv
死人禅で存在の消滅の起こる保障はない。
結局、死、魂の死、存在の消滅への恐怖が全てに打ち勝つだろう。
闇のなかで永遠に生き続けるとしたら悲惨だ。
141 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 01:28:02 ID:wpdCsanv
闇の観想を永遠に繰り返すのが死人禅修行者の末路。
142 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 01:44:25 ID:wpdCsanv
作られた瞑想法という行為を為し続けても行為者が消えることはない。
自我を消していると思い込んでいる存在が残るだけだ。
143 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 03:23:07 ID:8ddTSNYm
クリシュナジ以外に
そこを上手に指摘した人は知らない。
あまりに簡単すぎて、逆に探求好きには物足りなく感じるw
この中に、それなりに死人禅やった人っている?
145 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 16:09:30 ID:czy2vIO3
この人は、自分が説く事は本質的に自殺寸前か発狂寸前かで、極限に追いつめられた者
以外には用がないとか言ってるだろ?そういう人に適した虚無の思想があってもいいと思う
けど、それ以外の縁なき衆生を馬鹿呼ばわり、サル呼ばわりされるいわれなんかないね。
このEOに言わせりゃ、地球人類は家畜なんだろ?だったら愚かで無能で当たり前じゃん。
それを何を事さら強調するのかね?だいたい、そのサルの集団が造り出した社会機構がある
おかげでEOの書物も世に出せたのだろうに。なんか言ってる事おかしいよ。
その地球人類家畜説だけど、結局この人の脳内で体験してきた出来事だろう?いったい
何の根拠があるんだよ?大方、厭世的な傾向を抱いたままチャネリングが開いた状態で宇宙の
本質を追求して突き進んだ挙句に、それ相応の妙な世界とつながった(もしくは造り出した)
ってところじゃないの?
そもそも、釈迦は人間の運命が大自在天(創造主)のような外部の実在者に支配されている
という思想をはっきり否定してるだろ?これはまったく外道の思想だよ。確証不能の世界の
事柄を持ち出してそれを真理と言い張るんじゃ、かつての宗教が地獄・極楽の思想で人々を
脅しつけていたのと大差ないよ。
146 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 16:45:52 ID:Ef3ZUwwx
147 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 17:26:27 ID:quE/ZTeS
2012年には米中戦争勃発だな。。
148 :
1:2006/09/27(水) 20:02:55 ID:zoMIm4NO
>>145 私もそう思ったりもします
宇宙も人によって捉え方が様々だろうと
ポジティブな人はアセンション等の進化論的解釈をし、ネガティブな人はEOのような人類家畜史のような捉え方をすると。
実際の所真実は闇の中なわけで。
ただ生物の造りや食物連鎖の仕組みは悪意に満ち満ちているように感じる。
そもそも存在自体、苦痛なのに、その解答すら得られず殺されていく命とは尊厳も救いもない地獄そのもの。
私とは働きたくないし、老いたくない、飢えたくない、生きたくないし、死にたくない中途半端な無意味な存在です。
149 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 20:49:59 ID:quE/ZTeS
そのように造られている。絶えず動いていないと
エネルギーは生まれないし、宇宙は崩壊する。
仏教では「そんな自然がおかしいのだ。逃げろ、脱出しろ」
と説く。
EOと同じだ。
150 :
名無しさん@3周年:2006/09/27(水) 21:19:33 ID:8ddTSNYm
どいつもこいつも怠け者の小心者だな。
いい訳ばかり上手くてな。
152 :
名無しさん@3周年:2006/09/28(木) 02:25:41 ID:JJuCzuko
>>144 やってるヤツはこないと見た
確実に
偉そうに本物だよとかいうヤツも同じ
153 :
名無しさん@3周年:2006/09/28(木) 02:34:51 ID:JJuCzuko
他人を見下したい自我肥大のくせして自我の消滅などありえない
背後に生き残りゲームの勝者になりたい生存欲からぬけだしてもいない
そういうタイプが死人禅やるわけない
本読んでわかったふりしたいだけ
154 :
名無しさん@3周年:2006/09/28(木) 02:46:07 ID:JJuCzuko
自分だけは違うように言いはるヤツは生き残りたいだけ
本当にアウトしたものはそんなことは興味すら示さない
155 :
名無しさん@3周年:2006/09/28(木) 02:59:57 ID:JJuCzuko
1さんはやっていそう
だが偉そうなヤツは矛盾していて消滅ではなく悟りゲームの勝者ねらってるw
死人禅って頭頂留意とかよく考えてあると思うね
茶碗とかではなく留意おこすようにさせるのが伝統にはあるけれど
虚無の微笑はまだ持っていないんで確認しようがないが
バクワンとかホウザンって案外知ってるのかもw
157 :
名無しさん@3周年:2006/09/28(木) 04:31:36 ID:tJiO0VAb
おほん、ま、茶碗に関しては
身近な簡単なものであってもよいというお茶目な隠喩だろ。
登頂留意、体外(ぎりぎり?)でというのは
やってみると意外と良い気がする。
チャクラだなんだ、いろいろ名前つけるが
要はイメージ?を利用して思考を止める手段。
思考が止まった世界が体感できればとりあえずOK
158 :
名無しさん@3周年:2006/09/28(木) 08:24:15 ID:Z7jvQ5/O
>>151 テーラワーダのスマナサーラ師が言ってるよ。
自然は子孫を作れといい、作ったらもう死んでもいいと言う。
その子孫もやることは子孫作ること。
ふざけてるって。
生き延びたい(自我が)というのが最大の煩悩、と言う点では仏教も同じだろうね。
>158
そんな簡単なものなのかな?
有でも無でもない状態ってのが宇宙の在る前の状態なんじゃね。
eoは確かに外道の思想かもね。
>そもそも、釈迦は人間の運命が大自在天(創造主)のような外部の実在者に支配されている
という思想をはっきり否定してるだろ?これはまったく外道の思想だよ。
釈迦がそう言っとるなんて知らんかったわ。
>確証不能の世界の
事柄を持ち出してそれを真理と言い張るんじゃ、かつての宗教が地獄・極楽の思想で人々を
脅しつけていたのと大差ないよ。
全くその通りだわね。
昨日夢でいきなり後頭部に注射されて自分の体のあちこちに
値段がつけられていった。
いつ誰かに食われるのか見ていたら
「こいつはまだ若いから許しといたるか」
という声がして体は売られずに済んだ
161 :
名無しさん@3周年:2006/09/28(木) 15:19:05 ID:tJiO0VAb
ほんとに夢ならいいんだが・・・・(´^ื౪^ื) ふふふ
162 :
名無しさん@3周年:2006/09/29(金) 00:53:26 ID:nt6mzCjg
上手に矛盾点をかわしてるよね。
絶対神は自身が持ち上げられない石を作れるのか?
作れるなら絶対神ではない。 作れないならやはり絶対神ではない。
創造神が絶対的な力を持つ必要が無い、被造物に負けても良いという部分は新しい。
これを受け入れられない人は頭が固いのかも・・・どう?
創造神だったら、絶対持ち上げられない石を作った後に
なんでも持ち上げる機械でも作ったら良いんじゃないの?
その時点で持ち上がらない石ではなくなるけど。
164 :
名無しさん@3周年:2006/09/29(金) 19:45:27 ID:WJ9yUBhQ
てか、二元論で語れる世界ではないのよ
上げ
166 :
名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 15:07:51 ID:gY4BbZvf
オーブって信じる?
>絶対神は自身が持ち上げられない石を作れるのか?
>作れるなら絶対神ではない。 作れないならやはり絶対神ではない。
頭悪いなこいつ
科学的に何かを持ち上げられる世界があるのか
ないのかわかりもしないくせに知りもしないくせに
変な本ばっか読んでるからそーゆー思考をするんだよ
当然こうなんだよねって思って書き込んだろ
押し付けるな低能
169 :
名無しさん@3周年:2006/10/04(水) 13:42:42 ID:yskl0zxH
ライオンが生まれたばかりのリカオンの子供とか
見つけて狩をして食べるところを見て
どう感じる?
素直に、残酷と感じる?嫌悪感?
その裏で、ライオンが長いこと狩が出来ず
子供のライオンが飢餓状態で待っている、という
物語を挿入すると、どう感じる?
我々のヒューマニズムって一体なんだろう。
自然の行いを一時の感情的に処理してるだけ?
むしろ人間だけが自然から逸脱してないか?
少なくとも、ヒューマニズムは一つの観念である。
観念は所詮机上の論理である。
カルマあげ
172 :
名無しさん@3周年:2006/10/09(月) 13:14:51 ID:WeAuXaC+
生長の家教祖の谷口雅晴は、人間達の意識が高まれば自然界にも変化を及ぼし、
天変地異も弱肉強食も無くなると言ってた。有り得ると思う。
EO氏は、きっと大勢の人間が目覚める事態など決してないと言うだろうが、少なくとも宇宙の生物は皆、
家畜状態から逃れられないと決め付けてる以上は、ずっとその通りにしかならないはずだ。
谷口氏の思想の方がよっぽど上だね。
173 :
名無しさん@3周年:2006/10/09(月) 16:54:09 ID:g4GhPf4v
そういう事ではなく目覚めるか目覚めないかだ。
進化なんてゴメンだ。
自分の実生活上で役に立たなかったら、どんな思想も
私には上も下もないね。そんなん、ただの空想じゃん。
宇宙うんぬんの前に自分の苦すらも、どうにもならないんだから。
175 :
名無しさん@3周年:2006/10/10(火) 15:20:21 ID:RE4eJn56
自分の苦の原因が実は
怠惰、自己憐憫、びびり、等意外とセコイことあるよね。
視点を宇宙的にすることで
勇気を得られることがあるのは事実だと思う
一つの思考実験みたいなもんだけど
176 :
昼寝庵 :2006/10/10(火) 17:43:33 ID:3u/nvMNK
絶対神は自分が持ち上げられない石を作ることは可能。
だが、自分が持ち上げれるようにすることは可能。
177 :
名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 00:59:50 ID:6Uy1blkS
だから二元論で語れる世界ではないのよ
>>172 どうして谷口氏の方が上だと思いますか?
そうしておいた方が自分にとって都合が良く、受け入れ易いからではないですか?
実際の真理は、あなたにとって本当に心地よいものだと思われますか?
179 :
名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 03:05:49 ID:6Uy1blkS
美しく心地よいものが意外と
自分のご都合のイメージで作られてることってあるよね。
それはそれで麻薬的効果はあるけど。
でもそれを求めてるのが自分の弱さからってこともある。
救われたいと思うところから始めると
都合のいいものを集めてしまい勝ち。
冷酷なくらいにクールに見つめないとだめなときもある
視点を変えれば、家畜状態=ささえあい、じゃない。
やってることは変わらない・・・エネルギーを互いに出し入れしてるだけみたいな。
視点を宇宙に変えて、自分の人生に向き合えなくなる可能性もあるけどさ、
思考することによって、苦を感じるのが増大するから、
楽な方に考えるのは、「悟りに関係なく生きてる分には必要な時もある」と思うよ。
182 :
名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 21:10:40 ID:pteKV2Af
宝山ってただのヤリチンだろ?
>>181を本気にすると宝山は実は「ほう」と「ざん」の二人の事で
「ほう」が一応イイモン、「ざん」がワルモノでマフィアの幹部
184 :
名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 21:43:42 ID:BmTt0V3t
>>178 己の存在を、何者かの家畜状態から決して逃れることは出来ないと決め付ける
観念を持ち続けている以上は、ずっとその通りにしかならないって言ったろ?
じゃあ、聞くけど、このEOが言うように宇宙の生物が、高次元の者どもの
家畜だという確固たる証拠はあるのかい?
その宇宙の搾取連鎖を最初にこしらえた張本人は一体どこから生まれたのか?
無から突如、出現したと自在者とでもいうのかい?そんな事あるまい。搾取の
構造を捏造しなければ生きながらえない者など、そいつ自身もまた、何者かに
造られた有限な存在にすぎない。そもそも、EOによればそいつはもう、既に
死に絶えてるらしいじゃないかwそんなやつの構築した搾取連鎖など、もう
半ば形骸化してるのも同じだ。そんなものにいつまでも縛られなければいけない
理由なんかどこにある?
俺だって、これまでずっと続いてきた地球人類の在り様がすぐにどうこう
出来るなんてまったく思ってはいない。が、しかし少なくとも、自らが想像した
魔神に自縄自縛されるような愚かしい事はやめようって言ってるんだよ。
俺は別に生長の家の信者ではない。ただ、現象の生滅を超えた「完全円満の
生命の実相」を観ずるという方便は共感する。仏教の本覚思想と同じ、危うい部分
はあるとしてもね。逆説的だけど、このアプローチにも「進化衝動・生存衝動」
を超える道があるように思える。
絶対無は信念でどうこうなるような世界じゃないのよ。
186 :
名無しさん@3周年:2006/10/12(木) 13:35:08 ID:aVu2jiJm
世界が理想的な姿である必要はないし、
それを求める姿勢も不自然である。
ありのままを受け入れるしか道はない。
187 :
名無しさん@3周年:2006/10/12(木) 20:00:29 ID:VqsTGZLV
では、わざわざ悟りだの、無心だのを求める事も止めようね。
それを求めるのもありのままだって?ならばより良き現実を造ろうとする事もまた、ありのままの営みだ。
>>184 あなたがそれほど反発するのは、EOという人の言葉を見て何か感じるものがあったのではないですか?
けど、それは自分にとって受け入れられないので、他の何かを大義名分として否定したがっている見えます。無意識的に。
この世界のことは、こうした方が得だとか、これはああだからこうなるべきだとか、こういった通常の考え方とは一線を画すべきではないでしょうか。
意識したことがなければ気づかないので難しいと思いますが、この世的というか通常の価値観と混同してしまうとおかしな方向へ行くと思うのです。
確かめようもない訳の分からないことは置いといて、自分が何に惹かれ、何を感じ、どうして反発したのか思索してみるのも苦しいながら面白いかもしれませんよ。
人も心は悟りみたいなものも求めるように出来ているみたいですから。
悟りなき悟り<方山著>ってまだどっかおいてるとこあるかなあ。
絶版か。。。
190 :
172 =184:2006/10/13(金) 00:02:36 ID:ckeK06/q
>>188 反発?受け入れられない?俺はこのEOなる人が、その確かめようがない訳の分からない
事柄を、紛れもない真実であるかのように主張している部分について、それはおかしい
と言ってるだけだ。そして別の見地からの意見を提示してるに過ぎない。
どう思ってくれてもかまわんけど、人の意見を何か拡大解釈しようとする君自身の
内面の動機こそ、一体何なんだい?
191 :
名無しさん@3周年:2006/10/13(金) 08:21:57 ID:0O9yBRi3
>>190 「生長の家教祖の谷口雅晴は、人間達の意識が高まれば自然界にも変化を及ぼし、
天変地異も弱肉強食も無くなると言ってた。有り得ると思う。」
・・・って、その確かめようがない訳の分からない
事柄を、何の根拠もなく、ありえると思うのも、おかしいぞ〜。
単に、「人間の想念で、宇宙がどうにかなる」とか、いうような思想が、希望として
そう思わせてるだけのような気がするが。
193 :
名無しさん@3周年:2006/10/13(金) 18:15:17 ID:mT5AjFx9
192の言ってることはもっともだね
チャネラーの多くが無難なそれ風なこと言ってる。
癒しってのも同類だよね
194 :
名無しさん@3周年:2006/10/14(土) 19:01:38 ID:uQVKpx+c
195 :
172 :2006/10/15(日) 01:12:11 ID:5xCUsTS4
>>192 純然たる、可能性について述べることがそんなおかしいか?目覚めた人々の意識の
広がりが、時空を構成する集合的無意識に劇的な変化を及ぼす事など無いなんてどうして
言い切れる?EOからして、悟った者が大量発生すると宇宙が消滅しかねないと、人間の
意識の変化が宇宙に影響を及ぼす事を示唆してるだろうが。
俺は谷口氏の思想の、「万物の生命の実相」に立脚し主体的に生きようとする精神的姿勢
の方が、いるのかいないのか分からない、正体不明の宇宙の創造者に苦のすべての原因や
責任をひっ被ぶせようという思想より、よっぽど共感できると言ってるんだよ。
これが「自分がそうであると思いたい願望」か?そうだと言うなら、その曲解にこそ、そっくり
そのまま同じ言葉をお返しするよ。
人生には様々な困難が、立ちふさがる壁がある。そしてまた、心の底から想ってやまない願いも
ある。人それぞれのテーマにおいて。これに直面する姿勢なくしてやれ、苦の解脱だの、自我の解体
だの、今ここのあるがままを受け入れるだの言ったところで、そんなものはただの現実逃避のたわごとだ。
己のテーマに敢然と力の限り生きようとしない者に、涅槃寂静なんてあるものか。
196 :
名無しさん@3周年:2006/10/15(日) 03:52:18 ID:yI0VmVZy
原理主義者みたいな熱さの裏には
巨大な自我があるよ
ちょっとザッとEOのほーむぺーじ目を通しただけだが、、。
EO、この愚か者が。。
未熟だったんだな。。
198 :
191:2006/10/15(日) 08:27:26 ID:M5WiitAa
>>195 なんか、だらだら長いだけで、論点が分からねえ・・・。
結局、何だろ。EOには「共感できない」って言いたいのかな?
つうか、この人、HPちゃんと読んだのかな・・・。
だとしたら、とんでもなく、文章の理解力ないな。
200 :
名無しさん@3周年:2006/10/15(日) 23:14:41 ID:EdRrbQTA
EOの言ってることは、結構原始仏教とかぶるとこがあるね。<慈悲をのぞく>
現世、世間でやってること、考えてることをほぼ全否定。
その点、万教帰一の谷口さんは、そのころ情報がなかったのか
日本の大乗からの引用はあっても、オリジナルであるところに近い
原始仏教の思想はほぼ見られない。
生長で見られる思想は、どこかに自分の内側でなく外側を変えてしまおうと
いつまでも期待をするところに欠点と言うか甘さが見られる。
願望成就、現世利益を前面に出している教えの中に、客観的に洞察していくといった
観点が見られない。
神の子実相円満完全、罪穢れ、病気はない。それではつらぬけないので
のちに五井さんの考え方もでてくるわけだ。それで、消え行く姿であってなんとかかんとか。
結局、死んじゃうし、病気にもなるし、そこらへんはやはり、人間の希望、希望と言えばいい聞こえだけど、
希望と言う名をかりた、欲望、渇望、渇愛、こういう根本無明でしかないわけで、
洞察の足りなさからすると、EOの方が全然事実に即したことをいてると思うよ。
まあ、生長さんを全否定してるわけじゃないよ。役に立つ話もあるから。
EOさんはでも慈悲をぬいちゃうと、まだ悟ってない人は、世間で生きないといけないので
それははずすとちょっといろいろと困難な面が出てくるだろうね。
そこらへんはやっぱ御釈迦さんの基礎だから、抜け落ちちゃあだめなとこだよ。
それが行き過ぎた点をしぼっての指摘だともみえないからねえ。
EOもほどほどにしておかんとwww。
201 :
名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 00:49:12 ID:u4KN9rOg
実際は、エオは慈悲を抜いてるわけではなくて
ほんとの慈悲が悟りを開く(これはレトリックね)以前には
それは偽物で、むしろ害になると思っていたのだと感じる。
既成の宗教は、その認識が甘く全く悟りが起きないことに
警鐘をならしたかったのだと思う。
必然的にあるレベルまで達していない者に向かっては
語っていない。苦い薬だ。
202 :
名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 04:02:10 ID:u4KN9rOg
本当の慈悲とは
観念でもなく、道徳でもなく、目標でもなく
悟った人からどうしようもなく滲み出てくるものだろう。
生長の家とEOは、根本的に違うだろ・・・。
大雑把に言うと、
生存したい人に向けて書かれているものと、
もう宇宙から魂ごと消えたい人に向けて書かれているもの。
それを、比べるってのは、
方向性が違いすぎて、かみ合わない。
EOが悟ったのは、絶望したからだし。
生きる希望を持ってたら、
自我は死なないし、悟りも開かないって事だと思う。
204 :
名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 19:58:03 ID:u4KN9rOg
絶望しないなんて信じられない・・・w
205 :
名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 20:16:31 ID:Ve361/vK
本当の真実の慈悲とかそういうことじゃなくて、
基本的な慈悲を身につけておかないと、修行もスムーズに行かないんだよ。
お釈迦さんがなんで仏典のうちで慈悲経というのを説いたのか
そのシチュエーションをEOも、悟ってからの慈悲とかどうこう
おっしゃってるひとも知らないようなかんじがするね。
目に見えない微妙な世界でことをすすめていくうえで、
その時々に必要なこともあるのだ。邪魔されたり、手伝ってくれたりいろいろとね。
206 :
名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 21:11:47 ID:afZm0cXp
あのね・・EOを語る人は「政庁の家」を相手にしないように。
クリシュナムルティ、バグワン、ラマナ、ラーマクリシュナ、グルジェフ、
ダイジ、ヴィヴェーカナンダ、などなど以外は、無視。
谷口?相手にしてる奴哀れ。
確かに。
204はポジティブシンキングでもやっとれ・・・。
208 :
名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 22:59:17 ID:Ve361/vK
>>206 相手してるのは、172だけだお。(195)
209 :
その172 :2006/10/17(火) 20:31:16 ID:S5kqglDc
生長の家の思想が最上だとは、俺も思ってはいないよ。それに
>>206の人
が言ってるような、いわゆる「覚醒、光明」について説いている一群の体系
の方がより高度なものでは?と思っていた時期もあった。
が、しかし、これらの体系で説かれている事が、はたしてどれだけ人々の成長なり
啓発に寄与したのか、だんだん疑問に思えて来たね。確かに非常に高度な精神的境地
について説いてはいるのだろうけど、何か、どっか現実と遊離した違和感を感じて
しまったよ。それはお前の精神レベルでの判断だとか言われそうだけど。でも、実際に
精神に異常を来たしたり、社会不適応者に成り果てたりする人も少なくないだろ?
そこへ行くと、生長の家で説いてる事は、あらゆる宗派を超えた宗教的真理と現実世界の
成就の融合を、誰もが実践できるようにと突き詰めたものだったと思う。この点では
もう少し、評価されてもいいなとは思うね。
EOから見れば生長の家など、本覚思想を焼きなおした生存執着丸出しのまったく論外の
現世利益教になるのだろうが、一方、もしも谷口雅春氏がEOを見たら「完全円満の生命の実相」
に通底し得ず、その中途の無明の闇を実在と誤認し、そこに打ち沈む者と言うだろう。
EOの生存への絶望体験とそこからの大悟体験も、谷口氏の光明の生命の実相体験も
共に本人の主観においての真実だと思う。一体、どちら本物かなんて最終的に
確証は不能だよ。だから各人が、それぞれの人生において真実だと感じ、役立てるものを
選べばいいと思うし、それしかないと思うよ。また、「それは自分に好ましい希望にすぎない」
と言われそうだけど。
210 :
名無しさん@3周年:2006/10/17(火) 20:46:34 ID:+ilQq6/T
会社であくどい商売しながら
家では良きパパで異常な家族愛をもつような構図に似てるだろ。
本人が納得、確信していても可笑しな事ってある。
自我の巧妙なトリックに騙されるな。
しかし真理はひとつジャマイカ?
>その中途の無明の闇を実在と誤認し
eoの言う闇は無明としての意味での闇じゃないよ。
光明を生み出す所のすべての源としての闇。
みんな真面目すぎるよ。
真理っていうのはホントはバカのようにシンプルなことだからみんな恐れるね。
言葉は、それを見るのが怖い(それそのものは光なのだが)、己の複雑に飾りつけた肥大した自我が
「単純」によって傷つくのが怖いがための迂回策にすぎない。
空気を呼吸しながら、「酸素は存在するか!?」ってやってる。。
意味不明
推敲しなさい
>>205 EOは修行して悟った訳じゃないだろ。
>>209 わざわざ、EOスレに来て、生長の家の話・・・・。
>>211 ああ。真理は常に、逆説的に表現されるらしいしな。
悟った人の方便て、結局、相手を打つためのものだろ。
普通の人が真理を語っているのとは、全然違って、
場合によっては、真理じゃないことが、真理になるんだよ、きっと・・・。
>>213 その「単純」をなかなか思い出さないんだよなー はぁー・・・
217 :
名無しさん@3周年:2006/10/19(木) 01:12:06 ID:YBXsRWEq
>>215 eoは修行の方法を説明してるじゃん。
まあ 修行して悟ったわけじゃないからデリケートな部分の要素は
仏陀に及ばないわけだけど。
>>209 谷口さんの体験は、ただのトランスであって、「悟り」に関する「洞察」から起こるのもではない。
>>205 これだね↓
慈悲経と由来
ttp://www.j-theravada.net/sutta/Metta_Suttam.html 慈しみの心を育てたら、500人の比丘達が悟ったのか・・・w
昔は、悟った人大勢いたのかな〜。
こういうのを読むと、逆に、悟りって単なる御伽噺で、無いかもと思えてくる。
>>217 デリケート・・・w
EOの話は修行僧の修行ではないし、ブッダよりは、かなり面白いけどね。
ブッダの修行の話は、修行僧がしてたやつだから、一般人はちょっと無理かもよ。
慈悲経にしても、それまで、僧たちが何をしてたのか分からないし・・・。
いきなり、慈悲だけの話だけされてもな・・・。
慈悲経の由来によるとブッダは500人だけど、
EOは、たった一人が悟ればいいとか言ってたよね。
ブッダの話が本当だとすると、EOのは、ブッダの修行では、
悟れない一人が、悟る方法なのかもよ。
219 :
172 :2006/10/19(木) 16:02:24 ID:sGJM6hHw
>>212 そう、無明そのものではないね。書き終わった後で気がついた。無明の中での苦への
絶望体験が上塗りされたままで体得された「実相」だと谷口氏は言う。ってところかな。
「生命の実相」の中でも、EO的な思想に言及してそう述べていた。
また、E0のような灰身滅智の解脱思想を、現実を遠離する「180度の回心」とも述べていた。
(生長の家思想は一回りして、再び現実を肯定する「360度の回心」ということで。)
>>217 うーん、そういった話は最終的にもう、水掛け論だね。
前に、こういった道を求めて精神に異常を来たしたりする人も少なくないだろ?って言った
けど、そりゃそうだと思う。悟りとか光明とか結局、なんの確たる判定基準は無い訳だし、
そんなものを目指すんだもの。
仏教の根本に「慈悲」が置かれてるのもひとつはそこだと思う。初めから「悟り」目指して
突き進むからおかしくなるのであって、まず万物に対する慈悲を根本にして、それに沿った
方向で進むのが安全なのでは?
220 :
名無しさん@3周年:2006/10/19(木) 16:43:58 ID:bdHLVpYB
エオは架空の人物
221 :
名無しさん@3周年:2006/10/20(金) 01:38:34 ID:GufjpeXA
資質として狂気を恐れない、みたいなものが必要なんだ。
小心者ではだめ。最後に飛び込む勇気(自我をすてる)のないものは
悟りなんか目指さない方がいい。
その手の者は所詮道徳話に涙する程度で、かえって自我を肥大化する。
狂信的な原理主義者みたいに。
結果狂ってしまって閉鎖病棟行きのキョウジンも多い?
精神病患者の生きる世界ってすごく興味がある
悪夢的なものか生ぬるい天国なのか
こいつの著作を読むと悟り=統合失調症ってのが正しく思えるな。
こんなキモイ妄説執拗に展開できる人間をやばいって思わない方がどうかしてる。
グルジェフ、ラジニーシ、クリシュナムルティ読んでる人は
あんなキモイのマジかもしれねぇとか思ってるかもしれないが、
なんで悟りとかの観念に惹かれてるようになったが問い詰めないが
ハイリスクだと理解したほうがいいぞ。
普通に健全でいることだな。
普通に健全って何よ???
それが難しいんだろ・・。
225 :
名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 12:41:40 ID:nJx206oX
経験の浅いものに何を言っても無駄。
観念で机上の論理をもて遊んでいるうちは
リアリティがない。
そのうち嫌でも分かる時がくる
226 :
名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 16:44:48 ID:WK4jO58Z
悟りって多分禁煙するのと同じ。
生存中毒から抜け出す事だ。その予行演習が瞑想。
タバコ止めてスガスガしい、と言う人も、
禁煙する時はスゴイ恐怖を感じる。
タバコ無しで生活できるだろうかって。
悟りもそうなんじゃない?
上の方にも書いてあったけど、気の小さい者は
悟りなんか求めちゃダメダ。狂う。
生存中毒から抜け出すことが悟りだってんなら
さっさと死ねばいいだけじゃねーの?
228 :
名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 18:32:42 ID:WK4jO58Z
自殺したって生きたいという「こころ」の働きは消えないよ。
それが輪廻する原因だから。
だからなんなんだよそのキチガイ理論はオウムと同じだろ?
無限地獄なんだろ?この世は苦しみだから繰り返すのが嫌だとか?
なんでそんな変なの信じてるんだ?
だからカルトに食われるんだよ。
230 :
名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 19:58:31 ID:WK4jO58Z
釈尊を勉強したほうがいいな。
それじゃ・・
1氏よ229が典型的ゾンビ。おれらはチーのなりそこないだ・・・
方山、現れねーかな。
232 :
名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 16:43:14 ID:9J+ZlkXG
既存の宗教物は道徳律に成り下がってる。
害もなく効果もない。単なる癒しだ。
エオとかクリシュナジはリアリティーの切っ先を
そのまま見せている。
普通は危ないから避けるよ。
でも本質なんだな〜これが(´^ื౪^ื)
変なCDとか茶碗出した時点で終わってる。
茶碗でああだめかもと思いつつ、ザフでさらに
そして、習字で終わったと思った。
でも、習字うまくね?w
手裏剣はあんまりだけど。
236 :
名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 23:39:24 ID:7Ls9q/GM
特徴はあれど、人に差し上げるとか そういうレベルかなあww。
戯れだって言ってるけど、悟った人は、基本じっとしてることを楽しむものだ。
>悟った人は、基本じっとしてることを楽しむものだ。
てのは、どうかな・・・どえらい数の本になるほど講話とかしたりしてるじゃん・・・おしょー。
238 :
名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 02:40:35 ID:wPWWD15f
特徴は様々だろ。個性があるから面白い。
才能のないものはじっとしてるし、話し好きは講和ズケw
239 :
名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 23:50:05 ID:QDN2YcxA
猫だけ許す。
おれは方山けっこう好きなんだが
頭は切れるけど俗っぽいところも包み隠さず曝け出してるとこがいい
241 :
名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 01:34:53 ID:QMbTe1fr
ほうざんさんの文章は、すげ〜分かりやすいけど、
実際、現実では何の役にも立たせられない・・・
ゾンビとかも、全然わからんし、リロードもいまいち出来ないし・・・
本とかを読んで、ほ〜と思っても、全く役に立ってない・・・。なんだかな〜
242 :
1:2006/10/26(木) 10:04:58 ID:r3c5mzSZ
1です
アベ心臓はかなり汚れてるみたいですね
日本は喰い散らかされて衰退するんでしょうか
既得権益にあずかれない私なんかは生きにくい社会になるでしょう
釈迦は29才で妻子を捨てて旅に出たそうですが私も同じ年齢、蒸発してみたくなるときもあります
昔インド、ネパールにバックパッカー気取りで行ったことがあるんですがまた無性に行きたくなった
意外にベジタリアン料理は辛くなくて旨いんですよ
はっとするようなエキゾチックな美人も多いです
個人的にはインド方面は世界で一番美人が多い地域だと思います
243 :
名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 14:54:25 ID:zGI7Sp7+
そうですね。
インドは美人が多いですね。
特にロンドンなどで見る、インド人とイギリス人のハーフは
すばらしく洗練された美人ですよね。
インド男は写真で見ると哲学的だが
実際みて話てみると、だんだんイメージが崩れますねw
日本人も腹の据わった人はそれなりにカッコいいですよ。
244 :
名無しさん@3周年:2006/10/27(金) 01:19:02 ID:Or2NrMrG
>>144 ずいぶん前、まだ、30年生きていないけど、
死人禅、闇の方だけやってみたよ。といっても、そんなにちゃんと説明どおりの
手順で、暗闇をイメージしてなかったけど。
あれしてから、暗闇にいる明晰夢のような、体外離脱のような夢を見たよ。
EOの書いた宇宙については、実感が湧かなかったし、それについて、
哲学し続けることは出来なかった。そのことで、絶望的な気持ちにもならなかった。
けど、EOの本を読んで、自分が、悟りを目指したきっかけの、
自分の人間的な、悟りとは関係ない単なる悩みに振り戻されて良かったと思う。
それまでは、悟れば、すべてがチャラになると思ってた。
けど、EOの本によると、その前に欲望に生きて自我が熟さないといけないと分かった。
そこで問題・・・欲望のままには、生きられない小心者だった・・・。
だから、悩んでいた訳だが。生きる事も、死ぬ事も、悟る事も、怖い。
そういうわけで、今は、なるべく、諸々を諦める努力をしています。
きっと、諦められないだろうと思うけど、ずっと不満だろうけど、死ぬ気にはなれない。
けど、30歳を過ぎたら、もう一度、死人禅をやってみようと思う。
死人禅は、悟りたい人用で、気が狂う可能性もあるし、眠たくなるし、頭痛いし、
実際、狂いそうになって危なかったし、
創作者の本意ではないと思うけど、単なる癒しの瞑想として、た〜まにやると、なかなか良い。
245 :
名無しさん@3周年:2006/10/27(金) 22:54:58 ID:z5Pp+4Wd
>>244 きちんと原始仏教とかでも勉強したほうがいいよ。
悟ることが怖いなんてことはない。
その直前に「生」そのものが一切恐ろしい、すなわち苦でなりたってると
わかるあたりでは怖いという洞察も出てくるでしょうが。
EOはいろいろ参考にはなっても
それをメインにしてはどうにもならんよ。
ほうざん、昼間から自宅のガレージとはいえ外で手裏剣なんか投げてたら
危険人物としてマークされるってのw
247 :
綾波EO:2006/10/28(土) 21:03:30 ID:2GkmyjpK
>>246 ほうざん君は私とHしてからああなっってしまったの
まだ完全には大悟していない彼はいつも手裏剣で遊んでないと
例の「有と無の境界で永遠に苦しむ超高知能アメーバ」と意識がシンクロ
してしまうから
>>12参照
もちろん私は
>>236の言う通り習字にも手裏剣にも興味は無いわ
残念ながらもちろん貴方達にも
ゾンビどもにもマトモなグーチーパーの人にも私は興味が無い
存在自体に興味が無いの・・・・・・・・・
講話しまくっているオショーはニセモノ
248 :
名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 21:24:31 ID:zizBRu6/
綾波がいうことだからなあwwwwwww
まあOSHOの悟りのレベルは疑う余地はかなりあるが。
まあほうざんくんは、第二禅あるいは第三禅なんかを経験してるくらいかな。
それは、いわゆる悟りじゃないらしいけど、ある種の集中状態にいるので
もうあんまり世俗的なことに動揺しなくなるらしい。
しかし、まだ洞察し切れていないのでいろいろと残っている。
実際その状態では、結構落ち着いちゃってるので
頭では悟りをほぼ理解したように勘違いしてしまうらしい。
>>244 氏はテーラワーダでもやってみたら?
255氏の言う通りだよ。
250 :
名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 13:51:18 ID:nkoJdswE
ちょwww
255って未来?
245だゴメン(汗
俺不安症と鬱でクスリ飲んでるんだけどさ、
瞑想は止めといたほうがいいよね?
253 :
名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 00:55:04 ID:BKrPyW1t
基本的に良い指導者にしょっちゅう相手にしてもらえるのでなければ
やめておいたほうがいい。
なお、アメリカでは、認知療法の領域で瞑想の要素を取り入れているものも多いが、
これもまた、その専門分野の方のインストラクションなしに一人でやることは
悪化の恐れもある。森田療法も瞑想的だ。
254 :
名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 07:05:47 ID:INbosgNJ
>>245 うぬ。ちょっと、間違えた。悟りに至るまでの過程が怖い、だった。
ちょっと、一瞥っぽい事があるだけで、
幻聴とか、自分の頭の中の思考が他人の声の様に聞こえて
すごいウザくなったり、その他諸々で、
ぐあああ〜って、発狂しそうだったんでw
今は、まだ、この世に未練があるしな・・・・・。
>>249 >テーラワーダでもやってみたら?
原始仏教か〜、
慈悲とか言われると、吐き気がするのは、私だけですか・・・。
今は俗世に心酔しますw
>慈悲とか言われると、吐き気がするのは、私だけですか・・・。
吐き気とまではいかないけど
( ´_ゝ`)プッな感じにはなるw
>>255 何で慈悲が強調されるかというと
自我から離れ易くなるんだよ。
つまり自分の為。
257 :
ばんこ:2006/10/31(火) 03:21:55 ID:DndiDAmQ
悟りのサの字もないのが悟りらしいで。
あとそれから黒々満々たるのは境地かもしれんけど
禅ではそういうのは、あかんらしい。目は半眼にしないといけない。
それ以上の境地があるということだね。
黒々満々たる境地は非常に戒められているらしいから、伝言くらいはして
おくよ。まあ一度、大黒様の仏像を拝みに行くといい。
果たして人間のできることかと。勘のいい人ならこれくらいでわかるでしょ。
ラマナ・マハリシは機が熟した弟子には「私はだれか」
といマントラを与え、悟りへ導いたが
そうでないものには「バクティヨーガ」奉仕行をさせたという。
精神に異常がある俺は瞑想あまりできないから
そっち方面やるしかないかな。
259 :
名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 01:42:16 ID:lBZoMP0S
>>256 慈悲って、自我が離れやすくなるのか〜。
とりあえず、周りの人の幸せを願ってみたが、
「何で、人の幸せ願わなきゃいかんのだ・・・自分はこんなに不幸なのに・・・
つうか、他の人も、自分と同じように不幸になればいいのに、
つうか、死ぬほど苦しめばいいのに」
としか思えなかったのだが、どうしようね・・・。
>>257 何が言いたいのか、全然わからねえ・・・
人間では無理って事かな。
精神的に大きなブロックを抱えている人は、瞑想なんかより掃除がいいと思う。
ただひたすら掃除し続ける。お釈迦さんの弟子にもそういう人いなかったっけ?
一番出来が悪かった人で、他の弟子達にバカにされながらも、お釈迦さんの指示通り、
ただただひたすら掃除し続けて、結局一番最初に悟ったという。
261 :
名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 14:50:09 ID:ctqRBZxZ
EO氏の文章って公案禅みたいなもんじゃないかなぁ。
つまりマインドを追い詰めるために作った文章。
だって落ちてしまったら宇宙がどうだろうが自分が家畜だろうがしったこっちゃなくなるんだろうから。
そうするためにあんだけネガティブに論破したんじゃないか?たとえ嘘をついてでもね。
そういう意味で他の覚者達とアプローチの仕方が全然違う。
だけど結局指してる物は同じみたいな。
262 :
名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 07:18:56 ID:ZXol51OK
暗闇を定にしようとしたって仕方ないかと思うよ。
話は変わるが、昔人間は洞窟なんかに住んでただろ。
あのころ前頭葉が発達したという説もある。壁画やなんかたくさんあるだろ。
俺が勝手にいってるだけだけどね。w
安寧の代わりにある種エネルギーを得たんだろうね。洞窟という絶対条件
がなければ、暗闇は敵がどこにいるかわからないしむしろ知覚過敏につながる
。洞窟という安心条件が、知覚をこえて、象徴を生み出したのだろうなぁ。
無明の境地っていうのは、まあ象徴化の泉。しかしよ、それってどうなんだろうね。
よくわからないよ。しかし、100均ショップってすごいな。
イメージだけど、精神世界の500円均一、なかなかいかしてるとおもうよ。
売れるには売れるだけの理由がある。ばかうれは一番警戒してるのかな?
こんなところに調節弁つくっちゃってw
263 :
名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 07:38:36 ID:ZXol51OK
なにをいいたいのかわからないだろうから、最後にひとつ付け加えておくよ。
本当の無明って言うのは科学的に言っても、脳に一切電気が流れない。どういう状態になるかと
いうと、脳や体という感覚が、スイッチでも入ったかのように、突然消えて、
外の側(無明といってもいいかな)が自分というなにもないスペースをみているといったような感覚だろうか。
次にはなにで目を覚ましたのかわからない。といった風情だ。微笑なんて内観はおきるわけないんだ。
264 :
名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 18:50:41 ID:8Hz0l1Fw
付け加えられても何をいいタイのかわからないんだけど、、、。
まあな・・
266 :
名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 02:42:16 ID:/uSfFNKb
え〜と、とりあえず、死人禅は暗闇をイメージするものだけじゃないよw
本読んだ人は、あまりここに書き込んでないのかな。
>>262 263
は、よく分からないけど、たぶん、イメージで話してるんだろうね。
感覚的な文章は、理解するのが難しいからな〜。
暗闇の瞑想では、寝てる状態に近いだけで、悟りとは程遠いと言いたいのだろうか?
瞑想のイメージと、悟りを開いたイメージを混同してるんだろう。
267 :
名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 13:31:10 ID:skFXmboG
分からないなら仕方がないな。要するにそんなもんさっさとやりきってしまえ
といいたいのだ。すきならしかたない。いたらないから夢見てるそういう
状態でしょ。あんたらのは。自分が一番やと思ってるうちは自己説明に
いそがしくて、瞑想や悟りや祝福なんて入るすべもない。自己説明が
すきなのならば、そうと理解したほうがいいのではないかな。提案だけどな。
268 :
名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 01:09:49 ID:cGzQ0gSK
自分が一番で、
自己説明が好きだと理解したら、何だって言うんだろう?
提案の目的が分からないなw
最初から、最後まで、言いたい事が良く分からない・・・・・。
言いたい事ないけど、とりあえず自己説明を書いただけかなw
269 :
名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 17:18:42 ID:Gvp1aOFC
精神病院に入院歴のあるひきこもりが書いた本で一種の悟りの体験を得たような内容が書いてあったな。
自己説明のマイナス指摘して自己説明をしてくださってる?
慈悲ゆえに?
271 :
172 :2006/11/05(日) 22:36:33 ID:f2Czmc9D
横レスだけど、分かったような分からんような、そういう煙に巻いた
説明は止めた方がいいよ。この分野は、似たような物言いをする人が
多いように思うけど、はたから見ると、なんだか独りよがりに聞こえるよ。
272 :
名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 16:23:53 ID:LTGpH76c
仇の帳尻合わせようたってそうはいかない。
縫い目縫い目の整合性にこそ真実はある。
だからといってミシンのような効果音は不要!なのである。
273 :
名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 17:44:03 ID:LTGpH76c
触らぬ神にたたりなし。
ばいば^^〜〜い
274 :
名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 18:33:06 ID:k2Kklgpq
朝生でまともなのが生姜だけって・・・
275 :
名無しさん@3周年:2006/11/10(金) 01:18:40 ID:oAZL4fue
まずはありのままを受け入れろ。
変な理屈はいらないよ。
276 :
名無しさん@3周年:2006/11/10(金) 21:52:13 ID:1NVZqhrJ
ほっほっほうざんたんは悟ってるんだからね!
277 :
1:2006/11/11(土) 00:29:14 ID:fLmDnYtS
およそ生物全ては苦痛とわずかな快楽をアメとムチに生かされ続ける
自らの存在意義すら回答を得ることもできずに
生物の器官の緻密な構造を神の奇跡と賛美できるか?
否 あざとい造りと逆に被創造物として生まれたことを痛感する
あまりにも あまりにも わざとらしく かつ 悪意をもった 苦痛を感じやすい 体に 人間は 設計されている!
生まれて死ぬ このことだけでも拷問であるが さらに その意味すら 一生明かされない!
人間は他の生物を浅はかで我より劣ると言えるだろうか
ごまかして生き
死ぬ間際になり
何を想う
278 :
名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 17:30:05 ID:wwEv8KYN
275ではやっぱりあかんと思うよ。
君らはやっぱりまだまだまともなんだから、問題を検討すべきだと思うよ。
まあおれは自分のことしか書けないけどな。過敏体質なんだよ。
体で分解しない薬品やら吸ってしまってるから。仕事でだけどな。神経が
さめりゃ過敏になりすぎるし、落ち着こうと思えば、統合失調の薬のむかだね、
これは教えてもらって重宝してるんだが、数息観をする。
自分の欲求が過去の自分や社会に照らして、いけないとおもったら自分で自分を
殺さなくてはしかたがないしだねぇ、平安をもとめるのはある種自動だろうけれ
ども、それだけではだめだろうから、自分で体を動かす。あと無塚思惟本を
よんでみる。まあこんなもんだな。空性を体感したって、プラスなんかが
ともなってないとただの体験だよ。必要か不必要かさっさときめればいい。
おれにくらべりゃ多分、多くの人はまともなんだろうから、いっといてやるけど
大人なんだからすきなことしたらええんや。ということかな。
ミュータントやないんやからw
279 :
名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 17:48:18 ID:wwEv8KYN
1のヨブ記みたいな問いかけに、だれかがどんな風にこたえるのか
期待してるわ。おれは生物機械論はきらいだからパス
280 :
名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 04:12:47 ID:uzlRbjaB
EOイズムの問題点と言うか疑問点のひとつは、虚無とか闇と言うものを実体化して論じているところでないかと思う。
仏教だったら色即是空、よって有=無でなければおかしい。しかし、EO・ほうざんは、存在世界と別に虚無とか闇があるようなことを言っている。
それをイメージ的に実体化して語るの必要性も、致し方ないのかもしれないけれど、禅における脱落体験なんかでも、虚無を通過するんだろうし、それはEOイズムの専売特許じゃないんじゃないかと思ってしまう。
もうひとつ、光と闇の問題。
EO・ほうざんは、闇を本質として、光を二次的な、非本質的なものであると主張する。
クンダリーニの体験者やチベット仏教では、光がわれわれの本質であるというのだのけれど、
無明庵では、光の神秘体験を不純なものとして、退ける。
しかし、この二元論的な分割って、果たして可能なんだろうか?世界が始める前の闇・混沌には、あらかじめ、インテリジェンスとしての光が含まれていたからこそ、世界を発生させることが出来たのではないだろうか?
さらにいうと、われわれの本質が意識・知性であるなら、それは光そのものであると言えはしないだろうか?それとも、EOイズムで言う闇は、単に認識すべき対象がないということ言っているに過ぎないのだろうか?
それだったらわかるけれど、どうも僕が読んだ理解だと、EOイズムによる闇というのは、仏教的な無というんじゃなく、
存在も光も何もないという非存在、暗闇を言っているように感じる…
そして、そういう暗闇に同化することが悟りだとすると、やはり珍妙な論理である気がしてならない。
悟っても意識が消えるわけじゃないんだから、闇を意識している側は光なんじゃないのだろうか??
281 :
名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 12:29:06 ID:FSjSrva5
希望的に、理想的に、審美的に、真実を妄想されてもな〜
282 :
名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 15:45:19 ID:vp5YwJm1
1980年前後に「UZ氏」によって自費出版された、
「次元の本」「ステラマーカス」「レダvol.1」「レダvol.2」
とそれに続くひらかなタイプによるガリ刷り資料。
これがEO=ほうざんの元ネタ。
何の方法論も通用せず、自らの足元そのものが崩れ去っていく、
気の遠くなるほどゾッとするほどの闇との邂逅。
全部、上記の本や機関誌、資料に書かれている。
283 :
名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 16:18:56 ID:ZL9SxYYO
uz氏ってだれよ
ウゼーーー氏
テーラワーダのスマナサーラ長老も「われわれは自然から子孫を作れと言われ
、作ったら死ねと言われる。バカにされているようなもんだ。
仏教ではそこから逃げろと説く」と書いている。
この点EOに似ている。
285 :
brown:2006/11/12(日) 17:25:48 ID:pAeHOS0L
慈しみとは
どのように心が乱れたときであっても,瞬時に許す瞑想を会得すれば,
心は瞬時に晴れやかとなる。
心の粘着性である苛立ちへの効果の高い処方は,慈しみ,許し,放擲する
心の開放であり,一つ一つの煩悩への対処によって,心解脱が開発される。
人々の幸せを願うのではなく,具体的な苛立ちの対象への限りない慈愛の
念を想起すべし。目の前の特定の個人に対して無関心や苛立ちから,暖かい
気持ちに,瞬時に切り替えることで,一つ一つの煩わしさが,一つ一つの
開放を経験させ,それが得意となって,経験全てに渡れば,日常的な経験の
静寂である最も重要な初禅が成就する。
慈しみって自我から離れるのにすごく有効だよね。
287 :
名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 20:32:52 ID:uzlRbjaB
>281
論理的に言ってるのがわからんのかい?
288 :
名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 21:15:51 ID:ZL9SxYYO
おっ brown氏 観察・理解・変容君は どうしてるかね。
289 :
名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 04:22:31 ID:4RhfHDKZ
寝た子もさすらう4時15分
290 :
名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 13:22:16 ID:Vhi+bqdu
>287
論理的に導きだされるものは単なるラベリングされた知識、観念。
リアルはそのラインにはない。
291 :
名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 14:53:17 ID:l90Fusxn
>290
それは、究極的には正しいけれど、それを言ったら、こういうところでの議論全部意味がないということになる。
そうじゃなくて、論理的におかしいのは、論理的にわかることだから、その範囲においては議論できるということだよ。
論理的に推論したことがリアルに一致することがありうるというのは、
科学、学問でもそうだし、日常でもありうること。修行僧の問答だってそう。
論理的思考をまったく無意味なこととして否定すれば、
単に無知を妄信に陥るだけなんじゃないのかな。
EO・ほうざんは悟ってるんだから、読者はウダウダ言わず、黙って信じろというつもり?
それはおかしいでしょう?
EO自身が「私に反論しなさい」と言っていたはずだよ。
むずかしくて着いていけなくなった44歳でした。。
昔は頭切れたんだがなあ・・
レス読むだけで大変だ。
293 :
エコトラ18番:2006/11/13(月) 19:14:18 ID:4RhfHDKZ
言葉の由来についてたまに考えてみるんだが、まあ言葉なんて勝手に
しゃべるようになったのだろうけれども、合目的論からすれば、いわゆる
人間の脳の進化なるものは、つじつまあわせになるな。生命の意図は
パーぺチュエイションということになるだろうけれども、神意の妙という
ものも依然として存在しているからだ。神意の妙というものは体現される
べきものであるが、それは生命の側に捉えられない限りの分は、残された猶予であるということも
できてくるのである。其の猶予性を増大さすことによって人間はその緩衝性を得てきた
のであって、すなわち鈍感になってきたのであって、言葉は其の合目的性に一致すべき
使い方をしないかぎり、それはただただ緩衝性をますだけである。この緩衝性は規範とも
いうことができるが、言葉の合目的性を追求するかぎりいずれ、目覚めなければ成らない。
このときにのみリアルという言葉はつかわれるのであって、意や逆もあるだろう、過酷なリアル
体験が限度を超えたときみいだす、人類の規範である。彼岸と此岸に隣接すが、それを通るときにのみ
見出す言葉がリアルなのである。
294 :
エコトラ18番:2006/11/13(月) 19:19:10 ID:4RhfHDKZ
292さん、おれとどっちがむづかしいですかー?
295 :
エコトラ18番:2006/11/13(月) 19:32:52 ID:4RhfHDKZ
神意の妙って何かおしえてやろうか?それは逢魔ヶ時のことを思い出して
みるいがいないだろうな。午後4時から5時にかけての時間帯のことだよ。
海は其の様相を変え、日はオレンジ色に沈み、岩陰に隠れていた魚も飯を
食わなくてはしかたなく、しゃしゃりでてくる。それからどんな怠惰な人間も
此の時間には起きざる得ないw。とてもとても捉えがたい様相だ。いわゆる
黄昏という言葉でもいい。此の時間について研究をすればそれなりの神意の
妙というものが見えてくるかもしれない。いわゆる直感というものが見えかくれ
してくるのだ。
296 :
エコトラ18番:2006/11/13(月) 19:55:44 ID:4RhfHDKZ
それから、神意の妙を絶やさないたった一つの方法は、火を絶やさない
ことだ。深甚深き人々は、それこそ空海の時代から、ともされ続けている
という火を目撃した人もいるかもしれない。黄金時に隔離された個人を見出すのか
幾重にも重なる人の輪をみるのかこれが人生の別れ時なのだ。あなたがかの
黄金時に個人を主張し、新たなる規範を生み出すのか、黄金律をいきるのか
すべてはこの時間にかかっている。ぜひとも共に黄金律をいきようではないか。
はっはっはっはっは
297 :
エコトラ18番:2006/11/13(月) 20:00:41 ID:4RhfHDKZ
この黄金律のなかに無明をみいだしたのであればそれは本物である。
隔離された個人に無明をみいだす人たちともはや交わることは
ないであろう。それは明日からのわれらの午後4時にかかっている。
あなたの確立された私が本当であるならば、それこそ明日の午後4時
にでも悟りを開くであろう。それはまったき私、あなたの意志なので
ある。今から準備をしておくがよかろう。わっはhっは
298 :
エコトラ18番:2006/11/13(月) 20:07:38 ID:4RhfHDKZ
常に逢魔ヶ時を思い出せ。これが真の自己しいては直感を得るただひとつの
想起である。忘却の火を自らの胸に灯すまでの話である。これが第1章にして
終章である。
299 :
エコトラ18番:2006/11/13(月) 20:12:26 ID:4RhfHDKZ
われらは話で、火を灯すわけでも飯を食うわけでもないのであるからして
あらゆる話には逢魔ヶ時をつきかえすだけになるであろう。では今日も明日も
さらばじゃ!
300 :
名無しさん@3周年:2006/11/14(火) 12:40:44 ID:YdfB/PkV
思い出させたり、忘却させたり・・・・混乱させますなw
301 :
名無しさん@3周年:2006/11/14(火) 13:11:22 ID:rsATh3Ce
>293〜299
ほうざんが言う、ゾンビのいい見本ですね・・
302 :
名無しさん@3周年:2006/11/14(火) 21:17:37 ID:uMeWPwhX
え?午後4時? 今見たからちっとも知らなかったよ。
ところで
ほうざんたんのHPで
『◆違う話ですが、「虚無の微笑」以外にも、最近、私は他人様の手紙とか
謹呈物の中に、その人に合うような文字で、毛筆の「落書」を入れて
きたのですが、どうやら、この「落書」というのが、「おもしろい効能」があるようです。
ここ数ヶ月で、次第に、情報が集まってきて明らかになってきたのですが、
私の書を受け取った人は、ほぼ全員(90%)が、急激に「その人の人生が加速」されているようです。』
だってあるけど、虚無を買った諸君!。こんなことあった?90%ってどうしらべたかしらないけど、
その数字があてずっぽなら、ほうざんたんは信用できないことかいてるってことになりますが...。
>>302 ほうざんさんが、個人的に友人や知人にあげて、その範囲での数字ということ。
よく読みましょうね。^^
304 :
名無しさん@3周年:2006/11/15(水) 09:50:14 ID:xpFp6iC7
それを読んで、ほうざんさんの書を壁に貼ってみたが・・・。
「人生が加速」の意味が良く分からんw
305 :
名無しさん@3周年:2006/11/15(水) 11:16:43 ID:2su/mkw6
人生がせわしなくなるのか?w
それ読んで、って時点で駄目だろ・・。w
>>294 301さんと同意見。
君は難しいというより・・・バカですね。
おじさんをバカにしてはいけませんよ。
308 :
名無しさん@3周年:2006/11/15(水) 21:29:51 ID:gfVQ/VT6
で、他の落書きつきを買った方々で加速したやつはいるかい?
やっぱり適当か。自分でなら何とでも言える。
309 :
エコトラ18番:2006/11/15(水) 22:00:52 ID:ZaZBRlU0
馬鹿というのか・・・それには少しぐらい乗ってもかまわない。
しかし、この場合われ等は、果てしないことにチャレンジするんだという
ことを忘れてはならない。
まあ最終的には人間はミミズだとかいうんだろうけど・・・
俺が思うにはだよ、EOの体系をひょっとして”完遂できる”と思っているとしたら
その方が馬鹿だと思うわけだよ。
幽閉的な苦はおれも一言で言えば至らぬ事情から知っているが、転じてか乗じてかしらないが
ただ存在することなどとてもできるものではない。EOさんが第三の恐怖と
いっているものを想像してみるがいい。この第三の恐怖を経ることなくして
EOの体系はないのだろうから・・・
まあ俺が大阪にある生駒の聖天にいったときの話だ。そこは山になっていて
下から上に向かっていろんな仏像がかざしてある。頂上はどんな仏像が安置
されてあると思いますか。なんという仏像の名前か忘れたけれども、大黒なんたら
と書いてあったかな。立派にリアルな人の姿を模した仏像で、下の仏像とは
違い、なんの灯りもともされていないところに安置されている。そのお顔を覗いた
とき、俺はかなりやばいことをやってしまったと思った。永遠に逃げ場のない暗闇に
安置されるということはどういうことかわかりますか?何の思考すら許されていない
のですよ?人間の、ましてや生物のできることと思いますか?ましてや人を小ばか
にすることなんて無縁なんですよ。その前にあなたはミミズを小ばかにできますか?
小悟してるかも?と思って
「虚無の微笑」買ったんだけど
読んで見たらただの錯覚だった@俺。。。Orz
311 :
エコトラ18番:2006/11/16(木) 07:43:12 ID:8expvf0K
虚無の微傷←むしろこっちじゃないのか?現状の進展からして
ネットの方はかなり読み進めているがとりあえずこれくらいにしとこうかなぁ
とおもっている。
虚無の微笑か虚無の微傷かってほうざんっていう方にきいたら
「知らん」って言われると思う。ふっ
312 :
エコトラ18番:2006/11/16(木) 07:47:14 ID:8expvf0K
俺はどういう道においても少しくらいの おかしみ はあるもんだと思ってる。
愉快なんてもんはないかもしれないね
313 :
エコトラ18番:2006/11/16(木) 08:09:27 ID:8expvf0K
とりあえず数ページ先を読むのはやめとこや。ということで
このへんで。
314 :
名無しさん@3周年:2006/11/16(木) 13:19:30 ID:Q2CiqNhN
>>310 同じく(笑)
ま。小悟してるかも、という妄想がなくなってよかった・・・かも。
自分が小悟したかもと思ってた時は、何故かやたら書を書いてたよ。
で、壁に貼ってた。
しかし、最近は、自分はぐーかゾンビかと思ったよ。何か作るの好きだし、
人間的な役割があるのは、楽でいい。
ところで、産まれて間もない赤ちゃんも、微笑むけど、
あれも、虚無の微笑になるのかな?
315 :
名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 04:17:27 ID:g3hJUTIr
あれは感情のゆるみだろw 虚無といえば虚無だろうが
316 :
名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 07:50:02 ID:miXQgUTb
>>280 EO氏の本によると、私の理解では、
小悟では意識は消えないが、大悟では意識は消える。
小悟では、まだ、個の魂という分離のままで存在している。
大悟では、最後の分割が消える訳だ。
だから、大悟した人は、肉体が死んだら、個の魂も消える。
で、闇が静、光が動と置き換えると、分かりやすいんじゃないか。
光は、動き、生命、有、分離、意識の動き、・・・というか、動きが意識。
闇は、静・・・死、無、分離前。
意識は動いているから、生命でいられる。存在でいられる。
>そして、そういう暗闇に同化することが悟りだとすると、やはり珍妙な論理である気がしてならない。
暗闇をイメージするのは、瞑想法だよ・・・
暗闇を、対象物としているから、同化するとか思えるんだろうね。
同化する「自分そのもの」が無くなるのが、悟りでしょう。・・・きっと。
317 :
名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 14:03:11 ID:VEGCLkwB
>316
>EO氏の本によると、私の理解では、 小悟では意識は消えないが、大悟では意識は消える。
小悟では、まだ、個の魂という分離のままで存在している。 大悟では、最後の分割が消える訳だ。
だから、大悟した人は、肉体が死んだら、個の魂も消える。
『虚無の微笑』にはそうありますね。意識の個別性が消えて全体と一致するのが大悟であると。
でも、こういう図式的説明そのものが、意識を外から見てないと出来ない。
「見る自分」と「見られる自分」の分裂が残っているわけだよ。
さらにいうと、EOの説明は、和尚が言った事そのまんまに近い。
まあ、インドの和尚を信じてる人はいいのかもしれないけれど、
僕はだいぶ怪しいと思っている人間だから、ホントかなあと思ってしまう。
全体と一致するとは、意識が風船みたいに膨らんで全体と一致するんではない気がするんだよ。
そうじゃなくて、自分がなければ、見ているものすべてが自分。
山も海も月でも何でも、見ているものと一体化している。
自分を振り返らないから、自分があり、他がありという分離の幻想がない。
禅で言われる見性はこっちだと思う。
カビールの詩、「水滴が大海に溶け込む」というのは、ほとんど比喩なんじゃないかな。
文字通り、水滴が大海になるようにして一体化するというのは、ちょっとほんとかどうか疑ってしまうよ。
>暗闇をイメージするのは、瞑想法だよ・・・
いや、瞑想法だけでなしに「闇と契約する」とか、闇に溶け込むのが悟りであるというような記述があったと思います。
でも、これも違うと思うんだなぁ。
静と動の話もそうで、思考のない静とか、動きの停止である闇が悟りであるというのは、間違いだよ。
思考は別にあっていい。それに欺かれずに、本質として在れるかどうかが瞑想なんであって、思考がないのが悟りではない。
動きとか活動だって、活動そのものが迷いとか苦なんじゃないよ。活動や動きを外から見て、是非善悪判断するのが迷いであり、苦難であって、活動そのものになりきっていいれば、苦も迷いも生じない。
だから、禅は、そういう言うEOみたいな寂滅主義を死人禅といって、批判するわけでしょ。
318 :
名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 17:19:31 ID:WjkEALta
芋虫はそもそもえさの葉っぱにはりついてるから、主客の分離はない。すなわち
主客未分、枝かなんかでつっついてやれば案外主客の分離が起きてるかもしれない。
人間かってそうは変わらない。普段は主客未分の状態で何の恐怖もなく生きて
いるんだよ。しかし恐怖が起きると主は客は?といって騒ぎ出すんだよ。
恐怖とは何かを考えたほうが早い。だから恐怖とは何かと問い詰めたらそのつど
すなわち、それ、それ、それと何回でもやることができる。
それは想像上の出来事で、それが人間の世界を形作っている。だから永遠にそれを
やらねばならないという答えは、無の恐怖に匹敵する。
主客未分の居心地の悪さというのは人間がそういう動物だから仕方がないと
諦めるより仕方ないだろう。ちなみにえげつない話だけれども、ミミズなんかは
尻尾が切れるが、尻尾のほうが動いてるからして、尻尾のほうが痛いのだろう。
人間の場合だが、上半身下半身の真ん中で切れば、上半身が痛いのだろうか?
下半身が痛いのだろうか?大体の人は上半身と答えるだろう。それは命令系統が
上半身に移っていること意外は意味しない。下半身に命令の主体があってもおかしく
ないのである。なにを言わんとするかお分かりですか?欲の主体ですよ。
チャクラとかいうのにしても下がなくては上もない。下も上もなくては合流しえない。
何がいいたいのかといえば、宗教家がいわゆる高次知性体といっているのは
植物や、動物、しいては虫ということもありうるわけで、会話が成り立つのは
それらどれかに依存する人間同士の間にはじめてなしうるものじゃないかな。
別にマリファナでもいいわけですよ。せいぜい鉱物までですね。それを競い合う
エゴや自我というものはせいぜいインターネットに収束されていくんです。
宇宙空間に飛び出すのはモルモットのほうが早いんです。神秘思想だっておそらく
一緒です。
ご静聴ありがとうございました。
う???ん、いまいち!!
320 :
名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 23:32:17 ID:VEGCLkwB
>318
>エゴや自我というものはせいぜいインターネットに収束されていくんです。
それはオマエ自身のことだろ!
しかも言ってること意味不明だし・・
321 :
名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 03:37:19 ID:k86TwDyM
なんだか分かりにくい文だ。
体を半分に切るのも、やってみてから言ってくれ。
322 :
brown:2006/11/18(土) 20:10:09 ID:d/m5W1nY
いや自分がないから主客未分などということはない。
「思考は別にあっていい。それに欺かれずに、本質として在れるかどうかが
瞑想なんであって、思考がないのが悟りではない。」というのは正しいが,
それは自我についても同じなんですね。
自我がない状態というのはまだ悟りの本質ではない。思考を消した無思考と
本質は同じことです。まだ自我がはっきりと知られていない状態にあるからです。
しかし,自我に三昧を打ち砕く力はありません。自我も客体も包摂した全ては
見事に美しく調和しているからです。それを主客未分というわけです。
323 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:21:32 ID:rvsYhXV4
>322
何が言いたいのかわからん。
324 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:33:05 ID:rvsYhXV4
>322
>自我も客体も包摂した全ては 見事に美しく調和しているからです。それを主客未分というわけです。
だから、それは誰が包摂してんの?
包摂してる主体があったら、主客一致はありえないんだよ。
主が消えたときのみ、主客一致で、主も客もないんだよ。
325 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:36:58 ID:3dxrdDbF
俺にも何を言いたいのかよくわからんけど
「見事に美しく調和」
というのがおかしく感じた
見事も美しくも調和も全て相対的視点だから
327 :
brown:2006/11/19(日) 14:52:56 ID:lMQQqfBH
もし主客未分離ということを,客観的ロジカルに考えるならば,その言葉
自体が矛盾に満ちていることに思いをいたすべきであろう。
「手を叩いたとき,右手と左手とどちらが鳴ったのであろうか?」
これは,質問自体が矛盾を包摂しているために,答えが出ることはない。
このとき,「右手がなくなれば,左手が鳴った」と答えられるというのは,
安直というものであろう。答えは,右手と左手をそのままにして,
二つの手が合い合わさる,その真実の現場になければならない。
実際に,心の機能には,自我というものがあり,客体の表象というものが
ある。それらを全く一つも損なうことなく,主客の未分離は体験されるであろう。
それは,客観ロジカルな分析・理解の心的機能を超えた領域の体験であろう。
したがって,言語を受け付けないであろう。しかし,それは体験できる領域
の中にあるであろう。体験とは,自我と客体という一切をそのままに,それそのもの
が語るであろう。このような表現が,言い得ぬことを何とか言おうとする努力
の限界であろう。
328 :
brown:2006/11/19(日) 15:03:03 ID:lMQQqfBH
ちなみに,自我と客体を包摂する何者も存在しません。なぜなら,それが
全てだから。つまり,それは「全て」に包摂されるのです。「全て」という
何物かが存在するのではありません。それは全てとしてあるのです。
ある現象に対し,自我が対立するという認識を持ち続ける限り,この謎が
解けることはありません。「全て」に対して,未だそれを観る「主体」を
観念するのでしょうか?その思考形式で観る限り,何も得るものはないでしょう。
329 :
エコトラ18番:2006/11/19(日) 15:17:37 ID:zhq4/HxK
探求とはどんなものなんだ?
くだらないことを思い出した。会社にて昼食時の話。
レトルトのカレーがついていた。ご飯のぎっしり詰まった弁当箱に
かけるとあふれてしまうので、皆迷っていたようだ。何も考えてなかった
俺はご飯を少し先にたべてから、レトルトのカレーをかけた。おかしなことは
していないはずだが、「そんなことおもいつかなかった」と笑われた。
真実はある人にとってはくだらなく、あるひとにとてはおかしく、ある人にとっては
助けであり、ある人にとっては迷惑であり、ある人にとっては・・・・・
精神世界ということでも、ある人にとってほんとうでしかないことを苦闘や葛藤にきりかえるから、そのひとは
語らねば成らない。というおかしな現象が起きる。
330 :
エコトラ18番:2006/11/19(日) 15:20:01 ID:zhq4/HxK
周りの人が苦闘や葛藤にきりかえようとするから、に訂正
332 :
329:2006/11/19(日) 17:13:55 ID:zhq4/HxK
想像してもらえればそれでいいよ。空回りがやめられない。
因みにオレは医者を選んだがな・・
まあ、選ばされたというか。。
335 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 20:40:44 ID:HLDEugl/
医者に行って治らない時、また一から始まるw
336 :
329:2006/11/19(日) 21:13:22 ID:zhq4/HxK
あぁ、医者はもう行ってるんだよ。そりゃいろんな症状でたさ。
悲しいかな症状は出尽くすことはないんだよね。医者の側では
逸脱行為を収める事ができると思ってるようだけど、そんなことは
実際ありえなくて、やっぱり決心しかない
>>336 おまい、病気ではこの道は進めんぞ。
悪い事言わないから、おれと一緒に今生は大乗仏教
信仰しようぜ。
勝負は来世だ。知識だけは詰め込んでな。
信仰心は来世に持って行けるようだし。
339 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 22:57:19 ID:rvsYhXV4
>327
>もし主客未分離ということを,客観的ロジカルに考えるならば,その言葉自体が矛盾に満ちていることに思いをいたすべきであろう。
全然違う。現象学的に考えれば、明確にわかること。ロジカルに言えることだよ。
主体が生じると共に、客体が生じる。主体が生じる前には、客体もない。
だから、赤ちゃんはみんな最初主客未分、心理学的にも解明されてることだよ。
よって、自我意識が落ちれば主客合一になるんだよ。
>このとき,「右手がなくなれば,左手が鳴った」と答えられるというのは, 安直というものであろう。
その喩えは、ぜんぜん的外れ、自我は幻想だから落とすことが出来る。手みたいに客観的にあるんじゃないんだよ。
>実際に,心の機能には,自我というものがあり,客体の表象というものが
自我は必須の機能じゃないよ。認知・判断の機構とは別だから。自我がないほうが正しい認知判断が出来る。
>それらを全く一つも損なうことなく,主客の未分離は体験されるであろう。
そんなわけない。自我意識があったら、主客合一するわけない。論理的にありえないんだよ。
>このような表現が,言い得ぬことを何とか言おうとする努力の限界であろう。
ちがう。単にわかってない、勘違いしてるだけ。
>328
だから、あなた、brownがそう主張してるんだろ。何者も存在しないんじゃなくて、あなたが妄想してるの。
単に偉そうな作文つくってひけらかしたいだけ。恥ずかしいだけだよ。
>「全て」に対して,未だそれを観る「主体」を観念するのでしょうか?その思考形式で観る限り,何も得るものはないでしょう。
それは、僕が言ったことの受け売りじゃないか。
327の主張に自分で矛盾したことを言ってるのに気づかないの?
340 :
名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 23:48:10 ID:muckDrZT
brown様の体験は、ぼう般若心経サイトで見る限り、ナーマ ルーパ分離智+αでしかないような気がするが、あれから変化したのかな。
>>339 >自我は必須の機能じゃないよ。
時間と空間の交点。それが現実ならやはりそこに焦点合わせる
機能である自我は、現実社会では必須だと思うが・・どうだ?
342 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 00:40:44 ID:tSALB5DS
>341
>時間と空間の交点。
これはよくわかりません。
現実社会で必要というのは、「自分はこれこれの人間です」と説明できる必要はある。
履歴書とか、名刺の肩書きみたいなものですね。
でも、それは仮のもので虚構みたいなもの。
必須でない自我とは、思い込みによる自我で、そういう肩書きと略歴に対する同一化によって生まれる。
だけど、それを気にかけないで生きることも可能なのではないでしょうか?
「オレはこれこれのことをやってきた」とか「やっている」とか、それに執着せずにに活動し、生きることも可能だと思いますよ。
自分のやっていることに気づいていながら、執着しない、是非善悪も思わないというあり方は可能なのではないでしょうか?
実際にはなかなか難しいかもしれませんが、そういう在り方が、瞑想が生じる基盤であるような気がします。
今日が何日でここは何処か。自分はなんと言う名前か。
それを把握するのが自我。
>>必須でない自我とは、思い込みによる自我で、そういう肩書きと略歴に対する同一化によって生まれる
まさにその通りで同一化が全ての間違いの元。
「私は思考ではない。私は気分ではない。私は感情ではない」
R・アサジオリと言うイタリアの精神科医の脱同一化のメソッド。
しかしお主のいう精神状態になったら、それは悟りだと思うがのう。
今日は寝る。
ここは難しい。
24年前だったらおれもいい論客だったろうが・・・
344 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 01:53:12 ID:tSALB5DS
>343
>今日が何日でここは何処か。自分はなんと言う名前か。
それを把握するのが自我。
そういった、対象を把握する認識主体と、自我は本来別なのではないでしょうか。
心理学なんかでも、主体と自我は別に論じてる場合が多いのでは。
もちろん、自我があるうちは、認識に自我による投影、思い込みが混じりますが、
自我がなくとも、知覚、認知、思考、判断は出来るのではないでしょうか?
ところで、結局自我というものは、環境時代、その他全体の中で「つくられたもの」もと言ってしまっていいと思う。
それを自分でつくったように思って同一化するから、誤る、迷ってしまう。
そうじゃなくて、われわれはいつでも全体と一つなのではないだろうか?
EOが言うみたいに悟りによって、全体と一つになるのではなく、悟る前から、われわれは全体と一つであったし、全体から離れたことなど一度もなかった・・
個体は全体の一部であるという意味で、はじめから全体と一致している。
だったら、やはり、個が全体に「なる」のが悟りというのは、ちょっとミスリーディングな説明ではなかろうか?
実際には、どんなに修行しても個が全体に「なる」ことはあるまい。個は個のままでしょう。
三昧というのは、確かに全体意識になるという面はあるのだろうが、三昧が悟りではないはず。
ここらへん、EOの勘違いと違うかな?
>>344 概ね賛成。
あなたにはクリシュナムルティの「自我の終焉」が一番いいと思う。
未読であるなら是非読んでみてください。
「自我」をここまで追い詰めた本は多分無いでしょう。
346 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 10:15:52 ID:YuZXZPo6
>だったら、やはり、個が全体に「なる」のが悟りというのは、ちょっとミスリーディングな説明ではなかろうか?
そんな説明あったっけ?w
虚無の微笑のp62の説明では、そういう感じはしなかったが・・・
ちょっとした表現の違いでは?
元々個など存在しないというのは
歴代のブッダ達が必ず言ってる。
348 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 15:32:53 ID:tSALB5DS
>346
>>だったら、やはり、個が全体に「なる」のが悟りというのは、ちょっとミスリーディングな説明ではなかろうか?
>そんな説明あったっけ?w
>虚無の微笑のp62の説明では、そういう感じはしなかったが・・・
個が全体へ溶解するというイメージで大悟を説明しているのは確かですよ。
例えば、63頁の図の説明書きには「個体性の境界が裂けて神性へと溶解する」「これは、球体への虚無の侵入によって起こる」とある。
読んでない人のために説明すると、EOは個をピンポン玉、全体を大気に喩えて説明しています。
一つ目の引用は、「境界」という言葉を頭頂のサハスラーラ・チャクラととれば、クンダリーニによる解脱の原理に似ていなくもない。
だけど、「虚無の侵入」というのが、完全なオリジナルで・・
たぶん、歴代のブッダたちは誰もこんなこと言ってないでしょうね。。
前にも書いたように、虚無を実体として語るのはおかしいでしょう。
禅マスターだったら「そんなものがホントにあるんだったら、ここに持ってきて見せてみろ」と言うんじゃないでしょうか?
>347
>元々個など存在しない
そのとおり。個と全体の議論では、そう言うのが正解なんだともいます。
しかし、EOほうざんの説明ではどうもそうじゃないみたいなんですね。。
349 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 15:48:27 ID:tSALB5DS
>348
>前に書いたように
>280
です。一応補足。
だからさあ、クリシュナムルティ読んだ人書いてよ。
351 :
名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 23:06:12 ID:PZoz8qe2
EO光に対抗したのかな・・・・
352 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 01:01:06 ID:wPbus7tB
>350
何が「だからさあ」だかわかりません。
クリシュナムルティを持ち出したいなら、あなたが書けばいいことじゃないですか?
>351
光に酔っ払ってる精神世界の連中を批判するための闇ならいいけれど、闇とか虚無を本質・真理として立てれば、それこそ光信仰を裏返した、闇崇拝・無明経になりはしないだろうか?
仏教の正当では、基本的に闇とか光が本質であるとは言わないんですね。
光/闇、有/無のような二項対立になるものは、真実ではない。
存在の本質は、虚無と実在の二極端を超えた空性であると言うことで、そういう二項対立に捕まらないようになっている。
二項対立はわかりやすいけれど、相対を免れないし、絶対性を表せないんです。
353 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 01:42:38 ID:TUiS5TXm
たしかに、仏教系は極楽浄土、大日如来的なイメージに
陥りやすいなw
EOはそういう甘いの気に食わなかったと思う。
354 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 02:05:16 ID:wPbus7tB
>353
だから、そういう二項対立は全部ダメだと言ってるの。
光を強調しても闇を強調してもどっちも誤りだってこと。
EOはそもそも悟ってないよ。
ほうざんがちょっと前の竹の間で「自分は小悟しかしていない」という意のことを言ってる〔3624〕けれど、だったらEO(=ほうざん)も同じ。
体験はあったからしれんが、それを「EOイズム」なんてものにして教えを立てちゃったろ終わりだよ。
あるがままの世界が法であるのに、なぜ悟った人間が「何とか主義」を立てる必要がるのか?
そういう「自己の主義・主張」みたいなものがあるうちは、大悟なんて夢のまた夢だろうよ。
全ての相対を超えた悟りがあったら、何とか主義みたいなものは出てこないはずなんだよ。
355 :
brown:2006/11/21(火) 02:11:26 ID:Zfa0Yz3R
356 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 12:23:01 ID:5K3jPCEj
ドーナツの穴は有るのか無いのか・・・と言う事か・・・?
357 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 13:40:19 ID:wPbus7tB
>355
どこがどう「んなこたーない」のか言わなけりゃ無意味、ただのぼやきだよ。
叩かれるのが怖くて言えないのかな?
>356
何のことかわかりません。
闇云々はEOの「シャレ」だと思うな、俺は。
359 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 14:42:08 ID:wPbus7tB
>>358 全部シャレだったらいいでしょうけど。。
360 :
Y:2006/11/21(火) 17:19:37 ID:sJAi6ahD
自我が強調された世の中だから
闇を方便として強調してるという考えはアリでしょうか。
イズムにしてしまうのはおかしいと自分も思いますが
方便としては何を強調しても構わない気もします。
361 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 17:53:32 ID:5K3jPCEj
>>357 虚無が有るのか無いのか、の表現て、
ドーナツの穴が有るのか無いのかの表現の違いなのか、
と言う感じなのかなと思った。
362 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 18:53:36 ID:wPbus7tB
>>360 >方便としては何を強調しても構わない気もします。
EOがホントに悟っていて、言ってることが法に適ってればいいでしょうが、僕に言わせるとEOもほうざんもだいぶおかしなことを言っていると思う。
野弧というか、狐狸の類と見ていいと思っています。
「オレは悟ったんだ」みたいな匂いがプンプンする感じなんです。
それはおかしい。ホントに悟ってる人は「オレは悟ってる」なんて意識はないし、あったらおかしいんです。
悟りに類するような体験はあったのかもしれないけれど、その体験を「自分のもの」として、担いで生きてる感じ。
それは鼻持ちならない所があるよ。
もっとも、好みで言えば、初期のEOの本はわりと好きですよ。
しかし「悟りなき悟り」と「虚無の微笑」は、期待はずれでした。
「虚無の微笑」はEO著と言いつつも、実際には現在のほうざんが書いたんじゃないかという気がます。
昔のEOの感じとはちょっと違う気がするんですね。
>>361 それはちがうでしょう。
ドーナツの穴はあると言っていい。
けれど、虚無は無なんだから無い、無いものを実体として言うのはおかしいんです。
363 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 20:26:34 ID:wPbus7tB
無について、もうちょっと補足すると、般若心経にあるように、無(空でも同じですが)は現実(色)と別ではないし、現実は無と別ではないと言う理解が正しい。
だから、無によって現実を否定するとか、現実のほかに無があるように言うのは間違いなんです。
無と言うのは、全ての現象には「実体が無い」と言う意味で、ものが無いとか存在が無いとかではないんです。
EOが言う虚無には、現実否定のニュアンスがすごく強いように思うんですが、それがやはり問題だと思います。
ストーンズの曲に「黒く塗れ」と言う曲がありますが、まさにそういう感じ。
色とりどりの現実に虚無のペンキをぶちまけて、真っ黒にしてしまう。
だけど、それをやったら、やっぱり現実逃避になってしまうのではないでしょうか?
ぼくは、世間で言われるように「現実に地に足をつけて生きろ」とか言いたいのではなく、やっぱり教え・認識がおかしいと、それに従ってもおかしな所へしか行けないんではないだろうかということです。
365 :
綾波EO :2006/11/21(火) 23:14:46 ID:GgO+jZXM
>>354 ほうざん君と私は別人よ
>>362 初期のEO名義の本はたしかに生前の私が書いたモノだけど
「悟りなき悟り」と「虚無の微笑」には私は関知してないわ
ほうざん君にはこの程度が限界なのね・・・・・・・・・・・
366 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 23:43:20 ID:zGlH5225
是諸法空相
だだっこのあなたがたが一番よく知ってる
367 :
名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 23:57:42 ID:wPbus7tB
>>364 大乗がどうたらじゃなくて、法自体、現実自体がそうだと言うことです。
とってつけた事言ってるわけじゃないんです。
EOほうざんは、伝統的な仏教や禅を批判しますが、彼はそれらを批判できるほど飛び抜けているわけでもないし、理解があるわけでもない。
むしろ彼の法の理解は不完全な点が多いと思う。
知識や理解が不完全なまま他を批判してもしょうがない。
逆に妄説でもって衆生を惑わしてるみたいなもんだと思います。
368 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 00:49:54 ID:8BoAXBD6
あなたも悟ってから言いなさい
369 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 01:50:54 ID:GwlM9wKv
>368
僕は悟らなくてもわかるような基本的なことしか言ってません。
悟らなきゃ言えないようなことは言ってないんです。
>>369 368さんではないですが。
現実に対する、そもそもの「悟らなくてもわかるような基本的な」認識が、
あなたとは根本的に違う人間もいるということを、まずは知ったほうがいい。
創造主でも、神でも、法でも、なんでもいいけど、
真に慈悲深いのであれば、世界はどうしてこんなにも苦痛に満ちているのだろう。
なおかつ、苦痛や葛藤がなければ楽も感じられない、ときたもんだ。
加えて言えば、相対的な見地からではなく、
苦楽を感じる、そもそもこの「感情」や「知覚」とはなんなのか、
ほんの針の先ほどだとしても疑念を抱く者もいるということ、
つまりは、あなたとは違うスタンスで世界を見る人間もいるということです。
371 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 10:35:46 ID:r7tvcoKt
>>369 本当にそう思うなら、ほうざんさんにメールしてみたら。
EOは悟る前に、宇宙の彼方の無に遭遇したんだったよね。
で、自分が消える恐怖を知った。だから無を強調してるんかな。
宇宙が有限かどうかはわからないけど。
悟った人というのを、悟った人でも、区別付くのかどうか解らないけど、
自分は悟ってないので良くわからない。
悟った人にも個性はあると思うけど。
ただ、自分が思うのは、自分は仏教では悟れそうもないって事だよw
372 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 12:43:53 ID:GwlM9wKv
>>370 >>371 だから「悟らなくともわかること」と言うのは、論理的なことですよ。
論理的におかしいことをおかしいと言ったまで。
あなた方が言うようなEOほうざんの宇宙観や生命観には言及してないんです。
今はこれからやることがあるので、今日の夜にでもそれについて少しまとまったことを書きますよ。
>ただ、自分が思うのは、自分は仏教では悟れそうもないって事だよw
何やっても悟れん人はいるでしょうねw
仏教とか禅は難しいところもありますが、ちゃんとやれば理解は完全になりますよ。
理解=悟りじゃないですが、考えとか見解においては、迷うことはなくなります。
それに対して、僕からみるとEOほうざんなんかは、やっぱりサブカルチャーですよ。
和尚だったら、ごまんと経典読んで理解してるからまだいいですが、EOにはそれもないでしょ。
これも後で書きますが手前味噌の「哲学」ごときじゃどうにもならんのですよ。
373 :
名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 16:42:49 ID:r7tvcoKt
>>372 ブッダの本は読んだ事あるよ。
ブッダのことば−スッタニパータとか。
悪魔との対話 と言う本だったかな〜
解脱した弟子が、ナイフで自殺して、
悪魔が魂を探したが、見当たらず、
ブッダは、その人の魂は消えたのだ、と悪魔にいった・・・ような話。
ただ、悟った人が自殺しちゃう事に驚いたので、覚えてたんだけどw
自分は、悟りを知的に理解しようとは思わないから、な〜。
悟りを開きたいと思った出発点が、単なる生活苦だもの。
修行僧にはなれないし・・・。日本人で、生活密着型の解りやすい悟った人求むよw
374 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 01:00:23 ID:RCv2qnqp
悟りを開くって、数学の難問を解いてみたいとか、ゲームを征服したいとか、
みたいに感じてる人がいるね。
ただ葛藤のない人生を送ることなんでしょ。
自分の意見に合わないことをしないスタンスでは
結局今までどうりの自分だよね。
ま、切羽詰まってないんだよ。
そういう時はEOも言ってるが
自我を思い切り肥大させるほうが早いよね。
とはいえ、それが出来ない小心者がウダウダ言うんだがw
375 :
brown:2006/11/23(木) 02:06:36 ID:8Tw74zQi
>>354 いや,多分理解できないだろうけど,「二項対立である」のか「二項対立でない」
のかが既に二項対立なのであって,自分の論理をまず自分に当てはめてみろ
っちゅうことですわ。
「あるがままの世界」あるいは「あるがままの世界認識」なのかそうでないのか,
悟りの世界なのか,悟っていないのか,全て二項対立ですな。
ま,君に分かることは一生ないわけだが。
376 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 02:31:28 ID:yTzGh518
>>372 まあ、今の僕にとって、EOイズムは結構どうでもいいのですが、予告したんで書きましょう。
まず、生の本質は苦であるという事についてですが、これにはおおむね同意します。
もちろん細かいこと言い出したら、それは違うだろってところはいっぱいありますが、めんどくさいのでおおむねで同意でいいです。
一切皆苦って仏教と一緒ですね。
それから、彼の宇宙論ですが、これはまず、チャネリングで得た情報だそうなので、真偽のほどは確認不能ですね。
それともうひとつ、チャネリングと言うものは、チャネラーの中に、観念、主義、主張や理想や恐怖などがあると、
そういったものを全て反映した結果になってしまうと言うことを忘れてはいけないと思います。
だから、ポジティブシンキングの人には、ポジティブなメッセージがくるし、ネガティヴな人はそのような存在、宇宙とつながる。
だから、正直なチャネラーは「所詮チャネリングなんで、お話半分に聴いてください」と言うでしょう。そのチャネリング結果を基にして、何とかイズムなんていう体系を立てたりしないんですよ。
それで、EOの場合も、その当時サラリーマンの彼が抱いていた生活感覚、世界観みたいなものを全部反映した結果なんだと思います。
このスレで既にそう言っていた人がいましたが、僕も同意します。
「人類は高次元存在が食物とする波動を生産するための家畜である」とのことですが、こういうわれわれの位置づけって、別に異次元を前提としなくとも、
この次元世界だけでも同じようなもんでしょう。
会社では労働力を搾取され、国家からは税金を奪取され、稼いだ金はカミさんに持っていかれみたいな・・
この次元の現実をまったく反映した宇宙観だと思いますよ。浮世離れしてるどころか浮世そのまま、
俗界の現実をそのまま多次元宇宙に投影したような宇宙観だと思います。
ここでいったん切ります。
EOのおかしな記述はいくつかあるが、
>人類は高次元存在が食物とする波動を生産するための家畜である
もその1つだな。
わざと、おかしな妄想を書いているのならいいのだが、大真面目に書いているのなら、少し変だな。
だいたいだな、高次元の食物だとして、それでいいではないか
食物連鎖があって当然だし、高次元でなくても、身近なウィルスや細菌のエサにもなるわけで、
高次元のエサだなんだと別段、気にすることもなかろう。
>>375 解かったと思った時には、すでに間違い始めてるものだよ
379 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 03:01:21 ID:yTzGh518
それで、僕がちゃんちゃらおかしいと思うのは、彼が「哲学」と呼ぶ、その生存意義の探求のことですね。
僕に言わせれば、哲学でもなんでもない。単に思春期の悩みとか青春の苦悩みたいなものの延長で、
多次元宇宙の話まで持ち出してスッタモンダやってるだけだという気がしますね。
このことは二つの側面から、文句が言えるんですが、ひとつは「哲学」の側面ですね。
それで、まず哲学って言うんなら、その問いが妥当かどうかを考える必要がある。
「生存とか宇宙にどんな意味があるのか」を考えるならば、まずはその「意味」って何だってことを考えなくちゃならないはずなんです。
それで、ちょっとでも哲学をかじったことのある人ならば、「意味」は、人間の頭の中にしかないってことは、すぐにわかるはずのことです。
意味って言語とか概念・観念を離れてないですから、人間が対象に対して付与するもの以外ではありえないんです。
例外があるとすれば、キリスト教みたいに、宇宙を創った創造主を認めた場合ですね。
だけど、そうではなしに、科学とか仏教で考えられるように、自然発生的に宇宙が発生したと考えるならば、意味なんてなくて当たり前。
それは物とか存在自体に意味が無いのと同じだから。
これはちょっと考えればわかることだから、わざわざ多次元宇宙の果ての神だかなんだかにたずねる必要なんてない。
そんなことやったって滑稽なだけですよ。
しかも、それで「意味が無い」と言われて「絶望した」なんて大げさなことを言っているこれど、僕から見たらまったく絶望するほどのことじゃない。
むしろ当たり前のことでしょう。
ここでまた切ります。
380 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 03:06:07 ID:yTzGh518
もう一つの側面は「精神病理学」です。
「宇宙人と話した」とか言っている精神病者がいっぱいいるのは周知のとおりですが、笑い話ではなく、どうしてそういう妄想が生じるかと言うことを言うと、
これは先ほど思春期の悩みといったのと同じような、自我の問題からです。
自己を世界の中で位置づけることが出来ないとか、自我を支える根拠が無いと感じていて、自我形成が出来ないでいる人々が、神であるとか宇宙であるとか、その他有名人とな関係などを妄想して、必死で自己確立をしようとする。
その症状がいわゆる分裂病とか統合失調症といわれる症状なのですが、EOもそこまで行かないにせよ、実存的な空虚感から、生存の意味、自己がこの宇宙の中で生きる意味を必死で求めたんだと思います。
そのことは決してバカにして笑えるようなことではないのですが、そういう青年期特有の実存の危機みたいなものは、誰にでもあるものなので、それを「哲学」がなんだ「神」がなんだといって騒いで、偉そうに他人に威張れることではまったくないんですよ。
それでえばったり、挙句の果てに宇宙論をぶちたてたりするのは全く滑稽なことだと思います。
虚無にしたって、それは別に「宇宙の果て」に行かなくたって、あるんです。
今ここで、自分が思い込んでいた現実という虚構が脱落するときには、誰でも虚無を通過します。
多次元宇宙の果てまで行く必要なんてないんです。
EOの場合たまたま症状としてそういうところまで行ったというだけの話です。
まあ、真実を妥協せずに追究したことは立派かもしれないけれど、
彼のやったことは全く特別なことではないんです。
それを特別視して崇拝するのは、おかしいんです。
以上でEOの生命観、宇宙観についての一連の投稿は終わりです。
381 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 03:31:13 ID:yTzGh518
>>357 あなたはホントに笑わせてくれますね。。
僕が理解できるかどうかを心配する前に、
まずオマエが自分の言ってることわかってるかどうか心配しろ。
あんたは切羽詰ると、僕の論理を借りてきて反論しようとすようだが、
まずは、他人の論理を借りる前に、その論理を理解することだよ。
第一、なんで二項対立は間違いなわけ?
これがわからないと、あんたは単に他人の言葉を意味もわからずにリピートするオウムと一緒だよ。
もう一つ言うと、あんたはもっと簡単なはずの「二項対立」という言葉の意味もわかってない。
例えば、「善悪」というのは二項対立だけど、「二項対立か二項対立でないか」は二項対立じゃないんだよ。
それをごっちゃにしちゃ終わりだよ。
意味わかってない言葉とか概念使って反論しても反論にならんの。
自分の無知・愚かさを晒してるだけ。ただの自爆ね。
あるがままの世界は一つしかない。それ以外ないんだよ。
あるがままを誤認してるやつがいてもそれがあるがままだから。
それら全部ひっくるめて法なの、人間の見解とかあんたのたわ言も関係ないの。
>>328 うは、なんかここ面白い人が多いね
そそ、それそのとおり
「ある」ということだけなんだよな
>>381 二項対立は間違いじゃないぞ
思考機能の中にある概念であって間違いか正しいかの問題ではないんだな
384 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 18:15:48 ID:MWy+4icK
381は反逆の宇宙という本は読んだ?
あそこに大悟と解脱の違いについて書いてあるんだけど
あれ読むとなんでeoが禅とか大乗批判してるのかが分かると思うんだけど。
ダイジとかも同じ問題で禅宗連中からまがい者扱いされたでしょう。
大乗否定というのは多分あなたにとっては自己否定されるに等しいのかな?
「論理」と言い換えてたけど。
385 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 19:55:40 ID:MBI9yWWR
>>376 p208には、
釈迦は晩年になって解脱の保存という元々の目的を取り戻した、
とか闇の技法の事が書いてあるけど、
それは、初めて聞くはなしだな〜と思うよ。
自分が思い込んでいた現実という虚構が脱落するときには、誰でも虚無を通過します、
という虚無じゃなくて、存在を終わらせるためのものだし。
386 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 19:56:45 ID:MBI9yWWR
387 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 20:53:22 ID:iNhriMmd
>>383 だから、二項対立は観念の産物。よってその枠組みで考える限り、究極的には真理に達し得ないということ。
すなわち、その対立構図自体が究極的には誤りだということだよ。
もっと詳しくもいえるけれど、このくらいでわかるでしょ。
>>384 大悟と解脱の違いは、あるんじゃないかと思っています。
だけどそれは、行法によるというより、人によるでしょう。
ほうざんも、手裏剣に夢中になっていて、ホントに解脱できるんかなぁ・・w
>>大乗否定というのは多分あなたにとっては自己否定されるに等しいのかな?
全然全く。何でそう思われるのでしょう?僕は別に大乗の信者でもないし・・
>>385 だから、それもチャネリングと同様の「お話」でしょ。
ぼくはEO本というものは、ハッタリ半分以上と思っているんですけれど、皆さんは全部信じてらっしゃるのでしょうか??
でね、「宇宙の真実」みたいなものを知るには、チャネリングじゃなくて、クンダリーニの体験が必要だと思いますよ。
チャネリングじゃどこにつながるか皆目不明ですから。。
さらに言うと、そういう闇がどうたらの「お話」が今ここの瞑想修行になんの役に立つのかわからないでしょう。
僕に言わせればそんなの無意味ですよ。
自分自身でそういう次元にアクセスできるようになった時のみ、問題に出来ることでしょう。
釈迦自身、来生とか別次元の話はしていない。
直接確認しようのない「お話」をしても無意味だからでしょう。
「存在を終わらせる虚無」と契約しなければ、解脱できないと信じるのも勝手ですが、
僕は正直言って本気にはできません。
「虚無の微笑」は読むのには面白いよ。
でも瞑想修行の役には立たない。
それは、小悟していても、してなくても同じだと思う。
388 :
名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 21:11:21 ID:iNhriMmd
普通の人の目に見えない物とか知覚できない世界とか、
そういうものを根拠として自己の思想を根拠づけ、
他人に信じさせるというのは、基本的に卑しいことだし、
インチキ宗教の始まりなんです。
「特別な存在」になりたいと思っている人、
そう思われたい人が、よくやること。
僕は、彼からは離れていかなければならないと思っている。
かたぎの人間は、ハマッちゃヤバイですよ。
普通じゃないんだから、彼は。
本当の覚者って、もっとあたりまえな人ですよ。
決して特別な存在じゃないし、特別に見せようともしないはずです。
突飛なこと言って人の気を惹こうとするような人間には近づかないことです。
十牛図の上にはまだあと五段階あるとか言って、自分がさぞ偉いように見せる。
アホくさって思うのは僕だけなんでしょうかね??
あのう、まだ「廃墟のブッダたち」しか読んでないんですが、
EOさん=崩山さんなんですか?
390 :
384:2006/11/24(金) 00:15:39 ID:qGnGA2Ab
>僕は、彼からは離れていかなければならないと思っている。
かたぎの人間は、ハマッちゃヤバイですよ。
普通じゃないんだから、彼は。
>本当の覚者って、もっとあたりまえな人ですよ。
決して特別な存在じゃないし、特別に見せようともしないはずです。
どうなんでしょ。
そもそもeoなんかに「本当の覚者」らしさを求めなくてもいいと思うんだけど。
まああなたの言うようにただのガイキチかもね〜
391 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 00:33:35 ID:mux8s+f8
若くして亡くなる覚者って、キリストもだけど、荒削りの魅力がある。
EOもそういった者と思ってる。
円熟したじいさんの話とかは、取り方によっては
ただの道徳話に捕らえてしまう危険がある。
そして小心者は得てして道徳話に安心するよね。
私はEOの自殺に関しての考察は切れがあって大好きだ。
>>376 EOの宇宙観は悟る前の話じゃないのかな
このような道程だとありのままに書いただけでしょ
もしも、悟った後でもそのような妄想話をまともに書いてたとしたら
おかしいよね
知りようがないことは知りようが無い
知りようがないことを知っていると書いたら妄想だ
知りようがないことをわざと知っていると書いているとしたら
何かねらいがあるのだろう
EOの宇宙観は妄想というより、何かねらいがあって書いているのじゃないかな
>本当の覚者って、もっとあたりまえな人ですよ。
>決して特別な存在じゃないし、特別に見せようともしないはずです。
うーん
はっきり言えば特別を望まない人だろうね
確かに十牛図にあと5つあるということには、くだらない妄想体系だとは思うが
何を言いたいのかはわからん
虚無虚無と並べ立てるが
実質は虚無であることを言いたいのか
恐れゆえに虚無に感じることを言いたいのか
どちらかはわからんが
どちらにせよ
通過というなら後者になるし
微笑というなら前者になるだろう
虚無の微笑を読んだわけではないが
虚無の微笑といえば最後に行き着くところだ
行くというより帰着といったほうがいいかな
実態は形がなく捉え様がないが存在としてありありと現前している
しかも存在は互いに挨拶を交わしている
無言の挨拶であり
微笑の挨拶である
ばんこちゃん あいかわらずテキトーだねw
でもそこが好きw
396 :
Y:2006/11/24(金) 10:23:13 ID:KlgGEsHL
バーナデットロバーツの自己喪失の体験
途中まで読みました。
とりあえずの印象。
あれ、虚無の侵入?虚無の微笑?
個が全体に溶解?
「虚無の微笑」は読んだ事ないが
ここの書き込みを読んだかぎりじゃ
バーナデットが元ネタか??という素朴な疑問が。
397 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 13:55:45 ID:a0RatD1k
>>387 大真面目に信じてるよ(笑)
信じても信じなくてもどっちでもいいとは思ってるけどね。
人生の基盤にするには、自分にとって何の根拠も無いものだから。
空が青いな〜今日。
とか考えてると、そんな宇宙観など、忘れてるしw
EOの言う宇宙がどこかに存在してたとしても、
自分には、何の関わりも無く、というか、関わってたとしても、
実感も無く・・・。
悟りと言うものが、そもそもあるのかすら、わかんないし。
自分で、悟ったら、そうなんだな〜て思う事でw
竹の間で、子宮の話を読んで、
今度産まれる時は、ドーナツ状に薄く光る子宮を目指して
飛び込もうと思ったよ。
ま、死んだ後、覚えてればだけどw
もう、今世はだめだな。私wと思いつつ、
壁に貼った、ほうざん氏の書を見るw
398 :
ばんこ:2006/11/24(金) 21:15:42 ID:LSBpWiPE
(一)理論にとって不利になるような、考え得るいかなる証拠ももとめず、
(二)其の理論の見地に立って、批判するものの動機を分析することによって
批判をかたずけてしまう、という方法によって維持されているとすれば、
私は是を「閉じた体系」となっていると言いたい。
人間本性に関するさまざまな理論を合理的かつ客観的に論じることは、果たして
可能なのだろうか。そのような理論が生き方の中で具現化されている場合、
理論に寄せる信念は、たんなる論理的思考を越えているように思われるからである。
事実、前述した閉じた体系を作る方法を用いれば、信念は批判にビクともしない
確固たるものになる。そうなれば最終的には信仰とか権威にうったえることに
なるのだろうが、そうなったのでは「一体なぜこれを信じるのか」
「一体なぜこの権威を受け入れるのか」などどいう、まだ信じるところまで至って
いない者が知りたいと思っているような問いに対して、答えは与えられなくなってしまう。
399 :
2:2006/11/24(金) 21:40:02 ID:LSBpWiPE
まず第一に、著述は何々で”ある”という事実の陳述であるように見えながら、
実は、何々でなければならないという価値判断である場合がある。
例えば、誰かが同性愛は不自然であると言ったとしよう。すると、知られているほとんど
全ての社会において、同性愛はある程度まで存在する、という反論が投げかけられる。
それに答えて、それぞれの社会においてごく少数のものだけが同性愛なのだから
、陳述を論破することにならないという返答がかえってくる。それを受けて反論する
人は、社会の大部分の人々が異性間の愛情行為に加えて、同性愛間の愛情行為を楽しむと
言う場合もありうる。(そして古代ギリシャにおいてはそうであったらしい)と主張
する。それに対するこたえは「デモヤハリ不自然だと言いたい」というものだとしてみよう。
この答えからわかることは、話しては結局、人々が実際にしていることについて何かを
述べているのではなくて、どうすべきか(またはどうしてはならないのか)について意見を
述べているのである。このことは、同性愛といわれる人に対して、話し手がひどい嫌悪感をもって
反応するのが確かめられれば確認できよう。このようにして、もし述べられているのが実は
「価値にかんする」ものであり、事実に関するものでないならば、現実に生じている事実を根拠に
著述を論破することはできない。
400 :
3:2006/11/24(金) 21:53:29 ID:LSBpWiPE
なぜなら、現に生じていることは生じては成らないことであると言っても、決して
矛盾しないからである。しかし、著述が正当な権利を持って、このような証拠となる事実に
全く影響されないものでいられるためには、それは価値判断でなければならないし、
万が一にも何々”である”という事実をいわんと”している”のだとみなされてはならない。
一方、もし著述がそのような価値判断であって、事実に全く影響されないならば、
其の著述は#事実によって支持されることもない#というのも実際に生じるものは、必ずしも
当然生じなければならないものである、とはかぎらないからである。
人間本性に関する著述は特にこの種の曖昧さに陥りやすい。価値判断には正当な根拠を与える
ことはできないとか言う必要はあるまい。価値判断はどんな性質のものか=「客観的」でありうる
のか否か、究極的には事実を述べた陳述と異なっているのか否かなど=は道徳哲学の中心課題の
一つであり、ここで私は早まった判断をくだすつもりはない。ただ、人間の本性についての理論を
講じる場合、このように論述に関する疑問を明らかにしておくことが、しばしば必要不可欠であるという
ことを指摘するだけである。
401 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 21:55:25 ID:LSBpWiPE
上記論述→著述
402 :
名無しさん@3周年:2006/11/24(金) 21:57:48 ID:LSBpWiPE
上記、何々術はすべて「陳述」
403 :
4:2006/11/24(金) 22:21:54 ID:LSBpWiPE
次のことが理解できると思う。もしある人が、すべての人間はXであるという
陳述をなしておいて、何人かの人間はXでないかもしれないという 提言
を、事実の探求も無しに退けるとするなら、われわれは、「人間がすべてXであると
いうのは、人間についてのあなたの定義の一部なのですか?もしくは、Xでないような
人間が発見される、何らかの可能性は残されているのですか?」
と尋ねるべきである。この陳述を彼が定義として認める場合に限って、彼は真偽の根拠となる
事実にとらわれる必要がなくなり、それを探求しなくてもよいことになる。
ほうざん大先生はちょっと一人よがりな感じがするね。
ただeoの宇宙論はともかくとして伝統的な行や意識の構造に対する洞察
などは「ちゃんちゃらおかしい」ですませられないものがあるんだよね。個人的に。
「指導者も教導者もいない。貴方に何をなすべきか教えてくれる人は誰も居ない。
この野蛮で狂った世界には、貴方一人しか居ないのだ。」BYクリシュナムルティ
人類が食らった宣告だ。
406 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 02:26:53 ID:d67eHShh
クリシュナムルティ は一応ケチ付けられないよw
EOは突っ込みどころがあるから面白い。
407 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 08:11:25 ID:OrxfVDUu
>404
>伝統的な行や意識の構造に対する洞察
などは「ちゃんちゃらおかしい」ですませられないものがあるんだよね。
具体的にどういう部分が?
僕からみると、EOほうざんは禅も仏教もわかってない。
唯一原始仏教に近いところがあるけれど、禅やチベット仏教については理解がないと思う。
彼は基本的に和尚の枠組みで考えてるから、それによって誤っている点が多いと思うよ。
例えば、思考が生じないのが悟りの基盤であるみたいな、基本的な無知・無理かがあると思うな。
408 :
惰眠:2006/11/25(土) 12:29:04 ID:Lh3hMy8f
>>398-403 もっとわかりやすく書いてくれ。
「閉じた体系」を生み出してしまうのは論理的思考を超えている信念で
それが信仰や権威を作り出すのならば信念を放棄しなければと思う。
でも論理的思考を超えなければ何も変わることなく終わるように感じるんだけど。
結局、掲示板その他で論じられているものは「価値にかんする」ものがほとんどのような気がする。
現に生じている事実を事実そのままに論じる事が可能なんだろうかと考えてしまう。
定義付けてしまったものは探求の必要性はないと言うことだろうか?
よくわからん。
409 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 15:18:41 ID:OrxfVDUu
EOはどこかで、宇宙そのものが無価値であると言ってなかってっけ?
価値観や主義主張を立てるから、それに振り回されるし、誤ってしまう。
そう説くのは、禅やクリシュナムルティなどと共通している。
だけど、EO崩山も最終的には、いろんな主義主張を立てちゃってますね。
瞑想修行の前に「自我を生きなきゃならん」とか「セックスをやりつくさなければならん」とか・・
どっちも他のマスターが言ってないことですよね。和尚がそれに近いことをチラッと言ったくらいでしょう。
自我というのは、その虚偽や虚構性を意識して、そこから生じる問題を片付けなきゃならんというのはあるけれど、
そもそも虚構である自我を成長させたり、肥大化させる必要はない。
自我を誤魔化さずに意識できるかが問題なのであって、生きるかどうかは問題ではない。
そういう、瞑想以前の欲望を生きなければ瞑想ができんというのは、
EOほうざん自身には当てはまるのかもしれないが、万人に言えることじゃない。
最初から本質に飛び込むような生き方も、できる人にはできるんです。
そういう人も過去にいっぱいいましたから。
十八歳で見性した趙州に、自我を伸張させる過程などあったでしょうか?
セックスをやりつくす段階などあったでしょうか?
そういう事実知識を全部無視して自論を主張したって、意味ないですよ。
我田引水が目に見えすぎなんです。
セックス本を売りたいのなら、悟りの話は別にして宣伝すればいいんじゃないのかなぁ。
410 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 15:35:14 ID:d67eHShh
様々な道があってよいw
そもそもEOを論じる時点で
EO的なものに惹かれてるよね、好き嫌いは別で。
>407
>具体的にどういう部分が?
例えばヴィパサナについての批判と洞察だね。
これは「反逆の宇宙」か「小さなブッダの大きなお世話」に書いてあったと
思うけど自分はヴィパサナをよくやってた事もあって同意できる部分が多かった。
観察意志自体が問題だとか行を行う動機そのものが問題だとか言う話もあった。
サイトでは確か「本当の観照とは何か?」というeoの質疑応答があったと
思うけどあれも個人的にはすごくうなずける部分が多かった。
>僕からみると、EOほうざんは禅も仏教もわかってない。
>唯一原始仏教に近いところがあるけれど、禅やチベット仏教については理解がないと思う。
うん そうかも知れんけどあなたの話聞いてると何かひっかかるな。
ほうざんが分かっていない禅やチベット密教について説明してちょ。
>彼は基本的に和尚の枠組みで考えてるから、それによって誤っている点が多いと思うよ。
>例えば、思考が生じないのが悟りの基盤であるみたいな、基本的な無知・無理かがあると思うな。
これはあなたの誤読じゃないのかな。
>思考が生じないのが悟りの基盤であるみたいな
「悟りなき悟り」では無心とかは問題にしてなくて
原初の意識の分裂のみを本質的な問題として書かれてあったんだけど
読んでないのかな?
>瞑想修行の前に「自我を生きなきゃならん」とか「セックスをやりつくさなければならん」とか・・
どっちも他のマスターが言ってないことですよね。和尚がそれに近いことをチラッと言ったくらいでしょう。
oshoはチラッと所じゃないよw
かなり強調しとったよ。
自我についてもセックスについても。
ただ前にも書いたけど何で他のマスターを引き合いに出してeoほうざんを
批判しとるのかがよく分からん。
>自我というのは、その虚偽や虚構性を意識して、そこから生じる問題を片付けなきゃならんというのはあるけれど、
>そもそも虚構である自我を成長させたり、肥大化させる必要はない。
>自我を誤魔化さずに意識できるかが問題なのであって、生きるかどうかは問題ではない。
eoほうざんの言う所の自我を生きるというのは多分あなたの考えてるイメージと
違うんじゃないの?もっとシンプルな意味で体験する事で消化されるものってあると
思うからね。
>そういう、瞑想以前の欲望を生きなければ瞑想ができんというのは、
>EOほうざん自身には当てはまるのかもしれないが、万人に言えることじゃない。
>最初から本質に飛び込むような生き方も、できる人にはできるんです。
>そういう人も過去にいっぱいいましたから。
>十八歳で見性した趙州に、自我を伸張させる過程などあったでしょうか?
>セックスをやりつくす段階などあったでしょうか?
前世でやり尽くしとったかもしれんよw
そういやoshoは晩年の禅講話で性の道はプロセスは長くなる、
直接瞑想の道に入れば早いとも言うとりましたね。
>そういう事実知識を全部無視して自論を主張したって、意味ないですよ。
>我田引水が目に見えすぎなんです。
あなたそんなに気になるなら批判メール無名庵に出してみたらいいと思うよ。
ほうざん大先生は経験第一主義でいつも物事語る方だからアカデミックな匂いの
する人は嫌いかもしれんけど。
あとエオはエオイズムに対しても別に特別視しとらんように見えたけどね。
これも宇宙の歯車の一つと言いきっていたし自分の言論はoshoやその他の
祖師達の方便によって道からそれてしまった人達を道に引き戻す為の方便だとも
言っとったでね。
何か全然誤読しとらんかい?
まあ自分はeoほうざんにはリアリティ感じつつも?マークも出る事も
あるんであなたの言う事全面否定じゃないんだが・・・・・・
EOとはなつかしいなあ。
なんでも最初はそこそこだったが、だんだんおかしなことを
言い始めて誰も相手にしなくなったとか。
精神世界では数少ない熱狂的支持者(偏屈者)と、
良くは言わない大多数のノーマルな人がいるね。
416 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 18:26:30 ID:OrxfVDUu
>>411 >観察意志自体が問題だとか行を行う動機そのものが問題だとか言う話もあった。
それは、禅でもそうだし、和尚も言ってことでしょう。EO独自の洞察じゃないですよ。
>ほうざんが分かっていない禅やチベット密教について説明してちょ。
チベット仏教は説明しきれないところがあるけれど、
禅だったら、EOイズムなんかよりも、言ってることはもっと簡単。
EOほうざんのやり方だと、どうしても修行や方便が残るが、禅では、本来結果だけしかない。
結果に安住するのみ。
もちろん、実際には座禅を組む必要はあるんですが、瞑想の前に我欲を生きろだの余計なこと言わない。
理論的にはプロセスや修行を必要としない。
からっと晴れて何もない感じですね。
ですが、EOほうざんは、余計なこと言い過ぎ。
正しいこと言ってないということじゃないんですがね・・
>eoほうざんの言う所の自我を生きるというのは多分あなたの考えてるイメージと
違うんじゃないの?もっとシンプルな意味で体験する事で消化されるものってあると
思うからね。
「反逆の宇宙」なんかではそうは言ってない。はっきりと「自我を成長させる」必要があるといっている。
もちろん、無意識の部分を減らしていくという意味の成長ならわかるけれど、彼が言ってるのはそうじゃないところが問題でしょう。
>「悟りなき悟り」では無心とかは問題にしてなくて
原初の意識の分裂のみを本質的な問題として書かれてあったんだけど
読んでないのかな?
そうじゃないでしょう。例えば『悟りなき悟り』だったら、
117頁の説明には無思考を悟りへ至るプロセスと一段階として説明してますよ。
こういう考え方が間違いといってるんです。
こういう考えに従ったら、修行のやり方そのものを誤ると思う。
思考が無くなればいいということになってしまうから。
417 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 18:36:31 ID:OrxfVDUu
>>413 >前世でやり尽くしとったかもしれんよw
そういやoshoは晩年の禅講話で性の道はプロセスは長くなる、
直接瞑想の道に入れば早いとも言うとりましたね。
だから禅では、寄り道せずに、一直線に本性に至りなさいという。
前世がどうのとか来世がどうのとかも基本的には言わないんです。
今生で全部決着がつくし、つけなければならない。
余計な寄り道を必須のように言うのは、法に適ってないし、人を邪道に導くものでしょう。
それでね、ほうざんのこと信じてない人間が、何でメールして尋ねなきゃならんのかわからんよ・・
>それは、禅でもそうだし、和尚も言ってことでしょう。EO独自の洞察じゃないですよ。
これは確かにそうだけど例えばoshoとかだと妙に探求というロマンチシズム
みたいなノリに入り込みやすいし禅だとeo程細かい視点で語らないじゃない。
eoがいちばん嫌ったのは>からっと晴れて何もない感じですね。
みたいなマッチポンプ的な禅臭だからね。
>ですが、EOほうざんは、余計なこと言い過ぎ。
正しいこと言ってないということじゃないんですがね・・
これは自分も時々そう思うわw
>そうじゃないでしょう。例えば『悟りなき悟り』だったら、
>117頁の説明には無思考を悟りへ至るプロセスと一段階として説明してますよ。
>こういう考え方が間違いといってるんです。
>こういう考えに従ったら、修行のやり方そのものを誤ると思う。
>思考が無くなればいいということになってしまうから。
これはあくまでも地図として提示されているだけで「無心に
ならなければならない」なんていう観念をもつ必要はないと思うよ。
そもそも死人禅自体が意識の原初の分裂性を司る中枢をいじくって
あくまでも結果として無心というのが起きてくるわけだから。
だからあの地図は死人禅行法やってる人にはいいかもしれんけど
やってない人には下手な観念植え付けるだけになるかもね。
420 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 21:05:17 ID:OrxfVDUu
>>418 >禅だとeo程細かい視点で語らないじゃない。
>eoがいちばん嫌ったのは>からっと晴れて何もない感じですね。
>みたいなマッチポンプ的な禅臭だからね。
はぁ?
あなたはどのテクスト、あるいは誰の本を読んでそれを禅と言ってるんでしょう?
マッチ・プンプ式禅ってどこにあるんでしょう?
しかも、廓念無聖なら、どうしてマッチポンプになる?
頭頂留意したら、問題が発生して、
還俗したとか言ってるほうがマッチポンプでないんかい?
和尚とかEOみたいな、サブカルチャーしか読んでないと、ホントの道がわからんよ。
421 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 21:13:37 ID:OrxfVDUu
>>419 だから、そういう奇妙なことをして無心を起こさなければならないというのが間違いなの。
無心というのは、思考が無なくなったら無心なんじゃなくて、はじめから無心。
ないものをあると思い込んで、あーだこーだ思ったり、よくしようと思うのが有心だし、迷いなの。
心は、いじくったりコントロールしようとするから、
ますますこんがらがって、おかしくなるの。
そうじゃなくて、思考があってもなくともそのままにするのが瞑想だよ。
思考があるなら思考のままに。
分裂というのは、間違った思い込みによるんだから、それを去ればいいだけ。
>eoほうざんの言う所の自我を生きるというのは多分あなたの考えてるイメージと
違うんじゃないの?もっとシンプルな意味で体験する事で消化されるものってあると
思うからね。
>「反逆の宇宙」なんかではそうは言ってない。はっきりと「自我を成長させる」必要があるといっている。
>もちろん、無意識の部分を減らしていくという意味の成長ならわかるけれど、彼が言ってるのはそうじゃないところが問題でしょう。
これについては今本が手元にないので何とも。
自我の発達の重要性についてはoshoも般若心経とかで語ってたよ。
あなたは上のレスで禅やチベッと密教のちゃんとしたものを学べば
悟りはしないものの迷いは無くなるなんて言ってるけどそれはただいろんな
知識で自分を条件付けて安心してるだけなんじゃないの?
だからこそあなたのその安心に水を差すeoなんかにこだわってこんな2ちゃん
なんかに書き込みしてるw
423 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 21:19:09 ID:OrxfVDUu
心とは、対象化しない限り一つだし、対象意識だけなら分裂はないでしょう。
「俺の心はこうだ」とか思わなければ、無心なんです。
見ている心と見られている心の分裂を去るためには、自分で自分の心を見なければいいだけ。
見なければ自分も心もないわけだから、無心だし無我なんです。
424 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 21:28:30 ID:OrxfVDUu
>>423 だから、僕は和尚の言説そのものを信じてないの。
ここに書き込んだのは、最初はちょっとした勢いだったけれど、まあレスに対応したり、
気になる書き込みに反応したりしでここまで来たね。
まあ、EOについては、もともと論じたい気持ちがあったから、
いい機会だったと思うよ。
あのね、迷いっていうものは、ホントははじめから無いの。
EOほうざんにこだわるのは、面白いと思って読んでた時期があったから。
でも、今は時期的に卒業する時期なんでしょうね。
あと、こういう批判を書くのは、僕のカルマもあるでしょう。
そういうカルマを背負ってるんじゃないのかと思うよ。
曲がったものが嫌いな性格ですから。。
>心とは、対象化しない限り一つだし、対象意識だけなら分裂はないでしょう。
「俺の心はこうだ」とか思わなければ、無心なんです。
>見ている心と見られている心の分裂を去るためには、自分で自分の心を見なければいいだけ。
見なければ自分も心もないわけだから、無心だし無我なんです。
言ってる事は正しいしそうなんだけどこういうホントの道に安座してる人達に
「おかしくねえか?」って言ったのがoshoだしeoだと思うんだよ。
もちろんこういう「正しいホントの事」w「ホントの道」wに沿った事言う人の
中にも本当に悟った人はいるんだろうけど本当に廓念無聖でキレイさっぱりで
人々が悟れるかと言うとそうじゃないでしょ。
そもそもeoは俺の言う事こそが正法だなどとは言うとらん。
のわりには自分の技法の優位性について多くを語ってるのが気になるがw
oshoの講話については自分も疑問も多いよ。
ただダルシャンなんか読むと個人個人にはものすごく的確な指導してたのが
分かるからああいう講話の話はそのまま鵜呑みには出来ない面がすごく多い。
ただ東洋人はたいていエゴが結晶化してないから自分が彼らに与えるのは
エゴを結晶化させる為の技法だとも言っとったね。
宗教的な条件付けがエゴを中途半端な所にとどめている、とも。
427 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 22:32:26 ID:OrxfVDUu
>>425 >言ってる事は正しいしそうなんだけどこういうホントの道に安座してる人達に
「おかしくねえか?」って言ったのがoshoだしeoだと思うんだよ。
だから、見性しなければ、安座し続けることは出来ないでしょう。
だけど、正しい理解って言うのは、書いたようにそんなに難しいことじゃないよ。
実践するのは、また別だという話。
禅宗の伝統・法脈は現在まで途切れずに続いていることは確か。
日本にも2,3人ぐらいは、正法を伝える人がいるよ。
達磨さんから代々、見性を認められてきた人々がまだ生きている。
和尚やEOが伝統的な道を批判するのは、自分たちの悟りに証明が無いからだよ。
和尚やEOの道が正しいということを証明するためには、師がいないわけだから、
逆に弟子が悟って師を証明する必要がある。だけどそれはできてないでしょう。
和尚やEOが、伝統的な宗派を批判する言葉には、正鵠を射ている部分もあるかもしれない。
だけど、彼らの悟りが証明されなければ、その批判も正当とは言えないでしょう。
自己正当化のための批判であるかもしれないのだから。
>本当に廓念無聖でキレイさっぱりで
>人々が悟れるかと言うとそうじゃないでしょ。
だから正師につく必要がる。
ひとりでは難しいでしょう。
わしが正師です自分で云ってんだから間違いないの、って人なら知ってるが。
429 :
名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 22:49:14 ID:OrxfVDUu
>>426 >ただ東洋人はたいていエゴが結晶化してないから自分が彼らに与えるのは
>エゴを結晶化させる為の技法だとも言っとったね。
>宗教的な条件付けがエゴを中途半端な所にとどめている、とも。
エゴが中途半端な人々がいるのは正しいでしょうが、
そういう指導法が例外なく正しいかどうかには疑問が残りますね。
エゴというのは、エゴと一つになったときには、エゴは無いわけだから、
やりたいことまっしぐらにやりなさいというのは正しい。
それで、エゴというのは、有心と同じく自己分裂の結果であるということを考えると、
結晶化すなわちエゴの脱落とも言えるかもしれませんね。
だけど、自分のやりたいことをまっしぐらに追求できるような環境が、
果たして現代日本で万人に与えられているだろうかという問題も考える必要があるんじゃなかろうか?
瞑想や理解によって自我を落とすほうが、早い気がしますけれどどうなんでしょう?
しかし何でoshoやエオの悟りが外部に証明されなかんのかよう分からんわ。
理解と実践は別というのも。
何かやっぱりあなたアカデミックだね。
中沢新一と同じ匂いがするw
431 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 00:50:35 ID:fdn4YK7S
仏さんは師匠いたか?
クリシュナムルティーは師匠いたか?
頭の固い人は困ったもんだw
432 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 00:51:49 ID:co0C1Wy2
>しかし何でoshoやエオの悟りが外部に証明されなかんのかよう分からんわ。
これはあたりまえでしょ。
それが無かったら、自己申告の「悟りました」が通用するわけ?
ゴータマ・ブッダ以来そうやって続いているんだから、
新しいタイプだから例外ということにはならないよ。
悟りにそういう個別性は無いと、EO自身も言ってるでしょう。
僕は別にアカデミックなんかじゃないよ。
ただ論理的に思考できることは、この道行くのに必須だよ。
ちゃんとした思考力なしに、無思考とか言っても、いろいろ誤解したままでは、どうにもならんし。
別に頭がいい必要はないけれど、最低限、日本語で書かれたテクスト読めて、正邪を判断できる必要はあるだろうね。
判断できるまでには、和尚やEOみたいな現代のグルだけじゃなくて、
古典的なテクストもちゃんと読む必要がある。
法というのは今も昔も変わらないから。
流行とか歴史の変化などとは無縁なところに、法の核心はあるんだよ。
433 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 00:57:48 ID:co0C1Wy2
悟りについて説明ができるとか、経典の講釈ができるとか、弟子の指導ができるとかだけでは、証明にならない。
そのくらいだったら、頭だけの理解でもできるのだから。
本とか経典に書いてあることを、自分なりの理解で語ったり、指導したりできればグルのフリはできるよ。
だけど、師の証明もなく、弟子も悟らないんだったら、ホントの悟りがあるが怪しい。
そう疑うのが当然だと思うよ。
434 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 01:03:43 ID:co0C1Wy2
>>431 だから、仏さんには師がいないから、弟子が証明すると言ってるだろ。
無師大悟は弟子が証明するしかない。
仏さんは弟子が悟ったからいいじゃない。
クリシュナムルティは、その点誰も証明する人がいないから、悟ってるかどうか根本的には謎だね。
彼の話聴いて悟った人もいないわけだし。。
なんかようワカランが仏陀の弟子が悟っとるのを一体誰が証明したというんだ?
仏陀かい?w
それとも当時仏陀が反目していたヒンドゥーのマスター達かい?w
昔oshoがアフォな仏教信者にあなたには悟っている証拠がないと
イチャモンつけられてたの思いだしたわ。
あとアフォなドイツのジャーナリストが「インドなまりの英語で話すoshoは
悟っていない」なんて言ってoshoが「じゃあどういう英語を話せばいいのかね・・・
ドイツなまりかね?」なんて返してたのもね。
俺はドイツなまりの英語まで話して証明されてるような悟りなんていらんわ。
あふぉらし。
436 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 02:53:02 ID:co0C1Wy2
>>435 あんたはヨッパライ?
シラフでそれなら相当ヤバそうだね。。
まともに相手する気ないけれど、アルファベットだけの笑いは、
気持ち悪いから止めて欲しいね。文字面だけで強がってるみたいで気味が悪い。
まあ、いろいろ相手してみてわかったのは、あなた方は、自分の知性と実践で探求しているというよりは、
どっかのマスター様とか大先生の言うことにおとなしく従っていたいんだろうね。
それで、俺のグルはすごいとか思って、しがみついていたいだけみたい。
だったら、ずっとそうやってればいいんじゃない。
僕はそういう人たちとは、関係ない。関わりたくないから。
まあ、中には話のわかる人もいたみたいだからそれはそれでいいよ。
EOについて言いたいことは大体言ったから、こんぐらいで大体終わりにするよ。
さようなら。
437 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 03:03:19 ID:co0C1Wy2
最後にもう一つだけ。
和尚やEOが本物かどうかは、彼らが立っているポジションの近くまで行かなければわからないよ。
探求の結果、彼らの近くまで行くことができたなら、本物かどうか自分でわかるだろうよ。
彼らよりずーと下の、どうしょうもなくかけ離れたところにいたら、彼らの真偽などわかりようがない。
まあ、こういうことも、資質のある人に言わなければ無意味なわけだけど・・
>まあ、いろいろ相手してみてわかったのは、あなた方は、自分の知性と実践で探求しているというよりは、
>どっかのマスター様とか大先生の言うことにおとなしく従っていたいんだろうね。
>それで、俺のグルはすごいとか思って、しがみついていたいだけみたい。
この言葉そのままアンタにお返ししますよw
仏陀の弟子の悟りを誰が証明したのか自分の知性と実践で探求しているアンタなら
答えれるハズだろ?www
論理がどうのこうの言ってる奴が自分の論理矛盾つかれたらコレだよ。
あふぉらし。
439 :
5:2006/11/26(日) 03:59:16 ID:C+xse+pt
次に、定義の場合の陳述である。これも事実がどうであるかのいかんに左右される
ことのない、正当な陳述である。 全ての人間は動物であるという陳述は、実際には、
人間についての事実を何か主しているのではなく、「人間」という言葉によって意味
するものの一部を示しているにすぎない。この陳述は定義によって真、つまり#意味
だけからして真なのである。哲学的用語を使えば、この陳述は「分析的」である。もし
陳述がこのように分析的に真であるならば、それは考え得るいかなる証拠となる事実に
よっても反駁され得ないと言って
よって「経験的」陳述と呼ばれている。しかしーーーーの場合を考えていただきたい。これらの主張が宇宙の本質についてのある根本的
な真理を主張していることは、かなりはっきりしている。これらの陳述をなした人が、陳述を価値判断であるとか
、たんなる定義の問題にすぎないと認めることはまずあり得ない。かといってまた
これらの主張が正真正銘経験的なものかどうか、はっきりしていない。ーーもしこのように原則的に、
陳述が何らかの観察によってテストされる余地がないとすれば、いかにして
陳述は、真に事実についてなんらかを主張することができるというのであろうか。
多くの哲学者が「検証原理」と呼ばれるものにひかれていったのもこのためである。
理論が科学的(経験的または検証可能)であるか否かは、是非はっきりさせておかねばならない非常に重要なこと
なのである。なぜならば、科学的であるか否かは、理論を受け入れる場合の典型的な
根拠のひとつであり、科学的でない場合、理論を受け入れる根拠のひとつを#取り除くことが
できる#からである。すると、非科学的な理論を受け入れんがために、その他の根拠が
”提出されてくる”かもしれないが、当然それらの根拠は注意深く吟味されなければならない。
価値判断、分析的、/経験的(つまり科学的)という三つの区分で"武装"した#今#
はじめて,人間本性に関する理論を、批判的に検討する準備を得たのである。
プラトン、キリスト教、マルクス、フロイト等々/東洋の宗教ももれないだろう。
終わり。(すべて抜粋ですW)
440 :
6:2006/11/26(日) 04:05:29 ID:C+xse+pt
教えや人間本性に関するような理論をみるばあい、こうだそうです。
@世界観はどうであるのかA人間観はどうであるのかBどう診断しているのか
C治療法はどうであるのか
この4っつが本質みたいですよ
441 :
6:2006/11/26(日) 04:12:39 ID:C+xse+pt
Bそれをどう診断しているのか
それをがぬけたらあかんわWあははは
442 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 05:10:18 ID:fdn4YK7S
なんでそんなに人のお墨付きがほしいのか?
権威主義者かw
個人の探求は他人の評価など気にしているうちはだめだろw
他人のことはあくまで他人のこと。
それとも悟りたいのでなくて、悟りという現象を知的に知りたいだけなのか?
それなら証明がいるだろうけど。
そのタイプは意外と多い。
愛をとくわりに、本人にほんとの愛が欠如してる。
443 :
ばんこ:2006/11/26(日) 10:18:55 ID:C+xse+pt
お題
老師が、刀を持った武士に、一本の竹を指差して、「おまえ、鞘を抜かずに
刀であの竹を斬ってみなさい」
どの節目を斬ればよろしいでしょうか?1
刀身があるなら、竹の身は空です。2
斬り口は無音です3
筍にはかないません4しゅんだからねぇー
4はちょっとほうざんにもむづかしかったかなぁ〜〜〜
老師を持ち上げて竹にぶつける。
445 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 11:13:16 ID:co0C1Wy2
>>438 オマエはまったく日本語がわからんようだな。
こっちの言ってること理解することもできんし、自分でまともな理屈を言うこともできん。
オマエはただのバカ、ゾンビ、終わってるよ。さようなら。
446 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 11:20:12 ID:co0C1Wy2
>>442 だから、誰がそんなこと言ってるんだよ。
ちゃんと日本語読めよ。頭わるいなぁ。
なんかアフォばっかになったみたいだから、まともなこと言っても、意味ないみたいだね。
こっちあ終わってる人間相手にする気はないので、勝手にやってくれ。
さよなら。
447 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 12:24:05 ID:C+xse+pt
じゃあ正解いうぞ。
「高知城にも保管されてありますが、竹も齢1000年に一度花が咲くといわれております。
ものめずらしさに、だれかが切り取ることでしょう。老師にこの鞘ごとお預けします」
448 :
惰眠:2006/11/26(日) 12:30:40 ID:Zxkl5vje
>>439 すべてって↑のもそうなの?
ばんこ本人のカキだと思ってがんばって読んだのによぉ。
いったい何からの抜粋?
>>440-441 これ使ってEOの理論を考察してみてくれよ。
俺はEOシリーズ全読破してないから誰かやってみて。
449 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 12:34:37 ID:C+xse+pt
450 :
惰眠:2006/11/26(日) 12:48:42 ID:Zxkl5vje
451 :
ばんこ:2006/11/26(日) 12:50:54 ID:C+xse+pt
>惰眠
「人間本性に関する七つの理論」、オックスフォード大学の哲学者
の著作で論理学と形而上学を講じている先生らしい。
この著作ではプラトン、キリスト教、マルクス、フロイト、サルトル
スキナー、ローレンツを批評している。
こういう大先生が「理論の批判」で理論の批判とはいかなるものか素人用語しか
つかわず、書いているからめずらしいと思って書きました。
439は入りきらなかったので抜けぬけの文章です。
学生時代買わされたのだけれども、哲学の入門書にして境界を踏み越えて
いる珍しいいい本らしい。まだ序章と少ししか読んでないけどw
全般的に素人でもわかる語しか使ってないのに非常に難解です。
ゾンビはおまえですからw
見事に投影しとったね〜
いばりんぼうさん☆
なんか昔のダイジスレにも同じような奴が来とったな。
453 :
惰眠:2006/11/26(日) 13:11:48 ID:Zxkl5vje
情報ありがとう。
どうせ読まないけどねw
ぐぐってみたら『宝島』『ジキル博士とハイド氏』の作者と同じ名前みたい。
>全般的に素人でもわかる語しか使ってないのに非常に難解です。
こんな本は基本的に大好きだw
> 悟りについて説明ができるとか、経典の講釈ができるとか、弟子の指導ができるとかだけでは、証明にならない。
> そのくらいだったら、頭だけの理解でもできるのだから。
>
> 本とか経典に書いてあることを、自分なりの理解で語ったり、指導したりできればグルのフリはできるよ。
> だけど、師の証明もなく、弟子も悟らないんだったら、ホントの悟りがあるが怪しい。
>
> そう疑うのが当然だと思うよ。
わかるけどさ
これだと師を離れるのが論理的じゃない?
正師が必要と言った人でしょ?
455 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 13:41:57 ID:C+xse+pt
一斉開花と部分開花があるのか・・・60年、120年・・・・・
知らなかった。
すこし竹について調べてみたもののあまりにも深いので竹の間が一斉に
開花して枯れるのかは判るわけないw。最長では一日1m伸びるとか、600種
から1200種あるとか。イネ科は群生するらしい(竹も稲科らしい)それを
利用して稲作をしてきたわけだが・・・とにかく竹は不思議だ。
eoの理論の考察か・・・しばらく勘弁して欲しい。気が向いたらで・・
456 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 14:39:55 ID:Zm90srCR
色々と議論しているようだが
闇の瞑想でなにか特殊な体験をしたとか
虚無に捕らえられたとか
そういう体験をした人はいるのか
457 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 16:27:58 ID:fdn4YK7S
闇の瞑想より、頭頂留意で十分だよ。あれはヒットだよ
458 :
名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 18:50:39 ID:co0C1Wy2
>>454 何が言いたいのかわかりません。
正師は必要。正師でなければ離れる。
それは、言わなくともわかるでしょ。
459 :
惰眠:2006/11/26(日) 22:36:40 ID:Zxkl5vje
「虚無の微笑」を読む前にさ「自我の終焉」を読んでたんだよ。
でもなんとなく頭に入らなくてちんたら読んでたんだ。
字も多いし分厚いだろ。読んだり読まなかったりしてたんだ。
そしたら「虚無の微笑」が届いたから、それを先に読み始めたんだ。
引き込まれるように一気に読んでさ。すげーなぁと思ったよ。
で、また何週間か経ってから「自我の終焉」を読み始めたんだ。
何かが違うんだよ。なんだか集中して読めてる感じでさ。
今も以前に買ったJクリシュナムルティの本を読んでたんだけど、
読み返してると前読んでた時よか集中して引き込まれてる気がするんだ。
落書を見ながら考えちゃったよ。
加速されてるのか?
www
460 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 00:24:59 ID:she/27Cm
>459
EO効果だ!
461 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 03:14:24 ID:6c5+Yzzh
>>459 >読み返してると前読んでた時よか集中して引き込まれてる気がするんだ
あんたただ読書トリップしてるだけ。あふぉだねぇ・・
>>458 間違った師を論理的に批判するのと同じ方法で
正師を仰ぐプロセスを論理的に説明しないと
俺の目には信仰と区別がつかない。
言葉や素振りで正師のフリなんかどうとでもなるってんなら尚更難しいよ。
弟子の悟りの証明のくだりも意味がわからない。
悟らずして悟りの判定が可能であることの論理が見えて来ないんだ。
だから疑いから出発して師を離れることが論理的に見えるんだけどな。
463 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 12:41:25 ID:6c5+Yzzh
>>462 >>間違った師を論理的に批判するのと同じ方法で
正師を仰ぐプロセスを論理的に説明しないと
僕は論理的に判断するとは言ってないはずですが・・
そうじゃなくて、禅宗だったら、やはり、正師からの証明があるかどうかでしょう。
印可があるかどうかがまずはの基準。
そのほかは、やっぱり自分でできる限り勉強して修行して、
判断できるところまで自分が行かないといけない。
ラム・ダスも、修行が進まないと、正師が目の前に現れても、わからないと言っている。
『ビー・ヒア・ナウ』では、師は、自分の判断・選択によって選ぶんじゃなくて、
あるところまで修行が進めば、自然と必要な師に出会うと言っている。
だから、問題は、結局自分が修行をどこまで進められるかと言うこと。
あるいは、正師がそれと映るほどまでに、自分の心が成熟しているかどうかと言うことでしょう。
>言葉や素振りで正師のフリなんかどうとでもなるってんなら尚更難しいよ。
それもあるところまで行けば、判断できると思う。
>弟子の悟りの証明のくだりも意味がわからない。
悟らずして悟りの判定が可能であることの論理が見えて来ないんだ。
だから、弟子が悟ってから、師を証明すると言ってるでしょう。
悟らずしてとは言ってないよ。
>だから疑いから出発して師を離れることが論理的に見えるんだけどな。
これもよくわかりません。
僕は誰も信仰してないし、誰の弟子でもないけれど、この人は本物だろうという人は何人かいる。
そういう人のところにたまに行くことはあるけれど、基本的には、一人で修行してる。
離れようとか、くっつこうとか思うことはない。
464 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 13:43:39 ID:she/27Cm
なんかな〜w
仏に会ったら仏を殺せ、みたいな鋭さがないと駄目だろ。
受験勉強じゃないんだからw
クリシュナジも言ってるが全ての権威を打破して独個で進めと。
465 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 15:27:04 ID:6c5+Yzzh
>>464 >仏に会ったら仏を殺せ
あんたこの言葉の意味わかって言ってんの?
僕からみると、まったくわかってないようにしか見えないけれど・・w
「全ての権威を打破して」とか言ってるやつが、
なんでクリシュナムルティという権威を引き合いに出す?
自分の理解から全部言えるようになったやつだけが、ホントはそう言えるんだよ。
オマエは、どっかで聞きかじったことを、
わかりもしないまま口真似してわかった気になってるだけ。
あふぉ丸出しの恥ずかしいやつだね。
>>463 だいぶ言わんとするとこがわかってきたよ。
近くまで行けば判定できるって話は理解できる。
目が開いた分だけ見えてくるんだろうね。
もう一点。
>だから、弟子が悟ってから、師を証明すると言ってるでしょう。
>悟らずしてとは言ってないよ。
確かに君はそう言ってない。
君は客観的に述べてるかもしれんけど
俺は主観的に見てるんだな。
君は確かまだ悟ってないんでしょ?(もちろん俺もアウトだけど内緒ね)
弟子が悟って師を証明するっていうのは君の言でしょ?
悟らずしてそれを言及しているという構図が読み取れやしないかい?
「この音楽は素人には理解できないぜ」という人が
「俺はかなーり素人を超えてるぜ」というニュアンスを出すのと同じで
実は密かに悟りのニュアンスを匂わせているんであれば
俺もちょっと考えを改めるけどね。
467 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 16:58:44 ID:DAHjhiaW
>437
>和尚やEOが本物かどうかは、彼らが立っているポジションの近くまで行かなければわからないよ。
>探求の結果、彼らの近くまで行くことができたなら、本物かどうか自分でわかるだろうよ。
まず、ポジションがわからない。ポジションとは・・・?
そして、近くにいる判断はどう下すかわからない。たとえば、もう少しで悟りだ、とか解る事は無いと思う。
彼らの近くとは、一体どういう状態の事だろう?
たとえば、弟子が証明する、ということは、
伝統芸能のような技の伝承資格ではあるまいし、
悟りの場合は、別のような気がする。
科学的に、悟った人は、悟ってない人には現れない
脳波が一定の規則をもって現れる、
とかデータがそろえば、何とか、証明できそうだが。
468 :
467つづき:2006/11/27(月) 16:59:54 ID:DAHjhiaW
ほうざんさんが、EOじゃなければ、EOの悟りの証明は、ほうざんさんということになる。
ほうざんさんがEOでも、パートナーがほうざんさんのとこで、悟ってるので、
その人が証明と言う事になる。
しかし、おそらく彼らに会えることはない。
文章だけではなんとも言いようがない気がする。
虚無の微笑で、ほうざんさんが言っているが、
悟ったもの(というか、ほうざんさん自身)は、相手に感応して話すらしいので、
彼らが、うそを言っていても、本当のことでも、関係が無いということになる。
悟った人が、本当の事ばかり言う保障はない。が、
本には、悟るには、悟りの知識はなるべく無い方がいいと書いてある。
つまり、これら(悟るためには、悟りの知識は無い方がいいとか、
自我を生長させた方がいいとかいう、うっとうしいくらいの能書き)は、
悟りを求めている人を、苦しめるための方便かもしれんな〜と思う。
と同時に、こういうことを(たとえば、自我を発達させるために、
がんばって生きたり)していたら、もっと絶望して、悟るかもしれないな、
などと思う。
469 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 17:01:11 ID:6c5+Yzzh
>>466 だから、違うんだよ。
弟子が師を証明するのと、弟子が正師を見つけるのとは別の話なの。
師を証明するのは悟らなければできない。
が、正師との出会いは、修行中に起こると言うこと。
だけど、悟ってないうちは、証明できないんだから、誤る可能性は常にあるよ。
それでもちゃんと修行が進めば、正師との出会いは自然に起こるという話。
以上のことは僕が悟ってるかどうかなんて話とは関係ないの。
客観的な話だよ。
470 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 17:22:38 ID:6c5+Yzzh
>>467 >まず、ポジションがわからない。ポジションとは・・・?
そして、近くにいる判断はどう下すかわからない。たとえば、もう少しで悟りだ、とか解る事は無いと思う。
悟りの近くとかじゃなくて、経典の知識等の理解から、グルらしいことが言える段階と言うこと。
今の僕だって、ある程度はやれるよ。
教祖様誕生ね・・w
あとは469で言ってるので略。
>>469 EO=ほうざんは事実です。EOが死んだというのは作り話。
ほうざんのパートナーの悟りは疑わしいよ。
自我が落ちたとか言ってるけれど、自我が落ちると言うことは、何かを認めるという認識も落ちると言うこと。
結果何にもなくならなければおかしい。
自我が落ちる=世界がなくなる=見性大悟は同じこと。
だから、世界がそのままで、自我だけ落ちましたので小悟というのはどうかな?
無明庵だけで通用する悟りなんじゃない?
>本には、悟るには、悟りの知識はなるべく無い方がいいと書いてある。
無い方がいいというんじゃなくて、囚われるなということ。
道元は、悟る前にいろいろ悟りに考えてもしょうがないということを言っている。
だけど、そういうのも読まなければわからないんだから、本読むのは無駄ではない。
でもそれは、修行の方向を誤らないためであって、本読んで悟れることは無い。
方便とかじゃなくて、ほうざんお金が無いんじゃないかなぁ?
>>469 なるほどねー。
証明って言葉のニュアンスがやっとごっくり飲みこめたよ。
でも主観と客観はどこまでも片方を抜きに語れないと思う気持ちは
実は密かに変わらないぞ
ではごきげんよう。乙
472 :
惰眠:2006/11/27(月) 21:24:17 ID:F+lV1ocE
>>460 落書を貼ったのは竹の間での投稿読んでからなんだけどさw
>>461 読書トリップぐぐったんだけど何だかよくわかんねー。
どんな状況下でどんな風に引き起こされるどんな現象なのか詳しく教えてくれよ。
473 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 22:18:16 ID:6c5+Yzzh
>>472 >読書トリップぐぐったんだけど何だかよくわかんねー。
ハハハ、面白いね。
「読書トリップ」でぐぐるより、英和でtripをひいたほうが早いと思うよ。
tripは原義的には旅行、しかもtravel見たいに過程を楽しむんじゃなくて、
目的地にいっちゃうというニュアンスが強い。
そこからドラッグでの幻覚体験もトリップという言葉で表されるようになる。
和尚なんかもエゴトリップとか、ヘッドトリップとか言う言葉を使ったけれど、
要するに、何かに中毒することで、いい気分になって、心が上の空でどっかへ行ってしまう。
現実から遊離して、心地よい夢を見てしまうということ。
だけど夢から覚めてみれば、全部幻でした・・世界も自分も現実ではみすぼらしいままだったみたいな・・
わかったでしょうか?
474 :
惰眠:2006/11/27(月) 22:39:24 ID:F+lV1ocE
>>473 ありがとう。
ドラッグで使われてるトリップと同じ意味だったわけね。
読書トリップって用語が巷で流行ってるのかと思ったよ。
でも、どうして俺が読書トリップしてるって君にわかるの?
475 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 22:46:32 ID:she/27Cm
まじで今さら「トリップ」の言葉説明してるの?
なんだか473のレス見てて、赤面しちゃうの私だけ?
もしかしてかなり若者なのかな?
なら仕方ないけど。
証明とか客観とか修行が進むとか
根本的に的外れてると思うよ。それこそ証明は出来んけどw
476 :
名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 23:49:29 ID:6c5+Yzzh
>>475 何言ってのかわからんよ。
何に赤面してるのかも不明。
独りごと言ってんのか?
>証明とか客観とか修行が進むとか
根本的に的外れてると思うよ。それこそ証明は出来んけどw
証明せんでもいいから、どこがどう根本的に的外れなんだ?
ちゃんと言わんと議論にならんだろ。
それとも議論じゃかなわんと思うから、せせら笑ったフリしてるだけか?
それだったら、根性腐ってるよ。
どっちが恥ずかしいかよく考えてみろよ、ゾンビもどきが。
>自我が落ちたとか言ってるけれど、自我が落ちると言うことは、何かを認めるという認識も落ちると言うこと。
>
>結果何にもなくならなければおかしい。
自我が落ちると事実認識作用だけが残る。これが無名庵で言う所の小悟。
ただどうも禅の連中はここにとどまってその先に行かないというのが
ほうざんの主張。
oshoの用語だと第5、第6身体。
じゃあその先はどこかと言うと認識作用自体が落ちた状態。
それが無名庵で言う大悟。
ダイジはこのレベルを解脱と命名している。
oshoだと第7身体。
以上サブカルチャー・マスターによる用語解説でしたw
自我が落ちれば認識作用も落ちる場合もあれば
認識作用のみ残る場合もあるというのが無名庵の主張。
ところでryuちゃん あんたさいならしたんじゃなかったの?
478 :
Ryu:2006/11/28(火) 00:05:34 ID:4dkQAaaX
>>477 しょうがないからコテハンで行くか。。
というか、あんたはアキラさんか?
第5身体とかそういう話は、ホントは仏教じゃなくて、
ヴェーダンタの宗教とか神智学が言うことなんだよね。
しかも、それでいろいろ説明しても、どう実践と結びつけるのかわからんというのもある。
>自我が落ちれば認識作用も落ちる場合もあれば
>認識作用のみ残る場合もあるというのが無名庵の主張。
ここはホントは微妙なところだろうね。
まあ、そこら辺、議論だけしてもしょうがないだろうし。。
さいならしたいんだけど、つっこまれると、返事しちゃうんだよね・・
返事もしなきゃいいのかな?
EOをメインメソッドにして悟ろうとしてもだめだろう。
伝統技法の硬直化したマンネリ化した部分に元々の部分を引き出す参考には
なると思うが。
> しょうがないからコテハンで行くか。。
いやいや、文体がコテハンみたいなもんさね
言わなくても見ればわかる人は複数おる
> しょうがないからコテハンで行くか。。
まったくw、突っ込みどころ満載の文が見れなくなるのは寂しいです。
>479
EOをメインメソッドにして悟ろうとしてもだめだろう
<硬直化したところにEOがプラスされると
面白い化学反応起こすんだよ。
悟りを努力の積み重ねの受験勉強みたいに考えてる人には効くよ。
482 :
Ryu:2006/11/28(火) 14:10:51 ID:4dkQAaaX
>480
そんなのわかってたよ。
一部の人が見ればわかるだろうってわかって書いてんの。
わざざわ暴露する阿呆もいないと思ったんだがね・・
>480
><硬直化したところにEOがプラスされると
>面白い化学反応起こすんだよ。
>悟りを努力の積み重ねの受験勉強みたいに考えてる人には効くよ。
違うね。
チャート式にわかり安すぎて役に立たんのが、EOほうざんだよ。
EOほうざんはおかしなことも言ってるし、必要な完全な理解が得られるまでのことは書いてない。
いつも相変わらずのあんたが、「化学反応」とか言ってもなぁ・・
単にまたわかったつもりになったんじゃないの??
>突っ込みどころ満載
どっちがツッコミどころ満載やねん!
自分のこと棚に上げすぎ。。
483 :
惰眠:2006/11/28(火) 20:55:11 ID:DkW0o11i
>>482 >チャート式にわかり安すぎて役に立たんのが、EOほうざんだよ。
う〜ん、俺にはわからんのでチャート式にわかり安く解説してくんない?
484 :
Ryu:2006/11/28(火) 23:25:16 ID:4dkQAaaX
>>483 ピンポン玉の例みたいに概念を用いた図式的説明というのは、
わかった気にはなるけれど、実際の行をするときには、そういう図式や概念が邪魔になってしまうということ。
例えば、「自我を落として意識としてあるのが小悟である」という説明があると、
そうあろうとしちゃう読者がいるでしょ。「意識としてあるのが行である」とか。
または、「自我と同一化しちゃって失敗した」とか。
実は、こういう風に、自分を計る物差しを持って、あれこれ自分を測ったり、
それに合わせて自分を変えていこうとするのが、誤った行のやり方であって、
ほんとは、そういう物差しを捨てる、自己を修正しようとする自己そのものを捨てるのが修行なんだよ。
あれがいいこれがわるいとか、ああしようこうしようという大騒ぎを止めるのが修行。
それに対して、概念的説明というのは、物差しを与えちゃうからミスリーディングだということ。
485 :
brown:2006/11/28(火) 23:57:59 ID:dQ0/Hs/2
>>484 相変わらずですなあ
そういう説明そのものがモノサシですがな
指物がなくて何を指す?
大騒ぎするなという大騒ぎ ←ソレは何?
486 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 00:14:08 ID:3e6/0tpR
>>470 >悟りの近くとかじゃなくて、経典の知識等の理解から、グルらしいことが言える段階と言うこと。
今の僕だって、ある程度はやれるよ。
教祖様誕生ね・・w
あとは469で言ってるので略。<
じゃ、あなたは、、あなたの様に経典の知識等の理解がある人と話したら、
その人が悟って無くても、その人が悟った人だと誤解する可能性はあるということだ。
>師を証明するのは悟らなければできない。
師を証明するのは悟らなければできない、というのは、微妙だ。
師が悟っていなくても、弟子が悟る可能性もあるわけだから。
その時は、弟子に、師は悟っていなかった、と証明されるかもしれないが。
>EO=ほうざんは事実です。EOが死んだというのは作り話。
どうして「EO=ほうざん」と言い切れるんだろう?知り合い?本人??言い切れる理由がわからないw
>でもそれは、修行の方向を誤らないためであって、本読んで悟れることは無い。
方便とかじゃなくて、ほうざんお金が無いんじゃないかなぁ?
そりゃ、本読んだだけで悟れる事は無いだろう。他人の経済的なことは知らんけどw
>チャート式にわかり安すぎて役に立たんのが、EOほうざんだよ。
これは、納得。役立たない・・・
結局いばりたいだけほめられたいだけのおこちゃまなんだね。
488 :
Ryu:2006/11/29(水) 00:17:15 ID:htVwO+QH
>>485 またノコノコ出て来たか。。
あんたの言ってることただの無意味な屁理屈。
誤りを除く説明は必要だから言ってんの。
それも説明だろというイチャモンは、イチャモンのためのイチャモンで何にもならない。
怨念に駆られて醜いばかりだよ。
せっせと退散しな、見苦しいだけだから。
489 :
Ryu:2006/11/29(水) 00:19:31 ID:htVwO+QH
>>485 またノコノコ出て来たか。。
あんたの言ってることただの無意味な屁理屈。
誤りを除く説明は必要だから言ってんの。
それも説明だろというイチャモンは、イチャモンのためのイチャモンで何にもならない。
怨念に駆られて醜いばかりだよ。
せっせと退散しな、見苦しいだけだから。
490 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 00:30:37 ID:3e6/0tpR
>>483 >ピンポン玉の例みたいに概念を用いた図式的説明というのは、
わかった気にはなるけれど、実際の行をするときには、そういう図式や概念が邪魔になってしまうということ。
それに対して、概念的説明というのは、物差しを与えちゃうからミスリーディングだということ。<
死人禅は、暗闇をイメージするから、やると説明も、その他の事も忘れるよ。
死人禅やってたら、EOの本の中に書かれていた、悟りの段階の図を忘れて、
何が、悟りだったか、全く解らなくなって・・いろいろ、抜けていくよ。
とりあえず、あなたに、死人禅を3ヶ月ほどやってもらって、感想を聞きたいなあ、などと思うが、
やらないでしょうねw
491 :
490だけどw:2006/11/29(水) 00:33:19 ID:3e6/0tpR
492 :
Ryu:2006/11/29(水) 00:35:03 ID:htVwO+QH
>>486 >どうして「EO=ほうざん」と言い切れるんだろう?知り合い?本人??言い切れる理由がわからないw
それは信頼できる筋からの情報があるからです。
別に信じてもらわんでもいいですけれど。。
>EO=ほうざんは事実です。EOが死んだというのは作り話。
この説明責任果たしてください!
まさか怒りからの放言ではないですよね
494 :
Ryu:2006/11/29(水) 00:47:25 ID:htVwO+QH
>>490 そう、やらない・・w
僕の中にある法の理解と言ういいますか、誤解を覚悟で言えば、修行の理論みたいなものが、
EOほうざんのそれとはまったく違いますから、やりません。
キッパリと、やりません。。
EOの理論だと、やはり悟りとしてどこかにたどり着くべきゴールがあるんですね。
それは、非常にまずいんでないかと言う気がします。
それから、暗闇をイメージして、対象世界を消していくと言うのも、違う気がしますね・・
まあ、それをやってる人は、がんばっておやりになってください。
悟ったら、ラッキーですねぇ・・w
> それは信頼できる筋からの情報があるからです。
その信頼できる筋に迷惑がかからない範囲で
もうすこし信憑性のある情報を提供してもらえないかい?
RYUはじゃあなんでEOが気になるの???
490さん
死人禅を3ヶ月以上やられたんですか?
どう楽になったか、もう少し教えてくれますか?
497 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 13:51:38 ID:3e6/0tpR
>>492 >それは信頼できる筋からの情報があるからです。
ああ、そうなんだ。それ、ダイジ板で読んだ気がする。
出版者の関係でそうなったという話?
それとは別かな。
>>494 >僕の中にある法の理解と言ういいますか、誤解を覚悟で言えば、修行の理論みたいなものが、
EOほうざんのそれとはまったく違いますから、やりません。
EOの理論だと、やはり悟りとしてどこかにたどり着くべきゴールがあるんですね。 <
あなたの、修行の理論では、ゴールは無いのでしょうかね?
悟りというゴールもない?私の読んだところによると、
EOの場合、悟りという現象を使って、生存する事そのものを止める。宇宙から消える、
という目的があるようですが、
あなたが言う、EOの理論のゴールというのは、どういう理解なんでしょう?
>それから、暗闇をイメージして、対象世界を消していくと言うのも、違う気がしますね・・
暗闇をイメージする事により、結果、対象世界の一部、というか、自分の記憶が
薄れる事があるというだけだよ。
498 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 13:55:28 ID:3e6/0tpR
>>476を読んで、
そもそも、議論なんてする気の無さそうな書き込みに対し(する気があったら失礼)、
ここは議論するところ、と言わんばかりの事を書いている。
ほうざんの事を、おかしなこと書いてる、と書いてるけど、
啖呵に「ゾンビもどき」という、たぶん、ほうざんのゾンビ論のを用いてる。
(ゾンビ論はOKという事なのかな。)
というところ、ほうざんさんっぽいな〜、話の切り返し方がwと思った(笑)
で、ちょっと、邪推したんだけど。
反ほうざんの振りをした、ほうざん=ryuに、
単なる、本の宣伝の片棒を担がされたのかもな・・・おいおい、と。
しかも、ryuさんが言うように、EO=ほうざん、で、
ほうざんさんは、悟っていなくてただの作家だと仮定し、考えてたら、
竹の間[3631]に書かれているような、無意識の集合意識のストレスを緩和するために、
ここに書いたのかな、と思えて、大嘘つきだな〜と、ちょっと、笑えた。
まっ、あまりにもつまらない生活をしていると、
何かの陰謀を相手にしている気分になることで、
「何か、でかい事に自分が参加でもしているかのような錯覚」に
簡単に陥ってしまうわけで、、、
で、今日、竹の間を見たら、ちょうど陰謀論について書かれてました。
陰謀論で頭がおかしくなっている人の仲間入りか、自分・・・。
499 :
名無しさん@3周年:2006/11/29(水) 13:56:38 ID:3e6/0tpR
弟子が悟って証明するという話であればoshoの所では弟子達は何人か「覚醒」
している。
小悟か大悟かしらないけど。
ほとんど公けにはなってないけどね。
個人的に何人か悟った弟子と会って話を聞いてみたけど皆いい感じの人
だったね。
ただまあ証明が必要という言葉自体がすごく違和感感じるわ〜
oshoにほれて弟子入りした人間としては・・・・。
こういう言い方も笑われちゃうのかな・・・・。
501 :
Ryu:2006/11/29(水) 22:18:31 ID:htVwO+QH
>>496 今は気にならないよ。
でも気になってたことがあって、「ここが変だよEOほうざん」みたいなことを、
言いたかったし、議論したかったことは確か。
でももう書いちゃったから、済んだことかな。
あなたは何で僕が気になるの?
>>497 僕が言ってるのは、ダイジ版のそれじゃないんですがね。
でも、この話はこの業界では相当知れわたってるんじゃないのかな?
とくに、サニヤシンの方々なんか、僕以上によく知ってそうですが、
どうなんでしょう?
502 :
Ryu:2006/11/30(木) 00:30:04 ID:Rcj+1Dfo
>>497 ゴールと言うか・・因果ということで考えれば、常に結果は出てるわけでしょ。
簡単に言えば、今の自分が結果。
それ以上のものを目指すから迷うんではないでしょうか?
結果に安住できれば、迷うことも無い、目指すべきものも無い。
それだけで、ほんとは終わってるんじゃないですか?
EOの理論は、だから『虚無の微笑』にあるように、
全体意識への帰入、融合が大悟であると言うものでしょう。
さっき竹の間を見たら、ほうざんはもう「悟りの話はどうでもいい」らしいが・・w
503 :
Ryu:2006/11/30(木) 00:37:04 ID:Rcj+1Dfo
>>498 議論するところかどうかじゃなくて、ケチつけるんだったら、
理由を示せというごくまっとうな事いってるだけでしょ。
じゃなきゃ、議論どころか対話にすらならないのだから。
ゾンビ論は、いいかどうか別にして、面白いと思ってる。
この前買ったし・・w
また本の宣伝してるなぁ。。
その他、あなたの言ってることの全体はようわからん。
ジョークみたいなもん?
504 :
Ryu:2006/11/30(木) 00:52:58 ID:Rcj+1Dfo
>>500 >ただまあ証明が必要という言葉自体がすごく違和感感じるわ〜
今の日本だと禅宗でしか言われないことかもしれませんね。
まあ一つの考えとしてあるくらいに思ってもいいかもですが、
真偽を厳密に求めるなら、必要な視点ではないでしょうか?
>oshoにほれて弟子入りした人間としては・・・・。
>こういう言い方も笑われちゃうのかな・・・・。
いえ、それはいんじゃないですか。
僕個人は、和尚のこともサニヤシンのことも、
わりと好意的に思っています。
でも僕は、懐疑的な性格なのかもしれません。
和尚の言ってることも、全部は信頼できてないところがあります。
正しいことをいっぱい言ってるのは確かでしょうけれど・・
505 :
496:2006/11/30(木) 10:33:27 ID:5YOUVMWo
私は1氏と同じでEOの考察が嘘であって欲しい、でも、なんか
ほんとっぽく感じる、やだな〜ってタイプ。w
でも、今の私では「確認の仕様が無い」ってのが事実なんですけどね・・。
>真偽を厳密に求めるなら、必要な視点ではないでしょうか?
こう言われたらyesと言わざるをえないけど・・・・・
日本なんかはニセグルが特にはびこりやすい場所だと思うしね。
>和尚の言ってることも、全部は信頼できてないところがあります。
正しいことをいっぱい言ってるのは確かでしょうけれど・・
これは当然だと思う。
oshoの話はあちこち矛盾しまくってて信じる信じないとかではなく自分で
確証していくしかないと思うから。
osho自身も自分の話から教義が作り出されないように矛盾を含ませてあると
言っていたし。
eoの宇宙論に関してはあれが事実がどうかは別にして全体と分離した自己が
あるという幻想の中に生きる事の地獄性を潜在意識に植えつける為のよく出来た
SF小説として見ている。
507 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 16:37:18 ID:biVEdrYf
>>501 へえ。違うのか。
自分は、サニヤシンでは無いから、よくわからん。
単なる読者なんで、業界の事は知らんしね。
EO=ほうざんの真相は闇の中だw
>>502 確かに、今が結果だけど、結果に安住できないよ・・・。
だから、安住できる「悟り」を目指しちゃう訳だしw
今の結果に、安住してるんなら、修行とかしないって事にはならないのかな・・・?
>>503 超急いで書いたもんだからw
単なる妄想。
あなたが、ほうざんで、反ほうざんの振りして書いてるんだったら、面白いな〜とね。
>理由を示せというごくまっとうな事いってるだけでしょ。
まっとうね・・・。
久しぶりに、割と、まっとうな対話をした(笑)
和尚の話だったかEOだったか記憶が定かじゃないが
弟子の悟りを確認するために2、3の誤謬を忍ばせてあるとかないとか。
覚醒時にのみわかるキーワードが潜んでいるとかいないとか。
もちろんその真偽なんて悟らずには確かめようがないけれど
自分で直接確かめずに他人に確認をとろうとしても
例え本物の内容が確認できたにしても、まあ無益なんだろうなあと思う。
eo=ほうざん説については知らないけれどeoは確か道場開いてたわけでしょ?
そこ覗いた人が「自然葬マニュアル」の表紙のほうざんの顔見れば分かる話じゃないのかな。
そこまでちょっと調べれば分かる筈のウソをつき続ける理由が分からない。
510 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 19:29:58 ID:rEvlcjPX
そりゃもう言わんとすることは一つ。
キャサリンもてば墓場までやね。
ヘレンもてばかのこまでやね。
西川いうても一つの川なんやから
511 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 19:47:31 ID:biVEdrYf
崩れ去った山だけに、
川のようにはいかんやろ。
512 :
へーーーよしこちゃんきれいになってぇ:2006/11/30(木) 20:10:04 ID:rEvlcjPX
崩山か。うーんおもろい。
山好きだから一考してみるか。まあよく言われるのは
登山行為というのは登山口から登山口におりるのは登山ではないと
いうなぁ。まあ帰るという前提がどうしても”登山”にはあるんやね。
その前提を曲がりなりにもなくすとすれば、また登るということに
なるんだろうなぁ。山が崩れたら何しに登るんだろ。わからんなぁ
やはり好み”の問題だろ。まあいい山っていうのは良くも悪くも
擬人化されるねぇ。登ればそんなものは無いけれど平地にたてば
いわずもがな、また登ろうとするんだね。あんまりやると二本の
足の裏で実は宇宙に向かってぶら下がってんじゃないかとそれはそれは
不思議なことだが、足の裏しか接地してないんだからねぇ。でもまた
結局、重心を必要とするのが事実だしねぇ。重心に懲りたらまた登りたく
なる。その場合登るほうが楽だね。まあ食いモン探して登るわけはないの
だろうから、人間は馬鹿だね。脳科学的に言えば結局脳の容量でもはかってん
だろうか。頭はもっと軽くてええとかw。まだ重できるとかw。
そういう意味では頭に茶碗のせる死人禅、って合理的だと思うよ。
513 :
名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 21:00:57 ID:rEvlcjPX
やっぱり決め手は温度だとおもうよ。
はい、馬鹿でした。じゃあね
ここは面白い!
515 :
惰眠:2006/11/30(木) 22:46:13 ID:BwpS+5UA
>>484 ピンポン玉の話しは小悟した者以外には見せるなとEOは言ってたらしいよね。
Ryuのこの書き込みを読んだ限りではEOが正しいとか誤ってるとか議論の必要ないと思うけど。
俺は死人禅やってないし一生やらないかもしれない。
でも死人禅で悟れるか悟れないかはやってみなければわからないと思う。
>>507 真相は闇の中なら自ら闇に飛び込んでみるのもいいかもねw
変な妄想できる奴は好きだww
>>513 温度低いんだよな〜。湿度は高いけど。じめじめ。
じゃあね。またのお越しをお待ちしています。
とりあずROMに戻る事にしたから。
レスはしなくてもいいよ。
最近庵の竹の間は、分別、価値付け、正否のにおいがぷんぷんする。
「私が正しい、お前らのやってることは間違ってる。」って?
517 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 00:45:01 ID:XS8GYTCL
>515
逃げるなw
518 :
518:2006/12/01(金) 01:07:04 ID:SR6CXpJ5
自分をどうにかしたいと思う。でも全部が思うようになっても多分ぼくは満足はしないと思う。どうなってるのかなあ、ほんとのところは???っておもいます。
519 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 09:14:07 ID:8nMq6Ghi
>>513 崩れた山から、温泉が湧いたら、薬効もあるかもねえ
520 :
Ryu:2006/12/01(金) 15:56:05 ID:7l7SUJ0H
>>516 それは、前からそうですよね。
ちょっと前の書き込みでは、
「これから、私は小悟から大悟へと飛翔しようとしている」なんてこと言ってたかと思えば、
今度は、「悟りなんて求めてるのはチャッチイやつらで、私はもうそんなものには関心は無い。私は多次元宇宙を航行できるパイロットを育てたいだけだ」(陰謀論の書き込み)とくる。
いろんな次元宇宙のことがわかるほうざんは、さぞ「大物」と言うことになんでしょうね・・
他次元の苦しんでいる生命を救うオタスケマンかなんかになるんでしょうか?
ここら辺、普通の人はちょっとついて行けないところがあります。。
2ちゃんで批判してるやつがいるから、そう言ったかはどうかは別にして、
やっぱりこういう言い方、主体のあり方は、精神分析かじった人間から見ると、
典型的な神経症であるように思える。
>>380で書いたような、自我の症候として彼の言説を僕なんかは読んでしまう。
もっとも、彼が僕なんかの想像・思考を絶するほど「はるかい賢く、はるかに広大な視野を持ち、知恵に溢れてる」のなら、
こんな分析に意味はないかもしれませんが……
521 :
名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 17:39:58 ID:8nMq6Ghi
>>520 >ちょっと前の書き込みでは、
>「これから、私は小悟から大悟へと飛翔しようとしている」なんてこと言ってたかと思えば、
そういった、書き込みは、私が読んでいる限りでは無いよ。
そういうニュアンスに受け取れる文としては
>「小悟から中悟」への飛翔の「工程」というのは、
>苦しみと迷いから、悟りへと移行するプロセスよりも、
>その何倍も、遥かに「困難」だからです。
というのがあるけど、
これは、、
ほうざんさん自身が、小悟から大悟へ飛翔するという意味にも取れるけど、
そうじゃなくて、「虚無の微笑」を読んでいる人は、わかると思うけど、
ほうざんさんが、普段小悟レベルに落としているのを、
パートナーの小悟から大悟に至る工程のため、師として、
寿命のちぢむ、大悟の状態になることを意味していると思う。
>>502の
>EOの理論は、だから『虚無の微笑』にあるように、
>全体意識への帰入、融合が大悟であると言うものでしょう。
といった書き込みからも、私が読んだ限りでは、
あなたは、文章のニュアンスを取り違えている事が、しばしばあるようです。
522 :
惰眠:2006/12/01(金) 18:02:11 ID:x/Z42MDs
>>517 逃避やめられまへんからw
レスされるとやっぱり返したくなっちゃうんだなぁ。あははは。
真面目な人間は・・辛いね。。
話を蒸し返して悪いんだけど、ほんざん=EOについて
以前、占いの本を読んでた時期にEO氏の生年月日からみてみたけど
いまのほうざん氏と同じ人間とは思えない。
あくまで占いに限定した話です。
サイトで読める分のEO文章くらいしか読んだことないけど、とてもじゃないけど
パートナーがどうこうとか、ありえない。。
思い出したから書き込んでみたけど、多分きっと、そうであってほしくない願望から
そう思うところもある。
あれだけ人生を楽しんでるのに・・その他たくさん
525 :
Ryu:2006/12/01(金) 20:26:21 ID:7l7SUJ0H
>>521 細かいことはどうでもいいけどさ、あなたはEOほうざんの言ってること、
そのまま額面どおりに受け取ってるのが、僕から見るとおかしいんだよね。
そもそも小悟がどうの、ましてや中悟がどうのなんて話、
彼以外言わんからね。
なぜ言わないかというと、意味ないからだよ。
彼岸に渡ってしまう一回きりの悟りが無いやつだけ、中悟まで行ったとか、
いや小悟だとか・・そんなの全部嘘みたいなもんよ。
自他の迷いが落ちんから、他をコケにしたような事言ったり、
ゾンビがどうのとかさ・・w・・僕も言ったけど。。w
俺は小悟だとか大悟だとかって言う自分があったら、そういう風に言ってる分だけ、
迷ってる、勘違いしてるってことなの。
さらには、大悟すると寿命が縮むなんて、他の覚者は言ってないよ。
仏陀自身が80くらいまで生きてるでしょ。
・・ぼくが>>520で言いたいのは、多次元宇宙の話も、その他の言説も、
全部彼の自我の症候として読むことが可能だって事。
神経症というのは、自我に対する固着によって、いろいろ問題がおきるということなんだけれど、
彼の言説から、一種の幼児性、幼児的な自我の万能感を読み取ることも可能なわけ。
それは『虚無の微笑』からも感じるし、多次元宇宙旅行の話からも、それが言えなくもない。
もちろん、こういう精神分析的な分析は、万能ではないし、
その視点のみから批判することもできないかもしれないけれど、
知っておく必要はあるんじゃないかと思う。
まあ、精神分析持ち出さなくとも、「えばりんぼほうざん」と感じとるセンスがあれば、
十分なのかもしれないけれど。。
>さらには、大悟すると寿命が縮むなんて、他の覚者は言ってないよ。
正確には大悟の状態にとどまり続けると、だけどね。
縮むとか下手するとすぐ死ぬ、という話はラマナもoshoも言ってるけど。
自分なんかはほうざんの毒舌とかいろいろなものに対する視点はすごく
面白いと思うけれど確かに時々一人よがりだなあ〜と思う時がある。
>俺は小悟だとか大悟だとかって言う自分があったら、そういう風に言ってる分だけ、
迷ってる、勘違いしてるってことなの。
これは自分はそうは思わないんだなあ。
これはちょっとあまりにも単純な断定の仕方に思える。
禅の正法の視点から見たらそうなるんだろうけど。
そもそもほうざんの禅批判というのは小悟の禅者が無だの大死だの言って
大悟したつもりになっているというものでこれなんか自分はかなり正しいんじゃ
ないかとすら思ってる。
527 :
Ryu:2006/12/02(土) 01:13:17 ID:fS21Rfdg
>>526 KRANTIさん。
「大悟の状態」という言い方は、仏教には無いんじゃないかなという気がする。
大悟というものが、意識レベルとかエネルギー状態みたいなもののように言うのは、
どうも違う気がする。ラマナは、仏教の人ではない。和尚もよくわからない。
忘我であるとか主客合一の境地というのが悟りであるとすると、
それは意識の位相転換のごときものであって、
意識の状態と言えるのかどうか?
僕の解釈だと、EOはチラッと見ただけの気がするんですね。
それでだんだんと凡夫に戻ってほうざんになっちゃった。
僕が聞いたのは、「EOは次第にEOでいられなくなった」という話です。
それでほうざんに生まれ変わった。。
とすると、やはりEOが大悟したかどうかは相当怪しいんです。
>禅の正法の視点から見たらそうなるんだろうけど。
間違いなくそうです。
だって自分で「悟った」とか思ったら、そう思っている方は、間違いなく凡夫の自我ですから。。
だから、禅宗だと、本物の悟りかどうかを検証するために師が存在する。
禅師は指導のためにいるんじゃなくて、見性を見るためにいるんだそうです。
>そもそもほうざんの禅批判というのは小悟の禅者が無だの大死だの言って
大悟したつもりになっているというものでこれなんか自分はかなり正しいんじゃ
ないかとすら思ってる。
だから、その小悟というのを、道元禅では言わないんです。
向こうへ行った人だけが認可される。
僕が言ったようなことは「普勧坐禅儀」みたいな基本的なテクストに書いてあることで、
EOほうざんは、そういう基本テクストあんまり読んだ形跡が無いんですね。
批判するなら読んで、理解してから言わなくちゃ話にならんはずなのに。。
ダイジの方は臨在録とか道元とかちゃんと読んでるのに・・
528 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 04:17:10 ID:qF9thWYh
基本的なテクストなしで悟った人なんか沢山いるだろ
受験勉強じゃあるまいし。
EOが禅の批判するときに多少間違った表現、語句使ったとしても
そんなこと関係ないよ。
理屈好きには格好の餌食だろうがw
重要なのは行間にある鋭さなんだよ。
何も知らない子供の言葉が妙に突き刺さったり。
EOは目の前の屁理屈こねる禅僧、界にカツを入れたかったんだろう。
悟った人のパワーとは本来そういうもんだ。
529 :
sage:2006/12/02(土) 07:46:20 ID:sgjSLjS5
>EOは目の前の屁理屈こねる禅僧、界にカツを入れたかったんだろう。
>悟った人のパワーとは本来そういうもんだ。
EOこそ屁理屈のかたまりに見えるのだが。
ほうざん(=EO?)が展開する、後出し設定によるEO弁護もむごいね。
それとEOは悟っているの?精神世界の山師の自己申告を鵜呑みにするのはどうかと思う。
530 :
名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 10:58:53 ID:tAby4Wuu
>>525 >細かいことはどうでもいいけどさ、あなたはEOほうざんの言ってること、
>そのまま額面どおりに受け取ってるのが、僕から見るとおかしいんだよね。
細かい事?おいおい、、、。額面どおりに受け取ってる話じゃなくて、
あなたは文章の意味を誤解して読んでるから、
本文と話が変わってきてるんで、元も子もないと言ってるの。
あなたは、「他の覚者による悟り」を基準にして、EOの「悟り話」の真偽を判断してる。
私は、「真偽」については、判断せず、ただ、本として読んでいる。求めているものが違うだけ。
おかしくはないよ。
それに、私は、額面どおりに受け取っている訳じゃないよ。
小悟大悟の話が嘘という理由に、
「彼以外言わないから」というのは、たいした理由にはならないな。
別に、信じる信じない、とかの話しじゃなくてね。
>・・ぼくが>>520で言いたいのは、多次元宇宙の話も、その他の言説も、
>全部彼の自我の症候として読むことが可能だって事。
可能だろうね(笑)
>まあ、精神分析持ち出さなくとも、「えばりんぼほうざん」と感じとるセンスがあれば、
>十分なのかもしれないけれど。。
竹の間は、もともと、「自分自身で考えるという事を示した」掲示板だったと思うんだけど、
「ほうざんのえばりんぼ〜」という風に読めない事も無い(笑)
読み手側としては、
「書いてある内容を、価値観の押し付けのように受け取ってしまう」事がしばしばあるけど、
私が読んだ感じでは、
彼は「内容」ではなくて、書いているものを通して、自分で考えるという「在り方」を示したかったようだし。
531 :
Ryu:2006/12/02(土) 13:11:49 ID:fS21Rfdg
>>528 >基本的なテクストなしで悟った人なんか沢山いるだろ受験勉強じゃあるまいし。
そんなことは無い。ごくわずかの例外を除いては、基本的なテクストの理解はあるはずだよ。
禅寺で師について学べば、普通に教わる&学ぶこと。
>理屈好きには格好の餌食だろうがw
重要なのは行間にある鋭さなんだよ。
それだといとも簡単に変なのにだまされる可能性があるよ。
直感的にあなたより鋭いとか洞察力があるという人は、いくらでもいるだろうから。
理屈による理解は、修行の指針を誤らない海図のようなもの。
それなしで修行したり、考えたりしても誤る可能性が非常に高いと思う。
>悟った人のパワーとは本来そういうもんだ。
あなたには、パワーグル幻想というか、スーパーマンのような覚者を求める幻想があるような気がする。
それがあると、グル・トリップしてる師に引っかかりやすいと思うよ。
悟りに対する幻想が強すぎる気がするよ。
532 :
Ryu:2006/12/02(土) 13:42:38 ID:fS21Rfdg
>>530 >>530 細かい話をさせてもらうと、僕の解釈を誤解と断定する前に、
もうちょっと慎重な検討が必要だと思うよ。。
>>「小悟から中悟」への飛翔の「工程」というのは、
>>苦しみと迷いから、悟りへと移行するプロセスよりも、
>>その何倍も、遥かに「困難」だからです。
>というのがあるけど、
>これは、、 ほうざんさん自身が、小悟から大悟へ飛翔するという意味にも取れるけど、
>そうじゃなくて、「虚無の微笑」を読んでいる人は、わかると思うけど、
>ほうざんさんが、普段小悟レベルに落としているのを、
>パートナーの小悟から大悟に至る工程のため、師として、
>寿命のちぢむ、大悟の状態になることを意味していると思う。
ここのほうざんの言っていること、よく読んでも主語が無いから、誰のことというように断定できないように書いている。
ほうざん自身のことか、その女のことか実際はよくわからない。で、僕はほうざん自身と解釈したけどね。
それで、あなたの解釈自体もものすごーくほうざんに好意的な解釈でしょ。
あくまで解釈なんだよ。ほうざんは自分が大悟してるなんて言ってないでしょ。
大悟したのはあくまでEOということだから。だから、僕のとり方を誤解と断定するのは早計だよ。
あなたの解釈も僕から見たら誤解なの。
>小悟大悟の話が嘘という理由に、
>「彼以外言わないから」というのは、たいした理由にはならないな。
そうは言ってないでしょ。ちゃんと論理的におかしいといってるの。
525をちゃんと読んでよ。
>竹の間は、もともと、「自分自身で考えるという事を示した」掲示板だったと思うんだけど、
「正しく考える」という面で言うと、ほうざんの論法は暴力的というか、事実認識無視したり、
自分が理解していない対象を決め付け的に否定したりして、あんまり参考にならんね。。
それで文章を書くということ自体が、エゴトリップを引き起こしやすい行為なんだけれど、
僕は、そういうのに波長を合わせない方がいいと思い始めたところなの。
2ちゃんも、ほどほどにしといた方がいいのかもだけれど・・w
533 :
Ryu:2006/12/02(土) 13:47:03 ID:fS21Rfdg
EO-方山さんは、禅についてはある程度、OSHO経由かはわからないが
理解あるけど、文字は出てきてもいわゆる原始仏教、初期仏教的なものの理解はなかったようですぅね。
大悟、小悟なんかは結局大乗-天台-禅系の単語であって
さとりということを示している預流道、一来、不還などの単語は出てこないに等しい。
おそらく、今の生活状況から考えると、もう一回うまれかっわっちゃうのは
まちがいない。
地震予知やら先のことを予測してみせるとか。。・。
535 :
hd:2006/12/02(土) 19:05:21 ID:CDjjgLmV
EOって自殺で死んだのか?
どな方法で?
536 :
よしこちゃん:2006/12/02(土) 21:57:14 ID:i39/8Mum
俺が温度といったのはね。本当の”遊行”となった場合だね、決め手は温度
だといいたかったの。温度や湿度や風だね。本当に指標を失ったとき、
験してみるのもいいかとは思うね。あくまでも旅行技術の内においてだけどね。
そういう旅をした事のある人は案外少ない。そういう旅をしたらどうなるかと
いうと、違う世界が開けてるんだね。あとからかんがえると考えられない自分が
そこにいたということかな。本来生命のようなものを感じ”ようとすれば、遊行みたいなものは
あってよかろうと自分なんかは思うのだけれど、日本ではお遍路みたいなシステム
しかないね。そういう意味では、タイの坊主はなかなかいいと思うよ。システムとし
てもいいし、精神性もあるとおもう。なんとなしにベンチで一緒に座っててもいいわけ
だよ。そういう意味じゃ日本は風とおしがもうひとつで、悟り”なんかはあまり文化に
ならない。本来生物は河の流れや、温度に乗って分布してきたのであるけれど
いろんな解釈のうちにしか生きれないのは、さびしいもんだ。本来の生命感発露のための
いいわけくらいに”解釈は利用されるくらいでいい。テーマパークならそれでいいんだけど。
言葉のニュアンスと行で悟性が育つかというと、そうとも”限らないからね。
537 :
よしこちゃん:2006/12/02(土) 22:08:42 ID:i39/8Mum
悟りとか悟るとかいう言葉は実は日本的なんだよね
大悟から(中悟かもしれないが)小梧レベルに落ちるというのはなんとなく理解出来ない。経験上わかるとしか表現出来ない。
だが、そこから生きたいという欲求が生まれれば、それは凡夫と変わりが無い。
人生に二度ほど小梧を経験したとしか表現出来ないが。
EO著作に書かれている悟りの表現はほぼ私の経験上としか表現出来ないが、ほぼ相違無い。
確かに、殻を破る際には不安はついてくるが。一旦破れば、何も無い。 それすら思わない。
4歳児と20歳時に、二度小悟と表現する他無いが。
いずれも、極限の集中状態で且つ、極端の苦しみ、価値観の喪失。 うつ状態の出現とうつ状態の悪化。
それらが出現しつつも。
悟りは突然やってくる点については。問題ない。
心療内科での待合室で突然来たくらいだしね。
4歳児の時は特殊な事柄。
つまり、保育士からの布教を受け、実践した結果であるが。(ほぼ脅迫だったような・・・・)
20歳時の場合も同様であった。
いずれにおいても法華関係者であったが。 それらの組織集団には馴染めないか、理解不能であった。
一言で言えば。
・・・・どうでもよかった。
ほうざんはここ見てるのかね・・・・・・?
竹の間見てそう思いましたわ。
悟りの最中は至福のあまり、あまりにも記憶が曖昧で。
確かな部分を多く強調出来ない。
強調する気すらない筈なのだが・・・・
いずれにおいても、二度の小梧若しくは中梧であっても。
短期間でしか無かった為。彼との差異が生じたのかもしれない。
しつこいようで、すまないが。法華に書かれている文と私の考えが一致しているとは限らない。
548 :
よしこちゃん3:2006/12/02(土) 23:14:54 ID:i39/8Mum
実はずーっと考える事だってできるがしない。要するに本当にいってしまうのが
が怖いんだよね。どこにいるのか分からないということは非常に無謀なんだけど
実は求めていることだったりして、自分を投げうつというより、世界を内在化
させる体験というのは現代的な至高体験だね。しかしそういう体験は、体験依存
と紙一重かと思うんだけど、無明庵とかでいってる悟りっていうのは、麻雀裏打ち師とか
そういう人がもってるんじゃないの。集中力の極みとか、思考の限界とか、世界と
自己の関係とか、よまざる得ないもの。勝負するというのは思考が戻る場を
捨ててしまうことも必要とするからね。まあボクシングで言えば、スパーリング
するのも怖くなって道で座ってたりしたタイプだからな俺w。試合は現実だな。スパーリングは
妄想だな。他の練習はバリ妄想だな。妄想がいくらよくても単なるはじめの願望。
悟りは安定思考と関係あるとは思わんけどね。へずるもんへずっても進歩しないから
悟ラーなんであって、まあ本当そうだよね・・・・まあ負けたところからやり直さないとだめ。
まあ、否定するだろうけどよく似た奴が集まってると思うよw
悟らーもゾンビもまあネタだろうから、是で降りる。からかいはじぶんにも
帰ってくるからなー。やだやだ。講釈たれるとだね、今までしてきたことの
思考が一直線にびしっと雷のようにつながるから、悟するんだと思うよ。
思考とは本来そうあるべきもの、ループしたと思ったらおそらくもうそれてる。
クリよむにしても、サルトルでもええわ。つながるときはびしっとつながるらしいよ。
549 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 03:25:58 ID:xgw2WM3z
理論で詰めていっても、最後の一歩は勇気がないと渡れない。
小悟も中悟も言葉遊び、最後の保障なんかありゃしないのさ。
550 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 11:29:44 ID:Z+beH1rI
>>539 >人生に二度ほど小梧を経験したとしか表現出来ないが。
おそらく、一瞥と小悟を間違えているのでしょう。
小悟は何度も経験できませんので。
最期の一歩は勇気も持てないんじゃないか。要りませんでした実は、とか。
552 :
名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 17:42:30 ID:Z+beH1rI
>>532 >細かい話をさせてもらうと、僕の解釈を誤解と断定する前に、
>もうちょっと慎重な検討が必要だと思うよ。。
私は、あの文を読んだとき、また、本の宣伝のためなのか、
解りにくい事書いてるな〜wあの文章だけでは、
ほうざんさんとパートナー、どっちの事なのか、それとも、全く別のことなのか分からない、
と思ったよ。で、慎重に、検討した結果が、これ(笑)
>そうは言ってないでしょ。ちゃんと論理的におかしいといってるの。
>525をちゃんと読んでよ。
読んだよw。論理的とは思えなかったよ(笑)。
>それで文章を書くということ自体が、エゴトリップを引き起こしやすい行為なんだけれど、
>僕は、そういうのに波長を合わせない方がいいと思い始めたところなの。
誰かに対して、文章を書いてる場合は、エゴトリップを引き起こすかもね。
それは、生存欲の一種だと思うよ。だから、自然な事だと思うな。
>2ちゃんも、ほどほどにしといた方がいいのかもだけれど・・w
気づけてよかったね(笑)
私は、実生活上、「相手に理由が通じない場合、
会話を(というか、言いたい事を通じるようにするには)どうすればよいか」というのが課題だったけど、
どうやら、逆説的に、あなたのお陰で解決できたみたいだ(笑)
>>543 どうなんだろうね〜。私なんかは、自分の脳の中を見られてるんじゃないか、
と思うくらい、自分が考えてる事と竹の間の書き込みがシンクロしてる時があって、
びびるよw
では、あの窒息しそうな至福は何だったのか?
一瞥について調べて見ますね。
うーん、わからん。
それらがなぜ必要なのかね? 問ってみなさい。
ほぼ全ての場合であるが、何かを得た瞬間。必要なものを得た瞬間、誰かが涙する。 世に奇麗事などない。
そう考えて見れば、世の中は常にほぼ闘争状態であり。
苦しむ喘いでまで、何かに執着するというのが人間の本質なのではないかね。
一切皆苦
悟りはそこから離れている。
そもそも、悟りというものそのものが、まったくの未知であり。
一瞥だろうが、悟りだろうが、私には判別出来ない。
故に一瞥ではないと思うのだが。
本当に悟りは恒久的なのか?
手裏剣先生の声を聞いた!
文章と違和感がなかった。
神々が涙するという表現は大げさかもしれないが。
私が普通の状態に戻る際には、大きな存在感を感じた物だ。
それは自分という自分を得ただけだっただけの話だ。
一つ面白い話をしよう。
法華関係者であった、私であるが。
悟る前日における、題目行は面白い事があった。
なんと、金色の光明と共に、微かに仏らしき。
いや崇高さではない、救いでもない、を見た事である。
・・・・・わからないのである。
人知には測れぬ。
ただ、辞めまいとする決意のみ残った。
・・・・・・・これは何だ?
もう一つ面白い話をしよう。
悟りに至る前は。常に精神的な脅迫にさらされたものだ。
やれ、地獄だ、強者が我を責めるなどであった。
なんと、報酬を出そうとする者も出た。
なんてことはなかった・・・・。
自我が相対的に・・・よりも強くなっただけだ。
それに伴う環境に対する抵抗力も無くなっていっただけの話だ。
自我が離れる時、自我に責められようとも。
自我が離れた時、誰にも責められぬ。
平穏そのものを乱すの根本は。
自我そのものであっただけの話だ。
法華とは何だ?
何だというので、過去に読んだ事例を書くと
新興宗教にのめりこんでゆく人は、
何か神秘体験のようなものをして
そこから、これが絶対だと信じきるらしい
ということを読んだことがある
自分のやってきたことは間違いではなかったと信じるらしい
どんな新興宗教でもそういうことが良くあるらしい
でも特別なことが起きたと思って、
それ以来、その心経宗教意外の他の人の意見を全く聞かなくなる
と書かれてあった
見た光明が何にせよ
それが本物なら、聞かなくてもすでにわかってるだろうし
判らないとしたら本物ではなかったのかもしれぬ
ということだ
仏を思う時、私は抵抗する。
仏を思わずに、五欲を欲する時、自我は安心した気持ちになり、騙される。
また生まれたくなるだろう。 そんな事は神秘的でもなんでもない。
毎日生じる事だ。
私は常に思いたい事が一つ出来た。
仏とは何ぞや。・・・・答えは無い。
達成される見込みは無い。
>仏とは何ぞや。・・・・答えは無い。
いいや、答えはあるよ
それと離れたことがないのだから
わからぬはずはないのだが・・・
では、聞きたい。
仏とは何ぞや?
もしやと思うが、陳腐な、これからも生きて生きたい活力源を産み出すような回答は御免蒙りたい。
続きではあるが。
4歳児であった、私が、一番絶望したのは何だったか。
保育園という社会が。上位社会の縮図であったことだ。
大人の真似をしては、子供ははしゃぐ。
そこに選択の自由はあって無いようなものだ。
仮に仏が理解できたとして。
仏そのものであるとしたら。
それらは、色々な執着を断ち。
依存を極端に無くした後に。
それに依存する心ではないかと、
故に、皆に仏の種あり。
未だに発展途上ではあるが。そう思ってはいる。
解脱に至る、最終過程において。
私が想定する事、それは。
そこらへんにちらばる石ころのような姿だ。
EO著作と多重になるが。彼の言っている事については親近感を持たない。
ストンと落ちる気持ちだ。ストレート過ぎる。
私は彼ではないし。彼も私ではない。そもそも気にしてどうなる。
崇めるのか? それも違うだろう。
悟りが恒久的であるのか無いのかについて。
思うことが一つ出来た。
悟り自身は恒久だとし。
それを体験する自我が崩壊したとしても。
やはり恒久的に悟りであろうと思うが。悟りそのものだからね。
自我を構築する者が居るとしたらどうするかね。
それに接触した場合は?
それを思う原因等は?
・・・・・・・生きるべくして、生きたいという思い。もしくは願望ではないかな?
実際、我々は生きてから自我を構築されている・・・若しくは望んで受け入れていると思うが如何だろう?
疑問は増えるばかりで解決はあっても解答が無いとしたらどうだろう?
面白い事だ。
我々は何を求めている?
我々の意味はあるのか?
一度考えて見ると面白い。
・・・・・そもそも本当に解脱は有るのかね?
なんという救いだろう。果たしてバランスが取れるのか?
それともなんだね。解脱者専用の車両でもあろうか?
専用車両の存在が確認されれば。
我々は恐怖する。
それもシステムの一部だからだ。
なんていうことはない。何も特別ではない。
matrixは非常に楽しめた。救世主もシステムの一部だったから。
今まで書いた文章の中で私情を奮い立たせて書いた文はこれだけだ。
matrixは非常に楽しめた。救世主もシステムの一部だったから。
特に意味は無い。
まったくもって可笑しな日だ。
これも私情を強めて書いたつもりだ。
574 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 10:59:04 ID:T28d56vf
575 :
名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 11:04:43 ID:T28d56vf
>>554 無明庵のHPに、HPをググルとこあるから、そこで、
一瞥をぐぐってみ。
これから仕事ですが。
終わったら、調べて見ますね。
ありがとう。
茶碗に意味があるのはお茶があるからだ。
お茶が茶碗に意味を与えている。
宇宙には意味を与える何者も存在しない。
よって宇宙は無意味であり、その一部である人間も無意味だ。
ヴィトゲンシュタインとEOは正しい。
酔っているが正しい。多分。
>>573 それは言えてるかもしれない
eoに言わせれば今の宇宙は125代目らしいからな
神が宇宙を作りブッダが壊す
こんなのを毎回続けてきたんだぜ
579 :
hd:2006/12/05(火) 00:44:23 ID:eeM0ik39
ほうざんは自殺しないの?すればいのに
580 :
280さんへ:2006/12/05(火) 00:54:45 ID:+K9qxkeZ
暗闇に同化することが悟りなんてEOさんいってるかい?
EOの専売特許というような視点で彼は論じてるのでしょうか?
あなたは闇を認識している光という経験を持っているのですか?
581 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 01:49:34 ID:2XeYUmjG
がんばれ!レスコールパパス
んー。一瞥について調べてもストンと来ないです。
一瞥について詳しく書かれている所は無いですか?
583 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 02:32:03 ID:2XeYUmjG
奥田ひでろうのサイトがいい
584 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 02:47:34 ID:2XeYUmjG
ディクシャとともになんでエヴァダンするの?
585 :
名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 17:32:56 ID:0LiQ0rve
>>582 >んー。一瞥について調べてもストンと来ないです。
ストンとくるには、体験するしかないでしょうねw
例えば、カレーを食べた事の無い人に、どんだけ説明しても、
カレーについての味はわからないのと同じで。
それと、定義や名称の前に、そういった現象やら体験があるわけで、
人それぞれ、その体験に対する表現や観察も違うと思います。
一瞥の事は、「プチ悟り」、一時的な「悟り」、「悟りを垣間見る」
などと、言われています。
つまり、「体験」したことが過去のものになった状態で、
「ああ、あの時、至福の体験をした」とか、思ったら、
それが、「一瞥していた」事になると思います。
もしかしたら、
一瞥が頻繁に起こると、「自分は悟った」と間違えるかもしれないです。
以上、私の経験+そこら辺の寄せ集め知識による解説でしたw
私は、あまり「悟りの解説」には関心が無いので、
この説明で合ってるかは分からないですww
>一瞥について詳しく書かれている所は無いですか?
確か、「悟りなき悟り」が出る前までは、「竹の間」で「悟りの再定義」とかいうタイトルで、
一瞥についても書いてあったような気がするけど、
私は「悟りなき悟り」を買ってないし、その書き込みを読んだのが、ずいぶん前なので、
どうだったか忘れましたw
>>583 小説家の奥田英朗(おくだ ひでお)のことかな??w
そうだとして、それが一ヶ月以上も続くものなのか?
まぁ、現状としては自我のある私が何を言っても。空言か他愛の無い話でしか出来ない。
解説は有難う御座います。ためになりました。
588 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 11:45:24 ID:mRXpbW1Z
>>586 >そうだとして、それが一ヶ月以上も続くものなのか?
一ヶ月以上ずっと至福状態??
>>541 で
>極限の集中状態で且つ、極端の苦しみ、価値観の喪失。 うつ状態の出現とうつ状態の悪化。
>それらが出現しつつも。
て書いてるけど、
一ヶ月の間には、うつ状態とかは全く無かったということかな?
それとも、うつがやってきて悟りの状態が来て、という繰り返しが
一ヶ月以上続いたということかな?
589 :
名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 19:22:24 ID:ni2MXq0e
雑草は生えるのが早い。
大木はなかなか育たない
ほんまかいな
590 :
brown:2006/12/07(木) 01:58:59 ID:6oVnoDvy
>>588 至福状態というのは,何ヶ月も続くものですよ。
実際には完全な状態は半年くらいは続いていく。
解脱境は自ら起こしたり努力したりして,入るものでも維持するものでも
なく,努力なく,勝手になっているものだから。
そして,そうなる前に,その人が持っていた,疑問の数だけ,彼に悟りの
智慧がもたらされる。
それから,だんだんと勉強や仕事が忙しくなったりして輪廻に引き戻されて
いくときに,三昧の洞察力が何年もかけてより実践的に磨かれていく。
591 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 02:25:35 ID:+GftaQFw
ふーん。俺も悟ってみたいものだな・・意識が消えたというはっきりした経験
みたいなものはあったけど、その後なんのつながりも、ない。
相変わらず精神状態はよくない。至福意識と聞いて少しうらやましい・・・
592 :
名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 10:33:54 ID:1kiKCiiS
>>590 あ、一ヶ月以上至福状態かどうか聞いたのは、
どんな状態が、一ヶ月以上続いてたか、解らないから。
私は、
>>541の書き込みを、うつがやってきて悟りの状態が来て、という繰り返しが
出現したという風に、読み取ったので、
小悟でなくで一瞥といったけど、もし、一ヶ月以上休み無く至福状態だったら
(
>>541と
>>586 が同一人物だとして)
一瞥ではなかったかもな〜と思って。
541と586は私の書き込みですよ。
最初は、単純な自我の喪失と喜びが出てくる程度でしたけど。
食事も旨いし、寝る心地も素晴らしかったと記憶しています。この世がこれほど美しく感じたのはあれだけでしたし。
時間の感覚もありませんでしたしね。 気が付いたら二日経っていたなんてよくありましたし。どうでもよかったですけど。
ただね、不安感とか、まだ何かあるなという印象はありました。
それらが何かわかりませんでしたが。 距離感みたいな感じですね。
ただ、殻を破った後は、ほとんど無口でしたからね。
なんというか・・・思う条件や原因、口に出す条件や原因とか、色々なんですけど。
まったく無いんですわ。
これ返って困っちゃって。これは生きなくちゃやっていけない。もう生まれる事は無いだろうなとか。
二つ相反する思いが反しあいましてね。相当困ったと覚えています。
で、また苦しむ自我が芽生えちゃったと・・・二度もやっておきながら何故かというのは。。。
わかりません。
私が思うに、自我の喪失において、最も自我が嫌うのは執着出来ない状況だと思いますよ。
当時の私は名誉も地位に、まったく無関係で無力で無価値であることに相当悩んでいましたし。(執着出来る事柄が段々と無関心化しましたから)
それでいて、最後には宗教に救いを求めたのですが。これがまた、自我の求める所の望みを叶えないとか愚痴を言わずにたんたんとやっていたもんです。
新興宗教団体だったのが良かったのか、悪かったのか。 ほとんど世俗と変わりがない印象というか、より悪化しているというイメージがあったものですから。
経典と仏に救いに見出そうと躍起になったものです。
私の求める願望が速やかに成就すると仮定し、それを妄信し。題目やっていたもんですが。それが面白い効果を生み出したようで。
私が所有するものは何も無いし、愛される存在でもないという。自虐的ではありますが、
更に無力で無価値へ移行してしまった訳です。
一言で言えば、底にまで行ってしまうのではないかと思ったくらいですしね。 実際行っちゃったのか見ちゃったのか至ったのか表現の仕方がわかりませんが。
面白い事に法華関係者ならわかるのですが。
例え、この世にもう生まれないだろうと確信しても、まだ仏に非ずという所でして。
今のところ、またやっちゃう可能性もほとんど無いですが。(仕事していますし。)
仕事していますから、やっちゃったら何も出来なくなりますしね。
どーしましょう・・・orz
まぁ、そのへんで楽しく遊んでろや。という言葉が離れません。
596 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 09:22:21 ID:paPBFOci
>>593 同じ人でしたか。
ふ〜む・・・・・w
自我が完全に喪失してたら、自我が嫌う執着心が無い状況も、(自我が無いが故に)平気だと思うんだよ。
だから、自我が弱っていただけで、完全には、自我が喪失していなかったのかな。
それか、本人にとって生きる理由が見つからないが、
単に「一般常識的」に「生きねば」と思ってるだけなのかな〜。
と、空想w
私は、悟って自我を一度喪失したら、もう戻らないと思ってた。
だから、一瞥だと思ったんだけど(もしや一瞥と小悟の中間くらい?←そんなのあるのかw)
個人的には、あなたに起きた事が、悟りとして、
「悟り後、また、自我が芽生えるってことがあるのかな〜」と疑問が湧いた。
私は、悟りについては、よく分からない。
あなたが、何の目的で、ここに書き込んでるのかは分からないけど、
よく分かる人が、ネット上に、HPとか出してるんで、そっちに行ったら、
もっと具体的な返事が返ってくるかもよ。
まぁ、自我が戻るとか自我が戻らないとか。そういう知識がないので。
なんとも答えられませんからね・・・ わかりませんとしか言えませんよ。
具体的にどこのHPが良いでしょうか?
目的といっても、楽しむ為ですよ。 暇ですし。
599 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 22:42:05 ID:ColACPt6
暇で寿司w
600 :
名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 23:02:18 ID:paPBFOci
>>597 >まぁ、自我が戻るとか自我が戻らないとか。そういう知識がないので。
>なんとも答えられませんからね・・・ わかりませんとしか言えませんよ。
いや、たずねた訳じゃないのでw単に疑問に思ってるだけですw
あ、誰か、分かる人がいれば、教えてください。
そういえば、さっき思い出したんですが、あなたの体験は、
「虚無の微笑」という本に、ほうざんさんのパートナーの体験談が書かれていたんですが、
その中に出てくる、一年間楽だった話に近いかもしれないですね。
そ〜いえば、あれも、一瞥なのかな。
つうか、一瞥って、長期間滞在するもんなのか・・・
なんか、一瞥という言葉から、チラっとしか体験しないのかと思ってたけど、
違うのかな〜、新たな疑問・・・w
>具体的にどこのHPが良いでしょうか?
いや、それは、自分の好みのところを探してください・・・w
あ、無明庵は??(笑)
といっても、なんか、あそこは、特殊らしいので、、、、
私は、あなたが何に楽しみを感じるかも知りませんし、
あなたが、楽しめるかどうかは分からないですww
お釈迦さんが死ぬ前に「ああ、この世はなんと美しいのだろう」と言ったとかいう話を聞いたことがあるけど
大悟から死ぬまでに何か変化が起きたのだろうか?
602 :
漸陀簿祭:2006/12/09(土) 00:26:02 ID:LUOL9jqV
大悟さんが生まれる前に「ああ、この世はなんと美しいのだろう」と言ったとかいう洟血を聞いたことがある
けど
釈迦から死ぬまでに何か変化が起きたのだろうか?
603 :
名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 22:34:34 ID:e3u1ckU5
お釈迦さんが死ぬ前に「ああ、この世はなんと洟血ブーだろう」と言ったとかいう話を聞いたことがあるけど
大悟から死ぬまでに何か変化が起きたのだろうか?
604 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 00:41:53 ID:geX7UziG
無常の世に何を望まれるのかな?
605 :
名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 22:20:59 ID:LW0UNpuf
無明庵HP
『それにひきかえ、一向に、ふらふらと人生の目的もなく、
目の焦点の定まらない「某ジャーナリスト」ときたら、
本の読みすぎで、「心身のあちこち」が、イカれているようですね。
ちなみに、私は、本を読み過ぎるようなやつとか、
あとは、他人に、「やたらに」あれこれと本を薦めるような人間、
そして、何かと言っては、「他人の本の引用」を頻繁にするような人間も
全く信用しないし、大嫌いである。』
これってだれのこと?
宮崎てっちゃんを思い浮かべたけど、彼はジャーナリストではないよねえw。
でんぼに詳しいんだなwww。
ん?呼んだかね?
好き勝手に遊んでろ。 止まること知らずに難しい事を考えたふりして仮定の答えに喜べ。
そして敵対しろ。
敵を倒した喜びを忘れるな。
子孫を残せ。君の自由意志など関係なく、感情のまま操られ貪り食え。
お山の猿の如く、下っ端に苦労させろ。 俺は自由だと妄想しろ。 更に苦しめ。
そして死ね。 死ぬ事を容認出来ぬまま虫の如く、そこでも動き続けろ。
かなり自分的な表現で書きましたがね。
607 :
名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 15:32:16 ID:nVDYB1Xs
没個性的だなw
彼はジャーナリストではないよね。
その土俵の人でない。評論家、時に論客ではあるけど。
610 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 01:47:20 ID:pRD60Dls
他人の批判をする前に、とっとと究極的な自己否定をして欲しい。
ほうざんの他者批判は、ほうざん本人に当てはまることばっかりだし。
611 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 11:59:50 ID:UveZg2kw
ほうざんもEOの本読めばいいのに!
612 :
綾波EO :2006/12/13(水) 00:18:10 ID:RKEEn82/
>>611 禿しく胴囲・・・・・・・・・・
ほうざん君、私が生前言った事を忘れてしまったみたいね・・・・・・・・・・
私のカラダの事ばかり覚えてて、肝心の悟りについては忘れてしまったようね・・・・・・・・
まあ、ほうざん君も「宇宙の果ての有と無の境界で永遠に苦しむ高知能スライム」
と同化するのは二度とまっぴらなんだとは思うけど・・・・・・・・・
613 :
綾波EO :2006/12/13(水) 00:45:36 ID:RKEEn82/
ほうざん君はオショーを過大評価しすぎ、私の本の前書きを訂正するわ
********私の言葉を以下の「いたずら者たち」へ捧げる*********
老子、荘子、そしてブッダとボーディーダルマへ。
ヨシュア、マイスター・エックハルト、そしてバーナデット・ロバーツへ。
クリシュナムルティー、ラマナ・マハリシ、
桃水、風外、一休、良寛、そして無名の禅師たちとタントラの門下たちへ。
そして、酔っ払いのダンテス・ダイジに捧げる。
などと いうことはない。
なぜならば、「彼ら」は「どこにも」「存在しない」者たちだからだ。
そのかわりに、そこに今もなお「自分」がいると思い込んでいる人類と
無数の高次元生命体どもとそのチャネラー達に捧げ、
加えて哀れにも、とうとう道(TAO)に到達できなかったグルジェフと
経験中毒のロバートモンロー、探求中毒のジョンCリリー、
魔術中毒のアレスタークローリー、問題外の和尚ラジニーシ、
そしてほうざん君本人へ捧ぐ。
614 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/13(水) 17:54:57 ID:iGuqEuzU
竹の間を久しぶりに見たら、禅問答やってたが、
私は一番苦手だ、禅問答w
禅々わからん・・・(駄洒落かよっ)
誰か、竹の間の、
仏に遭うては仏を殺しのやつ、分かった人いる?
俺も禅々なので安心しるw
>仏に遭うては仏を殺しのやつ
一応適当にw考えたけど
真理あるいは悟りを得たとしてもそこに留まろうとすれば
すでにあなたは真理や悟りから離れている
みたいな意味ではないの?わからんけど
違うみたいね^^;
617 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 21:10:34 ID:z+WoqIoB
読んだ人が不愉快になれば、ほうざんの目論見通り。
それ以上でもそれ以下でもない。
>>614 仏に会っても(相対的に価値判断しないで)仏に拘るなじゃないの?
仏はそこにいない、ここに居る。
ここに居ても、わからない。
仏を見てもわからない。
だから、仏を見たら殺せ。仏に執着してはいけないよ。
だと思うよ。
というより、仏という表現せざるを得ない物を見たとして。
必ず、私と仏との価値判断ごっこはじめちゃうからね。
仏を見るだけじゃ、まだまだだよ。
というより、仏という言葉自体が。
自ら名乗る事ではなく、周囲に既にあった言語を使用した結果。
ブッタという表現がされているだけだよ。 要するに、世俗の人間が彼に与えた名前でしかない。
彼自身、仏とは思っていない。
我々が人間だと思っても、それらは多数決による決定に過ぎないだけ。つまり、依存関係にあるだけ。
仏がそれを超えて、涅槃に入る(全てを捨てる?としていたら) なんら価値が無いだろう。(依存による構築された物に関して。)
世の中、特別な物は何一つ無いのだよ。
あるとしたら、君の錯覚でしかない。
それを執着と呼ぶし、拘るとも言えるだろうしね。
執着から離れたとしたら。(自我による価値観が崩壊したら)
何を特別と呼ぶの?
君たちが仏を特別だと思うように。
それらは誰にでもある。特別ではない。
622 :
名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 05:05:24 ID:0zxKm1GI
民主主義ってどう?
これ勘違いの元だよねw
623 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/14(木) 14:02:57 ID:l6wzAnT3
「間違った解釈の一例」を読んだけど、よくわからなかった。
「虫食い禅問題」の方は、
仏に遭うては仏を【 見ず 】
祖に逢うては祖を【 見ず 】
かな〜
>どうやったら、母子侍の三者を、
>侍であるあなたは、一刀の一振りで切れるか?
>言葉をかけてから、斬るもよし。
の方はわからない・・・
虫食いは「疑え」じゃない?
一振りは俺も禅禅だ・・。
625 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/15(金) 07:35:55 ID:Y4Iu19r8
う〜ん、口語訳に
>互いの眉毛が引っ付く程に親しくなって、
>祖師たちの見たその眼ですべてを見ることができる。
て書いてあったから、
仏に遭うては仏を【 見ず 】
祖に逢うては祖を【 見ず 】
かな〜 と思ったんだけど。。。
あ〜、なるほど!
そうかも。w
627 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/15(金) 14:32:53 ID:Y4Iu19r8
でも、「見ず」にしたとして、
母子侍の三者は、一振りでどう切るんだろう・・・それがわからん・・・。
628 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/15(金) 14:45:01 ID:Y4Iu19r8
口語訳に
>「外と内」(「意識と対象」、「自己と森羅万象」)との隔たりがとれ、
>完全に合一の状態に入る。
とあるから、
母も子も、自分ということになるので・・・
三者とも「侍」になる。
なので、
侍が、母子に言葉を掛けるとしたら、、、、
うーん・・・・ww
629 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/16(土) 09:05:03 ID:emCpw1FP
思いついた。
**************************************************
侍が、森を歩いていた。
すると、道端に、親子が倒れて横たわっていた。
近づくと、ふたりして、息も絶えそうな母子であった。
母子ともに、やがて死ぬことは、確実であった。
すると、母親は、あなたにこう言った。
「お侍様、御願いですから、その御刀で、私達を斬ってください。
もうこれ以上、苦しみとうございません。
後生ですから、どうか私達親子を、ここで切り捨てて下さい。」
侍は、刀を抜き、切掛かりながら、こう言った。
「おのれ〜」
こうして、母子侍は殺された。
**************************************************
駄洒落かよwこんなんしか思いつかなんだわ・・・
そもそも、仏が何かすらも、わかってもいない者には、
仏を殺すどころか、
否、仏に遭うどころか、
仏を見ることすら出来ません。
そもそも、師が何かすらも、わかってもいない者には、
師を殺すどころか、
否、師に逢うどころか、
師を見ることすら出来ません。
あらためて、竹の間を読んだが、↑のが引用だけども
これからすると、「見ず」も違うのでは???
631 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/16(土) 18:27:38 ID:emCpw1FP
>>630 そうそう、ヒントの文、
始め、これ読んで、「見ず」だと思ったんだよw
口語訳に
>一度このようにしてこの「無」を問題にしはじめると、
>ちょうど熱い鉄丸を呑みこんでしまって吐くこともできず、
>呑みこむこともできないようなもので、このようにして今まで学んできた役に立たない才覚や、
>まちがった悟り等、それらをすっかり洗い落してしまうがよい。
と書いてあるから、
仏が何かすらも、わかってもいない者・・・てのは、
すっかり洗い落とした状態になると思う。
ということで、
ヒントは、逆説的な意味なのではないかなと思った。
とか何とか、屁理屈こねてみたけど、
なんか、根本的に違う気もする・・・w
う〜ん、俺も他に思い浮かばない・・・。w
方山の言うように、考え方が足りないのかね???
633 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/17(日) 19:24:20 ID:6DeckykX
ま、あまり考えてはいないけど・・・
もう少し考えてみるよw
634 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/17(日) 19:30:43 ID:reA4ePEX
臨済宗の極意は「殺仏殺祖」。
あくまでも比喩としても
創価学会と同じくカルトなのではないですか?
635 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/17(日) 19:32:33 ID:reA4ePEX
宗教では比喩を比喩としてとらない学派は
必ず出ますからね。
それを踏まえて、臨済宗の極意は「殺仏殺祖」とされているなら
臨済宗はやはり危険団体でしょう。仏教の範囲に入るでしょうか?
636 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/17(日) 19:34:43 ID:reA4ePEX
逢佛殺佛。逢祖殺祖。逢羅漢殺羅漢。
逢父母殺父母。逢親眷殺親眷。始得解脱。
仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。
羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。
親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。
■
あくまでも比喩としても
創価学会と同じくカルトなのではないですか?
637 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/17(日) 19:47:34 ID:reA4ePEX
この点、臨済宗として反省文を出されているようですね。
仏教のカルト化防止の面で少々安心しました。
http://www.myoshin.com/guide/declaration_05.htm 以下、全文引用。
管長をはじめ多くの師家方が、教団に対して
「臨済宗として一日も早い懺悔表明」を強く要望されました。
この事は、今後宗門の進むべき方向を明確に示されたものであり、
今回の宗議会の「宣言」もその実現に向けた一つの行動でありました。
しかし、同和問題においても宗門は、他からの糾弾により、
過去の過ちを直視することが出来ました。今回の戦争責任の問題も、
『禅と戦争』等の出版が契機となりました。
悟りの取り巻き
639 :
とんぼ。:2006/12/17(日) 22:07:45 ID:Q7+VG+9x
仏に遭うては仏を【 忘れ 】
祖に逢うては祖を【 忘れる 】
こんな感じでどうやろ?
・・虫食い禅問答なんてあっていいもんか??
ほうざんの解答がおかしかったら思うぞんぶん突っ込んでやるぜ、、
・・最初から刀が鞘に入ってないなんていう、前言撤回・裏技・言い訳的・珍解答はなしで頼むぜ。
・・前回の禅問答の話。。
640 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/17(日) 22:35:17 ID:Q76f/VP5
>>639 貴方、自分を生んで苦労して育ててくれた親を
忘れる事はできますか?
641 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/17(日) 22:38:34 ID:Q76f/VP5
>仏に遭うては仏を【 忘れ 】
>祖に逢うては祖を【 忘れる 】
これでは自分の親さえ知らない
「体細胞クローンの宗教」ですな。
体細胞クローン人間に布教したらどうでっか?
最近、ふえているそうでっせ。悲しい話ですな。
642 :
とんぼ。:2006/12/17(日) 22:53:10 ID:Q7+VG+9x
>>481 あんたバカ??
自己を忘じきったら、自分の名前も生まれも思い出せないと思う?
・・と言うかあんたは、「忘れる=記憶がなくなる」としか読むことができんの?
だったら、そもそも禅問答やる資質がないということだよ。
他人の解答を批判してるあなたは、まずもって、自分自身、正解を出せんのかい??
思考停止してるんじゃね
644 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/18(月) 00:49:20 ID:vUVGJk47
645 :
名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 00:50:18 ID:vUVGJk47
そしてその「閉鎖社会のマスターベーション」の結果、発生したのが
「殺仏殺祖. 逢佛殺佛。逢祖殺祖。逢羅漢殺羅漢。逢父母殺父母。
逢親眷殺親眷。始得解脱。 仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。
羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。
始めて解脱を得ん。」。
禅問答なので別の言葉の隠語に過ぎないというならテロ誘発の誤解を招くような文章を
世間にばら撒くのは不快であるし害悪に過ぎない。この点を指摘すれば、
「仏に逢うては仏を忘れ・・・」に変えた上で更に「忘れるのは忘却を意味するのではない」、
と偉そぶる。それなら何故、最初に「仏を殺す」にしたのだ?馬鹿馬鹿しい言葉遊びの結果、
現在の日本社会では毎年数万人もの国民が政府に理不尽に殺されている。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/giin/1160835645/12-207 社会改善が目的の「ミームの伝達」が目的なら、誰にでもわかりやすい言葉で
書くべきである。少々、フェチが酷すぎないか?
646 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/18(月) 01:01:13 ID:vUVGJk47
臨済宗、論破。
647 :
とんぼ。:2006/12/18(月) 07:13:22 ID:9aWCHGew
>>644 >>645 あなた(名無しにしてもIDは一緒・・w)は禅問答以前に、基本的な日本語読解力がないんじゃない?
「フェティシズム」って、あんたの使い方は完全に誤用で、自分でリンク張ってるウィキペディアの記述も理解できてないじゃじゃない。
思考することが大事だとか言いながら、感情や勝ち負けと切り離して、まずは論理的に正しく思考するって言う基本中の基本が、
全然できない人みたいだね。
禅問答とか仏教を論じるはるか以前の段階をクリアーできてない。
全くお話にならんよ。
方程式も解けないやつが、腹いせに「数学なんてやってなんになる?」とか文句言ってるのと一緒。
全く幼稚すぎてどうにもならんよ。
>それなら何故、最初に「仏を殺す」にしたのだ?
だから、それを考えましょうって言うゲームだろ。
僕はどういう意味か解説もできるけど、それやったら、他の人のためにならないから言わないだけ。
あんたは「殺す」と言う言葉をその言葉どおりにしか取れないひとは、
そもそももとのテキストで、相手にされてない。読者対象にないの。
隠語どころじゃなくて、比喩表現という「基本技」も知らないようなやつは問題外なんだよ。
>馬鹿馬鹿しい言葉遊びの結果、
現在の日本社会では毎年数万人もの国民が政府に理不尽に殺されている。
何でそれが「言葉遊びの結果」なんだよ??
言葉遊びをすると、政府によって人が殺されるのか??
まったく意味わからん。。
基本的な思考ができるようになってから出直してきなさい。
648 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/18(月) 07:48:30 ID:5rPr2KSZ
>「フェティシズム」って、あんたの使い方は完全に誤用
そう言われるなら、そのソースを示しなさい。
ウィキペディアの記述の表層的な内容に囚われても仕方がないのだよ。
その奥にある哲学概念の本質を見なければいけない。
「フェティシズム(fetishism)」 の概念の本質は
目的と手段の逆転にある。その一形態が「女性に対する足フェチ、靴下フェチ(性倒錯)」
であるだけであり、それ以外にも様々な面で、「フェティシズム(fetishism)」 を確認可能だ。
禅および禅問答の本質はまさにそこにある。
それに気がつかない貴方は、哲学者、思想家としては幼稚園クラスだ。
修行をしなおしなさい。
649 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/18(月) 07:56:49 ID:5rPr2KSZ
650 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/18(月) 08:57:31 ID:TULs1MIq
>>639 おお、「忘れる」か〜。
すると、「母、子、己、この三者を、同時に、一刀で、斬ってみよ」の方は、
侍自身が「侍である事を忘れる」事になるのかな??
昨日、考えたのは、まず、自分は侍じゃないから、侍の事がよくわからん。
なので、自分用に変えてみた。
**************************************************
私は、包丁を腰にぶら下げながら森を歩いていた。
すると、道端に、親子が倒れて横たわっていた。
近づくと、それは、ふたりして、息も絶えそうな母子であった。
それは、母子ともに、やがて死ぬことは、確実な事であった。
すると、母親は、私にこう言った。
「通りすがりのあなた、御願いですから、その包丁で、私達を斬ってください。
もうこれ以上、苦しみとうございません。
後生ですから、どうか私達親子を、ここで切り捨てて下さい。」
**************************************************
これだと、まず、包丁を持ち歩いている事に、理由が要る。
自分が、包丁を持ち歩くとしたら、護身用かな。
ということは、自分を守っているわけだ。
侍として考えると、刀を持っているのは、、、、
侍の「迷い」としては、「敵がいる、自分を守る」という事になるのかな〜。
この侍は「悟ってない」から(笑)
その迷いがなくなって、刀を捨ててしまうと「侍でなくなる」ので、
侍は殺された事になるんじゃないか、と考えた。
母子は、敵でもなければ、母子を切る理由も、自分の護身のためじゃないから、
侍として切る訳じゃないし、
母子を切るとき、「包丁を持った私」はなんと、声をかけるんだろう・・・
・・・うう〜〜ん・・・そこで、思考終了・・・w
651 :
481 ◆mB5vjmJqME :2006/12/18(月) 10:09:03 ID:ni/thbG6
臨済宗はやはり駄目だね。邪教だ。
652 :
とんぼ。:2006/12/18(月) 15:51:52 ID:9aWCHGew
>650
やっと、ちっとはマトモな人が出て来ましたね。
うん。
ですが、無ということで言えば、
忘れる前から3人とも存在していないとも言えるんですね。
本質から、究極から言えばそうなります。
見性しないで、こんな理屈だけ言っても、
実際の参禅では、不可と言われるんでしょうが。。
でも、ほうざんの新作禅問答については、
彼の境地がどれほどのものかと言う疑念があるので、
僕はホントはあんまり真剣にやる気はないんです。
お手並み拝見しようかと言うところですかね。
忘れるっていう時点で、覚えてるっていうのがセットだから
駄目なんじゃね?
殺すの反対で「生かす」かとも思ったけど、これもいっしょだよね・・。
654 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/18(月) 19:04:54 ID:TULs1MIq
>>652 ええ〜〜w
「無」って、有るか無いかの「無」しか分からないから、
存在してないともいえる、という風になるとか、私には分からんけど・・・
三人とも存在してなかったら、何でもありのような気がする。
「実は、侍じゃなかった。
侍は侍でも、ギター侍じゃ〜!
刀持ってないから切れません!
残念!!」
・・・・w
655 :
あのー?:2006/12/18(月) 23:44:39 ID:dlR+zXjY
656 :
名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 23:57:33 ID:jxBl6172
s
654
方山ならそれやりかねんね!w
658 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/19(火) 15:28:22 ID:2t23sTZp
>>657 そか・・w私は、竹の間の今までの禅問答に殆ど目を通してないので、
どういった斬り方をするのか、全く見当が付かないです。
そして禅問答というか、禅自体がようわからん・・・
私は、「自分は、癌で余命一ヶ月だから、殺してくれ」
と、通りすがりの人に言われたら、どうするかというと
「お断り」だ。
何で、見ず知らずの誰かを殺さなければいけないんだw
はっきり言って、迷惑w
そんなに死にたいなら、自分で死ねよ、と思う。
相手が苦しんでいようと、自分は人を殺すなんて事を
できないと思う。
だから、いくら考えても、斬る事はできないし、答えも出ない・・・w
659 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/19(火) 15:46:51 ID:2t23sTZp
あ、無明庵で、「禅問答」でぐぐったら、禅問答に向かうときの原則が出てきたので、
もう一度、これ読んで考えてみよww
660 :
仏に遭うては仏を殺し??:2006/12/19(火) 17:13:43 ID:2t23sTZp
微妙なものを思いついたw
**************************************************
侍である、あなたが、森を歩いていたとする。
すると、道端に、親子が倒れて横たわっていた。
近づくと、それは、ふたりして、息も絶えそうな母子であった。
それは、母子ともに、やがて死ぬことは、確実な事であった。
すると、母親は、あなたにこう言った。
「お侍様、御願いですから、その御刀で、私達を斬ってください。
もうこれ以上、苦しみとうございません。
後生ですから、どうか私達親子を、ここで切り捨てて下さい。」
すると虚無僧は尺八を吹き、母子の霊を成仏させた。
**************************************************
>>655 ちょwwwwwwwww
文のないようからしてそうでしょうね。
いいものをみさせてもらいました。
662 :
あ、やっぱり:2006/12/20(水) 21:25:06 ID:j/ZlBc5L
>>661 バカみたいでしょ。
こんな情緒不安定なおっさんが、なぜ禅を語るのかふしぎ。
663 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 14:20:45 ID:BTfCBLgk
語るだけなら誰でも・・・ってことでw
664 :
名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 20:32:01 ID:bGADrZBt
>>663 そのまんまキチガイに刃物状態になってるね。
665 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 02:04:34 ID:wW/TwNe3
666 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 11:34:09 ID:54kdrajX
私も、B-FIELDという掲示板読みました。
ほうざんさん、楽しそうw
来年から、竹の間、読めなくなるのかな〜、寂しいな〜。
>>666 いいばんごうだなw。
有料化されて、お金払うのかな みんな。
668 :
名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 21:24:51 ID:wW/TwNe3
>>655 この掲示板でほうざんの言うことは、コロコロ変わってる。
その時の風向きでどんどん変わってる様子を見ると、単に言い争いが
好きなだけだというのが良くわかる。
定見なんかないし、批判は全部本人に当てはまることばっかし。
669 :
拝み一刀:2006/12/22(金) 23:39:14 ID:YgfW7hTK
これが出来なきゃ悟れない。
670 :
名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 05:24:17 ID:Dd2ntuxV
早くEOほうざんなんか卒業しちゃいな。
もっともらしい事言ってるようで、嘘・ハッタリがあまりにも多いのが無明庵だから。。
655の掲示板は面白いね。
頭頂留意も何もできてないじゃないか・・無明庵では悟れんといういい例だろう、ほうざん自身があれなんだから。。
671 :
名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 10:34:27 ID:W5zS3PjT
>>668 コロコロ変わってるってのは、言葉遣いのこと?
内容は筋通ってると思うよ。
悟ると、人格者になるとは決まってないからな〜、
人当たりでは、判断できないな。
672 :
名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 13:59:47 ID:W5zS3PjT
>>667 お金ないから、読めないw
まだ、30歳じゃないし、死人禅してないしな〜〜
673 :
綾波EO :2006/12/23(土) 20:49:12 ID:JkiLfM42
>>668 今のほうざん君が私とセックルしたらたぶん完全に発狂して死ぬわね・・・・・・・・・・
>>670 言っておくけど私(EO)とほうざん君は別人よ
>>670 > 早くEOほうざんなんか卒業しちゃいな。
> もっともらしい事言ってるようで、嘘・ハッタリがあまりにも多いのが無明庵だから。。
具体的にどこの箇所かな
> 頭頂留意も何もできてないじゃないか・・
君はできているわけか
> 無明庵では悟れんといういい例だろう、ほうざん自身があれなんだから。。
理由は何かな
理由も無く書くことじゃなかろ
675 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 09:48:42 ID:uKXATuQy
居もしない師匠を脳内でこさえて、自分が一番弟子でしたって言ってる時点で
十分ウソつきだと思うけど。
>>655の掲示板で、ほうざんが開き直っちゃったけど、その点だけは知らんぷりだ。
676 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 12:34:25 ID:LiQsjnws
禅問答の回答出ましたね。
あ〜、全然ダメでした・・・くそうっ!!
677 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 12:39:20 ID:LiQsjnws
う〜む、「無無心の書」が欲しい。
そんな回答考えてるより、普通に目ざめに関する瞑想を少しでも継続して
してたほうがあなたがたの求めてる悟りと言うものには近づけると思んだけど。
>>678 それが「徒労」だと気がついたから・・・。
680 :
綾波EO :2006/12/24(日) 20:37:33 ID:VqtTe9dJ
>>675 私は実在してたわよ、今は「私」は「どこにも」「存在しない」女だけどね・・・・・・・・・・・
それと方残君は別に私の一番弟子という程、優秀な弟子ではなかったわ
優秀な弟子はみんな私みたいに「存在しなく」なってる・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほうざん支持者の俺だったけど近頃のほうざんはよくわからん
亀田賛美って・・・
682 :
Ryu:2006/12/25(月) 02:07:15 ID:c6YMpw9e
ほうざんの禅問答、三人の侍の話はいいんだろうけれど、無門関のほうは完全におかしいよ。
そもそも正解が「現し」とか「映し」だったら、
なぜ作者は「殺し」と言う否定表現を使わなければならなかったのか?
ほうざんの解説も読んだけれど、彼は仏教の無についてわかっていないし、
思考プロセスそのものが間違ってるよ。
「仏を殺し」と言う言葉の意味は「仏を滅する」とか「無化する」で全然OKなはずだよ。
それで全く原文の文脈に合っているんだから。
「現し」とか「映し」とかでは全く原文の文脈にそぐわない。
そこだけ珍妙なものになってしまう。
仏を「無化する」と言うのは仏が妄想だから無化するんじゃないよ。
仏は、仏から見たら、仏であるまんまで無なの。
だから仏に会った時点で既に殺している。
有=無、色=空、有は有のまんまで無だし、色は色のまんまで空。
もちろん色だけ、空だけの意識もあるけれど、両者が別であると考えるのが迷いなんだから、
そもそも悟りと迷い、有と無を対立的に言ってる時点でおかしいとも言える。
ほうざんはの論法は常に自分=仏で、他人=愚かな凡夫で、そう思い込んでいたいようだから、ああなっちゃうのかなぁ?
仏は仏にならなければ見えないとか、
それは間違ってないけど、それは本文の文脈とは全く違う話。
文脈がなくてあそこだけだったら、百歩譲っていいかもしれないけれど、
文脈ってものがあるのを忘れちゃいけないよ。
作者の引っ掛けだなんていうのは、ほうざんお得意の都合のいいこじつけ以外の何者でもない。
ほうざんは、自らの「悟り理論」にとらわれて、
「他者の言葉」を正しく理解できなくなってるみたいだね。
683 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 02:39:54 ID:PJEbHUyg
>ほうざんの論法は常に自分=仏で、他人=愚かな凡夫で、そう思い込んでいたいようだから、ああなっちゃうのかなぁ?
ご卓見ですね。
ほうざんも、フケたのと違いますか、ひがみっぽくなってるし。
685 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 10:24:09 ID:wlSgYg7p
あれ、ほうざんさんの禅の解説に納得しちゃったのは、私だけかw
禅の回答の「現し、映し」を見て、前に悟ると、「鏡」になるとか言ってたな〜と思った。
何で、気づかなかったんだろうw
「徒労」が足りんかなw
686 :
Ryu:2006/12/28(木) 14:42:01 ID:LE/VE+qM
竹の間の25日の書き込み、またちょっとおかしなこと言ってますね。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
この親鸞の言葉の解釈なんですが、彼はこの部分を仏から見れば、
善人も悪人もないなんて意味にとってますが、全然違います。
そんな意味ではありません。
これもまた、文脈無視というか、親鸞の思想の全体を知らないという無知から来る間違いです。
ここの部分、「AでさえB、だからCはなおさら(B)だ」という比況の修辞法が使われていますが、
何でそういうレトリックを使っているのかほうざんはまったく理解してない。
ここは無分別とか、そんな意味で言っているのではないのです。
禅とゴッチャにしたら全くダメです。
そうじゃなくて、これは親鸞の「他力」思想から来ている言葉なんです。
他力というのは、「自分に力があるとか、善行ができる、修行をマスターできる」なんていう「自力」の観念があるうちは、
成仏できないという思想です。「自力がある」という思い込みは「行為者がある」という思い込みに近いですから、
実体がないという空の認識に近いのですが、そういう「オレは空がわかる」みたいな(僕なんかもそうですが)、自力誇る気持ちがあったら、
絶対に成仏できないというのが親鸞の思想なのです。
だから、冒頭に上げた言葉の解釈は、
「自力を誇る善人でさえ成仏できるのだから、
自力を誇れるはずもない悪人は、なおさら成仏できるだろう」という解釈が正しいのです。
悪人は、自己の内の悪に突き動かされて、どうしようもない中で悪事を働いた。
だから、自分が無力であることをよくわかっている。
自力が幻想であるという理解が、骨身にしみている。
だから、善人が往生できるなら、悪人はなおさらだろうという意味なのです。
・・まあ、こんなことは、普通に本を読んでる人なら、
僕が言わなくてもわかっていることなのでしょうが、ほうざんの言うことを聞いて、
誤解する人がいるかもしれないので、一応フォローしておきます。。
あけましておめでとう。
親鸞上人は80いくつの、死の何年か前に
悟ったんだって?
688 :
うんこ間:2007/01/09(火) 15:53:42 ID:Lii5JstH
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
最近このスレ全く書きこまれてないけど、、、、誰も見てないのかな。。
と思ってたら、アドレスが
http://life7→
http://life8に突然変わってた。
お気に入りからアクセスしてたら、全く更新されないし、書き込めない。
brownさん、いるかな?
もしいらしたら解脱者としての意見を聞きたいので、お願いします。
私は、誰かに対して不満に思った時、
その相手に対して「死ね」と思うと、安らぎますが、
それって、瞑想になりますか?
689 :
163:2007/01/09(火) 22:29:26 ID:/YjWd34z
690 :
163:2007/01/09(火) 22:52:17 ID:/YjWd34z
691 :
うんこ間:2007/01/10(水) 23:01:39 ID:CDtjCZs0
おすすめ2ちゃんねる の関係で、URL変わっちゃったのかなあ。
おすすめのリンクから、このスレに入っても、旧URLの方に行っちゃうし・・・
もともと、過疎スレなのに、ますます、過疎w
どこかに、通知した方がいいのか、、、、よく分からないw
>>686 Ryuぴょん、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
これは、もともと、善人が極楽往生できるっていう思想があって、
それじゃ、救われない人用の対機説法だと思うんだけど。
だから、極論、無分別ということになる・・・のか?(って誰に聞いてんねん)
692 :
Ryu:2007/01/11(木) 02:14:49 ID:B37kJ6bD
久々に来てみた。。
>>686 禅で言う無分別はそういう意味じゃないでしょう。
はじめから、善人も悪人も分別しない、そういう差別的な認識をしないということですから。
うんこ間さんが言う無分別は、善人と悪人を区別あるものとしていったん認めたうえで、
どちらでも往生できますという無分別。
この意の無分別は、ゴミを分別しないというような意味で、日常では使われますが、
禅などで言う無分別はそうじゃない。はじめから識別しないという意味ですから。
僕はもちろん、親鸞の言葉は、禅的な意味での無分別ではないといっています。
無分別を日常的な意でとれば、そうとも取れるかもしれませんが、それは仏教用語の無分別ではない。
ここらへん、ゴッチャにしたらいけないと思うんですね。
ほうざんは半分くらいゴッチャにして言ってるような気もします。
693 :
名無しさん@3周年:2007/01/11(木) 10:47:43 ID:GHauzrjM
虚無の微笑を買ったら
落書が入ってた。
びっくりした。
694 :
うんこ間:2007/01/11(木) 11:57:09 ID:VwpXtjKQ
Ryuぴょん、親鸞の言葉は、他人から受け止められる時、
分別したものとして、理解される。
しかし、親鸞本人は、分別して言っている訳ではない、
と、ほうざんさんは言っていると思う。
文が無分別ということはありえないし。
じゃないと、文にならないからね。
ま、どうでもいいけどwwてか仏教はよくわかんない。
695 :
うんこ間:2007/01/11(木) 16:28:45 ID:VwpXtjKQ
>うんこ間さんが言う無分別は、善人と悪人を区別あるものとしていったん認めたうえで、
どちらでも往生できますという無分別。
て書いてるけど、区別してるのは、親鸞じゃなくて、
親鸞の言葉を聞く人が分別している、で聞く人が分かるように説明してるから、
親鸞が区別したように思えるって事でねえの。
それが、対機説法でねえの。
だから、悟った人は、大うそつきでねえの。
696 :
Ryu:2007/01/12(金) 00:23:46 ID:TVK4DbM+
>>694 >>685 >Ryuぴょん、親鸞の言葉は、他人から受け止められる時、
分別したものとして、理解される。
しかし、親鸞本人は、分別して言っている訳ではない、
と、ほうざんさんは言っていると思う。
全然違うよ。
親鸞自身が分別して言ってるの。
そもそも善人と悪人という分別あっての文で、その分別がなかったら、
文意が成り立たないんだから。
親鸞自身に分別がなくとも、あの文に関しては分別して言ってるの。
僕が最初に書いた説明をちゃんと読んでから言ってくれ。
あてずっぽうで物言ってうもしょうがないでしょ。
ほうざんは、基本的な知識がないから、禅とゴッチャにして間違えてるだけ。
697 :
うんこ門:2007/01/12(金) 14:25:26 ID:x3x0jDh8
読んでるよ。あてずっぽうじゃなくて、自分がほうざんさんの文読んで理解したこと書いただけだよ。
しかし、
結局、Ryuぴょんは、ほうざんさんは悟ってないと思ってるみたいだから、
何の意味もないかもしれんけど、
ほうざんさんは、歴史的事実やら教義を言っている訳じゃないらしいから、
Ryuぴょんとは論点が違うんだよ。
つか、どおでもいいかもしれんけど「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は師の法然の言葉らしい。
>Ryuさん
>うんこ門さん
ふたりの会話がチグハグに聞こえるけど
696で本来Ryuさんが引用すべきだったうんこ門さんの文はこっち↓じゃない?
>区別してるのは、親鸞じゃなくて、
親鸞の言葉を聞く人が分別している、で聞く人が分かるように説明してるから、
親鸞が区別したように思えるって事でねえの。
それが、対機説法でねえの。
だから、悟った人は、大うそつきでねえの。
↑この文に対して
>全然違うよ。
>親鸞自身が分別して言ってるの。
そもそも善人と悪人という分別あっての文で、その分別がなかったら、
文意が成り立たないんだから。
親鸞自身に分別がなくとも、あの文に関しては分別して言ってるの。
ってレスが続くんなら文章の流れがしっくり来る。
どうでもいいかもしれないけど一応「分別」しておきたい。
ほうざんの親鸞解釈は「無明庵流」拡大解釈としか思えないなあ。
699 :
吽狛:2007/01/12(金) 19:35:01 ID:x3x0jDh8
つか、どおでもいいかもしれんけど、無明庵で仏教を学びたいわけじゃないんだよ。
700 :
Ryu:2007/01/12(金) 21:39:17 ID:TVK4DbM+
>>697 >ほうざんさんは、歴史的事実やら教義を言っている訳じゃないらしいから、
Ryuぴょんとは論点が違うんだよ。
ちがわない。
親鸞の言葉を引用して、その意はこうですと言ってるんだから、
その解釈として間違いなら間違い。
悟ってるから云々なんていう以前の問題だよ。
それにあなたはほうざんの言ってることもわかってないと思うよ。
勝手に推測して言ってんだもの。
著作の言葉が「対機説法」であるはずもないし、もう言ってることが全くメチャクチャなの。
普通に対話できる能力がないように思うわ。
701 :
吽狛:2007/01/13(土) 01:33:23 ID:vR6g6MPq
>それにあなたはほうざんの言ってることもわかってないと思うよ。
>勝手に推測して言ってんだもの。
だから、自分がほうざんさんの文読んで理解したこと書いただけだよ。
なので、ほうざんさんが言ってる事を自分が分かってるかどうかは分からない。
>著作の言葉が「対機説法」であるはずもないし、もう言ってることが全くメチャクチャなの。
>普通に対話できる能力がないように思うわ。
めちゃめちゃ筋とおってるよ。
>>691 694 695 は、同じ事を違う表現で書いてるだけだし。
普通に対話できる能力はあるけど、普通に対話する気がなかっただけだよ。
じゃ、ちょっと、対話できるかどうか分からんけど、もう一回考え直すよ。
703 :
名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 18:38:34 ID:dpvgSfZx
なんだな、歎異抄は弟子の唯円が書いたものというのが定説らしいから、親鸞の真意を正確に著しているかどうかは
わからないわけで、ほうざんの解釈もありといえばありなんじゃない???
Ryuさんも吽狛さんも、どちらの解釈も正しいんじゃないの?
っていうか、どっちでもいいよん。
704 :
名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 18:59:30 ID:dpvgSfZx
ついでに言うと、逆にRyuさんも吽狛さんも、もちろん、ほうざんも
間違っていることもあり得るわけさ。
だって、真意は親鸞にしかわからないんだから。
705 :
吽狛:2007/01/13(土) 23:50:28 ID:vR6g6MPq
今日は、「普通の対話」と、それをやるかどうか、やるならその目的は?について考え直した。
さて、その前に、ちょっとばかし雑談。
Ryuぴょんは、茶髪で、グラデーションの入ったサングラスを掛けてて、
ちょっとばかし色黒で、海によく出没する。アウトドアなのに、
本も結構読む。・・・・と、いうイメージ。
この前、「梅の間」の大根スープを作った。
簡単なのに、なんか、すげえ美味そうに見えるのがいい。
ちなみに、昨日は、賞味期限が切れた卵で卵スープを作った。
古い食材は、そのまま食べると、消化不良を起こすかもしれない。
だから、きっちり火を通して、料理しないといけない。
普通の対話について思った事。
Ryuぴょんにとっての「普通の対話」の定義を「普通に対話」しないと、
「普通に対話」することもできないかも知れないな。
でも、「普通に対話」する気、あまり起きない。
だって、ほうざんさんの文読んで、「間違ってるか、合ってるか」とか言う
Ryuぴょんと、そもそも、そんな事どうでもいい自分とが対話して
面白いのか・・・。そこが問題だ。
・・まあ、こんなことは、普通に無明庵のHPを読んでる人なら、
言わなくてもわかっていることなのでしょうが、カビの生えた食えない仏教が学びたいなら、
仏教の本を読めばいいんだよ。
706 :
名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 14:20:07 ID:esH9Xdtq
EOの説いてることと、方山が説いてることはまた違うんだよね???
707 :
吽狛:2007/01/14(日) 17:29:03 ID:0hhFzPfQ
708 :
Ryu:2007/01/15(月) 02:22:44 ID:EYFRJxVd
>>705 うんこちゃんと議論する気は、もうないんだが、一言だけ。
仏教はねぇ、僕は原始仏教とか大乗は、あんまり好きではないんだけれど、
禅のテクストで言われているような法を、正師から聞いて、ちゃんと腑に落ちれば、
その時点で、無分別の完全な理解は得られる。
見解の上で迷いというものはなくなるんだよ。
そこから坐禅でも瞑想でもスムースに入っていける。
だけど、EOほうざんを読んでも、そういう完全な理解は得られない。
逆にミスリーディングなことをけっこう言ってる。
何でそうなるかといったら、考え方の基本に和尚のフォーマットがあるからだと思う。
マインドが駄目でサイレンスに至らねばならないみたいな、
あっちを捨ててこっちを取るという取捨分別が残ってしまう。
これでは、逆に人を惑わせるんじゃないかと思うよ。
>>708 > うんこちゃんと議論する気は、もうないんだが、一言だけ。
余計な横レスだが、君も気おつけたほーがいーよ
> 仏教はねぇ、僕は原始仏教とか大乗は、あんまり好きではないんだけれど、
> 禅のテクストで言われているような法を、正師から聞いて、ちゃんと腑に落ちれば、
法って聞いて腑に落ちるようなものか?
一体どんな法か聞かせてみ
正師がいること自体分別してないか
> その時点で、無分別の完全な理解は得られる。
だから、聞いて理解する「無分別」って一体何だそりゃ?
> 見解の上で迷いというものはなくなるんだよ。
言葉を聞いて、なくなる迷いがあるとは・・・
> そこから坐禅でも瞑想でもスムースに入っていける。
おいおい、無分別の後に坐るのか?
順番が逆だろ
> だけど、EOほうざんを読んでも、そういう完全な理解は得られない。
本読んで「無分別」がわかったり、話を聞いて「無分別」がわかったり
その「無分別」って一体何だそりゃ?
> 逆にミスリーディングなことをけっこう言ってる。
> 何でそうなるかといったら、考え方の基本に和尚のフォーマットがあるからだと思う。
> マインドが駄目でサイレンスに至らねばならないみたいな、
> あっちを捨ててこっちを取るという取捨分別が残ってしまう。
> これでは、逆に人を惑わせるんじゃないかと思うよ。
想像だけで書くより
実際にやってみないとはじまらないぜ
711 :
吽狛:2007/01/15(月) 11:57:37 ID:tr1vSmjn
Ryuぴょん
頭の中の分別で、「無分別、理解した」という、おバカかな。
関係ないけど、今日、夢の中に、ほうざんさんが出てきて
「私は、議論を重んじる。パンをトースターに入れるが、どう焦げるかは知らない」
と言っていた。
・・・w
712 :
706:2007/01/15(月) 17:20:29 ID:aqBLG9mu
悟りについての見解など。
713 :
Ryu:2007/01/15(月) 19:20:00 ID:EYFRJxVd
>>709 >>710 >法って聞いて腑に落ちるようなものか?
>一体どんな法か聞かせてみ
だから、道元が「現成公案」で語っているいるようなことがそれでしょう。
今ある世界も、今の僕もあなたも、全てそのものが法であり、道なんだよ。
思考、感情、なんでもそのままで法の顕れである。
こういうことは、僕は原田雪渓師の本を読んで、よくわかった。
もちろん、理解することが見性ではないから、坐禅を組み続ける必要はある。
>> そこから坐禅でも瞑想でもスムースに入っていける。
>おいおい、無分別の後に坐るのか?
>順番が逆だろ
そんなことはない。
原田師は、聞法よってまずは法とは何かということを納得する必要があるといっているよ。
何にもわからないままただ瞑想するとか、考えが間違ったままで坐っても、うまくいかないだろうとも言っている。
海図もコンパスもなしに航海に乗り出すようなものだと言っていた。
全くそのとおりだと思うよ。
だから、摂心なんかにいくと必ず提唱があるでしょう。
それなしで坐っても、まずものにならないと思うよ。
714 :
惰眠:2007/01/15(月) 21:18:01 ID:4XtWbB/Z
海図もコンパスもなしに航海に乗り出したい。
やっぱりね。Ryuと俺はそっくりで正反対なんだろな。
お互い読書トリップは終わりにしたいもんだよねぇ。
715 :
名無しさん@3周年:2007/01/15(月) 21:20:42 ID:hm7lANCo
横レスですまん。
709.710.光ファイバーさんが言っているのは、つまり、本を読んでの感想とか、言葉で(頭で)理解したとかウンチクを語るんじゃなく、
Ryuさんが実際の体験を通して感じたこと(体現したこと)を書いてみろってことじゃないの?
716 :
名無しさん@3周年:2007/01/15(月) 21:30:19 ID:hm7lANCo
歎異抄の前に教行信証から入れっていうね。
718 :
名無しさん@3周年:2007/01/15(月) 22:15:50 ID:hm7lANCo
>716
「数行信証」は間違い → 「教行信証」が正しい。
719 :
Ryu:2007/01/15(月) 23:48:21 ID:EYFRJxVd
>>714 あんたと一緒にされたくないよ・・笑・・
クリシュナムルティがわかったとか言って舞い上がってるんだもん。。
僕は本読んで何かわかっても、あんたみたいにはならないの。
>>715 だから、そういう体験至上主義が、一番駄目だと思うんだよ。
サニヤシンなんかでもよく言うひとがいるんだよ、僕が何か理解していることを言うと、
そんなんじゃダメだ「体験だ、体験だ」ってさ。
だけどそういってるやつに限って、体験もない理解もない。
地図もなしに旅に出て、ずーと迷い続けているというのが多くの人の現状でしょう。
体験が必要と思ったら、どうしても外に、何かを求めることになる。
未来に何かを期待することになる。
そういうあり方自体が、障害になるわけでしょ。
だから、法の理解によって、そういう誤った思い込みをなくす必要があるんじゃないか。
そこまでわかってない者が、体験だけ求めても得られないでしょう。
まずはそういう理解によって、無為に入っていく。
その先に見性体験があるわけで、それなしの分別がまだ残るものが、どこをどう頑張って見性に至れるというの?
方向性間違えてるんだから、至れるはずがないと思うよ。
>>713 > 僕は原田雪渓師の本を読んで、よくわかった。
どうやら
>>709>>710の意味するところが全然聞こえないみたいだけど
本読んで理解して、わかったつもりになって
どうしようもなくなるだけだぞ
> 今ある世界も、今の僕もあなたも、全てそのものが法であり、道なんだよ。
> 思考、感情、なんでもそのままで法の顕れである。
思考が法?
今の僕もあなたも法?
本読んでわかったつもりになるから
そんなでたらめになる
> もちろん、理解することが見性ではないから、坐禅を組み続ける必要はある。
> >> そこから坐禅でも瞑想でもスムースに入っていける。
> >おいおい、無分別の後に坐るのか?
> >順番が逆だろ
> そんなことはない。
> 原田師は、聞法よってまずは法とは何かということを納得する必要があるといっているよ。
はらだ?誰?
> 何にもわからないままただ瞑想するとか、考えが間違ったままで坐っても、うまくいかないだろうとも言っている。
何言ってるの
何にもわからないままただ坐ってみな
小賢しい考えなんか捨ててな
それが出来れば上等だよ
> 海図もコンパスもなしに航海に乗り出すようなものだと言っていた。
> 全くそのとおりだと思うよ。
やめとけやめとけ
いいかな
海図もコンパスもなしに航海に乗り出すのが道というものだ
722 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 00:32:27 ID:fjrcP4Wb
>>719
>地図もなしに旅に出て、ずーと迷い続けているというのが多くの人の現状でしょう。
っていう根拠はなに?Ryuさんの思い込みじゃないの?
>体験が必要と思ったら、どうしても外に、何かを求めることになる。
>未来に何かを期待することになる。
>そういうあり方自体が、障害になるわけでしょ。
>だから、法の理解によって、そういう誤った思い込みをなくす必要があるんじゃないか。
>そこまでわかってない者が、体験だけ求めても得られないでしょう。
そういう風に固定観念で物事を理解している(理屈をこねている)から
体現できないんだよ。
Ryuさんの正師?の山田雪渓さんの発心寺で托鉢修行でもしてから御託を並べなよ。
教育の一貫かしつけの一貫か知らんけど、隣近所を托鉢して廻っている小学生のほうが
感覚としては「体現すること」に近いと思うよ。
なんせ彼らは、理屈とか理解とか「頭で考えてから」行動しているわけじゃないからね。
>まずはそういう理解によって、無為に入っていく。
理解したら無為じゃないじゃん。無為って理解するもんじゃなくて、感じるものなんじゃないの?
723 :
Ryu:2007/01/16(火) 01:12:42 ID:zbieGJ1z
>>720 >>721 >何にもわからないままただ坐ってみな
小賢しい考えなんか捨ててな
それが出来れば上等だよ
坐ってるときは何も考えてないよ。
そのための理解でしょう。
無為であるための理解なんだから、わかったら、いつまでももってるわけじゃない。
だけど、おかしな事言ってるやつがいたら、それはおかしいだろって言う。
そういう言ってる中身について、議論せずに、理屈を言うのが悪いって言うのは何?
体育会系のおバカの言い草といっしょじゃないか。
>本読んでわかったつもりになるから
>そんなでたらめになる
だからなんでそう言えんの?
オマエこそが、論理も通さずに、断定的に否定してるだけなんだから、
固定観念に凝り固まりまくりじゃないか。
>いいかな
>海図もコンパスもなしに航海に乗り出すのが道というものだ
何もわかってないやつが、「道というものだ」ですか。。
付き合いきれんよ。
どっかのバカな頑固親父と一緒。
724 :
Ryu:2007/01/16(火) 01:14:48 ID:zbieGJ1z
>>722 >そういう風に固定観念で物事を理解している(理屈をこねている)から
>体現できないんだよ。
だったら、「体現」ってな何なの?
あなたは何を体現すべきとお思いなのでしょう?
そういう事言ってること自体が、迷いだし、何にもわかってない証拠。
>理解したら無為じゃないじゃん。
なぜそう言える?
>無為って理解するもんじゃなくて、感じるものなんじゃないの?
あんたもお話にならないよ。無為を感じるって何のこと?
求めるべきものがない。取捨分別すべきことがないと理解すれば、何にもしなくたって、
無為にならざるを得ないでしょう。
僕は無為を理解するなんて言ってない。理解によって無為が起こるといっている。
和尚ですら、理解が根本だと言ってるところがあるんだよ。
あなた方は、体験がどうとか体現がどうとか、全部差別・分別の次元で考えてるから、
ダメなんだよ。
それでは分裂がなくならないでしょう。無為・無分別にはいつまでたっても至れないと思うよ。
725 :
うんこ魔境:2007/01/16(火) 01:46:54 ID:+TfI8H3B
>>712 706さんは、
EOの説いてる悟りについての見解と、
方山が説いてる悟りについての見解は、
違うと思ってるってことなのかな?
何か、よく分からない。
質問なのか、同意を求めてるのか、、、、
それとも、何か、違う動機で、その文が出てきたのかw
違うと思ってるなら、自分が、どこがどう違うと思っているか書かないと。
無名庵はねぇ、自分は暗闇とか黒色とか、あんまり好きではないんだけれど、
EOほうざんさんの、めっちゃ面白い方便で、知的好奇心が満足して頭が落ち付けば、
その時点で、自分が理解するものではないものを理解をした気になって、
理解しようとする無謀な迷いというものはなくなるんだよ。
そこから坐禅でも瞑想でもスムースに入っていける。
>>723 わかったわかった
もう少しオトナになればいづれわかるときが来るかもしれんから
それまで、わからないことはわからないと素直に認めなさい
本読んで理解した、わかったことを書いてうんちくを披露してると
あまりにも初心者すぎて叩かれるのが見えてるし
> どっかのバカな頑固親父と一緒。
誰のこと?
君のオヤジなのか、はらだ(原田)ってのか知らんが
脈絡も無く意味不明だな
で原田って誰?
どっかの教祖か?
727 :
Ryu:2007/01/16(火) 02:16:25 ID:zbieGJ1z
>>726 >わかったわかった
もう少しオトナになればいづれわかるときが来るかもしれんから
それまで、わからないことはわからないと素直に認めなさい
オマエほんとに馬鹿だね。
僕の言ってることわかってないのに、ウンチクがどうの、オトナがどうの。
あんたは初心者じゃなくベテランなの?
ただのあふぉなオッサンにしか思えんよ。
理解できないことを言われると、わけのわからん経験論持ち出して、
知ったかぶり。
「大人になればわかる」って、それが、何もわからんまま年だけ喰った、
無知で幼稚な人間が言う常套句でしょう。
何かわかってるんなら、それらしいところ見せろよ。
何もわかっとらんから、何もマトモなことが言えないんじゃないか。
あんたは、小さな自分の世界とか、信じ込んでる方法論を守りたいだけだと思うよ。
理解を超えたことを言われると、ウンチクだの何だのって、要するに自分を守りたいだけ。
グー・ゾンビに、かなり近いところにいると思うよ。
728 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 10:34:35 ID:pxhCQNGx
>>727 Ryuさんよ、そこに書いたこと、ぜ〜んぶあんた自身のことだよ。
空に向かって唾吐いて、自分の顔にベチャとなってるってことさ。
729 :
706:2007/01/16(火) 12:38:59 ID:D1BT2fpX
725さん
自分には、それもよく分からないので
盛り上がってるお二人?に聞いてみたのです。
EOの言っていたことを、方山が解かりやすく言ってるのか
方山の独自解釈が入ってしまっているのか、どうなんでしょう?
730 :
うんこ魔球:2007/01/16(火) 13:05:15 ID:+TfI8H3B
>>729 あははwそうなんだ。
自分は、EOの言ってる事とほうざんさんが言ってる事を、
比べた事ないから、違うかどうか分からない。
でもさ、EOの言ってる事とほうざんさんが言ってる事を、
「私」が解釈して「私」が違うとか、同じとか
言ったとしても、所詮、それは「私」の中の解釈でしかないし、
あなたにとって何の役にも立たないと私は思う。
私は、
EOの言ってる事とほうざんさんが言ってる事自体ではなくて、
それを読んだ「あなた」が、
“「あなた」の中でどう理解され、どう反応するか、それを見ること”
のほうが、大事だと思う。
EOやほうざんさんの書いてある事の内容に注目するのではなくてね。
何故なら、「EOやほうざんさん」が問題なのではなく
自分のために、それを読むんだから。
731 :
Ryu:2007/01/16(火) 15:34:19 ID:zbieGJ1z
>>728 あんたもまた、わけわからんこといってるね。
僕が書いたことのどこが自分のことなんだ??
僕が批判してるのは、自分の考えを守るために、感情的になって、
論理を通さずに、わけわからんこと抜かしてるんじゃないということ。
僕自身には全くあてはまらんじゃないか。
ちっとは考えてからは物言を言えよ、まったく。。
732 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 16:46:24 ID:CdsJhkgE
ちっとは考えたからそう書いたんだよ。
Ryuちゃん、やっぱな〜んもわかってないわ。
無も無分別も、知識として理解したつもりになっているだけで、感覚としてわかってないからこっちの言葉に向きになるんだよ。
感情的になっているのはRyuちゃんのほうじゃないの?
「その感覚」がわからないから論理だの理屈だの書き並べてるに過ぎないの。
「その感覚」はいくら本を読んだって、本を理解したつもりになったって永久にわからないよ(体得できないよ。)
もし、わかったとしたら「文字」や「文章」としては表せないからね。
>僕が書いたことのどこが自分のことなんだ??
>>727に書いたことは、光ファイバーさん自体をとらえているんじゃなくて、
光ファイバーさんという対象を通してのあなたの意識、つまりRyuちゃん自身だからだよん。
自分の理屈、論理(自分の物差し)を捨てないと始まらん。
簡単な言葉で言うと、「素直になれ」ということでっす。
733 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 16:54:33 ID:CdsJhkgE
頭の中だけの理解とか論理とか好きなら、禅とか法とか本で読むんじゃなくて
哲学書でも読んでなよ。
734 :
山田:2007/01/16(火) 17:04:07 ID:aljp580x
人を測る物差しで自分もまた測られる。。。てか。
735 :
山田:2007/01/16(火) 17:48:05 ID:aljp580x
> 今ある世界も、今の僕もあなたも、全てそのものが法であり、道なんだよ。
> 思考、感情、なんでもそのままで法の顕れである。
これはその通りじゃない?
でもそこから価値観が生まれると危なくね?
「みんなそのままでいいんだ」こうなると危険思想。
それと同じかどうか知らんけど
知的理解をいいことに、ののしり放題はちとおかしい。
内容云々以前に言動が幼い。
頭でわかったつもりになっただけ、
と言われてもある意味仕方がない、よ。
736 :
惰眠:2007/01/16(火) 18:55:07 ID:9GI/TvOd
>>719 >あんたと一緒にされたくないよ・・笑・・
一緒だよ。俺だってRyuと一緒にされたくないもん・・爆・・
>クリシュナムルティがわかったとか言って舞い上がってるんだもん。。
道元の「現成公案」が・・原田雪渓師の本を読んで・・
俺とどう違うの?一緒だろ。
Ryuだって、もんのすごく舞い上がってんじゃん。。
>僕は本読んで何かわかっても、あんたみたいにはならないの。
俺みたいって、どんなふうなんだい?
俺はクリシュナムルティなんてぜんぜんわかってないよ。
わかってたらもう少しマシな書き込みが出来るんだろうな。
だからRyuと同じなんだよ。
737 :
Ryu:2007/01/16(火) 19:10:24 ID:zbieGJ1z
>>736 まだ言ってんのか。。
読書トリップと言われた、あんたの最初の書き込み読み直してみな。
>>459 ←コレのこと
「引き込まれるように一気に読んでさ。すげーなぁと思ったよ」だってさ。。
恥ずかし〜。
こんなのと、僕がちゃんと自分の理解を述べてるのと全然違うじゃないか。
そんなちがいもわからんのか、オマエは。
738 :
惰眠 :2007/01/16(火) 19:33:47 ID:9GI/TvOd
俺の質問に答えろよRyu。
>俺みたいって、どんなふうなんだい?
レスが出来ても外したことしか書けないなら話にならないよ。
>>737 >まだ言ってんのか。。
何度でも言うさ。逃げんなよ。
>読書トリップと言われた、あんたの最初の書き込み読み直してみな。
読み直す必要がないくらい読んでるよ。
書き込む前に。
読書トリップの解説読んで赤面してた人もいたよな。
ほんとは俺も赤面したんだよ。
>そんなちがいもわからんのか、オマエは。
ああ、わからないね。
Ryuが述べた理解は俺もサブカルチャー本読んでわかってるから。
739 :
Ryu:2007/01/16(火) 19:53:21 ID:zbieGJ1z
>>732 >「その感覚」がわからないから論理だの理屈だの書き並べてるに過ぎないの。
何でそう言える?
僕にとって、理解と感覚は、ほぼ一緒。
普段は、何も余計なこと考えてないよ。
心安らかだし、悩みも問題もないし。
感覚がわからないから、理屈を言うのではなく、
ここがそういう話をするところだから、述べているまで。
あなたの言ってることの方がおかしくないか?
>「その感覚」はいくら本を読んだって、本を理解したつもりになったって永久にわからないよ(体得できないよ。)
>もし、わかったとしたら「文字」や「文章」としては表せないからね。
そんなことはないでしょう。悟りを論理や言葉や詩にしたテクストはいくらでもある。
言葉に表せないなら、本物でないか、言語能力がないかどっちかでしょう。
>自分の理屈、論理(自分の物差し)を捨てないと始まらん。
>簡単な言葉で言うと、「素直になれ」ということでっす。
あなたは、マトモな日本語も話せないようだね。
上に二文は、どうつながるの?
人が読んでわかるような文を書いてくれ。
論理を捨てるって、理がわかってからの話だよ。
法とか理がわからないということは、それ以前の間違った理屈、分別の中にいるということだから。
迷い、誤りを除くために法の理解がある。
誤った考えが除かれれば、法は捨ててもいいが、それ以前の者が、理解のあるものに対して、
それを捨てろなんて言えたもんじゃないよ。
僕が言ってる理は、モノサシとしてのりではなく、モノサシが要らないという理解、むs
無為、無分別に至るための理を言っているの。
それ以前では分別が残るでしょう。
「理屈は捨てるべき」なんていう思い込みもそう。
それは、理解した者だけに言えることだよ。
740 :
Ryu:2007/01/16(火) 20:04:23 ID:zbieGJ1z
>>735 >でもそこから価値観が生まれると危なくね?
「みんなそのままでいいんだ」こうなると危険思想。
わかります。
ホントは、無分別・平等性だけじゃなくて、差別や分別も必要なんです。
だけど、理がわからないうちは、取捨分別という迷いの中にいるわけだから、
それに対しては、平等、無分別の理をまずは理解する必要があるということです。
741 :
Ryu:2007/01/16(火) 20:12:01 ID:zbieGJ1z
>>735 >知的理解をいいことに、ののしり放題はちとおかしい。
いいじゃないですか、ののしり放題。
ののしられるほうには、 ののしられる理由があるんです。
そうじゃない人ののしりませんから。
ケンカと罵りは2ちゃんの華なんじゃないですか。
742 :
Ryu:2007/01/16(火) 21:42:15 ID:zbieGJ1z
>>738 だから、本読んだにしても、内容について論じてるのと、
あなたみたいに「スゲー」とか言ってただ騒いでるのとぜんぜん違うでしょう。
743 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 22:19:29 ID:CdsJhkgE
@
>>739 >何でそう言える?
無とか無分別とか感覚でわかっている人は、Ryuちゃんみたいにムキになって反論してこないよ。
無とか無分別とかさえも問題にしていない(意識していない)から、相手の言葉をそのまんま受け止めるだけだよ。
「あぁ、この人には自分がそう映っているんだぁ。」くらいにね。
>普段は、何も余計なこと考えてないよ。
だから、普段とか普段じゃない(例えばこの掲示板だから)からとか、そういう区別もないんだよ。
そして、外側がいかなる状況であっても自分の意識や感情が揺れないの。
>そんなことはないでしょう。悟りを論理や言葉や詩にしたテクストはいくらでもある。
>言葉に表せないなら、本物でないか、言語能力がないかどっちかでしょう
テクストはあるよ。でも、そのテクストの内容や著者の真意や感覚は著者本人にしかわからない。
いくらあなたが「理解した、わかった。」って言ったって、100%、一点の曇りも無くその著者の感覚を
そのままわかったと言えるのかい?
例えば、著者が「薔薇は赤い。」と言って、あなたが「薔薇は赤いんだ。」と頭で理解したところで、
著者の薔薇の赤さとあなたの頭の中の薔薇の赤さは微妙に、いや、全く違うんじゃないの?
著者の認識した薔薇の赤さを知る(わかる)ためには、著者と同じ薔薇を見るという体験するしかないわけだよ。
しかし、同じ赤い薔薇を見た(同じ体験をした)からといっても、その「赤」は言葉では一致をみることは出来ない。
著者が感じた「赤」は著者だけのもの、あなたが感じた「赤」はあなただけのもの。
つまり、そういった体験(行為)もしていないのに、本だけ読んで「わかった、理解した。」と言うなってことだよ。
744 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 22:20:35 ID:CdsJhkgE
A
>>713 >だから、道元が「現成公案」で語っているいるようなことがそれでしょう。
>こういうことは、僕は原田雪渓師の本を読んで、よくわかった。
いったい、何がどういう風にわかったの?
>だから、摂心なんかにいくと必ず提唱があるでしょう。
>それなしで坐っても、まずものにならないと思うよ。
まず、摂心に行ったこと、あるのか?理解したから(わかったつもり)で坐ってもものになるとは限らない。
むしろ、それ(あなたの理解や論理)が邪魔になるんじゃないのかな。
>>739 >>自分の理屈、論理(自分の物差し)を捨てないと始まらん。
>>簡単な言葉で言うと、「素直になれ」ということでっす。
>あなたは、マトモな日本語も話せないようだね。
>上に二文は、どうつながるの?
>人が読んでわかるような文を書いてくれ。
上で説明した通りだよ。
あなたは、マトモな日本語が理解できないようだね。
人が書いた文を理解する努力をしてくれ。
745 :
名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 22:21:51 ID:CdsJhkgE
B
あとね、蒸し返しで悪いけど、
>>682の無門関の解釈も違うよ。原文と口語訳よく読んでみな。
なんで「現し」、「映し」になるのかわからないのは、無門関の文章を理解していない
(読み込んでいない)からだよ。
>>686の歎異抄の解釈もそう。大学のお受験レベルのテクニックで読んでるからそういう解釈
になるんだよ。歎異抄の編纂された歴史的背景とか親鸞の思想をよく勉強して理解してから
批判しなよ。
竹の間は読むけど、別にほうざん信者でも、ほうざんを擁護してるわけじゃないけどね。
素朴な疑問なんだけど、あなたは禅とか法とか何のために研究してるの?
知識を詰め込んで掲示板で議論したいのか?見性(悟り)に至りたいのか?
746 :
迷い人:2007/01/16(火) 22:22:32 ID:il8R6m0y
上手く言えないんですけど
何でも良い悪いって分別してしまう自分にとっては
無分別、無為が一体どう言った状態なのかが分らなくて
やっぱり無為に至にはどうしたら良いのか知りたくなるんですね。
で、光ファイバーEOが言う
「何にもわからないままただ坐ってみな」って言われたとしますよね。
座ってる自分はずっとわからないままですよね。
わからないままが=無為だからそれで良いんですけど
答えを知らない自分は「わからないまま」って何かスッキリしないんですね。
やっぱり無為ってなに?って答えを知りたくなるんですね。
それで、「わからないまま」=「無為」なんだよって答えを知って
あ、そうなんだ!って初めて理解しますよね。
だからRyuさんが言う「理解と感覚は、ほぼ一緒」
って言うのは凄く分るんです。
理解がなければずっと「わからないまま」で
迷ったままじゃないですか。
理解する前の「わからないまま」と
理解した後の「わからないまま」はなんか違うと思うんですね。
理解する前の「わからないまま」は迷ってるって感じなんです。
だからわからないままにして置けない自分にとては
理解がまず先に必要だなって思いました。
言ってる事変だとしたらご指摘よろしくお願いします。
747 :
迷い人:2007/01/16(火) 22:25:08 ID:il8R6m0y
上記の投稿内で光ファイバーEOさんの事を
光ファイバーEOって呼び捨てにしてすみません。
誤字なので気にしないでくださいませ。
748 :
惰眠:2007/01/16(火) 23:27:41 ID:9GI/TvOd
>>742 うん。わかった。そう言うことね。
>でも、どうして俺が読書トリップしてるって君にわかるの?
これ↑にも答えてくれよ。
本の内容に関する書き込みじゃないからってみんなが読書トリップじゃあないだろ。
749 :
Ryu:2007/01/16(火) 23:47:44 ID:zbieGJ1z
>>748 >でも、どうして俺が読書トリップしてるって君にわかるの?
だから、459みたいな、そう思わせる文があったから、そう思ったの。
わかるんじゃなくて、そう判断したということだよ。
750 :
Ryu:2007/01/17(水) 00:03:50 ID:XTwr9fKP
>>743 >無とか無分別とかさえも問題にしていない(意識していない)から、相手の言葉をそのまんま受け止めるだけだよ。
「あぁ、この人には自分がそう映っているんだぁ。」くらいにね。
それはただの白痴、植物人間みたいなものじゃん。
ぜんぜんちがうよ。道がわかってる人は、おかしな事言ってるやつがいたら、それは違うだろうといってやるのがあたりまえ。
>そして、外側がいかなる状況であっても自分の意識や感情が揺れないの。
それは絶対に違う。そんな死人のようなやつ、生きてる意味ないよ、はやく死んじまえって感じだよ。
見性したって、喜怒哀楽はあるよ。怒る時は怒り、悲しむときは悲しむ、笑うときは笑う。
それでその喜怒哀楽が、全て真実の意味を持つということだよ。
そうじゃなきゃ生きてる意味ないじゃん。
石仏みたいになってどうすんの?
アンタのほうが、間違った観念、理屈、思い込みで凝り固まってるよ。
>そういった体験(行為)もしていないのに、本だけ読んで「わかった、理解した。」と言うなってことだよ
だから、全部わかったとは言ってない。
だけど、人が読むように書いてあるんだから、わかるところはわかるよ。
本だけ読んでもわかる人にはわかるの。
アンタのほうが誤解だらけ、間違いだらけのくせに、他人に「わかったと言うな」ってどういうこと??
751 :
Ryu:2007/01/17(水) 00:18:40 ID:XTwr9fKP
>>744 >いったい、何がどういう風にわかったの?
だから、それを今まで書いてるんじゃないか。
あのさあ・・僕からみてほんとに可笑しいんだけれど、あなたはどうしてそんなに僕の理解を否定したいわけ?
ものすごい固執があるように感じるよ。
「相手の言葉をそのまま受け止める」んでないのかい・・笑・・??
>上で説明した通りだよ。
お前、ほんとにバカ??
ぜんぜん説明してないじゃん。
なんで「論理を捨てる=素直になる」とつながるのか説明しろ言ってんの。
あんた自身は、アンタの思い込みの論理・モノサシで、こっちを否定してんのに、
どうしてこっちには論理を捨てろなんて言えんだ??
自分の書いたこと読み返してよく反省したほうがいいんじゃないか?
>むしろ、それ(あなたの理解や論理)が邪魔になるんじゃないのかな。
ぜんぜん、邪魔にならない。
考えるべきことがないと言う理解なんだから、余計な思考や取捨が無くなって、
坐を助けることはあっても邪魔をすることなんてこれっぽっちもないよ。
752 :
Ryu:2007/01/17(水) 00:38:23 ID:XTwr9fKP
>>745 だから、無門関でも歎異抄でも、あなた自身の理解・解釈を言うのが先だろ。
ケチつけんのはそれからにしろよ。
>>746 >答えを知らない自分は「わからないまま」って何かスッキリしないんですね。
そうでしょう。わからないままでは、今の自分でいいかわるいかもはっきりしない。
確信がもてないはずです。
だから、法を理解して、納得する必要がある。
納得すれば、それ以上余計な心配も気がかりも取捨も何にもなくなる。
無為に至れるわけです。
だから、わからないままは無為ではないんです。
理解がなければ、取捨分別が残るでしょうから。
理解があってこそ、無為・無心に至れる。
それ以前のつくられた無心は、本物ではないのだと思います。
753 :
名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 01:06:38 ID:K+sqZMPb
>>751 >>752 あなたは、お山の大将でいたいようだね。
禅とか法の知識には詳しくても、あなたの発想(意識)そのものが二元論。
こう(二元論)かくと、また、「どこが二元論なんだよ。説明しろよ。」って切り替えしてくるだろうけど、どこが二元論なのか自分の頭で考えな。
相手をバカ呼ばわりする前に、とことん自分の頭で考えな。
別にあなたに固執してもいないので、これ以上は書き込まないけどね。
これからも新しいウンチク大いに語ってよ〜〜。
754 :
Ryu:2007/01/17(水) 02:01:39 ID:XTwr9fKP
さっき風呂上りに瞑想したら、
頭頂から、すーとエナジーが上昇して、非常に気持ちよかったよ。。
>>753 説明、方便として語ってるんだから、二元論でいいじゃない。
一元・絶対・平等を説明するために、そうでないものを否定すれば二元論になるのはあたりまえ。
そんなの指摘されなくとも、初めからわかっているよ。
でも、それで全然問題ないじゃない。
僕はお山の大将とか、薀蓄を披露するために語ってるんじゃないんだよ。
自我中心で見てるやつは、他のやつもそうだと思うから、そう思えるだけ。
>>708 この書き込み見ればわかると思うけれど、EOほうざんだけでは、わからんことがある。
迷うことがあるということがわかるから、そうではなく、仏教の方に迷いを完全に払拭する法があると、
そういう理の話をしてるんだよ。
僕がどうこうは関係ない。
わかってないやつはかわいそうだなと思ったから書いてんの。
755 :
迷い人:2007/01/17(水) 02:51:56 ID:kByiCRMY
>>753さんに質問なんですけど、
これも上手く言えないので、違ってたらごめんなさいね。
Ryuさんが自分の論理が正しくて、
あなた達の論理は間違ってるよと否定して、
「正しい」「間違い」を分別して言ってるのを
二元論の発想だとおっしゃってるんですかね?
だからその論理を捨てて素直になれば無為になるんだよと。
でもRyuさんが言っているのは、自分の今在る状態を
ただ言葉で説明しているだけなんじゃないですかね。
私の今在る状態はあなた方が言ってる様な状態でなく
こう言う感じの状態なんですよと。
それを他の人から見れば否定されたと感じちゃうんじゃないかなと。
僕から見ればRyuさんは全然間違ってると否定している様には
見えないのですがどうでしょうか?
756 :
迷い人:2007/01/17(水) 10:19:48 ID:CEoEgQql
無分別の人はどんな時も自分で在り続けるだけで
誰かにあなたの手の指は20本あると言われたら
いや、私の手の指は20本でなく10本ですと
自分の今在る現状を説明しますし
嘘付け20本だろう!っと言われれば
あんた馬鹿か、私の指は10本なんですよ!って
酷い言葉を使ってでも更に現状を説明すると思います。
無分別の人でも自分の現状と違う事言われたら腹もたつと思うし。
でもこれをムキになって相手を否定して反論してるととるのはおかしいと思う。
無分別の人に否定するものなど何もないし
自分の理屈、論理(自分の物差し)なんてものもないと思う。
ただ自分で在り続けて自分の現状を説明し続けるのみじゃないでしょうか。
説明が「私の手の指は20本でなく10本です」と
それは間違いでこれが正しいと、二元論になってますけど
本人はありのままの状況を説明しているだけで
本の中では分別意識ははないと思います。
言葉で説明するのって難しいですね(汗)
Ryuさん違ってたらすみません。。。
757 :
名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 11:22:16 ID:Yfdzpu+7
迷い人さんへ (長文なんで2分割にしたよ。)
@
>>755 >「正しい」「間違い」を分別して言ってるのを
>二元論の発想だとおっしゃってるんですかね?
>だからその論理を捨てて素直になれば無為になるんだよと。
それは、違うよ。
そんな発想で物申したら、それこそ自分が二元論者になってしまうから。
>>745の最後で彼に質問したこと、
>素朴な疑問なんだけど、あなたは禅とか法とか何のために研究してるの?
>知識を詰め込んで掲示板で議論したいのか?見性(悟り)に至りたいのか?
自分が何を意図して、どうしてこんな質問をしたかわかるかな?
禅とか法の本質(範囲を広げてキリスト教、イスラム教etc.、つまり宗教、哲学を学ぶ目的)は、
机上で理論を展開してその論理を理解することではなくて、実践の中から、または、
実践を通して“真”に目覚める、自己(自分の意識)を見つめるということなのではないですか?
ということ。「実践」は「修行」という言葉に置き換えてもいいよ。
修行というのは、何も実際に禅寺(もちろん自宅も含めて)で坐ることそのものではなく、
日常の何気ない場面の中で、例えばこういった掲示板の中にさえ修行の場は見つけられるし修行はできるよ。
坐るか坐らないか、禅寺か日常の生活の場か掲示板だからか、そういった区別をすべきことなのかな?
要は(目的とするところは)、頭の中で理解したり分かることではなく、ましてや相手に暴言を吐いてまで
自分の正当性を主張することでもない。
「相手に言った言葉は相手自体のことではなく、相手をそう感じた自分=自分の本性(ほんせい)である。」、
この理屈わかりますか?
758 :
名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 11:23:09 ID:Yfdzpu+7
A つづき
大事なのは、その理解したこと分かったことが実践出来ているのかどうか、本当に自分の腑に落ちている
のかどうかよ。
理論が腑に落ちて自分のものとなっていれば、それは自ずから行為に現れるようになるし、
行為にならないのであればそれは自分の意識のどこかに違和感を感じる。違和感があればまた
理論を深く掘り下げる。
そういったことの繰り返し(循環)のなかに自分は「在る」と自分は思っているわけで、
理論か実践(体験)かの二者択一の問題じゃないし問題にもしていない。
彼が間違っているとは言わないけれど、禅や法を学んでいるにもかかわらず、
理論の理解だけに偏って、「木を見て森を見ず」的じゃないのかなぁと自分には感じたし、
目的やアプローチの仕方が違うんだろうなということで・・・・・。
759 :
吽狛:2007/01/17(水) 12:35:22 ID:5mMeICyr
Ryuぴょんに質問。
>>723 で
>坐ってるときは何も考えてないよ。
て書いてるけど、本当に何も考えてなかったら、
悟ってる事になると思うんだけど、Ryuぴょんは、悟ってるの?
それとも、何も考えてないって書いてるけど、
雑念が全くないという意味ではなくて、
法の理解については何も考えていないということなのかな?
それか、自分は、何も考えていない状態になるのは
悟らないとならないと思ってるけど、
Ryuぴょんとは「悟りの見解」が違うのかな?
Ryuぴょんが言う、「法の理解」について思う事。
「法」が文章で表されないと思っている人には、
理解できないものであり、法の理解をするRyuぴょんの言ってる事が
全く理解できないと思う。
不立文字・・・ま、私には、基本的に、仏教はよく分からないけど、
「法について書かれた方便」なら頭で、理解できるけど、法そのものは理解するものじゃない。
しかし、文字による方便を、法といってるのなら、Ryuぴょんの言ってる事は理解はできる。
「法」という文字の意味に、個人のズレがあるんじゃないかと思うよ。
「法」=「全て」という意味であったり、
ある場合では「法」=「無為いに至るためのもの」であったりもするし。
760 :
惰眠:2007/01/17(水) 20:23:27 ID:g5CkPjn4
>>749 んじゃRyuの勝手な判断だってことだね。
もしかしたら間違った判断をしてるかもとは思わなかった?
まぁ俺は間違いなく読書トリッパーだからいいんだけど。
>>459は理解、わかる、という言葉を使わないように考えて書いていたんだよ。
いくら言葉を頭で理解しても自ら確認できなければ本当に理解してるとは言えないと思っているから。
同様に何事に関しても確認できないものは断定しないように注意している。
興味のないやつの書き込みは読み流してしまうのは仕方ないにしても書き込み全体の印象だけを把握してレスするとずれた返答にしかならないことがよくあるから気をつけてね。
それじゃ。
761 :
迷い人:2007/01/17(水) 21:06:44 ID:L1mn+g4Q
>>757さん、レス有り難うございます。
ちょっと頭が混乱気味でちょっと確認したいんですけど良いですか。
無分別の方って言うのは相手の言った事に対して
思った事や感じた事はそのままに素直に受け入れ、
正しいと思った事は正しいと言うし、
間違ってると思えば間違ってると言うし、
ムカッと来て腹が立ったら暴言も吐くし、
相手をバカ呼ばわりしたくなったらしたりもするし。
普通の人だと心に何かを思ったり感じた時に
あ、こんな酷い事思っちゃいけないな、とか
こんな事言うのは悪い事だから言っちゃダメだとか
心の中での善悪の分別、葛藤と言うのがありますよね。
でも無分別の方っていうのはそう言った葛藤が一切起こらなくて
自分の思いや感じ方に素直になるから
普通の人よりより人間的で喜怒哀楽が激しくなると思うんです。
だからその人が言う事は二元論で別に構わないじゃないでしょうか。
無分別、無為って言うのは心の中での善悪の分別
葛藤がないって事を指して言ってるんですよね?
762 :
Ryu:2007/01/17(水) 22:48:01 ID:XTwr9fKP
>>756 だいたいそういうことです。
こっちは、はっきりとそれをわかっていて、それと共にあるのだから、
他人がおかしなことを言えば、そうじゃないと言う。
そういうことです。
>>757 >机上で理論を展開してその論理を理解することではなくて、実践の中から、または、
実践を通して“真”に目覚める、自己(自分の意識)を見つめるということなのではないですか?
それは違う。見性体験と言う意味では、あるときはっと気がつくといことがあるけれど、
それは「実践を通して」ではない。逆に何かを実践しようなどと思っていたら、それは起きないものです。
法と言うのは、理論でも机上の空論でもない。
前にも書いたように、存在そのもの、今ある現実そのものが法なんです。
だから、現実と別のものを何か持ってるわけじゃないんです。
>大事なのは、その理解したこと分かったことが実践出来ているのかどうか
だから、法とはそういうものじゃないんです。
理論と実践の区別もない。理論もないし、何か実践すべきことがあるんじゃないんです。
何か実践すべきこととかあるべき在りようがあると思うから、無為になれない、分別が残るわけでしょう。
そういうことじゃなく、今あるコレしかないんです。
法から言えば、コレが全てだし、それで終わってるんです。
763 :
Ryu:2007/01/17(水) 23:24:18 ID:XTwr9fKP
>>759 「私が考える」と言うのは、原理的にはありえないんです。
思考は縁起によって生じるもの。だから生じるままにしておけばいい。
雑念もわきますが、それはそのままでいい。放って置けば、いいんです。
僕は悟ってない。
また、思考が無い=悟りではないです。
思考が静まることは、悟りが起こる準備みないなものだと思います。
法は言葉で説明できますし、説明を聞いて理解することもできます。
ですが、その理解=悟りではないです。悟りの方が、不立文字でしょう。
理解は修行らしい修行ができるための前提みたいなものだと思います。
>>761 >無分別、無為って言うのは心の中での善悪の分別
葛藤がないって事を指して言ってるんですよね?
それもそうですが、その前に、なぜ分別する必要がないかを理解する必要があります。
それは、一言で言えば、空とか無と言うものです。
全ての現象は縁起によって生じるがゆえに、それ自体の性質はない(無自性)、
よって空であり、是非を論ずべき対象などないということを理解する。
無為と言うのは、なすべきことも求めるべきものもないと言う理解から生まれますが・・
・・あとは自分で勉強してね。。
764 :
吽狛:2007/01/18(木) 00:55:26 ID:Mln4EZlB
Ryuぴょん
>また、思考が無い=悟りではないです。
そだね、悟った人も考え事はできるだろうねwじゃないと、喋れないし。
でも、思考はできるとしても、「思考がないという状態」になるのは、
悟ってないと、ならないんじゃないかということだよ。そこはどうなの?
思考が静まるのと、何も考えてないのは、違うからね。。
Ryuぴょんは、悟ってないのか。
なんか、残念だな。悟ってたら、良かったのに(勝手な都合w)
雑念があっても、そのままで、いいのか・・・。
自分は、そのままにしとくと、どんどん増えちゃうんだけど、全然瞑想じゃねえっ
て、思うよ。そして、終いには、寝るw
>法は言葉で説明できますし、説明を聞いて理解することもできます。
>ですが、その理解=悟りではないです。悟りの方が、不立文字でしょう。
>理解は修行らしい修行ができるための前提みたいなものだと思います。
そっか。微妙に納得。
>無為と言うのは、なすべきことも求めるべきものもないと言う理解から生まれますが・・
>・・あとは自分で勉強してね。。
ええ〜〜、もうちょっと、詳しく、Ryuぴょんの講話が聞きたいな〜〜。
でも、自分は、仏教とか知らないから、
解釈が合ってるか間違ってるとか、そういうことについては、議論できないよ。
妄想的視点論点からの議論じゃないと。でも、議論する気はないけど。
765 :
迷い人:2007/01/18(木) 00:55:30 ID:6cx1tPwY
>机上で理論を展開してその論理を理解することではなくて、実践の中から、または、
>実践を通して“真”に目覚める、自己(自分の意識)を見つめるということなのではないですか?
僕なりの解釈なのですが
本などに「何も分らないまま坐る=真」と書いてたとして
一応頭の中だけで、あ、そうなんだと理解します。
でも頭ん中だけではダメなので
いざ実践で何も分らないまま坐ってみて、あ、この感覚が真なんだと体現します。
「実践を通して“真”に目覚める」と言うのはそう言う事ですよね?
一度目覚めて自分で在る事を体現したあとは、
その目覚めた状態を日常でも常に維持出来るように修行します。
>「大事なのは、その理解したこと分かったことが実践出来ているのかどうか」
>「行為にならないのであればそれは自分の意識のどこかに違和感を感じる」
日常で自分で在る状態を常に維持するのは凄く難しいですよね。
自分で在る事は凄く楽ではあるんですけど、人と接すると時は恐怖でもあります。
人間関係にもまれてると油断して自分で在れてない時があって
違和感を感じる時があります。
だからまた自分で在る状態へ意識的に戻ろうとします。
正直言って今の自分はこれの繰り返しなんですね。
で、Ryuさんがおっしゃっている
>「何か実践すべきこととかあるべき在りようがあると思うから、
>無為になれない、分別が残るわけでしょう。」
って言うのも凄く分るんですね。
「あるべき在りようがある」と思わなくなるのは凄く理想なんですけど。
でも今の自分はまだ自分で在ることに必死なのでちょっと無理ですね。
自分で在ろうとさせない「何か」が僕を引っ張るのでそれとの戦いの日々です。
それに随時自分で在れているか確認してる自分がいますし。うむー。
766 :
迷い人:2007/01/18(木) 01:18:55 ID:6cx1tPwY
>>763 全ての現象、何が起きても振り返らず
一切構わずほったらかして生きるのって
楽なようで、怖いです。
自分の中のなにかが、自分の存在を確認したいって言ってます。
767 :
KRANTI ◆LF7BuVDwXY :2007/01/18(木) 02:04:07 ID:s6B8Fbdi
ryuさん 正月からごくろう様です。
2ちゃんでこれだけ罵られて律儀にレス返してる人初めて見ました。
僕ならあきれて消えますよ。
「素直になれ」か・・・・w
768 :
Ryu:2007/01/18(木) 02:06:51 ID:jbMnmq8R
>>764 なすべきことがないと言うのは、法から見た究極的な話。現実には、いろいろやらなければならないことはある。
だけど、今の自分は、因縁の結果として出てきたんだから、本当は善悪是非を超えている。
究極的には、いいわるいを超えていいといこと。
釈迦が悟ったと言うのもそのことでしょう。
今ある自分、何にもないただの人だけれど、それ以上に努力して修すべきことなどないと言うこと。
・・僕は悟ってないから間違ってるかも知れんが、たぶんそれに近いんじゃないかな。。
それで、何も求めない無為の自然体が、本来のあり方だということでしょう。
もちろん、縁(環境とか条件)に応じて動いてく必要があるから、そうでなければならないあり方というものはホントはないんだけれど・・
>>765 >いざ実践で何も分らないまま坐ってみて、あ、この感覚が真なんだと体現します。
「実践を通して“真”に目覚める」と言うのはそう言う事ですよね?
一度目覚めて自分で在る事を体現したあとは、
その目覚めた状態を日常でも常に維持出来るように修行します。
確かに目覚めの感覚に気づくって言うのはあると思いますが、
それをいつでも維持するって言うのは、難しいんじゃないかな。
維持しなくてもいいかもしれないし。。
自分で在ることと言うこれど、そう思っている自分が本当の自分がどうかと言うことも問題なんじゃないかな。
何かする自分とか、考えたり、感じたりする自分は、縁起によって生じているものだから、本当に自分ではないでしょう。
実相は無我であり、無相だから、形のあるものは、全て幻のようなものだとも言える。
縁起によって生じ、変化し続ける有為の位相を超えた、意識とか本質が真の自己であって、
変化するものは本質ではないと言える。
だけど、こういうことがわかって「オレは本質を知っている」と言うオレはやっぱり、本質でない自己であって・・
「自分が何であるか」よりも「何でないか」を理解する方が大事かもしれない。。
身心脱落ってそれに近いと思うんですよね。
いままでの自己が、フッ飛んで何もなくなってしまうというような・・
769 :
Ryu:2007/01/18(木) 02:21:57 ID:jbMnmq8R
>>766 振り返らず、ほったらかすって、ある意味そうなるのかもしれませんが、
でも、振り返ってもいいし、反省して次から気をつけるとか、そういうのも実際にはありでしょう。
なければ人間として問題でしょうから。
ですが、法の本質と言うのは、そういう世俗の法は仮のもので、
本質としては何にも問題などないとわかっているってことじゃないかな。。
・・今までいろいろ書いてきたけれど、悟ってるわけじゃないんで、ウソ言ってたらごめんね。。
>>767 KRANTIさん、こんばんわ。
まあ、結構好きだから、ケンカもするしレスもするし・・
ですが、こればっかりもやってられないんで、ほどほどにしますよ。。
罵られっぱなしで消えるのは、気分悪いですからね。
ちゃんと自分の言い分言い返せばすっきりするものです。。
770 :
迷い人:2007/01/18(木) 08:43:45 ID:xnt+dUGL
>>768 自分は目覚めた状態を維持していって感じですかね。
僕は子供の頃からチック症って病気を患ってて
自分で在れてない時に発症する変な体質なんですね。
だから自分で在れないと言うのは切実な悩みなんです。
昔から人の期待におえなきゃと言う強迫観念や
素の自分を否定されていじめられたり
他人に好かれる為に他人の顔色を伺って生きるのを覚えて
偽りの自分で生きるのって凄くしんどくて自己険悪の毎日でした。
自分で在れない、しんどさを肉体的にも精神的にも嫌って程味わったので
自分で在ることは僕にとっての幸せでもあります。
もうこれからはリラックスして自分で在り続けて、
自分の人生を自分の為に自分の手でコントロールしたいなって感じです。
本当の自分がなんなのかは分らないですけど
この冷めた目で観察してる意識って言うんですかね。
「コレ」は子供の頃からずっと変わらず自分の中にあるので
「コレ」とは一生付き合うことになるんだろうなと思ってます。
「コレ」がなくなったらもっと楽なんですけどね(笑)。
771 :
迷い人:2007/01/18(木) 08:53:28 ID:xnt+dUGL
すいません誤字です。
誤「自分は目覚めた状態を維持していって感じですかね。」
正「自分は目覚めた状態を維持していたいって感じですかね。」
772 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 11:16:25 ID:IbkdNpOE
>>768 ん〜、これまでのRyuちゃんとはなんか違うね。
あなたのいいたいこと、意図していることを正確に理解できたか、また理解しているのか自分でもよく分からんけど、少なくても伝わってくるものはあるよ。
>だけど、こういうことがわかって「オレは本質を知っている」と言うオレはやっぱり、本質でない自己であって・・
この感覚には同意できる。
>>769 ・・今までいろいろ書いてきたけれど、悟ってるわけじゃないんで、ウソ言ってたらごめんね。。
言葉尻をとらえて言うつもりは無いんだけど、現状を素直に認めて、自分を正直に表しているあなたはやっぱすごいね、っと自分は思う・・・・・。
773 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 11:50:48 ID:xPeM8loE
Ryuさんは死人禅とかはやったの?
774 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 12:23:04 ID:IbkdNpOE
>>761 >無分別の方って言うのは相手の言った事に対して
>思った事や感じた事はそのままに素直に受け入れ、
>正しいと思った事は正しいと言うし、
>間違ってると思えば間違ってると言うし、
>ムカッと来て腹が立ったら暴言も吐くし、
>相手をバカ呼ばわりしたくなったらしたりもするし。
それは、その通りじゃないのかな。
ただし、本当に相手の言葉を素直に受けいれていたんだろうか?
言葉の使い方、文章での表現は違ってたかもしれないけど、
>>709 >>710 (光ファイバーさん、すみません。)
>>722 ここで言っているのは(言いたかったことは)、「本当に理解したというんなら
実際にやってみなよ」、あるいは「体験してみないと本当に理解したかどうかは
わからないでしょ?」ってことだよ。
そういう意見(提言)に対して、
>>719では、「体験すること」、正確には「体験そのものの中に身を置く。」こと
を否定して、理論、理解という頭の中だけの思考活動だけを主張していたわけでしょ。
自分の論理、理解、解釈が正しくて、その他の意見(提言)を否定する。
否定するのはいいとしても、否定する理由(体験を否定すること)、少なくても体験にたいして
アクションをおこさない理由もなかったわけで・・・・・・・。
自分に対してだけじゃないけど、相手に暴言吐くなら吐いても構わないけど、「相手をバカだ」と
決めるける根拠は何なの??「彼の解釈なり理解したこと」を理解できない人は「バカ」なの?
これって二元的じゃないのかな・・・・・・・。
区別と葛藤は意味が違うんじゃないのかな。
区別は単純に「AかBか」。葛藤は、「Aはいいけど、Bは悪い」って、感情とか価値観が入ってしまう。
っと、自分は思うよ。
775 :
吽狛:2007/01/18(木) 12:33:13 ID:Mln4EZlB
Ryuぴょん、レスありがとう^^
Ryuぴょんが悟ったら、どんな説教するんだろう・・・
変わらなかったりしてw
自分は今年の夏から、死人禅するよ(笑)
この前やったときは激鬱になり、仕事をやめたけど、
今度はどうなる事やら・・・・・w
努力して、変わろうとしてた自分、
こんどは
努力して、その自分を剥いでいく、自分じゃないもの、
自分と思っていたもの、自分のじを。
人に嘘ついてもいいけど、
自分に嘘つかないようにしながらw
776 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 12:36:44 ID:IbkdNpOE
>>765 >僕なりの解釈なのですが
>本などに「何も分らないまま坐る=真」と書いてたとして
>一応頭の中だけで、あ、そうなんだと理解します。
>でも頭ん中だけではダメなので いざ実践で何も分らないまま坐ってみて、>あ、この感覚が真なんだと体現します。
>「実践を通して“真”に目覚める」と言うのはそう言う事ですよね?
>一度目覚めて自分で在る事を体現したあとは、
>その目覚めた状態を日常でも常に維持出来るように修行します。
あなたの解釈は解釈でいいんだけど、それが正しいとか間違っているとか
自分(私)にはわからないよ。なぜなら、自分はあなたじゃないから・・・・。
それがわかりたいんなら、「何もわからないまま坐る」、単純にそうしてみなよ。
「〜なんだと理解します。」、「〜なんだと体現します。」、「〜に修行します。」
これって、全て「仮定」してることだよね。
『仮定のこと』を前提にしても意味ないと思うよ。
777 :
Ryu:2007/01/18(木) 12:52:57 ID:jbMnmq8R
>>744 >そういう意見(提言)に対して、
>>719では、「体験すること」、正確には「体験そのものの中に身を置く。」こと
を否定して、理論、理解という頭の中だけの思考活動だけを主張していたわけでしょ。
ちがう。法だけから言えば、体験も必要ないの。
頭の中の理論じゃなくて、今あるすべてが法なんだから、それで終わっている。
今ある自分、それに安住すればいいんだけれど、安住しようとする必要もなく、
すでにそれであるのだから。
778 :
迷い人:2007/01/18(木) 14:03:26 ID:2w7/6rl2
>>774 ●善悪の区分によって葛藤が起きる。
●理解出来ない人をバカと決めつけてはいけないと言う善悪
●葛藤=相反する思い
理解出来ない人をバカと決めつけたい
理解出来ない人をバカと決めつけてはいけない
●善悪のない人は葛藤すら起きない
理解出来ない人をバカと決めつけたかったら決めつける
「相手をバカだ」と決めるける根拠は「自分の解釈を理解出来ない相手はバカだと思うから」
それ以上でもそれ以下でもない。それで終わっている。
---------------------------------------------------------------------------------------------
自分の考えを正直に書いてみました。
なんかこう言う偉そうな書き方してはいけないって善悪が
自分の中にあるから書く時に書きたいんだけど書けないって葛藤がありましたよ。
>>776 これは仮定した様に見せて書いているだけですよ。
そうですね、自分の事は自分にしか分らないですね。
779 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 14:19:27 ID:IbkdNpOE
>>778 それだけわかって書けるんだから、掲示板の中だけじゃなくて
現実の世界でもいいたいこと言えばよいのでは?
現実の世界では言えないけど、掲示板なら言える。
なぜですか?
>これは仮定した様に見せて書いているだけですよ。
なんでそんなまわりくどいことをする必要があるの?
なぜ、その必要があったのか自分自身にきいてみて下さい。
780 :
迷い人:2007/01/18(木) 14:19:41 ID:2w7/6rl2
誤字です。
●葛藤=相反する思い
理解出来ない人をバカと決めつけたい
理解出来ない人をバカと決めたくない
ですね。
781 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 15:12:32 ID:IbkdNpOE
>>777 >ちがう。法だけから言えば、体験も必要ないの。
>頭の中の理論じゃなくて、今あるすべてが法なんだから、それで終わっている。
>今ある自分、それに安住すればいいんだけれど、安住しようとする必要もなく、
>すでにそれであるのだから。
つまりは、「全てはあるがままに。」ということでしょ?
今の自分はそのまんまで自分、一分後の自分は「今の自分」とは違うかもしれないけれど、
その時の自分もそのまま自分。
全ては無常だし、そもそも「確固たる自分」なんでいうものはないのだから、
「自分」というものに拘るな、ってことかな。
782 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 15:20:48 ID:IbkdNpOE
>>777 つづき
体験の話にもどすと、Ryuちゃんは、「体験=自分の外部」と思っているわけでしょ?
自分の外部のものに対して「○○○だ。」、「わかった、理解した。」と断定できるのは
どうしてなんだろう?
自分が自分であるがままなんだから、外部も外部であるがまま。その外部について、
あえて言葉や文章で書こうとすれば、例え書いたにしても、それはあなたの印象、感想に
過ぎないわけで、外部そのものをとらえてはいないよね。
つまりね、原田雪渓師の本に書いてあることは師自身の体験を通して理解したこととか感じたこと、
師にとっての真理なわけよ。それを書くのに何十年っていう長い時間と、“実感としての重み”が
ある。ブッダにしても長年の修行の末に悟ったわけでしょ。
なんでいうか、方法論とか先達の理論についてのRyuちゃんの見解、それはそれでいいんだけど、
自分としてはRyuちゃん自身の真理を聞きたいと思うんだよね。
783 :
迷い人:2007/01/18(木) 15:33:33 ID:2w7/6rl2
>>779 自分の考えを正直に言えたのは今回が初めてです。
掲示板は匿名で姿が見えないから言えたんだと思います。
これを機に現実の世界でも言える様にして行きたいです。
>これは仮定した様に見せて書いているだけですよ。
書き方がおかしかったですね。。。
「これは仮定風に書いてみた。」です。
これは実際は仮定でもなんでもなくて、今まで自分がしてきたこと、
今でもしていることなんですね。
ただ「実践を通して“真”に目覚める」とはどう言うことかを
説明するのに今までの経験を元に仮定風に書いてみただけなんです。
上手く伝わったかな。。。。。
784 :
吽狛:2007/01/18(木) 16:00:51 ID:Mln4EZlB
>>778 へ〜、面白い。迷い人さんの書き込み。
今までの利害関係というか、人間関係の経験から
「偉そうな書き方してはいけない」って判断してるんかな〜。
そうすると、自分がひどい目にあうとかで。
善悪の区分というより、危険か危険じゃないか、のような感じもするけど。
善悪の区分なんて、個人個人あいまいなものよ・・・。
掲示板では、暴言くらいで、たいして、ひどい目に合う事すらできないしな。
でも、迷い人さんの書き込みを、自分は偉そうとは思わないよ。
というか、偉そうでもいいんじゃね〜の。
つ〜か、
自分じゃなくなる時の自分も、自分じゃないのかね?
自分か自分じゃないかの判断のない人は葛藤すら起きない・・・のか・・・?(て、誰に聞いてんだw)
>>782 >自分としてはRyuちゃん自身の真理を聞きたいと思うんだよね。
あ、自分も聞きたい・・・と思ったけど、
Ryuぴょんは、「Ryuちゃん自身の真理」なんて必要ないから、ない、のか・・・・?
785 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 16:31:15 ID:IbkdNpOE
>>783 >上手く伝わったかな。。。。。
上手く受け止めることが出来たかどうかはわからんけど、あなたの言いたいこと、
自分は受け止めたよ。
現実の世界でいろいろ葛藤はあるだろうけど、葛藤は葛藤のままで自分を表現してみなよ。
それに対していろいろな反応があるだろうけど、自分は自分でいいじゃないか。
その反応に違和感があるなら、そして、「その違和感」にあなた自身に違和感があるのなら
自分自身を変えればいい。
自分自身を変えるっていうのは、自分自身が別の人間になってしまうってことじゃなくて、
自分の意識のパラダイムが変化したに過ぎなくて、そのことによってあなた自身が消滅してしまう
ことでも、相手の正当性を証明していることでもないよ。
もちろん、あなたが劣っているということでもない。
うまく言えないけど、あなたの書き込みで自分なりに気づくことはあったし、内省した。
ありがとね。
786 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 16:47:41 ID:IbkdNpOE
>>782 でしょ?
自分も法とかよく分からん。だから、「わかった。」とは言い切れない。
Ryuちゃんの、Riveを知りたいんだよ。
787 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 16:53:07 ID:IbkdNpOE
>>786 すまん、また間違った。
riveじゃなくて、liveだぁ〜。
788 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 19:03:48 ID:IbkdNpOE
Ryuちゃんに質問。
原田雪渓師が、それまで修行してきたり、
門下の雲水に修行させているのは何でだと思う?
雲水が修行しているのは何でだと思う?
789 :
迷い人:2007/01/18(木) 21:46:45 ID:j5hosQQA
>>784 吽狛さん
偉そうな言い回しの文を見たら、僕自身が上から物を見た印象を受けて嫌な気分になるんですね。
だから他人にも同じ思いをさせたくなくて、偉そうに書いたらいけないなって。
でも結局は相手に嫌な思いをさせた結果、自分が嫌われるのを恐れてるとも言えるんですが^^;
ま、相手が嫌な思いするかは僕の推測なんで 吽狛さんみたいに
なんとも思わない人もいるんだなぁってちょっと驚きでした。
「危険」「危険じゃない(安全)」も表現が違うだけで善悪の区分だと思いますよ。
善悪の区分はほんと個人個人あいまいですね。
自分じゃなくなる時の自分も、自分なんですけど
なにかしっくりこない感じですよね。
すみません、上手く言葉で表現出来ないです^^;
>>785 凄く相手の反応は怖いんですけど
葛藤は葛藤のままで自分を表現してみたいと思ってます。
僕も色々気づきを得れてモヤモヤ頭の中で考えてた事が整理されました。
こちらこそありがとうございました^^
790 :
迷い人:2007/01/18(木) 21:47:49 ID:j5hosQQA
>>782 これは推測でも仮定の話でもなくて、自分の今在る状態から感じる意見です。
生まれた時から既に体験(すでにそれである)の中にある人は
自分がなにかを体験してる自覚はないですよね。(実際は何も体験してないけど)
でもその人は何か別の物(スキーを体験するみたいな)を
体験しなくちゃいけないと思ってる。既に体験してるのに。
だからあなたは既に体験してたんだよって気づかせる為の理解だと思うんですね。
理解させて気づかせないとその人は、いつまでたってもスキーを体験するかのように
外に外に体験を求めちゃいますよね。
「わかった、理解した。」っていうのは既にすでにそれであった事への
自覚をえたって感じですかね。
Ryuさんが言う体験も必要ないって言うのも凄く分るんです。
すでにそれであるのに、体験する物なんて何もないですよね。
「体験=すでにそれである」
「Ryuさん自身の真理=すでにそれである」
どうでしょうか?
的外れな事言ってたらすみません。
791 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 22:06:50 ID:JQHs2AFw
>>790 このことにレスする前に、あなたもRyuちゃんに質問したことと
同じことを聞きたいんだけど。
原田雪渓師が、それまで修行してきたり、
門下の雲水に修行させているのは何でだと思う?
雲水が修行しているのは何でだと思う?
792 :
迷い人:2007/01/18(木) 22:13:56 ID:j5hosQQA
>>791 申し訳在りません。
僕は原田雪渓師とかそう言った事は
全然知らないので答える事は出来ません。
仏教とか禅の知識も全くないので。
793 :
名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 22:51:48 ID:JQHs2AFw
>>792 ん〜、これまでのレスのやり取りを読み返して思ったんだけど、
Ryuちゃんとあなたの言っている「体験」と、自分や光ファイバーさんが
言っている「体験」の意味というか、視点(時点、座標点)がずれている
んじゃないかな。
例えばね、子供が自転車に乗れるようになるのって、大人とか既に乗ることができる奴から、
「ペダルに右足をのっけて、それを思い切り踏み込んで、そしたら次に左足をべダルに
のっけて思い切り踏み込んで・・・・・・・・云々。」見たいな理屈の説明を聞いて、
自転車の乗り方については「わかる。」と思うんだよね。
でも、それだけじゃ実際に「乗って走れる。」わけじゃない。逆に、理屈なんかわからないけど、
とにかく転んでも何しても「自転車に触って乗ってみる。」 走れるかどうかは別として・・・・・・。
あなたやRyuちゃんの「体験」は“乗り方を理解した”ところのことで、
自分や光ファイバーさんの「体験」は“実際に乗って走らせてみる”という部分ということかな。
ははは、あなたが的外れだなんで思わないよ。
あとね、ちょっと気になったこと。
>>789 >だから他人にも同じ思いをさせたくなくて、偉そうに書いたらいけないなって。
>でも結局は相手に嫌な思いをさせた結果、自分が嫌われるのを恐れてるとも言えるんですが^^;
他人(相手)を気遣うのはいいんだけど、相手に囚われて自分を抑え込み過ぎてない?
っていうか、あなたも気づいているようだけど、実際は、「自分が嫌われるのを恐れてる。」だけで、
相手の反応は関係ないんだよ。
どうしてそうなるのかは、心理学とかカウンセリング関連の本も読んでみるといいかもね。
794 :
Ryu:2007/01/18(木) 23:35:07 ID:jbMnmq8R
>>788 だからね、仏教では究極諦と世俗諦とあって、
究極諦とと言うのが、今まで僕が言ってきた法と言うもの。
この究極諦から見れば、原田老師や道元が言うように「修行は必要ない」と言えるの。
われわれは、既にして真理の現れである。
だから793みたいな自転車の例えで言えばね、自電車に乗っているのに、
乗っていることに気づかず、自転車はどこだと探しているようなもの。
最初から、そのままで完成していると言っても、
実際には、われわれはそれに気づかないわけでしょう。
だからそれに気づくために、参師聞法とか参禅が必要になる。
要するに修行が必要なんだよ。
この修行が必要であると言う、相対的な見方を世俗諦と言うの。
それに対して、はじめから完全であり、本来成仏と言う理解が究極諦。
この究極諦を世俗諦のどっちも必要なわけ。
これは、だいたい知恵と方便と言い換えることもできると思う。
だけど多くの人は、修行が必要だと言う世俗諦だけ知っていて、
究極諦を知らない人がほとんどでしょう。
だから、僕は世俗諦の話しをしないで究極諦のことだけ言ってきたの。
実際には、修行など必要がないと言うことを十分にわかって修行するのがいいんだよ。
それがわからないと「ただ坐る」ってなかなかできないでしょう。
僕は実際には、よく坐っているわけだから、修行してないんじゃないんだよ。
だけど、それを修行と思わないのが正しい理解なの。
クリシュナムルティが言うように、あるがままが真実であるといっても、
自我を通してみたら、ありのままはなかなか見えないでしょう。
だから、実際には行のようなもの必要だけれど、最終的には無為と言うか、
何もしない行になっていくべきなんだよ。
それで、そのための理解が究極諦でしょう。
795 :
Ryu:2007/01/18(木) 23:49:53 ID:jbMnmq8R
>>790 だいたいそう言うことです。
>>782 それにしてもコレは何を言ってるのかわからんよ。
「体験=自分の外部」ってどっから出てくる話かぜんぜんわかりません。。
>それを書くのに何十年っていう長い時間と、“実感としての重み”が
何十年はかかってないんじゃないかな。
原田師は、相当若いうちに出家したみたいだから、法の理解くらいは、
早いうちにわかっていたと思うよ。
ちょっと前まで2ちゃんで暴れまわっていた、東大卒の雪担師が何の議論をしてもぜんぜんかなわなかったらしい。。
796 :
惰眠:2007/01/19(金) 00:34:14 ID:gnWRmYZm
雪担って坐禅と見性スレにいたせったんのこと?
何か知ってることあったら、もっと語ってくれよ。
もう書き込まないつもりだったのに、つい反応しちまったw
797 :
名無しさん@3周年:2007/01/19(金) 00:52:44 ID:o/Wo8fwt
>>795 Ryuちゃんの説明(言葉と文章)が難しくてよくわからなかったけど、
>>790 迷い人さんの説明のほうが「そういうことなんだぁ。」と自分にはしっくり
きたかな・・・・・。
難しいことほど簡単な表現のほうが理解しやすいね。
798 :
Ryu:2007/01/19(金) 00:57:16 ID:7i+ZsKQ3
>>796 >雪担って坐禅と見性スレにいたせったんのこと?
そう。僕が言ったエピソードは、ホームページのどこかに書いてあったよ。
http://www.geocities.jp/tozanji/ 実は去年一度、東山寺の摂心に行って来ました。
せったん師は、弟子には厳しい時もあるみたいだけれど、
一般の人に対しては、基本的にすごく優しい感じだったな。
五日間も連続で長時間坐ると、一人でちょこちょこ坐ってるのとはぜんぜんちがう感じ。
意識状態が変わって、しばらくは元には戻らなかった。。
原田師に関しては、無明庵のページのどっかで言及されてる。
本にも書いてあったかもしれない。
ハラダはらだと出ているので原田氏とその反対派の対立を例に書いてみるか
原田師側の主張と忽滑谷派側の主張↓
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/4bu-ronsou/fl-ronsou/shousinronsou.htm#zz1-5 要約すると
原田氏:禅の宗旨は参究し大悟してはじめて把握されるもの
忽滑谷氏:教理中心で悟道には決して限界はない
つまり
実参実究派と学究派ということ
原田氏による「大悟してはじめて把握される」は
その通りだな
野狐禅てのがあるが、まだ悟りきっていないのに悟ったかのようにうぬぼれるというもので、嫌われる
悟ったけれども、まだまだ序の口の悟り始めなのに、鬼の首でもとったかのようになる
もっとひどいのが、なーんにも悟ってないのに、でたらめ披露して聞く耳もたないとゆうの
野狐禅は見込みがあるから叩かれるが
もっとひどいのは見込みがないので処置無しになる
>>770 坐って治るのかなどうなんだろ禅病てのもあるし
脅迫観念や理由のない不安
辞めたくても辞められない行動
その症状は良く知っていますよ
でも、悟ったら消えてしまった
もっとも、もっと多くのものが消えたが
>>757 > 要は(目的とするところは)、頭の中で理解したり分かることではなく、ましてや相手に暴言を吐いてまで
> 自分の正当性を主張することでもない。
> 「相手に言った言葉は相手自体のことではなく、相手をそう感じた自分=自分の本性(ほんせい)である。」、
そうですね
そこに他人がいるのではなく自分の世界の中で対象を投影して戦っている
つまり自分自身と戦っているようなもの
なのでその人が気にしていることや思考パターンがまるみえになります
>>765 > いざ実践で何も分らないまま坐ってみて、あ、この感覚が真なんだと体現します。
そうですね
そんなとこですね
>>459 > 引き込まれるように一気に読んでさ。すげーなぁと思ったよ。
頭空っぽにしてると、入る余地(聞く耳)があるんだろうね
オレなんか何度読んでも理解不能だったな
結局、読んだものは役に立たなかったな
全く
804 :
Ryu:2007/01/19(金) 02:31:23 ID:7i+ZsKQ3
>>799 光ファイバーさんが言っている原田師側の原田師は原田祖岳師だから、
僕が言った原田雪渓師とは別ね。
だけど、その原田師はの中にいる井上義衍師が原田雪渓師と川上雪担師の師匠。
悟らなければ、力量がないと言うのはホントだろうけれど、
「宗旨の理解」と言う面ではどうなんだろう?
道元のテクストの意味はわかるかも知れんが、文意がわかってもやはり悟らなければ、
あまり意味がないだろうと言うのはある。
僕が言っている法の理解とか、道元の書いたものって、
参禅のための手引きのようなものだともいえるんだけれど、
手引きを超えたような、そのものズバリのこともいっぱい書いてある。。
一つの文句がわかると、その他の多くのこともズバーンとわかってしまう。。
ですが、そういう理解も、ほとんどの人にとっては、参禅なしには難しいと言うのが実際でしょうね・・・
805 :
吽狛:2007/01/19(金) 02:37:14 ID:EDmg/WVG
>>789 >なんとも思わない人もいるんだなぁってちょっと驚きでした。
世の中には、いろんな人がいるよ。上から物言われるのが好みの人もいるかもしれんしwww
>「危険」「危険じゃない(安全)」も表現が違うだけで善悪の区分だと思いますよ。
ふうむ、そうなのか・・・。
自分には、善というものが何なのか、わからない。
自分が、これをしたほうがいい、と思ったものでも、それが善だと思わないしなあ。
私は「自分じゃない時」はなくて、どういうことになってても、自分です。
でも、善悪の時と同じように言葉遣いの違いなのかなあ・・・。
う〜ん、私の中の「不快になってる時の自分」にあたるのかも。
806 :
吽狛:2007/01/19(金) 02:40:05 ID:EDmg/WVG
Ryuぴょん
究極諦と世俗諦・・・
へ〜そうなんだ〜〜はじめて知った。
>原田師に関しては、無明庵のページのどっかで言及されてる。
あ、ほんとだ。自分も、原田雪渓師の本読もかな。
Ryuぴょん、原田雪渓師の本は、どの本がお勧め?
といっても、私がするのは「死人禅」なんだけどw
読んでも意味ないかな?
>>800 >でも、悟ったら消えてしまった
>もっとも、もっと多くのものが消えたが
光ファイバーEOさんは、悟ってるのか・・・知らなんだ。
>結局、読んだものは役に立たなかったな
>全く
何も役に立たなかったということは、瞑想法とかも?
死人禅、役に立たないかな・・・?
これからやっていこうと思ってるんだけど・・・・。
しかも、原田雪渓師の本読もうとしてるし・・・・う〜む・・・・どうする、自分・・・
807 :
Ryu:2007/01/19(金) 03:07:08 ID:7i+ZsKQ3
>>801 >そうですね
そこに他人がいるのではなく自分の世界の中で対象を投影して戦っている
つまり自分自身と戦っているようなもの
なのでその人が気にしていることや思考パターンがまるみえになります
これは光ファイバーさん自身にも当てはまるんじゃないですか?
けっこう感情的な反応に見受けられましたが。。
>>803 >オレなんか何度読んでも理解不能だったな
結局、読んだものは役に立たなかったな
全く
これは僕とは逆ですね。
僕は読んだものがだいたいわかったし、すごく役に立った。
実際の瞑想や禅などとあいまって、相当スピーディに修行が進んでいった気がする。
いやらしい事言うと、クリシュナムルティのどこがそんなに難しいんだろうと言う気がする。。
正法眼蔵ははっきり言って、難しいと思うけれど、クリシュナムルティなんて全く明快でわかりやすい・・
何でみんな難しいとかわからんとか言ってんだろうと・・・笑・・こういうとまた嫌われるかな??
808 :
Ryu:2007/01/19(金) 03:26:56 ID:7i+ZsKQ3
>>806 >Ryuぴょん、原田雪渓師の本は、どの本がお勧め?
何でもいいんじゃない?
僕が全部読んだのは「The 禅 −ダルマは世界を駆ける」と言うやつ。
今は古本しかないみたいだけど。。
>といっても、私がするのは「死人禅」なんだけどw
考え直した方がいいと個人的には思うが、実験としては面白いかもね。
実験台になって、体験を報告してください。。
>読んでも意味ないかな?
意味なくはない。
EOほうざんの理論は、結局「和尚+ダイジ」なんだけれど、禅の考えと共通するところも多いと思うよ。
だけど、禅のほうから見ると、EOの理論には、いろんな余計なところや不備なところがあるように思える。
だけどEOが好きな人はそれでいいんじゃないの・・
以下個人的なつぶやきなんだけれど、和尚・ダイジ・EO、この3人は、
みなマスターとして「われこそは」と言う感じがあって、ものすごく神経症と言うか、誇大妄想というか、
我が強い感じがあるんだよね。
悟ってるか悟ってないか別として、凡夫としての自我にそういう傾向があると思う。
それでね、そういう我の強いやつを師と仰いじゃうと、弟子の自我も抜けにくくなる。
あるいは肥大化する危険性もある。
これはそうじゃないやつもいるんだけれど、実際そういうケースが多いように思えるんだ。
まあ、以上のことは僕の直感によるところも大きいから、本気にしたくない人は本気にしなくていいんだけれど、
心のどこかに留めておく意味はあるんじゃないかと思うよ・・・
809 :
吽狛:2007/01/19(金) 04:25:33 ID:EDmg/WVG
Ryuぴょん、
本、何でもいいのかw明日、暇があったら、本屋に行ってみるよ。
考えてみると、悟りの関係の本は、EOとおしょーしか読んでない。
しかも、おしょーはよく分からんかった。
>考え直した方がいいと個人的には思うが、実験としては面白いかもね。
>実験台になって、体験を報告してください。。
そうか。実験台のハツカネズミだな、私は・・・。
ま、死人禅やるのは当分先だから、通常の禅の本を読むよ。
死人禅して悟れば、ここに書くけど(それまでスレがあるか知らんけど)、
自分が悟るとは期待してないよ(笑)。
我かあ・・・、自分は誇大妄想は強いけどなあ・・・危険性については、心に留めておくよ。
ありがとう。
810 :
迷い人:2007/01/19(金) 07:21:01 ID:XtiWYGl/
僕の自転車を使った例えを書いてみます。
人はお母さんの産道を自転車に乗って走って生まれて来る。
だからもうそれは体験ではなくて当たりまえの事。
でも人は自転車はもう既に乗ってるのに、また乗ろうと、体験しようとする。
自転車に乗りながらまた別の自転車に乗るなんて出来ないよ。
誰かが既にあなたは自転車に乗ってるんだから
もう乗る必要はないんですよと理解させて気づかせないと。
理解するだけで自転車に乗って走れるだなんて、凄くらくちん。
もう何かをしようとするのは止めにしよう。
しようとしなくても、それであるんだから。
811 :
迷い人:2007/01/19(金) 07:56:21 ID:QaKRoc8q
>「体験」の意味というか、視点(時点、座標点)がずれている
>あなたやRyuちゃんの「体験」は“乗り方を理解した”ところのことで、
>自分や光ファイバーさんの「体験」は“実際に乗って走らせてみる”という部分ということかな。
>「体験=自分の外部」
この意味が何となく分ったんですけど、上手く言葉にできない。。。。
今まで凄く誤解をしてたような気がします。
812 :
山田:2007/01/19(金) 08:16:24 ID:hrObyhkM
> オレなんか何度読んでも理解不能だったな
> 結局、読んだものは役に立たなかったな
> 全く
頭で読んで理解・見性を得ることはない
それが頭で十分納得できるだけでもムルティは意義あると思う。
個々の持つ動機を入り口に結局同じ道筋に引っ張る流れがあるし
読むだけである程度脳が自然に黙ることがあるのが
彼の著作の効用だと思う。
そこから先は個人の燃焼の度合いではないでしょうかね。
役に立つ立たないで言えば役に立つはずもなく。
813 :
迷い人:2007/01/19(金) 08:17:38 ID:QaKRoc8q
「すでに自転車に乗っている=体験」
「また自転車に乗ろうとしてる=体験」
僕の自転車の例え話の視点から見て、
「また自転車に乗ろうとしてる=体験」は
確かに自分の外部にみえますね。
僕は皆さんが「すでに自転車に乗っている部分を体験」と指して
言ってる様に見えて誤解してたんですね。
ん、上手く言葉に出来たかな?。。
>>813 自転車の乗り方だけわかってとか、
実際に乗ってもみることもなく既に自転車に乗っていると思い込んで、
自転車に乗ったときの心地よさ(逆に不快さ)とか、風を感じることとか、
そういった感覚まではわからない。
実際に風なんか吹いていなくても、自転車で走ってみることによって
「風さえ感じる」ことができる。
この風を受ける感覚って、自転車の乗り方の理解だけでわかるもんなのかな?
815 :
迷い人:2007/01/19(金) 12:36:30 ID:nbMdA2Jn
>>793 自転車の例えではちょっと頭が混乱して来たので
また違う形で「体験」について書いてみます。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
@師匠と弟子
師匠はとりあえず何も分らないままでも良いから坐らせて
在るって感覚を弟子に「体験」させようとした。
でも本人はこれが在るって感覚だとは知らない。
いきなり坐らされた弟子は意味不明で
まだ何も分らず迷ったまま。
A僕と弟子
坐ってる弟子はいきなり坐らされてこれが一体なんだというの?
自分で在る?真?そんなのどこにあるの?とイライラして迷ってる。
通りかかった僕は迷ってる弟子を見るに見かねて、
何も分らないまま坐ってるその感覚が在るって事だよと
師匠に内緒で告げ口して理解させる。
弟子はそうなんだと理解すると共に在ると言う感覚を体現する。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
僕の言っていたのはAの状態の弟子に対してですね。
僕は在ると言う状態事態は、初めからすでにあるものだから
「体験」するものじゃないと主張してたんですけど
師匠のように行為をとおして感覚を「体験」させる事は必要ですね。
んー書いてて頭が爆発しそうだ。。。。
816 :
名無しさん@3周年:2007/01/19(金) 12:57:38 ID:6zzz8GXd
座禅してると(自己流ね)眠くなるじゃないですか、
そういうときって、気合で起きてるもんなんでしょうか???
30分くらいで眠気に負ける・・。
817 :
名無しさん@3周年:2007/01/19(金) 13:01:08 ID:6zzz8GXd
IDまでzzzだ・・。w
w
819 :
迷い人:2007/01/19(金) 21:39:27 ID:eKakzBKN
http://www.geocities.jp/tozanji/ 「仏とは何か」のサイトの座禅についてを
読んでいて凄く腑に落ちたなぁ。
心のすることを別の心が観察するって今の自分の事だ。
自分はずっと心身症ノイロ−ゼで生きてきてたんだな。
なんか自分の書こうとしてる文章を頭が朗読してて
それを別の心が見ていて、ここで、こんな事書いちゃいけないなとか
強迫観念、自己嫌悪、善悪の分別と葛藤、なんかが起きて
行動にストップをかけちゃう。自分で在れてない証拠。
一人で静かに何もしてない時は、心が一つで自分で在れるけど
そうじゃない時はどうしても分裂が起きちゃうな。
って凄い独り言。。。
無明庵EOと全然関係ない話題ですみません。。。。
虚無の微笑みは読みましたけど、殆ど全部腑に落ちました。
大きな猫さんの文章は凄く分りやすくて読みやすい。
小悟したお弟子さんの悟る前の状態って
今の自分と凄く重なるから凄く参考になって修行しやすくなった。
頭頂留意も結構出来る様になったし。
820 :
Ryu:2007/01/20(土) 01:29:03 ID:YNF/VGgX
>>819 そう。だから、法を聞くことが役に立たないなんてことはないでしょ。
原田師は、法というのはステッキみたいなもので、リハビリ中の人がそれを頼りにして歩くみたいに、
修行中の人が、それを使って道を歩んでいくものだという意のことを言っている。
十牛図でも、第二図の段階で、経典を学んで法を理解するという段階がある。
最終的には、法も忘れて、法がなくとも歩んでいけるようになる必要がある。
だけど、ステップとしては、法の理解ということは必要だと思う。
そうでなければ、いろいろ誤りやすいし、どうしていいかもわからんということになりがちでしょうから。
本を読んで悟れるということはないかもしれないけれど、
提唱を聞いているときに見性したというのはあるらしい。。
六祖慧能も金剛経の一説を聞いて大悟したという話しですしね。
だから、本を読んでわかったというのが、全部デタラメというのは、おかしな話だよ。
もちろん読んでわからなければ、何にもならんが、何かわかることとか気づかされることがあれば、
役に立つでしょう。もちろん、人によるのかもしれませんが。。
>なんか自分の書こうとしてる文章を頭が朗読してて
それを別の心が見ていて、ここで、こんな事書いちゃいけないなとか
強迫観念、自己嫌悪、善悪の分別と葛藤、なんかが起きて
行動にストップをかけちゃう。
その割にはいっぱい書いてますね・・笑
そういうのは、自分を見ている自分の方が、いろいろな観念で、自分を判断するから起こるんじゃないかなぁ。
こうあるべきとか、こうあってはならないとかが、いっぱいあるのかもですね。
そういうのも、実相がわかれば、落ちるんでしょうね。
あるいは、何するにも、動機が純粋で正しければ、まっすぐに行為できるというのもあるかもしれない。
人がどう思うかじゃなくて、自分が正しいと思ったことをやってみるとか・・
821 :
惰眠:2007/01/20(土) 11:00:09 ID:GSKuOhI1
>>798 そうか。ホムペに書かれてたことだったのか。
Ryuのことだから何かおもしろい裏情報でもあるのかと思った。
俺もそろそろEOから離れようかと思ってるんだよ。
でも本当はそうしたいのか、したくないのかわからないんだ。
Ryuは明確な目標があってやり方がわかっているみたいだけど、
今の俺は自分が何をしたいのか、どうしたらいいのかわからない。
このペースで行けば来週にはスレが終わりそうだな。
何にせよ盛り上がったのはRyuのおかげだな。
つまらない書き込みにレスしてくれてありがとう。
がんばって悟ってくれ。
>>803 俺の頭の中は妄想でいっぱいだから聞く耳があっても入る余地はないんだ。
だから読んでも何が書いてあったか思い出せないw
悟った人が読んで理解不能なら悟ってない俺が理解できるわけないな。
理解不能で役立たずな言葉ばかりに魅力を感じちゃってさw
だから何か落として行ってくれよ。
>>821 読んでもいいと思うよ
道標になるだろうし
読まないほうがいいのは
頭でっかちだけ
あまりに知りすぎるとそれが障害になるよ
それに書いてあることは、読まなくても、ひとりでに全部わかるか
もしくは間違っていることだし
迷い人氏宛に文章の流れで悟ったと書いただけで
悟ったかどうかなんてたいして意味はない
大悟しなきゃ、わかるわけない
というのも頭でっかち宛なので気にしないでくれ
824 :
名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 12:05:24 ID:9OpmAn2L
>>822 >あまりに知りすぎるとそれが障害になるよ
>それに書いてあることは、読まなくても、ひとりでに全部わかるか
>もしくは間違っていることだし
自分も光ファイバーさんに同感だな・・・・・・・。
>>751でRyuちゃんにも言ったけど。
>むしろ、それ(あなたの理解や論理)が邪魔になるんじゃないのかな。
825 :
迷い人:2007/01/20(土) 12:51:15 ID:8lXcRNzO
>>820Ryuさん
そうですね、自分を見ている自分の方が
いろいろな観念で僕を縛ってますね。
突き進もうとするんだけど観念と言う塊が
僕にしがみついて離さないって感じです。
何十年もかけて育った塊だから肥大化してるんですね。
僕はその大きな塊をずっと引きずって歩いてる様なものです。
確かに動機が純粋で正しければ、まっすぐに行為出来る時があります。
今まで他人が正しいと思った事をずっとやって来てたので
これからは自分がしたいと思った事、正しいと思ったことをやって行くように努力します。
光ファイバーさんが
>>800でおっしゃってましたが
悟れば症状は永久に消えてなくなると思います。
普段の生活でもリラックスしてる時は症状は出ないし。
悟りってただそのリラックス状態がずっと続くってだけだと思うし。
だから観念の塊を引きづりながらでも突き進んで
いずれ塊を振りほどける日が来ると思います。
普通に幸せな人が当たりまえにもってるリラックス状態の対極の
緊張の人生を29年も生きて来たから
悟りを目指すと言うよりか、元の赤子のような状態に立ち返るって感じすね。
だから普通に幸せな人に悟りは全く必要ないと思います。
肩の力を抜いて生きる、それが僕にとっての修行です。
皆さん今まで色々アドバイス等有り難うございました^^
826 :
Ryu:2007/01/20(土) 22:05:10 ID:YNF/VGgX
>>822 >あまりに知りすぎるとそれが障害になるよ
それは場合によってはそうでしょうね。
観念で現実を見てしまったり、「知っている自分」を認めてしまうなどがあればそうでしょう。
だけれど、道元とかその他の覚者の言葉というものは、ちゃんと理解すれば、
決してそういう障害が生じないように書かれているわけです。
もちろん誤解した場合とか、本を読んで悟れると思っていたら、
それは障害になるでしょうが、そうでなければ障害にはならない。
理解が生じれば、疑問がなくなり、安心が生まれ、誤りが正されます。
法を何も知らない場合のわれわれというものは、誤った観念で自他を見て思考し、
誤った求道のやり方で、仏になろうとしているわけですから、まずはそれらの誤りに気づく必要がるわけです。
何の知識もなければすぐ無心になれるかというと、そうとは限りません。
知らず知らずのうちに刷り込まれた、いろんな考えや思い込みによって、
現実をそのまま見ることができずにいます。
だから、まずは自分の誤りや誤解に気づく必要がある。
そのためには、瞑想だけではなく、法を知るということが必要だと思います。
もちろん、瞑想だけでも、悟れるのかもしれませんが、
瞑想だけによって、それらの誤った思い込みが、落とすことはなかなか難しいのではという気もします。
法を学ぶことによって落とした方が早い。
もちろん、理解によって誤りが全て落ちるということではありませんが、
少なくとも、何が誤りであるかはわかるわけです。
また、正法がわかれば、それに似て非なる教えをエセとして見抜くこともできる。
そうでなければ、もっともらしいこと言ってる人に、コロっと騙されてしまう訳でしょう。
そういう風に騙されないためにも、法を学ぶことって必要だと思います。
>>825 ひとつだけ書いておきますが
過去の長い歴史があるから重いと感じるのかもしれませんが
引きずっているのは、今あなたが、たった今引きずっているのですよ
過去の幻影はどんなに足掻いても現実には適いません
訂正
現実には適いません
↓
現実には敵いません
>>826 読んで得た法の知識がどれほどのものか書いてあげましょ
> 理解が生じれば、疑問がなくなり、安心が生まれ、誤りが正されます。
理解が得られるのは知識だけです
知識は悪いわけではありませんよ
ただ法とは無縁です
安心は生まれるものではありませんよ
安心というものがどのようなものか分かっていないようです
安心とは不安が無いことです
単なる言葉遊びではないですよ
不安の観念がないこと
これが安心です
知識に誤りや正しさがあっても法にはありません
> 法を何も知らない場合のわれわれというものは、誤った観念で自他を見て思考し、
法を知ることはできませんよ
観念で法を知ることはできませんよ
誤った観念ではなく
観念自体が法から見ると誤ってます
観念を一旦落とさなければ、法は分かりませんよ
> 誤った求道のやり方で、仏になろうとしているわけですから、まずはそれらの誤りに気づく必要がるわけです。
> 何の知識もなければすぐ無心になれるかというと、そうとは限りません。
全て仏であると書いていたはずなのに、仏になろうとするのですか
知識という観念に固執している限り
それとは無縁の無心に触れることが出来ると思いますか?
> 知らず知らずのうちに刷り込まれた、いろんな考えや思い込みによって、
> 現実をそのまま見ることができずにいます。
知らずに勝手に刷り込まれたのではありませんよ
そのように取捨選択したのです
それに現実をそのまま見ることができずにいるとどうして言い切れるのですか?
それが本当だとしても、知識の上でそのように読んだだけでしょう
それが嘘か本当か自分で確かめて見るまでは分からないというのが本当のところでしょう
どうか自分で確かめてください
831 :
Ryu:2007/01/21(日) 01:22:46 ID:J6jhwum3
>>829 だからそういうあなたが言ってるようなこと全部わかっているといってるの。
>知識に誤りや正しさがあっても法にはありません
そのとおり。
だけど、おかしなこと言ってる邪師というのはいるでしょう。
それらの存在も法のうちだけれど、それらに騙されないために、正法を知るというのは必要でしょうと言ってんの。
なんで、同じこと何度も言わせるの?
あなた覚者かなんだか知らんが、教えをたれる前にちゃんと日本語読んでよ。
こっちがわかってない決め付けるところは、人をバカバカ決め付けるほうざんと一緒だよ、全く。。
>誤った観念ではなく
観念自体が法から見ると誤ってます
観念を一旦落とさなければ、法は分かりませんよ
だからよう・・オッサン・・俺がどうして観念で現実を見てると決め付けるんだ。
ぼくは、普段は観念なんか持ってない、無心だよ。
ポケットに、ティッシュを入れているやつは、常にティッシュを気にして生きてるというのか??
必要のないときは忘れてるだろう、それと同じことだよ。
832 :
Ryu:2007/01/21(日) 01:40:07 ID:J6jhwum3
>>830 >全て仏であると書いていたはずなのに、仏になろうとするのですか
「全て仏である」となんかどこにも書いてないよ、ボケたんか?オッサンよ。。
世俗諦と究極諦のどちらも必要というのが仏教なの。
これはあんたにここで説明する気がないから、自分でお勉強しな、そのときくれぐれも「ご自分の観念」を持ち込まないように・・
>知識という観念に固執している限り
それとは無縁の無心に触れることが出来ると思いますか?
はい、「知識という観念に固執しているRyu」というのは、あなたの観念の投影ね。
全くわかりやすい勘違いだこと。
あんたほんとに悟ってんの?悟り妄想にしか思えんがね、僕には。。
知識とか理解は、無心であることと矛盾しないよ。
理解や論理を悪玉と決め付けるのは、何にもわかってない「無心バカ」。
そういう風に悪玉と決め付けてるのも、どっかで聞きかじった誤った観念・知識だと気づかずにね。
>それに現実をそのまま見ることができずにいるとどうして言い切れるのですか?
それが本当だとしても、知識の上でそのように読んだだけでしょう
それが嘘か本当か自分で確かめて見るまでは分からないというのが本当のところでしょう
どうか自分で確かめてください
この言葉そっくりあなたにお返しします。
ご自分の観念で僕を、断定することしかできないあなたの存在が、
現実を見れてない人間の一番いい見本じゃないか。
自分でよく反省すべきはあなたの方。
悟りが思い込みじゃなかったか、もう一度考え直してみたら?
833 :
名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 01:43:54 ID:hER1BljW
834 :
惰眠:2007/01/21(日) 02:22:04 ID:l/WvLdEr
Ryuは、ほうざんさんにメールしてバカ認定されてしまったとか?
俺はおっかねーから、一度もメールしたことないんだけど。
Ryuも俺のことバカとしっかり断定してくれたよね。
光ファイバーさんの言ってること全部理解してるなら、
「本当にその通りですねー。あはははは」
でいいんじゃない?
なんでムキになるんだよ。
「私も、まだまだ修業が足りませんなぁ」
とか言ってさ。
どっちが正しいかなんて俺にはわからないけどね。
835 :
名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 02:32:25 ID:hER1BljW
>>832 道元さんが言ってるよ。
「まず、毒矢を抜け。」って・・・・・・。
836 :
Ryu:2007/01/21(日) 02:46:57 ID:J6jhwum3
>>833 道元の言ってることはいいけれど、ホームページ作者の言ってることは、
あちらこちらで間違ってるね。
道元は、僕が言っているとおり、経典から悟りは得られないといってるだけで、
教典を学ぶことが妨げになるなんて一言も言ってない。
ここをみんな間違える。
自分の無知・不勉強を正当化するんだよ、覚者の言ったことを曲解してね。
正師は知識が邪魔になるなんて言わないよ。
せっけい師とせったん氏の師匠である、井上師は、知識があったほうが、人を教えるとき役立つから、あった方が言いと言っている。
経典の理解だって同じでしょう。
だけど邪師はそう言うんだよ、余計な勉強されると、インチキ、ウソがばれるからね。。
知識は障害だとか言って、嘘八百・・・
理解は地図みたいなもんで、目的地に迷わずいくための手引きみたいなもん。
地図があれば、3時間で行く所をいい加減な指示を聞いただけだったから、10時間もかかったという話を、
この前、ジャンク・スポーツでして居た人がいたなぁ、女子プロゴルファーの誰だったか忘れたけれど。
837 :
Ryu:2007/01/21(日) 02:56:56 ID:J6jhwum3
>>834 >Ryuも俺のことバカとしっかり断定してくれたよね。
そうだったっけ?
ハハハ・・忘れた。。
気にしてるんならごめんよ・・
>光ファイバーさんの言ってること全部理解してるなら、
「本当にその通りですねー。あはははは」
でいいんじゃない?
何でそのとおりでは全くないのに「その通りです」なんて言わなきゃならんの??
>なんでムキになるんだよ。
「私も、まだまだ修業が足りませんなぁ」
とか言ってさ。
なんで、また、そんな謙虚さだけ装ったようないい人を演じなきゃならんのだ?
勝手な決めつけで文句言われたら、怒るのも自然だし、いいじゃない。
怒った方が向こうもわかるんじゃないの?
あんたも変な観念というか、「いい人になるべきイデオロギー」みたいのにおかされてるんちゃうか??
838 :
吽狛:2007/01/21(日) 03:01:02 ID:5arCcD7e
迷い人さんの自転車を使った例えは、、私には、違和感を感じる。
それで、自分が感じた事を例えにならって書いてみた。
(しかし対話の流れの論点を外してるかなwま、単なる戯れです)
----------------------------------------------------------------------
人はお母さんの産道を自転車(自我)に乗って走って生まれて来る。
でも人は、自転車が自分だと思い、自分を気に入らず、
また違う自転車を漕ごうとする。
まずは、他の自転車に乗ろうとするのをやめさせるために、
今の自転車を漕いでいるままでいいと理解させる。そして、その次に、
誰かが、あなたは自転車にのっているだけだ、と理解させて気づかせないと。
自転車に乗って走ってることに気づけば、ふとした拍子に、
自転車から手を離すことができるかもしれない。
----------------------------------------------------------------------
>>815 の @師匠と弟子 A僕と弟子 に続き、
B私と弟子
そこに通りかかった私は、 迷いと共に在る言う感覚を体現した弟子に
「いいから、頭に茶碗を乗せて、自転車をこいでみろ」
と言う。
弟子は、頭に注意を向けて、自転車をこぎだした。
しかし長く座り続けていた弟子は、足がしびれていたために、
自転車から転がり落ちる。
----------------------------------------------------------------------
・・・なんて事にはならないか。
839 :
名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 03:23:19 ID:hER1BljW
>>838 吽狛さんって、面白い方ですね。
そして自分はある疑惑さえ感じてます。
それが何なのかは言わないが・・・・・・。
840 :
惰眠:2007/01/21(日) 03:24:58 ID:l/WvLdEr
>>837 >気にしてるんならごめんよ・・
気になんかしてないよ。
あやまられると逆に気にしちゃうぜw
>何でそのとおりでは全くないのに「その通りです」なんて言わなきゃならんの??
だって、
>だからそういうあなたが言ってるようなこと全部わかっているといってるの。
って言ってただろ。
全部わかってんならその通りじゃないか?
>あんたも変な観念というか、「いい人になるべきイデオロギー」みたいのにおかされてるんちゃうか??
それはある。すっげーある。
世間を渡るにはそれを装ってた方が楽だからな。
怒り爆発させてまで通さなならん自分の主張なんてないし。
>>836 >理解は地図みたいなもんで、目的地に迷わずいくための手引きみたいなもん。
人が誰も歩いたことのない道を行くには地図はないぜ。
目的地に着いたら地図は役立たずだ。
引き返すなら必要かもしれないが、先に進むなら邪魔なだけだ。
841 :
惰眠:2007/01/21(日) 03:30:23 ID:l/WvLdEr
そうそう、Ryuと光ファイバーさんの2ちゃんの華を期待しているw
842 :
Ryu:2007/01/21(日) 04:12:56 ID:J6jhwum3
>>840 >人が誰も歩いたことのない道を行くには地図はないぜ。
仏道とか坐禅の道は、多くの先達が既に歩いている。
先達の足跡を目印にするという段階も必要なんじゃないかな。
>目的地に着いたら地図は役立たずだ。
後進のものを導くためには、役立つんじゃないの?
>引き返すなら必要かもしれないが、先に進むなら邪魔なだけだ。
だから、ポケットに入れておけば、別に邪魔にはならないんじゃないの?
悟りの成長には終わりがないって言うしね。
843 :
迷い人:2007/01/21(日) 06:08:08 ID:KqnLT+fh
>>829 くだらない例え話ですけど書いてみます。
----------------------------------------------------------------------
弟子は観念発生装置を背中に抱えて生まれて来た。
赤子の頃は、電源は切れていて安心に包まれていたんだけど
生きてる間に、誰かが電源を勝手に入れて観念が発生した模様。
でも弟子は電源が入ってる事に気がつかず、観念に振り回されている。
で、電源が入れっぱなしなのに気づいた師匠が
電気代がもったいないから電源を落とさんかいと頭を叩いた。
いつの間にか電源が入ってるのに気がついた弟子は
電源を落とし、観念が発生する前の安心に包まれるのであった。
が、しかし、観念発生装置はまだ背中に抱えたままなので
誰かが電源を入れるとまた観念が発生する。
これでは絶対の安心は得られないと思った弟子は
観念発生装置ごと背中から下ろし、悟りを開いたのであった。
おわり
----------------------------------------------------------------------
光ファーバーさんは観念発生装置ごと
背中から下ろした人なんじゃないかなと。
だから観念発生装置を背負ったままで得た安心は
絶対の安心ではないと主張してるんじゃないかなぁと感じました。
>>838 吽狛さんの書く文章って愛嬌があって面白い^^
頭に茶碗を乗せて、自転車をこいでる姿を想像しただけで可笑しくなった(笑)。
ちょっとまだ内容が飲み込めないので
しばらく考えてレスしてみますね。
844 :
迷い人:2007/01/21(日) 06:11:26 ID:KqnLT+fh
背中に抱えるってなんかおかしな文章だな。。。。
背中に背負う、ですね。
845 :
金平糖:2007/01/21(日) 09:35:59 ID:F49vGmuy
>>842 なんか、「聖書にはそう書いてある。聖書に書かれていることに間違いはない。」
って言ってるクリスチャンみたいだな。
>>843 >生きてる間に、誰かが電源を勝手に入れて観念が発生した模様。
「誰かが電源を勝手に入れて」じゃなくて、「自分が自分で電源を入れて」
だよ。
もっと、簡単な例え。
酒飲みの父親が子供に、「酒を飲むと酔っ払う。」と教えた。
子供は、「酒を飲むと酔っ払う。」という知識は得た。
そして、数人の友達に「酒を飲むと酔っ払うらしいぞ。」とその知識を広めた。
子供は、「酔っ払うってどういうことなんだろう?」と思って、家にあった
酒を飲んでみた。
少し飲んだらほろ酔いになって気持ちよくなった。もっと気持ちよくなりたくて、
家にある酒全部飲んでしまった。
あとは、・・・・・・・・しまったとさ。
846 :
惰眠:2007/01/21(日) 10:49:11 ID:l/WvLdEr
>>842 >仏道とか坐禅の道は、多くの先達が既に歩いている。
その道だけに焦点を絞れば誰も歩いたことのない道を歩かずに済むのかもしれないな。でもそれは俺の求める未知じゃない。
>先達の足跡を目印にするという段階も必要なんじゃないかな。
これは俺もそう思う。必要がなくなったら捨てればいいんだし。
「禅やTAOは絶対的に引算だ。」
引き算が難しい。EOイズムを捨てるためにEOイズムを利用するのもおかしな話だ。
>後進のものを導くためには、役立つんじゃないの?
人の描いた地図の通りに進もうとしても、その通りになったためしがない。だから役立つとは思えないんだ。
>だから、ポケットに入れておけば、別に邪魔にはならないんじゃないの?
ポケットに収まる大きさで終わるならね。終わりそうにないんだ。だから本を読むのはもうやめにしたいんだ。サブカル系の本だけでも何度読んでも意味不明で理解不能な部分が残る。禅や仏教経典に手を出したら一生その解読に追われそうだ。
文章理解を深めるのは結構楽しいもんだから抜けられなくなりそうで。
>悟りの成長には終わりがないって言うしね。
「人は悟りになることはない。逆だ。悟りが人になるのだ。」
この言葉を見て俺はEOを読み始めたんだ。成長するのは悟りじゃなくて人間だけなんだろうな。人間的な成長は重要だろうけど成長することばかり追いかけても悟りは逃げていくのかも。
EOを読んで考えたことだ。
847 :
NE:2007/01/21(日) 12:31:11 ID:RfWG8yug
ここでの議論を読んでいると
いろんなひとが「理解」「理解」と書いているのだけれど
「悟りを理解する」とはどういう状態をさして
そのように言うのかと疑問が出てきた。
「悟り」を頭だけでわかっているのも「理解」じゃなさげだし
「悟り」体験とおもわしいものを経験しても「理解」ではなさそうだし。
もっとも「悟りを理解した」と思っている
「自分」がいるということすらも
「悟り」の妨げになるのであろうという事ならば
「悟りを理解した」「していない」という分別こそが
「悟りを理解する」ということから遠いのではないかと感じたりする。
「悟りを理解」したかどうかを判断する事自体が
意味のないことになるのではないかと感じたり。
そうすると「読んだもの」は結果として「役に立たなくなる」。
「悟りに近づいた」とか「遠ざかった」とかってのも
「悟りの前」」には必要ないのではないかと思ったり。
うーん。
848 :
迷い人:2007/01/21(日) 13:23:04 ID:5lbqWLVj
>>838 吽狛さんの言われてる事が自分なりに理解出来たかな?
「自転車=自我」
「自転車に乗って漕いで走る=自我の欲望を満足するまで生き切る」
「産道、道路=悟り、生命、神、その他いろいろ」
上手く言えないけど、人は悟りって道路を自我と言う自転車に乗って
色んな喜怒哀楽を経験して走って生きている。
でもいずれ、欲望が尽きたとき、自然と自転車を降りて悟る日が来る。
吽狛さんの例えを読んでいてそう感じました。
足がしびれていたために、自転車から転がり落ちるって
言うのも面白い表現だなって思いました。
僕の自転車の例えは自我の事は一切言ってなくて
悟りそのものは根底にあるものだから
求めるものじゃないと言う例えだったんです。
吽狛さんも当然それには気づいていたと思うんですけど。
そう言えば自我のお話は、方斬さんも同じ事をおっしゃっていたなぁ。
僕もこれからの人生、自我の欲望を満足するまで生き切るつもりです。
849 :
迷い人:2007/01/21(日) 13:24:55 ID:5lbqWLVj
>>845金平糖さん
>「誰かが電源を勝手に入れて」じゃなくて、「自分が自分で電源を入れて」
だよ。
ん〜なんて言うんだろう、例えば「勉強して大学でないと立派な大人になれないぞ」
って親に教えられるとしますよね。
んで、子供はそうなんだと何の疑いももたず、大学目指して勉強する。
でも大学受験に何度も失敗して、あぁ自分はもう立派な大人になれないんだと挫折する。
でも実際は「勉強して大学でないと立派な大人になれないぞ」っていうのは間違いで、
大学でなくたって立派な大人になる事は出来るし、その間違いに気づかせなくちゃいけない。
これが「電源を落とす」って作業です。
間違いに気づいた子供は思い込みをリセットして、自分の欲するままに生きるようになる。
だから「誰かが電源を勝手に入れて」ってのは、自分の意志ではなく、
親に観念を植え付けられたって意味での例えなんです。
「自分が自分で電源を入れて」だと、自分で観念を作り上げて、自分で植え付けるって感じじゃないですか。
金平糖さん、どうですかね?
850 :
金平糖:2007/01/21(日) 13:32:29 ID:bOCudp6i
851 :
金平糖:2007/01/21(日) 13:42:55 ID:bOCudp6i
>>849 >ん〜なんて言うんだろう、例えば「勉強して大学でないと立派な大人になれないぞ」
>って親に教えられるとしますよね。
「教えられた」ということ、そもそもこれが違う。
「勉強して大学でないと立派な大人になれないぞ」というのは、親の思い込みで、
その思い込みを、あなたがまた思い込んだに過ぎないの。
「勉強して大学でないと立派な大人になれない」かどうかは、あなたが実際に大学に入って出てみないと分からんし、
そうしてみたところで(大学を出てみたところで)、あなたが立派かどうかもわからん。
立派という定義そのものがあいまいなんだし。
「自分は立派である。立派になった。」、そう思うことはあなたの自己満足で、それがそうなんだと思うのは構わない。
しかし、それが立派であることの本質自体をとらえているわけではないでしょう。
852 :
金平糖:2007/01/21(日) 13:56:32 ID:bOCudp6i
>>849 仮に、自分とあなたがそれぞれ本質のとらえ方(方法)を理解しても、その方法に則って
寸分たがわず実行してみたところで、実際に掴んでみた本質は自分と私では同じではないよ。
言葉、文章でどんなに表現してみたところで「全く同じ」なんてことはあり得ない。
853 :
金平糖:2007/01/21(日) 14:13:50 ID:bOCudp6i
>>852 誤:自分と私では同じではないよ。
正:自分とあなたとでは同じではないよ。
854 :
迷い人:2007/01/21(日) 14:43:26 ID:5lbqWLVj
>>852 そうですね。
ただ僕が伝えたかったのは、
親の期待や言われた通りに奴隷のように生きるんじゃなくて
自分の本当にしたいと思う事、欲してる事を正直に表現して
生きて行こうよと言う事なんです。
でもそれにはまず、世間や親に植え付けられた観念を取り払って、
電源を落としてあげないと、子供は苦しいままだなって。
電源を落として終わりじゃなくて、
電源を落としてからが始まりで、自分の人生を欲するままに、
歩めるようになるんじゃないかなって思ってます。
悟りとかは欲望を生ききった後に、
求めずとも自然と訪れるものなんじゃないかなと。
そんな感じです。
855 :
金平糖:2007/01/21(日) 14:52:39 ID:bOCudp6i
>>854 >自分の本当にしたいと思う事、欲してる事を正直に表現して
>生きて行こうよと言う事なんです。
それでいいんじゃないの?
>電源を落としてあげないと、子供は苦しいままだなって。
「落としてあげる」んじゃなくて、自分で落とすのさ。
このニュアンスの違いわかるかな?
>悟りとかは欲望を生ききった後に、
>求めずとも自然と訪れるものなんじゃないかなと。
自分のままに生きれば、悟りは自ずと訪れる。
そうなんだろね。
856 :
迷い人:2007/01/21(日) 15:02:58 ID:5lbqWLVj
>>855 「落としてあげる」んじゃなくて、自分で落とすのさ。このニュアンスの違いわかるかな?
そうですね、他人が出来る事は、もう無理しなくても良いよ、
自分の人生を生きなって声をかけて上げる事しか出来ませんしね。
落とすかどうかは、本人の気持ち次第、ですね。
857 :
金平糖:2007/01/21(日) 15:13:31 ID:bOCudp6i
>>856 ん〜、どうもあなたの中に「ふたりの自分」がいる、って感じ。
「〜してあげる自分」と「〜される自分」。
あまり理詰めで自分を見ると病気になってしまうからやめやめ。
858 :
吽狛:2007/01/21(日) 21:35:55 ID:5arCcD7e
>>839 >それが何なのかは言わないが・・・・・・。
言わんのかいっw気になるやろ・・・。
>>843 迷い人さん
>頭に茶碗を乗せて、自転車をこいでる姿を想像しただけで可笑しくなった(笑)。
お、自分と同じ笑いのツボだ。
自転車の例えは、たぶん、あれじゃ、私の言いたい事は分からないかな・・・。
というか、自分ですら理解して書いてないというかw
簡単に言うと、「悟りが悟るんであって、自分(自我)は悟らない」ということ。
理解した自分や、体験した自分が、悟るんではないということ。
だから、いくら体験しても、体験は体験でしかない。しかし、体験は体験のままでいい。
体験者も、体験も、、、記憶でしかないから。
話は変わって、
迷い人さんの文読んでると、「自分は、何故、ほうざんさんとかRyuぴょんに魅かれるのか」
とか、「自分は、何故、これ書こうとか、これは書くまい、とか判断してるんだろう?」
とか、「自分てなんだろう?」とか、なんか、いろいろ分析してしまいます。面白い。
>>855金平糖さん
>「落としてあげる」んじゃなくて、自分で落とすのさ。
え〜〜、「自分が落ちる」・・・じゃないの・・・。
859 :
金平糖:2007/01/21(日) 21:52:24 ID:9s/LJtw0
>>858 >え〜〜、「自分が落ちる」・・・じゃないの・・・。
あはは、さすが吽狛さん。おっしゃるとおり。
自分もまだまだでござる。
>言わんのかいっw気になるやろ・・・。
おや、気がつきませんか?
・・・・・・・、ということですよ。
860 :
迷い人:2007/01/22(月) 00:13:32 ID:D4+nAgz0
>>858吽狛さん
笑いのツボ同じですか(笑)
僕は方斬さんが頭に茶碗をのせて、赤いママチャリを漕いでる姿を想像したんですけどね(爆)。
自転車の例えはちゃんと理解しましたよ。
で、さっき自分なりに「自分てなんだろう?」って分析してみたんですけど
題して「心のファッションショー」です。
僕の心の中に「自分」と「鏡」が存在していて
奇麗な女性をみると心の中に「奇麗と言う感情=奇麗な自分」
が出現して、それを心の鏡で、奇麗な自分を鏡の前に立って見るんですね。
あ、今日の自分は奇麗だな、今日はこの服を着ていこうって感じで、
とてもポジティブな気分になって、自分の事が凄く好きになるんです。
だから鏡にうつる自分を見た時に、心地よいと感じたら、行動に移す(洋服を着ていく)し、
心地よくなければ行動をストップ(洋服を着ていかない)って感じですね。
これ書こうとか、これは書くまい、ってのも同じ原理です。
861 :
迷い人:2007/01/22(月) 00:14:12 ID:D4+nAgz0
>>続き
あと、お酒とかも全然飲めなくて、飲むと直ぐに気分悪くなって吐き気がするんですね。
むかし一度酔った経験があったんですけど、酔ってる自分を心の鏡が
もの凄く冷静にみてるんですね。だから酔ってるのに素面なんです(笑)
良く自分を見失うとかって言いますけど、僕には鏡があるせいで
自分を見失う事が絶対に出来ないんですよね。
自分で在るって状態は、心の鏡と自分が一体化してる時ですかね。
自分を映す鏡がないから自分だけになる。
苦しい時は苦しい自分だけがある。
鏡があると、苦しんでる自分がそこにいるって感じになりますね。
鏡があるせいで自分の思考が全部筒抜けで、頭の独り言が止まらないんですけど
ん〜頭頂留意で思考をストップさせるしかないのかなぁ。
悟りってこの心の鏡の事を指してるんだろうか?。。
吽狛さん、なんか書いてる事意味不明だったらすみません。。。。
862 :
KRANTI ◆LF7BuVDwXY :2007/01/22(月) 00:28:36 ID:jZwTTssR
迷い人さんの話 面白いね。
虚無の微笑み読んで腑に落ちたというのもよく分かるわ。
「見つめろ」とか「気づけ」とか言う教えは多いけど
「忘れろ」とか「消え去れ」なんて言う教えは少ない。
原田師は「座忘」なんて言葉使ってましたよね。
863 :
迷い人:2007/01/22(月) 01:33:52 ID:D4+nAgz0
>>862KRANTI さん
そうですね、本当に読んでて腑に落ちましたよ。
でも小悟の状態ってもしかしたら自分が消え去って
鏡だけになるって感じなのかも知れませんね。
鏡だけだと、他人をありのままに映すから
相手にとっては恐ろしい存在になると思うけど(笑)。
大悟したら鏡ごとなくなって宇宙から消え去るのかも。
あくまで想像ですけど。
864 :
Ryu:2007/01/22(月) 02:00:45 ID:MxclF7JM
>>846 >その道だけに焦点を絞れば誰も歩いたことのない道を歩かずに済むのかもしれないな。でもそれは俺の求める未知じゃない。
勇ましいですね。。
ですが、仏法から見れば、誰も歩いていない道といえども、仏の掌の内なんですね。
法は、仏陀がつくったものでも、考え出したものでもなく、仏陀が悟りを開く前からあったのだから、
われわれははじめからずーと法の中にある。法の現れそのものなんです。
>人の描いた地図の通りに進もうとしても、その通りになったためしがない。だから役立つとは思えないんだ
地図=マニュアルととれば、そういう面もあるかもしれないけれど、
地図=法ととれば、その通りにならなかったことは一度もない。
みなその通りにしかあることができないのだから。
そして、正法を明らめた師の下では、必ず大悟者が出ている。
という意味では、全部その通りになっているんじゃない?
>ポケットに収まる大きさで終わるならね。終わりそうにないんだ。だから本を読むのはもうやめにしたいんだ。サブカル系の本だけでも何度読んでも意味不明で理解不能な部分が残る。禅や仏教経典に手を出したら一生その解読に追われそうだ。
サブカルと、正法を伝える禅仏教とは違う。だから、禅関連も、わかりやすいやつ、ちゃんと見性のある老師が書いたものを一、二冊読んでみたほうがいいと思う。
読書を止めるのは、それからでも遅くないと思う。じゃないと、EOを相対化できないでしょう。
865 :
Ryu:2007/01/22(月) 02:01:42 ID:MxclF7JM
>>846 上の続き。
>「人は悟りになることはない。逆だ。悟りが人になるのだ。」
これもEO本人は、「どうだ」って言う感じの殺し文句のつもりで書いたんだろうけれど、冷静に読み返してみると、単なる言葉遊びというか、たいした意味・洞察を含んでるわけではないんだよね。。
そもそも「悟り」というのは、「悟る」という現象を表す動詞から来ている言葉なのに、「悟りになることはない」ってどういう意なんだろう?
「人は走りになることはない」という文と同じようにおかしいよね。後半も同じく、「悟りが人になる」のその悟りはどこから来たんだって感じ。
だから、言葉としても、内容としても、あまり意味はないというか、勢いだけの文句って言う気がしてしまう。
道元は「人が悟りを得る」と普通に、言っているよ。
「人の悟りをうる、水に月のやどるがごとし、月ぬれず、水やぶれず……悟の人をやぶらざること、月の水をうがたざるがごとし。人の悟を罣礙せざること、滴露の天月を罣礙せざるがごとし・・・」
>成長するのは悟りじゃなくて人間だけなんだろうな。人間的な成長は重要だろうけど成長することばかり追いかけても悟りは逃げていくのかも。
そうじゃなくて、道元は悟ったあとで、悟道が無限に向上していくと言う意のことを言っているの。
だから、人間的成長とはまた別の話だよ。
866 :
Ryu:2007/01/22(月) 02:28:02 ID:MxclF7JM
>>747 僕は悟りを理解できるとは言っていない。
理解できるのは法。
悟りは実際見性するしかないでしょう。
>>850 せったん師の言葉は、ほんとに仏の言葉で、原田師とかクリシュナムルティみたいに、論理的説明がない時が多いから、
最初は理解に苦しむ・・・笑・・今はだいぶわかるようになったが、、まだ全部わかる気はしない。。
「アスファルトのほこりもうけ」なんて文句にズキリと来たけれど、前読んだときは、読み飛ばしてた部分かも。
リンクありがとうね。。
867 :
吽狛:2007/01/22(月) 02:32:20 ID:qPBN0Vvj
>>859 金平糖さん
>おや、気がつきませんか?
>・・・・・・・、ということですよ。
うぬ?「・・・・・」て、悟り開いた人か?ということなのかな??
てっきり、プライバシーに関わる事かと思ったよ。知り合いなのか??、とかw
え〜と、「・・・・」じゃないですよ・・・云々。
>>860 >>861 迷い人さん
>僕は方斬さんが頭に茶碗をのせて、赤いママチャリを漕いでる姿を想像したんですけどね(爆)。
ぶわ〜〜ははっ。面白い・・・。怖面白いw夢に出てきそう・・・。
う〜〜ん。迷い人さんのいう「鏡」ってのが、どういうものか良く分からない。
私には、ないからなあ・・・。いや、これは、言葉遣いの違いだけで、私にもあるんだろうか。
自分を見てる鏡というと、「自分の行動や思考を意識している自分」かなあ・・・w
うんと、あまり度が過ぎると「自意識過剰」ともいう(笑)
自分を、自分の中の架空の他人の目線で見てる時ね。それとは違うんやろうか?
迷い人さんが、「鏡」を「虚無の微笑」に出てくる「鏡」と同一視してるかどうかは分からんけど、
迷い人さんの言う「鏡」は「虚無の微笑」に出てくる「鏡」とは、違う気がする。
「虚無の微笑」に出てくる「鏡」は「自分を映す鏡がないから自分だけになる。」
という事にはならないと思う。
しかし、あの「鏡」は「ゾンビ化する人々」で言われるところの「パー」の人が持ってるもの。
そして、私は「グー」なので、よく分かりませんがwww
868 :
吽狛(つづき):2007/01/22(月) 02:35:00 ID:qPBN0Vvj
自分的に、「自分て何やろ?」と思った時、
「自分・・・・ないなあ」と思います。
自分て言うのは、「自我そのもの」の事じゃなくて、
「個性」とか、「自分の自主的な考え」とか、のことです。
産まれた時から、「他から何かを受け取って、何の疑問も感じず、やってきた自分」
オリジナリティーが、全くない。
そんなんで、自分が生きてる意味あるんかな?と思う。
迷い人さんとは、違った形ではあるけど、私も、「自分を抑えて」生きてきた。
・・・生きている、かな。
めっちゃ自分で「やんちゃ」してる人(私目線から見て、そう見える人ということねw)
を見ると、「羨ましいな〜」と思う。
だから、ほうざんさんやRyuぴょんに魅かれたのかなあとも思う。
ところで、竹の間、有料化するけど、迷い人さんは、会員になるの?
私は、自問自答が止まりません・・・「自分は竹の間を、金を払ってまでして読みたいのか?」
「読むとしたら、それを読む理由は何なのか?」
「ほうざんさんは自主的な掲示板にするといっていたが、自分は、あそこで何がしたいのか?」
というか、「こんな疑問で、いいのか?」・・・・ww
869 :
迷い人:2007/01/22(月) 10:01:30 ID:g3d7qAs6
>867
あ、そうですそうです!
【自分の行動や思考を意識している自分】
【自分を、自分の中の架空の他人の目線で見てる時ね】
僕が言ってる鏡はまさにそれです。
吽狛さんって表現が難しいものを、言葉にするのが上手いですよねぇ。
確かに「自分を映す鏡がないから自分だけになる。」 ってのも何か違うなぁ。
「自分の行動や思考を意識している自分」だけになるってことなんかな?ん??
鏡の話と関係するのかは分らないですけど、
映画のマトリックスで、ネオとモーフィアスがカンフー対決するシーンありますよね。
んで、モーフィアスがネオに「打とうとするな」「打つんだ」「悟りをひらくんだ」ってアドバイスするんですけど、
僕の中にも「何かをする自分」と「何かをしようとする自分」がいるんです。
「何かをする自分」は何か行動する時に、不安や恐怖や恐れ思い込み、が全くない自分で、
「何かをしようとする自分」は不安や恐怖や思い込み、の塊の自分で
何か行動にする時に恐れで腰が引けて、行動出来なかったり、ぎこちなくなったりするんですよね。
この「何かをしようとする自分」が昔から僕を苦しめているんですよねぇ。
モーフィアスのセリフでの「心を解き放つんだ」って言葉が心に響きました。
870 :
迷い人:2007/01/22(月) 10:03:52 ID:g3d7qAs6
吽狛さんには、心を解き放ってる人で「何かをしようとする自分」が
いないだけで、「自分」はあると思います。
「何かをする自分」が【個性とか自分の自主的な考え】に当たるんだと思います。
【他から何かを受け取って、何の疑問も感じず、やってきた自分】。これは
インスピレーションで考えがひらめく時とかって、「何かを受け取った」って感じじゃないですか。
その受け取ったものを、ただただ無心に行動に移してるのが、吽狛さんなんだと思います。
「やんちゃ」しないのも、【自分を抑えて】るんじゃなくて
吽狛さんはもともと「やんちゃ」じゃない人なんですよ、きっと^^
ん〜でも「羨ましいな〜」と思う気持ちは凄く分ります。
羨ましいけど、しようともしないし、しない自分。
僕の場合の「自分を抑える」は「何かをする自分」を「何かをしようとする自分」が
邪魔して押さえ込んじゃうって感じです。だから吽狛さんが凄く羨ましいです。
吽狛さんって本当は全部分ってるのに、分ってないフリしてません?(笑)。
あと竹の間の1月19日の投稿内の「禅との「本当の接点」で、
方斬さんが「考えるな、じっとしていろ」ってな事をいってらして
多分「考えようとするな、じたばたするな」って事を言ってるんだなって思いました。
どうしても僕は、考える時に考えようとして、じたばたしちゃうんですよね。
竹の間が有料化されたら、是非会員になりたいですね。
僕が読む理由は、ただ方斬さんの書く文章が読んでて楽しいって言うのもあるし、
「何かをしようとする自分」をなんとか消し去るヒントがあればなと思ってます。
あぁ、「パー」じゃなくて「グー」でいたいわ、ほんまに(笑)。
871 :
金平糖:2007/01/22(月) 10:21:34 ID:Dmp/2snT
>>860 >>僕の心の中に「自分」と「鏡」が存在していて
奇麗な女性をみると心の中に「奇麗と言う感情=奇麗な自分」
が出現して、それを心の鏡で、奇麗な自分を鏡の前に立って見るんですね。
迷い人さんの中にあるのは、「自分」と「鏡」ではなくて、
「ふたつの自分(ふたつの意識)」だと思うよ。
>> 861の話で言うと、「酔っている自分」と「冷静な自分」があって、
正確に「酔っていることに「素直な自分」と、酔うことに「批判的な自分」があって、
結果的に「完全に」酔っていない=冷静な状態であるということだよ。
迷い人さんの場合、このふたつの「自分」のうち、「批判的な自分」が大き過ぎて
「素直な自分」を抑圧するので葛藤が起こるんだと思う。
もし、あなたが思っているように自分の中に「自分」と「鏡」があるといってしまうと、
「鏡」は対象を映すのだから、どこまでも「自分」しか映らないわけでしょ。
その「自分」という部分が「素直な自分」ということなら、「鏡」にはどこまでも
「素直な自分」しか映らない。ただ、それに過ぎない。っていうか、理論的におかしい。
鏡っていうのは、あくまでも相手(対象物)を映すものだよ。
迷い人さんは、意識したり、思考したりするとき、「〜なんだけど〜」っていうように、
常に自分の中で相反しているみたいだね。
>>867 吽狛さん、どうやら、「・・・・・・・」ではないみたいですね。(笑
失礼しました。
872 :
金平糖:2007/01/22(月) 10:29:41 ID:Dmp/2snT
自分は竹の間とか、オプション(闇のタオイズム、他)しか読んだこと無くて、
ほうざんの書籍は読んでないんでよくわからんが、禅、タオ、東洋哲学(西田幾多郎なんか)
のMIXなんだろうね。
873 :
迷い人:2007/01/22(月) 10:35:07 ID:g3d7qAs6
>「自分は竹の間を、金を払ってまでして読みたいのか?」
>「読むとしたら、それを読む理由は何なのか?」
>「ほうざんさんは自主的な掲示板にするといっていたが、自分は、あそこで何がしたいのか?」
>「こんな疑問で、いいのか?」
吽狛さんにとって、その疑問は永遠の謎だと思います^^;
【他から何かを受け取って、何の疑問も感じず、やってきた自分】
っていうのも、なにか操り人形みたいに「誰か」に操られてるみたいで
ちょっと吽狛さんが羨ましい反面、可愛そうにも思えました。
その操ってる「誰か」がその疑問の答えを知ってる様な気がします。
今の僕にとっては受け取るだけの人生って、楽な様でもあり凄く怖いわ。。。
874 :
金平糖:2007/01/22(月) 10:45:01 ID:Dmp/2snT
>>870 >吽狛さんって本当は全部分ってるのに、分ってないフリしてません?(笑)。
自分もそう思うわ。ってか、そう思ってた。(笑
>多分「考えようとするな、じたばたするな」って事を言ってるんだなって思いました。
物事(対象)を、「純粋に素直にみろ。」ってことかな。
「自分が純粋になって」とか「自分が素直になって」とかいう意味ではなくて、
そんな「自分さえも忘れて」(忘我)、物事(対象)そのもの、本質をありのままに。
ん〜、言葉にすると自分の感覚のニュアンスとは微妙に違うわ。
875 :
迷い人:2007/01/22(月) 10:51:45 ID:g3d7qAs6
>>871 金平糖さんの言ってる事がめっちゃ腑に落ちましたよ!
>正確に「酔っていることに「素直な自分」と、酔うことに「批判的な自分」があって、
>結果的に「完全に」酔っていない=冷静な状態であるということだよ。
>迷い人さんの場合、このふたつの「自分」のうち、「批判的な自分」が大き過ぎて
>「素直な自分」を抑圧するので葛藤が起こるんだと思う。
金平糖さんの言ってる事は、まさに今の僕を完璧に表してますよ^^;
「批判的な自分」をなんとか解き放って行かないとダメなんですよねぇ。
鏡って表現はちょっとおかしかったですね。。。
でも逆に冷静な状態が大き過ぎても、良い面もあるんですよね。
凄く酔っても常に冷静だから、気づいたら道路で
スッポンポンで寝てたなんて事には絶対ならないから(笑)。
876 :
迷い人:2007/01/22(月) 10:58:18 ID:g3d7qAs6
むしろ気づいたら頭に茶碗をのせて、ママチャリを漕いでた方がもっと恥ずかしいか?(爆)
877 :
金平糖:2007/01/22(月) 10:59:59 ID:Dmp/2snT
>>874 >物事(対象)を、「純粋に素直にみろ。」ってことかな。
別の表現にすると、
純粋に物事(対象)を「純粋に素直に経験しろ、戯れろ、映し出せ・・・。」
ははは、そんなところで・・・・・。
878 :
金平糖:2007/01/22(月) 12:43:43 ID:Dmp/2snT
>>868 >自分的に、「自分て何やろ?」と思った時、
>「自分・・・・ないなあ」と思います。
吽狛さん、それが既に「他人と比較してる」ってことじゃないの?
個性があるかないかは、他人が「自分(吽狛さん)や別の他人(第三者)」
についての印象に過ぎないですよ。
>産まれた時から、「他から何かを受け取って、何の疑問も感じず、やってきた自分」
>オリジナリティーが、全くない。 そんなんで、自分が生きてる意味あるんかな?と思う。
「他から何かを受け取って、何の疑問も感じず、やってきた自分」 、それが既に
オリジナリティであってアイデンティですよ。「他人と違う何かを」自分に求めている、
他人と違う何かに気づくことで自分に気づく(自分を確認する)、ってのは、
他人と自分を分別するわけだから「無」、「無分別」からは遠くなってしまう・・・・・。
「自分の自主的な考え」って、自分の主義主張(イデオロギー)ってことかもしれんけど、
それを持つためには、まず、自分以外のもの(外部)に眼を向けないと(関心を持たないと)
始まらないのだけれど、ほうざんやRyuちゃんは「その外部に対しての違和感」が
普通の人に比べて大きいから、結果として(現象として)、はっきり物申しているように
感じるだけだと思うんだけど。
逆に「その違和感」が少なければ(小さければ)、物申す必要がないというか、
必要性を感じないだけじゃないんですかね。
もちろん、そこにいいも悪いも、個性的または没個性ということもない・・・・・・・。
879 :
金平糖:2007/01/22(月) 12:45:39 ID:Dmp/2snT
>>868 つづき
自分が生きることそのものには意味はないんじゃないの。
ってか、意味があるかないかという思考じたい「分別」でしょ。
でも、人間(自分も含めてだけど)、
「意味」を問いたがるもんなんだよね。
もし、自分の生きていることに意味をもたらせたいのなら、というか、
もたらすものは自分自身ではなくて、自分以外のもの、例えば他人の存在
(親、兄弟、恋人、友達、上司、部下、その他いろいろ)であり、環境じゃないのかな。
自分で自分に意味を問いかけるから悩むし、堂々巡りになると思うんだよ。
本来、自分(自分の意識)はひとつなのに、そのひとつしかない自分の意識(自己)の中で
「本来の自分」の他に「意味があるかないか問う自分」を勝手に作り上げてしまっている、
そんなところでしょうかねぇ・・・・・・・・・・。
880 :
惰眠:2007/01/22(月) 22:26:35 ID:KAum8V4C
>>864 >われわれははじめからずーと法の中にある。法の現れそのものなんです。
ならば自分自身を理解することが法を理解することになる。
言語化された法でなく現れそのものの理解が必要なんじゃないか?
>そして、正法を明らめた師の下では、必ず大悟者が出ている。
> という意味では、全部その通りになっているんじゃない?
これは確かにその通りなんだろう。
正師を求める理由もこれにあるんだろうな。
でも、問題はこれだ。
>地図=法ととれば、その通りにならなかったことは一度もない。
> みなその通りにしかあることができないのだから。
みなその通りにしかあることができないなら、正師と出会えるやつは出会うだろうし邪師に捕まるやつは捕まる。その通りにしかあることが出来ないなら、あらわれた師の正邪の判断など不要なんじゃないだろうか?
>サブカルと、正法を伝える禅仏教とは違う。
これには納得いかないね。
法も悟りも過去から現代に至るまで、何も変わりはないはずだ。
どちらが優れているとか誰が劣っているとか俺には考えられない。
俺的には個人の好みの問題としか思えない。
>だから、禅関連も、わかりやすいやつ、ちゃんと見性のある老師が書いたものを一、二冊読んでみたほうがいいと思う。
うん。読んでみたいと思う。とりあえず原田雪渓師の本でも探して見るか。
881 :
惰眠:2007/01/22(月) 22:29:02 ID:KAum8V4C
>>865 「悟りが人になる」文法的におかしいのはもっともだよ。
でも、そんなんにツッコミ入れんなよ!しかも大真面目に。
そこがおもしれー奴なんだけどw
「だから私は悟った時、それは自分の努力ではないと、まっさきに理解した。
それは人間としての最後の切札、最後のものが、
もうそれ以上は潜伏しているわけにはいかず、
それ自体で浮上してきたのだった。
だから、それは私の仕業ではなかった。
人が悟るなんて、そんな事は大嘘だったのだ。」
まぁ、あれの前の文↑を読めばEOの言いたいことはわかるよな。
絶妙な表現だと思うけど。
でも、俺の言いたいのはそれじゃない。言葉の限界のことだ。
自分が目の当たりにしたこと感じたこと、それを詳細に言葉で表現しても、それそのものを理解できる人は本人だけだ。
言葉では誰にも伝えることは出来ない。言葉で表現されたものを読んで、そのものを理解することは不可能だ。
もしも理解可能な人がいるとすれば、それを目の当たりにしたことのある人だけだ。
言語化された法の言葉上の理解が、どんなに優れていたとしても、それを元にした地図は間違っている可能性が大きい。間違った地図では役立たずどころか迷うことになる。
そのために実践して確かめながら地図を作ってるんだろうけどさ。
あんまり地図を過信しないように。ってことで。
俺は自分の道を行くしかないと思ってるし、それでいいと思ってる。
だから他の人も、その人自身の道を歩めばいいと考えてる。
俺にしてみればRyuの道は変な道だ。でもそれでいいんだと思う。
>われわれははじめからずーと法の中にある。法の現れそのものなんです。
882 :
Ryu:2007/01/22(月) 23:03:55 ID:MxclF7JM
>>880 >ならば自分自身を理解することが法を理解することになる。
言語化された法でなく現れそのものの理解が必要なんじゃないか?
これは微妙に違う。現われがどうなっているかということも大事だが、そんなことを理解しようとしたら、また理解するものと理解されるもの二分裂に陥る。
そうじゃなくて、法の現れ「である」ことを完全に理解すべきなの。そうなったら、まさに信決上で、そこに安住する以外なくなる。
そこから無為に入れるということ。何か対象を理解しようなんてしたら、いつまでたってもわからないままだよ。
>みなその通りにしかあることができないなら、正師と出会えるやつは出会うだろうし邪師に捕まるやつは捕まる。その通りにしかあることが出来ないなら、あらわれた師の正邪の判断など不要なんじゃないだろうか?
不要じゃない。全てが法の現れであるとしても、実際に法を明らめている師と、法の説明だけできる師と、説明も体現もどっちもできていない師と、3通りくらいあるわけ。それで、正師というべきは、法を明らめて体現している師のみだよ。
まあ、説明できる師も、あるところまでは役に立つが、微妙なところで間違う可能性が高いし、グルとして帰依したときに、エネルギー的に問題なんだよ。
師とするということは、その師に波長を合わせるといことだから、師の波長が悟りじゃなかったら、いくら説明だけできても、弟子が悟れない可能性が高い。
ここらへん、全てが真実という究極諦ではなく、真偽が分かれる世俗諦で見ていく必要のあるところだね。
>これには納得いかないね。 法も悟りも過去から現代に至るまで、何も変わりはないはずだ。
どちらが優れているとか誰が劣っているとか俺には考えられない。 俺的には個人の好みの問題としか思えない。
法は同一でも、伝える媒介者が、ブレてれば、ブレて伝わるしかないと思うよ。
僕に言わせると、和尚やクリシュナムルティは説明はできても体現はどうなのか??という感じ。
EOは、体験はあっても、理解・説明が不十分。ほうざんは、体現も説明もどっちも近似値ではっきり言ってダメな気がする・・・という感じかな。。
>うん。読んでみたいと思う。とりあえず原田雪渓師の本でも探して見るか。
ネットで探したほうが早いかもね。
>>881 >人が悟るなんて、そんな事は大嘘だったのだ。
>悟りが人になる、というのが正しいのだ
文法的に全然おかしくない
おかしな言い回しを正しくしたのだろう
奇妙な言い回しをしたのではない
誰かが悟る
あなたが悟る
私が悟る
そんなことありえん
悟りになる
悟りが人になる
ぴったりくるではないか
884 :
金平糖:2007/01/22(月) 23:13:47 ID:B/GIyERa
>>883 光ファイバーさんにレスするのは、ちょっと緊張しますが、
>悟りになる
>悟りが人になる
>ぴったりくるではないか
これは、
経験する
経験が人になる(人を作る)
こういうニュアンスと同じと解してよろしいでしょうか?
自分は、そう解しているのですが。
885 :
Ryu:2007/01/22(月) 23:19:20 ID:MxclF7JM
>>881 >「だから私は悟った時、それは自分の努力ではないと、まっさきに理解した。
それは人間としての最後の切札、最後のものが、
もうそれ以上は潜伏しているわけにはいかず、
それ自体で浮上してきたのだった。
だから、それは私の仕業ではなかった。
人が悟るなんて、そんな事は大嘘だったのだ」
これは、心の奥底に潜在している仏性・光明が、表面に浮上・顕現してきたということの表現だとい思うけれど、
ほんとは、仏性ってそういうものじゃないんじゃないかな、仏性とは、人間であることそのものだよ。
それは、はじめから表に在るもので、それに気づくか否かの問題だと思う。
「悟りが人になる」とか「仏性が顕現する」と考えると、なにか「人間を超えた、悟ったマン」に変身するみたいで、
ミスリーディングだと思うよ。
>言語化された法の言葉上の理解が、どんなに優れていたとしても、それを元にした地図は間違っている可能性が大きい。間違った地図では役立たずどころか迷うことになる。
いや、法の伝達、理解がきちんとなされれば、迷いようがないよ。
全てが道なのだから、道から外れて迷うことは不可能。
そういう無為の理解に入って、さらに行を続けるということ。
・・これ以上の説明は俺には、無理だな・・あとは、雪渓師の本を読んで、理解しておくれ。。
>>871 金平糖さんは分析が得意なんですね
> 鏡っていうのは、あくまでも相手(対象物)を映すものだよ。
そいいう意味でいくと意識は鏡ですね
>>884 そう書かれると緊張します
経験ではありません
経験とは過去の出来事の記憶になります
「悟りが人になる」
というのはおそらく2つの意味を兼ねてそう表現したのでしょう
1つは
「私が悟る」という表現のおかしさを逆説的に修正したものとして
もう1つは
悟りとは自分から進んで悟るのではなく
向こうからやって来るからです
「私が悟る」という表現のおかしさはわかりますよね
悟る前に私はいなくなります
悟った後じゃなく前です
向こうから来るというのは
こちらから進んで向かうのではなく
こちらが立ち止まっているところへやって来るからです
本当のところはほうざん氏にでも聞いてみないと・・・
890 :
金平糖:2007/01/22(月) 23:51:10 ID:B/GIyERa
>>886 >>887 今までいろいろなレスをしてますが、何かを「分析している」という意識はありません。
あえて言えば、「そのように感じている(そう思う)」というだけです。
他の方には、「分析」しているように思われているのかもしれませんが。
「経験」という言葉が「過去の出来事の記憶」というのであれば、
「今、ここで感じている世界」が「現在」ということでしょうか?
その「現在」をいくつも感じ続けていく(継続していく)と、「未来」になる、
いや、『未来になる』のではなくて、『未来の方が自分に近づいてくる』
ということでしょうかね。
これと同じかどうかはわかりませんが、「悟りが自分になる」という感覚は
理解できます。
bvだっけか、あいつはなんなん?
892 :
吽狛:2007/01/23(火) 00:13:51 ID:lfEsxac8
>>869 迷い人さん
>「自分の行動や思考を意識している自分」だけになるってことなんかな?ん??
う〜ん、難しいですねw 意識している自分てのはないでしょうね、、、意識的とは違うと思うので、
単なる「意識である」だけ、と思います。ま〜ちょっと、これは、適当です(笑)
>僕の場合の「自分を抑える」は「何かをする自分」を「何かをしようとする自分」が
>邪魔して押さえ込んじゃうって感じです。
それは、私にもありますよ。はたからは、そう見えないだけでw
>吽狛さんって本当は全部分ってるのに、分ってないフリしてません?(笑)。
え〜〜、それはないよ。だって、自分の今のこの状態が、悟りだったと仮定して、
修行や苦労して、この状態になったら、がっかりするよwww
“禅との「本当の接点」”は読みましたが、・・・・
「ただただ無心に、そこで起きていることを眺める」なんてことは、出来ませんw
私は、妄想が広がりすぎて、収集がつかなくなりますwめちゃ有心です(笑)
>僕が読む理由は、ただ方斬さんの書く文章が読んでて楽しいって言うのもあるし、
>「何かをしようとする自分」をなんとか消し去るヒントがあればなと思ってます。
私は、竹の間読んでて、むかつく事が多いかなwww
“「何かをしようとする自分」をなんとか消し去るヒント”は、
私は、心理学とかカウンセリングの分野だと思うんだけど。。。
まあ、掲示板をどう活用するかは、人それぞれ、だしな。
>むしろ気づいたら頭に茶碗をのせて、ママチャリを漕いでた方がもっと恥ずかしいか?(爆)
あははwそんな人を見かけたら写真を撮るわ(笑)
893 :
吽狛:2007/01/23(火) 00:15:14 ID:lfEsxac8
>>878 金平糖さん
私は「他人と比較してる」のか・・・?
う〜む・・・なんか、難しいなw
何故か「個性」に拘ってしまう自分がいる・・・。なんかのトラウマかなwww
>自分で自分に意味を問いかけるから悩むし、堂々巡りになると思うんだよ。
>本来、自分(自分の意識)はひとつなのに、そのひとつしかない自分の意識(自己)の中で
>「本来の自分」の他に「意味があるかないか問う自分」を勝手に作り上げてしまっている、
なるほど。確かに、自分が生きてる事に意味はないと思う。
しかし、意味なく生きる事は、出来ないな〜〜w
今回は、迷い人さんや金平糖さんの書き込みを読んで、「何故、私が悟ってるって思ったんだろう?」とか、
考えました。その理由が分かれば、偽導師になって、稼ぐ事も出来るかもしれないw
もっともらしい事を言って、さも、自分を悟りに導いてくれそうな嘘導師・・・・、
しかし、理解や共感は、変容をもたらさない・・・。
>>890 そうですか
そうであれば、思い込みによって限定することが少ないのでしょうね
なので良く見える
限定することがなければ、通常なら潜在する想いが隠されないため
独りでに良くわかるものです
> 「今、ここで感じている世界」が「現在」ということでしょうか?
時間は過去・現在・未来に分かれていると
そう教えられたために、誰もそれを疑いませんが
時間は流れているわけではないです
人間の作り出した概念のなかであるだけです
現実は過去・現在・未来に分かれているものではなく
過去は記憶の産物で
未来は想像の産物で
現在は過去と未来の概念によってある概念です
895 :
迷い人:2007/01/23(火) 02:25:10 ID:DQoZUr3v
考えようと、じたばたせずに、
金平糖さんや光ファイバーEOさんの文を読んでいて
ふと、部屋の中で人がルームランナーで走ってるイメージが湧いた。
人は走ってるんだけど止まってるみたいな(謎)。
誰か上手く説明して(><)。
896 :
迷い人:2007/01/23(火) 02:33:01 ID:DQoZUr3v
あ、いま、方斬さんが頭に茶碗をのせて
ルームランナーで走ってるイメージが湧いた(凄い芸当)。
897 :
Ryu:2007/01/23(火) 03:28:24 ID:bW7RKczd
>>894 >そうですか
そうであれば、思い込みによって限定することが少ないのでしょうね
なので良く見える
>限定することがなければ、通常なら潜在する想いが隠されないため
独りでに良くわかるものです
横レスで悪いが、あなたやっぱり人を見る目がないね。。
今まであえてつっこまなかったが、金平糖は、やっぱ半分くらい誤った観念の中で思考してると思うよ。
だから、限定はあるわけ。
妙観察智という言葉があるけれど、覚者だったら、
もう少し人を見る目があってよいものだがと思うよ。。
わかってるのにあえてお世辞を言ってるのか、それとも話を聞いてくれそうなやつにスリ寄ってんのか・・
それだったら、覚者というより、政治家に近いな、たぶん・・・
898 :
迷い人:2007/01/23(火) 04:29:59 ID:DQoZUr3v
>>892吽狛さん
>う〜ん、難しいですねw 意識している自分てのはないでしょうね、、、意識的とは違うと思うので、
>単なる「意識である」だけ、と思います。ま〜ちょっと、これは、適当です(笑)
吽狛さんはやっぱり悟ってる(笑)。
さっき闇のタオイズムを読み返してて、一人で腑に落ちてたんですけど
http://www.mumyouan.com/e/eoyami-1a.html 以下引用(引用しちゃって良いのかな?)
>そのくつろぎを変に観察し、なぜこのように安らかなのかと思索したり
>検討したり方法化が起きて、あっと言う間にシーツのありのままの感触は
>観察『されたもの』に変わってしまう。
結局ぼくは、観察で完結してるものを、「観察しようとじたばた」して
「観察する」ものと「観察される」ものに、分化させちゃってるですな。
「観察しようとする」から時間の経過もリアルに感じちゃうのかも。
金平糖さんや、光ファイバーさんも言ってらしてる、
ただただ素直に映す、「意識、観察=鏡」これが、
吽狛さんが言う「意識である」って事なんですな(一人で納得)。
迷い人「方斬先生、何かをしようとする自分を、なんとか消し去るヒントはないですかね!?」
方斬カウンセラー「ただ映してろ」。
迷い人「・頭にのってる茶碗・」
ただ映すって、楽なようでもあり、退屈なようでもあり、怖いようでもある。。。
何かをしようとするのも、退屈しのぎには良いのかも(^^)。
んま悟れば、退屈すら感じないんだろうけど。
じゃあなんで分化なんてしたんだよ〜!!(泣)
899 :
Ryu:2007/01/23(火) 05:18:50 ID:bW7RKczd
>>898 何かしようとする自分をなくそうとする必要はないんだよ。
なくそうとすることが何かしようとすることでもあるし。。
何かするときはすることと一つになっていれば、分裂はない、一つであるわけ。
障害や誤解などがなければ、どうあろうが`Let it be'で脱落。。。
まあ、実際には瞑想・坐禅が必要だと思うけれどね・・
坐禅は、無為であって、何かしようとすることではない、不為であると言われている。
900 :
迷い人:2007/01/23(火) 06:27:53 ID:DQoZUr3v
>>899Ryuさん
そうですね。自分をなくそうとする必要はないんですね。
Let it be'で脱落!お〜これは名言ですね(笑)。
なんだかRyuさんと方斬さんには、同じあるなにかを感じる(謎)。
あ、竹の間の昔の投稿で
【死んだあとに、また「うたた寝」をするかどうか】を決める。
http://www.mumyouan.com/k/?T3466 以前読んだ時は、あまり内容を理解し切れてなかったけど
今読んだら全部腑に落ちましたねぇ。
まあ分化の世界ならではの、継続するリアルな快楽ってのもありますしね。
それに統合と分化を交互に味わうのが地球の醍醐味でもあるし。
自分はきっと「リアルな苦痛」をちょっと多めに経験しに、
生まれて来たんだろう、と、思いたい。
それか、
@「よく思慮もせずに、夢の中に戻ってきた」のか
A「やり忘れがあった」「計画の失敗」「やり残しがあった」のか
B「計画的にここの地上の「夢」を選択した」のか
C「また頭に茶碗をのせたかった」のか
ん〜本当のところ、自分は一体どれだろう??
Cであって欲しくはない。
901 :
金平糖:2007/01/23(火) 11:38:35 ID:+ktu1bUv
>>898 >じゃあなんで分化なんてしたんだよ〜!!(泣)
分化、区別、分別が何故起こるのか、いや、起こってしまったのか、
それは、人間が「言葉」をもってしまったからからでしょう。
言葉が物事にいろいろな概念や意味を与えてしまうし、また、その概念や意味がないと
「人と人の間」でコミュニケーションが図れないし、文明、文化、学問etc.の発達も
うまれてこなかったしね。
言葉を理解する前の赤ちゃんは、お腹がすいたら素直に泣くし、眠いときは眠る、
寒いときは震える。また、自分以外のもの(外部世界)に対しても素直に反応しているので、
自分と外部が未分化(無分別)な状態。極めて単純。
しかし、成長するにつれて母親(その他の人)が善悪を教えてしまう。
勿論、言葉ではわからないから、悪いときは叩くとか、善いときは頭を撫でるとか・・・・・。
赤ちゃんからすれば、それは素直に受け入れざるを得ない(教えられる)わけだが、
しかし、本当のところは赤ちゃん本人が「無意識に受け入れた」のかもしれないけどね。
もっとも、母親(その他の人)のその善悪という概念すら何を基準としているかはあいまいで、
その人の前世代の概念とかその時代の社会的価値観とか複雑にからみあったもの
なんだろうけれど。
そして、やがて言葉を覚えて意味を覚えていくほどに、大人になればなるほど
言葉(概念、意味)が増えて、複雑な思考をするようになってしまう、っということかな。
だから、いろんなところで「赤子になれ」とかいうけど、なんとなくわかるような
気がする。
902 :
金平糖:2007/01/23(火) 11:39:21 ID:+ktu1bUv
>>898 つづき
>金平糖さんや、光ファイバーさんも言ってらしてる、
>ただただ素直に映す、「意識、観察=鏡」
ふっと、思ったこと。
何気なく「意識」っていってるけど、ほんとうは「意」と「識」に分かれていているような気がする。
「意」には自分の反応とか思考が入るけど、「識」はそのまま識、唯の識=「唯識」ということ。
そうすると、自分は今まで「無意識」は「無+意識」と思ってきたんだけれど、
本当は「無意+識」ということで、「識(唯識)」に自分の反応思考がないこと「無意」が
本来の「無意識」ということなんだと・・・・・・。
観察は、「観」と「察」、つまり「観る」と「察する」。
「観る」は単純に「観ること」で、「察する」には観たもの(対象)に対して自分の思考、推測
が混じる・・・・。
903 :
金平糖:2007/01/23(火) 11:40:03 ID:+ktu1bUv
>>897 Ryuちゃん
>今まであえてつっこまなかったが、金平糖は、やっぱ半分くらい誤った観念の中で思考してると思うよ。
>だから、限定はあるわけ。
どこが半分誤っているのか説明してくれるかな?
逆に、どの部分はRyuにも納得できるの?
素直に聞いてみたいでっす。
904 :
Ryu:2007/01/23(火) 12:42:06 ID:bW7RKczd
>>903 まず、全体的には、思考やその表現がクリアーじゃなくて、あちらこちらで間違っている。
正確なこと言ってなくて、感想や一般論で、それもどこかで聞きかじったことを完全に理解しないまま言っているから、
人が読んでもあんまり役に立たないんだな。。
アドヴァイスしたつもりでも、不正確だから、あんまり意味がない。。
>>901でもさ、言葉や観念の習得によって意識が分裂したというのは、違う。
さらに、そう思ったら、解決しようがないでしょう。
言葉や、観念を全部落とすなんて無理なわけだから。
そうじゃなくて、「自分がある」という思い込みが根源なわけ。
自分がないとわかったら、実体ではないと理解したら、判断とか批判とか意味がない。
そういうのは落ちるしかないでしょ。
だから、あなたの言ってることは、理解じゃなくて、推量の域を出ないんだよ。
それから、意識に映った物事を、判断・思考せずに、「そのまま映し出す」なんて無理だし、
やろうとする必要もない。そうする事がいいことだという考えが、無心教というか、やっぱり間違った観念であるわけ。
思考や判断や、さらには自己批判さえも、それはただ、縁起によって「自然に起こる」ものに過ぎないから、
実体はないし、どうする必要もない。なくそうとする必要なんてないんだよ。
単にそれらに実体はないと理解するだけで、それらが問題ではなくなる。
自分が思考してるんじゃなくて、思考や他の因や条件によって、発生するものだから、
私の本質とは関係ないとも言える。このことを理解することのほうが重要なんだよ。
だから、知識、観念は持っていてもかまわない。知識、教養、道徳観念、なかったら困るでしょ?
捨てようとする必要はないんだよ。
ただそれらが、本来、意識・本質を妨げるものでないことを知ることが重要なわけ。
わかったかな?
905 :
金平糖:2007/01/23(火) 14:11:54 ID:+ktu1bUv
>>904 >アドヴァイスしたつもりでも、不正確だから、あんまり意味がない。。
>>890でも書いたけど、分析しているつもりもないしアドバイスしているつもりもない。
「自分がそう感じたこと、感じていること」をそのまま書いたに過ぎないよ。
あなたには役に立たなかったのかもしれないが、役に立った人には役にたったんでしょうから。
そもそも、「役に立つとか立たない」というのは自分ではわからないよ。
それを受け入れるも受け入れないも相手の意識でしょ。
意味をもたらす、もたらしているのは自分じゃなくて相手自身だよ。
>そうじゃなくて、「自分がある」という思い込みが根源なわけ。
>自分がないとわかったら、実体ではないと理解したら、判断とか批判とか意味がない。
>そういうのは落ちるしかないでしょ。
「自分がある」というのが思い込みなら、「自分がないとわかった」というのも思い込みなのでは?
>それから、意識に映った物事を、判断・思考せずに、「そのまま映し出す」なんて無理だし、
やろうとする必要もない。
自分が「映し出す」のではなくて、単に「映す」。そこに自分の判断も思考もいらない。
「Ryuちゃんがそういうのは、そう感じているんですね?」としかいいようがないわ。
わかったか?と聞かれれば、「知らない。」としか自分には言えない。
906 :
金平糖:2007/01/23(火) 14:52:16 ID:+ktu1bUv
>>904 つづき
>そうじゃなくて、「自分がある」という思い込みが根源なわけ。
じゃぁ、「自分がある」という思い込みのそもそもの原因はなに?
907 :
Ryu:2007/01/23(火) 18:22:32 ID:bW7RKczd
>>905 >あなたには役に立たなかったのかもしれないが、役に立った人には役にたったんでしょうから。
そもそも、「役に立つとか立たない」というのは自分ではわからないよ。 それを受け入れるも受け入れないも相手の意識でしょ。
この文自分で矛盾してるのわからん? あなたも立派な「対話できないさん」、「日本語書けないさん」だね。
自分でわからんと書いておきながら、「役に立った人には役に立ったって」ってなんだよ?
もう一つ言えば「自分でわからない」というのは「あんたがわかってない」だけ。
僕から見たら、ある種の問題に関しては、「正しい解決法」はちゃんとあるわけ。
それを理解して実行すれば、必ず役に立つ。理解するか否か実行するか否かは向こうの問題だけれどね。
だけど、お前さんのは正しい理解にも解決法にもなっとらんから、客観的に役に立たないといっているの。
>意味をもたらす、もたらしているのは自分じゃなくて相手自身だよ。
そんな主観的な問題じゃないの。ある病に対して有効な薬の成分は、それを知る者にとってははっきりしている。
それを知らないものが、適当な薬を出して、飲んだものが効いたような気がしてもダメなの。
どういった薬を出すかの時点で、役に立つ立たないは決まるということだよ。
908 :
Ryu:2007/01/23(火) 18:24:23 ID:bW7RKczd
>>905 つづき
>「自分がある」というのが思い込みなら、「自分がないとわかった」というのも思い込みなのでは?
だから、そういうのは全部、あんたが誤謬の中にいるから言えることなの。
誤謬を抜け出したら、「私がない」ということは明瞭に実感できること。
わかってないやつがそういうアテズッポウでものを言わないの。
少なくともあなたは、「自分がわかってないことをわかる」必要がある。
それがわからなければ、お話にならない。問題外なんだよ。
>自分が「映し出す」のではなくて、単に「映す」。そこに自分の判断も思考もいらない。
ホントにそうなりたいなら、脳死かロボトミー手術受けるしかないと思うよ。
思考も判断もなしに、人間としてやってけるわけないじゃん?バカもほどほどにして欲しいよ、マッタク。。
>>906 >じゃぁ、「自分がある」という思い込みのそもそもの原因はなに?
身体とか心とかそういうものを、私とみなすことだよ。
そういう同一化が、脱落することを心身脱落というんだよ。
高校時代の話・・・
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
>Ryu氏
おっさんでもないし、覚者でもないので、レッテル貼りはやめてくれるかな
このスレは結構面白い面々が揃っているのだが、
吽狛氏、迷い人氏、金平糖氏、惰眠氏、それぞれいいのだが
独りどうにもでたらめなのがいるな
たまにこういうでたらめがいるのだが、わかるように書いても逆切れするだけだし
十代の子供にはどうにも早いんじゃないかな
あるがままってのは
指摘されたら、逆切れして、あるがまま
だと
それで自分なしなんだと・・・
こんなヘンテコな姿がどうしてわからんのかねぇ
>>901 > 分化、区別、分別が何故起こるのか、いや、起こってしまったのか、
> それは、人間が「言葉」をもってしまったからからでしょう。
> 言葉が物事にいろいろな概念や意味を与えてしまうし、また、その概念や意味がないと
> 「人と人の間」でコミュニケーションが図れないし、文明、文化、学問etc.の発達も
> うまれてこなかったしね。
まったく、同感ですな。
言葉が始まりなんですよ。
>>895 > 人は走ってるんだけど止まってるみたいな(謎)。
心に映した世界しか見れないわけですから、
本当は一歩たりとも動いちゃいない
とゆーこと
915 :
Ryu:2007/01/24(水) 01:23:14 ID:er4yOmTO
>>912 あなた、議論の内容とばさんで、どこがおかしいかちゃんと言いなさい。
その指摘とやらが正しくないから、どこが正しくないかこっちはちゃんと書いてる。
どこにも問題ないだろうに。
レッテル貼ってるのはどっちだって話だよ。
そもそも覚者って、あなたが悟った宣言したから、言ってんだよ。
突っ込まれて取り消すつもりなの?
だったら、はじめから言うなって話しだよ。
「自分なし」って言うのは、オレ自身のことじゃないの。
悟ってないって言ってんだから、脱落してない。
そうなるという原理を言ってんの。
僕から見ると、あんたの言ってることの方があべこべに見えるよ。
916 :
Ryu:2007/01/24(水) 01:29:55 ID:er4yOmTO
>>913 >まったく、同感ですな。
言葉が始まりなんですよ。
違うでしょう。
言葉もありますが、言葉が始まりじゃない。
ジャック・ラカンという精神医学者言ってますが、
われわれは、生後6ヶ月くらいの、まだ言語を習得する以前に、
鏡に映った身体像を自己と認知する時期があるそうです。
その身体像への同一化が、すなわち自我の芽生え、自他の分離の始まりなんです。
他が生じると共に自我意識が生じる。
これが分離の始まりです。
917 :
Ryu:2007/01/24(水) 01:47:54 ID:er4yOmTO
>>911 あなた、こっちの批判にはマッタクまともに答えられないくせにさ、「子供」がどうの「ヘンテコ」がどうのって、
小バカにするためのワードを連ねてるだけ。
自分でやってて、恥ずかしくないかな??
ホントにミットモナイのはどっちでしょうって感じだよ。
ホントに幼稚なのはどっち?
たいした覚者だよ、まったく。。
918 :
Ryu:2007/01/24(水) 02:29:49 ID:er4yOmTO
>>912 もう一言言っておこうか。
>あるがままってのは
指摘されたら、逆切れして、あるがまま
だと
これもあんたの作り話ね。
オレはどこにも「あるがままでいい」なんて書いてないよ。
というか、あなたが言ってるようなこと、どこにも言ってない。
前にも言ったけれど、悟り開く前に、日本語ちゃんと読む訓練やり直した方がいいと思うよ。
他人と対話できるのはそれからだね。
・・オッサンじゃなくて、オバハンだったかな・・笑
919 :
Ryu:2007/01/24(水) 03:04:32 ID:er4yOmTO
あ、それと、金平糖さんには、正直言って、ちょっとスマナイと思っている。
光ファイバーさんに、ちょっとしたジャブを入れるついでに話を持ち出したまでで、
ホントはあそこまでボロクソに言う気はなかったんだよ。
流れでなんかそうなっちまった・・まあ短気な性格なんで・・気にしてたらわわるいね。。
920 :
迷い人:2007/01/24(水) 06:29:11 ID:hZdwHs/6
>>904 >そうじゃなくて、「自分がある」という思い込みが根源なわけ。
>自分がないとわかったら、実体ではないと理解したら、判断とか批判とか意味がない。
>そういうのは落ちるしかないでしょ。
ちょっと、ふと書きたくなった事を書いてみる。
自分は高所恐怖症で屋根にも登れないんだけど
以前、脚立で屋根に登らないといけない時があった。
でも登る前に恐怖で足がガクガク震えて登れなかった。
そんな時にマトリックスの、「打とうとするな、打つんだ」って
言葉を思い出して、試しに思い切って登ってみたら
あらなんと不思議、、全く恐怖なく登れました(笑)。
少しの間だけど、悟りの境地を擬似的に垣間みた気がしましたよ。
ほんと恐れ(自分)が落ちたって感じだった。
ネオが「意味が分かったよ」って言ってたけど
僕も実際登ってみて「意味が分かったよ」って呟いた(笑)。
Ryuさんの「自分がないと分った」って言うのも
そう言うニュアンスで言ってはると思ってます。
Ryuさんの
>>831ポケットのティッシュの例えで、
「必要のないときは忘れてる」ってあったけど、
恐れって言うティッシュをポケットに入れながらでも、
悟りの境地を垣間みてる間は、恐れを忘れていられるし。
教えとかって、入り口まで案内してくれてるだけだし、
後は自分の力で扉を開いて、悟りに至るんじゃないでしょうか♪
ってな事を今朝、ふと思っちゃいました。
921 :
金平糖:2007/01/24(水) 08:30:51 ID:xiF31/rp
>>919 Ryuちゃんにいわれたことなんて、気にしてないよ。
ってか、それがRyuちゃんでやんしょ??
24時間PCの前に張り付いてるわけじゃないから、すぐにレス返せんだけよ。
あなたが自論の正当性を述べるのはいいけど、その自論を受け入れられないと
(賛同を得られないと)、キレやすいのはなんとかならんかね?
思考パターンがまる見えだよ。
>>907 >あなたには役に立たなかったのかもしれないが、役に立った人には役にたったんでしょうから。
「役に立った人」、あえて迷い人さんということを書かなかっただけだよ。
(迷い人さん、ごめんね。)
>、「役に立つとか立たない」というのは自分ではわからないよ。
「何が何でも役に立たせよう」とかムキになってないし、相手(迷い人さん)にとって
役に立つかどうかは、自分ではわからないという意味。
薬の例えを持ち出しているけど、それは単に理論に基づいて作られて、何百回の実験、
臨床試験を経た化学物質の「肉体の反応」のことでしょ。
「肉体の反応」と「意識の反応」を同列で話すこと自体おかしいよ。
>>920迷い人さん
>教えとかって、入り口まで案内してくれてるだけだし、
>後は自分の力で扉を開いて、悟りに至るんじゃないでしょうか♪
同感だな〜。
「坐禅と見性第50章 公案と見性B流れる水」なんて、他のスレ板でも似たようなテーマあるけど、
こっちのほうが断然おもしろいし、深いよなぁ〜。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1167920142/l50
922 :
山田:2007/01/24(水) 08:52:23 ID:+UqMyQgK
> > 分化、区別、分別が何故起こるのか、いや、起こってしまったのか、
> > それは、人間が「言葉」をもってしまったからからでしょう。
> > 言葉が物事にいろいろな概念や意味を与えてしまうし、また、その概念や意味がないと
> > 「人と人の間」でコミュニケーションが図れないし、文明、文化、学問etc.の発達も
> > うまれてこなかったしね。
> 他が生じると共に自我意識が生じる。
> これが分離の始まりです。
他が生じることと言語が生じることは縁起的に言うとほぼ同義に思えるんだがどう?
鏡も他がもたらしたものだね。
923 :
金平糖:2007/01/24(水) 08:54:09 ID:xiF31/rp
>>920迷い人さん
ちょこっと訂正ね。
教え(理論)ってのは、結局は「あと付け」なのよ。
とうしてそうなったか、または、そうなるのかを言葉で説明しているに
過ぎないの。
924 :
Ryu:2007/01/24(水) 11:52:19 ID:er4yOmTO
>>920 そのとおり。。
前から思ってたんだけど、迷い人さんは、2ちゃんねらーには珍しく、言ってることが凄くクリアーなんだよね。
それで、ところどころで無明案の宣伝を入れるから、中に崩山が入ってるんじゃないかって、疑った瞬間が何度かあったよww
・・崩山は、首の間の投稿で、「6つ以上の人格を操れる」って言ってたから、ここにも紛れ込んでるんじゃないかと思うときがあって。。
まあ僕の妄想なんだろうけどね。。
>>922 >他が生じることと言語が生じることは縁起的に言うとほぼ同義に思えるんだがどう?
>鏡も他がもたらしたものだね。
鏡というより、そこに映った身体像は、一種の記号の役割を果たしているということはできる。
言語の代用、原初的な言語とみなすことはできると思います。
>>923 言葉による説明って、言葉を媒介にいして、実際の現実について理解させるものだから、
言ってる人には後付かもだけれど、それを媒介にして理解する人には、手引きというか、
「月を指す指」なんだよね。それで、指も現実だし、法そのものである・・
と原田師の本にはあったぁ。。
・・だから、教えって、必ずしも全てが机上の空論とは言えないところがある。
理解できれば現実なんだよね。。
925 :
金平糖:2007/01/24(水) 13:12:52 ID:xiF31/rp
>>924 地図を持って、目的地を目指すのもいいよ。
地図に頼った方が、手ぶらのままより「危険を冒す」ことは少ないかもしれん。
ある意味、楽だわな。
でも、なんで楽しようとするんか不思議、ってか、もったいない気がする。
Ryuちゃん、頭よすぎるわ。知識の量が多すぎるって意味だけど・・・・・。
もっと、バカになった方がいいと思うよ。
あなたに贈る詩。
道程 by高村光太郎
僕の前に
道はない
僕の後ろに
道は出来る
ああ
自然よ
父よ
僕を
一人立ちさせた
広大な父よ
僕から目を離さないで
守る事をせよ
常に
父の気魄を僕に充たせよ
この遠い
道程のため
この遠い 道程のため
926 :
迷い人:2007/01/24(水) 19:10:58 ID:KRyTWmj3
>>924Ryuさん
僕は崩山さんかも知れないけど、2ちゃんねらーじゃないですよ(笑)。
2ちゃんのノリは苦手だし、文も真面目で浮いてそう。。
「6つ以上の人格を操れる」って大きな猫さん凄い!!
遠隔操作で操られてるんやろか???
あ、でも僕は壁の的めがけて、ドライバー投げたりしませんよ(笑)。
頭にのってる茶碗はたまに投げたくなるけど。
>>925 悟った人の教えってカーナビみたいなもんで
旅の途中で道に迷った人に、元のルートはここだよ「月を指す指」って
教えてくれてる感じしますね。
金平糖さんが言うように、地図(カーナビ)をもって
歩むのは確かに迷っても元のルートに戻れるって
安心感があるから、旅先で「危険を冒す」事もないんでしょうね。
冒険好きな人なら、カーナビ無しでも、道はどこかで繋がってるし、
迷いながらでも生きてれば、我が家に帰れるんかな。
でもルートから外れて、迷ったままで家に帰れなくて、
死んじゃう人も中にはいますしね。
これは人によってケースバイケースですね。
ん〜でもカーナビがあってルート通りに生きれても
この先どんな出来事が待ってるか分らないから、
不安で不安で不安ですよね^^;
行き詰まって渋滞に巻き込まれる時もあるし、
じたばたして抜け道探そうと、また脇道にそれて
迷っちゃう事もあるだろうな。
自信を持つってほんと難しいぃ。
927 :
惰眠:2007/01/24(水) 20:04:14 ID:OxlLwHoO
EOは原田雪渓のことを日本のクリシュナムルティと言ってるね。
だったら同じ比喩を使いながら、まるで別のことを表現してるとは考えられないな。
昨日、書店で探して見たが売り切れてた。通販で買うしかないか。
928 :
惰眠:2007/01/24(水) 20:39:01 ID:OxlLwHoO
やっぱ俺って悟り、向いてないわ。
「虚無の微笑」読んだときも思ったけど、あらためてEOの言葉読み直すとそう思う。
そこまで強烈に求めること出来ないもんな。
絵でも見ながら音楽聞いて読書トリッパーとして余生を過ごすよ。
みんな元気でね。Ryuは病気直せよw
じゃあね。
929 :
迷い人:2007/01/24(水) 20:57:43 ID:KRyTWmj3
>>928 惰眠さん、いなくなっちゃうんだぁ。
自分ももっと、お気楽に生きたいんだけど、
茶碗と友達って感じで、頭頂留意せずにはいられないんだよねぇ。
なんか頭頂留意が趣味みたいなもんだし(・)。
あ、でも最近、茶碗なしでも簡単に頭頂留意出来る方法
編み出したんだけど、自分だけの真実だから。
って言うかRyuさんって病気なの?(笑)。
惰眠さんお元気で!
930 :
迷い人:2007/01/24(水) 21:37:01 ID:KRyTWmj3
ん〜でも簡単な頭頂留意の方法が、
万人共通なのか知りたいから、一応書いてみよう。
顔と頭の力を完全に抜いて、首を真っすぐに立てて
延髄の当たりに、ぐっと力を入れるだけなんだけど。
背筋は真っすぐな方が良いけど,曲がってても問題ないよ。
頭頂に意識を向け続けるのって結構大変だから
延髄に力を入れるやり方の方が、楽に状態を維持出来ると思う。
慣れない内の頭痛は覚悟して!
でも頭頂留意って「バカ」って言葉に過敏に反応して
直ぐ眉間の方へずれるよね(笑)。
931 :
KRANTI ◆LF7BuVDwXY :2007/01/24(水) 22:00:07 ID:bkSq24ZE
迷い人さんは頭頂留意とか死人禅毎日やってるの?
効果はどうですか?
僕は昔一時期試したら性欲が肥大化して「あ、俺第1チャクラからやり直し?w」
とか思ってやめた・・・けど後で本読んだら頭頂の開き始めは誰でも
そうなりやすいなんて書いてあって別にやめんでいいんだ、と思った。
次に試した時は頭頂からキーンなんて音がして銀色に発光した感じがした。
ただあれ続けて社会生活続けれるとは思えんかったでやめた。
自分の場合頭頂留意は寝起きに「見るものと見られるものは一つ」なんて唱えても
起きるな・・・・
932 :
惰眠:2007/01/24(水) 22:03:29 ID:OxlLwHoO
>>929 レスされると、またのこのこ出てきちゃうがなw
茶碗と友達いいじゃん。
俺の友達だって何も言わないやつだぜw
933 :
Ryu:2007/01/24(水) 22:55:51 ID:er4yOmTO
>>925 金平糖さん。
地図があったって、危険はなくならないし、楽になるわけでもないよ。
悟っても借金減らないのと同じ・・という意味では「大人の」覚者さんが言ってた、
「悟ったことにたいした意味はない」というのはよくわかる。。
ホントは凄く意味はあるんだけれど、それで万事解決にならないというのはよくわかるよ。
>>926 法がわかっても、人生航路をそれが全部教えてくれるわけじゃないよ。
具体的な人生の選択は、普通にいろいろ考えて、迷ったりすることもあると思う。
悟りってそういう具体的な迷いがなくなるわけじゃないんだよ。
問題は、どう在るかとか自分がどこにいるかとかじゃなくて、本質は何かってこと。
それがわかれば、不必要な不安とかは消えると思うけどね。
>>928 勝手に病気にしないでくれ。。。
あんた自身が(比喩的な意味で)健康かもわからんのに・・・
おいらはクンダリーニが頭頂まで上がってるから、何も努力しなくとも、
よく頭頂留意みたいにはなる。自分では、サハスラーラ・モードって名づけてるけどね。
けど、それでまだ悟りでも解脱でもない。
坐禅を組むと、眉間の辺りに紫っぽい模様がいろいろ動いて見えてきて・・
オレは何の修行やってんだっていう・・・笑
坐禅とクンダリーニのちゃんぽんなんだよね、要するに。。
それで気が上がりやすいから、怒りっぽくもなる。。
まあ地道に修行を続けるしかないでっしょと思います。。
934 :
Ryu:2007/01/25(木) 00:23:15 ID:Pkyx56/P
>>297 >EOは原田雪渓のことを日本のクリシュナムルティと言ってるね。
そういう言い方は間違ってはいないんだけれど、こっちから向こう(海外)を見てるんで、
こっちを中心に見れば、クリシュナムルティの方が、インドの禅マスターといった方がいいと思う。
でも、インドとかヨーロッパには禅の伝統がないから、伝えるのに苦労したと思うよ。
幸い、日本には、古文・漢文だけれど、母国語で、禅のテクストがちゃんと読める。
地図といったら、やっぱり十牛図だと思う。これも絶対読まなきゃというんじゃないんだけれど、
詠むと自分がどこにいるかはわかる気がする。『究極の旅』より、ちくま学芸文庫版のほうがテクストがいいと思う。
・・また余計なウンチク言っちゃったかな。。
>だったら同じ比喩を使いながら、まるで別のことを表現してるとは考えられないな。
これはよくわからない。だいたい同じことだけれど、クリシュナムルティの場合には、
「実相は無相です」とか「無自性です」みたいな話はあんまりないんじゃないだろうか?
テクニカル・タームがないと、かえって真実を伝えにくいというのもあるかと思う。
・・でもね、和尚とかEOの言ってることとはだいぶ違う、という点で、読む価値はあると思うな。
>>928 > やっぱ俺って悟り、向いてないわ。
そんなものなんだよ
悟り悟りわかったわかったとゆう出来のいいのほど出来ず
はなっからそんな御大層なもんいらね
とゆうのほど、さっさと先にいっちまうもんよ
いっちまうは行くでなく逝くの意
そうそう、
レールの上を歩いてちゃ
近道に見えてホントは遠い
道無き道は困難に見えてホントは近い
>>917 > 自分でやってて、恥ずかしくないかな??
> ホントにミットモナイのはどっちでしょうって感じだよ。
> ホントに幼稚なのはどっち?
そんなこと書いてないんだが・・・
Ryu氏の思考パターンがそうなってるのだろな
恥ずかしいか恥かしくないか
みっともないかかっこいいか
幼稚か大人か
そんなことがRyu氏の中心なんだろな
て書いてもまたきこえないのだろう
それにしても >ryu氏
昨日1時すぎから2時間連続投稿なんて
あんま板に張り付いて体壊さんようにな
いいかげんに、さらっと流さんかいな
940 :
Ryu:2007/01/25(木) 01:21:45 ID:Pkyx56/P
イヤミったらしい覚者様の御登場。。
あんたの言ってることなんてどうでもいいよ。
覚者でも、不満タラタラになるもんなんだねぇ。。
・・というか、あなたの言い草にはオレオレ臭がすごく鼻につく気がするんだが、
オイラの気のせいかねぇ。。
まあ、オイラには関係ないからどうでもいいことだけど。。
941 :
Ryu:2007/01/25(木) 01:26:07 ID:Pkyx56/P
>>939 それにしても >ryu氏
>昨日1時すぎから2時間連続投稿なんて
あんま板に張り付いて体壊さんようにな
張り付いてんじゃないよ。本読みながら、思いついたときに書いただけ。
・・というかあんたは何でオイラのことがそんなに気になるの??
>いいかげんに、さらっと流さんかいな
コレは、しつっこい覚者様にそっくりお返します・・笑
942 :
Ryu:2007/01/25(木) 02:33:45 ID:Pkyx56/P
光ファイバー氏の言ってることって、全部どっかで誰かが言ってるようなこと。
和尚本とか竹の間とかその他有名どころ。。
・・特に
>>937なんて、せったん師がよく言ってることそのまんまだし。。
・・レールの上を歩いてるやつなんてどこにもいないのに、誰に言ってんでしょ?ww
「そうそう」って言うのも何?誰に言ってんのって感じ。。
なんか自分の中だけでしゃべってる感じよ。
まあ、自己申告の悟ったさんは、2ちゃんには腐るほどいるから、
まずは、信用せんほうがいい。
まあ、カワイイものだから、叩く必要もないと思うけれど。。
943 :
Ryu:2007/01/25(木) 02:56:25 ID:Pkyx56/P
>>963 やっぱ突っ込んどくべきと思ったんで、コメントしとくわ、読む人やせったん師のためにもね。
>そんなものなんだよ
何がどんなもんなんだ?自分の中で、一人事言ってるだけだぞ。。
>悟り悟りわかったわかったとゆう出来のいいのほど出来ず
そんなヤツどこにもいないんだが、誰のことかな?
>はなっからそんな御大層なもんいらね
とゆうのほど、さっさと先にいっちまうもんよ
こういうのは、せったん師は、坐禅組続けてるやつか、摂心に来るやつ対象に言ってるんだよ。
はじめから悟りも求めず、修行もせずなんてやつには、永久に悟りはやってこない。
まずは求めて、捨てたり忘れたりするのは、その後ね。
という意味では、上の発言は、半分以上嘘ね。
何にも求めないし、瞑想もしないという人たちには、全く当てはまらないことなの。
せったん師とまったく違うところは、言う相手を選ばず、自論を展開しているところ。
オイラの発言に対抗したいけれど、真っ向勝負できないから、他の人の発言の都合のいいとこだけ、
自論を展開するのに使ってるように見えるよ。。
944 :
Ryu:2007/01/25(木) 03:08:46 ID:Pkyx56/P
945 :
吽狛:2007/01/25(木) 07:36:22 ID:qFqXPT+d
>>909 ガビーン・・・いきなり、ヘビーな思い出話だな。
思わず読み返してしまった。
喧嘩屋Ryuぴょんに紹介してもらった原田雪渓師の本、
近くの本屋になかったから、アマゾンで注文した。
原田雪渓師の本→幽雪さんのHP→EOの「地球が消える時の座禅 真夜中の禅寺」という順番で
読むと良いかな・・・・w
そう言えば「虚無の微笑」に書いてある、死人禅のやり方と、
以前のEOの本とでは、ちょっと手順が違う・・・
微妙だけど、以前のだと茶碗を乗せたり外したりするのが、うっとうしいから、
「虚無の微笑」の方が良いのかもしれない。たいして変わらんかもしれんけどww
>>930 迷い人さん
>でも頭頂留意って「バカ」って言葉に過敏に反応して
>直ぐ眉間の方へずれるよね(笑)。
あはは。超うけるw
私は頭頂留意、よく分からないんだよね。どうしても、
頭頂を見る感じになっちゃう。
それと、基本行とかはいいけど、普段ずーと茶碗のせつづけるのは、
ちと、辛い気がする。というか、恥ずかしいかも・・・
「何で、茶碗乗せてるの?」とか、家の人に聞かれそうだしw
946 :
金平糖:2007/01/25(木) 10:56:55 ID:jHVU3f3w
947 :
金平糖:2007/01/25(木) 11:04:50 ID:jHVU3f3w
>>946 ごめん、間違った。逆だ。
EOの質問に幽雪さんが答えてるんだ・・・・・・。
948 :
金平糖:2007/01/25(木) 11:12:10 ID:jHVU3f3w
>>933 Ryuちゃんの言ってること、わかるぜよ。
同意。
949 :
金平糖:2007/01/25(木) 12:09:44 ID:jHVU3f3w
しかし、なんだな。
このスレももうじき終わる、少なくても、この板が終わってしまうのは
淋しいもんがあると思うのは自分だけか?
内容がどうとか罵り合いがどうとか、今となってはどうでもいいことなんだけど、
いろんな人が書き込んでここまでレスが伸びてきたわけで。
この板の中での書き込みした人(もちろん、ロム専している人も含めてだけど)、
「全ては、それぞれの意識や葛藤が交じり合って、ぶつかり合って・・・・・・
ひとつなんだなぁ。」っとまとめてみる。(笑
誰か、次の板たててくれ。スレの立て方がわからん。
ってか、立つときゃ、自然に立つよな。
ほっとけ、ほっとけ、法ほけきょ〜〜〜〜〜〜っ。
950 :
Ryu:2007/01/25(木) 12:18:57 ID:Pkyx56/P
>>946 面白そうなページだね。
後で読んでみる。
オイラは井上師自身の回答を既に読んじゃってるからなぁ。。
『禅 もう迷うことはない』という本に書いてあるよ。
古本しかないみたいだけどね。
951 :
金平糖:2007/01/25(木) 13:06:25 ID:jHVU3f3w
>>950 >オイラは井上師自身の回答を既に読んじゃってるからなぁ。。
井上師の回答は井上師の回答。
それについて、あなたがどう思うとかはどうでもいい。
大事なのは、Ryuちゃん自身の回答がどうかってことよ。
そして、その回答についての他人の評価もどうでもいい。
952 :
吽狛:2007/01/25(木) 17:03:27 ID:qFqXPT+d
Ryu君
覚者か正師か知らんが、
はらだはこう言っているからなんたら
せったはこのように言っている
和尚本ではかくかくしかじか書いている
EOはこれこれこのように書いている
そればっか
比較して同じだ違うだ、あーだこーだ
そんな、君の頭の中の正師が誰で
その人達の話した(書いた?)ことを
何かなんて知らんよ
勉強して比較するばかりでなく
そろそろ、頭の中にいる覚者だの正師を捨ててみたら
他のコテ連中をみてごらん
皆、立派に独り立ってる
>>949 金平糖氏
元から書き込みは、頭脳を使った思考プレーなんだから
内容がどうとか立派だとか間違ってるとか正しいことを認めさせたとか
たいした意味ないんだよね
板を離れると消えるものだしね
必要なら次スレが立つでしょ
955 :
金平糖:2007/01/26(金) 00:07:29 ID:zEpFRFgN
>>954 光ファイバーさん
おっしゃる通り。
2ちゃんねるで書き込みしたのは、実は初めてでした。
まぁ、今まで知らなかった細々した情報なんかの収穫もあったし、
レスのやり取りの中で自分の感情、思考っていうか、
「自分の意識の動き」がよくわかったのはおもしろかったですね。
次スレが立つかどうかは知りませんが、自分の興味が続くのであれば、
注目したいと思います。
最後に、
ほっとけ、ほっとけ、法ほけきょ、っということで・・・・・・・・。
ありがとうございました。
>>933 Ryuくん
> 悟っても借金減らないのと同じ・・という意味では「大人の」覚者さんが言ってた、
> 「悟ったことにたいした意味はない」というのはよくわかる。。
>>823で書いたことわかってない。
他はどーとでも反論できるだろうが、
これオレの書いたことだから、反論できんよ
まず、
>悟ったことに意味はない
でなく
>悟ったかどうか意味はない
だ
2つめは
空想に意味のないことを了解しなかったら何なの?
意味ないことを悟るんだよ
3つめは
過去に起こったことがどうで、レッテル貼っても意味は無いもんよ
いちいちどこで何食べたかなんて憶えてるわけないがな
> ホントは凄く意味はあるんだけれど、それで万事解決にならないというのはよくわかるよ。
悟りに意味あったらそれ悟りじゃない
それに万事解決しなかったら、それ悟りと違う
ここ面白い人多いんだよね
brown氏なんぞ面白そうだったな
今読み返してみると
>>322>>327>>328なんぞいいねぇ
大悟しなきゃわからんぜ
どーゆーわけかお約束の反応が
>>339にあるが
懲りない輩だねぇ
今日は長居してしまったがな
958 :
Ryu:2007/01/26(金) 01:04:36 ID:u60qz43V
今日は、まったく2ちゃんモードじゃないんだが、なんか言われてるからお相手つかまつりしましょうか。。
・・なんか今日の光ファイバーさんは、いつもにも増して、エバリ度数が高い。。
攻撃性も増してる気がする・・
これじゃあ、覚者というより、怨霊だな・・・笑
幽霊だったら、風流でいいけれど、怨霊はウザったいだけ・・早く退散してもらいたいのが本音。。
>>956 そのとおりでいんじゃないでしょうか??
何で因縁つけられてんのかわかりましぇーん。。
それで、あなたの言ってることは、僕から見てもまったく間違ってないです。
そのとおり。
でも、だからどうしたって感じ。。
わかっていることをいちいち説教されてもねぇ・・あっそうですかとしか言いようがない。
>それに万事解決しなかったら、それ悟りと違う
ここだけ、あなたは意味を取り違えてるんじゃないですか??
たとえば、家族が病気だったとして、僕が悟ってもその病気は治らないわけでしょ。
そういう意の万事解決はないということです。
・・はじめからそう書いてるはずなのに、、やっぱ日本語読めない病なんでしょうか??
959 :
Ryu:2007/01/26(金) 01:06:55 ID:u60qz43V
最後にちょっとばかし、くだらない小話をば。。
(小話)気楽なトンビが、いつものように、風にまかせて歌など歌いながら、
空をたゆたっておりました。すると、下を歩いている覚者さま、
「おれは悟ってるんだ、悟ってないやつが歌など歌うんじゃない、
ましてや、おれの上を飛ぶんじゃない、けしからん!」
といって、トンビに向かって石を投げます。。
しかし、トンビははるか上空を滑空しているので、いくら石を投げても
その石がトンビに命中することはありません。トンビは夜になったので、
自分のねぐらに帰って眠りましたが、覚者さまの怒りは収まらず、
夜通しトンビのことを考えて眠りにつけませんでしたとさ。
・・・おしまい。。
注…上記の小話は、単なる思い付きであり、実在の人物、団体とはまったく関係がありません。
また、別段、深い意味があるわけでもありません。
960 :
Ryu:2007/01/26(金) 01:17:06 ID:u60qz43V
961 :
Ryu:2007/01/26(金) 01:47:56 ID:u60qz43V
>>956 やっぱ、二人だけわかってもしょうがないんで、ちょっとだけ他の人のためにも、
解説しておきましょうか。。
>>悟ったかどうか意味はないだ
これはホントは悟った者にとってのみ言えること。
悟ったその認識から見れば、迷悟は一如であるので、悟ったかどうかという意味はなくなる。
そこから見れば、はじめから迷いもなかったことがわかるから。
一瞬一瞬、それ以外ないのだから。。
でも、何でそう言えるかわからないものにとっては、迷悟の区別は残る。
実相がわかれば、迷悟不二で、そこから離れたことなどなかったということがわかる。
でも、わかってないものにとっては、迷悟は残るから、必死で求める必要がある。
あるいは、実相を明らめる必要がある。。
・・はい、覚者さま、添削してくだされ。。
962 :
吽狛:2007/01/26(金) 02:55:31 ID:b8e6g9me
>brown氏と話したいなら「悟りました」というスレがあるから、行ったらいんじゃないですか。
あ、ほんとだ。ちょっと行ってみよう・・・・
・・・・・・・w
うう〜〜ん、、、、brownさんの日本語が良く分からないwww
これじゃ、質問しても、自分が回答を理解できるか謎だな。
でも、暇な時、もう一回ちゃんと読んでみよかな。
このスレも、もうすぐ終わりか〜、結構早いなあ。しみじみ。
自分には「自我嫌悪」は全くないし、死ぬの怖いし、
暗闇が怖いし(笑)→詳しく言うと、暗闇から、何か得体の知れないものが
いきなり現れるんじゃないかと、妄想が膨らんで、恐怖するんだが。
こんなんで、死人禅続けれるのかw。部屋が「ピシっ」ていうだけで、
跳ね上がっている自分・・・・www
自分、何のために悟り求めてるんだろ・・・。
退屈だからか・・・
963 :
Ryu:2007/01/26(金) 03:07:26 ID:u60qz43V
>>960 風呂上りに、ヒマだから、リンク先のbrown氏の書き込みを少し読みました。
それで、感想を言うと、brown氏も、光ファイバーさんや、EOなんかと一緒で、
批判対象をほとんど理解してないままに、それは間違いですと断言してるんだよね。
空性とか無自性とかそういう抽象的な真理がわからんというのは、しょうがないんだけれど、
わからんまま、叩くなって言う感じ。。
悟っても、他者に対する理解力が高まるわけでも、全知になるわけでもないというのは、これらの例によって、
よくわかりましたという気がする。
・・それとも、せったん師が言ってたように、「悟った」と思ってしまうと、それによって、
頭が麻痺して、理解力が落ちてしまうんかなぁ。。
964 :
迷い人:2007/01/26(金) 14:18:53 ID:dt6Kuq1s
>>931 KRANTIさん
闇のタオイズム四章 ●行法にまつわるコメント●
http://www.mumyouan.com/e/eoyami-4.html (以下引用)
>単に瞑想の時だけにサハスラーラに一時的に集中するのではなく
>そこを意識のありか、ベースの座としてそこに住むとなると、問題が発生する。
>もしこの7番目の中枢を作動させると、あなたたちは、他の6つの中枢で、
>まだ心残り、すなわち『十分に生きなかった器官』があると、
>まっさきにそこに『引き付けられる』という現象が起きる。
>常に原則として『あたりまえの日常的な人間生活』をやり残した重荷は
>結局それはあなたがサハスラーラに住み着くのを『最後に足を引っ張る』ことになる。
>このようにサハスラーラへの意識の移動は加速的に『何を片付けるべきか』を
>それぞれの個人に明らかにする。
>そしてカタがつけばつくほど、あなたは長くその座にいられるようになる。
僕は多分、今生では死人禅はやらないと思います〜。
頭頂留意はやってみて分ったけど、第6のチャクラ以外、
『十分に生きなかった器官』が山ほどあるから。
人からの愛情を拒絶したり、言いたい事言わなかったり、
感情を抑える癖があるから、第3第4第5のチャクラは特にね。
KRANTIさんも無理してやらない方が良いかも知れないですね。
『性のレシピ』『虹のオーガズム』『性恋愛教本』を買って
性欲を十分に満足させましょう♪
ただ雑念払って静かにしたい時は、頭頂留意は効果抜群!!
>>932 惰眠さん、お帰りw
965 :
Ryu:2007/01/26(金) 22:14:10 ID:u60qz43V
>>926 あ、でも僕は壁の的めがけて、ドライバー投げたりしませんよ(笑)。
ハハハ、EOほうざんって、傍から見るとすごくおもしろいよね。。
EOは昔、プーナで頭に茶碗のせてたっていう話を聞いたことがるよ。。
>頭にのってる茶碗はたまに投げたくなるけど。
悟った時に「こんなのはじめから要らなかったんだ!」って、壁に投げつけて割る、
カッコいいかもね・・笑
966 :
Ryu:2007/01/26(金) 23:01:42 ID:u60qz43V
オイラも行法思いついた。。忘れないうちに書いとこう。。
【にゃんこ禅実習法】
@場所:どこでもいいが、禅寺などではたぶんできない。。
A坐法:テキトー、何でもいいが、結跏趺坐はしない。自分にあった楽な坐法で座る。
座物は基本的にはなし。あってもいいが、あまり高いやつは向かない。
B姿勢:これも楽な姿勢でいい。無理に背中を伸ばしたり、胸を張ったりしない。
猫背でも何でも、自然な湾曲にまかせる。
C視線:これは、前方50センチ〜1メートルくらいのところに、座布団を二つ折りにしたものか、
掛け布団というを置き、それを見つめる。見つめるものは基本的には何でもいいが、ポイントは、
座っている面より、少し高い地点を見つめるということ。
瞑想をしている者ならわかるが、視線の高さによって、意識の状態は変わる。
座っている面より高い地点を見つめるのは、意識が沈み込みすぎるのをふせぐためである。
目の焦点は、見つめている対象に合わせる。意識の焦点が合わない場合は、後ろ頭に意識を置くとよい。
D時間:テキトー、手の置き方もテキトー。
・・とにかく、自然にリラックスして、明澄な意識を保つことを主眼におく。
その他は全部、その人の好き好きでいい。疲れたときの、リラックスや、座禅の合間の休憩にもよい。
ただし、この行法で大悟した人がいるかどうかは不明であるので、
この行法の成就は、ひとえに書く実習者の資質と、意気込みいかんにかかっている。。
967 :
Ryu:2007/01/26(金) 23:12:36 ID:u60qz43V
あ、それと、座るときの向きは、南向きがいい。
これは座禅の時とはま逆、坐忘とかじゃなくて、意識をクリアーに保つためには、
南向きがいい気がするのね。これは、心を静めるためには北向きがいいのと逆かな。
・・とかいって、誰もマトモにやんなそうだな・・オイラ自身も含めて。。
>>960 > 僕から見ると、彼はまったくデタラメこきまくってるようにしか見えないのだが。。
ホントだ
別人なのかあるいは再び何もわからなくなったのか狂ったのか
主客合一とは言わず主客未分だというところなどいいのに・・・
世界は苦しみに満ちているとは・・・
想像と推測を働かせると
おそらく、1度しか悟らず数年して何もわからなくなったのだろう
それで、記憶だけが残った
> だけど、正直言って、光ファイバーさんは、ホントに悟ってるんじゃないかって思うよ。
何度も書くけど
正師か覚者か悟っているかどうか
どうしてレッテル貼りして分類ばかりするの
>>959 Ryuちゃん
> しかし、トンビははるか上空を滑空しているので、いくら石を投げても
その投げた石はトンビに当たらず、自称覚者に返って来て石がぶつかる
つーわけだね。
それで、そのまぬけな自称覚者は、光ファイバーのことってわけ。
笑ってしまった。
逆切れせず、こーゆーレス返せれば、及第点だな。
>>961 覚者じゃないんで、個人的な見解ね
> 悟ったその認識から見れば、迷悟は一如であるので、悟ったかどうかという意味はなくなる。
簡単にすると迷いがあることによって対比する悟りがあるのであって元々分かれていないということ
> そこから見れば、はじめから迷いもなかったことがわかるから。
> 一瞬一瞬、それ以外ないのだから。。
そこから見るも何も
ある一方向に限定して見ようとするから迷いという架空に踊らされる
ということになる
> でも、何でそう言えるかわからないものにとっては、迷悟の区別は残る。
> 実相がわかれば、迷悟不二で、そこから離れたことなどなかったということがわかる。
架空が力を失えば本来の姿を歪めて見ることもない
> でも、わかってないものにとっては、迷悟は残るから、必死で求める必要がある。
> あるいは、実相を明らめる必要がある。。
わかろうとわかるまいと
それはそれでいいのだよ
必要とするなら求め、いつかは晴れるだろうし
必要でなければ求めないだろうし
どちらにしろ実相から逃れてはいないのだ
いい夢を見ているか悪夢を見ているか夢を見ていないの違いはあるにせよ
どれを選ぼうが違いはないよ
>>933 ついでに個人的見解で添削しとくと
> 悟っても借金減らないのと同じ・・
借金はなくなる
財産もな
そんなことないだろって思うだろ
借金は財産は実相か架空か
どっちだ?
> 法がわかっても、人生航路をそれが全部教えてくれるわけじゃないよ。
いーや、人生航路自体失うのに
つーか人生航路つー架空を必要とはしない
> 具体的な人生の選択は、普通にいろいろ考えて、迷ったりすることもあると思う。
> 悟りってそういう具体的な迷いがなくなるわけじゃないんだよ。
そんなんだと何も変わってねえじゃーねえか
人生自体がなくなるのに、何言ってるの
972 :
Ryu:2007/01/27(土) 01:58:23 ID:b/nFZ6Jv
光ファイバーさん、こんばんわ。。
個人的見解ですか・・ですがいいですね。
僕が「正法眼蔵」など読みながら、わかりかけていたけれど、
ホントにはわかっていなかったところを、
スッキリ説明してもらった感じです。。
>わかろうとわかるまいと
それはそれでいいのだよ
必要とするなら求め、いつかは晴れるだろうし
必要でなければ求めないだろうし
どちらにしろ実相から逃れてはいないのだ
いい夢を見ているか悪夢を見ているか夢を見ていないの違いはあるにせよ
どれを選ぼうが違いはないよ
特にこの部分なんて、僕が確信をもてなかったところを、
スッキリさせてくれましたね。
「求めなければならない」というのは、やっぱり仏教かぶれというか、
仏教の観念で見てそう思い込んでいたところかもしれません。
「現成公案」なら、そうなならなきゃおかしいのに、「仏教」が残ると、
それにとらわれてしまうのでしょう。
仏教というのも、一種の観念体系ですから、一種の自我なんですね。
だから、それもはずして実相を明らめなければならない。
万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
道元「現成公案」
これがわかれば、もう仏教トリップも、悟りトリップもしない。。
973 :
Ryu:2007/01/27(土) 02:12:09 ID:b/nFZ6Jv
>>971 ・・・人生行路も、人生自体なくなるんですか。。
それだったら、悟ったら、本当に輪廻の幻は消えてなくなるんですね。
密教の教えで「輪廻と解脱は一つである」と言うのがあって、
それだったら、解脱してもそんなに変わらないんじゃないかと思ってましたよ。
・・そういうふうに輪廻が雲散霧消してしまうということは、自分から人生を投げることではなしに、
向こうからそういう時節がやってくるということなのでしょうか?
今の僕は、どうなんだろう?
消えかかっている人生に、まだまだしがみついている感があるかな。。
消えたら困るんじゃないかっていう。。。
…人生消えちゃった光ファイバーさんは、普段は何やってる人なんだろう??
ちゃんと社会人やれてるのかなぁ・・笑
974 :
吽狛:2007/01/27(土) 04:33:18 ID:N5nMa5oc
全体的に、横レスです。
>>964 迷い人さん
あ、死人禅してないんだ。てっきり、やってるんだと思ってたやw
迷い人さんが、
>>930 で教えてくれた、頭頂留意の方法、やってみたよ。
茶碗を乗せて、やったんっだけど、頭のてっぺんが、ドクドク波打ってました。
そのあと、茶碗を外したけど、頭のてっぺんの広範囲にわたって、
重しが乗っかったような重圧を感じた・・・・。
その後、寝たら、頭蓋骨が割れる夢を見たけど、頭痛は、今のところ、起こってません。
以前、死人禅したときは、頭痛と鬱が酷かったし、
近所に「お前ら、みんな死ね〜〜」と叫んだり、物壊したり、暴れたりしてたけど、
今のところは、それもなし(笑)
けど、まだ、遣り残した事があるので、それを片付けないと、と気づいた・・・・。
言いたい事、言えても、理解しあえない事のほうが多いけど・・・
対話は必要だと、思う今日この頃。
>>968 光ファイバーEOさん
>別人なのかあるいは再び何もわからなくなったのか狂ったのか
なんだ〜、別人か・・・。残念だなあw
>>966 Ryuぴょん
>【にゃんこ禅実習法】
やってみるよ(笑)でも、意識をクリアーに保つ目的が良く分からないけど・・・。
>…人生消えちゃった光ファイバーさんは、普段は何やってる人なんだろう??
あ、私も、気になるわ、それ。
あ〜あ、自分が、悟り開いても、病気の人を治すことはできないんだろうね。
悟りを開いても、人を救えないんだ、悲しいな・・。
975 :
金平糖:2007/01/27(土) 11:02:15 ID:p8zTCCzC
しばらくロム専しようと思ったけど、つい反応してしまった・・・・・。
>人生消えちゃった光ファイバーさんは、普段は何やってる人なんだろう??
ほっほっほ、壁に向かって「ドライバー」投げてる人なんじゃない?(笑
976 :
Ryu:2007/01/27(土) 11:48:06 ID:b/nFZ6Jv
今日は、ある会合に参加して、その後の飲みまで参加してしまいそうな感じ。。
人生消えてないものにとっては、付き合いもまた大事だったりする。。
人生消えたら、楽といえば楽なんだろうけれど、同時に、いろいろ世間一般からは、
はずれてしまう部分も多いんじゃないかな?
世間話に付き合ったり、親戚づきあいや、床屋のあんちゃんと何しゃべるかとか、
苦労しないのだろうか??
テレビとかは、見たくなければ、見なくとも困らないのだろうけれど。。
>>969 >逆切れせず、こーゆーレス返せれば、及第点だな。
いつの間にかテストさせられている。。
受験生に逆戻りか・・・ww
977 :
金平糖:2007/01/27(土) 12:50:31 ID:p8zTCCzC
>>976 Ryuちゃん、ごめんよ。
あなたに拘っているわけじゃないんだけど、
やっぱひとこと言いたくなるんだよね・・・・・・・・・。
このスレがもう直ぐ終わるから、なお更なんだけど。
昨晩のRyuちゃんが光ファイバーさんとのやり取りについて、
自分は何も言わない。ってか、言えないよ。
でもさ、Ryuちゃんが今までのRyuちゃんとは、違うなぁってことだけは
確かだよな。自分はそう思う、少なくても自分にはそう映っている・・・・・・・。
それが、Ryuちゃんの本心から書いていることなのか、「頭脳プレー」と意識した上での、
あえて偽りのRyuちゃんなのか自分(私)にはわからんけど・・・・・・・・・。
でも、本気で自分を生きたいと思うなら、どこまでも自分自身に(同時に外界に)
素直に、simpleになるべきだよ。
原田正師、雪担正師、他、彼らの教えを詰め込むのは、もう、いいんじゃないの?
それはそれとして、Ryuちゃん自身を感じて欲しいな。
Ryuちゃんから教えられること、沢山あったぜよ。ありがとね。
978 :
迷い人:2007/01/27(土) 12:58:11 ID:yQs6BhAB
>>974 吽狛さん
死人禅は、密封型イヤホンして、押し入れに閉じこもって、
お試しで2、3回した事ありましたや。
でも、もの凄く目の疲れが取れただけで、精神的な変化はなく、
普段と変わりなかった。
あと僕の言ってた頭頂留意の方法だけど、
Ryuさんの「にゃんこ禅実習法」の方が全然効果ある!
午前中、日光浴も兼ねて座椅子にだらんと座って、太陽に顔を向け、
後ろ頭に意識を置いてたら、雑念もピタッと止んで、気持ちよくなって、
気がついたら眠てたよ。鬱や不眠症の方にも効くかも。
上を向いて歩こうじゃないけど、やっぱ視線の高さによって、
意識の状態は全然変わりますね。
んま鬱の時は上を向こうなんて気には、到底なれないけどねぇ。
でも「にゃんこ禅実習法」で大悟したら、禅寺も立場ないね(笑)。
979 :
迷い人:2007/01/27(土) 20:56:09 ID:zjc/nNMx
981 :
吽狛:2007/01/28(日) 05:31:42 ID:eL4T2un8
>>978 迷い人さん
そっかあ。死人禅で目の疲れが取れたんだ(笑)
そういえば、体は、軽くなる感じはする。
>あと僕の言ってた頭頂留意の方法だけど、
>Ryuさんの「にゃんこ禅実習法」の方が全然効果ある!
へえー。私は、よく分からなかった。ぼ〜っとした感じだったw意識も不鮮明だし。
視線の先が2m程あったので、遠すぎたのかもしれない。やる気が出たら、もう一回やってみよ・・・w
>>979 >皆の残された欲望とはなんだろね?
最近は、プリンばっかり食べてるかなw
性については、相手がいることだから、なかなか難しいな〜と思う。
という訳で、今生で、成就できるか分からないwww
でも、自分の欲望を、頭で考えると、自分が何を欲しているのか、分からないというか。。。
やってみると、結構、頭で考えた事と、自分の欲望が、ずれてたことに気づいたり。
理屈で、これは、もう満足したって、思い込んでいそうだし、
死人禅して、「やらないといけない状況や、心境に必然的に追い込まれる」という事が
私には、必要かもしれない。死人禅をしなかったら、多少、虚しさはあるものの、
たぶん、特に問題を感じないんじゃないかなあ。
諦めてるというか、満足して生きてる振りをしてしまうwww
>方斬さん、そんなにドライバー投げたかったんだ。。。
あはは。変わった欲望だwそんな欲望が、私にも、内在してたりして・・・w
>>980 光ファイバーEOさん
brownさん本人ですか。
何度か読んだけど・・・よく分からないや。よしっ
ムゥ――――――――――――――――――――――――――ッ
982 :
Ryu:2007/01/28(日) 08:26:53 ID:0fj6RXlK
スーパーで買ったお茶が、何でこうなのっていうくらいマズくって・・・
酔い醒めのお茶としては最悪だった。。
ちょっと胃のあたり、気持ち悪い感がるけれど、出かける前にちょっと書いとこう。
>>977 一言多いよ・・笑
というか、これから他のことで忙しくなるから、
禅の本を読みふけったりする時間自体なくなりそう。
坐ることは続けていきたいけれど、坐にも執着せずに、全部忘れて生きるのが理想かな。
実際、坐より先にやるべきことも多いしね。
>>970 いい夢と悪夢がなくなったわけではないけれど、夢なき現実というものも、
少しは感じられてきたような気もする。いい夢見ていた方が、楽しいのかもしれないけれど。。
今のオイラがやるべきことって、結局目の前の仕事にもっと精を出せってことなんだと思う。
別に大成功を夢見てるわけじゃないけれど、自分で納得できるところまでもいってないから。
それをあるところまでやんないと、悪夢が終わらない気がするんだ、正直・・笑
・・出かける前にもう少し寝るかな。。
あ〜キモチワル。。
飛んで運ぶドライバー持ち去るかの香知らず塗り壁、哀れ死人禅